ワンナイト聖杯戦争 第三夜  対決、三人のセイバー! (どっこちゃん)
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1 第三陣営

 まるで、巨大なハンマーが鋼を打つかのような衝撃が轟いた。

 

 何かの言葉を紡ぐよりも先に、召喚されたその瞬間に、そのサーヴァントはいかにも巨大な剣を遠慮もなく召喚者に向けて振るって見せたのだ。

 

 身の丈以上の大剣は、まるで虚空に見えない壁でもあるかのように、召喚者である少年の首のすぐ脇で静止した。

 

 少年が何かをしたわけではない。彼にはそんな魔術を行使する能力は無い。

 

 少年は魔術が使えない。

 

「――ほぉーう。まばたきもしねぇとは、なかなかに肝が座ってるじゃねーか。ガキの癖に」

 

 巨漢であった。

 

 手にする大剣もまた群を抜く凶器と見えたが、この男の五体、それ自体もまた類を見ないほどの凶器だと理解することが出来た。

 

「ボクは魔術師じゃない」

 

「あん?」

 

「でも、魔術師ってやつらに。勝ちたい」

 

「……」

 

 簡潔に区切られた少年の言葉に、サーヴァントは静かに剣を治めた。

 

 巨漢はなんとも不思議そうに、少年を見下ろしている。

 

 すると、少年は語り始めた。

 

 彼が命を賭してこの儀式に参加する、その理由を。

 

「ボクに魔術の才能がなかったから、ボクの両親は自殺したんだ」

 

 少年の先代、つまり魔術師であった両親が彼の生誕にあたって下した結論は「無価値。そして無意味」だった。

 

 代を重ねる魔術死の家における鬼門。――「血統の衰退」である。

 

 より優等な血筋を残すこと求める魔術師にとって、これ以上ない絶望と言える事態だ。

 

 そして、徐々に弱まっていた魔術師としての才能が、とうとう彼には宿らなかったのである。

 

「だから先代、つまり僕の父はね、命を絶ったんだそうだよ。母や他の家族、親族もまとめてさ。集団自殺として処理されたんだってさ」

 

 他人事のように、少年は語る。

 

「あーっ、悪い。聞いとらんかった」

 

 しかし、ぼんやりと空気でも噛むような顔の巨漢は、まるで興味がないとでも言いたげである。

 

「……そう。じゃ、本題に入ろうか」

 

「あん!? なんだなんだ? おいおい勘違いするんじゃねーぞ? そんな顔すんなよおい!! 要するにだ。聞くまでもねーってんだよ。おまえは勝ちたいんだろ? つまり、『自分に自分を証明したい』んだ。そうだろ?」

 

 ただでさえ白い顔をさっと蒼ざめさせた少年に、セイバーのサーヴァントは野次でも飛ばすような笑顔を見せる。  

 

「……自分に、自分を?」

 

「そうとも。良いぜ、やってやる。おまえの事情は話半分だが、お前の目的にはなかなかにそそる」

 

 巨漢は早々と問答を取りまとめてしまった。何とも大雑把な理解だったが、確かに要約してしまえば、そういうことだ。

 

「……そうだよ。無価値だとか無意味だとか、なんの納得もできない。ぼく自身は何もしていない。なのに、切り捨てられた。僕は魔術師って連中に挑戦したいんだ。挑戦して」

 

「それを超える、だな。――なんだなんだ。幸先がいいじゃねーか」

 

「……ホントにそう思うの?」

 

 本来は、マスターが非魔術師と言う時点で、サーヴァントにとっては大問題なはずだ。

 

 そのまま、契約を反故にされかねないほどの欠落。

 

 しかし、この巨漢は、それをまったく取り合わない。気にも留めていないという風だ。

 

「そらぁそうだ。僥倖(ぎょうこう)だとも! 現世に呼ばれるのはまぁだ良いとして、しっかし魔術師なんて顔色の悪い連中の、しかもよくわからん理由で振り回されるなんてのはなぁ。想像するだにゾッとすらぁ」

 

 けどな! と巨漢は、セイバーのサーヴァントは豪快に続ける。

 

「おまえの望みはいい。解りやすいしな。なによりもオレはそれが得意だ。いいコンビじゃねーか」

 

「得意?」

 

「応とも。オレは大得意だ。自分よりも、デカくて多くて強い奴を、ちょちょいと転がしてやるのがなぁ」

 

「……」

 

「どうした! もっと喜べよ。おまえはこの上ない「チャンス」を得たんだぞ? 己を己に証明するチャンスをな! 戦と同じだ」

 

 少年はくすりと微笑んだ。

 

「なら、後はどうしたらいいのかな、セイバー」

 

 少年の言葉に、巨漢は獣が牙を剥くようにして笑顔を返す。

 

「そうさな。まずは楽に構えろよマスター。こういうのはな、クソを我慢したような面でやるもんじゃない。楽しむのが吉だ。無邪気なガキのようにな。なにせ、弱兵で、大軍を転がす時ほど面白い戦は無いからなぁ」

 

 

 



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2 第一戦 セイバー対セイバー

 人気のない真夜の路上に、影がある。

 

 影の数は大小四つ。

 

 二組の二人組が、対照的に向かい合うようにして夜の路傍に静かに佇んでいる。

 

 もしも余人の眼が有れば、彼らの存在はまるで幽鬼か、或いは何処か別の次元から移しだされた投影であるかのように映ったことだろう。

 

 それほどに彼らの存在は、この次元、この現世において尋常ならざる魔魅の気配を幻燈の光のように帯びているのだった。

 

「やぁやぁ、これはこれは。――ふむ、さしずめ、白亜のセイバーとでもお呼びすればよろしいかな?」

 

 唐突に一人が声を上げた。

 

「異なことだ。互いにこうしてセイバーとして対峙するとはな。いや小生、粗雑な儀式と聞いて肝を冷やしたもので」

 

「血の臭いがする……」

 

 朗々と言葉を弄しはじめた偉丈夫に対峙する女――一見して単なる少女とさえ見受けられる女性(にょしょう)が、低い声を発した。

 

 対する偉丈夫は一瞬だけ整ったヒゲ面を歪めたが――すぐに「フハッ!」と声にならぬ笑いを張りあげた。

 

「召喚を受けてから、ここに来るまでの間に……何をした? 銀箔(ぎんぱく)のセイバー」

 

 サーヴァント達、――そう、今宵この一夜限りの聖杯戦争に呼ばれた英霊たちは、既に互いが同じセイバーのクラスであるということを承知している。

 

 銀箔の、と呼ばれたセイバーは笑みを堪えたまま、対する少女に言葉を送る。

 

「ふむ。……なんと言うかな。つまりは、腹に据えかねるのだよ。貴賤(きせん)を弁えぬ者というのは」

 

「なに?」

 

 銀箔のセイバーは手振り交えて大仰に、演説のひとつでも打つかのように続ける。

 

「貴賤を守るが騎士の務め、と言っている。貴賤・秩序・序列。人が群れて生きていくからには必要なことだ。が、何故かこの時代に在っては、この当たり前の(ロワ)が守られてはおらぬというではないか。――まっこと、腹に据えかねる」

 

 笑顔の裏に煮えたぎる刃のような本音を秘めながら、偉丈夫はそう結んだ。

 

「質問の答えになっていない」

 

 少女の応答に、男は「フハッ!」と笑いを返す。

 

「んっん~ッ! 故に、この時代に招かれてから、しばしそのあたりを散策してみたのだよ。そして、この時代の賤民(せんみん)と、いくらか問答をしてみたのだ。結果、我ら英霊がこれを守るには値せぬと判断した。――自らの貴賤をすら自覚しておらぬ。己が何者なのかを知らず、人の間に、差はないと欺瞞を口にする。ありえぬ話だとは思わぬかな? 神に連なる英霊殿。貴殿こそ、まさしく貴種であろうに」

 

 白亜のセイバーと呼ばれた少女は、全身を握りしめるようにしてそれを聞いていた。

 

 眉目秀麗と呼ぶにふさわしい、いっそ中性的ともいえる幼げな眉根(まゆね)が怒りに歪む。 

 

「応える気が無いのなら……」

 

「んっん~。気ぜわしいお嬢さんだ。殺してなどいないとも。――我がマスターの嘆願あってな」

 

 少々驚いて、少女は対峙するサーヴァントの背後にそびえる、マスターと思わしき男を見据える。

 

「然り! 殺すなどとはもっての外だぞ(はく)よ!」

 

 巨漢であった。

 

 自らが伯と呼んだ銀箔のセイバーに比してもなお、比較にならぬほどの巨躯を誇る男であった。

 

 逆立つような紅い髪。同じく燃え盛る様なヒゲに覆われた厳つい容貌はそのまま現代によみがえったヴァイキングの首領だと言われても納得のいくものである。

 

「なぜなら!! 奴隷(スレール)とは、最も効率の良い資本だからである! ただ所有するだけで金を生み出すもの、それが資本なり! この世はまさに大資本時代! なのに、表の世界ではなぜか人間を商おうとしない。なぜだ!? ()()()()()()()()()!!」

 

 巨漢のマスターは咆えるようにして告げた。

 

 何の罪もない民草を、己の奴隷として鎖につないだのだと。

 

「奴隷、だと!? ――人を、その鎖で繋ぐというのか、魔術師!」

 

「いかにも!! それがこの(われ)の生業であるからして! 名乗っておらなかったな? 我は縛鎖の魔術師、アルジェント・リーグル! またの名を『人飼いのリーグル』成り!!」

 

 全身に金銀のきらびやかな鎖をまとった、威圧的な男である。

 

 前述の通り、魔術師と言うよりはヴァイキングか野党の親玉と言った方が似合いの男だ。

 

 その巨漢、魔術師リーグルは、鬼のような顔に満面の笑みを浮かべつつ、ズズイ、と前に出る。

 

「なんだ? なにか癇に障ったかね? 乙女よ。おお、美貌の君よ。そなたにこそ極上の鎖が似つかわしい。()()()を差し上げようかな?」

 

 言っておいて、自分のセリフに改めて大ウケしたかのように、魔術師は笑顔をいからせた。

 

 まるで酒席に興ずる鬼のごとき様相だ。

 

「んっ、ん~ッ! 貴種たる乙女を前に、無礼にもほどがあるな――それも必然か、ここは、戦場」

 

 銀箔のセイバーは、いよいよとばかりに自らが履く剣に手を掛ける。

 

 抜刀は、問答の終わりを意味する。

 

 そも、彼らは戦うためにこの場に集っているのだ。この悪辣な会話劇に白亜の乙女が付き合わねばならぬ故は無い。

 

「どうしたね? 白亜のセイバー、まさか始める前から……」

 

 銀箔のセイバーが叩こうとした軽薄な口上が、潰された。

 

 マスターも、サーヴァントも、言葉を失い閉口する。

 

 ただ、眼前の華奢な少女の視線――その眼光に射すくめられたからである。

 

 渦巻く魔力が迸る。

 

 まるで、空を舞う猛禽に睨まれたネズミが死を覚悟するかのように、男たちはその威容に呑まれていた。

 

「少し―黙るがいい」

 

 今、彼らが相対するのは少女などではなかった。

 

 それは憤怒の化身であった。

 

 人には及びもつかない領域に存在する、憤怒の神の末端。あるいは、神、そのものであるかのようにさえ。

 

「私の耳に、それ以上貴様らの戯れ言を入れるな――――黙れ。黙れッ。――頼むから、黙れェッッ!!!」

 

 爆ぜる。まるで彼女の怒りの感情が魔力の波動となったかのようだった。

 

 それは突風のようだった。この小さな少女を中核として、深紅の魔力が迸っているのだ。

 

 驚くべきは、彼女の纏う乙女の証明のごとき白亜の装束までもが、内側から引き裂かれるようにして、爆ぜてしまっている点である。

 

 その怒りは、物理的な威力をも持ち合わせているのだ。

 

 静かな、まるで万力で押しつぶされようとしているような圧力が、周囲の空間に満ちていく。

 

 膨大な魔力が周囲を満たし、渦巻いていく。さらには何かを焼き焦がすような臭いまでが漂う。

 

 ――おそらくは、この少女が持つ何らかのスキルによるものであろうか。

 

 なんにしても規格外。それだけで格が違うということが察せられたことだろう。

 

 それを見るすべての者が、等しく言葉を失った。

 

 この少女、このサーヴァントは、あまりにも次元が違う、と。

 

 己の装束をズタボロにしてしまった白亜のセイバーは、それを気にしたように少しだけ深く、息を吐いた。

 

 自分自信を、なんとかして鎮めようとするかのように。

 

「……良いだろう。こちらとしても好都合だ。キサマラのごとき外道が相手なら、この剣を振るうにいささかの躊躇も必要ない!」

 

 白い肌も露わなまま、少女は剣と、盾を構える。

 

 共に、少女が持つには大きすぎると思われる武具だが、セイバーはこれを軽々と保持し、身体の一部の如く神経を通わせている。

 

「覚悟するがいい、外道ども!」

 

「――伯よ」

 

「案ずるなマスター。思いの外じゃじゃ馬のようだが、()()は何も変わらんさ」

 

 銀箔のセイバーも、再び笑みを浮かべて白亜のセイバーと対峙する。

 

 相手は明らかに格上。体格や技巧ではなく、存在のレベルが違いすぎるのがわかったはずだが、それでもなおこの偉丈夫は引くことを考えない。

 

 彼もまた英霊。確かな勝算を携えて、この死地へ歩み出る。

 

 もはや、一触即発であった。

 

 機は満ちた。あとは互いに互いの剣を持って己が威を示すだけ。

 

 そのはずだった。

 

 

 

 しかし、そこで「ぱしゃーり」と、なんとも場の空気にそぐわぬ音がする。

 

「ふんふんふぅん♪ ――ああ? どうぞ。気にせずお続けになって。セイバーも気にしないでよろしくてよ?」

 

 それまで、まったく言葉を発することなく、白亜のセイバーの背後に控えていた、背の高い女だった。

 

 言うまでもなく白亜のセイバーのマスターであろう。

 

 しかし、その行動に、誰もが疑問符を浮かべざるを得ない。

 



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3 その名はバルバラ

「んきゃあああああぁぁぁぁぁ!!!  良いわよセイバーッ!。思わぬハプニング! (わた)しの礼装を内側から弾き飛ばすなんて! なんてアンビリバボー! そしてセクシー! 偶然であるが故の無防備な貴女がそこにぃぃぃッ!!!」

 

 女は美しかった。

 

 数ある英霊の中にあって抜きん出た美貌を誇るセイバーの傍らに立ってもなお、損なわれることの無い容姿を持っていた。

 

 ――が、それもこのように猿のような奇声を張りあげるのでは台無しであったが。

 

 奇声を上げつつ、女は写真を撮り続ける。しかも、手にするのは魔術師にあるまじき最新鋭のデジカメなのである。

 

「あの、マスター……」

 

「はふん? 何かしら? あっ! いい感じよ! でももうちょっと! 心もち左を向いて! 貴女の貴女による貴女の美が際立つわ!!」

 

 困ったような顔をしつつ、指示には従ってポーズを取りながら、乙女(セイバー)は続ける。

 

「せっかく(あつら)えてもらった衣装を破ってしまったのは申し訳ありません……ですが、今はもう戦闘中ですので……」

 

「ああ、そうね! そのままでもワイルドでいいのだけど、直しましょう直しましょう」

 

 すると、ぼろきれのようになってしまっていたセイバーの装束が、パッと微細な破片になって舞い上がった。

 

 その破片はそれぞれが蝶の形となって飛び回り、再びセイバーの身体にはらはらと貼り付いていく。

 

 そこには、先ほどとは意匠の異なるドレスに身をまとったセイバーの姿があった。

 

「おぎゃああああああ!! 良いわぁぁぁ! そんな貴女も実によろしくてよぉぉ!!」

 

「ありがとうマスター。でも、これはあまりにも……」

 

 新しい装束は、まるで一種のウェディングドレスのようにも見えるほどの華美なものだった。

 

 たしかに美しいが、どう考えても戦闘の邪魔になるだろう。

 

「じゃあ次ね!!」

 

 さらにふんすふんすとシャッターを切りつつ、女は再び破片を舞い上がらせる。――この蝶のような形状の破片は、その一つ一つが彼女が操る使い魔なのだ。

 

「ローマ風も良いけど地味なのよねェ。もっと派手にロココ調! いっそヴェルサイユ――まだ動きにくい? なら一押しのジャパニーズニンジャ……ハッ! いいえメイドよ! そうだわ、ジャパニーズメイド! あれなら動きやすくて可愛いわ! もはや独特の文化! アレは良いものよ!!」

 

「いえその……先ほどと同じものでいいですので……」

 

 どうやら先だっても同じやり取りがあったようで、セイバーはゲンナリした様子でマスターの寵愛(ちょうあい)を受けて――あるいは持て余しているようだ。

 

「――――(つな)ぐぞ! 女ァ!!」

 

 そこで、怒号が轟いた。

 

 いざ尋常な勝負を、と身構えていた縛鎖(ばくさ)の魔術師アルジェント・リーグルである。

 

 彼も、よもやこのような形で放置されるとは思わなかったことであろう。

 

 銀箔のセイバーもまた表情を失くして憮然としている。

 

「あぁら? まだ居らしたの? てっきり、()がセイバーの怒りに恐れをなして、子犬のように逃げ去ったかと思ったのに」

 

「マスター、私は怒ってなどいません。少々憤っただけです」

 

「あぁら、ごめんなさい。――ふふん。さぁ、今ならまだ逃亡を許しますよ? 我がサーヴァントは寛容。わたくしもそれに倣い、アナタ方の降伏を受け入れる用意がありますわ!」

 

 女はセイバーに謝りつつ、事のついでのように男達に言いつけて見せる。

 

 まるで女主人が下男にそうするかのように。

 

「いえマスター、逃がすのはダメです。無辜の人々が囚われていると」

 

「なんの話?」

 

 どうやら、この女は先ほどのやり取りの間もセイバーを見惚れることに終始していたらしい。

 

 子供のように首をかしげている彼女の肢体に、その時金銀の鎖が蛇のように巻き付いた。

 

「――ッ!」

 

 その無数の鎖はセイバーの身体にも及び、さらには周囲の空間をも蜘蛛の巣の如く埋め尽くしてしまった。

 

 夜に煌めく金銀の鎖は、傍目には美しく映ったかもしれない。しかし、それは悪辣なる奴隷商人の魔手に他ならないのだ。

 

「マスター、大丈夫ですか!?」

 

「あらら……無粋ね?」

 

 金の鎖は女たちの五体を締め上げ、銀の鎖はそのか細い四肢を、あらぬ方へと引き絞る。

 

鎖縛結界(さばくけっかい)――見たか! 我が名はアルジェント・リーグル。銀鎖の奴隷王とは我のことよ!」

 

「――蝶々発止(Messer)

 

 

 ※ Messer(メッサー) 「メスを振るう者」の意

 

 

 しかしその鎖の結界を、少女の身体から舞い上がった蝶のような破片が寸断してしまった。

 

 先ほどのセイバーの装束と同様、この女の纏う衣装もまた、微細な使い魔の集合体だったのだ。

 

「――ぬぅ!!」

 

 先手を取ったと呵呵大笑していたリーグルは、再び煮え湯を飲まされたように顔を歪める。

 

 自らが編み上げた魔力の鎖が、生半可の魔術では切断できぬことを彼自身が良く理解しているが故だ。

 

 力量の差を見せつけられた。――この女、見た目にそぐわぬ手練れ!

 

「女ではありません。――()が名はバルバラ。バルバラ・ネス・ストローク!」

 

 そして女の装束であった全ての使い魔が分離し、虚空へと舞い上がる。

 

 燐光を纏う蝶の群れが、きらびやかな蜘蛛の巣を切り刻みながら、夜の虚空を埋め尽くす。

 

「〝衝撃のネス・バルバラ〟と見知り置きなさい! ――もっとも今宵、その命を拾って帰れればの話ですが!!」

 

「マスター!」

 

「いいのよセイバー。魔術師には魔術師で十分。前哨戦は望むところだわ。――それとも、(わた)しにはそれすら任せられない?」

 

「いえ、そうではありません!」

 

 キメ顔のバルバラに、しかしセイバーは狼狽えたような声を上げる。

 

 それもある意味で当然であろう。

 

 なぜならこの時、バルバラの纏っていた装束は、そのすべてがこの可変する蝶のような使い魔となって飛び立ってしまっていたのである。

 

 そのすべてが、である。

 

 つまり、彼女は一糸纏わぬ裸体を衆目にさらすこととなってしまったのだ。

 

「私の衣装などどうでもいいですから! 自分の身体を隠して! はしたない!」

 

「心・配・無・用!! それを予期出来ぬ(わた)しではないわセイバー! ――ごらんなさい!!」

 

 言って、バルバラはセイバーに向き直り、自らの艶めかしい肢体を、一切隠すこともなくさらけ出して見せる。

 

 確かに――確かに彼女は全裸ではなかった。

 

 ただ、その要所。つまり乳頭と股間に、小さな蝶の形の使い魔が張り付いているのだ。

 

「我が魔術に! ひいては()が肉体に、寸毫(すんごう)の隙もあらず! ――故に、()()()()()()()()()!!」

 

「えぇ……??」 

 

 大喝して見せたバルバラに、セイバーは返す言葉を持たないらしく、目を白黒させている。

 

 さきほどの、空間を圧するほどの威を見せたサーヴァントと同一人物とは思えない姿だ。

 

「――剣劇・用意(アン・ギャルド)!!」

 

 その両者のやり取りを断つかのように、閃光が奔った。

 

 



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4 「可笑しな剣を持つ男(コリシュマルド)」

 剣線は、セイバーではなく肌を晒すバルバラへ向けられたのだ。

 

「無防備なマスターを狙うとは……」

 

 マスターへ向けられた突きを盾で受け止めたセイバーは、対峙するもう一人のセイバーを睨み据える。

 

聖杯戦争(この戦い)の常道であろう? 第一、戦場で()()を晒す方が悪いわ」

 

 銀箔のセイバーも、これに牙を剥くような笑みでもって応える。

 

 当然、マスターであるリーグルも同時に動いていた。

 

「気にくわん女だ。()()()の田舎魔術師め」

 

 先ほど寸断された金銀の鎖が再び繋ぎ合わされ、再び虚空を埋め尽くす。

 

「だが、キサマのような不遜な(やから)輩を一から躾け直すのも、また奴隷調教の醍醐味である! 飼ってやるぞ。奴隷であるという自覚を得るまでな!」

 

 リーグルもまた魔力をみなぎらせ、バルバラを見据える。

 

 敵でも魔術師としてでもなく、捉えるべき奴隷として。

 

「下劣なことね。でもよろしくてよ! ――この世には、決して触れ得ぬ華もあると教えて差し上げましょう!」

 

 肌をさらしたままのバルバラも、蝶の群れをオーケストラの楽団の如く展開させ、これを迎え打つ。

 

「いいえ! マスター、さがってください」

 

 しかしそこで、セイバーが断固として告げた。

 

 対手を軽々と弾き飛ばしながらバルバラに視線を送ってくる。

 

「あらん? (わた)しでは役不足かしら?」

 

「そうではありません。ただ、私自身が戦闘に集中したいのです」

 

「……」

 

 バルバラもまた自らのサーヴァントをじっと見つめた。

 

 瞬間、火花のように視線が交錯する。

 

「やっぱりメイドに……」

 

「マスター!」

 

「もう、怒らないで!! 仕方がないわ。あなたが望むなら、従いましょう。そうよね。それも畢竟(ひっきょう)。この戦場は英霊の立つべき舞台なのだから。――総員、王の指揮のもとに密通せよ(Fornicate Uunder Command of the King)

 

 展開していた蝶の使い魔が、再びバルバラの白い肌を覆い始める。

 

 しかし、先ほどとは様相が異なっていた。肢体を覆う蝶の一匹一匹がまるで夜の断片であるかのように黒ずみ、バルバラの身体を周囲の光景に溶けこませていくのだ。

 

 保護色だろうか? バルバラの身体は見る見るうちに夜気へと溶けこんで消えていく。

 

「私は怒ってなどいませんよマスター。ですが感謝します。ここからは、わが剣に任せていただきたい」

 

「そうはいかんぞ、田舎(いなか)魔術師め!」

 

 先ほど切断され、地に散らばってたはずの鎖が踊り上がり、夜に溶けこもうとしていたバルバラの身体を再び拘束する。

 

「切れたのならば繋ぎ直すまで! 我が支配の鎖は不滅よ!」

 

 しかし、鎖で拘束されたはずのバルバラの肉体は、抜け殻のように鎖だけを残して消え去ってしまった。

 

「――ぬ!」

 

 まるで空蝉の術であった。彼女ほどの魔術師が、ただの保護色に終始するはずもなかったのだ。

 

「一杯喰わされたなマスター。構わぬ、下がっておれ。ここからは――英霊にのみ許された領域ということだ」

 

 再び間合いを測りながら銀箔のセイバーが洒脱に告げる。

 

 対する白亜のセイバーに言葉は無い。ただじっと、抜身となった相手方の剣、その刀身を見据えている。

 

 それもそのはず、銀箔のセイバーが持つ剣は殊更に奇怪な形状をしていた。

 

 

 

 

 男の――銀箔のセイバーが抜き放ったのは奇妙な刀身を持つ剣であった。

 

 基本的には片手で使用する細身の剣である。

 

 しかし、それは柄から刀身の中腹までであって、その先の刀身はまるで針のように細まっていたのだ。

 

 まるで、通常のサーベルと、一種の刺突専用剣との進化途上、ミッシングリンクであるかのような代物だった。

 

 時空を超えた英霊の座に招かれた者達は、本来は知りえない後世の英霊の逸話を知りえるとされる。

 

 白亜のセイバーもこの男の偉名に思い至ってはいたが、それについて何らの感想を持つ事は無かった。

 

 そんな余裕はなかったからだ。

 

 その剣が、一種の装甲刺突剣(メイル・ピアッスィング・ソード)を、より軽く、より先鋭化する目的で考案されたものであることを、そして、この男が凄まじいまでの刺突剣技の使い手であることを同時に悟ったからだ。

 

 事実、次の瞬間に見舞われた刺突は雨は、まさしく閃光のごときものであった。

 

 



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5 狡猾なるケーニヒスマルク伯

5 狡猾なるケーニヒスマルク伯

 

 

『――ふぅむ。不可解な事態ね。不思議だわ』

 

 姿を消したままのバルバラは、戦場を俯瞰(ふかん)しながら疑問を(うそぶ)く。

 

 あの剣の形状から、あの銀箔のセイバーの真名は明らかである。

 

 

 オットー・ヴィルヘルム・フォン・ケーニヒスマルク伯爵。

 

 

 17世紀のドイツ貴族であり、当時甲冑相手に使用されていた両手用の刺突剣である「エストック」をさらに改良できないかと工夫を凝らした事で知られる。

 

 そしてさらに、軽量な片手用の刺突剣として収斂(しゅうれん)されたのが彼の代名詞ともなった、あの奇妙な剣「可笑しな剣を持つ男(コリシュマルド)」なのである。

 

 

 ※ コリシュマルドとは、そのままケーニヒスマルクのフランス語読み。

 

 

 今も、まるで指揮棒(タクト)のように軽快に煌めくその様は、言葉にするまでもないほどに担い手の自負に満ち溢れている。

 

 

 ――しかし、それでもなお、疑念は拭えない。

 

 むしろその真名が明らかとなったが故に、事態はより不可解なものになっている。

 

 ケーニヒスマルク伯。かの名将チュレンヌに仕え、これに貢献したとされる男である。英霊であることは疑いようがない。

 

 しかし、その偉名は決して英霊の中で抜きん出たものではない。

 

 せいぜいが平均値。あるいはそれ以下の英霊でしかないといえる。

 

 セイバーのクラスとして召喚されたことを加味しても、その程度。

 

 全サーヴァントの中でもトップクラスの能力を誇るセイバーとは比較にもならないはずなのだ。

 

 ならば――なぜ自らのセイバーはこうも()()されているのか!?

 

 疑念と奇妙な高揚感を胸に、バルバラは戦場を注視する。

 

 

 

 

 

 

 白亜のセイバー自身にとっても、この戦況は理解しがたいものであった。

 

 威力、速度、一挙一動に込められた魔力の過多。

 

 どれをとっても自身が後れを取るはずはない。そのような要素は存在しない。

 

 ――にもかかわらず、この銀箔のセイバー、ケーニヒスマルク伯の剣は常にセイバーの先を行くのだ。

 

 乙女(セイバー)の戦術はシンプルである。

 

 盾を構え前進、正面から相手の剣を受け、返す刀で攻撃を打ち込む。

 

 本来は彼女の華奢な体格では成しえない戦法だが、その身体に満ちる神の魔力が豪胆な戦術を可能としている。

 

 例え相手が雲を突くような巨人であったとしても、彼女の盾はそれを()()()()、剣はそれを両断することであろう。

 

 そうだ。一撃でも当てることが出来れば彼女の勝ちなのだ。

 

 しかし――それでもなお彼女が勝利を手にできずにいるのは、彼女の剣が()()()()()()()()()()()()()()()()からに他ならない。

 

 今もセイバーはあらん限りの速度をもって前進し、勢いもそのままに大剣を振るう。

 

 しかし、ケーニヒスマルク伯の剣が、その突きが、一瞬だけ早く彼女の前進を阻むのだ。

 

 まるですべてを知っているかのように。至極当然であるかのように。

 

 セイバーはたまらず、不自然な体制でそれを受け止める。

 

 そこで颶風(ぐふう)の如くであった前進は滞り、それどころか後退を余儀なくされる。

 

 たたらを踏むセイバーへ向けて、伯はさらなる刺突を繰り返してくる。

 

 セイバーは自らの総身を盾に隠すが、構わず刺突が繰り出され、結果としてさらに後退させられる。 

 

 セイバーはその美貌を歪め、敵を睨み据えることしかできない。

 

 ダメ押しの追撃。盾の上から無意味な刺突を繰り返されるのは屈辱であった。イラ立ちまぎれに奥歯を鳴らす。

 

 だが、なおのこと理解が及ばない。なぜ自分が後退する? なぜ刃の指し合いで競り負けるのだ!?

 

 セイバーはさらに激しく奥歯を軋らせ、再び剣を振りかぶって前進する。

 

 しかし、何故か彼女の剣は空を切り、そこに狙いすましたかのような刺突が見舞われる。

 

 この光景が繰り返される。

 

 

 

 ――セイバーの戦法が未熟なのではない。

 

 やっていることはシンプルだが、その一挙一動にはケタ違いの魔力がみなぎり、触れるものすべてを破壊し蹂躙する()()に等しい。 

 

 セイバーは、必要がないから駆け引きをしていないだけなのである。

 

 彼女の能力を加味するならば、正面から堂々と前に出て、相手を押しつぶすのが順当な戦い方なのだ。

 

 当然、素の能力で圧倒的に劣るケーニヒスマルク伯はこれに正面から押しつぶされるか、それが嫌なら退散するしかない。

 

 しかし、事実はそれに反している。

 

 なぜだ!? セイバーは再三の疑念に歯噛みする。

 

「どうしたね、剣の乙女よ。この小兵の技に、ずい分と手こずってみるように見えるな?」

 

 ――技。つまりはそういうことなのだろう。もはや認めねばならない。

 

 本来、圧倒的なはずの彼我の戦力差を、この男は剣技の技量でもって帳消しにしているのだ。

 

「なるほど。小手先とはいえ――感服した。人の身で、よくぞそこまで練り上げたものだ」

 

 セイバーは荒々しい息を吐き、歪む眉目(びもく)を正して伯を見る。

 

「然り。――自らに課す修練こそが、()()こそが人を貴種たらしめる。それを忘れた凡夫どもを、貴殿はまだ擁護するのかな?」

 

「調子に乗るな! ――確かに、この世に比類なき我が剛剣、よくぞ躱したものだ。だが、貴様の切っ先もまた、我が体に触れてはいない!」

 

 互いに寸分のダメージすら与えてはいないという意味では、両者に差はない。

 

 伯が優位に立っている訳では、決してないのだ。 

 

 勝ち誇るには早すぎるぞ。――と、気迫をみなぎらせたセイバーに、しかし伯は再び「フハッ!」と声にならない笑いを向けて見せる。

 

「――触れてはいない? なるほど、それは確かにその通り。しかし! それが、なんだというのかな?」

 

 伯はリーグルへ視線を送る。機を見計らったように、再びセイバーの身体を金銀の鎖が拘束した。

 

「無駄なことを――ッ」

 

 セイバーはただ、煩わし気にこれを振り払おうとした。――が、その身体が、不意に(かし)いだ。

 

「――――!?」

 

「剣が触れていない? だからなんだというのですかな? 乙女よ。()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 

 

 

 

「わた、しにッッ――――触れるなァ!!!」

 

 深紅の魔力を暴発させ、セイバーは五体に巻き付いていた鎖を吹き飛ばす。

 

 しかし、拘束を解かれたはずの身体はふらつき、剣を杖のように突いて支えねばならない。

 

 力が入らないのだ。まるで全身に(くさび)でも打ち込まれてしまったかのように、身体が言うことを聞かない。

 

 なぜ!? ――1撃たりとも攻撃は受けていないはずなのに!?

 

可笑しな剣を持つ男(コリシュマルド)――わが剣の切っ先は、刺突の遥かな先にまで到達し、そしてあらゆる防御を貫通する」

 

 銀箔のセイバー、ケーニヒスマルク伯は自らの持つ宝具の哲理を厳かに(うた)う。

 

 あまりにも致命的な、自らの宝具の哲理を。

 

「貫通――だと!?」

 

「然り。貴殿の五体には、()()()()()()()()わが宝具のダメージが蓄積しているのだ。見た目には針で刺したほどの傷もないが、体内には確かな傷跡が刻まれている」

 

 それが、この男の持つ宝具「可笑しな剣を持つ男(コリシュマルド)」の真価であった。

 

 真名の詠唱によって真価を発揮するタイプではなく、利器として使用でき、着実に戦況を手繰り寄せるタイプの宝具だ。

 

「――付け加えるなら! そのダメージは、いかなる治癒の魔術も受け付けぬ。魔術ですらが、その見えぬ傷を補足できぬというわけだ――さらに!!」

 

 脇からズズイと乗り出してきたリーグルが、諸手をかざす。

 

 すると、再び何かに引き立てられるように、セイバーの身体が仰け反った。

 

 あり得ない事態にセイバーが目を剥く。

 

「な、ぜ――!? これ、は……」

 

 彼女の身体に巻き付いていた金銀の鎖は、すでに断ち切られている。

 

 にもかかわらず、そのしなやかな肉体はギリギリと引き絞られていくのだ。

 

 まるで、()()()()()がそこに在るかのように!

 

「なぜだと!? それこそは我が真髄に他ならぬわ! ――架空鎖縛・鎖状楼閣(ケッテンヴュステ・トラオム)」!!」 

 

 それは鎖だった。再三見せられたものとは異なり、見ることも触れることも、さらには認識することすらできぬ鎖であった。

 

 先ほどまでのきらびやかな金鎖、銀鎖は、この鎖を悟らせないための布石だったのか!

 

「クハハハ!! 見えぬ鎖こそが奴隷商の真骨頂よ! 繋ぐは肉体に在らず、認識さえ許さぬ精神への頚木(くびき)こそが我が魔術の深奥。とくと味わえ小娘めが!!!」

 

 認識できないダメージと認識できない鎖。それらが、徐々にセイバーの五体から自由を奪っていく。

 

 趨勢は拮抗するのではなく、すでに致命的なまでに傾いていたのだ。

 

 

 



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6 線を引くように

 

 

『――なるほど、まるで切っ先で線を引くような戦い方ね』

 

 バルバラは自らのサーヴァントが劣勢に陥る様を、しかし他人事のように眺めながら考察を続けていた。

 

 決して怒られたからスネている訳ではない。自らのサーヴァントが「任せろ」と言ったからである。

 

 全幅の信頼を置くからこそ、その言葉が覆る事は無いと彼女は確信している。

 

 「有言実行」は英霊の際たる在り方。そうでなければ英霊ではない。英霊でないならサーヴァントではない。

 

 サーヴァントでないなら、自らに()()()()価値は無い。

 

 故に、バルバラはその可能性を切り捨てる。――無意味だからだ。

 

 万事はこの調子である。思考も分析も、自らが()()()()()()()()

 

 やりたいことをやりたいときに、やりたいようにやらねば意味がない。と、バルバラは心の底から思っている。

 

 

 

 

 

 バルバラはゆえに一人、考察する。

 

 ――この場合、まず特筆すべきはあの「ケーニヒスマルク伯」の絶技。

 

 単純な戦闘力において遥かに上であるはずの我がセイバーに対して、その剣の巧緻(こうち)のみで渡り合い、圧倒している。

 

 その突きの鋭さも絶技ではあるが、真に特筆すべきは、セイバーの振るう一撃を完全に予見しているからこその、その挙動。

 

 完全に()()()()()()ことが出来るが故に、我がセイバーを圧倒することが出来ているのだ。

 

 機。つまりはタイミング。

 

 セイバーのあらゆる挙動、その起点となるタイミングを完全に掌握しているが故の芸当なのである。

 

 

「そう。まるで「線を引く」ように」

 

 

 バルバラは確信を深めるようにして重ねて呟く。

 

 戦闘に限らず、人の行動様式は主に二つに分かれる、とバルバラは考える。

 

 それ即ち、「線」と「色」。

 

 つまりは、未来と言う白紙に「線を引く」か「色を乗せる」か、の二通りということだ。

 

 ケーニヒスマルク伯は典型的な前者。

 

 真っ白な紙面に丁寧に線を引くようにして己の行動を決定する。

 

 そこに何が有り、今が何時で、相手は何者で、自分の得手はなんなのか。

 

 それ等を「線」として書き込み、精密な図面を引くようにして組み上げていく。

 

 「線」は、引けば引くほど結果を予測しやすくなり、また失敗しても何が悪かったのかを確認・修正することも容易。

 

 実に堅実な行動と結果が約束される。

 

 反面――「線」とは同時に縛り(ルール)でもある。

 

 白紙に線を引けば、それは「区切り」となって、自らの自由度を殺すことにもつながる。

 

 線を引けば引くほど、白紙の紙面は細かく切り分けられ、選択肢は失われていく。

 

 余白がないほどに精密な図面にはも、はや自由に何かを書きこむともできない。

 

 

 それは、敵だけではなく自らに課す不自由の枷ともいえる。

 

 その枷(ルール)を己の利点として昇華できる者だけが、()()()()()()()()()()()事が出来る。

 

 あの男、ケーニヒスマルクは、まさしくその在り方を体現した英霊なのだろう。

 

 自らに課した枷を糧にして、人ならざる領域まで己の技を、そして己の貴種たるべき誇りまでをも練り上げ、磨き上げたのだ。

 

 なるほど、貴種と呼ぶにこれほどふさわしい存在もないのかもしれない。

 

 

 

 ――――しかし!! とバルバラは双眸を見開く。

 

 それだけが人間の思考ではない。それだけが貴種の有り方とは限らない。

 

 

 

 

「取ったぞ、乙女よ!」

 

 いよいよ、詰めの一撃が見舞われる。

 

 見えないダメージと見えない鎖によって五体の自由を奪われた白亜のセイバーへ向けて、セイバー・ケーニヒスマルクの剣が繰り出される。

 

 先ほどまでは防御の上からダメージを「浸透」させるための()()でしかなかった。

 

 しかし、この一撃は違う。

 

 急所への狙い済ました一撃だ。

 

 乙女の左手は自慢の盾を保持することも叶わず、だらりと垂れさがってしまっている。

 

 執拗に打ち込まれた不可視のダメージが、彼女の左手を蝕んでいるのだ。

 

 もはや防御は適わない。そこへ、満を持して放たれる必殺の一撃。

 

可笑しな剣を持つ男(コリシュマルド)――終劇の一矢(フレッシュ・ラ・ファン)!!」 

   

 目標のはるか後方を射抜くなどと言うものではない。至近距離まで詰め寄っての必殺の一撃だ。

 

 全身全霊の魔力が集中した切っ先は、閃光どころか眩い極光を帯びて乙女の心臓を狙う。

 

 心臓はサーヴァントにとっても急所。

 

「が――――ぁぁぁぁぁあああああッッ!!!」

 

 対するセイバーは、咆える。

 

 獅子のごとき咆哮であった。盾は上がらずとも、身体は動かずとも、その総身に満ちる魔力は未だ健在!

 

 深紅の魔力を全身から放出し、身体を縛っている見えない鎖をほどきにかかる。――しかし、

 

「無駄だぞ乙女よ! 我が鎖は夢幻のごとし! (われ)の定めたものだけを縛る特性の鎖よ!!」

 

 ほとばしる魔力は鎖をすり抜けてしまう。この()()()()はあくまでセイバーの五体にしか干渉しないのだ。

 

 しかし、セイバーは魔力の放出を止めない。

 

 ついにはセイバーの纏っていた装束が、再び内側から弾け跳び、花吹雪よろしく虚空に舞い上がる。

 

 その一片が、地を滑るツバメの如く肉薄してくるケーニヒスマルクの視界を、一瞬だけ塞いだ。

 

『――無駄だ!!』

 

 しかし伯の前進は止まらない。今の彼は射放たれた一筋の矢なのだ。

 

 いまさらその視界を遮ったところで、動くことすら叶わぬ標的を見失う道理もない。

 

『悪足掻きだったな、乙女よ――いざ、去らば!!』

 

 そして、ついに彼の剣は、その針のごとき刀身で標的を射抜くに至った。

 

 しかし、その刀身が貫いたのは乙女の心臓ではない。

 

「……捉えた、ぞ」

 

 知の底から忍び寄る鳴動のような声が響く。

 

 白亜のセイバーは保持することもままならぬ盾を捨て、その左手で伯の剣を受け止めていたのだ。

 

 左掌を貫通したコリシュマルドの刃は、それだけでは止まらずに彼女の左肩口にまで突き立っている。

 

 しかし、狙ったはずの心臓にはかすってもいない。

 

 トドメとして放った必殺の一撃が止められた。

 

「――な……に!?」

 

 さしもの伯もこれには瞠目せざるを得ない。

 

「この剣の欠点は、急所に当てない限り()()()()()()()()()()()()ということだ!」

 

 自らの双眸をも深紅に染めて、もはや白亜と呼ぶことさえ(はばか)られる乙女は吠える。

 

 

 

 

 

『そう。――それよ!』 

 

 バルバラは、不可視のまま踊り出すように一歩を踏み出す。

 

 ――これぞ、「色」。 

 

 それは「(ルール)」を逸脱する行為。

 

 未来と言う白紙に、「線」ではなく、いきなり「色」を乗せていく行動様式だ!

 

 線を引くのとは違い、「世界」を区切ることをしない。

 

 ただ、思うがままに、感じるがままに、白紙の上に踏み出し己の「色」を乗せていく。

 

 それは己と言う絵筆をもって、白紙の未来を染め上げるに等しい行為だ。

 

 その本質は、自由。

 

 ルールよりも感性で世界を規定すること。

 

 白紙の未来へ踏み出す、その瞬間にすべてを賭ける生き方。

 

 

 

「――どちらが貴種たるにふさわしいのか。言葉ではなく、行動で示しなさい。セイバー、あなたと言う色彩(いろ)で、世界を染め上げるのよ!!』

 

 

 



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7 剣の女王。その真名はアテナ!

 

 

「クッ!」

 

 伯は剣を引き抜こうとするが、万力のようなセイバーの左手がそれを許さない。

 

 ここに来て、凄まじい剛力である。

 

 いや、彼女が万全であったなら、このまま彼の宝具ごとその手を握りつぶすことさえ出来たかもしれない。

 

「感服したぞ銀箔のセイバー。――ここまで追い詰められるとは夢にも思わなかった。主義は違えども、敬意を払おう」

 

 それをさせないケーニヒスマルクの戦術に、セイバーは改めて感じ入ったような言葉を掛ける。

 

 まるで、――すでに勝敗が決しているというかのように。

 

 セイバーは右手に持つ大剣に力を込める。

 

 伯の剣を止めたまま、残った右手で剣を振ろうというのか。

 

「バカめ! 我が鎖は未だ健在よ!!」

 

 脇からリーグルの()()()様な声が轟く。 

 

 その見えない鎖は、いまだにセイバーの身体を縛ったままなのだ。

 

 ――だが次の瞬間、笑みを浮かべていたリーグルの強面が、怯えた子犬のように歪んだ。

 

 鎖が引きずられる。()()()()()()()

 

 鎖は切れない。――切れないが、それを固定している彼の魔術そのものがほころび始めている。

 

 空間に縫いとめるようにして固定されている架空縛鎖が、その()()()()揺り動かされている。

 

 ――回復し始めているのだ。

 

 先ほど、さんざん体内に打ち込まれた「コリシュマルド」の貫通ダメージが、自然回復し始めているのだ!

 

 魔術でも治癒できない微細なダメージ。しかし、それが微細であるが故に、神に連なる乙女の五体はその傷を修繕してしまったのだ。

 

 さらには、彼女の五体を貫くようにして脈動する朱い魔力の筋(レイ・ライン)が、動かぬ彼女の身体を強引に操作している。

 

 ギリギリと、自らのダメージなどお構いなしに、まるで自分の身体を人形であるかのように扱い、乙女はついに自らの大剣を振りかぶる。

 

「まだだ! マスター!!」

 

「お、……応とも!! クハハハ!! 我が鎖は潰えておらぬわ!」

 

 サーヴァントの一喝を受けて、リーグルは持ち前の強面を取り戻す。

 

 そして、再びその見えない鎖が、ジャラジャラと、耳には届かぬ音を立てながら伯の左腕を取り巻いていく。

 

「これぞ架空鎖箔・多重帷子(ケッテンヘムト・トラオム)!」

 

 それは魔力によって生成された架空防刃の鎧であった。

 

 即ち、眼には見えず、また重さもないチェーンメイルである。

 

「我が鎖は無類の防具としても機能する! 如何な威力の剣とて受け止めて見せるぞ!!」

 

 またこの鎖はいくら切り裂かれようとも内側から新たな鎖を精製し続けることで、いくらでも防御を厚くすることが出来る。

 

 質よりも量だ。その架空防刃の分厚さは、確かにサーヴァントの一撃さえ止め得るだけの凄みを持っていた。

 

 ――しかし!

 

「無駄だ――わが剣を前に、防御など無意味!」

 

 セイバーの振りかぶる大剣が、深紅の燐光を宿す。

 

 

剣の女王――揚々と斯くも白々しく(クィーン・ザ・スペード)!!」

 

 

 謳うかのような美声とともに横薙ぎに走った斬撃は、何の抵抗もないかのごとく深紅の軌跡を夜に残す。

 

 重層的な防御に護られていたはずの伯の身体はまるで豆腐か何かのように両断され、旋転しながら虚空を舞ったのだ。

 

「バ――カな。……こんなバカなことがあるか!!」

 

 リーグルの驚愕は、自らの魔術である架空防刃の鎧が破られたからではない。

 

  帷子( かたびら)は破られていないのだ。鎖は一本たりとも断ち切られていない。

 

 魔術師はうめくような声を上げる。

 

 セイバーが横なぎに振り払った剣は、彼の架空防刃の鎧に()()()()()いなかったのだ。

 

「我が宝具『剣の女王――揚々と斯くも白々しく(クィーン・ザ・スペード)』はあらゆる防御を無効化し、すり抜ける。唯一の例外を除き、あらゆる防御は意味を成さない。それがこの宝具の哲理!」

 

 

 

 彼女の真名はアテナ。

 

 パラス・アテナである。

 

 パラスとは、言わずと知れたギリシャ神話の戦神「アテナ」の一側面を持つとされる人物である。

 

 伝説には、ポセイドンの息子「海神トリトン」の娘であるともいわれ、アテナの親友であるとも、ともに育ったとも伝えられる。

 

 パラスとアテナは互いに切磋琢磨して戦いの術を学び、その剣技はアテナ以上とさえ言われた。

 

 彼女の規格外ともいえる剛剣は、それが戦神アテナに等しいことの証左なのである。

 

 

 

「卑怯とは言うまいな? 触れ得ぬ刃。言わば、貴様のセイバーの宝具と同じことだ。貴様自身の鎖ともな」

 

 バカを言うな! と言わんばかりにリーグルは顔を歪める。

 

 レベルが違う! こんな、最上位のランクに相当する宝具が、防御不能などと!

 

 こんな些末事(さまつじ)の儀式に呼ぶような英霊ではない! あまりにも慮外だ!

 

「ま、待て! 降参だ。そうだ、令呪をやろう。クハッ。つ、使う暇もなかったからな。それと、無論、差し上げられるものは何でも」

 

「そうして逃げ延びた先で、貴様はまた奴隷を狩るのに精を出すのだろうな。――外道め」

 

「ヒ……ヒヒヒッ」

 

 先ほどまでの豪胆さは何処へやら。尻尾を巻く様にして逃げ出そうとしたリーグルの巨体を、セイバーは猛禽のように見据えた。

 

 深紅の魔力が牙を剥く。

 

 

 

 パラスはトランプの絵札のモデルになった人物としても知られ、スペードのクイーンには剣を持つ彼女が描かれている。

 

 彼女の宝具が「剣の女王」の名を冠するのはこれが由来なのであろう。

 

 非業の死を遂げることとなったパラスは死後、アテナと同一視されるようになり、パラス=アテナとして神話に記憶されることとなったのだ。

 

 今、セイバーのサーヴァントとして現世に召喚されたのは、アテナとパラス、両方の名を冠する剣の乙女なのである。

 

 

 

 

 

 

 夜の虚空に、再び燐光を纏う蝶の群れが舞い上がる。

 

「見事ねセイバー。貴女の戦い。そして貴女の勝利。堪能させてもらったわ」

 

 完全勝利を見届けたバルバラは夜を割り開くようにして、悠然とその姿を現した。

 

「申し訳ありません。マスター、無傷で勝つべしというあなたの期待を裏切ってしまって」

 

 パラスは殊勝に頭を下げた。

 

 その総身は無残なまでに血で染まっている。

 

 最期のケーニヒスマルク伯の刺突を生身で受けたが故の負傷だ。

 

 ダメージよりも、このような無様な姿をさらしてしまったことに、パラスは苦心しているのだ。しかし、

 

「フヒ……そんなあなたも素敵よ……血に濡れる乙女。ふゅ、ふゅふゅふゅ……実に良いわ。画になるぅ……」

 

「……マスターッ」

 

「ふぇ!? ――え、ええ。問題なくってよ!」

 

 パラスが目を細めるのを見て、バルバラは少々焦りつつ、身なりを正す。

 

 さらに表情を一気に引き締め、気品あふれる令嬢のそれへと鋳造する。

 

「いいえ、むしろそれでこそよ! 私は無傷で勝ってほしかったんじゃない。完璧なままのアナタで勝ってほしかったのよ!」

 

 断言するバルバラに、セイバー・パラスも微笑を返した。

 

「すぐ治療するわ。まだ()があるものね」

 

「それよりも――あの男が捕らえたという一般人が気にかかります。どうか救い出していただきたい」

 

「仰せの通りに。勝者には報償を! 価値ある者へ望むものを!」

 

 セイバーの身体を覆い治癒を始めたモノ以外の蝶は彼方へと舞い上がり、雲霧のごとき塊となって何処へと飛んで行った。

 

 おそらくはあの魔術師リーグルの拠点へであろう。

 

 

 

 

「……マスターも、()()()()()()()()()……いえ、弱者へ情けを掛けるのは不合理だと思うのですか?」

 

 治療を受けながら、パラスは改めてマスター・バルバラへ、惑うような視線を向けた。

 

「ええ、そうね」

 

「……」

 

 即答したバルバラに、パラスは眉根をひそめる。

 

( わた)しは気まぐれなのよセイバー。おべっかなんてガラでもないから言わせてもらうわ。弱者にも敗者にも興味がないの。もっと言うなら、貴賤も勝敗にも、妾しは興味がない」

 

 悲しげに伏せられた瞳が、もう一度自分を見るのを待って、バルバラは続ける。

 

「ただ、自ら咲こうとする華に、自らを証明しようとする者に、私は惜しみない賞賛と敬意を注ぎたいだけなの。熱意こそが物語るに値する。それ以外は正直どうでもいいの。存在していないのと同じなのだから」

 

「……そうですか」

 

 言葉は違えども、それはあのケーニヒスマルクが語ったのと同じ、いわば強者の論理でしかない。

 

「そんな顔をしないでセイバー? だからこそ、あえて踏みにじろうとも思わないわ。そして、貴女がそれらを救いたいというなら、私はそれを支持する。なぜなら、貴女と言う()()()()()()()「英雄」がそれを望むからよ」

 

「……」

 

「さぁ、行きましょう。最後のサーヴァント、いえ、最後のセイバーが貴女の剣を御所望よ?」

 

 押し黙るパラスを率い、バルバラは夜を闊歩する。その歩みには寸分の憂いも有りはしない。

 

「……マスター、それならばもう一つだけ、勝者たる私の望みを聞いてただけますか?」

 

「なんなりと」

 

 バルバラは満面の笑みを浮かべて踊るように向き直り、全霊を賭すようにかのように深々と礼をとった。

 

「ですがその前に、もうちょっと……何か着てもらえませんか? せめて下着だけでも……」

 

 セイバーの治療を行う分とリーグルの拠点へ向かわせた分とで、バルバラの使い魔は総動員されてしまっていた。

 

 故に、彼女の格好は先ほどと同様の、「三枚あれば事足りる」状態になってしまっているのだ。

 

「…………――――ッ!!」

 

 その従者の言葉に、バルバラは厳しい表情を浮かべてしばし黙考した。

 

 そして唐突に、ニカッ! と快活な笑みを浮かべる。

 

 それきり、背を向けてしまった。振り返りもしない。

 

 どうやら嘆願はあえなく却下されてしまったらしい。

 

 そのまま夜気に肌を晒すバルバラと共に、難しい顔をしたままのセイバー「パラス・アテナ」は新たなる戦場へ向けて姿を消した。

 

 

 

 

 

「……どうかなセイバー」

 

 少年はそれを遠方から覗き込みながら呟いた。

 

 魔術が使えないがゆえに赤外線カメラを用いてである。

 

「いやぁ、ありゃあ強え。べらぼうだ」

 

 ともにそれを見ていたサーヴァント、セイバーがこの上なく魂消たような声で言う。

 

「確かにね――。聖杯戦争に()()()を呼ぶなんて、反則もいいところだ」

 

 本来の、まっとうな聖杯戦争でさえ、神霊であるアテナを呼ぶことなど不可能なのだ。

 

 神の化身とはいえ、それをサーヴァントとして呼び出せたのは奇跡に等しい。

 

「どうすんだ? まさかやめるなんて言わねぇだろうな?」

 

 巨漢のセイバーの言葉に少年は確たる声で応える。

 

「やめないよ。真名が知れたのはありがたい。――おかげで()()()()()()()()()()()()みたいだ」

 

「ほう?」

 

「セイバー、ボクの作戦を聞いてもらえるかな?」

 

 

 



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8 パラスの提案 白バラの園にて

 

 

 闇の深まる頃合いであった。夜は深まり、黒い風は冷え冷えとして心地よい。

 

 光源もまばらな地方都市の夜景は、むしろか細い星の光を大地に映しだしているかのようだ。

 

 良い夜であった。妖魔が闊歩するにはうってつけの薄暗く、そして仄明るい夜だ。

 

 そんな、胸を打つかような景観の中、瞬く星と夜の空とがモヤのように入り混じり、もつれる様にして立ち昇っていくのがわかった。

 

 一条の筋のように、何かがこの景観を屈折させている。奇観であった。

 

 その立ち昇る分厚いモヤのようなものの()()()に、それは居た。

 

 それは人型の歪みであった。色もなく厚みもなく夜に入り混じり、星の光を呑んでそこに在る。

 

 人ならざる人型であった。

 

『オイ貴様!! なにを見ておるか! ああぉぉおおん!?』

 

 声ならざる声が轟く。磊落なる威嚇のようなそれに晒されたのは、その夜の歪みへ、油断なく鬼気を向けていた一匹の犬であった

 

 大きな犬だった。しかし巨犬は困惑していた。これはなんだ? なんだこれは??

 

 例え鎖で繋がれていたとしても、彼の認識上では彼よりも強大な存在はそうそう居ないものとなっている。

 

 少なくとも、彼の安心できる生活圏内に、そんなものは居なかった。

 

 そしてこれからも、居てはならなかった。

 

 故に、彼は奇妙にゆらゆらと立ち昇るそれを危険な、そして不快なものとみなし、威嚇し、吼えた。

 

 ――が、その抵抗の試みは、そのモヤが確かな実態を獲得し、なおかつ凄まじい怒号を発した時点で霧散した。 

 

 

 

 

 

 ゴンザレス(通称ゴン)と名付けられたこの巨犬は唐突にごろりと転がった。和太鼓のような腹をみせたのだ。服従の姿勢である。

 

 するとそれを真上から押しつぶさんばかりに顔をイカらせていた巨漢は一転、ニカッっと笑みを浮かべる。

 

「ンガハハハハハ!! よしよし。勝ったぞ!」

 

 豪笑しながら顔を上げ、幽鬼のごとき巨漢は再び夜道を歩き始めた。

 

 のたりのたりと、肩には身の丈を超えるような大剣を担いだまま、象のような歩みで進んでいく。

 

 そして他の犬や、また猫などを見つけると、また音もなく近づき鬼のように顔をイカらせ威圧を始めるのである。

 

 当然動物たちは瞬時に逃げようとするのだが何故か退路を塞がれてしまい、最期にはあえなく降伏を選択する。

 

 その度に巨漢は「うむ!」とただ納得してまたの他の他と歩く作業に戻るのだ。

 

 ――道々(みちみち)繰り返すこの行為にいかなる意味があるのか?

 

 実の所、たいした意味はない。ただの彼なりの現世の楽しみ方と言うだけの話である。

 

「よぉーしよしよしよしよしッ」

 

 獣は良い。と彼は常々考えている。人と違い、アレやコレやとウソを吐かず、分が悪いと見ればさっさと逃げるし、逃げられぬなら服従する。

 

 実にシンプルである。それが良い。この巨漢、今宵召喚された三騎めのセイバーのサーヴァントはそう考える。

 

「しかし、馬がおらんのはつまらんのー。羊も牛もおらんし、犬猫はいるがそれだけだ。つまらん世の中になっとるなぁ」

 

 で、あるからして、彼が好むのも率直で素直な人間ということになる。特に素直な女子供である。

 

 人間と言うのは得てして面倒くさいものだ。特にアレコレといらぬものまで背負い込み、あーでもないこうでもないを周りを巻き込んで悩んだ挙句にとんでもないことをしでかす。

 

 まったくつまらない話だ。――と、己の生前を鑑みんながら、しみじみと思う。

 

 そう言う手合いは面倒臭い。一度叩きのめしてやればマシになることもあるのだが、今度の相手は叩きのめすのも一苦労ときている。

 

 何せ神だというのではないか。戦神アテナ? 名だたる神? 人を超えた人ならざるモノ?

 

 まったく眉唾だ。――なによりも、あの()()()はなんだというのだろうか?

 

 あの女。まったく素直さのかけらもない。

 

 巨漢は、むっつりと顔を顰めると、在る場所を目指して進み始めた。

 

 見上げるのは夜の彼方。この地の繁華街に近い場所だ。しかしそこに何かがある。

 

 どうやら向こうが先手を打っているらしい。隠す気もない魔力の反応。まるで巨大な蓮の花が開き、月を呑み込もうとしているかのようなヴィジョンが浮かび上がる。

 

 バカでも分かるだろうという――これは招待状だ。

 

 我はここに在る。疾く参られよ、と。 

 

 

 

 

 

 そうして、またのたりと歩みを進めること幾星霜。行きついたのは広い空間を擁した場所だった。

 

 細々と区切られた石造りの街中にあって、こんな場所があったのかと思えるような場所だ。

 

 広場を囲む緑も多い――が、その割に動物の気配は感じない。

 

 狐も野兎も、それを狙う狼や熊の気配もない。

 

 ――天然の森ではなく、造られた模造品のような広間である。

 

 ケッ。つまらん。

 

 そう思いながら巨漢はのたのたと進んでいく。

 

 事実として、この場所は市が運営する運動公園であった。

 

 陸上競技用のトラック。体育館。スポーツ会館。プール。野球場。ラグビー場などが緑の木々を挟んで隣接している一大多目的運動施設である。

 

 少なくとも、何も知らない人々が安息をむさぼっている住宅街で戦うよりはよほど安全な場所であろう。

 

 その奥に、それらは居た。

 

 本来は華美な装飾を避けるべき運動場の中に、忽然と、まるでこの世のものとも思えぬ光景が広がっていたのである。

 

「――ほほぅ! コイツァなんとも……へヘ! 趣味じゃぁねぇなァ」

 

 巨漢も思わず感嘆し、その上で噴き出さずにはいられなかった。

 

 それは巨大にして絢爛極まりない花園であったのだ。

 

 白亜のバラ園を想わせる、光り輝くような花々が、夜風に花びらを揺らしている。

 

 しかし自然のものとは思われない。魔術を使って生育したのか?

 

 ――否。この花園は生きてはいない。

 

「悪趣味なお花畑だのぉ。あーいやだいやだ」

 

 皮肉気に吐き捨てている巨漢へ、鈴の鳴る様な声が掛けられた。

 

「よく来た(あお)のセイバー。今宵の戦場へ。その勇敢さを讃えよう」

 

 いかにも厳かな文言を向けられ、巨漢はいかにもバツの悪そうな顔をした。

 

 確かに彼の装束は深い空色を想わせる、簡素であはあるが身綺麗な晴れ着ではある。――が、普段からこんな格好をしている訳ではない。

 

 なにやら「馬子にも衣装だ」とでも指摘された様で居心地が悪い。

 

「ほぉ~んん? 戦場、ねぇ?」

 

 なので、少々わざとらしくとぼけた声を出す。

 

 暗に『そのノリはやめねぇか?』 と言う提案だったのだが、闇を背に凛として立つ白亜の乙女はそんな中年男の戸惑いとアンニェイな空気を読んではくれない。

 

「然り。我がマスターに掛け合い。あつらえていただいたものだ」

 

 少々得意げに微笑んで見せる乙女に対して、巨漢はいかつい顔をへの字にひん曲げる。なんでこう、いちいち芝居がかった物言いをするのだろうか?

 

「……そりゃあ御大層なこったが、なんでわざわざこんなモノを作る?」

 

 彼の問いはある種、当然の疑問だったことだろう。

 

 白亜のセイバーこと、パラス・アテナも予見していたのか、()()()()()()()()語り始めた。

 

「我らは所詮サーヴァント。一夜限りの幻にすぎぬ。この時代に対する異邦人、いわば部外者でしかない。それが今生の世界の文物に手を加えることがあってはならない。――と私は考える。神秘の漏えいを控えるという意味以上に、私はひとりの英霊としてこの現世の何物をも、我らの手で傷をつけるべきではないと思う。そのための処置だ」 

 

「……」

 

 パラスの言葉を測りかねてか、蒼のセイバーは太い眉を眇めてみせる。しかしパラスは構わず言葉を続ける。

 

 まるで、おのれの言葉でおのれを鼓舞せんとするかのように。

 

「故にこの場所なのだ! ここでなら、何物も傷つけることなく、雌雄を決することが出来るだろう」

 

「ええ、保証しますわ。我が総力を持って紡ぎあげた魔導の結晶! 効果のほどは、直に確かめていただきたく存しますわ!」

 

 するとパラスの背後から、()()()()という歩みで姿を現したのは、この花園の主であるマスター、バルバラである。

 

 その身に纏う、パラスと同じ白亜のボディスーツは、夜を照らし出すかのようだ。

 

「感謝しますマスター」 

 

 世にも美しい所作で謝意を示すパラスに、バルバラも王侯貴族の風格を持って応える。

 

 まったく同じ装束をまとった二人の美女はこの世のものとも思えぬバラ園の中に並び立ち、その輝きを持って夜を払い去るかのようでさえある。

 

 ――なぁ? どっかに観客でもいんのか? と蒼のセイバーは呆れつつ周囲を確認する。

 

 なるほどこの上なく美麗な光景だが、芝居がかるにも程がある。ここはいつから舞台演劇(おゆうぎ)の稽古場になったんだ??

 

「あー、盛り上がってるとこわりーんだがよぉ。フツーに考えりゃあ、罠だよなぁこりゃあ? オレが言うとおりにすると思うのかい?」

 

 仕方がないので、剣を担いだままざっくばらんな声を掛ける。

 

「――誓おう」

 

 すると、バルバラと蝶が睦み合うかのような視線を交わしていたパラスは、一転、感情のこもらぬ視線と言葉を巨漢へ向けてきた。

 

「あん?」

 

「あらゆる神と我が父祖の名において誓おう。今宵の戦いに、一切の虚偽も欺瞞も差し挟む事は無いと」

 

「……」

 

 やはり台本かなにかに沿って喋っているのだろうか? 会話が噛みあっていない気がする。

 

 どうしよう? と巨漢はいよいよ深く思い悩んだ。とにかく場違いな気がして居心地が悪い。

 

 尚且つこんな連中と絡みたくないとも本気で思う。

 

「他意が無いなら、始めよう。畏れぬならば踏み込んでくるがいい」

 

 言うや否やそれまで咲き誇るだけだった花々がさっと波打つように展開し、ストーンヘンジじみたサークルを幾重にも描き出す。

 

 レイライン――結界ってやつか。

 

 巨漢は依然としてその輪の外側から中の美女たちを見ている。

 

「いやよぉ。他意ならあるぜ? いや、そもそも()()ってなんだよ。あるに決まってんだろ。とにかくやらねぇってオレァ」

 

 すると世にも稀な美女は見に合わぬ大剣と盾を構え、凛として問うてくる。

 

「なにが不満だ? 我ら二騎の英霊が雌雄を決するにこれ以上の舞台があろうか?」

 

「まぁそう言われるとそうなんだが……」

 

 ()()が寒みぃんだよオタクら。――とは、この男をもっても口にしづらいことだった。

 

 絶対怒るし。この女、絶対オレより強いし。と、巨漢は口ごもる。絶対負けるし、と。

 

「ならばなんだ! はっきりと言うがいい!」

 

 あとは誠心誠意、正面から戦うだけと信じて止まないパラスは蒼のセイバーを急かしてくる。

 

「わかったわかった。そう怒るなって――」

 

「お、――怒ってなどいない!」

 

 言葉尻を濁した巨漢の言葉に、パラスは叫んだ。

 

「あん?」

 

 いや怒ってるだろ――と、言いかけて、蒼のセイバーは何かに気付いたようにパラスを見た。

 

 ――ハハァ。やっぱりそうだ。この女……。

 

「おう――そうかい。んじゃあ改めて」

 

 巨漢は迷いの晴れた顔で担いでいた大剣を地に突き立て、胸を張る。

 

 パラスも――いよいよか、と応じるように盾と剣を構える。

 

 が、

 

「改めて、嫌だねぇ」

 

 とそこで巨漢は改めて、実に小憎らしい顔で笑って見せた。

 

 



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9 鬼さんこちら

「な――ッ」

 

「ンだぁってよぉ、とても信じられねぇんだよなぁ――あんたさぁ。どうにも胡散臭いぜ。何を誓うって? どーにも白々しすぎてウソくさいぜ。どんな英霊でもよぉ、もうちょっとくらいはムラッ気があるもんだぜ?」

 

「なにが言いたい!?」

 

「あんた、どっか作り物めいてんだよなぁ。()()()()ってぇの? それもよぉ『どこかでウソを吐いている』じゃねぇ。『どこからが嘘なのか、解らねぇ』ぐらいに装ってるよな? 偽装だぜ。なにを信じろって? くぅわばらくわばら」

 

「……セ、セイバー」

 

 蒼のセイバーの言葉に顔色を変えたのは当のパラスではなく、マスターであるバルバラのほうであった。

 

 このマイペース極まりない魔術師にあって、実に在りえないほどの狼狽がそこにはあった。

 

「装う……? ……ウソ? ……私が? 私の、私を」

 

「セイバー! 落ち着くのよ! アレはあなたを惑わす……」

 

 バルバラが声を上げようとしたのを、巨漢は遮る。

 

「――それによぉ。この時代の人間を殺すなっ、てのはまぁ解るが。物まで壊すなってのはちと行きすぎだろ? そういうのも、なぁんか白々しいねぇ。優等生ぶってよぉ。いやだねぇ。オレァな。そう言うのは信用しねぇことにしてるのさ。特に言うことがお綺麗すぎる貴族王侯に聖職者。あとは女な」

 

 女たちのやり取りに余裕がなくなったのを見て、巨漢は心から安堵の息を吐いた。

 

 そうそう。()()()()()()やろーぜ? 

 

「つーわけでな。ここでは嫌だ。まったく嫌だ。文句があるかい? あるなら」   

 

「私の――どこが、」

 

 次の瞬間、パラスは決闘の舞台であるはずの花園を飛び出し、蒼のセイバーの眼前にまで迫っていた。

 

「ウハッ!」

 

 まさしく電光石火。白々しい磁器のような夜に、深紅の軌跡が弧を描く。

 

「私のどこが! 嘘で、偽りで、ニセモノだキサマァァァ!!!」

 

 朱い斬撃が空を切る。まるで夜を両断するかのような勢いだ。陸上トラックの一角が抉られ、大穴が穿たれる。

 

「ウハハハ!! なにからなにまでも、さ! そんなおっかなびっくりじゃよぉ。せっかくの聖杯戦争も台無しだぜ。〝所詮我らは一夜の幻〟なんだろ? そんならよう。もっとハメを外してもいいんじゃねかァ!?」

 

 巨躯に見合わずひらりと身をかわした蒼のセイバーは、そのまま水すましの如くスーッと運動場を駆ける。

 

 先ほどまでののたりとした歩みからは想像もできない、熟練の足運びだ。

 

「逃げるな!」

 

「良いのか?」

 

 巨漢は足を止め、ビシッっと自らの背後を指差した。そこには隣接する大体育館があった。

 

 このままパラスが攻撃を加えれば巨漢ごとそれを粉砕してしまう。

 

 パラスは急ブレーキをかけたレーシングカーよろしく、全身から燃えがらのような臭いと煙を発しながら急停止した。

 

 周囲の闇が、ウソのように燃え上がる。真っ赤な血色の陽炎によって。

 

「どーこ見てんだぃ?」

 

 急停止したパラスを巨漢の剣がすかさず()()()()()

 

 すさまじいまでの金属同士の衝突音が響く。

 

 そう、それはもはや斬撃などではない。

 

 まるで大地へ杭でも打ち込むかのような、スレッジハンマーによる打撃だ。

 

 巨大な金槌を技巧もクソもなく振り回し、叩き込むという所業。

 

 彼女が神成る乙女でなかったなら、今頃原形も留めぬ赤いシミに変えられていたに違いない。

 

「卑劣漢!!」

 

 神秘的な黄金色に輝くはずの乙女の双眸が、まるで血が煮えたぎるかのような赤い光を宿して巨漢を睨み付ける。

 

「クハハ! 正直だな! そっちの方が似合ってるぜ。おもしろくなってきた! じゃ始めようか。こりゃあ――そうだ。鬼ごっこだ。おまえ、鬼な?」

 

 パラスは驚愕していた。巨漢の下卑た言動もそうだが、なによりもこの敵の剣を押し退けられない事に。

 

 いかに相手が巨漢であろうと、満身に神威を秘める乙女が力負けをするはずがないのだ!

 

 ただの剣士に、()()()()()()()()()()()()()()。なのに!!

 

 蒼のセイバーの剣は()()()()()動かない。

 

 

 ――私は、アテナだ! ニセモノなどでは、無い!!! ―― 

 

 

 その時、全力で押し合っていた状態から、蒼のセイバーはさっと身を引いた。

 

 迂闊(うかつ)! 余計なことを考えすぎた! パラスはつんのめるようにして体勢を崩す。なんということだろうか。

 

 まさか圧倒的優位に立つはずの己の方が、こんなにも無様に翻弄されている。

 

 こんなはずではなかったのに!

 

 いや、考えている場合ではない! 追撃が来る! 流石のパラスも防御を固めるしかなかった。

 

 この好機を逃す英霊などあるはずがない。――が、

 

「なーに縮こまってんだ?」

 

 大剣の一撃がパラスを襲うことはなかった。彼が斬ったのは、別のものである。

 

 蒼のセイバーはパラスではなく、先ほどパラスが急停止してまで守ろうとした体育運動場の方を斜めに両断してしまったのだ。

 

 さすがの一撃というべきか。上下に切り分けられた巨大な箱はゆっくりと、滑り落ちるように崩れ始める。

 

「な――に、を」

 

「なぁにって。鬼ごっこって言ってんだろ? アンタを斬っちまったらつまらんぜ。さーて、オーニさんこーちらぁ! ってなぁ」

 

 そして唖然とするパラスを置き去りにして、踵を返した蒼のセイバーはすたこらさっさと言わんばかりの足取りで姿を消してしまった。

 

 

 

 

 

「マイペースなヤツね。嫌いなタイプだわ。自分の都合ばかりで人のことを考えない。まったく腹ただしいわ。――けれど、それ故に惑わされるべきではないわセイバー。相手は試合巧者よ」

 

「……」

 

 マスターであるバルバラの声に、しかしセイバーは呆然と彼方を見たまま、応えない。

 

「聞こえて? セイバー」

 

「ワタシが……ウソ? 私が()()()()だとでも言うのか――下郎めェ!!」 

 

 瞬間、パラスの身体からほとばしった魔力の波動が、周囲一帯に咲き乱れていた造花の花園を散らしてしまった。

 

 計算上、ただの戦闘なら問題なく耐えられるはずだった花園の結界が、無残に蹴散らされた。

 

 相当に、相当に我を失っている。

 

「……えっと、セイバー? 気をたしかにね? 怒らないで?」

 

 さしものバルバラも、恐る恐ると言った体で声を掛ける。

 

「怒ってない!」

 

 顔も向けずにパラスは言う。かなり怒っている。ありていに言えば、キレている。

 

 そのとどまるところを知らない憤怒に呼応して、彼女の煮えたぎる血色の魔力が周囲の大気と大地を焼き焦がしている。

 

 このままではまずい! まずはクールダウンが必要だ。これ以上あの男と会話をさせてはならない。

 

 パラスは強力な戦士だが、戦場に立った経験はない。彼女は()()()()()()()()()()()のだ。

 

 戦神としての英知を持ってはいても、それを活用した経験が彼女には無い。

 

 たたき上げの戦術家相手には分が悪いのだ。

 

 ならばどうする? バルバラは瞬時に思考する。

 

 ――ならば、戦術での勝負に付き合わなければよいのだ。

 

 大兵に軍略いらず。圧倒的戦力を持つパラス・アテナはそのままぶつけるだけで相手に勝てる。

 

 それが大前提。ならば相手の絡め手をマスターである己が先んじて潰してしまえばよいだけだ。

 

 バルバラもあくまで魔術師。戦術家ではない。

 

 が、数千万に及ぶ使い魔を精緻に操る彼女の情報収集・情報解析能力は凡百の魔術師とは一線を画す。

 

 まずは使い魔を広域に大展開。速やかに敵のもくろみを喝破。そしてパラスを敵マスターの元へ一直線に出撃させる。

 

 それでよいのだ。勝つために小細工など不要。

 

「セイバー。状況は何も変わっていないわ。貴女は、そして(わた)しは、相手に遅れなど取ってはいない。いいわね?」

 

 パラスは答えず、作り物めいた白い顔をバルバラに向ける。

 

 星の光を弾く、無機質な磁器のような顔を。

 

「この追撃戦、(わた)しが先陣を切るわ。あなたは少し――その、この場に留まって気持ちを整えて? このままでは万に一があるわ」

 

「万に一?」

 

 無機質な声が問う。

 

「あ――侮るべきではないわ! 如何に品性下劣な卑怯者であっても相手もまた英霊!」

 

 らしくもなく、ぎくりと身を強張らせたバルバラだったが、そこは魔術師である。萎縮して言葉を差し控えることなどあり得ない。

 

「それに、ね? ほら、このままでは()たしの出番が少なすぎると思わない? さっきは」

 

「マスターッ!」

 

 言いさしたバルバラの口上を、パラスの一喝が遮った。

 

「ヒェ!?」

 

「……修繕をお願いいたします」

 

「修繕? ええ。もちろんあの破壊跡についてはあとで工作まで行うつもりだけれど……」

 

 上下に切り分けられてしまった体育館は今にも崩落してしまいそうな状態だ。騒ぎになるのは、確かにまずい。

 

「いいえ! 出来る限り元の状態に戻していただきたい。今すぐ! ――戦闘におけるフォローは不要です。あなたはこれから起こるあらゆる破壊の修繕を行っていただきたい! あのならず者は私がこの手で斬り捨ててご覧に入れます」

 

「えぇ……? でもね? (わた)しとしても今度こそちゃんとしたサポートをするつもりで……」

 

「マスターッ!」

 

「はひッ!?」

 

「……お心遣い感謝いたします。ですがこの通りです。どうか、どうかお聞き入れ願いたい!」

 

 パラスは頭を下げた。そもそも傲岸とは程遠い彼女だが、その内心は誇り高い。

 

 マスターといえど、容易に頭を下げることなどは在りえない。

 

 その嘆願には真摯さと言うよりも必死さがにじみ出ていた。

 

「はぁ……わかったわ。――英霊よ、あなたの望むままに。ただ気を付けて。あの男は剣によらない戦いを知る巧者よ」

 

「だとしても! わが剣を阻める道理なし! いざ!!」

 

 パラス・アテナは音速を超えて駆けだしていった。一筋の朱い閃光がその軌道を伝えてくる。

 

「にしても、(わた)しは佐官屋じゃないのだけれど……。後始末しかしないマスターって今までにいたのかしら?」

 

 流石の魔術師もこの規模の物を完全に修繕するとなると一筋縄ではいかない。

 

 しかも、これからの戦闘で発生する破損を全てカバーするとなると、彼女の使い魔を総動員することになる。

 

 サポートは一切できない。それでも通常通りなら負けるはずはないが、あのパラスの様子。熱くなりすぎている。

 

 あのままでは万に一、どころか……。

 

「……いいえ、セイバー。貴女が望むなら、(わた)しはそれを支持するわ」

 

 この舞台は、主役たる英霊(アナタ)たちのものなのだから。

 

 

 



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10 ハイランダーの大戦士

9 ハイランダーの大戦士

 

 

 

 

「はっはーッ! 鬼さんこちら、ってなもんだな」

 

 この世のものならざる二つの影が夜に浮かび上がり、針のような光を弾く二振りの大剣が閃く。

 

「――この現世の全ての文物に、それを紡ぎ作り上げた人々の思いが宿っている。そうとは思わぬのか!?」

 

 しかし、パラス・アテナの追撃は困難を極めていた。

 

 バルバラの予想通りだった。彼我の戦闘力には明確な差がある。にもかかわらず、乙女の切っ先は否応なく翻弄されてしまうのだ。

 

 巨漢のサーヴァント、蒼のセイバーは逃げに徹するかのようなそぶりを見せながら、時折り身をひるがえしては攻勢に転じ、はたまた逃げの一手へ立ち戻るという挙動を繰り返す。

 

 本来ならその瞬間に斬り捨てるべきところだ。しかし、巨漢は攻勢に転じるその度に周囲の建造物に自らの大剣を叩き付けるのである。

 

「止めろ!」

 

 乙女は破壊された電柱や公共物の破片が別の民家に降り注ぐのを受け止めようと足を止める。しかし、その隙を大剣クレイモアの一撃が狙いすますかのように突いてくるのだ。

 

「――ッ!! なぜ、こんなことを……意味がない! 無駄なことだ!!」

 

「そうでもねぇさ。実際――こんなに隙だらけだからなぁ!!」

 

 今再び動きを止めたパラスへ向けて、まるで断頭台のごとき白刃が振るわれる。

 

 受け止めようとパラスは油断なく盾を構える――が、白刃はまるでそれをすりぬけるようにして迫ってくる。剣の軌道が捻じ曲がったのだ。

 

 巨漢が渾身の全身駆動をもって繰り出す大剣の一撃。その挙動は剣による斬突と言うよりも、逃げるはずもない大木の幹めがけて大斧を振るうのに似ていた。

 

 本来当たるはずのない攻撃だ。英霊でなくともこんな大振りが命中するはずがない。

 

「――ッ!」

 

 しかし、パラスはその見え見えの一撃を寸でのところで回避する。当たるはずのない切っ先が、しかし彼女に肉薄してくるのだ。

 

 空を切った大剣は遥かに距離を隔てた位置にまで斬撃を伝播させ、爆破解体よろしく向こう三軒のビルディングおよび家屋をまとめて両断、崩壊させる。なんたる威力か。

 

「貴様――」

 

 乙女は苦渋をにじませながらも、それを見ていることしかできない。それどころか大幅に飛び退いて態勢を崩し、たたらを踏むありさまだ。

 

 この稀有なる英霊をして、有りうべからざる事態だと言わざるを得ない。

 

「おいおい良いのか? 後退()がっちまってよぉ――ッ!」

 

 それをいいことに、巨漢は実に生き生きとしてその巨躯を捻転する。今再び、全力のフルスィングが大気を炸裂させながら乙女に迫る。

 

「舐――めるな!!」

 

「ぐぉ!?」

 

 当然、いつまで好きにさせるつもりはない。反撃を受けた巨漢は血を流して後ずさった。

 

 盾による痛打である。パラスは後退しながらさらも盾を投擲していたのだ。敵の刃が盾を避けて伸びてくるなら、逆に盾が刃に止められることもない道理だ。

 

「ハ――ハハ! 良いねぇ。良い足掻(あが)きだ。そのほうが良いぜ、アンタ!」

 

 今度は蒼のセイバーがのそのそと後退した。パラスはすかさず盾を拾い、態勢を整える。

 

『なんとか押し戻した。――しかしこのままでは』

 

 趨勢は未だ五分とは呼び難い。両者は民家の少ない、ひなびた区画で足を止め、睨み合うように対峙した。  

 

『ここなら被害を抑えられる……』

 

「よぉ。どしたぁ? 随分とガムシャラじゃあねぇか」

 

 周囲の状況を確認するパラスに対して巨漢はフフン、とばかりに鼻を鳴らす。

 

「……貴様こそ、図体のわりに小技が好きなようだな」

 

「そりゃあな。さすがに良いとこなしのまま終わったんじゃ英霊の名が廃るってもんだ……」

 

 再び大剣クレイモアを大上段に構えた蒼のセイバーは、血を流しながらも不敵に笑って見せた。

 

 趨勢はパラスに取って不利なままだ。

 

 斬り合いに持ち込んだはいいが、パラスが宝具を使用しようとすればヤツはまた引くだけだろう。

 

 これ以上周囲の建物を破壊しながら逃げ回られるのは避けなければならない。

 

 故に、パラスは守勢に回らざるを得なかった。徐々に間合いを取りながら、大盾を前に出して敵の先手を誘う。

 

『心を落ち着けろ。おのれを律して戦うべし。我は戦神アテナ成り!』

 

 パラスはなんとか思考をなだめて思考する。

 

『あの男の奇怪な斬撃。恐らくは宝具によるもの。なにをされた? 何が起こった?』

 

 問題は、相手の斬撃の哲理が解らないということだ。パラスは体験した事象を率直に表現してみる。

 

『つまりは剣が……()()()()()()()()()()()と言うことか?』

 

 ――否。おそらくは違う。

 

 少なくとも空間ごと歪む、或いは時間軸をずらす、因果を捻じ曲げると言った宝具ではない。

 

 とパラスは判断する。

 

 それほどの事象を引き起こすには何かしらの予兆が存在するはず。

 

 少なくとも、効果を発揮するまでに尋常でない魔力を宝具に充填することが必要になるはずだ。

 

 そのような一撃必殺の宝具、使用することで即相手を敗北に追い込めるような宝具であるなら、警戒することぐらいではできたはずだ。

 

 あの一撃にはそれが無かった。

 

 故に、あの一撃はさほど魔力を必要としない利器としての宝具である可能性が高い。

 

『どうする? 多少の手傷は止む無しと考え、この身で受け止めるか? ――ダメだ! 小兵の技とは言え、先ほどの銀箔のセイバーとは威力の桁が違う』

 

 ならば盾は役に立たない……。ならば、いやしかし……。  

 

「捨てるかい? 盾を」

 

 巨漢が飄々(ひょうひょう)とした軽口を叩く。

 

 ギッ! っと乙女は奥歯を鳴らした。

 

「断る! ――我はアテナ」

 

 応答を差し置いて、斬撃が迫る。

 

「ああ、そうかい!」

 

 思考は刹那。決断は烈火のごとく! パラスは己の戦法に固執し、盾を構えて前進する。

 

『盾では止められぬ、ではない。止めるのだ! 哲理を捻じ曲げてでも! それこそが戦神アテナの――』

    

 乙女は双眸を欄と見開き、炸裂弾のごとき威力をもって迫る刀身を見る。

 

 このままいけば間違いなく盾に突き立つ軌道。元来なら問題にならない。

 

 即ちここに何らかの欺瞞(ぎまん)が存在する。見ろ! 見ろ! 見ろ!!

 

 見通せ、その神秘の哲理を!

 

 そして凝視を受ける大剣の軌道は、そのときわずかに()()た。軌道が歪む。

 

 その速度が、わずかに減速したように感じた。サーヴァント故の感覚加速適応故であろうか?

 

 否! そうではない。実際に迫りくる刀身が()()したのだ。

 

 つまりブレーキをかけている? いや、これは――。

 

 見る間に刀身は、切っ先は、ゴリゴリと歪な挙動をもって(たわ)み、わななくように鳴動する。

 

 これは「固定」だ! 十分に加速した剣を何らかの由来により強引に「固定」し、そこで不協和音めいて行き場をなくした力が刀身を歪める。

 

 そして「固定」を解除することで、刀身は本来の軌道とはまるでかけ離れた速度と挙動をもって対象を襲うこととなる。

 

 それがこの蒼のセイバーが持つ宝具の哲理なのだ!!

 

 今もまた、白刃は弓なりにしなる銀色の大蛇の如く、虚空をうねる。

 

 予測のしようがない攻撃だ。いかに神に連なる乙女とて、サーヴァントの放つ斬撃を目視してから回避するのは至難の業である。

 

 回避には「予測」が必要なのだ。故に――ここは「回避」ではなく「攻撃」に転ずるが易し!!

 

 パラスは、「固定」を解除され、再び跳ね上がろうとした刀身の袂へ向けて自らの剣を叩きつけたのだ。

 

 切り捨てるのではなく、押さえつけるかのような一撃だ。

 

『よし! 止めた!!』

 

 自在に「固定」し、それを「解除」するのが哲理だというのなら「固定の解除」そのものを行わせなければいい。

 

 乙女は野獣めいてほくそ笑んだ。

 

 わかってしまえば、どうということはない。

 

 先ほどの銀箔のセイバーと同様、宝具全体から見れば、平均にさえ届いていない三流の代物だ。

 

「見たぞ――これで二度と」

 

「いやぁ、恐れ入ったぜ――とても女神にゃ見えねぇ」

 

 ぎりぎりと鍔競り合うかのような体勢のまま牙を剥いた乙女に、巨漢は皮肉めいた視線を向けてくる。

 

「え?」

 

 わずかに身をすくませたパラスの隙を、巨漢は見逃さなかった。 

 

 「固定」は解除されぬまま、蒼のセイバーは剣から諸手を離したのだ。しかし剣は落ちず、弾かれもしない。剣は空間に「固定」されている。

 

 そこで、巨漢はするりと身体を反転させた。

 

「あんたの顔だよ。女神様というには――ちょいと野性味が過ぎやしねぇか!」

 

 パラスと向かい合うように剣を叩きつけようとしていた状態から、今度は半ばパラスに背を向けるような形で態勢を入れ替える。

 

 乙女の返答を待たず、「固定」は解除される。

 

 最初の斬撃で込められた、パラスに向けう斬撃の力。対してパラスが剣を抑え込もうと込めた膂力。本来拮抗するはずのそれに、もう一太刀、別の力が加わる。

 

 今度は剣を抑え込もうとするパラスのそれに倣うような方向性の力である。

 

 つまり、いま二人のセイバーのサーヴァントは二人で同じ方向に剣を押し進めようとしているような状態となる。

 

 いわば共同作業だ。当然、このままなら巨漢の剣は当て所もない虚空を斬ることになるだろう。

 

 その切っ先には何者の姿もないのだから。 

 

 だが、すべてはこの男の掌の上なのである。男は剣の勢いに任せて自らの身体を回転させた。独楽のように。軸足の踵を支点にして。

 

 大剣の刀身はほぼ360度旋回し、無防備なパラスの背面を打った。

 

 さすがに刃筋は立てようもない。だが乙女もまた、まるで予想の立てようもない攻撃に対処することは不可能であった。

 

 戦術の化身たる乙女には、神懸った直感や予知能力めいた先見の明は備わっていない。

 

 虚を突かれた時点で、乙女の敗北は決定していたのかもしれない。

 

 乙女の華奢な五体はギクシャクと歪みねじれながら、遥か前方へ吹き飛んだ。

 

 後を追うように、鮮血の雨が大地を染める。遅れて、手放された剣と盾とが、悲鳴のような音を立てて地に転がった。

 

「甘く見すぎたな。――単純だからこそ、いろいろと加減が効くんだぜ?」

 

 男の名は「ウィリアム・ウォレス」

 

 言わずと知れたハイランダーの大戦士である。ハイランダーとは大剣クレイモアを使いこなすスコットランドの戦士を指す言葉だ。

 

 ウォレスは13世紀のイングランドに対するスコットランド抵抗運動の礎となった騎士にして大英雄として知られる男である。

 

 そしてこの男が振るう宝具は、すなわちハイランダーたちの象徴たる大剣クレイモアを使いこなす過程で得た奥義が宝具として昇華したものなのだ。

 

 しかし、この男の本質はまた別のところにある。

 

「さぁて、普通ならここで終わりなんだがな……」

 

 巨漢の大英雄ウィリアム・ウォレスは、しかし闇の奥先を見下ろして苦笑いを浮かべた。

 

 まるで、この戦いが未だ決していないとでもいうかのように。

 

 すると、呼応するかのように血まみれでアスファルトに突っ伏したはずの乙女の五体が、幾許(いくばく)かの闇を隔ててむくりと身を起こした。

 

 そして次の瞬間、再びすさまじい勢いて夜の虚空に噴き出した鮮血が、鋭利な刃へと姿を変え蒼のセイバー、ウィリアム・ウォレスへと襲い掛かった。

 

 



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11 変貌 その様まさしく、斬攪無尽

 

 

「ハハ――だろうと思った!」

 

 雨のように降りそそいだ血色の刃を回避しつつ、大戦士ウィリアム・ウォレスは括目する。

 

 表情こそふてぶてしいままではあるが、その四角い顔には、それまでには在りえなかった戦慄の冷や汗がわずかに生じていた。

 

 さも在ろう、見据える光景はまさしく人語を介するに有り余る絶景であった。まるで、巨大な血錆色の大蜘蛛が闇の中で足を広げているかのような。

 

 サーヴァントの常識から考えても、常軌を逸している。今や見る影もないほどに破砕された乙女の身体は、それでもなおささくれ立つような血色の刃に支えられて屹立しているのだ。

 

 さらに、沸騰するかのような血潮が瞬く間に皮膚を繋ぎ合わせ、無残に歪みねじれた四肢を強引に成形していく。

 

 ゴリゴリと言う音が周囲の闇に響き渡った。

 

 そして次の瞬間――自らの足で自立した女は間髪も入れず、闇夜に紅い影を残して悪夢のように飛翔した。

 

 ウォレスめがけて、砲弾のごとく距離を詰めてくる! 

 

 刃鳴りの音が唸りを上げる。まるで狂気の笑い声のようだ。

 

 だが女は剣など持っていない。ふるうのは拳だ。笑う刃は、その五体を締め付ける拘束具めいた装甲から、無数に突き出している。

 

「――っぶねぇ!」

 

 炸裂した。紅い血色の刃をまとう拳打の一撃が、半径10メートル余りを燃え殻の灰塵に変える。

 

 距離を取りながら、ウォレスはさらなる冷や汗を流す。 

 

 その一撃はもはや近代兵器のそれだ。ただの生身で暴れるだけでこれほどの破壊をもたらすのはサーヴァントの中でも一部のバーサーカーのみであろう。

 

 それほどに、今やこの白亜のセイバーの性能は、存在は、主義思考までもが先ほどまでとはまったく別種のものへと反転していた。

 

「くたばったか!? ――くたばったのかよこのタンカス野郎がぁぁぁぁぁッ!!!」

 

 そして、吼える。

 

 マグマの如く沸き立つ窪地から立ち上がり、女はケダモノのように四肢を押し広げ、先ほどまでには考えられなかった言葉を吐き散らかす。

 

 その変貌は目に見えて凄まじい。

 

 華奢だった肢体は艶めかしい丸みを残したまま巨大な肉食獣の如く肥大し、流れるようだったサンライトイエローの髪は獅子の鬣の如く逆立っている。

 

 美しく滑らかだった白い皮膚は剥がれ落ち、ケダモノの如く筋張った褐色の肌が覗く。さらにはその五体をまるで拘束具めいた血色の装甲が覆い、禍々しく飾り立てていくのだ。 

 

 剣を執ってさえ涼しげであった眼光は、今や視線も定まらず炒る様な赤色に燃えている。

 

 そこには、もはや先ほどの白亜の乙女の面影は存在していなかった。

 

 そこにあったのはアテナの化身などではない。むしろ逆だ。その姿は暴虐と殺戮の息吹に彩られたアレス神の眷属を想わせる。

 

 これはいかなることか?

 

 彼女ことパラス・アテナとは、即ちアテナであってアテナでない存在なのである。

 

 アテナとはオリンポスの神々の中にあってさえ稀有な「完全にしても無欠の女神」として知られる。

 

 その本姓は潔白にして厳粛。洗練された文明の息吹をそのまま形にした、斯くも貴き理想の具現。

 

 つまり神としてもあり得ぬ存在として生まれた神格なのだ。故に『自らもそう在らねばならぬ』という自戒ものもと、アテナは自らの中にあった蛮性を切り離した。

 

 

 『パラスとアテナは幼き日を過ごした盟友であった。鍛錬中の事故によってパラスがアテナを殺しそうになり、ゼウス神がアイギスの盾でパラスの剣を阻み、逆にアテナの剣が彼女を斬った』

 

 

 ――神話にはそう伝わる。しかし、一方でアテナは生まれた時から完成した女神であり、幼少期など存在しないとも語られる。

 

 ここに矛盾が存在する。条理で測れぬ神話的パラドクスといえばそれまでだが、実際にはこの矛盾は矛盾などではないと解説することが出来る。

 

 即ち、幼き日のパラスとアテナが盟友であったというのは、彼女の内部にあった自己葛藤を擬人化して伝えたものなのである。

 

 彼女らは実際に剣で打ち合っていた訳ではない。彼女らはひとりのアテナであったのだ。

 

 その戦いはアテナ自身が己の中の蛮性に立ち向かい、これを克服し、己の中から切り離すに至った経緯を記したものなのだ。

 

 故にパラス=アテナなどと言う英霊は、本来存在しない。

 

 彼女は正真正銘アテナであり、同時にアテナと言う女神から切り離された不純物であったのだ。

 

 その存在は紛れもなくアテナでありながら、本性はアテナとは真逆。

 

 荒々しく、残忍で、流血と暴力をなによりも求める。――言わばアンチ・アテナとも呼ぶべき神格。それがパラスと言う英霊の中核なのだ。

 

「チクショウ! チクショウよくも!! ――よくも、よくもこんな、よくも私を! こんなふうに。元に――こんな、元の、私に! 戻してくれたなぁぁ…………!!!」

 

 紅いケダモノは拘束具めいた外殻に包まれた己の五体を抱きしめるようにして掻き毟り、血の涙を流して苦悶する。

 

「ぶっ殺す! ただじゃ殺さない。殺さない! 剥いでやる。――生皮、剥いでやる……ッ」

 

 あまりの怒りに、あまりの憤激に、パラス・アテナ=アンチ・アテナは全身を一個の拳のように握りかためた。

 

「それで、それから! ぶちまけてやる! ――ハラワタ、脳ミソ、キンタマの中身までなぁ――――ッッッッ!!!」 

 

 満身の力が、感情が、魔力が一点に凝結していく――そして、

 

『ま、マズい――!』

 

 ウォレスは今度こそ恥も外聞もなく、敵に背を向けて疾走した。

 

 次の瞬間、絶叫と共にパラスの全身から迸る魔力が無数の刃となって飛び出した。もはや狙いクソもない。その目にはウォレスの姿など映っていない。

 

 ただ、ひたすらに全力で、全方向、全方位へ向けて、血色の刃が放射される。

 

 まるで深紅の金属で出来上がったウニかクリのごとき様相である。或いは鋼鉄の処女(アイアンメイデン)を裏返しにめくり上げたかのような、というべきか。

 

 内側ではなく、自らの外界を丸ごと蹂躙せんとするその棘は長く、執拗に長く、そして禍々しく、いかなる生命をも生かしては置かぬという鬼気に満ち満ちていた。

 

 

 

 

「なるほどな……へへ。これが本性かぃ」

 

 ウォレスは笑う。無論、苦笑いだ。

 

 彼はこの変貌の程度に驚愕しつつも、この変貌そのものに動じてはいなかった。

 

 むしろ、彼は最初から彼女の纏う欺瞞(ぎまん)を見透かしていたのだ。

 

 彼、大戦士ウィリアム・ウォレスの本質は「剣」ではない。

 

 その最大の特性は、天然の軍略家としての才覚だ。それ即ち、感性によって戦場の機微を読み取る戦略眼である。

 

 あらゆる敵を、あらゆる脅威を、論理からではなく直感に近い感覚で感じ取り捉える類い稀なる感性。

 

 スキル「比喩抽象」としてサーヴァントである彼に与えられたその力が読み取ったパラス=アテナの本性。

 

 それは「擬態」であった。すなわち、ある種の生物が全く別の生き物であるかのように、己の姿や行動を偽り、また装う生態である。

 

 この男の眼は、言葉ではなく確かなイメージとしてパラスの欺瞞に満ちた振る舞いを見抜いていたのだ。

 

 その容姿、振る舞い、装飾戦術、精神性に至るまでもが、まるで峻厳な生存競争に晒される擬態生物のごとく、巧妙に偽装されたものであると彼の眼は見取っていたのだ。

 

 だからこそ、彼は一計を案じて彼女の本性を暴き出そうとした。

 

 巧妙な擬態の奥に隠された本性を知らねば、彼女と言うサーヴァントの攻略など在りえぬと判じたのだ。

 

 しかし、彼は今になってその判断を後悔せざるを得なかった。

 

 まずいことになった。とんでもないものを引きずり出してしまったかもしれない。

 

「ヘヘ――()()()()は100点だったんだがなぁ……」

 

 ウォレスはさらに闇夜の中へと身を躍らせた。後退だ。こんなものと真正面からの戦闘は自殺行為に等しい。

 

「あぁ!? ど――こ行きやがったデクの坊がッ!! いっちょ前に、――隠れてんじゃねぇぞデカブツがぁぁぁッ!!」

 

 ここで初めて、紅きケダモノは怨敵の存在を思い出したかのようにギョロギョロと視線を廻らせた。

 

「そこか!? ――そこに居いんのかクソがぁぁぁああああッ!!」

 

 紅い双眸が闇夜を射抜く。ウォレスを補足したケダモノは、しかしそこで一転横っ飛びに身をひるがえした。

 

 そしてすぐに気配を消す。今度敵を見失ったのはウォレスの方だった。

 

「お――おいおいどうした。口だけか? 追いかけっこはまだ――――んがッ!?」

 

 逃げながらの揶揄に対する応答は、地を這うような横撃によって成された。

 

 対しての反撃は空を切る。本当にネコ科の猛獣のような手際の良さだった。

 

 一撃を加えてすぐさま距離を取り、また予測もしない角度から闇を裂いて攻撃が飛んでくる。 

 

 この紅きケダモノは、どんな場面で正面から相手の攻撃を受け止めようとしていた白亜の乙女とは、あらゆる意味で真逆の戦法をとる。

 

 いかなる時も真正面から戦うことに固執していた乙女に対して、このケダモノは激昂しながらも常に相手の死角へ回り込もうとする。

 

 さらに、一撃よりも手数。正確さよりも威力。守りよりも責め、自制よりも威嚇。

 

 そして奇妙ではあるが、先ほどまで自らの矮躯を補うために体外へ放出されていた魔力が、今度は内側に向かって凝縮されていくというのも正反対であった。

 

 その深紅の魔力は外ではなく内に向かい、拘束具めいてその五体を、そして魔力そのものをまるで紅い金属の如く凝結させ、その全身をバネ仕掛けの刃物のように操ることを可能としている。

 

 反面、――魔力が内側に向かうが故に、防御力、守りはかなり手薄だ。

 

 しかし、その違いが、先ほどまでとはまるで別物である戦闘スタイルが、大戦士ウォレスをして反撃らしい反撃を許さない。

 

 四方の闇から襲い来る凶刃がウォレスをの五体を切り刻み、赤く染めていく。

 

 巨体が、いまにも崩れそうなほどに傾いだ。倒れ伏す寸前だ。

 

 先ほどまでとは勝手が違いすぎる。――が、無論、ウォレスとて手をこまねいている訳ではない。

 

『お前こそ、舐めるなよ? ニャンコロめ……ッ』

 

 劣勢であるときほど、不敵に笑って罠を張るのだ。ウォレスは己を鼓舞する。こういう手合いは隙を作ってやると喜び勇んで、罠に飛び込んでくるものだ。

 

 先ほどまでの「白亜のセイバー」には通用しない稚拙な戦法だといえる。しかし、今の「紅いケダモノ」にはそんな駆け引きは存在しない!

 

「――うぉぉらあぁぁッッ!」

 

 ウォレスは吠える。どんぴしゃり! むざむざと飛び込んできたケダモノに大上段からクレイモアを叩き付けた。

 

 手ごたえありだ。禍々しい紅の凱甲を砕き、大剣の刃が女の肩から背中にかけて身体深くまで撃ちこまれる。

 

 如何に固く押し固めようと、内に向かう魔力の流れが、敵の、すなわちウォレスの刃ををもその身に引き入れてしまうのだ。

 

「――だから、なんだ? テメェ、バラしてやる! バラバラにして! ぶつ切りにして! 干からびた犬のクソみたいに! 道端にさらしてやるぅぅぅあああああああッ!!!」

 

 だがケダモノは、ウォレスではなく己に撃ち込まれた大剣の刃に向けて拳を叩き付けはじめた。

 

 がむしゃらに、無造作に、なんの戦略もなく、ひたすら力押しに、血色の刃をまとった拳を叩き付ける。

 

 燃え盛る血色の鋼が周囲を紅蓮に染めていく。 

 

 無論、ウォレスは宝具の力で一時的に自らのクレイモアを空間に固定している。先ほどと同様に相手の攻撃エネルギーを反転利用しようとする試みだ。

 

 どんな腕力でも能力で固定された剣は微動だにしない――ハズだった。

 

 しかし、その時異様な音が鳴り響いた。頑健なはずの金属があり得ない負荷に悲鳴を上げるかのような。

 

 そんな音が、振動が空間に静止しているはずのクレイモアから聞こえてくる

 

「う――そだろ、おまえッ」

 

「く――ったばれぇぇぇえええええ!!!!」

 

 空間に固定されているはずの名剣は、空間に固定するという事象ごと捻じ曲げられ、粉砕されてしまったのだ。

 

 もはや身を守るものもないウォレスを、蓮華の華の如く展開した無数の凶刃と凶獣の双拳が蹂躙した。

 

 まるで紙片のように、ウィリアム・ウォレスの巨体が宙を舞う。

 

『コイツは――た、たまらねェな……』

 

 その様、まさしく斬攪無尽(ざんかくむじん)。まるで紅い暴風そのものだ。もはや剣を失ったウォレスにこれに抗う術など残されていなかった。 

 

「どうだ? ――ビビったか? ――ビビったのかよこのクソヤロウ!! テメェ必ず、ビビらせてやる! 二度と――二度と舐めた口を、舐めた面で言えねぇようになぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!」

 

 大戦士は倒れ伏す。そして、パラス=アテナはとどめを刺すべく、自らの血潮から鍛え上げられたマガツの刃を振りかぶる。 

 

「――ッ」

 

 しかし、そこで闇の中の一点を見つめたパラスは不意に紅い刃を取り落とし、――ぽろぽろと涙を流した。

 

 その視線の先には先ほどの暴虐によって粉砕された道路反射鏡(カーブミラー)が転がっていた。彼女が見つめていたのはそこに移った自分自身の姿だったのだ。

 

 まるで虚を突かれたかのように瞠目した様子の女は、そこで目下に切り殺そうとしていた敵のことさえかなぐり捨てて、崩れ落ちた。

 

「――あ、ぁぁぁぁぁあああッ」

 

 そして声を上げて、泣き始めた。

 

 

 

 

 

 ――同刻。

 

 バルバラは英霊たちの激突した痕跡をたどりながら、夜の虚空を駆けていた。

 

 市街地の破壊された部分を修復・保全し、近くの人間に感づいた者が居ないかを確かめる。

 

 もしも居たなら催眠なり認識の阻害なりで隠ぺいを図らねばならない。

 

 しかし、おかしい――と、バルバラは感じていた。

 

 あまりにも範囲が広すぎはしないか? 工業地帯を抜け、市街を縦横に走る河川を超え、自衛隊演習場を掠めて夜の市街地を延々あてどなく彷徨っているかのようだ。

 

 白亜のセイバー・パラスはこの地方都市の市街地内のをこれでもかと引き回されている。蒼のセイバーは、あの男は何がしたい?

 

 もしもここになんらかの意図があるというなら、その終着には何がある? なんにしろ、ろくでもないものがある違いない。

 

 バルバラは胡蝶の群れと共に夜に佇む。その顔にはこの女傑にしてありうべからざる焦燥が陰を落としていた。

 

 胸騒ぎは大きくなる一方だった。やはり、この上は無為な左官修繕など投げ出して、セイバーを追うべきではないのか?

 

 ――否。任せると言った以上、受け持つと言った以上、その言葉を違えることはあり得ない。

 

 サーヴァントとそのマスターが誇りに掛けて交わした盟約はそんなに軽率なものであってはならない。

 

「そうよねセイバー……」

 

 バルバラは意を決して、その場にとどまることを選択する。

 

 現状パラスが正常でないことはパスを通して察知している。――しかし、それを克服して見せるのもまた英霊の務めであるはず。そう、信じなくてどうする。

 

 故にバルバラは、再び使い魔を操り『完璧な』修繕を行うべく手を尽くす。

 

 すべてを完璧に保全したのち、優雅に戦場へ向かうべきだ。――たとえそこに、望まぬ結末が待っているのだとしても。

 

 

 



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12 アイギスの罠 

 

 

 鏡。鏡だ。つまり、アレは、あそこに映っている、赤くけがらわしい姿は、私だ。

 

 さらけ出されてしまった私の姿だ。

 

 アレは私だ。

 

 パラスは、パラス=アテナは鏡に映った自分を見て崩れ落ちる。

 

 巨木の根の如く膨れ、歪みねじれた歪な身体。血色の甲冑を纏うその姿。

 

 もはや人ならざる異形の荒神である。存在そのものがパラドックスに端を発する彼女は本性とその人格とが著しく乖離している。

 

 アテナから切り離された不純物で構成されていながら、その人格は正義を愛する女神のそのものなのである。

 

 故に、自分の有り様を許せず、その本性を憎み、覆い隠そうとさえした。穢れの無い白亜の乙女の姿で。

 

 だが、今剥き出しとなってしまったその暴力性は彼女自身に抗いがたい現実を突きつける。

 

「う、う、う……ううぅ」

 

 何の意味もない涙がこぼれる。

 

 見渡せば、怨敵である蒼のセイバーの姿はなかった。逃げたのか? 多分そうだ。

 

 パラスはしばし、呆然としたままその事実を持て余していた。何も感じなかった。ただ、もはやどうしようもないのだという感覚だけが泥のようになってしまった五体を縛る。

 

「殺さ……ないと……」

 

 それでも、立ち上がる。泣いている訳にはいかない。晒されてしまったことは仕方がない。

 

 ただ、観られたからには消さなければならない。

 

 こんな姿を見られた以上、捨て置くことは出来ない。こんな姿をマスターにも見せることは出来ない。

 

 パラスは再び元の、白亜の装束を構築しようとしたができなかった。

 

 ダメだ。露わになってしまった本性はもはや抑えようがない。押さえ込もうとするが、できない。収まってくれない。敵を逃したままでは血が収まってくれない。

 

「はやく、早く殺さないと……アイツを、殺さないと……」

 

 幽鬼のように立ち上がる肢体へ、そこへ、さらなる深紅の装甲が、蜘蛛の糸を綾なすかのようにさらに、さらに重ねられていく。

 

 歪みねじれていく身体。もはや人の形を保つことさえままならない、異形の姿のまま、身体を引きずるようにして闇を彷徨う。

 

 敵もまた手負い。そう遠くには行っていないはずだ。それでもパラスは誰かの眼を避けるようにして闇の中の影を選んで魔力の痕跡を追う。

 

 辺りの景色はいつの間にか人の手が入っていない山林か何かのようなものに変わっていた。どれほどさまよった? 時間の感覚が失われてしまっている。

 

 ただ、人の目などあろうはずもない山野の闇間に視線を感じて、パラスは足を止める。

 

 ああ、見ないで。見ないで。私を見ないで。ああ、けがらわしい。ああ、醜い。

 

 隠しようもない醜く膨らんだ異形の姿をあらゆる視線から隠すようにして、敵を追う。

 

 急がなければ、殺さなければ。速く、はやく。ハヤく。

 

 踏み込む。思いのほか落ち着く場所だった。そこは広けた場所だった。

 

 茫々と生い茂る山野の山肌に、忽然と出現した洋館だった。まるで人ならざる魔性の者が住む場所であるかのようだ。

 

 しかし、今のパラスにはその事実に何らかのリアクションを返す余裕がなかった。

 

 ただ、黒い洋館が見下ろす広間のただ中に立ち尽くし、それを見つける。

 

 小さなテントのようなものだ。サーカスのテントを小さくしたような西洋建築めいた張りぼてのような小さなテントだ。

 

 まるで()()()()()庵のようにも思えた。 

 

 視界が開けたせいで、ぼやけたレンズのピントが合うみたいに、それに集中する事が出来た。

 

 パラスは感性で理解する。あそこだ、あそこにいる。敵のサーヴァントか?

 

 とにかく、魔力の反応。敵だ。敵がいる……。

 

 しかし、これはサーヴァントではなく? 魔力……令呪の反応だ。

 

 つまり……なんだろう? つまり、そうだ。マスターが居る。

 

 あの中に敵のマスターが居る。本当に? バルバラではないはず。バルバラはダメだ。マスターには見せられない。見られるのは嫌だ。こんな姿を見られたくない。

 

 私を――アテナだと認めてくれたのに。

 

 そうだ。急がないと、バルバラが追い着いて着てきてしまう。

 

 それはダメだ。その前に、血を鎮めなければならない。だから、速く。だからハヤく、殺さないと!

 

 もうマスターでいい。あのデクでなくてもいい。あのサーヴァントでなくてもいい!

 

 殺せ! あのマスターを、殺せ!

 

 あそこだ! あの影に居る! 庵の奥に! 波打つ帳の後ろに!!

  

 パラスは――跳んだ。そして相手の姿も確認せずに斬りかかった。

 

 相手がなんでもかまわなかった。これで終わりにできる。とにかく、速く。いち早く。疾く、殺すのだ!

 

 溢れる魔力はもはや血色の翼となって、パラスを闇に遊泳させる。全身から伸びた刃はそれぞれ(ことごと)くがつららの如く伸長し剣と化した。

 

剣の女王――揚々、斯くも荒々しく(クィーン・ザ・スペード)!」  

 

 もはや外さない。狙いも定めぬ広域斬撃によって、相手が何者であっても、この防御不能の刃の束で確実に切り刻む、のみ!

 

 しかし、パラスはそこで、もはや血色にカスミのかかった視界の向こうに、その相手の姿を見止める

 

 殺戮の予感に薄ら笑っていたその美貌が、さっと色あせた。

 

 ()()(ひるがえ)った帳の向こうに佇んでいたのは、ひとりの子供だった。しかもまだ、10歳前後の。柔らかな笑みを浮かべる小さな少年だった。

 

 ダメだ――――ッ!

  

 パラスは剣を止めようとした。が、止まらない。止まるはずがない。軌道をそらすことも、的を外すこともできない。

 

 もともとそんなものは無いのだ。周囲一帯を蹂躙するつもりで、身体ごと叩き付けるこの一撃。

 

 止めることだけは、本当に出来ないのだ。

 

 ブレーキは意味がなかった。まるごと剣と化した身体は止まらず、確かな衝撃をともなってそれを射抜いた。

 

「ああ、ああ私は――私は、」 

 

 パラスは顔を背けていた。感情はぐちゃぐちゃのまま、もはや自分をコントロールできない。

 

 アテナが――知性の神アテナが、無抵抗な子供を殺すというのか?

 

 こんなケダモノ以下のやり方で!? それがアテナの行いか?

 

 もう、嫌だ。こんなモノは悪夢でしかない。私は、私はただ、――アテナでありたかっただけなのに――

 

「……心配しないで。キミはいい人だ」

 

 返答は、もはや原形も止めぬほどに粉砕してしまったハズの少年の喉から響いた。

 

 パラス自身にも止められなかったはずの剣は、止まっていたのだ。

 

「けど、キミの負けだよ。パラス・アテナ」

 

 しかし、それはあり得ない。今の一撃は、防御絶対不可の宝具による一撃だったはず。なぜ、それが――

 

 疑問はそこで霧散する。

 

 少年の細枝のような手が執っていた小さなナイフが、パラスの胸に突き立っていた。

 

 彼女の五体を幾重にも包む込む紅い装甲が、何故かそのおもちゃのようなナイフに切り裂かれていた。

 

 彼女の魔力の結晶であるはずの血色の装甲がまるで飴細工のように砕かれ、溶け崩れていく。

 

「あ――、うッ」

 

 パラスは驚愕し、思わず反撃にでた。痛み。なにより理解不能な事態への恐怖が先に立った。

 

「残念だけど、そうはいかない。キミはもう、罠の中に居る――ボクの作品の中に」

 

 しかし、その反撃もまた止められてしまう。それがまるで必然であるかのように。

 

 少年が手にしていたのは、なにか――アクセサリーのような代物だった。

 

 ――在りえない! この一撃は、彼女の必殺宝具「剣の女王――揚々、斯くも荒々しく(クィーン・ザ・スペード)」は、如何なる防具をもってしても止まる様なものではない。

 

 例え神代の神々の宝具であったとしても、防御それ自体が不可能なのだ。

 

 それが、こんなおもちゃのようなもので――

 

 この剣を止められるのは、この世でただ一つ――。そうただ一つだけのハズ。

 

「不思議かい? でもこれは当然のことなんだ。なるべくしてこうなっているんだよパラス・アテナ」

 

 そこで、風鳴るガラスの響きめいた少年の言葉に聞き入っていたパラスを、次の瞬間、折れたクレイモアによるガムシャラな一撃が襲った。

 

 姿を隠していた蒼のセイバー、ウィリアム・ウォレスの横撃だった。

 

「チッ、浅ぇな……」

 

 苦悶しながら点々と地を転がる吹き飛ぶパラスに、しかしウォレスは顔をしかめる。まるで致命傷ではないのが手ごたえから解ったのだろう。すぐに止めを、――と豹の如く身を屈めた。

 

「いや、十分だよセイバー」

 

 しかしマスターである少年の言葉がそれを遮る。

 

「彼女はもう、立ち上がれない」

 

 確信に満ちた言葉である。しかし少年は非魔術師。魔術戦の素人だ。その判断を信じてよいものか?

 

「大丈夫だよ。適当に言っている訳じゃない。非魔術師(ぼく)なりに考えあってのことなんだから」

 

 少年は吹き飛ばされ地に伏したままの紅いケダモノへ歩み寄る。

 

 その足取りには警戒に足る様なそぶりは何一つとしてない。少年は手にしていたアクセサリーを掲げて見せる。紅い視線が上目にそれを凝視する。

 

「どうしてこんなもので君の宝具を止めることが出来たのか。不思議だよね? でもその理由は簡単なんだよ。パラス。これが『アイギス』だからさ」

 

 ケダモノは、パラス・アテナはうずくまりながら困惑に顔を歪めた。

 

「そんな……バカなことが」

 

「解説しようか。魔術師ですらない、この僕の勝算ってやつをさ」

 

 



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13 持たざる者の刃、其は「認知の力」なり

 

 少年は変声期の予兆さえ伺わせぬ鈴鳴るような声色で己が確信を、揚々と語り始めた。

 

「伝説によるなら、キミの宝具はアイギスによって一度は止められなければならないという概念が定められている」

 

 

『パラスとアテナは幼き日を過ごした盟友であり、鍛錬中の事故によってパラスがアテナを殺しそうになり、神がアイギスの盾でパラスの剣を阻み、逆にアテナの剣が彼女を斬った』

 

 

 確かに、それがパラスの背負うバックボーンであり、神話だ。いうなれば神話的な既成事実とでもいうべきか。

 

「それを逆手に取るかたちで『アイギスと言う神器以外には絶対に止められない』と言うルールを内包しているのが君の宝具だ。はっきり言ってずるいよ。だってアイギスを使用できるのは基本的に神々だけなんだから。英霊と魔術師の競い合いである「聖杯戦争」においては無敵のロジックだと言っていい。ま、「宝具」なんてのは多かれ少なかれ「ずるい」ルールを押し付けるモノなんだろうけどさ」

 

 ――ただし、そういう「概念」の戦闘であるからこそ、付け入る隙もある。

 

 少年はそう付け加えた。甘いボーイソプラノの声色が、裏返るように湿り気を帯びる。

 

「例えこじつけでも、「アイギス」を用意することが出来れば、キミの剣は止まらざるを得ない」

 

「――で、出来るはずがない。そんな……ニセモノのアイギスで……」

 

 パラスはままならぬ身体で血だまりに伏せながらも声を絞り出した。なぜならそんな理屈が通るはずがないからだ。

 

 しかし、少年はそれを待ってましたと言わんばかりに論破しにかかる。

 

「ところがそうでもないんだよ。『サーヴァントは真名を隠さなければならない』。僕はね、これを真理だと思ったよ。キミの真名と宝具を哲理を知れたおかげで、僕にはキミに対抗する手段を容易できたんだ!」

 

 少年はもはやパラスが一瞬で命を奪えるだけの間合いにまで踏み込んでいる。サーヴァントであるウォレスは少々気ぜわしくその挙動見ているが、マスターである少年は取り合わず、ただ針のようにパラスを凝視する。 

 

「もちろん。ニセモノとはいえ、宝具を防ぐにはそれがまぎれもなくアイギスでなければならない。キミの真名を知ってからの僅かな時間でそれを用意しなければならない。しかも僕は魔術なんて使えないと来ている」

 

 少年はパラスに、凶刃の塊ともいうべき相手に肉薄する。彼に恐怖心は無い。なぜなら彼はこの場で彼女の心を折るつもりでいるからだ。

 

「だからね、僕は「認知の力」を使うことにした。分るかい? パラス・アテナ。英霊だか神様だか知らないが、人間を舐めるなよ? ただの人間にでも、アイギスを用意することぐらい出来るんだ」

 

「――??」

 

 少年はスマートフォンを取り出した。パラスもそれが現代の情報を映し出す器具だとは理解している。

 

「僕はネット上でこういうアクセサリーや彫刻のアーティストをやってるんだ。歳とかホントの名前とかは隠したままね。国内よりも海外の方が人気かな。うん、SNSだよ。わかる? キミの攻略にアイギスが必要だと解ってから、僕はあらかじめ出来上がっていたアクセサリーなんかに「アイギス」の名を付けて発表したんだよ」

 

 少年の語る内容は今のパラスには不明瞭な点も多かった。しかし言いたいことの趣旨は理解できる。――否、理解できてしまっている。

 

「結果、全世界20万人の人間がこれを見た。そしてこの作品の名を『アイギスの(なにがし)』と認知したんだよ。今このアクセサリーは、それだけの人間の「認知」を得て間違いなく「アイギス」という名を獲得したんだ。――これが「認知」の力だよ。キミたち英霊や魔術師がやり取りする「概念の戦闘」と言うのは「名前」が重要になってくる」

 

 認知。そう認知だ。数多くの人間の認識が束ねられた時、その対象となる人は、文物は、概念は、初めて『真の名』を持つことになるのだ。

 

「ならば、この『認知』の力によって物品に必用な「銘」を与えることが出来るはず。――それが僕の勝算だったわけさ。当然、上手くいくかはわからなかった。科学みたいに再現性が担保になる世界じゃないからね。大事なのはボクの中の確信だった。――そしてその確信は正しかった。僕はもぎ取った! 僕の勝利もまた、揺らがない!」

 

 少年はそのまま己の勝利を宣言する。自分は勝利できるのではない。すでに勝利しているのだと、まるで謳わんばかりに。

 

「さっき僕の手で君に突き立てたペーパーナイフにも「銘」が付けられている! 『認知』によって確定したその名は「アテナの剣」だ」

 

「――ッ!」

 

「SNSではなかなかに人気だよ。こういうのはシンプルなものがいいみたいだ。――わかるよね? 仮初とは言え「アテナ」の名を冠した刃を君は受けてしまった。すなわち、キミは伝説の中で受けた傷を再現しようとしている」

 

 パラスはようやく合点が言っていた。なぜ自分の凱甲がこんなおもちゃのようなもので切り裂かれてしまったのか。そもそも、なぜ自分がこうして地に伏しているのか。

 

「キミと言う概念をアテナから切除し、切り離した冷徹な刃をキミはもう一度受けてしまったんだ。もはや君は立ち上がれない! 疾く消滅するがいいパラス・アテナよ! 斬り捨てられたアテナの半身よ!」

 

 言葉は重く心身を縛った。戯れ言とは言えなかった。確かに彼女の必殺の宝具は防がれ、胸の傷は塞ぐことが出来ない。

 

 パラスは力が急速に消え失せていくのがわかった。

 

「……大層な言いようね。そこなセイバーの、マスター」

 

 もはや、反撃どころか、ここから立ち上がる法すら思い当たらぬ――そう。パラス・アテナが諦観しようとしたとき、背後から揚々と響く声が聞こえた。

 

「始めまして。我が名はバルバラ・ネス・ストローク。衝撃のネス・バルバラと見知り置きなさい!」



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14 克つべきものは

14 

 

 

 

 何の工夫も見られない登場だった。バルバラはただ正面から、無数の使い魔を引き連れて(つい)の戦場へと踏み入ってくる。

 

 ――ああ、来てしまった。

 

 反射的に立ち上がろうとしたが、それもままならない。パラスは萎れるようにして自らの血だまりに突っ伏した。

 

 立てなかった。身体よりも心が言うことを聞かなかった。負傷よりも、立ってそれでどうするのだ、という諦観こそがが五体を縛る。

 

 もはや己の敗北は確定だ。なにより、バルバラは言った。「敗者には興味がない」と。

 

 圧倒的な勝利者、完璧な強者であるからこそ、――アテナであるからこそ、己には意味があったのだ。 

 

 今のパラスには、バルバラに追従するだけの価値すらない。

 

「良かったわ。まだ始まったばかりのようね?」

 

 もがくことすらやめて諦観に身をゆだねようとしたパラスの耳に、そんな言葉が冷や水を浴びせる。

 

僥倖(ぎょうこう)だわ。このまま後始末ばかりしてこの儀式が終わってしまうかと思っていたところよ。アナタ方も、もう一波乱(ひとはらん)欲しかったのではなくて?」

 

 言葉を向けられた蒼のセイバー、ウィリアム・ウォレスは無骨な肩を竦めつつ、マスターである少年を見る。

 

「いらないね。というか、あり得ない。ここから波乱なんて有りようがないよ、魔術師」

 

 少年は吐き捨てるようにして告げた。

 

「キミはもう負けてるんだよ」

 

「……マ、マスターッ、撤退してください! 私は策にはまりました。ここからの挽回は、もはや……」

 

「……」

 

 血を吐くかのごときパラスの叫びに、バルバラの視線が向けられる。なんの意図も読み取れない、物言わぬ視線だった。

 

 叫んだことを後悔しながら、パラスは己の顔を、身体を覆い隠そうを身を縮こまらせる。

 

「み――見ないでください! こんな! こんな無様な、醜い姿を、こんな私を……ッ!」

 

「そうかしら? その格好もワイルドで素敵だと、妾たしは思うのだけれどね……。いえ、この祭そんな言葉に意味はないのよね」

 

「降伏してくれないかな?」

 

 ため息交じりにこぼすバルバラに、ボーイソプラノの声色が語りかける。少年の細い喉は戦慄くようにして震えている。

 

「悪いけど、もう勝負はついてる。キミの負けだよ。魔術師のお姉さん」

 

 バルバラの視線が、初めて場にそぐわぬ小さな少年の姿を捉えた。それが対主たる敵マスターなのだと認識する。

 

「令呪を使って、サーヴァントを自害させるんだ。そうすれば命まではとらない。ただ、僕に宣言してほしい」

 

 一方的に突きつけるようなその言葉に、しかしバルバラは小首をかしげるばかりだ。どうにも要領を得ない様子。

 

「あら? アナタがマスターだったのね。返礼も無いからただの部外者かと思っていたわ。どこの痴れ者さんかしら? それに宣言とは?」

 

 両者の温度には未だに差があるかのように思われた。それがじれったいのか、少年はさらに声を絞り上げる。

 

「簡単なことさ。――魔術師として、僕に、『完全に敗北を認める』と宣言すればいいんだッ」

 

 少年はまるで肺腑に鈍痛でも覚えるかのように自らの胸を掻き抱きながら、言葉を絞り出す。

 

 対するバルバラはその言葉に一瞬だけきょとんと目を丸くし、苦笑した。

 

 嘲笑うのでもなく、一笑に伏すでもない。素直な笑いだ。

 

「あらそれだけ? 魔術師なら普通はもっと実利を得ようとするものだと思うけれど?」

 

「僕は魔術師じゃない!」

 

 少年は叫ぶ。窮地にあってなお涼しげなバルバラとは対照的に、まるで黄熱にうなされるかのように、熱湯の中を泳ぐかのように貌を歪めて、バルバラを見る。

 

「その、魔術師でない僕に、魔術師であるお前が、ひれ伏すんだ! それが条件だ。さぁ、どうする!?」

 

「……どうやら、そちらにもいろいろとあるようね? けれど、丁重にお断りさせていただくわ。正直なところ、アナタと言う存在にまるで興味が持てないのよね。魔術師がどうとか、肩書がどうとか言っている時点でね」

 

 少年は本来愛らしいはずの顔を引きつらせるようにして、笑った。

 

「なら、戦うしかない――君はこの場で、何の意味もなく死ぬことになる」

 

「そうかしら? ()たしのセイバーが立ち上がるなら、勝機は十分あると思うけれど?」

 

 バルバラの言葉に、パラスは視線を屈したまま、嘆きの喘ぎを漏らした。ああ、そんな、マスター……。

 

「無駄だよ。たとえ令呪を使っても、折れた心まではどうにもできない」

 

「それを決めるのはアナタではないわ」

 

 パラスはやりきれなかった。バルバラは解っていないのだ。ここまでの経緯を把握できていない。だから今場違いなノリで無様を晒している。

 

「マスター、私は……」

 

「セイバー、正念場なのは妾たしにも解るわ。力を貸して。それと、何か必要なものはあるかしら?」 

 

 パラスは何も言えない。何も答えられない。すべてが的外れなのだとでも言えばいいのだろうか? 

 

 煩わしかった。その誤解を、バルバラの勘違いを正すための余力さえもが、自分には残っていないかのように思われた。

 

 もはや彼女が望むのは。ただ、一つだけだった。

 

「み――見ないでください。私のことなど……見ないで、このまま、どうか」

 

 ――逃げてほしい。と、絞り出すように続けるよりも、しかし、先に。

 

「了解したわ――蝶々発止(メッサー)

 

 バルバラは迷うこともなく。自らが操る使い魔を眼前に舞い上がらせた。

 

 そして――

 

 そのまま、自らの両目を切り裂いた。

 

「マス……ター……」

 

「なにを――――お前、なにをバカなことをッ!?」

 

 パラスは状況を把握できぬまま、自分でも何を言いたいのか定かでない声を上げ、少年は困惑のままに叫んだ。

 

「あら? なにがかしら? なにがバカなことかしら? 特にあなた。坊や。()()()()()()()。そう言うものよ。魔術師とは即ち狂気の住人。真正であればあるほどに」

 

「……ッ」

 

「そもそも、アナタは何に勝ちたかったのかしら? 魔術師に勝つ? 何の意味があるのかしら? 妾たしたちの敵は、この世の不条理そのものよ」

 

 血の涙を流しながらもバルバラは冷然と、そして高らかに笑って見せる。

 

 傷が深いのが見て取れる。何の躊躇もない行動だった。バルバラは本気で、その視界を永遠に閉ざして見せのだ。

 

「負けが解っていながら、ゼロへ向け、全てを掛けて邁進する。それが魔術師よ。勝ち負けなんて言う領域に私たちはいないのよ。それに勝つなんて的外れな目標を立てている時点で、貴方の行動は全てが徒労だわ!」

 

 少年は言葉に詰まった。それは彼の行動を根底から否定する言葉だったから。 

 

「さぁ、降参を勧めるのはこちらの方よ! すぐに令呪にてサーヴァントを自害させ、勝利を私に譲りなさい。そうすれば、悪いようにはしないわ!」

 

 しかしその宣言を、哄笑を、――豪快な斬撃が遮った。

 

 展開する使い魔がそれを阻もうとしたが、バルバラの身体はそのガードごと吹き飛ばされ、あわや五体が霧散しかけるような衝撃に見舞われた。

 

「――――ッ!」

 

「おいおいおいおい。なぁーに言い負かされてんだマスター」

 

 バルバラを吹き飛ばしつつ、牛のごときやぼったい声を上げるのはセイバー、ウィリアム・ウォレスである。

 

 マスターである少年とは違い。この男にはいささかの動揺もなかった。

 

「そもそもよぉ。戦争やってる相手と戦争中に話が噛みあうっつー方が珍しいぜ? やめとけやめとけ。んなもんはなぁ。勝った後で好きなように理屈を付けりゃあいいんだよ」

 

「セイバー……」

 

「上等だわッ。問答無用、それもまた快なり……」

 

 言いながら、バルバラは不敵に立ち上がる。

 

 しかし、流麗に立つその身体からは赤い血が滴り、激痛に震えている。防御を固めていたはずの使い魔の群れは今の一合で半減してしまっていた。

 

 いかに損耗していようが相手はサーヴァント。一魔術師が正面から戦うには荷の勝ちすぎる相手なのだ。

 

「マスター……もういい! いいから下がって……言うとおりにしてくださいッ……私は、もう……」

 

「セイバー、貴女を縛るのは、なに?」

 

 パラスの再三の叫びに、バルバラは静かに応える。視線は向かず、その声は穏やかなままだ。

 

「――――ッ」

 

「私には()()()()()()わよ?」

 

「マス、ター」

 

「なんてね?」

 

 冗談めかすように笑って、バルバラは一路、自ら地を蹴って敵サーヴァントへ立ち向かった。

 

一人一殺! 血に狂え!!(One bloody men! one bloody vote!!)」 

 

 バルバラは蝶の群れとして従えていた使い魔を光弾のように変えてウォレスへ射出した。

 

 弾丸と化した使い魔達は着弾と共に炸裂し、夜気に光輪の花園を造りだす。

 

 捨て身の戦法だった。己が生命線とも言うべき使い魔を使い捨てての、決死の時間稼ぎ。

 

 そう、そこまでやってもバルバラにはサーヴァントを攻略する術などない。すべてを使い捨ててもなお、得られるのは僅かの時間だけなのだ。

 

 彼女は信じている。まるでうたがいもせず、パラスが立ち上がるのだと確信して時間稼ぎと言う挙に打って出た。

 

『――どうして、そこまで?』

 

 パラスはこの行動に感銘を受けるのではなく、むしろ困惑していた。

 

 なぜ? どうして? そんな言葉ばかりが彼女の思考を埋め尽くす。 

 

「パフォーマンスだよね?」

 

 そこへ、間近からボーイソプラノの軽やかな言葉が掛かる。ウォレスのマスターである少年だ。

 

 パラスは反射的に顔を上げた。

 

「取り殺されるってハナシあるだろ? 幽霊にさ」

 

 少年は自分を見上げているパラスに唐突に語りかけた。彼自身は魔術戦に参加するつもりはないらしい。

 

「魔術師についていろいろ調べてて思ったんだよ。たとえばさ、人が幽霊に殺されるって話があるじゃない? でもさ、アレっておかしいと思うんだよ。幽霊にはそんなパワーは無いんだよ。人間の残骸みたいなもんなんだからさ。生きた人間に比べたら、儚いものなんだ」

 

 パラスは重ねて困惑し、口を閉ざした。この期に及んでこの少年は何を語ろうというのか?

 

「幽霊じゃないけど、人面疽(じんめんそ)が笑うって話があってね。アレ怖いんだよ。主人公にできた人面疽がさ『チチチチ』って小鳥みたいに笑うっていう怪談なんだ」

 

「……」

 

 奇妙だった。パラスは何事かと耳をそばだてずにはいられなかった。

 

「でも、改めて考えてみたらなにも怖くもないんだよこの話。なんで小鳥みたいに笑うんだと思う? 『チチチチ』って。――()()()()()()だよ」

 

 少年はパラスではなく、今まさに命を散らして戦うバルバラを見据えながら――否、膿んだような視線で睨み付けながら呟く。

 

「しょせん皮膚の表面に出来てるデキモノでのでしかないから、そんなふうにしか鳴けないんだ。つまり、それが人面疽の限界だったってハナシなんだよ。そう考えると、途端に怖くなくなっちゃってね。――なんでこんな話をするかって? 君のマスターのパフォーマンスの話さ」

 

「……」

 

「ビビらそうとしてるわけだろ? ああいうパフォーマンスで相手をビビらせて、それで優位に立とうとしている。でもそれって、逆に言えばさ、そうしなければ勝てないって白状しているようなものなのさ」

 

「それは……」

 

「同じだよ。キミも、キミのマスターも! 魔術師ってやつらはそんなものなんだ! 結局はパフォーマンスで煙に巻くだけの連中なんだよ!」 

 

 ――違う!

 

 少年の吐き捨てるような言葉に、パラスは顔を上げていた。

 

 反射的に、思う。それは、違うと。

 

 声には出せずとも、その答えだけは揺るぎないものだった。迷うまでもないことだった。

 

 自分自身は、確かにそうだったかもしれない。自分をアテナだと、圧倒的な強者なのだと偽りながら、振る舞っていた。

 

 それが自らの小心にかまけたパフォーマンスだと言われるのなら、否定することは出来ないだろう。

 

 自分は、このパラス・アテナの本性は確かにその程度ものかもしれない。

 

 だがマスターは違う。彼女のマスター・バルバラは……偽らない。

 

 彼女は常に、あるがままだった。融通無碍にして、天衣無縫。自由自在そのものの在り方。

 

 だからこそ、その剥き出しのあり方は眩しかった。

 

 そんな彼女に褒められることがパラスは率直に嬉しかった。

 

 だからこそ自分は、必要以上に自分を偽ったのだ。まるで無謬であるかのように。

 

 もっと彼女に褒められたくて。認められたくて。賛辞が嬉しくて。

 

 ――だが、その欺瞞が、今の状況を作ってしまった。

 

 パラスは血だまりに伏していたからだをよじらせる。

 

 血に染まった大地に手を突き、膝を突いて、無様に身体を震わせながら、それでもゆっくりと身を起こす。

 

 もたげる眼光には、再び深紅の色彩が輝き始めている。

 

「――なッ! なんでッ!?」

 

 それを見た少年は身じろぎした。――回復している!? バカな!? ありえない。だって自分は魔術師の哲理を手玉にとって、それを貶めてやったはずなのに!

 

 いまだって、言葉巧みに、魔術も使わず、このサーヴァントを縛っていたはずなのに!!

 

「ちが、う。――それだけは、違う!」

 

 少年の混乱を余所に、パラスはうわ言のように繰り返しながら反り返るようにして夜の天蓋を振り仰いだ。

 

 血に濡れて歪んでいたはずの肉体が、まるで古い樹皮を脱ぎ抜てるかのように、瑞々しく変貌しようとしている。

 

 まだ変化するのか!? このサーヴァントには未だの底知れぬ余力が存在するのか!?

 

 少年は狼狽え、距離を取るように後退する。

 

 まずい! このままではまずい!

 

「セ、セイバー! はやくその魔術師を!」

 

「、たし……の」

 

 パラス・アテナは誰に充てるでもなく繰りかえす。

 

 声は玉響(たまゆら)の響きを孕み、その音響は神威を伴って世界に伝播していく。

 

「わたしの……勝手な、自己、憐憫で。わたしが、貶められるは、必定。それは私自身の甘えが要因なのだから。……けれど!」

 

 残響は木霊し、万象は声もなくそれを喝采するかのように波打ち、夜風は遥かな虚空へと逆巻き始める。

 

 夜を見上げていた紅い視線が、終にはひるがえり少年を見据える。

 

 そこに禍々しい怒りや狂気は無く、むしろこの上なく済んだ誠実を伴っている。

 

 先ほどまでの、怒りと恐れに我を忘れ、暴走していた面影は微塵もなかった。

 

「……それで、マスターまで死なせるわけにはいかない。私がどれだけ汚されて、どれだけ貶められたとしても! 私を――アテナでない私を、そのまま見止めてくれたマスターだけは!」

 

 そして、ついには立ち上がる。

 

 深紅の凱甲はもはや霧散し、彼女は生まれ変わったかのような瑞々しい肉体を惜しげもなく夜気に晒している。

 

 怜悧なる視線が少年を射抜く。

 

 手にするは簡素な一本の剣。自分を大きく見せようとした見せかけの大剣でもなく、自らの凶暴性に翻弄され手にした凶器でもない。

 

 ただ、彼女自身が等身大の己を投影した、簡素にして、しかし見事な剣だった。

 

「――チッ!」

 

 ウォレスは舌打ちしてそれを見る。立ってくる可能性はあった。相手の息を止めるまで解らないのが戦争であり、サーヴァント同士の戦闘だ。

 

 だが早すぎる。あの女の潜在能力はどれだけ底知れないというのだろうか?

 

 とにかく、このままマスターを無防備なまま放置は出来ない。装備まで完全に取りそろえる前に――――ッ!?

 

「行かせないわ!」

 

 踵を返そうとしたウォレスの背に、機雷源のごとき火花が追いすがる。

 

「私の………言うとおりになってきたようね!」

 

 高らかに宣言するバルバラだったが、その身体は生まれたてての小鹿のように震えており、コンディションはすでに虫の息だったと言っていい。

 

 それでもなお、彼女は負傷も疲弊も忘れたかのように、高らかに、心から謳うかのように宣下する。

 

「さぁ、どうするのかしら? 半端者! 今ならばまだ、降伏を受け入れる用意もあってよ?」

 

 その時、ウォレスは実をひるがえしてバルバラの顔面を捕まえた。

 

「のぶッ!?」

 

「マスターッ」

 

「――おいセイバー。あー、つまりはオレじゃねぇセイバーだな。ああ面倒くせぇ。ちょいとオレのマスターから離れな。ここはもう一度サーヴァント同士で……って、おい! 止めろ!!」

 

 ウォレスはバルバラの細身を野良猫でも捕まえるようにして抑え込みながら、叫んだ。

 

 しかしそれはパラスにではなく、少年――つまりウォレス自身のマスターに向けてであった。

 



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15 決着

「マスター! バカな真似すんな!!」

 

 ウォレスの声にしかし、少年は答えない。ただ、ただ顔を歪ませる。

 

「ふ――――ざけるな!! 魔術師ごときの分際で! その使い魔の分際で! 訳の分からないモノの分際で!」

 

 続けてでたらめに、ありったけの呪詛の言葉を噛みつぶしながら、少年は手にしていたペーパーナイフを自分の細い手首に突き立てたのだ。

 

 顔面を握りしめられているバルバラも、剣を手に佇んでいたパラスもそれを見据える。

 

 少年の手首から血が流れ出すのと同時に、その周囲になにか、それまでは存在しなかった何かがうっすらを見え始めている。

 

 流れた血は虚空に吸い込まれるように消え失せた。同時に夜気に浮き上がる様な二匹のヘビが姿を現す。

 

 巨大な蛇だった。人間をゆうに飲みこんでしまうであろう大蛇だ。それらは紅い眼を光らせながら、舌をしゅるしゅると虚空に遊ばせつつ丸太のような胴をくねらせている。

 

「……ふ、ふふふふ……。ちょっと遅れたけど、僕も自己紹介させてもらうよ。ペンネームで悪いけど僕は水違い(バッドウォーター)……()()()()()のバッドウォーターさ」

 

 この二匹の〝ミヅチ〟こそ魔術師であった少年の父祖が残した遺産である。

 

 サーヴァントに必要量の魔力を与えることの出来ない少年に変わり、凶の魔力をセイバー。ウィリアム・ウォレスに供給していたのもこのミヅチたちである。

 

 なぜ未来を見限り、全てを捨てて死を選んだはずの先代がこんなモノを彼に遺したのかと言えば、それは簡単な話である。

 

 血の枯れた先代ではこのミヅチをコントロールすることも、ましてや処分することもできなかったのだ。

 

 今、少年が辛うじてミヅチを従えていられるのも、先祖とこのミヅチとの間に血の契約が残っていたことと、外部の魔術師に金を払い、これをコントロールするためのアウトラインを設定させたからだ。

 

 少年はその魔術師のことを思いだす。

 

 なんとも張り合いの無い男で、少年が何を言っても煽ってみても、反応を示さなかった。そしてまるで業務連絡でもするみたいに、「ロクなことにはならない」と繰り返し、ミズチを何処かへ引き取らせるべきだと提案してきた。

 

 

 ――ふざけるな! 怒りがオーバラップする。

 

 

 門外漢かのように自分を扱うな! いつか、いつか必ず――お前ら魔術師をひれ伏させてやる!!

 

 あのときの屈辱が、少年の思考を血色に染めた。少年は血を吐くような声で叫び、ミヅチを解き放つ。

 

「ヤレ! 殺せ! お前らが僕の力だ。殺せ! 魔術師を!!」

 

 ミヅチの動きは素早かった。滑るように地を這った二匹のミヅチはパラスに、そしてウォレスとバルバラに絡みつき、その身体を締め上げはじめた。

 

「なにしてる! セイバー、退くんだ!」

 

「馬鹿野郎! お前の方こそ止めろってんだ! コイツ等をどうにかできても、この蛇どもはお前を取り殺しちまうぞ! 解ってんだろうが!?」

 

 ミヅチは今も舌鼓を討つかのように虚空に青い舌をくゆらせている。少年の手首から流れた血が、直接このミヅチたちの口へと運ばれているのだ。

 

 少年は自らの血と引き換えにミヅチを一時的にコントロールしている。

 

 無論、こんな捨て身の〝魔術行使〟は長く続かない。

 

「良いんだ」

 

 少年は手首からだけでなく、目から鼻から、あらゆる孔から血を流しながら言う。文字通り命を削っているのだ。先ほどのバルバラどころではない。命を直に投げ捨てるかのような行為だ。

 

「勝てばいい。勝てばいいんだ! 勝てばもうコイツ等にだって用は無いんだ! 使い捨ててでも勝つ!!」

 

 少年は眼を血走らせ、色白の顔を蒼白に変えて、虚ろな笑みを浮かべる。

 

 もはやまともな判断力も残ってはいないのか。

 

「バカ……やろう……ッ」

 

 一方、パラスはどうするべきか。――と、ミヅチに絡みつかれたままウォレスに捕らえられているバルバラを見る。

 

 今も丸太のような巨漢の腕の中で「もがががッ」と暴れてはいる。すぐに死ぬような心配はない。むしろ捕らえれているとは言っても、今は逆にウォレスに守られているというべき状況なのだ。

 

 ウォレスがバルバラを手放せば、ミヅチは瞬く間にバルバラを殺すだろう。残っているバルバラの使い魔は少ない。自衛はままなるまい。

 

 ウォレスがバルバラを(くび)り殺さないのは、マスターである少年を案じているからか。

 

 いきなり出てきたこの蛇のような使い魔だが、どうやら十分なコントロールが出来ていないらしい。

 

 なるほど、向こうにしても味方にも敵にもなる駒と言うことだ。 

 

 ならばどうする?

 

 パラスは沈黙思考する。このまま自分に絡みついているミヅチとやらを斬り、敵マスターを討つべきか?

 

 否。それではウォレスがバルバラを護る理由がなくなる。

 

 では、敵マスターではなく、まずはミヅチを二匹とも先に斬るべきか?

 

 否。ウォレスは邪魔をしないだろうが、敵マスターの挙動が予測できない。令呪を使用されればウォレスは逆らえない。バルバラが危ない。

 

 では、先にマスターを助けるためにウォレスを討つべきか? 

 

 否。先にウォレスを取り除いてしまってはバルバラがミヅチに討たれてしまう。

 

 故に――パラスは動かなかった。彼女が選んだのは「見」。すなわち待ちに徹するという判断である。 

 

「くそ――なんで死なない!? なんでェ……ッ!」

 

 直ぐに少年が崩れ落ちた。半ば気を失ったかのように白い顔で朦朧と天を仰ぐ。

 

 この二匹のミヅチが彼に従っていたのは彼が血を提供していたからだ。無論、そんなものは長く続かない。

 

 さすがに限界だったのだろう。少年は手首を押さえつけ、血の出血を止めた。

 

 すると、目に見えてミヅチ達が標的を変えた。興味を失ったというべきか。パラスを拘束する力が緩む。予想の通り、もはや命令を聞く必要がなくなったと見なしたのだろう。

 

「くそったれ!」

 

 ウォレスが苦々しい声を上げる。パラスが冷静に状況を把握し、待ちに徹したのだということを悟ったのだ。

 

 今ここに立ち直っている女は、先ほどまでの不安定なケダモノとはまるで違っていた。

 

 それは彼らの勝率を著しく削る要因だ。それがわかるからこそ、セイバー、ウィリアム・ウォレスの行動は早かった。

 

 バルバラを地べたに投げ出し、少年の元へ向かおうとするミヅチを押さえつける。

 

 ミヅチは凄まじい力でのたうつ。その吐息は瘴気。撒き散らす粘性の飛沫は猛毒の雲を呼び寄せる。

 

 丸太どころではない胴体に充満する魔力はそこいらの魔術師では比較にもなるまい。なるほど血の枯れかけた魔術師が御せる代物ではなかった。

 

 それ故に、抑え込むので精いっぱいだった。ウォレスはパラスを見据える。案の定、パラスも自らのもとから去ろうとするミヅチを押さえつけ、しかしそれ以上の行動を取らない。

 

 彼女は待っているのだ。

 

「――クソ! マスター、聞こえてんのか、おい!」

 

 膝を突き、青い顔でうなだれていた少年が顔を上げる。

 

「……う、……う、う……」

 

 その手に在るのは、一画のみ、一度限りの発動を許された令呪だ。

 

 パラスは、挙動の読めない少年がこの最後の令呪を使用するのを待っているのだ。

 

 その上で、最善の挙動を選ぶべく、辛抱強く盤面を見据えて待ちに徹することを選んだ。

 

 まるで理性と知略の女神、アテナがそうするかのように。

 

「う――ぐ、セイバー、令呪をもって……命ず、る」

 

 少年自身にも、もはや自分に出来ることが令呪の行使だけなのだということが解ってたはずだ。

 

「セイバー、我もまた令呪を持って命ず!」

 

 時を同じくして、地に投げ捨てられていたバルバラも、ここまで温存されていた令呪を使用せんと、それを高く掲げる。

 

 決着の時は近かった。

 

 二つの令呪は同時に消費され、全てが同時に動き出した。

 

 ウォレスの身体は強制力によって突き動かされ、ミヅチを手放した。

 

 ミヅチはすぐさま地をどよもして少年に狙いを付けた。契約に従い、対価を要求するつもりなのだ。少年の血肉と命がその対価である。

 

 それをすべて承知したうえで、少年は自らのサーヴァントに、敵サーヴァントを討つことを望んだのだ。

 

「――――ッ!!」

 

 大戦士ウィリアム・ウォレスは、それを()んだ。その意思を、その意地を汲みとった。

 

 ならば惑うまい。我がマスターの願いに従い。死を覚悟して求められたる勝利を捧げん!! 

 

 大剣が唸り、巨躯の英霊は咆哮と共に、一本の剣を抱く乙女へと突貫する。

 

 対するパラスもまた、それに対して正面から迎え撃った。

 

 真正面からの迎撃だ。彼女もまたサーヴァント同士の一騎打ちを望むのか!?

 

 ――否、そうではない。彼女は剣を振りかぶりつつも、自らに絡みつくのをやめて少年へ殺到しようとしたミヅチを捕らえ、引きずりながらウォレスへ向かってくるのである。

 

「ッ!?」

 

 さしもの大戦士もこれには瞠目せざるを得ない。この女、何のつもりだ!?

 

 その間にもパラス・アテナは満身に魔力をみなぎらせ、鷲づかみにしたミヅチを、剣と共に振りかぶる。

 

 まるでミヅチを剣の、或いは盾の代わりに使用せんとするかのような勢いだ。

 

 もはや逡巡の猶予はなかった。ウォレスは自らの剣にすべてを掛け、令呪の強制力を追い風として最大の一撃を――見舞った。

 

 その刃はミヅチの身体に食い込み、さらに両断してパラス自身を狙う。

 

 ――が、その刃を再び紅い外骨格めいた装甲が止めていた。いや、それは先ほどまでの禍々しい装甲とは別物だった。

 

 基調となるは清純なる白。しかしそこには無数に紅いラインが()()()()かのように染め抜かれており、深紅の獣を想わせる牙や爪の意匠が覗いている。

 

 白だけに在らず、赤だけに在らぬ。まるで両者の性質を止揚(しよう)させ昇華させたかのごとき艶姿であった。

 

 今の一合の間に、セイバーの外装は今の彼女の精神を映し出すかのような形態へと変貌していたのだ。

 

 その鎧から突き出した四肢のごとき爪が強靭にミヅチを捕らえ、さらにはウォレスの最期の一撃を受け止めて見せたのだ。

 

 ウォレスの一撃は完全に受け止められていた。もしも彼女に反撃の意図があったなら、ウォレスの身体は両断されていたことだろう。

 

 しかし今、斬撃を終えて交叉したウォレスに新たな傷は無い。彼女は――パラスは剣を持っていなかった。

 

「テメェ……」

 

 さしものウィリアム・ウォレスも唸らずにはいられなかった。

 

 彼女がミヅチを引きずりながら振りかぶっていた剣は、今やウォレスから離れて少年を狙っていたミヅチの頭を射抜いていたのだ。

 

 彼女は今の交叉の瞬間、剣を投擲していたのである。

 

 呆然とそれを見守るのはウォレスと、そしてパラス・アテナに命を救われた少年であった。これで二匹のミヅチは同時に息絶え、全ての趨勢は決していた。

 

 少年にはそもそもウォレスに供給するだけの魔力が無い。それを補っていたミヅチが排除された以上、もはやウォレスには戦闘が不可能だ。

 

 それは今宵の、一夜限りの聖杯戦争の終結を意味していた。

 

「斬るつもりはない。マスターの元へ行くがよい」

 

 巨漢はその言葉に、盛大に溜息を吐いて見せた。納得はいかないが、受け入れざるを得ないと、全身で物語るかのような溜息だった。

 

「つっても、オレはこんなだぞ。何もできねぇ」

 

 その身体は急速に実体感を失っていく。もはや時間が残されていない証拠だ。

 

「後のことはいい。……ただ、最期に掛ける言葉もあろう」

 

「だからよぉ……なんでそう、芝居がかってんだよいちいち……ったくしかたねェ」

 

 ブツブツと言いながらウィリアムウォレスは踵を返した。「ガラじゃねぇ」と繰り返していはいたが、それを見据えるパラス・アテナはこれでいい、と思った。

 

 それが彼女自身にとって腑に落ちる結末だと思えたのだ。

 

「セイバーッ! うん? こっち……かしら!? ……あらら?」

 

「マスターッ」

 

 同時に、よたよたと闇の中を手探りしているバルバラにパラスは駆け寄る。

 

 彼女の視力は失われているのだ。彼女は本気で目を閉ざした。徹頭徹尾、本気の行動だったのだ。

 

「申し訳ありません。マスター。このような有様になってしまって」

 

 パラスが手をとって抱き寄せると、バルバラは不敵な笑みを取り戻した。

 

「なにが申し訳ないのかしら? この上なくエキサイティングな聖杯戦争だったわ。なにせ、妾たしの予想を幾重にも上回る結果になったのだからッ」

 

「マスター」

 

 バルバラはパラスに身を預け、その真新しい装束に指をはわせる。まるでその存在を確かめるように。

 

「妾たしが想定したそれ以上に、アナタは己を示して見せた。これ以上ない結果だったと思うわ」

 

「ありがとうございます」

 

「それに……どう? どう? 今のあなたにふさわしいと思って即興でやってみたのよッ」

 

 と、何やらこの期に及んでバルバラははしゃぎ始める。

 

 当然、それはこの土壇場で結晶したかのようなパラスの衣装であろう。

 

「マスター……これは令呪で?」

 

「もちろんよ! あのタイミングしかないと思ったわ。最後の最期で決められて満足よ!」

 

「……これは、最期の防御のためだったのでは?」

 

「こんなもの無くても、あなたが負けることはないもの! 天地神明にちかって、着せたかったから着せたのよ!」

 

 パラスは情けなく眉根をひそめる。こんな時くらい空気を読んでくれてもいいのではないだろうか?

 

「ふふん! そんなの御免よ。言ったでしょう? おべっかや阿諛(あゆ)なんて趣味じゃないの。()たしは妾たしのやりたいように、やるのよ!」

 

 バルバラはパラスの手を離れ、昇りつつある朝日を背に、胸を張って見せる。

 

「アナタだって、そうだったでしょ?」

 

 満面に笑みに応えるように、パラスも微笑するのではなく、無邪気に笑い返した。

 

「……ええ、そのようです。私も、したいようにするのが、私のようです。アテナではなく、私の」

 

 



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15 決着

「マスター! バカな真似すんな!!」

 

 ウォレスの声にしかし、少年は答えない。ただ、ただ顔を歪ませる。

 

「ふ――――ざけるな!! 魔術師ごときの分際で! その使い魔の分際で! 訳の分からないモノの分際で!」

 

 続けてでたらめに、ありったけの呪詛の言葉を噛みつぶしながら、少年は手にしていたペーパーナイフを自分の細い手首に突き立てたのだ。

 

 顔面を握りしめられているバルバラも、剣を手に佇んでいたパラスもそれを見据える。

 

 少年の手首から血が流れ出すのと同時に、その周囲になにか、それまでは存在しなかった何かがうっすらを見え始めている。

 

 流れた血は虚空に吸い込まれるように消え失せた。同時に夜気に浮き上がる様な二匹のヘビが姿を現す。

 

 巨大な蛇だった。人間をゆうに飲みこんでしまうであろう大蛇だ。それらは紅い眼を光らせながら、舌をしゅるしゅると虚空に遊ばせつつ丸太のような胴をくねらせている。

 

「……ふ、ふふふふ……。ちょっと遅れたけど、僕も自己紹介させてもらうよ。ペンネームで悪いけど僕は水違い(バッドウォーター)……()()()()()のバッドウォーターさ」

 

 この二匹の〝ミヅチ〟こそ魔術師であった少年の父祖が残した遺産である。

 

 サーヴァントに必要量の魔力を与えることの出来ない少年に変わり、凶の魔力をセイバー。ウィリアム・ウォレスに供給していたのもこのミヅチたちである。

 

 なぜ未来を見限り、全てを捨てて死を選んだはずの先代がこんなモノを彼に遺したのかと言えば、それは簡単な話である。

 

 血の枯れた先代ではこのミヅチをコントロールすることも、ましてや処分することもできなかったのだ。

 

 今、少年が辛うじてミヅチを従えていられるのも、先祖とこのミヅチとの間に血の契約が残っていたことと、外部の魔術師に金を払い、これをコントロールするためのアウトラインを設定させたからだ。

 

 少年はその魔術師のことを思いだす。

 

 なんとも張り合いの無い男で、少年が何を言っても煽ってみても、反応を示さなかった。そしてまるで業務連絡でもするみたいに、「ロクなことにはならない」と繰り返し、ミズチを何処かへ引き取らせるべきだと提案してきた。

 

 

 ――ふざけるな! 怒りがオーバラップする。

 

 

 門外漢かのように自分を扱うな! いつか、いつか必ず――お前ら魔術師をひれ伏させてやる!!

 

 あのときの屈辱が、少年の思考を血色に染めた。少年は血を吐くような声で叫び、ミヅチを解き放つ。

 

「ヤレ! 殺せ! お前らが僕の力だ。殺せ! 魔術師を!!」

 

 ミヅチの動きは素早かった。滑るように地を這った二匹のミヅチはパラスに、そしてウォレスとバルバラに絡みつき、その身体を締め上げはじめた。

 

「なにしてる! セイバー、退くんだ!」

 

「馬鹿野郎! お前の方こそ止めろってんだ! コイツ等をどうにかできても、この蛇どもはお前を取り殺しちまうぞ! 解ってんだろうが!?」

 

 ミヅチは今も舌鼓を討つかのように虚空に青い舌をくゆらせている。少年の手首から流れた血が、直接このミヅチたちの口へと運ばれているのだ。

 

 少年は自らの血と引き換えにミヅチを一時的にコントロールしている。

 

 無論、こんな捨て身の〝魔術行使〟は長く続かない。

 

「良いんだ」

 

 少年は手首からだけでなく、目から鼻から、あらゆる孔から血を流しながら言う。文字通り命を削っているのだ。先ほどのバルバラどころではない。命を直に投げ捨てるかのような行為だ。

 

「勝てばいい。勝てばいいんだ! 勝てばもうコイツ等にだって用は無いんだ! 使い捨ててでも勝つ!!」

 

 少年は眼を血走らせ、色白の顔を蒼白に変えて、虚ろな笑みを浮かべる。

 

 もはやまともな判断力も残ってはいないのか。

 

「バカ……やろう……ッ」

 

 一方、パラスはどうするべきか。――と、ミヅチに絡みつかれたままウォレスに捕らえられているバルバラを見る。

 

 今も丸太のような巨漢の腕の中で「もがががッ」と暴れてはいる。すぐに死ぬような心配はない。むしろ捕らえれているとは言っても、今は逆にウォレスに守られているというべき状況なのだ。

 

 ウォレスがバルバラを手放せば、ミヅチは瞬く間にバルバラを殺すだろう。残っているバルバラの使い魔は少ない。自衛はままなるまい。

 

 ウォレスがバルバラを(くび)り殺さないのは、マスターである少年を案じているからか。

 

 いきなり出てきたこの蛇のような使い魔だが、どうやら十分なコントロールが出来ていないらしい。

 

 なるほど、向こうにしても味方にも敵にもなる駒と言うことだ。 

 

 ならばどうする?

 

 パラスは沈黙思考する。このまま自分に絡みついているミヅチとやらを斬り、敵マスターを討つべきか?

 

 否。それではウォレスがバルバラを護る理由がなくなる。

 

 では、敵マスターではなく、まずはミヅチを二匹とも先に斬るべきか?

 

 否。ウォレスは邪魔をしないだろうが、敵マスターの挙動が予測できない。令呪を使用されればウォレスは逆らえない。バルバラが危ない。

 

 では、先にマスターを助けるためにウォレスを討つべきか? 

 

 否。先にウォレスを取り除いてしまってはバルバラがミヅチに討たれてしまう。

 

 故に――パラスは動かなかった。彼女が選んだのは「見」。すなわち待ちに徹するという判断である。 

 

「くそ――なんで死なない!? なんでェ……ッ!」

 

 直ぐに少年が崩れ落ちた。半ば気を失ったかのように白い顔で朦朧と天を仰ぐ。

 

 この二匹のミヅチが彼に従っていたのは彼が血を提供していたからだ。無論、そんなものは長く続かない。

 

 さすがに限界だったのだろう。少年は手首を押さえつけ、血の出血を止めた。

 

 すると、目に見えてミヅチ達が標的を変えた。興味を失ったというべきか。パラスを拘束する力が緩む。予想の通り、もはや命令を聞く必要がなくなったと見なしたのだろう。

 

「くそったれ!」

 

 ウォレスが苦々しい声を上げる。パラスが冷静に状況を把握し、待ちに徹したのだということを悟ったのだ。

 

 今ここに立ち直っている女は、先ほどまでの不安定なケダモノとはまるで違っていた。

 

 それは彼らの勝率を著しく削る要因だ。それがわかるからこそ、セイバー、ウィリアム・ウォレスの行動は早かった。

 

 バルバラを地べたに投げ出し、少年の元へ向かおうとするミヅチを押さえつける。

 

 ミヅチは凄まじい力でのたうつ。その吐息は瘴気。撒き散らす粘性の飛沫は猛毒の雲を呼び寄せる。

 

 丸太どころではない胴体に充満する魔力はそこいらの魔術師では比較にもなるまい。なるほど血の枯れかけた魔術師が御せる代物ではなかった。

 

 それ故に、抑え込むので精いっぱいだった。ウォレスはパラスを見据える。案の定、パラスも自らのもとから去ろうとするミヅチを押さえつけ、しかしそれ以上の行動を取らない。

 

 彼女は待っているのだ。

 

「――クソ! マスター、聞こえてんのか、おい!」

 

 膝を突き、青い顔でうなだれていた少年が顔を上げる。

 

「……う、……う、う……」

 

 その手に在るのは、一画のみ、一度限りの発動を許された令呪だ。

 

 パラスは、挙動の読めない少年がこの最後の令呪を使用するのを待っているのだ。

 

 その上で、最善の挙動を選ぶべく、辛抱強く盤面を見据えて待ちに徹することを選んだ。

 

 まるで理性と知略の女神、アテナがそうするかのように。

 

「う――ぐ、セイバー、令呪をもって……命ず、る」

 

 少年自身にも、もはや自分に出来ることが令呪の行使だけなのだということが解ってたはずだ。

 

「セイバー、我もまた令呪を持って命ず!」

 

 時を同じくして、地に投げ捨てられていたバルバラも、ここまで温存されていた令呪を使用せんと、それを高く掲げる。

 

 決着の時は近かった。

 

 二つの令呪は同時に消費され、全てが同時に動き出した。

 

 ウォレスの身体は強制力によって突き動かされ、ミヅチを手放した。

 

 ミヅチはすぐさま地をどよもして少年に狙いを付けた。契約に従い、対価を要求するつもりなのだ。少年の血肉と命がその対価である。

 

 それをすべて承知したうえで、少年は自らのサーヴァントに、敵サーヴァントを討つことを望んだのだ。

 

「――――ッ!!」

 

 大戦士ウィリアム・ウォレスは、それを()んだ。その意思を、その意地を汲みとった。

 

 ならば惑うまい。我がマスターの願いに従い。死を覚悟して求められたる勝利を捧げん!! 

 

 大剣が唸り、巨躯の英霊は咆哮と共に、一本の剣を抱く乙女へと突貫する。

 

 対するパラスもまた、それに対して正面から迎え撃った。

 

 真正面からの迎撃だ。彼女もまたサーヴァント同士の一騎打ちを望むのか!?

 

 ――否、そうではない。彼女は剣を振りかぶりつつも、自らに絡みつくのをやめて少年へ殺到しようとしたミヅチを捕らえ、引きずりながらウォレスへ向かってくるのである。

 

「ッ!?」

 

 さしもの大戦士もこれには瞠目せざるを得ない。この女、何のつもりだ!?

 

 その間にもパラス・アテナは満身に魔力をみなぎらせ、鷲づかみにしたミヅチを、剣と共に振りかぶる。

 

 まるでミヅチを剣の、或いは盾の代わりに使用せんとするかのような勢いだ。

 

 もはや逡巡の猶予はなかった。ウォレスは自らの剣にすべてを掛け、令呪の強制力を追い風として最大の一撃を――見舞った。

 

 その刃はミヅチの身体に食い込み、さらに両断してパラス自身を狙う。

 

 ――が、その刃を再び紅い外骨格めいた装甲が止めていた。いや、それは先ほどまでの禍々しい装甲とは別物だった。

 

 基調となるは清純なる白。しかしそこには無数に紅いラインが()()()()かのように染め抜かれており、深紅の獣を想わせる牙や爪の意匠が覗いている。

 

 白だけに在らず、赤だけに在らぬ。まるで両者の性質を止揚(しよう)させ昇華させたかのごとき艶姿であった。

 

 今の一合の間に、セイバーの外装は今の彼女の精神を映し出すかのような形態へと変貌していたのだ。

 

 その鎧から突き出した四肢のごとき爪が強靭にミヅチを捕らえ、さらにはウォレスの最期の一撃を受け止めて見せたのだ。

 

 ウォレスの一撃は完全に受け止められていた。もしも彼女に反撃の意図があったなら、ウォレスの身体は両断されていたことだろう。

 

 しかし今、斬撃を終えて交叉したウォレスに新たな傷は無い。彼女は――パラスは剣を持っていなかった。

 

「テメェ……」

 

 さしものウィリアム・ウォレスも唸らずにはいられなかった。

 

 彼女がミヅチを引きずりながら振りかぶっていた剣は、今やウォレスから離れて少年を狙っていたミヅチの頭を射抜いていたのだ。

 

 彼女は今の交叉の瞬間、剣を投擲していたのである。

 

 呆然とそれを見守るのはウォレスと、そしてパラス・アテナに命を救われた少年であった。これで二匹のミヅチは同時に息絶え、全ての趨勢は決していた。

 

 少年にはそもそもウォレスに供給するだけの魔力が無い。それを補っていたミヅチが排除された以上、もはやウォレスには戦闘が不可能だ。

 

 それは今宵の、一夜限りの聖杯戦争の終結を意味していた。

 

「斬るつもりはない。マスターの元へ行くがよい」

 

 巨漢はその言葉に、盛大に溜息を吐いて見せた。納得はいかないが、受け入れざるを得ないと、全身で物語るかのような溜息だった。

 

「つっても、オレはこんなだぞ。何もできねぇ」

 

 その身体は急速に実体感を失っていく。もはや時間が残されていない証拠だ。

 

「後のことはいい。……ただ、最期に掛ける言葉もあろう」

 

「だからよぉ……なんでそう、芝居がかってんだよいちいち……ったくしかたねェ」

 

 ブツブツと言いながらウィリアムウォレスは踵を返した。「ガラじゃねぇ」と繰り返していはいたが、それを見据えるパラス・アテナはこれでいい、と思った。

 

 それが彼女自身にとって腑に落ちる結末だと思えたのだ。

 

「セイバーッ! うん? こっち……かしら!? ……あらら?」

 

「マスターッ」

 

 同時に、よたよたと闇の中を手探りしているバルバラにパラスは駆け寄る。

 

 彼女の視力は失われているのだ。彼女は本気で目を閉ざした。徹頭徹尾、本気の行動だったのだ。

 

「申し訳ありません。マスター。このような有様になってしまって」

 

 パラスが手をとって抱き寄せると、バルバラは不敵な笑みを取り戻した。

 

「なにが申し訳ないのかしら? この上なくエキサイティングな聖杯戦争だったわ。なにせ、妾たしの予想を幾重にも上回る結果になったのだからッ」

 

「マスター」

 

 バルバラはパラスに身を預け、その真新しい装束に指をはわせる。まるでその存在を確かめるように。

 

「妾たしが想定したそれ以上に、アナタは己を示して見せた。これ以上ない結果だったと思うわ」

 

「ありがとうございます」

 

「それに……どう? どう? 今のあなたにふさわしいと思って即興でやってみたのよッ」

 

 と、何やらこの期に及んでバルバラははしゃぎ始める。

 

 当然、それはこの土壇場で結晶したかのようなパラスの衣装であろう。

 

「マスター……これは令呪で?」

 

「もちろんよ! あのタイミングしかないと思ったわ。最後の最期で決められて満足よ!」

 

「……これは、最期の防御のためだったのでは?」

 

「こんなもの無くても、あなたが負けることはないもの! 天地神明にちかって、着せたかったから着せたのよ!」

 

 パラスは情けなく眉根をひそめる。こんな時くらい空気を読んでくれてもいいのではないだろうか?

 

「ふふん! そんなの御免よ。言ったでしょう? おべっかや阿諛(あゆ)なんて趣味じゃないの。()たしは妾たしのやりたいように、やるのよ!」

 

 バルバラはパラスの手を離れ、昇りつつある朝日を背に、胸を張って見せる。

 

「アナタだって、そうだったでしょ?」

 

 満面に笑みに応えるように、パラスも微笑するのではなく、無邪気に笑い返した。

 

「……ええ、そのようです。私も、したいようにするのが、私のようです。アテナではなく、私の」

 

 



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エピローグ&後書き・一言キャラ解説

 

 

 翌々日。バルバラは最寄りの空港に降り立った。儀式を終えた以上、もはやこの国に留まる理由はなかった。

 

 その手を引く少年もそうだったが、その五体は満身創痍と言っていい有り様だ。

 

 それでもなお、サングラス越しの不敵な表情と立ち振る舞いにはいささかの衰えも見えない。

 

「そっちじゃないよ」

 

「もぶッ!?」

 

 依然として視力は失われたままだ。残った使い魔は彼女の装束をかろうじて形成するのが限界であり、彼女の視力を肩代わりする余力がないのだ。

 

御剣聖架(みつるぎせいか)

 

 聞き分けのない大型犬に振り回されているかのように感じながら、少年はため息交じりに言った。まもなくフライトの時間である。

 

「なに?」

 

「僕の名前だよ。赤の他人が付けたものだけどさ。御剣聖架、それが僕の名前だ。ちゃんと名乗ってなかったからね」

 

 彼の両親は彼に名前さえ与えなかった。この名をつけたのは養い親だ。

 

「我が名はバルバラ! 衝撃の」

 

「それはもう聞いたよ。あと、そっちに行くとぶつかる」

 

 むぅ……。とサングラスを掛けたバルバラは不本意そうに誘導される。

 

 こうして手を取って誘導しないと、彼女は眼が見えないのも構わずズカズカと行動するため、あちこちにぶつかり生傷が増えるのである。

 

 魔術師の世話などしたくもなかったが、さすがに見ていて忍びなかった。

 

 ここまで手を引いてきたのは、そんな理由からだ。

 

「……本気で目を潰すなんてね」

 

「当然よ。本気でやらなければ何も通じないわ。人にも、そして道にもね」

 

「……」

 

「まぁ、アナタもこれで満足したでしょう? 魔術師なんてものと関わるのは金輪際おやめなさいな」

 

「いやだよ」

 

「はぇ?」

 

 去り際の挨拶とばかりの言葉に否を唱えられ、バルバラは間の抜けた声を上げる。

 

「世の魔術師だって、最初はただの人間だったんだろ? なら、僕から始められない訳はないはずだ。ここから何代かかってもかまわない。僕は魔術師になって見せる!」

 

「はぁ……アナタね? それでは本末転倒……と言っても無駄なのかしらね?」

 

 魔術も魔術師と言う在り方も、それは手段に過ぎない。手段に拘泥する時点でそもそも資格などないのだが……

 

 しかし、バルバラにはこれを強弁にて切って落とす気になれなかった。

 

 その不屈さは、魔術師に必用な素養であるかのように、彼女には思えたのだ。

 

 まったくの勘だが、この子供は、このまま進ませるのがいいのかもしれない。

 

「まぁいいわ。好きになさいな。勝ち目のない賭けだけど、そうするのは、なんというかとてもアナタらしいわね」

 

「そろそろ時間だ。余計な手間を掛けるからギリギリじゃないか」

 

 少年は礼を言わなかった。

 

「では、何かあったら連絡をよこしなさいな。殺し合ったよしみで話しぐらいは聞いてあげるわ。全部無駄なんでしょうけど」

 

「いらないよ魔術師。僕は、僕のやり方でやるんだ」

 

「そう」

 

 するとバルバラは僅かに微笑み、それきり少年の声に振り返ることもせず、姿を消した。なんとも彼女らしい、堂々たる足取りで。

 

 ――そのせいで時々あちこちにぶつかっていたが、まぁ大きなお世話だろう。

 

「やるんだ」

 

 そして少年は誰に向けるでもなく呟き、踵を返した。

 

「――やってやるんだッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

総括

 

 

というわけで第三夜終わりとなります。

 

とりあえず、三騎のサバが全部セイバーというのを活かせてはいなかった印象。

 

別にセイバーじゃなくてもよかった気がする……。むしろわかりにくかったらすんません。

 

第四夜のアイデアもあるのだけど……その前にやることがあるよねという感じ。

 

とにかく毎日コンスタントに書き続けるにはどうするかを考えたいです。

 

 

 

 

 

 

以下 サーヴァントとマスターについて一言コメント。

 

 

 

・セイバー、ウィリアム・ウォレス。

 

 ハイランダーの大戦士。いろいろと迷走した気がする。

 

 しかも宝具の名前とか考えてねぇ! うーむ何という体たらく……でも長くなるからステとかは割愛します。サーセン。

 

 ……サバのステ欲しい人います? そん時は言ってくだせえ。

 

 出発点は『バニラなサーヴァントを考えられないか』と言うアイデア。

 

 バニラというのはカードゲームなんかの用語で、要するに基本能力だけで後は何の特殊能力もない「トッピング無し」のユニットを指す言葉である。

 

 そういうサーヴァントをデザインできないかということでやってみたのですが、まー引き出しが無いもんで扱いづらかった印象!

 

 斬撃の固定とかはかなり適当に付けた。結構好きだけどやはり地味。伯も地味だから全体的に地味になっちゃったなぁって感じ。

 

 パラスだけ競技が違う印象。二人ともバケモノ相手によく頑張ったと思う。

 

 

 

 

・ウォレスのマスター。

 

 本名は御剣聖架(みつるぎ せいか)

 

 これは彼を保護した施設(一般の)でつけられた名前である。

 

 オンラインサロンで熱烈な支持を受ける芸術家。アクセサリークリエイター、造形師。 

 

 11歳にして工芸クリエイターとして活躍している。(つまりこの年ですでに経済的に自立しおり、生家の屋敷も買い戻した)

 

 ハンドルネームはミズチガイ@バッドウォーター。水違い⇒ミヅチ飼い(みずちがい)

 

 非魔術師が単独でどこまでマスターとしてやっていけるかという観点からデザインされたマスター。

 

 ……紆余曲折はあったけど(汗

 

 「認知の力」や「概念の戦闘」という観点からただの一般人でありながらサーヴァントを追い詰めていく。

 

 ――というのは結構面白かった気がする。個人的にだけど(汗

 

 本稿にある通り、衰退を避けられぬとして血統を断った魔術師に残された遺児。

 

 その生まれの鬱屈から魔術師を超えることを目指す。少年と書きながら実は11歳の子供、というのはミスリードを狙ったつもりだったのだけれどあんまり意味なかったかな?

 

 まぁいいんだ。どんどんやればいい。ボーイソプラノの声とか書けたから満足。ボーイソプラノって響きがなんか好き。

 

 多分すごく顔は可愛いんだと思う。普通に天才だし魔術になんて関わらなければいいんだろうけど、そうはいかないのが人間というもの。

 

 

 

 

 

 

・セイバー、パラス・アテナ

 

 実質的な主役……なのだけれど、途中この子が何をしたいのかが解らず迷走しました。やっぱキャラを立てようとするよりストーリー優先の方が迷わない気がするなぁ?

 

 デザイン的なイメージはなんとなく「獣神ライガー」のような気がする。つまり赤と白の最終形態がサンダーライガー。

 

 もっと髪がオレンジイエローのロングでおでこキャラだとか強調すべきだったかもしれない。

 

 後の祭りですけどぉ。

 

 ちなみに体格はバルバラよりも華奢で小柄。しかしパワーファイター。その戦闘力は一軍に匹敵する。

 

 サーヴァントとしての出発点はスペードのクィーン。これをサバにできないかといろいろ調べたり考えたりしてこんな感じに。

 

 宝具のルールはこじつけも甚だしいけど、逆利用されて攻略されるとかの展開はよかったと思います。

 

 ――アイギス以外には絶対に防がれない。ただし、アイギスとは単一の宝具であるとは限らない――

 

 多分、まっとうな魔術師ならアイギスの複製くらい用意できると思うので普通の聖杯戦争でも攻略されやすい宝具かもしれない。

 

 

 

 

 

・マスター、バルバラ・ネス・ストローク

 

 ネス湖付近に居を構える魔術師の一族。

 

 なんとなくネス湖の魔術師と言うだけのイメージだったのだけれど、ロンドンとかに近いなら有力な魔術師なのかと思ったらネス湖がロンドンから結構遠いような気がしたので、勝手にネス湖の魔術師=田舎者と言う感じにしてしまった。ここではそうなんだと思っておいてくだせぇ。

 

 全身ニプレス! とか三枚あれば! とかのアホの子的言動とか個人的には楽しかったです。

 

 こんなんでもすごい美人なイメージ。髪色とかの解りやすいイメージをもっと書いときゃよかったなぁと今になって思います。

 

 詠唱は英語圏の「侮蔑の言葉」を元にしてます。要するに母国語の汚らしい言葉をあえて魔術の発動キーにしてるって感じ。

 

 だからなんだって感じだけど個人的には面白いと思って書いてた。

 

 

 

 

 

・セイバー、ケーニヒスマルク伯

 

 地味。武器も地味だし能力も地味! 戦法も堅実だけど地味!

 

 でも結構好きかもしれない。

 

 出発点は武器。コリシュマルドは画像で見るとかなりヘンテコな形状をしています。

 

 これを見て宝具としていけると思った――んだけどちょっとシンプルすぎた……。

 

 マスターからは「伯」とだけ呼ばれる。

 

 マスターのリーグルともども、裏表のないキャラだったので書いてて筆が乗ったのだけど、それ以上でもそれ以下でもないので奥行きが足らない感じ。

 

 宝具効果は「防御貫通」。要するにガードの上からでもダメージを与える「ケズリ」効果のようなもの。

 

 地味だけどわかりやすくて結構好きな能力。でもウォレスともども地味すぎたかもしれない。

 

 もっとトリッキーなサバも用意すべきだったのだろうか?

 

 

 

 

・マスター、アルジェント・リーグル

 

 いかつい顔の鎖使い。奴隷商人。外道。結構好き。すごくわかりやすい悪役だけど、なんかうまくかけた気がする。

 

 アルジェントはフランス語で「銀」。リーグルは北欧神話の奴隷を作ったと言われる神様の名前。物騒だ。

 

 生まれはフランスで詠唱はドイツ語、魔術は北欧由来。まぁ、日本生まれで詠唱がドイツ語のヒトとかもいるし、昨今出身とか文化とかにこだわる必要はないのではないだろうか?

 

 行動原理も解りやすく、良くも悪くも裏表がない。書いてて楽だった。

 

 バルバラに比べると魔術師としての力量で劣るイメージ。根源も目指さずに奴隷商人とかやってるのでサンシタもサンシタなのだろう。

 

 

 

 

 



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