戦姫絶唱シンフォギアUF (あたまくら)
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プロローグ

 


 バチ、ジ、ジジ………

 

 

 不規則な機械の駆動音、その間隙を埋めるようにして、照射されたレーザーが火花を散らす。弾けた光が暗闇を漂い、未来都市めいた巨大な機器の群れを照らし出した。

 その傍らでは、虚空に表示されたモニターが薄っすらとした輝きを放ちながら、画面に膨大な文字群を吐き出している。不可解な言語で綴られるそれは、星一つを解析するに足る程の複雑な数式だ。

 その右上には、絶えず変化し続ける値を忠実に出力する棒グラフが表示されたモニター、更にその横には、同様の変化を続ける折れ線グラフを表示するモニターが、それぞれ宙に浮いている。

 画面の前には、リアルタイムで更新され続けるそれらの情報に目を通す、青い巨人が佇んでいた。

 右の手首を、鞘に納められた剣のような意匠の腕輪で、両の耳と思しき器官を、小さな球状の勲章で、それぞれ飾った彼の名は、ウルトラマンヒカリ。M78星雲、光の国における最高の科学者にして、優れた戦士だ。

 

 腕組みをした彼は、自動操作される機器群を、手を出すことなく見守っている。

 

 「…………っ」

 

 突如、それらの作動音を掻き消すほどの大音声でアラームが響き渡った。

 同時に、弾かれるようにして手を動かしたヒカリが、ホログラミングされたキーボードを呼び出す。尋常ではない速度でキーを打鍵する彼の指が、途切れることの無い電子音を響かせた。

 設置された機器は、入力された情報に従い、これまでとは異なる波形、色合いのレーザーを照射する。

 直後、一際激しく火花が弾け、役目を終えた機械達が機能を停止した。

 

 「……こんなものか」

 

 言って、彼は新たに呼び出した別のキーボードを、一度だけ叩いた。

 遅れて、真夜中のような暗闇に包まれていた部屋が、ゆっくりと光を取り戻していく。本来の明るさに戻った部屋の中で、ヒカリは数日間の作業の成果を見つめていた。

 彼の視線の先、沈黙した無数の機器の中央に鎮座する物体は、ブレスレット、と呼称する他ない形状をしていた。

 直径は地球人の身の丈ほど、閉じられた翼のようにも、纏われたマントのようにも見える装飾の中心には、青いランプが点灯している。

 無機質な機械に囲まれているのにも関わらず、あるいはだからこそ、それは息を呑むほどの神々しさと美しさを放っていた。

 普通の感性の持ち主であれば、思わず落涙して頭を垂れただろうその荘厳さに、しかしヒカリはなんの感慨も抱かず、無造作に手に取る。そして何度か向きを変えながら、隅々まで確認した。

 既に機器によるスキャンと分析は終えているが、ものがものである故、念の為ということだろう。

 ふぅ、と異常が無かったことに安堵の息をつき、ヒカリは張っていた気を緩めた。ブレスレットを台の上に置き直し、どっかりと、積まれた何かの山に腰掛ける。

 強靭な肉体を持つウルトラマンだが、極限まで集中した状態で夜を徹すれば、流石に疲れも溜まるらしい。

 ただ、凝ってもいない、というより身体の構造上凝る、ということがありえないはずの肩に手を伸ばし、解すように揉むのは、かつて地球人と融合していた頃の名残に過ぎないが。

 久方ぶりの休息にしばらくくつろいでいた彼だが、壁越しに響いた物音と、小さな吐息の音に、再び立ち上がった。

 

 ちなみに、幾ら疲れているとしても、このような休み方をするウルトラマンはほとんどいない。意味がないからだ。

 プラズマスパークの光を常に浴び続けている彼らは、立ち上がっていようが体力の回復を行える。睡眠を取る必要も無ければ、何かに体重を支えて貰う必要もない。

 それでもこうやって休息を取るウルトラマンは、地球で生活した経験がある者に限られる。一種のプラシーボ効果なのだろう。あるいは、数千年を経たとしても色褪せることの無い記憶が、自然とかつての行動を呼び起こさせるのかもしれない。

 

 居住まいを正したヒカリが、下―――足元に視線を向けた。薄緑色の水晶のような物体で構成された壁、それをすり抜けて現れたのは、桃色の寝間着に身を包んだ、人間の少女だった。

 この星にはあり得ぬはずの存在を目にしながら、しかしヒカリは何の動揺も見せることなく、彼女の名を呼んだ。

 

 「おはよう、セレナ。よく眠れたか?」

 

 悠然と染み渡るようなその声に、寝ぼけまなこを擦りながら少女が応える。

 

 「……はい、ぐっすり。ヒカリさんはちゃんと休みを取って―――」

 

 唐突に、少女の言葉が途切れる。漸く定まった視界に映し出される光景に、彼女は目を見開き―――

 

 「ちょっと、なんですかこの部屋!!」

 

 ―――巨人すら怯ませるほど怒気と共に、そう叫んだ。

 

 彼の部屋の有様は、確かに酷いものだ。散乱する資料となった物質や、予備と取り替えた機械のパーツ、使用済みの機器。先程までヒカリが座っていたのは、申し訳程度に一箇所に纏めた、ガラクタの山だった。

 

 「私昨日も一昨日も片付けしてくださいって言いましたよね? こないだ新調した機材が押し潰されて粉々になったのもう忘れたんですか!」

 「す、すまない……」

 

 申し開きのしようもない、といった風にヒカリが謝罪の言葉を口にする。

 幾ら作業に勤しんでいたとはいえ、廃棄物を適当に放り捨てることを繰り返してしまったのはいただけない。処理用の機械は部屋の隅にきちんと設置されているのだから、その手間すらも惜しんだ彼に非がある。

 決して片付けができない訳では無いのだが、一度没頭するとそれ以外のことが疎かになってしまうのは、研究者としての性なのだろう。

 

 「……はあ。とりあえず、今すぐ片付けてくださいね」

 「ああ、分かった……」

 

 少女のため息に急かされるように、ヒカリが床に散らばるガラクタを回収し始めた。神秘の具現のような巨人が、己より遥かに小さい女の子の言うことを、素直に聞いて掃除を始めるという状況はかなり特異だが、一番戸惑いを覚えているのは彼女本人だ。

 

 セレナ・カデンツァヴナ・イヴ。

 それがウルトラマンと呼ばれる巨人の住む星、光の国で暮らすたった一人の地球人の名だ。

 四年前、図らずも同時に行われた二つの実験、その偶然の産物として、彼女はこの星に転移した。満身創痍だったセレナが、地球の120倍の重力で赤いシミになるのを阻止したのは、その実験の責任者であったヒカリだった。

 転移に至った経緯から、早期の帰還は困難であると判断された彼女は、目処が立つまではヒカリの助手という形で光の国に滞在することになった。

 セレナの存在は機密の一つになっており、知っている者は180億の人口を誇る光の国の中でも極僅かだ。

 そして、その中の一人が―――

 

 「ヒカリ、居るか? 入るぞ」

 

 そんな断りの言葉と共に彼の私室へと足を踏み入れた者の名は、ウルトラマンゼロ。

 宇宙警備隊の中でも最高位の戦士達〘ウルトラ兄弟〙の一人であるウルトラセブンの息子、大罪人ベリアルを二度下し、その野望を阻止した輝きの勇者。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、若き英雄だ。

 彼はまず、腕組みしたセレナといそいそと掃除に励むヒカリを見比べた後、部屋の惨状に目を向け、大体の状況を把握した。

 

 「……またやらかしたか。どうせ同じことになるって分かってるなら、自動掃除機でも作ったらどうだ?」

 

 地球にもあっただろ、そんなの、と続けたゼロに、晴天の霹靂とばかりにヒカリが声を上げた。弾みで放り出された、機械の部品と思しきものが壁に叩きつけられ、軋むような嫌な音を立てて地面に落下する。

 間髪入れずに飛ぶセレナの叱責、それに色を失うヒカリの姿に、ゼロがため息をついた。

 

 「はあ、とりあえず手伝うぞ。このままじゃまともに話も出来やしねぇ」

 

 言って、彼は足元に転がっていたガラクタを拾い上げる。未だになれない光景に内心で気まずさを感じているセレナに詳細を聞きながら、廃棄するものとそうでないものを振り分けつつ処理を始めると、数分で部屋は片付いた。

 

 「自動掃除機、その手があったか。ちょうどイージスのデータも取ったし、分子破壊機能も搭載できる。検討してみるか」

 「っておい、何作ろうとしてんだよ……」

 

 漸く手の空いたヒカリが、真剣に自動掃除機の設計を考え始めた。時折挟まれる物騒な単語にゼロが制止をかける中、セレナが疑問を口にした。

 

 「あの……、ゼロさんは用事があったんじゃないんですか? ほら、ウルティメイトイージスの改造は終わったみたいですし」

 「ああ、そうだった。あの件、上の方でも正式に指令が出たし、そっちの準備が万端ならいつでも行けるぜ」

 

 彼女の問いにゼロは相槌を打ち、視線を向け直す。彼の意図するところを読み取ったヒカリが、間を空けずに答えた。

 

 「こちらも問題は無い。呼び出す手間が省けた。〘スキュー・スペース〙への転移は今すぐ実行できる」

 

 

 〘スキュー・スペース〙

 

 それは、セレナが元いた宇宙も含めた、方向性の違う宇宙の総称だ。成り立ち、存在するエネルギー、法則、そういった物が根本的に異なる宇宙、という定義で、マルチユニバースとは完全に区別されている。

 実在が確認されたのは、四年前。ウルトラマンの感覚からすれば、つい最近のことだ。

 

 無数に存在する並行宇宙は、しかし隙間なく並んでいるわけではない。そしてその隙間は完全なる虚無ではなく、それらを縫うようにしてまた別の宇宙が存在している。

 そんなヒカリの理論を下敷きにして行われた実験が起こしたのは、紛れもない奇跡だった。

 

 万分の一の可能性を掴み取り、成功した実験。成果として空いた砂粒程の小さな穴は、彼らの宇宙とスキュー・スペースの一つを繋げた。

 それだけでは無い。その穴はあろうことか、地球の、唯一それを広げ得る存在の直ぐ側に、出現したのだ。

 

 その存在こそがセレナだ。

 先史文明期の遺産。『聖遺物』と呼ばれる、光の国の科学力に匹敵し得るオーバーテクノロジーの産物。その欠片の、絞りかすに過ぎぬはずのエネルギーを増幅し、兵器としての運用を可能にした、FG型回天特機装束『シンフォギア』。

 彼女はそのうちの一つである『アガートラーム』の適合者だ。それが宿す能力は、ベクトルの操作。

 凄まじい汎用性を誇るその能力は、物理法則を超越した事象を起こすことを可能にする。

 力の流れを反転させることで、本来不可逆であるはずの変化を止め、元の状態に戻すことも。あるいは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ある聖遺物の起動実験、暴走による研究所の壊滅という悲惨な結果で終わったそれの後始末を押し付けられたセレナは、許容量を超えた力を行使し、その反動で致命傷を負った。

 姉の目の前で、穴という穴から血を垂れ流し、意識を途切れさせた彼女に、倒壊した建物の瓦礫が落ち―――

 ―――それに押し潰される寸前、拡張された時空の穴が、彼女を取り込んだ。

 

 これがセレナがこの宇宙に辿り着いた経緯だ。

 その後、ウルトラクリニックでの治療で全快した彼女による情報提供で、彼女の地球には、ノイズと呼称される触れた人間を炭化させる兵器が存在し、災害の一種として人々を脅かしているということが明らかになる。

 宇宙警備隊上層部は幾度かの協議の末、非積極的介入を行うことを決定した。

 ウルトラマンとしてではなく、地球人として現地の対抗組織に加入し、ノイズの発生原因や、聖遺物そのものの由来を調査する、というものだ。

 その任務を命ぜられたのは、ウルティメイトイージスにより、光の国最高峰の時空間移動能力を誇るゼロだった。

 それから、四年。長い研究の果てに、漸く安定した接続が可能になり、座標の設定までもが行えるようになった。そして、()()()()()()()を可能にするための、最後のピース―――イージスの改造も終わった。

 

 

 「解った、じゃあ行くか」

 

 故に、彼は躊躇うことなく、遠い、遠い宇宙へと旅立つことができる。鎮座するイージスが、それに向けて伸ばされた彼の左手に、まるであるべき場所に帰るかのように、自動的に装着された。

 

 「そんな顔すんなって、ちゃんと帰ってくるさ」

 

 不安げな表情を見せるセレナに、ゼロはぶっきらぼうに、しかし穏やかに声を掛け、励ます。その行動の端々からにじみ出る慈愛と風格に、ヒカリはふっと笑った。

 

 (成長………、したな)

 

 あの初陣、ベリアルとの死闘から数千年、数多の出会いと別れを繰り返し、人の想いに触れ続けた彼は、ウルトラマンとして完成した。

 少し、昔の自分というものを美化している節があるが、些細なことだ。むしろ、その方が良い。傷一つ無い玉など、この世には存在しないのだから。

 

 「装置を起動する。擬態能力はイージスに組み込んでおいたから、自分でやってくれ」

 

 かつての粗暴さへの憧れは、人だった頃の名残を失いつつあるゼロを、それでもと繋ぎ止めようとする、彼自身の無意識の防衛本能なのかもしれない。

 

 ヒカリに促され、ブレスレットに手を翳した彼の身体が、眩い光を放つ。数瞬の後、そこに立っていたのは、元の数十分の一程に縮み、その容姿を人間のものに変えたゼロだった。

 純銀そのもののように輝く、艷やかな長めの髪。黄金と翠玉を、それぞれ嵌め込んだかのような、神秘的な煌めきを放つ瞳。高く澄み切った鼻梁に、薄紅に色付いた柔らかな唇。

 好色な神々が、己の理想と欲望の全てを叶えるために作り上げたのではないかとさえ思える程の、背筋を粟立たせるような美貌が、そこにはあった。

 

 ぽかん、と、間抜けに口を開いて見惚れるセレナの様子と、感じた既視感から、今の己の有様を理解したゼロが、表情を僅かに歪める。

 

 「…………またこれかよ」

 

 呆れと諦めの入り混じった呟きが、吐き捨てるようにして放たれた。そんな彼の様子に、ヒカリは苦笑しながらも弁解する。

 

 「恨むのなら技術局の奴らを恨んでくれ。まあ、言ったところで聞く耳を持たないだろうが」

 

 人間態のデザインを依頼した場所に勤務する同族達の、造形美の追究への異常な情熱と執着を思い出したのか、ゼロは深く溜め息をついた。

 

 「帰ってきたら、今度はもう少しまともな者に打診してくれ。一刻を争う、という訳では無いが、早いに越したことはないからな」

 「ああ、解ってる。何時でも始めてくれ」

 

 ゼロの言葉に頷き、ヒカリは呼び出したキーボードを数回、打鍵した。立ち並ぶ機械の可動部が唸りを上げ、異なる二つの時空を穿ち、繋げるためのプロセスを実行する。

 辺りの空気の変化と高まる緊張感に、機器群の中央に立つゼロを見守っているセレナが、息を呑んだ。エネルギーの収束を、表示される数値と直感の両方で感じ取ったヒカリが、声を発した。

 

 「以前説明した、FG式天回特機装束―――通称『シンフォギア』を元にした改良も済んでいる。精神を集中すれば、聖唱……、起動のための歌が胸に浮かぶはずだ」

 

 それに応え、ゼロはイージスに手を当てたまま、ゆっくりと瞼を下ろした。一瞬、その場に満ちる全ての音が消え去り、静寂が場を支配する。

 凍りついた時を、再び動き出させるかのようにして、彼から発されたその音が、響き渡った。

 

 ―――Resynave barrage zero tron(希望を光に、明日へ進む)……

 

 力強く、けれど優しさを孕んだ不思議な美声が、一音一音を噛み締めるようにその調べを紡ぐ。呼応したイージスが青色の光粒を生み出し、ゼロの身体を優しく包み込んだ。

 光の粒は寄り集まり、武装としての形を成す。胴を、腕を、脚を、銀の鎧が覆い、右手に剣が現れる。最後に刃が二本、虚空から出現し、生成された耳当てに収まった。

 彼の装着が完了するのと同時、遂に時空の穴が穿たれる。目の前に空いた小さな穴に、ゼロは右手の剣を突き入れた。  

 直後、鎧の秘める(ノア)の力が行使され、掌に収まる程度の大きさだったその穴が、直径およそ2メートル程にまで拡大した。

 

 「じゃ、行ってくる」

 

 躊躇わず、何でもないかのように、ゼロはその先へと突き進んだ。

 

 遅れて、シュン、と音を立てて、役目を終えた穴がゆっくりと閉じる。

 

 「…………異常、無し。成功だ」

 

 計器の表示する情報に目を走らせたヒカリが、感慨深げに呟いた。不安に苛まれていたセレナが胸をなで下ろし、漸く肩の力を抜く。

 目の前の空白を見据え、彼女は旅立った彼の無事を祈り、かつて掛け替えのない家族と歌ったその曲を、口ずさんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「無事到着、と。ひとまず安心だな」

 

 太陽系三番惑星、地球の日本、その上空二百メートルほどのところに、突如人影が出現した。

 煌めく銀の髪に、黄金の右眼と翠玉の左眼。あまりにも端麗に過ぎる容姿の青年は、ウルトラマンゼロの人間態にほかならない。

 

 彼は問題なく転移が完了したことに安堵の息をついていた。

 そんなことで何を大げさな、と思うかもしれないが、転移の際に生じる誤差はヒカリ曰く千キロ単位。

 宇宙空間に放り出されたり、高温のマントルに叩き込まれる可能性もあったので、当然といえば当然の反応である。

 

 彼は周囲を見回し、万が一にも人の目がないことを確認した。

 ステルスを解除する際に見られては困るからだ。記憶の消去程度ならやろうと思えばできるが、彼はそのような方法をあまり好まない。

 幸い、下にあるのは人気のない林で、監視カメラの類などもなかった。

 

 「うあっ……!?」

 

 突如、降下を始めようとしたゼロが、しかし苦悶の声を発して動きを止める。

 夥しい数の絶望や恐怖の感情が、なんの前触れもなく流れ込んできたのだ。

 ウルトラマンたちが生まれ落ちたときから有している精神感応能力……、テレパシーによるものだろう。

 しかし、普通ならば移動に支障をきたすほどの苦痛に襲われることはありえないはずだ。

 

 「くそっ、いくらなんでも性能上がりすぎだろ……。

 これで気づかねえほうがおかしいっつうの」

 

 苦々しげに漏らした言葉の意味を理解できる者は、この世界には彼自身の他には誰もいない。

 ゼロは、未だ流入し続ける負の感情に顔をしかめつつ、その発生源へ視線をやった。

 

 そこは彼の居場所から数キロは離れていたが、ウルトラマンとしての超感覚は当然のように、その光景を鮮明に視界に映し出した。

 悲鳴を上げながら我先に逃げ惑う人々と、それを追いかける極彩色の異形。

 あれこそがヒカリの言った、この世界特有の災害、『ノイズ』だ。それ自体の速度は大して速くないものの、統制の全く取れていない人々は満足に逃げられず、瞬く間に追いつかれていく。

 

 そして、ついにノイズの一体が、必死の逃走を行う群衆のうちの一人を捕らえた。直後、その体が抱えた人間ごと炭となって崩れていく。

 

 「なっ!? 畜生!!」

 

 思わず驚愕と、そして後悔の声を漏らすゼロ。炭化現象については聞いていたというのに、対応できなかった。

 せめてこれ以上の被害を出すまいと、彼は手をかざし超人としての力を行使しようとする。

 

 (―――ッ!?)

 

 だがしかし、その手からは何のエネルギーも放出されなかった。それもそのはず、この宇宙と、彼がいた宇宙とは方向性が全く異なる、故に光線を打つ際の勝手も違うのだ。

 本来なら何度かイージスを起動、修練し慣らしていくはずだったのだが、転移したタイミングでノイズが発生しているなど完全に想定外。

 しかしこれをヒカリの不明と誹ることも的外れだ。そもそもノイズの発生は十年に一回程度、この視察任務も根気よく発生を待ちつつ、原因を特定する方針だった。

 

 故に、今すぐ彼らを救うすべは存在しない。ゼロは歯噛みしつつ、ならば拳打によって排除すべしと、異形の蔓延る現場へ急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同刻、ノイズの発生地、ツヴァイウイングのライブ会場。

 つい数十分前まで人々の熱狂に溢れていたその場所は、夥しい数の異形に蹂躙され、見る影もない残骸と成り果てていた。

 

 そこで、機械の鎧のようなものをまとった少女が膝をついていた。その腕には彼女より更に幼い、ぐったりとした様子の少女が抱かれている。

 懸命に呼びかける彼女、しかし胸から血を溢れさせる少女の目は覚めない。どう考えても早急な治療が必要な状態だ。

 そして、思考を持たぬノイズが動かぬ少女を見逃す道理もない。

 一体、また一体。群をなす異形たちが、彼女たちに迫る。派手な極彩色のボディに視界が埋め尽くされ、吐き気すら覚える光景が、避け得ぬ絶望をつきつけてくる。

 

 しかし、それでも。

 

 少女は立ち上がった。その胸に、揺るがぬ決意を秘めて。

 その体は満身創痍。彼女の行動を支える薬の効力はすでに切れ、まともに動くことすらできない。

 そんな彼女が打てる、最後の一手。

 それは文字通り、命を懸けた、絶唱(ウタ)だ。

 

 刃の欠けた、ぼろぼろの槍を握りしめ、空へとかざす。そこで彼女の意図に気づいたもう一人の鎧を纏う少女が、悲痛な声を上げた。

 

 「やめて、奏! 歌ってはだめ!!」

 

 静止の声。助けに向かおうとする蒼い少女は、しかし異形の群れに阻まれ手を出せない。そんな彼女の様子に、必死に自分を繋ぎとめようとする姿に、橙の少女はふっと、笑みを漏らした。

 それにこもっていたのは、諦観でも、悲哀でもない。己が片翼への、親愛の情だった。

 

 きっと、もう二度と見ることはないだろう相棒の勇姿をその目に焼き付け、彼女は目を閉じた。自らと引き換えに、背後に庇ったかけがえの無い命を救うために。

 

 誰も彼女を止めはしない。止められない。かの異形に通用する力を持つ人間は、この場にはたった二人。そして小さな少女を救えるのは……、天羽奏、ただ一人だ。

 

 さあ、命を燃やし、尽くそうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――否。

 

 

 

 

 

 

 「……やらせるかよ」

 

 遥か高みに、人外の戦士が、一体。

 

 彼はその犠牲を、決して認めない。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「Gatrandis babel ziggurat edenal……」

 

 歌が、響いた。絶望に飲まれた戦場に、希望の光が一筋指した。

 

 橙の少女は驚愕する。自分が紡ごうとしていたその絶唱(ウタ)が、他の誰かの声で歌われていることに。

 

 数瞬後、最悪の可能性に思い至り、とっさに相棒の方へ振り向く。そこにあったのは、先程の己と同じ驚愕の表情。僅かに滲む安堵の気配が、奏の頬を一瞬、緩ませた。

 

 ―――しかし、ならこの旋律は一体何処から紡がれている?

 

 きょろきょろと所在なく視線を巡らせ、彼女はついにそれを捉えた。

 

 「あれ……、人か?」

 

 上空からこちらを睥睨する、おぼろげな影。かろうじて認識できるその輪郭は、間違いなく人のそれだった。

 しかし見えたのはそれまで。ただ判明した事実は、あの銀色の何かが、自分が歌うはずだったその歌を、代わりに歌っているということだけだ。

 

 

 ―――何者か

 

 その答えを見いだせぬうちに、最後の一小節が紡がれる。

 直後、青色の優しい光が彼女の視界を埋め尽くし、すべてのノイズを消し飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「か……ふっ…、う…ぐ、ぎ……ああ…。あ、がはっ」

 

 会場から、少し離れた林の中。

 

 広がっていく血溜まりの中、一人の青年が倒れ伏していた。言うまでもなく、ウルトラマンゼロだ。

 口から漏れ出るかすれた声と、体内で何かが破裂したかのような凄惨な傷が、彼の受けたダメージの大きさを物語っている。

 

 活動限界すれすれの状態で、勝手も何も解らずに放った絶唱の反動は、ウルトラマンの強靭な肉体をもってしても尚、耐えきれないものだった。

 粉々に砕け散ったイージスは、ブレスレットの形状へとは戻ったものの煙を上げている。そして彼が受けたのは、並の人間なら十回死んでも足りぬほどの致命傷であった。

 

 しかし、超人としての力が、彼の落命を許さない。

 血溜まりが光へと変じていき、それに伴って、彼の傷が徐々に治癒されていく。見る間に傷が塞がり、ものの数分でゼロの体は全快した。

 

 だが、その驚異的な再生の代償か。

 彼の超越者としての力を象徴する特異な髪と瞳の色は、只人と変わらぬ黒へと染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、ライブ会場で起きた特異災害・ノイズによる死者、行方不明者の人数は3168人。実に全体の3パーセントが帰らぬ人となった。

 しかし不可解なことに、傷を負ったものは一人として存在し無かった。そしてもう一つ、やはり不可解なことが起こっていた。

 

 優しい青色の光が、ノイズを跡形もなく吹き散らした、と。

 その光の奔流はノイズを滅するだけでなく、狂乱に惑う群衆たちを沈静化させ二次被害を防ぎ、重軽傷関わりなく、すべての怪我人を癒やしたという。

 

 だが、その謎の光はどこにも観測されておらず、かなり無理のある集団幻覚として処理された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、惨劇からしばらく経ったある日。

 

 特異災害対策機動部二課―――その名の通り、特異災害(ノイズ)に対抗するための機関である―――は、ライブ当日に行った実験の失敗により壊滅的な被害を受けていた。

 その穴を埋めるため、今日、新たな人員が派遣されることとなった。

 

 

 「本日付けで二課配属となりました、千原零だ…、です。よろしくお願いします」

 

 若干たどたどしい敬語で自己紹介をする、黒髪黒瞳の青年の姿が、そこにはあった。

 

 堅苦しい正装に包まれた鋼の肉体、端麗に過ぎる容姿、彼こそは超人、ウルトラマンゼロ。

 

 彼は、今度こそ只人として闘うことができるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 補足

 ゼロさんの聖唱の最初の単語の読みは、レシネーヴです。アナグラムで作った存在しない単語です。
 

 
 

 
 

 



 


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風鳴翼との関係

 ―――私は、風鳴翼は、あの男が、千原零が、嫌いだった。

 

 

 

 

 

 

 あの日、空から降り注いだ光は奏の体を癒し、その代償として戦う力を奪った。要するに、彼女の身体を蝕んでいたLINKERを完全に浄化したのだ。

 あの光の正体は未だ解らず、しかし同じように副作用のある薬でも、浄化されていなかったものがあることから、総合的に身体に害を及ぼすものだけを取り除く、概念的な治癒であることが解明されたのみだ。

 

 奏がもう無理をしなくてもいいのは嬉しかった。だが、無論彼女は装者としては引退してしまう。一人で戦えるのか、不安だった。

 

 彼が配属されたのは、ちょうどそんなとき。

 第一印象はあまり良くなくて、崩れ気味の敬語と、軽薄、とまではいかないけれど、真面目とも言えない態度が目についた。

 私は何度も彼につっかかって、その度に軽くあしらわれてしまった。子供がだだをこねるようなもので、奏にも叔父様にも笑われたのを、今でも覚えている。

 

 そんな印象が変わったのは一ヶ月くらいたってからだ。

 その日、私は木刀を振るっていた。形稽古、というやつだ。シンフォギアの戦闘力は肉体面ではなく、精神面が影響する。自らが剣と一体になることで、より強くなれるのだと私は思っていた。

 

 そして、彼が来た。彼は木刀を振るう私を一瞥して、「付き合おうか?」とそう言った。

 いろんな感情が頭を飛び交ったけど、一番は、ちょうどいい、ぶちのめしてやる、という物騒な思考だった。

 面白半分に声をかけられた、とも思っていたから、むきになってしまったのだろう。

 私は本気で彼に斬りかかり、敗北した。振り下ろした得物は軽く躱され、私はその事実に戸惑う暇もなく、額を柄頭で小突かれていた。

 額を抑える私に、彼はまだまだだな、と言った。それが悔しくて、私は何度も彼に挑んだ。けれど私は一太刀として、彼に浴びせることは叶わなかった。

 

 

 変化に気づいたのは、一年前。明確にわかるものでもなかったし、自覚できるほど劇的でもなかった。

 けれど確かに、私は強くなっていた。剣士としての実力もそうだが、何より装者として、だ。

 ノイズの殲滅にかかる時間が短くなったとは思っていたが、なるほど過去の自分とは、技の威力も精度も明らかに違っていた。

 

 その理由を、私は司令でも櫻井女史でもなく、零に求めた。すると彼は、無言でどこからか木刀を取り出し、投げ渡してきた。

 打ち込んでみろ、そう言われているのだと悟った私は、全力の一閃を見舞った。

 結局、届かなかった。渾身の斬撃は彼の剣に難なく捌かれ、私は額に来るだろう衝撃に目をつむった。

 しかし、それはいつまで経ってもやって来なかった。訝しげに開いた目に映っていたのは、普段の態度からは想像もつかない、穏やかな笑み。

 

 ―――お見事、躱せなかった。

 

 放たれた言葉に、はっと息を呑んだ。そもそも私は、当てることすらできていなかったではないか、と。

 数瞬ほど放心してしまった私に、彼は答えを教えてくれた。

 

 「剣の強さは、まあ、切れ味で決まる。なら人の強さは、心で決まるんだ」

 

 「折れてもいい、砕けてもいい。また立ち上がれるなら、それこそが本当の強さだ。だから―――」

 

 「―――人であることを、人の心を持つことを、決して忘れるな」

 

 その言葉は、私の胸の奥にすっと入ってきた。

 きっと、彼の言うとおりなのだろう。私は心を殺して、剣であらんとした。けれど心無き歌に、強さは宿らない。

 

 ―――例え剣であっても、心を捨ててはならない。

 

 私は少しだけ強くなれた。それは未熟だった私を導いてくれた、彼のお陰だ。

 

 『体』をくれた叔父様、『技』をくれた緒川さん、そして、『心』をくれた零。

 

 私という(人間)を形作ってくれた彼らに、尽きることのない感謝を―――

 

 

 

 

      風鳴翼 (関係良好)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 迷走してる感がはんぱない。こんな訳のわからん展開のシンフォギア小説ってあんのか? 確かにシンフォギア書くの難しいな。翼さんの一人称とか死ぬほど大変だったし疲れた……。
 



 1500文字しかなくて申し訳有りません。つなぎのようなものとしてお考えください

 ちなみにタイトルと最後のやつは人間関係シリーズのパロです。

  


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天羽奏との関係

 私はあの青年のことを、千原零のことを、どう思っているのだろうか。

 

 

 

 

 

 初めてあいつを見たとき、綺麗だな、と単純にそう思った。格好いい、よりも、美しいという言葉が先に出てくるような青年だった。

 さーて、どこの坊ちゃんかな、うちの司令は厳しいぞ?なんてことを考えていたから、出てきた崩れ気味の敬語と、悪戯っぽい笑みに驚いたのをよく覚えている。

 

 その神秘的な容貌とは裏腹に、彼の性格や態度はやんちゃな高校生のそれで、私とはずいぶん気があった。

 話しかけて来たのは向こうから。ぐだぐだの敬語に思わず苦笑いが漏れて、こっちの方が年下なんだからととりなして、タメ口で話すようになったんだっけ。やっぱ堅苦しいのはやんなっちゃうよな。翼は不機嫌そうだったけど。

 

 で、それから少しして。あいつが木刀振ってる翼にちょっかいかけに行ったんだ。あの頃の翼はなんだかピリピリしていて―――、違うな、理由はちゃんと解ってる。私が装者を引退したからだ。

 

 あの日、死ぬつもりだった私を救った青い光。なぜか了子さんが躍起になって発生源を調べていたけど、きっとあれは神様の仕業なのだろう。翼を悲しませるなというお達しだったのだ。

 そして神様は、命と引き換えに戦う力を私から取り上げた。否、与えてくれたのだ。考え直す時間を、復讐に囚われていた頃の私が、かなぐり捨てた躊躇を。

 旦那に、治療をもう一度行うか、と問われた時、私は即答できなかった。身体をぼろぼろにしてまでノイズを殺したところで、死んだ家族が喜ぶはずも無いのはとっくに解っていたし、夢だって見つけた。闘う理由なんて、もうなかった。

 

 けれど、一つだけ。翼に一人で戦わせることになるのが、私だけが戦場から退くことが、心苦しかった。

 結局、一人でも大丈夫、という強がっていることなんてバレバレの、しかし私をもう戦わせたくないという思いやりに満ちた翼の言葉に折れて、私は装者を引退した。

 肩の荷が下りたおかげで随分と気が楽になったけど、翼は傍目にも無理をしているのが透けて見えて、やっぱり続けるべきだったかと後悔した。

 そしてそんなことを、私は零にこぼした。なんだかんだ、翼のことばっか話してたからな、私。そしたらあいつは、びっくりするくらいに綺麗な微笑を浮かべて、言ったんだ。なんとかしてやる、って。だから、頼む、と、私は頭を下げた。

 

 それで、あいつがとった行動が、翼との決闘だった。翼が不機嫌になっていくのにはひやひやしたな。

 ていうか零!「付き合おうか?」はダメだろ!? いや翼は純粋だから勘違いとかしなかったけど!! お前めちゃくちゃ女にモテるんだから自重しろよな……。

 

 ええと、何だったかな。ああ、決闘の話か。まあ、ぶっちゃけ怪我するからやめとけよ、ってハラハラしながら見てたな。翼が手加減する気がないのは丸わかりだったし。

 でも、零には一切萎縮した様子が無かった。翼の木刀が目の前に迫った瞬間も。だからなんとなく、零が勝つんだろうな、と確信してしまった。

 結果は、予想の通り。するり、とそんな形容が相応しい動きで容赦の無い一撃を躱し、柄頭で、コツン。

 あたっ、て声を漏らして頭を抑える翼が、何だか可愛かった。その後、ものすっごく悔しそうな顔で零を睨んでたっけ。

 

 そしてその日から、ムキになって剣を振るう翼が、あいつにやられてすねてる翼が、前と変わらないように見えた。ずっと彼女を苛んでいた、一人で頑張らなくてはという強迫観念が、嘘のように消えていた。

 私はその事実に、零への感謝と、同時に疑問を覚えた。いくらなんでも強過ぎる、と。

 どんどん剣の腕を上げて、私じゃ絶対に敵わないくらいに強くなった翼を、それでも軽くあしらう零。

 そのことを旦那に話したら、当然だろうって答えが返ってきた。

 

 ―――俺だって、殺す気でかからなければ、あいつには勝てん。

 

 聞くと、旦那直々にあいつをスカウトしたらしい。自分は司令としての職務があるし、緒川さんはどちらかというと隠密や諜報向きだ。どうしてももう一人、いざというときに頼りになる戦力が欲しかったということだろう。

 

 それを理解して、俄然零に興味が湧いてきた。と、同時に違和感。

 何も知らないのだ、彼のことを。剣術や拳法をどこで習ったのか、とかはまだしも、ここに来る前は何してたのか、どこ出身なんだ、とか、私ならまず真っ先に聞いているようなことすら、何一つ。そもそも、そんなことを聞こうとすら思わなかった。

 意識の外側におかれていたような、妙な感覚。でも、なぜだかそれらはすぐに、気にならなくなった。……あの微笑を見たときに覚えた強烈な既視感も、まるで滑り落ちたかのように消えていた。

 

 

 

 そんな不可解な現象を再確認し、同時に原因を知ったのは、零が配属されて四ヶ月ほど経ってから。

 

 昼ごろだったか、変装して一人ショッピングと洒落込んでいた私は、けたたましく鳴り響く警報の音を聞いた。ノイズが出たことを悟り、一も二も無く店を飛び出し、押し寄せる人の波を逆走する。

 しかし数分後、眼前に炭の塊(ヒトだったもの)を認識した瞬間、思考が一気に冷えた。ようやく気が付いたのだ。今の私には闘う力なんて、一欠けらもないことに。慌てて踵を返したが、もう遅かった。すぐ後ろに、うじゃうじゃ蠢く極彩色の異形どもが迫っていた

 逃げなきゃ、逃げなきゃ、でも、シンフォギアも無しにそう何分も全力で走れるはずも無い。あっという間に息が切れて、足が重くなっていった。それから大して間も空けず、私は荒い息をついて地面にへたりこんでしまった。

 

 ―――あーあ、ヘマしちゃったな。

 

 視界があいつらに埋め尽くされて、私は目を閉じた。要は、諦めてしまったのだ。いやはや何とも、あの女の子にあわせる顔がない。まぶたの裏に、死んだ家族が、翼の顔が、旦那が、緒川さんが、そして、零が……

 

 ―――死ねない。

 

 どうしてか、彼の顔がのぞいた瞬間、唐突に生への渇望が湧きあがった。今私がここにいる理由を、思い出した。

 死ぬわけには、いかないのだ。私の代わりに絶唱(うた)ってくれた、未だ姿すら知らぬ誰かに逢うまでは。

 逢って、心からの感謝を伝えなくては。私の命を救ってくれて、翼の笑顔を守ってくれて、あの子の未来を繋いでくれて、ありがとう、と。

 だから、全力で足掻いた。なけなしの気力を振り絞り、全霊を頽れたはずの足に。喉が張り裂けんばかりに絶叫し、私は跳んだ。直後、紐状の特攻形態に変じた数体のノイズが、つい先ほどまで私がいた場所を通過した。しかしその結果に歓喜する余裕などない。

 後先等一切考えていなかった捨て身の跳躍の結末は、硬いアスファルトとの激突だった。

 受け身も取れずに強か全身を打ち付け、最早次の回避など望むべくもない。皮膚がずる剥け、露出した肉が間断なく痛みを訴える。けれど、それでも私は地を這った。諦めなんざくそくらえだといわんばかりに。

 

 そして、その想いに応えるかのように、救いの神は現れた。轟音が目の前で炸裂し、熱気を孕んだ爆風がノイズを吹き散らす。それらに耐えかねて閉じた瞳を恐る恐る開くと、そこには彼の背中が。

 

 ―――待たせたな。

 

 その声がかけられた瞬間、安堵の余り全身の力が抜けた。事態は何も変わっていないというのに。彼がいれば大丈夫だという、根拠のない確信が何故か胸にあった。

 

 私を庇うように立ちはだかる零。あの時、少女を庇っていたときとは逆の立場。彼は拳銃を持つのとは反対の手で、何かカプセルのようなものを取り出した。「ジード」と零が呟くと同時に、誰かの力強い声が響く。

 そして光を放つそれをマガジンに装填、撃鉄を引き起こした。直後、電子音と共に赤黒い稲妻が銃身を覆いつくす。瞠目する私に、彼は「内緒だぞ」と、子どもに悪い遊びを教えてしまった大人のような表情を浮かべて言い、引き金を引いた。

 放たれたのは、雷の槍。それはノイズの一体に直撃すると同時に爆ぜ、電光を辺りにまき散らした。続けざまに、発砲音、そして雷鳴。周囲のノイズをあらかた消し飛ばした彼は、私を背負い駆けだした。

 もう、疑いようがなかった。私は彼の背に揺られながらこう問うた。

 

 「お前が、あたしの代わりに、歌ったんだな」

 

 最初に彼の声を聞いたときから、感じ続けていた既視感。零は、暗示をかけなおすのは無理だな、と私に聞こえるようにわざとらしく呟いて、自分の正体を教えてくれた。

 

 自分が、別の宇宙の存在であることを。ノイズの発生原因を調べるために、この地球を訪れたこと。今は使用できないが、シンフォギアの類似品を所持していること。

 そしてそれらを語った後、零は、「隠してて、悪かったな」と一言、謝罪の言葉を口にした。謝るのは、こっちの方なのに。救ってもらった命を、諦めてしまってごめんなさい、と。でも多分、彼はそんな言葉を望んでいない気がして。私は、大きくて暖かい零の背中に、無言で顔を押し付けていた。

 

 

 旦那に滅茶苦茶怒られた。泣いた。心配かけて本当にごめんなさい。今度はちゃんと逃げます。

 

 そして、零。私を救ってくれた人。返せるものなんてなんにもないけど、せめて精一杯、貴方に誇れるように生きます。だから、見守っていてください。……あー、やっぱ堅苦しいのは苦手だな。ま、なんだ、そばにいてくれってことだよ。照れくさいけど。

 

 

 

 

 

 

      天羽奏 (関係良好)

 

 

 

 

 




 ゼロさんの人間態の詳細。

 名前 千原零

 由来 零はもちろんゼロから。読みはれい。千原、はもともとセブンさんの七と、原点の原でしちはらだったが、なんか「し」は縁起が悪いということで千原になった。ゼロさん曰く、地球で学んだ知識らしい。

 身長 179センチ

 体重 78~1700キロ

 年齢 25歳(大嘘)

 スペック

 絶唱のダメージが色濃く残っており、同じ体格の人間とほぼ大差ないレベルまで力が落ちている。
 ただ、ウルトラ念力はかろうじて使用可能。と言っても大した効果は期待できず、せいぜい目くらまし程度にしかならないが、軽い暗示をかけることもできる。
 対してテレパシーと回復能力は健在で、前者は対象を意識することで表層心理なら読み取れる。後者はあらゆる傷が数秒で再生するほど。
 その回復能力を利用し、火事場の馬鹿力を意図的に発揮することで、それなりの戦闘力を保っている。ちなみに司令の言葉は、再生能力があるから殺す気で掛からなければならないということではなく、単純にそれくらい本気にならないと負ける、という意味です。そもそも司令は零の能力を知りません。

 所持品

 二課の装備一式
 ウルトラカプセル(ギンガ、ビクトリー、エックス、オーブ、ジード、ロッソ、ブル)
 ウルティメイトイージス(故障中)
 ウルトラゼロシューター オリジナル武装。拳銃と見た目はほとんど変わらない。ウルトラカプセルをマガジンに装填、撃鉄を起こし引き金を引くと発射できる。ヒカリの調整のおかげてノイズにも有効。
 地球の組織での振る舞い方マニュアル(ヒカリ、メビウス著) なんか渡された。ぶっちゃけあんま役に立ってない。


 奏さんの一人称が私だったりあたしだったりするのは仕様です。台詞以外は全て私になっているかと。

 


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一話:始まり

 

 その日、俺は人間とすれ違った。

 

 分不相応な大願を胸に抱く、どこまでも馬鹿な、愛すべき人間と。

 

 そうして、俺は思ったのだ。

 

 ああ、こいつが全ての始まりだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特異災害対策機動部二課、日夜ノイズの対処に追われる彼らは、異常な反応を計測していた。

 

 「アウフヴァッヘン波形を検知!! この波形パターンは……!?」

 「ガングニール、だとぉ!?」

 

 判明する事実は、騒然とするモニター室をさらなる混乱に陥れていく。と、そこへ鈴を鳴らすような美声が、鐘を叩き割ったかのような音量で響いた。

 

 『司令、保護は俺がやる!!』

 「零か、すまないが任せた!!」

 

 その怒号に何人かの職員が怯む中、二課司令、風鳴弦十郎は通信機からの声にすぐさま許可を出す。状況をすべて把握できているわけではない。だがしかし、ここに集うのは同仕様もないお人好し達だ。

 誰かの命を救うこと。それだけを望む人間たちと、その為だけに生きる超越者。彼らのなす事など、決まりきっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――同刻。

 

 異形蠢く夜の街に、童女を庇う黄色い戦姫の姿があった。その動きは危なっかしく、突如与えられた力の大きさに振り回されているのが見て取れる。

 それでもたどたどしい動作で拳を振り、怯える童女を守ろうとする彼女の耳に、歌が響いた。聞き覚えのある、歌が。

 

 直後、閃光が走る。青い軌跡が縦横無尽に迸り、ノイズを炭へと還していく。周囲をあらかた片付け、青と白に彩られた鎧を纏う少女―――風鳴翼は口を開いた。

 

 「ここは下がって。あとは私が……、え、道を?

 ……解りました」

 

 不自然に言葉が切れ、目の前の少女たちでは無い誰かへ向けた声が発される。おそらくは通信機からのものだろう。翼は少女達に背を向け、得物を振り上げた。

 

 ―――蒼ノ一閃

 

 瞬時に巨大化した刀が、凄まじい勢いで振り下ろされ衝撃波を放つ。地を舐めるように切り進むそれは邪魔建てする異形を尽く斬り散らし、黒い塵へと変えていった。

 そして残されたのは、アスファルトに走る切断の跡のみ。

 

 「あ、あれ?」

 

 そこで、黄色い鎧を纏う少女が困惑の声を漏らした。地面に刻まれたそれをレールのようにして、一台の車がこちらへ突っ込んでくる。

 

 「相変わらず無茶苦茶ですね」

 

 そんな言葉とともに、翼はそこから飛び退いた。なぜかハンドル側のドアを開けたその車体は、一切減速する様子を見せない。翼に倣い自らも飛び退こうとする少女は、しかし聞こえた叫び声に動きを止めた。

 

 「嬢ちゃん達、動くなぁ!!」

 

 その声と同時に、迫る車が不自然な挙動を行った。キィイイイイッ!!と甲高いブレーキ音が鳴り響き、見事なまでに大回転、そのまま刈り取るような動きで開いたドアが目の前に迫り、中から飛び出した腕が少女達を搦めとる。

 

 「ひ、ひゃあああああっ!?」

 「きゃああああああっ!?」

 

 ジェットコースターもかくやという浮遊感、凄まじい勢いで回る視界、重なる二条の絶叫が、起こった事態の壮絶さを物語っている。イカれた運転を行ったドライバーは気絶寸前の少女達を助手席に座らせ、叫んだ。

 

 「やれぇ!翼ァ!!」

 「了解しました」

 

 青年の声とは対象的に、静謐な面持ちで応える翼。大地を踏みしめ砕き、空へと舞い上がった彼女の周囲に無数の剣が展開される。

 

 ―――千ノ落涙

 

 保護対象は仲間の手によって確保、隔離され、戦場にはもはや敵のみ。一切の情け容赦なくそれらが降り注ぎ、次々とノイズを爆散させていく。数分後、為すすべもなく異形の群れは全滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おーい、嬢ちゃん。大丈夫か?」

 

 そんな声と、頬に感じた軽い衝撃で少女―――立花響は目を覚ました。あの物々しい鎧はすでに消え失せ、もとの制服姿に戻っている。

 どうやら頬をはたいていたらしい青年―――千原零は、少女に外傷がないのを確認すると、ニカッ、と気持ちの良い笑みを浮かべた。

 

 「よしよし、無事だな」

 「無事だな、じゃないでしょぉおおっ!!」

 

 と、開け放たれたドアから出てきた手が、青年の耳を掴みとり、捻りあげた。あでででででっ!という悲鳴が響き、未だ不明瞭だった少女の意識を完全に覚醒させる。

 

 「ごめんね、うちの馬鹿が。ほら、開けなさい」

 「いちち、ほんと容赦ねえな。……よいしょ、と」

 

 赤みを帯びた耳を庇いつつ、零は後部座席のドアを開けた。そこにいたのは、二課所属のオペレーター、友里あおいだ。彼女は文句をたれる青年の奥に響の姿を認めると、紙コップを差し出した。

 

 「はい、あったかいもの、どうぞ」

 「あ、あったかいもの、どうも」

 

 おぼつかない手付きで紙コップを受け取った響はそれを口に含み、飲み込む。言葉の通り、程よいあたたかさが緊張していた体に染み渡り、ほえ、といささか間抜けな声が漏れた。

 それに遅れて気づき、取繕おうと慌てふためく彼女を見つめる友里の表情は、零に対するものとは打って変わって慈愛に満ちている。

 そもそも彼女は穏やかな気質であり、先程のように怒鳴るのは零が無茶をしたときのみだ。色々とぶっ飛んでいる二課の面々のストッパー役、といったところだろうか。

 

 少しして、渡された飲み物を飲み終わったらしい響が、はっとして口を開いた。

 

 「あ、そういえばあの子は……」

 「心配ねえよ、ちょうど親御さんも来たところだ。嬢ちゃんが頑張ったおかげだな」

 

 そう言って、零は彼女の頭をぽんぽんと叩く。あまり男性と関わることが無い響が顔を少し赤らめ、後ろの友里がしらっとした目つきになるが、彼は全く気にする様子がない。

 鈍いのか、それとも気づいていないふりをしているのか。彼の気質からすればおそらくは前者だろうが、どちらにせよ厄介なことには変わりがない。

 なにせ男女問わず十人が十人振り向くような美貌だ。それがこんな気安い態度で接してくるのだから、勘違いするなという方が無理な話。

 一回ぐらい刺された方がいいんじゃないかという物騒な思考を脇に追いやり、友里は車に乗り込んでドアを締めた。

 

 「え、あれ?」

 

 バタン、という無機質な音を耳にし、響が困惑の声を漏らす。このまま送ってもらえるのかな?という希望もあるにはあるが、どうもそんな雰囲気では無さそうだ。

 

 「すみませんが、あなたをこのまま帰すわけには行きません」

 「へ?」

 「まあなんだ、署までご同行くださいってやつかな。あんま気にすんなよ」

 

 軽い調子でそう言い、零はアクセルを踏んだ。車はあっという間に法定規則ぎりぎりまで加速し、窓の外の景色を後ろに飛ばしていく。

 

 「これからよろしくな、()()()

 

 そうして彼は、遠ざかるノイズの発生現場を呆然と見つめる少女の名前を、なんでもないかのように呼んだ。この先に待ち受ける、少女が立ち向かわねばならぬであろう数多の試練を予感しながら。

 

 

 さて、今までの話はすべて前置きだ。

 

 ここが原点(ゼロ)で、スタート(ゼロ)

 

 いつか永いときが、宇宙が幾つも生まれては消えるくらいのときが経った頃。

 

 全てを超えてしまった彼が、それでも懐かしさとともに思い出すだろう戦姫たちの物語。

 

 それはきっと、ここから。いや、これから、始まるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 友里・響(なんで名前知ってるの……?)



























 


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二話:彼らはデリカシーに欠ける

 

 「ここって……」

 

 予想に反して一応法律を守った運転で連れて行かれた場所は、響の通うリディアン音楽院だった。別の車に乗っていた翼が合流し、一同はそのまま夜の校舎に当然のように入っていく。響は困惑しながらも彼らの誘導に従い歩を進める。

 

 「あの、なんで私の名前を……?」

 

 どこを目的地としているかすら知らされていない不安を紛らわすためか、響が口を開いた。純粋に気になっていたと言うのもあるのだろう。

 

 「いや、俺は一応表向きは用務員ってことになってるからな。巡回してたら偶然、ってことだ」

 

 適当にはぐらかそうとしていた零だが、響ではなくその後ろに立つ二人の視線に射すくめられ、渋々説明をする(言い訳をでっちあげる)羽目になった。

 実際は彼女の中にあるものを看破し、ストーキングしていたのだが、それを口にしなかったのは、流石に外聞が悪いから……ではない。

 というか彼にそんなデリカシーがあると考えるほうがおかしいだろう。ただ単に話す必要が無いと判断しただけだ。

 

 

 「でもこんな人が歩いてたらどっかで大騒ぎになりそうだけどな……?」

 「ああ、気配消してんだよ。慎次の真似事だけどな。本当にスキュースペースは……っと、なんでもねえ」

 

 響の疑問に独り言を混じらせながらゼロが答える。訝しげな視線を送る翼とあおいを敢えて意識から外し、しばらく進むと中央塔に到着した。

 

 「えっと、エレベーター……、ですか?」

 

 金属扉の奥にあったものに、響が思わずそう漏らす。全員が中に入ったのを確認してから、零が呟いた。

 

 「ああ、星雲荘のより乱暴だから、しっかりつかまっとけよ」

 「え、あ、はい」

 (星雲荘ってなんだろう……?)

 

 零が口走った聞き覚えのない単語に、響は疑問を覚えながらもせり上がってきた手すりをおそるおそる握る。彼のよく解らない例えや発言に慣れきっている二人は、気にするだけ無駄とそれを流し、待機姿勢を崩さない。

 直後、猛烈な勢いでエレベーターが下降した。

 

 「え、ひゃあああああっ!?」

 

 襲いかかる浮遊感にたまらず悲鳴を上げる響を、同乗する三人は若干申し訳なさそうな表情を浮かべて見ていた。

 少しして、落下に慣れたのか落ち着いてきた響に、翼から声がかけられた。どうやらそろそろ最下層まで達するらしい。

 

 「気を引き締めなさい。厳しいようだけど、ここは無辜の人々を守り抜くための戦場。浮ついた気持ちで臨むことは決して赦されない」

 「は、はい……」

 

 翼の放つ抜身の剣のような圧力に、響はたじろぎつつもなんとか返答した。

 そんな二人の様子を見て、零がいたずらっぽい笑みを浮かべる。

 

 「お人好しの集まり、とも言うけどな。そういう意味じゃお前はぴったりだぜ、立花」

 「零さん……」

 

 お前は気張り過ぎなんだよ、と咎めるような視線を向ける翼を軽くあしらうと、彼は先程と同じ種類の笑みを湛えたまま、扉を開きつつこう言った。

 

 「さて、二課へようこそ!!」

 

 パパパァン!!という複数のクラッカーの鳴り響く音が彼らを……否、立花響を出迎えた。

 中心には、宴会芸で使うようなハットとステッキを携えたやけにガタイのいい男が、なんとも残念そうな表情で立っている。

 

 「それは俺が言おうと思ってたんだがな……」

 

 今日何度目とも知れぬ困惑の表情を浮かべる響を尻目に、零は「悪い悪い」と、落胆する弦十郎の肩を叩き、奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「どうした、そんな湿気たツラして」

 「零か……」

 

 そして、響が二課からの歓迎を受けている中、零は角の部屋で独り佇む奏に声をかけていた。

 普段の快活さなど微塵も感じられないその落ち込みように、彼をため息を吐いて口を開く。

 

 「ガングニールのことか?」

 「ああ。……あれ、私のだよな?」

 

 二年前、自分が装者でなくなったあの日、最後に救った少女。その彼女が自分と同じシンフォギアを発現したのだ。関係を疑わない方がおかしい。

 

 「そうだな。見たところ、心臓付近に破片が幾つか食い込んでやがった」

 「―――ッ! そうか、やっぱりあたしのせい……、ん?」

 

 躊躇なく事実を告げる零に、後悔と自責の滲む表情を浮かべた奏は、しかし看過し難い疑惑に気付き言葉を切った。

 そしておそるおそる、鬼気迫る表情で彼に問いかける。

 

 「なんでそんなの解ったんだ? まさか……」

 「ああ、透視したけど、それがどうかし―――」

 「―――っこの、馬ッ鹿野郎があ!!」

 

 ドジュッ!!と空気が焼けるような音と共に繰り出された拳が、零の頬をかすめた。ちなみに奏は顔面を撃ち抜く気満々であり、かろうじて回避した零が思わず叫ぶ。

 

 「危ねえぇっ!? いきなり何すんだよお前!!」

 「うるせえ死ねこの変態、ロリコン!!」

 「ロリコン? ペドフィリアのことか、あれは十三歳以下にしか適用されねえんじゃ……」

 

 繰り出される拳を躱しつつ抗議する零だが、こればっかりは彼が悪い。というか何言ってんだこの人。

 うら若き女子高生を、了承も得ずに(得たからどうという話でもないが)透視したのだから。というかもはや犯罪である。

 

 「ふ、二人とも……、何を?」

 

 と、そこで騒ぎを聞きつけやってきた翼が、目の前の惨状に困惑の声を漏らす。彼女を視界の片隅に認めた奏は、連打の勢いを一切緩めず口を開いた。

 

 「あ、聞いてくれよ翼! 零があの女の子を透――もがっ!?」

 

 語尾の奇声は言うまでもなく零が口を塞いだために発されたものだ。人間には理解不能であろう抗議の声を塞がれた口から紡ぐ奏に、彼は慌てた様子で、しかし翼には聞こえぬよう「バレる、正体バレる!」と連呼する。

 

 「本当に何やってるんですか……」

 

 そんな切羽詰まった様子の二人に、状況に追いつけない翼は疲れた表情でため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後、なんとか怒りをおさめた奏が、話せるところだけ掻い摘んで翼に事情を伝えた。

 

 「そんな……、それじゃあの子は……」

 「ああ、あの日あたし達が助けた子だよ」

 

  ―――厳密には、私じゃなくて零が、だけどな。

 

 心の中だけでそう補足し、奏は零へ視線をやった。それに気付き、首を傾げる銀の青年は、その動作と平行して、ポケットから紙製の箱を取り出す。彼はその箱から細い円筒形の物体を取手に取ると、そのまま口に咥えた。

 シュボッ、というライターの発火音。着火された円筒の先端が赤熱し、白い煙を立ち上らせる。

 

 煙草のように見えるが、実はこれはディファレーター線補給剤という彼に必要不可欠な品だ。

 ディファレーター線そのものを内蔵しているのでは無く、熱によって起こる反応の際にそれを放出する化学物質が含まれており、火をつけることによって機能する。

 見た目が煙草のようになっている理由は、地球上でいつ使用しても怪しまれないように、ということだったのだが、現在2047年のこの地球では規制が進んでおり、はっきり言って逆効果であった。

 考案したヒカリに内心で文句をたれつつ、零はなんの害もないことを説明している二課と自宅でしか吸えないそれをくゆらせる。

 

 「別にそこまで気にする必要はねえと思うがな」

 「零……?」

 

 なんのけなくそんな言葉を漏らした彼に、奏が訝しげな表情を浮かべた。彼女の横に立つ翼も同様だ。

 

 「その場にいなかった俺がどうこう言える話じゃねえし、確かにいらんしがらみに巻き込んじまったことも否定できない。だけど車の中で聞いた限りじゃ、あの嬢ちゃんは随分お前らに感謝してるみたいだぜ」

 「そんな……、なんで?」

 「なんでも何も、お前らが命張って守ろうとしたからだろ? 人は自分に向けられた献身を、決して忘れねえもんだ。それに……」

 

 零はそこで一旦言葉を切ると、白い煙を吐き出した。そして、いつもとは違うどこか超然とした表情を浮かべ、続けた。

 

 「あの光は、立花響の中にある力を取り除きはしなかった。それはきっと、あの力が彼女を、彼女の大切な何かを、守ってくれるからだ」

 

 そこまで言い切ると、彼は「あー、柄じゃねえ」と気怠げにぼやいた。むず痒げに頭をかくその姿にはさっきまでの威厳はもう微塵も感じられない。

 その様子がおかしかったのか、奏がぷっと吹き出した。それにつられるように翼も笑い始める。年下の少女二人に目の前で笑われた零は、少し拗ねたように抗議の声を漏らした。

 

 「はあ、真面目なことなんざ言うんじゃなかったな……。ま、それはそれとして、だ。

 俺達が今なすべきことは、立花響を守り切ることだ。かつてお前らが必死で守り抜いた、あの笑顔をな」

 

 緩みかけた空気が再び引き締められる。零は奏が顔を曇らせたのを横目で認めると、意味深に首を振り、続けた。

 

 「おっと、勘違いすんなよ、奏。それに必要なのはシンフォギアじゃない、歌だ。お前らが真摯な想いで歌えば、彼女は心から笑ってくれる。だから変わらずに、そのままでいろ」

 「はい!!」

 「……了解!!」

 

 二人の歌姫は力強く頷き、心得たと言わんばかりに走り去っていく。その背中を静かに見送った零は、大きく煙を吐き出し一人語散た。

 

 「こんな教訓めいたことを語るようになるとは、俺も年かな……」

 

 現在一万歳、人に直せば20代後半といったところか。

 仲間とともに数多の宇宙を巡り、旅した少年時代を懐かしむようになったのはいつ頃からだろう。

 

 「久しぶりに、暴れてみるのもいいかもな」

 

 彼の黒いはずの瞳が、一瞬宝玉じみた輝きを帯びた。不敵な笑みを浮かべ、円筒の火をもみ消すと、人外の超越者は少女達が向かった方とは逆向きに、歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 ディファレーター線補給剤に関しては、煙草咥えて壁に寄りかかってるゼロさんとか死ぬほどかっこいいよねうんマジかっこいいと言うことで実装しました。
 まあこの宇宙の太陽にはディファレーター線は含まれていないという設定ですし、イージスからの補給があるとはいえ他にもエネルギー供給手段を用意しておいても損はありませんしね。
 あとは他のウルトラマンも使用する予定になっているので試供品という意味合いも強いです。

 
 
 










 ……実はゼロさん全快してます。


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三話:やっぱり弟子は取らない

 立花響の朝は早い。

 

 同きn……、同じ部屋の二段ベッドの上を共有している親友、小日向未来の声で目を覚ますと、学校へ行くための準備が待っている。

 これは持った、あああれを忘れていたと毎朝てんやわんや。呆れかえる親友のため息を聞くのもまた日課である。

 

 そして、学校。初日から遅刻した上に猫を抱えて登校というあまりにも独創的な高校デビューを飾った彼女は、クラス内ではなんか面白い人、という評価を受けている。

 友達も数名、何より親友と同クラスなので、充実した学生生活を送っている、と言っていいだろう。

 

 

 彼女の通うリディアン音楽院は、まず音楽の授業を中心に据え置き、そこに通常の授業を組み込むという異例のスタイルをとっている。

 それだけ音楽に力を入れた学校であり、またタレントコースが存在するのも一つの特徴だ。3回生には言わずとしれたトップアーティスト、風鳴翼が在席しており、それを理由に入学する生徒も多くいるらしい。

 

 ちなみに立花響もその一人であるが、その他多くとは少し事情が異なっている。無論彼女が風鳴翼の大ファンであることは確かだ。

 しかし、それはあくまでもう一つの目的に付いてきたに過ぎない。彼女は何より、二年前に訪れたライブ会場で見たものの真偽を確かめたかったのだ。

 

 あのとき、何かの破片に胸を貫かれ、朦朧とした意識の中で、それでも覚えていた光景。

 無数のノイズと、それに立ち向かう鎧を纏ったツヴァイウイングの二人。

 この世のものとは思えない、死の縁で見た幻覚と切り捨ててしまえばそれまでの記憶。

 

 でも、だけど。

 二年の月日が流れた今でも、夕陽を背に戦う彼女たちの姿が、脳裏に焼き付き離れないのだ。

 

 だから、立花響は答えを求めた。

 

 あの日私が見たものは現実ですか、と。

 

 もしその答えがイエスだったのなら、彼女は心からの感謝を伝えるつもりでいた。……ノーだったのなら、完全におかしい子だと思われる未来が待っていたが。

 

 

 しかし、風鳴翼にそれを問うより先に、なんの因果か彼女自身がそれを証明してしまったのだ。

 

 彼女は、立花響は、胸の歌(聖詠)無双の槍(シンフォギア)を手にした。……否、どちらもすでに彼女の中に潜んでいたもの。二年前の、運命の日から。

 

 決意か、覚悟か。それとも愛か。心が生み出す熱に応えるかのようにそれらは発現した。

 

 そしてその事実は、この先の彼女の運命を大きく捻じ曲げることになる。

 

 と、いうわけで。

 

 

 放課後。

 

 「えいっ!」

 

 いささか間抜けな声で拳を振り回す彼女が相対しているのは、もちろん親友たる小日向未来ではなく、意思不明、言語不明、正体不明の謎に包まれた認定特異災害の群れである。ついでに場所も寮の自分たちの部屋ではなく、警報で人気の無くなった町の一角だ。

 

 触れることが致命となるはずの異形に、しかしまっすぐ突貫する響。その大振りの一撃は見事にノイズの腹部を捉え―――

 

 「って、わきゃあぁっ!?」

 

 ―――るより先に、踏み込みが強すぎたのか少女の体が宙を舞った。そのまま十数メートルほどの高さまで跳び上がった彼女は、悲鳴を上げながら華麗な三回転を決めたのち、受け身も取れずに頭から無様に着地した。

 彼女のまとう鎧、シンフォギア……、正式名称「FG式回天特機装束」は、人類がノイズに対抗するために生み出した唯一の兵器である。

 触れるだけでこちらを問答無用で炭クズに変えてしまうノイズに対し、専用のバリアコーティングと、調律機能で攻撃を可能にしたオーバーテクノロジーの産物、であるのだが、使いこなすのは難しい。

 額がコンクリートの地面を砕く轟音が響き、ついでぐぎゅう、という割と深刻そうなうめき声が少女から発される。

 

 「ああもう、あなたは下がっていなさい!! 私が殲滅します!!」

 

 地面に頭を突っ込み、女子としてあるまじき姿で固まっている響に、どこからか呆れ混じりの叱咤が飛んだ。青い鎧をまとう歌姫―――この場では戦姫と呼ぶべきか―――風鳴翼からだ。彼女は一足飛びに響がめり込んでいる場所まで跳躍すると、周りのノイズを瞬時に斬り散らし僅かな猶予を発生させる。

 

 「ほら、早く!!」

 「ん、ぎぎ、ふん! ぷはぁ……」

 

 その隙に地面から頭を引っこ抜いた響が、酸素を求めて大きく息を吸い込む。その様子に翼はため息を吐くと、もう一度撤退を促した。

 

 「すみません………」

 

 響はそう呟き、ぎごちない動きで向かってくるノイズを迎撃しつつ、撤退していった。そんな彼女の背中を呆れながらに見送った翼は、一度目をつむり気持ちを切り替えると、さすがの技の冴えでまたたく間ににノイズを薙ぎ払い殲滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「お願いします! 私を弟子にして下さい!!」

 「何でそうなった……」

 

 翌日の放課後、当然のように二課を訪れそんなことを宣った響に、零は妙な既視感に頭を抑えつつぼやいた。

 

 「いや〜、こうやって装者として戦い始めたわけなんですけど……」

 

 ばつの悪い笑みとともに歯切れ悪く言葉を紡ぎ出す響に、零は呆れたような視線を送りつつ、顎をしゃくり続きを促す。

 

 「全然役に立ててないというか、足手まといと言うか、このままじゃいけないなと思ったわけでして……」

 

 目が合う度に顔を反らしながら、響はなんとか最後まで説明を終えた。零の美貌は年頃の女子高生にとっては目に毒なので、当然の反応とも言える。

 見た目が良い方が情報収集等において好都合だろうと設定された容姿は、過ぎたるは及ばざるが如しという言葉を如実に表していた。

 

 「なるほど、だが何で俺に?」

 「あの、救助活動をしているのをモニター越しに何度か見たんですけど、人間技じゃなかったので、さぞかしお強いんじゃないかなぁ、と」

 

 人間技じゃない、のあたりで一瞬不自然に硬直した零だが、端的に超強そう、と言われていることを理解すると、満足げな笑みを浮かべた。

 

 「へっ、解ってるじゃねえか。……だが、残念ながらそりゃ無理だ」

 「えっ、何で……?」

 

 先程の表情から一転して、厳しい顔でにべもなく拒絶の言葉を突きつけた零に、当然のごとく響は困惑の声を漏らした。

 

 「俺が使ってるのは、人間用じゃねえんだよ。嬢ちゃんの細腕でやれば間違いなく骨がイカれる。シンフォギアつけたまま何時間も修行するわけにもいかねえだろ?」

 

 あなたも人間じゃないですか、という喉まででかかった言葉をなんとか飲み込み、響は頷いた。実際後半に関してはぐうの音も出ない正論ではあったし。

 

 「で、でも、やっぱり強くならないと誰かを守れないし………」

 

 随分と重症だな、と零は内心で一人語散た。家族や友達、と言うのならまだ分かるが、人とはいくらなんでも範囲が広すぎる。

 確かにかつてウルトラマン達と融合した者たちも似たような精神性を持ってはいたが、それにしても、だ。年端のいかないこんな子供がそこまでの博愛性を有していることに零は違和感を抱いた。

 

 (とはいえ、心を覗くわけにも行かねえし、まあ探せばそういう人間だって案外いるもんかな)

  

 彼は一応の折り合いをつけると、弟子入りを断られうつむき加減にため息をついている響へと声をかけた。

 

 「ああいや、俺以外に適任がいるってことだ。司令にでも頼めばいい」

 「えっ、司令ですか……?確かに強そうですけど、忙しいんじゃ……」

 

 響の懸念に、零は問題ないと言わんばかりの笑みを浮かべて首を振り、口を開いた。

 

 「そのあたりは気にしなくていい。装者を強くするのも立派な仕事だしな。それに司令は俺なんかよりずっと強い。足を踏み締めれば大地が割れ、拳を震えば海すら裂けるってくらいにはな」

 「え〜、またまたぁ。流石に騙されませんよ、そんなの無理に決まってるじゃないですか」

 

 茶化されていると判断したのか、何というか女子高生らしいノリで響は零の言葉を否定する。すると彼は、何故か遠い目をして、「だよなあ……」と同意を求めるかのような声を漏らした。

 そのまま彼はスキュースペースだのディファレーターだのと訳の分からないことをつらつらと口走り始める。それに気圧された響は、そそくさと部屋を出ると、とりあえず言われた通りに二課司令、風鳴弦十郎のところへと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女が部屋を出てから少し。一人椅子に腰掛けるゼロが、ふっと笑みを漏らし呟いた。

 

 「……うん、それで良い。殺すための拳は、お前には似合わない」

 

 彼女が修めるべきは、繋ぐための拳だ。未だ発現することのないアームドギアは、きっと誰も傷つけたくないという響の想いの裏付けなのだろう。

 

 握った拳で握手はできない。武器で手が塞がっているならなおさらだ。時には拳を、時には()を。あの慈愛の巨人と、その相棒たる地球人が成した奇跡、立花響ならば、それができるはずだ。

 

 「頼むぜ司令。……ま、心配する必要なんざ欠片もねえだろうけど」

 

 そんな言葉とともに零は立ち上がると、滑らかな所作で歩きだし、部屋をあとにした。誰もいなくなったその部屋は、役割を終えたかのように、跡形もなく消え失せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 響ちゃんが司令に弟子入りしにいく話です。ゼロさんが修行つけるのもありかとは思ったんですが、120倍の重力下で生活してるような種族が身につける拳法って人間に使えるか?という疑問が生まれたのでこのような運びとなりました。

 それに怪物だろうが人型の生物だろうが関係なく殴り倒せるような、明らかに殺すための拳法を彼女に教えるのもどうかと思ったのもあります。

 ちなみに響とゼロさんが会話してた部屋は、お察しの通りゼロさんが創った空間です。諸々の違和感は暗示でなんとかしてます。防衛軍にだって余裕で入れるんだよ? 履歴書偽造だけでなんとかなるわけねえだろ、という。
 
 


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雪音クリスとの関係









 

 「……見つけた」

 

 それは、邂逅とは決して呼べぬ、一方的な出会いであった。……否、出会いですらない。

 なぜなら、銀の少女は彼の存在など一切知覚しておらず、背後で漏らされたその小さな呟きさえも、聞き咎めることがなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前四時、千原零として地球で過ごす俺、ウルトラマンゼロは目を覚ました。

 ……本来なら、力を取り戻したこの身体は睡眠を必要としない。だが、一年ほど継続させた生活習慣はそう簡単に抜けるものでは無く、短いとはいえ毎日睡眠を取るようになってしまった。

 まあ、一切寝ない、なんて生活をしていたら怪しまれる可能性もあるわけだし、あながちデメリットだけでも無いのだ。

 

 「よっこらせ」

 

 累計で十年近くにも及ぶ地球での生活の中で、自然と口から出るようになってしまった掛け声とともに身を起こす。

 地球人達なら、ここで二度寝の誘惑を振り払ったり、あくびをしたり目をこすったりするのだろうが、あいにくとこの擬態(身体)にそんな機能はついていない。

 

 「もう少し、遊びがあっても良かったのにな……」

 

 あまりにも完璧に過ぎる同族の仕事に苦笑を漏らし、届きもしない文句をぼやくと、俺は二課へと向かうための準備を始めた。

 朝飯は……、まあいいか。向こうについてから何か食えばいいのだし、そもそも必要ないのだから食べない、という選択肢もある。

 

 「おっと、忘れてた」

 

 言って、懐から箱を取り出し、中の円筒を一本つまみ上げて咥える。

 煙草というこの地球においては時代錯誤な形状のエネルギー補給剤の先に着火、立ち上る煙を煩わしく思いながら準備を続ける。

 

 着替えを終え、昨日のうちに整理を済ませたカバンを、中身をしっかり確認してから肩に担ぎ上げた俺は、玄関前にかけられた帽子を深くかぶりこんだ。

 

 「行くか……」

 

 補給剤の火を揉み消し、耐火性のゴミ箱に放り込むと、俺は扉を開け放って外に出た。早朝の、まだ日の昇らない薄暗い空が目に映り込む。

 すでに見慣れた光景のはずだ。だというのに、この朝焼けを見るたびに、言いしれぬ感慨が胸の奥から湧き上がってくるのは、どうしてなのだろうか。

 

 「懐かしい……、からかな」

 

 もしかすると無意識の内に、かつて融合した人間たちとの記憶と重ねてしまっているのかもしれない。

 

 (……なあ、レイト。俺今、働いてんだぜ? 修行になりそうな満員電車は無かったけど、それなりに大変で、結構楽しい。ずいぶん毛色は違うけど、お前の気持ち、わかったかもだ)

 

 (……なあ、タイガ。俺が入ったのって、防衛隊みたいなもんでさ。最初の頃は下手うって力失っちまってさぁ。怪獣相手に手を出せなかったお前たちの悔しさとか、もどかしさとか、……あんなに、苦しいもんなんだな)

 

 (……なあ、ラン。ほんとはさ、お前の姿で生活しようと思ってたんだ。他の二人には悪いけど、お前の身体が一番しっくりくるんだよな。

 俺も妹みたいなやつらが出来てさ、お前には俺がいたときの記憶なんて残ってないんだろうけど、勝手に親近感持ったりしてる)

 

 

 かつての融合者たちは、肩を並べて、どころじゃない、おんなじ身体を共有して戦ったあいつらは、もういない。

 そりゃそうだ、何千年も経ってるんだから。彼らは俺の記憶の中にその残滓を遺して、一足先に去って行った。そして、その一足分の距離は、永遠に縮まることはない。

 

 「はあ、なっさけねえ……」

 

 乾いたため息と共に、俺はそんな言葉を吐いた。吹っ切ったつもりでいて、実際にはずるっずるに引きずってる。こんなんじゃ、駄目なのにな……。

 

 人として生きるなら、これは真っ当な感性だと思っている。でも、()()()()()()()()として生きるのなら、これは……、切り捨てなきゃいけないものだ。

 

 「……?」

 

 ふと、掌に痛みを感じて、そこに視線を移す。いつの間にか力が入っていたようで、肉に爪が食い込んでいた。

 赤い血を滲ませるその傷が、瞬く間に塞がっていく様子を、俺は諦観を混じらせた笑みを浮かべながら眺めた。

 

 

 

 

 しばらくして、俺は二課のあるリディアン音楽院に到着した。

 まだ開いていない校門を一瞥した後、常に開放されている、人目に付きにくい裏口から中へと入る。

 二課の存在を察知させないため、意図的に作られた監視カメラの死角を通り、歩くこと数分。中央塔のエレベーターを利用し、急速に降下する。

 他の二課メンバーは、この速度に慣れるまで時間がかかったそうだ。常日頃から超音速、または光速移動を平然と行う俺達(ウルトラマン)はそうはならなかったが。

 幾何学的なデザインの大円筒をくぐり、俺はようやく職場に到達した。

 

 「あっ、零さん、おはようございます」

 「おう、おはようさん」

 

 まだ日も昇りきっていないというのに、ここではすでに何人かが各々の仕事をこなしていた。まあ、そもそもが24時間体制の交代制なのだから、基本的には法律の範囲内の勤務時間のはずだ。

 

 ……基本的には、な。

 

 「ああ、零か……。おはよう……」

 

 今にも死にそうな声でそう挨拶をしてきたのは、二課オペレーター、藤尭朔也だ。その目の下の深い隈を見る限り、最近激増してきたノイズの発生への対応で寝る暇が無かったのだろう。

 

 「大丈夫……じゃねえな。残りは俺がやるから、今からでも仮眠をとってくれ」

 「悪い……、お言葉に甘えさせてもらう」

 

 ふらふらと休憩室に去って行く彼の背中に労いの言葉をかけ、俺は作業を引き継ぐ。

 藤尭は身体能力に関しては人並みだが、その反面卓越した情報能力を有している。故に、このような異常事態では真っ先にしわ寄せが行ってしまうのだ。

 

 「こりゃ三徹くらいはしてたな……、そういや昨日もずっと残ってたっけ」

 

 彼のこなした膨大な量の仕事を確認し、それを引き継ぐ。幸い残りはそこまでなく、昼までには済ませられそうだった。

 それだけあれば、彼も十分な休息が取れるだろう。頭の中でそんな目算を建てると、俺は作業にとりかかった。

 

 

 

 

 

 

 「これでしまいだな。……ノイズの発生は未だ無し、か」

 

 パソコンのキーボードを叩く手を止め、身体を伸ばす。

 つい先程藤尭も復帰し、人員も交代が済んで大分落ち着いてきた。引き継いだ仕事を一段落させた俺は、ちょうど十二時を指し示す時計を一瞥すると、昼食の準備を始めることにした

 

 とはいえ、対面を保つだけのものだ。何かを食べているというアピールさえできれば良いのだから、量はいらないし時間をかける必要もない。

 コンビニで買ったパン一つ、それが今日の昼だ。わざわざ席を立つのも面倒なので、資料の確認をしながら食べることにした。

 時間が空いたらなんか美味いものでも食いに行くか、などと考えつつ袋を開こうと手をかける。

 

 と、その瞬間、俺は唐突に動きを止めることになった。

 

 また、()()()。制御しきれていない余剰分の能力が突発的に引き起こす未来視だ。

 不自然になってしまった態度を取り繕いつつ、脳裏によぎった映像を反芻する。

 

 おぼろげな景色だったのではっきりとは解らないが、時間的には夕方か。

 奇妙な形状の杖を持った人影と、その周辺に群れをなす無数のノイズ。

 恐らくは、彼ないし彼女がノイズの発生を助長している者だろう。襲われているにしては落ち着き過ぎだ。

 

 (さて、どうするかな……)

 

 今から外周りを申し出るのは不自然に過ぎる。本来ならノイズを呼び出す前に対処したいところではあるが、ここは発生を待つしかないだろう。それを容認することで、何の罪もない守るべき人々の命が、失われるとしても。

 内心の忸怩たる思いを押し隠し、平静を装ったまま、俺はプラスティックの袋を開き、その中身を口に押し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビィ―――――――ッ!!

 

 (来たか……)

 

 鳴り響く警告音と、モニターに示される認定特異災害の反応。

 待ち侘びたその瞬間の到来に、俺は迅速な動作で武装を済ませると、司令に短く出動の意思を告げ、了承を取るや否やエレベーターに飛び乗った。

 

 急速に上昇していくエレベーターを、しかしもどかしく思いながら待機し、地上に到着。すでに授業を終え、人気の少なくなった学院を走り抜け、外に出た俺はすぐさま()()()()

 

 あっという間に百キロの壁を越え、次の一足で二百を凌駕する。監視カメラの視線を振り切り、一陣の黒き風と化し、警報にざわめく街を駆け続けること数十秒。

 精神感応(テレパシー)による探知も併用し、目的の人物の位置を割り出すと、その近くの木の裏に俺は身を隠した。

 万が一にも発見されぬよう、気配だけでなく、その姿さえも景色に溶け込ませると、俺はノイズを従えるその人物を木陰から盗み見た。

 

 瞬間、俺は息を呑んだ。

 その人物に畏怖を感じたわけではなく、無論恐怖したわけでもない。

 

 ただ()()()()()()()

 

 その少女が、禍々しい鎧に身を包み、ノイズを従える少女が、バイザーの奥で駄々をこねる子供のような目をしていたから。つい、見透かしてしまった彼女の心が、ぐちゃぐちゃになった、定まらない感情の塊の奥にあったものが、どうしようも無く綺麗だったから。

 

 「ああ…、こりゃ駄目だ」

 

 誰に聞かせるためでもなく、ただ諦観を吐き出すように俺は言葉を漏らした。

 手を出す気が、完全に失せてしまったのだ。

 もともと、排除といった物騒な方法を取るつもりはなかった。ただの人間がノイズを操る手段を先天的に有しているはずが無い。未来視で見たあの杖のようなものがそういう力を持っているのだろうと踏んでいた俺は、それを取り上げて無力化しようと考えていた訳だ。

 だが、その目論見は潰えた。敵とみなしていた相手が、悪ではなかったという事実と、俺の……矜持によって。

 

 俺には一つ、この世界に来てからの後悔がある。この地球に来たばかりのとき、すなわち天羽奏の命を救ったことだ。

 ……より正確に言えば、彼女を救うとき、その副次効果で彼女の闘う力もまた奪ってしまったこと。

 不可抗力のようなものとはいえ、二課に入り込み、彼女があの力を得るために積み重ねた命がけの治療の内実を知ってしまうと、どうしても後ろめたさを感じずにはいられなかった。

 生まれた時からウルトラマンとしての絶大な力を与えられていた俺だからこそ、なおさらそう思ったのかもしれない。 

 それで一年半ほど前、やむなく正体を明かしたとき。彼女からまっすぐ感謝の想いを告げられて、内心で大分困惑してしまったのだが。

 

 まあ、それはそれ、これはこれ、だ。

 奏とあの少女。どちらの方が身を削ったとか、そういうものを比べるのは無意味だろうが、彼女があの力を手に入れるのに費やしたものが計り知れないことは間違いない。

 だから俺は、手を出さない、出せない。たとえその方法が間違いであったとしても、多くの罪なき人々の命が奪われるとしても。彼女が自分なりの正義のために、必死の思いで掴み取ったそれを、人の枠から外れたところに立つ俺が、踏み躙るわけにはいかないから。

 

 ―――だからここは、あの二人に任せよう。

 

 ノイズを追いかけ、銀の少女との初遭遇を果たした二人の戦姫を見やり、俺は内心でそう呟いた。

 

 きっと、彼女たちならば。あの少女とも手を繋げる。具体的な根拠はないけれど、今まで見てきた彼らだって、何度も衝突しながら絆を育んできたのだから。

 

 願わくば彼女達も、そんな互いに切磋琢磨し合えるような関係に。

 

 年寄りじみた思考に、確かにもういい年だなと自分で納得し、そのまま樹木に身を預ける。ここは大人として、彼女達の行く末を見守ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………と、そう思っていたのだが。

 

 「強えな……」

 

 何年も前から装者として戦い続けている翼は言わずもがな、司令のところで特訓に励んでいる立花も随分と動きが良くなり、中々に様になってきている。

 

 だが、それ以上に少女が強い。桁外れ、は流石に言い過ぎかもしれないが、立花を軽くあしらい、翼をいなし切るほどには頭一つ抜けている。

 

 俺が入る前の出来事なので失念していたが、翼によって判明した少女の武装―――ネフシュタンの鎧は確か完全聖遺物とやらだったはずだ。

 そんな代物を扱い切る銀の少女の地力も目を見張るべきものだが、やはりこれは基礎スペックの差だろう。このまま押し切られれば、()()無事では済むまい。

 俺は後頭部をかきつつ舌打ちを漏らし、苦々しげに吐き捨てた。

 

 「……前言撤回」

 

 ―――Resynave Barrage zero tron(希望を光に、明日へ進む)

 

 イージスに手をかざし、聖詠を紡ぎ出す。数瞬の間に姿を変じさせた俺は、一足飛びに物陰から踏み出し、向かい合う少女たちの間に躍り出た。

 

 「そこまでだ」

 

 瞠目する彼女たちに構わず、素顔を隠すために下ろしたバイザーの奥から、くぐもった声でそう告げる。

 

 一瞬の静寂の後、驚きから覚めた銀の少女が当然のごとく抗議の声を挙げた。

 

 「ざっけんな!! いきなり出てきて何様のつもりだ!?」

 「神様だ、異論は認めん」

 

 短く即答、その返答にまたも瞠目し、動きを止める少女。

 一拍空けて、何かを口走ろうとした―――恐らくは「嘘をつけ」とかそんな言葉だろう―――彼女に向けて、右手に装着された剣を振るう。

 

 正確には、その少し横を狙って、だ。

 (ゴウ)、という空気を引き裂く容赦のない音と共に、衝撃が銀の少女のすぐ横を走り抜けた。遅れて振り向いた彼女の視線の先で、何かが芝生の上に落ち、じゃらり、と硬質な音を立てる。

 彼女の鎧に付属している、鞭状に連結された紫色の水晶のようなものを、俺が断ち切ったのだ。

 

 「退け」

 

 冷徹に、一切の感情を滲ませることなく、そう告げる。既に彼我の力の差は理解させた。完全に機能した状態ならまだしも、未熟な今の性能では力不足だと。後は、彼女次第だ。

 交戦の危険性を鑑みて、撤退するか。……それとも、理屈や理性すらも凌駕する、激情に従うのか。

 

 「ふざ……、っけんな、テメェみたいなやつがいるから、力を持つ奴らがいるから!! 世界から争いがなくならねぇんだよっ!!」

 「やっぱりか

 

 果たして彼女が選んだのは、後者であった。泣き出しそうな表情で、声を荒げて俺を糾弾する彼女に、小さく納得の声を漏らす。

 彼女はやはり、平和を望んでいた。世界に絶望して、それでも、希望なんて曖昧なものを諦められなかった。

 あまりにも純粋で、優し過ぎる。その優しさを、純粋さを、何かが歪め、捻じくれさせてしまったのだろう。

 

 それを理解すると同時に、俺はもう一度、結論を引き出した。

 ―――すなわち、出番無し、と。

 

 「テメェらが力を振るって、周りも何も見ずに戦うせいだ!! だから、だからアタシが!! 力を持ってるやつを、全部ぶっ潰さなきゃいけないんだよ!!」

 

 尚も、胸の中の激情を吐き出し続ける少女は、断ち切られた右側の鞭とは反対の、無傷の鞭を握りしめ振りかぶった。

 直後、その先端にエネルギーが収束し、禍々しい光球を形作る。彼女はそのままエネルギー弾ごと鞭を振り回し、それを投擲した。

 怒りに任せた、後先考えないその一撃。迫りくる熱量と、まき散らされる衝撃に焦燥の声を上げる立花を背に庇い、俺は光球に手をかざした。

 

 数瞬空けて、接触。掌に走る焼けつくような痛みを黙殺し、力を斜め後方にそらす。炸裂の轟音が鼓膜を叩くのをわずらわしく思いながら、広がった煙が晴れるのを待つ。

 

 「それでも、戦わなければならないんだ」

 

 露わになった視界の先。渾身の一撃を真正面から受け止められたという事実にわななく少女を見据え、俺はそう呟いた。

 彼女の言うことは間違いではないと、俺は認めよう。大きな力の持つ暗い側面から、目を逸らすことなど決して許されないから。

 だけど、歩みを止めるわけにはいかないのだ。この身に受け継いだ、突き進む力と守り抜く力に誓って。この心に受け継いだ、色褪せることのない想いに誓って。たとえいつかは手放さなければならないとしても。せめて、まだ俺が超人である間だけは、握り締めていたいのだ。

 

 そしてその理由は、遥か昔から、胸に懐き続けている。

 

 「何、で……」

 

 だから、少女が震える声で絞り出したその問いにも、迷うことなく答えられる。

 

 

 「決まってんだろ」

 

 「守るべきものが、あるからだ」

 

 

 力強く、ではなく。叫ぶわけでもなく。

 

 ただただ厳かに、らしくない声の調子で、俺はそう告げた。

 

 ―――そして彼女には、伝わらなかった。

 

 「……んだよ、それ……」

 

 困惑に満ちた表情で、得体のしれないものを見るような瞳で、彼女は弱々しく、言葉をこぼした。

 そして彼女は、今度こそ退いた。銀の鎧を翻し、林の中へと消えていった。

 

 その背中を見送った俺も、構えを解いて、戦場を去る。予期していた翼の制止の声がないのを少し訝しく思いつつ、俺は飛翔を開始し、空へと飛び去った。

 

 「あ、待ってくださ―――」

 

 遅れて反応した立花の制止の声を、しかし振り切り、止まることなく宙を駆ける。

 少しして、ふと背後を振り返ると、小さな人影が2つ、はっきりと見えた。俺の方に向かって何かを叫ぶ立花と、呆然と立ち尽くす翼。

 

 「ああ……」

 

 俺は二つの事実を認識し、息を吐いた。

 

 一つ目は、まあ、あれだ。……翼には、バレただろうな。

 あの反応は、間違いない。あいつの勘がいいのか、俺が迂闊だったのか。色々と見せ過ぎたことに異論はないが、それにしても、とも言いたい。

 とはいえ、バレてしまったというのに言い訳をするのも無駄か。ま、必死こいて頭下げればなんとかなるだろ、ちょっと絵面がヤバそうだけど。

 ……はあ、気が重い。

 

 二つ目は、再三言ってきたことだが、やはり俺には、彼女は救えない、ということだ。

 守るべきものがあるから戦う俺と、守りたいものがあるから戦う立花。そしてきっと、立花こそがあの少女を変えられるのだ。

 似ているようで、しかしはっきり異なるその相違こそが、俺にはできないという確信の理由なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論を言うと、俺の予想は半分程度しか当たっていなかった。

 確かに銀の少女―――雪音クリスの心を立花の想いが揺さぶったことには間違いない。

 しかし、行く宛のなくなった彼女に手を差し伸べ、絡まりあった糸くずのようだった心を解きほぐしたのは、立花ではない別の少女だった。

 

 その彼女の名は小日向未来、立花の親友だ。

 

 一応名前と顔だけは覚えていたが、性格等の詳細な情報は、立花に聞いていたことぐらいだ。

 後は、喧嘩をしてしまって、仲直りの相談を受けたことか。あのときはほとほと呆れたな。人助けをするなとは言わないが、それで友人に心配をかけていては本末転倒だろうに。

 

 まあ、解らないなりに、納得はしたが。なにせあの立花が親友と呼ぶ人間なのだ。

 人並み以上の善性と、彼女の無軌道さに振り回されたとしても側にいようとする、寛容さを兼ね備えた人物であることは、想像に難くなかったから。

 

 彼女は路地裏で倒れていた雪音を見つけ、懇意にしている飲食店……、ふらわーというお好み焼き屋の店長の家で介抱したそうだ。

 そしてその際、彼女は雪音に、何も聞くことはなかったらしい。ただ、少し悩みを相談しただけだった。

 すなわち、立花と仲直りがしたい、と。無論名前は口にはしていなかったが。

 それに雪音は、ぶっ飛ばせ、という中々にバイオレンスな解決法を示したらしい。

 いや、男同士ならともかく、と思わなくも無いが、それで小日向は吹っ切れた、と言うのだから、あながち間違いでもなかったのだろう。

 

 とにかく、彼女が変わるきっかけとなったのは、俺では決して与えられないもの。普通の人間が持つ、何気ない優しさだったのだ。

 

 ……そう、きっかけ。

 

 何よりも、彼女が変われたのは―――否、もともと秘めていたその優しさを表に出すことができたのは、彼女自身の強さによるものだと、俺はそう思っている。

 彼女は、両親を殺されたばかりのその頃であっても、世界を平和にしたいと、願い続けていたのだから。

 そこに、俺の介在する余地は無かった。もとより俺は関わる気など無く、そして彼女に俺の言葉は、響く事はなかったから。

 

 だから、彼女たちに俺の存在は必要ないのかもしれない。雪音クリスだけで無く、他の戦姫達にも。

 

 夥しい数のノイズの群れを、しかし怯まず見据え、各々の武器を構える少女たちを見て、俺はそんなことを思っていた。

 切迫した状況のはずなのに、高層ビルの上に立つ彼女たちのやり取りは、見ていて微笑ましい。

 

 なんだかんだ、ぶつかり合いわかり合い、同じ戦場(あそこ)に集った彼女たちは、これからはあんなふうに、お互いを尊重し合いながら日々を過ごすのだろう。

 そんな確信めいた予感を懐きつつ、俺は眩しいその光景に背を向け、残った人々の救助に向かった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「―――!?」

 

 あまりにも突然に、背後から出現した気配に、俺は悪寒を感じ振り向く。

 視線の先にあったのは、数十ほどの異形の群れ。彼女たちのやり取りに気を取られていたとはいえ、警戒を怠っていた訳ではない。

 つまりこれらのノイズは、今しがた急発生した、と言うことだ。

 

 「くぅっ……!」

 

 極彩色の躰を円筒状に変えて行われる、鋭利な先端による特攻攻撃をなんとか横に躱し、息を吐く―――

 

 「かふっ」

 

 ―――吐けなかった。迂闊にも、あまりにも迂闊なことに、俺は背後に召喚されていたもう一体のノイズに気づいていなかった。

 走る痛みがやつの攻撃に貫かれたことを如実に示している。―――完全に、失敗した。

 

 「ああ、そうかよ」

 

 最後に発した理解の言葉。それは、きっとこの瞬間を待ちわびていたであろう、彼女に向けたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      雪音クリス (無関係)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 はい、無関係でした。

 クリスちゃんが嫌いなわけではないですよ、むしろ好きです。
 ただ、やっぱり彼女との和解は原作のが一番かな、という理由と、これのパロディもと、人間関係シリーズにも無関係枠が一人いたのと、敵でありながら善性を持ったクリスちゃんに、果たしてゼロさんが攻撃できるかという理由がありまして。

 本文でも書いた通り、ゼロさん、特に拙作の色々とオリ要素詰め込んだ、はちょっと甘いんです。そして、一歩線を引いている。

 実際、その気になればゼロさんも説得は出来ると思うのですが、あえてやらないのです。
 これでもう少しクリスちゃんが悪によっていたのなら、間違いなく彼の出番だったのでしょうが、この場合に関しては、俺でない方がいい、という判断を下してしまったんです。
 で、それは吉と出た、と。

 


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四話:俺らしく、ゼロらしく

 



 

 ネフシュタンの鎧を纏う少女―――雪音クリスとの遭遇、交戦が終わり、装者たちは騒然とする二課に帰還した。

 

 「……零さん、少しいいですか?」

 

 その片割れ、アメノハバキリのギアを纏う戦姫、風鳴翼がそんな言葉とともに、一人の職員を呼び止めた。

 彼女に零と呼ばれた青年は、気怠気な表情で振り向き、何か用か?と、尋ね返す。

 自分に向けられたすべてを悟ったかのような瞳に、翼は予感を確信へと変え、意を決して口を開いた。

 

 「貴方は、先程まで……、どこで何をしていました?」

 

 重々しく放たれたその問いに、しかし零は、ふっと穏やかな笑みを漏らした。

 その様子に、しばし拍子抜けたかのように呆ける翼に、彼は諭すような口調でこう言った。

 

 「違う違う、そうじゃねえだろ。お前が聞きたいのは………、俺が、()()かってことだろ?」

 

 『アレ』。

 

 普通なら曖昧に過ぎるその言葉だが、この場合においては、それが指すものは唯一つだ。

 

 現在二課を騒がせる原因の一つ。

 即ち、ネフシュタンの少女と交戦する翼たちの間に割り込み、その圧倒的な力で持って彼女を撤退させた、限りなくシンフォギアに近い何かを纏う人物のことに他ならない。

 

 「では……、やはり、あれは貴方だったのですか」

 

 何かを噛みしめるような表情で、翼はそう呟く。零が話さなかったことに、少しショックを受けているのだろう。

 

 「ま、そういうことだ」

 「……何故、話してくれなかったんですか。奏は、知っていたんでしょう……?」

 

 何でもないかのようにそれを肯定する零に、翼は絞り出すように問いかける。

 

 「別に贔屓してる訳じゃない、たまたまバレちまったってだけだ。これに関しちゃ隠してた俺が悪い。すまなかったな」

 

 零が存外にあっさりと謝罪の言葉を口にしたため、翼は一瞬返答に困り、詰まった。空いてしまった間を埋めるように、慌てて彼女は口を開く。

 

 「い、いえ、別に奏を責めてる訳では……、それにそちらにも事情があったのは解っています。カッとなってしまって、すみません」

 「っと、お前に謝られると調子狂うな。割と腹括って来たつもりなんだが」

 

 穏便に済みそうだったというのに、何でわざわざ余計なことを口にするのか。

 最後の言葉を聞き咎めた翼の瞳が、にわかに鋭い眼光を放つ。

 

 「どういう意味ですか? 今の」

 

 低い声で発されたその言葉に、零は冷や汗を流したじろぐ。実年齢数百分の一、精神年齢でもこちらを下回っているはずの少女相手に情けない有様だが、機嫌を損ねた女の子は、ウルトラマンでも扱いに困るものなのだろう。

 その対応として零が選んだのは、話を逸らす、という微妙な策だった。

 

 「い、いや、何でも。それより、あのときの……」

 「二年前の絶唱も、ですか。随分すんなりと話すのですね。……ずっと隠していた割には」

 

 あからさまな皮肉である。親友を救ってもらったことへの感謝はあるが、話を逸らされた事への苛立ちがないまぜになり、内心複雑なのだ。

 

 「ま、まあそう拗ねるなって、ちゃんと話すから」

 「……拗ねてません」

 

 子供の様にそっぽを向く翼に、零は慌てて、しかしどこか微笑ましげに目をすがめ、なだめすかした。

 普段気を張っている彼女が、年相応の振る舞いをしているのが嬉しいのだろう。

 ……ここで子供扱いはどちらかと言うと駄目な方の選択肢なのだが、それを指摘できるものはこの場所には存在していなかった。

 

 「ん? というか……」

 「どうした?」

 

 膨らませていた頬から息を吐き出し、何かに気づいたらしい翼がそう漏らした。彼女はそのまま零の方へ振り向き、彼の目をしっかりと見据えると、口を開いた。

 

 「ちゃんと話すって、まだ何か隠してるんですか!?」

 「え、あ、まあな。そもそも俺人間じゃないとか」

 

 勢いこんで迫る翼に、たじろぎながら発された零の返答が、彼女を硬直させた。数瞬おいて、とっさに耳をふさいだ零の前で、翼が叫ぶ。

 

 「はああああああああああああああああぁぁっ!?」

 「静かにっ! 人来たらどうすんだ!?」

 

 と、言うわけで。

 千原零ことウルトラマンゼロは、この後凄まじい剣幕で翼に詰問され、自分の正体に関して洗いざらい吐かされることとなったのであった。

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「戦力、未知数。完全起動状態なら……、否、不確定か。やはりあれを奪取しなくては――――――」

 

 そして、終わりは近づく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「広木防衛大臣が、殺害された……」

 

 招集された二課職員の面々が、重い表情の司令、風鳴弦十郎から聞かされたのは、そんな言葉だった。

 それぞれが思い思いの反応を返す中、青年……零は一人黙し、物思いに耽る。

 

 (あの爺さん、結構好きだったんだけどな……)

 

 彼が広木大臣と直接顔を合わせたことは、ほとんど無かった。司令の付添いで出向いたとき、極稀に二、三言交わすのがせいぜいだったろう。

 けれど、その数少ないやりとりと、彼が二課に向ける態度から、人となりは把握していた。

 

 常に厳しい姿勢で自分たちとの交渉に臨み、衝突することも多かったが、それは何かと爪弾きにされやすい二課を思ってのことであり、実態はこの組織の良き理解者だったのだ。

 零はそんな彼の在り方にに好感を抱き、こういう尊重の仕方もあるのだな、と、感心していた。

 

 だから、悲しい、悔しい。何もできなかったことが。

 解ってはいる。人は脆い生き物だと。打ち所が悪ければ道で転んだだけでも死んでしまうし、病にかかってぽっくり逝く、なんて話もざらにある。

 土台全てを守れる訳がないのだ。手の届かぬ者のほうがずっと多い。不慮の事故など防げるはずもないし、人の悪意が絡めば精神をすり減らすだけだ。

 超常の災害には対応できても、常に世にはびこるそれには、どうあっても手を出せない。ここだけは、人と人と諍いだ。

 

 彼のあとには、副大臣が繰り上がって就任するらしい。確か親米派の人物だったから、この後は米国の意見が通りやすくなるだろう。

 

 (はあ……頭が痛い)

 

 とはいえ、それについてはどうにもできない。どこまで行っても彼は、この星に、宇宙にとっての部外者なのだから。

 内政に関することに触れることなど許されない。それは明らかに過干渉で、下手をすれば意志の誘導……、間接的な支配に繋がりかねないからだ。

 

 (見守るだけっていうのも、楽じゃねえんだよな……)

 

 そこで零は思考を打ち切り、完全聖遺物《デュランダル》の輸送計画について話し始めていた司令に意識を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「デュランダルの……輸送?」

 

 数日後、日課となった弦十郎との鍛錬を終えた響は、その後行われた輸送作戦の説明に首をかしげていた。

 

 「あんま深く考えんな。要はすげー大切なもんを取られちまわないように守るってだけだ」

 「な、なるほど! そう言うことなら任せてください!!」

 

 見かねた零が若干噛み砕き過ぎに思える捕捉を行う。それに頷き、威勢よく胸を張る響に、翼はため息を吐き、奏も苦笑を漏らした。

 まあ、まっすぐすぎる彼女に、ややこしく回りくどい政府の内情など理解できないだろうし、そうする必要もない。

 

 ―――救えるなら救えばいいじゃないですか

 

 あっけらかんと、なんでもないかのようにそう言えるこの少女に、そんなドロドロしたものは余分だからだ。

 そんな想いを胸中に抱きながら、彼は同時に一つの懸念に思考を巡らせる。

 

 雪音クリスが来たとき、どうすべきか

 

 ノイズの襲撃ならば、問題は無い。しかし、ネフシュタンの鎧を纏うあの少女が来たなら。

 はっきり言ってあのスペック差はいかんともし難い。最悪、もう一度イージスを使用する必要があるだろうが、おそらく今度は黒幕も目を光らせているはずだ。

 下手に動けば、正体を看破される恐れも十分にある。それがどうと言うわけでもないが、余計なリスクは避けるに越したことは無い。

 となると、響と翼に頑張ってもらう他ないということになる。

 

 そう結論付けていた零は、おもむろに口を開くと、弦十郎にまだ時間はあるか、と尋ねた。彼がそれに頷くと、零は今度は響に声をかける。

 

 「おい立花、ちょっと来い」

 「ふぇ?」

 

 何とも間抜けな声と共に振り向いた響に、零はため息をつきつつ手招きし、何かを耳打ちした。彼女は一瞬ポカン、とした表情を浮かべ、すぐに我に返ると慌てた様子で奇妙なポーズを取り始めた。

 

 「いいんだよ、今のお前なら問題ない」

 

 どうやらジェスチャーだったらしい彼女の行動の意味を理解した零は、ぶっきらぼうにそう告げた。

 訝しげにその様子を見ていた周囲の視線に、しかし響は気づかないまま、解りました、と胸を張る。それでいい、と零は頷くと、彼女から離れ、もとの位置まで戻った。

 それを確認した弦十郎が、最後にもう一度口を開く。

 

 「そういえば、まだ作戦名をつけていなかったな。了子君、何か良いのはないか?」

 

 弦十郎の問いに、了子は少し思案するような顔になり、やがて口を開いた。

 

 「そうね……。『天下の往来独り占め』作戦、なんてのはどう?」

 

 中々に独創的な作戦名に、各々が苦笑や嘆息など微妙そうな表情を浮かべる中、ただ一人、零が拳をパン、と手のひらに打ち付けた。

 

 「いいな、それ。

 ―――じゃあいっちょ、二課のぶっ飛び具合を見せつけてやろうじゃねえか!!」

 

 あんたらと一緒にすんな、とその場にいる職員の誰もが思ったが、口に出すことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らに説明された作戦の概要はこうだ。

 

 まず先に目的から。これは二課の防衛システム、『アビス』に保管されている『デュランダル』を、永田町最深部に存在する『記憶の遺跡』に移すことだ。

 表向きの理由はここ最近の、二課を中心としたノイズの大量発生を危惧したとのことだが、実際は有力な外交カードとなる完全聖遺物を、政府の管轄においておきたい、ということだろう。

 

 そのために弦十郎の説明通り、広木防衛大臣殺害の犯人を検挙する名目で検問を敷き、目的地までの道のりを独走する、という作戦が取られた。

 

 輸送に使われるのは護衛車数台と、本命のデュランダルを輸送する、櫻井了子女史の車だ。この件で、同じく狙われるだろう同乗者、響が困惑を見せたが、古参のメンバーからの説明と、自信に満ちた了子の様子に納得した。

 なお、護衛車の中の一台には零も乗り込んでおり、また、翼は上空からの援護に務めることとなった。

 

 そして翌日早朝、作戦が開始される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「で、ようやくお出ましって訳か!!」

 

 マンホールの蓋を跳ね飛ばし、その異形を表したノイズの群れに、零が乱暴な口調で叫んだ。先程の突然の襲撃で、危うく海へと落ちかけた彼はもはや苛立ちを隠そうともしていない。

 そこへ、唐突に弦十郎からの通信が入る。

 

 「下水道だ! ノイズは下水道を使って攻撃してきている!!」

 「チィッ、面倒な真似を……。で、どうする?」

 

 彼の報告に思わず舌打ちを漏らした零だが、次の瞬間には嘘のように冷静さを取り戻し、意見を仰いだ。弦十郎はその豹変ぶりに困惑を見せるも、少し間を置き返答した。

 

 「この先に薬品工場がある……。後は、言わなくても解るな?」

 

 その問いに、零はギッ、と獰猛な笑みを浮かべた。なんだかんだ似たもの同士であるこの二人には、言葉にしなくても通じるものがあるのだろう。

 

 ―――だが

 

 「いやどういうこと? 弦十郎君、全然解んないんだけど!?」

 

 他の者はそうもいくまい。会話どころかアイコンタクトも無しに察するのは無理がある。ましてや、()()の前でそれを行うのは、あまりにも皮肉が過ぎた。

 

 「ノイズはデュランダルを傷つけないよう制御されていると見える。ならばあえて危険な場に飛び込み敵の攻め手を封じる!!」

 「なるほど、で。勝算はあるの?」

 

 そのとき彼女は通信機越しに、ふっ、と示し合わせたかのように二人が息を漏らすのを聞いた。了子はなにこいつらウザっ、という本音を押し隠し、次いで放たれるであろう言葉を待つ。

 

 「「思いつきを数字で語れるものかよっ!!」」

 

 何のためらいも無く、いっそ清々しいほどの気勢で放たれたその言葉に、彼女は呆れたように、しかし確かに笑みを浮かべ、ポツリと零した。

 

 「確かに、そうね」

 

 そして彼らは、真っ直ぐ死地へと飛び込んでいく。生き抜き、使命を果たすために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「予想通りだ、ノイズは追ってこねえ」

 「ええ、このまま行けば―――」

 

 そこで突如、通信が沈黙した。直前に零が漏らしたまずい、という呟きを拾った弦十郎が、焦りと共に叫ぶ。

 

 「な、無事か? 返事を……、くそ、何も見えん!!」

 

 一瞬で土煙に覆われた工場の様子が空から見えるはずも無い。襲撃に巻き込まれた響たちの安否を憂い、彼は色を失う。と、そこで通信機から返答があった。

 

 「落ち着け司令、こっちは一応無事だ! 向こうも嬢ちゃんが何とか……。いや、だめだ。あの子が来た」

 

 その言葉に、弦十郎は一旦は安堵を見せたが、続く言葉に、一も二も無く通信機に呼びかけた。

 

 「翼!! 今すぐ救援に向かってくれ、響君一人では流石に荷が重すぎる!!」

 「無論、既に向かっています!!」

 

 ―――Imyuteus amenohabakiri tron

 

 そうして、戦場に歌が響く。蒼き装束を纏った翼が、邪魔建てするノイズを容赦なく切り捨て、響に襲いかかるネフシュタンの少女へと吶喊した。

 

 「クソっ、不意打ちかよ!」

 「問答無用!! 借りを返させてもらう!!」

 

 そこからは前回の焼き直し、とはならなかった。先手を取ったことが効いているのか、クリスは防戦を強いられる。

 召喚される大量のノイズを翼がことごとく打ち破り、響がクリスと一対一で戦い続ける。明らかに練度の上がった彼女の猛攻は、一撃浴びせることは叶わなくとも、スペックで勝るはずの完全聖遺物を徐々に追い詰めていた。

 しかし、そう簡単にいくはずも無い。ネフシュタンの鎧の性能が、何より、少女の抱く怒りが、敗北を許さない。

 

 「だ、らぁっ!!」

 

 絞り出すような声とともに、クリスが両手に握った鞭を振り回した。それに焦ることなく響は後退を選ぶ。

 と、その直後、響の肌が、ゾッと粟だった。凄絶な笑みを浮かべるクリスが視界を掠めたからだ。

 

 「これで、終わりだ!!」

 

 振り切られた鞭の先に、膨大なエネルギーが収束する。前の戦いのときに見たその技は、謎の人物に阻まれこそしたが、その光球が撒き散らした余波から、まともに食らっては無事に済むまいということを予感させた。

 とっさに回避行動を取ろうとする響。しかしクリスの方が僅かに速い。紫水晶のごとく輝く鞭がついに振り切られ、光球が放たれる―――

 

 「私を無視しないでもらおうか!!」

 「ッ!?」

 

 寸前、体を走る悪寒に身を引いたクリスの眼前を、青い刀が通過した。標的を見失った光球が、その実体をまたたく間に霧散させる。

 地面に着地したクリスがとっさに辺りを見回すが、すでにノイズの姿は消え失せていた。響に意識を向けるあまり、ノイズの召喚が疎かになっていたのだ。

 自分の失策を悟り、歯噛みするクリスの前で、容赦なく翼が追撃を放つ。それを間一髪で躱す彼女。

 しかし、その目の前には、拳が迫っていた。

 

 

 ―――武器なんか無くてもいい。力を溜めにためて、ここぞってときにぶちかませ。

 

 それが、作戦開始前に響が零から受けた教えだった。余りにも単純、かつ大雑把なそれは、しかし響の性根にこの上なくかっちりとハマっていた。

 

 そして訪れた、千載一遇の好機。鋼鉄のごとく握り締められた拳が唸りを上げ、クリスの横っ面を過たず捉えた。

 

 「ガッ…!?」

 

 例え槍で無くとも、切っ先すら存在せずとも、銀の少女の顎を穿ち抜いたそれは、紛うことなき無双の撃槍であった。会心の一撃が彼女の顎を揺らし、意識を混濁させる。

 回転しながら十メートル以上も吹き飛ばされ、クリスはあえなく地面に叩きつけられた。だが、それが逆にきつけとなったようで、彼女はふらつきながらも立ち上がる。

 

 「てめぇ、ら。絶対許さね―――」

 

 瞳を憎悪に染め、低く怨嗟を吐こうとしたクリスは、しかし唐突に言葉を失い硬直した。

 その隙を見逃すまいと翼が武器を構え、切りかかろうとした瞬間、後ろを振り向いていた響が声を漏らす。

 

 「え? デュランダルが……」

 「なっ!?」

 

 その言葉に振り向いた翼も、同様に驚愕の滲む声を発した。運搬車が破壊された際に、外へと投げ出されていたケースがいつの間にか解錠され、ひとりでにデュランダルが浮かび上がっていたからだ。

 炎の中で鍛えられたものとは明らかに乖離した、奇矯な形状の古びた刀身からは、眩いほどの輝きが放たれていた。

 その幻想的な光景に目を奪われていた少女達は、デュランダルが空中で真っ直ぐ停止するまで、微動だにできなかった。

 

 「まずい、確保を……!」

 「ちょせぇっ!!」

 

 我に返った翼が跳躍の前兆を見せるが、彼女が地を離れるより早く、クリスがノイズを召喚する。極彩色の壁と化した異形の群れに、翼は停止を余儀なくされ、彼女に先手を許す。

 ―――しかし

 

 「翼さん!!」

 「―――ッ、任された!!」

 

 背後よりかけられた声に、一瞬瞠目した翼は、しかし響の意図を読み取り、行動を起こした。

 

 ―――天の逆鱗

 

 直後、上空より巨大な剣が飛来し、ノイズの群れを斬壊させながら地面に付き立った。しかし、宙を駆ける少女を撃ち落とすことは叶わない。

 

 「ハッ、どこ狙ってやが……、なに!?」

 

 早合点だ、それは元から彼女を狙っていない。そもそも攻撃ですらなかった。本命は、デュランダルへと至る、道を創り出すこと。

 

 「はあああああああぁぁぁああっ!!」

 

 城壁のごとくそびえる巨剣に響は蹴撃、斜めに傾いだそれを勢いそのままに駆け上る。驚愕に身体を硬直させたクリスのもとへ、彼女は瞬きする間もなく到達し、その拳を握り締めた。

 

 「これは、渡さないっ!!」

 

 二度目の、痛打。弱者と侮っていた相手から受けるそれは、肉体以上に精神を打ち砕いた。

 殴られたショックから回復できず、地面へと堕ちていくクリスに、一瞬躊躇うような視線を送る響。しかし彼女は首を振って、その感情を振り払い、神々しい輝きを放ち続けるデュランダルへと、手を伸ばした。

 その様子を見届けた翼は、安堵のため息を吐き出し、胸を撫で下ろす。

 

 「これで一先ずは安心か。後は彼女を制圧するのみ―――」

 

 地面へと倒れ付したクリスに追撃を加えるため、響から視線を外そうとした彼女は、そこで不自然に言葉を切る。

 デュランダルを握り締めた響。その表情はちょうど刀身に隠れ翼からは伺えない。

 だが、何かがおかしい。幾多の鍛錬と戦場で培った直感が警鐘を上げる。()()()()()()()()()()()()()()、と

 

 「…………………立、花?」

 「Guaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」

 

 絞り出された問に対する返答は、獣の如き咆哮だった。あどけなく、そして明るい活力に満ちていた顔はどす黒い闇に塗り潰され、瞳は血の色の光を不気味に放つ。

 破壊衝動を形にしたようなナニカへと成り果てた彼女は、なんの躊躇もなく手に持つ大剣を振りかぶった。

 凹の字の様な形状をしていたはずの切っ先を鋭く変形させたデュランダルは、より眩く、神々しく、その刀身にまとう輝きを強めていく。

 

 「くっ、うぅ……」

 

 その余波に煽られ、翼の足が地面を離れかける。呼びかけて正気に戻すべきなのだろうが、彼女に近づく術は無い。何より、ただそれだけで響がこの状態から脱するとは到底思え無かった。

 

 「ふざ、けるなぁっ!!」

 

 現状打破のために思索を巡らせる翼の背後から、絶叫が響いた。振り向く彼女が目にしたのは、激情を歯を軋ませ、眦を裂いたクリスの姿。

 

 「そんな力を……、アタシの前でっ、見せびらかすなぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 その矮躯を満たして有り余る憤怒に、彼女は聖剣を振りかざす響へと、吶喊した。

 

 「な、待ちなさいっ!?」

 

 とっさに翼が静止の声を上げるが、それがクリスに届くことは無かった。

 彼女の接近を感知した響が、うめき声と共に振り向く。その瞬間、クリスはようやく自分の無謀さを理解した。

 今の響は獲物を探す獣そのもの。そんな彼女の前にのこのこ出ていけば、どうなるかは明白だ。

 虎の尾を踏んだ者に待ち受けるのは、死以外に有り得るまい。

 

 「■■■■■■■■■■■■■■■■■―――ッ!!」

 

 もはや人語を介しているかも怪しく感じるほどの咆哮を上げ、彼女は大剣の柄に握り潰さんばかりの力を込めた。尖った犬歯が口の端から覗き、深紅の瞳が剥き出しの殺意を込めて光り輝く。

 

 「ひ……」

 

 少女が悲鳴とともに先程の勢いを霧散させ、退いた。情けなさすら感じるその行動は、しかし彼女の命を間一髪で救った。

 直後、光の柱が天へと伸び上がり、振り下ろされた。開放された膨大なエネルギーが破滅的な崩壊を引き起こす。

 と、その時。

 

 「そこまでだ」

 

 そんな声が、一瞬だけ()の耳朶を打ち、すぐに轟音にかき消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「流石にこれ以上の破壊は容認できねえよ。……つっても、理解できてるかどうかは怪しいがな」

 

 黄金の光に満たされた空間に、そんな声が響いた。少し間をおいて、返答らしきうめき声が獣から発される。

 理性を失った彼女にあるのは、目に入る全てを蹂躙したいという歪んだ欲望だけだ。醜く塗り潰されたその内心を見透かした零は、静謐に告げた。

 

 「悪いが、力ずくで止めさせてもらう」

 

 その言葉が、火蓋を落とした。

 

 「■■■■■■ッ!!」

 

 先に動いたのは、響だった。完全に覚醒したデュランダルを乱雑に振り回し、彼女は丸腰の零に容赦なく襲いかかる。

 迫る切っ先を見据える彼の目は、しかしどこまでも落ち着いていた。いつの間にか左手に出現していたブレスレットから覗く、金属光沢を放つ何かを掴み取り、一閃。

 

カアァン!!

 

 硬質な交錯音が響き、両者の距離を引き離す。彼の右手には、刃渡り十数センチほどの、湾曲したナイフのようなものが握られていた。

 カシュッ、という射出音と共に、ブレスレットから同型の刃がもう一本排出され、彼の左手に収まる。

 零は左手を腰だめに、右手を前に突き出す独特の構えを取ると、即座に響へと切りかかった。十五メートルの距離がコンマ一秒で詰められ、霞む速度で刃が振るわれる。

 それを響は強引に引き戻した大剣で弾き、すぐさま切り返しに繋げた。

 

 「そんな力任せが通用するか」

 

 冷めきった声音で、零が吐き捨てる。繊細さに著しく欠けるその一撃を、彼は最小限の動きで躱し、体制を崩した彼女の腕を絡めとった。

 

 「■■■■■■■■■■ッ!!」

 

 腕を極められた響が、絶叫を漏らす。それを無視して零はデュランダルの柄を握り締めると、予め投擲していた二本の刃を叩きつけ、彼女の手から引き剥がした。

 手に持ったそれをすぐさま背後に放り捨て、彼は響の方へと振り向く。

 

 「さて、これで元に……」

 

 戻らない。彼の眼前には、以前その身を狂気に落とした少女が、荒い息を吐き出していた。

 

 「チッ、あれはただのきっかけだったか。原因は、そっち(ガングニール)だな」

 

 最短で結論を見出すと、零は迷いなく彼女の身体を透視した。奏に変態だの何だの言われたが、この際だから仕方あるまい。

 肌に張り付いたボディスーツ、皮膚、筋肉を瞬時に透過し、彼の視界に中身が映し出される。いささかグロテスクなそれには、明確な異物が混じっていた。

 

 (あれは、まさか……)

 

 張り巡らされるようにして彼女の体を犯す、金属質の何か。それは、彼女の身体に残留したガングニールの欠片に他ならない。

 そしてこの瞬間、ある事実が確定した。

 

 「クソッタレが……!」

 

 ギリィ、と歯を擦り合わせ、彼は呻くようにその言葉を吐き出す。

 

 ―――気づいていた。気づいて、向き合って、考えて、結論を出した。傍観する、と。

 

 その結果がこれだ。いたいけな少女をドス黒い感情に沈ませ、いたずらに苦しめる今の状況こそが、その選択の結末だった。

 不甲斐ない自分への怒りに、零は握った拳の骨を軋ませ、皮膚を抉る。

 

 「これは俺の不手際だ。だから俺が始末をつける。来い、立花響!!」

 

 瞬間、彼の瞳が、黄金と翠緑に染まった。彼の髪が、白銀に煌めいた。

 その在り方を人から超越者へと変じさせた零は、迫る響を前に、刃を投げ捨て素手で応じた。

 

 鉤爪の如く曲げられた五指を振るい、零の身体を引き裂かんとする響。空気を蹴った、としか考えられない軌道で襲い来る彼女の兇手を、零は真正面から迎え撃つ。

 真っ直ぐ心臓目掛けて伸びる響の手のひらに、彼は自分の手のひらを合わせるようにして組み合わせ、突進の力を受け流し、投げ飛ばした。

 勢いそのままに宙を舞う響は、しかし虚空にて姿勢を制御。危なげなく足から接地し、転がりながら衝撃を殺す。

 

 「……しまったな」

 

 後悔の滲む零の呟き。彼は自らが背後に投げ捨てた物のことを失念していた。

 立ち上がる少女の右手に握られているのは、完全聖遺物『デュランダル』。転んでもただでは起きない、という言葉を象徴するかのように、彼女は投げられながらもそれを回収していたのだ。

 

 「■■■■■■■■■■■■■■■■■―――ッ!!」

 

 再度増幅された破壊衝動が、大剣を満たすエネルギーとして現出する。両の手に過剰なまでの力を込めて柄を握り締めた響は、眩むほどの輝きを放つそれを、真一文字に一閃した。

 際限無く解放される光芒を、零は十メートル余りも跳躍してやり過ごす。

 空振った大剣に少なからず振り回され、発生した一瞬の隙を見逃さず、彼はウルトラマン由来の飛行能力で彼女に肉薄した。

 放つ一撃は、掌底打ち。最小限の動作で、最短の軌道を描くそれは、吸い込まれるかのように響の腹へと打ち込まれた。 

 

 「■■■■■■■■■■■■■―――ッッッ!!」

 

 だが、浅い。絶叫と共に、怯むことなく彼女は巨剣をぶん回し、零の身体を両断せしめんとする。迫りくる大質量を前に、彼は一歩も退かず、両の手を以て受け止めた。

 そもそも、彼は負傷や気絶を狙っていた訳ではない。本命は掌を押し当てる……、つまりは触れることによって成り立つ()()

 

 「ぐっ、ぎぎ……」

 

 うめき声を漏らしながら、凶器を押し込まんとする響に拮抗する零。しかしこの状態を長く続けるわけには行かない。

 この空間でいくら時間が流れようと、向こうでは一瞬に過ぎないとしてもだ。

 今尚侵食を続ける聖遺物の欠片が、取り返しのつかないところまで彼女の身体を蝕む前に、決着をつけなければならない。

 

 「へ、あぁぁあああああああああああっ!!」

 

 大喝。

 声を振り絞り、彼は渾身の力を込めて巨剣を押し返す。めきめきと音を立てて骨が圧壊し、裂けた筋肉が鮮血を吹き上げるが、零はそれを気にも留めない。

 

 ―――どうせすぐに治るのだから。

 砕けた骨が次の瞬間には継がれ、再構成される。飛び散った血液が光の粒子へと変じて消え失せ、同時に腕の裂傷が塞がる。

 破壊と再生を繰り返す彼の腕が、ついに拮抗を破った。打ち下ろされた巨剣が押し戻され、響の足が地面を擦りながら後退する。

 徐々にあとずさる彼女の体勢に無理が生じた。その瞬間を見逃さず、零はもう一度得物を奪うため、足払いをかける。

 

 「■■■■■■■■■■■■■■―――ッッ!!」

 

 足を引っ掛ける、その寸前。響の咆哮に共鳴するかの如く、彼の両手に抑え込まれていたデュランダルが()()()()

 三度目の聖遺物の解放、今までのそれを遥かに上回る勢いに、零は右腕が砕け折れるのも構わず、剣を強引に横倒しにし、次の瞬間、全力で飛んだ。

 

 直後、放出。溢れ出す莫大なエネルギーが、光に満たされた果てなき空間を疾走した。

 地平線―――ここでは光平線と言うべきか―――の彼方へと消え去った光線は、もし向こう側の世界で放たれていたとすれば、街一つ消し飛ばしてなお余りあるものだった。

 

 発射から数瞬、直撃をかろうじて躱した零が、地面に着地する。同時に、鮮血が飛び散り、彼の頬を濡らした。

 

 「まさか持ってかれるとはな……」

 

 肘の先から吹き飛んだ自分の腕を、呆然とした様子で見つめながら、彼は呟きを漏らした。嘆息、そして言葉を続ける。

 

 「……………………………安くねえんだけどな、この服」

 

 右腕が再生した。無論、服の袖はそのままだが。

 常人なら致命傷になり得る傷を瞬時に完治させ、零は構え直す。その瞳が見据えるのは、巨剣を携えた獣のごとき少女。勝利条件は、彼女の正気を取り戻す事。

 それを再確認した零は、達成するための最善の道を模索する。種族として、人間を遥かに凌駕する知能指数を誇る彼の頭脳がフル回転し、そして結論が出された。

 

 「めんどくせえ、正面突破だ!!」

 

 彼の唇が弧を描く。不敵な笑みを浮かべ、彼は検討していた全ての策を棄却した。当然だ、そんなもの(試行錯誤)が彼の性に合っているはずがない。ただ思いのままに、らしくも無く理知的に行くのはこれで終わりだ。

 なぜか? 理由など解り切っている。

 

 彼が、()()()()()()()()()()()()

 

 

 上体を起こし、直立姿勢になった響が、閃光を纏うデュランダルを掲げた。

 四度目の、解放。刀身に収束する光芒をその目にしながら、零はこれが最後のチャンスだと直感する。連続の解放は、彼女がガングニールに呑まれつつあることの証明。これ以上は、戻ってこれなくなるだろう。

 

 投げ捨てられ、地面に放置されていた小刃の片割れが音もなく浮き上がり、彼の右手に収まった。その手を前に突き出し、地面と垂直に構える。

 それに対抗するように、響はデュランダルを中段に構えた。刃から発される余波が漂う光の靄を吹き散らす。

 

 「■■■■■■■■■■■■■■―――ッッ!!」

 

 けたたましい咆哮と共に、彼女は突きを彷彿とさせる動作で、極太の光線を撃ち放った。巨人の断末魔めいた轟音が空間を軋ませ、超高密度のエネルギーが瞬く間に距離を詰め、零の命を消し飛ばさんと迫る。

 

 「はぁ…………」

 

 それを前にして、しかし零は動かない。ただ刃を前に突き出したまま、息を吐き出すだけ。

 回避など元々選択肢に入れていないのだ。彼が狙うのはその宣言通り、正面突破のみ。瞳を閉じ、限界まで精神を研ぎ澄ませ、彼は一刀に全霊を込める。

 そして衝撃が全身を叩いた瞬間、眼前に迫った光芒に彼は目を見開き―――

 

 「へあっっ!!」

 

 ―――気合一閃。刃渡りせいぜい十五センチのちいさな刃が、ゆうに彼の身長の二倍はある光線を、()()()()

 二方向に別れたそれは、そのまま零を避けるかのように直進し、彼方へと消えていく。遍く暴力の具現を、彼は身一つで打ち破ったのだ。

 無論、無傷では無い。刃を握りしめていた右手は付け根から消失し、少なくない量の血を吹き上げている。

 だが彼はそれを黙殺し、烈光の瀑布の中にこじ開けた隙間を駆け抜け、響の元へ向かった。

 いくら連発が可能とはいえ、一切の手加減なく完全聖遺物をぶっ放せば、威力のあまりどうしても隙が出来る。それを見逃す零ではあるまい。

 

 「はぁあっ!!」

 

 踏み出した足に、余力を注ぎ込む。自ら創り出した空間故に、その強度は百も承知。アスファルト製の地面なら容易く踏み砕いてしまうような踏み込みであっても、この場所なら耐えられる。

 無駄な力の消費を排除し、その全てを推進力に変換、文字通り、彼は一足飛びに少女の元へ到達した。

 

 「―――!」

 

 突如目の前に現れた敵に、彼女はとっさに反撃を試みた。反動で押し下がった剣に万力の如き力を込め、砲撃じみた一撃を繰り出す。

 

 ―――だが、遅い。

 

 その切っ先が届くより遥かに早く、トンッ、といっそ拍子抜けしてしまうような軽さで、彼の掌が響の腹に押し当てられた。

 その真意を、もはや理解しようという思考すら存在しない彼女は、勢いを一切緩めることなく巨剣を突き出した。

 肉を切り裂く、ではなく、叩き潰すような耳障りな音が響き、肩口から吹き飛んだ肉と骨(腕だったもの)の欠片が辺りに飛び散る。

 そのまま五度目の解放を実行、得体の知れぬ敵対者をただ殺さんとする彼女の衝動は、しかしそこで停止した。

 

 ―――アブソリュート・ゼロ

 

 ピキリ、という微かな破砕音が響いた。直後、響の纏う鎧に無数の亀裂が走る。

 

 「か、はっ……」

 

 彼女の口から、これまでの獣じみた咆哮とは異なる音が吐き出される。それを合図としたかの様にシンフォギアが砕け散り、化物に変わり果てかけた少女は元の姿を取り戻した。

 

 「はぁ………………、疲れた」

 

 倒れ臥す響を左腕で支えつつ、彼はそう呟いた。再生を終えた右手で、ボロボロになってしまった上着を脱ぎ捨てる。

 どうやって説明するかと、このあと必要になって来る言い訳に頭を痛めつつも、その顔に曇りはない。

 何よりも優先すべき目標は達成できたからだ。おまけにデュランダルも確保できた。これ以上の結果があろうか、という話である。

 どこか満足げな笑みを浮かべ、響を担いだ零はこの場所を後にした。

 

 後には、袖の千切れたズタズタの上着だけが残され、それも閉じられた空間もろとも、消えて無くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  







 ふっ、ゼロさんはまだ実力の1%も見せていない……(だって光線一発も撃ってないし)








 アブソリュート・ゼロの解説。

 任意のエネルギーを、文字通りゼロにする超能力。今回はシンフォギアを形成するのに必要なフォニックゲインを消失させた。


 


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立花響との関係

 







 どうもー、立花響です!!

 

 リディアン音楽院に入学したての女子高生で、誕生日は九月の十三日で血液型はO型、身長はこの間の測定で157cm! 体重は……さすがに教えられないかな?

 趣味は人助けで、好きなものはごはん&ごはん!

 

 あと、彼氏いない歴は年齢と同じっっ!!

 

 そしてそして、特異災害対策機動部二課の装者の一人でもあるのです、イエーイ!! どうぞご一緒に、イエーイ!!

 

 

 「…………なにやってんだ? 立花」

 

 背後から呆れた、……と言うより若干引かれてる? とにかく声がかけられた。ほえっ、と声を漏らしながら振り向くと、そこにいたのはすっごく綺麗な男の人。この二課の職員である零さんだ。

 変な物を見る目になってしまっている彼に、慌てて弁明を……って、あれ?

 

 「い、いえ、そういえばほんとに何やってたんだろう……」

 「大丈夫なのかそれ?」

 

 きょとん、とした顔になる私に、割と本気で深刻そうな声をかける零さん。そのまま彼は私の顔を覗き込み、無言で観察する。急に顔を近づけられ、前述のとおり男の人に慣れていない私はパニックに陥ってしまった。

 

 「ふぇっ? ちょ、ちょっと零さん……」

 「何してんだこの変態!!」

 

 そんな状況を吹き飛ばしたのは、女性としては高めの身長と、夕焼けのような橙色の髪が特徴的な人物、天羽奏さんだった。

 国民的アーティスト、『ツヴァイウイング』の片割れである彼女は、私の纏うガングニールの、もともとの装者でもある。

 明らかに状況を誤解しているだろう怒号と共に、彼女は零さんに凄まじい勢いで蹴りを放った。

 司令に修行をつけてもらって、一応は武術がどういうものか知っている私には、その完成度の高さがはっきりと解る。あれならコンクリート程の強度のものでも容易く砕くだろう、と。

 常人に対してなら致命的な威力を誇るだろうそれが、瞬き一つの間に零さんの眼前に迫り―――

 

 「あぶねっ、いきなり何すんだ奏」

 

 そんなことを口走った彼の掌に、ぽすん、と気の抜けるような音とともに受け止められた。

 おそらく全力だったろう一撃を軽くあしらわれ、奏さんは諦め混じりのため息を吐く。

 

 「ていうかなんでいるんだ? お前」

 

 そんな彼女に放たれた、少しデリカシーに欠ける零さんの問いに、奏さんはちょっとは食らってくれよ、とぼやきつつも応じた。

 

 「暇だからだよ「嘘つけ」

 「早っ!?」

 

 流れるような彼の否定に、奏さんより先にツッコミを入れてしまう。まあよく考えてみれば、多忙極まる超人気アイドルに、早々暇などあるはずも無い。

 となると、分刻みのスケジュールの合間を縫って、彼女ははるばるここまで訪れていることになる。

 別に迷惑とかそういう訳ではなく、むしろツヴァイウイングの大ファンであるわたしにとっては役得でしか無いのだが、すでに一線を引いている奏さんに、わざわざ二課に来る理由などないのではないだろうか。

 

 「ああもう、わかったよ!!」

 

 そんな私の内心の疑問を読み取ったのか、それとも零さんの問いかけるような視線に耐えかねたのか、彼女は観念して叫んだ。

 

 「いやさ、大したことじゃないんだよ、ほんと」

 

 そう前置いて、彼女は話し始める。

 

 「……あたしが、昔装者として戦ってたってことは知ってるよな? ―――そうか、覚えてるのか、あのときのこと。

 なら話は早いな。その力を、あたしはもう失ってる。その二年前の事件で」

 

 そう言って、彼女は一瞬、零さんの方に視線を送った。そこにどのような意図があるのかを汲み取るより先に、奏さんの言葉が続く。

 

 「元々無茶して手に入れたもんだし、代わりにぼろぼろになっちまった体も治してもらったし、そいつのことは恨んでない、むしろ感謝してる」

 「それは……、こないだの人ですよね?」

 

 私の問いかけに、彼女は頷いた。クリスちゃんとの最初の戦いのときに乱入してきた、謎の装者。彼があのときも居たというのは、初耳だ。

 

 「でも、未練がないかって言われると、これが微妙でさ」

 

 ばつ悪そうに、彼女は笑う。抱いていたイメージとは違う、どこか儚げで、悲しそうな笑みだ。

 

 「翼に一人で、戦わせることになっちまった。悩んで悩んで、他でもないあいつに背中を押してもらって決めた答えだけど、結局後悔した。

 翼は意地張って、辛いなんて口にしなかったけど、だから余計に見てて苦しくなってさ。

 ま、そこは零が何とかしてくれた訳だけど」

 「別に、ほっとけなかっただけだ」

 

 ぶっきらぼうに口を挟む零さん。すると奏さんは、ニヤリ、と笑みを浮かべ、彼をからかい始めた。

 

 「ん、もしかして照れてる?」

 「照れてない」

 「絶対照れてるー、零はツンデレだな、翼と一緒だ」

 「あ、あはは……」

 

 先程の仕返しとばかりに零さんをからかい倒す彼女に、私は曖昧な笑い声を漏らす。

 嫌そうに顔を背ける零さんの頬は、しかしほんのりと赤い。ツンデレというのはあながち間違いではない……?

 

 「おい、お前今何考えた」

 「ひえっ、いや、零さんでもそんな顔するんだなー、と」

 

 やっぱりこの人心読めるんじゃないだろうか。

 発された低めの声に、私は気圧されつつも何とか誤魔化した。

 

 「あー、ごめんごめん、話逸れちゃったな」

 

 どうやら気の済んだらしい奏さんが、脱線していた話をもとに戻す。

 

 「んで、そんときはもう大丈夫だって思ってたんだけど、そう簡単には行かなかった

 ここ最近、馬っ鹿みたいでてくるだろ? ノイズ。空気も読まずにわらわらと。立花もきてくれたけど、それでも大変なのは変わんない。その上、だ」

 

 そこで、彼女は言葉を切った。あとに続く言葉は、解りきっている。

 

 「雪音クリスが現れた。ネフシュタンの鎧付きで、だ。れ……、あいつが来なかったら、無事じゃあ済まなかっただろう。だから、あたしが戦えればって、翼を傷つけるやつをぶっ飛ばしたいって、そう思っちゃったんだ」

 「なるほどな。もう一度適合のための治療を受けるかどうか迷って、結局踏ん切りつかずに帰るってのを繰り返してた訳か」

 「そゆこと。ま、そんなこんなでまごついてる内に、奴さん……、いや、クリスって子にも色々あるって知って。

 家族を奪ったノイズを憎む私と、家族を奪った戦争を、力を憎むあいつ。そこに違いなんて無いような気がして、もう、よく解かんなくなった」

 「奏さん……」

 

 この人も、いや、誰だって。普段は吐き出せない何かを秘めている。私もそうだ。もやもやして、誰かに相談したいと思って、だけど躊躇して、なかなか言えない。

 彼はそんな胸の蟠りを見透かして、ちょっと強引だとしても引き出してしまう。そのあり方は、人助けを趣味としている私には、憧れるものだ。

 

 「悪い、辛気臭い話したな」

 「気にすんな。慎次は翼の世話やら情報収集やらで忙しいし、メンタルケアくらいなら手伝ってやったほうがいいだろうからな」

 「ははっ、また部屋散らかしたのか?」

 

 そんなとこだろ、という零さんの返答に、奏さんはもう一度声を上げて笑う。

 さり気なく、何か詳しく聞きたい情報が飛び交った気がするが、今はそれよりも優先すべきことがある。

 

 「あの……、ちょっといいですか?」

 「ん?」

 

 疑問の声を漏らす奏さんと、無言でこちらを見つめる零さんの視線を受けて、私は口を開いた。

 

 「こんなこと尋ねてもいいか解らないんですけど……、奏さんは、翼さんと喧嘩したことはありますか?」

 「あるよ」

 

 絶句。余りにも早い返答に、一瞬言葉を失ってしまう。

 

 「そもそもあたしと翼ってツヴァイウイングとして組まされたときが初対面だしな。澄ましたいいとこのお嬢さん、みたいな印象抱いてしょっちゅう突っかかってたぞ?」

 「そ、そうだったんですか!? ……なんというか、信じられないです」

 「だよなぁ、司令達に聞くまでは信じられなかったぜ。まあ、色々あっての今の関係性なのかもしれねぇが」

 

 私の驚嘆に、零さんも同意の言葉を続けた。確か彼が配属されたのは二年前の事件より後らしいので、仲の良い二人しか見たことがない、ということだろう。

 

 「ま、でも、だ」

 「?」

 

 口を開いた彼女に、何だろう、と疑問を抱き次の言葉を待つ。

 

 「参考にはなんないと思うぞ。あたし達はぶつかり合いあっての関係だが、そっちは昔から仲良かったんだろ?」

 「な、なんで解っ……」

 「いや、そこまであからさまだったら気づくだろ」

 

 図星をつかれた。安直に答えを求めてしまったようで、少し後悔する。焦りを顔に出す私に、壁によりかかる零さんが問いかけてきた。

 

 「で、どうする? 大して忙しくもねぇし、相談くらい乗ってやれるが」

 

 少し、考える。

 未来との喧嘩。今まで、あんな彼女を見たことは無かった。怒ってるようで、それ以上に不安そうなあの表情を思い出す度に、胸から汚泥のように罪悪感が込み上げてくる。

 どうすれば良いのか、解らない。何を言うべきなのか、何をするべきなのか。

 情けない。人助けが趣味で、目に映る全てを守りたいと思って、戦ってきたはずなのに、一番大切なものを、ないがしろにしてしまった。

 

 「…………立花」

 

 うつむく私に、声が掛けられた。綺麗で、優しくて、なのに力強い不思議な声。

 

 「俺にも友がいた。戦友ってやつだ」

 「……………居た?」

 

 その言い回しに、少し不穏なものを感じて、そう尋ねる。ああ、という返答は淡々としているようで、しかし確かな苦味を含んでいた。

 

 「昔一緒に戦った、忘れられない奴らだ。俺も奏と似たようなもんで、最初は色々言いあって、いがみ合って、けれど最終的には解り合えた。

 で、だ。そうやって出来た俺と彼らの関係は、そうそう切れるもんじゃない。例え彼らが死んでもだ。

 そして、それはきっと、お前らも同じなんだよ。今みたいに衝突するときが来て、それを乗り越えたら、これまで以上に強く繋がれる。

 お前なら、お前たちになら、それができると俺は信じてる。

  

 …………また辛気臭くなったな。まあ、一緒に居られるってのは、案外得難いもんだと、そう思っとけ」

 

 こういうのはやっぱ似合わねえか、なんて最後にぼやいた彼に、首を振る。

 

 「いえ、ありがとうございました! とりあえず謝ってきます。それできちんと話して、今度は納得してもらいます。これが私の、選んだ道だから!!」

 

 はっきり、そう言い切った。私はこれからも誰かのために戦いたい。そして、未来とずっと一緒にいたい。

 欲張りかもしれないけど、これが私の出した答えだ。

 

 「いい顔だ。じゃ、まあ行ってこい!」

 

 そう言って、奏さんは私の肩を叩いた。走った衝撃が、私の身体を熱くさせる。衝動のままに、私は前へと踏み出した。

 

 次の瞬間、背後から舌打ちが聞こえて、私は出しかけた足を止める。振り向いた先にあった零さんの苛立った表情に、背筋が凍る。

 

 「張り切ってるとこ悪いが、出やがったぞ」

 

 ビイィィ―――――――――――――ッ、と甲高く響く警報が、ノイズの発生を告げた。

 思いっきり出足を挫かれ、私はたまらず絶叫する。

 

 「私って、呪われてるぅぅ――――ッ!!?」

 

 

 けれどその後、紆余曲折あったけど、仲直りは出来た。やっぱり、未来は未来で、私の大切な、ひだまりなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「で、やっぱり気にしてたりすんのか?」

 

 響が去ったあと、二人だけになった廊下で、零が奏にそう尋ねた。彼女は苦笑して、口を開く。

 

 「ほんと、何でもお見通しだな」

 「そうでもない、わからねぇ事ばっかだ」

 

 妙に実感の籠もったその言葉に、奏は首を傾げつつも、内心を吐露した。

 

 「あれ(ガングニール)はあたしが押し付けたもんだからな。それのせいで仲違いが起きたってんなら、それはあたしのせいだ……、あたっ、何すんだよ零!?」

 

 ぽかり、と軽く零にこづかれた奏が、講義の声を上げる。呆れたような表情の彼は、ぶっきらぼうに口を開いた。

 

 「気負いすぎだ。全部が全部お前のせいってわけでもねえし、そもそもこれが悪いことって訳でも無い」

 「どういう、ことだ?」

 「自分で言ってたろ、ぶつかり合いあっての関係だって。きっとあいつらも、もっと遠慮のねえ関係性になれるさ」

 

 励ますためか、本気で言っているのか、多分その両方だと奏は判断し、笑った。

 

 「そうだと、良いな……」

 

 そうして、呟く。自分の残したものが、あとに続く誰かの、楔になればと願いながら。

 

 「おい、奏」

 「ん? 何だ―――って、うわっ?」

 

 振り向くと同時に投げ渡されたものを、彼女は辛うじて受け取った。手の中にあったそれを確認し、瞠目と共に疑問の言葉が口をつく。

 

 「零、これ……?」

 「使え、その意志があるのなら」

 

 ―――ただし、今じゃない。いつか必要になったときに、だ。

 そう続けて、彼は背を向けた。さりゆく背中に、彼女は無言で、ただ頷きだけを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 「あら〜、ガールズトークかしら?」

 

 後日。幾つかの手続きを終え、正式に外部協力者として登録された未来を連れ、二課に訪れた響を出迎えたのは、櫻井了子女史の、気の抜けるような問いだった。

 

 呆れながらに自分の存在を主張する緒川の言葉を華麗にスルーし、彼女は得意げに自分の恋愛譚、つまりは恋バナを語ろうと口を開く。

 にわかに色めき立つ響と未来。

 

 「そもそも私が聖遺物の研究を始めたのは……」

 

 翼の意外そうな呟きに答えつつ、余計な茶々を入れる緒川をノックアウトし、口火を切ったその瞬間、しかし了子はハッとして口をつぐんだ。

 

 「……ああ、まあ、私も忙しいからここで油を売ってられないわっ!」

 

 わずかに焦りを見せ、彼女はそのままそうお茶を濁し、立ち去ろうとする。

 しかし、思春期女子高生ズがそんな中途半端なことで納得するはずも無い。彼女達はどうやら多忙からでは無く、話しづらい事のようだと辺りをつけ、話の矛先を変えた。

 

 「じゃ、じゃあ零さんとかは! あれだけカッコいい人なんですしすっごくモテそうですけど!!」

 

 その問いは、櫻井を引き止めるという目的を果たすことだけに限れば、最適のものだった。

 事実彼女は翻しかけた身体を停止させ、返答した。

 

 「無いわよ」

 

 にべも無い否定の言葉。それに込められた途方もない威圧感に、響達は気圧され硬直する。豹変した態度、普段の彼女から想像もつかぬ程に低い声音に、困惑を隠し切れないようだ。

 

 「あ、あら、ごめんなさい。ちょっと怖がらせちゃった?」

 「い、いえ、そんなことは……」

 

 取り繕うかのような、慌てた櫻井の声が廊下に響いた。振り向いた彼女の顔には、いつも通りの明るい表情が浮かんでいる。

 

 「ところで、無いとはどういう……?」

 

 空気がもとに戻ったことに安堵したのか、先程までは響達のテンションにやや置いていかれ気味だった翼が、そう尋ねた。

 それに櫻井は頷き、口を開いた。

 

 「ああ、零くんは恋なんてしないってことよ。理由は簡単、彼って正真正銘の男女平等主義者だもの」

 「えっと、それはつまり?」

 

 回答の意味を咀嚼しきれなかったらしい響が、おずおずと問いかけた。確かに彼女の言葉は曖昧に過ぎ、一息に理解することは難しく思える。

 

 「うーん、平等というよりかは、同列って言った方が正しいかも。

 要するに、こういうことよ。そこに転がってる緒川くんを説明すると、『デリカシーのない男』。そして私を説明すると、『できる女』ってなるわよね」

 

 未だ受けたダメージから回復しきれていない緒川と、自分を順に指差しつつ、彼女はそう言った。

 

 「でも、彼の場合はこうなるの。『デリカシーの無い、男の人間』と、『できる女の人間』。つまり、男女の性差をあくまで個性の一つ、として捉えているってことかしら」

 「え、そんなことって……」

 

 頭から今にも疑問符が浮かび上がりそうな様子の響と、その横で素直な驚嘆を漏らす未来。

 

 「ま、異常よね。何でそんなふうになったか解らないけど…………、あら? 翼ちゃん、もしかして思い当たる節があった?」

 

 そんな中、複雑そうな表情を浮かべる翼に、櫻井は唐突にそう言葉をかけた。

 

 「……いえ、何も」

 

 一瞬動揺を顔に出しかけた彼女は、しかしすぐさまそれを押し込め、はぐらかすように答えた。

 その様子に櫻井は意味深な笑みを浮かべると、背を向けた。そして今度こそ、その場から去ってゆく。

 

 「あ、そうそう響ちゃん」

 「はい?」

 

 先ほどとは逆に、立ち去る櫻井がとどまる響に声をかける。悪戯っぽい笑みを浮かべ振り向いた彼女は、からかうようにこう言った。

 

 「異性の恋愛事情を聞くのは、告白と同じようなものよ?」

 「ふぇ? ………えぇぇぇぇ――――――っ!? いやいや違いますぅ、違うからね未来っ、そんなつもりじゃなくってぇぇぇぇっ!?」

 

 とっさに悲鳴とも絶叫ともつかない弁明を始める響だったが、もはや後の祭り。未来から放たれる不穏なオーラを感じ取ったのか、翼といつの間にか復活していた緒川は、こっそりとその場を後にした。

 

 まあ、雨降って地固まる、とも言うわけだし、なんとかなるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (なぜ私は、あんなことを……。変わったのか、それとも……、変えられた? 

 それに、なぜあそこまで感情的に……。まさか、あの方と重ねている、とでも? 馬鹿らしい。あれが同じであっていいものか……!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 原型を留めぬ程に砕かれ、完全に崩壊したリディアン音楽院。そして、半ばからへし折られた、巨大な円柱。

 瓦礫と残骸がおりなす惨憺たる光景を背に、黄金の鎧を纏う女性が一人、立っていた。

 

 櫻井了子として二課に潜んでいた彼女―――フィーネは、忌々しげにその美貌を歪め、地に膝を付き、俯く少女―――立花響を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪音クリスから得た、カ・ディンギルという単語をヒントに情報を集めていた二課は、その正体を東京スカイタワーと睨んだ。

 

 結果として、東京スカイタワーは大量のノイズの襲撃を受け、響と翼がその殲滅に当たる。

 上空から襲い来るノイズに一時は苦戦する二人であったが、途中、助っ人として駆けつけた雪音クリスの奮戦もあって見事に勝利。

 

 しかし、和解を喜ぶ暇など無かった。

 突如入った、リディアンが襲われていると言う未来からの通信に、装者達は一も二も無く急行する。

 

 待ち受けていたのは、壊滅したかつての学び舎と、瓦礫の上に立つ櫻井了子だった。研究者として二課に所属しつつ、裏では雪音クリスを操っていた彼女は、ついにフィーネとして正体を現し、覚醒した完全聖遺物『ネフシュタン』の力を振るう。

 

 最終決戦が始まる中、カ・ディンギルが二課に設置されたエレベーターであり、人類の不和の原因たるバラルの呪詛が施された月を穿つための、荷電粒子砲で有ることも明らかになる。

 

 そしてその一撃を止めるため、クリスが絶唱を放ち、森の中へと堕ちていった。

 翼もまた、決死の突撃を持ってカ・ディンギルを破壊し、爆風にのまれた。

 

 残るは響ただ一人。その心はすでに折れ、野望を打ち砕かれたフィーネに何をされようとも、もはや抗う気力すら残っていない。

 

 

 

 

 「もう、消えろ」

 

 抑え切れぬ激情に身を任せ、フィーネが冷たく告げた。目の前に迫る凶刃に、しかし彼女は動かず、膝をついたまま下を向く。

 抵抗の意志は無く、儚く散った二人に思いを馳せることしかできない。涙とともに、自らも彼女達に殉じようと、命を奪う兇器を、彼女は受け入れる―――

 

 「泣くな、折れるな、立って前を向け」

 

 ―――寸前、背後から唐突に、そんな声がかけられた。ハッとして顔を上げると、そこには一人の青年が、振り下ろされた鞭を受け止め、悠然と立っていた。

 

 例え髪が銀に染まり、瞳が宝玉の如き輝きを放っていたとしても、その相貌を見間違えるはずがない。

 

 「零……………、さん?」

 「待たせたな」

 

 

 

 

 ―――反撃が、始まる。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 
 


 


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五話:決意

 ふらわーのおばちゃんの口調がわかりませんでした。違和感があるかも知れません。申し訳ない限りですが、どうかお見逃し下さい。
















 ―――ずっと、ずっと。見てみぬふりをしてきた。

 

 

 軽い鞄を片手に、夕焼け色に染まった空の下を、ゆっくりと闊歩しながら、ひとりごちる。

 

 

 ―――気づいたのは、随分昔の話だ。説明するまでも無いような、些細な事をきっかけにして、俺は彼女の正体を知った。 

 

 

 たどり着いたアパートの自分の部屋。その扉の鍵穴に、小さな鍵を差し込み、ひねる。

 ガチャリ、という冷えた金属音が響き、ロックが外れた。

 

 

 ―――その時は、少し驚いた。彼女からは、そういう奴ら特有の、嫌な感じがしなかったから。

 

 部屋に入った俺は、荷物を脇に置き、脱いだ上着をハンガーにかけた。もう着ることも無いのに、しわにならないよう気にしてしまうのは、癖になってしまっているからか。

 テーブルに置かれたデジタル時計の表示は、午後六時を少し過ぎている。……今日は、少し早めに帰ってきたのだ。

 別段、急ぐ用事があったわけではなく、二課でやるべき仕事がなかったというわけでもない。むしろ、今は忙しい方だ。俺が抜けたしわ寄せがいくであろう同僚たちに、少し申し訳なさを感じ、ため息を吐く。

 

 「ただ、なんとなく……。今日は帰った方が、良いような気がしたんだ」

 

 誰に聞こえるはずもない、無意味な言い訳を唇が紡いだ。神様でも見ているのか、いや、そういえば俺が神だったな、と下らない問答を頭の中で展開しながら、キッチンへ向かう。

 

 

 ―――ただ、放置して置く訳にも行かなかったから、色々と探りを入れた。彼女がやろうとしていることも、それが生み出すであろう被害も、全部知った。

 

 

 電気をつけ、奥にある冷蔵庫を視認する。最近はコンビニで買ったものばかりだったから、今日くらいはちゃんとしたものでも食べよう、そんなことを考えながら、俺は冷蔵庫の戸を開けた。

 

 「なんにもねぇ………」 

 

 最低限の調味料すら存在しない、人間味が微塵も感じられないその中身に、呆然と言葉を漏らす。

 何か買いに行くか、とも思ったが、このアパートの立地条件はあまり良くなく、一番近い食品店でもそれなりの時間がかかる。

 しかし、いい大人が全力疾走で道を走るのはいささか見苦しいし、瞬間移動やら高速走行を使うのも馬鹿馬鹿しい。

 

 「……どっかに食いに行くか」

 

 数秒悩み、俺は結論を出した。

 

 

 賑わう、という言葉はあまり相応しくない、まばらな人の波を横目に歩を進める。平日の夕方なのだから当然ではある。

 二課へ通勤する時には通らない道をあえて選んだので、立ち並ぶ建築物には新鮮味を感じた。そういえば、来たばかりの頃は、知っている地球とは随分と違った街の様子に驚いていたような気がする。

 ウルトラマンの感覚からすると、本来なら一年二年等あっという間に過ぎるようなものでしかないのだが、俺達のように地球で人間として暮らしていると、だんだんと長く感じるようになるのだ。

 過去―――と呼べるかどうかは怪しいが―――に思いを馳せながら、しばらくあるき続けていると、ある店の名が目に止まった。

 

 「ふらわー」、というお好み焼き屋だ。

 いつの間にかワーカーホリックじみた生活を送っていた俺は、流行りの店には疎い、というより自分の街に何があるのかすらよく知らない。

 だから、自宅から徒歩二十分程の、近いとも遠いとも言えない場所にある、さして目立つ訳でもない店の名前を覚えていることは、普通ならあり得なかった。

 

 だが、この店は別だ。別に行きつけとかそういうわけではない。というか入ったことも意識して見たこともない。

 この「ふらわー」は、俺の勤務する特異災害対策機動部二課の装者、立花響が懇意にしている店なのだ。

 

 快活、天真爛漫という言葉を体現しているかのような彼女は、その性格の通りよくしゃべる人間だ。故に話題に挙がることも多く、少なくとも数十回は聞かされている。

 当人はこの店のお好み焼きを絶賛しており、友人である小日向未来と、たまの贅沢以上の頻度で通っているそうだ。

 また、店の店主……立花はおばちゃんと呼んでいた、からも常連、お得意様として認識されているらしく、ネフシュタンの少女、雪音クリスが行き場を失ったときには、なんと部屋を貸し与えてくれたのだという。

 流石は立花のコネクションと言うべきか、そのおばちゃんも相当の人格者である。侵略宇宙人たちにも見習ってほしいものだ。

 

 

 …………と、まあ、ここまで長々と語ったからには、もう理解していると思うが。

 

 「すいません、席空いてますか?」

 

 俺は、今日の夕食をここで取ることに決めた。

 しかし、この二年で自然と敬語が口から出るようになったな。あいつらが見たらどんな反応をするだろうか。

 グレンは……、まあ大爆笑するだろうし、ナイトは二度見するだろう。ジャンボットとジャンナインは……、どうだろう、パッと思いつきはしないが、突飛なことを言われるのは目に見えている。あ、我々の知るゼロとの一致率0パーセント、とかか?

 

 「はい、空いてますよ……、あら、初めての方ですか?」

 

 奥から声が聞こえた。どうやら席はあるらしい、そのことに安堵しつつ、「はい、知り合いに勧められて」と肯定の返事をしておく。

 食にこだわりの強い立花のお気に入りという話だから、混んでいて入れないのではと内心冷や汗をかいていたが、存外店は空いていた。

 知る人ぞ知る、というやつなのか、単純に平日だからという理由もあるだろうが。

 

 「知り合い……、ひょっとして響ちゃんかしら?」

 

 と、気が緩んでいたせいか、その言葉に必要以上に驚いてしまった。ビクぅ!!とまでは行かないが、へ?という間抜けな声が出るほどには。

 

 「お、いや、なんで知って……」

 

 思わず崩れかける敬語。脳内で「まだまだだな、ゼロ」と叱咤してくる親父と師匠の姿が浮かんできたが、とりあえずスルーし、取り繕いながら尋ねる。

 

 「いや、最近すっごくカッコいい男の人と知り合ったって聞いたものだから、つい。すみませんね、驚かせてしまって」

 「いえ、こちらこそすみません」

 

 なるほど、そういうことか。この姿は製作者がそうなるように設定したものだから、あいつらからしたら願ったり叶ったりの反応だろうが、面と言われる俺はやはり気恥ずかしい。……無論、顔に出すことなどしないが。

  

 しかし、やはりこの口調は性に合わねえな。こういうのはもっと、メビウスみたいな……、いや、あいつは素であれだからな。なんて言うか、こう、猫被ってる感じのやつ……。

 

 未来から来た後輩やら地底育ちの後輩やらサイバーでデータな後輩やら後輩らしい後輩やら宿敵の息子である後輩やら接点薄い後輩やらを思い浮かべるが、当てはまりそうなやつはいない。強いて言うなら猫耳が居たくらいか。

 

 (つうか癖強いな……)

 

 全く、最近のウルトラマンは個性的なやつばかりだ。まあ、それが悪いわけでも無く、親しみやすいというメリットもあるのだが。

 お前が言うな、等というツッコミが聞こえたような気がするが、多分幻聴だろう、多分。

 今は平和を守る、という意味では暇にしているだろう彼らに思いを馳せながら、案内された席に座る。

 こういう店の勝手はあまり分かっていないので、注文を終えるまでに時間がかかると思っていたが、そこはふと思いついた方法で上手くいった。

 すなわち、

 

 「立花がいつも頼んでるやつで」

 

 こういう方法だ。何がおすすめなのか聞いておけばよかったとも思ったが、これで全て解決だろう。

 妙案を捻り出した自分に称賛を贈りつつ、準備のためか奥に消えていったおばちゃんに会釈をする。

 

 

 ―――俺は彼女が何を起こすかを、知って放置した。止めることもせず、それによって出る犠牲すらも黙殺し続けた。ウルトラマン失格だ。

 

 ―――でも、それでも、やらなくてはならない事があった。今の彼女では駄目だったから、待たなくてはならなかった。

 

 

 「はい、じゃあ焼きますね」

 「あ、お願いします」

 

 早いな、という素直な驚きは、おばちゃんの手に持ったボウルを見た瞬間、納得に変わった。そりゃあ目の前に鉄板があるんだ、ここで焼くに決まっているだろう。

 いかんな、うだうだと思い悩んでいるせいか、どうにも迂闊になってしまっている。

 一旦思考を切り、前のお好み焼きに目を向ける。

 

 ……オーブが得意そうだな、こういうの。

 

 ちゃっちゃと具材を混ぜ合わせる彼女の手際の良さに目を奪われていると、声がかけられた。

 

 「常連さんは自分で作る人もいるんですよ」

 「へえ、それじゃ立花達も?」

 「いえ、あの子はもちろん食べる専門です。ふふっ」

 

 まあ、確かにそうだな。やはりあの少女には作るより食べている姿の方が似合う。面と向かって言うと流石に文句を言われそうな気もするが、口には出していないから問題ないだろう。許せよ立花。

 話している間に一枚目が焼き上がったようだ。ソース、マヨネーズ、鰹節と青のりをかけてもらえば準備は万端。立ち上る匂いは食欲を刺激し、口内に唾液の分泌を促す……事はない。

 

 はあ、せめて空腹感くらいは搭載してほしかったな……。恨むぞ、ヒカリ。

 

 とはいえ、美味そうと俺が思っているのも事実。空腹は最高のスパイス、という言葉に好奇心は湧くが、無いものは仕方がない。

 

 「いただきます」

 

 綺麗に割った割り箸を、湯気をのぼらせるお好み焼きに伸ばす。軽く力を入れるだけで柔らかい生地は容易く切れた。さして時間もかからず一口大に調整したそれを、口に運ぶ。

 

 「…………………美味い」

 

 行儀悪くも、咀嚼している最中だというのに、思わず声を漏らしてしまった。呟いた俺の横で顔を綻ばせるおばちゃんが目に入り、暖かい気持ちになる。

 

 もっと色々と見て回りゃよかったな……。

 思えば休みも取らずに仕事三昧、司令の言葉も無視して調査、探索、調査の繰り返し。

 流石に怒られ無理やり与えられた休日はアメリカにあるセレナのいた組織の情報収集に消えた。幾ら何でも余裕の無さ過ぎる二年間だ。あまりの馬鹿さ加減に自分が嫌になる。

 もう少し、ゆとりを持って生きるべきだったろう。せっかくの地球だというのに、とてももったいない事をした。

 

 そんな後悔の念をお好み焼きとともに噛みしめる。

 美味い! うん、こういうときは食うに限る! ヤケ食いは体に悪い? はっ、こちとらウルトラマンだ。体調不良なんざあり得ねえんだよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――結果

 

 「………うう、食いすぎた」

 

 この様である。

 育ち盛りの高校生の如く―――と言ってもそれが具体的にどれくらいの量かは解らないが―――食ったせいか、腹が重い。あいつら、消化器系は普通にしやがるとか嫌がらせか?

 途中から心配げな視線を送っていたおばちゃんに、大丈夫大丈夫と見栄を張って立ち上がり、そのまま会計を済ませる。

 いつの間にか、店には俺だけになっていた。となると長居は無用、俺も帰るか。

 

 「ごちそうさまでした」

 

 戸を開け、振り返り挨拶。これだけは、忘れてはならないものだ。

 

 「あの、すみません」

 

 背を向け、今度こそ店を後にしようとしたところで、呼び止められた。何だ、お釣り……、は貰ったし、忘れ物もしてないと思うが……。

 

 「あの子達を、お願いします。最近、なんだか大変みたいで……。あの二人には、笑顔でほしいんです」

 

 ………ああ、優しい人だ。本当に、いい地球(ほし)だ。

 ここに生きる人達が、ここを第二の故郷足らしめていると、心からそう思う。

 けれど、俺は彼女の願いに、応えられないかもしれない。俺は俺の目的を、いや、そんな大層なものでも無い、強いて言うなら願いのような、曖昧な何かを優先してしまったから。

 

 

 ―――それは俺の勝手で、独断で、誰の益にもならない、ただの自己満足。

 

 

 ―――そして、俺の人生最初で最後の、何があっても通したい、わがままだ。

 

 

 

 決意は、揺るがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「待たせたな」

 

 その一言が、絶望に染め上げられたリディアンに伝播した。膝を付く少女を庇い立つは、白銀の髪をなびかせ、宝玉の輝きを瞳に宿す青年。

 

 「なぜ、貴様がここに……。貴様は………」

 「殺したはず、ってか?」

 「―――っ!!」

 

 驚愕を隠しきれず、狼狽の様子を見せるフィーネに、青年―――零は告げる。

 

 「あれは人を殺すためのもんだ。俺には効かねえよ」

 

 ―――とはいえ、普通に風穴開けられたけどな。

 言外に、自分は人ではないことを示しつつ、自嘲気味に彼は語る。その左腕には、いつの間にか銀の腕輪が出現していた。

 

 「基本的には俺は中立なんだが……、流石に月ぶっ壊そうとするような奴を、野放しにしておく訳には行かねえんだよ」

 

 突き放すような言葉。表情がにわかに鋭く引き締められ、眼光に厳しい光が宿った。戦場に立つ者、それを見ていた者すべての視線を一身に受け、神々しい光輝を放つブレスレットに手を翳した零は、聖詠(ウタ)を紡いだ。

 

 ―――Resynave barrage zero tron(希望を光に、明日へ進む)

 

 直後、閃光と共に、彼の体に赤と青、銀の三色で彩られたボディスーツが装着される。そしてそのまま、力強く前に踏み出した。

 

 一歩目。踏み込まれた足が地面を捉えた瞬間、出現した銀の鎧に包まれた。

 

 二歩目。同上

 

 三歩目。出現した鎧が、今度は胴体を覆った。同時に、二本の刃が虚空から顕現する。

 

 刃のそれぞれが腕の周りを旋回し、そこに鎧を装着させていく。手甲までが装備されると、刃は空へと舞い上がり、形成されていたヘッドホンに嵌め込まれた。

 

 全行程を終え、戦闘可能状態に移行した零は、開いた右手を前に突き出し、左手を腰だめに構えるファイティングポーズを取り、口を開いた。

 

 「DR(ディファレーター・レイ)変換式回天超特機装束、『ウルティメイトギア』稼働開始」

 

 銀に煌めく脚部装甲が大地を砕き、零の身体を加速させる。同時に、右腕のパーツが変形し、一振りの刀身を形造った。

 接近の気配を感じ取り、予備動作の時点で防御体勢をとるフィーネ。鎧に接続された鞭上の刃が集合し、盾を創り出す―――

 

 ―――ASGA………

 「遅い!」

 

 薄紫のバリアが、形成と同時に霧散した。音を超えて振るわれた刃が、彼女の防御より遥かに早く、彼女の身体を切断していたからだ。

 数カ所に決して小さくは無い刀創が走り、噴き出した血が鎧の破片と混じりながら地面に落ちる。

 

 しかし、彼女が纏うは完全聖遺物、ネフシュタン。完璧な融合による無限の再生能力が、またたく間に傷を治癒していく。

 全快した肉体をフルスロットルで稼働し、フィーネは鞭状の刃による反撃を放った。ヒュン、という風切り音と共に、紫色の軌跡が虚空に描かれる。

 しかし、その一撃が零を捉える事はなく、虚しく地面を砕くだけに終わった。

 瞬間移動じみた速度で視界から消失した零を探すために、視線を彷徨わせるフィーネは、背後から感じた気配に振り向く。

 

 「ガッ!?」

 

 同時に、吹き飛ばされた。強烈な回し蹴りが彼女の脇腹を抉り、中身を露出させている。更に零は、攻撃の際に掴み取っていた鞭を、勢い良く引いた。

 地に叩きつけられていたフィーネは、体勢を立て直す暇もなく零の目の前に引き寄せられる。

 

 「立花のやり方が、一番効果的だな」

 

 そんな呟きとともに、彼は眼前に迫ったフィーネの腹に、容赦なく拳を打ち込んだ。

 超重量の小手が生み出す衝撃が体内で炸裂し、銃弾すら無傷で防ぐはずの鎧が、薄紙の如く破られる。

 腹にぽっかり空いた風穴から鮮血を撒き散らし宙を舞う彼女を、零はなぜか追撃することなく落下まで見送った。

 ショック死すらあり得るほどの重傷を、ネフシュタンの治癒力によって再生しながら立ち上がるフィーネに、彼は冷たく告げる。

 

 「それじゃあ、俺には勝てねぇぞ」

 

 ギリィ、と歯ぎしりの音が、二人だけの戦場に響く。フィーネのものだ。抑えきれぬ赫怒が、彼女の美貌を歪ませる。

 

 「お前が、立ち塞がるのか!? 恋など出来すらしない、人外の化物が!!」

 

 憎悪の滲むその言葉に、彼はふっと、苦笑した。諦めの混じった、ため息のような笑み。そうして彼は、応える。

 

 「ああ、俺はそんなものは知らない。なにせ母親の顔もよく知らねえんだ。親父との馴れ初めって奴も、結婚するに至った顛末も、何一つ聞かされちゃあいない」

 

 彼の胸に刺さった抜けない棘のような何か。会いたいと、思ったことは数知れず。でもなぜか、言い出すという決心がつかなかった。

 

 「それに俺は、只人と生きるには長生き過ぎて、同族と生きるには時間が足りない。まあお前の言うとおり、永遠に恋なんてものはできねえよ」

 

 あっさりと、彼はその事実を認めた。お前の気持ちなど分からない、とそう告げたのだ。例え、解りたくとも。

 

 「だが……」

 「……?」

 

 表情から笑みを消し、逆説の言葉を告げた彼に、フィーネが訝しげな視線を送る。

 

 「お前は知らない。己を殺して使命に殉じる苦しさを」

 

 ―――結局、水掛け論だ。知らないものは、知ることすらできないものは、同仕様もない。

 彼女の目的が、その想いからなるものであれば、彼がそれを理解することは不可能に近い。

 だが同時に、彼女が知らず、彼が知っている感情も存在する。

 相互理解ができないからこそ、争いが起きる。つまり彼は、その感情を知らないことが、戦いを止める理由にはならないと、そう告げている―――

 

 

 

 「―――そして、お前は知っているはずだ。永き時を生き続けたお前ならば。かつて共に歩んだ者たちに、置いていかれることの苦しさを!!」

 

 否、違った。

 それでも彼は、わかり合う可能性を捨てなかった。それはもしかすると、自分と同様に二課に潜んでいた者への、僅かな同族意識だったのかも知れない。

 

 「……ッ!?」

 

 そしてその言葉に、フィーネはとっさに反論できなかった。

 

 先史文明期、天に届く塔を砕かれ、統一言語を奪われたあの日から、数え切れぬほどの人間を、ただ一つの目的のために利用してきた。命を奪った者の数も、計り知れない。

 けれど、関わり合ってきた者たちの中で、最後まで仲間として隣りにいた者も、少なくは無かった。彼らがその生を全うしたとき、そこにほんの少しだけでも、別れを惜しむ気持ちが無かったと言えば、嘘になる。

 なぜなら彼女には、愛があった。いくら非情になろうとも、その根底にあるのは、愛する気持ちだったから。

 

 「………黙れ」

 

 故に彼女が放ったのは、拒絶の言葉。歩み寄ろうとする彼を、かつて慕い、今もなお身を焦がすほどに想い続けている人物に、どこか似ている彼を、突き放す。

 

 「それでもっ! 私は、あの方の隣にぃ――――――ッ!!」

 

 鞭刃の先端、そこに莫大なエネルギーが収束し、渦を巻く。最初の襲撃の際、雪音クリスが使用した技。

 しかし、またたく間に形成された巨大な光球は、かの少女のものとは比べ物にならないほどの威力を内包している。

 

 「そうかよ」

 

 その様子を、宝玉の双眸で見据えていた零は、短く、冷めた声音で、そう吐き捨てる。限りなく無表情に近いその美貌は、しかしどこか、悲しげだった。

 伸ばした右手に装着された剣が、先から二つに割れて、弓のように変形する。

 違った。それは弓そのものだ。両端から光の線が伸び、繋がって弦を作り出すと、零はそこに同じく光で形成した翠緑の矢をつがえた。

 そのまま、空に浮かぶフィーネに照準を合わせ、引き絞る。

 

 ―――NIRVANA GEDON

 ―――アローレイ・ウルティメイトゼロ

 

 彼の光矢が流星の如く尾を引いて放たれるのと、フィーネの光球が鞭刃の先端から放られるのは、同時だった。

 

 大気を引き裂きながら宙を駆けるエメラルドの矢が、視覚不可能な速度で光球に到達。

 拮抗は、存在しなかった。

 一切の抵抗なく、まるで豆腐に箸を突き刺したかのような滑らかさで、矢はフィーネの攻撃を貫き、爆散させる。

 発された爆風と余波、そして閃光にフィーネが目をすがめたその瞬間、彼女の左胸が()()()()。それを彼女の痛覚が認識する頃には、光の矢はとうに彼方へと消えている。

 

 「か、はっ」

 

 遅れて、彼女が苦しげに息を吐き出す。肺と心臓の半分が蒸発したせいか、その顔色は蒼白い。

 無論再生は可能だろうが、その間に追撃されることを警戒したのか、フィーネはソロモンの杖を振りかざし、ノイズの召喚を敢行した。

 またたく間に彼女の眼前を極彩色の異形が埋め尽くす。攻撃ではなく、再生の時間を稼ぐための壁を形成したのだ。

 

 「―――ッ!?」

 

 しかしその目論見は、粉雪のように降り注ぐ膨大な黒炭に掻き消された。ノイズの群れを残らず吹き散らした力の奔流は一切の威力を減じさせず、フィーネの身体をも弾き飛ばす。

 回転する視界の中、彼女が黒い霧の奥に視認した銀の戦士は、()()()()()()()()()()()。ただ、悠然とそこに立ち、無様に地面に落下する彼女の姿を、冷めた瞳で見下ろしていた。

 

 「それは……何だ? お前は……、何者だ?」

 

 そこで初めて、フィーネは零と、零の纏うものの正体を問うた。

 それこそ最初期から異端技術に関わり続けてきた彼女は、自分の纏っているものの性能が桁外れで有ることを誰よりも理解している。だからこそ、それを遥かに凌駕するような聖遺物の存在に、驚嘆を隠すことができないのだ。

 

 「初めに言ったはずだ。これはウルティメイトギア。

 二課に秘められたもう一つの完全聖遺物、平行世界への扉を開く『ギャラルホルン』ですら辿り着けない、方向性すら異なる宇宙で作り上げられた、シンフォギアを前身とする武装だ」

 

 ついでに俺はそこ出身の異星人だ、とおよそ卒倒ものの事実を、彼は臆面もなく告げた。

 本来なら、異星『人』と言う表現は彼にとって正しくないのだが、いちいちそれを説明する必要もないと判断したのだろう。

 

 「そう……、か」

 

 そしてそれは、フィーネにとっては愕然とするべきもので、けれど彼女は、何故か納得してしまっていた。

 続いて発しかけた「なるほど」というつぶやきを、すんでのところで飲み込み、余りにも穏やかな語調で漏らした自分の言葉に、驚愕する。

 視線の先にあった、伸びた前髪から覗く零の瞳は、彼女の動揺をすべて見透かしているようで、それが余計に、騒ぐ心を波立たせる。

 そんな自分に嫌悪を感じ、思わず目を逸らしたフィーネに、静謐な声がかけられた。

 

 「一応言っておくが、俺はお前の言う神とは全く違うぜ」

 「…………解っている。私が求めるのはあの方の心だけだ、お前ではない」

 

 その返答には先程までの憎悪や、苛烈なまでの激情は宿っていなかった。持て余していた感情に、整理がついたのかもしれない。

 

 「で、どうする? お前が何をしようと俺が止める。そしてそれを阻むことはできない」

 

 突き放すような、説得するような。その語勢は相反する二つの形容を内包していて、それが彼の非現実さを強めていた。

 ふっと、薄い笑いがフィーネの唇から零れる。余裕の取り戻したのか、少しばかり()()()()()()()()()()()、落ち着いた声で、フィーネは告げた。

 

 「そうでもない。ギャラルホルンですら辿り着けない宇宙、と言ったな。方向性すら違う、と。

 

 ―――だったらそれ、長くは持たないんじゃない?」

 

 沈黙、僅かな間をおいて、嘆息。彼女の指摘の正否を、その態度が何よりも明らかにもの語っていた。

 

 「流石は櫻井理論の提唱者様だ。そのとおり、ぶっちゃけとっくに限界だよ」

 

 言って、彼はこほっ、と咳き込んだ。口元を抑えていた手が離され、掌がフィーネに向けられる。そこには、べったりと血糊がついていた。

 自動調節機能があるとはいえ、それは起動を何度も繰り返さなければ効果を発揮しない。使用すれば間違いなく二課に察知されてしまうそれを、頻繁に行うわけにもいかなかった彼がギアを起動した回数は、まだたったの三回だ。

 例えるなら、着ぐるみを着て車の運転をするようなもの。慣れればなんとかなるかも知れないが、一回二回の練習で実行に移せば、どうなるかは火を見るよりも明らかだろう。

 

 「では、私の勝ちだ。お前が消えれば、もはや私を止められるものは一人もいなくなる」

 

 軽い皮肉の混ざった零の自白に、フィーネは少しの後悔を滲ませながらも、無情に告げた。

 これで終わりだ。彼女の大願が果たされるには、もう一度カ・ディンギルを組み直す必要があり、それには長い時間がかかる。そしてその計画に、零の存在は邪魔以外の何者でもない。

 言わば、最後通告。語ることは既になしと、フィーネは無言で鎧に接続された鞭刃を握った。

 

 そんな、覚悟を決めた様子の彼女を前に、しかし彼は笑った。くつくつと声を漏らし、不敵な笑みを浮かべていた。  

 

 「嘗めるなよ、人間」

 

 簡潔にして、冷徹。常人ならば怖気に支配され、身体を動かすことすら叶わなくなる程の威圧感と共に放たれたその言葉に、フィーネは落胆の様子を見せる。

 

 「やはり、お前は違う。あの方は、傲慢では無かった」

 

 寂寥感の漂う声で、零に、というよりは自らに言い聞かせるかのように声を漏らすフィーネ。確かに彼らしくも無い、傲慢さを感じさせる言い草だ。

 ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「いや、傲慢なのはお前だよ。空に佇む神ばかり見上げて、同じ地を歩く人を見ていなかったか?」

 

 続いたその言葉に、彼女は訝しげに顔を訝しげにしかめ―――

 

 「おォォおおおおおおあああああァァっっ!!」

 

 ―――るより先に、背後より響いた絶叫に、弾かれたように振り返った。

 視線の先には、人影が一つ。仄暗い空を背に接近するそれが纏うは、目を焦がす程に鮮やかな、夕焼けすらも霞ませる橙色の鎧。そしてそれと同じ色彩を放つ長髪をなびかせる彼女は、元二課装者、()()()()、天羽奏。

 

 身の丈を越える程の大槍を振りかざし、荒々しい気勢とともに吶喊してくる彼女に、零は応えるように告げる。

 

 今を生きる者()を嘗めるなと言った、原初の民(人間)!!」

 

 光を反射し、眩く煌めく槍の穂先が、瞠目するフィーネ目がけて、一切の呵責なく突き出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 


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六話:エクスドライブ




















 

 ―――一度っきりの、神頼みだ。

 

 ()()を私に与えたことの真意を問うたとき、彼はそう答えた。

 いつか見た、ゾッとするほどの美しさと荘厳さを兼ね備えた、超然とした笑みを浮かべながら。

 

 そして同時に私は、了子さんが二課の裏切り者であり、一連の騒動の黒幕であることを伝えられた。 

 無論、すぐには信じられなかった。なにせ潜入しているという点では彼も同じなのだ。

 疑おうとすれば、私という存在をイレギュラーとして利用し、二課を撹乱しようとしているくらいには思える程に、彼は怪しい。

 

 けれど、私は彼を信じることに決めた。命を救ってもらったから、とかそういうんじゃない。

 いや、部分的には合ってるかもだけど、正体を晒す覚悟で私を助けた彼の人間性を、私は信じようと思ったのだ。

 

 それを伝えると、彼はなぜか複雑そうな表情を浮かべた。と言ってもほんの一瞬だけで、気のせいだったかもしれないけど。

 

 彼は、誰にも言うな、と続けた。理由は下手に刺激してもまずいから、ということだったが、なんというかそれは建前で、本当は別の思惑があるんじゃないかと思った。

 とはいえ、追求はしない。誰だって何か複雑な事情を抱えている。私は彼を信じることに決めたのだから、疑問を指し挟むのは無粋だろう。

 

 そして、「半端な気持ちではくるな」とも告げられた。こっちは、すっと理解できて、迷いなく頷けた。

 思い出したのは、彼が雪音クリスと翼の間に割って入ったときのことだ。忠告を無視して継戦を選んだ彼女の攻撃を受け止め、彼は力をふるう理由を告げた。

 

 ―――守るべきものがあるから、と

 

 その言葉は、ネフシュタンの鎧を纏うあの少女には届かず、しかし私の心をかき乱した。揺れ動き掛けていた天秤に、どうしようもないほどの衝撃を与えてしまった。

 聡い彼はきっとそれを知っていて、だからこれを託してくれたのだと、そう思っている。

 

 決断の時は、そう遠くない。けれど、焦る必要はなかった。

 だって、私の心はもう、決まっていたから。

 

 戦うんだ。この身を憎悪と嚇怒の炎で焼いたあの日とは違う。銀色の青年が教えてくれた、誰かを守り抜くということの意味を噛みしめて、私は戦場に舞い戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リディアンから立ち昇る煙を目にした彼女は、迷わず聖詠を紡いだ。その手には、零から託されたもの―――ウルトラマンエックスカプセルが、既に起動した状態で握られていた。

 数瞬の間に装着されたボディスーツと鎧、そして発現させた大槍を見やりつつ、奏は自分の身体に異常がないことを確認する。適合係数の低さからくる反動は無く、武装の重さもほとんど感じない。未だかつて例のない程の、最高のコンディションだった。

 

 (すげえな、これ……)

 

 強力な副作用の存在するLINKERですら望むべくもない効力に、奏は内心で舌を巻く。これを手の中のちっぽけな機械が成しているという事実に、驚きを隠せないようだ。

 しかし、いつまでも間抜けに驚いているわけにはいかない。現状は間違いなく深刻だ。不完全な状態ですら翼を圧倒し、零を戦場に引きずり出すほどのスペックを見せたネフシュタン。その完全態を有する相手の戦力を鑑みれば、苦戦は必至だろう。

 

 「待ってろよ、みんな」

 

 それだけ呟くと、彼女は大地を砕いて跳躍し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、ほとんど間を開けずして。

 

 沈む夕日を背に飛翔する奏は、視線の先に三つの人影を認めた。一つは膝をつく少女、二つは向かい合い何かを話している。

 背を向けている方は女性…………、黄金に変色したネフシュタンの鎧と長い金髪が目に眩しい。

 

 (あれが、了子さんか………)

 

 零から聞いていたとしても、直接目にするのは少し堪えるのか、一瞬その表情が曇る。しかし彼女は振り払うようにしてその表情を消し、かつて仲間だったその人に、自分にこの力を与えた恩人に、決別の意思を以て槍を向けた。

 そして、自らの存在を示すため、気勢を上げたその瞬間、フィーネは彼女を察知し振り向いた。

 その顔には、確かな驚愕が浮かんでいる。ついで、その奥に立つ零が、口の端から零れる血を意にも介さず、叫んだ。

 

 「人を嘗めるなと言った、人間!!」

 

 ―――ああそうだ、浮気なんかしてくれるなよ、了子さん。

 私がアンタの作り上げたこの力を、他ならぬアンタ自身に、否定させたりなどしない!!

 

 突き出された大槍が、一切の防御行動を許さず彼女に直撃する。激上した適合係数に後押しされたその刺突は、超硬度を誇るネフシュタンの鎧を数瞬の拮抗のうちに貫き、そのままフィーネを弾き飛ばした。

 

 「か、はぁっ!?」

 「まだまだぁぁあああっっ!!」

 

 無論、それで終わるはずもない。どうにか不意打ちの衝撃から体勢を立て直そうとするフィーネに、奏の容赦ない追撃が食らいつく。

 飛行による加速を活かした突き、浅く刺しこまれたそれを振り抜き裂傷を生み出しながら、今度は振り下ろす。

 アドバンテージがあるうちに、ということなのだろう。奏はフィーネに反撃の隙を与えまいと、大技を惜しみなく乱舞する。

 鬼気迫る連撃に押し込まれるフィーネ、しかし彼女がこの程度で終わるはずもない。数千年を耐え忍んだ執念が、敗北を許さない。

 

 「調子に、―――乗るなぁっ!!」

 

 一喝。鎧に接続された二本の鞭を、茨のごとく突き出し、フィーネは奏の刺突に対抗する。弾き合い、生まれた数瞬の空白が、彼女に技を使用する時間をもたらした。

 

 ―――ASGARD

 

 彼女が選んだのは、防御の一手。鞭刃が組み上がり、エネルギーで構成された盾が虚空から出現した。

 これでさらなる時間を稼ぐことにより、状況をイーブンに戻すという思惑なのだろう。

 ただそれは、いささか単純に過ぎた。

 

 ―――STARDUST∞FOTON

 

 自らの攻撃を阻む壁を前に、奏は躊躇なく技を放った。複製、召喚された無数の槍が、またたく間に薄紫色の盾に殺到し、表面を掘削していく。

 

 

 ―――STARLIGHT∞SLASH

 

 同時に、斬閃。幾度も切り払われる槍の切っ先が、新たな地平線を生みだし、槍の連投に傷つけられた盾を破壊せんと痛撃する。

 そして、追い打ちのように、刺突。陽光の如き輝きを放つ穂先が、度重なる連撃によって摩耗した盾を穿った。

 儚くも鋭い、硬質な音を響かせ、ガラス細工のように割り砕かれた盾は次の瞬間には霧散し、役目を終えた。

 流石になんの抵抗も無く、とはいかないようで、奏の刺突は威力を大きく削がれ、回避を間に合わせたフィーネには届かず、虚しく空を斬った。

 

 「―――ッッ!?」

 

 突き出した得物を引き戻す寸前、蔦が伸びあがるが如く突き上げられた鞭刃が、奏の心臓を真っ直ぐ狙う。彼女は紙一重でそれを躱し、距離を取った。

 ―――否、取らされた。

 

 開戦から必死に守り通そうとした、初撃のアドバンテージは消え失せ、残ったのは完全聖遺物と欠片に過ぎないシンフォギアとの間に存在する、厳然たる性能差だけ。与えた無数の傷すら、跡形も無く消え去っている。

 奏の一足では届かない、間合いの外に立ち、フィーネは呆れ混じりに口を開いた。

 

 「そんな玩具で、私に勝てるとでも思っていたのか」

 「―――いや、全然。あのクリスって子にすら、多分私は勝てなかっただろうな」

 

 あっけらかんと、なんでもないかのように、彼女は答えた。フィーネを唖然とさせる程の、屈託のない笑顔で。

 しかし彼女に、こいつは何を考えているのか?という真っ当な疑問について思考を深める時間は、与えられなかった。

 

 「―――一人なら、な」

 

 不敵な笑みと共に放たれたその言葉が、彼女から冷静さを完全に奪い去ったからだ。反射的に視線をさまよわせるフィーネが求めるのは、自らを撃滅し得る最大の警戒対象。数瞬の後、彼女はいつの間にか胡坐をかいていた零を視界に認めた。

 

 「違えよ、俺じゃなくて、あいつだ」

 

 安堵する暇も無く、彼が拭った血の跡の残る顔で顎をしゃくった方へ、再び視線の移動を余儀なくされる。

 果して、そこに立っていたのは。

 

 「な…………」

 

 立花響、その人だった。激情に呑まれ、喪失に打ちひしがれ、そして絶望に膝を着いたはずの彼女が。

 両の足で、大地を踏みしめて、立っていた。熱い炎を瞳の奥に揺らめかせ、ただ終焉の巫女を見つめ、立っていた。

 

 「…………生きるのを、諦めるな。

  ごめんなさい、奏さん。絶対に、もう! 二度と!!

 

 ―――忘れませんから」

 

 この瞬間、ようやく彼女は、戦姫へと成った。破れた制服から覗くフォルテの傷。その前に翳した手を、彼女は強く、握りしめる。

 その様子に、人ならざる者()は満足げに笑いながら目をすがめ、力を託した者()は感極まったように目を潤ませた。

 

 

 ―――だが、彼女は絆されなどしない。

 

 「……それがどうした。一人増えたところでどうにかなるとでも?

 私を止められると、本当にそう思っているのか!!」

 

 考えが甘いと、そうフィーネは叱咤する。事実、この二人ではどう足掻いても彼女を止めることなど出来やしない。

 そしてそのことを、奏も響も理解していた。理解してなお、、信じていた。

 

 「思ってないさ

 「だとしても

 「あたしらは、二人じゃない」

 

 

 ―――歌が、響いた。

 

 どこからか、重なって聴こえるその歌は、彼女の通う学び舎の、リディアン音楽院の、校歌だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し時は遡る。雪音クリスが、絶唱によってカ・ディンギルの砲撃をそらした後。風鳴翼が、片翼に背中を押されカ・ディンギルを打ち倒した後。

 共に戦う仲間を失った響が絶望に膝をついたとき、ある少女の心もまた、折れる寸前まで追い詰められていた。

 

 「わかんないよっ! どうしてみんな戦うの!?

 痛い思いして、怖い思いして、死ぬために戦ってるの!?」

 

 彼女の名前は、板場弓美。響のクラスメイトで、二課の面々と同じシェルターで避難することになった、装者でも何でも無い、ただの、普通の少女だ。

 だから、耐えられなかった。モニターから中継される映像に、その身を賭して、ボロボロになりながら戦う装者たちの姿に。

 

 「―――分からないの?」

 

 諭すような声色で放たれたその言葉が、泣き叫ぶ弓美の耳朶を打った。彼女は疑問の声と共に、その顔を上げる。

 

 「……あ」

 

 視線の先には、こちらを真っ直ぐ見つめる友人―――小日向未来の姿があった。彼女はもう一度、同じ問いを投げかけてくる

 

 「分からないの?」

 

 ―――分かっている。分かりすぎるくらいに、分かっている。だからこそ気づきたくなかった。戦った彼女達は、大好きなアニメのヒーロー達と同じだ、なんてこと。

 

 ―――アニメを真に受けて何が悪い。

 そんなことを口走っていた自分が、馬鹿みたいだったから。それを見ているだけで、こんなに辛いなんて、夢にも思わなかったから。

 

 「うっ……あっ……。

 うわあああああああああああああっ!!」

 

 ―――結局私は、泣き叫ぶことしかできない。

 

 「……ん?」

 

 ―――?

 

 「司令ッ! 周辺区画のシェルターにて、生存者を発見しました!!」

 「そうか、良かった……!」

 

 気色の滲むその声に振り向くと、幼い少女と目があった。いや、違う、彼女の目は、モニターの、立花響に―――

 

 「あ、カッコいいお姉ちゃんだっ!」

 「ビッキーのこと、知ってるの?」

 

 そう口走った少女に、クラスメイトの安藤創世が尋ねる。すると彼女は満面の笑みで、まるで私が、アニメのヒーローのことを語るときみたいに自慢げに、嬉しそうに、口を開いた。

 

 「うん、助けてもらったの!!」

 

 「あの娘の……、人助け」

 

 自然と、言葉が口から溢れた。意識なんて全くしてなくて、思わず口走ったことに戸惑ってしまう。

 

 「ねえ、カッコいいお姉ちゃん、助けられないの?」

 

 少女の純粋な疑問に、言い辛そうに答えたのは、もう一人のクラスメイト、寺島詩織だった。

 

 「助けようと思っても、無理なんです。私達には、何もできない……」

 

 そうだ、何もできない。あの子達と私は違う。私には特別な力なんて何もないから。ただここで震えて、死ぬのを待つ以外の道なんか無いんだ。

 

 「じゃあ、一緒に応援しよっ! ねえ、ここから話しかけられないの?」

 

 応……援……

 

 「あ……」

 

 未来が何かに気づいて、パソコンを操作している男の人に話しかけた。

 

 「ここから響に私達の声を、無事を知らせるには、どうしたいいんですかっ!!

 ……響を、助けたいんです!!」

 

 その剣幕に、男の人は気圧されながらも、可能性を口にした。

 

 「……学校の設備がまだ生きていれば、リンクしてここから声を送れるかもしれない」

 「私は何をすればいいんですかっ!?」

 

 彼女の目に、躊躇いは無かった。ただ助けたいって気持ちだけが、伝わってきた。……あの子はすごいな、私とは、全然違う。

 

 「待って、ヒナ……」

 「止めても無駄だよ、私は響のために―――」

 

 創世が彼女を呼び止める。振り切ろうとする未来に、彼女はそっと首を振って、答えた。

 

 「私にも、手伝わせて」

 

 その目にはやっぱり、決意だけがあって、なんだか悔しかった。詩織もそれに続く。

 

 「私もです」

 「え………」

 

 覚悟を決めた二人を前に、驚愕に目を見開く未来。

 

 ―――私はこれで、ほんとにいいの? こうやって、何もせずに蹲っているだけで。

 

 「私も……」

 

 いいわけない。私だって、できるはずだ。ここで逃げたら、きっと一生後悔する。その一生すら、この手を滑り落ちるかもしれない。

 

 「私にも手伝わせて! こんなとき、大好きなアニメなら、友達のためにできることをやるんだ!!」

 

 そう、答えはずっと前から、胸の中にあった。

 せっかくの、アニメみたいな展開なんだ。これを逃しちゃ、二度とアニメ好きなんか名乗れない!!

 

 ―――それはなんてことない強がりで、同時に紛れもない、本心だった。

 

 私は立ち上がって、彼女達の背中を追う。なんとしてでも、届けなくては。声を、歌を、想いを。

 そうすればきっと、あの子は立ち上がってくれる。ヒーローみたいに戦ってくれる。だから私も、頑張るんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「どこから、聴こえている……? この『歌』は?」

 

 困惑を隠せぬフィーネの前に立ち、彷徨っていたその視線を向けさせた二人は、告げる。

 

 「戦えずとも」

 「こうやって、私達を奮わせてくれる人たちが居ます」

 

 まだだ。彼女たちは続ける。

 

 「「何より!!」」

 

 信頼と、親愛の情をこれでもかと言葉にのせ、叫ぶ。

 

 「私の友達が…………」

 「あたしの相棒が………」

 

 「「―――この程度で、倒れるワケが無い!!」」

 

 言い切った。同時に、四本の光の塔が、空に立ち昇る。

 一つは、ガングニールのギアを纏う奏のもの。

 もう一つは、フォルテの傷を輝かせる響のもの。

 

 そして、残りの二つは―――

 

 「ったく、無茶苦茶言いやがる、アイツ。普通に死にかけたっつうの」

 「だが、応えぬ訳にはいくまい!!」

 

 気恥ずかしさを悪態で誤魔化すようにするクリスと、舞い戻った片翼の激に歓喜する翼が、それぞれの墜ちた場所より立ち上がる。

 

 ―――次の瞬間、飛翔した彼女たちが纏っていたものは、神々しく輝く、純白のシンフォギアだった。

 

 

 「これが、私達の、シンフォギアだぁぁああああっっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「なん、だと………」

 

 その光景を前にして、驚愕に震えるフィーネは、しかし背後からかけられた声に我を取り戻した。

 

 「言ったろ、人を嘗めるなと。あいつらはお前の創り上げたものを、確かに凌駕したぜ」

 「………黙れ!!」

 

 声を荒げ、彼女は零を睨みつける。そこに秘められた憤怒は、純白の装束を纏い、空に舞い上がった彼女たちへと矛先を変えた。

 

 「私は、認めない……。言葉など要らぬだと? 歌が人を繋ぐだと? ふざけるな!!」

 

 解り合えぬその理由を、統一言語の剥奪と信じつづけていた彼女に、目の前の奇跡は到底受け入れられるものでは無かった。

 振りかざされるソロモンの杖。開かれたままのバビロニアの宝物庫から、無数のノイズが引きずり出される。

 拡散する光から召喚される異形の群れは、またたく間に街を埋め尽くし、その極彩色に塗りつぶした。

 

 「どんなに増えようと、今更ノイズっ! アタシが残らず、ぶちのめしてやらぁっ!!」

 

 威勢よく啖呵を切ったクリスが、紅白に彩られた鎧を翻し、汚泥のように溢れ変えるノイズの塊へと吶喊していく。

 

 「翼さん」

 

 その後ろで、僅かに顔を曇らせた響が口を開いた。クリスの献身を嗤われた時、暴走の中で行った狼藉を詫びようとしているのだろう。

 

 「どうでもいいことだ」

 

 だからこそ、それを見透かした翼は首を振った。

 

 「立花は、私の呼びかけに応えてくれた。自分で自分を取り戻した、その強さに胸を張れ!!

 ―――共に戦うぞ、立花」

 「翼さん…………、はい!!」

 

 それが赦しであり、決意だった。拳を握り、響はクリスのあとを追う。それに続こうとした翼の肩を、奏がポン、と叩いた。

 

 「翼も胸を張れよ。アタシの無茶振りに、きちっと応えたんだからさ」

 「………全て、奏のおかげだ。両翼揃ったツヴァイウイングは、どこまでも飛んでいける」

 

 翼の言葉に、奏は一瞬きょとんとし、照れるような仕草を見せた後、声を上げて笑った。

 もう、言葉はいらなかった。示し合わせる様子すらなく、二人は全く同じタイミングで、響たちに追いすがった。

 

 振るわれるのは、今までの物が児戯に見えるほどにまで強化された技の数々。その一撃一撃が大地を割り、見る間にノイズを灰の粉へと散らしていく。

 

 

 

 

 「―――で、見え透いた時間稼ぎなんかして、お前は何がしたいんだ?」

 

 駆け引きも何もない純粋な疑問を、天を舞いながら異形を殲滅する戦姫たちを見守っていた零が発した。それにフィーネはふっ、と息を吐いて笑みを漏らし、どこか得意げに言った。

 

 「今に見せてやる。あれらと違って華やかではないだろうがな。果たして、澄ましたままでいられるかな?」

 

 彼女の挑発に、零は皮肉げに笑って、望むところだと返す。

 間を開けず、あらかたノイズを殲滅し終えたらしい響たちが、眼下のフィーネに意識を向けた。同時に、彼女はがらり、と纏う空気を変え、嘲るような笑いを漏らした。

 警戒を強める戦姫達を前にして、フィーネは手に持った杖を両手で握りしめると、そのまま自らの腹を穿った。

 

 「あ……う……ッ!」

 「自決………? いや、違う!?」

 

 鮮血を吹き零し、苦悶の声を漏らす彼女に、瞠目する翼が事実に至った。その言葉を継ぐようにして、零が口を開く。

 

 「なるほど、ネフシュタン同様、その身と融合させるつもりってことか。………だが」

 

 語尾に不穏な雰囲気を漂わせ、彼は口の端を不愉快そうに歪めた。後に起きる変化を予測したかのように。

 そしてその結果が、自分に及ぼす影響を厭うように。

 

 「なに……、あれ、ノイズが……」

 「フィーネを取り込んで、いや、取り込まれてやがんのか!?」

 

 未だ残されていた無数のノイズが、次々とフィーネのもとへ吸い込まれていく。異形達は彼女に接触した瞬間、醜く溶け崩れ、水に浸した粘土の如くへばりついた。

 幾百、幾千、幾万、異形の成れの果てに埋もれるフィーネは、仕上げとばかりに叫んだ。

 

 「来たれ、デュランダル!!」

 

 その声と同時に、形を失ったノイズの集合体が触手のように伸ばされ、崩壊したカ・ディンギルの最奥に位置するデュランダルを、絡めとった。

 不滅の聖剣すらも、極彩色の肉の中に取り込み、異形は肥大化を続ける。そうして、最後に形作られたものは―――

 

 「あれは……何?」

 

 竜、だった。赤い、巨大な竜。目次録の、終焉の獣。

 

 それは呆然とする響達を一瞥し、ゆっくりと、別の方向へ向きを変えた。その先にあるのは、彼女達の暮らす、街だった。

 

 「待っ―――」

 

 制止は既に遅く、取り込まれたデュランダルから抽出されたエネルギーが、膨大な熱を内包した光芒となって撃ち出された。

 放たれた暴力は、戦姫達が反応する間もなく街へ到達し、その猛威を奮う―――

 

 ―――アブソリュート・ゼロ

 

 響いた静謐な呟きが、光を消した。文字通り、残滓すら例外なく消滅させた。着弾点、凄惨な破壊の根源となるはずだったその場所に、フィーネは一人の青年を見留める。

 

 「まだ……、立てたか」

 

 純粋な感心とも取れるその台詞に、零は気怠げに、しかし不満そうに応じた。

 

 「はあ……、動けねぇ振りがばれちまったじゃねえか」

 

 (…………振り? それはまさか……)

 

 彼の戦線放棄とも取れる言葉は、装者の中でただ一人、最も近い位置にいた翼だけに届いた。聞かせるつもりのなかっただろう愚痴めいた台詞に、彼女は疑問を抱く。

 確かに彼は、わざわざ時間制限のある武装を使用し、反動により戦闘不能に陥っていた……、正確には、そう見せかけた。

 そのまま戦えば、フィーネを倒し切ることもできただろうに、そうしなかった。それが意味するのは、一体どのような事実か。

 

 「だが、その決意は認める」

 

 その答えが出されるより先に、零が言葉を発した。薄い笑みを浮かべ、冷然とした態度で。

 

 「お前が世界を滅ぼす怪物になるのなら、俺は神になろう。

 ―――俺の人(せい)、全部とは言わねえがくれてやる!!」

 

 言って、彼は瞼を閉じ、革靴の踵でカツン、と地面を打った。

 するとたちまちに、まるで水面に小石を投げ落としたかの如く、()()()()()()()。それと同時に、固体であるはずの舗装された地面が、波が伝播する端から、色鮮やかな液体とへと変じていく。

 赤と青の二色の中に、銀の光を煌めかせるその液体は、またたく間に竜と戦姫達の対峙する戦場を覆い尽くした。

 

 「なんだ、これは……?」

 

 目の前で発生する余りに不可解な事象に、竜の体内に潜むフィーネが困惑の様子を見せる。それは響達も同様だ。

 その現象の何よりも異様な点は、何一つ沈むものが無い、ということだった。

 粘性など微塵も感じられぬ、滑らかな液体に変わったはずの地面は、しかし透明な薄い板でも隔てているかの如く、あらゆるものの侵入を拒んでいた。

 色彩豊かな泉に誰もが目を奪われる中、広がる波紋の中心に立つ零が、そっと、閉じていた瞳を開く。

 そして、彼は厳かに艶めいた唇を開き、その言葉を紡いだ。誰一人知ることのない、覚悟を秘めて。

 

 人の姿を捨て去り、神へと近づくための、たった二文字の言葉。すなわち―――

 

 

 

 ―――ゼロ

 

 

 

 瞬間、とぷん、という、拍子の抜ける程にあっけない音と共に、彼は沈んだ。不可侵たる地面、否、水面を割り、その中へと落ちる。

 落ちて、堕ちて、墜ちていく。

 同時に、揺らめく液体が銀の輝きを強め、一切の抵抗なく沈みゆく彼から、何かを剥ぎ取っていった。彼が彼であるための、大切な何かを。

 代わりと与えられるのは、より強度を増した埒外の力。純然たる化学の結晶にして、数多の人類から崇められる神秘。ウルトラマンへと、そしてその先へ至るための()()()()()()()()()()()()

 

 『良いのか?』

 

 肉体が解け、意識がむき出しになる中、露わになった彼の冷静な部分が、そう問いかける。

 

 『いいんだよ、これが俺らしさで、()()()()()()

 

 それでも彼は、気泡を吐き出し笑って見せた。その笑みは、諦めたようで、開き直ったようで、かえって痛々しかった。その様子に、つかの間現れた彼の別側面は、呆れたような気配を漂わせ、そのまま消えた。

 

 半径数キロに渡って広がっていた二色の泉が、まるで潮が引くかのように彼の沈んだ場所に吸い込まれ、直後、光を噴き上げた。

 響たちが立てたものよりも、なお神聖な光輝を纏う実体無き巨塔は、僅かな間だけ現世にその威容を示し、散り際に神を呼んだ。

 

 「零……、さん?」

 

 極光に眩んでいた瞳を恐る恐る開いた響が、目の前に立つ巨人に、呆然と問うた。赤と青、そして銀。その三色に彩られた其れがゆっくりと振り返り、黄金の双眸で響を見据える。

 

 「いや」

 

 悠然と言葉が放たれる。人とは大きくかけ離れたその顔には、確かに口と思しき部位が認識できた。だが、そこは微動だにすることは無く、聴こえた音は鼓膜より体を震わせるようだと、響は感じた。同年代の女子と比べてもずいぶん少ないだろう語彙から、かろうじてテレパシーという言葉が引っ張り出され、それが自分たちがさっきまで行っていた念話と同義だと気付く。

 

 「俺の名はゼロ、ウルトラマンゼロ。お前の知る、千原零という人間だったものだ」

 

 響はふと、過去形で語られる事実に、姿を変えた、以上の意味が込められているように感じた。

 

 「詳細は翼と奏に聞け。といっても、この姿を見せるのは初めてだが」

 

 (……なんだろう?)

 

 ついで、違和感。続けられる言葉に形容し難い何かを感じながらも、しかし彼女はそれを呑み込み、言われた通り翼と奏の二人に意識を向けた。

 

 ゼロはそれで義務は果たした、と彼女に背を向け、再び邪竜と相対する。竜の身体が変形し、至るところから生えた触手が巨人目がけて放たれた。

 それらが眼前に迫ろうとも、焦りの色一つ見せない彼は、その態度通り、腕の一振りで伸ばされた触手を全て叩き落とす。

 

 ―――エメリウムスラッシュ

 

 姿勢を低くしたゼロの、額のビームランプが一際強く発光し、エメラルド色のレーザーが撃ち出される。一見頼りなさすら感じるか細い光線は、しかし直撃の瞬間、その直径からは考えられぬ程の大穴を竜の体に穿った。

 

 「――――――ッッ!!」

 

 受けたダメージに、竜が退く動作を見せる。

 だが、遅い。瞬間移動じみた速度でその背後に移動したゼロが、強烈な回し蹴りを見舞う。空気との摩擦によって発火した左足が、轟音と共に赤い肉を抉りとった。

 

 しかし、竜の身体の構成要素の一つは、完全聖遺物ネフシュタン。瞬時に傷は塞がり、跡形も無く埋められた。

 

 「まさかそこまでとは……」

 「結局面倒なのに変わりはねえってことかよ!」

 

 見せつけられた揺るぎのない回復力に、装者たちが目を見張る。ゼロの攻撃が尋常ではない威力を秘めていたことを理解しているだけに、それを最終的には無傷で受け切って見せた事実に、驚愕を隠せなかったのだろう。

 

 そしてもう一つの構成要素たるデュランダルもまた、その無限の破壊力を示す。竜の口部分にエネルギーが集中、直後、先程以上に威力の増した光線が撃ち出された。

 

パチンッ

 

 背後の戦姫達が身構えるのを、視界に収めることすらなく認識したゼロは、安心しろとでも言わんばかりに指を鳴らした。

 同時に、虚空が割れ、光が漏れた。それに吸い込まれるかのように光線が消失し、割れ目が一度閉じる。

 間を開けず、再度出現した割れ目から光線が逆方向に発射され、竜を焼いた。滅びの獣が自分を真っ先に滅ぼす、というのはなかなかの皮肉だが、現実はそう甘くない。

 

 「どうすれば……」

 

 凄まじい勢いで再生する竜を前に、突破口を見つけられずにいる響が焦りの声を漏らす。やみくもに攻撃するだけではこちらが疲弊してしまう。巨人の助けがいつまでも得られるとは限らないし、流れ弾が街を破壊する可能性もあった。

 

 「ヒントをやる」

 

 彼女の思考を遮断したのは、突如頭に響いた厳かな声だった。どうやらそれは他の装者達にも聞こえていた様で、各々の表情に降って湧いたチャンスに対する期待が浮かんでいる。

 翼だけは、先程の呟きへの疑問が残っていたようだが、今は気にするべきではないと割り切ったのか、彼女も続く言葉を待つことを選んだ。

 そんな彼女の逡巡を見透かしているのか、一瞬翼に黄金の視線を送ったゼロが、ゆっくりと話し始める。

 

 「無限をゼロにするには、どうすれば良い?」

 

 余りに簡潔、かつ唐突な問いに、戦姫達は硬直した。遅れて、それがネフシュタンの持つ無限の再生力を凌駕する方法を問うている事に気づく。

 

 「って言われてもなぁ、算数ならゼロをかければ良いけど、そう簡単には行かないだろうし……」

 

 難色を示す奏、後ろにて浮遊している二人―――響はまだそのあたりの学習は済んでいないし、クリスに至ってはその生い立ちから義務教育すら受けられていないため、解答を導きだすのは難しそうだ。

 

 「翼はどうだ?」

 

 最終的に、翼に白羽の矢が立った。直感的な戦闘を主とする装者が多い中、どちらかといえば頭の切れる方である彼女を頼るのは至極当然と言える。三人分の視線をを集めた翼は、少し考えるそぶり見せると、口を開いた。

 

 「ゼロをかける以外にも、一つ。無限から無限を引けば、相殺できる」

 

 解答は既に示されていた。先程彼は、放たれた光線、()()()()()()()()()()()デュランダルから放たれた攻撃を撃ち返してみせた。それと同じことをすればいい。

 

 「デュランダルを取り返し、立花に起動させて対消滅を狙う。正解だ」

 

 翼が答えに至ったと判断したらしいゼロは、説明を引き継ぎ、他の装者たちの理解を追いつかせた。合点がいったとばかりに奏とクリスが気勢を上げる。

 

 「なるほど、そういうことなら話が早えっ!!」

 「ああ、あん中のどこかにあるデュランダルを見つけて引きずり出せばいいんだろ?」

 

 今にも突撃せんばかりの二人に、翼はため息を吐きつつ、追随して突っ込みそうな立花に釘を刺そうと振り向いた。作戦のかなめたる響に軽率な行動をとられては困るからだろう。

 

 「おい、立花…………、どうした?」

 

 だが、彼女が発したのは注意を促すための呼びかけでは無く、疑問の声だった。普段なら自分も続かねばと奮起するだろう響が、しかし我ここにあらず、という様子でゼロの方に視線を送っていたからだ。

 

 「えっ? ああ、いや、何でもありません」

 

 翼の呼びかけに正気を取り戻した響が、歯切れ悪く返答する。翼は訝しげに顔を顰めたが、追求することはなかった。

 それもまた、今は気にすべきではないと割り切ったのだ。このあたりの判断は、防人となるべく育てられた故の、物分りの良さもあるのかもしれない。視線に気付いていたはずのゼロも、あえて意識を向けることは無く、竜の方へと向き直った。

 結果として、彼女の抱いていた違和感の正体は判明しなかったが、たとえここでそれを明らかに出来ていたとしても、この後起こる事象に変化は無かっただろう。

 

 「中身を炙り出すのは俺がやる。お前らはもう少し待て」

 

 それぞれの得物を構え、吶喊しようとしていた二人を、ゼロがそう言って制した。出鼻を挫かれた奏とクリスが不満を見せるが、戦略的に見れば任せられる部分は全てゼロに任せた方が良い、ということは理解していたらしく、素直に退いた。

 それを確認したゼロは、左手首に右の掌を翳した。直後、虚空から鏡のようなものが出現し、彼の手に収まる。

 間髪入れずそれは投擲され、竜の頭上で止まった。ついで、青色の光粒を纏う左手が翳される。

 すると、縦長の六角形をした鏡が何十何百と複製され、竜の周りを取り囲んだ。

 

 ―――エメリウムプリズン

 

 最後に、先程放たれたものと同色の光線が、今度は幾条にも分散されて撃ちだされた。翠緑の軌跡を空に刻みながら、竜の身体に無数の風穴を開けた光線は、それぞれが宙に浮かぶ鏡に反射され、再び竜の下へ殺到する。

 作り出された輝く檻は、瞬く間に竜の身体をズタズタに引き裂いた。

 

 「見えた!!」

 

 同時に、クリスが叫ぶ。ゼロの技にから受けた傷は再生されたが、その中に隠されていたデュランダルを、彼女の目は確かにとらえた。

 

 「サンキュー、零……じゃなくて、ウルトラマンゼロ」

 「気にするな、行け」

 

 逆転の一手を見出した装者達が、次々と竜の下へ向かっていく。先陣を切るのは、デュランダルを捕捉したクリスだ。遠距離大火力を特徴とするギアを纏う彼女だが、届く前に撃ち落とされる可能性を警戒してか、接近を選んだようだ。

 当然、竜からの迎撃が彼女を襲う。巨体から伸ばされ、唸りを上げて迫る触手を前に、しかしクリスは突進の勢いを緩めない。

 

 ―――STAB∞METEOR

 

 触手が彼女の下に到達する寸前、突如発生した竜巻がそれらを薙ぎ払うように吹き散らした。奏が槍を、穂先を回転させて生み出した竜巻もろとも一閃したのだ。

 

 「そのまま行け!!」

 「おうよ!!」

 

 これでクリスを妨げるものは無くなった。彼女の鎧が変形し、背中から六本のアームのようなものが伸びる。

 そしてその先端それぞれに、巨大なミサイルが装填された。

 

 ―――MEGA DETH SYMPHONY

 

 「ぶっ飛びな!!」

 

 猛々しい声と共に、彼女は六基のミサイルを同時に発射した。排気された煙を後に残しながら迫る弾頭に、ついに竜は口腔からの光線を迎撃として選択した。

 一瞬の溜め、しかし銃弾とは違い速度にかけるミサイルでは、その僅かな間に距離を詰めることができない。

 収束したエネルギーが解放され、何ら戦果を挙げぬままクリスの攻撃が撃墜される―――

 

 「させねえよ」

 

 ―――ことはなかった。光線は確かに放たれた。一切の妨害なく、躊躇なく。ただ撃ち放たれたその瞬間に、開いた空間の裂け目に吸い込まれただけだ。

 そしてミサイルはその裂け目を避けるかのように弧を描き、頭頂部の辺りで六つまとめて炸裂した。

 

 ズドオオンッ!! と大地を震わす衝撃音が弾け、竜の肉体を大きく吹き飛ばす……が、まだ足りない。確かに彼女の爆撃は大きなダメージを与えたが、それはデュランダルの在り処には達していなかった。

 こそげ取られた外皮の再生を急ぐフィーネ。その再生力に例外など無く、負わされた手傷を埋めようと赤い肉が蠢く。

 

 「まだだっ!!」

 

 だが、戦姫は一人にあらず。上空に舞い上がった橙の鎧を纏う装者―――天羽奏が、手に持っていた槍を真下の竜へと投擲する。

 

 ―――GRAVITY∞PAIN

 

 直後、急降下。先んじて竜に到達し、その穂先を突き立てていた槍目がけて、真っ直ぐ足を打ち落とす。だが、彼女のその足は槍の石突では無く、穂の刃のない部分の左側目がけて繰り出されていた。

 このままでは、蹴撃のエネルギーは回転運動に消費され、刺突の威力を減じさせてしまうだろう。すわ、失敗か。

 ―――否。奏の右足が槍に接着し、衝撃が伝わる寸前、青い軌跡が彼女の隣に到達した。反対側に、蒼い装甲に包まれた足を乗せるのは、アメノハバキリを纏う装者、風鳴翼。

 二年の時を経て、ようやく揃った両翼が、眼下の竜を貫かんと渾身の力を込める。対する竜は、何としてでも内部に辿り着かせまいと、寄せ集めるように他の部位から赤い肉を集中させた。二人の戦姫が蹴り込む撃槍と、それを押し返さんと隆起する肉の波が拮抗する。

 

 「「いっけぇぇええええええっっ!!」」

 

 拮抗が破れたその瞬間、作戦の要として後方に控える響は、天へと伸び上がる一対の翼を幻視した。

 直後、爆裂。内部へと達した奏と翼が、それぞれの必殺技を行使したのだ。橙と青の鮮やかな閃光が弾け、竜の肉体に大きな損傷を与える。

 飛び散った大小様々な大量の肉片の中に混じって、黄金の輝きを放つ物体が宙に投げ出された。それは紛れもない逆転の切り札、完全聖遺物『デュランダル』だ。

 

 「渡すものか!!」

 

 空を舞う巨剣目がけて、無数の触手が伸びる。ただ技の余波に吹き飛ばされただけのデュランダルは見る間に失速し、迫る触手を振り切ることなど叶うべくもない。

 響が慌てた様子でデュランダルの元へ急ぐが、遅過ぎた。空を駆ける彼女より一足早く、触手が剣と元へと到達する―――

 

 「ちょっせえ!!」

 

 ―――寸前、剣が不可解に跳ねた。クリスが手に持つ二丁拳銃型のギアで狙撃したのだ。目標を見失った触手は空振り、虚空を括った。

 なおも連射される弾丸が、重力に引かれて落下するデュランダルを、響の元へと跳ね上げていく。

 

 「取りこぼすなよ、立花!!」

 「絶対に、掴み取れぇ!!」

 

 竜の体内から脱出した二人の言葉が、響の背中を押す。

 

 「……解り、ましたぁっ!!」

 

 加速。伸ばした手が、ついにデュランダルを捉えた。間髪入れず、その柄を握りしめる。……だが。

 

 「―――だがその破壊衝動、押さえきれるものか!!」

 

ドクン

 

 「う、ぐぁ、ガ……、はぁっ」

 (ふんばら、ないとっ……)

 

ドクン

 

 「グウぅ、あガアっ……」

 (駄、目……だ)

 

 同仕様もない黒い衝動が、彼女の心を塗りつぶす。抗おうと足掻いても、引き剥がしても、振り払っても、決して緩まず、より激しく響に襲いかかる。

 

 (このまま……、じゃ、消え―――)

 

 「正念場だッ! ここが踏ん張りどころだろうがッ!!」

 「―――ッ!」

 

 引き戻される。

 

 「強く自分を意識してください!!」

 「昨日までの自分を!」

 「これからなりたい自分を!」

 

 「……みんな」

 

 いつの間に、地上に出てきたのだろうか。二課の面々が、口々に彼女を励まそうと声を張り上げる。

 

 「屈するな、立花。お前が構えた胸の覚悟、私に見せてくれッ!!」

 (翼さん……)

 

 「お前を信じ、お前に全部賭けてんだ! お前が自分を信じなくてどうすんだよッ!!」

 (クリスちゃん……)

 

 「そのギアに、ガングニールにあたしが託した想い……。忘れないでくれッ!!」

 (奏さん……)

 

 「ウグゥ……、ガァァアアアああっ!!」

 

 「あんたのお節介を!!」

 「あんたの人助けを!!」

 「今日は、わたしたちが!!」

 

 クラスメイトの声が聞こえる。歌を届けてくれた、彼女たちの声が。戻って来いと、そう呼びかけてくる。

 

 

 (でも、足りない……。後、もう少しなのにっ……)

 

 押し寄せるどす黒い感情の闇が、底なし沼のように響を離さない。引き上げられた端から、絡みついて、沈んで……。

 

 

 「響ぃいいいいいいっっ!!」

 

 (―――はっ)

 

 引きずり込まれる、その寸前。ひだまりの言葉が、かけがえの無い親友の言葉が、滑り込むように割って入った。

 

 (そうだ。今の私は、私だけの力じゃない……っ!!)

 

 「この衝動に、塗りつぶされてなるものかッ!!」

 

 闇が、弾けとんだ。いつかの焼き直しのように、デュランダルを振りかざす彼女の目に、しかし狂気の色はない。

 ただ真っ直ぐな決意だけが、純粋な想いだけが、その瞳には宿っていた。

 

 (立花……)

 (ははっ、やればできるじゃねえか)

 

 傍らに寄り添う二人の戦姫は、ふっと、満足そうに笑みを漏らした。荘厳たる光の柱が、空へと立ち昇り、世界を照らす。

 

 「その力、何を束ねた!?」

 

 フィーネの、驚愕の声。

 

 「いいやッ!

 その力、震わせてなるものかぁ―――ッ!!」 

 

 ついで、触手が伸ばされる。それらは眼前の響めがけ、容赦なく繰り出され―――

 

 「はぁっ!」

 「ふんっ!」

 

 立ちはだかった、一人の戦姫と、一体の巨人に阻まれた。その様子に、翼とクリスが焦りの色を見せる。

 

 「奏っ!?」

 「巻き込まれちまうぞ!?」

 

 警告に、ゼロは変わらぬ様子で、冷静に返答した。

 

 「問題ない、放て」

 

 直後、その姿がかき消える。なんの前触れもなく。三人の装者は瞠目の後、同時に頷いた。

 

 「ああ!」

 「おうっ!」

 「はいっ!!」

 

 一際強く、光が脈打った。それに秘められるのは、文字通りの無限大の力。

 

 「響き合うみんなの歌声がくれたっ!!」

 

 巨剣が、振り下ろされる。

 

 「シンフォギアでえええええええっ!!」

 

 

 

 ―――Synchrogazer

 

 光が、炸裂した。莫大なエネルギーをその身に受け、竜の体が徐々に崩れ去っていく。

 

 「完全聖遺物同士の、対消滅……」

 

 呆然とした様子で、フィーネは呟いた。受け入れられぬとばかりに。負けられないと、ばかりに。

 

 「この身、砕けてなるものかああああああっ!!」  

 

 そして、終焉を告げる赤き竜は、粉々に消し飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廃墟と化したリディアン音楽院。迎え入れるかのように集まった人びとの視線の先には、二つの人影があった。

 立花響と、その肩に、ぐったりとした様子で担がれる、フィーネのものだった。その身体に纏われるネフシュタンの鎧には、かつての無限の再生能力は、一片たりとも残されていない。

 

 「何を、馬鹿なことを」

 

 地面に降ろされ、意識を取り戻したフィーネが、立ち上がりながらにそう問いかけた。

 それに響は、笑って、なんてことないかのように、答えた。

 

 「みんなにも、よく言われます。親友にも、変わった子だ〜……って」

 

 照れ笑いすら浮かべて、先程の死闘などなかったみたいに、穏やかに彼女は告げる。

 

 「もう、おわりにしましょう、了子さん」

 「私は、『フィーネ』だ。」

 

 否定の言葉に、彼女はゆっくりと首を振り、口を開いた。

 

 「了子さんは、了子さんですから」

 

 実際、そうなのだ。彼女はフィーネが目覚める前の櫻井了子を知らない。

 だから、たとえ演じていたものだとしても、欺きついでの戯れだったとしても、立花響にとっての櫻井了子は、フィーネ以外には有り得ないのだ。

 押し黙るフィーネに、彼女はなおも続ける。

 

 「きっと私たち、分かり合えます」

 

 一初めてあったときと、変わらぬ思いで、変わらぬ笑顔で、そう言い切った響を前に、フィーネはようやく口を開き、歯切れ悪く言葉を紡いだ。

 

 「……ノイズを作り出したのは、先史文明期の人間。月に宿るバラルの呪詛によって『統一言語』を失った我々は、手を繋ぐことよりも相手を殺すこと求めた。

 そんな人間が、分かり合えるものか」

 

 吐き捨てるように、彼女はそう断じた。あの道しかなかったのだと。月を穿ち、世界を天変地異へと落とし入れ、人々を支配する以外には。

 

 「人が言葉よりも強く繋がれること、分からない私たちじゃありませんっ!!」

 

 きっと、彼女は眩しかったのだろう。立花響と言う少女の、純粋さが、一途さが。愚かささえも、その無知さえも、輝いて見えたのだろう。

 だからこそ、見なかった、聞かなかった。目を逸らし、耳を塞いで、己の想いが正しいのだと、そう言い聞かせるより他なかったのだ。

 

 「………ふう」

 

 フィーネが、息をつく。疲れた、と言わんばかりに。その様子に気を緩めた響を、誰も責められまい。

 

 「でああああああああああああッ!!」

 「―――ッ!?」

 直後、彼女は纏っていたネフシュタンの鎧に、未だ接続している鞭を、振り上げた。不意打ち、しかしその一撃は、とっさに反応、回避した響には当たらず、明後日の方向へと伸びていく。

 

 「了子さん、もう止め―――」

 「私のォッ! 勝ちだああああああああッ!!」

 

 制止の言葉は、彼女の叫びにかき消された。弾かれるように振り向く響。その視界にある、鞭が向かう先にあるのは、砕かれた、月の破片。

 

 「まさかっ!!」

 

 彼女の目論見に気づいた弦十郎が焦りの声を漏らすが、もう遅い。物理法則を超越して伸長する鞭は、瞬時に月へと到達し、その切っ先を突き立てた。

 

 「月の欠片を、落とす!!」

 

 宣言通り、それは行われた。大地を砕きながら、己が鎧と、肉体さえも贄にして、フィーネは力の限り、鞭を引いた。

 目の前で起こった凄まじい現象に、装者達は驚愕のあまり色を失う。

 

 「なん、だとぉッ!?」

 「本当に……月を、引っ張りやがったのかよっ!!」

 

 そんな彼女たちを尻目に、フィーネは勝ち誇ったように笑う。

 

 「私の悲願をし邪魔する禍根は、ここで纏めて叩いて砕くッ! この身はここで果てようと、魂までは絶えやしないのだからなッ!!」

 

 言葉通り、彼女の肉体が滅びようと、この世界に無数に存在する、彼女の遺伝子を継ぐものがいる限り、彼女が消えることはない。聖遺物の発するアウフヴァッヘン波形が、子孫の魂を塗りつぶし、肉体を乗っ取ることで、彼女は何度でも蘇るのだから。

 

 「どこかの場所ッ! いつかの時代ッ! 今度こそ世界を束ねるためにぃッ!! 

 私は栄円の刹那に存在し続ける巫女、フィーネなのだぁッ!! 

 

 アッハハ、ハハハハッ、アハハッハハ―――」

 

 伸ばされる何かを。苛立ちを覚える程に温く、心地いいそれを、振り払うようにして、彼女は哄笑を上げた。

 融け落ちた蝋のような、消え損ないの命を燃やし尽くし、選択の時間切れを早めようとしているのだろう。

 そうしなければならない程に、彼女の心はきっと、揺れていた。

 

 

トンッ

 

 「―――ぁ」

 

 拍子抜けるほどに軽い、小さな音が、彼女の哄笑を止めた。見下ろした自分の腹には、響の拳が当てられている。すっと、彼女は顔を上げて、フィーネと目を合わせた。

 一片の曇りもない、晴れやかな表情。怒りもなく、憎悪もなく、ただ穏やかに自分を見据える少女に、フィーネは戸惑いを隠しきれない。

 

 「そう、ですよね……」

 

 何が、だ。疑問を発するか決めかねる彼女が口を開くより早く、響は続けた。

 

 「どこかの場所、いつかの時代、蘇るたびに何度でも。私の代わりに、みんなに伝えてください。

 世界を一つにするのに、力なんて必要無いってこと。言葉を超えて私たちはひとつなれるってこと」

 

 紡がれる言葉に、フィーネの表情が変わっていく。二人を囲む者たちが、呆れたように笑みを浮かべる。

 

 「私たちは、未来にきっと手を繋げられるということッ!! 

 ……私には、伝えられないから」

 

 そこで、彼女は自らに言い聞かせるかのようにそっと目を閉じた。数瞬開けて、開いた瞳で真っ直ぐフィーネを見据えると、口を開く。

 

 「了子さんにしか、できないからッ!!」

 

 「お前……まさか………」

 

 啞然とした様子で、フィーネが言葉を漏らす。心に生まれた問いを、彼女が口にする前に、屈託のない笑顔で、響は言った。

 

 「了子さんに『未来』を託すためにも、私が『今』を守ってみせますねっ!!」

 

 終わらせないと、繋ぐのだと。説得に耳すら貸さず、尚も足掻こうとした敵すらも、信じ抜こうとするその在り方に、フィーネの心が、揺らいだ。

 

 「……ふう」

 

 そっと、彼女は息をつく。今度は打算もなく、演技でもない。ただ、手に余るほどに優しい少女の真っ直ぐさに、呆れただけのこと。

 

 「本当にもう。放っておけない子なんだから」

 

 そうやって諭すように話す彼女は、『フィーネ』では無く、紛れもない、『櫻井了子』だった。とうに限界を迎えていたのだろう。彼女の体は少しずつ、崩れ去ろうとしていた。

 それでも、ひび割れの走る身体を動かし、響と目線を合わせた彼女は、優しげに告げた。

 

 「胸の歌を、信じなさい」

 

 それが、最後の言葉だった。

 

 ゆっくりと、彼女は目を閉じる。またどこかで蘇り、少女との約束を果たし続けることを誓って。

 さようならは言わない。一度か二度くらいは、会えるんじゃないかと言う打算があったから。再び、永い人生の始まりだ。それに今度は、終わりがない。随分と、頑張らなくては―――

 

 

ズガッ

 

 

 「いいや。お前はここまでだよ、フィーネ」

 

 今正に崩れ落ちんとしていたフィーネの、半ば石化した胸を、背後から何者かの腕が貫いた。一切の感情を伺わせない、無機質な声と共に。

 直後、パアン、と穏やかに風化していく筈の彼女の身体が、弾け飛んだ。その破片は空中で解けるように霧散し、跡形も残さず散り果てた。

 

 「どうして……、ですか」

 

 響が、下手人に問いかけた。その真意を。

 

 答えは、返ってこない。目の前の青年は、()は、ゾッとするほどに冷めた、氷のような表情で、拳を震わせる彼女を見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 


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七話:神と人

 


 「どうして……、ですか」

 

 無理矢理に絞り出したような、震える声で、立花響は目の前の存在に問いかけた。目の端に捉えた、風に散りゆく灰の粉に、そのあどけない顔を歪ませながら。

 対峙する青年は、一切の感情の読み取れない、抜け落ちたかの様な無表情を崩すことなく、口を開く。

 

 「―――甘いな」

 

 瞬間、世界が切り替わった。

 わずか一言、僅か四文字。ただそれだけの言葉が、凄まじい重圧を伴って響にのしかかる。重厚な声、ではない。ただただ重く、しかし薄いのだ。

 

 (ここ……、どこ?)

 

 まるで中身を限界まで詰め込んだ背嚢を背負い、吹雪の吹きすさぶ高山を歩いているような、そんな錯覚が唐突に視界を支配する。

 否、視界だけではない。吸った息に含まれる酸素の濃度は余りにも小さく、全身に行き渡ることなく尽き果て、ただ肺を凍らせる。吹き荒れる冷たい風は、瞬く間に体温を奪っていく。五感すべてが、その光景をリアルに捉えていた。

 

 「ハァッ、ハァッ……」

 

 足りない、足りないと何度も悲鳴を上げる脳に突き動かされ、身体は必死に呼吸を繰り返し、結果的に極寒の冷気を取り込む。冷える身体を温めるための反射的な行動が、ますます身体を冷やしていく悪循環。

 供給の途切れたエネルギーが底をつき、凍えて棒のようになった脚が力を失い膝をつく。だんだんと意識に霞がかかり、ぼやけた視界が狭まった。

 まぶたが閉じる、意識が消える、倒れ伏して眠りにつく。急降下する体温、弱まる鼓動、その先に待つのは―――

 

 (―――凍、死)

 

 「立花ぁ!!」

 

 その声で、死から引き戻される。胸と腹に感じる圧迫感と、眼前に迫った地面が、顔を打つ寸前で翼に支えられたことを如実に示していた。

 

 「大丈夫か!?」

 

 困惑と心配の入り混じった視線が、青い瞳から注がれる。響がそれに頷いたのを確認すると、彼女は視線をゼロに移し、困惑を押し隠しながら厳しい声で尋ねた。

 

 「何が……、目的ですか?」

 「問答をする気は無い」

  

 対するゼロの反応は、どこまでも冷めきっていた。ため息を吐くでも無く、呆れの色を顔に滲ませることも無く、ただ無感動に言葉を紡ぐ、

 向けられる黄金と翠緑の輝きに圧され、装者達は反駁を返すこともできず、ただ彼の言葉を感受する。

 

 「俺はお前達の前に立ち塞がる。選択肢は二つだ。俺を殺すか、月の欠片に人類諸共滅ぼされるか」

 

 ―――選べ。

 

 突き付けられる無慈悲な二択。薄氷を思わせる冷たさと鋭さを孕んだ声に、不可解なほどの圧迫感を感じながら、装者達は息を呑んだ。

 

 「そんな、そんなのって……」

 

 張り詰めた緊迫感に耐えかねたのか、響が悲痛な声を漏らした。和解をなした相手を目の前で無残に砕かれ、更にはそれを行ったのが、信じ憧れていた人物だった。

 その事実が彼女の精神に深刻な損傷をもたらしていたのだ。無意識に現実からの逃避を試み始めていた響。それに本人が意図するかは別として、喝を入れたのは―――

 

 「零!!」

 

 ―――二課司令、風鳴弦十郎だった。

 

 「俺の聞き違いか? 今何と言った!!」

 

 握りしめた拳を今にも振り下ろさんばかりの気迫で以て、彼は己が部下に問いかける。対する零の返答は、無言と、彼の目の前に出現した、紫色の光の壁だった。

 あっという間にドーム上に広がり、装者達と弦十郎ら職員を隔てた光壁は、邪魔をするなと言う彼の意思を雄弁に語っている。すぐさま弦十郎が破壊を試みるが、それは巨岩すら砕く彼の拳ですら罅一つ入らず、また地下にまで張り巡らせられるという周到ぶりであった。

 

 息つく間もなく固まっていく状況を前にして、焦燥だけを募らせていく響に、どうにか動揺を押し殺し、瞳に決意の色を浮かべた翼が諭すように話しかけた。

 

 「落ち着け、立花。口惜しいが、今の零に話は通じない。なんとか取り押さえ―――」

 

 ―――取り押さえるしかあるまい。

 その言葉を紡ぎ終えるより早く。

 

 彼女は、肉の絶たれる音を聞いた。

 

 血飛沫を上げて宙を舞う、自分と他の装者の首。回転する赤に染まった視界が、形容し難いほどの激痛が、数秒後の絶命を告げる。

 

 「――ッ!?」

 

 胴体から切り離されたというのに、どうしてか明瞭な意識に違和感を覚えたその直後、彼女は我に返った。

 

 (幻、覚……?)

 

 しっかりと繋がっている首に、しかし僅かに感じる衝撃と、鮮明に刻まれた凄惨な光景。すぐ傍らには、自分と同じ様に驚愕に目を見開き硬直する、後輩の姿があった。

 

 「いいのか?」

 

 ついで、背後から声がかけられる。心臓が猛スピードで鼓動し警鐘を上げ、背筋に強烈な悪寒が走った。

 振り向いた先、先程の立花と全く同じ表情を浮かべる奏とクリスの後ろに立つのは、銀色の影。握られた翠緑の刃が、反射した夕陽の光をかき消す程に眩く煌めき、その存在を主張する。

 あの凶器が、首筋皮一枚のところを通り抜けていったのだと、翼は直感した。だが、それだけ、それだけであれほど鮮明な錯覚を、四人同時に見ることなどあり得るはずもない。

 であれば、答えは一つ、()()()()。正体と共に、彼の行使する超能力についても伝えられていた彼女は、真っ先にそこへ辿り着いた。そして、確信する。

 それは余りにも、自分の知る零からはかけ離れた行動、つまり今の彼は、()()()()()()()()()()

 未だ胸のどこかで燻っていた躊躇が完全に消失し、瞳が倒すべき敵を見据えるものに切り替わる。

 

 彼女は誰よりも早く、その覚悟を決めた。

 

 そして、残る装者たちも―――

 

 

 「―――死ぬぞ」

 

 その言葉が発されると同時、弾かれた様に戦闘態勢に入った。一切のズレ無く各々の武器を構え、油断なくゼロを見据える彼女達の目に宿るのは、揺るぎない意志。

 

 ―――殺す気でやらねば、こちらが殺られる。

 

 今の一撃は、最大限の譲歩。腹を括らせるための牽制に過ぎなかった。

 

 次は無い、と、そう理解させるために。

 

 それを、立花響ですらはっきりと認識してしまったのだ。先刻までの困惑と動揺は跡形も消え失せている。当然だろう、そんな感情(モノ)を持ち込む余裕など、一ミクロンだって存在しないのだから。

 

 彼女たちの様子に、しかしゼロは、なんの感情も見せることはなかった。それもまた、ありえぬ行為だ。

 彼の意図が何処にあるにせよ、彼の気性を考えれば、人の固めた決意の前に、何らかの反応を見せるはず。だが、その神自ら趣向を凝らしたが如き美貌は、能面のように動かず、変わらぬ無機質さで己に相対する戦姫達を見据えていた。

 

 ―――そして、この戦場で、(ゼロ)が言葉を発することは、もうなかった。

 

 

 吐く息すらも軋むような緊迫感に満たされた静寂に、終わりを告げたのは、ゼロ。

 その銀影が、握られた光刃の僅かな煌めきだけを残し、かき消える。 

 

 一足で突破される音の壁。

 馬鹿げた加速は限度など知らぬとばかりに継続され、あっという間に装者たちの強化された五感を振り切った。

 

 嗅覚?味覚? そんなものがなんの役に立つ。

 触覚? 触れられてから気づいた、では死ぬ以外に道などない。

 聴覚? 相手は音など置き去りだ、まだ先に述べた感覚(モノ)の方がマシな域。

 頼みの綱の視覚も、此度は影を捉えることすらできぬ無用の長物と成り果てている。

 神速、と呼ぶ他ない速度で振るわれた刃が一直線に向かう先は、立花響の首。彼女の目は未だ、視界から消えたゼロを探し彷徨っていた。

 故にこの一撃を、致死の刃を、彼女が躱せる道理など無い。

 コンマ零一秒の間に彼我の距離が詰められる。一切の前触れ無く眼前に出現した銀色に、響は目を見開くと同時に、直後の絶命を悟った。

 

 (間に合わ……)

 

 薄刃が、薙がれた。

 彼女はそれを、躱せない。

 

 ―――だとしても

 

 たとえ五感では届かなくとも、戦場(ここ)にはまだ、最後の手が残されていた。

 すなわち、直感。第六の感覚。それを担う器官は人体には存在せず、科学的根拠も無いに等しい、余りにも曖昧な、人体の機能とはとても呼べぬ代物。

 

 「ぐっ、うぅ……」

 

 しかし確かに、彼女は()()()()

 鳴り渡ったのは、甲高い金属音。

 口の端から苦悶の声を漏らしながら、それでもしっかとゼロの一閃を受け止めて立つのは、蒼き戦姫―――風鳴翼。

 迫る凶刃と響の首の間に、彼女は紙一重で己が得物を割り込ませたのだ。交錯によって弾けた衝撃に全身を叩かれ、紙切れの如く吹き飛ばされた響の首は、確かに繋がっている。

 

 だが、それまで。

 その一瞬の拮抗が、彼女の為せる限界だった。

 

 渾身の力を両の手に込め、青い刀身を押し込んでなお、零が片手で握る刃と鍔迫り合うのが精一杯。押すことは叶わず、少しでも力を抜けば、間違いなく叩き斬られる危うい均衡状態に焦りを見せる翼に、しかしゼロは容赦なく追撃を行う。

 空いた右手にまばゆい光が収束し、新たな光刃が生成される。一切の淀みなく振るわれた翠緑の薄刃が、ヒュッ、と空気を裂いて、翼に迫り―――

 

 「だらあっ!!」

 

 ―――再び、彼の刃は阻まれる。翼の生み出した猶予は、確かに一瞬。ゼロと翼の交錯に割り込むには、間違いなく足りない。

 しかし、彼女は、天羽奏は信じていた。()()()()()()。長く戦線を離れていた彼女に、相棒に匹敵する程の並外れた直感は無い。だが同時に、彼女は二年間の間ずっと、翼の戦う様を見続けてきた。ゼロとの稽古に励む彼女を見てきた。

 だから知っていた。二人の強さを。ゼロが視界から消えたことを認識したとき、すでに彼女の頭には、彼の一閃を食い止める翼の姿が思い描かれていた。彼女以外には、止められるはずが無いと、確信していたのだ。

 故に、天羽奏は追い付いた。エクスドライブの影響で、更にその大きさを増した槍を握りしめ、彼女は不敵な笑みを眼前の銀影に向ける。

 私は帰ってきたぞ、と、ゼロに、そして隣に立つ片翼に、宣言するかのように。ギリギリと火花を散らす両者の得物、その間から覗く奏の瞳に、しかし彼は何の反応も見せることなく距離を取った。

 

 「まだだんまり決め込むのかよ!」

 

 その様子に、業を煮やした奏が怒号と共に、退る彼に追いすがる。先刻の神速に対応する術を持たない彼女にとって、距離を離されることは敗北に等しい。

 獲得した飛翔能力にブースターの加速。それでも届かない、そう判断した彼女は、槍を片手に持ち替え投擲した。

 凄まじい速度で飛来した凶器を、ゼロはまるで予知していたかの如く弾く。

 

 (ここだ!!)

 

 無論彼女は、たかだか槍を投げつけた程度でゼロの意表をつけるとは思っていなかった。むしろ間違いなく防がれると、確信していた。

 故に、二段構え。奏は投擲の反動による減速を利用し、自分に追いついた翼と、互いの足裏を突き合わせた。そして蹴りだされることでゼロとの距離を詰め、武器を用いない拳撃で不意を打とうという心算だった。

 だが、彼の前ではそれすらも甘かったらしい。

 当然のように、彼は握りこんでいた拳を打ち出さんとしていた奏の横っ面に、強烈な回し蹴りを叩き込んだ。

 

 「かはっ……!?」

 

 腕を振り上げた体勢であったがために、その蹴撃の威力はさほどでも無かったが、それでも女性としては大柄な彼女の体躯を浮かせる程の勢いで以て、的確に彼女の顎を打ち抜いた。

 顎骨から伝わった振動が、脳とそれに連動する視界を揺らす。この状態で受け身など取れるはずもなく、奏は戦線からの一時離脱を余儀なくされた。

 尤も、追撃を試みようとしたゼロを妨害した翼がいなければ、彼女は戦線どころか世界からも永久に退場していたのだが。

 

 「せぁっ!!」

 

 無防備に宙を舞う奏目掛け放たれた光刃を、翼の投げた小太刀が間一髪で弾き飛ばす。そのまま距離を詰め、彼女は振り上げた刀を大上段に構え切りかかった。

 ギィン、という硬質な交錯音を響かせ、ゼロが翼の一閃を受け止める。―――と同時、翼は先程の意趣返しとばかりに、生成していた二本目の刀を振り抜いた。

 刃を握る右手は、初撃を防いだがために動かせず、左手は得物を投擲したばかりで、新たな武器を創り出す余裕は無い。

 ならばどうする。

 答えは、単純だ。素手のまま止めればいい。

 

 翼の超速の抜き打ちを、ゼロは人差し指と中指のみで挟み止めてみせた。白刃取り、とは言うものの、その難度は見た目より遥かに高い。

 平手で行うよりも許されるタイミングはシビアになるし、何よりも力が要求される。たかだか二指の力と長さでは、起きる摩擦がしれているからだ。それを容易く成し遂げるなど、それこそ人外の所業であろう。

 その神業を目の前で見せつけられて尚、翼は動じず捕らえられた得物を手放し、刀を両手で握り直した。しかしすでに、先手を取ったことによる優勢は消え失せている。

 

 「くぅっ……」

 

 技を使う余裕など微塵もなく、翼は馬鹿正直に刀を振り下ろす。小細工を入れたところで、ゼロには通用しないと理解している故の一撃だが、結果はどのみち変わらない。

 速さで競り負け、重さで打ち負け、無論威力でも押し負ける。両腕ごと大きく弾かれ、体勢を崩した翼が致命的な隙を晒した。対するゼロは、仰け反る様子を見せることすらない。

 交錯の衝撃は腕どころか全身に伝播し、翼に疼痛と痺れをもたらしていた。いくら脳が動けと命令しようとも、六感が死の危機に悲鳴を上げようとも、彼女の身体は回避に足る行動を起こせない。

 

 (ここまで、か……)

 

 ―――せめて目だけは閉じるまい。それが、防人の意地だ。

 

 その意地を、中途半端だと自嘲しながらも、彼女は瞳を開いたまま、己が首を断つ翠緑を待った。

 

 

 

 

 「だあああああああっ!!」

 

 ―――させない、させてたまるか。

 

 あの人を、殺される訳には行かない。

 あの人に、殺させる訳には行かない。

 

 だって私は、二人のことが、大好きだから。

 

 

 絶叫が、響いた。断末魔ではない、折れかけた心を奮い立たせるための、雄叫びが。

 漸くここで、立花響の意識が、繰り広げられる戦闘に追いついたのだ。彼らの命のやり取りは、濃密にして、一瞬だった。

 ただ直感で食らいついた翼と、それを予期していた奏のみが生み出すことのできた、僅かな猶予。それを逃すまいと、響はもう一度拳を握った。

 ゼロが追撃に移ろうとするその瞬間、千載一遇の好機が訪れる。その黄金の左眼は、油断なく迫る純白を捉えていたが、いかんせん体勢が体勢だ。

 踏み込む際に後ろに引いた足では、当然迎撃など行えまい。打ち合った反動を利用しての斬撃故に、同じ側の手もすぐには動かせない。

 彼女の拳撃は、完璧に彼の不意を打っていた。これ以上ない、絶妙なタイミングで。

 だからその一撃は、間違いなくゼロを捉える。そして大きな損傷を与えるということを、響は確信していた。

 胸に去来した刺すような痛みを、彼女は折れそうな程に食いしばった歯の隙間に押し込める。拳の勢いを、一切緩めることなく、最後の距離を詰める。

 痛みは消えず、むしろ強まるばかり。針で突かれたよう鋭利なものから、もっと鈍くて不快な何かへと変わっていく。

 それでも彼女は怯むことなく、その痛みを黙殺した。そして射程範囲に入った瞬間、躊躇なく拳を振るい―――

 

 ―――あれ?

 

 

 (なんで……、届かな―――)

 

 そこで漸く、彼女は違和感に気づいた。と言っても、その頃にはもう、手遅れだったが。

 

 

ベキリ

 

 

 体内から、骨と、ソレよりももっと硬い何かの、不気味な破砕音が鳴り響いた。

 

 「ぐぼっ……?」

 

 困惑に震える喉をせり上がる鉄錆臭い液体が、口内を深紅に染め、外にまで溢れ出す。先刻からずっと心臓を苛んでいた激痛は、精神(こころ)ではなく肉体(からだ)が発するものだった。

 しかし、それに気づけなかったことを責めるのは、流石に酷だろう。一体誰が、力を抜いたばかりの足が反発する磁石のごとく跳ね上がり、あまつさえ空中で直角に曲がるなどという現象を想像できようか。

 まあ、つまりは、相手が悪かった。ただそれだけのことだ。

 

 異次元めいた軌道を描いて、響の胸元に突き刺さったゼロの爪先は、容易く彼女のボディスーツを引きちぎり、内部に到達していた。

 表皮は潰れた筋肉と脂肪に埋め込まれ、内部で無数の破片となって飛び散った骨は、いくつかの内臓に取り返しの付かない損傷をもたらした。心臓に至っては、直撃のショックで停止してしまっている。

 逆流した血液が気道に入り込み、肺臓を犯した。機能不全に陥った各種器官は、急速に響の体から力を奪っていく。

 

 ―――それはもう、致命傷と呼んでなんら、差し支えの無い深手であった。

 

 ずざり、と、乾いた音を立てて、彼女は受け身も取れず地面に落ちた。土に塗れ、ボロ切れのように転がるその身体はもう、ピクリとも動かない。

 引き裂かれた胸からは、口からこぼす量に数倍する血液が流れ出し、赤い水溜りを創る。唇は青ざめ、目から光が消える。死へと、向かっていく。

 

 

 「……あ」

 

 そんな彼女の凄惨な姿に、翼は絶句し、次の瞬間―――

 

 「立花あああああああぁっ!?」

 

 ―――泣き出しそうな顔で、今度こそ、絶叫した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 


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八話:笑顔が力になるのなら

 シンフォギアはモブに厳しい、と揶揄されるけど。別に主要キャラに優しいわけでもないんですよね。


















 

 

 ただひたすらに突き進んで、ただひたすらに守り抜いて。

 

 

 そうしたら、いつの間にか、終わりが見えていた。

 

 

 そこでふと、振り返ってみたのだ。

 

 

 すると、今まで積み重ねたものが、置いて行かないでくれ、とこちらを見つめていた。

 

 

 でも、もう止まるには遅すぎた。

 

 

 手に持つ切符は片道で、帰りの分なんてものは無い。

 

 

 だから俺は、誰かにこの想いを、受け継いでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ひび……き?」

 

 翼が悲痛な叫びを上げるのと同時、戦場を囲む紫の壁の、外側で。

 小日向未来は呆然と、ぐったりと横たわる親友の名を呼んだ。

 広がってゆく血溜まりの端で、横向きに倒れる彼女は、ピクリとも動かない。吐き零した鮮血に彩られた口元とは対象的に、その顔色は青白く染まっている。泥に汚れくすんだ茶髪の間から、僅かに覗く瞳にもう光は宿っていなかった。

 それらを認識して初めて、彼女は起こった事実を理解する。

 

 「響、響ぃ!? しっかりして、響ぃっ!!」

 

 焦燥をその顔に滲ませながら親友の元に駆け寄ろうとして、彼女は自分達を隔てる壁の存在を思い出す。

 躊躇なく振り下ろされた右手が、薄紫に発光する障壁を叩いた。弦十郎の拳すら阻むそれが、彼女の細腕一つで歪むはずもなく、ただ鈍い痛みだけが返される。

 それでも彼女は、その壁を叩き続ける。掛け替えの無い友の名を呼びながら、瞳からこぼれ落ちる涙を拭おうともせずに。必至に、小日向未来は壁に拳を打ち付け続けた。

 痛ましさすら感じさせるその様子に、彼女の横に立つ弦十郎は、内心のやるせなさを堪えるように目を閉じた。

 

 そして、ちょうどその瞬間。トクン、と、止まっていたはずの心臓を拍動させ、立花響が、僅かに身動ぎした。

 どうしてか、希望よりも不気味さを強く感じさせる彼女の有様は、しかし未来のにじむ視界にも、弦十郎の閉じた瞳にも、映されることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『………………ぇ…………』

 

 身体が、動かない。脳がいくら命令を入力しても、壊れた各部はそれを遂行できない。

 耐え難い痛みと苦しさに、何度も何度もぬめりを帯びた液体が口から吐き出される。

 

 『ねぇ………』

 

 靄がかかったようにはっきりとしない感覚が、しかし朧気に掛けられる声を認識した。聴いたことのある、しかしはっきりとは思い出せない声だ。

 同時に、視界に誰かの顔が入り込む。その顔は、身を横たえた私を、屈んで覗き込むようにして見つめていた。

 

 「だ……れ、です………か…………?」

 

 掠れた、弱々しい声で、私はそう尋ねる。同時に、この場所が、自分が先刻までいた戦場ではないことを理解した。そうで無ければ、こんな悠長な会話などできるはずも無い。

 眼の前の存在は、おかしそうに、楽しそうに嗤って、口を開いた。

 

 『誰でも良いじゃない。

 ―――そんなことより、何かお願いは無い?』

 「おね…………、が、い………?」

 

 じっ、と近づけられた顔に、どこか見覚えがあるような気がして。困惑と共に、私は問われた言葉を反芻する。

 

 『そ、お願い。何でも良いよ、大体の事は叶えてあげられる。

 でも、早めに決めてね。時間、もうあんまり無いから』

 

 ああ、そういえば。先程よりも、更に意識が薄れているような気がする。まるで、何かに塗り潰されているみたいに。

 縋るものを求めて、重たい手を動かす。追って、ちゃぷん、と、水っぽい音が響いた。

 訝しげに、見上げていた彼女の顔から、視線を下げて、気づく。

 

 血溜まりが、そこにあった。吐きこぼした液体が注がれて出来た、鮮やかな赤い海。

 でもそれに、実体は無い。これは身体じゃなくて、心が流したもの。ズタズタになった胸の内側から、とめどなく溢れ出したものだ。

 

 「そう………、だ……」

 『何?』

 

 思わず漏れた呟きを、耳聡く聞きつけ、少女が続きを促す。

 

 「れい……、さ…ん…………」

 

 この傷は、あの人に付けられた。何も語ることなく、私達に背を向けた、憧れの人に。

 蹴られたことよりも、何よりも、そのことが痛かった。固めた心の奥の、柔らかいところに、彼の拒絶が突き刺さった。

 

 『それで? あの人をどうしたいの?』

 

 思い返した事実に、傷を重ねる胸を押さえる私に、彼女は最後の問を投げかけた。

 

 

 「わた………、し…、は」

 

 ―――どうしたい、のだ?

 それに対する答えを、私はまだ持っていない。

 

 話す。訳を聞く。説得する。

 思い浮かんだそれらは、自分でしかできないこと。だが今の彼を相手にして、一足飛びにその段階まで至ることなど不可能だ。

 まず最初に、止めなくてはならない。抑え込まなくてはならない。

 そのためには、何が必要だ? 今の自分には何が足りない?

 熱に浮かされたように上手く働かない頭が、それでも曖昧な思考から一つの答えを導き出した。

 

 「………………を」

 『ん?』

 

 良いのだろうか。どこか、違っているような気がする。そもそも問の答えにすらなっていない。

 けれど、駄目だ。意識が定まらない。思考が纏まらない。次第にこれが一番の解決法に思えてきた。

 彼女は優しげな微笑を湛えたまま、振り絞るようにして言葉を紡ぎ出そうとする私を待つ。

 要領を得なかった呻き声が、漸く意味を持った言葉の羅列となって、口から吐き出された。

 

 「ちか……、ら……を」

 

 欲しい、ものは。繋ぐための、握るための手を、彼に届かせるのに、必要なものは。

 

 「()()……、くだ……さ、い」

 

 それ以外に、考えつかなかった。

 

 『あは』

 

 私の返答を受けた彼女の口が、三日月の形に歪み、長い犬歯を口の端から零れさせた。湧き上がる愉悦が滲み出たような、狂気を感じさせる笑みだった。

 

 『数ある選択肢の中から、(ソレ)を選んでくれるとはねぇ……。

 オッケー、任せて。あなたのお願い、喜んで叶えてあげる。()()()()()()()()()()()()―――』

 

 どこか感慨げに呟いた彼女が、私の願いに是と答えた瞬間、張り詰めていた意識の糸が、ぷつりと途切れた。

 かすれた瞳が映す視界は更にぼやけ、脳は思考を完全に放棄した。身体中を苛んでいた苦痛は残滓すら残さず消失し、同時に意識が風に吹かれたように霧散する。

 機能停止に陥った私は、あとに続けられた言葉の意味を膾炙することすらできなかった。

 

 『―――()()()()

 

 無論、最後に聞こえた、その声の意味も

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼は、絶叫した。戦場で、一分の隙すら見せてはならないはずの、死地で。

 本来なら、彼女がゼロから意識を切ることは、ありえないはずだった。味方が蹴り飛ばされたとしても、防人として戦場に身を置き続けてきた翼は、鉄の意志でその事実を意識の外に追いやっただろう。

 

 ―――だが。

 

 (なんの音だ、あれは……?)

 

 響の生み出した僅かな猶予を活かすために、彼女の中身の潰れる音を、意識の外に追いやった。骨のひしゃげる音も、血の逆流する音も、圧迫された肺から空気が押し出される音も、全て、聞こえないふりをした。

 

 しかし、その音だけは、聞き逃がせなかった。機械仕掛けの鎧が砕ける華奢な破砕音とは異なる、何か硬質な塊が砕けるような、高い音。

 そんな不気味な音が、()()()()()()()()()、奏でられたのだ。

 

 故に翼は振り向き、直視し、認識してしまった。彼女の瞳から、光が消えたことを。取り返しのつかない深手を負ったことを。

 

 そして、自分がゼロから視線を逸し、声を上げている事に気づいた瞬間、翼は自分の死を確信した。

 

 直後、彼女の視界は、爆風に塗り潰された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――その一射は、偶然だった。

 

 

 イチイバルの装者、雪音クリスは、この戦いに追いつけていなかった。肉体的な意味でも、精神的な意味でも。

 そもそも彼女は、敵対者が何者なのかすらよく分かっていない。先程まではこちらに加勢していた男が、なぜこの土壇場でわざわざ敵に回ることを選んだのか、全く理解が追いつかない。

 とはいえ、各々驚愕や悲哀の表情を見せる他の装者達は、とても彼の詳細を聞けるような状態ではなかった。

 故に彼女のこの戦闘における闘志は、他の者が秘めるそれに、一歩劣る。

 しかしそれでも、やらねばやられる、という状況を固められてしまえば、敵の素性などあまり大きな問題ではない。むしろ無駄な葛藤を持ち込まずに済む分、コンディションに与える影響は少ないといえた。

 

 最大の障害は、彼女のギアの性能の問題だ。

 他に比べて劣る、などということは一切ない。遠距離から大火力を叩き込む彼女のギアは十分に強力だ。ただその特徴上、彼女はこういった多対一の戦闘では援護に回らざるを得ない。

 近接戦が可能であれば違ったのかも知れないが、クリスは結果として、未だにただの一射も放てていなかった。

 

 防御という明確なプラスを生む行動が存在する前衛とは違い、後衛には全ての行動に行うべきかそうでないかの是非が付随する。

 

 単純に言えば、取れる行動が制限されるのだ。

 味方と敵が打ち合っている最中に絨毯射撃など以ての外であるし、敵だけでなく味方の動きも予測して撃たねばならない。

 無論それを可能とする能力をクリスは備えているのだが、今回に限っては相手が悪過ぎた。

 

 最初に叩きつけられた殺気に、戸惑いを捨て戦闘態勢をとったクリス。

 直後、ゼロの姿がかき消え、ほぼ同時に背後で交錯音が響いていた。理解が追い付かぬまま、半ば反射的に振り向いてみれば、眼前にはゼロの刃を受け止める翼の姿が。

 瞠目し硬直する彼女の傍らをすり抜けるようにして、奏が加勢に入る。

 そこでようやく、クリスは我に返った。敵対者の異常なまでの速度と、それを辛うじてだが受け止めた翼に対する畏怖を押し殺して、彼女は二人の助勢に入ろうとした。

 ―――そして、気づいてしまった。

 

 『どこに撃っても意味が無い』ということに。

 

 まるで隙がない。当てられる射線、どころか相手の行動を阻害することができる場所すら見出だせないのだ。

 どこを狙おうと、今行っている動作に一切の影響が無いように対処される、それを確信させてしまうほどの実力差が、両者にはあった。

 

 (どうすりゃいいってんだよ……)

 

 そんな状況に、クリスは内心で悪態をつく。

 ダメ元で撃ってみる、という考えは最初に放棄した。全くそうなるとは思えないが、翼達が彼女の援護があると判断して、その集中を僅かにでも緩めてしまうかもしれないからだ。単純に気が散る、という可能性もある。

 万が一にも、彼女達の不利になるような行為を行ってはならないと、クリスは半ば脅迫観念のように自分に言い聞かせる。

 それは、コップに溢れる寸前まで張られた水に、指を突っ込むようなものだ。

 スレスレで保たれている危うい均衡に―――たとえ間もなくそれが崩れるのだとしても―――刺激を与えるような蛮勇を、彼女は持ち合わせていなかった。

 

 しかし、ここで新たな疑問が、鎌首をもたげる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (やめろ、考えるな)

 

 クリスは生まれた疑問を、即座に拒絶し、胸の奥に押し込めようとした。

 だが、人間は意志に反する行為を、無意識に取ってしまう不合理な生物だ。

 一度頭に浮かんだその思考は容易には引き剥がせず、むしろどんどん大きなものとなって、彼女の脳のリソースを割いていく。

 

 もし、撃たずに現状を維持したとして、期待していた援護が来ないことに、翼達が集中を切らしてしまったとしたら。

 彼女達に限ってそれは無い、クリスはそう自分に言い聞かせるが、それは前者も同じことだ。撃ったとしても、撃たなかったとしても、それは一切のプラスを生まず、万に一つのマイナスを生み出す。

 八方塞がり、否、もっと酷い。此度は、留まることすら許されていないのだから。

 

 ―――いっそ、アタシをここから排除しちまうか。

 

 一瞬、破滅的な案が脳を過った。即座にそれを、最も行うべきではない行為と思い直す。

 そんなことをすれば、全員の意識を自分に集中させることになってしまう。

 

 「何考えてんだ……」

 

 彼女は募る焦燥から自棄になりかけた思考を、独り言を呟くことで落ち着かせた。しかし、状況は変わらないどころか、さらに悪い方向へと進みつつある。

 

 「あ…………」

 

 唐突に、クリスの口からか細い声が漏れた。

 心中の葛藤に意識を向けていた間に、奏が蹴り飛ばされていたのだ。

 何も出来なかった自分に対する諦念や虚脱感、怒りの入り混じった感情を、なんとか次の一手を導き出す為の力に変え、彼女は有効打になり得る射線を探す。

 

 無駄、意味無し、撃たない方がマシ、解らない。状況が動いても、クリスが何もできないという事実は変わることなく彼女を苛む。

 

カアン!

 

 硬質な激突音が、不毛な模索を続けるクリスの耳朶を打った。ゼロが奏に放った追撃を、翼の小太刀が間一髪で弾き飛ばしたのだ。

 

 (畜生がッ……!!)

 

 今のは自分にもできた、それを認識し、彼女は思わず毒づく。自分があの追撃を撃ち落としていれば、翼は一手速くゼロに攻撃を仕掛けられていた。

 自分が戦場に参加する、千載一遇のチャンス、それを逃してしまった。

 焦りから視野が狭まっていたことを自覚し、歯噛みする。後悔しても遅いと割り切れぬのは、己の未熟さ故か。

 

 思索に費やした僅かな時間の内に、翼とゼロの剣戟が始まっていた。一合目、翼が大きく打ち負け、一気に劣勢に陥った。

 彼女が次の斬撃を躱せ無いのは、近接戦を不得手と自覚しているクリスの目にも明らかだった。

 反射的に引き金に指をかけ、そこで一瞬、躊躇う。この段階になって尚、本当に撃つべきかという疑念が、汚泥のように彼女の心にへばりついていた。

 

 答えられぬ問を前にしたとき、人はそれをやり過ごそうと画策する。曖昧にはぐらかし、さも悩んでいるように周囲にアピールし、時間切れを待つ。

 彼女も、そうしてしまった。あれ程嫌った、憎んだ、唾棄すべき、大人と呼ばれる有象無象共と同じ様に。

 その代償が、仲間の命によって払われるということを、理解していたというのに。

 

 振るわれた翠緑の光刃が、体勢を崩した翼の首を刈り取らんと迫る。交錯の衝撃に痺れた両手は、得物を取り落とさぬように握るのが精一杯。防御など望むべくも無い。

 もはやクリスの援護は間に合わない。今更慌てて射撃を行ったところで、彼の刃はそれが届く前に翼の首を断ち切るだろう。

 そうして、彼女は撃たなかった自分を、撃てなかった自分を、必至に正当化する。

 

 (どのみち…………、結果は同じだ)

 

 自分を救い上げてくれた人達の想いが開花させた、この力。それを裏切ってしまった虚無感が彼女の心を埋め尽くしていく。諦めに表情を曇らせ、クリスは力なく項垂れた。

 

 (アタシは、何も………… ―――ッ!?)

 

 留まらぬ自責の念に、眼の前の戦場を放棄し、後ろ向きな思考に沈もうとする彼女は、しかし折れる寸前で、叫びを聞いた。

 

 「だあああああああああああッッ!!」

 

 弾かれるように上げた視線の先には、拳を握りしめた少女が―――立花響が居た。

 憎悪に駆られ、暴力に狂い、それを正しい行為だと信じていた以前の自分を、その歪んだ価値観ごと叩き潰し、目を覚まさせた彼女は。

 血を吐くような死闘の末に和解をなした相手を、憧れていた存在に砕かれ、誰よりも打ちのめされているはずの彼女は。

 それでも闘志をその目に宿し、絶望的なまでの力量差すら物ともせず、果敢に立ち向かっていた。

 その在り方は、クリスの、否、誰の目にも、太陽のように輝かしく映るのだろう。

 響の勇姿を目にした彼女の、諦念に呑み込まれた心に、一筋の希望の光が指した。

 

 

 ―――そしてその光は、すぐさま途切れ、儚く消えた。

 

 

 「…………え?」

 

 飛来した困惑が、か細い声となってクリスの口から漏れ出した。

 響の一撃のタイミングは、完璧だった。あの状態からでは、回避も迎撃も不可能だ。そのはず、だった。

 

 しかし、現実は違った。

 

 人体の構造上ありえぬ軌跡を描いたゼロの足先が、響の胸元に比喩なしで突き刺さった。グシャリ、という不気味な音が、離れた場所に立つクリスの耳にも、嫌にはっきりと聞こえた。

 鮮血を、傷口と口元からとめどなく溢れさせる彼女の身体が、浮いて、落ちるまでの一部始終。時が引き伸ばされたかのように、緩慢に行われるそれを目にしたクリスの内側で、何かが切れた。

 

 「うあああああああああああああああっっ!!」

 

 咆哮と共に、彼女は漸く引き金を引いた。そこに一切の思考はなく、意図はなく、策もなかった。

 ただ彼女の心と同様に、激情のままに暴発したに過ぎない。先程までの思索の全てを無意味と化す行為、しかし捨て鉢となったクリスに後悔は無く、妙な清々しさを感じてすらいた。

 故に、それは紛うことなき偶然だった。奇跡、と呼び替えても良い程の。

 その放たれた一射が、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 響が致命傷を受けた事に動揺し、明確な隙を晒した翼に、ゼロは何故か追撃の素振りを見せなかった。

 右手の刃を振るうこともなく、左手に新たな武器を生成することもない。取った動作は、ただ翠玉の左眼を微かに見開いたことのみ。

 そして同時に、その瞳と同色の光が迸った。眼光が具現化されたかの如く、彼の瞳から一筋の光線が放たれたのだ。

 文字通りの光速で宙を駆ける極細の光は、翼に一切の反応を許さず、心臓目掛け真っ直ぐに伸びる。

 小数点から数字を10桁近く引き離す速度の一閃を、翼が回避する術はない。

 

 ―――だが、翼が命を落とすことは無かった。

 

 彼女の胸元に迫るエメラルドの軌跡に、赤い光が割り込んだ。クリスの撃ち放った光弾だ。奇跡的なタイミングでゼロと翼の間に到達したそれが、致命の緑光の行く手を阻み、接触する。

 直後、出自も構成材料も根本からかけ離れた二種のエネルギーが、物理法則の外側で反応を起こし、壮絶な爆発を発生させた。

 視界を塗り潰す爆風に驚愕する間もなく、翼は全身を衝撃に叩かれ、意識を喪失して無防備に吹き飛ばされる。

 まともな対応を行えず、即座に戦闘不能に陥った彼女とは対象的に、ゼロは表情を変えず、刃を一閃させ爆風の影響を遮断した。

 爆発の余波が収まり、視界を妨げる黒煙と粉塵が晴れる。ゼロの視線が、己の一撃を辛うじて防いだものに向けられた。

 先程までは意識に入っていなかった、入れる必要は無いと判断していた少女に対する警戒を、彼は極僅かではあるが引き上げたのだ。

 否、追加した、と言うべきか。

 そもそも彼は、彼女がこの戦場に参加している、とすら認識していなかったのだから。

 

 

 

 

 

 逆上、後悔、放心、困惑、歓喜、恐怖。

 眼の前で繰り広げられた光景に対する、彼女の感情の変化は、概ねこのようなものだった。

 もはや誤射と呼ばれても反論できないほどの、怒り任せに撃ち込んだ弾丸が、あまりにも不自然な爆発を起こした。

 呆気にとられるのも一瞬、気付けば翼が爆風に煽られ、宙を舞っていた。脱力し切った身体、彼女が気絶していることは明らかであり、それを認識してはじめて、彼女は自分の成したことを理解した。

 

 (ああ……、なんだ)

 

 不謹慎、と言われても詮無いことではあるが、彼女は翼の死を確信していた。

 あの体勢から持ち直すには、それなりの時間と集中が必要だ。そしてそれを割くことを許すほど、敵対者は甘くない。

 その彼女が、死を免れた。それはつまり、自分の一射がゼロの攻撃を相殺、とまではいかなくとも、その威力をある程度減退せしめたということだ。

 クリスは漸く、この戦場に、戦士の一人として、参加したのだ。

 

 風切り音。眼前に銀の影が出現する。脅威となりうる可能性が存在するのであれば、それがどれだけ小さくとも、今のゼロが見過ごす理由にはならない。

 わざわざ距離を詰めたのも、彼女の近接戦闘の技術が低いことを考慮に入れてのことだった。

 

 スッ、と。

 滑らかな、惚れ惚れするほどの動作で、彼が腕を振りかぶる。

 

 (……あたし、役に立ったじゃん)

 

 その思考を最後に、クリスの意識は断絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりとした動作で、彼女は立ち上がった。そして顔を上げ、剣呑な光を宿した両眼で、こちらに背を向ける青年を見据える。

 一拍おいて、青年―――ゼロが振り返り、奏と視線を合わせた。相変わらず、その表情は張り付けた能面のまま。

 視界の端を過ぎった赤いものが、緩やかな弧を描いて地面に落下する。ガジャッ、と、落下の衝撃と、それに砕かれた機械仕掛けの鎧が、鈍い音を奏でた。

 彼に弾き飛ばされたクリスが、意識を刈り取られ、受け身も取れずに地に落ちたのだ。

 一瞬だけ、奏は地に伏せる少女に視線を送る。

 僅かだが、肩が上下していた。息の根は止まっていない。しかし戦闘不能であることは明らかだ。

 

 『……大丈夫か?』

 

 限定解除により後付された能力で、奏は念話を試みる。無論、誰からも答えが返ってくることはない。

 全身の装甲を砕かれ、仰向けに倒れた翼。血溜まりに沈んだ、生死すら定かではない響。

 彼女達に順に視線を移し、奏はギリィ、と激情を抑え込むように歯を軋ませた。

 

  

 ―――天羽奏は、この状況をどこか楽観視していた。

 戦場を長く離れていたこと。ゼロに命を救われたこと。響達がクリスと和解を果たしたこと。 

 彼の本気の殺意を浴びて尚、彼女は心の内で、どうにかなるのでは無いか、と考えていた。

 

 その結果がこれだ。

 蹴り飛ばされ、地に落ち、起き上がるまでの間に、仲間達は全滅した。尤も、彼女が全霊を尽くしたところで、この筋書きにはなんの変化も起こりはしない。

 だが、死力を尽くせなかったという事実は、彼女の胸に重くのしかかる。

 沸々と、心の奥底から、煮え立つように湧き上がる憤怒は、誰に向けた物か。視線の先に悠然と立つ青年、もしくは自分自身かもしれない。

 行き場の定まらぬ激情が、堰を切ったように、言葉となって溢れ出る。

 

 「なんで……、なんでだ? 零。何がしたいんだよ。何が目的なんだ? あたしらと敵対する理由はなんなんだ? 教えろよ。言ってくれなきゃ、解かんねえよ……」

 

 重ねられる問いに、しかしゼロは、無言を貫くばかりだった。身を切るような冷たさを孕んだ瞳には、何の感情の変化も見られない。

 

 「…………………そうかよ」

 

 そんなゼロの様子に、奏はそれだけを呟いた。やりきれなさと、諦念。二つの感情がせめぎ合う、切なさを秘めた呟きにも、彼は反応を返さない。

 奏が、もう語ることは無いとばかりに、手に持つ槍を構えた。それを見たゼロもまた、翠緑の光を収束させ、一振りの光槍を生み出し、構える。

 その行動に、奏はほんの一瞬だけ表情に驚きを滲ませ、即座に引き締めた。

 

 膠着は無く。

 次の瞬間、二人は同時に大地を蹴った。

 

 

 

 ボジュッ、と、空気を焦がしながら、奏の槍がゼロへと突き出される。過たず急所への最短経路を辿り、現状の出力で実現しうる最速で。お手本通りの、完璧な突き。

 

 ―――故に、最高には程遠い。

 

 槍を持つ腕を伸ばし切り、刺突が最高速に達する、その直前。

 自らに迫る鋭刃の、その穂先の先端、極小の一点を、ゼロが穿ち抜いた。

 硬質な交錯音、弾ける火花、ついで、奏の槍が跳ね上げられる。急所に到達した瞬間の最大威力を見越して放たれた一撃と、それを迎撃する瞬間に最大威力を発揮するよう放たれた一撃。  

 同時に放たれた両者の内、どちらが勝るか。結果は明らかだった。

 

 「ぐっ…………」

 

 続く一撃を、身体を捻り辛うじて躱す。無理な回避が各部の靭帯に無視し難い負荷を与え、耐えかねた奏が呻き声を漏らした。  

 

 最速の一撃を繰り出し続けるだけでは、戦いには勝てない。緩急をつけねば、それは完璧から、ただ読みやすいだけの攻撃へとなり下がる。

 その緩急の程度は、培ってきた戦闘経験、つまりは勘で決定するしかない。

 そしてそれは、今の彼女ではどう足掻いても手に入れることのできないものであった。

 

 この時点で、彼女の勝利の目は既に消えていた。

 当然だろう。力量で上を行かれている相手に、機先を制されてしまったのだから。

 

 ヒュッ、と、奏の頬の直ぐ側を、翠の穂先が通過した。僅かにかすめたのか、皮膚に一筋の線が刻まれ、赤く滲む。

 その裂傷が生んだ痛みを、皮膚が神経に伝達するより早く、彼女は身を屈めた。直後、頭上をゼロの槍が薙ぎ払う。急な動作に追いつけず、頭上の空間に残留していた髪の数房が、それに巻き込まれて切断された。

 視界に入り込む橙色の糸を煩わしく思いながら、今度は転がるようにして斜め後方に移動。回転する視界の中で、先程まで彼女がいた場所に槍が振り下ろされ、地面が豆腐のように断たれた。

 もし一秒でも反応が遅れていれば、自分も同様に両断されていたことを否応なく理解させるその光景に、奏は冷や汗を流す。

 

 彼女は気付いていない。実際には、与えられていた猶予は、その想像の十分の一にも満たないということに。

 最初の激突から奏が下がるまでの攻防は、一秒足らずの間に行われた出来事だ。

 ウルトラマンエックスカプセルによる適合係数の上昇と、限定解除による性能の飛躍が、彼女の戦闘能力を跳ね上げていた。音速を優に超える別次元の攻防を交わせたのも、そのためだ。

 それを奏が自覚していないのは、無意識の適応や、ギアによる自動調整、ゼロとの隔絶した力の差が要因となって、実感が得られていないからだ。

 彼女が曲がりなりにも戦えている理由の大半は、ギアのスペック上昇に帰結する。

 そうで無ければ、翼に技量で劣る今の奏に、ゼロとまともな戦闘を繰り広げることなど望むべくも無い。他の装者と同じく、瞬きの間に意識を刈り取られるのが関の山だっただろう。それほどの差が、彼女達とゼロの間にはあるのだ。

 そしてその差は、たかだか一つのカプセル程度で覆せるものではない。

 

 

 再度の交錯。今度は同時ではなく、ゼロが先に動いた。当然のように打ち負け、体勢を崩した奏に、容赦のない追撃が襲いかかる。

 扇を描くように振り抜かれた槍を、そのまま後ろに倒れ込みながら回避する。鼻先数ミリ上を通り抜けた翠緑の光に冷や汗を流す間もなく、薙がれた空気が弾け、彼女の顔を打ち付ける。

 両足を踏ん張れるような状態にない彼女の身体は、その風圧に耐えかね地面に叩きつけられた。

 頭部を打撲したせいか、一瞬意識が飛びかける。が、無論敵は待ってくれない。

 直後、ぶんっ、と空気を裂いて、鮮やかな翡翠の煌めきが、振り下ろされた。

 

キィィィンンッ!!

 

 甲高い金属音と共に、火花が弾けた。とっさに槍を掲げた奏が、その柄でゼロの一撃を受け止めたのだ。

 尋常ではない衝撃が彼女を介して地面に伝播し、無数の亀裂を刻み込んだ。骨折を疑うほどの激痛が駆け巡った腕に、彼女はそれでも力を込め、絶えず肉体を苛み続ける重圧に耐え忍んだ。

 兇器は徐々に柄に食い込む。槍が悲鳴じみた異音を響かせ、彼女の焦燥を深めていく。

 辛うじて自分の命を繋ぎとめているそれが断ち切られる前に、この状況を脱しなければならない。

 起死回生を賭けて、奏は軋みを上げる両腕に、粉砕覚悟で全霊を込め、押し込んだ。

 

 ―――そしてその賭けに、彼女は敗北した。

 直後、彼女の全身に途切れることなくのしかかっていた負荷が、消失した。唐突に槍を引き戻したゼロが、行き場を失った力に振り回される奏の横腹に、痛烈な蹴りを叩き込む。

 

 「ガッ……!?」

 

 絞り出すような苦悶の声と共に、彼女の身体は風に煽られる木の葉の如く宙を舞った。

 ほとんど浮き上がることなく、地面すれすれの軌道を描いて空中を駆けた奏が、急角度で地に突っ込む。数度、水切りのようにバウンドを繰り返し、ようやく彼女は停止した。

 

 「……っああ…、ゲホッ」

 

 全身をしたたか打ち付けた奏が、咳込みながら身を起こす。気を失わなかったのは、性能向上の恩恵か。

 ズキズキと痛みを訴える脇腹を庇うように抑え、立ち上がろうとして漸く、彼女は目の前に立つ存在を認識した。

 顔を上げた奏の視線の先では、無機質な瞳で彼女を見下ろすゼロが、断頭台の様に手に持つ光槍を掲げていた。

 

 (ここまでか……………)

 

 蹴り飛ばされたときに手放した槍は、手の届く場所にはない。新たな武具を作り出す猶予も、今の彼女には与えられていない。

 つまりは、詰みだ。彼女の敗北は決定した。

 

 (―――それでも…………)

 

 しかし彼女の目に、絶望は無かった。その瞳にはまだ、確かな闘志が、爛々と燃え盛っている。

 

 「諦められねえよ、なっ!!」

 

 なけなしの力を腕に注ぎ、同じギアを纏う後輩、かつて守った少女の様に、奏は固く握りしめた拳を突き出した。

 悪足掻きだ。そもそも槍を主体にした戦闘スタイルを取る彼女は、拳撃に習熟していない。

 込められた力はあまりにも乏しく、彼に傷をつけるには遠く及ばない。

 故に、ゼロはそのささやかな抵抗に意識を割くことなく、手に持つ槍を振り下ろす―――

 

パシィッ

 

 ―――はずだった。

 だが彼は、その苦し紛れの一撃を、わざわざ攻撃の手を止めて、受け止めていた。

 拳に宿る、得体の知れない力。それがゼロに防御という行動を選択させ、僅かな時間を稼いだ。

 

 そしてその数瞬が、奏の生死を分けた。

 

 ゼロが掴んだ拳ごと、奏の身体を引き上げる。

 反撃の手を封じ、そのままとどめを刺そうとした彼は、しかし次の瞬間、彼女を放り出し、大きく後ろに飛んだ。

 直後、その間に割り込むようにして、黒い影が着弾する。轟音と共に地面が砕け散り、巻き上げられた破片が辺りに飛び散った。

 身体を揺さぶる衝撃に仰け反った奏が目を開けた、その瞬間。

 

 

 「■■■■■■■■■■■■―――ッッ!!」

 

 もうもうと立ち込める土煙に隠された何者かが、咆哮した。

 否、その正体等、解り切っている。この戦場に、今このタイミングで、参戦できるものなど、たった一人しかいない。

 ただその事実を、彼女が認めたくないだけだ。

 

 身も心も凍りつくようなその雄叫びに、倒れ伏していた二人の装者が、弾かれるように覚醒した。

 驚愕の表情を貼り付けたまま、彼女達は轟音の発生地、無数に走る亀裂の中心へと目を向ける。

 

 ボゥッ!! と。

 内側から爆ぜ飛ぶようにして、視界を妨げる煙が晴れた。そこに立っていたのは、獣のようなナニカ。

 光という光を執拗に排除した、混じり気のない漆黒に肉体を染め上げ、瞳に血の色の狂気を宿した彼女は。

 

 「そん………、な………」

 「う……、そ…だろ……」

 

 紛れもなく、立花響その人であった。

 呆然と声を漏らし、翼とクリスは座り込んだまま硬直する。眼の前の事実に打ちのめされる彼女達に、立ち上がれるだけの力はない。

 激情や、デュランダルを原因として引き起こされる暴走現象。その詳細については、何一つ分かっていない。

 言葉を掛け、触れあえば、正気を取り戻させることは可能だ。だが、そんな悠長なことをする猶予は、この戦場には存在しない。

 彼女を狂気の坩堝から掬い上げることは、彼女達にはできないのだ。

 装者たちはそれを理解し、力無くうなだれた。 

 

 ただの一咆えで、その場全ての人の心を圧し折る程の衝撃を与えた響。

 その視線が、唯一感情の動きを見せなかったゼロに向けられる。ガクリ、と体を前に大きく傾け、鉤爪の如く曲げた五指を地に突き刺した。

 食いしばられた牙が、ギリィ、と耳障りな音を立て、隙間から呻き声を漏らす。

 次の瞬間、彼女は背後の奏には目もくれず、視線の先の銀影に飛びかかった。跳躍の衝撃で抉られた地面が、微細な破片となってへたり込む奏に吹きかかる。

 

 「ゲホッ、ゴホッ……」

 

 堪らず咳き込む彼女を尻目に、両者は激突した。

 

 空中で振りかぶられた右腕が、ドス黒い軌跡を描いて、ゼロ目掛け振り下ろされる。

 数センチほど伸びた爪が、虚しく空気を裂き、風切り音を奏でた。ゼロが、僅かに上体を後ろに反らしただけで、響の凶手を躱したのだ。

 彼は空振りの影響で体勢を崩した彼女の首を、上から抑え込むようにして蹴りつける。

 ミシィ、という嫌な音を響かせ、黒く染まった肢体が顔面から地に叩きつけられた。

 先ほどまでの耐久力なら、頭蓋を砕かれていただろう一撃。いくらスペックが向上しようとも、その衝撃を耐え切るには届かない。

 蹴られた頚椎が音を立ててへし折れ、上下からの圧力が頭骨に罅を入れる。砕かれた地面が歪な形状へと変わり、押し付けられる顔の至る所に突き刺さった。

 その与えた損傷、十二分に命を奪えるだろう深手を把握しながら、しかしゼロは攻撃の手を緩めない。

 軸足はそのままに足を跳ね上げ、即座にそれを振り下ろす。断頭台めいた勢いで落とされる踵が、地に伏す響の背に着弾した。

 内包された衝撃が爆ぜ、背骨ごと彼女の中に潜む異物を微塵に粉砕し、身体を地面にめり込ませる。容赦の無い、過剰なまでの追撃。やり過ぎだ、と、誰もがそう思った。

 

 ―――ただ、彼だけを除いて。

 

 攻勢にあったはずのゼロが、唐突に後ろに飛び退いた。不可解とも取れる行動に対する答えは、直後に示される。

 ゴバッ、と、轟音を響かせ、地が爆ぜた。距離を取ったゼロの元に到達する程の勢いで巻き上げられる土砂。それを突っ切る様にして、深々と抉られた地面から影が跳躍する。

 顕になった彼女は、全くの、無傷だった。

 

 そもそもの話、彼女は既にゼロによって致命傷を負わされている。止まっていた心臓が何らかのショックで動いたのだとしても、その他の重要な器官をずたずたに引き裂かれた彼女の身体に、ここまで荒々しく動き回れるだけの機能など残っているはずもない。

 つまり響の現状は、その傷が完治したということの証明にほかならないのだ。

 

 ダメージを感じさせない―――既に癒えているのだから当然だが―――俊敏な動作で、ゼロに肉薄する響。

 まともな思考を放り捨てた彼女は、もとの戦闘スタイルも相まって、がむしゃらに懐に潜り込もうとする。

 しかし、無策同然の単純な吶喊が、格上である彼に通用するはずもない。

 大幅な戦闘力の向上と引き換えに、仲間との協調、ギアの変形、更には真っ直ぐな想いまでも失った今の彼女は、師たる弦十郎の型落ちそのもの。

 大振りの爪撃は最低限の動作で透かされ、代わりとばかりに顎を蹴り上げられる。意識を飛ばす程度では収まらず、首から上をちぎり飛ばせるほどの衝撃に見舞われ、可動域ぎりぎりまで彼女の顔が傾いた。

 脳を激しく揺らされ、脱力し切ったはずの彼女の身体が、しかしマリオネットのように動き出す。

 身体の各部が、それぞれ意思を持ったかのような、統制の取れない挙動でゼロに殺到した。

 

 「■■■■■■ッ!?」

 

 ―――次の瞬間、響は宙を舞っていた。

 

 他の者が相手なら撹乱できたかもしれないが、彼には子供騙しにもなりはしない。

 惑わされることなく攻撃を掻い潜ったゼロの拳は、彼女の顔面を過たず捉えていたのだ。

 

 死に体を晒す響に、容赦の無い追撃が襲いかかる。

 実際には、飛行能力を獲得した以上、宙に浮かされることはそれほど致命的な問題ではない。

 

 ただ、万全の体勢だろうが何だろうが、ゼロの前では全て等しく、死に体なのだ。

 

 伸ばされた右脚が、神速を以て振り切られる。摩擦によって空気中のチリを自然発火させたそれは、紅蓮の弧を描き響の脇腹ヘ直撃した。

 熱したナイフをバターに押し当てるかのような滑らかさで、黒い肢体に炎上した脚が潜り込んでゆく。そのまま上下に両断されるかに見えた響の身体は、しかし寸前で差し込まれた右腕を犠牲にして、かろうじて繋がった。

 纏わりつく炎が傷口を炙ったせいか、血しぶきを撒き散らすような分かりやすい惨状にはならなかったが、それでも千切れかけた胴や宙を舞う腕は、各々に少なくない衝撃を与えた。

 

 息を呑む奏と翼、逆上するクリス、恐慌に陥る未来。

他の者に関しても、表に出た行為に多少の差異はあれ、それを成した原動力は同じである。

 即ち、立花響の死だ。

 

 常識的に考えれば、彼らがそう判断するのは無理からぬ事。あれだけの傷を受けて、生きていられる者などいるはずも無い。

 

 だが、今彼らの眼の前で死合う両者は、共に理外の存在。

 

 故にその悲哀は、その憤怒は、裏切られる。

 

 

 重力に引かれた響の身体が、着地した。二本の足で、地を踏みしめて。垂れ下がりかけた上体が継がれ、起き上がる。

 その光景に、垣間見えたものに、人は戦慄した。

 

 焼き潰されたはずの断面を突き破り、水平に走った傷を接合したものは、金色の鉱石。およそ人の体内に含まれるはずの無い物質だった。

 その正体は、二年前に響の体に埋め込まれたガングニールの破片。起動と共に宿主の中で肥大化し続けてきたそれは、既に彼女の肉体を侵食し尽くしていた。

 受けた損傷を埋めることでその版図を広げ、響と同化する。生きた聖遺物となることで、更に出力を向上させる。そうして作り出された莫大なエネルギーが、死に瀕した彼女を蘇生したのだ。

 けれどそれは、小さな蠟燭に灯った火に、ガソリンをぶちまけるが如き蛮行だ。ほんの一時、その火は激しく燃え盛るだろう。豪々と、ちっぽけな蠟など跡形もなく溶かし尽くしてしまうほどに。

 そして、消えるのだ。燃料も火種も残らず使い果たして、呆気なく、消えるのだ。

 

 断たれた腕が、生えた。燃料(彼女の身体)を喰い潰して。全快した肉体を躍動させ、響は再びゼロに飛びかかる。

 それはあまりにも無謀な、突撃だった。

 

 ゴッ、と、鈍い音がして、彼女の顔に足がめり込む。腕よりも、脚のほうが長い。そもそもの体格差もある。

 正面から殴り合うのは、あまりにも分が悪い。

 そんな当然の事実すら理解できない今の響に、勝ち目など無かった。

 逆の足で放たれた蹴りが、仰け反る響の顔面に直撃する。首が捻れて後ろに回り、すぐさま元に戻った。

 砕かれた骨の補強が終わると同時、肉薄したゼロが手刀を振り下ろした。咄嗟に後ろに跳ぶが間に合わず、響は肩から胸にかけてを深く切り裂かれる。

 反撃を許さず、再度距離を詰めたゼロは、固く握りしめた拳を腹に叩き込んだ。華奢な身体がくの字に折れ曲がり、吐瀉物混じりの血が地面を汚す。胸の裂傷は、まだ塞がっていなかった。

 距離を取る間もなく、次の攻撃が繰り出される。息もつかせぬ連撃。その度に臓器が弾け、骨が粉砕される。再生が追いつかなくなるまで、そう時間はかからなかった。

 着々と()()()()()()命。見る間に歪に変形した彼女の身体に、もはや迎撃の余力は残されていない。一部位の治癒を優先したとしても、彼の瞳は即座にそれを読み取り、狙いを定めてくる。

 

 そうしてついに、全ての部位が破壊された。拳撃、蹴撃はもちろん、頭突きに体当たり、噛みつきさえも行えない。四肢が繋がっていようとも、響の現状は達磨と変わりなかった。

 一方的に―――今までのように怯ませ続けて生み出した状況では無く―――ゼロが行動できる瞬間が、生まれた。

 

 そっと、壊れ物を扱うかのような優しい手付きで、彼は響の腹部に手を添わせた。以前の焼き直しのような、拍子抜けてしまう光景。

 ―――けれど込められた力は、まるで別物だった。

 

パシャン

 

 水風船が弾けるような、軽い破裂音が響いた。不自然に間が空いて、響が宙に浮かぶ。叫ぶこともなく、呻くこともなく、吠えることもなく、無音のまま空中を滑る彼女の身体が、瓦礫の山に激突した。

 無秩序に積み上げられたそれに、必然的に生じる隙間に潜り込み、ピンボールのように奥まで転がり落ちる。

 接触の際に駆け巡った衝撃が、彼女の中身を粉砕していた。肉も、骨も、それ以外も何もかも、ドロドロにすり潰されて血液と混じり、液状化していた。

 後付けされた再生機能など、追いつくはずもない程の、致命傷。

 一瞬、死を前にした反射か、汚泥のような破壊衝動の底から、響の意識が浮上した。

 

 『残念、ダメだったかぁ』

 

 間延びした、軽薄な声。今まさに事切れんとしている、自分の声。それが、最後に彼女が感じたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼は膝をついた。立ち上がろうとして、失敗したのだ。崩れ落ちる寸前の上体を、地面に突き刺した刀で支える。

 

 「ぐぅっ……」

 

 ただそれだけの動作を行うのにも、尋常ではない苦痛が付随する。臓器を損傷したのか、口の端からは血が滴り続けていた。

 

 「立……花っ……」

 

 かすれた声で、絞り出すように、後輩の名を呼ぶ。だが、当然返事はない。飲み込まれる様にして瓦礫の中に消えた彼女の生死は、その下手人にしか解らない。

 翼が、瓦礫の山から視線を移す。青色の両眼が見据えているのは、響を吹き飛ばした張本人―――ゼロだった。

 彼女の視線に気づいたのか、銀色の青年が振り返った。殺したのか、それとも手心を加えたのか、無機質な輝きを放つ瞳から、その答えをうかがい知ることはできない。

 軋みを上げる身体に負担をかけぬよう呼吸を整え、問を投げかけるための気力を捻出する。目を覚ましたのは響の咆哮が気つけとなっただけで、負ったダメージが回復した訳ではない。

 空すら軽々と駆けられた身体は鉛のように言うことを聞かず、思考は今にも飛びそうだ。全身を苛んでいたはずの痛みも、もはや感じられない。警告を発することをやめた痛覚は、肉体の各部器官は、既に翼の生存を諦めているのだ。

 だからこそ、問わねばならない。この意識が霧散し、消え果てる前に。どうせ死ぬのだから、なんて理屈で割り切れるようなものでは無い。

 霞がかった視界に、薄っすらと映り込む銀色の影を見つめ、翼は口を開き―――

 

 「てめぇっ!!」

 

 血に濡れた唇が震え、気道をせり上がる息を音へと変化させる、その寸前、怒気を帯びた声が、翼を遮った。

  

 「あ…………」

 

 声が、漏れた。耳朶を打った激情の籠もった叫びに、元の鮮明さを取り戻した視界の中で。彼の、黄金と翠玉の両眼は、変わらぬ輝きを放っていた。

 その美しさが、確信させたのだ。立花響は生きている、と。そして、自分も生き永らえる、と。

 根拠の無い楽観。死の淵での現実逃避。それは、そのどちらでも無かった。

 彼女は、無機質な、機械じみた彼の瞳の奥底に、確かな光を見たのだ。かつて彼に教えられた、心を。

 

 「れ、い…………」

 

 その確信が、彼女を持ち堪えさせた。刀の柄にかけた手になけなしの力を込め、無理矢理に身体を起こす。

 まだ、立てる、足掻ける。であるならば、諦めはもう捨てよう。剣を引き抜き、翼はもう一度、それを構えた。

 そうして立つのが、今の彼女の限界。震える足は、自重を支えることすら危うい。それでも翼は、血の滴る両手で柄を握り締め、倒れぬという意志を示し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 既にゼロの視線は声を発した者―――クリスの方に移っていた。銃爪に指を掛け、照準に収めたゼロを睨む彼女の瞳に、冷静さは無い。

 

 何もできなかった。一度ならず、二度までも。

 

 本能のまま、獣の如く暴れ狂う彼女に怖気づいたのか。それとも、ただ追随することができなかっただけか。

 どちらにせよ、それは己の無力故。尋常とはかけ離れた域の速度と威力の応酬を前に、それが響の敗北で終わるまで、呆けていることしかできなかった。

 

 なんて無様だ。自分には、これしか無いというのに。

 見るものを奮い立たせる、不思議な力を持った響とは違う。歌で、暴力のためでは無い、魅せるための歌で、人々を惹きつける翼や奏とも違う。

 

 ―――あたしは何も持っていない。

 馬鹿みたいに泣いて騒いで、壊すためだけに歌って残ったのは、あれほど憎み、嫌悪してやまない暴力だけ。

 そしてその唯一残ったものすら、何の役にも立ちはしなかった。こんな自分を友と呼んでくれた、あの少女の力になることもできやしない。

 だから、せめて一矢報い無ければ。そうしなければ、自分の存在する価値を示せない。否、見出だせないのだ。他ならぬ彼女自身が。彼女だけが、弱い自分を許せないのだ。

 沸々と煮え滾る、己への怒り。その苛烈な感情を闘志に変えて、クリスはゼロに銃口を向けた。

 完全な一対一。もう、躊躇う必要はない。気遣うべき仲間はすべて目の前の敵に倒された。

 

 次の瞬間、ゼロの姿がブレた。遅れて、銃声。その機構通りに吐き出された弾丸は、虚しく空を貫く。

 激情を隠そうともしない今の彼女は、とても読み易い。少なくともゼロの戦闘勘を持ってすれば、軌道から発射のタイミングまで何もかも、手に取るように解るだろう。

 そして、そんなことはクリス自身が一番良くわかっている。感情を制御し、冷徹に行動を起こせる程、自分が器用でないことも。

 だから、躱されることも織り込み済み。撃ち放った右とは逆、左手に握っていた拳銃は、全くの別のものに変化していた。ゼロが瞬時に距離を詰めて来ることを見越し、右手が反動で持ち上がると同時に、装備した()()()()()()で弾丸をバラ撒く。

 狙ったのは、己から見て右側。一丁では制圧できる範囲は限られている。どちら側から来るか。こればかりは運頼みだった。

 だが、彼女はこの策に、五分以上の可能性があるとみていた。()()()()()()()()()()()。翼の窮地を、闇雲に撃った一発で打破した。ならばきっと、今度も当たる。

 根拠も確証もない、馬鹿げた楽観。けれど、そもそも己の実力のみで、この化け物を相手にしようというのがおかしいのだ。

 

 (せめて今くらい、贔屓しやがれっ!!)

 

 ドブ沼に叩き落され、どん底まで沈んだ。その時でさえ、そいつは何もしてくれやしなかった。信じられるはずもない。

 けれど、こんな絶望的な戦い。神にでも祈らなきゃ、やってられない。

 果たして、天におわしますとかいう巫山戯た傍観主義野郎は、どうやらツケを払うことに決めたらしい。

 

 形成された弾幕が、銀色の影を捉えた。その間も銃身は絶えず回転し、弾丸を吐き出し続ける。確かな質量を持った金属塊の先端が、虚をつかれたのか静止の様子を見せないゼロに接触し―――

 

キィンッ

 

 ―――弾かれた。

 

 「は?」

 

 思わず、彼女は間抜けな声を漏らした。音を置き去りにした弾丸は、迫る青年に到達した端からあらぬ方向へと飛散していく。

 威力より量を優先したのが裏目に出た。だが、一発一発が対物ライフルに匹敵する弾丸の嵐を、生身で突破するなど、いくらなんでも非常識過ぎる。

 

 「がっ…………!?」

 

 横薙ぎの鋼雨を突っ切って伸ばされたゼロの右手が、クリスの喉元を捉えた。気道が塞がれる、が、頸動脈は圧迫されていない。落ちるまでに猶予はある。

 そう判断したクリスが、咄嗟に右手の銃を構えようとするが、遅かった。首にかけられた手は、あくまで、動きを封じるためのもの。本命、引き絞られた左手が、彼女の胸目掛け突き出された。

 

 (ああ…………)

 

 死んだ。そう確信した彼女は、しかし怯むことも、怖気づくことも無かった。間近にある能面の美貌を睨み据え、歯を剥き出しにして、不敵に笑ったのだ。

 ―――次の瞬間、ドッ、と鈍い衝撃が、身体を貫いた。

 

 「げほっ、ごほっ」

 

 喉輪が外れ、地に投げ出されたクリスが咳き込む。()()()()()()()()()()()()()()()()()()を交互に見やりながら。

 

 「なに、が……?」

 

 呆然と呟く少女の眼の前には、円筒状の小さな機械が六つ、宙に浮かび、燦然と輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い塊が、滑らかな放物線を宙に描いた。そこで漸く、奏は驚愕の呪縛から解き放たれた。

 彼女は明確な目的も無く、ただ反射的に身を起こそうと試みる。

 

 「づっ……!?」

 

 支えにしようと動かした腕が、凄まじい激痛を訴えた。ゼロの一撃を受け止めた際に、既に砕けていたのだ。死が目前に見えたあのときは気にする余裕もなかったが、奏の身体はもう限界だった。

 ベチャリ、と、吐き出された血糊が地面に落ちる。壊れた身体を無理に動かそうとしたことで、傷ついた内臓に負荷がかかったのだ。

 

 「く、そ………」

 

 使いものにならない自分の身体に、思わず彼女は悪態をつく。

 だが、頭は冷えた。少なくとも、考え無しに駆け出し、ゼロに目をつけられるという最悪の事態は回避できた。痛みにより落ち着いた頭で、彼女は現在の状況を分析する。

 翼は満身創痍。今すぐにでも駆け寄って手を貸したいが、辛うじて自力で立つことのできる彼女より、自分の方が重傷なので自重する。

 クリスは健在。気勢を上げゼロに挑むだけの余力がある。だが、冷静さを失っている。あの状態では一秒持つかすら怪しい。

 好転する様子を全く見せない最悪の現状に、奏は焦燥だけを募らせていく。響に至っては生死すら定かでは無いのだ。

 それに、こうやって策を考える時間すら殆ど無い。

 

 (まずい……!)

 

 撒いた弾幕を素通りされ、クリスがゼロの手に捕らえられた。引き絞られた左手が放たれ、彼女の胸を貫通するまで、もう幾ばくも無い。

 伸ばそうとした手は、激痛を訴えるだけでピクリとも動かない。動いたところで間に合いはしないだろう。

 引き延ばされた様に緩慢な視界の中で、彼の手刀がクリスの胸に突き込まれる。

 

 (誰かッ!!)

 

 言葉になる前の、奏の悲痛な願いが、彼女の内心で紡がれた。

 

 ―――助けてくれ。

 あたしは足掻いた。彼女も足掻いた。みんな、足掻いた。

 でも、どうにもならなかった。あたしたちだけじゃ無理だ、届かない。だから―――

 

 ―――誰でもいい。力を、貸してください

 

 

 その思いは、まだ声として発されてすらいない、彼女の懇願は、誰にも聞こえるはずがない。彼女自身もそれを理解していた。

 

 『………………ト』

 (………へ?)

 

 だから、己の内で響いたその音に、驚愕を隠せなかった。

 誰にも届かぬはずの、その叫び。けれど今の彼女の中には、それを聞くものが居た。

 

 『ユナ……イト』

 

 次の瞬間、奏の視界を閃光が埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『―――なんでお前が、生きているんだ?』

 

 その問いを投げ掛けられたのは、何時のことだったか。

 あのライブ会場に集った人達の大半は、私のようにノイズの襲撃を生き延びた。

 けれど、三千人。それだけの人が、その命を失ったのだ。あの青色の光が無ければ、もっと多くの人が、未来を奪われていたのだろう。

 そしてきっと、それを問われることも、()()()()()()()()()()()()()()

 家族か、恋人か、友人か。掛け替えの無い誰かを喪った、名前も知らない誰かが、私の前で零した言葉。

 無意識だったのか、その人はすぐにハッとした表情に変わり、逃げるように去っていった。

 

 だけど、もし。あの人が答えを求めていたとしたら。

 

 その時の私は答えられなかっただろう。

 

 だって自分は、特別だったから。

 愚かしくもあの場所に留まった私は、間違い無く死ぬはずだった。自分の命を優先することを選べない、歪な性根が、私を死へと導く筈だったのだ。

 だというのに、私は生き延びた。戦姫たる二人に、銀色の髪の、あの人に救われて。

 彼女達の奮闘によって、命を救われた人は一定数いるだろう。ノイズの多くは、誰も巻き添えにすることなく、二人の手によって炭の塊へと帰したからだ。

 だが、直接救われたのは、彼女らの戦いを目にし、彼女に庇われ、命を拾ったのは、私だけなのだ。

 そのやましさ故に、あの時の問いは、私の胸に深く突き刺さった。

 

 けれど今なら、迷うことなく答えることができる。憧れたる、夕焼け色の彼女がくれた言葉を。

 

 ―――生きるのを諦めなかったから。

 

 例え臓腑が崩れ、骨と混じり合っていても。肉も血もぐずぐずに掻き回され、生など望むべくも無いとしても。

 私はもう、この誓いを、この言葉を忘れないという約束を、違える訳にはいかないのだ。

 

 休息を、終わることの無い安らぎを求めてか、私の身体は、私の意志に反して微動だにしない。完膚なきまでに破壊された肉体には、何の感覚も残ってはいなかった。

 最も、僅かでも痛覚が機能していれば、私は激痛に喘ぎ、このように冷静な思考を保つことなどできなかっただろうが。

 

 (あれ………、未来?)

 

 走馬灯。脳裏に様々な光景が、次々と映し出される。一拍おいて、それが自分の知る人達の、それも負の感情だけを表情に刻んだ記憶だと気づいた。

 どうやら匙を投げたのは、肉体だけでは無いようだ。精神すらも、私自身の心を折ろうと画策しているらしい。

 しかし、肉体も精神も生を諦めたというのならば、それに抗うこの意志は、一体私の何なのだろうか。

 魂魄の片割れ? それにしては占める割合が少な過ぎる。今以て死への抵抗を辞めないこの意志は、しかし心全体に比べれば、遥かにちっぽけなもの。

 もう一つの人格、というのも無い。二課に所属する際のカウンセリングで、精神に―――少なくとも、それと分かるほどはっきりした―――異常は確認されなかった。

 というか、難しい単語を並べたところで、私の頭の出来ではまともな答えなど得られるはずも無い。

 そもそも今自分は死にかけているのだ。どうにかして生きる道を見つけなければならない。

 それだけの思考を行う間にも、どんどんと意識が薄れていく。脳そのものに靄がかかるような感触。それが馬鹿の一つ覚えのように―――否、正しくそれだ―――生を諦めない私の意志さえも、包み込んで溶かしていく。

 そのままふわり、と、浮かび上がるようにして私の意識は―――

 

 『―――あ』

 

 浮かんだ意識が霧散する寸前、私を折り砕かんとする己の精神は、致命的なミスを犯した。

 私を絶望させるために、過去を捏造したのだ。今まで、ただ一度として見たことのないものを、見せてしまったのだ。

 それが私を、何よりも奮い立たせると知らずに。

 

 

 思考を妨げていた靄が取り払われ、私という存在が、今度は肉を伴って浮上する。散り散りになりかけた意識は再び集結し、形を成した。

 

 「待って」

 

 私に背を向け、今にも立ち去らんとしている少女を、呼び止める。

 この場所は自らの精神が生み出した世界、さっきのが奥底だとすれば、ここは中間くらいだろうか。

 他に人が存在するのはありえない。ならば彼女の正体は、きっと。

 

 「なん、で…………」

 

 振り返った少女の、驚愕を滲ませたその顔を、見紛うはずもない。だが、鏡、窓、液晶、その他諸々の手段はあれど、それを直接拝むことは不可能に近いだろう。

 

 ―――一分の相違も無い、自分自身の顔など。

 

 「『なんで生きてるのか?』って?」

 

 あっけらかんと、なんの疑念も抱かずに突きつけられた問いに、私と同じ顔をした少女はビクリ、と身を震わせた。

 まるで得体のしれないものを相手取っているかのようだ。どちらかというと、それは彼女にこそ当てはまると思うが。

 

 「あなたの正体を教えてくれたら、私も教えてあげる」

 

 未だ瞠目したままの彼女に、さらに言葉を重ねる。少女は観念したのか溜め息を一つつくと、僅かに笑みを浮かべ、余裕を取り繕って口を開いた。

 

 「解った。私は―――

 「と言っても、大体想像は付いてるんだけどね」

 

 彼女の言葉を遮り、私はなおも続けた。催促しておいてこの態度、流石に胸が痛むが、相手に余裕を与えるわけにはいかないのだ。

 

 「あなたは、ガングニールだ」

 

 まず、核心を突く。間髪入れず、詳細を重ねる。

 

 「なぜあなたに自我が芽生えたのかは解らない。けど、考えられる可能性はそれしか無い。私を塗り潰した破壊衝動は、デュランダル無しでも湧き上がってきたから」

 

 自分を飾り立てろ。知識人ぶって、動揺を誘え。相手に付け入る隙を与えるな。

 

 「聖遺物にも、人のそれとは比べるべくも無いとしても、意思のようなものがあるのかな? それとも後付け? 例えば、あなたが言っていた『神殺し』みたいな」

 

 『神殺し』。その単語を口に出した瞬間、彼女の瞳が、僅かに揺らいだ。

 勝った、その瞬間、そう確信する。

 

 「そう……だよ」

 

 自分の正体を、何もかも見透かされたと、そう思い込んだ少女が、これ以上自分を暴かれるのは耐え難いと言うように、独白を始めた。

 

 「私は、ガングニールに刻まれた呪い。主神の武装であったはずの聖遺物を捻じ曲げた、人々の言語。

 『この槍は神の子を刺し殺したロンギヌスである』なんていう、バカげた勘違いだよ」

 

 ここ迄上手くことが運ぶとは思っていなかった。一抹の罪悪感と共に、私はその幸運を享受する。

 私が知っていたのは、自分に酷似した彼女の存在の朧気な記憶と、そして『神殺し』という意味不明な単語だけ。

 これだけで彼女の正体に行き着くのは、例え頭脳が火事場の馬鹿力のような現象を起こしたところで不可能だ。

 だから、彼女自身に語ってもらう必要があった。ただ純粋に問うたところで、煙に巻かれるのがせいぜいだろうから。

 

 「それだけじゃない。ロンギヌスとの同一視程度で起こる哲学兵装化では、自我の発露なんて夢のまた夢。

 私がこうやってこの場所に居るのは、あの青い光、千原零とかいう男と、そして未熟だった私を形作った、あなたのおかげ」

 

 ああ、なるほど、と。私はいたく納得した。ポロポロと、呆気なくだまくらかされて情報を吐き出してしまうこの単純(バカ)さ加減は、私が元になっているからか、と。

 おまけに、ここでもあの人が関わっているとは。今の私のあり方すらも彼に影響されたものだ。すべての大元は結局、零さんに収束するらしい。

 しかし、それにしても喋り過ぎでは無いだろうか。鏡写しとしても、あまりに間抜けだと流石に悲しくなってくるのだが…………

 

 「さあ、私は話したよ。だからあなたも、早く教えて」

 

 そう言われて、私は自分が持ちかけた取り引きを思い出した。間抜けなのはこちらだったらしい。僅かな羞恥を感じつつも顔には出さず(少なくともそう努力して)、私はそれに応じる。

 

 「私が生きているのは―――」

 

 告げた言葉に、示した情景に、彼女は戸惑いを見せた。あまり納得はしてくれなかったのか。その表情は未だに怪訝なままだ。

 こちらとしては、別に理解を求めている訳ではないし、それで構わないのだが。それを立ち上がる力に変えられる人は、きっとほとんど居ないだろうから。

 

 「………どうしたの?」

 

 そんな言葉が、口をついて出た。

 彼女が疑念を孕んだ瞳で、何かを問いたげに私を見つめているのに気づいたからだ。どうやら浮かんでいた訝しみは、私の答えに向けたものではなかったらしい。

 彼女は少しの間逡巡する様子を見せ、やがて決心がついたかのように、口を開いた。

 

 「私に、何をして欲しいの?」

 

 彼女は、気づいていた。鏡写しであるが故か。それとも、生まれついて間もない、純粋な敏さ故か。

 虚をつかれて、私は一瞬押し黙る。

 ただその驚きは、それを彼女が言い出すことを予期していなかったせいで起こったもので、そう問うてくれる事自体は、むしろ願ったり叶ったりだった。

 だって私は、本題に入る為のタイミングをずっと、計りかねていたのだから。

 先程の、虚飾で以て相手の正体を引きずり出すような真似は、もう出来ない。この問題だけは、私の本音で、向き合う必要があるのだ。

 それは、けじめだ。内心がどうであれ、私なんかを宿主として、私なんかを模範として、曖昧だった自己を形作った彼女に対する、当然の敬意だ。

 

 「私は、貴方に」

 

 すっと、言葉を紡ぎ出した私に、彼女は息を呑む。この短いやり取りの間で解ったことだが、彼女は私の身体をどうこうすることはできない。

 意識が飛ぶような事態が怒らない限り、彼女が私を差し置いて主導権を握ることはできないのだ。

 そして、その存在を感知されてしまった今。彼女の処遇は私にかかっていると言っても過言では無い。

 元となった呪いとやらが、例え何千年来のものだとしても、彼女自身は、まだ生まれて二年かそこらの、ちっぽけで未熟な意識でしかないのだ。

 それに数倍する時を生きた私がその気になれば、彼女を抑え込み、逆に塗り潰すことも可能だろう。

 だから彼女は、震えている。幼い子供そのものの仕草で。『神殺し』なんて御大層な名を背負う、少女の形をしたナニカは、恐怖と共に私の沙汰を待っている。

 そんな目の前の存在に、私が告げたのは。

 

 「―――力を」

 

 前回と同じ、その一語。彼女は前のような歓喜を見せず、ただ困惑だけを表した。

 以前の答えは、彼女が途切れる寸前の、曖昧な私の意識を誘導し、強引に得たものだ。

 誰よりも私という人間の在り方を知っている彼女は、素面の私からその言葉が出たことに、違和感を覚えずには居られなかったのだろう。

 

 だが、私はその動揺に、配慮しない。結局不意打ちめいた形になってしまうが、それでも脇道にそれる訳にはいかないのだ。

 最短で、最速で、真っ直ぐに、一直線に。私はこの想いを伝えたい。

 

 「私は貴方に、()()()()()()()()

 

 ずっと、私の側にいることを。嫌々だったとしても、不本意だったとしても。

 受け入れてくれた優しいあなたと、私は手を繋ぎたいのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリスをゼロの兇手から護った、六つのカプセル。

 奏の胸の内から顕現した、一つのカプセル。

 

 それらの放つ荘厳な煌きが、緊迫感に満ちていた戦場に、一瞬の空白を生み出した。降ろされた光の帯は、憔悴しきった戦姫達に休息を与えるための、幕間を告げるかのようで。

 

 『―――Gatrandis babel ziggurat edenal……』

 

 そして、そのぽっかりと空いた穴を埋めるようにして、絶唱(ウタ)が響く。燃え尽きんとする命のような、儚げで、力強い、神秘的な絶唱(ウタ)が。

 

 『―――Emustolronzen fine el baral zizzl……』

 

 紡がれる声の主の正体など、分かりきっていた。

 意地らしい拙さの消えた、けれど変わらぬ真っ直ぐさを感じさせるその美しい調べに、誰もが言葉を失う。

 

 

 『―――Gatrandis babel ziggurat edenal……』

 

 最後の一小節が紡がれる、直前になって。漸く彼女達は我に返る。この旋律を奏でる少女の現状に、思い至ったのだ。

 瓦礫の山に呑まれた彼女の受けた傷は、どれほどのものか。致命傷とも思えた最初の痛手より、遥かに深刻であることは想像に難くない。

 そんな状態で、ただでさえ反動の大きい絶唱を使えば、どうなるか。奏はかつて、死を覚悟した。翼はそれに、絶望を抱いた。クリスは実行し、空から堕ちた。

 彼女達の思考は一致する。壁の外の二課の人間たちも、同様だった。

 

 ―――止めなくては

 

 だが、それを為すことは不可能に近い。外にいる者達は無論のこと、中にいる装者の面々も、もはや指すらまともに動かせぬほどに消耗している。

 

 『―――Emustolronzen fine el zizzl……』

 

 そんな人々の焦燥を置き去りにして、絶唱(ウタ)は終わりを告げた。それと同時に、浮かぶ七つのカプセルが、虹の如く鮮やかな光の尾を引いて、彼女を秘めた残骸の真上へと集う。

 音の余韻を堪能するかのように、それらは一瞬の間を空け、そして―――

 

 

 『ショウラッ!!』

 『トァッ!!』

 『イィィサァアッ!!』

 『ジュアッ!!』

 『シュワ!!』

 『シュァアアッ!!』

 『ハァアアッ!!』

 

 

 ―――一斉に、起動した。

 

 力強い掛け声と共に現れる、希望に満ちた力に溢れた、巨人たちの幻影。並び立つ彼らは、視線を上向けるゼロを睥睨する。

 その後、巨人達は幾つもの色彩を放つ光粒へとその身を窶し、響の元へと降りてゆく。注がれる膨大なエネルギーが、最後の一粒まで彼女に取り込まれた、その瞬間。

 

 パァンッ、と。

 

 光が弾けた。

 

 

 彼女の姿を隠していた瓦礫の山が、跡形もなく消し飛ぶ。とてつもない輝きの奔流が、そこに立つ者全てから、五感の一つを奪い去った。

 

 「…………あ」

 

 少しして、眩んだ瞳が視力を取り戻す。変わり果てた少女の姿に、呆然とした呟きが、誰からともなく漏らされる。

 

 

 「まだ、諦められません」

 

 まるで、虚空に足場があるかの様に、宙を踏みしめ、立つ彼女は。

 微動だにすることの無かった表情に、僅かな驚愕を滲ませる銀の青年を見下ろし、告げる。

 

 「だって…………、だって私は」

 

 消えゆく意識の中で、最後に映し出された、あの幻想。一度だって見せられたことのない、その感情。

 けれどそれは、彼の中に確かに存在していて。ただそれを、悟らせぬようにしていただけなのだ。

 

 

 英雄、と。そう呼ばれる者たちは。

 守るべき人々の笑顔を力に変えて、闘うという。

 

 ならばきっと、彼らは。

 

 その者達の哀しみに満ちた顔を目にしたとき。

 その涙を拭い、心からの笑顔を見んがために。

 

 

 「―――私はまだ、あなたの憂いを知らない!!」

 

 

 奮い立つのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 







 
 

 


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九話:Ultimate Evolution

 


 一つの灯りもない、新月の夜のような闇の中に、ぼう、と浮かび上がる二つの影。体つきも、顔のつくりも、身にまとう奇異な装備すら鏡に映したかのように瓜二つの両者。しかしその表情だけは、まるきり別のものだった。

 

 ―――一方は、決意と覚悟を固めきった、精悍ささえ感じさせる面持ち。

 

 ―――もう一方は、瞳を困惑に揺らした、呆けたような覇気に欠ける面持ち。

 

 まだ幼さの残る柔和な顔立ちが、前者は青い情熱を、後者はあどけなさを醸し出している。不思議なことに、真逆の印象を与える二人の様子は、どちらも見るものに違和感を与えない。

 

 向かい合う少女達の間に満ちるのは、痛いほどの静寂。もとより音の無いこの空間に、彼女達の片割れ、ガングニールの装者である立花響が放った言葉が完成させたものだ。

 

 ―――力を、貸してほしい

 

 呆気に取られ、押し黙り、言い切り、それで満足したかのように答えを待つ。

 

 数秒の空白の後、それを少女―――ガングニールに宿る『神殺し』が破った。

 

 「何を……、言ってるの?」

 

 真っ当な返答だった。破壊衝動と、底抜けの善意だけで形作られた者の発言とは思えぬほどに。あるいは、マイナスにマイナスをかければプラスになるように、狂気が裏返ったのだろうか。

 

 「今の貴方の状態、理解してる? 体の中身がどろどろのぐずぐずにすり潰されて、血液と混ざり合ってるんだよ? 辛うじて脳だけは守りきったけど、もう手の施しようなんて無い。あと一分もつかどうか―――」

 

 重ねられる言葉は、紛れもない事実だ。骨も臓器も、侵食していたガングニールの欠片も何もかも、駆け巡った衝撃に完膚無きまでに破壊されている。無事な皮膚を一枚めくれば、スムージーのようになった中身が溢れ出すだろう。

 風前の灯火、と言うよりもう消えている。響の精神をよりどころとするこの場所も、すぐに霧散するのだ。

 何より、一番の問題はそんなことではない。

 少女は、立花響が助けを求めたものは、瀕死の彼女の肉体を蝕む、病巣など比べ物にならぬ程の害悪だ。もしゼロとの戦闘が起こらず、傷を負わなかっとしても、響はあと数年も生きられなかっただろう。

 

 けれど。

 

 

 「―――ッ」

 

 現状を捲し立てていた少女が、唐突に口を噤む。

 眼の前の彼女が、一切の動揺も、悲哀も見せなかったから。

 彼女は、立花響は、浮かべていた毅然とした表情を崩し、そのあどけない顔に相応しい、天真爛漫な笑みを見せた。

 

 

 「うん、知ってる」

 

 その言葉に、少女が息を呑む。彼女が言葉を途切れさせたことで生まれた間隙を埋めるようにして、響は続けた。

 

 「だから力を貸して欲しい。私を()()()()()()()()()

 

 そう、彼女は願いを繰り返す。己の身体に巣食い、人であることを奪い去ろうとしていた存在に、助力を請う。

 理由は、告げた通り。ガングニールが無ければ、胸の歌が浮かばなければ、あの日、幼い少女と共にノイズに襲われた時が、立花響の命日になっていただろう。

 そして、先刻ゼロに負わされた致命傷を治癒することも、叶わなかった。

 たとえその代償に、正気を奪われ、命を削られたとしても、埋め込まれた遺物の欠片が響の命脈を繋ぎ続けたことは、紛れも無い事実なのだ。

 けれど、誰もがそんな風に、割り切れる訳ではない。少なくとも今、立花響の目の前に立つ少女は、その強い心を持った人間の範疇には、含まれていなかった。

 自分という、得体のしれない存在の力を借りることで、何を対価に支払うことになるか、分かり切っているだろうに。それを何でもないかのように、あっけらかんと受け止めて見せる彼女の異様さを、少女は受け入れられなかった。

 

 「どうして………」

 

 苦鳴じみた問いかけが、彼女の口から漏れた。

 

 「どうしてそこまで出来る? たった、()()()()()()()()!」

 

 少女は既に、その行動原理を聞かされていた。生きるのを諦めないという誓い、だけではない。もう一つ別の要因が、走馬灯として映し出された光景の、最後の一枚が、立花響を死の淵から呼び戻したのだ。

 

 

 「―――ただ零さんが、哀しそうにしていたというだけの理由で!」

 

 

 それは、捏造された記憶だ。響の心を折るために、他ならぬ響自身が作り出した、存在しない光景。

 響は一度たりとて、彼の憂いに満ちた姿を目にした事は無い。彼はいついかなる時も、強かった。その強さを翳らせることなど無かった。

 だが、しかし。それは彼が一切の憂いも、葛藤も持ち合わせていないということを、そのまま意味する訳ではない。

 ―――否、意味しないのだ、決して。

 

 誰だって、言い出せない何かを、胸のうちに秘めている。その事実に、例外は無い。彼はただ、彼女の目の前では、それを見せようとしなかっただけだ。

 その理由を、推し量ることはできない。だって彼女たちは、彼の事なんて、何も知らなかったのだから。

 余分な重荷を背負わせたくないという気遣いだったのか、それとももっと別の、想像もつかないような何かが潜んでいるのか。

 例え真実がどうあろうとも、立花響は、それを知りたいと思ってしまったのだ。自分達に刃を向けた彼が、隠し通そうとした思いを、他ならぬ彼自身の口から、聞き出したかったのだ。

 

 「うん、それだけ」

 

 だから、響はその問いに、一片の曇りもない肯定で応える。浮かべた笑みを崩すことなく、変わらぬ調子で。

 はぁ、と、問うた少女の口から、諦めの滲んだ溜め息が漏れた。

 彼女も、本当は分かっていた。目の前の存在は、どうしようもない程のお人好しだということを。そんな、不確定な事実のために、自分の全てを賭けられるような人間だということを。

 呆れた。しかし納得せざるを得なかった。二年間、内側から響を観測し続けてきた彼女は、未熟だったはずの意志が、堅牢極まりないものへと昇華したことを、はっきりと認識していた。

 そんな少女の感情の変化を知ってか知らずして、響が口を開く。

 

 

 「―――今までの()()は、貰い物だったんだ」

 

 

 彼女が今日まで拠り所にしてきたものは、生きるのを諦めないという誓いは、天羽奏から受け継いだものだ。纏うガングニールもまた、同じ。どちらも彼女自身のものではない。

 

 

 「―――けれど、私が振るうのは槍じゃない」

 

 

 それでは駄目なのだ。与えられたそれらが、何物に変え難い程の価値を持っているとしても、ただそのままの形で、壊れ物のようにしまって置くだけでは、足りない。

 

 故に、彼女は。

 

 

 「―――繋ぐこの手が、私のアームドギアだ」

 

 

 託されたものを、自分の中で変化させる。

 

 ついぞ発現することの無かった、槍。けれど、あの日から始まった戦いの中で、彼女を支え続けてきたその拳は、決してその代用品でも、型落ちでもない。

 それは彼女なりのシンフォギアのあり方で、紛うことなき無双の撃槍なのだ。

 

 「私は―――」

 

 当然、受け継いだ想いも、同様に。

 

 「―――私らしく生きることを、諦めない」

 

 これが、立花響が出した、答えだ。もはや二度と揺らぐことの無い、余りにも強固な決意。年端の行かぬ少女のものとは思えぬ程に重い、覚悟。

 

 だからこそ、彼等は応えた。虚空に揺蕩う超越者達の意識は、確かに彼女の存在を認めた。

 

 すぅっと、暗闇に閉ざされた空間に、虹色の光が差した。思わず目を奪われる神々しさと、直視しても眩むことのない優しさを併せ持った、希望のような輝き。

 遅れて、手が降りてくる。人一人、包み込んでしまえそうな程に、大きな手が。

 

 『―――――――――』

 

 聞こえたその声は、朧気で、内容を聞き取ることは出来なかった。でも、伸ばされる手が何を意味しているのか、分からないはずがない。

 淡い光を帯びた銀色の手の、その指先に、響はそっと触れた。

 そうして、空いたもう片方の手を、己の写し身たる少女に差し出す。向けられる視線に、ぴくり、と、彼女は身を震わせた。

 

 少女は、突然現れたその存在が、何者なのか知らない。それでも、自分など及びもつかないような強大な存在であるということは、理解していた。

 そして、そんな存在と結びついていながら、それでも未だ、響が己の助力を求めているということも、理解していた。

 突っぱねることもできた。響はただ自分の意志を示しただけで、彼女が手を貸す義理は無い。

 ただ、揺り動かされたのだ。絶対にブレない、その信念に。

 数秒の逡巡の後、彼女は恐る恐る、響の手を取った。

 それはつまり、彼女が己の主として、自分の宿るガングニールを駆る者として、遂に響を認めたということだった。

 

 一拍、間をおいて。

 

 彼女達は、その言葉を紡いだ。

 

 二つの繋ぎ合う力で以て、本来なら互いを見つけることすらできなかった彼等と彼女等を、一つにするために。

 

 

 『「「―――ユナイト」」』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()彼女の骸に、骸だったはずのものに、()()()()()()()()()()()()()()()()莫大な力が流れ込む。一瞬で末端まで満ち満ちたそのエネルギーに、各所に散った金色の破片が共鳴した。

 欠片は解け、更に微細な粒子へと変じてすり潰された体細胞と結び付いていく。その侵食を、同化を、響の体は受け入れた。

 融けあった二つの物質が新たな分子を生み出し、破壊し尽くされていた肉体を再構成する。創造と再生に要するエネルギーは全て、溢れ返る膨大な巨人達の力が賄った。

 生み出された心臓が力強く鼓動を打ち、追って復活した臓器も各々の役目を再開していく。以前とは比べ物にならぬほどの強度を獲得して構成された骨肉が、空気の抜けた風船のようになっていた彼女の体に形を取り戻させる。

 より神々しさを増した武装が彼女を鎧う。淡い燐光をまとった髪が倍以上に伸長し、遂に開かれた瞳は金色の輝きを帯びた。

 

 そうして、立花響という存在の蘇生は―――否、新生は、完了した。

 

 次の瞬間、彼女が発した光が、孕んだ熱で以て、己を囲う瓦礫の山を爆ぜ飛ばす。

 

 

 変わり果てた姿を知己に晒し、悠然として宙に立つ彼女は、対峙する銀色の青年を睥睨し、告げる。

 

 

 まだ、終われないのだと。諦められないのだと。

 

 

 だって彼女は、彼が秘めていたことを。

 

 

 何一つとして、知らないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 啖呵を切った響が、力強く拳を握りしめた。自らの力を、確かめるように。自分がどこに至ったのかを、噛みしめるように。

 視界の中心に収めた、憧れたる青年の姿。それ目掛け、彼女は翔んだ。

 

 彼は避けなかった。避けられなかったのだ。その速攻に、腕を交差させ防御行動を取る以上の対応を、行えなかった。

 振り抜かれた拳が隕石めいた熱と重さで以て、重ねられたゼロの腕を撃ち抜く。気の遠くなるほどの永きに渡る修練で培った技術、法則の埒外にある天賦の念力、それらをもってしても尚、殺し切れない衝撃が、彼を襲った。

 ぱんっ、という空気の弾ける音と、ドゴッ、という凄絶な打撃音が響く頃には、ゼロは地を削り、大きく後退していた。

 内側から爆ぜたかのように無惨に破れた袖口と、そこから除く、仄かに赤く色づいた肌。

 それは立花響という人間の少女が、圧倒的な迄の力を抱く超越者に肉薄したことの、何よりも明白な証明だった。

 

 しかしまだ、辛うじて届いただけだ。変化に意識を割かれていたゼロの、不意を打つ形での初撃。そうで無ければ、当たることさえあり得なかった。

 ゼロに付いたこの掠り傷とも呼べぬ損傷が、彼女が一人で出し得る最大の戦果なのだ。

 

 故に響は、助力を求める。元より一人で闘うつもりなど、微塵も無かった。倒れ伏す者、膝を着いた者、立ち竦む者、今は最早自らを動かす力すらない、彼女の仲間達。

 

 けれど彼女らの目には、未だ闘志の光が宿っている。

 

 宙に浮く響が、高度を上げた。黒雲に覆われた、今にも泣き出しそうな空を背にして、彼女は地を睥睨する。

 すぅっと、その背から、光が伸びた。幾つにも枝分かれ、空いた隙間に膜のような光を張り巡らせながら、響の身の丈を数倍するほどの長さに。

 やがて完成したそれは、蝶のような艶やかさの、羽だった。振り撒かれる光が、鱗粉のように虚空を漂い、やがて満身創痍の装者達の元へ降りぐ。

 光の粒が、彼女たちの肌に触れ、溶けるようにして消える度、刻まれた傷が癒やされていく。

 最初に、受けた傷の少なかったクリスが、ついで奏が立ち上がる。翼は顔を上げて、太陽の如く輝く響の姿を視界に収めた。

 

 ――まだ、やれる

 

 そう、声に出すことなく、しかし鮮明に、その意志を示す。人の枠組みを超えた何かになる覚悟は、出来ているのだと。

 応えた響の羽から、三筋の光帯が放たれた。指向性を持った光は、少女たちと響を繋ぎ、翅を形作っていたエネルギーの全てを、均等に分け与えた。

 

 放出と、再分配。その総量は変わらず、しかし同じではない。

 立花響という個の持つ力は、確かに減衰した。だとしても、それが仲間の存在というアドバンテージを帳消しにすることは、有り得ない。

 

 光の渦が薄紫の天蓋を突く。余波が空間を震わせ、地を砕いた。吹き荒れたのは、熱風。高温の、重い風。急激に気化した地面が水蒸気爆発と同様の現象を引き起こし、切り離されたこの場所の地形を、跡形も無く変えた。

 破壊の中心に立つ三人の戦姫は、己の肉体に流れる莫大な力を確かめるかのように、一歩一歩を丁寧に踏みしめ、地に降りた響の側へと向かう。

 

 飽和したフォニックゲインと、二つの繋ぐ力の影響で引き上げられた、適合係数。そして、既にリミッターの外れていたシンフォギア。

 その三つの要因が、この土壇場で奇跡を引き起こした。

 エクスドライブを凌駕する、人間という存在が出し得る限界すれすれの力。欠片に過ぎぬはずのそれらは今、完成形を上回った。

 

 究極にして、最終の決戦形態。

 

 『ウルティメイトエクスドライブ』とでも呼ぶべきそれが、四つ、目の前の神すら超えてみせんと、揃い踏みしていた。

 

 数瞬の後、並び立った装者達は、今までの変化を手を出すことなく見詰めていたゼロへと、視線を送る。

 

 「私は、あの人を止めたい」

 

 最初に口を開いたのは、響だった。その金色の瞳は曇りなく輝き、真っ直ぐな光を絶やさない。

 

 「だから、力を貸してください」

 

 「おう、解った」

 

 意外なことに、真っ先に答えたのは、ここまで唯一積極的ではなかったクリスだった。

 

 「あいつが誰かはよく知らねえ。けどさ、あいつはあたしの目の前で、フィーネを砕いたんだ」

 

 「…………うん」

 

 響が頷くのを確認して、彼女は続ける。

 

 「殺したのかどうか、それを聞くのは後でいい。とりあえず、一発ぶっこんでやらなきゃって、思ったんだよ」

 

 周りの奴らはみんな甘ちゃんで、きっとあの銀の青年に対して、非情になりきれない。別にそれは悪いことでは無いし、むしろ尊いものだと思っている。

 

 けれど、家族だったのだ。利用されていたのだとしても、少なくとも彼女は、そう思っていた。

 それに一人ぐらいは、あの冷徹に見えて、案外恋愛脳な女のためだけに闘うやつがいても、いいんじゃないか。

 

 落ち着いて、思考を整理する時間が与えられたからか、クリスは既に、闘う理由を見出していた。

 

 「うん、それでいいと思う」

 

 そんな彼女の決意を、響は朗らかに笑って肯定した。彼女が持てない思いを、代わりに背負ってくれているのだと、そう思ったのかもしれない。

 彼女たちの様子を見届けた奏が、少しの躊躇いの後、声を発した。

 

 「…………勝算は、あるか?」 

 「無いな」

 

 彼女の問いに、翼が即断した。誰もそれを咎めず、否定もしない。紛れもない、事実だからだ。

 

 「だが、負けていい理由にはならない」

 

 続いた言葉に対する反応も、同じだ。その理由もまた然り。

 勝てる勝てないなんて議論は、結局必要ないのだ。勝ちの目なんて微塵も無かったとして、はいそうですかと諦められるわけが無い。

 勝てない、()()()()()、勝てるまで足掻く。何とかならなかったときのことを考えるのは、そうなってからで良い。

 

 「そう、だよな。どのみちやるしか無いんだし」

 

 そして、問うた本人もそんなことは分かっている。問答はここまで。それで解決するのなら、こんな馬鹿げた力など欲していない。

 後は、剣と、槍と、銃と、そして拳で決めるのみ。ゆったりとした、余裕すら感じさせる動作で、彼女たちは構えを取った。

 にわかに闘志を顕にした戦姫を前にしたゼロは、かかってこいとでも言うように、微動だにしない。

 何もかも、先程の対峙とは逆転していた。その結果までそうなるかどうかは、彼女達がどれだけ死力を尽くすかにかかっている。

 

 バキッ、と神々しい輝きを放つ具足に包まれた響の足が、大地を踏み抜いた。

 それが決戦の火蓋を落とし、最後の退路を断ち切った。

 

 

 僅かに突出した響が、鉄槌の如く握りしめられた拳を引き絞る。両者の間に存在していた十数メートルの距離。その中間点を通過した瞬間、即座に彼女はそれを打ち放った。

 眼前に迫った初撃に対して、ゼロは迎撃を選択していた。響のそれよりも、数段洗練された動作で、閉じられた五指が形作る凶器が放たれる。

 結果として、ほぼ同時に行われた二人の拳打は、互いに伸ばし切られる寸前、威力が最大に達する瞬間に激突した。

 

 ボグァッ!! と。

 発生した暴力的な衝撃が、隔絶されたこの空間の全てを、舐め回すように蹂躙した。

 既に歪に抉られていた大地が、変形の痕跡諸共消滅する。微塵に砕かれた地面だったものが、転化された熱エネルギーによって影も形も残さず蒸発した。

 気化によって空間内の体積が爆発的に増す。しかし、その圧力を以てしても、装者とゼロを覆う障壁は小揺るぎもしない。

 行き場を失った気化岩石は、灼熱の風となって吹き荒れる。球体の内部の圧力、温度は天井知らずに激上し、一瞬で死の世界へと塗り替わった。

 

 けれど、その程度の地獄に倒れる者など、そこには一人たりとて存在していない。地球の内部コアじみた環境、それがどうしたというのだ。

 今の彼女達は、そしてゼロという超越者は、とうに生物の辿り着ける限界を凌駕している。

 

 戦場の激変、響とゼロの拳を中心として撒き散らされた衝撃波。その双方を物ともせずに潜り抜け、翼と奏が銀の青年へと己が得物を振り下ろす。

 打ち合いに競り負け、後方へと弾き返された響と入れ替わる形で到達した剣と槍を、彼は虚空から抜き放った刃で受け、そのまま押し返す。

 未だ力はゼロが大きく上回る。そも、個人のスペックで彼に追いついている部分など、彼女達は何一つ有していない。

 揺らぐ体勢、晒された隙を突いて、ゼロの脚が半月を描く。交錯による仰け反りすらも推進力に変えて、完璧な動作で振るわれた蹴撃は、しかし虚空を薙ぐだけにとどまった。

 後ろへ吹き飛ばされた響が、首のスカーフを伸ばして二人に巻きつけ、無理矢理離脱させたのだ。

 返しの一撃を透かされたゼロに向けて、彼女たちの背後から赤い弾丸が飛来する。後方に控えるクリスの射撃。吹き荒れる暴風など意にも介さず直進する鉛の粒に、ゼロは追撃を諦めその全てを撃ち落とす。

 

 これで振り出し。どちらにも消耗は無い。隔絶している筈の力を連携で埋め、戦姫達がどうにかまともな戦闘を繰り広げることできる領域に達したことの証左であった。

 

 

 

 

 ―――立ちにくい。

 

 着地した響が、消失した地面の底、新たな足場へと変わった紫色の障壁に、率直な感想を漏らす。

 

 「あ」

 

 スカーフで絡め取っていた仲間を自分から少し離れた場所に下ろし、彼女は大口を開けた。同時に、その瞳孔の奥に赤い光が宿る。

 

 「あ、うああ゛あ゛ア゛ア゛ア゛――――――ッッ!!」

 

 直後、鋭利な犬歯が覗くその口内、喉奥から、濁った咆哮が吐き出された。加速度的に音量を増す絶叫と呼応するようにして、彼女の体温が上昇していく。

 摂氏数千度の大気が比べ物にならない程の高熱、シリウスの中心すら凌駕する勢いで熱エネルギーを生産する戦姫の周囲が、激変した。

 

 めいっぱいの力で叩きつけたスーパーボールの如く跳ね回る原子の殻から、構成要素が片っ端から振り落とされる。

 ぶっ壊れた原子の残骸が、放射能を撒き散らしながら他の残骸とぶつかり合った。それらと、障壁に阻まれて空間内に満ち溢れたフォニックゲインが、異常反応を引き起こす。

 球体の内部の物質は、残らず在り方を根本から捻じ曲げられ、得体のしれない金色の塵となって地に落ちた。

 例外は、降り積もった塵の中から飛び立った、四人の装者と、ゼロのみ。

 髪や突起に纏わりついた生成物を煩わしげに払い、響は堆積した金粉へと、再度咆哮した。

 無音の遠吠え。融けて、固まる。振動を伝える空気が完全に変質した結果、再凝固した金色の塊は、凪いだ湖面のように滑らかな表面を露出させて、大地へと変わった。

 

 呼吸の必要は無い。そして彼女たちの歌は、もはやどこへでも響き渡る。踏み込んだだけで砕け散る地面も、行動を阻害する空気も、要らない。

 

 だから彼女は、不要物を結び合わせ、全く別の大地を創造した。化け物じみた筋力に耐えうる強度と、絶望的なまでの高温への耐熱性を兼ね備えた、理想の物質、即ち―――

 

 

 ―――ガングニールで。

 

 

 障壁の外側で戦況を見守っていた者達は、ぽかん、と間抜けに口を開ける他なかった。それ程までに、内部で起こった変化は激的なものだったのだ。

 彼らの驚愕をよそに、宙に浮いていた当事者達が地面に降り立つ。

 再び並び立った装者と、ゼロが睨み合った。整地された足場とブーツの底が、カツン、と硬質な音を立てて打ち合わされる。

 黄金の平面に映り込むのは、影ではなく鏡像。向かい合う戦士と、()()()()()の写身。呆気にとられていた弦十郎が真っ先にそれに気づき、弾かれたように視線を上向けた。

 

 「藤尭ぁっ!!」

 

 赤熱した岩塊、月の欠片が視認できる距離に存在していることを確認するや否や、彼は部下へと呼びかけた。

 

 「―――っ! 三分です!!」

 

 即答されたその数値が意味するところを、誤るはずもない。答えを受け取った弦十郎が、壁の向こう側の装者へと叫んだ。

 

 「聞いていたな! 三分、それが猶予だ!! なんとしてもそれまでに終わらせろ!!」

 

 音としては届かぬその言葉、しかし意思は伝わっている。

 十分過ぎる、と、奏が笑った。誰もそれを油断と諌めはしない。決着が着くまでに、それだけの時間を有する可能性が皆無であると、そう確信しているからだ。

 

 『…………行きますよ』

 

 『『『応!!』』』

 

 響の声に、彼女達が頷く。直後、全員の姿が掻き消えた。

 これが答え。球の外と中で時間の進み方が違うのではと思わせる程の、ゼロに食らいつけるだけの神速。今の戦姫にとって、三分は永久に等しい。

 己のスピードに置き去りにされぬよう、感覚を限界にまで研ぎ澄ませ、彼女達はゼロへ飛びかかった。

  

 交錯、当然のように吹き飛ばされる響だが、あとに続く翼達が追撃を許さない。ゼロが追いすがる前に得物を叩きつけ、続く一撃で響と同様の末路を辿る。そして食らいついた奏が、翼への追撃を阻止した。

 

 その繰り返しだ。飛びかかり、吹き飛ばされ、また飛びかかる。援護が追いつかなくなった場合は、クリスが射撃で牽制する。この動作を四人でループし、ぎりぎりの戦闘を続けていた。

 実際のところは、いつ破綻するかも分からない綱渡りのような戦法だが、そのリスクに見合うメリットは存在している。

 

 これを続けていれば、勝ててしまうのだ。

 

 消耗が四分割されているから、削り勝てるというような単純な話ではない。それなら交錯の度に一発貰っている装者達が先に力尽きてしまう。

 鍵は彼女達の間で共有されている情報、ガングニールに秘められた『神殺し』だ。物々しい名称に違わぬ特性を持つこの能力は、なぜかゼロに対して効果を発揮する。具体的には、接触しただけで彼にダメージを与えることができるのだ。

 つまり、彼女たちの持つ、唯一の勝機。黄と橙の閃光が彼と接触する度、何かが剥がれ落ちていく。入り混じる紅と蒼の軌跡がゼロを釘付け、致命的な一打を封じ続ける。

 運良く削り勝てる手段が存在していたという、ただそれだけの話。けれど、その望外の幸運を活かし切れている事実は、彼女達の連携の賜物だ。

 

 何度も向かってくる少女達を尽く振り払い、しかし痛打を与えられない。響と奏が触れた箇所から、青い光が散った。それは今のゼロが、(ゼロ)であるための証。

 その光が、少しずつ、ゆっくりと失われていく。けれど、完全に消し去られはしない。剥離する毎に、己の中にそれに抗うための力が作られていくことを、彼は自覚していた。

 だが、それでは駄目なのだ。この状況が継続することは、何が何でも避けねばならない。現状を打破しなければ、これまでの全てが無意味になる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 数えて、十三度目の交錯。赤い尾を引く銃弾の幕をかい潜った先には、響の拳が待ち構えていた。拳速に、彼女自身の速度が上乗せされたその一撃に、ゼロは回避を諦め、受け流しの姿勢に入る。

 

 『―――ッ?!』

 

 しかし接触の寸前、ゼロの姿が掻き消えた。標的を見失った拳打が、一切の手応えなく虚空を穿つ。

 躱す予兆は無かった。完全に、受けて衝撃を殺し切るための体勢を取っていた。捌かれるという予想が外れたために、少し体勢が揺らぐ。

 

 ならば、彼はどうやって移動したのか。

 

 脳裏に過ぎったその疑問を、彼女は即座に脇に追いやり、球内の各所に視線を走らせた。手品の種を知る意味は無い。それを考えさせ、思考の対象を逸らすこともまた、策略の一つなのだから。

 響はすぐさまゼロの姿を視界に捉えた。この空間は狭過ぎる。互いがどこに立っていようと、密着しているのと変わりない程に。

 故に、隠れることも、逃れることもできない。

 しかしそれは、慮外の出来事だった。彼の切った、瞬間移動という隠し札は、彼女達の意表を突いていた。

 確かに一瞬、戦姫は銀の青年を、見失ったのだ。

 

 その一瞬で、彼は一手、先んじた。

 

 ゼロが立っていたのは、球の最上部。頂上の、裏側だった。見上げた装者の頭上には既に、翠緑の光刃が無数、降り注いでいた。

 滑らかに迎撃の動作を取った彼女達は、同時に違和感を抱く。刃の軌道が、甘いのだ。明確に当てる、という意志が感じられない。

 しかし、面での制圧と考えるには、全く数が足りていなかった。直撃するものだけを選別し、それらを破壊できるよう構えはしたが、違和感、否、既視感を拭い去れない。

 だが、その答えに辿り着ける者は、この戦場にはいなかった。ヒントが足りないのだ。戦姫が見たのは、二つのうちの一つだけなのだから。

 バラ撒かれた刃の雨に意識を逸らされた彼女達は、ゼロが僅かに目を見開いた事に、気付けなかった。続く一撃への対応を、行えなかった。

 

 

 ―――故にこそ、()がするのだ。

 

 次の瞬間、何が起こるのか。彼の左眼から、何が放たれるのか。

 

 戦場に立たず、しかし一瞬を除いてずっと、見守り続けていた男は、それを知っていた。

 

 そしてその結果を覆すだけの力を、二課司令、風鳴弦十郎は持っている。 

 

 

 その剛脚が、地を踏み抜く。横で立ち竦む小日向未来を抱え、破壊から遠ざけながら。

 薄紫の、透明な球体。その底部に接していた地面が、無惨に砕け散っていた。

 同時に、支えを失った光球が、落ちる。正確には、中のガングニールが、だ。固定され、不動を保ち続けようとする障壁がしかし、自然の法則に従おうとする神殺しに、凌駕された。

 故にそれは、その他凡百の物質と同様に重力に掴まり、自由落下を始めた。

 結果、ゼロの視線が僅かにズレた。意識の外にあった存在の干渉が生み出した誤算は、先行した一手を完全に無に帰した。

 彼の左眼から撃ち放たれた緑光が、虚しく宙を駆ける。散開した刃のどれにも触れることなく、赤竜(フィーネ)を刻んだエメラルドの檻を作り上げることもなく。

 たった一筋、戦場を仕切るかのような翠の軌跡を残し、消えた。

 

 『――ッ! 今だ!!』

 

 失策を悟った装者達が、頭上のゼロに殺到する。痛恨のミスを犯した彼は、咄嗟に点在する光刃の全てを、起爆した。

 爆ぜた凶器は、真空故に一切の抵抗なく、その爆風を伝播させた。未知のエネルギーがぶつかり合って炸裂し、生まれた煙が目を潰す。

 けれど、そんな苦し紛れの妨害では、まるで足りない。そんなものに止められるようなら、彼女達はここに立っていない。

 

 黒煙を突っ切って、赤い銃弾が飛来する。数発が身を捩ったゼロの身体を掠め、真白の皮膚を切り裂いた。新雪のような一片の曇りもない肌に、ほんの一瞬、紅い血の珠が浮かび――――――直後、光となって霧散する。

 露わになった体表は、無謬。時が戻ったかのように、走った裂傷は消えていた。

 

 彼は不滅。そこに確かな損傷を、癒えぬ傷を打ち込めるのは、響と奏―――『神殺し』を宿す二人のみ。

 

 ボッ、と、立ち籠める黒雲を穿ち、空の青が覗いた。否、その青色の正体は、妖しく光を弾く、剣の切っ先。目の覚めるような蒼穹の刀身が、一閃される。

 白刃取る余裕は無い。透明な鞘から引き抜くようにして精製した刃を、その軌道に交差させ、受け止めた。

 

 『なぜ躱す?』

 

 交錯の瞬間、そんな問い掛けが、彼の思考に挿し込まれた。眼前の少女が叩きつけた疑問は、順当なものだ。

 

 ゼロに傷を残せるのは、ガングニールを纏う装者だけ。逆に言えば、そうではない翼とクリスの攻撃は、当たるに任せて無視してしまっても問題はないのだ。

 しかし彼は、二人の攻撃にわざわざ対処する。余分な動作を挟むには、追い詰められているにも関わらず、だ。

 

 さしたる反応も見せずに、冷静に手を移動させ、ゼロは競り合っていた刃を捌き切る。打ち落とされた得物と薙がれる翠刃を交互に見やり、翼が回避に移った。

 続けて打ち込まれた蹴りにあえて吹き飛ばされつつ、彼女は再び己の思考を送り込む。

 

 『ああ………、やはりお前は零では無い―――そして、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言は、断定された事実は、過たず核心を突いていた。それでも彼は、動揺を一切見せない。看破されることさえも織り込み済みだったのだろう。

 剣の冴え同様、彼女はそういう部分も鋭い。ゼロはそれを、実感は伴わずとも知っているのだから。

 

 銀髪宝眼の美貌、完璧な肉体、それを動かす意識は彼女達の知るゼロでは無く、そこから分離した全く別の存在だ。

 いつ成り代わったのかは判然としないが、少なくとも、フィーネとの会敵から始まるこの一連の戦闘の間のどこかで、零は己の身体の主導権を譲った―――否、奪われた。

 

 故に今、戦姫達と打ち合うゼロは、全ての攻撃を躱さねばならない。彼を揺るがし得るものは、『神殺し』だけではないのだから。

 彼女らの宿す昇華の光、巨人達の想いが、触れる度に意識の奥底に追いやられた零を引き戻す。奪った肉体の制御権が、少しずつ手から離れていく。

 そしてそれは、装者全員が、余すことなく受け継いでいるものだ。

 

 最初から、この戦いは装者四人とゼロだけのものではなかった。そうであったのならば、既に決着はついていただろう。彼女達の、完敗という形で。

 だが、事実として戦いは続いている。互角以上に、彼女達はゼロと渡り合っている。食らいついてきた弦十郎の助けも、確かにその要因の一つではあるのだけど、最も大きいのは、それじゃない。

 ゼロの中で、その肉体が完全駆動するのを妨げ続ける彼が、少女達の知る零が居たから、今の結果があるのだ。

 

 

 翼を吹き飛ばし、けれど休む間も無く、黒煙を引き裂いた響と奏が突っ込んでくる。『神殺し』と、内部に封じた零を奮い立たせる巨人の光。その双方を宿した、ゼロに対する最大打点を有する二人が、それぞれ拳と槍を構えた。

 

 不可避、だが、これ以上は食らえない。()()()()()()()()()()()

 この一撃で決まる、と言うわけではないが、今まで通りの性能を維持できなくなる。そうなれば、あとは押し切られて終いだ。

 

 『『ハァアアアアッ―――――!!!』』

 

 ここが真空でなければ、きっとそんな咆哮が響いたのだろう。突き出される得物同様、二つ重なって。

 このときばかりは、神の擲つ投槍ではなく、神をこそ穿ち抜く処刑の槍として機能したギアが、限界を超えて稼働する。

 

 二条の槍が、眼前に迫り。

 

 やむを得ず、ゼロは切り札を切った。

 

 

 突如迸った閃光が、ほんの一瞬だけ、少女二人の視力を奪った。銀の青年の姿を見失い、しかし研ぎ澄まされた他の感覚が、彼を補足し続ける。

 今更、目眩ましなど。たとえ五感が機能を停止したところで、彼女達は止まらない。そんな程度で、装者達を突き動かす意志が、揺らぐ筈も無いのだ。

 だから二人は、迷いなくゼロ目掛け直進する。

 

 そして、当然ゼロも、そうなることを理解していた。

 

 

 穂先と拳が、何か硬いものに突き当たる。

 不動にして、不壊。尋常ではない強度と質量を有したそれが、響と奏の渾身の一撃を、容易く受け止めていた。

 

 『え………?』

 

 白光が薄れ、視界が元の姿を取り戻す。

 彼女達の目の前にあったのは、荘厳なまでの威光を放つ、白銀の盾だった。

 

 ウルティメイトイージス。或いは、バラージの盾。

 そう呼ばれる、今のゼロをゼロたらしめる神秘の具現。

 (ノア)の手によって創られたその武装は、しかし、人の希望で出来ていた。

 故に彼女達の行く手を阻む白銀は、『神殺し』を受け付けない。そもそも、もしこれが純粋な神の産物だったとしても、その哲学兵装が通用することは無かっただろう。

 『神殺し』は、あくまでこの世界の法則における特効でしかない。()()から持ち込まれ、なおかつ向こう側での在り方を保ち続けるだけの不変性を有するイージスは、元より適用外だ。

 

 青い宝玉の嵌った左右の突起が開く。矢をつがえた弓のような形状、ファイナルウルティメイトゼロモードに移行したイージスを、ゼロが振るった。腕甲と柄での防御を間に合わせ、しかし通り抜けた衝撃が彼女達を引き剥がす。

 バチリ、と、イージスが青白い光を帯びる。翼の復帰まで多少猶予があった。クリスの牽制射撃の弾速では、チャージの余波を潜り抜けることはできない。

 この瞬間、彼は僅かな溜めを挟み、極大威力の一撃を放つ事ができた。生み出した光の弦に手を掛け、引き絞る――――ことなく、彼は手を止めた。

 

 

 ―――ザッ、ザッ、と、これみよがしに足音をたて、背後から迫る者の存在を、知覚してしまったから。

 

 反射。即座にイージスを光と還し、左手首から吸収する。詰められた距離は、ぎりぎり許容範囲。まだ抑え込める。

 

 絶好のチャンスをふいにしたゼロに、装者達が困惑を抱く。

 不可解な行動に、なにか裏があるのかと勘繰ってしまうのだ。こと戦闘技術において、彼女たちと彼との間には圧倒的な隔絶があることを、知っていたから。

 

 『というか、何で最初からアレを使わなかったんだ?』

 

 落下中の肉体に急制動をかけながら、奏がそんな疑問を発する。

 盾として使うのはもちろん、鎧として纏ってしまえば『神殺し』を完封できただろう手段を、なぜ無駄に腐らせておく必要があったのか。

 ごく自然に抱くべきその疑問に、しかしまともな返答が行なわれることはなかった。

 

 『分かりません!』

 

 『ええ…………』

 

 堂々と、開き直ったかのような返答を行う響に、奏が絶句する。

 余波を貫くために、弓に変形させたアームドギアの弦を引き絞っていたクリスは答えもしない。

 光粒を取り込むゼロの左手首を、何故か食い入るように凝視していた翼に至っては、彼女の問いを全く聞いていなかった。

 

 目には目を、歯には歯を、弓には弓を。

 かけ違えたボタンのように、ちぐはぐな行動を繰り返すゼロに向けて、クリスがその赤弓を構える。

 

 『知るか、よっ!!』

 

 奏への返答と、同時。張り詰めた弦が手放され、光矢が箒星めいた尾を引きながら、翔び立つ。赤い軌跡は阻むもの無き道を瞬く間に踏破し、ゼロの元へ達した。

 閃光が炸裂する。次いで、クリスが舌を打った。

 撒き散らされた衝撃と赤の残滓の中心、直撃を食らったはずのゼロは、忽然と消えていた。

 上顎に押し当てられた舌先が、僅かに糸を引きながら離される、その瞬間。

 

 

 『お前、もう引っ込めよ』

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 当然の結果だった。何故なら彼は、既にそれ(転移)を見せている。一度回避を行い、虚を突いた。

 故に、対策を講じぬはずがないのだ。効果の割れた手札は、もはや通用しない。

 四人の感覚を重ね合わせ、さらに響と奏で警戒する範囲を等分した。実質八倍の索敵効率に、人一人という巨大な存在が捉えられぬ訳がない。

 そして、狭すぎる戦場。密着しているのと何ら変わりない彼我の距離を鑑みれば、転移による座標のズレなどただの誤差だ。

 

 虚空からゼロが現れると同時に、その存在を感知した奏が特攻した。高温を帯びた刃が陽炎に揺らめき、穂先に宿した光が流星の如く墜ちる。

 パッ、と、散ったのは火花。差し込まれた光刃が可視化された悲鳴の如く上げるそれが、重力に引かれてゼロに降りかかる。

 間一髪で間に合わせた防御、と、そういうにはいささか余裕があった。この回避に対応されることも、想定の内にあったのだろう。

 会心の一撃を受け止め、ゼロは少女を弾き飛ばさんとして、刃に力を込めた。

 

 『……………くっ、ぅ』

 

 だが、振り切れない。先刻まで幾度となく繰り返した打ち合いのように、得物を押し込むことができなかった。

 力を削がれたとはいえ、まだ充分勝っている。立花響ならいざ知らず、目の前の天羽奏に劣っているという事はあり得ない。

 

 『負けるかよ…………』

 

 そんな、現実と想定の齟齬を認識したゼロに向かって、奏が吠えた。

 徐々に、銀の青年が地へと押し下げられていく。留められていた彼女が、勢いを取り戻していく。

 

 『あたしらの生きる場所を壊す、その理由も語れねえお前に! 口も聞かねえお前に! なんの信念もぶつけてこねえお前なんかに……っ!!』

 

 白光を纏う大槍を止める腕が、(たわ)む。身体を浮かせる念力が、強引に破られる。

 流し込まれる激情に、内側が、熱く震えた。

 数瞬後の、起こり得ぬはずの未来を視たゼロが、ぴくりと、目を見開き―――

 

 『負けて……、たまるか――――っ!!』

 

 ―――拮抗が、砕け散る。

 

 弾き飛ばされたのは、ゼロ。打ち下ろされた長物の暴威に、その肉体が真っ直ぐ地に向けて、叩きつけられた。

 何故、押し負けたのかを、彼は理解できない。力でも無く、技術でも無く、ただ少女の持つ曇りなき意志に負けたのだということが、分からない。

 だってそれを理解するためのものを、彼は落として来たのだから。

 

 空中で身体を回転させ、足から衝撃を殺しつつ着地する。沈めた上体を起き上がらせるより速く、装者の追撃がゼロを襲った。

 

 黄金の大地、ガングニールがうねり、波打つ。あるべき姿に帰らんと、不定形に蠢く。

 鋭利な先端が、ゆっくりと形を成して、ゼロを取り囲んだ。無数の槍の穂先が、急造の処刑台に向けて並ぶ。

 

 その変化を起こせしめたのは、立花響。肉体の延長に近いそれを、当然彼女は自在に操ることができる。

 見上げたゼロと、見下ろす響、二対の金色の視線が交錯した直後、彼女は突き出した右手を握り締めた。

 バキリ、と、内側で反響した何かが砕けるような異音を皮切りにして、並ぶ凶器がゼロに殺到する。

 

 転移は悪手。そう、彼は判断した。その場しのぎにしかならない回避を繰り返したところで、不利になるのは制限のある自分の方だ。

 翔ぶのも駄目だ。上を響に抑えられている。この位置関係では、どの方向へ躱そうと地に叩き落され、同じ展開を繰り返す羽目になる。

 つまり、迫る無数の穂先を回避する手段をゼロは持ち合わせていないということだ。一撃でも致命となる神殺の刃を全て、甘んじて受ける必要がある。

 

 

 だがその事実は、問題にならない。

 

 

 未だ手にある刃を伸長させ、小剣と呼べる刃渡りと柄を生み出し逆手に握る。

 ぐるっ、と、時計の針が回るように。翠緑の軌跡が真円を描いたその直後、黄金の槍衾が、残らず断たれて地面に落ちた。

 

 これが、その理由だ。ゼロに対し凄まじい優位性を誇る『神殺し』だが、その適用範囲はあくまでも攻撃面に限られる。防御面では有している以上の強度を発揮することはできない。

 想いと奇跡が形作った究極の鎧ならいざ知らず、遠隔操作で生み出した急造品、それも干渉力不足か至近距離には出現させられなかった半端な武装を、ゼロが砕けぬ道理も無い。

 崩れていく残骸を気にも留めず、彼は振り切った腕をだらりと下げ、次を待つ。後手に回った結果、今は全員が()()()()()

 神域の超感覚を空間内に張り巡らせ、装者達の一挙一投足を掌握しにかかる。一人に回すだけだった警戒を、全員に向けざるを得ない、そういう状況だった。

 だから、その、隙とも呼べぬ、けれど僅かに意識が散逸する瞬間が生まれる。 

 

 そしてそれを、彼女は―――風鳴翼は、待ち望んでいたのだ。

 

 嵐に遭った竹林の如く薙ぎ倒された槍の群れに、限界まで上体を伏せ、気配を殺しきり、身を隠していた彼女が、動く。

 散り散りになって舞うガングニールの残骸が、ゼロの感覚を誤魔化していたため、未だ翼の所在は看破されていない。

 

 銀の青年の知覚から、蒼の装者の存在が消え失せた、この一瞬。翼は渾身を以て踏み込んだ。

 足が地から離れ、同時にあらゆる抵抗から解き放たれる。

 翼を認識できないことを認識したゼロが、反射的に振り向くが、時すでに遅し。

 一歩絶刀、腰だめに構えられていた彼女の剣は、とうに振り上げられていた。

 逆袈裟の軌道と重なるのは、青年の()()()。頭でも胸でもない、急所からは程遠い場所だった。

 けれど、ゼロは即座に彼女の真意に気づく。彼にとっては脳も心臓も仮初めの器官であり、さほど重要なものではない。

 だが、左手首には。ついさっき顕現させたばかりのウルティメイトイージスが、未だ収められているのだ。

 攻撃のチャンスを不意にしてまで格納を優先したその武装。たとえ詳細は知らずとも、それが今のゼロの人格を維持するための大きな役割を果たしていることは、明白だった。

 だから、待っていたのだ。膠着した戦況を揺るがす決定打を、彼の唯一の弱点に叩き込むこの時を。

 食い込んだ刃が、肉を掻き分け潜り込む。血管、神経、形だけの組織を食い破り、中心へと近づいていく。

 直後、ほとんど何の抵抗もなく切り進んでいた刀身が、全く別の感触に止まった。本来ならそれに実体はなく、しかし翼に宿る巨人達の力が、神秘に触れる権利を与えていた。

 

 彼女の剣は今、バラージの盾を捉えた。

 

 接触の瞬間、何かがイージスに干渉した。この世界の法則、哲学と呼ばれる絶対の摂理が、ある名前を聖盾に押し付けたのだ。

 

 だって、そうだろう? 風鳴翼が纏うのは、アメノハバキリ。贄と捧げられるはずだったクシナダヒメを救ったスサノオが、荒『神』ヤマタノオロチを討つ正にその時に振るった剣だ。

 ウルティメイトイージスは、盾であると同時に弓であり、そして剣でもある。神がその身の内に秘めた神剣を、アメノハバキリで斬ろうというのならば、その剣はもはや、ムラクモ以外の何物でもない。

 おまけに今ハバキリの装者に手を貸しているのは、光線の一斉照射をあろうことか防壁(バリア)と宣うような連中だ。この程度のこじつけなど、なんの問題も無い。

 

 そしてそれを、イージスは受け入れた。そもそも、これはイージスにとって利益しか産まない同一視だ。

 アメノハバキリは他の聖遺物とは違い、完全な形で発見されることはありえない。スサノオがヤマタノオロチの尾の最後の一本を斬りつけたとき、その中にあったムラクモとかち合い、折れてしまったからだ。 

 故に、アメノハバキリでムラクモを斬ることは、決してできない。

 神の手で作られた武装であるため、一定の確立した意識を持つイージスは、その事実を読み取り、独断でムラクモの名を借りた。

 それが敗北の危険を孕んだ、判断だということに気づけずに。今の所有者同様、確定した運命すら変える人の力を、理解できないが故の、過ちだった。

 

 がつ、と、ムラクモとなったイージスと翼の刃が打ち合わされる。過去の焼き直し、逸話を正しく再現せんとする世界の法則が、抜けるような青色の刀身に罅を入れた。

 否、刀身だけではない。走った亀裂は瞬く間に、刀そのものである翼の肉体にまで伝播した。剣が折れるとき、それを纏う少女もまた、へし折れる。

 だが、しかし。彼女の握る剣に刻まれているのは、アメノハバキリの銘だけではない。

 過去を乗り越えた、運命を変えた、そんな戦士達の振るった聖剣と王剣の銘が、確かにそこに刻まれている。

 

 だから、当然。そんなちっぽけな、神話の一ページに定められただけの結果を、塗り替えられないはずがないのだ。

 ムラクモであっても、ではなく。ムラクモであるからこそ、示してみせよう。逸話通りの結末を待ち、信じる世界の、度肝を抜くような答えを。

 

 

 『お、おおおおぉォォオッ―――――!!』

 

 

 砕けかけた剣が、一閃される。反対側まで徹された手首が、ずるりと落ちた。なめらかな断面が晒され、血の赤が周囲を染める。

 堂々と掲げられた刃は、限界を迎えたのか、形を失い崩れ消えた。

 

 バギン!! と。何か、致命的な音が、彼の肉体の中で木霊した。焦燥と、苛立ち。初めてまともな感情を顕にしたゼロが、背後の翼へと視線を向ける。

 ムラクモ断ちの負荷に耐えかね、膝を付いた彼女は、動けず。彼の一撃を躱せる道理はない。

 

 

 『う、おらぁっ!!』

 

 

 ―――当然、翼一人に気を取られた彼が、響達の追撃を躱せる道理もなかった。

 

 目の前の拳が、穂先が、銃口が、我先にと自分へ殺到するのに、防御姿勢すら取れない。イージスを破壊された影響は、今の彼には大き過ぎた。

 命令を受け付けない己の身体を、叱咤する暇もなく。戦姫の渾身が、ゼロをまともに捉えた。

 

 削れる、揺らぐ。(ゼロ)を保つための要素が、(ゼロ)であるための全てが、砕かれ、解けていく。

 肉体を打ち抜いた衝撃に喘ぐ暇もなく、壊れぬ壁と激突し、そのまま地に落ちる。着地すらおぼつかず、無様に膝をついた。

 せり上がる血反吐に咳き込み、黄金を赤く汚す。

 内臓の九割が破裂し、骨が数十本単位で砕かれていた。それ自体は大した問題にはならないとしても、だ。

 何もかも仮初め、上から貼り付けただけの人の姿など、どれだけ壊れようがいくらでも補填が効く。

 だが、彼女達の一撃は、その化けの皮を抵抗なく穿ち抜き、ゼロの本質にまで届かせた。目には見えぬ、されど看過できない損傷が、彼に刻まれていた。

 

 無理矢理に、綻んだ身体を引き起こす。皮は繕い、貼り直した。けれど口の端の血は消えず、視界は定まらない。それでもと、顔を上げて、彼は。

 

 

 『―――待たせたな』

 

 

 己が紡いだその言葉に、限界を悟った。

 

 ぐっ、と、背後から肩を掴まれる。同時にかかるのは、人一人分の重み。本来なら身じろぎ一つで振り払えてしまうような、無きに等しいその重さが、今この時だけは、惑星のそれのように感じられた。

 動けず、かけられた手に引かれるまま、体が傾ぐ。入れ替わるようにして前に出るのは、自分と全く同じ姿形の、青年。

 彼は無造作にゼロを押しのけ、邪魔だと言わんばかりに、後ろへと突き放した。抗う余力など無く、仰向けに倒れた彼が、衝撃に目を瞑る。

 

 ―――待ってくれ

 

 願った。ここで終わりたくないと、否、終わってしまいたいと、そう望んでいた。だからなりふり構わず、人のように手を伸ばし、目を開けて。

 その背中が、遥か彼方にあることを、認識した。

 がくり、と力無く、伸ばした腕が下ろされる。ゼロであって、ウルトラマンゼロではない彼は、そこでもう、諦めてしまった。

 

 

 そうして、(ゼロ)(ゼロ)が切り替わった。

 

 先程の言葉を発したのは、装者たちの知るゼロだ。憧憬の帰還を認めた彼女達の表情が、目に見えて晴れた。

 一名を除き、歓喜が覚悟を塗り替える。例外であるクリスは、浮足立つ仲間に呆れたような視線を向けていた。

 そんな少女達の様子に、ゆらりと立ちあがったゼロは、笑った。不敵に、でもなく、壮麗にでもない。

 どこか余裕があった、これまでに見せてきたものとは違う。剥き出しの戦意に濡れた、獰猛な笑み。

 ハッピーエンドには全く似つかわしくない、そんな表情を端正な顔に貼り付けて―――

 

 『―――決着を、着けよう』

 

 彼は、そう言った。

 

 

 




 


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エピローグ:決着

 


 

 目を開けると、光があった。太陽すら霞みそうな明るさ、しかし目が眩むこともない不思議な光に満たされた、果てのない空間。

 

 その異様に目を奪われ、しかしすぐさま我に返る。私―――フィーネは振り返り、そのまま背後を睨み据えた。

 

 「何故、殺さなかった」

 

 発した声に応えるようにして、ふわり、と、漂う光の靄が寄り集まり、黄金の人型を形造る。

 現れたのは、こちらの予想通りの人物。銀の髪が靡き、その隙間から覗く黄金の瞳が、私を射抜く。

 

 「殺せなかったんだよ」

 

 憎らしい程に美しい相貌に笑みを浮かべた青年、零は、私の問をそう()()()()()()

 息を吐く。ため息だ。呆れ返って声も出ない、と言わんばかりに、彼を煽ってやる。

 

 けれど、返ってきたのは、こちらの気が抜けてしまうような、穏やかな笑い声だった。

 小揺るぎもしないその余裕に、私は諦めて別の問を投げかける。

 

 「ここは何処だ?」

 

 肉体を失ったはずの私が存在を許されている、黄金に輝く光に満たされた空間。普通ならついて回るだろう悪趣味さは欠片も感じられず、ただ神秘と荘厳さだけがにじみ出ていた。

 

 「俺の力で作り出した空間だ。外部とは時の流れが異なる。幾らでも話せるぜ」

 

 何でもないことのように語る事実の途方の無さに、一瞬驚顎し、だが目の前の存在ならやってのけるだろうと、平静を取り戻す。

 ここに閉じ込めてでも置くつもりか、と誂ってやろうかとも思ったが、つい先程の真っ直ぐ過ぎる少女とのやり取りで毒気を抜かれたせいか、実行に移す気にはなれなかった。

 口を噤む私が生んだ会話の空白を埋めるようにして、彼が口を開く。

 

 「今、俺の身体の主導権は俺に無い」

 

 驚きは、無かった。なんとなくだが、解ってはいたから。

 私を絆したあの少女と同じか、あるいはそれ以上にこの男は甘い。恐らく人間に対してのみ、だが。

 人の域からはみ出した不死性を得ていたならともかく、ネフシュタンを破壊されたあとの私に手を下す理由を、彼は持ち合わせていない。

 

 「ならば、誰がお前を使っている?」

 

 一瞬、彼が浮かべる笑みから、余裕が失せた。代わりに憂いを帯びた陰が、顔にかかる。

 

 「…………察しは、大体ついてる」

 

 予想外の反応に動揺を覚えた私の様子に、彼は気づかずにそう返答した。単なる興味で踏み込むには、少しばかり深刻な内容だと理解するが、もう遅い。

 

 「俺たちは、十万年以上の時を生きる」

 

 その、いい加減慣れてきた理外の事実の暴露を皮切りに、彼は自身の半生を語り始めた。

 

 最も、本当に重要な部分を掻い摘んだだけなのか、一万年の旅路は、殊の外あっさりと終わりを告げる。

 幾つもの宇宙を超えた眼の前の青年の来歴を知った私は、その感想をたった一言で述べた。

 

 「貰いすぎた、のだな」

 

 本当に、ただそれに尽きた。当然彼も自覚していて、こくり、と銀の髪を揺らしながら頷く。

 分不相応、と言うわけではないにしろ、彼が得たもの継いだものは余りにも多過ぎた。

 ゆっくり、少しずつ、馴染むまで待ちながら混ぜ合わせるなら、問題はない。けれど、何もかもを一気に放り込んでごちゃまぜにしてしまえば、もともとあったものの名残など消え失せる。

 

 「俺という存在は、保ってあと一万年らしい」

 

 これがすべての答えだ。彼が二課に入ったのも、私の所業に見て見ぬ振りを続けたのも、ここに至って装者達の前に立ち塞がったのも。あるいはこんな所にわざわざ訪れたことも、全部。

 つまるところ彼は、諦めたかったのだ。

 

 「短ければ数百年、それで俺は別の何かに変わっちまう。いや、変化というよりかは昇華、だな」

 

 それでも、十分な時間だ。只人よりも遥かに長い余生を、しかし実にらしくもなく彼は憂う。その理由は―――

 

 「だからこそ俺は、この想いを誰かに託―――

 

 「―――捨てたいんでしょう?」

 

 独白するような調子で紡ぎ出された言葉に割り込み、本当を突きつける。仮初だったはずの、今はもう本物になってしまった、櫻井了子の声で。

 彼が体を強張らせる。自覚させられたことより、誤魔化そうとしていた自分に驚いているように見えた。

 どちらにしろ、初めてやり返せた気がして、少し爽快さを感じてしまう。

 

 「ああ、お前は、知ってたんだな」

 

 その確証を得るための問いに、頷く。

 彼の自我は増幅される力に耐えかね、遠からず消滅する。だが、生物である以上、何かしらの行動理念だけは必ず残留する。

 そして彼は恐らく、その最後に残せる自分の意志を、傍観に定めようとしているのだ。

 平和の追求などという理念を残して、まかり間違って人を滅ぼしてしまわないために。人の守護を誓い、その他を蔑ろにすることのないように。事実、そうなった機構は彼が見てきたものだけでも相当数存在していて、彼の危惧は杞憂などではなく、それらに裏打ちされた確かなものだ。

 ただそれは、彼にとっては苦渋の、文字通り精神()を切り分かつような決断だった。

 

 「だからあれは、神に近い部分だけを切り取った、俺の一部。俺が無意識に拒絶してしまったものだ」

 

 人とも神とも言い切れない、変化の途上にある半端な肉体。それを無理くり割り切ろうとしたために、心までもが分かれてしまった。

 

 「あれが何を目的として、俺の身体を使っているのかは分からない。ただ明確な事実は、あれが彼女達を傷つけているということだけだ。

 ……………これこそ、ウルトラマンゼロ一生の不覚だ」

 

 一呼吸おいて、彼はそんな弱音を吐いた。

 けれど、どうしてだろうか。

 そこに悲観的な響きは欠片もなく。そして彼はまだ、笑っていた。諦観を混じらせたようなものでは無く、自棄になって浮かべるようなものでも無い。

 ただ純粋に、湧き出る感情に自然と漏れ出た、晴れ晴れとした笑みだった。

 

 「何か、打てる手でもあるの?」

 「いいや、一つとして無い。お手上げだ」

 

 聞いてみても、そうあしらわれるだけで、そう居られる理由など、伝える気がないことをこちらに分からせてくる。

 その態度に苛立ちを覚えかけて、はっとした。

 

 そうだ、彼は捨てる気だったのだ。貫き通さねば、死んでも死にきれないような想いを。本当に死にきれなくなってしまったから。

 けれど、はいそうですかと諦められるような代物ではない。だから、誰かに負ける必要があった。自分がやらなくても、その誰かが成してくれると、継いでくれるのだと、自身を納得させるために。

 その誰かこそが、今彼でない彼と相対する戦姫達だ。彼は本気で、彼女たちに勝てないと信じている。

 

 

 復讐のために力を渇望し、己の命さえ顧みずに戦いながら、暗がりを抜け出し別の道を見つけ、誰かのために命を懸けられるまでになった少女。

 

 幼き頃より守護者を目指し、血の滲むような鍛錬を熟す中で、力ではない何かでも人を救えることを知り、己を捨てずに生きられるようになった少女。

 

 全てを失って、同じように泣く誰かが生まれないように憎んだ力を振るい、それでも擦り切れることなく、もう一度日の当たる場所に踏み出せた少女。

 

 底抜けの優しさで、誰も傷つけたくないという想いを曲げずに、握りしめた拳を開いて、相容れぬ筈の人とさえ和解してみせた少女。

 

 

 ―――全員、自分などよりずっと強い。

 

 それが揺るぎのない真実なのだと、彼は、ウルトラマンゼロは、そう信じている。

 彼女達が負けるなどと、微塵も思っていないのだ。

 

 

 「私は、もう行かせてもらうわ」

 

 「けれど、最後に一つだけ、聞かせてもらえるかしら」

 

 背を向けた私に、彼は外していた視線を向け直し、肯定の意思を示した。

 

 「どうしてそこまで、人を信じられるの?」

 

 返答は、少し遅れて。

 

 「逆に聞くぜ。どうして疑える? どれだけ傷つこうと、どんな絶望と対峙しようと、後ろじゃなく、隣りで共に戦ってくれた、彼らのことを」

 

 その言葉には、万感の想いが込められていた。顔を見ずとも、彼が誇らしげに笑っているのだと分かった。

 どうしようもなく可笑しくなって、私も釣られて笑ってしまった。

 

 「人はそんなにも、強かったのね」

 

 神が、あの人が私達を見限ったあの日、私もまた、人を見限った。けれど今は、人で良かったと、心底そう思う。

 

 「あの娘と、あなたのおかげね」

 

 身体が解け分かれ、光の粒子に変わっていく。もう少しすれば、この魂は今の肉体を抜け出し、次の体を探しに行くだろう。

 最後に、見送る彼が、一言告げた。

 

 「お前も、強かったよ」

 

 ありがとう、は言う気になれなかったし、言えなかった。でも最後まで確かにあったその気持ちに、きっと彼は気づいていたのだろう。

 それは超常の力なんて大層な代物ではなく、人という種族がそれぞれに有している、当たり前の感性だった。

 

 「あなたは捨てる、背負ってきた想いを。けれどあの娘はきっと、それを許さない」

 

 だから私も、そんな彼に敬意を表して、私の感情ではなく、私が信じる結果を告げた。同時、崩れて完全に形を失った私の身体は、この金色の世界に溶け去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「そう……、か。そうだと、いいな………」

 

 一人残された青年は、穏やかな笑みを浮かべながら、ぽつりと言葉をこぼした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、彼女たちは彼女たちの知るゼロを取り戻した。肉体の支配権を奪い返した彼は、ゆったりとした動作で起き上がり、視線を少女に向ける。

 だが、まだ終わりではない。戦姫達は、ゼロでないゼロを打ち倒して目的を果たした。しかしゼロは、まだ彼女達に、負けられていない。

 だから、当然のように―――。

 

 

 

 『―――決着を、着けよう』

 

 彼は、そう言った。

 

 

 冷水を浴びせかけられたように、クリスが固まる。当然だ。ここではないどこかで交わされていた会話も、彼の心中も知る由のない彼女は、これで終わりだと思っていたのだから。

 得体のしれない輩に乗っ取られたらしいゼロという青年を、正気に戻した。そこで戦闘終了、何もおかしい事はない。

 だが事実、目覚めた青年は継戦を望んでいる。驚愕に表情を歪ませたクリスは、咄嗟に背後を振り返り。

 ―――陽のように笑う、響を見た。

 

 『はい!!』

 

 言葉を失うクリスの脇を、響が通り過ぎる。何の躊躇も同様もなく、自分の知る彼女らしからぬ行動を取った響に面食らい、彼女は助け舟を求めて残る仲間に視線を移した。

 

 『は?』

 

 漸く、声が絞り出された。

 ギラギラと、危険な光を瞳に湛え、がたつく身体を無理矢理に動かそうとしている翼に。

 相方同様、逸る気持ちを抑えきれず、槍を握る手に必要以上の力を込める奏に。

 絶句するクリスを置き去りに、その二人も響に続いた。

 

 『いや、おい…………』

 

 大体、理解した。音による伝達を行う時間も媒介も無いために、共有している思考から読み取れた。

 もうこれは、身内同士の悲痛な争いでは無くなったのだ。彼女たちの知るゼロが復活し、命をかけた殺し合いは終わりを告げた。

 けれど、ここで幕引きとするには、あまりにも惜しい。参考にした映画の影響だったり、目指す在り方だったり、要因は色々ある。

 これはチャンスなのだ。今この一時だけ、少女達はゼロと同じ場所にいる。彼と手加減抜きで殴り合える力と、それに耐えうる戦場がある。

 ゼロという青年は、憧れだった。その在り方だけでなく、その強さもまた憧憬の対象だった。

 そんな相手が、胸を貸してやる(かかってこい)と言っているのだ。それを受けずにいられようか。

 少なくとも彼女は、仲間たちの戦意を、そう解釈した。

 

 『…………んな』

 

 少し俯き加減に、下ろした前髪で目元を隠すクリスが、かたかたと身体を震わせる。

 理解は、できるのだ。彼と彼女の間には、自分の知らない関係の積み重ねがあるのだと言うことは。それが、こういう展開に導いた、と言うことは。

 だが、それはそれとして、だ。

 

 『ざっ、けんなてめぇらぁ!!』

 

 一人蚊帳の外に置かれ、置いてけぼりにされたという事実を、笑って受け入れられるほど彼女は甘くない。

 一斉掃射、手に持つ銃にも、生成した機関銃にも、たがが外れたかのように弾丸を吐き出させる。誤射誤爆上等の、というかむしろ当たっちまえといわんばかりの絨毯射撃が、始まりかけた乱戦に降り注いだ。

 

 

 『あたしはまだ、許してねえかんな』

 

 最後に呟いたその言葉は、誰に聞こえることもなく、彼女の胸の中で反響していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実を言うと、クリスの動揺は何一つ間違いのないものだった。本来なら、立花響はここまで迷いの無い突貫など、行えないはずなのだ。

 手を繋ぐ、つまりは分かり合うことを根底に置く彼女は、暴力をその手段として使うことを好まない。切り替わったゼロの挑発に、こうまで清々しく乗るというのは、らしくなかった。

 要は、引っ張られているということだろう。同化した破壊衝動、もう一人の自分として認め受け入れた、その精神性に。

 殊ここに至っては、その方がよかった。素面の彼女にならば、躊躇い時間を浪費しただろうから。そうなれば、最初に気づいたのは彼女ではなかったかもしれなかったから。

 

 昂る灼熱、全身を駆け巡る力の奔流に酔った響が叫ぶ。『熱くなれ』と。太陽の如き熱と質量を宿した拳を、青年との間にあった距離を消失させた彼女が、放つ。

 初撃故の、突撃の速度が上乗せされた神速の一打。土手っ腹を貫き徹す気概で叩き込まれた拳が、しかし逸らされる。

 何も、感じなかった。直進を妨げられたにも関わらず、彼女の腕はゼロによる干渉を一切感知しない。

 まるで初めから狙いが外れていたかのように、盛大に空振る。勢いそのまま、体が流れた。地を離れた足では踏みとどまることは叶わない。この速度を急停止させる程の機能など、今の武装でさえ有していない。

 柔らかく、捌かれて、あしらわれる。ふわり、と、浮き上がるような感覚。瞳の先にある、次の瞬間には強かに叩きつけられることになるだろう紫の障壁が、やけにはっきりと見えた。

 ―――だが

 

 『がふっ』

 

 予想した衝撃は、来なかった。代わりに三発、拳打が打ち込まれる。無理な停止の負荷が、まるごと鈍い痛みに変換され、胴に染み渡った。

 堪らず躰がくの字に折れ曲がる。苦鳴と共に空気を吐き出すような動作を行いかけ、上からの圧力にがちんと口が閉じた。

 頭蓋に落とされた肘鉄。脳天に雷が落ちたかのように、思考が弾け飛ぶ。押し下げられた頭が、また何かにぶつかった。

 頭部をかち上げたのは、間髪入れずに放たれていた膝蹴り。上下に揺らされる脳と挟み込むような激痛に、視界で火花が散った。

 身体が言うことを聞かない。脱力しきった腕がだらんと垂れ下がる。そうして抜けた腰が、地に着く。

 ―――寸前で、横殴りの衝撃に吹き飛ばされた。

  

 中から響いた破砕音は、一本や二本の骨では到底奏でられそうもない。腕ごと脇腹を刈り取った回し蹴りは、球の中央から外壁まで、あっという間に響の身体を吹き飛ばした。

 

 『気にせず』

 

 吹き飛ぶ最中、すれ違った翼にそれだけ告げて、彼女は壁と激突した。

 

 蹴り抜いた姿勢のゼロに、蒼穹の鋒が飛んだ。距離を詰めきった翼が、お相手仕ると、彼の呼びかけへの答えを返すように、剣を振り下ろす。

 対するゼロは、振り上げた足とは真反対に伸ばした手の中に、もはや見慣れた光刃を生成し、地につけた足を軸にした円運動と共に一閃した。

 光が弾けた。翼が仰け反り、ゼロは止まる。一瞬の空白の後、追いついた奏も交えた剣戟が開始された。

 数合打ち合って、皆退かず。しかし到達したクリスの弾幕に、拮抗は敢え無く破れる。当然、不利を被ったのは背を向けている装者二人だ。

 背後の状況を把握できないと言うわけではないが、そもそも弾丸側に立つ彼女らの方が受ける数が多い。豆鉄砲と侮れるような代物ではないが故に、それは明確な差となって現れた。

 

 『ぐぅっ』

 

 まず翼が。

 

 『がぁっ』

 

 返す刀で奏が斬り裂かれ、響と同じ末路を辿る。

 そうなった原因の一端を担うクリスは、文句なら眼の前の野郎に言えと、悪びれもしない。遮蔽物が無くなったのをいいことに、先程以上の密度の弾幕を展開していく。

 

 『ほんっと、気に入らねぇ……!』

 

 掃射を継続しながら、彼女はそう吐き捨てた。

 まだ納得できていないし、受け入れられてもいない。分からないことも、知らないことも、多すぎて理解が追いつかない。

 今歌っているのは、ゼロへ向けた歌だ。仲間達が彼に抱く想いが、現在進行系でクリスの中に入り込んで来る。

 それがどうにも、気に入らない。

 奏を救い、翼を導き、響を諭した千原零という男のことを知れば知るほどに、違和感が募っていく。

 彼は櫻井了子がフィーネであることを知っていた。彼女の野望を完膚無きまでに打ち砕けるだけの力を有していた。

 なのになぜ、何もしなかった?

 響達の知る零の性分と、情報を継ぎ合わせて推測した彼の行動があまりにも一致していない。立花響の発展形みたいな青年が、あの女を放置することで生み出される被害を黙認できるとは思えないのだ。

 

 けれど何より、苛立たしいのは。

 彼女達がそれを理解していながら、あっけらかんと笑みを浮かべて、彼に挑んでいることだった。そんな、疑うことを知らない童女のような、無垢な振る舞いを見せつけられて。

 ―――彼女が抱いたのは、劣等感だった。

 

 『なんで、そんなに…………』

 

 羨ましかった。そうあれる彼女達が。

 失望した。そうなれない自分に。

 

 『眩しい、のかなぁ…………』

 

 その甘ったるさに、反吐でも吐くべきなのに、できない。頭ン中お花畑かよ、なんて切り捨てることも。

 隣の芝生は青い。

 そんな言葉、クリスの知識にはないけれど、きっと、そういうものだったのだろう。

 

 騙されて、裏切られて、蔑まれて、甚振られて、とうに擦り切れてしまった自分には、到底真似することのできないような響達の在り方に、彼女は憧れていた。

 

 『く、そっ』

 

 弾幕が、掻き分けられる。出鱈目に見えて、その実恐ろしい程の精度で振るわれる両の手が、無数の弾丸を逸し、弾いていた。

 視界を染める一面の赤に、目にも鮮やかな銀の光が混じる。心中の迷いが射撃にも影響したのか、若干バラついた弾幕をゼロが突破しようとしていた。

 一対一は無謀だという事実を、今更ながらに認識する。最も前衛を引っ剥(ひっぺ)がしたのは自分なので、このまま()されても文句は言えないが。

 冷静さを欠き、後先を考えなかったツケを払わされる形になり、彼女は舌を打つ。結局、自業自得。こういう役回りが自分にはお似合いだ。

 諦観が、脳裏を過ぎった。

 

 

 『別にいいと思うよ?』

 

 唐突に、そんな呟きが耳朶を―――否、心を震わせた。比喩ではなく、実際音としては響いていないそれは、思考に割り込むようにして伝わってきた。

 引き金に指を掛けたまま、慌てて振り向く。目の前、何で気づかなかったんだと自分を叱咤したくなる程間近にあったのは、誰あろう、立花響の顔だった。

 

 『私って、バカだからさ。思いもよらないところで足滑らせて、すってーんって転んじゃうと思うんだよね』

 

 彼女はクリスに驚く暇も与えず、続けた。間抜けな顔で固まる彼女とは対象的に、響は笑顔だった。

 

 『だから、()()()()クリスちゃんが側にいてくれると、安心できるな』

 

 まあ、考えてみれば当たり前の話だ。彼女達の想いがクリスに伝わるなら、逆もまた然り。

 お門違いな自責の念を抱く友人を、彼女が放って置く筈がない。だってそれが、雪音クリスが憧れた、立花響の姿なのだから。

 

 

 『それじゃ、行ってくるね』

 

 そう言って、返事も待たずに彼女は突っ込んでいった。クリスの張る弾幕の真っ只中に。撃ち放たれる弾丸と同等の速度で。まるで、好きなだけぶっ放せとでも言うように。

 背中で語る、ヒーローのように。

 もう、迷いは無かった。応えてやろうと、そう思うだけだった。友達と、胸を張って呼べる少女が、自分に向けてくれる信頼に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリスに声を掛け、押され気味の彼女に助成した響は、既にゼロのもとに到達していた。数瞬前に減速を始めていたため、速度はほぼゼロに近い。

 彼も足を止めていたので、二重の意味で、かもしれない。

 下手な洒落を脇に追いやり、自分より頭一つ高い青年と、顔を突き合わせる。先刻、ぐうの音も出ないほどに自分を叩きのめした張本人に、性懲りもなく、正面切って宣戦布告する。

 すぐに彼は応じた。前回とは違い、先手を譲ることになる。右の突き。速い。狙いが見えない。ギリギリで躱し、同時に腹に衝撃。

 左の手も、脚もまだ動いていない。躱した筈の右拳が、水月に突き刺さっていた。

 

 (さぁて、どうしようかな?)

 

 激痛と嘔吐感を堪えながら、内心で独り語散る。意気揚々と飛び出したはいいが、彼女は策など一つも考えていなかった。

 これでも大分、手加減されている。前は両手、それで計られて、片方で十分という結論を出したのだろう。

 ―――つまり、予想より弱かったということだ。

 

 凄く、悔しい。そこまでされて、急所を思い切り打ち据えられた。重点的に守れという、司令の()()()()()()()()()()()が抜けきっていないにも関わらず、だ。

 これでは駄目だ、落胆させてしまう。そうなれば、彼は諦めてしまう。何一つ伝えられないまま、この最初で最後の交わりが、終わってしまうのだ。

 それだけは、絶対に、嫌だった。

 

 『体』は追いついた。出せる速度とか、込められる力とか、たぶん殆ど同じくらいだ。

 『心』は、最初から負けてない。いや勝っている、と胸を張ろう。何があっても、ここで今の彼より劣ることだけはあってはならない。

 けれど哀しいかな、『技』が、まるで足りていない。これじゃあ何の意味もない。どうにか、打開策を見つけないと。

 さして優れているとも言えない記憶力をフル稼働させ、条件に見合う武術をひたすらに探す。

 あれもダメ、これもダメ。まるで見つからない。どれも眼前の超越者に、自分の知る限り最強の男に、通じるとは思えない。

 どこかに剛柔兼ね備えた、実践形式の、タイマンでも力を発揮する、ゼロに届き得る戦い方は―――

 

 

 『―――あるじゃん』

 

 思考の海から現実の陸に上がり、響はただ、目に映るものに意識を向けた。

 

 

 

 

 『目の前に』

 

 

 

 

 反撃の予兆を見せていた響の動きが、変わる。飯食って映画見て寝る、なんて巫山戯た修行で蓄積された経験を元に、ある拳法が構築されていく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 見様見真似ではなく、完全に理解し、取り込み、自分が扱いやすいよう、これまでの特訓の全てを付随させ変質させる。

 

 『ははっ』

 

 避けながら、ゼロが、笑った。新雪に落ちた血のように艷やかな唇と、濡れた輝きを放つ銀の睫毛に彩られた目尻を歪めて。見事に殻をぶち破った少女に、歓喜とともに賞賛を送る。

 跳ね上がった左足が側頭部に打ち込まれるのを予見した響が、蹴り足を腕で受け止めた。ゼロを見本にしたのだから、使う体術―――宇宙拳法の癖も読み切っている。

 彼がどう動くのか、何となく解ってしまうのだ。続く拳打を驚異的な先読みで逸らし、カウンター。()()()。一足飛びに同じ土俵まで上がってきた少女に、ゼロが押され始める。

 形勢逆転、とはならない。

 

 鏡写しの自分? 戦い飽きてる。こちらの動きを全て学習し読み切る? そういう機械を幾つもぶち壊してきた。

 

 その程度の小細工で封殺しきれる程、ウルトラマンゼロは甘くない。

 

 予想外の一撃が、追撃を試みた響の出鼻を挫いた。そしてすぐさま理解する。このやり方では駄目だ、と。

 次の攻撃を読む、ということは、対応の仕方を一つに絞るということに他ならない。外されたときのリスクが、大きすぎるのだ。

 戦闘法を切り替える。ゼロ用にカスタマイズされた宇宙拳法をベースに、己の拳を昇華させた。自分の信じる拳で、真正面からぶつからなければ、彼には勝てない。

 殴って、殴られて、また殴り返して。たまに蹴ったり、それ以上の頻度で蹴られたりする。そうして、彼と()()()()()()()。これ以上無い、と思うくらいに引き伸ばされていた時間が、ギュンと縮まるような感覚に、彼女は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ウッソだろ…………、互角じゃん』

 

 そんな二人の様子を遠目に見ながら、もう一人のガングニールの装者―――天羽奏は呟いた。

 

 『ええ、正直怖気が走る』

 

 それを拾い答えるのは、片翼たる風鳴翼に他ならない。ゼロに壁際まで吹き飛ばされた二人は、すでに体勢を立て直していた。

 

 『似合わない、とも思うけれど』

 

 けれど、加勢に転じることもなく、彼女は自分の思うところを述べた。嬉々としてゼロと拳を打ち合わせる響は、確かにらしくない。

 

 『線引きの内側ってことなのかねぇ』

 

 彼女は戦いを嫌う。けれどいま繰り広げられているこれは、傷つけ合うためではなく、分かり合うための戦いだ。だから響は、迷いなく身を投じたのだろう。

 

 『それはそれとして、だ。

 ―――翼、大丈夫か?』

 

 確証の得られぬ問答に区切りを付け、唐突に奏がそんな問いを投げかけた。翼は一瞬驚き、すぐに納得したような表情を浮かべた。

 いくら内心が伝わるとはいえ、それはあくまで表層に出てきたものに限る。隠そうと奥に仕舞い込んだものまで、読み取ることはできない。

 

 『矢張り隠せはしないか、奏相手には』

 

 故にこれは、シンフォギア云々ではなく、ただ付き合いの長さの問題だろう。翼が、相当な痛手を受けているという事実を、看破されたことは。

 

 『それで、奏の方はまだ無事なの?』

 

 切り返された奏も、翼と同様に表情を変化させた。確かに彼女の身体には、あちこちガタが来ている。

 

 無いに等しい適合係数を無理矢理限界まで引き上げた奏と、数万年も前から定められていた法則を覆した翼。

 分不相応な行いの反動は、当然彼女たちの肉体に跳ね返り、深いところまでを蝕んでいる。

 正直さっきのは空元気で、ゼロとドンパチやらかす余力など、二人には残っていない。なんか若者の活躍を後方で見守る年寄りみたいだなー、と一瞬思い、いやアタシらそんなに年食ってねぇと振り払う。

 とはいえ、そんな現状はあまり問題になっていない。ここに来てまた一段と成長した響と、吹っ切れたかのような援護射撃を行うクリス。それで戦場は間に合っていた。

 

 『となると、アタシらの役割は―――』

 『隙を見つけての一撃離脱、ね』

 

 奏が首肯する。今からあの場に突っ込むのも、拮抗を崩すには丁度いいのだろうけど。どうしてか、水を指す気にはなれなかった。

 ゼロが、零が、楽しそうで、嬉しそうだったから。

 

 『少し、羨ましくはあるけど…………』

 『ああ、本命はあの娘だったんだな』

 

 自分で吐き出した言葉に、妬ける。でもその落とし前は後でつけさせることにして、今は傍観役に徹しよう。

 奇しくも、かつての彼と同じように、彼女達は障壁に背を預けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 傾けた顔のすぐ横を通り抜けた、無音の暴威を見送り、突き上げるようにして拳を打ち込む。抉られた頬骨が血肉とともに宙を舞ったが、響はそれを気にも止めない。

 治るからだ。体の一部だった紅白の物体は、空中で金糸のように解けて消えた。その頃にはもう、彼女の傷は癒えている。

 融合の副産物、過剰に満ちるフォニックゲインによって全身を活性化し、損なった己の肉体を構成し直しているのだ。

 顎を狙い、アッパー気味に放った一撃は、不発。回避のために上体を反らすと同時に、こちらの脚を払いにかかる。

 これは躱す。今の響の四肢の優先順位は、人体急所などと称される部分より遥かに高い。心臓を潰されようが脳漿をぶち撒けようが、それでも彼女の身体は動く。

 だが手足を失えば、対応のための手段が削られ、再生までの間にそれ以上の手傷を負わされる。一度でもその状況に陥れば、詰みだ。

 体内の組織を無理矢理に組み換え、握った手を弾丸の如く射出させるための機構を作り出す。拳打の威力を追求する以外の機能をオミットした肉体が、眼の前の青年へと照準を定めた。

 

 そこからは、原始的な殴り合いの時間だった。

 鎧の破片、細かな血肉、それらに混じって散る赤い光。三合に一度のペースで行われるクリスの射撃と、ある程度までの傷を即座に完治させる度を越した再生力が、響をゼロと拮抗させる。

 攻撃を紙一重で受けながら反撃するという戦法は、このときだけしか効かせられない無茶だ。例え矯正したとしても、こんなにもアツ過ぎる戦闘の記憶は、脳に焼き付いて一生残り続けるだろう。

 けれど彼女は躊躇わない。後先よりも何よりも、今が一番大事だからだ。なんとしてでも、彼と本音をぶつけ合わなければならない。

 そして語らう権利は、勝ち取るしか無かった。

 

 故に、出し惜しみはしない。できるはずがない。

 

 

 『がふっ』

 

 殴打と蹴りの応酬の中、勢いを失わずそれらを突破したゼロの拳が、響の腹を穿った。久方振りのクリーンヒット、しかし彼は、己の失策に歯噛みすることになる。

 肉と鉄に埋まった拳が、止まる。空けられた穴を無理矢理再生することで、癒着させたのだ。

 打たされたことを悟ったゼロが打開の一手に移ろうとした瞬間、彼の視界が塞がった。

 

 響の右手が、五指を目一杯広げてゼロの顔面を鷲掴んでいた。

 肉に爪が食い込む。頭蓋を握り潰さんばかりの力を下方へ叩きつけ、彼女はゼロを押し倒した。

 同時、踏み込んだ響の右足が地を割った。歪に変形した黄金の物質は凶器の如き鋭利さで、倒れるゼロを迎え入れる。

 

 『がああああぁぁああああああっ!!』

 

 咆哮と共に、鮮血が舞った。

 

 大地を砕きながら引き摺られるゼロの肉体が、乱雑に裂かれる。抵抗を全力でねじ伏せ、響はより一層強く彼を地に押し付けながら、疾走する。

 通り道は、真っ赤に染まった。

 曇りなき黄金を、偽物故の病的なまでの鮮やかさを持つ液体が、艶やかに彩っていく。

 

 あっという間に障壁の目の前まで辿り着いた響が、方向転換のために視線を横に向けた。

 そして、呆然と、というより、若干引いた様子の仲間達を、その目に入れる。

 

 (あ、やば……)

 

 そう思い、直後もう一度、同じ思考に陥る。最初のはなりふり構わな過ぎたことへの反省。次のは、意識をそらしてしまったことへの反省だ。

 

 ボギン、と、神経を通って脳髄にまで駆け巡るような音が、痛みを伴って体内に響いた。

 途端、身体が体感三分の一程に軽くなる。右腕が千切り折られて、断面からドクドクと血を垂れ流していた。バランスを崩しかけた身体を立て直しながら、響は今更のように焦りを自認する。

 必至さのあまり暴走した自分の生み出した結果はろくなものでは無かった。

 誤解してくれていた翼達が、この戦いの意味に気づいてしまったこともそうだが、それよりもまずいのは、ゼロの前で明確な隙を晒したことだ。

 

 大技が来る。

 

 響がそう確信すると共に、彼は動いた。顔中を濡らす己の血を拭おうともせずに、右手を握り脇腹に付け、左腕を伸ばす。

 先程の打ち合いの中では到底行えなかった、溜めの動作。膨大な光子エネルギーが、充填機関へと変わったゼロの腕に収束していく。

 胸の位置で左腕を水平にし、その手の甲に右の肘を乗せて垂直に立てる、ウルトラマンという種族を知らなければ疑問符が浮かぶだろう独特の動作。

 しかしそれは、数多の怪獣を屠り打ち砕いてきた、彼らの誇り高き必殺の構えだ。

 

 

 ―――ワイドゼロショット 

 

 

 直後、爆ぜるような勢いで、それは放たれた。星の輝きさえ霞ませる程の光の激流が、未だ右腕を失ったままの響めがけ殺到する。

 空間そのものが、駆け抜ける光が内包する力に押し負けたかの如く歪んだ。

 

 (綺麗…………、ってそうじゃない)

 

 その異様は、凄絶な美しさで以て彼女の目を奪った。思わず見惚れた自分を慌てて現実に引き戻し、響は一刹那のうちに訪れるであろう脅威の大きさを認識し直す。

 一見不死身に思える彼女の再生力は、実際には無敵ではない。あえて肉体を自壊させ、攻撃の威力を殺すことでダメージを抑えているに過ぎない。

 傷は治る。が、活力は徐々に削られていくのだ。

 そして、いま眼前に迫るこの光線は、そんな小細工で受け流せるような代物ではなかった。

 少しでも身体の強度を落とせば、全身を持っていかれる。蒸発した状態から復活できる可能性もあるが、あまりにも危険な博打だ。

 しかし、当然まともに喰らうわけも行かない。直撃の後に原型を留めていたとしても、戦う余力が残っていなければ意味がない。

 そうなると、回避以外に道はないが、それすらも厳しかった。崩れたこの態勢からでは、どうしても初動が遅れる。逃げる方向を先読みされて、そこに光線を合わせられたらおしまいだ。

 

 

 けれどまだ、詰んだ訳じゃない。活路を見出す余地は、まだ残されている。

 何故なら、私は一人じゃないから。

 踏み出す足は、私を前へと送り出す。迫る光との接触、その寸前で、無事な左腕を滑り込ませる。

 

 

 『がああああああああああああ―――ッ!!』

 

 

 直撃。感覚が飛び、一周回って冷たく思える程の熱が、盾にした腕を循環する。オレンジ色に赤熱して蕩けた皮膚が、体表を伝った。

 だが、狙い通りだ。彼の光線の威力は凄まじいが、それは質量や速度によるものではない。さらに彼女は気づいていないが、大気がないために距離による減衰も起こらない。故に、後ろに退きながら食らっても、前進しながら食らっても、受けるダメージは殆ど変わらないのだ。

 そして、この光線の直撃は、少しの間なら保たせられる。ならばあえて突っ込み、強引に中断させることで耐え切る!

 

 断面より黄金の繊維が伸びた。それは幾層にも絡み合い、骨も肉も絡繰に置き換え、失われた右腕を再構成する。

 左腕が半ば液状化するまでの間に詰められた距離は、半分程。ここが潮時だと判断し、新たに創り上げた右腕を引き絞る。

 ギアの駆動音と共に、物理法則を無視した変形が行われ、身の丈ほどもあるガントレットが装着された。

 機械仕掛けのアームの中身、硬いバネをギチギチに引き絞り、勢いをブースト。手甲とガントレットのバンカーも同様に、出し惜しみはなしだ。

 無理な酷使に悲鳴を上げる肉体を黙らせ、力任せに打ち込む先は、光線を受け止める左腕だ。

 

 『お、らぁっっ!!』

 

 融解直前の腕は無惨に弾け飛び、拳は光線と衝突する。纏わせたエネルギーでもって光の奔流と拮抗し、さらに直進。

 

 (ここだ!!)

 

 自分が光線を突っ切りながら保てる最大の推力、それに達した瞬間、彼女は三つのバネを同時に解放した。

 機構によって得られる加速は瞬間的なもの、対して光線のエネルギーは際限なく注ぎ込まれ続ける。ならば段階的な解放は悪手、一撃に全てを込めた短期決戦しかない。

 彼女のその判断は、今の状況の絶対的な不利を、見事に覆した。

 馬鹿げた改造を施された腕と装甲が当然のように自壊し、しかし横殴りの豪雨のようだった光を一気に押し込む。接触寸前でとっさに構えを解いたゼロが、新たに張った障壁さえも叩き割り、響の渾身は彼の身を強かに打ち据えた。

 

 『ぐがっ?』

 

 その、想定を遥かに超える一撃に、ついにゼロが苦悶の声を漏らす。地面を削り、仰け反りながら後退する彼は、肉体を貫いた衝撃によろめく。

 ()()()()()()()()()()()

 ガラクタのように、分解した腕の破片が飛び散る中、両腕を失った彼女は受け身も取れず顔面から落下する。

 受けたダメージは、本来食らうはずだったそれより小さい。だが、継戦が可能な程に抑えた、というわけでもなかった。

 もとより自爆覚悟の特攻。そもそもこれは打開策として成立していない。すぐには動けぬ彼女に下されるのは、敗北の宣告のみ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 踏みとどまり、反撃に転じようとしたゼロの視界が、灼熱に閉ざされた。彼を飲み込む、真空中ですら猛々しく燃え盛る炎の主は、純白に夕焼け空を映しこんだ鎧を纏う装者、天羽奏。

 傍観に徹していた彼女が、自らの意志を継ぐ少女が抉じ開けた隙に、動いた。奏の槍が生み出す、光を帯びた猛火は、まるで太陽の如き球体となってゼロを完全に覆い隠す。

 

 『合わせろ、翼ぁっ!!』

 『言われずとも!!』

 

 ならば当然、その片翼もまた、動く。彼女等は二人で一対、その繋がりはきっと、死すらも分かつことはできない。

 天槍に光焔が、蒼剣に青炎が纏わりつき、巨大な刀身を形成する。膨大な熱エネルギーが凝縮された刃が、火の玉に拘束されたゼロへと振り被られた。

 

 ―――双翼の流星-DESTINY・TEAR-

 

 未だかつてない規模で行われる、即席の連携。しかしそれに綻びは無く、二振りの炎剣は鳥が翼を折りたたむかのように交錯し―――

 

 『当然、こっちだよな』

 

 ―――消失した。互いに干渉することなくすり抜けた刃はさらに圧縮され、見せかけだけの巨剣の姿を失わせる。

 元の大きさに戻り、しかし秘められた力は保ったままの二人の得物が、何もない背後へと振り切られる。

 盛大に空振るはずの剣と槍は、しかし尋常ではない強度の物体と接触したかのように急停止し、一瞬の後、思い出したかの如く爆炎を吐き出した。

 遮るものの無い空間を我が物顔で蹂躙し尽くした火がようやく消え、ギリギリと火花を散らせ、打ち込まれた凶刃を受け止めるゼロの姿が顕になる。

 

 簡単な話だ。

 

 炎の渦に呑み込まれ、拘束された彼が(フェイク)なら、彼女達があからさまに振るった渾身の合技もまた、(フェイク)だったというだけのこと。

 

 裏の裏をかかれたゼロは、それでも化物じみた対応力で翼と奏の一撃を防いでみせた。

 しかし、そこ止まり、防げたのは直撃という最悪の結果だけにとどまる。

 やや造りが甘い光刃は至る所に罅が入り、砕け折れる寸前。食らった炎と爆発の衝撃は肉体にも無視しきれないダメージを負わせた。

 その証拠に、本来なら単純な腕力では圧倒的に勝るはずの彼が、徐々に押し込まれている。

 

 故に、即座に打開の策に移る。

 破損一歩手前の光刃を手放し、()()。馬鹿げた推力を与えられたそれは、質量差を凌駕して二人の戦姫を吹き飛ばす。

 態勢を維持しながら宙を後退する奏は、反動で自分達から距離を取るゼロの、開かれた手の指先が動くのを目敏く認識した。

 

 『お、らあっ!!』

 『せあ、あっ!!』

 

 その動作を訝しんだ奏同様、翼も得物をかち上げ、食い込む光刃を振り払う。間髪入れずにゼロの両手が握りしめられ、翠の軌跡を刻む刃が爆ぜた。

 人間一人を余裕で呑み込めるだろう規模のそれに、二人は自分の勘が正しかったことを悟り、安堵を覚える。

 乱入からの奇襲は不発に終わったが、彼女に繋ぎ、自分達はほぼ無傷でこの一連の応酬を乗り切った。彼との実力差を思えば、上等すぎる結果だ。

 

 ガッ、と、力強く地を蹴り飛ばす音が、戦場に響いた。幻聴、だとしても、この場に立つ誰もが聞いたその音は、きっと確かに、響いていたのだろう。

 

 未だ再生途上の右腕を引き絞る彼女は、誰が見てもわかるほどに満身創痍だった。左の腕は折れたまま、全身にはあろうことか亀裂が走り、無数の破片をこぼしている。

 壊れかけの機械とすら見紛うその惨状を、しかし彼らは、美しいと感じた。

 ならば応えねば、そう言わんばかりに、ゼロは軋む腕を稼働させ、少女の拳打を掴み取る。防御に回せる腕は、彼女にはもうない。今にも砕け散りそうなボディに、ねじ込むための右手を構える。

 その瞬間、響の右腕の修復が、完了した。硬い拳に握り込まれていたのは、長く長く延びたスカーフ。ピンと張られ、正に張力の限界に達したそれが、端に繋がれていたものを一息に引き寄せる。

 瞠目するゼロの眼前に現れたのは、二条の赤い銃口と、揺れる銀髪。

 ギッ、と、歯をむき出しに獰猛な笑みを浮かべた少女―――雪音クリスは、その瞳に歓喜じみた色を滲ませて、銃爪を引いた。

 

 『持ってけ……、ダブルだっ!!』

 

 一つは当然、私情満載の戦いにあまり関りもないのに巻き込まれた自分の分。そしてもう一つは、砕かれたフィーネの分だ。

 無論事ここに至って、まさか本当にこの男がフィーネを殺しただなんて思っていないけど、それでもイイ雰囲気をぶち壊しにしたのだから、甘んじて受けてくれ。

 そんな、感情任せの弾丸は、ゼロのど頭を見事にぶち抜いた。実際には、貫通はしていない。ただでさえ人体の中でも最も硬いと目される頭蓋骨だ。惑星丸ごと吹っ飛ばせるような火力を集中させでもしない限り、砕けることは無い。

 だが、一瞬の間でも意識を飛ばすことができれば十分。クリスの作り出した空白の内に、ゼロの手を振り払った響が、再度拳を引き絞る。

 今度は、文句のつけようのないクリーンヒット、持ち上がった顎に炸裂した。未練がましく人に寄せた人体機能、それが仇になる。

 脳が揺れる、その感覚を初めて知ったゼロが、肉体の制御を失い宙を舞う。落下までの一刹那では、震えた思考を元に戻すことはできなかった。

 

 『ぐっ、あぅっ………』

 

 地を擦り、転がる彼を前に、響もまた電池が切れたかのように落ちる。限界を既に二回は超えた彼女の身体。壊れて、直して、砕けて、繋いでを繰り返して、根本の部分が朽ちかけているのだ。

 それでもまだ、立とうとしている。足掻こうとしている。まだ終われないと叫んでいる。

 なぜなら、ゼロはまだ倒れていないから。

 

 呻きながら地を這いずる彼女を目にした装者達は、動かない。ゼロに追撃をかけることも、響を助け起こすこともしない。

 伏した彼女が、つい先程まで一人抱えていた想いは、共有されている。ゼロの末路と、目的、そしてそれを読み取った響が、自分達に伝えなかったことを、知らされている。

 ならば奏が、翼が、クリスが取る行動は、一つだけだった。

 

 ―――Gatrandis babel ziggurat edenal………

 

 それすなわち、歌うこと。もう一度、響に立ち上がるための力を託すことだ。

 

 ―――Emustolronzen fine el baral zizzl………

 

 言いたいことは、無論たくさんあった。ゼロへの言葉も響への言葉も、次から次へと溢れて止まらない。

 

 ―――Gatrandis babel ziggurat edenal………

 

 だからこそ、この歌に込めよう。人と人が繋がるための、架け橋となるべき音楽に。それがきっと、正解だと信じて。

 

 ―――Emustolronzen fine el zizzl………

 

 私達の全部、受け取ってくれ、立花響。一人で背負うとしたんだろう? だったら最後まで貫き通せ。そしてその想いを、ゼロにぶつけてくれ。

 

 

 『そう………、まだ、飛べる!』

 

 その詞は、誰に向けたものだろうか。眼前で立つゼロへの激励か、腕に足に立ち上がろうと力を込める己自身か。

 きっと、その両方なのだろう。

 

 増幅、分配、再収束。響が他の戦姫に分け与えた力は、渡された想いの分だけ、重く、強く、大きくなった。絶唱の輝きを、繋ぐ右手で手繰り寄せ、束ねる。

 指先から、じわりと血が通うように、活力が戻ってくる。深く刻まれていた幾つもの亀裂があっという間に消失し、彼女は、ガングニールと全ての心を背負った少女は地を踏みしめ、ゼロと視線を合わせた。

 

 『―――fly again………』

 

 最終局面。正真正銘、最後の盛り上がり(サビ)

 

 淡い青の光を全身に帯びさせたゼロと、装具を完全にパージし、揺蕩うフォニックゲインだけを身に纏う響が、どちらともなく歩き出し、間近で睨み合う。

 

 『熱くなれぇ! 太陽っ!!』

 『ガァルネイトォ……、バスタ―――ァァッ!!』

 

 紅焔を握りしめた拳と、燃ゆる閃光を乗せた拳が、最早あらゆる法則を置き去りにして、凄まじい爆炎と衝撃を撒き散らした。

 遅れて、炎の海から二条の光が飛び出す。夜天を切り裂き昇る朝日のような白に近い黄色と、大気を飲み込んで揺らめく灯火のような青色が幾度もぶつかり合い、翠光の軌跡を残した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『凄ぇ………』

 

 花火のように舞った光の粒に、見惚れた奏の思考が漏れる。もう、とっくに目では負えない。宙を駆ける光がぶつかり合う様子だけが、瞳に映される。

 やがて、それすらもブレ始めた。青と黄の光帯が、二本、三本と分岐しながら入り混じる。

 

 (あれ、なんか、おかし……―――)

 

 違う、とそう自覚したときには、彼女はもう迫り上がっていたものを吐き出していた。

 大量の血反吐が地面の黄金を汚し、力無く奏は膝をつく。

 

 『奏!?』

 

 意味もないのに発声のプロセスを行った翼の思念が、彼女に伝わる。答えを返すにも苦労しそうなコンディションだ。奏は思うだけで意思疎通ができる武装の機能に感謝しながら、心配するなと告げる。

 

 『まあ、絶唱(うた)い終わるまで保ったなら十分だろ………』

 

 シンフォギアの強化に伴う適合係数の引き上げ、もともとの数値が他の三人と比べて遥かに劣る奏が、その反動を最も強く受けるのは分かりきった事実だった。

 だから、彼女は安堵する。想いも、力も託し切れたことを。役目はとっくに完了したのだ。

 幸いまだ、解除に至る程の消耗はしていない。最悪、ギアがなくなったとしても、今自分を支えている片翼が、守ってくれるだろう。

 その信頼が、彼女の意識を闇の中に落とした。

 

 かくり、と、唐突に力を失った奏に、翼は思わず心臓を跳ねさせた。だが、脈はある。呼吸による判断ができないことに不安を煽られるが、命に別状は無いだろう。

 

 『大丈夫なのか?』

 『ええ。絶唱の反動と、今までにかかった負荷が大き過ぎたみたい。だけど、死ぬようなことはないはず』

 

 駆け寄ってきたクリスの問いに答えつつ、翼は相棒を肩に担ぎ、丸みを帯びた障壁にもたれかけさせた。吐血には驚いたが、表情は穏やかで、大きな苦痛を感じている様子もない。

 ようやく安堵の息をついた翼は、そこで漸く全身が軋むようなに気づき、顔を顰める。呆れたように表情を変えたクリスが再び彼女に話しかけた。

 

 『さっきのは、あんたにも聞いてたんだけどな。どういう手品かあの馬鹿が肩代わりしてくれたみてえだが、それでもそこそこキツい反動だったし』

 『ありがとう、私は平気だ。………援護は、出来そうか』

 『無理だな、別次元過ぎる』

 

 その言葉に、彼女は思わず息を吐く。倒れた奏程ではないにせよ、無理を通した身体に絶唱の反動は堪えたらしく、翼のギアはスペックそのものが落ち込み始めていた。

 だから、自分達の力を束ね切った響がどこまで行けたのか、判断がつかなかった。

 だが、まだ余力を残している―――シンフォギアの最高値と言うべき性能を維持しているクリスにさえそうなら、彼女はもう、彼と同じ場所まで辿り着けたのだろうと、確信できる。

 

 (翔びなさい、何もかもを置き去りにして、あの人の見ている世界にまで)

 

 そう、翼は願った。そして、そこさえも振り切ればきっと、彼はまた、走り出してくれるのだと信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歌う、歌う、喉を震わせ、微塵の媒介もない空へ、光よりも速い音を響かせる。

 この胸の歌は、決して絶やせぬ想いは、彼に伝わっているのだろうか。

 

 シンフォギアという武装を支えるのは肉体ではなく精神だ。だからそんな思考は、彼女にとって余分でもなんでもなくて、むしろ何より必要なものだった。

 殆ど心を決めてしまった彼を思い留まらせて、自分を押し通すことは、結局力じゃ叶わない。ありったけの心でぶつからなければ、ゼロを動かすことはできやしない。

 

 

 バキ、ガキ、ゴキ、およそ人体が奏でられるようなものではない異音が、響の中で反響する。いい加減に慣れた身体構造の編集、文字通りの肉体改造を自らに施し、彼女は成果である極大出力の拳を叩き込んだ。

 裁き切れずに体勢を崩すゼロに、容赦なく追撃を加える。なりふりかまっていられない。

 圧縮され過ぎて固形化するんじゃ無いかとまで思うほどに満ちていたフォニックゲインが、まるで排水口に吸い込まれるかのように消費されているのだ。このままではあっという間にガス欠になる。

 刹那の間でもいい、一発を打ち込める隙を捻り出さなければ。

 

 そしてゼロも、長引かせるつもりは無かった。ここまで来て無意味な引き伸ばしを行う気など毛頭ない。ただ、手を抜くという選択肢がなかったというだけで、粘っていたわけではないのだ。

 それに、単純に彼は、響の猛攻に圧倒されていた。受け止める度に、防御に使った箇所が拉げて悲鳴をあげる。再生もとっくに追いつかなくなっていた

 

 押し込んだ末に、間近に接近した響が最後に放ったのは、頭突き。技巧もなにもないその一撃は、しかし連撃の対応に圧殺されかけていたゼロの防御を掻い潜り、まともに打ち据えた。

 直後、突き出された腕が首根っこを掴み上げ、そのまま上空へと放り投げる。勢いを殺しきれず、彼は球の頂上への接地を余儀なくされた。

 反対に、地に足をつけた響が、目で合図を示すように、ゼロを見据える。次が最後だと直感した彼は、障壁の区切る範囲を僅かに狭め、端に避難していた翼達三人を外へと逃した。

 

 

 向後の憂いを絶った響が、笑みを浮かべ、力を溜め込むように身を沈めた。途端、彼女が足を付けていた黄金の大地と、空間を埋め尽くすフォニックゲインが、残らず消失する。彼女がその身に取り込んだのだ。

 

 宇宙の輝き、地の煌めき。電子と闇の雷電。輪を描く、極みの光。

 橙の撃槍、蒼の絶刀、赤の魔弓。それら全てが紡ぐエネルギーが、虹色の光の渦となって響を包む。

 集結させたものの最低限を体の補強に、残り九割以上を、右手に同化させる。

 

 

 『終わらせない、逃げ出さない』

 

 

 彼が諦めようとしているものは、他ならぬ彼が受け継いだもの。志しを同じくした、肩を並べて闘った、今はもういない誰かから貰った、かけがえのないもののはずだ。

 そんな結末は認められない。彼のため、以上に、私が、立花響が嫌なんだ。

 彼はこの一連の行為を、自分のわがままだと断じた。だから私も、高尚な考えではなく、同レベルのわがままで自分のやりたいことを貫き通す。

 

 

 ―――ゼロさん、それはあなたこそが、握りしめていなきゃいけないものなんです!

 

 

 『この想い、君に、届けぇ――――――――っ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――負けたな

 

 

 最初に拳を打ち合わせた瞬間、原形を失った腕を見て、彼はそう悟った。心技体は、三つ揃ってこそ力を発揮する。一つ欠けた彼が、それでも少女達をあしらえた要因である体の優劣、それを完全にひっくり返された。

 分かりきっていたことだ。やっと突きつけられたこの結末を、ゼロは初めから確信していた。

 ただ、彼の性分が諦めるという選択肢を選べるはずもなく、少し足掻こうとしてしまったというだけの話。

 けれど、それもここまで。彼女の猛攻を前に、押し負けた。決着の―――敗北のときはもうすぐそこだ。

 

 『行くぞ、立花響』

 

 叫んだ彼女を見下ろし、ウルトラマンゼロは、全霊で応えることを選んだ。無論、出し惜しみなんて無粋な真似は、元よりしようとも思っていない。

 ただ、本当に掛け値なしの全力、限界超えて、相手をしようと、そう判断したのだ。

 ぐっ、と左の拳を固く硬く握りしめ、引き絞る。そうして彼もまた、魂までも震わせるほどに、叫ぶ。

 

 『ゼロォ――――――――――――ッ!!』

 

 宙にて示すは己の名。一度は追いやった神の力を、無理矢理にでもふんだくらんという気概で、ゼロは自分の奥底に働きかける。

 

 そして、拍子抜けるような容易さで、あっさりとその力は引き出された。

 地球人のそれと何ら変わりなかった彼の左腕が、メタリックな銀色の表皮に覆われる。青、赤のラインが順に走り、それさえ通り越して黄金の輝きを纏い、さらに上書かれる。

 最終的に彼の腕を彩っていたのは、薄めもせずにチューブから出したまま塗りたくられた画材のような、原液じみた深い青色だった。

 その明度の落ち込んだ空のような色こそが、神である彼の本質なのだろう。何の抵抗も無く、一滴も残らず絞り出されたその神性に、彼は納得の表情を浮かべ、気付きを漏らした。

 

 『なんだ、お前、消えたかったのか』

 

 そうして彼は、共感と、憐憫と、僅かの憧憬を腕に宿った意志に抱き、立花響を迎え撃った。

 

 

 

 

 

 激突。排出された余剰分のエネルギーが、球場の障壁で区切られた空間をはちきらんばかりに溢れかえった。灯りを失いつつある空に虹がかかるように、混ざり合い、喰らい合う二つの光が、薄紫の障壁に亀裂を走らせる。

 

 『はあぁあああああああああああああああああっっ!!』

 『へあぁあああああああああああああああああっっ!!』

 

 命そのものを燃やし尽くすような咆哮とともに、握った手を突き合わせる。ゼロは自らの一部だったものが剥離していく喪失感と激痛に、響はまるで惑星(ほし)を相手にしているかのような重圧に、耐え続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何一つ目で追えていなかった、今は傍観することしかできない人間達が、前触れ無く打ち上がった花火にするように、視界を満たす光から瞳を庇う。

 見守る彼女らは、例え力を持たずとも、戦を知らずとも、これが最後だと理解した。

 だから、ひとり残らず祈った。神を穿たんとする少女の勝利を。少女がそれを願っていたから。そして、彼もまた、それを願っていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メキリ、と。均衡は唐突に崩れ去る。永遠にも思えた拮抗は、しかし十秒足らずの出来事だった。

 体内に響き渡った破砕音に、ゼロは終わりの到来を見留める。激流に晒される砂利のように、翻弄されながら形を失っていく深青色。それに構わず、彼はすでに壊れた左の手を無理矢理に押し込んでいく。

 最早虹の光に抗う力を残していないその腕は、容易く呑まれ、微細な破片へと分解される。自傷じみた攻勢に出たゼロに、しかし響が動揺することはない。

 そこに伴う意志に寄り添い、彼女が一層の力を拳に込める。触れる端から融け消えていく彼の左腕は、鏝に押し付けられた半田のようだった。

 

 重なる。幾つもの腕が、自分のそれに重なっていくの光景を、響は幻視した。恩人の下した決断に、異を唱えるために、きっと初めて見たのだろう、彼の弱さに引導を渡すために、己に助力してくれる者たちの存在を、全身で感じた。

 

 ―――多分、彼にも見えている。

 

 そう、響は信じた。だってそうでもなければ、左腕と、それ以上に大切な何かを砕かれているゼロが、こんなにも穏やかに、嬉しそうに笑うはずがないのだから。

 思わず、といった様子で、彼が何事か呟いた。真空の中でそれは響かず、しかし伝わったかのように、響と、十人分の幻影が奮い立つ。

 彼ら彼女らは口々に、ゼロへの激励を、全く同じ言葉で紡いだ。同時、肘の先から彼の腕を消失させた一撃が、勢いを落としながらも輝きを強め、胸の中心、心の在処へと突き立った。

 

 高く、高く、己以外の何者も追いつけないソラへと、いずれ翔び立っていく彼に、見送る者が捧ぐ歌。

 

 強く、強く、誰一人並び立つことのできない域にまで至ってしまう彼が、自分の心を置き忘れないように、揺るぎないように、かつて繋いだ者達が願う歌。

 

 

 それが、それこそが、この一撃。即ち―――。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ULTRA FLY―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜空に、虹の柱が立ち上った。薄紫の障壁はついに砕け散り、抑えきれなかった余波が強風となって吹きすさぶ。

 

 「綺麗…………」

 

 呆然と、聳える異様に魂さえも奪われたかのような仕草で、未来がそう呟く。大気の層をぶち破り、宇宙まで届いただろうその光は、彼女の最愛の勝利の証明に他ならない。

 恐らく世界中で観測されるこの超常現象の説明、もとい言い訳に頭を悩ませなければならない二課の面々も、今は光塔の美しさに魅入っていた。

 

 やがて、虹の光は薄れて消えて、一人また一人と、我に返っていく。幻想的なまでのあの光は目に焼き付いて離れずとも、それ以上に優先すべきことがあるのだから。

 

 「響!!」

 

 瞬く星に紛れ、空から力無く、二つの影が落ちてくる。満身創痍であることは分かりきっている。ギアの展開を維持できている可能性の方が低いことを考えれば、あの高度からの落下は致命傷になり得る。

 

 「あたしに任せろ」

 

 言って、クリスが地を蹴った。重力の軛から解き放たれた彼女の体はそのまま浮かび、自在に宙をかける。大地に引かれる二人の片割れを、クリスはしっかりと受け止めた。

 

 「ありがと、クリスちゃん」

 「………気にすんな。……ってお前、その血どうした!?」

 

 真っ直ぐな感謝に、ぶっきらぼうに返そうとしたクリスが、驚愕に目を見開く。いつの間にか着ていた響の制服、その右袖がおびただしい量の血を吸い、真っ赤に染まっていたからだ。

 

 彼女が答えるより早く、少し離れた場所で大きめの破壊音が響いた。ゼロが落下したのだ。

 クレーター、というほどではないが、若干以上に凹んだ地面に横たわる彼の前には、すでに物々しく腕を組んだ幻十郎が辿り着いていた。

 ゼロの姿は、惨状としか言いようが無かった。半ばから吹き飛んだ左腕、胸には心臓どころか、肺すら丸ごと吹き飛ばすほどに大きな風穴が空いていた。

 

 「立てるか?」

 

 人間ならば確実に即死だろう深手を負っている彼に、しかし幻十郎はなんの葛藤もなく、そんな言葉を投げかけた。間髪入れず、短く返答したゼロが鮮血を振りまきながら起き上がる。ふっ、と軽く息を吐くと、刻まれた傷の全てが嘘のように消えた。

 音も無く背後に回っていた緒川が、その人外っぷりに、僅かに視線を揺らがせ、すぐさま平静を取り戻す。

 

 「釈明は、あるか?」

 

 そう問うた自分の上司に、どこか晴れやかな表情で、ゼロは即答した。

 

 「ありません、司令。俺は俺の自分勝手で、あいつらを傷つけ、人の世界を危機に晒しました」

 

 潔く、といった風に、なんの弁解もなく白状した彼に、幻十郎は大きく息を吐き、厳しい視線を送る。

 

 「嘘をつくなよ、零。少なくとも、うちに喧嘩を吹っ掛けたときのお前は、お前じゃなかった」

 「それでも戦闘の続行を選んだのは俺です。司令の、二課の使命を俺は蔑ろにした、それは否定できない事実でしょう」

 

 他人行儀な態度を崩さず、箸にも棒にもかからない。顔を突き合わせているはずなのに、何故かその存在が遠く感じられた。

 手を伸ばしても、触れられないのではないか、そんな疑問が鎌首をもたげ始める。

 

 「敬語は………、もういい。ならば零、月の欠片は、どこへ行った?」

 「……偶然だよ、風鳴弦十郎。立花響が、彼女が受けた思いが、それだけ強かったというだけの話だ。俺にはなんの関係も―――」

 

 「そんなはずがあるか!!」

 

 なおもはぐらかそうとするゼロを遮り、そう声を上げたのは、端末を放り捨てた藤尭だった。

 

 「あれだけ膨大なエネルギーが拡散もせずに、都合よく月の欠片を狙い撃ち破壊するなんて、誰かの意思が介在しなければありえない。

 そして、フォニックゲイン以外の力も混じり合ったそれに指向性を持たせて制御するなんて芸当、あの娘のガングニールでは到底不可能だ。

 君以外の誰が、あの状況下でそんな真似ができる?」

 「…………………………」

 

 その剣幕に、ゼロが口を噤む。どれほど言葉を弄したところで、もう無駄だと悟ったのかもしれない。

 ふと、彼は横合いから感じた視線に、目を合わせた。

 

 「お、おい、無茶すんな」

 

 血を滴らせながら、のろのろと歩み寄る人影。ギアを解除したクリスに支えられる響が、精根尽き果てて尚強い光を目に宿し、ゼロを見つめていた。

 開かれた口の端から、紅い血が流れ落ちる。こほこほと、咳に幾度も声を途切れさせながら、彼女が言った。

 

 「そういうの、いいです。誰が悪いとか、責任がどうとか、難しいことは分かりませんし、いりません。私が聞きたいのは、あなたの想いです。

 ―――聞かせて下さい、あなたの憂いを」

 

 誰も、口を挟めなかった。そこにあったのは、神すら殺し尽くす戦姫ではなく、一人の少女の真っ直ぐさ。ただそれだけのものに、ままならぬ生というものに揉まれてきた大人達が、気圧されていた。

 

 「…………色んなものを、貰ったんだ」

 

 広がった沈黙を割り、ゼロが口を開いた。穏やかな、月のそれにも思える光を帯びた瞳が、濡れた輝きを放つ。響はただ黙して答えず、他の者もそれに倣う。

 

 「それは掛け替えの無いもので、俺を大きく成長させた。何度も何度も俺を助けてくれた。そういうものを背負って、俺はここまで歩いてきた」

 

 装者は、彼の旅路を知っている。響が垣間見た想いが、彼女達の間で共有されているから。

 

 「けれどそれが、あなたの歩みを止まらせた」

 

 彼は、認めたくなかったのだろう。どこか冗長に、引き伸ばすように、本当にらしくなく語るゼロを、響が促す。無意識だったらしい彼は、諦め混じりに自嘲して、口を開く。

 

 「そうだ、俺は貰いすぎた。あまりにも短い間に、まだ未熟だった肉体に、多くのものを注がれた。

 ―――それこそきっと、二万年、早かったんだ」

 

 違和感に気づいたのは、もう随分と昔の話だ。あらゆる機能が異常なまでに拡張していた。念入りに防音を施した部屋で、その場所から遠く離れた場所にいたゼロが、己の自我は長くは保たないと、ヒカリが話すのを聞き取れてしまうぐらいに。

 受け継いだ意志を背負い続けられないことを自覚して、それでも彼は揺るがなかった。人をただ見守ることを心に決めて、意志を託せる誰かを探していた。

 願わくば、自分以上の想いを持つものに。自分が消えたとしても大丈夫だと、そう確信できるような誰かに、彼は積み重ねた全てを渡したかった。

 

 「だから、立花響。

―――俺のこの想い、継いでくれるか?」

 

 ただ、彼は失念していた。成長したが故に、若き頃の自分なら間違いなく気づけていたことに、気づけなかった。いや、ようやく、今さっき初めて、気がついたのだ。

 

 「―――嫌です」

 

 仮にそういう誰かを見つけたとして、その誰かが、そんな甘ったれた願いを、受け入れるはずがないということに。

 

 「…………理由を、聞いてもいいか?」

 

 分かりきっていた彼女の答えに、ゼロは拒絶されたという事実を微塵も感じさせない、穏やかな笑みで問うた。

 

 「だって、悲しいじゃないですか。どんなに苦しくても、叶えようと伸ばした手の先に、あなたがいないなんて。

 私、びっくりしたんです。振り返ってみると、零さん話したことって、数えられるくらいだったことに気づいて。それだけの触れ合いの中で、計り知れない程、導きも、決意も、やり方も、ほんっとうに、いっぱい、与えられました」

 

 そして、繋がっていたのだ。ほんのちょっと前まで、心の深いところを、ぶつけ合っていたのだ。彼の何もかもを知った響が、そんな結末を受け入れられるはずもない。

 

 「だから、絶対に嫌です。これは私のわがままだけど、曲げません。あなたには、いつまでも、前を向いていて欲しい」

 

 無茶を言っている自覚はあった。ウルトラマンゼロという、すでに完成されていたはずの存在が、諦めてしまうようなことなのだ。自我の消滅、それを免れるのがいかに絶望的かなど、彼女にはわからない。

 しかし、一つだけ、確かに言えることがある。あれだけの戦いを乗り越えて、大団円だと示すようにあっけらかんと笑う、立花響にしか言えない言葉がある。

 

 「―――可能性にゼロはない。

 バカな私でも知っていることです。たとえ皆無に見えたとしても、無限のゼロを積み重ねた先にはきっと、確かな一が、あるはずです」

 

 あなたはそれを、つかみ取れる人だ。そう続けた彼女に、ゼロは堪えきれない感情を溢れ出させたかのように、声を上げて笑った。

 そのままひとしきり笑って、彼が穏やかな表情を崩さない響に向き直る。

 

 「その数、一じゃなくて、七がいいな。それならきっと、届く気がする。違うか、何としてでも届かせたい」

 「七………、何でですか?」

 「大きい方がいいだろ? どうせ見えやしねえんだし、好きな数字の方がいいじゃねえか」

 「だったら九じゃないですか」

 「それじゃあ縁起悪いだろ」

 「感性古っ!? そういや零さんってスーパーウルトラお爺さんでしたね」

 「だーれが爺さんだ! 俺はまだまだ若いっつの、精々がお前らより一回り上くらいだ」

 

 ガラリと、空気が変わったのを、誰もが感じた。問答が終わって、響は納得し、ゼロは覚悟を決めたのだ。

 見る影もないほど弛緩した雰囲気に、だからこそ余人が割り込む隙間が生まれる。

 

 「響君………、いや、装者―――立花響」

 「はい」

 

 じゃれ合いのようなやり取りに興じていた響に声をかけたのは、幻十郎だった。すぅっと笑みを消し、代わりに毅然とした表情を浮かべた彼女が、短く答える。

 

 「零の処遇は、君に、君達に任せる。ただ一枚、かろうじて噛ませたとはいえそれだけだ。蚊帳の外だった俺たちに、その権利はない」

 

 司令の言葉を受けた少女が、仲間たちへと、順々に視線を移す。空の色をした一対の羽翼は、晴れやかに笑って頷き、横で自分を支える少女は、一人で立てるかと問うてきた。

 響が首を縦に振ると、彼女から手を離したクリスは、ゼロの元へと歩み寄る。一歩、二歩、ずんずんと、大地を蹴り下ろすかのような足取りからは、抑えられなかった、苛立ちが滲んでいた。

 

 「ふっざけんな!!」

 

 頭一つ分、上にある青年の美貌を、下から睨めつけながら、彼女は叫んだ。その怒気を、誰も突飛なものだとは思わなかったし、故に驚きもしなかった。

 二課で二年、同じ志のもとに戦い続けた者とは違う。目指すものが似通っていたがための、共感を覚えていた者とも違う。

 よく知りもしない因縁に巻き込まれて、傷ついたのが彼女だ。心も体も擦り減らして、ウルトラマンゼロという規格外と殴り合わされるなんて、御免被りたいと思うのは当然である。

 

 「おまえ、最初に会ったとき、言ったこと覚えてるよな?」

 

 でも、違った。

 雪音クリスはそんなことに憤っていたわけではない。確かにそれも腹立たしかったが、すでに発散済み。

 彼女が許せなかったのは、もっと、別のことだ。

 

 「守るべきものがあるからって、そう言った。なのに! なんで諦めてんだよ!! そんな、そんな半端な心根で、あたしに言い切りやがったのか!?」

 

 未熟さを欠片も感じさせない、紛うことなき大人の口から放たれた、ガキみたいな理想論を、彼女は困惑とともに胸に刻み込んでいた。

 だからキレた。諦めていながら、その内心を押し隠し、自分の前に立ったことを、看過できなかった。

 少し理不尽にも思えるかもしれないが、もしクリスが怒っていなければ、この場はなあなあに終わってしまっていただろう。

 装者は皆お人好しだ。それはもちろんクリスも例外ではないけれど、他の三人が身内であるために、この役割は自然と彼女が担うことになる。

 

 「…………悪かった」

 「ああ、だからこんなのは、あたしが最初で最後にしろ」

 

 ウルトラマンは、希望の光だ。見る人に、立ち上がり前へ進む力を与える者だ。そういうあり方を感じ取っていた彼女は、俯きながら、そう呟いた。

 クリスは彼の言葉に、どういう方向性であれ、心を動かされていたのだ。故に裏切られたと、そう感じたのだろう。

 

 「それと、もう一つ。聞かなきゃいけないことがある」

 

 浮かんでいた弱々しさを振り払い、真剣極まりない表情で、クリスが視線をゼロに上向けた。

 

 「フィーネを、殺したのか?」

 

 空気が、硬質な冷たさを宿す。そして直後、陽の光が差したかのように、暖かく和らいだ。

 その問の答えが、間違いようもなく否だと信じている、立花響という少女が、この場所にはいたから。

 

 「いや、生きている。あいつはもう、人の魂を塗りつぶすなんて真似も、しないはずだ」

 

 なんとなく、なにかのやり取りあったのだと言うことを、その語り口から、クリスは理解した。

 

 「そっか、なら―――」

 

 言って、彼女は拳を繰り出した。近接戦が不得手な彼女のそれは、とても不格好で、腰も入っていない。砕けた言葉で言うのなら、へなちょこな一撃であった。

 しかしゼロは、躱せると、一瞬のうちに判断を下した本能を嘲るように、微動だにせずそれを受けた。

 ぺち、という腑抜けた音が、廃墟を通り越して更地になったリディアンを駆け抜ける。それに、奏が目を見開いて、涙を一筋こぼした。

 

 「このくらいで、勘弁しといてやる」

 

 装者たち最後の、言質が取られた。これにて、戦闘終了。月の欠片の落下という星の危機すら、霞ませる異次元の激闘は、小さな女の子の、優しい拳で幕を閉じた。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「零さん、結局あのときの、あなたではない誰かは、何がしたかったんですか?」

 

 数日後。二課への敵対行動を不問に付されたゼロは、二課に復帰していた。迷いなく許しを告げる二課の面々を目にした彼は、嬉しそうな呆れ顔を浮かべ、彼らの甘さを受け入れたのだ。

 そして、機能停止に陥った本部の代わりに設置された臨時の施設で、彼は装者と語らっていた。

 

 

 「ああ、あいつは消えたかったんだよ」

 「消える……?」

 

 予想だにしなかった答えに、響が困惑の声を漏らす。思い出すのは、自分に向けられた容赦のない攻撃の数々と、重く冷たく、何より薄い鋭利な圧迫感。あの様から類推できる思惑と、本来の目的が一致しない。

 

 「あいつは俺だ。俺の一部だ。だから、神に成って、使命を忘却するという運命を認められなかった。どうにも思考が極端過ぎる気もするが、本当にただ、あいつは消えたかっただけなんだ。

 その願いを叶えるのに、神殺しの力はあまりにも都合がよかった。きっと、お前が最初にデュランダルを起動させたときには、目を付けていたんだろうな」

 

 だから、待っていたのだ。己を完膚なきまでに殺し得る力を、響がぶつけてくるのを。そのためだけに、彼はゼロの体を乗っ取り、装者を追い詰めた。

 たとえその過程で彼女たちの心と肉体を傷つけるのだとしても、彼は、止まれなかった。

 

 「え、それじゃあもしかして、私は―――」

 「気にしなくていい。あれが生まれたのは、俺が心を一つに定められなかったからだ。お前が俺に前を向かせて、あれを鎮めた。彼は俺というあるべき場所に帰れたんだ、お前のおかげでな」

 

 それは何も、彼女を安心させるための方便ではない。割れてしまった自分が、再び一つになったのを、彼は自覚していた。

 神になる己と、本当の意味で向き合えた彼はもう、分かれることはない。

 

 「そう、ですか」

 「ああ、そうだ。お前の手は、確かに俺と彼を繋いだ。俯かなくていい、寧ろ胸を張れ」

 

 命を奪ってしまったのか、と、気に病むのは筋違いだと言ったゼロに、響は安堵の笑みを浮かべて息を吐いた。

 そんな彼女の様子を見て、やるべきを事を終えたのだと判断したゼロが、席を立つ。

 

 「どこへ?」

 「司令のとこだよ。辞表出してくる」

 

 尋ねた翼に、彼は旅立ちの意思を告げた。目を伏せた彼女の想いを代弁するように、奏が口を開く。

 

 「行っちゃうんだな………」

 「ああ、ノイズの調査、それが目的だったからな。帰ってやることが増えた、あまり長居するわけにも行かねえ」

 

 心のなかで渦巻く感情に、適切な言葉を見いだせなかったクリスは、結局無理には声をかけようとはせず。

 

 「あ、ゼロさん」

 

 立花響は、思い出したかのように、最後の言葉を紡いだ。

 

 「あの娘のこと、お願いしますね」

 「任された。ま、案外狭い宇宙だ、いつかまた会う日が、きっと来る」

 

 別れを感じさせない、あっさりとしたやり取り。ゼロの言うその日まで、笑顔のさよならを、彼女は送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『あれで、よかったんですか?』

 『いいんだよ。長々話しても、別れが楽になることはない。逆に辛くなるもんだ。

 お前こそ、いいのか? 俺についてきて』

 

 地球を脱した彼に問を投げかける者、その正体は、立花響の中に潜んでいたガングニールの意思だった。ゼロとの戦いで完全に覚醒した、もう一人の立花響とも呼ぶべき存在である彼女は、何故かゼロの中にその意識を移していた。

 

 『ええ、戻る必要はないですから。元々彼女には不要なものですし、何より、託されましたから』

 

 最後の打ち合いのとき、ゼロは立花響の肉体を人間のものに戻した。彼女と融合していたガングニールを一時的に取り込むという形で分離して。

 

 『あのとき、言われたんですよ。あなたが歩み切った足跡を、きっと多くの人が辿るはずだろう、と。だから私には、その人たちが迷わぬように、あなたが振り返ったとき、いつでも自らの軌跡を思い出せるように、導と咲く花になって欲しいと。だから私は、あなたに憑いて、ここにいます。

 神殺しならぬ神憑き。それが私と立花響の願いであり、今の私のあり方。迷惑ですか?』

 『いや、ありがたい。旅は道連れ、世は情けってな。永遠か、それよりも長い旅路だ、迷惑かけると思うが、よろしくな』

 

 己のうちから響く声に、姿は伴っていない。けれど彼は、天真爛漫に笑うかの少女の姿を、幻視していた。

 

 『はい、その手、掴んでいましょう。いつまでも』

 

 ここに、ウルトラマンゼロは同行者を得た。宇宙の終わりも幕引きとはならぬ、果てのないその行路に、けれど、確かな軌跡を刻み残す、少女の形をした神槍は、付き従うのだろう。

 始まりですらないこの物語にも、しかし一つの区切りをつけよう。何もかもを押し流す時間の波、その上流にありながら、微塵も欠けることなく聳え立つ、巌のような彼女たちの記憶は、この先も、ずっと残り続けるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 





 以下、独自設定の解説となります。












 ウルトラマンゼロ ターミナルスタイル

 本小説の根底にある設定であり、ゼロさんの最終形態。劇場版がメインかつ客演の回数が多いゆえにパワーアップの機会も多いゼロさんですが、それに対する勝手な考察(と言う名の妄想)の果てに生まれたのがこれです。
 サーガ、ノアなどチートラマンとの関わりが深く、キング(プラズマスパークによって進化した。その前から超人疑惑あるけども)やレジェンドの要素も併せ持つゼロさんですが、果たしてただのウルトラマンで収まる存在でいられるのか? まあ無理だろう、と。
 スペックはシャイニングとウルティメイトとビヨンドを重ねがけした状態がデフォルトだと思ってくれれば大丈夫です。+じゃなくて×ですね。見た目に変化は殆ど無いですが、体色が若干濃くなっています。
 特性はその成長性。メフィラス星人に宇宙最強と太鼓判を押された彼の肉体が、ここ百年足らずの間に貰った力に相応しくなるように勝手に進化した結果、今までのペースがふつうの状態になってしまった。
 早い話、初期から現在の状態までの成長を百年スパンで繰り返してるわけです。そしてそれが来るとこまで来てしまい、本編のような自我の消失という問題が発生したわけですね。
 ウルトラマンの範疇を超える一歩手前で踏みとどまっているのが現状であり、戻る手段はありません。そして超えてしまったとき、彼の精神が力の増大に耐えきれずに消失します。
 これには私の持論が入ってしまうのですが、こういう異常な変化に耐えるとき、精神自体の強度も大事ですが、それ以上に物を言うのが年季だと思うのです。
 経験の積み重ねが、異常事態のショックを緩和する。つまり慣れですね。あと5万年猶予があれば、ゼロさんが進化するのにはなんの問題もなかった(という死に設定)。
 それを知らされずとも理解してしまったゼロさんは、色々考えて、諦めともとれる決断をしたということです。単純に死ぬだけとかならよかったんですけど(良くはないけど)、この場合後始末が面倒ですからね。
 なんというか、現在の完成してしまったゼロさんを主軸にした話は作れない気がして、でも今更迷うゼロさん書くのもどうかなぁ、と思っていた私の、苦肉の策でもあります。
 なんやかんや根本の問題が解決してないのに希望があるっぽい終わり方になったこの話ですが、不可能を可能にするのがウルトラマンなので。ゼロさんなら大丈夫だと、作者である私が信じていればそれでいいかなと。

 立花響 ウルティメイトエクスドライブ(フュージョニックver)
 
 身体の中身を粉砕され、血肉と肥大化したガングニールの破片が完全に混じり合い、その状態で再生したために変化した姿。ガングニールの欠片が、響の身体で補われ、完全聖遺物に近い状態となっており、神殺しの力にもブーストがかかっている。
 他三人は普通に強化されてるだけですが、彼女は人間辞めちゃったので頭一つ抜けてます。生きた完全聖遺物(ロンギヌスと混じったが故に原典超え)由来のスペックで、人間体な上イージス破壊されているとはいえ、本作のバグ戦闘能力を有するゼロさんを凌駕しています。
 最後のフォニックゲインを全て吸収した状態では圧倒しました。

 そもそもが自己満足の独自設定から始まり、更に私の独善的な終わりを迎えた本作ですが、こんなお話を面白いと思って、ここまで読んでくれた皆様には感謝しかありません。
 長い間お付き合いくださり、本当にありがとうございました。

 活動報告に小ネタとか裏話をまとめて投稿しておくので、よければそちらも読んで下さい。それでは。
 


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