サクラ大戦2外伝~ゆめまぼろしのごとくなり2~ (ヤットキ 夕一)
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第1話 夢のつづき……
─1─


 ──それは賢人会議でのことだった。

 日本の帝国華撃団が大規模な霊障に立ち向かい、それを鎮めるという戦果をあげたことで、華撃団構想が一躍、世界的にも注目を浴びたのは自然の流れだった。
 それに対して密かに協力してきた者として、鼻が高かった。
 それゆえ──私は期待してしまったのだ。
 欧州華撃団構想の中心都市を決める際の会議で、もちろん帝国華撃団が協力してくれるものだと。
 だが──


「──我が帝国華撃団は、フランスの巴里を推薦します」


 20歳前後の日本の若者がそう言うのを、信じられない思いで聞いていた。
 欧州で行われたその会議での発言に、愕然とさせられた。

「理由としては、これから数年の間に大規模な霊障が巴里で起こるのを、我々の霊能部隊・夢組が予知しているからです」

 ──霊能、部隊?
 聞き慣れない言葉だが、知識として知っている。帝国華撃団には予知のような霊能力を駆使してサポートを行う部隊があると。
 大規模霊障対策の実績があり、それに活躍していた霊能部隊の予知は、会議の中で説得力を持つのは間違いがなかった。

「また、この春に巴里市内の教会にある聖母像が次々と血を流す怪現象が認められたと聞き及んでいますが、それを裏付けると思われます。巴里での大規模霊障対策は急務といえるでしょう」

 そう締めくくって彼は席に座った。
 その瞬間、私は確信した。巴里で決まり、だと。いや、私以外の大多数の者がそう思っただろう。なにしろ巴里よりも自国の都市を強く推挙していた私自身でさえそう思ってしまったのだから。


 そして──会議では賛成多数で、欧州華撃団構想の中心となる都市は巴里へと決まった。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 投票結果の後──会議が終了してもなお、私はしばらく呆然として立ち上がることができないでいた。
 すると──

「ムッシュ、待ってください!」

 フランスの代表団であろう男が、歩いて会場から去ろうとする男を捕まえているのが、視界の隅に映った。
 あれはたしか──日本の帝国華撃団の関係者。あのとき発言した若い東洋人だった。
 男が呼び止めている間に、その上司らしき女性が彼に向かって手を差し出す。

「メルシー、ムッシュ。あなたのおかげで巴里が選ばれたよ」
「よしてください、ライラック伯爵夫人。僕は自分の立場で言わなければいけないことを言っただけですから」

 握手をしつつ若い東洋人は、あいている方の手で頬を掻いて苦笑を浮かべていた。
 彼こそ──私の望みを打ち砕いた男だ。
 そう私は胸に刻み込んだ。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 その男は人知れず睨んでいた。
 彼の視線に気づくことなく、睨まれていた若い東洋人は、そこへやってき彼よりも歳が上な東洋人からも感謝されていた。

武相(むそう)隊長、わざわざ御足労いただいて、すまなかったね」
「気にしないでください、迫水大使。僕もたまたま欧州(こっち)に用事もありましたし……」
「私用中だったのかい? これは本当に申し訳ない」

 迫水大使と呼ばれた男が頭を下げる。その名前は日本のフランス大使と記憶していた。
 その横を通り抜け、会場の流れに逆らうように外から室内に入ってきた東洋人の少女が、迫水と話していた若い男の腕に掴まる。
 そのときは嬉しそうな顔でいたが、それから不満そうな顔になって彼女は迫水を見る。

「そうですよ。もう……せっかくの新婚旅行(ハネムーン)なのに」
「おや、それは無粋なことをしてしまった。そうとは知らずに……」

 少し驚いた様子の迫水。
 対する若い男はため息をついて自分の腕に掴まっている娘をたしなめた。

「かずら……そうやって、外堀から埋めようとするの、やめようね」
「ごめんなさい、梅里さん」

 悪びれずに、チロっと舌を出してイタズラっぽく笑う彼女に、彼──梅里と呼ばれた男は苦笑を浮かべる。

「ムッシュ、こちらは?」
「ああ、申し訳ありません、夫人。こちらは帝国華撃団夢組の伊吹かずらです」
「はじめまして。武相かずらです、夫人」
「……だから、そ・れ・ね!?」

 かずらを正面から見つめつつ、その頬を軽くつねる梅里。
 それまで悪戯っぽく笑みを浮かべていたかずらだったが、さすがにそれには涙目になる。

うめふぁとふぁん(梅里さん)ふぃふぁふぃふぇす(痛いです)

 そうして彼女の暴走を止めてから梅里は迫水とライラック伯爵夫人に再び視線を戻す。

「というわけです、夫人、大使。違いますから御安心を。彼女のコンクール出場の付き添いで来た、というのもありますけど……主たる目的は今回の会議ですよ、あくまで」
「あ~ん、梅里さんのいけず~」

 年下の娘がじゃれつくのをあしらう梅里。

「おや、ということは──なるほどねぇ、どのコンクールに出るのか、だいたい分かったけど……日本代表、というわけかい?」
「え? あ、はい。そうです」

 伯爵夫人に尋ねられて、かずらは思わず居住まいを正して頷いた。

「それじゃあがんばりなさいな。でも、観光気分で浮かれているようじゃ、どうだろうねぇ。そんな調子だと簡単に返り討ちに遭うから、せいぜい気をつけることだね」
「わ、わかりました……」

 かずらが神妙になるのを微笑むように見つめて梅里だったが、その顔を真剣なものへと変えて迫水大使の顔を見る。

「……ティーラからあの話を聞けば、我々帝国華撃団も動かないわけにはいきません」
「ふむ。こちら──いや、フランスとしては助かる話だったが、大丈夫かね。ライバル国はおもしろくはないだろう」

 迫水がチラッと視線を向ける。
 案の定、その国の代表は日本の代表団の方へ厳しい目を向けていた。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


武相(むそう)……梅里(うめさと)……」

 その西洋人は、恨みがましい目で元凶となった男の名をつぶやいていた。
 この会議の決定を受けて、この年──1924年(日本でいうところの太正13年)に、フランスで巴里華撃団が正式に設立されることとなる。



 偕楽園──茨城県は水戸市にある日本庭園であるそれは、江戸時代の終盤に当時の水戸藩主、水戸徳川家九代藩主である烈公こと徳川斉昭(なりあき)が、藩内の千波湖(せんばこ)の近くに、藩校である弘道館(こうどうかん)と共に設立したものである。

 領民と(とも)(たの)しむ、ことを名前の由来とするこの庭園の広さは300ヘクタールに及び、なによりも特徴的なのはその庭園に多数の梅が植えられていることだ。

 ちなみに、新政府から公園地の指定を受けた際に「常盤公園」とされており、太正14年現在の正式名称はそちらなのだが……水戸市民は偕楽園と開園時の名前に親しみ、呼んでいる者も多く、それは特に旧士族──元水戸藩士の家系では顕著だった。

 そんな水戸藩士の家系で育った彼──武相(むそう) 梅里(うめさと)にとっても、やはりそこは「常磐公園」ではなく「偕楽園」なのである。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな「偕楽園」の多数ある梅並木の一角に、梅里は立っていた。

 他と変わりないように見える梅の木だが、その木は梅里にとって特別な一本だった。

 あの夜──三年前、昼間の今とは違う月明かりの下、同じように花を付けたこの木の根本で、彼女は息を引き取った。

 周りの目があるのであからさまに手を合わせるわけにはいかなかったが、目を閉じて祈り、報告する。

 

(鶯歌……久しぶり)

 

 前に話をしたのは息を引き取る直前の三年前……ではない。約一年前の戦いで梅里が命を落としかけたとき、その生死をさまよっている間に、彼女と会話をした。幻や夢のようなものかもしれないが、少なくともあのときの感覚は実際に会ったというリアルさを持っていた

 だから、少なくとも梅里の中では一年ぶり、ということになる。その後に彼女の一周忌の埋め合わせでこの地を訪れた、という意味でもやはり一年ぶりだ。

 

(この一年も、あっという間だったよ。戦いこそ無かったものの、忙しく動き回って……そうそう、海外にも行ってきたよ)

 

 欧州まで行ったのも昨年だった。ちょうど、かずらが国際的なコンクールに参加するから、と同じ時期に欧州で行われた賢人機関が中心となった会合に出席し、梅里は帝国華撃団の代表として、また予知を司っている夢組の隊長として参考意見を述べてきた。

 その際に行った欧州の光景──といっても日程に余りに余裕がなかったので開催された巴里くらいしか見ていないのだが──を思い浮かべる。

 

(ちょっと慌ただしかったから、凱旋門くらいしか見られなかったんだけどね)

 

 思わず苦笑を浮かべる。

 というのも、コンクールに向かうかずらと共に船旅で欧州へ……と少なくともかずらは考えていたようなのだが──

 

「片道一ヶ月以上、夢組の隊長ともあろう人が、そんなに長期間にわたって帝都を、なによりも主任が食堂を留守にしたら困るでしょ」

 

 ──そんな食堂副主任の主張により、シベリア鉄道による約20日間の鉄道旅となったのである。

 で、会議とかずらのコンクールを見たら、「早く帰ってきなさい」という食堂副主任のプレッシャーに負けて、そそくさと帰国することになり、欧州の観光──いや、視察をろくに行うこともできずに帰ってきたのである。

 それが終わった頃にはすでに夏も終わりつつあり──去年手伝った下町の神社の祭りを手伝うことになったり、劇場の公演があったり、その間も食堂は変わらず営業し続け──気がつけば一年経っていた、というありさまだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 帝国華撃団。

 

 陸軍対降魔部隊を前身とする、降魔の迎撃等の大規模霊障対策を主任務とする部隊。

 しかし逆に言えば、大規模な霊障が起こらなければ基本的には暇──でもある。

 ただし、その中で霊能部隊である夢組は、除霊に代表される霊子甲冑を必要としない小規模の霊障から、怪奇現象の調査、その原因となるものの封印、過去に施された封印の結界維持・補修、果ては帝都市民への御守りや御札への発行・販売といった任務もあり、開店休業中といった様子の他の隊とは違っていた。

 二年前に端を発し、約一年にわたる戦いの中で、その夢組の指揮を執って戦い抜き、現在も隊長の地位にある人──それが武相(むそう) 梅里(うめさと)だった。

 

 その梅里が、この場所にきたのは、幼なじみの墓参りのついで……ではあったが、なにか思うところがあって足が向いたのだ。

 

(鶯歌。また帝都になにか……悪い気配が迫っているみたいなんだ)

 

 それを、夢組の誇る予知・過去認知班は捉え、報告してきている。

 近々、また以前のような戦いが起こる、と。

 

(今度は、二年間と違って死に場所を求めている訳じゃない。帝都を守るために……また戦ってくるよ。だから、また見守ってほしい)

 

 そう言い残し、梅里は目を開く。

 ──その梅の木を背景に、幼なじみがそのポニーテールを揺らしながら「がんばってね」と言った気がした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それから、梅里は再び帝都に戻った。

 故郷への里帰りだったが、兄が実家を継ぐのが決まっているので、次男の梅里としては実家から出てしまっているような気でさえいる。

 もっとも、家族──特に母と、妹だけは梅里を実家に長くいるように言い、特に梅里の妹は梅里が水戸を経つ際には、「もう帰るの?」とかなり不満げであった。

 そんな家族に見送られた梅里は、二年前と同じように常磐線で南下し、茨城第二の街である土浦を過ぎ、県の南に位置する取手から利根川を渡り、千葉県へと至る。

 それから汽車は千葉県を抜け──帝都の上野へと到着した。

 帝都は一年前に降魔との戦いによって傷ついたのだが、さすがにこの一年でだいぶ進み、ほぼ元の様子へと戻っている。

 そんな中、彼は大帝国劇場に到着し、ホッとため息をついた。

 この一年──降魔との戦いを終えてから──いろいろと出かけたが、その最後とも言える実家のある水戸から帝都に戻り、梅里は感慨深げに帝劇の姿を見上げた。

 

 そこへ──

 

「おかえりなさいませ、梅里様」

 

 そう言って出迎えたのは塙詰(はなつめ) しのぶだった。

 丁寧に頭を下げる所作は堂に入ったもので、頭を上げた彼女は、その閉じているように見える細い目で微笑んでみせる。

 彼女は梅里と同じく帝国華撃団夢組に所属し、その二人いる副隊長の一人であり、支部である帝都の浅草にある花やしきに常駐するもう一人に対し、この銀座の帝劇本部に常駐して隊長──つまりは梅里──をサポートする役目を帯びている。

 また、普段はやはり梅里同様に大帝国劇場の食堂に勤務し、彼女は料理を運ぶ給仕係をやっている。

 そのため、帝劇の出入口で迎えた彼女の服装は給仕係のそれであり、長くのばした艶やかな髪も結い上げてアップにし、業務の邪魔にならないようにしていた。

 

「ただいま、しのぶさん」

 

 梅里はそう答えながら帝劇の中へと入る。

 入るとそこは正面に客席、二階席に繋がる階段があり、脇には売店が設置されているロビーだった。そこから奥へと進めば食堂に至る。

 そのロビーで出迎えたのは

 

「あー! しのぶさん、ズルい!!」

 

 という大きな声だった。

 それを言った彼女は梅里へと駆け寄ってくるやしのぶに詰め寄った。

 

「抜け駆けなんて卑怯ですよ、しのぶさん」

「いつも、抜け駆けを繰り返してるかずらさんがそれを言いますか……」

 

 そう言ってため息混じりに苦笑を浮かべるしのぶ。

 しのぶを苦笑させたのは、やはり夢組に所属する隊員だった。伊吹(いぶき)かずらという名前の彼女は、夢組の中では霊視等による調査を主たる任務とする調査班に所属し、その中でも上から二番目の立場にあたる副頭という地位に就いている。

 彼女がその地位にいるのは、得意とする楽器演奏に霊力を乗せ、その反響を使った調査ができるという希有な能力を持っており、その霊力の高さも評価されてのことだった。

 

「しのぶさんは食堂の営業があるはずなのに! せりさんに言いつけますよ」

「そうおっしゃるかずらさんも、練習を抜け出してきているではないですか」

 

 かずらは夢組隊員だが、普段は梅里やしのぶのように食堂で勤務しているのではなく、その演奏技術をかわれて帝劇の楽団に所属しているのだ。

 

「わ、私はいいんですよ。梅里さんを想うほどに演奏技術が向上するんですから……」

「──そんなわけないでしょ。さっき、楽団の人が探しに来たわよ」

 

 自慢げに言うかずらの後ろで、すまし顔ながらも怒っている人影が現れた。

 恐る恐る振り返るかずら。その首根っこをその人影にきっちり押さえられる。

 

「あの……離してもらえませんか、せりさん?」

「離したら、逃げるでしょ? かずら」

 

 迫力のある笑顔をニッコリと浮かべる給仕服の女性。

 肩くらいまでの髪を、後頭部で左右二つのお下げにしている彼女の名前は、白繍(しらぬい) せり。

 彼女もまた帝国華撃団夢組に所属し、普段は食堂に勤務する隊員である。

 そして夢組では調査班のトップである調査班(がしら)を務め、食堂では主任の梅里に次ぐナンバー2である副主任という地位にいる。

 

「しのぶさんも、いくら繁忙時間が過ぎたからって、勝手に抜けないでくださいよ。言ってもらえれば迎えに行くのを認めるくらいの分別は私にも……」

「……ございますか? せりさん」

 

 冷めた目で見つめるしのぶの視線に、せりは「う……」と二の句が継げなくなった。

 

「せりさんって独占欲強いですから、本当か怪しいですよね。今だって出迎えようとして食堂から抜け出してきたけど、出遅れたことに気がついて不機嫌になってるだけかもしれませんし……」

「……あなたのことを楽団の人が探しに来たのは本当よ? かずら」

 

 こめかみに青筋を浮かべつつ言うせり。

 そんなせり、かずら、それにしのぶの三人は──恋敵(ライバル)でもあった。そこにいる、一人の男──武相梅里をそれぞれが慕い、想いを寄せている。

 故に、たびたび……というかことあるごとにこうやって角をつき合わせるようなことをしているのだが、そんな三人のやりとりに、当の梅里は苦笑を浮かべていた。

 

「──あのさ、ここにせりとしのぶがいるってことは、食堂は大丈夫なの?」

「「え?」」

 

 言われた二人が思わず梅里の方を見る。

 食堂の給仕は基本的に三人体制だった。副主任で接客責任者のせりと、ヒラの給仕であるしのぶ。それともう一人、秋嶋(あきしま) 紅葉(もみじ)という髪の短い女性がいる。

 だが、彼女については帝劇にいるのが夢組の幹部──小規模霊障対策が主の除霊班の、その頭──であるということで、戦闘以外はからっきしな彼女を厨房に入れるわけにはいかないから、という消極的な理由で給仕をしているに過ぎない。

 もちろん。せりやしのぶとは比べるべくもなく仕事はできないし、基本的に戦闘以外はポンコツなのが紅葉という人だ。

 それを不安に想っての梅里の言葉だったのだが──

 

「そういえば、彼女がいらしたのは……梅里様が水戸に()たれた後でしたか」

「彼女?」

 

 しのぶの言葉に思わず問う梅里。それに答えたのはせりだった。

 

「ほら、前から言ってたじゃない。食堂の人員補強とか。その関係で二人増えたんだけど……」

 

 せりが食堂の人員補強と言ったが、正しくは『夢組内の組織改編』である。

 これは、しのぶではなくもう一人の副隊長、(たつみ) 宗次(そうじ)が先の戦いの検証を行った結果として提言したもので、簡単に言えば「本部メンバーの増員」だった。

 

「それは聞いてるけど……なるほどね。二人がそんなに信頼するほど仕事できる人が来たのなら、それは頼もしいけど……」

 

 梅里はうなずきながらも、食堂へと歩き始めた。

 すでに混雑時間は過ぎて、余裕がある時間なのは梅里も気がついている。だからこそしのぶもせりも食堂から出てきたのだろうが──紅葉と新人だけでは不安は残る。

 食堂へ至る途中、売店から椿が会釈してくるのが見えたので、それに応じつつ食堂に入った──のがよくなかった。

 

「──え?」

「──ッ!?」

 

 入るやいなや、なにかにぶつかった。

 しかもそれが、相手の驚くような顔で人だと気がついたときには──衝突していた。

 もつれ合うように転がる二人。

 そして──

 

「う……」

 

 その衝撃から立ち直った梅里が目を開く。

 すると、驚くほど近くに女性の顔があった。

 ほぼ同時に目を開いた彼女の目と合う。彼女もあまりの近さに驚いたようで、その目を丸くしていた。

 その目が青いのに気がつき──それで、彼女の髪が金髪なのに遅ればせながら気がつく。波打つようなウェーブのかかった髪が目を引く。

 また顔の中心にあるスッと高い鼻の付近にあったぞばかすもまた印象的だった。

 だんだんと周囲にも意識がまわるようになり、彼女の服装が食堂の給仕服なことに気がつく。だが、梅里の知る限り彼女のような給仕はもちろん、応援にくる夢組隊員にもそう行った姿の者は心当たりがない。

 そこまで考えたところで、梅里は首根っこを掴まれて無理矢理引っ張り上げられた。

 

「あなたねぇ……いつまでそんな体勢でいるつもり?」

 

 首根っこをつかんだせりがジト目で梅里を睨む。その横では、梅里の体を引っ張り上げるのを手伝ったかずらも不満そうに梅里を見ていた。

 

「まるで狙ったかのように上から覆い被さるような姿勢になるのは、どうかと思いますけど……」

「いや、わざとじゃないんだけど……」

「当たり前よ!!」

 

 梅里が困り顔で言うと、せりが怒って言い放つ。

 改めて立ち上がった梅里は、倒れたままの彼女に手を差しだし、謝った。

 

「ゴメン。前をよく見てなかったからぶつかってしまって……ケガはなかった?」

 

 それにカーシャと呼ばれた女性は、気を取り直して笑顔で応じる。

 

「いきなりでビックリしたけど、大丈夫よ。体も何ともないし」

 

 流暢な日本語で答えた女性は、朗らかに笑った。

 その彼女を思わず見つめる梅里。

 

(え、っと……)

 

 なにか妙に気になる笑顔。

 間違いなく初対面のはずの彼女のその笑顔に、どこか既視感(デジャビュ)を感じていた。

 




【よもやま話】
 夢組の話の、続きなので第1話をこのタイトルにしたのですが──たしか「サクラ~」の音楽のタイトルだよな、と思っていたらよりにもよって「サクラ大戦2」のEDテーマでした。
 1話目のタイトルが、元ネタゲームのEDテーマからって……ちょっと反省。

 そして序章……せっかくの欧州。それも巴里華撃団がらみなので「3」のキャラを出しました。迫水大使とライラック伯爵夫人=グラン・マです。グラン・マの本名とか、普通に忘れてたので調べました。
 そんなわけで、グラン・マは大神と会う前に梅里と会っていたことになってしまいました。

 さて──旧作の「1」に該当する「其は夢のごとし」は偕楽園から始まっていたのですが、今回はそれに倣おうと偕楽園を調べて──驚愕の事実を知ることに。
 実はこの偕楽園、1873年~1932年の間は正式名称が常盤公園でした。──ええ、サクラ大戦1~2の時代は1923年~1925年なので、もちろん「常盤公園」時代です。
 ……苦肉の策として「1932年に戻されるくらいなんだから水戸市民は偕楽園って呼んでいただろうな。ああ、サクラ大戦(というか~ゆめまぼろしのごとくなり~)の世界では水戸市民は呼んでいたことにしよう」と無茶な理論でそうなりました。明治7年ですので新政府側が決めたことでしょうから。


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─2─

 食堂でのハプニングの後、帰還の報告をしに支配人室へと向かった。

 支配人室ではこの部屋の主であり大帝国劇場の支配人にして、帝国華撃団の司令である米田(よねだ) 一基(いっき)中将が待っていた。

 梅里の報告を受けた米田は、梅里と共に入ってきていた者達を見る。

 

「──で、お前がいない間にきた新顔だ。イギリス出身で、除霊班副頭になるアカシア=トワイライトと……」

 

 米田の言葉に、先ほど梅里と食堂でぶつかった、ウェーブのかかった金髪をポニーテールにしたそばかすが印象的な給仕服姿の娘が米田の横に並んで頭を下げる。

 

「……それと、新設した予知・過去認知班の副頭、駒墨(くずみ) (ひいらぎ)だ」

 

 もう一人、梅里が見たことのない隊員が、同じように米田の横まで進んで先ほどのアカシア=トワイライトの隣に並び、頭を下げて会釈をする。

 先の彼女とは対照的に小柄な彼女は、落ち着かなさそうな挙動で、不安そうな顔をしていた。

 

「二人とも本部勤務だから食堂勤務させるつもりだが、アカシア……カーシャには給仕、柊は厨房の手伝いをさせている。副主任がそう判断したからな」

 

 米田の説明で合点がいった。だから彼女は給仕服を着て食堂にいたのだ。

 すると、その給仕服の金髪女性が笑みを浮かべて一歩踏みだすと、梅里に手を差し伸べてきた。

 昨年の欧州旅行で多少は慣れたその欧米式の挨拶に、梅里はそれに応じて握手する。

 

「夢組の隊長をしている武相 梅里です。よろしくお願いします。アカシアさん」

「よろしく、隊長さん。アタシのことはカーシャって呼んでください。みんな、そう呼んでくれてますし。それに口調ももっと普通でいいです。丁寧すぎると逆に日本語が分かりにくいから」

「わかったよ。よろしく、カーシャ」

 

 梅里が言い直すと、彼女は満面の笑みを浮かべ、喜びを表すかのように握った手を大きく振った。

 

「代わりに、アタシも丁寧な言葉じゃなくていいよね? ウメサト」

 

 その笑顔に、梅里の目は再び釘付けになる。

 再びの既視感(デジャビュ)に梅里は驚かされる。

 

「あ……うん、もちろんだよ」

 

 戸惑いながらも笑みを浮かべて答える梅里。

 

「彼女はイギリス国籍だが、トワイライト家は世界各地を回っていてな。日本語も堪能だ。コーネルより流暢だろ? なぁ、ウメ」

 

 そう言って米田は苦笑し、それにつられて梅里も苦笑を浮かべる。

 その間にカーシャは握った手にもう片方の手も添えて、自分の胸元へと近づける。

 

「アナタのことは、資料で読んだわ。去年の戦いでの活躍……花組の戦果も素晴らしいけど、まさに命がけで帝都を守ったあなたの活躍の方にこそ、アタシ、心打たれたもの」

「そんな、あのときはあれしか手がなかっただけで……」

「いいえ。アナタは誇るべきスゴいことをしたのよ。ウメサト」

 

 そう言って梅里を真っ直ぐに見つめ──朗らかな笑みを向ける。

 それを見た梅里は既視感(デジャビュ)の正体がようやく分かった。

 

(そうか、この笑み……鶯歌に似ているのか)

 

 彼女の笑みやまとう雰囲気が──梅里にとって大切であった人のそれを連想させたのだ。

 明るく朗らかで、とても大らかだった彼女の笑い方に、目の前の女性──カーシャの笑う顔はよく似ていた。

 もちろん目鼻立ちは違うし、ポニーテールと髪の長さはほとんど一緒だが金髪でウェーブがかかってるカーシャと、日本人らしく黒茶のストレートだった鶯歌では全然違っている。

 それでも梅里が既視感を感じるほどに、彼女のまとう雰囲気は──鶯歌に似ていた。

 梅里はその彼女──アカシア=トワイライトを思わず食い入るように見つめていた。

 

 

「「「オホン!!」」」

 

 

 すると、三人の咳払いが同時に響く。

 それで梅里は我にかえり、気まずげにカーシャから視線を外す。

 一方、支配人室の主である米田は、呆れたような目で咳払いをした三人を見ていた。

 

「──で、なんでオメエらまでついて来たんだ?」

「わたくしは、夢組の副隊長ですので、新入隊員と隊長の顔合わせに立ち会うべきと判断いたしたものです」

「私も、食堂副主任として、新人勤務員と主任の顔合わせには立ち会うべきと思いまして」

 

 しのぶとせりがしれっとそう答える。それに続いてかずらが──

 

「私も、梅里さんの妻として……」

 

 そこまで言い掛けたところで素早く動いたせりが、かずらの左右のほっぺたをつねって引っ張り、黙らせた。

 

「かずら……何も知らない新隊員の前で嘘をつくのは感心できないわね」

ほふぇふなひゃい(ごめんなさい、)ふぇりひゃん(せりさん。)ふぇほ(でも、)ふぉういうふぉふぉふぁ(こういうことは、)ふぁひふぉふぁら(最初から)ふぉふぃふぇてふぃたふぉうが(教えていた方が)ふぃふぃふぁとふぉもふぃまふぃて(いいかと思いまして。)

 

 悪びれないかずらの頬を、せりは何度も思いっきり引っ張る。

 

「そういう嘘を教えるな、と言ってるのよ!」

ふぃふぁい(痛い)ふぃふぁい(痛い)ふぃふぁい(痛い)──」

 

 さすがに呆れてなにも言えない米田。

 一方、そんなせりとかずらの横にいたしのぶは、梅里にすっと近づく。

 

「梅里様。わたくし、ずっと迷っていたのですが……いい機会ですので、これからただ黙ってついて行くのではなく、少しばかり忠告といいますか進言といいますか、言いたいことを言わせていただきたいと思いまして……」

「え? あ、うん。僕も直すべきところは直したいと思ってるから遠慮なく言ってもらえると助かるよ」

「そうですか、それでは早速……そもそも梅里様は女性に対して甘過ぎで、ときに距離が近すぎることが多々あります。それはすぐにでも是正するべきとわたくしは愚考致した次第で──」

 

 ついには梅里に説教を始めたしのぶ。戸惑いながらもそれを黙って聞く梅里。

 そんな二人にため息をついた米田は、ふと視線を柊へと向ける。

 

「すまねえな。お前さんの紹介、まだまだ後になりそうだ」

 

 すまなさそうに苦笑する米田に、柊は首を横に振ってから取り出した短冊に、スラスラと筆を走らせて「大丈夫」と書くや、それを見せるのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──さて、軍の部隊である帝国華撃団夢組だが、霊能力がなければ所属できないというその特殊性から他の月組、風組、雪組に比べて軍属の者が少なく、そういう意味では花組に近い性格を持っている。

 その数少ない軍属の一人であり、副隊長としてそのトップでもある巽 宗次が、前回の戦いを踏まえて組織改革に着手した。

 前回の戦いにおいて反省すべき点──それは、帝劇という華撃団の本部に幾たびか敵の侵入を許したことである。

 黒之巣会との戦いでは帝劇が本部であることがバレて、敵幹部である紅のミロクの襲撃を受けて轟雷号の線路から格納庫に侵入されている。

 また降魔との戦いでは暁の三騎士「鹿」の襲撃の際、その猛攻の最中に降魔が帝劇内に侵入したのを、花組隊長・大神一郎考案の蒸気を使った罠と夢組によってどうにか撃退している。

 軍の一部隊として、その本拠地に攻撃を受け、敵の侵入を許しているのは、本来であれば由々しき事態だ。

 その秘密部隊という特性上、他の通常部隊のような駐屯地や泊地のように防備を固めることができないのはやむを得ないことだが、それでもやはり──霊子甲冑のような装備はあるし、取り戻した魔神器という切り札もあるので、再度起こればやはり大変マズい、と判断した。

 その対策として設備面で、結界を付与した防御壁──帝劇防御壁(通称:帝防)──を設置して緊急時に展開することで物理的な防御機構を備え、また各組も増員を行い、その中で夢組も本部の増員をすることになった。

 本部防衛のための戦力増強として、戦闘を得意としている除霊班の二人いる副頭をどちらも本部勤務にし、さらには危機を察知するために、今までは人数の関係で副頭がおらず頭が支部常駐のために本部にしかいなかった予知・過去認知班に、新たに副頭を設置して本部付とした。これにより本部での予知が可能となった。

 それがカーシャであり、柊だったのだ。

 これをもって夢組の体制は万全になる──はずなのだが、なかなかそうもいかない。

 現在の夢組の本部勤務員は、一人出張中だったのである。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──なるほどね」

「はい。そうなんですけど……できますか?」

 

 帝都に戻り、普段通りに帝劇の食堂でコックコートを着て仕事をする毎日に戻ってすぐに梅里は、帝国華撃団花組に所属であり大帝国劇場のスタァの一人である真宮寺さくらから早速相談を受けていた。

 

「う~ん。一つだけ問題がなぁ……」

 

 困り顔で梅里は思わず頬を掻く。

 そこへ──

 

「いったい。何を悩んでるの?」

「あ、せりさん。いいところに……」

 

 会話に入ってきたのは食堂副主任のせりだった。その彼女にもさくらは事情を説明する。

 

「聞いてください。今度、大神さんが戻ってくるって、米田支配人がおっしゃっていたんです」

「へぇ、よかったじゃない、さくら」

 

 うれしそうなさくらの背中を、せりは励ますように軽くたたく。

 

「はい。ありがとうございます」

 

 さくらもそれに笑顔で応じ、二人は手を取り合うように喜び合った。

 実はこの二人、意外と仲がいいのもあるのだが──秘密協定を結んでいる仲でもあった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それは、しばらく前のことだった。

 

「──え?」

 

 帝劇内でたまたませりと一緒になった真宮寺 さくらが、周囲に人がいないそのタイミングで、急に──

 

「せりさんと主任さんってお似合いですよね」

 

 ──と言い出したので戸惑った。

 もちろん帝劇での生活も長いし、隊が違うとはいえ同じ帝国華撃団の仲間であり、ましてさくらたちは帝劇に住んで食堂で食事をとるのが日常。その副主任であるせりと接点があるのは当然のことだった。

 しかし、そういう話をしたことが今までなかったのだ。

 

「しのぶさんのような華族出身じゃなくて、かずらちゃんみたいにお金持ちの家に生まれたわけでもない、庶民派のせりさんのことが、あたしは他人に思えないんです」

「そ、そうなの?」

 

 せりに詰め寄るように言うさくらに、せりは曖昧にうなずく。

 もっとも、せりは──

 

(さくらさんの真宮寺って家は「破邪の血統」なんだから、私みたいな普通の家出身ではないと思うけど……)

 

 そう考えたものの、詰め寄るさくらの迫力に圧されて飲み込んだ。

 とはいえ、せりも由緒正しい神社の娘という意味では一般庶民とは少し違う。

 

「それに、料理も裁縫も上手ですし……」

「さくらさんだって得意なの知ってるわよ。いつだったか、大神さんにお弁当作ってたじゃない。十分、上手だったもの」

「いえ、あたしなんて、そんな……」

 

 せりに言われて謙遜するさくら。実際、大神は喜んでそれを食していたのだから十分だろう。

 そしてせりはせりで、料理上手をほめられたところで複雑だという事情がある。

 

「それにね、さくらさん。私の場合、ちょっと料理が得意くらいでは意味ないのよ」

「え? どうしてですか?」

 

 不思議な顔をするさくらに対し、せりはさめた顔で苦笑した。

 

「だって……あいつの方が上手いんだもん」

「あ……」

 

 それで察するさくら。同時に気の毒にさえ思えてくる。

 梅里は料理人である。せっかくの長所がこれではアピールポイントにならない。

 それどころか、腕の立つ料理人である彼に料理の腕を披露するのは、ある意味怖いだろう。少なくともさくらにはそこまでの自信はない。

 

「だから、料理ができる、はぜんぜんアドバンテージにならないのよ」

 

 そう言ってため息をつくせりに、さくらは再び近づくと、今度は手を握りしめる。

 

「わかりました。あたし、せりさんを全力で応援します」

「……え? あの、さくらさん?」

「さくらさん、なんて他人行儀な言い方しないでください、せりさん」

「あなたもさん付けしてるじゃないの……」

「あたしの方が年下ですし、それに、あたしの理想とするお嫁さん像のせりさんのことを尊敬してますから」

「わ、私が理想!?」

 

 驚いたせりは思わず自分を指さす。それにさくらは笑顔でうなずいた。

 

「はい! 料理や掃除といった家事全般が上手ですし、普段から実質的に食堂を切り盛りしているほどしっかりした経済感覚まで持っていて……なにより一途で健気。本当に私の理想です」

 

 さくらに言われて、せりは愕然とした。

 こんなに自分のことを評価して、分かってくれる人がいるなんて──思わず手を握り返す。

 

「さくらさん……いいえ、さくら。これから私も、あなたと大神さんのこと全力で応援させてもらうわ」

「ありがとうございます! あの、できれば……料理とかいろいろ教えていただけないでしょうか?」

「もちろんよ! 大船に乗ったつもりでいなさい」

 

 大きく、そして力強くうなづいて拳を握りしめるせりが、さくらにはこの上なく頼もしく思えた。

 

「舌が肥えてる梅里相手ならともかく、大神さん程度なら容易く胃袋掴んでみせるわ!!」

「あの、せりさん? 一応言いますけど、掴むのはあたしですからね? それに大神さん程度って……」

 

 さすがに想う人を「~程度」と呼ばれれば複雑にもなる。

 だが、料理という面では大神をは比較にならない難敵を相手にしているせりを味方に付けられたのは、さくらにとって大きかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そんな感じで、花組隊長の大神一郎に想いを寄せるさくらと、夢組隊長の武相梅里に想いを寄せるせり。互いに想う人は競合しないので相互協力の協定を結んだ二人。

 意外と独占欲が強く嫉妬深いという共通点を持っているのも仲間意識を持った理由の一つかもしれない。

 お互いに話したのをきっかけにこの同盟が結ばれたのだが──もちろん、他の人はそれを知らない。

 

「──それに、同じ日に花組へ新人さんが来るので、その歓迎会をやろうと思いまして……」

「いいアイデアね。さくらも料理出すの?」

「あ、あたしは……ちょっと迷ってます。だって……」

 

 さくらはチラッと梅里を見る。

 

「うん?」

 

 その視線を受けて戸惑う梅里だったが、せりは意味を察したようでため息をついた。

 

「確かに、一緒に並んでいたら、どうしてもこの人の料理と比べられることになるものね」

「……そういうことです」

 

 さくらからちょっと恨みがましい目で見られ、梅里は頬を掻いて苦笑する。

 さすがにこればかりは仕方がないし、料理人の一家に生まれた身としても素人に負けるわけにはいかないという事情が梅里にもある。

 

「それなら、彼からアドバイスを受けて数品作ってみたら? 腕を上げる貴重な機会にもなるし、それを食べて美味しいって言ったときに「実はあたしが作りました」って言えば、胃袋掴めるんじゃない?」

「せりさん! それ、すごくいい考えですね!」

 

 盛り上がる二人。

 一方で梅里は蚊帳の外な空気に苦笑を浮かべ──それに気がついたせりは我にかえって、話しかける前に言っていた彼の言葉を思い出す。

 

「それで主任、いったいなにが問題なのよ?」

「いや、歓迎会でケーキを用意したいらしいんだけど、今から外注するにしても……間に合うかな、と思って」

「あ~、それは……」

 

 せりも困った顔になった。

 今までも、花組メンバーをはじめ、帝劇で働く者の誕生会等でケーキを出したことがあったが、それは全部、知り合いの洋菓子店に外注していた。

 というのも、梅里は修行した洋食と実家の和食は作れるが、洋菓子はもちろん菓子類は完全に門外漢だからだ。

 それは煮物や揚げ物を得意とする他の厨房メンバーも同じであり、得意にしている者がおらず、専門で担当する者もつけずに外注していた。

 

「確かに今からじゃ、間に合わないかも」

 

 せりもそれを認めて困り顔になるが、他にあてはない。

 そのため──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──で、私のところにきたのですか?」

 

 特徴である半眼の目で来訪者であるせり、さくら、梅里をジロリと見つつも、困惑顔を浮かべたのは夢組錬金術班支部付副頭の大関ヨモギである。

 普段は銀座の帝劇本部ではなく、浅草の花やしき支部で勤務している彼女だが、今日は運良く応援で帝劇食堂を手伝い、厨房で勤務していた。

 

「あいにくですが、私が作れるのは和菓子くらいですよ。それも団子や草餅といったものです」

 

 それも無理もない話で、ヨモギが得意にしているのは薬草やそういった効果を持つ野菜を組み合わせた薬膳料理だ。

 和菓子ならかろうじてそういうものを練り込んだりするが、洋菓子にはそういうものはなく、やはり専門外である。

 

「真宮寺嬢が求めているのはそういった(たぐい)ではありませんよね?」

 

 ヨモギに言われ、気まずそうにさくらがうなずく。

 

「はい。大神さんだけならそれでも大丈夫だったかもしれませんけど、花組の新人は外国の方ですから……」

「へぇ、そうなんだ?」

 

 意外そうな顔をしたのは一緒に来ていた梅里だった。

 

「確かに、日本の味に慣れていない人や興味を持っていない人に和菓子は厳しいかもなぁ。せっかく歓迎するんだから花組の新人さんも喜んで欲しいよね」

 

 和菓子と洋菓子では甘さの質が違う。洋菓子で慣れている人に和菓子の甘さは慣れていない分、ハードルが高くなってしまう。

 梅里はそれを危惧したのだが、突然、さくらが梅里に詰め寄った。

 

「……いえ、武相主任。あなたは花組の新人よりも、もっと近くで支えてくれる人に目を向けるべきですよ!」

「ちょ、ちょっと、さくら。話が脱線してる」

 

 突然言い出したさくらにあせるせり。

 

「あ、すみません。つい……」

 

 表情を一転し、気まずそうに苦笑するさくら。

 それに呆れたように半眼で見つめたヨモギは、ため息をつく。

 

「色恋の茶番は余所(よそ)でやっていただくとして、洋菓子が作れる人に心当たりがない、ということなんですよね?」

「ええ、そうなのよ」

 

 そう言って困り顔になるせり。

 

「ふむ……本部勤務になって間もないから知らないかもしれませんが、錬金術班(うちのところ)の舞が菓子づくりを趣味にしているのは知ってますか?」

「舞って……越前さん?」

 

 梅里の確認にうなずくヨモギ。

 

「ええ、セクハラして北海道に左遷(とば)された誰かさんの代わりに、本部勤務になった越前(えちぜん) (まい)です。ちなみにセクハラの被害者が彼女です」

「えぇ!?」

 

 驚くさくらに、すかさず梅里とせりが訂正する。

 

「いやいや、妙な捏造をしないでよ、ホウライ先生」

「事情を知らないんだから、さくらが信じちゃうでしょ?」

「いえ、彼女にいきなり「越前だからおまえの愛称は“えっち”だ!」と呼び始めてスパナを投げつけられたのですから、捏造でもないですよ」

「「え!?」」

 

 今度は梅里とせりが驚く番だった。二人とも──いや、さくらも入れて3人ともドン引きの表情を浮かべていた。

 

「ガチギレされたので、あの男は仕方なく残った「ゼンマイ」と呼び始めたわけですが……話が脱線しました。ともかく、舞なら洋菓子も作れるはずですし、腕も確かです」

「へぇ……ヨモギがそこまで言うなんてね。でも舞って腕のいいエンジニアな感じだったから、なんだか意外かも」

 

 せりが言うのも無理はない。越前 舞という隊員の印象を聞かれればほぼ全員が「機械バカ」と答えるくらいに錬金術班では工学系の専門家である。

 元々は支部にいたのが今回本部勤務になったのも、新型霊子甲冑開発のために夢組錬金術班の松林(まつばやし) 釿哉(きんや)と、花組が誇る天才科学者・() 紅欄(こうらん)がそろって帝劇本部を離れたために、霊子甲冑の整備の穴を埋めるために彼女が呼ばれたという側面もあるほどだ。

「意外じゃありませんよ。釿さんも李嬢も天才肌の思いつき型ですが、舞はそんな彼らの高度な要求にもきちんと応えられる職人です。その仕事の正確さから、容量ややり方をきちんと守り、正確に真似るのが得意なようですよ」

 ヨモギによれば几帳面な性格の彼女は、それゆえに菓子づくりを趣味として始め、凝り性なためにかなりの腕前になっている、とのことであった。

 

「もっとも、私は天才肌な上に職人気質の“失敗しない”超天才、ですが……」

「──じゃあ、舞さんのところに行きましょうか」

 

 胸を張るヨモギを放置して去ろうとするせり。

 

「……白繍嬢。最近、私の扱いがぞんざいすぎやしませんか?」

「そう? 2年も付き合えば、さすがに慣れるわよ」

 

 そう言い残してせりは梅里とさくらを連れてその場を去る。

 さくらだけが、去りつつも寂しげにその場に残るヨモギを気の毒そうな目で見ていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──は? 私ですか? 無理ですよ、無理無理!! 絶対無理ですから」

 

 梅里とせり、それにさくらからケーキ作りを依頼され、越前 舞は首と顔の前に挙げた手を横に何度も振った。

 

「だって私、素人ですから! 料理人の隊長や他のメンバーとは違うんですから」

「いや、釿さんやコーネルだってプロの料理人じゃなかったんだけど?」

 

 梅里が言うと、せりも「うんうん」と頷く。

 二人の、それぞれ煮込み料理と揚げ物が得意という才能を見いだしたのは梅里であるが、きちんとした料理の修行をしたわけではない。

 さらにせりが頼み込む。

 

「あなたが洋菓子を担当できるようになれば、うちの食堂の弱いデザートを強化できるとも考えてるし、試しに作ってくれないかしら?」

「え~……」

 

 あきらかに乗り気ではない舞。

 それもそのはず、彼女にとって菓子づくりとはあくまで娯楽であり、息抜きであり、数少ない趣味だ。それを業務とされてしまうのは困る部分もある。

 その上、本業の夢組錬金術班の仕事にプライドを持っているので、趣味として片手間でやっているものを“仕事”扱いされるもの困るのだ。

 

「あたしからもお願いします。一度だけ、歓迎会のときだけでいいので……」

 

 さくらが両手を合わせてお願いをする……が、舞は「うん」とは言わなかった。

 

「やっぱり無理です」

 

 渋る舞。そこへ、梅里が彼女の目の前にノートをスッと出す。

 

「……え? これって……」

「とある有名洋菓子店の人気ケーキのレシピ」

 

 そう言って梅里が挙げた店名は、せりもさくらも舞も知っている帝都で評判の有名店だった。

 

「それって、なかなか手に入らなくて有名な名店じゃないの!?」

「あたしも一度だけ差し入れで食べたことがありますけど、すごく美味しかったんですよ」

「主任、そんなものをどうやって?」

「ちょっとつき合いがあってね。お互いの料理を認め合って、互いにレシピを見せ合ったんだよ」

 

 悪戯っぽく笑みを浮かべる梅里。

 

「洋食屋と洋菓子店で業種も違うし、お互い完全再現されない自信もあるからね」

 

 調理技術と、レシピには書いていない隠し味。それのせいでまったく同じものはできあがらないものの、それでも近いものはできあがる。そんなレシピである。

 それをお互いに交換したのだ。

 

「主任、雑誌で見ましたけど……あそこのパティシエって確か、女性ですよね?」

「え? ああ、うん。そうだけど──ッ!」

 

 ジト目で確認したせりが、こっそり背中をつねる。

 死角になっていた舞は不思議そうに梅里を見たが、誤魔化すように笑みを浮かべて梅里が言う。

 

「これ……作ってみたくない?」

「う……」

 

 彼の囁きに舞は職人魂をくすぐられる。

 これが、舞がプロのパティシエであればプロ意識から逆に突っぱねたかもしれないが、素人であるがゆえにプロのレシピを再現してみたいという欲求が押さえられなくなっていた。

 

「まぁ、イヤなら別にいいけど──」

「あ……」

 

 梅里が引っ込めるよりも前に、舞は思わずそのノートを掴んでしまう。

 そして意地悪く笑みを浮かべる梅里と目があった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 結局、そうして再現したケーキは思いの外に美味しくできあがり、花組の歓迎会に出されることとなった。

 ──こうして、釿哉の穴埋めとして食堂勤務になっていた越前 舞はデザート担当という新たな地位を担うことになった。

 




【よもやま話】
 さくらがせりの応援をする、というのは本当は前作の正月の話あたりに入れようと思っていたら、それどころではない醜態の展開になってしまい、入れはぐれていた設定です。
 ちなみに他のせり推進派はカンナ。かずら推進派がすみれと椿。しのぶ推進派はアイリスとマリアです。
 アイリスがしのぶを推す理由は少し先で出てきますのでもう少しお待ちください。
 他のキャラは……織姫は─3─でわかりますが、なし崩し的にかずら派ですね。時間軸的にはまだ登場してないレニは登場後も興味なしでしょう。
 椿はかずら派と書きましたが、由里は面白がって見ているだけ。かすみも現時点では完全に傍観者になってます。


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─3─

 昨年の降魔との戦いで、空中戦艦ミカサは聖魔城に特攻をしかけ、現在はミカサ公園となっている。

 そのミカサの艦橋は、大帝国劇場そのものであり、現在の大帝国劇場は新たに建て直されたものだ。

 そうした新・大帝国劇場は以前とは新しく変わったものや、以前にはなかったものが新しくできていたりする。そんな新しくできた施設の一つが、帝劇1階にある音楽室である。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その音楽室で一人練習をしようと考えたのは、夢組所属で唯一の大帝国劇場楽団に所属の伊吹 かずらだった。

 愛用のバイオリンが入ったケースを手に、その部屋に入ったところで先客がいるのに気がつく。

 

「あ……」

 

 部屋に設置された立派なピアノには、赤いドレスを身にまとい、長い黒髪を束ねた見慣れない人が椅子に座って鍵盤と向き合っていた。

 そんな知らない人──それも、花組に最近加わったというイタリア出身という彼女──を前に、思わず身を固くするかずら。

 彼女が普段している梅里へのアプローチを考えると意外に思えるが、彼女はけっこう人見知りするタイプなのだ。

 かわりに打ち解ければあっという間に素を出して距離を縮めるが、それまでは借りてきた猫のように警戒し、一定の距離を保つ。

 そんなかずらが、まだ慣れない相手に警戒していると──彼女はかずらを意に介することなく、ピアノの演奏を始めた。

 

「わぁ……」

 

 それに思わず聞き惚れるかずら。

 自身も一流のバイオリニストであり、楽団に所属して耳が肥えているはずの彼女をもってしても、目の前で奏でられるピアノの旋律は素晴らしいものであった。

 

「情熱的で……でも、繊細で……」

 

 込められる情感頼りになることもなく、技術に走りすぎることもなく、そのギリギリのバランスが絶妙で、かずらは一気に引き込まれた。

 ──その演奏が終わると、思わず拍手をするほどに。

 

「どちらさま、ですかー?」

 

 という、独特のイントネーションによる相手の言葉で、かずらはハッとして我に返った。

 そうしてからは、この状況をどうしようという戸惑いで一杯になった。思わず味方になってくれそうな人──特に頼りにしている夢組隊長にして食堂主任の姿を探すが、もちろん彼が都合よくここにいるはずがない。

 そうしているうちに、相手がかずらの方を振り返った。少しキツめな視線に思わずビクッと肩を震わせ──手にしていたバイオリンケースを強く抱きしめてしまう。

 だが、逆にそれが相手の気を引いた。

 

「アナタ……それ、演奏できるんですかー?」

「こ、これ? バイオリンを?」

 

 思わず掲げたバイオリンケースに、相手はうなずく。

 

「もちろん、そうでーす。ただ運んできた、というわけでは無いですよね~?」

「は、はい……これは、私のですし」

 

 かずらが言うと、相手は挑戦的な笑みを浮かべる。

 

「では、今度はアナタが演奏してみてくださーい。さっき、わたしの演奏を聴いたんですから、まさかイヤとは言いませんよね~?」

 

 そう言われてしまっては、目下のところ人見知りが発動中であるかずらが、拒絶できるはずもなく、バイオリンをケースから出して部屋の真ん中で構えることになった。

 

(うぅ……なんでこんなことに……)

 

 未練がましく助けを求めるが、やはり助けは現れない。

 ただ──胸の内で助けを求めたその人の顔が頭に浮かんだのは幸いだった。

 

(うん。彼女じゃなくて、あの人がここにいると考えて……あの人に聞かせるために……)

 

 目を閉じて、自分の世界に没頭し──そして演奏を始めた。

 一心不乱に、自分のもっとも得意とする曲を、自分がもっとも聞かせたいと思う人を頭に描きつつ、その人のために演奏する。

 それに集中し──演奏中は一切、雑念が消えていた。

 演奏が終わり、大きく息を吐いて構えていたバイオリンを下ろす。

 そして目の前に、彼女がいるのを改めて思い出し、思わずドキッとした。

 

(あ……どう思われるんだろう。あんな素敵なピアノの後に、私が演奏しちゃって……)

 

 すると目の前の彼女は──急に笑顔になって拍手をした。

 

「アナタ、やるじゃないですか~。素晴らしい演奏でーす」

 

 そう言ってひとしきり拍手をしてから、彼女はかずらへと近づき、スッと片手を差し出す。

 

「わたし、ソレッタ=織姫といいまーす。アナタ、お名前は?」

「え? あ……伊吹 かずらです」

「かずら、ね。覚えました。では、かずら……わたしとセッションしませんか~?」

「え、えぇ!? あの、私でいいんですか?」

 

 突然の申し出に戸惑うかずら。

 

「当たり前でーす。他に誰もいないでーす」

 

 音楽を通じて、かずらを認めた彼女──元欧州星組隊員にして、現帝国華撃団の新人花組隊員・ソレッタ=織姫はピアノを弾き、かずらの奏でるバイオリンと合わせる。

 いや、どちらがどちらに合わせる──というわけではない。完璧な演奏をする織姫と、完璧さでは負けても込められた多彩な情感とその表現で対抗するかずら。

 お互いに自分とは違うタイプの優れた演奏者として相手を意識し、その存在が心地いい。

 それをしばらく繰り返し──ようやく演奏を止めた二人は、その熱の入った演奏のせいでお互いにいっぱいいっぱいになっていた。

 

「今日のところは、このあたりにしてあげまーす」

「あ、ありがとう……織姫さん」

 

 お互いに笑顔になって、今度はおしゃべりを始める二人。

 音楽を通じ、一気に親密になった彼女たち。

 織姫はプライドが高く、現時点では花組の輪の中に入ろうとさえしない様子だった。

 だが、音楽という共通項を持ち、高い技術を持っていることで同じような視点で語り合える相手を得られたことは、彼女にとってプラスであった。

 今の時点で、かずらは織姫ともっとも仲のいい華撃団員と言っても過言ではないだろう。

 話が一段落したタイミングで音楽室から出て──そこで遠目に濃紅梅という色の羽織が目に入り、かずらの顔が変わるのを織姫は驚きながら見る。

 

「──梅里さんッ!!」

 

 織姫が声をかける間もなく、駆けだしたかずらは一気に距離を詰めて、飛びかかるように赤い羽織の男に飛びついた。

 

「ッ!? ……かずら? さすがにびっくりするから、いきなりそういうのは止めてくれないかな」

 

 かずらをやんわりと注意しつつ、ひっついたかずらを降ろし、苦笑を浮かべる。

 

「以後気をつけますね、梅里さん」

 

 ニッコリ笑みを浮かべたかずらは、後ろでゆっくりと近づいてくる気配に気がついて振り返る。

 怪訝そうな顔で、警戒しながら近づいてきた織姫だった。

 

「織姫さん、こちら……私が所属する帝国華撃団夢組の隊長、武相梅里さんです」

 

 そう紹介してから振り返って梅里の方を見る。

 

「梅里さん、こちらはイタリアから来られて、今度、花組に入ったソレッタ=織姫さんです。彼女、ピアノがすごく上手なんですよ」

「へえ、かずらが言うのなら、かなりの腕前なんだね」

 

 かずらの頭の上にポンと優しく手を置き、笑みを浮かべる彼女から目を離した梅里は、目の前の褐色の肌に黒髪の女性の前に手を差し出した。

 

「武相 梅里といいます。霊能部隊夢組の隊長とそこの食堂の主任をしてます。よろしくお願いしますね、ソレッタさん」

「ふ~ん……」

 

 織姫は腕を組んだまま、差し出された手を一瞥する。

 睨むようなその目が、次は梅里へと向けられ──いつまでも手を差し出したまま彼の姿も相まって、妙な緊張感が高まっていく。

 

「……あなた、かずらとどういうカンケイなんですか~?」

「夫です!」

 

 笑みを浮かべつつ、慌てたように梅里の出された手にしがみつくように抱え込むかずら。

 温厚な梅里は怒りはしないだろうが、あの態度──なによりもあの空気は良くない。

 それを祓うのは成功したようで、織姫は驚いた顔をしているし、梅里も呆れたような苦笑いをかずらに向けている

 

「またそうやって……かずら、いい加減に外堀から埋めようとするのをやめないと怒るよ?」

「ごめんなさい、梅里さん」

 

 しゅんと落ち込んだ──フリをするかずらの姿に、梅里は騙されたようで、苦笑を浮かべながら織姫を振り返る。

 

「ソレッタさん……かずらとは結婚も婚約もしていないので……上司、ですかね」

「あ~、そうやって自分はフリーですよって主張して、織姫さんのことまで狙ってるんですか? 梅里さんは」

「な!? 誤解だよ、それは。初対面の人だからこそ、変な先入観を持たれないように──」

「かずら、安心して下さい」

 

 織姫は二人に近づきながら笑みを──かずらにだけ向ける。

 

「わたし、ニッポンのオトコ、大っ嫌いでーす」

「「え?」」

 

 さすがに戸惑うかずらと梅里。

 目の前で言われた形になった“ニッポンのオトコ”である梅里は困惑して頬を掻きながら苦笑を浮かべる。

 そして、かずらは──織姫を見てニコッと笑みを浮かべる。

 

「なるほど。それなら、好きな人が被ることはありませんから、安心ですね」

 

 屈託無く笑うかずら。

 

「梅里さん、意外とライバルが多くて困ってるんですよ。せりさんに、しのぶさん……口数が少ないから分かりにくいけど、特別班の千波(ちなみ)ちゃんもそうだと思うし、最近は育成機関の乙女組にも顔出してるから、騒いでる後輩達がいるってペンちゃんも言ってたし……織姫さんは私の味方に、なってくれますよね!?」

 

 指折り数えていたかずらに詰め寄られ、今度は織姫の方が面を食らったような顔になった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それから、織姫は新しくできた友人であるかずらと別れ、花組の歓迎会へと向かった。梅里たち食堂メンバーも協力して準備した大神の帰還と新人の歓迎のための会であり、主役の一人である新人こそソレッタ=織姫その人だったからだ。

 ──しかし、そんなせっかく準備をした歓迎会は、突然の警報で水を差されることになる。

 銀座に、魔操機兵・脇侍が現れたのだ。

 




【よもやま話】
 このあたりで、今回はどうも一回が長いことに気が付く。
 そのため、後ろ半分だった─4─を独立させました。
 織姫とかずらは、同じ演奏家同士で仲良くさせられそうだな、と思ったので採用。
 というか、織姫が花組の皆と打ち解け始めるのはまだ後の話だし、レニと違ってアイリスのように間に入るキャラもいないので、最初のころにすごく寂しかったんじゃないかと思って、意気投合できるキャラを入れてあげたいと思い、こうなりました。


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─4─

「ああ、もう! 姑息な敵でーす」

 

 帝国華撃団花組としての初陣だったが、その戦いで織姫は焦れていた。

 彼女が駆るのは帝国華撃団・花組が採用している霊子甲冑の光武・改ではなく、欧州華撃団構想で戦闘部隊となる星組が正式採用する予定だった、ドイツ製霊子甲冑アイゼンクライトである。

 織姫のパーソナルカラーである鮮やかな紅紫色に染め上げられたその機体は指先から霊力の光線は放ち、攻撃する。

 高い霊力と実力を持つソレッタ=織姫の操るアイゼンクライトは範囲内の複数の敵を捕捉し、一度に攻撃できるのだが──それを何度も食らっているうちに学習し、彼女の視界から外れて物陰に隠れている。

 本来ならば段差をものともせず敵を捉え、弧を描く光線は障害物を迂回して攻撃できるはずなのだが、見えていない現状では攻撃しても外れる可能性が高い。

 

(まだまだ敵は多いでーす。無駄な攻撃は避けるべきですねー)

 

 織姫は冷静な判断を下し。焦じれる心を落ち着かせる。

 しかし、一気に多数を攻撃できるのが売りである織姫の機体でも、単体を小出し相手にさせられるのは負担が大きくなるのにつながる。

 できれば一度に片を付けたいところだが──

 

「んん? なんですかー、これは……」

 

 膠着状態になっている織姫に、妙な感覚の通信が入った。

 

(ソレッタさん、今から敵の位置を送ります……)

 

「座標で送られても、わたし、困りまーす。感覚で掴んでいなければ……」

 

(それは……大丈夫と思量されます。とにかく……送りますので参考になれば……)

 

 そうして思念が途切れる。

 

「今のは、念話(テレパシー)ですかー? たしか、霊力で支援する部隊があるとか……」

 

 織姫が戸惑っていると、そこへ聞き慣れた旋律が彼女の耳に飛び込んできた。

 

「え?」

 

 それはバイオリンを奏でる音。

 場違いにも聞こえるそれは、織姫を中心に──いや、その傍らに立ちバイオリンを構える少女を中心に広がっていく。

 

「まさか、かずらですかー?」

 

(はい。千波さん……夢組(うち)精神感応能力者(テレパシスト)にお願いして感覚を共有しています。私の霊力を込めた音なら、その反響で敵の場所を捉えられるはず)

 

 くすんだ黄緑色──萌木色に染められた袴の、巫女服のような女性用夢組戦闘服は洋楽器であるバイオリンとは不釣り合いにも、また意外に合うものにも感じられる。

 それを身にまとった少女、伊吹 かずらの霊力が込められた演奏は、まるで闇夜で正確に獲物を捉えるコウモリが放つ超音波のように──純粋な音ならば建物に当たって反射するが、霊力はそれさえも通り抜けて捕捉する──正確に敵を見つけだしていた。

 

「これなら丸見えでーす。かずら、感謝しまーす!!」

 

 快哉の声をあげる織姫。

 彼女の放った霊力の光線は、敵を正確に捕捉していたために急所をピンポイントで撃ち抜き、複数体を一気に撃破する。

 

「この調子でいきますよ、織姫さん」

 

 かずらの笑顔に、織姫はアイゼンクライトの腕でその胸部をたたき、任せろとジェスチャーで送る。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「おー、あの二人の息、合ってるなぁ」

 

 白色の男用夢組戦闘服に身を包んだ梅里が、戦況を確認しながらつぶやく。

 

「複数を一度に捕捉できる伊吹くんの能力と、複数を一度に攻撃できる織姫くんのアイゼンクライト、相性の良さは抜群だね」

 

 それに応じたのはすぐ横にいた、白い霊子甲冑・光武改に搭乗している花組隊長の大神 一郎だった。

 

「それにしても……あの気むずかしそうな織姫くんと、気弱そうな彼女の仲がいいとは意外だな」

「かずらが、気弱?」

 

 思わず梅里が苦笑を浮かべる。彼に想いを寄せるかずらのアプローチや、梅里への態度は気弱とはほど遠い。それはせりやしのぶへの牽制に関してももちろんだ。

 だが、人見知りな彼女がそういった面を見せるのは、あくまで親しい人に対してだけであり、大神や他の花組隊員たちは、かずらが大人しい引っ込み思案な娘という認識だったのだ。

 

「なんでも音楽室で顔を合わせて、そこで意気投合したそうですよ」

「へぇ……そういえば織姫くんはピアノが得意だったな」

 

 大神がポツリとつぶやく。

 ちなみにこの二人、通信だけ聞けば隊長同士でなにげなく会話しているようにしか見えないが、この間にも大神は襲い来る脇侍を片っ端から斬り倒している。

 梅里もまた愛刀の『聖刃(せいじん)薫紫(くんし)』を手に、大神が狙う脇侍に同時に攻撃を仕掛けて隙を作ったり、大神の背後を守ったり、離れた敵に三日月型の霊力塊を放って牽制したり、ときには隙を見つけて単独で倒したり、とサポートをこなしている。

 この隊長二人がいる付近は魔操機兵・脇侍にとっては危険な死地と化していた。

 そうなればもちろん目立つわけで、そこには──

 

「あれは……」

「あの雰囲気、覚えがあります。大神隊長もわかるでしょうが……気をつけてください」

 

 大神に梅里が警告を発する。

 白い霊子甲冑と生身の剣士が、かたや二刀流かたや一刀流で刀を構えて、近づいてきた敵を警戒する。

 

「……久しいな、帝国華撃団」

 

 聞き覚えのある声。

 そして──忘れもしない声だ。

 

「──お前はッ!!」

 

 激高し、動きかける梅里。

 その前に白い霊子甲冑が立って、それを制する。

 

「葵 叉丹……」

 

 それは約二年前のこと。『葵 叉丹』の名前で、最初は黒之巣会の幹部である死天王の一人として華撃団と敵対した彼は、黒之巣会首領の天海討伐後は降魔を支配し、上位降魔すらも従えて帝都を、この国を降魔のものとしようと企んだ。

 そして華撃団と戦い──そして、討たれたのが約一年前ととなる。

 

「……大神少尉、どいてください。僕は、アイツを許すわけには……」

「武相隊長、気持ちは察するが……」

 

 刀の柄を握りしめる梅里に対し、自分の霊子甲冑を押しとどめるように立たせる大神。

 降魔を支配し、当時の帝国華撃団副指令であった藤枝あやめを、上位降魔・殺女(あやめ)へと変えて己の手駒とした叉丹は降魔を利用した者であり、彼によってされたわけではないとはいえ、幼なじみを降魔にされかけて失うこととなった梅里にとって不倶戴天の敵である。

 それは理解しているが、大神とて華撃団で様々なことにぶつかり悩んだ自分を助け、導いてくれたあやめを奪われているのだ。そんな大神の怒りも梅里にけっして劣るわけではない。

 ただ、梅里と違うのは──

 

「なぜだ。お前は確かに俺たちが倒したはず」

 

 失われた大地『大和』の聖魔城での戦いで、花組は直接戦い倒している。帝都に残ってその防衛につとめてその戦いには参加していなかった梅里とは違い、その確たる感触があるのだ。

 だから今、目の前にいるのが本当に叉丹なのか、もしそうなのだとしたら、どうして、どうやってここに現れたのか、明らかにする必要があった。

 ゆえに大神は訊かずにいられなかったのだ。

 

「貴様の狙いは、いったい何だ、葵 叉丹!!」

「それを貴様らに教えてやる必要が、どこにある?」

「それなら、叩きのめして吐かしてみせる!!」

 

 そう叫んだ梅里が改めて刀を構えるや、球状になった銀色の光のフィールドに包まれた。

 彼の家でのみ伝わり、魑魅魍魎と戦い磨き続けた武相流剣術の奥義であり、霊力のフィールドをまとうことで身体能力を爆発的に引き上げる満月陣という技だ。

「貴様らごときが勝てる相手ではないわ! この闇神威は!!」

 迎え撃つ叉丹の駆る闇神威。

 梅里の一撃を弾くと、そこへさらに大神の光武改が加わって挑む。

 手にした二刀と、闇神威の一刀がぶつかり合い、火花を散らす。

 互角以上の戦いを繰り広げる闇神威。

 

「くッ! さすがに……強い!!」

 

 うめく大神。

 そこへ、隙間を縫うように飛来した銀光が、闇神威にまとわりつくように走り、牽制する。

 

「うるさい蠅め!!」

 

 焦れる叉丹。手を、そして刀を振り回すが、銀光──梅里はそれを巧みに避け続ける。

 頑強さでは到底及ばなくとも、生身の体は魔操機兵に比べれば遙かに小柄である。小回りが利くのを生かして、翻弄する。

 

「くッ!!」

 

 その梅里に気を取られると、大神の霊子甲冑による力強い太刀が襲い来る。それを太刀で受け止めた叉丹は──

 

「貴様ら! 調子に乗るなァッ!!」

 

 魔操機兵を中心に妖力を爆発させる。

 直前に気配を察知して距離をとる大神と梅里。

 攻め手がとまったその隙をついて形勢を逆転せんと距離を詰める闇神威。

 そこへ──

 

「大神さん!」「梅里様!」

「「──おうッ!!」」

 

 それぞれの呼びかけに応じて、大神と梅里が、まるで道を開くように左右に分かれて距離をとる。

 

「ぬう!!」

 

 どちらを追うべきか、その動きに戸惑う叉丹。

 だが、それは翻弄が目的の動きではなかった。二人がいた場所のさらに先には──桜色の霊子甲冑が鞘に納められた刀を握り、霊力を貯めていた。

 さらにはその足下には、鮮やかな紅紫色──マゼンダ色の袴の女性用夢組戦闘服に、両手に一つずつの扇──『深閑扇(しんかんせん)』という銘──を握りしめた、閉じたように細い目と、流れるような艶やかな髪が特徴的な女性隊員がいる。

 真宮時さくらの光武改と、夢組隊員にして副隊長の塙詰(はなつめ) しのぶである。

 そのしのぶが、手にした扇を広げる。

 かたや桜の花()緋鯉()紅葉の葉()南天の実()が描かれた花鳥画が描かれた『深閑扇~(のぞみ)~』と、かたや快晴、晴天から曇天、雷雨への天候の移り変わりを一枚の画で描かれた『深閑扇~(ひかり)~』。

 それらを開き、霊力で大きな写し身を作り出すと──

 

「さくらさん、いきますよ!」

「はい、しのぶさん。お願いしますッ!」

「では……参ります! ──大地に眠りし育む力よ、咲き誇れ!!」

 

 しのぶが霊力を解放し、自分とさくらの光武改の足下がピンク色に染まる。

 よく見れば、花の形をしており、それは霊力でできた芝桜のようであった。

 それがしのぶが振り上げた二つの深閑扇によって舞い上げられ──花吹雪に包まれたさくらの光武改は、その霊力を底上げされる。

 そして──

 

 

「破邪剣征……桜花爛漫!!」

 

 

 今のさくらとその光武改の限界を超えた──今のさくらではたどり着けない一歩先の極意に到達した──斬撃が居合い抜き様に放たれ、しのぶが舞い上げた花吹雪と、さくらが放った桜吹雪が渾然一体の怒濤となって──闇神威へと押し寄せる。

 

「なに!?」

 

 その花の嵐の前に、必死に堪える闇神威。

 そこへ、左右に分かれた二人の隊長が、再び合流して一撃を加えんと突き進む。

 

「大神隊長! 渾身の一撃を!!」

「おうッ!!」

 

 大神の光武改が持った二つの刀が雷を帯びる。

 そして──それと闇神威を中心に反対から迫る、球状の銀光に包まれた梅里は、右手に愛刀を、そして左手にはほぼ同じ形の太刀を霊力で写し身として作り出していた。

 

「満月陣・月食返し……」

 

 梅里が初めて見せる二刀流。それはまるで鏡に映ったかのように、大神とまったく同じ動きをし、その二刀が雷を帯びる。

 

 

「「狼虎滅却……天地一矢!!」」

 

 

「なんだとォッ!?」

 

 左右から、両方とも大神の必殺技による挟撃。

 正面からのさくらの攻撃に耐えている闇神威にそれを迎え撃つ余裕などなく、挟まれるようにその一撃……いや、挟撃をその身に受けては耐えられるはずもなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 煙を出し、機体からスパーク光を走らせながら、行動を停止する闇神威。

 そこから姿を現す、長い銀髪の男。

 彼こそが、約一年前に起こった戦いの元凶、葵 叉丹である。

 満身創痍で魔操機兵・闇神威から出てきた彼に余力は無いように見えた。

 他の脇侍もまたことごとく倒され、誰の目から見ても叉丹の敗北は明らかな状況である。

 そこへ、霊子甲冑から降りてきた花組の面々が遠巻きに見ている。

 一方、大神の技を模倣してトドメの一翼をになった梅里はというと、無理がたたって動けなくなっていたのを、せりに支えられてようやくこの場へとやってきていた。

 

「まったく、なんであんな無茶したのよ。動けなくなるくらいに」

「いや、ノリというか、つい……」

「また、つい? 本当に無計画なんだから、もう少し霊力は計画的に使いなさいよ。雷の霊力って消費が激しくて負担が大きいんだからね」

「それは今回、身に染みてわかったから……」

 

 支えつつもお小言を忘れないせりに答えつつ、梅里は花組たちの近くにまでやってきていた。

 そして、叉丹の姿が見える。

 

「あれが葵 叉丹。敵の首領……」

 

 感慨深げにせりがつぶやく。

 梅里も彼の顔を見る。もちろん見覚えがあった。

 その顔を見たのは一度しかないが、忘れはしない。あやめが降魔へと変えられたときが、その唯一の目にした機会であったからだ。

 

「今回は、いったいどんな企みを──」

「どんな企みだって関係ないさ」

 

 せりの言葉を遮って、梅里が腰の刀を抜きながら一歩踏み出す。

 

「あの男は……人を降魔に墜とすようなヤツは、生かしてはおけない」

「梅里……」

 

 その苛烈な反応に、せりは思わず息をのんだ。

 たとえ何年経とうとも、彼の降魔に対する怒りは全く消えていないのだと改めて思う。

 そうして梅里が花組たちの間を抜けようとした、その瞬間──

 

「グォハ……ッ」

「……え?」

 

 葵 叉丹の腹から切っ先が生えていた。その光景にたった今まで殺すと息巻いていた梅里が呆気にとられている。

 そして──その背後にいつの間にか現れたものが、刀を突き刺していたのだと気がつく。

 

「グッ……貴様……」

 

 憎しみを込めた視線を背後に送る叉丹。

 そうして見つめられた男の顔は──被った鬼面のせいでうかがうことはできなかった。

 

「お前は!?」

「……鬼王」

 

 大神の誰何の言葉に、鬼面の男は答えつつ、刀を叉丹の体から引き抜く。その拍子で叉丹の体は地面に崩れ落ち、同時に彼の刀が地面に転がる。

 鬼王と名乗った鬼面に和服姿の男は、その落ちた刀を拾い上げ──そして、かき消えるように姿を消す。

 

「今のは、いったい……」

 

 大神が戸惑うのも無理はない。

 気がつけば残されていたのは、葵 叉丹の亡骸のみであった。

 




【よもやま話】
 本当は─3─の後半だった戦闘シーン。
 前作の戦闘の反省で、今作はなるべく花組との共闘シーンを中心にしようと思ってます。
 霊子甲冑を支援する部隊、のような雰囲気。感じとしては機動戦士ガンダムの第08MS小隊のOPとかに出てくるモビルスーツをいろいろと支援する人たちみたいになれたらなぁ。
 なお、織姫の攻撃はゲームでは壁越しで余裕で当たるのですが、その原理はこうなってます的な解釈です。
 またさくらの必殺技ですが、「2」の最終技に進化しているのはしのぶの援護を受けたからです。この時点では独力では放てません。
 一方で、大神の必殺技はこの時点でのものです。それを梅里が「月食返し」を使って模倣しているのですが──なんと前作1話以来の使用。
 というか、いろんな理由で「2」で使いたいから前作1話で先行使用していたんですよね、月食返しは。


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─5─

 

 ──帝都内某所

 

「さて、いよいよ本格的に私たちも動くことになるけど、準備は大丈夫かしら?」

「ええ。抜かりなく。水弧様」

 

 長い黒髪の女の声に、黒ずくめ──まるで舞台の黒子や文楽の人形師のような姿──の男が答える。

 

「本部勤務で間違いないの?」

 

 そしてもう一人その場にいた銀髪の女の確認に、水弧と呼ばれた黒髪の女がうなずく。

 

「ええ。華撃団に潜入という点では一緒になるわけだけど……くれぐれも足を引っ張らないように気をつけてほしいわね、ローカスト」

「先に潜入しているのはコチラの方なのだけど? それにワタシに関しては“夢喰い(バク)”と呼ばれる、と記憶しているけど?」

「あら、そうだったわね。ごめんなさいネ、人を信用しないから共同の作戦って苦手なのよ」

「……それで台無しにされたら、たまったものじゃないわ」

 

 水弧を睨む“夢喰い(バク)”。

 相手を蔑むような目で見返す水弧。

 

「おやおや、仲間内で争っても仕方がありませんよ、二人とも」

 

 仲裁に入る黒ずくめの男。

 

「人形師、あなたは黙っていなさい。いえ、むしろあなたも私にとっては邪魔の一人でしかないのですけど」

 

 不快気味に水弧が言うが、人形師と呼ばれた黒ずくめの者は表情こそ隠れて見えないものの飄々とした口調で返す。

 

「おや、私があなたについているのは、“あの方”の指示ですよ。ついでに言えばお二人がそろって潜入することも。それでも逆らうおつもりですか?」

 

 それでも水弧は黙って人形師をジッと見続ける。

 

「さて、“あの方”の計画において最大の障害となるのは帝国華撃団。司令の米田中将の作戦指揮能力も、それを実行する実働部隊である花組の能力も優れていますが……憂慮すべきは見えざるものを見る目にして聞こえざるものを聞く耳である、霊能部隊夢組です。ただ強くて暴れるだけの猛獣よりも、狡猾な獣の方が駆除するのには厄介ですから、ねぇ」

 

 帝国華撃団は後者であり、そう成らしめているのは月組の情報収集能力と、夢組の危機察知能力だった。

 例えるのなら華撃団は視覚・聴覚・嗅覚が発達しているだけでなく、それを逆手に取った罠でさえ、恐ろしく冴えている勘を頼りに見切って全て避けてしまうような猛獣だ。

 

「あれを罠にかけるには、まずはその勘を働かなくさせる。そのための夢喰い(バク)ですよ、水狐様」

「……わかったわ。それについては認める。でも、あなたも含めてよけいな手出しは無用に願うわ」

「承知いたしました」

 

 過剰なほどに慇懃に頭を下げる人形師に、水弧は面白くなさそうな顔をした。

 それで夢喰い(バク)とは有耶無耶になったようで、相手も不機嫌そうに銀髪をいじりながら視線を逸らすように振り返る。

 

「間もなく、私たち五行衆も動いて本格的に動き出すわ、我ら──黒鬼会が」

 

 水弧の言葉に人形師も夢喰い(バク)も頷く。

 

「最初の仕事は……文字通り華撃団の頭を潰すこと。その布石も含めて忙しくなる。新参のあなたもね、ローカスト」

 

 からかうようにもう一度、コードネーム以外の名で呼ぶ水弧を、夢喰い(バク)は鋭い目で睨みつけた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──葵 叉丹が銀座を襲撃してからしばらく経った。

 

 戦闘終了後には夢組や月組といった情報収集を得意とする部隊が、現場付近の捜査や調査を行い、その結果が形になり始めていた。

 そんな時期に、夢組は本部勤務をしている幹部達が食堂へと集まっていた。

 

 

「えっと、つまり……サタン=アオイを名乗っていたのが、対降魔部隊に米田指令と共に所属していたシンノスケ=ヤマザキっていうことかしら?」

「そういうことだ」

 

 虚空を見上げて頭の中を整理していたカーシャの問いに、帝国華撃団夢組の二人いる副隊長の一人、本部にいる塙詰しのぶではない方である巽 宗次が肯定した。

 普段は花やしき支部に勤務する彼は、昼の部の営業を終えた食堂で、隊長の梅里とよく会議をするのだが、今日はそれに本部メンバーのほとんどが参加している。

 

「だが、その葵 叉丹は間違いなく前回の戦いで死んでいる」

「What's!? 本当なの?」

 

 驚いたカーシャが振り向いた拍子に、ポニーテールにしたウェーブのかかった金髪が揺れる。 

 重々しくうなずく宗次が示すように、花組の報告ではそうなっていた。

 というのも、夢組は誰一人として聖魔城での戦いに参加していないので見た者がいないし、過去認知を使おうにも霊力状態が悪すぎて見通せないのだ。

 しかし、花組の報告にあるその直後に出現したという“悪魔王サタン”なる存在に関してはその圧倒的な妖力を感じられたし、実際、その力によって夢組が相対して倒した上位降魔が復活して再び戦うことになったのだから、それに関しては間違いない。

 そこから遡ることで、叉丹は死んだということは間違いない、という結論になるのだが──

 

「それなら、この前現れたのは……」

「生き分かれた双子の弟とかじゃねーの? とウチの頭なら言いそうだけど……」

 

 不安げなカーシャに対し、茶化すように苦笑しながら言ったのは錬金術班の越前 舞。その彼女にとっての「ウチの頭」といえば、出張中の松林 釿哉のことだ。

 容易に想像できて、皆一様にうなずく。

 

「いやいや、そんな。いくらなんでもそんなベタな展開が現実にあるわけないでしょ」

 

 それに思わず苦笑する梅里。

 そんな彼を予知・過去認知班副頭の駒墨(くずみ) 柊が何か言いたげに見つめていた。

 

「ん? どうかした?」

 

 視線に気づいた梅里が問うが、柊はなにも言わずに首を横に振った。

 

「真面目な話に戻すが──考えられるのは、戦いの混乱に乗じて生き延びた、または何らかの法術を使って死を乗り越えたか、と言ったところだが……」

 

 腕を組む宗次に、梅里は疑問を投げかける。

 

「さすがにあの状況で生き延びた、はあり得ないんじゃないかな。花組と全力で戦って決着が付いているんだから。六破星降魔陣が発動したときの紅のミロクとは違うでしょ」

 

 梅里が例に出したのは、黒之巣会との戦いの最中に、敵の魔法陣が完成したときに起こった地異で地割れが起き、それに黒之巣会幹部である紅のミロクが巻き込まれたことがあった。

 一時的には死んだと思われていた彼女だったが、日本橋で花組の突入を支援している梅里たちの前に現れて戦闘になっている。梅里はそのことを思い出して言ったのだ。

 

「……それに、法術で死を乗り越えた、というのもねぇ」

 

 梅里が続いて思い出したのは、やはり叉丹討伐後に現れた『悪魔王サタン』だ。それこそあれそのものがが「叉丹の死をもって現れる存在」なような気がして、それさえも花組の活躍によって倒されているのだから、これ以上はさすがに無理だろう、と思える。

 

「そうでなければ、不死の存在か……」

不死者(アンデッド)、デスカ?」

 

 梅里のつぶやきにカーシャよりも片言の日本語で反応したのは、夢組の元祖イギリス人、コーネル=ロイドだった。

 

「確カニ、死をキッカケに発動する呪法はありマス。それを自らに施して強力な魔導死霊(リッチ)とナリ、不死王(ノー・ライフ・キング)として君臨シタという記録もありマス」

 

 もちろん、表に残せない歴史ですが、とコーネルは補足する。

 悪魔払い(エクソシスト)であり、宣教師でもあるコーネルは西洋の魔術等といった方面にも知識が豊富だった。

 

「う~ん、やっぱりそれも違うように私には思えるけどなぁ……」

 

 そう言って首を捻るのはせりだった。やはりサタンとなることさえ異質なのに、そこからさらに、今度は不死者(アンデッド)になるというのは違和感がある。

 

「わたくしは、自らではなく他者に蘇らせられた可能性を危惧いたします」

 

 丁寧にそう言ったのは、閉じているように目が細い塙詰 しのぶだった。

 

「あ! そっか。そんなことが、できるってことは……」

 

 しのぶの言葉にせりが思わず目を丸くする。そして──チラッと梅里を盗み見た。それに気づいた彼は思わず苦笑する。

 

「そんな所行、許サレル訳がありまセンッ!!」

 

 しかしそれで激昂したのはコーネルだった。

 宣教師であり、聖職者である彼にとって死者を人の手で蘇らせるような術は禁忌にあたり、絶対に許容できるものではなかったのだ。

 だが、しのぶは首を横に振った。

 

「ロイド様の気持ちも理解できますが、例え許されざることでもそういった術があるのは間違いありません。そもそも、その術……『反魂(はんごん)の術』を使っていたのが葵 叉丹──山崎 真之介という方ではありませんか」

「え? どういうことですか?」

 

 話についていけず、かずらが疑問を口にする。

 

「蘆名天海。先の戦いでの敵であった黒之巣会の首領ですが……元々は江戸時代の初期に徳川家康に仕えた天海僧正。それを反魂の術で蘇らせ、背後で操ったのは葵 叉丹ですから」

「自分で使った術をかけられて蘇ったのだとしたら、何とも皮肉なものだね」

 

 しのぶの解説に梅里が付け加えて苦笑する。

 そして先ほどからちらちらと梅里の様子をうかがっているせりを見た。

 

「それで、せり。僕はもちろん反魂の術を使おうなんて考えてないから心配しなくても大丈夫だよ」

「そ、そんなの……思ってないわよ?」

 

 梅里に言われて明らかに焦るせり。誤魔化そうとしているが誤魔化しきれていない。

 せりが見ていたのは、それを使って彼が失った幼なじみを蘇らせようとか考えるのではないか、と心配したからだ。

 

「そんなものにすがっても、そのままその人が戻ってくるわけじゃない。そんなに都合のいいものじゃないことくらいわかってるよ。第一、そんなことをしたらアイツに叱られるからね」

 

 梅里は肩をすくめる。

 イザナミを迎えに黄泉国へいったイザナギの試みが不幸な結果になったように、神話の時代から死者を蘇らせようとする話はあるがそれがろくな結果にならなかったのはどれも同じだ。

 

「強引に呼び戻す反動で、どこかしらおかしくなるってところじゃないかな。江戸の基礎を作ったといわれるほど聡明なはずの天海僧正が、今の世を見て「徳川の世に戻さなければならない」と考えるくらいに、ね」

 

 黒之巣会の大義名分は「徳川の世への回帰」だった。

 今の豊かになった世を見て、それでも天海がそこにこだわるのだから妄執に取り憑かれて常軌を逸していたのは明らかだった。

 

「もしくは、逆に思考を完全に放棄して、蘇らせた者の操り人形となるか……」

 

 仮にそれができるとして、それでも叉丹が天海をそうさせなかったのは、あくまで自分の目的を果たすための隠れ蓑として目立たせる必要があったからだ。

 

「話が脱線しかけているが……オレも塙詰の誰かが蘇らせたという意見に賛成だ。しかし問題なのは誰が、何の目的で葵 叉丹を反魂の術を使ってまで復活させたか、ということだ」

 

 宗次が深刻そうに眉間にシワを寄せて考える。

 

「しかも、捨て駒のように使い潰して……ね」

 

 梅里の付け加えに一同がハッとして梅里を見た。

 

「仮に叉丹が誰かに使われていたとして、この前の戦いでは叉丹を支援したり、救助するような援軍はなかった」

 

 やってきたのは叉丹の口を封じるため、“鬼王”と名乗った鬼面に和服の男だけだ。

 

「せっかく、反魂の術なんてものを持ち出してまで蘇らせたのに、そんな貴重な駒をあっさり手放している」

「確かにな。つまりはそれが悪手ではない、ということか?」

 

 宗次が問うと梅里がうなずいた。

 

「これはあくまで僕の推測になるけど、敵組織にとって叉丹──山崎 真之介の役割は終わったんだと思う」

「かなり強かったように見えたけど、戦力として? それなら、それだけ敵が強いってコト?」

 

 今度はカーシャが問うが、梅里はそれに首を横に振った。

 

「いや、山崎 真之介の価値は純粋な強さだけじゃない。むしろ霊子甲冑・光武やその運用に使う翔鯨丸、轟雷号の設計から運用思想といった天才的な発想の方が価値があるんじゃないかと思ってるよ」

 

 純粋な戦力よりも、その戦力を何倍もにできる運用思想を発想できる者の方が、希有であり、重要なのは明らかだ。

 

「しかし、それを敵は捨て駒のように使った──」

「だから、用済みになったんじゃないか、と僕は思ったんだよ。技術的なものは全て吸収した、とかね」

 

 宗次に続いて梅里が言う。

 

「でも、用事が終わったとしてもそのままにしておけばいいんじゃないですか? ひょっとしたらまた必要になるかもしれないじゃないですか」

 

 不思議そうな顔をして小首を傾げたのはかずらだ。

 

「確かにね。それが将棋なら持ち駒にしてといっておけばいい。でも現実にはそういうわけにはいかなかったんだろうね。発想を期待しているのなら思考を捨てさせて復活させるわけにはいかないし、そうなると……思考能力を持ったままの叉丹が誰かの忠実な部下になる、なんて思う?」

 

 黒之巣会では天海の忠実な部下──のフリをして、その実は首領の天海を後ろから操る黒幕で、地脈に甚大なダメージを与えて聖魔城の封印を弱めるのに利用した。

 聞けば、対降魔部隊でも米田や他のメンバーと衝突する事もあったらしい。

 

「あの、梅里様? 反魂の術というのは、蘇った者は蘇らせた者に絶対服従を強いられると聞き及んでいますが……」

 

 恐る恐るといった様子でしのぶが発言する。

 

「叉丹ほど狡猾なヤツならその穴を見つけて反抗してもおかしくないでしょ。例えば、他の者に蘇らせた者を殺させる、とかね。そうすれば自分を縛るものがなにもなくなるんだから」

 

 梅里の説明で頭の上に「?」マークを乗せた除霊班頭・秋嶋(あきしま) 紅葉(もみじ)以外の皆が納得した。

 紅葉は戦闘能力はずば抜けて高いが、その分──理解力が弱い、残念な子なのである。

 

「反魂の術を使ったヤツが、自分の命を狙ってきそうならいない方がマシ、と思っても無理はない。もちろん、カーシャの言うように叉丹の危険さと戦力を天秤に掛けても、戦力として考えないでいい程に、敵の戦力が充実している、という証であると思うけどね」

 

 梅里がそう言って笑顔を浮かべると──

 

「Oh! さっすが隊長!」

 

 そう言ってカーシャがすぐ横にいた梅里に飛びつくように抱きしめた。

 

 

「「「なッ!?」」」

 

 

 思わず声を上げる三人を後目に──

 

「アタシみたいな新参者の意見もきちんと聞いていてくれて、うれしいわ! サンクス!!」

「え? あ……いや……それほどでも……」

 

 そう言いつつ、頬を掻いて戸惑いながらカーシャのするに任せる梅里。

 イヤな予感にそっと周囲に目を配れば、あからさまに怒っているせりの視線、頬を膨らませて不満げなかずらの視線、しのぶの冷めきった目線、がそれぞれ向けられている。

 

「外国人の挨拶……にしては度を超えてると思うけど……」

「むぅ……負けていられません」

「……やはり胸、だというのですか。梅里様」

 

 そんな三人に睨まれつつ、梅里は──

 

「敵の正体どころか名前さえもわかっていない今は情報を集めるしかない。月組がメインで動いているけど、そのサポートをお願いするよ。特に、調査班」

「ええ、わかったわ。でも……その首にぶら下げた巨大なアクセサリーは外してから指示を出した方がいいと思うけど?」

 

 首に腕を回して抱きついたままのカーシャをジト目で見ながらせりが答えた。

 




【よもやま話】
 暗躍する敵組織。水狐は……もうみんな潜伏時の姿を知ってるでしょ、ということであまり隠すことをしないつもりです。
 これを書くために攻略本とか見返してるんですけど、ゲームでも結構露骨に動いてるんですよね。4話で京極のニセ情報流したり、と。
 コーネルの話は、ぶっちゃけ「3外伝」への布石です。そうなるかも……レベルですけど。


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─6─

 それから数日後──帝劇は先月に引き続き、新しいメンバーを迎えていた。

 

 まずは今までかすみと由里の二人だった事務局に、影山サキという女性が加わった。長い黒髪が特徴的な彼女は、立場的には米田の秘書ということになるらしい。

 ともあれ、たびたびモギリの大神が手伝う羽目になっていた事務局の忙しさも少しは解消されれば、といったところである。

 

 そして花組にも新しいメンバーが加わっている。その新戦力のレニ=ミルヒシュトラーセはドイツ出身で、感情表現が乏しく何事にも動じないのが特徴だが、織姫と同じく元欧州星組でその戦闘技術はかなりレベルの高いものだった。

 それを証明するように、レニとサキの歓迎会の最中にあった帝都の鶯谷での敵襲でその実力を遺憾なく発揮し、明らかになった敵組織『黒鬼会(こっきかい)』の幹部、五行衆の一人である木喰(もくじき)の駆る魔操機兵を早々に撤退に追い込んだのだった。

 その後は、黒鬼会が戦場に設置したかなりの威力を誇る蒸気火箭による砲撃に対し、夢組は障壁で防いだり、霊力による幻惑で照準を誤魔化すなどして花組の戦闘を支援し、花組隊長の大神が、やはり五行衆で筆頭を自称する金剛の魔操機兵・大日剣との戦いで深手を負わせ、撃退することに成功したのである。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして──その夜のことだった。

 

「しのぶ、ちょっといい?」

 

 食堂での勤務を終えたしのぶは、食堂をでたところで声をかけられた。

 幼さの残る高い声は花組のアイリスのそれだ。

 振り返ると予想通り、アイリスがニコニコと笑みを浮かべながらしのぶを見ていた。

 

「ちょっと相談したいことがあるんだけど……」

「あら、アイリスさん。なんでしょうか?」

 

 思わず笑顔になってしのぶも答える。

 夢組メンバーの中でもっともアイリスと仲がいいのは、妹弟が多く、世話焼き好きで子供からも好かれやすいせり──と思われがちだが、実はしのぶなのだ。

 それというのもアイリスがしのぶを姉のように慕っているからである。

 せりの場合はその世話焼き(ぢから)と庶民的な雰囲気が強すぎて、貴族であるアイリスにとっては姉というよりも世話をしてくれる執事やメイドのイメージになってしまうらしい。

 一方で、しのぶは国こそ違えど旧来の貴族の家系に生まれ育っており、また強すぎる霊力を暴走させて冷遇されていたアイリスにとって、一族から魔眼の力を恐れられていたしのぶは境遇が似ているのも要因の一つだろう。

 

「たしか花組の皆さんは、歓迎会のやり直しをするとお聞きしましたが……」

「うん。出撃のせいで途中になっちゃったから、このあとやる予定なんだけど……その前に、ね」

 

 笑みを浮かべながらアイリスがしのぶに走り寄る。

 

「今度、フランスにお手紙を出そうと思うのだけど……どんな内容がいいかな、と思って」

「御両親に、ですか? それは悩ましいですね」

 

 アイリスに言われ、細い目のまま眉根を寄せて悩むしのぶ。

 誰に対しても丁寧な言葉で話すしのぶは、もちろんアイリスにも丁寧な言葉遣いのままであり、他の人と同じようにさん付けで話してくれるのは、他の人と同じように大人扱いされたいアイリスにとってはうれしいことで、それも好かれる要因の一つだ。

 

「しのぶだったら、どんなことを書くのかしら?」

「わたくし、ですか……両親に……」

 

 まず浮かんだのは近況報告。帝都の様子から華撃団の活動、新たに現れた黒鬼会という敵対組織の動向──そんな内容に思わずため息をつく。

 

「どうしたの?」

「いえ、思い浮かんだのが業務連絡になってしまっていたので。昔のクセというのはなかなか抜けなくて、いけませんね」

 

 思わず苦笑を浮かべるが、アイリスは不思議そうにしのぶを見るだけだ。

 元々は、塙詰家が主要な家の一つである京都の陰陽寮の間者として華撃団に入隊したしのぶにとって実家への連絡とは成果の報告だったので、その昔を思い出してしまったのだ。

 なお──陰陽寮への定期的な連絡は今も欠かしていない。が、今や陰陽寮は華撃団に友好的であり、定型的なものになってしまっている。

 

「よくわからないけど、しのぶはお父様やお母様に話したいこととか、ないの?」

「そうですねぇ……」

 

 困り顔になるしのぶに、アイリスは少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「そうねぇ……例えば、武相シェフのこととか、かしら?」

「え? 梅里様のことですか!?」

 

 ドキッとして思わず声が大きくなってしまう。

 両親への報告──ということで、しのぶの想像をかき立て、梅里を両親に紹介する、というところまで想像してしまい、思わず顔が赤くなった。

 そんなしのぶの反応に、アイリスは楽しげな笑みを浮かべる。

 

「やっぱりしのぶは、シェフのことが好きなのね」

「す、好きといいますか……お慕い申し上げているのは間違いないのですが……」

 

 アイリス相手にしどろもどろになるしのぶ。

 

「それならもっと積極的にアタックしないと、ダメじゃない」

「せ、積極的……」

 

 アイリスの言葉でまたいろいろと想像してしまい、さらに顔を赤くするしのぶ。

 

「い、いけません。大和撫子たるもの想いは秘めるものですから……」

「そんなこと言ってたら、せりやかずらに取られちゃうよ。それでもいいの?」

「そ、そんなことは……」

 

 しどろもどろなしのぶだったが、ハッと気がついて気を取り直す。

 

「アイリスさん、わたくしのことではなく、あなたの御両親へのお手紙の件、ではなかったでしょうか?」

「あ、そうだった……でも、なにを書いたらいいと思う?」

 

 その問いにも、しのぶはやはり答えに窮するのだが──先ほどのやりとりを思い出してピンときた。

 

「それなら、わたくしではなく大神様に相談して、お二人で文面を考えるのがよろしいのではありませんか?」

「お兄ちゃんと?」

 

 アイリスの問いにしのぶが大きくうなずく。

 

「大神様ならアイリスさんのことを他の誰よりもよく見ていらっしゃるでしょうし、なによりお二人の時間を作ることができるのがいいと思いますが……」

 

 しのぶの言葉に、アイリスは笑顔で大きくうなずいた。

 

「うん。さすがしのぶ、いい考えよ。じゃあ、早速お兄ちゃんを探してくるね!」

 

 そう言って駆け出すアイリスを見送るしのぶ。

 そんなアイリスが曲がり角でぶつかりかけたのは、彼女と同じように金髪の女性だった。

 

「あ、大丈夫? アイリス」

「平気よ、カーシャ」

 

 短いやりとりでアイリスはそのまま走り去っていく。

 それを見送ったカーシャは、気を取り直して進もうと振り返り、そしてしのぶの存在に気がついた。

 

「あら、しのぶ。今から帰るところ?」

「いえ、梅里様を探していたのですが……」

「彼なら、これから居残りで仕事みたいだわ」

 

 カーシャが言うには、急に事務局から食材や備品の棚卸しのため、倉庫等の整理をするように言われたらしい。

 あまり多人数でやっても混乱するので、梅里とせりの二人が行うということになったそうだ。

 

「せりさんと、梅里様が……」

 

 主任と副主任なのだから、理にかなっているのだが、さっきのアイリスの話の関係でなにやら気になって仕方がなかった。

 

「やはり、わたくしも手伝った方が……」

 

 そう言ったしのぶをカーシャが止めた。

 

「それはやめた方がいいんじゃない?」

「え?」

「今日は二人とも遅くまで仕事になるからきっと疲れるわ。それならアタシ達は今日はしっかりと休んで、明日に備えるべきじゃないかしら」

「なるほど。言われてみれば、たしかに……」

 

 はやる気持ちに水を差された形だったが、しのぶは不思議とその言葉が正しく思えた。

 

「では、わたくしも早くかえって明日に備えることといたします」

「ええ、ゆっくり休みましょう」

 

 ニッコリと微笑むカーシャと共に、しのぶは帰途についた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 さて、その後──カーシャがしのぶに説明したとおり、梅里とせりは仕事に追われていた。

 そしてチェック作業を進める二人の間に、今まで会話は無かった。

 

「……せり、怒ってるよね?」

 

 沈黙に耐えきれずに梅里が尋ねたが、せりはそれに答えなかった。

 

「ねぇ、せり……」

「主任、口を動かす暇があったら作業を進めてください」

「……なんだ、やっぱり怒ってるじゃないか」

 

 強い口調で返すせりに、梅里は口をとがらせてつぶやく。

 それを聞いてついにキレるせり。

 

「あのねぇ、誰だって仕事終わりの帰る直前に、残業押しつけられたら怒るでしょ? そんなの当たり前でしょ?」

「そんなのわかってるよ。でも、僕だって言ったじゃないか、明日で良くない? って。それでもかすみさんに、いろいろ事情があって今日中で、なんて言われたら仕方ないじゃないか」

 

 梅里の言うとおり、話を持ってきたのは事務局の藤井かすみだった。

 彼女は本当に申し訳なさそうな顔で言ってきたので、梅里は断りきれなかったのだ。

 かすみがそんな顔をするのは珍しい。基本的に仕事ができる女性である彼女は、そういう事態になることが珍しいからだ。

 

「また、かすみさん……あなたがかすみさんに甘いから、事務局がかすみさんを寄越したんでしょう? それくらい気がつきなさいよ!」

 

 梅里の反論はせりの怒りに、火に油を注いだだけだった。

 実際、梅里はかすみに頼まれると基本的に弱い。梅里は基本的に年上に敬意を払う姿勢でいるし、その上、かすみは同じ茨城県出身ということもあって梅里はすぐに彼女の言うことを引き受けてしまうのだ。

 そこまで理由を知ってか知らずか、最近は事務局が食堂に無理難題を言ってくるときにかすみが来るようになった。もちろんせりは頑強に抵抗するのだが──梅里の方を突き崩されて、今回のように押し切られてしまう。

 

「ちょっと年上で美人だからって、甘過ぎよ。鼻の下伸ばして……」

 

 梅里を睨むせりだが、彼女自身もかすみの落ち着いた物腰や丁寧な対応、包容力、そして見事なスタイルといったところにあこがれを感じている。

 その上で梅里とは同郷というアドバンテージが向こうにあるので、コンプレックスを感じているところがあるのだった。

 

「僕の、どこが鼻の下を伸ばしてるっていうのさ!」

「わかるわよ! あの人の、大人な色気に完全にやられてるじゃない!」

 

 カチンときた梅里に対し、売り言葉に買い言葉、ついに本気で喧嘩を始める二人。

 

「あぁ、そうだね! かすみさんは落ち着いているから、こんなことで怒ったりしないだろうからね」

「なッ……あんな時間に仕事を頼むのは、あまりに非常識じゃないの! 不機嫌になってどこが悪いの? それを非難するどころか庇うなんて……あなたこそ、かすみさんからよく思われたいって下心が丸見えじゃない!」

「あのねぇ……下心とかじゃないだろ。事務局にはいつもお世話になっているし、この時期は決算があって大変なのはせりだって分かるだろ?」

「それは、わかってるけど……」

 

 帝劇の会計を司る事務局は、決算期が毎年大変そうなのはわかっていたし、同情もしていた。それを突かれてせりのトーンが下がる。

 だが──

 

「それにかすみさんには、同郷で特にお世話になってるし……」

 

 さすがにそれにはせりの目が不満そうにつり上がり、見る見る不機嫌になっていく。

 

「結局、それじゃないの! ことあるごとに、同郷だから同郷だからって……」

 

 せりの逆鱗に触れたことに、梅里はいまいちピンときていなかった。

 しかしせりにしてみれば出身地に関しては、どんなに想っても梅里と同じ茨城になることは無いわけだし、どうしようもないことだ。

 しかしそれをかすみの話になるとそれを持ち出されてアドバンテージを見せつけられるのは、せりにしてみれば、かすみがズルしているのに等しい。

 おまけに──

 

「私も、夢組に同県人いるけど。それも男の……」

「あ、そうなの? ふ~ん……」

 

 梅里は自分の同県人に対しては嫉妬どころか、誰なのかさえ興味を持っていない様子だった。それがまた彼女を苛立たせる。

 

「もう、本当にあなたって人は……知らないッ! かすみさんの胸にでも顔を(うず)めて鼻の下伸ばしてなさいよ!!」

「は……? なんだよ、それ」

 

 梅里が尋ねるも、せりは「つーん」とそっぽを向き、再び黙り込んで仕事を始めた。

 あきらめた梅里もため息を一つついてから、黙々と仕事をこなし──終わった頃には、時刻は夜も遅い時間になっていた。

 それを事務局で報告すると──

 

「ご苦労様でした、武相主任、白繍副主任」

 

 申し訳なさそうにかすみがリストを受け取る。

 彼女もまた残業で残っていたのだ。

 この時期、決算が近くて事務局も居残りで残業しているらしく、由里や新人のサキまで残っているのが見えた。

 

「まだ、仕事なんですか?」

 

 たまらず梅里がかすみに尋ね──その横でせりがジト目を向けているのだが、梅里は気がついていない。

 

「とりあえず、今日のところはこれで終わる予定です」

「今日のところはって……大変ですね」

 

 梅里の言葉に苦笑を浮かべるかすみ。

 

「ええ、まぁ……明日以降も残業かもしれません」

「それは……」

 

 思わず梅里も苦笑する。ちなみにせりは相変わらず冷めきったジト目で梅里を見ている。

 そんな二人に──

 

「あら、食堂のお二人も今から帰られるんですよね? 着替えた方がいいんじゃないかしら?」

 

 そう言って苦笑を浮かべたのは、黒髪のサキだった。

 彼女に言われて梅里とせりはお互いの服を一度見て、自分の服を見直す。

 

「あ……、忘れてた」

 

 梅里は濃紅梅の羽織にコックコート、せりは給仕服のままで、着替える前に頼まれたのでそのまま仕事をしていたのだ。

 

「とりあえず、着替えてきます」

 

 梅里とせりはそれぞれ事務局から出て行くのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 着替えを終えて、濃紅梅の羽織の下を、コックコートから黄色のシャツにした梅里が帝劇内を歩いて、ロビーの椅子に腰掛けて一休みしたところで──

 

「だ~れだ!?」

 

 ──と両目を塞がれた。

 声の感じと、そういうことをしそうな人の心当たりは──

 

「かずらちゃん」

「……正解ですけど、ちゃんは要りませんよ、梅里さん」

 

 手がどけられたので振り返ると、少し不満げな雰囲気のかずらがこちらを見ていた。

 

「どうしたの? こんな遅い時間まで」

「いえ、カーシャさんに梅里さん達が遅くなりそうって話を聞いたので、居残りで練習してました」

 

 そういって彼女はバイオリンが入ったケースを掲げて梅里に見せる。

 

「居残りって、遅すぎやしないか?」

「ええ。思いのほか、梅里さん達が遅かったもので……」

 

 苦笑を浮かべるかずら。

 そのかずらを見て、小さくため息をつく梅里。

 

「……遅くなったのは僕のせいでもあるようだし、なにより遅い時間だから、送っていくよ」

「え? 大丈夫ですよ……梅里さんの家に泊まりますから」

「──え?」

 

 それを偶然通りかかって耳にしたかすみが驚いた様子で見ていた。

 呆気にとられたかすみと、梅里の目が合い、時が止まったかのようにお互いに固まる。

 どうにか動き始めた梅里は目の前のかずらに言い聞かせた。

 

「……かずら。も・ち・ろ・ん、ダメだからね?」

 

 てへっと言わんばかりに舌を出して笑みを浮かべるかずら。

 

「というわけです。安心してください、かすみさん」

「いえ、別に私は……他人の恋路に口出しする気はありませんし……」

 

 振り向いた梅里に対し、苦笑を浮かべるかすみ。

 そんな彼女に、梅里は──

 

「ちょうどいい。かすみさんも一緒に帰りましょう」

「え? 梅里さん、かすみさんのことも家に泊めるつもりなんですか!?」

「かずら、そう言ってかすみさんを遠慮させようとしてるだろ」

 

 梅里が叱ると、かずらは再び、悪びれた様子もなく笑みを浮かべつつ謝る。

 

「あの……よろしいんですか、私が一緒にいっても? さすがに今日は時間が遅くなりすぎたので、できればお願いしたいんですが……」

「もちろんです。普段からお世話になってるし、こんなことでそれを返せるとは思いませんが……」

 

 遠慮がちに言うかすみに梅里は笑顔で応じる。

 かくして、梅里は遅くなった帝都の街を、かずらとかすみを送ることとなり、二人を連れて、ロビーを抜けるとそのまま帰路へとついたのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その様子を見ている者がいた。

 その影は三人を見送りながら──

 

「あら、私が手を出す間もなく……主任さん、いえ夢組隊長殿もお盛んで手が速いこと。まあ、手間が省けて助かるわね。あとは……」

 

 ──そう独り()ちつつ帝劇内へと踵を返し、戻っていった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 梅里とかずらとかすみの三人が帝劇から出て間もなくのこと──

 せりがひょいと覗くと厨房も食堂も真っ暗だった。

 

「あ~、もう。アイツってば帰っちゃったのかしら」

 

 確かに仕事中、梅里と喧嘩になったが、それでも待っていてくれると思ったのだが──梅里は帰ってしまったらしい。

 

「それは喧嘩したのは確かだけど、今まではちゃんと……」

 

 梅里は本当に怒ったことでもない限りは、意外と根に持たないタイプだ。だから基本的にそれを引きずらないのだが、今回はそうではなかったようだ──というのは、せりの勝手な思いこみで、本当のところ梅里は喧嘩したことをそれほど気にしていなかったのだが──ともかく、せりが不機嫌さを隠さずに食堂で一人、グチる。

 そうしていると──

 

「主任さんのことですか?」

 

 後ろから急に声をかけられ、彼女は飛び上がらんばかりに驚いた。

 恐る恐る振り返ると、そこには長い黒髪が特徴的な女性が立っていた。

 

「あら、驚かせてしまいましたか?」

「い、いえ……大丈夫ですよ」

 

 せりは苦笑いして答える。

 彼女には見覚えがあった。さっきも事務局で目にしている。

 最近になって事務局に配属になった米田の秘書官で、名前は確か──

 

「影山サキといいます。よろしくお願いしますね、白繍食堂副主任」

「え? 私のこと……」

「はい、もちろん知ってますよ。しっかり者の副主任で、実質的に食堂を支えてると聞き及んでます」

 

 そう微笑みながらサキに言われ、せりも悪い気はしなかった。

 

「そんなことないですよ……やっぱり、主任の料理の腕があってこそ、ですからウチの食堂は」

「いえいえ、そんな謙遜しないでください。経費や効率なんかをしっかりと見つめて、シビアに現実的な判断をしているそうじゃないですか。武相主任を公私にわたって陰日向で支えている、と評判ですよ」

「そ……そうかしら?」

 

 せりをさらに評価して持ち上げるサキ。

 そこまで言われればせりも悪い気はしない。

 ところが──

 

「でも、白繍さんも可哀想だわ。そんなに一生懸命支えているのに、武相主任はあなたを置いて帰ってしまうんだなんて」

「そんなこと……だって、もう時間も遅いですし」

 

 仕方がない、とせりは時計を見ながら言おうとしたが──

 

「それも、かすみさんと伊吹さんの三人一緒で帰るのに置いていってしまうだなんて、ちょっと冷たすぎると思います」

「──え?」

 

 呆気にとられた。

 てっきり梅里は一人で帰ったものだと思っていたが──事務局の藤井かすみと、夢組の仲間である伊吹かずらと一緒に帰ったのだという。

 

(私のことは待たなかったのに……)

 

 驚き、そして嫉妬した。

 かすみと梅里は同郷で、以前から二人が仲良く地元の話をしているのは知っていたし、今日の喧嘩はそれが原因である。

 喧嘩の最中の言葉は、普段からせりが思っている不満でもある。

 かずらに至っては、せりの気持ちなど考えずに無遠慮に梅里にアタックしている。今回のように美味しいところをかっさわれるのは今まで何度もあった。

 

(なんで、かずらばかり良い目を見て、かすみさんにもデレデレして……それに比べて私のことはぞんざいで……許せない)

 

 そんな気持ちが起こった。

 そのときである。

 

 

 ──ドクン

 

 

 胸の奥で何かが脈動する。

 同時に先ほどの「許せない」という感情だけが膨らんでいく。

 

「──せっかくあなたは一生懸命つくしているのに、彼は気にもとめてくれないし、見てもくれない」

「え? あ……そ、んな……」

「それじゃあ、あまりに報われませんよねぇ」

 

 せりの心に言葉が染み込んでいく。

 それは深く深く染み渡り、さっき意識した感情をどんどんと成長させていく。

 

「あなたは権利があるはずよ。あなたが献身を捧げているのだから、彼から寵愛を受ける権利が……」

 

 そう……自分はもっと愛されていいはずなのだ。

 でも、それは自分には注がれずに他の人、かずらや──果てはかすみへと注がれている。

 こんなに尽くしているはずなのに──

 

「ああ、愛しい人。そして憎らしい人……でも……あの人が、与えてくれないのなら……自分で取りに行けばいいんじゃないかしら?」

「取り……に?」

「そうよ。あの人をとってしまうの。そして自分だけのものにしてしまえばいい」

「私、だけの……ものに……」

 

 傍らでささやき続ける存在を忘れ、せりの目は明らかに正気から逸したものへと変わっていた。

 

「そう、あなただけのものに……決して他人に、そして永久に奪われないように……」

 

 その焦点定まらぬ目には嫉妬に染まり、梅里という標的をだけしか目に入らなくなっていた。

 




【よもやま話】
 というわけで、アイリスとしのぶは仲がいいのです。
 せりに関して付け加えると、お姉さん風を吹かせてくるのが「子ども扱い」にとらえれれてしまって反発しているところもあります。
 事態がいよいよ動き始めるわけですが──これは旧作と大まかでは変わらない流れです。
 細かいところを変化させたら、後々大変なことになったわけですが。


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─7─

 共に帰ることになった梅里、かずら、かすみの三人は帝劇前で乗った都電を降りて歩いていた。

 

「──それで、てっきり一緒に船だと思ったのに、梅里さんがまさか陸路だなんて……騙されたんですよ。せりさんってばやっぱりズルいんです」

 

 そうやって話しているのはかずらであり、それをかすみが聞いている。

 内容はといえば去年の欧州渡航のことだった。かずらはせりを非難していたが、完全に客観的なかすみから見れば、自分のコンクールの出場に半ば強引に連れて行ったかずらの手口を考えると、お互い様といったところである。

 たまに行きすぎるかずらの描写を、誤解が生まれないように止めていた梅里。これがかすみではなく、由里だったなら間違いなくとんでもない尾鰭背鰭がついて、梅里がかずらと結婚でもしなければならないような空気になっていただろう、と心の中で苦笑した。

 つくづくかすみでよかった──とため息をついた梅里が足を止めた。

 同時に、腕を横に出して他の二人も止めると、かばうように一歩前に踏み出す。

 

「梅里さん?」「武相主任?」

 

 驚いた様子のかずらとかすみ。だが、梅里は前を凝視したまま、二人の方を見ようともしなかった。

 それどころか、二人が見たこともないほどに厳しい顔で前方を凝視し、手は腰に帯びた自分の愛刀を探し求め──その柄をしっかりと握りしめていた。

 

「……武相隊長、なにごとでしょうか?」

 

 かすみが華撃団員の顔になって状況を尋ねると、梅里はようやく口を開く。

 

「マズいことになった。二人は……絶対に不用意に動かないで」

 

 額から汗を流して梅里が警告する。そして──夜の闇から月の光の下へと、滲み出るように“それ”は現れた。

 鬼面で顔を隠した、和服姿の男。そしてその手には、自ら(あや)めて奪い取った山崎真之介が手にしていた『光刀(こうとう)無形(むけい)』が、すでに抜き身となって握りしめられていた。

 

「鬼王、とか言ったな。何が狙いだ」

 

 梅里の問いに、鬼王は淡々と答える。

 

「華撃団の見えぬものを見る目にして聞こえぬものを聞く耳を、塞ぎにきた。帝国華撃団夢組隊長、武相 梅里……覚悟してもらう」

「狙いは僕ってわけか」

 

 かすみやかずらへの執着が無いことに少しだけホッとするが、それでも彼女たちが助けを呼びに走れば、それを許しはしないだろう。

 それが察することができたからこそ、最初の段階でどちらかを走らせることはしなかったのだ。

 

「──二人とも聞いての通りだ。絶対に手を出すな。決着が付くまで逃がすこともできそうにない」

「はい……わかりました」

 

 ただならぬ気配を察したかすみはうなずく。このあたりの肝が据わっているところは、さすが冷静な戦況分析が求められる風組所属であると言えるだろう。

 さらには、反論しようとしたかずらをも抱きしめるように押さえ込んでいる。

 

 そして──かき消えるように動いた影がぶつかり合った。

 

 抜き身の刀を振りかざした鬼王と、鞘に収めたまま抜き打ちで仕掛ける梅里。

 両者のほぼ中間で、刀を合わせてつばぜり合いとなる。

 

「叉丹のときのような不意打ち(卑怯な手)は使わないのか?」

「使ったところで、気づかれては意味がない。その刀がある限り」

「──ッ!?」

 

 梅里が見せたわずかな驚きで生まれた隙をつくように動かれ、あわてて距離をとる。

 鬼王が詰めてこなかったために、再び両者の距離が開き、お互いに刀を構えて対峙する。

 

(この刀を──『聖刃(せいじん)薫紫(くんし)』を知っている?)

 

 驚きの原因はそれだった。

 梅里の使う刀は『聖刃・薫紫』。

 水戸で代々魑魅魍魎と戦っていた武相家が秘蔵していた名刀の一振りであり、鬼王が使っている『光刀・無形』や花組のさくらの『霊剣(れいけん)荒鷹(あらたか)』、米田司令の『神刀(しんとう)滅却(めっきゃく)』という二剣二刀にも負けず劣らずの強力な霊力を帯び、数々の魑魅魍魎を討滅してきた。

 しかしその最大の特徴は危機察知能力であり、所有者に危機が迫ると刀身から霊力のオーラを立ち上らせたり、瞬間的な閃きのように警告を発する。

 そういった能力も含め、高名な二剣二刀にけっして劣る刀ではないのだが──

 

(一番の違いはその知名度。『破邪の血統』真宮寺家の代名詞のような『荒鷹』に代表される二剣二刀と違い、『薫紫』は武相家が秘蔵してきた刀だというのに……)

 

 それというのも武相家の顔とも言うべき刀は他にあるからだ。しかしそれは宗家の当主が引き継ぐものであり、梅里ではなく兄が持つべき刀である。

 『薫紫』はより実戦的な能力から、嫡男以外の者や分家筋が指名される魑魅魍魎と戦う役目を負った者が、武相家の当主から「与えられるもの」で、役目を辞するときに返却するのが(なら)わしだった。

 

(そんな裏の顔の『薫紫』を──なぜ知っている)

 

 そんな疑念を抱きながら、梅里と鬼王は再び刀をぶつけ合った。

 近づいては切り結び、距離をとっては仕掛け合い、再び距離を詰める。

 もちろん『薫紫』を武相家以外の者が知っているのがおかしいというわけでもない。

 この刀を手に梅里は黒之巣会との戦いを含めたあの一年を戦い抜いたのだし、夢組内では刀の銘とともに、その能力までも知っている者もいる。

 敵対組織だろうとも諜報活動を行えば把握できてもおかしくない話だ。

 だが──梅里は刀を合わせるうちにもう一つ違和感を感じ始めていた。

 それは、徐々に劣勢になっていることにも起因している。

 

「なら──これで!」

 

 梅里が霊力を高め、そして霊力による銀色に輝く球状のフィールドを纏った

 

「──奥義之参、満月陣」

 

 霊力を使って爆発的に身体能力を高める武相流の奥義。それを使って鬼王へ挑む梅里。

 だが──

 

「なッ!?」

 

 今までとは比べものにならない速さで距離を詰めて振り下ろされた刀を、鬼王は戸惑うことなく、ごく自然にそれを回避した。

 返す刀の一撃も、今度はそれに刀を合わせて逸らされ、梅里は逆に焦る。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「いけない。このままでは……」

 

 察したかすみが厳しい顔になる。

 

「どうしたんです? かすみさん。梅里さんは、負けませんよね? 勝てますよね?」

 

 それに頷けないかすみ。

 満月陣を使った梅里の身体能力が跳ね上がったのは、(はた)から見ても明らかだった。しかし鬼王はそれに的確に対応できてしまっている。

 

(あの技が通じない……いったい、なぜ?)

 

 かすみは梅里が他の隊長と稽古をしているのを偶然見かけたことが二度あった。

 中庭で花組隊長の大神と剣術稽古をしているのと、地下の鍛錬場で月組隊長の加山と稽古をしていたとき。

 そのいずれもで梅里は満月陣を使い、二人から一本をとっている。

 

「身体能力が上がるとわかっていても、戸惑って対応できない」

 

 二人の隊長は異口同音にそう評価していた。

 突然変わるし、どれほど強化されるかわからないので初見ではまず対応できない。よほど慣れれば別かもしれないが……と大神が感想を言っていたのを思い出す。

 

(それに鬼王という敵は対応して見せた)

 

 満月陣は身体能力向上もさることながら、その変化によって相手の虚をつくという二次的な効果もあるのだが、それさえも通じていなかった。

 なおも尋ねるかずらに思わず目を閉じて黙り込んでしまうと、かずらは悲愴な面持ちで梅里と鬼王の戦いを見た。

 

「梅里さんが……負けちゃう?」

 

 今まで、かずらの前でどんな敵にも負けなかった梅里。

 満月陣で銀色の光に包まれた彼は、かずらにとっては絶対不敗のヒーローなのだ。

 ただの一度、満月陣・望月(もちづき)で金色の光を纏ったときには命を落としかけたが、あれはあくまで梅里が集めた霊力に耐えられなかっただけで、少なくとも敵は倒している。

 その彼がここまで追いつめられている光景は、初めてだった。繰り出す刀は読まれているかのように受け止められ、受ける刀の隙をついた攻撃は梅里に届いている。

 致命傷にこそなっていないが、梅里は傷を負い始めているし、これが続けばじり貧になるのは明らかだった。

 

「そんな……」

 

 夢組では最強を誇り、華撃団全体でも生身で最強候補に名前が挙がる梅里が人──少なくともその大きさと姿をした存在(もの))に劣勢になるのは、かずらは初めて見たし、衝撃であった。

 思わず手にしていたものをぎゅっと抱きしめるように握りしめ──それがバイオリンケースと気がついてハッとする。

 

「これなら、梅里さんを応援できる……」

 

 愛用のバイオリンが納められたケースを見て、かずらは「うん」と一度うなずいた。

 そして、ケースを開けようとしたとき、それに気づいたかすみが驚く。

 

「かずらさん、いったい何を──」

「やめろッ!!」

 

 制止の声は梅里だった。

 思わず反応してそちらを見ると、急接近してくる鬼面が見えた。

 梅里の抹殺が目的である鬼王は、その目的成就のために全力を注いでいた。

 そのため、付近に立ちすくむ同行者など歯牙にもかけていなかったのだが、それが鬼王を直接攻撃したり、攻撃せずとも仲間を呼びに行ったり、梅里を支援するようなことがあれば即座に敵と認識した。

 今のかずらの行動で敵と認識し、その上で梅里よりも遙かに弱いかずらを攻めるのは実に理にかなった行動だった。

 かずらの傍らには武器を持たないかすみしかいない。梅里は取り残されて鬼王の後方だ。

 

(私、殺され──)

 

 そう思い、血の気が引いて猛烈な寒気が襲ってきたときだった

 

 

 ──桜吹雪を伴う一陣の猛烈な風が鬼王の背後から吹き荒れた。 

 

 

 とっさに鬼王が避けたその風は、ペタンと腰を地面につけたまま呆然としているかずらに害を及ぼすことなく、その三つ編みにした髪を強くなびかせただけで吹き抜けていった。

 風が舞わせた桜吹雪も、溶け落ちた雪のように──いや、それが存在した痕跡を残すことなくかき消えていた。

 

「い、今のは──桜花放神?」

「ということは……さくらさん!?」

 

 思わず開催の声をあげかけるかすみ。かずらもかすみもその技は何度も見ている。花組の真宮寺さくらが放つ、直線上であれば距離をものともしない必殺の一撃だ。

 だが──鬼王の背後には期待した彼女の姿も、共にくるであろう花組の姿も無かった。

 避けて体勢を崩した鬼王に梅里が斬りかかり、それを避けて鬼王が大きく距離をとった。

 梅里も庇うようにかずらとかすみの前まで戻ってきた。

 




【よもやま話】
 このあたりって原作ゲームでは2話の部分なんですけど……見返してみると、第2話のスケジュールがタイトなんですよね。
 一戦目の鶯谷(木喰がレニにやられて戦わずに撤退した金剛戦)と、二戦目の渋谷(木喰との戦い)がどう考えても翌日にしか見えない。
 しかも渋谷での戦いは午前中だし。
 おかげで襲撃されるチャンスは一晩しかなかったので無理矢理感があります。


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─8─

 

 

 ──その頃、大帝国劇場。

 

 

 食堂付近では焦った顔をした娘がキョロキョロと誰かを捜していた。

 つい先ほど、そこに設置された内線の電話が鳴り──誰も出るものがおらず、誰かが来る気配もなかっために、やむを得ず彼女──駒墨 柊が出たのだ。

 もちろん、しゃべることができない彼女は電話に電話を使うことができないし、普段なら絶対に出ない。

 

 だが──彼女の霊感にその電話は引っかかったのだ。

 

 電話は花やしき支部からで、電話の相手は夢組副支部長で柊の上司にあたる予知・過去認知班頭のアンティーラ=ナァムだった。

 彼女は電話に出たが何もしゃべらない相手に、自分の部下であることに気がついてこう言った。

 

「柊ですね? いいですか? 誰かに今から言うことを伝えなさい。一刻も早く!」

 

 そう指示をされて柊は人を捜していたのだ。 

 しかしあいにく、厨房にも食堂にも人はいない。

 食堂を出た柊はロビーに出た。そこには──

 

「あら、あなたは確か……柊さん、でしたっけ?」

 

 柊に声をかけたのは花組の真宮寺さくらだった。

 柊はあわてた様子でうなずくと、さくらの袖を掴み、懸命に何度も引っ張って主張する。

 

「え? あの、えっと? いったい……」

 

 戸惑うさくらだったが、すぐに思い出す。

 

「ああ、そうでした。言葉が話せないんでしたっけ」

 

 さくらの言葉に何度もうなずく柊。

 そして──二人は顔を見合わせて目を(しばたた)かせる。

 何かを伝えたい柊の意図を汲もうとしたさくらだったが、柊には伝える手段がない。

 それに気がつかず二人して無言で見つめ合っていたが──ようやく気がついた柊があわてて付近にあった紙を手にする。

 

「なにを……」

 

 戸惑うさくらの前で、柊は携帯していた矢立──筆と墨壷を組み合わせた携帯用筆記具──を取り出して、その紙に筆を走らせた。

 

「わぁ……柊さん、達筆です……ね?」

 

 さくらの目の色が変わる。柊が書いた紙には、非常に見事な字で『隊長ニ危機 即座ニ探索ヲ求ム』と書かれていたからだ。

 

「隊長!? お、大神さんが!?」

「──ッ!?」

 

 さくらの反応に柊が戸惑った。あわてて彼女の手を掴んで首を横に振るが……青ざめてさえいるさくらに、柊の行動に気を使うほどの精神的余力は残されていなかった。

 

「大神さんはこの時間、本部内を見回り中のはず……任せてください」

 

 柊が掴んだ手をさくらは両手で包むように握り返してそう言い──それを離してサッと走り去った。

 そのさくらの背に思わず手を伸ばしたが──もちろん制止の言葉を発せない柊に彼女を呼び止める手段はなかった。

 

 ──その後、大道具部屋で大神を発見したさくらだったが、足をくじいたというサキに触れる大神を見て嫉妬を爆発させ、怒ってその場を走り去った。その後に自室を訪れた大神が懸命に、そして誠実にドア越しに事情を説明したので誤解は解けたのだが……その頃にはすっかり柊から伝えられたことを忘れていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 こうして、せっかくティーラに降りた梅里の危機の天啓は、誰かに伝えられることなく空振りに終わり──梅里達の危機は続いた。

 

 二人の下へと戻ってきた梅里は鬼王から目を離すことなく、まだ油断無く構えたまま、先ほど狙われて間一髪だったかずらに声をかけた。

 

「大丈夫? かずら」

「だ、大丈夫です。あの、梅里さん……すみませんでした」

「気にしないでいいよ。ただ、やっぱり手出しはしないで。次も助けられる保証はないからね」

 

 そう返して梅里は意識を鬼王へと集中させる。

 

(あらためて思うけど……強い)

 

 その実力は明らかに梅里以上である。

 だが、それだけでは説明できないことがある。だがそんな疑問も──梅里の中ではほぼ解決していた。

 

「そんな仮面を付けている理由にも繋がるし」

 

 そして同時に悟ってもいた。今の自分では勝てる相手ではないと。

 

「だからって、あきらめるわけには……いかない」

 

 後ろの二人を意識する。

 現時点では梅里が最優先の標的で、梅里を助けようとしない限りは二人が襲われることはないだろう。

 しかし、梅里を殺した後はどうか。

 前の叉丹──山崎 真之介のときには鬼王は目の前の華撃団と一戦を交えることなく去ったが、あのときは花組もおり、戦えば鬼王自身も無事の保証はなかった。だから去った可能性がある。

 かずらとかすみでは、鬼王に手傷を負わせるどころかまともな抵抗さえできないだろう。敵からすれば二人を生かしておく利点は無いし、殺さない理由もない。

 

「そうなると、負けるわけにはいかないな」

 

 梅里はある技を使うことを決意する。

 その変わった雰囲気に、かずらはイヤな予感──いや、イヤな空気を思い出した。

 あれは──前の戦いで巨大降魔を倒すために満月陣・望月を使う前の空気にとても似ている。

 

「あの……梅里さん、まさか望月(もちづき)を使うんですか?」

 

 たまらず訊いたかずらの言葉にかすみが顔色を変えて梅里を見た。

 あの後、梅里が心肺停止に陥ったのは華撃団の他の組でもよく知っている話だ。

 

「違うよ。それに、そもそも満月陣・望月は使えば死ぬような自爆技じゃないんだけどね」

 

 困り顔をする梅里。さすがに頬を掻くほどの余裕はない。

 

「あのときは夢組全員とか、無茶な人数から集めたからああなっただけで、例えばかずらとかすみさんから霊力をもらっても望月は可能だし、負担もそれほどじゃない」

 

 それを聞いてホッとするかすみとかずら。

 

「でも、たとえ望月を使ったとしても……おそらく動きは読まれる。基本的には満月陣と変わらないからね」

 

 おそらく、とは言ったが、まず間違いなく通じないという自信はあった。

 

「それなら、いったい何を?」

 

 尋ねるかずらに梅里は一度ためらい──口を開く。

 

「かずら、それにかすみさん……今から起こること、できれば二人には見て欲しくありません。目を閉じていてはもらえませんか?」

 

 かずらにというよりは、その丁寧な口調はかすみに対するものだった。

 

「戦いから目をそらせ、ということですか?」

「はい。本当にすみませんが……」

 

 かすみからの確認に、梅里はうなずく。

 

「あんな危険を前にして、そこから目を外すのはかなりのリスクになるのですが……」

「見苦しいものをお見せすることになります。どうか、お願いします」

 

 梅里の言葉に首を横に振る。

 

「武相隊長、あなたが戦うのは私たちを守るという目的もありますよね?」

 

 かすみに訊かれ、梅里はうなずく。

 

「守られる私たちが、私たちのために戦う人を、あなたをどうして見苦しいと思うでしょうか」

「けど……」

 

 なおも躊躇う梅里に対し、かすみはそっとその背中に触れる。

 

「命を預ける人の戦いを見るのは、いけませんか?」

「……これから使うのは、うちの流派の禁忌の技です」

「禁忌!?」

 

 ただならぬ言葉に、さっきまで梅里とかすみのやりとりに「むー」と不機嫌そうな顔していたかずらが思わず声を上げる。

 

「それでもよろしければ……」

 

 梅里が刀の峰に左手を添えるように構えた体勢を、さらに腰を低くする。

 

「……見ていてください」

 

 そして──梅里の雰囲気が変わった。

 

「──えッ?」

 

 かずらが思わず戸惑って声を上げ、それをかすみが怪訝そうに見る。

 梅里の霊力が明らかに普段と違う。それを感じ取ったかずら。そしてそれとは違い、かすみにはそこまでの霊力はないので違いがわからなかったのだ。

 

「どうしたんですか、かずらさん。いったい何が?」

「そんな……梅里さんの霊力が。あれじゃ、まるで……」

 

 普段なら優しさを感じさせ、そして力強く闇を払う銀色の光を放つはずの彼が纏う霊力が──漆黒に染まっていた。

 それはまるで──黒之巣死天王を思い起こさせる妖力のようである。

 

「だから、梅里さんはさっき……」

 

 ここに至って察する。梅里が自分の戦う姿を見せたくなかったという意味を。

 そのただならぬ気配に、かすみもあらためて梅里を見て──息をのむ。

 

「──光をもって闇を祓う、それが武相流の本質」

 

 鬼王を見つめていた目を一度閉じ、そして──開いた目で睨みつける。

 その目には明らかな殺気で溢れていた。

 憎しみを抱いたその雰囲気に、かずらは思わず身を震えさせる。

 

「う、……うめ、さとさん……怖い」

 

 目を逸らしかけるかずらを、かすみがギュッと抱きしめる。

 そして優しくも厳しく言う。

 

「落ち着いて、かずらさん。あの人は……梅里主任はあなたを守るためにああしているのよ。彼のためにもそこから目を背けないで」

 

 かすみに抱きしめられ、何度も「うん」「うん」と頷くが、体の震えは止まらない。

 そしてついに、梅里は球状の暗き闇のフィールドをその身に纏い、その姿が見えづらくなる。

 

「闇を討つため、より深き闇──深淵を以て滅する。武相流禁忌(きんき)新月殺(しんげつさつ)

 

 梅里の様子に鬼王が戸惑い、そして警戒して刀を構える。

 その時、月を雲が隠して夜の闇が深くなり──梅里の姿がかき消えた。

 

「──ッ!?」

 

 鬼王が明らかに戸惑う。

 彼が左右に視線を素早く巡らせているその間に──背後に突然現れた梅里の刀が、鬼王へと突き刺さった。

 

「「なッ!?」」

 

 離れた場所で見ていたかずらやかすみにも、その動きはさっぱり見えていなかった。

 あえて言うのなら、梅里が鬼王の背後へと瞬間移動したように見えた。

 そしてそれが正解である。

 殺意に集中した梅里は、影から影へと渡って背後をとり、手にした刀でついに鬼王を捉えたのである。

 梅里が殺意のみの目で、眼前の鬼王の背中を冷たく睥睨(へいげい)し──妖力じみた(くら)き霊力を、刀を通じて送り込んで深淵の闇を具現化して引きずり込む。それが新月殺であり──梅里はそれを実行しようとした。

 

 

 まさに、そのときである。

 

 

 突然、かずらが立ち上がり──

 

鶯歌(おうか)さん!?」

 

 ──叫ぶように驚きの声をあげたのだ。

 先ほどまで震えていた彼女を抱きしめていたかすみが驚いて彼女を見上げる。

 次の瞬間──

 

 

 轟音と共に、まるで闇を切り裂くに一筋の光が(はし)

 

 

 ──梅里を貫いた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──その少し前のこと。

 

 梅里と鬼王の戦いを離れた場所で見守る影が二つ並んでいた。

 その片方は虚ろな目でその戦いの様子をじっと見つめている。

 

「……命を預ける人の戦いを見るのは、いけませんか?」

 

 遠く離れているはずの言葉がよく聞こえることには疑問を抱かず、彼女の心にはその言葉が広がり──胸を打つ。

 

(また、あの人は……見境無く……)

 

 胸を焦がす心の中の黒い炎はそれを燃料にさらに火勢を強める。

 その傍らにいる小娘の存在も、小癪で癇にさわる。

 

(そのふくれっ面……自分のものだとでも言うつもり?)

 

 違う、と心が悲鳴をあげる。

 だがその叫びは今の彼女の心の中を渦巻く嵐の中ではあまりにか細く──かき消えてしまう。

 代わりに、あの人の心に触れたのは私が最初だ、という怒号が内心で吹き荒れる。

 にも関わらず、なぜ自分は蔑ろにされるのか。

 自分のことは粗雑に放っておき、彼女たちを宝物のように守るのか。

 

(許せない……絶対に……)

 

「そうねぇ。許せないわよね? だから、他の人に渡してしまうくらいなら、いっそ……」

 

 虚ろな目が、彼をジッと捉え──傍らに立つ黒髪の女にささやかれるがままに弓を構え、矢をつがえる。

 そして──狙いを付けていた。

 

「アイツを一番理解してるのは……私。幸せにできるのは……私」

 

 口は何事かをぶつぶつと言っている。

 彼女が普通ではないのは明らかだったが、その存在に気づいている者はいなかった。

 

「私は……彼以外考えられない。でも……アイツは……」

 

 心に染み渡った嫉妬という猛毒は、彼への憎しみへと変化し、それを彼に向けられた鋭い(やじり)が体現していた。

 

「あの人を……私だけのものに……梅里を……永遠に、私だけの……」

 

 つぶやきながら、まるで人形のように動くその体は、弓を引き絞り──虚ろな目は狙いを彼の心臓へと定める。

 そして──矢に込められた霊力が一条の雷となって、今まさに放たれようと──

 

 

「──ダメエエエェェェェェェッ!!」

 

 

「──ッ!?」

 

 矢が放たれようとするまさにその瞬間、彼女の心に響きわたった声で我に返った。

 直前に見えたのは、彼の前に手を広げて立ちはだかるポニーテールの守護霊の姿。

 だが、しかし──矢はすでに放たれていた。

 天駆ける稲妻は狙いを違えることなく、彼のことを貫き──

 

「ガハッ……」

 

 射抜かれて血を吐くその姿が、その目にハッキリと捉えられた。

 

「あ、ああ……ッ!?」

 

 正気に戻った彼女に非情な現実を突きつける。

 ゆっくりと──鬼王に突き立てた刀を握る手から力が抜け──体が傾いていく。

 そのまま、地面にドサッと音を立てて転がり、鬼王に刺したはずの刀も地面に落ちる。

 

 

「「……え?」」

 

 

 再び戸惑いの声をあげるかずらとかすみ。

 その目の前で、鬼王の背後をとって刀を突き立て、まさに勝利を掴もうとしていた梅里が──崩れ落ちた。

 梅里が手放さなかった刀は彼が倒れた拍子に抜けて、その反動で手からもこぼれ落ち、地面に転がる。

 梅里が地に伏す一方で、ガクリと膝を付く鬼王。

 その後ろの梅里から流れる血が、路面を赤く濡らしていく。

 そして、その体はピクリとも動くことなく──

 

 

「梅里さぁぁぁんッ!!」

 

 

 かずらの悲鳴が夜空に響きわたった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 目の前で起きた一瞬での逆転に、かずらもかすみもなにが起きたのかさっぱりわからなかった。

 ただ一つハッキリしているのは、鬼王がトドメを刺されることなく地面に片膝をついており、一方で倒す直前だったはずの梅里は力なく地面に横たわり、奇妙に手足が痙攣している以外に動く様子はないということだ。

 やがて立ち上がった鬼王の姿に二人はハッとさせられる。

 そして鬼王は手にした刀を梅里へと向け──

 

「──させません!!」

 

 両手を広げてその行く手を阻み、気丈に鬼王を睨んだのは──かすみだった。

 

「かすみさん!?」

 

 梅里の下へと駆け寄っていたかずらが、背後に立つかすみに驚いて声をかける。

 

「あなたは一刻も早く、武相隊長を連れて行きなさい!!」

「でも、かすみさんは──」

 

 戦う武器など持っていない。しかしそれはかずらも同様だ。バイオリンを持っているが、彼女が霊力を込めた演奏で衝撃波を出すなりするには、演奏の間の無防備を防ぐため、距離を取るか敵を足止めしてもらう必要がある。だが、彼我の距離にそれほどの間はなく、もちろんかすみに足止めができるわけがなかった。

 しかしだからこそ、である。

 先ほど、邪魔をしようとしたかずらを、鬼王は梅里を放置してまで襲いかかった。

 その優先順位を考えれば、彼を助けるには一か八か、鬼王の邪魔をして意識をこちらに向けるしかない。

 そしてその間に、もう一人が梅里を連れて去るしか、彼を助ける方法はない。

 

「私が囮に……」

 

 しかし、そんなかすみの決意をよそに、刀を構えた鬼王は、一瞬で彼女を無視してその横を通り過ぎ、かずらの目の前へと至り──二人にかまわず無言で刀を振り上げ、切っ先を地面に横たわる梅里へと向ける。

 鬼王が突き立てんと梅里へ降ろした切っ先を──横から飛来した鎌が弾いた。

 

「──ッ!!」

 

 必殺の一撃を邪魔され、身を翻す鬼王。

 そこへ──

 

「させん!!」

 

 弾かれた鎌が引っ込むや、文字通り火を噴く分銅が襲い掛かる。それをどうにか避ける鬼王。

 直後に来た人影が振り下ろした大鎌を避け──その切っ先が地面に深く突き刺さった。

 

「紅葉さんッ!!」

 

 かずらが快哉の声を出す。

 やってきたのは鎖鎌という特徴的な武器を得物にしている、夢組除霊班頭の秋嶋 紅葉だった。

 

「われはいったい、何をするつもりか! 絶対に……絶対に絶対に絶対に、許しはせんけぇなッ!!」

 

 倒れた梅里を見たのか、すでに事情はわかっているらしく、怒り狂うような紅葉は真っ赤に染まった髪を振り乱し、吼え、鎖鎌の分銅を飛ばす。

 それを弾く鬼王。

 だが火が灯り、気流を操るその分銅は、弾かれても弾かれても何度も何度もしつこく、まるで獲物を狙い続ける蛇のように襲いかかり続け、自身もまた大鎌を手に斬り掛かる。

 その姿を唖然と見るかすみとかずら。

 まさか助けがくるとは思っていなかったこともあって、紅葉の登場に驚いていた。

 

「なにしよるんか! (はよ)うチーフを連れて行きんさい!!」

 

 動かない二人に対して、苛立たしげに言った紅葉の言葉で二人は我に返る。

 その間も、紅葉自身も気流操作で動き、距離を詰めて手にした大鎌を叩きつけるように振るう。

 その猛攻をどうにか防ぎ続ける鬼王であったが、明らかに防戦一方になっていた。

 怒りに燃える紅葉の猛攻もあるが、梅里に刀を突き立てられるという深手を負わされたのもその原因の一つだった。

 さらには別の一団が駆けつけたのを確認すると、鬼王は紅葉から距離をとる。

 

「逃がさん!」

 

 そう言いながら距離を詰める紅葉だったが──鬼王は不利を悟ったのか、まるでかき消えるようにあっさり戦場から消え去った。

 

「──くそッ!!」

 

 悔しげに地団駄を踏む紅葉。

 そして──

 

「急いで花やしき支部に回してください!!」

 

 やってきた増援の人から通信機を借りて緊急通信を入れているのはかすみだった。

 さらに彼女は自分の着物が血で汚れるのも厭わず、梅里の止血や応急処置をしていく。

 

「あ、あの……」

 

 かずらは戸惑うばかりで混乱してしまい、それら応急手当の知識があってもさっぱり思い出せなくなっていた。

 やがてかすみの連絡で風組が動き、できる限り最大限の速さで梅里は花やしき支部へと搬送され──深夜とはいえ、待ち受けていた大関ヨモギによって緊急オペが開始された。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その襲撃現場近くの建物で、人知れずガタガタと震える人影があった。

 自分の手と、反対の手で握りしめた梓弓──『神弓・光帯』を、信じられないと言わんばかりの目で見つめ──

 

「う、そよ……こんな、の……ありえない……もの……」

 

 その現実を否定するように首はゆっくりと、何度も横に振られる。

 

「なん、で……私が、アイツを……そんなの、ぜったいに…………」

 

 認められない気持ちとは裏腹に、彼女の意識がハッキリした瞬間に放たれた雷の一矢『天鏑矢』は、間違いなく彼を貫いた。

 

「こんな……こんなの…………わたしが……うめ、さと……信じ、られ……」

 

 なぜこんなところに自分がいるのか、どうしてその手に弓と矢があるのか、さっぱりわからない彼女だったが、それだけはハッキリと覚えていた。

 

 

 ──彼を射抜いたのは私だ、と

 

 

 彼女の名前は──白繍 せり。

 夢組調査班頭である。

 




【よもやま話】
 後々の伏線になるかもしれない…なったらいいな、という予定の、柊のシーン。
 実は帝劇内で会うのを最初はカンナ&すみれで考えていたのですが……よく考えたらこの時期、二人とも帝劇にいませんでした。(苦笑)
 それで居るメンバーを吟味した結果、さくらにしたのですが、これが奇跡を起こす。
 とりあえずでロビーに決めて書き、きちんと攻略本で調べたら、なんとこのシーンに該当する「サクラ大戦2」の2話自由行動ではロビーにさくらがいることが発覚。そしてその後のサキの誘惑イベントに繋がってさくらがすっかり忘れるというのにまで繋がりました。これは偶然で、逆に利用させてもらいました。
 ……そして、そこまで見越して大神を誘惑するサキ(水弧)。有能すぎる。


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─9─

 その日の夜中、大関ヨモギは突然、叩き起こされた。

 連絡してきたのは夢組副支部長のアンティーラ=ナァム。

 その連絡は要領を得ず、「とにかく緊急オペが必要になるから、支部に来て待機」というものだった。

 普通ならそんな連絡、「いたずら電話は間に合ってます」と切るところだが、相手が予知・過去認知班の頭にして予知部門のエース、“見通す魔女”であればその言葉に従わざるを得ない。

 とにかく身支度すると、まもなく官舎に風組隊員が蒸気バイクやってきて、スズキだかホンダだかカワサキだかと名乗るや、ヨモギを乗せて浅草にある花やしきへと向かった。

 

 その地下にある巨大な施設は支部となっているが、本部の帝劇に比べれば広い敷地や、そもそも帝劇は空中戦艦ミカサの艦橋となる関係で、花やしき支部の地下の方が整っている。

 普段は地上の医務室で勤務するヨモギだが、今は地下にある手術さえも可能な施設で、手術着へと着替え、ティーラの言う患者を待った。

 そうして緊急に運ばれてきたのは──

 

「なッ!? 隊長……」

 

 さすがに絶句する。

 苦悶の表情を浮かべた夢組隊長・武相 梅里がストレッチャーに乗せられて搬送されてきたのだ。

 それに付き添ってやってきた、同じく夢組の伊吹 かずらの姿を認めたヨモギは、彼女に尋ねる。

 

「状況は?」

「え? あ、その……」

「敵に襲われました。相手の武器は刀。刀傷──切創が多いと思いますが、もっも深いと思われる負傷は、胸付近に受けた刀以外の傷です」

 

 戸惑って答えられないかずらに代わって答えたのは、血でいつもの着物を汚しながら付き添っていた、風組隊員で帝劇事務局に勤務する藤枝 かすみだった。

 立て板に水で答えるかすみを見て、彼女もまた現場に居合わせたのだと把握したヨモギは聴取先を彼女に切り替えた。

 

「その負傷状況は?」

「わかりません。狙撃……銃撃か何かだと思いますが、その瞬間を私は見ていませんでした」

 

 かすみはあの瞬間、突然立ち上がったかずらの方を見てしまい、梅里から目をはずしていた。

 

「あ、あの! 私は見たんですが……光が突き刺さったようにしか……」

「なるほど……わかりました。お二人は外の廊下で待っていてください」

「はい……」

 

 自分の発言が役に立たないのを自覚したかずらがうなだれてしゅんとする。

 一方で──

 

「あの、ホウライ先生……武相隊長、助かりますよね?」

 

 かすみがジッとヨモギを見る。

 

「詳しく診てみないとなんとも言えません」

 

 例え気休めになるのがわかっていても、医者であるヨモギは無責任なことを言うことはできなかった。

 

「私が言えるのは、大関蓬莱(ほうらい)の名にかけて──“失敗しません”。それだけです」

「……よろしくお願いします」

 

 かずらとかすみをその場に残し、ストレッチャーと共にヨモギは手術室へと入り──オペを開始した。

 廊下の長椅子に腰を下ろしたかすみは祈るように手を組み、梅里と共に戦おうとするかずらは座ることなく、ジッと立って待ち続けるのだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その連絡が米田にもたらされたのは深夜だった。

 

「な、んだとぉ!?」

 

 寝起きだった米田だが、その報告を聞いて跳ね起き、絶句する。

 夢組隊長・武相梅里、襲撃を受け現在重篤──花やしき支部にて緊急手術中。

 

「バカな!」

 

 その一方を聞いてはやる気持ちを、米田はどうにかこらえた。

 話を聞く限りでは現在は華撃団自体がとにかく混乱し、情報が錯綜中だった。

 しかしそれも無理はない。最高責任者の自分が今こうしてここにいるし、その上、襲撃されたのが夢組という一部隊の隊長なのだ。指揮官がいないような状況なのだろう。

 とにかく軍服へと着替えて腰を落ち着かせる。

 

「くそッ……いったい、どういうことだ」

 

 もちろん気持ちは落ち着かない。梅里が華撃団に入ったのは、米田が知り合いである梅里の祖父に頼んだ、という負い目もある。

 そして幼い頃からの彼を知ってもいる。そんな彼が重篤ともなれば、気が気ではなかった。

 だが、迂闊に自分が行けばかえって事態が混乱する。加えて言えば深夜だ。交通機関は動いていないし、迎えを頼もうにも主に米田の車を運転するかすみもまた、梅里と共にいて襲撃に巻き込まれたらしい。

 情報が集まり、整理されるのを待る必要がある。

 米田は風組に自分の迎えを依頼しつつも、最優先は梅里の治療のための輸送や、捜査の人員輸送とし、自身のことは後回しにするよう指示をだした。

 そうして夜明け前にやってきた車に乗り込み、大帝国劇場へと向かう。

 地下の作戦司令室に直行した米田は、そこで月組の加山からこれまで判明した事件の状況と経緯の報告を受けた。

 

「……なるほどな」

 

 そうして把握した概要は──

 梅里を襲撃したのは、先の銀座の戦いの最後で葵 叉丹を殺した鬼面の男、鬼王。

 夜遅い時間に、仕事が長引いて帰宅が遅くなった梅里が狙われた。

 一緒にいたのはやはり遅くなったので、梅里が送っていくと同行していた風組隊員で帝劇の事務員、藤井かすみと夢組隊員で楽団員の伊吹かずら。

 彼女たちの証言によれば、梅里のみを狙ったもののように見えた、とのこと。

 終始圧倒されていた梅里が、起死回生の一撃を放とうとしたところで、何者かに狙撃された。

 そこへ応援が駆けつけ、それで鬼王は撤退している。

 なお狙撃した者についても現時点では一切不明。

 梅里は花やしき支部へと搬送され、そこで大関ヨモギが緊急オペを行い、とりあえず傷は塞いだが現在は医療ポッドで延命中。しかし意識不明の重体。

 

「──搬送された花やしき支部にいた、夢組の伊吹 かずら、風組の藤井 かすみの同行していた両名からの証言です」

 

 加山が報告を終えて敬礼する。

 二人から話を訊いた際には、夢組の対人捜査のエキスパートにして調査班副頭の一人である御殿場(ごてんば) 小詠(こよみ)も加山と共に聴取に参加し、嘘をついていないことを、一応確認している。

 もっとも、状況を聞けば二人を守っているのだから、彼女たちが嘘をつく余地はないのだが……。

 

「今、わかってるのはこんなところか……」

 

 そのころには日の出が早い時期ということもあって、外が明るくなり始めていた。

 

「はい。しかし、まさか梅里が襲われるとは……」

 

 悔しげに顔をしかめる加山。

 正直、想定外だった。梅里といえば、あまりそうは見えないが、帝国華撃団内でも屈指の剣の腕を誇る猛者である。前の戦いでは脇侍はもちろん、降魔さえも単独でやり合えるほどの実力であり、それができるのは数少ない。

 だから加山は自分よりも年若いとはいえ、梅里をその実力から一目おいていたのだ。

 生半可な刺客なら返り討ちにできる──と信じていただけに、それを覆された状況がにわかに信じられなかった。

 

「鬼王とかいうヤツがそれほどまでの強さを持っている、ということだ。加山、おまえも十分に気をつけろ。同じ隊長がやられているんだからな」

「了解しました」

 

 報告を終えた加山は、「一度現場に戻ります」と支配人室から姿を消す。

 そして一人になった米田は──

 

「あやめよ……アイツを、ウメの奴を守ってやってくれ。これ以上、オレに部下を亡くさせないでくれ……」

 

 机に両肘を乗せて手を組み、米田は祈った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 どれくらい経ったのか、ドアがノックされる。

 

「誰だ?」

「サキです。支配人、そろそろ陸軍省に行く時間ですが……」

 

 室外からサキに声をかけられる。

 気がつけば、普通に人々が動き出す時間を過ぎていた。帝劇内も通いの従業員たちが集まってきているだろう。そして、サキもその一人である。

 

「もうそんな時間か……入れ」

 

 米田に促され、「失礼いたします」と影山サキが支配人室に入ってきた。

 彼女は一礼した後、申し訳なさそうな顔になった。 

 

「あの、支配人。かすみさんがまだ出勤されていないので、私がお送りすることになりました」

 

 普段は米田の車での移動の際には、車の運転に慣れている風組のかすみが担当するのだが、あいにく彼女は昨晩、梅里の件に巻き込まれている。

 

(とはいえ、たとえ出勤できても動揺していて運転手がつとまるような状態じゃねえよな)

 

 かすみのことを考え、米田はそっとため息をついた。

 米田は知らなかったことだが、かすみはまだ、梅里を気にして花やしき支部に残り、一睡もしていないような状態だった。

 しかし、そうしなかったとしてもとても休めるような状態でなかったことは米田の推測通りである。

 

「ああ、わかってる。今日はよろしく頼むぞ、サキ」

「かしこまりました、支配人」

 

 笑みを浮かべ、恭しく一礼するサキと米田は目が合った。

 

「──ッ」

 

 突然、目眩のような感覚──少し目が回ったような感じがして、米田はふらつく。それに気がついたサキも、心配そうに米田を見た。

 

「どうかされましたか、支配人?」

「いや、昨日から今朝のことで、少し疲れが出てるのかもしれんな。準備をするから外で少し待っていてくれ」

「わかりましたわ」

 

 再び一礼し、サキが支配人室から出て行く。

 それを待って、米田は誰もいなくなったはずの支配人室で──窓を開けてつぶやいた。

 

「オイ、護衛の月組隊員……お前らも今日は捜査につけ」

 

 数瞬後、窓際に数人の人影がサッと集まる。

 

「それは……いったいどういうことでしょうか?」

「隊長クラスが襲撃を受けたんだ。万が一にも犯人を逃すわけにはいかん。事件捜査は初動が肝心だ。少しでも層を厚くするために、お前らもそっちに加われ」

「し、しかし……お言葉ですが、武相隊長が襲撃を受けたのですよ? 司令にも危険が……」

「そんなことは百も承知している。だから今日だけだ。今日だけは捜査に従事しろ。夢組は動揺が激しすぎて使い物にならねえだろうからな」

 

 華撃団で捜査の両輪になるのは諜報活動による情報収集担当の月組と、霊力を駆使して霊感や霊視、過去認知といった超能力を使う夢組だ。

 しかしその夢組は隊長がやられて統率に乱れが出るだろうし、動揺も大きい。その上、霊力は精神的な影響を受けやすい。さらに付け加えるならば──

 

(せりとかずらは……ショックを受けてるだろうからな)

 

 夢組で調査を主任務としている調査班の頭である白繍せりと副頭の伊吹かずらが、共に梅里に想いを寄せていることは米田も百も承知だ。だからこそこんなことになってはショックは大きいだろう。特に、現場に居合わせたというかずらへのそれは大きい。

 

(対人捜査に強い小詠(こよみ)が残っているのが、まだマシか……)

 

 もう一人の夢組調査班の幹部、支部付副頭の御殿場(ごてんば) 小詠(こよみ)は『読心(サトリ)』の能力を持つ捜査のエキスパートである。月組の加山も目をかけており、隊を越えて指導しているらしく、その捜査能力は折り紙付きだ。そんな彼女が残っているのが、米田にとっては頼もしかった。

 

「それはわかりますが……我々には判断ができかねます。加山隊長に指示を仰いでから──」

「司令であるオレの命令だ。現場に行って加山にそう伝えて、捜査に参加してこい」

「りょ……了解しました」

 

 帝国華撃団の指揮系統の頂点からそう指示をされてしまっては(あらが)うことはできない。

 躊躇いながらも、月組隊員たちは渋々、大帝国劇場から離れる。

 それから窓を閉め──後ろ髪を引かれる思いで席を立つ。ここにいれば情報は即座に入ってくるだろうが、出先ではそうもいかない。

 

(ウメ……死ぬんじゃねぇぞ)

 

 目を閉じてそう呼びかけてから、支配人室の自分の席を後にし、そして出かける途中──食堂に寄った。

 すでに朝というには遅い時間になりつつあるような時刻になっていた。

 本来ならば──いつもならとっくに食堂は動いている。ここで生活をしている花組の朝食の準備はもちろん、この時間ではその後片づけも済んでいるだろうし、昼の営業に向けて下拵(したごしら)えは始まっている。

 だが──今日は、そんな様子は微塵もなかった。いるはずだった梅里が、いないことに、事件が本当に起きたことだと米田は実感させられる。

 誰もいない──そう思った米田の考えは、直後に裏切られた。

 

「支配人……」

「おまえ……せり、か?」

 

 食堂の奥にある厨房から顔を出したのはせりだった。

 米田にとっては正直、意外だった。

 梅里本人は気がついているかわからないが、せりの梅里を想う気持ちはかなり強い。それこそ、それを米田が知っているくらいに。

 その彼女が──梅里が襲われたというのに、調査班頭である彼女が犯人に怒りを抱き、なんとしてでもつきとめようと調査に没頭するわけでもなく、かといって搬送先の花やしきに飛んでいって間近で心配するわけでもない。

 強いて言うなら、食堂副主任という表の顔で、梅里の主任という穴を埋めようとしている──ように思えなくもないが、普段のせりを見ていれば、そういった反応は意外なものだった。

 

「食堂、営業できるのか?」

「いえ、無理だと思います。ですが……花組の皆さんの食事は、出さないといけませんから」

 

 そう言う憔悴したせりの顔を見て、米田は察する。想いが強いあまりに、梅里の危篤を聞いてかなり狼狽したのだろう。

 

「オイ、せり。お前、大丈夫なのか?」

「どうでしょう、ね。現場で巽副隊長に、役に立たないから帝劇で食堂の準備をしてろって怒られましたし」

 

 心配した米田の問いに乾いた笑いを浮かべるせりは、明らかに普通ではなかった。

 その動揺のせいで調査班の頭としては役にたたなかったのだろう。精神的なショックは霊力の操作に悪影響を与えるから、無理もない。

 心配していた以上のせりの状態に、米田はそれ以上、何も言えなかった。ただ、ここを守るのが彼女の心の支えになるのなら、それはそれでいいだろう。

 

「しばらく大変だと思うが、食堂を頼むぞ」

「…………はい」

 

 せりの小さな返事が聞こえ、米田はきびすを返す。

 すると──

 

「あ、米田のおじちゃん!」

「おう、アイリスじゃねぇか」

 

 そこへやってきたのは花組のアイリスだった。

 梅里の負傷の話はまだ広まっておらず、まして違う隊である花組には知らされていなかった。

 この小さな花組隊員をよけいに不安にさせる必要はない。そう米田は判断してアイリスの話を聞いた。

 どうやらフランスの両親宛に手紙を書いたらしく、それを出したい、ということらしい。

 米田は出かける途中に出すという約束をして、彼女の両親宛の手紙を預かった。

 一緒にやってきていた大神に、梅里の件でそっと警告しようとした、まさにその時──帝劇内に警報が響きわたった。

 

「敵襲!?」

「このタイミングで、か!」

 

 思わずそう言ってしまう米田。それに対して大神は、敵は自分たちに任せて、陸軍省へと向かって欲しいと告げる。

 

(大神も成長しているし、任せても大丈夫だろう)

 

 米田はそう思って大神に指揮を任せ、自分は陸軍省へ向かってさっさと用事を済ませることにした。

 出撃する花組に対し、動きが悪い夢組を見て不満を感じはしたが、隊長不在な上にショックは大きいことを考え、「こんな時に……」と不憫に思いながら、米田はサキと共に陸軍省へと向かった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 目の前で鬼王に逃げられた紅葉を筆頭にした除霊班を中心に梅里の仕返しをせん

と意気込む者達。

 調査班頭のせりと同じように集中しきれない者。

 また隊長の襲撃という事態に不安を抱えつつ作戦に参加する者達……

 

 様々な要因や精神状態の者がいる中で宗次がどうにか指揮をとろうとするが、なかなか十全の力を発揮できず、苦戦を強いられた夢組。そしてその悪影響を受け、普段は受けられる支援を受けられずに戸惑い、本調子の出ない華撃団。

 

 

 ──どうにか勝利した彼らの下にもたらされたのは「米田が狙撃された」という追い討ちをかけるような情報だった。

 

 


 

─次回予告─

 

ティーラ:

 隊長への襲撃は、米田司令の狙撃を本命にした陽動作戦でした。

 司令が昏睡状態のときを狙って、財界からの支援も打ち切られようとする等の揺さぶり工作が華撃団を襲います。

 そんな中で夢組は、司令だけでなく隊長さえも昏睡状態。十全の力を発揮できるはずもなく……事件を追うべき調査班も、特に頭のせりは上の空になったり突然怒り出したりと情緒不安定。

 一方、共に襲われたかずらとかすみの看病を受ける隊長をさらなる困難が襲います。

 そして、任務の途中で絶体絶命の危機に陥るかずら。死を覚悟した彼女の前に現れたのは──

 

 次回、サクラ大戦2外伝~ゆめまぼろしのごとくなり2~ 第2話

 

子守唄(ララバイ)をあなたに……」

 

 太正桜に浪漫の嵐。

 次回のラッキーパーソンは、金髪の人、だそうですよ。

 

 




【よもやま話】
 ─8─の話で申し訳ないのですが、禁忌の新月殺──前作の正月のシーンで、降魔を目にした梅里が使いかけたのがこの技です。
 降魔への憎しみの余りに、影を渡るところまでやってしまったのですが、そこで正気に戻って斬るだけに留めました。
 と、前のよもやま話に書き忘れたので追加。
 さて──ここまで読んだ方、「あれ?」とお思いかもしれませんが、「2」になってかすみがかなりがんばってます。前作では大晦日の酔っぱらい対応くらいしか繋がりがなかったのに。
 ──ちなみに、米田が立ち眩みを起こしたのはサキ(水狐)が洗脳を使ったから。自分の護衛を外してしまったのはそこで認識を狂わされたからです。

 


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第2話 子守唄(ララバイ)をあなたに……
─1─


 話は少し遡り──

 花やしき支部の地下にある医療施設。
 その廊下でかずらとかすみからの聴取を終えた帝国華撃団月組隊長の加山雄一と、同じく帝国華撃団──こちらは夢組調査班副頭であり、特別班所属でもある御殿場(ごてんば) 小詠(こよみ)は、歩きながら話していた。

 梅里という帝国華撃団夢組の隊長が襲撃された今回の件は、再発防止のために絶対に真相を究明して犯人への徹底的な報復まで視野に入れた対応をする必要があり、そのためのチームが早々に結成された。
 帝国華撃団の調査や捜査を司る月組と夢組の合同で組まれたそのチームは、トップは隊長クラスになるため月組隊長の加山になっている。本来なら夢組隊長の梅里も入るはずだが、彼こそ被害者であり、そもそも参加できる状態ではない。
 それを考慮すれば、夢組副隊長である(たつみ) 宗次(そうじ)塙詰(はなつめ) しのぶが隊長代行になって入るべきところであるが、夢組の動揺が大きくそれを抑えるために身動きがとれず、そちらに専念しているという経緯もあった。
 とはいえ、それを負い目に感じたのか、宗次がつけたのは夢組内で考えうる最高の人材だった。

 御殿場(ごてんば) 小詠(こよみ)

 調査班副頭にして『読心(サトリ)』の能力を持つ対人捜査に関しては右に出るものがいないほどの逸材であり、加山も月組に欲しいと言っていたほどだ。
 その二人が、まず行ったのは目撃者にして襲撃の被害者という当事者でもある伊吹かずらと藤井かすみからの聴取だった。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「──それで御殿場、二人の話に嘘は?」
「もちろん、ありませんでした。内容からも嘘をつく必然性も感じられませんでしたし……」

 残業で遅くなったかすみと居残り練習で遅くなったかずらを、やはり残業で遅くなった梅里が送っている最中に、(あおい) 叉丹(さたん)こと山崎真之介を殺した鬼王からの襲撃を受けた。
 圧倒された梅里だったが、起死回生の一撃を放とうとしたとき、離れた場所から放たれた光に貫かれて、梅里は重傷を負った。
 鬼王が梅里にとどめを刺す前に、救援の秋嶋(あきしま) 紅葉(もみじ)が現れ、鬼王は去った。
 梅里は緊急搬送された。
 この一連の流れで、二人が嘘を言う余地はないようにしか思えなかった。

「しかし、加山隊長。これは捜査する意味あるのでしょうか? 襲撃しているのは鬼王を名乗る鬼面の男ですし、どう考えても、先日鶯谷で暴れた黒鬼会の仕業ですよ」
「まぁ、確かにな。しかし決めつけるのは危険だぞ、御殿場」

 加山の言葉に首を傾げる小詠。黒鬼会と分かっている以上、捜査するのは無駄に思えて仕方がないからだ。

「まず、襲撃してきた者についてだが……例えば、鬼面を被った着流しスタイルで、刀を携えていれば……誰でも鬼王に見えるんじゃないのか?」
「え? あ、言われてみれば確かに……」

 呆気にとられる小詠。だが──加山は自ら崩した前提をあっさり元に戻す。

「だが、刀を持った梅里は強い。オレでもおそらく勝てん。その梅里を圧倒できるほどの腕前となれば限られる。その中に、叉丹をあっさり殺した鬼王が入るのも間違いないがな」
「はぁ……」

 鬼王を否定した直後に肯定するような加山に、小詠は困惑するだけだった。
 それを見て加山は意地悪くニヤリと笑う。

「決めつけるな、ということだ。現にお前は今も決めつけて大事なことを見落としているぞ」
「えッ?」

 加山の指摘に小詠は驚き、先ほどの二人からの聴取を再度思い出す。

「二人の話でかみ合わなかったところがあっただろう?」
「かみ合わない?」

 眉をひそめて思い出し、唯一の心当たりを言う。

「……隊長を貫いた光をかずらは見たのに対し、かすみさんは見ていない……」
「そうだ。風組の藤井隊員の話では、突然、伊吹隊員が立ち上がって声をあげたのでそちらを見ていて光を見ていない、と言っていた」
「……あれ? でも、それって……」

 気がついた事実に加山はうなずく。

「ああ、おそらくお前が思ったとおりだ。つまりは──犯行の瞬間を見ていたのは伊吹隊員だけだ」
「ですよね? つまり……ということは……かずらの言葉が嘘であれば、隊長が狙撃された、という前提が覆る?」

 青ざめる小詠。それに対し加山はニヤリと笑みを浮かべた。

「おいおい、そこで青ざめてどうする。嘘はない、と断じたのはお前だろ」
「そ、そうでした。かずらは嘘をついてません。そうなると……」

 チラッと加山を見る小詠。それに苦笑する加山。

「いいか、御殿場。普通なら“伊吹かずらが嘘をついていない”ということが分からないんだからな。それが当たり前になっている自分自身では分からないだろうが、その能力の凄さを自覚しろ。そして──だからといって決めつけるなよ?」
「え?」

 戸惑う小詠に加山は言う。

「なまじ捜査向きですごい能力だけに過信したくなるが、その能力を騙せないわけではない。例えば、伊吹隊員が幻覚を見ていた場合だ」

 小詠の能力『読心』は嘘を見破れても、本人が誤認をしていれば、事実と異なっていても見破れないという穴がある。

「あとは──彼女が何かを隠そうとして、嘘にならない範囲でしか証言していない、とかな」
「……なるほど。勉強になります」

 そう言って小詠は頭を下げる。

「そうなると、二人の心が落ち着いてから、その時の状況を深く『読む』ために、精神潜行をしたいと思いますが……」
「妥当だろうな。だが、少なくとも数日は無理かもしれん」

 一見、落ち着いているように見えるかすみも、おそらくはかなり消耗しているだ
ろう。
 また想いを寄せる梅里が負傷するのを目の前で見ていたかずらのショックも大きい。
 そんな中で、精神を感応させて記憶をより深く覗くのは危険を伴いかねない。
 二人は花やしき支部を出て、再び現場での捜査へと戻った。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 その後、米田への狙撃事件の発生によって、そちらへ重きをシフトしたばかりに、二人ともその特別捜査チームへと変わってしまい、かずらやかすみへの精神潜行は行われなかったのだった。



 米田が狙撃された一報を受けて、夢組副隊長で現在は隊長を代行している巽 宗次は帝劇本部を訪れ──そこで花組隊長の大神一郎に遭遇した。

 

「役に立たず、申し訳なかった……」

 

 宗次に頭を下げられ、大神は苦笑いを浮かべる。それが先の戦いについての謝罪だと気がついたからだ。

 

「そちらの事情は把握しているさ。無理もないことだと思っているよ」

 

 渋谷で行われた黒鬼会幹部である五行衆の一人、木喰との戦いにおいて、戦場に置かれている物の調査が遅れたばかりに、花組にいらない負担をかけてしまったのである。

 本来であれば霊能部隊である夢組が霊視し、中身を透視して把握すれば余計な手間がかからなかったのだが、その時の夢組は集中力に欠け、調査班頭も上の空でまるで役に立たなかった。

 唯一、気を吐いたのが特別班に所属する遠見 遥佳で、その『千里眼』で支援したが、破壊して罠にはまったものも多く、万全な支援ができたとはお世辞にも言えない状況である。

 

「結果的には、敵は退けられたんだ。それも誰一人欠けることなく、だ。とりあえずはそれで十分さ」

「しかし……」

 

 慰めるような大神の言い方は、宗次のプライドを刺激する。反発しようとしたが、大神は手のひらを向けてそれを制した。

 

「無理するな、巽。今の夢組が大変なことくらい、華撃団で理解していない人はいない。司令と隊長がそろってあんなことになったんだから」

 

 上から二人が一気に欠けてしまったのだ。宗次にしても瓦解を防ぐので精一杯である。

 

「それに……花組も身動きがとれなくなるかもしれない」

「なんだって?」

 

 厳しい顔で言った大神の言葉に、宗次はさすがに驚いた。

 

「それは、どういうことだ?」

「財界からの援助が止まったらしい。花組……というよりも霊子甲冑は金食い虫だ。動かすにも維持するにも費用がかかる」

「バカな! 今、花組が、華撃団が動けなくなれば、誰が帝都を守るというんだ」

 

 思わず叫ぶ宗次。

 昨年半ばのような平時ならともかく、今はまさに黒鬼会という組織が胎動し、破壊活動を行い始めている。魔操機兵を相手に通常兵器が有効ではないのは黒之巣会で十分に学んだはずだ。

 

「こんな時に司令が……クソ! 副司令が居てくださったら……」

 

 思わず口をついて出た自分の言葉に、宗次自身も驚く。

 帝国華撃団の副司令といえば、藤枝あやめである。彼女亡き今もその地位は空白で、すくなくともこの一年あまり、その席を埋めようという話もなかった。

 

「……米田中将が身動きがとれない以上、隊長同士の連携を強めて対応するしかないと思う。夢組の隊長代理は巽でいいんだよな?」

 

 大神の言葉にうなずく宗次。

 

「ああ、もう一人の副隊長は、ちょっと厄介なことに巻き込まれてな。その対応で身動きがとれなくなった」

「厄介なこと?」

 

 訝しがる大神に、宗次は説明する。

 

「夢組は以前、陰陽寮派と軍派に分かれかけていたんだが……大神はそれを知っているか?」

「一応は聞いている」

 

 華撃団が結成したとき、宗次は夢組隊長心得という役職に就き、夢組の隊長になる予定だった。

 だが、霊力を持つ者の人員確保のために京都の陰陽寮の力を借りたせいで、そちらの発言力が大きくなり、また民間登用の多い夢組を軍方式でまとめようとした宗次が失敗したこともあって、その対立が深まったことがあった。

 その時の陰陽寮派のトップこそもう一人の副隊長の塙詰しのぶであり、対立を解消するために、どちらの派閥に関係ない上に司令である米田とつながりのある武相 梅里が隊長となることでバランスをとったのだ。

 

「その陰陽寮がゴネだしたらしくてな」

「なんだって? 今ごろになって、なぜ……」

 

 派閥争いが終結した後、しばらくは陰陽寮派もおとなしくしていたのだが、黒之巣会が六破聖降魔陣を完成させて帝都で大規模な破壊が起きた際に、大元である陰陽寮が帝都とそれを守る帝国華撃団を見限ろうとしたのだ。

 しかし華撃団がその窮地をひっくり返し、またしのぶをはじめとした陰陽寮派が京都の意向に反発して離脱せず、そのまま協力し続けたため事なきを得ており、結果的にはうやむやになっている。

 そんな経緯もあって、黒之巣会による混乱の終結後はあやめの根回しのおかげもあり、全面的な協力を得られる体制になったはずなのだが──今になって、急に反旗を翻した派閥があるらしい。

 そのため、しのぶは後ろ髪を引かれる思いで、今は華撃団サイドに立って陰陽寮との折衝を行っているところだ。

 

「……しかし巽。なにか、おかしくないか?」

「ああ。オレもまさにそう思っていたところだ。あまりにタイミングが出来過ぎている」

 

 そう応えた宗次の言葉に大神は大きくうなずいた。

 

「その通りだ。武相隊長への襲撃を端に発した米田中将への狙撃。その混乱を見越したかのように支援停止による活動資金の危機と、陰陽寮の不穏な動き……」

 

 資金の枯渇により実働部隊の対降魔迎撃部隊・花組、輸送空挺部隊・風組、局地戦闘部隊・雪組が動けなくなり、隊長襲撃と混乱で霊能部隊・夢組も機能不全に陥った

 

「キナ臭い、とはまさにこのことだな」

 

 顔をしかめる宗次に大神が賛同する。

 

「偶然というには重なりすぎている。明らかに何者かの思惑が感じられる。それも、そいつは大規模に、本気で華撃団をつぶそうとしている」

「順当に考えれば黒鬼会ということになるんだろうが、しがない秘密結社にしては財界やら陰陽寮にパイプがあるのは不自然だ。よほど強力な支援者(バック)がいると考えるべきだろう」

 

 見えぬ敵組織の全容と背後関係に、大神が「クソッ!」と珍しく焦りを露わにした。

 花組が、帝国華撃団が危機に陥っているのもあるだろうが、その父ともいうべき米田が殺されかけ、今まさに命の危機に瀕している。それにも関わらず何もできず、まして敵が見えない現状に苛立ちを感じたのだろう。

 

「お前らしくないぞ、大神」

「わかっている。しかし……」

 

 そこは士官学校の同期生。宗次は大神を華撃団に入る前から知っている仲だ。

 

「米田司令の狙撃犯を含め、敵組織の捜査は月組が中心になって探っている。夢組も全力でその協力を行う。お前達花組も、自分たちができることを、いや、自分たちにしかできないことをやって、状況を打開するしかないだろ」

「花組にしか、オレ達にしかできないことを……」

 

 宗次に言われて冷静さを取り戻し、自分の手を見つめる大神。

 そこへ──

 

「大神さーん!!」

 

 真宮寺さくらが大神を探してやってきた。

 走ってきた彼女は大神の前まで来て、傍らの宗次を見る。

 

「やっと見つけました……あの大神さん、こちらの方は?」

「ああ、面と向かって会うのは初めてだったかい? 巽 宗次少尉。夢組の副隊長だ」

「し、失礼しました。あたし、真宮寺さくらです」

 

 大神に紹介された宗次が一礼し、さくらもまた慌てて一礼してから自己紹介した。

 宗次は夢組支部長という立場から支部常駐で、たまに副隊長として隊長の梅里と会合をするために帝劇本部に来るが、会うのは昼夜の営業時間の間を狙った食堂が多く、終わるとすぐに戻るか帰宅しているので滞在時間も短いのだ。

 もちろん宗次は任務中に現場で何度もピンク色の霊子甲冑を見ているが、こうして生身できちんと会うのは初めてのことだった。

 

「丁寧にどうも。巽 宗次だ。もちろん何度も戦場で見かけているが、こうして顔を会わせるのは初めてか。あまりそんな感じはしないな」

「お互いに、華撃団に入って長いですからね。でも、夢組の副隊長ということは……」

 

 さくらの表情が曇る。米田への狙撃で隠れた感はあるが、梅里のことは花組メンバーも聞き及んでおり、心を痛めていたのだ。

 

「まぁ、アイツのことなら大丈夫でしょう。皆に心配してもらえて幸せ者ですよ」

 

 あえて軽い口調で言って笑みさえも浮かべる宗次。もちろん予断を許さないところから変わってはいないが、他の隊の隊員への心労を少しでも軽くしようと思った宗次なりの配慮だった。

 話の区切りもついていたので、宗次は大神に声をかけてからその場を去ろうとした。

 

 ──が、ふと思い出してその足を止める。

 

「ところで真宮寺さん……」

「え? あたしですか? はい、なんでしょうか」

「この前……米田司令が狙撃される前日の夜、外に出かけていないよな?」

「えっと、確かあの日は……」

 

 宗次の問いに、さくらは眉をひそめたが──その日こそ夢組隊長の梅里が襲撃された日だと気がつき、一生懸命思い出す。

 そして、その表情がだんだんと不機嫌なものになっていった。

 

「そうです、あの日は大神さんとサキさんが舞台裏で……」

「な!? あれは誤解だと言ったじゃないか、さくらくん」

「……ということは、帝劇から出ていないということで間違いない、か」

 

 焦る大神の反応で、二人が帝劇にいたのを確信した宗次がつぶやく。

 それを見た大神が訝しがるように宗次に尋ねた。

 

「なにか、あったのか?」

「ああ。現場にいた夢組(うち)の伊吹と風組の藤井、そのどちらもが花組(そっち)の真宮寺さんの技を見た、という証言があったからな」

「えっ? あたしの!?」

 

 思わず大神もさくらを見る。

 

「あたし、行ってませんよ? あの日は舞台裏のあとは自分の部屋に戻って出てませんし、舞台裏の前はたしか……あ!」

 

 さくらが何かを思い出すのとほぼ同時に、宗次がフォローした。

 

「いや、おそらく使ったのは梅里だろう。一応の確認だから気にしないでくれ」

「武相隊長が、あたしの技を? でも、あの人の剣技は……」

 

 眉をひそめるさくら。確かに梅里は、さくらも同じ刀を使う者として知っているし、降魔すら一人で、それも生身で倒せるという実力が華撃団屈指なのもわかっているが、それでも自分が修行の末に会得した技を簡単に使われてはプライドを刺激される。

 

「アイツの技に相手の技を模倣するものがあるから、たぶんそれだろう。オレも最初にそれをやられて困惑したよ」

 

 苦笑を浮かべる宗次。初めて梅里と会ったときに挑んだ決闘でのことであり、懐かしく思い出す。

 それを聞いた大神がこの前の戦いのことを思い出して付け加える。

 

「ああ、そういえばこの前の叉丹との戦いでも、オレとまったく同じ技を使ってたね」

 

 そんな話をしていると、さくらが申し訳ばさそうにして宗次に話を切り出した。

 

「あの、巽少尉。今さっき思い出したんですけど……あの日、あたし夢組の柊さんと夜に帝劇内で会いまして、その時に彼女から隊長が危ないと伝えられて……あたし、てっきり大神さんのことだと思っていたんですけど……」

 

 実際、あのときの大神はサキの色香にやられかけていて危険な状態であった。ゆえにさくらもそれを危機と解釈していたのだ。

 

「今思えば、武相隊長のことだったんですよね、きっと。あのとき、あたしがそれに気がついていれば……」

「いいや、気に病むことはない。それだけの情報で梅里の危機を把握して場所まで特定して助けるなんてことは、現実的に不可能だ。柊も失語症で説明ができなかったのだからやむを得ないさ」

「でもあたし、そんな簡単に割り切ることなんてできません」

 

 米田のせいで心が弱っているのもあるのだろう。さくらがますます落ち込む。

 

「ふむ……いいか、真宮寺さん。オレ達夢組は見えないものを見るのが任務であり、それはひどく曖昧なものになることが多い。予知なんてものはその最たるものだ。だからせっかく予知していたものを防げなかった、なんてことはザラにある」

「そう、なんですか?」

 

 さくらの問いに宗次はハッキリとうなずいた。

 

「専門のオレ達ですらそうなんだ。慣れないキミが気に病む必要なんてない。それに……」

 

 宗次は予知・過去認知班頭であるアンティーラ=ナァムの顔を思い出す。

 多忙な中で支部に戻った際に、チラッと姿を見たが彼女はひどく落ち込んでいた。

 

「一番つらいのは、そういう経験を誰よりも多くしている予知の能力を持ったヤツだからな」

「あ……それは、そうですね」

 

 ポツリとつぶやくとさくらは申し訳なさそうに顔を曇らせる。

 

「そこまで深刻になることはない。ただ、頭の片隅でそういう人たちもいると覚えてやっててくれ」

 

 宗次はそう言うと、大神とさくらを背にしてその場を去った。

 




【よもやま話】
 2話のタイトルは前作のかずら回と同様に、音楽からとってルビを入れました。サクラ大戦らしく「ららばい」としてもよかったのですが、話の雰囲気から「ララバイ」の方があっていると思ったので。

 小詠と加山の組を超えた特別捜査チーム結成……したものの、梅里の事件の捜査ではなく、米田狙撃事件の捜査に回されてしまい、そちらの捜査は大きく遅れることになります。
 後半は、宗次と大神のシーン。前作でも少ししか触れていませんが、大神と宗次は同期なので、隊長と副隊長なのに敬語を使ってません。
 前作のころの宗次なら敬語を使っていたかもしれませんが、梅里が隊長を務める夢組の「緩さ」に染まってきているのかもしれません。


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─2─

 大関ヨモギは、手術室から出ると思わず崩れ落ちるように地面に腰をつけた。

 

「はあッ…………」

 

 大きく息を吐き出す。疲労の度合いはかなり高かった。

 それもこれも──緊張感の高い手術(オペ)を連続で担当したからだ。

 今、ヨモギがいるのは陸軍病院であり、つい先ほどまでそこに緊急搬送された米田一基中将の緊急手術を担当していたのだ。

 花やしき支部の応急処置室が塞がっていたことや、現場からの距離を考えてこちらに搬送されたが、この病院の医師を差し置いて手術を担当できたのはかなりの強権を使ったのだろう。

 

「もしくは、救国の英雄である米田中将の命をもしも助けられなかったら、と怖気づいたかですね」

 

 助けられなかったら責任を取らされるのだとしたら、あんな危篤状態で担当させられるのは助けられれば賞賛されるメリットを考えても割に合わない。そう思っても無理のない状況であった。

 むしろ、逆に助けられなければ責任問題になる、と脅して自分をねじ込んだのではないか、とヨモギは疲れた頭でそんなことを考えていた。

 

「……あの、ホウライ先生、手術の結果は?」

 

 そんな手術衣を着たままのヨモギの下へ、人影が寄る。

 肩付近で切りそろえられた髪と、そばかすが特徴的な娘だった。普段なら大帝国劇場で売り子をしている高村 椿である。

 米田が狙撃されたという第一報が入り、搬送されたこの病院にきたのは彼女だった。かすみは一緒にいて襲撃された梅里が搬送された花やしき支部の医療施設にいたし、由里はあまりの帝劇内の混乱ぶりとかすみ不在もあいまって離れるわけにいかず、急遽、売店を放り出して椿に白羽の矢が立ったのである。

 その彼女にヨモギは親指を立てる。

 

「当然、成功です。私が“失敗するはずない”じゃないですか」

 

 そんな満身創痍の姿で余裕ぶっても滑稽なだけだが、その姿は激戦を戦い抜いた兵士のごとく輝いていた。

 

「よかった! さすが、ホウライ先生です!」

「……喜ぶのはまだ早いですよ、高村嬢。あくまで傷を塞いだだけで、依然として危険な状態には変わりありません」

「そんな……」

 

 ヨモギが突きつけた現実に、歓喜しかけていた椿は愕然とする。

 

「最善は尽くしました。あとは司令の体力のみが頼りですが……以後の診断も含め病院の医師に任せましたので、彼らから聞いてください」

 

 ヨモギはそう言って、どうにか立ち上がる。

 すると椿は一礼してその場から走り去っていった。おそらく米田の状態の詳細をここの医師に尋ねに行ったのだろう。そして、この情報を一刻も早く帝劇に伝えるはずだ。

 

 

 ──その医師の診断が、ヨモギへの嫉妬によるものか嫌がらせなのか、意識が戻る可能性は限りなくゼロというものになるとは、この時の彼女に知る由もない。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ともあれ、椿が去ったのとは逆方向へとよろめきながら廊下を歩いていたヨモギ。

 彼女は誰からも見えなくなるところまで進むと、握りしめた拳を廊下の壁にたたきつけた。

 

「まったく、なにが“失敗しない”ですか……」

 

 悔しげなヨモギの目には涙がにじむ。

 拳の痛みなどどうでもいい。なによりも自分の体たらくがくやしかっただけだ。

 

「半日で二件の手術をして、そのどちらもが完全に助けられたわけではないなんて……あまりにも不甲斐ないったらありません」

 

 ヨモギが後ろ向きなことを話すのは珍しいことだった。

 なぜなら江戸の御世より続く町医者で、代々の大関蓬莱(ほうらい)がそうであったように、その名を継ぐ彼女も『言霊(ことだま)使い』であり、口にしたことが力を持ちかねないために、皮肉は言っても後悔を口にすることはなるべく避けているからだ。

 まだ日付の変わる前に花やしきの地下にある華撃団の医療施設に呼び出された彼女は、緊急搬送されてきた夢組隊長の緊急手術を行った。

 傷口を縫合して出血を止めたものの、やはり危篤からは変わっていない。

 長時間にわたったその手術が終わり、少しでも休もうと仮眠した直後に再び連絡が入り、今度は陸軍病院に向かってそこで待機しろという指示があった。

 すでに日は昇っており、多少の休憩をしたが疲労は残っていた。

 さすがに文句を言ったが相手にしてもらえず、向かった陸軍病院に緊急搬送されてきたのは、今度は華撃団司令の米田である。

 本来ならこの病院の医師が執刀するべきところを、何の問題もなくヨモギが執刀して、なんとか無事に終わらせた。

 どちらもとりあえず今のところ命をつなぎ止めることができたが、それだけだ。今後どう転ぶか分からないし、今も次の瞬間には、悪化した、危篤になった、最悪の場合──亡くなった、なんて連絡があってもおかしくはない。

 それが自分の限界であり、医療の限界でもある。

 

「くッ──」

 

 再び壁にたたきつけようとした手だったが、今度は誰かにつかまれ、そして優しく包まれる。

 

「え?」

「優秀な医師の大事な大事な手よ。粗末に扱うものじゃないわ。それにこの手が駄目になったら、いったい誰が司令達を助けられるというのかしら?」

 

 どこか聞き覚えのあるその声に、慌てて顔を上げる。

 その目に映ったのは──

 

「……副、司令?」

 

 ヨモギは信じられないものを見たような驚きの目をして、思わずつぶやく。

 そして確信していた。“強権”を発動させたのは彼女だと。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして──米田の狙撃から数日が経っても、依然として彼の意識は戻らないままだった。

 その前日の晩から意識のない梅里もまた昏睡状態のままであり、ともに危険な状態を脱していない。

 

 そんな中、食堂は危機に陥っていた。

 

「とても営業できないわ……」

 

 そうつぶやいたのは食堂副主任──主任の梅里が昏睡状態なので実質トップ──の白繍せりである。

 こめかみを抑えて頭を横に振り、肩付近まで伸ばしたのを左右二つに分けてまとめ、お下げにした髪がそれに併せて揺れる。

 

「まぁ、そうですよね……」

 

 気まずそうに言ったのは越前 舞だった。

 もともと本部勤務ではなかった彼女だが、欠員を理由にわざわざ錬金術班本部付副頭という地位を作ってまで、せっかく異動したというのに、食堂がこうなってしまっては肩すかし感は否めなかった。

 現在の食堂は、調理サイドの要である梅里が欠け、それに次ぐ形になっている釿哉が出張中で不在である。

 

「主任も釿哉殿も不在となれば、調理部門は立ち行きませんからな……」

 

 和人が食堂の天井を見上げながら言う姿は哀愁すら感じさせた。

 隣に座るコーネルもまた、大きくうなずく。

 

「それハ、接客サイドも同じデハありまセンか?」

 

 確かにコーネルの言う通りだった。

 副主任のせりは主任不在のために仕事が増えた上、調理側の脆弱さを補う必要があって接客に専念はできない。そして現在、不穏な動きを見せ始めた陰陽寮との折衝でしのぶが帝劇本部を離れている。

 

「しのぶがいないのは、本当に厳しいわ」

 

 そう言ってカーシャが肩をすくめる。この春に舞とカーシャが補強されてはいるが、せりが接客を離れて調理を手伝った場合、二人にしても紅葉もにしても接客の責任者を任せられるか、と言われれば疑問符がつく。

 

「ヨモギも、こっちは手伝えないでしょうからね」

 

 舞が言う大関ヨモギは、以前から食堂の調理部門をよく応援で手伝っていた。梅里がヨモギの薬膳料理に興味をもっていたせいもあって依頼していたのだが……今の彼女にそんな余裕は無い。

 陸軍病院に入院している米田はともかく、花やしき支部の医療施設で昏睡状態の梅里から離れるわけにはいかないからだ。

「残念ナガラ、今の状況では、食堂は休まザルをエナイ、と思いマス」

 コーネルの言葉に、全員がうなずく──と思ったその時、一人だけ首を傾げる者がいた。

 

「そう、ですか?」

 

 疑問符を浮かべたのは紅葉だった。

 

『──は?』

 

 皆の声が自然と一致する中、ショートカットの髪をした彼女は拳を握りしめて反論する。

 

「食堂以外の皆さんの話を聞いていても、お金がなくて困っている様子ですから、営業してお金を稼ぐべきじゃないでしょうか」

 

 紅葉の言うとおり、今の帝国華撃団は財界からの支援がストップしてしまい、活動ができなくなっている。

 お金がない、というのは正解なのだが──

 

「紅葉殿……さすがに食堂の稼ぎで華撃団の活動を賄えるほどの利益は到底及ばぬかと思いますが」

 

 和人がため息混じりに言うと、紅葉は不思議そうな顔で彼を見た。

 

「そうなんですか? でも、たとえそうであっても、チーフが意識不明の今、皆で力を合わせて食堂を盛り上げなければいけないじゃないですか。休んでいたらチーフに申し訳がありません。是非とも食堂再開を──」

 

 

「──そんなこと、できるわけ無いでしょッ!!」

 

 

 バン!! というテーブルを叩く大きな音と同時に、怒りの声が食堂内に響きわたった。

 

「せり……」

 

 呆気にとられた誰かの声がその人の名を呼んだ。

 食堂副主任のせりは怒りを露わに紅葉をにらんでいた。

 

「営業する? 馬鹿言わないでちょうだい!! 今の状態で営業すれば、厨房が回らないのは明らかで、それも出てくるのは普段よりも格段に質が劣る料理よ? そんな営業をしたら客足が離れるのくらい考えれば分かるでしょ!?」

「え? あ、う……それは…………」

 

 せりにまくし立てられ狼狽する紅葉。

 

「努力や根性でどうにかなる話じゃないの。そもそもあなたが接客の責任者をこなせれば私が調理に専念できる。そうすれば営業も夢じゃないのに、それを……」

 

 苛立たしげにせりが紅葉を見る。

 だが紅葉はそんな空気を読める人ではなかった。

 

「では、ウチが責任者に──」

「それができれば、苦労してないわよッ!!」

 

 苦笑混じりの紅葉の言葉に、せりはついに激高して紅葉の襟をつかむ。

 その剣幕に紅葉が、そして他の誰もが呆気にとられて黙って見ていた。

 明らかにいつものせりとは様子が違う。

 

「白繍殿、それはさすがに言い過ぎでは……」

 

 さすがに見かねた和人が仲裁に入る。

 だが、せりは攻撃的に反論した。

 

「でも、事実よ。二年以上も働いてる紅葉がもっとしっかりしてくれれば、この難局だって乗り切れたわ」

「ソウは言ってモですネ……モミジ、ですヨ? 彼女は彼女なりに、努力シテ……」

「それが実を結んでなければ、全く意味ないじゃない! 昨日今日働き始めたカーシャや舞、柊とはワケが違うのよ?」

 

 コーネルのとりなしも効果が無く、敵意をむき出しにするせり。

 

「セリ、あなた……疲れてるんじゃないかしら? 少し休んだ方が……」

「いいえ、大丈夫よ!!」

 

 カーシャの気遣いにさえも噛みつかんばかりに反発する。

 拒絶されたカーシャは肩をすくめて首を横に振る。もうどうしようもない。文字通りお手上げ状態だった。

 そんな場の空気を読んだのか、せりが訝しがるように周囲を見る。

 

「なによ? みんなもさっきまで営業は無理って言っていたじゃないの。私はそれを主張してるだけで──」

 

 

「オイオイ、大将がやられて気が立つのは分からねえでもないが、仲間といがみ合ってどうするんだよ。みんなドン引きじゃねえか」

 

 

 食堂の入り口の方から聞こえた声に、皆が振り返る。

 そして、その姿に唖然とした。

 

「え? ……釿さん!?」

 

 思わずその名を呼んだのは、同じ錬金術班の越前 舞である。

 もちろん皆の気持ちは一緒だった。彼がこの場にいることが信じられなかった。長期出張で帝都を離れたはずなのだから。

 

「おう。頑張ってたか? ゼンマイ」

「それはもう……でも、いったいどうしたんです? それに出張は?」

「大将がやられたって知らせが入ったから、出張中の北海道から可能な限り急いで戻ってきたってわけさ。おかげで仕事はちょっとばかり投げてきちまったが……この様子じゃあそれで正解だったみたいだな」

 

 舞の問いに苦笑混じりで答えた釿哉は、今まさに帰ってきて直行したらしく、大きな荷物を抱えている。

 出張の理由は光武改の次となる霊子甲冑の開発だった。

 それを花組の紅欄とともに行っており、彼は現地にまで行って従事していたのである。

 理論までほぼ完成していたこともあって、夢組の危機に後始末を他に投げ、そのまま帰ってきた。

 もっともその影響で開発の遅れが出ないように、紅蘭の本部復帰が遅れることになったのだが……

 

「それにしテモ、早すぎデハないですカ?」

「ああ、これには少しばかりカラクリがあってな。こんなこともあろうかと、実験のために八束に超長距離の念話(ねんわ)を可能にするための機械を試験的に渡していたのさ。それですぐに知ることができたってわけだ。名付けて『トーク・トーク』」

「さすが、お頭。“遠く”で会話(トーク)で、トーク・トークってわけですね」

 

 感心して称える舞とは対照的に、他は「またいつものネーミングか」と苦笑混じりな表情になる。

 だが、今はそれさえもホッと和むのであった。

 

「ま、コイツのおかげでその日の朝には北海道(むこう)を出発し、帰路に発てた。それでやっとたどり着いたんだが……米田のオッサンも撃たれたんだって?」

「ええ、そうなの。おかげで夢組だけでなく、華撃団全体がパニックよ」

 

 カーシャがそれに答え──釿哉が訝しげに彼女を見た。

 

「……アンタ、誰だ?」

 

 釿哉の反応に、全員キレイにずっこけた。

 

「それと……後ろにいるちっこいのも、見覚えがねえんだが」

「ああ。カーシャと柊が配属されたのは釿さんが出張に行った後でしたな」

 

 苦笑混じりに和人が言うと、カーシャが笑顔をひきつらせながら自己紹介する。

 

「……アタシは、新入隊員で除霊班副頭のアカシア=トワイライト」

「なるほど。ってことは道師の後釜か」

「ええ。それで食堂では給仕を担当しているわ」

 

 人懐っこく微笑むカーシャに釿哉はピンときた。

 

「ふ~ん、紅葉以上に働けるってわけか。雰囲気で大体分かった──で、そっちのちっこいのは?」

 

 釿哉に見られて慌てふためいた駒墨(くずみ) 柊は、慌てて携帯用の筆と墨壷──矢立を出し。さらに取り出した短冊に自分の名前を書いて見せる。

 

「なるほど。こっちのも大体分かった。接客は壊滅的に無理ってことだな。ふむ……」

 

 歯に衣着せぬ釿哉の評価。

 そして──

 

「おい、せり!」

「な、なによ!?」

 

 若干まだ興奮気味のせりがキッと睨むが、釿哉は動じなかった。

 

「食堂、やるぞ」

 

 その釿哉の一言に、せりはもちろん、他の者も面を食らった。

 

「──はい!? ちょっと、さっきの少しは聞いていたんでしょ? 無理だって結論は……」

「ああ。でもアレはオレがいない前提の話だろ」

 

 そう言ってニヤリと笑う釿哉。

 

「オレとコーネル、和人の三人で厨房はどうにか回す。柊って新人も皿洗いや下拵えで修行させつつフォローしてもらう。接客はそこのカーシャ、紅葉、舞の3人で、お前が接客にシフトを置きつつ厨房をフォローすればなんとかなるだろ?」

「それは……可能かもしれないけど。でも、もし夢組の任務が入ったら……」

「資金不足で霊子甲冑が動かせないって話だから、でかい作戦はできないだろ。細々(こまごま)とした任務なら支部の連中に任せたり、シフトの調整でどうにかできる。そのあたりは宗次のヤツに丸投げすればいい」

 

 楽観的な観測ではあるが、理屈は通っている。

 せりがさらに否定的な理由を考えていると──

 

「大将がいなくて不安なのはわかるが、お前、それでいいのか? アイツが起きたとき「え? 食堂やってなかったの?」とか言われたら悔しいとか感じないか?」

 

 そう言われて「ぐ……」と黙り込むせり。それを見た釿哉は多少なりともそのような感情があるものだと判断して話を続けた。

 

「オレは悔しいぞ。それに……この華撃団の危機に自分が何もできなかったらな」

 

 そう言って釿哉は周囲を見渡す。

 

「もし、うちの大将だけが倒れてるのなら他の隊に寄りかかることもできるかもしれないが、米田司令まで撃たれ、おまけに金の支援まで打ち切られてる。そんなときに隊長が昏睡状態だから、と他の隊に甘えられるか?」

「できませんな、それは」

 

 和人が力強く頷き、それは他のメンバーへと波及していく。

 皆の視線が、最後まで頷かなかった現時点での食堂の責任者──副主任のせりへと集まる。

 

「……わかったわよ。みんながそんなにやる気なら、やりましょう。でも、なにか不具合が出て悪評が出そうだったらすぐに止めるからね」

「ああ。そうならないようにしてみせるさ」

 

 釿哉の言葉に皆が頷く。

 

 

 ──こうして、釿哉の帰還により夢組の空気は変わりつつあった。

 そして、せりの態度を不審に思う者もいるにはいたのだが、「梅里が大変な目にあって動揺しているのだろう」と判断し、それを深く追求する者はいなかった。




【よもやま話】
 だんだんとせりが追いつめられて余裕がなくなってきてます。
 この精神状態も前回の水弧によるマインドコントロールの結果によるものと、潜入者のせいでもあるのです。
 彼女の復活にはもう少し時間がかかる、どころかますます追いつめられていくわけで……。
 せりの元気がない現状では、書いてる側として釿哉の復帰が一番助かります。
 だって食堂のシーンとか、しのぶ=多忙につき不在、せり=精神的不調、かずら=事件で動揺中(そもそも食堂勤務ではない)、紅葉=残念な子なので賢いことが言えない、カーシャ&舞=新人なので出しゃばれない、柊=しゃべれない、コーネル=片言で読みづらい……と、場面にたくさん居ても普通に語れるのが和人くらいしかいないんですから。
 軽口たたけて、冗談も言えて、責任者もこなせる上に事件のショックも軽い釿哉の復帰が一番ありがたい。


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─3─

 こうして釿哉が帰還したことで再開した食堂。

 それを、ロビーから見ている人影があった。

 

「みんな、頑張ってるのに、私は……」

 

 そう言ってしゅんと落ち込んでいるのは、夢組の本部メンバーでありながら、ただ一人食堂ではなく、楽団に所属している伊吹 かずらだった。

 その落ち込んだ雰囲気のせいか、三つ編みにした柔らかそうな髪も心なしかいつもよりもボリュームが落ちてふわふわ感が落ちている。

 

「釿さん、すごいです。食堂のみんなをまとめ上げて再開させるなんて」

 

 釿哉が再開に尽力したのは、同じ夢組なのでよく知っていた。

 本来なら、副主任のせりがやりそうなことだが、意外なことにせりは再開には消極的だったらしい。

 彼女の性格を考えれば、他を引っ張ってでも食堂再開に尽力しそうだと、かずらは思っていたのだが……

 

「やっぱり、せりさんもショックなのかな」

 

 梅里の危篤。

 襲撃からすでに何日も経っているが変わらない。米田もまた狙撃されてから意識は戻っていないとのことだった。

 

「──チャオ、かずら。 元気ないみたいですけど、大丈夫ですかー?」

 

 考えに耽っていたかずらに声をかけてきたのは通りがかった織姫だった。

 それに無理に笑顔を作ってかずらが──

 

「こんにちは、織姫さん。心配してくれてありがとう。でも、大丈夫ですよ」

 

 カラ元気を奮い立たせて答えると、心配そうにしながらも納得した様子で別れの挨拶を言って早々に立ち去った。

 マイペースな織姫が気を使ったのは珍しく、逆に言えば、それくらいかずらが目に見えて落ち込んでいるということでもあった。

 事実、織姫が去ればまだ思考の渦に飲み込まれてしまう。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 あの日のことを思い出すと、かずらは胸が張り裂けそうになる。だが、一日たりとも思い出さなかった日はない。

 そして思い出すたびに後悔が押し寄せる。

 

(もっと上手く立ち回れたら……)

 

 その思いがかずらの胸の内に渦巻いていた。

 もし、あの場にかずらもかすみもいなかったら、梅里は最悪でも逃げるという選択肢があったはずだ。

 さらに言えば、かずらとかすみだってあの場から隙を見て逃げるという選択肢もあったはずだが、実際には動揺で身動きがとれなくなってしまっていた。

 そして、一緒にいた藤井かすみの落ち着き払った対応も、かずらの後悔のタネになっている。

 

「かすみさんも、すごいなぁ……」

 

 偶然、ロビーへとやってきていた藤井かすみの姿を見て、そう思った。

 彼女は売店の売り子である高村 椿と話をし、優しげな笑みを浮かべている。

 かずらと共に梅里襲撃に巻き込まれた彼女だったが、その対応はまさに的確だった。梅里の指示をじっと守り、かずらのように余計な動きをして梅里に負担をかけることもなかった。

 ミカサや翔鯨丸に搭乗する彼女は、直接的な戦場には至近距離での支援が多い夢組のかずらほど慣れていないはずなのに、それでも震えるかずらを励ましたり、危機が去った直後に緊急搬送要請を行ったりと冷静な判断をしていた。

 

「もし、あの時にかすみさんがいなかったら……」

 

 梅里に送ってもらうという話になったとき、正直に言えばかすみを邪魔とさえ思いもした。

 しかし結果的には自分は動揺のあまりに全く役に立たず、事件の最中はもちろん事後処理まで的確にこなしたのはかすみなのだから、自身こそ邪魔だったではないか、と思ってしまう。

 だからこそ、自己嫌悪のような感情を抱いているのだ。

 

「──あら? かずらさん。ずいぶんと浮かない顔をしていますが、大丈夫ですか?」

 

 そんなかずらに気がついたかすみが近づいてきて、顔色に気がついて心配そうな表情を浮かべた。

 まさに考えていた彼女から声をかけられ、狼狽するかずら。

 

「い、いえ……なんでもありません。大丈夫です」

 

 そう言いながら笑みを浮かべた。

 ──本人はそのつもりだったが、弱々しい笑みは無理をしているのがありありとわかって逆にかすみを心配させてしまう。

 そんなかすみの心情に気がついて、かずらは慌てて話を変える。

 

「それに、公演に向けた練習もまだですし……私、暇ですから。かすみさんこそ、いろいろ大変じゃないですか? 聞きましたけど、華撃団のお金のこととか」

 

 かずらの話にかすみは困ったように眉をひそめる。

 

「そうですねぇ……たしかにお金も大事ですが、もっと大切なのは人だと思いますよ。お金は代わりはあっても、人に代わりはありませんから」

 

 そう言ってかすみは遠い目をした。

 脳裏に浮かぶのは、今も病院で昏睡中の米田の姿と、花やしき支部の地下医療施設で同じく意識不明の梅里の姿だった。

 気持ちはかずらも同じであり、しゅんとうつむく。

 そんなかずらの肩を優しくパンパンと叩くかすみ。

 

「だから、かずらさんも自分の身を大事にしてください。あのときのことを思い出して自分を責めているのでしょう?」

「……え?」

 

 呆気にとられるかずら。

 

「どうしてわかったんですか?」

「私も同じだからですよ」

「ええっ!? そんなことないじゃないですか。かすみさんがあのとき冷静に対応してくださったから梅里さんの緊急搬送も早くて間に合いましたし、なにより鬼王から私たちを守ろうとして……」

 

 あのとき、梅里が撃ち抜かれて崩れ去った直後に、あの鬼王の行く手を阻んだのはかすみだった。

 彼女自身は戦う術が無いというのに、梅里を守る一心で自分が盾となり、その隙にかずらに梅里を連れて逃げるように言ったのである。

 

「ああ、あのときですか……」

 

 苦笑を浮かべるかすみ。

 

「無我夢中でしたけど、今、思い出すだけで、怖くて体が震えるんですよ」

 

 そう言って彼女はかずらの手を握った。

 言ったとおり、その手は震えていた。それに驚きかずらは思わず彼女の顔を見てしまう。

 

「情けないですよね。華撃団の一員だというのに」

「そんなことありません!」

 

 苦笑を浮かべたままのかすみの言葉に、かずらは首を横に振った。

 

「梅里さんさえ歯が立たなかったような相手に、丸腰で立ちはだかったんですよ。結果的にはちょうど紅葉さんたちが来てくださったから助かりましたけど、もしあのままだったら……」

 かすみは殺されていただろう。

 それがかすみ自身、容易に想像できるし、だからこそ危機が去った今でも思い出せば体が震えてしまうのだ。

 

「命の危機に恐怖を感じないのは危険なことだって、梅里さんが言ってました」

 

 かずらも華撃団の養成機関である乙女組を経て夢組に所属しているが、それ以前は普通の女学生だったし、富豪の娘である彼女はバイオリンやピアノは習ったが、規模こそ差があれど実家が富豪という同じ括りに入る神崎 すみれのように武術系を習うようなことはなかった。

 それは神崎家が元は武士階級なのに対し、かずらの家は商人の家系なせいでもあるが、つまりは荒事がからっきし苦手なのだ。そのせいで戦場で固まってしまうのを悩み、梅里に相談した時に言われたのがさっきの言葉だった。

 

「怖いって感情は悪いことじゃないんだよ。逆に怖がりな方がより慎重になるんだから。でも……怖くてなにもできない、ってなっちゃったら困るけどね」

 

 そのときの梅里はそう言って苦笑していた。

 

(怖くて何もできない……)

 

 まさにあのときの自分だ、かずらは思う。

 

「かすみさんは強いですよ。あのとき、私は怖くて何もできなかったんですから」

「いいえ、私ももっと上手く立ち回れていたら……武相隊長が戦っている間に逃げるなり救援を呼ぶなりできていたはずです」

「え? あれ? あの救援って、かすみさんが呼んだんじゃないんですか?」

 

 紅葉達を呼んだのはかすみだと思っていたが、そうではなかったらしい。

 

「ええ。後で聞いたら夢組のティーラさんが予知をして、それで急いで手配して、私達を探し回っていたそうです」

「そうだったんですか……」

「ですから、私もかずらさんと同じように、なにもできなかったんですよ」

「そんな! 私も梅里さんも、かすみさんに助けてもらったようなものなのに……私も、かすみさんみたいに冷静に動けるようになりたいです」

 

 かすみに対してかずらが首を横に振ってそう言うと、彼女は小さくため息をついてから──

 

「それは私がかずらさんよりも歳上だっただけですよ。いわゆる年の功、でしょうかね」

 

 そう言って苦笑混じりに悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──その翌日のこと。

 

「お父様、お願いがあります」

 

 寮暮らしだった乙女組を出たために、実家から大帝国劇場へ通っているかずらは、忙しくてあまり家で会わない父親をあえて捕まえ、話をした。

 若き実業家であるかずらの父親は穏和な笑みを浮かべる。

 隙と好機を見逃さない彼は、経済界では“油断ならない男”として認識されつつあるが、家ではそういった側面はおくびも出さず、妻と娘を溺愛するよき夫であり父親だった。

 

「なんだい、かずらちゃん。そんな風にあらたまって。お願いならなんでも聞いてあげるよ。私のかなえられる範囲なら、ね」

 

 スマートにそう言って微笑むかずらの父。

 そんなにこやかな笑みも、次のかずらの言葉で苦笑に変わった。

 

「帝国華撃団を、支援していただきたいのです」

 

 その苦笑に変わる直前、一瞬だけ苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたのをかずらは見ていた。

 

「ゴメン、かずらちゃん。それだけは……それは私のかなえられる範囲には入っていないんだ」

「なぜですか!? 華撃団の意義についてはお父様もよくご存じのはず」

「ああ。知っているさ。キミを乙女組に入れるときに、やってきたあの人に懇々(こんこん)と説明されたからね」

 

 帝国華撃団の存在と、それが軍の部隊であると知って、かずらの両親は当然に彼女がそこに所属することに反対した。育成機関とはいっても、後々に華撃団に所属するのが前提であり、娘がそんな危険な目に遭うことを、親が許すわけがなかった。

 その説明にやってきたのは、当時の華撃団副司令にして今は亡き、藤枝あやめである。

 

 かずらが演奏──ことバイオリンに関して神童とも言われて騒がれ始めたころ、彼女が演奏すると不思議なことが起こるという噂が流れ始めていた。

 演奏に感動して聴衆がことごとく滂沱の涙を流していた、なんていうのはまだ普通な方で、癒されて体の調子がよくなったなんていう眉唾ものの効果やら、曲を聴いて頭に浮かぶ情景のリアルさに驚き、中には気を失うものまで現れるという有様だった。

 一種、異常ともいうべき事態であり、そんなかずらの異常な能力を奇異の目で見るような事態になりかねないところだったが、とある音楽評論家が絶賛することで民衆は『悪魔の奏者』ではなく『神童』として受け止めた。

 そのため、彼女や家族が迫害されるような事態にはならなかったのである。

 

 あやめはその説明をし、さらには降魔戦争での惨状を挙げて降魔の危険性を説き、その対策のためにかずらの力が役に立つこと、それを伸ばすために育成機関に入れて欲しいと熱心に頼み込んだのである。

 

「だからこそ、乙女組にかずらちゃんが入るのを認めた。今も、華撃団が帝都に必要だっていうのはわかってるよ」

 

 記憶に新しいのは黒之巣会の戦いと、葵 叉丹が起こした聖魔城を巡る攻防である。

 あれがあったからこそ、華撃団があってよかった。娘が帝都を、この国を守るその力になれてよかった、と実感していた。

 

「でも、華撃団への支援打ち切りは財界の総意なんだよ。うちだけが支援すれば、たちまち睨まれて事業が立ち行かなくなる……」

「そんな……」

 

 かずらに対して申し訳なさそうな顔をする父親。

 

「うちの全従業員の人生を賭けてまで、それはできない。睨まれて平気なのは、それこそ神崎重工くらい大きくないとね」

「え? どういう……ことですか?」

「あれ? 聞いてないのかい? 神崎老が御孫さんに、決めた相手との結婚を条件に支援すると約束したって噂を聞いたんだけど。その御孫さんは、帝国華撃団にいるんだろう?」

「え? えぇぇぇッ!?」

 

 驚きの余りに声をあげるかずらを見て、父はこの話が華撃団内でまったく広まっていないのを察する。

 

「そうか、神崎のお嬢さんは仲間に話していないのか。悪いことをしてしまったかな」

「そんなことありません!!」

 

 キッと顔を上げて主張するかずら。

 

「すみれさんは花組に想い人がいるんです。その大神さん以外の人と結婚だなんて、意にそぐわない結婚なんて、可哀想です!」

「大丈夫だよ、かずらちゃん。キミにはそんな目には絶対にさせないからね。むしろ希望があればどんな縁談でもまとめてあげよう」

 

 良い笑顔で言う父親。

 

「あ、ありがとうございます。ではさっそく……じゃなくて、花組の人達に伝えに行かないと」

「ん? なにをだい?」

「すみれさんが結婚して華撃団を辞めようとしているってことを、です!」

「いや、なにも今すぐって話じゃなくて、まだそのためにお見合いをする、という段階だそうだよ?」

「それでも、いえ、それならなおさらです。手遅れにならないうちに皆さんに……」

 

 言うやかずらは走り出し、家を飛び出していく、

 その後ろ姿を父親は「やれやれ」と見送りつつ、笑みを浮かべる。

 

(さて、これで破談になって神崎重工の……むしろ神崎老の威光が少しでも衰えてくれれば、多少は商売がやりやすくなるんだけどね。頼むよ、かずらちゃん)

 

 小さいことをこつこつと。

 そうやって積み上げたものが後日になって実を結ぶかもしれない、と思うかずらの父。特に梅里とのことになると結果を性急に求める娘とはその点については似ていなかった。

 

 

 そして、かずらが大帝国劇場にもたらした“すみれが華撃団への支援の代償にお見合い結婚をする”という話は由里によって花組に知らされ、ちょうど帝劇に帰ってきた桐島カンナも加わってすみれのお見合いをぶっ壊そうという話になっていくのだが……それはまた別の──花組の話で語られるべきだろう。

 




【よもやま話】
 当初の予定ではまったく違った展開でしたが、ふと思いついてこのような流れになりました。
 その内容では、意識取り戻した直後に、神崎邸への出撃でかずらを助けた後は水戸に帰って修行する──はずでした。
 とはいえ、元から書いていたのを削らずとも変更できたのは幸いでした。


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─4─

 さて、花組がすみれのお見合いを知って、それを壊すべく大騒ぎをしているころの話。

 ここに至っても、米田も、そして梅里も意識は未だに戻っていなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 今日も梅里の見舞いにきたかずらは、その様子を見て大きく息を吐く。

 無事に生きてそこへ横たわっていることへの安堵と、変わらぬ状況へのため息。どちらともつかぬ──むしろ両方であるそれは、毎日のかずらの日課になっていた。

 初めのころは、自分が見ていないうちに亡くなっているんじゃないか、という不安が大きく、来るたびに生きているのに安堵していたのだが、今ではそれが少しばかり薄らぎ、いつのころからか生まれた意識が戻っていないことへの落胆が大きくなりつつある。

 しかし、それは梅里の容態が、命の危機を脱しつつあることでもある。初めのころは外せなかった呼吸を補助する酸素マスクも、今は外されていた。

 

「そろそろ目が覚めてもいいと思うんですけど……」

 

 素人であるかずらの目から見た素直な感想である。安定しているように見えるし、ただ眠っているだけのようにさえ思える。

 だが、ヨモギに言わせれば未だに「生死の境をさまよっている」らしい。いつ呼吸が止まってもおかしくないし、どうなるかわからないということだった。

 それというのも、梅里を命の危機に陥れた一撃は、妖力や霊力と言われる力がかなり強く含まれていたらしく、それが梅里の霊的中枢を傷つけた──というのがヨモギの見解であり、外傷は順調に治っていても、そちらが安定していないということらしい。

 その話を聞いて、かずらは去年の降魔との戦いを思い出してしまった。

 上級降魔『十丹』が融合した巨大降魔を倒すために命を懸けた梅里。あのときは外傷がないにも関わらず、夢組どころか花組を除く華撃団全員という巨大な霊力に梅里の霊体が耐えられずに壊れてしまたっため、傷がないのに死にかけている。その状況に似ているように思えたからだ。

 

 ──ちなみに、先の戦いでのようなことは、花組隊長の大神一郎の霊力の性質のような『触媒』能力があればどれだけの霊力量だろうとも無事に耐えた上で一つにまとめられるだろう、ということが夢組の調査で判明している。

 その結果は、なんだか梅里よりも大神の方が優秀だ、と言われているようで、かずらにとっては少し悔しくも感じていた。

 そんな梅里の顔をそっと覗き込む。

 

「妖力のせいで意識が戻らない……まるでおとぎ話の呪いみたいですよね」

 

 横たわる梅里の目を閉じたままの顔を、かずらは被さるように乗り出して見つめる。

 そう、おとぎ話で悪い魔女の呪いを受けた姫は、王子様のキスで呪いが解けて目覚める、というのが定番だ。

 

「キスで目が覚める……」

 

 かずらの視点が、梅里の顔全体から、その口──さらに、唇に集中する。

 引き寄せられるようにそこへ顔を近づけていき──

 

「試してみて、それで目が覚めればもうけものですし……」

「──さすがにそれはどうでしょうかね。むしろホウライ先生に「非科学的です」と怒られるんじゃないですか」

「わひゃあぁッ!?」

 

 想定外の返事にかずらが悲鳴のような声をあげて驚く。

 振り返れば、気まずそうに苦笑したかすみが立っていた。

 

「な!? か、かすみさん……いつ来たんですか!?」

「今さっきですけど?」

 

 しれっと答えるかすみにかずらは抗議する。

 

「そ、それなら声をかけてくださいよぅ」

「病室に入ったら、かずらさんがそんなことをしようとしていたので。声をかけたんですが……」

 

 病室の入り口付近にいたかすみがそう言いながらベッドの方へと歩いてくると、持参としたものと合わせて、ベッド横の棚に置かれたお見舞いの品々を整理し始めた。

 本部勤務の者達、それが夢組であればかずらに託したのだろうが、それ以外の人達からのお見舞いをかすみは持ってきたらしい。

 とはいっても、梅里の意識が戻っていないのは周知のことなので、食べ物よりも花が中心になっている。

 

「……本来、病室に花というのはあまり感心しないのですがね」

 

 そう言って入ってきたのは、ボブカットの黒髪に半眼になった目が特徴的な、この医療施設の主である大関ヨモギであった。

 

「それは気が付かず、申し訳ありません」

 

 かずみに丁寧に頭を下げられ、逆に困惑するヨモギ。

 

「いや、まぁ……頭を上げてください藤井嬢。そこまで目くじらを立てるつもりはありません。もっとも、ここのような地下では日が当たらず花も可哀想ですけどね」

「それは、そうですね……」

 

 花を見つめながらかずらもそれに同意する。

 

「ふむ……では、日の当たる場所に移動しますか」

「「え?」」

 

 ヨモギの言葉に、かすみとかずらは驚いた。

 

「梅里さんを、ですよね? でも、動かして大丈夫なんですか?」

「ここは施設が充実しているからこそ、武相隊長を収容していると聞きましたが……」

「当初に比べてずいぶんと落ち着いてきましたからね。霊体へのダメージがまだ不明なところもありましたが、機器で確認した結果としてそちらの方も落ち着いているので、そろそろ動かそうかと」

「ということは、意識が戻るってことですか!?」

 

 かずらの明るい言葉に、ヨモギは首を横に振る。

 

「それは医者として約束できかねます。身体・霊体ともに危機を脱したのと意識を取り戻すのはまた別の話ですから」

「そんな……」

 

 しゅんとするかずら。その彼女の肩をかすみが優しく抱く。

 

「焦らないでください、かずらさん。とりあえず隊長さんの命は、当面大丈夫ということでしょうから。そうですよね、ホウライ先生?」

「ええ。それは大丈夫です」

 

 そう言ってヨモギは頷いた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 こうして梅里は部屋を移ることになった。

 というのも、今、梅里がいるのはあくまで緊急対応のための部屋であり、危機に瀕して運ばれてきた隊員に対して治療を行う部屋である。

 そういった部屋を、容態が安定した患者に使うのは、急患への対応ができなくなってしまうので、できる限りあけておきたいと考えるのは普通のことだろう。

 地下施設の急患用の部屋から、地上施設のリハビリ用のベッドへと移された梅里。久しぶりに日の光を浴びることになった。

 部屋の移動が終わると、かずらは「一度戻ってまた来ますね」と言って後をかすみに任せて病室を出て行く。

 かすみは部屋の整理が落ち着くと、することもなくなってしまう。

 とりあえずかずらが戻ってくるまで待とう、と考え、暇を持て余した彼女は持ってきていた文庫本を呼んでいたはずが──

 

 

 ──気がつけば、一面、真っ白な世界にいた。

 

 

 そして、そこには笑みを浮かべたポニーテールの娘が立っていた

 

「こんにちは、藤井かすみさん……でいいのよね?」

「そうですけど、あなたは?」

 

 見知らぬ女性に名を呼ばれて困惑するかすみ。

 

「初めまして。四方(しほう) 鶯歌(おうか)と言います。いつも、ウメくんがお世話になってます」

 

 砕けた口調とは裏腹に、丁寧に頭を下げる鶯歌と名乗った少女。

 その名前に、かすみは聞き覚えがあった。

 

「まさか、武相隊長の……」

「ええ。昔は幼なじみで、今は守護霊やってます」

 

 あっけらかんとそう言って笑みを浮かべる鶯歌に、かすみは戸惑いを隠せなかった。

 彼女が聞いていた話では、梅里の幼なじみの鶯歌という少女は、彼が地元の水戸で降魔を討伐した際に降魔の種を植え付けられ、自我が消える前に梅里が持つ刀に自ら飛び込んでその命を絶ったと聞いている。

 そんな“悲劇の少女”のはずの彼女のノリが軽いのは心底意外だった。

 

「それで……ここは、どちらでしょうか?」

「あなたの夢の中ですよ。死にかけてるわけでもなんでもないので、安心してください」

 

 ニッコリ微笑む鶯歌に対し、かすみはますます戸惑う。

 

「私、寝てるんですか?」

「ええ。ずいぶんお疲れのようですね。ただでさえバタバタしている帝劇での普段のお仕事に加えて、ウメくんのお見舞いまでしていただいてますもんね。本当にありがとうございます」

「ど、どういたしまして……」

「それで、あなたの場合は他の人達と違って霊感が弱いから、こうして夢枕に立たせてもらった、というわけなんですが……」

「霊感が、弱い?」

 

 面と向かって言われて困惑するかすみ。

 それに鶯歌は笑顔のまま慰めるように言った。

 

「ああ、気にしないで。一般人レベルでは十分に強い方だけど相手が悪いだけだから。なにしろ比較対象が夢組の幹部達ですもの。それも、普通ならウメくんに惹かれないとあたしのこと見えるはずがないのに、その前に強い霊感だけであたしの存在に気がついちゃった人までいたほどで……」

 

 言いながら半ば呆れ顔になる鶯歌。

 だが、その話の中に聞き捨てのならない内容があったのにかすみは気がついていた。

 

「……ちょっと待ってください。今……なんて言いました?」

「霊感だけであたしの存在に気がついた人の話? 夢組でも抜群の霊感を持ってる人で──」

「違います。その前です」

「あ~、あたしの存在に気づくには、ウメくんに惹かれていないといけないって件ね。はい、その通りですよ。藤井かすみさん、おめでとうございま~す」

 

 軽い口調で言った鶯歌が、いつの間にやら取り出した円錐状のクラッカーの先に付いたひもを引っ張ると「パン」と軽い音とともに紙吹雪が舞った。

 

「はい? え? それってどういう……」

 

 戸惑いっぱなしのかすみだったが、一番の驚きと困惑に詰め寄ろうとしたが、鶯歌の様子が急に変わり、何かに焦るような雰囲気へとなった。

 

「──って、こんなことしてる場合じゃなかったわ。かすみさん、お願いがあるの。今、ウメくんに危機が迫ってるから、助けてあげて。あたし、この前の矢の威力を少しでも削ごうと力を使いすぎちゃって、どうしようもないのよ。ウメくんもまだ目を覚ましてないし。何より今の彼の状態じゃ……」

「え? あの、どういうことでしょうか?」

「大丈夫。何もしないでいいから。今の場所で彼を見守っているだけで相手はあきらめて去っていくわ」

「はぁ……って、それより先ほどの答えをいただいていません。どういうことでしょうか?」

「ああ、残念。時間切れですね~。でも大丈夫。きっと目が覚めたらこの夢のこともよく覚えてないはずだし」

「そ、そんな勝手な……」

「ゴメンなさいね、本当に勝手なのは分かってるんだけどあなたしか頼れなくて仕方がないの。それと、もしこの夢を覚えていたり、思い出したらウメくんに伝えて欲しいことがあるの」

「そ、そう言われましても、大丈夫なんですか? その言い方だと確実に伝わるわけではないと思いますが」

「ええ。今回の事件の真相を教えないといけないから。私も守護霊の端くれとしてその役目は果たさないとね」

「──え? 犯人を……知っているのですか?」

 

 驚くかすみに鶯歌はしっかりと頷いた。

 

「ウメくんに起こった危機だもの。もちろん止めようと頑張ったんだけど、力が及ばなくて……だから誰がやったことか知ってる」

「ということは、米田司令の狙撃犯も分かるのでしょうか?」

 

 その問いに鶯歌は申し訳なさそうに手のひらを向けて頭を下げる。

 

「ゴメンなさいね。残念ながらそっちはわからないわ。あたしはあくまでウメくんの守護霊だから、ウメくんに起こったことまでしか把握できないの」

 

 そう謝罪してから、鶯歌はその名前をかすみに伝える。

 意外なその名前に、かすみは驚愕し──首を横に振った。

 

「信じられません。あの人がそんな……」

「もちろん、事情があるのよ。でもそれを説明している暇は無いみたい。じゃあ、これからさらに迷惑がかかることになると思うけど、ウメくんのことよろしくお願いします」

 

 深々と頭を下げる鶯歌。

 かすみの意識はそこからどんどん遠ざかり、目が覚めようとしているのが自分でも分かり──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──?」

 

 ぼんやりと視界が回復していく中で、目に映ったのは赤く染まる夕焼けの病室。

 そのベッドの脇にいたのは──ウェーブのかかったセミロングの銀髪をポニーテールにまとめたの女性。

 彼女の纏う雰囲気は、直前に見た誰かに似ていて──

 

「お、うか……さん?」

 

 思わず口をついて出た名前。だが、その名前がなぜかピンとこない。

 しかし、かすみが声を出したことに驚いたのか、その女性はビクッと肩を震わせるのが見えた。

 よく見えない視界に、かすみは手で目をこする。

 ハッキリしてきた視界で再び見ると──

 

「カスミ? あら、来ていたの?」

 

 笑みを浮かべてかすみを見ていたのは、ウェーブのかかったセミロングの金髪をポニーテールにした夢組の新人、アカシア=トワイライトだった。

 

「あぁ、カーシャさんでしたか……」

 

 カーシャの愛称で呼ばれる彼女は夢組幹部であり大帝国劇場に勤務しているため、カスミとも面識がある。

 

(あら? なぜ私、彼女を銀髪と勘違いしたのかしら……)

 

 カーシャは金髪であり、銀と間違えるはずがない。

 ただ──部屋は夕焼けで黄金色に染まっており、その光の関係で偶然にそう見えたのかもしれない、と思った。

 

「ごめんなさい。私、眠ってしまって……」

「いえいえ。お疲れのようですから、家でユックリ休んだ方がいいと思うわ」

「ありがとうございます。でもかずらさんが戻ってくるまで待つと約束したので」

「あら、そう? アタシはウメサトの顔も見られたことだし、これで退散するわ」

 

 カーシャは「bye」と言い残し、手を振ると梅里をかすみに任せて病室から出ていく。

 彼女が去った後、改めて梅里を覗き込んだ。

 胸が規則的に動いて呼吸しているのがわかり、ホッと安心する。

 その表情も苦しげに顔をしかめるわけでもなく、淡々とした様子で横たわっているのは、まるで寝ているのと変わらないように思えた。

 

「目を覚ますためにキスしようだなんて。まったく、かずらさんは……」

 

 そう苦笑するかすみだったが、自然と視線は梅里の顔から、唇へと集中していき──同時に、頬が熱くなるのを感じた。

 

「わ、私……」

 

 それに気づいて戸惑っていると──

 

「──ッ」

 

 梅里の目がパチッと開いた。

 

 

「……………………え?」

 

 

 信じられない事態に、思わずかずみは絶句する。

 彼女が見ている前で、彼は二度まばたきをして、そして彼女の方を見る。

 

「えっと……あれ? ん~っと」

 

 何かを思い出そうとしていた彼は、結局それができずに、手近にいたかすみに問う。

 

「あの、すみません……ここは、どこでしょうか?」

 

 しばらく話していなかったせいなのか、弱々しい声でそう言った彼は、困ったような顔で苦笑する。

 普段、よく見せていた顔だった。

 それに思わず──

 

「よかった、本当に……」

 

 気がつけば、かすみは梅里の頭を抱きしめていた。

 目からは涙も落ちていた。

 それは様々な感情の爆発だった。

 目を覚ましたことへの安堵。

 払拭された不安に対する反動や、願ってやまなかったことが実現した歓喜。

 意識を失う前での戦いにおける感謝。

 その戦いで傷つき倒れさせてしまったことへの謝罪。

 あの日、戦う姿を見て、また今日まで面倒を看たことで生まれた慕情。

 それらが一緒くたになり、かすみ自身を揺さぶっていた。

 

「武相……さん……」

 

 しばらくそのままの姿勢で固まっていたかすみだったが──ふと気がつけば、彼は弱々しい力でかすみの腕を叩いている。

 

「あ! 申し訳ありません」

 

 彼の頭を抱えたためにその胸で彼の呼吸を阻害していたことに気がつき、また自分が感情にまかせてやってしまったことが急に恥ずかしくなって、慌てて離れた。

 梅里は、解放されて大きく呼吸をし、それを整え──かすみを見る。ちょっと、いやかなり驚いた様子であり、赤くなった顔は少し怒っているようにも見える。

 

「い、いきなりなんなんです!?」

「ごめんなさい。主任はまだ御存知ないと思いますが、しばらく意識不明のままでいたのを、やっと気が付かれたんですよ」

 

 かすみから言われた梅里は訝しがるように彼女を見つめた。

 

「……主任? 誰、それ……って、まさか……俺のことですか?」

 

 不思議そうな顔で自分を指さす梅里。

 そんな梅里に違和感を覚えるかすみ。

 

「…………え? 俺?」

 

 そう。梅里の一人称は常に“僕”だ。その彼が急に“俺”と言い出せば違和感を感じるのも無理はない。

 戸惑うかすみを前に、梅里はなぜか警戒した様子でかすみを恐る恐る見つめ──

 

「あの……非常に申し訳ないことで、聞けば失礼とわかっているんですけど……聞かせてください」

 

 梅里の言葉が急に変化する。そしてそのままかすみに尋ねた。

 

「──あんた、誰ですか?」

「え? 何言ってるんです?」

 

 強い茨城訛りでの梅里の問いかけに、思わずかすみもそれで返してしまう。

 それから気が付く。梅里の様子がどうにもおかしいことに。

 

「いえ、あなたの名前、さっぱり思い出せなくて。顔も見たことねえし……」

 

 とにかく普段はまったくおくびも出さなかった茨城訛りがひどい。それにまず違和感を感じ、さらにはかすみのことを見ても、知らない人だと思っている様子。

 されには、さっきの一人称の違和感。

 

「あの……武相さん? 自分の名前は、わかります? それに住所とか……」

「名前? 俺は武相 梅里。住所は水戸の──」

 

 かすみに問われて素直にスラスラと答える梅里。しかし、名前は合っていたが、住所が水戸市な時点でおかしい。

 そこへ──

 

「……梅里さん?」

 

 病室の出入口で、呆然と立ちすくむ人影があった。戻ってきた伊吹 かずらである。

 彼女はその場でわなわなと肩を震わせると、感情を爆発させて──

 

「梅里さーんッ!!」

 

 寝ている彼の胸に飛び込むように抱きついた。

 

「意識が戻ったんですね。よかった。本当によかった。梅里さんの意識が一生戻らないんじゃないかと思って、私、私……」

 

 感極まるかずらだが、当の梅里は完全に困惑顔だった。

 しかも抱きつかれるのも二回目になれば免疫もできたようで、なによりも今回は胸に窒息させられるという命の危機がない。

 驚かずにされるがままに揺さぶられていた。

 

「あの……梅里さん?」

 

 さすがに様子がおかしいとかずらも気が付いて、梅里を見るが──彼は困惑している様子だった。それもいつもの苦笑混じりの困惑顔ではなく、事情が全く飲み込めずに不審なことに対する、かなり本気な困惑顔だった。

 

「キミ……誰だっけ? ひょっとして、鶯歌(おうか)の友達?」

「えっ!?」

 

 その台詞にはさすがにショックを受けるかずら。

 彼女は恐る恐るかすみを振り返る。

 

「あの、かすみさん……これ、どういうことでしょうか」

「私にもハッキリとしたことはわかりませんけど、私たちのことが誰だかわかっていない様子なんですよね、先ほど意識を取り戻してから……」

 

 目の前でこそこそと話し始めた二人に対し、梅里は苦笑──いつもの感じでのそれを浮かべ──

 

「あの、お二人とも鶯歌がどこにいるか知りません? たぶん近くにいると思うんですけど」

 

 かすみとかずらは梅里の言葉に衝撃を受け、そして顔を見合わせる。

 

「かすみさん、やっぱりおかしいですよ。梅里さん、ひょっとしたら記憶が……」

「ええ、私もそう思います。かずらさんはホウライ先生を呼んできてもらえませんか?」

「え? いえ、かすみさんが呼びに言った方が……」

 

 突然慌てるかずらを、かすみは不思議そうに見る。

 

「それは構いませんけど……」

「じゃあ、お願いします。対応できるようにしっかり状況を説明してから連れてきてくださいね」

 

 かすみは戸惑いつつも病室を後にする。それをなぜか、ニコニコと笑顔を浮かべて見送るかずらに、わずかな不安を感じていた。

 そしてそれを払拭するように花やしき支部の中をヨモギを探して歩き回った。

 程なく大関 ヨモギを見つけて捕まえると病室へと戻る道すがら、状況を説明する。

 

「ふむ……なるほど。状況は分かりました。しかし実際に診てみないとわかりませんので」

 

 ヨモギはそう言って明言を避けつつ、病室へと急いだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 一方、病室に残された梅里とかずらは──

 

「いいですか、梅里さん。これから言うことは本当のことですからね?」

「……はい」

 

 ベッドに横になった梅里の隣で、かずらがヨモギを待たずに話をしていた。

 得意げに説明するかずらに対し、梅里はどこか釈然としない様子だった。

 

「まず、梅里さんは今、20歳です」

「え? いや……でも、本当に? 本当にそうなんです?」

「もちろんですよ。だって、今、太正14年ですから」

 

 そう言って枕元においてあった新聞を見せ、日付を確認させる。

 慌ててそれを掴んだ梅里は紙面に目を走らせ──愕然とする。

 

「たしかに……そうなってる。信じられないけど、本当なんだ……」

 

 恐れ入った様子の梅里に対し、かずらは「ふふん」と得意げに胸を張る。

 

「で、梅里さんは秘密部隊である帝国華撃団夢組の隊長さんで──」

「あの……すみません、お姉さん。さすがにそれは、馬鹿にしすぎじゃないですか?」

 

 苦笑を浮かべる梅里。むしろ苦笑というよりも呆れかえっているように見える。

 そんな梅里の様子に対してかずらはさすがに少しムッとする。

 

「嘘じゃないですって! さっき言ったとおり、本当のことです!」

「いや、だって、秘密部隊とか、ねぇ……」

 

 さらにボソっと「いい歳して、さすがにそれはないわ」と梅里がつぶやいたのにはカチンときた。

 実際、かずらの言ってることに間違いが無いのだが、残念ながら現実の方が現実離れしている現状では、疑う梅里もある意味正しい。

 かずらは「む~」と眉根を寄せて表情を不機嫌なものへと変える。

 

「梅里さんは、婚約者のいうことを信じられないんですか?」

「は? 婚約者!?」

 

 感情にまかせて、つい飛び出たその言葉には梅里もさすがに驚く。

 かずらも本当のことを言っているのに嘘つきと思われているのが釈然とせず、それなら「本当にウソをついてしまえ」という悪戯心がわいたのだ。

 

「ええ、そうです。梅里さんと私は交際中の婚約者なんです。それさえも忘れるなんて、あんまりです……」

 

 ベッドの上に組んだ腕に、ワッと顔を伏せて泣き真似をするかずら。

 それを見た梅里は困った様子でかずらに謝る。

 

「それは、すみません……俺、覚えてなくて……本当に酷いことをして、ごめんなさい」

 

 かずらの演技にすっかり騙されて、殊勝な様子で謝罪する梅里の姿に、せりはつい調子に乗った。

 困惑すると頬を掻くという梅里のクセを久しぶりに見れたのが嬉しかったのもあったのだが──その隙が、ミスを生んだ。

 

「そうですよ。昔からのつきあいのこの私を忘れてしまうなんて、許せません」

「え? 昔からの……? キミが?」

 

 梅里が驚いたことに、逆に内心で驚くかずら。

 その目が今の一言で疑いの色を帯びたからだ。

 

「……俺はキミのことを覚えてないけど。もしキミが昔からの知り合いだというのなら、鶯歌は今、どこでなにをしてるのか知ってるよね? 教えてくれないかな」

「え? 鶯歌さんですか?」

 

 この質問に、かずらは焦った。

 答えはもちろん知っている。鶯歌は生きていない。死んでいる。それも──降魔になりかけたところを、梅里が構えた刀の切っ先に飛び込んで、だ。

 

「そ、それはですね……」

 

 それを正直に言えるわけがなかった。

 鶯歌の所在を尋ねるということは、今の梅里は鶯歌の死に関する記憶がないはず。

 そんな彼に過酷な現実を突きつけるのは──さすがに躊躇われた。

 かといって、どんな嘘をつけば信じてもらえるか、梅里の守護霊としての彼女しか知らないかずらにとって本当っぽい嘘が思いつかない。

 

「あ……」

 

 困り果てたかずらの視界に──梅里の後ろで口に手をあてて意地悪くクスクスと笑う守護霊・鶯歌の姿が見えた。

 すでに死んでいて梅里の守護霊をやっている──その正解を言おうとしたが、やはりかずらには言うことはできなかった。

 答えに窮するかずらを見て、梅里の目線が厳しいものへと変わっていく。

 

「やっぱり。答えられないってことは、俺を騙そうとしたってことじゃないですか!」

「ち、違います! 梅里さんが隊長なのは本当のことで……」

 

 聞く耳を持たなくなった梅里に焦ったかずらが身を乗り出したところで──ちょうど、ヨモギを連れたかすみが帰ってきた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 かすみは病室へ戻ってくるや、目下の問題である梅里本人に助けを求められた。

 

「あ、さっきのお姉さん! すみません、助けてください。そっちの()が自分のことを交際中の婚約者だと言って……本当なんですか?」

 

 梅里に言われ、固まるかずら。

 それをかすみとヨモギがジト目で見つめる。

 

「か、かすみさん!? えっと、これは誤解で……あの……その……」

「──どういう状況か、説明してもらえますよね。かずらさん?」

 

 怖い笑顔でかすみに言われ、顔をひきつらせるかずら。

 とりあえず経過を説明したのだが、素人が抜け駆けで説明を始めたことと嘘を付いたことをかすみは叱り、ヨモギもまた医学的見地から「偽りの情報は本人を混乱させて余計に悪影響を与えるだけです」と小言を言った。

 それからヨモギは自分が医者だと説明してから色々と質問し、話をし──問診を進める。

 医者と聞き、また質問内容や雰囲気から偽物ではなさそうだ、と判断した梅里がヨモギを信頼して問診に応じ──質問が個人的な内容にまで踏み込みそうだったので、かすみはかずらを連れて席を外そうとしたが、不意に袖を引っ張られて足を止める。

 

「──え?」

 

 その原因が梅里がかすみの服の袖を握っていたのだと気が付き、困惑した。

 それに気が付いたヨモギは──

 

「ああ、藤井嬢は残ってください。現状ではあなたが残ってくれた方が彼も安心するでしょう」

「わかりました」

 

 承諾するかすみの横で、かずらが──

 

「じゃあ私も……」

 

 ──ちゃっかりと居残ろうとするが、ヨモギに睨まれた。

 

「伊吹嬢は彼の畏怖の対象になっているのでとっとと出て行ってください」

 

 冷たくあしらわれたかずらがショックを受けつつ、振り返りながら部屋から出ていく。

 寂しげに、そして心配そうに短い距離の間に何度か振り返るかずらを困惑気味の苦笑で送り出すかすみ。

 それからヨモギは問診を再開させ──その間、梅里はかすみの着物の袖をずっと握っていた。

 




【よもやま話】
 せりが不調なので、本来ならせりに回ってきそうなお鉢がかずらに行ってますね。
 ズルいことをしようとして裏目に出るのは、まさにそれ。


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─5─

 最近になって、華撃団を取り巻く空気が変わり、潮目が変わりつつあった。

 というのも悪いことが続いていた帝国華撃団に良いニュースが続々と入るようになったのだ。

 

 神崎すみれのお見合い騒動を端に発した諸々でその祖父の説得に成功したことが、第一の吉報。

 さらには──司令である米田一基の意識が戻るという第二の吉報がもたらされ、各組の志気は否が応でもあがっていた。

 それらによって一時はどん底の窮地に陥っていた華撃団だったが、その難局を乗り越え、今や追い風が吹いているかのように流れに乗っていた。

 

 そんな中──夢組にも良いニュースはあったのだが……それを打ち消す悪いニュースのせいで華撃団の中では唯一流れに乗れていなかった。

 米田よりも早く意識不明の重体に陥っていた隊長の梅里がその意識を取り戻した、というのは喜ぶべきことなのだが──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「──記憶喪失だとぉ?」

 

 

 思わずそう言ってしまったのは、病院に入院し、そのベッドに座っていた米田であった。

 その前にいるのは夢組隊長代行を務めている巽 宗次と、月組隊長の加山 雄一。

 米田が意識を取り戻したと聞いて見舞いに来た二人に対し、米田が──

 

「オレはこの通り、どうにかなりそうだが……梅里のヤツはどうなったんだ?」

 

 そう尋ねたので、宗次は隠すわけにもいかずに答えた。意識は戻ったが、記憶が飛んでいる、と。

 

「今は大関が治療にあたり、面倒は主に風組の藤井が見ています」

「かすみが? いったいどういう風の吹き回しだ、それは?」

 

 事情を大まかに説明する宗次。それに頷いて相づちをうつ米田。

 その説明が終わるのを見計らって、加山が口を開く。

 

「つきましては司令、その記憶喪失の件ですが……少々試したいことがありまして」

「試す? いったい何をだ?」

 

 米田の問いに加山がニヤリと笑みを浮かべる。

 

「隊長の一人を襲われ、司令を狙撃され、敵には散々好き勝手にやられましたからね。ここらで一つ、反撃の狼煙でもあげたいじゃないですか」

 

 だがそれは、明るさのあるそれではなく、敵を陥れようと企む狡猾さと残酷さを含んだそれだった。

 

「──華撃団の中に入り込んだ虫をあぶり出すための策、ですよ」

 

 隠密部隊・月組隊長はそう言って笑みを普段のそれへと戻した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──その翌日。

 

 夢組隊長代行である巽 宗次の姿は大帝国劇場にあった。

 翌日の大帝国劇場の食堂で、昼の営業を終えた勤務員達とそれにかずらを加えた本部勤務員達が集められていた。

 それに梅里を診ている医師である大関ヨモギと、夢組副隊長で現在は隊長代行である巽 宗次が加わっていた。

 その会議の冒頭で、梅里の意識が戻ったという話をきいた白繍せりは、絶望感に襲われていた。

 

(バレる……あのことが、きっと分かっちゃうわ……梅里なら、気が付かないわけないもの)

 

 ガクガクと足が震えそうになるのを、どうにかして押さえ込もうとする。

 だが──そんなせりの心配とは裏腹に宗次からあることが告げられ──

 

 

『──記憶喪失ッ!?』

 

 

 驚きとともに皆でその言葉を言うことになった。

 

「その通りだ。今の梅里は記憶を失っている。そう大関が診断した」

 

 そんな宗次の話を継いで、ヨモギが説明を始める。

 

「今、巽副隊長から話があったとおり、隊長は記憶がない状態になっています。とはいっても自分がどこの誰だかわからないわけでも、常識を忘れてしまったわけではありません。生活上の知識や一般常識、それに自分のことをわかっています。しかし……その情報が古く、数年前のものと思われます」

「ん? そいつはどういうことだ?」

 

 ヨモギの説明に眉をひそめる釿哉。

 

「氏名や生年月日は変わりませんので問題ないのですが、住所に関しては水戸の実家を答えてました。帝国華撃団のこともまるで覚えてません」

 

 本来であれば帝都にある夢組隊長用の官舎になるはずなのだが、それについてはさっぱりわかっていなかった。

 

「ですので喪失した記憶はここ数年のものと考えられます。記憶だけ数年前に巻き戻った、と説明した方がわかりやすいでしょうか」

 

 ヨモギがそう説明すると、釿哉が「なるほどなぁ」と腕を組みつつ何度もうなうずく。

 確かにわかりやすい説明だし、そう考えるのが妥当だろう。

 

(え? うそ……ということは……バレない? 記憶喪失……それなら大丈夫かしら? うん。まだ大丈夫かも……)

 

 梅里が負傷した真相がバレるのをなによりも恐れているせりにとっては渡りに船であった。

 

(……え? 今、私……ホッとした? 梅里が、そんな状態なのに……)

 

 自分が安堵したことに気が付いたせりは、愕然とする。

 

(私、最低だ……)

 

 そう自己嫌悪に陥り、そして同時に──

 

(でも、なんで、梅里の意識が回復したのを素直に喜べないのよ! 純粋にアイツの心配をできないのよ! 本当に、もう……)

 

 歯がゆさを、どこにぶつけていいのか分からない怒りを感じる。

 いっそここで全てを言ってしまおうか。

 そうせりが考えたとき、ズキリと胸が痛む。

 

「──ッ」

 

 思わず痛むところを押さえる。

 その痛みがすぐに消えたが、痛みを耐えてうつむいた視線を上げると、しのぶとかずらの顔が視界に入った。

 

(──えッ!?)

 

 二人が(くら)く、相手を蔑んだような笑みを浮かべてせりを見ていた──ように、少なくとも彼女の目にはそう映っていた。

 

 

(あらら~、せりさんって梅里さんにそんなひどいことしたんですかぁ?)

(信じられませんね、梅里様にそんなことをするなんて。華撃団から出て行ってもらうしかありません)

 

 

 思わず顔がひきつるせり。

 

(そんな……華撃団から出るなんて、アイツから離れるなんて、絶対にイヤよ! それにあんなの私の意志じゃない! 梅里にあんなこと、私が自分の意志でするわけが……)

 

 

((──本当に?))

 

 

(え……?)

 

 戸惑うせりに対して、笑みが消を消して糾弾する冷たい目へと変わった二人の視線が突き刺さる。

 

(梅里様を自分だけのものにしようとしたのではありませんか?)

(私とかすみさんに嫉妬して、許せなかったから……だからせりさんは──)

(違うッ! そんなの違うッ!! 確かに私は梅里のことを想ってる。だけど、かずらにもしのぶさんにも──)

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──あの、白繍嬢、大丈夫ですか?」

「えっ?」

 

 ふと気が付けば、心配そうに覗き込んでいるヨモギの顔がすぐ近くにあった。

 

「顔色が真っ青ですよ。ちょっと失礼……」

 

 せりの手を取ると脈を調べつつ、その額に手をあてる。

 

「熱はないようですが、脈はだいぶ乱れていますね。どこか苦しい場所や痛い場所は──」

「大丈夫よ。ちょっと疲れが出たのかもしれないわ。それよりもヨモギ、記憶が巻き戻ったってどのくらいなの?」

 

 誤魔化すように無理に笑みを浮かべて話を逸らす。

 とはいえ、梅里を心配する気持ちがせりの中にあるのもまた、間違いない事実であり、実際に尋ねた内容も気になっていた部分だ。

 釈然としない顔をしたヨモギだったが、それ以上はせりの体調に深入りすることなく梅里の状況を答える。

 

「そうですね、10代半ばくらいですか。精神的にはもう少し幼い感じで、反抗期前といった感じですけど……それは記憶を失ったせいで、それに関する不安に付随した影響ですかね」

「幼い?」

「はい、今の隊長は記憶と精神の年齢が釣り合ってないように思えるのですよ。正直……子供みたいな部分が見受けられます」

 

 珍しく苦笑するヨモギ。

 

「とある人がいないとものすごく不安そうな顔をしていますし、その人がくると満面の笑みを浮かべますから。本当に子供みたいで、とてもわかりやすいですよ」

「とある人……」

 

 そんな話を聞けば、せりとしては心中穏やかではない。

 そしてなにかモヤモヤとしたものが再び心からわき上がりかけたのを感じて、慌てて心を落ち着かせる。

 大きく深呼吸をして、自分の霊力の循環を意識し、落ち着かせる。

 それを密かに行いつつ──

 

(とある人って、しょっちゅう見舞いに行っているかずらかしら?)

 

 そう思ってかずらを見ると、珍しくしゅんとした様子で落ち込んでおり、せりの視線に気が付くと、意図を察した様子で力なく首を横に振った。

 

(かずらじゃないってことは……しのぶさん?)

 

 このところ忙しそうな彼女は違うように思えたが、それでもしのぶを見た。

 陰陽寮との調整で東奔西走している彼女だが、今日はこの会議に参加していた。

 線のように細い特徴的な目をした彼女は、せりの視線に気が付いた素振りを見せたが、やはり予想通りに首を横に振った。

 

(じゃあ、いったい誰が?)

 

 もっとも警戒するべき恋敵(ライバル)二人が違うということで警戒心が落ち着いたが、それでも気になった。

 

「ふむ。白繍嬢が興味津々なようですから言いますけど、その“とある人”ですが──」

「興味津々じゃないわよ!」

 

 思わず突っ込んだせりを無視し、ヨモギが続ける。

 

「──風組の藤井かすみ嬢です」

「「えっ!?」」

 

 せりとしのぶが声を上げる。一方、かずらはうつむいてため息を一つついていた。

 

「どうやら目を覚ましたときに、真っ先に見たのが藤井嬢らしくてですね。依存と言えるほどに頼り切っています」

「オイオイ、刷り込みかよ。いつからオレ達の大将は鳥の雛みたいになっちまったんだ?」

 

 すかさず茶々を入れて釿哉が苦笑いを浮かべる。

 だがヨモギはそれに頷いた。

 

「鋭いですね、釿さん。状況的にはだいたい合ってますよ。不安な人が頼るのは信頼できる人、となりますから。それに記憶が5年以上巻き戻った隊長は、知らない人に囲まれているも同じ──」

 

 しかも、精神年齢的には10代の初めごろにまで戻っていると考えれば、それで知らない大人達に囲まれていれば、どれだけ不安になることだろうか。

 

「──しかも悪いことに、そのころの隊長を唯一知っていそうな米田司令は現在動けません。そんな中、藤井嬢は出身地が近くて茨城弁ができたのもあって、隊長の不安解消に一役買ってくださったのは、さすがに助かりました」

 

 ヨモギの説明に、聞いていた皆が「茨城弁?」と疑問に想った。

 それに対して、唯一ヨモギ以外に状況を知っているかずらが代わりに説明を始める。

 

「あの二人の会話、本当にわからないんですよ。なんだか早口でバーっと話してる様にしか聞こえません。かすみさんなんか普段からだと考えられないくらい乱暴な感じで話して……だから怒ってるのかと思ったら二人で笑いあってるんです。わけわかりません」

 

 隣で会話を聞いている上に、それが日本語であるはずなのに、すごい疎外感を感じていた。

 それに普段は梅里もかすみも普通に綺麗な標準語で話しているだけに、違和感もものすごかった。

 実際、茨城弁は余所のわからない人が会話を見ると喧嘩していると勘違いしてしまう、という話もある。

 ともあれ、梅里が目を覚ましてから初めて見た、無意識に頼る人が故郷の言葉を話せるかすみだったというのは幸いだったのかもしれない、とヨモギは思っている。

 

「おかげで言葉が分からない私は全く相手にされず──」

 

 そんなかずらをヨモギはジト目で見た。

 

「……伊吹嬢が隊長に相手にしてもらえないのは、最初に自分が婚約者と刷り込もうとして失敗し、それで思いっきり警戒されているからじゃないですか」

「ほ、ホウライ先生、それは……」

 

 慌てるかずらに対し、せりとしのぶの二人がニッコリと笑みを浮かべる。

 

「あら、かずら。それはとても興味深い話ね」

「ですねぇ、せりさん。かずらさんから後で詳しく話を聞きましょうか」

「あ、あはは……はぁ…………」 

 

 そうしてかずらが顔をひきつらせてため息をついていると──

 

「あの、ホウライ先生。チーフの記憶は、どうやったら戻るんですか?」

 

 律儀に手を挙げて質問したのは秋嶋 紅葉だった。

 

「チーフは私のこと覚えてないってことですよね。そんなの、寂しいですよ」

 

 梅里への態度が「忠犬」と称される紅葉は、彼が記憶喪失で夢組隊員の顔を忘れていると聞いてから、見るからに落ち込んでいる様子だった。

 

「そうですなぁ。それに、そもそも何故、隊長は記憶を失っているのですか? 自分は医術に疎いので分からんのですが、原因が分かれば解決方法も、というわけにはいかないのでしょうか?」

 

 和人が腕を組みながら首をひねりつつ、彼なりになんとか状況打開の策を練っていた。

 

「そうですね。まず一般的に記憶喪失の原因として考えられるのは脳に物理的な衝撃があった場合。この可能性が一番高いかと思います。あとは、あまりにも大きな心理的なショックを和らげるため、自己防衛のためにまるで記憶を封じるように忘れてしまう、という場合もあるようですが……」

「心理的なショック?」

 

 ヨモギが見解に思わずせりがつぶやくと、ヨモギがそれを聞いていたようで説明した。

 

「ええ、例えば……そうですね、誰かの死というのはショックも大きいですから原因になりうるでしょうね。身近な人であれば顕著ですが。あと、ショックなことと言えば、信じていた人に裏切られる、とか……ですかね」

「え……」

 

 思わずドキッとするせり。だが、説明中のヨモギはそれに気づいた様子もなく、構わずに続ける。

 

「しかし、今回の場合は心理的なショックは考えられませんから、やはり物理的な衝撃を疑うべきでしょうね」

 

 その結論は、せりを少しだけホッとさせる。

 一方でヨモギは、考え込むような仕草をしながらさらに考察を続けた。

 

「しかし気になるのは目撃していた藤井嬢や、そこにいる伊吹嬢の話では倒れるときとかに頭を打った様子はなかったそうですが……間違いありませんね?」

「はい。梅里さんが倒れたときにもそういった様子はありませんでした」

 

 問われたかずらがしっかりと頷く。

 

「じゃあ、搬送中にぶつけた──とかは無いの?」

 

 カーシャが疑問を言うと、ヨモギが首を横に振る。

 

「もちろん可能性はありますが、おそらく違います。先ほどの伊吹嬢の説明も含めて頭部にもそのような外傷が認められないので。ですから私が疑っているのは敵から受けたダメージの方です」

「どういうこと?」

 

 カーシャの問いにヨモギがさらに答える。

 

「隊長が致命的なダメージを負ったときに光が走るのを見たと、伊吹嬢が言っています。例えばそれが電撃であれば、それが脳に影響を与え、ショックで記憶がとんだ可能性があります」

「えッ?」

 

 思わずギクっとなるせり。

 幸いなことにそれに気づいた者は居なかった。ヨモギも説明を続ける。

 

「記憶もいわば電気信号ですからね。その影響を受けたのかもしれません。黒之巣死天王・紅のミロクや暁の三騎士・蝶が魔操機兵に搭乗した際には、妖力を変換した電撃攻撃を切り札としていましたから、それを敵の襲撃犯が使った可能性はもちろんあり得ます」

 

 ヨモギが挙げたかつての敵の姿が思い浮かぶ。

 下半身が裾状で、ホバー移動するミロクが搭乗した赤い魔操機兵・孔雀。

 腕が特徴的な形をしていた魔操機兵・紫電不動。

 その姿が思い出される。

 そして──

 

(雷破!!)

(──雷舞・電死牡丹!)

 

 すさまじい威力を誇ったその必殺技が脳裏に浮かぶ。

 さらに──

 

 

(お~ほっほほほ、わらわと同じく雷を切り札とするお前のせいで、あの男は記憶が無くなったとは……なんとも皮肉なこと)

(お前の放った雷撃が、あの男の記憶を吹き飛ばしたのさ!)

 

 

 脳裏に響く紅のミロクの声が、『蝶』の声が、せりの心を責める。

 

(うぅ……)

 

 そんな言葉をミロクも『蝶』も言ったはずもなく、明らかな幻聴だ。

 しかしそうと分かっていても、それはせりの心を容赦なく抉っていく。

 

 

「──白繍嬢、やはり疲れているようですね。会議もこれ以上はもういいのではないですか?」

 

 苦しげにしていたせりを見て、具合が悪そうと判断したヨモギがそう言いながら釿哉を、そして宗次を見た。

 それをドクターストップと判断した宗次は、会議を切り上げようと話を進める。

 

「一番の用事が梅里のことだったからな。ただ、これが一番重要なことだが、梅里が記憶喪失だというのは他言無用に頼む。意識を取り戻した、ということさえ隠しているからそれを徹底してくれ」

 

 宗次の指示に、皆が首を傾げる。

 

「隊長が意識を取り戻したっていうのは良きニュースではありませんか。隠す必要がないと思われますが」

 

 和人の疑問に宗次は首を横に振る。

 

「意識を取り戻しても記憶がなければ意味がない。あの調子の梅里を見たら、支部の夢組隊員達が混乱し、動揺して志気が落ち込むのは明らかだ」

 

 それが平時ならともかく、今は黒鬼会という組織が暗躍を始めて戦っている最中だ。

 しかも米田と梅里という頭がやられるほどの相手である。

 

「そういうわけでアイツの姿を一般隊員達には見せないように、梅里のことは秘密にする……特に、紅葉!」

「は、はい!?」

 

 名指しで呼ばれ、いい返事をしつつも訝しがる紅葉。

 

「いいか、絶対にしゃべるなよ。他の組の隊員が相手でも同じ。話すのは今いる事情が分かっているメンバーだけしか居ないときに限る。それ以外の者が一人でも入っていたら許可無く話すな。わかったか?」

「はい。了解です!」

 

 綺麗な敬礼を返す紅葉。

 

「──というわけで、これで解散だ。本来なら面会謝絶……と言いたいところだが、塙詰、白繍、お前らは会いに行くのだろう?」

 

 苦笑を浮かべる宗次に対し、しのぶは──

 

「よろしいのですか?」

 

 喜びの表情を浮かべつつ返す。

 

「ああ。しかし覚悟はしておけよ。見た目は梅里だが、中身はお前達のことをまったく知らないからな。だから間違いなく拒絶されるし、それでも構わないなら行ってこい」

 

 意識を取り戻して真っ先に会いに行った宗次は、梅里がかすみに「誰ですか、この目つきの怖そうなオッサンは?」と訊いているのが聞こえて密かにショックを受けていたのだ。

 

「はい……そう、なんでしょうね」

 

 宗次に忠告され、意識を取り戻した梅里と話ができる、と心を弾ませたのだが、それを考えると単純に楽しみだというわけにはいかなかった。

 一方、その横で無反応なせりを見て、宗次は「おや?」と思った。

 

「で、白繍。お前はどうするんだ?」

「え……私、ですか?」

 

 まるで話を聞いてなかった、もしくは部外者然としたせりの態度に、宗次は不思議そうに彼女を見つつも説明する。

 

「ああ。さすがに本部メンバー全員で行かせるわけにはいかんが、塙詰とお前の二人くらいなら構わないと思っていたが……」

 

 せりの反応がイマイチなことに戸惑っていたが、さらに意外なことを言う。

 

「えっと……私は、いいわ。しのぶさん、行ってきて」

『え?』

 

 その言葉に本人を除くその場にいたもの──夢組に入って日が浅いカーシャと柊は例外──全員が、驚きのあまりせりを見た。

 

「せ、せりさん、大丈夫ですか?」

 

 真っ先に心配したかずらがせりのもとに近寄る。

 

「やはり、精密検査をした方がいいのではないですかね」

 

 先ほどから彼女の体調を心配していたヨモギがそれに続く。

 

「ちょ、ちょっとなによ、二人とも……それにみんなも、私が行かないのがそんなにおかしいの?」

「ああ、おかしい。お前がそんなことを言い出すなんて明日、雪が降ったっておかしくないな」

 

 腕を組んで頷きながら、釿哉がそう評する。

 

「あなたねぇ……こんな時期に降る訳ないじゃない! まったく、私のことなんだと思ってるのよ」

「大将のことになるとすぐに熱くなる、純情一直線娘。そんな感じだろ」

 

 怒ったせりを釿哉が茶化すように返すと、せりがますますヒートアップして釿哉を睨む。

 それを見て面白がった釿哉が、

 

「おまけにお前さんは嫉妬深いからなぁ。もし許可しなかったら、伊吹や風組(よそ)の藤井が見舞いに行ってるのになんで私はダメなの!? って宗次に詰め寄ってるだろ?」

 

 そういってからかい──

 

 

「──ッ!?」

 

 

 嫉妬深い。

 釿哉のその言葉がせりに突き刺さり、思わず動きが止まる。

 

(私が? そんな、私はそんなことない。絶対に──)

 

 様子のおかしいせりに気づいた釿哉が、その色を失った表情を覗き込んで、態度を変えた。

 

「お? (わり)ぃ。さすがに言い過ぎたな。白繍、お前、本気で体調悪そうだから無理するなよ。な~に、体調を整えてる間に大将も少し落ち着くだろうから、会うのはそれからの方がいいんじゃないか?」

「──と、さも体調を心配している言っていますが、白繍嬢に倒れられると今度は自分が食堂の責任者にされそうだから、ですよね?」

 

 そう言って釿哉をジト目で見るヨモギ。

 

「バカ。仲間なんだから本気で心配に決まってんだろ。そもそも、梅里のうえに白繍まで倒れたら食堂は営業できねえよ」

 

 苦笑しつつ、ヨモギの頭をポンと軽くたたいてたしなめる釿哉。

 一方、呆然としていたせりは「仲間だから本気で心配」という言葉に心が少しだけ軽くなって顔を上げる。

 

(そうよ。私には……)

 

 せりには今まで、華撃団に所属してから共に頑張ってきた仲間がいて、その信頼があるはず。

 もし仮に、せりが自分の罪を今ここで告白したら、仲間達はせりの本意ではなかったことを分かってくれるのではないか──そんな希望が彼女の中に生まれる。

 

「あ、あのッ!」

 

 躊躇いがちに口を開きかけたそのとき、しのぶと、かずらの視線と目があった。

 その目が、先ほどと同じように(くら)く冷たいものに、せりには見えてしまっていた。

 

(──ッ!! ダメよ。もしそんなことを言ってしまったら……彼女たちが黙ってない。梅里を傷つけた私を許すわけがないし、これ幸いと邪魔な私を梅里の周辺から排除するに決まってる)

 

 猜疑心に凝り固まったせりの目には、しのぶとかずらの目が、自分を常に追い落とそうとしているように、罠にはまろうとしている自分を冷笑しているようにさえ見えた。

 

「──せり、あなた本当に大丈夫?」

 

 近くにいたカーシャが心配して覗き込むようにせりを見ると、突然視界に入ってきたその姿にせりはビクッとし──

 

「な、なんでもないわよッ!!」

 

 思わず大きな声を出す。

 

「え……」

 

 さすがに呆気にとられるカーシャ。周囲の皆も、心配したカーシャの善意を全力で跳ね除けた形になったせりの姿に、微妙な空気が流れる。

 

「……あ、カーシャ……ごめん」

 

 そんな空気にいたたまれなくなったせりは、逃げるように食堂から出て行くしかなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「カーシャさん、大丈夫?」

 

 そう声をかけたのは、帝劇本部での勤務歴がほとんど同じの越前 舞だった。

 

「大丈夫。セリも疲れているのでしょ。いろいろ大変なことくらい、アタシにも分かるわ」

 

 苦笑を浮かべつつ、平気を主張して手をヒラヒラと振るカーシャ。

 

「しかし、本気でなんとかしないとな」

 

 釿哉が腕を組みながら言う。

 

「ああ。アイツの場合は食堂の負担もあるが、梅里の件の調査が進んでいないことへの責任感もあるだろう」

 

 せりは調査班頭である。

 梅里が襲撃された事件は、発生直後は月組との特別チームが組まれて捜査を行うことになったが、そのチームは後に起こった米田指令狙撃事件へと移ってしまい、結局、梅里の件の捜査は夢組の調査班が行うことになったのだ。

 しかも、夢組調査班の支部付副頭で、対人調査のエキスパートである御殿場 小詠をその特別チームにとられてしまっている。

 最大戦力をとられたからこそ、捜査が進まない。

 

「大将のことを想っているだろうから、なおさらな」

 

 その焦りが、せりの精神を不調にさせている、と宗次も釿哉も考えていた。

 

 

 

 ──それがまったく、的外れだと気が付かずに。

 

 




【よもやま話】
 せりが時々、精神的に不安定になるのは、1話で心を操られたのが未だに残っているのと、それを煽る存在がいるからです。
 追いつめられて可哀想……とは思いますが、今回の話はかずら回なので解決しません。
 前作で、かずらの異変に気が付きつつも自分のヒロイン回で解決せずに次回に回していたので、その因果応報でしょう。きっと。


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─6─

 ──数日が経った。

 

 相変わらず梅里の記憶は戻らず、未だに公式には意識さえ戻っていないことになっている。

 そのため、一旦は日が当たる病室に移った梅里だったが、今は人目を避けるために再び窓のない地下の医療施設へと戻されてしまった。

 そこへ今日、見舞いへと向かっているのはいつも来ているかずらに加え、せりとしのぶだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「結局、しのぶさんも今まで行ってなかったの?」

「はい。せりさんに申し訳ないですから」

 

 せりの言葉にそう言って微笑むしのぶ。

 

「私は体調が悪かっただけなんだから、気にしなくてよかったのに……」

 

 せりが申し訳なさそうに言うと、しのぶも少し気まずそうに苦笑しながら真相を話した。

 

「──というのは建前で、実際のところは怖かったから一人では来られなかったのだと思います」

「え?」

 

 せりが思わずしのぶを見る。

 

「記憶がない梅里様に、見ず知らずの人のように見られることは、わたくしにとってはとても恐ろしゅうございます。でも──」

 

 隣で歩いているせりをチラッと見て再び微笑む。

 

「一人では耐えられなくとも、同じ境遇で傷を舐めあう相手がいれば、耐えられそうだと思いまして……」

 

 そんなしのぶの白状に、せりは驚いて彼女を見た後、少し呆れた様子でため息をついた。

 

「まったく……しのぶさんも意外と(したた)かよね。もっとも──」

 

 それからジロッともう一人の同行者を見た。

 

「一人で抜け駆けしようと先走って失敗する人よりは好感が持てるけど」

「せりさん。まだそのこと言い続けるんですか~?」

 

 ジト目で見られて、かずらが涙目で嘆く。

 

「当たり前よ。よくもまぁ、交際中の婚約者だなんて、ウソの記憶を刷り込もうといたもんだわ。もう少し反省してなさい」

 

 かずらにそう言い捨てるとせりは「ふん」とそっぽを向いて歩みを進めた。

 先頭立って花やしき支部の地下施設をズンズン進むせりに、しのぶとかずらは少し遅れ気味になる。

 それをいいことに、かずらはしのぶに小声で話しかけた。

 

「あの、しのぶさん……せりさんなんですけど、最近おかしくないですか?」

「確かに不安定なところはあると思いますけど、そのことでしょうか?」

「はい。なんだか怒りっぽいって言うか……でも、今みたいに普段通りの時もありますし……」

 

 心配そうなかずらに、しのぶは安心させようと微笑んで答える。

 

「それは仕方がないと思いますよ。せりさんは調査班頭ですから。他の班から梅里様を傷つけた者を探せ、と暗に言われているようなものですし、それは夢組内だけではなく、他の組からも注目されています。精神的な重圧はかなりのものと思いますよ」

「う~ん……それもそうだとは思うんですけど……」

 

 しのぶの返答はかずらにはどうにも釈然としなかった。

 せりと同じ調査班に所属しているからこそ、実感が少し違うというのもある。どちらかといえば期待よりも同情の方が強いようにかずらは感じていた。

 とはいえしのぶの考えは、宗次も釿哉も同じものであり、夢組幹部の共通認識でもある。

 

「せりさん、思い通りにならなくて焦ってピリピリしてるというよりも、なんというか……モヤモヤしてる感じなんですよね」

「モヤモヤ? どういう、ことでしょうか?」

 

 訝しがるようにしつつも、しのぶは興味深そうにかずらを見る。

 

「確かに、せりさんがおかしくなる時ってイライラしてますけど……それって、捜査に関する話の時は少ないですよね。この前もそうでしたけど、梅里さんの状態の話をしているときでした。そのとき、なにかせりさんからモヤモヤってしたものが──」

 

 かずらがそこまで言ったとき、いつの間にか少し離れて先を歩いていたせりが振り返った。

 

「ほら。二人とも、早く行くわよ!」

「あ、はい。今行きます」

 

 慌ててかずらは話を中断させてせりを追いかけ、しのぶもそれに続いた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「こ、こんにちは……」

 

 若干ひきつった笑みを浮かべたかずらが、病室に入るなり声をかける。

 声をかけられた相手──武相 梅里はまだ少し警戒しているのか、身構えるようにしており、すでに病室に来ていたかすみを頼るようにぴったりと寄り添っている。

 

「……かずら。あなた、いったいなにをしたの?」

 

 最警戒をしているような梅里の反応に、せりは思わずかずらを見る。

 苦笑いを浮かべて誤魔化すかずらだったが──

 

「最初の失敗を挽回しようとしているようなのですが、かえって逆効果になっているんですよ」

 

 気の毒そうに苦笑するかすみが説明すると、彼女につられてせりを見た梅里がやはり警戒していた。

 

「あの、梅里様。やはりわたくしのことは……」

 

 しのぶがスッと前に出る。彼に触れようとして思わず手を伸ばすと、やはり警戒して逃げるように一歩下がり、かすみの陰に隠れてしまう。

 

「あ……」

 

 浮いてしまったその手を泳がせたしのぶは、寂しげに手を握りしめて胸元へと戻す。

 しのぶはやはりショックを受けたようだった。覚悟はしてきたのだろうが、実際に目の当たりにして現実を突きつけられるのは違っていた。

 目を伏せてその場にとどまったしのぶの代わりに、今度はせりが前に出た。

 

「初めまして、になるのかしら。私は白繍せりと言います」

「──ッ」

 

 笑みを浮かべた彼女に、梅里は警戒しながら見ていた梅里は、つい、といった様子で頭を下げる。

 

「武相……梅里、です。初めまして……」

 

 恐る恐るといった様子で返事をした梅里に、かずらがショックを受けた様子で見る。

 

「なッ!? 梅里さんが、挨拶を……」

「あの、かずらさん。挨拶しないほどに警戒しているのは、あなたに対してだけですよ……」

 

 苦笑混じりにかすみが言う。

 今まで何度も訪れているかずらだったが、最初の接触で大失敗した彼女はなんとかその失敗を挽回しようと試みていたのだが、警戒する梅里に対してつい暴走し、余計に警戒を強めるということを繰り返していた。

 そんな彼女を何度も見ていたかすみは呆れつつも、それでもめげないかずらにある意味感心さえしていた。

 そんなかすみが同情と呆れ半々の感情を持ちながらかずらを見ているその横で、梅里はあることに気が付いてハッとしてせりを見た。

 

「あ……すみません。あなた、それにそちらのあなた……」

 

 一度、せりからしのぶに視線を向ける。

 

「お二人にとっては、初めまして、ではないんですよね。ごめんなさい」

 

 梅里はそう言って申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「梅里様……」

 

 しのぶはそんな梅里の気遣いに感じ入っていた。彼女が知る梅里はマイペースなようでいて、意外と周囲に気を使っている人だ。誰かを不快にさせたと思えば躊躇無く謝ることができる人である。警戒心を最大にしている今の梅里を見て違和感しかなかったしのぶだったが、その片鱗を見て嬉しく思っていた。

 一方、そんな梅里の言葉に、せりは首を横に振った。

 

「無理をすることないわ。あなたにとって、私たちを見るのは初めてなんでしょう?」

「そ、それは……そうですけど」

 

 梅里がそれに躊躇いながらも頷くと、せりは再び笑みを向ける。

 

「なら、それでいいじゃない。よろしくね」

 

 せりが差し出した手を、梅里は恐る恐る掴んだ。

 その手の温もりを感じたせりは──思わず涙腺がゆるむ。

 

(当たり前だけど、手はまったく変わってないのね)

 

 それをおくびも出さずにほほえみ続けるせりに対し、そばにいたかすみは──

 

(やっぱり、あれを頼むのはせりさんが一番ね)

 

 そう結論づけて、かねてから考えていたある提案をした。

 

「あの、せりさん。一つお願いしたいことがあるのですが……」

「なんでしょうか?」

 

 かすみの方を振り向くせり。

 

「じつは……梅里くんに、知っている範囲で今までのことを教えてあげて欲しいんです」

 

 そのせりは、かすみが「梅里くん」と名前で呼んだことに──

 

(くん!? 今、梅里くんって呼んだ!?)

 

 ──そう思わず驚いていると、かすみはそれに気づいて苦笑を浮かべる。

 

「呼び方ですか? これは……主任とか隊長と呼ぶと本人が嫌がりまして……かといって、さん付けすると「おかしい」と言うものですから、それで梅里くんと……」

「な、なるほど……」

 

 理解はしたが納得してない、という苦笑いを浮かべたせり。ともかく、かすみは彼女がとりあえずその件は飲み込んだと判断して説明を続ける。

 

「私も華撃団員ですから彼が入隊して大まかなことは知っています。でも間近で見ていたあなた、それにしのぶさんやかずらさんから話を聞けば、より身近で真に迫った話が聞けるでしょうし、それがきっかけになって記憶が戻るかもしれません」

「それは構わないけど……ヨモギには相談したのかしら?」

 

 さすがに治療の邪魔になるようなことはしたくはない。

 せりの確認に、かすみはうなずいた。

 

「記憶がない部分の話をするのは、記憶を呼び戻すきっかけになるかもしれないから構わない、と。ただ……」

 

 言いよどんだかすみは苦笑を浮かべてかずらを見る。

 

「かずらさんにお願いしようとしたんですけど、それはホウライ先生に止められまして……」

「失礼な話ですよね。本当に」

 

 憮然とするかずらをジト目で他の3人──せり、しのぶ、それに珍しくかすみまで──が見つめるものの、当の本人はしれっとしている。

 

「でも、なんで私?」

 

 自分を指さしつつせりが訊くと、かすみは真剣な面もちになって答えた。

 

「せりさんが、今まで初対面で一番警戒されていません。たぶん、私の時よりも警戒されていないと思います」

 

 かすみの場合は、それ以上に警戒する相手がいたせいで相対的に警戒が緩んだ、という感じが強いが、せりは今までで一番良い関係を築けているようにかすみの目には見えた。

 そこまで話してから、かすみは梅里を見る。

 二人の目が合うと梅里は少し躊躇ったが、直後に大きく頷いた。

 

(──ッ)

 

 せりの胸の奥がわずかにざわめくが、それを押し殺し、けっして表に出さずに二人を見る。

「白繍さん、俺からもお願いします。俺も思い出したいんです。今の自分が、どういう立場なのか、どういう経緯でここにいるのか」

 

「わかったわ。それじゃあ私がわかる範囲──上京してきて入隊した直後の、隊長に指名されたところから……って、これはしのぶさんの方が詳しいから、よろしくね」

「あ、はい。わたくしにお任せくださいませ」

 

 せりに促されて、少し離れていたしのぶが近寄ってくる。

 

「わ、私も……」

 

 近づくかずらをジッと見て警戒する梅里だが──

 

「彼女も、私たちの大事な仲間の一人よ。そこは信用してあげて。それに何かあなたにとってイヤなことをしたら、私がきっちり叱ってあげるから、ね」

「……わ、わかりました」

 

 せりが仲裁すると、梅里は警戒を緩める。

 こうしてせりがその場を仕切って、梅里に今までのことを説明するのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そうして始まった過去の回想だったが、話す中心はやはりせりになった。

 風組で関わりが弱いかすみは梅里と共に聞く側にまわっていたし、なによりせりが話すのが上手かった、というのがある。

 しのぶがしたのでは説明的すぎて報告のようになってしまい、話としての面白みが欠けていただろうし、逆にかずらがしたのでは抽象的な話が多すぎて伝達力が不足して分かりづらかったと思える。

 また梅里が精神的に幼くなっており、子供の扱いに長けるせりにとっては心を掴みやすい相手になっていた、というのも大きかった。

 そして──

 

「──そんなごじゃっぺな運用されたら、造った側はたまらなかったでしょうね」

 

 せりが上級降魔・十丹が操った童子シリーズについて、考察した結果、支援機なのに単独で最前線に出てきて倒された、という説明をしたとき、梅里が苦笑混じりにそう感想を述べたのだ。

 

「そうねぇ。こっちとしては助かったんだけど──」

 

 そう言って苦笑を返すせり。

 その会話を聞いたかずらは、横にいたかすみに小声で尋ねた。

 

「かすみさん、今の“ごじゃっぺ”って……」

「ええ、茨城弁ですね」

 

 眉をひそめるかずらに、かすみは苦笑しながら答える。

 

「せりさん、茨城弁も分かるのかなぁ?」

「たぶん、分かっていませんよ。文脈から判断して、だいたいの意味は分かっていそうですけどね」

「……え?」

 

 かすみの冷静な分析に、かずらは思わず彼女を見る。

 それに微笑んで返したかすみはさらに解説した。

 

「でも、それで眉をひそめたり、ましてや方言であることを指摘したり意味を聞いて話の腰を折らないことが、せりさんの話の上手さだと思いますよ」

 

 それらを思わずやってしまったかずらが気まずそうな表情になる。

 

「かずらさんのように、都会生まれ都会育ちで方言を聞かない環境で育ったり、あとはしのぶさんみたいに“自分の方言こそこの国の中心で使われ続けた言葉”という人達と違って、東北や関東の訛りは帝都の人達には侮られる傾向があります」

 

 それは茨城県出身であるかすみの実体験でもあった。

 華撃団に入り、上京してきた当初、かすみはもっと訛っていた。

 寮で同じ部屋になった人と話し──「訛ってるね」と苦笑されたのは今でもよく覚えている。

 同時に「かすみっていつも怒ってない?」とまで言われた。

 もちろんそんなことはない。今の彼女を見ればそれは明らかだ。

 茨城弁は語気が強いので、知らない人が聞けば相手が怒っていたり、また普通の会話が喧嘩していると誤解されやすい方言である。

 それを言われたかすみはショックを受け──それを一生懸命に矯正し、イントネーションも標準語になるよう直したのである。

 その当時、かすみとしては標準語を喋っているつもりだったので、なおさら(たち)が悪かったのだ。

 地元では、なまじ帝都のある関東だけに「オレ、標準語喋ってっぺよ」と真顔でいう人がいるくらいであり、だからこそ自分は訛っていない、と思っていた。

 もちろん今なら、それを「~っぺ」と言う時点で標準語ではない、と言えるが。

 今のかすみが仕事以外でも丁寧な言葉遣いなのは、「怒ってない?」と言われたことに対するコンプレックスの顕れでもあった。

 そして、苦笑混じりに「訛っている」と言われるのは、「田舎者」と言われているのも同じこと。言った側にその気持ちが無くとも、それはかすみの心ににコンプレックスを残すほどに傷つけていた。

 

「せりさんの地元からの電話の会話を聞いたことありますか?」

「いえ、ありません」

 

 かすみの確認に、かずらは首を横に振る。

 

「私や梅里くん以上に、会話が分からないと思います。独自の単語や助詞、助動詞がたくさん出てきますから」

 

 かすみが帝劇宛にかかってきた電話を事務局で受け、彼女宛の電話をせりに渡したことがあった。

 受話器を受け取った彼女は聞いたことがないような助詞を使っていたのをよく覚えている。

 そして受話器を離して「ありがとうございました」とお礼を言ったら標準語に戻るのだ。

 

「──だからこそ、せりさんは帝都の人には地元の言葉で話せば奇異の目で見られたでしょうし、それが身に染みているから、そこを深く追求せずに流したんだと思います」

 

 かすみの推測になるが、おそらくさっきの茨城弁を指摘していたら、梅里は再び警戒心を強めていただろう。

 そのあたりを含めて、せりに相談してよかったと思えた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そうこうしているうちにせりの説明は佳境を過ぎ、黒之巣会との戦いから葵 叉丹との聖魔城での戦いも終えていた。

 

「──というわけで、今年になってまた別の組織が暗躍してきて、あなたの命が狙われたというわけ」

 

 この春までの説明を終えたせりに、梅里は頷いて「ありがとうございます」と礼を言う。

 そして──

 

「では、襲撃されたときのことも教えていただきたいのですが」

 

 ──という梅里の言葉に、凍り付いた。

 

「そ、それは……」

 

 絶句したせりは二の句が継げないでいる。

 

(襲撃って……梅里が、傷つくまでのこと? 射抜かれたことを、私の口から説明しろって言うの?)

 

 戸惑い。焦り。そして──これをせりの口から説明させるために、わざわざ出会いから説明させたのではないかという疑心暗鬼。それらがせりの心をかき乱し……

 

「それは、かすみさんやかずらさんから説明してもらってはいかがでしょうか?」

 

 助け船を出したのはしのぶだった。

 今の一言で落ち着きを取り戻したせりは、心の中でホッとため息を付きつつ──

 

「そ、そうね。私が説明するよりも、間違いないでしょ。一緒にいたんだから」

 

 無理に笑みを浮かべ、内心を取り繕いつつ言い、せりは腰を浮かせた。

 それに気が付いたしのぶが眉をひそめる。

 

「あら? せりさん、どうかしたんですか?」

「わ、私はこの辺りで戻ることにするわ。食堂を長く抜けているのも悪いし……」

 

 苦笑混じりに言って、完全に立ち上がる。

 

「それなら、わたくしも……」

 

 続こうとしたしのぶを、せりは慌てて止める。

 

「しのぶさんはせっかくですから、気にせずゆっくりどうぞ。それと、かすみさん……」

「はい、なんでしょうか?」

 

 呼ばれて首を傾げるかすみに、せりは笑みを浮かべつつ──

 

「“うちの”梅里のお世話をしていただいて、本当に申し訳ありません。風組(よそ)の所属なのにわざわざ面倒を見ていただいて……この埋め合わせは夢組の方から、必ずいたしますので」

 

 そう言ったが、とても笑顔とは思えないほどの重圧(プレッシャー)を出す。

 しかし一方で、かすみもかすみで──

 

「いえ、お気になさらないでください。夢組とか風組とかではなく、私が“好き”でしたことですから」

 

 負けじと笑顔でさらっと言ってのける。

 かすみが“好き”と言ったときにせりのこめかみが大きくヒクついて、端で見ているかずらとしのぶが肝を冷やしていた。

 

「それに命を助けていただいた方ですから、お世話をさせていただくのは当然です。むしろこの程度では恩は返しきれていませんよ」

 

 かすみはそう言って傍らにいる梅里を見つめる。

 

「ましてや、こうして同郷の人が困っているのですから、それを放っておくにはいきません」

 

 かすみが頭をなでると、梅里は気持ちよさそうに、そして安心したように目を細める。

 正直なところ、華撃団を取り巻く環境は決して油断できるような状況ではない。それでもこうして梅里の世話をしに来ているのは、もちろん事務局にも迷惑をかけていた。

 由里からは今朝、「主任さん、記憶喪失なんですって? お世話するのも大変ね」と言われた。彼女の性格やその時の口調から皮肉ということはないと分かっているものの、彼女に迷惑をかけているという自覚はある。

 それでも──かすみはここへ通うことをやめたくなかった。

 記憶を失った梅里からの信頼の目。病室に顔を出した時の安心したような、歓迎する笑顔は、増えた負担の疲労に対する十分すぎる癒しになっていた。

 

「こうして頼られるのも、まるで新たに弟ができたようで新鮮な気分でして……」

「弟、ですか?」

 

 梅里に微笑みかけたかすみが振り返ると、せりは訝しがるように彼女を見つめた。

 

「ええ。年下に頼られるのもまた、いいものです」

 

 かすみとせりの視線がぶつかり──火花を散らすと、息をのんだかずらとしのぶだったが、事態はそんな二人の思惑から外れていく。

 せりがあっさりと引いたのだ。

 

「じゃあ、かすみさん。あとはよろしくお願いしますね」

「え? あ……はい、承りました」

「それと、かずら。あなたは夏公演が近いんだから程々にしてきちんと練習しなさいね」

「は~い。もう、分かってますよぅ」

 

 返事しつつも膨れるかずら。

 そうしてせりは、かすみとかずら、それにしのぶに見送られて病室を後にした。

 それを見たかずらは──

 

(せりさん。やっぱり、おかしい)

 

 ──と、改めて思うのであった。

 




【よもやま話】
 そんな追いつめられた状態でも、子供の扱いはさすがに上手なせり。
 今の梅里は小学校上級生くらいの精神年齢になっていますので、せりには扱いやすい年頃でした。
 なお、このときの梅里は、知識は中学生~高校生くらいの年齢で、精神年齢が前述のとおりという、ちょっと変則的で不安定な状態になっています。それが彼が不安になってかすみを頼っている(甘えている)原因です。


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─7─

 せりが去った後、かすみとかずらが中心になって、梅里が鬼王と戦ったことと、その最中に撃たれたことを説明する。

 説明を受けた梅里だったが、それで何かを思い出すということはなく、やはり他人事といった様子だった。

 一通りの説明が終わると、今度はしのぶが席を立った。

 

「やはり、せりさんを食堂で働かせて、わたくしだけこちらにいるというわけにはいきませんから」

 

 そう言って、しのぶは帝劇へと戻っていった。

 そのため梅里の病室は普段通りの、かすみとかずらの二人が残っていた。

 

「あの、梅里さん?」

「…………なんでしょうか、伊吹さん」

 

 あからさまに距離をとって警戒する梅里に、かずらは思わず苦笑を浮かべる。

 

「きょ、今日はですね。あなたに私の特技を見ていただきたくて……」

 

 そう言ってかずらは持ってきていた楽器ケースを持ち出した。

 訝しがるようにそれを見た梅里がつぶやく。

 

「バイオリン?」

「はい。その通りですよ」

 

 言い当てくれたことが嬉しくて、かずらは笑顔で大きく頷いた。

 

「私、こう見えてバイオリンの演奏が得意なんです。梅里さんが聴きたい曲があればなんでも演奏して差し上げますよ。リクエストはありませんか?」

 

 さぁ、どうぞ、とばかりに手を差し出したかずらだったが、梅里の反応はイマイチだった。

 

「あの……リクエストと言われても、詳しくないので曲なんて分かりませんし……すみません」

 

 申し訳なさそうに梅里に言われ、かずらは固まった。

 同時に自分の身勝手さも思い知らされる。

 今まで梅里に警戒されるかずらはさすがに反省した。それで受け入れられているかすみの梅里に対する普段の態度を観察したのだが、それで自分が彼を振り回していることを痛感したのである。

 そのお詫びもかねて梅里を楽しませようと思ったのだが……元来、梅里はクラシック音楽というものに興味をさほど持っていなかった。

 ちなみに現在の梅里が以前に比べれば興味を持ったのは、他でもないかずらの影響であり、その影響を受けていないところにまで記憶が戻ってしまっている。

 

(ああ、またやっちゃいました……)

 

 興味のないものを押しつけているという今の状況が、まさに自分の身勝手さでもあるように思えて仕方がなかった。

 

「それなら、かずらさんが好きな曲を奏でてあげればいいんじゃないですか?」

 

 助け船をだしたのはかすみだった。

 

「いいのでしょうか?」

 

 思わず尋ね返すと、かすみは優しくうなずき、梅里を見る。かずらも梅里を見ると、視線に耐えかねて困ったような表情を浮かべつつも、小さく頷いた。

 そうして選曲も任されたかずらだったが──どの曲にするか、迷った。

 迷った挙げ句……思い出の曲を選んだ。

 昨年、欧州に向かい、そこのコンクールで演奏した曲である。

 

(結果は、けっして良いものじゃなかったけど……)

 

 あれはかずらにとっては欧州の、世界の壁の厚さを実感したコンクールだった。

 それでも選んだのは、かずらが遠き欧州の地でのコンクールに挑んだときに傍らにいてくれたという思い出が、彼女にとってはなにものにも代え難いものだったからだ。

 それに、あの経験が、より高いレベルの世界を経験できたことで世界が変わったというのもある。

 バイオリンを把持し、弓を構える。

 緊張を高め──そして演奏を開始した。

 そして、一心不乱に奏でる。

 その集中によって、無意識のうちに霊力が放たれていた。

 

(私の演奏に、本当にあんな能力(ちから)があるのなら……)

 

 かずらは、華撃団にスカウトされて入隊している。

 その経緯は、かずらがその見事なバイオリンの演奏が話題になったことから始まる。

 若き天才バイオリニスト、として話題になった彼女だったが、同時に変わった噂も流れていた。曰く「彼女の演奏を聴いて、体の不調が治った」だの「憑き物が落ちた」とか、最初はまるでいい加減な広告のような、眉唾ものの話だった。

 だが、それが──どうにも体の調子がよくなる効果があるというのがまことしやかに話されるようになり、それが話題になり始めたころ、華撃団から当時の副司令、藤枝あやめがやってきたのだ。

 そのことを思い出し、本当にそのような効果があるのなら、今こそそれで梅里を治して欲しい、記憶を取り戻させて欲しい、と心の底から願った。

(この曲を演奏した旅行の思い出を、少しでも思い出してくれれば……)

 その思い出を頭に描きつつ、かずらは一人の人を想いながら、演奏を続け──その曲が終わり、余韻を残し──楽器をおろした。

 やや緊張して梅里を見ると──彼は笑顔で拍手をしていた。

 それも少し興奮気味に。

 思わずかずらの顔がパッと華やぐが──

 

「スゴい……音楽はまったく分からないからハッキリしたことは分からないけど、それでもキミの演奏が素晴らしいのはよく分かったよ。なにしろ、素人が聞いてもスゴいと感じられるくらいなんだからね」

 

 そんな手放しで誉める梅里の言葉に、かずらの笑顔は陰った。

 彼女の演奏でも、記憶を取り戻させることはできなかったのだ。

 しかし、それでも──梅里の反応は、かずらにあることを思い出させていた。

 

(やっぱり、この人は梅里さんなんだなぁ。反応が、一緒なんだもの)

 

 思わずクスッと笑みを浮かべつつ、そのときのことを思い出していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──それは、二年前の春のことだった。

 

 まだ黒之巣会が本格的に動き始める直前、上野公園で帝都にやってきた真宮寺さくらが出現した魔操機兵・脇侍を一刀両断にした、という事件があった。

 その脇侍出現の目的を調査するために、しばらくしてから夢組は上野公園を本格的に調査することとなったのだ。

 調査班副頭として、かずらはその調査に参加し、それ以外に梅里と遠見 遙佳、それに八束 千波が参加している。

 そこで──

 

「かずら、余計な演奏は御法度ッスよ」

 

 演奏を始めたかずらを、目元がハッキリとした髪を短く整えたの女性隊員──遠見 遙佳がジト目を向ける。

 隊長直属の特別班に所属する『千里眼』。隊長の目となり、遠くの敵や戦況を見たり、味方の様子を把握する役目を帯びた彼女は、その前は調査班の副頭──つまりはかずらの前任者──だったので、後釜であるかずらについて、その一挙手一投足に注目していたのである。

 もちろん遙佳は、養成機関の乙女組上がりであるかずらのその能力は聞いて知っていた。得意とするのはギヤマンのベルを使ったダウジング──と、それ以上の探査精度を持つという霊力を乗せた楽器演奏による反響探知。

(副頭を安心して任せられるかどうか、見たかったッスけど……)

 隊長である梅里の狙いが、『異変の発見』という漠然としたものであるので、広範囲の探査を行えるかずらこそ今回のメインであり、彼女が見つけた違和感を自分の『千里眼』で詳しく見ることになるだろうということは分かっていた。

 そんな遙佳の思いとは裏腹に──かずらは音響探知よりも演奏することに重きを置いているように見えた。

 

「うぅ……焦れったいッス」

 

 霊力を乗せて音を出せば事足りるはずなのに、かずらは旋律を奏でる。

 そうすることで付近にいた桜の花を見に来た見物客から注目を浴びはじめ。仕舞いには喝采を浴びてしまっていた。

 

「かずら! 何をやってるんスか? 楽器の演奏は必要最小限で……って、隊長も何やってるッスか!?」

 

 拍手を送る野次馬に紛れて、演奏を賞賛して同じように拍手している梅里を見つけた遙佳が思わず声を上げる。

 

「何って……誉めてるんだよ? 伊吹さんの演奏を」

「それは見れば分かるッス! なんでそんなことを……」

「うん。僕は音楽に疎いしサッパリ分からないけど、それでも伊吹さんの演奏が良いってことだけは分かったから。だから思わず、ね」

 

 そう言って笑顔を見せる梅里。

 だが、言われた当の本人であるかずらは思わず首を傾げた。

 

(音楽がサッパリ分からないのに、私の演奏が良いと分かるって……そんなわけないじゃない)

 

 梅里の言葉は、かずらにとっては少しバカにされているような気さえしてしていたくらいだった。

 だが、次に梅里が言った言葉が、かずらに衝撃を与える。

 

「だって素人の僕にさえスゴいって感じられるくらいに上手なんだよ? それって、かなり凄いことだと思うけど」

「え……」

 

 知らず知らずのうちに、自分に驕りができていたことを、かずらは気づかされた。

 熟練すればするほど陥る罠、「素人に何が分かる」という見識。プロに認められてこその世界で生きるようになれば、そのような考えになるのもある意味当然のことなのかもしれない。

 だが、音楽を純粋に人を楽しませるエンターテインメントとして考えるのなら、素人に受け入れられなければ裾野は広がらず、一部の人達だけの娯楽になってしまい、それは業界の固定化と衰退を招きかねない。

 

「料理でいえば、味音痴の人さえも感動させるようなもの……いや、たとえ味音痴でも人は食べ物を口にするからね。それよりももっとスゴいことだと、僕は思うよ」

 

 そう言って朗らかに笑みを浮かべる梅里。

 その言葉と笑顔に衝撃を受け──今にして思えば、この瞬間に恋に落ちたのだと思う。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──あのときと同じ笑顔を浮かべている梅里を見て、かずらは妙に気分が晴れやかになっていた。

 たとえ記憶が無くなっていようがこの人は梅里なのだと、心の底のどこかで、記憶を失った梅里を「私の知る梅里さんじゃない」と否定していた自分を恥じた。

 

「伊吹さん。もう一曲、何か別の曲をお願いしてもいいかな? といっても知識がないからキミの奏でたい曲で良いけど……」

 

 苦笑混じりに梅里が頼む。それにかずらは──

 

「はい。わかりました」

 

 素直に、良い笑顔でそれに答えた。

 一度おろしていたバイオリンを構えつつ、かずらは何を弾こうか思いを巡らせる。

 しかし──曲はすぐに決まった。

 

(私が今までで一番、梅里さんのことを想って奏でたあの曲……)

 

 先ほどせりが語った、梅里と出会ってから今までのことを思い出したからこそ、あのときの思いが蘇り、この曲を、そして奏でたときの気持ちをハッキリと思いだした。

 目の前の人が梅里だと心の底から認めた今だから、その人に捧げる曲として──これ以上にふさわしい曲は、無い。

 バイオリンを構え、あのときのことを思い出し──かずらは奏で始める。

 

「この曲は……?」

 

 聞いたことがない曲に訝しがるかすみ。

 だが──ひどく心に訴えかけてくるような旋律だった。

 彼女もまた、かずらのように音楽会に身を置くようなプロではないので、詳しい評論はできない。

 しかし、とても心惹かれる。

 自分のいるべきところ、あるべき姿、そういうものが心に浮かぶ──とても不思議な曲だった。

 かすみは耳にしたことがなかったが、あくまで彼女たちが例外であり、実のところは華撃団の多くのもの達が聞いた曲だった。

 なぜならそれを奏でたのは──先の戦いで梅里が心肺停止となり、一度は死亡の診断が下された後で、彼の魂を引き止め、戻すために奏でたかずらが奏でた葬送曲の逆曲である。

 あのとき、かすみは決戦のために司令の米田中将や風組に所属する他の帝劇三人娘と共に空中戦艦ミカサに搭乗し、聖魔城に特攻を仕掛けたあとで、あの場にはいなかった。だから聞いていなかったのだ。

 そして──まさに心配停止で生死をさまよっていた梅里もまた聞いたことがないはずなのだが……

 

「──ッ!?」

 

 梅里が不意に動きを止める。

 そしてそのままゆっくりと起こしていた上半身を横たえ、ベッドの上に仰向けになると──顔の前で腕を交差して、目元を覆った。

 そのまま梅里は動きを止め、かすみはその旋律に黙ったままじっと耳を傾け、かずらの奏でるその曲は部屋に響き続け──やがて曲が終わり、かずらはバイオリンを下げた。

 ふぅ、と大きく息を吐くかずら。

 

「……あれ? 梅里さん!?」

 

 反応が怖くて恐る恐る梅里を盗み見たかずらだったが、彼がベッドに横になっているのに気がついて驚く。

 一瞬、具合が悪化したのかと不安になったが、その胸が規則的に動いて呼吸しているのがわかり、胸をなで下ろす。

 

「あ……、退屈しちゃったのかな?」

「そんなことは無いと思いますよ」

 

 かずらのつぶやきに答えたのは、一緒に聞いていたかすみだった。

 

「あの演奏を聞いて、退屈で寝る人なんていません。そう断言できるくらいに素晴らしいものだったと思います」

 

 そう言ってかすみは梅里へと視線を向ける。

 

「せりさんやしのぶさんも来て話をしましたし、疲れが出たのではないでしょうか。それでかずらさんの演奏で、それを癒そうと体が反応したのではないか、と……」

 

 かすみにつられてかずらも梅里を再び見る。規則正しい寝息さえ聞こえていた。

 それを確認したかずらは少し寂しそうに笑みを浮かべ、かすみに一礼する。

 

「あの、私も……さっきせりさんに言われたように、夏公演に向けての練習もありますし、これで失礼しますね」

「あら……いいんですか?」

 

 珍しく退いたかずらに、かすみは心底意外そうな目で彼女を見つめた。

 

「はい。いつまでもサボってたら、梅里さんにあきれられちゃいますから」

 

 チラッと横になったままの梅里を見て、今度は悪戯っぽく──それでもいつもの彼女のそれに比べると寂しさが混じった感じで──笑みを浮かべると、バイオリンをケースに片づけ、改めてもう一度かすみに一礼してから、病室を去っていった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 かずらが去ったことで、一人になったかすみだったが、世話をするのに一通りやるべきことを終えていたので、やることがなくなってしまった。

 梅里は横になって寝てしまっている様子。

 目を覚ますまでここにいてもいいのだろうが……さすがにあの三人の誰もいない状態で、梅里が目を覚ますまでここに居続けるのは気が引けた。

 さらに言えば、最近は帝劇の事務局での仕事も滞りがちで、同僚の由里からの目も厳しいものになりつつある。

 

「さて、それじゃあ私も……」

 

 自分の持ってきた荷物をまとめ、病室から出るためにベッドを離れようとしたそのとき──

 

「あの、すみません。かすみさん……」

「──ッ!?」

 

 突然、寝ているものと信じ込んでいた梅里から声をかけられて、内心飛び上がらんばかりに驚く。

 

「ああ、驚かせてしまって、申し訳ありません」

「い、いえ……大丈夫です」

 

 かすみの反応を見て謝った梅里。

 その様子を振り返りつつ見たのだが、そんな彼の様子が──どうにも違うようにかすみの目に映った。

 

「ここから帰るついでに、一つお願いしたいことがあるんですが……」

「なんでしょうか?」

「宗次を……夢組の巽副隊長を、ここに呼んでいただけないでしょうか?」

「あ、はい。わかりまし……た?」

 

 思わず返事をしたが──ものすごい違和感のある会話だった。

 ハッとして梅里を見るかすみ。

 

「え? あの、ひょっとして……梅里くん? あなた、まさか……」

「その呼び方、やっぱり少し照れますね」

 

 驚き、そして一縷の希望を込めて見つめるかすみに対し、彼は苦笑混じりの笑顔で頷いた。

 




【よもやま話】
 遥佳も出てきた調査シーンは、前作2話前半での上野公園調査のときのことです。
 漠然と考えていたシーンではベルで短時間に、ではなくバイオリンで曲を奏でるかずらにいらいらするせり──と考えていたのですが、あの調査にせりは参加していなかったので、遥佳にその役目が回りました。


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─8─

 せり、しのぶ、かずらが3人そろって見舞いに行ってから、数日が経った。

 

 今、夢組は出撃していた。

 それは深川の料亭で起きた火災騒動だった。

 しばらく前に花組隊長の大神とさくらが米田の見舞いに陸軍病院に行った際、陸軍大臣の京極慶吾と出くわしていた。そこで彼の取り巻きの陸軍将校達や本人との遺恨があり、さくらと紅蘭がサキから京極が深川の料亭にいるという情報を得て、花魁に変装しつつ潜入したのだが──そこにいたのは海軍大臣の山口和豊。

 その暗殺を狙った黒鬼会の放火によって料亭は火に包まれ、花組は脱出した大臣を安全な場所まで護衛することになったのだが──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そして、伊吹かずらは、燃え落ちる料亭の中で四方を完全に炎に囲まれていた。

 

(あぁ……もう、どうしようもないかなぁ……これは)

 

 その絶望的な状況に、さすがにあきらめが入るかずら。

 いかに夢組戦闘服の性能が高くとも、火の中を平気で抜けることはできない。

 手に持ったバイオリンで、かずら得意の霊力を乗せた演奏を行っても。その火勢を弱めたり火を操ることはできなかった。

 そうしてこんな事態になってしまったのか──それは、彼女がやむを得ず自分で引いたババだったのだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 少し前のこととなるが……

 

「──なに!? 逃げ遅れた人がいるッ!?」

 

 その報告を聞いて巽 宗次はさすがに焦った。

 すでに避難は完了していたんじゃなかったのか、夢組隊長代行として指揮を執っていた彼にその情報がもたらされ、彼は頭を悩ませた。

 

「よし、隊を二つに分ける。片方は火災で逃げ遅れた人達の救出、そして残りは花組の支援だ」

「花組も救助に人を出す!」

 

 宗次の指示に、花組隊長の大神一郎が割り込むが──

 

「いや、黒鬼会の……敵の数が多い。花組は海軍大臣の護衛に徹してくれ。救助は我々のみで行う」

「しかし!!」

「大神。この火災、真宮寺や李のせいじゃないんだ。気に病むことではないぞ」

 

 実は、火災の直前に潜入していたさくらと紅蘭が煙玉のようなものを使っており、それが火災の原因ではないか、と疑われるような状況ではあった。

 しかし、実際には火災の原因は黒鬼会幹部の五行衆が一人、火車の放火によるものと判明している。

 

「でも、あの場で騒ぎを起こしてしまったのはあたし達です」

「そうや。あれがなければ普通に逃げれた人達かもしれへんし……後生や、巽はん!」

 

 大神に代わってさくらと紅蘭が通信に入ってくる。

 だが、宗次の方針は変わらない。

 

「何事も適材適所だ。幸いなことに逃げ遅れた人数も少ない。近江谷姉妹の瞬間移動でなんとかなる。魔操機兵の相手は霊子甲冑でやるのが最も確実で、安全だ」

 

 それに「脇侍の数も多いからな」と付け加えると、さすがに大神も引き下がり、命令を出す。その指示には逆らえず、さくらと紅蘭も引き下がらざるをえなかった。

 そうして宗次は、炎上する料亭に救助に入る突入隊を組織する。

 そのメンバーは、特別班所属で突入と脱出の要である瞬間移動要員の近江谷 絲穂・絲乃の姉妹、それ以外の意識のない逃げ遅れがいないかの確認のために調査班副頭である伊吹 かずら、さらには熱等から守るための封印・結界班員と、実際にがれきの撤去したり直接救助を行う動きの良い除霊班所属のもの、という編成だった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 彼らは『千里眼』の遠見 遙佳の誘導で、無事に火のない場所に瞬間移動し、要救助者を確保、それ以外の逃げ遅れの探査をかずらが音響探知を行って調べ、再び瞬間移動で帰還──する直前に、かずらはハッとした。

 そのときの位置関係は、かずらは最も外側に立っていた

 要救助者を真ん中に、近江谷姉妹の間で円を描く範囲内ではあったのだが──その直上で、焼け落ちた天井が崩れそうなことに、かずらは気がついたのだ。

 

(このままだと、目の前の人達に直撃しちゃう!)

 

 反射的に落下予測地点付近の人を思いっきり押すかずら。

 押された人達は驚きながらも陣の中心へ押し込まれる。その反動で、かずらは外側へと離れ──生じた隙間に、天井の瓦礫が落ちた。

 

「な──ッ!?」

 

 突然起きたその出来事に一同が驚いている中──双子の姉妹の霊力同調が完了して瞬間移動が実行される。

 

「待ッ」

 

 異変に気づいた誰かの言葉が尻切れになり、双子の敷いた円陣に沿ってキレイに瓦礫が抉られ──瞬間移動は実行されていた。

 そこから外れたかずらは取り残されたのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──まったく、何でそんな事態になるんだ!」

 

 通信を切って思わず愚痴る宗次。

 確かにかずらの機転がなければ、助けるべき人を助けられなかったという事態になっていたのだから、ファインプレーではあるのだが……。

 だが建物の方はもう持ちそうにない。だからこそ天井が崩れてくるという事態も起こったわけであり、そこに取り残されたかずらの命運は非常に危険なものになっていた。

 

「遠見ッ!!」

「はい。バッチリとらえているッス」

 

 宗次の通信に、事態を聞いて真っ先に状況把握に動いた『千里眼』の遠見 遙佳が応える。

 

「かずらは健在ッス。でも、そこに通じる道は……」

 

 その口から出たのは厳しい内容だった。

 

 

「…………無いッス」

 

 

 彼女は悔し気に目をきつく閉じて報告を続ける。

 

「崩落や壁で全て塞がれて……」

「こんなことなら、秋嶋をそっちに配置するべきだったな」

 

 除霊班は主に花組の護衛任務のサポートに回していた。瓦礫除去で必要になることは見越して数名を付けていたが、頭である秋嶋 紅葉は花組援護側だ。

 火属性の霊力を操り、攻撃力と機動力に長ける彼女なら突入や、経路確保に使えただろうが今は花組と共に脇侍と戦っている最中だ。そこから離れることさえままならないだろう。

 

「まったく、アイツがいない時に限って、こういうことが起こる……」

 

 腹の一部がキリキリと痛むのは、最近──隊長代行になってからのことだ。

 このまま隊長代行を続けていたら、歳をとったときの頭頂部が心配になってくる。

 

(いっそ、未来の頭をティーラに見てもらうか)

 

 あくまで冗談だが──半ば本気で宗次は考えていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 一方、救出チームの方はといえば、慌ただしさを増していた。

 

「すぐに救出に戻りますッ!! 遙佳、場所のイメージを……」

 

 隊長代行への報告を済ませた近江谷姉妹の姉の方、絲穂が勢い込んでそう言うが、それにヨモギが待ったをかける。

 救助者が負傷していることも考慮して、ヨモギはこちらに配置されていたのだ。

 

「それは許可できませんよ、近江谷嬢の姉の方。妹さんが限界です」

「そんなこと、ありません……いけます……」

 

 気丈に絲乃が言うが、あからさまに顔色が悪い。

 かずらが取り残される事故が起こるまでに、近江谷姉妹は数回の瞬間移動をすでに行っていて消耗していたのだ。

 

「ホウライ先生、絲乃なら耐えられます! 行かせてくださいッ!!」

「ええ、一度はできるでしょう。しかしそれでは意味がありません。戻ってこられなければ遭難者が増えるだけです。それに不完全な同調で瞬間移動を行って失敗すれば、消滅しかねませんよ。医者として許可はできません」

「く……」

 

 実のところ、絲穂も顔に出していないがかなり厳しい。ヨモギの言うとおり、二度の瞬間移動ができるほどの余力はない。

 

「なら、誰か脱出路を作れる人を連れていけば!」

「建物の崩壊が進んでいて危険です。それこそ戦闘に長けた頭クラス以上の人がいれば話は別ですが……」

 

 該当する紅葉も宗次、釿哉といった面々はこちらに来ていない。

 

「私が行くわ!!」

 

 そう名乗りを上げたのはせりだった。

 だが、ヨモギは首を横に振る。

 

「申し訳ありませんが、白繍嬢では無理です。あなたの『天鏑矢(あまのかぶらや)』では壁一枚くらいを貫くのがせいぜい。複数の壁や多くの瓦礫を一度に突破できるほどの威力はありません」

「だからって、かずらを見捨てろって言うの!? そんなの、私は認めないわ!!」

 

 ヨモギに掴み掛からんばかりの勢いで言うせり。

 しかしヨモギも譲らずに反対を貫く。

 

「だからといって、運に天を任せるような方法では、伊吹嬢を助けられないどころか、余計な犠牲者が増えるだけです。冷静になってください」

 

 ヨモギの意見はその通りだった。無計画に飛び込んでしまえば近江谷姉妹の瞬間移動という切り札を無駄に捨てることになってしまう。

 その切り札を切る以上は、絶対に確実な救出策でなければならない。

 

「──冷静に?」

 

 ヨモギの言葉で少し頭が冷えたせり。

 しかし──それが良くなかった。

 

 

『かずらがいなくなれば、あの人の周りをウロチョロする影が一人減るじゃない──』

 

 

「──え?」

 

 幻聴のように聞こえた声。

 

(──誰の、声?)

 

 とても聞き覚えのある声だった。

 ふと気がつけば、暗闇で包まれた空間──そのくせ目の前にいる人物と、自分の姿だけはハッキリと見えている──に、せりはいた。

 

「あの子が死んでも……困らないんじゃないの?」

 

 目の前の彼女がせりに問いかけてくる。

 

「そ、そんなわけない! かずらは、仲間よ。大事な仲間なんだから!!」

「そう? それは夢組としてはそうかもしれないけど……あなた自身にしてみたら、あきらかに敵だと思うけど?」

「そんなこと、そんなこと絶対にない!!」

 

 必死で叫ぶせりに対して、目の前の彼女はズイッと距離を詰めて覗き込んでくる。

 

 

「──本当に?」

「ッ!?」

 

 

 思わず息をのむ

 顔を近づけてきた彼女の顔は──せりとまったく同じ顔をしていた。

 その顔が意地悪く笑みを浮かべている。

 聞き覚えがあるもなにも、せりとまったく同じ声で彼女は問いかけてくる。

 

「本当にそうなのかしら? 私があの人の看病をしたいのを、会いたいのを我慢して食堂で仕事している間、かずらはずっと彼の傍らにいたのよ?」

「そ、それは……私が副主任で、主任の梅里もいないんだから、仕方がないことだから……」

 

 必死に言葉を探すせりを、クスクスと嘲り笑うせり。

 

「あの日も、一緒に仕事した私を置き去りにして、一緒に帰っていたのに?」

「それはッ──」

 

 顔が一気に青ざめる。

 もう一人のせりは意地悪い笑みを浮かべたままさらに言葉を重ねる。

 

「だから私は、悔しくて……妬ましくて……あの人を、自分だけのものにしたくて……だから、弓矢で彼を──」

 

 

「──違うわッ!!」

 

 

 せりは必死に叫んだ。

 

「違う! 違う! 違う違う違う違う違うッ!! 絶対に違うッ!! 私はあの人を、梅里を射抜いてなんか──」

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──ら繍嬢! 白繍嬢!! どうかしましたか!?」

 

 気がつけば、ヨモギに両肩を捕まれて揺さぶられていた。

 

「あ……ゴメンなさい。私……大丈夫、大丈夫よ」

「本当に大丈夫ですか? 以前も同じように突然、放心したようになっていたことがあったようですが……」

 

 訝しがるヨモギを顔色が悪いままのせりが手で制する。

 

「平気よ。それに今は私よりもかずらのことを……」

 

 そう、せりが言ったときのことだった。

 

 

「──遥佳、かずらを補足してるね? それを続けて。それと千波、合図でそれを僕に送れるよね?」

 

 

『──え?』

 

 夢組の全隊員の動きが一瞬止まった。

 その無線は──本来なら今ここで聞こえるはずがない人の声だった。

 そして、夢組の誰もが待ち望んでいた声だった。

 

「──それと、花組のアイリスの位置を教えて欲しい」

 

 周囲の戸惑いを意にも介さないその声に、戸惑いながらも場所が伝えられる。

 そして、声の主はそこへと直行した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「熱い……苦しい……」

 

 伊吹 かずらは意識を朦朧とさせながらつぶやいた。

 かろうじて火に包まれてこそいないものの、周囲の炎による熱と息苦しさは彼女の意識を刈り取ろうとしていた。

 

「こんなに苦しいなら、やらなければ良かったかな……」

 

 先ほど自分がやった光景を思い出して、思わずつぶやく。

 助けようとした人達の顔を思い出して、あの逃げ遅れていた人達は助かっただろうか、と心配する。

 いや、夢組の仲間たちなら確実に助けているだろう。

 崩れた瓦礫で見えなくなっていたが、あのとき、近江谷姉妹は同調して瞬間移動をしようとしていた。彼女たちの能力(ちから)なら確実に無事な場所へと送り届けているはず。

 

「それにしても……また、乗り遅れちゃったな」

 

 近江谷姉妹の瞬間移動から外れて危機に陥ったのが、あの時のことを思い出させた。

 

「ふふ……あのときは、ミロクの脇侍に追われて……転んじゃった私を助けるために……梅里さんが、残ってくれて……」

 

 あのとき、間に合わないのを分かっていながらもかずらが思わず出した手を──自分の身を省みずに梅里が近江谷姉妹の間から抜け出して掴んでくれた。

 

「あのときは、嬉しかったな……」

 

 だんだんと薄れていく視界。

 ここで意識を失えば十中八九火に巻かれて命はない。

 それが分かっていたが──もはや酸欠でどうしようもない。

 

「ああ、梅里さん……最期に、会いたかったなぁ……」

 

 大きくため息をつきながら、弱気な言葉がついて出る。

 そして思わず涙が出た。

 

「やだよ……いやだよぉ……梅里さんに会えずに死ぬなんて……せめて最期に、もう一度……」

 

 思わず天井を見上げる。

 そこに天は見えなかったが、それでも祈った。最期の願いを、梅里に会いたいという切なる願いを──

 

 

 そこへ、局所的に霊力が高まり、一気に爆発し──

 

 

「かずら!! 生きてるか!?」

 

 意識を失う瞬間、彼女が最も聞きたかった声が、その耳に入ってきた。

 

「梅里……さん?」

 

 顕れたその影に、思わず手を伸ばし──かずらは意識を失った。

 




【よもやま話】
 唐突な火災シーン。
 ゲーム「サクラ大戦2」の「第四話・大暴れ!火の玉芸者ガールズ」の戦闘シーンと同じ場面で、そのためにこのような唐突な展開となりました。
 なお、ゲームでは全員無事に脱出したことになっており、逃げ遅れは出ていません。


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─9─

 戦闘中の花組ではあったが、仲間への支援と回復を主な任務とする、黄色いアイリスの光武・改は主戦場からは少し離れていた。

 

「つまんなーい。アイリスだって戦えるのに……」

 

 少し面白くなさそうにしていたアイリスだったが──

 

『アイリス、ちょっと手伝ってもらっていいかな?』

 

 通信に入ってきた声に、アイリスは周囲を見渡す。

 光武・改のメインカメラは、機体の正面にいた人物を写し出していた

 

「あれ? シェフの……え? でも、意識がなかったんじゃ……」

 

 目の前にいたのは同じ華撃団でも違う組の隊長。

 その戦闘服は花組のそれとは違い、和風の装いのデザインだった。

 もちろん彼のことは知っている。華撃団の隊長というよりは、普段の帝劇にいる顔こそ馴染みがあるほどだ。

 しかしアイリスは、その人が大怪我をして大変なことになっている、と聞いていた。

 だが彼は無事な様子で、しかも彼の代名詞とも言うべき銀色の光球を纏う技を使ってアイリス機の前に立っていたのだ。

 だからこそ戸惑ったのだが──

 

『アイリス、お願いがあるんだ。短距離──すぐ横でいいから、瞬間移動をしてもらえないか?』

「……え? どういうこと?」

 

 突然の頼みに、その意図が分からず戸惑うアイリス。

 アイリスの霊力をもってすれば、光武・改による瞬間移動はお茶の子さいさいであるが──

 

『アイリス、彼の指示に従ってくれ。瞬間移動を見せてあげるんだ』

「お兄ちゃん!?」

 

 通信を入れてきたのは花組の隊長である大神一郎だった。

 

「お兄ちゃんがそういうなら……」

 

 戸惑いながらも霊力を高め──すぐ近くへと瞬間移動する。

 

『ありがとう、アイリス。それに大神さんも。このお礼は後で必ず──』

 

 通信は途中で切れた。

 アイリスは元いた場所の正面──アイリスに頼みごとをしてきた彼がいた場所を見たが──

 

「あれ? 誰もいない……」

 

 その場所には銀色の光球も彼の姿も無く、まるで最初から誰もいなかったかのように影も形もなくなっていた。

 まるで──瞬間移動をしたかのように。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「──ッ!?」

 

 気がつけば、かずらは口を塞がれていた。

 失っていた意識が戻り──そして、目の前の光景に驚く。

 驚くほど近くに、梅里の顔──いや目があった。

 

「ぷはッ!!」

 

 塞がれていた口が解放される。

 そして──

 

「──気がついた?」

 

 かずらが聞きたいと望んだ、優しさ溢れる声がその耳に飛び込んできた。

 霞んでいた視界も戻り、梅里の姿と周囲の光景までハッキリ見えるまでに回復していた。

 

「……あ、あの、一つ聞きたいんですけど」

「なにかな?」

 

 目の前には、最期に会いたいと願った相手。なんというか出来過ぎているこの状況が、とても信じられなかった。

 

「ここって、あの世……ですか?」

「──はい?」

 

 突拍子もないかずらの発言に、さすがの梅里も唖然とした様子であった。

 

「だって私、死にかけていたんですよ? 最期に会いたいと思った梅里さんもいるし、その梅里さんが……」

 

 梅里の顔をじっと見つめる。

 

「……記憶、戻ってるし」

 

 そう言って、かずらはさらに彼へと詰め寄る。

 

「記憶を失ったはずの梅里さんが元に戻ってるなんてありえません。でも、死後の世界なら……」

「そこに僕がいるってことは、つまりは僕も死んでることになるような……」

 

 頬を掻きながら苦笑する梅里。

 

「記憶失っちゃったんですから、死んだようなものじゃないですか!」

「そんな無茶な……というか、僕もかずらも死んでないからね? ここはあの世じゃなくて、ちゃんとこの世だから」

「じゃあ、夢──」

 

 そう言い掛けたかずらのほっぺたを梅里が軽くつねる。

 

「痛いです……」

「ほら、違うでしょ」

 

 笑顔を向ける梅里に、かずらはそれを信じられないと言わんばかりの表情で見つめ──

 

「じゃ、じゃあ……ホントのホントに……梅里さん、なんですか?」

「そうだよ」

「記憶を失ってもいなくて……私のこと、ちゃんと覚えてます?」

 

 かずらが不安そうに見つめる中、梅里は朗らかな笑みを浮かべてうなずく。

 

「もちろん。帝国華撃団夢組調査班本部付副頭で、華撃団育成機関の乙女組出身。世界の誰よりもバイオリンが上手に弾ける……そして押しが強い、自称僕の婚約者、でしょ?」

「──ッ! 記憶を失ってたときのことも、覚えてるんですかぁ」

 

 その笑顔に思わず涙が出る。

 かずらはわき上がる感情のままに、梅里へと抱きついた。

 

「うわああぁぁぁ!! 梅里さん! 梅里さん! 私、私……」

 

 一方、梅里は抱きついてきたかずらのするがままに任せつつ、そっと手を伸ばして彼女の頭を軽くなでる。

 

「ゴメンなさい。あのとき、鬼王に襲われたとき、何もできなくて……」

「そんなことないよ。僕を狙ってきたのに巻き込んじゃったんだから、謝るのは僕の方だよ」

「あの後、私、梅里さんが倒れて、死んじゃうかもって……でも、そのときも何もできなくて……ホウライ先生に任せるしかなくて」

「かずらは医者じゃないんだから当たり前じゃないか。逆だったら僕だって何もできないよ」

 

 思わず苦笑する梅里。

 

「意識が戻った後……せっかく梅里さんに会えると思ったのに、おしゃべりできると思ったのに……ヒドいです。私のことを忘れるなんて!」

 

 一度顔を上げ、抗議するかずら。

 梅里は不満げな彼女の顔を見ていると、愛らしさで思わず笑みがこぼれた。

 

「──婚約者だって嘘を教え込もうとするのは、もっとヒドいと思うけど?」

「あ、あれは……梅里さんがいけないんです! 私のことを忘れるから。それで意地悪しただけですもん」

 

 慌てるかずら。彼女は誤魔化すように再び梅里に抱きつき、今度は無言でギュッと力を込める。

 しばらく無言で抱き合う二人。

 だが──周囲の状況がそんな二人を許さなかった。炎に包まれているために熱く、呼吸も荒くなっていく。

 

「──梅里さん、どうやってここに来たんですか?」

「花組のアイリスの瞬間移動を一か八か、『月食返し』できるか試してみたら、できた。イメージは遙佳の『千里眼』で見たのを千波に送ってもらったからね」

 

 梅里が説明するが、かずらは自分以外の女性の名前がポンポン出てきたので、「むぅ」と頬を膨らませる。

 すると、梅里が申し訳なさそうに言う。

 

「それでかずら。ものは相談なんだけど……ここに来るところまではちゃんと計画通りだったんだけど……この後の脱出は、キミの力を借りないとできないんだ」

「え?」

 

 戸惑って顔を上げたかずらが梅里を見ると、彼は見慣れた苦笑を浮かべている。

 それを見て思わず笑みがこぼれてしまう。

 

「まったく……せっかく王子様が迎えに来てくれたと思ったのに。お姫様を働かせるなんてヒドい王子様もいたものですね」

「それを言うなら、かずらも魔法が切れるからと慌てて舞踏会から帰ったり、古城で大人しく眠っているようなお姫様じゃないだろ?」

 

 わざとらしくため息をつくかずらに、梅里が意地悪く笑みを浮かべて応える。

 それに対して彼女はクスッと笑った。

 

「ふふ……そうですね。それは私の性分に合わないかもしれませんね」

 

 名残惜しそうに抱きついていた腕を解放し、かずらは足下にあったバイオリンを手にする。

 彼女が普段の演奏に使うような繊細なものではなく、錬金術班が戦闘にも耐えられるように、と頑丈に補強したものだけあって、高温に歪むこともなく、普段通りの音が出た。

 それを確かめたかずらは、傍らで久しぶりに愛刀『聖刃(せいじん)薫紫(くんし)』を構えた姿を見せた彼に頷く。

 

「やりましょう、梅里さん」

「ああ。かずら……」

 

 彼は、再び霊力を高めると、銀色の光球に包まれた。

 そしてかずらの霊力を込めた演奏が響きわたる。

 

「満月陣・響月(きょうげつ)!!」

 

 かずらの奏でる調べは、梅里の構える刀をまるで音叉のように共鳴させ──それにあわせて二人の霊力が混ざり、高まっていく。

 それが頂点になったとき──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 焼け落ちる料亭を前に、夢組の救助メンバーに選出された面々は呆然とそれを見つめていた。

 消火活動も、もはや消火は諦められて延焼を防ぐことに専念している。

 そんな中、建物に取り残されたことが分かっているかずらの脱出を待ちわびていたのだが──

 

「これは……」

 

 もはや素人目に見ても脱出なんて不可能なのは明らかだった。

 木造建築のそれは残らず火に包まれ、今にも崩れ落ちそうなほどだ。

 

「かずら。それに……」

 

 見ていた白繍せりが思わずつぶやく。

 無線だけで聞いた、久しぶりのあの声の主は──きっとあの建物の中にいるはずだった。

 

「これじゃあ中にいた人は……」

 

 見つめるカーシャが呆然とつぶやくのを横で聞いていたせりは、それに気がついて視線を走らせる。

 

「音……いえ、旋律……かずらなの?」

 

 消火作業の怒鳴るような喧噪や、木材が燃えて起こるパチパチという音に混じって、かすかに聞こえるそれは、聞き覚えのある楽器の音色だった。

 

「ああッ!!」

 

 それは誰かがあげた、建物が焼け落ちて崩れる悲鳴に打ち消され──次の瞬間、崩れていくはずの建物の一部が、内側から爆ぜるように吹き飛んだ。

 

『──えッ!?』

 

 見ていた全員が呆気にとられる。

 彼らが見つめるその真ん中には、掲げるように刀を構えた梅里と、一心不乱にバイオリンを奏でるかずらの姿があった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──かくして、かずらは無事に救出され、深川の料亭での火災は、建物こそ甚大な被害を出したものの、死亡者を出すくとなく無事に鎮火した。

 騒動に巻き込まれた──というよりはむしろ命を狙われた──海軍大臣・山口和豊も花組の活躍によって、無事に窮地を脱した。

 

 後日、そのお礼もかねて大臣は大帝国劇場を訪問し、花組達の歓迎をうけるのであった。

 




【よもやま話】
 前の─8─と含めてなんか短い感じがしているかもしれませんが、どちらも4千文字くらいでして、前作ではこれが普通サイズでしたよ?
 『~2』になってからどうにも長くなることが多いだけです。
 ──しかし今気づいたのですが、敵幹部を出し忘れたなぁ、と。
 ゲーム3話と4話のボスである土蜘蛛も火車も完全にスルーしてしまいました。火車とかこの後、普通に出番なく終わりそうです。


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─10─

 ──さて、山口海軍大臣が大帝国劇場を訪れたのは記述の通りだが、その食堂には寄らなかったと残っている。

 食堂が万全の状態でお迎えすることができなかった、というのがその理由だそうなのだが……

 

 その原因の一つは、間違いなく彼にある。

 食堂主任である武相 梅里だ

 ようやく記憶を取り戻して、食堂に復帰できる──はずだったのだが、深川の料亭火災での無理がたたって、再び医務室送りになってしまったのだ。

 それというのも、アイリスの瞬間移動を『満月陣・月食返し』で模倣したのが大きい。

 彼女の瞬間移動はきわめて強く膨大なその霊力があってこそ、なのだ。

 普通レベルで考えれば充分以上に強い梅里の霊力でも、アイリスと比べれば明らかに劣る。にも関わらずに強引に行ったのだから、その無理がたたるのもやむを得ないことだろう。

 火災のときにはさほど影響が出ていなかったが、出動を終えて戻る辺りで異変が出て、本当なら記憶が戻ったのを隠す必要が無くなって出られることになるはずの医務室へ、そのまま逆戻りとなったのだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「もっとも、今の食堂に山口大臣をお通しするわけにはいきませんから」

 

 そう米田に報告しているのは、ようやく隊長代行を返上できると思っていたのにそれが延長になっている巽 宗次だった。

 

「……間者(スパイ)か?」

 

 今は陸軍病院から退院し、帝劇に戻る車内だった。

 路上で鬼王に襲撃されたという梅里の前例があるために、万が一を考えて、宗次が護衛についているのである。

 

「ええ。残念ながら、いますね……それも複数……おそらく少なくとも一人は食堂でしょう」

 

 宗次としても信じたくはない話だった。なぜなら帝劇の食堂勤務員は夢組の幹部なのだから。

 しかし今ではほぼ確信している。

 

「夢組の中に、裏切り者がいる……それは間違いありません」

「……根拠は?」

「司令狙撃への布石となった武相隊長への襲撃。その辺りを月組とともに行動している御殿場に洗わせたところ、不審な点がいくつか……」

 

 調査班副頭・御殿場 小詠。

 『読心(サトリ)』の能力を持つ彼女は対人捜査の専門家(エキスパート)であり、特別班にも属している。そしてその主な役目は内部の監察だ。

 今は月組主導になっている、米田狙撃事件の捜査を行う特別チームに出向している立場になっていた。

 

「情報漏洩もどこからしているのか、概ね明らかになりましたし。あとは夢組以外のもう一人ですが……」

「それに関しては、月組の加山から作戦要望がきている」

 

 そこまで言って、米田は車のルームミラーをチラッと見た。

 

「ま、ここでは詳しく話せんがな。ところで──かすみよ」

 

 米田は話を宗次から、運転手を務めていたかすみへと変える。

 

「はい。なんでしょうか……」

「オメエ、最近、ずいぶんとウメと仲がいいみたいじゃねえか」

 

 突然の急ブレーキ。

 車体が大きく揺れて、中の米田と宗次は肝を冷やす。

 

「そ、そんなことはありませんよ。助けていただいたお礼として、お世話しに医務室にお邪魔しただけです」

「ほう、なるほどねぇ……」

「それに、行っていた間は武相隊長の意識が無かったか、戻った後も記憶喪失の状態のときばかりでしたから」

 

 誤魔化すようなかすみに対し、米田はからかうようにニヤリと笑う。

 

「そいつは残念だったな。記憶と意識がハッキリしてたら、も~っと甲斐甲斐しく世話できたのによ」

「し、支配人!!」

 

 かすみが抗議するような目をミラー越しに向けてきたので、米田は笑いながら「悪かったな」と謝る。

 

「まぁ、お前らにも迷惑をかけたし、時期的にも丁度いいから夏休みを、と考えているんだが……」

 

 米田は再びニヤリと笑い──

 

「ウメのヤツはどうしても一度は水戸に帰らないといけないらしくて、な。本人から申し立てがあったんだが……さすがに病み上がりで一人で帰すのは、ちょっとばかり心配だな。なぁ、巽よ」

「え、ええ……そうかもしれませんね」

 

 心底楽しそうな米田に対し、珍しく感情あらわに顔を赤くしているかすみ。そんな二人を前に、彼に話を振られた宗次は、いったいどういう返事をすれば正解なのか、と頭を悩ませていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 さて──花組が米田からのプレゼントとして夏休みとして海辺の温泉への旅行にいくことになった。

 そのせい──というわけでもなく、時期的には世間的にも夏休みの時期であり、多分にもれず大帝国劇場自体もまた夏休みになるのであった。

 普段なら食堂が休みでもそこに住んでいる花組隊員たちのために食事を作らなければならない食堂勤務員たちにとっては、それさえもない本当に厨房が休みという、一年でも数少ない日になる。

 

 そんな日を翌日に控え──帝劇内はすっかり夏休みモードだった。

 

「そういえば由里さん、梅里さんって夏休み明けから復帰できるんですか?」

「ええ、そう聞いてるわよ」

 

 夢組所属の伊吹 かずらが事務局で、噂好きの由里に訊くとそんな答えが返ってきた。

 食堂のことなら食堂で訊けばいいのに、と思うところだが、今は仲の良い売店担当の高村 椿につきあって事務局に来ているかずらは、本部にいる夢組で唯一、食堂勤務ではない。

 普段はおくびも出さないが、少しばかり疎外感があるのかもしれない、とも思えば可哀想にも思えた。

 

「今は、その直前に実家の水戸に戻ってるって聞いたけど?」

「そうなんですよ。お盆の墓参りと、私とかすみさんを助けるときに流派の禁忌の技を使ってしまったことを許してもらいにいっているそうで……」

 

 それから帰ってくれば、梅里はまた食堂で勤務し始めるだろう。

 たとえ自分が食堂勤務で無かろうと、同じ帝劇にいられるというだけでも、かずらにとっては心躍ることだった。

 一転して幸せそうなかずらを見て、由里がふと思いついたように──

 

「武相主任って──どんな人なの?」

 

 ポツリとつぶやいたのを聞き、かずらは不思議そうに首を傾げた。

 

「え? どうしたんですか、由里さん。そんなことを急にそんなことを聞いて」

「ほら、あなたにしても、せりさんやしのぶさんまで、主任さんのことを想ってるみたいだし、ようはモテるわけでしょ。惚れている当事者からはどう見えているのか、その感想が聞きたくて」

 

 慌てて取り繕ったように見えなくもないが、ともかく由里に訊かれてかずらは素直に答え始める。

 

「えっと……梅里さんは他の隊長たちに比べたら、普段は穏和ですごく優しいんです」

「う~ん。でも、その分、ちょっと頼りないようにも見えるけど……」

 

 そう言ったのは椿だった。

 実は彼女の評価はあまり高くない。というのも食堂の主任でありながら、実質的な経営をせりに丸投げして任せているのを知っているからだ。それでせりが苦労している姿も見ている。

 それは売店を一人で切り盛りしている椿にとっては、評価がガタ落ちするポイントである。

 そんな彼女は、帝国華撃団・風組隊員として間もなく長期の出張予定。今日、事務室にきたのはその手続きを済ませにきている。

 そして、かずらがそれについてきたのは、仲が良い椿の付き添いというのもあるが、椿不在中に華撃団の養成機関である乙女組から一人やってくるので、同じく乙女組出身で先輩にあたるかずらがその橋渡し役を務めるからでもあった。

 そんなかずらは梅里に不満げな椿に対してフォローを入れる。

 

「椿ちゃん、確かにそうなんだけど……でもね。いざというときはすごく凛々しくて、頼りがいがあるっていうギャップが、すごくいいの!」

 

 椿の辛口な評価にもかえって盛り上がるかずらの様子に、由里は少し呆れるというか、『あばたもえくぼ』という言葉が思い浮かんだ。

 

「ギャップねぇ……」

 

 そうして由里は、少し前にかすみとした話を思い出す。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ねぇ、かすみ。あなた、武相主任のこと、どう思ってるの?」

 

 事務局の昼下がり。突然に由里から聞かれ、かすみは戸惑った。

 

「え? う~ん……」

 

 人追さし指を口元にあてて考え込むかすみ。

 やがて考えがまとまって微笑む。

 

「……よく考えると、由里と梅里って漢字がなにか似てるわね、ということかしら?」

「あのねぇ、そういうことは聞いてないの」

 

 あからさまな誤魔化しは、由里の好奇心をあおるだけだった。

 それくらい、長いつきあいなのだから気がつきそうなものなのだが……。

 

「で、どうなの?」

 

 さらなる追求に苦笑しながらあきらめたように答えるかすみ。

 

「最初来たときは、怖い人だなとは思ったわ」

「怖い? あの人が?」

 

 あまりに意外な答えだった。

 人懐っこくさえある笑みを浮かべる朗らかな人、というのが由里のイメージだし、それは当初からあまり変わっていない。

 到底、怖いとは思えなかった。

 

「ええ。ただし、それは危なっかしいという意味で、よ。自分の命を省みてないところがあったから。それが、いつの頃からか生きることに前向きになっていて……」

 

 遠い目をするかすみ。

 

「それからは……そうね、同郷だから頼りない後輩と思って見ていたんだけど……男の子っていつのまにか、大きく成長しているものね」

「え? それって……」

 

 由里は思わずかすみの目を見る。

 

「もしかして、やっぱりこの前助けられたのがきっかけ?」

 

 由里の目は好奇心で染まっており、それに対してかすみはあくまで社交辞令じみた笑みを絶やさず、本心を隠す仮面を付けて答える。

 

「誰かに……それも男の人に守ってもらって悪い気がしない女がいるかしら? 彼が命を懸けて守ってくれたのだから、その献身に応えて、お世話しただけよ」

「それにしては、手厚い看護だったと思うけど」

 

 足繁く通うかすみの行動で、一番割りを食ったのは同僚の由里だったのは間違いない。

 視線に抗議じみたものを感じて、かすみは「ごめんなさいね」と軽く謝った。

 

「見舞いにはかずらちゃんもいたみたいだけど、せりさんやしのぶさんを差し置いて看病してたって噂になってるわよ?」

 

 それに気が付いたかすみは苦笑を浮かべた。

 

「その噂を広めたのは、あなたでしょう? それに、私だってあの3人の中に入るのはさすがに躊躇うわ」

 

 そうなのよね、と由里は思った。

 梅里には彼に想いを寄せている者が夢組に3人いることは、周知の事実だった。同じ夢組で副隊長の塙詰 しのぶと、同じく調査班頭の白繍 せり、それに調査班副頭の伊吹 かずらの3人だ。

 

「そ、そうよね。歳も少し離れてるし……」

 

 さすがにその3人の中に入っていくのは困難だろうとおもった由里が言ったものの、当の本人は意外そうな顔をした。

 

「あら、4歳くらい気にするほどじゃないと思うけど? それに私の方が上なんですから、金の草鞋くらいの有利(アドバンテージ)があるんじゃないかしら」

 

 そう言って微笑むかすみ。

 それは「歳上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ」という言葉からではあるが、実際にしっかりものでよく気が付き、しかも落ち着きがあるというかすみは、由里から見ても優良物件に思える。

 由里の下に集まっている梅里に対する、優しく、強く、しかしこだわるところ以外は比較的ズボラであるという人物評からも、相性は良いように思えた。

 

「見守っていた存在が、いつの間にか成長して自分を守ってくれるようになっていた。そんなギャップに心惹かれることもあるのよ」

 

 そう言ってかすみは思い出すように笑みを浮かべていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

(なんか、結構乗り気じゃないかしら……)

 

 ギャップという言葉でやりとりを思い出した由里は密かに疑う。

 そして、かすみがそこまで言うほどの相手だからこそ、由里は梅里がどんな人なのか気になっていたのだ。もちろん純粋に、ただの好奇心によるものだが……。

 太正の世では、かすみの24歳という年齢は、そろそろ適齢期も終盤を迎えつつあるような年齢だし、そんな同僚の事情は気になるところである。

 

(でもねぇ。あの3人相手に冒険して、婚期を逃したら大変よ?)

 

 面と向かっては絶対に言えないことを考える由里。

 そんな由里が考え込む姿が、他の二人──特に椿の余計な興味を煽ってしまったらしい。

 

「あれ? 由里さん、ひょっとして……」

 

 椿が冷やかすように、彼女にしては珍しく意地悪な笑みを浮かべると、由里は慌てて否定した。

 

「ち、違うわよ。私じゃなくてかすみが、あ……」

 

 慌てて口を抑えるが、時すでに遅し。

 顔色を変える人が一人いた。

 

「かすみさんが!? やっぱり……ああ、もう。だから私以外は面会謝絶にしてくださいってホウライ先生に頼んだのにー!」

「かずらちゃん、あなたそんなこと頼んでいたの?」

 

 椿も仲が良いとはいえ、さすがに引いた様子でかずらを見る。

 それから苦悶するかずらから、視線を「やっちゃったー」と後悔している由里へと向けた。

 

「そういえば、姿が見えませんけど、当のかすみさんはどこに行ったんです?」

「ちょ、ちょっと椿、それは……」

 

 焦る由里。そしてそれを不審に思ったかずらがジト目で由里を見つめる。

 

「由里さん、かすみさんはどこに行ったんですか?」

「え? あの、せっかくの休みだし、実家の方へ帰ったって聞いたけど~」

 

 ズイッと迫るかずらに思わず視線を逸らしつつとぼけるように答えると、案の定、かずらは騒ぎ始めた。

 

「かすみさんの実家って、茨城じゃないですか! それ、梅里さんと同じですよ!」

「そ、そうなの? いや~、気が付かなかったわ、私」

 

 帝劇一の噂好きであり、情報通とも言える由里が気が付かないはずがなかった。

 そんな様子に、自分が地雷を踏んだと気が付いた椿は、ひきつった笑みを浮かべる。

 

「あはは……私、今度の出張の準備しないと」

「こら、椿! あなたが連れてきたんだから逃げるな! なんとかしなさいよ!」

 

 慌てて去ろうとする椿の首根っこを押さえる由里。

 

「そう言いつつ、逃げないでください由里さん! かすみさん、いつ帰ってくるんですか!?」

 

 由里を追いかけながら、かずらはかすみや梅里のことをいろいろと聞いてくるのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そのころ、水戸の武相家では、梅里が帰郷して祖父と相対していた。

 禁忌の技を使った事実とその経緯の報告を終えた梅里は、手にしていた細長い包みを自分の前へと置く。

 

「──これを、返上いたします」

 

 祖父は一瞥して、中の物を理解する。

 

「……薫紫では、足らんか? 聞けば負傷もしたと言うではないか。これの危険察知も役に立たなかったということか……」

「恐れながら、違います。武相流の禁忌を破った私には、過ぎた刀と思いまして……」

 

 深く頭を垂れる梅里。

 

「破門も覚悟の上、というわけか?」

「はい」

 

 祖父の言葉を肯定したので、ここまで案内した妹が後ろで息をのむのがわかった。

 

「……では、梅里。禁忌を使い、お前は何を感じた?」

「は?」

 

 驚く梅里。

 

「お前が容易に禁忌を破らないと分かっておる。禁を犯さなければ己……いや、他人の命が危なかったのだろう?」

 

 自分の命よりも他人の命を(おもんばか)る孫だからこそ、それは簡単に想像できた。

 

「光にて闇を祓う武相流にあって、より昏き闇にて闇を滅する新月殺。それを使って、お前は何か光を……可能性を見なかったのか?」

「可能性?」

 

 訝しがる梅里だったが、一つ、気がついていたことがあった。

 

「己を殺し、殺意という一つところに心を染めた……そのことで、何かを掴めそうな感覚があったのですが……」

「ふむ……」

 

 祖父はそれを聞いて頷くと、差し出されていた薫紫を梅里の下に戻した。

 

「ならば、それを掴んでみせよ。さすれば今回の件は不問とする。掴むまでは帝都に戻ることは禁止じゃ」

「……承知いたしました」

 

 正直に言えば、黒鬼会との戦いがあるのでここに留まりたくはないが、禁忌を犯した許しを請うているという負い目があるので主張はできなかった。

 ただ──水戸に戻ってきたら祖父に確認しようと思っていたことがある。

 

「あの、最後に一つ、お聞きしたいことがあるのですが」

「なんじゃ?」

「米田中将とは旧知の仲と聞いておりますが、中将がいた対降魔部隊で剣術の稽古等をしたことはございますか?」

「……何故、そんなことを訊く?」

 

 祖父の目が鋭くなる。

 だが今の梅里はそれに畏怖するだけの子供ではない。

 

「敵が、薫紫の特殊な能力を知っておりました。そして私の未熟さもありますが、武相流剣術をことごとく見切られました。まるで初見ではないかのように」

 

 梅里や、武相家の代々が使う武相流の技は人に対して振るわれることはない。怪異や魑魅魍魎、そして降魔といった人外のものを討滅するためのものであり、そのため一族以外で知るものは極端に少ない。

 

「それに……その敵と相対して『月食返し』を使ったとき、『桜花放神』が使えました」

 

 梅里の疑念はほぼ確信に近い。

 そう判断した祖父は静かに頷く。

 

「……確かに、ヤツに武相の剣を見せたことがある。そういえば、そのときに帯びていたのは……そう、薫紫であったな」

「やはり、そうでしたか」

 

 対降魔部隊は全部で四人。

 そのうち米田は当然に除外、性別からあやめも外れる。さらに反魂の術で蘇った山崎 真之介は春先に戦って倒されている。残るは──あと一人。

 

 

「鬼王の正体は……真宮寺 一馬」

 

 

 拳を握りしめる梅里。

 おそらくは山崎同様に反魂の術を使って蘇らせ、心を縛ることで戦うだけの修羅としているのだろう。

 

「──ッ」

 

 死人の魂さえも弄ぶ敵のその所業に、梅里は激しい憤りを覚える。

 そして同時に思う。鬼王と、さくらを戦わせてはならない、と。

 


 

─次回予告─

 

ティーラ:

 すっかりカズラの気持ちを掴んだばかりか、カスミさえも籠絡しようとしている隊長ですが、なにか忘れていませんか?

 ほら、そこでセリが……え? あの人、セリですか? 本当に?

 なにやら黒くどんよりとした空気を纏い、すっかり変わってしまったセリは、あの日から今まで、必死に自分の心と戦っていました。

 その闇を祓えるのは……もちろんセリの想い人であるあなたしかいません、隊長。

 

 次回、サクラ大戦2外伝~ゆめまぼろしのごとくなり2~、第3話

 

「雷光、闇夜を切り裂いて……」

 

 太正桜に浪漫の嵐。

 次回はラッキーアイテムで『女の人の大きな声』です。『大きな女の人の声』でも『声の大きな女の人』でもありませんからね。

 ……ところで、声ってアイテムなのでしょうか?

 

 




【よもやま話】
 さて、ここまで書いて気が付いたのですが……かえでさん、正式には出し忘れたなぁ。(ぁ
 う~ん、─2─で出したのにその後に出す機会がなかったなぁ。

 さて、次回予告ですが……前作の第3話予告と対比になってます。
 前の自分のヒロイン回でかずらをほったらかしにした因果が跳ね返ってきている状況ですので、こうなりました。


 


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第3話  雷光、闇夜を切り裂いて……
─1─


 ──話は、帝国華撃団司令である米田(よねだ) 一基(いっき)が大帝国劇場に復帰してすぐのころに戻る。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 長期間、離れていた支配人室に戻り、米田がその椅子の感触になれてきたころ──部屋の入り口がノックされた。

「誰だ?」
「梅里です」

 やってきたのは夢組隊長の武相(むそう) 梅里(うめさと)。米田同様に、敵の襲撃を受けて一時は命が危ぶまれるほどの負傷をし、最近まで入院していた。ただ、米田と違ってまだ隊長として、また普段の顔である食堂主任としては復帰はしていない。
 負傷したのも一日違いなら、復帰したのもほぼ同じタイミングという奇縁に苦笑していると、梅里が部屋に入ってきて一礼した。
 梅里の挨拶を受けると、米田はニヤリと笑みを浮かべた。

「記憶、戻ったそうだが……大丈夫か?」
「はい。ご心配をおかけしました」
「まったくだぜ。あのとき、お前が意識不明と聞いて心底驚いたんだぞ。お前の祖父に顔向けできねえってな」

 気が動転するあまり、自分の護衛を捜査に回す──今にして考えれば、なぜあんな冷静さを欠いた指示を出したのか──という愚を犯し、結果、自分が狙撃されてしまった。

「ま、おかげで他のヤツら、特にお前以外の隊長連中には軒並み迷惑をかけちまった」
「それは……僕も同じです」

 そう言ってうつむき加減になる梅里。

「それと……もう一人、特に迷惑かけた人がいる。オレも……そして、お前も、だ」
「もう一人?」

 疑問に思った梅里が顔を上げるのと同時に、再び支配人室のドアがノックされる。

「お、丁度いいタイミングで来たな。入ってくれ」
「──失礼します」

 ドア越しに聞こえたのは女性の声だった。一瞬、場所と話していた内容から、自分の看病をしてくれたという風組の藤井(ふじい)かすみかと思ったのだが──入ってきた女性の顔を見て、そんな考えがぶっ飛んだ。

「あ、う……あなたは…………」

 米田の前というのも忘れて、驚き、そのあまりに身動きがとれなかった。
 そんな梅里の横を通り過ぎ、彼女は米田の座っている椅子の横に立つ。

「そんな、はずは……まさか……あやめ、さん?」

 唖然としている梅里に、苦笑を浮かべる女性。
 その顔は、まさに梅里が名前を出した女性──帝国華撃団副司令として黒之巣会との戦いを勝利に導いた──藤枝(ふじえだ) あやめとまさに瓜二つだった。
 だが、そんなはずはない。と梅里は心の中で否定する。
 あやめはその後の降魔との戦いの中で、首謀者である葵 叉丹によって上級降魔・殺女(あやめ)にされて華撃団の敵となり──梅里は直接戦わなかったものの、最期は聖魔城の中で改心しかけたところを叉丹に殺されたと聞いている。
 その後は、サタン復活に際してミカエルとして蘇ると、道中で力尽きた花組の面々を復活させて戦いを勝利に導き──巨大降魔との戦いで命が尽きかけていた梅里の蘇生に手を貸した……と梅里は思っている。夢かどうか定かではない世界で、鶯歌と共にいるところを会ったが、あれは夢ではないと自身が感じているからだ。

「ウメ、紹介しよう。帝国華撃団副司令・藤枝()()()、だ」
「藤枝……かえで?」

 呆気にとられるように彼女の顔を見る。
 どう見て見あやめと全く同じ顔──髪型だけは、長い髪を結い上げていたあやめと違い、セミロングの髪を切りそろえている──の彼女にはさすがに驚きを隠せなかった。

「オホン」

 米田がわざとらしく咳払いをしたのでハッとして梅里はあわてて敬礼する。
 それに応えるように、かえでが敬礼した。

「藤枝かえでです。以後、よろしくね。武相梅里くん」
「は、はい……」

 敬礼を下ろすのも忘れて額付近に手を挙げたまま返事をする梅里。

「かえでは、あやめの妹でな。そっくりで驚いただろ」
「はい……驚きました」

 愉快そうに笑みを浮かべる米田に対し、梅里は苦笑を浮かべた。

「他の隊長達と同じように、あなたのことも姉さんから話を聞いていたけど……やっぱり聞いていた通りの人ね」
「? それはどういう……」
「民間登用というのもあるけど、隊長の中で一番、優しい心の持ち主……そう、姉さんは言っていたわ」
「は、はぁ……」

 それを肯定するわけにもいかず、梅里は困ったように苦笑する。
 微笑むかえでの顔は、やはりあやめのそれとまったく同じものだった。

「双子だったのは叉丹じゃなくて、こっちだったか……」
「……? なにか?」

 梅里がかえでの顔を見て、少し前に食堂でした話を思い出していると、彼女は不思議そうに梅里の顔をのぞき込んだ。

「い、いえ、なんでもありません」
「おい、ウメ。あやめにそっくりだが……双子じゃねえからな」
「そ、そうなんですか!?」

 考えを見透かされたように米田に言われて驚いてしまう。
 双子かと疑うレベルにあやめと瓜二つなかえでだが、実際に年齢は二つほど離れていた。
 梅里は一度、気を落ち着かせてから改めて米田と向かい合った。

「それで司令、水戸にいく件ですが……」
「ああ、分かってる。だから食堂や華撃団への復帰は水戸から戻ってからってことにしてある。存分に行ってこい」
「ありがとうございます」
「丁度、劇場も夏休みになるからな。で──」

 米田がニヤリと笑みを浮かべる。

「なんでも、お前と同郷のかすみも、休みを利用して実家に帰省するって言ってるから……どうせなら二人で戻ったらどうだ?」
「えっ!? な、なんで……というか、どうして知っているんです、司令?」
「ん? 知っているって何をだ? ウメ」

 さらに、からかうように笑みを浮かべる米田。
 梅里が答えに窮していると、苦笑を浮かべたかえでが間に入る。

「司令、あまりからかうのはよくありませんよ」
「悪いな、かえで。入院生活が長かったもんで娯楽に飢えていたんだよ」

 笑ってごまかす米田。話題が変わったことにホッとした梅里だったが、今度はかえでがその彼に話を振る。

「それと梅里くん、実家に戻るのは構わないのだけど、その前に一つお願いしたいことがあります」
「な、なんでしょうか……」
「去年と一昨年、神社の夏祭りを手伝ってもらったと思うんだけど……間違いないかしら?」
「ええ、せりと一緒に下町の……」

 かえでの確認にうなずくと、彼女は笑みを浮かべる。

「その神社から、今年も手伝いの依頼が来てるから、せりを連れて行ってきて頂戴」
「は? え? だって……まだ華撃団に復帰したわけじゃないし、それに手伝いだけならせりだけでも……」
「命令だ、ウメ」

 見かねた米田が口を開く。それに続いてかえでも申し訳なさそうな顔で付け加える。

「どこで聞きつけたのか、東雲神社の神主一家や氏子の方達も、あなたの負傷を心配して、問い合わせが来ていたのよ。彼らを安心させるためにも、顔を出してあげて」
「一昨年のように稽古の必要はないから一度顔を出すだけでいい。いってこい」
「そういう事情では……わかりました」

 おそらくは、食堂の料理等から梅里が長期間いないのが話になってバレたのだろう。
 自分のことを心配してくれた──心配をかけてしまったのだから、顔を見せなければならない、と思った梅里は米田の、そしてかえでの指示通りに、下町の神社へと向かうことにした。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「Oh! これが日本のお祭り(フェスティバル)なのね?」

 東雲神社の長い階段の前に並んだ屋台の前を通りながら、カーシャ──アカシア=トワイライト──が、準備している人達を見たり、聞こえてくる祭り囃に耳にして楽しげに言った。
 普段とは違うその空気。祭りの熱気を帯びているのにあてられたのか、カーシャも興奮気味で、すでに階段を登っている。
 そんな彼女に続いた梅里が階段を登りつつ苦笑混じりに見上げていると──

「そう、よ……」

 ポツリと傍らから声がする。
 振り向くと、そこには白繍(しらぬい)せりがいた。梅里よりも少し下がった位置で、同じように階段を登ろうとしていた。

「せり……大丈夫?」
「なにが?」

 梅里が問うと、彼女はうつむいたまま問い返してきた。

「なにがって……」

 明らかに変だった。去年や一昨年の彼女は、今年と同じような夏の暑さの中でも梅里を先行して登りきり、逆に待っているくらいの意気込みだった。
 どちらかと言えば今のカーシャのノリに近かった。神社の娘である彼女にしてみれば、祭りは毎年の恒例行事で盛り上がるものという認識があって興奮していた──と梅里は思っていたのだが……。
 それに、性格的にも勝ち気である彼女が大人しいのは、違和感よりも体調不良を心配してしまう。

「あまり元気がないみたいだし……」
「そんなこと……ないわ」

 まったく説得力のない反応が返ってくる始末。
 梅里が困ったように頬をかいていると──

「ほら、レッツゴーよ、ウメサト」

 笑みを浮かべたカーシャが戻ってくると、梅里の腕を掴んで先を促し、駆け上がる。
 その強引さに戸惑い、そしていつもと違うせりに後ろ髪を引かれながら──梅里は残る階段を一気に駆け上がらせられた。
 境内には大きな桜の木──千年桜、と呼ばれているらしい──があり、それを取り巻くように、屋台が出ている。
 それらを取り巻いて多くの人達が準備に追われているが──そのどれもが楽しげであり、興奮していた。
 その様子を呆然と見つめるカーシャ。

「すごい熱気だろ?」
「──え? ええ、そうね。人がいっぱいいて……」
「ああ。多くの人達が一生懸命動いている。ある人は屋台の準備、ある人はお囃子や太鼓の練習、それらを楽しみに集まる人達がいて──」

 梅里は境内の奥──拝殿付近にいた人達に目を向ける。

「──もちろん、神事を取り仕切る人達がいる。その誰もが、願いは一緒なんだ」
「願い?」

 思わず梅里を振り返るカーシャ。

「ああ。この祭りを成功させること。その願いは、ここにいる人達だけじゃない」

 後ろ──登ってきた階段の下には他にも屋台や、神社を目指して集まり始めている人々が見える。

「本当に多くの人達が、この祭りを楽しみにしている。それを成功させるために、いろんな人達ががんばっている」
「祭りの成功のために……」

 カーシャもまた梅里同様に視線を周囲に走らせていた。
 準備する人も、集まってきている人達も、老いも若きも、男も女も、皆楽しげに笑みを浮かべている。

「でも、皆それを苦痛に思ってない。これだけの人を笑顔にできるのは、とてもスゴいことだと思わない?」
「そうね……」

 気の早い若い衆が祭り囃子に合わせて踊っているのを眺めつつ、カーシャは頷いた。
 ただ梅里は──それがなぜか少し寂しげに見えた。
 そんな彼女に声をかけようとしたが──

「お~?」

 ──という足下からの声で止められてしまう。
 見ると、小さな女の子が梅里を見てやってきていた。

「オッサン、誰?」
「お、おっさん……」

 人知れずオッサンと呼ばれて傷つく梅里。
 それに気づいたカーシャが思わずクスクスと口元を隠しながら笑うのが見えた。

「だーれ!?」

 そう言ってまとわりついてくる小さな女の子。
 見た感じまだだいぶ幼く、2歳か3歳くらいだろうか……

「アタシ、初穂っていうんだ!! オッサン、だれ!?」

 その名前を聞いて、梅里はピンときた。

「ああ、あの初穂ちゃんか。久しぶりだね」

 初穂というのは神社の神主夫妻の娘だった。2年前初めて来たときには巫女をつとめる奥さんに抱かれて、彼女の代わりに神楽舞を奉納することになったせりの稽古の間、梅里がその面倒を見たりしていたのだ。
 昨年も顔を出したが、そのときは奥さんが奉納舞をできるくらいに余裕ができていたし、せりも一応できるようにと再び確認はしていたが、最初の時のような稽古はなかったので何度も足を運ぶこともなかった。
 もちろんそのときも顔を合わせているのだが──幼児にそこまでの記憶力はもちろん無く、梅里を覚えていなかったのである。

「知らない。誰?」
「あ~、えっと……」

 初穂がいるならその両親がいるだろうと、周囲を見渡すが見あたらなかった。

「お父さんとお母さんの知り合いだけど……近くにいないのかな?」
「うん。アタシ、さくらを追いかけてきたから……」
「さくら?」

 その名前を聞いて、思わず花組の真宮寺さくらを思い出しながら、「ここに来ているわけ無いよな」と思いつつ、初穂が指した方を見る。
 そこには初穂よりもさらに幼い女の子が、不安そうにこちらを見ていた。

「あ、う……」

 不安そうに見上げる視線に、梅里はしゃがんで視線を合わせて笑顔を浮かべる。

「こんにちは」
「こ、こんにちは……」

 梅里の挨拶に人見知りでおびえつつも、挨拶を返してきた。

「キミ、さくらちゃんっていうの?」

 梅里の問いに、何度も頷く。

「そうか。奇遇だね、僕はウメってよく呼ばれててね」
「梅?」
「そう、梅の木のウメ。キミの名前が桜の木の「さくら」と同じように、ね」
「梅……桜……」

 言われて頭の中を整理しているのか、何度もそれを繰り返し口にするさくらという子。

「よろしくね、さくらちゃん」

 梅里が笑顔で言うと……一瞬戸惑ったような顔を浮かべたが、その笑顔につられて彼女も笑顔を浮かべ──

「うん。よろしく、ウメ……さん」

 と言い、梅里が出した手を握る。
 その瞬間──


「──ッ!?」


 悪寒が梅里を襲った。
 思わず体が動き、目の前にいたさくらと、近くにいた初穂を守るように抱え、周囲の気配を探る。

「今のは……?」

 明らかな殺気だった。
 まさかまた鬼王が……という不安が頭をよぎるが、あのときと違い、今の気配は一瞬で消え去っている。
 その殺気を感じた方を向き──梅里は絶句する。

「せ、り……?」

 そこには、階段を登りきり、うつむき加減でこちらを見ているせりの姿があった。

(なんで、せりが……)

 梅里が浮かんだ疑問を深く考えようとしたところで、抱えていた幼女二人が大声で泣きはじめたので我にかえる。

「あ、いや、ゴメンね、二人とも……」

 慌てる梅里。急に抱き抱えたから泣いてしまった、と梅里は思ったのだが、実際には二人ともその強烈な気配を叩きつけられたのが原因だった。

「ウメサト、今のは……」

 近くにいたカーシャが寄ってくるが、その梅里が泣きわめく幼女二人に苦戦しているのを見て、思わず足を止める。
 彼女もまた、子供をあやすのは苦手だった。

「どうしたの、初穂。それにさくらちゃんまで……あら、梅里君じゃないの」

 そう言いながら現れたのは初穂の母親だった。

「あ、どうも。すみません、どうやら二人とも泣かせちゃったみたいで」
「いえいえ、こちらこそご迷惑をおかけしたみたいで……あら?」

 カーシャを見て、初穂の母が動きを止める。

「今年は、せりちゃんじゃないの? ひょっとして喧嘩でもした?」
「いえ、来てますよ。彼女は日本の祭りが見たいと言ったので連れてきたんです」

 梅里が言うと、カーシャは流暢な日本語で自己紹介をしながら挨拶をする。それに丁寧に返した彼女は、再び梅里の方を向き──

「なるほどね……まったく、せりちゃんから乗り換えたのかと思ったわよ」
「あら、アタシはそれでも全然構いませんケド」

 そう言って悪戯っぽく笑みを浮かべるカーシャ。

「あっはっは……モテモテね、梅里君」

 そう冷やかされている間に、せりも気がついたようで、こちらへと歩いてきていた。
 それに気がついた神社の奥さんは、初穂とさくらをあやしながらせりに挨拶をした。

「ゴメンなさいね、せりちゃん。こんな時期にまた来てもらって……なんでも梅里君が大怪我したっていう噂が流れたから氏子の人達も心配して、二人とも呼んでくれって言われちゃって……」
「いえ、大丈夫です」

 言葉少なげに、そしてはかなげに笑みを浮かべるせり。
 元気のない彼女が、泣いている初穂とさくらを見つけると、しゃがんで視線を合わせ──

「こんにちは」

 挨拶をすると、二人とも一時的に泣きやんでせりを見て──再び盛大に泣き始める。
 泣かした元凶が近くに来たのだから当然なのだが、梅里も初穂の母もそれがわからず、せりがあやせなかったことに驚いていた。
 そこへ──

「ごめんなさい、気がつくのが遅れて──」
「いいのよ。気にしないで、ひなたさん」

 もう一人、女性がやってきてさくらを抱きしめてあやしつつ、ふと梅里の方を見る。

「あら……あなたは?」
「武相 梅里と申します。すみません、さくらちゃんを泣かせてしまったようで……」

 ひなたと呼ばれた、梅里と同世代くらいの女性がジッと彼を見つめる。

「いいえ。あなたが原因ではないのでしょう? あなたは……さくらを守ろうとしてくれた、違いますか?」
「それは……そうですけど、結果的には……」

 口ごもる梅里に対して、ひなたは首を横に振る。

「ありがとうございました。それに──」

 梅里に礼を言った彼女は、今度はせりの方を向き──少し驚いたような表情になった。

「あの……大丈夫ですか?」
「え? あ……ひょっとして、私、ですか?」

 戸惑いながらも自分を指すせりに、ひなたという女性は頷く。

「だいぶ、御無理をされているようですし、それに体調、いいえ霊力中枢が……」
「あの……わかるんですか?」
「はい、多少は。だいぶ霊力の流れが悪いようですので、くれぐれも気をつけてください」

 心底心配するひなたという女性に、せりは恐縮しながら礼を言っている。
 その姿を見つつ、梅里は先ほどの、悪寒を感じたときのせりの様子を思い出し──

(明らかにおかしいけど、僕も一度水戸に帰らないといけないしな……)

 一度、帝都を離れるのは禁忌を破ったことを実家に報告し、罰──場合によっては破門──を受けなければならないからだ。
 それともう一つ──支配人室に行った直後に、月組隊長の加山から「花組が旅行に行っている間、お前も帝都を離れていてくれ」と頼まれたというのもある。
 この祭りから戻ればすぐ──明日にでも水戸に出発しなければならないのだが、このせりの様子に、梅里は不安を感じないわけにはいかなかった。


 ──そして、梅里は戻った実家で祖父から課題を与えられ、考えていたよりも長期間、水戸にとどまることとなった。




 梅里が水戸から戻ったころには、月が変わって九月となっていた。

 夏休みはとっくに過ぎ、帝劇は秋公演の「青い鳥」の稽古が始まっている。

 

「はぁ……」

 

 帝劇の出入口玄関まできた梅里は思わずため息が出た。

 本来ならもっと早く戻ってる予定だったのだが──破門を回避するために出された祖父からの課題に手こずってしまったのだ。

 おかげでお盆明けには帰ってくるはずだったのだが、それをゆうに通り過ぎていた。

 

「絶対、せりに小言を言われる……」

 

 もちろん事情は説明してある。

 同じ茨城の実家に帰省するついでに、「病み上がりで心配だから」と梅里の実家までついてきてくれた藤井かすみには、事情を説明して遅くなるかもしれない旨を伝えていた。

 それを伝え忘れるような彼女ではないし、梅里自身もあらためて電話で連絡している。

 

「でもなぁ……宗次も怒っているだろうしなぁ」

 

 隊長代行になっていた副隊長の(たつみ) 宗次(そうじ)はおそらく一番迷惑をかけた相手だろう。

 隊長代行としていろんな問題を対処していたせいで胃痛を発症させてしまったらしい、という噂も聞いていたのに、さらに負担をかけてしまったのだ。

 非常に気まずいが──とにかく、帝劇前で悩んでいても仕方がない。

 梅里は決意して帝劇の中に入る。春先の時とは違い、誰も迎えに出るものはなく、そのまま食堂……の前を通り過ぎようとしたところで──

 

「あの、お客さん!! ちょっと!!」

 

 ──と、声をかけられた。

 

「……僕?」

 

 思わず振り返りながら自分を指さすと、声をかけてきた相手──売店のカウンターのところにいた、まだ幼さの残る女の子が頷く。

 

(あれ? 椿ちゃんではない……誰だろ?)

 

 梅里が疑問に思っていると、髪をお団子にしてまとめ、変わった形の髪飾りをつけた彼女は、意を決したように口を開いた。

 

「その先は、関係者以外立ち入り禁止なんです!!」

「え? ああ。知ってるけど……」

 

 そう言って梅里が前を見て、さらに踏みだそうとするが──

 

「だから! ダメなんですってば!!」

「えぇ……?」

 

 再び止められ振り返る梅里。ウンザリしたようなその視線の先で、先ほどの女の子が明らかに怒っていた。

 

「関係者以外は入っちゃダメって言ったじゃないですか!」

「いや、僕は関係者なんだけど……」

「そんな! 私、見たことありませんよ、あなたのこと」

「うん、僕もキミのこと見たことないからね」

 

 しばらく無言で見つめ合う梅里と女の子。

 どちらも明らかに怒っていた。お互いに、なんて言うことを聞かない人なのだろう、と思って。

「語るに落ちましたね。従業員の私を見たことがないんだから関係者じゃないじゃないですか!……不審者が出たら、誰かを呼べって言われてたんだっけ」

「あのねぇ。僕は不審者なんかじゃなくて……」

 

 反論する相手に対し、女の子が意を決して応援を呼ぼうとしたとき──

 

「あら、何の騒ぎですか?」

 

 食堂の奥──事務局のある方からやってきた人影が、事態を打開してくれた。

 

「「かすみさん!!」」

 

 その人影は帝劇の事務局で勤務している藤井かすみだった。。

 しかし彼女は、言い争っていた当事者らしき二人から、同時に名前を呼ばれて戸惑いを隠せない。

 

「聞いてください、かすみさん。この人、勝手に奥に行こうとして……」

 

 一方、女の子の方は万の味方を得たとばかりに強気になり、強い剣幕で訴えた。

 

「それは、確かに困りますけど──え?」

 

 それでかすみはその男の顔を見て、絶句する。

 あろうことか、帝国華撃団の誇る五部隊の長の一人なのだから。

 

「お願いします、かすみさんからも注意してもらえませんか?」

 

 その娘にしてみれば、若者が年若い自分をバカにして言うことを聞かないのだろうと思っていたのだ。かすみのような大人の女性から言われれば、さすがに言うことを聞くだろう、と。

 だが、かすみにしてみれば言えるわけがない。

 その人のことはよく知っているのだから。

 いまやかすみにとっては、ただの同じ職場で働く仲間よりも、少し進んだ思いを抱いている相手でもある。

 

「かすみさん。お久しぶりです」

 

 一方、梅里はかすみの姿を見て安堵していた。

 梅里にしてみれば、ちょっと帝劇を離れたら、いつの間にか売店の売り子が椿ではない見知らぬ誰かになり、その人から部外者扱いをされているのだ。

 らちのあかない相手ではなく、きちんと話が通じる相手が出てきたのはホッとしたし、それがかすみであればなおさらだった。

 

「これは梅さ……主任さん。帰っていらっしゃったんですね」

 

 かすみは梅里をじっと見つめながらそう言うが──梅里は少し違和感を感じていた。

 

(あれ? かすみさんって……こんなにハッキリと、じっと相手を見つめて話す人だったっけ?)

 

 とは思ったが、梅里もかすみに見つめられて悪い気がしないのも確かだった。

 

「はい……あ、あの、すみませんでした。修行しなければならなくなった件、伝えてもらったようで……」

 

 戸惑いながらも、満更でもない感じで梅里が返すと──かすみは微笑みを浮かべる。

 

「い、いえ……あれくらい、大丈夫ですよ。むしろ、修行お疲れさまでした。大変でしたね」

「あ、ありがとうございます……」

 

 慈愛に満ちたその微笑みに梅里は──

 

(う~ん、普通に優しい人ではあったけど、前はもう少し形式的な対応だったような……)

 

 ──と、なんともニブい反応なのは、今は亡き幼なじみから比較的ストレートに好意を伝えられることに慣れてしまっていたことの弊害だろう。

 だが、売店の女の子は「あれ?」と眉をひそめ、考える。

 やがてふと思いつくと──

 

「──ひょっとして、かすみさんの彼氏さんですか?」

 

 ド直球の危険級を投げてきた。

 

「は、はいィッ?」

 

 突然横からやってきた剛速球に梅里が戸惑っていると、それ以上に戸惑っているかすみが説明を始めた。

 

「そんな……つぼみちゃん! 違うのよ。この人はその……えっと、そう! 通していい人なの」

 

 普段のかすみからは考えられないほどザックリした説明が、彼女の口から飛び出していた。

 もちろんそんなことでつぼみと呼ばれた娘が納得するわけがない。オマケにかすみから彼女の「彼氏ではない」とのお墨付きをもらったので遠慮がなくなる。

 

「え? なんでですか? 今日は来賓が来るなんて聞いてませんよ。そもそも、とてもそうは見えませんし……」

 

 つぼみと呼ばれた娘が不思議そうに首を傾げた後に、梅里を不審そうに見つめた。

 

「……この人が、そんな偉い人には見えません」

「え? いえ……そ、そんなこと、ないんじゃないかしら……ほら、勇ましく指示を出したり……」

「かすみさん、それはありませんって。大神さんみたいな人なら分かりますけど、苦笑いしたり困惑ばかりしてるように見えますし……なんというか、勇ましいと言うよりも、頼りないイメージが強いですよ」

 

 直前まで言い争っていた興奮からか、つぼみの口からは遠慮のない言葉が飛び出し、梅里をえぐっていく。

 それを横目にさらに慌てたかすみだったが──やっと正解の説明を導き出した。

 

「あのね、この人は……関係者なんですよ。食堂主任の──武相 梅里さん」

「え…………」

 

 かすみが梅里の名前を出して説明すると、売店の女の子が動きを止めた。

 

「──え? 武相 梅里、さん? この人が?」

 

 つぼみと呼ばれた店員の女の子が、思わずかすみを見て確認すると、彼女は頷いて肯定した。

 

「食堂主任で……夢組隊長の?」

 

 各組の隊長の名前くらいは覚えているらしい。梅里の名前を出されてピンときたように見える。

 再びかすみが頷く。しかしさすがにこの公の場で秘密部隊である帝国華撃団の名を出したので眉をひそめていた。

 だが──それに気がつくことなく、つぼみという店員は慌てて頭を下げた。

 

「す、すみませんでした~!!」

 

 平身低頭で謝るつぼみ。その間にかすみが苦笑しながら事情を説明し始めた。

 

「帰ってきて早々、すみませんでした、武相主任。彼女は、出張にいった椿の代わりに戻ってくるまで売店の売り子をする野々村つぼみさん。養成機関の乙女組に所属してるから、まだ分からないことも多くて……」

 

 かすみのフォローにコクコクと何度も頷いたつぼみは深く深く頭を下げる。

 一方で、梅里もそれで納得した。養成機関からの研修なのだろう。乙女組であれば、夢組隊長の梅里の顔は知っていなくとも、名前くらいは聞いているだろう、と。

 

 ──実際のところは、梅里は昨年辺りから何度か乙女組へ、指導のために訪れているので顔は売れているのだが、つぼみが気がつかなかっただけである。

 

 ともあれ、知らなかったとはいってもあの態度は誰がどう考えてもマズい。完全な不審者扱いをしていたのだから。

 戦々恐々とするつぼみだったが──梅里は気にした様子もなく

 

「乙女組……ってことは、かずらの後輩?」

 

 共通の話題になりそうなことを訊いてきた。

 

「は、はい! 伊吹先輩のことは知ってます! ……先輩が私のことを知っているかは自信ないですけど」

 

 少ししゅんとしてうつむくつぼみ。

 そんな様子を見て、彼女は悪い子じゃないんだろうな、と梅里は思った。真面目なので、梅里を不審者と思いこんでしまい、こんな騒動になってしまったのだ、と。

 

「わかったよ。これからよろしくね、つぼみちゃん」

「あ……はい!」

 

 うつむいていた顔を上げ、つぼみは笑顔でうなずいた。

 ともあれ騒動はこれで解決。そう感じて、梅里は視線を再びかすみに向ける。

 かすみもまた、梅里を見て……視線が合う。

 

(やはり……心優しくて、寛大な人なんですね)

 

 今のやりとりで、他の隊長や幹部クラスなら激怒してもおかしくないような話だが、梅里は最後には笑顔でまとめてしまった。

 

(そういう穏やかな人……でも、いざというときには誰よりも苛烈に怒り、そして誰よりも強く戦う、そんな相反する面を持っているのも──惹かれた理由かしら)

 

 かすみが再び梅里と目が合い、ジッと見つめている。

 梅里もそれに応じて二人が見つめ合おうとした──

 

 

 ──その瞬間、悪寒を感じた。

 

 

 慌てて振り返る梅里。

 前もこんなことがあったと思いながら、圧倒的な気配を感じた方を見て──梅里は眉をひそめた。

 梅里の視線の先にいたのは──人影だった。

 小柄な体躯や体つき、また髪型からは明らかに女性とわかる。

 すっかり落ち込んでうつむき加減になり、目の下にうっすらと隈のようなものができているほどに顔色が悪い。

 それは──白繍せりであった。

 

「え? あれ? いや、えっと……せり、だよね?」

 

 あまりの変貌に戸惑う梅里。

 後頭部付近で二つに分けてお下げにした、その髪型だけは変わらず、それが彼女であると自信を持っていえる唯一のポイント──と思えるほどに変わってしまっている。

 

「──ッ!」

 

 梅里に話しかけられたせりは、なにかに気がついたようで、慌てて逃げるように去ってしまった。

 

「一体、なにが……」

 

 戸惑う梅里に、かすみは気まずそうに口を開く。

 

「最近、ずっとあんな感じなんですよ、せりさん。ここ最近で特に顔色が悪くなって……」

「え? 今の、やっぱりせりなんですか……」

 

 信じられないとばかりに頭を左右に振る梅里。その横ではかすみが深刻そうに戸惑いの表情を浮かべている。

 一方、つぼみは──先ほどのせりの圧倒的な霊圧(プレッシャー)によって、泣き出す寸前にまでおびえていた。

 

(ここまで酷くなっているなんて、なんとかしないとな……)

 

 梅里がそう思っていると──首を引っ張られる感覚があり、そのままひょいと持ち上げられた。

 

「え……?」

 

 その感覚に戸惑っていると、梅里を軽々と持ち上げた人が声をかけてくる。

 

「よっ、主任さん。久しぶりだな」

「桐島さん……」

「カンナでいいって言ってるじゃないかよ。それとも、記憶が飛んでそれさえ忘れちまったのかい」

 

 2メートル近い体躯を誇る女性、花組の桐島カンナだった。

 彼女は気持ちのいい笑みを浮かべていたが、まるで猫のように首根っこを掴んでいる梅里に顔を近づけると、それを急に変え──

 

「──主任さん、ちょっと面貸してもらっていいかい?」

 

 明らかに怒っている厳しい目と、ドスの利いた声を梅里に向ける。

 

「かすみも、別に構わねえよな? 主任さんを借りても」

「は、はい……」

 

 梅里もかすみも、その迫力に従わざるを得なかった。

 




【よもやま話】
 タイトルは、第2次スーパーロボット大戦αの主人公の一人、アイビスとその乗機であるアルテリオンのテーマ「流星、夜を切り裂いて」から。
 この曲、大好きです。後半のハイペリオンのテーマ「Ver.H」もすごくいいですし。

 そして前回、早い段階でかえでをチラッと出して、それからすっかり忘れたツケをここでとりました。
 おかげで冒頭の方が─1─本編よりも長くなりました。
 いろいろ、前回は入れ忘れた話が多いので、今回は整理しながら書いてます。
 ……そうしたら、入れなければならないことばかりで長くなっていきました。

 本当なら祭りのシーンから─1─にしたかったのですが、第2話の最後のシーンよりも前にあたるので断念。梅里が戻ってきたところから─1─の開始となりました。
 それと、そういえばこういうキャラもいたなぁ、と思いながらつぼみを出しました。前作から乙女組出してましたし。


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─2─

「……主任さんよ、アレは一体どういうことなんだい?」

 

 食堂やその周辺では目立つから──というわけで場所を中庭に移動したカンナと梅里。

 カンナはまるで捕まえた猫のように首根っこを捕まえて連れてきた梅里を、その隅の方でやや乱暴に、落とすようにして解放した。

 幸いなことに、中庭には、梅里が入院しているうちに花組のさくらと大神が連れてきた真っ白い犬がいるくらいで、他に人影はない。

 

「わかってるのかい? 誰のことを言ってるか、わかるよな!?」

「……もちろん、わかってるよ。せりのことでしょ?」

 

 梅里が答えると、カンナはさらに口調を強くする。

 

「わかってるなら、なんでッ!!」

 

 その剣幕と迫力に、帝劇に入るのが憂鬱だったのは、これを予見してのことだったのか、と半ば本気で思っていた。

 そんなカンナだったが、急に語気にブレーキをかけた。

 

「……あ、いや、アタイもアンタの事情はわかってるつもりさ。アンタの作るメシがまた食えると思って帰ってきたら、食えなくてガッカリしたクチだからね」

 

 カンナは梅里を認めている。

 彼の料理の腕は本物で、洋食と和食に通じているからこそ幅も広い。

 だが──カンナが本当にかっているのは、梅里の剣の腕だ。

 梅里は強い。

 こと近接戦闘技術において花組では最強を誇るカンナ。華撃団全体を見てもそんなカンナの空手に対抗できるのは数少ないが、そのうちの一人は間違いなく梅里だ。

 同じく刀の使い手には花組にも真宮寺さくらがいるし、二刀流という違いこそあるが大神もいる。それでも──生身で霊子甲冑と魔操機兵の戦いの中に平然と入り、花組を支援している梅里が、霊子甲冑で戦っているさくらや大神よりも強いと思うのは当然だろう。

 その梅里が──敵に襲われて重傷を負った。

 しかも多数に囲まれて一斉に攻撃を受けたわけではなく、一対一で追いつめられ、起死回生の攻撃中に狙撃された、という状況を聞いて、カンナはにわかには信じられなかったほどだ。

 

「──敵に襲われて意識不明だって聞いたときは驚いたもんさ」

 

 だからそのカンナの言葉は、本心から出たものだ。

 

「幸いなことに、助かってくれて本当によかったと思ってる……あ、いや、メシのこととか抜きにしてだぜ? 同じ華撃団の仲間として、命が助かって、こうして面と向かって話すことができて、本当によかったと思ってる」

 

 そう言って浮かべたカンナの笑みを本当に気持ちのいいそれだった。

 

「だから、アンタが意識不明の重体になって、その後は記憶喪失になって、それが治った後には実家に詫びに行って、それが長引いてこんな時期になっちまった事情は聞いているよ」

 

 話がのってきて感情が高ぶったのか、カンナの体がわなわなと震えた。

 

「分かっちゃいるが……だけどせりが、あんな姿になっているのを放置しているのは、あんまりじゃないのか!?」

 

 再びズイと迫るカンナ。

 とはいえ梅里も水戸から帰ってきたばかり。せりの今の姿は先ほどチラッと見ただけだ。

 正直に言えば、せりの現状をほとんど知らない。

 一応、それを説明した上で梅里はカンナに尋ねた。

 

「せりは、一体どうしたんですか? 僕が水戸に行く前はもう少しマシだった。でも──」

「今のせりは以前とは別人みたいさ。心を閉ざしたみたいに暗く落ち込んでほとんどしゃべろうともしない。かろうじて……食堂の副主任としての責務からか、接客だけはできてるみたいだけど、以前のぜりを知っているお客さん達から見たら、あまりの変わりように唖然としているよ」

「そこまで……」

 

 そこまで酷くなってしまったのか、というのが梅里の感想だ。

 あの勝ち気で明るく社交的だったせりが、まるで真逆の性格になっていることに、驚きを感じていた。

 

「そんなにまでせりがなっているってのに……かすみ相手に鼻の下延ばしてイチャコラしてる場合じゃねえだろ、主任さんよ!!」

 

 激高したカンナの拳が、梅里をまともに捉え、吹っ飛ばす。

 誰かが見ていたら青ざめそうなほどな勢いでの一撃であり、吹っ飛びっぷりであったが──倒れた梅里は平然と体を起こした。

 

(あー、かわいくねえ。あの瞬間、自分で後ろに飛びやがった。まったく、これだから……)

 

 カンナが面白く無さそうに梅里を見た。

 せりの気持ちを代弁して怒りをぶつけたはずなのに、当の本人はそれを最小限のダメージでしのいでみせたのだから、気持ちを逆撫でられて当然だろう。

 同時に、彼の実力が落ちたから、襲撃されて重傷を負ったわけではないと分かる。

 

「……僕だって、どうにかしたいと思ってます。せりが、本当はあんなじゃないなんて百も承知ですよ。彼女は確かに嫉妬深いところもあるけど、今までその不満は全部僕にぶつけてきていた。彼女が他人を思いやれる優しい心の持ち主なのは、分かってます」

 

 そこが最近のせりのおかしなところである。

 今までは梅里をつねるくらいだったのに、今やかなり攻撃的になっている。

 

「他人にあんなに攻撃的なせりは、おかしいと分かってるんです」

「なら、早いとこなんとかしてやってくれよ」

 

 カンナの必死の頼み込みに、梅里は大きく頷いた。

 

「ええ。せりのことは、絶対に元に戻して見せます」

「本当だな? 絶対だぞ? アイツを元に戻せなかったら、さっきみたいな冗談じゃなく、本気のキツい一発を見舞うからな?」

 

 カンナの確認に頷きかながら、梅里は──

 

(え? あれ、本気の一撃じゃなかったの?)

 

 ──と、戦慄していた。 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 さて、紆余曲折はあったものの、どうにか支配人室へとたどり着いた梅里は、待っていた米田とかえでに帰還の報告を行った。

 

「やっと帰ってきたか。出発前の話では、許されても破門されてもすぐ帰ってくる、って話じゃなかったか?」

「それが、祖父に課題を出されまして……」

 

 苦笑を浮かべた梅里に対し、米田は渋面になる。

 

「アイツめ。帝都に危機が迫ってるってのをすっかり忘れてやがるな」

「いえ……おかげで新しい技というか、そういうものも得られたましたから」

「当たり前だ。こんなに時間かけて、何の成果もなしに戻ってこられたんじゃ、こっちが困らあ」

 

 不機嫌そうな米田に、梅里が困っているとかえでが笑みを浮かべてフォローする。

 

「司令は口ではああいってるけど、本当は嬉しいのよ」

「かえで、余計なことは言わなくていいぞ」

 

 そう言われてかえではチラッと米田を見て、今度は深刻そうな顔になる。

 

「──最近、黒鬼会の活動が活発になってきていて戦闘も頻発しいているのよ。花組の負担も大きいけれど、夢組の子達も負傷者が出始めているの」

「それは、申し訳ありませんでした」

 

 梅里は頭を下げる。自分の不在が夢組全体の戦闘力を下げてしまったという自覚はあった。

 だが、米田がそれを制する。

 

「構わない……とは言わねえが、お前のことだから、今までの分を取り返す以上に働いてくれると期待しているからな」

「はい。ありがとうございます」

 

 そう言って梅里が敬礼する。それを見た米田は──最初はぎこちなかった敬礼も、ずいぶんと様になるようになった、と思っていた。

 そうこうしている間に、梅里はかえでから最近の情勢やデータの資料を渡され、それにざっと目を通していた。

 

「確かに……ここ最近の戦闘頻度は、ひどいですね」

「そうなの。でも黒鬼会の目的は相変わらず不明で──」

 

 ふと、梅里の資料をめくる手が止まった。

 そしてめくるのが逆になって、見返している。そんな様子に気がついたかえではいぶかしげに梅里を見た。

 

「……梅里くん? いったい何が……」

「レニの霊力……おかしくないですか?」

「──え?」

 

 梅里が資料を見ながらポツリと言い、その内容にかえでは戸惑う。

 

「レニの霊力出力はもっと高いはずです……あ、この辺りからかな。少しずつ下がっているので短期間での変動は誤差やちょっと今日は調子悪いな、くらいで見過ごされているようですけど、長期的に見ると……明らかに下がってますよ」

 

 梅里から資料を手渡されて、慌てて見るかえで。

 

「この資料の範囲では分からないかもしれません。もう少し前の資料と見比べれば、分かると思います」

 

 梅里に言われて、かえでも資料を思い出す。言われてみれば、確かにレニの霊力はもっと高かったはずだ。

 

(細かな変化の積み重ねで、すっかり勘違いさせられていた、とでもいうの?)

 

 その変化には違和感を感じた。

 仮にレニが何らかの原因で不調(スランプ)になっていたとしても、ここまで見事に気が付かれないような下がり方をするだろうか。なにか作為的なものを感じなくもない。

 

「……よく気が付いたわね、梅里くん。さすがだわ」

「いえ、現場から長く離れていたからこそ、気がつけたんだと思います」

 

 最新の数字に騙されなかった、というのはまさにそのとおりだろう。謙遜ではなく、そう思えた。

 そして、それも含めて梅里は浮かない顔をしている。しかしその主たるその原因は──

 

「これ、うちの調査班は気が付かなかったんですか……」

「そういうことになるわね」

 

 答えたかえでの表情は厳しい。

 

「……いつものせりなら、気が付くはずなのに」

 

 ここにも彼女の不調の影響が出てしまっている。それが梅里には悔しくてたまらない。

 小さなつぶやきのつもりだったが、かえでには聞こえていたようで、心配そうな顔で梅里を見た。

 

「その、せりのことなのだけど……彼女が夢組調査班の責任者だから、あなたや米田司令の件の捜査が進んでいないのを、他の組からも本格的に責められ始めているのよ」

「それらの件は、月組との合同特別チームが捜査しているはずでは?」

 

 最初は梅里襲撃の捜査のために組織されたので、月組が主導権を握って行っているはずだった。

 しかし夢組も優秀な捜査員である『読心(サトリ)』の御殿場 小詠をはじめ、数人を派遣している。

 しかしかえでは首を横に振った。

 

「そのことを知っている人は少ないのよ。今回は司令の行動を完全に読まれて襲撃されている。梅里くん、あなたの時も普段とは違う帰宅時間で襲撃を受けているわ」

 

 自分が被害にあったからこそ梅里もそれはよくわかっている。

 あのとき、定時に帰れたはずなのに、急な仕事を頼まれて残業したのだ。もしもそれがなく普通に帰れたのなら人通りの多い時間帯になり、襲撃できなかっただろう。

 

「……間者(スパイ)ですか?」

 

 梅里の言葉に頷くかえで。

 

「それを疑うには十分な状況よ。だからこそ秘密裏に捜査する必要があって特別捜査チームを(おおやけ)にはできないの」

「でもそれは……」

 

 せりにとっては酷な話だろう。特別チームのツケを調査班が払っているようなものだ。

 そして米田もかえでも──付け加えるなら他の夢組メンバー達も、その精神的な重圧でせりが心を病みかけている、と思っていた。

 

「せりさんの状態はこちらも把握しています。フォローの必要性はもちろん感じているわ。だから、それを──梅里くん、あなたにお願いしたいの」

 

 かえでの話は、先ほどのカンナとの約束を思い出させていた。

 それに──せりの心を本当に救えるのは、自分しかいない、ということも分かっていた。

 

「わかりました」

 

 梅里が頷くと──ちょうど、ドアがノックされた。

 

「──誰だ?」

「清流院ですが……お呼びとのことで参上いたしました」

 

 米田の問いかけに、梅里が聞いたことのない声が答えた。

 

「お、ちょうどいいところに来たな。入れ……梅里も、今の件はくれぐれも頼むぞ」

「は、はい……」

 

 米田が相手の名前を聞くや、話を打ち切ってきたので梅里は「わかりました」と言って退室しようとしたが──米田に止められた。

 

「オイオイ、勝手に帰ろうとするな。お前がきたから、呼んだんだぞ?」

「はぁ……」

 

 戸惑う梅里をよそに「失礼します」と一礼し、一人の男性(?)が入ってきた。

 

「ん? んん……?」

 

 梅里が戸惑うのも無理はなかった。

 男性──のように見えるが、男装の麗人と言われればそう見えてしまう。

 灰色がかった髪の毛は長く、眼鏡の奥にあるその理知的な目はどこか中性的。

 顔は整っており美形なのだが──美人という範疇にも入る、清流院という人はそんな人だった。

 しかし纏っているのは明らかな軍服であり、それもまたギャップを感じてしまう。

 

「中将、お呼びとのことで参りましたが……」

(あぁ。男だ、この人)

 

 声を聞いて梅里は結論づける。姿の割に凛々しい男の声だったからだ。

 

「お前を呼んだのは他でもない。例の件の引継ぎのためだ」

「は。了解しました」

 

 清流院という男が見事な敬礼をすると、米田は梅里をチラッと見る。

 

「──で、その引継を受ける相手がコイツだ。帝国華撃団夢組隊長、武相 梅里。名前くらいは聞いたことがあるだろ?」

「はい。現在の帝国華撃団の隊長で唯一、軍属でない民間登用の隊長……」

 

 清流院と名乗ったその人は、梅里に向かって微笑を浮かべる。

 

「そしてその実力は『米田の切り札』と呼ばれるほどに高く、世にも珍しい霊能部隊をまとめ上げている、と聞いているわ」

(──いるわ?)

 

 そんな清流院の語尾に違和感を感じる梅里。

 それとは違う意味で、米田は清流院の言葉に苦笑を浮かべていた。

 

「ま、世間の評判なんてどうでもいい。それでウメ……巽のヤツから話くらいは聞いていると思うが、夢組の役目を一つ、この清流院とその仲間と共有してほしい」

「はぁ……役目、ですか?」

 

 夢組の役目は、意外と多い。

 それも霊能部隊という漠然とした肩書きのためか幅広く、結界や霊力を使った調査といった他の組への霊的なサポートから、除霊のような霊子甲冑を試用しないレベルの小規模霊障への対応、予知や過去認知による未来予測や検証、果ては御札や御守りの発行までをこなしており、そのどれを共有するのか、ピンとこない。

 夢組の多忙さを考えると、どれだって譲渡しても構わないだろう、と無責任に思っていた。

 

「魔神器の警護。それをコイツ等に任せようと思う」

「……なるほど。わかりました」

 

 梅里は頷いた。

 魔陣器とは──剣、珠、鏡の三つで一揃えの祭具であり、降魔たちの聖地であり城である聖魔城と、それがある失われた大地『大和』を復活させる鍵であった。

 もっとも、こちらは先の戦いで帝国華撃団が空中戦艦ミカサを使って攻略し、そちらの能力についてはもはや価値はない。

 しかしその力はそれだけではなく、霊力や妖力を増幅する力を持ち、米田たち対降魔部隊が戦ったときには真宮寺一馬が命を懸けてそれを使い、帝都を救っている。

 聖魔城関連の件を抜きにしてもその力は強大であり、それが悪しき目的で使われることは絶対に防がなければならない。

 その魔神器の存在こそ、夢組の幹部が帝劇本部に常駐している理由であり──予知で魔神器に迫る危機を察知し、結界で守り、霊感を駆使して賊を見つけ、人だろうが(あやかし)だろうが討滅して護る。それが夢組に課せられた大きな使命の一つだった。

 

「共に守りましょう。清流院さん」

 

 そう梅里があっさりと言ったので、米田も清流院も意外そうな顔をした。

 

「……あれ? 変なこと、言いましたか?」

「いえ、お前のことだから夢組の大事な役目の一つと理解しているんだろうが、それにしてはあっさり譲ったと思ってな」

「ええ。武相隊長、夢組にとって大事な役目なのでしょう? 私たちのような新参者がいきなり現れて、その役目を一緒にやれと言われても、納得しないのではなくて?」

 

 先ほど違和感を感じたが、清流院の声はともかく言葉は完全に女性のそれだった。

 しかしそれさえ目をつぶれば、普通である。

 

「あ、そういうことですか。でも、僕らは守るのに失敗して奪われてますからね、一度……」

 

 そう言って苦笑し、頬を掻く梅里。

 その近くではかえでが申し訳なさそうに顔を伏せている。その奪った相手こそ副司令であるかえでの前任者にして、姉であるあやめだったのだから、気持ちは複雑だろう。

 それを(おもんばか)って米田はそれ以上は言わず、「なるほどな」と一言付け加えるだけにとどめた。

 

「それに正直、夢組(ウチ)のやることが多いのは間違いありません。これを守る専門の部署を作っていただけたのは、とても助かります」

「でも、本当にいいの?」

 

 疑うというよりは確認のためにもう一度尋ねる清流院。

 だが、梅里はハッキリと言う。

 

「あれは敵に奪われ使われてしまえば非常に危険なものです。ようは守れるのであればそれに越したことはありませんし、つまらないことにこだわって守りきれなければ、そのこだわりには何の意味もありません。今まで通り、僕ら夢組の力も貸しますので、一緒に守りましょう」

 

 梅里が笑顔で差し出した手を、清流院がしっかりと握った。

 

「ええ。わかったわ、武相隊長。あなたの美しい覚悟は賞賛に値する。その器の大きさ、噂通り……いえ、噂以上ね。私たち『薔薇組』、責任を持って全力で守らせていただくわ」

「ば……薔薇、組?」

 

 梅里がその名前に拍子抜けしたように脱力しているのに対し、清流院はそれを気にせず芝居がかった様子で力強く頷く。

 

「ええ、愛と美の秘密部隊、薔薇組。その隊長がこの私、清流院 琴音よ」

「は、はぁ……」

 

 梅里が戸惑っていると、米田が苦笑した。

 

「あくまで、帝国華撃団は、花、風、月、夢、雪の五部隊だけどな。まぁ、あとは二人でよく話し合い、かえでもそれに参加して万全な状態にしてくれ」

「わかりました」

 

 かえでが厳しい顔で敬礼し、その命令を受ける。

 

「本来ならもっと早めにやろうと思っていたんだが……隊長代行の巽が、強固に「隊長の梅里が引継をやるべきだ」と主張してな、頓挫していたから、助かったぜ」

 

 そう付け加えた米田の言葉に、なぜそこまで宗次が固持したのか疑問に思う梅里だった。

 ──しかし後日、清流院以外の薔薇組のメンバーのキャラの濃さを見て、「なるほど」と納得することになる。

 




【よもやま話】
 正義感の強いカンナなら、きっと怒ると思って入れたシーン。
 ……でも、大神少尉に関して怒らないのは不公平じゃないかな、とは思います。まぁ、惚れた弱みでしょうね。
 薔薇組に関しては、前作で魔神器を夢組が守っていたので、夢組の多岐にわたる役目の軽減のために、魔神器護衛を薔薇組に託した、としました。
 薔薇組の太田と丘を登場させるとさらに濃くなりすぎるので回避。特に太田は書ききれる自信がない。


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─3─

 その日の内に食堂へ復帰した梅里。

 しばらくぶりの厨房ということもあってやはり最初のころはその戸惑いもあったが、そこはそれもう2年以上は勤めた職場である。すぐに勘を取り戻すと手慣れた様子で調理をし、厨房の面々をホッとさせ、カーシャや舞といった新参勢を驚かせていた。

 

「やっぱり大将はすげえよ」

 

 とは、不在中に今まで調理のメインを代行していた釿哉のため息混じりに言った感嘆の言葉である。

 

「いやいや、一時の危機も、釿さんのおかげで乗り越えられたって聞いてるよ。ありがとう」

 

 梅里が礼を言うと「よせやい」と少し照れつつ視線を逸らす釿哉。

 その日の内に勘を取り戻した梅里は、周囲に視線をやる余裕が生まれていた。

 煮物担当の釿哉、揚げ物担当のコーネルは問題なく──むしろ以前よりも腕が上がっている。

 それ以外にマルチに立ち回れる山野辺(やまのべ) 和人(かずと)は、今は調理方の一番下にあたる駒墨(くずみ) (ひいらぎ)に細かいコツを指導したりしている。

 

(調理方は問題なし。給仕方は……)

 

 客席の方へ目を向けると、給仕担当が動き回っているのが目に入る。

 しのぶは相変わらず丁寧な仕事ぶりであり、紅葉が危なっかしいのもいつもの通り。

 梅里が長期離脱する前と比べれば経験を重ねたカーシャと舞は、やはり仕事にいい意味で慣れたようで、特に舞は以前は余裕がなかったのに、今では接客に笑顔が出るくらいにまでは余裕ができたようだ。

 ここまでは、問題ない。

 問題は──せりである。

 

(明らかに、調子悪いんだよな)

 

 不調は一目で明らかだった。

 髪型こそ前の通りだが、雰囲気は暗く、目の下に隈みたいなものも見える。

 うつむき加減のその姿勢や、小声でぼそっと言う接客も以前のそれとは比べるべくもない。

 カンナとの約束が頭をよぎるが、まだいい解決案は浮かんでいない

 

(原因は、分かっているんだけど……だからこそ、どうしたものかなぁ)

 

 もちろんすでにせりとは話をしている。

 だが、彼女は「何でもない」「大丈夫」と取り付く島もない。

 

(もう少し頼ってくれたって、信じてくれたっていいと思うんだけど……今まで築いてきた関係は何だったんだよ)

 

 途方に暮れて思わず小さくため息をつく。

 

「……悩んでいるのは、セリのこと?」

 

 料理を出すカウンター越しに話しかけてきたのは、カーシャだった。

 梅里の視線を追うように、その先にいたせりを見た彼女は少しきつめの視線を向けていた。

 その反応を不思議に思っていると、カーシャがポツリと言った。

 

「彼女……処分を受けないの?」

「せりのこと?」

 

 さらに不思議そうな、そして戸惑った顔をした梅里がさっきのカーシャと同じ問いを返すと、カーシャは梅里を振り返ってハッキリと頷いた。

 

「ええ。なぜ、彼女に処分を与えないの?」

「なぜって……カーシャこそ、なんでそんなことを?」

「だって、皆の期待に応えられてないじゃない。アナタや、米田コマンダーの事件の捜査、進んでいないし」

「それはまぁ、そうだけど……でも失敗した訳じゃないからね。まだ捜査中──」

「何ヶ月も経ったのに? それでも事件未解決で成果も無しは失敗と同じじゃないの?」

 

 そう言ってカーシャはせりを再び見る。

 

「それにあの様子……もうこれ以上の捜査の指揮は無理に見える」

「う~ん……確かに行き詰まってはいるみたいだね」

 

 苦笑を浮かべる梅里に対し、カーシャは半ば呆れ顔だ。

 

「成果を出せないのなら処分を下して、それを別の人に任せて成果を求めるべきだと思うけど。武士でいうところの、カイシャク(介錯)? じゃないの?」

「その考えも分からなくもないんだけど……」

 

 苦笑を浮かべたままの梅里は腕を組んでうなり──

 

「ちょっと冷たすぎるかな、って僕は思うけどね」

「冷たい? 組織として成果を求めるのは当然のことよ。成果を上げられない者に居場所はないわ」

 

 カーシャはさらに冷たく突き放す。

 その姿勢は、梅里には少し意外だった。奔放なところのある彼女にしては、妙に組織側の立場であるように思える。

 

「行き詰まることなんて、それこそしょっちゅうあることじゃないかな?」

 

 一方、梅里は楽天的とも言える口調で返す。

 それが気にくわなかったのか、カーシャの目つきが少し鋭くなった。そういう表情もらしくないように感じる。

 だが、言ったことは間違っているとは思っていない。現に、せりの悩みの解決の糸口さえつかめず、カンナとの約束が暗礁に乗り上げているような有様だ。

 

「でもね、カーシャ。僕はその行き詰まって成果が出ない状況も、見方を変えればそれが成果になると思っているよ。今のやり方が間違っている、少なくとも良くはない、ということが分かるでしょ?」

「それは詭弁ね」

 

 カーシャの目がさらに鋭くなる。対して梅里は一度腕を組んでから、再び笑みを浮かべて答えた。

 

「う~ん……そうかもね。でも、成果が出ないやり方をしていても、場合によってはまったく別の事に関しての成果になっている可能性だってあるかもしれないよ。料理の世界には失敗から生まれた美食、なんてものもあるんだから……キミの祖国で人気のある紅茶もその(たぐい)でしょ?」

 

 航海の途中で中国のお茶が発酵し、それが進みすぎたせいで生まれたのが紅茶だったと、梅里は記憶していた。

 梅里が例を出すと、カーシャはため息をつく。

 

「たしかにそれはそうね。でもウメサト、それは結果として成功を納めているのだから評価されているの。でも──セリは紅茶(ティー)を発見していないわ」

 

 何の成果も出していなことには変わらない。

 だからこそ無価値であることも変わらない。

 それに対する罰は与えるべき。カーシャの理論は厳しくもあるが、明快で分かりやすいものであるのも間違いない。

 

「う~ん、そういうことを言いたいんじゃないんだけど、なかなか上手く伝わらないなぁ」

 

 困り顔で頬を掻く梅里。

 それから苦笑を浮かべ──

 

「失敗は成功の母、なんて言葉もあるけど、それと同じで、無駄なことなんて一つもない、と僕は思うよ。だから僕はせりに処罰を出す気はない。がんばってる彼女を罰したいとは思えないからね」

 

 そう言った梅里を、カーシャは半信半疑の目で見つめる。

 

「……努力賞には何の価値もない」

 

 そんなふうに言ったカーシャの目は、今までの彼女からは考えられないほどに、ドライで冷たい印象を受けた。

 第一印象が鶯歌に似ている、と感じた梅里だったが、今の彼女はとてもそうは見えない。

 

「アナタの考えに賛同はできないけど、アナタが優しいことは分かったわ」

 

 それに梅里が内心驚いていると、カーシャは一度寂しげに笑みを浮かべてから、気を取り直したように食堂の客室へと戻っていった。

 

「カーシャ……」

 

 その浮かべた笑みが、梅里の心にどうにも引っかかるのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──それから、数日が経った。

 

 梅里の帰還によって食堂は安定を取り戻していた。

 相変わらずせりは暗い雰囲気で復調にはほど遠いが、厨房側に余力が生まれたので、場合によっては和人が給仕側に回ることができるようになり、フォローしていた。

 柊を接客に回せないが故の急遽の策ではあったが……

 

 だが、今日に限ってはまた事情が違う。

 梅里が用事があって不在なために、厨房側の余力が無いのだ。

 そして昼時を迎え、食堂は客足が徐々に増え始めていた。昼の部のピークになる正午過ぎにはまだ早いが、徐々に客が入り始めて座席が埋まってきている。

 そんなとき──その片隅では不穏な会話が繰り広げられていた。

 

(首尾はどうですか? 『夢喰い(バク)』)

(──ッ!? ど、どういうつもり、人形師。こんなところで……)

 

 黒鬼会に所属する工作員、『夢喰い(バク)』ことローカストと人形師が接触していた。

 むろん、人形師の方は普段の黒子のような姿ではなく、一般的な普通の、極々ありふれた男性の姿だった。服装には印象に残るような特徴的なものはなく、顔立ちも目立って男前でもなく、目立つほどに不細工なわけでもない。平均的な特徴のない顔であった。

 もっともそれが、人形師の素顔とは、ローカストも思ってはいなかった。

(私の糸を使った、いわば有線の念話です。たとえ夢組特別班の『念話(テレパシー)』の八束 千波だろうとも、傍受できませんよ。それに、こうでもしないと深層心理下に潜んでいる今のあなたとは接触もできません)

 

(しかし、勘のいい者もいるのだから……)

(その勘の良さで最も警戒するべき白繍せりは、精神的に追いつめられて力を発揮できないではないですか。安心なさい)

 

 人形師がそこまで自信があるのなら、とローカストは引き下がり、念話を続ける。

 

(あなたの存在は、まだ誰にもバレていませんね?)

(ええ、おかげさまで。だからこうして情報の収集と、対象の妖力の暴走工作を行えているわ)

(まぁ、それも水狐が妖力を植え付けるというお膳立てをしてくれたから、ではありますがね)

 

 人形師が冷静に判断する。

 だが、ローカストは違和感を感じていた。

 

(……水狐?)

(どうかしましたか? 『夢喰い』)

(いえ、この前まで“水狐様”と呼んでいなかったかしら?)

(おや、そうでしたか……ふむ)

 

 思い返す人形師。

 たしかに上司にあたる水狐には、今までは敬意を持って接していたのでそう呼んでいたかもしれない。

 

(……つい、というやつですね)

(──え?)

 

 ローカストの驚いた反応に、人形師の方が驚くが、それを隠す。

 念話、というものにそこまで慣れないために、思考の区分──相手に伝えるべき思考と伝えない思考──を意識しなければ明確にならなくなってしまい、今のように漏れてしまうことがある。

 これは、慣れた念話術者(テレパシスト)であれば自然とできるようになることだが、人形師は念話(テレパス)が専門でもなく、それ以上に得意とするものが別にある。むしろ使い慣れていない方だろう。

 

(いえ、なんでもありません。ともかく、彼女から聞いた話ですが、自分が疑われ始めている、とのことですが……実際どうですか?)

(夢組内で水狐、つまりは影山サキを疑っているか、と言われれば……少なくとも隊長はその様子は無いわね)

 

 そうローカストは判断したが、それに人形師はため息を付いた。

 

(なにか不満でも?)

(……あの男のこと、すこしナメすぎてやいませんか?)

(武相 梅里のこと?)

(ええ。確かにこちらが用意した罠にかかって鬼王に殺されかけました)

 

 あのときは本当に上手くいった。

 あれは本命の米田中将狙撃のための前哨戦でしかなかったが、そのため一番動き回った水狐が、本当によくやってくれた。

 ローカストも人形師も関わったが、ローカストは人払いの手助けをしただけだし、人形師は姿を借りて狙撃手の嫉妬心を煽り、操っただけだ。

 もちろんその後の米田狙撃まで完全にこちらのペースで事が運んだ。

 だからこそ人形師もその辺りまでは、水弧も極めて有能だったと評価はしている。

 だからこそ──油断が生まれた。

 

(しかし、現在は米田共々生きている……)

 

 それこそ油断の(たまもの)である。

 昏睡状態で生死をさまよったはずの米田は今やすっかり復活してしまい、華撃団の司令として指揮を執っている。

 武相 梅里もまた、戦線離脱をしていたが戻ってきたというのはローカストからの情報で知っている。

 

(あの男を殺せなかったのは失態ですよ、『夢喰い』)

 

 一度、意識が戻る前に殺せ、という指示を出したことがあった。

 だが──手を下そうとしたが失敗し、その直後に意識を取り戻し、さらには記憶喪失になったために特定の者達を除いて接触不可能になったせいで困難になり、結局はできなかったのだ。

 

(なぜ? なぜあの男にこだわるのですか。あんな小物、いつだって殺せるでしょう?)

(……やれやれ、あなたという人は何も分かっていない)

 

 呆れが人形師の心を支配する。

 

(いいですか? 鬼王が、殺し損ねたのですよ? いえ、私が操って放った一撃がなければ、どうなっていたかわかりません)

 

 それほどの力を持った者が、小物?

 この小娘は何を言っているのだろうか、と人形師は憤る。

 

(……さらに復帰するや、水弧が仕掛けたレニ=ミルヒシュトラーセへの細工を容易く見破っている。あれだけ分かりやすい(デコイ)を配置しているのに、です)

 

 少し前から水弧は最後の工作として、優秀な花組隊員であるレニの精神に目を付け、洗脳の下準備をしていた。

 それを隠すために、すでに工作を終えていた夢組隊員の白繍せりをさらに追い込み、露骨に目に見えるほどに不調にさせて、注意を引きつけさせた。

 その甲斐あってレニの不調に気がつかれなかったのだが──それをあっさり見抜いた。

 

(……偶然では? 本人もそう言っていたらしいじゃない)

 

 一方、ローカストは半信半疑、むしろ疑の方が強い

 

(偶然だけで鬼王と互角に戦い、偶然であなたの暗殺さえ避け、偶然で水弧の作戦を見破る、そんな幸運を引き続けるような豪運の持ち主なら、むしろ戦いたくありませんよ)

 

 実力での勝敗ならまだいい。勝因も敗因も調べられるし作戦も立てられる。

 だが、運だけで敗北させられては、正直対策のたてようがないし、それが続くようでは再戦も挑みたくない。どんなに作戦を立てたところで、また運だけで負けるかもしれないからだ。

 

(そもそも、あなたは夢組に潜入していてまだ気がつかないのですか? 幸運による勝利と思われるような事態も、彼らが予知や過去認知からの情報を下にあらかじめ状況を動かし、それを招き寄せているというのが)

(え……?)

(……気がついていないようですね。やれやれ)

 

 それこそが、帝国華撃団夢組の最も恐ろしく──恐れなければならない理由なのだ。

 『不思議の勝ち』というのものは存在するが、それを意図的に探し、見つけ、引き当てようとするのが華撃団であり、夢組なのである。

 

(偶然、というものが最も恐ろしい──華撃団相手の戦いではそう認識なさい)

(……わかったわ)

 

 念話であるために不満という感情がダイレクトに感じられる。

 慣れない人形師にとって他人の感情に引きずられるという、極めて不快な感覚ではあったが、自分の方はそれをどうにか隠す。

 

(さて──あまり長話しては怪しまれますので、あとは端的に伝えます)

 

 気を取り直し、人形師は念話で伝える。

 

(水弧は自分が疑われているのに気づいて、近々、脱走する予定です)

(え……?)

 

 驚いたようなローカストの反応。

 しかし人形師に言わせれば彼女は米田狙撃以降はお粗末な行動を繰り返していており、「やっと気づいたのか」と呆れているくらいだ。

 

(しかし「あのお方」は水狐を切る予定です。そして『夢喰い』(あなた)は引き続き潜入し続けるように、と指示が出ていますよ)

(わかったわ。元よりそのつもり……だけど、なぜあなたが指示を出すのかしら?)

(さぁ、わかりませんよ。私はただ「あのお方」の意向を伝えているだけですから、指示でも何でもありませんし)

 

 そう人形師が答えたところで──

 

「せりさん、ぼーっとしないでくださいよ。前は、私にさんざん言っていたくせに! それに、カーシャさんも──」

 

 ──食堂の給仕係の娘・越前(えちぜん) (まい)の声が響く。

 それでこれ以上の通信は危険と考えた人形師は、念話を打ち切り──人知れず自身の使った極細の妖気の糸を引っ込める。

 そうすると、何事もなかったかのように料理を注文し、一般の客を装う人形師。

 

 

 ──やがて運ばれてきた料理は、食堂主任が不在と知っていたのであまり期待はしていなかったが、思いの外に美味であった。

 




【よもやま話】
 カーシャをヒロインの一人に入れておきながら、今までほとんど書いてこなかったと反省し、後々のために入れたシーン。
 素の彼女が出始めている部分です。
 後半も、黒鬼会のオリジナルキャラ同士の絡みは後々のためのシーン。
 今回はそんな感じです。


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─4─

 さて、水面下でローカストと人形師が接触しているのと同じころ──

 

 外出した梅里は花やしき支部にやってきていた。

 地上部分のにぎわいは相変わらずで、多くの帝都市民が楽しんでいる。

 それを見ながら、梅里はとある建物へ入り、そこから地下施設へと入った。

 花やしき支部の地下施設は広い。

 梅里がお世話になった医療施設以外にも、霊子甲冑の輸送から支援砲撃まで行う武装飛行船・翔鯨丸のドックや、輸送用車両である轟雷号や、光武・改といった霊子甲冑の整備も行える大規模施設もある。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その施設内を歩いていた梅里は、「ん?」と足を止めた。

 見たことのない霊子甲冑が動いている。

 

「あれって……ひょっとして、釿さん達が開発のために出張していた新型霊子甲冑?」

 

 そう思ったが、どうにも動きがぎこちないように見える。

 それに現行の光武・改よりもかなり大きい。以前、開発された神武よりも大きいだろう。

 すると、霊子甲冑の方も梅里に気がついたのか、不器用に動きながら、敬礼をして見せた。

 苦笑しながら敬礼を返しつつ、花組の隊長でもない自分に敬礼するなんて、いったい誰が乗っているのか、と思っていると──その霊子甲冑のハッチが開いた。

 そこに乗っていたのは──

 

「え?」

 

 その顔を見て思わず驚く梅里。

 

「──お疲れさまです、隊長!!」

「隊長、お疲れさまです……」

 

 搭乗していた隊員が着ていたのは、花組の戦闘服ではなかった。和風の装い──巫女服をアレンジしたそのデザインは、夢組の女性用戦闘服である。

 その肩にある金属端子は汎用性が高く、花組の戦闘服同様に霊子甲冑との接続も可能だとは聞いていたが、本当に接続しているのを見るのは初めてだった。

 しかも乗っていたのは二人。

 それも、ほとんど同じ顔をした二人。違うのは同じサイドポニーテールの髪型でも右でまとめているか、左でまとめているかの違いくらいしかない。

 

「近江谷姉妹? 絲穂と絲乃の二人が乗っていたって……」

 

 隊長である梅里直属の特別班。それに属する近江谷絲穂と絲乃の双子の姉妹である。

 勝ち気で活発そうなのが姉の絲穂であり、少し大人しい雰囲気なのが絲乃。

 二人は霊力を同調させてお互いを高めることができる『共鳴』という特殊な能力を持つ。

 その高まった二人分の霊力は、花組顔負けの力を発揮するのだが── 

 

「まさか、霊子甲冑を動かせるなんて」

 

 理論上は可能だが、実現させるには壁がある──と、釿哉が言っていたのを思い出す。まずは光部が一人乗りだから、という基本的なことが壁だが、座席を増やせば解決する問題じゃないとも言っていた。

 その壁を突破できたからこそ、彼女たちが霊子甲冑に乗っていたのだろう。

 しかし──それにしても、今の光武・改よりも一回り以上大きな機体である。

 

「なんだろ、これ?」

「──光武・複座試験型やで」

 

 梅里の問いに答えたのは、いつの間にかやってきていた女性だった。

 

「紅蘭さん……」

 

 李 紅蘭。帝国華撃団花組に所属しており霊子甲冑を駆る搭乗者でありながら、その知識や技術で整備や開発まで携わっている、工学の天才である。

 

「これが……光武? デカすぎませんか?」

「元々、普通の光武だったもんに改造を重ねた結果、こうなっただけやからねぇ」

 

 その紅蘭がジッとその巨大な光武を見つめる。

 

「これを作ったきっかけは、ウチと夢組(そちら)の釿さんも参加していたプロジェクトの次世代霊子甲冑開発なんや。それは今度は霊力だけでなく、地脈のような都市エネルギーも利用するって話しになったんやけど……なかなか難しくてなぁ」

 

 難しいと言いながらも、楽しげに話す紅蘭。

 

「都市エネルギーと言ってもようは都市の持つ霊力みたいなもんや。とりあえず、まずは2系統の霊力を動力に持ったものを作ってみよか、となってできたのが、この子や」

 

 その霊子甲冑を軽くポンとたたく紅蘭。

 

「そんなわけで二人乗れるようにしたさかい、こんな大きな子になってしもうて……しかもわがままな駄々っ子だったんやで」

「わがまま、ですか?」

 

 梅里が尋ねると紅蘭は目を輝かせて梅里に詰め寄る。

 

「そうやで。なにしろ急ごしらえのとりあえずな機体やから、搭乗者2人の霊力の同調がとられてない。それが原因でお互いの霊力が喧嘩し始めるんよ。せやからまともに二人で乗ることさえ難しい。まったく参ったわ」

 

 そう言いつつ爆笑する紅蘭を、梅里は少し冷めた目で見ていた。

 

「それって……失敗作ってことじゃないんですか?」

「失敗は成功の母やで? 武相はん」

 

 そう笑顔で言う紅蘭に、それがふと──この前のカーシャとの会話を思い起こさせた。それこそ自分がカーシャに言った言葉ではないか。

 

「確かにそのままでは使い物にならん失敗作や。けど、釿さんが「2系統の同調がとれないなら同調できるヤツらに任せればいいだろ」と言ってな。それで白羽の矢が立ったのが、あの二人ちゅうわけや」

「なるほどね」

 

 近江谷姉妹は夢組の中では有名な方だが、他の隊ではそれほど知られていない。同じ特別班でも他の組の隊員をネットワークに入れることもある八束の精神感応や、超長距離の監視等の華がある遠見の千里眼と違って、近江谷姉妹の『共鳴』は応用範囲が広い分、唯一の特殊な能力が無く地味なのである。

 そんな近江谷姉妹を使うのを思いついたのは、さすが夢組の松林 釿哉と言ったところだろう。

 

「おかげでこの子は動いた。あの二人……絲穂と絲乃のおかげやわ」

 

 我が子を見つめるような慈しむ目で見たあと、それに価値を与えてくれた二人をありがたがる。

 

「なら、絲穂と絲乃は花組に移籍ですか?」

 

 そうなったら困る、と思いながら梅里が聞くと、紅蘭は苦笑を浮かべて手を振る。

 

「それはないで。さっきはああして動いていたけど、あの子はものすごく霊力効率が悪いんや。霊力を同調させて『共鳴』させたときの霊力は確かに強い。ウチはさっぱりかなわんくらいや。でも元々のあの二人はの霊力は、一人では霊子甲冑を動かせられへん程度でしかない」

「ってことは、ひょっとして……操縦している間、ずっと『共鳴』を維持させる必要がある、とか?」

「その通り。そしてそれはものすごい負担になるんや。とても花組隊員として作戦に参加して戦闘に耐えられへん。作戦行動中、常に全力で自転車こぎ続けるようなもんやからね」

「う~ん、残念なような、大事な隊員をもって行かれず、ホッとしたような……」

 

 苦笑混じりに梅里が腕を組んでそんなことを言っていると──

 

「おおっ! 聞きましたか、妹よ! 隊長は、私達姉妹を大事な隊員と称して下さったわ! こんなにありがたいことは、無いわ!!」

「はい、さすが武相隊長様……全身全霊で、その期待に応えたいです……」

 

 いつの間にか近くに来ていた近江谷姉妹が、梅里の手をガッとつかんで感激している。

 それに戸惑いながら、梅里は紅蘭に尋ねた。

 

「この光武・複座試験型が実戦での運用に厳しいのは分かったけど、なにに使うんです?」

「あ~、とりあえずで試作したけど、北海道支部(あっち)に置いていても使い道があらへんし、新型の試験があらかた終わったから試験搭乗者が帰ってくるついでにこっちに持ってきてもらったんや」

「え? 新型霊子甲冑って、もう完成してるんですか?」

 

 思わず梅里が紅蘭に尋ねる。

 

基礎(ベース)は、な。それを花組各員に合わせて、武器やら霊力特性から動作特徴まで調整せなあかん。光武もそうやけど、霊子甲冑は各自に合わせてカスタマイズされてるんやで。ウチの光武にさくらはんが乗っても、いつも通りに戦うという訳にはいかんのや」

「へぇ……」

「で、この子は作戦行動はできなくとも、霊子甲冑用の武器の評価試験や調整なんかなら十分できるからな、それに使うとる」

 

 花組隊員たちは光武でそれぞれ違う武器を使って戦う。

 手持ちの武器を破損したり破壊されたりした場合、それらを補修・新調した後の試験を、最終確認だけならともかく様々な課程でいちいち花組隊員を呼び出していたら、花組たちがまいってしまう。

 

「そうだったのか……」

「というか、それをするには絲穂はんと絲乃はんの力が必要やから、夢組に要請出してたけど、気がつかなかったんかいな?」

 

 ジト目で梅里を見る紅蘭。

 

「あ~、その辺りは宗次が先決で決済出していたのかも。近江谷姉妹に過度な負担がかからない範囲であれば、ぜんぜん問題ないだろうしね」

 

 梅里が苦笑しながら言うと、紅蘭はため息をついた。

 

「まったく、隊長はんってのは、どこも器が大きいというか、大ざっぱというか……あ、そうや。この子と一緒に来た試験搭乗者なんやけど……ちょっと変わった()でな」

「変わってる?」

 

 一般的には変わってる部類に入る紅蘭が言うのだから余程だろう。

 

「そうそう。乙女組出身なんやけど……乙女組の子らって、大概、花組目指してがんばって、適正がなかったりして諦めることになるんやけど……その子は霊子甲冑の試験搭乗者を務められるほどの適正と才能があるのに、夢組志望らしいで?」

 

 確かに珍しいし、変わってる。

 そう思った梅里だったが、真っ先に浮かんだ感想は少し違っていた。

 

「そんな有望な()から言われるなんて嬉しいですけど……ちょっともったいない気もしますね」

 

 花組への道は狭き門だ。

 あるものは霊子甲冑を動かせるほどまで霊力の強さが足りず、また足りていた者も霊子甲冑の中核となる霊子水晶との相性が悪くて動かせないことも多々ある。

 夢組隊長として、夢組がそんな花組になれない者の寄せ集めのような扱いは我慢ならないところではあるが、そういう側面があるのもまた事実である。

 実際に梅里は霊力の強さ的には霊子甲冑を動かせるくらいにはあるのだが、相性の問題で動かせない。

 もし動かせたのなら花組隊員・武相 梅里となっていたかもしれないが、動かせないから夢組にいる、という点では変わらないのだ。

 だからこそ──もったいない、と思う。

 

「ま、そう思うやろな。でも──その娘の出自を聞いたら、まぁ、納得や」

「納得、ですか?」

「ああ。実はその娘な──」

 

 ──紅蘭の説明を聞いて、梅里は確かに納得した。

 そういう経緯なら、そうなるかもしれないな、と。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ちなみに梅里と紅蘭の前に鎮座する光武・複座試験型。

 これが、事実上の近江谷姉妹専用機という問題の解決──霊力の同調レベルの軽減──や、単独でも霊子甲冑を動かせる者が搭乗することで平時での負担軽減等を経て成果を生むことになる。

 それは後々に帝都を襲うとある事件を解決に導くことになる、切り札とも言うべき霊子甲冑であり、その系譜の出発点ともいうべき機体なのだが──それが完成するのはまだまだ先の話である。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──さて、装備の評価試験を行っていた紅蘭と近江谷姉妹に別れを告げ、工房を離れた梅里。

 彼は広い花やしき支部の地下を回り、様々なところで自分の部下でもある夢組隊員に声をかけられつつ──やがて再び地上に出ていた。

 敷地内に設置されたベンチに腰をかけ──とある人を待つ。

 その最中、ぼんやりと目の前の光景を眺めながら考えを巡らせる。

 

 

「──最近、夢組内に妙な噂が流れています」

 

 

 そう警告してきたのは、夢組特別班に所属し、監察方を務めている御殿場 小詠だった。

 米田中将狙撃事件、そして梅里襲撃事件を追う特別チームに入っていた彼女がそんな噂に気がつくほどの余裕はないのでは? と思ったが、聞いてみれば月組経由の情報らしい。

 その噂の内容は──

 

「──夢組に裏切り者あり、その名は駒墨 柊……か」

 

 梅里がわざわざ花やしき支部にやってきたのは、その調査と確認が目的だったのだ。

 そして実際に、そんな噂が流れているのを確認した。

 

(なんで、こんな噂がまことしやかに流れているのか……)

 

 梅里は疑問に思ったが、予想もつく。

 人付き合いが苦手な柊を、かばってくれる人がいないのだ。比較的親しいのは同僚である予知・過去認知班だろうが、彼女たちはその能力の特殊性から、他の班からは少し浮いた立場にあるので、かばっても効果が薄かったのだろう。

 さらには、その予知・過去認知班所属というのも噂を助長させる要因の一つだ。

 予知というものはさすがに百発百中というわけではない。

 それは夢組内で最も優れた予知能力者と言われているティーラでさえ外れるときはある。

 まして危険な予知であればそれを回避するために全力を注ぎ──見事に回避に成功したとしても「じゃあ、なにもしなければ実現していたの?」と訊かれれば、それはもう回避してしまったので答えようがない。

 そんなあやふやな予知を指して、他の組からは「夢組は胡散くさい」と陰口をたたかれることもある。

 それは確かな成果を挙げている除霊班や封印・結界班といったメンバーからすれば納得がいかないことで、予知・過去認知班のせいで夢組が貶められている、となるのも分からなくもない。

 しかも悪いことに、それらの班は人数が多い。対して予知・過去認知班は少人数である。

 

「まぁ……イジメ、みたいたものだよね」

 

 根が深い問題に、梅里はため息をついた。

 そして問題はそれだけではない。柊の出自が不明なのも、彼女への疑惑を深めている。

 どこの馬の骨かわからないのに、突然、予知・過去認知班の副頭という幹部になって本部勤務になったのは、反発を呼んでしまったようだ。

 

(これは、僕にも経験があることだからなぁ……)

 

 今度は苦笑を浮かべる梅里。

 米田の推薦こそあったものの、どこの馬の骨か分からないのに夢組隊長に抜擢された梅里と境遇が似ている。

 もちろん梅里もバッシングは受けたが、当時は死に場所を求めて帝都にきたのでまったく気にしていなかった、という事情もあったが。

 その状況で信頼を得るには、仕事の成功を重ねていくしかない──のだが、彼女の場合はそう上手くいかなかった。

 予知が当たらなかったのではない。むしろ当てている。それこそティーラに負けず劣らず敵の襲撃予想等を当てているのだが──それこそ敵と通じているからわかるのだ、という訳の分からない批判を浴びている。

 さらに悪いことに、噂の中には「梅里の危機というティーラの予知を柊が握りつぶした」という真実ではないが、それに近い情報も流されていた。

 

(明らかな敵の工作じゃないか)

 

 梅里は厳しい表情になる。

 これは、危機を予知したティーラの注意を受けた失語症の柊が、さくらに伝えたときに彼女が大神の危機と勘違いした、というのが真相である。

 しかし、この真相を知るものは少ない。

 

(ティーラからの連絡を受けたのが柊だった、なんてキチンと知っていたのはごく少数のはず)

 

 噂の中に公になっていない事実を織り交ぜて信憑性を持たせるとは、なんとも巧妙な手だった。

 それこそ、この噂に敵が関与していると強く疑う根拠である。

 敵の思うようにやらせないためにも、この噂は払拭しなければならない。

 が──そのためには、柊のことをもっとよく知る必要がある、と梅里は思えた。ただ闇雲に上層部が否定したら、今度は幹部クラスと一般隊員達の間に溝を作ることになりかねない。

 論理的に払拭し、皆が納得するような説明ができなければならないのだ。

 そのために──梅里は柊のことをよく知る人物に会いに来たのだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……待たせたの」

 

 ベンチに座っていた梅里の前に現れたのは、一人の小柄な老婆だった。

 その彼女に、梅里は丁寧に頭を下げる。

 

「お久しぶりです、道師。御健勝そうで、なによりです」

「そちらもな──と言いたいところじゃが、そうではなかったようじゃのう」

 

 そう言って苦笑する道師と呼ばれた老婆。

 道師は通称であり、本名はホワン=タオ。

 名前で分かるとおり中国出身で、道士の修行を積み、大陸で向こうの魑魅魍魎と戦っていた人である。

 それをスカウトされて帝国華撃団に入って夢組除霊班に所属したが、高齢を理由に頭を秋嶋 紅葉に譲り、自身は支部付の副頭となって主に戦闘指導をしていた。

 しかし、それも過去の話。今年の春からは帝国華撃団夢組を除隊し、現在は帝国華撃団の養成機関である乙女組の師範を務めていた。

 

一時(いっとき)は命も危うかったと聞いておるぞ」

「自分の身の未熟さを喧伝しているようで、お恥ずかしい話です」

「謙遜するな。お前さんがそこまで追い込まれるような相手じゃ。並の者じゃなかろうて。まったく……2年前もそうじゃが、若いのだからワシよりも早く逝こうとするな」

 

 抗議する道師に、なにも言い返せず苦笑する梅里。

 すると、道師はベンチの梅里の隣に腰を下ろした。

 

「お前さんがワシを呼び出した理由はだいたい想像がつく。柊のことなんじゃろ?」

「はい、その通りです。そして道師がご心配されていることも分かっています」

 

 どこの馬の骨か分からない柊が、新設された予知・過去認知班の副頭になったのは、推薦があったからだ。

 その推薦をし、後見人になったのは道師であり、さらには頭のティーラも賛同したために認められたのだ。

 だが、その推薦や後見人の話は、一般隊員達には伏せられている。知っているのは夢組でも副隊長クラスまで。各班の頭もティーラ以外は知らないが「隊長や副隊長がそれでいいなら」と認めている。

 

「で、隊長。おヌシは……柊を裏切り者と思うとるのか?」

「いいえ、全然。そんなことができる子じゃないでしょう。そもそも嘘がつけませんし」

 

 あっけらかんと梅里が言うと、道師はホッと息を吐いた。

 

「さすがじゃな。あの子は嘘がつけん……ヨモギ嬢ちゃんがおるじゃろ?」

「ホウライ先生ですか?」

 

 夢組錬金術班副頭である大関ヨモギは、第11代目の大関蓬莱を襲名して町医者をしている。

 

「そうじゃ。あの家系は代々、言霊を暗示として使い、医療の補助に利用してきた」

 

 ヨモギは確かな技術を優秀な医者であるが、それを確実なものとしている秘密があった。

 自分に“失敗しない”と自己暗示をかけており、それによって事故を防いでいた。

 

「あれと同じように、声だけではなく文字で言霊を使っておった一族があったそうじゃ。符術師としても優れた一族じゃったが……先の戦いで黒之巣会に目を付けられてな。服従を拒否したばかりに全滅させられとる」

「そんなことが……」

 

 魔操機兵・脇侍を暴れさせて帝都を混乱させていた黒之巣会。

 その悪辣さに改めて憤りを感じる。

 

「幼い娘っ子一人を残して、な」

「ひょっとして、それが……」

 

 梅里の問いに道師は頷く。

 

「ああ、柊じゃ。一人残された彼女は蒼き刹那に拉致され、黒之巣会の施設に捕らわれておった。先の副司令、藤枝あやめ嬢が施設を襲撃して助け出したときには、ショックで言葉を失い、人を不信となり、心を閉ざしておったそうじゃ」

「あやめさん、そんなことをしていたんですか?」

 

 時期的に考えて、黒之巣会を壊滅させた後の秋から初冬にかけてのことだろう。

 そのころ梅里は、しのぶとその実家の間を取り持つのに奔走していたので気がつかなかった。

 

「そんな彼女の心の扉を開いたのもまたあやめ嬢であり、そこはさすがと言うべきじゃろうな。もっとも……彼女もまたこの世を去り、その後はワシが引き継いだ。彼女の代わりは、勤まらんかったがのう」

「そうだったんですか。知りませんでした……」

 

 あやめの死の影響は本当に大きい。

 それはそれだけ彼女の存在が華撃団の中で大きかったか、という証でもある。

 

「ほっほっほ。おヌシは去年、忙しかったからのう。無理もないわ。降魔の騒ぎが終わってからは、東北へ行ったり、欧州へいったり、戻ってきてからも落ち着かず……」

「そうですかね?」

 

 もちろんその自覚はあるが、せりやかずらに振り回された面も否めない。

 ともあれ、忙しかったことだけは間違いなかった。 

 

「ま、ワシが教えられたのは肉体言語くらいじゃ。再び不幸にあわぬくらいには鍛えてやった程度じゃがのう」

 

 ポツリと言った道師の言葉に、梅里は驚いた。

 今まで、柊が戦う姿を見たことがなかったが、それが本当なら彼女はかなり強いはず。

 

「それって道師の基準ですよね? なら、充分すぎるような気がしますけど」

 

 梅里は思わずそう言ってから苦笑を浮かべる。

 道師は厳しいことで知られている。確かに支部の一般隊員に稽古を付けるくらいならばまだ優しい──あくまで梅里基準で一般の女性隊員にしてみれば十分キツかった──もので、彼女が「鍛えた」と言っているのは以上は、一人前に戦えると判断しているということ。

 そのため、その「一人前」がハイレベルであるのは間違いない。幹部の中でも間違いなく戦える側に入るだろう。

 

「あとは……おヌシらが教えてやってくれ。おそらくあやめ嬢がもっとも教えたかったもので、教えられなかったことを悔やんでいること……人の優しさや仲間との絆、をな」

 

 遠い目をした道師が思いをはせているのは、きっとあやめのことだろうと思った。

 梅里も彼女によって華撃団に招き入れられている。後から聞いた話だが、初めて会った梅里の「危うさ」を危惧し、それを解決するために隊長に推薦したのはあやめだった。

 直接的には支えてくれた仲間たちだが、あやめがいなければ、梅里は未だに死に場所を求め続けていたかもしれない。

 だからその恩を返すためにも気持ちは道師と同じだった。

 

「精一杯、がんばりますよ。彼女が、敵の間者にはめられたのもわかってますから」

「なんじゃと?」

 

 梅里の言葉に顔色を変えた道師は、彼をのぞき込むようにして見つめる。

 道師にとって、面倒を見た柊は娘や孫のような存在だ。それを害する存在があれば気にならないわけがない。

 

「今、駒墨は情報操作を疑われています。それもティーラの予知を妨害した、というものなんですが……実際のところは、ティーラが本部にかけた緊急連絡を受ける人がおらず駒墨が受け、それを花組の真宮寺さんが勘違いした、という話でした」

 

 このことは、さくらにも確認済みである。

 しかも彼女はそれを気にしていたらしく、梅里に何度も頭を下げてきた。

 

「ここまでは本当にあった事実。だからこそ、これを理由に駒墨が疑われてしまっている」

 

 柊が裏切り者とする、もっとも大きな理由がコレだ。

 

「ただ、疑問が残るんですよ……」

「疑問、じゃと?」

 

 道師の問い返しに梅里はうなずく。

 

「あの日、僕やせりは残業をしましたけど、それ以外の食堂のみんな帰ったはずなんです」

「あの日というと……襲撃を受けた日か?」

「ええ。あのとき、僕はせりと厨房で残業をしていました。結構遅くなったので、しのぶさんをはじめ食堂のみんなは間違いなく帰ってます。でも……彼女は残っていた」

「ふむ…妙な話じゃのう」

 

 梅里の話を聞いて考え込む道師。

 柊が残る理由は無い。しかし残っているのが不自然というのは逆に言えば疑われるということでもある。

 仮に柊が敵と通じていて、梅里への救援をはばむために残っていたのだとしたら、それらしいキチンとした理由──例えば、梅里やせりを手伝う──がないのは余りに不備がある。

 

「聞けば、眠ってしまったというのですが──僕は敵に眠らされた、と考えてます」

「……柊を信じておるなら、そう考えるのが自然だのう」

 

 考え込んでいた道師がチラッと梅里を見た。

 

「そうやってティーラからの連絡を花組や他の人が受けるのを邪魔して、駒墨に受けさせ──しかも暗示をかけて詳細を伝えられないようにしておけば、僕への救援を遅らせられる」

 

 実際遅くなり、梅里は重傷を負っている。

 

「あの鬼王の襲撃のために、敵の工作があったのは間違いありません」

 

 突然の残業は仕組まれていた、と考えるべきだ。

 さらには、襲撃から逃げ出せないようにするため、梅里一人で帰らないようにお膳立てされてもいたのだろう。

 そして救援を少しでも遅らせるため、情報の遮断をするのに失語症の柊を利用した。

 

「僕への工作は別にかまわない。でも……隊員達に駒墨を疑わせるような、そんなやり方は、許せない」

 

 拳を握る梅里に、道師は笑みを浮かべる。

 

「おヌシは、相変わらず優しいのう。その調子なら柊も心を開くじゃろ。安心して任せておける」

「──え?」

 

 敵の柊を使った工作へ怒りをかみしめていた梅里は、突然の道師の誉めに戸惑う。

 

「すべて任せる、と言ったんじゃ。お前さんなら柊への疑いも晴らして、丸く納めてくれるじゃろう、と思ってな」

 

 笑みを浮かべたまま、道師は「頼むぞい」と言って立ち上がった。

 

「さて、安心したところで──何か飲むか?」

 

 そう言って付近の売店を指した道師。

 梅里も一度は遠慮して断ったのだが「ワシが飲みたいんじゃ。一杯つき合え」と半ば強引に飲み物を二つ買って、一つを梅里に押しつけた。

 苦笑しながら「すみません」と受け取り、口を付ける梅里。

 そんな梅里に、飲み物を飲んだ道師はその笑みを──少し意地悪いものへと変えた。

 

「ところで隊長殿。おヌシ……かすみの嬢ちゃんにも手を出したんじゃって?」

「──ッ!!」

 

 その指摘に、思わずむせる梅里。

 

「──ォホッ……フッ……な、なんで知ってるんですか!? って、まぁ、少しはありましたけど……」

「刺されんようにな」

 

 しれっと言った道師の言葉の物騒さに、梅里は言葉を失いかける。

 

「へ? い、いや、それは……かすみさんは帝劇でも男性人気高いですし、それはわかりますけど」

「そっちじゃないわい。あ~、よく考えたら、もう刺されとるようなもんじゃな」

「はい?」

 

 ピンときていない梅里に、道師は苦笑する。

 

「忘れたのか? ワシもティーラの嬢ちゃんには及ばんが、八卦が得意じゃったんじゃぞ? お前さんには、ずいぶんと大きな女難の相が見えとるのう」

 

 梅里の顔をのぞき込んで、さも面白そうに──そして意地悪く笑みを浮かべる。

 彼女の言うとおり、道師は八卦を使った占いを得意としていた。

 彼女が予知・過去認知班にならなかったのは、あくまで“占いが得意”なだけで予知能力を持っていないことと、そのきわめて優れた戦闘能力という除霊班の適正がずば抜けていたからだ。

 

「ま、かすみ嬢ちゃんとの一本道を行くも、しのぶとせりとかずらともう一人……そちらへの道を行くも、好きな方にするが良かろうて」

「……どういう意味ですか、まったく道師は……って、もう一人?」

 

 心当たりがないわけではない話をされて、梅里はため息をつくが、聞き捨てなら無いことにあわてて顔を上げる。

 しのぶとせりとかずら、この三人との未来といわれれば、わからなくもない。だが、あと一人とは──正直、心当たりがない。

 

「その通り。ワシの八卦で見えたのは、大きな二つの道。そのうちの片方がかすみ嬢ちゃんとの道なんじゃが、もう片方は……複数が入り交じっておって少々複雑でなぁ。あまり見通せんのよ」

 

 誰のことだろうか、と疑問に思いながら──

 

(え? 誰? 千波? いやいや、まさか……絲穂とか絲乃じゃないよね? この流れで駒墨だったら道師も言ってくると思うし……)

 

 ──などと考えを巡らせ、もちろん結論がでるわけもなく、ゲンナリとした様子でため息をつく。

 

「なんですか、それ……わからないなら、教えてくれない方がいいですよ」

「ほっほっほ。不安ならかすみ嬢ちゃんとの道を行けばよいじゃろ。まぁ、あの三人からは恨まれるかもしれんがのぅ……だから、刺されんように、と言ったんじゃ」

 

 再び梅里をチラッと見る道師。

 その視線に思わず背筋が寒くなる梅里。

 季節が変わって高くなりつつある空に、道師の笑い声が響いた。

 




【よもやま話】
 光武・複座試験型は旧作で出していた思い出深い霊子甲冑です。特別班の双子用にと考えたものでしたので……それが「サクラ大戦4」で双武が出てきたときには驚きました。
 一応、こっちの方が先出でしたので、対抗心を出してあえて今作でも登場させました。
 後半の道師と梅里の柊に関する話は、旧作ではヒロインだったために語られたものの、今作ではヒロイン落ちして語られることがなくなりそうな柊のためにあえて入れたシーンです。
 道師のメタ的な発言は──まぁ、コメディということで。
 この本編では4人のルートへと進んでいきますので、念のため。
 もう片方はゲーム的に言えば、一度クリアしたら出てくる隠しルートと思ってください。


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─5─

 その日、大帝国劇場の出入口から普通に入ってきた人影があった。

 年の頃は10代後半だろうか。

 その若い娘は長い髪を頭のやや後ろの両脇で縛って流した髪型──いわゆるツインテール──で、勝ち気な顔立ちは「姉に似ている」と言われることも多い。

 公演を行っていない日でも、開場している日は多く、やってくる客は売店にあるスタァのグッズ目当てだったり、または食堂での外食が目当てだったりする。

 だが公演を行っていない今日やってきたその娘の目的は、そのどちらでもない。

 そんな彼女は、入ってすぐの玄関ロビーで周囲を見渡し、売店で知った顔を見つけてホッとしたように笑みを浮かべた。

 

「こんにちは、野々村つぼみさん」

「あ……お姉ちゃんの同期生の……白繍先輩じゃないですか! お久しぶりです」

「こっちで研修しているって聞いたけど、本当だったのね」

 

 売店の野々村つぼみに話しかけた娘は、笑みを浮かべて会話に花を咲かせる。

 つぼみの姉である野々村 春香は乙女組の一期生であり、そのまとめ役だ。対して娘はその一期生の中でも、霊力等の花組への適正に関しては最も高かったのである。

 そんな一期生の中で、花組の適正こそなかったものの、彼女以上の霊力を示して飛び級で抜けていったのが──そこへやってきた夢組の伊吹かずらだった。

 彼女は娘を見ると、驚いたように大きめの声で話しかけた。

 

「あぁ! ぺんちゃん!!」

 

 その声にビクッと反応した彼女は、思うところがあるのか、ゆっくりと振り返る。

 そんな彼女の反応を意に介さず、かずらは駆け寄ると、手を取って再会を喜んだ。

 

「久しぶりだね、ぺんちゃん! 元気してた?」

「え、ええ、おかげさまで……ところでかずら、その“ぺんちゃん”はやめてくれないかな……」

「え? どうして? 乙女組のころはその愛称を喜んでくれてたじゃない」

「あ、いや……あのころは名字で呼ばれるのが、ちょっと、ね」

 

 昔の自分を思い出しながら、娘は苦笑いをする。

 当時は、優秀な姉にコンプレックスを感じていて、その姉と同じになる名字で呼ばれるのが嫌だったのだ。

 

(だって、姉さんと必ず比べられるし……まぁ、今もだけど)

 

 あの人の妹なのに弓矢が下手なのね、とは乙女組で何度言われたことかわからない。

 

(那須与一の弟やら妹はみんな弓が上手かったとでも言うの? だいたい、神様だって、天照大御神(あまてらすおおみかみ)だって月読命(つくよみのみこと)だって品行方正なのに、須佐之男命(すさのおのみこと)は乱暴者なんだから。兄弟姉妹だから似るとは限らないのよ)

 

 心の中で愚痴る娘。

 とはいえ、今はそのコンプレックスもだいぶ薄れた。彼女自身に姉のような才能はなくとも、別の才能が認められ、それで評価されているからだ。

 

「伊吹先輩もご存じなんですか? こちらの……白繍先輩を」

「ご存じもなにも、ペんちゃんと私は元々同期の同級生よ。私が能力を認められて、飛び級みたいにして夢組に入っただけで……」

 

 かずらが答えると、つぼみは何かに耐えるような仕草をしながら急に後ろを向く。

 

「ぺ、ぺんちゃん、って……」

 

 後ろ姿になったつぼみの肩が小刻みに揺れていた。

 それを娘はジト目で見ることしかできないでいる。

 

(今度から乙女組に顔を出したら、ぺんちゃん先輩って言われるんだろうな……)

 

 半ば悟ったような境地に達しつつ、呆然とそう思っていた。

 それからかずらの襟首をガッとつかむと、顔を寄せて忠告する。

 

「……かずら、ここではぺんちゃん禁止ね?」

「え? なんで? ぺんちゃんって可愛くていいと思うけど……」

「あのねぇ。一応、先輩としての威厳ってものがあるんだから。それを、ぺんちゃんぺんちゃんと呼ばれてたら締まらないでしょう?」

「そうかなぁ……」

 

 半信半疑のかずらに対し、もう一度、厳しい顔になってから注意する。

 

「いい? 絶対にダメだからね」

「う、うん……わかった。わかったけど……やっぱり姉妹よね。そういう仕草、すごくお姉さんにそっくり。なんだか懐かしくなっちゃった」

「……懐かしい?」

 

 妙な形容語である。姉ならここで働いているはずだし、かずらとはほぼ毎日のように顔を合わせていておかしくないはずだ。むしろ妹の自分の方がずいぶんと顔を合わせていないので「懐かしい」はずなのだが……。

 娘が訝しがるようにかずらを見たとき、後ろを向いて何かに耐えていたつぼみがようやく立ち直ってこちらを向いた。

 

「し、失礼しました……あ、大神さんだ」

「ほ、ほら、大神隊長だよ? ここは挨拶しておいた方が……」

 

 つぼみは通りがかった大神を見つけ、それで気がついたかずらも興奮した様子で娘に伝える。

 乙女組同期の娘の優秀さを知る彼女は、大神にアピールしておいた方がいいと思い、親切心からそう言ったのだが……

 

「いいわよ、別に」

「「へ?」」

 

 つれない彼女の反応にかずらとつぼみが戸惑う。

 乙女組の大半があこがれる花組の、その隊長である大神は、当然に乙女組内では大人気である。

 そうでなくてとも将来の上司となる人に挨拶をするのは、決してマイナスではないだろう。

 だが、彼女は大神には興味はない様子だった。

 すると──

 

「大神さん! ちょっといいですか……」

 

 そんな大神が呼び止められる。呼び止めたのは若い男の声だった。

 それを聞いて──かずらがピクッと反応する。

 やってきたのはコックコートに濃紅梅(こきこうばい)の羽織を羽織った男だった。

 

「梅里さんッ!!」

 

 大神の元へやってきた彼へとかずらが飛びつくように近づくと、驚いた様子で彼女を見た。

 

「かずら?……どうしたの? こんなところで」

「練習の休憩中です。で、こっちまできたら親友に会って──」

 

 かずらはそう言って先ほどまで話していた娘の方へと振り向く。

 その視線を追ってその娘を見つめ──目が合う。

 

「キミは……」

「は、はじめましてッ!! 乙女組所属、白繍なずなですッ!!」

 

 なずなと名乗った娘は緊張した様子で、勢いよく頭を下げた。頭の左右でまとめた髪がそれに合わせて大きくたなびく。

 

「はじめまして。夢組隊長の武相 梅里です」

「は、はイッ! 知ってます!!」

 

 声を裏返して答えるなずなに、名乗った梅里は苦笑する。

 

「ずいぶん元気のいい()だね……って、白繍?」

 

 ふと気がついた梅里がまじまじとなずなの顔をのぞき込む。

 それから半信半疑な様子で、尋ねた

 

「キミ、ひょっとして……お姉さん、いるよね?」

「は、はい! 姉は武相隊長の下で勤務している白繍せりです!」

 

 なずなが言うと、梅里は我が意を得たりと笑顔になった。

 

「やっぱりね。うん。確かに面影があるよ」

「なるほど。確かに、言われてみると食堂の副主任にそっくりだね」

 

 梅里の言葉に、隣にいた大神も同意する。

 

「梅里さん、聞いてください。このぺんちゃッ──!」

 

 ゴスッと鈍い音を立てつつ、かずらに対しその死角から脇腹になずな肘が衝突して、その言葉は強制的に止められた。

 痛みで涙目になるかずら。

 

「ん? どうかした? かずら……」

「い、いえ……なずなちゃんってすごく優秀で、乙女組では“もっとも花組に近い人”って言われてるんですよ」

「へえ、それはすごいね」

 

 感心した様子の梅里。大神も驚いた様子でなずなを見る。

 それに感激したなずなは──

 

「あ、あの! 握手してもらっていいですか!?」

 

 ──そんな二人に向かって、なずなは思い切って手を差し出した。

 顔を真っ赤にしてうつむき、片手を目一杯延ばす。

 その姿に、梅里はそっと大神を見た。

 共に隊長である梅里と大神だが、今まで二人でいてこういうことはたまにあった。華撃団関係者だけや、軍の関係者しかいない場面だったが。

 そういうときに求められているのは大神の握手だった。帝国華撃団の花形である対降魔迎撃部隊の隊長であり、従事した作戦の大きさとその貢献度は他の隊長の追随を許さない。

 梅里は自分が裏方だとわかっているし、おまけに軍人でない自分が握手を求められることなどないとわかっていた。

 それゆえの行動だったが──戸惑いながら大神が出ようとしたとき、なずながうつむいたまま言った。

 

「お願いします、武相隊長!!」

「──はい? え? 僕、なの!?」

「はい! よろしいでしょうか?」

 

 今まで無かった展開に戸惑った梅里はチラッと大神を盗み見る。

 苦笑していた大神だったが、彼に促されて差し出されたなずなの手を握った。

 すると──なずなは感無量といった様子でうっとりした表情を浮かべた。

 

「この人が、あの……」

 

 そんな表情に、見ていたかずらが驚く。

 

「……花組に一番近い人、じゃなかったの? なずな」

「あら、あたしはずっと夢組志望よ? かずらと違ってね」

 

 勝ち気な笑みを浮かべて言うなずなの表情は、やはりせりによく似ていた。

 

「あれ? 伊吹先輩って最初から夢組志望じゃなかったんですか?」

「そうよ、つぼみちゃん。かずらも最初は、花組志望だったの。霊子結晶との相性が悪くて霊子甲冑を動かせない、って分かって──あのときは荒れたわよね、かずら?」

「ああッ! その話は絶対にしないって前に約束したじゃない!! しかもよりにもよって梅里さんの前でするなんて……」

 

 話を止めようとつかみかかるかずらを容易くかわすなずなは意地悪く笑う。

 それに梅里も乗っかった。

 

「へぇ、かずらって本当は花組志望だったんだ」

「ご、誤解です、梅里さん。私はずっと梅里さん一筋で、大神少尉に浮気なんてまったくしてません! 好きでも何でもないです! 梅里さんが嫌えというなら親の仇のように憎んでみせます!!」

「あ、あの……伊吹くん? 本人を前にそれは……さすがにオレも傷つくかな……」

 

 大神が苦笑を浮かべるが、必死なかずらは気がついていない。

 

「それにしても、夢組志望とは珍しいね。白繍……いや、なずなちゃん、だっけ?」

「は、はいィィ!!」

 

 名字だけだとせりと一緒になってしまうので、名前を呼んだ梅里だったが、呼ばれたなずなは妙に興奮していた。

 

「あこがれの……武相隊長に…………名前呼んでもらえた……もう、死んでもいい」

「ちょ、ちょっと、ぺんちゃん! あこがれてる娘が意外といるって言ってたけど、ひょっとして自分のこと?」

 

 なずなの本心に気がついたかずらが彼女をジト目で見る。

 が、それに悪びれずに笑顔を返すなずな。

 

「あら? あこがれるのは自由だし、恋愛もそうでしょ?」

 

 そういって手した手を自分の胸に抱き、「もう、手を洗わない」と言ったとき──悪寒が走った。

 振り向いたなずなはその圧力に思わず霊力を使って防御する。

 幸いなことに、即席の障壁はその霊圧を防ぐことができた。

 ホッとしたなずなが見たその先にいたのは──

 

「まったく誰の仕業? こんな危ないことして……って、え? ね、姉……さん?」

 

 うつむき加減にした顔から睨め上げるようにしてこちらを見ていた、白繍せり──なずなの姉であった。

 そして力を使ってきたこと──しかもむしろ妖力に近いような(くら)い霊力をまとって、それを飛ばしてきた姉に、なずなは戸惑いを隠せなかった。

 

「そんな、なんで……?」

 

 なずなが驚いていると、せりは一瞬我に返ったようにハッとすると、慌てて逃げるようにして去ろうとした。

 

「姉さん、待って!!」

 

 なずなはそれを追いかけようとしたが、せりはそのまま帝劇の外へと飛び出していった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──その場を走り去りつつ、せりは自分のしたことに驚いていた。

 まさか、妹にまで嫉妬してしまい、さらにはそのせいで霊力が暴走してしまったことを。

 

(あれは、なずなだから止められた。他の人──霊力(ちから)の扱いが未熟だったら……そもそも霊力を使えない人だったら、大変なことになっていた)

 

 もし今のが乙女組でもトップクラスの実力を持つなずなではなく、まだまだ未熟なつぼみだったら、まちがいなく惨事になっていただろう。

 いや、そもそもつぼみは夢組隊長の梅里に敬意を持っているが、それだけだ。露骨な好意を見せることもない。

 

 問題は──かすみである。

 

 彼女と梅里がいれば間違いなく嫉妬する。それはせり自身、わかりきっていた。

 そして風組である彼女に、夢組幹部であるせりの霊力が攻撃的に暴走すれば、それを防ぐことができる霊力をもっているわけがない。

 

(でも……もう、嫉妬が抑えられないのよ。いったい、どうしたら……)

 

 せりは先が見えない絶望感を振り払うように、一心不乱に走った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──やがて、体力が底をつき、その足が止まる。

 そこへ──

 

「まったく……姉さんは……そんな格好で……どこに、行くつもり?」

 

 帝都に来るまで聞き慣れていた妹の声で、せりは我に返った。

 ふと顔を上げると、せりを追ってここまで走ってきたらしく、息を整えつつも「仕方がないなぁ」とばかりに苦笑を浮かべているなずながいた。

 ともあれ、せりに追いついたなずなは「いろいろ説明して」と姉を諭して近くにあった喫茶店へと入った。

 給仕服で帝劇を飛び出したせりだったが、なずなが持ってきた濃紅梅の羽織を上着にしてそれが目立たないようにしている。

 姉を追いかけて飛び出そうとしたなずなを梅里が呼び止め、「持って行って」と自分が着ていたものを貸したのだ。

 その際、梅里は──

 

「今のせりは、僕と話しても心を開いてはくれない。でも姉妹ならできる話もあるでしょ。落ち着いたところで話を聞いて、せりがため込んでいるものを少しは吐き出させてあげてくれないかな?」

 

 ──と言っていた。

 せりが着ていた給仕服ではあまりに目立つ。かといって帝劇に一度戻ってから再び出掛けるのもおかしい。それを見越して上着を渡したのだ。

 

 

 なお、この羽織はなずなにとってはあこがれのスタァのような存在である人が直前まで着ていた、脱ぎたての羽織であり、それをここまで来るまでの間に、こっそり顔を当てて匂いをかいだのは乙女の秘密である。

 

 

 そんな妹に対して姉の方はと言えば、こっちはこっちでその羽織が誰のものかは一目で分かっていたし、妹に言われて着込んだ後は、神経質そうにちょこちょこと袖の先やらに触れて、気にしている。

 だが、その姿勢は喫茶店のテーブルについてから、じっとうつむいたままであった。

 

「姉さん……いったいどうしたの?」

 

 なずなの問いかけに、せりは黙ってうつむいたままだった。

 改めて姉と対面したなずなだったが、その変貌には少なからず驚いていた。

 世話をやくのが好きで明るく勝ち気、そんな姉の面影がなかったからだ。

 うつむく姿勢は暗く、その顔色も隈のようなものさえあって悪いとしか言いようがない。

 それに久しぶりに会ったのだから、矢継ぎ早に妹の体調や近況を気にした言葉が次々と出てくるはずなのに──それは全くない。

 

(姉さんらしさの欠片もない。まるで抜け殻よ)

 

 それがなずなの感想だった。

 返事を待ち続けたが無言は続き、頼んだ飲み物が運ばれ、二人の前に置かれても変わらることなかった。

 飲み物は手をつけられることなく、その温度を常温へと近づけていく。

 埒があかない、と思ったなずながため息混じりに、先に飲み物に口を付けると、それを置きながら口を開いた。

 

「さっきの、しゃれにならないんだけど。まったく、あたしだったからよかったようなものよ……ついでに言えば、霊力の質。あれはなに? まるで、妖力みたいだったよ」

 

 なずなの指摘でせりはビクッと肩を震わせる。

 自覚は──あった。自分自身の昏い心から発せられた霊力が、いつものそれとは質が異なってきていることに。

 

「姉さん、私たち姉妹でしょ? 他の人に言えないこと、たとえお父さんやお母さんにも言えないようなことでも、話してよ。姉さんのすぐ下なんだし、年齢的にも護行(もりゆき)やはこべとは違うんだから、いろいろ受け止められるよ?」

 

 詰め寄られ、せりの目が泳ぐ。

 何かを言い掛けるが──躊躇いがちに口は閉じてしまった。

 

「……姉さん!」

「ごめん、なさい……」

 

 やっと出たのは謝罪の言葉。

 求めていたものではないが、それでも姉がようやく口を開いてくれたことになずなはとりあえず安堵した。

 

「……姉さん、覚えてる? あたしがまだ小さいころに悪戯してこっぴどく姉さんに怒られたときのこと。あのとき、姉さん言ったよね? ただ謝るんじゃなくて、キチンと自分のしたことを説明してから謝りなさいって」

 

 今では7人となった兄弟姉妹の一番上であるせりは、昔から母親がより下の弟・妹の世話や神社の祭礼等で手が放せないことも多く、母親代わりを務めていた。

 それは直下の妹であるなずなにとっては顕著で、その経験が一番多いということでもあった。

 彼女にとってせりは、姉であると同時に自分や妹、弟たちの面倒を見る第二の母親のような存在でもあるのだ。

 だから、しっかり者のせりは、少しお転婆気質のあるなずなにとって、幼いころは一緒に悪戯をするというよりは、悪戯がバレて怒られる側の人だった。

 そんな思い出を頭に浮かべていると、それはせりも同様に昔を思い出したらしく──責任感の強い姉は自分が注意したことを律儀に守って、渋々ながら口を開いた。

 

「……嫉妬が、止まらないの」

「嫉妬? どういうこと?」

 なずなが訝しがるのも無理はない。それだけでは断片的すぎて要領を得なかった。

 せりは促されて、少しずつ説明を始める。

 

「あのね……私の中で、とある人と、私以外の女の人が仲良くするのが許せないのよ」

(とある人って……隠す必要あるの?)

 

 なずなはそう思ったものの、話の腰を折らないように黙って聞く。

 

「前は……少なくとも今年の春先くらいまでは、それは、もちろんモヤモヤはしたけど、許せたのに……ううん、許せたっていうよりも彼にぶつけていただけかも」

 

 せりは梅里と出会って最初こそ彼をよく思っていなかったが、彼の深い哀しみに触れ、その弱さと同時に立ち向かえる強さを感じて惹かれた。

 ちなみに故郷では、明るい性格から親しみやすい彼女ではあったが、由緒正しい神社の長女ということで敬われていたことや、彼女自身が妹、弟たちの世話に追われたりで恋愛経験がゼロに近かった。

 そんなせりが梅里に惹かれて戸惑ったのは、自分の嫉妬深さである。

 世話をやくのが好きなことは自覚していたので、たとえ好きな人ができて、その人が他の女の人と多少仲良くしているのを見ても、きっと妹や弟を見るような感覚で「しょうがないな」と思う余裕のある態度になる──と思っていたのだが、実際には全然違った。

 そういう性格だからこそ、特別な存在への独占欲がかえって強くなってしまっていたらしく、自分が思うような寛大な態度とはかけ離れた態度になってしまっている。

 寛容という意味では、恋敵であるしのぶの方がよほどそうだろう。そういう意味で、しのぶのことを手本にしたいと思っているのだが、ことは恋愛絡みなだけに感情のコントロールが難しく、なかなか上手くいかない。

 ──少なくとも、以前はそういうレベルの話だったはずだ。

 

「でも、あのとき以来……」

 

 梅里と共に残業したあの日──突然の残業からついイライラして、ちょっとした口喧嘩になり──自分を置いてかずらと、そしてかすみと共に帰ってしまったあの時以来、せりの心はまるで大事なブレーキが壊れてしまったかのようだった。

 

「あのとき?」

 

 事情を知らないなずなが訊く。

 それに答えることを躊躇うせり。

 

「姉さん……」

「ダメ……駄目よ。それだけは、言えないわ……たとえ、なずなでも」

 

 なずなに促されるも首を横に振るせり。

 誰かに話して重荷を降ろしたい、という欲求はあった。しかしそれは──

 

「言えば私は居場所が無くなる」

 

 ──その恐怖を伴っていた。

 とても言いづらいことだと理解したなずなはさらに踏み込む。

 

「姉さんの仲間は、そんなに薄情な人達じゃないでしょ? 事情があるのならそれを含めて話をすれば……」

「違うのよ。そんな問題じゃないの。事が大きすぎて……」

 

 再度、今度は先ほどよりも強い調子で何度も首を横に振るせり。

 それに対して悩める姉を心配し、世話になった姉に少しでも恩を返したいなずな。

 

「……あたしは、どんなことがあっても姉さんの味方だよ? だって……姉妹なんだから。姉さんも、あたしが大失敗したとき、ずっと味方になってくれたことがあったじゃない……力にならせてよ」

 

 話して楽になりたいという欲求がさらに強まる。

 対して躊躇う気持ちもまだ強い。自分を守りたいというズルい気持ちだ。それが分かっていても──彼の側から離れたくないという気持ちは何よりも強かった。

 うつむいたまま、自分の肩を抱くように身を縮み込ませたせりは、無意識のうちに濃紅梅の羽織をギュッと握りしめていた。

 それで意識したのは、彼の優しさだった。

 こうしてなずなを追いかけさせたのは、きっと彼だろう。自分よりも身内のなずなの方が話しやすいだろうし、身内のなずなならどんな事情──たとえ自分には話せないようなことでも、きっと味方になれるだろうと判断した、と分かるくらいには彼を理解している。

 この羽織はそんな彼の優しさの象徴だった。

 それに触れ、包まれたせりは思わず涙がこぼれそうになる。

 だから──せりは懺悔した。

 他でもない、彼に申し訳ないという気持ちからであり、その優しさに報いるためにである。

 

 

 

「……あの人を撃ったのは……私なの」

 

 

 

 ポツリと姉が言った一言に、なずなはその重さに思わず硬直する。

 

「──え?」

 

 さすがに戸惑った。

 だが、姉はそれ以上何も言わない。

 

「え? あの……あの事件の? 狙撃されたって……ひょっとして……」

 

 要領を得ないなずなだったが、なにを指しているのか察して頷くせり。

 

「そんな……」

 

 絶句するなずな。

 信じられなかった。華撃団に激震を起こしたあの事件の、その犯人がまさか自分の姉だったとは。

 さすがにこれは想定外だ。

 その告白を無意識に否定するように、思わず首を横に振りつつ、なずなはつぶやく。

 

 

「米田司令を狙撃したのが、姉さんだったなんて!?」

 

 

 ゴンと、とても痛そうな音が喫茶店内に響きわたる。

 思わず脱力してうなだれたせりがテーブルに額をぶつけた音だった。

 その姿勢のままポツリとつぶやいた。

 

「……違う。そっちじゃない」

 

 米田が狙撃される前の晩に起きた、夢組隊長襲撃事件。

 華撃団のトップが狙撃されたという大きすぎるそれに隠れてしまったり、そもそもその件の布石として一緒くたにされている事件だが、夢組に、そして夢組隊長にあこがれているなずなはその事件をもちろん知っていた。

 

(まったく……なんてことをしたのよ、姉さん。私じゃどうしようもないよ)

 

 あまりに大きく、そしてあまりに重い事件に関わっていた姉から事情を聞かされたなずなは、荷が勝ちすぎているこの状況に、話を聞いてしまったことを後悔さえしていた。

 梅里から「話を聞いてきて」と送り出された以上は戻れば絶対に確認される。

 かといってこれを素直に報告するのは、身内として──なによりも姉の想いを知っている者としては躊躇われる。

 話を聞いてから、「正式入隊前の私に、なんて重い役目を課すのよ!」と、話を聞いてくるよう頼んだ夢組隊長と、話を打ち明けた夢組幹部に対し心の中ながら大声で愚痴を叫んだなずな。

 悩んだあげく、身内としての感情を優先し、姉には「いつかキチンとみんなに話すんだよ?」と言いくるめて責任を放棄するのも無理はないことだろう。

 そして不思議と──大帝国劇場へ姉と共に戻ったなずなは、梅里からさらに詳しく聞かれることはなかったのである。

 

 ──もちろんそれには理由がある。

 

 二人とも最後まで気がついていなかったが、喫茶店内には姿を隠していた夢組特別班監察係・御殿場 小詠が、その本来の役目のためにいたのである。

 




【よもやま話】
 名前や存在だけは前作から出ていたせりの妹、なずなが初登場です。
 旧作ではシリーズの制作順が「1外伝」→「2外伝」の途中→「3外伝」→「2外伝」のつづき……となったため、なずなの元になったキャラは「3外伝」のヒロインでしたから「2外伝」のつづきでは登場してました。
 一応、今作終了後に予定している「サクラ大戦3外伝」で、なずなもまたヒロインになる予定ですので。花組候補だけど空きがないので輸出された、ような感じです。
 ちなみに、髪型は旧から変えました。途中までは同様に長い髪を後ろでまとめた、としていたのですが、よく考えるとサクラシリーズってツインテール不在なことに気がつき、他とかぶらないので完全に変更です。
 Fateシリーズの遠阪 凛とか見て「良い」と思っていたので。


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─6─

 その夜──大帝国劇場の中庭に、帝国華撃団副指令・藤枝かえでの姿があった。

 中庭の片隅にある植木の側に立った彼女の傍らには、その木陰に隠れるように人影がある。

 

「米田司令を狙撃した犯人は──やはりあの人物で間違いありませんでした」

「そう……やっぱりね」

 

 そのように評したかえでだったが、犯人はこと狙撃のみについてにいえば、その隠蔽はほぼ完璧だった。

 唯一の瑕疵は、狙撃された米田の側で待機しているべき、陸軍省へと米田と共に行った者がいなかったこと、くらいだ。

 

(その人が犯人だったのだから、当然なのだけど)

 

 しかしそれだって、後からの検証を重ねてやっと疑問が出たレベルだ。それを元に夢組の予知・過去認知班に極秘に依頼し、当日の過去認知を行って判明したことでもある。

 その過去認知を行った者こそ、予知・過去認知班副頭の駒墨 柊だった。

 彼女の墨と水によって和紙に描かれる未来予知はティーラに次ぐ精度を持っている、とされている。だが、彼女には意図的に伏せられた優れた能力があった。

 それは──過去認知。過去に起きた事象を見る霊視、『過去視』の力はティーラや他の隊員を上回っている。

 

「そういう意味では助かったわ、姉さん……」

 

 小声で思わずつぶやくかえで。

 彼女が残していった小さな種が芽生えて、米田司令を狙撃した上に、彼女が愛した帝国華撃団に今なお巣くう憎き敵をあぶり出したのには運命を感じてしまう。

 

「影山サキ……まさか、彼女が五行衆の一人、水狐だったとはね」

 

 華撃団は事務局という中枢に、敵のスパイに入り込まれていたのだ。

 彼女を疑い出せば、すべてがつながった。

 

「梅里くんへの襲撃も、彼女の工作が目立つわね」

 

 帰宅時間を遅くさせた食堂の棚卸しは事務局発のものだったが、その期日は改竄させられていた。

 由里とかすみが残業していたのも、聞けば着任間もないサキのミスだったという。

 さらには深夜の帝劇で情報攪乱──眠らせていた柊が電話に出るよう仕向け、断片的情報を得たさくらを、大神を誘惑することで冷静さを失わせた──さえ行っている。

 また、その襲撃の結果によってかすみが米田の送迎をできなくなり、サキが単独で米田と陸軍省に向かっている。

 そんなサキを疑ったかえでは、ある計略を仕掛けていた。

 先月の夏休み期間中、米田が花組にプレゼントした温泉旅行に、影山サキを同行させたのだ。

 疑わしいサキに花組不在中で人目が減っている帝劇内をウロウロされたくない、というのもあった。そして決定的だったのは「尻尾を出させるには、旅行に連れて行ってください」というティーラの予知である。

 その予知通り、同行したサキは大神に持たせた通信装備キネマトロンを盗みだし、御丁寧に破片になるまで破壊してくれた。

 その破片の残留思念を、過去認知班に所属する残留思念探知能力者(サイコメトリスト)が読みとり──月組と力を合わせてその他の証拠も集めて、ついに断定に至ったのである。

 

「これより、影山サキを拘束するわ」

 

 加山に指示を出すかえで。

 だが、その横に控える女性を見て、かえでは動き出すのを止めた。

 

「その前に──小詠、あなたは梅里くんの方の事件の犯人、もうわかっているのでしょう?」

「え? あの、それは……」

 

 まさかそれをここで訊かれると思ってなかった小詠は躊躇い。

 

「それは……はい。そのとおりですが……でも信じられません。あの人が、そんなことをするはずが……」

「真実から目を背けることが信頼ではないぞ、御殿場。人を信じながらも事実を探り、真実を見つけることが信頼だ」

 

 隣に立つ加山が口を開く。

 

「お前の信頼する調査班頭は、普通ならウメに弓を引くような人ではないのだろう?」

「無論です……って、え!? 加山隊長、なぜそれを……」

「気がつかないわけないだろ。あんな行動不審者に目を付けていなければ、それこそ目が節穴だ」

「ご存じ、だったのですか……」

 

 脱力したようにがっくりうなだれる小詠。

 

「だが、オレもあの食堂副主任を信頼している。なによりも梅里を大事に思っている気持ちをな。ならば、なぜ弓を引いたのか、そこに隠された謎を明らかにするべきじゃないのか?」

「私も付き合いは短いけど、資料や姉さんからの話を聞いて、彼女が華撃団を裏切って梅里くんを撃ったとは思ってないわ」

 

 かえではそう言うと気を取り直して再度指示を出す。

 

「今は影山サキの捕縛を優先しましょう」

 

 それに加山と小詠はうなずき、三人は帝劇内を、サキを探して歩き回った。

 ──が、そこで彼女を見つけることはできず、それどころか、花組隊員のレニの姿も、忽然と消えていたことに気がついたのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──さて、今回の任務は捜索だ」

 

 居並ぶ夢組隊員を前に、狩衣を模した男性用の夢組戦闘服を身につけた副隊長の巽 宗次が説明をし始める。

 時刻はすでに夜になっていた。

 

「対象は花組隊員のレニ=ミルヒシュトラーセ。その乗機である青いアイゼンクライトまで一緒に姿を消しているので、それに乗っている可能性が高い」

「そいつはわざわざ御丁寧にどうも、ってところだな。見つけやすくしてくれるなんて、我々に気を使ってくれてるんですかね」

 

 釿哉にチャチャを入れられて一瞬顔をしかめる宗次。

 

「どこかのバカが今言ったとおり、人を探すよりも大きな霊子甲冑を探す方が確かに楽だが、けっして容易い任務ではない。現在、台風が接近しており、気象条件は最悪だ」

 

 台風接近の報はすでに届いており、大帝国劇場でも昼間に花組のカンナが中心になってそれに備えていた。

 

「夜間で視界も不良だ。雨と風で音もほとんど通じないだろう」

「……待ち伏せには有利な条件、だよね」

 

 梅里の言葉に、宗次は大きくうなずいた。

 

「ミルヒシュトラーセの失踪は、おそらく黒鬼会幹部、五行衆の水狐が関わっている。その可能性が高い以上、隊長が言ったとおり、敵の待ち伏せは十分に考えられる。むしろ罠と想定するべきだろう。だから任務に際し、二次遭難と敵の襲撃に十分に配意すること」

 

 宗次の指示に「了解」という声が返ってくる。

 

「──そして、その対策として捜索部隊は常に三人一組(スリーマンセル)もしくは二人一組(ツーマンセル)での行動を絶対とする。組み合わせはこちらで決めてあるので追って指示を出す……」

 

 宗次の指示が続く中、梅里は五行衆の水狐──影山サキのことを思い出していた。

 彼女が来て間もなく、梅里は戦線離脱したので正直なところあまり接点はない。

 だが──

 

(あの件に、絡んでいたとは)

 

 レニをつれてサキが失踪したことで華撃団の中で手配がかかった際、その疑惑の説明を副指令のかえでと月組隊長の加山から聞かされていた。

 梅里自身が鬼王の襲撃を受けた事件で、そのお膳立てをしたのが水狐だという。襲撃役が鬼王なだけで、おびき出すまではほとんど彼女の差配によるものと聞いた。

 梅里は帝国華撃団の隊長であるし、今までも戦場に立って戦っているので命のやりとりは経験している。人以外ではあれば帝都に来る前の水戸にいたころからだ。

 しかし、名指しで、それも密かに誰かに命を狙われたというのはもちろん初めての経験だった。

 しかもそれが、影山サキという身近にいた顔を知っている人間だったということに驚きと怖さを感じてもいる。

 

(潜入工作、か……)

 

 自然と目はしのぶを見ていた。彼女もまたかつては華撃団に潜入工作をしていた。

 しかし、彼女の所属していた陰陽寮は表向きは華撃団の協力者であったし、敵対的行動といっても隊員の命を狙うようなものはなく、所属者の集団離脱を計画したくらいだった。

 そんな梅里の視線に気が付いたのか、しのぶは梅里を見て小首を傾げると、声を潜めて尋ねてきた。

 

「どうかなさいましたか?」

「いや、水狐のことを考えていただけだよ。春以来、どんな思いでこの帝劇にいたのか、と思ってね」

「……それで、陰陽寮の間者だったわたくしのことを?」

 

 しのぶが少し意地悪そうにクスッと笑みを浮かべる。

 その反応に慌てる梅里。

 

「そんなことないよ。しのぶさんは彼女とは違う。彼女は……僕を、そして支配人を殺そうと企んでいた。全然違う」

「──そうでしょうか?」

 

 しのぶの思いがけない言葉に梅里は戸惑い、慌てて彼女を見る。

 どこか遠い目をしたしのぶは、昔を思い出しながら言う。

 

「もし、あのころ……陰陽寮が、わたくしを隊長にするのを強行し、梅里様を亡き者にしろ、という指示が出ていたら……当時のわたくしなら、実行していたかもしれませんよ。それこそ、この眼を使って」

 

 ほとんど閉じているように見えるその細い眼を指さして、しのぶは冗談めかせて苦笑した。

 しかし梅里は真面目な目で見つめながら、首を横に振った。

 

「前も言いましたけど、しのぶさんは優しいですから、そういうことができる人じゃないですよ。今はもちろん、昔もね」

 

 そういう意味では、根っこのところでしのぶと水狐とは違う、と梅里は思っていた。

 仮に彼女が組織の命令に逆らえず、どうしても殺さなければならなくなった場合だとしよう。

 梅里のことを鬼王に襲わせたのをしのぶがやったとしたとしても、そこまで一緒だろうと最期の手に掛けるところはきっとしのぶは自分でやっただろう。それは他人を信用しないというのではなく、むしろ逆に背負わせないため、その罪を自分で一生背負っていくためであり、そこまで命に責任を持つ人だ。

 

「梅里様……」

 

 その信頼が伝わったのか、しのぶは嬉しそうに微笑む。

 

「でも、影山サキは……水狐は、おそらく違うと思う」

 

 水狐も米田に関しては自ら手を下しているが、それは意味合いが違う。

 影山サキとして多少の接点があったときの様子から推測するに、彼女は他人を信用していないように思えた。信じているものがあるとするならば、華撃団に潜入工作しろと命じた、彼女が忠誠を尽くす絶対的上位者にのみだろう。

 それに成果を捧げるため、もしくは最終的な目的達成を他人に任せることができないため、だから自ら手を下したのだろうと思っている。

 

(そうでなければ、同行した陸軍省で自ら狙撃するなんて、工作員としては下策をとった理由が付かない)

 

 狙撃後に逃走するならその手も悪い手ではないが、その後も華撃団に留まっている。そのつもりなら別の場所にいるというアリバイがある状況で狙撃するか、狙撃を他の者に任せなければ、自分に疑いの目がいくのを防げない。

 事実、混乱から覚めた華撃団に見抜かれ、こうして間者としてバレているのだ。

 

「他人を信用せず、自分のことしか考えられない、そんな寂しい人だ……」

 

 それが梅里の水狐という人物に対する評価だった。

 

「自分の眼が他人を恐れさせることや、その眼で支配した人の心配までするしのぶさんとは違います」

 

 酷な命令をされて実行するのに、もっとも楽なのは上からの命令に盲目的に従うことだ。自ら道具と成り下がって考えを放棄することで、上が望んだこと、自分のせいではないといくらでも言い訳ができる。

 しのぶがそうではないというのは、黒之巣会との戦いの最中に分かったことだ。上から切り捨てろと言われた部下をどうにか救おうと考えていたし、人の心を支配することにも躊躇いを覚えていた、優しくも強い人だ。

 

「そして、魔眼という強い力を持ったのが、あなたのような優しい人でよかった、と心から思いますよ。しのぶさんさんにとっては、迷惑かもしれませんけどね」

「そんな……過分な評価ですよ」

 

 そう言いながら、しのぶは頭を下げる。

 頭を上げたしのぶは、熱い視線──といっても、瞳は見えないのだが──を梅里に向ける。

 しかし──

 

「梅里、まだこんなところにいていいのか?」

 

 ──という宗次の言葉が邪魔をした。

 思わずしのぶが宗次を睨むが、彼は気にした様子もなく、梅里へと話しかけていた。

 

「相方ならとっくに出て行ったぞ?」

「──相方?」

 

 ピンときていない梅里の訝しがるような顔に、宗次は思わずため息を付く。

 

「さっきのオレの説明、聞いていなかったのか? 天候悪化を配慮に伴う二次遭難を警戒して、単独行動を禁止。おまえの場合は二人一組(ツーマンセル)で行動するように、と言っただろ?」

 

 確かにその辺りまでは聞いていた気がするが、二人一組か三人一組だったと記憶していた。

 自分が二人一組を当てられていたのは聞いていなかったし、おまけにその相手が誰なのかも聞いていない。

 とはいえ、この流れでは宗次は間違いなく相手が誰なのかは言っていただろう。

 気まずくなりながら苦笑を浮かべる梅里に、宗次はそれを察した。

 

「相方は白繍だぞ」

「え? せりなの!?」

 

 驚いた梅里だったが、宗次はそれに対して逆に不思議そうな顔をした。

 

「そうだ。広範囲の探索になるが、この暴風雨では伊吹の音響探査は役に立たない可能性が高い。現状では白繍が一番頼りになると判断し、その護衛にもっとも信頼がおける者をつけたつもりだが……」

 

 なるほど、確かにそれならうなずける理由である。敵の待ち伏せに言及したのは他ならぬ梅里自身だ。

 だが、肝心なことを考慮していない。今、梅里はせりに避けられているのだ。

 そう梅里自身は思っていたのだが、宗次の考えはやはり少し違っていた。

 せりは、梅里だけでなく他の誰とも距離を置いているので連携をうまくとれそうな相手が皆無なのである。

 それゆえ、もっとも親密である梅里をつけたのだ。

 

「不満でも今更変えられないからな」

「了解……で、肝心のせりは?」

「せりさんなら、ずいぶん前……巽副隊長の説明が終わるや、出て行かれたようですけど?」

 

 しのぶが小首を傾げながらそう言うと、梅里はあわてて追いかけるように部屋から飛び出した。

 

 

 ──それから他の隊員たちに確認すると、せりは会議が終わるや梅里を待つどころか接触しようともせずに、探索のために飛び出していったことが判明する。

 

「──こういうのを、二次遭難っていうんじゃないの?」

 

 単独行動で飛び出していったせりの行方を知っているものは誰もおらず、思わず梅里がつぶやく。

 やむを得ず、梅里はせりが向かったと言われる方へ、当てずっぽうで進んでいくしかなかった。

 




【よもやま話】
 やっと、原作ゲームでの「レニよ、銃をとれ」の戦闘直前あたりまできました。
 そういうわけでそろそろ水狐退場なんですけど……当作ではまだ3話なんですよね。早い感じがしてしまう。
 後半は最近、書いていてしのぶのシーンが少ないのに気がついて、あえていれました。


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─7─

 せりが向かったと思われる方へ進んだ梅里が、遠いながらもそれを発見したときは、さすがだな、と思わざるを得なかった。

 悪天候のために視界不良。それでも遠目ながらに、青いカラーリングのボディと特徴的な十字状になったカメラ用のレールが付いたそれを発見できたのは、偶然というか、かなりの幸運だったのは間違いない。

 おそらく、レニのアイゼンクライトだろう。方角を正確にとらえていたせりの霊感には本当に恐れ入る。

 

「遥佳、確認してほしいものがあるんだけど……」

 

 無線通信機に話しかけてみたが、嵐が電波状態を悪くしているのか、雑音を放つばかりで返事はない。

 梅里が無線をあきらめて、千波の精神感応(テレパシー)を使おうと思ったとき──梅里は身を翻らせていた。

 愛刀『聖刃(せいじん)薫紫(くんし)』の危機察知が働き、悪天候に紛れた敵の一撃を警告したのである。

 

「へぇ、やるじゃないか」

 

 攻撃を加えてきたのは、魔操機兵ではなかった。

 頭には笠をかぶり、首から下は大きめの外套で隠されてその姿は見えない。

 だが、梅里は違和感を感じていた。一般的な人とは──外套の下に隠れた輪郭が異なっているように感じられる。

 

「キサマ……帝国華撃団夢組、だろう?」

 

 乱暴な口調だが、その声は女性のように聞こえた。

 

「人違いです、って言ったら去ってくれるのかい?」

「ハッ……なかなか生意気な口をきくじゃないか」

 

 先ほどの攻撃──空振って地面を叩いたその姿勢でいた敵が、隙無くゆっくりとした所作で体を起こす。

 笠からのぞくその顔は、歪な笑みに歪められていたが、やはり女性的な面立ちであった。

 

「まぁ、それくらいの方が、狩りがいがあるってもんさ……」

 

 一度、身を沈めるとバネのように反発させて、一気に梅里へと襲い来る。

 相手が手にした手斧を紙一重でかわす。

 そこへ刀の斬撃が襲ったため身を引いてそれもかわす。

 梅里が反撃しようと思ったそのとき──さらに矛による追撃がきた。

 

「──ッ!!」

 

 意表を突かれた梅里だったが、それさえも身をかわしつつ距離をとる。

 しかしそれで終わりではない。

 飛び退いた先で地面に円を描くようにして方向を変えてさらに距離をとる。梅里が飛び離れた地面に、弓から放たれた矢が突き刺さった。

 

「へぇ……なるほど。話には聞いていたけど……」

 

 すべての攻撃を避けた梅里は、それを見ながら苦笑を浮かべた。

 一連の攻撃の中で、相手が纏っていた外套は外れて風に舞っていた。

 目の前に現れたのは、やはり女性であることを表す胸の膨らみのある体と──それよりも目に付く三対六本の腕。

 

「神崎邸での戦いには参加していなかったから見るのは初めてだけど、本当に腕が六本あるとは驚いた」

 

 梅里の言葉に、相手の目が鋭さを増す。

 それゆえに幼いころから異形と罵られ、畏怖され、忌避された、もっとも気にしている身体的特徴を指摘されたのだから当然の反応だろう。

 

「黒鬼会五行衆・土蜘蛛……」

「そう言うキサマ……アンタ、華撃団の夢組隊長だろう?」

 

 六本の腕で隙無く身構えながら土蜘蛛が問うてきたのに対し、梅里は意外そうな顔で返した。

 

「そんなに顔は売れていないと思ったんだけど。花組の隊長ほど活躍もしていなければ、司令のような有名人でもないし」

「アンタの顔なんて知るものか。そんな目立つ服を着ていれば誰だってわかるだろうが」

「なるほど。それは違いない」

 

 そう言って改めて自分の服を見て、苦笑を浮かべる梅里。

 彼は油断無く刀を構えている。

 

「だが……まさか初見で全部避けられるとは、な。話に聞いているというだけで避けられるもんじゃない。水弧のお守りというつまらない役目だと思っていたが、なかなか楽しめる獲物がきたじゃないか……今日の狩りは当たりだッ!!」

 

 さらに襲いかかる土蜘蛛。

 それに対して梅里も霊力を集中させ、それを一気に爆発させる。

 

「──奥義之三、満月陣!!」

 

 梅里が自分の発した霊力による、球状の銀色をしたフィールドに包まれた。

 彼が使う武相流の奥義であり、身体能力を著しく高める技だ。

 

「小細工をッ!!」

 

 土蜘蛛が吠え、常人と比較して三倍の数を誇る腕から攻撃が繰り出される。

 それを梅里は避け、刀で切り払い、時に攻撃で牽制してつぶし、そのことごとくを受け付けない。

 とはいえ、さすがに手数が違う。梅里からの攻撃は牽制程度に留まってしまっていた。

 梅里が攻勢に出ることなく、一連の土蜘蛛の攻撃を捌くと距離を置いた。

 土蜘蛛から矢が飛んでくるがそれを難なく避け、再び両者の距離が開く。

 すると満月陣を維持したまま、梅里は──

 

「うん、なるほど」

 

 ──と言って一人で納得したような仕草を見せた。

 訝しがるように土蜘蛛の視線が鋭さを増すと、意外なことに梅里は相手の疑問に苦笑を浮かべながら答えた。

 

「腕が三対あっても、やはり人は人……だと思ってね」

 

 その言葉には、さすがに怒気をみなぎらせる土蜘蛛。

 

「……防ぐだけで精一杯だったじゃないか。強がりを言うんじゃないよ」

 

 そう言った土蜘蛛の様子は、帯びているのが怒気というレベルのものではないのがわかる。

 激昂しかけているのを、どうにか押さえ込んでいるようにさえ見えた。

 当然だろう。事実、梅里の発言は挑発にしか聞こえないのだから。

 

「それとも、本気でワタシを人間扱いしようってのかい? こんな姿の、このワタシをさぁ!!」

「ああ、その通りだよ。土蜘蛛」

 

 こともなげに笑みを浮かべる梅里。

 

「なんだと!?」

 

 もはや我慢ならぬと今にも飛びかかりそうな土蜘蛛に、梅里はさらに言う。

 

「キミは人間だ。生まれた姿のせいで性格がねじ曲がっただけの、ただの人間だ」

「キサマァァッ!!」

 

 土蜘蛛の猛攻が梅里を襲う。

 だがやはり梅里には届かない。

 手にした手斧も、刀も、二つの腕で握る矛でさえ、梅里をとらえることはできない。

 

「なぜだ! なぜワタシの攻撃が当たらない!!」

 

 梅里が守勢に回り、防御に専念しているから、というのはもちろんある。

 満月陣で身体能力を上げている、というのもある。

 だがそれでも手数の差は歴然。土蜘蛛であればその防御をかいくぐって一撃を加えることくらい、できそうなものだが──それができない。

 実際、土蜘蛛は今までその自身が生まれ持った忌むべき体を利用し、強者となり、敵を潰してきたのだ。

 六本の腕から逃げられた者などいない──そのはずだった。

 

「腕が六本あっても、食事するのが三倍早いわけじゃないよね?」

 

 捌きながらの梅里の声に、土蜘蛛は眉をひそめる。

 

「キサマ、なにを言って──」

「残念なことに頭は一つしかない。だから処理が追いつかないんだよ」

「ほざくなッ!!」

 

 さらに攻撃の激しさが増すが、それでも梅里を捉えることはできなかった。

 

「たとえ三対の腕があっても、三人分の戦力なんかじゃない。どんなに腕が多くとも人の思考の限界は超えられない。ただ武器の切り替えが早い──武器を持ち替える必要がないだけだ。三人同時にかかってくるのとは訳が違う」

「強がるな! そっちからは避けてばかりで一度も──」

「そうだね。だから──」

 

 距離をとって足を止める梅里。

 それと同時に──眼を閉じた。

 

「馬鹿にして……ナメるなぁッ!!」

 

 眼を閉じると同時に、纏っていた霊力のフィールドが急速に萎んだのを見て、土蜘蛛の怒りが頂点に達する。

 確かに土蜘蛛の猛攻は梅里を捉えていないが、それでも相手は防戦一方だった。

 ただでさえ挑発するような梅里の言葉の数々──それは、土蜘蛛に全く心当たりがない指摘ではなかった。

 黒鬼会が結成された当初、序列争いのようなものがあり、土蜘蛛が挑んだのは鬼王だった。

 歯が立たなかった鬼王に、似たようなことを指摘されていたので、土蜘蛛は冷静さを欠いて、梅里に襲いかかっていた。

 しかも──相手は身体強化の能力を解くというナメた真似までしている。

 その愚を、身を以て分からせてやらなければならない。

 土蜘蛛はそう考え、梅里を叩き潰さんと全力で仕掛けた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その戦いを少し離れた場所で見ている人影があった。

 

「あれって……梅里、よね?」

 

 肩付近まで伸びた髪を左右二つのお下げにしている髪型で、その女性用戦闘服の袴を幹部を示す独自色のシアン色に染めた夢組隊員が、遠くで起きているその戦闘を目を細めて見つめている。

 夢組調査班頭の白繍せりである。

 二人一組の組み合わせが宗次の口から発表されるや、彼女はドキッとした。

 普段の少し嬉しさのあるそれではなく、彼をまた傷つけるかもしれないという不安によるものだ。

 

(レニと彼が一緒にいるところを見たら、嫉妬しないとは限らない)

 

 せりの不安はそれだった。

 抑えの効かない嫉妬心はなにがきっかけで暴走するのか、せり自身でさえ予想が付かない。

 梅里やレニを危険にさらすわけにはいかない。その状況を確実に避けるには、せりが一人で先に見つけてしまうことだ。そう思い込んだ彼女は、梅里に接触することなく捜索に出た。

 そうして嵐の中、多少道に迷いながら、自分の霊勘を働かせて探索した結果、遠目ながらも青いアイゼンクライトを発見したのである。

 その場所を伝えると──

 

「了解。確かに同所に停止しているのを、遠見隊員が捕捉しました。直ちに花組隊員を向かわせます」

 

 ──という返信があり、せりには待機が命じられた。

 しかし付近で強い霊力と妖力がぶつかり合うのを感じて、そちらへ見ると──梅里が戦っていた、という状況だ。

 梅里が満月陣を使っているのは、すぐに分かった。纏った球状の霊力が銀色の光を放っていたからだ。

 それを使っても、相手の猛攻を防ぐので手一杯──せりの目にはそのように見えた。

 

「危ない。あのままだと……」

 

 焦るせり。

 しかし──あろうことか満月陣の光は消えたのである。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──ナメるなッ!!」

 

 土蜘蛛が手にしている弓を除いた矛、手斧、刀、それに拳による一気呵成の攻撃が梅里を遅う。

 連携を考えない一斉同時のその攻撃は、動きを止めた梅里を捉えた、と思ったそのとき──

 

「なッ!」

 

 すべての攻撃が、ことごとく梅里をすり抜けた。

 

「──んだとッ!?」

 

 土蜘蛛の攻撃が捉えたのは梅里が残した残像だった。

 戸惑っている土蜘蛛は、必殺の意志を込めたその全力の一撃が空振りしたことで明らかに体勢を崩している。

 その隙をついて土蜘蛛の死角へと移動していた梅里が刀を振るい、ついに土蜘蛛を捉える。

 

「チッ!!」

 

 とっさに後方へ跳んだことで攻撃が浅くなる。

 刀を振り抜いた梅里をその場に残し、土蜘蛛は大きく距離をとっていた。

 

「へぇ……六本の腕にはそういう使い方もあるのか。さすがにその動きは予想外だったよ」

 

 土蜘蛛はその腕を大きく振り回すことで体を傾け、次の跳躍の助けにしていた。

 その動きはさすがに見たことのない反応で、梅里も驚くと同時に感心していた。

 

「ふざけるな! なんだ、今の技は……確かに捉えたはずなのに、斬られたのはこっちだと!?」

 

 梅里の賞賛を意に介さず、土蜘蛛は憤りをぶつけて吠える。

 その土蜘蛛に、梅里は静かに笑みを浮かべた。

 

「月は定かに見えずとも、朧に光りて闇を照らし、散らす──名付けて満月陣・朧月(おぼろづき)

「朧月だと……ふざけた技をッ!」

 

 これこそ梅里が水戸で掴んだ極意だった。

 新月殺で殺意へと意識を集中させたことで至った境地に、己自身を「無」へと集中することで同じ境地に至る。

 そして押さえた霊力を、相手の攻撃に合わせて瞬間的に爆発させてその場に霊力の『焼き付き』のような残滓を残すことで誤認させている。

 そして同時に新月殺と同じように瞬間移動を行い一撃を見舞う。

 相手の攻撃を完全に回避した上での死角からの反撃(カウンター)──それが満月陣・朧月であった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「今のは……!?」

 

 その技を目の当たりにして味わった土蜘蛛の次に驚いていたのは、見守っていたせりだった。

 端から見ていた彼女には梅里に攻撃が当たった、と思った次の瞬間にまるで霞のようにその姿が消え、突然別の場所に現れていた彼が敵に斬りつけていた、ようにその目に映っていた。

 無論、離れて声が聞こえないせりには、それが梅里が編み出した新たな技だということは分からなかったが、それでもその一撃が明らかに形勢を逆転させていたのは分かった。

 そのことにホッとしたせり。

 

「あ……ここからなら、届くわよね」

 

 せりは思い出したように弓に矢をつがえる。

 吹き荒れるこの暴風の中で、狙ったところに矢を当てるのは、いかにせりの弓矢の腕が高くとも不可能だった。

 だが──

 

「私の──『天鏑矢(あまのかぶらや)』なら、風は関係ない。当てられる」

 

 目を閉じて霊力を集中させつつ、引き絞る。

 矢はせりの霊力を受けて雷を帯び、一筋の稲妻となって弓につがえられていた。

 狙うは、梅里と対峙している相手──三対六本の腕を持つ、異形の大女……

 

「──え?」

 

 せりが戸惑ったのは、そのときだった。

 敵──土蜘蛛をその目で捉えたときに異変が起きた。

 

 

 土蜘蛛は、自分自身は女であることを捨てており、それを指摘されると怒りさえするが、その大きな胸がその性別をなによりも物語っていた。

 そしてまるで半裸といった体のラインがしっかりと出ているその姿は、せりに土蜘蛛が女性であると意識させるのには十分だった。

 

 

 その土蜘蛛が──梅里と相対している。二人だけで。

 実際には、二人は戦っている。それはせりも頭では理解している。

 しかしそれでも──せりの心にざわつきが生まれ、その抑えが効かなくなっていた。

 

「な、なんでよ……なんでこんな時にッ!?」

 

 せりのは戸惑い、もどかしさを感じ、怒りさえ覚える。

 そんな彼女をよそに、暴走する彼女自身の黒い感情──嫉妬。

 

「あ……」

 

 それが、せりの体を乗っ取り、自身を暴走させる。

 その目が淀み、ハイライトを失うと──せりの霊力によって生じた青白い雷は妖力による漆黒の雷へと姿を変えていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 レニ機発見の報を受けて付近にいた大神機とアイリス機が救助に向かったが、それを待ち受けるかのように登場した複数の脇侍。

 その戦闘をモニターしていた本部作戦司令室だったが、突然の異変を関知して、由里の声が響きわたった。

 

「付近で強力な妖力反応を探知!!」

「なに!? 場所はどこだ?」

 

 米田が問う。

 

「レニ機周辺の戦闘区域とは、明らかに違う場所です」

 

 由里の報告に基づいて、付近の地図がでる。

 レニ機付近の光武と脇侍が戦っている戦場とは少し距離が離れた、脇侍の出現の報告もない、ノーマークの地点だった。

 

「モニター、出ます!」

 

 その付近を捉えた映像が、作戦司令室のモニターに映し出される。

 それを見て──米田が、かえでが、司令室の誰もが絶句した。

 

「──なん、だと!?」

 

 信じられないものを見た米田が呻くように言うのが精一杯だった。

 そこには──黒い雷を帯びた矢をつがえた、せりの姿があった。

 

「これが……妖力反応の発生元なの?」

「周辺で他に反応は認められません。おそらく間違いないかと」

 

 かえでの確認に答えたのはかすみだった。

 広範囲の霊力や妖力探査も行っているが、嵐等の影響もあって精度が落ちている。

 とはいえ、見た目からしてもそれが正解で間違いないだろう。

 

「由里! せりに通信をつないで!!」

「先ほどから呼びかけていますが……返事、ありません!」

 

 映像で見る限り、せりはまるで表情が消えたかのようであった。

 冷徹に、何かにねらいを定めているように見える。

 

「彼女がなにを狙っているのか、至急調べてちょうだい!」

「了解!」

 

 かえでの声にかすみが答え、指示通りに調べる。

 せりが狙っている方向を確認し、その延長上になにがあるのか、誰がいるのか、それを調べ──

 

「──え?」

 

 かすみは思わず声を上げていた。

 

「どうしたの、かすみ。なにかわかったの?」

「は、はい……付近で夢組の武相隊長が、五行衆の土蜘蛛と戦闘中の模様ですが……」

「なんですって?」

 

 電波と霊波の乱れで、それを把握していなかった作戦司令室に驚きが広がる。

 だが、報告するかすみは青ざめていた。

 

「白繍調査班頭が狙っているのは、まさにそこです」

「バカなッ!!」

 

 思わず叫んだのは米田だった。

 確かに梅里と土蜘蛛が戦っていて、せりが弓矢で狙いを定めていたとしたら、梅里への支援で土蜘蛛を狙っていたことだろう。

 だがせりは妖気を発し、明らかに正気を失った目で狙いを定めている。その狙いはおそらく──

 

「梅里くんに連絡を! 注意喚起をすぐに!!」

「無理です。電波状況が悪く、連絡つきません!」

 

 由里がそう答えると、すかさずかえでは再び指示を出す。

 

「それなら千波に連絡して精神感応で知らせて──」

 

 その指示を出している間にも妖気は高まっていき、付近に黒いスパークを放っている。

 それが最高潮に達し、今にも矢が放たれようとした、そのとき──

 

 

「せりさんッ!! しっかりなさいッ!!」

 

 

 かすみの怒鳴り声が無線を通じて響きわたった。

 




【よもやま話】
 実はこのシーン、梅里と戦うのを鬼王で考えてました。
 しかし鬼王とだけ何度も戦うのもな、と思ってこのままだと出番無く終わりそうな土蜘蛛を出してみました。
 ちなみに手にしている刀、手斧、矛、弓矢は、原作オープニングでちらっと出てくる土蜘蛛が手にしていた武器で確認できたもの。魔操機兵抜きだとどんな戦い方をするかで悩んで、いろいろ考えた結果です。
 大神は金剛と因縁をつくっていたので、土蜘蛛と戦闘させて因縁を──と思ったら、せりの嫉妬をかいました。
 そして「朧月」──旧作では水戸での修得、それの御披露目用の戦闘があったのですが今回はいろいろ端折ったので、ここで緊急御披露目です。


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─8─

「せりさんッ!! しっかりなさいッ!!」

 

 その声は、通信機を通じたものだったが、せりの心に激しく訴えかけていた。

 言外に感じられる「あなた、それでいいの?」「あなたの彼に対する気持ちはそんなものなの?」というかすみの言葉。

 それにせりは反応して──

 

「──ッ!?」

 

 突然聞こえたその通信に、我に返るせり。

 そして今の状況──自分が梅里を狙っていることに気がついた。

 その手の内には今にも放とうとしていた雷──妖力による黒いそれだったものが、せりが意識を取り戻したことで青白いものへと染まる。

 ──ふと、思い出す。これとそっくりな状況があったことを。

 

(これは……あの日の再現だ)

 

 それは、あの日以来、一日たりとも忘れたことがない、せりにとって最悪の夜の光景。

 何度後悔したことか。何度悪夢に見たことか。

 悔やんでも悔やんでも、悔やんでも悔やんでも悔やんでも悔やんでも悔やんでも悔やんでも悔やんでも悔やんでも悔やんでも悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない──せりの心に刺さった棘。

 

 ──せりは梅里を射抜いたあのときを、瞬間的に思い出していた。

 

 ただ一つ違うのは、前は放たれた直後に意識を取り戻したが、今は放たれようとする寸前に意識を取り戻せたこと。

 ほんの少しの差ではあったが──大きな違いだ。

 なぜなら、どうにかしようとあがくことができる。

 それでも──

 

(ダメ、技を途中では止められない……)

 

 ──高まった電撃は逃げ場を求めていた。

 中断はできない。放つしかない。

 ──それをとっさに判断し、どうにか定めていた狙いを──彼を見つめていた目を強引に逸らす。

 そして流れた視線が偶然捉えたものを見つけ──そのときにはそれを放っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 稲妻となった電撃を帯びた矢は一直線に迅り──梅里ではなく、それと相対していた土蜘蛛を偶然に貫く。

 

「なッ!?」

 

 突然の流れ矢のような一矢を受け、土蜘蛛は戸惑った。

 普段なら反応できていたかもしれないそれも、射手の意志が、殺気がない矢だったために察知することができず、それに気づくことなく受けたのである。

 

「くッ……キサマら、ナメた真似を……」

 

 受けた傷を手で押さえつつ、土蜘蛛は憎しみを込めて梅里を睨みつけていた。

 そして自分を傷つけた射手を探す──矢が来た方向で、弓を持った夢組隊員が離れた場所にいるのを認める。

 

「弓矢ならこっちにもあるが……」

 

 数の上では二対一になった。

 普通ならそれでも土蜘蛛は戦っただろうが、今は相手が悪い。

 相対している華撃団夢組の隊長は、もう一人を相手にしながら片手間で戦えるような楽な獲物ではないからだ。

 

「癪だが……まぁ、時間は稼いだ。十分だろう? 水狐」

 

 彼女のためにやったことではないが、与えられた使命は果たしている。

 

「それに、楽しみはとっておかないとな。そうでなければ狩りがつまらなくなっちまう」

 

 引き時とみた土蜘蛛は六本の腕で地面を叩き──まき起こった圧倒的な量の土煙にその身が隠れ──梅里が警戒する中、土煙が消えた後にはその影は消え去っていた。

 

「ふぅ……」

 

 梅里は大きく息を吐き出すと、刀を腰に納める。

 終始圧倒した梅里だったが、主導権を握り続けていたからこそであり、決して油断できる相手ではなかった。

 その脅威が去り、警戒を緩めた梅里は、敵を退かせるきっかけになった青い稲妻が放たれた元の方へ目を向ける。

 そこには、ペタンとその場に腰を落として呆然としていた、せりの姿があった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 梅里はせりの方へと歩き出した。

 まだ呆気にとられている様子だった彼女だが、梅里が近づいてくるのに気が付くと、慌てた様子で立ち上がる。

 そして、一目散に逃げ出した。

 

「なんで……?」

 

 驚いた梅里はせりを追いかける。

 運動神経の良いせりの足は速かったが、それでも男女の差は大きいし、なにより梅里も体を鍛えている。

 距離はすぐに縮まり──梅里はせりの肩に手を伸ばす。

 

「せり! なんで逃げるんだよ!」

 

 梅里の手が肩を掴むと、せりは観念したように足を止めた。

 だが、それでも振り返ることはできなかった。

 

「それは……今、あなたのことを……」

 

 そこまで答えるのが精一杯。それ以上は言えないせりの意を汲むように、梅里が遮った。

 

「せりのさっきの一撃のおかげで土蜘蛛を退けられた。助かったよ。ありがとう……」

 

 感謝の言葉。

 その心からの言葉は、彼の優しさを如実に表しており──それが却ってせりの心を締め付ける。

 

「そんなこと……ない」

 

 梅里に背を向けたまま、せりは言う。

 そして二度目の言葉はほとんど叫ぶように言ってた。

 

「そんなことない! 今のは、お礼を言われるようなものじゃない。お礼を言われる資格なんて……私には、無い」

 

 せりの吐露で、頭の後ろの二つのお下げが揺れる。

 それを見つめながら──梅里は口を開いた。

 

 

「──なんで?」

 

 

 それに対してせりは、さらに言葉を感情と勢いに任せて続ける。

 

「だって、今の一矢(いっし)はあなたを助けようと放ったんじゃない。あなたの命を狙っていたものだったんだから!」

 

 

「──どうして?」

 

 

 責めるような語調ではなかった。

 ただ純粋に理由を──まるで、子供のやったたわいないイタズラの理由を笑顔で尋ねる親のように、彼が尋ねる。

 だからせりは自然と──まるで子供のように感情を爆発させていた。

 

「そんなの、わかるわけ無いわよ! 気が付けば、あなたに狙いを定めていた。手には私が生み出した雷があるし、しかもそれは──真っ黒くて、まるで妖力みたいなものでできていて、すぐに私の霊力で元に戻ったけど……本当は、本来は違ったのよ? あなたのことを助けようと思って、あなたが戦っていたのが見えたからその手伝いがしたかったから……弓に矢をつがえて、狙いを定めたのに……」

 

 うつむいたせりの肩がわなわなと震える。

 自分のみっともない部分をさらけ出すようで、この先を言うのは抵抗があった。でも──梅里に洗いざらい本当のことを話したい、という気持ちが上回った。誤解されたままでなんていたくはなかったからだ。

 

「土蜘蛛に狙いを付けて、そして思ったの。あの人の胸とか、露出の多いその姿を見て、ああ、またあなたが私以外の女の人といるって──戦闘中なのに、敵として戦っているのに──そんなこと、頭ではきちんとわかってるはずなのに、心が、この胸が──勝手にそう思いこむのよ!」

 

 忌まわしいものへ抗議するように、せりは胸当て越しに自分の胸をもどかしげにトンと強く叩く。

 

「その気持ちに抑えが効かなくなって──気が付けば、また、あなたを狙っていた」

 

 背を向けて、顔向けできない彼に対するせりの懺悔。

 だが──その彼はさらに踏み込んだ。

 

 

「──また?」

 

 

 ああ、やはりそこをついてくるのか、とせりは思う。

 今回の懺悔のついでにこっそり入れた、せりなりの告戒。

 それを、彼は流しはしなかった。きちんとついてきた。

 しかしそれこそが、せりが本当に求めていたものかもしれない。彼なら、そこに気がついて、きっと問うてくれる──そんな信頼が、あった。

 だからせりは、覚悟ができていた。

 肩が震える。手も足も震える。

 それでも必死に拳を握りしめ、力を込めて震えに(あらが)い──せりは振り返った。

 

 

「そう……あなたを、前にあなたを射抜いて命の危機にまで追い込んだのは……私なの!!」

 

 

 言った。

 言ってしまった。これで後戻りはできない。

 それどころか、もう一緒にいられないだろう。でも、それでも彼に隠し事をしたままでいるのは──彼に嘘をつき続けるのは、もう耐えられない。限界だった。

 振り向くや怖くて目をつぶっての告白だったが、それを終えて恐る恐る顔を上げると──彼は、なぜか笑顔だった。

 とても優しい笑顔で──彼は言った。

 

 

「──うん。知ってた」

 

 

 実にあっけらかんとそう言った梅里に、せりは呆然とする。

 

「……え? 気づいて……いたの?」

 

 驚いて目を見開くせり。

 そんな彼女の問いに梅里はうなずきながら、笑みを苦笑へと変えた。

 

「一緒にいるようになってから、どれくらいだと思ってるんだよ。気が付かないわけないだろ? あの『天鏑矢(あまのかぶらや)』を何度見たと思っているんだい?」

「な……」

「でもまぁ、自分で受けたのは、あれが初めてだけど……」

 

 そう冗談めかして言う梅里に、せりの肩が再びわなわなと震え始める。

 

「な、なによそれー!!」

 

 そう叫んで感情を爆発させたせりは一気にまくし立てた。

 

「まったく、あなたはそういうことを平気で言って……私が一大決心して言ったことを茶化して……本当に、信じられない!」

 

 一度始まった感情の吐露は止まらなかった。

 

「あなたが! 梅里が意識も記憶も戻ったのに、何も言わないから、てっきり……気が付いていないと思ったのに。でも、なんで? それならなんで今まで黙ってたのよ! あなたが何も言わないから、私……とっても悩んだんだからね!」

「……ごめん」

「そんな笑いを浮かべたまま謝ったって許さないわよ、もう。ホントに信じられない……どれだけ私が悩んだことか。誰かが気が付いて……もしも裏切ったって告発されたら、私、華撃団にいられなくなっちゃうと思って……」

「僕が、せりが裏切ったと疑うとでも思ったの? それは心外だよ」

 

 そう言ったときの梅里は、笑みを浮かべていなかった。

 真面目な面持ちの彼は、少し怒っているようにさえ見える。

 

「そうさ。裏切るなんて思ってない。だから……ずっと待ってた。やっと、言ってくれたね、せり」

「──どういう、こと?」

 

 厳しかった顔が急にホッとしたような笑顔になった梅里に戸惑うせり。

 そんな彼女に説明する。

 

「鬼王と戦っていた僕を撃った犯人として、せりのことは疑われてはいたんだ」

 

 共に襲われた二人の──そのうち、梅里を貫いた光を見たというかずらの証言。

 治療し、診察した大関ヨモギによる傷の所見と、記憶喪失の原因と思われるもの──電撃のような攻撃を受けたではないか? という推測。

 それらの証言、証拠だけでは可能性の一つとして考慮する程度の弱いものだった。

 しかし、遅々として進まない梅里襲撃に関する調査と、それに対する責任者であるはずのせりの消極的ともいえる姿勢は、当初は事件そのものがショックだったのだと思われたが、いつまで経っても改まることがなかった。

 普段のせりを考えれば「大将のことを傷つけたヤツなら、地の果てまで追いつめて犯人を引きずってくるだろ」と釿哉が揶揄するほど、のめり込んでもおかしくないと言うのに。

 その上、消極的な割には日に日に憔悴していく様子は、気が付いてみればおかしいとわかる。

 そして──記憶が戻った梅里は、さっき彼自身が言ったように、『天鏑矢』だとほぼ確信していた。

 ゆえに梅里は特別班四天王の五人目を使った。

 そして──あの喫茶店でせりが妹のなずなに自白するのを、彼女は聞いていたのだ。

 

「でも……だからこそ、せりが犯人だとこっちで決めるわけにはいかなかった」

「なんでよ? 私が犯人だって確信したなら、捕まえればいいじゃない」

 

 意味が分からず問うせり。実際、あのときも、あのあとも苦しみ続けていた。

 早く楽にしてほしかったと思っていたせりにとっては、苦痛でしかなかったのだ。

 梅里は答える。

 

「僕はせりを信じていた。キミは裏切らないって」

「そんな……どうしてそこまで私のこと……」

 

 信じられるのは嬉しいことだが、その盲信の理由は気になる。

 梅里は笑顔で答えた。

 

「だって僕の心を救ってくれたのは、せりだったじゃないか。あのとき彼女の想いを教えてくれたから、今の、生きることに前向きになれた僕があるんだ。そんなせりが……僕を救ってくれたキミが、裏切るわけなんて、ありえない」

「な……」

「だから、キミを裏切り者として捕まえるわけにはいかなかった。たとえそれが誰かに操られたものだったとしても。僕は信じていた──本当のことをこうして自分から話してくれるって」

「うめ、さと……」

 

 せりの目に涙が溢れる。

 こぼれ落ちたそれは頬を伝い、地面を染める。

 

「ズルいわよ、そんなの……」

 

 涙と共に憑き物が落ちたように、何かが抜け──脱力したせりが崩れ落ちかけるのを、梅里は慌てて抱き留める。

 

「怖かった。あなたの元から離れなければならなくなるのが。だからどうしても言えなかった。言おうと思っても……私の弱い心が、みんなを信じきれなかった」

 

 今にして思えば──なぜ、あの戦いをくぐり抜けた戦友達を信じることができなかったのか。

 自分の主張を聞いてもらえず断罪される、と思いこんでいたのか。

 

「そうこうしているうちに、気が付けばあなたと誰か他の女の人が一緒にいるのを目にしたら気持ちが暴走するようになってた。私の、嫉妬心が──」

 

 抱きつくような形になったせりは、梅里の胸に顔を埋める。

 これが──これこそが、せりがあの事件で梅里を射抜いてから今まで何度と無く夢見、焦がれ、そして欲した感覚だった。

 

「そうよ、私は嫉妬していたの。あの日も、かすみさんの言うことをなんでも聞いてしまうあなたに。だから喧嘩して……それでも待ってくれてると思ったのに、あなたはかずらとかすみさんと一緒に帰った。私を置いて……」

「あのときのことは、ごめん」

 

 梅里が思い出しながら謝るが、せりは顔を上げて怒る。

 

「許せないわよ! それからことあるごとに嫉妬が強くなっていったのに……記憶が戻ったあなたが水戸に行っている間、私がどれだけ思いを募らせたか、そのせいでいろいろ考えて、嫉妬が暴走するのを抑えるのに、どれだけ苦労したか、わかる?」

 

 梅里が水戸から戻ってくる頃には、すでに嫉妬心を抑えこむのに一苦労するありさまだった。しかもそのうち、嫉妬心が妖気を生み始め──それを防ごうとさらに必死に霊力で押さえ込み──そのせいで憔悴したせりは、まるで鬱のような精神状態になっていたのだ。

 

「もう制御するのも限界に来ていたの。それで今回は、一緒に探索することになって……私が見つければ、敵の襲撃を警戒してあなたがレニの元へ向かうことになるのは分かっていた。でもそうなると……私は嫉妬を抑えきれなくて、あなたかレニを殺しかねない」

「え……?」

 

 梅里が戸惑って思わず声を出したが、せりはそれに気がつかず、話を続ける。

 

「そう思ったから、飛び出したのよ。なんとしてでもあなたよりも早くレニを見つけて、私の手で保護しないと、と思って」

 

 せりの罪の告白は、今回の件にまで及んでいた。

 だが、それを聞いた梅里は、眉をひそめる。気のせいか、なぜか引いているようにさえ、せりの目には見えた。

 

「え? ちょっと待って。ひょっとして……せりって宗次や釿さん、和人やロバートにも嫉妬していたの?」

 

 そんなことを言われれば、さすがに驚くせり。

 あの土蜘蛛にさえ嫉妬したことに驚いたが、アレはまだ確かに性別的には女性だった。さすがに男には嫉妬心を抱いていない。

 もちろん──男同士の交わりを想像するような趣味もない。

 

「えぇッ? そ、そんなわけないでしょ!? 私って、そんな目で見られてたわけ?」

「ん? そんな目って……どんな目?」

 

 BL的なものを想像したせりに対し、意味が分かっていない梅里が問い返すと、耳年増のせりは顔を赤くする。

 

「なんでもないわよッ!! とにかく、なんでそんなこと聞くのよ!?」

「いや、だって……レニって、男でしょ?」

 

 

「──は?」

 

 

 呆気にとられるせり。

 そんな反応を見て戸惑う梅里。

 二人の間で空気が固まっていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 すでに帝劇では女性として認知されているレニだが、来た当初は男だと思われていた時期が確かにあった。

 ──勘違いした大神がレニの入浴中に入り込むという、トンデモ事件を起こしてそれが分かったのだが──大神の周囲からの好感度という大きな犠牲を払っていた。

 ともあれ、それが分かったのはレニが来てからしばらくしてからのことだ。

 一方、レニが来た直後に襲撃事件によって意識不明の重体になり、意識が戻っても記憶喪失でカンヅメ状態。それが解消したら今度は水戸に長期帰省──と、レニとほとんど入れ違いになっていた梅里。

 そんな彼が戻ってきたころにはにレニが女だというのは帝劇内では当たり前の話になっており、改めて梅里に知らせる者も無く、彼が知る機会は皆無だったのだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それに気がついたせりは、ため息混じりに言った。

 

「レニって……女の子よ?」

「は? いやいや、そんなわけないでしょ」

 

 そう苦笑を浮かべる梅里。

 それを聞くや、途端にムキになるせり。

 

「あのねぇ、レニは女なの! 逆に訊くけど、どうしてそう思うのよ?」

「だって、一人称が“ボク”でしょ? 僕と一緒なんだから男に決まってる……」

「は? なにそれ、それだけの理由でそういうこと言うの? それともなに? あなたも大神少尉みたいに、一緒にお風呂にでも入って確認したっていうの? でもそれならおかしいわよね!? 見たら分かるんだから!!」

「見たらって……」

 

 梅里が苦笑を浮かべると、せりは急に顔を真っ赤にする。

 

「う、うるさい!! と・に・か・く!! レニは女の子なの!! だから、私は、あなたがレニと触れたら嫉妬がまた抑えられなくなると思ったのよ。そう思ったのに──ッ!?」

 

 レニと梅里が触れる、自分で言ったその状況を想像しただけで、心が嫉妬を生み、せりの霊力はドス黒いものとなって暴走しかける。

 あふれ出した黒い影に。「ダメ……」と絶望的になるせり。

 それを──梅里が再び力強く抱きしめた。

 

「あ……」

「そんなのに負けるようなせりじゃないだろ」

 

 戸惑ったせりは、梅里に言われてハッとする。

 悪いものを生み出しているという自覚があったから、これを抑えようという気持ちはあった。

 でも──心のどこかで向かい合う気持ちに甘さがあったように思える。

 それは「梅里に嫉妬するのは、仕方がないこと」とどこかで諦めていた──むしろそれさえも愛情表現の一つである、とまで考えていたせりの気持ちは、少なからず嫉妬を受け入れていた。

 

(それが原因、だったのかしら……)

 

 梅里の手に包まれている安心感、それに身を委ねていると──通信が回復し、同時に水狐の使っていた魔操機兵を破壊したという連絡が入った。

 

「水狐って……サキさん、だったんでしょ?」

 

 敵の間者だったということはすでに周知されている。

 それでも少しせりが寂しそうなのは、同じ帝劇で働き、食堂副主任として事務局で働いていた彼女と接点があったからだろう。

 

「ああ。でもね、せり。アイツはキミの心を利用した……僕は絶対に許せない」

 

 梅里もまた、少し寂しげに言う。

 それを見てせりは苦笑を浮かべ──

 

「絶対に許せない、って顔してないわよ」

 

 彼女の言うとおり、梅里の顔には激しい怒りを抱いているようには見えなかった。

 

「まったく、優しすぎるんだから」

 

 クスッと笑うせり。だが、彼女は梅里と同じようにサキをどこか許せない、という気持ちにはなれなかった。

 

「でもね、私は……自分のことはさておき、あなたの命を本気で狙ったあの人を、許すことはできなかったと思う……って、あ、れ……?」

 

 そこまで言ったせりは、急に脱力していた。

 突然のことに自分でも戸惑うが、抱き留めていた梅里もまた、驚いてた。

 

「……黒い霊力が、抜けていっている?」

 

 せりを縛り付けていた妖力が離れていくように梅里には感じられた。おそらく、水狐がかけた呪いが、本人の死によって解けたのだろう。

 せりから抜けた黒い妖力が、舞い上がり、空に散っていくのを、梅里とせりは複雑な思いで見つめていた。

 




【よもやま話】
 ようやく、ここで1話からつづいていたせりが負い目から解放されました。
 ──でも、第3話はあとちょっとだけ続く。


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─9─

 水孤は倒された。

 直前にかえでや加山たちによって追われていた彼女こそ、米田司令を狙撃した犯人であり、その下準備の混乱のために鬼王に梅里を襲わせ、さらにはせりを操って狙撃させた犯人でもあった。

 その悪行が続々と明らかになる──その前に、せりは「梅里をうったのは私です」と申し出ていた。

 そして、夢組内ではその諮問委員会が開かれていた。

 

 花やしき支部の地下施設にあるその一部屋で、それは行われていた。

 正面に座るのは夢組隊長の梅里。そして、それを挟むように副隊長の宗次としのぶが席についている。

 その正面の証言台に立っているのは、諮問される相手──夢組調査班頭の白繍せりだった。

 諮問側の席には、先ほどの三人のさらに横に、副支部長であるティーラと特別班の面々がさらにいる。

 また、参考人として、梅里が襲われたときに現場に居合わせたかずらと、夢組でこそないものの同じく現場に居合わせた風組のかすみが呼ばれ、脇の席に座っている。

 すでにあらかたの聴取は終え、せりが最終の弁論を行っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──私が覚えているのは、以上の通りです。梅里……いえ、武相隊長をこの手で射抜いたことに間違いはありません。いかなる処分も異議を申し立てることなく、甘んじて受けるつもりです」

 

 そう言って頭を下げ、自分の言うべきことはすべて言ったと意志表示する。

 それを黙って訊いていた面々。

 その中で、正面に座っていたしのぶが口を開いた。

 

「せりさん、あなたは敵である五行衆の一人、水狐に操られていたのは間違いないと思われます。そのような証拠も十分に認められておりますし、ここに居合わす皆が異論がないことと思われますが……それについて、なにも主張しなくてもよろしいのでしょうか?」

 

 しのぶの問いにせりは、しっかりと頷く。

 

「はい。敵に操られたのは、私の嫉妬心を利用されてのことです。それは私の未熟の証であり、利用されたのは、私の責任ですから」

 

 ハッキリと答えたせりに、しのぶは線のように細い目の上にある形の良い眉をひそめていた。

 正直、これは形ばかりの諮問会といってもいい。

 操られたせりが本気で悪いと思っているものはいないし、知らないうちに利用されたせりが制裁をうけるのも理不尽なように思える。

 だからせりには強い罰を与える気はないのだが──困ったしのぶは思わず宗次を見ていた。軍属の彼であれば、なにかちょうどいいくらいの処分を知っていて、それを下してくれるのではないか、という気持ちからだった。

 だが──次に口を開いたのは宗次ではなかった。

 

「あの……私からもよろしいでしょうか?」

 

 そう言って手を挙げたのは参考人席にいたかずらだった。

 本来であれば諮問委員会に入っていないかずらがなにかを聴取するのはおかしいところだが、同じ夢組──それも調査班頭と同副頭という上司部下の関係である。

 進行を担当している宗次はかずらの発言を認め、彼女はせりに尋ねた。

 

「せりさん、どんな処分も受けるって言ってましたけど……それが懲戒除隊であってもですか?」

「もちろん、そうよ」

「そうなったら梅里さんと会えなくなりますけど、大丈夫ですか?」

 

 ハッキリと頷くせりに、かずらは少し意地悪をする。

 だが、せりはそれに反撃し──訝しがるようにかずらを見た。

 

「なんで? 梅里とは会えなくならないと思うけど?」

「なんでって……だって、華撃団員じゃなくなるんですよ? 食堂副主任ももちろん解雇(クビ)でしょうし」

「あら? 心配してもらわなくても大丈夫よ。この人の側にずっと居ればいいことだから。例えば……結婚して、とかね」

 

 

「「「な──ッ!!」」」

 

 

 その場にいた中の三人の女性の間に緊張が走る。

 かずらが驚き、しのぶの眉が跳ね──

 

「ちょっと待ってください。どうして、三人の間に緊張が走ってるんですか? せりさん抜いて三人は計算が合いませんよ」

 

 眉をひそめて、かずらが文句を付けていた。

 そして、彼女はかすみを振り返る。

 

「なんで、かすみさんが緊張を走らせたんですか?」

「え? そんなこと……ありませんけど?」

 

 微笑みながら首を傾げるかすみ。

 その表情が苦笑めいていることを見抜いたかずらは、さらに問いつめる。

 

「かすみさん、関係ないですよね? 関係ない部外者じゃないですか。なんでかすみさんが緊張を──」

 

 関係ないことで騒ぎだしたかずらにため息をつく宗次。

 

「近江谷姉妹、つまみ出せ」

「「了解!」」

 

 宗次の指示で絲穂と絲乃によって両腕を掴まれて連れて行かれるかずら。

 

「なっ? ちょっ……放してください、二人とも。話はまだ……」

 

 出て行く最後までかすみに「この、泥棒猫ー!!」と叫んでいたので、居なくなった瞬間に宗次が再度──今度は深くため息をつき、かすみに「申し訳ありませんでした。ウチの若いのが」と軽く頭を下げる。

 それから気を取り直し──

 

「さて、どうする? 梅里」

「どうするって言われても……僕は民間登用でこういうのはまったく経験がないし、目安さえもわからないよ?」

 

 懲罰内容を決める実質的な最終決定権は隊長である梅里にあるだろう。

 その内容を、華撃団司令の米田中将の名前で命令することになるが。

 ちなみにそこにいる中で、懲罰内容について話し合うのはあくまで隊長と副隊長の三人であり、副支部長というそれに準ずる地位のティーラが参考意見を言える程度だ

 他の特別班の面々は、書記や司会進行役、また先ほどかずらを連れ出すような役目を担っているのだが──もっとも大きな役割は目立たぬように、夢組戦闘服の上にフードを目深に被って顔を隠している『読心(サトリ)』の御殿場 小詠が嘘をついていないか確認していることだ。他の四人は小詠がいることのカモフラージュのために出席しているようなものである。

 

「ふむ。ではこの場合は、そうだな……」

 

 しのぶもまた陰陽寮に所属していたが、同族経営のような組織では余程のことでなければ懲罰はない。

 実際、しのぶも過去に離反するような動きを見せたのに、お咎めなしで復帰していた。

 頼りになるのは実質、宗次のみ。

 彼が下した判決は──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「不当です! 不服です! 控訴しますッ!!」

 

 そう不満を主張しているのは、諮問委員会から叩き出されたかずらだった。

 すでに委員会は終了し、せりに下された処分が張り出されたのだが──それを見て騒いでいるのだ。

 その手には、柊に頼んで書いてもらった紙──立派な字で“不当判決”と書かれたもの──を掲げている。

 

「なんですか、この隊長預かりって……こんなの、罰じゃなくてご褒美じゃないですか!!」

「でも、せりさんは操られてたんでしょ? 私たちだってそうなっちゃうかもしれないわけだし……それなら、あまり厳しいのは、ねぇ」

 

 隣で見ていた、結果が気になり、わざわざやって来ていた舞がフォローする。

 自分が同じように操られ、意に反して誰かを傷つけたとしたら……厳しい罰を課せられるのは理不尽だと思うだろう、と彼女は思ったし、それは他の隊員達の感覚も近い。

 しかし、そんなもので引き下がるかずらではない。

 というか、処罰の軽重を問題にしているのではなかった。

 

「だったら、私も誰かを瀕死に追いつめれば……そうすれば梅里さんに預かってもらえるわけで……」

「あの、かずらちゃん? そういうわけじゃないと思うけど……」

 

 舞の声はかずらに届かない。

 

「そうですね、梅里さんを狙うわけにはいきませんから、巽副隊長あたりを鈍器で、渾身の力で殴れば……」

「──それは明らかな殺人未遂だな、伊吹」

 

 かずらの計画で手に掛けられる予定の被害者、宗次本人の冷たい声で我に返るかずら。

 

「……た、巽副隊長……これは、その……えっと……」

「しかしその細腕と体力では無理だな。よし、鈍器に渾身の力を込められるように、乙女組のころを思い出して特訓といくか。なぁ、伊吹?」

 

 そう言う宗次に肩を掴まれたかずらは、それ以上騒ぐことはなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その少し前──委員会が終わり、宗次が指示していた特別班の遥佳が、下された処分結果を掲示しに真っ先に部屋を出て、それ以外のメンバーも続々と出て行く。

 その中で最後まで残っていたのは、共に花やしき支部所属になっている宗次とティーラだった。

 他の本部メンバーが出て行ったあと、宗次は大きくため息をつく。

 

「おつかれさまでした、巽副隊長」

「ああ。こういうのはあまり気分いいものではないな」

 

 珍しく苦笑する宗次に、ティーラも微笑みを浮かべた。

 

「お前にも苦労をかけたな。梅里襲撃時の一件、花組の真宮寺が気にしていたぞ」

「あら、存じてますよ。どうやら庇ってくださったようで……ありがとうございます。そのさくらさんから、想い合っているんですねと言われましたよ」

「な……」

 

 クスクスと笑うティーラに絶句する宗次。

 咳払いを一つしてから、気を取り直した宗次は「む……」となにやら考え込む。

 

「……どうかしました?」

「いや……疑問に思ったことだが、呪術というのは術者が死ねば、その効力は完全に消え去るものなのか?」

「……せりさんのことですか?」

 

 ティーラの確認に頷く宗次。

 副隊長になって三年目になる宗次だが、やはり魔術、呪術といった専門的な知識は分からないことも多い。

 

「司令から言われたが、アイツはこの前も梅里を狙おうとしていた。隊長預かりという処分にはしたが、その影響が残るのなら、梅里の近くに居させるのはマズいことになりかねない」

 

 その恐れは頭にあったにも関わらず、せりを梅里の預かりという処分にしたのは、距離をおく方が彼女の嫉妬心を煽るという判断からだった。

 距離をあければ嫉妬心を煽り、近づければ命を狙う危険が増す。いかんともし難く、宗次の頭痛の種でもある。

 

「そうですね。呪術の種類によると思います。力が残るのも消えるのも、どちらもあり得ることかと……」

「今回の、水狐の呪術はどっちだ?」

 

 宗次の問いにティーラは首を横に振る。

 

「わかりません。ですが隊長から魔操機兵・宝形が倒されたときにせりから呪力が抜けるのを見た、という話もありますし……不安なら検査を実施してはどうでしょう?」

 

 ティーラの提案に、宗次は腕を組んで難しい顔をする。

 

「元々、検査に引っかからなかったからな。反応するかは疑問だろう」

 

 梅里襲撃事件後、巽は特別班と共に隊員を対象にした検査を密かに実施しており、犯人のあぶり出しを行っていた。無論、反応はなく、犯人がせりと確証を得るのは、小詠がなずな相手に真相を語ったのを隠れて傍聴するのを待たなければならなかった。

 

「二度も三度も不覚を取りはしない、と信頼はしているが……身内には甘いからな、アイツは」

「それが隊長の良さ、でもありますけどね」

 

 二人してため息をつく。

 そこへ──

 

「……外が、騒がしいな」

「……声からすると、かずらさんでしょうか?」

 

 なにやら聞こえてきた大きな声に、宗次はこめかみを押さえ、ティーラは苦笑を浮かべる。

 

「他の組に迷惑だからな。止めてくる」

「いってらっしゃいませ……」

 

 席を立ち、部屋から出て行く宗次を、ティーラは見送った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 処分が下されて委員会が終わり、せりはある人を追いかけた。

 和服のような服を着て静かに歩く彼女に追いつくのは、それほど難しいことではなかった。

 

「かすみさん!」

 

 せりが呼び止めると、かすみは足を止めてゆっくりと振り返る。

 長い編んだ髪を体の前に垂らした彼女は、落ち着いた物腰でせりに微笑んだ。

 

「あら、せりさん。そんなに急いで、どうかしたんですか?」

 

 見る人の気持ちを落ち着かせるその雰囲気。

 大人の余裕を感じさせるその佇まいに、せりは──

 

(やっぱり、あこがれちゃうなぁ)

 

 ──そう思ってしまう。

 だが、もちろんそれを確認するために呼び止めたわけではない。

 せりは頭を下げた。彼女のトレードマークである左右のお下げが勢いよく揺れる。

 

「あのとき、止めてくださってありがとうございました」

 

 せりの唐突な謝罪に、かすみは面を食らった。 

 顔をあげたせりはさらに続ける。

 

「あれがなければ、きっと私は、取り返しのつかないことを……」

 

 深刻そうなせりに対し、かすみは笑みを浮かべる。

 さっきの微笑みとは違う、なにか含みのある笑みだった。

 かすみは、そんなせりの謝罪にもちろん心当たりはあった。せりが妖気の矢を放とうとしているとき、通信を使い大声で話しかけて、結果的に正気に戻して止めている。

 

「はい。ですから、完全にせりさんのために、というわけではありませんよ」

「え?」

 

 戸惑うせりをよそにかすみはキッパリと言った。

 

「あくまで梅里くん──いえ、武相隊長を助けるためです」

「な!? それって……」

 

 せりを見るかすみの顔は──普段、彼女が見せる顔とは明らかに違っていた。それに気がついたせりは──

 

「まったく。素直に頭を下げたのに……」

 

 小声で思わず不満が口をついて出た。少しだけ怒気が頭を出している。

 一方、それを聞いたかすみは澄ました笑顔で返した。

 

「ですから、頭を下げていただく心当たりがありません。あくまで彼のため、そして自分のためにしたこと。それとも……せりさんが恩と思うのなら、なにか恩返しをしてくださるのでしょうか?」

「はい。それはもちろん。私も恩知らずではないつもりですから。でも──」

 

 せりはそう言って苦笑する。

 

「──彼が絡まない話でお願いしますね。また嫉妬が暴走して、今度はかすみさんに矢を放っちゃうかもしれないですし」

「まぁ、それは怖い。私にはそれを防げませんし、誰かせりさんの矢を防げる人に守ってもらわないと」

 

 せりの冗談に、かすみは大げさに芝居がかった様子で怖がる。

 

「一人だけ心当たりがありますが、いつ飛んでくるかも分かりませんし……困りましたね。彼に付きっきりで守ってくださいと、頼むしかありませんね」

 

 そう言って笑みを浮かべたかすみ。

 その顔を含め、先ほどからの彼女から浮かべているものは──明らかに女の顔だ。普段、彼女が見せている誰にでも優しい穏和なそれとは異質な、そしてほとんど見たことがない、競うための目。

 しかし、それに怯むせりではない。

 

「かすみさんって、意外と意地悪なんですね」

「ええ。私は手強い敵に塩を送れるほど、自分に自信があるわけでも、聖人君子なわけでもありませんので」

 

 先ほどからチクチクとせりの心を刺激してくる。今のもわざわざ彼の愛刀『聖刃(せいじん)薫紫(くんし)』と同じ音の語を出したのだろう。

 

「それって……宣戦布告、ってことですか?」

 

 せりの問いに、かすみは笑みを浮かべたまま、じっとせりを見つめるだけだった。

 手強い、と思う。

 落ち着いた大人の女性としてせりもあこがれる彼女が恋敵(ライバル)となるのは、気が気ではなかった。

 しかし──せりはふっと警戒心を解いて笑みを浮かべる。

 せりは、かすみの意図に気がついたからだ。わざわざこんな場所で挑発するようなことを言い出した、彼女の真意に。

 

「……やっぱり、優しいですね。かすみさん」

「なにがでしょうか?」

「いえ……私、負けませんから」

 

 勝ち気な笑みを浮かべながらの宣言。それを受けて浮かべたかすみの笑みは──どこか安心しているように見えた。

 

「では、恩返しは貸し一つ、ということで……」

 

 彼女は笑みを浮かべたまま軽く頭を下げ──振り向くと、そのまま去っていった。

 

(かすみさんの取り立てかぁ……怖いなぁ)

 

 それを見送りつつ、せりは思わず苦笑していた。

 そして──ようやく主任が戻り、副主任が復調し、メンバーがそろった食堂へと、戻っていった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──数日後の夜、かすみは同僚の由里と帝劇近くのバーにいた。

 

「まったく、かすみは優しすぎよ……」

「せりさんと同じようなことを言うのね、由里は」

 

 呆れたような由里に対して、かすみは苦笑を浮かべる。

 

「夢組の子から聞いたわよ、せりとのやりとり……」

 

 帝劇一の情報通である由里の情報網は広い。せりへの処分はもちろんとっくに知っていたし、それを聞いた女性夢組隊員が、偶然、せりとかすみが話をしているのを聞いており、その内容も聞いたのだ。

 もっともその夢組隊員が由里に話したのは、あまりに意外なものを間近で見聞きしたからであった。

 

「かすみにしては、ずいぶん乱暴な手……に見えるけど、実際はそうじゃないんでしょ?」

 

 温厚で誰にでも優しく丁寧なかすみの印象とはかけ離れたせりへの態度。

 まるで挑発してせりの悪感情を煽るような手は、彼女の同僚でもある夢組隊員にも悪い印象を与えているようであった。

 それを心配したからこそ、かすみの同僚である由里の耳に入れた方がいいと判断して、話してくれている。

 もちろん、かすみとの付き合いも長くなる由里には、かすみのやったそれは──彼女の優しさからくるものだと気がついている。

 

「なんのことかしら?」

「とぼけても駄目よ。せりを煽ったのは嫉妬心が暴走しなくなったのを確かめるため。万が一に備えて、勤務員の多い──もしもの時に止められる人が多い花やしき支部で、わざわざ確かめたんでしょ?」

 

 由里の確認に、かすみは苦笑を浮かべるだけで、肯定も否定もしなかった。

 かすみのあのときの言葉の裏には、彼女の、

 

 ──本当にもう大丈夫なんですか?

 ──嫉妬心をまた暴走させて、人を傷つけるようなことは、ありませんね?

 

 そんな問いが、せりの嫉妬心を煽った言葉の裏には隠されていた。

 

「言葉の内容聞いたけど……かすみらしくない、なんてものじゃないんだから、バレバレよ」

「かもしれないわね」

 

 答えつつ、手元のグラスに目をやる。

 

「でも、私だって命懸けにはしたくないわ。だから確かめさせてもらったのよ。安全確認は私達風組にとって基本中の基本でしょう?」

「それは……まぁね」

 

 空挺輸送部隊風組のモットーは確実に、迅速に、そしてなによりも安全に、である。かすみも由里もそれを叩き込まれていた。

 答えた由里は、グラスを一気に傾けて飲み干し、かすみを睨むようにジッと見つめる。

 

「それで、かすみ……あなたの恋は発車オーライなわけ?」

 

 絡むような物言いになった由里に、かすみは苦笑混じりに由里の顔を見る。

 由里の顔は明らかに、酒に酔って赤くなっていた。雰囲気も少しあやしくなり始めている。

 

「突然、何を言い出すの? 由里。あなた少し飲み過ぎじゃ……」

「あ~、飲んでますよ。素面(しらふ)じゃ聞けないもの、こんな話」

 

 開き直る由里。だが、かすみの年齢からデリケートにならざるを得ない部分も多いこの話題、突っ込んだ話をするのに、酒の力を借りないわけにはいかなかったのだ。

 

「いい? この際だからハッキリ言うけど──さっきの話は、たぶんせりも気がついてると思うわよ。あの娘、気持ちを汲むのが上手いから。だとしたら、宣戦布告の意味も半減するじゃない?」

 

 据わった目でみつめる由里に、かすみは苦笑を浮かべる。

 

「心配するということは、由里は私の応援してくれる、という解釈でいいのかしら?」

「推奨はしないけどね、あの人気物件は。すでに三人も狙ってるわけだし、しかも周回遅れのハンデスタート。かすみ……あなた、もう、そんな冒険できるような歳じゃないでしょ?」

 

 酒に酔いながらも呆れた様子の由里の物言いに、かすみは確かに酒でも入ってなければ言えなかったでしょうね、と思う。

 そしてそこまでしてでも本音を言ってくれた同僚に感謝する。

 だからかすみも本音で答えた。

 

「あら、勝ち目が無いなんて思ってないわよ」

「……どういうこと?」

「たとえハンデ付きでも、競争相手がその場で止まったり、ほとんど動いてなければあっという間に追いつけるんじゃないかしら? 私たち風組のモットーは“安全に”と“確実に”、それともう一つ……」

 

 そう言ってから手元のグラスに口を付け、流し見るように由里へと視線を向ける。

 

「“迅速に”でしょう? それに関して夢組に負けるわけにはいかないもの」

 

 そう言ってフッと笑みを浮かべるかすみの表情は、間違いなく女のそれだった。

 




【よもやま話】
 かすみって人がよすぎるから、肝心なところで取り逃がしたり横取りされてしまっているのではないか、という憶測で書いてみました。
 だって、あのスペックで婚期を逃しかけてるとか、あり得ないでしょ。


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─10─

 水狐の死の影響はもちろん華撃団だけでなく、黒鬼会にもあった。

 彼女に想いを寄せていた金剛はその死を受けて荒れていた。

 しかし、それ以外の五行衆の反応は冷めたものだった。仲間意識というものがほぼない彼らにとって仲間の敗死は、敵へ怒りよりも死んだ仲間への嘲りの方が強かったくらいである。

 参集した五行衆だったが次に華撃団と戦うのは火車と決まり、解散──となりかけたところで

 

「あの……少し、よろしいでしょうか?」

 

 その場に来ていた『人形師』が割り込んだ。

 

「なんだ? 貴様……」

「水狐様の死亡により生じた空席に、ついてですが……」

 

 金剛が、怒りのこもったキツい視線で睨みつける。

 

「テメェ……」

「いえいえ、別に五行衆の……というわけではございません。我が黒鬼会の諜報部門、その長について──でございます」

 

 視線に怯むことなく、慇懃に頭を下げるその人影。

 舞台の黒子のような顔を隠した黒装束。

 それを憎々しげに見ていた金剛は、興味を失ったようにぶっきらぼうに答えた。

 

「どうでもいい。好きにしやがれ」

「金剛様は異議なし、と──」

 

 人形師はその前面を黒い布で覆われた顔を、別の人物へと向ける。

 

「ワシも構わんよ。計算を狂わさない、と約束できるのなら……」

 

 老人──木喰が、含み笑いをしながら頷いた。その横では、眼鏡をかけた長髪の男──火車も答える。

 

「私も異議はありません。邪魔だけはしないようにお願いしますよ」

 

 残るは──六本腕の異形の女、土蜘蛛は厳しい顔をしていたが、まるで意識はここにないかのように無反応だった。

 

「……土蜘蛛様?」

「やれやれ、夢組隊長とやらに付けられた傷がうずくのでしょう」

 

 火車が揶揄するように言うと、土蜘蛛が視線をあげて睨みつける。

 

「あん? キサマ……なんて言った?」

「おや、ちゃんと聞こえているじゃないですか。それならきちんと反応してあげてください。彼が可哀想ですよ」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべる火車を不快げに睨みつけた土蜘蛛は面白くなさそうに視線を黒装束の男へと向ける。

 

「勝手にしろ。水狐の部下どもなどに興味はない」

「興味があるのは傷を付けた敵のみ、ですか?」

 

 火車の言葉に、土蜘蛛は改めて激昂し、手の一つで彼の胸ぐらを掴む。

 

「いやいや、恥じることはありませんよ。あれは、そこにいる彼も水狐の要請で襲撃したものの反撃にあって深手を負わせるほどの手練れ。おかげで、今まで動けずにいたくらいですからね」

 

 胸ぐらを掴まれたまま、涼しい顔で言う火車が顎で示した先には、鬼面に着流し姿の男──鬼王が無言で佇んでいた。

 

「フン……」

 

 掴んだ胸ぐらを離す土蜘蛛。不満も露わな顔で睨みつけていたが、それ以上は何も言わずに引き下がった。

 

「さて、鬼王様……承諾、願えますか?」

 

 その傍らで見守っていた顔を完全に隠した黒装束の『人形師』が、土蜘蛛が矛を収めたので鬼王へと振り返る。

 

「異論はない。が、“あのお方”の裁定は仰ぐべきであろう」

「それは抜かりなく……すでに得ております」

 

 恭しく一礼する『人形師』に、鬼王は「ならば、その通りに」と言い残し、消えるようにその場から去った。

 他の五行衆もそれを合図に次々と姿を消していく。中には、すでに許可を取っていたことを、却って面白くなさそうに捉え、不満を露わに睨みながら去っていくものさえいた。

 

 

「まぁ……とりあえずは、目障りな上がいなくなったのは、良いことです」

 

 

 『人形師』はそう一人()ちて、その場を立ち去った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして──彼は、その地位を得てから指示を出した。

 その対象は、目の前にいる──『夢喰い(バク)』ことローカストである。

 帝都某所で密かに接触した彼は、ローカストに対し、冷徹に事実を突きつけた。

 

「なっ……ワタシが、キサマの下につくですって!? 冗談じゃない!!」

「真剣な話ですよ。諜報部門の長だった水狐の地位は私が引き継ぎ、それを幹部も認めています。正式な手続きを経たものですよ」

「そんな話、聞いていない!! ワタシが預かり知らないところで、そんな引き継ぎなど……認められないわ!!」

「貴方が認めるとか認めないとか、そんな権限無いじゃないですか。そもそも、ただの協力者でしかなかったあなた方が、“どうしても”と頼んできたから入れてあげただけですよ?」

「そうよ。その通り。だからこそ、ワタシの立場は“あのお方”と対等に近い──」

 

「──黙れ小娘」

 

 『夢喰い』の言葉を遮るように、殺気さえまとった『人形師』がきつい口調で言い放った。

 

「お前ごときが対等? そんなわけないだろう、ただの虎の威を狩る狐が」

「な……侮辱するつもり!?」

「侮辱? 事実を述べただけだろうが!」

 

 普段の慇懃な口調をかなぐり捨て、『人形師』は本性を露わに言葉を吐き捨てる。

 

「貴様同様、水狐とて三流よ。米田狙撃までの手腕は誉めてやるが、それ以降はまるでなっていない。あの色惚け女狐(めぎつね)が発情したのか、花組隊長をことあるごとに劣情を扇動していたが、中途半端な色仕掛けに何の意味があったのか……」

 

 あきれ果てるといわんばかりの大仰に肩をすくませた。

 

「そのせいで却って悪目立ちする始末。深川での海軍大臣暗殺計画ではあろうことか華撃団の花組隊員に対し、第三者を介することなく直接「料亭に京極陸軍大将がいる」と偽の情報を流し、さらには旅行先では敵の通信機に細工すればいいところをわざわざ物理的に破壊だ。バレるのも当たり前……むしろなぜバレ無いと思ったのか、聞いてみたいものだ」

 

 心底呆れ果てた様子の『人形師』。

 それから、彼はローカストを振り返る。

 彼の顔を覆い隠す黒い布で隠れたい眼光が、射抜くように銀髪の女を睥睨し──

 

「貴様はそんな下手を打つなよ、ローカスト」

 

 その口調のままで釘を差した。

 そのあまりの豹変に、ローカストは言い返すことができず、その力関係も完全に定まっていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──さて、大帝国劇場の食堂は昼の営業を終えて、夜の営業の準備開始までの間の休憩時間となっていた。

 梅里が戻り、せりも完全に復調し、メンバーもそろって完全となった食堂は、余裕さえ感じさせる安定ぶりだった。

 特に、梅里の負傷は下町の神社の氏子衆が知っていたほどの話になっていたが、その彼が復帰したという話題もあっという間に知れ渡り、それを目当てに戻ってきた客もいて、繁盛を極めていたのだが、それでも人数のそろった体勢の食堂はビクともしなかった。

 

「──で、主任ったらレニを男の子だと勘違いしていたのよ。この前の戦いの時まで」

 

 梅里をからかうように言うせりの言葉に、食堂勤務の面々が思わず笑う。

 中でも釿哉は──

 

「──え?」

 

 真剣な顔で戸惑うほどに驚いている様子だった。

 

「いや、主任殿はしばらくおりませんでしたからな。戻ってこられたころには話題になっておらず、分からずとも仕方ないことでしょう」

 

 苦笑する和人と、それに対して──

 

「イヤイヤ、皆気づいていたんだカラ普通わかるデショウ?」

 

 珍しく笑みを浮かべて言うロバート。

 女性陣も、カーシャも苦笑を浮かべており、あの紅葉に至っては──

 

「え? レニって最初から女性だったじゃないですか」

 

 天性の勘が働いたのか配属当初から気がついていたという驚きの事実も判明しつつ、梅里は憮然としていたのだが──

 

「……あれ? 釿さん、いつもと調子が違いますけど、どうかしたんです?」

 

 どうにも反応が薄い釿哉を不思議に思った舞が、訝しがるように彼をのぞき込むように表情を伺っていた。

 

「ど、どうもしてねーよ?」

「……ひょっとして、釿さんも気づいて……なかった、とか?」

 

 急にニヤニヤし始める舞に対し、釿哉はごまかすように視線を逸らす。

 

「そんなことねーし。もちろん気がついてたから」

「いやいや、嘘つかないでいいですよ、釿さん。主任みたいに留守にしていたわけでもないのになんで知らなかったんだろう、とかみんな思ってませんから」

「思ってんだろーが! というか、まぁ、気づいていたけどね。大将はともかく、オレは気付いていたけどね!」

 

 ムキになる釿哉に対し、舞は日頃のお返し──むしろ最初のセクハラのお返しとばかりにからかいはじめる。

 

「そうですね~。釿さん気付いていましたもんね~」

「その優しい目をやめろーッ! 当たり前のことだろ、そんなの。むしろレニは女以外ありえないし。だって、レニが女じゃなかったら──それに負けてる薄っぺらい胸の塙詰も男ってことになっちまうだろ、なぁ、大将?」

「え……」

 

 釿哉の発言で、し~ん……とその場が凍り付いた。

 誰も黙り込み、気まずそうに目をそらす。

 もちろん、釿哉はその場にしのぶがいないことは確認済みで言ったのだが──

 

「あれ? ……スベった? ゴメンよ……いや、違くて、ヨモギの言う「せくはら」とかそういうんじゃなくてだな……」

「釿さん、釿さん……」

「なんだよ、大将。少しは笑ってくれたって……」

 

 振り返って梅里を見た釿哉は、梅里が表情をこわばらせたまま、こっそり釿哉の背後を指さしているのに気がつく。

 その直後──背後からは、凍てつくようなひんやりとした空気を感じられた

 背筋が寒くなる中、氷点下の声が背後から聞こえてくる。

 

「あら、梅里様は……どう思ってらっしゃるのでしょうか? わたくしの性別について……」

「はいッ! 誰がどこからどう見ても、とても素晴らしい大和撫子だと思います!」

 

 釿哉がいないと思っていたしのぶは、いつの間にかこの場に戻ってきていた。

 梅里は、彼女の放つ迫力に負けて即答していた。

 その顔に、凍り付いた笑顔を張り付かせた梅里が答えると、彼女は菩薩のような笑みを笑みを浮かべる。

 

「あら、うれしゅうございます。お褒めの言葉、しかと刻ませていただきます。この──」

 

 胸に手を宛てて感じ入ってそう言ったしのぶは言葉を切り──

 

「わたくしの“|()()()()()”この胸に……」

 

 つかの間の春が終わり、再び極寒の冬へと戻る、その場の空気。

 そう続けたしのぶは、視線を梅里から釿哉へと変えて睥睨し、その細い目からは金色の瞳が見え隠れしていた。

 

「さて……なにやらおもろい話、してましたなぁ、釿さん」

「──ッ!!」

 

 まだほとんど開かれていないその瞳と目が合う。

 

(まずい、アレに睨まれたら動けなくなる!)

 

 釿哉はそう判断して脱兎のごとく逃げ出す。

 しかし──その動きは一歩で止められ、それ以上はどう頑張っても動きはしなかった。

 

「まさか、縛界だと!? ずるいぞ、塙詰ッ!!」

 

 釿哉を捕縛結界が捉えていた。しのぶの手には扇──深閑扇・樹神が握られており、バッと開かれる。

 その扇の向こうに、見下ろしているような金色の瞳。

 

「さて……どないな命令してあげまひょか。安心しとぉくれやす、命はとりまへんさかい。けど……そうどすな、例えば、美意識を真逆にしてみたり──」

「なッ!?」

 

 美醜の意識の逆転。その状況に戦慄する釿哉。

 

「女性のおっきな胸にまったく反応しのうしたり──」

「……それって、思いっきり個人的な……コンプレックスが入った私怨じゃないですかね」

「しっ、かずら」

 

 居合わせていたかずらの素直な感想に、苦笑しながらせりが止める。

 少なくとも、こんなところで釿哉のとばっちりを食いたくはない。

 

「あとは──名前付けるセンスを、一般的なものにしたり──」

「やめろおおおぉぉぉッ!!」

 

 それを聞いて絶叫し、どうにか捕縛結界から抜け出そうと全力であがく釿哉。

 

「……今までで一番の拒絶だけど、一番、害がないんじゃないの、それ」

 

 そう言いながら梅里が釿哉をジト目で見る。

 すると必死な釿哉と目があった。彼は──ニヤリと笑みを一瞬浮かべたように見えた。

 そして──

 

「大将、裏切るなよ! お前も、この前言ってただろうが!! 胸は大きければ大きいほどが良いってさ!!」

「な、なに言ってんだよ、釿さん!」

 

 焦る梅里。

 だがすでに遅い。しのぶが振り向くと、それに合わせて金色の瞳が光を曳く。

 

「あら……真っ先に意識改革が必要な方、いてはるようどすなぁ、梅里様……」

「誤解、いや、事実無根だよ!! というか、釿さん! 嘘をでっち上げるな!! 人を巻き込むなよ、冤罪だろ、完全に!」

「へっ……悪く思うなよ、大将。一緒に貧乳の道を(きわ)めようじゃあないか」

 

 今度はハッキリ分かるようにニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、親指を立てる釿哉。

 そして、反対側ではにっこり微笑むしのぶ。

 

「し、しのぶ……さん?」

 

 思わず彼女に苦笑いする梅里。

 それを見たしのぶは笑顔のまま──

 

「ええ、信じてます。そやさかい、胸を見てもなんとも思わへんくなっても、構いまへんよね?」

 

 そう言って魔眼の力を解放し始める。

 

「ちょ……待っ……」

 

 焦る梅里。

 そしてしのぶをかずらとせりが止めようと一悶着起こしている間に、魔眼の強い力を感じたかえでが血相を変えて飛んできて──どうにか事態は収まった。

 

 

 それから釿哉は──しばらくはしのぶの胸をネタにするようなことはなかった。

 

 




【よもやま話】
 梅里が、レニが女であることを知らないのは、よく考えたらタイミング的に知らないままになってそうなことに気がついたからです。
 釿さんが知らない件については、理由はわかりませんが、面白そうというだけで知らなかったことにしました。普通なら、知っていて当たり前のはずなんですが、どうしてしらなかったんだろうか。
 酔っぱらった由里のかすみへの確認は、帝劇三人娘のキャラソン『恋の発車オーライ』から。さすがに素面であのセリフは言えませんわ。


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─11─

 かえでの登場で、どうにか騒動が収まり、食堂に集まっていた夢組の面々は思い思いに散っていく。

 そんな中、梅里は夢組隊長として、また食堂主任として責任者であるためにかえでからお小言を言われる羽目になった。

 かえで曰く、「魔眼を使おうとしたしのぶも悪いけど、責任者なんだからその前に止めなさい」「場の空気に流されないように」とのことであり、きっちりとクギを刺された。

 うなだれて話を聞いていた梅里に、反省の色を見たかえでが「以後、気を付けるように」と去り──そのころには食堂にはほとんど誰も残っていなかった。

 思わずため息をつく梅里。

 そこへ──

 

「お疲れさま、ウメサト」

 

 そう言って苦笑を浮かべて声をかけてきたのは、ウェーブのかかったセミロングの金髪をポニーテールにしたカーシャだった。

 

「残っていたの? カーシャ」

「ええ。アタシもあの場所にいたのだし、しのぶの暴走を止められなかったのはアナタと同じだもの」

「義理堅いなぁ。他のメンバーなんてみんな逃げたのに……」

 

 梅里が苦笑混じりに言うと、カーシャはクスクスと笑う。

 

「そうね。キンヤなんて真っ先に逃げ出していたわ。あの人が原因なのに」

 

 そう言っていたカーシャが──梅里に尋ねる。

 

「ねぇ、ウメサト。アタシ、どうしても分からないことがあるの。訊いても良いかしら?」

「僕が答えられることなら構わないけど……」

「ええ。アナタが答えられる、というかアナタの意見が聞きたいんだけど──」

 

 そう前置きしたカーシャは、尋ねた。

 

 

「なぜ、罪を犯した者をそのままにしておくのかしら?」

 

 

 そう言ったカーシャは、笑みを消し、真剣な眼差しで梅里を見ていた。

 思えば、彼女が笑みを消しているのは珍しく、まして真剣な眼差しで見つめられたのは春に出会って以来、今までになく──初めてのことだと気がつく。

 その空気に、梅里は言葉を選ぼうと頭を働かせ──

 

「……それって、せりのこと?」

 

 ──答えることなく、逆にカーシャに訊いていた。

 今までの経緯を考えれば、原因なのに逃げ出してすべてを梅里に被せた釿哉のことのように感じられなくもない。

 だが、真剣な彼女の目を見ているうちに、梅里はふと思ったのだ。

 勘といっても良い。

 そして、得てして梅里のこういうときの勘は──

 

「ええ、そうよ」

 

 ──よく当たる。

 頷いたカーシャはさらに続けた。

 

「確かに、彼女は敵である水狐の洗脳を受けて、操られていたのかもしれない。でも、アナタを攻撃したという事実は変わらないのだから罪も変わらないわ。そもそも操られるというミスを犯したのはせり自身よ」

「それなら僕を攻撃したという罪ではなく、敵に操られたという罪を問われるべきだ。僕も……なにより被害を受けた僕自身がせりを許していることだしね」

 

 梅里は微笑さえ浮かべて淡々と答える。

 

「アナタが許しても、ことはコマンダー米田の狙撃という大事件に繋がる一連のこと。アナタだけの一存で許して良いことじゃ──」

「──だから、米田司令の許可は得た。今回の処分は夢組隊長の個人的なものではなく、華撃団として正式に下した処分だよ」

 

 梅里が言っていることは本当のことだった。

 この場では確認しようもないが、処分内容が書かれた紙には米田の名で出されており、そこに印まで押されている。

 

「甘すぎるわ……アナタも、コマンダーも……」

「僕はそうかもしれないけど、米田司令はそんなことないよ」

 

 呆れたようなカーシャの感想に、梅里は苦笑を浮かべて反論する。

 

「正直、反対された。他の隊に示しがつかないってね」

 

 事情はどうあれ、華撃団の一隊員が自分の上官の隊長を弓で射殺しかけたのだ。

 軍の部隊である以上、上官への攻撃など言語道断。悪ければ銃殺。どんなに軽くとも除隊は免れないところだろう。

 それを、射られた本人の預かりにするなんて、聞いたことがない。

 

「当然よ。預かりだなんて、そんなの実質的には無罪でしょ?」

「刑罰的には、そうかもね。でも、さっきも言ったけど、彼女が問われるべき罪は、僕を殺そうとしたことじゃない。操られてしまった、ということだけだ。それがそんなに重い罪だとは、僕には思えないけど」

 

 だからこその“預かり”である。

 強制的に何かをさせられるわけでもなく、一定の期間自由を強く制限されて束縛されるわけでもない。

 梅里の目の届く範囲で自由にしていろ。ただし何かあったら梅里にも責任がいく、といったレベルだ。

 

「そんなの不当よ。彼女は、真相を話すべきなのにそれを隠匿した罪もあるわ。それは重罪じゃないの? 罪は、裁かれなければならない。責任を問われないなんてあり得ないわ」

「……せりが責任をとってない? 僕はそう思ってないよ」

 

 梅里の言葉に、カーシャは怪訝そうな顔になる。

 そんな彼女に、梅里はキッパリと言う。

 

「カーシャ、罪は裁かれるだけじゃないんだ。罪は──犯した者が背負うものだ」

 

 梅里はかつて罪を犯した。

 彼の幼なじみ──カーシャの笑顔にその面影を、他ならぬ梅里が感じている人──である四方(しほう) 鶯歌(おうか)の命を、その手で奪った。

 とある事情で降魔の種を植え付けられ、降魔になりかけた彼女の命を絶ったのは、梅里が手にした刀であった。

 

「僕はかつて罪を犯した。ある人の命を奪った。事情を認められて刑罰を受けることはなかったけど──だから僕は自分を責めて、勘違いした」

 

 彼女が降魔となればさらに大勢の人に危害が及ぶであろう可能性と、人へと戻ることができないという事実、さらには自ら梅里の持つ刀の切っ先へ飛び込んだという自死にも等しい彼女の行動、それらが考慮されて梅里は罪に問われるどころか、事情の説明しか求められなかった。

 だが──その手に残った感触は梅里をさいなめ、激しい自責の念を与えた。

 ゆえに、死に場所を求め、前副司令の藤枝あやめからの帝国華撃団の誘いを受けたのである。

 

「今にして思えば、自分を犠牲にしてでも誰かの命を助けるだなんて、ただの逃げだったんだよ。そうすることで自分の気持ちだけを満足させる……他の人の気持ちをまったく考えない、ただの自己満足だった。アイツのような人を出さないために、降魔によって、霊障によって理不尽な目に遭う人を無くすために、僕は力の続く限り戦い続ける」

 

 梅里の過去を、カーシャは知っていた。

 事情も知っており、「多数の命を助けるために、一を殺した」という緊急避難と認識しているために責めるつもりもない。

 

「それが、アイツの──鶯歌の命を、そして思いを背負うということだと思ってる」

 

 ただ、事象・事件として知っているのと、当事者の生の意見・考えにはこうして大きな隔たりがあった。

 刑罰として無罪。だが──責任を背負って生きる。

 梅里が実践していることであり、それには説得力があるように思えた。

 事実、あの日、弱々しく笑みさえ浮かべていた彼女の顔を、梅里は一生忘れずに生きていかなければならないと思っている。

 

「──それに気付かせてくれたのが、せりだよ」

「え?」

「せりは、僕が死に場所を求めて帝都に来たこと……いや、自暴自棄になっていたのに気がついた、唯一の人だ。そして、僕を心配する鶯歌の霊に気がつき──その真意を教え、正してくれた人だ。そんな彼女が、今回のことを気に病まないわけがない」

 

 むしろせりのことだから、思い悩みすぎてしまって今まで誰にも話すことができなかった、と梅里は思っている。

 

「そんな責任を背負った彼女を、わざわざ僕の目の届く距離に置こうというんだよ? 除隊の方がよほど温情のある処分かもしれない」 

 

 冗談めかして笑みを浮かべる梅里。

 罰は他人が罪を償わせるもの。ゆえに自分で罪を背負っているせりにはこれ以上与える必要はない。梅里の考えはそうだった。

 

「それと……僕は、仲間を疑うよりも、信頼したいと思っている」

「それは……」

 

 戸惑うカーシャに梅里は再び──今度は本気の、優しさを帯びた笑顔を浮かべて見せた。

 それに対し、カーシャは少し厳しい目を向ける。

 

「……甘いわ、ウメサト。華撃団は軍隊よ?」

「華撃団は、たしかにそうだね。でも──僕は、軍人じゃない。だから甘くていいんだよ」

「そんな、乱暴な……」

「だから僕は基本的に仲間を信じるようにしている。疑うのは……宗次に任せているよ」

 

 そう言って軍属の副隊長の名前を出す梅里に、カーシャは唖然とする。

 

「呆れた……考えるのを放棄して丸投げしているだけじゃない」

「そうかもね。でも思うんだ。何でも一人でできる完璧な人なんてものはいない。ひょっとしたらいるのかもしれないけど、少なくとも僕はそうじゃない。だから──できないことは人に任せることにしてるんだよ」

 

 そう言った梅里は視線を外して遠い目をする。

 

「その分、僕は僕のできることであれば、仲間の求めに応じて助けるつもりだよ。そしてそれは──」

 

 梅里は視線を戻し、カーシャを見つめる。

 

「──キミも対象に入っているよ、カーシャ。なにか困ったことがあれば、言って欲しい。僕のできる範囲であれば全力で力を貸そう」

 

 数秒視線を合わせていた二人だったが、ため息混じりに視線を逸らしたのはカーシャだった。

 

「……ありがとう、と言っておくわ。でも今は大丈夫、間に合ってます。それに……食堂でせりを困らせているアナタの姿を見たら全力で力を貸すという言葉も疑わしいもの」

 

 呆れた様子で言った彼女に、梅里は思わず声を出して笑う。

 

「確かに、それもそうかもね。でも、それだって適材適所だよ。僕が食堂の運営に口出しするよりも、せりに任せた方が管理も経営も上手くいくんだから」

 

 そう言ってのける梅里に、カーシャはもう一度ため息をつき──

 

「まぁ、いいわ……分かったわ、せりに関してのアナタの考え方。賛同はできないけど、納得はした。あなたが優しいというよりもお人好し、ということも理解したわ」

 

 ──そう言ってカーシャは微笑を浮かべる。

 その姿にホッとした梅里。

 

「そっか。ありがとう、カーシャ」

 

 自分の考えを理解してもらえたと思った梅里は、自分を呼び止めたカーシャにそう言うと食堂から去ろうとする。

 それゆえに彼は──

 

「──その言葉、決して忘れないようにね。罪を自覚していないのなら償わなければならない、ってことでしょう? ウメサト」

 

 離れつつある梅里を見つめながら言った、カーシャのつぶやきは聞こえていなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──さて、さらに数日後の話。

 

 このころ、秋はすっかり深まっており、落葉樹の葉は色が変わり始めていた。

 日が傾くのもずいぶん早くなったと感じ始める今日この頃であり、その夕方にやってきた花組の面々は今日、行ってきた祭りのことで盛り上がっていた。

 

「秋祭り、ねぇ……」

 

 話を聞いて物思いに耽っているのは、食堂副主任の白繍せりである。

 彼女の実家は神社であり、神社の祭事に関しては詳しい。秋祭りの内容や状況を聞きながら、どこの神社の祭りなのか考えている。

 

「すっごく、楽しかったんだよ」

 

 ──とは、嬉しそうに話すアイリスの言。彼女は姉のように慕っているしのぶに一生懸命それを伝えていた。

 実家では運営する側に回っていたせりとしては、そこまで楽しんでもらえたのなら、運営に携わっていた人たちはさぞ冥利に尽きることだろう、と思う。

 ただ──

 

「楽しい、か……」

 

 思わずポツリとつぶやいていた。

 子供のころの彼女は祭りの間は忙しい両親に代わり、なずなをはじめとする妹、弟たちの面倒を見ていた。

 

(なずなとか護行(もりゆき)を連れて、一緒に屋台を回っていたころは楽しかったけど……そういう感覚もずいぶん懐かしいなぁ)

 

 しかし、せり自身がある程度大きくなってからは祭礼の運営へと携わり、母や親戚から受け継いで神楽舞を行ったりしていた。

 そうなると、神社として、またそれを預かる家として大事な行事という意味合いになり、祭りは楽しむものではなくなっていた。

 帝都に来てからは、忙しかったのもあって祭りに出かけるような雰囲気ではなかった。東雲神社の祭礼は何度も手伝っているが、あくまで運営の手伝いであり、当日もあくまで楽しむ側ではなく楽しませる側だった。

 

(そういう感覚、もう何年も……)

 

 学生だったころ、同級生がせりの実家である神社の祭りに遊びに来たことがあった。

 もちろんせりは運営側で、奉納の神楽舞を担当していたころだった。

 友達たちは、せりの巫女姿を見て「可愛い」とか「似合ってる」ともてはやし、また神楽舞を「すごい」「決まってた」と評価してくれたが……皆で一緒に回っている友人達の姿がうらやましくなかった、というわけでは決してない。

 

(それに……)

 

 運営サイドとして見ていれば、逢い引きの現場に遭遇することもあるし、祭りを見て回るのが恋人同士のイベントになっていることも分かっていた。

 それに興味を持ち、うらやましいと思う気持ちがあったのは間違いない。たとえ対象がおらずとも「もしも、いたら……」と考えるのは自然なことであった。

 そして現在のせりは──思わず梅里をちらっと見ていた。

 彼は──

 

「で、主任さんよ。こういう屋台があったんだけど……」

「へぇ、地方や外国の料理を屋台にすることもあるんですね」

 

 屋台で見つけた珍しい料理を説明するカンナの話を、興味深げに聞いていた。

 大きな体で、大きな動きを使って説明するカンナに、梅里は苦笑しながらも料理の特徴なんかを聞いて、「それは、あの料理ですね」と元になったものを説明したり、「へぇ、それは食べたことがない」と感心したりしている。

 もちろん二人きりで話をしているわけではなく、それを周囲で聞いていて「カンナさん、それは違いますわよ」と話を遮るすみれがいたり、他にも夢組のメンバーが聞いたりしているのだが──

 

「む……」

 

 その明るい性格で、大げさなほどに楽しげに話すカンナとさりげなくツッコミを入れるすみれ、そしてそれを料理の探求心を刺激されて熱心に聞く梅里という構図は、せりにとっては面白くはなかった。

 もちろんカンナとすみれが、梅里ではない別の隊長のことを想っているのは、せりとして百も承知なのだが……

 思わずジト目を向けてしまい──同時に、少しだけホッとする。

 

(前みたいに嫉妬しすぎるってことはなくなったみたい、かな)

 

 下手をすれば、梅里やその近くにいる女性を憎み、害そうと試みるほどになっていたのだから、その解消はせりの心を安堵させた。

 

(もっとも、アイツの周囲に関しては、安堵できないけど……)

 

 以前からのかずらやしのぶに加え、最近は露骨に動き(モーション)を見せる、とある人がいる。

 それらの恋敵(ライバル)に対しては、なんらかの対策をとらなければいけない。

 そう思ったせりが、人知れずポンと手のひらをたたいていた。

 

「あ、そうか。その手があった……」

 

 さきほどふと思い出した学生時代に抱いていたあこがれと、今まさに彼女が対面している問題、その二つを同時に解決する手があった。

 せりはカンナと話している梅里のところまで行く。

 すると、カンナがせりに気がついて話を振ってきた。

 

「お? せりも興味あるのか。祭りの屋台の料理。珍しい屋台が出ていたんだけど……」

「へぇ、それなら……一緒に行きましょうか、梅里」

 

 

「「「──え?」」」

 

 

 周囲が驚く。

 せりがストレートに梅里を誘ったのが珍しかったからだ。素直ではない彼女の性格からそんなド真ん中の直球がくるとは思いもしていなかった。

 梅里も驚いたようで、戸惑いながらその頬を掻いていた。

 

「だ、駄目ですよ! せりさん、謹慎中なんだから、楽しいことはしてはいけません!」

 

 真っ先に驚きから立ち直って言ったのかずらである。

 

「別に謹慎って言われてないわよ? 隊長預かりってだけなんだから、隊長の梅里と一緒に行くのなら問題ないんじゃない?」

「大ありです!! ……私だって行きたいのに

 

 手を振り回し、プンスカと怒るかずら。

 小声で付け加えたのは、公演のための楽団全体練習や、個人で参加するコンクールが迫ってきていて練習が増え、忙しくなってきているからだ。そうでなければ彼女の方が先に「梅里さん、私達もいきましょう!」と誘っていただろう。

 

「……そもそも、楽しいこと禁止ってなにそれ。ひどくない?」

「だって、せりさんは反省中なんですから。当然です」

 

 せりの抗議に、かずらは「ふふん」と上から目線のしたり顔で対する。

 

「そう? なら私は謹慎して調査班頭の仕事の自粛するから、副頭のかずらが一人で代行してね」

「な……なんてこと言い出すんですか!? ただでさえ忙しくなって梅里さんに接する時間が減っているのにそれを奪おうとするだなんて、せりさんのオニ! アクマ! そもそも、副頭ならもう一人、小詠さんがいるじゃないですか」

「小詠はいろいろ忙しいもの。暇なあなたがやるべきでしょ?」

「そんな、ひどい……私だって忙しいのに……」

 

 ウソ泣きをするかずらにジト目を向けるせり。

 

「……現状なら、梅里に接する暇はあるんじゃなかったの?」

「せりさん……そんな風に性格悪いから梅里さんに矢を……」

 

 頬を膨らませたかずらがボソッと言った皮肉が耳に入り、さすがにせりが怒り出す。

 

「かずら! それを言う? 言っちゃう? まったくあなたって()は本当に……」

「いひゃい、いひゃい……頬を引っ張らないでくださいよ、せりさん。こんな攻撃的だなんてやっぱり呪いの影響がまだ──」

 

 などとせりとかずらがじゃれ合っていると、なにやら考え込んでいた梅里が──

 

「うん……そうだね。行こうか、せり」

 

 突然、返事をしたので、今度は逆にせりの方が驚いた。

 少し時間をおいてからの反応だったので戸惑ったのだ。

 

「え? いいの?」

 

 言葉とは裏腹に晴れやかな笑みを浮かべるせり。

 

「いいの?、って自分で言い出したことじゃないか」

 

 そんな反応に思わず苦笑する梅里。

 彼女の表情を見ても承諾して良かったと思っている。

 

「せりと一緒なら、良い料理や参考にできるものがあればその場で相談できるし、費用も含めて現実的なところまで決められる……」

 

 そんな梅里の無粋な一言で、せりはたちまち不満げな顔になったが、「まぁ、梅里だししょうがないか」と半ば割り切って、諦める。

 しかし、諦めきれないのがかずらであったのだが──

 

「なッ!? せりさんずる──」

「よろしいじゃないですか。お二人で行ってきてくださいな」

 

 ──そんなかずらを止めたのは、穏やかな笑みを浮かべたしのぶだった。

 てっきり同調してくれると思っていた彼女の反応に驚くかずら。

 そしてそれはせりも同感だった。まさかしのぶが賛同するとは余りに意外だった。

 

「せりさんは、今まで精神的に苦労なされていたのはわかっていますし、その慰労になるように楽しんできたら良いと思います」

「……いいの? 本当に?」

 

 警戒しながら確認するせりに、しのぶは笑顔のままでもう一度頷く。

 

「わかったわ。うん……ありがとう、しのぶさん」

「どういたしまして」

 

 せりの感謝にしのぶが答礼すると、せりは梅里のところへ行って、具体的な内容──神社の祭礼が行われている間に、訪れる日程を調整し始めた。

 その横で、かずらが「む~」と不満そうにしながらしのぶの元へとやってきた。

 

「よかったんですか? しのぶさん」

「ええ。せりさんの心を少しは慰めてあげたいと思っているのは嘘偽りのない本心ですよ」

 

 しのぶは食堂勤務でせりの近くで働いていたし、その上で給仕側の実質的なナンバー2だからこそ、彼女の精神が追いつめられている様子を間近で見ていたし、弱っていくのを原因が分からず何もできないで放置してしまった。その贖罪という意味もある。

 しかし──

 

「それに、ここで反対してこっそり行かれるよりも、行くのを認めて監視した方が効率がいいですからね」

 

 二人には聞こえぬよう、かずらにだけ聞こえるようにしれっというしのぶ。

 素直にせりに塩を贈るほどしのぶはお人好しではない。こう見えて陰陽寮の工作員でもあるのだから。

 かずらは驚き、そして思わず唖然としてしのぶを見つめる。

 自分もしのぶがあっさりと身を引いたときは気を付けなければならないと、密かに思う。

 

 しかし──かずらにそう警戒させるのも、もちろんしのぶの術中のうち、なのである。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それから間もなく、梅里とせりも花組達が訪れたという縁日を訪れていた。

 祭りに行ったという話から、どこの神社かあたりをつけたせりは早々とやってきていた。

 本当なら、江戸っ子で詳しいはずの椿に相談して、何日ころまでやっているのかを確認するところだが、あいにく彼女は今、帝劇を離れていていなかった。

 濃紅梅(こきこうばい)の羽織に薄黄色のシャツ、濃紺のズボンといったいつも通りの和洋折衷スタイルといういつも通りの服装の梅里。

 その横にいるせりも、左右のお下げ髪に青の小袖姿という普段通りの服装──のはずなのだが……

 

「せりさん、気合い入ってますね」

「あら? そうなんですか?」

 

 二人の歩く姿を盗み見ていたかずらの言葉に、しのぶは意外そうな顔をして、改めてせりの服装を見ていた。

 

「しのぶさん、あまりジッと見ないでください。霊感の強いせりさんに気が付かれます」

「大丈夫ですよ、かずらさん。それくらい、抜かりありません」

 

 陰陽寮の優秀な陰陽師であるしのぶが、それに気が付かないはずもなかった。その対策をしながらせりを監視する。

 

「せりさんの服装こそ似た感じですけど、髪型はいつも以上に丁寧に整えてますし、お下げを纏めてる帯とか着ている服はすごくお気に入りのヤツですよ」

 

 そういうさりげないおしゃれをしてくるのがせりのやり方である。

 これがかずらだったら、明らかにめかし込んで「私を見てください!」とアピールするし、しのぶも言葉に出さずとも、しっかり着飾るタイプである。

 そして案の定──

 

「それ、いい帯だよね?」

「え? 服の……?」

(って……せりさん、わざと言ってますよね? 髪を結んだヤツだって気が付いてますよね?)

 

 ──耳の良いかずらが、それを生かして聞き耳をたてつつ、そんなことを突っ込んでいる間に、梅里がせりの髪をまとめた小さな帯──リボンを誉め、それを謙遜しながらも内心ものすごく喜んでいるせりの姿を見張っていた。

 

「この流れはいけませんね。せりさんのことですからきっと下着は勝負下着を──って、しのぶさん、どうしたんです? 梅里さんとせりさんのこと監視しないでいいんですか?」

 

 ふと気が付けば、二人を監視しているのが自分だけなのに気が付いたせりは、しのぶを振り返った。

 見れば、彼女は少し離れた場所で、全く別の方──大道芸人等が自慢の技を披露している辺り──を気にしている様子だった。

 それもつかの間で、かずらに言われて慌てて、意識をこちらに戻した。

 

「え? あ、いえ……ごめんなさい。ちょっと気になることがあったものですから……」

「別にいいですけど……でもこの状況で、梅里さん達以上に気になるものなんてあります?」

「ええ。そこにいた人形劇をしていた青年が気になって……」

「知ってる人だったんですか?」

 

 かずらの問いにしのぶは首を横に振る。

 

「雰囲気が似てるように思えたんですけど、よく見たら似ても似付かない別の方でした」

 

 そう言って苦笑を浮かべるしのぶ。

 それに興味なさ気に「ふ~ん、そうですか」と答えたかずらの興味は、すでに梅里とせりの動向に向かっていた。

 そこへ──

 

 

 唐突に少し離れた場所で爆発が起こった。

 

 

 同時に悲鳴が起こり、そちら側から逃げてくる人達と戸惑ってその場に戸惑う人が入り交じり、あっという間に辺りが一気に騒然となった。

 そんな中で、しのぶとかずらに「緊急召集」の連絡が入る。

 

「えぇ~!? まったく、こんな時に……でも、梅里さんとせりさんから目を離すわけにも行きませんし、どうしましょう?」

「かずらさん、落ち着いてくださいな。召集はここのことでしょうから──」

 

 召集よりも梅里とせりが気になるかずらを、どう説得しようかとしのぶが考えつつ声をかけていると、横から大きな声で呼ばれた。

 

「Oh! せりとしのぶ、ちょうどいいところに!!」

「……カーシャさん?」

「いったい、なぜこちらへ……」

 

 現れたのはカーシャだった。彼女はせりとしのぶに問われると、悪戯っぽい笑みを浮かべて明るく答える。

 

「ウメサトとせりがデートするって聞いたから、見物しに来たのよ。でも、なんか大きな騒ぎがあったみたいね」

「そうなんですよ。でも、二人のことも気になるし……」

「かずら、心配御無用よ。こんな状況ならデートは中止でしょ? ウメサトもせりも、騒ぎの方へ来るはずよ」

「ええ、カーシャさんの言うとおりだと、わたくしも思います。召集に応じればそこに来るはずですから」

 

 カーシャとしのぶに言われ、不満げだったかずらも渋々とそれに従う。

 一度そう決めればかずらもまた帝国華撃団の一員である。裏の顔──帝国華撃団夢組隊員の顔になって、人の流れに逆らうようにしてその場を去った。

 

 

 そんな二人の思惑とは裏腹に──梅里とせりは召集に応じなっかったのである。

 




【よもやま話】
 カーシャはリアリストで結果主義者──であろうと努力してます。
 また、罪を犯したなら罰せられるべき──ということを盛んに主張しているのは、ある理由からですが、そう遠からず明らかになると思います。
 そのあたりが、彼女のヒロイン回の主軸になると思いますし。


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─12─

 梅里とせりが召集に応じられなかったのは、身動きがとれなかったからだった。

 監視されているとはつゆ知らず、屋台を回って珍しいものを見繕って購入し、それを二人で食べて、それを評論する二人。

 どこからどう見てもカップルのデートにしか見えないような行動をしていた梅里とせりだったが、騒然となったその場で戸惑っていた。

 

 

 ──あとから聞いて判明したことだが、五行衆の一人である火車が浅草の祭りを襲撃して周辺一帯を火の海にしようと企んだ──が、花組によって撃退されることになる──ことによって生じた混乱だった。

 

 

 そして、人の波が捌けかけたそのとき、梅里が振り返ろうとすると──

 

 

「夢組隊長、武相梅里殿……そのまま動かないでいただきたい」

 

 

 あまり特徴のない男の声が、やたらはっきりと梅里の耳に届いた。

 思わず身を固くし、ゆっくりと声のした方を振り返る。

 傾いた夕日を背景(バック)にして、男が立っていた。

 声もそうだったが、姿の方も特徴のない男だった。着ている服は模様も色もありふれた柄の着流しであり、長くも短くもない街を歩けばありふれた髪型。その顔も目立つ特徴が無く平均的な顔立ち──まるで目立たないように作られたかのような男である。

 そんな男の手の内に──せりが捕まっていた。

 

「せりッ!!」

 

 思わず声を上げて身構える梅里。その手は腰の得物の柄に伸びかけていた。

 

「同じことを何度も言わせないでいただきたいものですね。動くな、と言ったはずですが」

 

 その言葉でとっさに手を止める梅里。

 それを見た男が満足げに頷く。

 

「わかっていただけだようでなにより。そうでなければ彼女の命は保証しかねますよ」

 

 男の言葉に、梅里は悔しげに相手を睨みつけることしかできない。

 

「お前は……お前の目的は何だ! せりを離せ!!」

「はてさて、一度にいろいろ話されても困りますが……まずは、彼女を離せとのことですが……最初にお尋ねの目的を達成させていただければ、やぶさかではありません」

「何ッ?」

 

 訝しがる梅里へ、嘲るように笑みを浮かべる男。

 

「それで、その目的ですが──武相 梅里、あなた死んでください」

 

 さらっと言ったその口調は、内容とは裏腹に非常に軽かった。

 梅里は唖然とし、せりは愕然として男を振り返る。

 

「な……なんでよ!? 彼が死んであなたに何の得があるというの!?」

「いやいや、私は帝国華撃団の中でも特に夢組をかっていましてね。世にも珍しい霊能部隊というものに興味があって……なにしろ私も、少しばかり異能を持っていまして……」

 

 男がピンと立てた人差し指から、なにやら細いものが生じ、それが瞬く間に伸びる。

 

「霊力……まぁ、使う者の根元によって妖力とも言われますが、本質的には同じもの……それで作り出した糸です。これを任意の対象に結ぶことによって──」

 

 男が糸を出していた手を素早く振ると、糸先がしなり、まるで釣り竿につながれた釣り糸のように宙を駆け、せりの首の後ろ──頸椎の辺りに付いて、離れなくなる。

 

「あ……え? 嘘……なんで……」

「せり! どうかしたのか!?」

 

 戸惑うせりの様子に、焦った梅里が声をかける。

 

「体が……動かせないのよ。手も、足も……まったく動かないの」

 

 男は完全にせりから離れている。にもかかわらず、せりは動くことができず、離れることも逃げ出すこともままならなかった。

 

「──というわけです。これでこちらのお嬢さんは、私の操り人形、というわけです」

「貴様……」

 

 普段は温厚な梅里が、激高して男を睨みつけている。

 しかし睨まれている側はそんな悪感情を向けられることに慣れているのか、まったく意に介していない。

 

「ですから……」

「な!? ちょ……イヤ! なんで……」

 

 せりの手が、その意志を全く無視して勝手に動く。

 自分の胸をまさぐるような動きに戸惑い、それを梅里に見られるという羞恥で顔を赤く染めながら、泣き出しかねないような勢いで抗うが、せりの体は全く応じない。

 

「止めろッ! お前の目的は、僕の命のはずだろ!!」

「おお、そうでしたねぇ……」

 

 思い出したかのように、大仰な動作をする男。

 せりの手はそれで止まったが、彼女は疲れたようにグッタリしつつも、自由にならない体はその場に腰を付くことさえままならない。

 乱れた服を直すことさえできないまま、せりは梅里から逃げるように視線を逸らした。それが、梅里の怒りを刺激する。

 

「おや、お気に召しませんでした? この人、あなたの情婦ですよね?」

「せりは大事な仲間だ! 二度とそんな言い方をするな!!」

 

 激高して怒鳴る梅里。

 その様子を見て、男はからかうようにせりをのぞき込む。

 

「彼、あんなこと言ってますけど……それでいいんですか? 大事な“人”、じゃなくて“仲間”で、構わないんですか?」

「なッ……あなた、私達のことをどこまで──」

「知っていますよぉ。白繍せり、あなたの嫉妬心を利用した我々黒鬼会ですから、一から十まであなた方のことは調査済みです」

 

 男の口から“黒鬼会”という言葉がでて「やっぱりそうか」と梅里は思った。

 この男は帝国華撃団を知っていた。

 そして梅里を殺そうとした。それだけでも十分に推測できていたが、その口から組織の名前が出てきたことで確信にするに至った。

 

「本来のあなた自身が持つ霊力なら、私の妖力で紡いだ糸を十分にはじくことができるのですが……今は、あなた自身の力が妖力に染まっているので、受け入れてしまうのですよ」

「そんな……」

 

 男に事実を突きつけられ、愕然とするせり。

 水狐と潜入者によって植え付けられ、育てられた嫉妬心。そしてそこから生まれる妖力がせりを蝕んでいたのだ。

 思い当たることはあった。花組が水狐を討ったその戦闘で、土蜘蛛と一騎打ちをしている梅里を援護しようとしたせりは、気が付けば妖力で黒く染まった雷の矢を放とうとしていた。

 最初に梅里を射抜いた時には、青白い普段通りの雷であり、その違いは明らかだった。

 

「さて……では武相梅里、あなたにはどのように死んでいただきましょうか。ここはやはり──」

 

 まるで奇術のように、男が両の手をそれぞれクルッと回すと、それぞれに弓と矢が握られていた。

 

「彼女の本来の弓矢ではありませんが……三度目の正直、といかせていただきますか」

 

 せりはその手に掴んだ──いや、掴まされた弓を構え、矢をつがえ、狙いを梅里へとつける。

 

「イヤ……嫌よ、こんなの……お願い、これだけは……どうか、それだけはやめて……」

 

 涙ながらのせりの懇願を、男は全く聞きもせず、そればかりか楽しげに笑みを浮かべてさえいる。

 その男がせりから梅里へと視線を移し──僅かな瞬間、真顔に戻った。

 即座ににやけた顔へと戻ったが、そこに油断はない。

 

「危ないなぁ……二度あることは三度ある、とも言うし、止めておくとしましょう。それにキミ……例の、『朧月』でしたっけ? 使おうとしてましたよね?」

 

 無の境地への集中という朧月への準備をしていた梅里にとって、男の指摘は図星だった。

 

「矢を受けたところで姿がかき消えて、彼女の下へと瞬間移動。そして救出……といったところですか?」

 

 梅里が朧月を使ったのは対土蜘蛛戦での一度のみ。それをかなり的確なところまで分析していることに、少なからず驚かされていた。

 

「まったく……そんなこと、許すわけにはいきません」

 

 男はそう言って、にやけた笑みを消し去り、冷徹に梅里を睥睨する。

 そして再度せりを操った。

 彼女の手から弓を捨てさせ、矢を逆手に握りしめさせると、鏃を左の乳房に突きつけさせた。

 

「この娘の命が惜しいのなら、こちらの言葉に逆らうな。逆らえば、この矢で心の臓を突き破らせる」

 

 口調をガラリと変えた男からは本気がハッキリと感じられた。

 梅里は、再び体をこわばらせ、相手の出方を見る以外に方法がなくなっていた。

 

「……腰の刀を、捨てろ」

 

 そう言われては従わざるを得ない。

 梅里は反抗する気がないのを示すように、ゆっくりと愛刀の『薫紫』を外すと、せりと男のいる方へと放った。

 満足げに頷いた男は、矢をそのままにしてせりを刀へと歩み寄らせる。

 その間、男は再び口調を戻して、梅里へと話しかけてきた。

 

「武相梅里、キミ……人を一人殺しちゃってるんだって?」

「なッ!?」

 

 驚いて声を上げたのは梅里ではなくせりだった。

 そんなことまで調べ上げているのか、という思いからだったが、梅里の方は逆に、それくらい調べているだろうと思っていたので衝撃はなかった。

 

「知ってるよ、大事な大事な人を、キミが自分で殺したってことは」

「あ、あなたに何がわかるって言うのよ!? 梅里は殺したんじゃないわ。あの人を……鶯歌さんが救われるには、それしかなかった。それで彼女は……」

 

 反論するせり。しかしその手は本人の怒りとは裏腹に、操る者の意のままに、地面に落ちていた『薫紫』を拾い上げる。

 そしてそれをゆっくりと鞘から抜き放った。

 一方、梅里は黙って俯いたままだった。過去の傷を抉られるのを耐えているように、せりの目には映っていた。

 

「おやおや、そんなに大事な娘を失って、さぞ寂しかっただろうねぇ。それで今はその娘と、他に二人と仲良くしているそうだが──その代用品なんだろう?」

「なッ!?」

 

 あまりにひどい言葉だった。

 せりの献心を、かずらの憧憬を、しのぶの恋慕を、それらすべてを否定する言葉だった。

 

「あなた……最低よ!!」

 

 せりは許せなかった。許すわけにはいかない。

 自分だけでなく他の二人をも愚弄したこの男を許すわけにはいかない。

 精神を束ね集中し、霊力を高めて相手の力に抗う──はずなのだが、霊力が一向に高まらなかった。

 

「なんで……なんでよ!?」

「一度、その身を染めた妖力が簡単に消え失せるとでも? あんなに“おぞましい”妖気を放っていたのに」

「だからって……アンタなんかに! 人の気持ちを踏みにじるアンタなんかに、絶対に負けはしないわ!!」

「へぇ……仲間に嫉妬して、大事な人を射殺しかけたキミも、余程だけどね」

 

「──ッ!?」

 

 痛いところを付かれ、心の隙をつくってしまうせり。

 そのせいでせりの抵抗が緩み──

 

 

「あぁッ!?」

 

 

 ──梅里へと、せりが突き出した『薫紫』の切っ先が躊躇うことなく一気に迫る。

 

「ま、キミが殺しちゃった人の代用品が殺してくれるんだから、キミも本望だろう?」

 

 その光景に、男はニヤリと笑みを浮かべ──

 

 

「イヤアアアァァァァァァッッッ!!」

 

 

 せりの絶叫が周囲に響きわたり──

 

 

 ──切っ先は梅里の胸へと突き刺さった。

 

 

 だが──せりは違和感を感じていた。

 梅里を、人を突き刺したというのに手応えがまるで無かったのだ。

 まるでそこに、初めから人が居なかったかのように。

 

「なに!?」

 

 男もその異変に気が付く。

 その頃には──梅里の像はぼんやりと霞み、そして消えていく。

 

「残像、だとッ!? そうか、強い霊力を一気に抑え込んで放つことで空間に霊力の焼き付けを──」

 

 男が朧月の現象を理解しているうちに、梅里はもちろん動いていた。

 刀を避けて瞬間移動したその先で──梅里は突き出された刀を避けて、せりを正面から抱きしめていた。

 彼女の腕をうまく抑えたその体勢は完全に動きを抑え込んでいた。

 

「うめ、さと……」

 

 突然、目の前に現れたその顔に、せりは思わず涙ぐむ。

 思えば彼はずっと黙っていた。

 俯いていた。

 しかし、それは過去を悔いていたのではなかった。

 ただひたすらに──満月陣・朧月を行うための“無への集中”を行っていたのだ。

 どんなにひどい言葉で過去の自分を揶揄され──

 今の自分を愚弄されようとも──

 ──この一瞬、せりの命を助けるためのわずかな隙をつくるために、集中していたのである。

 朧月の応用──反撃のための瞬間移動でせりをしっかり抱きしめた梅里。

 彼女を操る男が、せりを彼女の体の限界を超えるほどの力を振り絞らせても、その拘束は解けなかった。

 

「せり、ゴメンよ……」

 

 暴れる彼女をしっかりと抱きしるため、その胸に顔を埋めるようになる梅里。

 

「なにが? なんであなたが謝るのよ。謝るのは、私の方じゃない。こんな……私が嫉妬深いせいで、あなたに迷惑かけて、あなたの命を危険にして……」

「違う。僕が、せりに甘えすぎていたんだ。せりなら、しっかりしているから大丈夫って、信頼しているからハッキリ言ったり見せなくても分かってくれるって……」

 

 すべてのきっかけ──あの急な食堂の棚卸しで起きた些細な口喧嘩。それを二人は思いだしていた。

 決算期の事務局の苦労をせりなら分かってくれているだろう、と説明を省いた梅里。

 彼と出身県が同じで、さらには大人の女性として自身も憧れていたからこそコンプレックスを刺激させられて、いつも以上に嫉妬を募らせたせり。

 そのこじれを、ようやく解消し──梅里とせりの霊力が、完全に同調する。

 

「バカな!?」

 

 思わず声を上げた男。

 精神的な疲労で弱りきっていたせりの霊力では、嫉妬によって膨れ上がった妖力には到底太刀打ちできなかったのに、梅里という味方を得て圧倒し、黒き力は紫電によって祓われていく。

 そして、それはせりに繋げられた糸を伝って、男へと伝わり──

 

「──ッ!?」

 

 指先から腕を襲った電撃に声にならない悲鳴をあげ、反射的に糸を遮断する。

 それから我に返り、切り札を手放したことに気が付いて悔しげに睨みつける。

 

「おのれ……これだけが、切り札と思うなよ!!」

 

 そう叫び、男は地面に手を付ける。

 その手から伸びた糸が模様を描き、文字を書き、魔法陣を形成していく。

 そして──

 

「オォンッ!!」

 

 完成した巨大な魔法陣を前に、男は身を翻らせて纏っていた衣──さらには面を含めた群衆にとけ込むための偽装を解き、黒子のような黒装束姿へと変わる。

 そして印を切って、発動のための言葉を唱えていた。

 

「さぁ、現れ(いで)よ──魔操機兵、宝形ッ!!」

 

 黒装束の男が言ったとおり、魔法陣から迫り上がるように姿を現したのは、今は亡き、五行衆の一人・水狐が最期に運命を共にした愛機だった。

 

「バカな。宝形は花組が倒したはずだ」

「すでに死んだ女の専用機。近い道のない整備用の余剰部品を集めれば、これくらいは組み上げられるんですよ」

 

 男は水弧がまとめていた諜報部隊を引き継ぐ際に、それらをも回収していた。

 こうして組み上げ──黒装束がかざした両手から伸びた無数の糸が宝形に接続され、そして注がれた妖力にって蒸気機関が動き始める。

 

「さて……生身の体で幹部用魔操機兵と、どう戦いますかねぇ?」

 

 顔色こそ顔の正面を覆う黒い布で伺い知れなかったが、小馬鹿にしたような口調でいった黒装束に対し──梅里とせりは、まったく恐れていなかった。

 

「アンタ、僕や夢組のことは調べていたんじゃなかったのかい?」

「だとしたら、ものすごく杜撰な調査をしたものね。うちの調査班だったら、やりなおしを指示していたところよ」

 

 二人の霊力は、紫電へと変換され、その周囲を囲むような状態で安定していた。

 

「ほざけ!!」

 

 勝ち気で強気な二人の笑みを見て、黒装束は魔操機兵・宝形をまるで操り人形のようにして駆る。

 向かいくる巨大な敵に対し──

 

「僕とせりは、二人で巨大魔操機兵を倒している」

「黒之巣死天王の魔操機兵・蒼角の破片を取り込んだ同等のものと、上級降魔・青丹の専用魔操機兵・激流童子。知らなかったのかしら?」

 

 梅里の霊力属性は天空の鏡である『月』。

 その属性の通り、他の霊力を受けて強く輝くのが特徴であり、せりと霊力を同調したときには──雷属性を帯びた極めて強い霊力となる。

 

「「──満月陣・紫月!!」」

 

 梅里とせりの声が重なる。

 敵に操られてせりが持たされていた梅里の愛刀『薫紫』を、梅里も手をかして二人で支え──振りかざす。

 すると、小さな球状の雷光が(はし)り──向かい来る宝形に直撃するや、大きさを変えてそれをすっぽりと包み込んで動きを止める。

 

「なにッ!? 動かないだとッ!!」

 

 離れた場所で制御する黒装束は、接続を断絶されたようにコントロールを受け付けなくなった宝形に焦りを隠せない。

 そして、梅里とせりは、二人で掲げて刀の切っ先を真上に向けた。

 

 

「「建御雷(たけみかづち)韴之一閃(ふつのいっせん)ッ!!」」

 

 

 強大なまでに高まった二人の霊力は、刀を介して天にまで届く巨大な雷光の刀身となる。

 それを、身動きを止めている宝形へと一刀両断に振り下ろし──縦一文字に真っ二つにされる宝形。

 

「チッ!!」

 

 舌打ちを残し、宝形の爆発に紛れるようにして、黒装束は姿をくらませる。

 後に残ったのは宝形の残骸と、梅里とせり。

 

「ふぅ……」

 

 刀を納める梅里に、せりはぴったりと寄り添うように立っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 こうして巨大魔操機兵があっという間に倒された一方で、火車が乗り込み十全の力を発揮した魔操機兵・五鈷は花組が全力を持って相手にしてようやく倒すことができた。

 やはり専用機というのは、乗り手が揃ってこそ最高のパフォーマンスを誇る。

 今回の宝形がそうではなかったのは、梅里とせりにとっては幸いだった。

 




【よもやま話】
 『人形師』に関してはとにかくイヤなヤローになるよう心がけています。同情の余地のない悪役になって欲しいので。
 3話はこいつが本格的に動き始める話でもありました。


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─13─

 華撃団は、水弧に続いて五行衆の一人である火車を倒したことで盛り上がっていた。

 その最大の功労者はやはり前面に出て、霊子甲冑で戦う花組である。

 彼女たちを労う一方で──火車が起こす爆発を、結界を使うことで必死で最小限にくい止めていた夢組の封印・結界班も評価されていた。

 また、対火には完全な耐性を持ち、さらには対巨体戦闘(ジャイアントキリング)を得意とする紅葉が、水を得た魚のように霊子甲冑顔負けの活躍を見せて存在感を顕していた。

 その一方で──梅里とせりは「非常召集にも応じないとは何事だ」と厳しい叱責を受けた。

 特に梅里は──

 

「せりは隊長預かりなんだ。せりの責任もお前が背負え」

 

 ──と米田司令から特に厳しく注意され、その罰として居残りで、因縁の棚卸しにあたることになった。

 それもたった一人で、である。

 せりはもちろん、「せりさんと二人にするわけにはいきません」と主張するかずらや、しのぶが手伝おうとしたのだが──米田は「それだと罰にならねえ。手出し一切無用」と厳命していた。

 ようやく終わったころには遅い時間になっていた。

 疲れ果てた梅里は疲労感も相まって、食堂のテーブルの一つに突っ伏すようにして寝てしまっていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな梅里へと近づく影があった。

 時期的には、濃紅梅の羽織にコックコートだけではさすがに風邪をひいてしまいそうな気温になる季節である。

 そっと梅里に近づいた人影は彼の気持ちよさそうな寝顔を確認し──手にした包丁を振り上げた。

 

 

「──それで殺すのは勘弁してくれないかな。大事な商売道具なんでね」

 

 

 素早く身を翻す、その人影。

 

「ただ命を奪うためではなく、命を生かすためにいただいている。それが食事であり、そのための道具が調理器具だから」

 

 それは代々食事方をつとめてきた武相家の家訓でもある。

 

「だから、もし僕をそれで殺すとしても僕を食うわけにはいかないだろう? たとえキミが『夢喰い』なんてコードネームを持っていてもね」

 

 梅里が言うと、相手はビクッと肩を震わせた。

 それを確認して、梅里はゆっくりと身を起こす。

 

 

「待っていたよ、カーシャ」

 

 

 そう言った梅里だったが、目の前の女性を見て戸惑った。

 姿形はたしかにカーシャ──アカシア=トワイライトに間違いない。

 だが彼女は一つだけ、決定的な違いがあった。金髪であるはずの彼女の髪が──銀髪になっている。

 

「……単純にカーシャ、って訳ではなさそうだね」

「あら、ワタシはカーシャよ。この体は間違いなく──」

 

 言いながら腕を振り、手にしていた包丁を投げつけてくる。

 対して梅里は「だから、やめろって……」と愚痴を言いながらそれを避ける。包丁はその先のテーブルに見事に突き刺さっていた。

 

「あ~あ、せっかく研いだのに。あれじゃあ使い物にならないよ」

「包丁を気にしている余裕なんてある?」

 

 彼女はそう言いながら、その隙に一気に距離を詰めていた。

 その両手で握りしめた波状の刀身の大剣を振りかざして。

 

「室内で、そんなものを!!」

 

 どうにか避ける梅里。

 彼女の手にしている剣は、普段の夢組の任務で使っている彼女の家に伝わる波状刃の大剣(フランベルジュ)、『ヒート・ヘイズ』である。陽炎の意味を持つその名の通り、熱を帯びたその大剣は、刀身周辺の空気をゆがめて距離感を掴みづらくさせる。

 その特性を知っているからこそ、大きく距離をとってやや大げさに避けようとするが場所が悪い。食堂にはテーブルやイスなどが置いてあり、梅里の動きを阻害する。

 梅里は追いつめられ、波状剣(フランベルジュ)の切っ先を突きつけられていた。

 

「一つ質問していいかしら?」

「……どうぞ」

 

 追いつめている者と追いつめられている者。ギリギリの緊張感の中でのやりとりで、カーシャは尋ねる

 

「なぜ、ワタシに気がついたの? アナタの刀……クンシと言ったかしら? それが近くに無いのに」

 

 それに梅里は淡々と答える。

 

「武相流の極意に、臥待月(ふしまちづき)というのがあってね。それを使って寝ると危機が迫れば目が覚める、という技だよ。おかげで疲れはとれないけど」

 

 苦笑する梅里。これは警戒しながら休息をとるというような便利な技ではないのだ。

 

「様々な種類がいる魑魅魍魎の中で、寝ないと姿を現さないような慎重な妖もいるからね──キミみたいに」

「ということは、ワタシは罠にかけられた、ってこと?」

「そうなるね」

 

 ため息混じりに尋ねる彼女に、梅里は首肯する。

 

「そういえばアナタは前に、“仲間は信頼したい”というようなことを言ってなかった?」

 

 皮肉気に笑みを浮かべる彼女。

 それに梅里は笑みを浮かべて答えた。

 

「うん。()()()、ね。でもカーシャはともかく、キミは仲間ではないだろ?」

 

 梅里の、目の前の女を見る目が一瞬鋭くなる。それに対して彼女は余裕のある表情で答えた。

 

「あら、つれない。それとも気が付いているのかな、ワタシのことを……」

「予想レベルだけど、薄々は。一応これでも霊能部隊の隊長なもので。魔術や呪術の知識も詰め込んでいるからね」

「なるほど。でも……いくら囮だからって、丸腰なのはナメすぎじゃない? さっきも言ったけど、ワタシはカーシャよ?」

「それはさっき、身に染みて分かったよ。紅葉と互角に戦えるだけのことはある」

 

 剣を突きつけられたまま言った梅里は、そこでニヤリと笑った。

 

「でも、キミも忘れていないか? 僕は、紅葉に勝てるってことを」

「そう。ならそれは──あの世で自慢なさい!!」

 

 剣を握る手に力が込められ、一瞬で突きが放たれる。

 突きつけられていたそれが、梅里の胸へと迫り、突き刺さるのには時間を必要としなかった。

 が──

 

「なッ!? これは……」

「──朧月。話しながらでもどうにかできるようになったのは、最近の訓練の(たまもの)だけどね」

 

 カウンターを仕掛けるのではなく、少し離れた場所へ移動していた梅里。

 会話中のために「無への没頭」が甘かったのを強引に発動させたせいで体への負担が大きかったために、大きく息を乱しながら説明する。

 

「でも……逃げ回るのにあと何回、それを使えるのかしらね!」

 

 再び切りかかろうとする彼女だったが、危険を察知してそれを急に止める。

 そして目の前を矢が抜けていった。

 矢が飛んできた方を見れば──予想通りの人が弓を構えていた。

 

「あら、“仲間”をまた射抜くつもり? せり」

「私の嫉妬をさんざん暴走させてくれたあなたを、仲間と思えって言うの? カーシャ」

 

 二の矢を手に取りつつ警戒し、せりは梅里の下へと移動する。

 そして持ってきていた彼の愛刀を手渡した。

 

「確かに、私に嫉妬心を煽って妖力を吹き込んだのは水弧だった。でもその後、私に妖力を使って干渉して、嫉妬心を暴走させたりしたのはあなただと、調べがついているわ」

「あら、そこまでバレちゃったの? じゃあ、この潜伏生活も今日で終わりね」

 

 そう言って大げさに肩をすくめる。

 

「あ~あ、ここでの生活も気に入っていたので残念だわ。単純で鈍いあなたのことだから気が付かないと思っていたけど、さすがに他の人には気がつかれちゃったか」

 

 挑発の笑みを浮かべる彼女を、せりは睨みつけ、手にしていた矢をつがえる。

 

「あなただけは、絶対に……許さない!!」

 

 せりの霊力が高まり、矢が雷を帯びる。

 

「せり!? ちょッ──」

 

 そんな彼女の反応に驚き、声をあげて止めようと試みた梅里だったが、時すでに遅し。

 一条の稲妻となって放たれる彼女の必殺の一矢、『天鏑矢』が目の前の敵へと放たれていた。

 それに対し──彼女が構えた波状刃の大剣(フランベルジュ)が白銀色の光を帯びる。

 その特徴である波状の刃を覆うように霊力の刃が形成され、さながら銀色の直剣となり──構え振りかざすそれで迎え撃つ。

 

 

「これで──払暁黎明(デイブレイク)()閃攻(スマッシュ)ッ!!」

 

 

 向かい来る矢──それも稲妻と化したそれに対し、全力を込めた大剣の一撃をぶつける技量はさすが、という以外にない。

 二人の霊力が込められた攻撃は衝突し、拮抗し、そして炸裂する。

 

 

「「──ッ!!」」

 

 

 まさに落雷のような轟音をたてて起こった爆発は食堂をのテーブルやイスを吹っ飛ばし、巻き起こった爆煙が収まるまでの間、梅里はせりの近くに寄って、敵の襲撃を警戒していた。

 

 

 だが──結果的にはそれはなく、収まったころには、彼女の姿はどこにもなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 姿を消したカーシャが、大帝国劇場から逃げ去ったのは明らかだった。

 それを追おうとするせりを、梅里は掴まえて止める。

 

「追うな、せり」

「なんでよ!? アイツはあなたを……」

「さっきのを除けば、彼女は今まで僕を傷つけることはしていなかった。確かに、心を乱されたせりからしたら許せないと思うのはわかるけど……彼女は、なにか違う」

「なにかって……なによ?」

 

 梅里が必死に止めたので、せりは落ち着きを少し取り戻していた。

 

「彼女は、五行衆みたいに組織の考えに心酔しているわけじゃない。この前会った男とも違うように思える。彼女が僕らと戦う理由は──その原因は、きっと僕にある」

「あなたに? なんで? だって、アイツが華撃団にくるまで面識なんてなかったんでしょう?」

「うん。それは間違いない。でも……」

 

 梅里は心当たりがあった。

 彼女の祖国の顔を潰したことが、一度だけある。面識のなかったカーシャに、命をねらわれるほど恨まれるのだとすればそれ以外にない。

 

「……わかったわ。でも、私は許すつもりはないからね。どんな理由があっても」

「それは僕も分かってる。でも……一度きちんと話したいと思ってさ。なにも話さずに殺し合うなんて……向こうは潜入のつもりだったかもしれないけど、食堂で一緒に働いた仲間とそうなるなんて、悲しいと思ってさ」

 

 納得はしていないが、引き下がるせり。

 そして、その代わりとばかりに──気になっていた質問をぶつけた。

 

「……面倒くさいこと、聞いていい?」

「あまり良くないけど……」

 

 そう聞かれて素直に頷く人はいないんじゃないかと思いながらも渋々頷く梅里。

 そしてせりは、それでも一度躊躇ってから──意を決して尋ねた。

 

 

「私、鶯歌さんの代用品、なの?」

 

 

 意外な質問に、唖然とする梅里。

 確かにそれは言われたが、あれはさっきのカーシャとのいざこざで出た言葉ではない。もっと前の、黒装束の男から言われた言葉だ。

 つまりそれは、せりがずっとそれを思い悩んでいた、ということでもある。

 驚いて思わずせりの顔を見る。彼女は、思い詰めたように、真剣な顔をしていた。

 それに梅里は苦笑し──やがて大声で笑っていた。

 

「なッ!? ちょっと、私が真剣に──」

「ひょっとしてこの前言われて、気にしていたの?」

 

 笑う梅里を「むぅ」と睨んでいたせりだったが、彼から訊かれて躊躇いがちに頷いた。

 それに梅里は──

 

「そんなわけないだろ」

 

 ──ときっぱり言う。

 それから笑みを止めると、懐かしむように虚空を見つめる。

 

「鶯歌は、明るくサバサバした性格で、細かいことは気にしなくて、突然の思いつきで行動するから引っ張り回されたりして、そのくせ感激家で些細なことで喜怒哀楽を爆発させて──」

 

 そう長所を連呼されればせりとしては面白くなかった。不満げな顔で、さらに頬を膨らませる。

 しかし、そこまで言って梅里は自嘲するような寂しげな笑みを浮かべて、自分の両手を見つめた。

 

「そんな彼女のその命を僕が奪ったんだ。代わりなんて──求めないよ」

 

 寂しげな笑み。心の痛みが伝わってきて、せりは申し訳ない気持ちになる。

 そんな彼は、ふと視線をせりへと向けて、朗らかな笑みを浮かべた。

 

「でも──もちろん、明るくて勝ち気で、世話焼き好きで優しくて、だから子供にも好かれて、しっかり者だから計画的で少しだけ口やかましくて、そのくせ心配性で困っても周りになかなか相談できないから目が離せない、そんなせりの代わりになる人だっていないよ」

「な──ッ!?」

 

 不意をつかれて思わずドキッとするせり。

 思わず急に激しくなった鼓動を押さえるように、胸に手を当てる。

 

(急に、言うから……ホンットにズルいわよ!)

 

 心の中で抗議しつつも、本心は嬉しくて仕方がなかった。

 鼓動が大きくなる中、せりはそっと梅里との距離を詰める。

 そして──

 

 

「──うん、しのぶさんの代わりになる人も、かずらの代わりになる人も、ね。誰かの代わりを別の誰かに求めるなんて、やったらいけないことだよ」

 

 

 梅里は笑顔でそう言ってのけた。

 

「な……」

 

 さっきと同じ言葉が思わず出たが──意味合いはだいぶ違う。今度のそれは“呆れ”に近い。

 そしてせりは強引に笑顔を浮かべ、それがひくつくのを隠そうともしない。

 

「そうよね、あなた……そういう人だったわ」

 

 笑顔でありながら怒ったせりが、梅里に詰め寄る。

 

「ちょ、ちょっとなんで怒るのさ!!」

「うるさい! アンタはいい加減、乙女心というものを少しは理解しなさいよ!!」

 

 詰め寄るせりに梅里は戸惑う。

 

「なんだよ、乙女心って……」

「あなたが、そんなだから……私がやきもちをやくことになるんでしょうが!!」

 

 怒りに任せたせりが、梅里の顔を両手で掴む。

 驚いた梅里の目と、怒ったせりの目が至近距離で見つめ合う。

 そのせりの目が、潤んだように梅里の目には見えた。

 

「お願いよ。いつも見てとは言わないけど……今、私とあなたしかいないんだから……せめて、こんなときくらいは私だけを見てよ」

「──ッ!」

 

 そう言ったせりの目は、明らかに普段の──食堂主任や調査班頭といった顔の──それとは違う恋する乙女の、梅里を求める目だった。

 その目が閉じられる。

 思わず梅里は息を飲む。

 せりがねだるように出した唇に吸い込まれるように──

 

 

「こんなところで、いったい、何をしているんですか? お二人とも……」

「「──ッ!?」」

 

 

 横からの声に慌てて身を翻して、離れる二人。

 そして、声のした方を見れば──

 

「か、かすみさん!?」

「あの、これは、その……」

 

 驚くせりに、狼狽する梅里。

 にっこりと笑みを浮かべ、食堂の入り口に立った彼女は、その笑みの奥に怒りを宿して──ツカツカと二人の下へと歩いてくる。

 

「主任?」

「は、はい!?」

「この、惨状は……一体なんですか?」

「惨状?」

 

 かすみが怒りを押さえて周囲を見渡す。それにつられて梅里とせりも周囲を見渡し──

 

「「あ……」」

 

 愕然とした。

 

「テーブルと椅子はもちろん、床もひどい有様じゃないですか。場所によっては壁まで……」

 

 かすみの指摘通り、テーブルと椅子は木っ端微塵になっているか、酷く傷ついて使えないようなものばかりである。

 それというのも──

 

「せりの『天鏑矢(あまのかぶらや)』とカーシャの『払暁黎明(デイブレイク)()閃攻(スマッシュ)』がぶつかったから……」

「な、なによ!? 私のせいだっていうの? 元はといえば、あなたがこんなところでカーシャを追いつめようとしたからじゃないの!」

「追いつめたかったんじゃなくて、問いつめたかっただけだよ!」

 

 せりの指摘に反論する梅里。それにせりはさらに追い打ちをかける。

 

「へぇ……で、手ぶらでいった結果、波状刃の大剣(フランベルジュ)を振り回す女に追いつめられていたのは、どこのどちら様でしたっけ?」

「追いつめられてないよね? きっちり逃げおおせていたんだけど。その様子見ていたはずだよね」

 

 反論する梅里もすっかりムキになっている。

 

「ええ、ええ、見ていましたとも。私が矢を射掛けなかったら、危ないところでしたよねぇ、隊長さん!」

「ほら、やっぱりせりとカーシャのせいじゃないか。包丁投げて剣を振り回したのはカーシャだしね。まったく、食堂内で矢を射るかな、普通……しかも全力で霊力を込めて──」

「なによ! 貴方のことを守ろうと思って、人がせっかく──」

 

 

「二人とも、いい加減になさい」

 

 

 かすみがピシャリと言い放ち、二人は黙る。

 

「たしかに支配人から許可が出ていたのは私達事務局も知っていますが……これはやりすぎです」

「はい……」

 

 うなだれる梅里の横で、せりがはやすように笑みを浮かべて梅里を煽る。

 それに梅里は、さすがにムッとなってせりを睨むが──

 

「なにか反論でもあるんですか? 主任」

「──ございません」

 

 かすみの咎める目で見つめられて意識を戻され、しゅんとしながら頷くしかなかった。

 

「それで、せりさん……あなたは自分の責任ではないと、そうおっしゃるわけですよね?」

「は、はい……だって、カーシャといざこざを始めたのは彼ですし……」

 

 とばっちりを恐れたせりが予防線を張って逃げ腰になる。

 それを聞いた梅里が抗議の目でせりを見るが──

 

「──わかりました」

「え!?」

 

 かすみがあっさりそれを受け入れたので、梅里は面を食らい、慌ててかすみを見た。

 

「言い分を認めますので、どうぞお帰りください。武相主任はこれの後片づけをお願いしますね」

「そんな……」

 

 うなだれる梅里。それを後目に、煽るような笑顔を浮かべて「じゃ、がんばってねー」と言ったせりだったが──

 

「私も手伝いますので、早く終わらせてしまいましょうね」

 

 ──と、かすみが梅里に微笑みかけたので、その笑顔が強ばった。

 

「は、はい!? なんでかすみさんが梅里を手伝うんですか!?」

「今回の件は事務局の許可も出ていますので、こちらにも責はありますから。でも……たしか、せりさんは関係なかったのではありませんか?」

 

 笑顔で言うかすみに、気圧されるせり。

 

「か、関係……無い……けど、なくもないかな~……って……」

「有るんですか? 無いんですか?」

 

 ついに笑顔を消して、詰問するかすみにせりは──

 

「はい! あります!! 私がやりました!! 私とカーシャのせいで、こうなってしまいました!」

 

 半ばやけっぱちになりながら答える。

 するとかすみは再び笑みを浮かべ──せりに掃除用具をそっと手渡す。

 それを多少ひきつったぎこちない笑みで受け取ったせりだったが、心の中では──

 

(とはいえ、梅里と一緒なんだから悪くもないかな~。まぁ、なりゆきによるけど、お邪魔虫(かすみさん)がいなくなれば、さっきの続きだって……)

 

 ひそかに思い、チラッと梅里を見る。

 しかし、そんなせりの思いを見透かしたかのように、掃除用具を渡して手ぶらになったかすみは──梅里を振り返った。

 

「では、帰りましょうか、梅里くん」

「なッ!? なんでそうなるんですか?」

 

 さすがに抗議するせり。

 それに対してかすみは泰然と笑みを浮かべたまま答える。

 

「だって、今、自分のせいだとおっしゃったじゃないですか。先ほどは責任の所在が不明だったので、食堂の責任者と不始末のあった事務局の合同で後始末をするつもりでした。でも、事態を招いた犯人が名乗り出た以上はそちらに責任を負ってもらうのは当然のことかと思いますが……」

 

 そう言って「あとはお願いしますね」と慇懃に頭を下げる。

 そして頭を上げると──戸惑っている梅里を連れて食堂から出ようと歩みを進めた。

 完全に論破されてしまったせいで唖然としていたせりは、それを見送ってしまう。

 そして、こともあろうかかすみが梅里の腕に自分の腕を絡めようとするのを見て我に返り──

 

 

「ず、ズルい! 卑怯ですよ、かすみさんッ!!」

 

 

 そんな言葉に、かすみは顔だけ振り返ってにっこりと微笑んだ。

 そうはさせじと慌てて二人を追いかける。

 

(もう、やっぱり強敵じゃないのよぉぉッ!!)

 

 追いつき、どうにかその腕を引きはがそうと躍起になりながら、せりは心の奥で悲鳴をあげるのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──翌日、結局のところ食堂は休業となって勤務員一同で後片付けをし、さらには補修作業を行ったために少しの間、休業することとなった。

 そんな状況に、食堂に行くのを楽しみにしていた帝都市民は「食堂でなにがあったんだろうか?」と首をひねる。

 食堂という場所柄から爆発事故説や、一昨年の戦いで残っていた不発弾が爆発した説、蒸気機関の不具合による暴発、はたまた食堂で働く者──具体的には少し前に様子がおかしかった副主任──が嫉妬のあまり心中を仕掛けたが失敗した、なんて微妙に事実をかすりかけたトンデモ説まで含め、まことしやかにいろんな噂が流れた。

 


 

─次回予告─

 

ティーラ:

 太正維新軍……陸軍大臣率いる陸軍若手将校を中心にしたクーデター。

 その標的となった我ら帝国華撃団は大帝国劇場本部を制圧寸前にまで追いつめられてしまいます。

 ですがこのまま負けるわけにはいきません。反撃の拠点は──花やしき支部。

 その防衛戦に現れたカーシャ。隊長は果たして彼女を説得できるのでしょうか……

 

 次回、サクラ大戦2外伝~ゆめまぼろしのごとくなり2~、第4話

 

()はまた昇る……」

 

 太正桜に浪漫の嵐。

 次回のラッキーアイテムは、『リボルバーカノン』!! ──って、えぇ!? 別の華撃団の切り札じゃないですか!! しかも時間軸的に言ってしまって大丈夫ですか、これ?




【よもやま話】
 ってカーシャのようの、そうじゃないような……という曖昧な感じで。
 次はカーシャ回なので、なんでそうなったのか、は次の話で明らかになります。
 で、ラストはかすみが持って行くのですが──ところがどっこい、これはまだ一周目でエンディングを迎えてないので、そっちのルートには入れないのですよ。残念。




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第4話 ()はまた昇る……
─1─


 ──それは写真かと疑うほどの精緻さで描かれた、大きな絵画であった。

 それが写真と決定的に違うのは、鮮やかな色が付いていたからだ。カラー写真は出始めてはいたが当時はまだ珍しかったし、なによりこんなに大きく現像されない。
 そこに描かれている幻想的な風景を──ウェーブのかかった金髪に、鼻の周りにそばかすが残る少女が眺め──

「わぁ……奇麗……」

 思わず感嘆の声を上げていた。

「気に入ったかい? カーシャ」
「ええ。もちろんよ、お父様」

 幼い少女は父からの問いかけに、振り返りながら元気よく頷いた。
 そんな愛娘の姿に、彼──トワイライト卿は顔をほころばせながら何度も満足げに頷いた。
 幼い日のカーシャは、再び視線を絵へと戻し、感慨深げにじっと見つめる。
 描かれていたのは、桜並木をダイナミックに描いたもの。数多くのピンク色の花びらが舞うという光景は、桜を見たことがないカーシャにとってはこの世のものとは思えない光景であった。

トウゲンキョウ(桃源郷)?」

 目を輝かせた彼女の口から思わず出た言葉。
 彼女の、同年代に比べればはるかに広大な知見の中から出てきたそれだが、聞いた父親は首を横に振って否定し、ゆっくりとカーシャの隣に移動して視線を彼女に合わせるようにしゃがんだ。

「違うよ、カーシャ。桃源郷はお話の中の理想郷だ。しかし──これは風景画だよ、現実を描いた、ね」
「これが? ……世界にはこんな光景が、広がっている国があるの!?」

 驚いて振り返った幼い我が娘に、トワイライト卿は笑顔で頷いた。

「そうだよ。でも本当に短い期間……一年でも10日かそこらしか見られない光景だそうだが、それでも毎年、間違いなく見られるそうだよ」
「へぇ……」

 視線を絵へと戻したカーシャの目は再びそれに釘付けになった。
 何かにとりつかれたようにじっとその絵を見続ける娘を微笑みながら見つめていると──彼女は不意に振り返った。

「お父様……アタシ、この国行ってみたい。なんという国なの?」

 その言葉を待っていた父親。
 自分の愛するこの国を、愛娘が興味を持ってくれたことに快哉の声を上げたかった。
 そんな心中の一方で、それを決して表には出さずに穏やかな笑みを浮かべたまま、愛娘のクセのあるウェーブのかかった髪を優しくなでる。

「ジャパン……現地の言葉では『ニホン』という。日の本……日の出の国、という意味らしいが……この東の果てにある島国と我がトワイライト(夜明け)家とは縁があるとは思わないかい? カーシャ」

 ──このときの父は、この我が祖国と同じように大陸のすぐそばにある、遠く遠く離れた小さな島国を愛していた。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 そしてそれは、今では逆の感情へとひっくり返っていた。
 一年余り前──すでに親日家であった父の推しと、自身が持っていた強い霊力のおかげで帝国華撃団への派遣が決まっていたころのことだった。
 当時の帝国華撃団は悪魔王サタンという世界規模の大規模霊障を鎮め、一躍脚光を浴びていた。だからこそトワイライト家の長子であるのを理由に難色を示されて帝国華撃団設設立時に参加できなかったカーシャが行くことを許されている。
 そしてその影響はそれだけでなく、華撃団思想の注目を高めて再評価の動きとなり、欧州では欧州星組の失敗で一度は立ち消えになった華撃団構想が再燃したのである。
 我が父は、祖国である英国の国外を活動拠点にしていたが親日家であり、帝国華撃団にもその設立段階から協力していた。霊能部隊に関しても、「異教徒の異能力者ばかり集めていたらバチカンに睨まれる」と警告したのは父であり、その対策で世界各地を回っていた国教会の神父を紹介している。
 そのように好意的に協力していたはずなのに──

「──裏切られた」

 欧州本土から帰国した父は、日本に出発直前の私に嘆いた。
 そして──あの日から、父は華撃団の応援者ではなくなり、私の日本行きの意味合いもまったく違うものになっていた。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 あの日──日本に到着して大帝国劇場の食堂で働き始めてしばらく経ったある日に、食堂の皆で勤務が終わってから向かった上野公園。
 そこで見た──夢にまで見た、花びら舞い散る桜並木の幻想的な光景。
 幼い頃に見た絵画に描かれていたのは空想(ファンタジー)ではなく、この世に実在する光景だと、確かにこの目で見たのだが──私の心はまったく踊ることなく、まるで他人事のように現実感のないもので……それこそ白黒の写真のように色のない、ひどく味気ない光景なように、その目に映っていた。



「──ッ!」

 

 帝劇を抜け出して逃走したアカシア=トワイライトは、たどり着いた黒鬼会のアジトの一つの中で、その体をビクッと動かして意識を覚醒させた。

 帝国華撃団の内情を探る立場から一転し、そこから追われる身となった彼女は、逃走中に気を張りつめていたのだろう、到着してしばらくすると、ウトウトしていたようだ。

 

「まったく、イヤな気分ね……」

 

 乱れたウェーブのかかった銀髪を不快そうにかきあげる。

 幼いころ、この国に興味を持つきっかけになったことの夢。

 そして──その思いが叶かけたときにスルッと手のひらから逃げていったときの夢。

 人を待つ間の不自然な姿勢であり、眠りが浅かったのもあって寝起きは最悪だった。

 そして、ほどなく──待ち人は現れた。

 この国の伝統舞台でよく見かける、役者の邪魔にならないよう黒一色の装束を身にまとい、その顔にさえ黒い布で隠した黒子と呼ばれる者達と同じ様な姿をした男。

 

「待っていたわ、人形師……」

 

 女の声に、表情は隠されて見えなかったが、あからさまに落胆した様子でその男は答えた。

 

「こちらは待っていませんよ。これは一体どういう状況ですか?」

「潜入が発覚し、これ以上は不可能と判断して撤収してきたところよ」

 

 彼女の言葉に、男はこれ見よがしに盛大なため息をつき、布の奥から蔑んだ目で睥睨する。

 

「──この前、言わなかったか? 水狐のようなことにはならないように、と」

 

 口調さえ変えて、呆れを露わにする男。

 

「……聞いていたわ」

「それでこの体たらくとは……あきれ果てる」

「その水狐こそ、原因よ! あの女の失敗が華撃団全体の警戒を強めさせたのよ」

「それを覆せるほど、アカシア=トワイライトとして華撃団内で実績を稼げるほどの時間は十分にあったはずだが? それを生かせず、疑念を抱かれたことそのものが、お前の無能さの証だ」

「無能、ですって……?」

 

 さすがに感情的になって睨みつける。

 相変わらず顔は見えない。が、それに怯んだ様子は微塵もなかった。

 

「ああ、その通りだ。人を惹き付けて騙すくらいしか能がないのだから潜入工作以外に使い道が無かろう。それを自ら放棄してきて、黒鬼会に居場所があるとでも思っているのか?」

「く……、ワタシは、黒鬼会の『夢喰い(バク)』のコードネームを与えられた──」

 

 悔しげに反論しようとするが、それを『人形師』が遮る。

 

「本来、『夢喰い(バク)』の名は夢組対策をあのお方から命じられた私のものだ。それを夢組に潜入する貴様に貸していただけにすぎん」

「な……んですって?」

 

 与えられた名さえ借り物だった。

 それは──自らの地位が、黒鬼会では軽いものである何よりの証拠でもある。

 

「……京極め、英国を騙すつもり? 我が一家を愚弄するつもり!?」

「黙れ、小娘。あのお方の名前、気安く出していいものではない。それ以上、戯れ言を吐くつもりなら──強制的に黙らせるぞ」

 

 “人形師”がかざした手から出た極細の糸が舞い、虚空でわずかに光を反射させる。

 それを使えば、他者を意のままに操ることはもちろん、その命を刈ることも可能なことは、十分に分かっていた。

 

「今この時より『夢喰い(バク)』の名は返してもらう。我ら諜報部では役立たずの貴様だが、とりあえずは剣を振るえるようだからな。来るべき蜂起には襲撃部隊の末席くらいには名を入れておいてやる」

 

 諜報部からの除籍。

 そして手足ともいうべき襲撃部隊の一兵卒。それが新たに与えられる彼女の場所であった。

 

「貴様のその“家の恨み”とやらは、それで十分に晴らせるだろう? せいぜい励めよ。それまで……お前は名前の通り、夢でも花でもなく、その辺の草でも喰っていろローカスト(イナゴ女郎)

 

 嘲笑をしつつ、その場から去る『人形師』改め真なる『夢喰い(バク)』。

 それとローカスト=トワイライトは、恥辱に拳を震わせながら、じっと耐えることしかできなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 カーシャが姿を消した翌日──その後始末を勤務員総出で終わらせた夢組幹部達は綺麗になった──いや、綺麗にした食堂に集まり、会議を行っていた。

 

「──で、掃除が終わったところにちょうどやってくるなんて、見計らっていたのかしら、副隊長殿」

 

 そう言って開口一番にジロッと副隊長の(たつみ) 宗次(そうじ)を見たのは、食堂副主任の白繍(しらぬい)せりだった。

 あまりのタイミングで着いてしまったという自覚のある宗次は、苦笑を浮かべるしかない。

 

「ええ、私の予知でちょうど終わるのを見計らっていたんです。あまりに大人数で片づけたら、こんな事態を巻き起こした誰かさんの反省にならないでしょうから」

 

 それをフォローしたのは、褐色の肌に長い黒髪にゆったりした衣装を身に付け、神秘的な雰囲気を醸し出しているアンティーラ=ナァム夢組支部長兼予知・過去認知班頭である。

 もちろん、そんなことで能力を使ったりしないのは百も承知。ティーラの皮肉に、食堂を滅茶苦茶にした張本人であるせりは図星を指されて「ぐぬぬ……」と悔しげに黙り込むしかなかった。

 

「あれは、せりが僕を助けようとしてくれたことだよ。ティーラも宗次を庇うのはわかるけど、あまり責めないでくれないかな」

 

 夢組隊長である武相(むそう) 梅里(うめさと)がフォローすると、ティーラは恭しく一礼して角を納め、せりはせりで露骨に喜ぶようなことはせず、そっぽを向いて少しだけ顔を赤くしていた。

 

「さて、今回の件だけど……」

「待ってください、チーフ」

 

 梅里が切り出そうとしたところで、いきなり除霊班頭秋嶋(あきしま) 紅葉(もみじ)が遮った。

 そして真剣な顔で言う。

 

 

「カーシャがまだ来ていないのですが──」

「………………」

 

 

 なんとも気まずい空気が流れた。

 梅里やしのぶは苦笑し、宗次は沈痛そうにこめかみを押さえ、錬金術班頭の松林(まつばやし) 釿哉(きんや)は露骨に笑いをこらえている。

 

「……そのカーシャのことが議題ですよ、秋嶋嬢」

 

 ボブカットの髪に半眼の目が特徴的な錬金術班副頭の大関(おおぜき)ヨモギが伝えると、紅葉は驚いた様子で「え? そうなんですか?」と言って引き下がった。

 梅里は咳払いをして気を取り直すと、再び切り出した。

 

「……知っている者も多いと思うけど、カーシャが離反した」

 

 普段は穏やかな表情を浮かべていることの多い梅里には珍しく、厳しい顔で言う。

 

「えぇー!?」

 

 それに対して大げさなまでに驚いたのは、案の定、紅葉だけだった。

 さすがの紅葉も、そんな空気に気がついて周囲を見渡し──

 

「あれ? 驚いているのは私だけですか?」

「……というか、片づけの時も話してたし」

 

 そう言って苦笑を浮かべるのは、ヨモギと同じ錬金術班副頭の越前(えちぜん) (まい)である。今日はコックコートにツバ付きの帽子をかぶっていた。

 紅葉に説明した舞だったが、当初からの疑問をぶつける。

 

「でも、どうしてカーシャに疑いを持ったんです?」

 

 それに答えたのは、しのぶだった。

 

「彼女を疑ったのは、いろいろな要素を総合的に判断した結果ですが、まずは──せりさんからの聴取結果です」

 

 自然と、せりに視線が向く。それを感じ取ったせりが説明した。

 

「私が、嫉妬を暴走させ始めたきっかけは影山サキ──水狐に嫉妬心を煽られたときに妖力を植え付けられたからだけど、その後は彼女との接点はほとんどなかったわ。でも、たびたび嫉妬が暴走させ始めて……そのときにいたメンバーを思い出したり、特別班の聴取を受けたりしているうちにわかったのよ。カーシャが常に近くにいたって」

「もちろん、それだけでは偶然の可能性が高いので、決め手にはなりませんでした。しかし、彼女を疑い出すとわたくしにも思い当たることがありました。梅里様が襲撃を受けた日のことですが……」

 

 しのぶが言ったのは、梅里とせりが棚卸しの残業になったあの日、しのぶも手伝おうとしたのだが彼女に止められていた、ということである。翌日疲れているであろう二人の為にも、今日は早く帰って休むべきだ、と言われて──不思議としのぶは納得してしまったのだ。

 

「あと、梅里さんの御見舞いに来ていたみたいなんですよね。意識を取り戻す直前に」

 

 夢組の中ではもっとも見舞いに訪れていたかずらが付け加えた。

 彼女自身は見ていなかったが、同じく頻繁に見舞いに来ていた風組の藤井かすみが一度見かけたと言っていたのである。

 

「でも、一度きりだったし、しかもそれを誰に話すわけでもなかったですし……正直、妙だったんですよね」

 

 そのとき、実は梅里の命が狙われていたとは、誰も知らないことである。

 唯一、夢枕に立った梅里の守護霊である鶯歌(おうか)から警告を受けたかすみだけが知っている可能性があったが、あいにく今の彼女はその夢自体を忘れてしまっているので気がついていない。

 

「決め手になったのは、そのかすみさんからの情報です」

 

 かずらの発言を受けてしのぶが言うと、宗次が口を開いた。

 

「梅里が記憶喪失になったことを、ここでこうして皆に伝えたと思うが、そのとき、オレは皆に箝口令を敷いた。それは覚えているな?」

 

 皆が一様に頷く中──

 

「あの、箝口令とはなんでしょうか……」

「誰にも言うな、ということです。秋嶋嬢は特に念を押されていましたよね?」

 

 紅葉の質問に、すばやくヨモギが答える。

 

「ああ。それなら覚えてます。私はもちろん誰にも言っていません」

 

 自信ありげに頷くと、梅里をじっと見る紅葉。その姿は誉められるのを待っている犬のようである。

 その視線を受けて、梅里は「よくやった」と言外に示した笑顔を浮かべてそれに応じる。

 

「紅葉の言ったとおり、あの指示はほぼ守られていたんだが──藤井隊員から気になる話を聞いてな。同僚の榊原由里が知っていた、と」

 

 梅里の見舞いに足繁く通うかすみに、由里が「大変ね」と言ったときに、確かに彼女は記憶喪失のことを知っていた。

 箝口令のことは実は月組隊長・加山雄一が考案した策である。情報の漏れを調べ、敵の間者を特定するための策であった。

 そのため、記憶喪失を最初に知ったかすみにももちろん口止めしていたし、知っている人がいれば教えて欲しいとも言われていた。

 由里が間者とは考えづらかったかすみは、彼女にそれを誰から聞いたか尋ねたところ──「サキさんからよ?」とあっさり答えたという。

 

「それを受けて、疑念が深まった彼女に対してかすみさんが、小詠さんのいるところで敢えて訊いてもらったところ……カーシャから聞いた、と答えたんです」

 

 夢組内でも『読心(サトリ)』という希有な能力を持つ小詠。そのことをすべての華撃団員が知っているわけではない。

 その小詠の能力を知りつつ、知っているからこそ「嘘をつけない」という強迫観念にとらわれたサキは嘘にならない範囲で答えた。

 

「そのときはまだ、サキが水狐と判明する前の話……この時点ではカーシャが箝口令を破ってしまった、というだけのウッカリで済まなくもない」

 

 梅里が口を開く。

 

「でも……サキが黒鬼会幹部の五行衆であるならば、話は違ってくる。敵対組織に華撃団の不利な情報を漏洩させている──その疑いが生まれた」

 

 それを考慮して、再びせりへの捜査で判明した疑惑や、事件当日のしのぶへの工作といった不審点を集めていけば──限りなく怪しく見えてくる。

 

「決め手は『読心』が通じなかったことだよ。サキへ記憶喪失のことを話したという記憶が、彼女のどこにもなかった。影山サキがカーシャから聞いたという話には嘘であるという反応はなかったのに。この矛盾は『読心』対策を施しているために生まれたと推察できたからね」

 

 梅里はさも残念そうにため息をついた。

 正直な話、未だに仲間を疑うという行為には抵抗があるし、気が滅入っていた。

 しかし、『読心』対策をするのは何かを隠す必要があるからなのは間違いない。

 

「それでほぼ確定したけど決定的証拠はない。だから僕は彼女に対し、あえて無防備に隙を見せて彼女の行動を促した。そして案の定、それに乗ってきた──というのがその経緯さ」

 

 梅里の説明で、状況を知らなかった者達が驚いたように、また感心したような顔で頷いていた。

 

「なんかけっこう、大がかりな判明劇──という感じでしたけど、どうして隊長はそんなに複雑そうな顔してるんです?」

 

 不思議そうに舞に言われて、梅里は自分がそんな顔をしていたのに気づかされる。 

 そしてもう一度、ため息をついていた。

 身内を疑う嫌な仕事、というのが如実に顔に出てしまっている、と深く反省した。

 そこへ──

 

「私からもいいかしら?」

 

 そう言って手を挙げたのは、せりだった。

 

「──小詠の『読心(サトリ)』が通じなかったのは分かったけど……一体どうやって回避したの?」

 

 それは、小詠の能力を知っている皆からすれば、当然に抱く疑問だった。それほどまでに小詠の能力は、対人捜査において絶対の能力を誇るのだ。

 皆の視線が梅里に集まった。

 




【よもやま話】
 タイトルは旧作『其は夢のごとし2』のカーシャにあたるヒロインであるセラ=クロッカスのヒロイン回(同じく原作8話に相当)と同じ題名になりました。
 ほかに思いつかなかったもので。まぁ、末尾に「……」をつけましたが。
 前作の『1』では全部のタイトルの途中に「、」を入れていましたので、今回は全部末尾に「……」を入れて統一しようと考えてそうなってます。

 本編は前回からの流れ……説明的な会議シーンで面白味に欠けるのは重々承知です。
 しばらく私の自己満足につきあってください。ホントすみません。
 “人形師”の「イナゴ女郎」は、流行を取り入れて『半沢直樹』から伊佐山のセリフ「土下座野郎」からオマージュさせていただきました。女だったので野郎ではなく女郎になりましたが。
 ローカストは確かにイナゴの意味なのですが……もちろんイナゴの意味で名付けたわけではなく、ニセアカシアことハリエンジュの英名からとりました。アカシア(カーシャ)の偽物ですから。


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─2─

 小詠の『読心(サトリ)』をカーシャはどうやって回避したのか、それを訊かれて口を開きかけた梅里だったが、それを遮って答える者がいた。

 

「……ソレは、彼女が特殊な呪術を使っていたカラです」

 

 碧眼の英国人、コーネル=ロイドだった。

 沈痛そうな顔をしている彼はカーシャとは縁が深い。除霊班副頭という立場も同じであれば、出身国が英国であるところも同じである。

 国教会所属の宣教師である彼と、英国貴族の子女である彼女という立場が違うくらいだ。

 

(とはいえ華撃団に、旧教派(カトリック)が介入しないよう国教会の者を迎えるよう助言したのは……彼女の父上でしたがね)

 

 自分がここにいるのは、そのおかげ……そう考えると何とも複雑な思いだった。

 

「彼女が使ってイタのは、簡単に説明するナラ人格を二つに分けるヨウナ呪術です」

「それって、つまり──呪術で強制的に二重人格を作り出していた、ということですか?」

 

 コーネルの説明に皆がピンとこない中、一人だけ──ヨモギだけが話に食いついていた。

 実際、誰もが訝しがるような顔の中で、ヨモギだけが驚愕したような表情を浮かべている。

 

「さすがDr.ホウライ、その通りデス」

 

 一方で、説明していたコーネルは感心したように頷く。

 

「……二人だけで分かっていても仕方ないだろ。その二重人格っていうのは、一体どういうものなんだ?」

「簡単に言えば、一つの体を二人分の意識が共有しているような状態です」

 

 釿哉の問いにそうヨモギが説明したが、質問した彼はもちろん、コーネルをのぞく他の皆もよくわかっていなかった。

 それに気がついて「ふむ……」と考え込むヨモギ。

 

「……そうですね。例えば白繍嬢の体の中に伊吹嬢の魂も入っている、という状況と言ったらどうでしょうか?」

「それって、梅里の大将にぞっこんってことだろ? あまり変わらねえんじゃねえの?」

「いえ、そこは確かに同じですが、例えば隊長の近くに女の人が寄ってきた場合、白繍嬢の人格が表にでている場合には隊長を(つね)るでしょうが、伊吹嬢が表にでている場合にはその女の人の方に攻撃的になるという違いが出るはずです」

「う~ん、例えが悪いんじゃねえか? イマイチわからん」

 

 首をひねった釿哉は、なぜか非難するようにせりとかずらにジト目を向ける。

 

 

「「…………なに、この扱い?」」

 

 

 もちろん、勝手に例に出された挙げ句、イマイチと言われたら面白くはない。せりもかずらも憮然としていた。

 一方、彼女らを例に挙げたヨモギはそれをまったく気にもせず、なにか別の例は無いものかと考えを巡らせている。

 

「ふむ……では身内ではなく他の組(よそ)から例を持ってきてみましょうか。そうですね……例えば、事務局の藤井嬢がなぜか売店にいて「いらっしゃいませ。お土産にブロマイドはいかがでしょうか?」と満面の笑みで対応したかと思ったら、突然豹変して「こんな噂知ってますか?」と話しかけてきて、仕舞いには食堂に来て意味深な感じで「あの……主任さん、いますか?」と尋ねてくる──」

 

 

「「「──え?」」」

 

 

「──というような感じではどうでしょうか?」

 

 途中でせり、かずら、しのぶの驚く声が聞こえたが、ヨモギは完全にそれを黙殺し、何事もなかったかのように訊く。

 

「あ、うん。まぁ、そっちの方が変化がわかりやすいかな……それ以上に弊害が有ったと思うけどな」

 

 釿哉は苦笑いをしながら頷きつつ、そっと声のあがった方を見る。

 せりがジト目を、かずらが「む~」と不満そうな目を、しのぶが詰問するような冷たい目を、それぞれ梅里に向けている。

 

「「「あの、梅さ──」」」」

「そ、それでッ!! 二重人格になったら、人格間の記憶の共有はできるものなのかな!? ホウライ先生」

 

 何か言われる寸前で、梅里が冷や汗を流しながらヨモギに話を振る。

 それに彼女は振り返り、一瞬だけ三人に普段通りの半眼の目を向けて、それから改めて梅里を見る。

 抗議と懇願。苦笑気味の彼からは責めるような視線が飛んできていた。

 

「ふむ……そうですね。一概には言えませんが……」

 

 ヨモギは考え込むような仕草をしながら話を続ける。

 

「そもそも二重人格というのは、精神的な苦痛からの防衛によって起こる症状なのです」

「ん? 俺はさっきの説明を聞いて、そういえば師匠からそんな状態を作り出す魔法薬があるって話を聞いたのを思い出したんだが……呪術や薬が原因で起こることじゃねえのか?」

 

 かつて、子供の頃に欧州出身の錬金術師から指導を受けた釿哉。

 その先生からの話──忘れかけていたような思い出話を記憶から引っ張り出した釿哉からすれば、多重人格という馴染みのないそれは人為的に作られるものという認識しかなかった。

 

「それが不正解ではありません。でも耐え難い苦痛を与えられた人が自分の心を守るために苦痛を一身に受ける別の人格を生み出して引き受けさせる、というものが本来の一般的な多重人格の原因と言われているんです。そちらはその症状を見て人為的に作り出そうとした研究の成果、といったところでしょう」

 

 ヨモギの説明に釿哉は「ふ~ん」と感心する。

 やはり医療系の知識は夢組内では彼女に勝る者はいない。

 

「元が苦痛から逃避するためですから、人格同士で記憶を共通していないことが多いようですね。自分の中の別人格を認識していたりしているかどうかは、ケースバイケースのようですが」

 

 そう言って、もともと尋ねてきた梅里の方を見ながら答えた。

 それをコーネルが補足する。

 

「そうイッタ症例を見テ、記憶が分かれてイルのに気ヅいた魔術結社や協会の派閥が諜報活動や秘匿のタメに魔導技術で再現シタノです」

 

 自白剤や嘘発見器といった科学的なものから、読心(サトリ)といった非科学的(オカルト)なものまで、記憶を辿られる危険は数多くある。

 諜報機関がそれを防ぐ手段を求めた結果の到達点の一つが、作為的な人格分裂による記憶防衛と証拠の隠匿だった。

 

「──ということは、普段のカーシャは知らなかったと、いうことかな?」

「梅里? あなた、まさか……」

 

 そんな梅里のつぶやきに反応して彼を見たのはせりである。

 そしてもう一人、コーネルが反応してそれを否定する。

 

「イイエ。残念ナガラ私の知る限リ、本人ガ受け入れなケレバ、呪法は成立しまセン」

「……ということは、カーシャ本人も了承済みで、夢組に潜入していたということか」

 

 首を横に振ったコーネルの姿に、梅里は残念そうにため息をついた。

 それからは主に今後について、何より──敵の攻勢についての話し合い、会議は終了した。

 今後について──カーシャの後任の除霊班副頭については、除霊班で支部所属の一人を暫定的に指名し、喫緊に迫ってる大規模作戦終了後、正式に任命するという形になった。

 そのとき、梅里は気になったことがあった。除霊班頭の紅葉の様子が、いつもとは違うように思えていたからだ。

 案の定、会議が終わって参加した面々が席を立つ中で、紅葉は最後まで残っていた。

 そして──

 

「あの……チーフ、今回は本当に申し訳ありませんでした」

 

 梅里以外のメンバーが去った後で、紅葉は彼に近寄ってそう言うと、頭を下げたのだ。

 短めにしている彼女の髪が動くほどに頭を下げた紅葉を、梅里は不思議そうに見る。

 

「……なんのこと?」

 

 心当たりがない梅里が不思議そうな顔で困っていると、紅葉はショックを受けた様子だった。

 だがすぐに気を取り直して言葉を続ける。

 

「カーシャのことです。彼女は除霊班所属……それも副頭です。私がもっとよく見ていればもっと早く分かったかも──いえ、それ以前に裏切らせなかったこともできたはずです」

 

 真剣な紅葉の言い分に、梅里はそれに少し懐疑的だった。

 カーシャはそもそもからして潜入目的で華撃団に入っていた。だから反逆を防ぐことは不可能だっただろう。

 ただ、紅葉がカーシャという他人の行動について責任を感じていることには意外に思っていた。

 

(あの、紅葉がねぇ……)

 

 梅里は密かにそう思う。

 除霊班は紅葉が頭を務めているが、他の班とは少し事情が異なっていた。

 例えば、封印・結界班や予知・過去認知班は、頭である山野辺(やまのべ) 和人(かずと)とティーラがそれぞれ強い信頼を受けてまとめている。もちろん二人とも信頼を基にしていてもやり方は違っていて、和人は班員たちと積極的に接してコミュニケーションをとっている一方で、カリスマ的な占い師でもあるティーラの場合は班員達からの相談を親身に受けることで信頼を得ている。

 錬金術班頭の釿哉は錬金術等のものづくりに関する幅広い知識と、ノリのいい彼の性格でまとめ上げているし、調査班頭のせりも同班副頭である『音響探査(ソナー)』のかずらや『読心(サトリ)』の小詠という二人のような派手な特殊能力は無くとも、高い霊感を武器に班員の信頼を得た上で、本人の面倒見の良さで班を率いている。

 それらの班と違い、除霊班は圧倒的な強さを誇る紅葉は確かに班がまとまるための旗印ではあるが、彼女がまとめ上げたり牽引しているのではなく、他の者達が紅葉を隊長として支えているという認識だった。

 これは副頭のコーネル=ロイドと、カーシャの前任者で同じく副頭だった道師ことホワン=タオが人格者であり、実質的に班をまとめていたという面が大きい。

 

(いわば、班をまとめるための象徴──御輿のようなもので、他の班の頭たちとは違う……)

 

 彼女もそれに疑問に思うことなく、班員達のケアは副頭に丸投げしていたのだが、今回の件は紅葉にも考える影響を与えたようだ。

 そんな紅葉の成長が、この梅里にとっては非常に忌々しいこの件の中で、唯一の嬉しい要素だろう。

 

「どうして、そう思ったんだい?」

 

 裏切らなかったという未来が見えたというのなら、その根拠はなんだろうか。梅里は純粋な興味を抱いて尋ねる。

 正直、裏切らないという選択肢はなかったと思っている彼にとっては、紅葉の浅慮によるものと感じている。それほど期待はしていなかった。

 しかしその紅葉は梅里に訊かれ、逆に不思議そうな顔をしていた。

 

「だって、カーシャは楽しそうでしたから。食堂のときも、華撃団のときも」

「楽しそう?」

 

 紅葉の答えに思わず訝しがる梅里。一方で、紅葉はそれに何の疑念も抱いていない。

 

「ええ。実のところ私……サキさんの笑顔は苦手でした。歓迎会のときも、その後の米田司令の快気祝いの時も、あの人の笑顔は違和感がありました。心の底からではない、形だけの笑顔のような気がして」

 

 思い出したからか、顔をしかめる紅葉。

 そして彼女はカーシャはそうではなかった、と言った。

 

「それはカーシャの方が演技が上手かった、というだけじゃないの?」

「かもしれません。でも──私は、彼女の笑顔は信じられる、と思ったものですから」

 

 紅葉の直感だろう。

 しかしこの直感というものは夢組に限っていえば馬鹿にできないものである。なにしろ霊感の強い人がそろっているのだから。

 その最たる例がせりであり、探索や捜索任務での彼女の勘は本当に良く当たる。この前も行方不明のレニ機を発見したのはせりだ。

 また、直感でいえば梅里も鋭い。「なんとなく~」という理由でいろいろ決めるが、それが結果的に見れば危険を回避していたり、的を得ていたり、ということが多い。本人は根拠も理由もないのでやむなく「なんとなく」と言っているだけなのだが。

 その梅里の直感は魑魅魍魎との戦いで鍛えられたもの。

 同じく戦闘を得意とする紅葉も、戦闘と同じ様な直感でカーシャとサキの違いに気がついていたのだとしたら──カーシャへの印象が変わってくる。

 

「……わかった。でもそれは紅葉が気に病むことじゃない。カーシャがどんな状況で華撃団にやってきたのか、そこに紅葉が負うような責任はない」

「でも……」

 

 梅里に言われ、かえって焦ったように一歩踏み出す紅葉。

 その頭に、梅里はポンと手のひらを乗せる。

 

「だから──僕に任せてくれないか? 決して一方的に、彼女の言い分や主張を聞かずにこちらの都合だけで断罪するようなことはしない。そう約束するから」

「は、はい!」

 

 それを聞いて紅葉の顔がパッと変わる。安心したような笑顔を浮かべ、彼女は大きく頷いた。

 

「さすが……さすが隊長です!! ……あ、チーフ、でした」

 

 思わず隊長と言った紅葉が、自分の失言に気がついてあわてて口を押さえる。

 そんな姿に苦笑する梅里。

 

「紅葉には今まで何度も助けられているからね。こんなことで恩を返せるとは思ってないけど……」

 

 戦場において、彼女の戦闘力ほど頼りになるものはない。

 特に対魔操機兵や人に比べて巨大な怪異等においては、巻き付けた鎖と火炎の制御による気流操作を使ったトリッキーな動きで翻弄し、勘で見抜いた弱点に強力な一撃を叩き込むスタイルは、他に代え難い戦力だ。

 その高い戦闘力は、梅里を襲撃した鬼王を手負いの状態だったとはいえ警戒させ、撤退させている。

 

「そんなことありません。私の力はチーフに捧げているものですから。私はチーフの剣であり鉾、そして(やじり)。いかようにもお使いください」

「僕は紅葉のことを大事な仲間だと思っているよ。そして、それはカーシャに対しても同じ……そう思いたい。彼女には事情があったからあんなことをしたんだ、と。その事情が解決すれば、僕らと手を握ることができると信じたいんだ」

「チーフ……」

 

 感極まったように梅里を見つめる紅葉。

 

「そのためにも、彼女と話をしなければならない。もし、その機会が作れる状況になったら、協力してくれないかな?」

「はい。わかりました。私の一命を賭して、チーフをカーシャの眼前まで送り届けて見せます」

 

 そう言って頭を垂れる紅葉の大仰な反応に、梅里は苦笑しながら彼女の下げられている頭を軽くポンと触れ、「ありがとう」とその気持ちに礼を言った。

 それを受けた紅葉はもう一度改めて頭を下げると、梅里の前から去っていった。

 




【よもやま話】
 相変わらずの会議ですが──しばらくこんなシーンが続きます。
 紅葉は戦闘以外で真面目なシーンが無かったので、今回少しイジってみました。
 多少は成長しないとやっぱりおかしいですし。


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─3─

 紅葉が立ち去ったのを見て、人知れず梅里は一息ついていた。

 カーシャと話をしたい、というのは梅里の本心である。

 というのも、彼女がどういうつもりで黒鬼会についたのか──というよりは華撃団と敵対する立場になったのか、それを知りたいと思ったからだ。

 コーネルの話では、彼女の実家であるトワイライト家、その当主である彼女の父親は親日家で、華撃団構想にも協力的な人物だと聞いている。

 その彼女が反旗を翻した理由──それに梅里は心当たりがあった。

 しかしだからこそ、彼女と話をする余地があると思えるのだ。

 

 

「──梅里様、こんなところでどうしたんですか?」

 

 

 考えにふけっていた梅里は、近くからの優しい声で我に返る。

 声のした方を向けば、その特徴的な閉じているかのような細い目で微笑みを浮かべた女性がいた。

 彼女は身にまとった食堂給仕の服と合うように長い髪を結い上げている。

 塙詰しのぶ。夢組副隊長を務めている、非常に実力の高い女性陰陽師である。

 

「ちょっと、ね……しのぶさんこそ、どうしたの?」

「わたくしは梅里様のことを待っていたんですよ」

 

 そう言って再度微笑むしのぶ。その笑みに含むところを見た梅里は、ギクッと身を固まらせた。

 先ほどの会議中を考えると、心当たりがないわけでもない。

 

「それって、ひょっとしてさっきの……」

「いいえ、あの件ではありません」

 

 しのぶは首を横に振る。

 

「……もっとも、せりさんとかずらさんのお二人は梅里様を問いつめようと手ぐすねひいて待っておられたようですが」

「ぅえ!?」

 

 再びギクッとなってこっそり周囲に視線を走らせるが、しのぶと梅里の他に人影はなかった。

 

「お二人なら紅葉さんと話をされているのを待っていられなくなって、事務局に確認しに行かれたようですね」

「へ、へぇ……」

 

 若干、頬をひきつらせながら、それを人差し指で掻く梅里。

 そんな梅里の様子を見てクスッと笑みを浮かべると、しのぶはさらに一歩、梅里へと近づいた。

 

「……カーシャさんのこと、気になっていらっしゃるんですよね?」

 

 しのぶは笑みを浮かべたままそう言ったが、梅里は顔色を変えていた。

 真剣みを帯び、視線を逸らせて黙り込む。

 

「紅葉さんとの会話、盗み聞きするつもりはありませんでしたが、聞こえてしまいましたもので」

 

 しのぶにそう言われては何も言い返せなかった。沈痛そうに目を伏せる梅里。

 対してしのぶはそんな梅里の反応に不思議そうな顔をした。

 

「聞かれてよくない話でもないように思えますけど?」

「敵のスパイとして確定している人を、信じて話してみようという内容だよ? マズくないとは思えないよ」

 

 苦笑を浮かべる梅里だったが、しのぶは微笑みを浮かべたままだった。

 そして彼女は首を横に振る。

 

「いいえ。わたくしは知っておりますから。組織の一番の危機に際して逃げようとした裏切り者を、こともあろうかその現場で説得した人のことを」

 

 そう言ってじっと梅里を見つめる。

 

「しのぶさん……」

 

 夢組の陰陽寮出身者たちは先の黒之巣会との戦いで、六破星降魔陣を完成させられて絶体絶命となった帝都から、華撃団を見捨てて離脱するように指示された。

 陰陽寮派のトップであり、陰陽寮の密偵であったしのぶはそれを実行しようとしたのを、梅里に説得されて留まったのである。

 

「この期に及んでも、カーシャさんを敵視できないのですか? 御自身が傷つき、仲間が害されていても」

「僕が狙われたのは気にしていないよ。そういう立場にいるし、僕にも原因がある……せりのことは、思うところがないわけじゃないけど」

 

 せりを追いつめたことは、梅里も許せないところではある。

 だが、彼女をそうさせてしまった原因が──もし梅里の考えるとおりであったのなら、それはカーシャだけの責任ではない。

 

「梅里様に原因、ですか? いったいどのような……」

 

 しのぶの問いに、梅里は返答をためらう。

 それに気づいたしのぶは、笑みを消して細いながらも真剣な眼差しを梅里へと向けた。

 

「梅里様。カーシャさんを助けたいとお聞きしたときに、わたくしは「相変わらず甘いお人」と、ついそう思ってしまいましたが……わたくしの考えは変わっておりませんよ」

 

 一度言葉を切って、しのぶはさらに一歩踏み出す。

 梅里とくっつかんばかりの距離。そこまで詰めたしのぶは、そっと梅里の手を取る。

 

「以前申し上げましたとおり、わたくしの居場所は華撃団にも陰陽寮にもございません。梅里様の()(そば)でございます。たとえ何があろうとも、わたくしは梅里様の味方であることはこの命尽きるまで、変わりません」

 

 そう言って見つめるしのぶ。

 

「味方であるわたくしには隠し事をしてないでくださいまし」

 

 丁寧に頭を下げてそう付け加えられては、梅里も言わないわけにはいかなかった。

 小さく息を吐くと、梅里は自分が思う原因と思われるものをしのぶへと語った。

 

「昨年、僕が欧州へ行ったのを覚えてる?」

「ええ、もちろん。コンクールに参加されるかずらさんだけを連れいかれまして……わたくしも梅里様とともに長期間の旅行に行ってみたいものですね」

 

 しのぶの言葉にトゲを感じて、梅里は苦笑を浮かべるしかない。

 

「あのときは、かずらのコンクールだけが目的じゃなかったんだ。しのぶさんも副隊長だし、陰陽寮関係からも聞いているかもしれないけど、欧州に華撃団を作るという話があるのは聞いてるよね?」

「それは……一応、存じております。」

「その欧州華撃団構想の会議に僕は出席してきたんだよ。帝国華撃団の代表として、ね」

「そうだったのですか……」

 

 驚くしのぶ。

 しかしそれも無理はない。梅里が参加したのは極秘だったし、それを知っているのは彼を送り出した司令の米田と副隊長でも軍属であり梅里不在時の隊長代行になっていた宗次、渡欧の理由にしたかずら、それ以外には華撃団全体を見ても他に数名程度である。

 

「それは欧州華撃団構想の中心都市を決定する会議だった。候補地は数カ所あったけどそのうち最有力だったのはフランスの巴里(パリ)。そして、イギリスの倫敦(ロンドン)……」

 

 候補の中にはドイツの伯林(ベルリン)も挙がってはいたのだが、ドイツは欧州大戦での敗戦国なために見送られている。

 他にイタリアの羅馬(ローマ)等も候補にあったが、決め手に欠けており、実質的に巴里と倫敦の一騎打ちであった。

 

「そこで僕は……フランスの巴里を推薦した。帝国華撃団代表として、ね」

「そうだったのですね……でも、たしか英国は……」

「うん。英国は日本の同盟国。確かにその通りだよ。だから普通に考えれば倫敦を推すべきところだった。でも……事情があったんだ」

 

 かつて欧州大戦よりも前、それこそ米田中将が頭角を現すことになったロシアとの戦争を前に、日本は英国と同盟を結んでいた。それは現在でも有効であり、そういったつながりから関係も良好なのだ。

 しかし梅里は、巴里で大規模な霊障が起こるのを予知した、と報告されていたのだ。

 さらには、巴里の寺院でも聖母像が涙を流す等、それを裏付けるような怪奇現象が起こっているという情報も知っていた。

 

「それらを踏まえていろいろ動いたんだけど……結果として、巴里を推すしかなかった。大規模霊障への備えを疎かにして、その犠牲になる人を、助けられた人をみすみす見殺しにするわけにはいかなかったから……」

 

 梅里は悔しそうに首を振る。

 黒之巣会との戦いもその後の降魔との戦いも、華撃団が勝利したとはいえ帝都では大規模な破壊が起きていたし、それで犠牲になった人も多い。華撃団とて万能ではない。救おうとしたその手からこぼれ落ちた命もあるのだ。

 そうやって備えをしていても、そうなのだ。もし備えなければ──どれほど多くの犠牲がでるのか、計り知れない。

 

「それで巴里を推薦したのですね。ということは、欧州華撃団構想の中心都市は……」

「結果的に巴里になった。だから──帝国華撃団は英国の怒りをかうことになったとしてもおかしくはない」

 

 梅里が沈痛そうに言うと、しのぶは驚いた。

 

「結果的にはそれで多くの人が助かるのではないですか! それなのになぜ……」

「イギリスとフランスの対立は根深いらしくてね。それに英国からしてみれば、たった一度の霊障に対する対策のために、華撃団構想という大きなプロジェクトの中心を安易に巴里に持って行かれた、と見えているだろうから納得できないんだと思う」

「そんな……」

 

 しのぶは嘆くが、梅里の言うことは的を得ていた。

 巴里に欧州華撃団構想の本部ともいえる組織ができれば、後続となる他の都市は支部扱いになるのは明白だ。

 かくして巴里は本部となり倫敦は支部扱い。

 しかもそれは未来永劫──華撃団構想が終焉を迎えるか、さもなくば巴里やその華撃団が壊滅でもしない限り変わらないだろう。

 しかし支部である倫敦が本部である巴里の壊滅を静観するというわけにはいかないことも明白である。

 それを考えれば本部扱いとなる巴里の華撃団と支部扱いになる倫敦の華撃団は一蓮托生であることが予想される。

 そうなれば設立以降はよほどの想定外なことがなければその立場がひっくり返ることはない。

 不倶戴天の敵の下に居続けることなど、我慢がならなかったのだろう。

 

「だからといって帝国華撃団が、いえ、梅里様が責を問われるようなことではないではありませんか!」

 

 それで愛する彼の命を狙われたのだとしたら不条理だ、としのぶは憤る。

 だが当の梅里は首を横に振った。

 

「でも、あの時あの場で巴里を推したのは間違いなく僕だよ。米田司令にも僕の意見として巴里推薦の具申もしたし、その責は僕にある。もっとも……何ものにも恥じることはないとは思っているけどね」

 

 間違えたことはしていない。その自負だけはあった。

 

「でも──カーシャには違う。彼女にはひょっとしたらこの面倒なことに巻き込んでしまった可能性があったから」

「カーシャさんに、ですか? いったいどうして……」

「彼女は出自であるトワイライト家こそ英国で華撃団計画を進めてきた家なんだよ。かつては帝国華撃団も設立の際にお世話になっている。それがもし、去年の件で手のひらを返していたら……そんな家の方針に彼女が従っているだけなのだとしたら、話し合う余地はあると思わないかな?」

 

 そう言ってしのぶを見た梅里。その表情はしのぶからは苦笑気味に顔をしかめているようにも、切実な望みを訴えかけているようにも見えた。

 そして同時に感じていた。カーシャの置かれている状況が、かつて華撃団を見捨てようとした実家を含む陰陽寮と自分の構図とよく似ていることに。

 

(だからこそ、梅里様は……)

 

 さらに今回は、こうして外から見ることで見えてきたこと──しのぶのふとした思いつきだったが──もある。

 正直、自分の時もそうだが梅里がこんなに気にかけるようなことではないように思える。

 特に今回は、陰陽寮派という多数の離脱がかかっているわけでもないし、それどころか梅里は自分がひどい目に遭わされた完全な被害者だ。苛烈に責める側になって当然のはず。

 梅里が前回も今回も気にかけているのはもちろん理由があるのだろう。

 それをしのぶは、家の宿命によって翻弄され、彼が目の前で消えることとなった命を目の当たりにしたからなのではないか、と思っている。

 彼にとって幼なじみの鶯歌という女性の存在が本当に大きなものだったことは、彼に惹かれて以来、しのぶは常に感じていることだった。

 その彼女が命を落としたのは、武相家代々が背負ってきた魑魅魍魎の討伐という役目と、夜に出歩く梅里をことさらに心配する原因となった許嫁という立場。それらをひっくるめれば、鶯歌は武相の家の宿命に命を奪われたと言えるだろう。

 

(わたくしの時も、今回も、梅里様は鶯歌さんを重ねて……)

 

 おそらく梅里は無意識だろう。しかし悔しくはあった。

 自分の想う人が自分のことではなく、自分を透かして他の人を見ているのだから。

 

(でもそれは、それがもう果たせない想いだから……そう考えれば、光栄と思うべきなのかもしれませんね)

 

 今はもう果たし得ぬ、彼にとっては至高の想いを代替とはいえ向けられることは、しのぶにとっては幸せであった。

 だが──そこはそれしのぶも乙女である。それを独占したいと思うのは当然のことだろう。

 彼女は気を取り直し、その細い目で改めて梅里を見つめる。

 

「梅里様。お気持ちはよくわかりましたが……わたくしから一つ、よろしいでしょうか?」

「かまわないけど……」

 

 改まった様子のしのぶに戸惑いながら頷く梅里。

 

「陰陽寮の者も申しておりますし、調査班の調査結果もそうなのですが……カーシャさんの霊力は『陽』属性となっております」

「うん。それは知っているけど?」

「それで彼女の霊力は特殊な波長を出していて、人が無意識のうちに太陽の光を求めるように、彼女の霊力には人を魅了する力があるとのことですよ。もっとも好ましい人の姿を思い浮かべて照らし合わせてしまう、そうです」

「え? あ……なるほど、ね」

 

 しのぶの説明に、梅里は少なからず納得した様子だった。

 それを見て、しのぶはにっこりと微笑む。

 

「それで、梅里様は誰の面影を重ね合わせていらしたのでしょうか?」

「あ、いや、それは……」

 

 焦り、戸惑う梅里の様子を見て、しのぶはクスクスと笑った後、それを消して──

 

「では、カーシャさんの件……彼女からしっかりと真意を伺うことにいたしましょう」

 

 ──と、表情を引き締めた。

 そんな彼女の様子に梅里は──

 

「え? あれ……さっきの件、聞かなくていいの?」

「はい。梅里様が誰の面影をカーシャさんに重ねていようとも、わたくしの行動は変わりません。あなた様の思い描いたことを実現させることこそ、わたくしの使命……先ほど申し上げましたように、華撃団のためでも陰陽寮のためでもなく梅里様に尽くすため、わたくしはこの場にいるのですから」

 

 そう言ってしのぶはもう一度、笑みを浮かべるのであった。

 ただ一つ、懸念があるとすれば……

 

(あの方へ魅了を仕掛けることがどれだけ危険なことか、はたしてカーシャさんは理解と自覚がおありでしたのでしょうか。それを無しにやってしまっていたのだとすれば……)

 

 心の中で苦笑しつつ、しかも彼女を梅里が助けようとしていることを考慮すると……諦めに似た感情を抱きつつ、そっとため息をついていた。

 




【よもやま話】
 しのぶは次の話のヒロインの予定。
 そんなわけで今まで出番が少なかった彼女の露出も多くしないと──というか、カーシャが出てこられない状況ですから、ほかのヒロインにがんばってもらうしかないわけで。
 しのぶは健気だなぁ。
 そして彼女の懸念……的を得てます。彼を魅了しようとすれば、そうなってしまいますからね。


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─4─

 そうしてしのぶに、カーシャと対話することを納得させた梅里。

 だが、カーシャと和解──それ以前の対話をすることを納得させなければならない、もっとも重要な相手がいた。

 それはある意味、司令である米田や副司令のかえでを説得する以上に難しい相手であるように、梅里には思える。

 

(さて、どう説得したものか……)

 

 梅里は、そう考えながら会議の場になった食堂から出ようとしたが、不意に引っ張られて足を止めた。

 なにごとかと足を止めて確認すると、引っ張られたのはコックコートの上に着た濃紅梅(こきこうばい)色の羽織。そしてその裾をそっと握りしめた女性が振り返った梅里の視線から逃げるようにそっぽを向いている。

 肩くらいまでの長さの髪を、後頭部で左右に分けて二つのお下げにしている彼女のトレードマークとも言うべき髪型は、それだけで梅里には誰か分かった。

 

「せり……いったいどうしたの?」

 

 白繍せり。

 調査班頭であり、また食堂副主任という平時での肩書きは、食堂での梅里の片腕とも言うべきものであり、実際には彼を差し置いて経営方針を決めるほどの信頼と実績を持つ女性である。

 しかし今はある事情により、その立場は弱くなっている。

 

「別に。今の私は隊長であるあなたの預かりの身なんだから、近くにいるのは当たり前でしょ?」

 

 決して目を合わせようとはせずに、せりはしれっと答えた。

 

「そのわりには、会議が終わった後、事務局の方に行ったみたいじゃないか」

「ええ、ええ、そうよ。あなたとのことをかすみさんに訊きに行ってきたんだから」

 

 キッと睨むせりの視線に圧されつつ、梅里は余裕の態度を崩さないようにと努力した。

 

「へ、へぇ……で、かすみさんはなんて?」

「べ・つ・に。いろいろ訊いたけど上手く誤魔化されちゃったわよ。まったく、あの人も老獪というかなんというか……」

「そんなこと言ってると、かすみさんに言いつけるよ?」

 

 さすがに老獪はヒドいだろう。そう思って梅里が苦笑しながら言うと、せりは逸らしていた視線を再び梅里へと向けた。

 

「別にいいわよ。あの人から怒られようとも恨まれようとも、もう変わらないもの」

 

 諦めたようにため息をつく。

 そして、梅里をジロッとジト目でにらむ。

 

「どうせあなたの好みは、ああいう“大人の女性”なんでしょう? まったく……」

 

 そう言って彼に向かって「べーっ」と舌を出す。

 そんな感情露わなせりの姿に、梅里は思わず笑みを浮かべていた。

 

(せりらしい姿、なんだか久しぶりだな)

 

 春に梅里を射抜いて以来、それを隠すために感情を押し殺していた彼女。

 その姿は、勝ち気で明るく感情豊かな彼女らしさからはほど遠いものだったし、梅里もそんな彼女の姿が見られなかったことに胸を痛めていた。

 それがしばらく前に解消されて以来、彼女のそういった姿は復活してきていた。それも最初はやはり不祥事を起こしたので抑えているところが見受けられたのだが、日を経つごとにそれらも解消してきており、徐々に遠慮がなくなってきている。

 最近では、春頃よりもさらにストレートな感情表現──ともすれば年齢よりも下に見えるような子供っぽい表情を見せるようになり、以前よりも距離が近づいたように感じられていた。

 

「……なによ、人の顔を見てニヤニヤして」

「いや、せりらしさが戻ってきたと思ってね」

 

 梅里の素直な感想に、せりは思わず顔を赤くしてバッと顔を上げて視線を逸らす。

 

「な、なによ! ジロジロと見て。いやらしい……」

「いやらしいって、そんな……」

 

 思わず再び苦笑する梅里。

 そんな彼から視線を背けていたせりだったが、不意に大きくため息をつくと、そのまま話を始めた。

 

「……カーシャのこと、聞いたわよ。──っていうか、聞こえたというか……」

 

 せりが言うには、かすみを問いつめても埒があかないと判断したせりが戻ってきたら、ちょうど梅里としのぶが話していたところだったらしい。

 ちなみにかずらは負けじと諦めず、未だにかすみに噛みつこうとしているようだ。人見知りするかずらだが、一緒に危険に遭遇した仲間意識と接する機会が増えたせいで、どうやらかすみには遠慮が無くなったらしい。

 

「あんな大きな声で話しているアンタ達が悪いんだからね」

 

 これを非難ととるべきか、注意ととるべきか。なんにせよ、それもまたせりらしい発言だった。

 

「ご忠告どうも。それで?」

「それで……って、私になんて言って欲しいのよ?」

 

 訝しがりつつも、どこか威勢良く反発気味のせり。

 

「僕がカーシャと話をしたいっていうのは聞いたんだろ?」

「ええ。そうよ」

「で、それを聞いたせりの感想。どう思ったの?」

「わ、私は……」

 

 少しのためらいの後、彼女はハッキリと口に出す。

 

「梅里の、思うとおりで良いと思うわ」

「ふ~ん……」

 

 それに対して梅里は含みがあるように笑みを浮かべる。

 その表情を見て不満そうにするせり。

 

「なによ、その表情。言いたいことがあるならハッキリ言えばいいじゃない」

「わかった。じゃあ、ハッキリ言うよ。聞き分けのいいところを見せてさっきの“大人の女性”を演じているつもり?」

「なぁッ!? そ、そんなわけ、無いでしょ!!」

 

 梅里の言い分に、最初は驚いたものの、徐々に怒りが勝っていく。

 

「なに言ってるのよ! 私は本気であなたの思うとおりにして欲しいと思ったからなのに、それを……信じられない!」

 

 激高するせりを梅里は両手で掴んで押さえると、じっと彼女を見つめた。

 

「本当に?」

「な、なによ。疑うっていうの?」

「疑ってはないよ……半分くらいは」

「は、半分って、疑ってるってことじゃないの! あなたねぇ!!」

 

 再び暴れ始めるせり。

 そんな彼女に──

 

「無理、してない? いい恰好しようとしているとは言わなくても、どこかで我慢しているんじゃないの?」

 

 梅里の真剣な眼差しに、せりは勢いを殺されて動きを止めると、視線を逸らしてしばらく黙り込む。

 それから少ししてから、口を開いた。

 

「それは……私だって、実際に直接妖気を植え付けたり、あなたを狙撃させたのがカーシャじゃないと言ったって、彼女に怒りや恨みを感じないわけじゃないわよ。水狐と一緒になってさんざん、人の嫉妬を煽ってくれたんだから」

 

 捜査が進んで、カーシャのやっていたことは徐々に明らかになりつつあった。

 彼女がしていたのは主に情報の漏洩と、せりの嫉妬心を煽る行為だった。

 せりの嫉妬心は彼女に対して向けられたことはあまり多くはなかったが、彼女のいる場面で暴走することが多かった。

 

「でも、ね。彼女の話を聞きたいと思っているのは私も同じよ。でも理由はたぶん、あなたとは違う……私は純粋になんでこんなことをしたのか、それが知りたいだけ」

 

 梅里や、当初は紅葉が言い出したことであるカーシャの言い分を聞き、可能であれば説得するための対話とは違い、せりが求めているのは真相解明のための聴取だった。

 

「私がこんなことをされた理由も分からないまま、水狐みたいに討たれて真相は闇の中──なんて納得できないもの」

 

 少し悔しげなせりは、水狐が死んだと聞いたときに感じたモヤモヤを吐露していた。

 

「水狐──いえ、影山サキは私にあんなことを、大事な人に弓を引かせたくせに何も語らなかったことは許せないわ……もちろん、米田司令を狙撃させた黒幕も話さずに去ったことも許せないけど」

 

 後半のとってつけたような言い分には思わず梅里も苦笑したが、それでも前半の──大事な人に弓を引かせた、という部分にはそれを(おもんばか)って感情が高まり──思わず目の前にいた彼女を抱きしめていた。

 

「──え? えぇっ!?」

「……ゴメンね、せり」

 

 突然の梅里の行動に戸惑うせり。

 そして唐突な梅里の謝罪にも困惑した様子だったが、梅里がもう一度「ゴメン」といった頃には落ち着いて、だいたいの事情を把握していた。

 

(私があなたを射抜いたのを、自分が鶯歌さんを貫いたのと重ねたんでしょ? まったく……)

 

 重ね合わせて心を痛めてくれるのは、彼の優しさを感じられてうれしいことだったが、やはり鶯歌の存在の大きさを感じてしまい、それに嫉妬するせり。

 

「別に……謝らなくても大丈夫よ……」

 

 その悔しさを、抱きしめてきた梅里を逆に強く抱きしめることで少しでも紛らわせようとするのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それから食堂は休憩時間を終えて夜の営業を迎えた。

 人数的にも余裕がある今の食堂はよほどのことがない限り問題は発生しない。夢組として動いているものも少なく、営業を無事に終えて忙しい一日が終わった。

 後かたづけをすませ、各々が帰路につき始めたとき、まだ食堂に残っていた梅里の元へ、かずらがひょっこり現れた。

 

「──あ、ちょうどいいところに」

 

 梅里を見るや、かずらは笑顔で彼の側まで駆け寄る。

 すでに着替えをすませていた梅里は、普段着の黄色いシャツに濃紅梅の羽織という服装だった。

 

「梅里さん、私の練習……最後に一回だけ演奏したいので、付き合ってもらってもいいですか?」

「それは……構わないけど」

 

 後は帰るだけだし、誰かと一緒に帰るという約束もしていない。

 梅里が承諾すると、かずらは笑顔を浮かべて喜びつつ、梅里を音楽室へと連れて行く。

 ドアを開けて中に入るが──誰もいなかった。かずらも練習と言っていたのでほかの楽団員や、場合によっては花組のソレッタ=織姫がいるかもしれない、と思っていたのだが、それは外れたようだ。

 

(彼女も、先月あたりから人当たりにキツさが無くなったから……)

 

 日本の男が大嫌いと言ってはばからなかった織姫は、先月の浅草での騒動──火車との戦い以降は、明らかに態度が変わっていた。

 梅里にもそこまでキツい態度をとらなくなっており、先日はイタリア料理について彼女に尋ねてみたほどで、それくらいにまでは態度を軟化させていた。

 ──などと梅里が考えを巡らせ、ふと気がつくと不満そうなかずらと目が合う。

 

「……どうかした?」

「梅里さん。他の女の人のこと、考えてました」

「ッ!」

 

 思わずギクッとなるが、苦笑を浮かべて「そんなことないよ」と誤魔化す。

 それに騙されたわけでは無さそうだが、かずらは「む~」と眉根を寄せて不満げな顔をしていたが、その態度をあっさり解いた。

 

「……まぁ、別にいいですけど。今からの演奏を、しっかり聞いてくれるのなら」

 

 そう言いながら、かずらはテキパキと準備をしていた。

 譜面台の上に楽譜を置き、ケースに入っていた愛用のバイオリンを取り出すと、手にした弓とともにそれを構える。

 

「じゃあ、いきますよ?」

 

 そうして、かずらは目を閉じ──演奏を始めた。

 素人が聞いてもわかる見事な音色が部屋に響きわたる。

 

「……この曲は…………」

 

 梅里はその曲を知っていた。

 というのも、最近、聞いたからである。大帝国劇場の秋公演『青い鳥』のクライマックスで流れる曲だった。

 幼い二人の兄弟が探し求めた幸せの青い鳥を巡り巡ってようやく見つけた、その喜びを表す曲であり──幸せは身近なところにある、というのを表現している曲。

 食堂勤務員である梅里は、なかなか公演を目にすることができない身ではあったが、稽古中の花組達を目にすることはあるし、『青い鳥』に関していえば、たまたまその総稽古を見ていたというのもある。

 この曲を聞いて梅里は、目を閉じてクライマックスを思い出す。

 バイオリンのみという変則的な曲にはなっていたものの、それでも十分に素人である梅里に聴かせられたのは、さすがはかずら、といったところだろう。

 演奏を終えて、彼女がそっと息を吐くと梅里の拍手が彼女の演奏を讃えた。

 

「さすがだね。相変わらず上手かったけど……でも、なんでこの曲なんだい?」

 

 思わず梅里は尋ねていた。

 秋公演『青い鳥』は好評を得たが──すでに千秋楽を終えている。

 先ほどかずらは練習と言った。しかし練習する必要がないはずのこの曲をあえて奏でた意図が梅里には分からなかった。

 

「……カーシャさんを許すつもりみたいですね。梅里さん」

 

 楽器を構え、目を閉じたままかずらが冷たい口調でいったので、戸惑う梅里。

 

「どこで聞いたの?」

「私、耳はいいんですよ? おかげでいろんなことが聞こえてくるんです」

 

 目を開くと、いたずらっぽく笑うかずら。

 その目がすっと変化して、珍しく厳しい目を梅里へと向ける。

 

「しのぶさん、それに……黒鬼会にあれだけ追いつめられたせりさんも認めているそうじゃないですか」

「許すわけじゃないよ。とにかく、カーシャと話をしてみるということ。それでせりも納得してる──」

「同じことです! 私は……カーシャさんを許せません!!」

「かずら……」

 

 思わぬところから出た大反対。かずらは怒りを露わに梅里へと詰め寄る。

 

「私にとって夢組は『青い鳥』なんです。一番身近にある一番の幸せで……特に食堂はスタッフじゃない私にとっては完全には中に踏み込めない、外から見ることしかできない、それでも一番幸せを感じられる場所……」

「そんな。別にかずらが食堂に来たってぜんぜん構わないんだよ。変に気を使うことなんて無い」

「ええ。分かってます。せりさんも梅里さんも、他のみんなも私を仲間外れになんてしていません。でも……私は料理もできないし、給仕もこなせない」

 

 少し寂しげな笑みを浮かべたかずらに、梅里はその本心を見て複雑な思いだった。

 だが、彼女も演奏についてはプロである。自分の役目をわきまえている。

 

「私がこの大帝国劇場でやるべきことは料理で楽しませることじゃなくて、音楽を奏でてみなさんを楽しませることですから。それにプライドを持っていますし、あれもこれもと欲張るつもりもありません。今の夢組と楽団ってだけでも大変なのに、草鞋も三足目になっちゃいますから……」

 

 そう言ってかずらは苦笑する。

 

「確かにみなさんと食堂で働きたいって気持ちはあります。でも、それじゃあわがままですし、やってくるお客様のためにも音楽に全力を注ぎたい。どちらも同時にできるほど私は器用じゃありませんし、楽な世界じゃありません。もちろん食堂だってそうだと思います」

 

 だからこそ、自分ができる方──演奏で劇場に来たお客さんたちを喜ばせたいとかずらは思っていた。

 ただ、とはいえかずらも20歳に満たない乙女である。

 

「でも……ほんの少しワガママを言うことになっちゃいますかけど、やっぱり食堂勤務している人達が羨ましい。私も、梅里さんと一緒に働きたい。梅里さんが調理しているところを間近で見たいです」

 

 好きな人の近くに少しでもいたいと思うのは無理もないことだ。

 それに、料理のできないかずらからしてみれば、美味しい料理を作り出す梅里の調理技術は魔法のようだった。

 

「そんな、優しいみんなが仲間として私を暖かく迎えてくれる。こんな幸せなことはないと思ってます。でも……あの人は、それを壊そうとした。みんなを裏切った」

 

 かずらの目が再び険しくなる。

 滅多に見せない本気の怒りに、梅里は驚いていた。

 

「あの人は、自分もあの場所にいたのに……青い鳥が手の中にあるのに、それをくびり殺そうとしたんですよ? 絶対に、絶対に私は許せません! せりさんが……あんなに苦しんでいたんですから」

 

 しのぶがあまり感情露わに争うことがないせいで、かずらは梅里を巡ってせりと争うことが多い。

 だからといって、せりのことが嫌いなわけでは決してないのだ。むしろ彼女がいるからこそ刺激になって梅里への思いが募るし、いろいろなことに気がつけるくらいに視野が広くなっている気がしている。

 かずらにとってはいい恋敵(ライバル)なのである。

 そのせりが、苦しんでいるのは決して気分がいいことではなかった。あのころは自分のことだけ考えるのなら絶好の機会(チャンス)だっただろうが、それでもせりを踏み台にしてまで梅里との距離を詰めようとは思えなかった。

 

(そんなことをしたら卑怯ですもんね。それに負い目を感じていたでしょうし、そんな状態で梅里さんを射止めても、気がひけるじゃないですか)

 

 せりとは正々堂々と競いたいし、それはしのぶに対しても同じ。そしてそれは二人も同じ気持ちだと勝手にではあるが思っている。

 

「……せりを長々と苦しめてしまったのは、僕のせいだよ」

「そんな! そんなことありません。梅里さんは大怪我をして記憶まで失っていたんですから」

 

 梅里を庇うかずらだったが、梅里は首を横に振る。

 そして──

 

「かずら……『青い鳥』の話は知ってるよね?」

「ええ、もちろんです。そもそもこの前までアイリスとレニの二人が主演でやっていたんですから」

 

 しかも楽団に所属して演奏を担当していたかずらが、そのシナリオを知らないわけがない。

 もちろんそれを知っているはずの梅里がなぜ、わざわざそんなことを言い出したのか、かずらは眉をひそめる。

 

「かずらは、夢組に“青い鳥”を見たんだろう? それに気がつけたのかもしれないけど……それを見つけられずに探している人もいるということは、分かるよね?」

「それは……わかりますけど」

 

 物語で兄妹は“幸せの青い鳥”を探し求め続けた挙げ句、結果的には身近にそれがあることに気がつく。

 幸せとは身近にあるもの、という物語の教訓であるし、かずらが夢組や食堂を“青い鳥”と思うのはそういうことだ。

 

「もしもそれを探している人に、そこに“青い鳥”がいるんじゃないのか、と確認するのは、悪いことかな?」

「……それって、カーシャさんのことですか?」

 

 かずらの訝しがる顔が不機嫌な顔に変わる。

 だが、梅里はそれでもハッキリと頷いた。

 

「うん。彼女にとっても、夢組や食堂が“青い鳥”たりえないのかな、と思ってね」

「さっきも言ったじゃないですか! カーシャさんはその“青い鳥”を殺そうと──」

「それは、彼女にはが“青い鳥”に見えてなかったからだよ。“青い鳥”って……そういう話だし、彼女がそれを“青い鳥”と見てくれれば迎えるつもりだし、そうと思えないのなら、袂を分かつしかない。わかりあえないんだから、ね」

 

 寂しげに笑う梅里。

 

「だから、それだけは確かめさせてくれないかな?」

 

 そんな彼の問いかけに、かずらは考え込んだ。

 深く、そして長く考え込む彼女は──その表情が厳しいものから長い時間をかけて、徐々にむくれたような不機嫌なものへと変わっていく。

 そしてその不満を隠そうともせずに口を開いた。

 

「……私としては、なんだかすご~く、イヤな予感がするのが気になりますし、本当ならイヤでイヤでイヤで仕方がないんですけど……他ならぬ梅里さんのお願いですから……わかりました」

「ありがとう」

 

 梅里は思わず目の前にいたかずらの頭を撫でてしまう。

 それを気持ちよさそうに受けていたかずらだったが、ふと思いついたように口を開く。

 

「代わりに私のワガママ、一つ叶えてくださいね」

 

 もちろんイヤな予感がして苦笑する梅里。

 それを気にした様子もなく、いたずらっぽく小悪魔の笑みを浮かべるかずら。

 

「さっきの梅里さんのお願い、あまりに不満が強すぎて私の口から出てしまいそうなので──塞いでもらえませんか?」 

 

 そう言って彼女は目を閉じて、唇を少しだけ前に出した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 こうしてカーシャとの対話を望むことで統一された夢組の意志であったが、その後は黒鬼会は目立った動きを見せることなく、カーシャの行方も判明しなかった。

 そうして──11月9日を迎えることとなった。

 




【よもやま話】
 せりとかずら、それぞれのシーン。 当然、二人とも考えが違うわけで──かずらの方がカーシャに悪感情を抱いているのは、本質的に彼女が優しいから。
 もちろんせりが優しくないからではなく、命狙われた梅里が許しているのに自分が許さないのは……と遠慮しているだけです。
 かずらは相変わらずだなぁ。


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─5─

 それは太正14年11月9日未明のことだった。

 

 季節はずれの大雪に街が白く染められる中、陸軍の将校によるクーデターが勃発した。

 太正維新軍を名乗る彼らに対し抵抗する勢力の反撃もむなしく、帝都の要所がそれらの軍勢に抑えられることになってしまった。

 そしてその襲撃対象には、大帝国劇場──帝国華撃団の本部が入っており、劇場の地上部分はあっという間に占拠されることとなった。

 そこで寝泊まりをしている花組達、それに米田司令や藤枝かえで副司令達は地下の作戦司令室に籠もって、籠城の構えを見せていた。

 そして──クーデター軍から命をねらわれている真宮寺さくらを連れ、地下の轟雷号を使って本部を抜け出した花組隊長の大神一郎は、米田司令の言われるままに、花やしき支部を目指していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その花やしき支部──本部が銀座にあるのに対し、浅草にある支部は地上部分が近代的な遊園地になっており、とても軍の施設に見えないのは本部の大帝国劇場と同じである。

 そんな花やしき支部も秘密部隊とはいえ陸軍の一部隊である帝国華撃団の施設を、陸軍将校達が知らないはずもなく、本部同様に目を付けられていた。

 とはいえ、軍服姿に銃剣を担いだ将校達が大真面目に遊園地を占拠しようとしているのだから、それはなんとも珍妙な光景ではあった。

 もちろん、それは陸軍将校達も自覚はあるわけで、それを目標に進むのはかなりの違和感を感じていたのだが──そこへ銃弾が撃ち込まれて顔色を変えた。

 

「なっ!? 防衛勢力だと? 対応が早すぎるんじゃないのか!?」

「しかも待ち伏せとは……我々の進軍ルートが読まれていたとでも言うのか!」

「馬鹿な! 我々の完璧な計画が漏れるはずなどない! いったいなぜ──」

 

 統制された射撃によって、物陰に隠れざるを得なくなる維新軍の将校達。

 そこへ──

 

「外れだなぁ、全部!! こっちとらそっちの動きを見て早々と対応したわけでも、ルートを読んだわけでも、まして諜報活動で情報を掴んだわけでもねえ!!」

 

 敵と同じように銃剣を構えながら、意気揚々と声を上げる男。

 その男は声を上げながら、何度も何度も銃弾をぶっ放す。

 

「俺たちを誰だと思ってやがる! 世にも珍しい霊能部隊、帝国華撃団夢組だぞ!? てめえらが今日、この時間にこの場所にくることくらい、予知で何日も前からすっかりお見通しよ!!」

 

 狩衣を模した男性用夢組戦闘服。それを幹部用の個人を特定する特別色──黄土色に染められたそれを着た男が挑発めいた言葉を発していた。

 帝国華撃団夢組錬金術班頭・松林 釿哉である。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな釿哉が指揮し、抵抗してる戦場を見つめる者達がいた。

 

「副頭、あれは本当のことでありますか?」

 

 陸軍の制服に身を包んだ完全に維新軍側の人間達。その一部隊が、成り行きを見守っていた。

 

「そんなわけがない。お前達は夢組でどこを見ていたんだ? ある程度の推測やルートの限定はできただろうが、細かな時刻や動きまでを予知・過去認知班が把握などできるものか。それと副頭ではない。間違えるな」

「ハッ、申し訳ありません」

 

 その部隊の長である女性士官が尋ねてきた者を、かけた眼鏡越しの鋭い目で一瞥しながら言う。

 現在、帝国華撃団花やしき支部をめぐる攻防は完全な膠着状態になっていた。

 それというのも花やしき支部の守りが非常に固いためである。

 本来の出入口であるゲートは完全に封鎖され、風組が中心になって防衛している。そのゲートを含め、敷地を取り囲むように地脈を利用した強力な霊的結界が敷設されており、守りを固めている。

 その中で障壁の要であり、突破口とも言うべき場所が、今現在、帝国華撃団夢組が中心になって守っているこの場所である。

 地脈を利用し、防御壁と結界を連動させている技術は間違いなく夢組の錬金術班の手によるものであり、その頭である釿哉がここに詰めていることこそ、その要所であることを雄弁に物語っているように見えた。

 

「我々の目的は結界の解除・突破である。それこそ維新軍で我々に与えられた任務であり、役割だ。それを今こそ果たせ!」

 

 女性士官が指示を出すと、部隊の者達が一斉に障壁をまとった防護壁へと向かう。

 結い上げた髪と眼鏡の奥の鋭い目。軍服姿の彼女は──

 

「待っていましたよ、副頭殿……」

 

 ──その部隊に対応するように、今度は女性用の巫女服、男性用の狩衣を模した帝国華撃団夢組の戦闘服に身を包んだ者達が新たに現れる。

 その新手の中心には、鋭い目で彼らを見つめる男がいた。

 

「副頭はそちらの方だろう。帝国華撃団封印・結界班副頭殿」

「あなたも同じ肩書きだったじゃないですか」

 

 にらみ合う男女。

 ともに帝国華撃団夢組の封印・結界班副頭という地位の二人。花組戦闘時には「結界展開による戦場の限定・封鎖・形成」という大事な役目のある封印・結界班は即応能力を求められ、頭である山野辺 和人が大帝国劇場本部に常駐しているため、二人の副頭はともに支部付とされてその指揮をとっていた。

 そのうちの一人である女性副頭は──太正維新軍側へと回っていたのだ。

 

「──しかし前回、六破星降魔陣が完成させられたときとは立場が逆になりましたな、副頭殿。それにしても……なぜ?」

「いい加減、副頭と呼ぶのは止めていただこう、副頭! 私は元々、陸軍所属……申し訳ないが、腐れ縁というモノだ!!」

 

 眼鏡の女性士官が手にしていた銃剣を構える。

 それに対して、封印結界班も懐から取り出した符を手に身構える。

 同じ封印・結界班副頭同士がぶつかり合うが、その実力は拮抗していた。指揮官を抑えられた形になった維新軍のその部隊は、そこに釘付けにされて“結界破り”を利用した防御壁の突破という与えられた役割をこなすことができず、完全に足止めされていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──という、戦況です!」

「了解した。報告、御苦労」

「ハッ! 戻ります!」

 

 部下の報告を聞いた帝国華撃団夢組副隊長、巽 宗次が答えると報告を終えた者は敬礼をした後、去っていった。

 それを見送り、ため息をつく。

 

「──梅里、申し訳ない。陸軍出身の者を完全に止めることができなかった」

「……巽副隊長同様、わたくしも謝罪することしかできません。陰陽寮の一部の離反をくい止められませんでしたから」

 

 もう一人の副隊長、塙詰しのぶがそれに続くと、二人の副隊長から謝罪された隊長である武相 梅里は苦笑を浮かべた。

 

「二人とも謝らないでよ。そのための手は打ってあったんだから……」

 

 梅里の苦笑が伝播するように宗次も苦笑を浮かべる。

 対してしのぶは申し訳なさそうに目を伏せていた。

 

「司令が狙撃されたときに乗じた陰陽寮での混乱から、こうなることはある程度予測しておりましたが……」

「陰陽寮の中での反華撃団派による攪乱とは聞いていたが、まさか隊員の中にもそれが入り込んでいたとはな」

「ええ。お恥ずかしい話ではありますが。前回の黒之巣会との戦いで離脱しようとしたのを寛大な処置をいただいたのですが……それに劣等感を抱いた者達もいたようで、今回の離反はそれを煽られた者達の暴走です」

 

 もともと、黒之巣会との決戦直前の離反はしのぶが中心になって行われようとしたことである。事前に察知した梅里と宗次が当時から陰陽寮派が多数所属し、副頭の一人が陰陽寮出身者である封印・結界班の頭であり、人格者として認識されている和人を仲裁役に送り込んで説得に成功させたのだ。

 だが、中にはそれを不満に思っていた者もいたらしい。当時は六破星降魔陣の完成により多数の魔操機兵が暴れていた帝都。離反して京都の陰陽寮に戻るために帝都を脱出しようにも、少人数ではそれができないのは明白であり、渋々残った者もいたのだろう。

 そのまま華撃団に残ったはいいが、一度離反しようとしたことに負い目を感じ、それを募らせていたのを、反華撃団派に目を付けられて引き込まれたのだ。

 

陰陽寮派(そっち)は潜在的な反乱分子が表に出てきただけだろう。軍派(こちら)は陸軍出身で、京極大臣にいつの間にか心酔していたような奴らだ。本当に頭が痛い……」

「まぁまぁ、二人とも……そのおかげで、敵の動きもわかるわけだから。“結界破り”を手に神出鬼没に動き回られるくらいなら、こっちの方がはるかにマシでしょ」

 

 一部隊としてまとめられた元夢組達。さながら小規模の霊能部隊といったところだろうが、やはりその運用ノウハウが太正維新軍には無いように思える。

 そして元夢組といえば、もう一人──戦場に現れるはずであろうその人の姿が未だになく、梅里はむしろそちらを気にしていた。

 

花やしき攻略(こっち)じゃなくて本部占拠(向こう)に配置されたのかな。だとすれば接触できる機会はほぼ無いけど……)

 

 すでに帝劇本部は地上部分を占拠され、米田司令と藤枝副司令、それに花組の面々が地下作戦司令室に立てこもっている。

 それを想定して強力な結界をすでに設置してあったので、それでかなりの時間は保たせられるだろう。

 そして敵の目的である花組の真宮寺さくらと、魔神器の一つである“珠”を抑えた花組隊長の大神一郎が、弾丸列車轟雷号で本部を脱出し、この花やしき支部へとやってきている。

 本部奪還の切り札は──ここ、花やしき支部にあるのだ。

 

「申し上げます! 敵部隊に魔操機兵・脇侍を複数確認!!」

「数は!? それに位置もだ!」

 

 宗次の確認に、報告をあげた隊員がその数と場所を答える。

 

「多くはないが、二方面に分散か……」

 

 腕を組む宗次。それに梅里が提案する。

 

「対魔操機兵なら、紅葉に任せよう。彼女なら人を相手にするよりもその方が良いと思う」

「ああ、それに異論はないが……もう片方はどうする? お前は今動くわけにはいかないだろ?」

 

 梅里は待ち人を待っている状況だ。

 脇侍とはいえ魔操機兵。しかも一般の陸軍将校達が支援するそれを、攻撃をかいくぐりながら撃破できそうなほどの腕前となると、紅葉の他には梅里と宗次くらいしかいない。

 

「やはり、ここはオレが──」

「いや、宗次にはここで指揮をとり続けて欲しいから動かせない──霊子甲冑を使おう」

「「え!?」」

 

 さすがに驚く宗次としのぶ。

 

「オイオイ、アレは使えないぞ? 大神と真宮寺のアレは本部奪還の切り札で……」

「もちろんわかってるよ。もちろんそっちを使うつもりはない。でももう一つ、残ってるよね? 動かせるのが」

 

「「もう一つ?」」

 

 再度、宗次としのぶは声を合わせていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 脇侍を確認した方面──正面のゲートを巡る戦いは危機を迎えていた。

 風組が中心になって防衛を担当していたが、脇侍には霊力を込めていない通常兵器の効果が著しく劣化する。

 それこそ黒之巣会や黒鬼会に対して霊子甲冑を有する帝国華撃団花組が戦ってきた理由でもある。

 二方面に現れた脇侍──これの出現と共闘によって太正維新軍と黒鬼会が繋がっているのがほぼ確定になったわけだが──のうち、多い方がこの正面ゲート付近である。

 通常兵器をものともしない脇侍によって、戦線が崩壊しかかっていた。

 風組隊員達が、顔をゆがめて焦る中──放たれたロケット砲が脇侍を捉え、炸裂して大きなダメージを与える。

 

「なんだ!? 今の砲撃は──」

 

 思わず攻撃が飛んできた方を見ると、そこには霊子甲冑の姿があった。

 光武をさらに巨大化させたような、その機体は──光武・複座試験型。

 搭乗しているのは夢組特別班に所属する近江谷 絲穂と絲乃の双子の姉妹である。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「標的への直撃を確認……続いて第二射、準備にはいります……」

「さっすが、絲乃! 私が操縦に集中するから、攻撃(そっち)は、頼むわね!!」

「はい、姉さん……」

 

 光武・複座試験型の中で、絲穂と絲乃が会話する。

 とはいえ二人は全力で霊力を制御していた。二人の霊力を常に同調させつつ戦闘をするというのはかなり厳しい。

 全力で自転車をこぎながらパズルをやるようなくらいに、まったく違うことをどちらもフル回転させながらやるようなものだった。

 光武・複座試験型の欠陥は明らかであり、実戦には役に立たない──というのは華撃団での共通認識だったが、普段から行っていた近江谷姉妹の霊力同調試験や、釿哉や紅蘭による改良や微調整によって少しずつながら性能が向上しており、光武の紅蘭機が搭載している砲撃用装備を使うことで、移動砲台代わりにはなる程度になっていたのだ。

 だが、この局面で重要なのは──霊力が込められた攻撃によって、脇侍に大きなダメージを与えられる、ということ。

 その役目を、光武・複座試験型はきっちりとこなしていた。

 しかし、それが脅威であることはすぐにわかってしまう。

 

「あのデカブツをねらえ!!」

 

 維新軍側の指揮官から指示が飛ぶ。

 魔操機兵同様に、霊子甲冑も通常兵器に強いが、それでも集中砲火を受ければダメージは積み重なるし、なによりも足を止められてしまう。

 そしてそこへ、遠距離攻撃型の脇侍から強力な一撃が加えられる──が、それを突如出現した白い壁が盾となって防いだ。

 攻撃を受けたそれが割れるように砕け散り──その破片が舞い散る中に、光武・複座試験型の前で悠然と立つ者がいた。

 山水画が描かれた扇──深閑扇(しんかんせん)樹神(こだま)~を手にした塙詰しのぶである。

 梅里と宗次が動けないために、しのぶがここへとやってきたのだ。

 

「絲穂さん、絲乃さん……援護いたします。殲滅いたしましょう」

 

 ~樹神~とは逆の手に持った、それと三対一組の扇──こちらは四季を象徴する花鳥画が描かれた深閑扇(しんかんせん)(のそみ)~──を広げ、霊力を高める。

 

「大地に宿りし育む力よ、咲き誇れ!! 『花地吹雪・援』!!」

 

 しのぶの霊力に応じて、地脈の力が鮮やかなピンク色の花のようになって光武・複座試験型の足下付近の地面に具現化する。

 彼女が下から上へと振り上げた扇によって舞い上げられるように、開花した花はあっという間に花吹雪となって地面から舞い上がり、光武・複座試験型を取り巻く。

 

「これは……」

「ありがたい! 百人力です塙詰副隊長!! 感謝します!!」

 

 しのぶの支援を受けて、近江谷姉妹の負担は明らかに減った。二人とも二支援を受けたことで霊力の同調バランスも問題はなく、霊力が底上げされたことで稼働させる出力にも余裕が生まれている。

 動きに精細さを放ち始めた光武・複座試験型は、次々と脇侍に砲撃を加えはじめ──

 

「あまり調子に乗らないことね──」

「危ない!!」

 

 突如現れた、光武・複座試験型を狙う銀光をまとった一撃を、しのぶが再びとっさに庇った。

 ~樹神~を依代にして霊力で作り上げた巨大な写し身の扇は、たった一撃でそれを破壊されてしまう。

 

「ワタシの切り札──『払曉黎明の閃攻(デイブレイク・スマッシュ)』を写し身の扇一枚で防ぎきるなんて、さすがね……しのぶ」

 

 ウェーブのかかったセミロングの髪をポニーテールにした女性が不適な笑みを浮かべてそう言った。

 周囲が陸軍の軍服に身をまとう中、たった一人──まるで華撃団を裏切ったのを喧伝するかのように──巫女服を模した帝国華撃団夢組の、それも幹部を示す個人色の山吹色に袴を染めあげた女性用戦闘服を身にまとった彼女の姿は、脱走前のカーシャ=トワイライトとまったく変わらなかった。

 ただ一つ──その濃い金髪だった髪の毛が、銀色に変わっている以外は。

 




【よもやま話】
 太正維新軍との戦いの開始──ここでやっと原作の「帝劇のもっとも長い日!?」が開始という時間軸ですね。
 梅里達が本部ではなく花やしき支部にいるのは、やっぱり身動きができなくなって、カーシャの件が進まなくなるからです。
 カーシャ以外に離反者が出たのを書いたのは……やっぱり陸軍出身者がいればそういうものも出るだろう、と思ったのと陰陽寮派も一枚岩ではないのを出しておきたかったから。
 ここを書いているときは、二人の封印・結界班副頭の名前がどちらもないものだから非常に苦労しました。いい加減、付けようかなと何度も思いましたが、結局決めず。


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─6─

 夢組幹部を示す特別色の袴の戦闘服に身を包んだカーシャの登場は、間違いなく夢組の面々に戸惑いと衝撃を与えていた。

 

「カーシャさん、どういうおつもりでしょうか? その服装は」

「あら? 支給された物だったけど、気に入っているから着ているだけよ。どう? 似合うでしょ?」

 

 その場でクルリと回ってわざわざ見せびらかし、挑発するカーシャ。

 線のように細い目のために感情が読みづらいしのぶだが、その形のいい眉が険しくなっており、明らかな怒りを見せていた。

 手にした扇を閉じたり開いたりして音を立てており、そうやって苛立たしさを露わにする姿をしのぶがとるのは、本当に珍しいことである。

 

「その戦闘服は……わたくし達夢組が戦場で懸けてきた命を覆い守ってくれたもの。その服の下で一致団結し、数多くの困難に立ち向かった象徴です。それを愚弄とするというのなら……絶対に許しません!!」

 

 細い目で険しくにらむしのぶ。その両手には扇が一つずつ握られている。

 そんな気迫をぶつけられたカーシャは──嘲笑を浮かべる。

 

「あなたがそれを言ってしまうの? 陰陽寮の犬として華撃団を裏切ろうとしたあなたが」

「──その通りです。わたくしは一度は華撃団を裏切ろうと、見捨てようとした身……」

 

 しのぶはかつての自分を思い出していた。

 陰陽寮を第一に考え、華撃団の情報を逐一報告していたあのころ。しのぶは、陰陽寮以外に自分の居場所が無く、それ以外を知らなかった。

 そんな彼女が得た居場所。梅里に作ってもらったのが華撃団だ。

 

「そんなわたくしの事を、あの方は受け入れてくださいました。それゆえに、わたくしは今、ここにこうしています。この戦闘服に誇りを持ち、同じ服に身を包む仲間達を大切に思えるようになったのです」

「へぇ……」

 

 笑みを浮かべた相手は、手にした波状刃の大剣(フランベルジュ)を振りかぶると、一気にしのぶへと距離を詰めてきた。

 

「それは──この服を着ているワタシのこともそう思ってくれるのかしら?」

 

 そして迷うことなく一閃させる──が、しのぶはそれを手にした扇で見事に捌いてみせた。

 

「ええ。ついこの間まで……梅里様に見破られた化け狸が、尻尾を巻いて逃げ出すまではそう思っおりました」

 

 彼女の高い霊力が込められた扇は鉄扇の固さをしのぐ。

 まるで舞うかのような両手に扇を手にしたしのぶの動きは、カーシャの剣をことごとく逸らしていく。

 

「もっとも──御髪(おぐし)の色は狸ではなく、狐のようでしたけど」

「タヌキよりもそっちの方が想像しやすくて助かるわ。話には聞いたことがあるけど、なにしろインドにも豪州にも本国にもタヌキがいないもので、ね」

 

 カーシャは両手で持ってるが、波状刃の大剣(フランベルジュ)は重く、取り回しが悪い。

 対して速度で勝るしのぶはカーシャの剣筋を完全に読めており、防戦一方ながらも追いつめられているという感じはなかった。

 

「キツネ狩り、というのがそちらの国で盛んと耳にしましたが……」

「奇遇ね。時期的にもちょうど今頃が解禁日よ。キツネを見つけた人がタリホーと叫ぶのだけど……叫んでみたら? 猟犬──紅葉が助けにきてくれるかもしれないわよ」

 

 数回、剣と扇をぶつけ合った後、しのぶが距離をとる。

 改めて両手に扇を手にして身構える。

 

「紅葉さんは別の場所で脇侍の相手で忙しいので……あなた様程度で手を煩わせるわけにはいきません」

「程度……ワタシ程度、といったのかしら?」

 

 言葉に帯びるわずかな怒気。

 

「そういえば、京都には糸みたいな細い目をしたキツネの神様を祭っている有名な神社があるそうだけど……先の戦いで華撃団を騙したキツネは京都に帰らずにこんなところに居座って、何をしているの?」

 

 しのぶの眉がピクリと動く。

 不快そうに歪められたが、すぐに元に戻った。

 

「わたくしが伏見の稲荷なら、あなたはさしずめ、人を騙して取り入り国を傾け滅ぼしてきた九尾白面、といったところでございましょうか」

「あら、ずいぶんと過分な評価をいただけたみたいね。人の心に潜み、災厄をまき散らした、という意味ではまさに同じ……といったところ? ありがとう、と言っておくわ」

 

 再び二人は距離を詰めると、お互いに剣と扇だけでなく、言葉をぶつけ合う。

 

「さすがは親日家だったトワイライト家出身ですね。よく御存知で……」

「よく御存知で、はこっちのセリフよ。そこまで言うのだから、気がついているのでしょう? ワタシが……カーシャであってカーシャではないことに」

 

 自身の銀髪を振り乱し、剣を振りかざす。

 その強い一撃を受け、しのぶの体が気圧されて距離を開けられてしまった。

 

「ワタシはローカスト。呪術によってアカシア=トワイライトの中に生まれた、もう一つの人格」

「やはり……」

 

 それは夢組内で予想した、カーシャの状況とほぼ合致していた。

 別人格を作って記憶を分断することで、虚偽探知や読心といった霊力を利用した対人捜査を誤魔化し、自分たちの秘密を守る。工作員としてはうってつけの術である。

 しかしその体はカーシャのそれであり──

 

「隙ありよ、しのぶ!!」

 

 しのぶの体勢が崩れた隙をつき、カーシャ──いや、ローカストがその内に秘めた超常的な力を爆発させる。

 一瞬で高まったその力を纏うと、彼女はその身を銀色に光らせる。手にした波状刃の大剣は、それを帯びて銀光の直刃を持つ大剣となった。

 

 

「『払暁黎明の閃攻(デイブレイク・スマッシュ)』ッ!!」

 

 

 叫び、その剣を両手に構え、一気に迫るローカスト。

 

「くッ!!」

 

 急速に切迫するその威圧に、しのぶは対応を間違えた。

 彼女は先ほどそれを防いだ巨大な扇の写し身を再び作り出して盾としたのだ。

 だがそのせいで、敵の姿が完全に見えなくなり──見失った。

 ゆえに──

 

「同じ手が通じるとでも?」

 

 敵は巨大な扇を避けるように進んでおり、その盾は無意味な物になる。

 だが、しのぶはそれを読んでいた。

 

「もちろん、思っておりません!!」

 

 出した写し身は彼女が手にする三組の霊扇(れいせん)──深閑扇(しんかんせん)のうちの支援を得意とする~(のぞみ)~である。防御を得手とする~樹神(こだま)~はまだ残してあった。

 

 ──相手は切り返すように方向転換をし、背後から来る。

 

 そう読んだしのぶは残していた~樹神~を使って写し身を──自分の後ろにそれを本命の盾として具現化する。

 しかし──

 

「残念。ハズレね♪」

 

 相手の狙いは──しのぶではなかった。

 銀光を纏った大剣は──それを手にした者が一枚目の扇の盾の横をすり抜けて進むと、二枚目を意に介することなく、別のものへとそのまま振り下ろされる。

 狙われたのは──脇侍の相手をしていて無防備になっていた光武・複座試験型。

 

 

「「「なッ!?」」」

 

 

 しのぶと近江谷姉妹の驚きの声が一致する。

 その瞬間、払暁黎明の閃攻(デイブレイク・スマッシュ)は光武・複座試験型へと炸裂し、それを行動不能へと追い込んでいた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

『──複座光武、大破!!』

『近江谷姉妹は!?』

『状況不明! 急いで救助をッ!!』

 

 

 飛び交う無線を聞きながら、悔しげに眉を歪めるしのぶ。

 完全にしてやられた。

 対魔操機兵の切り札として動員した虎の子の光武・複座試験型を、こうも簡単に撃破されてしまったのだ。

 

「脇侍程度では分が悪いみたいで目障りだったのよ。あのデカブツ……」

 

 動けなくなった光武・複座式を一瞥し、そしてしのぶを振り返ると笑みを浮かべる。

 

「こちらにはまだ複数、脇侍が残っているわ。これで形成逆転、ってところかしら?」

 

 残存の脇侍を相手にするのに、唯一の霊子甲冑を失った今の状況では、維新軍を相手にする片手間に戦うのはきわめて困難。

 

「さぁ、このまま花やしき支部を蹂躙──」

 

 意気揚々と銀髪のポニーテールを揺らしながらローカストが言い掛けたとき──その脇侍が突如、爆発した。

 

「──え?」

 

 続けざまにもう一体──胴を横一閃に真っ二つになり、上半身と下半身が完全に切り離された後──爆発を起こしてあっという間にガラクタとなり、戦力外になり果てていた。

 その爆炎を背に──刀を鞘に収める人影。

 

「──これで、形勢逆転……とはいかなくとも、五分くらいにはなったかな」

 

 苦笑混じりに彼はそう言う。

 隊長を示す白い戦闘服──狩衣を模した男性用の夢組のものを身にまとい、腰に帯びているのは今まで数多くの魑魅魍魎、降魔、そして魔操機兵を斬り伏せてきた業物──聖刃(せいじん)薫紫(くんし)

 そんな彼の勇姿に──

 

「梅里様ッ!!」

 

 しのぶは思わず歓声をあげていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……いつの間に」

 

 現れた夢組隊長・武相梅里の姿を、ローカストは悔しげに睨みつける。

 それを今度は逆に、余裕を持った表情で見るしのぶ。

 

「わたくし、狐発見(タリホー)の声は紅葉さんには叫んでおりませんでしたが、きちんと伝えておりました。わたくしがもっとも敬愛し、信頼する方に──」

 

 そんなしのぶを悔しげに睨むローカスト。

 

「キミを見つけた、という報告をしのぶさんから受けて、駆けつけたんだよ」

 

 梅里はそう言うと、刀を鞘に収めたまま、無造作にローカストとしのぶがにらみ合うその場へと入ってきた。

 

「へえ……ワタシに一体、何の用なのかしら? まさか夢組に戻れ、なんて話じゃないわよね?」

「“キミ”にはそれをするつもりはないよ」

 

 苦笑を浮かべる梅里。

 

「でも──カーシャを含めたキミたちと話がしたいと思ってね」

「話? こちらにそのつもりはない、と言ったら?」

 

 そう言ってローカストは波状刃の大剣(フランベルジュ)を構える。

 対して梅里は、戦う気は無いとばかりに刀の柄に触れようともしなかった。

 

「意地でも聞いてもらう。この僕の──ただの言い訳だけど、キミたちにとって大事なことだと思うから」

「そんなことを言って、調子のいいことを吹き込み、カーシャを騙して都合よく操る魂胆なのでしょ。騙されないわ」

「なら、その判断はローカスト、キミがすればいい。僕は話をするだけだ」

「裏切り者の……ワタシよりももっと先に、この国を同盟国である祖国から裏切らせたアナタの話など──」

「そのときの、あの会議でなぜ僕が巴里を推したのか、その話をしにきたんだよ」

「…………」

 

 ローカストは無言で、しかし剣を構えたままその真意を推し量ろうと梅里をじっと見つめる。

 それに対し、梅里は得物を手にしないままローカストへとさらに踏み出した。

 

「梅里様ッ!?」

「──大丈夫」

 

 その無防備さには、さすがに割って入ろうとしたしのぶだったが、梅里は手を横に出してそれを制した。

 

「しのぶんさん……ここからは、手出し無用に願います」

 

 しのぶは納得できなかった。大事な想い人であり、いまや所属している華撃団や出身である陰陽寮よりも自分の居場所となった武相 梅里という人物。

 その彼が明らかに命の危機をさらすという場面を許容できるはずがない。

 だが──その彼からの指示であれば、従わないわけにはいかないのだ。

 

(何かあってもすぐに対処できるように……)

 

 可能な限り近くで、最大限の警戒の中で細心の注意を払って梅里と、その対峙する相手を見つめるしのぶ。

 その彼女が見つめる中で、ローカストも動けないでいた。

 カーシャがそうであるように、その体と知識を共有するローカストは夢組内でもトップクラスの近接戦闘の強さを誇るのだが──それでも目の前の男は、たとえ刀を手にしていなくとも恐ろしい相手だった。

 

(こんな相手──しかもその上をいく鬼王なんて、想像を絶するわ……)

 

 さらにはすぐ近くで陰陽寮の秘蔵っ子である塙詰しのぶが最警戒で状況を見つめている。

 

(もしなにかあれば、問答無用であの魔眼を使ってくるはず)

 

 それへの対処──陽の属性を持つ自分には一瞬で強烈な光を放つ目潰しができるが、それが通じるか、そしてそれがキチンと決まるかは運だろう。

 その緊張の中──

 

「なッ!?」

 

 彼は得物を手にすることなく、思わずローカストが驚くほどに近づいて、立ち止まっていた。

 踏み出して剣を振るえば届く範囲である。

 

「僕は嘘は言わない……キミに嘘探知や『読心』の力があれば使って欲しいところだけど……」

「あいにくと、無いわ」

 

 緊張しながら答えるローカスト。

 同時に、なんで自分の方が有利な状況のはずなのに、こんなに精神的に追いつめられているのかと、理不尽さに苛立ってもいた。

 

「そう思った。だから──嘘があると感じたのなら、遠慮なくその剣を振るえばいい」

「梅里様!? それは、許容できません!! 彼女はあなた様の命を狙ったことがあるのですよ」

 

 すかさずしのぶが声をあげる。

 当然だろう、とローカストでさえ思う。

 しかし──

 

「僕はそこまでの覚悟でキミたちに真実を話そうと思っている。キミとカーシャの信念に誓って、騙し討ちはしないと約束してくれないか? ……病室で僕の命を絶てる機会を見逃したキミなら、それくらいの譲歩はできるだろう?」

「あのとき……」

 

 意識を取り戻していたのか、と疑ったがそれはないとローカストは判断する。

 あれは意識不明だった梅里を狙ったときのことであり、躊躇っているうちに寝ていたはずのかすみが目を覚ましたので失敗している。そして直後に意識を取り戻した梅里は記憶を失っていたのだから、計算してできる行動ではない。

 タネを明かせば、梅里はかすみから聞いていたのだった。脱走したカーシャが銀髪だったという噂を耳にした彼女が「そう言えば思い出したのですが……」と梅里に伝えてきたのである。

 ローカストにとって、黒鬼会の工作員としては甘さを露呈してしまった醜態である。

 その甘さ、そしてそんな過去を断ち切るために──

 

 

「いいわ。そこまで言うのなら、話くらいは聞いてあげる」

 

 

 ローカストはそう答える。

 ただし剣はそのままで、と付け加えると梅里は頷いた。

 




【よもやま話】
 ここは長くなったので─7─と分けました。本当は一つにしたかったんですけど、さすがに合計16000文字を越えたのでこれは無理だと。
 しのぶとの戦い、そして梅里の説得開始──さぁ、うまくできるかどうか。


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─7─

 ──時はさかのぼって昨年、それも梅里が欧州への出張が決まったころの話である。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──巴里(パリ)に大規模霊障の兆し、か……」

 

 その報告を受けた梅里は大きくため息をついた。

 ここは大帝国劇場の食堂で、今は昼の営業と夜の営業の間の休憩時間帯。

 普段ならその時期に報告に来るのは支部付副隊長の巽 宗次と相場が決まっているのだが、今日に限っては副支部長のアンティーラ=ナァム予知・過去認知班頭が来ていた。

 褐色の肌に長くサラサラの黒髪、そして身にまとったサリーという異国情緒あふれる衣装は彼女の花やしき支部での表の役割である占い師を如実に感じさせた。

 梅里は思わず彼女の異名を思い浮かべたが、彼女がそれをイヤがっているというのも思い出して、あわてて頭の中から消す。

 

「はい。最初に“天啓”を受けたのは私ですが、他の者にも“視て”もらったところ、成功した者は一様にそれを訴えています」

「なるほどねぇ……」

 

 併せて提示された報告書。それを読みながら、休憩中でコックコートに濃紅梅の羽織という姿の梅里は唸るようにそう言った。

 

「具体的な内容は?」

「それは、誰一人として……申し訳ありません」

 

 頭を下げたアンティーラ=ナァム──ティーラを梅里は慌てた様子でそれを制する。

 

「いやいや、予知が不安定なのはよくわかってるから、気にしないで。僕ももしわかっていれば、程度でしか考えずに聞いてるし」

 

 ティーラを信用しているのだから必要ない質問だった、と反省する。

 だが、もちろん梅里にも尋ねた理由はある。

 というのも今まで、都市の大規模霊障を予知したことがあるのは帝都だけである。以前は黒之巣会との戦いにおける六破星降魔陣や、聖魔城の霊子砲がその対象だと考えていたのだが、それらが過ぎた現時点でも、未だに帝都への大規模霊障に対する予知は止まらず警戒中だった。

 もちろん具体的内容を把握しようと努力をしたのだが、予知・過去認知班はつかめず、その原因として「自分のことを占うことができない」という占い師の理論と同じだと結論づけている。

 だからこそ、いわば“他人事”である巴里の大規模霊障の詳細が掴めないかと期待したのだが──現実はそんなに甘くないらしい。

 

「……巴里かぁ。不謹慎な言い方になるけど、倫敦(ロンドン)だったらな……」

 

 そうすればここまで悩まずに済んだだろう、と梅里は思う。

 

「どういう、ことでしょうか?」

 

 そんな梅里の反応に驚いたのはティーラである。

 

「実は欧州でも華撃団を作ろうという計画があって──」

 

 その経緯を説明する。

 欧州華撃団構想の中心となる都市を決める会議がまもなく行われる。

 その候補地の有力候補は二つ、フランスの巴里とイギリスの倫敦。

 すでに成立して実績のある華撃団である帝国華撃団もオブザーバーとしてその会議に招かれていること、を話す。

 

「それで司令ときたら、そんなメンドくせえ会議になんて出ていられるか、って怒り出しちゃって……」

「海外でのことや、そういったことは副司令任せでしたからね……」

 

 梅里がため息混じりに言うと、ティーラも苦笑を浮かべる。

 

「そうそう。やっぱりあやめさんが抜けた穴は大きいよ。で、司令は誰を代理に立てて出席させようとしたと思う?」

「さぁ、見当もつきませんが……大神少尉でしょうか?」

 

 先の戦いの最大の功労者と言われており、しかも花組の隊長であれば司令や副司令の代理としては十分と言えるだろう。

 もっとも、ティーラは失念していたが大神は一時的に花組を離れている、という事情があるのだが。

 

「……かずらだよ。彼女、全日本のコンクールに優勝して、今度は世界的なコンクールに出ることになったんだけど、場所が欧州な上に時期的にも偶然、賢人機関の会議の日程に近かったから──」

「そ、それは……」

 

 梅里はそのときのことを思い出す。

 コンクールの期間が決まり、それに出場するために帝都を離れる必要があるためその報告をするかずらに付き添った梅里だったが、いつも通りに酔った様子の米田が「ちょうどいい。かずら、ちょっとついでに欧州での会議に出てきてくれや」と言ったので思わず顔がひきつった。

 思わず「さすがにかずらにそれを任せるのは……」と進言したところ、「じゃあウメ、おめぇが行ってこい」と言われてしまい、さらには横にいたかずらが目を輝かせ「じゃあ、一緒に欧州旅行ですね!! はい、もちろん梅里さんがお受けします!」とはしゃいで、勝手に米田に承諾してしまったのだ。

 その後、もちろんせりにこっぴどく怒られ、「主任が、そんな長期間食堂を留守にするなんて、どういうつもり?」とさんざん文句を言われたのだ。

 

「年齢的にも立場的にも、帝国華撃団の良識を疑われてしまいますね」

「……だよね」

 

 ティーラに応えつつ、もう一度ため息をついた梅里。

 コンクールに何度も出場して、注目を集めることに慣れているという点においては適任かもしれないが、それ以外では大丈夫な要素がない。むしろ大事な会議に格が低い者を出すことで侮っているという間違った認識を持たれてしまう。

 

「それで、隊長が欧州に行くわけですか。納得しました」

「そうなんだよ。で、どの都市を推すかも任せると司令に言われてさ。普通に考えれば倫敦だから、それでいこうと思っていたのだけど……さすがにコレは無視できないもんなぁ」

 

 巴里での大規模霊障という予知情報は頭痛の種になった。

 そんな梅里の言葉に、ティーラは不思議そうな顔をした。

 

「……なぜ、普通に考えると倫敦、なのでしょうか?」

「英国とは、日本がロシアと戦争する際に結んだ同盟があるからね。もちろん今回の会議とは無関係で強制力はないけどそれでも友好国。しかも帝国華撃団設立でもお世話になってる」

 

 梅里がそう言ったのは、コーネルが華撃団に所属することになった件である。

 帝国華撃団を組織するにあたり、そのスカウトをおこなったあやめは、世界中から霊力の強い者を集めている。

 それは欧州も対象であり、アイリスもスカウトされていたのだが──それが旧教派(カトリック)の総本山であるバチカンを警戒させた。彼らはアイリスについての情報を持っており、その強い霊力を警戒していたからだ。

 さらには帝国華撃団は、霊能部隊である夢組を組織している。予知や過去認知などの異能を持った者を集めて組織するのは、かつて教会の管理外の異能力者を『異端』とし、魔女裁判に代表される迫害を行った彼らを警戒させるには、十分な要素だった。

 しかし、欧州でのそんな動きに帝国華撃団を組織していた米田は気が回らなかった。それを指摘してくれたのが、親日家で知られる英国貴族のトワイライト卿だったらしい。

 その打開策として、組織運営にまで口出ししかねないバチカンからではなく、そこと距離を置きつつ、向こうが口出しできない英国が背景についている英国国教会の神父が監視するという形を提案し、すでに軍派閥と陰陽寮派の対立が問題になりかけていた夢組にとってはこれ以上の混乱を避けるのに渡りに船だったこともあり、卿の紹介を受けて宣教師だったコーネルを夢組の幹部として迎え入れたのである。

 

「一方でフランスとはそういうものがあるわけじゃない。同盟もなければ、そういった経緯もない」

 

 花組のアイリスがフランス貴族の生まれであり、まったく関係がないわけではない。

 しかし彼女の場合、令嬢として大事に育てられていたのを迎え入れたのではなく、幽閉に近い状態だったその存在自体がデリケートな部分であり、スカウトしに行ったあやめはそこに露骨に触れていったのだからいい印象を与えたとは言い難い。

 

「──英国は同盟国、フランスとはそれがない。そのことが理由だよ」

 

 そして梅里を悩ませている。そのような関係がなければ予知を根拠に巴里を推せる。

 だが、同盟というしがらみが事態をややこしくしているのだ。

 

「では、司令はなんと?」

「任せる、だって。それも含めて判断しろという指示はあったけどね」

 

 事実上の丸投げ──梅里にとってはそう感じるところだが、米田の視点では梅里なら間違った選択はしないだろう、という期待でもあった。

 今までも、梅里は自身の「勘」のような判断で正解を引き続けている。だからこそその直感を信じているし、悪い結果にはならないと踏んでいる。

 最悪──冷たい言い方にはなるが──もし大規模霊障が発生し、それを発足する華撃団が防げなかったとしても、遠い欧州のことと割り切ることもできる。地球の反対側と言ってもいいほど離れている日本には影響は少ないだろうという狡猾な推測だ。

 だが、その“丸投げ”もまた梅里を悩ませる原因だった。

 それに対して、ティーラは微笑を浮かべて居住まいを正すと、まるで普段、占いをしているような雰囲気をまとう。

 

「隊長が悩んでいるのはわかりました。それで隊長は、どうしたいのでしょうか?」

「それがわからないから悩んでいるんだよ。国同士の関係を優先するなら倫敦、霊障への備えを考えるなら巴里ってところだけど……」

「私も、隊長が帝都にやってきて以来、その指揮を見ていますが──隊長は民間出身という自身の立場も考慮して、国という大きなくくりよりもそこに住む人のことを第一に考えていらしたと思いますが、どうでしょうか?」

 

 姿勢良く座り、笑みを消して真面目な顔になったティーラの問い。

 

「市民を思うからこそ、その脅威である降魔を憎み、世を騒がす魔操機兵とも戦ってきた。私はそう思っておりますが」

 

 その言葉に梅里は頷く。

 国を優先するという考えは軍人的な考え方だ。それを他の隊長に任せて構わないだろうし、夢組内なら宗次に任せている。

 民間登用されたという自分の立場と、そこから求められるものを考えれば、同じ視点ではなく違った視点だと判断していた。

 

「うん。そうだね。でも、国の加護を無視して市民が生活できないのも確かだろ?」

「それはもちろん、理解していますよ」

 

 カーシャはそう言ってわずかに苦笑を浮かべた。

 国の経済政策や復興政策があったからこそ、黒之巣会や降魔との戦い後の復興がスピーディに進んでいる。そもそも、帝都を守った華撃団は国が組織したものだ。

 国を無視して華撃団の活動はできない。それをより痛感したのは、それから一年近く後に財界の支援を打ち切られかけたときなのだが──今の、二人はまだそれを知らなくとも、そういう認識はあった。

 

「では、大規模霊障が起こった際に、どちらがより多くの人命を助けられるか、そういった視線で見てみてはどうでしょうか?」

 

 ティーラはそう進言した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──それで巴里を選んだというワケ?」

 

 梅里の話を黙って聞いていた、銀髪のローカストが怒りを抑えるかのようにその体をワナワナと震えさせる。

「そんなの、当たり前じゃない! 巴里の異変に対して、巴里にいる部隊が迅速に対応できるなんていうのは考えるまでもない。よほどの無能か居眠りしている図太い神経でも持っていない限り、倫敦からの部隊の方が活躍できるわけがないわ」

 これ以上の話をする意味がないと、カーシャは愛剣である波状刃の大剣(フランベルジュ)、『ヒート・ヘイズ(陽炎)』を両手に構える。

 だが、梅里は刀を抜かない。

 

「とんだ出来レースだわ。やっぱりアナタは自分の大事な部下の予知を鵜呑みにしたに過ぎないわ。だから巴里を──」

「違う。そんな理由で、僕は巴里を選んだんじゃない」

「言い訳なんて聞く耳持たないわ。同盟国の日本なら倫敦を推してくれると信じていたのに、ワタシ達は裏切られた」

 

 感情露わににらみつけ、剣の切っ先を梅里へと向け、突きつける。

 

「恩を徒で返すような者達など滅んでしまえ! だからトワイライト家は反華撃団となったのよ」

 

 感情は、殺気となって梅里へとたたきつけられる。

 

「裏切られる前に決まっていたワタシ──いえ、カーシャの帝国華撃団への入団を利用し、潜入した」

「それで、反華撃団である黒鬼会と通じたのか……」

 

 沈痛そうな梅里のつぶやきに、ローカストはうなずく。

 

「その通りよ。アナタ達夢組の能力は分かっていたし、普通に潜入すればあっさり見破られる。だから呪術で新たに人格を生み、ワタシであるローカストと──」

「──アタシ、カーシャを分けたのよ」

 

 一瞬で銀髪が金髪へと変わる。

 

「アタシの記憶は、後から生まれた人格のローカストには伝わる。でも彼女の記憶は基本的にアタシには分からない。だからいくらアタシが検査や捜査されようとも、気づかれることはなかった」

 

 それから再び彼女の髪は銀髪へ──人格はカーシャからローカストへと戻った。

 

「だから、彼女の剣の技も腕前もワタシは振るうことができるのよ。抜きなさい、ウメサト……ワタシは誇り高き英国貴族。剣を持たない者を一方的になぶることはしない」

「……なるほど。じゃあ、ローカスト……キミも分かるはずだよね。カーシャと記憶を共有しているのなら」

 

 相変わらず梅里は刀に手を伸ばすことなく──

 

「僕が、そんな子供でも分かるほどに簡単な理屈だけで、巴里に決定しないってことを」

 

 そうして梅里はさらに語るのだった。

 




【よもやま話】
 そして突然の回想シーン。
 梅里とティーラの二人ってあまりない組み合わせ──と思ったのですが、前作で2回くらいやってましたね。
 花やしき支部の占いの館でのシーンと、巨大降魔戦の直前の2回。
 そういう思い込みはけっこうやってしまいます。


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─8─

 大規模霊障が起こった際に、どちらがより多くの人命を助けられるかという視線で見てみてはどうか、そんなティーラの進言に対して──梅里は質問で返した。

 

「……巴里での事態にどちらの方がよりよく対処できるか、ということ?」

 

 若干苦笑混じりのその問いにカーシャは首を横に振る。

 

「巴里の霊障で巴里の方がよく対処できるのは当然ですからね。しかし現状では政治的な事を考えれば倫敦で、巴里を推す理由は大規模霊障への備えだけです。倫敦に、巴里での大規模霊障が起きた際に対処できる十分な能力があれば──巴里を推す理由がなくなるのではないでしょうか?」

「それは……そうかも、ね」

「加えて言えば、巴里以外での緊急事態への対応を選考基準に入れれば、倫敦側の反論──巴里でなにも起こらなかったら? という仮定に対しての答えにもなります」

 

 ティーラの意見に梅里は腕を組み、その思慮の深さにうなりながら、何度も頷いた。

 

「確かに、会議の趣旨が欧州での華撃団の中心となる都市を決める、というものだからね」

 

 梅里は少し考え込んでから、一人納得したように頷くと、何かを思い立って席から立ち上がった。

 そして相変わらず座ったままのティーラに笑顔を向ける。

 

「ありがとう。さすが“浅草の──じゃなくて、皆が相談したがるだけのことはあるよ。おかげで方針が見えた」

 

 うっかり彼女の異名──“浅草の母”を出しかけた梅里は彼女が瞬間的にまとった不穏な空気を察して慌てて避け、苦笑を浮かべた。

 梅里が礼を言うと、ティーラは「どういたしまして」と丁寧に頭を下げる。

 それを後目に、梅里は行動を開始した。

 米田のところへ向かうと、推薦の関係で確認したい旨があることを説明し、巴里と倫敦、それぞれの華撃団計画を推進している主要人物について聞きだした。

 そして、帝国華撃団名義での質問状の送付等の許可を得て──梅里はそれらにあることを確認し、その回答を待ったのである。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──その結果、倫敦からの返答は……機密により教えられない、というものだったよ」

 

 苦笑する梅里。

 だが、それはある意味当然だろう。同じ華撃団とはいえ他国の軍。しかも秘密部隊の部隊展開能力に関することだ。機密になっていて当然である。

 それを理解できる感覚のあるローカストは、鋭く梅里を睨んだままだった。

 

「でも……巴里からは返答があったんだ」

「なッ!?」

 

 だからこそ、そんな巴里の対応に彼女は驚いた。

 

「ウソよ、そんなものは! 信じられないわ! 秘密部隊の装備という重要機密を、巴里が漏らすはずがない!」

 

 まくし立てる彼女に、梅里は首を横に振る。

 

「巴里華撃団設立の中心的人物、イザベル=ライラック伯爵夫人から、丁寧な返事があったんだ。向こうの機密にかかることだから言えないけど、巴里には欧州華撃団構想の中心としにふさわしい緊急展開能力を保持できうる、その装備があった。だから僕は──巴里を推した」

 

 後々のこととなるが、このとき夢組が予知していた巴里における大規模霊障──パリシィ事件の最終局面のオーク巨樹を舞台にした戦いに於いて、その装備が勝負の趨勢を握ることになった。凱旋門の地下に設置されたリボルバーカノンがそれである。

 また、このとき機密として明かさなかったが、当時の倫敦華撃団計画には他国への輸送手段はもちろん用意していた。日本の翔鯨丸のように空輸による霊子甲冑輸送計画──テムズ川より飛び立つ輸送用水上機で霊子甲冑を倫敦はもちろん、英国内から国外までに出撃──を考えていたのだが、やはりリボルバーカノンより展開範囲も時間も、劣っていたのである。

 

「もし仮に……倫敦から返答があり、巴里にも負けない欧州全体を範囲とした緊急展開装備があるのなら、僕は間違いなく倫敦を推した。でもあのときの僕の手元には、その判断材料さえなかったんだ」

 

 倫敦側にも先述の通りに部隊を緊急展開させる計画があったとしても、そもそも提示されなかったがために梅里には知ることができず、倫敦を評価することができなかった。

 かたや巴里にしてみれば、自国でも教会の聖母像が血の涙を流すといった怪現象に見舞われ、挙げ句、漏れ聞くところによれば帝国華撃団の未来予知のできる部隊から大規模霊障の兆しがあると名指しで指摘されているのである。

 尻に火がついてなりふり構っていられない巴里にしてみれば、味方になってくれるかもしれない相手に自分のカードを見せるくらいは構わないと判断したのだ。

 また、責任者であるイザベル=ライラック伯爵夫人──華撃団が正式に成立した後は、そこで“グラン・マ”と呼ばれることになる──もまた、そういった思い切った判断と指示ができる女傑であった。

 かくして──かたや日本との同盟を過信し相手が情報を求めているのを軽んじて機会を棒に振った倫敦と、かたや大規模霊障の危機感からなりふり構わず藁にもすがった巴里、という差が生まれ──梅里を動かしたのは国同士の信頼関係ではなく、民の命を守ろうとする責任者の思いだった。

 

「そんな……」

 

 愕然とするローカスト──の髪の毛が金髪へと変わる。

 

「詭弁よ!! いえ、そもそもそんなはずがないわ! アタシは、父様から聞いたのよ! 帝国華撃団が裏切ったと。許し難い裏切りを受け──巴里に決まったと」

 

 動揺する彼女の髪の毛は、目まぐるしく金と銀をいったりきたりしていた。それは彼女の心の迷いを表しているかのようであった。

 

「……あの会議の場では、倫敦の関係者に巴里を推したその理由を言うわけにはいかなかったんだ」

 

 理由が広範囲緊急展開装備の存在とは、それがフランスの機密である以上、梅里が言えるはずもない。また伯爵夫人も無理を通して内密に教えてくれた極秘情報だ。梅里が知っていていい情報ではないし、彼女がバラしたとなれば彼女は計画から追放されかねない。

 梅里にしても、帝国華撃団にしても、せっかくつかんだ心強い協力者である。そんな彼女を退場させるわけにはいかなかったのだ。

 

「ウソよ! そうでなければその問い合わせが御父様の下へ届いていなかったにちがいない!」

「僕は、最初の心証では倫敦を推したかったんだ。だから何度も質問状を送った。欧州に向かう途中でも返答がないか何度も確認したし、到着してからも接触を図った」

 

 自分の名前では回答が来ないと判断した梅里は米田に頼んでその名前でも同じ内容のものを送り、それでも結果が変わらないと、駐英大使に連絡を取ったりもした。

 その結果は──梅里は首を横に振る。

 

「それでも、英国は機密一辺倒で、返事をくれなかった。華撃団の協力者と分かっていたキミの御父様にも、もちろん書状を出したよ。返事がなかったから、前日に面談を申し込んだけど──事前接触はよくない、と断られたよ」

 カーシャは、自分の父がそのときには帝国華撃団は倫敦を支持すると思いこんでおり、それで接触するのは痛くもない腹を探られることになって好ましくないと判断したのだと思った。

 

「……じゃあ倫敦は……自滅した、ってこと? アナタからの問い合わせを無視したばかりに……」

 

 これが逆に、倫敦で大規模霊障の兆しがあったのなら、倫敦は八方手を尽くし、その一環として梅里の問い合わせにも応じていたかもしれない。

 しかし、実際には──巴里にそれがあって必死になり、それが帝国華撃団を味方にして──巴里華撃団の設立という流れになったのだ。

 

「アタシはなんで……こんなの、完全な独り相撲じゃない」

 

 力を失い、構えていた剣が地面をたたく。

 膝から崩れ落ちたカーシャは呆然と地面を見つめていた。

 

「カーシャ……今だから訊くけど、戻ってこないか? いや、戻って……こられないかな? キミは」

 

 梅里は、彼女を前にして一度も愛刀に手をかけなかったその右手を、カーシャに向かって差し出した。

 生気が抜けたような目を梅里へと向けるカーシャ。ウェーブのかかった金髪越しに、その目と目が合う。

 だが、彼女はその申し出を拒絶した。

 

「今さら……戻れるわけないでしょ?」

 

 まるで幽鬼のようにゆらりと動き、剣を握る手に力を込めるカーシャ。

 

「アタシがなにをしたと思う? アタシは……裏切り者よ?」

「わたくしも、他組織の密偵として入り、華撃団に反しようともいたしました。でも今はここにおります!」

 

 吐き出すように言った彼女の言葉に答えたのは、梅里ではなく二人を見守っていたしのぶだった。

 それでカーシャはチラッとしのぶに視線を向ける。

 

「それはアナタが決定的に敵対しなかったからできたことよ。アタシは違う……司令とウメサトの命を狙う水弧の手助けをし、黒鬼会のためにせりの嫉妬をあおり、精神的に追いつめた。アタシ自らウメサトの命も狙ってさえいる」

 

 手にした剣に視線を落とし、恨みがましい目で見てしまう。

 華撃団を離れる直前にその剣先を梅里に突き付けた。

 つい先ほどまでこれを構えて梅里を威圧していた。しのぶへ切りつけ、光武・複座試験型も大破に追い込んだ。

 

「……もう、後には退けないの」

 

 再び波状刃の大剣(フランベルジュ)を握り締めて立ち上がるとそれを構え、梅里を見る。

 妙に落ち着いた様子でカーシャは言った。

 

「帝国華撃団夢組隊長、武相 梅里……一対一で勝負よ」

 

 再び切っ先を梅里へと向ける。

 だがその申し出は、梅里ではない別の者が割って入り、止めようとした。

 

「なにをおっしゃるのですか。梅里様には受ける理由がございません」

 

 扇を手に身構えたしのぶだった。心情的には彼女の置かれた立場に同情しているしのぶだが、こと梅里の命にかかわることとなれば話は違う。

 その一方で梅里は、そういえば、しのぶが梅里宛の決闘を断ったことが前にもあったと思いだし、その奇遇さに思わず苦笑する。

 そしてあのときと同じように──

 

「いや、受けるよ」

 

 しかし今度はあのときと違って自分から──その決闘を受けた。

 その発言に驚いて振り向くしのぶ。

 

「なぜですか!? 梅里様は夢組の隊長、花やしき支部の防衛を仰せつかっている幹部の一人です。それを……」

 

 カーシャをちらっと見るしのぶ。

 彼女の姿は夢組戦闘服だ。一部隊の指揮を任されているようにも見えず、また先ほどからの脇侍の動きを見ても、彼女の指示で動いているようには見えない。

 ハッキリ言って一兵卒。幹部でも指揮官でもない彼女には負けたからと兵を退かせるような権限はないだろう。梅里が一騎打ちを行うメリットがまるでないのだ。

 それを受けるという梅里を、しのぶが訝しがるのも無理はない。

 

「罪は裁かれなければならない、だったよね。カーシャ」

 

 かつてカーシャが言った言葉である。

 

「僕の罪は、あのとき巴里の肩を持った真意を会議に参加したあの人に──トワイライト卿に説明しなかったこと。あのときキチンと話していればキミとこんな立場で相対するなんてことはなかったはず」

 

 もしそうであれば、共に戦う仲間として轡を並べ、維新軍と戦う立場だっただろう。

 

「だから、こうなった責任を僕は取るよ。キミの申し出た決闘を受けることで」

 

 そう言って、梅里はカーシャと相対してから初めて、腰の愛刀『聖刃(せいじん)薫紫(くんし)』の柄に手をかけた。

 握りしめ、ゆっくりと抜き放つ。

 そうして刀身をさらした刀を手に──梅里は構えた。

 柄を握りしめた右手を引き、刀身は梅里の眼前を過ぎ、切っ先は対する相手へと向けられている。その刀身に左手を添えるような独特の構え。

 対するカーシャもまた刀身が波状になっている愛剣ヒート・ヘイズ(陽炎)を構える。

 そしてローカストから、先の梅里との戦い──食堂で丸腰の彼を愛剣を手に追いかけ回したとき──の記憶が送られてくる。

 

(やっぱり、まるで違う)

 

 刀を手にした梅里は、まるで別格だった。

 そしてあのときの“話をしようとしていた”彼とは違い、今の彼は“果たし合いに応じた”のである。

 気迫がまるで違う。

 が──それをカーシャはどこか晴れ晴れとした思いで見ていた。

 

「いくわ……」

 

 カーシャは初撃にすべてを込めて、瞬間的に霊力を高めて愛剣に送り込み──爆発させる。

 今までの白銀とは異なる──まさに夜の闇を切り裂く夜明けを思わせる金色の光が、剣の鍔の十字へと集まり烈光となった。

 その光こそ真のカーシャの霊力の色である。金色はその身を包み、刀身を覆うと生じた光の刃になり、直剣となった。

 そして──カーシャは一気に突っ込んだ。

 

 

「『払暁黎明(デイブレイク)()閃攻(スマッシュ)』ッ!!」

 

 

 小細工なしの真っ向勝負。

 金色の光に包まれたカーシャの一振りは刀を構えたまま微動だにできない梅里を脳天から真っ二つにし──その姿が幻のように消える。

 

「──ッ!?」

 

 戸惑うカーシャをよそに、次の瞬間には喉元に梅里の聖刃・薫紫が突きつけられていた。

 そして大きく息を吐く──カーシャ。

 

「これが……朧月ね。なるほど、避けられないわ」

 

 諦めと、半ば呆れが入ったように言い、寂しげな笑みを浮かべる。

 

「……勝負はついたわ。アタシの完敗」

「だね。勝負は、ついた」

 

 頷く梅里。

 

「さぁ、早く……アタシを殺しなさい。生き恥をさらすつもりはないわ」

「……違うよね、カーシャ」

 

 切っ先をカーシャの喉元に突きつけたまま、梅里は苦笑を浮かべる。

 

「キミは、この勝負の結果が分かっていた。いや、負けるつもりでこの勝負を仕掛けた。違うかい?」

「……どうしてそう思うの?」

「罪は裁かれなければならない、キミはそう言っていたからね。でも──」

 

 梅里は突きつけていた刀をひき、体勢を戻すとそのままカーシャの前に立った。

 

「キミの命を取るつもりはない」

「なぜ……アタシは、アナタの命を二度も狙ったのよ?」

「どちらも、命をとろうと思えばとれたのに、キミはそうしなかった。違うかい? ローカスト……」

 

 一度目は梅里が意識不明になって横たわっていたベッド。

 二度目は寝ていた梅里を包丁で狙い──その後に剣を梅里に突きつけたとき。

 どちらも問答無用で殺しに来ていれば、命を奪うことができただろう。少なくともその可能性があったのに、彼女はしなかった。

 そのどちらも──カーシャではなく、ローカストという人格が出ているときだった。

 

「キミでさえも、僕を殺すことができなかった」

「違う!! そんなことはないッ!!」

 

 髪が銀色に染まり、ローカストとしての人格が現れる。

 

「ワタシは、ワタシならアナタを……」

「違わないよ、ローカスト。キミだって元々はカーシャなんだろ? 本来なら普通に帝国華撃団に入り、僕らと共に戦うはずだった……」

「あ……」

 

 ローカストの──いや、カーシャの脳裏に父親が豹変する直前に描いていた夢が浮かぶ。

 かつて幼いころに父が話してくれた、“サクラ()”という木に咲いた、ピンクの花びらが舞う“ニホン(日本)”というトウゲンキョウ(桃源郷)のようなその国で、巨大な邪悪を破り正義を示した帝国華撃団に所属し、敵を打ち倒す──そんな未来が、すぐ目の前にあったはずだった。

 それが一変し、ローカストという人格は強制的に作られた。本来であれば、優しく、強く、そして正義を愛するカーシャという娘の心の中に。

 そんな彼女が、元々の彼女の影響を受けないはずがなかった。

 意識がなく無抵抗の者を殺すのが正義であるはずがなく、丸腰で話し合いをしにきた人を斬れるはずもない。

 そうローカストは──紛れもなく、カーシャなのだ。

 

「ああ……ワタシは──アタシは……」

 

 頭を抱え込むようにその場に崩れ落ちる。その髪の毛は銀髪から再び金髪へと戻り──それから銀に戻ることは、一切無かった。呪術は完全に解け、ローカストとカーシャという人格は、また一つに戻ったのだから。

 

「カーシャ……」

 

 梅里の呼びかけに、カーシャは顔を上げる。

 その彼女に梅里は再び手を差し出した。だが、カーシャはそれを掴まなかった。

 

「アタシには、その資格がない。華撃団のみんなを裏切って……せりにも……」

「……だってさ! どうする!? せり!」

 

 梅里が大きな声で訊くと、いつの間にか近くにきていたせりがひょっこり顔を出す。

 

「……あとで一発、ビンタさせなさい。それで私の分は許してあげる。みんなに対する裏切りは……食堂の棚卸し一回、ってところかしらね」

 

 あの残業以来、棚卸しはすっかり居残り作業として認識されて罰のような扱いになっていた。

 それに梅里は苦笑する。

 

「でも、司令やウメサトの狙撃に関わって……」

「なるほど……罪は裁かれなければならないって言うのなら──華撃団員として裁かれるまで、その命、僕が預かるよ」

「ッ!? それは……」

 

 カーシャは思わず再び梅里を見る。

 

「前に言ったよね? 困ったことがあったら僕のできる範囲であれば全力で力を貸すってさ」

 

 彼は笑顔を浮かべて再度手を差し出している。

 カーシャは戸惑いながらそれを掴もうと手を伸ばし──

 

 

「──世の中、そんなに甘くありませんよ?」

 

 

 どこからともなく飛来した無数の糸が、カーシャの体に巻き付いた。

 

「なッ!? こ、これは……」

 

 戸惑うカーシャが慌てて手や上半身を振るが、絡みついた糸はそれくらいでは切れず、余計に絡まっていくだけだった。

 

「おやおや、ローカスト……今は、アカシア=トワイライト、ですか? まぁ、どっちでもいいですけど、あなたがたっての願いで仲間にして欲しいと懇願してきたのに裏切るとは、一体どういう了見ですかね」

「“人形師”!? このッ!!」

 

 黒い覆いで顔を隠した黒装束の男。

 それには必死に抵抗するカーシャもちろん、梅里も、そしてせりにも見覚えがあった。

 

「お前は、性懲りもなくまた──」

「いえ、今回はあなた方に用事はありません。私が用があるのはその異国の女のみ……甘っちょろいあなた方が裏切りを許しても、我々は裏切りを許すつもりはありませんので──」

「──ッ!!」

 

 その言葉を聞いて、梅里が動く。

 素早く踏み込み、刀を迅らせてカーシャに絡んでいた糸を元から絶とうと試みたが──それよりも一瞬早く、彼女ごと糸が引き寄せられそのまま“人形師”の下へと移動していた。

 

「裏切り者にはキッチリと、落とし前をつけさせますので、ご安心を──」

「ウメサトッ!!」

 

 糸に絡みとられ、動きを制限されながらも──今度は必死になって、助けを求めて手を伸ばしたカーシャの声が響く。

 駆け寄った梅里の手がそこに届く前に、“人形師”の足下に魔法陣が展開していた。

 

「助け──」

「待てッ!!」

 

 カーシャの言葉は途中でとぎれ、梅里の叫びがむなしく響く。

 “人形師”が展開した転送陣はその効力を発揮して、カーシャの姿は黒装束の男と共に消え去っていたのだった。

 

「カーシャ……」

 

 虚空を掴んだ手を握りしめつつ直前で逃がしたことを、梅里は悔やんでも悔やみきれなかった。

 




【よもやま話】
 さらに長くなったので分けました。本当なら─6─でここまでやるつもりだったのですけどね。
 カーシャは改心したのですが──“人形師”に連れ去られてしまいました。
 また、倫敦華撃団についてですが、これはオリジナル設定で太正14年当時の計画によるものという設定です。「新サクラ大戦」に登場した倫敦華撃団は、一度試験的に組織されたが、その経験をもとに降魔大戦後に再度組織して正式な華撃団になったのがそちらと思ってください。
 旧作執筆中には倫敦華撃団というものが存在していなかったので、いろいろ自由勝手に想像を巡らせていた結果です。「テムズ川から輸送用水上機で──」というのはそのときのもの。


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─9─

 花やしき支部の防衛は無事に成功した。

 

 華撃団は防衛した花やしき支部を拠点に反撃へと移る。

 すでに防衛戦と同時進行で、本部から逃げてきた花組の大神とさくらに地下で新型霊子甲冑・天武を受領させると、翔鯨丸を使って銀座へとんぼ返りをさせた。

 そして、大帝国劇場に陣取っていた黒鬼会の五行衆の一人、木喰と対決をしたのである。

 人数こそ大神とさくらのたった二人だったとはいえ、その数の不利をたやすく覆すほどの力を天武が発揮し──見事に撃破に成功。木喰はそこで命を落としている。

 そして──花やしき支部でも一定時間の経過と共に敵部隊が撤退したのだが──帝劇本部もまた木喰を退けた大神達が劇場内に入ると、そこはもぬけの殻のように維新軍の姿はなく、容易く帝劇本部を取り戻したのである。

 

 そしてその後、華撃団は奪われた魔神器の中の二つ“剣”と“鏡”の奪還作戦を行った。

 反応をたどり、その所在が新宿にあると判明した為に出撃した華撃団はそこで魔神器を守護している鬼王が指揮する部隊と対峙するのであった。

 激突する花組を中心とした華撃団と──迎え撃つ鬼王率いる黒鬼会の魔操機兵・脇侍の部隊。

 その両者の決戦の火蓋が落とされたところで──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……え?」

 

 その反応に、作戦司令室にいた風組の藤井かすみは思わず声を上げていた。

 訝しがったのは副司令のかえでと、司令の米田である。

 作戦司令室に詰める三人の風組隊員──天武輸送任務を終えた椿が復帰して元の三人体制に戻っている──の中でも、年上でもっとも冷静な彼女が驚いて声を出すのが意外だったからだ。

 

「どうかしたの、かすみ?」

「はい。黒鬼会の鬼王なのですが……そこで戦闘が起きている模様です」

「──どういうこと?」

 

 確認したかえでだったが、かすみの答えにさすがに戸惑う。

 戦況を見た限り、鬼王は脇侍達の最も後方に位置して指揮を執っているように見えた。最奥にいる鬼王と戦闘になるのは、最後のはずであり、魔神器を持っているのだからそうなるのは当然だろう。

 開戦からそれほど時間が経っていないのと、建物や障害物が邪魔をしていることもあって、もちろん花組は未だに脇侍の部隊を突破できていない。

 つまりは戦闘など起こるはずがないのだが──

 

「カメラは?」

「最望遠でも詳細がハッキリしません」

「なら、夢組の『千里眼』で──」

 

 しびれを切らした米田が自ら指示を飛ばそうとしたが、今度は由里が困った顔をした。

 

「それが、夢組が混乱しているようです」

「混乱? いったいなにが起きたんだ?」

「通信を聞いている限りですが……その……隊長が、行方不明とか……」

 

 自分が悪いことをしたわけでもないのに、由里が首をすくめながら報告し、それからかすみをチラッと見た。

 

「ったく、なにやってやがるんだ……いいから遠見に“遠視”の指示を出せ。司令部からの直接指示だ。八束に感応接続の指示も併せて、な」

「りょ、了解!」

 

 言われた由里があわてて指示を出す。

 間もなく、遠見 遥佳が『千里眼』で捉えた映像を、八束 千波が『精神感応』で繋げた画像がモニターに映し出される。夢組錬金術班の技術によって可能となった機能である。

 そして、そこに映っていたのは──

 

 

「「「「「えぇ!?」」」」」

 

 

 その場にいた米田、かえで、さらには風組のかすみ、由里、椿の合計5人の言葉が見事に一致した。

 鬼王と刃を交えていたのは、白い男性用夢組戦闘服を身にまとい、日本刀を手にした男──行方が分からなくなったと夢組が騒いでいた、その隊長である武相 梅里、その人だったのだ。

 

「なんだと!? なんでそんな独断専行を!!」

「無謀よ。周囲の脇侍に取り囲まれたら……すぐに武相隊長へ撤退命令を!」

 

 唖然とする米田と、即座に指示を出すかえで。

 だが──

 

「武相隊長、通信届きません。夢組の八束隊員からも霊波での通信も不能という返答がありました」

「……わかったわ。かすみ、呼びかけは続けてちょうだい」

「了解しました」

 

 藤井かすみはそう答え、「武相隊長、聞こえますか?」と何度も問いかける。

 当然に返事はなく──それを事務的に繰り返しながら、自分の考えを巡らせていた。

 

(いったいなぜ、こんなことを? あのときの仕返し?)

 

 確かに梅里は鬼王の襲撃を受けて生死の境をさまよったのだから、その恨みがないとは限らない。

 だがそれは梅里のイメージとはだいぶ違う。

 

(やられたらやりかえす、とか……いえ、そういう性格ではありませんよね……)

 

 かすみは戸惑いながらも、いっこうに返事のない無線へと呼びかけていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──少しだけ時間はさかのぼる。

 

 華撃団は黒鬼会と対峙し、布陣を終えてまさに戦闘が始まろうとしていたそのときのことだった。

 ふと、白繍せりは違和感を感じていた。

 その対象は、自分たち夢組を率いる隊長にして、彼女の想い人でもある彼なのだが──

 

「ねえ、かずら。さっきから梅里、なにかおかしくない? 一言もしゃべってないような……」

 

 せりは訝しがるように見つめながら、隣にいた部下でもある伊吹 かずらに尋ねた。

 

「そうですか? さっき私に向かって話しかけてくれましたよ。かずら、今日も可愛いね。愛してるよ……って──」

 

 目を閉じ、腕で自分の体を抱きつつ揺らしながら、夢見がちな様子で言ったかずらを、せりはジト目で見た。

 そして冷め切った様子で言い放つ。

 

「それ、ただの、あなたの脳内の出来事よね? 妄想よね?」

 

 相変わらず体をくねらせていたかずらは、冷たい視線を向けてきたせりに改めて向き直る。

 

「ええ、まぁ、そうですけど。でもやりません? 梅里さんから言われたい言葉の脳内再生とか」

「そんなの、普通はしないわよ。まったく……」

 

 すっかり自分が言い出した最初の話題を忘れたせりが冷たく突き放しつつも──ふと出来心で、試しにかずらに言われたことをついやってしまった。

 

(せり……可愛いね、愛してるよ)

 

 そんな脳内再生した台詞にせりが顔を真っ赤にする。

 そしてそれにめざとく気がつくかずら。

 

「あ、今、せりさんしましたよね? どうでしたどうでした?」

「そ、そんなのやってないわよ!」

 

 慌ててムキになって否定するせり。もちろんそれで引き下がるかずらでもない。

 

「いえいえいえ。せりさんの嘘ってすごくわかりやすいですよね。したのバレバレですって」

「か、かずら! いい加減になさい。戦闘前よ!」

 

 ついに顔を赤くしながら怒るせり。

 だが──それを冷静な言葉で遮ったのは、同じく付近にいたしのぶだった。

 

「せりさん、仰る通りですよ」

「は? だから私はしてないって──」

「いえ、そちらではなく……違和感の方です。あの梅里様、やはり何かおかしいようにわたくしも思うのですが」

「え? あ、そっち? そっちね……」

 

 焦ったせりは誤魔化すように咳払いをする。冷やかすように見つめるかずらの視線は完全に無視した。

 それで興味を失ったのか、かずらはしのぶへと話しかけた。

 

「梅里さんがおかしいって、どこがですか?」

「先ほどから指示を出しているのは専ら巽副隊長ですが、梅里様は頷いていらっしゃるだけです」

「そうなのよね。なぜかさっきから一言も喋ってないのよ」

 

 せりがジッと梅里を見つめて、首を傾げている。

 かずらも同じように見つめるが──やはり普段通りの梅里にしか見えない。

 

「ノドの調子でも悪いんじゃないですか? 今朝は雪が降るほど急に冷え込みましたからね。風邪のひきはじめかもしれません……なるほど、これは付きっきりで看病するという手が……

「あのねえ、私としのぶさんは真面目な話をしているの。茶化すなら黙ってて──」

 

 何か企み始めたかずらをせりが咎めようとしたそのとき、しのぶがスッと動いていた。

 それをせりとかずらが戸惑っている間にしのぶは梅里の元へと至ると、手に扇を握りしめ──それを一閃させる。

 

「──ッ!!」

 

 身を翻らせる梅里。

 しのぶは振りかざした閉じている扇を開き、返す腕でそれで扇いで風を生じさせる。

 彼女が手にする扇はただの扇ではなく、愛用の霊扇『深閑扇』の一つである。扇いで生まれた風は、当然に霊気をまとっており──それに煽られて梅里の姿が揺らいだ。

 

「「えぇ!?」」

 

 おかしいとは思っていたせりと、半信半疑だったかずら。その2人とも揺らいだ梅里の姿に驚いていた。

 確信をもったしのぶがさらにもう一度扇いで──今度は全力の霊力を込めて──生まれた強烈な風によって、纏っていた梅里の姿は吹き消されるようにして完全に消え去った。

 そこに残っていたのは──

 

 

「「「(ひいらぎ)!?」」」

 

 

 駒墨 柊だった。

 そのおでこには御札のように短冊が張り付けてあり、達筆な文字で『武相 梅里』と書かれている。

 彼女の霊力と特殊な墨によって『書かれた文字を具現化する力』が発動して、周囲の者は彼女自身を梅里と強制的に認識させられていたらしい。

 ついさっきまで指示の追認をとっていた宗次でさえも、それに気がついていなかったらしく唖然としている。

 

「ちょ、ちょっとどういうこと? 梅里はいったい何を……というか、どこにいるの!? 柊、答えなさい。知っているんでしょう?」

 

 せりの詰問に、柊は愛用の矢立の筆を持ち歩いている短冊に走らせて、「黙秘」と書かれた文字を見せる。

 

「な……駒墨さん、そんなことをしてる場合じゃ、梅里さんが……」

「敵に回った、というわけではありませんよね?」

 

 焦るかずらに対して、冷静でありながらも剣呑な空気を纏うしのぶの問いかけには、柊は「肯定」の文字を示しつつ頷いた。

 

「じゃあ柊、あなたはどうしてこんなことを……」

 

 せりの問いに対して、彼女は「特命」という文字を示す。

 そんな筆談に、明らかにイライラし始めたせりが目を三角にして柊を睨み、さらに問いつめるが──柊は「機密」、「言えない」、「黙秘」、「回答拒否」と短冊を書き散らかして煙に巻こうとする。

 そんな態度は余計にせりをイラだたせ「もおぉぉぉぉ!! 本当に、いい加減にしなさいよ!!」と完全におかんむりだった。

 そうやって別の人が怒っている姿を見ると周囲は逆に冷静になるもので、しのぶは考えを巡らせる。

 

「誰かに拉致されたわけではない……梅里様は、自らの意志で行方をくらませている?」

 

 そう考えるのが妥当だろう。柊があそこまで頑ななのも、梅里からの厳命であれば頷けるところだ。

 ただし──副隊長であるしのぶはもちろん、もう一人の副隊長の宗次が先ほど驚いていたのを見ると、彼も事情を知らされていないと見るべきだろう。

 そして、当然せりは怒りとイライラをこじらせ続けている。

 

「千波ッ! 埒があかないから直接、柊と“念話”させて!」

「……無理。彼女の方が拒絶してる」

 

 せりが近くにいた特別班の八束 千波を掴まえて、念話での直接尋問をしようとしたが、千波は不可能と首を横に振った。

 彼女の能力はあくまで精神同士を感応させて“念話”を可能とすることであり、双方が受け入れる──少なくとも拒絶していないことが大前提だった。

 そのように強制力がほとんどない代わりに、繋げられるネットワークのキャパシティが異常に大きいのである。

 今回は、柊の方が明らかに拒絶しているために無理なのだった。

 ──もっとも、隊長直属の特別班への命令権限とせりは持っていないのだが。

 

「なら、彼女の思考に干渉して──」

「それは……私の領分じゃない、です」

 

 物静かな千波が首を横に振ったので、せりは思い出したようで「ああ、もう!」と焦りを露わにしていた。

 思考を読むのは同じ精神感応系能力でも千波ではなく、調査班副頭である御殿場 小詠でなければできないのだ。

 

「じゃあ、小詠は──」

「小詠さんなら、さっき、戦闘なら私は役に立たないからって戦線離脱しましたけど?」

 

 同じ調査班副頭のかずらがあっけらかんと答る。それを恨みがましく見るせりはイライラのあまり、気の毒なほどに憔悴しているようだった。

 実際、小詠は調査任務──特に対人の捜査では無類の強さを発揮するのだが、他のことは苦手なようで、特に戦闘支援のような出撃の際には姿がなかったり、離脱してしまうことが多い。

 ──もちろんそれは理由があり、戦闘支援の場合にはもう一つの顔である特別班の5人目として能力を求められることがあるからであった。

 実際、すぐ近くで気配を隠した上で“謎の五人目の特別班員”として、フード付きの上着を着こんでそのフードを目深にかぶって顔を隠し、袴を特別班員を示す濃暗の赤色へと変えて待機している。

 ともあれ、ままならないことだらけになったせりは、苛立たしげに頭を抱え──

 

「ああ、もう! 梅里はどこにいったのよおぉぉぉ!!」

 

 と、天に向かって叫ぶのであった。

 『千里眼』の遥佳と『精神感応』の千波に、司令部からの直接で命令がきたのは、ちょうどそのときだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 花やしき支部防衛戦で、脇侍の主力を投じてきた正門での戦いで光武・複座試験型は多くの脇侍を破壊し、その功績は大きかった。

 だが──その功績の一方で、カーシャの一撃を受けた機体は大破し、搭乗していた近江谷絲穂・絲乃の姉妹はそろって負傷。後方での治療を余儀なくされていた。

 

「近江谷姉妹の離脱は痛い……」

 

 梅里が思わずそう呟くほどである。

 彼女たちが特別班に所属しているのは『共鳴』という特殊能力はもちろんだが、それによって可能となる、多数を巻き込んだ『瞬間移動』の価値が高いためである。

 疲労が大きいためにそう何度も行えないが、部隊一つを壁や距離を無視して動かすことができるのは、夢組にとってはとてつもなく大きな切り札の一つなのだ。

 その切り札を限られた回数を使う前に使えなくなったのは、あまりにもったいない。

 

「あれはやむを得ない。霊子甲冑でなければあれだけ多くの脇侍は倒せなかったのは確かだ。あまり気にするな」

 

 そう宗次がフォローするほどに、光武・複座試験型の戦果が大きかったのは確かである。

 だが──梅里にとっては、今この場に彼女たちがいないのが、悔やまれているところだった。

 

「絲穂と絲乃がいれば、こんな苦労しなくてもよかったんだけどね……」

 

 物陰に身を隠した梅里は思わず一人()ちていた。

 白い男性用夢組戦闘服の上には、黒い外套をつけており、足にも特別な覆いがされている。

 さらに胸には護符を下げ、梅里は機会を待ちわびていたのだ。

 そこへ──千波から他に傍受されないように調整した極短念話で「バレた」という連絡が入った。

 

「やれやれ……それじゃあ、多少無理にでも仕掛けないと」

 

 すでに開戦によって脇侍達が前進してから少し経っていた。

 梅里が隠れ潜む建物の周囲には、巨大魔操機兵が1機と、その取り巻きの脇侍しかいない状況である。

 おりからの雪とこの騒動で周囲に人影はない。静かに雪が舞い落ちる中、脇侍の蒸気機関の音だけがやたらと大きく響いていた。

 集中のために目を細めた梅里は、隠行を駆使して気配を消しつつ、標的の元へと向かう。

 それが功をそうして、取り巻きの脇侍に反応されることなく巨大魔操機兵・闇神威へと近づき──その付近に立っていた鬼面に着流しの男へと斬りかかった。

 

「フッ!!」

 

 気合いと共に振り下ろした刀は、男──鬼王によってあっさりと受け止められる。

 気が付かれていたか、と思った梅里だったが、鬼王が少なからず戸惑った様子に見えたので、その考えを改めた。

 

「奇襲が卑怯、なんて言わないよね? 今までのアンタの十八番(オハコ)なんだから」

 

 本来ならそこまで隠行を得意としていない梅里だが、鬼王への奇襲を成功させたのは、刀を振り下ろし様に脱ぎ去った外套と、未だに足と胸元に残っている特殊装備のおかげだった。

 

隠行の外套(ミエナイン)消音の雪駄(キコエーヌ)気配遮断の護符(カンジラレン)……さすがは釿さん謹製の特殊装備ってところか」

 

 これがあったからこそ、周囲の脇侍に気取られることなく、鬼王へと肉薄できたのだから。

 もし近江谷姉妹がいたら──瞬間移動を使っての奇襲ができたことだろう。それが2人の負傷によってできなくなったからこそ、こういった手段に頼らざるを得なくなったのだ。

 

「何が狙いだ……」

 

 鬼王が言葉少なに尋ねる。

 

「魔神器……と言いたいところだけどね、元々それの護衛を申しつけられていたのは僕ら夢組だし。でも──違う」

 

 鍔迫り合いを解消して少し距離をとる二人。

 それぞれの構え──梅里は右半身を引き、前へ構えた刀の横へ左手を添えて構え、鬼王もまた正眼ではない変わった構えをとる。

 それが──梅里が実家で祖父から聞いた構えと合致する。

 

「真宮寺は、変わった構えを得意としていてな……」

 

 そう言って祖父自ら実践して見せた構えと、酷似しており──梅里は確信した。

 ゆえに、決意する。

 

(ここで──鬼王を討つ!)

 

 自ら動き、仕掛ける。

 春の夜──梅里が重傷を負った時は一方的にあしらわれるほどの技の差があった。門外不出で原則的に人に振るわれることがない武相流を、知っていたがゆえに見切られたという事情もあったが、それでも禁忌の奥義を使わなければ撃退できなかった相手だった。

 だが、この短い期間ながらも戦い──皮肉なことに鬼王との戦いこそ最も実力が伸びた負け勝負であった──を経て成長した梅里は、実力において鬼王へと迫っていた。

 

「──む」

 

 梅里の現在の実力に戸惑う鬼王。

 その反応に快哉の声を上げる梅里。

 

「命を落としてから成長できないあなたとは違う!! 春の戦いでの借り、ここでキッチリ返させてもらう! それが僕の──狙いだッ!!」

 

 梅里の鋭い斬撃に、距離をとる鬼王。

 だがやられっぱなしではない。即座に踏み込み──隙をついて斬り返す。

 迎撃の間に合わず動きが止まっている梅里を、鬼王が手にした刀──二剣二刀の一振り『光刀(こうとう)無形(むけい)』が捉え……

 

「──なにッ!?」

 

 絶対の自信を持ったその一撃は、捉えようとしていた梅里を手応え無くすり抜ける。

 そして──刀を振り抜いたのとは反対側の位置に突如現れた梅里は、反撃(カウンター)となる必殺の突きを放つ。

 

「──ッ!!」

 

 梅里の刀──『聖刃(せいじん)薫紫(くんし)』の切っ先が鬼王を捉えるが、鬼王はとっさに身を返しており、必殺のはずの突きは浅く致命傷には遠い。

 

「これさえ避けるのか……さすが……」

 

 再び距離をとって対峙する二人。

 だが、梅里にとって今の攻防で鬼王を討ち果たせなかったのは、致命的な失敗であった。

 さすがに周囲の護衛についている脇侍が動き出していたのだ。

 それらを相手にしながら鬼王とも戦うのは、さすがに無謀である。かといって自分からやってきた梅里を、鬼王が見逃す理由もない。

 

(ちょっと後先考えずに先走りすぎたかな……)

 

 そう梅里が思ったとき──にわかに周囲が騒がしくなった。

 

「鬼王! 魔神器を返してもらうぞ!!」

 

 脇侍や障害物を突破してきた花組が、到着したのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それを見た鬼王は──梅里のせいで手負いとなったからか、それとも直前までの戦闘で乗機である闇神威の準備が整っていなかったためか、はたまた別の理由か定かではないが──二つの魔神器をその場に残し、戦うことなく去ったのであった。

 




【よもやま話】
 入れるかどうか迷った、水戸に帰った時につかんだ鬼王の正体に関する話を、いまさらながら入れました。
 3話で梅里が土蜘蛛と戦うシーンは鬼王で考えていた……のですが、そのときに鬼王と戦う理由があるのをすっかり忘れて土蜘蛛に変えてしまったツケです。完全に。
 あとは、なぜかゲームだと戦わずに帰る鬼王の理由付けにはなったかな、と。


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─10─

 独断専行して鬼王へと仕掛けた梅里は、当然に司令と副司令から厳しい叱責を受けた。

 その際、ティーラが割り込み「私がこのままでは花組が全滅する罠があると予知をしたからです」と説明したために、どうにか溜飲を下げて梅里もとりあえずお咎め無しとなったのだが──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「どうしてあんなことを?」

 

 司令と副司令の前から離れた梅里は、ティーラに尋ねた。

 彼女は大きなため息をつき、「それはこちらの台詞です」と思いながら、珍しく呆れたような顔で梅里を見た。

 

「……私がああ言わなかったら、隊長は解任させられていましたよ」

「えっ!?」

 

 さすがに驚く梅里。

「もちろん今すぐ、というわけではありません。でもこの騒動が収まった後、程なくして隊長が解任されるという天啓がありました」

「それは……」

 

 半ば絶句して、梅里は苦笑混じりに頬を掻く。

 命令違反と独断専行は、それほどまでに重いのである。まして梅里は民間登用という一種あやふやな立場でもある。

 

「もちろん除隊扱いでしたので……隊長に抜けられれば夢組は崩壊します。ですからそれを防ぐために庇いました」

 

 梅里が夢組からいなくなれば、まずはせりとかずらも間違いなく抜けるし、副隊長という立場からすぐには抜けられなくともしのぶも同じように除隊するだろう。

 この時点で隊長と副隊長一人が抜けた上に、頭と副頭が抜けた調査班はほぼ崩壊。

 さらには梅里がいなくなれば従順に従っていた除霊班頭の紅葉がどうなるかわからなくなるし、しのぶの離脱は陰陽寮派に間違いなく悪影響が出るだろう。

 今は良好になっている宗次と釿哉の関係も、もともとは合わなくて犬猿の仲だったのが間に梅里が入ることで今は安定しているのだ。長期的に見たらそこがどうなってしまうかも分からなくなりかねない。

 といった感じで、梅里の急な離脱はとにかく影響が大きすぎる。

 

「──逆に、お聞きしたいのですが、なぜあんなことをしたのですか?」

「あ~……」

 

 答えに窮する梅里。再び頬を掻き──目をそらす。

 

「……答えづらい、ということですか。つまりは鬼王への個人的な恨み、というわけではないようですね」

 

 ティーラの確認に、梅里は首肯した。

 

「これから話すことは他言無用にして欲しいんだけど……鬼王の正体を、ティーラは予知や占ったことはあるかい?」

「正体? あの仮面の内側ということですか? いえ、指示もありませんでしたし、そこまで気にしていませんでしたから……」

 

 鬼王は終始一貫して鬼面を被り、その素顔を見せていない。

 しかし腕が六本あるような者さえいるような黒鬼会幹部である。面を被っている者がいても「そういうもの」として受け入れてきて、その正体という考えにまで至らなかったのだ。

 

「仮面を被るということは、顔を隠す必要があるから。なるほど、言われてみればその通りですが……隊長は、それに心当たりが?」

「……僕もハッキリとした確信がある訳じゃないからね。だから司令や副司令にも話せる段階ではないんだ」

 

 梅里は険しい顔で目を閉じる。

 おそらくだが──ティーラの霊力をもってしても、鬼王の正体を探ろうとしてもその妖力に邪魔されて見えてこないだろう。

 だからこそ、その正体に関することは梅里は隠しておくしかない。

 

「もしもその正体を予知や過去認知で見えたらとりあえず僕に教えてくれないかな。もちろん他の人には言わないで」

「それを知っているからこそ、隊長は今回のことをしたのでは?」

「う……」

 

 痛いところつかれて言葉を失い、苦笑を浮かべるしかない梅里。

 その反応を見て、ティーラも事情があるのを察する。

 

「内容にもよります。ですので確約はできかねます」

「それはわかってるよ。だから、できる限りでいいよ」

 

 鬼王の正体に関して、ティーラに関心を持たせたのは失敗だったかもしれない。

 梅里は少しだけ後悔しつつも、次なる戦場へと向かった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 敵の本拠地──赤坂の地下にある空間にへと侵攻する華撃団。

 その際に採ったのは、裏道からの侵入作戦ではなく、正面突破作戦だった。

 本拠地への強襲を敢行し、出入口になっているゲートを押さえた華撃団は、最深部に通じる昇降機に花組の霊子甲冑を搭乗させ──夢組は、それに追随する部隊と、正面の出入口を結界で封鎖する部隊に分けた。

 正面突破で多数の敵を相手にしている間、外に出ていた敵が背後からくるのをくい止めて少しでも突入を楽にさせるための策である。

 黒之巣会と戦いで、その本拠地である日本橋で同じような作戦を実行しているが、ねらいはそれと同じだ。

 

 そして──その指揮官も、そのときと同じように追随部隊は宗次、殿(しんがり)部隊は梅里となっている。

 ただし、今回のこの配置は米田の指示である。

 最深部にはおそらく黒鬼会幹部である鬼王が待ち受けている。それに独断専行を仕掛けた梅里がまた暴走するのではないか、という畏れからだ。

 殿を命じられた梅里は、もちろんその意図に気づいており、思わず苦笑して頬を掻いた。

 それから部隊分けを行い──追随支援部隊は花組達本隊と共に昇降機を使ってさらに下へ、梅里達の本隊とは分かれた別働隊は結界の敷設を行ったのである。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 敵が来るよりも前に、どうにか結界の敷設は終えていた。

 外から中へ入ろうとする脇侍は結界に阻害されてそれができない。そのため、殿(しんがり)をつとめている梅里たち夢組別動部隊は、花組が目的を達成するまでの間、結界の維持と可能な限りの脇侍の撃破がその役目だ。

 とはいえ、本作戦は花組による正面突破。敵の大多数は花組が正面から撃退するため、後から来るのは他に出ていた主力外の別働隊ということになる。ゆえにその数は当然少ない。

 だが──少ないからといって決して油断はできないのだ。

 

 

 その油断できない相手と、梅里は対していた。

 敵は腕が6本ある異形の巨大魔操機兵・八葉。

 

「敵巨大魔操機兵、結界突破──いえ、すり抜けました!! 八葉に結界が効果ありません!!」

 

 そんな悲鳴のような無線報告を受けた梅里は即座に移動し、魔操機兵・八葉と対峙していた。

 土蜘蛛がこれを駆って現れた戦場は、すみれのお見合い騒動で襲撃を受けた神崎邸だが、そのときに八葉はこちらの霊子甲冑の布陣を意に介することなく、包囲を容易くすり抜けていたという。

 梅里は意識不明になっていたので戦闘には参加していないが、その戦闘報告を見る限りでは、特殊な能力によってすり抜けていたという疑いがもたれていた。

 そして──今、それが実証されていた。

 敷設した結界障壁をすり抜け、その内側へ侵入した八葉は、結界の要になっている装置を破壊せんと迫っている。

 

「総員、警戒!! 八葉に縛界はもちろん、障壁での行動阻害も通じないと思え!! 直接攻撃で敵を近づけさせるな!!」

 

 梅里の指示で、動きを止めようと躍起になっていた封印・結界班がそれを止める。

 代わりに入ったのは、除霊班であり、その頭である秋嶋 紅葉が八葉の前に立ちはだかった。

 

「封印・結界班は、現在の結界の維持に全力を! 結界が突破されれば、止めている脇侍が流れ込んできて収拾がつかなくなる! 絶対に阻止だ!!」

「「了解!!」」

 

 落ち着きを取り戻し、各々がやるべきことを把握してそれにあたり始める。

 そして梅里は──紅葉と共に八葉へと挑みかかった。

 

「ハッ、生身でワタシの八葉と戦おうってかい!?」

「あいにく花組は手が放せなくてね。僕らが相手をさせてもらうよ」

「ずいぶんとナメられたものだねぇ!!」

 

 八葉の6本の腕が梅里へと襲いかかる。

 それを巧みに避け続けるが──さすがにかわしきれない。

 

「──ぐぅッ!!」

 

 刀で受け流し、さらには自ら後方に飛んで勢いを殺したが、それでもその腕で殴りつけられた衝撃は大きく、ダメージは大きかった。

 倒れずに地面へ着地した梅里だったが、そこへさらに追撃をかけようと八葉が襲いかかる。

 

「この前の強がりはどうしたんだい? さんざんワタシをバカにしてくれたじゃないか」

 

 土蜘蛛はもちろん、あの9月の台風の中での戦いを根に持っていた。

 魔操機兵ではなく生身での戦闘で、土蜘蛛は梅里に軽くあしらわれたのだ。

 

「この前のこと? それなら何度でも言ってあげるさ。腕が六本あっても、まるで使いこなせていない」

「強がるなッ!!」

 

 再度、6本の腕が梅里へと襲いかかる。

 だが──

 

「させん!!」

 

 裂帛の勢いで発せられたその声と共に飛来する、火を噴く鎖突きの分銅。

 その鎖が八葉の腕の一つに巻き付いて、動きを阻害する。

 

「なッ──!?」

 

 突然、体の自由を奪われ、まるで引っ張られるような感覚に戸惑う土蜘蛛。

 紅葉に礼を言いながら、梅里は刀を大きく振りかぶりつつ突進する。

 

「腕一つ封じるだけでそちらの半身は著しく行動を阻害されるんだ。やはり攻撃力が単純に3倍になるわけじゃない!」

 

 今のように右の一番上の腕一本しか捕らえていなくとも、それだけで右半身は動かない腕のせいで自由に動かせなくなっていた。

 球状の銀光に包まれた梅里が、トドメとばかりに刀を振り上げる。

 

「フン、この八葉を捕らえることなど、できないのさ!!」

 

 窮地に土蜘蛛が八葉の特殊能力を使った。

 紅葉が八葉の右腕の一本に巻き付け、さらには別の固定物にまで巻き込んで動きを止めていた彼女の鎖鎌の鎖がまるですり抜けるようにスルリと外れ、八葉を縛っていた戒めが解かれる。

 

「なんじゃってッ!?」

 

 戸惑う紅葉。そして自由を取り戻した八葉は、梅里渾身の一撃も見事に避けてみせた。

 結界さえもすり抜ける八葉の特殊能力をもってすれば、鎖での捕縛を抜けることなど容易いことだったのだろう。

 形勢逆転──するかに見えたが、梅里と紅葉は優位を譲りはしなかった。

 

「だけど──いくよ、紅葉!!」

「了解じゃ、チーフ!!」

 

 八葉を囲むように、周囲を動き回る二人。

 かたや奥義である満月陣の身体能力強化によって常人をはるかに上回る速度で動き回り、かたや火を操る能力から派生した気流操作による加速と、熱操作から派生した特殊能力である膨張と縮小を駆使による鎖の長さの変化で引っ張らせ、トリッキーな動きで翻弄する。

 なによりその二つが、自身の周りでちょこまかと動き回り、時に刀や鎌の刃を突き立てようとしてくる。

 

「ええい! 鬱陶しい!!」

 

 八葉を駆る土蜘蛛も、自分と同じ六本の腕を振り回す。敵は当たれば倒せるような生身であるが、生身であるがゆえに的が小さく、なかなか当たらない。

 しかし、決め手がないのは梅里達も同じであった。

 魔操機兵。それも幹部用の大型のものだが、八葉が先の戦いで霊子甲冑の間を自由自在に動き回ったのはその特殊能力によるものだけではない。

 意外に動きが素早いことや、通常の魔操機兵とは異なる六本の腕が生む予想外の動きで巧みにすり抜けていたのだと思い知らされていた。

 とにかく攻撃が当たらず、当たっても相手は強靱な魔操機兵であり、容易にその装甲で弾かれてしまう。

 幾度かの攻防の後、動きを止めて様子をうかがう八葉と向かい合うように、梅里と紅葉も一度その動きを止めて対峙していた。

 

「……さて、どうしたものか」

 

 現時点ではお互いに決め手を欠いているが、明らかに分が悪いのはこちらである。

 魔操機兵を動かしている土蜘蛛も消耗しているだろうが、常に霊力を全力全開で動き回っていた梅里と紅葉と比較すればどちらが疲労しているかは誰が見ても明らかだろう。

 例えば最深部まで到達した花組が土蜘蛛以外の幹部──鬼王と残った一人の五行衆である金剛──を倒して戻ってきて、その勢いで土蜘蛛まで倒してくれる……なんてあまりに都合がよすぎる展開があるとわかっているのなら、こうして膠着状態を維持するのも意味のあることだろう。

 だが梅里もそこまで楽観主義者ではない。

 

「結界を維持することが僕らの使命だけど──アイツを放置すれば破壊される。かといってそれに執着すれば、ここを逆にすり抜けられて突破され花組が挟撃される」

「チーフ、それ……答えは決まっとるよ」

 

 梅里は思わず声のした方を見る。

 彼の隣に立つ、高まった霊力の影響で深紅に染まった髪の毛が、まるで燃えさかるかのように逆立たせている──秋嶋 紅葉である。

 彼女は不適な笑みを浮かべ──

 

「アレを倒すしかないってことじゃのぉ」

 

 そんな、ともすれば楽しげにさえ見える彼女の様子に、梅里はそっとため息をつく。

 

「それはそうだけど……糸口はある?」

「少しでも足が止まってくれりゃあ、なんとか……できる気がするんよ」

 

 笑みを消し、敵を真剣な目で見つめた彼女はそう言い──その直感を、梅里は信じられる気がしていた。

 

「足を止める、か……」

 

 とはいえ、それが容易ではないのは今までの戦いで痛感している。

 あの捉えづらい敵の足を止めるには──

 

「超広範囲の、範囲攻撃……」

 

 しかも、魔操機兵の装甲に完全に阻まれない程の強さがなければ意味がない。

 そんな都合のいい攻撃に心当たりはなかった。そもそも霊力を込めた攻撃にしても、その影響範囲が広くなれば当然に威力は弱まるし、威力を高めようと思えば霊力を集中させる必要があるので自然と範囲は狭くなる。

 

「──チーフ、来る!!」

「くッ!」

 

 動き出した八葉の相手をすべく、梅里と紅葉は再び全力を尽くす。

 敵を倒す糸口はまだ見えない。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──が、今の二人の会話を聞いて、ピンときた人が一人いた。

 

「広範囲高威力の攻撃といえば、花組の大神隊長と絶好調の隊員が繰り出す『合体攻撃』……そっか、私と梅里さんなら……」

 

 そうして彼女も動き始める。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 梅里と紅葉が中心になり、八葉との戦いは続いていた。

 錬金術班を主体とした銃撃や、除霊班の飛び道具を得意にしている者達が攻撃も攻撃を仕掛けているが、当たらなかったり、当たっても装甲を貫けずにダメージを与えられていなかった。

 そうして、二人に疲労が見え始めたのを見計らい、八葉が二人へと襲いかかる。

 身構える梅里と紅葉。

 そこへ──

 

「梅里さんッ!!」

 

 八葉の近くに突然、薄緑をした袴の夢組戦闘服に特製のバイオリンを手にした女性隊員が現れた。

 彼女は三つ編みにした自分の髪をなびかせつつ、纏っていたマントのようなものを脱ぎ捨てる。

 

「かずら!? それにあれって……」

 

 梅里はそれに見覚えがあった。

 少し前に彼も使用した錬金術班の開発した装備、隠行の外套(ミエナイン)である。

 調査班副頭であるかずらの得意なことは楽器演奏であり、その調べに霊力を乗せた探査を得意としているが、調査系以外の任務は苦手である。

 振動である音を武器に戦うこともできなくはない。だだし運動神経は人並み程度でしかないので直接戦闘は無理だし、加えて言うなら気が付かれないように接近するなんてことも、普通はできない。

 だが、それを装備で補った彼女は魔操機兵・八葉に近づくことができていた。

 そして──かずらは梅里をじっと見つめる。

 その目を見て、梅里も彼女の意図に気が付いた。

 

「梅里さん! 私と梅里さんの力なら……」

「八葉の足を、止められる!!」

 

 かずらはすでに楽器を構えている。

 梅里は満月陣を維持したまま──かずらの霊力に合わせる。

 霊力の込められた調べが響きわたり、かずらの傍らで掲げた梅里の刀は、まるで音叉のように振動し、その調べと霊力を大きく、そして強くしていく。

 

 

「「満月陣・響月──『アメノウズメの狂想曲(カプリッチオ)』!!」」

 

 

 梅里とかずらが共鳴した霊力は爆発的に広がっていく。

 二人を起点に放射状に広がるそれは避けることも、またすり抜けることも許されず──八葉を捉えていた。

 

「なにッ!?」

 

 音が振動を生み、増幅されたそれによって操縦席で激しく揺さぶられる土蜘蛛。

 その衝撃は、宙から襲いかからんとしていた八葉の足を完全に止め──

 

「今じゃ!」

 

 動きが止まったのを見た紅葉が快哉の声を上げる。

 振り回した鎖が熱を帯び、そしてモミジ形となった炎が舞う。

 回転速度が上がればあがるほど、その量が増えていき──それはまるで吹雪のように吹き荒れ、視界を覆い尽くす。

 炎の紅葉に包まれた八葉。身動きがとれなくなったそれに対し──

 

 

「喰らいんさい!! 『紅蓮紅葉狩り』ッ!!」

 

 

 巨大化した鎌の、赤熱した刃が一閃されて、紅葉吹雪を吹き散らすと同時に強烈な一撃が叩き込まれ──その反対側には、同じ動きで赤熱した刀を一閃させた梅里がいる。

 動きを止めた後、梅里は満月陣を維持したまま紅葉の対面へと移動し、そこで月食返しを発動させて、紅葉の技をコピーし──同時に叩き込んでいたのだ。

 

「バカ、な──ッ!?」

 

 紅葉渾身の一撃。そしてそれとほとんど同じ威力の技を挟むようにして叩き込まれた八葉には、倍どころか数倍のダメージが刻み込まれていた。

 いかに巨大魔操機兵といえども──その攻撃には耐えきれず、スパークが走り──やがて蒸気機関の暴走を招く。

 紅葉の必殺技と、そのコピーによる挟撃の威力と勢いは、八葉を弾き飛ばすほどであり──

 

 

「「「あ……」」」

 

 

 梅里と紅葉、それにかずらが見守る中、飛ばされた八葉は、すでに昇降機の床が最下層へと到達──無線連絡で、花組が金剛を討ち果たして最下層への到着の報告がさきほどあった──して、かなりの高さを誇る巨大な穴と化していたそこへと、落ちていった。

 落下の途中なのか、地面に落ちた衝撃なのか、爆発音と光が縦穴の奥から発生し──八葉が戻ってくることはなかった。

 

 夢組別働隊が死守する結界装置の危機はこうして去った。

 




【よもやま話】
 実はこのシーン、最初はティーラの名前を全部カーシャと間違えて書いてました。(笑)
 予約更新してから気づいたのですが、気がついてよかった。
 書いている本人なのに……微妙に似てるんです、語呂が。他も間違えてそうで怖い。
 原作ゲームだと選択式になる敵本拠地への侵攻ルート。正面突破なら金剛、裏道で土蜘蛛と戦うことになるのですが……選ばれなかった側って、完全にスルーされるんですよね。でもそれっておかしくないですか、ということで土蜘蛛に挟撃を試みてもらいました。
 ─9─では失敗だった的な扱いになった第3話の土蜘蛛戦も、因縁の対決になった──ようには見えなかったですね。結構ドライな戦いになてましたし。反省。


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─11─

 魔操機兵・八葉と土蜘蛛がいなくなれば、結界を脅かす存在はなかった。

 結界を壁に夢組は優位に戦闘を進め、脇侍を一体、また一体と確実に倒していく。

 そんな様子を背中に、そこから少し離れた場所で梅里は休んでいた。

 戦闘の消耗が激しく、今は一休み中、といった様子である。

 梅里は周囲に集まっていた特別班に戦況を確認していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「結界前の戦闘はほぼ終了ッス。紅葉さんもいますし……」

「……まだ戦ってたの?」

 

 『千里眼』で結界周辺を見ている遥佳の報告に、梅里は苦笑を浮かべた。

 土蜘蛛との戦いは激しかったし、その前からも戦っていたはず。梅里がバテているのはここにくる前の鬼王との激戦が響いているからだが、それがなかったとはいってもここまで継戦能力が高いのはもはや異常である。

 

「次に脇侍を倒したら、紅葉には後退指示を出して。まだ花組のいる本隊から目的達成の連絡はないんだ。不測の事態に備える必要はあるからね」

 

 そう言いながら、通信役である千波を見る。

 しかし千波は憂いを帯びた心配顔になっていた。

 

「了解。でも……紅葉が私の言うことを聞くか疑問……」

 

 彼女がそう思うのも無理はない。基本的に紅葉の順位付けはまるで動物のように強さ順である。

 梅里や宗次の言うことをきくのは彼女が自分よりも強いと認めているからで、特別班の中でも戦闘を苦手としている千波の言うことを聞く可能性は低い。

 それに思い至った梅里は苦笑を浮かべ──

 

「僕からの指示として伝えて。さらなる働きのために待機しろってね」

「了解。ダメな場合は隊長から指示を……お願いします」

「心得ているよ。そのときは遠慮なく『精神感応』で繋げてくれていいから」

 

 千波が頭を下げ、それに梅里が手をひらひらと振って応える。

 すると、頭を上げた千波が、じっと梅里の背後を見ていた。

 つられて後ろを振り返ると──いつの間にか、かずらがやってきていた。

 

「……かずら? どうかしたのかい?」

 

 その不穏な雰囲気に梅里が尋ねるとかずらはジト目で睨んできた。

 

「梅里さん……妙に紅葉さんに優しくないですか?」

「さっきの指示のこと? だって紅葉はすでに長時間戦ってるし。無理をしているのは明らかで、誰かが止めないとずっと戦い続けかねないからね」

 

 梅里の説明にもかずらは納得せず、頬を膨らませて不満を隠そうとしない。そんな彼女の態度に梅里は困惑しっぱなしである。

 

「……梅里さんの、浮気者」

「はい!? いきなりなにを……」

「だって、さっき……私と、想いが通じ合って、そして心と愛情を重ねて、合体に及んだのに──」

「いや、合体攻撃ね。攻撃が抜けてるから。そこ重要だから」

 

 かずらの言葉に、ケガで戦線離脱している近江谷姉妹以外の特別班メンバーの視線が突き刺さり、素早く訂正する梅里。

 

「せっかく……想いが通じて結ばれたのに! あんなに激しく重ね合わせたのに──」

「──霊力を、ね」

「それで熱い思いを放っておきながら──」

「さっきからその言い方、わざとだよね? ずいぶん語弊が出てるんだけど……」

 

 かずらの言葉を聞いて、ついにはヒソヒソ話を始める特別班3人をチラッと見る梅里。

 

「あの直後に、紅葉さんと浮気するなんて!!」

「は!? 浮気!?」

「してたじゃないですか! 梅里さんも刀を赤く熱を帯びさせて、二人息を合わせて斬っていたの、見てないとでも思ったんですか?」

「あれは、月食返しの応用だよ。敵を間に挟んで同じ技を重ねて叩き込んだだけで……」

「でも、紅葉さんと仲良く魔操機兵を攻撃していたし。結局、それがトドメになって……」

「それはまぁ、確かにそうだったけど。でも浮気とかは誤解だよ誤解」

「浮気者はみんなそう言うんです!」

 

 梅里は困り顔で頬を掻く。目の前にいるかずらはプンスカと怒っており、自分と梅里が力を合わせた攻撃ではなく、紅葉と梅里の攻撃が敵を倒したのが気に召さなかったようだ。

 騒ぐかずらに梅里がどうしたものかと困っていると──

 

「梅里様、どうかさなったんですか?」

「かずらが浮気者~、とか言ってるけど、どういうことよ?」

 

 そこへしのぶとせりが加わったのだが……その二人の登場に、梅里は目を丸くする。

 

「え? しのぶさんもせりも、本隊の随伴だったよね? なんでこっちに……」

「司令部から指示がありまして、巨大魔操機兵が現れたので後方へ転進しろと──」

「いざとなったら嬢の魔眼を使え、という司令の指示で、緊急用の転移術式使うて戻ってきたんどすが、どうやら倒せたようで。なによりです」

 

 しのぶの後を継いだのは、封印・結界班の男性副頭だった。

 陰陽寮出身の彼は夢組内にいる陰陽寮派のナンバー2で、かつてはしのぶという御輿を担いで隊長にしようと画策したり、逆に華撃団を助けるために陰陽寮の指示に逆らう中心になったりしている。

 

「──で、なぜかそれに白繍はんも付いてきてしもうて」

 

 その彼に横目で見られ、せりが焦ったように反論する。

 

「ち、違うわよ! 巽副隊長が、花組が最奥に至って、罠や伏兵を探る調査班の役目もほぼ終了したから梅里の手伝いをしてこいって……」

「そんなん、白繍はんが隊長気にして気もそぞろになってたから副隊長が気を利かせただけやないですか」

「なッ……」

 

 薄々感づいていたせりは、それに反論できなかった。だから──

 

「そ、それでかずらは何をそんなに怒ってるのよ?」

 

 かずらに尋ねて誤魔化そうと試みる。

 そんな思惑を気にすることなく、かずらは──

 

「梅里さんが、紅葉さんに浮気した」

「「はぁ!?」」

 

 かずらの言い分に、しのぶとせりは思わず声を出していた。封印・結界班の男副頭も声こそ出さなかったが訝しがるような顔をしている。

 

「かずら、落ち着きなさいよ。あの紅葉よ? 梅里とそんな空気になるわけが……」

「でも、二人で合体攻撃……」

 

 心と霊力を重ねて放つというソレは、二人が想い合っていなければ少なくてもできないものだ。

 さすがにせりがジト目で見つめ、しのぶもその細い目で梅里を睨む。

 

「だからそれは誤解で──」

 

 

「──隊長!! 緊急入電です!!」

 

 

 梅里の言葉を遮って通信が入る。

 緊迫したその声に、弛緩しかかっていた梅郷周辺の空気が一気に引き締まった。

 

「巨大魔操機兵がさらに出現! 結界へと迫っています」

「魔操機兵? それも大型の?」

 

 訝しがる梅里。

 大型の魔操機兵は幹部が搭乗する機体だ。しかし、これまで花組が五行衆の水狐を池袋で、その後に浅草で火車をそれぞれ討ち、今回の維新騒動の最中に帝劇前で木喰、巨大エレベータで金剛を倒し、さらには土蜘蛛は梅里たちが倒したばかりだ。

 そして現在は鬼王と花組が交戦中だという。だからこそ──

 

「いったい誰が乗っているんだ?」

 

 梅里がその疑問を抱くのは無理もないことだった。幹部はほぼ全滅状態で、乗る者が皆無なのだから。

 

「現時点では判明せず。形状的には火車の魔操機兵・五鈷と思われます」

「火車の?」

 

 先月破れた火車の魔操機兵。その報告に梅里はイヤな予感を感じていた。

 水狐が倒された後、彼女の魔操機兵・宝形の予備部品を組み立てて動かしてきた敵がいた。

 

「まさか、ね……」

 

 嫌な予感を感じながらも、ともかく梅里は敷設された結界の前へと向かった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そこは侵入を阻もうとする結界と、結界を破ってでも侵入しようとする巨大魔操機兵の力のぶつかり合いが、バチバチと不協和音を立てていた。

 夢組が敷設した結界は、錬金術班が開発した装置によって簡易的ではあるものの、地脈エネルギーをも利用したものであり、非常に強力なものだった。

 それゆえに巨大魔操機兵の侵攻を防げている。土蜘蛛の八葉のように特殊能力ですり抜けでもしない限りは突破も容易ではなく、結界はきちんと維持されてその役目を果たしていた。

 この様子なら心配はなく、あとはこの大型魔操機兵をどうするか──と考えた梅里だが、この五鈷にそっくりな大型魔操機兵を見ているうちに疑問がわいた。

 

「──動きが単調すぎやしないか?」

 

 巨大魔操機兵は、先に進もうとして結界に衝突している。だがそれだけだ。

 それに当然に搭載されているであろう武器での攻撃──五鈷であれば放出型攻撃端末である火乱はもちろん、本体による火炎放射さえ行っていない。

 それどころか──

 

「ひょっとして、武装が無いのか?」

「──その通りだ、大将」

 

 独り言に返事があったので、梅里は驚いてそちらを見る。

 錬金術班頭・松林 釿哉が深刻そうな表情で、敵の魔操機兵を見つめていた。

 

「あれには武装がない。いや──俺の推論が正しければ、そんな余計なものを取り付ける必要がない」

「余計なもの? 武器が?」

 

 兵器である魔操機兵に敵を攻撃するための武器が必要ないというのが理解できなかった。

 しかし釿哉は自信を持った様子で頷く。

 

「あれそのものが武器だからな」

「そのものって……ただ進むことしか能がない、あの魔操機兵が?」

「その通りだ。あの大型魔操機兵の現状は、かなりヤバい。盲目的に結界を突破しようと、動力機関をバカみたいにフル稼働している」

 

 釿哉の言葉を裏付けるように、巨大魔操機兵は結界にブチ当たりながら機関から大量の蒸気を噴き出させていた。そしてその回転数をさらに上げようとしている。

 

「このままだとオーバーヒートして止まる、とか?」

「そんなに甘いわけがないだろ。動力機関のオーバーロードによる自爆──それがアレを作ったヤツの狙いだ。アイツ本体が爆弾そのものなんだよ!」

 

 釿哉の分析に驚き、梅里は改めて改造された五鈷を見る。

 

「あの動力機関はもはや暴走寸前だ。そうなれば爆発は避けられない」

「それが意図的なもので──自爆して、華撃団を巻き込もうって腹積もりか。でも、動力機関の爆発くらいなら、結界が耐えられるんじゃないのか?」

 

 梅里の問いに釿哉は首を横に振る。

 

「コイツの動力機関は、オリジナルの五鈷とは比べものにならねえ。霊子核機関でも搭載しているんじゃねえか、と思うほどだ。だが──天武の開発に関わったからこそわかるが、霊子核機関を小型化して積むのはそう簡単なことじゃないんだ。かなり無理矢理搭載しているはず」

「たしか、翔鯨丸の動力も霊子核機関だったよね? それなら、復活した山崎真之介が翔鯨丸の技術を基にして、可能なんじゃないの?」

「ヤツにその技術があったら、天武の前に光武もしくは神武の動力に選ばれてるさ。で、高出力の動力機関の暴発は確かに高威力になるが、それが本質的な問題じゃねえ。その動力機関に注ぎ込まれている霊的エネルギーこそ厄介なんだ」

 

 霊子甲冑の動力である蒸気併用型霊子機関は蒸気機関とともに搭乗者の霊力によって動いている。それを指して釿哉は霊的エネルギーと称した。

 

「何がヤバいって属性がヤバい。陽属性だからな」

「それはまたずいぶんレアな……」

 

 火・水・土・木・金の陰陽五曜ではなく、それに日と月を加えた陰陽七曜の属性の“日”にあたるのが“陽属性”だった。

 

「同じ熱でも火属性と違って陽属性は太陽の力。霊子核機関に匹敵する出力が暴走して陽属性の力が具現すれば、その威力は火属性とは比較にならねえ」

「……それって、かなりヤバいんじゃない?」

 

 ことの深刻さを理解した梅里が青ざめる。

 

「ああ。もし無対策で自爆すれば付近一帯が容易に消し飛ぶぞ。これ以上の負荷を避けるためにも、結界の解除を要請する──」

 

 釿哉の提案は梅里によって即座に受理され、結界が解除された。

 同時に進み出す自爆型に改造された五鈷。その歩みは障害物を突破するために速度よりも力を重視したようで、幸いなことに遅かった。

 だが──結界を解除したところで、とりあえずの早期自爆を避けただけで、有効な対処方法があるわけでもなかった。

 

「釿さん、攻撃しても爆発しないのか?」

 

 その進路を阻むように立った梅里は、刀を手にしてそれを確認する。

 

「100パーセントの保証はできねぇな! 動力機関と霊的エネルギーの供給を切り離すのが一番安全な手だ。爆発を止めるには、俺にはそれしか思いつかん」

「……操縦席から、搭乗者を引きずり出せってことか」

 

 だが、それが難しいのは明らかだった。

 暴走している車を止めるのに車そのものを止めるのではなく、車から運転手を引っ張り出すようなものである。ましてそれが搭乗者を頑丈に保護している兵器なのだからその困難さは跳ね上がる。

 

「あとは逆に、完全に対策を施した状況においてからあえて爆発させ、爆発のエネルギーを完全に制御する方法だ。こっちの方が現実的でオススメだ。可能かどうかはさておきな」

「爆発を制御……」

 

 梅里は考えを巡らせる。

 爆発のエネルギーは密閉されていれば逆にその内部では跳ね上がってしまう。結界で爆発そのものを押さえ込もうとしても、それに耐えられないだろう。

 だが、あえて完全に塞がずに力の逃げ場を残せばその威力は下がる。問題は、その力の逃げ場だ。

 梅里は背後にある巨大な穴──巨大昇降機が降下した状態──を思い出す。

 

(あれが降下するのには結構な時間を有していたから、深さはかなりある。一番下まで下ろさなければ最深部への影響も少ないはず。そして万が一ここが塞がっても、もう一つの侵攻ルートだった裏道が残っている)

 

 これ以上、爆発させるのに適した場所はない。むしろそれ以外で爆発したときには防ぎようがない。

 

「昇降機の縦穴を煙突に見立てて、そこで爆発させる! 直ちに昇降機を上昇させるんだ! 錬金術班はさっき解除した結界の資機材を使用し、封印・結界班と連携して縦穴の強化と捕縛結界の敷設を! あとの皆は──」

 

 梅里は視線を目の前の、ゆっくりと進む大型霊子甲冑へ向ける。

 

「コイツの足止めだ! ただし、動力機関への攻撃は絶対に禁止!!」

『了解!!』

 

 直接、または無線を通じて返事が来る。

 いよいよ作戦開始──だが、梅里は付け加えた。

 

「とくに紅葉、間違っても当てるないように」

「は、はい! 了解しました!!」

 

 鎖鎌を手にした除霊班頭がビクッと体を跳ねさせたが、梅里からの直々の言葉とわかると、嬉しそうな顔で霊力を漲らせ──濃茶色だったその髪の毛が深紅に染まり、まるで燃えさかるようにショートカットの髪が逆立った。

 尻尾があれば猛然とした勢いで振っているだろう、と見ていた者は思う。そして──

 

「梅里さん、やっぱり紅葉さんのこと……」

「うん、怪しいわね」

 

 疑ってジト目を向けるかずらとせり。その横では比較的冷静なしのぶが──

 

「注意しておかないと、紅葉さんなら壊しかねませんから……」

 

 ──そう言って苦笑を浮かべ、梅里に理解を示していた。

 




【よもやま話】
 ここで出てきた五鈷も、火車が死んで使わなくなった補修部品を利用してくみ上げたものです。
 余ったものを無駄にしないエコですね。
 ちなみに作った人はこの自爆魔操機兵に「陽鈷」(ようこ)と名付けてました。妖狐からつけたのですが、名乗ったり教える人が誰もいなかったので華撃団内では改造五鈷と呼ばれてます。


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─12─

 魔操機兵の足止めは困難を極める──と思われた。

 なにしろ降下に時間のかかった昇降機を再び戻すのだから、それに時間がかかるのは当然である。

 その間に縦穴の壁面に強力な強化付与を施し、さらには何重にも重ねた上で天井を面をあえて弱くなるように結界を張る準備も整えていた。

 昇降機が到着すれば、その結界の敷設を行う必要がある。

 それらの間、動力部にはダメージを与えることなく進行を遅くする──できれば止めるというのは相当な難しさになるはずだったのだが、意外な事実がそれを容易にしていた。

 魔操機兵の正面から、霊力で作り出した巨大な写し身の扇で壁を作ったしのぶと、鎖で動きを阻害しようと試みる紅葉が挑む。

 それに対し、梅里は背後へ回ろうとしたのだが──魔操機兵はその場でグルッと向きを変えた。

 

「え?」

 

 向きを変えた正面にいた梅里はそれを唖然として見守る。魔操機兵の頭部とまるで目があったような気さえしていた。

 そして魔操機兵は進み出す──梅里の方へと。

 

「狙いが、僕ってこと?」

 

 今までは結界を挟んで対峙し、その解除後も昇降機側を背にして相対していたので気が付かなかったが、魔操機兵の狙いは明らかに梅里だった。

 

(どうして……)

 

 当然にわき上がる疑問である。まるで梅里を殺すためだけにこの改造した魔操機兵を用意したようなやり方だった。

 しかし──この改造五鈷を作り出したのが、先ほどイヤな予感として想像したあの男だったとしたら、頷けるものになる。

 そして同時に、ある仮説を思いついた。

 

「陽属性……」

 

 あの男──“人形師”が用意したこの改造五鈷だが、疑問があった。

 いったい誰が搭乗しているのか、である。

 黒鬼会の中で、五行衆亡き今となっては乗り手がいないという疑問は解決していない。

 あるいはそれこそ“人形師”であれば、その能力を使って外部から巨大魔操機兵・宝形を操ったのだから当然、できると考えるのが普通だが、こんな自爆兵器に乗るとは考えづらい。

 外部からの操縦と妖力供給をしている可能性もあるが、糸の存在が感知できない上に、外部からコントロールしているにしては盲目的に梅里を狙う設定になっているのはおかしいだろう。

 そう考えると──搭乗者は霊力の供給だけを強いられ機体のコントロールは行っていない、ということになる。

 

「なら、これを爆発させるわけには──」

 

 梅里は人知れず、決意していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 梅里が、ひたすら自分を追いかける魔操機兵をコントロールして時間を稼いでいる間に昇降機が到着し、資機材を設置し、準備は万端整った。

 ちなみに──梅里を追い続けるのが判明したので、それで地上の安全な場所へ誘導する、という案もあがったのだが釿哉から「とてもじゃないが、そんな時間はない」と却下されている。彼によれば黒鬼会のアジトから出て地上にでるまでの間に爆発してしまう、とのことだった。

 

 

「よし! 作戦開始!!」

 

 梅里の指示で、彼が結界の中心となる昇降機への中心へと誘導する。

 そして──

 

「結界、発動!!」

 

 封印・結界班を中心とした隊員達による霊力と地脈エネルギーを糧に結界が発動し、自爆型に改造された五鈷をしっかりと捉え、その動きを縛り付ける。

 作り出した結界に閉じこめるという、作戦成功への第一歩に皆がホッとしかけたのだが──あることに気が付いて皆の顔が蒼白になる。

 

「なッ!? なんで……そんな……」

「馬鹿!! なにやってんのよ!! アンタは──」

「どうして……梅里様が結界の中に……」

 

 かずら、せり、しのぶが絶句してその光景を見ている。

 四角形に結界壁で囲まれた改造五鈷はその動きを止められ──直上には白い男性用夢組戦闘服を着た男がいた。

 

「釿さん! 作戦中止よ──」

「ダメだ! 止めるな!!」

 

 本来なら結界が発動する直前に離脱するはずの梅里が逃げ遅れたようにしか見えなかった。作戦失敗と判断したせりが、作戦の要である二人に伝えようとしたが、それを梅里自身が止めたのだ。

 

「なにバカなこと言ってんのよ! このままだとそれを爆発させるのよ? どうやって逃げるっていうの?」

「いや……僕は爆発させる気はない」

 

 

「「「はあッ!?」」」

 

 

 さすがに驚く一同。

 

「なんでよ! だいたい貴方が立てた作戦でしょ? それを自ら否定して──」

「この機体に乗っているのはカーシャだ。霊紋照合、できるよね?」

 

 梅里の問いに、従軍していた錬金術班副頭の大関ヨモギが結果を見ながら答えた。

 

「ええ、霊紋合致です。隊長の言うとおりでしょう。その魔操機兵から発せられる霊力は、アカシア=トワイライトのものに間違いありません」

 

 やっぱり、と梅里は思う。

 同時にあの“人形師”という底意地の悪いヤツなら考えそうなことだと思っていた。

 この自爆型の魔操機兵は無理に足を止めれば、そのもくろみ通りに動力機関が暴走して大爆発を起こす。被害を最小限にするには釿哉が進言したとおり、対策をした場所で自爆させるのが一番だ。

 そしてそれを見越して──もちろんその陽属性の霊力による威力の確保も目的だろうが──カーシャをこの巨大な爆弾に組み込むことでそれを餌にして、安易な爆破処理を選ばせないという策だろう。

 

「──助ける、っていうの?」

 

 せりが低めの落ち着いた──ともすれば冷徹な声で尋ねた。

 

「私は……嫌よ。さっきは確かに彼女を許した。その思いに嘘はないし、いまさら覆す気もない。でも、貴方をこんな危険にさらしてまで、華撃団を裏切った彼女を助けたいとは思わない」

「せりさん……」

 

 しのぶがせりの厳しい目を見て、彼女の名前を慮って呟いた。

 だが、それはしのぶも同じ想いではあった。カーシャを安易に許せないというのは夢組の副隊長としての立場からでもあるし、華撃団よりも陰陽寮よりも大事なものである梅里を失いたくないという個人的な思いでもある。

 

「そうですよ! カーシャさんは梅里さんを殺そうとしたんです! せりさんの嫉妬を煽って霊力の質を妖力に変えようとしたり、華撃団を裏切っていたんです! そんな人を……梅里さんは庇うっていうんですか!?」

 

 かずらが感情露わに叫び、梅里に詰問する。

 それに対して梅里は──首を横に振った。

 

「違うよ、かずら。僕はカーシャを庇うつもりなんてない」

「それなら、どうして!?」

「花やしきでの戦いで、カーシャは最後に……“人形師”に連れ去られるときに彼女は僕に手を伸ばしたんだ。そして──僕に助けを求めた」

 

 怒ってさえいるかずらをしっかりと見つめる梅里。

 その脳裏にはカーシャが最後に言った「助けて」という言葉が今も残っている。

 

「悪を蹴散らすのが正義。それを示すのが華撃団……でもそれはやっぱり花組のやり方なんだよね」

 

 苦笑気味にそう言った彼は、それを不敵な笑みへと表情を変えた。

 

「助けを求める手を掴むことも正義だと僕は思う。それも帝国華撃団の──僕ら夢組の正義だ」

 

 梅里は、その手を見つめ──それを力強く握りしめる。

 

「助けを求めた彼女を、僕は見捨てない。一人でも多くの命を助けたいんだ」

 

 多くを助けるために一つの命を犠牲にする、それが安全策として正しいのかもしれない。

 だが──それは過去に後悔したやり方だった。

 

「だから……僕はカーシャの手を掴んでみせる!!」

「「「梅里」様」さん」

 

 せり、しのぶ、かずらの3人が梅里を見つめる。

 せりは思った。もしここでカーシャを見捨てれば、それは梅里によって第二の鶯歌になって彼の心に大きな傷となることを。

 しのぶは思い出していた。かつて自分がおずおずと差し出した手を、彼が力強く掴んで自分のいるべき場所へと引っ張り上げてくれたことを。

 かずらは思い知らされていた。自分が乙女組で学んだ「悪を蹴散らす」という正義の示し方とは違う、けれども間違いなく誰もが認める正義の示し方を。

 彼女たちからはもうこれ以上、反対する言葉は出なかった。

 それを確認した梅里は指示を飛ばす。

 

「万が一失敗した場合に爆発してしまう危険を考えたら、当初の作戦は続行するように! 各班は爆発を最小限にとどめる努力を怠るな!」

 

 その指示通りに隊員達は動き、一方で戸惑いつつも一般隊員が昇降機を動かした。それによって梅里は改造五鈷と共に降りていく。

 

「釿さん、遥佳が見た様子を千波が送るから、操縦席のハッチを引っ剥がすサポートをお願い」

「おうよ、任せとけ! 遠見、八束、しっかり頼むぜ」

 

 頼もしい釿哉の返事に、梅里は一度うなずく。

 遥佳の『千里眼』の遠視と透視を駆使すれば内部構造の把握は容易であり、釿哉ならそこから最適解を見つけてくれるはずだ。

 とりあえずは遥佳の分析待ち──と思って、何気なく周囲を見渡した梅里の視線が、一カ所で止まり、その表情が強ばった。

 

「な、なんで……?」

 

 視線の先には三人の女性──巫女服を模した夢組戦闘服を身にまとい、それぞれシアン──澄んだ青緑色、マゼンダ──鮮やかな赤紫色、萌木色──落ち着いた黄緑色の袴をはいた夢組女性幹部が、結界外ながらも昇降機のフロアに立っていた。

 しのぶ、かずら、せりの三人だった。

 

「もし失敗して爆発すれば、その結界じゃ防ぎきれない。昇降機を含めたこの縦穴に安全地帯なんてないんだ! 万が一が起きれば命を落とすことになる……三人とも早く退避して!」

 

 焦る梅里。だが三人は笑顔で答える。

 

「それはあなたも同じでしょ、梅里」

「わたくしの居場所は梅里様のそば、と決まっておりますので」

「私は、ホウライ先生みたいに「失敗しない」って梅里さんのこと信じてますから」

 

 そんな三人に、梅里は唖然とし──そして「しょうがない」と苦笑を浮かべる。

 同時に自分に「失敗できないぞ」と言い聞かせる。

 それから、梅里は遥佳からの情報をもとに解析した釿哉の指示で、改造五鈷の操縦席を開けるべく作業を開始した。

 なにぶん工具がなく、使えるのは刀くらしかなかったが、それでも満月陣で肉体を強化しつつ、どうにかハッチをこじ開けると──そこには繭のような糸の固まりがあった。

 その表面には複雑な模様が浮かんでいる。

 よく見れば魔法陣のような紋がいくつも、そして形成している繭が幾重にも重なっているのと同じように、その模様も幾重にも存在している様子だった。

 

「これは……」

「陰陽術式の応用です。これは……やはり、核となる人の霊力を過剰に暴走させる──自爆術式です」

 

 そう解説したのはしのぶだった。直接目視で確認できるような距離ではなく、釿哉同様に遥佳が見たものを精神感応で送ってもらっていた。

 効果は予想したとおりのものだったのだが──しのぶはその術式に驚いていた。

 

(きわめて難解な術式ですけど──でも、わたくしはこれに……見覚えがある? のでしょうか)

 

 術式の構造が複雑ながらも、しのぶが予想したものがその通りにピタリとはまっていくその感覚に違和感を覚えた。

 だが──それを疑問に思っている余裕はない。

 ハッチを開けた途端に、術式が切り替わったらしく、動力系に回していた霊力が完全に自爆の方へと回されたようで、機関の暴走がいよいよヒドくなっていく。

 そこへふと、唐突に見覚えのない術式が組み込まれているのに気がついて焦った。これでは解析できない。

 

「こ、この術式は……」

「ここは神道系のアレンジが入ってるみたい。私に任せて」

 

 すかさずフォローを入れたのはせりだった。陰陽師ではないために陰陽術式はサッパリだったが、そこはそれさすがは神社の娘である。しのぶが理解の乏しい神道系の術式にはめっぽう強い。

 

「しかし妙な術式ね。陰陽系かと思ったら部分的には神道系を取り入れたり……」

「おそらく、術式を組み立てた人が独自に組んだものだと思います」

 

 そう推理したしのぶだったが、それにしてはさっきの違和感──妙にしのぶの勘がピタリとはまる、まるで既視感(デジャビュ)のような感覚はおかしいと思える。それは独創性とは相容れないもののはずなのだから。

 その違和感を振り払うように意識からはずし、しのぶはときにせりの助けを得ながらも解析を続け、また遥佳の『千里眼』による透視が術式のさらに奥に隠れたトラップの存在を暴露させる。

 梅里はそれらの支援を受けて術式を解除していった。

 やがて解除寸前までこぎつけると、繭は薄くなり、中にいる人の存在を感じさせる人型がうっすらと判別できるくらいにまでなっていた。

 だがそこで──しのぶの指示が止まる。

 

「しのぶさん?」

 

 梅里の問いかけに、しのぶは眉をひそめて術式をじっと見つめる。

 

「右の紋と左の紋……どちらかを壊せば術式は止まります。でも──どちらが正解なのか、見分けがつきません」

「そんな。ここまできたのに……」

 

 かずらが悲愴な声を出す。

 

「どちらかを一か八かで破壊するしか……」

 

 悔しげにせりがつぶやく。

 とはいえ時間もない。

 焦る一同に対し──梅里は落ち着き払っていた。

 

「予知を! ティーラは右を破壊した場合を! 駒墨は左を破壊した場合を!」

「さすが大将! なんという冷静で的確な判断力なんだ!!」

 

 どこかで聞いたような賞賛をする釿哉。

 一か八かではなく、予知による確実な一手──のはずだったが

 

「ダメです! 右を消せば爆発します」

 

 ティーラが言えば、柊も『爆発』の文字を掲げた。

 それを見たせりが戸惑う。

 

「えぇッ!? なによそれ!! こんなの……どっちかの予知が正解かなんて、わかりっこないじゃない!」

 

 暴発寸前なほどに高まった霊力を感じて焦り、頭を抱える。

 だが結界内の当事者はいたって涼しい顔だった。

 

「いいや、簡単だよ。どちらの紋も──ブラフってことだ!」

 

 梅里は笑顔で言い──刀を、覆っていた最後の一包みへと一閃させる。

 

「なッ!?」

 

 梅里の強引な解除に、思わず声を出すせり。かずらとしのぶも爆発を覚悟して体を強ばらせる。

 だが彼女たちの考えとは裏腹に、切り払われた繭と共に霊力が霧散していた。爆発の危機は完全に去っていた。

 

「あ、あっぶな……」

 

 大きくため息をつくせり。かずらは目を白黒させており、しのぶにいたっては万が一を覚悟して魔眼を発動させようとさえしていたところだった。

 

「どっちも罠。紋には触れずに解除するのが正解だったってわけだね」

 

 得意げにいう梅里。

 その目の前では斬り払われた繭の下からカーシャが一糸纏わぬ姿で姿を現した。そのまま倒れ込むようにカーシャが傾いてくるのを、梅里は抱え込んで受け止める。

 その一方で、結界に阻まれて近づけないせりは梅里に、離れた場所から抗議の声を上げた。

 

「まったく、なんてことするのよ。あなたの予想が当たっていたからいいようなもので、もし間違ってたら爆発していたんだからね!!」

「せり……駄目だよ、仲間は信じないと」

 

 少し得意げに笑みを浮かべる梅里。

 

「どちらかが正解、と思い込んだら迷うけど。どっちも正解だと考えれば、この結論にはすぐたどり着くだろ?」

「……それってしのぶさんとか私の解析を信じてなかった、ってことじゃないの?」

 

 せりがジト目で指摘する。

 

「信じていたよ。だからこそあそこまで解除できたんだから。でも、そこまでスムーズに進んだからかえって嘘かった。それが罠なように見えたんだよね」

 

 敵の目的は自爆なのは明白だ。なにしろあの巨大魔操機兵がそれしか考慮されていない設計なのだから。

 しかもそれが梅里を追尾している。敵の狙いは梅里なことも明白である。

 だから梅里の行動を読んで罠を張るだろう。最後に予知を頼るところまで予想していて当然だった。

 

「その上で解除したらどっちも爆発するって予知が出たんだから、これはもう完全に罠だってわかったよ」

 

 苦笑する梅里。

 

「これを作った“人形遣い”は僕らを試したのさ。ここまで読んだ上で……仲間を信じられるか? とね。信じた結果で混乱させようとするなんて、本当に意地が悪いもんだ……カーシャ? 気がついた?」

 

 梅里が説明している間に、抱き留めていたカーシャの目が開かれる。

 途中までゆっくりと開かれたが、それが驚きで一気に開かれた。

 そして次の瞬間、その碧い瞳は涙であふれ、目の前にあった梅里の胸に顔を埋めた。

 

 

「「「なッ!?」」」

 

 

 その光景を見ていた三人が思わず声をあげる。

 一方で、カーシャは視線を感じることなく、それどころか見られていることさえ気づいておらず、そのまま顔を上げた。

 彼女の涙で潤んだ目が、梅里の目と合う。

 

「──今まで、意識はあったのよ。なんで──こんな危険な真似を。せっかく結界に閉じこめたんだから自爆させればよかったのに」

「そういうわけにはいかないよ。だって……キミは僕に助けを求めたじゃないか」

 

 連れ去られる瞬間、カーシャは梅里に手を伸ばし「助けて」と言っていた。

 梅里は呆然としているカーシャをよそに、そのときは間に合わずに掴めなかったその手を掴み、そしてしっかりと握りしめる。

 

「それに、大事な仲間を見捨てるわけにはいかないよ」

「大事な仲間? でもアタシは裏切り者よ……仲間なんかじゃない……」

 

 卑屈に目をそらすカーシャに、梅里は笑みを浮かべて問いかける。

 

「帝国華撃団夢組除霊班副頭で大帝国劇場食堂の金髪の給仕係なのはいったい誰だい? 仮に仲違いしたとしても──僕の話を聞いて、誤解は解けたんじゃないの?」

 

 それはその通りだ。カーシャが華撃団を──いや、梅里を憎んでいた理由は、もうなくなっていた。

 それでも──今度は自分がしてきたことの負い目がカーシャを躊躇わせ、目を合わせることができなかった。まさに顔向けできないという心境だった。

 

「仲直りの握手、というわけにはいかないかな?」

 

 梅里の笑みに、カーシャは惹かれた。

 思わず頷きたくなる。しかしそれでも、カーシャを縛るものがある。貴族である彼女の家だ。

 

「……でも、アタシは……家に逆らうわけには、父に逆らうわけには……」

「関係ないよ、そんなの。僕はトワイライト家のアカシアさんなんかじゃなくて、僕の目の前にいるカーシャを誘っているんだよ」

 

 梅里はカーシャの手を離すと、今度は両手で何にも包まれていない両肩にをしっかりと掴む。

 驚いた様子の彼女の目をしっかりと見ながら梅里は言った。

 

「家に居られないと言うのなら、僕らのもとに来なよ、カーシャ。そしてやりなおそう、最初から」

right from start(最初から)……?」

 

 最初から──その言葉にカーシャが思い浮かべたのは、来てまもなくあった上野公園の花見だった。

 桜の花びらが舞う、まるで桃源郷のような光景。

 それはそのときのカーシャの記憶とは変わり、脳裏に浮かべた光景では色鮮やかなものへと変わっていた。

 そしてなによりも、それを共に見る仲間の姿が、今のカーシャにはハッキリと見えていた。

 その光景の中心にいたのは──

 

「ウメ、サト……」

 

 大粒の涙がその目からこぼれ落ち、カーシャは感極まった様子で梅里に抱きついた。

 そのままの勢いで彼を押し倒すような形になる。

 

「ウメサト! アタシは──間違えてた。そしてそれを正したい。アナタのことを恨むなんてもう、考えられない……」

「カーシャ……」

 

 彼女は顔を梅里の胸に押しつけ、さらにグリグリと埋めるように顔を振る。

 それを受け入れていた、梅里だったが──

 

「……って、ちょっと、なにしてるの、カーシャ」

 

 裸のカーシャは、遠慮なく梅里の服に手をかけると──それを剥ぎ始めた。

 

「な!? え、ちょっと……何、なんで……」

「愛してるわ、ウメサト。アナタにアタシのすべてを捧げたいくらいに」

「ま、待った! ちょっと待った!! 待ってください、お願いします……」

 

 馬乗りになっているカーシャにあっという間に上半身の服をとられた梅里は、さすがに焦り、なぜか懇願する立場になっていた。

 そして、彼以上に焦る三人の娘たち。

 

「な、な……なななななな、なにしてんのよッ!!」

 

 真っ先にショックから立ち直ったせりが声を上げると、ほかの二人も我に返る。

 そしてかずらが通信機に向かって大きな声を出した

 

「山野辺さん! 結界解除してください!! 最優先ですッ!! さっさと、急いで、緊急で! 今すぐに!!」

「は? しかし、絶界の急な解除は空間に負荷を強いるので危険が……」

 

 基本に忠実な和人が反論するが、そんなことは知ったことではない三人。

 その一人であるせりが声を荒げた。

 

「いいから、今すぐ解除し・な・さ・い!! 空間なんかよりも、梅里が危険なのがわからないの!?」

「せりさんのおっしゃるとおりです──って、カーシャさん!? それは、あまりにも……いけません。このままでは梅里様が……ああ、とても待っていられません。ここは魔眼で強引に──」

「お嬢!? 魔眼はそない簡単にホイホイ使(つこ)うてはあきまへんって、陰陽寮の本家からこの前注意されたばかりやないですか」

 

 封印・結界班の男副頭が言うと、しのぶは魔眼であることを如実に語る金色の瞳が半ば見えかけているその目でキッと睨みつける。

 

「ほんなら、あなたが命を懸けてでも、この絶界、解いてください! 今すぐに!!」

「そないなこと……それは無茶ですわ……」

 

 混乱をきわめる三人娘があたふたと右往左往している最中も、カーシャは止まらない。

 まるで外国映画のワンシーンのように、カーシャは必死の抵抗を見せる梅里に抱きつくと、むさぼるように唇を求め──

 

 

「「「早く、なんとか──しなさいよ!」してください!」してくださいまし!」

 

 

 三人の絶叫が、その場に響きわたる。

 今この瞬間、せり、かずら、しのぶの3人にとって、黒鬼会や太正維新軍なんかよりも梅里の貞操の方が最大の関心事であり、何よりも恐ろしい敵はカーシャだった。

 

 

 ──なお、鬼王は花組がどうにか倒した模様。

 




【よもやま話】
 助けた時点で巨大魔操機兵が動きを止めているので撃破する必要が無く、合体攻撃の必要もなかったが、別の合体を試みたカーシャのせいであやうく18禁になりかけたのでした。


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─13─

「……正直、ウメくんを命を奪おうとする手伝いをして、さらには傷つけようとしたあなたにここには来てほしくなかったんだけど、それじゃあフェアじゃないからね」

 

 真っ白い空間に立っているのは、セミロングの黒髪をポニーテールにした娘だった。

 それに対しているのは、同じくセミロングの髪をポニーテールにした──しかしこちらは金髪でウェーブがかかっている──金髪碧眼の娘だった。

 彼女は何が起こったのかよくわからず、呆然と目の前の娘を見ている。

 

「ここは──?」

「簡単に言えば夢の中ね。それ以上難しく言う必要もないでしょ? 時間の無駄だし」

「……それもそうね。じゃあ早速訊くけど、アナタは?」

「あたしの名前は四方(しほう) 鶯歌(おうか)。あたしのことは知っているんでしょ?」

 

 鶯歌に問われ、金髪の娘──アカシア=トワイライトは状況が未だよく把握できず、呆然としながらうなずく。

 

「ウメサトの元フィアンセの……」

「おぉ……婚約者(フィアンセ)って響きはなんかいいわね」

 

 うんうんとうなずく鶯歌だったが、カーシャがじっと見ているのに気がついて咳払いをした。

 

「と言っても、今は訳あって死んでしまったので、ウメくんの守護霊をしているんだけどね」

「それは、ゴシュウショウサマ……ね」

 

 なんと言っていいかわからず、カーシャも困惑気味だった。

 

「で、そのシュゴレイ? が、アタシに何の用かしら?」

「あなたくらい強い霊力の持ち主で、条件さえ満たせばあたしのことは見えるはずなんだけど、それじゃあろくに話ができないから、いろいろ確認したくてこうして直接話をしにきたの」

 

 梅里の守護霊になった鶯歌を見ることができるのは、梅里に惹かれていることが大きな要因となる。もっとも──類希(たぐいまれ)なる霊感のせいで、鶯歌に気がつくのと梅里に惚れる順が逆になった者もいたが。

 

「なにしろあなたは……ウメくんの命を狙ったこともあったから、その気持ちをキチンと確かめようと思って」

「アタシの気持ち? もちろん、ウメサトを愛してるわよ?」

「……ずいぶんとあっけらかんと……ストレートに言うのね」

「ええ、隠しても仕方がないし、言わないと彼に伝わらないでしょ?」

 

 奥ゆかしさを美徳とする日本人の感性からは対局ともいえる考え方だった。

 だが──鶯歌は日本人としては異端で、どちらかと言えばカーシャの考え方に賛同できる。 

 

「まぁ、その考え方、嫌いじゃないけど」

 

 そう言って、鶯歌はカーシャをまっすぐに見つめた。

 そして──

 

「カーシャさん、キミは……本当にウメくんと一緒に人生を歩むつもりがあるのかな?」

 

 もしもカーシャが梅里と共に生きようとしたら様々な弊害が立ちはだかるだろう。

 たとえば人種。カーシャが梅里を認めようとも、黄色人種の日本人を下に見る目は祖国では避けられないだろう。

 貴族という彼女の家系も同じだ。士族の出身というのが通じるのは日本だけ。平民であることには変わりなく、カーシャの相手として受け入れられるかは甚だ疑問である。

 もちろん、カーシャ側から見た梅里だけではなく、梅里側から見たカーシャも同じようなものだ。

 考えの古い武士の家の嫁に外国人が受け入れられるのは難しいだろう。

 文化の違いは大きく、カーシャがそれに合わせることができるだろうか。

 それらをすべてをひっくるめて、困難に立ち向かう覚悟があるのか──鶯歌はそれを訊いたのだ。

 

「──嵐を恐れていては、新天地にはたどり着けない」

 

 カーシャは厳かに言い、うつむいていた顔を上げる。

 

「ウメサトには返しきれない借りができた。でもそれ以上に──優しくて真っすぐなあの人の心に惹かれたの。それに我がトワイライト家は船乗りの家系よ? 困難を乗り越えるからこそその航海に価値があるし、そのハードルが高ければ高いほど価値が高くなるのだから。アタシはその荒波に立ち向かってみせるわ」

 

 勝ち気な笑みを浮かべた彼女に──鶯歌もにっこりと笑みを浮かべる。

 

「あなたの霊力属性のせいで、ウメくんが私の面影をあなたに重ね合わせていたのは、はじめは正直イヤだったけど……今は思うわ。あなた、やっぱりあたしとちょっと似てるって」

 

 そしてその笑みをいたずらっぽいものへと変える。

 

「それにあなた……ダメって言われると、逆に燃えるタイプでしょ?」

 

 鶯歌の問いにカーシャは明確に肯定はしなかったが、しかし浮かべた勝気な笑みが如実に語っていた。

 そういうところも自分に似ている、と鶯歌は思った。

 

「だから、ウメくんのことをダメっては言わない。でも認めてはあげる。あなたもまた、ウメくんと共に生きる運命を持つものとして──」

 

 そう鶯歌が言うと、カーシャの意識が覚醒へと向かうのがわかった。

 夢から覚めようとしているのだと、何となくわかる。

 そんな中で、鶯歌は笑みを浮かべると

 

「ガンバりなさいよ、あたしに似てる人」

 

 そうエールを送ると彼女は去り、そしてカーシャの意識は白く染まっていく──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──さて、黒鬼会が壊滅した一方で太正維新軍がどうなったのか、その末路について説明しよう。

 彼らは海軍が中心となった部隊によって、わずか数日で鎮圧された。

 あてにしていたはずの魔操機兵が、黒鬼会の壊滅によって戦力ではなくなったのは、維新軍にとっては大きな痛手だったというのも大きな原因だろう。

 そして首謀者である京極慶吾は自宅で拳銃を使って自殺しているのが発見され──この騒動は一気に終息に向かった。

 

 そうして終結した事件について、帝国華撃団の中でも論功行賞というものがあった。

 夢組では隊長の梅里と副隊長の宗次、しのぶの3人の前に──封印結界班の女副頭と、彼女と行動を共にして維新軍へと参加した者達が立たされていた。花やしき支部攻防戦で維新軍の一部隊として動いていた者達だ。

 凛とした副頭以外の者達は皆顔色悪く、あるものは青ざめ、またあるものは諦めたような表情をしている。

 そして梅里は女副頭の前に立った。

 

「ご苦労だったね。よくやってくれた」

「──ハッ。ありがとうございます」

 

 

『──は?』

 

 

 唖然とする一同。

 していないのは笑顔の梅里とそれに冷静に対している副頭。それに難しそうな顔をしている宗次と、苦笑気味に眉を歪めているしのぶくらい──つまりは副頭の後ろにいた全員である。

 

「ど、どういうことだ!!」

 

 その中の一人が大きな声をあげるが、それを宗次が鋭く睨みつけて視線と威圧だけで黙らせた。

 

「今回の維新軍に対する潜入工作、見事にやり遂げてくれて助かったよ。おかげで敵の動きや狙いがこちらも把握できたからね。この功績は、もちろん司令にも伝えておく」

「光栄です」

 

 戸惑う一同をよそに、梅里の讃辞に対して副頭はキビキビと答えた。

 一方で、後ろの隊員たちはにわかに騒ぎ始める。「潜入工作?」「どういうこと?」と小声が聞こえてくる。普段であれば宗次が睨んで黙らせるところだが、今日の彼はあえてそれを無視した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──維新軍の蜂起よりも少し前のこと。

 

 普段の姿である花やしきの清掃員の姿をした宗次がその敷地内を移動していると、眼鏡をかけた花やしきの事務員が近づいてきた。

 それに気がついた宗次だったが、彼女はすれ違いざまに「占いの館で」と耳打ちをしてきたのである。

 彼女を見送り、宗次は即座に占いの館へと向かい、事前に連絡をお受けて人払いがされていたその建物へと入った。

 待っていたのは、副支部長のティーラと封印結界班の女副頭──先ほど宗次に耳打ちをしてきた事務員──である。

 

「こうまでしてオレを呼び出したってことは、緊急の内密案件か?」

 

 宗次の問いに副頭はうなずき──陸軍系の軍派閥隊員からクーデターに誘われたことを明かした。

 彼女はすぐに返事をするとは約束したが、即答は避けて一時的に保留しているとのことだった。

 

「それは……」

 

 思わずティーラと顔を見合わせる宗次。

 この時期、すでに夢組は維新軍の蜂起を予知しており、その対策に動いていた。

 ただし、気がついているのを気がつかれないために極秘で行っており、一般隊員は当然に、副頭や頭クラスでも知らされているのは少数。といった案配である。

 とはいえこの副頭からの報告は大きかった。夢組内で太正維新軍へ参加しようとしている者が少なからずいるということなのだから。

 

「しかし、どうしてキミを誘いに?」

 

 訝しがる宗次に、副頭は──

 

「私は陸軍出身だからといったところでしょう。ついでに言えば、海軍出身の副隊長とは仲が悪いとでも思われたのだと思います」 

 

 と答えた。そのとき、わずかに彼女が憮然としていたことに宗次は気がつく由もなかった──が、ティーラはしっかり気がついている。

 

「ふむ……」

 

 宗次はしばらく考えこみ──それがまとまると顔を上げる。

 

「その話、受けてほしい」

「………………え?」

 

 さすがに戸惑う副頭。かけていた眼鏡が思わず傾き、あわてて直す。

 そんな彼女に宗次はすべてを打ち明けた。クーデターは予知していたことでその対策も進めている。

 そして副頭が誘われるくらいなのだから、陸軍出身者を中心にその蜂起に参加する者が複数いるであろうこと。

 

「副頭のキミなら指揮官になる可能性が高い。情報を逐一オレに流してほしい」

「私に、スパイをやれと?」

 

 副頭の問いに力強く頷く宗次。

 

「ああ。キミならできると信じているからこそ、だ」

「りょ……了解しました」

 

 敬礼をし──いつもの歯切れのいい敬礼ではなく、どこかぎこちなさを感じるものだったが、ともあれ彼女は受諾したのである。

 ──そんな彼女の顔がわずかに赤みが増しているのにティーラは気がつき、そっとため息を漏らした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「そうしたら、それに陰陽寮派まで参加していたのですから……本当に助かりました」

 

 何の罰や沙汰もなく、お咎め無しで煙に巻いた会議を終え、別の部屋に場所を移した梅里、宗次、しのぶの三人は、今回の件の反省会をしていた。

 宗次の判断に礼を言ったのは陰陽寮派のトップであるしのぶだった。

 

「あのとき……わたくしが自己判断で陰陽寮からの撤収指示を蹴ったとき、反発しようとしたものの帰るに帰れずやむなく残った者達だったなんて……わたくしの配慮が足りませんでした。申し訳ございません」

 

 今回、太正維新軍に走った陰陽寮派は、黒之巣会が六破星降魔陣を完成した際に残ると決めた陰陽寮派に埋もれた少数の離脱派。逃げようとしたことに負い目を密かに感じていた彼らの心はゆがみ、平等な人事であっても「陰陽寮派は冷遇されている」と身勝手に内心で怒りを募らせ、不穏分子になってしまっていたのだ。

 そこを維新軍につけ込まれ、そちらへ走ることになってしまった。

 

「まぁまぁ、しのぶさん。気にしないでよ。気が付かなかったのは僕も同じだし」

 

 梅里は、深刻そうなしのぶを笑顔で慰めつつ、宗次に視線を向ける。

 

「それを察知した宗次が、陸軍出身の副頭を潜入させた。敵の情報収集と攪乱のために部隊丸ごとに潜入作戦をさせていた──ということにして、反乱組の立場を守るために、と……」

 

 さすがだね、と言う梅里だったが、宗次はそれにあきれたような顔をした。

 

「なにを言うかと思えば……違うぞ、梅里。お前がカーシャを迎えたいなんて考えているから、その手助けのためだ」

 

 カーシャこそ黒鬼会のスパイとして送り込まれた、維新軍に参加した者達よりもずっと前から敵だった者である。

 そんな彼女を許し、維新軍に参加した者達を処罰する、では公平さに欠ける。だからこその救済措置である。

 幸いなことに花やしき攻防戦では、副頭が率いた部隊はもう一人の封印・結界班副頭が率いる、陰陽寮派を主軸にした部隊と戦わせるのに成功した。

 その上でお互いにあえて決め手が出ないようにダラダラと戦闘させている。おかげで結界破りを持った者達が拡散して、各所で結界が破られるという最悪の事態を防いだために、その計略にも十分な説得力が出たのである。

 そのあたりの計算をし、しっかり計画通りにやり遂げるのが宗次の優秀さの顕れなのだが、本人はどうやら気がついていないようだ。

 

「まあ、戦闘終了後にアイツらみたいに潔く降伏したわけじゃなく、逃げ出して帰ってこなかったヤツらもいたがな」

 

 夢組の中でもそういった者が複数いた。

 それについては夢組についてくる気がない本当の裏切り者として処罰するべきだ、と宗次が進言して梅里もそれに応じ、華撃団全体の問題にした上で隠密部隊の月組に調査と粛正を依頼している。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして残るは──カーシャへの処分だった。

 その処分が発表されるやいなや──支配人室には三人の訪問者があった。

 

「これはいったいどういうことですか? 支配人」

「ぜんぜん納得いきません。不当判決です!! 即日控訴です!!」

 

 すごい剣幕で不満をぶつけてきたのはせりだった。そのあとに続いたかずらも、いつぞやの垂れ幕を持ってきている。

 もう一人のしのぶは言葉にこそ出さないが不満な様子だったが、それでも抗議しに来たというよりは他の二人の抑え役として来た、というように見える。

 支配人室の机についていた米田は、三人の様子を見てため息をつく。

 

「いいじゃねぇか。お前の方は晴れて安全が確認されて解除になったんだからよ」

「なにですか、その天気の警報みたいな扱いは!! それに解除なんて余計なことをしなくとも……

 

 米田のフォローはせりを余計に怒らせただけだった。

 

 

 ──アカシア=トワイライトを隊長預かりとする

 

 

 それがカーシャへの処分である。

 ちなみに先ほど米田が言ったとおり、同じ内容だったせりへの処分はこれをきっかけに解除されて自由の身になっていた。相当の期間を経過して、後遺症無しと判断されたためである。

 もちろん不満なのは、せりだった。

 

「どうして! スパイだったカーシャと! 敵に操られた私の処分が一緒なんですか!?」

 

 声を荒げるせりに対し、米田は一度ため息をつくと、トボケたように言った。

 

「スパイ? いったい誰がだ?」

「カーシャですよ! カーシャ!! 物忘れが始まったんですか、支配人?」

「あの……せりさん、さすがにちょっと抑えた方が……」

 

 さすがにしのぶが苦笑混じりに止めようとするが、せりにはその声は届かない。

 

「除隊ではなくとも、謹慎や降格、他にいろいろあるじゃないですか!!」

 

 立った状態で抗議するせりに対し、机についている米田は、さらにため息をついてから睨め上げるようにジロッと見た。

 

「あのなぁ、せり。敵組織の密偵なんて、捕まったらろくな目に遭わねえんだぞ。普通なら殺されて当たり前。運良く裁判を受けられても除隊だけで済むわけねえだろ」

 

 二重スパイとして生き残らせることもあるが、肝心の黒鬼会が壊滅では意味がない。

 しかもカーシャは米田狙撃と梅里襲撃の幇助に、梅里にいたってはさらに二度、命を直接狙われているのだ。おまけとばかりにこの前の戦いで光武・複座試験型を単独で撃破し、近江谷姉妹を負傷させている。

 とても復帰できるような罪状ではない。

 

「それなら逆に、そんな重罪がなんで梅里の預かりで済まされるんですか!?」

「それは私から説明するわ」

 

 米田に詰め寄るせりを制して脇から挟んだのは、副司令のかえでだった。

 彼女が入ることでせりも幾分落ち着きを取り戻した様子だったが、それでもまだ納得してない様子でかえでをジッと見る。それは隣のかずらも同じようで、声にこそ出さないものの不満そうな顔をしていた。

 

「英国人であるアカシア=トワイライトは帝国華撃団着任直前に黒鬼会所属のローカストなる謎の人物に憑依され、その上で彼女の預かり知らないところで諜報活動や妨害活動に利用された──これが公式上のカーシャに対する見解よ」

 

 かえでの説明を聞いてなんとも微妙な表情になり、せりとかずらは顔を見合わせた。

 

「なんというか……無理が、あるように見えますけど」

「ところどころ事実が入ってますけど──それってつまり、カーシャさんはなにも悪くないです、って言ってるだけですよね。ローカストっていう人に責任を全部押しつけているだけのような……」

 

 苦笑しながら眉をひそめるかずらに、かえでも苦笑気味の笑みを浮かべる。

 

「その通りよ、かずら。悪いことは全部“黒鬼会のローカスト”がやりましたってことにすれば、カーシャにスパイの責任を問うことはできなくなるから。逆に言えば、彼女を助けるにはそうするしかなかった、というのが本当のところね」

 

 それほどまでに彼女の罪は大きかった。

 

「でもそれって……ズルくないですか?」

 

 かずらはチラッとせりを見てから言う。彼女の気持ちを考えれば、さすがに「すべて他人のせい」はあまりにヒドいと思うのも当然のことだ。

 

「もちろん、まったくお咎め無しというわけにはいかないわ。だから彼女にも“憑依されたことに対する過失”と“ローカスト消失の確認及び再発防止”の責任をとってもらう形で、武相隊長の預かりという形になったのよ」

 

 それを聞けば案の定、せりが反論する。

 

「だ・か・ら! それじゃあ反省もなにもない、って言ってるんですよ! 公衆の面前で、素っ裸で、梅里に抱きついて、そのままじょ、情事を──」

 

 せりの顔が怒りで赤かったが、言葉を続けるうちに羞恥でそれ以上に真っ赤になり、そして先を続けられなくなる。

 それを見ていた米田は「小っ恥ずかしくて言えねえくらいなら、最初からいわなきゃいいじゃねえか」と半ばあきれながら小声でつぶやいた。

 それが聞こえたらしく、せりがキッと米田をにらむが、彼は肩をすくめて受け流す。

 威勢を取り戻したせりは気を取り直し、改めて抗議する。

 

「──ともかく! あんな破廉恥な人を、梅里の近くに置くなんて、認められません!!」

「でも、せり……カーシャの処分は、この前のあなたの処分に準ずるものなのだけど?」

 

 敵に操られただけなので責は問いません。でも再発が心配なので、隊長が近くで監視します──せりが隊長預かりになったときの論理だった。

 そして状況と処分はかえでの言うとおり、見事に合致している。

 それを理解してしまったせりは、反論できず──苦虫を噛み潰したような顔で悔しげにかえでを見ることしかできなかった。

 せりを擁護することでカーシャの処分への不満をあげていたかずらも、せりと同じ処分だと言われてしまえば、それ以上、援護のしようがない。

 ついでに言えば──その場にいるしのぶは、副隊長としてそこまで処分の理由と状況を理解していたので最初から反論せずに見守っていただけ。

 

(勝負あり、だな)

 

 途中から相手をするのをかえでに任せて傍観者になっていた米田は、せりの苦々しい顔を見ていくぶん溜飲を下げていた。

 なぜなら彼は、先ほどせりに「物忘れが始まった」と言われて内心カチンときていたからだ。

 そんな米田は席に座りながら三人をジロリと一瞥し──

 

「そんなことよりもお前ら、こんなところに来てていいのか? 梅里とその“破廉恥な人”とやらが二人っきりになってるかもしれねえぜ?」

 

 そう言って意地悪な笑みを浮かべた。

 

「「「──ッ!?」」」

 

 顔を見合わせる三人。

 そして──米田に挨拶するのも忘れて、三人はあわただしく支配人室から走り去っていった。

 その様子を呆れた様子で見ていたかえでは「あとできつく注意しますので」と米田に言う。

 

「ま……ほどほどに、な」

 

 そう言って苦笑を浮かべる米田は、今回の件について考えを巡らせる。

 支配人の顔になった米田は、思考するついでとばかりに酒を注いだ杯をあおる。その横ではかえでが複雑な目で見てきたが完全に無視した。

 カーシャへの処分が甘いものになったのは、彼女が英国貴族の子女だからという側面も、もちろんあった。

 なにも梅里の一存で助けるために理屈をこねたのではなく、そういう立場だからこそ重い罪を課すわけにもいかないゆえの方便でもあるのだ。

 

「英国には世話になったのに……悪いことをしちまったからな」

 

 米田も欧州での梅里の判断を間違ったものとは思っていない。

 ここまで予知や異常現象が重なるのなら、巴里で何かが起ころうとしているのは間違いないだろう。それに備えるのは万全であるべきだと思っている。

 しかしそれ故に、英国を蔑ろにしてしまったのは間違いない。

 それは米田にとって──日露戦争の英雄である彼にとって、戦争を勝利に導く力となってくれた同盟国に対して感じている負い目でもあった。

 交友があり、親日家でもあったトワイライト卿の顔が浮かぶ。彼が反華撃団になってしまうほどに激怒していたのは驚きだった。

 そうして袂を分けた彼であっても──その愛娘を助けることができたのは僥倖だったと本当に思う。

 

「……かつての盟友に」

 

 杯を人知れず捧げる。

 願わくば、彼の道が再び同じ方向を向いてくれることを──そう思い描いて、米田は杯をあおった。

 そして今度は、巴里の大規模霊障について考える。

 

(帝都に平和が戻ったのなら、アイツを一時的に巴里に出すのも……一つの手だろうな)

 

 ふとした思いつきだった。

 霊障での戦闘経験豊富なあの男──大神一郎を巴里へ送り出すという奇手。米田が目をかけている彼に海外での研修も含めて、さらなる大規模霊障での戦いを積ませるのは最終的には帝国華撃団のためになることだろうし、もちろん巴里にできる新設の華撃団の助けにもなるだろう。

 

「ま、アイツらには、ちょっとばかり可哀想なことになっちまうが……」

 

 大神を慕う花組隊員たちを不憫に思い、米田は再度杯をあおった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 米田がそうして支配人室で酒をあおっている少し前のころ、ちょうど三人が支配人室へと押し掛けたのを見計らって、食堂から梅里を連れ出した人がいた。

 しかし、それは彼が予想したカーシャではなく──風組の藤井かすみであった。

 長い髪を三つ編みにして、体の前に垂らした彼女は、食堂を訪れると「ちょっとお話が──」と梅里に声をかけた。

 仕事ともプライベートともつかぬその様子に、梅里は戸惑いながらもそれにつきあって食堂を出る。

 そうやって連れ出すことに成功したかすみは、来賓用玄関まで連れて行った。

 そしてそこで──

 

「梅里くん。ちょっと由理から気になる噂を聞いたのですけど……」

 

 そう言って、圧のある笑顔を梅里に向けたのである。

 ひきつった苦笑を浮かべて頬を掻く梅里。

 

「ど、どんな噂でしょうか……」

「カーシャさんを助けたときの話を少々……」

 

 やっぱりそれか、と思う梅里。

 内心、頭を抱えたかった。なぜなら自分は悪くないからだ。

 

「あの、かすみさん……それはですね、アレは僕がしたことではなく不可抗力? いや、むしろ僕の方が被害者というか、なんというか……」

 

 あわてた様子で弁解を始める梅里を、かすみはジッと見つめ──そして思わずクスっと笑う。

 

「──え?」

「別に私、そこまで気にしませんよ。なにしろ私は一昨年の大晦日を目の当たりにしているんですからね?」

「あ……」

 

 悪戯っぽくかすみに言われ、梅里はあのときのことを思い出した。

 梅里が帝都にきた年の最後の日──大晦日に夢組の忘年会と称して、大帝国劇場の食堂で始めた宴会は未成年が複数いるので禁酒となったはずが──誰かさん(松林 釿哉)が持ち込んだ酒のせいで、しのぶとせりが酔っぱらって大変なことになったのだ。

 

「あのときは、本当にご迷惑をおかけしました……」

「まったくです。しのぶさんに着付けをしたのは、私だったんですから……」

 

 梅里同様にあのときの惨状を思い出したのか、かすみは少し呆れた様子で苦笑した。

 あのときも、酔っぱらったしのぶが服を脱ぎだして全裸になっていた。

 

「しのぶさんにしても、カーシャさんにしても、なんというか……もう少し自重されることを覚えた方がいいと思います。もっとも、しのぶさんはあのとき、お酒が入っていたので仕方ない側面もありますけど、カーシャさんは……」

 

 眉をひそめるかすみに、梅里は苦笑を浮かべてうなずいた。

 

「そうなんですよね。でも彼女は、ちょっと感情表現が激しいだけですから──」

 

 そんな梅里に、かすみはズイッと顔を近づける。

 

「あら……梅里くんの場合、それくらいでないと気がついてもらえない、ということですか?」

 

 至近距離に近づいた二人の距離。そんなかすみの突然の行動に思わずドキッとする梅里。

 

「──なんて、冗談ですよ」

 

 驚いた梅里の顔を見て満足したのか、フッと表情をゆるめて笑みを浮かべるかすみ。

 そんな彼女に梅里がホッとした瞬間を狙って──かすみは梅里にキスをした。

 

 

「──え?」

 

 

 唖然とする梅里を横目に──

 

「でも私、意外と負けず嫌いなんですよ?」

 

 梅里を見つめたかすみはそういって珍しくいたずらっぽい笑みを浮かべる。

 呆然とする梅里を後目に、かすみはそこから悠然と去っていった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そうして梅里が突然のことに衝撃を受けて立ち尽くしていると──今度は突然、顔を捕まれた。

 そして強引に顔の向きを変えられ──背後に「ズキュウウン」と写植が書かれそうな勢いで、彼の唇を奪われていた。

 驚いて目を見開いていた梅里の眼前には、ウェーブのかかった金髪が目に入っていた。

 数秒、その接吻が続き──それが解放されると、梅里は思わず後ずさった。

 

「な、な……」

 

 絶句している梅里をよそに、その女性──ウェーブのかかったセミロングの金髪をポニーテールにした、アカシア=トワイライトが、勝ち気な笑みを浮かべて梅里を見つめている。

 

「アタシはもっと負けず嫌いよ? ウメサト」

 

 カーシャが悪びれず言い、それに対して梅里は衝撃でなにも言えなかった。

 

「知ってる? 恋と紅茶には本気でかかるのが英国流なの。そして恋と戦争では手段を択ばない。それからこれはあたしの信条なのだけど──やられたらやりかえす。時間的には10倍返しってところかしら?」

 

 カーシャがドヤ顔で笑みを浮かべる。

 するとそこへ──

 

 

「梅里、あなた……なにやってるの?」

「もう!もう!もう! 二人ともズルい!! それなら私は千倍返しです!!」

「かずらさん、どいてください。もはや魔眼でお二人の心を歪めるしか手だては……」

 

 

 支配人室から出てきたせり、かずら、しのぶが乱入する。

 

「カーシャ、いい加減にしなさいよ! あなた後から来て、本当に図々しい……」

「あら、日本人は恋も順番待ちの行列を作るの? そうして自分の番がくるまで待っているのかしら?」

 

 せりが猛然と抗議すれば、カーシャは澄まし顔で返し、せりは「ぐぬぬ」と怒りをこらえる。

 

「負けないでくださいよ、せりさん。こんな雌狐に……カーシャさん、あなたは反省中なんですからね? くれぐれも行動には注意してください。風紀を乱すような真似は……」

「わかったわ。でもかずら、アタシは日本語がよくわからないから、“風紀を乱す行為”というものがどういったものか分からないの。教えてくれない?」

「なぁッ!? そ、それは……いやらしい行為とか、破廉恥な行為とか……」

 

 カーシャの切り返しに、あせったかずらはしどろもどろになりながら答えた。

 

「う~ん、よくわからないニュアンスね。具体的なことを教えてくれない?」

「ぐ、具体的なッ!? 私になにを言わせようとしているんです!? なんて破廉恥な……」

「うん。その“破廉恥”の具体的なのをお願い。どこまでならオッケーなの? ボディタッチ? キス? それともその先……」

「ダメですダメです!! 全部ダメです!!」

 

 カーシャにぐいぐい迫られて質問責めにされたかずらは、具体例を突きつけられてテンパると、首をブンブンと横に振ってすべてを禁止する。

 それは相手の罠に追い込まれたのと同じだった。カーシャがわざとらしい様子で首を傾げる。

 

「あら? それはアナタがウメサトにしていたのも含まれているはずだけど?」

「うぇッ!?」

「つまりかずら、アナタが破廉恥でいやらしいということに──」

「違います! 絶対に違います!! まったく、カーシャさんはなんて失礼なことを……」

 

 それから猛然と抗議するかずらを、カーシャがからかいながらも軽く受け流している。

 その姿をしのぶはどうしたものかと苦笑を浮かべながら眺め──視界の端に、こっそり逃げ出そうとしている人影を見つけた。

 

「……梅里様、どちらにお逃げなされるおつもりですか?」

 

 冷たい口調でのしのぶの言葉で、かずらとカーシャはピタッと言い争いをやめ、せりはハッと我に返って彼の姿を探す。

 

 そして──皆の視線が苦笑を浮かべて頬を掻く、一人の男へと集中した。

 

 

「──梅里!」

「──梅里さん!」

「──梅里様!」

「──ウメサト!」

 

 

 四人に呼ばれて、梅里はこれは面倒に巻き込まれると確信し──脱兎のごとく走り出した。

 

「ああッ! 逃げた! まったくあなたって人は……」

「逃がしませんよ、梅里さん!」

「……梅里様の悪いところは、こういうところです」

「アタシは、アナタの預かりの身なんだから、そっちから離れられると困るのよね」

 

 口々に言いながら、もちろん追いかける四人。

 その逃走劇の道すがら、梅里は人影を見つける。

 一瞬、その人に助けを求めようということも頭をよぎったが──それが髪を三つ編みにした和装のような服を身にまとった大人な女性だったので、梅里は断念した。

 そして他に道を探すが──無かったのでやむなくその横を駆け抜けた。

 彼の必死な姿を、追い抜かれた女性──かすみは「あら……」と驚いたが、その直後に現れた追いかける4人の姿を見る。

 

「なるほど。そういうことですか」

 

 かすみは苦笑し──負けていられない、とそれに加わる。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 帝都は大きな動乱を終えて──まもなく、年末年始……その前の聖夜を迎えようとしていた。

 


 

─次回予告─

 

ティーラ:

 維新軍の、そして黒鬼会の壊滅によって訪れた平和な日々。

 それでも太正維新軍の余波は大きく、未だに不安を感じる帝都市民の希望となるべく、大帝国劇場はクリスマス特別公演を行うことになり──我らが食堂も特別メニューを出すことになったのですが、どうやら隊長は悩んでおられるご様子で……

 はぁ、何を出したらいいか決められない、と? 七面鳥でも出しておけば、よろしいのではないでしょうか。え? 投げやりじゃないか? ですか……はぁ、私、キリスト教徒でありませんのでなんとも……申し訳ありません。

 

 次回、サクラ大戦2外伝~ゆめまぼろしのごとくなり2~、第5話

 

「暮れて、そして明けて……」

 

 太正桜に浪漫の嵐。

 次回のラッキーアイテムは、『オムライス』ッ!! ……って、久しぶりですけど、またコレですか?

 




【よもやま話】
 前作のしのぶ回もそうでしたが、戦いに一区切りつける話はどうしてもそっちがメインになりがちで、ヒロインの話を盛り込みづらいんですかね。どうにもカーシャの印象が薄かったように思えました。
 維新軍騒動やら巴里華撃団関係で広げた風呂敷を畳む必要があったので、ラストシーンもカーシャの印象薄くなってしまいました。反省。
 正直、二つに分けたいくらいの文量になってしまったのですが、本当のラストでもないのに戦い終わったあとを二つに分けるのに抵抗があって、普段よりも長めながらも一つのままにしました。



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第5話 暮れて、そして明けて……
─1─


 ──それは、ずいぶんと前のこと……

 まだ幼かった塙詰(はなつめ)しのぶは、屋敷の廊下を足音を立てて小走りになっていた。
 親に見つかれば注意されるだろう。しかしそれでも彼女はその部屋へと駆けつけたかった。
 長い廊下といくつもの部屋の脇を通り抜け、目当ての部屋へとたどり着く。

「こちらに……」

 ドキドキする鼓動と、わき上がる好奇心。
 胸を押さえたしのぶは、開いている襖の陰に隠れながら、部屋の中をそっと伺った。
 そこには、一人の若き青年が座していた。
 太正の世にありながらも、ここ陰陽寮では未だに正装である束帯を身にまとい、静かながらも堂々とした様子で座り、待っていた。

「あちらの方が……」

 その姿にしのぶは心奪われる。
 その瞬間──相手もしのぶに気が付いた様子で「おや?」といった感じでしのぶの方を見つめた。
 驚き、そして照れながらもしのぶは相手から目が離せないでいた。
 それに対して彼は──優しく微笑む。

「しのぶさん、でよろしいのですね?」

 さらに話しかけられ、しのぶは人見知りで顔を真っ赤にしつつ、躊躇いがちにうなずいた。

「はじめまして、土御門(つちみかど) 耀山(ようざん)と申します。以後末永くお見知り置きを……」

 丁寧に、そして優雅に頭を下げた彼に対して抱いた感情。それはしのぶの初恋だったのであろう。
 それは許嫁に対してのものとしては、もっとも好ましく、そして自然なものだった。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 ──そんなかつて見た光景を夢で見たしのぶは、目を覚ましてそれを思い返す。

「耀山……様」

 襦袢姿で上半身を起こしたしのぶは自分の胸に手を当てる。
 あのころはその名を聞けば心をときめかせていたが──今では鼓動の速さも変わらない。
 現在に至るまでの間に様々あり、かつての土御門 耀山は姓を「幸徳井(こうとくい)」と変え、陰陽寮からも姿を消していた。
 いや、追放されたのである。
 そして、今となってはその行方さえ分からない。

「どうして今頃になってこのような夢を……」

 今のしのぶの心に棲んでいるのは別の殿方である。その彼にわずかな罪悪感を感じつつ、しのぶはため息をついた。
 ただなんとなく──漠然としたものではあったが、不安を感じる。
 先の大正維新軍が起こした騒動の最中において黒鬼会はすでに壊滅し、憂いを感じるようなものは存在していないはずだというのに。



 12月に入り、すっかり冷え込んできた帝都。

 そんな中、大帝国劇場では暖房がきいているのだが、なにしろ劇場は部屋が広い。暖房の効きという面では、一般的な場所に比べるとどうしても悪くなる。

 そんな中で暖かい場所といえば、火を取り扱う厨房と──最高責任者がいるここ、支配人室であった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その支配人室には部屋の主である米田 一基と、彼を補佐する華撃団副指令の藤枝かえでがおり、それと対する形で厨房の主である武相 梅里と、ともに呼ばれたアカシア=トワイライトが立っていた。

 

「どうだ、カーシャ。最近は」

 

 米田の漠然とした問いに、カーシャは笑顔で答える。

 

「はい。皆に暖かく迎えられて感謝してます。たまに複雑な視線も感じますが……それはアタシの犯した罪ですから」

 

 サバサバとした様子でそう言う彼女の様子から、それが本心なのだろうと米田は思った。

 

「──それに、ウメサトがよくしてくれるので」

 

 笑みを一段階さらに喜びを大きくさせたものへと変えたカーシャが隣の梅里の腕を抱きしめるようにとろうとする。が、梅里は素早くそれを防ぎ、カーシャをたしなめるために視線を向けた。

 

「随分と仲が良いみてえで、よろしいことじゃねえか。なぁ、ウメ」

 

 そんな米田の冷やかすような視線に、梅里は思わず苦笑を浮かべた。

 カーシャは感情表現がストレートなのだ。日本人の「妻は夫の三歩後をついてくる」というような奥ゆかしさに代表される独特の感性とは無縁の世界で生きてきたのだから当然なのだが──それを向けられた日本人である梅里は正直、困惑していた。

 好意を向けてくる代表格の一人であるしのぶは、その日本人の奥ゆかしさを体現しているような人で、積極的なアプローチこそ少ないものの気が付けばそっと近くにいて安心できる。

 せりは感情表現こそ豊かだが、自身が恥ずかしがり屋なためにブレーキがかかることが多いし、なにより時と所をわきまえており、他人の目があるところではあまり露骨な積極的態度はとらない。

 そんな中でもっとも積極的なのがかずらだったのだが──それでもカーシャと比べれば、彼女の方がまだマシだったのだと思い知らされる。かずらは甘え上手であり、自分からするというよりはお願いしてくることの方が多いからだ。

 かといって梅里はカーシャを邪険にしているわけではない。明るい性格には好感が持てるし、整った容姿には惹かれる。

 

(そりゃあ僕だって男ですから……)

 

 特に大きな胸には自然と目がいってしまうこともある──そして、高確率でそれに気づいたしのぶに圧のある微笑みを向けられる。

 また、ときに強引な性格は普段の明るさと親しみやすさも含めて、彼の婚約者だった幼なじみを連想させ、それゆえに梅里自身が気を許しているところもある。

 だが、やはり時と所と場合はわきまえてほしい、とは思う。いや、本当に。

 現に今も、米田は面白がってニヤニヤしているが、隣のかえでは冷めた視線で見ており、怒られるのではないかと梅里はヒヤヒヤしていた。

 そんなかえでに気が付いたのか、米田は本題に入った。

 

「──さて、二人にきてもらったのは他でもない。お前らにちょっと報告があってな」

 

 そう言って米田がかえでをチラッと見る。それで話を引き継いだかえでが口を開き──

 

「早速だけど本題に入るわね。実は最近の調査で判明したのだけど……夢組の中に霊子甲冑を単独で動かせる人が二人見つかったのよ」

「二人も、ですか?」

 

 さすがに驚く梅里。

 帝国華撃団の主要5部隊──花組、風組、月組、夢組、雪組──の中で、メンバー選考の課程で花組と夢組は霊力が重視されるという共通点がある。

 そして花組隊員と夢組隊員での一番の大きな違いは「霊子甲冑を動かせるかどうか」であった。

 霊子甲冑での戦闘を任務とする花組になるためにはもちろん絶対条件であり、強い霊力を持ちながらも稼働レベルに満たない場合や、満たしていても機体にある霊子水晶との相性が悪い場合には動かすことができず、そういった者たちは夢組所属になることが多い。

 そんな経緯だからこそ、夢組メンバーの中で「霊子甲冑を動かせるのが判明する」というのはきわめて稀なことであり、それが二人も、となればなおさらだった。

 

「その一人があなたよ、カーシャ」

 

 かえでがカーシャを見つめながら言うと、彼女はそれほど驚いた様子もなく──

 

「そう……やっぱりね」

 

 覚悟していた様子でそう言った。

 

「驚かないのかい?」

 

 梅里の問いにカーシャはうなずく。

 

「実は、本国の調査では搭乗可能の判定は出ていたわ。でも入隊が決まって配属先が決まる前にあんなことが起きたから……いろいろ理由があって誤魔化したのよ」

 

 そう言って悪びれずにいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 

「花組隊員になれば帝劇本部での寝泊まりが絶対になって、身動きの自由が制限されるのがわかっていたわ。それに注目度も高くて迂闊に動けなくなったでしょう?」

 

 間者として、反華撃団の立場で入隊した彼女にとってそれはどちらも好ましくはなかった。おまけに、場合によっては黒鬼会の幹部と正面切って戦う必要が出てきてしまうことになる。

「夢組の『読心(サトリ)』対策のためにローカストという人格を生んだら、都合のいいことに、霊力が分散したらしくて搭乗不能なレベルにまで下がったのよね」

 それが──黒鬼会との最後の戦いの最中でローカストという人格が再びカーシャと融合し、霊力も一つになった。それで霊子甲冑を動かせるレベルにまで霊力が戻ったのだろう、ということだった。

 

「カーシャなら戦闘技術も折り紙付きだし、霊子甲冑での戦闘には全く不安はないと思っています。ただ……」

「わかってるわ、副指令。アタシ自身のことだもの。いい顔されないんでしょ?」

 

 かえでは気まずい顔でうなずいた。

 そう、カーシャはつい最近まで黒鬼会のスパイだったのだ。さすがに立場が悪すぎる。表向きは「ローカストという謎の存在に憑依されて操られていた」という理由をこじつけて処分を回避したものの、それはそれで長期間にわたって「操られていた」ということになってしまい、それを危惧して花組隊員とするには反対意見が強かったのだ。

 

「でも正直な話をすれば、即戦力である貴方を花組隊員とするのは魅力的なのよ。もし貴方が望むのなら、多少強引な手を使ってでも反対派を──」

「お断りします」

 

 かえでの言葉を遮るように、カーシャは笑顔でバッサリと切った。

 

「アタシがここにいるのは、花組や霊子甲冑に惹かれたからじゃない。入隊が決まった直後だったらそうだったかもしれないけど、今は──」

 

 カーシャは隣の梅里をじっと見つめる。

 

「この人の側にいたいからよ。それにアタシには正義を語る資格もないし」

 

 帝都で破壊活動を行い市民を苦しめた黒鬼会に所属していたような自分が、どの面下げて正義を掲げて戦おうというのか、カーシャにとってはその想像の中の自分の姿がひどく滑稽に思えてしまい、思わず苦笑いを浮かべる。

 

「ミスター大神の下ではなく、アタシはウメサトと一緒に戦いたいわ」

 

 ちょっとだけ眉根を寄せ、僅かに寂しげな色を帯びた笑顔を浮かべたカーシャに、かえでは微笑む。

 

「わかったわ。貴方の考えを尊重しましょう。ただし、この後でやっぱり花組に、なんて言ってもおいそれとは変えられないわよ?」

「それはもちろん覚悟の上。ウメサトが霊子甲冑を動かせるようにでもならない限り──」

「お、よく分かったな」

 

 カーシャが冗談めかして言った言葉に、米田が食いついた。

 その内容に──

 

「はい?」

 

 カーシャは唖然とし、そして思わず梅里を見る。

 梅里も梅里で話半分に聞いていたのだが、カーシャに見られてその内容を反芻し──

 

 

「え?」

 

 

 思わず声を上げていた。

 

「……僕が、霊子甲冑に?」

 

 驚いている様子の梅里に、その話の流れに苦笑を浮かべたかえでが説明する。

 

「ええ、そうよ。梅里くん、あなたが霊子甲冑を動かせるのが判明したのだけど……でも、条件付きなのよ」

「条件ですか? いったいどんな……」

「朧月……梅里くんが修得したあの技を使っている間に限って、霊力の特質が変化して、霊子水晶との相性の問題が解消されるみたいなの」

 

 梅里の使う、満月陣・朧月は己の心を「無」に没頭させている。

 明鏡止水とも言うべきその心境に達した影響で、霊力にある梅里の「個性」が消えたことで霊子水晶とぶつかっていた部分が消えたのかもしれない、と思った。

 

「でも、ということは……」

「ええ。梅里くんも気がついたと思うけど、つまりは朧月を使用中に限って動かせるということよ。カーシャみたいに普段から動かせるようになったわけじゃないの」

「それって、意味あるのかしら?」

 

 少し呆れ気味で言ったのはカーシャだった。

 確かに彼女の言うとおり、動かすには条件が限定されすぎているせいでほとんど役に立たない。

 光武・複座試験型を動かす近江屋姉妹よりも条件が厳しいだろう。

 動かせるとは言ってもごく一時的なもの限定されるし、その有り様では作戦行動なんてできるはずもない。

 

「ま、動かせる、というのを頭に入れておいてくれ、といった程度だ。ぬか喜びさせたようで悪いがな」

 

 米田に言われ、梅里も苦笑を浮かべる。

 

「別に、気にしてませんから。元々動かせなかったわけですし、それに僕は夢組の隊長ですから……」

「あら? でも本当はちょっとだけ、残念なんじゃない?」

 

 夢組の隊長であることに満足しているという思いに嘘偽りはない。

 ただ──ほんの少しだけ思い描いたことをカーシャに見透かされた気がして、梅里はドキッとしながらも──

 

「そんなことないよ?」

 

 平然と笑みを浮かべて、カーシャに答えた。

 




【よもやま話】
 タイトルはなぜか完全になにも思いつかず。
 でも付けないといけないし……切羽詰まって年末年始だから、でなんとなく付けました。良いのが思いついたら変更するかもしれません。

 そして、霊子甲冑に乗れるようになったのは──もちろんただ「わーい乗れるようになったー」という話ではなく、伏線です。
 ええ、私があとで回収するのを忘れなければ、という条件付きですが。


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─2─

 その日、食堂では新しいメンバーが加わり、始業前にその挨拶が行われていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「みなさん、よろしくお願いします」

 

 そういって野々村つぼみが頭を勢いよく下げると、まとめた髪の毛についた飾りが揺れた。

 直後に彼女を歓迎する拍手が起こる。

 

「今日から研修終了まで、よろしく頼むね」

 

 食堂を代表して、その主任である梅里が言うと、彼女は「ハイ!」と元気よく笑顔で答えた。その反応に思わず目を細める。

 先月まで椿の代わりに売店の売り子をしていたつぼみ。

 一方、椿の新型霊子甲冑の輸送という任務が無事に終わって帝劇に帰ってきたので、売り子の役目を解任され、今度は食堂の給仕係という立場になったのだ。

 そんな彼女なのだが──元気一杯に返事をし、それを見て笑みを浮かべる梅里に対し、食堂副主任であるせりは、内心最大級の警戒をしていた。

 梅里を巡る戦いの、新たなる挑戦者の登場──ではない。

 

(一般人と勘違いして一悶着起こすなんて最悪の出会いをしてるから、それについては心配していないんだけど……)

 

 などと、自分が当初は梅里のことをどう思っていたのかをすっかり棚に上げて安心しているせり。

 彼女が心配しているのは、つぼみが聞きしに勝るドジッ子であることだ。

 基本的に方向音痴で、目的地とは逆の方向へと踏み出すことが多々あり、売店の売り子の時も閉店後に釣り銭が合わなくて涙目になっているのを何度も見ている。

 持ち前の明るさと前向きさのおかげで温かく見守られて、売店の売り子は乗り切った感はあるが、そんな彼女が自分の管理下へとくることに一抹の不安は隠せない。

 

(配膳での失敗は、お客様に多大な迷惑をかけることになるし、食堂の評判にも直結する。ここはしっかり見ておかないと)

 

 せりが決意してつぼみを見る。

 すると視線に気づいたつぼみと目が合い──彼女は一瞬不安そうな顔をしたが、どうにか笑顔を繕った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 一方、そんなつぼみもまたせりを警戒していた。

 

 食堂の研修が始まるにあたって、自分がドジであることを自覚している彼女は、乙女組の先輩に相談していたのである。

 その相談先は──

 

「──食堂で一番怖いのは、せりさんですよ」

 

 つぼみの質問にサラッと答えた伊吹かずらだった。

 

「主任の梅里さんは、料理に関すること以外は厳しくないので、調理にでも回らなければ怒られないはずだけど」

 

 しかしそれは逆に、調理に回れば厳しい目で見られるということでもある。

 

「給仕方は……しのぶさんは大らかな人ですし、紅葉さんは自分のことで精一杯。カーシャさんは立場的には今一番弱い人なので怒れない。調理サイドはコーネルさんも山野辺さんも食堂で怒ってるの見たことないし、釿さんが厳しいことを言うかもしれないけど、気のいい人なので冗談めかしてくれるんじゃないかな」

「……じゃあ、せりさん……白繍副主任はどんな人なんですか?」

 

 つぼみに尋ねられると、かずらは目をそらし──それから改めて笑顔を繕って、つぼみの肩に手をおく。

 

「がんばってね、後輩♪」

「ちょ、ちょっと……もっと詳しく教えてくださいよ! 全然答えになってないじゃないですか」

 

 焦った様子のつぼみだったが、かずらも困り顔で答える。

 

「そう言われても……私が言うと、食堂のことじゃなくて梅里さんに関することの話になっちゃって参考にならないと思うけど?」

「それでもいいですから! なんでも良いから教えてください!」

 

 不安を煽るだけ煽って放置されてはかなわない、とつぼみはかずらにすがりついたのだが──結果的には失敗だった。聞けたのは、あらかじめかずらが言っていたように、ただの愚痴でしかなかったからだ。

 しかも他人の色恋に関することで、つぼみにとっては正直どうでもいい話である。

 すると、この大した収穫のない話につきあっているつぼみに救世主が現れた。

 

「──そういうわけでしのぶさんもせりさんも私の邪魔をするのですが、せりさんはその後の説教が長くて──」

「あら、かずら。こんなところでなにしてるの?」

 

 その声で、肩を大げさにビクッと震わせるかずら。

 恐る恐る振り返る彼女の前にいたのは──

 

「驚かせないでよ、ぺんちゃん……」

「ぺんちゃん言うな」

 

 髪をツインテールにした、これまたつぼみの先輩である乙女組の白繍なずなだった。

 

「せりさんかと思った……声が似てるんだもの」

「それは姉妹だもの。当然よ」

 

 しれっと答え、まだドキドキしている様子のかずらをジト目で見た。

 

「というか、姉さんに聞かれて怒られるような話をしてる方が悪いのよ。しかもそれをつぼみちゃんに聞かせて……つぼみちゃん、嫌だったんじゃない?」

「そんなことない。つぼみちゃんの方から聞いてきたんだから。ねぇ?」

 

 かずらの問いに思わず笑顔を苦笑いへと変えてしまうつぼみ。

 彼女はせりについて質問をしたのであって、かずらの梅里へのノロケとグチを所望した覚えはない。

 

「……というか、せりさんのことを一番知っているのは、ぺんちゃんよね」

「ぺんちゃん言うな、って言ってるでしょ」

 

 ついになずなは手刀をかずらの頭頂部にお見舞いする。そうして制裁を加えてからつぼみの方を振り返った。

 

「姉さんのことが聞きたいの? どうしてまた……」

「あ、あの。今度、研修が売店から食堂になる予定なんです」

「あ~、なるほどね。確かにあの中で一番厳しいのは、姉さんだわ。それで不安になったってわけね」

「はい、伊吹先輩にお聞きしたんですけど……」

 

 かずらをチラッと見て再び苦笑するつぼみ。それで察したなずなは、後輩のために考えを巡らせる。

 姉は、厳しい。その姉を怒らせずに──いや、つぼみのドジっ子気質のことを考えるとそれは不可能に近いだろう。

 

(姉さん、厳しいからなぁ……つぼみちゃんもへこたれるような子じゃないと思うけど、怒られ続けるのもかわいそうよね。機嫌を損ねないようにすればいいかしら)

 

 ──というようになずなは考えていたが、彼女は重大な思い違いをしていた。

 確かにせりは厳しいが、その分、面倒見もいいのである。

 それに気が付かなかったのはなずながせりの妹だからだった。せりは妹を思うからこそ、かわいい妹だからこそ身内に甘くならないように、ことさら特別に厳しくなっていたのである。

 ともあれ、それにまだ気がつかないなずなは、せりの顔を思い浮かべて機嫌を良くする方法──しかもつぼみが確実に実行できる手段──を考え、

 

「……武相隊長と姉さんはお似合いのカップルですね、とか言っておけば、それで十分じゃない?」

 

 そんななずなの出した、あまりに適当すぎて投げやりとも言える方策に、さすがにつぼみも笑顔がひきつった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして迎えた食堂初日。

 

 梅里から皆へ紹介され、始まった研修だが──案の定、つぼみはやらかしてしまっていた。鍋を火にかけっぱなしにしてしまったのだ。

 気が付いた厨房の煮込み料理担当の松林 釿哉が火を止めてくれたので大事には至らなかったが、一歩間違えば火災を起こしていたことである。

 これにはノリと勢いを信条にしていて基本的には楽観的な釿哉もさすがに庇うことができない。もちろんそのミスはたちまち食堂主任、そして副主任へと伝わっていた。

 そのうち主任の梅里はといえば、初日だろうが素人だろうが、火災になれば火は待ってくれないと、火災の恐ろしさを十分に説明した上で、火への警戒の心構えを説いた。

 声を荒げることはなかったが、普段は温厚で笑顔を絶やさない梅里は見せた厳しく真剣な表情に、つぼみは彼の言った言葉が心に響いていた。

 そして──いよいよせりである。

 

「主任が今言ったように、火災っていうのはとんでもなく怖いの。この大帝国劇場だって大きな火事になれば無くなってしまうかもしれないのよ? あなたは落ち込んでいる帝都市民から大帝国劇場さえも奪いかねなかったのよ?」

 

 12月に入り大帝国劇場はある発表をした。12月24日のクリスマスイブに、一夜限りの特別公演を行う、と。

 その特別感もさることながら、太正維新軍騒動で意気消沈した帝都市民は娯楽に飢えており、そんな中で発表された数少ないグッドニュースである。

 帝都市民の期待する声は日に日に増すばかりである。

 だというのに、もし火災になって大帝国劇場が無くなってしまったら──ショックは計り知れないだろう。

 

「華撃団に属する者の端くれとして、帝都市民のクリスマスの楽しみを奪うようなことは──」

「あ、あの! 副主任は、クリスマスはやっぱり主任さんと過ごすんですか!?」

 

 

『──はい?』

 

 

 突然のつぼみの発言に、聞いていた者達は一様に呆気にとられた。

 それはそうだろう。説教されている最中に突然そんなことを言い出したのだから。釿哉は笑いを耐えきれなくて思わず「プッ」と吹き出し、その横で今まで最もせりの説教を食らってきたであろう紅葉でさえ──

 

(ああ、終わりました、つぼみさん……せりさんは間違いなく大激怒ですよ)

 

 空気が読めなくてせりの怒りの火に油を注ぐことが多い紅葉だったが、客観的な視線で見ていたためそう思っていた。

 もちろん、当事者であるせりもそうであり、唐突すぎるその言葉は彼女の神経を逆撫でるには十分過ぎた。

 

(このポンコツ娘……突然、なにを言い出すのよ……)

 

 つぼみを見つめるせりの表情が見る見るうちに厳しくなり──

 

「いえ、せりさんと武相主任って、とってもお似合いのカップルだな~、と思いましたので!!」

 

 必死なつぼみの大きな声が響いた。

 そんな場に、初日ということで相談を受けて心配していたかずらも来ていたのだが──

 

(さすがにこれはないなぁ……)

 

 心の中で苦笑する。

 先のなずなからのアドバイスを参考にしたのだろうが、それにしても余りに展開が雑すぎる。

 却って逆鱗に触れたのは間違いない。そう思ってかずらがせりを見ると──

 

「──え?」

 

 なずなは姉の反応に戸惑っていた。なぜかその怒気が完全に吹き飛んでいたからである。

 さらには、照れているのを隠すように目を逸らしつつ「そ、そうかしら?」と満更でもない表情をしていた。

 あまりの展開に呆れて開いた口がふさがらない。

 

「はい! やっぱり食堂主任と副主任ですから! 以前からお二人はお似合いだと……」

 

 必死なつぼみがせりと梅里がお似合いな理由を上げるたびに、その態度は軟化していき、仕舞いには威厳もへったくれもないような状況にまでなってしまうのであった。

 

「ちょっと、姉さん……私の時とは違いすぎるじゃないの……」

「……せりさん、チョロすぎ」

 

 ジト目で見つつグチるなずなの隣では、やはり後輩が心配で様子を見に来ていたかずらがこっそりため息をついていた。

 それは周囲も同様であり、釿哉にいたっては笑いをこらえながら「コレ、なんの騒ぎだったっけ?」とつぶやく有様だった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そのほんの少し前……つぼみに対して、注意するべきことを言い終えた梅里は考えを巡らせていた。

 花組の行うクリスマス特別公演。

 それに併せて食堂でも、特別メニューを出してはどうか、という意見があがっているのだ。

 

(特別メニューねぇ……)

 

 そう言われても、なにを出したものやら、と梅里は悩む。

 というのも、日本のクリスマスを祝う風習は1902年にここ銀座の明治屋がクリスマスツリーを飾ったことに始まる。

 太正14年=1925年であり、それなりに年数は経っているのだが一般的に浸透しているかといえばそこまでではなく、クリスマスならではの料理といっても梅里にはイメージできないのも無理はない──当然、クリスマスにはチキンという定番はまだない──ことだった。

 

(とりあえずは七面鳥だろうけど……一般的じゃないしなぁ)

 

 キリスト教圏では定番であるクリスマスには七面鳥の風習も、そもそも日本では七面鳥が一般的ではない。

 

(あとは、洋菓子くらいだけど……)

 

 クリスマスといえば菓子ではあるが、これは世界中の各国でいろいろ違うらしい。

 たとえば、フランスなら木や丸太を模したロールケーキ「ブッシュ・ド・ノエル」、ドイツでは焼き菓子の「シュトーレン」が一般的……というのはそれぞれ花組のアイリスとレニから聞いた情報である。さらにはそこに「なに言ってるんですかー」と割り込んできた織姫からはイタリアの定番は「パネトーネ」という甘い菓子パンのようなものということを教えてもらった。

 そしてイギリスはといえば──

 

「それはもちろんプティングよ。クリスマスプティング!」

 

 カーシャに聞いたら勢い込んだ様子でそんな答えが返ってきた。

 彼女が言うにはドライフルーツやらナッツやらスパイスをたっぷり含んだ濃厚なケーキ、とのことだった。

 だが、梅里にはイメージがつかない。話を聞いて「え? スパイス? ナッツとか干した果物入れるのに?」と戸惑い、味も見た目も皆目見当が付かなかった。

 そんな梅里を見かねたカーシャが「じゃあ、アタシが作ってあげる」と言い出したので、じゃあ、お願い──と梅里が言おうとしたとき、アイリスが顔色を変えて逃げ出したり、あのレニがわずかに眉根をひそめたり、イギリス人のはずのコーネル(彼の場合は宣教師として各国を渡り歩いたので味覚が変わっていたらしい)さえも天を仰いだので、「じゃあ、またの機会で」と、どうにか修正した。

 ……ちなみに織姫はカーシャの発言の直後にいつの間にか姿を消していた。

 

「カーシャの英国式はともかく、他のも参考にはなるけど、どれを選ぶかでその国の色が強くなり過ぎるのがね。いっそ日本の定番が欲しいところだけど……」

 

 とはいえ、イメージが無いわけでもない。日本のとある大手の洋菓子店が数年ほど前から「クリスマスにはケーキ」と宣伝しショートケーキを売り出している。値段が高価なために庶民にはそれほど定着はしていないが、それでもイメージの全くない梅里としては藁にもすがりたい思いである。

 

(それに便乗するのも悪くない。でもまったく同じじゃ面白味がないよね)

 

 模倣では意味がない。

 しかし梅里にとって洋菓子は完全に専門外なのもあって、その考えはまとまらなかった。

 

 ──それゆえ、つぼみとせりの会話は、彼の耳には全く入っていなかった。

 




【よもやま話】
 日本のクリスマスの歴史──はほぼ史実からです。
 各国の定番お菓子……は現代のを参考にしていますので、史実と合わない可能性があります。
 それにしてもなぜあの国の食文化はカオスなんだろうか。英国面を覗いてしまった……。


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─3─

 数日後、昼の営業を終えた食堂には、コックコートに濃紅梅の羽織姿の梅里がついたテーブルには、その対面に帝国華撃団夢組副隊長の巽 宗次がついていた。

 

 毎度おなじみになった定例の報告なのだが──それをが終わるころになって、営業が終了して休憩時間になっている食堂内に、つぼみが姿を現す。

 それを見て、宗次が露骨に顔をしかめ──すぐに元の表情に戻ってから報告を終了させた。

 その報告に対する考察や指示を行い、話し合いが終わると、梅里は宗次に尋ねた。

 

「何か思うところでも?」

「……何がだ?」

 

 その質問に宗次は意外そうな顔をしつつ、問い返してきた。

 

「つぼみちゃん。彼女を見たとき表情が険しかったから」

 

 そう言って宗次につぼみを見た時に様子がおかしかったと指摘すると、彼は「そうか」と答え、小さくため息を付いた。

 

「……研修だとは分かっているが、正式な隊員でない者を華撃団の本部で勤務に就かせるのはさすがに、な」

 

 大帝国劇場は秘密部隊・帝国華撃団の本部である。機密の固まりのようなその施設に、半ば一般人のような──それも子供のような年齢の者が立ち入るのは、軍属として、正直に言えば許し難い。

 

「風組の高村が出張のために、その穴をふさぐ形で売店の売り子をやらせるのまでは分かるが、戻ってきたら食堂で勤務させるとは思わなかったからな。司令には深慮遠謀があるのだろうが……いささか面倒なことになっている」

「面倒なこと?」

 

 梅里が問うと、宗次は深くうなずいた。

 

「オレ達夢組にとっては、大帝国劇場での勤務は幹部の証だ。支部にいる隊員たちなら食堂での勤務をあこがれている者も多い。だからこそ、研修とはいえ一般隊員でさえない者が食堂で勤務するのはおもしろくは思わない者もいるからな」

 

 宗次に言われ、梅里はなるほどと納得する。言われてみればその通りだし、つぼみはいらぬ嫉妬を背負ってしまっていることだろう。

 

「でも、研修だよ?」

「それでもだ。こういうのは理屈ではなく感情の問題だ。だからこそ自分の中で整理をつけるのが難しいんだろう」

 

 宗次がそう言ったので、梅里は意外そうな顔をした。

 それを見咎めた宗次は怪訝そうな顔をする。

 

「まさか、理論派の宗次からそんな言葉が出るとはね」

 

 梅里が苦笑すると、宗次は肩をすくめる。

 

「オレが理論派? それこそまさか、だ。最初にお前と会ったとき、納得できないと感情も露わに決闘を申し込んだんだぞ?」

「……それに僕が勝ったら、その感情に理屈で蓋をしてたじゃないか」

「当然だろ。それでもまだ不満を爆発させていたらただの子供だ。オマケに、あそこまで完膚無きまでに実力差を見せつけられれば誰でもそうなる」

 

 自虐的に苦笑を浮かべる宗次。

 その例として紅葉を挙げ、それから周囲を見渡し──手元の資料を見て、大きく息を吐いた。

 

「ともあれ、そうやって研修を行うのは、今はこうして一件落着したからこそなのかもしれないがな」

 

 太正維新軍のクーデター騒動が終わり、その最中に黒鬼会は壊滅した。

 幹部の五行衆はことごとく華撃団に倒され、鬼王もまた花組が倒している。彼らが「あのお方」と呼んでいた京極も自ら命を絶ち──今は月組が中心となって残党狩りをしていた。

 久しぶりの平和。それを勝ち得たからこそのクリスマス公演、でもある。

 だからこそ大帝国劇場を挙げて盛り上げ、帝都市民達の心を癒なければならない、と梅里は自覚していた。

 そして劇場の一部である食堂もその一助として特別メニューを考える必要があるのだ。

 しかし──

 

 

「……本当に、終わったのかな?」

 

 

 それは、梅里がポツリと言った一言だった。

 しかしそれで宗次は顔色を変えた。

 

「どういう……意味だ?」

「なんか、どうにもイヤな予感がしてね。感じ的にもスッキリしないし」

 

 その後半を宗次はほとんど聞いていなかった。

 梅里の言葉の前半で出てきた「イヤな予感」。霊能部隊の隊長である梅里はときどきこのフレーズを使い、そしてそのときは大抵ロクなことにならない。彼は露骨に顔をしかめていた。

 ともあれ気を取り直し、梅里の話に耳を傾ける。

 

「春先から……いや、それ以前よりも前から動いていたにも関わらず、最後はクーデターなんて博打に出て、それが失敗したから自殺だなんて──そんなに分の良い賭けだったようには、思えないんだよね」

 

 維新軍のクーデターが無謀なものだったかどうかは、宗次には判断が付かなかった。

 確かに単純な兵数的に言えば無謀ともいえるかもしれないが、黒鬼会の魔操機兵があればそれほど現実味のない話ではないのではないかと思う。

 通常の攻撃が効かない、効いてもダメージの現象が著しい。倒すことはおろか、傷つけることだって難しいようなものを味方にしているのだから。

 

「……一番解せないのは、魔神器をあっさり返したことだよ」

 

 大帝国劇場を襲撃して奪おうとしたものは花組・真宮寺さくらの身柄と、魔神器だった。

 その二つがあれば──『破邪の血統』であるさくらの命を代償に大きな力をもたらすことができる、だからこそそれらが狙われた。

 どうにかさくらと魔神器の“珠”こそ守ったが、他の二つは奪われたというのに──意外なほどに執着せず、華撃団の手元へと戻ってきた。

 そして魔神器は、華撃団サイドにしてみても大きな力をとなるものだったが、人の命を犠牲にすることを厭った花組隊長・大神一郎の手によって破壊されている。

 

「魔神器を破壊させるつもりで華撃団に戻した……んだったりして?」

 

 苦笑を浮かべ、梅里は軽い口調で言う。

 だが宗次は内心、驚愕していた。その発想が無かったからだ。そしてそれが正解と考えることもできる。

 その内心を取り繕い、苦笑するのが精一杯だった。

 

「お前がそう言うとまったく冗談には聞こえん。むしろそっちが真実なんじゃないかという疑念が強くなるくらいだ」

 

 そう誤魔化しながらも、宗次もまた嫌な予感を膨らませていた。

 

「しかし、それが真実だとして魔神器が無くなって奴らにどんな利がある? 魔神器を失えば例え奴らが真宮寺を連れ去ったり、別の『破邪の血統』を探してきたとしても使うことはできなくなるんだぞ?」

 

 破邪の血統──裏御三家は真宮寺家だけではない。

 それが宗次の考えついた、梅里の発想を否定する大きな根拠だった。

 

「う~ん……例えば、黒鬼会が使うのが目的じゃなくて、華撃団に使わせないのが目的だったとしたら?」

「な……」

 

 さすがに絶句する宗次。そしてその顔は青ざめていた。

 

「まさか……いや、しかし……」

 

 仮に敵に絶対に阻止されたくない切り札的なものがあったとしたら──それが華撃団が『破邪の血統』を犠牲にしなければ防げないものであり、犠牲にしてでも防がなければならないものだったとしたら──それへの対抗手段を失ったことになる。

 

「だとすれば……真宮寺の身柄と魔神器を確保しようとしたのも、頷ける。いや……」

 

 宗次の脳裏に呼んだ報告書の一文が思い出された。

 

 

 ──劇場内に侵入した維新軍は真宮寺さくらの身柄を確保しようと捜索し、その際に生死は問わない旨の発言があった。

 

 

「生死を問わないというのは、山崎同様に反魂の術で蘇らせるからと思ったが、魔神器の力を使わせないのが目的ならば……」

 

 さくらの命を奪うだけで、その目的は果たされる。逆に黒鬼会がその力を使おうと企んでいたのなら──戦闘の結果としてやむなく命を奪った状況ならともかく、最初から生死を問わないという指示は出さないだろう。

 だが、結果的にはさくらは無事に生き延びて、その身柄も守りきった。そして魔神器を手にした大神はさくらの身を案じて──破壊した。

 

「ということは、華撃団の手元に魔神器を戻したのは──」

「大神少尉の気性をよく理解していたのか、向こうにも予知能力者がいたのか……ひょっとしたらそこまで読まれていたのかもしれない」

 

 その指摘に宗次は愕然とする。この結論にはさすがに梅里も苦笑は浮かべていなかった。

 

「一つ聞きたいんだけど、黒鬼会のアジトの最奥にそれらしきものは無かった?」

「ああ。迎え撃ったのは鬼王が乗った大型魔操機兵・闇神威だ。春に山崎──いや、葵 叉丹が乗っていたのと同じタイプのな」

 

 昇降機の手前で結界を敷設して維持していた梅里と違い、花組に随行した宗次は味との奥にまで行っている。しかし心当たりはない。

 確かに闇神威の強さは桁外れだったが、それでもあくまで魔操機兵だ。先の葵 叉丹との戦いにおける『大和』の聖魔城や、結果として復活した悪魔王サタンといった人知を越えた存在ではなかった。

 

「しかし、首謀者の京極はすでに自殺しているんだ。五行衆も鬼王も戦いの中で倒されて残っていない……」

「だと、いいんだけどね」

 

 小さくため息をついた梅里を見て、宗次は人知れず顔をひきつらせた。さすがにこれ以上のバッドニュースは勘弁して欲しい。

 

「なにか気になることがあるのか、梅里?」

 

 これ以上、話を聞きたくないところだが、宗次はそこまで楽観主義者ではない。

 

「改造五鈷の自爆に備えて、縦穴を利用しようとして昇降機を上昇させたんだけど……あのとき、大日剣の残骸が残っていたか、ハッキリ覚えてないんだよね」

 

 花組の突入時にはその場で数多くの脇侍と戦いになったらしく、その最後に現れたのが金剛の駆る大日剣だった。そしてもちろん、花組はそれを倒したのだから、その残骸が残っているはずなのだが──

 

「ついでに言えば、僕らの戦った土蜘蛛の八葉もその縦穴に落ちていき、爆発するのを確認している。でも──その残骸があったのかもやっぱり記憶にない」

 

 そう言って、テーブルにおいてあったグラスを手にして口を付ける。

 他と区別が付かないほどに爆散していた可能性ももちろんあるが──やはり、こうなると確実に倒したという不安は出てくる。

 考え込んだ宗次は、チラッと梅里を見た。

 

「──過去認知、やってみるか?」

「さすがに無理じゃないかな。あの場所は霊的環境が悪すぎるから。妖力が高すぎて下手に感応しすぎて失神させるのも嫌だし、最悪の場合には再起不能者を出しかねないレベルだよ」 

 

 梅里は首を振って却下する。本音を言えばやってみる価値はあるとは思うが、それでも隊員たちには危険すぎる賭けになってしまう。

 

「そうは言っても京極が死んでいるのは確認されていることなんだし、頭をつぶされているのは間違いないからね。あと気になるとしたら僕らが何度か遭遇している“人形師”の行方がつかめていないくらいだけど、それも残党狩りをしていればそのうち片が付くと思うよ」

 

 黒鬼会にしても維新軍にしても、京極 慶吾というカリスマに惹かれて集まった組織という印象が強い。その象徴がいなくなれば、組織が瓦解するのは自明の理であった。

 残党狩りは主に隠密行動部隊の月組が担当している。一応、隊長の加山 雄一に“人形師”の情報は渡したが、それらしきものの存在は未だに確認されていないらしい。

 

「ところで梅里……」

「うん?」

「この件、司令には話すのか?」

 

 宗次の問いに、梅里は苦笑を浮かべながら腕を組んでうなる。

 

「う~~ん、どうしようか迷ってるんだけど……結局の所はなんの根拠もない、予知でもなんでもない“最悪の想定”でしかないからね」

 

 根拠が予知・過去認知班によるものであれば話も変わってくるのだが──これに関する確たる証拠は物的証拠はもちろん、夢組の調査によるような霊的証拠さえもない。

 

 黒鬼会が切り札を“残していたかもしれない”

 魔神器を取り戻せたのは“壊させるためかもしれない”

 五行衆が“生き残っているかもしれない”

 

 全部、“かもしれない”で終わってしまう話だ。だからこそ躊躇われた。

 

「米田司令のことだから、治にいて乱を忘れず、と言ってこれくらいの想定はしているだろうし……」

 

 梅里がそう言うので、宗次も「そういうことならば……」とこの話を己の胸の内に留めることに決めた。

 結果的にはそれが後々に失敗であったと分かるのだが──今の宗次にはそれが分かるはずもない。

 そして一方で梅里は、米田を信頼する余りに自身の勘の良さが米田の戦況分析よりもピンポイントで正解を引くという可能性を見誤っていた。

 さらには梅里自身が、鬼王が真宮寺 一馬だと疑っているのを隠している負い目を持っていたからこそ──不確かなことを報告するのを躊躇ってしまったのだ。

 




【よもやま話】
 まぁ、もしあれで話が終わっていたら、この話も第4話で完結しているわけで……と身も蓋もないことを言ってみる。
 ただ……この時点で今後の危機を予知できなかったのは夢組の汚点になってしまうのですよね。それが仕事ですから。


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─4─

 クリスマス公演に向けて、帝劇内がにわかに忙しくなりつつある頃のこと──帝劇にとある客の来訪があった。

 その応対をした売店の売り子である高村 椿は──

 

 

「英国紳士が来たんですよ」

 

 そう同じ風組で帝劇の事務局に勤務する由里に話していた。

 

「……コーネルさん?」

「いえ、あんな宗教勧誘員みたいな怪しい感じじゃなくて……」

 

 慌ててそう言う椿に、由里はさすがにそれはそれでコーネルが可哀想だと思った。

 

(怪しい日本語と宗教勧誘さえなければ、けっこうモテてるみたいなんだけどね……)

 

 帝劇内の噂に通じ、一番の事情通である由里の客観的な評価はそうなっている。

 物珍しい外国人であり、整った顔立ちは見るものに好感を与えるし、その格好はスラッとしていて背が高い。

 物腰は穏やかで、椿はああ言っているが、立ち居振る舞いは紛れもなく紳士なのだが──いかんせん、日本語がいつまで経っても片言混じりで、肝心なところで「アナタは神を信じマスカ?」と始まってしまい、女性には引かれてしまう。

 

「それで、その人……イギリスの人が何しに帝劇へ?」

「なんでも米田支配人に用事があったみたいですけど……かすみさん、知りませんか?」

「今日の急な来客のことかしら? それだったら、米田支配人に謝罪しに来たみたいですよ」

「謝罪? いったい誰が? なんのために?」

「それが……」

 

 由里が何の気なしに訊いた問いに、かすみは気まずそうに目をそらす。

 やってきた紳士が名乗った家名はトワイライト。

 カーシャの父親であるトワイライト卿が、今回の件について米田に直接謝罪にきたのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 支配人室で米田と会い、直接謝罪して和解したトワイライト卿だったが、それだけでは目的を果たしたわけではなかった。

 娘から話を聞いた卿は、もう一人──いや二人、謝罪したい相手がいると米田に申し立てた。

 だが、目当ての人はあいにくその日は留守にしていた。

 その二人に対してもどうにか直接謝罪したいという卿は──彼らを食事に招待することとなり、その数日後にそれは果たされることとなった。

 

 

「ようこそ、ミスター。以前は初めましての挨拶さえできなかったから、改めてさせてもらうよ」

 

 都内某所の高級レストランで、トワイライト卿は(くだん)の彼を出迎えていた。

 その卿が自身の自己紹介と共に差し出した手を──梅里は握った。挨拶の握手である。

 

「こちらこそ……あのときは大変失礼いたしました」

「いや、娘から事情は聞いたよ。本当に……すまなかった。私の逆恨みのせいでキミを命の危機にさらしてしまったのだから」

 

 沈痛そうな面もちで頭を下げるトワイライト卿。その横では黄色を基調としたドレスを着たカーシャが、同じように神妙な様子で頭を下げていた。

 そして卿は、梅里の隣にいた女性──こちらは青を基調としたドレスを身にまとった女性へと向き直り、再び頭を下げる。

 

「キミにも迷惑をかけてしまったようだね、ミス白繍。娘がいろいろと……」

「そ、そんな……」

 

 頭を下げられて恐縮したせりは、困った様子で梅里を振り返った。

 それを受けて梅里はトワイライト卿へ申し訳なさそうに言う。

 

「頭を上げてください。過ぎたことですし、今はせりも僕も無事でこうしてここにいるんですから」

 

 梅里は「それよりも」と前置きをして、彼もまたトワイライト卿へと頭を下げた。

 

「欧州での会議では失礼しました。あのときは理由の委細を申し上げることができず、本当に申し訳ありませんでした」

「それも娘から聞いているよ。だからこそ──キミこそ頭を上げたまえ。キミが謝罪する理由など無い、違うかい?」

 

 そんなトワイライト卿の言葉に梅里は首を横に振る。

 

「そこで誤解が生まれたのなら、その誤解を解く努力をすべきでした。僕がそれを怠らなければ、不幸なすれ違いはなかったと思います」

 

 梅里の言葉に、今度はトワイライト卿が優しく笑みを浮かべて首を横に振った。

 

「確かにそうかもしれないが……キミはそのすれ違いを正し、我が愛する娘の命を救ってくれたじゃないか。それで十分……いや過分なくらいだよ」

 

 そう言ってトワイライト卿は再び梅里へと手を差しだし──梅里もそれをしっかりと握る。

 

「今宵はお互いの絆を強くするため、不幸な勘違いが今後起こらないようにするため、忌憚のない会食にしたいと思うのだが……どうかね?」

「お心遣い、ありがとうございます」」

 

 梅里が頭を下げ、ドレスに不慣れながらもせりが礼儀に乗っ取って挨拶をし、こうして会食が始まった。

 

「今後の帝都の発展を……」

「英国の益々の繁栄を……」

 

 トワイライト卿と梅里がそれぞれ言ってグラスを合わせ、随伴者であるカーシャとせりもグラスを掲げた。

 そして運ばれてきたのはフランス料理であった。

 

「我が祖国の料理を──とも考えたのだが、残念ながら我が国は美食の探求という点においては他国に大きく溝をあけられていて、世界的にもあまり評判がよろしくない。そして考えた結果、わだかまりとなったフランスを食して解消してしまおう、という結論にいたってね。今日はそういう趣向だよ」

 

 少し悪戯っぽく笑みを浮かべた卿に、カーシャも「お父様ったら」と朗らかに笑みを浮かべつつ、普段は見せないような貞淑さを見せていた。

 梅里もその雰囲気に合わせて笑みを浮かべながら運ばれてきた料理に「さすが帝都の高級レストラン」と内心思いながら舌鼓をうちつつ、料理人としての本能を刺激されて味わった料理の分析を行っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その隣にいたせりはといえば、そんな余裕はなかった。

 というのも、せりはこういう西洋風の会食の経験が皆無だったからだ。

 だからテーブルマナーはまったく分からず、梅里と共にトワイライト卿から会食を招かれて心底困ったのだ。基礎の基礎さえ分からないせりは、この数日の間に恥をかかないためにも、テーブルマナーの特訓を受けていた。

 そしてその講師はかずらである。裕福な貿易商の娘として、上流階級出身である彼女はもちろんバッチリだった。

 他にわかる人として──副司令のかえでは多忙につき無理。財閥令嬢である花組のすみれには「クリスマス公演を前にそんな暇はありませんわ」と断られている。

 あとの上流階級出身者といえば、フランス貴族出身のアイリスだが、彼女は説明が抽象的で絶望的なまでに教師に向いていなかった。

 しのぶもまた華族という上流階級出身者だったが、公家系統であり、彼女自身は京都からはほとんど離れたことがなかった上に、魔眼のせいでほとんど表に出さなかったこともあってテーブルマナーを知らない。

 そんな経緯で教える側になったかずらだったが──ここぞとばかりにせりに仕返しをした。

 

 

「そのナイフとフォークはどこから取り出したんですか? とるのは外側からです! いったい何度言えば覚えるんですか?」と手にした指揮棒でピシリとせりの手を打ち据える。

 叩く必要ないでしょ、と頭にきたせりだったが──どうにか我慢した。

 

 

「スープを飲むときに音を立てるなんて……なんて下品なんでしょう」とかずらが大仰に天を仰ぐ。

 じゃあ、どうやって飲めって言うのよ、と根っからの日本の庶民であるせりは頭にきたが──どうにか我慢した!

 

 

「まったくせりさんときたら──食事をするのにガチャガチャとずいぶんと賑やかなお囃子を奏でますね。今日は料理を祭ったお祭りでしょうか? せりさんの地元ではナイフやフォークがバチでお皿が打楽器なんですか?」とかずらから蔑みきった嘲笑を向けられる。

 私の地元をバカにしてんの!? と激高しかけたせりだったが──どうにか、我慢したッ!!

 

 

 かずらに対して「ぐぬぬ……」とひたすら耐えるせり。

 一方、何も言い返せないせりに対し、調子に乗ってどこまでも強気になっていくかずら。

 そんな悪ノリの結果として厳しくなった指導に、せりはひたすら「忍」の一文字で耐える。

 その甲斐あって、せりは、短期間だったものの恥ずかしくないテーブルマナーを身につけることができていた。

 ──ところで招待されたもう一人である梅里はといえば、料理屋一家で育ち、さらには舌を鍛えるために西洋料理を食べに連れて行かれることもあったので、マナーはきちんと教え込まれており、そもそも昨年の欧州行きでもなんの問題はなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな付け焼き刃のテーブルマナーで苦労しながらもせりがどうにかボロを出さずに会食は続き──

 

「ミスター武相は、シェフだそうだね?」

「ええ、その通りなのよ、お父様」

 

 トワイライト卿が言うと、カーシャがうれしそうに、そして大げさな身振りで梅里の料理をほめたたえた。

 そんな娘の様子に笑みを浮かべるトワイライト卿。

 

「それは私も是非食してみたいものだね」

「機会があればお越しください。世界を股に掛けて回られている卿の舌のご期待に答えられるかどうかは怖いですが、来てくださった際には、精一杯務めさせていただきます」

 

 梅里がそう言って恭しく頭を下げると、トワイライト卿は笑みを浮かべた。

 

「いやはや、日本の方はやはり奥ゆかしい。その文化に私も魅入られた一人なのだが……」

 

 そしてふとカーシャを見て、それから改めて梅里の方を見た。

 

「ミスター武相、あなたは我が娘の命を守るためにずいぶんと尽力していただいたようで、本当に感謝いたします。心の底からありがとう、と言いたい。あんな仕打ちをしてしまった我がトワイライト家に対して……」

「そんな……僕はあのままだとカーシャがあまりに不憫だと思った、ただそれだけですよ」

「それでもだよ。家という立場を抜きにして──私自身が追い込んでしまった我が愛娘の命を、よくぞ助けてくださった……この恩は、生涯忘れない」

「そんな大げさな……」

 

 照れる梅里に対し、卿は──

 

「いいや、けっして大げさなことじゃない。そこで相談なのだが──キミが助けてくれたこの娘を、嫁にもらってはくれないか?」

 

 

「「──は?」」

 

 

 呆気にとられる梅里。

 そして動揺するせり。彼女は思わずフォークを落としてしまう。

 

「あ……」

 

 さらに動揺してそれを取ろうとしかけ──

 

「──せり」

 

 素早く小声で梅里にたしなめられてマナーを思い出し、あわてて拾おうとした動きを止める。

 店員がせりのフォークを交換している中で、梅里は卿に言う。

 

「トワイライト家は騎士の家系と伺っております。その子女──それも長子であるカーシャさんを、というのは身に余る光栄ですが……しかし私は卿の御期待に添えないと思いますが?」

「──と、言うと?」

 

 トワイライト卿が問い返し、カーシャ、せりが見つめる中で梅里はさらに続ける。

 

「トワイライト家は商才もおありで、その才覚を植民地経営で見事に発揮していたと聞いております。ですから私程度の者にその大事な娘を嫁がせるなんて、何のメリットもなければしない、と思っておりますが──」

 

 ただの感謝だけで娘を嫁がせはしないだろう、という予測だった。

 

「その上で言いますが、私は米田中将の後ろ盾がなければ華撃団にはいられないような者です。そして夢組隊長でなくなれば……私には何もありません。他の隊長たちと違って、華撃団を離れても軍人ではない私にはその功績はまったく意味がない。そんな泡沫(うたかた)の夢のように……ひどくあやふやな立場なんです」

 

 そう言って自虐的に苦笑を浮かべる梅里。

 それに対し、トワイライト卿は「ふむ……」と考え込むと、まるで無関係なような質問をぶつけてきた。

 

「では一つお聞きしたいが……商売においてなにが大事だと思うかね、ミスター武相」

「えっ? ……お金、ですか?」

 

 突然の問いに戸惑いながらも、とっさに思いついた梅里の答えに、卿はうなずく。

 

「確かにそれも大事だ。なければ話にならないからね。だが、それは──自分の才覚でどうにでもなるものだよ。手腕さえあれば借りてでも集められるものであり──それを利子を付けて返せばいい話だ……そちらのお嬢さんは、先ほど何か言い掛けたね? 何だと思う?」

 

 トワイライト卿に促され、せりは恐る恐ると言った雰囲気で答えた。

 

「人、ですか?」

 

 その答えには満足げに大いにうなずく。

 

「私が考える正解と概ね一緒だ。正確には、画一的な価値が付けられないものの価値を正確に見抜くこと、だったがね」

「どういうことでしょうか?」

 

 梅里が問うと、トワイライト卿は考え込み、懐から同じ2枚の貨幣を出した。

 

「たとえばキミが挙げた資金の話をしよう。この二つの硬貨は、かたや汚れてくすみ、傷ついてさえいる。逆にもう一つは新しく美しい光沢を放っている。が……どちらも価値は同じだ」

 

 それはもちろんそうだろう、と梅里も、せりも思ってうなずく。二つの違いは鋳造されてからの期間でしかないのだから。

 その様子にトワイライト卿は満足げにうなずいた。

 

「キミたちはさも当然とうなずいたが、これは非常に重要なことなのだよ。貨幣の価値が統一されていなければ人の世は物々交換にまで退化してしまうからね」

 

 貨幣の価値を国が保証しているからこそ、その信用によって取引が行えるのである。

 

「だが──たとえば一人の女性は画一的な価値があるわけではない。うちの娘とそちらのお嬢さん、どちらの方が好みかというのはそれは人によって違うだろう?」

 

 あくまで冗談めかしたトワイライト卿のそんな話には、カーシャとせりが露骨に顔をしかめた。

 そして娘であるカーシャは冷たい目で父をにらんでさえいる。

 

「父様、あまり良い例えとは言えません」

「それは申し訳ない。でもそうやって人や場所や時期によって変動するような価値を見極め、得難いもの……それこそ唯一無二の価値があれば理想だが、それを手に入れることこそ、商売では重要なのだよ」

 

 一般的に流通しているものであれば、足りているものの価値は下がり、足らぬものの価値は上がるのは商売の基本だ。

 そして芸術品のような物に関してはまた違う。それらの価値をいかに認めるか、である。

 

「例え見た目が石ころでも、それに価値があるのを見極める目。それが商売で重要なのさ。そして私は──キミのことを、我が娘を託す価値のある人間だと認めた。だからこその先ほどの申し出だと思ってくれ。軍での立場とかそういうものは関係ない。今後のキミの人生に対する投資──いや、同じ船に乗りたくなったのだよ」

 

 それは船乗りの家系であるトワイライト家の人間として、最大級の賛辞である。

 とはいえ、簡単に「はい、わかりました。受け取ります」と言えるようなことではない。

 梅里は思わず頬を掻きかけ──食事中で手が塞がっているのに気づいて思いとどまった。

 そんな戸惑いに気が付いたカーシャは、ため息を一つ付いて父へと話しかけた。

 

「父様、一つよろしい?」

「なんだい、カーシャ?」

「余計なことはしないで。アタシは、欲しいものは自分で掴み取るわ」

 

 そう言って真剣な目で父親を見る。

 そんな娘の剣幕にポカンとしていたトワイライト卿だったが、彼女の気持ちに気がついて苦笑を浮かべる。

 

「ふむ……キミの気持ちに関係なく、彼を我が家に引き入れたいと思っているんだがね」

「そうであれば、アタシに任せて。必ずトワイライト家に引き入れてみせるから」

「しかし、私も本気で彼を気に入って──」

「あまり強引に出て、彼女を刺激しないで欲しいのよ」

 

 そう言ってカーシャはせりをチラッと見る。

 それでトワイライト卿もせりが不満そうな顔をしているのに気がつき──彼女の気持ちを察する。

 

「これは失礼したね。私や我が娘と同じように、その宝の価値に気が付いているお嬢さんがおられたようだ」

 

 苦笑を浮かべたトワイライト卿はせりを見てそう言った。

 だが、悪びれもせず笑みを浮かべて付け加える。

 

「とはいえ、早い者勝ち、というわけではあるまい。許嫁という話は引き下げさせてもらうが、いつでもトワイライト家の門戸はキミに開いていると思ってくれ。それこそ華撃団を辞めることがあれば、我が家を頼ってくれて構わない」

「あの……そこまで過大な評価をいただいて光栄ですが、なぜそこまで?」

 

 間者として、また日本という国の反逆者になりかけていたカーシャを助けたから、というのはならわかるが、トワイライト卿からの評価はそれ以上のものを感じていた。

 だからこそ疑問に思う。自分の取り柄といえば、刀の腕と料理の腕くらいしかないし、それがトワイライト家の家業である貿易といったことに役立つようには思えないからだ。

 

「キミの目だよ。先を見抜く確かな目を持っていると思えたし、その見つけた未来に向かう行動力もそうだ」

 

 トワイライト卿は“目”と評したが、それは梅里がたまに見せる「勘の良さ」だった。

 

「それらは余人にはない、他に得難いものだと思ったからこそ、私はキミを誘ったのだよ。もし我が家で働きたいがカーシャをいらないと言うのなら、それはそれで構わないよ。なんならそちらのお嬢さんが奥方になっていても、私にはなんの支障もないからね」

 

 冗談めかして笑みを浮かべる父親の言葉に、さすがにカーシャは驚いた。あっさりと父親に裏切られたからだ。

 

「父様!? アタシの味方じゃないの!?」

「おや? 宝は自らその手で掴み取るものだろう?」

 

 そう言ってトワイライト卿は笑顔を浮かべ、カーシャは怒り、梅里とせりはそんな親子の様子に笑ってしまう。

 それから会食は談笑を交えながら、楽しく終わった。

 あまり料理の評判がよくない英国の貴族とはいえトワイライト卿は世界を股に掛けている人物。梅里の予想通りに舌が肥えている人であり、その店の料理は徹頭徹尾すばらしい物だった。

 もっとも──せりは、不慣れなテーブルマナーと、突然飛び出した梅里への縁談のために、それを味わう余裕は全くなかったのだが。

 




【よもやま話】
 トワイライト卿は物語に出さない謎の人物のつもりだったのですが、結局出してしまいました。
 しかし──せりは叩けば光る、良い素材だなぁ。いじりやすくて助かります。


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─5─

 トワイライト卿との会食の翌日──

 

「──で、私のいないところで、そんな危機的計画が進んでいたんですか?」

 

 トワイライト卿との会食について、せりにテーブルマナーを教え込んだかずらが「粗相をしませんでしたか?」と訊いたために、その話になった。

 そして話を聞き終えたかずらは、せりのテーブルマナーなどもはやどうでもよくなっていた。

 今は食堂が昼の営業を終えた休憩時間である。クリスマス公演に向けて楽団の練習も密度を上げている時期であり、その休憩時間も押し気味でこんな時間になってしまっていたのだ。

 今、そのテーブルにはかずらとせり、それにカーシャとしのぶが集まっていた。

 

「梅里さんの許嫁になろうだなんて……」

「そうはいうけど、梅里には元々いたことでしょ? それは別に気にしないの?」

 

 不満げなかずらに、せりは冷静に指摘した。もちろん鶯歌のことである。

 

「それくらいわかってます。なんならせりさんも、許嫁の一人や二人、いるんじゃないですか?」

「あのねぇ、二人いたらダメでしょう? 一人どころか今まで付き合った相手だっていないわよ!」

「──え?」

「あ……」

 

 かずらに言われてつい気持ちが高ぶったせりが思わず言ってしまい──戸惑ったような周囲の反応に自分の失言に気がつく。

 だがもう遅い。それを聞いたかずらがニッコリと笑みを浮かべる。

 

「じゃあ、せりさんは初恋ってことですよね? でも大変ですね。初恋は実らないって言いますから」

 

 かずらに冷やかされて怒ったせりは開き直る。

 

「ええ、そうよ、初恋よ。そういうかずらはどうなのよ?」

「私の初恋の相手は違う人ですよ? お父様です。ですから私の恋は──」

「なるほど、ファザコンね」

 

 かずらの話を途中で叩き切って断言するせり。それにはさすがにかずらも反論しする。

 

「ち、違いますよ! 今では梅里さん一筋ですから」

「あら? 父を敬愛するのは美徳じゃないの? それが尊敬できる父親ならなおさら……」

 

 そうフォローしたのはカーシャだった。

 しかしせりはそんな彼女にジト目を向ける。

 

「そのあなたの尊敬できる父親の私怨のせいで、私も梅里もヒドい目にあったんだけど?」

「あら、それはゴメンなさいね」

「全っ然、悪いと思ってないわよね、その言い方」

 

 まるでカンナに謝るすみれのようだ、とせりが指摘すると、聞いていたかずらとしのぶが思わず笑った。

 それからカーシャはかずらの方を振り返る。

 

「せりはともかくとして、かずら、アナタはいなかったの? 許嫁(フィアンセ)

「私は一人娘ですし、お父様が自分の好きな相手と結婚なさい、と言っているので……」

「ん? ちょっと待って。アナタ“は”って──カーシャ、あなたも許嫁がいないんだから、そこは“は”じゃなくて、“も”よ?」

 

 カーシャの日本語の間違いを指摘しようとしたせりだったが──

 

 

「あら? いたわよ、アタシは」

「「「はい!?」」」

 

 

 さすがに驚く3人。

 そして切り替えの速いかずらが笑みを浮かべると、

 

「あ、そうですか。ではその方とお幸せに……」

 

 そう言ったのだが、カーシャは笑みを浮かべてそれに応える。

 

「“いた”と言ったでしょ? 残念ながら、解消したのよ。彼の都合で」

 

 それにかずらは優しい笑みを浮かべて応じる。

 

「わざわざ取り繕わなくていいですよ。カーシャさんの都合とか、もしくはカーシャさんに怖じ気付いたから、とかでも全然不思議じゃないですから」

 

 そんな揶揄に、カーシャは笑顔ながらもさすがに怒っている様子。

 そんな空気の悪さを何とかしようとしたしのぶは苦笑を浮かべ、やんわりとカーシャに問いかけた。

 

「では、その方はどのような方だったのですか?」

「そうね……英国の中でも古い有力貴族の長男だったわ。でも日本人の血が入ってるからそれを忌避する大貴族が多くて──おかげでウチのような新興貴族にも縁談の目が回ってきたのよ」

 

 貴族の長男と言うことは嫡子ということになる。有力貴族の嫡子といえば結びつきを強める格好の材料になるはずだが──自分の家に外国、それも黄色人種である日本人の血が入るのを良しとしない貴族がいるのもまた確かなことだった。

 もっとも、カーシャのトワイライト家のように気にしない家もまたあるのだが。

 

「でも、そこの当主が英国人と再婚して子供が産まれてからは音沙汰もなくなり──この話も現状では立ち消えになったのよね。まぁ、おかげでウメサトに出会えたのだから、主の思し召しに違いないわ」

 

 最後に一転し、明るい調子でカーシャが言う。唯一の男児ということでやむなく嫡子という扱いになっていたところで、生粋の英国人の次男が生まれたことで廃嫡になったらしい。そんな事情の気まずさから疎遠になったのだろう。

 そんな彼女をジト目で見つつ、せりがポツリと言う。

 

「まったく、その人もきっちりとカーシャを捕まえていてくれれば、よかったのに……」

 

 などとどこの誰かもわからない相手に愚痴るせり。

 そうして3人の事情がわかったところで、カーシャが残る一人、しのぶを振り返った。

 

「で、せりとかずらは分かったけど、しのぶは? 許嫁とかいたのかしら?」

 

 そう尋ねたカーシャだったが、その質問にせりとかずらが気まずそうな顔になる。

 そして、そんな二人の反応をカーシャは不思議そうに見て首を傾げる。

 せりとかずらは夢組にいる期間も長いのでしのぶの生い立ちを知っており、その能力のせいで一族の中でも忌避されたという経緯を聞いていたのだ。

 さすがにそういう状況では縁談もなにもないだろう、と二人は思っていたのだが──

 

 

「はい。おりましたが……」

「「えぇッ? いたの!?」」

 

 

 思わず声が重なるせりとかずら。

 それに微笑みながら答えるしのぶ。

 

「はい。わたくしよりも少し歳が上で、わたくしにはもったいないくらいに優秀な方でした……でも優秀すぎるが故に立場を追われまして、わたくしとの婚約もなかったことになりまして」

「あら、アタシと似た感じね」

「ええ、奇遇ですね」

 

 そう言ってしのぶはにっこりとカーシャに笑み向ける。

 

「で、どんな方だったんです?」

「そうですね、あの方は……」

 

 目をキラキラさせて尋ねるかずらに対し苦笑を浮かべつつも、それに応えるしのぶ。

 昔のことはあまり話したがらないしのぶにしては珍しく、多くを語るその姿を見てせりは──

 

(あぁ、しのぶさんの初恋ってその人なのね)

 

 ──と思った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 一方、そのころクリスマスのメニューで悩む梅里は思考が完全に迷走していた。

 そして思考どころか行動も迷走し、悩みながら帝劇内をウロウロしていた。

 コックコートに濃紅梅の羽織という姿こそいつも通りだが、周囲が見えないほどに考えに没頭していた。

 そんな梅里だったが──ふと事務局の前を歩いている自分に気がつく。

 その事務局では、かすみが一人伝票整理に勤しんでいた。奥の窓を見ればすでに日は落ちており、時計を見れば午後5時過ぎである。

 

「かすみさん、一人なんですか? 由里さんは?」

 

 気になった梅里は事務局の中へと入り、かすみに話しかけた。

 すると彼女は「あら、こんばんは」と挨拶をしつつ、それに応じる。

 

「由里は来賓用玄関のポスターの張り替えに行ってるんです。それも大事な仕事ですし、もし間に合わないと大変なことになってしまいますからね」

「でも……さすがにこの量をかすみさん一人では大変だと思うけど」

 

 書類の山を見て梅里が苦笑する。

 

「実は、大神さんに手伝いをお願いしたんですけど、どうやら由里や椿と被ってしまったみたいでして……」

 

 そんな梅里につられたように、かすみも苦笑を浮かべてそう説明した。

 事情を聞けば、ポスターの張り替えは今日中にどうしても終わらせる必要があり、それを大神が手伝うことになったらしい。椿の方は彼女が不在中に最近まで売り子をしていたつぼみが手伝うという話になっていた。

 しかし、そうなると──

 

「じゃあ、かすみさんは、一人でやるしかない、と?」

「そうですね。でも、やらないといけないことですから」

 

 そう言って頑張ろうとするかすみの様子は、カラ元気のようにも見える。

 だからこそ梅里はつい──

 

「じゃあ、僕が手伝いますよ」

 

 ──思わずそう言っていた。

 そんな梅里の申し出に、かすみは呆気にとられたように驚いて梅里の顔をまじまじと見ている。

 それから我に返って、慌ててそれを辞退しようとした。

 

「さすがにそれは申し訳ありませので……それに主任は食堂のお仕事があるじゃないですか」

「今日は早出だったので、夜の営業では数に入ってませんので大丈夫ですよ」

 

 笑顔でそう言う梅里。

 今日は華撃団の方の仕事で早く出勤していたので、夜の営業からは外れていたのだ。

 

「でも、それならなおさらです。お疲れでしょうから早く帰った方がいいのではありませんか?」

「ところがそういうわけにもいかなくて……」

 

 体調を気にしたのか心配そうにそう言うかすみに対し、気まずそうに苦笑する梅里。

 

「とある仕事が残りっぱなしになってて、しかもちょっと考えが煮詰まり過ぎちゃってまして……別のことをしたら、すっきりするかもしれませんから」

 

 言うや、梅里は事務局内に入り、かすみの側の席へと座った。

 

「でも、大神さんのように慣れてませんから、お手柔らかに……」

「いいえ、手伝っていただくからには厳しくいかせてもらいますよ」

 

 いたずらっぽく笑みを浮かべるかすみ。

 その席は近くにストーブがあるおかげで、思いの外に暖かく──

 

「あ、そうだ。そういえば実家から……」

 

 梅里はどこからともなく、その手にあるものを取り出した。

 それを見て、かすみは──目を輝かせる。

 

「それは……」

「……他の人には内緒ですよ?」

 

 ストーブの上にそれを並べながら、梅里は笑みを浮かべる。

 干し芋──皮を剥いて厚めにスライスしたサツマイモを干して乾燥させたものであり、茨城県の名産品の一つである。

 二人は程良く熱せられた干し芋に手を伸ばしつつ、伝票整理を始めた。甘さと糖分で頭の回転がよくなったおかげか、予想以上にそれははかどったのであった。

 

「ところで、う……主任?」

「梅里、でいいですよ」

 

 書類を処理する手を休めずに話をしていたかすみと梅里だったが、そこに油断があったのか、かすみが梅里を名前を呼びそうになってしまい、梅里は笑みを浮かべてうなずいた。

 かすみは自分の失敗に小さくため息をついてから、改めて彼に話しかける。

 

「梅里くん……何を悩んでいたんですか?」

「あれ? 悩んでいるって言いましたっけ?」

「考えが煮詰まっている、と言ったじゃないですか。それに事務局にきたのも、心ここにあらずといった様子でしたし……あまりそういう姿を見たことがありませんから」

 

 微笑むかすみに、梅里は憮然とする。

 

「ヒドいなぁ。僕だって悩みますよ……僕のことを悩みのない脳天気なヤツって思ってません?」

「そんなことありませんよ」

 

 そういってかすみがからかうようにニコニコと笑みを浮かべた時のことだった。

 すぐ近くでガサッと物音がする。

 思わずそちらを見て──

 

 

「きゃあああぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 突然の悲鳴と共に、梅里は頭をガッチリとホールドされていた。

 

「え? え!?」

 

 同時に視界は真っ暗になり、顔には何か柔らかいものに押しつけられているような感触がある。

 そんな状況に戸惑うしかない梅里だったが、それでもだんだんと状況を把握し始めていた。

 

(あれ? これって、頭の後ろに腕が回されて……押さえられている? ってことは、この体勢……悲鳴はどうやらかすみさんで……ってことは、この感触って!?)

 

 自分の顔が当たっている──否、埋めているものの正体に気がついた梅里は慌てて顔を上げようとしたが、後頭部にしっかりと回された彼女の腕が思った以上に強い力が込められていて、外すことができない。

 それどころか、梅里が外そうとしたことで逆に力が込められ、さらには少し体勢が変わり──

 

(な!? 息が……)

 

 ついには完全に鼻と口が塞がれ、呼吸ができなくなってしまった。

 口がふさがれて言葉も発せなくなったために、かすみの肩をポンポンと叩くのだが、パニックになっている様子で悲鳴をあげるばかり。梅里の必死の主張は彼女にまったく伝わらなかった。

 

(と、とにかくここままはマズい。本当にマズい)

 

 今の自分の姿勢を考え、これを誰かに見られるようなことがあれば盛大に誤解されて大変なことになる──それが例えばしのぶだったらさらにマズく、命に危険が及ぶ──可能性がある。

 

(というか、今まさに命の危機が……)

 

 顔に押しつけられたもので呼吸を阻害されている現状。『窒息』という言葉が頭に浮かび──しかもそれが、かすみの胸に顔を埋めてそうなったとなれば、男の浪漫とかそういうのではなく、本当に間抜けなことになってしまう。

 

(なんとかしないと……)

 

 梅里はどうにか頭を動かし──その際に頭を左右に振ることになってしまい、罪悪感にさいなまれつつ──どうにか口を解放させる。

 そして──

 

「ちょ、かすみさん……ストップ、死んじゃ、う……」

 

 そこまで言うのが精一杯だった。

 悲鳴をあげて、梅里の頭に必死にしがみついていたかすみだったが、梅里の言葉で少し冷静さを取り戻し──それがきっかけとなって心が落ち着いていく。

 やがて、完全に我に返り──

 

「ご、ごめんなさい!!」

 

 ──慌ててその拘束を解く。

 自由を取り戻した梅里は天を仰ぎ、大きく息を吸い込んだ。

 そうやって呼吸を落ち着かせてから、梅里はかすみをチラッと見る。

 彼女は恥ずかしそうに視線を逸らせていた。それが我を失って取り乱すほどに錯乱したことに対してなのか、それとも梅里の顔を自分の胸に押し抱いたことによるものなのか、どうにも判定はできないものだった。

 

「……いったい、どうしたんですか?」

 

 ようやく呼吸を整えた梅里が問うと、かすみは視線を逸らしたまま、恥ずかしそうにポツリとつぶやいた。

 

「そ、その、ネズミが──」

「ネズミ?」

 

 思わず問い返した梅里に、かすみは顔を赤くしながらうなずく。

 

「私、ネズミが苦手で……」

「かすみさんが?」

 

 思わず笑い出す梅里。彼にとってネズミは、実家の食事処では絶対に出さないようにと注意している害獣であるが、やはりどうしても現れることもあってそこまでの苦手意識はない。

 そんな梅里の反応に憮然とするかすみ。

 

「なにも笑うことはないじゃないですか」

 

 一方で、しがみついていたことを思い出して恥ずかしくなった。

 

「まぁ……もういなくなったみたいですし。作業に戻りましょう」

 

 そう言って立ち上がった梅里だったが──かすみはなぜか立ち上がらない。

 不思議そうに彼女を見るが──顔をさらに赤く、視線を逸らしたままの彼女はやはりしばらくしても立ち上がらなかった。

 

「あの……かすみさん?」

「……それが、腰が抜けてしまったようでして……」

 

 顔を真っ赤な顔を隠すようにしてポツリと言ったかすみに、梅里は呆気にとられ──吹き出しかけたのをどうにかこらえ、右手を差し出す。

 

「あ、ありがとうございます……」

「いえ」

 

 笑いをこらえている梅里は短くそう答えて、手を掴んだかすみを引っ張って立ち上がらせる。

 すると彼女は礼を言い──

 

「申し訳ありませんでした。でも……」

 

 そこまで言ってから急にジト目になって睨んでくる。

 

「笑いをこらえてますよね?」

「ぷっ……」

 

 それでバレていたのが分かって梅里はついに吹き出して遠慮なく笑い始めた。

 

「そ、そんなに笑うことないじゃないですか」

「すみません。かすみさんって何でもできる人ってイメージがあったので、意外な弱点がおかしくて」

 

 恥ずかしげにしながら怒るかすみに対し、笑いのツボに入ってしまいしばらく笑い続けていた梅里。

 それが収まるころには、冷静になったかすみの怒りを含んだ圧のある微笑みを前にして、一生懸命に伝票整理へと取り組むことになった。

 おかげで伝票整理は思った以上に早く終わったのだが──

 

「お、おかげさまで伝票整理も終わりましたし、食事でも行きませんか?」

 

 確認作業を終えたかすみがそう申し出た。

 

「先ほどのお詫びもしたいですし……」

「あ、あのネズミの──」

 

 再び笑いそうになった梅里。

 それをかすみは含みのある目でじっと見つめて制すると、一度咳払いをして気を取り直し──

 

「それに、他の人の料理を食べるというのも悩みを解決する刺激になるかもしれませんよ」

 

 彼女に笑顔でそう言われ──その誘いを梅里には断る理由はなく、二人は着替えを済ませると、彼女のオススメの店──煉瓦亭へと向かうのであった。

 




【よもやま話】
 かすみさんがネズミが嫌いなのは公式設定です。一応。
 茨城出身なのも公式設定なのですが──意外と知られていないようですね。
 ちなみにこのシーン。原作ゲームだと大神が帝劇三人娘の誰かを手伝うところですが、この世界の大神は由里を手伝ったようです。


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─6─

 煉瓦亭というのは、銀座にある洋食店である。

 帝都でも屈指の洋食屋の老舗であり、この店発祥とされる料理も数多い。

 梅里の得意としてるオムライスもその一つであり──そんなお店に梅里とかすみはやってきていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その店に入って席に着くや、注文を聞かれるよりも前にコックコート姿の者がテーブルの傍らにやってきた。

 そして梅里へと話しかけてくる。

 

「誰かと思えば、帝劇食堂の主任さんじゃないか。こんなべっぴんさん連れて、デートかい?」

「ええ、まぁ、そんな感じで……」

 

 相手の冷やかすような笑みに対し、梅里は誤魔化すように苦笑を浮かべる。

 

「しかし……わざわざウチにくるくらいだったら、自分で作って御馳走した方が株が上がるんじゃないか?」

 

 からかってきた彼に梅里は──

 

「一緒に食事するなら、少しでも美味しいものを御馳走したくなるのが普通じゃないですか? 僕の腕なんてまだまだですから……」

 

 そうやって返すと、店の者も満更ではない様子で「じゃあ、デートが成功したらウチの手柄だからな。ちゃんと報告するんだぞ」と言って厨房へと戻っていった。

 その姿を見送り、かすみは意外そうに梅里を振り返った。

 

「……お知り合いだったんですか?」

「まぁ、そうです。銀座界隈で同じように洋食を出していればつながりもできますから」

 

 かすみの問いにうなずく梅里。帝劇の食堂も洋食が中心になっており、それが縁で知り合ったのだ。

 とはいえ、梅里の基礎は実家の料亭仕込み。洋食屋での修行経験もあるが和食の方が得意ともいえる。それになによりも経験の差もある。帝劇の食堂ではもっとも料理の腕の立つ梅里だが、この店はそれでもまだまだかなわない相手であり、ちょくちょく味を盗みにも来ている。

 そんな事情を知ってか知らずかそれも黙認されており、ある意味では師匠のような存在でもあるのだ

 それを説明すると、かすみは複雑そうな顔をした。

 

「それなら別のお店の方がよかったでしょうか?」

「そんなことないですよ。普段は味を盗みに来てますけど、今日は違いますから」

 

 悪びれもせずに笑みを浮かべる梅里。

 その彼に、かすみはふと思っていたことを尋ねてみる。

 

「前から聞きたかったんですけど、料理人の方ってよそのお店に行ったときはどうしているんですか?」

「目的にもよりますけど、美味しいものを食べたいという欲求は料理人だろうがそうでなかろうが変わりませんからね。美味しい店を探すときはそのように、見つけた美味しい店の味を盗もうとするときは真剣に、こうして誰かと料理を楽しみに来たときは普通に楽しみます」

 

 そう言って、梅里は屈託無く笑い、それを悪戯っぽいものへと変える。

 

「なにより自分で作らなくても美味しい食事ができるのが素晴らしいですよ。こんなに楽なことはありません」

「なるほど……」

 

 かすみもつられて笑顔を浮かべる。そして──

 

「でもそれなら……家でも誰かに料理を作ってもらえれば、楽をできるっていうことですよね?」

 

 そう言って意味深な視線で梅里を見た。

 才色兼備で家事もこなせる、そんなかすみからのアピールだったのだが……しかし残念なことに梅里は鈍感であった。

 彼は笑みを浮かべながら──

 

「いえいえ。自宅では自分で作らないといけませんし、たとえ実家に帰っても結局は母に手伝わされるので……」

 

 故郷を思い出したのか、遠い目をする。

 

「だから、お店にでも行かない限り、誰かに作ってもらえるなんてことは無いんですよね……」

 

 そういって苦笑する梅里に、さすがにかすみもこの鈍感さにはあきれ果てた。

 もちろんかすみは梅里の実家に帰ったときの事情を聞きたかったわけではない。暗に梅里に「家で私が料理をしましょうか?」という話に持って行きたかったのだが──

 

(これは……せりさんやしのぶさん、かずらちゃんが苦労するのもわかる気がしますね)

 

 何の進展もしていない先駆者として三人を甘く見ていたところのあるかすみだったが、思わず心の中で苦笑する。

 そして仕方なく話題を変えた。

 

「実家といえば、年末年始には帰省されるのでしょうか?」

「僕はその予定はないですよ」

 

 黒鬼会との戦いが終結し、今度の正月は花組メンバーたちも帰省する人も多いらしいという噂を由里から聞いていたかすみの問いに、梅里はあっさりと否定した。

 

「今年は春先に実家に一度帰ってますし、それに夏にも無理を言って帰省してますからね。さすがに今回は居残りです。副隊長のしのぶさんも陰陽寮との折衝で一度は向こうに帰ったので今回は帰省しないみたいですから、今度の正月休みは宗次を実家の佐倉に帰してあげようかと──」

 

 夢組トップ3の正月事情を話されても……とかすみは思った。

 だが、密かに梅里が実家に戻らないという有益な情報と、しのぶもまた帝都に残る予定だという警戒すべき情報を入手できたのは間違いない。

 かすみはさらに聞き込みを続け、他の動向を探ることにした。

 

「せりさんやかずらちゃんはどうなんですか?」

「かずらは帰省も何も、実家から来てますからね。せりも「正月に帰ったら休むどころか逆に忙しくて疲れるだけだから」なんて言って──」

「ああ。せりさんの実家は神社でしたね」

 

 正月こそ忙しい神社ならではの悩みだろう。

 

「でも、それはそれで人手が必要なんじゃないでしょうか?」

「僕もそう思ったんですけど、せりは「なずなを帰せばそれで十分でしょ」なんて言って……それを聞いたなずなちゃんも怒って喧嘩し始めてましたからね」

「それは……結局、どうなったんですか?」

 

 姉妹喧嘩を想像してかすみが眉根を寄せて苦笑を浮かべると、梅里は楽しげに答えた。

 

「結局はせりの勝ちです。今回は周囲に迷惑をかけすぎて、とても帰れる状況じゃないからって言われたら……さすがになずなちゃんも折れるしかなかったみたいですね」

 

 そんな話を聞きながら「そうだったんですか」と相づちを打ちつつ、それを額面通りに受け止めるほど、かすみは鈍くはない。

 せりもせりとて、梅里が帰省しない中で恋敵(ライバル)達も帝都に残ろうとしているのを察して自分も残ろうと必死なのが容易にわかった。

 もちろんかすみも後れをとるつもりはなく──

 

「かすみさんは、どうするんですか? やっぱり帰省します?」

「私も夏に帰ってますから。梅里くんにしても私にしても、茨城は関東ですからほかの地方に比べればまだ帝都から近いですけど、かといって他の人よりも目立って多く帰るわけにはいきませんからね。由里も静岡ですから、私よりも遠いですし」

「そうなんですよね──」

 

 梅里の問いに答えつつ、自分も正月にはいるとアピールしながら──地元の話を交えつつ注文を決め、そして料理を待つ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「それにしても──」

 

 談笑しながら料理を待っている間、梅里はそう言ってかすみの姿を改めて見た。

 彼女が着ているのは淡い水色の洋服に黒のスカートという出で立ちである。帝劇を出る際に着替えた──彼女の普段着である。

 

「かすみさんって、和服のイメージが強いから、ちょっと意外ですね」

「そうですか? あの服は仕事着ですし、普段は洋服も結構着るんですよ。通勤なんかもそうですし」

 

 そう言われて梅里は不思議そうな顔をした。

 

「あれ? でも春のときは──あの服でしたよね?」

「あれは……あのときは、遅くなって着替える時間がなかったからです」

 

 梅里がいつの時をさしてそう言ったのか、かすみは理解していた。あの鬼王の襲撃を受けた日のことだ。

 確かにあの日はかすみは仕事着のまま帰宅し、その途中で災難に巻き込まれている。

 梅里もまたそのときのことを思い出しながら、かすみに謝った。

 

「あのときはすみませんでした」

「……なにがでしょうか?」

 

 なにか謝られるようなことをされただろうか、かすみは思い出すが心当たりはない。

 

「かずらから聞きましたけど、着ていた服が僕の返り血で汚れてしまったそうで……仕事着なら、なおさら……」

「そんな! それを言うなら私の方こそ、です。私やかずらさんがいなければ逃げられたでしょうし……あのときの怪我を考えれば、服の一着や二着は騒ぐようなことではありません」

 

 思わず恐縮してしまうかすみ。足を引っ張ったのは自分たちの方であり、確かに助かったのは救援に来た秋嶋紅葉達のおかげではあるが、梅里が鬼王に痛打を与えて余裕がない状況にまで追い詰めていなければ、行きがけの駄賃とばかりに簡単に命を奪われていたかもしれなかったのだ。

 

「ですから、私は──」

 

 かすみがさらに梅里に感謝を伝えようとしたところで料理が運ばれてきて、その話は途切れることとなった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 運ばれてきた料理に舌鼓を打つ二人。

 だが──かすみはふと梅里が浮かない顔になったのを見逃さなかった。

 

「……どうかなさったんですか?」

「え? なにが……ですか?」

 

 慌てて取り繕うように笑顔を浮かべる梅里。

 それにかすみは眉をひそめた。

 

「誤魔化さないでください。ここにくる前、事務局でも悩んでいることがあるって言っていたじゃないですか。今、少しそれを考えてましたよね?」

 

 かすみに指摘され、梅里は苦笑しながら頬を掻く。

 

「よくわかりますね……ホント、かすみさんにはかないません」

「ええ、私もせりさんやしのぶさん、かずらちゃん達に負けないくらいよく見てますから」

 

 笑みを浮かべるかすみに対し、梅里は正直にクリスマス特別公演に合わせた特別メニューで悩んでいるという話をした。

 

「クリスマス定番のものを作るべきか、それとも自分の作れる自信のある料理を作るべきなのか……そもそもその定番の料理さえまだよくわかってなくて……」

 

 クリスマスの定番を調べるために、外国出身の華撃団隊員から話を聞いたことも説明した。国ごとに差違が大きくて却って悩む原因になってしまっている。

 そんな中で定番と言えそうなのが七面鳥を使った料理くらいだが、そもそも日本で七面鳥の認知度が低すぎて調達が難しいだろう。

 

「──かといって、(キジ)って訳にもいきませんし。鶏や鴨では特別感がないですからね」

 

 う~ん、と悩みつつ梅里は目の前の料理を口に入れた。

 

「そういえば以前、絶叫オムライスというのがあると聞きましたが……」

「──ッ!?」

 

 危うくむせかける梅里。

 少しせき込んだ彼は、苦笑いでかすみを見つつ──

 

「それってただの噂話で──」

「嘘ですよね? 特別なオムライス……あるんじゃないでしょうか?」

 

 かすみが鋭いところを見せて、梅里に詰め寄った。

 視線を逸らして誤魔化そうとした梅里だったが──じっと見つめるかすみの視線に耐えきることはできなかった。

 目をそらして頬をかきつつ、それに答える。

 

「アレは……せりに作るの止められているんですよね。せり以外に食べさせるなって」

「そう言われると余計に気になりますけど……でもどうしてせりさんの許可が必要なんです?」

「材料費が、いつものに比べて掛かりすぎるからです。だからせりの許可がなければ作れません」

 

 梅里の説明に、かすみは「なるほど」とうなずく。

 

「でも、たまに作ってる、と?」

「まぁ、そうですけど……あくまで試作扱いなんです」

「それを、せりさんに食べさせている、というわけですよね?」

 

 まるで取調べのように畳み掛け、ずいっとさらに詰め寄ってくるかすみに梅里は苦笑を浮かべるしかない。

 

「あ~、まぁ……たまにかずらやしのぶさんが割り込んでくるときもありますが」

 

 そんな梅里を、かすみはジッと見つめる。

 

「私も、食べてみたいです」

 

 そして笑顔でそう言った。

 

「か、かすみさんも、ですか?」

「ええ。叫ぶほどにおいしいんでしょう?」

「いやいや、叫んだ人は最初だけですし。しのぶさんは泣いていたけど……」

 

 それを聞いて、さすがに少しだけ怖じ気付く。

 食べた人が叫んだり泣き出したりするような料理とは、いったいどういうものなのか。

 だが──せりが独占し、かずらやしのぶも食べたことがあるというそれに対する興味の方が上回った。梅里を含めた4人で秘密を共有しているような状況は面白くないし、その牙城を崩したいという欲求もある。

 

「私だって美味しいものを食べたいという欲求はありますから」

「でも……」

 

 なおも躊躇う梅里に、かすみは思いついた提案をした。

 

「では、以前言っていたお礼……梅里くんが意識がなかったときに私が世話をしたお返し、ということではどうでしょうか?」

「まぁ、それなら……」

 

 その言葉には、梅里も躊躇いがちににも頷いた。そのときの恩は強く感じているし、何かお礼をしたいという気持ちはずっと残っているのだ。

 梅里が承諾したことに内心喜ぶかすみだったが、そこまで躊躇わせるせりとの約束の拘束力には少し驚いていた。

 

(……ずいぶん強力な恋敵(ライバル)ですね。本当に)

 

 心の中でそっとため息をつく。

 梅里と夢組の三人の仲がさほど進展していないように見えていたので、侮りこそしていなくとも楽観視していた部分もあったが、なかなかどうして、絆や信頼はかなり強固に築き上げている様子だった。

 ともあれ、この件はここで切り上げるとして──かすみはもう一つ、気になっていたことを尋ねた。

 

「もう一つお訊きしたいのですけど……あのとき、どうして鬼王と一騎打ちを仕掛けたのですか?」

「あのとき? 一騎打ち……って、この前の11月の話ですよね?」

 

 梅里の確認にかすみはうなずく。

 あのときの梅里の行動は、あまりに普段の梅里の行動からは予想外なものだったからだ。

 危うく処分をくらいかけたほどなのに──かすみはいろいろ考えたが、その動機がさっぱり分からなかった。

 

「以前の、帝都に来て間もなくの危なっかしいころならともかく、今の梅里くんでは考えられないような行動でしたから」

「危なっかしいって……」

 

 思わず頬を掻く梅里。

 かすみが言っているのは、梅里が守護霊の鶯歌に気がつかず、死地を求めていた頃の話だろうと思った。

 確かにあのころは、自分を追い詰めるために無謀な戦いにあえて一人で向かったりしていた。せりと絆を深めるきっかけになった蒼角モドキとの戦いがまさにそれだった。

 あれ以来、心を入れ替えた梅里は自分からそういった状況を作り出すことはなかったのだが──少なくともこの前の鬼王との一騎打ちは、そう思われても仕方がなかったという自覚はある。

 

「あ、あれは……そう、魔神器を取り戻そうと思ってですね……元々、アレの守護は夢組の役目の一つだったわけですし……」

 

 そう言ってから梅里は食べようとし──思わず洋食器と皿でカチャカチャと音を鳴らしてしまった。もちろんそんな動揺はかすみにも伝わっている。

 

「わざわざ、あのタイミングで仕掛ける必要はありませんでしたよね? 花組が攻勢を仕掛けていたわけですし」

 

 あのとき、新型霊子甲冑を導入した花組には勢いがあったし、むしろ優勢だっただろう。もし鬼王が魔神器を持って戦場から離脱しようとしているのであれば仕掛けるのはわかるが、そういった状況でもなかった。

 

「そ、それに……鬼王には一度痛い目に遭わされたっていう経緯があったわけだし、やられたらやり返すというか、倍返しというか……」

「……梅里くん?」

 

 業を煮やしたかすみが、怒った様子で梅里をじっと見つめる。彼がそういう性格ではないのがわかっていたからだ。

 それに梅里は、妙に焦った様子になり、ひどく狼狽(うろた)え──やがて観念したようにため息をついた。

 実は、梅里には年上の女性に怒られると弱いという弱点があった。剣の基礎を教えた梅里の母親による指導の賜物というか副産物というか──とにかく、かすみが無意識についたその弱点によって彼は観念する。

 また、梅里自身も、悩みの種で誰かに話したいところだったというのもあった。

 

「かすみさん、突然ですけど……司令や副司令にも言えない秘密って、作れますか?」

「──はい?」

 

 唐突な言葉にかすみは思わず眉をひそめた。しかも内容が華撃団の隊員としてどうか、というような内容である。

 だからこそ梅里はさらに説明をした。 

 

「今からするのはとてもデリケートな話で、そして僕の推論を出ない話です。確たる証拠は全くないんですけど……だからこそ、司令に話すのはそれが確実にならないと耳に入れたくない話です」

「梅里くんが言うな、というのなら私は守りますよ」

 

 仮にも華撃団の誇る『五組』の一つ、夢組の隊長を務めている人の言葉であり、判断である。

 もちろん、個人的に信用している相手でもあるのだから、当然のことだった。

 かすみの言葉で梅里は居住まいを正し、そして口を開いた。

 

「黒鬼会の首魁だった鬼王の……仮面の下の顔、謎のままでしたよね?」

「ええっと……たしか、そうですね」

「それなんですけど、その正体が花組の真宮寺さんのお父さん、真宮寺 一馬さんなんじゃないかと思いまして……」

「えッ──?」

 

 さすがに絶句するかすみ。

 正直、梅里に対して「この人は何を言い出すのだろうか?」と正気を疑うような、失礼な感想を持ってしまった。

 しかし梅里とてなんの根拠もなくそのトンデモ説を提唱したわけではない。その理由を説明する。

 

「もちろん、真宮寺大佐は降魔戦争後に亡くなっているのはわかっています。黒鬼会は反魂の術を使って蘇らせたのではないか、と……」

 

 それを皮切りに梅里は事情を話していった。

 反魂の術という死者を蘇らせる外法を黒鬼会が使用できるのは、先兵のように使われた葵 叉丹こと山崎 真之介が現れたことで明らかだった。そのように死者を蘇らせて使役する技術があるのは間違いなく、決して荒唐無稽な話ではない。

 その上で、梅里は襲撃されたときにさくらの──いや、真宮寺の技である『桜花放神』を使っている。

 梅里があのとき使ったのは『満月陣・月食返し』という相手の持つ技を放つ技なのだが──さくらがいないあの場所で使ったというのは、鬼王が真宮寺の技を使えるという証でもある。

 他にも、交流のあった梅里の祖父から聞いた構えの話などの根拠を並べ立てた。

 それらを聞き終えたかすみは──

 

「確かにその話は、うかつにできるような話ではありませんね。それに……司令に話すのを躊躇ってしまうのもわかります」

 

 根拠はあるが確証はない話である。しかも一馬は米田の戦友だったのだから。

 かすみは真剣な面持ちで、握った手を口に当てるように近づけて考えを巡らせ──

 

「なるほど。それで、ですか。納得がいきました」

「──なにがですか?」

 

 梅里が何のことかわからずに問うと、彼女は笑顔を浮かべて答えた。

 

「鬼王と戦っていたことです。司令にも相談できず、かといってそれが本当なら──さくらさんと戦わせたくなかった。だから花組が到着する前に片を付けたかった。違いますか?」

「それは……」

 

 思わず視線を逸らし、虚空を見上げながら頬を掻く梅里。

 

「誤魔化すことありませんよ。あなたの優しい性格はよくわかっていますから。そうでなければ、せりさんもかずらちゃんもしのぶさんも、あんなに一生懸命に追わないでしょうし、カーシャさんのことも助けようとは思いませんからね」

 

 かすみにそう言われては観念するしかない。梅里は小さくため息をついて、うなずいた。

 

「僕が優しいかどうかはさておいて、やっぱり親子で戦わせるわけにはいきませんよ。ましてそれが亡くなった人で……しかも蘇らせられて操られているような相手であれば、なおさらです。真宮寺さんには辛すぎる」

 

 反魂の術で蘇った者は蘇らせた者への絶対服従を強いられる。

 仲違いしたわけでもない、悲しい別れをした父娘(おやこ)が敵対するのは余りに残酷に思えた。

 ましてそれを──倒さないとならないとなればなおさらだ。

 それを聞いてかすみも優しげに微笑む。

 

「ええ、そうおっしゃると思ってました。でも……その優しさ、少しくらい、私に向けてくださってもいいんですけど?」

 

 かすみがそう思わせぶりに言えば、梅里も返す言葉に困ってしまう。

 どう言ったものか、と言葉を探していると──

 

 

「──大神さんて、やさしすぎるのよね」

 

 

 どこかで聞いたような声が聞こえた。

 思わず顔を見合わせる梅里とかすみ。そして──

 

 

「大神さん。思い切って、一番好きな人を選びなさいよ」

 

 

 そんな声が聞こえた方を二人して振り向き──近くのテーブルで、いつものモギリ服を着た髪が逆立っている男と、赤い帽子こそ普段と同じだが、めかし込んだ私服を着た由里が向かい合って座っているのを見かけた。

 

「あ、大が──」

 

 声を上げかけた梅里を、かすみは思わず口をふさいでいた。

 動揺した目で「何を?」と言外に問う梅里に対してかすみは首を小さく横に振る。

 

「静かに……由里に見つかったら、帝劇中の──いえ、花やしきでもあっという間に噂になりますよ、私達の方が」

 

 そう言ってかすみがそっと梅里の口から手を離すと、梅里も小声で返す。

 

「でも……あっちの方こそ、噂が流れたら困るんじゃ……」

 

 由里が花組全員から睨まれることになるのだから大変だろう。

 そうこうしている間に、由里と大神の話は続く。そして、それを眺める二人。

 どうやら大神も梅里と同じく悩んでいたことがあったらしく、由里に相談した様子だった。

 

「──でもそんなことを気にしていたら舞台なんてできないですよ。幕は開けなくちゃ」

「たしかに、ずっと悩んでいてもしょうがないな。ありがとう、由里くん。相談に乗ってくれて……」

「いえいえ。新しい情報を仕入れられて、あたしこそありがとうございました。」

 

 由里は気を取り直してテーブルの上の料理を見る。

 

「それじゃ、大神さん。せっかくですから、お料理を楽しんでいきましょうよ。あたしも大神さんと一回くらいデートしたって、バチは当たりませんよね?」

 

 そう言って笑みを浮かべる由里に、笑顔で返す大神。

 彼はなにげなく視線を動かし──見慣れた濃紅梅の羽織を着て頬を掻いている男と、三つ編みを体の前に垂らした女性が向かい合ってテーブルについており、こちらを見ているのに気がついた。

 大神の笑顔が固まり──それを見ている梅里も苦笑するしかない。

 

「なッ!? 武相主任!? それにかすみくんも……」

「こ、こんばんは……」

 

 驚く大神に気まずそうな梅里。

 

「あら、かすみ。武相主任と一緒ってことは……やるわね、あなたも」

「由里……」

 

 いい笑顔でこっそり親指を立てて見せる由里に、かすみは苦笑する。

 そのまま由里はいたずらっぽくウィンクする。

 

「これは貸しね。このことは噂にしないで黙っててあげる」

「そっちこそ、大神さんとのデートを花組に話されたら困るんじゃないかしら?」

 

 笑顔で言い合うかすみと由里。

 その横では、お互いにどう話したものかと困惑する男二人……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──その一方で、

 

「はぁ……お腹すいたなぁ……」

 

 売店の整理をしながら、ため息混じりにつぶやく椿。

 視線を上げて──

 

「煉瓦亭のオムレツ、誰か御馳走してくれないかな……」

「え? 椿さん、食事ごちそうしてくれるんですか?」

 

 離れた場所で作業していたつぼみが驚いたように顔を上げる。

 その顔を見つめ──さすがに彼女と一緒に行ったら払いは間違いなく自分になると判断し──こっそりため息をついた。

 

「聞き間違いよ。それに……今日中に整理が終わらないと、食事もなにもないもの」

「え~」

 

 不満げなつぼみだったが、椿がそう言うのも無理はなく──明日からはクリスマス公演に向けた新商品が続々と入荷されてくるので、それに間に合うようにガンバらなければいけないのである。

 

「不満そうだけど、私のいない間に、つぼみちゃんがもう少し丁寧に整理していてくれたら、ここまで大変にならなかったんだけど……」

「ご、ごめんなさい……」

 

 しゅんとして頭を下げるつぼみ。

 クリスマス公演に向けた新商品を並べる関係で整理を行うというのを椿から聞いた食堂副主任のせりが、「物のおいてある場所も分かるでしょ?」とつぼみを食堂給仕の仕事を免除させて応援に派遣してくれたという事情があった。

 食事抜きの脅しもあってつぼみが切羽詰まって集中力を高め──その甲斐あって椿とつぼみは売店の整理をどうにか終わらせた。

 結果としては、煉瓦亭のオムレツは食べれなかったが──せりが食堂で食事を出してくれて、もちろんそれにかなわないまでも、十分に美味しいそれに二人は幸せを感じるのであった。

 




【よもやま話】
 大神は由里を手伝ったという設定から、由里と大神の会話は原作ほぼそのまま引用しております。
 そして椿は可哀想なことに……
 原作ゲームでは帝劇三人娘から「好きなヒロイン選びなさいな」と割とあってもなくてもいい、帝劇三人娘ファン向けのイベントだったのですが……梅里とかすみの会話は結構重要な話をしている気がするのですが。
 ──そういえば、宗次の実家が佐倉と出てきましたが、サクラ革命のヒロインの佐倉しのとは全く関係なく、江戸時代には佐倉藩のあった千葉県佐倉市です。藩外不出の武術である立身(たつみ)流というものがあったそうで、苗字からそこを実家と設定しました。


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─7─

 翌日の夜の営業が終え、その後片づけも終わって皆が帰った後にも梅里は残っていた。

 

「……う~ん」

 

 イスに腰を落ち着け、虚空を見つめる梅里。

 しばらくそうしている彼は、クリスマス公演が迫り、未だにメニューを決められず悩んでいたのであった。

 後片づけが終わった時も──

 

「私は帰るけど……あなたはどうするの?」

 

 着替えていない梅里を見たせりが心配そうに声をかけてきたのは覚えている。それに「もう少し考えを煮詰める」と言うと、せりはなにか言おうとしたが、結局それを飲み込んで、帰って行った。

 正直、悩みすぎて何が正解なのか、わからなくなっている節はある。

 それに気がついて梅里がため息をついたとき──

 

 

「梅里……様?」

 

 

 そこへ現れたのは給仕服から着替え、普段着の和服に身を包んだしのぶだった。

 訝しがるように暗くなった食堂をのぞき込んでいた彼女は、ゆっくりと部屋の中に入ってくる。

 

「やはり、そうでしたか……どうさなったんですか? 皆さん、とうに帰られたようですけど……」

 

 心配しながらも微笑を浮かべつつ言ったしのぶの言葉に、梅里は苦笑で返す。

 

「まだ、クリスマスの特別メニューが決まっていなくて……しのぶさんこそどうしたんですか? こんな時間まで残っていて」

「じつは、着替えた後にアイリスさんに声をかけられて、今まで少しお話をしていました」

 

 話した内容は乙女の秘密ですよ、と人差し指を口の前に立てていたずらっぽく笑みを浮かべる。

 思わず釣られて笑顔を浮かべる梅里。

 

「しのぶさんは……どうしたらいいと思う?」

「特別メニュー、ですか?」

 

 しのぶの確認に梅里はうなずく。

 彼女は少しの間うつむいて考え込むと、顔をあげて梅里の方を向き──

 

「梅里様……わたくし、ここでもう3年近く働いておりますが……申し訳ありません。料理のことは未だによくわかっておりません」

 

 心底申し訳なさそうに頭を下げる。

 しのぶは自分でそう言うだけあって、本当に料理に関してはサッパリ駄目であった。

 彼女の名誉のために言うと、けっして味音痴というわけではない。華族の家系に生まれた彼女は、さすが上流階級というような生活をしていたわけで、当然、出される食事も──魔眼のせいで疎まれていたとはいえ、粗雑な扱いを受けて恨みをかうようなことを避け──良いものが出されていた。

 おかげで舌は肥えており、味も分かるように育った。

 しかし、それと料理を作るセンスはまったく違う。良家の娘だった彼女は料理をすることはなく、それどころか調理とは無縁の世界で育ち──おかげで自分の調理センスが全くないことにも気づくこともなく──華撃団へと出向し、夢組幹部として食堂勤務になったのだ。

 それで根本的なセンスのなさを思い知らされて以来、さりげなく厨房を避けていた。どんなに厨房が多忙になろうとも、けっして手を貸すことなく給仕に専念していたのだ。

 

「……そんなわたくしが料理に関して、特別メニューについて何かを言うなど、おこがましいかと思います」

 

 それは厨房で働いている人や、なによりも梅里の片腕として食堂で彼を支えるせりに対する配慮だった。副主任として給仕だけでなく調理の方もこなせる彼女こそ、この問いに答えるにふさわしい人だろう、しのぶはそう判断したのだ。

 

「おこがましいとか、資格とか、そういう難しいことは考えなくていいんだよ。もっと忌憚のない意見を聞きたいんだけどな……」

 

 苦笑しながら頬を掻く梅里は本当に困っていた。

 その様子に、しのぶもまた苦笑を浮かべ、ここで遠慮するのは梅里を困らせるだけだと判断する。

 

「では……あまり奇をてらわずに、できる限りの手を尽くせばいいのではないでしょうか。食堂に来られるお客様は、変わった演出よりも味──梅里様が込められる気持ちを大事にされると思います」

「僕の込めている気持ち?」

「はい。梅里様、それにせりさんや食堂の皆さん、もちろんわたくしもですが……共通するのは来ていただくお客様方に、食事を楽しんでいただきたいということ。それを大切にすればいいかと思います」

「それって……普段通り、つまりは普段と同じメニューでいいってこと?」

 

 梅里の確認にしのぶは首を横に振る。

 

「難しく考える必要はないということです。でも普段と同じでは面白くないでしょうから、とっておきのものを出してはいかがですか? もっとも得意とするアレとか……」

「それって……」

 

 梅里が躊躇いがちに確認すると、しのぶはゆっくりとうなずいた。

 

「ええ。オムライスをクリスマス風に仕上げてみてはどうでしょうか?」

「クリスマス風ねぇ……」

 

 クリスマスと言えば、モミの木、サンタクロース、トナカイ、そして……雪。

 

「そうか……雪の白をモチーフにして……なるほど。うん、イメージわいてきたよ」

 

 梅里はバッとイスから立ち上がり、それから考えを巡らせる。

 見た目、味、それを作り出すための調理行程……それらを考えて、より現実的なものへと考えを巡らせる。

 そして──それが頭の中でまとまり、梅里は思わず近くにいたしのぶの手を取った。

 

「ありがとう、しのぶさん! おかげで考えがまとまったよ」

「は、はい……」

 

 驚いた様子のしのぶ。

 突然手を握られて驚いたが、それから覚めるとギュッと握りしめる梅里の力強さと温もりに意識してしまい、思わず顔が赤くなる。

 

「なんていっても特別メニューなんだから──せりに相談して、多少のコスト高には目をつぶってもらうとして……」

 

 梅里はようやく決まった特別メニューを、頭に浮かんだレシピと共にメモに残し──気がつけば、だいぶ遅い時間となり──見守ってくれていたしのぶを送りつつ、帰路についた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その翌日──梅里はメニューの概要をせりに話していた。

 

「……ホワイトソースをオムライスにかけるわけね。まぁ、確かに、雪に見えなくもないか……」

 

 雪を連想させる──と話を聞けば、関東出身の梅里なんかよりもはるかに雪と共に暮らしてきた東北・雪国出身の身としてせりも黙ってはいられない。

 そんなせりは及第点を出しつつも、中のチキンライスの赤とのコントラストが、クリスマスを連想させるだろう、とも思い至っていた。

 

「いいんじゃない? 他の案の七面鳥とか雉肉は正直、入手が難しそうでコストも上がりそうだし……これなら普段のアレンジで十分いけるでしょ?」

 

 そう言ったせりだったが、梅里がなにやら言いづらそうにしているのを見て、首を傾げた。

 

「……これ以外に、なにかあるのかしら?」

「うん、あとは……かずらから聞いたんだけど、数年前から洋菓子屋さんがクリスマスに合わせてショートケーキを売っているらしいから、それに便乗してうちでもショートケーキを売ったらどうかな、と思ってね」

 

 後世では定番となるクリスマスケーキの代名詞、ショートケーキもこの3年ほど前に不二家が売り出したものである。

 生クリームの白とイチゴの赤がクリスマスを連想させるのもあって、売り出したのだが──しかし、この当時、冷蔵等の保存技術が発達していないこともあって値段は高く、庶民的とはいえないものであり、爆発的に広がるのはやはり冷蔵が一般的になる時代を待たなければいけなかった。

 そんな風にそれが庶民的ではないのを知っているせりは、思わず顔をしかめた。

 

「ショートケーキなんて高すぎるんじゃないの? さすがにそれは……」

 

 不二家のショートケーキはせりも知っている。食堂副主任という立場になってから、そういう料理や食べ物に関するアンテナを高くしていたからだ。

 だからその値段の高さも知っていた。

 かずらは商家の娘で実家が裕福だし、帝都近郊に住んでいるからこそ流行にも敏感でそういう発想が出たのだろう。

 だが地方出身の庶民派であるせりにはやはり抵抗があって難色を示したが、意外に梅里はそれでも乗り気な様子だった。

 

「そこはそれ、うちの菓子担当に頑張ってもらって自分のところで作って、それをホール単位じゃなくて切り分けて売れば、現実的な値段になるんじゃないかな?」

「う~ん。そうねぇ……」

 

 梅里が聞いて回った各国のクリスマス菓子も魅力的ではある(ただし英国式は除く)が、やはりどこか他の国に合わせるというよりは、“日本の定番”の確立をしたいという思いがあった。その点でショートケーキの流れに便乗するのはやぶさかではない。

 

「でも、舞はショートケーキ作れるの? それが一番重要じゃない?」

「レシピはどうにかして手に入れるよ。あとは本人が承諾するかだけど……」

「──ああ、それならオレに任せとけ!」

 

 いつの間に近くに来ていたのか、突然話に割り込んできた釿哉がいい笑顔でサムズアップする。

 

「釿さん……」

「……なんか一気に不安になったんだけど」

 

 味方を得て笑顔を浮かべる梅里に対し、釿哉へとジト目を向けるせり。

 

「ついては作戦がある。大将が協力してくれればきっと上手くいくさ」

 

 せりの視線をものともせず、親指を立てている釿哉の計画に梅里は乗ることとした。

 そしてせりは──ジト目を釿哉から梅里へと向ける。

 

「……それだけじゃないわよね? 話をそらそうとしたみたいだけど……オムライスのこと。そしてわざわざ私に相談しに来たんだから」

 

 せりの視線を受けて、梅里が「う……」とヒドく言いづらそうにしながら苦笑を浮かべる。横ではそんな様子を見た釿哉が「大将、尻に敷かれてんなぁ」と密かに思っていた。

 

「例の──全力オムライス、出したらダメかな?」

「……やっぱりね」

 

 梅里の頼みにせりは大きくため息をついた。

 特別メニューにオムライスというカテゴリーを選んだ以上は、そうくるだろうと覚悟はしていた。

 梅里にとって最も思い入れが深い料理であり、最も得意とする料理──亡き幼なじみにして婚約者の四方 鶯歌が好み、梅里が彼女から何度も作ってくれるように頼まれたもの。それがオムライスである。

 彼女のために腕を磨き、彼女をより喜ばせるために改良を重ね──亡くなった後も最高の一皿として墓前に供えるために、精進を欠かさず進化し続けたそれは、間違いなく梅里が作る中では最高の料理だった。

 帝都に来た当初、頑なにそれを作るのを避けていた梅里が、わだかまりがとけてそれを初めて作ったときに食した客が「美味い」と絶叫したことから、絶叫オムライスという都市伝説のようなあだ名が付けられている。

 その後は食堂では、コスト面や手間を考えて「ふつうに美味しい」レベルにまでランクを下げたものを提供しているので、騒ぎにはなっていないのだが──

 

「──却下」

 

 せりは冷たく言い放った。

 

「オイオイ、白繍よ……お前さんがアレを独占したいっていう気持ちは分かるが、大将はきっと、お客さん全員を喜ばせるために最大のおもてなしをしたいって考えてるだけだぜ? それを無碍にするのは──」

「あのねぇ、私がそんな了見の狭い女に見える?」

「「うん」」

 

 綺麗にハモった二人の声の直後、パチーンとビンタする音が食堂に響きわたった。

 

「……なんで、僕だけ…………」

 

 綺麗に手跡がついた頬を抑える梅里を横目に、釿哉は苦笑を浮かべて頬をひくつかせる。

 問答無用で梅里を黙らせたせりが次に狙うのはもちろん釿哉である。睥睨するような目がしっかりと彼に照準を合わせていた。

 

「どういうことかしら? 釿さん?」

「いや、それは……今年あれだけ嫉妬深いところを見せつけられたら、そう思うだろ? 普通……」

 

 嘘を言うわけでも茶化すわけでもなく、素直な感想を言うとせりの手は飛んでこなかった。さすがにせりも痛いところをつかれ、さらにはそれで逆ギレするわけにもいかない部分だったからだ。

 全力を封じられている梅里のオムライスだが、その精進は未だに続いており、たまに腕試しとして作るときがある。

 ただしそれは食堂副主任のせりが許可したときのみ。そして原則的に彼女が食している。

 女性陣ではもっとも料理のスキルが高く、その上で味について忌憚なく意見が言える──そしてなによりも梅里がオムライスを再び自分で作り始めたきっかけを作ったのが彼女だったからである。

 そういったせりによる独占状態が続いているからこそ、それを彼女が手放すはずがないと釿哉は思ったのだ。

 その指摘に、せりは一つため息をついた。

 

「思い違いをしているようだけど……あのオムライスは私のものじゃないのよ? 私じゃなくて鶯歌さんのものなの」

 

 それは常日頃からせりが思っていることだった。

 オムライスを得意になったのは梅里の鶯歌に対する想いがあればこそであり、今も進化を続けるそれはその強さの証拠でもある。

 食堂内──むしろ帝劇内でも「せりが独占している」と思われているそれだが、せりにとっては梅里との絆でありながら、最強の恋敵(ライバル)への格の違いを思い知らされるものでもあるのだ。

 

(もっとも、負けるつもりはないから、これを生きてる人に譲る気もないけど)

 

 密かにそう思えるくらいに、せりの気持ちが強いのもまた確かなのだが。

 

「私だけのものじゃないんだから……きっと鶯歌さんだったら、許すだろうから私も許したいわよ。一夜限りなんだしお祭り的な部分もあるからある程度はコスト面も目をつぶりたいけど……」

「なにが問題なんだ?」

 

 釿哉が問うと、梅里も問いかけるような視線をせりに向けてきた。

 それに少し呆れたような雰囲気でせりは言う。

 

「……食べるのに絶叫するような料理を食堂で出して、混乱しないと思う?」

「「あ……」」

 

 梅里は合点が行ったように納得し、釿哉にいたっては「なるほど」と言ってポンと手を打つほどだった。

 何度も試食しているせりだからわかるが、あれは覚悟を決めて食べなければ本気で絶叫しかねない。そうでなければ、初めてしのぶが食べたときのように涙を流すか、もしくは感動のあまり呆けてしまうか──いずれにしても普通の精神状態ではなくなる。

 

「そもそも、うちは“劇場の食堂”なのよ? 主役はあくまで劇であり、公演なの。それを開演前から異常な精神状態にしたり、観劇後の余韻をぶちこわしにするような料理がふさわしいわけないでしょ?」

 

 食事のみが目的の洋食屋で出すのならともかく、そこまで影響力のあるものを出すのは出しゃばりすぎだとせりは思ったのだ。

 

「そっか……そうだよね。せり、ありがとう。それについては僕は気がついてなかった」

 

 せりにそれを指摘され、梅里は頭を下げる。

 

「いいのよ、それで。私は貴方ほど美味しい料理が作れないんだからその分だけ気を回して、貴方が気がつかないことを指摘するのが仕事なんだから」

 

 正面から礼を言われたせりは、照れを隠しながら目をそらす。

 

「だから、特別感が出るほどに美味しくて、それでありながら観劇の余韻を壊さないような──そんなお客様に満足してもらえる料理を目指して、微調整しましょ」

「そうだね。わかったよ、せり。よろしくお願いします」

 

 梅里がそういうと、せりは自分に言い聞かせるように「うん」と決意を込めて頷く。

 そして梅里は──

 

「……ありがとう、せり」

 

 梅里は自分の意見を通してくれたことを──なによりも鶯歌の気持ちを汲んでくれたことを感謝し、改めてもう一度お礼を言った。

 その背後には、うっすらと姿を見せた彼の守護霊もまた、にっこりと微笑んで「ありがとね」とお礼を言うのが、せりにはわかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──12月24日。朝。

 

 ついにこの日がやってきた……と、彼女にとっての舞台を前にして心が沸き上がるのを懸命に抑えていた。

 大きく深呼吸し、そして──調理台に並んだ食材を手に取る。

 そして整然と並べられた計量カップ等の調理器具を見渡し──

 

 

「確保ーッ!!」

 

 

 どこからともなく聞こえた、その声に越前 舞は驚き──次の瞬間には、自宅調理場の床にひれ伏すように取り押さえられていた。

 

「……え? えぇ?」

 

 戸惑う舞の前に、一人の男が立つ。

 

(かしら)? なんですか、この状況。朝っぱらから人の家に乗り込んできていったい何を……」

 

 頭と呼ばれたその男──松林 釿哉は舞の問いには一切答えず、逆に質問を返す。

 

「ゼンマイ……お前、今から何をするつもりだった?」

「はい? それは今日の食堂の営業は夜のみですから。その前に隊長……じゃなかった主任が教えてくれたショートケーキのレシピを試そうと……」

「つまり、クリスマスイブの日に一人寂しくケーキをむさぼり食うために、自分で作ろうとした、そういうことか?」

「なんかずいぶん語弊のある言い方ですが……その通りですが、なにか!?」

 

 突然の朝っぱらのこの仕打ちの上に、なぜか言葉でも責められ、舞はカッとなって逆上した。

 

「ええ、ええ、そうですとも! そりゃあ独り身ですし? 予定も何もないですけど、そもそもクリスマスイブの夜に仕事──それも忙しいのがありありとわかるような状況にしてくれたのは、他でもない頭とか隊長じゃないですか!!」

 

 言いながらヒートアップしていく舞。

 これが花やしき支部勤務だったら──そこまでヒドいことにはなっていなかっただろう。

 いくら娯楽施設であっても、夜の闇が未だ暗いこのご時世で、夜まで営業している可能性は低い。昼のみの営業ならば夜には帰れたはずである。実際、錬金術班副頭に指名される前の去年のクリスマスイブはそんな余裕があった。

 そして今夜、クリスマス特別公演が行われるのだから、食堂も多忙なのは間違いない。そんな食堂勤務にしてくれたのは自身の長期出張のための本部勤務員補充のために本部付副頭を新設してそこに推薦してくれた釿哉と、それを認めた隊長の梅里である。あとは、強いて言えばそれを承認して辞令を出した米田くらいだろう。

 

「だから? せめて昼間のうちに趣味の洋菓子作りをしておこうと思ったのに!! なんですか、この仕打ちは!?」

「安心しろ、ゼンマイ……お前の趣味を邪魔しに来たわけじゃない」

「はい?」

 

 笑みを浮かべた釿哉に、首を傾げる舞。

 しかしその菩薩のような笑みで、その男は舞を地獄へたたき落とした。

 

「むしろ逆だ。思う存分作らせてやる。いや、作らせる。もうイヤと言うほどに……今日は朝から夕方まで、ただひたすらにショートケーキを作るのが、お前の仕事だ!!」

 

 その内容にさすがに焦る舞。

 

「は!? なんです、それ? というか、仕事!? 仕事って言いましたよね? それなら趣味じゃないんじゃ……」

「趣味を仕事にできる人間なんて、ほとんどいないぞ。よかったな。楽しくお仕事ができて」

 

 ニヤリと邪悪な笑みを浮かべる釿哉。それを見て舞は──

 

「あなたこそ趣味を仕事にしてるようなもんじゃないですか!! 機械いじりにしても薬品調合にしても戦場でのドンパチにしても! それに今も、そんなに楽しそうにして──」

「あ~、結構マジで時間無いんだわ。さっさと帝劇にいくから早く支度しろ」

「なっ!? 余りにひどい仕打ち……」

 

 愕然としながらも解放された舞は、渋々と支度して、釿哉が運転してきた車に乗り込んで帝劇へと向かい──着いた食堂で用意されていたプロ用の器具や、厳選された材料に驚きつつ、少しだけ胸が高鳴り──

 

 

「……なんで、あのとき逃げなかったんだろう」

 

 

 数時間後にはただひたすらケーキを作り続ける作業の中で、彼女の「手にしている物本体やその一部を回転させる念動力」を効率よく作動させ、手早くさせる攪拌ための調理器具(つまりは霊力を動力にしたハンドミキサー)である彼女専用の調理器具『ヨクマゼール』を手に、ホロリと涙を落としながら──越前 舞は一人グチるのであった。 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな彼女の──夕方には多くのケーキを完成させて規定数を作り終えると「あ、もう帰っていいから」と釿哉にすげなく言われた──涙ぐましい努力のおかげで数が用意された上に、小分けにしてリーズナブルになったショートケーキも人気を博すこととなった。

 そしてそれと共に、特別メニューであるホワイトソースのオムライスは「とても優しい味」と好評を呼び──あまりの好評に、後には伝説とまで語り継がれることになったこの年の花組クリスマス特別公演『奇跡の鐘』の影にすっかり隠れてしまったが、隠れた伝説の味として、その日に食堂を訪れた客の間でひっそりと語り継がれることとなった。

 

 ──おかげで、食堂メンバーでは一人だけ早めに帰ることを許された上に報酬として自分で作ったケーキを渡され、

「来年こそは素敵な恋人を見つけて、勝ち組クリスマスイブを過ごしてやる!」

 とそれをやけ食いしつつ、そのときに浮かんだ顔が元凶である錬金術班頭の良い笑顔で──

 

「なんであの悪魔の顔がああぁぁぁッ!!」

 

 イラッとして絶叫し、量の隣の部屋の住人から煙たがられた越前 舞は──その好評を受けて来年も同じようにショートケーキを作ることになるとは……予知能力のない彼女には知る術もなかった。

 

 

 後の世における日本でのクリスマスケーキ──それもショートケーキ──の定番化に、そんな彼女の涙ぐましい一幕が貢献したかどうかは……残念ながら定かではない。

 




【よもやま話】
 前の─2─で出てきたクリスマスにショートケーキを売り出した洋菓子店とは、ぺこちゃんで有名な不二家さんのことでした。(これは史実)
 時代的に売り出したのがサクラ大戦の時期と合致していたので採用しました。
 釿哉と舞は……人生楽しいんでるなぁ。


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─8─

 ──明けて太正15年 元日……

 

 

『あけましておめでとうございます』

 

 

 大帝国劇場の食堂で、声をそろえて新年の挨拶をしたのは夢組の幹部達である。

 梅里に釿哉、和人、コーネルといった食堂勤務の男性陣に、しのぶ、せり、紅葉、カーシャ、舞、柊の女性陣、そして食堂勤務でこそないが本部付のかずら、さらには支部から宗次、ティーラ、ヨモギに加え、あまり本部には姿を見せない封印・結界班の副頭2名も集まり──帝劇の食堂には、副頭以上である夢組幹部がまさに勢ぞろいしていた。

 

「激化した黒鬼会との戦いも昨年中に決戦を迎え、無事勝利を収め──」

 

 司会役であり、挨拶後から長々と話す宗次。

 その挨拶には閉口するものも出始め、特に目を輝かせてお節料理を物色するかずらの耳にはまったく届いていない様子であった。

 彼女と同じようにマイペースに振る舞うカーシャやヨモギ、いきなり酒を飲みだした釿哉のような人もいれば、それを見て苦笑を浮かべているのは封印・結界班の男副頭に梅里だった。

 そんな梅里の両脇は、笑顔を浮かべつつも密かに争うせりとしのぶがおり、真面目にキチンと話を聞いているのは、和人やティーラ、紅葉、封印・結界班の女副頭に加えて意外にも思える柊である。

 

 ──ちなみに、ここ大帝国劇場のヌシとも言える花組メンバー達や米田、かえで達は楽屋で新年会を行っていた。

 そのための料理や準備のために正月から来ることになり──それに合わせてどうせなら夢組も、幹部を集めて新年会にしてしまおう、となったのが今回の趣旨である。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 宗次の次に挨拶を求められた梅里は「今年もよろしくね」と極力短い挨拶をして──それ以降はそのまま会食となった。

 

 そして、さすがに隊長である梅里の下へは挨拶が集中した。

 酒を持ってきた釿哉にはそれを飲まされそうになったが、どうにか誤魔化してそれを避け──続けてやってきた和人とコーネルの修験道VSキリスト教の宗教論争に巻き込まれそうになりつつ、連れ添うようにやってきた宗次とティーラの丁寧な挨拶にどこかホッとした。

 もっともその後で二人をマークするように即座に現れた封印・結界班の女副頭には驚いたが、彼女もまた礼儀正しく挨拶したので、梅里もそれには丁寧に応じた。

 やがて──

 

「ほら、梅里さん。これもすごく美味しかったですよ」

「あのねぇ、かずら。それを作ったのは梅里本人なんだけど?」

 

 料理をとってきたお皿を差し出すかずらが隙あらば隣を狙うのを、それを頑として譲らないせりがたしなめる。

 

「あ、そうなんですか? じゃあ、とても美味しくて気に入ったので、今度は私のためだけに作ってください」

「……自分で作る気はないのね」

 

 呆れたようにせりが言うと、かずらは小首を傾げた。

 

「どうせなら美味しい方がよくないですか?」

「努力すれば美味しく作れるようになるのよ。そういう努力が実を結べば、余計に美味しく感じられるしね」

「へぇ……じゃあ、今度教えてください、梅里さん!」

 

 せりの方を向いていたかずらはクルリと方向を変えて、梅里にお願いする。

 そんな天真爛漫なかずらの様子に苦笑を浮かべる梅里。その隣でせりもまた──こちらは微妙にこめかみをヒクつかせながら苦笑していた。

 

「私が教えてあげるから、ね」

「え~、どうせなら上手な人から教えてもらった方がよくないですか? せりさんよりも梅里さんの方が料理、上手ですよね……」

 

 圧のある笑みで威嚇するせりだったが、かずらにはそれが通じず、その上さりげなく、せりが普段悩んでいる痛いところを突いてくる。

 しかしせりはそれをぐっとこらえて、優しい笑みを浮かべて忠告することにした。

 

「……かずら、梅里から料理を習うのはやめた方がいいわよ。悪いことを言わないから、私で我慢しておきなさい」

 

 てっきり怒るかムキになると思っていたかずらにしてみたら、肩すかしをくらったような感覚である。

「えぇ~」

 

 そして彼女は心底イヤそうに答えた。そもそもせりから習ったら、せりを越えることは無理じゃないだろうか。それに少なくとも長い間、彼女に教えを請うようなことはあまりしたくない。

 ──もちろん、昨年のテーブルマナーの仕返しを恐れて、である。

 

「気持ちは分かるけど、アタシもそう思うわ」

 

 そんなかずらを止めたのは、意外にも物珍し気にお節料理を堪能していたカーシャだった。

 

「どうしてですか?」

 

 不思議そうに尋ねるかずらに、カーシャは説明する。

 

「アタシも料理に興味がわいたから、預かりの身なのもあって教えて欲しいと頼んだのだけど……アレは無理よ」

「あなたも知ってたのね……」

 

 せりはしみじみと頷く。しかし事情が分からないかずらは首を傾げた。

 

「どういうことですか?」

「梅里もだけど、プロは動きが早い上に高度すぎてなにやっているのかサッパリ分からないのよ」

 

 かずらの問いにせりが説明すると、カーシャが悟った様子で頷いた。

 

「うん。そうだった……ウメサトの作ってくれた出汁巻き卵が、とてもとてもとーっても美味しかったから作り方をきいたんだけど……全然分からなかった。巻くときは勝手に形が作られていくようにしか見えなかったし──」

「……ちょっと待ってください。カーシャさん、梅里さんに出汁巻き卵を御馳走になったんですか?」

 

 グルッと顔を向け、ただならぬ気配を漂わせつつ、かずらがハイライトが消えた目でカーシャを見た。

 その迫力に気圧されながらも、カーシャは頷く。

 

「え、ええ……預かりの身だもの。この前の休みの日に……」

「な……ん、ですって!? 梅里さん手ずから混ぜて、焼いて、巻いた──至極の一品を、あなたは食べたと言うんですか!?」

 

 信じられないような物を見たような驚きの目と、親の敵を見るような恨みがましい目が合わさったかずらの視線がカーシャを捉える。 

 

「……そこの伊達巻きもそうだけど?」

 

 ため息をついてお重の中に入った黄色い伊達巻きを指さすせり。調理方に混じって一緒に作ったので、梅里がそれを担当したのを知っていたのだ。

 それを聞いたかずらは瞬時に箸を翻し、伊達巻きの一切れを口の中に放り込むと──

 

「ん~、さすが梅里さんの、私への愛情が一杯こもった伊達巻きです♪」

 

 幸せそうに満面の笑みを浮かべてモグモグと咀嚼していた。

 それを呆れた様子で見るせりとカーシャに、困った顔で苦笑するしのぶ。

 

「……別に、かずらのために梅里がつくったわけじゃないでしょうに」

「まぁまぁ、せりさん。かずらさんがそれで納得するのならよろしいではありませんか」

 

 しのぶはせりをたしなめながら、自身も箸を重箱へとのばす。

 

 

 ──太正15年の始まりは、とても落ち着いたものであった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 夢組の新年会も終わり、花組達と合わせた後片づけを済ませた食堂メンバー。

 新年会が終わると、食堂メンバーでない者達は挨拶をして去り、食堂メンバーも仕事を終えて、めいめいに挨拶しては帰宅していく。

 というのもこの正月、黒鬼会との戦いが終わった直後と言うこともあり、帝劇内に住み込んでいる花組メンバーも帰省するなりして、ほとんど人が残らない予定であった。

 それは住んでいる花組たちの食事がほとんどいらなくなる、ということでもある。

 米田からは昨年中にその予定が分かった段階で、「いい機会だから、お前らも正月休みをとれや」と言われて、今日行われたの花組の新年会用以外に、日持ちするお節料理を用意して、食堂は短いながらも正月休みに入る予定だ。

 この後片づけが終わったらしばらく休みなのである。

 

「ふぅ……」

 

 厨房の調理場を拭き上げて、梅里は大きく息を吐き、感慨深げに眺めた。毎日のように使っている厨房だけに、数日でも使わないというのが少しだけ違和感があった。

 

「ウメサト、終わった?」

 

 厨房メンバーも先に返して一人で仕上げていた梅里だったが、その作業が終わるのを見計らったようにカーシャが声をかける。

 

「うん、終わったよ。数日だけど、ここも休ませてあげないとね」

「厨房を休ませてあげる、か。変わった考えだけどおもしろい発想ね」

 

 西洋的な考えにはあまり見られない発想に、カーシャは楽しげに笑みを浮かべた。

 

「カーシャこそ、どうかしたの?」

 

 てっきり他の人と一緒に帰ったと思っていただけに、梅里は意外に思っていた。

 するとカーシャは満面の笑みを浮かべて梅里に尋ねてきた。

 

「ちょっと聞きたいんだけど……ウメサトってこの後どうするの? 花組の人達みたいに帰省?」

「いいや、帰らないよ。正しくは帰れないって言った方がいいかも」

 

 そう言って首を横に振り、苦笑する。

 

「僕は去年の春先に帰っただけじゃなくて、夏にも帰らせてもらったからね。居残り組にならないとさすがにね」

 

 降魔や大規模霊障への対策という緊急時が活躍の場である花組と違って、夢組は平時でも活動する任務はあるので、いくら正月とはいえども人員の半分程度は帝都に残っている必要があった。

 

「ふ~ん……」

 

 なるほど、と頷くカーシャ。実はもし梅里が実家に帰るのなら「隊長預かりだから」と一緒について行こうと目論んでいたのだが、そのアテは外れてしまった。

 しかしそれでくじけたり諦めはしなかった。彼女は(したた)かなのだ

 

(じゃあ、プラン2にしますか……)

 

 心の中で呟くと、カーシャは再び笑顔を浮かべる。

 

「じゃあ、初詣にいきましょ、ウメサト」

 

 そう言って彼の腕を抱きつくようにとった。

 さすがに梅里もカーシャの強引な行動に驚いたが、彼女は悪びれた様子もなく、笑みを浮かべている。

 

「日本に来て最初のお正月だもの。せっかくだから日本ならではの新年の慣習を体験したいわ」

「なるほど。わかったよ」

 

 そのカーシャの言葉には梅里も合点がいった。そこまで言うのなら、彼女に日本の正月を満喫させたいと思う。

 

「じゃあ、僕も一緒に行こう。初詣に」

 

 梅里が言うとカーシャはうれしそうに満面の笑みを浮かべ──

 

「ええ。レッツゴーよ」

 

 上機嫌でそう言う。そして──

 

「ねぇ、ウメサト。実はもう一つ憧れていたことがあって、それに日本の新年の定番みたいだから、それもやってみようと思って……」

「うん? いったいなにを?」

「実は、『フリソデ』という和服を着たくて、用意して持ってきていたの」

 

 そう言ってカーシャは包みを出し、そこに収まっていた和服──振り袖を梅里に見せた。

 

「へぇ、立派な振り袖だね。すごいなあ」

 

 その描かれた模様や仕立ては、梅里が見ても分かるくらいに立派な高級品だった。特に黄色を基調とし、赤や黒で彩られた柄は思わず見入ってしまうほどだ。

 もちろん着物そのものだけでなく、その帯も見事なものだった。

 すると、カーシャはなぜかその振り袖一式を梅里にポンと手渡す。

 

「えっと……これは?」

 

 戸惑う梅里に、カーシャは悪戯っぽい笑みを浮かべると──

 

「“キモノ”の着方って分からないから、アナタに着付けを手伝って欲しいのよ」

「は、はい!?」

 

 戸惑う梅里をよそに、掴んだままの腕を引いて、カーシャは厨房のさらに奥へと梅里を引っ張り込んだ。

 

「いったいなにを……着付けってことは、着替えるんだろ? なんでこんなところに……」

 

 服を着替えるのなら更衣室や、そうでなければ花組のスタァ達が衣装に着替える楽屋でもいい。少なくとも厨房の奥に来る理由はない。

 

「更衣室にしても。楽屋にしても、アタシが着替えるのにウメサトが一緒にいたらおかしいでしょ? ここならもう人も来ないし、誰の目にも留まらないから大丈夫──」

 

 そういって笑みを妖艶なものへと変えたカーシャが、着ていた服のボタンを外し始め、それを見た梅里の顔がひきつったとき──

 

 

「──なわけないでしょ。まったく、油断も隙もない」

 

 

 厨房の入り口の方から、別の女性の声が聞こえた。

 あわてて振り返るカーシャ。その声にどこかホッとしつつも状況的には非常にマズいことを思い出して焦る梅里。

 二人の視線の先には、青い振り袖姿のせりがいた。派手さはないが落ち着いた素朴な柄のその着物は、せりの個性を表しているかのようでとてもよく似合っていた。

 

「梅里も甘いし油断しすぎよ。先月の戦闘直後になにをされたのか忘れたの? その人(カーシャ)はとびっきりの肉食系なんだからね。用心しなさいよ」

 

 カーシャをにらみつつ梅里に小言を言うせり。

 その横からひょこっとかずらが顔を出した。

 

「肉食系というよりも、肉食獣そのものですよね、カーシャさんって。梅里さんも本っ当に気をつけてください。食べられちゃいますよ?」

 

 彼女もまた振り袖に着替えていた。緑を基調としたその柄は、やはり彼女によく似合っている。

 

「しかも、暗がりに連れ込んで、だなんて本当にそのままですよ。カーシャさん、少しは自重してくださいな。もし今、問題を起こせば、今度こそ本当に除隊ということになりかねませんから……」

 

 最後に姿を現したしのぶ──やはり彼女も赤を基調とした彼女を引き立てる柄の振り袖を着ている──は夢組副隊長という立場から、カーシャに忠告する。

 

「あら? もちろん冗談よ。こんなところでウメサトを誘惑だなんて、するわけないじゃない」

 

 そう言って笑みを浮かべ冗談めかそうとするカーシャ。もちろん三人は「いいえ、絶対に本気だった」と微塵も考えを変えなかった。

 

「まぁ、カーシャも梅里も初詣行くんでしょ? それならみんなで行きましょ」

「そうですね。わたくしも梅里様と初詣に、と思っておりました。ここで分かれてもどうせ抜け駆けしようとして争いが起こるだけかと思いますし……ねぇ、かずらさん?」

「なッ!? なんで私に話を振るんですか! それじゃあまるで、私が抜け駆けするみたいじゃないですか」

「みたい、じゃなくてするでしょ、あなたなら。それでカーシャと不毛な争いを繰り広げるだけになるんだから、大人しく賛同しておきなさい」

「む~~」

 

 せりの駄目押しにかずらは不満げではあったが、渋々頷く。

 それからせりが代表してカーシャに「どうする?」と尋ねると、彼女はしれっと「もちろん、お願いするわ」と答えた。

 

「じゃあ、着付けもしてあげるわね。しのぶさん、かずら、手伝えるわよね?」

「ええ。もちろん、お任せくださいまし」

「わ、私は着付けなんてできないから梅里さんと待ってようかと……」

 

 そう言って梅里の方へと近づこうとしたかずらは、せりに首根っこをひょいと押さえられていた。

 

「はいはい。で、梅里はこっちに人が来ないように廊下に出て見ててちょうだい。万が一にでもこっちを覗いたら……分かってるわよね?」

 

 にっこりと笑みを浮かべるせりに、梅里は背筋に冷たいものを感じながら頷き、厨房から廊下へと出ていく。

 

「え? あれ? ちょっと、せり……もしかして、ここで着付けするのかしら?」

「ええ、そうよ。ここならどうせ人も来ないし、他人の目もないから大丈夫でしょ」

「な!? ちょっと、アナタ本気で怒って──」

「ほら、大人しくしてないと着付けなんてできるわけ──」

 

 突然バタバタと始まった物音には気になった梅里だったが、もし振り返れば命が危ういのは火を見るよりも明らかなわけで──梅里は廊下に立って誰か来ないかを警戒し続けた。

 

「ほら、かずら……キチンと押さえてなさい。しのぶさん、お願い……」

「はい、了解いたしました」

「ちょ、本気で裸に──ま、待って、ホントの本気で待って……痛い痛い!! しのぶ、そんなムキになって締め付けたら、胸が苦しいに決まってる!」

「そうですか……ではカーシャさん、苦しくならないように胸を小さくしてくださいな」

「は? え? そんなの無理に──って、いったぁぁぁい!! ──ッ! 苦ッしくて、息がッ──」

 

 カーシャの悲鳴のような声が響きわたる。

 その様子にさすがにせりもドン引きし──

 

「あの……しのぶさん? さすがにそれはやりすぎじゃない?」

「いいえ、そんなことありませんよ? ──ああ、せりさんも少しキツくシメた方がいいかもしれませんね」

 

 さすがに不憫に思って言ったのだが、なにやら思い詰めて様子のおかしいしのぶに圧されると──とばっちりを食わぬようにあっさり折れた。

 

「──うん、カーシャの帯はもっと締めた方がいいかもしれないわね」

「ちょ、せり、ズル……い……」

「ちなみに……あなたのその胸、少しくらい萎んだ方がいいと思ってるのは、私も同じよ?」

 

 カーシャの胸をジト目で見つつ言ったせりに、彼女は絶望する。この場に味方は誰もいなかった。

 

「う、ウメサト! 助けてー!!」

「──梅里さん、もちろん今こっちに来たらダメですからね?」

 

 かずらに念を押されるまでもなく、梅里は振り返ることができない。

 なによりも──騒がしいその声を聞いて「何事か」とやってきた花組メンバーやらを相手に、「なんでもないので大丈夫です」と諭して追い返すのに忙しい。

 

 

 ──太正15年の始まりも、やはり落ち着いたものにはならないのであった。

 




【よもやま話】
 年明けました。
 カーシャを責めるかずらですが──よく考えたら前作で、裸で迫ってたましたよね、かずら。
 しのぶさんは胸にコンプレックスを持たせ過ぎたかな、と思う反面、もっとやれと思う自分もいるわけで……


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─9─

 ──さて、帝劇内で一悶着あったものの、梅里とそれぞれ青、緑、赤、黄と色とりどりの振り袖を着たせり、かずら、しのぶ、カーシャの4人は、明治神宮へとやってきていた。

 一昨年の初詣は梅の花にこだわって湯島神社を選んだが、今回はカーシャに「これぞ帝都の新年」というのを体験させるために、帝都の初詣の定番ともいえる明治神宮を選んだのである。

 そしてもちろん、その人出はかなり多く、周囲は人、人、人でごった返していた。

 

「それにしてもスゴい人出ね」

 

 圧倒されたようにカーシャが呟くと、せりも苦笑して返した。

 

「そうね。うちの実家は神社だからお正月は忙しいけど、さすがにこんなには人は来ないもの」

「あぁ、そういえばあなたの実家って、神社だったわね。それなら実家に帰った方がいいんじゃいの?」

 

 忙しい実家を手伝わなくていいのか、とカーシャは尋ねたが、せりは肩をすくめた。

 

「なんでせっかくの正月休みなのに、帰省して忙しい実家の手伝いをしなくちゃいけないのよ。さすがにそれはイヤよ。それに、遠いから往復だけで疲れるし……」

「……でもせりさん、ぺんちゃん──なずなちゃんを代わりに帰したそうじゃないですか」

 

 昨年中に、実家に帰る前の親友から愚痴を聞かされたかずらがせりへとジト目を向ける。

 その話によれば、なずなもまた実家に帰るつもりはなかったようなのだが……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「なずな、どうせあなた暇でしょ?」と姉・せりから連絡が来て、「私もあなたもいないでは、護行(もりゆき)やはこべだけじゃまだまだ不安だから、正月くらいあなたが手伝いなさい。鈴菜と鈴代もまだ手が掛かるから母さんも忙しいでしょうし」と言われた。

 なずなだってさすがに忙しいと分かっている実家に帰りたくはない。

「え~、それなら姉さんが帰ればいいじゃない」と反論したのだが──

 

「私は夢組のみんなに迷惑かけたからさすがに無理」

「というか、しのぶさんも帰省しないって言ってて、そもそもかずらは実家から通ってるし、カーシャは海外だから残るのに、私だけ実家に帰るわけにはいかないでしょ!」

「かすみさんだって帰らないかもしれないなのに……」

 

 ──等と一方的にさんざんまくし立てられ、「暇でやることがないアンタが帰りなさい」と厳命され──なずなは親代わりの姉に怒られ続け、強く言われると逆らえないのが身に染み着いており──泣く泣く帰省することになったのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ちなみに、旅費や切符の予約等はせりがやっており、そのあたりの面倒見の良さはさすがではある。

 

「さすがに凹んでましたよ、彼女」

 

 忙しいのが分かっている実家に帰省するのだから、それは気乗りしないだろうな、とさすがに梅里も同情する。自分だって実家の料亭の繁忙期にわざわざ帰省しようとは思わないのだから。

 そして意外にもしのぶが同情的であった。

 

「わたくしもわからないではないですよ。天子様が帝都にお移りになられて以来、宮中行事もそちらが中心になって、京もそこまでは忙しくなくなったそうですが……陰陽寮も含め、正月の行事は仰山ありますから」

 

 そんな中に自ら飛び込みたいとは思わない。

 そもそも今のしのぶは、かつてと違って陰陽寮のためだけに生きているわけではなく──むしろ、その枷が外されて梅里のためにその身を捧げようと思っているのだ。実家に帰る理由は無い。

 

「それでこの前、封印・結界班の副頭がアナタと話した後に難しそうな顔で眉根を寄せていたのね」

 

 カーシャの指摘にしのぶは心当たりがあった。陰陽寮派のナンバー2であり、しのぶを影で補佐している封印・結界班の男副頭から帰省するか否かを訊かれて、帰省しないと即答したので、それを聞いての反応だった。

 彼にしてみれば、しのぶが正月にも帰らないのは陰陽寮から距離をとりたがっているから、というように見えているからだ。

 そこでしのぶは梅里と同じように、昨年中に京都に帰っていた、という建前を出して押し通した。

 梅里と米田が倒れている間に起こった陰陽寮の中での内紛──親華撃団派が主流だったのを反華撃団派が急速に力を付けて、協力体制を反故にしようとし始めたのが原因である。

 それを収めるために華撃団に最も詳しいしのぶ自ら陰陽寮へと赴いて中間層の説得に当たり、それが効を奏したのと、米田が意識を取り戻して働きかけを強くしたために、協力体制が崩されることはなかった。

 ただ、その後の話としてその男副頭から聞いたのだが──

 

「陰陽寮内で反華撃団派が一時期力を付けはったのは、かつての復古派が中心になっていたからですわ」

 

 陰陽寮内で調べた結果としてもたらされたその情報を、しのぶは報告を受けていた。

 

(復古派、ですか……)

 

 過ぎたこととはいえ、その名前に嫌な感覚を覚えるしのぶ。

 復古派。それはかつての陰陽寮の力を取り戻そうとする派閥である。

 

 徳川幕府が自ら政権を放棄し、『王政復古の大号令』によって天皇を中心にした政治へと戻ったのだが、それはかつての“王政”へ“復古”したわけではなかった。

 天皇は帝都へとお移りになられ、そしてその後の改革によって陰陽寮は力を削がれた。

 陰陽寮の表立った最も重要な役目であった暦について、新政府はそれまで使っていた太陰暦から西洋式の暦である太陽暦へと切り替えて、暦の役目を外したのである。

 もちろんそれによって新政府への反発が生まれた。

 今もなお燻る、陰陽寮を軽んじる政府へ反抗し、往年の力を取り戻そうと考える思想。

 その考えの基に行動する派閥こそ復古派と呼ばれる者達であった。

 そして、そのトップにいたのが……

 

 

幸徳井(こうとくい) 耀山(ようざん)、様……」

 

 しのぶは、思わずその名をつぶやき──

 

「……しのぶさん、なにか言った?」

「い、いえ、なんでもございません……」

 

 呼びかけられて我に返る。

 見れば、それがかすかに耳に入った梅里が振り返っており、しのぶはあわてた様子で笑みを浮かべて誤魔化すのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 初詣の参拝は、人出が多いながらも順調に進んだ。

 いざ参拝となる直前で、せりはカーシャに参拝方法や注意事項を教え──その細かい指導はさすが神社の娘である──その一方で、それを知らなかったかずらにジト目を向けつつ、丁寧に教えてあげていた。

 そうして無事に参拝を済ませて戻る道すがら、カーシャは首を傾げた。

 

「なぜ無言なのかしら? 拝む対象に対して呼びかけないのはおかしくない?」

「そういうのは心の中でするものなのよ」

 

 カーシャの問いにせりが説明をする。

 

「願い事って、他の人に聞かれたら叶わなくなるって言いますもんね」

「へぇ、なるほどね。ちなみにかずら、アナタはなにをお願いしたの?」

 

 そう言って悪戯っぽく笑みを浮かべるカーシャ。気がついたせりとしのぶは苦笑している。

 それにかずらは──

 

「私は……今年も梅里さん一緒にいられますように、です」

「「──え?」」

 

 あっさり答えたかずらとその内容に驚く他の者たち。さすがにこれが叶わなくなる、となるのは気まずい。

 

「あれ? 何でカーシャさんもせりさんも驚いた顔をしているんですか?」

「いえ、今自分で、他の人に聞かれたら叶わなくなるって……」

 

 戸惑うカーシャに、かずらは「ああ、それですか」と言ってあっけらかんと答えた。

 

「だって……梅里さんと一緒にいることは神様の力を借りなくても、自分の力でできることですから」

 

 そう言って自信あり気に「ふふん」と笑うかずら。

 

「お願いしたって言うよりも“宣誓した”のに近いのかしら?」 

 

 それを聞いたカーシャが、半信半疑といった様子で首を傾げた。

 

「そうですね……そんな感じです。神様にお願いするのは別のことがありますし」

「へぇ……じゃあ、それはなに?」

 

 せりが少し意地悪な笑みを浮かべて聞くと──

 

「この平和が長く続きますように、です」

「「──はい?」」

 

 迂闊にも内容を話してしまったかずらに、まさか言うとは思ってなかったせりとカーシャは呆気にとられた。

 

「え? あ……あぁッ!!」

 

 気がついたかずらはあわてて口を押さえるが、時すでに遅し。

 見ていた梅里は目を点にし、からかったせり自身もさすがに気まずそうな顔になる。

 もちろんこの願いが叶わないというのも、とてもまずい。

 

「な、な……なんでそういうことするんですか!? せりさん!!」

 

 かずらは怒ってせりに詰め寄る。

 

「せりさんって神社の人ですよね!? 巫女さんなんですよね!? どうして……なんで参拝の邪魔を! まったく……こんなことをして、どうするんですかッ!?」

「え? ええ、うん。ゴメンなさい。まさか本当に言うなんて、私も思わなくって……」

 

 詰め寄られたせりは謝るが、もちろんそれで引き下がるかずらではない。両腕をせい一杯に振り回して抗議している。

 それを苦笑しながら見つめる梅里だが、さすがにこれは全面的にせりが悪い。かばうことはできないのでどうおさめたものかと考えていた。

 

「それならせりも自分のお願いを言えばいいじゃない」

 

 すると、同じように傍観していたカーシャがふと思いついて提案した。

 

「それです! ナイスですよカーシャさん。さあ! せりさんも神様にお願いした願い事を言ってください!! これでおあいこですから」

 

 すると、かずらもそれに乗っかり、せりに詰め寄る。

 それに対してせりは、驚いて反発した。

 

「はぁッ!? な、なんでそんな話になるのよ!!」

「だって、せりさんが悪いんじゃないですか。それとも私の願い事を無碍にして、自分だけかなえてもらうつもりですか? 神社側の人なのに……」

「そ、そういうつもりはないけど……」

 

 困惑した様子でせりは目をそらして──それからダラダラと額から汗を流しはじめた。

 

(い、言えないわよ。だって、梅里と──────((自主規制))だなんて言えるわけないじゃないの! それに、言ったら叶わなくなるなんて……イヤだし……って、そもそもそれ以前に本人目の前にいるじゃないの! 絶対、ぜーったい言えるわけない!!)

 

 心の中で慌てふためくせり。

 なんでこんな願いをしてしまったのか、いや、願い事は本心だからいいとして、なんでカーシャに乗っかってかずらをからかおうとしてしまったのか、と後悔した。

 

「……せりさん、なんで赤くなってるんですか?」

「えぇッ? そ、そんなこと無いわよッ!?」

「声も焦ったように裏返って……ひょっとして……」

 

 せりをジト目で見つめるかずら。

 

「な、なによ?」

「もしかして、せりさん……エッチなこと、お願いしたんですか?」

 

 赤かった顔をさらに真っ赤にするせり。

 そして焦りながら泡を食って怒り始める。

 

「なッ!? はぁ!? はいィィッ!? そ、そそそそんなわけないでしょ!! 私を誰だと思ってるの!? 神事まで執り行っちゃう巫女よ!? そんな私が、神様に、そんなふしだらなお願いをするだなんて、ありえるわけない! ええ、そうよ。ありえないものッ!! だって(バチ)が当たっちゃうから!! だから、絶対にそんなことはないのッ!!」

「……せり、そんなにムキになったら、自白しているようなものじゃない?」

 

 早口でまくし立てたせりを同情したような目で見るカーシャ。そんな彼女の言葉さえ聞こえていない様子でかずらにくってかかっている。

 

「──やれやれ、ね」

 

 カーシャは苦笑しながら振り返り、「これが(バチ)なんじゃないのかな……」とつぶやいて苦笑する梅里を見て──しのぶに話を振ろうとしたが、その動きを止めた。

 

「……あら? ねぇ、ウメサト。しのぶは?」

「え? しのぶさんなら──あれ? いない」

 

 せりとかずらのやりとりを優しく微笑んで見ていた梅里だったが、カーシャに言われて振り返り──さっきまでいた位置にしのぶがいないのに気がつく。

 

「しのぶさん、いったいどこに……」

 

 5人はすでに参拝を終えて、その御社殿からだいぶ離れたところまで歩いてきていた。相変わらず人並みは混雑していたが、大鳥居をくぐって広い場所まで出てきたおかげで多少の余裕はある。

 それでも、人は多く──はぐれれば合流は難しくなるだろう。

 そんな状況に焦りを覚えつつ、しのぶの姿を探し求め──呆けたように立っている赤い振り袖の彼女を見つける。

 

「しのぶさん!!」

 

 梅里は彼女へと駆け寄り、彼女の手を掴む。

 

「あ……梅里、様?」

 

 腕を掴まれて初めて梅里の存在に気がついたように、しのぶは驚いた様子で梅里を見た。

 

「梅里様、申し訳ありません。わたくし、つい足を止めてしまって……離ればなれになりかけていたんですね。ありがとうございます」

 

 そう言ってしのぶは嬉しそうに微笑み──梅里の手をそっと握りしめた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──少しだけ時間は遡る。

 

 御社殿から戻る際に、参道を通って開けた場所に出るとその人混みは少し解消された。

 人混みに疲れていたしのぶは人知れずホッとため息をつく。

 そして周囲を見渡す。

 開けたそこには屋台が出ており食べ物の匂いがした。そして、そこにはそれだけではなく──大道芸をやって周囲の歓声を浴びている者達がいた。

 その芸に、素直に感嘆し──ふと見た視線の先で、“それ”を見つけた。

 

「あれは……」

 

 ふと巡らせた視線の先に捉えた対象に、しのぶは思わずそう呟いていた。

 彼女が見つけたのは、上のハンドルから伸びた糸で人形を操る──人形劇だった。

 それは妙にしのぶの心を惹き付け、彼女はその目が離せないでいた。

 不思議な懐かしさ──子供の頃は半ば広い屋敷に軟禁されていたような生活をしていた彼女に、操り人形の大道芸を懐かしく思うような思い出などあるはずもないのに──それを感じて、しのぶは首を傾げた。

 

「なぜ……」

 

 そして思い出す──この感覚が初めてではないことに。

 そう……あれは、去年の秋、浅草の祭りでのことだ。梅里とでかけたせりを追いかけている最中、操り人形の大道芸人を見かけて──

 

「──しのぶさん!!」

 

 突然、腕を掴まれてしのぶは我に返った。

 

「あ……梅里、様?」

 

 見れば、心配した様子の梅里の顔が近くにあり、しのぶと目が合うと安堵したように笑顔に変わった。

 その変化にしのぶもつられて笑顔に変わり──

 

「梅里様、申し訳ありません。わたくし、つい足を止めてしまって……離ればなれになりかけていたんですね。ありがとうございます」

 

 梅里の手をそっと握る。

 すると梅里は、申し訳なさそうに謝罪した。

 

「ついてきていると思っていたので、すみませんでした。でも……どうしたんですか? 何か気になることでも?」

「え、ええ……そこの大道芸人が……」

「大道芸人?」

 

 しのぶが指した方へと梅里が見て──

 

「はい。操り人形(マリオネット)の……」

「──どこです? いませんけど?」

 

 

「え?」

 

 

 しのぶは驚いて、梅里から視線を外して自分が示していた方を見る。

 だが、そこには──操り人形を繰る者の姿はなく、代わりに口に含んだ燃料を噴き出し、火を燃え上がらせて歓声を受けている、大道芸人の姿があった。

「そんなはずは……」

 慌てて周囲を見渡すが、彼女が見た大道芸人の姿はなく──しのぶは狐につままれたような気持ちで、呆然としていた。

 




【よもやま話】
 ところで、ほとんど終わりまで書いてから疑問に思ったのですが──サクラ大戦の世界で元号の大正が「太正」であるように、明治も「明冶」なのですが……『明“冶”神宮』じゃなくてよかったんですかね。
 直すのが結構大変そうなので、調べるのも放置してしまっているのですが。


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─10─

 1月3日──

 

 

 朝起きて、梅里は大きく息を吐いた。

 

「……疲れたなぁ」

 

 本来なら連休──1日の午後から始まったはずの正月休みのはずなのだが……年の始めの三が日、その最終日にして早くも疲れていた。

 元日は花組と自分たち夢組の新年会があったので早い時間から出勤するのは分かっていたし、その後の初詣までは予想していた。だから覚悟はしていた。

 だからこそ、明けて2日はゆっくりしようと心に決めていたのだが──朝も早くからやってきたのはかずらだった。

 ニコニコと笑みを浮かべる彼女を追い返すわけにもいかず、迎え入れた梅里だったが、しばらくするとカーシャの来訪があり、かずらがそれを邪険にしようと頑張り始めて、途端に騒がしくなった。

 その後は雑煮の準備をしたせりまでやってきて──女性が三人集まればかしましいとはよく言ったもので、実際に3人集まったら、とてもにぎやかなことになった。

 もちろん、それはそれで楽しいことではあったが──彼女たちは朝から晩まできっちりと居座り、しかも牽制し合ったせいで誰も帰ろうとしないのには、さすがに梅里も閉口せざるを得なかった。

 それから些細なことで騒ぎ始めた矢先、隣の住人──隊長官舎であるため、風組の隊長だった──から「うるさい」と苦情がきたおかげで彼女らを立ち去らせる口実ができ、渋々といった様子で帰って行った。

 

 そんな三人を見送り──三人について行って送れば、それはそれで泥沼になるのが目に見えていたし、怒られて冷静になったせりとカーシャが3人で帰ると辞退した。

 ──悪いとは思いながらも梅里は内心、風組の隊長に食堂で御馳走、しかもせりに内緒で全力のオムライスを出してあげたいと思ったほどに感謝していた。

 

「楽しくはあったけど、落ち着けなかったからなぁ……」

 

 せっかくの休日をのんびり過ごしたかった梅里としては、いささか不本意ではあったのだ。

 そして──今日のこの3日という日も、おそらくはやって来るであろう昨日と同じメンバーによって、平穏でのんびりとした休日にはなるまい。

 

「いや、昨日はしのぶさんは陰陽寮の用事があるって言ってたから。今日は彼女も来そうだし……」

 

 さらにメンバーが増えると思うと気が重い、というか一人でゆっくりしたい。

 あきらめの境地でついたため息と共に──

 

「これなら実家に帰った方がマシだったかも……」

 

 そう呟くが、即座に浮かんだ母の顔にその考えを打ち消した。

 

「……母さんが、のんびり過ごさせてくれるわけがない」

 

 実家に帰れば妹であるカナがかまえとばかりにやってくるので、その面倒を見るくらいならわけはない。

 だが、母は容赦なく梅里をこき使うだろう。そして梅里はそれに逆らうことができない。

 想像だけで疲れた梅里は、もう一度ため息をつき──

 

「いっそ、このまま一人で出掛けようかな」

 

 家でのんびりというわけにはいかないので、散策して回って四人が来るのをやり過ごすのもいいかもしれない。

 

「時期的に外を出歩くのが寒いのが玉に疵だけど……」

 

 それも案外悪くないように思える。

 そうと決まれば善は急げである。なにしろこの計画はあの中の誰かがやってくる前に、ここを逃げ出さなければ破綻してしまうのだから。

 冬用の、裾が長めで厚手の羽織──色はもちろん濃紅梅──を、厚着した上に着込んで、「さぁ、でかけよう」と準備万端整ったとき──呼び鈴が鳴った。

 

 

「………………はぁ

 

 

 もろくも崩れ去った梅里ののんびり正月休み計画に落胆しつつ、玄関の戸を開くと──予想とは違う人がいた。

 

「あれ……?」

「おはようございます、梅里くん。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたしますね」

 

 梅里の家の玄関前には、せりでもかずらでもカーシャでもなく、しのぶでもない彼女が振り袖姿で微笑み、恭しく頭を下げた。

 

「あ……すみません。あけましておめでとうございます、かすみさん。本年もいい年でありますように……」

 

 慌てて新年の挨拶を返す梅里。

 とはいえ、彼女がここにやってくるとは思っていなかったので、梅里は戸惑っていた。

 すると──

 

「あの……今日はお暇ですか?」

「え? あ、まぁ……はい。予定はありませんけど」

「でしたら、初詣につきあってはいただけないでしょうか? 梅里くんのことですから、夢組の誰かと一度は行ったのかもしれませんけど、もう一度くらい行って良い年になるように念を押した方がいいと思いますし」

 

 かすみは笑顔でそう言うと、梅里へと一歩近づいた。

 その誘いに、梅里は頬を掻きながら考え──

 

「うん、そうですね。出掛けようと思っていたし、ちょうどいいです。いきましょう」

 

 そう言って梅里は快諾した。

 かすみと二人で行けば、落ち着いた散策になるだろうし、あの四人にしても、一度初詣に行った梅里がまた行っているとは思わないだろう。意表を突くことでその目を欺けるかもしれない。

 それにかすみには去年一年は大いにお世話になった。

 鬼王との戦いに敗れた後は命を守ってもらい、その後は献身的な御見舞いをしてもらっている。

 自分の目論見はともかく、恩人であるかすみの提案に乗ることとした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 同じく1月3日──

 

 塙詰しのぶは一日あけて再び明治神宮へとやってきていた。

 彼女は昨日、せりやかずら、カーシャと違って梅里邸へ押し掛けることはしていない。というのも、陰陽寮のどうしても外せない行事に参加しなければならなかったからである。

 しかし、しのぶにはもしそれが無かったとしても梅里のところへ行くつもりはなかった。それ以上に、気になることがあったからだ。

 

「たしか、この辺りだったはず……」

 

 元日ではないにしても三が日であるこの日も、明治神宮は初詣の参拝客で混雑していた。

 しかし、やはり人の集まる中心は参拝所のある御社殿の周辺であり、その前の大鳥居前の広場は元日よりも人の数が少ないように感じられた。

 初詣をすでに済ませているしのぶの目的地は御社殿ではなく、ここであった。

 彼女が元日にそこで見たはずの操り人形の大道芸人。梅里にいないと指摘され、まるで夢幻の如く消え去ったそれが、どうにも心に引っかかっていたのだ。

 そして、しのぶは操り人形という芸に馴染みもないのに、どこか懐かしさを感じたという謎も気になる。

 屋台を巡り、ジャグリングや火を吹く大道芸人達を見て回り──

 

「やはり、いませんね。わたくしの見間違いだったのでしょうか……」

 

 ため息をついてあきらめかけたその時、しのぶの目に観客が誰もいない大道芸人が映った。

 彼が手にしているのは細長い木の板を十字に組み合わせたハンドル。そしてそこから延びる糸が人形の四肢へと繋がっており──大きめの人形は、彼の手によってまるで命を吹き込まれたかのように動いていた。

 マリオネットに見られる不自然な動きはなく、それがまるで操られていないかのようで、生きているような滑らかな動きになっているのだと気がつく。

 そして──操られた人形は、しのぶの前まで来ると滑稽な動きを止め、優雅な仕草で恭しく一礼して見せた。

 

「まぁ……」

 

 素直に驚くしのぶ。そんな彼女に──

 

「この人形と貴方は、初めまして、かもしれませんが……お久しぶりですね、塙詰しのぶさん」

 

 人形と同じように恭しく頭を下げる、それを繰る傀儡師。

 その顔を見て、しのぶが驚きで固まった。

 

「あなたは、まさか……」

「お会いするのは何年ぶりになりますか……私が土御門を放逐され、幸徳井の家に押し込まれて以来、でしょうか」

 

 しのぶよりもさらに年上であり、その落ち着いた物腰は昔と変わっていない。

 

「ああ……」

 

 思わず感激してしまう。当時の思いが沸き上がり、それを抑えることができないでいた。

 

耀山(ようざん)さま……」

 

 幸徳井(こうとくい) 耀山(ようざん)。しのぶのかつての許嫁(いいなずけ)であった。

 元々は陰陽寮を取り仕切る、もっとも主要な家である土御門家に生まれ、「現代の賀茂 忠行か安倍晴明か」と称されるほどにまで優れた陰陽師であり、その天与の才は陰陽道のみならず神道に通じるほどであった。

 それほどまでに優れた者ゆえに、魔眼の忌み子であるしのぶを御しうると判断されて許嫁になったのである。

 歳が10歳近く上ではあったが、逆に幼いころはそれが大人として憧れを抱き──しのぶが慕っていた、初恋の相手でもあったのだ

 

「私が陰陽寮を去ったことで、苦労をかけたようで……すみませんでしたね」

 

 それほどまでに高い能力で将来を有望された耀山だったが、ある事情により土御門家から家格の劣る幸徳井家へと養子に出され、陰陽寮の中核から外され──そして出奔し、行方不明となっている。

 耀山がそうなったことで、手綱を握れる者がいなくなった“魔眼の忌み子”──しのぶは、耀山との許嫁という関係が連座のように影響を与え、ほぼ屋敷に幽閉状態となった。彼の失脚及び失踪は、しのぶにも少なくない影響を与えていたのである。

 

「お懐かしゅうございます、耀山様……」

「まったくですね。幼かったあなたが、こんなにも美しい女性になられるほどに」

 

 そう言って大道芸人──耀山は目を細めた。

 

「ありがとうございます……今、耀山様はどこでなにをしてらっしゃるのでしょうか?」

 

 改めてその姿を見れば、長めな髪や切れ長の目といった面立ちは変わっていないが、その服はありふれた庶民の──昔の耀山からは考えられないような服装であった。

 だが、その才を知るものとして、繰り人形の大道芸人で収まるような器ではないように思えたのだ。

 

「私ですか? そうですね……今の私は、昔とそんなに変わりませんよ。天より与えられた能力を生かせる仕事をしておりますので」

「え……?」

 

 さすがに戸惑うしのぶ。

 陰陽道を生かせる仕事というものはそうはない。なにしろ公には陰陽寮は“存在しない”ということになっている組織なのだから。

 もっともそれは公然の秘密というもので、他国の魔術結社系の組織に対抗するために残されているのは、その筋のものなら常識と言っていいほどの認知度はあった。

 

「まさか、他国の……」

 

 しかし同業他社というものがそうあるような世界でもない。

 考えられるとしたら彼が通じていた神道系の組織に所属していた可能性もあるが、だとしたらあれほどの才能があった者が陰陽寮の中核に近いところにいた、また帝国華撃団の霊能部隊という数少ない“同業他社”にいたしのぶに耳に彼の名前が全く聞こえてこなかったのは不可思議だ。

 しかし海外の魔術結社であれば、その秘匿性からもしのぶに情報をつかめなかったという可能性も十分にある。

 だが、耀山は首を横に振った。

 

「しのぶさん……私が、陰陽寮を去った理由、ご存じでしょうか?」

「ええ、一応は……」

 

 今から10年ほど前に──当時はしのぶの年齢がまだ12、3歳のころだったために詳細がよくわからなかったが、今では知っている。

 

「たしか……政府に、陰陽寮の復権を要求しようとしたと伺っております」

 

 耀山は、そのあふれる才能ゆえに当時の若手陰陽師から絶大な支持を集めており、一大派閥を形成するほどであった。

 維新以降、陰陽寮は新政府から、暦が太陰暦から太陽暦へと変わることでその管理を剥奪される等の冷遇措置を受け続け、最終的には歴史の表舞台から消えることとなった。

 地下組織となった陰陽寮は太正の世になるまでの間、不満をため続け──土御門 耀山という天才の出現がその火薬庫に火をつけてしまったのである。

 若手が中心になっていた耀山の取り巻きだったが、長いこと陰陽寮に在籍していた不満を抱く者達もそれに加わり、『復古派』と呼ばれる派閥を結成するに至る。そして──

 

「その通りですよ。私は陰陽寮で『復古派』の旗頭となり、政府に異を唱えようとした。それゆえ──主流派から危険視され、疎まれ、遠ざけられたのです」

 

 その結果、名門・土御門家から幸徳井家へ養子として出され、力を削がれた。

 しのぶと会えなくなり縁談が破談になったのも、魔眼の悪用を恐れられてのことだろう。

 

「このままではいけないと思い、陰陽寮を去った私は流浪の末に、私と同じ志を持つ人と出会う幸運に恵まれたのです。そう、“あのお方”に──」

 

 耀山が言った“あのお方”という言葉。それがしのぶは引っかかった。

 黒鬼会との戦いでたびたび耳にした、その特定の者を指して言われた指示語。それをこの場で改めて耳にして──嫌な予感に襲われる。

 

「耀山様、まさか……」

「ああ、キミも知っているだろうね。姿も見ているでしょう。帝国華撃団夢組副隊長のキミなら──」

「──ッ!!」

 

 疑惑が確信へと変わる。

 秘密部隊である華撃団の、しのぶのその肩書きを知っているのは帝国華撃団の仲間か協力組織である陰陽寮、もしくは──敵対組織に所属する者以外に考えられない。

 

「陸軍大臣・京極慶吾……」

「その通りですよ。あの方も陰陽道に通じておられて──それが縁で拾ってくださったのです」

「つまりは黒鬼会の……」

 

 眉をひそめつつ──しのぶは警戒して自分の武器である扇の位置を確かめる。

 

「だから反魂の術を使役できたのですね……」

 

 先兵として使われた葵 叉丹こと山崎真之介。先の戦いで死んだ彼を蘇らせたのも京極本人だったのだろう。

 

「ええ、その通りです」

 

 笑顔で答える耀山に、しのぶは戦慄し──嫌悪感さえ覚えた。

 

「反魂の術は禁忌の術のはずです! それをどうして──」

「それは陰陽寮の勝手な判断ではありませんか。そこを追い出されたような私のような者は強要される覚えはありませんし、それに属さない人も同じです。従う謂われはありません」

 

 意に介さずそう言ってのける彼にしのぶは唖然とする。その彼女に耀山は問うた。

 

「そしてそれは、キミとて従う必要など無いのではありませんか?」

「なにをおっしゃるのですか? わたくしは陰陽寮の陰陽師です!」

 

 感情露わに言い返すしのぶ。だがそれを耀山は不思議そうに見ていた。

 

「はたしてそうでしょうか? いえ、あなたはそう思っていても──陰陽寮の連中はそう思っていますか? 忌み嫌う魔眼を持つあなたを危険視し、都合よく使い、あわよくばいなくなって欲しい──そう思われているのではありませんか?」

 

 耀山に言われ、身に覚えがないわけではないしのぶは、反論することができない。

 

「道具のようにいいように使われ、利用されているだけではありませんか。そんなあなたを……私なら救うことができる」

 

 手をさしのべる耀山。

 その顔は──しのぶが初めて彼を見たときと同じ笑顔を浮かべ、しのぶの胸がひどく締め付けられるように痛んだ。

 

「──私と共に来てください、塙詰しのぶさん。それがあなたにとって最善の道です」

 

 そう言った彼に対し、しのぶは──躊躇うことなく首を横に振った。

 

「お断り申し上げます、耀山様。わたくしの居場所は、あなたの側にはございません」

 

 ハッキリと、そしてキッパリと拒絶したしのぶに、耀山は驚いた様子だった。

 

「なぜですか? 陰陽寮はあなたを利用することしか考えていないのですよ」

「はい。それも存じております。父も母も……わたくしに情を抱いてくださっておりますが、陰陽寮の意向には逆らうことはできないでしょう」

 

 塙詰家は陰陽寮を構成する華族の一員とはいえ、最有力の土御門家でもなければその意向を覆すことはできない。

 

「ですから、陰陽寮にわたくしの居場所があるとは思っておりません。それは華撃団も同じ──陰陽寮からの出向であるわたくしは、陰陽寮から指示があれば、居続けることはできなくなるのですから」

「では、居場所などないではありませんか。その眼を持ったままのあなたを、陰陽寮が野に放つとでもお思いですか?」

 

 耀山の問いにしのぶは眼を伏せて静かに首を横に振る。

 

「ええ、思っておりません。しかし、それでもわたくしの居場所は陰陽寮ではなく──ある方の傍らこそ、わたくしのいるべき場所でございます」

「ある方……だと?」

 

 ボソッと呟いた耀山の言葉はひどく冷たいものだった。

 

「わたくしの居場所を作ってくださった方……武相 梅里様こそ、わたくし自らが定め、望む居場所でございますゆえ──耀山様のお誘いは、ハッキリとお断り申し上げます」

「なぜ……です?」

 

 口調は戻ったが、わずかに言葉を震わせながら、耀山は尋ねる。

 

「なぜ、そのような……あんな男の方が、私よりも上だというのですか!?」

 

 静かな口調はかなぐり捨てて、耀山は言い放った。

 

「上とか下とか、そういう問題ではございません。あなたが抱く夢は京極慶吾殿と共に歩むものでございましょう? 他人を傷つけ、蔑ろにしてまでも省みずに突き進み、周囲の者達が泣いていようが構わず進み続ける。それが京極殿の──黒鬼会のやり方です。わたくしにはそれが正しいとは思えません」

 

 それは黒鬼会と戦ってきたからこそわかる、しのぶの実感だった。

 

「でも……梅里様は違います。あの方は倒れている人がいれば手をさしのべる方です。助けを求める者がいれば、助ければより困難な道のりになることがわかっていても、助ける方です。わたくしは、そんな時として危うくさえある彼を側で見守り、支え、応援し続けとうございます」

 

 そう言って微笑んだしのぶの顔は──かつては耀山に向けられていた、思慕の笑みであった。

 それに気がついて打ちひしがれる耀山。

 そんな状況の中で──

 

 

「──あれ? ひょっとして……しのぶさん?」

 

 

 突然聞こえてきたのは、その話題になっていた男のそれである。

 偶然にもその場にバッタリと出くわしたのは濃紅梅の羽織を着込んだ男が驚いた様子で見ている。

 それに気がついたしのぶは思わず彼を振り返り──

 

「梅里様! ……え?」

 

 武相梅里と、その横には──やはり驚いた様子の藤井かすみの姿があった。




【よもやま話】
 思いつきと思いこみで書いている部分と、きちんと調べて書いている部分が混在する本作。
 幸徳井家という陰陽寮系の家は実在していました。華族申請したけど通らなかった、という史実から「こういう人のせいで通らなかった」みたいな話をでっち上げてしまいました。もちろん実在の幸徳井家とは全く関係ありませんからね、この話はフィクションですから。
 ちなみに思いこみで書いていたのは──陰陽寮が明治時代には廃止されており、とっくの昔になくなっているというのを史実を改めて調べてみたら分かった、というところです。
 ここまで書いてしまったので「表向きには廃止になったけど、魔術結社という裏組織として残り続けた」という設定をぶっ込みました。


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─11─

 振り袖姿のかすみと出掛けた梅里は、何の因果か明治神宮へと初詣に来ていた。

 

(さすがに二回目は……)

 

 と心の中で苦笑する梅里。かすみから初詣の行き先として「明治神宮がいいかと思います」と言われれば、さすがに彼女から「他の四人とは初詣に行っているのでしょう?」と言われていても、「それは元日に行ったので別の場所にしたい」とは言い出せなかった。

 一昨日と比べるとさすがに人出は少なくなってるように思えたが、それでもやはり帝都である。太正に入ってからできたまだ歴史の浅い参拝スポットではあるが、新しいもの好きの江戸っ子気質と相まって却って人気があるらしく、賑わいを見せていた。

 大鳥居をくぐって御社殿へと参道を進み、参道でお参りを済ませると、再び大鳥居へと戻る。

 その間──

 

「梅里くんは、地元では初詣はどこに行っていたんですか?」

「水戸の東照宮ですね。駅に近いのでバスでそこまで出てしまえば行けますから」

 

 ──梅里はそう答えて、その経緯を話し始めた。

 

「僕の家は水戸徳川家の家臣でしたし、初代様が水戸徳川家に仕えたのも権現様の紹介によるものと言われているので、権現様を祭る東照宮へお参りするのは昔からの恒例行事なんです。もっとも……一度は初日の出を見に大洗まで行って、磯前神社でお参りした年もありましたけど」

 

 などと自分の家の事情なんかを含めて話をしたり──

 

「──笠間稲荷とか、鹿島神宮はさすがに遠いですからね」

「でも、筑波山神社は縁結びとか、夫婦和合、家内安全なんかのご利益があるそうで……女難の相が出ていそうな梅里くんはそちらへ行った方がいいのではないでしょうか?」

 

 冗談めかして笑みを浮かべるかすみ。

 そのように茨城県内の参拝スポットの話をしながら、大鳥居をくぐり──少し開けた場所へと戻ってきた。

 そこは元日同様に屋台のような出店や、集まる人を目当てにした大道芸人が集まっており──その一角が、不自然に人気が捌けているのを見て、梅里は違和感を感じた。

 

「……人払いの結界?」

 

 そうとしか思えないが、それはそれでおかしい。

 なぜこんな場所でそのようなものが使われているのか。そもそも神宮の敷地内であり神域に近く──神宮の管理者に喧嘩を売っているようなものだ。

 

「神職の人達が理由あって敷設した……ようには思えないけど」

 

 多くの人がごった返している中で、そんなことをする用事もメリットもないように思える。

 

「……梅里くん?」

 

 腕を組んでいた梅里がふと立ち止まったので、足を止めざるを得なかったかすみ。

 彼女は梅里が厳しい目で一定の方向を見ているので、不思議に思って視線を追い──そこに人が不自然にいないので疑問に思い、再び梅里へと視線を向け、呼びかけた。

 かすみに呼ばれ、我に返った梅里は笑みを浮かべる。

 

「はい? どうかしました?」

「それはこちらの台詞です。なにやら難しい顔をしてあちらを見て──何かあったんですか?」

 

 かすみに指摘されて、梅里は苦笑を浮かべる。

 それから笑みを消して真剣な面持ちになると、見ていた方を指した。

 

「いえ、あの一帯に人払いの結界が張られているようで……少し気になったものですから」

「結界? それも人払いの……ですか」

「不自然ですよね。こんなところで人払いなんてすれば人の流れが滞って余計に混雑することになるでしょうから。神宮側がそれをわからないはずがない」

 

 そしてあえて混雑させる理由もない。梅里の言葉に思案していたかすみも頷いた。

 

「ですよね。でも、だとすると、誰かが無断でこのようなことをしているということでしょうか」

 

 しかし参拝客が騒いで周囲に迷惑をかけているのとはわけが違う。普通の人に人払いの結界を使えるはずもないのだから。

 人を遠ざけてなにをしているのか。帝国華撃団の一員として気になった。

 

「──かすみさん、ちょっとこの辺りで待っていてください。僕、見てきますから」

「私も行きますよ。私だって帝国華撃団の一員ですからね?」

 

 安全確認は風組のモットー。

 状況の確認に乗り気になった様子のかすみは梅里の申し出を断ったのだ。

 それにはさすがに焦る梅里。

 

「いえ、だって……危険かもしれませんよ。なにが行われているのかわからないんですから」

「それでしたら危ないのは梅里くんも同じじゃないですか。もしも予断を許さない状況だったら二人いた方が、私が連絡役になれますから」

「でも、危険だったら……」

 

 心配して納得しない梅里に、かすみは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「もし危なくても……自分自身と私一人くらい守れますよね?」

 

 そう言われては梅里も頷くしかない。

 確かに、緊急を要する場合に対応役と通信役が欲しいのはかすみの言うとおりだ。

 

「わかりました。じゃあ、いきますよ」

 

 歩く梅里について行くかすみ。

 一緒に参拝したときと同じように彼女は梅里の腕を掴んで離さなかった。

 身動きを制限されているのは危険なように思えたが、そこはそれ気遣いの出来るかすみのこと、いざというときには素早く離すと信用している。

 さらには危険への対応を考えれば二人が近づいているに越したことはないので、あえて黙殺することにした。

 そして向かった先で出くわしたのは──

 

 

「──あれ? ひょっとして……しのぶさん?」

 

 

 後ろ姿だったが見間違えるはずがない。

 一昨日、一緒にここにきたうちの一人のはずの塙詰しのぶである。もっとも服装はその時の赤を基調とした振り袖ではなく、普段着ている着物だった。それに見覚えがあったからこそ後ろ姿だけで彼女と分かったのもあった。

 梅里の声に気がついて振り返った彼女の顔を見て、間違いなくしのぶだということを確認し──

 

「梅里様! ……え?」

 

 しのぶが驚いた様子でこちらを見ている。

 こちらというか──微妙に梅里から視線がずれているように思えた。思わず視線を追いかけ、自分の腕をしっかりと掴んでいるかすみを見ていることに気がつく。

 腕に感じる温かさと、柔らかな感触を思い出し──梅里は「しまった」と後悔した。これは後が怖い。

 梅里がとっさに言い訳しようと考えたとき──しのぶの向こうにいる人影に気がついた。

 

「……あれは?」

 

 予想外のしのぶの登場に驚いてしまったが、もともとは人払いの結界という不審な状況を調べるためにここに来たことを瞬時に思い出していた。

 しのぶか、彼女の向こうにいる人影が術式を使ったのだと推測する。

 

(しのぶさんが、こんなところで?)

 

 彼女が人払いをしたとは思えないが、陰陽師である彼女が使えるのは間違いない。

 仮に使ったのだとしたら、そうまでして会うのを他の人に隠したい相手ということになるが──梅里は、その相手をよく見た。

 やや長めの髪に切れ長の目が特徴的な整った顔立ちの優男、といった印象の男だった。年齢に関しては30歳前後だろうか。梅里は自分よりも一回り近く上のようだと判断する。

 そして、その服装──街を歩けばよく見かけるような、ありふれすぎて印象の残らないような服装だったのだが……それが妙に気になった。

 

(なんだ? なんであの服装……いや、あの服の印象がどうして妙に引っかかるんだ?)

 

 違和感を覚えるはずがない服装に、なぜか感じる違和感。

 それに戸惑いながら──男と目が合う。

 そして──梅里の目が驚きで見開く。

 

 

「……“人形師”」

 

 

「えっ!?」

 

 腕を掴むほど梅里の近くにいたために、彼のそのつぶやきが聞こえたかすみが驚いた。

 

「“人形師”って、あの……カーシャさんの供述にあって、所在が不明になっていた黒鬼会のメンバーの、ですか?」

 

 かすみの確認に梅里はうなずく。

 カーシャだけでなく梅里もまた“人形師”とは面識があった。秋の浅草で火車が起こした祭りでの騒ぎのおり、せりを人質にとって梅里を抹殺せんと仕掛けられたことがあった。

 しかし、その時に相対した男とは顔立ちがまるで違っていた。

 あのときの顔は捕らえ所のない、本当にこれといった特徴がない顔──あえて印象を消すために特徴をなくしているような顔だった。また服装も同じであり、街を歩けばその模様の着物を着ている人を見かけるような、ありふれた服装だった。

 “人形師”の名前が出たことで、一番驚いていたのは、その男と会っていたであろうしのぶだった。

 

「えっ……?」

 

 かすみの発した言葉で驚くと、唖然とした様子で梅里を見て──それから彼の方へと振り返る。

 

「梅里様……いったいどういうことでしょうか? この方は──私の古い知己で元陰陽寮の陰陽師、幸徳井 耀山という方で──」

「よくわかりましたね、武相 梅里」

 

 戸惑うしのぶの言葉を遮るように、男が言った。

 

「いかにも私は“人形師”……そして()()()夢喰い(バク)』。しかしあなたに私の顔は見せていないはず。そもそも“人形師”の間は顔をずっと隠していましたからね」

 

 見せるにしても強い術式でその素顔を隠していた、と説明する“人形師”こと幸徳井 耀山。

 

「殺気でわかったよ、“人形師”」

 

 武相 梅里は霊的障害を納める霊術師であると同時に、帝国華撃団の中でも指折りの剣士でもある。

 相手の放つ殺気を感じとる力は並外れているのだった。

 

「浅草であった時と顔も服装も全く違うけど──今日のその“どこにでもありふれた服装”っていうのが、妙に引っかかってね。僕に向けた敵意だけだったら疑う程度だったけど、あのときの印象と全く同じだったのが逆に裏付けになった」

 

 今の彼の服装とあのときの服装は明らかに違う。しかし服装というのは時期によって変わるものであり、秋と冬では“ありふれている服装”というものが異なるのだから、当然、違うものになる。

 目を合わせた際に向けてきた、明らかな敵意──それも殺気に近いようなシロモノ──は梅里の直感を刺激し、真っ先に頭に浮かんだのがあのときの“人形師”のそれであった。

 それがきっかけとなり、疑ってしまえば受けた印象が全く同じという現象は逆に目立ったのだ。

 

「なるほど。毎回毎回、木を森の中に隠すだけ、というのも愚策というわけですか。勉強になりますね」

 

 そう言って肩をすくめた耀山。

 そして彼は──しのぶへと振り返る。

 

「さて、先ほどは断られましたが──これを見ても、あなたの気持ちは変わりませんか、しのぶさん」

「……いったい、なにがでしょうか?」

 

 警戒するように──しのぶにとって今まではただの“陰陽寮から出奔した後に京極に心酔して協力していた陰陽師”という印象だった耀山だが、五行衆の直ぐ下に就いて華撃団と戦っていた“人形師”となれば話は違う。そのコードネームの『夢喰い(バク)』に現れているように、あきらかに夢組と敵対するものだ。

 

「見なさい。あなたが信じ、愛する者──居場所を作ったという男は、別の女と浮気の真っ最中じゃありませんか」

 

 ギクッとなる梅里。何の反論もしようが無い。

 

「そんな男の言うことを信じるのか? その眼はどこだろうと誰だろうと忌み嫌われるのだぞ? その男がその全てから守ってくれるとでも──今の姿を見て、確信できるのか?」

 

 感情が高ぶり、口調が変わる耀山。

 

「私ならばその力を存分に活躍できる場を作れる。その力でもって、全てを黙らせることが出来る。しのぶ……お前は私の下へと来るべきなのだ!!」

 

 再び、今度は力強く手をさしのべる耀山。

 その手と、かすみを腕に抱きつかせたままの梅里を交互に見たしのぶは、一度目を伏せて、深呼吸し、そして──

 

「何度言われようと、答えは同じでございます。わたくしの心は揺らぎません。あいにくと間に合っております」

 

 毅然としのぶは言い切る。

 そして、ほとんど閉じたように見えるその目で、耀山を睥睨する。

 

「確信いたしました。あなたは結局、わたくしではなくこの魔眼が必要なだけではありませんか」

「その魔眼も含めてのお前だろう、しのぶ!」

「いいえ。梅里様は違います。わたくしを見て、わたくしを受け入れ、居場所を作ってくださいました。あなたとは違うんです!!」

「お前だけを見ていないような男でもか!? いや、あの男が見ているのはそこの隣にいる女でも、お前でも、そしてお前以外のあの女達でさえないぞ」

 

 耀山は自分の指摘に無反応な梅里を見て、断罪するように言い放った。

 

「過去に自ら手を下して命を奪った、かつて大切だった女の幻想を、お前達を通じて見ているだけだ! 現在に生きてないような男に、なにを期待するのか!!」

 

 激高する耀山に対し、しのぶは対照的に冷徹なまでに抑えた口調で答える。

 

「耀山様、しばらく見ない間に、その(まなこ)は随分と御曇りになられたようですね。あなたは梅里様のことが全く見えていらっしゃらない」

 

 それはどこか蔑んだような──幼いころには抱くことがなかった彼に対する失望の表れでもあった。

 

「確かにあの方は、最も大切だった方の命を奪っておりますが──その時から今も残る心の涙が、あなたには見えなかったのですか? その慟哭を想像する心さえ失ってしまわれたのですか? そんな梅里様が自分を許せず、死地を求めていたのをどうして責められましょうか。その後に生きる意味を見いだしたあの方を、あなたが責める権利などありません!!」

 

 ピシャリと言い放ったしのぶは、普段からは想像できないような語気であった。

 その勢いのままに、彼女は言葉を続ける。

 

「現在に生きていない? 空っぽだったわたくしの居場所を与えてくれたような方が、そんなわけはございません。わたくしの大切な方を愚弄することは……絶対に許しません!!」

「だが、あの男がお前だけを見ていないことには変わりがないではないか!!」

 

 耀山の反論に、しのぶは語気を弱め、自らの気持ちを見つめるように、目を伏せて胸に手を当てる。

 

「わたくしだけを見ていないなんて……そんなこと、百も承知でございます。大切な方を失った梅里様は、心に傷があるからこそ困った方に手を差し伸べる優しさを持っておられます。それに惹かれるのがわたくしだけとは思っておりませんし、他の方が慕うのを邪魔するのは、わたくしのワガママでしょう」

 

 そう言ってしのぶは梅里を見て──その傍らにいるかすみをチラッと見る。

 

「大事なのはわたくしが梅里様を慕っていて、梅里様がわたくしを疎んでいなければ、それでよろしいのです。他の御仁(ごじん)にとやかく言われる筋合いは、ございません!!」

 

 しのぶの声が、人払いされた一角に響きわたる。

 これ以上ない、ハッキリとした彼女の拒絶に──耀山は絶句していた。

 梅里はといえば、しのぶからの熱い想いを伝えられたに等しいのだが、一方でその腕には別の女性──かすみがいるわけで、なんとも居心地が悪く、空いている方の手で頬を掻いていた。

 そんな中、ショックから立ち直ったと思われる耀山がゆらりと動き──

 

「なるほど。ならば──」

 

 やおら梅里へと振り返る。

 

「──あの男がいなくなれば、いいのだな」

 

 狂気さえ宿すその目で睨みつけ、殺気を放った。

 




【よもやま話】
 やっとしのぶのヒロイン回っぽくなりましたね。


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─12─

「──あの男がいなくなれば、いいのだな」

 

 その言葉と共に幸徳井 耀山から叩きつけられた殺気に、梅里は素早く反応した。

 かすみを下がらせてかばうようにその前にたつと、腰の得物へと手を伸ばし、身構える。

 直後──耀山が左右の手を素早く動かし、クナイを投擲してきた。

 飛来したそれを愛刀である聖刃(せいじん)薫紫(くんし)を抜き打ちざまに切り払い、全て弾く。

 だが、弾かれたクナイは、地面へとは落ちずにその勢いを取り戻し、再び梅里へと襲いかかった。

 

「これは──!?」

 

 戸惑う梅里だったが、クナイの尻部に糸が巻き付けてあるのが見え、そのからくりを見抜いた。

 クナイは直線的な軌道を描く投擲武器ではなくなっていた。“人形師”のその諱が現すように、彼の手から延びる糸はクナイをそれぞれ制御し、さながら有線式誘導されて弧を描き、またあるものは鋭角に進路を変更し、梅里へと襲いかかる。

 

「くッ!!」

 

 とっさに身を翻した地面にクナイが突き刺さる。が、それも束の間、自ら意志を持ったように刺さった地面から飛び上がり、再度梅里へと向かう。

 

「でも──タネが分かってしまえば!!」

 精神を研ぎ澄ませた梅里は、襲い来るクナイに対して踏み込み──手にした刀を一閃させる。

 すると、繋がれた糸が切れて、クナイはあらぬ方向へと飛んでいく。

 操っていたクナイに繋いだ、両手の五指から伸びた十の糸を全て切り離され──

 

「さすが、華撃団でも屈指の腕を誇るだけはありますね……」

 

 切り飛ばされたクナイの一つを拾い上げながら、耀山がポツリとつぶやく。

 

「妖力の糸を使って投擲武器の軌道を変えるなんて予想外だった。それも十個も操れるだなんて……」

 

 糸が妖力である以上、物理的な糸と違って再接続も可能だろう。

 梅里も油断無く刀を構える。

 

「それに対応できるのですから──私も全力で、奥の手を出し惜しみせずにいくとしましょう」

 

 耀山の目が一段と鋭くなり、その妖力が爆発的に膨れ上がる。

 

「──ッ」

 

 梅里がその妖力の、あまりの強さに警戒し──満月陣を纏うや、すぐにそれを集束させた。

 その体が淡く光り、刀を構えた状態で動きを止める。

 

「朧月……」

 

 それを見たしのぶがポツリとつぶやいた。

 

 満月陣を使った状態で集中し、無へと没頭する。

 極限の集中が無の境地へと至ることで、満月陣が集束し極限まで研ぎ澄まされる。

 その状態になった梅里に対し繰り出された攻撃に反応し、抑え研ぎ澄ませていた霊力を一気に爆発させる。

 霊力を空間へと焼き付けて残像を残しつつ、高めた霊力による瞬間移動を行い──相手の死角へと移動し、不可避の反撃(カウンター)を放つ。

 

 禁忌の技である『新月殺』を使った際の、一念集中と瞬間移動を伴う攻撃をヒントに梅里が掴んだ極意であり、これを避けられた者がいない、絶対不敗の剣である。

 だからこそ、それを知る二人は梅里の勝利は揺るがないと信じていた。

 だが……しのぶだけは、その心のどこかで何かイヤな予感を感じていた。

 それは耀山が高める禍々しい妖力からくるものだった。

 彼の両手の五指からは黒い妖力の糸が直線的に伸び、周囲の虚空へと舞い、そして──

 

「いきますよ!!」

 

 その妖力が一気に爆発するように高まると──それは一瞬で消え去った。

 

 

「え……? 術式が不発?」

 

 

 思わずしのぶが戸惑うほどに、妖力は消え去っていた。

 なにか仕掛けようとして術式の構築に失敗したのか、と思い、耀山へと視線を戻すしのぶ。

 だがそこに彼の姿はない。

 慌てて周囲を見渡し──梅里の後方で、その姿を見つける。

 

 

 そして次の瞬間──刀を手に構えていた梅里が崩れ落ちるように膝を付くのが見えた。

 

 

「──梅里くんッ!?」

 

 その光景に、しのぶよりも近くにいたかすみが悲鳴のような声をあげていた。

 

「胸に、クナイが──」

 

 彼女の言うとおり、梅里の体にはクナイが深々と刺さっていた。

 だが、梅里は刀を杖代わりにして支えつつ、どうにか立ち上がろうとしていた。

 そこへ駆け寄ろうとするかすみとしのぶ。

 

「ダメだ、二人とも。危ない──」

「あなたの状態の方がよほど危険です!!」

 

 かすみの叱咤する声が響く。

 しのぶもまた梅里の警告を無視して進み──梅里へと至る前に、耀山が立ちはだかった。

 

「邪魔をしないでくださいまし!!」

 

 毅然と言い放つしのぶだったが、耀山は意に介さず、一歩、しのぶへと歩みを進めた。

 ただならぬ気配に、思わず一歩下がってしまう。

 

「やれやれ……本来ならば自らの意志で来て欲しかったのですが、やむを得まませんね。私の傀儡として──その眼を使わせていただくとしますか」

 

 梅里という邪魔の排除に成功した耀山は、再び妖力を高め、それを立てた人差し指へと集中させ──それをしのぶへ向けると、一本の漆黒の糸がしのぶへと襲いかかる。

 

「あぁッ!?」

 

 思わず身構えたしのぶだったが、彼女が武器である扇を取り出すよりも早く、それが迫り──

 

 

「があああぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 咆哮のような梅里の声が周囲に響きわたる。次の瞬間には彼の体はしのぶを庇うようにその眼前へと空間を渡って移動していた。

 体に突き刺さったままのクナイを自分への攻撃として、強靱な精神力としのぶを守りたいという一心で集中させて──無理矢理に朧月を発動させたのである。

 黒い糸に立ちはだかった梅里へと至り、彼へと繋がっていた。まさに身を挺してしのぶを庇うことに成功したのだ。

 だが──

 

「梅里様ッ!!」「梅里くんッ!!」

 

 しのぶとかすみの悲鳴が響く。

 濃紅梅の羽織の下の服に刺さったクナイを中心にして、赤黒いシミが急速に広がっていく。無理に動いたせいで傷が悪化したのだ。

 おまけに漆黒の糸は梅里を捉えている。ただでさえ、しのぶを操らんと耀山が妖力を込めた糸である。そこに大きなダメージによって抵抗力が落ちた梅里は、体を完全に乗っ取られていた。

 

「おやおや、困ったものですね……あなたを操ったところでなんの利益も無いのですが……仕方ありません。この状況、有効に活用させてもらいましょう」

 

 やれやれと肩をすくめた耀山は、しのぶへと振り返った。

 

「塙詰しのぶ……この男の命が大事ならば、私に従いなさい」

「く……」

 

 悔しげに耀山を見るしのぶ。

 もはや絶体絶命だった。命に関わるような深手を負っている梅里を助けるには──もうこの手しかない。

 しのぶは──

 

「魔眼を使おうと考えても無駄です。私は多少なりとも抵抗できるし、その間にその男を殺すことなど造作もない」

 

 その意図を見抜いた耀山が警告し、しのぶはあきらめざるをえなかった。

 そこへ──

 

「ダメだ……しのぶさん、従っちゃいけない……」

「梅里様!?」

 

 苦しげな梅里の声に、思わず顔を上げるしのぶ。

 

「おや、しぶといですね。しかし無理をすれば──命を縮めますよ」

 

 耀山の言葉を証明するように、梅里の胸を赤黒く染めるシミは確実に広がっていく。

 

「梅里様! いけません!!」

 

 それを見たしのぶが慌てて止める。

 だが、梅里はそれを聞かず、絞り出すように声をあげる。

 

「キミは……キミが意にそぐわずに魔眼を使えば──必ず心を痛める。アイツについていったら、また心を殺すことになる。それを許すわけには……いかない。この僕の命に代えても──」

 

 そう言って梅里はしのぶを見つめ──そして一度頷いた。

 それでしのぶはわかった。梅里の考えを。そして覚悟を。

 

「はい、梅里様……」

 

 そこまで言ってもらえ、そして命を預けてもらえるのは女冥利に尽きるではないか。

 しのぶは霊力を集中させて──その眼を見開いた。

 黄金色の瞳が現れ、溢れ出す霊力でも妖力でもない、純粋な力の奔流が溢れ出し──

 

「──警告はしていたぞ!」

 

 耀山が黒い糸を通じて梅里を操ろうとする。

 だが、梅里も霊力を振り絞り、耀山の支配に抵抗した。

 

「なッ!?」

 

 人質を取り余裕を見せていた耀山が、初めて焦りの声を出した。

 梅里の霊力属性は「月」であり、その本質は「鏡」である。

 抵抗のために振り絞った梅里の霊力はその性質を発揮させ──耀山の支配しようとする妖力が、弱いながらも反射したそれとぶつかり合い、相殺され、わずかな抵抗となったのだ。

 

「その一瞬があれば、十分でございます。梅里様!!」

 

 それが明暗を分けた。

 しのぶの魔眼が耀山を捕らえ──彼は手応えで梅里の命を奪うのが間に合わないと判断する。

 

「くッ! 忌々しい!! 武相 梅里めが!!」

 

 即座に糸を切断し、魔眼への抵抗に全力を注ぎつつ──糸を束ねて壁として、それに身を隠す。

 あらかじめ周囲の地面に仕込んでいた緊急避難用の魔法陣を展開させ、そこへ飛び込んだ。

 

「この場は退こう。だが、我ら黒鬼会の真の目的は──維新にあらず。今から起こることを刮目していろ!!」

 

 捨て台詞を残し、耀山──“人形師”いや、真なる『夢喰い(バク)』は一瞬で姿を消していた。

 それを見届けるようにして梅里はその場に倒れ伏すのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「梅里様ッ!!」

 

 倒れる梅里に向かって駆け寄るしのぶ。

 その目はいまだに魔眼を発動させたままであった。

 

「梅里様、聞こえていらっしゃいますか? 目を……開いてくださいませ」

 

 上半身を抱き起こされ、ぐったりとしていた梅里は、弱々しくもどうにか目を開く。

 そして、しのぶの魔眼と目があった。

 

「──ッ!」

 

 すかさずしのぶが魔眼を使い、目があった梅里の無意識部分にある指示を命じる。

 そして深々と胸に刺さったクナイを見る。かなり痛々しいが、これを抜くわけにはいかなかった。

 

「梅里様、失礼ながら魔眼を使用して止血させていただきました。これでとりあえずは──」

 

 そうしたのは、これ以上の出血は命に関わると判断したためだ。

 それを聞いて梅里は震えるようにうなずいた。

 

「あり…がと……しのぶさん」

 

 そうして、ゆっくりと笑みを浮かべる。

 

「しのぶさん……よく、わかったね。僕の……やろうとしたこと」

「当然です。わたくしはもう長いこと、梅里様をお慕い申し上げているのですよ。あれくらい、わからないはずがありません。あの場で──梅里様が無茶をすると存じておりました」

 

 そう言って、しのぶは胸の傷を気にしながら、梅里の体をを抱きしめる。

 

「わたくしが心配申し上げているのに──なぜ、あんな無茶を」

「だって、しのぶさんに……イヤなこと、させたくなかったから。アイツに、耀山に連れて行かれたら、きっと魔眼で…やりたくもないことを、やらされると思ったら……動いてた」

 

 弱々しく苦笑する梅里。

 

「──しのぶさん、気持ちは分かりますが、これ以上は」

「は、はい……」

 

 端で見ていたかすみが、梅里の容態を心配してストップをかける。

 そうしてかすみは梅里の腕を掴むと脈を見つつ──

 

「梅里くん、今から緊急搬送を依頼しますので、もう少しだけ頑張ってください」

 

 かすみの呼び掛けに、意識が朦朧としてきているのか、曖昧にうなずき──かすみは華撃団本部へと連絡を取って、状況の報告と緊急搬送の依頼を行った。

 

「──え? それは……本当ですか?」

 

 それを、梅里を抱き抱えながら横で見ていたしのぶは、かすみが戸惑っていたので不安そうに見る。

 やがて通信を終えたかすみが振り返るが、その顔はやはり精彩を欠いていた。

 

「どうかなさったのですか?」

「はい……実は、王子に魔操機兵が現れたそうです。花組をはじめ緊急召集をかけるそうなのですが、実は大神隊長が帝都を離れていて……翔鯨丸で迎えにいかなければいけません」

 

 華撃団へ緊急連絡を入れたかすみだったが、逆に緊急召集をくらってしまったようだ。

 迷うように梅里をちらちらと見るかすみ。本来なら一刻も早く向かわなければならないところだが、こんな状態の梅里を放っていくのは後ろ髪が引かれる。

 

「……かすみ、さん。僕は……だいじょ、ぶだから……行ってください。大神、さんを迎えに行かないと……」

「梅里くん! しゃべったら駄目です!!」

 

 叱りつけるかすみに対し、梅里は笑みさえ浮かべる。

 それを見て──かすみはしのぶを振り返った。

 

「しのぶさん。後のこと、くれぐれもよろしくお願いします」

「はい。わたくしの命に代えて──この魔眼を使ってでも、梅里様の命の灯火は絶対に守ることを御約束いたします」

 

 二人が頷きあい、再び視線を梅里へと向ける。苦し気でありながらも、しのぶの魔眼を使った応急措置のおかげで容体は今のところ安定していた。

 それから間もなくやってきた風組隊員達は、共に行き先は花やしき支部ながらも、かすみを翔鯨丸へと送り届ける班と、梅里を地下の医療施設へと緊急搬送する班に分かれて、その道を急ぐ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 花やしき支部の地下施設では、夢組所属の医師である大関ヨモギが待ちかまえていた。

 

「まったく、正月早々に……三が日くらい休ませてほしいものですね」

 

 相変わらずの半眼でジロッと見つめるヨモギ。

 梅里の容態を見て、次に同行してきたしのぶを見る。

 

「止血したのは副隊長、あなたですか? 魔眼を使って……」

「わかるのですか?」

「ええ、不自然に止まっていましたから。しかし良い判断です。もしそれがなかったら、血が足らなくなっていたことでしょう」

 

 ナイス判断、と親指を立てるヨモギ。

 

「しかし……逢い引き中に襲われるとか、本当に、なんなんです? 私の正月休みを返していただきたいのですが」

 

 抗議の声と共に、ヨモギの目が鋭くなった。

 それに苦笑を浮かべて答えるしのぶ。

 

「あ、あの……逢い引きの相手、わたくしではないのですが……」

 

 申し訳なさそうに答えると、ヨモギは大きくため息を付いた。

 

「なるほど、痴情のもつれで刺された、というわけですか。自業自得ですね、隊長も」

「そ、そうではなくて──あの、ヨモギさん? ホウライ先生? 急にやる気をなくさないでくださいまし……」

 

 焦るしのぶが事情を説明し──黒鬼会にやられたと聞いて、ヨモギはやる気を取り戻し──「心配しないでください。“失敗しません”から」と言って、いつもの暗示を自分にかけつつ部屋へと向かう。

 そして、その言葉通り、ヨモギによって無事に手術は成功した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 手術室の入り口で待っていたしのぶは、ヨモギが出てくるやいなや立ち上がる。

 それに気が付いた彼女はグッと親指を立ててそれに応え、手術の成功をアピールし、付近の長椅子に腰を下ろした。

 やがて運ばれてきたストレッチャーにしのぶが駆け寄る。梅里の意識は完全になかったが、安定した呼吸をしているのを確認してほっとした。

 そこへ──

 

「塙詰副隊長、隊長から意識を失う前に伝えられた伝言がありますんで、伝えますよ?」

 

 長椅子を立ち、近づいてきてうたヨモギの言葉に、しのぶは振り返った。

 

「夢組の指揮を任せる、だそうです。巽副隊長は、佐倉に帰省中で戻ってくるのに多少時間がかかる。僕は、この通りだから……と言ってました」

 

 王子での敵の出現を、梅里は気にしていたのだろう。

 実際──王子は大苦戦だという情報は入ってきていた。天武をもってしても──敵の新兵器、降魔を人造し、それに機械を組み込むことで支配した『降魔兵器』という強敵相手に、要である大神一郎を欠いた花組は、手も足も出ないような有様らしい。

 そんな状況だからこそ、夢組がサポートしなければならないというのに──正月休みで手薄になっていた挙げ句、隊長の梅里は負傷により出撃不可。その付き添いでしのぶも出撃不可。宗次は帰省中で、それについていったティーラも同じく不在、と隊長及び副隊長、それに準じる副支部長というトップ4人までが身動きがとれず、指揮系統も機能していないような体たらくである。

 それを梅里は報告を受けていなくとも察したのだ。

 

「まったく、伝言だなんて医師免許も錬金術班副頭としての地位も必要ないような仕事はしたくないのですが……」

 

 やれやれと不満げなヨモギ。

 それに対して敬礼して応える。

 

「──承知いたしました。塙詰しのぶ、隊長代行の重任、精一杯務めて参ります。ですから──」

 

 しのぶはストレッチャーに横たわる梅里に多い被さり──その唇に自分のそれを重ねる。

 

「安心して──心安らかに、わたくし達が戻るのを待っていてくださいませ。梅里様」

 

 そう言って、動き出すストレッチャーを見送り──しのぶは(きびす)を返した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 王子での第二陣の出撃に随伴することとなったしのぶだが──花組の天武は黒鬼会によって捕らえられており、第二陣である大神機とさくら機のみという絶望的な状況に追いつめられていた。

 

「大神少尉、聞こえておりますか?」

「ああ……その声は、夢組の……しのぶくんかい?」

「その通りでございます。本日の夢組の指揮はわたくしが担当しております」

 

 塙詰しのぶのことはもちろん大神も知っていた。

 副隊長であることももちろん知っていたのだが、彼女が指揮をとる姿を見るのは本当に珍しい──ほとんどの場合、隊長の梅里が担当しているし、不在や二手に別れる場合にはもう一人の副隊長である宗次が担当するからである。

 だが──しのぶが不慣れなわけではない。陰陽寮派の代表である彼女は、もちろん指揮や指示を出すのはむしろ慣れている方である。

 そして現状把握も出来ている。現在の二機だけでは圧倒的な不利であることはもちろん理解していた。

 

「つきましては……大神少尉とさくらさんの機体に夢組の封印・結界班が随行し、捕らえられた方々の封印解除を行います。お二人は、そこまでの突破口を開くのと、解除中の警戒をお願いいたします」

「了解した。塙詰副隊長……オレ達の仲間を、よろしくお願いします」

「わかりました。みんなを早く助けないと……」

 

 しのぶの指示に大神とさくらが答え──作戦は開始された。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その活躍もあって、花組メンバーを全員無事に解放することに成功した。

 しかしその場に現れた京極 慶吾──クーデターの際に自殺したのは影武者だった──によって、今までの黒鬼会が出没した場所に仕掛けれた術式を発動させられてしまう。

 その『八鬼門封魔陣』の解放は、帝都の怨霊そのものと言うべき巨大な要塞『武蔵』が復活させ──帝都上空に巨大なその威容を見せるのであった。

 


 

─次回予告─

 

ティーラ:

 再び動き出した黒鬼会の──いえ、京極の野望。

 それを防ぐことができるのは帝国華撃団以外に存在しません。

 重傷を負って意識不明の隊長──早く、早く目を覚ましてください! あなたがいない間に、死力を尽くした隊員たちが……

 

 次回、サクラ大戦2外伝~ゆめまぼろしのごとくなり2~、最終話

 

「人の夢とは儚きこと(かな)……」

 

 太正桜に浪漫の嵐。

 次回のラッキーアイテムは、『神槍(しんそう)真理(しんり)』 ……宗次さん、あなたが無事に戻ってきたら、私たちは……

 

 




【よもやま話】
 今回は大規模戦闘は無しです。
 しかし……困ったことにあと一話しかないのに、せりとかずらは合体必殺やったのに、しのぶとカーシャを残してしまったんですよね。
 う~~ん、しのぶは出来ないかもしれないなぁ。



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最終話 人の夢とは(はかな)きこと(かな)……
─1─


 気が付けばそこは、白一面の世界だった。
 周囲にはまったく何もなく、ただ床があるだけの、寂しいというのも生やさしい、空虚な空間。

「ここは……」

 そんなこの場所に、武相(むそう) 梅里(うめさと)は覚えがあった。
 この場所にきたのは初めてではない。そう、あれは……先の大戦で無理をして夢組だけでなく、花組をのぞく華撃団全員の霊力を一身に受けて巨大降魔を倒したときのこと。
 その負荷に体が耐えられず、命を落とした──少なくとも呼吸が止まり、心配停止状態で医師の大関ヨモギが死亡判定を出した──ときのことで、その時に、梅里は精神はこの世界にきて、幼なじみである守護霊と上司が生まれ変わった大天使と会った。
 夢か幻か定かではなかったが──仲間の必死の蘇生のための行動があったとはいえ、少なくとも死亡したと思われた自分の命が助かったのは、超常的な力が働いて生き返ることができたと思っており、明晰夢の類ではなかったと思っている。


「──また会ったね。ウメくん」」


 だから、ここで彼女と会うのはある意味予想通りのことだった。

「そうだね。鶯歌……」

 その彼女に向かって微笑みかける。
 亡くなって梅里の守護霊となった四方(しほう) 鶯歌(おうか)。彼の幼なじみにして婚約者だった女性。
 しかし彼女は、再会を喜ぶでもなく──盛大にため息を付いた。

「あのねぇ……“そうだね”じゃないわよ? 本当ならこんなところで会いたくなんかないんだから」
「……ってことは、僕はまた死んじゃったのかな?」

 頬を掻いて苦笑する梅里に、鶯歌はズイッと近寄る。

「またって──そう簡単にポンポンポンポン死なれてたまるもんですか。あたしはあなたの守護霊なんだからね? あたしが護ってるの。それなのにウメくんに頻繁に死にかけられたら、まるであたしが役に立っていないみたいじゃない」
「それは申し訳ないと思ってるけど……」

 鶯歌の剣幕に気圧される梅里。

「ウメくんは生死の境目をさまよったけど、幸いなことに今回はしのぶさんが応急措置をしてくれたのと、ホウライ先生のおかげで一命は取り留めたって状況。二人に感謝しなさいよ?」
「うん……ゴメン」
「謝罪はあたしにじゃなくて、迷惑かけた他の人たちに、ね」
「うん……」

 うつむく梅里に、鶯歌はやれやれとため息をつく。

「で、ウメくんが運ばれている間に、花組が危機になったのまでは知ってるでしょ?」

 鶯歌の確認に梅里が頷くと、その後の状況を彼女は説明した。
 しのぶが夢組の指揮を執って大神さんとさくらさんと協力し、捕らわれた花組を助けるのに成功したが……八鬼門封魔陣というものが発動して、封じられていた『武蔵』という要塞が、帝都上空に出現した。

「……まるで『大和』の聖魔城だね」

 状況を聞いての梅里の感想がそれだった。

「そうね。状況的にはほぼ同じよ。止めるには乗り込まなきゃいけないところも、ね」
「じゃあ、僕もここでゆっくりしているわけには……」
「落ち着きなさい」

 振り返ろうとした梅里を鶯歌が抑える。

「あたしだって、ウメくんが生死の境をさまよってるからって、ここにつれてきたわけじゃないの」
「じゃあ、なんで……」

 首を傾げる梅里を、鶯歌は真剣な目でジッと見つめる。

「もちろん、あなたの命を守る為よ」
「僕の、命を……?」

 うなずく鶯歌。

「そうよ……訊くけど、ウメくん。さっきの戦いであの“人形師”に自分が何をされたのか、サッパリわかってないんじゃない?」
「それは……」

 答えに窮する梅里。
 その時のことを思い出しながら、状況を整理する。

「あのとき、確かに僕は朧月で待ちかまえていた。アイツの妖力が最高潮にまで高まった瞬間──気が付いたら刺されてた。動きも見えなければ、気配を感じることもできなかった……」

 目で捉えていたのに、まるで瞬間移動したかのように消え去った。
 それと同時に、胸にはアイツ──幸徳井 耀山が持っていたはずのクナイが刺さっていたのである。

(状況的には、僕の朧月に似ている──でも、なんだろう。根本的に何かが違っているような……)

 梅里の使う満月陣・朧月は相手の攻撃に反応して、敵の死角へと瞬間移動して反撃を行う技だ。
 比較すれば、耀山の使った技はカウンターでもないので相手の動きに関係なく、瞬間移動と同時に攻撃も終えている、といった具合である。

「ワケわからないでしょ?」
「うん……あれをまた使われても、正直、対処しようがない」
「でしょうね。ワケが分からなくて当然だもの。あんな技、反則よ」

 そう言って憮然としている鶯歌を、梅里は驚いた様子で見つめる。

「鶯歌? まさか……なにが起こったのか、知っているの?」
「ええ。というか、守護霊のあたしだから分かるけど、ウメくんには絶対分からないわよ」

 そう前置きをして、彼女は耀山が何をしていたのか、説明した。

「──だから朧月で対抗するのは、間違いなく無理なの」

 あのとき起こっていたことを説明され、梅里は絶句する。
 あの現象を理解して、だからこそそれが対抗しようがないのが理解できた。
 正直、八方ふさがりである。
 この状況に悩む梅里。
 そんな彼に鶯歌は──

「でも安心して、あれに対抗できるのは──ウメくんだけだから」

 そう言って、勝ち気な笑みを浮かべた。



 帝都上空に現れ、まるで市民を威嚇するかのように威容をさらす『武蔵』。

 その出現を受けて、帝国華撃団は正月返上で集結し、各部隊が集結していた。

 霊能部隊・夢組もまた非常参集し、銀座の帝劇本部には幹部達が集結していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──そういうわけで、我ら帝国華撃団はこれより、空中戦鑑ミカサを使用して『武蔵』への攻撃を敢行する」

 

 その場を仕切り、戦況と作戦を説明しているのはいつも通り、濃い青色に染められた狩衣を模した夢組男性用戦闘服に身を包んだ副隊長の(たつみ) 宗次(そうじ)である。

 だが、その近くにいるはずの隊長の姿は──無い。

 

「ミカサの使用は二年前に続いて、今回で二度目だ。前回のミカサは未完成だったために帝都に長大な地面を割って出撃することとなったが、今回は正式な直立連結でのダルマ落とし方式での出撃となる──」

 

 華撃団の誇る切り札──空中戦艦ミカサは先の戦いで大破したと思われていたが、東京湾にある記念公園の鑑首以外は回収され、帝都の地下で「新ミカサ」として修理・改造されていた。

 そんな巨大なミカサだが、発進方法が変わったおかげで帝都に与える被害の面積を少なくできていた。それは夢組が発進時のミカサを守るために展開する結界の範囲が狭くて済むということでもある。

 

「なお、前回は艤装も不完全で、夢組は全員が居残って帝都防衛にあたったが、今回は部隊をミカサに搭乗して花組の支援及びミカサの防衛を担当する組と、帝都防衛のために残る組の二つに分ける」

 

 そう言って、宗次は居並ぶ幹部達を見た。

 

「ミカサの霊子核機関と霊子甲冑の整備のために、錬金術班は基本的にミカサに乗り込む。封印・結界班はミカサを守る結界も重要だが、ミカサ出撃後には華撃団の拠点となる花やしき支部の防衛のための要員も必要だ。人選は和人、お前に任せる」

「承知……」

 

 瞑して頷く封印・結界班頭、山野辺(やまのべ) 和人(かずと)

 

「それから──調査班は基本的にミカサ組だ。花組の突入に際し、できうる限り安全なルートを構築するサポートが必要だからな」

「……私は、帝都に残るわ」

 

 宗次の指示に反する主張に、周囲の者が戸惑って発言者を思わず見た。

 後頭部で二つに分けてお下げにしている髪型がトレードマークの女性隊員。シアン色の袴の女性用夢組戦闘服に身を包んだのは──

 

「白繍、お前……」

 

 夢組調査班頭・白繍(しらぬい) せり。

 彼女は目を閉じたまま、先ほどの言葉をキッパリと言ったので、それにはさすがに憤る宗次。

 

「話を聞いていたのか? 本作戦は、帝都の未来を左右する重要なものだ。お前一人の感情で──」

「その感情の影響を強く受けてしまうのが、私たち夢組でしょう? 悪いけど、今の精神状態でミカサに乗り込んだとしても、まともに役に立てる自信はないわ」

「く……」

 

 苦虫を噛み潰したような渋面になる宗次。

 その彼は、せりの隣で手を挙げている、くすんだ黄緑色──萌木色の袴の女性用夢組戦闘服を着た、伊吹(いぶき) かずらを恨みがましい目で見た。

 

「伊吹……一応聞くが、なんだ?」

「私もせりさんに同じ、です」

 

 かずらの言葉で宗次のこめかみに青筋が浮かぶ。

 

「……お前達は、本当に…………」

「でも、十全なパフォーマンスができないのは同じですので」

 

 しれっと言ってのけるかずら。彼女はこの数年でガラッと変わった。前は自信なさげでオロオロしていた雰囲気があったのだが──今ではこの状況でこんなことが言えるほどに、精神的に図太くなった。

 そんな彼女は調査班の副頭である。

 そのため二人並んで着座しており、共に澄まし顔で目を伏せているせりとかずらを睨みつけ、宗次は──どうにか怒りを押さえつける。

 かつて、夢組隊長心得という地位に宗次はいた。正式に設立されれば順当に夢組隊長になる予定だった。

 そんな軍の教育を受けた彼は、もちろん軍の方式での部隊運用を図り──失敗した。

 軍の中から優れた霊力を持ち、かつそれを様々に制御・行使できる者を一定数そろえるのは難しかった。

 そのために陰陽寮という魔術結社──つまりは別組織から派遣されてきた者や、民間登用組が多く所属するこの夢組で、軍隊式の部隊運用は付いてこられない者が続出し、不満の温床と化したのである。

 結局は、宗次は隊長心得から隊長になることはなく副隊長になり、軍属ではない民間登用の隊長を支える立場となった。それで部隊が上手く回っていたが──今の二人の反応は、その隊長心得時代を宗次に思い起こさせた。

 

(特に、白繍……)

 

 あの頃、もっとも反発した女性幹部が彼女だった。

 今にしてみれば、その面倒見のいい性格が、宗次のやり方に付いていけない隊員達を心配して代弁し、またそういった者達もせりを頼っていたのだろう。

 そういう意味では──今の彼女が宗次に反している理由は当時とはまったく違う。

 

「お前達は……梅里が、隊長が心配だから残りたいだけだろう?」

「ええ、そうよ」「その通りです」

 

 即答するせりとかずらに、宗次の心はますますささくれ立つ。

 

「副隊長……」

 

 それを見かねた宗次の隣にいた紫の袴の戦闘服を着た女性──予知・過去認知班頭にして夢組副支部長のアンティーラ=ナァムが声をかけてきた。

 それに宗次は軽く手を挙げ「大丈夫」と言外に伝え──深呼吸をする。

 

「わかった。お前達を連れていっても役立たずになるというのなら、二人は居残りだ。調査班の指揮は副頭の御殿場、お前に任せる」

「了解しました」

 

 かずらとは別の──支部付副頭である御殿場 小詠が恭しく一礼する。『読心(サトリ)』という極めて優れた能力を持つ彼女だが、その能力が発揮されるのは対人の調査──いわゆる捜査においてこそ、である。

 今回の主目的である「花組を最深部へ送り届けるための安全なルート構築」という点においては、その能力を生かせない可能性が高く──宗次を悩ませる結果となった。

 

「あの……」

 

 それらのやりとりの直後、おそるおそるといった様子で手を挙げた者がいた。

 見れば、緋色の袴を履いた、髪をショートカットにしている女性隊員だった。除霊班頭・秋嶋(あきしま) 紅葉(もみじ)である。

 夢組で直接戦闘を請け負う除霊班の頭にふさわしく戦場では先陣を切る姿は勇ましく、しかし平時は思慮が甘く脳天気な残念な子──というイメージだが、今の彼女の様子はそのどちらにも当てはまらなかった。

 

「せりとかずらが残るのなら、その分、私がミカサの方にいきましょうか?」

 

 そんな彼女の申し出に──居合わせた一同の目が点になった。

 あまりに意外だったからである。

 

「ど、どうしたんですか? 紅葉さん」

「なにか悪いものでも食べたの? 大丈夫?」

 

 自分たちが元凶なのに、かずらとせりがかけた言葉はあまりにひどい。

 他の者達は声こそかけなかったが、心底驚いているのは二人と同じである。

 隊長である梅里が着任してすぐに、紅葉は梅里に決闘を申し込んだ。それに梅里は応じて、彼女を負かし──以来、彼女は梅里の「一の家来」を自称している。

 それは、せりやかずらのような恋慕とは違う尊敬という感情でこそあるが、彼に認めてもらいたいという願望は人一倍強い。

 その彼女が、梅里の側を自ら離れようとするのは、「家来である以上は近くで守るべき」とも言い出しかね無かったので、想定外だった。

 

「いえ、別におかしなものは食べていませんけど……でも、チーフがいない今だからこそ私が頑張らないといけませんし。二人が抜けるのは、副隊長は想定外なんですよね? なら、そこに私が──」

 

 紅葉に自分だけのことではなく、全体を見る目が生まれていたことに、宗次は驚いていた。

 だが──残念なことに、やはりまだ考えが浅い。

 

「いや、ありがたい申し出だが……秋嶋、お前には別の重要な役割がある」

「え? そうなんですか……」

 

 不満げではなく、不安げに宗次を見る紅葉。

 

「お前をはじめ、除霊班は花やしき支部に居残りだ。これは絶対に外せない、お前達にしか任せられない役目があるからだ」

 

 そう言って宗次は除霊班頭の紅葉、そして副頭のコーネル、カーシャの三人を次々に見る。

 

「敵はあの降魔を培養して人工的に作り出し、それに機械を組み込んだ降魔兵器というものを出してきた」

 

 降魔の名前に、三人のみならず幹部達に緊張が走る。

 先の大戦で葵 叉丹こと山崎 真之介が操り、支配して戦うこととなった異形の怪物・降魔。

 紫色の肌に、ほぼ口だけの頭部。手には鋭い鉤爪があり、長い尻尾とコウモリのような皮翼を持って空を飛び、霊子甲冑と並んでも見劣りしない巨体を支える強靱な足腰を持つ。

 その最大の特徴は、脇侍のような魔操機兵同様に通常兵器の効果が薄く、霊力が込められた攻撃が有効な相手であること。

 過去の儀式の失敗により封じられた地に生きていた者達が怒りと憎しみのために異形と化したものと言われ、生きとし生ける人への憎悪を巻き散らかす人類の天敵──それへの対抗こそ、対降魔部隊を前身とする帝国華撃団が設立された主目的である。

 夢組は、その降魔と直接戦わざるを得ない事態になったことがある。二年前に降魔が現れたとき、それと戦うべき対降魔迎撃部隊・花組の誇る初代光武が限界を迎え、より強力な霊子甲冑の開発・生産を行う期間、単発的に出没した降魔との戦闘を、霊力で戦うことができるのを理由に一手に引き受けていたのである。

 その時の強さは、夢組一同には身に染みて理解している。だからこそ、それを基にした降魔兵器なるものへの警戒は強かった。

 

「おそらくだが……『武蔵』へと向かうミカサに降魔兵器が集中することになるだろうが、それでも全戦力が集中するわけではない。帝都を破壊するための戦力が残されるだろう。しかし──花組をそちらに裂く余力は、今の華撃団にはない」

 

 宗次が言うように、帝国華撃団花組の隊員は大神一郎以下9名。しかも『武蔵』内部にいる京極を討つという起死回生の一発こそ今度の作戦のキモであり、そこに全力を注ぐのは当然のことだ。

 

「地上での降魔兵器への対応は、我々夢組が主として行うことになる。その中でもっともアテにしているのは──除霊班、お前達だ」

 

 宗次にジッと見られ、紅葉は呆気にとられる。

 

「先の夢十夜作戦を思い出せ。あのとき降魔と単独で戦うのを許されたのは、梅里とオレとお前だけだっただろう?」

 

 二年前に降魔が出現し、光武が限界を迎え、神武が開発されるまでの間、修行等明け暮れる花組達に代わって、散発的に出現する降魔を討滅していたのは、当時『夢十夜作戦』と称して対降魔にあたった夢組だった。

 その中核を担ったのが、梅里と宗次、それに紅葉である。

 

「降魔兵器が降魔と同等かそれ以上の強さを持つのだとすれば、現状で一対一で戦えるのはオレとお前、それにカーシャくらいだ」

 

 前回はいなかったカーシャだが、紅葉と互角に戦える実力を見てそう判断した。

 とはいえ、前回の経験の差は大きい。

 

「しかしカーシャは降魔との戦いは未経験でオレがミカサに乗り込む以上、現状で地上での降魔兵器との戦いはお前が中心になる。そしてそれは、この場にアイツがいたら、同じことを言っているはず。最も頼りにするのは、お前だ」

 

 だが、言葉の意味を理解し──その心に火がつき、紅葉は力強く頷いた。

 

「はい! 一命に変えても、帝都市民を守ることに全力を尽くします」

 

 アイツ──宗次が言ったその言葉が誰を指しているのか、紅葉はわかった。

 その人の期待を裏切らないためにも、きっと戻ってくるその人が姿を現したその時に、誉めてもらえるように──紅葉は全力を尽くすと心に誓った。

 




【よもやま話】
 人(にん遍)に夢で「儚い」はよく使われるフレーズ。最終話のタイトルに「夢」を使いたかったのでこれにしました。
 「夢」の入った、最終話にふさわしい、私にとって思い入れのあるタイトルが一つ残っているのですが──それは「4外伝」の最終話のために温存しておきます。

 そして、梅里と鶯歌……前作の最終話でいい別れ方をしたので、あまり梅里と鶯歌を再会させたくはなかったのですが──これは必要なことだったので、やむなく入れました。


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─2─

 

 ──帝都全域に緊急警報が発令された。

 

 

 それは今から二年ほど前にあったのとほぼ同じであり──用件も変わらない。

 違うのは、以前は割れた帝都の地面が長方形だったものが、円形へと変わっていることだろう。

 帝都の地下の広大な空間をドックとして横たわっていた超巨大空中戦艦ミカサ、かつては未完成のためにそのまま収納されていたが、新ミカサは分割されて収納されており、出撃に際して部分ごとに連結され、徐々に天に向かって延びていく。

 そして──推進器が付いた最後部の部分が連結されて完成すると、一気に垂直上昇する。

 帝都上空へと飛び立ったミカサは、そこで向きを変えて水平飛行へと移行する。

 これにて華撃団の切り札──空中戦艦ミカサは戦闘態勢を整え、『武蔵』へと向かうことになる。

 

 だが──それを京極サイドが黙って見ているわけがなかった。

 

 ミカサ内部で異常が起こったのは、『武蔵』へと向かう途中のことであった。

 心臓部とも言うべき機関部への攻撃。

 巨体を誇るが故にどうしてもできてしまう隙をつかれ、ミカサは内部に敵の侵入を許していた。

 襲撃してきたのは三対六本の腕を持ち褐色の肌が特徴的な、その女性的な豊かな胸とは裏腹に野獣のような好戦的な性格を持つ五行衆の一人、土蜘蛛であった。

 彼女が駆る、彼女と同じように多数の腕を持つ巨大魔操機兵・八葉は、その指揮によって暴れ回る降魔兵器と共に、ミカサ機関部を攻撃しようとしたが──駆けつけた花組の天武によって防がれ、八葉はダメージもあって撤退することとなった。

 

 だが、戦いはそれで終わりではなかった。

 今度はミカサの甲板上において、弱点である中央通気口を狙って、降魔兵器の第二波が飛来してきたのである。

 翼を持ち、飛行が可能である降魔兵器は次々とミカサめがけてやってくる──が、ミカサももちろん無防備ではない。

 配置されている高射砲が応戦し、次々と降魔兵器を叩き落とす。

 だが──分が良い戦いではなかった。

 まず、押し寄せる降魔兵器の数が多かったこと。

 そして何より、降魔兵器もまた降魔や魔操機兵のように通常兵器の効果が薄いことだった。

 通常なら高射砲の厚い弾幕を、降魔兵器サイズの敵が突破することなど不可能である。

 高射砲でダメージをくらいながらも、また他のものが高い耐久力にものを言わせて囮になっている間に、降魔兵器は甲板へとたどり着く。

 甲板上へたどり着いた降魔への攻撃手段を、ミカサそのものは持っていなかった。

 ──そこへ、機関部を守りきった花組達が到着する。

 甲板から通じる中央通気口を攻撃されれば、ミカサは高度の維持ができなくなってしまう。それを守るために再び戦闘となった。

 降魔兵器の直接攻撃で高射砲そものが被害を受けてしまい、弾幕が薄くなる。

 無限に続くかのようなその戦いの中──気が付けば、降魔兵器の飛来がおさまっていた。

 降魔兵器の飛行限界高度を、『武蔵』目指して高度を上げるミカサの飛行高度が突破したのである。

 そしてホッとしたのも束の間──先ほどの戦いで傷ついた八葉が、甲板に姿を現したのだ。

 

「京極様の命令は──絶対に完遂する!!」

 

 現れた八葉は、中央通気口めがけて吶喊した。

 

「みんな、気をつけて! 八葉に侵入されたら、通気口の隔壁を全て破壊されてしまうわ!!」

 

 副指令のかえでから警告の通信が入る。

 ミカサの弱点である中央通気口も無防備というわけではなかった。

 そこには7枚の隔壁があって防御しており、実際に先ほどの戦いでも、侵入を許した降魔兵器を隔壁で足止めをし、隔壁内部の防衛機構を利用した華撃団員(主に霊力で攻撃できる夢組隊員)によって排除されていたのだ。

 しかしそれはもろとも破壊するような乱暴なもの。

 何枚かはすでに破られている上に──八葉は強い。

 その防御力は隔壁を犠牲にしての足止めでも破壊は不可能である。隔壁を全て突破され、中枢部を破壊されてしまう。

 かえではそう判断したのだ。

 

「八葉は行く手を塞いでも抜けられる! みんな、総攻撃で破壊するんだ!!」

『了解!!』

 

 花組隊長である大神の指示に、隊員各員から明瞭な返事が届く。

 今まで八葉と戦い、さんざん苦しめられたその特殊能力は、この戦いでも健在だった。

 そして今まで一番イヤらしく機能している。

 特殊な突破能力のない通常の敵──例えば黒鬼会本部で夢組が相手にした改造五鈷『陽鈷』は、数にものを言わせてその行く手を阻むことができれば、その進行を止めることはさほど難しいことではない。

 だが八葉にはまるですり抜けるように霊子甲冑の間を通り抜ける特殊な能力があった。黒鬼会本部で、夢組が敷設した強力な結界さえも抵抗を受けずに突破した、あの能力である。

 そのせいで、行く手を阻むような布陣をしようとも、たやすく突破されて無意味になってしまう。

 対抗するには本当に単純な作戦──火力にものを言わせ、八葉が中央通気口に到達するよりも早く撃退する以外にない。

 

「くそッ!!」

 

 天武の大神機の二刀が阻むが、足は止まらない。

 先ほどの戦いから感じていたことだが、どうも自分を含めた隊員達の調子がおかしいのもあって、攻めきれない。

 そこへ紅欄機とマリア機が弾幕を形成し、さらにはそれらの穴を塞ぐように織姫機の指先から放たれた赤紫の光線、アイリスの宝石状の霊力塊が八葉を貫くが──それでも、その足は速度は緩めど止まらない。

 

「止まりやがれ!」

 

 ──カンナの拳、

 

「止まりなさい!」

 

 ──すみれの長刀、

 

「止まれ!」

 

 ──レニの槍が、八葉を抉る。

 

 だが、そうして傷つきながらもその足は止まらない。

 そして通気口まであと少しというところにまで至っていた。

 このままではマズい──花組だけではなく、戦闘をモニターしていたミカサの艦橋にいた米田とかえで、それにかすみ、由里、椿の三人も思ったそのとき、

 

「さぁ、行こう。さくらくん……」

「ええ、行きましょう。大神さん……」

「さくらくん……」

「大神さん……」

 

 

「「二人は……さくら色」」

 

 

 八葉の行く手を遮るように立ちはだかった白とピンクの天武。足止めできなかった大神は、迎撃を他に任せてさくらと合流していたのである。

 その二体の天武から発せられた霊力が同調し──そして爆発する。

 大神機とさくら機が霊力を合わせた合体攻撃だ。

 

「な……んだと!!」

 

 爆発的に膨れ上がる霊力によって、ついには足を止められた八葉は、そのまま甲板を押し戻され──甲板の端まで吹っ飛ばされ、そこで限界を迎えたのか、八葉はついに動きを止めた。

 

「ここまでだ……、土蜘蛛!!」

 

 その八葉を前に、白い天武──大神機が刀を突きつける。

 

「まさか……このワタシが……こんな人間どもに……」

 

 それを睨みつけ、悪態を付く土蜘蛛。

 

「土蜘蛛、あなたはなぜ……そんなに人を憎むんです?」

 

 どこまでも人間を敵視する土蜘蛛の態度。その妄執じみた怨念に、さくらは疑問を感じており、思わず尋ねていた。

 

「生まれたときからこんな姿で、ワタシは迫害を受けた。だからこそワタシはその復讐ゆえに人を憎み、それを行う力を与えてくれた京極様の言うことに従い、その命令を忠実に実行するのさ」

 

 返ってきたのは、生まれながらの姿に対する迫害と、それへの復讐。そして──それを行うことができる力を与えてくれた京極への、絶対的な信頼と服従だった。

 

「人間どもに復讐できるのならワタシは、命だって惜しくないのさ!」

 

 そう言って、何の躊躇いも──疑問をも抱かない土蜘蛛。

 その怨念の根深さに、さくらは恐ろしささえ感じていた。

 

「自らの意志で……京極様のために、死ぬのだ! この帝都が、京極様の手で死の都と化すのを……地獄で眺めるのさ」

 

 そう言い残し、吹き飛ぶ八葉。

 機体は爆発に巻き込まれ、甲板を越えて空へと舞い──落ちていく。

 それを眺める花組達。

 誰もが、何も言えなかった。

 彼女が受けた迫害こそ、彼女の心を歪めた元凶であり──霊力という特殊な力を持つ彼女たちにとって、「常人とは違う」という点においては、土蜘蛛と共通するものがあったからだ。

 

「……みんなは、ああはならないさ」

 

 そんな中でポツリと言ったのは大神だった。

 

「人の痛みを感じられる、そんな優しいみんなが──どんな状況になろうとも、世の全ての人間を恨み、憎み、排除しようなんて、考えるわけがない。少なくともオレは……そう信じている」

「大神さん……」

 

 思わずさくらが彼の名前をつぶやいた。

 それは他の隊員達も同じ想いであり──そう信じてくれる彼が隊長で、本当によかったと思うのであった。

 同時に思う。土蜘蛛も京極ではなく、大神のような者に出会い、ついて行ったのなら──また違う結末を迎えられたのかもしれない、と。

 

 その後、花組は『武蔵』が吸い上げる都市エネルギーの影響をモロに受けて、それが過供給となって不調になっており、そのまま使用すれば搭乗者に深刻なダメージを与えると判断され──天武から降りることとなった。

 そこで予備として搭載してきていた霊子甲冑・光武改の出番となる。

 天武の前はアイゼンクライトを使用していた織姫とレニの分も配備されており──花組は一丸となって、『武蔵』に乗り込むこととなり──突入まで鋭気を養うのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 土蜘蛛の襲撃がもたらした危機を脱したミカサ。

 降魔兵器の飛行限界高度を超えていることで襲撃の心配もなくなり、その艦橋もホッと一息……といった雰囲気であった。

 その艦橋へ──突入前のつかの間の休息中であり、まさに突入する役目を帯びた帝国華撃団花組の隊長である大神 一郎が顔を出した。

 彼はミカサによる『武蔵』への突入作戦と、その後の『武蔵』内部での敵との戦いに備えて花組隊員達を激励して回っている最中であった。

 

「あっ、大神さん。先ほどの戦い、おつかれさまでした」

 

 やってきた大神に声をかけて微笑むかすみ。

 

「ホント、一時はミカサが沈んじゃうかと思いましたよ!」

「でも、降魔の防衛線をとうとう突破しましたね! さすがは大神さんです!」

 

 笑顔で言う由里と椿。

 

「みんな、ありがとう。ミカサがここまで来ることができたのもみんなのおかげだ。ミカサ突入の時も、よろしく頼むよ」

 

 そんな三人に対して大神は、来るべき突入に備えて激励する。

 その律儀さは彼の性格をよく表しており、三人は笑顔のまま頷いた。

 

「はい。ミカサのことならあたしたち、風組にまかせてください」

 

 三人を代表するかのように由里が言い──

 

「──それでは、私たちも少し休憩してきます」

「突入作戦、成功させましょうね!」

 

 かすみと椿がそう言うと大神は「ああ。もちろんだとも」と言い残してその場を去っていった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それを見送り──かすみは大きく息を吐いた。

 大事な作戦を前にした大神を前にして、自分は平静を保てただろうか、と自問する。

 心優しい彼のことだ。もしもかすみが表情をかげらせていたら、心配したことだろう。

 たとえそれが大神とは別の隊長──夢組隊長・武相 梅里への心配だったとしても。

 そこへ──

 

「あ、あの! お茶の準備ができました!!」

 

 そう言って茶道具の入ったワゴンを、つぼみが艦橋へと運んできた。

 乙女組である彼女もまた、ミカサに乗り込んだ隊員の一人だった。今は風組の戦闘服を借りて、それに身を包んでいる。

 食堂で勤務しているので、本来であれば巫女服を模した夢組戦闘服なのだろうが、このミカサに乗り込んでいる夢組隊員達はミカサの霊子核機関や霊子甲冑の調整を行っている錬金術班か、ミカサの防御結界を補強していた封印・結界班、花組の戦闘をサポートするべく乗り込んでいる調査班といった実際に霊力を使ってサポートする実働員ばかりだった。

 それを理由に、「同じ制服でウロチョロされると紛らわしい」と言って彼女が夢組戦闘服を渡すのを拒んだのは、夢組の副隊長で、目下のところ隊長代行を行っている巽 宗次である。

 その厳しい物言いに、夢組戦闘服を渡そうとしていた隊員と共に、つぼみもまた思わず肩を震わせていた。

 それで、近くにいた椿が、不在中に売店の売り子をしてもらった縁から「それなら──」とかすみに掛け合い、そこを通じて風組戦闘服のサイズの小さい予備を彼女に渡していたのである。

 

「……かすみさん、ありがとうございました」

 

 お茶を出しながらその時の礼を言うつぼみ。

 

「いいえ、お礼なら椿に言ってください。彼女が気が付かなかったら、渡せていなかったでしょうから。それと……とても似合ってますよ」

「えへっ、ありがとうございます」

 

 満面の笑みを浮かべるつぼみに、かすみも思わず笑顔を返す。

 それからお茶をいれたのだが、その様も大分板に付いている様子だった。

 

「お茶をいれるのも、食堂での研修のおかげで大分上達しましたから……」

「あら、じゃあ、せりさんに感謝しないとね。彼女の厳しい指導の(たまもの)でしょう?」

 

 冗談めかしてそう言ったのは由里だった。

 しかし実際、厳しい指導があったらしく、つぼみは苦笑混じりの笑みを浮かべていた。

 

「夢組は……意外と、厳しい人が多いみたいで……」

「それはせりさん? それとも、さっきの巽副隊長のこと?」

 

 椿の問いに、つぼみは素直に頷いた。

 それに苦笑する椿。

 

「仕方ないと思う。夢組も戦場では矢面に立つ側の人達だし、それに巽さんも気が立っているんじゃないかしら。今の夢組は隊長が──」

「椿ッ!」

 

 由里が椿の言葉を止める。

 それで椿も気が付き、「あ……」とあわてて言葉を止め──二人は気まずそうにかすみの様子をうかがった。

 

「──二人とも、気遣いは嬉しいけど大丈夫よ。特に過剰なのは……ね」

 

 思わず苦笑するかすみ。

 だが──由里は分かっていた。事務局内で年がら年中顔を合わせているので、彼女が無理をして、それを隠していることに。

 先ほど大神に見せた笑顔も無理をしていたはずだ。

 

「……大神さんと花組は無事みたいだけど……武相主任はどうなの? かすみ」

 

 だからこそ、遠慮なく、ストレートに質問をぶつけた。

 それにはさすがに椿が「え?」と思わず由里を見たが気にしない。気を使えばかえってかすみが無理をするとわかったからだ。

 

「わ、私も気になります!」

 

 つぼみも真剣な面もちでかすみの言葉を待つ。食堂の研修でお世話になっているからこそ、彼が重傷を負ったという話を聞いたときはショックを受けていた。

 思い返せば、梅里との出会いはあまり良いものではなかった。彼が実家から戻ってきたときに騒動を起こしてしまったからだ。

 だが、それ以降は梅里の、他の隊長にない親しみやすさ──それは軍の教育をうけていないのに起因する──や人懐っこいつぼみの性格もあって良好な関係を築けていた。

 その梅里が意識不明となれば、心配するのも当然だろう。

 

「──意識は戻っていないみたいだけど、容態は安定しているそうよ」

 

 かすみは知りうる限りのことを話した。

 その情報をもたらしてくれたのは、夢組特別班の八束 千波だったので間違いないだろう。

 負傷の際に一緒にいたかすみに気を使って、同じくその場にいたしのぶが、定期的に念話で症状を報告するようにと、千波に指示を出していたのだ。

 

「それは安心していいの?」

「今、ホウライ先生がそこを離れてミカサに乗り込んでいるくらいだから。命に別状は無いのは間違いないと思うわ」

 

 由里の問いにかすみはそう答えた。

 ホウライ先生こと大関ヨモギは口調こそぶっきらぼうだが、医者としては優秀なのは誰もが認めている。そして、決して無責任ではない。

 そんな彼女が離れているという事実こそ、容態が安定している何よりの証拠だろう。

 そこへ──

 

 

「──彼なら、心配いらないわ!」

 

 

 艦橋の入り口付近で声が響いた。

 思わずその場の面々が振り返る──賢明なる読者諸君はこんな口調だから間違いなく勘違いしていると思うのであえて解説するが、思いっきり男の声だった。

 声の主は眼鏡に長髪の男性──中性的な風貌を持つ彼は、ともすれば男装の麗人に見えなくもない──であり、薔薇組を自称する集団のリーダー、清流院 琴音だった。

 その琴音はかすみを見ながら言い放つ。

 

「彼の帝都を思う心は美しく、そして彼を思う貴女の気持ちも美しいものだわ。そんな美しく尊いものが失われるはずがないのよ!!」

 

 突然艦橋に乱入し、自信満々に胸を張っている琴音だったが──

 

「……あ、あの人の言うことがよくわからないんですけど……椿さん、わかります?」

「え? う~ん、そう言われても……」

 

 つぼみの問いに苦笑してごまかす椿。そんな感じで、ほとんどの者がその意味や意図が分からない。

 それでも──かすみはそんなやりとりでクスッと笑うことができた。

 そしてなぜか説得力のある琴音の「心配いらない」という言葉を信じることができた。

 

(そう、あの人──梅里くんなら、きっと戻ってくるはず。そしてこの危機を乗り越える手助けをしてくれるはず)

 

 そう思えた彼女は、気を取り直して──ミカサの『武蔵』への突入作戦の準備を行うのであった。

 




【よもやま話】
 実はこのシーン、前作から今までで唯一の珍しいシチュエーションだったりします。
 というのも、当作オリジナルの登場人物の名前は出てきても一切登場しない、原作キャラのみで構成されたシーンでした。


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─3─

 『武蔵』まで高度はほぼ並び、距離も近づき──ミカサの突入作戦は刻一刻と近づいていた。

 すでにそれに備えて天武から切り替えて使用されることとなった花組の光武・改は突入後にさらに奥へと突き進むために使用される弾丸列車・轟雷号へと搭載されて備えているような状況だった。

 そして突入に際して万全を期すために──ミカサの状態をチェックすべく、夢組錬金術班の頭である松林 釿哉は先ほど戦闘のあった甲板と中央通気口の様子を確認しにきていた。

 

「隔壁は、何枚突破されたんだ?」

「3枚です。ですが、すでに補修は終わっています」

 

 全7枚の隔壁のうち、一時は半数近くが突破されていた事実が、先ほどの降魔兵器と花組の戦いの激しさを物語っていた。

 事実、甲板上に設置された高射砲のいくつかは、甲板にたどり着いた降魔兵器によって破壊されていた。

 

「了解。これで準備も万全だな……で、ヨモギ。お前はなんでこんなところにいるんだ?」

 

 釿哉の問いに、そこにいた深緑に染められた袴の夢組女性用戦闘服を着込み、その上に黒い十徳という上着を羽織った女性隊員──大関ヨモギが不機嫌そうに半眼の目でにらんできた。

 

「付近の高射砲で、霊力を込めて攻撃しようとした隊員達がいましてね」

「ほぅ……」

 

 元々、通常兵器でありながら降魔兵器を寄せ付けないことに貢献するほどの威力を持つ高射砲である。それに霊力が込められれば。対降魔兵器や対魔操機兵の切り札足り得る威力が発揮されただろう。

 

「その発想は良かったんですが、逆に脅威と見なされて降魔兵器から集中攻撃をくらって、こっぴどく破壊されたんだそうです。で、それに巻き込まれて身動きのとれない隊員の治療に来たんですよ」

 

 ヨモギの説明によれば、破壊に巻き込まれたものの、その隊員達の怪我はそれほど深刻ではないらしい。

 意識鮮明なものの骨折して身動きがとれなくなっていたり、瓦礫に足を挟まれて動けなくなっていたり、といった塩梅だ。

 実際、ヨモギの治療を受けて決まり悪そうに苦笑したり、頭である釿哉の姿を認めて片手を挙げて挨拶するような者ばかりで、深刻さは感じられない。

 そんな姿に、釿哉の方こそ苦笑を浮かべる。

 

「オイオイ……まもなくミカサは『武蔵』に突入するんだ。こんなところでのんびりしてたら死んじまうぞ?」

 

 半ばあきれたような釿哉に答えたのは正面にいるヨモギではなく、横からの声であった。

 

「──ええ、ですから急いで皆さんを救出して避難させているんじゃないですか」

 

 付近の残骸からひょっこり顔を出したのは、巨大なモンキーレンチといった姿の杖を手にし、前面を金属板で補強されたつば付きの帽子を被った越前 舞だった。

 几帳面な性格をしている彼女は、優秀な機械技師としての能力を高く評価されている節があるが、実は高い霊力による念動力の持ち主だというのは、それに隠れてしまってあまり知られていない。

 手にした杖も、念動力で金具を回転させて先端を開閉し、それでガッチリ掴んだ物にさらに念動力を込めて動かす──そうすることで、人並みはずれた膂力を持つのと同等の力を発揮させることができるのである。

 そして今は、それを使って目下のところ、瓦礫の撤去作業中だった。

 現に、彼女が瓦礫を除去したことで足を挟まれて身動きがとれなくなっていた隊員が救助されている。

 

「……なるほどな。で、救助が必要なヤツらはどれくらい残っているんだ?」

「間もなく終わります。で、あとは担架を使って運べば──」

 

 釿哉の問いに舞が答えていた、その時だった。

 かすかに聞こえてきたその音に、釿哉はあわてて振り返る。

 

「釿さん?」

「しっ……」

 

 突然の行動を不審に思った舞が声をかけたが、難しい顔をした釿哉が静かにするように人差し指をたてる。

 それに舞が応じて、緊張した様子で見守っていると──

 

「オイオイオイ……まさか、この音は……マジか? やべえなんてもんじゃねえぞ」

 

 釿哉の顔が一気に青ざめる。

 

「頭!? どうかしたんですか?」

「緊急命令だ! ゼンマイ! それにヨモギ!! 負傷者全員抱えてとっとと甲板から待避!! 急げ!!」

「なんです? そんな急に治療は終わりませんよ」

「ええ、それに救出作業もまだ途中で──」

「やかましい! 動けるヤツは近くのヤツを引っ張ってでも待避だ!! ゼンマイ、多少乱暴でもいいからさっさと作業を終わらせろ!!」

「は、はあ……」

 

 困惑しながらも、頭である釿哉の言葉に従い、残り数名の救助へと慌てて急ぐ舞。

 

「それと、宗次のヤツに緊急連絡だ! 艦橋にも通信を入れろ!!」

 

 怒鳴るように指示を出す釿哉の鬼気迫る様子は、彼と一緒に甲板に出てきていた錬金術班をてんてこ舞いにさせていた。

 そんな錬金術班の中で、一人だけ指示に踊らされることなく、冷静な者がいた。

 

「釿さん。何を聞いたか知りませんが、こっちはサッパリ事情が分かりませんよ。さっきから何を焦って──」

「アイツは、落ちちゃいなかったんだよ。クソッ! 機を待っていただけだったんだ!!」

「──アイツ?」

 

 ヨモギが訝しがるように眉をひそめた、その時──ミカサの蒸気核機関が発する轟音に混じって、別の蒸気機関が出す蒸気を吐き出す音が、彼女の耳にも聞こえた。

 

「──え?」

 

 それは、聞こえるはずのない音だった。

 ここはミカサの甲板上。稼働している蒸気機関はミカサの蒸気核機関のみであり、付近にはもちろん翔鯨丸はいない。

 轟雷号はミカサの内部に収納されてその出番を待ち、花組達の霊子甲冑は、さらにその中である。ミカサの巨体を考慮すれば、たとえ稼働中でも甲板までその動力である蒸気機関の音が届くはずもない。

 それが示すところは──その蒸気音は、味方のものではない、という事実。

 かといって降魔兵器さえ飛行不能な遙か上空である。『武蔵』からやってきた敵──とも考えられるが、どこか不協和音を奏でるその音は、それが今さっき出撃してきたような、万全なものではないことを物語っている。

 

「釿さん、まさか……」

「ああ、オレの予想通りなら──」

 

 ヨモギの問いに頷いた釿哉がジッと見つめる視線の先──かすかに聞こえた蒸気機関の発する音がした方の甲板の縁を、「ガッ!」と金属の手が掴むのが見えた。

 さらにもう一つ現れた手が手すりを掴み──もう一つ現れた手がその横に並び、握りしめると引き寄せ、その体を甲板へと引き上げた。

 

「テメェ……やっぱりかよ。生き残ってやがったのか!!」

 

 憎々しい目で釿哉はそれを睨みつける。

 すでに下半身はなく、その機体は半壊しているような有様だった。

 

「八葉ッ!!」

 

 土蜘蛛の駆る、巨大魔操機兵だった。

 八葉にはそんな有様であっても、健在な四本の腕があった。それを四肢の代わりのように操り、這うように前へと進んできている。

 

「……京極様の、命令は……絶対、なのさ」

 

 呻くような土蜘蛛の声は、彼女が満身創痍であることを示していた。

 

「テメェ、今までどうやって──さっき、爆発で吹っ飛んだはずだろうが!!」

「フン、あんなものは……偽装さ。おかげで……下半分、が吹っ飛んじまったが……」

 

 下半身を囮にした爆発によって宙に投げ出された八葉はその姿通りに、まるで蜘蛛の糸のようにワイヤーを使ってミカサに掴まり──機を待ったのだ。

 

「八葉が、保つかどうかは賭けだったが……どうやら、賭けはワタシの勝ちのようだねぇ」

 

 上半身だけの八葉には、大きなダメージによってスパークが走っているが、それでも今すぐに爆発するようなものではない、と釿哉の目にも映っている。

 なにより、その蒸気機関はまだ生きており、しばらくの稼働は可能だろう。八葉が──ミカサの弱点である中央通気口に突入するくらいの時間は、十分に。

 

「突入に備え、霊子甲冑は使えない! そして周りは雑魚ばかり──絶好の機会じゃあないかッ!!」

 

 すでにボロボロの機体の内部で、その髪型もザンバラになった土蜘蛛の目が──快哉の声と共に爛々と光った。

 

「あのお方が、コイツを沈めろといった以上、ワタシは、どんな手を…使ってでも……沈めてみせるのさ!!」

 

 通気口へと動き始めた八葉。

 それに対してミカサは、有効な攻撃手段を持ち合わせていなかった。高射砲はあくまで対空。甲板に張り付かれた敵へは攻撃できない。

 

「ここで──食い止めるしか、ねぇ!!」

 

 甲板にいる戦力である夢組。その一人である釿哉が愛用の銃剣を構え、乱射した。

 

「オマエら、絶対に阻止だ!! こいつを通気口に入れるんじゃねえ!!」

 

 この場にいるのが封印・結界班でないのが悔やまれる。彼らの結界技術なら、封じ込めて八葉の動きを止めたり、障壁で行く手を塞いだりと手はあったはずだ。万全ではないあれが以前やられたような結界すり抜けをできない可能性は高いのだから。

 他の錬金術班の隊員達も、手にした銃や飛び道具を放って奮戦する、

 だが除霊班のような戦闘力を持ち合わせない彼らでは、八葉の足止めすらままならない。

 そんな中──

 

「──副隊長に連絡しました!! 至急で応援に向かうとのこと」

「おうよ!」

「ただ……花組は霊子甲冑を轟雷号に搭載完了済みのため、時間がかかるそうです」

「間に合わねえな、それは。……クソ! いいか、仲間が──応援が到着するまで、絶対に死守だ!!」

 

 その叫びに応じて、さらに応戦が激しくなり、無数の矢弾が八葉へと飛ぶが──

 

「そんな豆鉄砲が、効くものかああぁぁぁッ!!」

 

 ものともせずに、四本の腕を高速で動かし、匍匐前進のようにして進む八葉。

 

「な──ッ!?」

 

 意外に速いその速度に驚いた釿哉だったが、近接戦と判断して今度は銃剣で突き刺さんと構える。

 しかし──

 

「そんな、付け焼き刃など、通じやしないわァァァッ!!」

 

 四本の腕の一本に、たやすく弾き飛ばされてしまう。

 

「グハッ!!」

 

 弾き飛ばされた釿哉は、中央通気口へと飛ばされ、その縁に叩きつけられる。

 穴へと落ちなかったのは不幸中の幸いだが、その強烈な一撃は、まるで全身がバラバラになったかのように激しい痛みを伴い、動けなくなっていた。

 

「ハッ……他愛もない。狩り甲斐もない……まったく…………せっかくの最期の戦いなんだ……せめて、あの男くらい、骨のあるヤツが出てくれば、ちょっとは楽しめたんだが、ねぇ……」

 

 土蜘蛛は、周囲の夢組を蹴散らしつつ、つまらなそうに言った。

 その隊員達が着ている戦闘服は、土蜘蛛にある男を思い浮かばせた。

 九月に台風の暴風雨の中で、お互い魔操機兵も霊子甲冑も無しに戦い──その後の黒鬼会本拠地で、土蜘蛛の八葉とさえも果敢に生身で戦った……あの男。

 この八葉はもう保たない。だからこそ弱点である通気口から中枢部に入り込んで自爆し──このミカサを墜とす。

 そうすれば土蜘蛛も八葉と運命を共にすることになる。

 その行為に躊躇いはない。京極 慶吾の役に立てるというのなら、喜んで捨て石になろう。土蜘蛛はそう考えていた。

 だが──それまでの間、この何のひどく歯ごたえの無くつまらない人生最期の戦いに、少しでも楽しみを、と期待するのは無理もないことだった。

 

 それが──土蜘蛛の油断であった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 甲板上での戦いはあっという間に沈静化していた。

 すでに錬金術班はほぼ壊滅で動けるものはいない。八葉は阻止するものがいなくなり、中央通気口へと悠然と近づいてきていた。

 

「クッ、ソが……」

 

 その姿を見ながら、釿哉は思い出していた。

 当初、夢組の男性幹部の中でもっともやる気がなく、反発していたのは釿哉だった。

 理由は簡単、規則規律を優先する堅苦しい宗次のやり方に嫌気がさしていたからだ。 とはいえ、せりのようにことあるごとに反発するようなやり方はしなかった。

 むしろその姿を見て「面倒くせえことしてんな、アイツ」と思っていたほどだ。

 そんな状況を一変させたのは、あの男──武相梅里がやってきてからだった。

 師匠の面倒を見ていたせいで得意になった料理の腕をかわれ、平時は食堂の厨房勤務になっていたが──しょせんは素人でしかない。そう思い知らされたのは梅里が食堂に加入してからだ。

 

(アイツは、プロだもんな……)

 

 にも関わらず──梅里は釿哉の煮込み料理の腕を評価してくれた。

 

「難しい火加減の調整……あなたはそれがスゴく上手みたいですね」

 

 そう言って梅里は煮込み料理の担当者に据えた。同じようにコーネルも揚げ物の腕を評価されて、専門でそれを担当するようになった。

 

(まったく、今にして思えば……アイツの口車に乗せられてただけだな)

 

 思わず苦笑してしまう。

 あの当時の腕は、もちろん梅里の足元にも及んでいなかっただろう。それでも誉められ、評価された仕事を釿哉は一生懸命にやり続け──その腕を確かなものにしていた。

 そんなスペシャリストにしてから、そこから裾野を広げさせられ、今では梅里が不在のときでも、不満が出ない程度にはできるくらいには成長した──いや、成長させられた。

 

「今のオレがあるのは、アイツの……大将の、おかげじゃねぇか……」

 

 今、意識を失い身動きがとれない、オレ達の大将──武相 梅里。

 もしここで、子分である自分たちがミスってミカサが致命的ダメージを受けるようなことになれば──

 

「顔向け、できねぇよなぁ……ッ」

 

 力を振り絞り、どうにか手にしていた銃剣の銃口を持ち上げる。

 

「だから──せめて、一撃……」

 

 銃剣の銃口を向ける釿哉。全身痛むが左腕もまた負傷しており動かせない。銃把をつかむ右腕一本で支えるしかなかった。

 霊力を弾丸に込め、一矢報いようとねらいを八葉へと向けるが──

 

「ぐぅッ!!」

 

 痛みに耐えかね、銃口が下がる。

 

──だが銃身が横から伸びた手で支えられた。

 

 

「だらしないですね、(かしら)ともあろう人が」

 

 横から銃身を持って支えたのはヨモギだった。

 彼女もまた負傷しており、そのダメージが大きく身動きがとれなくなっていたのだが、いつの間にか釿哉の下へとやってきていたのだ。

 そして彼女は必死に「痛くない」「痛くない」「痛くない」と繰り返し、自己暗示で痛み止めをしている。

 

「オイ、ヨモギ……」

「なんですか? 話しかけかけないでください。自己暗示が止まって痛くなるじゃないですか」

 

 ヨモギの口調が速く、その必死さを物語っていた。

 

「まったく……お前だって、似たようなもんだろうが」

 

 苦笑する釿哉。

 

「だが──お前が来てくれたおかげで助かったぜ。なにしろお前がいれば──」

「“失敗しません”からね」

 

 二人分の霊力を受けて、弾丸が金色の光を放って輝き始める。

 だが──それでも、二人は不安を感じていた。

 

「ところで(かしら)、今更ですが……私と貴方が力を合わせても、アレを倒せる出力には届きませんが、(あたま)、大丈夫ですか?」

「んなことは分かってる。だが、こういうときは数値以上の不思議な力ってのが出るもんだ! それがお約束ってヤツよ!!」

「ハァ……なんと非科学的な……」

 

 あからさまな呆れたため息に、釿哉は皮肉気な笑みを浮かべる。

 

「なら、ここで尻尾巻いて逃げ出すか? もっとも……巻く尻尾も無ければ、逃げ出す足も……これじゃあな」

 チラッと視線を下げた釿哉の目には、とても走るのには耐えられないほどに負傷した足が目に入る。

 それを目で追ったヨモギも──思わず息をのんだ。

 

「……あの、それ、痛くないんですかね?」

「痛えに決まってんだろ!」

「なるほど。痛みを感じなほど頭がおかしくなっているのかと心配しましたが、どうやらそうでは無いようで」

 

 そんな風に軽口を言い合あっていたが、計算が出来る二人にとって、この霊力出力では、八葉の装甲を突破できるほどの威力が出ないのは分かっていた。

 たしかに八葉はさっきの戦いで花組の猛攻を受け、その上で下半身を失ったその姿はボロボロである。

 しかしそれでも腐っても鯛、朽ちても魔操機兵、である。

 二人に、八葉を倒せる目処は無かった。

 ──すると

 

「そこに弾丸に三倍の回転を加えれば……威力は三倍ですよ。撃ち抜けます、理論上は」

 

 さらにもう一人、ヨモギの反対側から舞が銃身をつかむ。

 彼女の持つ特殊な力──念動力によって弾丸の回転を高めようという腹積もりだった。

 その彼女もまた戦いに巻き込まれ、大きなスパナ型の杖で奮戦したのだが、及ばずに吹き飛ばされ、負傷していた。

 

「どんな理論ですか。ハァ……アホがさらに増えました。頭痛がしますよ。まったく……」

「……ご存知、ないのですか!? それこそ、普段は片手で放つ技でも二倍の高さから両手で放ち、それに三倍の回転を加えれば、威力は12倍になる──あの高名で有名な理論で──」

 

 一気に舞が幕い立てている間に、その霊力も込められ、釿哉の銃剣は光を放ち始めていた。

 彼の属性である『金』の名が示すとおり、黄金色に。

 

「知らねぇよ。けど──今は信じてやらぁ」

 

 ニヤリと笑う釿哉。

 

「もしその通りなら──それに三人分の霊力込めれば、さらに3倍……36倍の威力だからな!!」

「いえ、その理論の両手で持つというところと違って今は全員が片手です。だから1.5倍の18倍がいいところじゃないですか」

 

 すかさずツッコむヨモギ。

 それに釿哉はニヤリと笑う。

 

「ヘッ、まあ、よくわからんが……とにかく、そんだけあれば──十分だ!!」

 

 銃口から覗く銃身の奥に込められた弾丸。それが渦を巻く三人分の霊力を受けて金色に輝いていた。

 その強い霊力に、さすがに土蜘蛛も気が付いた。

 

「キサマら、何を企んでいる!? 何をしている!? おのれぇ、人間風情がぁ!!」

 

 吠えて突っ込んでくる土蜘蛛の八葉に対し、迎え撃つ三人。

 

「貴方も生物学的には人間でしょうに」

 

 冷静にツッコみつつ霊力を込めるヨモギ。

 

「あなたが侮るその人間の力──」

 

 舞が全力を込めた念動力で、銃身の中に回転のベクトルを作り出す。

 

「喰らいやがれッ!!」

 

 快哉の声をあげつつ釿哉は、照準を合わせる必要がないほどに迫った魔操機兵の巨体に向かって──引き金を引く。

 

 

「これがオレ達の、最期の力だああぁぁぁッ!」

 

 

 三人分の全霊力が込められ、赤みを帯びた金色はその色を越えて、緋色となった光線が放たれる。

 

「グハッ!!」

 

 それが八葉を貫き──トドメとなった。

 至近距離で打ち抜かれた蒸気機関は、今度こそ本当の爆発を起こし──中央通気口のすぐ近くで爆発を起こしていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 夢組本隊を率いた巽 宗次が駆けつけたのは、その時だった。

 愕然とする宗次の前に、焼け落ちる八葉の残骸。

 その周辺、中央通気口付近に──人影はない。

 

「なッ!? バカな……大関、越前…………それに、釿哉ッ」

 

 戦いに巻き込まれた錬金術班の者達は重傷でがあったが、その命はとりとめていた。

 ただし3名──頭と副頭2名の姿は甲板上から消えていた。

 目をつぶった宗次は拳を握りしめ──その手から血が出そうなほどにキツく握りしめられたそれが、彼の悔しさを如実に現していた。

 




【よもやま話】
 前のシーンに次回予告があったなら「次回──さらば釿さん、空を貫く執念の赤き光弾!!」と予告とタイトルでネタバレするパターンです。
 釿哉の最後の一撃を放つシーンは『覇王体系リューナイト』の終盤でデリンガーが敵と相打ちになるシーンのオマージュ。
 このシーンをやるのは前作書いているときから決まっていました。以前、ヨモギの戦闘シーンについて「2の最終話で~」ということを書いていたのですが、これがそれですので。
 ちなみに台詞の「これがオレ達の~」は『太陽の勇者ファイバード』の最終回からで、舞の言っている理論は「ゆで理論」です。一応、念のため……


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─4─

「……夢組の松林錬金術班頭、同じく大関副頭、越前副頭……三人とも、反応……ありません」

 

 ミカサの艦橋に、その冷たい言葉が思いの外に大きく響きわたり──誰も、何も言えなかった。

 その報告をしたかすみもまた、うつむいたまま──顔を上げることができない。

 重苦しい空気の中──

 

「司令、夢組の巽副隊長から通信です」

「……繋げ」

 

 米田が言うと、艦橋のモニターに巽 宗次の姿が映った。

 

「司令……具申したいことがあります」

「なんだ? ……言ってみろ」

 

 今まさに部下を失った二人が、言葉を交わす。

 

「三人のことを……秘匿にしてはいただけませんか? 今後の作戦遂行の……志気に関わります」

 

 そう言った宗次もまた、うつむいたままだった。

 しかしそれを聞いた米田は──激高し、顔を上げる。

 

「志気に関わるだと!? そんな──そんな理由で、勇敢に戦った者達の戦死を隠し、オレに隊員達に向かって嘘をつけっていうのか!! 貴様はッ!!」

「──アイツらはッ!!」

 

 米田以上の声で宗次が怒鳴るように言い放つ。

 それに気圧され、米田の気勢が止まった。

 

「アイツらの戦死を、見た者は……いません。確認できていません。ですから──」

 

 あの三人は、中央通気口付近で巨大魔操機兵の爆発に巻き込まれて、行方が分からなくなった。

 

「戦時行方不明者扱い、ということかしら?」

「ええ……その通りです、藤枝副指令」

「あなたの言いたいことは分かるわ、巽くん。でも、それは……」

 

 ──あまりに無理がある。

 かえではそう思ったが、言うことはできなかった。

 姿が確認できないということから、三人はおそらくあの爆発に巻き込まれ、遠くへ吹っ飛ばされて──甲板から落ちたのだろう。

 当初は通気口へ落ちた可能性もあったが、確認が行われてそれは否定されている。通気口の先にある隔壁には誰の姿も確認できなかった。

 そして──降魔兵器でさえ飛行不能な高度に達しているミカサから落下して、人が生き残れるはずがない。

 この状況では戦死者と見なすべき場合と言わざるを得なかった。

 甲板に痕跡がない以上は、落下していなければ爆発に巻き込まれて跡形もなく散ったか、だ。いずれにしても命はない。

 

「わかります! 理解しています、副指令!! しかし……しかし、今は──せめて、この戦いが終わるまでは……」

 

 宗次の沈痛な声に、かえではそれ以上言うことはできず──米田が口を開く。

 

「わかった、巽。お前の具申を採用する。以後、あの三人については、明確な生死や行方が判明するまで秘匿とし──通信にのせることも禁止する」

 

 うつむいたままの米田の指示に、かえでは驚き──艦橋にいた三人娘もまた絶句していた。

 

「お前達! 聞こえなかったのか!!」

「「「りょ、了解!!」」」

 

 米田の強い口調に気圧され、慌てて返事をするかすみ、由里、椿。

 

「……御配慮、ありがとうございます」

 

 そう言って、宗次の通信は切れた。

 そして米田は──自分の唇に血がにじむほど、悔しさで歯噛みをしていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして、そんなやりとりを、余計な心労をかけないために完全に隠し通し、米田は艦橋に座っていた。

 

「長官。作戦の指示をお願いします」

 

 あやめの言葉に小さくうなずき、口を開く。

 

「本鑑は、これより『武蔵』に対する強襲攻撃作戦を実施する!」

 

 その宣言の後、作戦の簡単な説明を行う。

 ミカサの主砲による砲撃で『武蔵』本体にダメージを与えた上で、そこへミカサで体当たりによる強行突入を行う。

 その上で光武を搭載した轟雷号を射出して花組を『武蔵』内部の奥深くへ一気に送り込み──その後は花組が中枢に侵入し、内部より崩壊させる。

 それが作戦概要であった。

 なお、『武蔵』内部は降魔兵器が多数潜んでいることが予見されている上に、強力な妖気が渦巻き、霊力環境が極めて悪いことから生身での従軍は不可能と判断された。

 そのため、ミカサに搭乗した夢組隊員たちは随行することなく、ミカサからの霊子レーダーや透視・遠視による調査でのサポートを行うこととなった。

 

「大神……頼んだぞ」

 

 万感の思いを込めて花組に全てを託す。彼らの成功がなければ帝都はこの国は闇に包まれてしまう。

 

「主機関、限界まで出力を上昇!」

 

 米田の指示で艦橋のクルーで風組所属のかすみ、由里、椿の帝劇三人娘がミカサを操り、その指示通りに操作を行う。

 

「長官! 主砲の発射準備……完了しました!」

 

 椿の報告に、かえでがうなずく。

 

「……長官。いよいよですね」

「……ああ。ハデにおっぱじめるぜえ!」

 

 鑑首が展開し、主砲を姿を現すと、その砲身が延びて準備を整えた。

 

「目標、補足」

 

 由里のよく通る声が艦橋に響く。

 

「弾道修正、完了しました」

 

 後は指示を待つのみ──思わず椿が米田を振り返る。

 

「主砲、発射!!」」

 

 米田の指示でミカサの艦首九十三尺主砲が、信じられないような轟音と共に火を噴いた。

 それはわずかな弧を描いて、『武蔵』の正面へと着弾し、分厚い壁ともいうべき外部装甲を破壊する。

 そして間髪を入れず──米田は叫ぶ。

 

 

「『武蔵』へ、突入する!」

 

 

 指示を受けて全機関が出力最大となった。

 その推進器を最大稼働させて、文字通り火がついたように加速したミカサは、主砲が砕いたばかりの箇所へと突撃を敢行する。

 

「────ッ!!」

 

 そして──まるで『武蔵』に突き刺さる矢のように、ミカサはその鑑首を、『武蔵』の内部へと貫通させていた。

 

 その瞬間、ミカサ内部は激しい振動に見舞われた。

 米田の指示で各部の確認が行われ──

 

「ミカサ……武蔵内部への突入に成功しました!」

 

 かすみの締めくくるような報告を受けて、米田が「よし、やったか!」と快哉の声をあげる。

 そして──

 

(これもアイツらが、このミカサを守ってくれたからこそ……松林、大関、越前……お前達の……おかげだ)

 

 心の中でそう叫ぶ米田──その心に痛みが走った。

 だが、今から内部へ突入する花組に余計なことを考えさせないため──どうにか笑顔をつくってそれを押さえ込む。

 

「頼んだぞ、みんな。戻ってきたら、みんなで大宴会だぞ」

 

 そう言って激励するのが精一杯だった。

 それに続いて、つぼみや薔薇組が花組に声をかける。彼女達はあのとき、ミカサ内のために逆さまになった客席や自分達の部屋にいて、甲板での一件を知らない面々だった。

 

「みなさんなら……きっと、やってくれると信じています」

「『武蔵』の中のお話……帰ったら、たーっくさん聞かせてくださいね!」

 

 どうにか笑顔で送り出すかすみと由里。しかし──

 

「必ず……必ず、帰ってきてくださいね!」

 

 感きわまったような泣き出す寸前の椿の声には、かすみも由里も冷や冷やした。

 画面越しとはいえ、目の前で命が散る様を見た後である。いくら華撃団に所属し、先の大戦を戦い抜いたとはいえ、椿はまだ年若い。

 そんな彼女がそこまで感情を押し殺すのはさすがに無理があったのだ。

 しかし、応じた大神にその違和感を気づかれず……ホッとする。

 そんな中、かえでは──

 

「ねえ、大神君……一つだけ、確認させて」

 

 思わず大神に問うていた。この決戦に際しての心構えを。

 彼女の心の中には、先ほど戦いの中に散った三人と、先の大戦で戦死者となった姉・あやめのことが渦巻いていた。

 大神の「生きて帰る」という答えに満足げにうなずく。あやめのことを挙げて平和を守るために命を犠牲にすることは繰り返してはならない、と諭す。

 

「死んではダメ。死んでもいい、なんて絶対に考えてはダメ」

 

 思わず口をついて出た言葉。それは、彼女が見ている目の前で、どうすることもできずに散った命を思うからこそ、出てしまったかえでの優しさゆえの言葉だった。

 それを受けて出た大神の出撃命令は──

 

 

「必ず……生きて帰るぞ!」

 

 

 その言葉を受けて、花組は『はいっ!』と声をそろえて返答し、光武・改を乗せた轟雷号は『武蔵』の奥へ向けて、発車するのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そのころ、帝都の地上では……

 

 銀座の大帝国劇場は空中戦鑑ミカサに組み込まれ、『武蔵』へと旅立った。そのため地上に残された華撃団の拠点は浅草の花やしき支部となる。

 そして多くの降魔兵器は京極たちの本拠地となった『武蔵』防衛のためにミカサを追いかけている。

 しかしそれでも多数の降魔兵器が帝都に残り──海軍が中心になって展開した部隊と戦闘を繰り広げていた。

 残った華撃団の任務は、そういった他の軍と連携しての降魔兵器への対応である。

 通常兵器がほとんど通じない降魔兵器に対し、海軍では歯が立たない。

 海軍が誇る艦砲艦砲射撃ほどの威力ならば効果は望めるが、いかんせん、それを帝都市内に撃ち込むわけにはいかなかった。

 その一方で、華撃団は敵本拠地『武蔵』に対する乾坤一擲の逆転策を実行し、それに花組の全機を投入している。

 降魔迎撃の主力である霊子甲冑を欠いている地上戦力は、窮地に立たされていたのだ。

 

 地上には様々な遊具のある花やしきは、帝国華撃団の拠点であり、夢組の敷設した結界によって守られたそこは、帝都市民の一時的な避難場所となっていた。

 その結界を破らんと降魔兵器が集まってくる。

 それに対し華撃団は一丸となって対抗していた。

 風組や雪組の扱う重火器は効果の低い通常兵器だが、それでもその高い攻撃力は抑止力になった。

 月組たちが偵察や攪乱を行って、降魔兵器を誘導し、霊力による攻撃が行える夢組が、主力となって降魔兵器に対抗する。

 その中心は、小規模霊障の対応を任務としているために直接戦闘を得意としている除霊班だった。

 

「……『夢十夜作戦』の経験ガ、こんなトコロで生きるナンテ……」

 

 最前線で戦い皆を鼓舞する除霊班頭に代わって指揮を執っている除霊班副頭のコーネル=ロイドは苦笑交じりにつぶやいた。

 二年前の大戦で、夢組が行った、新型霊子甲冑開発までの時間稼ぎで対降魔戦闘を行ったのが『夢十夜作戦』。

 降魔から降魔兵器と相手は変わったが、それでも基本は同じである。

 近接戦等を得意とする特定の者──今回は梅里と宗次がいないため、二人の代わりにあの作戦以降に入隊し、彼らと同じくらいの近接戦闘能力を持つカーシャ──アカシア=トワイライトと、前回に引き続いての秋嶋 紅葉のみが降魔兵器と一対一で戦い、他の者は5対1を基本として、戦闘を行っている。

 封印・結界班は、障壁を作り出して、降魔兵器を分断し、それらが協力するのを阻害している。

 しかし──

 

「ホントに……もう! 数が、多い!!」

 

 手にした愛用の波状刃の大剣(フランベルジュ)、『ヒート・ヘイズ』で降魔兵器の一体を、やっとの思いで討ち果たしたカーシャ──もう一人の除霊班副頭であるアカシア=トワイライトは、ポニーテールにまとめたウェーブのかかった髪を振り乱しながら、周囲を見渡す。

 この数の多さは、前回の『夢十夜作戦』では遭遇しなかったものだ。

 降魔兵器を個々に分断できなければ作戦が崩壊しかねない。にも関わらず、数に圧されて障壁が間に合わなくなりつつある。

 そうして分断を逃れた集団が形成され──

 

「今です!! 近江谷(おおみや)さんッ!!」

 

 大きな声と共に、夢組副隊長であり、この場の指揮を任されているしのぶが、指揮棒や采配代わりの扇──愛用の深閑扇(しんかんせん)を閉じた状態で大きく振る。

 それに合わせて幾条もの紅紫色の光芒が走り──降魔兵器を貫く。

 光線を放ったのは、光武・改を遙かに上回る巨体を誇る霊子甲冑──光武・複座試験型だった。

 その手は、織姫の霊子甲冑と同じ、霊力を光線として放つ武器が装備されており、今のはそれによるものだった。

 

「これも──くらええぇぇぇぇッ!!」

 

 搭乗者の一人である、近江谷 絲穂(しほ)の叫び声と共に、さらにその肩部に取り付けられたロケットランチャー──こちらは紅蘭機が装備しているものと同型のもの──から放たれた砲弾が着弾し、まとめて周囲の降魔兵器までも焼く。

 

「試作品とはいえ、やはり霊子甲冑ですね……」

 

 その戦果にしのぶは感心していた。やはりその力は圧倒的だった。

 花組に所属しない、唯一の霊子甲冑──光武・複座試験型こそ夢組の、そして地上に残った華撃団の切り札である。

 それを移動できる砲台のような扱いで攻撃に重点を置いて運用させる。

 風組や雪組が重火器で足止めをしたり、月組が牽制・翻弄したり、夢組が結界で捕縛した降魔兵器を次々と破壊させていった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──しかし、

 

「近江谷姉妹、もう限界です!!」

「いえ、まだッ!! まだ、いけます!!」

「はい、姉様……」

 

 強がる絲穂に、絲乃もそれに従い、気丈にも頑張りを見せる。

 限界はすぐにやってきた。

 この光武・複座試験型の欠点は──同調を搭乗者に頼り切っていることだった。

 調整している錬金術班頭の松林 釿哉の話では、同調能力には改良を加えているとのことだが、こと近江谷姉妹が搭乗するときにはさほど意味がない。

 姉妹の霊力は、単独ではそれほど高いものではなく、霊子甲冑の起動基準を満たしていない。二人が霊力を同調させ、共鳴し、相乗的に高め合うことで強い霊力を発することができるのだ。

 そこまでして、やっとこの光武・複座試験型を動かすことができる。

 つまり二人は、これを動かしている間は常に同調し続けなくてはいけないということでもあり、二人にとって大きな負担であった。

 そんな二人がオーバーワークなのは誰もが分かっていたが──それでも彼女達姉妹に、霊子甲冑に頼る以外に、降魔兵器との戦いを優勢に進める術がなかったのである。

 

「く……申し訳、ありません……姉、さま……」

 

 そしてついに限界が訪れた。

 絲乃の霊力が落ち──霊力同調が解除されてしまい、たちまち稼働停止に追い込まれる複座試験型。

 

「なッ!? こんなところで──」

 

 一人気を吐く絲穂だが、無情にも──機構上当然のことでもあるが──彼女一人では光武・複座試験型は動かせない。

 迫り来る降魔兵器の鉤爪。

 それに思わず身をすくませてしまう。

 

「させないわ!!」

 

 付近にいたせりが弓に矢をつがえ──それに全力で霊力を込めて雷と化し、それを放ち迎撃する。

 直撃し、「キシャアアァァァ!!」と奇声をあげる降魔兵器。

 だが、それでも足りない。

 ひるんだものの、討滅するには至らない。

 さらに、現れたもう一体が光武・複座試験型へと迫る。

 

「絲穂!! 絲乃!!」

 

 せりが悲痛な叫び声をあげ──

 

 ──降魔兵器は長大な棒で殴り飛ばされて吹っ飛んだ。

 

「なっ!?」

 

 せりは目を疑った。

 すごい勢いで弾き飛ばされた降魔兵器を思わず目で追いかけていた。

 それを追いかけるように飛ぶ形が特徴的──三鈷杵と呼ばれる密教系の祭具のようである──な投擲武器が飛び、突き刺さる。

 

「なに、あれ?」

 

 見たことのない武器に思わず眉をひそめてしまう。

 そして降魔兵器を視線で追いかけた彼女の背後から、聞き慣れた蒸気機関の音がするのに気付いた。

 思わず振り返って──せりは再び目を疑うことになる。

 

「え? あれは……」

 

 霊子甲冑だった。

 白い蒸気を吹き出すそれは、機体正面には十字型のレールに沿ってカメラアイが縦横無尽に動いている。

 青く塗装されたそれは──

 

「アイゼンクライト!! それもレニ機……なの?」

 

 せりの言うとおり、欧州星組が採用しようとしていたドイツ製霊子甲冑アイゼンクライトである。

 その青い機体色は紛れもなく花組のレニ=ミルヒシュトラーセの愛機のそれだが──せりの言葉が疑問系になったのは、それが手にしているのがいつもの騎士を思わせる騎乗槍ではなかったからだ。

 長い柄は同じだが──その先端は穂先ではなく、金属製の輪にさらに複数の輪が通された──“錫杖”だった。

 それを器用に──まるですみれが自分の武器である長刀を光武等の霊子甲冑でやるように、クルクルと回転させる青いアイゼンクライト。

 

「え……?」

 

 せりはその姿に思わず目を疑う。あまり意味のない無駄な動きであり、それをレニがするようには思えなかった。

 それに驚きから覚めてよく考えれば、機体の主であるレニがこの場にいるわけがないことにも気がつく。

 なぜなら花組の彼女は新型霊子甲冑・天武と共にミカサで『武蔵』に向かっていたからだ。

 ──その天武がこの上空で不具合を起こして使用不能になったのも、レニ用に光武・改がロールアウトしており、それに乗り換えたことも、せりには知る由がなかったが。

 そうこうしているうちに、その青いアイゼンクライトは降魔兵器を倒していく。

 見事な動きで錫杖を振り回し、時にはそれを立てて「シャン」と音を鳴らすと念をこらし、霊力障壁を作り出す。

 そうやって降魔兵器側の羽ばたきによる烈風や酸性の吐瀉物といった飛び道具を防ぎ、先ほど見た投擲武器で反撃を行い──周囲の降魔兵器を迅速に駆逐した。

 そして一時的に、周囲に敵の影がなくなると──

 

「近江谷さん達、大丈夫ですか? それに、姉さんも……」

 

 そんな外部スピーカーからの呼び掛けに──せりが驚いた。

 

「姉さん? ──って、えぇ!? あなた、まさか……」

 

 敵がいないためか、正面ハッチが開いて搭乗者が顔を出す。

 

「ええ、そうよ。姉さん!」

 

 そう言ってツインテールの髪を揺らしながら、せりとよく似た勝ち気な笑みを浮かべる彼女。

 青いアイゼンクライトの操縦席にいたのはせりの妹、白繍なずなだった。

 




【よもやま話】
 雰囲気暗い艦橋でありながら、それを思わせないように明るく振る舞っている──という、原作の「サクラ大戦2」での同じシーンで矛盾が出ないように、そんな感じにしてみました。
 ちなみに、これを書くにあたって、原作ゲームをやる──のは時間的に厳しいのとサターンを持ち出すのが手間なので、プレイ動画を見て書いてます。
 試しに見比べてみて──それっぽさを少しでも感じていただけたら、書いている側としてはしてやったりですので。


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─5─

 ──少しばかり時間は遡る。

 

 ミカサが発進する準備に追われるころの話である。

 帝国華撃団の養成部隊である乙女組は、まだ実戦未経験で育成途中の者ばかり。彼女達には華撃団のサポートが指示されていた。

 正式な華撃団員たちの指示で物を運んだり、持ってきたりという手伝い的なものから、避難する帝都市民の誘導、医療的知識の深い者は負傷者の応急措置といった役割まで与えられ──帝劇本部で研修中だった野々村つぼみに至っては、ミカサに搭乗して艦橋クルーのサポートといった役割さえ与えられていた。

 

 そんな中──昨年は北海道支部へ長期出向して、天武の試験搭乗者として開発に関わわり、半ば乙女組を卒業しかけている白繍なずなは、その時に彼女同様長期出張していてお世話になった夢組錬金術班頭の松林 釿哉に呼び出されていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「あのぅ……松林錬金術班(かしら)、いったいどのような用件でしょうか?」

 

 ここは、大帝国劇場の地下にある霊子甲冑の格納庫だった。なずなが開発に携わった天武が並ぶメインの作業台からは少し離れた場所である。

 訝しがるようななずなの表情に、松林 釿哉は苦笑を浮かべた。

 

「固いなぁ、なずな。北海道ではもう少し砕けた感じだっただろ」

「は、はぁ……その、姉から少し注意されまして。目上への言葉遣いがなってない、と……」

 

 なずなは気まずそうに目を泳がせ、ツインテールにまとめた髪を揺らす。

 彼女の姉は白繍せり。釿哉と同じく帝国華撃団夢組であり、同等の地位である調査班の頭を務めている。

 そんな彼女だからこそ、乙女組という半人前の妹が、一つの部署を預かっている頭に礼を失した態度をとるのを咎めたのだ。

 それは同時に、妹が他の者から「無礼な新人」と見られるのを避けたかった姉心からでもある。

 

「アイツが? そんな、宗次みたいなことを?」

 

 しかし、なずなの言葉を聞いて、釿哉は思わず吹き出してしまう。

 

「隊長心得だった宗次に、一番噛みついていた白繍の台詞とは思えねえな」

「え? そうだったんですか?」

「ああ、そうだ。ついでに言えば、最初はウメの大将に、(かしら)の中で一番キツくあたっていたのもそうだぞ。なにしろ食堂主任と副主任だったからなぁ……」

 

 そう言って懐かしむように思い出す釿哉。

 せりと釿哉以外の他の頭は三人いる。封印・結界班頭の山野辺(やまのべ) 和人(かずと)、予知・過去認知班頭のアンティーラ=ナァムという精神的に強い人格者二人と、最後の一人は、最初に決闘して負かされて以来「一の家来」と言って従順になった除霊班頭の秋嶋 紅葉である。

 釿哉を含めて噛みつこうとする者がいなかった、というのもあるが。

 

「回収した敵幹部専用の巨大魔操機兵の破片調査で、大喧嘩したりしていたしな」

 

 喧嘩といっても、せりが一方的に梅里に喚き散らし、梅里はろくに取り合わずに指示を強行していただけだったが。

 もっとも、その時の調査がきっかけで、せりと梅里は急接近するわけだが……。

 

(本当に、この世は何が起こるかわからねえな)

 

 昔のせりを思いだして釿哉は心の中で苦笑する。

 

「今の様子を見たら、まったく考えられねえけど」

「ええ、そう思います。姉さん、武相隊長にぞっこんですからね」

 

 釿哉の含み笑いに対し、なずなは素直に顔に出して思わず苦笑する。

 無論、恋愛面では恥ずかしがり屋で素直ではない実姉のこと、なずなとは乙女組同期である伊吹 かずらとは違って、ストレートに好意をぶつけることは少ないし、人目のあるところではまず行動しない。

 が、恋愛不器用なのもあって見ていてバレバレである。

 

「ま、白繍のことはとりあえず置いておき──」

 

 気を取り直して釿哉はそう言い──自分の背後を振り返った。

 そこにあったのは、霊子甲冑アイゼンクライト。

 ドイツ製のそれは、日本が開発した光武とは違うものの、高い性能を誇る優秀な機体である。

 なずなもつられてそれを見上げるようにして見ていた。

 

「なずな……一応、まだ乙女組の所属になってるお前さんだが、本部で研修中だったつぼみ同様、他の乙女組のヤツらとは違う役目が与えられている」

「え? あたしに、ですか……?」

「ああ。お前を指名して、な」

 

 乙女組は養成機関であり半人前。そう思っているのは先のせりだけでなく、華撃団関係者なら共通の認識だった。

 その乙女組所属のなずなに、今のような非常時に指名で指示が出るのは珍しいことである。

 

「知っての通り、これから華撃団はミカサで敵の本拠地に殴り込みをかけるわけだが……残された帝都の防衛も、もちろん重要な任務だ」

「はい!」

 

 乙女組で染み着いたなずなの闊達な返事に思わず苦笑する釿哉。そういうノリには慣れていないのだ。

 

「だが敵は降魔兵器。通常兵器の効果が阻害される以上、海軍の戦力はアテにはできねえし、花組を二つに分けて地上に残す余力もねえ」

 

 もしも花組の人数が今の倍近くいれば、部隊を分けることもできただろうが、それは無い物ねだりでしかない。

 霊子甲冑を動かし、戦闘を行える人材は希有な存在であり、同時に霊子甲冑もまた維持を含めて金食い虫なのだ。

 

「地上に残るのは、近江谷姉妹専用ってことで分類上は夢組所属になっている光武・複座試験型。だが、こいつはあくまで欠陥機だ。本来なら戦闘に出せたようなものじゃねえ……」

 

 複座型が霊力同調に問題があって、長時間の作戦行動ができないどころか、短期間の行動しか行えないのは、その開発に携わり、今も面倒を見ている釿哉には分かりきっていた。

 だから、その実状が分かっているからこそ、あえて戦闘に出せるようなシロモノではない、と断言した。

 それは──その欠陥機にさえ頼らなければならない現状と、欠陥機の欠陥を克服できていない自分自身への悔しさからでもある。

 事実、光武・複座試験型は戦闘のために、すでに花やしき支部にて装備を搭載する作業の真っ最中だった。織姫機の光線発射装置と、紅蘭機のロケットランチャーを搭載し、花やしき支部防衛戦戦で移動砲台として使用する計画である。

 

「その欠陥機一つだけじゃ、正直、厳しい……」

「……ですよね」

 

 なずなにもそれは分かっていた。かといって降魔兵器に有効だからと、霊力を扱える生身で戦う夢組隊員たちに過度の負担を強いるのは、さらに危険なことでもある。

 そんな夢組の中に自分の姉がいるのだから、心配するのは当然である。

 

「だから──お前さんには、これに乗って戦ってもらう」

 

 そう言って、釿哉は傍らに立つ青い機体をコツンと叩いた。

 青い──アイゼンクライトを。

 

「…………え? は? これって……この、アイゼンクライト、ですか?」

「コイツが光武や天武、ましてや神武に見えるのなら、ヨモギにその目が正常かどうか看てもらってこい」

「い、いえ、そういうわけではなく……コレって、レニさんの機体、ですよね?」

 

 焦るなずなに、釿哉はうなずいた。

 

「ああ。だが花組には天武があるからな。一応、万が一に備えて光武・改も予備機としてミカサに乗っけていく予定だが──」

 

 本来は破損や故障に備えて光武・改を予備機としたのだが、まさか天武が使用不能になるとは、このときは釿哉も含め、まるで想定していなかった。

 この判断はまさに勝敗を分ける英断であった。

 

「実は、織姫とレニの光武・改もロールアウトしていてな……」

「え? そうなんですか?」

 

 その意外な事実に驚くなずな。

 なぜなら彼女は疑問に思ったからだ。天武という後継機があるのに、なぜ今更に光武・改という性能の劣る機体を、わざわざレニと織姫用に用意したのだろうか、と。

 

「ま、それに関しては疑問があるだろうが、あまり考えるな」

 

 なずなの疑問を察して、優しげな笑みでごまかす釿哉。

 実際のところ──これはレニや織姫用に用意された機体ではなかった。

 黒鬼会との戦いが始まる前のことだが、先の大戦での活躍により花組隊員について二人の増員が認められていた。

 そしてそれは、本来の養成機関である乙女組からの昇格を考えていた。

 しかしそこに、海外からの話が割り込んだ。レニと織姫の二人である。

 元欧州星組という実績と、アイゼンクライトというすでに完成している機体の存在から早期に加入可能なことは、新たな戦いを予知で予見していた華撃団には魅力的であり──そちらの案が採用された。

 

(その割を食らった一人が、お前だもんな……)

 

 なずなを見ながら密かに思う。

 つまり今回ロールアウトした2機の光武・改は、天武開発前から製造が決まっていたのが完成したもの──予定ではもっと早く完成するはずだったが、昨年の騒動の中で財界の支援が打ち切られたせいで計画がストップしたり、天武の開発に人手や資金をとられたりして、こんな時期にまでズレ込んでしまったのである。

 その光武・改は、本来なら乙女組からの昇任者──つまりは次席のなずなや、主席であるつぼみの姉──が乗るはずだった機体でもある。

 それを天武の予備機とするためにレニと織姫用に調整した──だからこそ、釿哉はその経緯を、本来搭乗するはずだったなずなに説明するのがはばかられたのだった。

 それらを飲み込んだ釿哉は、なずなに説明をする。

 

「──で、そっちを予備機にすることになった。つまり、このアイゼンクライトは予備機でさえなく、ミカサにも積み込まん。だが……この状況で使わないのはあまりに勿体ない。だから──お前向けに調整を施した」

「ええッ!?」

 

 驚き、改めてアイゼンクライトを見上げるなずな。

 

「天武開発で試験搭乗者をしていたおかげで、お前さんのデータはすでにあったからな。この急場でも、基本的な調整はオレがキッチリやっておいた。安心しろ」

 

 そう言って親指を立てる釿哉。

 当然ながら本来の搭乗者であるレニに合わせて調整してあったこの機体を、なずながそのまま扱うには無理があった。そもそも霊子甲冑は搭乗者用に調整が施されており、本来の搭乗者以外が乗っても性能を生かせないことが多い。

 まして、それが霊子甲冑による戦闘では年期がまるで違うレニとなずなではそれが顕著だ。無調整では機体の性能を生かすことなど到底不可能だっただろう。

 また、その調整が短時間でできたのは、同じプロジェクトに携わった釿哉だったからこそ、である。

 

「あとは……帝劇本部は今からミカサで出撃しちまって間に合わねえから、花やしき支部で最終調整を行う予定だ。お前はこの機体とともに花やしきに向かい──帝都を守ってくれ」

 

 釿哉は夢組錬金術班頭として、その技術が様々に使われているミカサに搭乗し、その調整の責任者として担当しなくてはならない。

 最終調整だけなら、霊子甲冑に慣れている花やしき支部の技術者達だけで十分にできるはずだった。

 

「あの、ありがとうございます!! あたし、これで精一杯戦います! 帝都を守って見せます! ですから──『武蔵』を……」

「そいつはオレじゃなくて花組の仕事だから何とも言えないが……精一杯、アイツらを手助けしてやるさ」

 

 そう言ってニヤリと笑う釿哉。

 そして──

 

「それと、最後にそいつを乗る上で、一番大事な……重要な伝達事項がある」

 

 神妙な面もちの釿哉。

 そんな彼の真剣な表情になずなは思わず息を飲み──次の言葉を待つ。

 

 

「……絶対に、壊すなよ? もし壊したら、“()()()”調整したオレが大目玉食らうんだから」

 

 

 流れる沈黙。

 なずなは、思わず首を傾げ──

 

「はあぁぁッ!? ど、どういうことですか? コレ、命令でもないのに勝手な判断で調整したってことですか!?」

 

 声を荒げて釿哉に詰め寄る。

 

「いや、そんなことはないぞ、一応。きちんと司令の許可は得ているから、出撃して問題はない! 問題はないんだが……」

「ないんだが?」

「……レニ本人の許可を取ってないんだ。実は」

 

 いい笑顔で言った釿哉の台詞に、なずなは綺麗にずっこけた。

 

「──なんで! 勝手にそういうことしてるんですか!! これ、出撃して大丈夫なんですよね!? あたし、怒られたり処分受けたりしませんよね!?」

「大丈夫、大丈夫。言ったろ、司令の許可は取ってるって」

「その部分を疑ってるんですッ!! そもそもなんでレニさんのアイゼンクライトなんですか!?」

「いや、ほら……織姫のだったら「絶対に許しませーん」とか言ってすっげえ怒られそうだけど、レニなら「大丈夫。問題ない」とか言って許してくれそうじゃん?」

「まったく、あなたという人は──ホウライ先生や、越前さんの苦労の片鱗が分かった気がしますよ!!」

「そう言うお前は、怒る姿は姉そっくりだな。こっちはウメの大将の気分が少しだけ──」

「やかましい! この、あっちゃけッ!!」

 

 ロングの髪をツインテールにしている妹に対し、肩付近までの髪を二つのおさげにしている姉。

 髪型の違いこそあれど抗議してくるその姿は、まさにせりと瓜二つ──釿哉は詰め寄られながらそう思っていた。

 

 結局、ミカサが出撃する直前のレニにアイゼンクライトの使用のみを確認したところ、彼女は釿哉が予想したとおり、「うん、大丈夫。問題ないから使って。こっちは天武があるから、その方が合理的……」という回答が得られた。

 ──ちなみに、サプライズのためにレニ用の光武・改の存在に関しては伏せられたのは……やっぱり釿哉の発想である。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 機体こそレニのアイゼンクライト──もちろん塗装は間に合わないし、使用後は元に戻すために青いまま──だったが、その武器に関してはレニが使用するので試作されていた武器の中でなずなが合うものを自分で選んだ。

 花やしき支部の格納庫に並べられた霊子甲冑用の武器を見て、一瞬、長弓に目がいったが、自分が得意とするのはそれではない。

 長柄もの──特に槍ではなく、杖術や棒術への適正がわかったために、手にしたのは錫杖だった。

 

「道師も、巽副隊長も、出撃には太鼓判を押したそうですよ」

 

 出撃直前にかけられたその言葉には、心が大いに奮い立った。

 長柄物の才能を見抜き、その技を教えてくれた夢組の巽副隊長と、長柄物を利用した格闘術を伝授してくれた道師ことホワン=タオ乙女組師範。

 

「お二人の恩と教え……絶対に忘れません」

 

 胸に手を当てて、その二人の姿を思い浮かべる。

 その二人もまた、この帝都で戦っていることだろう。

 手を元に戻し──操縦桿へと延ばす。

 その腕を包んでいるのは、スッとした軍服のような花組の戦闘服の袖──ではなく、和服の特徴でもあるゆったりとした袖の、巫女服を模した女性用の夢組戦闘服だった。

 

「──夢組戦闘服の肩にある端末は、実はかなり優秀なんですよ」

 

 その戦闘服を持ってきた隊員が太鼓判を押していた。

 花組のような霊子甲冑との接続のみを考えているものではなく、他の様々な霊力を必要とする資機材への接続を可能にしているのが夢組の戦闘服についている金属製端末である。

 今起こっている戦闘でも、一部の対応している通常兵器の重火器に接続して、その攻撃に霊力を付与して、降魔兵器への攻撃に使用されていた。

 姉と同じ──姉は夢組幹部の証である独自色(パーソナルカラー)の袴を履いているので、その違いはあるが──夢組戦闘服に身を包んだことに感慨深いものを感じ、その端末にアイゼンクライトからのコードが接続され……そのモノアイが赤く光り、十字のレール上を走る。

 

 そして、アイゼンクライトは無事に起動した。

 出撃したなずなは、搭乗者が限界を迎えた光武・複座試験型を助けると、その役目を交代して、次から次へと迫る降魔兵器の相手をすることになった。

 

「とりあず、数を減らさないと」

 

 霊力に余裕があり、機体の状態も良い今のうちに数を減らして優勢を作れば、他の隊員達の負担も減って余裕が生まれ、結果的には継戦能力を高めることになる。

 

「ここで、大技を……」

 

 なずなのアイゼンクライトを強敵と見なして、少し距離を置いた複数の降魔兵器。

 偶然にも、直線的に並んでいるその布陣は──なずなにとって格好の獲物だった。

 

「轟音放つ、神なる存在(もの)の裁きの槌を──くらいなさいッ!!」

 

 なずなのアイゼンクライトの霊力が高まり、それが錫杖の先端の輪へと集中する。

 それは青白い雷撃となって、先端に集まり──錫杖を敵へと横にに振りかざしつつ、技を放つ。

 

 

「──青龍(せいりゅう)一閃(いっせん)ッ!!」

 

 

 それは、師の一人である──なずなの長柄の才能を見抜き、自分自身の技を懇切丁寧に教えた彼──巽 宗次が槍で放つ、その奥義とも言うべき技と同じ音の名であった。

 そして、放たれたのは水と雷という霊力属性の差はあれど、青い水流ではなく青白い稲妻の奔流が形取った龍の姿もその技と同じであり──水の龍よりも遙かに速い速度で雷の龍は駆け抜ける。

 それが通り抜けた後には、雷の圧倒的なエネルギーによって焼け焦げた跡と、巻き込んだ複数の降魔兵器が残骸となって散らばっていた。

 

(巽副隊長。それにホワン師範。見ていてください……あなた方のおかげで、今、あたしは帝都のために戦える!!) 

 

 錫杖を地面に立てて「シャン」と音を鳴らし、なずなは次なる敵を探して視線を走らせる。

 二人の師の教えを披露する機会は、まだまだ十分に残っていそうだった。

 




【よもやま話】
 本当はもう一つ先のシーンまで入れたかったのに、思いかけず長くなってしまったシーン。
 なぜレニと織姫の天武があるのに、わざわざ光武・改が用意されていたのか、そしてアイゼンクライトはどうなったのか、という素朴な疑問を掘り下げてみました。
 なずな──というか宗次の技である『青龍一閃』(宗次の場合は“一穿”でしたが)は前作の1話以来の登場。出そう出そうと考えていたのですが、まさかここまで出番がないとは……。
 一閃が「雷の呼吸 壱ノ型」からだったり、龍が出たりするのは本来は水の技だから「水の呼吸 拾ノ型」から──ではなく『廬山昇龍覇』がモチーフです。理由は──次話にて


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─6─

 ミカサの艦内は、吉報に湧いていた。

 

「武蔵内部の花組より、入電……武蔵入口にて金剛と戦闘。これを撃破し、武蔵中枢に進入する」

 

 通信を受けたかえでが艦橋で読み上げた、その通信内容は、艦内放送であっという間に伝わっていった。

 金剛の大日剣の撃破──それは五行衆が全員敗れ去ったことを意味する。

 前回の維新軍騒動で一度は全滅したと思われた五行衆。その金剛と土蜘蛛が生き残っていたわけで、今回も……という可能性も無いわけではないが、さすがに二度目である。

 しかも、先の土蜘蛛の件もあって、敵の撃破確認は慎重に行われていたので、金剛の撃破については間違いない報告であった。

 

 『武蔵』内部の危険さや妖力の高さから生身の随行が不可能と判断されて、ミカサに残っていた夢組。

 その指揮を任されている副隊長の宗次は──そんな艦内にあって、浮かない顔をしていた。

 

「副隊長……」

 

 それに気がついたティーラが声をかける。その表情は憂いを帯びており、宗次のことを心配している様子であった。

 

「あの三人のことを気にしているんですよね?」

「ああ、まぁな。敵幹部の撃破は快挙だが、さすがに手放しに喜ぶことは……」

 

 その彼の背中を、ティーラは軽くたたく。

 

「しっかりなさい。あなたがそんな様子では、夢組全体の志気に関わりますよ!」

「──ッ!」

 

 彼女に言われ、宗次は慌てて体を起こし、顔を上げる。

 その様子にティーラは微笑みを浮かべる。

 

「米田司令に、志気に関わるから、と箝口令をお願いしたんですから、その責任はとってください」

「……わかっているさ」

 

 痛いところを突かれて憮然としながらも、宗次は他の隊員達の方へ歩いていく。

 そして「この戦果に浮かれるんじゃない!」と檄を飛ばしていった。

 その姿にティーラは苦笑気味に微笑み──こっそりため息をついた。

 

(……あの三人のことを予知できなかったのは、完全に私の落ち度…………)

 

 ましてあの時、土蜘蛛の八葉は一度は花組に敗北し、散ったと思われていたのだ。

 倒したという油断を誘い──それにティーラ自身もまんまと騙されて、戦闘力で劣る衛生部隊と錬金術班を無防備にしてしまい、その隙をつかれた。

 

(あの時、油断しないで注意を払っていれば、土蜘蛛の狙いを予見できていたはず)

 

 だからこそ、釿哉、ヨモギ、舞の三人を失った責任は自分にある、とティーラは考えていた。

 

「──自分を責めても仕方ないと思いますよ」

 

 まるでティーラの考えを読んでいたかのようなその言葉に、思わずそちらを振り返る。

 

「小詠さん……読んだのですか? 私の心を」

 

 調査班副頭・御殿場 小詠。

 調査班の幹部クラスで唯一、ミカサに乗り込んだ彼女は『読心(サトリ)』の能力を持つ対人調査──捜査のエキスパートである。

 その彼女の能力を知っているからこそ、ティーラは険しい目で彼女を見ていた。

 

「……心を読まずともそれくらい分かりますよ。幸いなことに昨年、人を観察する技術を月組隊長から直々に教わりましたので」」

「まったく、あなたが優秀になるのは嬉しいことだけど……」

 

 心情的には複雑だった。

 ティーラがその特殊な予知というのに加えて優れた洞察力で未来を見通すように、彼女もまた読心という特殊能力に加えて表情や仕草から心情を読む技術で補えるようになっている。

 調査班副頭という対外的に力を振るう立場以外に、監察係として特別班にも秘匿して所属する彼女は、それを夢組内部の監査として内部にもその力を使う立場にもある。

 その対象になりたくないのは当然だろう。

 

「今は反省よりも、次の手を考えるべきかと……」

「──ええ、私もそれは分かっています」

 

 予知・過去認知班の頭として、これから起こることを(あらかじ)め見て──それに対応する手を打たなければならない。

 

(たとえそれが遠く離れた『武蔵』の最奥であっても、それを見通さなければ……)

 

 その手をじっと握りしめる。

 もしも花組に万が一のことがあれば作戦は破綻し、華撃団の敗北は確定する。

 

(同じ愚は繰り返さない……)

 

 あの三人のためにも。

 そして、あの三人がミカサを守って繋いだ希望を絶やさぬために──絶対に、この作戦は成功させなければならないのだ。

 ティーラは唇を噛みしめ──予知・過去認知班の総力を持って花組の支援を、未来を見通さんと決意するのだった。

 

 ──だからこそ、彼女は致命的な見落としをしてしまう事になった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それは、金剛が敗北する寸前のこと……

 

「うおおおぉぉぉ!!」

 

 彼のあげる断末魔の叫び声。

 それには敗れた悔しさと、仲間をやられ、その無念を晴らせない己の無力さへの怨嗟が込められていた。

 

(不甲斐ねえ!! 水狐……オマエの仇も取れず…………オレは!!)

 

 その無念が込められた妖力は、乗機である大日剣の爆発と共に周囲に拡散し──『武蔵』内部に、帝都中から集められた怨念と結びつく。

 そうして増幅された憎念に──応じる者達がいた。

 大日剣の飛び散った破片やパーツは、それをかばって花組の攻撃を受け止め、それに付き従って戦い、花組によって動きを止めていた黄童子の付近へと散らばった。

 倒された黄童子は、渦巻く憎念を受けて、再び力を取り戻す。

 そんな黄童子には、「落とし前をつけるぜ、華撃団」という金剛の言葉が──彼の忠実なる部下の胸に刻まれていたのだ。

 

 ──花組が去った後に付近の悪霊と一緒くたとなり、大日剣の破片を巻き込んで漆黒の球体を生み出し──その闇が晴れると、大日剣の破片をまとった黄童子となり、そのカメラアイが、不気味に点灯した。

 

 京極打倒のために『武蔵』を奥へ奥へと進む花組達は、自分達が通り過ぎたあとでそんなことになっているなど、知る由もなかったのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ミカサ艦内に警報が鳴り響く。

 

「──敵襲だと!? バカな!!」

 

 米田が思わずそう言うのも無理はない。

 『武蔵』の外部には降魔兵器は存在しない。なぜなら、その高度が飛行限界を超えているからだ。

 あるとしたら、『武蔵』内部からのものであり、実際、今の警報はその内部からミカサへとやってきた敵の存在を知らせるものだった。

 だが、それはそれで疑問符がつく。

 ミカサ突撃後に花組を送り出したが、花組はそこから『武蔵』の奥へと向かっているのだ。

 向かいくる敵は倒して進んでいるのだから、ミカサへの敵襲はあり得ない。あっても、それを逃れた、はぐれたような散発的に単独で現れる敵のみ──そう考えていた。

 

 しかし一応、その思惑通りにことは運んでいた。

 なぜならその敵襲も、大規模な襲撃ではない。二年前の夢十夜作戦で、降魔との戦闘経験のある夢組隊員は、ミカサ側にも多数おり、降魔兵器も数が多くなければ十分に対応できる──はずだった。

 その思惑から外れたのは──敵が降魔兵器ではなかったからだ。

 

「モニター、出ます!」

 

 襲撃してきた敵の姿が、ミカサ艦橋のモニターに映し出される。

 それを見て──米田が、かえでが、絶句した。

 

「大日剣、だとッ!?」

 

 姿はまさに、先ほど倒したという報告のあった、金剛の駆る金色の巨大魔操機兵・大日剣そのものだ。

 だが──その動きにかえでは違和感を感じていた。

 よく見れば、細部も違っているように見える。

 

「あれは──黄童子も混じっているの? いえ、まさか……」

 

 かえではとある資料を見たときのことを思い出していた。

 当時、華撃団に所属しておらず、副司令は姉のあやめだったころの話だ。

 華撃団が初めて倒した巨大魔操機兵・蒼角──黒之巣会幹部である蒼き刹那が搭乗していたその残骸の調査を、夢組が中心となって行ったことがあった。

 その際、施設の付近で行われた戦闘で、刹那の弟である白銀の羅刹があげた断末魔の叫び声に反応し──回収していた活動を停止していた脇侍が、蒼角の破片をまとい、その能力を帯びて暴走するという事態を起こしていた。

 

(もしも今回、金剛が死ぬ間際に同じようなことが起きていたとしたら。脇侍の代わりに黄童子が核となり、大日剣の破片をまとったのだとしたら……)

 

 かえでの目に映っている大日剣“モドキ”は、あの時の蒼角モドキのように元になった巨大魔操機兵に準ずるような性能を発揮する可能性が高い。

 

(いえ、今回は『武蔵』という帝都中の妖気を集めているような場所でおこったこと。大日剣と性能は互角か、下手をすればそれ以上に……)

 

 かえでの顔が青ざめる。

 

「かすみ! 至急、夢組にあの大日剣モドキの妖力や性能の調査を指示して。椿、ミカサを緊急離脱させるのにどれくらいかかるかしら?」

 

 あれにミカサに乗り込まれてしまえば、花組がいない今、防衛手段はない。

 見るからに飛行能力がないアレに乗り込まれるのをを防ぐには、離脱してしまうのが一番手っ取り早い。

 だが──椿が概算で出したその時間は、大日剣モドキがミカサに到着する方が早かった。

 

「誰かが、足止めをしないと……」

 

 そう、かえでが悩んだとき──

 

「夢組の巽副隊長が、出撃しました」

「──えッ?」

 

 由里の報告に、かえでは呆気にとられた。

 モニターには、青い男性用夢組戦闘服に身を包み、槍を手にした男に率いられた部隊が、すでに大日剣モドキと対峙している様子が映し出されている。

 

「巽くんなら、あるいは……」

 

 夢組でも屈指の戦闘能力を持つと賞される強さを誇る彼は、先の夢十夜作戦でも梅里、紅葉と並び、降魔と一対一で戦うのを許され、それに打ち勝ってきた剛の者である。

 他の二人のように、巨大魔操機兵や降魔との戦いで目立った活躍をしてはいないが、それは単に、彼が作戦指揮を得意にしているので、後方での指揮を任されることが多いからにすぎない。

 青い夢組戦闘服を身にまとった宗次と、金色の大日剣の破片をまとった黄童子の戦いの火蓋は切って落とされた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「く、っそ……」

 

 その大日剣モドキに、宗次は大苦戦を強いられた。

 以前の蒼角モドキと戦闘経験のある彼だったが、やはり強さの桁が違う。もともと大日剣の性能の方が高いのだが、元の機体との弱体化具合も今回の大日剣の方が低いように感じていた

 木刀のような鈍器で殴られ、吹っ飛ばされた宗次は、手にした神槍・真理を杖代わりにして立ち上がる。

 

「副隊長ッ!!」

 

 宗次と同様に、ミカサに搭乗していた陸軍派のメンバーを指揮する、封印・結界班の女副頭が悲壮な叫び声をあげて、手にした銃を乱射する。

 それに続いて、他のメンバーも銃を撃ち、弾幕を形成して大日剣を近づけまいと粘っていた。

 だが──大日剣はゆっくり、確実に宗次へと迫る。

 

「巽! もういい、撤退しろ!! 一度離れてミカサの主砲で吹っ飛ばす」

 

 米田から直接の通信が入った。

 しかし──宗次は首を横に振る。

 

「司令……もしオレが退けば、ヤツを抑えられません。ミカサに肉薄し、乗り込まれます。そうなれば──ミカサは、墜とされます」

「だが、しかし! 今のままではキサマが死ぬぞ!! 四の五の言わずに戻ってこい。その辺にいるヤツ等を全員連れて、だ!」

 

 大日剣とはまだ距離がある。宗次は何気なく背後を振り返った。

 必死の形相で宗次を助けんとする眼鏡をかけた女副頭と、彼女の指揮で一列に並び、全力で霊力を込めて射撃する隊員達が見えた。

 そしてさらに後ろには──壁のようにしか見えない、ミカサの巨体。

 

 

「オレの後ろには、アイツがいるからな……」

 

 

 そのミカサに乗り込んでいる、夢組副支部長で予知・過去認知班頭であるティーラ。

 彼女を思い浮かべる宗次。

 そして出撃前の一幕を思い出す──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「帰省は途中になってしまったが……この戦いの後で、もう一度、オレと一緒に行ってはくれないだろうか?」

「……どこへ、ですか? 戦闘の慰労のために、温泉にでも?」

 

 そう言って首を傾げるティーラ。

 その姿を宗次は歯がゆく思い──それをどうにか隠す。

 

「いや、そうじゃなくてだな……」

 

 夢組でもっとも高い予知能力を持ち、それだけでなく優れた洞察力を発揮して、いつも宗次の指揮をサポートしてくれる彼女。

 その彼女が、どうして今、このときに限って、予知能力も洞察力もポンコツになり果てているのか。

 宗次は嘆きたい気分だった。

 一度、「コホン」と咳払いをして──宗次は、真剣な面もちでティーラをじっと見つめる。

 

「改めて、オレの実家に来てほしい」

「……それは、どういう……ことでしょうか?」

 

 長い黒髪に褐色の肌をしたティーラは、驚いたように──宗次を見つめていた。

 

「そこで、家族に紹介させてくれ。オレの──いや、オレと……結婚してくれないか?」

 

 宗次の顔が、珍しく──本当に珍しく赤くなっていた。

 その言葉に、ティーラの頬も赤く染まる。

 

「……さすがに、その言葉は予知、できませんでした…………」

 

 ポツリとつぶやき──ティーラは首を縦に振る。

 

「はい。わかりました。ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、な。後は──帝都を守りきるだけだ」

「はい!」

 

 ティーラは涙でにじんだ瞳を拭いつつ、笑顔で答えた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──命を捨てるつもりもなかったが、だが……ここを突破させるわけには、いかないんでなッ!!」

 

 宗次が両足を踏ん張らせ、大日剣の前に仁王立ちになる。

 すでにその身は満身創痍。しかしそれでも──退くことはできない。

 彼は手にした神槍・真理を頭上で回転させ始めた。

 

「オレの命に代えても、守らなければいけない者達が、背後にいる!! だから、オレは──退かんッ!! 絶対にな!!」

 

 徐々に上がっていく回転速度と比例するように、彼自身の霊力が急速に高まっていく。

 高まった霊力はその属性である水を具現化し、高速回転する槍にあわせて、彼の頭上で渦を巻き始めていた。

 それはさながら、水の竜巻のようである。

 急激に、そして異常なまでに高まった霊力に、警戒した黄童子が距離を詰めた。

 それが目前に迫り、再び振り上げられた木刀様の鈍器が振り上げられたその時──

 

「我が命を賭した極意……その身で受けるがいい!!」

 

 頭上で回転させていた槍を手元に戻し、練り上げられた極大の霊力は一度自分の体の周囲に渦巻く波飛沫として纏い──

 宗次は渾身の一撃──いや、無数の突きを繰り出していた。

 

 

「究極奥義──青龍百穿(せいりゅうひゃくせん)ッ!!」

 

 

 なずなにもやって見せ、そして授けた『青龍一穿』。

 渾身の一撃と共に龍を具現化して放つそれを、無数に繰り出す極意──それが『青龍百穿』である。

 

「ハアアアァァァァァァッ!!」

 

 繰り出される一突き一突きから放たれる水の龍は、群となり、怒濤となって次々と大日剣を襲う。

 霊力を極限まで──いや極限を超えて高めた霊力によって繰り出す大技であった。

 その威力は凄まじく、大日剣の破片をまとい強化された黄童子でさえ、無数の打突に翻弄され、されるがままに無様なダンスを踊るしかない。

 だが──

 

「オトシマエ……ヲ、ツケル」

 

 基になった黄童子から、無機質な“声”が響く。

 宗次の『青龍百穿』をその身にくらいながらも、何度も、何度も聞こえるその言葉。

 それに突き動かされるように──大日剣は、喰らいながらも手にした得物を振り上げた。

 

「……キジン(鬼神)ゴウテンサツ(轟天殺)………!!」

 

 それは金剛が大日剣搭乗時に使っていた、渾身の妖力を込めた一撃と全く同じ技。

 金色に輝く大日剣と──

 怒濤のごとく蒼き百龍を繰り出す宗次が──

 

 

 ──ぶつかり合った。

 

 

 

 その光景は、もちろんミカサの艦橋のモニターに映し出されていた。

 

「あの、野郎……」

 

 己の命を懸けて高めた霊力をぶつける宗次の姿に、米田は思わず悲痛な言葉を吐く。

 かえでも、帝劇三人娘も、その苛烈な戦いの前に何も言えなかった。

 そしてその光景は、まだ小さな艦橋要員──野々村つぼみも食い入るように見ていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 つい先ほど──ミカサの突入が成功し、花組が『武蔵』内部へと突入を果たした直後、巽 宗次は一度状況確認のために艦橋に来ていた。

 そのとき彼は、風組戦闘服を着たつぼみを見かけていた。

 そんな宗次と目が合ったつぼみはといえば──蛇ににらまれた蛙のようにおびえて固まっていた。

 もちろん頭をよぎったのは、ミカサ発進前の夢組戦闘服に関する一悶着である。

 それですっかり宗次を「怖い人」と認識したつぼみに──彼はその前までいき、そっとその大きな手をつぼみの頭に優しく乗せたのだ。

 

「──ッ!?」

 

 半ばパニックになりかけるつぼみ。

 そんな彼女に対し、宗次は──

 

「怖いのか?」

 

 先ほどとは打って変わった優しい口調でそう問いかけてきた。

 

「い、いえ……だ大丈夫です。なんともありません! スマイルスマイルです!!」

 

 無理に笑みを浮かべようとしたため、ひきつったような、こわばったような、奇妙な笑みを浮かべるつぼみ。

 そんな彼女に宗次は苦笑し──

 

「その、怖いと思う気持ちを、大事にしろ」

「──え?」

 

 つぼみに語りかける。その意外な言葉に、つぼみは呆けたように彼を見た。

 

「恐怖を乗り越えるには、怯えているということを認識しなければできない。その怖いと思う心に立ち向かう気構えこそ、勇気だ。恐怖から目をそらして突撃するのは無謀……そんな無茶には勝利は確約されない」

 

 そう言って、またポンと頭をなでる宗次。

 

「安心して乗っていろ。それに、怯えて構わん」

「え? いいん……ですか?」

 

 戸惑うつぼみに宗次は笑みを浮かべる。

 

「お前はまだ乙女組なのだろう? ミカサを、そしてお前のような弱者を守るのは、オレ達の使命だからな」

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そう不器用に言った宗次の姿が──脳裏に浮かび、大日剣に立ち向かうその姿と重なる。

 

「巽さん……」

 

 これぞ強者であり、弱者を守る務めを果たす姿であった。

 その姿を──背中を見て、つぼみは初めて、まだまだか弱い、そして何の力にもなれない自分に対して、悔しく思った。

 そこへ慌てた様子で入ってきたのは、紫色の袴の夢組女性用戦闘服を着た、黒髪に褐色の肌の女性──アンティーラ=ナァムである。

 

「副隊長ッ!?」

 

 その光景に、彼女は絶望した。

 いったい自分は、今まで何をしていたのか、と激しく後悔する。

 無論、彼女はこの状況下で何もしていなかったわけではない。先の三人の犠牲者を出したことに対して深く反省し──花組の支援をすべく、予知・過去認知班の面々と共に、必死に次の局面を読もうと予知のための集中を行っていたのだ。

 実際、それによって得られた情報もあり、無意味な行動ではなかったが──突然もたらされたミカサの──そして宗次の危機に、遠くを見すぎて近くが疎かになっていたのを思い知らされたのだ。

 彼女の目の前でぶつかり合う金色の妖気と、蒼色の霊力。

 今まさに鬼神轟天殺と、青龍百穿がぶつかり合おうとし──お互いの力が最高に高まる。

 それを見たティーラが悲鳴を上げた。

 

「ダメ!! それ以上霊力を上げるのは──」

 

 明らかに彼の限界を超えていた。

 秘奥義を前に未だに倒れぬ大日剣を、それでも意地で倒そうと、宗次はすでに己の限界を突破させて霊力を高めていたのだ。

 それに呼応して大日剣の蒸気機関もまた限界を突破してフル稼働し、限界を超えた機関は危険な唸り声をあげている。

 そして──

 

 

 大日剣の得物が振り下ろされ──

 

 

「これで──終わりだああぁぁぁッ!!」

 

 

 宗次の、百龍の最後を飾る渾身の突きが繰り出され──

 妖力と霊力が激しくぶつかり合い──

 

 

 ──暴走した機関を中心に、大爆発を起こした。

 

 

「宗次ぃぃぃぃッ!!」

 

 ティーラの悲痛な叫びを背景に、大日剣を中心に起きた大爆発は──どう見ても間近にいた宗次は完全に巻き込まれていた。

 その光景に──愕然とする米田。

 思わず目を伏せるかえで。

 絶句するかすみ、由里、椿の帝劇三人娘。

 つぼみもまた──

 

「巽、さん……」

 

 その苛烈な光景に、呆然とつぶやき──足に力が入らなくなり、膝から崩れ落ちていた。

 

 爆心点には、四散した大日剣と黄童子の破片が散らばり──人の姿は影も形も残っていなかった。

 

「イヤアアアァァァァァァッ!!」

 

 ティーラの悲痛な声が、艦橋に響きわたり──それ以外の誰もが、ただ無言でいることしか、できないでいた。

 




【よもやま話】
 宗次の究極奥義が登場。その名も『青龍百穿(せいりゅうひゃくせん)』──「清流百選」のモジリです。
 これありきの『一穿』だったのです。
 で、「龍」と「百」と言えば、『聖闘士聖矢』の天秤座の黄金聖闘士の必殺技・廬山百龍覇。それが技のイメージになってます。そのため『一穿』は廬山昇龍覇をモチーフにしたのです。
 ──ちなみに本当の最初の最初の思いつきは「3外伝」のなずなの後期必殺技として考えていたもの。そのため宗次からなずなへと伝承されたことになっています。
 水ではなく雷なので、技の見た目的には廬山百龍覇というよりは、『覇王体系リューナイト』のメテオザッパーですかね。(あれも雷じゃなくて火だし)
 今回のネタバレ系の予告は「次回──宗次死す。放て、希望の究極奥義!!」といったところでしょうかね。


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─7─

 

 夢組副隊長、巽 宗次──戦死。

 

 

 その報は、衝撃となって花やしき支部で戦う華撃団員達に広がった。

 副隊長とはいえ軍属である彼の知名度は高く、民間登用の隊長を支える軍人副隊長として夢組以外でも知られた存在だったのだ。

 しかし、もっとも影響があったのはやはり、夢組である。

 

 

「え……? ウソ……」

 

 せりはそれを聞いて愕然とし──

 

「副隊長が? そんな、そんなはず、ありません!!」

 

 かずらは事実を拒絶するように首を横に振り──

 

「巽さん……」

 

 しのぶは沈痛そうに目を伏せ──

 

 

 夢組幹部の中にも動揺が広まった。

 それは指揮系統の混乱を招き、隊の誰もが認める優秀な指揮官の訃報は動揺を招いた。

 それは、優位とはいかなくともどうにか互角程度にがんばっていた戦線が、その僅かな隙によって徐々に、徐々に華撃団不利へと傾いていく。

 それほどまでに副隊長・巽 宗次の存在は、夢組にとって大きなものだったのである。

 

 そしてそれは──彼を師と仰いでいた、白繍なずなにも大きなショックを与えてた。

 

「なん、て……」

 

 その通信は、花やしき支部からのものだった。

 ミカサに乗り込んでいる宗次なのだから、なにか情報が錯綜した結果の誤報、そう信じたかった。

 

「信じないわ!!」

 

 なずなは叫び、その搭乗するアイゼンクライトが錫杖を振るう

 振りかざされた錫杖からは霊力が衝撃となって放たれ、降魔兵器を叩き潰す。

 

「信じられるわけ、ない!!」

 

 さらにもう一振り。水平に薙いだその一撃で、目の前の降魔兵器がすごい勢いで吹っ飛ばされる。

 

「あの……巽副隊長が、あんなに……強い人が」

 

 その技をなぞるように、突き、払い、舞うように長柄ものを振るう。

 その視界は、涙でゆがむ。

 それでも──なずなは戦い続けなければならなかった。

 

 

 釿哉が残したアイゼンクライトを駆り──

 宗次が教えてくれた技を振るう──

 

 

 奇しくも戦線を去ることになった二人の残したものが、彼女の武器であった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ……だが、

 

「はあ……はあ……はあ……」

 

 舞うように動いていたアイゼンクライトの足が止まっていた。

 次々と降魔兵器を撃破していたなずなだったが──今は、遠巻きに囲まれているような状況である。

 体力の限界を迎えたからだ。

 宗次の訃報を聞いて以来、それを振り払うようにがむしゃらに突っ込みすぎた代償であった。

 今までは、囲まれることなく次から次へと挑んでいたが、その体力がなくなり、敵へ向かう一歩が重くなり──足が止まってしまっていたのだ。

 

「く……まだ、まだあたしは戦えるのに…………」

 

 気持ちばかりが先走り、体がついて行っていない。

 それでも、なずなは負けじと、降魔兵器を睨みつけ──それが放った羽ばたきによる衝撃波を、眼前で錫杖を構えて展開させた防御結界で防ぐ。

 そこへ飛びかかってきた近接戦闘型の降魔兵器に錫杖を叩きつけるが──弱い。大きなダメージを与えられず、その勢いが殺されることなく、鉤爪が迫り──それを青白い雷光が貫いた。

 

「バカ! 突っ走りすぎよ、なずな!!」

「姉……さん…………」

 

 光が飛来した方を見れば、弓を持ち、くすんだ水色の袴の夢組戦闘服を着て、左右に分けて後頭部でまとめた──昔から変わらない髪型の、なずなにとってあこがれでもあった姉である白繍せりの姿が、あった。

 

「ありがと、姉さん」

「無理しすぎよ! 少し下がりなさい。確かにあなた頼みになっている布陣ではあるけど、あなたに倒れられたら戦線が崩壊するんだから!!」

 

 思わず注意するせり。

 近江谷姉妹の戦線復帰の連絡は未だ無く、その目処さえついてないような状況だった。

 少し離れた場所に、ハッチが開きっぱなしで放置されている光武・複座試験型の様子を見ても、彼女らが戻ってくる可能性は高いとは言えないだろう。

 そうなると、頼みの綱は一丸となって戦っている除霊班と、このなずなが乗るアイゼンクライトしかない。

 

(あとは、しのぶさんの魔眼くらいだけど……)

 

 現在、夢組の指揮を執っているのは塙詰しのぶだった。

 もう一人の副隊長である彼女は、そのせいで忙しく余力がないのと、最後の切り札として温存したいがために、それを使っていなかった。

 

「いい? あなたの代わりはいないの。それを肝に銘じなさい」

「わかってる……でも…………」

 

 姉の忠告になずなはうなずく。

 だが、宗次の穴を埋めなければいけないという気負いが、正しい判断力を失わせていた。

 

「まだ、まだぁぁッ!!」

 

 一歩踏みだし、間合いに入った降魔兵器に錫杖を振るう。

 

 ──が、敵はそれを紙一重で避ける。

 

「なッ!? しまッ──!!」

 

 後悔しても遅い。

 なずなの不用意な攻撃に、降魔兵器は完全なカウンターとなって鉤爪が迫り──「絶対に壊すなよ」という釿哉の忠告が妙に大きく、なずなの脳裏に聞こえた気がした。

 避けようのない一撃は、アイゼンクライトの胴のど真ん中へと延び──鋭い鉤爪がその装甲をぶち抜き、なずなの体へと至るのまでが、妙にリアルに想像できた。

 そしてそれは、実際の出来事へと変わろうとし──

 

「なずなッ!!」

 

 思わずあがった姉の悲鳴。

 それを背景に、降魔兵器の鉤爪は──横から来た白刃に斬り飛ばされた。

 

 

「「──え?」」

 

 

 絶体絶命の窮地だった。

 斬り飛ばされた鉤爪は、放物線を描いて宙を舞い──思わずそれを目で追いかけてしまう。

 そうしている間に、返す刀で横一閃に斬られ──降魔兵器は断末魔の叫び声をあげていた。

 

「「──ッ!!」」

 

 その姿に、姉妹そろって思わず息を飲む。

 あっという間にそれを翻させたその人影は──まさしくヒーローだった。

 それは、助けられたなずなはもちろんのこと、妹を襲おうとした悲劇を見ていることしかできないでいたせりにとっても同じ。

 だから──

 

「ズルいわよ、あんなの……」

 

 思わず言葉が口からついて出ていた。

 その彼は、ヒーローにふさわしく、白銀の光球に包まれ、白地に金の装飾が施された戦闘服──神主服である狩衣を模した夢組の男性用の──を身にまとっていた。

 20歳にしてはまだあどけなさを残した顔立ちは、ともすれば頼りなくさえ思わせるが、纏う歴戦の猛者の雰囲気がそれを打ち消す。

 その姿にせりは──惚れ直していた。

 

「そこの、アイゼンクライト……無事?」

「は、はいィッ!!」

 

 若干声を裏返して答えたなずなに、せりは思わず苦笑を浮かべる。

 あれをされたら──惚れてしまうのも無理はない。命を助けられたのならなおさらだ。

 でも、妹に彼を譲る気は──さらさらない。

 

「まったく──遅いわよ、梅里ッ!!」

 

 刀を納めた彼に、せりは思わず駆け寄り──抱きついていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それは──宗次の訃報に絶望感さえ漂っていた夢組の気持ちを大いに奮い立たせた。

 武相 梅里という存在が、夢組に──あるべき場所に戻ってきたのである。

 その一報は、波紋のように広がっていき──

 

「ぃよしッ!! ウチらも負けていられんけぇ!!」

 

 大いに奮い立ったのは、除霊班頭の秋嶋 紅葉であった。

 すでに驚異的な体力で多数の降魔兵器を倒していた彼女だったが、それを聞いてまるで疲れが吹っ飛んだように、次なる敵を求めて分銅の付いた鎖を飛ばす。

 そして──

 

「梅里さぁぁん!!」

 

 そう叫んで梅里へ駆け寄り、人目を気にすることなく抱きついたのはかずらだった。

 周囲の降魔兵器をなずなとせりの白繍姉妹と共に掃討した梅里。おかげでなずなはとりあえず、休憩もかねてアイゼンクライトから降ろして休ませていた。

 そのタイミングを見計らったかのように彼女は現れた。後から聞いたことだが、なずなの危機に駆けつけようと近くまで来ていたらしい。

 そして涙を流して梅里へとしがみついていた。

 

「無事だった? かずら……」

「はい! 私は大丈夫です」

 

 自分が怪我したにも関わらず、他人の無事を心配する梅里に、かずらはその変わらない優しさを感じていた。

 

「こら、かずら。梅里はまだケガが完全に治ったわけじゃないんだから……」

 

 そう言って、傍らに立つたせりがたしなめる。

 だが、返事はない上にまったく離そうとする気配がなかった。

 

「もう……無理だけはしないようにね。まったく……」

 

 その様子に、あきらめに似たため息を付く。せりにしても、かずらの気持ちは理解できるのだ。彼が意識が無くなるほどの大怪我をしたという話を聞いて、胸が張り裂けそうになるほど心配した身としては。

 

「まーったく、遅いわよ、ウメサト。そのくせ美味しいところは持っていくんだから……」

 

 と、呆れ気味だったのはアカシア=トワイライトことカーシャだ。彼女もまたこの場に駆けつけてきたのである。

 除霊班副頭である彼女は、なずなの担当していたこの場所とは別の場所で、紅葉やコーネル達、除霊班と共に別働隊として動いていたのだが、なずなの負担が大きいと判断したしのぶによって、援軍としてこちらに向かってきていたのである。

 そのまさに到着したときこそ、梅里が降魔兵器の腕を切り飛ばし、さらにはあっという間に切り捨てたところだった。

 せりが思わず言ったように、カーシャもまた「アレはズルい」と思った。そんなことを見せつけられたら、心ときめかない女性はいないのではないだろうか。

 そういうことを自然とやってのけてしまう、自分が愛する相手には「これ以上、恋敵(ライバル)を増やさないでほしい」と思ってしまう。

 そこへ──

 

「梅里様……お待ち申し上げておりました」

 

 やってきたのは、塙詰しのぶだった。

 今の今まで、宗次の後を継いで隊長代理を務めていた彼女だったが、その重圧には圧し潰される寸前であった。

 帝都は危機的状況であり、夢組はどこも苦戦中。

 おまけに、普段なら共にいてくれるはずの梅里も、そして宗次さえもいない状況は初めてのことだった。その二人の支えなくこの大規模な戦闘下で部隊の指揮を執るのが、どれほど恐ろしかったことか。

 おまけに、その宗次のせいでティーラもまた取り乱し、まともに支持が出せる状況ではない。

 副支部長を兼任する彼女は五人の頭の中では筆頭であり、序列的には副隊長に次ぐ四番目になるのだが、今の今まで夢組は上から四人までのうち、まともに動けたのはしのぶだけ、というありさまだったのだ。

 

「しのぶんさん、迷惑をかけたね。今まで、助かりました」

「そんな……わたくしが梅里様の代理など務まろうはずがございません。今より隊長代行の役目をお返しし、本来の隊長補佐へと戻ります」

「……もう少し、やってみる気はない?」

 

 そう悪戯っぽく梅里が言うと、しのぶは澄ました笑顔で──

 

「謹んでお断り申し上げます、梅里様。やはり夢組の隊長はあなた様以外、考えられません。それに──」

 

 表情を一変させ、しのぶは俯く。

 

「──巽副隊長が、戦死とのことでございます」

「うん……それは僕も聞いている」

 

 本当のことなのか、と梅里は聞きたかった。

 誤報・誤認の類であってほしい、そう願う一方で──確認することでそれを事実と確定することも、怖かった。

 

(もし、僕が重傷を負っていなければ──ミカサ側についていったのなら……)

 

 少なくとも、梅里が役目を変わることで、宗次の命は助かったのではないか、と梅里は思ってしまう。

 

「……梅里。まさか、副隊長の代わりに自分が──なんて考えてないでしょうね?」

 

 見透かしたようにジト目を向けてくるせりに、梅里は図星を指されて苦笑するしかない。

 もちろん、彼女の言いたいことは分かっている。

 それは、彼女との約束に反するようなことであることも、だ。

 でも──それでもなお、人の命が亡くなることには抵抗があるし、手が打てたのではないか、と考えてしまうのだ。

 

 

「──では、ここで死んでみたら、いかがでしょうか?」

「ッ!?」

 

 

 突然、響いた声に、梅里は思わず身構える。

 彼の周囲にいた、せり、かずら、カーシャ、しのぶの四人も油断無く周囲を警戒する。

 そしてその人影は──まるで景色からにじみ出るようにして、姿を現した。

 黒い装束を身にまとったその男は、顔を隠すことなく、恭しく一礼して見せた。

「やはり生きていましたか、武相 梅里。今までその姿が見えず、もしかしたら──と思っていたんですがね」

 

「御期待に添えなくて申し訳ない、とでも言えと?」

 

 一定の距離をとって対峙する、男と梅里。

 その顔を見て、せりとかずらとカーシャは首を傾げる。

 

「──誰?」

 

 その顔に見覚えはなく、三人は訝しがるような視線を向ける。

 

「いやいや……代用品の娘どもを侍らせて、期待通りに生きていてくれましたので、助かります」

「代用品? それってひょっとして、私たちのこと!?」

 

 察したせりが激高し、相手を睨みつける。

 

「耀山様、まだそのようなことを……」

 

 しのぶが悲しげな目で彼を見つめ──

 そしてカーシャは鋭い目をして、眉をひそめた。

 

「その声、それにこの気配。アナタまさか……“人形師”!?」

 

 カーシャの挙げたその名前には、さすがにせりとかずらも驚く。

 

「に、“人形師”って、あの──」

「黒鬼会の幹部の一人の──」

 

 身構え、武器に手を伸ばす二人。

 二人ともその名前は──せりにいたっては顔を合わせたことがあるはずなのだが、その顔に見覚えはなかった──知っており、警戒すべき人物だということは認識していた。

 

「あの時のこと……絶対に許さない」

 

 なによりもせりにとっては不倶戴天の敵である。激しい怒りと共に目を鋭くして睨みつけた。

 それを気にすることなく、“人形師”と呼ばれた男は──

 

「ほぅ……よく分かりましたねえ、ローカスト」

 

 カーシャを揶揄するようにそう言った。

 不快そうに顔をゆがめるカーシャ。

 

「その名前の人格なら、とっくに居なくなってるわ」

「おや、あの方とは親しく付き合わせていただいたのに、それは寂しいですね……」

「どこがッ!!」

 

 そんな彼に怒鳴り、カーシャは剣呑な空気を出しつつ、手にした波状刃の大剣(フランベルジュ)を持ち上げ、構えた。

 

「で、こんなところにノコノコと現れて、いったい何が目的?」

「目的? そんなものは決まっていますよ。あなたではなく私こそ真の『夢喰い(バク)』だったのですよ。その役目はあなた方、夢組対策です」

 

 五人を前にしても一切ひるむことのない“人形師”──幸徳井 耀山が梅里を見た。

 それに対してしのぶが梅里をかばうように立って扇を構え、カーシャもまた梅里の前に立つ。

 せりとかずらはやや後方のままだが、それでもそれぞれ弓矢とバイオリンを構えていた。

 そして梅里は──腰の愛刀、聖刃・薫紫をゆっくりと抜き放つ。

 明治神宮で、梅里は意識不明の重体になるほどの傷を彼に負わされている。

 それがわかるからこそ──そして状況を聞いてなお、せりやかずら、カーシャには何が起こったのかさっぱりわからず、実際に目にしたしのぶもまた心当たりが全くなく、気が付けば梅里が負傷していたという有様だったため──最大限の警戒をしていた。

 一触即発の空気の中、耀山とは古い知己であるしのぶが問いかけた。

 

「耀山様、なぜ──なぜあなたは、京極などの味方になったのですか! 聡明なあなたなら──」

()()……?」

 

 耀山の動きがピタリと止まる。

 そして、ユラリと体を巡らせ──しのぶを憎悪の燃える目で睨みつけた。

 

「しのぶ……キサマが! 浅慮と劣情のために陰陽寮を裏切り華撃団に尻尾を振ったキサマごときが、この国のために深謀遠慮を尽くす京極様を、「など」という助詞を付けるとは、無礼千万だろうがッ!!」

 

 そのあまりの憤激に、しのぶは気圧され一歩後ずさる。

 するとその肩に、誰かの手が触れるのが分かった。

 暖かい手。その固いその感触と、その肩を包むような大きさで、女性のそれではないと分かった。

 彼が後ろにいる──その事実がしのぶの心に、安堵と勇気を与える。

 

(ありがとうございます、梅里様)

 

 グッと歯を食いしばり、しのぶは耀山の睨みに抵抗した。

 そして目の前の男の姿に、悲しげに目を伏せた。

 気圧されていた精神状態から立ち直り、冷静さを取り戻したことで、かつての彼の姿を思い出したのだ。

 

「耀山様、なぜ……あなたはそのようになられてしまったのですか。かつてのあなたは、そのような方ではなかったはず!」

「かつての私、か……」

 

 しのぶの言葉を反芻し、自虐的に笑みを浮かべる。

 

「勘違いしているようだな、しのぶ。私は陰陽寮にいたころから、考えを変えておらんよ」

「え?」

 

 戸惑うしのぶに、耀山はさらに続ける。

 

「……私はね、この国を愛しているのだ。春には花が咲き乱れ、夏には命があふれ、秋には多くの自然の恵みが実り、冬には雪の舞う……情感あふれる、この国が大好きなのだよ」

 

 耀山はそう言って周囲を見渡し、そして空を見上げる。

 暗雲包まれた空ではあったが、彼にはその遙か上にある綺麗な青空が見えているかのようだった。

 

「それを守るために私は手を尽くした。そのために政府に申し立てたのだよ。これ以上の西洋化の停止と、太陰暦の復活を……」

「西洋化の、停止?」

 

 訝しがって、眉根を寄せるしのぶ。

 正直、ピンとこない話であった。西洋文明の否定といえば、徳川幕府の復活を志して帝都を大混乱に陥れた、黒之巣会の首魁・天海が頭に浮かぶ。

 しかしその考えを、夢組隊長の梅里は「帝都の繁栄を見てもそんな現状把握ができていないような考えは、“反魂の術”で蘇らせた葵 叉丹に認識を狂わせられていた」と評している。

 それでも天海を支持する者達もいたのだが──目の前の鋭才と言われた男が、そんな狂人じみた考えを、陰陽寮にいたころから持っていたとは、とても信じられなかった。

 

「故に復古派、などと言われることになったが……それは陰陽寮のかつての栄光を取り戻す、というのが目的ではない。全ては──この国を守るためなのだ!」

 

 耀山は視線を戻し、梅里達を、そしてしのぶを睨む。

 

「この国は、強く在らねばならない。強く成らねばならない。今のままでは無理なのだよ。この国を守るためには──今のままではいけない。それをできるのは、京極様という強者以外に、無い」

 

 目の前で開いた手を、力強く握りしめる。

 

「その京極様を阻むキサマらを──私は排除する!!」

 

 耀山の目が一段と鋭くなり、視線をしのぶから梅里へと動かした。

 そしてその妖気が一気に膨れ上がる。

 その禍々しい気配に、五人は警戒し改めて身構える。

 

「副隊長一人居なくなっただけであそこまで動揺するのなら、隊長が殺されれば、崩壊は必至──キサマの命、今度こそ奪わせていただく」

 

 そう言ってニヤリと昏い笑みを浮かべる耀山。

 

「そんなこと──させるわけないでしょ!!」

 

 それに応じたのは、せりだった。

 彼女が先手必勝とばかりに、矢筒から取り出した矢を弓につがえようとし──

 しのぶもまた、扇の写し身を霊力で巨大化の上で具現化し、壁を作り出し──

 カーシャは剣を構えて切りかかり──

 

「──いや、すでに手遅れだな」

 

 素早く両手を広げ──用意していた術が発動し、密かに耀山が高めていた妖力が爆発する。

 そして──

 

 せりは矢を弓につがえようと交差したところで──

 しのぶは巨大な扇の写し身を具現化したところで──

 カーシャは剣を構えて一歩踏み出したところで──

 

 ──それぞれ停止していた。

 




【よもやま話】
 やっと梅里参戦です。
 そして美味しい所を持っていく……だって主人公ですから。


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─8─

 せりが──

 しのぶが──

 カーシャが──

 その後ろにいる梅里もかずらも──ピクリとも微動せず、完全に動きを止めていた。

 それどころか彼女たち以外──その周囲の景色も動かず、風で舞った枯れ葉さえ空中でその場に停止していた。

 音もまたまったくなく、完全な静寂に包まれている。

 

「武相 梅里。お前はあの時──明治神宮で、私と対峙したときに何をされたのか、理解できなかったはずだ……」

 

 その全てが停止した中を、耀山は悠々と進む。

 踏み出したカーシャの脇を抜け──

 しのぶが出した写し身を押しのけるように進み──

 弓矢をつがえようとしているせりの手から、その矢を引き抜き──

 慌ててバイオリンを構えたかずらを視界に捉えながら──

 満月陣を発動させて銀色の光球に包まれた梅里の前に立つ。

 

「この術の前ではどのような迎撃も無意味なのだよ。あの朧月とやらも、攻撃を認識してから、それに反応して発動するのだから意味がない」

 

 抑えていた霊力を一気に爆発して空間に焼き付けて残像を残そうにも、そもそも動くことができなければ不可能だ。

 

「せっかくキサマの大事な大事な代用品が用意してくれた凶器(モノ)だ。お前の命を奪うのに──ふさわしい」

 

 手にした矢を握りしめる。

 

「先のクナイでは命を奪うに至らなかったが、今度はありったけの妖力を込めて確実なる死を与えてくれよう……」

 

 妖気を込められた矢がドス黒く染まり──それ目の前の梅里の心臓めがけて振り下ろす。

 

「反応したときにはすでに殺されている。そんな状況ではどうすることもできまい!!」

 

 この術の維持にも莫大な妖気を消費し、さらに矢を妖気を込めたことで持続時間は短くなるが──それでも十分だ。目の前の男の命を奪うには。

 邪なるオーラをまとった漆黒の矢は梅里の胸へと向かう。

 その時、満月陣の銀光が煌めき──

 

 

 ──梅里が構えていた、刀が動いた。

 

 

「なッ!? バカなッ!!」

 

 耀山にとって驚天動地の衝撃だった。

 動くはずがないものが動き──次の瞬間、その切っ先は耀山を袈裟懸けに斬り付けていた。

 

「ぐぅッ!!」

 

 耀山は斬られた箇所を手で押さえつつ、慌てて距離をとるべく下がっていた。

 その時には──耀山の妖力は術を維持できるほどに残っておらず、術は解除された。

 

 

 そして──景色が動き出す。

 

 

「「「「──え?」」」」

 

 かずら、カーシャ、しのぶの三人は、突然目の前から姿を消した耀山に戸惑い、せりは手にしてつがえようとしていたはずの矢が一瞬で消えたことに戸惑っていた。

 ただ一人──梅里だけは刀を振り下ろした状態で、大きく息を吐いていた。

 

「……なぜだ? なぜキサマが、あの止まった時の中で動くことができた?」

 

 矢を取り落とし、斬られた傷をおさえて膝を付いた耀山。

 その姿を見ても四人の女性は、何が起きたのかサッパリ分からない。ただ分かるのはその何かが起きた中で、梅里が斬り、耀山が斬られた、という結果だけだ。

 それが──普通の人間であれば、それが普通の反応なのである。

 そして梅里は、自分が意識不明の間に見た、あの白い空間でのやりとりを思い出していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「いい? あの“人形師”は時間を止めたのよ」

「時間を? ……止める?」

 

 鶯歌の説明にピンとこない梅里は首を傾げた。

 

「その止めた時間の中で、アイツは動けるの」

「う~ん……?」

 

 やっぱり理解できない梅里はさらに首を傾げていた。

 

「そうね。普通の感覚なら感知できないし、理解できないものね」

 

 腕を組み、首を傾げて考え込む鶯歌。

 

「……ウメくんが感知できない、一瞬にも満たないその時間の間に、相手は好きなように動ける──ってところかしら。そして、その間に起きたことを把握できない。だから、ウメくんは訳も分からず胸にクナイを刺されていたの」

 

 鶯歌の説明では、あの時、“人形師”は素早く動くどころか悠然と梅里の前まで動き、手にしたクナイを胸に突き立て、そのまま背後まで歩いた、とのことだった。

 

「とりあえず、何が起こったのかは分かったけど……」

 

 時間を止めている間のことを把握できないのは、それはほかの人間も同じだろう。

 

「私は守護霊、つまりは幽霊だから普通の人間とは時空を捉えている感覚が違うんだけど……まぁ、こればかりは実感してみないとわからないし説明しづらいのよ。ウメくんも死んで幽霊になれば分かるけど……そういうわけにはいかないもんね」

 

 悪戯っぽく苦笑する鶯歌に、梅里はため息をついた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 傷を抑え、膝を付いた耀山は、恨みと憎しみに燃える目で梅里を見ていた。

 あの時──術を発動させる際に、耀山は広げた両手の五指から妖力の糸を放っていた。

 かつて、せりの自由を奪った(それ)であり、そして改造した巨大魔操機兵を意のままに操るために接続したこともある。

 それはまさに繋いだものを支配し操る操り糸なのだ。

 

(糸の能力と我が強力な妖力があれば──全てを支配できるのだ)

 

 そして、その繰り糸が繋がれたのは──梅里たちを含めた、付近の空間そのものだった。

 耀山の切り札は、それによって時空間をも支配し──限られた空間内の時間を停止する秘術であったのだ。

 ゆえにこれを発動させれば、巻き込んだ空間の中であれば時間を止めることができた。

 そしてその中を動くことができる。

 ただし、それは対象の空間のみであり、範囲外へは到達することができない。

 しかしその空間内であれば、余人は身動きがとれず、一方的に蹂躙される──はずであった。

 

「──それを、キサマはなぜ……キサマも、時を止める術や能力を持っているとでも言うのか?」

「僕にはそんな力はないよ」

 

 あっさりと答える梅里。

 斬った刀を振り、さらに油断無く構える。

 

「それができたのは、そっちの術のおかげだ」

「何?」

 

 訝しがる耀山。

 

「満月陣の派生技……月食返し。相手の技や術を()()()()()()()()()技。僕はそれを使った」

「くッ……我が術を、キサマが使ったというのか!!」

 

 それで納得した。

 時を止め返したからこそ、梅里もその止まった時の中で動くことができたのだろう。

 そして──耀山は躊躇した。

 何かの間違い──そう思って再び時を止めて梅里への攻撃を考えていた耀山だったが……

 

(アイツの方が、消耗が軽い──)

 

 耀山は梅里を見ながらそう思う。

 先ほどの術は、耀山が密かに高めていた妖力が無くなるほどの消耗だった。ドトメとばかりに矢に強い妖力を込めてさらに消費したせいもあるが──それに比べて梅里はまだ余裕があるように思えた。

 そんな状況だからこそ、いかに強力で相手を一方的に殴れるこの術を、相手が対策を立てて通じなかったという事実が、絶対の自信を持っていたこの術に対して生まれたわずかな不信感から、再度、時を止めることを、耀山は躊躇したのである。

 だが、実を言えば梅里の方が苦しかった。

 

(次に使われれば──対応できない可能性が高い)

 

 先ほどの月食返しの説明で、梅里は一つ嘘をついた。()()()()()()という部分だ。

 月食返しは、消費する霊力や体力に左右されることもあるが、基本的に相手よりも明らかに実力が上の場合は同じ技や術を同じ威力で返すことは可能だが──もしこちらの方が劣っていた場合には、その威力は落ちることになる。

 例えば──帝都に上京した初日に宗次と対決した時には、明らかに梅里の技量の方が上だっただめに宗次の放った技を、同じ威力の同じ技で相殺できた。

 しかし昨年の深川の料亭の火災で、かずらを助けるために焼け落ちる建物へとアイリスの瞬間移動を模した時は梅里の体に大きな負荷をかけることになった。

 これはアイリスの霊力がけた外れに強く、梅里自身に瞬間移動の素養がなかったためである。

 そして先ほどの術は、耀山の方が明らかに梅里の霊力──耀山は妖力だが──を上回っており、術の難易度も高かった。

 そのため──止められた時間の状況認識している間に少しずつ霊力を消費し、動くために術を発動させて莫大に消耗した。

 耀山に比べて恐ろしく燃費を悪く発動させた術は、梅里が刀を振り下ろすのが精一杯だった。

 だからこそ梅里は──ハッタリを仕掛けたのだ。

 そして耀山はそれに引っかかり、再度の術の行使を躊躇した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 だからこそ、耀山は──次なる切り札を切る。

 

「おのれ、武相 梅里……忌々しい。なぜだ! なぜ貴様は私の邪魔をする!!」

 

 梅里を睨みつけ、耀山はその手を振るう。

 延びた糸が地面を走り──巨大な円を描き、その中に複雑に線や文字をを描いていく。

 走った妖力で描かれた赤黒い模様。

 それは──魔法陣。

 

「あれは、あの時と同じ……!!」

 

 梅里が思わず叫ぶ。思い出したのは浅草で“人形師”と戦ったときに、彼が切った切り札であるそれを、呼び出すための儀式だった。

 ただしあの時とは大きさがまるで違う。二回り以上大きな──巨大な魔法陣が描かれていたのだ。

 地面に描かれた円陣からあの時の数倍の強い妖力が溢れ──

 

「いざ来たれ……()つなる力よ。我が為に我が力で集めしものらよ。集いて、紡がれ織られ、一つとなりて──」

 

 目を伏せ、眼前で五指を揃えて伸ばした右手を立て、祝詞のように唱え呼びかける耀山。

 その目がカッと開かれ、ひときわ強く声を出あげる。 

 

 

「現れ(いで)よ! 魔操機兵──六道(りくどう)ッ!!」

 

 

 ──魔法陣から、巨体がせり上がるように、ゆっくりとゆっくりと姿を現していく。

 まず見えたのは──八葉の頭。

 銅色のそれが見えた直後には、黒く大きな肩部装甲──闇神威のそれが見え、そこからその両腕が繋がっている。

 腕が繋がっている胴体は頭から繋がる黄緑色の八葉の胴体であり、複数あるその腕は、闇神威の下の一対は金色に輝く──大日剣の腕。

 さらにその下には、青い──宝形の腕が取り付けてある。

 下半身は、その異形の上半身を支えるに十分なほどに巨大で、四本足のようになった巨大な下半身は、緑色に染まった──智拳のそれと、赤い──五鈷が組み合わさったものへとなっていた。

 

 八葉、闇神威、大日剣、宝形、智拳、五鈷──黒鬼会が今まで出してきた幹部用の大型魔操機兵の六機の集合体。それこそが“人形師”耀山の切り札である超大型魔操機兵・『六道(りくどう)』であった。

 

 完全に姿を現し、魔法陣が消えると耀山はその機体へと近寄り、八葉の胴体にあるハッチから、その操縦席へと乗り込んだ。

 

 

「この六道と降魔兵器で華撃団を叩き潰し、帝都を蹂躙してくれようぞ!!」

 

 

 背中と下半身の機関から、力強く蒸気が噴き出し、六道は起動した。

 もしこの場に、花組の李 紅欄──もしくは夢組錬金術班の松林 釿哉や越前 舞といいった霊子技術に詳しいものが居たら、『六道』を見て「ありえない」と言ったことだろう。

 なにしろ各専用機の寄せ集めである。

 妖力の強さも質もバラバラなら、属性もまったく異なる。

 特に“五行衆”と名乗るほどの者達の属性は、陰陽五曜の視点で見れば、それぞれ土・金・水・木・火と優位属性と劣性属性が部位ごとに複雑に入り混じっており、とても成立する様なシロモノではなかった。

 パーツごとの相性の関係で、妖力の経路はズタズタになるはずでそうなれば腕一本動かすことさえできないはず──なのだが、それを耀山は、自身の糸を経路として通し、自分の妖力を機体全体に行き渡らせて、この無茶苦茶な魔操機兵を半ば強引に成立させていた。

 

「これよ……この力よ! この強さこそ、この国を救いうる唯一の手段よ!!」

 

 圧倒的な妖力をまき散らし、快哉の声をあげる耀山。

 それに対し──

 

「なぜだ! 幸徳井 耀山!! なぜアンタは、それほどまでに力を求める。その過剰なまでの力で、何を手に入れるつもりだ!!」

 

 六道と正面で対峙し、それを睨む梅里が大声をあげた。

 

「何を、手に入れるか? だと……」

 

 生身で──霊子甲冑一つ満足に動かせないその男を、耀山は蔑み、睥睨しつつ答えた。

 

「未来よ!! 帝都の、この国の未来を、私はこの大いなる力で手に入れようと言うのだ!! この力で、正しき未来に導く──それこそ我が使命!!」

「こんなことが──おぞましい降魔を利用し、禍々しい妖気を際限なく放つその力が、正しいわけがない! そんな力を利用したところで、強さのみを求めても生むのは破壊のみだ!!」

「強さは力だぞ、武相 梅里……その力こそ、強さこそがこの国を守ると、貴様はなぜ分からん!!」

 

 耀山は言い放ち、怒りを爆発させる。

 その怒りは妖力の暴風となって吹き荒れ、梅里は吹き飛ばされないように耐えるので精一杯だった。

 

「……予知を司る霊能部隊を率いながら、お前は自身は予知能力を持たないのだったな」

 

 そう言った耀山の声は蔑むようであり──同時に、羨ましそうでもあった。

 

「そんな甘いことを言えるのだから、知らぬのだろうが……予知ができるものから報告を受けていないのか? あの、忌まわしき未来のこの国の姿を」

「忌まわしき未来?」

 

 訝しがる梅里の様子を見て、耀山は大きく落胆した。

 

「やはり、知らぬか。貴様ら夢組さえもあの未来を知らぬ……いや、かの『見通す魔女』であれば、知っているかもしれん。むしろ、知っているからこそ黙っているのだろう」

「いったい、何の話だ。未来予知の話なんて……」

 

 戸惑う梅里に、耀山は語りかける。

 

「私は見たのだよ、この国のあり得る、辿り得る先に──至ってしまうあの光景を、私は見てしまったのだ!!」

 

 六道の中で、耀山は頭を抱えた。

 それを思い出すことはすぐにでもできる。

 そしてそれを忘れることは──絶対にないだろう。

 

 耀山は、その未来を──この国の行く末となりうる可能性の一つを語り始めた。

 




【よもやま話】
 はい、前回ラストのネタばらしです。
 耀山は周囲の空間を支配し、そこの時間を止めてました。そのために朧月も反応できなかったのです。
 というか朧月への有効な対抗手段がそれくらいしか思いつきませんでした。
 ところで、時間停止っていいですよね。やっぱり圧倒的な強さはすごい。
 ──そこにシビれるあこがれるぅ。
 そんなわけで対抗手段もやはり“時を止める”しかないのです。

 そして超巨大魔操機兵・六道。
 六つの力を一つにするので耀山に「六神合体!!」と叫ばせるか迷いました。
 ……今では叫ばせなくてよかったと思ってます。


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─9─

 それはまさに地獄のような光景であり、耀山は当初、覗いてしまったことを後悔していた。

 

 だが──後に思い直す。

 

 この光景を見せるために、天は自分に才を与えたのだ、と。

 この光景を避けてみせよ、と天から自身に与えられた試練なのだ、と。

 ゆえに耀山は動いた。

 これを避けるためにはどうすればいいのか、必死に考え──

 そのために自分がなにをできるのか、打てる手を全て考慮し──

 

 ──その結果、耀山は陰陽寮を追放され……京極と出会ったのだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 陰陽寮はこの国で最大にして最高の魔術結社である。

 その長い歴史の中で磨き上げられた術式の中には、未来予知のものもあった。

 もちろん陰陽師であれば誰もが扱えるようなものではなく、発動させるだけでも特殊な才能と高い技術が要求される──天才にのみが使えるようなシロモノであった。

 そして耀山──当時は土御門の姓を名乗っていた彼は、その(たぐい)(まれ)なる才能をもって、それを使うことができたのである。

 ただ、彼の不幸はその秀でた才能ゆえに──他の者よりも見えてしまったことだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「今から十余年前──私は先見の術式により、今より二十余年後の未来を見た。そこにあった、起こり得る可能性の光景は……戦争の末路よ」

 

 世界の列強同士がぶつかる極めて大きな戦い──以前に勃発した欧州大戦をさらに拡大したような戦いで、日本は当時の世界最大級にして最強の国を相手にすることになる。

 序盤こそ優位な局面もあったが──地力が桁外れに違うかの国はその劣性をひっくり返し、やがて日本は追い込まれていく。

 同盟を組んだ他の列強が、欧州で降伏する中──無謀にも戦いを続けた。

 そして──

 

「──敗北寸前だった我が国の都市に、超高性能で極めて高い威力を誇る爆弾が落とされ……それがきっかけとなり、我が国は敗戦を受け入れる」

 

 耀山の語ったその未来は──現在の梅里から見ても、その国と戦えばそうなるだろうと予想できることだった。

 それほどまでに差のある国との戦争──むしろなぜ、そんな道を進んでしまったのか、とさえ思った。

 

「結果だけ見ればなんてことはない。超大国に対し、国力が劣る国が無謀にも戦争を仕掛け、順当に負けた。そう思うだろう……だが、それは問題ではないのだ」

 

 その敗戦を決定づけた、敵の落とした新型爆弾。

 それこそが生まれてはいけない鬼子だったのだ。

 

「たった一撃で──それが二つ落とされただけで、大戦が終わった。その爆弾こそが問題なのだ。あれは──地獄を生む、悪魔の爆弾よ」

 

 その光景こそ、耀山がその人生を変えたものである。

 

「爆心地付近にいた者は、影のみ残して消え去り──無数の肌が爛れた犠牲者達が、水を求めて川へ向かい、屍の山と化す。そこに救いなど無く、あるのは死と混乱の世界……その爆発の直前まで人々が営んでいた無辜なる市民たちの平穏をあっという間に変えた──そんな地獄絵図を私は見せつけられたのだ」

 

 思い出した耀山の体が、小刻みに揺れる。

 この光景に恐怖し、この光景を生み出したものに怒り、こんなことになるまで追い込まれた無能な指導者に激しい嫌悪を抱いた。

 

「これは──絶対に避けなければならない未来だ。私は、そう考えた。だが──そのさらに未来で見たのは、大いなる失望だった」

 

 全面降伏したこの国は、かの国によって改造された。

 その結果──この国はまるで違う国へと変わってしまう。

 

「今よりさらに科学に頼った社会は、この国を壊した。森を消し、空を(けが)し、海を濁らせた。花は枯れ、鳥は空を捨て、逃れられぬ魚は屍をさらして姿を消し……そしてそれらを失った人々は──微笑みを無くした」

 

 国土やその環境だけでなく、人さえも変えられてしまったのだ。

 戦前の体制を生んだ教育は悪であると決めつけられ、列島の山がちで僅かな平原を切り開き、災害多きこの列島で手を取り合い、協力してそれを乗り越えてきた日本の民族から、その特長である協調性を否定するような教育が施され、人々はその配慮し合う気づかいと絆を失ってしまう。

 

「互いを思いやり、協力し、手を取り合って危機を耐えて乗り越えてきた心優しきこの国の民は、自分のことしか省みず、他人を蹴落とし、己の欲望に任せて自分勝手に主張する、そんなくだらない民に成り下がったのだ」

 

 そしてそれを戦勝国から押しつけられて諾々と従った者達も、誉められるわけがない。

 

「為政者もまた敗戦の指揮を執った者達はその責を負わずに逃げ、ほとぼりが冷めればその子孫が舞い戻り、己とその近しい者達の利益のみを考えて姑息に振る舞う──そんな誰も責を取らぬ、汚れた国に……この国はなってしまうのだ。今のままでは!」

 

 それを許容することは、耀山には到底できないことであった。

 

「私の愛する国が死ぬ。それが、私はそれに耐えきれぬ。では、どうするべきか? どのような国にも負けぬよう、強くなるしかないのだ!!」

 

 それは個人の意見であり、わがままとも言える。

 だが──滅びを避けようと考えるのは、人として生き物として、至極当然の思考であった。

 

「この国は維新以降、西洋化に走り、文明を開化させ、蒸気技術を始めとした科学技術の発展に傾倒してきた。それが悪であるとは言わん」

 

 そう言う耀山の目には狂気はない。

 言っていることも併せて、理知的でさえあるようにさえ、端で見ている梅里には思えた。

 

「だが……西洋から渡来した技術をどんなに押し進め、研究し、解析開発したところで、欧米列強に迫るのがやっとというのが現実。どんなに頑張っても追いつくのがせいぜいで──追い抜くことは決してできん」

 

 悔しげに手を握りしめる耀山。

 それも当然だろう。科学とは西洋発祥の技術だ。彼らの得意とする土俵の上で戦ったところで、勝てるわけがない。

 そもそもの発想の根本が日本人のそれとは異なっている西洋人(彼ら)を、発想の段階において追い抜くということは──あるいは個人単位では可能なのかもしれないが──国全体としては不可能だろう。

 

「だからこそ、それゆえに──この国が欧米列強を越えて世界一の強国となり、私が見た未来を撥ね除けるには、我が国が古来より引き継ぎ研鑽し、明らかに西洋にも負けぬ優れた技術と、現代の最高技術である科学を融合させることで、より高みに至る以外にない」

 

 耀山の言う西洋に負けない技術の代表の一つが、平安の御世より伝えられてきた陰陽道だった。

 他にも神道系や気──霊力を使った古武術など、維新以降の近代化で失われつつある技ではあったが、まだこの国には残されている。

 

「私は維新による文明開化を否定することなく、されど維新前の我が国独自の技術を復古することで、この国をさらに強く──世界一とするのを目指し、陰陽寮の復権を唱えたのだ。しかし──それに政府は応じることなく、陰陽寮さえも政府の犬となり果て、私を追いやったのだ」

「そんなことが……」

 

 思わずそう言ったのは、しのぶであった。

 あくまで陰陽寮内で起こったことであり、外部に漏れて良い話でもない。それゆえこの件は秘匿され──当時子供であったしのぶが、現在に至るまでも知らされることが無かった話だった。

 耀山の高い志と、それを否定された無力感が伝わり、しのぶは憐憫の情さえも抱いていた。

 

「このままでは見てしまった未来の可能性を潰すことはできない。土御門家からも追われて地位を失った私はそう思い、陰陽寮から離れた」

 

 米国の南北戦争におけるゲティスバーグの奇跡以降、霊子技術という蒸気機関という西洋物質文明の寵児と、霊力という魔術(オカルト)技術の融合という流れはすでにあったものではあった。

 だが、西洋が捨て去りかけていた技術であったそれは、一気に世界を席巻するとはいかず──その波が遅まきながらようやく日本にもやってくる段階となって、耀山は自分の考えが正しいという証明を得た。

 そしてその「己は正しい」という一念こそ、耀山を支えた原動力だった。

 陰陽寮の庇護を離れたがために背負った苦労に彼は耐えた。

 洋の東西を問わず魔術結社というものは閉鎖的だ。しかも日本では陰陽寮がこの業界を牛耳っていたためにそれ以外の組織が育っていなかったというのもある。

 その才を生かすことができる、かつ自分が見た未来を避けうるほどの力を誇るほどの組織を求めて各地を流転することになる。

 そして──

 

「どんな状況であろうとも諦めなかった。あの光景を──地獄を現実のものとしない、その一念で。そしてついに出会った。このままではこの国が駄目になってしまう。そう憂い、この国を根本から変えようとする、志を同じくするあの方に!!」

 

 京極 慶吾。

 すでに軍の幹部となっていた彼の持つ裏の組織──黒鬼会。そこに耀山は身を投じた。

 五行衆をはじめ、思惑は様々だった。自分の腕を存分に振るえる場所を求めていた者もいれば、人そのものへの恨みを晴らす機会を求めた者もいた。

 しかし、共通するのは──京極という人物への畏敬である。

 

「そして──あの未来を見ていないキサマらに、私を止めることなどできん!!」

 

 絶対に譲れない思いを胸に、耀山は叫び──それに応じた魔操機兵・六道の蒸気機関が吠えた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『くッ……花やしき支部外苑の結界、限界寸前です!!』

 

 通信には花やしき支部に詰めている風組隊員から切羽詰まった内容が盛んに送られてきていた。

 魔操機兵・六道の出現に影響を受けたのか、ここにきて降魔兵器が力を得たように動きを活発にし始め、次第に圧されてきていたからだ。

 そして六道自身も、右上段の腕には刀、左中段の手に木刀型の鈍器、そして下段両腕には鉄扇──とそれぞれの武器を振るい、余った手や五鈷や智拳の遠隔攻撃端末を駆使して破壊の限りを尽くす。

 除霊班が中心になって相手をしているが、とてもではないが生身で相手にできるようなものではなかった。

 それに対し華撃団は──

 

「帝都に残っている封印・結界班は全力で花やしき支部の結界の強化だ! 除霊班を除く各班はその補助を!! あとは──」

 

 指示を出した梅里は、思わずアイゼンクライトを見た。

 ハッチを開き、操縦席には長い髪を左右二つに分け、女性用夢組戦闘服を着た女性──白繍なずなが再び座っていた。

 彼女とその青いアイゼンクライトこそ、帝都に残された唯一の戦闘可能な霊子甲冑である。

 

「六道との戦いには、霊子甲冑は不可欠。でも……」

 

 そんな彼女の顔色はあまりよくない。先ほどの戦闘での疲労が響いているのだ。

 傍らではその姉のせりが激励しているが──

 

(休んだとはいっても短時間。こんなんじゃ、霊力も体力も回復したうちになんか入らないね)

 

 内心、顔をしかめる梅里。

 なずなはまだ正式な華撃団の団員になる前の見習いである乙女組の者だ。

 そんななずなを軸とするしか無く、彼女に過剰な負担を強いることに負い目を感じていた。

 

『──ッ!! 花やしき支部の結界、一部突破されました!!』

『通信塔、破損!! 長距離間の通信に影響が──ミカサとの連絡、付きません!!』

 

 悲痛な風組隊員の叫びに、梅里は唇をかみしめた。

 

「……これで、ミカサへの遠方砲撃要請も、できなくなったか」

 

 いざとなれば、ミカサの艦首九十三尺主砲で吹き飛ばすしかない、と考えていたのだが──その威力のあまりの高さに、外れたときの悪影響が大きすぎて躊躇っていた。

 そもそも巨大な戦艦の砲撃を当てるのは容易ではなく、狙った場所に初弾で命中させるというのは不可能に近いのだ。

 背に腹は代えられなくなるまで──と思っていたのだが、それも厳しくなった。

 

『霊子甲冑アイゼンクライト、再起動します』

『霊力レベル……最低限ですが、戦闘は可能です』

 

 その報告に、梅里は迷う。

 このままでは、なずなでは極めて厳しい。

 自分自身も精一杯彼女を補助し、共に戦うつもりだが──それでも勝機が見えない。

 

(おそらく僕の攻撃では、六道の妖力を突破するのは無理だ。でも、今のなずなちゃんでは六道の攻撃に耐えられない)

 

 梅里や紅葉といった生身で魔操機兵や降魔兵器で戦う絶対条件は、相手の攻撃を喰らわないこと、である。そして身軽で素早い生身は──あくまで二人のようなレベルの動きだからこそ、だが──それを可能にする。

 それに比べて霊子甲冑は攻撃に耐えられる格段に高い防御力を誇るが、その分、身軽さには欠ける。その防御力も搭乗者の霊力に左右され、今の状態が悪いなずなでは、障壁結界の使用を考えても、そこまでの継続的な頑強さを期待できない。

 

「いったい、どうすれば勝てる?」

 

 別の霊子甲冑があれば──

 それを動かせる隊員がいれば──

 浮かぶ考えは無い物ねだりでしかなかった。

 焦り、周囲を見渡した梅里は──

 

「え? あれは……」

 

 とあるものを見つけた。

 そして思い付き、理解する。あれこそこの絶望的な状況を打開する──勝利の鍵だ、と。

 




【よもやま話】
 耀山が見たのは、我々のいる世界の第二次世界大戦であり、原爆です。
 その爆発直後の映像を、耀山は見てしまいました。
 そのために悲嘆し、こんなことをする人間に絶望し──この未来を回避するために全力を注ぐことになりました。
 ただ──もちろん我々の世界とサクラ大戦の世界は繋がっていないので、「起こり得る可能性の一つ」ではあっても、その確率はけっして高いものではありませんでした。
 そんな事情を、耀山は知る由もなく──その優しさと責任感ゆえに暴走していったのです。
 もっとも──彼が絶望したのは、敗戦後に古き良き日本を捨て去ったせいでもありますが。


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─10─

 梅里が見つけたそれは、目にした瞬間に閃いた思いつきであり──その時点ではまだ、星が(またた)くような、わずかな光でしかなかった。

 同時に頭に浮かんだ、去年の年末に言われたあやめからの言葉──

 

(……梅里くんが修得したあの技を使っている間に限って、霊力の特質が変化して、霊子水晶との相性の問題が解消されるみたいなの)

 

 それが僅かな輝きを確かな光明へと変える。

 梅里が見つけたのは──光武・複座試験型。

 本来の搭乗者である近江谷姉妹が限界を迎えて後方に下がったものの、それを撤収させる余力が無く、ハッチが開けっ放しのまま放置されていたものだった。

 

「コイツは僕一人では動かせない……」

 

 多少は改善されているという話は聞いていたが、それでも霊力の同調を必要とするこの機体。

 それは搭乗者が互いに信頼し、そして呼吸を合わせることができるほどに息のあった相手であることが要求される。

 

「動かせるかどうか、一か八かになるけど……だとしたら──」

 

 そう呟いて、梅里が見たのは──

 

【選択肢】

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

→塙詰 しのぶ

 

「しのぶさん!!」

 

 付近にいたしのぶを、梅里は大声で呼んだ。

 気が付いた彼女が駆け寄り──梅里は自分が考えた作戦を話す。

 

「わたくしと梅里様で、この光武を?」

「うん……僕らなら、きっと動かせるはず。いや、動かさないといけない。あの人を──止めるために」

 

 そう言って梅里が見つめる先には離れた先で暴れる超巨大魔操機兵・六道の姿があった。

 それに乗り込んだ幸徳井 耀山。

 先ほど聞いた彼の話は衝撃であった。

 彼が何を見たのか、想像さえできない梅里にとってはその気持ちを理解した、とは完全には言えない。

 でも、それでも、彼の深い絶望と使命感にかられた行動だということはわかった。

 

「梅里様……」

 

 そんな梅里の様子を見て、しのぶは声をかける。

 彼女は、梅里と違って幼いころから彼を知っており、その人柄も梅里よりもわかっていた。優しく人格者であった彼がああなってしまったことは衝撃であり──同時に、変えてしまった原因の深刻さを物語っている。

 だからこそ、それに配慮して耀山を“止める”と言った梅里の気持ちが──その優しさがしのぶには嬉しく思えた。

 

「はい。是非、わたくしにもそのお手伝いをさせてくださいまし」

「よろしく頼みます。しのぶさん」

 

 しのぶの言葉に、梅里はうなずき、頼もしい笑みを浮かべた。

 そしてしのぶの手をとり、梅里はハッチを開けたままになっている光武・複座試験型へと駆け寄った。

 前面にあるメイン搭乗者──おもに機体の操縦を担当する、普段は近江谷姉妹の姉・絲穂が担当しているその席へ、梅里は乗り込んだ。

 ほぼ同時に、後ろの──前部搭乗席に比較するとやや高い場所に位置する後部搭乗席にしのぶが座った。

 

「たしか、ここをこうして……」

 

 霊子甲冑を起動させる作業に移る。

 動かせる可能性ができた時点で、万が一に備えてレクチャーを受けるカーシャに付き合って、梅里もそれを見ていたので覚えていたのだ。

 幸いなことに起動手順は、複座とはいえ光武・改や他の霊子甲冑とそう変わるものではなかった。

 光武本体から延びたコードが、夢組戦闘服の肩の下にある汎用金属端子に接続される。

 

「んん……」

 

 後ろから聞こえるしのぶの声。彼女の戦闘服にも接続されたらしく、その慣れない違和感から、声が出てしまったらしい。

 

「しのぶさん、僕が動かせるといってもその時間は決して長くはない。勝負は一撃で決めるしかない」

 

 梅里が霊子甲冑を動かせるのは、霊子水晶との相性問題が解決できる『満月陣・朧月』を使用中の間だけなのだ。

 

「心得ております。ですからわたくしも──」

 

 後方──しのぶの席から圧倒的な“力”が生じるのが分かった。

 梅里の背後からはその“力”が放つ金色の光がさしているのがわかる。

 

「──魔眼の(この)力、使わせていただきます」

 

 普段は閉じたように細められているしのぶの目が、今はハッキリと開いていた。

 その中には複雑な模様が浮かんでいる金色の瞳──それこそしのぶが陰陽寮で「忌み子」と畏れられ、恨みをかわぬように形式上は大事され、潜入させて場合によっては敵対組織を一方的に壊滅させるための工作員として育てられた原因となった、目が合った者、見つめたものを一方的に支配し魅了する『覇者の魔眼』である。

 

「……ありがとう、しのぶさん」

 

 彼女がこの力を好んでいないことは明らかだった。

 それでも──自分のために使ってくれることが、梅里にはありがたく、そして申し訳なく思えた。

 

「いいえ。梅里様、わたくしは何度も申し上げているではありませんか。このしのぶめが居るべき場所は梅里様の側において他にはございません。あなた様の手助けができて、本当に嬉しゅうございます。ですから──」

「ああ。アイツを──」

 

 二人が顔を上げたときだった。

 

 

「こんなところにいたのか! 武相 梅里ォォッ!!」

 

 

 超巨大魔操機兵・六道が目前に迫っていた。

 未だハッチが閉まっておらず、肉眼でその巨体を捉える。

 それは六道──耀山側も同じであり、光武・複座試験型に乗り込んだ梅里と、その背後の人影をもハッキリと捉えていた。

 

「しのぶ、キサマァァァッ!!」

 

 その目が開き、金色の瞳が見えているのが耀山の目にも映っていた。

 自分を拒絶したしのぶが、自分が求めていたその力を、梅里のために使っている──その事実が、悔しく、腹立たしく、そして──嫉妬させた。

 光武・複座試験型のハッチが閉じる。

 それでも耀山の目には、搭乗席に座る二人の姿がしっかりとこびりついていた。

 

「刃向かうか、武相 梅里! 逆らうか、塙詰 しのぶ!!」

 

 六道の狙いは、今や完全に光武・複座試験型に向けられていた。

 その光武・複座試験型が完全に起動し──その足下周辺に、霊力の芝桜が敷き詰められたように具現化した。

 

「…………」

 

 搭乗席では梅里が朧月を発動させて精神を集中させ、しのぶとも霊力を同調させた彼の姿は、淡く金色に光り輝いていた。

 その手に武器のない光武・複座試験型は花咲き乱れる地面に手をあてると──生じたマゼンダ色に輝く刀身の巨大な刀を引き抜いた。

 

「そんなものが、通じるものかァァァッ!!」

 

 そこへ襲い来る超大型魔操機兵・六道。

 振り上げた刀、模造刀、鉄扇、そして徒手の六腕が、まとめて叩きつけられ──地面の芝桜を舞上げる。

 だが、そこに光武・複座試験型の影はない。

 しかも、舞い上がった花びらが六道の周囲をがまとわりつくように取り巻き──動きを阻害する。

 

「なッ!? バカなッ!! 動かないだとッ!?」

 

 六道の操縦席で、両手の五指から延びる制御用の糸に妖力を送り込むが、舞い上がった花びらが、伝達系統に使われているその糸へと張り付き、阻害していた。

 

 

「しのぶさん……いきます!」

「心得ております、梅里様!!」

 

 

 光武・複座試験型は、朧月の動きそのままに敵の一撃を瞬間移動で回避し──そのすぐ側の死角に現れていた。

 

「武相流……満月陣・花月…………」

「急々如律令……」

 

 その一瞬──辺りは静寂に包まれた。

 花吹雪が舞い散る中──その足下は鏡の様な水面となり、そこの上に一筋の波紋をたて、横一文字に振り抜かれる赤紫の刀身。

 

 

「「──花吹雪・鏡花水月」」

 

 

 ごく自然な動きで刀は振り抜かれ、そのまま六道の後方へと抜ける光武・複座試験型。

 そのままの姿勢で残心を残し──機体に深い傷を負った六道は、その一撃によって活動を止めた

 

 

 

 


◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

→白繍 せり

 

「せりッ!!」

 

 梅里は、青いアイゼンクライトのすぐ側で、その搭乗者である自分の妹へ必死に話しかけている白繍 せりの下へと駆け寄った。

 それでも気が付かない様子で一生懸命なずなにアドバイスするせりに、梅里は話しかける。

 

「せり、話があるんだ!」

「もう、後にして! 今、それどころじゃないんだから……」

 

 なずなが憔悴しているのは誰が見ても明らかだ。

 それでも出撃させなければならない状況。肉親を死地に送り込まなければならないその心境は、せりにそんな態度をさせるのも仕方がないことだろう。

 だが、梅里はそれに遠慮するわけにはいかなかった。

 

「せり!」

 

 もう一度名前を呼び、両手で彼女の肩をしっかりと掴む。

 

「なッ!?」

 

 そのままひっくり返され、梅里の正面を向かされる。

 

「なにするのよ! 私はなずなが心配で──」

「せり、落ち着いて聞いてほしい」

 

 せりの言い分を完全に無視し、梅里は真剣な眼差しでせりを見つめる。

 そのただならぬ様子に、せりは思わず気圧されていた。

 

「な、なによ……」

「僕にはキミが必要だ。よく考えたけど……キミ以外、ありえないんだ!」

「んな──ッ!?」

 

 そんな梅里の突然の告白に、せりは顔を真っ赤にして絶句する。

 そして──

 

 

「……ええ、ええ、ええ! わかってますよ。わかってましたよ。どうせそんなことだろうと思いましたッ!! だって、ありえないもの!! あんなところで突然……」

 

 不機嫌なせりが狭い搭乗席でブチブチと文句を言っている。

 ここは光武・複座試験型の操縦席で、前後二つある席の中で、前面の主に操縦を担当する席に梅里がつき、せりはその後方やや上にある席で憮然としながら作業を進めていた。

 

「あの、せり……なんで不機嫌なの? さっきは快諾してくれたのに……」

「アンタが、紛らわしいこと言うからでしょうがッ!!」

 

 思わず足を動かして、そのすぐ近くにあった梅里の頭を軽く足蹴にする。

 さすがに背後で不機嫌でいられてはたまらないと思って梅里が声をかけたのだが、せりの機嫌は直るどころかますます悪くなった。

 光武・複座試験型に乗って一緒に戦うため、梅里はせりに呼びかけ、それに「は、はい! よろこんで!!」と顔を赤くしながら喜色満面で答えたのだが──光武・複座試験型の下まできて詳しい説明をすればするほど、せりの上機嫌はどこへやら、見る見るテンションが下がって、現在は不機嫌の真っ只中にいる。

 

(霊力同調を考えると、今のままだと困るんだよなぁ……)

 

 などと、梅里は梅里で深刻なその問題を考えており、二人の気持ちは見事なまでにすれ違っていた。

 そこへ通信が入る。

 

『スミマセン、隊長。うちの姉が……姉さんってばてっきり告白されるのだと──』

「なずな! アンタは黙ってどこへでも出撃してなさいッ!!」

 

 さっきの妹を心配していた姿はどこへやら、からかうなずなに怒り心頭の様子である。

 さらに──

 

「……あ~、もう! なんなのよ、この複雑怪奇な機械は~!!」

 

 それらの外部的要因もあって、起動作業が進まずイライラを募らせると、まるで投げ出すようにして嘆いた。

 実は彼女、家事や調理にかかる機械以外は完全にダメという、ちょっと変わった変則的な機械音痴であった。

 それをからかわれるので釿哉を目の敵にしているところもあるのだが、そんなせりが技術の粋ともいえる霊子甲冑をまともに扱えるわけがない。

 

『姉さん、落ち着いて……あたしが手伝ってあげるから』

 

 なずながそう言うと、アイゼンクライトのハッチが開き、わざわざ中から出てくる。

 彼女はハッチが開いたままの光武・複座試験型までくると、座っているせりの傍らに立ち、その起動準備を手伝った。

 そこはそれ、さすが乙女組出身であり、花組候補生に数えられ、天武の試験操縦者までこなしただけのことはあり、基本的には同じ起動手順のそれをテキパキと進める。

 

(それにしても、ここまで機械が苦手だったなんて……姉さんって霊子水晶との相性じゃなくて、機械との相性がダメで起動できないんじゃないの?)

 

 なずなはふと、作業の最中にそんなことを思いつきつつ、手は作業を行っていた。

 着々と手順は進み、夢組戦闘服の肩の下にある金属端子に、霊子甲冑から延びたコードが接続され──

 

「ぁん……ッ」

 

 思わずせりが声を出す。

 それに眉をひそめてジト目を向けるなずな。

 

「……姉さん、変な声出さないでくれる?」

「なッ!? 変な声ってなによ!! ピリッときたからつい反射的に声が出ただけじゃない」

「それにしては妙に色っぽい──というかエッチな声だったような……」

 

 今度はニヤリとからかうように笑うなずな。

 

「あ、あああアンタ、何言い出すの!? 突然──」

 

 再び顔を真っ赤にして焦るせり。

 しかし、なずなはそんな姉を不思議そうな目で見ていた。何でこんなにムキになっているのだろう、と。

 この接続に関することは、乙女組ではよくあることで、慣れていないが故に出てしまうその声をからかうのは日常茶飯事だった。

 しかも乙女組は女しか居ないこともあって、皆が遠慮なくやっていたのである。

 

 ──だからすっかり忘れていた。すぐ近くに男が一人いることに。

 

「あの……準備、大丈夫かな?」

 

 思わず頬を掻いて、所在なさげに苦笑する梅里。

 

「あ、あら隊長。申し訳ございません……」

 

 オホホ……とわざとらしい笑いを浮かべてごまかすなずな。

 そんな妹をジト目で見ながらせりもまた準備を整え──起動準備が万全になったところで──

 

 

「こんなところにいたのか! 武相 梅里ォォッ!!」

 

 

 付近まで来た六道が一気に距離を詰めてきた。

 

「なずな、早く離れなさい!」

「うん、わかった……それとウメ隊長、姉さんをよろしくお願いします♪」

「ああ。任せておいて」

 

 ウィンクするなずなに梅里も笑顔でうなずいた。

 それを見て驚愕するせり。

 

「ちょ、ちょっとなずな!? ウメ隊長ってどういこと──」

 

 なずなが悪戯っぽく笑みを浮かべ、せりが猛然と問いつめようとする中、無情にも光武・複座試験型のハッチは閉じる。

 その間になずなは慌ててアイゼンクライトに戻ったが、六道の狙いは光武・複座試験型──いや、武相 梅里のみであり、完全に無視されていた。

 ──そしてハッチを閉じた光武・複座試験型は修羅場になっていた。

 

「……梅里、今のはどういうこと?」

「ちょ、ちょっとせり、今それどころじゃなくて……」

「それどころよッ! なんでアンタを“ウメ隊長”なんて……“ウメ”なんて愛称で呼んでるのよ!! それが分からない限り、同調も何もないでしょ!?」

 

 再び後頭部を足で小突かれる梅里。しかも今度は「ゲシゲシ」と連続だ。

 この光武・複座試験型における搭乗者の位置関係は深刻な改善箇所だと梅里は痛感した。

 

「だ、だから──支部の女性隊員達の中だと、そう呼ばれてるんだってば!!」

「なに!? 支部の隊員にも手を出していたの!?」

「違うよ! 彼女たちが勝手に呼んでるあだ名で、宗次だってタッちゃんって呼ばれてて──」

 

 迫る六道の姿に焦り、切羽詰まった梅里が言った言葉に、せりは思わず吹き出した。

 

「……タッちゃん? ──ッ、なによそれ。ちょ、反則よ……」

 

 笑うせり。

 そして──せりの梅里への反発がなくなり、光武・複座試験型は霊力の同調を開始した。

 直後にやってきた六道の放った攻撃。

 

 

 ──しかし、地面を叩いただけだった。

 

 

 そこに紫電の残滓を残し──少し離れた場所に、光武・複座試験型は佇んでいた。

 瞬間的に起動が間に合ってどうにか避けたが、集中が不完全で朧月は即座に解除されて再び動かなくなっている。

 だが六道はそれに気が付かず、警戒して様子をうかがっていた。

 

「……まったく、私だってあだ名でなんて呼んでいないのに、なずなめ……」

 

 恨みがましく言うせりに、梅里は意外そうに尋ねた。

 

「ひょっとして……呼びたかった、とか?」

「ううん、違うわよ」

 

 それに首を横に振って答えるせり。彼女は優しげな表情を浮かべて語る。

 

「私は、そんなあだ名で呼ぶような人達なんかとは比べものにならないくらいにあなたのことをよく知っているからね」

 

 さらっと言ってのけるせり。

 

「それを考えれば、十把一絡げな扱いなんて、イヤよ」

「……僕も、せりにウメ隊長なんて他人行儀な呼ばれ方は、されたく無いな」

「──え?」

 

 その梅里の答えにせりは驚きつつ、頬を少し赤く染める。

 そして勝ち気な笑みを浮かべ──うなずいた。

 

「ええ、いくわよ──梅里ッ!!」

「ああ、せり!!」

 

 二人の霊力は完全に同調し──梅里も精神を集中させ、満月陣・朧月を使う。

 そして再起起動した光武・複座試験型が手をかざす。

 その直後、轟音と共に落雷がまさにそこへ落ち──光武・複座試験型の手には、まるで雷によって天から授けられたように、青白い光を放つ直刀が握られていた。

 

「キサマらアアァァァッ! 武器を手にしたところで!!」

 

 それを見て察知した六道が、改めて迫る。

 その六腕が手にした刀、模造刀、鉄扇、そして空いた手が握りしめた拳が、まとめて叩きつけられ──光武・複座試験型はまるでかき消えるような速さでそれを避けた。

 そして、まるで稲妻が逆行するかのように直線的な動きで、幾度か虚空を蹴るようにして上空へと駆け上がる。

 

 

神鳴(かみな)りよ……紫電となりて、我が君を照らせ──」

「武相流……満月陣・紫月…………」

 

 

 遥か上空の雲の中へと至った光武・複座試験型はその中の雷を集め、直刀がそれを帯び──

 

 

「「──稲妻光陰落としィィィッ!!」」

 

 

 さながら落雷のごとく、先ほどとは逆に轟音と共に一瞬で地面へ舞い戻り──直刀を落雷と共に地面に叩きつけ──その姿勢で止まっている。

 目の前には超巨大魔操機兵・六道。

 次の瞬間──光武・複座試験型が縦一文字に振り下ろした剣によって致命的なダメージを受けた六道の機関が暴走し、スパークが走る。。

 再び紫電をまとった光武・複座試験型が瞬間移動のごとき迅さで駆け抜けたその背後で──六道は爆発を起こすのであった。

 

 

 

 


◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

→伊吹 かずら

 

 梅里はかずらの姿を求めてを振り返った。

 すでに彼女は、付近にいる者達への支援のために、霊力を乗せてバイオリンを奏で始めていた。

 その彼女の下へと近寄り、声をかける。

 

「かずら、ちょっといいかい?」

「はい? でも……」

 

 梅里の声にはすぐ気が付いたかずらだったが、支援中のため手が放せず戸惑っていた。

 六道と降魔兵器相手に、夢組各員をはじめ華撃団はぎりぎりの戦いを強いられている。大勢を支援することができるかずらの演奏は、勝敗を左右する可能性もあった。

 おいそれと簡単に中断するわけにもいかず、躊躇ったのである。

 

「かずらに、キミにしかできない頼みたいことがあるんだけど……」

「はい! なんですか? 梅里さん!!」

 

 梅里の頼みとあってはかずらにはそれ以上の優先事項はない。

 かずらは梅里が唖然とするほど良い返事をして、迷い無く演奏を打ち切っていた。

 

 そうして梅里から光武・複座試験型に乗ることを説明されたかずらは、彼に従って機体の所までいき、メイン搭乗席である前に梅里、後方やや上にあるサブの搭乗席にかずらが座る。

 生身でも降魔や魔操機兵と戦える梅里が操縦するべきなのは明らかだった。

 

「梅里さん、起動の手順はわかりますか? 分からないことがあれば言ってくださいね」

 

 自分自身の作業を進めながら、かずらは嬉々としてた様子で梅里に言った。

 

「うん、今のところ大丈夫だけど、なにかあったら教えて欲しい」

「はい。ぜひ頼ってください♪」

 

 そう言って上機嫌に胸を張る。

 その起動作業はかずらにとってはとても懐かしいものだった。

 乙女組出身である彼女。乙女組は基本的には花組を目指す女子が所属しているため、当時のかずらもこの起動作業の訓練も受けていた。

 だが──霊子甲冑の中枢である霊子水晶と彼女の霊力の相性が悪く、霊力の強さは十分ながらも、彼女は動かすことができなかった。

 かずらにとって諦めざるをえなかった夢。それが霊子甲冑だった。

 

(でもそれが……こんなことをしているなんて、なんとも不思議な気分です)

 

 夢破れたはずだったのに──今、こうして霊子甲冑に乗るための作業をしている。

 霊子甲冑に乗れないという事実を知ったとき──親友はその様子を“荒れた”と評したが、まさにその通りだった。

 かずらはそれまで挫折というものを経験しないで育ってしまった娘だった。

 帝都に別宅を持つほどの神奈川の貿易商という裕福な家庭に生まれ、仲の良い両親に蝶よ花よと育てられ、本人も利発で賢く、音楽の才能さえ持つ。その上──高い霊力まで備えていた、本当に恵まれた娘だった。

 だからこそ、大抵のことは思い通りになった。

 夢組に入る前──というか梅里と出会う前──の彼女は人見知り気味で大人しく、自己主張が弱かったので、いわゆる“ワガママなお嬢様”でもなく、そのため彼女の願うことはほとんど叶ったのである。

 それがどうにもならなかったのが霊子甲冑であり、霊子水晶との相性であった。

 こればかりは、たとえかずら以上のお嬢様が豊かな家の財力や両親親族のコネを使おうとも、解決することができない、どうしようもない技術的な問題であり、越えられない壁だった。

 

(うん。ぺんちゃんの言うとおり……荒れたよね)

 

 部屋の中で暴れ、授業もサボり、乙女組も辞めようとした。

 その高い霊力を必要とした華撃団がどうしても引き留めたかったという事情や、その件で親友になった世話焼き好きなその姉によく似たお節介が居なければ、きっと今、この場には居なかっただろう。

 この──完全に諦めた夢を、叶える場には。

 

「かずら、ここは……?」

「あ、そこはですね──」

 

 前の操縦席から問われた質問に答えるかずら。

 そしてその説明に従って作業する姿を後方やや上から見つめ──

 

(ありがとうございます、梅里さん。あなたと一緒にいると……どんどん夢が叶っちゃいます)

 

 コンクールで日本一になって欧州へと行ったのも、バイオリンを始めた頃から描いた夢だった。

 好きな人と一緒に海外旅行──という夢もそのときに叶えてしまっている。

 そして今回は──絶対に不可能と突きつけられた、諦めなければならなかった夢。

 それさえも、目の前のかずらが大切に思う人は、叶えてくれようとしていた。

 

(私にとって梅里さんは、本当に……なんでも願いを叶えられる魔法使いみたいですね)

 

 料理ができない彼女にとって、「あの材料がこんなに美味しいものに?」と驚かされる梅里が作る料理はまるで魔法だった。

 そしてピンチに颯爽と駆けつけ、助けてくれた──それは魔法使いというよりはヒーローだった──こともあった。

 この人について行けば、ついて行くことができれば、もっともっと夢を叶えてくれるに違いない、幸せにしてくれるにちがいない、かずらは心の底から思える。

 だから──

 

 

「こんなところにいたのか! 武相 梅里ォォッ!!」

 

 

 超巨大魔操機兵・六道が目の前に現れようとも、けっして恐れることはなかった。

 

「かずら、いける?」

「もちろんです、梅里さん♪ 私の方はとっくに終わってましたよ」

「さすが元乙女組……」

 

 梅里が苦笑を浮かべ、光武・複座試験型のハッチが閉まる。

 

「じゃあ、現役乙女組さん、足止めをお願いしますね」

 

 そしてかずらがいたずらっぽく言うと、即座に現役乙女組の親友から反応がある。

 

「あのねぇ、私だってほとんど引退したようなものなんだからね!」

「そうね。もらってくれる人がいないだけだもんね……」

「ちょ、言い方ッ!! 人員に空きがないだけだから!!」

 

 からかうとムキになってすぐに反応してくれるのは、本当に姉そっくりだ。

 

「なずなちゃん、少しの間……頼む!」

「は、はィ! ウメ隊長!!」

 

 梅里が真面目な様子で声をかけると、彼女は舞い上がったような、一段の高い声で返事をして──アイゼンクライトで六道へと立ち向かった。

 

(夢組に入りたがっていたぺんちゃんが花組候補で、花組を志望していた私が夢組にいるなんて。よく考えると本当に、奇遇で……世の中ってままならないものです)

 

 その独特な形状の、Yの字に配置された霊子機関から蒸気吹き出すアイゼンクライトの後ろ姿に──思うところがないわけではない。

 

(でもね、ぺんちゃん……今は私、夢組に入れて良かったと思ってるよ。だって梅里さんに出会えたんだから──)

 

 先ほどの「ウメ隊長」という呼び方。

 あだ名のようなそれは、夢組の支部隊員の中で密かに通用しているものだった。それをついうっかり、なずなが呼んでしまい──梅里本人に事情を話したもので黙認されていたもの。

 ──もちろん厳しい副隊長の宗次は言ったものを睨みつけるのだが。

 そしてそれは、かずらにとっては嫉妬の対象にはならなかった。自分にとって恋敵(ライバル)足りえない人達が呼ぶ呼称だったからだ。

 なずなの梅里にあこがれる視線は気にならないわけではないが、それでもその姉に比べれば全然、歯牙にもかけない相手だった。

 

「じゃあ、梅里さん。やりましょう!」

「ああ、かずらも霊力を上げて──」

「はい! 私達がラブラブなところ、ペンちゃんに見せつけましょう!」

「えぇっ!? 違うからね!? それが目的じゃないから!!」

 

 そのなずなは、六道の猛攻を道師直伝の錫杖を使ったトリッキーな動きで避けたり、結界で防いだりして、囮役として十分に役目を果たしていた。

 

(──だからぺんちゃんにも、きっとそんな出会いがあるよ)

 

 気を取り直し──梅里が操縦席で目を閉じ、精神を集中させる。

 その体が淡く光って朧月が発動すると、光武・複座試験型が起動する。

 

「梅里さん……」

 

 かずらも目を閉じ集中する。

 そしてイメージした。

 この自分が霊子甲冑で戦うというステージにふさわしい、梅里と共に敵を倒すという場面に最もよく似合う音楽が──頭に浮かんだ。

 

「いきます……」

 

 まるで指揮者のように、光武・複座試験型の両腕がサッとあがった。

 その手の先は、なぜか空気が霞んでいた。それはその周辺の空気が激しく振動しているからであり──光武・複座試験型が放つ強い霊力によって行われていた。

 空気の振動──つまり音。

 生じた音は光武・複座試験型によって完全に制御され、導かれ旋律と化す。

 

 

「何を、企んでいるのかアアアァァァァァァッ!!」

 

 

 音を発したために、六道はそれに気が付いた。

 必死に気をひいていたなずなのアイゼンクライトの努力もそこまでで、六道は一目散に光武・複座試験型へと迫る。

 そして──迫る巨大な敵を前に周囲に重厚な音楽が流れだした。

 それは両手の空気の振動という音の固まりから、光武・複座試験型が紡ぎ出した楽曲であった。

 

「武相流……満月陣・響月…………」

「……悪を蹴散らし、正義を示す……その裁きを(いろど)る旋律よ──」

 

 光武・複座試験型は両足でしっかりと大地を踏みしめ、頭上に掲げた両手を組む。

 その組み合わせた手にあった、空気の振動の固まりは、合わさり、混ざり渦となり──

 

 

 「「──ミュージック・フォー・エクスキューション!!」」

 

 

 掲げていた腕を振り下ろすと、それはまるで無色透明の細かく振動する破壊の渦となり──襲い来る超巨大魔操機兵・六道を迎え撃つ。

 振りかざしたその破壊の剣は、その猛烈な衝撃波によって──その渦に巻き込まれた六道をまるで共鳴するように激しく振動させ、その装甲は一瞬でヒビが入り、ボロボロと崩れ……

 六道は機能不全を起こして完全に崩れ落ち──直後に爆発を起こした。

 

 組んだ腕を解き──その腕を横に振ると、まとっていた振動と霊力が散った。

 そしてポーズを決めると、音楽は尺を合わせたかのように、見事に最後まで流れきっていた。

 

 

 

 

 

 


◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

→アカシア=トワイライト

 

 カーシャの手を借りようと振り返った梅里は、すぐ近くまで彼女が近寄ってきていたのに気が付く。

 そしてそのまま彼女は梅里の下まで来ると、ある提案をしてきた。

 

「ウメサト、お願いしたいことがあるのだけど……」

「なんだい、カーシャ?」

 

 カーシャは僅かにためらってから──青いアイゼンクライトの方を見ながら話を切りだした。

 

「あのアイゼンクライトの搭乗者を、アタシに変更して欲しいの。その許可をお願い!」

「え!? カーシャが、アレに乗ろうっていうの?」

 

 さすがにそれは想定外だった梅里は面を食らった。

 

「ええ。アタシは霊子甲冑に乗ることができるのは、それを伝えられたときにアナタも一緒にいたから知っているでしょ?」

「ああ。もちろん……」

 

 梅里がうなずくと、カーシャはいつも明るいその表情を曇らせる。

 

「そして……なずなの姿も、見たでしょ? あれは今までかなり無理しているわ……」

「……それは、僕も分かってる」

 

 なずなの顔色はハッキリ言って悪い。疲労が色濃く出ている。

 梅里が参戦して少し休ませたが、その前は完全にバテてしまっていた。

 ペース配分を完全に間違えてしまったのは、彼女が花組隊員と違って戦い慣れていない、いわば経験の差であった。

 もちろん、彼女が恩ある巽 宗次が戦死したという情報で冷静さを欠き、無謀な戦いをしてしまったという未熟さもある。

 ともあれ──端から見ても戦える状態であるとは言い難い。

 まして相手は通常の脇侍どころか降魔兵器でさえなく、敵幹部の巨大魔操機兵の集合体のようなシロモノである。

 先ほど梅里も思ったことだが、戦ったところで勝てるとは思えないという結論に至るのは当たり前だろう。

 

「でもアタシなら違うわ。近接戦闘も得意だし、なによりまだ元気だもの」

 

 笑みを浮かべて右手を掲げ、その二の腕を左手で掴んでその元気をアピールした。

 カーシャは強い。

 両手剣を持たせれば、夢組屈指の実力者である鎖鎌の紅葉と互角に戦うこともできるほど。

 その彼女が、霊子甲冑を使うことができる。しかもアイゼンクライトという霊子甲冑がそこにあるのだ。使わない手はないように思える。

 だが──

 

「カーシャ、キミも疲労は大きいはずだよ。除霊班は十分に降魔兵器を生身で相手にしていたんだから」

「あら、除霊班(うち)の頭を見なさいな。まだまだ元気いっぱいよ?」

「紅葉は規格外だよ。アレを基準にしたら他が完全にバテる」

 

 除霊班頭の秋嶋 紅葉は、その戦闘継続においては他の追随を許さない。

 その獲物を追い求めて走り回る辺りも「忠犬」と呼ばれる所以である。

 

「それに、あの機体はなずなに合わせて再調整してある。キミが乗ってもその実力を百パーセントは発揮できない」

 

 そしてそれは、なずなをアイゼンクライトに乗せることはあらかじめ許可を得ていたということだ。

 もちろんカーシャは許可を得ていないし、その許可を出す権限は梅里にはないのである。アイゼンクライトは花組の管理する装備品なのだから。

 

「でも──」

 

 なおも食らいつくカーシャ。

 だがそれは、霊子甲冑に乗って活躍したいという自己顕示欲でも、自分の方がうまく扱えるという驕りからくるものではないように思えた。

 しかし、だからこそ危ういようにも思える。

 

「それは最終手段にしよう。もし、今から言う作戦でアレを倒せなかった場合の──」

「作戦?」

 

 不思議そうなカーシャに梅里は、少し楽しげに笑みを浮かべた。

 そして告げられた梅里からの頼みごとの内容は、カーシャを興奮させるものだった。

 

「──まったく、早く言いなさいよ。もちろん、そっちの話に乗らせてもらうわ」

 

 そう言ってカーシャもまた、梅里同様に楽しげに笑みを浮かべた。

 

 

 ハッチが開いたままの光武・複座試験型に、梅里とカーシャが向かい、乗り込んだ。

 その操縦席──前のメインに座ったのはカーシャだった。

 確かに近接戦闘では夢組最強を誇る梅里がメインを務めた方がいい動きができるのは間違いないのだが、梅里には霊子甲冑を動かせる条件に「満月陣・朧月発動中に限る」という条件が付帯する。

 霊子甲冑を動かせない他の夢組隊員であれば、普段動かせないという条件が一緒なのだが、カーシャだけは事情が違う。彼女は単独でも霊子甲冑を起動することができるのだ。

 霊子水晶との相性の関係という制限もなく、近江谷姉妹と違って単独でも動かせるだけの霊力を持っている。

 安定した稼働を考えてカーシャが前、梅里が後ろで補助という布陣になった。

 お互いに操縦席で起動準備を始める。機器のスイッチを確かめ、蒸気機関を稼働させる。

 そんな中、梅里は作業の手を止めずにカーシャに話しかけた。

 

「ねえ、カーシャ……」

「ん~?」

 

 作業内容は頭に入っているが、まさか乗るとは想定していなかったので起動作業に慣れているわけではない。

 カーシャはどこか上の空で梅里の言葉に答える。

 

「……さっきの、アイゼンクライトの件だけど……ひょっとして、せりに気を使った?」

「…………」

 

 カーシャの作業の手が思わず止まる。

 だが、それも束の間──何事もなかったかのように作業が再開される。

 

「なぜ?」

 

 作業中なこともあって言葉少なに問うカーシャ。

 それに梅里は──

 

「だって、さっきアイゼンクライトじゃなくて、せりを見てたでしょ?」

「──ッ」

 

 今度は覚悟していたので手は止めなかったが、それでもカーシャは衝撃を受けていた。

 完全に図星をつかれていた。

 

「……参ったわ。降参。そうよ、せりを不憫に思ったのよ……彼女に負い目があるからね、アタシは」

 

 去年、せりを精神的に追いつめることに手を貸していたカーシャ。

 そのせりが再び精神的につらい状態になっているのを見て、その贖罪をしたかったのだ。

 

「あんな状態で、あんな敵の相手をするなんて自殺行為よ。妹をそんなところに送り出さなければならない彼女の辛さを考えたら……アタシが代わればいい、そう思ったのよ」

「──カーシャ、気持ちは分かるけど……誤解してるよ」

「え?」

 

 やはり作業を止めずに言った梅里の言葉に、カーシャは意外そうな顔になる。

 

「誤解って……なにを?」

「あんな敵を相手にするんだから、カーシャが代わったって心配するに決まってるよ。せりはもちろん、僕も他のみんなも──」

 

 そう言って梅里は、一度手を止めて後ろからカーシャをまっすぐに見つめる。

 

「だって、カーシャは夢組の……僕らの仲間だろ?」

「あ……」

 

 その言葉が胸に響く。

 そして、その温かさがじんわりと胸に広がっていく。

 カーシャは胸に手をあて、目を閉じ──その言葉を反芻していた。

 それを噛みしめたカーシャは、目を開くと意地悪そうな笑みを浮かべる。

 

「一つ訊きたいのだけど……じゃあ、あのときアナタが見ていたのはアイゼンクライト? せり? それとも……ア・タ・シ?」

「なッ──」

 

 思わず反撃に面を食らう梅里。

 実際──カーシャにはわかっていた。アイゼンクライトでもせりでもなく、自分を見てくれていたことに。

 そうでなければ、カーシャがせりを見ていたという細かいことに気が付くわけがないのだから。

 それを嬉しく思い──

 

 

「こんなところにいたのか! 武相 梅里ォォッ!!」

 

 

 突然に響く怒号。

 迫り来る超大型魔操機兵・六道から、幸徳井 耀山の声が響きわたったのである。

 ハッとして視線を向ければ、ハッチが開いた状態の光武・副座試験型からはその威容がハッキリと見えた。

 そして──

 

「“人形師”……」

 

 カーシャにとっては、幸徳井 耀山という本名よりも、そちらの呼び名の方がしっくりきた。

 その『夢喰い(バク)』というコードネームを貸し与えられて便利に使われ──役に立たないと判断されて切り捨てられた相手である。

 

「──それこそ、人形みたいに」

 

 彼の思い通りに動かなかったために、役に立たない人形として切り捨てられ、最後には爆弾のパーツにさえされた。

 それに対する怒りや憎しみはもちろんあるが──今はそれよりも、敵である彼を倒す役に立てるという、華撃団から与えられた役目にこそ価値があるとカーシャは思っていた。

 

「ウメサト! 行くわよ!」

「ちょ、ちょっと待った! まだ起動準備が……」

「……やれやれ、ね」

 

 ともあれ、梅里の準備が整っていなくとも、カーシャの方のメインが起動できれば最低限度には動ける。

 六道が接近する前に、光武・副座試験型はそのハッチを閉じ──カメラに光がともり、レール沿いに左右に動いた。

 そこへ六道からの一撃が襲いかかるが──起動した光武・複座試験型は間一髪避ける。

 

「このままじゃ戦えない──ウメサト、急いで!!」

「わかった」

 

 カーシャが最低限の稼働で動く光武・複座試験型を操縦して、どうにか攻撃を避け続け、梅里はその副操縦席で作業を続ける。

 

「風組ッ! 武器を──両手剣を! Give it to me!!」

『了解しました』

 

 カーシャの要請から数秒後、付近に不発だったミサイルのように、射出され飛来した円筒形の物体が地面に刺さり──その外郭が外れ、カーシャの要望通りの両手剣がそこにあった。

 駆け抜けざまに地面に立つそれを素早く引き抜き回収した光武・複座試験型。

 

波状刃(フランベルジュ)はないの?」

『無茶言わないでください!!』

 

 思っていたのと違うその形状に、操縦席で思わず言ったカーシャのぼやき。それを通信で拾った風組隊員が即座に応えた。

 設地した脚部を勢いそのままに滑らせ──その剣を構えるカーシャ。

 そこへ──

 

「カーシャ! 準備完了したよ!!」

「ナイスタイミングね♪ ウメサト!!」

 

 光武・複座試験型の本来の力──搭乗者二人の霊力を同調・感応させて、何倍にも高めるその能力が発揮された。

 そこへ迫る六道の六腕に握りしめられた刀、模造刀、鉄扇、そして空いた手が握りしめた拳。

 今まで避けてきた光武・複座試験型だが、これは避けられない──

 

「砕け散れええぇぇぇぇいッ!!」

 

 怒号と共にそれらが、まとめて叩きつけられ──

 

 ──光武・複座試験型は、すでにそこにはいなかった。

 

 梅里の朧月のように、間一髪で瞬間移動で攻撃を避けた光武・複座試験型は、その完全に同調した霊力を受けて、手にした大剣が強烈な光を放つ。

 強烈な霊力を帯び、揺らぐような金色の光の刃となり──まさにカーシャの使い慣れた波状刃の大剣(フランベルジュ)のようであった。

 その剣を手に、上空に現れた光武・複座試験型。

 強烈な霊力を感じて顔をそちらへ向ける六道。

 その視線の先で──煌々と輝いていた光武・複座試験型が一転し──闇、いや影にその光を遮られていた。

 そして、その影からこぼれるように、まるで溜め込んでいたかのように、強烈な光明が生まれる。

 

「武相流……満月陣・陽月(ようげつ)…………」

「月と太陽が重なり生まれる金環の──直後の煌めきを、その目に焼き付けなさいツ!!」

 

 

「「輝け、ダイヤモンドリング!!」

 

 

 影によって生まれた薄闇に包まれる空間で、光武・複座試験型の背後には太陽の金環食が生まれていた。

 完全に重なり合った太陽と月──その直後、ほんの僅かにずれたそこから強烈な輝きが生じ、六道の中の“人形師”は思わず目が眩む。

 

「う……」

 

 直後、光武・複座試験型はその輝きと共に六道の横を駆け抜け──すれ違いざまに剣を一閃させる。

 同時に出現する、六道を中心にした光の金環。

 現れて数瞬のうちは安定していたそれは、環を一気に収束し──集まったエネルギーもまたその中心へと収束する。

 その中心とはすなわち──超大型魔操機兵・六道。

 

「な!? 馬鹿な! 馬鹿な馬鹿な馬鹿なバカなああぁぁぁぁ!!」

 

 その圧倒的なエネルギーには六道といえども耐えることができず──爆発する。

 巨大な下半身中心にして、超大型魔操機兵・六道は大爆発を起こすのであった。

 

 

 

 

 




【よもやま話】
 本来なら─9─と一緒にするはずでした。
 実際、「2」になってからの長さの基準では─9─だけでは短い部類に入ります。
 でも──いくら同じシーンの差分でも、ぶっちゃけ全部読みますよね? 私だったらそーする。
 というわけで、4人分の差分全部読んだらかなりの長さになってしまうので、あえて分離しました。 
 もちろん、ヒロイン一人分しか読まないのも読む側の自由です。

~しのぶ√~
 ラスボスが関係者ということで、王道ルートです。意外と綺麗にまとまりました。
 ちなみに『鏡花水月』とは、実体が無く儚いもの、を表すそうな。
 最初に書いたので「これくらいの文量でいいだろう」と思っていたら次が爆発的に増えたせいでその後ろもなんとなく増え……結果的に一番短く……ラスボスとの因縁もあって一番正規ルートっぽいのに。残念な感じに。

~せり√~
 ラスボスとの因縁もほとんどないのでドタバタコメディ色が強くなりました。
 姉妹のこういうシーンは今まで無かったですしね。本当に書きやすくて困る。王道と言ったしのぶの1.5倍近いですし。
 「稲妻光陰落とし」は前作の合体攻撃の名前でボツになった科学戦隊ダイナマンの「稲妻重力落とし」からのオマージュを復活させました。
 そしてうっかり二番目に書いたせいで、他の未完成な二つが進まなくなって困りました。ええ、次からはせりは最後に書こう。

~かずら√~
 せり以上に耀山との因縁がないので純粋に困りました。
 でも、いざ光武・複座試験型に乗せようとなってから、「ああ、そういえばかずらって花組目指していたんだよな」と思い出してこのような話になりました。
 彼女のルートのみ、親友のなずなが囮を務めてくれます。
 ちなみにトドメの「ミュージック・フォー・エクスキューション」=「処刑用BGM」を直訳したものです。流れているのはまさにそういった曲ということで。
 そして技のモチーフはエクスキューションつながりで水瓶星座の黄金聖闘士の必殺技『オーロラエクスキューション』。冷たくないけど。
 そんな私の星座は水瓶座です。

~カーシャ√~
 カーシャはせりに負い目を感じていたので、なずなを気にかけていたのと、彼女自身、妹が欲しかったという裏の理由もあります。
 そして、カーシャルートは操縦席の梅里とヒロインが乗る位置が逆転しています。カーシャは梅里のような特殊な条件下という枷がないので、彼女にメインを務めてもらえれば、動けなくなる危険が無くなるので、梅里が補助に回ったという実務的な理由です。

 ──え? かすみルートが無いって?
 あれは共通ルートからは入れない特殊ルートですから。ここではなく別で描く予定です。




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─11─

 ──そのころ、『武蔵』内部では……

 

「破邪剣征……」

「狼虎滅却……」

 

 大神とさくらが、それぞれ左右の手に一振りずつ刀──神刀滅却(しんとうめっきゃく)光刀無形(こうとうむけい)霊剣荒鷹(れいけんあらたか)神剣白羽鳥(しんけんしらはどり)の二剣二刀──をそれぞれ構え、その力を込めて、振り下ろす。

 大神とさくらが行った二剣二刀の儀は──『武蔵』の最奥に鎮座した赤い宝玉を破壊する。

 それこそ、降魔兵器を制御していたものであり──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──舞台は再び帝都地上へと戻る。

 

 光武・複座試験型で超大型魔操機兵・六道へ致命的な一撃を与え──そこで光武・複座試験型は限界を迎えた。

 梅里たちが使う以前に、本来の搭乗者だった近江谷姉妹共々酷使していたという事情もある。

 だが梅里と彼が選んだパートナーによる一撃は、二人の相性のせいで霊力同調の割合が非常に高く、かなりの霊力出力を誇った。

 基本的に同じ質の霊力を掛け合わせる近江谷姉妹のそれと違い、根本的な属性から全く別種の霊力を合わせたための負荷や、それによって爆発的に高まった霊力が、未完成でほとんど搭乗者任せにしている脆弱な同調調節機能の許容量(キャパシティ)を突破してしまい──過負荷(オーバーロード)で機能停止してしまったのだ。

 

 光武・複座試験型のハッチが開き、梅里と相方が姿を現す。

 肩の端末に付いていた金具が自動で回転して外れ、二人は霊力の負担からよろめきながらも、しかししっかりと地面を踏みしめて、降り立った。

 目の前には六道が、スパークを立てて鎮座している。

 さすがに与えたダメージは大きく、活動を停止した──かに見えた。

 

「やった……のか?」

 

 思わず梅里がつぶやく。

 もしそこに松林 釿哉がいれば「隊長、その状況だと絶対に言っちゃいけない禁句だぞ」と突っ込んでいただろう。

 そして、彼の危惧したであろうお約束通りに──

 

 

「まだだ! まだ終わらぬ!! 私は、京極様に拾っていただいた恩を──まだ返してはおらん!!」

 

 

 六道の残骸──かろうじて残った八葉の胴体部分、切り裂かれたそこからは、髪も服装も乱れ。額から血を流し、満身創痍といった様子の幸徳井 耀山の姿が見え隠れしていた。

 切り札を失った彼は叫ぶ。

 

「──降魔兵器よ!! 我が下に、さらに集え!!」

 

 降魔兵器を呼び集める耀山。負傷し、満身創痍の彼が頼れるのはもはやそれしかなかった。

 だが効果は覿面だった。周辺の降魔兵器がこぞってやってきたかのような量がやってくる。

 応じた降魔兵器が耀山を守るかのように集まり、対峙した梅里が「さすがにこの量はやばい」と危機感を覚えたとき──梅里の愛刀、『聖刃(せいじん)薫紫(くんし)』が、光った。

 

「──?」

 

 それはいつもの危険予知とは明らかに違う反応だった。

 不思議に思った梅里だが、『聖刃薫紫』は四振りの聖剣によって行われる破邪の儀式──二剣二刀の儀を探知したのだ。

 そして、その直後──

 

「なッ!?」

 

 思わず絶句する耀山。

 それもそのはず、今まで猛威を振るい、今は集まって気炎を吐いていたはずの降魔兵器が、まったく動かなくなり、どのような指示も受け付けなくなったのだ。

 

 

 ──耀山は知る由もないが、ちょうどその時、大神とさくらが『武蔵』内部で二剣二刀の儀を行い、降魔兵器を制御している赤色の宝玉を破壊したのである。

 

 

「馬鹿な! 馬鹿な馬鹿な馬鹿な!! ええい、動け! なぜ動かん!!」

 

 動きを止めた降魔兵器に焦りを見せる耀山。

 

「大神さん達か!」

 

 快哉の声を上げ、武蔵を見上げる梅里。詳細は分からなくとも、そこで行われている戦いで降魔兵器の制御を止めるようななにかが起こったのだけは間違いなかった。

 

「幸徳井 耀山!! もう終わりだ。黒鬼会も、そしてお前自身も!! 大人しく縛につけ!」

 

 油断無く刀を構えた梅里が降伏勧告を行う。

 それに耀山は──

 

「終わり? いったい何を以て、どんな自信があってそのようなことが言えるのだ!」

 

 そう叫び、拒絶した。

 そしてその目に憎悪をたぎらせる。

 

「おのれ! 無知蒙昧なる帝国華撃団め、私の邪魔をしおって……この国を、あんな未来に……進ませるわけには──いかんのだ!!」

 

 嘆くように叫ぶ耀山。

 その周囲では動きを止めた降魔兵器をとりまく妖力が、その動きを止めたことで行き場を失うようにしてあふれ出していた。

 そんな付近に漂う怨念が渦巻くように集まっていく──

 

「……おのれ! おのれ! おのれえぇぇッ!! 私を、この私を粗雑に扱い追い込んだ馬鹿共に、正義の鉄槌を下すまで、私は止まるわけには……絶対に止まることはできんのだ!!」

 

 それらを取り込むように、徐々に変化していく耀山。

 理知的だった目も周囲の妖気が渦巻くように集まり出すと、やがて血走り、その言葉も怨嗟へと変化していった。

 

「耀山、様……」

 

 悪鬼と化す耀山の姿に思わず見ていたしのぶが(いたわ)しく思うが──

 

「女ぁ!! 貴様なぞに、憐憫の目を向けられる覚えなどないわアアァァァァッ!!」

 

 耀山はすでに変わり果てた様子で吠える。

 そして、高まった妖力を耀山は大量の糸へと変換し──裂かれた搭乗席から生じた無数の糸が、まるで縫合するように裂傷を縫い合わせ、その破損を瞬時に補修する。

 それだけでは終わらず、無数の糸が六道──八葉の胴から束となって放出され、付近に散らばった闇神威、大日剣、宝形、智拳、五鈷の破片を捉えて集める。

 

「再生? また戦おうとでも言うの?」

 

 眉をひそめ、身構えるカーシャ。手にした愛用の両手剣──波状刃の大剣(フランベルジュ)ヒート・ヘイズ(陽炎)』を構える。

 だが──事態は彼女の予想を上回った。

 

「まだだ。まだだ、まだだ、まだ足りぬわアアァァァァ!!」

 

 狂気じみた耀山の声と共に、さらに無数の糸が放たれ──周囲の動きを止めていた降魔兵器へと延びると、それを一気に貫いた。

 

 

「まだだ! まだだ! まだだまだだ!まだだまだだまだだまだまだまだだまだだまだだまだまだまだまだまだだまだまだまだだまだだまだだまだまだまだだまだだまだだまだまだまだまだまだだまだまだまだだまだだまだだまだまだまだだまだだまだだまだまだまだまだまだだまだまだだあああぁぁぁッ!!!」

 

 

 その絶叫のような狂声が響きわたり、それに応じて延びる無数の糸が次々と降魔兵器を捉え、捕らえ、残骸と化した六道へとまるで縫いつけるように次から次へと集めていく。

 

「うぅ……」

 

 その光景に、かずらが気色悪さと吐き気をおぼえて目をそらした。

 まるで肉を裂き、自らの体に縫いつけていくようなそのグロさは、正視に耐えかねるような光景であり、彼女のようなうら若き御嬢様にはさすがに辛い様子である。

 そして──やがてそれは一つの形となった。

 

「これは……」

 

 出現したのは──超大型魔操機兵・六道の残骸を核に、降魔兵器を何十体をも取り込んで作り上げた──巨大降魔兵器ともいうべき威容だった。

 その姿は──

 

「まったく……イヤなことを思い出させるわね!!」

 

 顔をしかめたせりが連想したのは、前の大戦の最終局面で目にし、夢組が──聖魔城へと向かわずに帝都防衛に就いた華撃団員の前に立ちふさがったその巨大な敵。

 復活したサタンによって蘇った上級降魔・十丹全員が合体して一つとなった巨大降魔である。

 目の前のそれはさながらその降魔兵器版といったところであった。

 

(あれを倒すには……また花組がいない状況で倒さなきゃいけないの?)

 

 焦るせり。

 なぜならあれは──あれを倒した際に、文字通り命を懸けて倒したからだ。

 その命を懸けたのが、作戦の中核を担った梅里である。

 当時のことを思い出して、せりは胸が締め付けられるように痛む。

 それは、あのとき思いを同じくした、しのぶやかずらも同じであった。

 

 そして──それを見た梅里は、即座に指示を出す。

 

「陰陽七曜の陣を使う。総員、配置につけ!!」

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 巨大降魔兵器が出現したという一報は直ちに、ミカサにも伝えられていた。

 六道によって通信施設を破壊されたせいでミカサと花やしき支部は一時的に通信不能になっていたが、今は応急措置が行われたのと、生きている別回線を補助に使って復旧したのである。

 

「あっちも最終局面みてえだな」

 

 苦虫を噛み潰したような表情をする米田。

 本来であればそちらにも花組を送りたいところだがそんな余裕も時間もない。

 とりあえず降魔兵器そのものは活動を停止したという報告は受けており、それが二剣二刀の儀によるものだと推測できた。

 花組も健在で無事に任務を続行中なのはわかるが──未だに『武蔵』内部で京極を討ったという報告はない。

 

(また霊子甲冑も無しであんなものの相手をさせなけりゃいけねえのか……)

 

 アイゼンクライトの使用許可は米田が出したので、それが乙女組の白繍なずなを乗せて運用されているのは彼も知っている。

 だが、ミカサ出撃から今までの帝都での激戦を考えれば、機体も搭乗者も消耗は激しいだろう。花組であれば7人でその負担を分けあえるが、1機しかない状況では不可能だ。

 夢組所属の扱いになっている光武・複座試験型もあったが、あれはそもそも欠陥により戦闘作戦行動に適さないとしているからこそ、花組ではなく装備運用試験のために夢組が管理しているものだ。

 戦闘使用許可は出すには出したが、戦闘継続能力は低く──多大な戦果は残したものの、米田の予想通りに近江谷姉妹は早々に戦線離脱して運用を停止していた。

 ──まさかそれを梅里が利用して、超巨大魔操機兵・六道を倒すとは思いもしなかったが。

 

(だがそれで複座の光武も壊れちまった。アレを倒すには──)

 

 米田は画質の悪いモニターに映る巨大な降魔に鋭い目を向ける。

 あんな異常な降魔を見るのは──三度目だった。

 一度は降魔戦争でのこと──最終局面で出現したそれを倒すために、二剣二刀の儀に失敗した対降魔部隊は、魔神器を使い、破邪の血統である真宮寺 一馬の命を犠牲にしてそれを封印した。

 二度目は一昨年の戦い。上位降魔・十丹が融合して現れたそれを──『陰陽五曜の陣』で花組をのぞく華撃団全員の霊力を集めた梅里の『満月陣・望月(もちづき)』によって討滅された。

 しかし、その際も莫大な負荷によって梅里自身が一度は心配停止になるという事態を招いている。

 

(しのぶの報告には、霊体が砕けるほどの負荷でほとんど死んだようなもので、助かったのは奇跡に等しい、とあったくらいだからな)

 

 今までの二度はともに霊子甲冑もなく、実質的に命懸けで倒してきたのだ。

 そもそも一馬の件があったからこそ、華撃団を設立し、霊子甲冑を配備した部隊を作ったのだ。だというのにそして今回もまた──霊子甲冑がそこには無い。

 

「現在、夢組が中心となって討滅作戦を実施中……夢組が……え!?」

 

 さらに由里が連絡を受けて説明していたが──突然、戸惑うような声を上げてその報告がとぎれた。

 それに米田は思わず眉をひそめる。

 

「どうした?」

「由里、報告は速やかに、明瞭に」

 

 すかさずかえでからも叱責が飛ぶ。

 それで気を取り直した由里が再び報告を再開させるが──

 

「は、はい。失礼しました。それがその……夢組が『陰陽七曜の陣』を使い、武相隊長の『満月陣・望月』で迎え撃つ、そうです」

 

 そう言って由里は、気まずげに──複雑な表情で報告した。

 

「な──」

 

 さすがに絶句する米田。

 前回の大戦と同じような相手に対し、ほぼ同じ作戦を行う──それで敵を倒しているのだから正解に思えるが、違う。

 

「バカな! アイツは前回、それで──」

 

 激高する米田。

 そのときその場にいなかったかえでさえも、事情を知っており顔を青ざめさせていた。

 

「梅里くん……ダメよ! 命を賭けるなんて……全員生きてこそ本当の勝利なのよ」

 

 彼女の脳裏には、あの戦いで犠牲となった姉の姿が浮かんでいた。

 そして──報告した本人である由里と、その傍らの椿が不安げにチラチラと、同僚のかすみの様子を見ている。

 あのときはそこまで彼に強い感情を抱いていなかっただろうが、今は違う。

 その彼が再び命を懸けようとしているのだから気が気でないだろう、と二人は推測した。

 

(かすみ、大丈夫かしら?)

(かすみさん、きっと心配ですよね……)

 

 そんな二人が心配する中──三人娘のリーダー格として任務中は常に冷静さを失わず、凛とした雰囲気を維持する彼女が──完全に動揺し、肩を抱いて己の身が震えるのを押さえていた。

 その姿はさすがに由里も予想外である。

 

「か、かすみ、大丈夫?」

 

 由里は風組でも事務局でも常に傍らにいる同僚のそんな姿に、自分の報告のせいなのもあって心配で声をかけるが──それさえも聞こえていない様子だった。

 そんな二人の様子に椿も眉をひそめる。

 

「武相主任、なんて無茶なことを……無謀ですよ」

 

 冷静に考えればそれは分かる。

 だが──帝都を守る現場である最前線であれば、自らの命をなげうってでもどうにかしなければならない戦況があるのもまた事実である。

 

「モニター、出ます!」

 

 動揺のあまり動けないかすみと、それを労る由里に代わって報告する椿。

 モニターに出た画像では、夢組はすでに配置は完了している模様であった。

 巨大降魔兵器には月組が中心となってつかず離れずの位置で攻撃し、その挑発と足止めをしている。

 一方で、少し離れた場所で夢組は円陣となり、その中心には梅里の姿があった。

 健在なその姿を見て、かすみの目が力を取り戻す

 

「ありがとう、由里。もう大丈夫……」

「本当に? 無理しないでね」

 

 そう声をかけるが、今は非常時である。無理をしていない華撃団員などいないのだからかすみの性格上、それができないのは重々承知していた。

 業務に戻った由里だったが、すぐに指示がきた。

 

「由里、通信をつなげ!!」

「え? あ、はい……えっと、誰にですか?」

 

 慌てた由里が尋ねると、苛立った様子の米田が答える。

 

「ウメのバカ野郎に直接だ! 今すぐ!!」

 

 感情露わに指示を出す米田の剣幕に思わずビクッと怯む由里だったが、その気持ちも分かっていた。

 前回の『陰陽五曜の陣』をつかった作戦はけっして成功とはいえないのだから。

 

「はい! 武相夢組隊長に──」

 

 肩をすくめながら由里が通信をしようとして──

 

「武相隊長、聞こえていますか?」

 

 隣のかすみがすでに呼び出していた。

 驚いた由里は思わずかすみを見るが、彼女は全く気にした様子もなく、通信に集中していた。

 

『……はい? 聞こえてますけど……なんでしょうか?』

 

 意外にもあっさりと通信に出る梅里。

 おまけに決死の覚悟な悲壮感はなく、あっけらかんとした様子であった。

 

「今すぐ作戦を中止してください。米田司令からの指示です」

 

 そう言うかすみの方こそ、よほど悲壮感が漂っている。

 彼女はそう言ってから米田をチラッと見た。正式にはまだ米田が指示を出していなかったがゆえの確認だが、その意志は明らかであった。

 それを汲んで米田は頷いて事後承諾をする。

 だが──

 

「それはできません。アイツを野放しにはできないし、月組もそうはもたない。夢組にも……花組が来るまで保たせられるような戦力が残ってません」

 

 多数の降魔兵器を相手に戦った、帝都に残された霊子甲冑──光武・複座試験型はそのメイン搭乗者である近江谷姉妹はとっくに限界を迎えて後方送り。それに複座式自体もさっきの梅里達の一撃で限界を迎えた様子で、完全に動きを止めている。

 気を吐いていたレニ機のアイゼンクライトを借りていたなずなも、先ほどの降魔兵器の活動停止と共に限界を迎えて、これ以上の戦闘は不可能だった。

 

「この、バカ野──」

「だからってあなたが! ──あなたが再び命を捨てる理由には、なりません!!」

 

 怒鳴ろうとした米田の言葉を、かすみの大きな声が遮った。

 機先をそがれた米田は、気まずげに必死なかすみを見る。

 

「お願いです、武相隊長……梅里くん、止めてください。その陣を使った──夢組全員の霊力にあなたは耐えきれなかったじゃないですか! だからこそ前回、ああなったんじゃありませんか!」

 

 それがゆえにかすみが──そして米田も、かえでも、この場にいる全員が反対しているのだ。

 

「それでも助かったのは──周囲のみなさんの努力と、運が良かっただけです。あなたの命が失われるのを、私、私は……見たくなんて、ありません!!」

 

 ついに涙混じりとなったかすみのその声。

 それにはさすがに米田もそれ以上言うことはできないでいた。

 

「あなたを失っての、そんな勝利に意味なんて──」

「ありがとう、かすみさん。僕なんかのことを心配してくれて」

 

 感極まりながらも、どうにかして梅里を翻意させようと言葉を探し、紡ぐかすみに対し、梅里はいつも通りの口調で応えた。

 彼の声はその心優しさを体現したようなもので──梅里は信頼して欲しいとばかりに、また自分自身に自信を持たせるために、一度大きくうなずく。

 

「でも、僕は死にませんよ。今回は死ぬつもりで作戦を立てていません」

「え──?」

 

 涙で塗れた顔をあげるかすみ。

 そこには優しい笑顔を浮かべている梅里の顔があった。

 

「──梅里くん、聞こえていますか? かえでですが──どういうことなの? 説明をお願い」

 

 割り込んだのはかえでだった。

 副指令である彼女が、作戦内容を気にするのは当然のことである。またかすみにこれ以上、梅里に尋ねさせるのは彼女にとっても酷になりかねないと心配しての措置だった。

 そんなかえでに根拠となる作戦概要を説明する梅里。

 それを聞いて──かえでは顔色を変えた。絶望の闇の中に、希望の光明を見たのだ。

 

「確かに、それなら……」

 

 しかし即座に反発した者がいた。かすみだった。

 

「でも! 何の確証もないじゃないですか!! 梅里くんが生き残るなんて保証はどこにも──」

 

 必死に訴えるかすみ。

 

「かすみさん……」

 

 苦笑し、再び優しい笑みを浮かべる梅里。

 

「でも、ここでアイツを放置すれば、他の命懸けで戦う隊員たちが傷ついて、それこそ命を落とすかもしれない。抑えきれなくなって暴れ回るような事態になれば、帝都市民の命だって危ない。だから僕は──この命、賭して……アレを倒さなければいけないんです」

 

 そう言って梅里は巨大な降魔兵器を見た。

 梅里の決意は固い。説得が不可能であり、けっして分の悪い賭ではないとなれば──その上、帝都市民の命を持ち出されては、帝国華撃団の隊員であるかすみには止めることはできるはずがなかった。

 

「そ、んな……そんなことを、言われたら…………」

 

 それでも感情を整理できなかったかすみは、その場に泣き崩れてしまった。

 いつも冷静沈着な姿しかみせない彼女のそんな姿に由里や椿は戸惑いを越え、かける言葉さえ見つけられない。

 その様子に困った梅里は、頬を掻き──話しかけた。

 

「……かすみさん、一つお願いしてもいいですか?」

「──え?」

 

 かろうじて顔を上げるかすみ。

 涙で汚れた彼女の顔というのは、本当に貴重な姿かもしれない、と見ていた由里や椿が思う。三人娘の長姉的な立場の彼女がそんな姿を見せたことはなかった。

 そして梅里は、それほどまでに落ち着いた女性が自分のために取り乱しているのを冷静に受け止める。

 

「もしよかったら、祈っててもらえませんか? 僕がアイツを倒せるように、僕のこの命が助かるように……」

 

 だからこそ、それは本心からの言葉だった。

 けっして気休めではない。なぜなら──

 

「僕ら夢組が使うのは霊力──人の意志が、人の願いが、強い心が生み出す力です。もしかすみさんが強く願ってくれれば、それが僕を助け、守ってくれると思いますから」

「………………はい。わかりました」

 

 長い黙考の末、かすみは答える。

 そして気を取り直し、立ち上がる。

 

「失礼しました。武相隊長……帝都を、よろしくお願いします。司令──」

「ああ、わかった、作戦は続行だ。頼んだぞ」

「はい!」

 

 米田の指示に力強く頷く梅里。

 そうして通信は切れ──作戦は承認された。

 ──そして米田はかすみに注意する。

 

「それと……かすみ。作戦中は私的な通信は控えろよ? ったくこっちが赤面しちまうぜ……」

「は、はい! ……申し訳、ありませんでした」

 

 通信内容を思い出し、醜態をさらしたのに気がついたのか、かすみが顔を赤くして恐縮する。

 米田はそんなかすみの表情を見て──

 

(大神も心配だが、まったくウメのヤツも……)

 

 密かにため息をついた。ただでさえ夢組内でも複数の女性隊員が争っているという状況なのに、と半ば呆れる。

 そして──

 

「だが、だからこそ……ウメ、死ぬんじゃねえぞ」

 

 米田は小声でエールを送った。

 あやめ、一馬、そして山崎 真之介──今は亡きかつての戦友たちに、この危なっかしい後進を守ってやってくれ、と祈らざるをえなかった。

 




【よもやま話】
 耀山はおかしく成りつつあったのが、妖力のせいでそれが一気に進行しました。そのせいでしのぶを認識できなくなってます。
 で、アレを使おうとすればもちろんストップ掛かるよね、ということで後半はミカサからの通信──ある意味、ここはかすみルートなので、そちら専用にして正規ルートではカットしようかとも思いましたが。
 そういうわけで後半は、今後かすみ√に移してしまうかもしれません。

~追記~
 移すのはやめました。かすみ√では違う展開になりましたので。


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─12─

 夢組は陣を布いていた。

 前回の大戦では総員が帝都に残ったのに対し、今回はミカサの完成度が高くなったために艤装も大分できており、搭乗して結界の展開等を担当した者達が多数いた。

 そのためにこの陣に参加する明らかに人数が減っている。

 その証拠に──前回は要となる五曜を担うメンバーは全員、夢組幹部が担当したのだが、そのメンバーが変わっていた。

 封印・結界班の頭で前回は『土』属性担当だった山野辺 和人はミカサ防衛のための結界展開のためにミカサに乗り込み、こちらにはいない。そのため大地の力を花開かせる術を持つ副隊長のしのぶが代わって担当することとなった。

 和人同様に、『水』と『金』の属性もミカサ搭乗組だったために別の──霊力属性が合っている中でもっとも霊力の強い一般隊員が代わって担当することなった。

 

 ──そうして着々と準備が進む中、梅里は先ほど通信でしたかえでやかすみ達にした説明を思い出していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「前回の五曜の陣との違いは二つ。一つは、『七曜の陣』となったことで陽属性のカーシャが入ったことです」

 

 太陽の力である陽属性は皆の希望となること──すなわち皆から力を受け、まとめあげる能力である。

 それを持っている彼女がその役目を肩代わりすることで、梅里への負担が極端に減るのは間違いなかった。

 

「そして、もう一つは──朧月です」

 

 梅里は人差し指を立てて説明する。

 昨年の12月に告げられた、朧月使用中に限って霊子甲冑の適正が生まれたことを疑問に思った梅里。

 それで朧月には花組の大神の能力のような触媒能力があるのではないか、と推測し──それを極秘で調査していた。

 結果として、ほぼ確実と確信しているが、はっきりとした最終的な調査結果が出ていないので米田やかえでにもまだ報告していなかった。

 

「大神少尉なら、五曜の陣に耐えられたという検証報告も上がっていますからね。いけるはずです」

 

 笑顔を浮かべた梅里から作戦概要を説明され、かえでは深刻な様子でそれを検討し、含まれている推論にも十二分に説得力があると感じていた。

 だからこそ──この作戦がそのまま採用されたのである。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 外周には一般隊員たちが配置され、祝詞をあげて霊力を高めている。

 それをさらに底上げする、霊力の込められた演奏を行って支援するかずらもこの位置だ。

 その内側には陰陽五曜の陣と同じく──火・水・木・金・土の属性を持つ隊員達が配置されている。

 火の担当の紅葉と、木=陰陽道で木気の雷の属性を持つせりは前回と変わらず。

 土を担当した和人がしのぶが代わりに、水と金を担当する一般隊員の二人も幹部に囲まれながら緊張気味にその円に加わっていた。

 そして陣の中心には月属性の梅里と、日=陽属性のカーシャが布陣し、今まさに作戦は始まろうとしていた。

 

 その作戦に何の懸念もない──わけではなかった。

 

 

(やっぱり水と金……宗次と釿哉がいないのは、厳しいな)

 

 梅里は堅く目を閉じる。

 すでに代役は立てている。しかし同じ代役でも夢組幹部であるしのぶと違って一般隊員だ。

 属性が合致したという理由での代役だが、他の三人と比べると霊力がどうしても一段劣ってしまう。

 その明らかに劣る霊力で、陣を維持できるかが心配だった。

 五曜の部分は属性の優劣によって流れを作り、劣性属性から優越属性へと霊力を流し、練り上げるように高めるのがキモだ。

 しかし、霊力の強さそのものが劣る属性があれば、そこで流れが停滞してしまい効率が落ちる。

 そういった不安要素ができてしまったのである。

 

(でも、どうにもならない。あの二人は──)

 

 宗次は──ミカサでの戦闘で戦死。その報告は梅里も聞いていた。

 そして、その際に宗次が隠そうとした釿哉・ヨモギ・舞の戦死も、梅里だけは密かに報告を受けていた。夢組を預かる身なので当然である。

 だからこそ、その代わりに最後まで戦い続けなければならない。

 梅里がそう思ったとき──

 

 ドン、と大きな音がした。

 それも続けざまに二度。

 

「攻撃!? こんなところまで!?」

 

 その音を巨大降魔からの攻撃かと勘違いした梅里が音がした方を見れば──攻撃でこそ無いものの、なにかが飛来し地面に衝突した音だった。

 そしてそれが落ちたのは、どちらも中央の円陣で代役を務めようとしていた、水と金の担当者の場所。

 そこには──

 

「宗次……釿さん……」

 

 彼らの姿は無い。

 だが──彼らの立つべき場所には、どこから飛んできたのか、宗次の愛槍である『神槍真理』と、釿哉が使っていた銃剣が地面に突き刺さっていた。

 その二つの武器の背後には──『神槍真理』には力強く頷く宗次の顔が、銃剣には親指を立ててニヤリと笑う釿哉の顔が、それぞれ浮かんだような気がした。

 死してなお──その熱い二人の思いに、梅里の視界は思わずぼやける。

 

「……完璧だよ。ありがとう、二人とも。負けるわけがない……ああ、絶対に──“失敗しない”。そうだよね、ホウライ先生」

 

 彼女もまた行方不明者の一人。

 彼女と同じように自分に言い聞かせ──梅里は意識しながら自己暗示をかける。

 

「失敗しない……だから──発動せよ!! 『陰陽七曜の陣』ッ!!」

 

 梅里の号令で発動した陰陽七曜の陣。

 外円部の一般隊員たちから霊力が中心部へ向かって送り込まれる。それを高めるとともに制御して滞りなく流しているのは、まるで荘厳なBGMのように流れる、かずらの霊力を込めた演奏である。

 

(梅里さん……絶対に、絶対に死なないでください!!)

 

 特にその一念を強く込めて、かずらは演奏する。

 そして──その内側では、霊力が渦を巻いていた。

 皆から受けた霊力を受け取ったせりが──

 

「絶対に……絶対に死なせないんだから……」

 

 雷──『木』属性の彼女から『金』へ、そして『火』の紅葉、『水』と繋ぎ──

 

「梅里様……わたくしは、信じております…………」

 

 『土』担当のしのぶへと行き、さらにまた『木』気担当のせりへと流転し、高められていく。

 宗次と釿哉の武器が放つ霊力の助けをもあって、その莫大な霊力は滞ることなく流れていた。

 もしそれがなければ停滞した霊力の負荷によって、担当した一般隊員にさらなる負担がかかり──と悪循環を起こすところであった。

 その完成している陣によって、渦を巻いてさらに高められた霊力は陣の中心にいる金色の霊力を帯びたカーシャが(ひとえ)に集めていた。

 その傍らには銀色をした球状の霊力フィールドを纏った梅里がいる。

 陣の最終段階を前に──その銀光が急速に収束し、代わりにその体が淡く銀色に光る。

 無への没頭によって満月陣が朧月へと変化したのだ。

 そしていよいよ、『七曜の陣』は最後の段階へと移った。

 

「「頼んだわよ──ウメサト」──ウメくん」

 

 ──そのとき、なぜかカーシャの声と重なって別の声も聞こえた気がした。

 そして梅里は満月陣・朧月を使い、そこから望月を発動させ──カーシャからの霊力を受け止める。

 

「──ッ」

 

 体の中心から熱くなる感覚。

 熱病のそれとは違い──体にだるさはなく、逆に力が溢れてくる。

 そうして梅里が纏った光は、本来の銀色から金色へと代わり──淡く体を取り巻いていたものが、再び体を包み込む光球状のフィールドへと戻っていた。

 

 そして──次の瞬間、巨大降魔兵器の傍らへと空間転移していた。

 その周辺には巨大降魔兵器相手に囮を務めていた月組隊員たちがいた。

 

「来たな、梅里!! オレ達の霊力も──使え!!」

 

 突如現れた梅里を見るや、快哉の声をあげる月組隊長の加山。

 他の月組隊員たちも含め、さすがの反応速度で応えて手をかざす。すでに作戦はミカサから発信されていたので知っていたのだ。

 付近で活動中だった風組や雪組隊員達も気がついて手のひらを向ける。

 そして──上空に遠く離れたミカサからも、そちらに乗って陣に参加できなかった夢組隊員の仲間たち、そしてミカサを飛ばすためにサポートしている風組隊員たち、さらには米田とかえで、それに──

 

(梅里くん……お願いします。そして、どうか無事で……)

 

 霊力と共に送られてきた、祈るようなかすみの声が受け手である梅里にははっきりと感じられた。

 一段と輝きを増した金色の光球。

 そして──梅里は巨大降魔兵器へと一気に迫る。

 

「皆の明日を生きる希望のために──梅里さん!」

「そうよ、梅里! 帝都に平和を──」

「人々を苦しめる存在(もの)に……ウメサト、裁きを──」

「その狂った魂に救いを──よろしくお願いいたします、梅里様!!」

 

 それらの想いを受けて──

 

「ああ!! 皆で勝ち取る未来のために──」

 

 太陽のごとき金色の光をまとった梅里が、刀を振りかざす。

 そして頭に浮かんだのは、耀山が京極の下へ走るきっかけになった件であった。

 

「予知した不幸を回避しようとするあなたの気持ちは分かる!」

 

 それは帝国華撃団夢組の使命の一つでもあるから。

 だからこそその苦悩は誰よりも理解している。

 

「だが──それを、多くの人々の不幸を回避するために、大勢の人を不幸にするアンタのやり方は間違っている!!」

 

 その矛盾に、なぜ気がつかないのか──梅里は叫び、嘆く。

 彼が優れた陰陽師であればこそ──かつて幼いしのぶがあこがれるほどに心優しかったのだから、同じ道を歩むこともできたのではないか……そう思うがゆえに。

 

「だから僕は、それを──アンタの言う正義を否定する!!」

 

 そして全力を込めて刀を、刀身に金色の烈光をまとった聖刃薫紫を──振り下ろした。

 

 

「帝都を害するその悪意と怨念を──断つッ!!」

 

 

 相手が巨体とはいえ、薫紫の切っ先からは金色の光の刀身が延び──巨大降魔兵器を一刀両断に切り裂く。

 

「────ァァァァァッッ!!」

 

 周囲には巨大降魔兵器の断末魔の絶叫が響き渡る。

 そして込められた霊力が斬りつけられた巨大降魔兵器の体を伝わり、爆発し──周囲は金色一色の光に包まれた。

 

 

 その光の中で──梅里は、男の姿を見た。

 それは梅里よりも十歳ほど年上だろうか。穏やかそうに切れ長の目を細めた彼は──

 

「ああ、やはりキミが……あのとき見た、彼女の笑顔の原因(もと)か……」

「──え?」

 

 戸惑う梅里にさらに言葉をかける人影。

 

「ありがとう……そして、しのぶのこと……頼みますね……」

 

 そう言って理知的に微笑み──彼は光の中へと消え去っていった。

 




【よもやま話】
 正直、前と一緒にしてもよかったんじゃないかと思うくらいの長さですが、これを入れると─11─が長くなりすぎるという罠があるのです。
 最後の耀山はふと思いついて入れたのですが、そしたらなんかすげーイイ奴になってしまった。
 う~ん、もっと悪役らしくする予定だったのに。


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─13─

 梅里は刀を振り抜いた姿勢で立っていた。

 その背後にいたはずの巨大降魔兵器は莫大な霊力を受けた一撃によって倒され、その威容を誇ったはずの巨大な姿は、まるで悪夢から覚めたかのように消え去っていた。

 

 ──そしてその姿勢で、顔をうつむかせたまま動かない梅里。

 

 それはあの日の再現のようで──誰もが黙り、一歩も動けずにいる。

 やがて……梅里の体がガクリと崩れ落ちる。

 

「梅里ッ!!」

 

 それを見てせりが大きな悲鳴を上げ、真っ先に駆けだしていた。

 彼女は飛び込むように抱き抱えていた。

 そして体を起こすと、せりは泣きじゃくりながらその体を力一杯、抱きしめた。

 

「バカ! だから言ったのに……無茶だって……アンタは自己満足して、それでいいかもしれないけど、残された私は、どうしろって言うのよ!!」

「私じゃないです! 私たち、です!!」

 

 せりには一歩遅れたが、駆け寄ったかずらが隣で泣き始めていた。

 しのぶも、そしてカーシャも駆け寄り──他の皆も慌てて集まってくる。

 

「バカよ、あなたは! また同じことをして……同じ失敗をして…………」

 

 作戦開始前に、もっとも強固に反対したのはせりであった。

 しのぶは早々に梅里の思いを尊重しており、カーシャはその作戦の概要を聞いて分の悪い賭ではないと賛成し、かずらも梅里の固い決意を感じて覆せないと思って賛同したのだが──せりだけは最後まで頑強に反対した。

 そんな彼女に業を煮やして「なら、アナタの妹が犠牲になってもいいの?」と言ったカーシャと「そういうことじゃないでしょ!」と本気で喧嘩になったほどだ。

 しかしそれはカーシャの策略だった。

 怒りの矛先が梅里から彼女にズレたことで、梅里本人の話を聞く猶予ができたせりは、それ以外の手段がないことと前回との違いを懇々と説明され──渋々ながら、本当に断腸の思いで受け入れたのである。

 そしてその結果──輪の中心で、せりは梅里の体をありったけの力で抱きしめていた。

 

 そんなせりの肩がトントンと叩かれる。

 

 払うような仕草をして無視するせり。

 再度トントンと叩かれると、今度は鬱陶しそうにバシッと振り払った。

 そして怒鳴り散らす。

 

「うるさいわね! 邪魔しないでよ! 梅里が、梅里が……」

「……あ、あの、せり? ちょっと……どころではなく苦しいんだけど……力、弱めてくれないかな?」

「ハァ!? なんで私が──」

 

 噛みつかんばかりに声のする方を睨みつけたせりの目が──梅里の目と合った。

 は? え? なんで? といくつもの疑問符が頭に浮かび──毒気を抜かれたように唖然としていた。

 それから2、3度瞬きをして──

 

「…………なんで?」

 

 やっと出た言葉がそれである。

 

「なんでって……なにが?」

「いえ……死んだんじゃなかったの? それとも今回はもう生き返ったの?」

「いや、生き返るも何も、最初から死んでなかったけど……」

 

 そう答えながら「今回は」ってヒドいなと思う梅里。

 だがせりの追求は止まらない。

 

「どういうこと? さっき倒れたじゃない……」

「さすがに霊力の消耗は激しかったからね、立っていられなかったし。しばらく話しもできなかったほどで……」

 

 実際、しゃべれるくらいにはなったが、今も足に力が入らずに立ち上がることができないでいる。

 

「というか、今回は、とか、生き返る、とか……」

 

 改めてそれを指摘して苦笑する梅里。

 その発言もだが、自分の勘違いに気がついて、顔から火が出そうなほどに恥ずかしさを感じたせりは──

 

「な!? な、な……なによそれ!! もう信じられない!!」

 

 梅里の顔面に、握った拳が振り下ろされた。

 とはいっても全力のパンチではない。

 

「痛っ!」

 

 軽くぶつけるようなせりの──照れ隠しで振り回した手がぶつかった程度のそれだった。

 

「早く言いなさいよバカ! バカ! バカ! バカ! バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ! バカアアァァァッ!!」

 

 ポカポカと叩きながら、行き場のない感情を持て余しているせり。

 駄々っ子のようなその行動に、梅里はさすがにどうしたものかと困り果てる。

 

「やめろって、せり。それに、バカって言い過ぎだろ!」

「この……あっちゃけッ!! あっちゃけあっちゃけあっちゃけ! あっちゃけぇぇーッ!!」

 

 「バカ」を封じられ、それを地元の方言に変えて泣きながら叫ぶせり。

 どう対応したら泣きやんでもらえるか、悩んだ梅里は──困り果てて妹のカナにするように、その頭を優しくなでていた。

 妹はそれで泣きやんだという経験があったからだ。

 実際、せりも泣きやみ、驚いたようにきょとんとした目で梅里を見つめていた。

 梅里はそれに苦笑を浮かべ──次の瞬間、感極まったせりが抱きつくように、梅里の唇に自分の唇を合わせていた。

 

「「「なあぁぁぁぁ!?」」」

 

 周囲で見ていたかずら、カーシャ、しのぶはもちろん、他の観衆たちも驚いて声をあげる。が、せりはそれにさえ気がつかないほどに周囲が見えなくなっていた。

 

「よかった……本当に、よかった。梅里が生きてて……」

 

 唇を離したせりがもう一度強く抱きしめ──まるでその存在を確かめるようにしながら、そう言う。

 すると──梅里は顔をしっかりと捕まれ、強制的に横を向かされ──

 

「なっ!?」

 

 驚いた梅里に、今度はかずらのキスが待っていた。

 せりに負けんとばかりに数秒唇を重ね──それを離すと、

 

「よかった、梅里さん……よかったああぁぁぁぁ! うわ──ん!!」

 

 そう大声を上げて彼女もまた安心した様子で泣き出してしまった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そのころになると、周囲の人だかりも解け始めていた。

 せりの慌てっぷりから、その反応から梅里が死んだものと勘違いした隊員たちが大勢いた。

 そんな者たちも、存命が確認できたので皆ほっとしたのである。

 また、感極まったせりやらかずらが梅里にキスをするのを、さすがに気まずく思い、そそくさと退散する隊員たちが多かった──もっとも、盗み見ている隊員たちもそれなりの数はいたが。

 そんな隊員たちも、せりとかずらが泣きじゃくるだけになったために、興が冷めた様子で離れていく。

 そしてなによりも──その直後に、ミカサから花組が京極を討ち取ったという報が入り、その歓喜に沸き興味は一気にそちらへと移ったのである。

 

 その一方で梅里はといえば──そんな二人をなだめすかす羽目になっていた。体が過度の負荷からやっと立ち直りつつあるという、彼自身もそんなに余裕がある状態ではないのに。

 そうこうしているうちにようやく二人は最低限にまで落ち着き、梅里はどうにかその拘束から逃れた。

 その中でせりは、落ち着いて冷静を取り戻していた。そして今さっき自分のしたことを思い出したらしく、恥ずかし気に顔を赤くする。

 

「じゃ、じゃあ私は行くわね。うん、梅里の無事も確認できたし。隊の現状も確認しないと……」

「ではせりさん、いってらっしゃい──」

「あなたも、来るのよッ!」

 

 笑顔で手を振って、梅里の下に居残ってせりを見送ろうとしたかずらは、そのせりに頬をつままれ引っ張られていく。

 

いふぁい(痛い)いふぁい(痛い)!! ふぇりふぁん(せりさん)いいふぁふぇん(いい加減)ふぁたしのふぉっふぇはは(私の頬っぺたが)ふぉふぃ(伸び)ふぃっへ(きって)ふぉふぉひ(元に)ふぉふぉふぁらふ(戻らなく)ふぁふぃふぁふふぉ(なりますよ)

「それくらいで、ちょうどいいでしょ! 反省しないあなたの場合は!!」

 

 そう言って怒るせりにかずらもつれていかれた。

 そのころには足にも力が入るくらいには回復しており、梅里は「さて状況確認でも──」と立ち上がり、一歩踏み出した。

 そんな梅里だったが──ホッとしたのもつかの間、目の前には不適な笑みを浮かべたカーシャが仁王立ちしているのに気がつく。

 イヤな予感がして後ずさる梅里。

 それにズイッと近寄るカーシャ。

 

「あの……カーシャ?」

「ウメサト、アタシは前に言ったわよね。英国人は──」

「戦争と紅茶に全力を注ぐんだっけ?」

「ええ、それに加えて──恋にもね」

 

 そう言うや、かずらに負けじと梅里にキスをし──こちらは梅里が窒息しそうなほどに長時間、梅里の唇を求め続ける。

 

「~~ッ!!」

 

 息苦しさを覚えてあせる梅里。

 その接吻は外れるときに「ポン」と音を立てんばかりに強いものであった。

 その(一方的に)情熱的なキスで満足したのか、カーシャは笑顔で──

 

「じゃあ、続きはまた後で、ね♪」

 

 そう言い残してウェーブのかかったポニーテールを翻していった。

 そんな彼女の奇襲に驚き、息を整えつつ──「後で」があるのか、と思い、それをせりやかずらに聞かれなかったか、と心配する。

 周囲を見渡し、幸いなことにせりもかずらもいなかったが──最後に残っていたしのぶと目が合った。

 直前のカーシャとのやりとりから、つい身構えてしまう梅里。

 しかししのぶは距離を詰めてくるようなことはしなかった。

 代わりに、深々と頭を下げる。

 

「梅里様、ありがとうございました」

 

 そうしてから礼を言ってきた。

 そんな彼女に梅里は思わず首を傾げた。

 

「ありがとう……って何のお礼?」

「耀山様のことです」

 

 彼女はそう言って振り返った。

 巨大降魔兵器が討たれ、消え去った方向だった。そこには基になった巨大魔操機兵の残骸──もはや破片と呼ばれるくらいに細かくなった金属片が散乱している。

 ──そして、そこに人影は無かった。

 

「降魔さえも取り込むほどの妖気を放っていたあの方の怨念を祓い……あの方の魂を救ってくださいました。話し合いは──不可能でしたから」

 

 あの狂気をまとった耀山は、明らかに正気を失っていた。

 それ以前に──

 

「あの方は、だいぶ歪んでおられました。どこでどのようにしてそうなってしまわれたのか……元はあのような方ではありませんでしたのに」

 

 しのぶの言葉に、梅里は頷く。

 それはあの最期の瞬間に垣間(かいま)見えた穏やかな笑みこそ、その人の本性のように見えたからだ。

 

「これは僕の推測だけど、耀山……さんは優しすぎたんだと思う」

「梅里様……?」

 

 その言葉に驚いたようにしのぶが振り向き、彼を見つめる。

 

「あの人がどんな未来を見たかは分からない。でも多くの人が──それこそ都市や国単位で不幸になる人達を不憫に思い、憂い……その末にそれらすべての人を背負ってしまったんだと思う」

 

 それは人一人の手に余るのは間違いない。

 だが──なまじ優秀だったばかりに、それを背負い込もうとしてしまった。

 もちろん人が耐え得るはずもなく──潰れかけ、歪み、そして道を間違えた。

 いつの間にか、最初は人々を助けるというものだった目的が、不幸を避けることそのものが第一の目標になっていることに気がつかないまま。

 

「それを支えられなかったのは、わたくし達、陰陽寮の責任でもございます」

 

 梅里に頷いたしのぶ。彼女も梅里に共感しいていた。

 もし、周囲の者が助けていれば、共に支える人が大勢いれば──違う未来もあったかもしれない。それこそ華撃団側にいたことも十分あり得ただろう。

 それを考えると、しのぶは胸が痛かった。

 

「わたくしが、あの方をお支えできていれば……」

「いや、あの人は……自分からしのぶさんから距離をとったんじゃないのかな」

 

 しのぶは、自分の言葉を遮った梅里を思わず見つめる。

 

「──どういうことでしょうか?」

「あの人が、本当に自分が見た未来を避けるためになりふり構わなかったのなら、『覇王の魔眼』を持つ幼かったしのぶさんを利用したはずだよ」

 

 問答無用で人を従属させる力を持つその魔眼を、使わない手はなかっただろう。

 

「その方が、手っ取り早かった。未来を回避するためには時間はなによりも貴重だったはずだし……」

 

 根拠が予知なので期限がハッキリと分かっていた。その期限までに何とかしなければ、破滅が起こってしまうという状況では、基本的には駒がそろっていれば計画して動き始めるのに早すぎるということは無かっただろう。

 

「でも、あの人は陰陽寮の一部の勢力は利用しても……しのぶさんを利用しなかった」

「それは……」

 

 そして許嫁という立場であれば──まだ精神的に未熟で幼く、世間知らずなしのぶを言葉巧みに操ることも可能だっただろう。

 その手段を、耀山はとらなかった。

 

「実はさっき──巨大降魔兵器を倒したとき、あの人の姿が見えたような気がしてさ」

 

 梅里はしのぶをじっと見つめる。

 しのぶも視線を梅里に向けて、次の言葉を促す。

 

「あの人は、しのぶさんの未来も予知していたんじゃないかな。だから──たぶん、巻き込めば不幸にしてしまうと分かったから、だからしのぶさんとは違う道を選んだ、そう思えて仕方がないんだ」

「わたくしのことを考えて、わたくしを巻き込まないようにするために?」

 

 しのぶの確認に梅里はうなずく。

 魔眼を利用しなかったからこそ、陰陽寮で派閥を作り、それを大きくして発言力を強め、政府に働きかけるという手間と時間がかかる方法を使った。

 そのせいで目論見が外れ──耀山の理想とはさらに遠くなってしまうことになった。

 

「ありえません。それで失敗してしまったのなら、元も子も無いじゃありませんか」

「でもね、あの人は最期に言っていたんだ。しのぶさんが笑っている未来を見たこと、そして──僕に、しのぶさんを頼むって」

「──っ!!」

 

 愕然とした。

 梅里の言葉を聞いて、しのぶは思わず両手を顔に──その口にあてて、声が出るのをどうにかこらえた。

 初恋の人は……最期に自分のことを考えてくれたということに感極まり──その彼がもうこの世にいないことに、ひどく哀しく思う。

 それを考えて足から力が抜け──思わず崩れ落ちそうになる。

 

「──っと。大丈夫?」

 

 倒れかけたしのぶを慌てて支える梅里。

 しなだれかかって、身を預ける形になったしのぶ。彼女は彼の顔が思いの外に近くにあるのに驚いていた。

 そしてその優しげに笑みを浮かべるその顔を見た瞬間──幼いころに初めて耀山と会ったときに彼が浮かべた顔と重なった。

 

「ッ!!」

 

 そして、もう我慢ができなかった。

 涙が止めどなく溢れ、それをどうしようもない。しのぶはそれを隠すように、彼の胸に顔を埋めることしかできなかった。

 

「────っ! ──っ!!」

 

 声にならない泣き声を彼の胸にぶつけ──そして目一杯のやり場のない悲しさは涙となって流れていく。

 その背中を優しくさする梅里。

 幾分、落ち着きを取り戻し、涙に塗れた顔を上げたしのぶは──先ほどと同じ笑顔を浮かべている彼の唇に──自分の唇を押しつけていた。

 そしてそれを受け入れる梅里。

 

 遠く背後には『武蔵』の威容が、さながら“(つわもの)どもが夢の跡”とばかりに、物悲しく空虚にたたずむ中──梅里の手は、そっとしのぶの背中に伸び、彼女を抱きしめるのだった。

 

 

 ──こうして、京極慶吾が起こした反乱は、その野望を防いで平和をもたらすという歓喜こそ生んだものの、それ以外に大きな悲しみを残し──幕を閉じた。

 




【よもやま話】
 以前、これを読んでくれている友人から「主人公、唇奪われすぎじゃない?」という指摘をいただきました。読み返してみると確かにそうなわけで……
 ワンパターンはいけないとは思っているのですが……梅里はまだ鶯歌のことを引きずっているので、他に前向きになれないから、という理由だったりします。
 そんなわけで、彼が前向きになるのを気長にお待ちください。


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─14─

 ──戦いから約二月と少し後……

 

 帝都にあるとある教会の鐘が荘厳に鳴り響く。

 重々しく鳴り響くその音は──人を畏まらせるのに十分な厳かさを持っていた。

 あの戦いが起こした大混乱がようやく終息し、人々が落ち着きを取り戻そうとする中で、ケジメとして執り行われることになった今回の式。

 その主役となる者の中に──巽 宗次の名前があった。

 

 そう、今日は彼の葬儀──

 

 

 

 

 

 

 

 ──などではなかった。 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 あの日──帝都では幸徳井 耀山が生み出した巨大降魔兵器が夢組によって倒され、その上空の『武蔵』で騒動の根元であった京極慶吾が花組によって倒された、その日のこと──

 

 『武蔵』を離れた空中戦艦ミカサは帝都に戻りつつあった。

 ただし、帝都地下に分割収納されていたミカサを元に戻すのは容易ではない手間がかかる。

 その作業は風組によって行われ、その作業に全く役に立たない夢組のミカサ搭乗者組は邪魔にならぬよう、またダメージの大きい帝都居残り組のサポートのために、翔鯨丸に乗り込んで一足先に帝都へと戻ってきていた。

 その翔鯨丸が普段、地下に納められている花やしきにいた武相 梅里は、翔鯨丸が着陸のために高度を落としているのを、真下から見上げるように見つめていた。

 

「はぁ…………」

 

 そして大きくため息をつく。

 これからのことを考えると気が重かったために出た、大きな大きなため息であった。

 

「──どうしたんだ、大将? しけた面して……」

「いや、今回はさすがに……未帰還者が出たからね。その一人が宗次なのを考えると、ティーラとどんな顔をして会えばいいのか……」

 

 副隊長で夢組支部長の宗次と、夢組副支部長のティーラが恋仲なのは、夢組の者ならほぼ誰でも知っている。

 

「……ティーラも(つれ)えだろうな」

「うん……」

 

 ましてティーラは予知・過去認知班の頭であり、予知部門のエースである。その彼女が最愛の人の不幸を予見できなかったのは、痛恨の極みであろうし、それを気にしていないわけがない。

 梅里もまた最愛の人を亡くしたことがある。

 ひょっとしたら避けられたかもしれないその不幸を後悔し続けた身として、だからこそその心中は複雑であった。

 そして──翔鯨丸は到着し、その搭乗口が開く。

 

「とはいえ、激戦をアイツ無しで指揮を執ったんだから、労わねえとな」

「それはもちろんだよ。でも──宗次のことを考えると、やっぱりね……」

 

「──オレが、どうかしたのか?」

 

 そんな声がした。

 

「──え?」

 

 思わず声のした方を見れば、翔鯨丸から下船してきた、青い男性用夢組戦闘服に身を包んだ男の姿が見えた。

 さすがに唖然とする梅里。

 なぜならその見慣れた戦闘服の上には、見慣れた顔がついていたのだから。

 その顔こそ、夢組副隊長の巽 宗次のそれである。

 

「──は? えぇ!? だって、宗次……キミは……」

 

 信じられなかった。

 梅里が聞いた報告では、大日剣モドキの黄童子と戦闘になり、その撃破の爆発に巻き込まれて行方不明になったはずである。

 現に、今の今まで連絡は取れず、夢組の指揮はしのぶが執り、それを梅里が復帰してからは引き継ぐ形で執っていた。

 それが、なぜ──平然と翔鯨丸に乗って帰ってきたのか。

 信じられないようなもの──まさに幽霊や(あやかし)の類でも見た一般人のような梅里の目に、宗次もさすがに気まずさを感じる。

 

「あぁ、あれは……さすがにあの衝撃で気絶してしまってな……」

 

 宗次の説明によれば、大日剣の爆発に巻き込まれた宗次は吹っ飛ばされ、そこでそのダメージと、直前の過度の霊力消費で気を失ったらしい。

 

「とばされた場所も悪く、死角になっていて他の隊員からも気づかれなかったんだ。そのせいで危うく『武蔵』に取り残されるところだったが……」

 

 そう説明し、宗次は「はっはっは……」と普段は見せないような誤魔化す笑顔を見せる。

 ちなみにそのときの衝撃で通信機も壊れてしまい連絡も取れず、位置発信機能も途切れたために場所も不明になったらしい。

 

「……まったく、人騒がせな~」

 

 梅里が安堵のために脱力して、思わず地面に座り込んでいた。

 その姿をすまなさそうに見ていた宗次の背後には、心底うれしそうなティーラの姿が見え、それだけで梅里は「とにかく生きていて良かった」と心の底から思っていた。

 脱力してうつむき、地面を見ながら再度ため息をつく。

 そこへ──

 

「まったく本当だぜ、なあ……」

 

 梅里の人騒がせという意見に同意する声が聞こえ、梅里は思わず「そうだよ」とそれに相づちを打つ。

 だが──

 

「オイ、それはこっちの台詞だぞ」

「は?」

 

 宗次に言われて思わず顔をあげる梅里。彼にそう言われる心当たりはないが──さっきの死んだと勘違いしたのはあくまでせりであり、その報告は通信にも乗っていなかったはずだ。

 そう思って顔を上げた梅里だったが──宗次の視線は、梅里を見ていなかった。

 

「なんでお前が生きている、釿哉!!」

「──え?」

 

 宗次の視線を追って振り返れば──

 

 

 ──何食わぬ顔で松林 釿哉が立っていた。

 

 

 その傍らには、いつも通りの半眼のヨモギと、さすがに気まずそうに苦笑している舞の姿もある。

 

「はいィィィ!? な、なんで!? なんで生き返ってるの!? 釿さんが……」

「なんでって……オレは大将と違って死んだことは一度もないぞ? ……そもそもさっきからずっと話しかけていたじゃねえか」

 

 ほんのつい先ほどまで、梅里は宗次やティーラのことばかり考えて上の空になっていたが、言われてみれば確かにその声で話しかけられていたように思える。

 だが、宗次は納得しない。

 

「土蜘蛛と戦って、お前達は甲板から姿を消しただろうが!! ミカサ内に姿がない以上、落ちたとしか思えなかった。そして、あの高さから落ちて、助かるわけがない!!」

「あー、確かにな。落ちたときは死んだと想ったぜ。でもオレ、実はあのとき……落下傘、背負ってたんだわ」

 

『なッ!?』

 

 さすがに驚く周囲の者達。

 

「馬鹿な! お前はあのとき、そんなもの背負ってなど──」

 

 宗次の指摘通り、釿哉はあのときは落下傘を用意している様子はなかった。

 

「さすがに皆が命綱だけで高所作業するのに、一人だけ万が一に備えて、しかも責任者の(かしら)が落下傘背負ってるのも格好悪いだろ? だから認識阻害かけたんだわ、その落下傘に」

 

 宗次が唖然とする中、「いや~、それがまさか役に立つとは」と頭を掻く釿哉。

 

「意外とビビリですから、この人」

 

 とはジト目で釿哉を見ているヨモギの言葉である。

 

「で、八葉の爆発に巻き込まれ、オレたち三人は命綱も切れて放り出されて、さすがにやべえ、ってなったんだが──認識阻害が強すぎてオレ自身さえ忘れてたその落下傘を思い出して、とっさに篭手に仕込んでたワイヤーで他の二人を引き寄せて、降魔兵器に的にされないよう十分に高度を落としてから落下傘を開いて、無事に着地したってわけだ」

「私たちも負傷がひどかったので……その場で応急措置をしていたんです」

 

 気まずそうに舞が説明する。

 

「こっちも通信機が、爆発に巻き込まれて空に放り出された際に外れたらしく、3人とも残ってなくて……治療後に急いで花やしき支部を目指したんですが、なにしろ遠いところに降りてしまった上に、混乱で交通機関も麻痺していて……間に合いませんでした。申し訳ありません」

 

 苦笑を浮かべながら説明する舞は、釿哉とは対照的に本当に申し訳なさそうだった。

 

「まったく人騒がせな……」

 

 先ほど言われた台詞を、今度は憤然としながら漏らす宗次。

 

「あの……宗次も他人のこと言えないと思うけど?」

 

 梅里が頬を掻きつつ指摘する。

 

「ん? オレは八束からの念話(テレパシー)での協力要請で、神槍真理に霊力を込めて投げたんだぞ? そのときになぜ生きていたと気がつかなかったんだ?」

「あ~、それはオレもだ。銃剣に霊力込めて全力で投げたわ」

 

 宗次と釿哉の説明には心当たりがあった。

 確かに陰陽七曜の陣を使った際に、どこからともなく飛んできた二人の武器のおかげで、陣は安定して作用し、霊力は増幅されて巨大降魔兵器を倒すほどの霊力を生み出した。

 それに梅里は、今度は彼が気まずそうに──

 

「あれは、死んだ二人の形見の品がその遺志に従って飛んできた感動的なシーンかと思って……」

「「勝手に殺すな!」」

 

 二人に言われて首をすくめる梅里。

 だが──

 

「お二人、いえ四人が生きていらっしゃって、よかったではありませんか」

 

 もう一人の副隊長であるしのぶが間に入る。

 

「つまり夢組は──負傷者は多数出ておりますが、死者及び行方不明者は無し……ということでございましょう?」

 

 しのぶの指摘に釿哉と宗次は顔を見合わせ──拳をぶつけ合う。まるでその生存を確かめ合うように。

 それから宗次は夢組全員の方を振り向き、大声で指示を出した。

 

「総員──整列ッ!!」

 

 その指示と剣幕で、夢組隊員達は集まり、整然と梅里の前に並ぶ。

 並び立つ隊員達の横に立った宗次、列の正面に立つ梅里に向かって頭を下げ──帽子をかぶっていないときの敬礼である──そして顔を上げると夢組の隊員の総人数を言う。

 

「──欠員無し!! 総員、異常ありません!!」

「了解。みんな、ご苦労様。よくぞ……生き残ってくれた」

 

 梅里がその報告に笑顔を浮かべ──

 

 

『──はい!!』

 

 

 夢組全員の返事が、晴れ渡った冬の空に響きわたった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──というわけで、夢組に死者・行方不明者はなく、全員がその戦いを生き延びた。

 激しい戦いの中で、さすがに負傷者は多数出ており、中には四肢のいずれかを欠損するほどの負傷を負った者もいたが、とにかく命だけは皆助かったのである。

 そんな中で、巽 宗次は本日、今日のこの良き日に──この教会で行われているのは──

 

 ──結婚式だった。

 

 主役の一人である新郎の宗次。

 その白いスーツに身を包んだ出で立ちは筋肉質ながらスラッとしており、その洋装がとてもよく似合っていた。

 もう一人の主役である新婦──花嫁は、と言えば純白のドレスを身にまとい、そのベールの下は長い黒髪と健康的な褐色の肌が目に付く。

 二人はすでに祭壇の前におり、並んで寄り添うように立っていた。

 そして、その壇上にいる神父が問う。

 

「巽 宗次……あなたは病めるときも健やかなるときも、妻であるアンティーラを愛することを誓いますか?」

「はい、誓います」

 

 宗次の答えに頷いたのは──神父を務めるコーネル=ロイドである。

 彼はウェディングドレス姿の女性──ティーラを振り返り、彼女にも問うと──

 

「はい。誓います」

 

 目を伏せ厳かに彼女も誓った。

 

「なんで、巽副隊長もティーラさんもキリスト教徒じゃないのに、教会でやるんですか?」

 

 そう言って、参列者の席で首を傾げるかずら。彼女はこの場にふさわしい大人しめのドレスを着ていた。

 それに答えたのはしのぶ。彼女は洋服であるかずらと違い和装である。髪を結い上げ、やはり主役であるティーラを立てるために控えめの目立たない程度に押さえた装いであった。

 

「コーネルさんが帰国するので、最後に彼に祝福してほしいから、だそうですよ」

「う~ん……まさか、コーネルが退団して帰国するとは思わなかったわ」

 

 しのぶの説明に眉根を寄せて困った顔をしたのは、こちらも和装のせり。

 

「揚げ物担当、いなくなっちゃいますもんね」

「それは残った人でカバーする予定よ。なんならかずら、あなたも厨房入りしてみる?」

 

 ちょっかいを出してきたかすらに、意地悪く笑みを浮かべるせりが返すと、彼女はあわてたように答えた。

 

「い、いえ……副主任が厳しそうなので、遠慮します」

「それにしても、英国でも華撃団を作るから、でしたっけ?」

「そうよ。それをまさか──カーシャが言い出すとは、ね」

 

 思い出すように首を傾げたしのぶの言葉に、せりが答える。

 彼女の説明通り、英国での華撃団立ち上げのため──かつては中心になっていたトワイライト家のカーシャが英国へ帰国し、その手伝いのために、帝国華撃団で活動してノウハウを知っているコーネルも帯同する、ということになったのだ。

 かつては華撃団の敵であったカーシャ。その一番の被害を受けたものとして、せりは複雑な想いがあった。

 

「それで、帝都(ここ)を離れて帰国するなんて……まさか、まさかよ」

 

 その計画が完了し、無事に設立されれば倫敦華撃団となるそれを組織するために、カーシャは帝国華撃団を退団し、英国へと帰国することになった。

 そして、その応援にコーネルを勧誘したのである。

 カーシャの梅里への想いを知っているだけに、せりは信じられない思いだった。

 

「……そういうのは、本人のいないところで話してくれない?」

 

 とは、彼女達が話している後ろの席にいたカーシャの言葉だった。

 彼女もまた参列者の一人であり、主役を食わないギリギリラインの豪華さを誇るドレスをチョイスして着こなしているあたりは、さすがと言う以外にない。

 

「それは悪かったわね。でも──なにを企んでいるの?」

 

 そう言ってジト目を向けるせり。

 彼女の(したた)かさを知る者としては、ここであっさり日本を去ることが、梅里を諦めたのだというようには思えなかった。

 

「なんのことかしら? 元々、倫敦は華撃団構想に乗り気だったんだし、欧州の本部は巴里に奪われても、第二の──最大の支部を目指すだけよ」

 

 そう言ってから、もし巴里に何かあれば本部にとって代わるつもりだし、と付け加え、野望に満ちた目をするあたりは、カーシャらしいと言えるだろう。

 しかしせりもそれで警戒を緩めるようなことはしない。

 

「あなたの父の言葉、忘れてないわよ。梅里のこと、ずいぶん熱心に勧誘していたのに、あっさり手を引くだなんて……おかしいわよ」

「そうだったんですか? でも、それなら確かに……」

 

 せりの言葉にかずらも警戒して「む~」とにらむ。

 そんな二人に対してカーシャは、優しげな目でフッと微笑んだ。

 

「アタシなりの罪滅ぼしよ。アタシのせいで、帝国華撃団には多大な迷惑をかけてしまったからね」

「罪滅ぼし……?」

「ですか?」

 

 せりとかずらの言葉に、カーシャは一度うなずいた。

 

「それこそアタシの手には余るような、大きな大きな借り……だから組織を作り、それを帝都に何かあったなら手助けできるくらいに強くて大きなものにできれば──すぐには無理でも、ゆくゆくは帝都の一助になれれば……そう思って、倫敦での華撃団設立に尽力しようと思ったのよ」

 

 カーシャは遠い目をしながら語る。

 

「倫敦の華撃団計画は我がトワイライト家は一度手を引いてしまったので、この話は他の家が引き継いでいるの。それを横取りするのは信義に(もと)るわ。だからアタシが直接、華撃団のメンバーになることで、手助けしようと思って。幸いなことに、霊子甲冑で戦えるし──」

 

 華撃団を組織するのを助けることができ、なおかつ霊子甲冑を駆る主力部隊に所属できるのは、カーシャしかいないだろう。

 

「そっか。カーシャさんがいなくなったら……寂しくなりますね」

「そう言ってくれるのは嬉しけど、全然そうは見えないのだけど?」

 

 ニコニコしながら言ったかずらを、呆れた様子で見るカーシャ。

 そして彼女は、その特徴とも言うべき、自信に満ちた勝ち気な笑みを浮かべる。

 

「……それに、もちろんウメサトをあきらめたわけじゃないわよ?」

「えぇ!?」

 

 その言葉にかずらは思わず声をあげてしまう。

 式の真っ最中ということもあって、周囲から視線が注がれ──あわてて口を押さえて頭を下げた。

 

「もう……かずら、恥ずかしいでしょ? 大人しくしてなさい」

 

 せりからはたしなめるような抗議の言葉が飛んでくる。その口調はさながらお転婆な妹を咎める姉のようであった。

 その一方で、カーシャは声を抑えながら自分の考えを説明し始めた。

 

「巴里ではあきらめたみたいだけど、旧教(カトリック)勢力の力が弱い英国なら、バチカンの影響力も弱いし、霊能部隊を組織できるはず。そうなったら──倫敦華撃団夢組の隊長にスカウトするつもりよ」

「な……そんなの、認めません!!」

「あんな料理不毛地帯に、料理人の梅里が行くわけないじゃない」

 

 そう言って反発するかずらとせり。

 しかしカーシャは「フフン」と自信ありげに笑みを浮かべ──

 

「良い報酬と良い待遇。充実した福利厚生。さらにそこにアタシを入れれば──必ず来るわ。アタシも、今よりももっと自分に磨きをかけて迎えに来るつもりだし」

「えぇ~、カーシャさんとか余計なオマケが付いてきたら、断られるんじゃないですか?」

「まったくその自意識過剰なまでの自信……どこからくるのかしら」

 

 呆れたようなかずらとせり。

 そして──

 

「……では、その前に梅里様には、わたくしと夫婦(めおと)になっていただくとしましょうか」

 

 黙っていたしのぶがボソッと言い──他の三人が目を丸くした。

 そして一気に騒ぎ出す。

 

「な、なんでしのぶさんと梅里が結婚するって話になるのよ!!」

「そうです! そんな抜け駆け、許されるはずがありません!!」

「まったく……澄ました顔で虎視眈々と狙うなんて、やっぱりしのぶはキツネね」

 

 せり、かずら、カーシャが次々と言い──

 

 

「オホンッ!!」

 

 

 神父──コーネルの大きな咳払いで、我に返る四人。

 見れば他の参列者から冷たい目で見られてしまっていたのであった。

 そんな四人を苦笑して見ていた梅里は、なぜかその四人から「あなたが元凶でしょ?」とばかりに鋭い視線を送られ──かくして式は厳かに進められていく。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 やがて教会の外へでた新郎新婦と参列者。

 晴れ渡った日差しは、この時期にしては珍しく温かさを生み、この式の主役二人の行く末を祝福しているかのようであった。

 そして厳かに響きわたる教会の鐘。

 鐘の音に併せるように、参列者からのフラワーシャワーが舞った。

 宗次とティーラを祝福する声が何度も何度も挙がる。

 華撃団の慶事ということで所属の組を分け隔てなく集まったその式は、本当に素晴らしいものであった。

 

 そして──その最終盤になり、にわかにその場に緊張が走り始めた。

 

「ねぇ、マリア? これから何が始まるの?」

 

 そんな不穏な空気を感じ取ったのか、華撃団員として参列していた花組のアイリスが、同じように参列していたマリアに尋ねる。

 

「それはね、アイリス。これから花嫁が手にしたブーケをみんながいる方に投げるのだけど……それを受け取った人が次の花嫁になれる、と言われているのよ」

 

 マリアが優しい目をしながらそう説明する。すると──アイリスは目を輝かせた。

 

「アイリスも欲しい!! だって、アイリス、お兄ちゃんと結婚するんだもん!!」

「ア、アイリス……今回は夢組のティーラさんの式だから──」

 

 そう言ってあわててたしなめたのは、同じく参列していた花組のさくらだった。

 そして彼女はそっと振り返り──せりに親指を立てる。

 

(健闘を祈ります)

 

 それを見たせりもまた感謝を示す。

 

(ありがとう、さくら。私の時はあなたにパスするわね)

(いいえ、あたしの方が先に結婚しますので──そのときもせりさんに投げてあげますから)

(いやいや、私の方が年齢上なんだから先に──)

(でも大神さんと武相主任なら、大神さんの方が年上ですよ? やっぱりあたし達が先に──)

(いえいえいえ、私と梅里の方が──)

 

 視線とジェスチャーでなにやら言い合いを始めるさくらとせり。

 それを何事かと微妙な視線で見つめる周囲の者達。

 

 やがて──ブーケトスの時間がやってきた。

 梅里の周囲にいるせり、かずら、しのぶ、カーシャの四人は「私に!」とジッと見つめ、ティーラにアピールする。

 

「これは……プレッシャーですね」

 

 思わず苦笑する花嫁のティーラ。

 彼女はちらっと、大神 一郎の周囲に集まってる花組メンバー達を見て、わずかに頭を下げる。

 彼女達には申し訳ないが、今回は──やはりあの四人の方へと投げるしかないようだ。

 そもそも、大神周辺に投げれば、それ以上の修羅場を起こしかねない──というのは、予知能力を使わずともわかる。

 占い師であるティーラの投げるものだから霊験あらたかだろう、と目の色を変えている者は大勢いるように見えるのだから。

 

(といっても、あの中でも誰かの近くに投げれば、角が立ちますからね──)

 

 そうしてティーラは満を持して──四人の誰もが取れるところへと放った。

 

 

「「「「「────ッ!!」」」」」

 

 

 必死に延ばされる五つの手。

 しかし、ブーケはそれらをくぐり抜け──中心にいた梅里の手の中へと収まってしまった。

 

『あ…………』

 

 会場中が絶句する中、はからずも自分の手に収まってしまったそのブーケを梅里が気まずそうに見つめていると──せりが梅里に手を差し出した。

 

「う、梅里が持っていても仕方ないでしょ? ほら、私に渡しなさいよ。あなたが受け取っても場が白けるだけだし……」

「な!? せりさんズルいです! 梅里さん、是非とも私にください! そして結婚しましょう」

「まぁ、かずらさんったらなんとはしたない……梅里様、あなた様ならわたくしに渡してくださるものと信じております──」

「あら、ウメサト。もちろんアタシにくれるんでしょう? 日本の最後の思い出だもの」

 

 四人に手を突き出され──

 

「え? あ、いや、その……」

 

 ブーケ片手にたじろぐ梅里。

 

「もう! 煮え切らないわね!! そんなだからあなたは──」

「そうです、梅里さん。この際ですからハッキリしてください!!」

「梅里様、わたくしはいつでもいつまでも、わたくしを選んでくださるものと信じてお待ちいたしております……」

「ほら、ウメサト。アタシに決めてしまいなさいって。そして英国に行きましょ?」

「──梅里くん、ここはやはり年長者の私に、譲ってくれるんですよね?」

 

「「「「──って、かすみさん!?」」」」

 

 突然の乱入者──実は先ほど四人に交じってひそかに手を伸ばしていた──に、四人が目を丸くして驚き、彼女を見る。

 彼女たちの視線が逸れた、その瞬間に隙を見つけた梅里は迷わず走り出していた。

 

「「「「あ! 逃げた!!」」」

 

 あわてて追いかける女性達。

 

「待ちなさい、梅里!!」

「梅里さん、逃がしませんよ!」

「梅里様、お待ちになってくださいませ!!」

「アタシは、欲しいものはどんな手を使ってでも掴んでみせるからネ、ウメサト!!」

 

 荘厳な鐘の音が響きわたる中、武相 梅里と彼を慕う女性達の壮絶な追いかけっこが始まるのであった。

 

 

 天下太平こともなし。

 平和が戻った帝都に──

 

「ティーラ、もう一回やりなおして! これ渡すからもう一回投げてよ~!!」

 

 梅里の救いを求める叫び声が響きわたるのであった。

 




【よもやま話】
 二人──というか四人──とも生きてました、実は。というオチ。
 はい、物を投げないでください。
 だって……サクラ大戦ですよ? 死なせるわけにいかないじゃないですか(「1」であやめは死んでるけど) 。
 ええ、私だってリューナイトの終盤で月心、グラチェス、ヒッテル&カッツェと、次々とやられて、最後に戻ってきたのは唖然としましたよ。悲しみ返せコンチクショーと思いましたから。
 ……少しでもそう思ってくれたのなら、作者冥利に尽きます。

 後半の宗次とティーラの結婚式は──もうリメイク前から決まってたラストでした。ブーケトスのラストまで完全に当時考えたままです。
 おかげでやっと20年前の心残りが解消しました。
 でも……クーガーの兄貴に言いたい。20年かけても傑作小説がかけないバカもいるんですよ。ホントに。


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個別エンド集

鶯歌:
 さぁ、前回同様に、ここまで話を読んでくれた皆さんに特別プレゼント。
 もちろん今回も、全部読んでくれて構わないけど……どの()との未来から読むか、選ばせてあげましょう。
 ──と言っても、も・ち・ろ・ん、一緒に光武・複座試験型に乗った娘を選ぶんでしょう?

 さぁ、ウメくん。どの娘との未来を見るの?















◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

~しのぶエンディング~

 

 荘厳な雰囲気をまとう、大きな大きな屋敷。

 京の都の中心地にそれを構えるということが、その家がどれだけ強い力を持っていたのかを如実に物語っていた。

 その中にある建物の大きな広間──畳が敷き詰められたその空間の真ん中に、武相 梅里はいた。

 彼は畏まり、相手がやってくるのを待っている。

 やがてやってきた足音を耳にして、頭を下げ──ジッと待つ。

 

「……顔を上げられよ」

 

 やってきた男の声に梅里は従った。

 束帯に烏帽子という、古の貴族そのままの姿の彼が目に入る。

 その人こそ、日本最大にして世界でも有数の歴史を誇る魔術結社、陰陽寮の現在の最高権力者である。

 

 その彼は、目の前の帝国華撃団を代表してやってきた若い男──陰陽寮が協力している霊能部隊・夢組の隊長──を一瞥し、さらにはその後方に控える女性を睥睨する。

 その長い黒髪、顔を伏せているためにハッキリとは見えずとも、なにより特徴的で印象的な、その閉じたような細い目の彼女を見間違えるはずがない。

 

 ──塙詰 しのぶ。

 

 彼の家である土御門家の分家筋にあたる塙詰家。土御門同様に昔から陰陽寮の運営に寄与してきた貴族であり、一族皆陰陽師というその家は現代にあっても土御門家には劣るが爵位を与えられた華族でもある。

 その彼女が、陰陽寮を代表する自分側ではなく、相手側に座していることは、彼女が帝国華撃団夢組副隊長という地位があるのを理解しても、面白くはなかった。

 彼の言葉に従って頭を少し上げた男は、この年の始めまで続いた帝都での争乱とその顛末を彼に語るのであった。

 

「──以上のようにして、華撃団は事を収めた次第です」

 

 陰陽寮の当主への報告を終えて、梅里は再び頭を下げた。

 それに当主は──

 

「左様ですか。報告、御苦労さまです」

 

 事務的にそう言って、立ち上がろうとした。

 そこへ──

 

「お待ちくださいませ……」

 

 梅里の背後にいたしのぶが声をあげた。

 

「此度の戦いにおいて、陰陽寮がその立ち位置を不鮮明にされた時期がございました。それについて、お聞きしたいことが……」

 

 それは、黒鬼会との戦闘が激化して間もないころの話だった。

 先の戦い以降、友好的な関係を築いてきたはずの陰陽寮が、突如として華撃団と距離をとろうという動きがあったのだ。

 特に若手の中で顕著で、その動きの中心になったのは彼らであり──それこそ、元は『復古派』と呼ばれていた者達や、その影響を強く受けた者達である。

 その動きは、黒鬼会と連動していたものであり、かつて復古派の代表であった幸徳井 耀山が黒鬼会のメンバーであったことを考えれば、そこにつながりを疑うのは当然のことだろう。

 当主は露骨に顔をしかめ──

 

「いえ……必要ございません」

 

 梅里が遮る。

 

「え? ……梅里様?」

 

 驚き、小声で確かめるしのぶ。だが、梅里はそれに反応せず、当主の方を見て顔を上げ──

 

「陰陽寮と、我ら帝国華撃団の関係は常に良好……そうでございましょう?」

 

 そう言って人好きのする笑顔を浮かべた。

 そんな彼の行動に戸惑った当主だったが、「うむ、左様であるな」とうなずく。

 しのぶは不満そうであったが、ともかく当主は再度立ち上がろうとし──

 

「おそれながら……その友好の証として、献上したいものがございます」

 

 梅里は恭しく、一段と頭を下げる。

 そして、大きめの包みを座している自分の前に置いた。

 動きを止めた当主は──側に控える者をチラッと見ると、その視線を受けた者が包みを受け取り、それを当主の下へと運んだ。

 

「これは?」

「中を、御確認くださいませ」

 

 包みの口を開き、中を見ると──そこには細かな金属の破片が入っていた。

 思わず眉をひそめる当主。

 

「──それなる金属片は、我らが倒した敵が残したもの。此度の戦いの証拠として、是非ともお納めくださいませ」

 

 『武蔵』側ではなく、帝都に出現した最大の敵である巨大降魔兵器。その核となった魔操機兵の、ボロボロになって残った破片である。

 梅里が言うと、当主はますます眉をひそめた。

 

「かようなことをされずとも、こちらはその戦果を一つも疑ってなどいないが?」

「そして──“人形師”こと幸徳井 耀山がこの世に残した唯一のもので御座います」

 

 梅里がポツリと付け加えた言葉で、当主は顔色を変える。

 当主の雰囲気が剣呑なものへと一気に変わっていた。

 

「……かような物を我らに示すとは、いかなる存念か?」

 

 元陰陽寮の陰陽師だった幸徳井 耀山。その遺品を送りつけるというのは、しのぶの発言も含めれば陰陽寮を糾弾しようという意図であると受け止めるのも当然である。

 先ほど、梅里が関係を「常に良好」と言ったことも、皮肉として受け止められる。

 陰陽寮の当主たるもの、当然に超一流の陰陽師である。

 古より呪術さえも研究されていた陰陽寮の、その性質は清濁併せ持つものであり、当主の放つものは霊力とも妖力ともつかないものであった。

 その異様な気配を前に、しのぶは恐れおののいたが──その前にいる梅里は臆することなく、しかし(へりくだ)ることもなく、神妙な面持ちのまま言った。

 

「……子を案ずるのは親として自然なことかと思い、余計な気を回した次第で御座います」

 

 彼の落ち着き払った声が響き、それに対し──

 

「…………っ」

 

 梅里の言葉に息を飲んだ当主。その纏っていた剣呑な空気は吹き飛んでいた。

 幸徳井 耀山の遺体は残っていなかった。

 しかし最期の乗機となった超大型魔操機兵・六道は巨大降魔兵器の核になっているのが確認されており、それが完膚無きまでに破壊されていることから、行方不明ではなく戦死したと認められている。

 その唯一残したというその破片は──彼の遺品であり、遺骨にも等しい。

 だからこそ梅里はそれを、彼の実の親である土御門家の当主へと渡したのだ。

 

「左様か……」

 

 包みの口を閉める当主。

 彼は立ち上がると即座に後ろを振り返って梅里達に背中を向ける。

 

「かような行い……かの者は幸徳井家の者であり、すでに我とは関係ない。まして──陰陽寮からは追放された者。過ぎたる気遣いと心得よ」

「──は。申し訳ありませんでした」

 

 頭を下げたまま謝罪する梅里。

 それに対して彼は──

 

「この破片は、先ほどのそなたの言の通り、華撃団の戦果の証として、受領しよう」

 

 当主の言葉に、梅里は一度、さらに深く頭を下げる

 その動きを察したのか、彼は──

 

「……遠路はるばる大儀であった」

 

 そう言い残して広間から去り、姿を消す。

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいたが──梅里もしのぶも、それに気づくことはなかった。

 

 

 冬寒い京都とはいえ少しだけ暖かさを感じられるような季節にとなっていた。

 そして梅里は、しのぶと共に桜の名所の一つでもある上加茂神社の通称で親しまれる賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(じんじゃ)──を訪れ、その一の鳥居から続く桜並木を眺めていた。

 この神社に訪れた際には梅里が「加茂って、あの?」と陰陽寮で中核となった加茂家の氏神を祀っているのかと思ったが、しのぶの説明によれば別系統らしい。

 そんな会話をしながら、見事な桜を眺めていると──会話が途切れたタイミングで、しのぶが不意に立ち止まった。

 

「梅里様……重ね重ね、ありがとうございました」

「なんのこと?」

 

 桜の花を見上げていた梅里は、しのぶに言われて首を傾げる。

 

「先の、陰陽寮での一件でございます」

「あれは……礼を言われるような事じゃなかったような気がするけど。現に当主様を怒らせてしまったみたいだしね」

 

 梅里が言うと、今度はしのぶが首を傾げた。

 

「御怒りになどなられて無かったかと思いますが……」

「でも、余計な気遣いだって言われたけど?」

 

 それでしのぶは、なるほどと納得する。梅里の勘違いに気がついたのだ。

 

「御方様は陰陽寮の長でいらっしゃいますから、その立場からああ言わざるを得なかったのだと思います。もし、本当に不快に思っていらしゃったのなら、突っ返してそもそも受け取らなかったかと」

「じゃあ、受け取ってもらえたってことは……」

「梅里様のお気持ちはキチンと伝わった、ということでございましょう」

 

 そう言ってしのぶは微笑み、スッと梅里との距離を縮める。

 

「実はあのとき、わたくしは感動しておりました。子を案ずるのは親として自然のこと、と……」

 

 そう言ってしのぶが思い浮かべたのは、自分の両親だった。

 土御門家の分家筋にあたる塙詰家。

 そんなしのぶの親もまた陰陽寮に属する陰陽師である。

 そして──先の大戦で陰陽寮の意図に逆らったしのぶは、それ以来両親には会っていない。

 陰陽寮は結果的には、しのぶにその反逆の責を問わなかった。

 黒之巣会との戦いが終わった直後に華撃団を代表した梅里が直接訪れて、陰陽寮が華撃団を裏切って人員の引き上げを行ったという事実を無かったことにしたためである。

 そのおかげで責そのものがなくなったからだが──それでも両親は家の存続のためにしのぶと距離を置き、今に至るまで会っていない。

 

「梅里様……」

「うん?」

 

 しのぶに呼ばれ、梅里は振り返る。彼女は思い詰めた様子で梅里をジッとみる。

 

「わたくしも、両親に……御父様や御母様に、会うべきでしょうか? 二人にお会いすることが迷惑にはなりませんでしょうか?」

 

 しのぶは実の兄から両親の心遣い等は聞いているし、その様子も聞いている。

 二人からの愛情は十分に伝わっていたが──忌まわしき魔眼の所有者として、周囲に気遣うしのぶは自ら会いに行くことをしなかったのだ。

 不安げな彼女に、梅里は優しく笑みを浮かべ──

 

「会うべきだと思うよ。しのぶさんが会いたいのなら、間違いなくね」

 

 心の中で、もしも誰かが亡くなればそれが二度とかなわなくなり、一生後悔し続けることになるから、と付け加える。

 しのぶは華撃団の一員として危険な任務に赴くこともあるし、両親も陰陽師として怪異の調伏にあたるのならその危険はあるだろう。

 なにより、近年は黒之巣会に黒鬼会と世を乱す組織の暗躍があったりと、安らかな時勢とは言い難い。

 

「そうで、ございますよね……」

 

 梅里の言葉を受けたしのぶだったが、まだ迷いがある様子だった。

 

「しのぶさん、もしも──御両親に会うのが怖いのなら、僕の方から用事を作ろうか? 例えば、挨拶とか……」

 

 帝国華撃団夢組の隊長として、陰陽寮の華撃団に友好的な塙詰家の当主夫妻と面会する。それに副隊長が付いてくる、というのはきわめて自然だろう。

 そう考えた梅里だったが──

 

 

「──えっ?」

 

 

 なぜかかなり驚いた様子のしのぶに、梅里はポカンとする。

 そして彼女は恐る恐るといった様子で梅里に尋ねてきた。

 

「あ、あの……よろしいのでございましょうか? 梅里様は、それほどの御覚悟が……」

「覚悟?」

 

 会うのに覚悟がいるとはどういうことだろうか、と梅里は内心で首をひねる。

 それほどまでに苛烈でおっかない人なのだろうか、と思い至り、幼い頃の稽古中の母親の様子を思い浮かべる。

 

 ──そして、背筋がひんやりとした。

 

(うん、あれは本当に恐ろしかった。あれ以上はなかなか無いと思うけど……)

 

 思わず苦笑をうかべる。むしろ苦笑を浮かべるしかない。

 だからこそ──

 

「うん、大丈夫だと思うよ」

 

 そう答える。

 すると、しのぶがパッと晴れ渡った笑顔を浮かべ──

 

「──梅里様ッ!!」

 

 喜色満面のままひしと抱きついてきた。

 

「しのぶめは──幸せ者にございます。本当に、本当にうれしゅうございます」

「え? うん?」

 

 その熱烈な反応に、梅里は戸惑う。

 そんな梅里にしのぶは違和感を覚えたのか、腕を背中に回して埋めた顔を上げる。

 そして──言った。

 

「わたくしの両親に挨拶していただける、ということでございますよね?」

「え? まぁ、うん……華撃団と陰陽寮の友好のために、ね」

 

「──は?」

 

 今度はしのぶが呆気にとられる番だった。

 

「え? あの……梅里様が、わたくしの両親に挨拶を……という話ではないのでしょうか?」

「挨拶というと……?」

「それはその、正式な……」

 

 言いよどむしのぶが戸惑いながらも頬を少し赤く染め──梅里はそれで勘違いに気が付いた。

 

「あ! いや、それは……そういうわけじゃなくて…………」

「ああ……そうなの、ですね……」

 

 しゅんとしたしのぶだったが、苦笑混じりに顔を上げる。

 

「も、申し訳ありませんでした。わたくしの早合点で……でも、梅里様が取り持ってくださるというのなら、是非にお願いいたします」

「うん、任せてよ」

 

 苦笑を微笑みに変えたしのぶに梅里はホッとしながら、彼もまた笑みを浮かべる。

 

(いつか……それが本当の、梅里様がわたくしの両親に挨拶してくださる、その予行演習になれば…………)

 

 密かに思ったしのぶは、梅里を抱く腕に力を込める。

 

(そして、いつか──子を持つ親の心というものを、わたくしも実感しとうございます、梅里様……)

 

 彼の胸に顔を埋めたしのぶは、心の底からそう思い、でも気恥ずかしくて面と向かってそれを言うことができず、心の内にそれを隠し──そして、この腕を決して放さないと誓う。

 

 桜吹雪が舞い乱れる中──二人の影はいつまでもいつまでも、離れることなく一つのままであった。

 

 

 

 

 


◆  ◇  ◆  ◇  ◆

~せりエンディング~

 

 

「──わぁ……すごいな、これは」

 

 その桜の花が満開に咲く光景に、武相 梅里は思わず感嘆の声を上げていた。

 帝都の桜の名所と言われるところに本数も木の大きさも劣ってこそいないが、さすがに勝るとは、といったところたが──梅里が感嘆しているのには理由があった。

 

 この桜が咲いている時期である。

 

 帝都の桜はとっくに散り、梅里自身「今年の桜は見納めた」という気持ちでいた。

 そこにこの満開の桜である。

 完全に予想外であり、不意打ちのそれに、梅里はすっかり心打たれていた。

 

「そうでしょ?」

 

 その傍らには、うんうん満足げにうなずく白繍せり。

 彼女にとっては逆に、この時期の桜こそ本来のそれなのだ。

 三月の終わりごろに帝都で咲く桜は、本州最北の青森では四月の終わりごろに花を咲かせる。

 ほぼ一ヶ月かけて北上する桜前線は、ここ──せりの地元である山形県には四月の中ごろにやってくるのである。

 

 

 梅里とせりがいるこの場所は──()(じょう)の異名を持つ山形城の城跡だった。

 江戸の初期──いや、その以前の戦国武将が群雄割拠するその時代にこの山形の地に羽州探題として君臨した最上義光。

 激しい時代をくぐり抜けて勢力を拡大・守ってきた彼は、北の関ヶ原と言われる奥州出羽合戦で、長谷堂城での戦いで何倍もの上杉軍を相手に奮戦し、戦後には57万石もの大名になった。その義光公が終始拠点としたのがこの奥羽地方最大の規模を誇る山形城である。

 義光の没後にお家騒動でとり潰しにあった最上家の後は譜代大名が城主となり、山形藩の石高には釣り合わぬほど巨大な城ではあったが──徳川の世が終わってからは市が買収して誘致し、陸軍の歩兵第32連隊の駐屯地となった。

 その連隊が1906年に日露戦争の戦勝記念に植えられた桜の木々は、この地を山形県を代表する桜の名所としたのである。

 ──その陸軍に属する帝国華撃団の夢組隊長・武相 梅里は同じく夢組のせりとともにそのコネを利用してやってきたのだった。

 

 

 頭上の桜を感慨深げに見ていた梅里。

 それを眺めていたせりだったが──なぜかだんだんと不機嫌になっていた。

 

「いや、すごい桜だよね……」

「そ、そう? まぁ、私の地元にだって負けないくらいの桜の名所があるんだけどね」

 

 ついさっきまで満足げだったのに、せりは手のひらを返していた。

 それを見て、梅里はつい笑ってしまう。

 

「せりって、自分の地元が大好きだよね?」

「え? それ程でもないと思うけど……まぁ、誇りは持ってるわよ?」

 

 誤魔化すせりだが、梅里は確信している。彼女の地元愛はかなり強い。

 今も「山形県」というくくりでは一緒になるこの山形の地を梅里が誉めたのがうれしかったのだろうが、彼女の地元はここではなく日本海側である。

 その方言もせりの地元とこの周辺とはかなり違っているらしい。

 そして江戸時代の藩も違っている。最上家の後は譜代大名がコロコロと入れ替わった山形藩とは違って、彼女の地元は別の藩となって以降は一度も転封がなかった。

 そのため領民と家臣の結束が強く地元愛も強く、せりの気質はそれに由来するものでもある。

 梅里が余りに誉める「山形」に、今度は逆に嫉妬したのだろう。

 

「じゃあ、早くせりの言うその桜の名所に行こうよ」

「もう、焦らないの。今日はこの周辺で一泊して、明日向かうんだから……」

 

 苦笑する梅里をたしなめながら、ため息を付くせり。

 先の大戦を勝ち抜いて得た休暇を、梅里は親の出産を手伝うために地元に帰るせりにつきあった梅里だったが──今回もまた、せりの帰郷につきあっているのだった。

 

 それは──しばらく前にせりにかかってきた電話がきっかけであった。

 

【以下のせりと母親の会話は方言で行われていますが、分かりやすく標準語でお送りします】

 

「ええっ!? なんでよ!!」

 

 大帝国劇場で、自分宛にかかってきた電話を受けたせりは、相手が母親だと知るや、その言葉を地元のそれにして会話を始め──即座に声を上げていた。

 

「なんでって、今、説明したでしょ? 大祭で人手がいるから、アンタ帰ってきなさい」

「大祭って……うちの大祭はまだ先でしょう?」

 

 母親の説明に思わず言い返すせり。

 

「うちじゃなくて、近場の──」

 

 母親が説明したのは、せりの実家ではなく、その周辺にあって付き合いのある神社だった。その神社が数年に一度大きな祭りを行っているのはせりも知っていた。

 

「あの祭りは人手が足りなくなるから、神職としてうちからも人を出すのが昔からの習わしなの。それはアンタも知ってるでしょうに……」

「それは知ってるけど……いつもみたいにお母さんが出ればいい話じゃないの」

「ウチには鈴菜と鈴代がいるのよ? 置いていけるわけ無いでしょ。そもそもうちの神社だって空にするわけにはいかないんだし」

 

 かといって残っているせりの妹弟は……一番上の護行(もりゆき)でさえ中学生である。まだ出すわけにはいかない。

 

「じゃあ、またなずなを帰すから──」

「なずなは正月に帰ってきたばかりじゃないの! 今回は正月に帰ってこなかったアンタが帰ってきなさい!」

 

 母親にピシャリと言われ、思わず首をすくめるせり。

 

「で、でも……」

 

 どうにか反論しようとするせりは視線を泳がせ──ふと、電話をかけている事務局内にいるかすみと目が合う。

 その視線に気が付いた彼女はにこやかに微笑んで一礼する。

 

(ダメよ、せり。ここで帝都を離れるなんて、あまりに危険……)

 

 そのかすみの表情で決心する。決して折れてはならないと。

 だが──

 

「で、その正月に帰ってこなかったのも、梅里さん絡みなんでしょ?」

「なッ──」

 

 図星をつかれ、機先をそがれる。さらに──

 

「なずなから聞いたわよ。ほかの恋敵()たちが帰省しないから対抗したって……」

「むむむ……」

「で、帰省せずに頑張った成果はどうだったのかしら? 実家の繁忙期を手伝うよりも優先させたんだから、も・ち・ろ・ん、なにかしらの結果は残せたんでしょうね?」

「ぐぬぬ……」

 

 受話器を握りしめながら苦虫を噛み潰したような顔になるせり。

 

「も、もちろんよ。ちゃんと──」

「その結果もなずなから聞いてるわよ──なんの成果も得られませんでした、ってね!」

 

 嘘をついて誤魔化そうとしたせりだったが、いともたやすく母親にトドメを刺された。

 受話器を持ったまま一瞬固まった彼女は、直後に頭を垂れるようにうつむく。

 そして気分的には母親に土下座して、受話器にどうにか言葉を出す。

 

「……つ、次こそは……次こそは必ずや結果を…………」

 

 まるで悪役組織の中間管理職的な地位にいるキャラが言うお約束のような台詞を絞り出すが──

 

「その言葉、もはや聞き飽きたわ」

 

 ──母親は、その上役幹部のような台詞で叩き潰した。

 さすがにせりは、なにも言えない。

 

「だから、今回の帰省に、梅里さんも連れてきなさいな」

「え?」

 

 そんな母親の言葉に、せりは思わず自分の耳を疑った。

 

「母さんから米田支配人に手紙を書いたから。大祭の手伝いでアンタを一時的に帰省させて欲しいというのと、それに合わせて一人、男手が欲しいって」

「んな──ッ!?」

 

 この母親は、自分の知らないところで何をやり出していたのか、と唖然とするせり。

 せり自身を実家に戻して欲しいというのならまだわかるが、ついでに人手を要求するとは、あまりにも──ちゃっかりしているを通り越して、図々しいレベルである。

 

「お母さん、止めてよ……恥ずかしいでしょ!?」

「恥ずかしいとかなんとか、言っていられるような場合じゃないでしょう? まったくアンタは……」

 

 心底あきれたとばかりに言うせりの母親。

 彼女は、せりに突きつける。

 

「母さんだって恥ずかしかったわよ。それでもアンタのためを思うからやったんだからね?」

 

 もちろん彼女とて分別のあるいい大人である。自分のしたことが図々しいことくらい百も承知だ。

 それでもやったのは、娘を思う親心ゆえである。

 

「いい? ここまでしたんだから、絶対確実に決めなさい」

「き、決めるって……なにをよ?」

「アンタに課せられた使命はただ一つ──既成事実よ」

「はあァッ!?」

 

 思わず素っ頓狂な大きい声が出た。

 その声で事務局にいた者たちが、何事かとせりを見るが、せりはそれに気づく様子もなく、思わず受話器を握りしめる。

 

「な、ななな……なにを言い出すのよ、いったい!!」

「黙らっしゃい! アンタがそんなだからいつまで経っても進展しないんでしょうが。そのまま他の()()られてもいいの?」

「そ、そんなことは……ないけど…………」

 

 思わずチラッとかすみを見るせり。

 

「で、でも……実家に連れて行っても、それこそ護行とかはこべ、小平太もいるのよ? みんないる中でそんなのは無理で…………」

 

 神社である実家は広いことは広いが、家族の人数も多い。

 そんな中で、せりと梅里が完全に二人っきりになれるプライベート空間など作れるわけがない。

 そう思ったせりだったが──母親が一枚上手だった。

 

「実家に来る間……山形辺りで宿を用意しておくから、そこで決めてきなさい。いいわね? どこがいい? 山形? 天童? 上山(かみのやま)? それとも蔵王温泉? アンタに希望がないならこっちで勝手に決めるわよ」

 

 そう言った母親が、宿泊地を強引に決めて──その電話は切れた。

 思わず脱力し、俯きながら受話器を戻すせり。

 

(あああ……ど、どうしよう…………)

 

 この計画は、間違いなく実行される。

 昔から母の行動力を知っており、それに振り回されてきたせりにはよくわかっていた。

 おまけに、今回は振り回されるのが自分だけではなく──梅里も巻き込まれる。

 せりはそれに愕然とし、そして悩む。

 

「あ、あの……せりさん? 大丈夫ですか?」

 

 あまりに変な様子なせりに、かすみが心配そうに声をかけてくる。

 

「だ、大丈夫で──」

 

 大丈夫です、と答えかけた彼女の目に、事務局の前を通り過ぎていくツインテールが目に入った。

 あれは──せりの目が一瞬で生気を取り戻す。

 

「な~ず~なあああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 起きあがるや一目散に駆け出すせり。

 一方、用事があって帝劇にやってきたせりの妹のなずなは、突然背後に現れた不穏な気配に振り返り──般若のような表情で追いかけてくるせりの迫力に、あわてて一目散に逃げ出した。

 まるで吹き流しのように流れるなずなの髪の毛を追いかけるように、せりが背後にピタリとついて走る。

 

「待ちなさい! なずな!!」

「そんな形相で待てって言われて待つわけ無いでしょ、姉さん!!」

「アンタ……よくも母さんに有ること無いこと吹き込んでくれて──」

「姉さんが、あたしを強引に実家に帰すからでしょうが! 母さん達から姉さんのことを聞かれれば素直に話すしかないもの!」

「だからって、あんな事まで──それに、帝都(こっち)に戻ってきてからも母さんに話したでしょ!!」

「姉さんにわかるわけ無いわよ! せっかくの冬休みを実家に帰省させられて忙しく過ごしたと思ったら、休む間もなく強制召集かけられて、そのままあの激戦に放り込まれたあたしの気持ちが!! あれくらいのウサ晴らし──じゃなかった、気晴らしは可愛いものでしょ!?」

「どこが可愛いよ! アンタって()は、本当に昔っからお転婆気質は変わらないんだからああぁぁぁ!!」

 

 などと言い合いながら、白繍姉妹は走り回る。

 支配人室の前をあっという間に駆け抜け、二階へ上がる階段を駆け上がると即座に右折、大神の部屋の前を通ってサロンへ抜け、そこからホールへと向かい、また一階へと駆け下りる。さらに売店を横目にまた事務局の方へと戻り──

 

「あ!!」

 

 なずなが救世主を見つけてそこへと全速力へ駆け出す。

 その後ろを猛追するせりだったが──

 

「ウメ隊長! 助けて!!」

 

 ──と、なずなが食堂付近を歩いていた梅里を見つけてその背後に回り込んだので、せりは急制動をかけて、その目の前で止まった。

 

「っと! どうしたんだい、なずなちゃん。それに──せりも。そんなに息を切らせて……」

 

 全力疾走の結果、乙女としてはどうかと思う「ぜ~は~」と激しく呼吸するせりを目の前に、戸惑う梅里。

 そんな彼を目の前にして──本当のことを言うわけにも、それを理由になずなを糾弾するわけにもいかず……

 

(なずな、後で覚えておきなさいよ!)

(べ~! なんかしたら母さんやウメ隊長に言いつけるからね)

 

 梅里を真ん中に挟んで、姉妹はアイコンタクトで喧嘩をするのであった。

 

 

 ──そして、山形城跡を経ち、いよいよ宿泊先へと向かう二人……

 

 その温泉旅館では豊かな山の幸に恵まれた山形特産の料理や、かの義光公が愛してやまなかったという鮭料理に舌鼓を打つ。

 それを絶賛する梅里に、せりは──「まあ、豊かな庄内平野とか日本海の海の幸には負けるけど……」と言って負けん気を発揮する。

 そうして食事を終え──せりは今、温泉に入って身を清めていた。

 ……普通に入浴しただけだが、せりの気分的には水垢離に等しい。

 その露天の温泉の情景は素晴らしいものだったが、東北の春先の夜はまだ寒く──温泉で火照った肌を冷ますのにはちょうど良かった。

 そして考えを巡らせる。

 

(梅里は、もうあがったころかしら……)

 

 男よりも女の方がどうしても長湯になる。

 二人一緒に温泉へと向かったのだから、自然とせりの方が後になるだろうとは思っていた。

 

(さっきの料理も……母さんが、予約したときに手を回したのね。まったく……)

 

 夕飯に出た山の幸の中には、山芋や(スッポン)(うなぎ)といったあからさまな“精の付くもの”が入った料理が多数入っており、その意図に気が付いているせりにとっては、梅里が気が付くんじゃないかと気が気ではなかった。

 こうして温泉に入った体を冷ましているのに顔が赤くなっているのも、それを思い出しているせいというのもあった。

 一方、その梅里と言えば、そんな料理を「美味しい、美味しい」と、無邪気なまでに嬉しそうに食べるので、せりとしてはどこか騙しているようで気まずいところもある。

 だが、思えばそれは母からの気持ちであり、せりを応援しようという気持ちに嘘偽りはないのだろう。

 だからこそ、決心する。

 

(うん……梅里と私は…………)

 

 結ばれる、そう思うと顔は赤くなるが──決してイヤなわけでは、絶対にない。

 むしろそれを望んでいるのだが──やはり恥ずかしさはある。

 

「えい! 女は度胸と愛嬌よ!!」

 

 せりはそう言って湯から立ち上がると、その勢いのままに部屋へと戻り、隣の──梅里の部屋へ赴いた。

 

 しかしその勢いが残っていたのは、彼の部屋の前までであった。

 後で行くからと言っていたので、部屋の入口に鍵がかかっていなかった。

 しかしその扉を開けるときには、すでに緊張でギクシャクしたような動きになっており、つい抜き足差し足で、そっと部屋へと進入する。

 

 ──もちろん、これからすることを考えて、そっと入口の鍵を閉めた。

 

 そして、部屋の引き戸の手前で──せりは足を止めた。

 

「──あの、梅里?」

「ん~?」

 

 なんとも弛緩しきったような返事が返ってきた。おいしい料理を食べ、温泉に入ってすっかり気が抜けているように思える。

 ともあれ返事があったことで、彼がまだ戻ってきていないという可能性はなくなった。

 せりの心臓がドキンと大きく跳ね、思わず胸に手を当てる。

 

「あ、あのね……ちょっとお願いしたいことがあるんだけど…………」

「う、ん……」

 

 相変わらず気の抜けたような相づち。

 それにせりは「まったく、人の気も知らないで」と少しカチンと来るのだが、梅里にせりの決意を察しろというのは、あまりに酷な状況である。

 だが、そのせりのほんの少しばかり生まれた怒気が──せりの勇気を奮い立たせる。

 意を決して立ち上がり──せりは浴衣を脱ぐ。

 衣擦れの音が思いの外に大きく部屋に響き──せりは一糸まとわぬ姿となった。

 

「~~~~ッ!!」

 

 恥ずかしい。

 もちろん恥ずかしいが──それでも、梅里と結ばれたい。

 自分の生まれたままの姿を見て欲しい、そう思い──せりは意を決して戸の(ふすま)を開ける。

 

「梅里──」

 

 ──と、声をかけたせりは…………固まっていた。

 そこには──

 

「…………っ …………っ …………っ ……ん~」

 

 規則的な寝息を立てている梅里が横になっていた。

 御丁寧なまでにきれいな大の字になり、見事な鼻提灯を膨らませる姿が幻視できるほどに熟睡している。

 先ほどの返事は──せりの声という音に反応して、ただ梅里が声を出しただけのようだ。

 

「……………………………………うぅ~~~ッ!!」

 

 やり場のない怒りを感じる、真っ裸のせり。

「……こんな、ことって……恥ずかしいのを我慢して、こんな思いまでしたのに~~」

 

 気持ちよさそうに眠る梅里の寝顔を恨めしく睨むせり。

 梅里の名誉のために言うと──最終決戦で激しく霊力を消耗し、さらには霊力中枢に負担をかけた梅里の体は、本人が考える以上に身体も霊体も根本から疲れ切っていた。

 その疲れはなかなか癒えることなく、この数ヶ月を過ごし──今日になってやっと温泉で身を癒し、それだけでなく“精の付く食べ物”をたくさん食べることによって気力が充実し、霊体にも活力が満たされたのである。

 それによって梅里の体は、霊体を癒そうと休息を欲し──温泉によってポカポカに暖められた体の作用もあって、ぐっすりと眠りこけていたのである。

 もちろん、そんなことが梅里の体の中で起きていたなど知る由もないせりは──

 

「ホンットにもう、乙女に恥をかかせて……」

 

 などと恨みがましく見て、その拳を振り下ろそうと──したのだが、あまりに幸せそうな、安心しきった梅里の寝顔を見て、思わず笑みがこぼれた。

 

「……思えば、一生懸命頑張ったものね」

 

 ほぼ一年前から始まった黒鬼会との戦い。

 その中で、せりが彼を傷つけてしまったことがあった。

 それで彼は生死の境をさまよった。

 自分が嫉妬に狂いそうになる中、それを助けてくれたのも彼だった。

 せりが人質になって操られたとき、彼は身を挺して助けてくれて体の中から闇を祓ってくれた。

 そして超巨大魔操機兵を相手に、無理をして複座式の霊子甲冑で立ち向かい──

 あの悪夢を思い起こさせた巨大降魔兵器を──今度は、その命を失うことなく討滅した。

 それらはすべて、せりにとってはかけがえのない、大切な思い出である。

 

「……普段はちょっと頼りなくて、調理くらいしか取り柄がないのに…………いざっていうときには、あんなにカッコいいんだもの、ズルいわよ」

 

 寝ている彼の胸にそっと手を当て、そしてその体に自分の体を添わせた。

 思わず胸に当てているのを手から自分の頬へと変え、その温もりをより近くに感じようとする。

 聞こえてくる心音は、穏やかで──でも力強くて……何よりも安心感を与えてくれる。

 

「おやすみなさい、梅里……」

 

 せりもまた眠気に襲われる。

 そのまま添い寝するような姿勢のまま、寒さを感じないようにとかろうじて布団を掛け──せりは安心しきったまま、眠りに落ちていった。

 

 

 ──翌朝。

 

 ほぼ同時に目覚めたせりと梅里。

 浴衣がはだけかかった梅里の驚きの声と、全裸のせりの悲鳴という…………二つの叫び声が静かな温泉旅館に響きわたった。

 

 

 


◆  ◇  ◆  ◇  ◆

~かずらエンディング~

 

 

 帝都の桜の名所の一つ、上野公園ではその桜が見頃を迎えていた。

 夜は桜の下で宴会を行う花見客で混雑するが、昼間も昼間でもちろん混雑する。

 そんな中で、その一角は、まさに別世界と化しており──見る者の心を掴み、感嘆と驚きのため息をつかせ、その幻想的な光景で魅了していた。

 

 麗らかな春の日差しが注ぎ、桜吹雪が舞う中で──娘はバイオリンを奏でていた。

 その服装は、帝国華撃団・夢組の戦闘服。

 女性用のそれは肩の下あたりには金属製の接続用の端子がある以外は、ほとんど巫女服のようである。

 その戦闘服だが、幹部の物はそれぞれ個人識別と存在を示して志気を鼓舞するために、それぞれ違う色に染められている。

 女性用の場合、上衣は変わらないが袴の色が違う。そして彼女の袴は、くすんだ黄緑色──萌木色。調査班副頭という立場にいる彼女は夢組の幹部なのである。

 その袴の色は、桜吹雪のピンクに埋もれることなく、しかし過度な主張をするわけでもなく、とてもマッチした色合いであった。

 

 そして、その桜吹雪は──流れる調べに合わせて舞うかのように、周囲をひらりはらりと舞っている。

 その中心には、ふわふわの髪を三つ編みにまとめた見目麗しい少女が、目を伏せ、一心不乱にバイオリンを奏でている。

 

 そのような光景は、花見に来て宴会をしようとしていた者や、すでに始めてできあがっている酔っぱらいさえも、呆けたように唖然とし、食い入るようにその光景を見ていた。

 やがてクライマックスに至るその楽調に合わせて、桜吹雪は彼女を中心に渦を巻き──そして、集まった花びらを一気に撒くように、パッと穏やかに散る。

 そうして演奏が終わると──どこからともなく始まった拍手の手は、やがて聞いていた者達が心を一つにして、喝采となり──それを聞いて中心にいた少女はペコリと頭を下げるのであった。

 

「ヒドいですよ、梅里さん……なかなか助けに来てくれないんですから」

 

 聴衆のアンコールに何度か応えた後、どうにかその輪から逃げ出すことができた彼女は抱くようにバイオリンを持ちながら不満げに頬を膨らませていた。

 

「ごめんよ、かずら。さすがにあの状況で連れ出していたら、観衆から袋叩きにされていたから……」

 

 そう言って苦笑混じりに頬を掻くのは、狩衣風の夢組戦闘服──それも幹部を示す独自色は金の装飾に白色のもの──を身にまとった、夢組隊長の武相 梅里だった。

 二人は上野公園の桜並木の中を歩いていた。

 今日は、その服装からも明らかなように夢組の調査任務──で、ここへ来ていたのだが実際のところは違う。

 混乱がようやく収まりつつある帝都は、今はそれを乱すような、帝国華撃団と敵対するような組織の暗躍はなく、調査と言っても異常がないのを確認する──本来なら隊長の梅里はもちろん、かずらのような幹部が出てくるような調査任務ではない。

 それでも二人が出てきたのは、かずらの謀略であり──任務と称したデートであった。

 

「──それくらい凄い演奏だったよ。また腕を上げたね、かずら」

「はい。もちろんです。それに、梅里さんが聴いてると思ったから、余計に頑張っちゃいましたから」

 

 笑みを浮かべて答えるかずらに、梅里も目を細める。

 さっきのは彼女の特殊技能でもある「演奏に霊力を込める」という力で、意のままに桜吹雪を操って、見事な演出をしたのである。

 しかも本来の目的であった、広域の霊力調査のついでに、だ。

 演奏技術も霊力を使う技術も、また一段と成長していたのだ。

 

「今度のコンクールも優勝して、また欧州に行きますから……そのときはまた一緒に行きましょうね、梅里さん♪」

 

 並んで歩いていた二人だったが、かずらが梅里の手を抱くように掴む。

 去年のコンクールは、黒鬼会の活動が激しいという外的要因から、また梅里が大怪我したり、せりの様子がおかしかったりして精神的な負担がかかったという、かずら自身の内的要因もあって、他の人に譲るところがあった。

 だが、黒鬼会もその首謀者である京極も倒れ──なんの憂いもなく参加できるのであれば、その優勝はかずらがもらったようなものだろう。

 

「あ……うん、まぁ…………」

 

 楽しそうなかずらとは対照的に、梅里は言葉を濁す。

 前回、かずらの欧州でのコンクールに付き合って渡欧したのは、あくまで欧州での賢人会議に参加するのが主目的だった。

 そういう理由でもなければ、梅里が帝都を離れるのは難しいだろう。

 

「また、巴里にいきましょうよ、梅里さん。そこで留学してる大神さんにお会いするのも面白いかもしれませんし」

 

 だが、梅里はそれに渋い顔をする。

 

「えぇ~、なんか厄介ごとに巻き込まれそうじゃない? そこは……」

 

 そう言って苦笑いを浮かべた梅里は、巴里にはあまり寄りつきたくない様子だった。

 これから大神や巴里華撃団を待ち受けるパリシィ事件を、それとなく察知している辺りは、さすが夢組隊長──といったところだが、残念ながらこの時点でそれが起こることを誰も知らない。

 

「それに、せりが絶対に許さないでしょ? この前の時も渋々許したような感じで、おまけに強行軍を強制されたし……」

 

 シベリア鉄道での旅も最初のうちは一日中鉄道に乗りっぱなしというのに、帝都と水戸が一日もかからず慣れていないのと、初めての国ということに新鮮味を感じたが、数日ですぐに飽き、やることもなく──非常に退屈だった。

 それを思い出したのか、うんざりしたような表情になった梅里を見て、かずらは苦笑を浮かべ──

 

「──じゃあ、せりさんも連れて行けばいいじゃないですか」

 

 そうかずらが言ったので、驚いた梅里は思わずかずらの顔をのぞき込んでしまった。

 それに気がつかないのか、かずらはさらに続ける。

 

「あと反対しそうなしのぶさんも連れて、四人で行きましょう。そうすれば誰も文句を言いませんし、車内……船でもいいですけど、どちらもきっと退屈しませんよ?」

 

 笑顔でそう言った彼女を、梅里はジッと見つめ──その視線に困惑したかずらは、思わず目を(しばたた)かせた。

 

「あの……どうかしました?」

「いや、こっちこそ訊きたいんだけど……どうかしたの?」

 

 梅里が問い返すと、かずらは苦笑気味に答える。

 

「だって、あのときは巴里にいたのなんて一日か二日くらいだったじゃないですか。その後はすぐに帰路について……せっかく欧州まで行くんですから、もっとゆっくりしたいな、と思いまして……」

 

 ゆっくりさせてくれないのなら、その原因となる人も連れていってしまえばいい、かずらはそう言って悪戯っぽく笑う。

 

「もし梅里さんが巴里がイヤなら、羅馬(ローマ)とか伯林(ベルリン)とか……それか、倫敦(ロンドン)とか…………」

 

 ためらいがちに、最後にその都市の名を挙げた。

 やはり意外だった。

 梅里は、かずらのことだからその都市だけは絶対に訪問候補に並べることはないと思っていた。

 なぜなら──そこはカーシャが帰る都市なのだから。

 それが顔に出ていたのか、かずらは梅里の顔を再び困惑した様子で見ている。

 

「またそんな表情をして……本当に、どうしたんですか? 梅里さん……」

 

 尋ねてくるかずらに、梅里は思ったことを素直にぶつけた。

 

「意外だと思ってね」

「意外、ですか?」

 

 小首を傾げるかずら。

 

「ああ。いつも他の人を出し抜こうとするかずらが、せりやしのぶさんを連れて、しかもカーシャのいる街に行こうだなんて。まるで敵に塩を送るようなことを言うとは思わなかったから」

「……梅里さんって、私のことそう思っていたんですか?」

 

 かずらはジト目になり、不満そうに頬を膨らませる。

 だが、その表情をフッと自嘲気味の苦笑に変える。

 

「でも……確かに、そう思いますよね。私も、せりさんもしのぶさんも恋路を邪魔するお邪魔虫、って思ってましたから……」

「かずら?」

 

 梅里から視線を外し、頭上の花溢れる桜の枝を──その先の虚空を見つめ、遠い目をするかずら。

 

「でも……そうじゃないって、最近思い知りました」

 

 ポツリと言った彼女の顔は、ひどく寂しげであった。

 その表情のまま、梅里を振り返る。

 

「私、今の帝劇での生活が好きです。梅里さんがいて、せりさんやしのぶさん、夢組の食堂のみんながいて……楽団のみんな、花組のみなさんや事務局のかすみさんと由里さん、それに椿……そして、米田支配人……」

 

 それは梅里が来てから──かずらは三年前のことを思い出し、懐かしくさえ思っていた。

 

「それから、去年になってカーシャさんや柊ちゃん、舞さん。花組のレニさんや仲良くなった織姫さん、それにかえでさんが加わって、ますます賑やかになって……こんな楽しい日々がいつまでも続く、そう思っていたんです」

 

 さらには大神とさくらが連れてきた白い子犬を思いだし、かずらはそれを愛おしむように微笑んだ。

 

「でも……カーシャさんが、コーネルさんと一緒に華撃団から去るって聞いて、そうじゃないんだな、って……当たり前ですけど、みんながいる毎日が、いつまでも続くわけじゃないって気がついて…………」

 

 そう言ったかずらの表情から笑みが消えていた。

 かずらが夢組の正式な隊員となって帝劇本部に配属になってから、帝劇を去った者がいないわけではない。

 例えば──藤枝あやめ。

 彼女は上位降魔・殺女(あやめ)となって帝劇からいなくなったが、それでもその本質は普段のあやめだと思っていたし、彼女が去ったのが寂しくないわけではなかった。

 しかし、それは──華撃団としての戦いの一部として、あやめが戦いの中で消えていったという認識だった。

 いわば戦闘の結果であり、悲しみこそしても、それをきちんと受け止め、頭の中で整理がついていた。

 また、もう一人──影山サキについては最初から敵のスパイとして潜り込んできたものであり、かずらの意識の範疇にさえなかった。

 しかし、カーシャとコーネルが去るのは突然のことだった。それに驚いたというのもある。

 戦いに敗北したわけでも、戦いの中で命を落としたり、華撃団にいられないほどの負傷をしたわけでもなく──かずらは、帝都を無事に守り抜いたのに二人がいなくなるという状況に困惑したのだ。

 そんな二人の退団がきっかけとなり、この世界が永遠に不変ではなく、まるでお祭りのようなこの楽しい日々が永遠にいつまでも続くわけではないことに、あらためて気がつかされたのだ。

 

「私、梅里さんとの毎日は本当に楽しいです。でも同時に……せりさんやしのぶさん、カーシャさんが邪魔なわけじゃないって、あの人達と梅里さんを取り合うのも含めて、楽しかったんだって──今になって、カーシャさんがいなくなる今になってやっと、分かったんです」

 

 うつむき、目を伏せるかずら。

 ついにはその目からは涙があふれ出す。

 そんなかずらを──梅里は抱き寄せた。

 一瞬驚いた様子だったかずらだが、顔を梅里の胸に埋め──感情を爆発させた。

 

「なんで! なんでお二人はいなくなっちゃうんですか!? 私たち、勝ったはずじゃないですか!! この帝都を……私たちの世界を守るために戦って、そして勝ったはずなのに──」

 

 守り抜いたはずの世界から、カーシャとコーネルが抜ける。

 戦って勝ったのだから、御褒美として仲間が増えるのならともかく、逆に仲間が減ってしまうのでは、まるで罰のようではないか、と思っていた。

 

「怖いんです。今の帝劇が……華撃団が、夢組が……このまま人がいなくなっていくんじゃないかって、私たちが守ったはずの世界が、崩れていくんじゃないかって……」

 

 梅里の胸に顔をあて、かずらの慟哭は続く。

 

「だから、せりさんやしのぶさんも──いなくなっちゃうんじゃないかって……ううん、違います。いつかはきっと二人も……いなくなっちゃう。私の前から…………」

 

 今はこうして帝国華撃団夢組の仲間としてかずらと同じ道を歩むせりとしのぶも、いつかは必ず別れがくる。

 それが、カーシャのように二人が先に退団するのか、それともかずらの方が先に退団するのかはわからない。

 だが──いつかはわからなくとも、いずれかは訪れることになる未来である。

 はたまた──帝国華撃団が軍である以上は十分に考えられる状況として──かずら側か、せりとしのぶ側か、どちらかの“死”ということも十分にあり得るのだ。

 その考えにいたって、かずらの腕に力がこもり、梅里をギュッと抱きしめる。

 それに気がついた梅里も、彼女がその考えに至ったのを察し──

 

「かずら……だから今を大事にしようと、せりやしのぶさんにも気を使ったんだね……」

 

 その頭を優しくなでる。

 ふわふわと柔らかな彼女の髪の感触は、なでた右手に心地よい感触を伝えてくる。

 彼女を落ち着かせるために、そしてその感触を忘れぬように、梅里は何度もその頭を撫でた。

 そしてかずらは──

 

「梅里さんは──私の前から、いなくなったりしませんよね?」

 

 少しだけ気持ちが落ち着いた彼女は顔を上げ、彼を見上げながら尋ねる。

 すると──

 

「……もちろんだよ、かずら」

 

 彼女の大好きな、優しい笑みを浮かべて頷いた。

 思わず感極まり、その視界がにじむ。

 それが絶対のことではないのは、彼女が一番よくわかっていた。

 二年前に心配停止となり、医師の大関ヨモギが死亡判定を出したあのときのことを思い出したからだ。

 それにこの前の戦いでも、倒れ込んだ梅里を死んでしまったのだと思いこんでせりと共に泣いてしまったし──鬼王の襲撃、“人形師”からの奇襲と、この一年で梅里は何度も命の危機に遭っている。

 それを考えれば、いなくならないなんて保障はまったくない。

 しかしそれでも──「もちろん」と言う彼の優しさにかずらは、流れゆく世界の中で楽しいと思えるこの一秒、一瞬こそが大切な宝なのだと思い知る。

 そして、目一杯に延ばした手を梅里の首の後ろに回して──彼に身を寄せ、その唇を合わせた。

 

 ──そのときに吹いた一陣の風により、桜吹雪がそんな二人の姿を隠すように舞いあがった。

 

 

 


◆  ◇  ◆  ◇  ◆

~カーシャエンディング~

 

 港には出航を待つ船が停泊してた。

 その周辺には、この時期独特の景色──淡いピンク一色で染まった木々から、まるでこぼれ落ちるように花びらが舞っている。

 そんな風景を──アカシア=トワイライトは見て、思わず目を細めた。

 彼女が幼いころに心打たれた風景画そのものの世界──いや、平面である絵画では限界のある表現しきれない、現実という圧倒的な臨場感に、カーシャはただただ感激するのみだった。

 

「──ウメサト、やっぱりアタシ……日本に来て良かったわ」

 

 そんな彼女の傍らには、彼女の最愛の人が寄り添うように立っていた。

 その腕をしっかりとつかんで胸に抱き、彼に体重を預けるようにする。

 自分の体をしっかりと受け止め、支えてくれる──まるでその名にある樹木のように。

 その感触が、安心感がたまらなく心地よく……カーシャの心を揺さぶる。

 ここに──この国に──あの街に──帝都に、居続けたい。

 そんな思いに負けそうになりながら──その思いを二週間も保たないその花が咲く光景に重ね、儚い夢と割り切る。

 それが彼女に今できる、精一杯の努力だった。

 

「最後に、一つだけ……正直に答えてくれないかな、カーシャ」

 

 無言で寄り添っていた二人だったが、梅里がついに口を開いた。

 

「……なにかしら? ウメサト」

 

 桜吹雪を見つめていたカーシャが、抱いた彼の腕はそのままに、見上げるようにして梅里に尋ねる。

 

「どうして、日本を去ろうと思ったんだい?」

 

 梅里はそれが疑問だった。

 あの最後の戦いの前まで、カーシャは華撃団に居続ける気だったと思っている。少なくとも当時の彼女から日本を去ろうとする様子は感じられなかった。

 なにより負けん気の強い彼女のことだ。もしも今の状態で日本を去れば──端から見ている者からは、彼女が日本から逃げ帰ったと思われかねない。

 きっとそれは、彼女にとって我慢ならないことに他ならないだろう。

 

「……ヨウザン──“人形師”のせいよ」

 

 幸徳井 耀山という本名よりも、同じ組織にいて慣れ親しんだ“人形師”というもう一つの呼び名で、カーシャは彼を呼んだ。

 

「彼の、せい?」

「ええ……あの人が見たという未来。それがアタシには気になって仕方がなかったの」

 

 彼が見たという、この国の都市が地獄と化す光景。

 世界を巻き込んだ大戦に敗北するという未来。

 まるでこの国が無くなってしまうかのような、彼の言葉をにわかに信じることはできなかった。

 できなかったが──もし、本当だったら?

 そのわずかな可能性が発芽し、大きく育ち、この国に滅びが訪れるとしたら──カーシャの背中に冷たいものが走っていた。

 

「ウメサト……アタシはこの国が好きよ」

 

 一年間でほんの短い期間しか見ることができないこの幻想的な景色──幼いころからのあこがれだったこの風景をしっかりとその目に焼き付けた今になってはなおさらだ。

 この一年を通じた戦いを異なる二つの陣営から見たカーシャは、この国で生きる人達の強さを知った。

 そしてなによりも──この胸の中にある、なによりも大切な人。それを失いたくない。守りたい。

 

「あの人が予知した未来が訪れるなんて、アタシは思っていない。なぜなら帝国華撃団があるから──」

 

 敵として戦ったことがあるからこそ分かるその強さ。

 それは武力的なものだけではない。決して諦めない、目標に向かって突き進む強さは不可能を可能にするものだ。

 

「それがあれば、きっと不幸な未来になんてならない。アタシはそう思ってる。でも……」

 

 もし、万が一にでも──予知した未来が現実のものとなってしまったら。

 それを回避する要因が、華撃団やこの国ではなく、もし他所(よそ)にあったのだとしたら──帝国華撃団の手には届かないところにあったのだとしたら、この国だけでは不幸を回避することはできない。

 

「もしその不幸を回避するのに他国からの手助けが不可欠だったら、気がついたときには手遅れだったら、取り返しがつかないことになる。それにたとえ回避できなかったとしても、あらかじめ備えていれば少しでも多くの人を国外から助けることができるかもしれない……」

 

 全員とはいかなくとも、彼女が守りたいと思う人達だけでも、助けることができれば──

 

「──その環境を整えることが、アタシにならできるはず」

 

 国は違っても、華撃団というつながりがあれば、それはきっと可能になるだろう。

 そのためにも英国に華撃団をつくることこそ、自分の使命だ。

 

「ううん、今はアタシにしか、できないと思ってる」

 

 カーシャが関わらなくとも、華撃団はいずれ設立されるかもしれない。

 でもこの国を救うためには、帝国華撃団と確固たるつながりを持った者が英国の華撃団にいなければならない。

 それができるのは、英国貴族としての地位と財産を持ち、霊子甲冑で戦えるだけの霊力と戦闘力を持つ、そして帝国華撃団に在籍経験があり──その夢組隊長を愛するカーシャだけだろう。

 

「……そっか。確かにそれはカーシャにしかできない、役目だね」

 

 梅里の言葉にカーシャはもう一度、胸の中の腕を強く抱きしめる。

 

(この腕を……離したくない)

 

 それは乙女として当然の感情だ。

 愛するものと共にいたい。同じ時を過ごし、同じものを見たい。

 だがそれでは、彼と共に過ごすその未来さえも闇に閉ざす結果となりかねない。

 しかしそれは──なによりも耐え難い結末だった。

 

「アナタと離れるのは……辛い。まるで半身が引き裂かれるかのようだわ」

 

 だが、不幸な結末(バッドエンド)を迎えるくらいなら、その痛みを受け入れる。

 損して得とれ、とは商売人の中ではよく言われる言葉であり、貴族ながら植民地経営でその地位を延ばしたトワイライト家は商売人といっても過言ではない。

 

「でも……それは、永遠の別れじゃないわ、ウメサト──」

 

 そのトワイライト家の者として──カーシャは梅里との未来という最大級の得のために、今この手を離すという耐え難い損を選ぶしかなかったのだ。

 

「ああ、僕たちの未来はきっと……」

「そう、再びつながるわ」

「うん。いつかきっと、どこかで──そして、でも間違いなく……」

 

 なぜならカーシャは梅里を想い、見つめ続け──梅里もまたカーシャを想い、見続けるのだから。

 たとえ一時、離れようとも再びつながるその日のために──カーシャは倫敦へ

 

「あら、ウメサト。アタシはその“いつかきっと、どこかで”を待つつもりはないわよ」

 

 そう言って彼女は自身たっぷりな勝ち気な笑みを──その目に涙を湛えながら──浮かべる。

 

「今回は、アタシが乗ろうとした船にたまたまアナタも先に乗っていただけ……でもアタシは、アタシがつくりあげた船でアナタを迎えにくるわ。アナタにふさわしい、アナタにしか座れない座席を用意して、ね」

 

 ビシッと梅里を指さすカーシャ。

 

「それまで……覚悟して待ってなさい!」

 

 それを受けて梅里は──

 

「うん、きっと待ってるよ。カーシャ……」

 

 そう言って浮かべた彼の笑顔に堪えきれなくなり──

 カーシャは思わず飛びついていた。

 二人がクルクルと回る中、汽笛の音が響きわたり──いつしか、回転の止まった二人の影は一つになり、梅里は重なり合ったカーシャの唇から自分のそれを離すのであった。

 

 

 

『サクラ大戦2外伝 ~ゆめまぼろしのごとくなり2~』 了

 

 

 





【よもやま話】

 前回やったので今回もやらないと、というわけで頑張りました。
 ちなみに今回の書いた順番はカーシャ→かずら→しのぶ→せり。
 今回はサクラ大戦にちなみ、全部、桜の花がシーンに入ってます。そういう時期の話です。

~しのぶED~
 王道ルートなエンディング。今回の「2」で耀山のエピソードが後半の軸に入ったおかげで、ようやくメインヒロインっぽくできました。

~せりED~
 梅里の母親とせりの母親を会わせれば、本人たちのためらいとか全く関係なく、すんなり縁談が進むような気がするのですが。
 ちなみに私は山形県が大好きです。

~かずらED~
 一番ネタに困ったかずらでしたが、意外と書けました。
 しのぶと互角くらいの長さですし。
 かずらなりにいろいろ考えてます、という予想外にシリアスなエンディングに。

~カーシャ~
 一番先に書いたキャラの悲しい宿命で、もっとも短くなるというのは避けられませんでした。
 ……もともとは他の3人もこれくらいの長さにするつもりだったのですけどね。他が長くなっただけです。
 意味合い的には、次作以降につながる、じつは一番意味のあるEDだったりするのですが。







─次作予告─

ティーラ:
 ……あら? 最終話なのになぜこの場所があるのでしょうか?

ローラ:
 それは! これが次回ではなく、次作の予告だからだッ!!

ティーラ:
 ──ッ!? だ、誰ですか? あなたは……

ローラ:
 フッフッフ……名探偵ローラこと、ローレル=クレセントとはボクのことだ。以後お見知り置きたまえ!!
 そして次作では、『見通す魔女』たる貴方に代わり、名探偵であるボクが、次話に起こる事件(こと)を華麗に推理しつつ、次回予告を担当してあげよう、というわけだ。

ティーラ:
 はぁ……確かに次作の舞台は巴里ですからね──

ローラ:
 その通り! 安心して休んでいてくれたまえ!
 そして、賢明なる読者諸君。このボクが、次作について少々紹介させてもらおう。
 物語の舞台は、先ほどそこの新婚新妻占い師が言ったように、欧州はフランスの巴里(パリ)
 時期はパリシィ事件の最後を飾ったオーク巨樹騒動から間もない、帝国華撃団の大神一郎氏が巴里を去った直後から始まる。
 彼の後任としてやってきた日本からの娘と、とある青年の出会いから始まるストーリーは山を越え、海を越え、そして遙かなる──っと、これ以上はまだ秘密だったね。
 ともあれその巴里を舞台に繰り広げられる、(ラブ)! (アンド)! 喜劇(コメディ)ッ!!

ティーラ:
 ……そこは恋物語(ロマンス)じゃないんですか?
 それに、それだとラブコメ……

ローラ:
 うむ! あの新人隊員にそれを期待したらダメだと推理できたのでね!
 そんな巴里華撃団の新人隊員達の活躍を描く──

『サクラ大戦3外伝 ~絶海より愛を込めて~』


 ──乞うご期待!!

ティーラ:
 代わりの次回予告、ありがとうございました。
 それにしても、随分と活発な少年探偵さんですね。

ローラ:
 なっ!? ま、まったく失礼きわまりないな……ボクは女性だぞ!!

ティーラ:
 え? あ、失礼しました……背も低いし胸がないので男の子かと

ローラ:
 ぬわアアアアァァァァァァァァッ!! 言ってはいけないことを!!


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~あとがき~

※本編ではなく「あとがき」ですので、作者の話とかウゼー、どうでもいいわー、という方はどうぞ遠慮なく飛ばしてください。



 以上で、「~ゆめまぼろしのごとくなり2~」は完結となります。読んでいただき、ありがとうございました。

 

 この『~ゆめまぼろしのごとくなり2~』は前作同様に私が20年程前にあるサイトに載せていた『其は夢のごとし2』を前作の設定でリメイクしたものでした。

 しかしこの『其は夢のごとし2』は途中で私が就職したり、多忙になった関係で未完になっていたもので、私自身、最後までの構想はあったので、いつか完結させたいと思っていたのですが、サイトのサービス終了に伴い完全に消えてしまい──完結も夢と消えたものでした。

 それがこうして、無事に完結まで書けたのは、私としてもとても感慨深いものがありますし、前作を含めて書いてきて良かったな、と思っています。

 

 さて内容ですが──今回はいろいろ反省点あったな、と思いました。

 主人公が結構な頻度で戦線離脱して、それで不在状態の時期が長すぎたのは良くなかったかな、と思ってます。

 ──ところで、本作の主人公・梅里ですが、あっちこっちにいい顔して、かといって誰かに的を絞ることもなくふらふらしている、と思われている方もいるかもしれませんが……。

 実はこれには理由がありまして、各ヒロインのルートごとに一から書くわけにはいかないので、イベントを全ヒロインまとめて網羅しているせいです。

 そのせいでこのような──ある意味全キャラ攻略のハーレムルートを爆進している、ということになっているわけで……。

 そんなわけで本作(前作もですが)は共通ルート……というか、むしろ先述通り、すべてのヒロインのイベントを経るハーレムルートを通っているものだと思ってください。(外伝扱いの『かすみ√』は彼女のルートに入ってますので違いますが)

 ちなみに、書く機会がなくてスッカリ忘れていたんですけど、前作の各ヒロインのエンディングは、多少の差異はあれど、里帰りをしのぶに勘違いされたこと、せりの母親の出産のための帰省に付き合ったこと、かずらのコンサートを聞きに行ったこと、といった程度のことは共通して起こっていることです。

 ですので今回も──陰陽寮への報告のために京都へ、せりの実家の手伝いに行く、かずらと上野公園の調査、カーシャの帰国の見送り、といったものは共通して起こっておりますので。

 

 またヒロインが増え──追加した新キャラのカーシャまでは見越していたのですが……何の気なしに鬼王からの襲撃に巻き込まれるのを椿からかすみに変更したら、いつのまにか裏ヒロインになっていたという想定外のことがありまして……完全に予想外でした。

 でも彼女の存在も、夢組という仲間の外からの視点が増えたということでもあり、結果的には良かったと思ってます。

 …………まぁ、彼女のおかげで引き続き『かすみ√』を書くわけですけどね。

 元々のヒロイン3人も、それぞれ納得する話は書けましたし、特にせりには苦労をしてもらったという感はあります。書きやすいヒロインだからこそ、あそこまで追いつめることができたと思ってますし。

 追加ヒロインのカーシャは……もう少し頑張れたかな、と自分では反省してます。とはいえ、ここまで読んだ方はご存じでしょうが、カーシャは「~2」で帝国華撃団夢組の舞台からは退場ということになってしまいますけど。

 そのほかの登場人物も、色々出したけどやっぱりスポットライトが当たるキャラ、当たらないキャラの差はどうしても出てしまい──柊に関しては、書いている本人さえその存在を多々忘れる次第でした。旧作の『其は夢のごとし2』ではヒロイン扱いだったので出したのですが、正直イマイチ生かしきれなかったと反省しております。

 ヒロイン以外のキャラで一番頑張ったのは、紅葉でしょうか。彼女は「2」で精神的に成長したのではないか、と思ってます。

 で、今作では、味方の霊子甲冑のオリジナル機体を登場させました。光武・複座試験型ですね。

 実は旧作「其は夢のごとし」シリーズは、意外とオリジナルの機体を出してました。霊子甲冑に限らず、風組の運用する光武運送用の小型潜水艇だったり、雪組が使用する除雪用蒸気噴出式ホバークラフトやら、作業用簡易人型蒸気とか。

 今シリーズでは全部お蔵入りにしたので、初めての華撃団側のオリジナル機体でしたが──最後に使う予定だったので出したわけで、それも「4」の双武につながる機体でもあるので、そのようにうまく仕上げられたかと思います。

 また悪役側ですが……“人形師”は本来はもっと救いようのない、京極と似た野望のみに生きるような、陰陽寮を追放されて歪んだ悪役にする予定だったのですが、しのぶシナリオで名前を付けてから、なんだか方向が変わってきて──あのようなキャラになりました。

 ここなので書きますが、耀山に関しては「京極によって心を歪められていった」という設定と、「実は一度死んでいて、有能なので反魂の術で蘇らせられていた」という設定の二つで迷い──結局、どっちにも決められずに誤魔化した、という裏話があります。

 今後も名言する気はないので、どちらを採用するかは、読んでいる方々が自分でしっくりくる方で解釈してください。

 

 前作の「書き直したい」に続いて、本作の「完結させたい」という夢が無事に終わりました。

 で……いよいよ次は「新たに作り直したい」という、1の“リメイク”、2の“リスタート”に続き3では“リビルド”に挑戦です。

 ──なにやら予告がすでに出ていましたが。(笑)

 

 旧シリーズの「サクラ大戦3外伝」は「ルーアンの魔女」という題名でサクラ大戦3の完結後からサクラ大戦4の間を書いたものでした。

 復活したパリシィ怪人や、新たに現れた怪人。それに黒幕としてジャンヌ=ダルクを採用して──無事に最後まで書き、完結した作品でした。

 個人的には満足していまして、本リメイクシリーズを始める際に、「3外伝は書き直す必要ないんじゃないか」と思っていたほどです。

 ただ──案の定、掲載サイトが消えたせいで、元が残ってません。

 それに加え──その当時のことを説明すると「3」発売直後で、その「3」熱に押されて「2外伝」の更新を止めて書いたほどでしたので、もちろん「4」も発売されてないころでして──まさか、のちのシリーズでああなるとは……

 そう! ラスボスに採用したジャンヌ=ダルクは後々のサクラ大戦シリーズである「~君あるがため~」という本家に敵として採用されてしまったのです。

 また主人公の能力が「伝説に語られる剣を具現化させる」という、これまた当時なかった「Fate」シリーズではお馴染みな能力だったので──いっそのこと「……最初から作り直そう」ということになり、外伝作品とはいえ、全部一から作ることになりました。

 まぁ、それでも「ルーアンの魔女」の残滓……たとえば主人公とヒロイン(白繍なずな)の根本的な設定はそのままだったり、もう一人のヒロインの設定も名前以外はほぼそのままだったり、と残ってますし、霊子甲冑もそのままにする予定だったりします。

 ただ、もちろんラスボスは変えますし、主人公の能力も少し変化させる予定です。

 タイトルは「サクラ大戦3外伝 ~絶海より愛を込めて~」の予定になっています。

 なるべく早く始めたいと思っておりますが、こればかりはどうなるか全く未定でして──来年(令和3年)の2月くらいまでには始めたいと考えています。

 

 さて、最後になりますが、本作を最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

 また前作から引き続きお付き合いいただいた方々には、本当にありがたく……感謝の言葉もございません。

 そして、できれば次回作である「サクラ大戦3外伝 ~絶海より愛を込めて~」、またさらにその後に予定している「サクラ大戦4外伝 ~ゆめまぼろしのごとくなり 最終章~」を楽しみにしていただけたら、と思う次第でして、なにとぞよろしくお願いいたします。

 

 …………あと、できれば……ではありますが、お気に入りや評価、感想等をいただけると、と~っても励みになりますので、入れていただけると助かります。

 

令和2年 12月14日  ヤットキ(やつとき) 夕一(ゆういち)  




 そして……この後は一度エンディングを見た後の、2週目の話が始まりますので、よろしければどうぞ。


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~if かすみ(ルート)
【第2話】 ~分岐点~ 


※いわゆる二週目から現れる選択肢です。

【目次】
  ・─1──2──3─





 ──これは、あったかもしれない未来。
 ──ほんの少しだけ違う選択肢を選んだために、違う未来へと至った道。
 ──夢組の四人ではなく、別の……
 ──風組の彼女を選んだ……そんな、梅里の未来。





~ここまでのあらすじ~

 

 太正14年、人々が怪蒸気と呼ぶ魔装機兵が再び帝都を騒がせていた。

 それに対するは2年前と同じく帝国華撃団。

 霊子甲冑を駆る対降魔迎撃部隊・花組を主力に、そのサポートをする空挺輸送部隊・風組、隠密行動部隊・月組、極地戦闘部隊・雪組、そして霊力を使った戦術サポートを行う霊能部隊・夢組。

 それらの部隊が一丸となり、魔装機兵を使って世を混乱させる黒鬼会との戦いが幕を開けた。

 

 その夢組の隊長であり、普段は帝国華撃団の本部である大帝国劇場で食堂主任を務める武相 梅里は、ひょんなことから深夜に及ぶ残業をすることになった。

 同じく遅くなった夢組隊員の伊吹かずら、そして帝劇事務局の事務員であり風組隊員でもある藤井かすみと共に帰宅している最中、黒鬼会幹部・鬼王の襲撃を受ける。

 実力上位者である鬼王相手にどうにか戦い続ける梅里。かずらとかすみの存在が彼に逃げることを許さなかった。

 やむを得ず禁忌の奥義を使って鬼王に深手を負わせるも自身も重傷を負い、意識不明の重体となってしまう。

 

 どうにか一命をとりとめたが意識が戻らない。

 

 その後、意識を取り戻したもののショックでここ数年の記憶を失っていた梅里。

 そんな彼を甲斐甲斐しく世話をしたのは、共に鬼王の襲撃の襲撃を受けた風組の藤井かすみだった。

 その献身的な介護のおかげもあり、無事に記憶を取り戻した梅里は、戦線に復帰する前に禁忌を犯した報告を、実家にするために水戸へと向かう。

 ちょうどお盆の時期であったために、同じ茨城出身のかすみは里帰りのために、共に茨城へと旅立つのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 水戸の実家に戻った梅里。

 それに負傷の治りかけで心配だから、と付き添ってくれた藤井かすみに対し、梅里は──

 

 

「ここまでありがとうございました」

「気にしないでください。私の好きでしたことですし。なによりも、梅里くんには命を助けてもらいました。」

 

 頭を下げた梅里に対し、かすみもまた軽く頭を下げる。

 

「それはもうとっくに返してもらってます。入院中はかなりご迷惑をかけてしまいましたから」

「そんな……」

 

 謙遜するかすみ。そんな彼女に梅里は──

 

▼選択肢

 ①「本当に助かりました……次は帝都で、お会いましょう。お気をつけて」

 ②「暑いし疲れたでしょう? 少し休んでいってください」

 

 →②

 


ゆめまぼろしのごとくなり2 ~if かすみ(ルート)

 

 

「暑いし疲れたでしょう? 少し休んでいってください」

 

 

 ──梅里が実家の屋敷を見ながらそう言うと、かすみは慌てた様子で申し訳なさそうに手を振る。

 

「そんな……突然ですし、申し訳ありませんから」

「いえいえ、気にしないでください。うちは料亭ですから、突然のお客様にも慣れてますよ」

 

 そう冗談めかしつつ梅里が遠慮するかすみを説得する。

 そんな梅里の実家は、かすみが見た限りでは、規模が“家”ではなく“屋敷”だった。

 ここまでくる間の話で、彼が実家のことを「家で料亭をやっていて──」と称していたが、なるほど、この規模なら十分に可能だろう。

 そう思いながらかすみは、躊躇いながらも「では、せっかくですし挨拶くらいは……」と承諾する。

 梅里はそんな彼女を料亭である実家へと案内した。

 

 

────1────

 

「ただいま戻りました!」

 

 武相 梅里が声を上げると──奥から急いだ様子の足音がバタバタと近づいて来るのが聞こえた。

 梅里には聞き覚えのあるその足音を懐かしく感じていると、間もなく、その主が姿を現した。

 ──と、同時に梅里へ飛びついてくる。

 

「おかえりなさい! ウメ兄さ……ん?」

 

 満面の笑みを浮かべた妹、武相 カナだったが……梅里の隣にいる人──長い髪を三つ編みにして体の前に垂らし、優しげに微笑む大人びた和服の女性──に気がつき、怪訝そうに彼女を見た。

 

「……誰?」

「カナ、失礼だよ。御客様に」

 

 梅里が咎めると、カナと呼ばれた娘は一瞬、「む」と顔をしかめた。帰宅を待ち望んでいた兄に注意されてよほど面白くなかったのだろう。

 しかしふと思いついたように「ふふん」と意地悪げに微笑み──

 

「あら? 料亭の御客様なら入口が違いますよ。こちらは武相家の入口でございます。料亭にお越しの御客様は、あちらの出入口からどうぞ」

 

 そう言って梅里を無視してかすみを店の入口へと案内しようとする。

 そうされれば当然に戸惑うかすみ。

 そして、まだ子供とはいえ妹が、自分の客に対してそこまで無礼を働けば、さすがに梅里も怒る。

 

「カナ! いい加減に……」

「あらあら、騒がしいこと……いったいどうしたの?」

 

 梅里が妹を注意しようとしたとき、カナに続いて落ち着いた雰囲気の女性が現れた。

 かすみも落ち着いている大人の女性だが、それよりも泰然としており、その年齢がもっと上であることを物語っていた。

 

「あら、梅里。おかえりなさい。それと……」

 

 先ほどのカナと同じように、彼女もまたかすみという見知らぬ女性を見て訝しがるような顔をした。

 

「梅里、こちらの方は?」

「ああ。藤井かすみさん。同じ大帝国劇場で働いている人だよ。手紙に書いたけど僕が大怪我して復帰間もないからって、心配して送ってくれたんだ。彼女も茨城出身で──」

「まぁまぁまぁまぁ……!」

 

 その女性は梅里をドンと突き飛ばすようにかすみに詰め寄ると、感激したように彼女の手を取った。

 

「これはこれは、わざわざ遠いところ申し訳ありませんでした。うちの梅里がお世話になりまして……」

「い、いえ……ええと……梅里く……梅里さんのお姉さんでしょうか?」

「あら、まぁ……藤井さんったらお上手ですこと。私、梅里の母の照葉(てるは)と申します」

「お母様だったんですか? これは失礼しました……」

 

 料亭の女将でもある照葉の見事な御辞儀と振る舞い、そして何よりも若く見えるその面立ちに、かすみは戸惑っていた。

 

「それで、カナ? いったい何をしているのかしら?」

 

 かすみには笑みを浮かべていた照葉だったが、一転して娘を見ると、先ほどの無礼を見ていたかのように、それを咎める視線を向ける。

 

「あ、それは……お兄さまが御客様とおっしゃったので、わたし勘違いして……てっきり料亭にきた御客様かと」

 

 冷や汗を流しながらごまかすカナ。それをジロッと見つめ続ける母・照葉。

 

「……まぁ、よろしいでしょう。カナ、かすみさんの荷物、もって差し上げなさい」

「は、はい……」

 

 しょんぼりとうなだれるカナを見てから、かすみを振り返った照葉は上品な笑みを浮かべて──

 

「娘が大変失礼しました。さぁ、お上がりください」

「いえ、私も実家に帰る予定ですし、長居するわけには……」

「そうおっしゃらずに。どうぞお入りくださいな」

 

 妙に押しの強い照葉に言われ、戸惑いながらも玄関へとあがるかすみ。

 そこへやってきたカナが、母に言われたとおりにかすみから荷物を受け取り──「いーっ」と歯を見せて威嚇する。

 

「カナ……」

 

 苦笑しながら妹の頭をポンとなでると、彼女は少し顔を赤くして──かすみに「ふん」とそっぽを向いてから母の後を追っていった。

 

「すみません、妹が……生意気盛りな年頃で」

「いいえ。妹さん、よほど梅里くんのことが好きなのでしょうね」

 

 かすみは苦笑気味に笑みを浮かべると、梅里が先導して屋敷の中へと進んでいった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 はたして、武相邸の中はやっぱり屋敷だった。部屋数も多く一つ一つも広い。

 確かに徳川の時代から水戸藩の家臣であり大事にされた武相家だが、ここまで大きな屋敷をもったのは維新後の話である。

 

 初代が家康公から直々に紹介されて水戸徳川家に仕えたという経緯はあったが、そこは外様の家臣である。他の外様に比べれば魑魅魍魎を討滅するという危険な役目のせいで高くはあったが、そこまで禄高は高いものではなかった。

 しかしその危険な役目で命を落とす者も無視できないほどにいた。

 そのため当主以外の者がその役目を負っていたのだが、代を重ねるうちに家の存続と表の食事方を主の役目とする武相本家と、裏の役目である魑魅魍魎と霊的守護を主の目的とする分家に分かれることを許されたのである。

 外様の家臣としてはかなり異例の優遇措置だが、逆に言えばそこまで危険な役目だったということでもあった。

 しかしそれは、一つの家分の禄で二つの家を維持しろというようなものであり、禄高的には難しいことだったが、それを両家が協力して家の維持に務めたのである。

 

 風が変わったのは、維新後だった。

 武士としての身分を失い、禄を失った武相家は、食事方という代々の役目を生かして食事処を始めることとなった。

 世の他の士族が傲慢な態度で失敗する中、徳川の世の間、処世のために譜代の家臣や重臣達を相手に謙虚に務めたことで、それが当たり前となっていた武相の家はそのような“武士の商売”に陥ることがなかった。

 また、維新直前の動乱によって分家が絶えてしまっていたのも大きかった。

 

 水戸藩は幕末期に大きな動乱があった。尊王攘夷の急進として幕府に睨まれ、その反動で浪人となった元水戸藩士たちが桜田門外で事件を起こしたのはあまりに有名である。

 そんな武士の命が容易く失われた幕末期の動乱の中で、腕の立つ武相家を味方にしようという陣営があり、しかし「我が武相の剣は人は斬れぬ」と断ると命を狙われてしまったのであった。

 見せしめに家のものの命が奪われ、それを見かねた分家の嫡子が水戸藩の尊王攘夷急進派の天狗党に参加し──天狗党の乱の鎮圧後にそれを咎められ、今までの功績で本家は生き残ったが、分家は取り潰しとなった。

 

 後に梅里の祖父である梅雪が、魑魅魍魎討伐の役目を行うために復活させることになるが、それまでの間はかえって負担が軽くなっていたために、分家を再興させられるほどの余裕があったのも確かである。

 そして食事の腕が確かなことはもちろんのこと、元士族であり、さらには裏の役目である魑魅魍魎の討伐は他に任せられる者がおらず、新政府になってからも依頼されていたのである。

 それが縁で市や県の上役と知己になり、利用の機会を得るなどして事業はトントン拍子に上手くいき、太正の世になったときには元々の屋敷を拡大して、その敷地に料亭を構えるほどになっていたのである。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな和室の一つに通されたかすみは、梅里の父親と改めて母親に挨拶をした。

 静かでありながら凛とした、武家の娘の鑑のような雰囲気を持つ梅里の母親に対し、父親は穏和そうで大人しそうな雰囲気の人だった。

 

「梅里の父、雲雀(うんじゃく)と申します」

 

 そう言って優しげな笑みを浮かべる梅里の父親。

 その表情から、かすみは普段の梅里は父親似だと理解した。

 互いの挨拶が済んで少し歓談したところで、梅里の母が夫である雲雀に声をかけた。

 

「……あなた、梅里、御爺様のところへ挨拶に行くのでしょう?」

「ああ。梅里の破門はないとは思うが……」

 

 祖父への挨拶──というよりはむしろ報告。それこそ梅里が水戸に帰ってきた理由だった。

 今の帝都は黒鬼会が跳梁跋扈している状況。梅里は春先に帰省していたこともあったし、長期の戦線離脱で迷惑をかけている。盆とはいえ本来であれば帰省するつもりはなかった。

 だが先の戦いで禁忌を破ってしまったために、その報告と裁定を受ける必要があって戻ってきたのだ。

 不安そうに厳しい顔をする父に、梅里は逆に晴れやかな顔をしていた。

 

「気にしないで、父さん。そうなったら仕方ないよ。それでも後悔しないから。事実、アレを使わなければ僕は命を落としていたし、もしそうなっていたら──」

 

 梅里は隣のかすみを見る。

 

「彼女を助けられなかった。人の命を助けるためにやったことに、後悔はないよ」

 

 そんな梅里を見ると、かすみは逆に申し訳ない気持ちが膨らんでしまう。

 それ故、自然とその言葉が出ていた。

 

「あの、私も一緒にいって事情を説明した方が……」

「それは止めた方がいいでしょう」

 

 しかし、それを制止したのは梅里の母だった。

 丁寧で落ち着いた物言いだったが、明らかな拒絶の意志がある。

 

「言い訳のようなことを、父は好みません」

 

 キッパリと言う母・照葉。

 梅里の祖父である梅雪は本家先代の弟であり分家筋でこそあるが、その先代が若くして亡くなる間際に家のことを託され、嫡男であった雲雀の後見となった長老的な立場である。

 照葉はその実の娘であり、祖父のことを一番知っているのは彼女で間違いない。

 その言葉に、梅里も雲雀も疑問を挟まず、そしてかすみは余計に不安そうな顔になった。

 だが、照葉は微笑んでフォローを入れる。

 

「大丈夫、梅里がキチンと説明すれば、悪いようにはならないでしょう」

 

 それにホッとしたかすみが梅里を盗み見ると、彼も幾分安心した様子だった。

 梅里の父も笑みを浮かべて「うんうん」とうなずいている。

 

「──それに、もし梅里が破門されても武相の分家はカナが婿をとればいい話ですし。安心して出て行きなさい、梅里」

「母さん?!」

 

 そんな母の言葉によって、一瞬で梅里の顔色が変わる。

 相変わらず笑顔で言った照葉に、さすがにかすみも呆気にとられていた。

 一方、梅里の父親はマイペースに笑みを浮かべたまま、妻の方を振り返る。

 

「照葉さんも冗談がきついなぁ。梅里が困ってるじゃないか」

「いえ、本気ですよ。さ、梅里。さっさと御爺様のところへ行ってきなさい」

「ちょ、ちょっと!? 母さん、さっきの話は冗談だよね?」

「こと武相流が絡むことについて、私が冗談なんて言ったことがありますか? 早くなさい。御爺様が待っていますよ」

 

 聞く耳持たない母親は梅里を部屋からつまみ出し──

 

「あなたも、父親として梅里の付き添いで行くのでしょう? 早く行ってらっしゃいな。ちなみに……変に梅里をかばって機嫌を損ねないようにしてくださいね」

「あ、ああ。わかってるよ」

 

 妻に言われて、雲雀もまた部屋から出ていった。

 男二人が慌ただしく出て行き、残されたかすみは──目の前の女性こそ、武相家のすべてを握っている人だと実感していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 二人を追い出し送り出してから、正座して改めて居住まいを正した照葉と目が合い──思わず微笑むかすみ。苦笑気味にならなかったかと気が気ではなかった。

 

「あ、あの……そろそろ私も、お暇した方が……」

「あら、そんな遠慮なさらないでください。それに、梅里のいない間に帰したとなったら、あの子から怒られてしまいますわ」

 

 それに対して、「はい、絶対嘘ですね」とかすみは心の中で思った。

 梅里は絶対母親に頭が上がらないだろう。さっきの反応からまず間違いないと確信している。

 そして、その推測は正しい。

 梅里にとって母の照葉はただ母親というわけではない。剣の師匠の一人──それももっともよく指導された相手でもある。

 家の存続を目的とした本家は、武相流調伏術の数々を伝承目的で受け継ぐが、分家は実戦で使うのが役目である。分家筋の照葉はより実践的なものを受け継いでいたし、梅里の兄は本家の嫡男であるために伝承が目的。一方で梅里は嫡子が途絶えている分家を継ぐ予定であり、そのため祖父と共に教えたのが照葉だった。

 その指導は厳しく──それは、魑魅魍魎との戦いで我が子が命を落とさないための愛の鞭であった──それによって少年の梅里に母への絶対服従が植え付けられ、今に至ってもその呪縛は解けていない。

 しかし──

 

「かすみさん。あなたの目から見て、あの子は……愚息は帝都でしっかりとできていますか?」

 

 ──そう尋ねる彼女は、自分の子供を心配する普通の母親だった。

 その気持ちを察し、安心させるべく、かすみはしっかりと頷いた。

 

「はい。大帝国劇場の食堂主任として腕を振るい、帝都市民の皆様から好評いただいています。私は劇場の事務局に勤務していますが、その声はこちらにも届いておりますよ」

 

 かすみの丁寧な説明でその活躍を聞いて思わず目を細める照葉。

 だが、すぐに目を閉じ──次に開いたときには冷たささえ感じる落ち着いたそれへと変わっていた。

 

「表の役目は分かりました。ですが私も武相家の者であり、華撃団についても少しではありますが存じております。そちらについてはいかがでしょうか? 我が武相の者は、お役に立てておりますでしょうか?」

 

 今度は母ではなく、武相家の一人としての質問だった。

 その雰囲気に思わず緊張しつつも、かすみは答えた。

 

「そちらも梅里さんは立派に果たされておりますよ。先の戦いでは降魔を相手に文字通り命を懸けて帝都を守り、華撃団の誰もがその功績を認めております」

 

 お世辞ではなく、かすみは心の底から思う。

 確かに多くの上級降魔を倒し、首謀者を倒し、復活した悪魔王も倒した花組の活躍は大きい。組織外部からの評価も極めて高い。

 だが──彼らが帰ってくる場所を守り、その不在中に現れた巨大降魔を倒し、本当に命を失いかけた梅里も、民間人登用ということもあって花組の功績の影に隠れてしまっているが、他の人には真似できない立派な功績である。

 表にはなっていないため外部からの評価は皆無だが、それでもかすみをはじめとして華撃団内部での評価は高いのだ。

 

「今の戦いでは、確かに春に負傷して意識不明の重体になってしまいましたが、それは私のような足手まといがいたからです。確かに強敵でしたが、梅里さんが一人だったなら、そのような不覚はなかったと思っております」

 

 そう言い、自分のせいで梅里を命の危機にしてしまった謝罪を含めて丁寧に頭を下げるかすみ。

 すると、照葉はため息のように大きく息を吐き──堅い雰囲気を解くと、再び笑みを浮かべた。

 

「これはこれは、うちの梅里を過分に評価していただきまして、本当にありがとうございます」

「そ、そんな、過分だなんて……私が本当にそう思っているだけです」

 

 かすみが言うと、照葉はますます嬉しそうな笑みになる。そして口調も砕けたものへと変わった。

 

「あなたのような素敵なお嬢さんに、そこまで言っていただけるなんて、ね。それだけで梅里が帝都(あちら)でしっかりと務めができているのだと確信できましたわ」

「お、お嬢さん……」

「あら? 失礼だったかしら? 気分を悪くしたならごめんなさいね」

 

 もちろんかすみは気分を害してなどいない。

 誰かから「お嬢さん」と言われたのが久し振りで戸惑っただけである。なにしろ大帝国劇場の女性陣の平均年齢は低い。

 自分よりも上は……見当たらないのである。あの副指令の藤枝かえでも年下である。

 

(あやめさんよりは下だったんですけど……)

 

 さらに悪いことに、かすみはその落ち着いた物腰と雰囲気からより年上に見られてしまう。そのせいで「お嬢さん」と呼ばれるのは、いつも他の人ばかりであった。

 

「いえ、そんなことはありません」

 

 かすみも女性である以上は若く見られたいし、「お嬢さん」と呼ばれたいのだ。

 

「そう? それなら──帝都でのあの子の話、他にもあったら話していただけないかしら? 戻ってくるのはもう少し時間がかかるでしょうから」

 

 そう言って楽しげに笑い、完全に母親の表情になった照葉に、かすみは自分が知っている話を披露した。

 

 

 いろいろと話に花が咲いたが──さすがに、あの大晦日の話はできなかった。

 

 

────2────

 

 

 話はかすみが話す梅里の近況だけでなく、照葉からの幼いころの梅里の話、さらには最近の帝都の様子から、水戸や茨城の話に及んだあたりで、梅里とその父親の雲雀が戻ってきた。

 ついでに梅里と祖父の席に、ちゃっかり同席していたカナも一緒にやってきており、かすみの姿を見るや敵意丸出しで威嚇している。

 

「……梅里、どうでしたか?」

 

 さっきのかすみと打ち解けた雰囲気はどこへやら、母が冷めた口調で訊く。

 それに梅里は正座してから答えた。

 

「とりあえず、即破門ということはなかったけど……ちょっと予想外だった、かな」

 

 首を捻る梅里の態度は困惑という表現が最もしっくりくるだろう。

 

「御爺様は、新月殺を使った感想を訊いてきて、その上で、新しい境地──技を会得しろ、極意を掴め、ってさ。そうしたら破門は無しだって」

 

 破門という言葉を聞いて焦ったのは、妹のカナだった。

 

「もし、ウメ兄様がそれをできなければ、破門?」

「カナ、もしできなければ……などと考えているようでは、何事も成し遂げられませんよ。できなければと不安になるのではなく、なんとしてでもやり遂げるのです」

 

 それを照葉がピシャリとたしなめる。

 決まり悪そうにうつむくカナの姿に、かすみは思わず微笑ましく思ってしまう。やはり兄である梅里をとても慕っているのだろう。

 するとその視線に気がついたのか、再びカナはかすみを威嚇するような表情を浮かべた。

 それに気づいていなかった梅里が、かすみに振り返った。

 

「そういうわけで、かすみさん、申し訳ないんですけど、帝都に戻ったら事情を支配人に話してもらえませんか? 二、三日の滞在で済むような話ではありませんし、言わば再修行のようなものですから、逆に何日かかるのかもわかりません。一緒に帝都に戻るのも無理でしょう……」

「わかりました。構いません。支配人への伝言、必ずお伝えします。ですから梅里さんは修行に集中なさってください」

「ありがとう」

 

 微笑むかすみに、梅里は頭を下げて礼を言う。

 それから、かすみはそういう事情ならと思い立ち、その場から立ち上がろうとして──

 

「あら、かすみさん。どうなされたの?」

 

 それを照葉に見咎められる。

 

「いえ、梅里さんの事情も分かりましたので、あまりお邪魔するのも失礼かと……」

「そうですね、それではさっさと──」

 

 と言い掛けたカナに、照葉がすまし顔でげんこつを落として黙らせる。

 そして何事もなかったかのように笑みを浮かべる。

 

「そんなそんな、どうぞウチで食事していってくださいまし。わざわざ梅里を送ってくださったのに、そのまま歓待も労いもせずに帰してしまっては、武相の家の名折れになってしまいます」

 

 そう言って引き留める照葉。

 さすがに家名を出して名折れと言われては無碍にもできず、困るかすみ。

 

「さあさあ、どうか夕飯だけでも召し上がっていってください。他はともかく、料理だけは自慢ですからね」

 

 料亭なのだからそれも当然だろう。

 照葉は振り返って自分の夫を見る。

 

「あなた、今日は料亭は休みにしますからね」

「え? そんな、いきなり……いったい、どういうことだい? 大事なお客様からの予約とか入ってないよね?」

「梅里が連れてきたお嬢さんですよ? それ以上に大事なお客様なんて、存在するわけないでしょう?」

 

 少し怒り気味の照葉。

 一方、父の雲雀といえば「ええ~? 大丈夫なの?」と言わんばかりの困惑顔である。

 

「女将である私が決めました。今日は臨時休業。予約のあったお客様には私から丁寧に連絡いたしますので、ご心配なく。あなたは腕によりをかけて、調理してくださいね」

 

 照葉は、ついには強権を発揮する始末。

 彼女の夫は人の良さそうな顔で苦笑しながら、席を立ちつつかすみに「どうぞごゆっくり。せいぜい頑張りますので」と挨拶し、部屋から出ていく。

 それに対して「あなた、くれぐれもよろしくお願いしますね」と念を押す照葉。

 こういう仕切る姿を見て、かすみは食堂副主任を思い出してしまう。梅里が彼女に頭が上がらないのは、母親のせいなのではないだろうか、と密かに思っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 さて──こうして食事を用意するまでの間、暇になったかすみに対して、照葉は梅里に「屋敷の中でも案内なさいな」と言ったので、梅里の案内で屋敷内を歩くこととなった。

 それにカナがついてこようとしたのだが、照葉に「あなたは学校の勉強でもしてなさい」とキツく言われて渋々それに従い、去っていった。去り際にもう一度「いーッ!」と歯を見せて威嚇することも忘れなかったが。

 屋敷の中は広く、表に面した場所に料亭があった。

 その料亭部分から母屋を挟んでその反対には道場があり、その付近は梅里の祖父の離れまである、と説明してくれた。

 道場があるとは言っても、武相流の技は門外不出で一族のみに伝わっているので弟子がいたりとか、そういうことはないんですよ、と梅里が説明する。

 そうこうしているうちにあっという間に時間が経ち、梅里の母がやってきて「お食事の準備ができました」と再び母屋に案内された。

 そうして、そこでかすみは梅里と共に食事をしたのだが──かすみは「さすが」という感想しか出なかった。

 それは、さすが水戸徳川家の台所を百年単位で支えた家の伝統、であり──さすが水戸でも評判の料亭を営む家の技、であり──さすが帝都でも評判の帝劇食堂の主任を育てた家の味、であった。

 もっとも、かすみにしてみれば帝劇の食堂のイメージから、梅里=洋食という印象だったので純和風の料理には少し意外にも思えていたのだが、梅里にしてみれば本来は和食料理こそ原点なのである。

 そんな料理に舌鼓を打ち、名残惜しくも料理はすべて食べ終わったころに、再び照葉が現れた。

 かすみが料理を絶賛し、お礼を言うと照葉が謙遜する。

 やがてかすみが「それでは、そろそろ……」と申し向けると、照葉はにこやかに言った。

 

「──外はもう真っ暗ですが……泊まっていかれてはかがでしょうか?」

 

 その言葉に、すっかり時間を忘れていたと気づかされ、竜宮城での浦島太郎もこんな気分だったのかしら──と、ふと思った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 こうなってしまっては致し方ない。

 暗くなってしまった今から実家に戻るのは難しいと判断したかすみは、照葉の言葉に甘えることとした。

 電話を借りて実家に一日遅れる旨を連絡し、今日のところはこの武相邸でお世話になると決めた。

 連絡を終えたかすみに、照葉は──

 

「部屋の準備をいたしますので、その間に入浴なさってくださいな」

 

 と言い、さらに──

 

「なんなら、梅里にお背中を流させますけど?」

 

 ──と付け加えて含み笑いをしたので、かすみは苦笑を浮かべて「さすがにそれは」と丁寧に辞退し、風呂を頂戴することにした。

 

 

 ……さて、かすみが入浴中のこと。

 

 屋敷を歩き回っていた梅里が、ようやく母親を見つけて詰め寄っていく。

 それに気がついた照葉も、足を止めて梅里を待った。

 

「母さん。僕の布団、どこにやったの?」

「あら? それなら敷いておいたけど?」

 

 照葉の答えに「え?」と困惑する梅里。

 二年前に家を離れた梅里だったが、屋敷は広く部屋が余るほどであり、兄夫婦に子供ができたとはいえまだ赤ん坊なので、梅里の部屋はそのままにされていた。

 その部屋を確認したのだが、もちろん布団など敷いてなかった。

 そもそも敷いてあれば梅里は布団を探してなどいない。

 

「敷いたって、どこに?」

「どこにって……ここに、よ?」

 

 そう言って母が(ふすま)を開け放つ。一瞬、母が含み笑いを浮かべた気がした。

 そこは客間であり──布団が二つ、並んで敷いてあった。もちろん二つはくっつかんばかりに近づけて敷かれていた。

 

「え……」

 

 唖然とする梅里。

 もちろん、その意味が分からないわけではない。

 

「は? え? ……なんで?」

 

 分からないのは、どうしてそうなったのか、という状況である。

 この状況を作り出した犯人は──今さっき自白している。梅里の隣にいる母だ。

 その犯人はなぜか笑顔で梅里を見ていた。

 

「梅里。あなた、今夜キチンと決めなさいな」

「な……なにを?」

「なにをって……あなた、母親に言わせる気なの?」

「そっちこそ、息子になに決めさせる気だよ!?」

 

 動揺しまくっている梅里に、照葉は「はあぁ……」と大きなため息をついた。

 

「梅里、あなたは武相の分家を継ぐ身なのはもちろん分かってるわよね?」

「……それは、もちろん」

「そのためにはなにが必要?」

 

 母の問いに梅里は眉根を寄せて考え──

 

「魑魅魍魎を退ける剣の腕?」

「全っ然、違う」

 

 出した答えは即ダメ出しを食らった。そうして母が言った正解は──

 

 

「──嫁と跡取りよ!」

 

 

 梅里を絶句させるのに十分だった。

 

「かすみさんの話や雰囲気から、あなた達が“いたして”無いのは分かっています」

 

 追い打ちをかける母の言葉。

 それにしばらく固まっていた梅里だったが、それから立ち直ると母に反論する。

 

「あのね、母さん。かすみさんと僕は、別に交際しているわけじゃないんです。さっきも説明したけど、僕が意識不明の間とその後の記憶喪失の間、親切に面倒を見てくれただけだからね。それをこんな……冗談にしてもかすみさん、怒るよ?」

「…………アンタは、バカねぇ」

 

 梅里に言われて再びため息をついた照葉は、思いっきりためて断言した。

 

「バカって、なにがさ?」

「女心が分かってないバカだって言ってるの。ちょっと考えれば分かるでしょ?」

 

 やれやれと肩をすくめる母の仕草にカチンとくる梅里。

 

「好きでもない何でもない相手を甲斐甲斐しく見舞いに通ったりお世話したりしますか? なんとも思ってない相手の里帰りに付き沿う人がいますか? 帰省が偶然同じ日になって途中まで一緒になることはあっても、あの年齢(とし)の人が実家まで付いてきているのよ? これは据え膳でしょ?」

「なぁッ!? な、なんてこと言うのさ!?」

 

 母のデリカシーのない発言に顔を赤くしつつ、さすがに咎める梅里。

 だが、照葉は気にした様子もなくあっさり答える。

 

「うちは料亭ですからね。上げ膳とか据え膳なんて日常会話です」

「なに上手いこと言いました、みたいな顔してるのさ。母さんは知らないだろうけど、かすみさんは優しくて親切な人なんだよ? だから負傷明けの僕をわざわざ連れて来てくれたのに。その気持ちを曲解して……」

 

 そう言って怒る梅里。

 そんな煮え切らない我が子に。照葉もまた──ついに怒った。

 

「あのねぇ、帝都からはるばる水戸くんだりまで来ているんだから、脈がないわけないでしょ!」

「くんだりって言うな! 母さんは全水戸市民を敵に回す気か!?」

「いいのよ! 私は生まれも育ちも水戸なんだから。とにかく、あの()はアンタに気があるわ。自信持ちなさい」

「えぇ~」

 

 自信満々の母に対し、半信半疑の梅里。

 

「ところで梅里。彼女、水戸の出身?」

「え? いや……茨城出身とは聞いていたけど……どこかまでは聞いてない」

「なにやってるのよ、まったく……後できちんと聞いておきなさいよ」

 

 盛大なため息をつく母に、梅里の方こそため息をつきたかった。

 

「例え水戸だったとしても、わざわざうちまで来てくれたのよ? ましてそれが土浦か古河か結城か笠間か下館か麻生かしらないけど、余所(よそ)だったらなおさらじゃないの」

「なおさらって、なにがさ?」

「今日は何度となく帰る機会はあったのよ。もちろん、母さんが引き留めたんだけど距離があるならそれが断る理由になるでしょ? 大丈夫。その気がないならとっくに帰ってるわよ」

「また乱暴な理屈を……」

「とにかく、四の五の言わずにとりあえず試してみなさいな」

「……試してみて、母さんの勘違いだったら、帝都に帰ったら職場でものすごく気まずくなるんですけど?」

 

 梅里が言うと、照葉は苦笑を浮かべた。

 

「そうしたら私のせいになさい。明日、一緒に謝ってあげるから」

「いや、一緒にじゃないでしょ。一人で謝ってよ。共犯だったら気まずさ変わらないからね?」

「ああ、もう煮え切らない子ね。覚悟を決めなさいよ! 男でしょ!?」

 

 母親にジロッと睨まれると、幼いころのトラウマが発動して梅里はなにも言えなくなってしまう。

 大人しくなった梅里に満足したのか、照葉は良い笑顔で言う。

 

「今晩はカナも眠らせたから安心しなさい。私もお父さんも御爺様も気にしないから──遠慮なく大きな声を出していいから」

「は?」

 

 寝かせた、ではなく眠らせた、というのが怖い。

 そして後半の言葉は輪をかけてひどい。

 

「な、なんてこと言うのさ!?」

 

 梅里が顔を赤くしながら抗議すると、母は気にした様子もなくクスっと笑う。

 

「かすみさん、風呂上がったみたいだから間もなくこちらに来るわよ」

「……なんでそんなこと分かるのさ?」

「女将の勘、よ」

 

 そう言うと「じゃあ、がんばりなさいね」と一切合切を梅里に投げ捨てて、その場からそそくさと去っていく照葉。

 それを呆然と見送った──見送ってしまった梅里は、ふと我に返る。

 この敷かれた布団という状況をどうにかしようと考え──

 

「お風呂、お先にいただきました……」

「はイィィッ!!」

 

 後ろからかすみに声をかけられ、飛び上がらんばかりに驚く。

 

「ど、どうかしました?」

「な、なにが?」

「いえ、突然変な声を出していたので……」

「そ、そうかな……特に変わったことは……」

 

 それからぎこちない動きで振り返った梅里は、湯上がりのかすみにドキッとしつつ、彼女の視界に布団が入らないよう、自分の体で遮るように立ち位置を気にする。

 もちろんそんな姿は不自然であり、かえってかすみの気をひくだけで──

 

「──え?」

 

 梅里の背後──客間に並んで敷かれた布団に気が付いた。

 

「あ……」

 

 それを目にしたかすみは、顔を少し赤くしながら視線を逸らす。

 そんな反応に焦る梅里。

 

(やっぱり、職場で気まずくなるパターンじゃないか!)

 

 そう確信して母を恨む。

 かくなる上は、すべて母に責任を持っていくしかない。

 というか、すべて母がやったことであり、梅里もまた被害者のようなものだ、と自分に言い聞かせつつ、誤魔化そうと試みた。

 

「は、母が、ははは母が、なんか僕とかすみさんが恋人だと勘違いしたみたいで……いや、まぁ、困っちゃいますよね。まったく。アハハハハ……」

 

 動揺しまくって言い訳した後、乾いた笑いを浮かべる梅里。

 もちろん、そんなことをしようとも布団はそこに変わらず存在し続けるわけで──慌てた梅里は諸悪の根元であるこの布団をどうにかしようと振り返った。

 そして自分の布団を掴もうと手を伸ばし──

 

「まったく母さんったらこんなことをして……僕が小さいころは他人(ひと)のイヤがるようなことはしてはなりません、なんて注意していたくせに……あ、僕は自分の部屋ありますのでそっちの方で寝ますから、かすみさんは──」

 

 ふと──その袖が引っ張られた。

 

「……え?」

 

 何かが引っかかったのかと、思わず自分の袖を確認する。

 そこには透き通るような白さをした手が梅里の服の袖を掴み──布団を掴もうとした彼の行動を制止していた。

 

「かすみ、さん?」

 

 思わず問いかける。

 思わずとっていた自分の行動に驚いていたようなかすみだったが、その意味に自身で気がついて顔を赤くしていた。

 そんな彼女は、梅里の問いかけによって意を決し──答える。

 

「……イヤでは……私は、嫌ではありませんよ?」

「──え?」

 

 顔を上げたかすみと目が合う。

 

「梅里くんは……どうなんでしょうか?」

 

 恥ずかしがるように顔を赤くして目を逸らしつつ言った彼女の決意に──今度は梅里が応える番だった。

 

 

 ──その夜、しばらく耳を澄ませていた照葉だったが……夜半過ぎには、満足げな笑みを浮かべて眠りについていた。

 

 

────3────

 

 

 ──翌朝のこと。

 

 武相カナは訝しがっていた。

 別に寝不足というわけではなかった。昨日に限って、なぜか夕食後にやたらと眠くなって寝てしまい、ぐっすりと眠りこけた。

 気が付けば明るくなっており、その間、全く目が覚めなかったようだ。

 むしろ寝過ごしたくらいで、てっきり母に怒られると思ったのだが、その母はといえば……

 

「いいのよ、今日は。明日からは気を付けなさい」

 

 そんな感じで妙に優しかった。

 その様子も変だったが、それよりなにより、朝食を囲んだ武相家の家族団らん──父に母、長兄夫婦と、昨日返ってきた次兄の梅里、と彼に付いてきた女性──のはずなのだが、どうにも様子がおかしかった。──ちなみに祖父はいつも通り離れで一人で食事をしている。

 長兄夫婦と父親に変化はない。

 おかしいのは──次兄の梅里と彼が連れてきた女性、それに母親の三人だ。

 梅里とかすみというその女性は、昨日と比べると明らかに雰囲気が違う。

 

(なに? ウメ兄さんと、この人の感じ……)

 

 なにやら目を合わせず、どこかよそよそしい。

 しかしお互いに気をつかいあっているのが分かる。醤油差しをとってあげたりしているのは、タイミングといい妙に通じているような気がする。

 

(なんなのよ、この空気は……)

 

 梅里を慕う妹としては、なにやら由々しき事態な気配はするのだが、その決定的なものもモヤモヤとして感じられなかった。

 そして──もう一人様子がおかしいのが母である。

 

(朝から妙にニコニコして、逆に不気味……)

 

 なにやら明るい。そして優しい。先ほどの寝坊へのお咎め無しもその一環だ。

 笑みを浮かべながら配膳し、上機嫌の彼女はやたらと梅里と、彼が連れてきた女の人を気にしている様子だった。

 先ほども、その女の人が配膳を手伝おうとしたのだが、笑みを浮かべながら「大事な体なんだから」と気を使うような素振りを見せた。

 ちなみに──カナが「おかわり」と茶碗を出したら「自分でやりなさいね」と圧のある笑顔で断られている。

 

「いったい、何事……なにが起きているのかしら?」

 

 訝しがるカナが見る中で目を合わせない梅里とかすみ、

 そしてそんな二人をニコニコと見守る照葉。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな光景を残しつつ──その日の午前中にかすみは去っていった。

 別れ際に──

 

「一刻も早く極意を会得して、帝都に帰りますので」

 

 と言った梅里に対し、かすみは──

 

「はい。お待ちしていますよ」

 

 と優しく笑顔で頷く。

 しばらく見つめ合っていたが、名残を惜しむかのように一度影を合わせ──二人は水戸で分かれたのであった。

 

 

 ──たとえその場で分かれ帝都と水戸で離れようとも、今の二人の間には確かな絆が生まれていた。

 




【よもやま話】
 元が短編だったので、慣れてきたのもあって、少し今までと変えました。
 その一環で、ちょっと一ページが長めなので文頭に頁内目次を付けました。

 さてコレは、11月13日の茨城県民の日記念に出した、茨城県出身の二人のifルートでした。
 本来ならこのように本編のエンディング後にだすべきだったのですが、さすがに一年温め続けるわけにもいかなかったので本編完結前に先出しました。
 完結記念に本来予定していた場所に再アップです。

 ゲーム的な解説をすると、二週目で出てくる選択肢、というヤツです。
 それを選んだら……という展開でしたが、本編でも道師が占いの結果ということで言及しており、それが伏線になっていました。
 そして──梅里の母のせいでR-15になりました。(笑)


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【第3話】/【第5話 前半】 ~ルート差分~

※途中の話はあらすじのみとなります。
 基本的に本編(共通ルート)と同じことが起こっているとお考え下さい。

【目次】
  ・第3話より
  ・第5話より ─1──2──3─



【第3話より】

 

 ──それは、秋公演を間近に控えたある日のことだった。

 

 

「関係者以外は入っちゃダメって言ったじゃないですか!」

「いや、僕は関係者なんだけど……」

「そんな、私、見たことありませんよ、あなたのこと」

「うん、僕もキミのこと見たことないからね」

 

 大帝国劇場の正面玄関から入ってすぐのところ、ロビーの片隅にある売店付近から、男女の言い争うような声が聞こえてきた。

 事務局からロビーへと歩いてきていた藤井かすみはそれを聞いて眉をひそめた。

 

「いったい何事ですか……」

 

 まだ公演が行われていないので、それほど混雑しているわけではない。

 劇場内に入ってくるのは、売店か食堂目当ての人くらいだろう。

 だが、ときには熱心なファンがスタアの姿を一目でも見ようと奥に入ろうと試みる、そんな不心得者が出ることもあった。

 その(たぐい)かしら、と思ったかすみが言い争っている方へと向かった。

 

「あら、何の騒ぎですか?」

 

 そう声をかけた彼女だったが、当事者の顔を見て──思わず唖然とした。

 

 

「「かすみさん!!」」

 

 

 奇しくも言い争っていた二人の声が重なる。

 そしてこの二人が、いったいどうしてこんなことになっているのか、かすみにはさっぱり理解不能だった。

 

「聞いてください、かすみさん。この人、勝手に奥に行こうとして……」

 

 まだ若い──どころか幼くさえも感じられる童顔に髪を纏めている、出張中の椿の代わりに売り子を務めることになった、華撃団育成機関である乙女組からの研修生・野々村つぼみが主張する。

 

「それは、確かに困りますけど──」

 

 かすみが話を聞くと、味方を得たとばかりに自信を持った顔になって相手を見た。

 

「お願いします、かすみさんからも注意してもらえませんか?」

 

 問題は──彼女が揉めている相手の男だ。

 かすみはその男の顔を見て、絶句するしかない。

 

「かすみさん。お久しぶりです」

 

 そう挨拶する人を、かすみは知っている。

 もちろん、忘れるわけがない。

 あろうことか帝国華撃団の誇る五部隊の長の一人──というのもあるが、それ以上に、かすみにとっては忘れられない相手である。

 なぜなら──彼女の想い人だからである。

 

「う、梅里くん……」

 

 言葉が口をついて出る。

 あの日、水戸の彼の実家で一夜を共にして──それから彼のことを考えない日はなかった。

 新しい技を会得とか、極意をつかむ等と言ってはいたが、剣術の心得のないかすみにとってはよく分からない話で、とにかく彼の修行が終わるまでは帝都に帰ってこない、という話だった。

 最初の数日は、覚悟していたのでそれほど苦でもなかったが、帝都で待つ日が一週間を越え、十日を過ぎたあたりからは、まさに一日千秋の気持ちで彼を待ちわびた。

 それからさらに数日──待つのに疲れたころになって、戻ってくる連絡もなしにふらっと帰ってきたのは完全に不意打ちであり、その姿を見たかすみが感情を爆発させるのに十分だったのである。

 

「──ッ!!」

 

 次の瞬間、かすみは思わず彼に抱きついていた。

 そして力を込め、ギュッと抱きしめる。

 その余りに突然な行動に、言い争っていた二人──梅里とつぼみは呆気にとられてなにも言うことができなかった。

 そして──呆然と、抱き合う二人の姿を見ていたつぼみが我に返り、「うわぁ……」と声を出して見ている。

 それで梅里も我に返り──力強く抱きしめてくるかすみの背をポンポンと軽く叩く。

 

「あ、あの……かすみさん。嬉しいんですけど…………他の人が見てるんですが?」

「──えッ?」

 

 ふと我に返るかすみ。

 そして自分のしたことに改めて気が付き──

 

「ご、ごめんなさい。梅里くん……」

 

 あわてて頭を下げる。

 それに気まずそうに視線をそらして虚空を見上げ、頬を掻く梅里。

 そんな二人を見たつぼみは──

 

「この人、かすみさんの恋人さんですか?」

 

 そう尋ねる。

 それにかすみは慌てた様子で──

 

「あのね、つぼみちゃん。この人は……この劇場の食堂主任の武相 梅里さんですよ」

「食堂主任の、武相……さん?」

 

 かすみの説明で、帝国華撃団夢組隊長の名前と、平時の肩書きを思い出したつぼみは顔を青くして謝るのであった。

 


【第5話より】

 

~ここまでのあらすじ~

 

 11月初旬の、季節外れの雪が舞う中で蜂起した太正維新軍騒動。

 陸軍大臣である京極 慶吾が旗印になり、若手将校達が決起したこの事件は、一時は帝都の要所を抑えるに至り、帝国華撃団も銀座の帝劇本部を抑えられてしまう。

 そこを脱出した花組の大神とさくらは、支部のある浅草・花やしきに向かい、そこで受領した新型霊子甲冑で、維新軍と結託する黒鬼会との戦いを始める。

 帝劇本部を奪還し、奪われた魔神機を取り戻した華撃団は、黒鬼会と決着をつけるべく赤坂の地下にあるその本拠地を襲撃する。

 そして──激しい戦いの末、五行衆の生き残りであった金剛と土蜘蛛、それに黒鬼会を統べる鬼王を打ち倒し、京極の野望を砕いたのであった。

 

 そうして春先から続いた一連の騒動はようやく終息し、大帝国劇場は12月を迎え──太正維新軍で荒れた帝都の現状と、市民たちの心を憂い、癒すために12月24日にクリスマス特別講演「奇跡の鐘」を行うことを決めた。

 そして──その日に、食堂でも特別メニューを出すことが決まったのだが……

 

 

────1────

 

 武相梅里は悩んでいた。

 

「クリスマスの特別メニューねぇ……」

 

 それを考え始めてはや数日。しかし考えはまとまらない。

 今日は、朝早くから華撃団の仕事が入っていたので、夜の部の営業には自分の名前は入っていない。

 そのためにすでにコックコートから着替えており、普段の紺のズボンに黄色いシャツの上に濃紅梅という色にそまった羽織──さすがに寒くなってきたので厚手のもの──という姿になっている。

 すでに夕方5時近く。年末迫るこの時期でのこの時間はすでに日が沈んで暗くなっている時間であった。

 本来なら帰って構わないはずなのだが──特別メニューで悩む彼は帰宅せずに考え込み、ついには帝劇内をウロウロと歩き始めていた。

 クリスマスを祝う文化が入ってからそれなりに年数は経っているが、日本で定番料理というものが定着する前であり、それゆえに梅里は悩んでいたのであった。

 

「やっぱり、色味も大事かなぁ……」

 

 サンタクロースの服である赤、クリスマスツリーの緑、雪景色の白──そういった色が入ればそれらしくはなるような気もする。

「洋食で赤といえば、やっぱりトマト系だろうし──ッ!?」

 考え込んだ梅里が、事務局の前を通り過ぎようとしたときのことだった。

 その腕をサッと掴まれたかと思ったら、意外に強い力でグイッと引っ張られ──梅里は事務局内に引きずり込まれた。

 

「えッ? えぇッ──?」

 

 突然のことに訳も分からず戸惑う梅里。

 あわてて掴まれた腕の方を見ると──にっこりと微笑む笑顔と目が合った。

 

「こんばんは。武相主任」

「こ、こんばんは……かすみさん」

 

 編んだ長い髪を体の前に垂らし、長い前髪は分けている──そんな髪型に、一見すると和服のようだがよく見ると違っている服を身にまとった、ここ事務局で勤務している女性のうちの一人、藤井かすみであった。

 普段から微笑みを絶やさない彼女だが、今、彼女が浮かべている笑みは────なぜか妙に圧があった。

 そして掴んだ腕にかかっている力も──ともすれば痛いほどに──強い。

 

「あ、あの……かすみさん? ど、どうかしましたか?」

「いえ、お久しぶりに武相主任にお会いしましたので、つい……」

 

 そんな彼女の言葉に梅里は「久しぶり?」と首をひねる。はたしてそんなに会っていなかっただろうか、と考え込んだ。

 なにしろ最近は今も考えていたクリスマスの特別メニューを考えるので頭が一杯だということもあって、なかなか思い出せない。

 そして──腕を掴んでいる彼女の手がさらにギュッと握られる。まるで絶対に逃がさない、とばかりに。

 

「え? あの、かすみさん。腕がちょっと……」

「ちょっと、ですか? ちょっと……何でしょうか?」

 

 畳みかけるように尋ねてくるかすみにたじろぐ梅里。

 

「そうそう、“ちょっと”といえば私も武相隊長に、ちょっとお伺いしたいことがありまして……よろしいでしょうか?」

 

 ズイッと迫ってくるかすみに、思わず引く梅里。そして腕は痛い。

 

(武相隊長って──こんなところでそう呼んでくるなんて、かすみさんにしては珍しい……というか、怒ってない? 明らかに怒ってるよね?)

 

 風組の任務では翔鯨丸に乗り込み、同僚の由里や椿を含めた通称帝劇三人娘のリーダー格であるかすみは常に冷静沈着といったイメージだ。

 それは普段の事務局でも同じであり、彼女が怒っているのは本当に珍しい。

 

「え……っと、なんでしょうか?」

「とある筋から、ある噂を小耳に挟みまして──」

 

 梅里は、「とある筋って由里さんでしょ?」と思った。帝劇内でウワサといえば彼女が真っ先に思い浮かぶ。それくらい彼女は帝劇内の情報通であり、噂の発信源でもある。

 そして彼女のことが頭に浮かんだから気がついたのだが──この事務局にいつもかすみと共にいるはずが、今はその姿が無かった。

 

「……武相隊長? 聞いていらっしゃいますか?」

「え? あ、うん。もちろん……ただ、由里さんがいないのが気になって……」

「彼女は別の場所で仕事中です…………そんなに、私以外の女の人が、気になりますか?」

「──え?」

 

 かすみの笑顔の圧が余計に増した気がする。明らかに火に油を注ぎ、その勢いが増した感じだ。

 

「先ほどの噂ですけど……この前の黒鬼会との戦いで、敵巨大魔操機兵の自爆を防いで、大活躍したそうですが──」

 

 黒鬼会の本拠地での戦いで、正面突破で最深部へ向かう花組を支援すべく、入口付近で結界を張り、帰還部隊に後方から挟撃されるのを防いだのが、梅里率いる夢組本隊であった。

 案の定、裏口を警備していた土蜘蛛がやってきたためにそれと激闘を繰り広げ、どうにか撃破した梅里達の前に現れたのが(くだん)の巨大魔操機兵である。

 黒鬼会の、五行衆に準ずる幹部である“人形師”が改造したと思われるそれは、元は五行衆の火車専用の大型魔操機兵・五鈷だった。

 ただし、改造によって火器をはじめ武装は撤去されており、動きも搭乗者が操縦するものではなく、対象(ターゲット)をひたすら追いかけるようなものであった。

 そして、武装のないその魔操機兵の唯一にして最大の攻撃方法は──機関の暴走による自爆。

 過剰なまでの高出力な動力機関はたやすく暴走するように設定されていた。

 それに加えて、燃料ともいえる霊力は『陽属性』という太陽の力。その属性こそがやっかいであり、もし爆発すれば黒鬼会の本拠地を跡形もなく消し飛ばせるほどの威力が出ていただろうと推測されている。

 それを夢組は、動きを止め、装甲を外して操縦席から搭乗者を救出し──暴走を止めたのである。

 その中心となり、安全のために張り巡らせた結界の中で、改造五鈷という爆弾の“解体作業”をしたのが──他でもない夢組隊長の梅里だった。

 

「ええ、そうですよ。さすがにあのときは緊張したけど……」

 

 かなり危機的状況だったのを思いだし、「ああ、かすみさんはまた僕が無茶なことをしたから怒ってるのか」と勝手に納得する梅里。

 だから彼は簡単にそのときの状況を説明した。彼女の誤解がないように。

 だが──それは見当違いだった。

 

「なるほど。では噂は間違いないようですね……」

 

 不意にかすみの顔から笑顔が消える。

 

「──その暴走した巨大魔操機兵に乗せられていた、()()()カーシャさんに、救出直後に組み敷かれていたというのは」

「いッ!?」

 

 腕を掴む力がさらに強くなる。

 黒鬼会との決戦の前、花やしき支部防衛戦でカーシャと直接戦った梅里は、華撃団を裏切っていた彼女の誤解を解いた。

 しかし、その直後に“人形師”によって拉致され、改造五鈷のパーツとして組み込まれていたのである。

 操縦席で霊力供給源にされていた彼女を助けたのは、確かに梅里であり──体から強制的に霊力を絞り出されていた彼女は確かに“全裸”だった。

 もちろんその様子は夢組本隊で従事した者達のほとんどが見ているわけで──噂にならないわけが無く、由里の耳に入らないわけがない。

 

「ご、誤解だよ、かすみさん。あれは、カーシャに無理矢理……」

「武相隊長ほどの剛の者な方が、そんな容易く組み敷かれるわけありませんよね?」

 

 絶対零度並の冷たい視線が梅里に突き刺さる。

 以前あった黒之巣会との戦いのころから、生身で魔操機兵・脇侍から降魔に立ち向かい単独で討滅でき、果ては他の助力を得てとはいえ巨大魔操機兵を倒している梅里の実力は折り紙付きである。

 その強さは華撃団でも有名であり、もちろん鬼王に襲撃されて戦う姿を見ていたかすみが知らないはずがない。

 

「い、意外とカーシャも強いんですよ? 紅葉と互角なくらいだし……」

「知りません! そんなこと──」

 

 夢組内における個人戦闘力で梅里に次ぐ実力を持つといわれる除霊班頭の秋嶋 紅葉の名前を出して、その実力をアピールしたのだが──梅里が他の女性の名前を口にしたことで、余計にかすみの神経を逆撫でただけだった。

 

「あのときはカーシャも救出直後で、意識も朦朧としていて混乱していたみたいだし──」

「……カーシャさん、意識がハッキリしていたとおっしゃっていたそうですが?」

「う……」

「それに、武相隊長が自ら(おっしゃ)ったそうじゃないですか。居場所がないなら僕のもとに来い、と」

「ぐふッ!」

 

 梅里の痛いところを的確についてくるかすみの言葉。

 ちなみに、梅里は「僕らのもとに」と言っていたのだが、本人はそこまで正確に覚えていなかった。

 

「仕舞いには、カーシャさんに服をはぎ取られた上に、彼女からすべてを捧げる、なんて言われていたそうで──」

「グハッ!!」

 

 かすみのたたみかける言葉の連打によってダウンする梅里。

 ガックリとうなだれる梅里を、冷たい目で睥睨するかすみ。

 

「──彼女から捧げられたんですか? すべてを」

「だ、だからそれは誤解で──あのときは僕も霊力の消耗が激しくて、体が動かなかったから……」

「霊力消耗が激しかったのは、直前まで暴走する巨大魔操機兵に霊力を吸われていたカーシャさんの方では? と、素人目には思えるのですけど」

 

 確かにカーシャは消耗していただろう。

 だが、梅里はその直前に土蜘蛛の駆る八葉とも死闘を演じている。

 さらに言えば、その日は早朝から花やしき防衛戦、魔神機の奪還戦──ここで梅里は鬼王と一対一で戦っている──を経ての黒鬼会本部での戦いであり、移動中にこそ休憩はしていたものの、ほとんど戦いづめだったのだ。

 だが──梅里はその事情を話すのを躊躇った。八葉との戦いで彼は、かずらと心と霊力を合わせた強力な一撃を放ち、その動きを止めていた。

 その行為が、なんとなく後ろめたかったのだ。

 

「では、体が動いたのならその場で始めていた、と。そういうわけですね──」

「ち、違うよ!! ともかく、かすみさんが心配するようなことは、何一つありませんでした!!」

 

 必死な梅里の言葉に、かすみは久しぶりに笑みを浮かべる。

 

「あら? 私が心配するようなことって……具体的にはどのようなことでしょうか?」

「そ、それはその……浮気、とか…………」

「……接吻(キス)

「え?」

「カーシャさんと、衆人環視の中で、随分と濃厚な口づけをなされていたとお伺いしましたが……どうなんですか、武相隊長?」

「ぐッ……」

 

 もちろん──身に覚えはある。

 たとえそれがカーシャに奪われたものであっても、間違いなく事実である。

 梅里はその場に膝をつき、姿勢を正し──深々と頭を下げる。

 

 

「……………………本当に……誠に申し訳、ございませんでした」

 

 

 頭を下げるしかなかった。

 まるで不祥事を起こした者が謝罪会見で見せるような、それは見事な土下座であった。

 しかし──

 

「──どうして、謝るんですか?」

「はい?」

 

 かすみの意外な言葉に、思わず顔を上げる。

 彼女のジッと見つめる目と目が合い、思わず目を(しばたた)かせる。

 

「梅里くんは、どうして、私に、謝るのでしょうか?」

「そ、それは……僕がかすみさんを、傷つけたから……」

 

 その通りだが、かすみが欲しい言葉はそれではなかった。

 

「なぜ、傷つけたら謝るんですか?」

「えっと……僕にとって、かすみさんは大事な人なわけで──」

 

 惜しい、ちょっと違う。もう一声──

 

「どう大事なんですか?」

「えぇッ!? そ、それは……」

 

 追いつめられ、戸惑う梅里。

 視線を走らせて周囲に人影──特にこの事務局に常駐する噂好きのあの人──がいないのを確認し、顔を赤くしながら言う。

 

「ぼ、僕が──かすみさんを、愛してるから……です」

「…………ッ」

 

 無言で視線をそらすかすみ。

 だが──それが正解。気恥ずかしさで思わず視線を逸らした彼女だったが、自分の赤くなった顔を隠すためでもあった。

 

「あ、あの……かすみさん?」

 

 反応のない彼女に不安を感じた梅里が思わず立ち上がり──かすみの向いている方へ回り込もうとする。

 そこへ──

 

 ドン

 

 かすみは自分の机の上にあった書類の山を、隣の机へと置き直した。

 

「え? これは……?」

 

 突然置かれた書類の山と、かすみを交互に視線を走らせて見比べる梅里。

 その間に気を取り直したかすみは、再びにっこりと笑みを浮かべた。

 

「実は、事務局の書類整理が山のように残っていまして、由里も別の仕事をしているので人手を探していたのですが……」

 

 再び浮かべた妙に圧のあるその笑顔。

 それに圧された梅里は──

 

「て、手伝いましょうか? かすみさん……」

 

 そう申し出るしか無く──かすみはそれを変わらぬ笑顔で受ける。

 

「あら、武相主任、自ら申し出てくださるなんて申し訳ありませんね。ではよろしくお願いします」

「あ、あの……慣れていないのでお手柔らかに…………」

 

 舞台が開演している間しか仕事がなく頻繁に伝票整理を手伝っているモギリの大神とは違い、普段は厨房を仕切っている梅里は事務局の手伝いをほとんどしたことがない。

 同じ隊長でも彼と同等の仕事はできませんよ、とアピールした梅里だったが──

 

「あら? 申し訳ありませんけど時間がありませんので、私もそれ相応に接しさせていただきますよ?」

 

 かすみは笑顔で無情にもそう言う。

 そしてトドメに──

 

「──そもそも、浮気者にかける情けなど無いと思うんですけど……どう思いますか? 梅里くん」

「……はい。おっしゃるとおりです」

 

 何の異論もありません。

 そう言わんばかりに、梅里はガックリとうなだれた。

 

────2────

 

 ──さて、慣れない事務仕事に四苦八苦していた梅里だったが、そんな彼を微笑ましく思ったのか、フォローするかすみの機嫌は当初に比べればだいぶ良くなっていた。

 おかげで仕事がはかどり、思いの外に早く終わったため──かすみは「手伝っていただいたお礼に」と食事に誘われ、二人で大帝国劇場と同じ銀座の煉瓦亭へと向かった。

 

 そうしてやってきた煉瓦亭に入るとタイミングが良かったようで、待つことなく席に案内された。

 そうして二人が席に着くと、たまたま客席にまで出てきていたコックコート姿の男性がおり、梅里は目が合ったので挨拶をする。

 帝劇の食堂とは同じ銀座で洋食を提供するものとして商売敵(ライバル)ではあるが、かやた純粋な食事処であり、かたや劇場に付随する施設である。

 さらには梅里は、洋食屋での修行経験はあるものの、実家で身につけた調理技術の根本は和食のそれであり、洋食を学ぶ余地はかなり大きく、日々勉強や研究を欠かさない。

 その研究の参考としているのが、ここ煉瓦亭であり──それを知ってか、煉瓦亭側も梅里を邪険にすることなく受け入れているという、かなり変化球の教える側と教えられる側であった。

 そんな梅里の来店に気付いた男性は、その横にいるかすみにも当然気がつく。

 からかうようにニヤリと笑みを浮かべて梅里達の下へとやって来ると──

 

「お? この前連れてきたのとは違う女性だな。やるねぇ、色男」

 

 そう言ったものだから、梅里は焦った。

 

「な? と、突然なにを言うんですか!?」

 

 そんな梅里の反応に、彼は満足そうに笑う。

 

「ちょ、マスター! 少しはフォローを……」

「…………梅里くん」

 

 慌てる梅里だったが、正面からの冷たい声と視線に姿勢を正す。

 

「はい……」

「誰と来たんですか?」

「……せりです。主に料理の研究のために…………」

 

 無抵抗で洗いざらい素直にしゃべる。

 今日の流れから、変に誤魔化すのは完全な悪手であると梅里は理解していた。

 そしてそれが功を奏したようで、かすみは笑顔を浮かべ──

 

「なるほど。でも、せりさんはそう思ってないかもしれませんね」

 

 ニッコリと笑みを浮かべたまま、巨大な釘をグッサリと刺していた。

 そして──

 

「マスター、一番高い料理って何ですか?」

「それはもちろん──」

 

 素直に挙げられたその料理の名前を聞き、かすみは──

 

「では、それでお願いします」

「承りました」

 

 即答したそのオーダーを、爽やかな笑顔を浮かべた調理する人自らが受ける。

 そしてかすみは梅里の方を振り返り──

 

「もちろん、今日は梅里くんが払ってくれるんですよね?」

 

 笑顔でそう言い──

 

「……はい」

 

 梅里は頷くしかなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな一幕もあったものの、かすみと梅里が注文したものが運ばれ──二人はそれに舌鼓を打つ。

 だが、その最中にかすみは梅里の憂いの表情を見抜き、それが悩み──事務局前までウロウロするほどに彼が考え込んでいたもの──によるものだと推測した。

 そしてそんな彼の悩んでいることを聞くと、今度のクリスマス公演に合わせた特別メニューの内容が決まらずに悩んでいるという。

 海外では七面鳥を使ったものといった定番料理が確立されているが、日本にはまだそれがない。海外に合わせようにも七面鳥は珍しく、高価であり、それをメニューとして出すのは難しいとのことだった。

 その悩みを聞きながら、かすみはふと「特別なメニュー」ということである噂を思い出した。

 

「そういえば、去年の一時期、絶叫オムライスというのがあると聞きましたが……」

「──ッ!?」

 

 危うくむせかける梅里。

 少しせき込んだ彼は、苦笑いでかすみを見つつ──

 

「それってただの噂話で──」

「嘘ですよね? 特別なオムライス……あるんじゃないですか?」

 

 かすみが鋭いところを見せて、梅里に詰め寄った。

 視線を逸らして誤魔化そうとする梅里。

 しかし、それをじっと見つめつつ、かすみは──

 

「う・め・さ・と・く・ん?」

 

 ニッコリと──今日は何度と無く目にした圧のある笑みを向けてきた。

 アッサリとそれに折れた梅里は、ため息混じりにうなだれて説明を始める。

 

「アレは……せりに作るの止められているんです。あくまで試作品なので作るときには許可を得た上で、せり以外に食べさせるなって」

「せりさんから?」

「ええ。僕が全力で作ろうとすると採算度外視になって材料費が掛かりすぎちゃうんですよ。だからせりの許可がなければ作れなくて……」

 

 梅里の説明に、かすみは「なるほど」とうなずく。

 

「でも、たまに作ってる、と?」

「まぁ、そうですけど……あくまで試作扱いですけどね」

 

 そう言って梅里は目の前の料理を一口、自分の口へと入れる。

 

「それを、せりさんだけに食べさせている、というわけですよね?」

 

 まるで取調べのようであった。

 そして──笑顔こそ無いが、圧はかなり強い。

 それにたじろぎながら、梅里は誤魔化すように視線を逸らす。

 

「……たまにかずらやしのぶさん、それに最近気がついたカーシャが食べるときもありますが…………」

 

 そんな梅里を、かすみはジッと見つめる。

 

「私、食べたことがないんですが……?」

 

 笑顔を浮かべつつそう言った。

 

「う……」

 

 それを指摘されると弱い。

 だが、さすがにせりとの約束をおいそれと破るわけにはいかなかった。

 偶然にせりが不在と思って食べさせたしのぶや、いつの間にか強引に割り込んできたかずらやカーシャと違い、ここでこうして確約するのは気が引けたのである。

 

「……さっき、梅里くんはなんて言いましたか?」

「え?」

 

 かすみの問いの意図が分からず、思わず問い返す。

 

「ここにくる前、梅里くんは私のことをどう思っている、と言いましたか?」

「そ、それは……」

 

 ここで言うんですか? と梅里は思わずかすみを見る。

 さすがに人気店というだけあって、仕事のせいで少し遅くなったとはいえ店内は未だに混んでいた。

 さすがにこの状況でソレを言うのは──と思ったのだが、かすみはじっと見つめており、許してくれそうな気配はない。

 

「だ、大事な人、です……」

 

 ヘタレの梅里は無難な方の言葉を選んだ。

 もちろんそれで満足するかすみではない。

 

「それは、何番目に大事なのでしょうか?」

「いぃッ!?」

 

 さらに突っ込んできたかすみの質問に梅里は面を食らう。

 彼女は、詰問するその瞳に愁いを帯びさせて、梅里を見つめた。

 

「せりさんの頼みは聞くのに、私の頼みは聞いてくれないということは、せりさんが一番で私は二番目……いえ、しのぶさんもかずらちゃんもカーシャさんも食べさせてもらったものを食べさせて貰えないということは、私はさらに下の──」

 

 

「い、一番です! 僕にとってかすみさんは、一番大事な人です!」

 

 

 慌てて、思わず席を立ち上がりながら言ったその言葉は、意外と大きく店内に響いた。

 なぜかしーんとする店内。その視線が梅里へ──そして彼と一緒にいるかすみへと集中する。

 それを横目で感じながら──誰かが冷やかしで始めた拍手が起こると、その輪が広がっていき──梅里とかすみの顔は真っ赤に染まるのであった。

 

「梅里くんは、せりさんとの約束を破るのが後ろめたいのですよね?」

 

 場が収まってから、気を取り直したようにかすみが言う。

 それに梅里が振り向くが──うなずきはしなかった。

 

「あなたが優しい人だというのは、私も分かっていますから。人との約束を大事にしようとするのも」

 

 そんな優しさが彼の魅力の一つであるのは、かすみも分かっている。

 だから今度はかすみ自身に気を使って、肯定もできないのだろう。

 

「では、以前言っていたお礼……梅里くんが意識がなかったときに私が世話をしたお返し、ということではどうでしょうか?」

「まぁ、それなら……わかりました」

 

 その言葉には、梅里は頷いた。

 梅里が承諾したことに内心喜ぶかすみ。

 しかし、やはり不満は残る。

 

(私のことを一番大事と言っているのに……他の()に気を使うだなんて)

 

 心の中でそっとため息をつき──もう一品なにか追加しようか、と考える。

 自分にそんなモヤモヤを抱かせたことへの詫びや、そもそも大事な人への裏切りともとれる行為の代償と考えれば──けっして高くはないだろう、と思った。

 

 そんなかすみの機嫌は店を出ても元には戻らなかった。

 送っていった先の彼女の住む部屋でいろいろとアレやコレや頑張って──どうにかうやむやにする 機嫌を直すのに成功する梅里であった。

 

 

 

────3────

 

 

 そして迎えた12月24日──クリスマス・イヴである。

 

 この日限定で行われた特別公演は『奇跡の鐘』は大成功を収めた。

 密かに総合的なプロデュースを花組隊長の大神一郎が執り、そのおかげで団結力があがったせいもあったのだろうが、素晴らしい結果を生みだした。

 太正維新軍騒動で消沈していた帝都市民を鼓舞したこともあり、それが後生に“伝説”として語り継がれるほどであった。

 その影に隠れながらも、食堂での特別メニューはこっそりと、知る人ぞ知る伝説となった。

 かすみの提案がきっかけで特別メニューの一つとしてオムライスが採用された。ただし「情緒不安定にさせたら公演が台無しになる」という食堂副主任の指摘で梅里の『全力』のオムライスは回避され、程々に抑えられたものではあったが、それでも絶品だったと密かに語り継がれる。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな劇場も食堂も客が大入りで、多忙な一日もようやく終わろうとしていた。

 そして事務局はといえば、公演や食堂・売店の営業が終わるまではもちろん劇場を閉めることができず、また閉まった後も、歳末が迫っているために今日中に終わらせなければならない仕事が多岐にわたり──結果的に由里とかすみは夜遅くまで仕事をすことになった。

 そんな仕事もようやく終わろうとし──かすみは由里に声をかける。

 

「由里、先にあがっていいわよ。私もこれが終わったらあがるから」

「え? 大丈夫よ。かすみが終わるのをちゃんと待つから……」

「そうはいっても、もうこんな時間よ?」

 

 かすみはそう言って事務局内の時計を見上げる。

 つられて視線を向けた由里は──

 

「え……嘘? 全然気が付かなったわ。こんなに遅くなってたなんて……」

「そういうこと。これ以上遅くなるのは危ないし──先にあがって頂戴」

「でも、それならかすみだって危ないんじゃ……」

 

 心配そうな由里に、かすみは苦笑気味の笑みを浮かべる。

 

「そうね。あまり遅くなったら一人で帰らないで、ここに泊まっていくわ。だからなおさら先に帰って。二人で泊まると、さすがに狭くなるし」

「ああ、それもそうかも……じゃあ、悪いけど、先にあがらせてもらうわね。かすみもキリのいいところであがるのよ? それと無理に帰ろうとしないように」

「分かってるわ」

 

 心配しながらも割り切った由里の態度に少しほっとする。

 例えば二人とも残ってしまったら、明日は二人とも疲れを残しながら勤務するようなことになりかねない。

 その辺りを察してくれる同僚に、かすみはほっとしながら、少しだけ残業時間を伸ばす。

 

 ──やがて仕事が一段落し……

 

「ふぅ……」

 

 手を止めたときには、かなり遅い時間になっていた。

 時計を見ながら苦笑し、やはり大帝国劇場(ここ)に泊まることになりそうだ、と思う。

 とはいえ──

 

(泊まるのは覚悟していたけど……)

 

 由里を先に帰した時点でそれは考えていた。

 だが、仕事の多忙さのせいで認識の外になってしまっていたが──すっかり夕食を採り忘れていたのだ。

 忙しさのせいもあって、この空腹感はかなり強い。

 

(でも、食べるものなんて残ってないでしょうし……)

 

 あるいはもう少し早ければ、ここで寝泊まりしている花組達の、今日は公演の関係で遅めだったであろう食事にご相伴を(あずか)ることもできただろうが、その時間も過ぎてしまっている。

 ともあれ、この空腹感はいかんともし難く──かすみはなにか残っていないかと一縷の希望を抱いて食堂の厨房へと向かった。

 その最中──

 

「──? これは……」

 

 意外にも、かすみはハッキリとした食べ物の匂いを感じていた。

 しばらく前に誰かが食事をしたような残り香ではなく、今まさに、そこに食事が用意されている、そんな明確な香りである。

 それに釣られたわけではないが、当初の目的通りに厨房へたどり着くと──意外な人が待っていた。

 

「──あ、かすみさん。仕事終わりました?」

「あの……梅里、くん?」

 

 厨房の明かりはすでに落とされていたのでハッキリとは見えなかったが、さすがに寒かったのかコックコートの上に濃紅梅の羽織を着たその姿には見覚えがあった。

 彼はにこやかに微笑んでうなずいた。

 

「ええ、かすみさん達が残っているのを知って、食事もまだだろうと思ったから、僕も残ってました」

「──え?」

 

 それにはさすがに驚くかすみ。

 

「由里さんも食べてなかったみたいなんですけど、話をしたらアタシはいいわ、って帰っちゃって……あ、とにかく持ってきますね」

 

 困惑顔で苦笑した梅里が厨房の奥へと姿を消す。

 去り際に梅里が「食堂に持って行くので待っていてください」と言ったので、それに従う。

 そして食堂の席に着いたかすみは、ふっと小さくため息をついた。

 

「まったく、由里ってば……」

 

 彼女が食事を辞退したのを知ってかすみは、同僚の「貸し一つね」という声が聞こえた気がした。

 すでに梅里とのことを知られてしまった由里が気を使ったのは明らかだった。

 梅里との関係は水戸から彼が帰ってくるまではどうにか隠していたが、帰ってきてからは露骨に出てしまったらしく、由里にはあっという間にバレた。

 それを帝劇中の噂にしないでくれているのは、彼女の同僚に対する温情だろうと思っている。

 

 

 ──ちなみに、ここだけの話だが、由里はかすみの年齢を気にしているので、ここでこの縁を壊してしまうわけにはいかない、と気を使って余計な刺激を与えないようにしているのである。

 

 

 そんな同僚に思いをはせていると、料理の載せられた皿を手に、コックコート姿の梅里が姿を現した。

 

「かすみさんだけって分かったから……特別なのを用意しました」

 

 そう言って笑みを浮かべた彼がテーブルに置いたのは──

 

「オムライス……ということは、まさか!?」

「ええ。かすみさんが考えているとおり、全力のそれです。副主任には内緒ですよ?」

 

 そう言って悪戯っぽく片目を閉じる。

 暖かいものを提供できるようにと準備していたそれは、できたばかりのものであった。

 食器が並べられ、おりからの空腹のせいもあって「さぁ、食べてください」という梅里の言葉に機械的に従って、一口分のそれを口へと運び──

 

「────────ッッッッッ!!」

 

 食べた瞬間、すべての味蕾を刺激するような圧倒的な美味さが舌を襲った。

 そしてそれを起因に、言いようのない幸福感で感情が一杯になる。

 事前の『絶叫オムライス』という噂を聞いていたおかげで警戒していたため、あわてて口を押さえることに成功した。

 そして絶叫こそしなかったが──その満たされた気持ちに涙があふれるのは止められなかった。

 滂沱となってあふれる涙をそのままに、体はもう一口、と動いている。

 そんなかすみの様子に、傍らにいる梅里が少し驚いた顔をしていた。

 だが、かすみが──

 

「美味しいです。とても……」

 

 半分近くまで食べてようやく手が止まり、かろうじて言葉を出すと、彼は笑顔を浮かべ──

 

「よかった」

 

 ホッとした顔になった。

 しかしその笑顔が──かすみの心をさらに強く撃ち抜いていた。

 

「──ッ!!」

 

 次の瞬間には、かすみは思わず彼を抱きしめていた。

 そんな彼女の突然の行動に──

 

「かすみさん?」

 

 戸惑う梅里だったが、返事は無いながらも感極まった彼女の、雄弁な目を見てそれに応じ──腕を背中に回す。

 そしてかすみは顔をあげ──二人は唇を重ねる。

 

 

「…………………………………………」

 

 

 やがてそれを離すと梅里はかすみをじっと見つめ、苦笑する。

 

「──ちょっと、味付けが甘すぎましたかね?」

 

 悪戯っぽく言う彼に、かすみも同じような笑みを浮かべて──

 

「──かもしれませんね。でも…………もっと甘い方が私の好みですよ?」

 

 そう言い返すと、彼女は潤んだその目を再び閉じる。

 その意図に応じて、彼女の体を強く抱き寄せ──

 

 

 ──梅里は再度、かすみの唇に自分のそれを重ねるのであった。

 

 




【よもやま話】
 前が喜劇(コメディ)だったので、恋物語(ロマンス)成分を強くしてみました。


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【第5話 後半】 ~ルート差分~

【目次】
  ・─1──2──3─




 

────1────

 

 

 年が明け、太正15年1月3日のこと──

 

 朝、目を覚ました梅里はそっとため息をついた。

 年が明けてすぐの元日に、梅里をはじめとした食堂メンバーは仕事始めを済ませていた。

 大帝国劇場に住み込んでいる花組の食事を作る必要があるためだった。

 黒鬼会の脅威が去った今、彼女たちはほとんどは実家なり、縁のあるところへの挨拶等で1日の午後からには出かけるような状況だった。

 ようは、一昨年のような、みんな帝都に残るのでお節料理として三が日用の食事を作り置きしておく必要がなかったのだ。

 そんな事情から、全員が揃っているうちに新年会のように、新年の祝いをやってしまおうとなったらしい。

 そしてその準備をする厨房メンバーを擁する夢組もまた、どうせなら──と厨房以外の食堂メンバーはもちろん本部勤務以外の夢組幹部も集まって、元日に仕事始めどころか、新年会まで済ませてしまっていた。

 そういう事情で、元日の午後になってようやく正月休みとなったのだが──梅里がすんなりと帰れるわけもなく──初詣を体験したいというカーシャに捕まり、しのぶ・せり・かずらがそれに乗っかり、そのメンバーで明治神宮へと初詣にいくことになった。

 

「それは別にいいんだけど……」

 

 そこまでは、梅里もある意味覚悟していた。

 正月に皆で集まったのだから、初詣に行こうという話になるのは自然の流れでもある。

 

 ──予想外だったのは翌日である。

 

 きちんとした休みに入った2日は、梅里はゆっくり過ごすつもりだった。お節料理も準備してあったし、出かけるつもりもなかった。

 だが、早朝から来客があった。伊吹かずらである。

 満面の笑みを浮かべた彼女を、追い返すこともできず──迎えてしまった彼の下へ、まもなくカーシャがやってきて、それに雑煮の準備をしたせりが続く。

 陰陽寮の新年行事があるというしのぶが来なかったのが幸いで──三人は長々と、日が沈むまでキッチリと滞在していった。

 

 ──もちろん、ゆっくりできるはずがなかった。

 

 そんな日が明けて朝になり──梅里は恨めしげに新しくなったカレンダーを見つめる。

 4日は、それこそ仕事始めである。休みは残すところ今日一日だ。

 

「今日だけは、ゆっくりしたいんだけど……」

 

 昨日、かずらがやってきた時間まではまだある。

 そして今日もやって来ないという確証はまったくない。

 

「……ちょっとの間、出かけるか…………」

 

 腕を組んで「ふむ」とつぶやいた梅里は、とある策を思いついた。

 それは、誰かがやってくる前に出かけてしまい、昼前に帰ってこようというものだ。

 そうすれば午前中にやってくるであろう彼女たちは、あきらめて帰るに違いないし、その後で戻ってゆっくりすれば──少なくとも今日の午後はのんびりできるはず。

 

「うん……これで行こう」

 

 少なくとも、なにも手を打たなければ昨日の二の舞になるのは間違いない。

 決意した梅里は、外出用の服装に着替え、そしていつもの濃紅梅の羽織に袖を通し──たところで、呼び鈴が鳴った。

 

 

「………………」

 

 

 思わずため息をつきかけるが……ふと気がつく。

 このまま応対に出なければ、結果的には同じことではないだろうか、と。

 俗に言う、“居留守”というヤツだ。

 少なくとも、今来ている人が玄関前から去るのを待って、それから外出しようと心に決め──再び呼び鈴が鳴る。

 思わず息をひそめる梅里。動きを止め、中に人がいる気配を消す。

 ついでに、心を静め──霊力を抑える。

 なにしろ相手は帝国華撃団夢組の幹部である。

 それも調査班所属の者もいる上に、今、玄関前にいるのが夢組内でもっとも霊感が強い白繍せりの可能性もある。

 たとえ音や気配を消しても、霊力を察知されて中にいるのがバレかねない。

 息をひそめ、動きを止めて、目を閉じ──気配を消し、音を消し、霊力を消す。

 そのうちに何度か呼び鈴が鳴り、梅里も「そろそろ諦めてくれないかな」と思ったころに──玄関の戸が揺れた。

 

「──ん?」

 

 留守宅の可能性を考えれば、戸を壊してまで入っては来ないだろうが、随分乱暴だな、と思っていると──なにやらガチャガチャと金属の音がして…………鍵が解除される。

 

「え──?」

 

 梅里が呆気にとられているうちに玄関が開き──入ってきた人の驚いたような顔と目が合った。

 

「っ!? え……? あ、あの……」

「か、かすみ……さん?」

 

 思わぬ対面に──てっきり夢組の誰かと思いこんでいた梅里は、完全に予想外なその人の姿に戸惑っていた。

 やってきていたのは、編んだ長い髪を体の前に垂らしている、風組所属の藤井かすみだった。

 一方、かすみはかすみで、これだけ呼び鈴を鳴らしても出てこないのだから、まだ寝ているか、あるいは出掛けてしまった──実家に帰省しないのは確認済み──のか、と考えていた。

 もし寝ていたのなら起こし、出掛けているのならそのまま帰ろうとおもったのである。

 とはいえ、梅里が驚いているのは、かすみが来たのが予想外だっただけではなく──

 

「……あの、かすみさん。いったいどうやって鍵を?」

 

 鍵を解除されたのが、完全に想定外だったからだ。

 それに驚きから立ち直ったかすみは、「え?」と戸惑い──

 

「この前……煉瓦亭に行った日に、梅里くんから渡されましたが?」

「………………あ」

 

 すっかり忘れていた梅里が、思い出して思わず声を出す。

 あの日、かすみの部屋まで行った梅里が、機嫌を直すためにアレやコレやと打った手の中に、自分の官舎の鍵を渡すというものがあった。

 それが決め手にはならなかったが、それでも多少は機嫌を持ち直したかすみ相手に、そこから半ば強引に────(自主規制)に及んで誤魔化したので、十分な結果は出せていたのである。

 それを思い出した梅里は、なるほどと納得する。

 だが──それで納得しない相手もいる。

 

「あけましておめでとうございます、梅里くん」

 

 遅ればせながら挨拶をして頭を下げるかすみ。

 見れば彼女は振り袖姿。

 普段、職場で一見すると和服のようで、よく見るとそうではない制服を着ている彼女の姿を見慣れている梅里には、和装にいつも通りな安心感と、振り袖という普段とは違う新鮮味という相反する二つの感想を抱いていた。

 

「あけましておめでとうございます、かすみさん。今年もよろしくお願いします」

 

 梅里も頭を下げてそう返しながら、去年の今頃はこういう関係になるとは予想だにしていなかったと思い返す。

 そんなことを考えながら顔を上げた梅里に、かすみはニッコリと微笑み──

 

 

「──さて、梅里くん。こんな朝から一体なにをしていたんですか?」

 

 

 彼女は返答に困る質問をストレートにぶつけてきた。

 

────2────

 

 かすみとの関係もすでに数ヶ月。

 そろそろ付き合い方も分かってきた梅里は、一枚も二枚も上なこの年上のカノジョ相手に、変に隠し事をしたところで隠しきれず、結果的に彼女の機嫌を損ねるだけということを理解しはじめていた。

 だから、彼は素直に昨日のこと──かずらとカーシャとせりがやってきて、ゆっくりできなかったこと──を説明した。

 そこまですれば、やましいことは何もなく、押しかけられた上に複数の人が来ていたという証明にもなり──言い訳として完璧である。梅里はそう考えたのだ。

 

「──というわけです」

 

 さらには今朝はその二の舞を踏まぬように、昼前まで出掛けて散策等をして時間をつぶして戻り、午後にはゆっくりしようと思っていたことまで話す。

 そうして前日の反省まで入れて、今朝の行動を説明して駄目を押す。

 

「なるほど。そういう事情でしたか……」

 

 それを聞いたかすみは、自分以外の女性がここにあがっていたことに思うところがないわけではなかったが、とりあえずは納得する。

 同時に、元日に仕事があるのは聞いていたので二日はゆっくりしたいだろうと遠慮したのが(あだ)になったのには後悔した。

 多少強引でも来て誘ってしまうべきだったと反省する。

 

「では、これから出掛けませんか?」

「それは構いませんよ。むしろ出掛けようとしていたんで好都合です。でも……どこにいきます?」

 

 そう問うた梅里だったが、かすみの服装を見れば目的は一目瞭然だった。

 しかし初詣が目的でも、行き先は数多(あまた)ある。

 この帝都に神社仏閣はそれこそ数え切れないほどあるし、その中でも有名どころも指折り数えなければならないほどだ。

 だからこそ、梅里は安心してもいたのだが──

 

「そうですね……まだ新しい帝都の初詣の名所、明治神宮はいかがですか?」

 

 そんな安心を裏切るように、かすみの選んだ場所がよりにもよって二日前と被ったのは完全に予想外だった。 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そうしてやってきた明治神宮。

 やはりその人出は多く、今日も混雑していた。

 

「……でも、元日よりは少し減ったかな」

 

 元日にも来ていて、今年に三日目ですでに二度目というハイペースでここに来ている梅里はそんな感想を抱いた。

 とはいえ、それは多少といった塩梅に過ぎない。三が日であり、まだまだ溢れているこの人波には、梅里もさすがに閉口せざるをえなかった。

 

「梅里くん、元日の参拝もここだったんですか?」

「あ……」

 

 振り返り、見上げるようにしてのぞき込んできたかすみの反応に、梅里は自分の迂闊さを後悔した。

 困り、苦笑し、頬を掻く。

 そこまでしてしまってはもはや言い訳もきかない。梅里は素直に頷いた。

 

「ええ。実は……」

「それならそうと言ってくれれば……別の場所でもよかったんですよ?」

「でも、かすみさんはここが良かったんでしょう? 気にしないでください」

「……気にします。だって、せっかくの初詣なのに……他の人と同じだなんて…………」

 

 特別感がない、とかすみは不満に思う。

 そんな別の誰かと同じという扱いは──釈然としないし、我慢がならない。

 まして、初日の元日でさえない。二番煎じでは彼の印象に残らないではないか。

 すると、その彼──梅里が、人の気も知らずに笑顔を浮かべて言った。

 

「そんなことないですよ。今日のこの三日という日が、かすみさんが僕のことを思ってくれている証じゃないですか」

 

 元日の午後や二日に初詣に誘うこともできたのに、彼女がそれをしなかったのは元日の早朝から働く自分を気遣ってのことだと、梅里は思っている。

 事実、その通りであり──指摘されたかすみは少し驚きながらも、頬を赤く染めた。

 

「それは、そうですけど……」

 

 そう言って気恥ずかしげに目をそらす彼女を、梅里は相変わらずの笑顔で見つめていた。

 その「全部わかってますよ」感あふれる態度は、理解されているという点ではうれしいことだが、見透かされているという感じでは面白くはない。

 だからかすみは──少し意地悪をした。

 

「ところで梅里くん……元日は、誰と来たんですか?」

「……新年会に参加した、夢組幹部のみんなとですけど」

 

 こともなげに答える梅里。

 だが──

 

(答える前に、ちょっと間がありましたよね)

 

 そこにかすみは気がついてた。

 それはすなわち、迷いがあったということであり、素直に言うか誤魔化すかを迷ったことが推測される。

 そして梅里の答えは──玉虫色のハッキリしないものだった。

 例えばそれが、夢組幹部でも男メンバーだったら、彼は──「宗次と釿さん、それにロバート達と行きましたけど……」といった具合に、個人名まで出しているはずである。

 つまりは個人名を隠したわけで、それは後ろめたい気持ちがあるからこそだ。

 だとすれば──

 

(あの四人、ですね)

 

 かすみはピンときた。

 もしも夢組幹部の女性メンバーでも他の人たち──紅葉やヨモギ、舞、封印結界班副頭の女性(かすみは彼女の名前を憶えていなかった)──だったとしたら、それはそれで梅里はやはり個人名を出しているように思える。

 

(やっぱり、梅里くんにとってあの四人は意識している相手……)

 

 そう思いながら、かすみは自分が持っている彼の住居の鍵を意識する。

 これを渡されているということは、彼からのなによりの信頼を得ている証である。

 それに、渡された後のことも思いだし──肉体関係があることを考えても、他の四人よりも先んじているという自覚と自信はある。

 だがそれでも、常に梅里の近くにいて、明らかに想いを寄せているあの四人のことを考えると──それが梅里が意識しているのなら、なおさら──気が気ではなくなる。

 かすみは不満げに梅里をジッと見つめた。

 やはり、わずかにたじろぐような様子が見受けられる。

 

「具体的には、誰と誰ですか?」

「そ、それは…………」

 

 ふと目を逸らしてしまい、嘘をつけないところには好感が持てるのだが──

 ──すると、泳いでいた梅里の目が、ふと止まる。

 神宮の敷地の一角を、彼はジッと見つめていた。

 

「梅里くん? どうかしましたか?」

「いえ、あの場所……なにか気になると言いますか…………」

「……そう言って、誤魔化そうとしていませんか?」

 

 疑わしげにかすみが言うと、梅里は慌てて首を横に振る。

 

「い、いえ……そういうわけじゃなくて。あの場所に妙な結界……そう、人除けの結界が敷かれているみたいなんです」

 

 そう言って梅里が指し示した場所は──確かに、奇妙に人がいない。

 かすみも梅里に指摘されるまでは別に変とは思わなかったが、この人だかりなのに、その先には人がいないのだから、そのことに気がつけばかなりの違和感がある。

 

「どういうことでしょうか……」

「わかりません。こんな混雑している境内で人除けを行うなんて不自然です。それに人が無駄に滞留しているので、神宮側の行っていることとも思えなくて……」

 

 それが混雑解消に一役かっているのならまだわかるが、逆に余計に混雑させているくらいなのだ。

 そこを見る彼の目は──食堂主任でも、かすみの恋人である彼でもなく──帝国華撃団夢組隊長のそれであった。

 

「かすみさん、ちょっと見てくるのでここで待っててもらえませんか?」

 

 すでに参拝は済ませた後の、神宮の外へと向かう帰り道である。

 目的は果たしているし、それで梅里の気が晴れるのなら……と思ったかすみは──妙な胸騒ぎがしていた。

 もし仮に──かすみが梅里を止めて、それで彼が行かなかったら……と考えると、なぜか目の前が真っ暗になるほどの不安感を感じるのである。

 

(なにかしら、この感覚……)

 

 突然、襲われたその奇妙な感じに戸惑うかすみ。

 

 

 ──彼女自身知らないことだが、梅里との距離が縮まったことで、もともと人より強かった彼女の霊感は、彼の強い霊力の影響を受けて鋭敏になっていたのである。

 今回はそれが作用したのだが、その感覚に慣れず、また理解していない彼女には漠然とした不安という形でしか表現できなかった。

 

 

 だからこそ、その不安を解消させるためにも、かすみは梅里を行かせるべきだと思った。

 

「ええ、わかりました──」

 

 かすみはうなずいて彼の行動に賛同し──その腕を抱くようにギュッと掴む。

 それに戸惑い、梅里が驚いた顔でかすみの顔を見た。

 

「──ですから、私も行きます」

「そんな、危険かもしれないんですよ?」

「私だって華撃団の一員です。それくらいの覚悟はできていますから……」

 

 真剣な顔で答えたかすみだったが──先ほどからの彼女には上手く説明できない──勘のようなものが、彼女自身に告げていた。

 

(ここで彼を一人で行かせたら……一生後悔する)

 

 なぜかそんな思いが突然浮かび上がり、頭から消えない。

 確かに、鬼王からの襲撃の際にはかすみは梅里の足枷になってしまったという自覚はある。

 だが、それでも──彼と一緒に行かなくてはいけない、その強い思いだけはあった。

 かすみが腕を強く握ったのを感じた梅里も覚悟を決めたようで──

 

「じゃあ、お願いします」

 

 と言って、梅里自身が指示した人払いされている場所へと踏み込んだ。

 

 

────3────

 

 ──結果的には、かすみの予感は的中した。

 

 その先に待っていたのは、黒鬼会幹部の生き残りである“人形師”。

 本名を幸徳井(こうとくい) 耀山(ようざん)という彼は、元は陰陽寮に所属していた優れた陰陽師であり──彼は、かつてその許嫁であった夢組副隊長にして、見るものを従わせる『覇王の魔眼』を持つ塙詰しのぶを、その手に入れようとしていたのである。

 梅里への思いから、耀山を拒絶するしのぶ。

 それに対し耀山は、敵意を露わにし──梅里が抵抗することもできずに、その胸にクナイを叩き込まれるのであった。

 そんな危機的状況に、しのぶは魔眼を発動させて耀山を追い払い──続けて梅里を軽度に支配して出血を止め、応急処置を行う。

 その間に、本部に連絡して緊急搬送を依頼しようとしたかすみだったが──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──え? 翔鯨丸を、ですか?」

 

 彼女に返ってきたのは、緊急出動の要請だった。

 聞けば、帝都近郊──王子にて、極めて強力な妖力反応が確認され、現在は帝都に戻ってきていた花組達が、順次向かっているらしい。

 かすみに与えられた任務は、翔鯨丸で仙台に向かい、真宮寺さくらの里帰りに付き合っている花組隊長の大神一郎とさくら本人を迎えに行って欲しいということであった。

 

「で、でも……」

 

 視線が泳ぎ、思わず梅里を見てしまうかすみ。

 そこには夢組のしのぶに支えられて横たわっている、苦しげな彼の姿があった。

 それを放って──他の人に任せて向かうのは、まさに我が身が切り裂かれるような思いであり、風組としての指令に、「了解しました」の一言がどうしても出ない。

 

 

「かすみさん……行ってください」

 

 

 その声は、ハッキリと聞こえた。

 思わずそちらの方を見ると、苦しげながらも自分を真っ直ぐに見つめる──梅里の目と目が合った。

 ゆっくりと──しかし力強く、彼は頷く。

 

「う、梅里くん!! でも、私は……」

「だいじょ、ぶ……僕は、死にませんよ」

 

 そう言って彼は──無理に笑顔を作る。

 

「ですから…………今できる最善を、お願いします」

 

 その痛々しさに、かすみは思わず駆け寄っていた。

 

「今できる最善って──私にとっての最善は、梅里くんを無事に送り届けることです!」

「違いますよ、かすみさん…………仕方ないことだけど……僕らは、帝国華撃団員ですから、優先すべきは……帝都の未来、帝都市民の……命です」

 

 必死なかすみに、弱々しく苦笑する梅里。

 

「僕らが帝都市民を守らないで、誰が守るんですか。そのためにも……花組の、大神隊長を一刻も早く、帝都に戻さないと……」

 

 それができるのは、翔鯨丸の操舵をできるかすみの力が必要だ、と梅里は彼女に言い聞かせた。

 

「僕を、信じてくださいよ。絶対に……死にませんから」

 

 そう言って、微笑み頷く彼の姿は、深手を負って決して強さを感じられるようなものではなかった。

 かすみの冷静な頭は仙台に向かえと言い、熱い胸はここに残れと叫ぶ。

 その葛藤に彼女は(さいな)まれ──それでも彼の強い意志を感じたかすみは、彼を信じようと決める。

 

「はい……わかりました。梅里くん。私は翔鯨丸で仙台に向かいますが──」

 

 かすみの言葉を聞いて、安心したのか、ふっと優しい笑みを浮かべる梅里。

 その唇に、かすみは自分の唇を重ねる。

 弱くなっていた彼の呼吸を妨げないように、そっと触れるだけのキス。

 それでも、愛する者を心配し──その心を断腸の思いでここに置いていく彼女の、精一杯の抵抗だった。

 

(こんなにも愛してやまない人が苦しんでいるというのに、それに付き添うこともできないなんて──)

 

 任務に縛られる己の身が悔しくて仕方がない。

 その気持ちに整理をつけるために、彼に口づけし──かすみは「しのぶさん、後はお願いします」と彼を彼直下の部下であるしのぶに託して、翔鯨丸のある花やしき支部へと向かうのであった。

 

 その花やしき支部で翔鯨丸へと乗り込むかすみ。

 艦橋では、隣にいる由里が、事情を知って心配そうな顔を浮かべ──

 

「武相隊長、大丈夫なの?」

 

 ──と訊いきて、さらに気を使ってまでくれた。

 

「もしあれなら、かすみがいなくても……」

「ええ、大丈夫よ。私があの人を信じないで、どうするのよ」

 

 そう言ってくれた由里に対してかすみは自分に言い聞かせるように言い、大神達を迎えに飛び立つのであった。

 




【よもやま話】
 本当はこの次と一緒にする予定だったのですが、あまりに長くなったので第5話と最終話の部分で分割しました。
 それで第5話前半と一緒にしてもいいように思えたのですが、あれはあれで長い上に話や時間軸的には繋がりが弱く、明らかに一度切れるので、こうして独立させました。

 アップ日を第5話前半と同様に現実に合わせて1月3日にしようかとも思ったのですが、今年のうちに終わらせようということで、大晦日に実施。


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【最終話】 ~ルート差分~

 どこまでも続く雲海の先に広がる、彼方まで真っ青な空。

 遥か上空という、人が普通に住む世界である地上にいては、絶対に見られない絶景。

 それを目の前にしながら──帝国華撃団・風組に所属し、その戦闘服に身を包んだ藤井かすみの目はその景色を捉えていても、彼女はそこを見てはいなかった。

 

 彼女がいるのは翔鯨丸の艦橋ではなかった。

 空中戦艦ミカサ──とてつもない巨体を誇り、さらには空を行く帝国華撃団の切り札。その艦橋へと彼女は移っていた。

 あの時、仙台へと大神とさくらを迎えにいった翔鯨丸。彼らを連れて帝都に戻るころには、他の花組隊員達は囚われの身となっていた。

 それらの救出と──突如現れた、かつて華撃団を苦しめた降魔を培養し、機械を組み込んで制御した降魔兵器の討滅を同時に行った華撃団。

 勝利したかに見えたそのとき、現れたのは維新軍騒動の最中で自殺したはずの首謀者、京極 慶吾。

 古い陰陽師の家系でもある彼は、今までの黒鬼会が出現した場所に施していた術式──八鬼門封魔陣を発動させ、巨大な空中要塞『武蔵』を帝都上空に召還した。

 

 その『武蔵』に立ち向かい、京極の野望を打ち砕くために、華撃団は切り札である空中戦艦ミカサを発信させ、風組であるかすみはその艦橋要員として出撃したのであった。

 

────1────

 

「……あの方のこと、考えていらっしゃいましたの?」

 

 大空を眺めていたかすみは、背後からの声に振り返る。

 

「すみれさん……」

 

 紫色の花組戦闘服に身を包み、肩付近で切りそろえた髪に切れ長の目をした──神崎すみれがかすみの方へと歩いてきていた。

 いつもの自信に溢れた彼女とは少し違う──重大な作戦を前にしての緊張があるのだろう、ほんの少しの不安感が見え隠れしている。

 しかしその目は──かすみを心配しているように見えた。

 

「武相主任……夢組隊長さんのことは、存じておりますわ」

 

 明治神宮にて黒鬼会の手の者に深手を負わされ、現在意識不明の重体。

 それを証明するように、本来ならこのミカサに乗り込んでいるのは夢組隊長の彼であるはずが、それに代わって副隊長の巽 宗次が乗り込み、夢組の指揮を執っている。

 

「そうですか……」

 

 かすみはすみれから視線を外すと、再び外を眺める。

 この青空と同じ空の下にある──花やしき支部にある医療ポッドでその傷を治しているはずだ。

 

「心配でしょうけど、そこまで深刻になられることは無いと思いますわよ。夢組のホウライ先生……とおっしゃいましたか、あの方がミカサに乗り込んでおられるようですから」

 

 そのホウライ先生こと、夢組錬金術班副頭の大関ヨモギは優れた技術をもつ医師でもある。作戦の要であるミカサ側での万が一の負傷者に備えて、彼女はこちらへ回されていた。

 

「気難しいところもありますけど、あの方の腕は確かなようですし。治療の途中で投げ出すような方ではないはずですわ」

 

 すみれが信頼しているのは、花組たちも大関ヨモギの世話になっているからである。少し横柄で皮肉屋なところもあるが、急病にも対応し、なんだかんだと言いながら癒えるまできちんと面倒を見てくれるのだ。

 

「あの方がこちらに来ていることこそ、治療が上手くいっている何よりの証拠でしょう」

「……ありがとうございます」

 

 すみれの気遣いをありがたく思い、かすみは微笑を浮かべて彼女に感謝を述べた。

 かすみとすみれの仲はいい。

 以前──それこそ華撃団が本格的に活動し始める前のことなので数年前になってしまうが──かすみとすみれは大喧嘩をしたことがある。

 しかし、それ以来わだかまりが解けたことで、なんでも言えるような間柄になり、今のような良好な関係を築いたのである。

 だからすみれは、かすみと梅里の仲を知っていた。

 

「でも──大丈夫ですよ、すみれさん。私、彼のことはそこまでは心配してません」

「あら……そうなのですか?」

「はい。なにしろ彼に言われてしまいましたから」

 

 意外そうに驚くすみれから視線を外すと、かすみは遠い目をしてそのときの言葉を思い出し──それを口にする。

 

「──僕を、信じてくださいよ。絶対に、死にませんから……だそうです」

 

 そう言ってかすみは微笑む。

 一方、すみれはその内容に驚いている様子だった。

 

「絶対に、って……そんなことをおっしゃったのですか? あの方は」

 

 先の戦いでの一度は死亡判定を出されたことは華撃団で知らない者はいない。すみれも知っていたのでさすがに呆れたのだ。

 

「ええ。ですから──私は信じます。彼のことを。すみれさんだって、大神さんの言うことは信じますよね?」

「それは……まぁ、少尉のおっしゃったことなら、わたくしは信じますけど……」

「それと同じですよ。すみれさんが大神さんのことを想う気持ちに負けないくらい、私も彼のことを信頼していますので」

 

 そう言って彼女は再び空へと目を向ける。

 そして──彼を愛する気持ちの強さならば、すみれの大神に対する気持ちにも決して負けないと、心の中で付け加えた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ミカサの『武蔵』突入が迫り、かすみの様子に安堵したのか、すみれは自分の持ち場である霊子甲冑が搭載された轟雷号へと去っていった。

 

 さて──『武蔵』に突入する前後において、ミカサは二度の危機を迎えた。

 一度目は、霊子甲冑が動けないのを見計らったタイミングで、倒されたと思われていた土蜘蛛の駆る八葉が満身創痍の状態で奇襲を仕掛けてきた。

 ミカサを墜とす為、中央通風口から内部に進入して自爆を仕掛けんと迫る八葉。

 その通風口の整備をしていた夢組錬金術班が決死の覚悟で挑み、錬金術班頭の松林 釿哉、副頭の大関ヨモギ、越前 舞の三人が放った一撃でどうにか直前で撃破に成功した。

 そして二度目は、ミカサが突入した後のこと。轟雷号でさらに奥へと進んだ花組が倒した五行衆の最後の生き残りである金剛の大日剣を倒したのだが、今際(いまわ)の際にあげた断末魔の叫びに金剛専属の脇侍である黄童子が反応して周囲の怨念と大日剣の残骸を取り込み、ミカサへと襲撃してきたのだ。

 大日剣と見紛うような姿となった黄童子はその力も比肩するほどであり、霊子甲冑のないミカサ防衛隊は苦戦を強いられるが──出撃した夢組副隊長・巽 宗次が命がけで放った最終奥義によって破壊されるのであった。

 

 しかし──それらの代償として、迎え撃った夢組錬金術班の頭と副頭二人、それに副隊長は爆発に巻き込まれてしまう。

 

────2────

 

 最高責任者であり指揮者の戦線離脱は、夢組内に動揺を与えた。

 中でも、宗次と恋仲であった夢組予知・過去認知班の頭にして、夢組副支部長だったアンティーラ=ナァムのショックは大きく──泣き崩れた彼女に、かすみは声をかけることさえできなかった。

(もしあれが──巽副隊長ではなく、梅里くんだったら……)

 ティーラの悲しみを考えると不謹慎なことだとは思ったが、それを考えないわけにはいかなかった。巽副隊長は、いわば梅里の代わりにそこにいたのだから。

 もしも梅里が、大日剣と相打ちのような形になったとしたら──それを考えるだけで足がすくむ。

 それでつくづく思い知らされる。今こうしてこのミカサの艦橋に立って、役目をこなせているのは、梅里が生きながらえているからだと。

 もしあの時──明治神宮の一件で命を落としていたり、今も生死の境をさまよっていたとしたら、とてもではないが仕事が手を付かなかっただろうと思った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして──戦いはミカサだけでなく、地上でも続いていた。

 

 銀座の帝劇本部がミカサの一部になったために、地上に残された華撃団の拠点となった花やしき支部。

 その防衛戦は、花組をミカサに総員をつぎ込んだため、降魔兵器相手に厳しい戦いを強いられていた。

 

『──アイゼンクライト、霊力数値が稼働ギリギリまで落ちています!』

 

 広域通信用の共通系の通信に、花やしき支部からの悲痛な声が響く。

 霊子甲冑アイゼンクライトは、欧州星組で採用された機体であり、その星組出身のレニと織姫の機体が帝国華撃団花組で運用されていた。

 しかし、天武のロールアウト後はそちらに乗り換え、この決戦においても二人のための光武・改が用意されたことと、アイゼンクライトは他の天武や光武・改とは規格や部品の異なることから整備性を重視されて、置いていくこととなった。

 その残されたアイゼンクライトを使用しないのはもったいないと、華撃団養成機関である乙女組の者に合わせて調整して出撃させていたのである。

 少しでも降魔兵器に有効である霊子甲冑を運用しようとしたために苦肉の策だったが──まだ未熟な搭乗者は、本来の搭乗者ほどの継続戦闘は不可能で、限界を迎えようとしていた。

 それでも、気丈にがんばろうとする搭乗者。

 しかしそれは──不用意な攻撃は相手にさしたるダメージを与えられず、逆に自分の大きな隙を生む。

 

『──なずなッ!!』

 

 思わずあがった搭乗者を呼ぶ悲鳴。

 その主は、搭乗者の姉である夢組幹部──白繍せりがあげたものだった。

 悲痛な声に、思わず艦橋にいた者達の視線が、モニターのその場面に集中する。

 そこから──まるでスローモーションのようにその光景が流れた。

 

 

 青いアイゼンクライトめがけて勢いよく伸ばされる降魔兵器の腕。

 その先にある鉤爪は、アイゼンクライト前面の装甲を貫かんとしている。

 攻撃のために伸ばされたアイゼンクライトの手にする錫杖での防御は間に合わず──

 無理な攻撃を仕掛けて姿勢を崩しているため、回避行動もとれない。

 その鉤爪が勢いよく、アイゼンクライトへと突き出され──

 

 

 ──横から来た白刃に斬り飛ばされた。

 

「え?」

 

 かすみは、その光景に呆気にとられていた。

 絶体絶命の危機だった。もし、あのまま鉤爪がアイゼンクライトの正面装甲に当たっていたら、間違いなく装甲を貫き──中の搭乗者もタダでは済まなかっただろう。

 しかし鉤爪は、突き出された勢いそのままに、アイゼンクライトの脇を通り抜けてスッ飛んでいった。

 さらには放物線を描いて宙を舞い──思わずそれを目で追いかけてしまう。

 

「──ャァァァァァ!!」

 

 続けざまに起こった、降魔兵器の断末魔の叫び声で我に返り、本体の方を見る。

 霊力による致命的な一撃を受けた降魔兵器は、降魔同様に、その体は霊力によって分解され──まるで塵のように崩れ去る。

 それを背景(バック)にその男は、刀についた降魔の血を振り払い──血もまた同じように塵となって蒸発する──それを流れるような動きで、収める。

 

「……あれは…………」

 

 その刀は鍔は梅花の意匠のそれであり、ほとんど黒の濃紫色でこしらえられた鞘へと収められ──彼の周囲に銀色の霊力の残滓がキラキラと舞っている。

 刀の銘は『聖刃・薫紫』。

 江戸の鬼門・北東に位置する水戸徳川家にあって、代々魑魅魍魎を狩ってきた家の、その役目に任命された者が持つ──魔を斬る刀の一振りである。

 そして、今代のその所有者は──

 

「梅里くん……」

 

 かすみの目から思わず涙がこぼれていた。

 狩衣を模した男性用夢組戦闘服は、隊長を示す独自色(パーソナルカラー)である白に染められ、金色の意匠や飾りがそれに花を添えている。

 顔立ちは年齢の割には若く見え、ともすれば頼りなくさえ思わせるが、纏う歴戦の猛者の雰囲気がそれを打ち消している。

 その姿に──かすみは思わずドキッとする。

 

(出来過ぎじゃないですか、あんな登場なんて……)

 

 誰かの危機に颯爽と現れ──そしてこともなげに救うその姿は、まるで演劇のようであった。

 

『そこの、アイゼンクライト……無事?』

 

 モニター越しに聞こえたその声は間違いなく──かすみの想い人、武相 梅里のそれである。

 それに──

 

「は、はいィッ!!」

 

 中の搭乗者が声を裏返らせていたが、それも無理もないだろう。

 絶体絶命の窮地を助けられ、平然としていられる者などいるはずがない。

 

(まったく、天然であれをしてしまうのですから……)

 

 油断も隙もない、と苦笑するかすみ。

 あれをされたら──惚れてしまうのも無理はないだろう。命を助けられたのならなおさらだ。

 ともあれ、仲間の危機を助け、命を一つ助けたのは間違いないのだから、とかすみが自分を納得させ──

 

「まったく──遅いわよ、梅里ッ!!」

 

 刀を納めた彼に、白繍せりが抱きつき──それを見て、かすみの表情が固まった。

 

 そして、にっこりと笑みを浮かべる。

 

「う~め~さ~と~く~ん~?」

 

 かすみが無理につくった笑顔のこめかみには明らかに青筋が浮かんでいた。

 それを横目に見た、由里が顔をひきつらせる。

 

「あの、かすみ……気持ちは分かるけど、今は戦闘中だからね?」

 

 恐る恐るといった様子で、隣の由里が声をかけてくる。

 

「ええ……わかってるわ、由里。わかってるのよ……でも、おさえられない感情ってあるじゃない?」

「あ……うん、そうね。だったらかすみは、とりあえず…………」

 

 想わず救いを求めてかえでと米田を振り返ったが、二人とも苦笑を浮かべて、我関せずと言わんばかりに視線を逸らす。

 それじゃあ、とばかりに椿を振り向くと、彼女はあわてて手元の計器をわざとらしくチェックし始める。

 

(まったく、夫婦喧嘩は犬も食わないっていうけど──痴話喧嘩に巻き込まれてもろくなことにならないわね)

 

 ──そんなことを考えながら、由里は深くため息を付いた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな風にかすみに見られているとは露知らず、復帰した梅里は帝都に残っていた夢組幹部たちと合流する。

 そこに現れたのは──梅里を今の今まで出撃不能にまで追い込んだ黒装束の男“人形師”幸徳井 耀山だった。

 現れた敵は、梅里に明治神宮のときと同じ技を仕掛ける。

 切り札である空間支配による範囲限定での時空間停止。その止まった時の中で動ける耀山に対し──梅里は満月陣・月食返しという相手と同じ能力で返す技で対抗し、一矢報いる。

 切り札を破られた耀山は自身の操る妖力の糸で魔法陣を描き──彼が自分の夢として集めていた巨大魔操機兵のパーツを組み合わせた、超巨大魔操機兵を召還し、それに乗り込む。

 そして──超巨大魔操機兵・「六道」は起動した。

 

────3────

 

 その巨大な偉容に、ミカサの艦橋内にも緊張が走った。

 それは今まで黒鬼会が繰り出してきた巨大魔操機兵の集合体だった。

 八葉の頭部と胴体。

 三対の腕は、上から闇神威、大日剣、宝形のもの。

 下半身は智拳をベースに、五鈷のパーツで補強されている。

 それらが一つとなり──暴れて周囲を破壊しながら花やしき支部へと迫っている。

 

「マズいな、霊子甲冑なしにアレとやり合うのは無理だ」

 

 さすがに米田が苦々しい表情でモニターを見つめる。

 隣に立つかえでも厳しい表情でそれを見つめており、気持ちは同じようだ。

 

『くッ……花やしき支部外苑の結界、限界寸前です!!』

 

 支部に常駐している風組隊員が、支部の作戦指令室から切羽詰まった通信を飛ばしている。

 

『とりあえず、アイゼンクライトを再起動させて』

『しかし、搭乗者が……少しは休憩して回復していますが、すぐに限界になりますよ?』

『近江谷姉妹は? 複座型は使えないの?』

『白繍候補生以上に深刻です。霊力同調の維持を考えたら、とても戻せません』

 

 良い報告がないまま、各所からの通信が艦橋内にも流れる。

 そこへ──

 

「米田指令、武相夢組隊長から緊急の具申です」

 

 由里の凛とした声が艦橋内に響きわたった。

 その名前に、かすみは想わず顔を上げてしまう。

 

「内容は?」

「その……先方の希望なのでそのまま読み上げます……ミカサの主砲で、あのデカブツをぶっ飛ばして欲しい。以上です」

 

 困惑気味に報告する由里。それに米田は──

 

「アイツ……」

 

 イライラとしながらこめかみを押さえる。

 

「ウメに通信つなげ!!」

「は、はい!」

 

 怒鳴られた由里が首をすくめつつ、梅里へと通信をつなげる。

 かすみとしてはさっきの件も問いただしたいところだが、とりあえず米田とのやりとりを傍観するしかない。

 

「長官、先ほどの件、よろしいでしょうか?」

「バカか、オメエは!! 素人のオメエにはわからねえだろうが、戦艦の主砲なんてものは、初弾命中なんてしねえもんなんだよ!!」

 

 受理されることを疑ってないような梅里の発言に、米田がキレる。

 米田の言うように、海上の戦艦の艦砲射撃を初段命中させるのは非常に難しい。

 一発撃ち、着弾を見て補正してさらに射撃……を繰り返し、精度を上げていって当てるのである。

 そして──

 

「ミカサの主砲が外れてみろ、そこら周辺一帯は壊滅的損害が出るぞ! できる訳ねえだろうが!!」

「では……僕らが、“目”になったらいかがですか?」

「……なに?」

 

 梅里の提案に、米田は目が点になった。

 彼が考えた作戦は、発射側であるミカサと、着弾側である帝都地上で『六道』と対している夢組隊員たちを精神感応でつなげた上で、狙撃用の照準機とする。

 もちろんそこに、弾道予測も入り──そこは未来予知も入れて精度をさらに上げる──それら夢組のサポートを入れて、確実に初段を命中させる、というものだった。

 

「かなり無謀な作戦ね……」

 

 ため息混じりにかえでが評価する。

 

「それは百も承知です。でも……それ以外に手がありません。なずなちゃんは限界ですし、そもそもアイゼンクライト一体でどうにかできるような相手ではありません」

 

 梅里の反論に、米田はガリガリと頭を掻く。

 そして苦々しい顔で──

 

「わかった。難しいことは間違いないが──それをやらなければ花やしき支部は壊滅する。そうなればアレを止めることはできん。一か八か……いや、絶対に命中させて、ヤツを──『六道』を倒せ!!」

「了解!」

 

 米田が手を振って指示を出すと、梅里は敬礼を返した。

 それで作戦が開始された。

 急遽、逆噴射で『武蔵』を離れたミカサは回頭しはじめた。

 

「鑑首、浅草・花やしき方向へ」

「了解」

 

 艦橋に響く指令。それに応じて舵を取るかすみは、ミカサの鑑首を花やしき方面へと向けた。

 そしてミカサ内部では、乗り込んでいた夢組隊員たちが集まり、座禅を組んで精神を集中させていた。

 彼女らが練り上げた霊力は、ミカサの主砲へと込められ──それに合わせて発動している念動によって微細な弾道修正がかかる。外すことができないからこそ、確実に命中させるためのものだが、気休め程度にしかならなかった。

 それでも──さらには『六道』の強力な妖力の壁をぶち破るためにも夢組隊員たちは霊力を全力で込める。

 さらには乗り込んでいた調査班が中心になって狙いを定めている。

 

「主砲、展開……」

 

 鑑首に装備された九十三尺の口径を誇る主砲が姿を現す。

 そして──

 

「──えッ!? 緊急報告です! 花やしき支部からの通信、途絶えました!!」

「なんだと!?」

 

 椿から焦った声が発せられ、米田の顔がひきつった。

 花やしき支部を襲っていた『六道』の攻撃が、ついにその結界を破り、通信用の塔を破壊されてしまったのだ。

 それでミカサと繋いでいた遠距離通信が切れてしまったのである。

 

「クソッ! こんな時に……夢組の精神感応で、フォローできねえのか?」

「細かな調整までは難しいかと──」

 

 そう報告しながらかすみは沈痛そうに目を伏せる。

 その調整を通信を使ってやる予定だったのだが、その手が潰されてしまったのだ。

 おまけに通信が途絶えたせいでミカサからは『六道』の位置がまったくわからない。これでは狙いようがない。

 そこへ──

 

(かすみさん、聞こえてますか?)

 

 目を伏せていたかすみの頭に、突然に声が響いた。

 

「え──?」

 

 思わず周囲を見渡す。

 そして確認するが──相変わらず地上との通信は切れたままだ。サブの施設を使うにしても、復旧までにまだ時間がかかる。

 

(念話をつなげてもらいました。梅里ですが……)

「う、梅里くん!?」

 

 驚いて思わず声を上げる。

 それをいぶかしげに見る艦橋の面々。

 

(普通なら、特殊な装備を使わなければここまでの距離の念話は不可能だそうなんですけど……かすみさんと僕の間の強い繋がりを利用すれば、できるらしくて……)

 

 梅里自身も半信半疑な様子だったが、とにかく念話での通信はつながっている。

 夢組特別班所属の『念話(テレパシー)』の専門家が、その力を使ってつなげたようだ。

 経緯はともかく、今はその通信ができている事実こそ重要だ。

 そして梅里は指示を出す。

 

(敵は……六道は、僕の少し前…………)

 

 その位置が、かすみの脳裏にハッキリと捉えることができた。精神感応の(たまもの)である。

 そして、梅里とつながったことで影響を受け、さえ渡ったかすみの霊感はそこまでの弾道がイメージされ、頭ではその計算が行われる。

 そして──

 

「由里! 鑑首を0.2度補正して──」

「え?」

 

 かすみからの指示に驚く由里。

 そのかすみは──米田に叫ぶ。

 

「夢組隊長と精神感応で繋がっています。今ならあの超巨大魔操機兵に……直撃させられます!」

「うむ! よし! かすみ、お前に照準からなにまで、すべて任せる。キッチリ、ぶち当てろよ!」

「はい!」

 

 米田の言葉にうなずき、ミカサの微調整が行われる。

 だが、六道は巨大とはいえ魔操機兵である。相手は動き回る。

 なかなか的が絞りきれない。

 さすがに焦れるかすみ。

 そこへ──

 

(かすみさん、落ち着いて。今からあれの足を止めますので、それまで少し待ってください)

(あんな大きな敵の足を?)

 

 巨大魔操機兵よりもさらに大きなそれを、生身で止めるということがにわかに信じられない。

 だが……

 

(──それでも、信じます!)

 

 彼がやると言ったのだから、必ずやってくれる。間違いなく。

 そこへ──

 

 

「こんなところにいたのか! 武相 梅里ォォッ!!」

 

 

 梅里を見つけた六道が、迫る。

 満月陣──霊力によって生み出された銀の光球に包まれたまま、ジッと見ている梅里へと襲いかかる六道。

 それに梅里は──

 

「月食返し──」

 

 梅里の使う武相流は月の属性を持つ。

 その真の能力は月という“天に浮かぶ巨大な鏡”という性質の具現化である。

 迫る六道は、その巨体で梅里を威圧する──が、そのサイズ差の威圧をそのまま返した。

 

「なッ!?」

 

 突然、超巨大になったと錯覚するほどに増した、梅里の存在感に思わず怯む耀山。

 六道の足は完全に──止まった。

 それを見た梅里は人差し指を向け──

 

「かすみさん、今だ!!」

 

 そう叫び──そこから遙か彼方の空の上で、それに応じる者がいた。

 

「了解です、梅里くん!!」

 

 その脳裏には即座に弾道計算も入れた照準が描かれ、六道を正確に捉えていた。

 かすみは一瞬の躊躇もなく──

 

 

「ミカサ、主砲──発射!!」

 

 

 超絶的な威力と射程を誇るその大砲をぶっ放す。

 巨大な爆炎や轟音と共に放たれたミカサの九十三尺砲の弾丸はわずかに弧を描き──

 

「な! にィ──!?」

 

 音速を超える速度で飛来する巨大な物質に、六道の中にいた耀山は目を見開いた。

 直後──狙い違わず六道を打ち抜く。

 

 

 魔操機兵が持つ妖力の壁が通常兵器の威力を削ぐといっても、あまりに強大なその威力の前には、減衰させてもなお破壊するには十分な威力がある。

 超巨大魔操機兵は超威力の巨砲が放った砲撃の前に砕け散った。

 

 

────4────

 

「──ッ!!」

 

 着弾の直前、梅里は自分の前に結界を展開させ、さらに地面に伏せていた。

 長々と続くその猛烈な衝撃派をどうにかやり過ごす。

 だが着弾の轟音と爆発したような衝撃の中で──梅里は違和感を感じていた。

 

「威力が、減衰されてる?」

 

 梅里が当初考えていた以上に衝撃が弱かったのだ。

 正直な話、この至近距離での着弾で、梅里は自分の命に危険があると覚悟していたほどである。

 しかし、そこまで考えていたのに、襲ってくる衝撃波は予想よりも明らかに弱い。

 

「考えられるのは──」

 

 ミカサの主砲の威力が弱かったということはあり得ない。

 そうでなければ妖力に守られた六道を破壊することなどできなかっただろう。

 叩く側に威力に想定外が無ければ、考えられるのは当然、叩かれる側──梅里が想像する以上に、その威力が減衰させられた可能性だ。

 やがて巻き上げられた粉塵も収まりつつあり、視界が徐々に開けてくる。

 そして──

 

「やはり……」

 

 そこには、辛うじて破壊を免れていた六道の──八葉のそれでもある胴体と搭乗席が、原形をとどめて残されていた。

 三対の腕は根本から完全に消し飛んでおり、胴を支えるはずの下半身も、かかった負荷に耐えきれなかったように、上からの力でぺしゃんこにつぶれていた。

 無論、胴体が残っているからといって損傷が軽いわけではない。歪んだ搭乗席のハッチは開くことができず、わずかに開いて隙間から中が覗ける程度でしかない、

 

「まだだ!」

 

 その搭乗席で、耀山は叫ぶ。

 今の一瞬──砲撃に気づいて着弾するまでのほんのわずかな時間で、耀山は六道の三対六本の腕を全て眼前につきだし、ありったけの妖力を込めた。

 突き出されたそれぞれの腕から生まれた障壁は少なからず、その砲撃の威力を削いだのである。

 それでも威力は殺しきれず──どうにか逸らしてかろうじて直撃は避けたが、その恐るべき威力に下半身が耐えきれなかった。

 しかし──それが逆に功を奏し、そこで下半身がつぶれたからこそ力が逃げ、搭乗席のある上半身がつぶれずに済んでいた。

 そんな破壊の中心点で、叫んだ耀山の声に応じ──周辺から降魔兵器が続々と集まってくる。

 

「これは!? まだ……諦めないのか」

 

 その光景に戦慄する。

 耀山自身を追い詰めたが、これはさすがに分が悪い。

 梅里も一対一なら降魔と正面から戦える実力を持っているし、降魔兵器にもけっして遅れをとらないが──さすがに複数体を相手にするのは無理だ。

 

「それこそ、霊子甲冑でも無いと……」

 

 あっても、それが乙女組隊員の乗るアイゼンクライト一体では、さすがに無謀だ。

 光武・複座試験型も搭乗者である近江谷姉妹がまだ戻らない。

 梅里がギリッと悔しげに歯を食いしばったとき──それは起きた。

 薫紫にいつもの危険感知とは違う反応の、所有者に知らせようとして霊感に触れる感覚があった。

 

「──今のは?」

 

 梅里がそれに疑問に感じて周囲を探ると──耀山の下に集まっていた降魔兵器が動きを止めているのに気が付いた。

「な……馬鹿なッ!!」

 戸惑う耀山。

 

 

 地上にいる彼にとって、『武蔵』の最奥に鎮座した降魔兵器を制御する宝玉が、帝国華撃団花組の隊長・大神 一郎と、隊員である真宮寺さくらによる『二剣二刀の儀』によって破壊されたことを知る由もなかった。

 

 

 どんなに呼びかけようとも応じない降魔兵器。

 それに焦れた彼は──

 

「例え降魔兵器が動かずとも、まだ終わらぬ!! 私はまだ京極様に恩返しもしておらぬ。そして──この国を救うためにもまだ……まだまだ、止まるわけには、いかんのだァッ!!」

 

 彼が中に入った搭乗席から、無数の黒い糸が放出される。

 わずかに開いた部分は、まるで縫合されるように塞がれ──無数の糸の先端は、先ほどからピクリとも動かない降魔兵器へと襲いかかる。

 

 

「まだだ! まだだ! まだだまだだ!まだだまだだまだだまだまだまだだまだだまだだまだまだまだまだまだだまだまだまだだまだだまだだまだまだまだだまだだまだだまだまだまだまだまだだまだまだまだだまだだまだだまだまだまだだまだだまだだまだまだまだまだまだだまだまだだあああぁぁぁッ!!!」

 

 

 無数の降魔兵器が、糸に捕まり、搭乗席の元へと集められていく。

 圧し潰されたそれは、降魔の体液をまき散らし、さらには虚空に淀んだ瘴気を広げる。

 何度も何度もそれが繰り返し行われ、ドス黒い靄となったそれは中心の搭乗席へと集まり、さらにその濃度を高め──漆黒をした球状の瘴気の塊となる。

 まるで卵のようなそれは、身動きの取れぬ降魔兵器からも瞬く間に妖力や瘴気を集めて一気に肥大化し──漆黒の卵が、ついに割れる。

 

「な!?」

 

 梅里は、生まれたそれを見て絶句した。

 通常のものの何倍もの巨躯を誇る──巨大な降魔兵器が生まれたのである。

 そしてそれは──梅里にとってかつて対峙した敵を思い出させていた。

 

「あのときの、再来ってわけか……」

 

 上位降魔『十丹』が、十人全員で融合して生まれた巨大降魔。

 その姿はまさにそれとうり二つであり──巨大降魔兵器ともいうべき代物であった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 巨大降魔兵器出現の報は、予備回線を使って通信がかろうじて回復したミカサにも届いていた。

 その艦橋に、由里の報告が響く。

 

「現在、夢組が中心となって討滅作戦を実施中……夢組が……え!?」

 

 報告していた由里が──突然、戸惑うような声を上げて言葉がとぎれた。

 それに米田は思わず眉をひそめる。

 

「どうした?」

「由里、報告は速やかに、明瞭に」

 

 すかさずかえでからも叱責が飛ぶ。

 それで気を取り直した由里が再び報告を再開させるが──

 

「は、はい。失礼しました。それがその……夢組が『陰陽七曜の陣』を使い、武相隊長の『満月陣・望月』で迎え撃つ、そうです」

 

 そう言って、気まずげに、複雑な表情で由里は報告した。

 

「な──」

 

 さすがに絶句する米田。

 前回の大戦と同じような相手に対し、ほぼ同じ作戦を行う──それで敵を倒しているのだから正解に思えるが、違う。

 

「バカな! アイツは前回、それで──」

 

 激高する米田。

 そのときその場にいなかったかえでさえも、事情を知っており顔を青ざめさせていた。

 

「梅里くん……ダメよ! 命を賭けるなんて……全員生きてこそ本当の勝利なのよ」

 

 彼女の脳裏には、あの戦いで犠牲となった姉の姿が浮かんでいた。

 そして──報告した本人である由里と、その傍らの椿は考えていた。

 

(でも、そんなの、かすみが許すわけがない!)

(かすみさん、絶対に止めるはず……)

 

 同僚として、かすみと梅里の関係に気が付いている由里と、概ねわかっている椿が、かすみを振り返った。

 そんな二人が心配する中で、彼女は──完全に動揺し、肩を抱いて己の身が震える…………ことなく、泰然と通信を行っていた。

 

「「え……?」」

 

 拍子抜けしたような二人。

 それに気が付いたかすみは、怪訝そうに二人を見る。

 

「いったいどうしたの? 由里、椿……作戦行動中よ?」

「それはこっちの台詞よ、かすみ! なんで平気な顔してるわけ? あの、主任さんが、武相隊長が前回命を失いかけた方法をやろうとしているのよ!?」

 

 由里がかすみに詰め寄る。

 だが、かすみは毅然とした表情で──

 

「そうね」

 

 ──とだけ答えた。

 

「そうねって……かすみ、あなた…………」

「かすみさん! 前に助かったのは、奇跡みたいなものだって、ホウライ先生も仰ってましたよ? 一度完全に死んでいたのに生き返ったとしか思えない、医学ではまったく説明ができないって……そんなことが都合よく何度も起こりませんよ!?」

 

 椿もまた、かすみに問いかける。

 二人の様子は、当事者であるはずのかすみ以上に取り乱しているようにしか見えなかった。

 その一方で──かえでは梅里に説明を求めていた。二人の懸念はまさにかえでや米田もまた同じだったからだ。

 それに梅里は、前回の「五曜の陣」と異なり、カーシャが入り「七曜の陣」となったことで日=陽属性という皆の希望の象徴である霊力を集める存在が入り、梅里の負担が格段に減ったことを説明した。

 さらには彼が会得した『満月陣・朧月』が、「無」へと没頭することで個性が無くなり、大神の霊力特性である『触媒』とそっくりな特性を持つことが判明していたことも付け加える。

 その説明にかえでは──

 

「わかったわ、梅里くん。何よりほかに手段がない。あなたの作戦に異論はないわ──」

 

 そう言ってかえでは米田をちらっと見る。

 米田もまた「うむ」と頷いてそれを追認した。

 そんなかえでだったが──米田の後に、ちらっと視線をかすみに向ける。

 

「かすみ……あなたはそれでいいのかしら?」

「はい。私は彼を……信じていますから」

 

 そう尋ねてきた彼女に、かすみは力強くうなずいた。

 

「そう。わかったわ……梅里くん、頼んだわよ」

「了解!」

 

 その返答を最後に──夢組の作戦は実行された。

 

────5────

 

 円形に陣を敷いた夢組達。

 その外周から生まれたおびただしい量の霊力は、奏でられた調べによって導かれ、陣の中心へと集まっていく。

 そこでは陰陽五行の属性である木・金・火・水・土の強い霊力属性を持った者達が五人が集まり──劣性属性から優越属性へと霊力を回して増幅し、さらに回す。

 強大な渦となったその霊力の中心には、皆の希望の象徴──太陽の力である陽属性の霊力を持った夢組隊員が力を発揮して束ねている。

 そしてそれを──

 

「頼んだわよ、ウメサト!!」

 

 その傍らで無の境地へと至り──歪みも曇りも無き鏡となった梅里が、受け止める。

 淡く銀色に光る満月陣・朧月から──金色に光り輝く満月陣・望月へと一瞬で切り替わり──梅里は瞬間移動していた。

 

「かすみ、いいの? 平気なの?」

 

 もはや手遅れな段階ではあったが、由里は訪ねずにはいられなかった。

 そんな由里を振り向くことなく──梅里の姿を一瞬たりとも見逃さないとばかりにじっと見続けながら、かすみは答える。

「あの人は……梅里くんは自分を信じて欲しいと、絶対に死なないと、私に誓ってくれたのよ。だから私は……彼を信じるだけ」

 そう答えるかすみの目は、完全に彼を信じ──迷いがなかった

 金色の光を放つ球状のフィールドに包まれた彼が、巨大降魔兵器の眼前へと瞬間移動する。

 そして──そのとき、かすみは思わず手を差し出していた。

 巨大降魔兵器の傍らで囮をつとめていた月組達が梅里に気が付いて手を向けるよりも早く。

 広げた手のひらは熱く──そこから放たれる霊力が、彼へと届くイメージがハッキリと浮かんだ。

 

(梅里くん……お願いします。そして、どうか無事で……)

 

 自分の手のひらから流れ出る霊力に、思いを込め──その手にはしっかりと握られた感覚が感じられる。

 

「え──?」

 

 戸惑った彼女の脳裏に──

 

(ええ、もちろんですよ。かすみさん!)

 

 思いに応える梅里からの返事が聞こえた気がした。

 そして──

 

 

「帝都を害するその悪意と怨念を──断つッ!!」

 

 

 梅里が叫びと共に振り下ろした金色の光の刃は、延びて巨大降魔兵器を切り裂き──断末魔の叫びをあげ、降魔兵器は吹き散らされるようにして、その姿を消し去るのだった。

 

「やった!!」

 

 思わずあがった由里の快哉の声が、隣から聞こえる。

 かすみもその光景を見て、無意識のうちに胸に溜めていた空気を、ほぅと大きく吐き出した。

 だが──まだ気を抜くわけにはいかなかった。

 梅里は刀を振り下ろした姿勢で固まっていた。

 

 その姿は──2年前のそのときの姿を連想させた。

 

 それを同じくミカサの艦橋で、モニター越しに見ていたのを覚えている。

 あのときのかすみはまだ彼に特別な感情を持っていなかった。

 だからこそ、あの時のことを思い出し、恐怖に体が震えそうになる。

 

「梅里……くん?」

 

 唖然とするかすみ。彼への信頼にほんの少しだけ疑念が──信頼ではなくそれが妄信でしかなかったのか、と背筋が寒くなったとき──グラリと体が揺れる。

 

「──ッ!?」

 

 思わず息をのむ──が、次の瞬間、彼はグッと足で地面を踏みしめた。

 同時に刀の切っ先を地面に突き立て、杖のようにして体を支える。

 

 そして──握りしめた右手をしっかりと上空へ突き上げた。

 

 言葉こそ発することができなかったが、それは戦果を何よりも雄弁に語った──凱歌であった。

 次の瞬間──爆発的に沸き上がる歓声。

 モニターの向こうでは、梅里の下へと夢組はもちろん、月組や雪組、さらには現地にいる風組隊員達もまた勝利の祝福をせんと駆け集まっている。

 それを見ながら──かすみの目からは涙が溢れていた。

 

「梅里くん……よかった…………」

 

 笑顔でありながら、溢れる涙は止めることができない。

 

「それに……ズルいですよ、あんなこと…………」

 

 梅里が突き上げた拳。

 その真っ直ぐ先には──空中戦艦ミカサ。そしてその艦橋であり──そこにいる彼女に向けて正確に伸ばされ、その心臓を文字通り打ち抜いていた。

 思わず戦闘服の上から左胸を押さえるかすみ。

 

「あんなことをされたら、私…………」

 

 かすみの目からは涙があふれる。

 その心臓がドクンドクンと強く奏でる鼓動が、ハッキリと感じられた。

 そして顔を赤らめながら思う。

 今すぐにでも彼の元に飛んでいきたい、そう思ったが──それはできない。

 今の二人の間にはあまりにも遠い物理的な距離があった。

 それがひどくもどかしかった。

 モニターの向こうでは、夢組の皆が梅里の元へと集まり、それ以外の月組や付近の雪組、風組といった者達が彼を称えるのに──その歓喜の輪に入ることができないのだから。

 

「悪ぃな、かすみ」

 

 そんな彼女の心境を察したのか、米田が苦笑混じりに言う。

 

「オレも馬に蹴られたくねえから送り出してやりたいんだが……ちょいと距離が離れ過ぎちまってるからな」

 

 そんな米田に、かすみは首を横に振る。

 

「いえ、司令……私は私の役目がありますので。それを全うしなければ、彼に会う資格がありませんから」

 

 それにはさすがに驚く米田。

 

「まったく……(かて)えなあ、お前さんは。そんな固っ苦しいと、ウメに逃げられちまうぞ?」

 

 米田の冷やかしに、かすみは胸を張って答える。

 

「あの人は、あれだけのことを──命がけで帝都を守ったんですから。私も自分の仕事を全うしなければ、彼に顔向けできませんから」

 

 気を引き締めるかすみ。

 そこにミカサに配属されていた夢組調査班から、武蔵内部で強大な妖力反応が、それを上回る霊力反応によって打ち消されたという報告が入った。

 

「これは……」

「ああ、大神達もやってくれたようだな」

 

 かえでの言葉に、米田は大きく頷く。

 

「約束通りの大宴会……準備頼むぞ、かえで」

「はい、お任せください」

 

 米田の言葉に、頷くかえで。

 その直後、予知・過去認知班のティーラから「鑑首を突っ込ませてください」とポイントを指定した依頼がくる。

 彼女の話によれば、武蔵内部で崩壊が起こり、そうしないと花組が巻き込まれて帰還できなくなるとのことだった。

 それを聞いた米田は、これ幸いとばかりに──かすみに指示を出した。

 

「かすみ……最後に一仕事、頼むぞ」

「了解しました! お任せください、司令!!」

 

 かすみの操舵でミカサは武蔵に再突入を敢行する。

 ティーラが指定したポイントへと寸分違わずに鑑首が貫き──その甲斐あって花組を無事に救出することができた。

 

 

 こうして帝国華撃団は犠牲者を出すことなく、この戦いを終えるのであった。

 

 

 ──ちなみに、戦闘中に行方不明になっていた夢組の幹部達は、全員通信機が壊れて音信不通になっていただけで──意識を失っただけだったり、落下傘で無事着地したりして、皆無事であった。

 


 

【かすみエンディング】

 

 黒鬼会との──京極 慶吾との戦いが終わり、それが巻き起こした混乱がようやく収まりつつある早春のころ……

 

 戦い終えた帝国華撃団にはいくつかの変化があり──それは夢組にもあった。

 その最たるものは、カーシャとコーネルの退団である。

 当初、帝国華撃団に対立したカーシャだったが、誤解が解けて道を同じくしていた。

 そのはずの彼女は祖国である英国へと戻り、倫敦での華撃団設立を目指して退団することとなった。

 道は違えど見ている方向は同じであり、いつかまた重なるであろう道をとった彼女。

 その彼女が同じく英国人であり、彼女よりも長く帝国華撃団に所属していたコーネルを自分の活動に誘ったのである。

 そして彼は、それに賛同した。

 倫敦に華撃団を設立するというよりも──夢組が対峙した敵、“人形師”幸徳井 耀山が見た日本を襲う不幸を、海外から支援して回避させるという、もう一つの目的のために。

 

 そしてもう一つの大きな変化は──ティーラの姓が、“巽”になったことだ。

 

 帝都を去る前に、宣教師でもあるコーネルから祝福されたいと教会で結婚式を挙げたティーラと宗次。

 その結婚式の最後を飾ったのは──ブーケトスであった。

 ティーラが投げたブーケは、結婚を望む者が集まっていた梅里の方へと投げ出され──五つの手が伸ばされる。

 しかしその中で──

 四つの手は、梅里の本当の気持ちに気が付いて、どこか遠慮や萎縮が入り──

 一つの手は、なんとしてでも彼の心を離さないという強い思いでしっかりと伸ばされ──

 それが結果となってハッキリと現れた。

 

「「「「「あ…………」」」」」

 

 そのブーケを掴んだのは──

 

「──ということですので、次は私達の番ですね。梅里くん」

 

 そう言って笑みを浮かべるかすみ。

 その姿を見てホッとしたのは、帝劇三人娘のほかの二人──かすみと椿であった。

 そんなかすみの笑みにはどこか悪戯っぽさを感じさせるもの。

 しかし、その奥に感じた本気に、梅里は──

 

「ええ、そうですね。かすみさん」

 

 ──と笑顔で応えた。

 そんな彼の素直な反応に、かすみは驚きの表情でその顔を見つめるのであった。

 

 

────1────

 

 水戸で花といえば、やはり偕楽園の梅である。

 しかしだからといって桜の名所がないわけではない。もちろん、きちんとそれもある。

 

 偕楽園と対なるものとして、水戸藩の藩校として建てられたのが、かつての水戸藩の藩校である弘道館だ。

 江戸の幕府が倒れて水戸藩そのものが無くなってだいぶ経ち、現在は公園となっているそこへ──梅里とかすみはやってきていた。

 

「こちらで、よかったんですか?」

 

 そう尋ねたのはかすみだった。

 梅里が今回の件を実家に報告しに行くため、帝都を離れて水戸へ向かうとなったとき──梅里はかすみを誘った。

 それに応じたかすみは休みを合わせ、先刻、鉄道を使って水戸駅へと降り立ったのだ。

 普段なら、梅里は水戸に到着すれば、自宅に向かう前に水戸駅の南へと向かい、偕楽園へ行く。

 そして、その一角にある、一本の梅の木に参拝するのだ。

 それは──彼の幼なじみ、四方 鶯歌が最期を迎えた場所である。

 その場所が彼にとって特別な場所であることは、かすみも十分に知っていたのだった。

 

 だが、今日の梅里は南ではなく北へ向かった。かつての水戸城の三の丸付近にあった弘道館。

 そこには──見事な桜の木が、一本植えられている。

 梅の時期を終え、桜の季節となったこの時期に、その桜の木は満開の花を咲かせていた。

 左近の桜と呼ばれるその桜の木は、弘道館でも有名な桜の木であった。

 その桜の木の下に立った梅里は、花を見上げながら、先ほどの彼女の言葉に応える。

 

「ええ……ここでいいんです」

 

 梅里はそう言って、上げていた視線をかすみへと向けた。

 

「彼女の命を奪ったことは、僕は忘れないし忘れてはいけないと思ってます」

 

 それは梅里の心に、奥底まで刻み込まれた深い深い傷。

 しかし、どんな深い傷も痛みは薄れ──やがて遠い記憶となるものだ。

 梅里は、かすみをじっと見つめて、ふと自虐的な笑みを浮かべる。

 

「でも……そこに囚われすぎていてもいけないって……思えるようになってきました」

 

 忘れるわけではない。

 でも──それに縛られるのは違う。そしてそれを、彼女は望んでいないように思える。

 彼女のためにも、自分のためにも──そして目の前にいる女性のためにも、新しい一歩を踏み出さなければならない。梅里はそう思っていた。

 

「だから……僕は改めて、ここから始めたいと思ってます。梅の花が散ってから咲く、この桜の花の下で──僕の……あの件に囚われない人生を」

「梅里くん……」

 

 かすみもまた、梅里をじっと見ていた。

 それはとても信じられない思いでもあった。彼にとって鶯歌という女性は特別であるのはかすみもわかっていた。

 そして亡くなった彼女に勝つことは──決してできないと思っていたからだ。

 しかし、梅里は──自ら一歩踏みだそうとしていたのだ。

 梅里は、笑顔でかすみを見つめる。

 

「そしてそれを、僕の新たな人生を……かすみさん、一緒に歩んではくれませんか?」

「え──?」

 

 驚いたかすみの脇を、一陣の強い風が吹き抜けていき──桜吹雪が舞う。

 その桜の花びら舞い散る中で、かすみは潤んでしまう目を拭う。

 それを何度も、何度も。

 拭っては溢れる、キリのない涙を、それでも拭いつつ──彼女は笑顔で応える。

 

「はい。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」

 

 その応えで梅里はかすみへと、かすみは梅里へと踏みだし──桜の木の下で二人の距離はゼロになった。

 お互いを宝物のように大事に、しかし、その存在を確かめるように荒々しく求める二人。

 

 まるで舞台のワンシーンのように、二人が抱き合う姿を紙吹雪ではなく桜吹雪が彩っていた。

 

 

『ゆめまぼろしのごとくなり2 ~if かすみ√~』 了

 

 

 




【あとがき】
 ──うん? (元)学校の、伝説の桜の木の下で告白してるぞ!?
 なんてこった! サクラ大戦じゃなくて、ときメモになってるじゃねえか!!


 というわけで、いかがだったでしょうか?
 “かすみ√”もこれにて終了し、“ゆめまぼろしのごとくなり2”は本当の本当に完結です。
 お付き合いいただきありがとうございました。

 個別ルートのエンディングということで共通(ハーレム)ルートとは異なり、きちんとかすみに向かい合う形で終わらせました。
 本来なら他の各ヒロインも、こういったエンディングを用意したいところなんですが、それだと次につなげるのに矛盾が出そうで……ということで無難なものにしています。
 ブーケを掴むシーンは、ヒロイン全員の“個別ルート”の導入部分と思ってください。

 ちなみに弘道館の左近の桜ですが、現在では偕楽園にあったりします。
 サクラ大戦2の年代的には弘道館にあったので、そのようにしました。


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その他
オリジナル設定解説


※オリジナル設定の解説の頁です。

 本編ではないので、作者の話とかウゼー、どうでもいいわー、という方は見なくて大丈夫かと思われます。

※紹介分には本文の内容も含みますので、スルーor後回しにしていただいて構いません


 というか、↑の理由と長いので後読推奨です。



【目次】

▼組織

▽登場人物

▼オリジナル機体

 


<組織>

 ここでは組織の中のオリジナル部分について説明します。

 なお、夢組の公式設定は『霊能部隊・夢組』という呼称と、役目として

  ・霊視や霊力を使った戦術サポート

  ・ギヤマンのベルを使ったダウジングによる霊的調査。

  ・予知や過去認知。

  ・除霊。

  ・御札や御守りの発行。

が設定されていました。

 以下は独自設定ですので余所では通じない部分がほとんどです。ご注意ください。

【帝国華撃団夢組】

・帝国華撃団の誇る5大部隊の一つである霊能部隊。(他は対降魔迎撃部隊「花組」、輸送空挺部隊「風組」、隠密行動部隊「月組」、局地戦闘部隊「雪組」)

・世界的にも珍しい、霊力を使った特殊能力による支援活動専門の部隊であり、それゆえに活動内容が多岐にわたる。

・例としては、霊視等の感知・探査能力による戦況把握や分析、結界によって隔離して被害を最小範囲にとどめる戦場形成、霊感・霊視やその他霊力探査による霊力等の異変の分析、予知による霊障の予見及び過去認知による原因の特定、霊子甲冑による対処を要しない程度の小規模霊障への対応・鎮圧、過去に施された霊的封印の調査・維持、霊子甲冑用やその装備等における霊力技術開発や霊力付与のサポート、御守りや御札の発行、等々。

・その多岐にわたる活動内容に応じて6つの班に分かれている。

・が、隊員には霊力とそれに基づく特殊な能力が求められることから人数は限られており、他の班への応援(例:調査班が戦闘に参加する等)も随時行われている。

●封印・結界班

・戦場形成のための結界展開(原作ゲームでいける範囲が限られているのはこれが原因)や、防衛施設の結界維持、過去に封印されたものも含めた霊的障害の封印の管理(含む再封印)を主な役目とする。

・頭は山野辺(やまのべ) 和人(かずと)。副頭は陸軍出身の女性隊員と、陰陽寮出身の男性隊員の二人。

・本来であれば副頭の片方が本部付、もう片方が支部付となるはずだが、他の班に比べて戦場形成のために素早く人数を集めて出撃する必要があるのと、敷地の広い花やしき支部を防衛する際の結界展開のために、勤務人数の多い花やしき支部に副頭二人が常駐している。

・ちなみに、もっとも人数が多いのがこの封印・結界班である。

●調査班

・戦闘時、非戦闘時を含めて霊視といった霊感から、特別製のギヤマンのベルによるダウジングのような装備を駆使しての戦況や調査対象の分析を行う部隊。

・その対象は物に対する調査だけでなく、人に対する捜査も該当する。

・頭は白繍(しらぬい) せり。副頭は本部付の伊吹(いぶき) かずら、支部付の御殿場(ごてんば) 小詠(こよみ)の二人。

●除霊班

・除霊や単独で出没した降魔への対応といった、霊子甲冑を必要としない小規模霊障への直接対応や、戦闘している霊子甲冑への戦闘支援を担当し、夢組内ではもっとも戦闘行為を得意とする荒事を担当する班。

・頭は秋嶋(あきしま) 紅葉(もみじ)。副頭はコーネル=ロイドとカーシャ(アカシア=トワイライト)の二人で、共に本部付。

・除霊班の副頭2人が共に本部付なのは、黒之巣会との戦いやその後の降魔との戦いでたびたび内部にまで侵入されており、魔神器の防衛のためにも直接戦闘を得意とするものを増やしたため。

●錬金術班

・霊子甲冑用の装備や夢組の霊力を行使するための装備の研究開発、帝劇防御壁における結界のような霊力を使った大規模装置の開発と生産、果ては一般市民向けの御札や御守りの発行といった夢組における開発生産部門を一手に引き受けている。

・帝劇内の霊的装備も開発から操作、メンテナンスまで担当しており、治療ポッドも錬金術班の開発によるもの。

・頭は松林(まつばやし) 釿哉(きんや)。副頭は支部付の大関(おおぜき) ヨモギと本部付の越前(えちぜん) (まい)の2人。

・人数がそれほど多くなかったため副頭が1人だったのだが、釿哉の長期出張のために本部付の人数を出すために本部付副頭を新設した。

●予知・過去認知班

・霊能部隊の真骨頂とも言える、未来予知と過去認知を担当している班。

・特殊な才能がいるために所属人数が非常に少なく一桁(5、6人)。

・頭はティーラ(アンティーラ=ナァム)。副頭は駒墨(くずみ) (ひいらぎ)

・本来であれば人数の関係で副頭がいなかったが、頭が支部に常駐しているため本部付要員の必要性から新設された。

●特別班

・隊長直属の特殊能力をかわれて集められたスペシャルチーム。

・副隊長の巽 宗次が選抜した5人で構成されており、『精神感応(テレパシー)』の八束(やつか) 千波(ちなみ)、『千里眼』の遠見(とおみ) 遥佳(はるか)、『共鳴』の近江谷(おおみや) 絲穂(しほ)絲乃(しの)の双子姉妹、『読心(サトリ)』の御殿場 小詠(調査班副頭兼任)がそのメンバー。

・小詠に関しては部隊内の監察役であるため、特別班メンバーであることが秘匿されている。そのため特別班として能力で記憶を探った際には自分の役目に関する情報を消してその素性を隠している。(受けた側は誰かに訊かれたけど、それが誰なのか思い出せない状態になる)

・それを隠すために近江谷絲穂が『特別班四天王』を名乗っている。能力的には4種類であり、四天王は完全に嘘ではないが、人数的には「五人そろって四天王」である。

・頭はいない。強いて言えば、隊長や副隊長が頭に該当する。

・幹部達は特別色の戦闘服を着用しており、一般隊員達は共通の色の物を使用しているが、特別班だけは区別のために共通の特別色の戦闘服を着用しており、その色は“濃紅梅”。隊長の梅里を象徴する色だが彼の戦闘服は隊長色の“白”なので宗次が「隊長直属なんだからそれでいいんじゃないか?」と言い、特別班員達の全員一致で採用されている。

・ちなみに密かに兼任している小詠の袴は一瞬で色が変わる特別製。

 


<登場人物>

 ここでは、本作オリジナルの登場人物について紹介します。

 サクラ大戦オフィシャルの登場人物については紹介するまでもないことですので、ここでは省きます。

 また『~ゆめまぼろしのごとくなり~2』から登場したものに限ります。前作から引き続いて登場している者はお手数ですが前作の登場人物紹介を参照してください。

 

【帝国華撃団夢組】

◇カーシャ(アカシア=トワイライト) (登場話:第1話 ─1─より)

・帝国華撃団夢組除霊班副頭。引退し、乙女組の師範になった道師の代わりに副頭に就任。

・イギリス国籍。

・貴族であるトワイライト家の令嬢。トワイライト家は船乗りの家系で、植民地の経営等に携わり、成長していった家である。

・そんな家で育ったカーシャは語学堪能で、社交性に富んだ明るい性格をしている。

・濃い金髪で、ウェーブのかかったセミロングの髪をポニーテールにしている。また碧眼である。

・社交的で明るい性格と、ポニーテールが梅里に鶯歌を意識させることになる。

・武器は両手剣。ただし手にしているのは『heat(ヒート) haze(ヘイズ)』という名の波状刃の剣(フランベルジュ)。ヒートヘイズは「陽炎」のこと。その名の通り、斬撃の軌跡や動きが読みづらくなるという力がある。

・所属直後に除霊班副頭になれるほどの強さを持ち、実力を見ようとした紅葉と互角にわたりあうほど。ただし、紅葉は魔操機兵や魑魅魍魎、特に人間よりも大きなものとの戦闘こそ得意としているのに対し、カーシャは対人戦闘が得意という得手不得手を入れた上での互角である。

・必殺技は「陽」の霊力を剣に込めて、金色の直刃を形成した上で直接たたき込む「デイブレイク・スマッシュ」。

・属性は太陽の力である「陽」属性。「日」である彼女が入ったことで梅里の「月」を加えて陰陽五曜の陣を陰陽七曜の陣にパワーアップできる。

 

 

~作者コメント

・旧版「2」での追加ヒロインの名前を変え、髪型を少し変えたもの。

・立ち位置はほぼ変わらず。

・性格は変えました。というよりも彼女が梅里にとって「鶯歌を思い出させる」存在であるために、意図的に彼女の性格に近づけました。

・なので基本的に明るい。

・髪型は、鑑これのサラトガを金髪にしたイメージで。サラトガは米国鑑ですが。

・口調は艦これの金剛みたいなのも考えたのですが、語学堪能ならそこまでしなくていいかな、と。正直、カタカナ混じりにすると読みづらいのと少し煩すぎる感じが出てしまうので。ただそのままだと違和感なさすぎなので少しだけ混じらせてます。

・必殺技の「デイブレイク・スマッシュ」はダイの大冒険の「ギガ・ブレイク」とマシンロボの「ゴッドハンド・スマッシュ」から。

 

 

◇駒墨 柊(くずみ ひいらぎ) (登場話:第1話 ─2─より)

・新設された帝国華撃団夢組予知・過去認知班の副頭。

・元々、人数が一桁しかいない班だったので副頭をおいていなかった予知・過去認知班。副頭の必要性というよりも、「本部メンバーは幹部クラス」という原則維持のために副頭を設置した。

・その能力は随一の予知能力を誇るティーラが太鼓判を押すほどに優れている。能動的な未来視はティーラが水晶玉を使うのに対し、水面に油と墨を使って出した模様を見て占う。

・基本的には短い単語での筆談をするので、筆と短冊を常に持ち歩く。

・そのため、字はとても綺麗。書道家クラス。

・道師の夢組引退(乙女組師範就任)に伴い、正式に夢組隊員となり、予知能力と対人恐怖症を考慮して人の少ない本部勤務のために予知・過去認知班の副頭となった。

・なお、失語症で対人恐怖症なので接客はできず、食堂では厨房を担当する。経験も少なく、皿洗いと下拵え担当。

・ちなみに最も得意にしてるのは予知ではなく過去認知の方だったりする。

 

~作者コメント

・元は、旧作の「2」で↑のカーシャの元になったキャラと共に追加したヒロイン、黒瀬川 柊という名前でした。

・旧キャラから失語症・対男性恐怖症も引き続き受け継ぐ。

・名前の由来は、柊は旧キャラからの引継。名字は「墨」という字が入れたくて「~ずみ」という名字を考えていて、オーガストの懐かしき作品「月は東に日は西に~operation sanctuary~」の主人公の名字「久住(くずみ)」がパッと浮かんだので読みを採用。

・また、「駒」と「墨」の組み合わせは源平時代の宇治川の戦い先陣争いで佐々木高綱の名馬・池月と競った梶原景季の名馬「摩墨(するすみ)」から。

 

 

◇越前 舞(えちぜん まい) (登場話:第1話 ─2─より)

・錬金術班所属の隊員。

・錬金術班の新設されたもう一人の副頭。

・本来は副頭一人体制だったのだが、釿哉が北海道へ新型霊子甲冑開発のために長期出張する際に、釿哉が抜けた分の補充として舞を勤務させようとなった。

・その際に本部メンバー=幹部という図式維持のために副頭を増やして、任命された。

・副頭のヨモギが医術・薬学特化なのに対し、彼女は機械工学系に特化している。

・武器は巨大スパナ型のシザーロッド。普通のスパナも投げてくる。

・念動力をもっており、回転させるのが得意。それを利用してスパナを開閉させる。

・その武器は念動力の増幅機能も兼ね備えており、それで掴んだものを投げ飛ばすことも可能。

・ボーイッシュなショートカットで、普段着はツナギ。それに鉄板で前面が補強された帽子をかぶる。

・巫女服型の夢組戦闘服では帽子の前面は戦闘用のさらにゴツくツバまで補強されたものを被る。

・手先が起用で、お菓子づくりが趣味という意外な一面を持つ。そのため原則は給仕担当だが厨房に回ることも。そのときはコックコートに野球帽のような帽子を被っている。

 

作者コメント

・元は名称を完全に忘れた旧版で「2」から登場していた錬金術班副頭。

・名前の由来は「ゼンマイ」。名前だけだと無理があったので、苗字と名前で分けた。

・機械工学系で植物な名前ということで「ゼンマイ」は是非使いたいものだったのですが、「ゼンマイ」だけでは名前のアクが強すぎて、このようになった次第です。

・ボケのヨモギに対し、ツッコミ役。釿哉はどちらもこなせるオールラウンダー。

・当初、戦闘服では帽子は巫女服と合わないので金鉢巻と考えていたのですが、よく考えれば艦これの龍驤という似た組み合わせでの成功例があったので、そちらに変更。

 

【乙女組】

◇白繍 なずな(しらぬい なずな) (登場話:第3話 ─5─より)

・帝国華撃団の隊員養成機関(主に花組候補生を育成)の乙女組に所属する若き花組候補生。

・高い霊力評価を得ており、しかも梅里をはじめとして夢組の中にもいるネックとなりがちな霊子水晶との相性の問題もクリアしている。

・強い霊力も持ち、「もっとも花組に近い人」と呼ばれているのだが……本人は夢組志望という困った人。そのため総合的な評価は乙女組では2位。(1位は乙女組一期生のまとめ役でつぼみの姉である野々村 春香)

・名字で分かるように、夢組調査班頭である白繍せりの妹。

・年齢順に長女せり、次女なずな、長男護行(もりゆき)、三女はこべ、次男小平太(こへいた)、四女鈴菜(すずな)、五女鈴代(すずしろ)の7人きょうだいである。

・性格は努力家なのだが……それが空回りすることも多い。才能的には得手不得手がハッキリしているが、才能がないこともがんばろうとするために、要領が悪い。

・それで学業面での足を引っ張って、総合評価2位になっている部分も……

・幼いころから何でもそつなくこなせた姉への敬意が強く、逆にコンプレックスを抱いてもいた。

・直ぐ下の妹ということで、なんでもせりの真似をしてきたが、それを越えられなくて悩んでいるところもある。

・弓矢は良い例で、せりは華撃団一の弓の名手と言われるほどの腕前なのだが、なずなはさっぱり。それでも努力するのだが──それが報われない。

・実は、長柄もの──棒術、槍術、長刀術、杖術には高い適性を持っていたのだが……せりは自分がその才能は無いのを見抜き弓矢を鍛えていたので、真似して弓矢の道に励んでいたなずなはそれに気がつくことがなかった。

・それに気がついた宗次が自分の技を教え、彼女も弓と違って伸びる実感のあるそれを熱心に学んだ。また道師ことホワン=タオも夢組時代から目をかけて指導しに行っていた。(それが縁で乙女組師範になった)

・そのため、霊力は雷だが、使う技は宗次の槍術を棒術や杖術にアレンジしたものになっている。

・長く伸ばした髪を頭のやや後方で左右にまとめた──いわゆるツインテール──髪型にしている。

・それもまた、左右のお下げ髪にしているせりの影響を受けている。彼女の場合は弓矢を使うときに邪魔になる、と肩付近まで短くしてしまったが、反抗期を迎えていたなずなは「姉さんとは違うから」と伸ばしたままにしたため、長いままだった。

・でも左右に分けるところは同じあたり、素直ではない。

・現在は、乙女組をほぼ引退状態。本来なら本人の希望を無視して花組隊員にする予定だったのだが……実力と実績のある欧州星組から織姫とレニが来たことで頓挫。乙女組預かりという微妙な立場になって花組の空きができれば入る予定になっている。(もちろん空く予定がない)

・持て余しているのはもったいないと、新型霊子甲冑の試験搭乗者(テストパイロット)として北海道支部に長期出張していた。

・なお、巴里でのパリシィ事件(サクラ大戦3)が解決直後、大神を呼び戻す代わりの隊員として巴里華撃団に派遣され、巴里華撃団花組の隊員となる──のだが、それはまだ先のお話。

 

作者コメント

・旧作の風祭 美椰(みや)。旧作では「2外伝」にでる前よりも「3外伝」に出ていたキャラでした。

・はい。次回作に予定している「3外伝」で今回も旧作通りにヒロインになる予定のキャラです。

・パーソナルカラーは薄紫→からし色に変更。ナズナの花とはまったく関係なく、巴里華撃団花組に紫系がパーソナルカラーのキャラが居なかったため薄紫になったが、3外伝主人公の色も青系なのと、黄色キャラがいないので変更しただけです。

・雷や電気のイメージが青以外に黄色もあるので。

・髪型も元々は長い髪を一本に束ねたものにしようと思っていたのですが、サクラ大戦の攻略本とか見ているうちに「あれ? 帝国華撃団って長いツインテールのヒロインいなくない?」となったので、ツインテールになりました。コクリコは短いし。

・彼女も姉同様にひどい男に惚れてしまうので、それを見ていた三女のはこべが「姉たちのようにはなるまい」と男を見る目が厳しくなり、結果として「いきおくれ」になってしまう、という裏設定があります。

 

【武相家】

◇武相 カナ(むそう かな)(~if かすみ√~ ─1─より)

・梅里の妹。

・武相家の者として武相流剣術をたしなんでいるが、本当にたしなむ程度。

・一般レベルでは十分に強いが、魑魅魍魎を相手にするのは無理。

・一番上の兄は厳しいので、それよりも優しい梅里に懐いている。

・というか、梅里のことが大好き。

・鶯歌のことは梅里がとられそうなので不満に思っていたが、実は心の底では慕っており、「鶯歌ならウメ兄さんの相手でも我慢する」と思っていた。

・そのため亡くなったときはショックを受けた。梅里が抜け殻のようになったので二重にショックだった。

 

作者コメント

・存在だけは語られてきた梅里の妹。

・正直、ブラコンです。

・名前は漢字で書けば「鹿鳴」。その由来は梅里=梅が水戸市の木、兄の磧雀(せきじゃく)が市の鳥のハクセキレイからなので、市の花である(ハギ)の別名「鹿鳴草」から。

・字面が鹿嶋市や鹿島神宮を連想させるのも茨城っぽいかな、と。

 

◇武相 照葉(むそう てるは)(~if かすみ√~ ─1─より)

・梅里の母親。

・武相家が営む料亭『やまよし』の女将である。

・しっかり者で丁寧な立ち居振る舞いだが、実は結構サバサバした性格で男勝りな面も。身内にしか見せないが。

・武相家の家系図はこの数代が少し複雑で特殊になっている。。

・梅里の祖父の梅雪は次男で嫡男ではなかったが、武相家の魑魅魍魎と戦う分家は、幕末の動乱で断絶したのでそれを継いで魑魅魍魎討伐の任にあたり、帝都に行って米田とも交流があった。

・その兄である本家の先代は早くに亡くなる。そのため遺言で分家の当主だが本家当主の後見人につく。

・兄の息子(照葉から見れば従兄)が武相家の宗家の嫡男で、梅里の父親。

・梅雪はその後見人になり、自分の娘である照葉がその嫁になっている。(許嫁……ではなく、照葉が雲雀に惚れ込んで結婚した)

・つまり梅里の両親は従兄妹同士。梅雪は梅里から見ると母方の祖父。

・宗家を継ぐのが梅里の兄。梅里は分家筋になる予定だが──

・そういう家庭の事情もあって、照葉自身は梅里の結婚についても気にしている模様。

・武相家は宗家が「表の役目(食事方)と血筋の存続」、分家が「魑魅魍魎の討伐」となっていた。この体制は戦いの中で亡くなることを想定してのこと。

・そのため、立場に宗家の方が強いが、役目を背負う分家に対して敬意をもっている。

・武相流剣術は本家・分家ともにたしなむが、本家は伝承目的、分家は戦闘目的なので、分家の方が強い。

・だから梅里に剣術を主に教えたのは分家筋の照葉。父よりも母の方が剣の腕は上。

・かわりに料理の腕前は父の方が上である。

 

作者コメント

・名前の照葉は、梅里=梅が茨城県の木なので、県の花=バラ→イバラの一種であるテリハノイバラから「照葉」→読み方を名前らしく「てるは」に。といった流れです。

・美人で若く見える──のはサクラ大戦の母親系ってだいたいがそうなので。さくらの母親は初代も新も、若くしか見えません。

・ちなみに彼女の夫──梅里の父──の名前は武相 雲雀(うんじゃく)。茨城県の鳥=ヒバリ→その漢字表記『雲雀』を音読みにしただけです。

・ちなみに梅里の兄は磧雀(せきじゃく)。磧=「かわら」で、「かわらすずめ」とはセキレイのこと。水戸市の市の鳥=ハクセキレイからとりました。

・武相家は宗家の嫡男には「雀」の字を、分家の嫡男(予定者含む)には「梅」を入れます。

・家康に招聘された初代の名前が梅雀(ばいじゃく)だから──というのは今思いつきました。

・ちなみに分家筋の家紋は「月輪に梅の花紋」と既出ですが、宗家の家紋は「月輪に向かい雀紋」。

・月輪は武相流の象徴。雀二羽が横に向かい合った家紋は、宗家と分家が立場上の上下はあっても重要さでは対等であることを暗示している、とされています。

 

【黒鬼会】

“人形師” (第1話 ─5─より)

・黒鬼会の諜報部門に所属する秘密情報員。

・“人形師”としてその姿を現して活動する際には、顔を隠す黒い布がついた頭巾に黒装束と、人形浄瑠璃や歌舞伎等の黒子と同じ姿をしている。

・強い妖力を持ち、それを高出力で束ねて“糸”を作りだし、それを攻撃から防御、移動手段、捕縛拘束、遠隔操作の情報伝達と様々に使いこなす。

・陰陽道の術式を得意としているのだが、同時に神道術式にも通じている。

・京極から「夢組潰し」を命じられてコードネームを与えられた、真なる『夢喰い(バク)』である。

・ローカストがそのコードネームを使っていたのはカモフラージュのために貸していただけ。

・その正体は──元陰陽寮の陰陽師だった幸徳井 耀山(こうとくい ようざん)という男。

・塙詰しのぶの元許嫁。8歳年上の現在30歳。

・そもそもは土御門 耀山という名前で、まさに陰陽寮を中核として取り仕切る土御門家の本家筋だった。

・その家に生まれた中でも「天才」と称され「安倍晴明の再来」とまで言われた希代の天才陰陽師。

・陰陽道だけでなく「土御門神道」にも通じ、神道術式も修得。その二つを組み合わせた新しい術式の開発まで行っている。

・魔眼持ちのしのぶが、彼の許嫁となったのもその将来性を有望されたこと、魔眼の力を制御し、有効活用できると期待されてのことである。

・だが、そんな天才であったことが逆に彼を狂わせ、陰陽寮の復権を唱えて若手陰陽師をまとめ上げ、新政府へ要求を突きつけるといったように彼を暴走させていく。

・彼は発足以来の新政府による西洋への傾倒に疑問を持っていた。それで暦を西洋に合わせて太陽暦を採用したのを、太陰暦の復古を声高に唱えたため、政府に睨まれることになった。

・陰陽寮は組織を守るために彼ら「若手復古派」を抑え込み、その首魁であった耀山を寮の中心から排除し、土御門家から追い出し、爵位を認められていない傍流の幸徳井家に養子に出してしまう。

・その際に、しのぶとの許嫁も解消されている。

・同じ「復古」を目的とした黒之巣会とは、徳川の世への回帰を目標とする点で相容れず、参加や協力はしていない。

・幸徳井家へと養子に出された彼は陰陽寮を見切りをつけて出奔。同じく陰陽師の流れを汲み、強い日本を目指す京極慶吾と出会って共感して以後は仕えることになる。

・許嫁が解消されてもしのぶは彼を慕っていたが、陰陽寮から去ったことで完全に関係が切れる。

・魔眼を抑えられると期待された彼がいなくなったことで、しのぶは周囲からますます距離を置かれ、持て余され、対組織の工作員として教育されることになった。

 

作者コメント

・梅里のライバルキャラ……のはずだった。とにかくイヤなヤツになるように、と考えていたのですが……

・幸徳井の名字は、陰陽師の加茂家の分家から。新政府に爵位を求めて却下されたというところに興味を持って使わせていただきました。

・名前の耀山(ようざん)の由来は「海原雄山」でも「上杉鷹山」でもなく、彼の思想が「復古」なのでそこから懐古→(かいこ)養蚕(ようさん)と連想して「ようさん」に暫定的に決定。

・そのうち「さん」は「海原雄山」から「山だな」と思い、「よう」に関しては「陽」とか「鷹」とかも考えたのですが……

・「陽」はこの設定を練っていたのが、第4話を書いていたころだったのでカーシャの陽属性と重なるのでボツ(旧作で夢組なのに主人公を「夢相」という名字にして夢だらけになってイヤになるというミスを犯したので)。

・「鷹山」だと上杉鷹山になってしまうので──戦国時代は最上家シンパの私にとって上杉家はあまり好きではないので、受け入れがたい。

・「よう」で検索して程良く格好良く、しかも悪役っぽい大仰さもある「耀山」に決定しました。

・ちなみに「よう」ならということで「洋山」も考えたのですが、海だか山だかよくわからなくなるのでボツ。

・じゃあ、「(さん)」を「(さん)」に変えたら──それはもう「洋三(ようぞう)」じゃないのか? なんか普通で、ラスボス感ないんですけど!?

 

 

 


オリジナル機体

 ここでは本作オリジナルの霊子甲冑や魔装機兵、その他装備を解説します。

【霊子甲冑】

◇光武・複座試験型 (登場話:第3話 ─4─より)

・新型霊子甲冑(天武)の開発中に試作された霊子甲冑。名前で分かるように二人乗り。

・天武の主機関である蒸気併用霊子機関「三型」は、霊子核機関を小型化したもので搭乗者の霊力以外に都市エネルギーを取り込んでいた。

・いわば二系統の霊力供給を受けることになるため、その開発段階において二系統の霊力を使用する試金石とするために「とりあえず人間2人分で」ということで制作されたのがこの光武・複座試験型である。

・予備機になっていた光武を改修したのだが、もともと一人しか乗ることを考えていないものを2人乗られるようにするために倍に近いような大型化が強いられ、大型化した機体や予想された大出力に耐えられるようにするため、四肢等の強化を行い──「とりあえず」で作り始めたはずが、もはや別物になってしまった。

・完成後の試験は理論の実践と霊力経路の調整がメインで行われ、データを取ったが、本格的な稼働は行わなかった。というのも、搭乗者2人の霊力を同調させる機能が不完全で、本格稼働には耐えられなかったためである。

・そんな欠陥機だったが、『二系統の霊力供給』という初期の目的は達成されており、また都市自体の霊力である都市エネルギーは、人の霊力ほど個性がないために同調が楽であったことから、同調機能の欠陥は天武においてはさほど問題にならず、開発段階での技術でもクリアできたため、天武は無事に完成した。

・しかし欠陥機とはいえ霊子甲冑。しかも2人分の霊力に耐えられるようにキャパシティが高く設計されており、高性能だったために開発陣の中では「これをこのまま使わないのはもったいなくない?」という話になった。

・ただ、本格稼働させるには霊力同調機能の欠陥がクリアできなければ二人での搭乗は不可能。

・困った開発陣だったが、「同調機能に欠陥があるなら、最初から同調できるヤツらを乗せればいいだろ」と開発陣にいた夢組錬金術班頭の松林 釿哉が提案。彼の所属する夢組の近江谷 絲穂・絲乃の双子という霊力同調能力を持った二人が乗ることで無事に本格稼働させることができた。(彼女達は霊力不足で光武を起動できず、二人で同調して乗ることができれば稼働させられることはあらかじめわかっていたが、二人で乗れる霊子甲冑がなかった)

・だが──同調を搭乗者の能力に頼っているため、稼働中は彼女たちは常に同調を維持し続けなければならず、長時間の稼働は負担がきわめて大きいと判明。

・もちろん花組と共に作戦行動などできるはずもなく実戦配備は不可能と判断され、霊子甲冑用装備の試験等に使われることとなった。

・完成直前だった天武よりもその試験搭乗者と共に一足早く輸送されて、花やしき支部に常駐となった。たまに近江谷姉妹が協力して武器の評価試験や調整の手伝いをしている。

 

~その後~

・これに改良を重ね──搭乗者を霊子甲冑を単独でも動かせる者にすることで常時同調の維持という負担を無くした上で、霊力同調機能を改善することで近江谷姉妹レベルでの完全な同調でなくとも稼働可能とし──後々に霊子甲冑・双武が完成している。

・しかしこれはこれで問題のある未完成品だった。双武でも霊力同調の問題は相変わらず残っていたからである。

・双武の主機関は天武と同じ「三型」。その欠陥を解決するため都市エネルギーを調整する副操縦士を付けたのだが、今度はそのせいで搭乗者2人の霊力が高レベルで調和することが運用時の絶対条件となった。もし調和が乱れれば、精神崩壊や死亡の恐れがある危険をはらんでいる。

・それがネックになって双武も結局は正式採用にはならずお蔵入りになったが、帝都の一大事にそれを緊急的に運用して帝都の平和を守ることとなる。

 

 

◇アイゼンクライト・レニ機 ~白繍なずな仕様~(登場話:最終話 ─4─より)

・欧州星組で採用されたドイツのノイギーア社製霊子甲冑、アイゼンクライトの青色にカラーリングされたレニ=ミルヒシュトラーセ用のもの。

・それを京極慶吾が起こした乱の最終局面で、帝国華撃団の育成機関である乙女組に所属する白繍なずなに併せて調整したもの。

・アイゼンクライトは三基の霊子機関を背中にYの字に配置し、それを回転させて主稼働の切り替えを行うという複雑な機構を採用して高出力運転を可能にし、重装甲と高機動の両立と高い攻撃能力を持っている。

・欠点は先の複雑な機構のために整備性の悪さと、高い霊力と身体能力を搭乗者に要求するために“乗る者を選ぶ”機体になってしまっていること。

・最終決戦に際して天武の予備機については、これに乗っていたレニと織姫も整備性の面からロールアウト間もない光武・改が採用され、使用されないことが決まった。

・しかしミカサではなく地上部隊に於ける降魔兵器への対応は、霊子甲冑無しでは限界があり、現場からはその必要性が切実に訴えられていた。

・その状況で空いた、アイゼンクライトに天武開発の際に試験操縦者を務めてデータが十分にあった白繍なずなを搭乗させるのを、夢組錬金術班頭から提案され、「不測の事態があってもすぐに対応できるように」と花やしき支部直近という地域指定で許可が下りた。

・搭乗者に合わせた基本的な設定を本部で行った後、花やしき支部に輸送して微調整を行い、負担の大きいアイゼンクライトの負荷を少しでも下げようという努力がなされている。

・武装に関しては、レ二の使っていた槍は天武や予備機で使用するためにそちらへ回されたため、試作されていた武器から本人が錫杖を選び、また格闘及び遠距離攻撃用の投擲武器として金剛鈷を予備武器として装備した。

・2機のうちレニ機が採用されたのは、錬金術班頭は搭乗者に対して「織姫機だと本人に怒られるから」旨の説明していたが、実際には単独での戦闘が余儀なくされることと近接戦闘を得意とする搭乗者に配慮して、遠隔攻撃の織姫機ではなく、近距離直接攻撃仕様になっているレニ機を選んでいる。

・結果として、その高い防御力と機動性という性能のおかげで、訓練は受けていても霊子甲冑の戦闘に慣れていなかった搭乗者であっても激戦を無事に戦い抜いている。

・それでも、激しい戦いや本人のペース配分ミスもあったが、短期間で消耗してしまっていたのはアイゼンクライトの基本的な欠点である高い霊力を必要とされるせい。

・『武蔵』での最終決戦後は本来の搭乗者であるレニ用に設定を戻された。

 

~作者コメント~

・アイゼンクライトが残ってるはずなのに使わないのはもったいないというのと、「3外伝」に備えて、なずなをデビューさせておきたいという考えから引っ張り出しました。

・錫杖と金剛鈷の組み合わせは、『うしおととら』の法力僧から。

・アイゼンクライトの高い霊力出力は、彼女の展開する障壁結界──もともと夢組志望なので訓練をして得意にしていた──を強固なものとし、戦闘継続時間を延ばし、追従する夢組隊員達を守りました。

・ちなみに、このときのデータが参考になって、後の巴里華撃団では彼女用の霊子甲冑が用意されます。

・なおこのときは錫杖を武器にしたのですが、どこでどう間違えたのか、その武器は……

・ちなみに──錫杖と迷った試作武器の長弓はその後、巴里華撃団で光武F2の花火機に弓が採用された際にそのデータが使われました。

・花火にしてみれば入隊に際し「弓を使えます」と言ったら──光武Fではまったく感覚の違うクロスボウを用意されていた、というあんまりな扱い……

・花火が改めて弓矢を要望し、それに困ったシャノワールメカニックチームが、彼女の祖国である日本の帝国華撃団に「こんなこと言われたんですけど、なんか無いですか?」と相談したらそのデータを渡されたという経緯があった──という設定です。当外伝シリーズでは。

・たしか、2以降の話になる映画版ではアイゼンクライトが出てきた気がしたので、壊さずに設定も元に戻しました。

 

 

【魔操機兵】

◇宝形・改 (登場話:第3話 ─12─)

・せりを使った計略が失敗した“人形師”が梅里とせりを狙って持ち出した巨大魔操機兵。

・水狐の機体と比較すれば「妖力供給と操縦の外部化」されたのが一番の変化。その姿はまさに“人形師”の操り人形である。

・黒鬼会の五行衆の一人である水狐の魔操機兵、宝形が帝国華撃団に撃破され、その際に搭乗者の水狐も死んでしまったため、整備用の予備パーツが多数残された。

・半同型である土蜘蛛の八葉の予備パーツに回せるものも多かったのだが、その前に水狐の立場の後を継いだ“人形師”が全て回収している。

・それは自らの魔操機兵を与えられていない“人形師”が欲したため。彼は残された予備パーツだけで十分に機体を組み上げられることができるとわかっていた。

・しかし、それでは専用機なので水狐以外ではまともに動かすことができない。

・そこで操縦席内を改造したが──急作業だったために妖力の変換機が小型化されずにそのまま鎮座しており、人が乗れるスペースが無くなっていた。

・しかし“人形師”は自ら乗り込むことは考えていなかった(水狐が機体と運命を共にしたのを見ていて同じ轍を踏みたくないと考えたため)のでそれは問題とならず、自らの『妖力の糸』を接続することで機関への妖力供給をする仕様となった。

・また、動作や妖力を伝達するための機体内部にある経路も水狐専用に設計段階からカスタマイズされているために、末端にまで伝達するのには効率が悪かった。

・それを、やはり『妖力の糸』を四肢の要となる複数のパーツに接続し、直接に妖力と動作を送り込むことで意のままに操って、それを解消している。

・ただし──やはり水狐専用で設計・製造された機体を他の人が強引に操っていることは変わらないため、100%の実力は発揮できない。(そのため分身とかは使用不能)

・そのため「改」とは名付けられているが、“人形師”による強引な「改造」であり、性能的には「改良」ではなく「改悪」になってしまっている。『宝形・儡』とでも名付けるのが正しい。

・“人形師”は「切り札」と称していたが、その劣化のせいもあって梅里とせりの合体攻撃であっさり倒されてしまった。

 

◆陽鈷(ようこ) (登場話数:第4話─11─、─12─)

・黒鬼会の本拠地攻防戦で、後方を守る夢組に対して使用された巨大魔操機兵。

・搭乗者がコントロールしているわけではなく、全自動で標的を追跡し、自爆に巻き込む。

・元は五行衆の火車が使用した専用巨大魔操機兵、五鈷であり、浅草で敗れ去ったために生じた余剰補修パーツを、宝形同様に“人形師”が確保し、組み上げたもの。

・五鈷が赤であったのに対し、橙色となっている。

・以前の宝形・改が操り人形なら、こちらは茶運び人形。操縦を必要とせず、自動で標的の元へと向かう。

・しかし元が操縦者ありの設計のため自動では複雑な動きが不可能であり、敵に対して攻撃して当てるということができないという失敗作であった。

・そのため、相手の下へ行って自爆するという特攻兵器──いわば歩行型のミサイル──とすることで兵器としての価値を見いだした。

・自爆が攻撃手段であり、攻撃は当たる確率が低いため武装は無い。

・ただし爆発を大きくするために霊子核機関に匹敵するほど高出力の妖力併用型蒸気機関を装備。

・搭乗者は機体のコントロールはできず、その動きは完全に自動操縦。搭乗者に求められるのは純粋に動力機関を暴走させるための霊力(妖力)のみ。

・操縦席には“人形師”が施した神道術式を取り入れてアレンジされた陰陽術式が組み込まれ、彼の糸が作り出した繭に包まれたような状態で搭乗者から霊力(妖力)を吸い出している。

・搭乗者に選ばれたカーシャは、霊力属性が太陽である「陽属性」であったため、その爆発が最大規模で起これば小型の太陽──核兵器に匹敵するような威力になりかねなかった。

・最後は、夢組の結束によって捕縛結界で捕らえられ、遠見遥佳の『千里眼』で構造を分析されてハッチを破壊され、トラップが仕掛けられた術式の繭も、陰陽術に通じたしのぶと、せりの神道術式の知識によって解明され、結界内で梅里に解除され無力化される。

・ちなみに──戦闘中は黒鬼会側の者が誰も現れなかったために「陽鈷」と正式名称を呼ばれることがなかった。

・そのため華撃団側では名称が判明せず、仮の名として「改造五鈷」と呼ばれていた。

 

◇六道(りくどう) (登場話数:最終話─9─、─10─、─11─)

・“人形師”こと幸徳井 耀山が切り札とした魔操機兵。

・宝形・改のような遠隔操作型ではなく、れっきとした搭乗型。

・巨大魔操機兵同士を合体させているので、超巨大魔操機兵という区分になり、智拳の上に3種3対の腕をつけた八葉の上半身が乗る……といった外見になるので、実際にデカい。

・複数の腕が取り付け可能な八葉のボディをベースに、大日剣・宝形・闇神威の腕をそれぞれ一対ずつ取り付け、下半身は五鈷と智拳を合わせたものであり、6体のパーツを基に作成されたため六道と名付けられた。

・異なる魔操機兵のパーツの寄せ集めであり、妖力伝達経路等が無茶苦茶になっているが、搭乗者である耀山の妖力の糸によって強引に通している。

・それで分かるように、結構無茶をしている。

・ちなみに闇神威の腕は、鬼王機ではなく葵 叉丹機のもの。

・その破片を回収して以来、“人形師”は彼が渇望する『力』の象徴である巨大魔操機兵への執着が始まった。

・宝形と五鈷を予備パーツのみで組み上げる中で改造のノウハウを吸収した。

・パーツを手に入れたタイミングは以下の通り。

  八葉の頭部と胴体→黒鬼会本部での戦いで夢組が破壊したものを回収。

  闇神威→先述の通り、叉丹機のものを回収。

  大日剣→八葉と同じように黒鬼会本部の昇降機での戦いで花組が破壊した破片。

  宝形→自分が操った宝形・改の破片のリサイクルや、補修用パーツを流用。

  五鈷→浅草で花組が破壊した破片を回収。補修用パーツは陽鈷に回した。

  智拳→補修用パーツを流用。

・ちなみに下半身はメインが智拳で、五鈷は陽鈷にパーツを使ったので余剰品を智拳に取り付けている。

・というのも、智拳と木喰は大帝国劇場の真ん前で倒されたので破片回収が不可能であった。

・かつ最初に金剛と共に登場した際にレニに瞬殺されて撤退したという経緯があるために、他の五行衆に比べて補修を多く行っており、補修用パーツが少なかったという経緯があり、五鈷の補修用パーツを回している。

・智拳と五鈷は(宝形と八葉も)ほぼ同型機なので互換性があるが、やはり属性の関係で相性はよくない。

・操縦方法は“人形師”が自分の“糸”で部分部分を直接制御しており、宝形・改のそれとほぼ同じ。

・にも関わらず外からの外から操るのではなくわざわざ搭乗したのは、「最強の魔操機兵・六道の中こそもっとも安全」という認識から。

・宝形の時は、その前に宝形に乗っていた水狐が機体と運命を共にするのを見ており、宝形への信頼もなかったから。

・その性能はさすが六体の魔操機兵を合わせただけのことはある、というものだったのだが──梅里と心を通じさせたヒロインが完全同調して搭乗した光武・複座試験型の前に破れる。



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