スリザード・クラブ (蛇寮非魔法族出身者の会) (非魔法族)
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第1章
第1話 ふたりぼっちのスリザード・クラブ (1)シム・スオウ


「スリザード・クラブにようこそ、シミオン・スオウ君」

 

 背後で澄んだアルトボイスが響き、シムの心臓は跳ね上がった。2E教室には自分しかいなかったはずなのに、自分が教室に入ってから扉が開く音もしなかったはずなのに。魔法と分かってはいても、魔法を散々目にしても、心臓は慣れるものではないらしい。

 恐る恐る振り返ると、先ほどまで誰もいなかった空間にひとりの魔女が立っていた。彼女を見ると、シムの心臓は再び跳ね上がって一瞬止まり、胃のあたりに痺れを感じた。ただの生理現象であるのだが、これも魔法なのかと錯覚しそうになった。スリザリンに組分けされたことに起因する絶望がほとんど吹き飛んだ気さえした。

 

 

 ★

 

 

「スリザリン!」

 

 遡って九月一日の夜。夜空を模した天井をいだく、ホグワーツ魔法魔術学校の大広間。一年生シミオン・スオウの被る組分け帽子がようやく声を轟かせ、右端の長テーブルから歓声が爆発した。襟元が緑色のローブを着た集団だ。シムは自分のローブを見下ろした。先ほどまで黒かった襟元が不思議なことに緑色に染まり始めていた。これも魔法のなせる業なのか。本日何度目か分からない感嘆の息を漏らした。

 帽子を脱いで歩きだし、スリザリン寮のテーブルに着くころには、次の生徒ディーン・トーマスは既にグリフィンドールに組分けされていた。一年生のために空けられていた席は、既に多くが埋まっており、手前に少し残っているのみだった。

 体格の良い男子生徒が、自身の向かいの席を手で示し、座るように促した。シムは目礼し、腰掛けた。自分の席からは四寮すべてのテーブルが見え、左手には教師陣が並ぶ上座と、新入生が組分けされる様が見えた。まだ寮が決まらない生徒はわずかだった。リサ・ターピンがレイブンクロー、ロナルド・ウィーズリーがグリフィンドール、最後にブレーズ・ザビニがスリザリンに組分けされ、再びスリザリンのテーブルが歓喜に沸くうちに組分けの儀式は終了した。

 長い銀髪と髭をたたえた「老魔法使い」のイメージそのままの人物、今世紀最も偉大な賢者にしてホグワーツ魔法魔術学校校長アルバス・ダンブルドアが立ち上がる。校長が二言三言の挨拶を述べ終わると――文字通り「二言三言」であるその挨拶に、他のテーブルの生徒が喝采を送る一方でスリザリン生は鼻を鳴らしお義理程度の拍手を送った――宴が始まった。空の大皿に突如出現した食べ物に圧倒されながら、シムはローストビーフやヨークシャプディングなどを自分の皿に取り始めた。

 

「スリザリン生には珍しく、それなりに時間がかかったものだな。ロングボトムとやらほどではなかったが。どこの寮と迷っていた?」

 

 組分けが長くなるほど食事が始まるのが遅くなるから、それに対する嫌味なのだろうか。シムは一瞬身構えたが、上級生は単に軽い談笑のつもりのようだったので安心した。

 

「レイブンクローと迷っていたみたいです」

「フン。まあ悪くはない寮だな。もちろんスリザリンこそが最も秀でた寮ではあるが。歓迎しよう、シミオン・スオウ」

 

 彼は鼻を鳴らし、優雅ながら傲然とした調子で言った。口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。

 どうもこのテーブルに座る生徒たちは、他のテーブルの生徒たちとは雰囲気が異なるとシムは感じた。少し見渡した印象では、スリザリンの生徒は概ね三種類に分かれるようだ。一つ目は、労働とは無縁の上流階級(アッパークラス)の邸宅で育ったかのような――英国魔法界も階級社会なのかは分からないが――所作のいちいちに気品がある生徒たち。二つ目は、冷静で抜け目のない顔つきをした生徒たち。三つ目は、粗暴で残忍な顔つきをした生徒たち。向かいの上級生は、気品があり、抜け目がなさそうでもあり、残忍であるようにもみえた。この会話で軽率な発言は慎もうとシムは決めた。

 

「スオウ――英国の姓ではないね。見たところ君は、アジアの血を引いているの?」

 

 今度は左隣に座る女子生徒が、持ち上げたピッチャーから自らのゴブレッドに注ぎながら訊いた。ピッチャーには「魔女かぼちゃジュース」のラベルが張られていた。非魔法界のかぼちゃジュースと違うのかどうか気になった。

 

「ええ、まあ。祖父が日本の出身で。といっても、僕は生まれも育ちも英国ですけれど」

 

 ロンドン近郊の祖父の家で日本食が供されるときを除くと、シムは自身と日本との繋がりを感じる機会はあまりなかった。

 

「日本か。確か日本には……マホウトコロという魔法学校があったな。マホウトコロについて聞いてもいいか?」

 

 向かいに座っていた上級生が再びシムに問いかけた。マホウトコロ。極東にも同じような魔法学校があることにシムは驚いた。

 

「えっと……日本にそんなのがあるんですね。初めて知りましたよ。僕の知る限り、祖父はふつうの学校、マグルの学校の出身だったと思います。父も祖母もですが」

                

 一瞬の沈黙が降りた。

 

「ああ、そうだったか。無礼な質問を許してくれ。なに、スリザリンには半純血の生徒も沢山いる。純血も半純血も同じスリザリンの家族だ、気にすることはない」

 

 上級生はそれ以上問い詰めようとはしなかったが、右に数席離れた少年から気だるげな声が上がった。

 

「『()()()()()()』?君の母君はホグワーツの出身なんだろう?」

 

 青白い顔をした、顎の尖った少年だった。組分けで帽子を被るか被らないかのうちに、スリザリンに組分けされた新入生だ。名はマルフォイといったか。顔立ちは幼いものの、貴族の雰囲気を身にまとっていた。ホグワーツに来て二時間も経っていないというのに、不思議と周囲の上級生から恭しい扱いを受けているようにも見えた。

 シムは、この質問に対して何となしに違和感を覚えつつも、嘘をつくことはないと思い、正直に答えることにしてしまった。シムは魔法界で育たなかった。それゆえ英国魔法界におけるひとつの大事な常識を知らなかった。それは――

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ホグワーツなんて名前は副校長先生から初めて聞いた」

 

 ――魔法界ではマグル差別は根強く、そしてとりわけ血統を重視するスリザリン寮では、マグル生まれは侮蔑され排斥されるということをだ。

 

 シムの周囲で沈黙が水を打ったように広がった。空気が突如張り詰め、囁き声が湧きあがる。

 

 マグルがスリザリンにくるのかよ――この寮は清潔だと父上がおっしゃっていたのに――残念ながらたまに出るんだよ――奴だけだと思ってたが――何年ぶりだ――?

 

 シムは頭から血の気が引いてゆくのを感じた。体がこわばる。シムがたとえどれだけ鈍感だったとしても、自分がいま特大の地雷を踏みぬいたと気づかないわけにはいかなかった。

 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店でぱらぱら読んだ本で、四寮の特質には知っていたつもりだった。「――スリザリン。偉大なる魔法使いマーリンが所属していた寮。機知・大望・決断力・自己防衛・血統などの特質を尊ぶ。この寮の者は野心を抱き力を求める傾向にある。偉業をなす者が多い一方、悪名を轟かせる者も多い――」

 生来慎重なシムは、初めて飛び込む魔法の世界について入念な下調べをしなければと思いもする一方で、しかし余分な前情報を仕入れず新鮮な心持ちでホグワーツを見聞きしたいという思いも強かった。そうしてスリザリンについてそれ以上の情報を得ようとはしなかった。

 シムがもし事前に「ホグワーツの歴史」を読んでさえいれば、期待で前夜寝付けなかったがためにホグワーツ特急で眠り込むなどという失敗さえしなければ、目を覚ました後に乗り合わせた少年ともっとホグワーツについて話してさえいれば、組分け帽子の歌が違っていれば――あるいはもう少し、慎重な返事ができたかもしれない。一般的な11歳の少年と同じ程度に両親を愛しているシムには、親が魔法族である嘘偽りは吐けなかったであろうが、それでも少しはスリザリンらしく狡猾なかわし方ができたかもしれない。いや、ここまで拒絶されるとわかっていれば、そもそも組分け帽子がスリザリンを勧めた段階で、もっと激しく拒否をしたに違いない。

 マルフォイ少年は、侮蔑と嫌悪の色を顔に浮かべていた。向かいに座っていた上級生はもう笑っていなかった。

 

「ああ。なんというべきか――。残念だが、お前は、スリザリンでは、歓迎されない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして上級生は、あからさまに顔をそむけ、横の生徒と会話を始めた。「監督生」のバッジを胸につけた女子生徒がたしなめた。

 

「新入生歓迎会で、そのような言葉はやめなさい、フリント」

「おや。スリザリンの監督生ともあろう人が、『血を裏切る』のですか?ファーレイさん』

 

 マルフォイが尊大な口調で言った。ファーレイと呼ばれた監督生の女子生徒はため息をつく。

 

「私は監督生として、スリザリンに組分けされた新入生はみんな、面倒を見る義務がある。組分け帽子が認めた以上は、みんな同じスリザリン生でしょ。同じスリザリン同士で溝を作ってもしょうがないよ」

 

 そしてファーレイはシムの方を見た。「まあ、なんというか――ご愁傷様ね。また後でね」

 

 ファーレイは申し訳なさそうな目つきをしたが、特にそれ以上シムに話しかけることはしなかった。シムの体は硬直から解けたが、焦りと混乱で相変わらずうまく物を考えられなかった。無意味な言葉が脳をめぐる。

 なにしろ魔法界に初めて飛び込むのだ。途中で何か大失敗をして学校生活がどん底に落ち込む悲観的な想像をしないではなかった。しかし学校に来て初日に、自分にどうにもならない属性のせいで、ここまであからさまに冷遇されるとは、さすがに想定していなかった。テーブルの左端から順に辺りを見回していった。目が合った生徒はみな、軽蔑の眼差しを返すか気まずそうに視線をそらした。絶望が増すのを感じながらテーブルの右端まで視線を移したとき、最も端に座るひとりの女子生徒が自分を見つめていることに気づいた。

 

 緑の眼をした長い黒髪の女子生徒だった。遠く離れていたためほとんど顔の造形を認識できなかったが、それでもシムは彼女をしばし見つめてしまった。少女の顔から笑みがこぼれたかと思うと、彼女は目をそらして食事に戻った。シムは慌てて我に返り目線を外した。なぜかその女子生徒の周囲には生徒がおらず、隣の生徒とは二席ほど距離が離れていた。とはいえ、ただの孤立の一語では表現できない、独特の堂々とした空気が彼女の周りに漂っているようにも思えた。

 シムはその後、何か周りの生徒から侮辱や罵倒をされることはなく、単にいないものとして扱われた。味のしない晩餐を噛みしめているうちに、再び校長が立ち上がって注意事項を述べ――立ち入ると死ぬ廊下があるなど言われた気もしたが、回らない頭の聞き間違いだろうか――、旋律もリズムも定まらない校歌を歌って解散となった。がやがやした騒音の中で、女子の監督生・ファーレイが杖を自らの喉にあて呪文を唱えた。そしてマイクを使っているかのような音量で彼女は声を張り上げた。

 

「一年生!座って待っていなさい。上級生があらかた出たらスリザリン寮に案内するから、見失わないようについていくこと」

 

 ファーレイの所作や言葉のアクセントは上流階級のそれではなかったが、しかしスリザリン寮をまとめるにふさわしいだけの統率力と威厳を備えているように見えた。ファーレイは肩まで伸びた茶色い髪と鋭い目をした少女だった。他の寮生とスリザリンの上級生がほとんど大広間から消え、静寂が戻りつつある頃に、ファーレイは再び声を張り上げ先導し始めた。大広間から出て、階段を降りながらファーレイは話す。

 

「スリザリンとハッフルパフの寮は地下にあります。……地下?と最初は思うかもしれないけど、グリフィンドールやレイブンクローみたいに食事のたびに塔のてっぺんを昇り降りする必要がなくてラクだし、風の音もうるさくないし、夏の陽射しも暑くないし、良いものだよ。まあ冬は正直寒いけど、寮の中は暖かいから」

 

 まだ九月であるが、地下の廊下はひんやりしていた。剥き出しの石の壁が並び、あまり気味の良い雰囲気ではなかった。角を何度か曲がったが、翌日に大広間から迷わずたどりつける自信もシムにはなかった。

 

「どの寮も、他の寮生には分からないように入口が隠されていてね」

 

 そしてファーレイは廊下の突き当りで止まった。一見何の変哲もない石壁だった。

 

「ここが、スリザリン寮の入口。この壁に石の扉が隠されていて、合言葉を唱えれば開くの。合言葉は二週間に一度変わるから、掲示を見逃さないこと。他の寮生に教えることも禁止ね。……スリザリンのねぐらに間抜けに入ってゆく生徒がいるかはともかくとしてね」ファーレイは石壁に向き直り叫んだ。

 

大志を抱け(Be ambitious)!」

 

 すると石壁がするする開き、緑の光とともに部屋が姿を現した。

 長い荘厳な部屋だった。壁や天井は粗削りの石でできていたが、暖炉や椅子やあちこちに手の込んだ彫刻が施されていた。緑のランプと銀のランプがいくつも垂れ下がり、幻想的に室内を照らしている。上級生がまばらに何人か座ってこちらを見定めている。

 

「ここが談話室。スリザリン生達が共に語ったり学んだり遊んだりする場ね。奥に見えるあちこちの扉は共同寝室。もうそれぞれのトランクが届いてるはず」ファーレイは一年生全員を見回し、息を吸った。

 

「それでは改めて、おめでとう!私は監督生のジェマ・ファーレイ、スリザリン寮に心から歓迎します。スリザリンの紋章は最も賢い生物たる蛇、寮の色はエメラルドグリーンと銀。ここの談話室の窓はホグワーツ湖の水中に面しているのが分かるかな。神秘的な沈没船みたいな趣で良いでしょう?」

 

「さて、スリザリンについて知っておくべきことがいくつかと、忘れるべきことがいくつかあります。」

 

「まず、いくつかの誤解を解いておきましょう。もしかするとスリザリン寮に関する噂を聞いたことがあるかもしれないね。たとえば、全員闇の魔術にのめり込んでいるとか、先祖が有名な魔法使いでないと口をきいてもらえないとか、その手のやつ。確かに、スリザリンが闇の魔法使いを出したことは否定しないけど、それは他の3つの寮だって同じこと。他の寮はそれを認めないだけなの。それに、伝統的に代々魔法使いの家系の生徒を多く取ってきたのも本当だけど、最近では片親がマグルという生徒も大勢いるの」

 

 周囲の何人かがシムに視線を向けた。シムは努めて何でもないようなそぶりでファーレイを見続けた。ファーレイは、かの偉大なるマーリンがスリザリン出身であることと、スリザリンは名誉と伝統を重んじ、常に勝利をめざす寮だということ、スリザリンの評判と悪評について話した。

 

「まあ、ワルっぽい評判というのも楽しいものだよ。実際どうかはともかくとして、ありとあらゆる呪いを知っていると思わせるような態度を取れば、誰がスリザリン生の筆箱を盗もうなんて思う?」

 

 ファーレイの口元に浮かんだ凄絶な笑みを目にし、思わせるような態度ではなく、実際に多くの呪いを知っているのではないか、そして使うことが正当化される場面で実際に使うことに躊躇いがないのではないかとシムには思えた。

 

「でも私たちは悪人ではない。私たちは紋章と同じ、蛇なの。洗練されていて、強くて、そして誤解されやすい。」

 

 ファーレイの口調は、スリザリン寮に対する誇りであふれていた。

 

「たとえば、スリザリンは仲間の面倒を見るけど、これはレイブンクローだったら考えられないこと。あのガリ勉集団は、自分の成績のためなら互いを蹴落とすような連中だからね。でもスリザリンでは皆がきょうだい。グリフィンドールが廊下で攻撃してこようとも、仲間といれば心配ないわ。あなたが蛇になったということは、私たちの一員になったということ。つまり、エリートの一員。」

 

 その「私たち」の一員にシムは入っているのだろうか。ファーレイは頷いてくれるかもしれないが、おおかたのスリザリン生は違うだろう。

 

「だってサラザール・スリザリンが、彼の選ばれし生徒に何を求めていたか知ってる? 偉大なる者の種なの。あなたがこの寮に選ばれたのは、文字どおり偉大になる可能性があるから。もしかすると、周りにとても全く特別でなさそうな人がいるかもしれない。でも、組分け帽子がこの寮に入れたということは、何かしら偉大な部分があるということなんだから、それを忘れないように」

 

「まあ、こんなところかな。ホグワーツに来たばかりで昂っているかもしれないけど、きっとよく眠れるよ。湖の水が窓に打ち寄せるのを聞いているととても落ち着くから。――長くなったけど、ご清聴ありがとう」

 

 ファーレイは一礼をし、次いで周囲から拍手が起こった。

 

「ちょうど寮監のスネイプ先生が来たみたいだし、スネイプ先生からもひとこといただきます」

 

 いつの間に音もなく現れたのだろうか、ひとりの男が立っていた。長い脂ぎった黒髪、鉤鼻、虚ろで冷たい目、土気色の顔をした陰気な男だった。新入生たちの間に緊張が走った。この男に逆らうことは許されないと、本能的に感じさせられた。

 なぜこの人物が教師をやっているのだろうとシムは思った。偏見かもしれないが、子供が好きなタイプにも、教えるのが好きなタイプにも思えない。控え目にいっても、教師よりは暗殺者の方が向いてそうである。

 男は呟くような調子で挨拶を始めたが、言葉を発する者は誰もいなかったため、細部を聞き漏らすことは起こりえなかった。

 

「寮監のセブルス・スネイプだ。諸君がスリザリンに来たことを改めて歓迎する。ファーレイが述べた通り、我がスリザリンは他寮のウスノロどもよりはマシな生徒が多いと請合おう。諸君が望むのならば、有意義な七年間をこの寮で送れるだろう。寮対抗杯も六年連続で獲得しているが、今年度もスリザリンらしく団結し勝利に邁進したまえ。反対に、スリザリンの名を汚す行動をとる者がいれば――我輩の不興を被ることになる」

 

 寮監は睨みながら生徒たちを見回した。多くの生徒が恐れから首をすくめた。

 

「我輩の受け持つ魔法薬学のクラスは金曜日にある。その時にまた会うこととしよう」

 

 そしてすぐにマントを翻し、一年生の反応を窺うこともなく寮監は去っていった。ジェマが後ろ姿に「ありがとうございました」と声をかけ、生徒たちの緊張が解けた。一年生はそれぞれ寝室へと送られた。銀のランプに照らされた静かな部屋で、緑の絹の掛け布がついた四本柱のベッドが五つ並んでいた。

 シムはなんとなく、この部屋に集められた生徒たちは「純血」の名家出身ではないような気がした。だが彼らは特にシムに話しかけることはなく、着替えて寝入った。明日以降の生活に思いを馳せて憂鬱になりながら、シムもベッドにもぐりこんだ。

 

 翌朝、予想と違わぬ学校生活が幕を開けた。スリザリンの一年生の間では、既に明確な序列が出来上がっているようだった。その頂点の一角がドラコ・マルフォイで、彼は王族であるかのように我が物顔でふるまっていた。そしてシムは序列から外れた不可触民(アンタッチャブル)だった。幸い暴力や直接の暴言などはなかったが(それも時間の問題かもしれない)、彼らからはただいないものとして扱われた。家柄の良くない生徒たちは、ときおりシムの存在を意識して気まずそうな目を向けるものの、自分の立場を危うくしないためかやはり話しかけるということはなかった。シムの方も、敢えて彼らに話す勇気は湧かなかった。

 とはいえ夕食になるまでは、複雑怪奇なホグワーツ城を四苦八苦しながら移動し、授業の内容を詰め込むだけで精一杯だったので、余計な事を気にせずに済んだ。

 夕食を終え、改めて自分の置かれた状況を認識して気が重くなりながら廊下を一人で歩いていると、途中でシムはふと立ち止まった。

 自分の目の前に、四つ折りにされた紙が一枚浮いていた。それも、魔法界の教科書で用いられる羊皮紙ではなく、マグルの世界で散々目にしてきた白い西洋紙であった。不思議に思いシムが手を伸ばすと、その手に向かって紙が飛び込み、自然に開いた。紙には大人びた達筆な字が滑らかに躍っていた。

 

 Mr.シミオン・スオウ

入学おめでとう。そしてスリザリン寮に入寮おめでとう――とは手放しには書き辛い。身をもって体験したように、君のような非魔法族出身の者は、スリザリンではきわめてマイノリティで、きわめて難しい立場にある。寮の結束を重んじるスリザリン寮にあって、唯一の異端といっても良い。

 そこで、スリザリンでは代々、非魔法族出身者が結成する、自己防衛のための互助組織「スリザード・クラブ」がある。君が望むなら、スリザード・クラブはいかなる協力も惜しまない。あす火曜の夜七時、三階の2E教室に来てほしい。他の生徒に、とりわけスリザリン生には、見られないように注意すること(ホグワーツ城で未知の場所にたどり着く最短経路は、言うまでもなく「尋ねる」ことだ。三階の貴婦人の肖像画が快く教えてくれるだろう)。2E教室は鍵がかかっているが、扉の前で合言葉「ワールド・ワイド・ウェブ」を唱えれば開く。健闘を祈る。

 スリザードクラブ代表 S・S

 

 署名の横には、直立するトカゲのシルエットが描かれていた。手紙を最後まで読み終えると、トカゲのシルエットが首をもたげ、口を大きく開けた。シムはぎょっとして声をあげそうになった。魔法界では写真の人物が動くのだから、手紙の文字や絵も動くのは当然なのか。シムが認識を改めているうちに、つづいて手紙の文字が滑り出し、大きく開けたトカゲの口をめがけて次々に飛び込んでいった。トカゲは口を閉じ、咀嚼するかの如くもごもごと顎を動かすと、すっと消えた。紙には一切のインクのしみなく、ただ「夜七時 2E ワールド・ワイド・ウェブ」の字が残されたのみであった。

 

 シムはしばらく白い紙を見つめた。思い返せば、自分がスリザリン初のマグル生まれだとは言われていなかった。自身と同じ境遇の生徒達がいて、助けの手を差し伸べてくれるとは。辺りを見回しても、人影は何もなかった。この消える手紙を書いて送り届けた人物は、高度な魔法を――少なくとも一年生用の教科書を読み流したシムに方法が思いつかない程度には高度な魔法を――きちんと使えるらしい。立ち込める陰鬱な雲を裂いて、一筋の希望の光が差した心持ちになった。

 いや、これは虐めの罠で、のこのこ向かったシムを大勢が待ち伏せしてるのではないか。そんな一抹の不安も覚えたが、しかし手の込んだ罠であるにせよ、状況が既にどん底である以上これ以上悪くなりようがないだろうとシムは思い直し、紙を畳んで鞄に仕舞った。翌日、一日の授業が終わり、夕食を急いで済ませると、周囲に警戒しつつ2E教室に向かうことにした。

 肖像画に教えてもらった道のりは複雑だった。一旦四階まであがり(「禁じられた廊下」に出くわさないかと怖くなった)、丁寧にお辞儀をしないと開かない扉をくぐり、階段を降り、途中の踊り場で止まり、右手の壁を叩き、出てきたドアノブを回して隠し扉を開け、階段を降り、ようやく辿り着いた通路の奥に2E教室が見えた。ほっと溜息をついて腕時計を確認した。6時50分。少し早いが、先に待っていても構わないだろう。扉の前で「ワールド・ワイド・ウェブ」と合言葉を唱えた。

 

 室内にはまだ誰もいなかった。通っていたマグルの小学校の教室を思い出す、やけに簡素で現代的な教室だった。この二日間でシムが見てきた、城の雰囲気と違わぬ荘厳で中世的な石作りの教室とは趣が大きく異なっていた。こじんまりした室内に、木の机と椅子が数十個、そして黒板と窓。黒板の枠も窓の枠も、意匠の凝った装飾などはない。

 ホグワーツ城に似つかわしくない空気に、懐かしさとともに空恐ろしさを覚えてたたずんでいると、

 

「スリザード・クラブにようこそ、シミオン・スオウ君。」

 

 背後で澄んだアルトボイスが響き、シムの心臓は跳ね上がった。2E教室には自分しかいなかったはずなのに、自分が教室に入ってから扉が開く音もしなかったはずなのに。魔法と分かってはいても、魔法を散々目にしても、心臓は慣れるものではないらしい。

 恐る恐る振り返ると、先ほどまで誰もいなかった空間にひとりの魔女が立っていた。彼女を見ると、シムの心臓は再び跳ね上がって一瞬止まり、胃のあたりに痺れを感じた。ただの生理現象であるのだが、これも魔法なのかと錯覚しそうになった。

 

 長い黒髪と緑の眼の、大人びた背の高い女子生徒だった。組分け後の晩餐でシムを見つめてきた生徒であった。長テーブルの端で遠目で見ただけでも危うかったが、改めて近くで彼女を見ると、これはもうかなわなかった。

 彼女の風貌とたたずまいは、どこまでも涼やかであり、理智的であり、慎ましげであり、密やかに生きることを好むようであり、しかし大いなる野心を秘めてそうでもあり、そのための力と自信を持っているようにも見えた。冷静で抜け目無さそうであるか、優雅で貴族的であるか、残忍で粗暴そうであるか、おおむね三種類に分かれるスリザリン生の風貌に目の前の少女を無理に当てはめるならば一番目にあたるであろうが、しかし並の生徒の枠に収まるものではなかった。彼女をひとことで形容すれば、「魔女」と呼ぶのが相応しいだろう。ローブがここまで似合う神秘的な生徒は、ここまで魔女らしい生徒は他にいないに違いない。

 

 つまるところ、目の前の魔女の引力に抗うには、まだ十一歳のシムはいささか幼すぎた。いや、たとえ年月を重ね他の女性との交流を重ねたとしても、この魔女も成長してゆく以上は、やはりかなわないのかもしれない。

 ぽかんと口を開けていると、魔女はくつくつと悪戯めいて笑った。慌ててシムは口を閉じた。

 

「すまない。驚かせるつもりだったんだ。魔法をまだ見慣れてない新入生をついからかいたくなってしまうものでね――」

「私はセラ・ストーリー。スリザリンの四年生で、非魔法族の出身だ。来てくれて嬉しいよ。無事にここまで辿り着いて良かった」

 

 セラは右手を差し出した。指は細く長かった。手を握り返し、その冷たさにどきりとしながらシムは答えた。

 

「シム・スオウです。こちらこそ招待くださりありがとうございます。よろしくお願いします」

「よろしくね。初対面だし、いろいろと世間話をして親睦を深めたいところではあるけど、なにせ門限まで時間がたっぷりあるわけではないからね。大事なことから話していこうか」

 

 そしてセラは語り始めた。

 

 




セラ・ストーリー:
Sから始まる姓名でしっくり来る組み合わせを選んだ後に、イギリスのスポーツ選手にサラ・ストーリー(Sarah Storey)という方がいると知りました。特に関係はありません。

ローブ:
組分け時に部分的に寮の色に変わるオリジナル設定。普通の学校の制服ぽい映画のデザインも好きですが、かなり魔法使いチックな原作のデザインも良いですよね。原作だと生徒の寮をどうやって判別するのか気になりますが。

組分け帽子の歌:
一年次は純血について触れていませんが、五年次は「祖先が純血ならば良し」と思い切り歌い上げてますね。

ジェマ・ファーレイ:
Pottermoreでスリザリンに組分けされたときに歓迎してくれるらしい監督生。少し短くしましたが、挨拶の全文はジェマ・ファーレイでググるとでてきます。スリザリンの特質を十全に備えた模範生のイメージ。学年はわかりませんが、グリフィンドールのあいさつはパーシーがやっているので、パーシーと同じ五年生の設定。


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第1話 ふたりぼっちのスリザード・クラブ (2)セラ・ストーリー

「スリザード・クラブについて話そう。魔法族の血にこだわり非魔法族を侮蔑する思想が幅を利かせるスリザリンでは、私たちみたいに非魔法族の両親から生まれた生徒は、ありていにいえば人権が保証されてなくて――『人権』の概念がそもそも魔法界にない気がするけど――私たちは存在しないものとして扱われるか、あらゆる攻撃にさらされる危険がある。魔法界に来て早速で悪いけれど、覚悟を決めて身を護る術を身につけないと、比喩ではなしに身が危ないんだ」

 

「ただでさえホグワーツ新入生は、みっちり詰め込まれる授業と、複雑怪奇なホグワーツ城に慣れるだけで精一杯だ。これは家庭で幼いころから魔法の訓練を受けていた、一部のスリザリン生も例外じゃない。それに加えて、非魔法族出身の子供にとっては――たかが数ヶ月前に魔法界のことを知ったばかりの子供にとっては、そもそも魔法界の常識や文化をほとんど知らないハンディがあるんだ。他の寮であれば、同級生や上級生の手助けで自然となんとかなるものだけど、この寮は見ての通り……」

 

「そういうわけで、まずは身を護る術を訓練し、魔法界のいろはを叩き込み、ホグワーツの歩き方を教え、そして共に学び魔法の訓練に励み助け合う、それがスリザードクラブだ」

 

「私たちは、(スリザリン)のようであって蛇の仲間には入れない、中途半端なトカゲ(リザード)だ。そして蛇である以上は獅子(グリフィンドール)(レイブンクロー)穴熊(ハッフルパフ)に歓迎されない。だから生き延びる道は二つに一つ。手足をもいで蛇のふりしてひっそり生きるか――蛇を歯牙にもかけない力をつけて、二足で直立して堂々と生きるか」

 

「つまり、魔法族の血が混ざっているふりをして害をなされないように生きるか、徹底的に研鑽を積んで害をなされないようにして、胸を張って非魔法族出身のスリザリン生として生きるか、どちらかだ。スリザード・クラブの人々は、後者を選んだ。私も、後者を選んだ」

 

「君は歓迎会での一件があった以上、もう蛇のふりをして生きることはできないけれど――仕方なしにではなく、前向きな気分で、わたしたち(スリザード)のなかまになってみない?」

 

 セラの堂々たる演説がそこでいったん止まった。セラはシムの目をまっすぐ見つめる。マグルの学校の教室に似たこの空間は、彼女のローブ姿を不自然なものにしてはいなかった。あまりに魔女然とした姿に、シムは思わずうつむいて自分の体を見やった。一年間のうちの成長を見越して、若干大きめにあつらえてあるローブ。出来の悪いハロウィンの仮装大会のようだ。ハロウィンの仮装大会とは違い、今後魔法界のファッションが変わらない限り、死ぬまで着続けることになるのだが。

 

 シムは再びセラに目を戻した。言われるまでもなく、シムの心は決まっていた。

 

「お願いします」

 

 セラは顔を緩めた。

 

「よし。改めてよろしくね」

「はい。――ところで、スリザード・クラブには何人いるんですか?」

「……まだ言っていなかったね。実は、今は私一人だけなんだ」

「……スリザリン全体の中に、ストーリーさん一人だけですか……?」

「そもそも私たちみたいな生まれは、本来スリザリンに組分けされるはずもないんだ。数年に一人のレベルでは出るけど、それでも多いくらいだ」

「それじゃ、去年までは誰かいたのですか?」

「私が一年のときは、七年生に二人いたけどね。それだけだ」

「……」

「私が入っていなければ、スリザード・クラブも終わりだった。6年ぶりに入ってきた仲間ということで、二人にはよく可愛がってもらえた。進路にかかわるNEWT(いもり)試験への準備や就職活動で忙しいだろうに、本当に色々なことを教えてくれたし、本当に厳しく鍛えてくれた。魔法使いとしての生き方を示してくれた。どこまでも優秀な魔法使いだった。シーナもソフィアも……二人には感謝してもしきれない」

「六月には、二人とも華々しい成績を抱いてホグワーツから羽ばたいていった。二年生になった。私は独りになった」

「……」

「この一年を乗り切れば。そう思って三年生になった。非魔法族の生まれは誰も、入ってこなかった」

「……」

「そうして四年になった。ようやくだ。ようやく……」

「だから――そうだな、私にとっては、君がスリザリンに来てくれたのは、まったくの僥倖だった。白状すると、君が堂々と全スリザリンの前で自分の生まれを明かしてつまはじきにされたとき――私は弾けるばかりの笑顔になった。なかま(スリザード)が増えたと。このうえなく幸福な気分で、君の不幸を喜んだのさ。結局私は、どこまでも利己的なスリザリンなわけだ」

 

 セラの感傷的な顔を、シムは直視できなかった。

 

「…………逆の立場だったら、僕も同じことを考えたと思います。なんとも、お疲れ様です……」

「それに、本当に利己的な人なら、わざわざ露悪的になってそんなことを言わないでしょう」

 

 セラはふっと笑った。

 

「それではスリザリンではやってけないよ。『本当に利己的な人なら、わざわざ露悪的になってそんなことを言わない』と思わせているだけかもしれないじゃないか。私みたいな、偽悪者のふりをする偽善者を見抜けるようにならないと」

 

 あえてそのようなことを言うあたり、「偽悪者のふりをする偽善者」のふりをしたい偽悪者なのではないかとシムには思えたが、話が堂々巡りになるので辞めておいた。そしてシムは同時に、本来では関わりを持てるかどうか定かでないセラという少女に、自分の存在が無条件に感謝され、なかまだと見なされていることは、セラの境遇の理不尽な不幸によるものにすぎないことに思い至り、セラの不幸を喜んでいる自分を発見した。この内面が利己的なスリザリンというやつなのだろうか。

 

「とにかく、大げさにクラブとはいっても、私と君だけなんだよね。勧誘しようにも、勧誘しようがないし。もちろん私と関わるのが正直気まずかったり不愉快だったりすることがあったら、控えるけれど」

 

 不愉快であるはずがない。過ぎた謙遜は傲慢ですらある。自覚していないのか、自覚した上で言っているのか分からないが、いずれにしても恐ろしい。あるいは自寮で数年冷遇されれば、無理からぬことなのかもしれない。

 

「そんなことはないです。むしろストーリーさんこそ、僕みたいな人間の面倒を見るのが嫌とかでなければ、喜んで」

 

 慎重に、しかし本心を隠すことはなくシムは答えた。

 

「私としては、こうやって新入生に先輩風ふかせて大人ぶるのは楽しいしね。歓迎だよ」

 

 セラはいちいち予防線を張って照れ隠しをする癖があるらしいとシムは気づいた。

 

「あと、ストーリーさんだなんて長いからね。まだ会ったばかりだけれど、よければセラと呼んでくれ」

「わかりました。僕もシムと呼んでください。――ところで……」

 

 シムは口ごもった。

 

「ちょっと恥ずかしいですけど、まだ僕は魔法界についての常識が全然なくて。そもそもスリザリンがなんでマグル生まれの生徒をこんなに冷遇するのかについて、純血だとかなんだとかについて、きちんと分かっていなくて。……今更ですみませんが、良ければ、色々と教えてくれませんか」

 

 セラは押し黙った。

 

「……そうか、ごめん。まずはそこから説明しないといけなかった。ちょっと待ってね……さっき長々と格好つけて話したのが、色々と恥ずかしくなってきたから」

 

 セラは後ろを向いて右手を顔に当ててしばし固まった。

 

 

 ★

 

 

「私も君もほんの生まれたばかりだったから分からなかったけど、十三年前まで、かなり悲惨な事件や事故が相次いでいたそうでね……。魔法界は陰惨な内戦状態にあったわけだ。いや、もっと前からの話をしよう」

 

 セラはシムに向き直り、かいつまんで魔法界の最近の情勢と歴史について話し始めた。

 ホグワーツの創設と、純血主義について。スリザリン卿の離反について。魔法族が歴史の表舞台から姿を消した、国際機密保持法の制定について。「ヴォルデモート卿」を自称して暴虐をふるい、「名前を言ってはいけないあの人」「例のあの人」とまで恐れられた、最悪の闇の魔法使いについて。その「例のあの人」の信奉者「死喰い人」と、スリザリン寮の関係について。「例のあの人」と戦った世界最強の魔法使いアルバス・ダンブルドア校長と、「例のあの人」を齢一歳にして打ち破った、「生き残った男の子」ハリー・ポッターについて。そしてマグル生まれの差別とスリザリンについて。半純血だけでなく、マグル生まれの生徒も、ごくまれにスリザリンに組分けされるということについて。

 ホグワーツに来る前に教科書や本からある程度知識を仕入れていたとはいえ、その情報の濃密さと荒唐無稽さに混乱させられた。セラが語り終えたあと、シムはしばし閉口した。

 

「……いろいろ言いたいことはありますが……。この国のパブリックスクールでたとえるなら、寮に白人至上主義過激団体の根城が一つ混じっていて、しかもそこには白人だけでなく、有色人種が気まぐれでぶち込まれるということでしょう?控え目に言って、狂っているのではないでしょうか」

 

 やっと紡ぎだせた言葉は、そのようなものだった。

 

「ああ、もちろんスリザリン生のすべてが『死喰い人』の子どもで非魔法族出身者(わたしたち)の殺戮を望んでいるというわけではもちろんない。それは大きな誤解だ。犯罪者にならない卒業生のほうが多いだろう。……ただ、公の建前では相応しくないものとされている純血主義が、上流階級が集まる保守的なスリザリン寮ではまだまだ根強いのは、君も身に染みて分かった通りだけどね。たしかに非魔法界の人種差別の問題と近いものがありそうだ」

 

「今すぐ他の寮に移籍できませんか」

 

「他の寮に移籍できるなら――」

 

 セラが言葉を切った。

 

「私が今、ここにいると思う?」

「……そうですね。……それにしても、テロリストのメンバーの多くが捕まっていないというのも凄い話ですが、彼らはよく自分の子供をホグワーツに通わせますね。ホグワーツ校長は、『例のあの人』のレジスタンスのリーダーだったんですよね?」

「魔法界は異常に狭いからね。英国の魔法学校はホグワーツ以外に存在しないから、英国とアイルランドの若者は、ホグワーツに通うか海外の魔法学校に行くか、さもなければ家庭で学習するしかないんだよ。非魔法界なら、生まれやら経済力やら学力やらで、進学してゆくにつれ似た層が固まってゆくものだし、そもそも高等教育は受けない人が多いけれど、魔法界では一貫してひとつの学校で最後まで教育を受けるわけだからね。ドロップアウトする生徒もほとんどいない。貴族の子息も貧しい家庭の子も、天才も愚人も、聖人も悪人も、英国中の若者が一堂に会する、カオスきわまりない空間なわけだ」

 

 英国中のあらゆる境遇の若者が七年間をともに同じ学校で過ごす。非魔法界に置き換えて想像してみようとしたが、どうにも思い描けなかった。

 

「しかも、十一歳の子供を、まだ無限の可能性を秘めてるはずの子供を、組分け帽子がたった四つの枠に押し込めてしまう。人がたった四種類のステレオタイプに縛られるはずもないのに、その四種類に分かれた子供は、実際にその枠に当てはまるように自己暗示してしまう。組分けされるのではなく自分で組分けしてしまう。――私もそうだけどね。スリザリンであることを拒否するより、スリザリンなんて属性を気にしないより、スリザリンであると自己規定するほうが気楽だ」

 

 セラは自嘲の表情を浮かべた。

 

「しかし、千年前から続く純血思想ですか……。もう20世紀も終わるというのに……」

「最近の非魔法界もあちこちで似たようなことが起こっているとは思うけど、英国魔法界の社会や文化が中近世で止まっているというのは全く同意だよ」

「羊皮紙と羽根ペンには驚きましたよ。――ただ、魔法族の血が薄くなるという恐怖は理解できる部分もありますね。物語だと、主人公の血筋が良いのは定番ですが、やっぱり魔法族の血が濃いほど魔法の力が強いものですか?」

「なんともいえないけれど、英国魔法界では当てはまらないように思う。たとえば、今世紀最大最強の魔法使いと言われる、ホグワーツ校長ダンブルドア先生は、両親の片方が非魔法族出身の魔法使いであったと思う」

「それと、これは自慢なんだけど、たとえば私は学年で一番成績が良いしね。決闘でも四年生までに敵はいないし、上級生でも私と互角以上の人はほとんどいないと思う」

 

 セラは得意気に笑った。

 

「君に渡した手紙も、あの魔法もそれなりに難しいからね。驚いた?」

 

 セラは大人びているようで、年相応の屈託ない面を見せることへの抵抗は案外ないようだった。

 

「はい、素直に凄いなと」

「ありがとう。ただまあ、歴史に名を遺す非魔法族出身者がどれほど多いかと聞かれれば、答えに詰まってしまうね……。もしかしたら、魔法界に触れるのが十年遅いというハンディだけでない、血が絡む要素があるのかもしれない。ある意味では純血思想が正しいのかもしれない。――とはいえ、魔法界には進んだ生物学はなくて。魔法生物学はまだ博物学の域を出ていないし。そもそも魔法界の学問全体があまり発達していなくて、魔法の原理を解き明かせる段階にはとうてい至っていない。だから、純血思想を完全に否定できるわけではない現状が正直なところだ」

 

 もちろん小難しい理屈なしに、非魔法族出身者(わたしたち)がどんどん名を遺してゆけば良いのだけどね。セラは真顔で呟いた。

 

「仮に純血主義が正しかったとしても、魔法族は人が少なすぎて、正真正銘の純血の家系なんてないし、あったとしても近親婚を繰り返してひどいことになっているだろう。非魔法族出身者(わたしたち)を迫害しても、結局はどうしようもない。魔法族の血筋にこだわる姿勢は、本来は魔法の『力』を大事にする姿勢だったじゃないかと思うけどね……」

「そもそも、なんで僕たちがスリザリンに送られるんですか?そもそも組分けはどういう仕組みで行われているんでしたっけ?」

「色々な人に聞いて推測した限りだけど、四つのうち適性が最も高い寮に組分けされて、いくつか拮抗する場合は本人の意思もある程度尊重される。そして残念ながらどの寮にも当てはまらなかった場合は、分け隔てなく教えることを好んだ創設者の寮、ハッフルパフに組分けされるようだ。――ただし、ハッフルパフは性根が邪悪な人間が入れる寮ではない。そういう人は、魔法族の血が流れていればスリザリンに送られるみたい。……スリザリンには優秀な人も多いけど、なんというか残念な人もいるだろう?」

 

 シムの頭には、ちょうどマウンテンゴリラから知性と慈愛が取り除かれたと形容すべき二人の巨漢の姿、たしか名前はゴラッブとクイルといったか、その姿が思い浮かんだ(あるいはクライルとゴッブという名前だったかもしれない)。なにやら唸り声をあげて男子トイレに入ってきた二人は、シムを見かけると両脇を囲み、なんの前触れもなく腰を低くしその剛腕を豪速で繰り出してきた。見た目にそぐわぬ俊敏さに恐れをなしつつ頭をすくめ退却すると、互いの拳が互いの顔面に音を立ててめりこんでいた。シムはその光景を見て、この二人を従え制御するマルフォイ少年の手腕と心労に、初めて尊敬と同情の念が湧き上がった。

 

「ただ私たちは、魔法族の両親を持たない――言うなれば、卑怯や臆病を恥じない人がグリフィンドールに、知への敬意を全く持たない人がレイブンクローに、倫理や努力を嘲笑う人がハッフルパフに入るようなものだ。私たちがスリザリンを熱烈に希望して組分け帽子を説得したとかならまだしも、少なくとも君はそういうタイプじゃないだろう?」

 

「はい……」

 

「『非魔法族出身』である強烈な失点を補えるほど、わたしたち(スリザード)はスリザリンの特質を備えていたということなのかもしれない。スリザリンの重視する特質といえば、血筋に加えてよく言われるのは、機智に富む才智、断固たる決意、大いなる野心、目的のために手段を選ばない、力への渇望、利己心と自己防衛、誇り、現実主義、規範に囚われない柔軟な姿勢、体制への保守的な姿勢、外への警戒心と同胞への愛……ちょっとさすがに自分で言っていて恥ずかしくなってきた」

「つまりセラは、自分が才能あって臨機応変で賢くてでっかい目標を持っていて自分を守るのが得意だと言いたいわけなのですね」

 

 シムは純粋な表情を装ってからかった。

 

「やめてくれ、許してくれ。……もちろんスリザリンのこれらの特質は裏を返せば、卑怯で悪賢く、まずい野望を持ってても突き進んじゃって、暴力や権力をふるうことにためらいがなく、人の気持ちを考えることもなく、正義や道徳を軽視し、既得権益にしがみつく腐敗したエリート意識と帰属意識、身内には無批判で盲目的に結束し、外部の者には異様に排他的で差別的とも言い換えられる。どの寮も、こうやって正の面と負の面が言えるけどね」

 

 まだ日も経っていないが、たしかにこのような生徒はスリザリンに多くいるように思われた。

 

「組分け帽子はたしか、グリフィンドールその人の被った帽子に創設者たちが知性を吹き込んだといわれている。グリフィンドールの思想の影響が他の創始者より若干大きいのかな?でも他の寮の適性もあった場合に、あえてスリザリンに送るほどなのか……」

 

 セラは思案し、上の空で呟いた。

 

「君もどうせ、やたら理屈っぽい物言いから察するに、レイブンクローも勧められたクチだよね?」

「その通りですけど、理屈っぽい物言いって、セラこそ人のこと言えたものではなくないですか?」

「ごめん、こうやって理智的な会話をできる人はそこまで多くないからね、あくまで褒めているよ。私もレイブンクローとスリザリンで迷っていた。ところでプライバシーに踏み込むかもしれないけど、組分け帽子はどんな感じのことを君に言っていた?」

 

 シムは唐突に組分け帽子の歌を思い出した。

 

――スリザリンではもしかして、君はまことの友を得る――

 

「……そうですね。正直恥ずかしくて、できればあまり言いたくないというか……。セラはどうでした?」

「……たしかに私も包み隠さず言うのは恥ずかしいな。訊いてごめん。私はレイブンクローが合いそうだなと思いながら帽子を被ったんだけど、胸に抱いている目標を実現するためならレイブンクローじゃなくてスリザリンに行く方が良い、みたいなことを言われて。『スリザリンでなくて良いのかい、スリザリンに行けば君は偉大になれるのに』という感じの囁きに、まんまと言いくるめられてしまった」

「……スリザリンに来たことで、その偉大になれる可能性は開かれたんですか?むしろ狭まったような……」

「初めは一刻も早く組分け帽子に『燃えよ(インセンディオ)』をかけてやろうと決めていたけど、今ではスリザリンに組分けされたのも悪いことばかりじゃないと思っているよ。大抵のホグワーツ生は、宿題を片付けるだけで精一杯だけど、私は独りで魔法の研鑽に励む時間が増えるからね。魔法使いとして成長できるし、同時に身を護る術も身に着けられる。――非魔法界の学校では、図書館にこもって独りで懸命にラテン語や幾何学を学んだところで、いじめっ子に勝てるようにはならない。身体を鍛えれば鍛えるほど、身を護れるようになるかもしれないけど、大の男相手では、逃げるしか手はない。戦いようもない」

 

 

「ところが、魔法族は――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。返り討ちにできるし、自信と余裕がつくし、そうすればこちらに暴言を投げたり暴力を振るおうとする輩は少なくなる」

 

 組分けの日の、監督生ジェマ・ファーレイの言葉がシムの脳裏をよぎった。――ありとあらゆる呪いを知っていると思わせるような態度を取れば、誰が筆箱を盗もうと思う?――

 

「スリザリンは、魔法族の血筋にこだわるけど、同時に『力』を求める実力主義の寮でもある。血筋にかかわらず、『力』があれば認められ畏怖されかしずかれる。両親がともに非魔法族のわたしたち(スリザード)は唯一の例外だけれど、それでも『力』を見せれば身は護れる。」

 

 セラは杖を取り出し、後ろ手で机を叩いた。机は膨れ上がり、天井を覆わんばかりの古竜の姿を取った。非魔法界の出身の者なら誰でも知っている――暴君トカゲ(ティラノサウルス)の姿だ。恐竜は咆哮を上げたかと思うと、ポンと音を立てて元の机の姿に戻った。シムは思わず驚きの声をあげなかった自分に驚いた。

 

「自寮の人とふつうに交流するふつうの学生生活を送るのが絶望的になったのは残念だけど、それでも六年上のスリザード、シーナとソフィアにも会えた。あの二人に会えただけでも、スリザリンに来てよかったと思えた。ああ、もちろん君とも――そうだな、良い友人になれれば良いと思っているよ」

 

 シムは、最初から一貫してセラの言葉に一定の遠慮と敬意と警戒の色が込められていることと、セラの自分を見る目が年の離れた弟を見るようであることに改めて気づいた。やや大きめにあつらえてある自分のローブが再び気にかかった。

 

「ほとんど一緒にはいれないけれど、違う寮には友人もできるのは救いだ。……それと、スリザードがいなくなった後も、別にスリザリンで完全に孤独に過ごしていたわけではないよ。さすがに三年もスリザリンで過ごしていれば、ちょっと助けを求めることができる仲間だってできるしね」

 

「そうだったのですか」

 

 組分けの日の、独りで食事をとっていたセラの姿が脳裏をよぎったが、失礼にならずにそのことについて述べる方法が思い浮かばなかったので、何も言わなかった。そんなシムの何か言いたげな表情を見て、セラは口を開く。

 

「ああ、強がりとかではなくてね。ただ単に他のスリザリン生の前で堂々と『穢れた血』と仲良くしていては沽券にかかわるからね。表だって友好的に話したりはしないだけ」

「それって……」

 

 いささか相手に都合が良いのではないか。シムは言葉を呑み込んだ。

 

「まずは自分の身を護る。それがスリザリンの徳目だよ。せっかく身分があるのに、私を庇って私と同じところまで身分を落としては、当人だけじゃなく私にとってもありがたくない話だ。グリフィンドールやハッフルパフの正義感には反するかもしれないけどね」

 

 セラの口調は冷静だった。

 

「私にどこまで表立って仲の良い態度を見せてくれるかは、もちろん本人の『力』にもよるけどね。たとえば監督生のジェマ・ファーレイなんかは、そこそこ表立って、その地位を失わないぎりぎりのラインで、つまりスリザリンとしては異常なほど表立って、私と仲良くしてくれる。彼女は名家の出身ではないけど、魔力、求心力、政治力、魅力――スリザリンでも特に優れた『力』がある。そのうえそれなりにまともな倫理観を持ってくれている。彼女が今年から監督生の立場になったことは、まったくありがたい」

 

 シムは、組分けの日に自分を罵倒した上級生を唯一たしなめてくれた監督生を思い浮かべた。そして彼女が「新入生歓迎会で、そのような言葉はやめなさい」と言っていたことも思い出した。()()()()を咎めるのではなく、あくまで発言を()()()()()()()()()()()()()()()()――実にスリザリンらしい、バランス感覚なのだろう。

 

「君の周りも、まだ入学当初だからみんな周りをうかがって慎重になっているだけで、次第になんとかなると思うよ。祖父母の一人二人が非魔法族であるような人はたくさんいるし、片方の親が非魔法族の人もそこそこいる」

 

「それを祈りますよ。……そういえば、セラはマグルって言葉を使わないんですね。わざわざ非魔法族って言いにくくないですか?」

 

「うーん、『魔抜け(マグル)』だなんて語源の言葉、どうにも使いたくなくてね。この言葉自体に侮蔑のニュアンスはないのは分かってるけど、それでもどうにもね……。自分たちとはまるで違うものとして、理解を放棄しているかのような……。私の勝手なこだわりだから、人に押し付けるつもりはないよ」

 

「侮蔑はしないにしても、非魔法界をすすんで理解しようとする魔法族はたしかにほとんどいないような気がしますね」

 

 ホグワーツ特急の停車するキングズ・クロス駅で見た、ちぐはぐの洋服を着た魔法族たちの姿をシムは思い出した。

 

「私は、非魔法界の叡智や文化や社会を本当に尊敬している。魔法なしで非魔法族は、これほど豊かになり、経済を発展させ、月にだって行き、命や心の仕組みの糸口すら見えてきて、ヒトよりはるかに物覚えの良い機械だって作り、世界中がつながろうとしているというのに、多様な思想や芸術を生み出しているというのに、そんなことは魔法界ではまったく認知されてないんだ――非魔法族出身者(わたしたち)が伝えるのをすっかり諦めてしまっているのもあるけど――知ろうとすらしていない!非魔法族を大っぴらに侮蔑はせずとも無意識に見下している人ばかりだ。魔法界も素晴らしいけれど――叡智は千年前から大した進歩を遂げていない。文化や社会はとにかく貧困だ。そもそも魔法族の数が非常に少ないうえに、発展をほとんど放棄してしまっているからだ。せっかく非魔法界から沢山学べることもあるというのに……。私は非魔法界の叡智を取り入れることで、魔法をさらに豊かな高度なものにできるんじゃないかと思っている。――そんなことに取り組もうとしている魔法使いはほとんどいないから、糸口すらまだわからないけど、それでも……」

 

 セラは熱っぽく訴えた。

 

「……それが大望、ですか……」

 

 シムは適切な返事が思い至らなかった。彼女の野心より気宇壮大なものを抱いているスリザリン生は、恐らくそういないだろうと思えた。

 

「だから私は魔法を学んで訓練するのと同時に、非魔法界の叡智も、たとえば自然科学を、時間の合間を縫って学んでいる。科学の知見なんてやはり魔法に活かしようがなくて、魔法とは根本的に相容れないようには見えるけど。本当に相容れないのかどうかは、魔法界の誰もちゃんと探求しようとしたことはない。もしかしたら、魔法も非魔法界の学問体系に吸収できるものなのかもしれない……レイブンクローに嫌われてしまったのは、あくまで魔法の『力』を求めているのであって、叡智そのものへの好奇心に突き動かされているわけじゃないからかもしれないけどね」

 

「……セラがスリザリンに送られた理由の一つには、マグルの、いや非魔法族にこだわるその姿勢が、魔法族にこだわるスリザリンの眼鏡にある意味でかなった、というのがある気がしてきました」

「……面白い考えだね」

 

 セラは困惑と微笑を混ぜ合わせた表情を浮かべた。

 

 




導入回で、説明ばかりになってしまっていますが、次回で1話は終わりです。第一章は全6話の構成で、訓練やホグワーツ探検の話、ハロウィーンの話、ホグズミードの話などです。

セラの様々な話:いちホグワーツ生に過ぎないセラの考察がこの二次創作内の世界の事実と一致することはもちろん保証されていません。

純血主義に共鳴するマグル生まれ:
ローリング氏によれば、死喰い人の中にさえマグル生まれがいるそうですが(※)、なんともすさまじいですね……。

(※ Harry Potter wikiのMuggle-bornのページの"According to J.K Rowling, a Muggle-born can become a Death Eater in rare circumstances."の記述から飛べるreference[17]のインタビューのページの下のほうにその発言が書いてあります。マグル生まれの死喰い人がいると結論付けるのは早計かもしれませんが、いなかったらいないと答えそうなものですし
2020-09-05 直接サイトのリンクを貼るのがセーフか分からないのでリンクを消しました ・追記:というか他のインタビューでリリーその人がジェームズと一緒に死喰い人の勧誘を受けたと取れそうな部分も)


早速反応を頂けて嬉しいです!二次創作を書くのに初めて手をだしたことで反応のありがたみが凄く良く分かりました…


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第1話 ふたりぼっちのスリザード・クラブ (3)ピーター・パン

前話の推敲が不十分なまま投稿していました。誤字報告ありがとうございます。誤字報告機能って凄いですね。


「さて、クラブの活動だけど、基本は週一回か二回、授業の相談に乗ったり、魔法の訓練に付き合ったりする時間を設けようか。ただ、最初のうちはとにかく身を護る術を身に着けてもらわないとね。二日に一回のペースで明日から魔法の訓練をしようと思う。良いかな?」

 

 セラは一転してきびきびとした口調に変わった。

 

「わかりました、お願いします」

 

「よし、頑張ろう。まあ週一回二回に限らず、私は普段からスリザリンの談話室ではなくここにいるけどね。シーナもソフィアも――私の六つ上の上級生もそうだった。この教室はスリザードにとっての談話室みたいなものだ。君もここを居場所にするなら、顔を合わせること自体はもっと多くなるね」

 

 その時代とは人数や性別が違う以上、自分がずっとこの部屋にいては気まずいものがありそうだとシムは感じた。

 

「でも、僕がずっとこの部屋に居座っていたら、一人で勉強したいときとかに気が散りませんか」

 

「それはその通りだ。私はこの二年、この部屋で独り好き勝手するのに慣れてしまったから、邪魔されたくないと感じるときも正直に言ってしまえば多そうだ。――丁度良いことに、後ろの壁の裏に、もっと談話室っぽい部屋があってね」

 

 セラは教室の後ろに移動し、背の高い机に置いてある大きな箱を指さした。それは大きなブラウン管テレビのように見えた。

 

「これってテレビですか?コードは見当たりませんが」

 

「それを模したものかな。マグル学の授業で使うやつだね。あいにくホグワーツでは電子機器や精密機器はめちゃくちゃになってしまうから、本当のテレビがあっても何も映らないんだけど」

 

 セラの「『ピーター・パンとウェンディ』と唱えながら電源ボタンを押してみて」という指示に従うと、テレビが明るくなり、文字が映しだされた。

 

――月に初めて到達したのはアポロ何号?――

 

「こうやって、私たちなら簡単に分かるけど、魔法族の家庭で生まれ育った人にはまず分からないようなクイズが出される。ここまでセキュリティを厳重にしなくても良いかもしれないけどね」

 

 セラが11と答えると、テレビの文字が消えて渦巻いた。

 

「頭を突っ込むと行けるから、私の後についてきて」

 

 そう言って画面に頭を押し付けかと思うと、テレビの電源を切ったときに似た音を残して、セラの体がテレビに吸い込まれて消えた。シムも恐々頭を画面に突っ込んだ。足から別の部屋に降り立っていた。いつの間に体の向きが反転したのか、そんな些細なことは今更気にならなくなっていた。

 

 緑を基調にした、小さな部屋だった。スリザリン談話室が荘厳で暗い緑だとすると、この部屋はさわやかな明るい緑だ。中央に円テーブルが一つ、椅子とソファがいくつか。壁には本棚と白い箱が並ぶ。

 

「こここそが、スリザード談話室。その白い箱には冷却呪文がかかっていて、冷蔵庫みたいに食べ物や飲み物を置いておける。ビデオゲームを持ち込めないのは残念だけど、非魔法界の小説やボードゲームもけっこう置いてあるからね。くつろげるよ。片方がこっちの部屋、もう片方があっちの教室を使えば良い。そうだな、私はこの部屋の方が好きだから、月・水・金・土曜は私がこの部屋、残りはシムがこの部屋を使うことにしよう」

 

「わかりました。……すごく良い環境ですね。僕たちだけ、こんな部屋を使っても良いんですか?」

 

「正直分からないけど、けっこう前から使ってたみたいだし、良いんじゃないかな。校長先生も何も言ってこないし。それに、ホグワーツにはこんな感じの秘密の部屋がいくつもあるからね」

 

 くつろぐのはまたの機会にしてひとまず戻ろうかと、部屋の隅にかかる、宇宙にぽつんと浮かぶ地球を描いたポスターをセラは指さした。その大きなポスターは通常の魔法界のものとは異なり、ごくふつうの静止した写真のように見えた。しかしセラの脚がポスターに触れるや否や、セラの脚はポスターに消えた。すぐにもう片方の脚と体もポスターに消える。シムも後に続いた。ポスターはプールの水面を思わせる感触だった。シムの体は2E教室に戻っていた。テレビもポスターも、どうやら一方通行の道らしい。

 

 

  ★

 

 

「それにしても、わざわざ魔法を教えるなんて、本当に良いんですか?去年まではずっと一人で魔法の訓練や勉強をしていたんですよね? その分の時間を僕に割いても良いのですか?」

 

 セラの眼が鋭くなった。

 

「だからほら、ちゃんと裏を考えないと。それではスリザリンでは生きていけないよ。……たとえば、誰も手を差し伸べてくれる人がいないスリザリンで、こうやってただ一人助けてくれる命綱の上級生という存在は、君にとってすごくすごく大きな負い目になるだろう?」

 

 お伽噺の魔女を思わせる、妖しい笑みで彼女は言う。

 

「いま絶対的な恩を売っておけば、あとあと私が、たとえばマクゴナガル先生の試験の解答を盗んで来いと理不尽な命令をしたとしても、たとえば魔法薬の実験台になれと無情な要求をしたとしても、君は逆らえず従ってしまうかもしれない。もし一切君が恩を感じなかったとしても、手助けを打ち切ると脅せば君は言いなりになってしまうしかしかないかもしれない」

 

 閉鎖された環境での上下関係。シムの想像力が陰惨な方向に働き始めた。

 

「……なんというか、さらに遥かに不愉快な要求をされる可能性も想定できそうですね。……四六時中僕がこんなことを考えていると誤解してほしくはないですし、セラや僕が加害者や被害者になる想定をしているわけでもないのですが、一般論として、たとえば僕とセラの性別を入れ替えた場合なんかは特に」

 

 セラは無表情になり、顎に手を当てた。

 

「たしかに想定されるけれど、しかしお互いにスリザリンだ。上級生の側が脅迫すれば、下級生の側もそれを種に脅迫し返せるということを上級生は分かっている。私が下級生の立場なら、陰惨な脅迫や復讐は思いつく。そもそも上級生の立場自体も吹けば飛ぶようなものであることも上級生自身分かっているから、滅多なことは基本的には起きないだろう。――最終的にそこまで考えるのが、私が今回想定していた正解だ」

 

「ないと思いますが、セラが僕を脅迫するようなことがあれば、覚えておきます。……それでも、本当に何もなくて良いのですか?」

 

「私自身、先代の二人には無償の手助けをしてもらったし、その恩返しだよ。……スリザリンは利己的な寮だけど、同胞の結束は固い。なかま同士の手助けは見返りを求めず惜しみなく行う、そうやってスリザード(わたしたち)は今まで生き延びてきた。だから、もしシムの下の代にスリザード(なかま)が入ってくることがあれば、私が卒業した後だったとしても、純粋に手助けをしてあげてほしい。人の手助けをしたり、人にものを教えることで得られるものも大きいしね」

 

 優しい眼差しでセラは言葉を紡ぐ。

 

「もちろん、そのつもりです」

 

「……さっきも言ったけれど、三年ぶりに入ってくれた君に私はほんとうに感謝しているんだ。君は何も負い目を感じなくて良い。もしそれでも気になると言うなら――」

 

 セラは言葉を切り、にやりと笑った。

 

「早く私と対等な魔法使いに、対等に魔法を学び競い研鑽できるくらいに成長してくれ。そうすれば、お互いに得られるものはさらに大きくなる」

 

「……」

 

「私はまだ四年生だけど、大体の七年生には決闘なら勝てる自信がある。シムだって四年生レベルになれるはずだ」

 

「……頑張り、ますよ」

 

 シムは答えた。セラが仮に七年生レベルなら、シムが四年生レベルになったとしても対等にならないという事実には、目を向けないように努めた。

 

「何もおだてているわけではなくてね。スリザード(わたしたち)は、何の才もなければそもそもスリザリンに入れられようもないはずだ。自惚れではなくて、私たちには『力』があるはず。なかったとしても、そんな選民意識を持っておけば、頑張れるってものだろう?実際に、先代のシーナもソフィアも、本当に優秀な魔女だった。――ところで、この二日間の授業を受けてみてどうだった?実技の科目で、ついていけないと感じるかい?」

 

 シムは思い返した。薬草学では、音を立てないままラッパ水仙(ふとした弾みに花弁のラッパを吹き鳴らす奇怪な植物)を植え替えた。呪文学では、最も基礎的の魔法の一つだという、杖に光をともす魔法を習った。変身術では、マッチ棒を針に変える実習を行った。

 

「そうですね……『薬草学』はまあまあで、『呪文学』では正直一番遅れている気がしますが、今日の『変身術』では課題を成功させました。……出来たのは、僕ともう二人だけでした」

 

 シムは後半に力を込めて言った。厳格なマクゴナガル先生が、シムの針を見てて微笑を浮かべたこと(マクゴナガル先生の笑顔をシムが目にするのは、ダイアゴン横丁で入学準備に付き添ってもらった際に、初めて杖を手にしたはしゃいだとき以来だった)と、教室を去るシムに向けて「私の寮生ではありませんが、何か困ったことがあったら、セブルスに相談し辛いことであっても私に気軽に相談なさい」と親身な表情で声をかけてくれたことを改めて思い出し、そのときに感じた安堵と感謝の念がシムの体を再び流れた。

 

「なるほどね。薬草学の実技は、いたわりの心で忍耐強く慎重に植物を扱えば良い。ハッフルパフ生と薬草学は相性が良いとよく言われる通りだと思う」

 

「呪文学については、簡単な呪文であればスリザリン一年生は既に習得していたりするからね。気にすることはないよ。イメージの操作が大事で、あとは詠唱の仕方や杖の動きをとりあえず無批判に受け入れることだ。――もしかして、なんでこの呪文はこんな発音じゃなきゃいけないんだとか、色々考えてしまった?」

 

「……そうです」

 

 なぜ「ルーモス」と唱えなければならないのか、なぜ杖を動かすと光るのか、考えれば考えるほど雑念が生じ、加えて周りの生徒が皆当たり前のように成功させてこちらに嘲笑の眼差しを送るので、シムは中々うまくいかなかった。フリットウィック先生のアドバイスに従いようやく成功させたものの、先が思いやられると感じた。

 

「私も全然分からなくていらいらしたけど、残念ながら私たち生徒のレベルでは、とにかく集中することと、先生や教科書を素直に吸収するのが大事みたいだ。いつか呪文の原理を知りたいとは思っているけどね。無言呪文というものがあるし、世界中の魔法使いがラテン語や英語をベースにした呪文を唱えるわけじゃないし、杖無し魔法(ワンドレスマジック)というものもあるし、言語や杖の動きは本質的な要素じゃない気はするのだけど、どうなんだろうね」

 

 セラは所在なさげに杖をもてあそびながら言った。

 

「それに引き換え、変身術は複雑な理論をしっかり理解していなければならない。非魔法族の目でみると、魔法はどうにも荒唐無稽で我慢がならないけれど、それでも変身術は比較的体系だっている方だ。――ところで、シムは小学校で算数を学んだろう。算数は得意だった?」

 

「はい」

 

「そして、もしかして既に中等教育の数学も自習していたりする?」

 

「ええ、少しですが」

 

 得意顔で言うのもなんでもないことのように言うのも、どちらも恥ずかしい気がしてシムは答え方に迷った。

 

「なるほどね。もちろん数学と変身術の関連は全くないとはいえ、論理的で抽象的な記号操作が得意だと、変身術も得意になりやすいような気がする。数学や変身術を学んだから論理的になれるわけではないけど、論理的にならなければ数学や変身術は学べない。――ところが魔法族は、非魔法界の小学校に通うのでない限り、初等教育を受けないからね。純血の魔法族で、非魔法界の小学校に通う者はまずいない。論理的思考以前に四則演算すら危うい者も多いだろう。非魔法族の生まれは、変身術を強みにしやすいと思うよ。レイブンクロー監督生のペネロピーなんかが丁度その例だ」

 

 変身術の教室を思い出す。マクゴナガル先生が黒板にびっしり書き込んだ式の内容は、スリザリン生の大半は混乱した顔で写経していたものであったが、シムの脳には滑らかに流れ込んで知的好奇心を大いにくすぐるものであった。

 

「結晶的な知識であれ、流動的な思考であれ、あらゆる種類の知性は確実に魔法を使う上で武器になる。かのロウェナ・レイブンクローは魔法の天賦の才も規格外だったが、それを操り十二分に発揮するだけの頭脳もまた規格外だったと伝承されている。論理的な思考は、魔法族が意識して学ぶことが少ない一方で、ヒトに与えられた最も素晴らしい物の一つだ。時間があれば、数学にしろ何にしろ、何かしらの手段を通して思考を訓練することは有意義なはずだと信じているよ。――まあ、本当に大事ならマクゴナガル先生がとっくに勧めているだろうから、勝手なことは言えないけどね」

 

 五年も先の中等教育修了試験については全く意識していなかったものの、シムの好奇心は数学に限らず、小学校のカリキュラムの範囲で満足するものでは決してなかった。摩訶不思議な科目が揃うホグワーツへの入学が決まったときは、先んじて学んだことを活かせる機会はなくなったかと一抹の寂しさも覚えたものだったが、必ずしもそうではないということであろうか。

 

「私たちは、(スリザリン)の機智と『力』を持つだけではない。人類全体(ヒト)の、蛇が無視するほうの、非魔法族(ヒト)の叡智と力も知っている。……わたしたち(スリザード)は決して、細々と生きるしかない哀れなマイノリティなんかじゃない。むしろ逆だ。スリザリン寮――魔法の力を貪欲に求める最も魔法族らしい寮――の資格を持つ、人類(ヒト)なんだ。――わたしたち(スリザード)の力を、見せつけてみない?」

 

 ある意味では現実逃避的であり、しかし誇りと傲りに満ちたセラの発言は、どこまでも魔女らしく、そして人間味があった。その芝居じみた大仰な台詞と口調を、芝居でない場面で披露しようものなら通常は滑稽な光景になるに違いないが、しかし彼女が演ずる場合においては全く例外だった。シムはセラの背後に差す光を幻視した。

 

「スリザードは――蛇の優れた面は取り入れる。どんな敵にも萎縮はしないし。踏みつけられれば反撃する。するりと逃げることもいとわず、機をうかがって反撃を狙う。何度だって脱皮をして成長し再生する。――それでも蛇のように、()()()()()()()には頼らない。蛇のように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()スリザリン(Slytherin)であるものの、蛇ではなくトカゲ(lizard)。――それが、スリザード(Slyzard)だ」

 

 実に堂々と、挑発的なまであるその名前を語ったセラは、杖を振った。机に、鮮やかな緑色のトカゲが現れる。トカゲは、二足で誇り高く直立していた。本来、トカゲは二足で歩かない生き物のはずだが、そのトカゲは不自然なものは一切感じさせない造形をしていた。再度杖を振ると、トカゲは霧消する。

 

「……なるほど。それを聞くまではてっきり、ブリザード(blizzard)みたいな冷たく厳しい学生生活だって自嘲してるのかと思いましたよ」

 

 神々しい雰囲気に耐えられなくなったシムの軽口に、セラは呆れ顔で返した。

 

「……君はなんとも、英国紳士らしい皮肉がもうその歳で板についているものだね。今後の成長がじつに楽しみだ」

 

「セラが言えたことではなくないですか?――それとスリザードって、自分たちこそが、スリザリン(Slytherin)魔法使い(wizard)だって言ってるようにも聞こえますね。――喧嘩売ってるように思われませんか?」

 

 セラは溜息をついて首を振った。

 

「そのくらいの気概を持っていなくて、どうするの。どちらにしろスリザードなんて名前は、私たちが自称しているだけで、他の生徒は知らないしね」

 

 セラはまっすぐシムの瞳を見つめた。

 

「堂々とスリザードとして生きるためには、まずはさっきも言ったように、いちはやく身を護る術を身につけないとね。ホグワーツは世紀末の空間で、私達(スリザード)であろうがなかろうが、歩いているだけで呪いをかけられることも当たり前に起こる。足がつかない陰湿な攻撃も躊躇わないスリザリン生は、罰則処分なんてものに中々怯えないしね。それに、『例のあの人』が消えた今も、魔法界はまったくの平和というわけではない。先生方の庇護がある学校を卒業した後で、身を護る術が無駄になることは、決してない」

 

 セラの顔は飽くまで真剣だった。シムは唾をごくりと呑んだ。

 

「すぐに色々な呪文を撃てるようにはならなくとも、呪文のかわし方は練習できる。まずは徹底的に、呪文のかわし方を教えよう」

 

「そして、ホグワーツには非公認の『防衛クラブ』や『決闘クラブ』がいくつかあって。寮混合で、しかも強者が揃ったクラブに私は参加させてもらっている。トンクス、ヘイウッド、ウィーズリー……いや、彼らは卒業しちゃったな。それでも、ペネロピーとかディゴリーとか、優秀な生徒が残っている。君が望むなら、ある程度の基礎ができた段階で、君を連れてゆこうと思う」

 

「防衛クラブですか……。まだ受けてないですが、『闇の魔術に対する防衛術』っていう授業がありませんでしたっけ?」

 

「防衛術は極めて大事なはずなのに、どういうわけか一年を越えて同じ先生が就けなくてね。どうにも授業を受けるだけじゃ厳しいんだ」

 

「そうですか……。面白そうですが、生徒で自主的にやるのは危なくないのですか?」

 

 言ってしまった後に、これはあまり格好が良くなさそうだとシムは後悔したが、セラは満足そうな声を上げた。

 

「いきなり飛びつかないその慎重な態度は、模範的なスリザリンらしくてとても良い。私が監督生だったら一点を与えるよ。……もちろんまったくの安全とはいえないけれど、闇の呪いを打ち合うわけでもないし、人をいたぶって楽しむような連中はいないし、そんなに心配しなくても良いよ。そもそも魔法族は頑丈で、ちょっとやそっとでは死なないし、何かあってもマダム・ポンフリーがすぐに治してくれる。君もホグワーツ入学まえ、頑丈さに思い至ったことはない?三階から落ちても怪我ひとつしなかったとか」

 

 シムは頷く。五年生のとき、まさに小学校の三階の廊下の窓から誤って転落してしまったことがあった。土にまみれている以外は至って健康なシムの話を、校医もクラスメイトも誰も信じようとしなかったし、シム自身、ほんとは自分は一階にいたのではないかと思いこむようになっていた。

 

「頑丈だからこそ、平気で廊下で呪いを打ち合っちゃうのだけどね。非魔法界なら一発で退学どころか刑務所送りになるようなことも、ここの連中は平気でやらかす」

 

 

 ★

 

「ところで教室といい、テレビの合言葉やクイズといい、つくづくここは非魔法界っぽいですね。教室の合言葉の『ワールド・ワイド・ウェブ』も、ひょっとして非魔法界の用語ですか?」

 

 魔法や魔法界についてまだ分からないことだらけだが、この聞きなれない用語は、なんとなく魔法にまつわるものではないように思えた。

 

「教室は、確かむかし『マグル学』の授業で使っていたみたいだ。合言葉は、そうだな、正直私もよく分かっていなくて、うまく説明ができるわけではないのだけど……」

 

 セラは顎に右手を当てた。

 

「シムは、ビデオゲームをやるかい?GX4000とか、NES(ニンテンドウ)とか、メガドライブとか」

 

「はい、少しは」

 

 ローブと山高帽に身を包んだ魔女から、ゲームの話が出るおかしさを感じながらシムは答えた。

 

「コンピュータの発展は凄まじいよね。電子計算機が発明されて百年と経ってないのに、ワープロだの、ゲームだの。それでワールド・ワイド・ウェブは、インターネットとやらに絡む技術で、去年に出来たばかりらしいのだけど……。何か文章を、そうだな、たとえば小説を、世間の人々に見てもらいたいとするだろう。家族でも友達でもない、()()()()()()()()()()()()()()()()、自分が魂を込めて振り絞ったインクを読んでもらいたいとするだろう。今じゃ、出版社の新人賞に応募したり原稿を持ち込んだりして、認められなければその小説は決して世に出回らない。あるいは自費で出版することもできるけれど、刷れる数も読んでもらえる人も限界がある。今でもコンピュータで顔の知らない誰かに読んでもらう技術はあるけれど、誰でも読んでもらえるというわけじゃない」

 

 何を当たり前のことをセラは言っているのだろうかとシムは思った。

 

「――ところが、この新しい技術が普及すれば、世界中の顔の知らない誰かに、誰でもに、自分の書いたものを読んでもらえるようになる。インターネットとやらには出版社と読者のような、一方通行の関係はない。どのコンピュータも対等な関係で結ばれているんだ。――良くも悪くも、誰もが読者であるのと同時に、()()()()()()()()()。世界中の人が書いたものを、世界中の人が読めるようになる。そんな世界がすぐそこまで来ている。……わくわくしてこない?」

 

 そのようなものが普及した世界をシムは考えてみた。しかしそれは、つい一週間前の自分がホグワーツ城の姿を思い描けなかったのと同じように、全く自分の想像の及ぶ世界ではなかった。

 

「……自分だったら、本来なら自分の机に閉まっておくべきひどく恥ずかしい日記を見せびらかして、後悔してしまうような気がしますが、それでもそんな世界は見てみたいですね。――それに、この魔法界のことを書いたファンタジーを公開したら、世界中の人にすごく人気が出るんじゃないですか?」

 

「……国際機密保持法に引っかかってしまいそうだけど、たしかに面白そうだ。魔法界には子どもの夢と世知辛い現実が詰まっているしね。それに今年は英雄ハリー・ポッターが入学してきた」

 

 ――最悪の魔王をわずか一歳で打ち破った英雄の、波瀾万丈の魔法学校を描いた物語――。セラは夢見顔で呟くと一転、哀し気な顔になった。 

 

「魔法を知ることなく非魔法界はここまで来ている。魔法界が未だに連絡手段にふくろうを使っているのにだ。……ふくろうだよ!魔法界のふくろうは確かにあまりに賢く素早く忠実だが、それでもふくろうを情報の伝達に使うのは、なんというか――魔法っぽい情緒と趣が感じさせられる利点しかない。……私は情緒や冗長さを大事にしたいたちだけど、それにしたって時と場合というものが……」

「魔法界にはふくろうや箒の他に伝達手段とか移動手段ってないんでしたっけ?」

 

 セラは首を振る。

 

「いや、そんなことはない。魔法で実現できることは、まさしく()()()()()()()()()()煙突飛行(フルー)ネットワークがある。暖炉同士を一瞬で往来できるんだ。……一瞬でだよ!その気になれば、各自が手乗りサイズのポストを持ち歩いて、投函するだけで相手のポストに届かせることだって出来てもおかしくないはずだよ。会話だって自由に出来るはずだ。非魔法界だって電話が持ち運びできるようになってきてるというのに、魔法界では高価で古い魔道具の『両面鏡』しかない。箒や煙突飛行以外にも、移動(ポート)キーや『姿現し』という、ほとんどSFのテレポーテーションやワープみたいな魔法だってあるんだ……結局魔法はあまりに便利だし、魔法族の数はあまりに少ないから、社会制度の改革はほとんど起こらないということなのだろうけど……」

 

 

 ★

 

 

 

 言い淀んだセラは前の壁にかかった時計(魔法界の時計には珍しい、針が二本だけついたごくふつうの時計だ)を見やった。

 

「さて、そろそろ外出禁止時刻になってしまうね。今日はもう寮に戻ろうか」

 

 たかだか一時間かそこらこの教室にいただけだというのに、シムはもう、自分の帰るべき場所がじめじめした地下にあるということを忘れかけてしまっていた。心に雲が垂れ込めてきた。

 

「……これ、あまり考えたくはないんですけど、僕がマグル生まれでなくても、入学二日目で門限破りがばれたらかなりまずいですよね?」

 

「だろうね。ただまあ、誰も一年生全員が寮に戻ってるかどうかなんていちいち気にしないし――いや、ジェマは気にかけてくれるかもしれないが、私といることくらいは分かってるだろう――それに門限を過ぎて外出している上級生もごろごろいる。気づいたところでわざわざ先生に密告して自寮の点を下げる意味もない」

 

「要するにここから寮に戻る間に、先生方とフィルチさんとミセス・ノリスとピーブズにさえ見つからなければ良い」

 

 セラは自分の頭に杖を当てた。セラの体が見えなくなる。

 

「『目くらまし術』さえ身に着ければ、フィルチさんの目はかわせる。それなりに難しいとはいえ、『目くらまし』を使えるホグワーツ生があまりに少ないのは理解に苦しむよ」

 

 姿が見えないまま、セラの声が中空に響いた。

 

「透明になれるだけですごいですけど、それでも先生やらミセス・ノリスやらはかわせないってことですか?」

 

「透明になるというか、正確には周囲の景色に溶け込む方が正しくて、よく訓練して観察すれば『何か』がいるのは分かってしまう。消臭呪文と消音呪文をかければ、校長以外の先生方の勘とミセス・ノリスの鼻も大体は誤魔化せるし、血みどろ男爵の声を保存して持ち歩いておけばピーブズも追い払える」

 

 続いてセラの「失礼」という声がしたかと思うと、頭から冷たいものが流れる感触がした。自分の手足が、体が、周囲の景色と同化していることに気づいた。

 

「これで大手をふるって夜に学校を歩けるよ。……いや、たぶん校長先生の目を誤魔化すのは無理だけど、ちょっと散歩するくらいなら何も言われないはずだ」

 

「……これ、校内で普通に使って良い魔法なんですか?夜の廊下を歩くことのほかは、使われる目的のほとんどが犯罪、あるいは好意的に言ってもいたずらの類じゃないですか?」

 

「まず、グリフィンドール監督生(プリーフェクト)のパーシー・"完璧(パーフェクト)"・ウィーズリー以外の恐らく全生徒が忘れていることだけど、『目くらまし術』に限らず廊下での魔法はすべてフィルチさんが禁止している。誰も守ってないけどね」

 

「あ、そういえば校長先生が言ってましたね……」

 

「そして、恐らく君がいま想像しているような――いや、君がその類の犯罪を企てていると私が思っていると誤解してほしくはないのだけど――のぞきなどの不埒な行為はできないようになっている。寮の寝室やシャワールーム、浴室、トイレなどには『目くらまし術』を曝く結界が張られている。女子生徒はすぐに監督生から教わることだ」

 

「そのようなセキュリティがいつから備わったのかは分からないけれど、もしかしたらホグワーツ城を一人で設計した天才ロウェナ・レイブンクロー自身の手によるものなのかもしれない。彼女は当時のどの人とも比べるべくもないほど、圧倒的な知性と美貌を備え、威圧的で傲慢なまでに気高く、人に従うことをよしとしない自由な心の持ち主だったと伝えられている」

 

 ただの推測に過ぎないけれど――。セラはぽつりと呟く。――尊敬や崇拝や羨望や嫉妬や憎悪や支配欲や情欲、人々の剥き出しの様々な強い感情を、常に向けられたに違いない。

 

「僕がその類の犯罪を企てていると誤解してほしくはないですが、そうなんですね。……いや、それだけを考えていたわけじゃないですよ。たとえば突然階段から突き落したりとか、殴ったりとか、魔法をかけたりとか……」

 

「たしかに起こりそうだね。透明の状態で呪いをかける卑怯者はスリザリン以外にはあまりいないだろうけど、私たちはスリザリンこそをグリフィンドールより警戒しなければならないしね。――だから、常に防御しておけば良いんだ」

 

 セラの姿が再び目に見えるようになった。セラは杖を放ち、「護れ(プロテゴ)」と叫んだ。セラの髪が少し逆立ち、シムは風圧に一歩あとずさりした。セラとシムの間の空気が歪んでおり、そこに何か、()()()()()目に見えない壁があるとシムは直感した。

 

「盾の呪文だ。透明な障壁を展開し、飛んできた物や呪文を防ぎ、あるいは撥ね返す。彼の頭よりも堅いと評判のパーフェクト・パーシーの盾には及ばないけど、これでも生徒の呪文を防ぐには十分なはず」

 

 セラは杖を下ろした。

 

「まさに防衛術だ。言うまでもなく極めて大事な呪文だけどね、習得には少々コツが要るし、一年生の魔法力ではまだ、仮に盾を展開できたとしても、せいぜいピーブズの投げる水爆弾や糞爆弾(クソばくだん)くらいしか防げないだろう。だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 セラは手近な椅子を叩き、柔らかそうな数個のボールに変えた。

 

「このボールを今から私に向かって投げてくれないかな。強さは任せる」

 

 突然言われ、シムは遠慮がちにセラに向かってボールをほうった。セラの体に触れるか触れないかのうちに、ボールが撥ね返って床に転ぶ。

 

「遠慮しなくて良いのに。――とにかく、こうやって帽子とマントに『盾の呪文』を織り込んでおけば、呪文にしろなんにしろ、大体の被害は防げる。呪いをかけあう授業があれば、そのときだけ『複製呪文』で効果のかかってない帽子を被れば良いだけだしね。君にも盾の帽子をはやく縫うから、出来次第渡すよ」

 

 ボールを椅子に戻し、再び透明になるセラにシムはお礼を言った。

 

「そうだ、夜であっても昼であっても、こんなに面白い城は隅々まで探求したくなるだろう?実は抜け道があってね。ホグズミード――魔法族だけ住んでいる村に続いていたりするんだ。シムの気が向けば、いつか連れて行こう」

 

「それも凄くわくわくしてきますが、もちろんバレたらまずいですよね?」

 

 シムは再び後ろ向きな返事をしてしまったと気づいたが、にやりとしたセラの顔を見るに、正解であったらしい。

 

「バレた後先のことを考えずに突っ走るのがグリフィンドール、バレたら困ることはしないのがハッフルパフ、バレないためにどうするかを考えて満足するのがレイブンクロー、そして――」

 

「その計画を実際に行動に移すのがスリザリンというわけですか」

 

「――わかっているじゃないか。心配することはない」

 

 教室の灯りを消し、二人は廊下に出た。セラは思い出したように声を上げる。

 

「……あ、念のためだけど、手紙は君のところに届く魔法をかけただけで、さっきもずっとこの教室にいたから、『目くらまし』でストーキングをしていたわけではない。それは信じてくれ」

 

「実はちょっと今思ってました。それなら良かったです」

 

 扉を閉め、廊下を歩き始める。白く明るい光を放っていた教室とは対照的に、わずかな蝋燭に照らされた薄暗い廊下だ。

 

「繰り返しになるけど、さっそく明日から身を護るための魔法の訓練を始めよう。夜六時にこの教室で良いかな。……ああ、食べた直後で動くのはしんどいから、大広間の夕食は食べないでそのまま来て。厨房から食べ物を持ってきておく」

 

「わかりました」

 

 セラはシムに向き直り、真剣な表情をした。

 

「三年前の私は、先代の二人から情け容赦なく鍛えられた。ほんとうに情け容赦なかった。血も涙もなかった。……言っておくけど、私も一切の情け容赦はしないから、弱音を吐かずついてきてくれ」

 

「そうします」

 

 セラは微笑み、振り返って歩き出した。どうせ脅しているだけだろうと、このときのシムは軽く考えていた。セラは照れ隠しに彼女の言う「スリザリンらしさ」を装っているだけで、本質は聖母のような慈愛に満ちた存在だ、そんな印象をシムは抱いていた。

 

 

 

 とんでもなかった。セラがほんとうに一情け容赦がないということを、このときのシムはまだ知らなかった。

 翌日以降、セラの姿を見て胸が高鳴るなどということは一切なくなった。より正確には、セラの姿を見かけると心拍数自体は激しく上がるのだが、それは一切混じりけのない純粋な恐怖によるものだった。

 

(第1話 終)

 




セラが非魔法界や魔法界のあれこれを語っていますが、セラの性格を衒学的に書きたい意図はなく、もしそう見えてしまいましたら、セラや筆者がそういう年頃なのだくらいに思ってください。賢い設定の登場人物を賢くない筆者が適切に賢く書くのは大変ですね。また、(原作の雰囲気や設定を完全に損なわずに筆者の妄想をきちんとした設定に形成することが筆者には困難なので)前話のセラの野望について深入りすることはあまりありません。


呪文学:
一巻と二巻の邦訳では「妖精の魔法」ですが、変える理由が分からないのと、妖精という感じがほとんどしないので、呪文学で通します。

変身術:
原作の記述などを踏まえ、魔法界の教科の中では論理的・演繹的であり、論理的な思考操作が得意でないと変身術が得意になれないと解釈しています(ゴドリック・グリフィンドールは変身術、ロウェナ・レイブンクローは呪文学と結びつく図式と若干の違和感があるかもしれませんが……)。苦しいかもしれませんが、一巻のハーマイオニーの「大魔法使いと言われる人の中にも、非論理的な人がいる」発言は、変身術などの分野は指していないものととらえています。二次主人公が大抵成功させる、ハリーの教室でハーマイオニーしか成功できなかった変身術の課題は、教育者の鑑マクゴナガル先生なら「家で杖を握ることがなかった人も、才能が豊かでない人でも、ちゃんと理論を吸収できたら成功できる」レベルにデザインしていただろうという妄想。

スリザード Slyzard:
カタカナの語感がしっくりきたので名付けましたが、英語に詳しくないので英語が変でないかどうかは分かりません。(Slytherinとlizardのアクセントの位置が同じだったので平気かなという気がしましたが)

ワールド・ワイド・ウェブ
当時のイギリス発の新しそうな用語ということで適当に選びましたが、当時の状況を知らないので、魔法界で暮らす期間の長い14歳のセラが知っていそうになかったらすみません。インターネットやWWWとは何ぞやについても詳しくないので、誤ったことを書いていたら教えてください。
(追記:08-23
'90年12月に初のwebサイトが公開されたということで大丈夫かなと思ったのですが、その道の人たちに発表されたのが'91年8月6日なんですね、たぶんセラが知るのは無理がありました)

のぞき:
ホグワーツの治安が良くない割に、児童文学であるハリー・ポッターにおいて性犯罪の類は当然描かれないため、種々のセキュリティが働くのではという独自設定。ただ後になってよく考えたら、生徒たちが愛の妙薬を当たり前に購入して当たり前に使用している相当まずそうな環境ですし、そもそもヴォルデモートが男性への暴力によって生まれた子どもですし、ふつうに描かれてましたね。

盾の帽子:
盾の呪文を帽子とかにかけるのは双子ほどの独創性がなくても思いつきそうだと判断しました、双子の悪戯グッズ発明のお株を奪う展開にはしません。
盾の呪文って魔法省の人が割と使えなかったりで原作の習得難易度がいまいちわかりませんでしたが、そこそこ難しいという設定にしています。


パーシー・ウィーズリー:
登場人物に得意魔法が設定されていると個人的には滾るので、雰囲気を壊さない範囲でたびたび勝手に設定します。ハリー・ポッターが少年漫画だったら多分そうなってそうですし、守護霊も固有の能力がありそうですよね。


ずっと読む側でしたが、書くのもとても楽しいですね。スリザードという設定や種々の考察は筆者独自の妄想(及び原作完結後の種々の情報をなるべく拾っています)ですし、展開も他の方の二次創作と被らないように気を付けています。勝手に名前をあげて恐縮ですが「ハリー・ポッターと合理主義の方法」「ハリー・ポッター -Harry Must Die-」「この身はただ一人の穢れた血の為に」「魔法省大臣は人使いが荒い」「ハリー・ポッターと虹の女神」「蛇寮のハーマイオニー」など種々の素晴らしい二次創作に触発されており、様々な傑作があるハリポタ二次って本当に凄いし、それらを生み出す豊穣な世界観や多層的なキャラクタや分かりやすいストーリーを擁するハリポタって当たり前ですが本当に偉大だなと読み返して改めて実感します。


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第2話 鍛錬と探険 (1)ペトリフィカス・トタルス

再び誤字報告ありがとうございます


 あくる日の夜六時、一日の授業をすべて終え、緊張と昂揚とを胸にシムは2E教室へ向かった。セラは既に準備をして待っていた。教室の机と椅子が片づけられ前方に寄せられており、床には黄色い毛布が敷き詰められていた。足を載せると毛布もろとも足が少し沈み込んだ。怪我をしないように、柔軟化呪文「衰えよ(スポンジファイ)」の呪文と同じ効果を持つルーン文字の文句を教室の四隅に刻んだのだそうだ。壁を触ってみると、壁も軟らかく弾力を持つようになっている。

 

「ルーン文字は、特殊な方法で書いて魔力を注いでおくと、文字自体が術となって魔法が発動するし、しかもしばらく効果が持続するからね。便利だから、三年になったら『古代ルーン文字学』を履修すると良いよ」

 

 そしてセラはシムの頭に透明な金魚鉢のようなものを被せた。鉢がすっぽり頭と顔を覆ったが、問題なく呼吸ができるし、視界や聴覚が歪むということもなかった。魔法のヘルメットらしい。

 

「魔法族は頑丈だから大丈夫と思うけど、いちおう頭は念のためね」

 

 セラはシムから再び距離をとり、窓の近くに立った。昨日と異なり、セラは長い髪をそのまま流すのではなくポニーテールに結わえていた。履いていた靴も、ホグワーツ生の黒い革靴ではなくスニーカーのようなものだった。

 

「まず初めに、こちらに害意を持って襲ってくる相手は、こちらの準備を待ってくれるわけじゃない。名乗りを上げて攻撃してくれるわけじゃない。だから訓練中では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 セラの眼差しは真剣だった。シムはためらいがちに首肯する。

 

「この訓練の目的を改めて言うと、自分の身を自分で護れるようになってもらうことだ。大げさなと思って身が入らないのは困るから言っておくと、これはホグワーツにいる間だけではなくて、その後にさらに大事になってくる。スリザリンに限らずホグワーツ生の一定数は、卒業した後に後ろ暗い道を歩み出す。誰だって犯罪に巻き込まれる危険は当然あるし、私たちならなおさらだ。――たった十年前の内戦のさなかには、非魔法族や非魔法族出身者(わたしたち)はただ()()()()()()()()()()拷問され凌辱され惨殺された。テロリストの残党は沢山いるし、今後もずっと平和とは限らない。生活に悩むことのない今が、魔法の腕を磨く一番のチャンスだ」

 

 シムは廊下で目にしてきた、明らかにガラの悪い連中を思い浮かべた。偏見だとは思いつつ、しかしやはり、今後の彼らがお日様に胸を張れる人生を送るようには思えなかった。

 

「魔法警察や闇祓い(オーラー)はいるけれど、公衆電話をダイヤルしたらすぐに駆け付けてくれるというわけじゃない。是非はともかくとして、魔法界では()()()()()()()()()()に越したことはない」

 

「もちろん、危険なのはヒトだけじゃない。『闇の魔術に対する防衛術』で教わるように、非魔法族が認知していないだけで、こちらを喰おうとする危険な魔法生物だって英国中にごろごろいる。話が通じないから厄介だし、話が通じるような生き物はさらに厄介だ」

 

「それに、図書館の禁書棚や夜の闇(ノクターン)横丁に一歩でも近づけば実感できるけど、危険な魔導書や呪いの魔法道具だってごろごろ転がっている」

 

「――あとはなんといっても、闇の魔術に限らずそもそも()()()()()()()()ヒトを誘惑しヒトの身も心も周りをも狂しうる、危険極まりないものだ」

 

「それらすべてから、適切に身を護らなければならない。校訓にもある通り、『眠れるドラゴンをくすぐるべからず』なのは言うまでもない。危険にそもそも近づかないことと、逃げる選択肢を取れるなら戦わずに逃げることは、とてもとても()()()大事だ。ただ、目の醒めたドラゴンが目の前で鼻から火を噴いているなら、そのときの対処も知っていなくてはならない」

 

「そして、常に危険が身に迫る察知もできるようにならなくてはいけない。不意打ちはスリザリンの徳目だ。不意打ちをされる方が悪い。――だからさっきも言ったように、訓練中では『今日は終わり』と私が言うまで、一切気を抜かないこと。あとは、魔法ができることは本当に()()()()()()()()だから、相手が使ってくる術について、思い込みは捨てること」

 

「――私は君の学校生活を、私の目と杖の及ぶ範囲で護るつもりだけど、それでもこのクラブは依存や介助の関係作りをめざすわけじゃない。なるべく早く、自分の足で歩ける魔法使いになってくれると嬉しい」

 

 シムは頷く。セラの背中に隠れて生きるつもりなどは毛頭なかった。

 

「とはいえ、入学したばかりの今は呪文をあれこれ教えてもしょうがない。昨日も言ったように、まずは魔法の訓練()()()()()、呪文を()()()()()()()ことから始めてもらう。これが防衛術の基本だ。杖による魔法は幸い、『かわせる』ものばかり。そして『死の呪い』でなくても、ほとんどの呪文は()()()()()()()()()()()()()。だから魔法戦闘においては、魔法の腕と同じかそれ以上に、反射神経と身体能力がものをいう」

 

「かわす技術は、防御魔法よりずっと大事だ。たとえば、生物に問答無用で死をもたらす、『死の呪文』のような強力な呪いは『盾の呪文(プロテゴ)』を貫通してしまう。けれども()()()()()()()()()()()()。下手に防いだり反撃したりしようと思うくらいなら、まずかわすこと。避けるか、物陰に隠れること。これが鉄則だ。魔法の腕が一切なくても、この技術を鍛えるだけでかなりのケースで身を護れる」

 

「効果のほとんどない呪文をひたすらかわす練習をしても良いけど、それだとお互い面白くないし――今日はこの呪文をかわしてもらうことにする」

 

 セラはシムから距離をとって向き直ると、

電光石火で杖を抜き、「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)」と叫んだ。シムの髪が逆立ち、すぐ右を青白い閃光がかすめた。

 

「『全身金縛り術』。または『身体凍結の呪文』。この光線に当たると、しばらく体が固まって動けなくなる。後遺症は何も残らないけど、敵のこの呪文を浴びてしまったら、もう終わりなのは分かるよね」

「何でこの呪文を選んだかというと、一つには、かわせたかどうか結果が分かりやすいから。一つには、詠唱が遅いから。『ペトリフィカス・トタルス』だ――。実戦的な防衛呪文の中に二節のものはそうそうない。もちろん無言呪文なら話は別だけど、落ち着きさえすれば、しっかりかわせる。それにこの呪文は閃光もそこまで速くなくて、光が見えてからでも十分避けられる。――あ、光を伴いながら術が飛んでいるだけで、レーザーとは違って()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。術の飛ぶ速さは、その種類と術者の力量次第で変わる」

 

 先ほどの発音も青白い光も十分速すぎた、そうシムの聴力と動体視力が訴えていたが、言葉に出すだけの気概はなかった。

 

「そして一つには、安全だから。『失神呪文』を人に何度もかけるのは私はちょっと怖いけど、この呪文は脳に干渉しているわけではないしね。分類こそ呪い(カース)だけど、こうやって床を柔らかくしておけば、何度喰らっても害はないはず。『終われ(フィニート)』一発で解呪もできるしね。そういうわけで早速、石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

「……え?」

 

 セラは説明口調のまま、実に自然な動きで杖をシムの胸にまっすぐ向け呪文を唱えた。シムの両腕が体の脇にピチッと貼りつき、両足がパチっと閉じ、仰向けに倒れる。体の自由が全く利かない。

 

「――だから訓練中は一切気を抜くなとあらかじめ言っておいたのに。今から呪文をかけると予告して撃つ、そんな親切な人はいない」

 

 シムのもとに歩いてきたセラは、一枚板に固まった彼のそばに転がる杖を拾い、無造作に放り投げた。

 

「あと、なんでこの呪文(ペトリフィカス・トタルス)を使うかというとね、最後の理由は」

 

 そして屈みこんでシムの顔を間近で覗き込み、酷薄な笑みを見せた。

 

「こうやって身動きが取れないときに、相手にいたぶられるのは、怖いよね?屈辱だよね?二度と同じ目に遭うものか、次は絶対避けてやる、そう思うよね?早く上達してくれるよね?……だからだよ」

 

 セラは立ち上がり、右足をシムの背中の下に入れると、そのまま()()()()()()()()()。シムの体が宙を舞い、数メートル離れた床に落ち、スポンジ状の床と毛布に衝撃が吸収される。シムは呆然とした。もっとも顔つきは、セラが呪文を唱えた段階から呆然とした状態で固まったままだったが。

 

「今から『金縛り』を解除するから、五を数えるうちに、杖を拾いあげて構えること。『姿現し』できない状態で杖を失ったら、魔法戦闘ではほぼ負けだ。何があっても、自分も杖も両方吹き飛んでも、位置関係をすぐに把握して()()()()()()()()()()。五を数え終わったときに杖を構えていなかったら、またすぐに術をかける。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。最初の訓練はこれだ。ある程度形になるまで、ひたすらこれを繰り返す。じゃあ、始めるよ」

 

 淡々と言い終わると、セラは「終われ(フィニート)」と唱えた。シムの体が緩み、再び手足の自由がきくようになる。ほっとしたのも束の間、セラの「(イチ)!」という声を耳にしてすぐに我に返る。「二!――」必死で教室を見回す。「三!――」杖はどこだ――セラの左2メートルの位置にあった。「四!――」よろめきながら立ち上がり、駆け出す。魔法のかかった床は実に走りにくい。「五。石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

 杖まであと一歩というところで、青白い光がシムの体に命中し、手足が再び体にまっすぐ貼りついてシムは床に転がった。

 

「まず、杖がどこに放られたかを、体が固まっているうちに確認しておくこと。うつ伏せに倒れてしまっても、せめて耳で当たりをつけること。次に、解呪したらすぐに体勢を立て直すこと。最後に、間に合わないと思ったら、避けることに専念すること」

 

 セラは言いながらシムの方に大股で歩いてゆき、右脚を振りかぶると豪快にシムの体を蹴飛ばした。足が当たるか当たらないかのうちに、シムの体が宙を舞い、床に転がる。セラの右の靴は橙色の光を帯びていた。

 

「ずっと杖で魔法を使っていると疲れてしまうからね。この靴は生物に触れる瞬間に『宙を踊れ(エヴァーテ・スタティム)』の効果が発動して対象を吹き飛ばす。蹴っているわけではないから、ほとんど痛くないでしょ?」

 

 ――なにも身体的な痛みだけが、痛みというわけではないのでは。シムの言葉は、『金縛り』に遭っている口からは出てこなかった。

 

「君が固まっていない間は私は歩かないから、難しくないはず。じゃあ、準備は良い?――終われ(フィニート)

 

 シムは今度はセラの「一」の合図を待たずに立ち上がることができた。「二――」杖の位置も確認済みだ。「三――」駆ける。杖を拾う。「四――」まっすぐ立って杖を構え、セラに杖先を向ける。上出来だ。「五――。石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

「……え?」

 

 硬直して倒れ込んだシムの顔を、セラがしゃがんで再び覗き込む。

 

「『杖を構えていなかったら、また術をかける』と言ったけれど、杖を構えたらそれで終わりなんていつ言った?杖を構えようがいまいが、私は五を数えたら呪文を撃つ。杖を構えて、避けるところまでがこの訓練」

 

 セラは再びシムの体を右足で蹴り上げ、落ちてきたシムの体を回し蹴りで横に飛ばした。

 

「もう要領は分かったよね? ……私は入学直後で右も左も分からないうちから、七年生二人がかりで厳しく鍛えられた。学内でもとびきり強力な七年生、二人にだよ? しかも、こんな優しく甘く安全なものじゃなかった。泣いて許しを乞うても屈辱に身を震わせても、片方はニヤニヤ笑うだけだし片方は無表情を貫くし――。そうやって日々受けた恩を、ようやく返せる日が来た。――なんて素晴らしいんだ」

 

 雲ひとつない晴れやかな笑顔でセラは言った。セラの使っている英語とシムの知っている英語は、どうやら全く違うもののようだ。さもなければセラは「恩を返す」と「恨みを晴らす」とを混同しているとシムは思った。

 

「そろそろ始めるよ。――終われ(フィニート)

 

 屈辱にまみれた悪夢の訓練が再開した。セラはそれから一切休むことなく、シムの体を「金縛り」にし怒声とともに蹴り上げた。

 

石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――なんで今のが避けられない! 落ち着け!」「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――杖の方向をよく見ろ!」「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――それでもスリザードか! 焦るな!」「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――同じことを言わせるな、さっさと顔を洗って出直せ!」「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――寮監は髪を洗え!」

 

 なぜ自分はこの悪魔か鬼を、天使か聖母のように思いこんだのだろうか。シムは昨日の自分を(いぶか)しんだ。そもそも組分け帽子は、なぜ彼女をレイブンクローに送るかどうかで迷ったのか。

 シムは最初の数回を経て、体勢を素早く立て直して杖を構えるまではよくできるようになったが、その後セラの呪文をかわすのが難しかった。少し体を捻った程度では光に当たってしまうし、かといって怯えて思い切り走ろうとすると杖の照準も併せて動かされる。そうして床に倒れるたび、セラは無情にシムの体を蹴り飛ばす。

 

「そうやって分かりやすく動いたら、狙ってくださいと言っているようなものだろう!」「もっと私を観察しろ!」

 

 はっとなってシムはセラの杖の動きを観察した。この呪文は詠唱が長いから避けやすいと、セラは最初に言ってくれていたではないか。次は動かずに棒立ちになり、セラが呪文を唱えるさまを注視した。セラの詠唱は速かったが、それでもこの呪文の文言はやはり長い。「ペトリフィカス」で杖を回し、「トタルス」で照準を合わせる。シムは、セラが音を発した時点で焦って逃げまどっていた。照準はそのときなら自由に動かせる。シムは直感的に確信した。「トタルス」のときに跳んで良ければ良い。

 

石になれ(ペトリフィカス・トタルス)……それで良い」

 

 シムは紙一重でセラの青い光をかわしていた。セラは杖を下ろし、微笑む。「大抵の呪文はもっと短いから、詠唱を始めた段階で反射的に避けた方が良いのは言うまでもない。けれどもパニックを起こして闇雲に走り出しては、避けられるものも避けられない。落ち着いて、横っ飛びになって呪文を避ける。相手の杖から目を背けてはいけない」

 

 シムの心を満たした安堵は、セラがすぐに顔を引き締めたのを見て流れ落ちた。

 

「早速続けよう。間を置かずに唱えるから、続けて避けられるようになること。同じ呪文は連発すると威力が弱くなってゆくから、焦らなければいけるはず。――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

 シムが避けるたび、セラは続けざまに狙いを定めて呪文を浴びせた。セラの言う通り、二発目以降の青い光は鈍くなり、速度も遅くなるように感じたが、それでも続けて避けると体勢を立て直すのが間に合わず、二発目か三発目では『金縛り』にされ蹴り飛ばされた。

 

 そうして三時間は過ぎたと思った頃、ようやくセラは再び杖を下ろし壁の時計を見た。

 

「もう四十五分は経ったのか。――私もさすがに疲れてきたな」

 

 そしてシムに顔を向けて、柔らかに笑う。

 

「初めてなのに、本当によくやった。弱音を吐くかとも思ったけれど、そんなことはなかった。さすがだ。――ごめんね、手荒なことをしてでも、君に憎まれてでも、手早く君を鍛えなきゃいけないと思ってのことだよ」

「シム、君は観察力も優れているし、改善点を見つけてすぐに次に活かせるところも良い。鍛えれば身体もついてゆくはず。この調子で頑張って。期待しているよ」

 

 いったい誰が、目の前の魔女を悪魔か鬼だと思うのだろう。シムはぼんやり思った。セラがシムの心理をどこまで計算しているかは分からないが、飴と鞭の使い分けが実にうまい。いや、飴というよりはむしろ、糖蜜パイか。

 

「こちらこそありが――」

「――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

 口を開きかけたシムを青白い光が襲った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――だからそれじゃ、スリザリンではやっていけないよ」

 

 悪魔は無表情でシムを見下ろした。このときのシムの飛距離は、最高記録を更新した。

 

 ★

 

 それから10分のち、セラから「今日はもう終わりにしよう」と言葉がかかり、シムは訓練から解放された。教室を元通りに直した後、二人は教室の裏の談話室に入った。

 セラが杖を振ると、談話室の壁の黒い箱が開き、皿が飛び出て円テーブルに並んだ。具材がたっぷりのシチューとスープだった。続いて「冷却呪文」のかかった白い箱から、水差しとコップも飛び出て並ぶ。

 

「外出禁止時刻はまだまだだからね。ちょっとゆっくりご飯を食べても十分間に合うよ」

 

 セラの顔には疲れの色が見えたが、口調は快活だった。ようやく息が整ってきたシムは、疲労困憊の口調で言った。

 

「今日は訓練をありがとうございました。――ところでその、ここに並んだ水や食事に、なにか薬が仕込まれているとかじゃないですよね……?」

 

「……ああ、『今日はもう終わり』と言ったら、それから先は絶対に不意打ちをしない。そして、訓練をしない日にも邪魔は絶対しない。せっかくのホグワーツの美味しい料理に、混ぜ物をするなんて冒涜もしない。これらだけはマーリンに誓おう」

 

 その言葉を聞いて、シムは水を何杯も飲み干した。こんなに水が美味しいのは、久方ぶりだ。まだ息が切れていて、すぐにシチューを食べる気にはならなかった。シムはふと気になったことを尋ねてみた。

 

「……ところで、生徒や先生全員分の料理を用意したり、この広い城中を隅々まで掃除するのって、いくら魔法があるとはいえ人手が相当要りますよね? スタッフの方々ってどこにいらっしゃるのですか? 全然見かけないですが……」

 

「ああ。ヒトではなくて、屋敷しもべ妖精(ハウスエルフ)という生物がごまんと働いていてね。私たちに見えないところで、彼らがすべてやってくれている」

 

 セラ曰く、杖なしで魔法を使い、一切合切の家事労働を肩代わりしてくれる魔法生物。「ヒトたる存在」に分類され、ヒトと同程度の知性を持ち、人間の自然言語によるコミュニケーションをとれ、魔法法に縛られ、しかしヒトより法的に下位に置かれる生物。苦役を苦と思わず、一切の見返りを求めず、いかに蔑まれようと罵られようと虐待されようと、ヒトに――少し正確にはヒトの屋敷に――奉仕し続ける。仕えるヒトの命令には絶対に従う。控え目に言えば召使、有体に言えば奴隷だが、奴隷とは違い解放を望まず、解放されることを最も恐れる。ご主人様の命令に従うことこそが至上の幸福と感じる。

 

「……そんな因果な生物が、屋敷妖精、屋敷しもべ妖精だよ」

「それは――そんなのって――そんな都合の良い生物が――」

 

「――色々な感想があるようだね。それじゃあまず、スリザリン的な感想から聞こうか」

「……そんな都合の良い存在がいるなんて魔法界は凄いですね、これからもありがたくお世話になることにします。僕ら魔法族は無償で全部やってもらえてハッピーだし、彼ら屋敷妖精も僕らに奉仕出来てハッピーなんですよね。誰も不幸にならない! 屋敷妖精がいないなんて、非魔法族は可哀想ですね!」

 

「率直だね。それではハッフルパフ的な心境は」

「……それでもやっぱり少し胸は痛みますね。彼らにとっては幸福とはいえ、それに甘えてこき使い続けて良いんですかね……。魔法族だって、料理にしろ掃除にしろ、ちょっと杖を振れば自力で片付くことでしょう?」

 

「なるほど。レイブンクロー的な考察は何だい」

「本能レベルでロボット三原則が根付いている知的生命の労働力を魔法族が享受することの是非は哲学者や倫理学者にとって議論の格好の題材になりそうですねベンサムなんかは諸手を挙げて賛成しそうですし逆にカントは断固として反対しそうですがそもそも家畜と屋敷妖精の違いがどこにあるかを考えると知能で線引きをしてしまってい」

 

「君のレイブンクローへの偏見がよくわかる口調をありがとう、そのくらいで十分だ。最後にグリフィンドール的な意見は」

「……今日も奴らのおかげでメシがウマいぜ!」

 

「……」

「……」

 

「……それはグリフィンドール的なの?」

「……セラが無理矢理当てはめたんじゃないですか」

 

「……まあ、とにかく、さっきシムは非魔法界を引き合いに出したけれど、魔法界でもすべての家に屋敷妖精が住んでいるわけではなく、ごく一握りの大邸宅だけみたいだ。そして英国の屋敷妖精の大部分はこの城にいると聞く。主人に逆らえないのを良いことに手ひどい扱いを受けている屋敷しもべ妖精も多いだろうけど、ダンブルドア校長なら、無償で奉仕したい屋敷妖精の欲求は尊重しつつ、虐待や不条理な命令はしないだろう」

「じゃあ、屋敷妖精の多くがホグワーツ(ここ)で暮らしている現状は、彼らの種族にとって一番良いともいえそうですね」

 

 二人はそれからシチューとスープを食べ終えて寮に戻った。翌日の木曜は訓練のない日で、セラが約束した通り、水曜と木曜の授業の宿題を片づけているシムの身に何も災難は降りかからなかった。さらに翌日の金曜は再び訓練のある日だった。グリフィンドールへの清々しいまでの堂々たる逆贔屓(ひいき)が行われる魔法薬学を受ける間も、夜の訓練のことがシムの頭を渦巻いていた。午後は授業がなかったが、スリザードの教室に向かわず、図書館で宿題を済ませることにした。夜になり、恐怖を殺した覚悟の顔色で教室に入ってきたシムを見て、セラは挨拶をすることなく呪文を放った。

 

石になれ(ペトリフィカス・トタルス)……うん、良い動きだ」

 

 セラが絶対に不意打ちをしないと誓ったのは、「今日はもう終わり」と言った後に限る。「これから始める」の合図はないので、教室に入った瞬間に不意打ちされる可能性がなくはない――つまり確実に起こる。シムはこの展開を予想していたので、無事に右に跳んでかわすことができた。

 得意顔を抑えてシムは教室を見回す。昨日と異なり、椅子が何脚か片づけられずに床に幾つか点在していた。

 

「今日の訓練も呪文をかわすことだけど、『全身金縛り術』だけでなく種類を増やして行うことにする。()()()()()()()()()、まずはいきなり撃ってみるから、落ち着いて頑張ってかわしてみてほしい。――もう少し教室の中央に寄って。心の準備ができたら言ってくれ。今は撃たない」

 

 シムは教室の真ん中に立つと、数回深呼吸してから合図をした。窓にもたれていたセラは、背筋をまっすぐ伸ばすと、シムの胸に杖を向けた。その杖をシムは凝視した。

 

来い(アクシオ)

 

 セラが叫んだ瞬間、シムは左に跳ぼうとした――が、セラの杖先からは何も光が出ない。戸惑って硬直するシムの背中から衝撃が襲う。

 シムは前につんのめった。シムの背中に激突したのは椅子で、そのまま猛スピードでセラの手元まで来ると止まった。椅子は『衰えよ(スポンジファイ)』がかかって軟らかくなっていたとはいえ、その質量はおおむね健在でシムの体に衝撃を与えるには十分だったし、シムの心に衝撃を与えるにも十分だった。

 

()()()()()()()()()()()()()()なんて誰も言っていない。魔法を学ぶときに、杖を持った敵と相対するときに、勝手な思い込みは捨てること」

 

 セラの言葉が教室に響いた。

 




初日の訓練の内容を3行程度ですませるつもりだったのですが、一万字近くなってしまったので独立させました。続きもじきにアップします。

2E教室:
最初の話で「10数個の机が並ぶこじんまりした教室」と書いちゃってましたが、30~40人規模の教室です

古代ルーン文字:
原作の感じだと、単にルーン文字で書かれた文献を翻訳できるようになるのが目標っぽいですが、ゲド戦記の神聖文字みたいに、文字を刻んで魔法を使えるみたいな設定に。便利すぎて不都合生じそうだと後で修正します。

衰えよ(スポンジファイ)
二次創作御用達のゲームオリジナル呪文

宙を踊れ(エヴァーテ・スタティム)
映画オリジナル呪文。映画には正直あまり馴染みがないので最初は妨害せよ(インペディメンタ)で書いていたのですが、インペディメンタはどうも五巻以降の「吹き飛ばす」効果より四巻での「動きを鈍くする」効果の方がメインっぽいので断念。吹き飛ばす/鈍らせるを使い分けられるのか、威力が強いと(エクスペリアームスが武器を飛ばすついでに体を吹き飛ばす感じで)「吹き飛ばした後に鈍らせる」感じになるのかどっちなんでしょうか。

眠れるドラゴンをくすぐるべからず:
この後ろ向きな校訓が、もし創始者の時代から存在するものならば、ゴドリック・グリフィンドールが尊ぶ勇気とは決して蛮勇をさすものではなくもっと深いものなのだろうな、
みたいに多分深い理由は全くない細かい事柄にもいちいち解釈を見出すオタク遊びは楽しいですよね。

戦闘に関してのあれこれ:
反射神経めっちゃ大事そう、呪文の光がそこまで速くなさそう、連続して同じ呪文使わずに違うの使いがちみたいな原作の戦闘を解釈するための独自設定連発。

屋敷しもべ妖精:
セラは特定の妖精と深い交流をしているわけではないので、妖精の複雑な感情の機微について体得しているわけではありません


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第2話 鍛錬と探険 (2)エクスペリアームス

(「アクシオ」と「エクスペリアームス」を分けて投稿しましたが、キリが悪いのでやっぱり結合します、すみません)


来い(アクシオ)――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――来い(アクシオ)――(アク)――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

 セラの声が教室に響く。シムは、セラの杖から飛び出る青白い光と、背後から襲う椅子の両方を続けざまにかわさなければならなかった。青白い光に当たれば固まって床に倒れ、昨日と同じくセラに思い切り蹴飛ばされて宙を舞った。一方で椅子に当たれば体勢が崩れ、すぐに飛んでくる青白い光をかわせず、やはりセラに蹴り上げられて宙を舞った。

 

 呼び寄せ呪文・「来い(アクシオ)」は、望みの物体を猛スピードで手元に引き寄せることができるという、まさに魔法らしい魔法だ。呼び寄せ呪文の対象となった物体は、障害物を基本的には避けつつ術者の元に移動するのだが、術者の視認範囲にあるほど近い場合には、どのくらい慎重な移動をするか豪快な移動をするかが術者のイメージによってかなり調整が利き、セラは障害物(シム)を一切気にせず最短距離で椅子を手元に引き寄せていた。これは明らかに、呼び寄せ呪文の本来意図されない利用法だった。しかし「これが『衰えよ(スポンジファイ)』のかかっている椅子じゃなくて、もっと物騒なものだったときのことを想像しろ」とセラに言われるとシムの身は引き締まった。

 

 どちらの呪文が飛んでくるかはセラの発音を聞くまでわからず、しかも「来い(アクシオ)」の場合には発音も短くどの方向から椅子が飛んでくるかも分からないので、回避は困難を極めた。「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)」を避けるためにセラの杖先に注視しつつ、「来い(アクシオ)」を避けるために椅子が動き出す音に全力で耳を傾ける必要があるので、一瞬も集中を途切れさせてはいけなかった。

 

 

 その次の訓練の日からは、さらに呪文が追加されていった。新しい呪文は特に説明されることなく放たれた。英語やラテン語に似た呪文の文言からその意味がある程度推測できようとできまいと、シムが初回で避けられる望みはまずなく、二回目以降も難しかった。

 

 時には「踊れ(タラントアレグラ)」で踊り狂う机と椅子から懸命に逃げながら、時には「滑れ(グリセオ)」で滑る床で足を取られながら、時には「鳥よ(エイビス)」と「襲え(オパグノ)」で放たれた鳥の群れから身を庇いながら、「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)」と「来い(アクシオ)」を避けなければならなかった。まだ十一歳のシムに被虐の精神が芽生えなかったのは幸いであった。いや、あるいは芽生えてしまった方が楽だったかもしれない。「今日はもう終わり」とセラが言ってシムに向ける柔らかな笑みだけが癒しだった。

 

(また、魔法を避ける練習だけではなく、筋力や持久力や、様々な身体のトレーニングも課された。基本的には自主的に行うよう指示されたものだったが、ときにはセラの監視のもと行われた。その場合は当然ただの運動で終わるものではなく、たとえば教室の外周を延々走り込みさせられるときは、セラの繰り出したコウモリ花――黒い翼の生えた奇怪な飛ぶ花――に背中を追われ続けた)

 

襲え(オパグノ)――手じゃなくて椅子を盾にしろ!小学生じゃないんだ!」「滑れ(グリセオ)――重心を低くしろ!今のがホグワーツの廊下だったら終わりだ!」「踊れ(タラントアレグラ)――動きは単純で繰り返しだ、落ち着いて見極めろ!そんなんじゃホグワーツで生きていけないぞ!」

 

 そんなタイプには見えなかったが、セラはミリタリー映画などに案外影響を受けるタイプなのかもしれない。訓練中に乗りに乗って怒声と罵声を浴びせる彼女を見て、シムはそう思わざるを得なかった。さもなければ、シムの知っているホグワーツと彼女のいるホグワーツは明らかに違う。

 

 

 実際のところ最近のシムにとって、スリザードの教室こそがホグワーツで最も本能的な恐怖を感じる場所になっていた。寮の寝室では半純血の生徒と声を二言三言かわすようになったし、スリザリン一年生の中に、シムの身を著しく脅かす存在は未だ現れていなかった。

 

 スリザリン一年生の王であるドラコ・マルフォイや取り巻きは、シムを頑なに無視するか「穢れた血」なる侮蔑語を浴びせるのみという状況が続いていた。この「穢れた血」という語句は、グリフィンドール寮でひとたび空気を流れようものなら途端に非難と糾弾の怒声が沸き上がるに違いないが、スリザリン寮においてはあまりに日常的に空間を飛び交うため、侮蔑語としての重みが実のところ暴落していた。

 

 また、ドラコ・マルフォイのボディガードである、マウンテンゴリラから知性と慈愛をすべて取り除いたと形容すべき二人の巨漢――たしか名前はクラッルとゴイブだったかクイッブとゴラルだったか――についても、その恵体から豪速で繰り出される剛腕と、躊躇いなくシムに殴りかかるだけの乏しい倫理観は実に脅威であったが、しかし食べ物を視認すると一瞬動きが硬直する性質があることをすぐに発見して以降はラクだった。シムはチョコレートクッキーの包みをポケットに忍ばせて、彼らと目があった瞬間に高々とクッキーを掲げるだけで、彼らのそばから悠々と歩いて去ることができた。そしてそのたびに、彼らを統御するマルフォイ少年の手腕と苦労に、改めて尊敬と同情の念を覚えるのだった。

 

 

 スリザリンには、魔法界の牢獄アズカバンに幽閉されている親を持つ生徒が幾人か存在したが、セラに言わせれば、本当に警戒すべきは、「アズカバンにいる死喰い人の親を持つ子供ではなく、死喰い人であった()()()()()()()シャバで堂々と暮らしている親を持つ子供」なのだという。前者は、せいぜい物心ついたころには親と別れ、魔法省の監視のもと暮らしており、親の影響を色濃くは受けていない。一方、後者は存分に親から()()()の英才教育を受けているし、親の狡猾さも十全に受け継いでいる可能性がある。シムはその発言はもっともだと思ったが、しかしセラが警戒すべき生徒の筆頭として名を挙げたドラコ・マルフォイについてはやはり首をかしげざるを得なかった。

 

 ドラコの父ルシウス・マルフォイは、ウィルトシャー州に大邸宅を構え、フランスにルーツを持つ純血貴族の筆頭一族マルフォイ家の当代当主であり、間違いなく「例のあの人」の腹心の部下であると(ささや)かれたものの、しかし凶悪犯罪に手を染めた決定的な証拠は何一つとして発見されず、立証されたいくつかの犯罪についても、氏の「マルフォイ家の財力と政治力を利用したい『例のあの人』から『服従の呪文』をかけられていたに過ぎない」という主張を否定するだけの決定的な証拠もなく、結果としてウィゼンガモット大法廷の無罪判決を勝ち取り(推定無罪の原則が必ずしも働く()()()()()()ウィゼンガモットの通例に照らして考えてみれば、この判決は自明の結果ではない。氏の無罪放免に挙手をした陪審員のどれほどが、氏のガリオン金貨や恐喝に屈したか、あるいは氏の去りし後の英国魔法界の情勢の変化を憂いたか、あるいは単に氏と昵懇(じっこん)の仲であったかは定かではない)、今も英国魔法界に極めて大きな影響力を持って君臨しつづける男だった。

 

 一方でルシウスの息子ドラコは、スリザリン生の前では優雅で冷酷で威厳ある貴族らしい振舞いを完璧にこなしてみせるものの、頻繁にグリフィンドールのハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーのもとに絡みに行っては、しばしば彼らにやり込められ、苦虫を噛み潰した顔でスリザリンに引き下がってゆく、なんとも年相応の可愛らしい一面も見せていた(なおポッターは、天才的な飛行術を見せたほかは、魔法の才能をいかんなく発揮してさっそく伝説的偉業を打ち立てる――スリザリン寮で期待されたのはダンブルドア校長を朝食の席で吹き飛ばすこと――などということはなかったが、それでもウィットに富む彼の皮肉と舌戦の才能は、シムや一部のスリザリン生が素直に感心するところであった)。

 

「小物に見える者が、小物のふりをしていないとは限らない」などとセラに言われるかもしれなかったが、しかしシムにはマルフォイ家の次期当主ドラコは、()()()()()()()が寮内にいない孤独を紛らわせるために、わざわざポッターを嘲笑いに行っているだけではないかと思え、その不器用さに微笑ましさと同情の念を覚えるのだった。

 

 

 しかしドラコ・マルフォイはともかくとして、スリザリンの上級生には――そのような「アズカバン送りになっていない死喰い人の親」を持つ子供を含め、粗暴な性格と魔法の腕を備えた生徒を含め――やはり警戒すべき者も多かった。

 シムはある日の午後、スリザリン談話室にほど近い地下の暗い廊下で、すれ違っただけのスリザリン上級生三人に囲まれなじられたことがあった。上級生たちの残忍な薄ら笑いを見て、これから起こるであろうことを直感し、せめての抵抗として杖を抜こうとしたところ、ちょうど通りかかったセラに救われた。

 

 歩いてきたセラはシムと上級生の顔を見ると同時に、流れる動きで杖を抜き、無詠唱で全員に「足縛りの呪い(ロコモーター・モルティス)」をかけ、床に「滑れ(グリセオ)」をかけて廊下の端まで吹き飛ばした。廊下の端から、鈍い音が響いた。

 窮地を救われたにもかかわらず、シムはセラの顔を見て恐怖で動悸がさらに激しくなったが、セラはシムの顔を見て「無事なら良かった。盾の帽子、早く渡すから」とだけ呟き、シムのお礼を待たずにそのまま去っていった。

 

 シムはまた、グリフィンドールの粗暴そうな二年生三人に囲まれちょっかいを出されたこともあった(グリフィンドールとスリザリンは不倶戴天の敵であり、顔を合わせただけで小競り合いが発生するのはこの数世紀の間ホグワーツの日常茶飯事となっていた)。

 

 このときのシムはグリフィンドール生達から単に軽口を叩かれただけに過ぎず、それ以上の蛮行を奮う意図が果たして彼らにあったのかどうかはシムには分からなかった。というのも、このときは校内の巡回をしていたスリザリン監督生ジェマ・ファーレイが、シムとグリフィンドール生を見るや否や、不気味な笑みを浮かべて詠唱を始め、無害だがおぞましい造形の黒い霊の群れを繰り出しけしかけてきたからだった。

 

 恐怖の表情で逃げ出したグリフィンドール生たちにジェマは「それでもグリフィンドールか、臆病者」と嘲笑って追い打ちをかけたが、しかしジェマが繰り出したモノはあまりにおぞましかったので、これを見て逃げ出してもゴドリック・グリフィンドールの名を汚すことはないだろうとシムは感じた。そして、自寮の下級生を守る名目で他寮の生徒に呪いをかける機会を狙っていたであろうジェマに戦慄した(なお、生徒に対して監督生が行使できる権限は、寮点の減点と罰則のみであり、言うまでもなく呪いの行使はそこに含まれない)。

 

 そしてジェマは「セラ、初めて新入生が来たからって張り切っちゃって、案外可愛いとこあるよね。まあ、頑張ってね」とシムの肩を軽く叩くと、シムのお礼を待たずに去っていった。

 

(無論、スリザリン生がグリフィンドール生にちょっかいを出すケースも、同じくらいかそれ以上に多く頻発する。スリザリン上級生数人がグリフィンドール一年生のネビル・ロングボトムの行く手を阻み、怯えるネビルを面白がりからかう場面をある日のシムは目撃した。このときはグリフィンドール監督生のパーシー・ウィーズリーが通りかかりネビルを守った。ジェマ・ファーレイとは対照的に、パーシーは何があろうと決して生徒に呪いをかけることはなかった。彼はただ強固な盾の呪文を、彼の石頭より堅いとさえ噂されるその盾の呪文を展開し、叱責の言葉とともに寮点を減らすのみに留めるという、実に模範的な監督生らしい手法をとることで知られていた。ただしこのとき減点される点数が、彼の非常に強固な盾に与えた衝撃の大きさと相関があることはよく知られており、スリザリン生の中には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()者さえ出る始末であった。ちなみにこのときスリザリン生が放った「くらげ足の呪い(ロコモーター・ウィーブル)」のパーシー・ポイントは、まずまずの5点という結果だった)

 

 

 シムは、自分が上級生の女子生徒に守られてばかりいることに気づいたが、しかしだからといってなけなしのプライドが傷つくということはほとんどなくなった。

「女性は男性に守られるべき、か弱き存在である」という価値観は、英国非魔法界においてもとうに(かび)臭くなっていたが、そもそも男女が互角な戦闘もスポーツ試合も行える魔法界においては、端からほぼ存在しないものといえた。「向こう千年マーリンの他に並ぶ者なし」とまで謳われた創設者からして半数が女性であるホグワーツ魔法魔術学校は、創設時から男女共学である。女性が歴史の表舞台で活躍する機会は、英国非魔法界のそれに比べると、近代人権思想やフェミニズムが萌芽する遥か以前から今に至るまで、格段に多く与えられているといえた。

 

 

 魔法の訓練を行わない日も、セラはスリザードの教室や談話室にいたが、しかしシムと会話をすることはほとんどなく、まして談話室のゲームで共に遊ぶということもなかった。

 

 シムが教室を使うと定められた曜日にはセラは談話室にこもり、シムが談話室を使うと定められた曜日にはセラは談話室に顔を出すことがなかった。セラは机に広げた本を一心不乱に読んでノートに何やら書きなぐるか、あるいは杖を抜いて魔法の練習をしていた。セラの姿を見かけないときも、しばらく経つと両手で本を抱えて戻ってくるか、頬を上気させ息を切らしながら戻ってきた。図書館にこもっていたか、城の外で身体を鍛えていたのだろうと思われた。

 

 そんなセラの姿は、尊敬を越えて畏怖や当惑をシムが覚えるほどストイックであった。ただし、セラは昨年も年中このような調子で日々を過ごしていたのではなく、今年になって二日に一回のペースで付きっ切りでシムを鍛えているがために、その遅れを取り戻そうとしているのだ、ということをシムは薄々感じていた。

 

 ホグワーツでは莫大な課題が課されるのが常で、入学したばかりの一年生でさえそれは例外でなく、まして四年生ともなれば、夜遅くまで談話室で息を吐きながらレポートに取り組むのが日常だった。セラは課題を全てこなした上でさらに、座学・実技問わず自主的に魔法を学び訓練し、さらには非魔法界の様々な見分を深める時間をも作り出していた。自寮の生徒と交友を温める、健全な学生生活をすべて投げうっているとはいえ、それでも尋常ではないように思えた。

 

 とはいえセラが訓練中にシムに浴びせる多種多様な怒声の中には、自らの時間を割いていることに関する当てつけは、一切含まれていなかった。訓練でない日にシムと会話する際も、その口調や顔色は一切疲労を感じさせることない、あくまで鷹揚としたものであった。シムは何がそこまでセラを駆り立てるのか分からなかったが、それでも自分ができる精一杯のこととして、訓練に励むこととセラの時間を邪魔しないことに注力し、セラが体を崩すことがないことを祈った。

 

 

 ★

 

 

 

 呪文をかわす訓練が一定の成果をあげてきた段階になって、ようやく呪文を撃つ訓練が始まった。呪文学の指定教科書「基本呪文集・一年生用」の先取りの学習に加え、防衛術で重要になる呪文の修得が行われた。

 

 まず最初に訓練した防衛呪文は、習得が容易である武装解除呪文「武器よ去れ(エクスペリアームス)」であった。詠唱と同時に杖から放たれる赤い閃光を対象に当てると、その相手の武器(相手と術者の双方が武器と認識するような道具、つまり魔法族同士の戦闘においては杖)を相手の体から吹き飛ばすという術である。威力次第では相手の体も衝撃で吹き飛ばしたり、相手の武器をこちらの手元に引き寄せることも可能となる、実に汎用性の高い呪文だ。

 

「相手を傷つけず、それでいて確実に自分の身を護る、お手本みたいな防衛術だね」とセラは説明する。

 

「こういう一見地味な術は、軽く見られることが多いけど、これさえ当てれば、もう相手は成すすべがなくお手上げだ。『極端な話、下手に色々な呪文に中途半端に手を出すよりは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()方が良いとさえ僕は思う』――決闘クラブでは前に、こんなことを真顔で言っていた猛者がいてね」

 

 セラは遠い目をした。

 

「実際に彼は、『盾の呪文』と武装解除呪文のほとんど二種類だけで、たいがいの相手を叩き潰していた。相手が『盾』を解除して攻撃に転じようとした瞬間に、極太の赤い閃光を無言でほとんど時間をおかずに連射するものだから、これに対処するのは至難の業だ。決闘の美しさを魅せる点では、彼にお呼びはかからなかったけれど、ともかくあれほど武装解除呪文を極めた人は、魔法戦闘のプロ・闇祓い(オーラー)の中にさえあまりいないんじゃないかと思うよ」

 

「私がようやく彼に喰らいつけるようになったころには、彼は卒業して、そのまま闇祓いの研修生になってしまったけれどね」

 

 そしてセラとシムは、武装解除術のみを用いた決闘をしばらく行った。

 

 まずお辞儀をしたのち(「すごく綺麗な角度だね!日本のお爺さんの遺伝子かい!?ハッフルパフのオオニシと並ぶ美しさかもしれない!」とセラが激賞した)、教室を移動しながら、相手に武装解除呪文を当てたら勝ち、というだけの単純なルールだ。反射神経が向上してきた今なら、ある程度はセラに喰いつけるのではないかともシムは思ったが、それはひどく思い違いであった。

 

 シムの放つ赤い閃光は、セラが一歩動けば避けられるほど細く、ボールを軽く投げる程度に遅く、椅子や机で防がれるほど弱いものであった。

 

 一方でセラの放つそれは、机二列分ほどに太く、詠唱と同時に教室の端から端へ到達するほど速く、教壇を貫通するほど強かった。(もちろん通常の光ならば、レーザーでもない限り板を貫通するなどということは起こり得ない。光そのものが飛んでいるのではなく、あくまで光を放ちながら()()が飛んでいるに過ぎないために、光が板を突き抜けるかのように見えるのである。また、武装解除呪文は生物に触れて初めて効果が発揮されるので、机を貫通したからといって、机は吹き飛ばされることも穴が開くこともない)。

 

「この呪文は簡単だから、鍛えれば鍛えるほど凄い威力になってくるんだよ」と明るくセラは言った。快活に笑いながら、その恐ろしい威力の武装解除術を連射してきた。シムはそのたびに吹き飛ばされ、机をなぎ倒し床を転がった。一度は壁に鈍い音を立てて激突した。

 

「……ごめん、壁の『衰えよ(スポンジファイ)』、少し効果が弱くなっていたみたい」

 

 呻くシムにセラは小声で謝った。

 

 光が飛ぶ速さだけでなく、セラは呪文の詠唱も非常に速かった。

 

 二人が同時に詠唱し始めても、シムが「エクスペリ」まで発音するタイミングでセラは既に正確な発音で詠唱を終えており、「アームス」まで発音したシムの体を赤い光が包み吹き飛ばしていた。つまりシムは、「セラが杖を振り上げ口を動かした」タイミングで全力で横に動くほかなく、結局のところ「全身金縛り術から避ける訓練」の難易度が上昇したに過ぎなかった。

 

 とはいえ、さすがのセラも移動しながら高威力の呪文を放つことは難しいようで、呪文を放つ前には必ず一旦止まる癖があった。そこでシムは、ひたすら教室を走りながら、セラの背後をとる戦法に切り替えた。セラが呪文を放とうとしたとき、逆に()()()()()()()()()()()()()、右にダイビングすることで、セラが「詠唱をし光を放ち終わる」まで立ち止まった隙をついて、セラの真横から詠唱を終え、セラがこちらに向き直る頃には彼女に光を当てることに成功した。

 

 赤い光に照らされたセラの驚愕の顔は、シムが初めて見るものだった。近距離から呪文を喰らい、机一個と共に床に倒れたセラと、こちらの手に飛来する彼女の杖とを交互に見つめ、シムはしばし呆然となった。セラはすぐに立ち上がり、晴れやかな笑顔で褒めたたえた。

 

「油断していたわけじゃないけど、やられてしまったよ。今日中にやられるとは、正直思ってなかった。凄いよ。さすがだ。……でも、次は同じ手は喰わないからね」

 

 セラに勝利し手放しに褒められたことで有頂天になったシムの気分は、シムとの距離を慎重に空けるようになったその後のセラに、九回連続で吹き飛ばされすぐに萎むことになった。

 

 

 ★

 

 

「……でも、こんなに簡単に杖が吹き飛ばされてしまうなら、何で魔法使いは予備の杖を持たないのですか?いくら杖が高いといっても、二本あるいはそれ以上持っていた方が、絶対に安心じゃないですか。一本しか持たないのは、ただの慣習ですか?」

 

 九回連続で武装解除呪文を食らった後、セラから武装解除で奪われた自分の杖をセラから受け取るときにシムは疑問を口にした。

 セラは自分の杖をローブに仕舞い、椅子にこしかけ右手を顎にあてた。

 

「私も前に同じことを思った。ただ、ダイアゴン横丁のオリバンダーさんに言わせると、杖と魔法使いの間には相性や信頼関係というものがあるようなんだ。あのご老人は、《魔法使いが杖を選ぶのではなく、杖が魔法使いを選ぶ》というようなことを言っていなかったかい?」

 

「はい、言っていたと思います」

 

 狭くてみすぼらしい杖の店で、瞬き一つしない店主の銀色の目、知と狂気を内包した瞳に見透かされたときの薄ら寒い感覚をシムは思い出した。

 

 紀元前創業だというあの店の看板に偽りがなければ、あの老人の一族は二千年以上にもわたり、ひたすら杖の術を追い求め続けてきたのだろうか。ある意味では実に魔法使いらしいその在り方を想像し、尊敬と恐怖とを同時に感じたものだった。

 

「あれは、恐らく比喩じゃなくて。杖は本当に、意志や感情を持った生き物のように振舞う、あるいは少なくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな道具であるみたいなんだ。杖は持ち主の精神と同調し、持ち主の行動は杖にフィードバックされ、性能に影響を与える。オリバンダーさんによれば、持ち主と共に杖は成長してゆくし、杖の持ち主が決闘なんかで負けると、程度こそ差はあれ杖の『忠誠心』は下がってしまう。忠誠心が下がると杖は十分なパフォーマンスを発揮してくれないそうだ」

 

「なるほど。……あれ、じゃあもしかして、僕は今セラに負け続けてますけど、この杖は完全に僕を見放している……?」

 

 蒼ざめるシムにセラは微笑んだ。

 

「これは飽くまで、お互いが訓練だと認識して行っているからね。多分大丈夫だよ。そんなことで杖に見限られていたら、誰も魔法が上達しないだろう?」

 

「ともかくオリバンダーさんは、『杖をただの道具として扱うのは論外じゃが、召使として見るのも駄目ですぞ。信頼できる対等なパートナー、それもできれば親友ではなく、恋人として扱うのじゃ』と私に言い含めていた」

 

 セラの顔は若干引きつっていた。

 

「……だから杖を二本持つなんてことは、初めから自分の杖として二本持つなんてことは、言ってみれば堂々と二股をしていることと同じで、それだと()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうでもなければ、多少合わない杖であろうと、誰もが杖を二本三本持ち歩くだろう。……杖によっても差はあるだろうけどね」

 

「二本を交互に使うとかなら浮気になるかもしれないですけど、要は普段使いの杖が手元から離れてしまって『来い(アクシオ)』するときにだけ、予備の杖があれば良いんですよね?予備の杖を全く使わなければ良いのでは?」

 

「私も思ってつい言ってしまったのだけど、わなわなしたオリバンダーさんに『杖の気持ちにもなってみなされ!』と怒鳴られてしまった。……これは私の勝手な推測だけど、それでも愛人がいることはバレてしまうんじゃないかな、あるいはここ一番のタイミングで『来い(アクシオ)』用の杖が『来い(アクシオ)』を発動してくれないということも起こるのかもしれない」

 

 そういうわけで、私はこの杖を大切にすることに決めたし、杖の手入れもちゃんとすることにしているよ。セラは自らの杖を優しく見つめた。

 

「そうなったら意味ないし、予備を持つのではなく一本を死守しろってことなんですね。……あれ、セラは前からずっと、『石になれ(ペトリフィカス・トタルス)』をかけた後にやたら僕の杖をぞんざいにぶん投げていませんでしたか?自分の恋人は大切にするけど、人の恋人はどうでも良いんですか?」

 

 突然そのときのセラの耳は遠くなってしまったようだったが、その後セラがシムの杖を放り投げるとき、その手つきは心なしか遠慮がちになっていた。

 

「オリバンダーさんは、一本一本どの杖も全然性質が違うともおっしゃっていましたね。……杖の性質が杖の芯によって、ドラゴンの心臓の琴線と不死鳥の尾羽とで違ってきそうなのは分かるのですが、木の材質によってもそんなに違うのですか?サンザシとかモミとかカシノキとかでそんな違いがあるものなんですか?」

 

 シムは自らの杖――サクラの杖を眺めて言った。

 

「やっぱりかなり違うみたい。だから杖を買ったときについでにオリバンダーさんに、企業秘密にあたらない範囲で教えてほしいって聞いてみたんだ。そうしたら驚くくらい色々教えてくれた」

 

 セラはローブから厚い黒い革の手帳を取り出した。「杖の材質」と手帳を見て呟くと、手帳が開き、自動で高速でページがめくられていった。シムは、明らかにその手帳のページの枚数が、その見かけの厚さよりはるかに多いだろうことに気づいた。手帳の紙の動きが止まる。もしダイアゴン横丁に売っているならば、すぐに買いに行きたい。

 

『サクラの杖は非常に珍しく、不思議な力を生み出す。日本にある魔法学校の生徒たちのあいだでとくに高く評価されており、サクラの杖を持つ者は特別視される』――だそうだ。不思議な、力」

 

 セラがにやにやして言ったので、シムは言い返す。

 

「……ではセラの杖の材質は何なのですか?」

 

「……私は、イチイだよ」

 

 セラはしばし黙ったあと、渋々と言った。

 

「イチイの木にはどんな特質があるんですか?自分だけ言わないのは不公平ですよ」

 

 セラはページをめくり、シムに見せた。シムは大げさに読み上げる。

 

「……『イチイの杖は珍しい部類に入り、理想的な持ち主もまた、たぐいまれなる力を持つ者で、しばしば英雄、あるいは悪名高い人物の場合もある。イチイの杖は決して平凡な人物や取るに足りない人物を持ち主に選ばない』。ふうん……」

 

「……そんな冷めた目つきをしないでよ。私が選んだんじゃなくて、杖が選んだんだから……。というかそもそも、どの木についても同じように大げさなことが書いてあるから。『イトスギの杖は、高貴な精神を持つ者と結びつく』とか、『カシノキに惹かれた人は自信家で楽観的で、内面の強さと深い知識を持つ』とか……」

 

「……でも、オリバンダーさんに言われたときは嬉しくなりましたよね?組分け帽子にスリザリンを勧められたときもそうですよね?」

 

「……うん、たしかに舞い上がっちゃった。……しょうがないよね、みんな10代のうちには全能感にあふれた時期がくるものだし、まして魔法が使えるなんて言われた直後はなおさらだ。君もそうだろ」

 

 まあ実際に、この杖が一本あれば、とてもとてもとても色々なことが出来てしまうけどね。セラは手帳をぱたんと閉じてローブに仕舞った。そのままローブから出した右手には、杖が握られていた。

 

「もうそろそろお昼になるか武器よ去れ(エクスペリアームス)……お、良いね。リラックスしていると見せかけて、きちんと警戒を怠っていないとは。――よし、今日はもう、終わりにしよう」

 

 不意打ちを仕掛けたセラとの距離が非常に近かったが、シムはセラの椅子の横まで滑り込んで事なきを得た。セラは椅子から立ち上がり、機嫌よく言った。

 

「あまり根を詰めてもしょうがないし、たまには気分転換でもしようか。――シム、午後は何か忙しいかな?宿題がたまっていたりとか」

 

「いえ、空いてます」

 

 シムは反射的に答えた。「忘れ薬」のレポートを仕上げるのはまだ時間がかかりそうなことは、ひとまず忘れることにした。この日は日曜で、休日の訓練は午前に行われていた(一日中不意打ちを気にしなくて良いのでありがたかった)。

 

「じゃあ、昼ご飯を食べたら城のあちこちを歩いてみよう。まだ君はあまり城を探険できていないよね?近道や抜け道、隠し部屋や仕掛け、そんなのを知れば知るほど便利だし、身を護るにも役に立つ」

 

 シムはわくわくして頷いた。この面白い城を隅々まで探険したい欲求はもちろん強かったが、それを存分に満たせる機会は未だなかった。授業や宿題や訓練をこなすだけで時間がほとんど残っていなかったし、まだ身を護れないうちはむやみに城を独りで歩き回らない方が良いとセラに忠告されていたからだ。

 

 ホグワーツ城は、住んでいる人間の数に比べるとあまりに広いから、監督生や先生方の目が光っている区域はごくわずかである。城の地下に近い区域ではスリザリン生の集団に遭遇する危険が高かったし、城のてっぺんに近い区域ではグリフィンドール生の集団に遭遇する危険が高かった。生徒に絡まれる危険がなかったとしても、単純に城()()が危険だった。馴染みのない区域で気を抜けば、何時間も迷子になりかねなかった(だからこそ、城中の構図を知悉しておりどこからでも急に現れる管理人のフィルチは、魔法が使えないハンディをものともせずにホグワーツ生達の最大の脅威として君臨していた)。

 

「面白い部屋も沢山あるしね。地下の厨房とか、壁の景色が変わり続ける6C教室とか、一階に降りられる西塔の小部屋とか、鏡張りの迷路になっている五階の大部屋とか――」

 

 セラはそこで言葉を切り、唇をゆがめた。緑の瞳が怪しく光った。

 

「――あるいはまずは、ここからそう遠くない、四階の『禁じられた廊下』に行ってみるのも良いかもね」

 

「……セラはいつグリフィンドールに移籍したのですか?マクゴナガル先生に言えば移籍できるなら、昼ご飯を食べたらまずは、まっすぐ先生の研究室に向かいたいですね」

 

「――実に模範的なスリザリン生らしい慎重な回答だね。二点を与えよう」

 

 呆れたシムの口調にかぶせて、セラは悪戯っぽく言葉を返した。

 

 




パーシージェママルフォイのくだりを書きたかっただだけの回です。あまり戦闘に関して独自設定を加えてもなんですし、訓練について長々書くことはもうありません。一年目は魔法界があまり動かないですし、色々学生生活書きたいことがあるので長いですが、このペースではとても終わりが見えないですし二年目以降はさくさく進みたいです

ホグワーツ(ひいてはイギリス?)では日本の学校の「先輩・後輩」に対応する概念がないと思うのでそれらの語句を使っていませんが、シムは名前呼びではなく「先輩」呼びで通してるイメージです

滑れ(グリセオ)
「滑る」の命令形って、なんか「滑ろ」な気がしちゃいます

穢れた血:
後半の巻の穢れた血バーゲンセール状態に慣れた後で、二巻で初めてマルフォイがこの言葉を口にしたときの周りの反応を見ると落差に驚く

杖二本持ち:
呪文ごとに杖を使い分けるのも燃えますが、ありにすると、みんな持てば良いじゃんとなるので、一本限定に。死の秘宝のほうのニワトコの杖は明らかに例外で、ダンブルドアヴォルデモートグリンデルバルドあたりも例外ということでお願いします

温かい感想や評価やお気に入り本当に嬉しいです!こんなに反応を頂けると思っていなかったのでテンション上がっています、自分もこれからは好きな作品に積極的にコメントしてゆこうと決めました!書き溜めてなくて不定期更新になりますが、気長にお付き合いくだされば幸いです…!


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第2話 鍛錬と探険 (3)アロホモラ

「――まあ私は、禁じられた廊下が本当に『とても痛い死に方』をする場所なのかどうか、ちょっと疑問に思っているけどね」

 

 悪戯っぽく笑ったあとに真顔に戻って繰り出されたセラらしからぬ言葉に、シムは驚きを隠せなかった。

 

「校長先生がわざわざ危険だと忠告したじゃないですか」

 

「だって、昨日のグリフィンドールのテーブルを見てみなよ。空きが全然ないじゃないか。誰も『痛々しい死に方』をしていない」

 

「……確かにそうですね」

 

「痛々しい死に方をせず辛くも生還したとしても、『忘れよ(オブリビエイト)』がかかっていない限り、その日のうちに談話室で友人に秘密裏に打ち明けるはず。秘密ということはつまり、翌日の朝食の席までには学校中に、スリザリンの外れ者の私たちにまで話が広まっているはずだ。当然先生方のテーブルにも伝わっているから、彼らは朝食のデザートを食べないうちにマクゴナガル先生にぶちのめされる」

 

 自信たっぷりにセラは言い放った。

 

「いや、いくらなんでもグリフィンドールをなんだと思っているんですか。火に飛び込む蛾じゃないんですよ。さすがに彼らも分別はあるのでは……」

 

「グリフィンドールの誰もが蛾だとは思わないけど、それでもあの寮の()()()()()()廊下に突撃しないとは思えない。()()()()()()()グリフィンドールに何も起きていないなら、生徒がそもそも入れないようになっているとしか思えないけど……」

 

「たしかに危険な場所なら当然封鎖すると思いますが、『入れない』とは言っていませんでしたね。たしか『痛い死に方をしたくない人は、入ってはいけません』としか……」

 

「そうなんだよ。それに校長先生は、なんでわざわざ曖昧に『痛い死に方をする』とだけ言ったんだろう?禁じられた森が『禁じられて』いるのは、危険な生物がごろごろいるし、魔力に満ちた木々で鬱蒼としていてとても迷いやすいからだ。それなのに禁じられた廊下が危険な理由はまるでわからない。もし落盤の可能性があるとか、城の構造が突然変わって外界の危険な場所へ繋がる道が開けたとか、廊下に悪霊が取り憑いたとかなら、単にそう言えば良いのに――あの言い方ではまるで興味を持たせているみたいだ」

 

「……なんらかの理由を言えない理由があるとか、たとえば極端な話、()()()()()()()()()()()()()がかかっている可能性もあるのでは?魔法に接するときに思い込みを捨てろとセラは言っていましたよね」

 

「……まあ、そんな可能性がないとは言い切れないけれど……。それでも、校長先生にも対処できないような危険となると、よほどのことしか……」

 

「あるいは、グリフィンドール生だけは無事に帰してくれるけれど、グリフィンドール生が無事なことに興味を抱いてほいほい向かった邪悪なスリザリン生は退治されてしまう、そんな呪いがかかっているとか?」

 

「その可能性が一番高そうだ」

 

 真顔で冗談めかして言ったシムに、セラも真顔で冗談めかして返した。

 

 そして「もちろん君をそんな危ないところに連れて行くつもりはないから、心配しなくて良いよ」とセラは会話を打ち切り、二人は談話室で昼食を食べ始めた。食事を済ませ、紅茶をすすってのんびり休憩した後、「それじゃあ校内の探険を始めようか」とセラが明るく立ち上がったときに、シムは先ほどから頭を渦巻いていた疑問をぶつけてみることにした。

 

「……セラ、さっき僕を廊下に連れて行くつもりはないとは言ってましたけど、やっぱり後で一人で調べてみるつもりですよね?」

 

 虚を衝かれたような動揺の色はセラの顔に現れていなかったが、しかし表情の動きが一瞬だけ奇妙に静止したのをシムは見逃さなかった。

 

「私が、わざわざ校長先生が痛い死に方をするって忠告しているようなそんなおっかない場所に、のこのこ向かうような分別のない馬鹿に見えるの?」

 

「正直に言うと、そうですね。さっきの会話では凄く好奇心が溢れていました」

 

 笑顔で訊くセラに臆することなくシムは即答した。

 

「…………そうか、そう見えるか……」

 

「放っておいて、後でセラが痛い死に方をしたと聞くのは寝覚めが悪いですし、止めなかったことがマクゴナガル先生にバレたら僕もぶちのめされそうですからね。僕も連れて行ってください」

 

「私はそんな馬鹿じゃないし、それにまだ君が自分の身を護れるようにもなっていないのに、勝手に死に行くつもりもないんだけどね……」

 

 セラは「禁じられた廊下」に行くつもりはないと何度も頑なに説明したが、シムが「それなら僕が後で一人で行く」と主張すると渋々折れた。

 

「入ってみるつもりはなくて、遠くから窺ってみようかなって思ってただけだし、さっき廊下の話題を出したのもからかっただけで、君を巻き込もうとする意図は本当になかったんだよ」

 

 セラはそう言いながら、シムを四階の「禁じられた廊下」の手前まで連れて行った。「禁じられた廊下」につながると思しき扉は、黒く厳めしかった。手前の左の壁にも右の壁にも、大きく「立入禁止」と赤い文字で書かれていた。辺りは薄暗かった。扉は数メートル先にあったが、それでも何やら不吉なものを感じた。

 

「なんとも危なそうだね。私も調べるのは怖いから、引き下がって他のところに行こうか。――って言っても納得しなそうだね。生徒が入れないようになっているとは思うけど、一応入れるか試してみようか」

 

 セラはシムを見やりため息をついた。そして、扉に背を向けてシムを突き当りまでつれてゆき、「万全の護り(プロテゴ・トタラム)」の透明な膜をかけ、さらに続けてぶつぶつと長い文言を唱えて、シムの周囲を赤い膜と青い膜、緑色の膜で覆った。防護魔法をかけて幾分か消耗したようで、セラは息を切らしながら額の汗を袖で拭った。

 

 

「『恐ろしきものから護れ(プロテゴ・ホリビリス)』は私の力じゃ使えないけれど、私が想定できる範囲の脅威のほとんどは、()()()()()()()()()()防げると思う。扉が()()()()()()()()()()ことはないはず」

 

 セラは言葉を切ると、虚空を見つめた。

 

「――いや、肝心なことを忘れていた。いきなり『死の呪文』が飛んでくることがあったら、これでは防げない。いくらなんでもそんな仕掛けはないとは思うし、死の呪文は『痛い死に方』でもなさそうだけど――」

 

 セラが「来い(アクシオ)」と唱えると、近くの廊下から大きな甲冑がゆっくり飛んで来て、シムの前の床に大きな音を立てて着地した。

 

「死の呪文はあらゆる魔法障壁を貫くけれど、生物ではない物体なら――『出現』させた物体でも『肥えよ(エンゴージオ)』や『そっくり(ジェミニオ)』のかかった物体でもないただの物体は――貫くことができない。だからもし緑色の光が見えたと思ったら、甲冑に頭を引っ込めて。死の呪いほど強力な呪いはそんなに速くは飛べないはずだから、恐れなければ今の君ならかわせるはず」

 

「……わかりました、ありがとうございます。……でも、ここまでするのは、さすがにちょっと大げさではないですか?」

 

 セラは肩をすくめた。

 

「そうかもしれないけどね。危険だと警告されている場所にいて、予測できる脅威があって、それを防ぐ対策だって簡単にできるのに、ただ君に気恥ずかしいからという理由だけで対策を怠るわけにはいかないよ。それで君を死なせてしまうようなことがあったとしたら、それが先代のスリザードにバレたら私は八つ裂きにされてしまうよ」

 

 そして彼女はシムと視線をまっすぐに合わせた。

 

「一つ、これだけは約束してほしい。もし扉が開いたとして、何かまずいと思ったら、何か怪物か悪霊かが飛び出てくる気配があったら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。――いや、今日は休日だから職員室には人がいないか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あと、扉が開いた後に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。躊躇はするな。走り始めた後に君の勘違いや早とちりだと分かったとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()

 

セラの眼差しと口調は真剣そのものだった。

 

「いや、見捨てろと言われてもさすがに……」

 

「違う。私を見捨てて逃げろと言っている()()()()()()。自己犠牲的な精神で、グリフィンドール的な精神で言っているわけじゃない。君が自分の身を優先することは、()()()()()()()()()()()()()()。――率直な物言いになってしまうけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。シムがさっさと離れてくれれば、私は自分の身を護ることに専念できる。わかってほしい」

 

 シムがとっさにあげた反論の声を、あまりにもきっぱりとセラは一蹴した。

 

「脅威が私の手に負えなくても、私に何かが取り憑いたとしても。君が何か手助けできないかとぐずぐずしているより、一刻も早く君が先生を呼んできてくれた方が、私の命が助かる可能性がずっとずっと高くなる。……決して君の魔法の腕を過小評価しているわけではない。まだ入学して一ヶ月だというのに、本当によく成長していると思っているよ。ただ、まだ魔法を学んで一ヶ月でしかないんだ。その状態の魔法使いにできることは、残念だけどほとんどない」

 

「……わかりました。確かに足手まといになりたくはありません。……そうします」

 

 歯痒いものを感じつつ、しかしセラの言い分には何一つ反論できる点がなく、シムは苦し紛れに声を絞り出した。セラは今までお世辞を言うことはなかったはずだ。足手まといという事実を率直に突きつけられても、同時に成長を評価してくれたことでシムの自尊心は保たれた。

 

「ありがとう。そして先生に会ったら、私が四階の廊下を開けたことを正直に白状して、あとは私に脅されて無理矢理連れてこられたとでも言ってね。そうすればシムがマクゴナガル先生にぶちのめされることはないだろう」

 

「いえ、むしろ僕が連れて行ったようなものですから、そうなったらおとなしく僕も死を受け入れますよ」

 

 そんな姿勢はスリザリン的ではないよとセラは微笑み、自らの体にも防護魔法をほどこすと、扉に向き直った。

 

「一年生でも問題なく使える呪文の一つに、開錠呪文『開け(アロホモラ)』というものがある。タンブラー錠だとか(かんぬき)だとか錠前の種類にかかわらず、なんであれ鍵のかかった扉に対して『開く』結果をもたらす、なんとも魔法らしい強引な魔法だ。威力にもよるけれど、魔法で封印した扉に対しては基本的には効かないから、さすがにこの扉を開けられるとは思えないけれど……」

 

「……ちょっと待ってください。魔法で封印()()()()()扉に対しては、()()()()()使()()()()()()()()()()()()セキュリティが無意味になるのですか?要するに、魔法族は誰でもマグルの家に侵入し放題ということですよね?今すぐ実家の安全を確かめたくなってきました」

 

 シムは驚いて声を上げた。セラは振り返って神妙な顔つきになった。

 

「そういうことだね。ごめん、これは魔法界に入ったばかりの君にすぐに伝えるべきことの一つだった。運の良いことに、前にダイアゴン横丁で買った簡単な魔法封印グッズがいくつか余っていてね。後で寮のトランクから持ってきて割安で売ってあげるから、実家に送ってあげると良いよ」

 

 なおも心配そうな顔を続けるシムに、「わざわざ非魔法族の家に押し入ってお金や物を盗もうとする奇特な魔法族はほとんどいないし、そもそも魔法警察が黙っていないだろうから、気に病みすぎなくても良い…………はずだよ」とセラはなだめ、再び扉に向き直り、数歩前に踏み出した。

 

 セラが扉の手前に立つと、床が光り、すぐに暗くなった。注意深く辺りを見回しながら杖先を扉の取っ手に向けると、取っ手の上のあたりから突如として大きな円盤が浮き出てきた。セラは杖を振り下ろして呟く。

 

「時計……?」

 

 円盤にはローマ数字の「I」から「XII」まで右回りに数字が振ってあり、針が一本「XII」の位置を指していた。セラの言う通り、それは古風な時計の文字盤のように見えた。セラはしげしげと円盤を眺めた後、「まあ、とりあえずやってみるから。逃げる準備をしてね」と言いながら杖を振り上げ、呪文を唱えた。

 

開け(アロホモラ)

 

 シムは扉を注視した。円盤の針がゆっくり右に回転し、「VI」のあたりを指したかと思うと、すぐに「XII」の位置まで戻る。扉が開いた様子はなかった。セラは振り返って「駄目みたい。さっぱり効かないかと思ったけど、どうもそういうわけでもなさそうなのが不思議だけど……」と声をかけた。

 

「……セラ、もしかしてこの呪文だけ苦手とか?」

 

 拍子抜けしつつシムは問いかけた。

 

「いや、そんなはずは……。ちょっと集中してみる」

 

 再び彼女は扉に向き直り、数度深呼吸をした。そして杖先を扉に向けて叫んだ。

 

開け(アロホモラ)

 

 セラの髪が逆立つと同時に、円盤の針が勢い良く動いて一周し、「XII」の位置をさした。スプーンを皿に打ちつける高い音が小さく鳴ったかと思うと、扉に刻まれた(おびただ)しい紋様が白く光って浮き上がった。しかし扉が開いた様子はなかった。

 

「これは……ルーン文字に、楔形文字?ヒエログリフ?漢字?ヘブライ文字?」

 

 セラが呟く間に、紋様は光るのをやめた。円盤の針も左にゆっくり回って元に戻った。セラは杖を振り、辺りを白い光で満たした。「もう少し扉を調べてみる。一分に一回、私に声をかけて反応があるか確かめてほしい。反応がなかったとしたら、それか十五回を超えてもまだ調べていたとしたら、()()()()()()()()()()()()()()()()すぐに走ってね」とシムに言うと、扉を杖で叩いたり、何やら呟いたり、上を向いて考えるそぶりをしたりした。

 ときおり扉が光ったり音が鳴ったりするのを見聞きしつつ、シムは言われた通りにセラに呼びかけ続けた。セラは没頭していた様子だったが、毎回しっかり返事をよこした。シムは扉そのものよりも、そろそろ管理人のフィルチが辺りを通りかからないかヒヤヒヤした。

 

「セラ、もう十五回ですよ」

 

 シムが呼びかけると、セラは振り返ってお手上げのポーズをとった。

 

「お待たせ。やっぱりだめだ、ホグワーツ生の分際で開けられるわけがない。少なくとも開けられる仕組みにはなっているはずだし、部分的には解けそうだけど、完全に封印を解くには知識も技術も魔力も私じゃ明らかに足りない。――いや、後で一人で調べたりしないって。時間の無駄になってしまう」

 

 セラは歩きながら、ふと立ち止まって横の壁を叩いたかと思うと、感心した顔になりシムを手招きして呼び寄せた。「まったくの杞憂だったね」と照れ笑いするセラに防護魔法を解除された後にシムが目にしたのは、生徒が書いたと思しきいくつかの落書きだった。落書きはどれも、「L.J. 7」のように、ラテン文字二つと数字との組み合わせだった。最も大きい数字は「12」で、この数字は二つだけ見えた。

 

「これは……名前のイニシャルとさっきの文字盤と数字でしょうか。……少なくとも九人は、『開け(アロホモラ)』を試したんですね……」

 

「そうみたい――」

 

 セラは言葉を切った。壁から大きな十字架と花の絵が現れ、「グレッドとフォージ 痛々しくも華々しく散る 享年十三」の赤い文字が派手に点滅した。

 

「あの双子なら、間違いなく突撃していると思った」

 

 あからさまに頭文字を入れ替えた偽名を見てセラは呟いた。グリフィンドール三年生のフレッド・ウィーズリーとジョージ・ウィーズリーは、毎日のように笑いとトラブルとを引き起こし、城中に悪名を轟かせる存在だった。管理人フィルチとスリザリン生は、時に他愛の無い、時にかなり悪質な彼らの悪戯に常に煮え湯を呑まされていたが、双子は管理人フィルチと同じくらい城の構造に精通していたため、スリザリン生が双子に復讐できる機会はほとんど全く訪れていなかった(セラはもちろん、スリザリン生がどれだけ被害を受けようと全く気にしていなかった。スリザリン生の集団に追われる双子の逃走を、両者にバレない形で彼女が手助けする瞬間さえシムは目撃したことがあった。双子が丁字路の角を全速力で曲がった途端に、たまたまそこに居合わせたセラは何食わぬ顔で張りぼての壁を作り、廊下が一直線であるかのように偽装したのだった。怒れるスリザリン生達は止まることなく双子のいない道を駆けていった)。

 

「なんでこんな扉を作るのかさっぱり分からないけれど、世界一の賢者である校長先生の考えなんて私の頭では推し量りようがないね。この扉のことは忘れよう。……その前に、シムも『開け(アロホモラ)』を試してみる?呪文のやり方は教えるよ」

 

「……数字がしょぼかったら怖いですし、それにそろそろフィルチさんが来そうな嫌な予感がしますし、辞めときますよ」

 

 実際に二人が五階に上がったときにフィルチの飼い猫のミセス・ノリスに出くわしたので、シムの予感は当たらずといえども遠からずだった。




後の話とまとめて一話にするつもりでしたが、二万字近くになったので分割します。

双子:
多くの人と同じく筆者も大好きです。ただ改めて原作を読み返すと、セドリックに敵愾心剥き出しにしていたり、双子を減点しようとしただけの尋問官親衛隊を「キャビネット」に突っ込んで放置して、結果彼は数週間行方不明になったあげく錯乱して入院する羽目になってたりしていて、イメージとちょっと乖離あって驚きました


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第2話 鍛錬と探険 (4)ソノーラス

 そして「禁じられた廊下」から離れた後、セラは午後いっぱい、ホグワーツ城のあちこちをシムに案内しはじめた。

 

「ここの扉は、曜日ごとに開け方が変わるんだ。今日はたしか、くすぐる曜日だったかな?……いや、三回ノックする曜日だった」

 

「変身術にどうしても遅刻しそうになったときは、ここの通路を通ると良い。なぜか一瞬でつけるよ。……気まぐれで玄関ホールに滑り降りることもあるから、博打だけどね」

 

「この部屋の壁は、大広間の天井みたいに魔法で景色を映し出しているけれど、大広間と違って、常に晴れた野原の景色なんだ。だから雨が長引いているときは、ここで読書をすると爽快な気分になれるよ」

 

「この階段は、誰もいないときに一度上まで昇ってから降りると、三倍に伸びるんだ。何も嬉しくないけど」

 

「あそこの塔は、めったに人が通らないから、ほとんど誰も構造を知らない。へたに入らない方が良いよ、私も迷わない自信が何一つない」

 

「この部屋は、床が回り続けているうえに、錯覚なのか魔法なのか、地面が傾いているように見えるんだ。……酔ってきそうだから、出ようか」

 

「あの鎧、夜になるとガシャガシャ音を鳴らしながらずっとついてくるから気を付けた方が良いよ。生徒から『フィルチの手先』と呼ばれているんだ、音を聞きつけて五分しないうちに飛んでくるからね」

 

「いまのゴーストは、レイブンクロー寮憑きの『灰色のレディ』。つんとしているけど、スリザリン寮の『血みどろ男爵』よりよっぽどマシだ」

 

「ここは鏡張りの迷路になっている部屋だ。一年生のときにうっかり入って、三時間迷ったことがある。シーナに十五分あれば出られると言われて、悔しくて何回もリベンジした」

 

「城中でも、西塔のこの部屋が、いちばん夕日が綺麗に見えると思っている。――山の間に浮かぶ太陽も、夕焼けで燃える山も、本当に綺麗だよね」

 

 セラは始終目を輝かせていた。ホグワーツにたった三年通っていて感興がそがれるほど、この城はつまらないものではない。好奇心に満ちて足取りの軽いセラの隣を歩いて初めて、ホグワーツ城の景色がこんなにも色彩に満ちていて鮮やかだということにシムは気づいたのだった。

 

 

  ★

 

 

「今日は本当にありがとうございました。とても楽しかったですし、また時間があれば色々案内してほしいです」

 

 日が沈み、城の散策を打ち切ってスリザードの教室に戻る途上で、名残惜しさを感じながらシムは心を込めてセラに言った。今日は間違いなく、シムがホグワーツに来てから最も楽しい日といえた。

 

「私が振り回してただけだけど、こちらこそ付き合ってくれてありがとうね。もちろんまだまだ案内しきれていなかったし、また――」

 

 セラは言葉を切った。紫色のターバンを巻いた、瘦せた青白い顔の男が、うつむきながら廊下の向こうから歩いてくるところだった。

 

「こんにちは、クィレル先生」

 

 セラがにこやかに挨拶をし、シムも後に続いた。「闇の魔術に対する防衛術」の担当教員、クィリナス・クィレル教授はビクリと震えて二人を見やった。彼は引きつったような笑みを返し、どもりながら話し始めた。

 

「お、おや、ス、ストーリーさん、こんなところで、き、き奇遇ですね。……それに、君は一年生の、たしかス、スリザリンの……」

 

「シミオン・スオウです。クィレル先生」

 

「そそ、そうだった。ス、スオウ君。き、君の前回のレ、レポートは実に、よ、よかった。この調子で、頑張ってくれたまえ」

 

「良かったです、ありがとうございます」

 

 きちんと図書館で調べるほど高く評価をしてくれるし、採点には論理的で明確なアドバイスが添えられているので、シムはこの授業でたまに出されるレポートへのやる気は高かった。

 

「それに、ストーリーさんのレポートも、わ、私からは、な、何も言うことはない。さすがだ。……と、ところでな、夏休みは、元気にしていたかね?」

 

「おかげさまで元気でした。クィレル先生もお元気で――いえ、見たところ、その、色々大変だったのでしょうか?」

 

 セラの気遣うような声に、クィレル先生は再び引きつった笑みを返した。

 

「そ、そうだね。こ、この一年、この城を留守にしていた間は、い、色々大変なこともあった。が、有益な経験を積めて、良かったよ。ぼ、防衛術を教えるにあたり、お、大きく成長できた」

 

「それは何よりです。……ただ私としては、いよいよクィレル先生にマグル学でお目にかかれるかと楽しみにしていたので、正直なところ少し残念でもあり……。いえ、失礼なことを言ってすみません。もちろん先生の防衛術の授業も素晴らしいですし、いまのマグル学のチャリティ・バーベッジ先生も素晴らしい先生です。ただ、おととしにクィレル先生にお付き合い頂けた時間は、本当に刺激的で勉強になったと感じていて……」

 

 シムは、マグル学なる科目がホグワーツにあることも、クィレル先生がその科目を教えていたということも、セラとクィレル先生にそれなりの関わりがあるらしいことにも驚いた。

 

「い、いいんだ。そ、それは嬉しいね、あ、ありがとう。マ、ママグル学を教えていた頃は、し、真剣に私の話を聴いてくれる生徒なんて、ほ、ほとんどいなかったからね。き、君が三年生だったらと、お、思ったものだったよ。わ、私としても、君みたいなか、賢い生徒と意見を交わすのは、とても刺激的だった」

 

「ありがとうございます。……でしたら、なぜ今年は防衛術の先生になられたのでしょうか?……いえ、踏み込みすぎでした、失礼しました。とにかく、防衛術は一年間の契約なのですよね?その後はマグル学に戻られるのでしょうか?それともホグワーツを去ってしまわれる?」

 

「いやいや。君には申し訳ないが、マ、マグル学を教えるのは、しょ、少々疲れてしまったし、ぼ、防衛術はも、もともと私は、ひ、非常にか、関心が強かった。特にり、理論的なことにはね。ぼ、防衛術の先生は、常にた、足りなくなるから、こ、校長先生に頼まれたのはじ、じ、実に丁度良かった。ス、スネイプ先生はぼ、防衛術を教えたがっているようだが、私は魔法薬学はさっぱりだからね。て、適材適所というやつだよ。この一年が過ぎたら、そ、そうだな、バ、バーベッジ先生を追い出すわけにもいかないし、多分私は、こ、この城を去るだろう」

 

 セラの悲し気な顔は、この日に初めて――いや、この一週間で初めてシムが見るものだった。

 

「そうでしたか……。それは本当に残念です。……不吉なことを言ってしまうのは申し訳ないですが、防衛術の先生は円満な退職にならない場合もありますよね。どうか最後までご無事でいてください。退職された後も、クィレル先生のご活躍をお祈りします」

 

「あ、ありがとう。ス、ストーリーさん。し、心配はむ、む無用だ。あとこ、この一年はこの城にいるからね。そんな、さ、最後の別れみたいなこ、ことを、今言わないで、くれ」

 

 クィレル先生は微笑み、セラもまた微笑んだ。

 

「そうですね、すみません。……お忙しいとは思いますが、今年度も、私との議論にお時間を割いていただいてもよろしいでしょうか?先生がいない間に、多少は知識も魔法も身に着けたので、もう少し稚拙ではない話をできるとは思っているのですが」

 

「…………あ、ああ。そ、そうだね。わ、私もできれば、し、したいところであるが……」

 

 クィレル先生はそこでまた急にビクリと震え、しばらく動きが固まった。シムも思わずビクリとなった。

 

「……す、すまないね、こ、今年度は、ど、どうもぼ、防衛術の授業のじゅ、準備でとても忙しい。マグル学のように、コマが少ないわけではな、ないからね。じ、時間があ、あれば声をか、かけるが、き、期待はしないでくれ。そ、それでは私はそそろそろ行くよ。ら、来週の防衛術で、あ、会おう」

 

 そして二人はうつむきながら歩くクィレル先生の背中を見送ったあと、無言で廊下を歩き、丁寧にお辞儀をしないと開かない扉をくぐり、階段を降りて三階の2E教室にたどり着いた。教室の灯りをつけ、手近な椅子にセラは腰掛けた。

 

「クィレル先生と仲が良かったんですね。――というか、クィレル先生って今まではマグル学の先生だったんですね。――というか、そもそもホグワーツにマグル学なんて科目があったんですね、セラは取る必要がなさそうですが」

 

 寂し気な顔のセラに、シムは問いかけた。

 

「……うん、クィレル先生は今まではマグル学、魔法族から見たマグルについて学ぶ科目の教鞭をとっていた。学者肌のとても聡明な先生でね。魔法の知識もさることながら、非魔法界の知見もとても深いんだ。ホグワーツを出たあと大学に入って科学史を学んだようで、もちろん非魔法界の本職には及ばないだろうけど、魔法族であんなに非魔法界の知識が豊かな方は中々いないと思う」

 

 セラは暗くなった窓を見つめた。

 

「マグル学は三年生からの選択科目なんだけど、その前からマグル学の先生と話をしておきたくて、二年生のときに先生の部屋をちょくちょく訪ねたんだ。非魔法界と魔法界の叡智をもう少し近づけたい私の夢をクィレル先生は笑わなかったし、たかが二年生の生意気な話にも根気よく快く付き合ってくれて、色々な意見をくれた。論理的な考え方についても、論理的な学問の勉強の仕方もアドバイスしてくれた。三年生になったらクィレル先生の科目を履修しようと決めていたんだけど――」

 

 セラはそこで溜息をついた。

 

「――私が三年生に上がったら、つまり去年のことだけど、見分を深めて魔法の経験を積むということで、一年間の休暇を取ってしまわれた。そして今年帰ってきたと思ったら、すっかり人が変わってしまった。もともと神経質そうな性格だったけれど、花と旅が好きな優しい方だったけれど、去年一年間でよっぽど苛酷な経験をされたのかな、あらゆるものにあそこまで怯えるようになってしまったし、あんなに吃音が激しくなってしまったし……」

 

 彼女は首を振り、気分を変えるような口調で言った。

 

「実践よりは座学に傾いている方だから、『闇の魔術に対する防衛術』を受け持つと聞いたときは驚いたけど、なかなか()()()()なのはほっとしたよ。実技の時間がかなり少ないきらいはあるけどね。シムはどう?」

 

「そうですね……。セラが防衛術の授業だけでは不十分だと言っていたのであまり期待しないようにしていましたが、先生の授業には割と満足しています」

 

 一年生の「闇の魔術に対する防衛術」の授業は、人に害を及ぼすものの危険度は高くない魔法生物の対処を学ぶのが主な目的だった。まず魔法生物の生態や弱点を丁寧に解説した後、その次の授業ではクィレル先生が魔法で作り出した魔法生物の幻影を相手に、生徒が順に対処してゆくという形が取られていた。最初は先生の激しい吃音をあからさまに笑う生徒もいたが、先生は気弱そうな見た目に反して杖で実力行使をして黙らせる手法をとっており、生徒は真面目に授業を受けるようになった。

 

「まあ、魔法省の一年生のカリキュラムではホグワーツで身を護るには足りないし、先生のクセが毎年強くて混乱させられはするけどね。それでも毎年先生が変わって人材が足りなくなりそうな割には、理論も実技もある程度きちんと教えてくれる先生ばかりだったよ。たった十年前まで魔法界は『闇の魔術』の脅威に曝されていたから、ホグワーツが『闇の魔術に対する防衛術』の職を適当な人に任せるということは中々起こらないだろう」

 

「なるほど。……ところで『闇の魔術に対する防衛術』をスネイプ先生が教えたがっているとはよく言われますね」

 

「たしかに彼は、魔法薬学と同じくらいかそれ以上に、闇の魔術に対する造詣が深いと噂される。……シムは、スネイプ先生とはもう話した?」

 

「そうですね……」

 

 シムは思い返した。魔法薬学の担当教師でスリザリン寮監であるセブルス・スネイプ教授とは、実のところまだほとんど言葉を交わしたことがなかった。最初の授業で、角ナメクジを大鍋に入れるシムの背中に「セラ・ストーリーにはもう会ったか」と問いかけたのが――大鍋のぐつぐつ沸く音に紛れて聞き逃しそうな音量だった――スネイプ先生がシムと交わした、魔法薬学に関係のない唯一の会話だったといえる。もっとも、シムが振り返って頷くとスネイプ先生は黙ってそのまま立ち去ったので、会話と呼べるかどうかは分からないが。

 

「一応先生なりに気にかけてくれたということか。――スネイプ先生については、警戒しろとは言わないけど、なんというか正直分からないことだらけで、どう接するべきか未だに私は図りかねているよ。向こうも私に話しかけてくることはほとんどないけどね」

 

「個人的にはなんといっても依怙贔屓(えこひいき)の印象が凄まじいですね。魔法界の感覚では普通なのかもしれませんが、マグルの学校だったら考えられなくないですか?僕には害が及ばないから良いですが、グリフィンドールの一部の生徒は見てて気の毒になってきますよ。スリザリンとグリフィンドールの対立が深まるばかりじゃないですか?」

 

 魔法薬学の授業はスリザリンとグリフィンドールの二寮合同で行われていた。そしてスネイプ先生は二寮の生徒の待遇に、誰が見ても明らかといえるほど著しく差をつけていた。グリフィンドール生の大鍋を覗き込んだスネイプ先生は、嘲笑や罵倒と共に指摘をするのが常で、仮に出来が良ければ無視をして通り過ぎた。怯えるネビル・ロングボトムは失敗を繰り返して頻繁に減点されたし、ハリー・ポッターは失敗をしなくても減点をされた。一方でスリザリン生の大鍋を覗き込むときは、猫撫で声で優しく指摘をするのが常で(もちろん、不備のある薬に指摘を()()()ということは決してなかった)、出来が良ければ頻繁に加点もした。

 

「スリザリンが六年続けて寮杯を獲得しているのは、グリフィンドール寮監(マクゴナガル先生)がどの寮にも厳しく、レイブンクローとハッフルパフ寮監(フリットウィック先生とスプラウト先生)がどの寮にも甘く、そしてスリザリン寮監(スネイプ先生)が自分の寮にのみ甘く他寮に異常に厳しいから、というだけな気がしています」

 

 続けて言うシムに、セラは頷いた。

 

「そんな気もするけど、寮監がいなかったとしても、クィディッチチームが勝利のために手段を選ばなくてかなり強いらしいから、やっぱり寮杯を獲得してそうだ。クィディッチの点数で寮杯の結果がかなり左右されるからね」

 

「クィディッチですか。一度観てみたいものですが、どうも本で読む限り、ルールにひどく欠陥が――」

 

「やめるんだ」

 

 ぴしゃりとセラが言い、シムは一瞬固まった。セラは油断なくドアを一瞥した。

 

「非魔法族出身者は、例外なく皆、同じことを思う。それでもホグワーツで無事に暮らしたいなら、宗教とクィディッチのルールの話はしてはいけない」

 

 有無を言わさぬセラの迫力に、黙ってシムは頷いた。

 

「欠陥だらけに見えるけど、うっかり疑問を口に出してしまった私が長々と講釈を聞かされたところによれば、シーカーが金のスニッチを取れば大量得点だからといって、ビーターがシーカーばかり狙えば、バスケと違ってパスをする必要が本来はないチェイサーがクァッフルを半ば入れ放題になってしまうから、それを防ぐためにビーターが『シーカーのゲーム』と『チェイサーのゲーム』のどちらにブラッジャーをどれだけ注力して配分するかに戦略の余地が生まれ――いや、クィディッチの話はどうでも良かった。寮監の贔屓の話だったね」

 

 セラは諦めたように頭を振った。

 

「あれはさすがに、魔法界でも普通ではないと思うけど。……ホグワーツは、『純血』貴族様様やら『例のあの人』の一味の残党やらの圧力を受けていると聞く。ルシウス・マルフォイがホグワーツの理事だと息子のドラコが朝食のテーブルで自慢していなかった?ルシウス・マルフォイと先生が友人だと話していなかった?スリザリンの立場を有利にする先生を雇い続けることで、ルシウス・マルフォイに近い先生をスリザリン寮監に取り立てることで、彼らの不満を少しでも和らげたい意図が校長先生にはあるのかな……?」

 

「……英国魔法界中の若者が一挙に集まるホグワーツには、大人のパワーバランスがかなり直接的に影響を及ぼしてしまっているわけですか」

 

「政治の難しい駆け引きなんて私にはもちろん分からないけどね」

 

「それにしても、ルシウス・マルフォイと相当に仲が良くて、さらに闇の魔術に詳しいって、本当に先生は大丈夫なんですか?」

 

 第一印象と普段の言動で判断するならば、間違っても善人ではなさそうだとシムは感じていた。

 

「どうだろう。実際にスネイプ先生は、『例のあの人』の腹心の部下、死喰い人(デス・イーター)のかなり濃厚な嫌疑がかかったことがあるらしい。無罪放免になったみたいだけどね」

 

「…………本当にシロだったんですか?」

 

 シムは疑わし気な声を上げた。偏見だとは思いつつも、あの寮監が一切後ろ暗いところのない人生を送っているとは、とても思えなかった。

 

「……まあ、過去に悪人であったかどうか、あるいは現在がどうかにかかわらず、十数年にわたり、今この瞬間もホグワーツで教鞭をとっているという一点だけで、そのことについて考える意味はないだろう。寮監を少しでも疑っているなら、『例のあの人』の最大の敵だった校長先生が雇うわけがない」

 

 セラはあくまで断言した。

 

「校長先生だって人間ですよ、判断を誤るということもあるでしょう」

 

「もちろんそうだけど、仮に校長先生が誤っていたとしても――()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、どちらにせよ生徒が対処できることなんて何もないよ」

 

「……そうですね」

 

 なおも断言するセラに、シムは反論の余地がなく黙った。セラは目を細めて声を低くした。

 

「しかし死喰い人であろうがなかろうが、『闇の魔術』に対する造詣は本物みたいだ。……これも不思議なことでね。なにせ寮監はまだ三十代らしい。マクゴナガル先生、フリットウィック先生、スプラウト先生――他の寮監たちよりも、私たち生徒の方が年が近いんだ、それほど若いんだ。それなのに――」

 

 研鑽を積めば積むほど魔法に磨きがかかるというのに、他の先生は誰も、たった三十代の彼の魔法の腕を一切軽んじていない!魔法薬学だけでなく、「闇の魔術の分野でもホグワーツで一番の専門家」だと口をそろえて言っているんだ!性格がどうであれ、魔法使いとして極めて優秀だとしか思えない――。セラは感嘆した様子で空を仰いだ。

 

「……」

 

「生まれがスネイプ先生の魔法使いとしての優秀さを更に裏付けている。スネイプ――魔法界の貴族の姓ではない。彼の父親は()()()()()()()()。公言はしていないけれど、隠し立てしているわけでもない。寮監には貴族的なんて言葉はまるっきり似合わない。あの身なりを見れば誰だってそう思う。それでいて、スネイプ先生はスリザリン寮監として君臨していて、すべてのスリザリン生とその家族から、その地位を認められている。もちろんルシウス・マルフォイという後ろ盾があることも大きいだろうけど、スリザリン生は皆、ルシウス・マルフォイの影に畏怖している()()()()()()、スネイプ先生()()()()を畏怖している」

 

 まったく大したものだというほかないよ、そうこぼしてセラは溜息をついた。シムは、セラの話を聞きながらスネイプ先生の今までの言動を思い返すうちに、一つ気づくことがあった。

 

「……そういえば寮監は、ほとんどのスリザリン生と違って非魔法族出身者(ぼくら)()()()()()()()()()()()()()()()()。あの先生は、グリフィンドール生は生まれにかかわらず()()邪険に扱うし、スリザリン生は生まれにかかわらず()()邪険に扱わない」

 

「そうなんだよ!()()()()()()()()()()()()。セブルス・スネイプは、()()()()()()()()()()()()。他の生徒がいるときもいないときも、私はあの先生から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ホグワーツの教職員として当たり前といえば当たり前だし、とりたてて美徳といえるわけでは勿論ないけど……」

 

 それでも、スリザリン以外の生徒をあれほど邪険に扱っていながら、スリザリンをあれほど依怙贔屓しておきながら、まともな教師とは到底言えない態度を取っていながら、生まれに関してはまともな教師と同じように平等に取り扱う。それは、スリザリンで非魔法族の出身という特殊な属性の二人だからこそ目に付きやすい、スネイプという教師のいささか奇妙な点であった。

 

「生まれの差別が校長先生の逆鱗に触れる一線なのかもしれないけど、スネイプ先生自身が頓着していないようにも――」

 

「……僕らとしてはありがたいことですが。しかし一番分からないのは、あの寮監はなんでホグワーツで先生なんてやってるんでしょうか?教えることが好きだとは、子供が好きだとはとても思えないですし。魔法薬の研究ができるからですか?グリフィンドール生を苛めるのが楽しいからとかですか?」

 

「それもわからない。それが一番ありそうな理由にさえ思えるよ。わからないことだらけだ」

 

 セラは肩をすくめた。

 

「ともかく、寮監の本性がどうであれ、今のところ私たちを他のスリザリン生と同じように取り扱ってくれるから、魔法薬で分からないことがあったら授業の後に素直に訊けば良い。シムは魔法薬の授業は上手くいっている?」

 

 シムは毎回の魔法薬の授業を思い出す。グリフィンドールのテーブルに座っていれば話は全く変わっていたであろうが、スリザリンのテーブルに座っている限りは、適度な緊張感をもって集中して調合を進めることができていた。

 

「魔法薬の材料に不気味なものが多いのには慣れませんが、調合は慣れてきましたね。とにかく慎重に、材料を入れたり火を止めたりするときはぐずぐずせず、教授の指示を正確にこなせばちゃんと出来上がります」

 

 セラは満足そうに頷いた。

 

「魔法薬はスリザリン生と相性が良いと言われることもある。話がそれるけれど、サラザール・スリザリンその人が、ちょうどスネイプ先生と同じように、闇の魔術と魔法薬学のエキスパートであったそうでね。闇の魔術と魔法薬を組み合わせて狡猾に戦うサラザール・スリザリンと、危険を顧みず変身術を使って華々しく堂々と攻めるゴドリック・グリフィンドールの決闘は、なんとも壮大な光景だったと言われている」

 

 スネイプ先生とマクゴナガル先生の決闘も見ものでしょうねとシムが冗談めかして言うと、セラもぜひ見てみたいものだと笑った。スネイプとマクゴナガルの決闘がどう進行するか、どちらが勝つかという話で二人はしばし盛り上がったが、マクゴナガルが(まげ)を解くと若返るなどといった突飛もない方向に話が展開していくのだった。

 

 

  ★

 

 

 そして「スネイプの卑怯な一手が決定打となりマクゴナガルが敗北を喫する」予想に落ち着いたとき、セラは思い出したように声をあげた。

 

「そうだ、『盾の帽子』と『盾のマント』が出来たから今日渡そうと思っていたんだ。持っておくと便利な道具もついでに渡そうと思う」

 

 セラはテレビを通って談話室に入ると、衣類だけでなく様々な物を抱えて戻ってきた。

 

「これが帽子とマント。被れば大体のホグワーツ生の大体の呪いは防げるはず。まあ、監督生のジェマ・ファーレイとかペネロピーの本気の呪いはダメだったから、過信はしないでね」

 

「心強いです。……作るの大変でしたよね」

 

「私も一年生のときは作ってもらったから、気にしなくて良いよ。訓練のとき以外は身に着けると良い。それでこの玉は投げたら煙幕を張れるし、この玉は光と音が出て一瞬の隙を作れる。『禁じられた森』にわざわざ行くつもりはないと思うけど、こういった道具はそこで役に立つこともあるかもしれない。……いや、やっぱり下手に刺激するだけだから、強い魔法生物にはこんなおもちゃを使うべきではないか」

 

 魔法族は杖に慢心してしまいがちだけれど、杖を失ってもすぐには死なないような備えをしておくべきだよね、とセラは次々に道具を並べる。必ずしも魔法道具に限らないようで、その中にはおもちゃの空気銃まであった。セラは説明を終えると、机に並べられてあったポーチに道具を仕舞い始めた。

 

「このポーチには魔法がかかっていて、少しばかり多く物を詰め込める。……あと、言うまでもないけど、これらはあくまで自衛のための道具だからね。もし私があげた物を君が悪用したという話が私の耳に入ったら――分かっているよね」

 

「そんな馬鹿なことはしませんし、仮にすることがあってもセラの耳に入れるような馬鹿な真似はしませんよ。ところで、この黒い小箱はなんですか?」

 

 シムはセラが説明をしそびれていた道具を指さした。

 

「――ああ、これは『響け(ソノーラス)』のかかったマクゴナガル先生の声を封じ込めたものだ。子供だましだけど、ホグワーツ生の動きを止めるには一番有効な道具だろう」

 

 セラが箱を握ると、マクゴナガル先生の「あなたたち、何をしておいでですか!」という叫び声が教室に響き渡った。シムの体は硬直した。

 

「……これは物凄く威力がありそうですね。ただ一つ問題があるとすれば、黙って録音したのがマクゴナガル先生にバレたら、とてもとてもまずいことになりそうだなということくらいでしょうか」

 

「いや、おととしにちゃんと許可を取って作った。もちろん最初はふざけてるのかと雷を落とされそうになったけど、ホグワーツの手紙を持ってきてくれたよしみもあるし、私の難しい立場は分かってくれているからね。丁寧に説明して懇願したら、結局は張り切って協力してくれた」

 

 シムは口をあんぐり開けた。セラは「ここを押すと、時限式で作動するから便利だよ」と箱を弄んだ。

 

「――あ、もう一つ問題点がありました。あまり多用すると、どうせ偽物かと思われて効き目が薄くなりそうなのは惜しいですね」

 

「うん、だからここぞというときにだけ使ってほしい。私はまだ使ったことがない。もちろんマクゴナガル先生にも、絶対に絶対に悪用するなと――」

 

「あなたたち、何をしておいでですか!」

 

 マクゴナガル先生の怒声が再び教室の窓を揺らし、シムもセラも動きが一瞬固まった。

 

「……これ、自分で押したのが分かっていても怯えてしまうね」

 

 セラは呟いた。

 

 

  ★

 

 

 そして十月の日々は、授業と宿題と魔法の訓練に追われるまま過ぎていった。

 ほとんどの授業では、かなり順調についてゆけているとシムは確信していた。分からない部分や上手くいかなかった部分については訓練の後にセラに積極的に質問するようにしていたが、セラは大抵の場合は分かりやすく答えてくれたし、そうでない場合は図書館か先生のもとに行くよう指示するに留め、適当なことを答えて誤魔化すということは決してしなかった。

 訓練中のセラは相変わらず情け容赦がなく、多種多様な不意打ちを仕掛けてきたが、シムはセラの教えを全力で吸収し実践するよう努め、自分が着実に前進している手ごたえは感じていた。シムに成長の兆しが見られたときにはセラは称賛をためらわず、そのことはシムのやる気をいっそう高めた。

 訓練を行わない日は相変わらず、セラは部屋にこもって自分のことに一心不乱に集中しており、シムとかかわることは一切なかった。しかし、休日の訓練の後は再びホグワーツ城を案内してくれ、摩訶不思議な城を心から楽しそうに闊歩するセラの隣を、シムは歩くことができた。

 

 入学直後の絶望はほとんど薄れ、比較的穏やかな学生生活がこのまま続くのではないかという予感がシムの心に芽生えていた。自衛の術をある程度身に着け、盾の帽子をはじめ様々な防衛グッズを貰った今は――決して油断はしてはいけないとセラから日々叩き込まれていたし、スリザリンの上級生の集団からは距離を大きくとるように気を付けていたが――ホグワーツ城内で自分の命が脅かされるようなことは、まずないだろうと思っていた。

 

 そんなシムの無邪気な予感は、月末のハロウィーンの日に、凶暴な怪物複数体に襲われることで、さっそく粉々に砕け散ることになった。

 

 

(第2話 終)

 

 

 

 




ローリング氏がハリー・ポッターを執筆するにあたって、些末な現実的な整合性よりも、物語としての完成度や文学的な構成や児童書としての制約を重視したと思われる箇所について、この二次創作では、何らかの解釈をこじつける形、魔法の世界ではマグルの常識が通用しないで流す形、シムとセラの物語には前景として出さない形、あるいは適宜改変する形を取ります。そうでない箇所も適宜改変しています。

クィリナス・クィレル:
5章のハグリッドの「一年間実地に経験を積むちゅうことで休暇を取ってな(略)それ以来じゃ、人が変わてしもた。生徒を怖がるわ、自分の教えてる科目にもビクつくわ」の記述と矛盾しそうですが、「89年度までマグル学教授→90年度に旅行→91年度に防衛術教授」の公式(?)設定でいきます。

(もしかしたら、一巻執筆時点では「元マグル学教授」ではなくて、ずっと防衛術教授をやっている設定だった可能性もあるのかなとちょっと思いました。「ヴォルデモートが面接お祈りされて以降、防衛術教授はずっと一年で交代している」は六巻で初めて言及されていますし。)

セブルス・スネイプ:
この二次創作のスネイプは、幼馴染の少女がスリザリンに組分けされていた場合の世界を想像することはあるかもしれませんが、幼馴染の少女以外の少女に、幼馴染の少女の面影を幻視することはありません。
また、スネイプの数多くの人間的な欠点を美化して描くことはしません(そうでなければスネイプのキャラクタとしての魅力が著しく損なわれてしまうと筆者は考えています)。

ミネルバ・マクゴナガル
個人的に、小説版の女性キャラのなかでは一番好きです。


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第3話 ハロウィーン(1) トリック・オア・トリート

「やっぱり君は授業がとても順調みたいだね。ひょっとしたら一年生の中でも一番良いくらいじゃない?」

 

 十月の最終週の土曜、午前中に2E教室で相変わらず容赦なくシムに魔法の訓練を施し、テレビをくぐって談話室でシムと共に昼食をとり、シムの授業の質問に答えた後で――「魔法薬学」のレポートを執筆する上で生じた彼の疑問のうち三つを答え、二つは分からないから図書館か先生のもとに行くよう素直に指示し、「変身術入門」の56ページに記載された式の行間を解説し、「呪文学」で少し上手くいかなかった「直れ(レパロ)」の改善点を指摘した後で――のんびり紅茶をすすりながらセラは言った。

 

 シムは肩をすくめて正直に答えた。

 

「スリザリンは優秀な生徒も多いですし、一番とはいえないと思いますよ。……それに他の寮には、飛びぬけて秀才の誉れが高い生徒がいますしね。セラもたぶん図書館で見たことがあるかもしれませんが」

 

「なるほど。レイブンクロー生かな?」

 

「いえ、グリフィンドールです。……それも()()()()()()の」

 

 案の定、セラの目が好奇心で光った。

 

 ホグワーツ一年生のうち、日々の授業で一番飛び抜けて頭角を現していると(ささや)かれるのは、スリザリンのマルフォイでもノットでもグリーングラスでもムーンでもなければ、レイブンクローのゴールドスタインでもターピンでもパチルでもなければ、ハッフルパフのマクミランでもなければ、あのハリー・ポッターでもなかった(スリザリン生達は今のところ、飛行術の才とマルフォイに絡まれる才とマルフォイを口論で打ち負かす才を除けば、英雄ハリー・ポッターに突出した才能を見出していなかった)。

 

 それはグリフィンドール寮のマグル生まれの少女、ハーマイオニー・グレンジャーという名の生徒だった。漏れ聞こえてくる限りにおいては、彼女は甘いスプラウト先生の「薬草学」やフリットウィック先生の「呪文学」で毎回得点を荒稼ぎしているようだったし、厳格なマクゴナガル先生の「変身術」でさえも頻繁に加点されているようだった。

 その加点が先生方の贔屓などではなく、実際に彼女の優秀さと勤勉の賜物であることは、グリフィンドールと合同になる魔法薬学の授業を見れば明らかだった。彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、スネイプ先生に大鍋を覗き込まれたときに()()()()()()()()()()()()()()()()。スネイプ先生は黙って鼻を鳴らして通り過ぎるのみだった。要するに彼女はほとんど毎回完璧な調合を成し遂げており、彼女がスリザリン生なら、やはりこの授業でも得点を荒稼ぎしていただろうと思われた。

 

 シムは空いた時間のほとんどを魔法の練習や勉学に割いていたが――これは悲しいことに、自寮の同級生たちと交友を温めることに時間を割くのが絶望的だという消極的な事情が大きく絡んでいたが――グレンジャーのあまりに傑出した好奇心と記憶力と知能と勤勉さと魔法の才能とは、やはり嘆息せざるを得なかった。

 

「座学だけでなく――教科書を最初から最後まで一言一句暗記していて、君が図書館に行くときにはいつでも本に埋もれていて、スネイプ先生以外の先生の質問には必ず挙手をして答えるし、スネイプ先生にいくら無視されても挙手を続けて、『魔法史』の授業を内職も睡眠もせずに受ける()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そのうえ()()()飛行術以外は突出しているのか……」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーに関する噂と、実際に彼女を見た限りにおいての印象とをシムから聞くと、セラは感服した様子でシムの話を簡潔にまとめた。セラはグレンジャーに興味津々の様子だった。

 

「しかも、あまり協調性のないタイプで、出しゃばりで、杓子定規な『真面目な優等生』タイプで、ガリ勉タイプで、先生にとても好かれるタイプで、ということは当然グリフィンドール寮では孤立気味で、陰口を叩かれやすいというわけか。なるほどね――」

 

 だからこそシムはそれまで、ハーマイオニー・グレンジャーという生徒の話を、すすんでセラにしようとは思わなかったのだ。才能に溢れ、ストイックで、きわめて知的で、孤立していて、非魔法界出身の女子の生徒――そのような生徒に、セラ・ストーリーが興味を持たないはずがなかった。

 

「レイブンクローかハッフルパフに行っていたら良かったのにね。あるいは――」

 

 セラはそこで急に口をつぐんで黙り込んだ。シムはセラが言おうとしたであろう言葉を引き取る。

 

「――スリザリンなら、セラに面倒を見てもらえて良かったでしょうけど、それでもスリザリンに組分けされうる要素は、あの生徒の性格にはたぶん全くないですよ。組分けに時間がかかっていましたが、おおかたレイブンクローと迷っていたのでしょう。ハッフルパフの可能性もありそうですが」

 

 シムはグレンジャーに対して、会話をしたことがないにもかかわらず少し苦手意識を抱いていた。

 グレンジャーを目にするたびに、自分の代わりにこの少女が、スリザリンに組分けされた世界を想像させられるからだった。そしてそちらの世界の方が――ともに利発で才気溢れる二人の魔女が出会っていた世界の方が、セラにとってはなお良かったのではないかという予感がつい頭をよぎってしまうからだった。

 実際に今、セラは言葉にこそ出さなかったが、ハーマイオニー・グレンジャーがスリザリンに来ていればと感じていそうだった。

 

「……ああいや、もちろん私は今の状況にとても満足しているし、君と出会えてとても良かったと思っているよ。――ただ、そのグレンジャーという子もスリザリンに入っていたなら、スリザード・クラブが三人になってさらに賑やかになっていただろうとは思うけど」

 

 心を見透かしたかのようなセラの何気ない調子の言葉に、シムは自分の幼さが余計に恥ずかしくなった。三人のスリザード・クラブ。三人いれば、今よりお互いの遠慮がなくなり、今よりさらに楽しく日々を過ごせるのかもしれない。――あるいはセラとグレンジャーがとても仲良く喋るなか、自分がひとり蚊帳の外に置かれて居心地が悪くなるかもしれない。シムは悲観的なイメージのほうを頭から振り払った。

 

「今は何よりシムを鍛えなきゃいけないし、他の一年生にかまうつもりなんて当然ないよ。――まあ、グリフィンドールで孤立しているようなら、スリザリンから攻撃されかねないようなら、図書館で見かけたときにでもちょっと話してみようかなとも思うけど――」

 

「……スリザリンの生徒と親しく話すようでは、彼女の寮内での孤立はさらに深まる一方じゃないでしょうか」

 

 シムは慎重に客観的な言葉を選んだ。シム自身、一定のシンパシーを感じるグレンジャーに話しかけてみたいと思わないこともなかったが、やはりスリザリンとグリフィンドールの二寮の断絶は大きかった。スリザリンでの立場が無い自分が、グリフィンドールで浮いている上にスリザリンから敵意を向けられているグレンジャーに、表立って話すことがあればお互いの立場をいっそう悪くしかねない、とは分かっていた。

 

(スリザリン一年生にとって、「穢れた血」という語はもっぱらハーマイオニー・グレンジャーを揶揄する固有名詞となっていた。もちろんシムを指す場合もあるために区別が紛らわしかったが、その後に続く三人称――(He)あいつ(She)――で判断をすることができた)

 

 もっとも話しかけたところで、スリザリン的な気質が一切なさそうな彼女とはそもそも気が合わない予感もしたが。

 

「それは全くその通りだ。もし仮に彼女と私が仲良くなってしまうことがあったら、グリフィンドールでの居場所がないうちに、スリザリンの上級生にたぶらかされたなんて話が広まってしまったら――寮に馴染める望みは絶たれてしまうかもしれないね。さすがにそんなことは、私の本意ではない」

 

 セラは名残惜しそうに遠い目をして言った。しばらくの沈黙ののち、セラは突然立ち上がり、鞄をつかんだ。

 

「――そうだ、古代ルーン文字の本の返却期限が今日までだったのを、今の話で思い出した。マダム・ピンスに怒られるのは面倒だからちょっと行ってくる。ついでに『数占い学』の本も借りてくることにしよう」

 

 イルマ・ピンス――飢えたハゲタカを思わせる風貌を持つ図書館の主だ。書物と、厳粛な図書館の空気とをこよなく愛しており――少なくとも生徒達や生徒の読書体験よりは遥かに大切にしており――鋭い眼を図書館中に光らせ、飲食や午睡やわずかな私語も許さず、本を汚したり折ったりしようものなら烈火のごとく怒り出す。大切にしているはずの本に魔法をかけて、生徒を図書館から追い立てることすらあった。

 ただでさえ陰鬱で厳粛なホグワーツ図書館の雰囲気を、その司書はいっそう緊張感のあるものにしており、シムはこれでは生徒の読書嫌いが進む一方だと感じていた。

 しかし非魔法界の図書館とは異なり、ホグワーツ図書館の禁書区画には()()()()()()()()()()()、ホグワーツの敷地内でも「禁じられた森」に次ぐほど危険である可能性すらある。そのため彼女の神経質な態度は、この城の図書館においてはまったく適切なものかもしれないとも感じるのだった。

 

(セラはシムに、危険を見極められないうちは絶対に禁書棚の本に手を触れるなと忠告していた。セラ自身、一年生のときにかなり危ない目に遭ったようで、その後に上級生二人から受けた折檻がトラウマになっているようだった)

 

「……もしそのグレンジャー嬢がいたら、どんな子かやっぱり見てこようかな。ふさふさした茶色の髪で、いつも大量の本を背負っているグリフィンドール生なんだよね。一目で分かりそうだ。…………他の生徒に見られないようにすれば、少し挨拶をするくらいなら――」

 

 彼女は地球が描かれたポスターをくぐって談話室から出て行った。シムは宿題レポート用の羊皮紙を取り出し、「変身術入門」をぱらぱらめくって、65ページの紙を眺めた。

 そして三十分ほど経って、セラが再びスリザード談話室に戻ってきた。シムは「変身術入門」の65ページから顔を上げた。セラは残念そうに首を振った。

 

「ちょうどグレンジャーさんを見かけたから、彼女が出てくるときに廊下でちょっと挨拶しようと思ったのだけど、失敗してしまったよ」

 

「……どうせ、『目くらまし』をかけて驚かせたとかですか?」

 

 シムはセラと最初に会った日のことを思い出した。

 

「折角なら印象的なものにしたいしね。先回りして彼女の前に立って、足から少しずつ現れる形にしたら、首まで復元したあたりで、ヒッと悲鳴をあげて逃げられてしまって。単にスリザリン生が悪戯しようとしたと思われたかもしれない」

 

「…………何やってるんですか。普通に挨拶してもセラなら十分印象的ですよ」

 

 シムは呆れ顔で言ったが、しかし続くセラの「グレンジャーさんと関われなくなってしまったから、彼女の寮での立場をさらに悪くするようなことは起きないよ」という言葉を聞いて、もしかしたらセラは、あえて非常識で馬鹿な真似をして避けられることで、グレンジャーと関わってみたいセラ自身の気持ちと折り合いをつけたのかという気もしたが、声に出すのはやめておいた。

 

 

 ★

 

 

「ところで、セラはハロウィーンパーティは毎年出ているのですか?あれって参加しないといけないのでしたっけ。ハロウィーンの日はちょうど訓練がない日でしたよね」

 

 それから少しして、ふと思い立ってシムはセラに問いかけた。いつにも増して豪華な晩餐が供されるほか、ゲストが呼ばれることもあるというハロウィーンパーティを翌週の木曜に控え、校内は少し浮足立っていた。

 城の窓から見える、森番のハグリッドさんの小屋のそばの畑では、怪物のような大きさのお化けかぼちゃが幾つも丸々と育っていた。

 

「私がそんなまっとうな陽の当たる学生生活を送っていると思う?いつも通りここでご飯を食べているよ、参加しなければならないことはないからね。一部のレイブンクロー生とか、よほど大事な用がある人とか、よほど虐められている人とかでなければ、もちろんみんな参加するとは思うけれど」

 

 全スリザリン生が集まる食事の席は、居心地が悪い以前の問題として、先生方の目が光っているということをさしひいても二人にとってあまり安全な場とはいえなかった。毒を盛られるようなことは流石にないとしても、食事中に何かしらの悪戯やトラブルが起こる光景は、グリフィンドールのテーブルを中心にいたって日常的なものだった。

 魔法の訓練を行う日もそうでない日も、二人は夕食を(休日は昼食も)ここスリザード談話室で摂っており、朝食は早い時間に大広間に降りて摂ることにしていた。

 訓練の後の夕食を除けばセラは自分が食べたいときにご飯を食べ始めており、たまたまタイミングがかち合ったときだけシムはセラと談笑して食事することができていた。

 

「私が一年生のときには七年生のシーナとソフィアがいたから、三人でささやかなハロウィーンパーティをして楽しかったけれどね。……いや、不意打ちで『ペロペロ酸飴』を食べさせられたな……」 

 

「そうだったんですね。そういえば、マグルの歴史も議事堂もクソもない魔法界だと五日後のガイ・フォークス・ナイトは当然やらないみたいですけど、三人とも非魔法界出身だとそっちも盛大に祝いました?」

 

「そっちはやらなかったな。わざわざカトリックのテロリストの人形を燃やすなんてどうも私の趣味じゃないし、その日の訓練で私を燃やしかけるだけで二人は十分満足だったろうし」

 

 セラは肩をすくめた後、押し黙るシムを見て「『炎凍結術』がかかってさえいれば炎を避け切れなくても全く痛くないし、私はもちろんそんな訓練は君にやらないよ」と付け加えた。

 

「ただ今年は、日陰者の私の都合に君を巻き込むつもりはない。どう、初めの一年くらい、陽の当たる大広間に降りてハロウィーンパーティに参加してみるかい?それなら私も参加するよ」

 

 セラは意地の悪そうな笑みを浮かべた。答えを聞くまでもない質問であった。

 

「まさか。僕もここで食べますよ。そもそも夜の大広間には陽が当たりませんしね」

 

 即答したシムにセラは頷いた。

 

「じゃあそうしよう。三年前みたいにパーティの準備をする時間はないけれど、豪華な晩ご飯だけでも十分だろう。……そうだ、シムはまだキッチンに行ったことがなかったよね?折角だから一緒に料理を貰いに行こうか」

 

「お、良いんですか!ぜひ行ってみたいです」

 

 ホグワーツの厨房では沢山の屋敷しもべ妖精が甲斐甲斐しく働いており、生徒や教職員の胃袋を毎日満たしてくれる。生徒が厨房に入るといつでも妖精達は歓迎して沢山のお菓子や軽食を渡してくれるので、一部の生徒は足しげく厨房に通っていた。

 そしてセラは厨房の妖精達と何かしらの話をつけているようで、毎晩スムーズに夕飯を確保することができていた。

 

(料理の残りをわざわざ生徒二名のために予め取り分けておくことは、妖精達の仕事を余計に増やすことにほかならなかったが、労役を苦と思わない彼らは嫌な顔一つしないでやってくれるようだった)

 

 ただし談話室に食事を持ってくるのはいつでもセラで、シムは一度も厨房を目にしたことがなかった。上級生に行かせるのは忍びない、自分に運ばせてほしいとシムは何度も主張したが、セラは「目くらまし術」が使えるようになるまでは駄目だと頑なに拒んでいた。生徒が厨房に行くことは校則違反ではないが、わざわざ夕食時に厨房に行くのを見られて他の生徒に不審に思われるのを避けるために、そしてスリザード・クラブの使う2E教室の存在が他の生徒にバレるのを避けるために、セラは必ず「目くらまし」を使って厨房から2E教室まで移動していた。

 

(シムは「目くらまし」が使えないので、他の生徒の姿がないか注意を払いつつ2E教室まで毎日通っていた)

 

「授業が終わったらいったん談話室(ここ)に集まって、それから一緒にキッチンに降りよう。晩餐が始まったあとなら、キッチンの仕事の邪魔にはあまりならないはずだ」

 

 セラの言葉を聞きながら、談話室で食べるハロウィーンのご馳走にシムは思いを馳せた。

 

 

  ★

 

 

 そしてハロウィーンの当日、木曜の一日の授業を終えて2E教室へ向かい、テレビをくぐってスリザード談話室に降り立ったシムは息を呑んだ。

 明るい緑色を基調にした穏やかな普段の談話室は一変して、すっかりハロウィーン仕様に模様替えされていた。

 薄暗い部屋を橙色の灯りが照らし、黒と宵闇の紺色を基調にした壁には、幽霊や墓やお化けかぼちゃなどのハロウィーンにまつわる絵が描かれている。その絵はおどろおどろしさを残しつつも、ポップに楽しげに仕上がっている。

 

 そしてシムの正面には、魔女がソファに坐していた。魔女が身にまとっていたのは普段と一切変わらない山高帽とローブだったし、箒や大鍋こそ持っていなかったが、それでもあまりに魔女然としてハロウィーンにふさわしい姿だったので、部屋の雰囲気を醸成する中核を担っているといえた。

 魔女は手を膝に組んで穏やかな様子でもたれ、どうやらうたた寝をしているようだった。その安らかな彼女の寝顔は、それまでシムが目にしていた、飄々とした様子、鷹揚とした様子、警戒した様子、集中した様子などとは無縁のものだった。せっかくの安息を邪魔しないでおこうかと思っていると、

 

「ああ、つい寝てしまってたみたいだ。いらっしゃい」

 

 セラは目を醒まして微笑んだ。緑の瞳が神秘的な光をたたえていた。「三年ぶりにハロウィーンぽく変えてみたよ。わざわざ飾り付けするのは大変だから、壁紙と照明を魔法で変えただけだけどね」

 

 そしてセラは、右手に握った杖で左手をたたきながら、にやりと笑った。

 

「早速だけど、せっかくハロウィーンだし、ご馳走を食べに行く前に言っておかないとね。――シム、トリック・オア・トリート

 

 呪文を唱えるかのような調子で、澄んだアルトボイスがセラの唇から漏れる。左手を差し出す魔女の、怪しく光る瞳をまっすぐ見つめてシムは肩をすくめた。

 

「あいにく、お菓子を買いに行く暇がなかったもので。代わりにと言ってはなんですが――」

 

 シムは杖を取り出し、戸棚に向けた。息を吸い、集中して詠唱する。

 

浮遊せよ(ウィンガーディアム・レビオーサ)

 

 セラに何週間か前に教わり、直近の「呪文学」の授業でも習った「浮遊術」は、このときも無事に成功した。戸棚から緑色の鉛筆が五本(この談話室には非魔法界の文房具が豊富に揃っていた)、飛び出して滑らかに宙を滑った。鉛筆がシムの胸元に並ぶ。

 シムが再び杖を振ると、五本の鉛筆が動いて「H」の字を形作った。一旦ばらばらになると、今度は「A」の字を形作る。シムが杖を振る度に陣形を変え、最終的に鉛筆は「HAPPY HALLOWEEN」の字を順にすべて示し終えた。セラは黙ったまま、感心した目つきで眺めていた。

 

(なお、「P」の字を自分から見て「P」となるように形作ってしまい、この向きではセラからは左右反対に見えてしまうことに気づいたが、何食わぬ顔をして「L」からは左右反対に形作るように気を付けた)

 

 そしてシムは宙に浮かぶ五本の鉛筆を一本ずつ杖で叩いた。鉛筆は地に落ちると、次々にトカゲへと姿を変じた。いくぶん細長く直線ばった、鉛筆の面影を色濃く残したトカゲだったが、シムは気にせず杖を振る。トカゲは床を這い始めて壁を登り、もとの戸棚に戻ると、ポンと音を立てて鉛筆に戻った。

 

「――これでお目こぼしいただけますか」

 

 シムは杖を降ろして問いかけた。華々しいとも洗練されているともいえいないパフォーマンスなのは自覚していたが、これが今のシムに出来る精一杯の魔法だった。

 シムは内心どきどきしていたが、セラは大きく頷きながら感激した様子で拍手した。

 

「すごいよ。魔法を学んでたった二ヶ月で、ここまでのものを見せてくれるとは思ってもなかった。普段からここで君の魔法は見せてもらっていたけれど、改めてさすがだ。呪文学も変身術も杖魔法の二本柱が両方、基礎がちゃんと出来ている。一年生の期末試験なんてこの調子で余裕だろう。――嬉しいよ、ありがとう」

 

 セラの手放しの称賛と満面の笑みを見て、シムは自分の今までの努力が十二分に報われたように感じた。心に温かなものが流れ込んだ。

 

「ありがとうございます。頑張って練習した甲斐(かい)がありました。――それでは僕の方も、トリック・オア・トリート

 

 シムが大仰な調子で悪戯っぽく唱えると、すっとセラはソファから立ち上がった。

 

「大人気ないかもしれないけれど。私も本気で、頑張ることにするよ」

 

 セラは後ろ手でソファを叩いた。ソファが膨れ上がり、セラの背丈と同じ高さの古竜へと転じる。(わに)のような顔と扇のような盛り上がった背中――棘竜(スピノサウルス)と名づけられた恐竜、そのミニチュア盤だ。

 恐竜はシムに顔を伸ばし、鋭い歯が無数に並ぶ顎を広げる。あわやシムの首に噛みつこうとしたときに、肌に黒い羽毛が生え竜の動きが止まる。恐竜がきょろきょろ横を見回して首を引っ込める間にも、羽がすっかり生えそろい、鰐のような顎は(くちばし)へ、背中の扇が翼へと変じ――恐竜は巨鳥の姿へ、()()()()()()()()()()()()()()、鳥の姿へと変身した。

 黒い巨鳥が翼を広げると、翼は鳥のそれからコウモリのそれへと変わった。かと思うと間もなく巨鳥の体が弾けて無数のコウモリが噴き出す。コウモリはひとしきり部屋を飛び回ると、セラの背後で一塊(ひとかたまり)になった。黒の塊はみるみるうちに変色して橙色の塊になり、気づけばけたけた笑うお化けかぼちゃになった。セラが最後に杖を振ると、ポンと音を立ててかぼちゃが消え、そこには元のソファが鎮座していた。セラは右手を左に振って丁寧に一礼した。

 

「お菓子の代わりに、お返しにこれでいかがでしょう」

 

 ひたすら圧倒されていたシムは、セラの言葉で我に返り、夢中で拍手をした。

 

「さすがです。……いや、さすがです。……ありがとうございます」

 

 シムはそれを言うだけで精一杯だった。

 

「ありがとうね。……こういう大掛かりな変身術は、本当に本当に大変で。私は今素知らぬ顔を作っているけれど、すっかりへとへとになってしまったし、もちろん即興ではなくちゃんと練習をしなきゃできない。シムもさっきのあれは、準備してくれていたのだろう?」

 

 ばつが悪そうに笑うセラに、シムも笑顔を返す。

 

「ええ、それはもちろん、たっぷりと。――お互い格好つけたがりだし、格好がつかないですね」

 

 セラは「人を楽しませるために、格好悪さを気にせずに格好をつけられるというのは、素敵なことだと私は思うけどね」と柔らかな声で言った。そして二人は、いつも通り食器を青い箱から取り出し、白い鞄に入れた。そして談話室を出て、夕食を調達するために厨房へと向かった。

 

(食器は談話室のものを使っていたので、食事を調達しに行くときだけ厨房に向かえば良く、食事を済ませた後は「洗浄呪文(スコージファイ)」のかかった青い箱に食器を入れるだけで済んだ。なお、屋敷しもべ妖精は基本的に城のどこにでも物を移送できるのだが、恐らくスリザード談話室の存在は知らないようで、セラも教えるつもりがないようだった。城の大抵の部屋は屋敷妖精が夜の間に掃除をしていてくれたが、この談話室はセラとシムが二人で掃除をしていた)。

 

 「目くらまし」をかけて周囲の景色と同化した二人は、一階までたどり着くと、おいしそうなご馳走の匂いと生徒たちの歓声が漏れる大広間には目もくれずに地下に降りた。地下といってもこの廊下は穏やかで明るい雰囲気であり、スリザリンの寮に近い区域――薄ら寒くじめじめして陰気な雰囲気――とは対照的だった。沢山の果物が載った銀の大皿が描かれた絵の前でセラは立ち止まった。

 

「ハッフルパフの寮の入口はここからそう遠くないみたい。キッチンが近くて羨ましい限りだね。そしてここが、キッチンの入口だ」

 

 皿の中の果物の一つ、洋梨の絵をくすぐって現れたノブを捻り、セラは厨房の扉を開けた。

 

 

  ★

 

 

 大広間と同じほどと思わんばかりの広大な厨房には、大勢の屋敷妖精がひしめいていた。

 ハロウィーンのご馳走は既に出し終わっていたので、大方の妖精はデザートの時間までしばし休憩をしており、一部の妖精は鍋などを魔法で清めていた。二人は屋敷妖精から熱烈な歓迎を受け、たくさんのご馳走とお菓子を押し付けられた。それらを白い鞄――「検知不可能拡大呪文」と「水平呪文」と「保温呪文」がかかっていてスープだろうとなんだろうと問題なく料理を運べる――に詰めながら、パンプキンパイの匂いが漂う厨房を後にした。

 

「……正直僕らは仕事の邪魔だろうと思っていたのですが、あんなに優しくもてなしてくれるものなのですね」

 

「うん。だから私は毎日彼らの好意に甘えて、あつかましく夕食を毎日貰いに行っているというわけだ。屋敷妖精を持つ魔法族の家庭はまったく幸せだね」

 

 二人は三階の荘厳な大廊下を歩いていた。

 大廊下は迷路のように分岐し曲がりくねっているが、いずれのルートを通っても目指す大階段は遠い。シムは空いたお腹をさすりながら、セラと食べるハロウィーンの晩餐にわくわくしていた。

 

(なお、スリザード・クラブが使う2E教室は三階にあるが、三階からは直接向かうことができない。一旦大階段で四階まであがり、廊下をさらに四回曲がり、丁寧にお辞儀をしないと開かない扉をくぐり、その先の廊下を三回もしくは日によっては七回曲がり、階段を降り、途中の踊り場で止まり、右手に見える壁の特定のブロックを叩き、出てきたドアノブを回して隠し扉を開け、隠し階段を降りるという、ホグワーツの基準から見ても複雑な道のりを辿らなければならなかった)

 

 しかし、二回廊下を曲がり、教室もなくただひたすら長くまっすぐのびる道を歩いている途上で、二人は立ち込める異様な臭いに立ち止まった。セラが辟易した様子で口を開く。

 

「……食欲が湧かなくなってしまうような臭いだね。屋敷妖精はちゃんと掃除をしてくれているはずだけれど……」

 

「……汚い駅の公衆トイレを限界まできつくしたみたいな臭いですね……。ついでに父の汚れた靴下もブレンドした感じの……」

 

「靴下が臭うのは君のために働いてくれているからこそだから、お父さんに直接は言わないべきだよ」

 

 何気ない調子で言ったセラは、ふと上を向いて蒼ざめた。

 

「悪臭……悪臭……そもそもトイレは近くにない……まさかこれは…………!」

 

 そのとき前から低い唸り声が、幅の広い廊下じゅうに響き渡った。足を引きずる音――それも馬鹿でかいサイズの足を引きずる音も、床を伝って響いた。廊下の数メートル先の曲り道から、悪臭の原因が姿を現した。それはヒトにも似た姿の、しかし端的に言えば「怪物」の姿だった。




邦訳版にあわせてハロウィーン表記。この二次創作はあくまでセラとシムの物語なので、ハーマイオニーはちゃんとハリーと仲良くなります。

セラのハロウィーンの変身術:家具を豚に変えるレベルでも相当ムズいとなると、いち生徒の技量でできるレベルを超えてしまっているかもしれないけれど、ストーリーの本筋に絡まない部分なので勘弁。戦闘でこのレベルの複雑な変身術は使えません。

(追記: 失念してましたが在学中アニメーガス習得する生徒がいるくらいだし別に全然大丈夫そうですね)


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第3話 ハロウィーン(2) 山トロール・ギガントロール・アクロマンチュラ

 天井に達するほどの――四メートルはあろうかという巨体。岩石を思わせる、鈍い灰色でゴツゴツした巨体。体躯に比して奇妙に小さな頭。太く短い脚。異様に長い腕に、巨大な木の棍棒。シムの本能も理性も、ともに全力で危険を訴えていた。

 

 驚愕と恐怖が色濃く混ざった切羽詰まった囁き声を、セラがあげた。常に飄々としていたセラがその種の声を出すのを、シムが耳にするのは初めてだった。

 

「あれはトロール――それも山トロール……!!なんでここに……?!」

 

 

  ★

 

 

 トロール。最大で四メートルになる巨大な体躯、その見た目に一切違わぬ極めて強靭な膂力(りょりょく)、並大抵の魔法攻撃は通さない硬い肌、きわめて凶暴で残忍な気質、そして〝人肉を喰らう〟嗜好を併せ持つ魔法生物。魔法省(M.O.M)分類「XXXX(危険レベル)」、専門の知識と技能を持った魔法使いのみが対処できるとされる魔法生物である。大人の魔法族でさえ殺される危険が大きいのだ、いわんや普通のホグワーツ一年生が立ち向かうなど狂気の沙汰でしかない。

 

 ところで、「トロール」の名は、英国魔法界では「愚か」の代名詞として頻繁に用いられる。トロールを引き合いに出す慣用句やジョークは多く存在し、ホグワーツ魔法魔術学校の普通魔法レベル(O.W.L)"ふくろう"試験においてすら、最低の評価が「T・トロール並」と公的に称されるほどである。

 とはいえその絶望的なまでの愚かさは、飽くまで「ヒトを基準にみれば」というだけの話である。トロールは少なくとも棍棒を扱うことができるだけの知性は、そして個体によってはヒトとある程度のコミュニケーションすら取れるだけの知性は備えており、実際に「ヒトたる存在」――小鬼(ゴブリン)鬼婆(ハグ)吸血鬼(ヴァンパイア)などが含まれる――に分類されかけたことすらある。

 トロールはそれらの「ヒトたる存在」の種族らと肩を並べるにはあまりに知性が貧困である一方で、本能と単純なプログラムだけで動いていると言えるほど、知性に乏しいわけではない。つまり端的に言って、トロールは〝行動の予測がつきにくい〟。中途半端な知性が、トロールの危険度をいっそう押し上げているのだ。事実、トロールを引き合いに出す慣用句やジョークが古今広く用いられるのは、トロールが取るに足らない存在だからではなく、トロールが魔法族にすら恐るべきものと認識されているからこそなのである。もしトロールが校内に侵入したという報せが大広間にもたらされたならば、魔法族の家庭で生まれ育った生徒達はパニックに陥っても何もおかしくはない。

 そしてトロールはその生息地域と形質の違いから、「森トロール」「川トロール」「山トロール」の三種に分類される。運の悪いことに二人が遭遇したトロールは、三種の中で最も巨大かつ凶暴な「山トロール」であった。

 山トロールは二人の方を――目くらましをかけているはずの二人の方を()()()()()()。咆哮とともに棍棒を振り上げると、巨体に似合わぬ速度で、床を揺らしながら駆け出した。

 

「……!」

 

 セラは瞬時に、自身とシムの目くらましを解く。聴覚や嗅覚が優れているのか魔法力を察知しているのかは分からないが、いずれにせよ自分たちの存在がバレているのなら、「目くらまし」を解かないのは得策ではない。「目くらまし」をかけ続けている間は、ある程度そちらに魔力のリソースが割かれてしまうからだ。二人が姿を現しても、トロールの反応は何も変わらなかった――それをトロールの愚かさゆえと考えるのは早計だろう。ヒトの臭い、もしかしたら味もはっきり覚えているのかもしれない。

 シムの頭が真っ白になり恐怖の叫びも出せないでいる間に、セラは杖を抜いて叫んでいた。

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 セラの杖からほとばしった赤く煌めく閃光がトロールの胴体に直撃し、トロールの棍棒が後方に吹き飛んだ。彼女の強烈な武装解除呪文の衝撃は、駆けるトロールの体をも停止させた。その瞬間を逃さず、セラは続けざまに棍棒に杖を向けて叫ぶ。

 

来い(アクシオ)――呪文よ終われ(フィニート・インカンターテム)――風よ(ヴェンタス)

 

 後方に吹き飛んだ棍棒は「呼び寄せ呪文(アクシオ)」で向きを反転させると、セラの方へ一直線に猛然と飛んだ。その直線上には当然トロールの体が(そび)えている。トロールは背中に棍棒の打撃を喰らい、唸り声とともに前傾した。続いて棍棒は「一般反対呪文(フィニート・インカンターテム)」(これは短縮形の「終われ(フィニート)」よりも迅速な効果が得られる)を受けて慣性をもろともせず空中で静止し、落ちる前に「突風呪文(ヴェンタス)」の強風に煽られてトロールの腹部を殴打した。トロールが再び呻き声をもらす。

 

とげとげ(スパイニファイ)

 

そっくり(ジェミニオ)そっくり(ジェミニオ)!!そっくり(ジェミニオ)!!!

 

 ただの筒状だった棍棒に多くの(とげ)が生えたかと思うと、「双子の呪文(ジェミニオ)」を三度受けて棍棒は四個へと増殖し、地面に落ちた。棍棒を拾おうとしたトロールをさしおいて、セラは高らかに叫んだ。

 

踊り狂え(タラントアレグラ・マキシマ)!」

 

 棘だらけの棍棒が高速で回転しながら地面を撥ね、トロールの体を殴打し続けた。「踊れ(タラントアレグラ)」の上位呪文は、無生物を凶悪な武器へ変える。頑強な肌は血を流すことこそなかったものの、トロールは苦悶の叫びをあげる。

 

掘れ(ディフォディオ)掘れ(ディフォディオ)!!掘れ(ディフォディオ)!!!

 

駄目押しにセラが撃った「穴掘り呪文(ディフォディオ)」でトロールの足もとの床が(えぐ)れ、トロールの体が半分ほど沈んだ。トロールは穴から這い上がろうとするが、棍棒に阻まれてうまくいかない。トロールの咆哮が二人の耳をつんざく。そして後頭部に強烈な一撃を続けざまに喰らい、トロールは気絶した。

 

(ホグワーツの廊下の大理石に「穴掘り呪文」が効くかどうかは、完全な賭けだった。幸いにもこの区画の床は、魔法への耐性が強くはなかったらしい。ただし、2メートルも穴を掘っても階下の天井が開かないあたり、やはりホグワーツの床はただの床ではないことがうかがえる)

 

「まさか――ホグワーツでこんな――怪物が――」

 

 棍棒とトロールに「終われ(フィニート)」と「縛れ(インカーセラス)」とをかけ、セラは一旦杖を下ろして息も絶え絶えに言った。汗をびっしょりかいて、額とうなじが光っていた。

 シムも呆然としたまま冷や汗をかいた。彼は今まで、訓練の際にセラの容赦ない杖さばきと慎重で迅速な判断とを目にしてきていたが、目にしてきたつもりにすぎなかったことを思い知った。シムはあくまでセラにとって、セラの三学年も下の生徒であり、そもそもヒトであり、セラを殺害しようとも捕食しようとも思っていない相手だ。――そうでない相手には、これほど冷徹に的確に攻撃を組み立てるとは。そして真に命に危機が迫ったときに、ここまで冷静に迅速に判断を下せるとは。

 

「トロールの肌には――『失神呪文(ステューピファイ)』やら――『石になれ(ペトリフィカス・トタルス)』なんて効かないだろうから――ひたすらトロールの棍棒に魔法をかけて、外から攻撃するしかなかった――今のうちに走ろう、大広間で先生に報せるんだ!」

 

 セラは棒立ちになるシムの腕をつかみ、トロールとは反対方向に駆け出した。トロールを倒すなど無謀極まりないということは元々セラには分かっていたので、逃げることに専念できるだけの時間を稼ぐ心積もりだったのだ。怪物への恐怖、命が救われたことへの安堵、セラへの畏敬とで頭がいっぱいになっていたシムは、我に返り自分もセラに並んで走り出す。

 

「ここに置いて――ほかの――生徒は大丈夫ですかね?」

 

 第一声にもふさわしくなければ、そんなことを言っている場合でもないと思いつつも、シムは頭によぎったことを口走っていた。

 

「ほとんどは――ハロウィーンパーティにいる――ことを祈ろう――」

 

「そうで――」

 

 右の曲がり角を目前に控えたとき、セラの顔を見たシムはセラの緑の目が見開かれたことに気づいた。天井までの高さが()()()()()()()()()()()

 

「危ない!!」

 

 セラはシムの腕を再び掴んで急停止すると、シムを後ろに突き飛ばし、自分も振り返って跳んだ。床に四肢で着地すると同時に、シムを庇うように覆いかぶさる。

 

 轟音。爆音。衝撃が壁を揺らす。壁が砕け、石の破片が雨あられと廊下に降り注いだ。謎の衝撃によって石の破片は魔力を帯び、凄まじい速度で床に突き刺さる。シムはセラに庇われながら、身が縮こまった。

 

「いったいなにが――」

 

 セラは顔をしかめながら身を起こした。シムはセラを見て悲鳴をあげる。

 

「大丈夫ですか!」

 

 セラの右腕と右脚に、「盾のマント」の防護魔法を貫いていくつもの石片が突き刺さっていた。ローブがじわりと濡れ、血のしずくが床に垂れ落ちる。

 

「それよりまずは――」

 

 セラは床に転がった杖を左手でつかみ、衝撃がした方に照準をあわせた。シムはそちらに目を向け、唖然とした。

 

 

  ★

 

 

 巨大な――7メートルはあろうかという巨体を持つ、ヒトに似た姿の怪物が、片膝をついて壁に右の拳を深々とめりこませていた。猛スピードで角から姿を現した怪物は、セラとシムを認識するや否や、躊躇なく豪腕をふるったようだった。怪物は腕が長く、手の甲を裏向きにすれば容易に二人の身長まで拳を届かせることができた。

 セラの判断が一瞬でも遅れていれば、シムの体は粉みじんになっていたに違いない。シムは恐ろしさに立ち上がることができなかった。天井も怪物の背丈まで高くなっており、大廊下の光景は非常に壮大なものに変わっていた。

 

(なお、三階の大廊下を含めてホグワーツ城の一部の区画では、天井までの高さが場合に応じて伸び縮みする摩訶不思議な性質を持っていた。城の設計者ロウェナ・レイブンクローの摩訶不思議な才能は、しかしこの場合においてはシムとセラに全く不利に働いていた。怪物はこれだけの巨体を持つにもかかわらず、ここの廊下においては――城のどこから入ってきてここに来るまでどうしていたのかはさておいて――自由に体をふるうことができていたからだ)

 

 怪物は、先ほどの山トロールがさらに巨大に荒々しくなった姿で、しかし山トロールよりも幾分ヒトに近い風貌をもっていた。

 ギガントロール――ともに山岳地帯に生息し、ともに巨大な体躯と途方もない剛力と凶暴な気質とを持つ二種の生物、「巨人(ジャイアント)」と「山トロール」から生まれた、きわめて稀な混種であった。

 元々高かった膂力や魔法への耐性や凶暴性は巨人のそれに山トロールのそれをそのまま足しただけ増しており、巨人と同程度には知性があり、トロールと同程度には人肉を好む。背丈は巨人とトロールの中間ほどの背丈を持つが、貧弱だった魔法力が強化されておりある程度体長を伸縮することができる。また、ただでさえ半端でない破壊力を持つであろう豪速で繰り出されるその拳は、魔法的な衝撃波をも放つ。

 稀少でほとんど存在が知られておらず「魔法省分類」は定められていなかったが、確実に危険度最大レベルの「XXXXX(魔法使い殺し)」――ドラゴン・キメラ・マンティコア・ヌンドゥなどが含まれる――にあたるであろう、恐るべき生物だった。

 

 セラは杖先を巨人の拳にあわせると同時に詠唱を始めた。巨人は左手を壁につけ、めりこんだ右手を引き抜こうとしているさなかだった。

 

洪水よ(アグアメンティ・マキシマ)

 

 杖から奔流が(ほとばし)る。「水よ(アグアメンティ)」の上位呪文で繰り出された膨大な水が巨人の両腕を包み込み――

 

氷河となれ(グレイシアス)――氷河となれ(グレイシアス)――氷河となれ(グレイシアス)!!!

 

 ――その水が「氷結呪文(グレイシアス)」の猛撃で瞬く間に凍り付いた。ヒト一人の杖の一振りが、選択した範囲の水の塊だけを、その莫大な熱量を瞬時に奪って凍結させる――熱力学という形で非魔法族が見出した世界の仮初の律法(ロジック)を鼻で笑う、これはまさしく魔法(マジック)であった。地面からそびえ壁に張り付く巨大な氷塊に両腕をがっちり固定され、巨人は苛立たしさに吠えた。

 セラは休むことなく、杖を今度は足もとに向けて詠唱する。

 

混凝土の洪水よ(カエメンティ・マキシマ)

 

固まれ(デューロ)――固まれ(デューロ)!!!

 

 セラの杖から、どろどろの灰色の、生コンクリートを模した幻影が出現し、怪物の足もとに流れ込む。コンクリートは怪物の足もとで固まり、怪物は足を動かせず再び吠えた。

 

 セラは二度息を吐くと、右脚に刺さったとりわけ大きな破片を引き抜き、血が大量に溢れ出すのを尻目に、懐から取り出した空のクリスタル瓶を自らの血液で満たした。そして素早く「清めよ(スコージファイ)」と「癒えよ(エピスキー)」と「拭え(テルジオ)」と「巻け(フェルーラ)」とを唱え、腕と脚に応急処置を施した。

 そして壁に背中をもたれさせて立膝の姿勢をとり、数度深呼吸した。巨人の巨大な手と足を氷塊とコンクリートとで固めるのは、少しの魔力で行えるような小技ではなかった。セラの額からは汗が滝のように流れ、顔には疲労の色が濃く現れていた。セラは息を整えながら淡々とした調子で言った。

 

「今のうちに――大広間まで走って急いで先生を呼んできてくれ。――私は走れないから――ここで食い止める」

 

「そんな、無茶ですよ!あんな怪物相手に――脚だけじゃない、利き手も使えていないじゃないですか!それに魔力だって消耗しているでしょう!肩を貸しますから、はやく一緒に歩きましょう」

 

 シムは悲鳴にも近い声で叫んだ。巨人は手と足を動かそうともがきながら吼えたけっている。

 シムはセラの腕をつかみ、立ち上がらせようとしたが、セラは手を払いのけた。

 

「左手でも杖を使う訓練をしている、十分くらいなら持ちこたえられる、じきにあいつは動けるようになってしまうんだ、あんなに巨人は速いのにのんびり歩いていては、いや走ったとしても追いつかれる!この前も言っただろう、私ひとりなら身を護れるけど、君を護りながらじゃ無理だ!死んでしまう!合理的に考えろ、これしか選択肢がないんだ!」

 

「どこか隠れるとか――いや、僕もここで一緒に食い止めますよ――セラからもらった煙幕とか閃光弾とかもありますし、魔法だって――」

 

 怪物の腕の氷がべきべき音を立てる。セラは焦れた様子でまくしたてた。

 

「どこかに隠れても探知されるに決まっているだろう!さっきのトロールだってそうだった!この前渡した防衛グッズもぜんぶ文字通り子供騙しだ!それに魔法がちょっと使えるようになったからって調子に乗るな、今の君じゃ戦闘なんて何もできない!邪魔なんだよ!君が先生を呼んでくれなきゃ喰い殺されるまで戦う羽目になる!私は君と心中するつもりはない!」

 

 氷が砕け散る音が響いた。巨人の左腕が自由になる。

 

「スリザリンなら自分の身を護れ!スリザリンなら仲間の身も護れ!見捨てたくないなんて()()()()()()()()()()()()()私はそこまで弱くない、信じろ!行け!吹き飛ばすぞ!三!――二!――」

 

「――ごめんなさい」

 

 シムは駆け出した。巨人は左腕で右腕の氷を叩き割り始めており、巨人の背後をすりぬけるシムには目も暮れなかった。シムの姿が見えなくなり、セラは息をついて立ち上がった。右腕の氷を叩き割り終わった巨人を眺める。

 

「まずいな……」

 

 セラは自分の膝が、腕が、全身が震えているのを感じ取った。

 少なくともシムを安全に逃がすことができたが、シムの言う通りセラ自身の状況は、控え目に言っても絶望的だった。右脚を痛め移動もままならず、杖腕を痛め精妙な杖捌きは望めない。体力も消耗している。加えて先ほどの大技で魔力も大きく消耗してしまった。魔力の大部分が血流とともに循環している以上、それなりに出血してしまったことも痛手だ。さらに悪いことには、目の前の怪物は、明らかに先ほどの怪物より強力だ。

 

 しかしセラはこのままここで死ぬつもりはさらさらない。セラは常々自分がグリフィンドールではなくスリザリンだと感じていた。セラは勇気を尊ぶべきだとは思っていない。自己犠牲に酔いしれたまま英雄的に果てたいわけでもない。自分も逃げたい気持ちを必死で抑えたのは、いくつも思い浮かんだ不確実な逃げ隠れる策を捨てたのは――これがシムのみならず、数分の間耐えさえすれば、自分の生存も確実になる選択肢だと判断したからだ。

 ローブの(すそ)に手を入れ、「検知不可能拡大呪文」がかかったポーチから、魔法薬の小瓶を二本取り出した。透明な「安らぎの水薬」を二口含み、続いて顔をしかめながら鮮やかなターコイズブルーの「強化薬」を飲み干した。どちらも「中級魔法薬」の教科書に載っており、スネイプの授業では五年次に扱う魔法薬である。セラは緊急時に備えて、夏休みにダイアゴン横丁で魔法薬を幾つか購入し、常に持ち歩くようにしていた(あいにく、すぐに脚のけがを治すような強力な治癒薬は、病院で処方されるものであって市場で手に入るものではなかった)。

 呑み込むや否や効果を発揮するのも魔法薬の妙味である。「安らぎの水薬」のお陰で心が鎮まって体の震えがおさまり、「強化薬」のお陰で集中が研ぎ澄まされ、自分の体に力が満ちてゆくのを感じる。――ただし、「強化薬」は自分の本来の魔力を増大させるわけではなく、単に魔力を放出する量を増大させるだけである。「水の溜まったタンクから蛇口を捻って水を流す」場合でたとえるならば、タンクの水の量は変わらず、単に蛇口を思い切り左に捻ることができるようになるだけである。戦闘を行える時間がさらに短くなる危険があるが、セラはシムが素早く先生を連れてくることに賭け、その間に生き延びる可能性を上げることにしたのだ(なお、「強化薬」には筋力や身体の頑健さも向上させる作用もあるが、目の前の怪物相手には気休めにすぎないことはセラは分かり切っていた)。分の悪い賭けだが、なんとか生き延びるしかない。

 

 そのためには、時間と魔力とをわずかでも無駄にしてはならない。セラは目の前の怪物についての知識は全くなかったが、トロールや巨人に似た見た目から、怪物の肌にはほとんどの呪文は効かないだろうと踏んでいた。それならば――。

 

 瓶を仕舞って大きく深呼吸すると同時に、ギガントロールが雄叫びをあげ、右手を壁から引き抜き、両足のコンクリートを叩き割った。ギガントロールの四肢が自由になる。ギガントロールがセラを睨みつけて右拳を振りかぶった瞬間、その眼に杖を向けてセラは叫んだ。

 

目よ荒れろ(オキュレ・インフラマーレイ)――目よ荒れろ(オキュレ・インフラマーレイ)!!

 

 桃色の光球が二つ、ギガントロールの左右の眼に吸い込まれた。途端に両眼が赤く充血し、ギガントロールは叫んで両手で眼をこすりはじめた。

 

 セラが唱えたのは「結膜炎の呪い」だ。呪いを喰らった対象の眼は、耐えがたいかゆみに襲われる。呪いの名称は一見間の抜けた響きに聞こえるが、しかしこの呪いはトロールや巨人など、肌が魔法を弾く生物から逃げるうえで()()()()()()()()()()。これらの生物はたいてい、眼だけは魔法への耐性を持たないことが多く、そして「結膜炎の呪い」は眼をめがけて飛んでくれるからである。

 ドラゴンにすら――魔法族半ダースでやっと互角に戦えるかどうかという、きわめて強力かつ凶暴な魔法生物であるあのドラゴンと遭遇してしまったときですら、「結膜炎の呪い」は生き延びるための数少ない有効な対抗手段になりうる。

 

 とはいえ当然、トロールや巨人やドラゴンに「結膜炎の呪い」を使うデメリットも多い。最たるものは、眼のかゆさに耐えかねて暴れ出してしまうことだ。このギガントロールも、やはり眼をこすりながら地団駄を踏み床を揺らした。地団駄の巻き添えを喰らわないうちに、セラはすかさず懐から、先ほど自らの血液を注いだ瓶を取り出した。

 

浮遊せよ(ウィンガーディアム・レビオーサ)――肥大せよ(エンゴージオ)――氷河となれ(グレイシアス)

 

 瓶から飛び出し、セラから遠く離れて漂いゆく赤い血液は、「肥らせ呪文(エンゴージオ)」を受けて体積が膨れ上がり、セラの身体と同じほどにまでなった。続けて「氷結呪文(グレイシアス)」で血は凍結し、赤い彫像が出来上がった。

 

「ゴガァ……!」

 

 ギガントロールは、眼をこすりながらそちらに顔を向けた。視界を奪われている以上、嗅覚への依存度合が大きくなるはずだ。そしてヒトの血の臭いには、とりわけ敏感に反応するはず――。セラの狙いはそれだった。だからこそ、後々おとりにできるかもしれないと思い、先ほど自らの血を保存しておいたのだ。

 ギガントロールはセラから離れ、血の氷像の方に向かって駆け、豪腕をふるった。拳が当たるとともに氷像が爆ぜ、血の霰がギガントロールへ飛び散る。

 

トカゲ出でよ(ラケルソーティア)――襲え(オパグノ)

 

 セラの詠唱とともに、無数の緑色のトカゲが床に出現し、ギガントロールの体にまとわりつき、噛みついた。体中のトカゲをうるさそうに叩くギガントロールを横目に見ながら、セラは右足を引きずり歩を進めた。このトカゲはもちろん本物の生物ではなく、それを模した幻にすぎず、一定の負荷がかかると霧散してしまう。ギガントロールがはたくそばから、トカゲは緑の煙となって消えてゆく。しかしセラがギガントロールから距離を離すだけのわずかな時間は、息を落ち着けるだけのわずかな時間は稼げるはずだ。 彼女は懐から取り出した新たな魔法薬・「奮起薬」の小瓶を空け一息に飲み干し、魔力をわずかながら回復させた。しかしセラが角を曲がった瞬間、

 

「……なんでこんな目に……!」

 

 行く手を黒い大蜘蛛が塞いでいた。木の葉の上にうじゃうじゃしている細かい蜘蛛などではない。高さ2メートルを越そうかという、馬車馬のような、毛むくじゃらの、巨大な怪物蜘蛛。セラはおぞましさに総毛立った。

 

 

  ★

 

 

 ――アクロマンチュラ。東南アジアのジャングルに住まう、人肉を喰らう巨大蜘蛛。強力な毒と、鋭利な(はさみ)と、極めて高い知能と、大抵の魔法を撥ね返す強固な外骨殻と、群れて狩を行う習性とを持ち、魔法省分類は危険度最大の「XXXXX(魔法使い殺し)」。この分類は、遭遇するときは大抵群れであるという事情を加味したものであって、単独の個体がドラゴンやキメラや先ほどのギガントロールほど強力であるというわけではない。しかし、単独の個体であっても十分危険であることには、このサイズの成熟した個体が山トロールと同程度には危険であることには変わりはない。ホグワーツ城を歩いていて遭遇する怪物であるはずがない。

 

(なお、訓練や調教が不可能だという学術書の記述に反し、ホグワーツの「禁じられた森」の深奥にはヒトに飼育されていたアクロマンチュラが巣喰っているのだが、そのことはセラは知る由がない)

 

 大蜘蛛は八つの目でこちらを睨むとはっきりと英語を話した。

 

「……ニクダ……ニクダ……!」

 

 興奮して不吉に鋏を鳴らしながら、八本の脚を繰り突進してきた。

 

 

蜘蛛よ去れ(アラーニア・エグズメイ)

 

 セラは反射的に、「蜘蛛」にのみ絶大な効果を発揮する特異な呪文を唱えた。いくつもの種類がある「去れ(エグズメイ)」なる呪文は、その前に生物の名を付与することで、その生物に強烈な衝撃を付与して後方に吹き飛ばすことができる――

 ――はずだったが、このときのセラの呪文は不発に終わった。普通のサイズの小さな蜘蛛にはこのような魔法を撃つ意味はないし、このような魔法を撃つ意味があるほど巨大な蜘蛛に遭遇するような機会は普通はまずない。そのためセラはこの呪文の存在を知ったときに一度練習したのみで、わざわざ真面目に習得しようとは思わなかった。一般的なホグワーツ二年生ならすぐに使える程度に簡単な呪文だったが――利き手が使えない今のセラの杖の動きは、初めて使う呪文を成功させるには、精度が十分とはいえなかった。

 

 大蜘蛛の鋏が前から迫るだけでなく、「結膜炎の呪い」の効果が切れたのか、右後ろからギガントロールが駆けて地を揺らす音も聞こえてきた。セラは自らの判断ミスを悔やむ暇はなかった。

 

衰えよ(スポンジファイ)――沈め!(デプリモ)

 

 セラの体は重力の向きに強烈に押し付けられ、スポンジのように軟らかくなった床が大きく沈み込む。角を曲がると同時にギガントロールが繰り出した蹴りと、アクロマンチュラの鋏とをともに間一髪でかわすことができた。ギガントロールは寸前で気づいて足を止めようとしたが、慣性には逆らいきれず、巨人の足と大蜘蛛の鋏とが衝突した。蜘蛛は後方に数メートル吹き飛ばされ――全力の蹴りでなかったため威力はさほどでもなかったようだが――巨人もまた足の痛みに悲鳴をあげ数歩よろめいた。

 

滑れ(グリセオ)

 

 沈み込んだ床が弾性で元に戻る瞬間、セラはギガントロールの足のあたりに杖を向けた。後ろによろめいていたギガントロールは、つるつるに滑り出した床に抗えない。仰向けに倒れゆく。

 

とげとげ(スパイニファイ)

 

 床に無数の棘を生やし巨人の背中を刺そうとしたセラの試みは、しかし失敗した。ホグワーツ城の床には、床を危険に変形させるこの種の呪いを防ぐセキュリティがあるらしかった。

 とはいえ巨人は床に背中をしたたかに打ち付けると、そのままセラから離れる方向に滑って行った。セラは視線を変える。大蜘蛛が再びこちらに猛然と迫っていた。杖を蜘蛛の下腹部へ向ける。

 

大トカゲ出でよ(ヴァルヌソーティア)

 

襲え(オパグノ)

 

 何かが大蜘蛛の下の床から忽然と現れ急速に膨れ上がり、大蜘蛛の体が持ち上がった。体長2メートルほどの、ごつごつした体皮を持つ大トカゲだった。

 大トカゲは体をゆらし、大蜘蛛を引っくり返して地面に投げうった。仰向けに腹をさらして脚を動かす大蜘蛛に、そのままトカゲはのしかかる。これは魔法生物でもなんでもない、ただの大トカゲを模した幻なので、大蜘蛛の鋏に裂かれればすぐに消えてしまうだろう。それでも怪物どもから離れる時間はあるはずだ。むやみに動いては先生に見つけてもらえなくなるおそれはあるが――ギガントロールとアクロマンチュラに挟み撃ちにされたこの場所は死地でしかない。

 セラは蜘蛛とトカゲの横をすりぬけた。廊下は再びまっすぐ伸びている。逃げ込める教室や、大広間につながる階段は未だ遠い。

 走れない今の体でどうやって距離を稼ぐか。「滑れ(グリセオ)」はどこまでも遠く効くわけではないから、何度も唱えねばならず効率が悪い。靴に「滑れ(グリセオ)」をかけるのはバランスが心もとない。「宙を踊れ(エヴァーテ・スタティム)」で自らの体を吹き飛ばしては、傷口が開いてしまう。そこでセラは自らの左靴を叩いて、四つの車輪のついた小さな板へと変身させた。なんとか腰掛けられるほど小さな板へ、窮屈に尻を乗せる。

 

風よ(ヴェンタス)

 

 両手で握りしめた杖から慎重に風を出す。後ろ向きにセラの体は滑り出した。廊下の突き当りまでの数秒の間に、高速で思考を回し次の一手を探る。

 

 ――廊下を「燃えよ(インセンディオ)」で火の海にするか?――いや、大蜘蛛は防げても、巨人の方は火が効くかは分からない――それに私も火にまかれて危険だ、「炎凍結術」をかけ続けて魔力のリソースを割いてる余裕はない――しかし熱に耐性があるとしても、火で酸素が絶たればさすがに生きられないのではないか?なんとか窒息させられれば――「割れない呪文」のかかった薬瓶に「肥大せよ(エンゴージオ)」をかけて詰める――そんなに大きくできるわけがないだろう――それなら「泡頭(あぶくあたま)呪文」をかけて、膜をガラスに変成させるか――いや、「泡頭呪文」は魔法の膜だから、「変身術」はできない――それなら巨人の周囲の空気をアルゴンにでも変成させる――無理だ、気体を気体に変成させるなんてできっこない――気体の窒素分子と酸素分子を分ける――そんなこともできるわけない――

 

 次々に案を打ち出しては却下するうち、廊下の曲がり角が目前というところで、セラは異変に気付き「風よ(ヴェンタス)」を止めた。

 

護れ(プロテゴ)

 

 大トカゲを葬ったらしい大蜘蛛が姿を現すと、こちらに向けて光る糸の塊を猛然と吐き出した。アクロマンチュラが獲物に投げかける、強靭な魔法の糸だ。糸はセラの展開した透明な盾に阻まれたが――盾に絡みつき、そのまま盾を引きはがした。

 

「……!」

 

 セラは板を靴に戻し、曲がり角を右に転がった。再度吐き出された糸が、一瞬前までセラのいた背後の壁に当たる。蜘蛛が鋏を鳴らしながら廊下を駆ける音が響く。巨人の咆哮と足音も聞こえてきた。

 

「くそ……!」

 

 セラは歯噛みした。どう動けば良い。ここの廊下を抜ければ階段があるし、ここの廊下には逃げ込める教室もあるとはいえ――。セラは必死で頭を回そうとしたが、脳内を駆け巡るのは意味をなさない焦燥と絶望の声ばかりだった。

 

 

  ★

 

 

 自己嫌悪、悔恨、無力感、絶望、混乱、焦燥、恐怖――無数の感情の激流に苛まれて、頭がぐちゃぐちゃになりながらシムは廊下を疾走していた。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになりながら、鳩尾をおさえながら、角を曲がり階段を目指した。セラの身を案じ三歩おきに引き返したくなりつつも――本能的な部分を一番大きく占めている感情は、死の恐怖から離れたことによる安堵感であることに気づき、さらに自己嫌悪が強まるのだった。いかに理屈をつけようと、セラがおとりになってシムを逃がしたのは事実であり、シムがセラを置いて逃げたのも事実だった。シムが逃げたら、生き延びる望みがシムは撥ね上がる一方、セラはわずかだけ上昇する。不均衡な構図に絶望を覚える。

 しかし自分にできることは何もなかった。策は何も思いつかなかったし、セラもまた策を検討して最善の選択肢を提示したのだろう。

 実際にシムは有効な攻撃呪文をまだほとんど学んでいないし、シムの未だ貧弱な魔法力では――魔力量が急速に増大する最初の時期は身体の成長期に伴って到来する場合が多い――セラの援護にはなりえない。

 

 ……いや、セラは()()()()()すべての策を検討したのだろうか。二人で逃げる策があったのではないか――。シムは階段に差し掛かったときに怖くなりながら思う。

 たとえば、「目くらまし」だけなら見つかってしまったが、「消音呪文」と「消臭呪文」も一緒にかければ、二人で歩いて逃げられたのではないか。――いや、セラは「ヒトより鋭敏な聴覚や嗅覚を持つ生物には効かないかもしれないし、魔法力を察知して敵を追う生物には無意味だ」と言っていた。

 それなら、たとえばセラにもらった防衛グッズは本当にぜんぶ子供騙しなのだろうか。シムは階段を二つ飛びに駆け降りながらポーチをまさぐる。煙幕を張れば――いや、ヒトの方が遥かに嗅覚も聴覚も劣っているのだから、こちらが不利になるだけだ。おもちゃのエアガン――論外だ。閃光弾――時間を一瞬は稼げるかもしれないが、それだけだ。

 シムは思い浮かんだ案が否定される理屈が見つかるたび、悲しむのではなくほっとしている自分に気づき、さらなる自己嫌悪に襲われた。

 シムは新たな玉を取り出した。これは今は有効な道具だ。踊り場で立ち止まって強く握りしめる。けたたましい警報の音が鳴り出した。大広間に入ったときに、遠くの先生方の上座テーブルまで走る手間は省けるだろう。

 大丈夫だ。セラは強い。シムは自分に言い聞かせる。山トロールをすぐに片づけたし、少し怪我をしていようが少し疲れていようが、大丈夫なはずだ。――いや、本当に大丈夫なのだろうか。余裕を取り繕う余裕すらない最後のセラの表情が思い浮かぶ。

 

 焦燥に包まれていたシムは、ホグワーツ生ならまず引っかからない階段の罠――ホグワーツには段があるように見えて足を乗せると沈み込んだり消えてしまう悪趣味な階段がホグワーツにはある――に足をとられてしまう。前につんのめって宙をぶざまに舞い、二階の床に投げ出される。手から飛び出した警報玉が、甲高い音を鳴らしながら二階の廊下へと消えて行く。料理を詰めた白い鞄も――なんでこんなものを肩に掛けたまま走っていたのか――放り出される。とっさに突き出した両腕と膝をしたたかに大理石に打ち付け、鈍痛と疼痛(とうつう)(うめ)いた。

 よろめきながら立ち上がる。こんなことをしている場合ではないのに。セラはいま――。怪物の拳に潰されるセラの姿、血の海に浮かぶセラの姿、怪物に貪り喰われるセラの姿が脳裏をよぎった。鳩尾の痛みとあいまって強烈な吐き気が襲い、壁に両手をついてむせる。空っぽの胃袋から喉元までこみあげた塩酸が喉を焦がす。絶望が体を覆い無力感が心臓を焼く。

 

 シムの脳を新たな後悔が(むしば)む。そうだ。自分が無力なのは分かり切っていたではないか。セラと問答する時間さえ惜しんで()()()走り出すべきだったのだ。自分が留まっていてもどうしようもないのは分かっていたし、セラと問答しても説得しようがないとは分かっていたし、自分がいずれ走り出さねばならないことも分かっていた。それなのに――ああいった場面では、逃げ出す前にまずはある程度会話を積み重ねるべきだ、それが王道の流れだという常識と倫理の要請に、非常識的な状況にもかかわらず縛られてしまい――「まとも」でありたい、罪悪感を背負いたくない、そんな利己的な姿勢を捨てられずに――「まとも」でない怪物を相手取るセラの時間を、怪物が動けなくなって生まれたセラの猶予を、一分も奪ってしまった。

 自らの愚かさに呪詛(じゅそ)を吐きつつ、シムは階段の手すりに腹をもたれ、(うず)く脚を引きずりながら階段を降り始めた。もうすぐ一階に着く。急がなければ――。

 

「――そこにいるのは、スリザリンの生徒ですか?ひょっとしてシム・スオウ君?」

 

 そのとき背後から独特の甲高いキーキー声が、「響け(ソノーラス)」で拡大されて流れてきた。シムは振り返る。

 二階の廊下の向こうから二人の人影が駆けて来た。けたたましい警報音も近づいてきた。

 幼児と同じくらいに小さい老爺――「呪文学」教授にしてレイブンクロー寮監のフィリウス・フリットウィック先生と、小柄でずんぐりした老女――ハッフルパフ寮監にして「薬草学」教授のポモーナ・スプラウト先生が立っていた。

 シムは腰がへなへな抜けて後ろによろめいた。スプラウト先生はシムを抱き留めようとして、握りしめた警報玉を取り落とした。

 

 

 




※純粋なヴィーラがどうやって生まれてくるのかちょっとわからなくて「ヴィーラ同士でも子孫を残すことができるが、あまり頻繁には行われない。また、ヴィーラとヒトとの間に生まれた子供は、『ヴィーラの血が混ざった男性』か『ヴィーラ』のどちらかになる」と書いてしまいましたが、フラーの母親は思い切りハーフヴィーラなのでしたね。父方の祖母がヴィーラなのかと思い込んでました、確認怠ってしまいました。感想でご指摘くださりありがとうございます。
(11/3 次話の後書きで書きましたが、ヴィーラトロールを山トロールに変更しました)

セラは「莫大な魔法力でくりだした豪快な力技で押し切れる」感じのタイプではなく、頭しぼって戦略的に頑張るタイプです。賢明とはいえない場合もあるのは、当然最適な選択を常に瞬時に取れるわけではないからです。メタ的にはもちろん、単に筆者の頭で考えられること以上の動きができないからです。

(恥ずかしながら、以前に感想をいただくまでトカゲといえばの性質「しっぽ切り」についてすっかり失念してました。物語のタイトルを語感で考えたあとの後付けだったので、トカゲに関してあまり深く考えてませんでした(3話の流れはトカゲのモチーフとは関係なく最初から考えてたものです)。蛇足なる語も感想をいただくまですっかり失念してました。感想欄で色々気づかされたり勉強になったり励みになったり心温まったり本当にありがたい限りです、頂くたび舞い上がってます!)

流血があるので「残酷な描写」タグをつけましたが、筆者はグロいのが苦手なので、原作の度を大きく超すような表現は出てきません。

なるべく原作の呪文だけで書きたいところですが、それだけでバトルを描くことが筆者には難しいので、いくつかオリジナル呪文を入れてます。苦手な方はすみません。いちおうあってもおかしくなさそうな範囲にとどめているつもりです。陰が薄い原作呪文と映画ゲームアプリの呪文とオリジナル呪文の区別が紛らわしそうなので、いちおう原作以外の呪文を下にまとめました。

原作(効果の一部がオリジナル):「肥大せよ(エンゴージオ)」(液体にも使える設定に)「沈め(デプリモ)」(「下向きに爆発的な衝撃を加える」だけでなく調節次第で単に「下向きに押し付ける」風にもできるのはオリジナル設定)「滑れ(グリセオ)」(「摩擦を減らす」効果はオリジナル)

映画:「風よ(ヴェンタス)」「蜘蛛よ去れ(アラーニア・エグズメイ)」(蜘蛛恐怖症のロンはめちゃちゃ練習していたし普段から小蜘蛛にも使っているんじゃないかという妄想)

ゲーム:「氷河となれ(グレイシアス)」「衰えよ(スポンジファイ)

原作に名前だけは登場するオリジナル呪文: 結膜炎の呪い「目よ荒れろ(オキュレ・インフラマーレイ)」(「ラカーナム・イフラマーレイ」と「オキュラス・レパロ」は映画呪文)

オリジナル:「とげとげ(スパイニファイ)」「踊り狂え(タラントアレグラ・マキシマ)」「洪水よ(アグアメンティ・マキシマ)」(「水よ(アグアメンティ)」は原作)「混凝土の洪水よ(カエメンティ・マキシマ)」「トカゲ出でよ(ラケルソーティア)」「大トカゲ出でよ(ヴァルヌソーティア)」(「ヘビ出でよ(サーペンソーティア)」は原作)

ギガントロール:
ヒトと巨人が混血できるなら巨人とトロールも混血できるのではという気がしました。原作の巨人ほどでかくない分、小回り利いてヤバいイメージです。

アクロマンチュラ:
糸はオリジナル。

これらの硬い生物について、「麻痺せよ」みたいに直接攻撃する呪文は効かないけれど、「武器よ去れ」みたいな間接的な呪文は効くし、「結膜炎の呪い」も効くというのは原作とほぼ同じ設定です。

強化薬:効果は不明ながら原作に登場する薬のひとつ。Harry Potter wikiには「フィジカルが超人ゴリラになる」的なことが書いてありましたが、ビデオゲーム版の効果なんでしょうか。今話は流れ的に無理でしたが、そちらの効果の方が楽しそうなので、フィジカル強化薬もいずれ登場させます。「安らぎの水薬」は五巻登場、「奮起薬」はアプリ(未プレイ)に登場するよう。

魔力:呪文をどれだけ撃てるかについて、原作もかなりふわっとしてそうですし、今のところあまりはっきり考えてはいません。いちおうMPみたいなものがあって、魔法の種類によって消耗の度合が異なり、時間経過や休息で回復するくらいのイメージ。ただしMPが残っているからといって呪文を十連射二十連射できるわけではありません(MPゲージとは別に、短期的に回復するスタミナゲージがあるくらいのイメージ)。もちろんRPGのように厳密に数値的に定まっているわけではありません。また、「魔法力」の語は原作のように「魔法の力」くらいのふわっとしたイメージで使っています。

「出現」:この二次創作では、「水よ(アグアメンティ)」とか「ヘビ出でよ(サーペンソーティア)」とかで出現させた物質や生物は、本物ではなくじきに消えてしまうという設定です。永続する魔法はなく、変身術で何かを何かに変身させても、いずれはもとに戻ってしまう設定です。

・いくら魔法の城だからってホグワーツ城の構造が色々とご都合主義では?→ごめんなさい
・右腕と右脚だけ怪我するってご都合主義では?→ごめんなさい
・強化薬とかは買えるのに、怪我をすぐ治療できるような薬は病院じゃないと貰えないってご都合主義では?→ごめんなさい
・廊下の床を危険に変形させる呪文が効かないのに「掘れ(ディフォディオ)」や「滑れ(グリセオ)」は効くってちょっとご都合主義では?→ごめんなさい


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第3話 ハロウィーン(3) vs・フィリウス・フリットウィック

 アクロマンチュラが迫りギガントロールの咆哮が聞こえる中、セラはこの場から逃げ切る打開策が思いつかずに絶望と焦燥に駆られていた。

 

 ――城の地下で山トロールが目撃されました――大広間にいない生徒の皆さんは――無闇に動き回らず――安全を確保できる場所に留まってください――教員が保護に向かいます――

 

 事務的ながら切迫したマクゴナガル先生のアナウンスが廊下に響いているような気もするが、セラの耳にはぼやけた雑音のようにしか感じられなかった。「死」の一語が頭の片隅に滴るや否や、こぼしたインク壺のように頭の中を塗り潰していった。思考を覆うその黒い背景に、不思議と過去の記憶が鮮明に浮かび上がって高速で走り始めた。その思い出を演ずる顔はしかし、セラにとって最も大切な、唯一の親族である母の顔ではなく――スリザード・クラブの六学年上の上級生、シーナ・シンクレアとソフィア・ソールズベリーの顔だった。

 

 

  ★

 

 

「なんで今、追撃をしなかった」

 

 床に転がったセラに、長身の魔女が無表情で杖を向け呪いを放った。薄紅色の光がほとばしり、セラは呻いた。

 

「……っ……!」

 

 ホグワーツ一年生セラ・ストーリーは、この日もマグル生まれのスリザリンスリザード七年生二人に魔法の手ほどきを受けていた。この日の訓練は、制限時間つきで一対一で模擬戦闘を行うというものだった。とはいえ一年生のセラが七年生の修羅と互角に戦えるはずもなく、実質的には「一定時間なんとか逃げ延びる」になっていた。

 訓練はスリザード・クラブが居座る2E教室で行うことが多かったが、そこでは手狭な時は、五階の「4C教室」(中央の円い教卓のほかは何もない円形の空き教室)、西塔の「景色の間」(大自然の風景を立体的に映し出して外にいる気分にさせてくれる部屋)、地下の「水蛇回廊」(上下左右に曲がりくねる湿った通路で水晶の窓からは湖の中が見える)、六階の「旧図書館跡」(天井までそびえる空の書棚が整然と立ち並ぶ不気味ながらも物悲しく寂しい空間)、八階の「必要の部屋」(利用者の要望に最大限応えてくれる魔法の大部屋)など城のあちこちが会場になった。この日のセラは「必要の部屋」に連れていかれた。部屋には大小様々な柔らかい障害物が配置されていて、鬼ごっこや隠れん坊にはおあつらえ向きだった。もっとも鬼ごっこや隠れん坊なら、鬼に捕まったところで何も怖くはないのだが。

 

「答えろ」

 

 七年生シーナ・シンクレアはセラの顔を覗き込み、温かみの一切ない声と眼つきで淡々と声を発した。セラは逡巡した。この魔女に問われたときには、論理的で整合性のある答えを返さなければならない。感情的な訴えは求められていない。

 

「勝てない相手には――隙が生まれた時に、逃げろってシーナが――」

 

 再び薄紅色の光がほとばしり、セラは再び小さく声を上げた。

 この七年生がセラに痛みを与えたり吹き飛ばしたりするときは、もう一人の七年生のように、単にいたぶりたくなったときではなく、教え込むにあたってそれが最も効果的だと判断したときであった。その行動にためらいは一切なかった。シーナ・シンクレアという魔女は、自動人形(オートマトン)であるかのように感情を一切込めずに、セラ・ストーリーを特定の入力で状態を変える順序機械(オートマトン)であるかのように淡々と取り扱う。欲に忠実なだけのソフィア・ソールズベリーよりなおたちが悪いといえた(もちろんソフィアと決闘する時には、シーナと相手をする方がずっとマシだとセラは感じた)。

 

「私はセラに、勝てない相手には常に逃げろと言った覚えはない。長期的に生き延びる可能性を最大化するであろう行動を、常に執れと言ったことしかない」

 

 シーナは無表情を完璧に維持したまま言った。この魔女はホグワーツよりもさらに北、スコットランドの北の果て(ハイランド)の山合いの田舎町で生まれ育ったが、しかしその地の冬の風は、彼女ほどに冷たくも厳しくもないと思われた。

 

「杖を取り落とした今の相手(わたし)のミスを利用しなかったら、また相手(わたし)はすぐに杖を拾ってセラを追い詰められる。セラの手札に『姿現し』はないのだから、ほとんど距離は稼げない。一方で今、セラが相手を追撃していれば、相手はそれに対処せざるを得ない。避けるか殴るかしかできない。次の相手の手札の最強カードが最も貧弱になるような手札を常に切れ。躊躇うな」

 

「残念だったね。せっかくあなたの『風よ(ヴェンタス)』が変に逸れたお陰で、シーナの杖に当たったのにねえ。そこで背中見せて距離を取っちゃったら、状況が元に戻っちゃうじゃない。――まあ、杖を持ってなかろうと、シーナに間合いを詰められて殴られたら終わりだから、一撃で仕留める必要があったけどね」

 

 部屋の壁に架かった高い梯子に腰掛けたプラチナブロンドの魔女が、穏やかな笑顔で、自らの巻き毛を片手で弄びながら、もう片手の手で二人に呪いを放って言った。シーナは振り返らずに「盾の呪文」で弾いたが、反応が遅れて呪いを喰らったセラは吹き飛んで障害物に無様にぶつかり、プラチナブロンドの魔女は笑みを深めた。

 この七年生ソフィア・ソールズベリーの今の役目は、二人の身に危険が及ばないよう戦況を注視しつつ、気まぐれに適当なタイミングで戦場や二人に魔法をかけることで、戦況の不確実性と緊張感を高めるというものであった(もっとも、セラとシーナに公平に降り注ぐ呪いは、シーナの方は意に介さず防いでいたので、セラにとっては単に敵が一人増えたに過ぎない状況になっていた)。

 そしてソフィアは常に柔和な笑みを浮かべており、その(たたず)まいは一見すると慈愛溢れる聖女の趣があったが、その実、人の屈辱・悔し涙・憤怒の表情を見ると満面の笑顔になり、時には腹を抱えて涙する、歪んだ嗜虐癖の持ち主であった。ソフィアもシーナも、生粋のマグル出身にもかかわらずスリザリンに送り込まれただけあって、骨の髄までスリザリンの気質だった。マグルの基準では言うに及ばず、英国魔法界の基準に照らしても、人格者なる言葉とは無縁に思われた。

 

「でもシーナ、あなたさっき手を抜いてなかった?今日はちょっと手ぬるくない?もしかして魔力も体力も温存しようとしてる?」

 

「そんなことはない。最近のソフィアは、無言呪文を連続で二発撃つと、杖先が下に逸れる癖が出てきたことを、昨日私は発見した。温存しなくても勝つのは、余裕だ」

 

「……ふうん。ご丁寧な助言と挑発をどうも。……今日こそ泣かせてやるから。あなた気づいてないかもしれないけど、盾の呪文を張ったときに足もとがスカスカになっているの」

 

セラの訓練が終わると、今までは準備運動とばかりに七年生二人はいつも本気の決闘を始め、セラは飛び火しない遠くの位置から見学させられるのだった。――とはいえ、シーナ・シンクレア対ソフィア・ソールズベリーの戦闘は、生徒同士のお遊びと片づけるにはあまりに高度なものであったので、セラがそこから学べる技術はあまり多くなかった。というのも、この二人は七年間片時も離れずお互いの身も心も知り尽くしており、ほとんど毎日決闘しており、魔法の腕も戦闘のセンスもほとんど互角であったからだ。お互いがこのタイミングで何の呪いを放ち、どうかわし、どう防ぎ、どんなフェイントを用い、どんな搦め手を用いるか、幾千ものパターンが互いの頭に入っていたし、今まで用いていなかった攻撃がどのように繰り出されるかの予測もある程度ついていた。二人の数十手先までの読み合いを経た攻防は、魔法戦闘の技能を比べる勝負というよりはむしろ、集中が先に一瞬でも乱れた方の負けという勝負、あるいはただのじゃんけんの繰り返しの様相を呈していた

 

「その発言は、敗北を喫した私をなじりながら弱点に気づかせてくれるソフィアの流儀を踏まえて普通に考えればブラフだが、私にハンディを与えられたことは我慢ならないはずだから今日に限れば本当だろう、と推測する裏をかいてブラフだ、と私が疑うところまで見越して、罪悪感を負わせて嘲笑うための本当の助言なんだろう」

 

「ねじくれてつくづく可愛くないやつ。素直に受け取れば良いのに。頭を下げて感涙したらどう」

 

「ソフィアはつくづく可愛いやつだ」

 

「知ってる。そういうところは素直でよろしい」

 

 このような時間は休憩できるのでセラにとってはありがたかった。

 

「けれど、そこに転がっている可愛らしいセラをあなたも少しは見習いなさい」

 

 休息は束の間だった。シーナがセラに顔を向けた。セラは深海を思わせるシーナの瞳から目をそらした。

 

「でも――そんな、どっちがより優れた選択かなんていつもすぐに判断できるわけではないし――それに、どれを選んでも絶望的なときは、二進(にっち)三進(さっち)もいかなくなったときはどうすれば――」

 

 セラは再び呪文が飛んでくるのを覚悟して反射的に目をつぶったが、シーナは何もせず淡々と言葉を紡いだ。

 

「もちろんそんなのがいつも判断できるわけではない。それに分析的な思考は当然、一瞬の判断が要求される場面ではあまりに遅いことが多い。そういうときはもっと瞬発的な別のシステム、直観や感情に頼れば良い」

 

「セラは今、私を倒したいと思っているだろう。仮にどっちを選んでも絶望的だとしたら、背中を見せたまま死にたいか、一矢を報いて死にたいか、どちらが良いか――つまりはそういうことだ」

 

 セラの瞳の暗い輝きを見て、シーナは頷いた。この七年生は常に無表情で冷徹だったが、しかし決して人の感情を解さない、解そうとしない性格ではなく――むしろ人の感情を完璧に解した上で、自らの振る舞いを合理的に組み立てる性格であった。

 

「それと、私は別に、セラの勝てない相手ではない。私もソフィアもただのホグワーツ生だ、ダンブルドア校長でも『例のあの人』でもない。私が今のセラ・ストーリーと本気で殺し合いをした場合、千回に九百九十九回は私がセラを三分経たずに殺すだろう――それでも一回は私が何かの拍子に、無様に殺されるはずだ。私がホグワーツを卒業する頃には、百回のうち一回、あるいは十回のうち一回殺されるくらいになっているかもしれない」

 

 シーナの声が心なしか和らいだ。セラは決意を新たに、杖を握りしめ立ち上がった。

 そこからの数十分間はまた、セラはシーナに無情に狩られ続けた。ソフィアはけらけら腹を抱えて笑っていた。

 

 それから数ヶ月後。夏も近づき、七年生がいよいよN.E.W.T(いもり)試験・「めちゃくちゃ疲れる魔法テスト」を控える中のある日の夜、セラとシーナはソフィアの監督のもと、六階の「旧図書館跡」で戦闘の訓練を行っていた(「必要の部屋」は非常に便利な部屋だったが、それゆえに頻繁に用いる生徒が一定数いたため、シーナもソフィアもあまり好んで使おうとはしなかった)。

 セラは息を切らしながら、書棚の一角に背を預けていた。シーナは音もなく、あるいはわざと音を立てて歩き、時折呪文を放ちながら、セラを部屋の隅に冷静に追い詰めようとしていた。この広大な部屋は、暗がりの中で背の高い空の本棚がどこまでも続く、不気味で殺風景な空間だ。三つ右の通路を黄色い閃光が走った。セラは鼓動の速まりを感じた。

 セラの成長の速度は七年生二人が素直に称賛を惜しまなかった。そのためこの頃になると、杖腕とは逆の手で杖を構え使う呪文を大幅に制限するハンディを除けば、七年生はほとんど本気を出していた。とはいえそれでもセラが一矢を報いるのは厳しかった。

 正課では六年生で習い始める無言呪文を当然まだ使えなかったセラは、魔法を使おうとすれば相手に位置がバレてしまう。七年生のように、途中までブラフの詠唱をして別の無言呪文を放つなどといったテクニックも使うことができない。

 だからセラは、逆に自らの声を鳴り響かせることにした。天井までそびえる棚が密集する今の地形では、声が響いて音源の位置を特定されにくくなるはず――。棚の死角に隠れて生まれた隙に、自らの喉に「響け(ソノーラス)」を唱えた。闇雲に駆け出し、闇雲に呪文を乱射し始めた。静寂が粉々に打ち砕かれた。

 

笑い続けよ(リクタスセンプラ)」「落ちろ(ディセンド)」「鳥よ(エイビス)」「襲え(オパグノ)」「くらげ足(ロコモーター・ウィーブル)」「妨害せよ(インペディメンタ)

 

 セラを淡々と追い詰めようとしていたシーナは一転、部屋中に反響する大音声(だいおんじょう)とともに雨霰降り注ぐ呪文に虚を衝かれた――表情は相変わらず無感情の色のままだったが、わずか一瞬、杖先に迷いが現れた。入口近くの棚の上に腰掛けていたソフィアは、セラとシーナの様子に腹を(よじ)って笑い出した。

 

静ま(クワイエ)――

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 詠唱を終える前に飛んできた、通路一面に広がる極太の赤い閃光を間一髪で防ぎ、シーナは若干体勢が崩れた。セラは躊躇せず追い打ちをかけた。

 

石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――宙を踊れ(エヴァーテ・スタティム)

 

 シーナは硬直して吹き飛び、「衰えよ(スポンジファイ)」のかかった棚に無様に激突して床に倒れた。セラの目が見開かれる。ソフィアも、笑うのを止めて神妙な顔つきになった。シーナに杖を向けると「終われ(フィニート)」と呟いた。

 シーナはさっと立ち上がると、ローブの埃を手で払った。そして呟く。

 

「良かった。……良かった。負けた。セラは私を殺した。これで心置きなく、卒業できる」

 

 シーナは笑って泣いていた。弾けるような笑顔で、両目から溢れた水がはらはらと静かに頬を伝って注いでいた。彼女の笑顔も泣き顔も、この一年間でセラが初めて見るものだった。その表情が自然な情動によるものなのかそれとも彼女の計算によるものなのかは分からなかったが、セラにとってはどちらでも構わなかった。七年生は近づき、屈むようにして両腕でセラの背中を包んだ。セラの頬に、温かいシーナの頬が触れた。

 

 

  ★

 

 

 そこで脳裏の映像が掻き消えた。セラは体のこわばりが緩んでゆくのを感じた。

 セラは苦笑した。何も恐れることはない。あんな怪物より二人の方が、遥かに頭が良いし、怖いし、強かった。ただ私を殺す気がなかっただけだ。いつもシムに偉そうに講釈を垂れておいて、これでは情けないではないか。足止めして距離を取ることに注力してしまっていたが、なぜもう一歩攻めなかったのか。

 

「ニク……クワセロ……!」

 

 大蜘蛛が鋏を鳴り響かせながら、再び糸の塊を吐き出した。

 

 ――少なくともあの蜘蛛は、確実に私より弱い。私は上級生なのだから、倒せる。

 

逆詰め(ワディワジ)

 

 猛然と迫る輝く糸は、セラの体に触れんとしたまさにそのときに、時間を巻き戻したかのように、逆に蜘蛛の口へと吸いこまれ口内を直撃した。蜘蛛がのけぞり苦し気に動きを止めた。

 

風よ(ヴェンタス)

 

 隙を逃さず吹いた突風が、蜘蛛の体を横転させ床に転がした。蜘蛛は八つの脚をばたつかせる。脚の隙間から、胸の軟らかい外骨格がのぞいた。

 セラはすかさず杖を逆手(さかて)に構え直し、下方に突き刺した。

 

沈め(デプリモ)

 

 重力の向きに集約された衝撃が爆ぜ、床と板挟みになった蜘蛛の体が鈍い音を響かせる。蜘蛛はひとたび痙攣すると、そのまま動かなくなった。セラは息を整えて数歩あとずさる。果たしてギガントロールの巨大な顔が廊下の角から現れた。セラは杖と視線を遥か上、巨人の顔に向ける。

 

目隠し(オブスキューロ)

 

 ギガントロールの顔に黒い帯が巻き付き視界を塞いだ。驚きの声を上げ、ギガントロールは目隠しを引きちぎろうと両手を顔に当てた。セラは冷静に杖を床に向けた。

 

滑れ(グリセオ)

 

 ギガントロールは足を滑らせ、再び轟音を立てて床に仰向けに倒れた。立ち上がろうとするも、床が滑ってうまくいかない。

 

 ――有効だった手を二度も繰り返すのはたしかに愚か者の所業だが、愚かな相手に同じ手を二度使わないのも愚かだ――

 

 セラの頭の中で七年生の淡々とした声が響いた。彼女が「出現」させ「増殖」させた大量のフラミンゴの群れ相手に、いちいち攻撃手段を変えようとして手詰まりになったときのことが思い出された。

 

来い(アクシオ)

 

 念じるは三つ先の曲がり角。山トロールの棍棒が唸りながら矢のように飛来する。ギガントロールはすぐに気づいて顔を後ろへ向けた。自身の体に比べればずっと小さな棍棒には一切動じず、棍棒に向けて長い腕をふるった。

 

 ――同じ手といっても、もちろん中身まで全く同じ手を使えと言っているわけではない――

 

肥大せよ(エンゴージオ)――粉々(レダクト)!!

 

 セラは棍棒を膨張させながら、粉々呪文(こなごなじゅもん)・生きていない物体を一瞬にして粉砕せしめる強力な呪いを唱えた。棍棒はギガントロールの拳に当たる前に砕け散り、もうもうと舞う大量の木屑(きくず)へと変じた。

 

浮遊せよ(ウィンガーディアム・レビオーサ)

 

 セラの杖が滑らかにしなるのに合わせて、木屑がギガントロールの頭に一斉にまとわりつく。

 

燃えよ(インセンディオ)!!

 

 棍棒の破片と屑、つまり表面積が大幅に増加したセルロースを糧に、炎が巨人の頭を包んで暴れ狂った。木が灰と化しても魔法の炎は燃え猛り続ける。ギガントロールが炎に耐える硬い肌を持っていたとしても、内部にはダメージを与えられるかもしれない――

 

「ガアアアアア!」

 

 ――と思った矢先、セラが追撃をする前に、ギガントロールは両手を顔に叩きつけ、息を強く長くひと吐きするだけで火炎を消し去った。

 生暖かく激しい臭気が、新鮮な空気を押しのけ廊下に流れ込む。セラは思わずせき込んだ。

 山トロールの持つ不快極まりない体臭は、巨人の血と混ざったことで薄まったように思えていたが、それは思い込みに過ぎなかったらしい。

 頭部から煙を上げるギガントロールは憤怒そのものの形相だった。その目は焼け爛れていたが、鼻と耳は正常に機能しており、セラの位置を瞬時に正しくとらえた。

 せき込みが収まったセラが顔を上げた頃には、ギガントロールは黄ばんだ牙がのぞく口を大きく開け、覆いかぶさるようにセラにかぶりつこうとし――

 

「セラ!!」

 

 背後数メートル先で少年の声が響いた。

 

  ★

 

 フリットウィック先生とスプラウト先生とともに三階の廊下へ駆けあがったシムの視線は、廊下の端に至ると、頭が燃え上がった怪物と杖を構える魔女の姿とをとらえた。走りながら、少女が五体満足であることを認識して安堵が体中にあふれたのも束の間、セラがせき込み始め、炎が消えた怪物の頭が彼女に近づこうとしていた。

 シムが思わず魔女の名前を叫ぶと同時に、薬草学教授のスプラウト先生が(ふところ)から鉢を取り出し、杖で宙へと放った。「怒り葡萄(ラースフルヴァイン)」・長大で強靭な(つる)を爆発的に伸ばす稀少な魔法植物の鉢、生徒に決して開放しない「四号温室」に茂る魔法植物の鉢だった。

 鉢が宙を滑る間にも、「怒り葡萄」の蔓はぐんぐん伸びた。うねる無数の蔓はギガントロールの顔とセラの間に割って入ると、ギガントロールの頭をしなやかに押しとどめ、セラを包んで引き離し後方に運び去った。蔓がスプラウト先生のもとまで到達すると、スプラウト先生はセラを抱き留めた。

 

「よく頑張りました」

 

 そして呪文学教授のフリットウィック先生が一歩前に進み出た。精々セラの(へそ)の高さくらいまでしかない小さな老爺は、全く臆することなく巨大なギガントロールを見上げて杖を抜いた。ギガントロールは長い腕で「怒り葡萄」の蔓を叩き割ったところだった。

 

「伏せて目を閉じて!」

 

 フリットウィック先生のキーキー声が響くと同時に、蔓がシムの体をからめとって床にうつ伏せにした。それに呼応してスプラウト先生が「万全の護り(プロテゴ・トタラム)」を、()()()()()()()()()()()()()()()生徒を護るためにかけた。

 

太陽よ閃け(フルゲソレム)

 

 呪文学教授の杖が黄金色(こがねいろ)に煌めき、光の球が浮かび上がった。甲高い音が空を(つんざ)くとともに、彼の身長ほどもある極太の、灼けつくような白い閃光が、金の光球から飛び出て空を駆けた。閃光はギガントロールの体を下から上へ舐める。光が触れるそばから、怪物の岩のような肌が、まさに岩へと変化していった。閃光が消えると、ギガントロールは物言わぬ岩の彫像へと変化していた。熱せられた彫像は湯気を盛んに上げていた。

 光を浴びる前に前方に駆け出さんとした慣性はそのままに、硬化したギガントロールがフリットウィックやシム達の方に倒れ込もうとする。巨岩の影が四人を覆うのと時を同じくして老翁は再び杖を振った。

 

撃ち砕け(フリペネダクト)

 

 衝撃を叩きつける「撃て(フリペンド)」と無生物を破砕する「粉々(レダクト)」を混ぜ合わせた魔法なのだろうか、青と黄の二重に螺旋を描きながら進む光は、彫像の胸に当たると像を廊下の壁まで轟音とともに吹き飛ばした。光が直撃した部位の周辺は、大小さまざまの(れき)や砂に砕け、廊下に線を引いて積み重なった。

 

 

  ★

 

 

 轟音が止んで土埃(つちぼこり)がおさまり、顔をもたげたシムが目にしたのは、怪物の頭と脚のみが廊下に転がり、砂石が廊下に散らばっている光景だった。

 シムは唖然となった。ホグワーツ教授とはここまで――。若者に深遠なる神秘の(すべ)を授ける()達の腕を、今までも決して過小評価していたつもりはなかった。しかし、いざその実力を目の当たりにするとなると、また話は別だった。

 世界最強の魔法使いアルバス・ダンブルドア校長は言うに及ばず、彼が選ぶホグワーツ教師陣はすべて――一部の例外を除けばすべて――古代魔法の牙城で教鞭を執るにふさわしい、各々の魔法分野のエキスパートである。こと戦闘に関しては苛烈な鍛錬と過酷な実戦経験を積む「闇祓い(オーラー)」に及ばなかったとしても、また身体能力に関しては若い魔法使いに及ばなかったとしても、教師陣の魔法の腕が英国最高峰であることに疑いの余地はない。

 そして、このフィリウス・フリットウィック教授は「呪文学(チャーム)」――杖魔法の二本柱、対象に何がしかの性質を付与する魔法の専門家だ。一方で世界最強の魔法使いアルバス・ダンブルドアの研究の専門は対象を変化させる「変身術」や「錬金術」であり、彼がその長い教師生活で教鞭を執ったのも「変身術」と「闇の魔術に対する防衛術」のみである。ほとんどあらゆる魔法に傑出している()の老賢者は、言うまでもなくチャームの腕前も世界最高レベルであるのだが、そのダンブルドアにチャームの知識で並びうるものが今の英国にいるとすれば――それはフィリウス・フリットウィック教授に他ならなかった。

 さらにこの小さな老翁は、英国中の強者が鎬を削る決闘大会で長年チャンピオンの座を保持していた過去すら持っている。そのうえ、小鬼(ゴブリン)――杖の術をヒトから奪われているものの、長年ヒトと血みどろの戦争を繰り返せるだけの力を持っており、また現代でも経済という形で魔法界の大動脈を直接的に握っている種族――の血も引いている。つまるところ、フィリウス・フリットウィック教授は、紛うことなき、ホグワーツにおける最高戦力の一角なのだ。

 

「いくらなんでも、そんな――」

 

 セラもまた両の目を見開いており、やっとのことで口を開いた。フリットウィック先生は二人を見やると、後悔を滲ませた様子で(かぶり)を振った。

 

「すみません、この光景は生徒に見せるにはふさわしくないですね。もっと穏便な方法をとるべきでしたが、とっさのことで、確実に皆さんを護るには……。いや、しかし今後の捜査のためにも生け捕りにすべきでした。これはトロールの亜種なのでしょうか、巨人(ジャイアント)にも似ていそうですが……」

 

「いや、そうではなく、たった二発で――」

 

 セラがなおも言い淀む。あろうことか、このレイブンクロー寮監は――叡智を誇る寮の寮監は――小細工を弄することなく、ただ正面から呪文を二発唱えるだけで眼前の巨大な怪物をねじ伏せたのだ。

 

(セラはこのとき、ホグワーツ創設者が一人ロウェナ・レイブンクローの伝記を思い起こした。ロウェナは比類なき頭脳と独創性とで名を轟かせた魔法使いであったが、しかし彼女は決して書斎に四六時中籠るような気質でも、争いを好まない性格でもなく、彼女が魔法族や魔法生物と戦闘を繰り広げた記録は、ゴドリック・グリフィンドールには遥か及ばないにしろサラザール・スリザリンと同じ程度には多く、その短い生涯の中で残されていた。そのうえ、ロウェナ・レイブンクローの戦闘スタイルは、「棒立ちのまま、ただ杖をまっすぐ構えて(まじな)いを唱え、相手がまだ倒れていなかったら、倒れるまで数度繰り返す」のみという、戦法というにはおこがましい、知性も独創性もまるでない単純極まりないものだった。それはひとえに、ただそれだけで敵に打ち勝てるほど、彼女の莫大な魔法力と呪文(チャーム)の練度とが傑出した域にあったことを意味していた。戦闘において彼女が頭を使う余地があるとすれば、それは他のホグワーツ創設者と模擬戦闘をする時くらいのものであった。――ただし、ロウェナの知性と魔法をもってしても、あまりにも場数を踏んだ天性の戦士ゴドリックにも、彼女にすら優位に立てる狡猾さと深淵な闇の魔術の奥義とを併せ持つサラザールにも、一切の戦闘を嫌うが防護があまりに堅牢なヘルガにも、勝てる機会は少なかったと伝えられている)

 

「ああ、トロールには太陽の光を浴びると石に変化してしまうという重大な弱点があって、それを知っていただけです。……ひょっとしたら「幻の動物とその生息地」にはあえて記載されていなかったかもしれません。トロールは夜行性でお日様とは無縁ですし、生半可な『太陽の光よ(ルーマス・ソレム)』では効き目がありませんから、トロールと遭遇した未熟な魔法使いが無闇に試してはかえって危険ですしね」

 

 フリットウィック先生は授業のときのように、笑顔でキーキー声で説明した。

 

「もちろんあれがトロールである自信はなかったので、ただ光を浴びせる『太陽の光よ(ルーマス・ソレム)』ではなく単純に攻撃呪文として強力なものを撃ってみましたが、うまくいって良かったです」

 

「……そういえば、トロールが出てくる非魔法界の物語にも、そんな設定があったかもしれません。たしか『闇の魔術に対する防衛術』でも言ってた気もしますし……。それにしても、どうしたらそこまで多くの魔力を呪文(チャーム)に乗せられるようになれるのですか?やっぱり生まれ持った魔法力の違いが大きいのですか?」

 

 セラは真剣な眼差しで問いかけた。全く荒唐無稽だと思ってはいても、スリザリン寮に身を置いている限りは常に純血思想の存在を意識させられてしまう。案の定で純血か否かの線引きが無意味だとしても、「魔法使いとしての素質がどの程度先天的に決まってしまうのか」という疑問は、また別に残る。日ごろ魔法の研鑽に励む中でどうしても気にかかっていた。図書館で文献を漁っても、その分野に関する研究がほとんど進んでいない以上、ほとんど答えが得られていなかった。

 

「魔力を適切に練り上げて、適切なタイミングで放出するだけです。修練あるのみですよ」

 

 フリットウィック先生はあっけらかんとした調子で言ったが、その高い声には歳月の重みが確かにこもっていた。セラの顔から緊張が緩んだ。

 

「もちろん人によって生まれつき魔法力の多寡はありますが、魔法の腕とそこまで相関はしないだろうと私は思います。……まあ、明らかに凡百の魔法使いとは次元が違うような、魔法力が規格外に莫大な人もいないわけではないですが、そんな存在は歴史書の章を跨いで名を刻むような英雄か魔王だけですから、気にしてもしょうがありません」

 

 先生はしみじみとした様子で言った。

 

「魔力の扱い方についてのコツをきちんと言語化できないのは、教師として歯痒いところです。音楽やスポーツを教科書の記述でマスターできないのと同じですね。だからこそ教師という職業が必要になるわけですが。――普段の授業を見たところ、ストーリーさんは杖を振るときに力みが若干抜け切れていないかもしれません。もちろんホグワーツ生としては申し分ありませんよ」

 

 セラの目が貪欲に光り、フリットウィック先生に呪文学の補習を願い出ようとしたときに、スプラウト先生がたしなめるように「フリットウィック先生」と声をかけた。フリットウィック先生は顔を引き締めて頷いた。

 

「すみません、今はそんなことを言っている場合ではありませんでした。……本当に大丈夫でしたか?ストーリーさん」

 

 フリットウィック先生が心配そうにセラを見上げる。セラは気が抜けたように微笑み、頭を下げた。

 

「ええ、なんとか。ちょっと脚を痛めてしまいましたが。助けて下さりありがとうございます」

 

 応急処置を施したセラの脚は、また傷口が開いて血液がローブを伝い大理石を濡らしていた。(すす)が顔を汚し、ギガントロールの臭気がローブに染みついてしまってもいた。先生は「癒えよ(エピスキー)」で再度応急処置をしたのち、「清めよ(スコージファイ)」でセラも周囲も綺麗さっぱりにした。

 

「医務室に行きましょう。見たところ、マダム・ポンフリーなら二分で治してくださるでしょう」

 

 そこでシムはあることを思い出して口を挟んだ。

 

「……あの、もう少し先に山トロールがもう一体気絶しているはずです」

 

「いけない、ありがとうシム。死んではいないと思うので、もしかしたらそろそろ起きてしまうかもしれません」

 

「……そうでした。いったいホグワーツにどうして……。少し見てきます」

 

 フリットウィック先生は廊下を駆けて行った。その小さい姿を見送りながら、スプラウト先生が躊躇いがちに声を出した。

 

「ところで、お二人はどうしてパーティにおらずこんなところにいたのでしょうか?どちらに行くつもりでしたか?」

 

 声色には僅かに疑わし気なものがこもっていた。シムはドキッとなる。ここの辺りに近づいてはいけない場所があっただろうか。四階の「禁じられた廊下」くらいしか思い至らないが、そこの扉はそもそも、セラも開けることができないような代物(しろもの)だった。スリザード・クラブの教室の存在を正直に先生に言うべきだろうか、しかし――。

 シムが思案しているうちに、セラが肩をすくめて答えた。

 

「パーティには歓迎されないですし、二人でささやかにハロウィーンを楽しもうとしてました。大広間から離れてこのあたりの適当な空き教室を見繕ってたところです。校則違反でなかったと思いますが、大きなご迷惑をおかけしてしまったのは申し訳ありません」

 

 スプラウト先生は悲しそうな笑みを浮かべた。

 

「そうでしたか。いえ、ホグワーツに危険生物の侵入を許してあなたたちの命を危険に晒してしまったことは、私たち教師の大失態です。あなたが謝る必要はありません」

 

 フリットウィック先生が戻ってきた。キーキー声で「まだ気絶していました。拘束を厳重にしたので、心配はいりません」と告げた。スプラウト先生は彼に会釈すると続ける。

 

「あなたがここに留まったのは非常に非常に危険でした。自らの身を危険に晒すことには点を与えるわけにはいきませんが――しかし、他の選択がほとんどとれない状況であった以上、二人の冷静な判断に十点を与えましょう」

 

 フリットウィック先生も声を合わせた。

 

「それに四年生の身で、これらの生物を同時に相手取るのは尋常ではありません。スリザリンにもう十点与えます」

 

 二人は頭を下げた(シムもセラも、スリザリンの点が増えても特に嬉しくはないということを口に出さないだけの分別は当然あったし、先生が生徒を褒賞する手段は寮点くらいであることも当然分かっていた)。

 そしてフリットウィック先生が杖を一振りすると、杖から銀色の何かが飛び出した。先生は呟いた。

 

「スリザリン生二名、セラ・ストーリーとシム・スオウを三階で保護。前者はごく軽い負傷、後者は無傷。山トロール、アクロマンチュラ、及び巨大なトロールのような魔法生物を発見。すべて撃破または無力化」

 

 するとすぐに、廊下の端から銀色に光る鳥が音もなく飛んで来た。優雅で雄大な鳥だった。

 鳥は先生の前に来ると(くちばし)を開いた。鳥は鳴くのではなく、人の声を発した。

 

 「ご苦労、フィリウス、ポモーナ。ポモーナは医務室と大広間に生徒を連れて行き、フィリウスはトロールの処理と城の捜索に戻ってほしい。すべての生徒の無事が確認されたので、生徒の捜索はしなくてよろしい」

 

 瑞々しく若々しい鳥の姿とはギャップのある、枯れて深みのある老いた男の声だった。シムはこの声をホグワーツに初めて来た日に聞いたような気がした。嘴を閉じると銀色の鳥は霧散した。セラが口を開く。

 

「……守護霊(パトローナス)には、伝言を託す機能があったのですか?もし良ければ、後で教えて頂けないでしょうか」

 

 フリットウィック先生の顔が一瞬こわばり後悔の色が浮かんだのをシムは見逃さなかった。生徒の前で、あるいはスリザリンの生徒の前で、使うべき術ではなかったと思っているのかもしれなかった。

 

「守護霊のこのような利用法は、校長先生が発明されたものです。秘密の術というわけではありませんが、なにぶん習得が難しいですし、あまり――」

 

「誤解されているかもしれませんが、フリットウィック教授、私たちは二人とも非魔法族出身で、スリザリンの大半には同じ人間だと思われていませんし、当然『例のあの人』に傾倒するような生徒とは交流がないです。それに私は守護霊の呪文を習得しています」

 

 セラが「守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)」と唱えると、杖から銀色の霞が吹き出し、何かの形をとろうとし――消えた。

 

「……ちょっと疲れていて、有体ではないですが」セラは口ごもった。フリットウィック先生は顔をほころばせた。

 

「ふむ、守護霊も習得しているのですか。――いえ、それはともかく、私は生徒に、とりわけあなた方に何かしらの偏見を抱いているわけではありません。そもそも闇の魔法使いは守護霊の術を一般に用いないので、広く知れ渡ったところで問題もなかったですね。――もちろん、いずれにしても、教師としてふさわしい態度ではありませんでした」

 

「それでは、後で伝言の託し方を教えて頂いてもよろしいでしょうか?さすがに明日明後日にまたトロールが襲撃してくるとは思えませんが、また同じような事態があったときに、すぐに先生に知らせることができた方が良いと思うので。今回はシムがいてくれて、しかもすぐにお二人を見つけれてくれたので良かったですが」

 

「ええ、そうですね。有体守護霊が作れる人にとっては難しいものではないですし、校長先生にお伺いすることにします」

 

 老爺は頷いた後、廊下の先を見つめた。

 

「さて、そろそろ私は行かなくては――スプラウト先生、後はよろしく頼みます。二人とも本当に無事で良かった」

 

 フリットウィック先生はギガントロールの石像と石の破片を集めて飛ばしつつ廊下を駆けて行った。スプラウト先生は「ひとまず医務室に向かいましょう」と声をかけた。シムはセラに肩を貸しながら先生と廊下を歩いた。

 

「いったい校内は今どうなってるんですか?」

 

 シムは問いかけた。大広間にたどり着く前に両先生に会ったことや、マクゴナガル先生の校内放送を踏まえると、三階の騒ぎなど関せずハロウィーンの晩餐が続いている、というわけではないのだろう。

 

「ハロウィーンパーティが始まってしばらくして、生徒が大広間に駆け込んで、()()()山トロールが闊歩していると報告してくれました。パーティは中止し、大広間に生徒が何名か――グリフィンドール五名とレイブンクロー五名とスリザリン二名がいないこともわかったので、教職員がトロールと生徒の捜索に乗り出しました」

 

 シムとセラは顔を見合わせた。

 

「マクゴナガル先生、『数占い学』のベクトル先生、『古代ルーン文字学』のバブリング先生、『マグル学』のバーベッジ先生、『魔法生物飼育学』のケトルバーン先生、それからハグリッド、それぞれが手分けをして城中を回っています。つい先ほどバブリング先生から地下室でトロールではなくアクロマンチュラ一匹を捕縛したと連絡がありましたが、ここにもトロールや大蜘蛛が紛れているとは」

 

 スプラウト先生はやれやれと首を振った。

 

「生物たちが自ら侵入したのか、あるいは何者かが手引きしたのかも分かりません。闇の魔法使いがこの城に潜んでいるとは考えたくはありませんが、城にさらなる脅威が残っていないことが確認されるまでは――少なくとも今夜いっぱいは、生徒は大広間に留まってもらいます。大広間は校長先生と『防衛術』のクィレル先生、それから『天文学』のシニストラ先生――あの方の守護魔法は夜空のもとで最大の威力を発揮しますが、空を模した魔法がかかった大広間でも近い効果が得られるそうです――三人が守ってくださっていますから、心配は要りません」

 

 スプラウト先生は優しくシムの顔を見て言った。続いてセラの顔を見る。

 

「あなたは今夜はマダム・ポンフリーに医務室に閉じ込められてしまうかもしれませんが、マダム・ポンフリーが医務室を守っている限りは、まったく安心して眠って大丈夫ですよ」

 

 そして三人は二階の医務室に着いた。幸いセラの怪我はごく軽いものだったので、校医マダム・ポンフリーは杖の二振りでセラの脚と腕を元通りに治し、ホットココアを飲ませ、体力と魔力の回復のために今夜いっぱいは病棟のベッドでゆっくり休むよう言った。スプラウト先生が医務室の扉を開けた。

 

「ストーリーさん、お大事にね。スオウ君、行きましょうか」

 

 スプラウト先生が医務室の扉を開けたとき、シムは躊躇した。一年生から七年生まですべてのスリザリン生が集う大広間で安眠できる気は全くしなかったし、セラとこのまま言葉を交わさず別れるのも嫌だった。

 スプラウト先生はふと動きを止めると、廊下の天井の辺りを見つめた。先生は振り返って言った。

 

「……ポピー。この子も色々と疲れているでしょうし、やっぱり大広間の寝袋よりここで休んだ方が良いんじゃないかしら?病棟のベッドに空きがあればですけれど」

 

 シムにとっては僥倖だった。マダム・ポンフリーは戸惑ったように言った。

 

「昨日から休ませていたウィーズリーの双子は、パーティの余興のためだとかいう呪文に失敗したあの馬鹿二人は先ほど大広間に送りましたし、今は病棟に誰もいません。ただ――」

 

 そこでシムの腹が大きく鳴った。視線が集中し、シムは目を伏せた。

 

「……僕もセラも、まだご飯を食べていませんでした。もし食べるスペースがあれば、医務室で食べても良いですか?」

 

 シムは「検知不可能拡大呪文」や「水平呪文」などがかかった白い魔法の鞄をおろして中を覗いた。走ったり落としたりしたというのに、食べ物が装われた皿は綺麗に整列している。密閉性も抜群のようで、トロールの悪臭が混ざってしまった気配は全くない。美味しそうな匂いがシムを包む。

 マダム・ポンフリーは再び溜息をついた。

 

「病棟のテーブルでさっさとお食べなさい。食べ終わったら二人ともすぐ眠ること」

 

 シムとセラは病棟の隅のテーブルにつき、黙々と白い鞄から取り出した皿を並べた。セラは魔女かぼちゃジュースを一息に飲み干したあと、ミートパイをつまみ始めた。シムは顔がこわばったままセラの首のあたりを見つめた。セラは微笑んだ。

 

「先生をちゃんと呼んで来てくれて本当にありがとう、お陰で死なずに済んだよ」

 

「セラ」

 

 シムは呼びかけたが、セラは気にせず続けた。

 

「美味しいね。私も、先生が言わなかったら君を残してくれるよう頼もうと思っていた。君一人をスリザリン全員が集まる寝床に放り込むのは――」

 

「セラ」

 

 シムがセラを遮った。

 

「セラ、本当にごめんなさ――」

 

「いいんだ」

 

 今度はセラが遮ってきっぱり言った。シムの喉から脈絡のない言葉が涙とともに溢れ出した。

 

「でも、セラは僕のせいで怪我を、ちゃんと警戒してたら、セラが庇って、廊下で、それに僕が足手まといじゃなかったら、余計な躊躇を、それに、それに僕はセラを見捨て、もしセラが死ん、死んでたら、僕、僕は――」

 

「いいんだ」

 

 嗚咽で言葉を継げなくなるシムをまっすぐ見て、セラはなおも言った。

 

「シムが力不足を恥じることはない。君はまだ魔法界に来て、ホグワーツに来て二ヶ月しか経ってないだろう。十分によくやってくれた。……私こそ散々偉そうに君を訓練しておいて、あんな怪物にすら対処がままならないなんて、恥ずかしいにもほどがあるよ。シムにも、それからシーナにもソフィアにも合わせる顔がない」

 

 セラは天井を見上げると両手で顔を覆った。視線を正面に戻して続ける。

 

「それに君が謝る必要もない、むしろ謝るのは私だ。あそこで私を置いて行かせては、どうしたって君に罪悪感を負わせてしまうと分かっていながら――もちろん君が私を切り捨てることに躊躇いがないという線もなくはないと思ったけど、どうやらそうではなかったのは嬉しいよ――無理にそうしてもらったんだ」

 

 セラの諭すようなあやすような色の声を聞くと、情けなさで涙も引っ込んでしまった。シムは目と鼻を拭う。

 

「……セラはどうして、そんなに、大人なんですか」

 

 セラは困ったように笑った。

 

「そんなの、一年生(きみ)の前で良い格好をしたいからに決まってるじゃないか。いま一人でご飯を食べていたら、私も気が抜けて泣いてたと思うよ」

 

「……だから、そういうところですよ」

 

「君だって、上級生になれば分かるさ。何年後になるかは分からないけれど、いつかはスリザード(なかま)がまた入ってくるだろうし――」

 

 セラは遠い目をした。そしてすぐに真剣な顔になると、シムに頭を下げた。 

 

「謝るといえばもう一つ、あのとき大広間に一人で向かわせた君が、別の怪物に遭遇する可能性もあった。私はその可能性に気づけなかった、怪物二体に遭遇しておきながら。これは完全にミスだ。……廊下に大蜘蛛が転がっていたのを見た?私はあれにも出くわしてしまって。結果的には大丈夫だったとはいえもしもシムが――」

 

「結果的には大丈夫だったんですし、そんなこと気にしないで下さいよ」

 

 セラもシムも、互いを見ながらばつの悪そうな笑顔を浮かべた。

 

「まあ、お互い反省するところはあるし、お互い謝るところはあるし、それでもお互いがお互いを助けたし、本当に訳の分からないことが起きたけどお互いちゃんと生き延びた、今日はそれで良いだろう。色々考えるのはやめだ。今日はもう疲れたよ」

 

 それからまた二人は黙々と料理にかぶりついた。先ほどまでの光景が脳裏にちらつき、恐怖と安堵が繰り返しシムの体を駆け巡ったが、諸々の感情をなんとか肉や野菜と一緒に腹へ呑み込んだ。デザートのパンプキンパイを平らげ、皿を片付け、それぞれ病棟のシャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。寝息などで安眠を妨げないため、病棟の両端のベッドが割り当てられていた。セラがシャワールームから出た頃にはシムはもう眠り込んでしまっていた。マダム・ポンフリーが灯りを消し、セラも眠りについた。

 

 

 




まとまった数十時間を中々確保できずにすっかりご無沙汰になり、気づけばハロウィンも過ぎてしまいました…。長くなったので切りましたが、ハロウィーンの第三話は残り一回で終わりです。プロットの変更はなく全六話構成の予定です。

・前話で登場させたヴィーラトロール(ヴィーラとトロールの混種で、完全なヴィーラの姿にも完全なトロールの姿にもなれる)というオリジナル要素について、元々山トロールで書いていたところを直前の思いつきで変更してしまったのですが、オリジナル要素として強すぎて、魔法戦争時のヴォルデモートの実験の産物である的な設定・クィレル先生とのつながり・セラとの今後の関係・危険度の高さなどをきちんと扱って書いてゆくと本筋とかなり逸れていってしまうことに気づいたので、投稿した後ですが削除して山トロールに修正しました、すみません。物語の書き方を勉強中ですが、温かく見守って下されば幸いです

・体罰の類を肯定する意図はありません

・「逆詰め(ワディワジ)」:原作の感じだと「穴に詰める」トリガーがないと発動しなそうですが、それがなくても元の穴に詰められるという仕様変更でお願いします

・フリットウィック先生の邦訳版の口調について、第6巻のわずかなセリフでは普通の口調に思えるものの、第7巻を読み返すと「~じゃよ」の老人口調で驚く。

・「フリットウィック先生はゴブリンの血を引いている」設定の出典がどこにあるのか把握できていないので、もしご存知の方がいましたら教えてくだされば嬉しいです(05年ごろにローリング氏の公式サイトで読者質問への回答という形で掲載されたよう?)。原作で先生の身長の低さがやたら強調されていますが、11歳のハリーより頭一つ小さいくらいのゴブリンが先祖に一人いたところでそこまで低くなるのかなとはちょっと気になります。先生の呪文は「閃光(フルガーリ)」(光る縄で縛る魔法)とは関係ありません。

・トロール:日光で云々の設定は原作世界には無いです

・「粉々(レダクト)」:これとか「爆発せよ(コンフリンゴ)」とか「爆破(エクソパルソ)」とかは生物に使っても効果がないと筆者は解釈しています

・先生の数:ホグワーツの先生の数が明らかに足りない(もしくは時間割のコマがスカスカになる)問題を重箱の隅をほじくって真面目に考えるなら、「ふくろう試験に出ない科目が多数ある」(「飛行術」も初回以降描写がありませんし、純粋な座学が歴史だけというのもなんですし、ゲーム版では他の科目の教室があるようですし、原作者が上級生向けの不定期開講科目「錬金術」の存在を明言していますし)か、「主要科目を担当する先生は多数いる」(マクゴナガルは、ホグワーツの職に応募して"Transfiguration department"の長だったダンブルドアから"Transfiguration department"での内定をもらった※ようなので、少なくとも変身術に関しては教員が複数いると解釈できそうです)か、その両方かなと思います。色々設定を膨らませると楽しそうですが、本筋と逸れてきそうなのでこの二次創作では特に触れない感じでいきます。
(※https://www.wizardingworld.com/writing-by-jk-rowling/professor-mcgonagall)

・双子:忍びの地図を持ってるからという単なるストーリー上の都合で病棟送りに


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第3話 ハロウィーン(4) オール・セインツ・デイ

 ハロウィーンの翌朝、病棟のベッドで眼を覚ましたシムは、城の安全が確認され平常通り授業が行われる旨を校医マダム・ポンフリーに伝えられた。そして朝食をここですぐに済ませるよう促された。

 既に朝食を摂り始めていたセラと他愛ない話をしながら(「さっさと大広間に追い出されると思いましたよ」「時間も遅いからかな。医務室で食べる朝ごはんも良いものだね」)質素なオートミールをのんびりと食べていたが、セラの皿の残りが僅かであること、始業の時間まであまり猶予がないこと、午前はスネイプ先生の授業であることに気づき、シムがスプーンを口に運ぶペースを上げ始めたとき、医務室の扉が開いた。

 

「おはようございます、大丈夫ですか?」

 

 姿を現したのはマクゴナガル副校長とスリザリン寮監セブルス・スネイプだった。マクゴナガル先生は心配の色を浮かべており、スネイプ先生の表情から特定の感情は(うかが)えなかった。

 

「ストーリーさん。昨晩のことを伺いたいと校長先生がお呼びです。体調に問題ないようでしたら、一緒に校長室に来てください」

 

「体調は問題ないです。分かりました」

 

 ちょうど食べ終わったところだったセラは、紅茶の残りを(すす)って立ち上がると、ちらりとシムの方を見た。

 

「お前は医務室に残れ」

 

 立ち上がろうとしたシムに、スネイプは短く言った。マクゴナガル先生は「先に行ってますね」とスネイプ先生に声をかけると、セラを伴って医務室から出て行った。

 スネイプ先生はシムの前に椅子を「出現」させて座ると、シムの瞳をまっすぐ見て相対した。

 

「昨夜、何があったか聞かせたまえ」

 

 スネイプ先生は静かに問いかけた。シムは視線を僅かに逸らすと息を吸い込み、緊張しながらおおよそのあらましを説明した。

 

「そうか」

 

 スネイプ先生の表情や声色からは相変わらず感情が読み取れず、シムは空恐ろしくなった。

 

「捜索に人手を割く必要があったスリザリン生はお前達だけだ。今後は勝手な行動を慎め」

 

「……はい」

 

 スネイプ先生は淡々と言い終えた後、(ねぎら)いや叱責の言葉を特に口にすることはなかった。

 

「お前はスリザリンに来るべきでなかったと思っているか」

 

「いいえ」

 

 唐突な質問に戸惑いながらも、シムは再びスネイプ先生と視線を合わせて即答した。シムは男のどこまでも暗く黒い眼に吸い込まれる心持ちになった。気がわずかに遠くなる。シムが心を戻すと、一瞬、この男の眼に悲嘆と憎悪と悔恨と嘲笑と憧憬と、様々な鮮烈な色が浮かび上がり渦巻いた気がした。思わず瞬きすると、スネイプ先生はいたって平静な様子だったので、自分の気のせいだと思い直した。

 

「セラ・ストーリーが――」

 

 スネイプ先生はそこで言いよどんだ。しばし黙った後、再び口を開く。

 

「おおかたセラ・ストーリーがお前に教えたのだろうが、この前の『忘れ薬』のレポートの中で一点、カノコソウについての記述は誤りだ。たしかにカノコソウは『生ける屍の水薬』や『安らぎの水薬』などに用いられることもあるが、カノコソウ自体の鎮静的な作用を期待して加えているわけではなく、魔法薬材料としての性質はむしろ破壊の作用を強めることだ。ゆえに『忘れ薬』と『火吹き薬』におけるカノコソウの役割は本質的に近しい。また、カノコソウの攪拌(かくはん)を四回以上行う場合は、一回ごとに速度を緩めつつ火を強めつつ行わねばならない。奴は先週のクラスでその点を間違えて『忘れじの薬』の調合が不完全なものになっていた。伝えておけ」

 

 呟くような調子でスネイプ先生は一息に淡々と言った。シムは目を瞬かせた。

 

「我輩は用があるからして今日の魔法薬学は休講にする。代わりに魔法薬におけるミノカサゴの(とげ)の特性についてのレポートを羊皮紙三〇センチでまとめて来週の授業までに提出したまえ。ストーリーが戻ってくるまでは一旦ここで待機していろ」

 

 それだけ言うと、シムの返事を待たずにスネイプ先生は去っていった。シムはしばし扉を見つめたあと、朝食の残りを掻っ込み、レポートに取り掛かるべく「薬草ときのこ千種」と「魔法薬調合法」を開こうとしたが、教科書を入れた鞄を談話室に置いたままであることと、そもそもミノカサゴは薬草でもキノコでもないことに気づき、手持ち無沙汰に窓を眺めた。

 今日は金曜日だ。金曜日の午後は毎週授業がないから、今日は一日中授業がないことになる。自分も校長室に呼ばれるのだろうか。校長室とはどんなところか。やはり魔法学校の校長室は、ただの校長室ではないのだろうか。

 取り留めのないことをあれこれ考えているうち、しばらくして、セラが病棟に戻って来た。

 

「校長室はやっぱり本当に面白い部屋だね、面白い道具が沢山あって。シムにも見せてやりたかったよ」

 

 セラは椅子に腰かけると、明るく言った。

 

「……大丈夫でしたか?怒られたりしましたか?」

 

「いや、そんなに。校則違反は特にしてないしね、むしろ校内にあんな怪物をみすみす入れてしまった先生方をこっちが怒っても良いくらいだ」

 

「じゃあ、ただ話を聞かれて終わりでしたか?」

 

「うーん、事件の検証のために見せてほしいと言われて、記憶を複製して渡すことになってしまったよ」

 

「記憶を渡す……?そんなことができるんですか……?」

 

「うん、杖を使うと記憶を光る糸みたいな形で取り出すことができてね――神経科学者や心理学者が聞いたら驚いて卒倒しそうだけど――その記憶を映像として見ることができる、とても不思議な道具が校長室にあるんだ。何が一番不思議かって、私の頭から取り出した記憶のはずなのに、その映像は私の視点じゃなくて()()()の視点なんだよ!()()姿()()()()()んだ!」

 

 セラは両手を広げて感嘆の溜息をついた。

 

「とにかく、先生方に聞かれて困るような会話はなかったと思うけど、一応君も出演しているわけだから、シムの同意を取ってからにしてほしいと言ったのだけどだめで。だから厨房から出た後の記憶を見せてしまったよ、勝手にごめんね」

 

「……セラが格好良かったところと、僕があまり格好良くなかったところを見られたくらいですから、大丈夫ですよ」

 

「無謀は格好良さを意味しないよ。君はちゃんと私の命を救ってくれた、それで十分すぎるくらいだ」

 

 真剣な表情でセラはまっすぐシムの顔を見たが、シムは思わず目をそらしてしまった。

 

「――それで記憶を見られて何か言われましたか?」

 

「スネイプ先生が私の動きのまずかったところを色々と指摘してくれて、役に立つ呪文をいくつか教えてくれた。寮点を貰うよりとてもありがたかったよ。それからマクゴナガル先生にあまり無茶をしないようにお説教されて、校長先生に『守護霊(パトローナス)』で伝言を送る方法を教えてもらって、無事に解放された。――多分シムは呼ばれることはないから、安心して良いよ」

 

「お疲れ様でした。それなら良かったです。――結局事件について何か分かったのですか?」

 

「いや、まったく。何かわかっていても、生徒には教えてくれないだけかもしれないけれど。――ただハグリッドさんも校長室にいてね。俺じゃねえんだ分かってくれとしきりに言われたよ」

 

「ハグリッドさんが……?どうしてですか?」

 

 シムは、ホグワーツの森番、常人の二倍は背丈が高く五倍は幅の広い大男の姿を思い浮かべた。グリフィンドール生から愛され、ハッフルパフ生から恐れられ、スリザリン生から蔑まれる、髭もじゃの荒々しい風貌の大男。「(イッチ)年生はこっち!(イッチ)年生はこっち!」――湖を渡るボートへと一年生を先導する際の、彼の訛りの強い声が頭にこだました。

 

「魔法生物のエキスパートだからかな。あの巨大な怪物は、彼も見たことがなかったみたいだけど、たぶんトロールと巨人の相の子、ギガントロールって呼ばれる生き物だろうって。それから大蜘蛛も、アクロマンチュラっていう生物の若い雄だったそうだけれど、普通の若い雄よりちょっと凶暴に見えるって言ってた。……彼も先生方も詳しくは教えてくれなかったけど、どうもハグリッドさんは半世紀ほど前、ホグワーツに通っていた頃、城の中でアクロマンチュラを飼ってたことがあったみたいでね」

 

 シムの口があんぐり開いた。いくらホグワーツ城をマグルの学校の基準で測るのが荒唐無稽とはいっても、昨夜の廊下でひっくり返っていた大蜘蛛を思い起こす限り、校舎の中に闊歩していて良い怪物だとはとても思えなかった。

 

「――さらに、どうも『禁じられた森』の奥深くには、あの大蜘蛛のコロニーがあるみたい。私は『森』の浅いところまでしか行ったことがなかったから知らなかったけれど」

 

 シムの口はこれ以上開きようがなかったので、ゆっくりと閉じた。セラは安心させるように言う。

 

「いや、アクロマンチュラは決して城に近づかないようコロニーの(おさ)と契約しているってハグリッドさんも校長先生も言ってた。実際にこの半世紀は一度も大蜘蛛は城に現れてなかった」

 

「……しかしトロールは、いったいどこからどうやって入ってきたんですか?森トロールはともかく、山トロールは『森』にはいないですよね?」

 

「『森』の奥の、あの山脈の方から森まで降りてくることはあるかもしれないけど、城内に入ってこれるとは思えない。なにせあの巨体だし、城にはそもそも防護魔法がかかっているはずだし――」

 

「……セラは前、城から抜け出す抜け道があるって言ってましたよね?もしかして、そこからやって来たとかですか?先生に言わなくても大丈夫ですか……?校則違反がバレるかもしれないですけど……」

 

 セラは首を横に振った。

 

「私が知っている通路はどれも、人がやっと通れるくらいのサイズでしかないよ。非魔法界の伝承とは違って、トロールは小さくなれるわけではない。元々は緊急時の脱出路として建造されたものだろうから、城にいるべきでない者を無制限に入れるとも思えないし。この城には、創設者や校長先生のかけた防護魔法が厳重にかかっているはずなんだ」

 

 なおも心配そうな顔をするシムに、セラは「一応遠回しに抜け道の可能性を聞いてみたけど、大丈夫だと言われたしね」と言う。

 

「……すると誰かが、どうにかして招き入れたってことですか?誰かが防護魔法を越えて侵入したうえに、怪物を、一体のみならず何体も入れたなんて、そんなことができる犯人が今も城に潜んでるとしたら――そんなことはあまり考えたくはないですが――」

 

「誰かが入れた可能性の方が高いというのも、あまり考えたくはないというのも同意だ。()()入れることができるくらいなら()()()()入れることができるとは思うけれど――それに外部の人間でなくホグワーツ()()の人間の可能性もあるとは思うけれど――」

 

 二人は黙りこくった。シムは恐る恐る切り出す。

 

「……先生の誰かが犯人かもしれないってことですか?それか、まさか生徒ではないですよね……?」

 

「先生ならできるかもしれないね。生徒は――よほど今まで爪を隠していたのでなければ、一人でこんな大それたことをできる生徒が今のホグワーツにいるとは思えないけど――たとえば集団で相当に綿密に計画を立てれば、もしかしたら……。あるいは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そのくらいだったら生徒でも出来るかもしれない」

 

「でも、生徒だったら何のために……。今のホグワーツをぶっ壊したいのでもなければ……」

 

「……魔法界では、ある事件が起こったときに、その犯人が自分の意志で行ったとは限らないよ。『服従の呪文』があるからね」

 

 セラの顔は暗くなった。シムは、その呪いの響きにぞっとして呟く。

 

「『服従の呪文』、ですか……」

 

「ヒトに使用すると終身刑が課される『許されざる呪文』が、英国には三つある。まず、何の原因もなくただ生き物に『死』という結果をもたらす『死の呪い(アバダ・ケダブラ)』。次に、何の原因もなくただ生き物にあらん限りの苦痛を与える『磔の呪い(クルーシオ)』。――ヒトを殺し得る呪いはごまんとあるし、もっと身の毛のよだつおぞましい呪いだっていくらでもある。けれど『死の呪い』と『磔の呪い』は『殺す』『苦しめる』以外の用途が()()()()し、それ以外の一切の結果を生まないという意味で、他の闇の魔術とは異質なんだ」

 

 セラは一旦言葉を切った。

 

「そして、もう一つの禁術が――私には一番邪悪な術に思えるのが、『服従の呪い(インペリオ)』。術者の意のままに、他人を支配できる。便利なことに、ラジコンみたいにいちいち操縦する必要もない。さらに厄介なことに、長期間にわたって効果を維持できるし、『服従』させられてるかどうかを外から判別するのがとても難しい。さっきまで普通に楽しく喋っていた友達が、突然自分に牙を剥く、そんなことだって起こる。記憶を修正する魔法だってあるから、()()()さっき友達を殺してはいなかった、その確信さえ持てない」

 

 シムは唾をごくりと呑んだ。

 

「そんな呪文があったら……十年前の魔法戦争は、さぞ地獄絵図だったでしょうね。誰も信じられない――自分だって信じられない」

 

「そうだったらしいね。戦争が終わって地獄が終わるわけでもない。『例のあの人』に協力していた人は、こぞって『服従』させられていたと主張したらしい――ルシウス・マルフォイなんかがその筆頭だね。そして実際に『服従』させられていた人のうち何人もが、自分がしでかしたことを知って、そのまますぐに自殺したそうだ」

 

 シムは、「服従の呪文」にかかった自分の姿を、セラに背後から杖を向ける自分の姿を、想像してしまって胸のむかつきを覚えた。

 

「……服従の呪文って、喰らったらもう終わりなんですか?敵に操られていた味方が、意志の力で我に返る、そんな物語みたいな展開はやっぱり無理なのですか?」

 

「いや。私はかかったことがないから分からないけど、お互いの力量や精神力次第では、術をねじ伏せられるらしいのが救いだ。……いや、むしろ呪いか。家族を殺し、友を売った人が、もしかしたら自分は抵抗できたかもしれないなんて知ったら……」

 

 セラは溜息をつく。「つくづく、今が平和な時代で良かった」

 

「……もしかして、セラが呼ばれたのは、僕達が万が一『服従』させられて協力していなかったかを確認する目的もあったんですか。怪物を城に入れて、そのまま怪物に襲われる。後は用済みだから、死んでしまっても問題ない」

 

 シムは言い終わったのち、ひどく嫌な可能性に思い至った。

 

「……いや、単に疑われていたどころか、『僕達が実際に事件に関わっていて、後から記憶を修正されていた』可能性だって絶対ないとは言い切れないってことですよね……?セラや自分を疑いたくはないですが、僕達が犯人の協力者()()()()かどうかすら、僕達は確信を()()()()ってことですよね……?」

 

 悲鳴に近い声を上げて立ち上がるシムを見上げて、なだめるようにセラは言う。

 

「もちろん、わざわざ校長室に呼ばれたのは、その万が一の可能性も想定されていたからかもしれない。とはいえ、こうして校長室から解放された以上は、私達は何もやってなかったと自信を持って良いはずだ。これからも『服従』と『記憶修正』をかけられた可能性を心配し続けるのは、『自分は実は水槽の中で幻覚を見せられてる脳みそなんじゃないか』と心配するのと同じようなものじゃないかな」

 

 だいいちホグワーツにはもしかしたら『服従の呪い』を防ぐ機能だってあるかもしれないし、とセラは付け加えた。

 

 

 ★

 

 

「ともかく、外部の人間か内部の人間か、一人か複数か、大人か子供か、そんなことはどれも私達には分かりようがないから置いておくとして。自然に怪物が入ってきたのではなく、誰か犯人がいると仮定しよう」

 

 セラは人差し指を立てた。

 

「それならその誰かは、いったい()()()()()騒ぎを起こした?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()無差別テロなら効率が悪いし、まさか愉快犯というわけでも――」

 

 セラは心底不思議そうに、天井を向いて呟く。

 

「……たとえば、混乱を起こして先生方の手を煩わせている間に、何かしたかったことがあったとか……?盗みたかったものがあったとか?」

 

 シムはしばし考えこんで口を開いたが、セラは間髪を入れずに畳みかける。

 

「それなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()先生方の目が届かないのはたぶん夜中も同じだろう。騒ぎを起こしたら逆に目立つし、今から何かやります警戒してくださいとわざわざ教えてるようなものじゃないか」

 

「……たしかに怪物を入れる力量のある魔法使いなら、防護魔法をかいくぐるほど、それも何体も入れられる魔法使いなら、そのくらいのことは()()()()()()()()()()ですよね。……じゃあ、まさかそんなことはないと思いますが、僕達を殺したかったとか?」

 

 続けてシムは遠慮がちに口走るが、すぐに頭を振った。

 

「……いや、僕達がちょうどあのタイミングにあの廊下に来ることは、知りようがないですよね。3階の談話室での会話が盗聴されていなければですけど」

 

 セラは頷く。

 

「2E教室やスリザード談話室には盗聴呪文の類を防ぐ魔法がかかっているはずだよ。念の為に後で効力が切れていないかは確認してみるけど。魔法を用いない盗聴器の類はホグワーツでは使えないしね」

 

「盗聴をしてなくても、私達がハロウィーンの日の夕食に降りて来ないかもしれないとは予測がつくかもしれないけど、どのルートをとるかは不確実だし。まさか透明な私達をずっと尾行しているとか、魔法道具で監視してるわけでもないだろうし……?」

 

 セラはちらりと後ろを見やったが、すぐに続ける。

 

「ただ、たかが私達二人を殺すために、怪物を城に入れて襲わせるなんて馬鹿げた真似はしないだろう。もっとはるかに確実で控えめな手段はいくらでもあるはずだよ。せっかくあの時は誰もいない廊下を歩いていたんだ、背中から失神させて縛ってどこかに閉じ込めて、後でゆっくり殺すせば良い。あるいは夕食のかぼちゃジュースに遅効性の毒を仕込むのでも良い」

 

「それはそうですよね。というかそもそも、僕は誰かに殺意を抱かれる心当たりなんてまるっきりないですし。セラが他人の恨みを買ってるかどうかは知りませんが」

 

「私も聖人のような心で人々に優しく接し、日々まっとうに人生を歩んでいるつもりだよ」

 

 シムが冗談めかして言うと、セラは真顔でしゃあしゃあと答えたが、少し黙った後に、物憂げな顔つきになった。

 

「あるとすればやっぱり私達が非魔法族の生まれであることかな。私達を殺そうとまでするスリザリン生がいるかは分からないけど――伝承によれば、サラザール・スリザリン卿は、純血主義を巡ってゴドリック・グリフィンドールと決裂してホグワーツを去るのだけど、ホグワーツに相応しくない生徒を追放するための怪物を『秘密の部屋』なる場所、誰も見つけらないような隠し場所に遺したそうだ。『秘密の部屋』は、来たるべき時に、スリザリン卿の子孫の手で開かれるという」

 

「……え?」

 

 シムの頭はフリーズした。

 

「……まあ、歴代の校長が探しても見つからなかったそうだし、真に受ける必要はないよ。それ以前に、トロールやらなんやらは千年あればとっくに死んでるし、偉大なるサラザール・スリザリンがトロールを自信満々に遺すわけないし、伝説が本当だったとしても今回とは関係がない。先生方にも、私達が狙われてるかもしれないなんてことは言われなかったしね」

 

 セラは笑った。シムはふと、この前セラと見物しに行った四階の封印された扉が脳裏をよぎった。

 

「……そのぶっ飛んだ伝説とは関係がないにしても、外から入ってこれないのなら、やっぱり()()()()()()()()()()()()()()だったんじゃないですか?――例えばそうですね、四階の『禁じられた廊下』の向こうに閉じ込められていたのが出てきちゃったとか?確かにトロールに殴られ喰われて死ぬのは『とても痛い死に方』だと思いますし……ギガントロールやらなんやらがうじゃうじゃいたら、セラでも開けられないように厳重に封印されるとは思いますし」

 

 セラは虚を衝かれた様子で黙り込むと、上を見やった。

 

「うーん……そうだとしたら、何でわざわざ怪物を放置しておく?先生方なら、フリットウィック先生にしろ他の先生にしろ、一瞬で片が付くのに。……まさか六・七年生用の『闇の魔術に対する防衛術』だとか『魔法生物飼育学』で使うのかな?……でもあの廊下が封印されたのは()()()()だ。『防衛術』新任のクィレル先生の方針なのか、それとも『飼育学』のケトルバーン先生が今年になってさらにトチ狂ったのかな?……いや、それなら校長先生が新学期にちゃんと説明しただろうし、いくらホグワーツとはいっても、流石にそこまでぶっ飛んだ授業はしないだろうし。……あるいは今年になって突然、あの廊下が魔法でどこかの山にでも繋がっちゃったとか?それで廊下を封印するしかなくて、犯人はそれを知らずに好奇心で扉を開けちゃったとか。……でも、あの扉を開けられる生徒が今のホグワーツにいるのか……」

 

 シムのことは上の空で自問自答を続けるセラに、シムは思いつきを口に出す。

 

「あの扉の向こうには、たとえば何か凄く貴重なものがあるっていうのはどうですか。子供向けのファンタジーだったら、封印された扉の向こうには、お宝とそれを守る怪物がいるっていうのは定番ですし。何で学校にそんなものがって突っ込みは置いておくとして」

 

 セラは苦笑して話に乗っかる。

 

「それは物語だったら実にワクワクする展開だけれど――でも、本気でお宝を怪物に守らせようと思ったら、それこそドラゴンなんかを持ってくるのが定番じゃないかな?私ですら戦えるレベルの怪物を配置するかな?」

 

「出てこなかっただけで、ドラゴンもさらに奥にいるんじゃないですか?奥に行けば行くほど強いモンスターが出てくるのは、ビデオゲームなら当たり前ですよ」

 

「…………ホグワーツがビデオゲームのダンジョンじゃないことを願おう」

 

 セラの笑みは少し引きつっていた。

 

「なんにしても、これ以上探偵ごっこをしてもしょうがないね。何が起きたにしろ、私達が出来ることは何もないし。これ以上何かに巻き込まれることがないように祈るばかりだ」

 

 そして思い出したようにセラは手を打った。

 

「……あ、そうだ。他のホグワーツ生達が知っているのは、昨晩にある生徒が『地下にトロールがいた』と大広間で叫んだことだけだそうだ。他にも何体か城を徘徊していた事実を知っている生徒は、私とシムだけみたい」

 

「そうなんですか?噂が音速の壁をぶち抜きながら肥大(エンゴージオ)してくホグワーツなのに妙ですね。……いや、僕らだけしか見てないのなら当然か」

 

「うん、だから変に尾ひれがついていたずらに混乱させないために、このことは生徒に言いふらさないでほしい、というようなことを言われた」

 

「……それは要するに学校の隠蔽に加担しろということですか……?」

 

 シムは疑わしげな声を出したが、セラは涼しく受け流した。

 

「色々事情があるんだろう。それに、もし校長先生が責任を問われて追われるようなことがあった場合、真っ先に困るのは私とシムのような非魔法族出身者だし。魔法界は狭いから、糾弾する側こそに犯人がいるかもしれないし」

 

「でも、普通はこういう事件だか事故だかが起きたら、外部の捜査とかが入りそうなものですけど……」

 

「ホグワーツでは、余程のことがない限りは内部のことは内部で解決するし、この程度の事件は『余程のこと』ではないみたい。山トロールが城に出たといっても、もう生徒達は気にも留めず普通に生活してるはずだよ。私達もまた普通の顔で生活すれば良い」

 

「……セラが良いなら良いですけど。僕がセラだったら大人しく頷けなそうです、怪物と戦ったことを言いふらしたくなっちゃいます」

 

「もちろん、スリザリンの規範に照らせば、ここで大人しくはい分かりましたと頷くわけにはいかないよ」

 

 セラはにやりとした。「黙ってる代わりに、たとえば――校長先生にだいぶ早いクリスマスプレゼントをねだってみる、とかね」

 

「……見返りを要求するなんて、またずいぶん図々しいというか身の程知らずというか……」

 

 シムは呆れた。

 

「ささやかなご褒美しか要求してないから、了承してくれたよ。ああ、私だけでなくシムの権利も約束しておいたから、もし校長先生に廊下で会うようなことがあったら、覚えておくと良い」

 

 シムの頭に様々な質問が浮かんだが、どれを最初に聞くか迷っている間に、セラは構わず話を続けた。

 

「それに、他の人に言いふらしても――『城でトロールや蜘蛛や巨人に襲われたけど頑張って逃げのびた』なんて言いふらしても、目立ちたがりのホラ吹きだと思われるのが関の山だよ」

 

 セラは何ともいえない表情を浮かべた。

 

「襲われたのが私達だけだとしても、周りが信じるか分からないというのに――そのうえハリー・ポッターと友人が山トロールをノックアウトしたという話が校内に広がっている状況なら、なおさらだ。廊下でそんな話が何度か聞こえてきた」

 

「なんですって?一年生が山トロールをノックアウト?どうせ噂が爆発(コンフリンゴ)してるだけなんじゃないですか」

 

 英雄ハリー・ポッターがハロウィーンの夕食におらず山トロールに遭遇していたということもシムには驚きだったが、なにより、四年生のセラならともかく、一年生が――自分だけでなく恐らくスリザリン一年のほとんども――山トロールと相対できるとは到底思えなかった。

 

「いや、マクゴナガル先生も『ハリー・ポッターもあなた方も運が良かった』というようなことを言っていたし、本当なんじゃないかな」

 

「……しかし彼はたしか、非魔法界の家庭で育ったのでしょう?魔法を訓練していたことも、山トロールだって見たこともないはずなのに」

 

「そう言われてるね。たとえ数人がかりであっても、山トロールは魔法を習って高々二ヶ月の子供の手に負える生き物とは思えない。少なくとも三年前の私なら無理だろう。恐怖で足がすくんでる間に、殴り潰されて終わりだ。……いや、(よわい)一歳で『例のあの人』を打ち破った英雄なら朝飯前なのだろうけど、それにしてもさすがだ……」

 

 セラはやれやれとばかりに(かぶり)を振った。 

 

「私は四年生なのに、結局ギガントロールとやらを倒せずに先生に助けてもらったしね。魔法界の英雄と比べるのは烏滸がましいけど、ちょっと情けなくなっているよ」

 

「セラは一人で複数を相手取っていましたし、怪我もしていましたし、比べられるものではないでしょう。……同じ一年生で、何も成す術がなかった僕の方が情けないです」

 

「そんなことはない。何度も言っているけれど、まだ君は魔法を習い始めたばかりだ、成す術なんてないのが当然だ。君を戦闘に参加させるべきではなかったという私の判断は、今も間違っていなかったと思っているよ」

 

「はい。それは分かっています。ただ、次に怪物がホグワーツを襲って来るときまでには――」

 

 シムはセラの緑の瞳をまっすぐ見つめた。その吸い込まれそうになる深く暗い瞳には、そこに刻まれた経験には、シムにはまだ到底及ばない差があるように感じさせられた。シムは目に力をこめた。

 

「――情けなく逃がされるのではなく、セラと肩を並べて杖を掲げられるように、セラにそこまで認めてもらえるように、なりますよ」

 

「頼もしいね。楽しみにしているよ」

 

 セラの瞳が柔らかな光を帯びた。

 

「……ただ、そんな何度も学校に怪物がやってくることはないと祈りたいけれどね」

 

 それはまったくですとシムは微笑みを返した。

 

 

 ★

 

 

 そして二人が医務室から出て、鞄を置いたままのスリザード談話室に向かうべく廊下を歩いていると、スリザリン監督生ジェマ・ファーレイが向こうから歩いてきた。ジェマは二人の前で立ち止まって、眉をひそめて声をかけた。

 

「大丈夫だった?ハロウィーンの日は医務室に入院していたって聞いたけど、何があったの?」

 

「ありがとうジェマ、大丈夫。うっかりしていて、階段から転げ落ちてしまってね。シムに医務室まで運んでもらっていたんだよ。もちろん怪我は一瞬で治ったけれど、丁度トロールが出たという騒ぎになっていて、ついでにそのまま泊まらせてもらったんだよ」

 

「――『セラがそんな馬鹿をやらかすなんて!』……とでも言えば良いの?私がそんな嘘を信じる馬鹿に見える?」

 

 ジェマは途端に声を冷たくしたが、セラは涼し気に肩をすくめた。

 

「私も信じられなかったけど、五階の仕掛け階段が急に機嫌が悪くなって。あそこはいつも木曜日には安定している階段だと思っていたのに」

 

 ジェマはなおも疑わし気な目つきをしていたが、セラは気にせずに続ける。

 

「そんなことより、私とシムの不在を先生に伝えてくれたのは、多分ジェマなんだろう?……ありがとうね」

 

 話題を変えて頭を下げたセラに、ジェマは軽く手を振った。

 

「監督生としてというか、人として当然のことをしただけだから、やめてよ」

 

(シムはジェマが自分達の恩人であることに気づいたが、階段から落ちて医務室に行っただけという設定を守る以上は、セラも自分もあまり過剰に感謝の意を表明するわけにいかないことにもすぐに気づいた)

 

「人として当然とはいっても、スリザリンには私がトロールにでも喰われてしまえば良かったと思ってる人は多いだろう?」

 

「そうね」

 

 からから笑うジェマに、セラは苦笑した。

 

「まったく、スリザリンに相応しくないのは、セラじゃなくて、マグル生まれを憎悪することでしか自分を保てない、血筋だけの非力で愚図な無能な方だっていうのに」 

 

 再び声を冷たくして言い放つと、ジェマは鼻を鳴らした。(ジェマがセラに好意的なのは、彼女が選民思想を持たない公平な人間だからというよりは、能力主義的な選民思想を持つからなのかもしれないとシムは感じた)

 

「とはいっても気を付けて。非力な輩でも六年七年の集団を相手にするのは、あなたといえど骨でしょう?」

 

 声を潜めるジェマに、「たしかにそうだね」とセラは頷く。

 

「去年までならあなた一人だったからまだ良かったけど、今年はスオウ君もいることだし――スリザリンは、手段を選ばない輩も多いことだし」

 

 ジェマはちらりとシムを見て口をつぐんだ。シムはなんとなく、ジェマが言いたいことを察した。セラは相変わらず飄々としていた。

 

「シムが私の弱味とか人質にでもなってしまうと言いたいの?そんなことはないよ、シムの成長のスピードは中々のものだよ。今年度(ことし)のうちに、決闘クラブに連れてゆこうと思っている」

 

 セラが他人に自分のことを褒めるのを聞くのはお世辞だとしても気恥ずかしくなったし、後半の内容は寝耳に水だった。ジェマは怪訝そうにシムをじろじろ見回した。

 

「へえ、そうなの。……それは楽しみ」

 

 ジェマの口元がほころび、ゆっくりと右手がポケットの辺りに動いた。

 

「いや、今試してやってと言ってるわけではないよ」

 

「もちろん分かっているよ」

 

 セラが鋭く言うと、ジェマの手は止まった。台詞に反して、ジェマの口調は少し残念そうだった。

 

「ともかく、二人は本当に元気なのね?階段から転げただけなのね?」

 

 ジェマは疑わしげに、セラとシムの顔を交互に見た。二人は「スネイプ先生と大イカ観覧デートもできる気分だよ」「元気いっぱいです」と胸を張って答えた。

 

「なら良かった。監督生の会議に呼ばれたから私はそろそろ行かなきゃ。じゃあ、また」

 

 ジェマは手をひらひら振ると、そのまま二人の横を通って歩いて行った。セラとシムもジェマに背を向けて歩き出した。ところが十歩ほど歩くとジェマは突然振り返って無詠唱で魔法を放ち、黒く禍々しい何かをいくつも繰り出した。一瞬のちに気づいてセラも振り返り、盾の呪文を展開する。二人に迫ってきた黒い塊が、セラの透明な「盾」に阻まれてぼとりと床に落ちた。シムの額から冷や汗が垂れる。

 

「何を――」

 

「良かった、ちゃんと元気なんだね」

 

 ジェマはあっさり言うと杖を振って魔法を消し、何事もなかったかのように再び歩き去っていった。

 

「……なんでスリザリン生ってああいうタイプばかりなんですか?」

 

 小さくなってゆくジェマの背中を見送りながら、シムは小声で呟いた。

 

「あれでも穏便な方だというのが悲しいところだね」

 

 それから少し歩くと、巻き毛の長身の少女にも出会った。落ち着いた雰囲気の、監督生バッジを付けたレイブンクローの生徒だった。「レイブンクロー寮の監督生」なる肩書きに引っ張られたシムの先入観に過ぎないかもしれないが、非常に聡明に見えた。

 

「あら、セラ。奇遇ね」

 

「やあ、ペニー」

 

 静かに声をかける女子生徒にセラは親しげに挨拶をし、シムの方を向いて説明した。

 

「こちらは私の数少ない友人のひとり、レイブンクロー五年生のペネロピー・クリアウォーター。本気の『水よ(アグアメンティ)』を喰らうと体に穴が空きかねないから、怒らせない方が良いよ」

 

「初対面でその紹介の仕方はどうなの?まあよろしくね。あなたがセラが言っていたマグル生まれの一年生ね。私もマグル生まれなの」

 

 ペネロピーはそっけなく言った。

 

「一年のシム・スオウです。よろしくお願いします」

 

 会釈するシムからセラの方に顔を向けて、ペネロピーは「昨日の夜はレイブンクローでも大広間にいなかった生徒が何人かいたけど、あなた達は一体全体どうしてたの?見たところ姿が見えなかったけど」と問いかけ、セラはジェマにしたのと同じ説明を繰り返した。

 

「…………そう。それが本当なら、良かった」

 

 ペネロピーはしばらく沈黙したのち、落ち着き払った様子で言った。そしてシムの頭から爪先まで眺めると、歩み寄って耳に顔を近づけて「……セラを傷つけたり泣かせたりするようなことが、絶対に、ないようにね」と呟いた。含みのある低く冷たい声に、シムは黙って神妙に頷いた。 

 

「ところでさっきジェマが監督生の会議があると言っていたけど、君もこれから行くところ?」

 

 セラの声に、ペネロピーは眉を上げた。

 

「そうね、もう行かないと。急がなきゃ」

 

 ペネロピーは弾んだ声でポケットから手鏡を取り出すと、髪を整えながらそそくさと女子トイレの方へと消えた。

 

「監督生の会議であっても、上級生の女子ともなるとやっぱりきちんと身だしなみを万全に整えて臨むものなんですね」

 

 シムが言うと、セラは「そうみたいだね」と返して黙った。二人が歩いていると、今度はハッフルパフの一年生の集団とすれ違った。そのまま集団の足音が遠ざかったと思いきや、廊下の角を曲がったとき、背後からばたばた駆ける足音と、呼びかける声が聞こえてきた。

 

「シム君、久しぶりです」

 

 シムは振り返り、声の主の姿を見とめた。

 

「ジャスティンか、気づかなかったよ。久しぶりだね」

 

 ハッフルパフ一年生であり、マグル生まれの生徒、ジャスティン・フィンチ=フレッチリーだった。シムはホグワーツ特急で彼と同じコンパートメントに乗り合わせ、同じく非魔法界の出身ということもあり、会話が弾んだものだった――惜しむらくは、その前の晩に一睡もできなかったシムは、夕方まで車内で眠りこけてあまり話せなかったことだ。ところがジャスティンはハッフルパフに組分けされシムはスリザリンに組分けされたので、その後顔を合わせる機会がとんとなかった。

 

(寮で共同生活を送るホグワーツでは寮ごとの距離は大きいが、スリザリンと他寮との間の溝はとりわけ深かった。スリザリン生の多くはハッフルパフ寮を見下しており、ハッフルパフとの合同授業において寮間での会話が弾む光景は、どちらの寮でも想定されていなかった)

 

「昨日、隣のスリザリンのテーブルでシム君がいないと監督生がスネイプ先生に伝えてるのが聞こえてきて。大丈夫でしたか?」

 

「心配してくれてありがとう。ちょっと階段から転げて脚を(くじ)いてしまって、医務室に行ってたんだよ。マダム・ポンフリーに一瞬で治してもらったけど、トロールが出たからついでにそのまま泊まることになって」

 

(シムは、セラが脚を挫いたと言うのがはばかれて反射的にそう答えてしまった後、先ほどのセラの発言と齟齬(そご)が生じることに気づいたが、ジャスティンとジェマ・ファーレイがこの件について話し合うことがないから良いだろうと思い直した)

 

「そうだったんですね。それなら良かったです。学校にトロールなんて、さすが魔法学校は凄いですよね!」

 

 巻き毛の少年はどこか嬉しそうに言ったあと、視線を移し、遠慮がちに、しかし不審と興味が露骨に入り混じった表情でセラの方をちらちら見ていた。他寮の見知らぬ上級生なら、ましてスリザリンの上級生なら無理からぬ反応だ。シムはジャスティンにセラを紹介する。

 

「僕がお世話になっている、スリザリン四年生のセラ・ストーリー。僕と同じで、非魔法族の出身だよ」

 

「よろしくお願いします。ハッフルパフ一年生のジャスティン・フィンチ=フレッチリーです。スリザリンにはほとんどマグル生まれがいないと聞いていたので、シム君が大丈夫かなと心配していたのですが、良かったです」

 

 紳士的に手を差し出すジャスティンと握手を交わしてセラは答える。

 

「セラ・ストーリーだよ、よろしくね。シムに一年生の友達がちゃんといて嬉しいよ」

 

 そしてジャスティンは「ではまた会いましょう」と言うと、逆の方向に、ハッフルパフの仲間たちが待つであろう方に駆け出して行った。 

 

「彼、イートン校への入学が決まっていたそうなんですよ」

 

 ジャスティンの背中を見送ってシムが呟くと、セラの表情は驚愕に染まった。イートン・カレッジ――名門中の名門、エリートの卵が集う、英国随一のパブリックスクール。

 

「二重姓だしアクセントも明らかに見事なものだったけれど、やっぱり生粋のエリートだったのか。非魔法界にいては、私は彼みたいな人とかかわる機会は一生なかっただろうけれど――階級に関係なく英国中の若者が集うホグワーツは、まったく面白いところだね」

 

 セラはしみじみと言う。

 一方でシムは、ジャスティンがホグワーツに来たことは、本人にとって本当に良かったのだろうかと感じざるを得なかった。非魔法界にいればジャスティンは栄光の道を歩んだであろうが、魔法界(ここ)ではマグル生まれというハンディを背負うことになるし、入ったハッフルパフ寮も今一つ評判の冴えない寮ではあるし、成績も同じマグル生まれであるハーマイオニー・グレンジャーがずば抜けて周囲を圧倒している。それでも「魔法を使える」圧倒的なアドバンテージがあれば彼のプライドは満足できるだろうか――そこまで感じたのちに、非常に人格の良さそうなジャスティンならそんなことはいちいち気にしないかなどと思い直し、自分に恥じ入るのだった。

 

 階段を昇って三階に上がると、今度はグリフィンドール生三人の姿が見えた。黒髪で眼鏡の痩せこけた少年、赤毛でそばかすだらけののっぽの少年、そしてふさふさした栗毛の、前歯の大きな少女。――話したことがなくとも、それぞれが誰であるか、シムにはすぐに分かった。校内で一番、いや英国魔法界で一番有名な少年ハリー・ポッター、それからグリフィンドール監督生(プリーフェクト)パーシー・"完璧(パーフェクト)"・ウィーズリーや学校一の悪童コンビ・双子のウィーズリーの弟であるロナルド・ウィーズリー、そして学年一の才女にして近頃セラの興味を惹いたマグル生まれの生徒ハーマイオニー・グレンジャーであった。

 三人は、スリザリン二人の存在に特に気を払うことなく、楽し気に喋りながら(「マルフォイ」「スネイプ」「ハグリッド」などの単語が聞こえた)歩いて行った。その温かな背中は、三人がいわゆる、友達であることを端的に示していた。

 

「……私が近づくべくもなくなってしまったのは残念だけれど、グレンジャー嬢に友達が出来たみたいで良かった」

 

「そうですね。……しかし今週の魔法薬や飛行訓練のクラスではちっとも仲良さそうには見えませんでしたが。グリフィンドールをいつも観察してたわけじゃないので分からないですが、むしろグレンジャーと残り二人はしょっちゅう口論して冷え冷えしていたような……」

 

 シムの記憶では、昨日までのハーマイオニー・グレンジャーは、その積極的に加点を狙う姿勢やら歯に衣着せぬ物言いやらで、明らかにグリフィンドール寮で浮いていたはずだった。

 

「誰でもちょっとしたきっかけで仲良くなるものじゃない?しょっちゅう喧嘩してた仲ならなおさらだ」

 

「そうですけど……」

 

 シムは首を捻ったのち、ふと思いつきを口にした。

 

「そういえば、ハリー・ポッターは友達とトロールをノックアウトしたんですよね?たとえばですが、グレンジャーがその現場にたまたま居合わせて、一緒に戦って仲良くなったとか?」

 

 セラは「そんな展開だったら実に綺麗だけどね」と笑った。

 

 

 ★

 

 

 翌日にはセラの言う通り、トロール騒ぎの余波はすっかり消え、代わりに十一月の寒波が容赦なく城を覆った。城を囲む山々は灰色に凍り付き、張り詰めた湖面は鋼のように見え、校庭には毎朝霜が降りた。城もめっきり冷え込み、とりわけ地下は、つまりスリザリン寮の前の廊下やスネイプの地下牢教室は非常に寒々としたものになったが、シムの学校生活は特に変わらず順調に過ぎていった。

 この月、大多数のホグワーツの生徒――グリフィンドール生とスリザリン生と大概のハッフルパフ生と若干のレイブンクロー生――の記憶に刻まれた出来事は何よりも、土曜に行われたクィディッチの校内リーグ初戦、グリフィンドール対スリザリンのカードだった。

 

(クィディッチとは、シムがセラに以前説明されたところによれば、そのスポーツは魔法界一人気の球技であり、その光景は十四本の箒が飛び交う流麗にして壮大なものであり、そのルールは非魔法界出身者がみなゲーム性や安全性に首を捻るものの神聖にして侵すべからずであり、そのボールは低得点の球と超高得点の球と妨害用の鉄球とで構成されており、その戦略性の肝は鉄球をバットで打てるポジションが超高得点球を扱えるポジションと低得点球を扱うポジションのどちらにどれだけ鉄球を配分するか吟味するところにあるという)

 

 なにせ、魔法界の英雄・「生き残った男の子」ハリー・ポッターが、「一年生はチーム入りできない」通例を百年ぶりに捻じ曲げ、特例でクィディッチチーム入りを果たしたのだ。そして最高潮の期待と興奮と嫉妬と憎悪を胸にピッチへと入った彼は、箒が暴れ出す不運に見舞われるも、金のスニッチ――キャッチされると超高得点が加算されゲームが終了する――を堂々と口でキャッチし、華々しい勝利を飾ったのだ。グリフィンドールは歓喜の涙に咽び、スリザリンは屈辱の涙を呑んだ。

 だがその試合の話をシムは後に知ることになった。陽の当たる学生生活と縁がない彼の記憶に刻まれたのは別の出来事だった。つまり彼はこの日、セラの案内で密かに城を抜け出し、ホグズミード村――三年生以上が指定された休日に赴くことを許される、魔法族だけが住む村――を観光していたのだった。

 

 

(第3話 終)

 




消化回なのにだいぶ間が空いてしまった。第4話はホグズミードなどの話、第5話は決闘クラブなどの話です。ハリーたちの物語に運悪く巻き込まれましたが、また二人の物語に戻ります。不定期更新になってしまいますがお付き合い頂ければ幸いです。

・「ハリーとロンはなんやかんやでパーティに参加するのが遅れて、大広間に向かう途中でトロールを目撃した生徒に遭遇し、後は原作通りハーマイオニーを探しに行ってトイレでトロールをノックアウトする」くらいの流れです。後書きで説明すべきではないですが、セラとシムの物語には関係ないので勘弁。(この二次創作でわざわざ「校長が生徒を大広間に留まらせる」に変更したのは、原作で生徒をわざわざ寮に返す意図について、物語進行の都合以上の説明が思い浮かばず、二次創作中での理屈付けができなかったからです)

・現代日本の学校の常識からは外れる魔法学校の諸々について、この二次創作で物申す意図は特にありません(オリジナル改変により誇張されてしまった点があったとすれば、その意図に基づくものではないです、ご容赦ください)。

・前話の投稿時は三号温室までしかないと思い込んでたが、PSゲームでは八号温室まであることを知る。桃の木。

・原作で明示される合同授業は「グリフィンドール+スリザリン(つまり恐らくレイブンクロー+ハッフルパフ)」「グリフィンドール+ハッフルパフ(スリザリン+レイブンクロー)」だけですが「グリフィンドール+レイブンクロー(スリザリン+ハッフルパフ)」もあっても良いはず

・数ヶ月前に目次にも追記しましたが、「スリザリンにマグル生まれもいる」設定が公式だと思い込んで、その興味が発端で書き始めてたのですが、原作者の「稀な状況を除いては死喰い人はマグル生まれになれない」旨の発言と混同していたようで、直接肯定あるいは否定するソースを探せませんでした。公式設定じゃない場合はこの二次創作の根幹が崩れてしまいますが、とりあえずこの二次創作のホグワーツではマグル生まれのスリザリンもいるということでお願いします。

・「マグル生まれスリザリン」がいてもおかしくなさそうと判断した根拠はいちおう以下の四つですが、他にご存知の方は教えてくだされば幸いです。

 (1)七巻の人さらいスカビオールの「スリザリンにはマグル生まれはあまりいない」旨の発言
(初読時にスリザリンにもマグル生まれがいるのかと強烈な衝撃を受けたのですが、「スリザリンにマグル生まれが存在しないことはお互いの共通理解である状況で、皮肉としてあえてその言い回しを用いてる」と解釈しても自然ですし、「スリザリンにマグル生まれが存在しないことは常識であるが、スカビオールは知らなかった(彼の無教養を強調して描写する目的)」とも解釈できるので、確実な根拠とは言えなそうです)

 (2)監督生ジェマ・ファーレイの挨拶(https://www.wizardingworld.com/outcome/slytherin)
の"but nowadays you’ll find plenty of people in Slytherin house who have at least one Muggle parent. "の部分
(日本語版ポタモアの訳出は「最近では片親がマグルという生徒も大勢いる」のようですが、あえて"at least"という言い回しを使っている以上は"two Muggle parents"の生徒も存在し得るとも解釈できるでしょうか?英語が不得意なのでニュアンスが分かりませんが……)
(↑"at least one parent"は"two Muggle parents"の存在を示唆しているわけではないとのご指摘を頂きました)

 (3)スラグホーンのハリーに対する「私の寮に来るべきだったといつもリリーに言っていた」旨の発言
(単に冗談で言ったと解釈するのが自然かもしれませんが、「マグル生まれはスリザリンに存在しない」状況ならば、ヴォルデモート全盛期にスリザリン寮監がマグル生まれにこんな冗談を飛ばすかは疑問です。あるいはそもそもハリーに調子良いことを言っただけで、リリーにこんな発言はしていないとも解釈できますが……)

 (4)スネイプが列車でリリーをスリザリンに当然のように誘ったこと
(「マグル生まれはスリザリンに存在しない/存在するが迫害される」状況だったとしても、スネイプがアイリーンからそれを教わったかは疑問ですし、知っていたところでやはり平然と誘ってそうですから、これはあまり根拠にはなりませんが)


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第4話 休暇 (1)クィディッチの日はホグズミード日和

 ハロウィーンのトロール騒ぎの余波はたちどころに消え、同時に十一月の寒波が容赦なく城を覆った。城の空気が日に日に冷え込む一方で、生徒達の熱気は日に日に増していく一方だった。

 なぜなら、クィディッチ(魔法界一の人気スポーツ)の学内リーグ初戦、グリフィンドール対スリザリンのゲームがいよいよ近づいていたからだ。どちらの寮も自寮のチームへの熱い期待に湧き、残るレイブンクローとハッフルパフの二寮は気ままな下馬評と賭けに精を出した。

 どの対戦カードであれクィディッチの試合は盛り上がるものであるが、何よりもグリフィンドールとスリザリンはこの数世紀来、不倶戴天の敵であるから、自寮の団結心と相手寮への対抗心が他の試合より高まるのは必至であった。寮の徳目「勝利のために手段を選ばない」を重視するあまりなのか否かはさておき、一部のスリザリンの生徒は隙さえあらばグリフィンドールの選手を呪おうとしていたし、一部のグリフィンドールの生徒もまた、反撃する機会をみすみす逃そうとはしなかった。選手は廊下を歩くときは、たいてい一人でなく集団で行動するよう心掛けていた。そしてグリフィンドールの集団とスリザリンの集団が顔を合わせるだけで空気は一触即発の様相を呈し、時には破裂することさえあった。そんな現場に居合わせるとグリフィンドール監督生のパーシー・ウィーズリーは声を枯らして叱咤を飛ばし、スリザリン監督生のジェマ・ファーレイは嬉々として杖を振るって制圧した。

 

 とはいえ、例年のグリフィンドール対スリザリンの試合は、ここまでの盛り上がりを見せるものではなかった。それはひとえに、魔法界一の有名人、「生き残った男の子」ハリー・ポッターの影響であった。

 英雄ハリー・ポッターは、マクゴナガル副校長の熱烈な推薦で「一年生はクィディッチ選手になれない」原則を百年ぶりに覆してシーカー(花形ポジション)になったのであった。グリフィンドールのキャプテンのオリバー・ウッドは飽くまでこれを極秘情報として取り扱っていたが、ホグワーツにおいて「極秘」とは即ち、校内の生徒すべてが知っている情報のことをさす(なお今回の「極秘」情報は、ドラコ・マルフォイがハリー・ポッターの箒を見とがめて「呪文学」のフリットウィック先生に言いつけた際に、ニコニコ顔の先生からマルフォイ経由で全校に漏れた)。

 一年生が、それもハリー・ポッターがチーム入りした事実は、スリザリン中を震撼させた。グリフィンドール寮監ミネルバ・マクゴナガルのあまりの暴挙に(厳格公正を旨としている彼女にしてはあまりに珍しいことである)当然スリザリン寮は不満を炸裂させ、マクゴナガル教授に直接抗議する者も現れた。

 しかしながら、「飛行術」担当のマダム・フーチ及び学校長アルバス・ダンブルドア両名が「『一年生は箒を持てず選手入りできない』という通例は飽くまで、身体も箒の操作も未熟な一年生の安全を慮ったものに過ぎず、規格外の生徒の才を伸ばす機会が妨げられる場合にはこの限りではない」とのお墨付きを与えた以上、またスネイプ教授が談話室で「有名なだけの一年生に頼らねば試合もままならないような弱小チームに負けるほど、我が寮のチームは脆くない。去年の我らの清々しいまでの圧勝を思い出したまえ」と薄ら笑いで演説した以上、スリザリン生達は不満の声を呑みハリー・ポッターやグリフィンドールチームへの嘲笑へと舵を切ることにしたのだった。

 

(なお、マクゴナガル先生がハリー・ポッターをチーム入りさせるのみならず、ポケットマネーで高級高性能の競技箒・ニンバス二〇〇〇を個人的に買い与えた事実については、スリザリン生がとりたてて文句を言うことはなかった。チーム入りの衝撃に比べれば全く霞むものであったからでもあるし、高性能の競技箒を乗りこなすには乗り手の技術も高度なものを要求されるからでもあるし、資金にものを言わせることへの忌避感がそもそもスリザリン生は総じて希薄だからでもあった)

 

 もっとも、グリフィンドールと合同の「飛行術」で毎週ハリー・ポッターの箒さばきを目にさせられるスリザリン一年生は、それだけの特別扱いを受けるのも無理からぬことだと、誰も口にせずとも認めざるを得なかった。ハリー・ポッターは、極めて危険なダイビングキャッチを鮮やかに成功させた初回以降も毎度、お粗末なホグワーツの箒「流れ星」の性能をものともせず自在に宙を舞い、レースであれ球技であれ群を抜いたパフォーマンスを叩き出していた。長年マグルの家庭で育ったにもかかわらずである。

 これがいかに異常であるかは、他寮よりもむしろスリザリン一年生にとって――いずれも魔法族の出身であり、その多くは幼児用箒に乗ったことがある――痛烈に理解できた。ドラコ・マルフォイは――ハリー・ポッターのレギュラー入りに誰よりも怒りを燃やし自らもチーム入りを望んだ――確かに安定した美しい飛行の腕を見せ、一年生にしては非常に上手いとマダム・フーチに認められていたが、やはりクィディッチ・チームに入れる域には未だ程遠いものであった(事実、キャプテンのマーカス・フリントも寮監のスネイプも、マクゴナガルに続いて自寮の一年生をチーム入りさせようとする動きを見せることはなかった。もちろんスリザリン一年生は皆、マルフォイにそれを面と向かって指摘するほど愚かではない)。そしてマルフォイと大きく水を空けてロナルド・ウィーズリーやセオドール・ノットなどが続くほかは、残りの一年生は皆パフスケインの背比べであった。シムは十一月に入ってようやく箒を手なずけられるようになり下位集団を抜け出すことができたが、ネビル・ロングボトムは相変わらず箒に振り回され続け、ビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルは誤って箒を壊し、才媛ハーマイオニー・グレンジャーは明らかに体育の才が欠落していた。

 

 クィディッチの試合への熱を燃やすのは、生徒だけではない。グリフィンドール寮監のマクゴナガル先生はクィディッチのこととなると、ハリー・ポッターの例のように普段の公明正大の信条をかなぐり捨てることも厭わなかったし、スリザリン寮監のスネイプ先生もまた、(常日頃からの、息を吸って吐くかの如く贔屓と逆贔屓を繰り返す姿勢のごく自然な帰結として)グリフィンドールの選手の練習時間を削る機会を虎視眈々と狙っていた。ごく一例をあげるならば、自らの担当する魔法薬学の実習で、選手のテーブルを執拗に巡回して罰則や補習を与えようとしていた。

 とはいえ、常日頃からターゲットにしているハリー・ポッターにはこれ以上構う時間を増やす余地はなく、三年生の双子のウィーズリー(悪戯で常に学校を騒がせる悪童だが、同時に敏腕クィディッチ選手でもあった)の調合の腕は卓越していて難癖を付ける余地がないために、もっぱら五年生のオリバー・ウッドに対してスネイプは監視の目を強めていた。

 オリバー・ウッドはグリフィンドールチームのキャプテンであり、端的に言ってクィディッチに命を賭けている男である。そのため、試合の直前期には、疲労と寝不足と不注意とで授業中にミスをすることがしばしばであった。もちろんそれを見逃すスネイプではない。だからグリフィンドール五年生は一丸となって、スネイプやスリザリン生の難癖をかわすべく、必死になってウッドをさりげなく手助けしていた。

 しかしよりにもよって試合の二日前の魔法薬の時間に最大のピンチが訪れた。ウッドは初歩的なミスで自らの鍋の底を融かしてしまう大失態を犯してしまった(種々の魔法的な理由からホグワーツ指定の鍋は錫(白鑞)製であるが、この合金は熱に弱く魔法保護が破れると容易に融け出す)。ウッドの二つ隣のテーブルにいた、監督生アンドレア・ジョンソン(グリフィンドールの選手アンジェリーナ・ジョンソンの姉)は、異変に気づくと即座に、一切の躊躇もなく、手元が滑ったふりをしてクリスタル瓶をスネイプの頭上に投げつけ、サラマンダーの血液をスネイプの髪にぶちまけた。次いで、もう一人の監督生パーシー・ウィーズリーが、底がこんなにも薄い鍋が市場に出回ってしまっていることに本気で憤り、赤黒い液を滴らせるスネイプに自らの持論をぶちまけ始めた。そうしてスネイプや他のスリザリン生の注意がウッドから逸れているうちに、ウッドの鍋もこぼれた魔法薬も元通りになり、グリフィンドールは寮点マイナス25点と監督生二人の一週間の居残り罰則とを引き換えに、ウッドとチームの最後の練習時間を守り抜いたのだった。

 

(なお、マクゴナガルもまた、スリザリン選手の変身術のレポートの採点の手を緩めることは当然あり得ず、ましてや他人に代筆させるなどの不正を見逃すはずがなく、スリザリンの選手は自らの実力で難解な変身術の課題に悪戦苦闘せねばならなかった。そのために、チームを率いる期待のキャプテンにして、日頃あまり成績の振るわない五年生マーカス・フリント――現在のスリザリンの最高権力の一角に坐す七年生ヴァルカン・フリントの従兄でもある――などは、寮内の最上級生たちに手取り足取り変身術の理論を叩き込まれることになった)

 

 しかし、寮への帰属意識もクィディッチへの興味も薄いシムにとっては、試合の日が近づくことへの感慨はさしてなかった。それだけに、日ごろセラに施される魔法の訓練にもクィディッチの影響が表れたことにシムは驚いた。

 試合の前日の2E教室では、銀色に光る球体が二つ飛び回り、セラの呪文のみならず球体をもかわさねばならなかった。この球はシムだけでなくセラの方にも飛来していたが、セラは球に注意を払うこともなく易々とかわしていたので、単にシムの難易度が上がる一方だった。これは明らかに、クィディッチのブラッジャー(選手たちに平等に容赦なく襲い掛かる暴れ球)を模したものだった。とはいえ、ブラッジャーの素材が鋼鉄であるのとは異なり、この球は単なる柔らかいゴムで出来ていた(セラが「常識的に考えていくらなんでも鉄球は危ないから」と言うのを聞いて、シムは彼女が非魔法界の常識を身に着けて育ったことに心から感謝した)。もっとも、ゴム球とはいえ「宙を踊れ(エヴァーテ・スタティム)」と同等の効果を示すルーン文字列が刻まれており、当たると勢いよく吹き飛ばされてしまうのだったが。

 セラが「今日は終わり」と言って球をケースに片付けたのを見て、シムは床にしゃがみ込んで壁に背をもたれて息を長々吐いた。

 

「セラ、実はちょっとクィディッチが好きだったんですか。ちょっと意外でした」

 

「クィディッチのルールはさておいて、箒やスポーツ自体は好きだよ。それにこうも世間様がクィディッチの話題で盛り上がってるとね。たまにはこうやって流行に乗ってみるのも楽しいだろう?」

 

 セラは愉快そうに問いかけたが、疲労困憊のシムは球を苦々しく見つめたまま何も答えなかった。ようやく息が整ってきた後、しばらくして口を開く。

 

「でもまさか、試合は観に行かないのですよね?セラがスリザリンの応援席に混ざってスリザリン生と一緒に声をからして応援するとは思えませんが……。他の寮に混ざるのも目立ちそうですし」

 

「まあ、確かにスリザリンの試合を見に行ったことはないね」

 

 セラは苦笑して、あっけらかんと言ってのけた。 

 

「他の寮同士の試合は何回か見に行ったことがあるけど、もう見なくて良いかな。いつ終わるか分かったものじゃないし、顔見知りだったチャーリー・ウィーズリーはもう卒業しちゃったし、他に友達が出てるわけでもないし」

 

 そう言ったのち、セラはふと首をかしげて「……いや、そういえばディゴリーがレギュラー入りしたらしいから、ハッフルパフの試合は観に行こうかな?どうしようか」と呟いた。

 

「まあ、そうですよね。……でも、他のスリザリン生は、クィディッチに興味があろうがなかろうが、多分ほとんどみんな試合を観に行きますよね。一番団結心の強い寮ですし。するとその間は、誰もいないスリザリン談話室を独り占めできますね」

 

 スリザリン談話室は、他のスリザリン生であれば授業でない時間の大半を過ごす場所であるが、シムにとっては、単に寮の寝室と校内の廊下を結ぶ通り道――それもなるべくなら通りたくない道に過ぎなかった。

 セラは意外そうに眉を上げた。

 

「――たしかにそうだね。でも、あんな重苦しい雰囲気の場所よりスリザード談話室(ここ)の方がずっと居心地良いから、談話室を独り占めしたことはなかったよ」

 

「じゃあ、その間はいつも何をしているんですか?」

 

「――生徒も先生もせっかく全然いなくてガラガラの城を、思う存分に探険しているよ」

 

「……本当ですか?」

 

 シムが問い返すと、セラは平然とした調子で返したが、僅かに一瞬の間が空いたのをシムは聞き逃さなかった。少し不審に思って、シムは記憶をたどるうち、ふと一つの可能性に思い当たった。

 

「…………セラは前に、城に抜け道があって、魔法族だけ住んでいる村に続いていたりする、みたいなことを言ってましたよね?もしかしてですが、ひょっとしてそこに行ってたりするんじゃないですか?平日は行く暇がないですし」

 

 セラの表情は特に変わらなかったが、三度だけ瞬きをした。シムは何となく、直感が当たった気がした。

 

「……たしかに城を休日に抜け出してホグズミード村に行ったことはある。けれど、よりによって皆がクィディッチを見ている休日に、こそこそ城を抜け出しては逆に目立つと思わない?」

 

「さすがに皆が皆、試合を観に行くわけじゃないですよね。関係ない寮の生徒は、特にレイブンクローはそこまで観戦しないでしょうから、別に目立たないですよね。まあ、そもそも僕達がスリザリンの応援席にいなくても気にされないでしょうし。それなら、どうせ『目くらまし術』を使って歩く以上、生徒が城をあまり走り回っていない休日の方が城を抜け出しやすいんじゃないですか。観戦する先生も多いなら、見咎められる危険も小さくなりそうですし」

 

 セラはお手上げとばかりに両手を上げた。

 

「うん、その通りだ、ごめん。スリザリンの試合の日はホグズミードに行くことが多い。本当は許可された休日にだけ三年生以上が行けるけれど、もちろんとても混み合うしね」

 

 途端にシムは、イベントに乗じてこっそり学校を抜け出して外に観光しに行くときのことを想像し、その香りに強く惹かれ始めた。シムは思い切って尋ねてみた。

 

「最初に会った日に、僕の気が向けば、いつかその村に連れて行こうと言ってくれてましたよね?僕もホグズミードを見に行ってみたいです」

 

 セラは手近な椅子に腰かけると、しばし黙って窓の方に目をやり、それからシムの方に視線を戻した。

 

「……たしかにあのときはそう言ったけれど、ハロウィーンにあんなことがあったばかりだったからね。君を安全な城の外にわざわざ連れ出そうとするつもりはなかった。私もちょっと大人しくしてようかなと思っていたんだ」

 

「そうですか……」

 

 シムの脳裏につい先日の生々しい記憶がよぎったが、しかしそれは、禁を破って学校を抜け出すことの魅惑、ホグズミートなる未知の場所そのものの魅惑、未知の場所にセラと二人で赴くことの魅惑を撥ねのけるには、十分ではなかった。

 

「……でも、ホグズミード村って怪物がうじゃうじゃいるような、そんな危険なとこなんですか?城にいて礼儀正しく過ごしていてさえ、怪物に喰われそうになったり、普段も色々な生徒から呪いをかけられそうになっている以上、どこにいてもあまり変わらないような気もしてきますが……」

 

 セラはしばし黙った。迷ったような声を出す。シムに向けてというより、自問するような調子だった。

 

「まあ正直、私もホグズミードにいるときの方がむしろ警戒を緩められるくらいではあるけれど――『禁じられた森』と違って村を歩いてて危険な魔法生物に遭遇するということもないし――でもホグズミードにどんな魔法使いが来るか分からないから、万が一もしこちらに害意を持つ大人の魔法使いがいるとすれば、生徒なんかより遥かに危険だし、私の手には負えないけれど――まあ、昼間の表通りを歩いていて、品の良くない店に近づかなければ、そんなに危なくはないか――そうでなければ、いくら監視の先生を置くとしても、数百人単位で生徒を村に送り出さないだろうし――少なくとも今までは大丈夫だったし――」

 

「じゃあ、大丈夫ってことですか?」

 

 セラはまたしばらく黙り込んだ。シムの顔をちらりと見ると、上を向いて呟く。

 

「――ただ、学校の中にすら危険が入ってくるなら、普通に考えて学校の外にもっと危険な目に遭ってもおかしくはないし――この前の件は多分私達を狙ったものではなかったとはいっても、先生がいない城の外にいては――いや逆に城と違ってホグズミードの方が大人の数はうんと多いからむしろ――あとは抜け道で特に何も起きなければ――万一のときは『守護霊』を飛ばせば――」

 

 セラはシムに視線を戻して溜息をついた。

 

「分かった、今度の試合の土曜日にホグズミードに連れて行こう。表通りをちょっと歩いてお昼を食べてすぐに帰ってくるだけで良いなら、私の指示には絶対に従うなら、私のそばから離れたりはしないなら。良いね?」

 

「ありがとうございます!」

 

 シムは目を輝かせた。セラはからかうように言う。

 

「でも今度の試合は、『生き残った男の子』ハリー・ポッターの待望された初試合だよ?しっかり目に焼き付けなくて良いのかい?村にはいつでも行けるよ?」

 

「彼が頭から真っ逆さまに墜落して死ぬようなことがなければ、いずれまた見れる機会はあるでしょうし、彼が死ぬようなことがあれば、そんな試合は見たくないです。それよりはここで村に行く方が楽しそうです」

 

 シムは即答した。セラは再び溜息をつき、目を意地悪に光らせる。

 

「いつもなら君は『城を抜け出すなんてグリフィンドール的ですよね』とでも言いそうじゃないか。そもそも規則破りだよ。バレるのが怖くないの?」

 

「バレないようにやるから心配するなとセラが言っていたからですよ。……実際、ホグズミードに勝手に行ったのがバレたら、けっこうまずいのですか?」

 

 シムはひとたび冷静になったことで、少し不安になってきた。セラは淡々と答える。

 

「まあ、重罪だろうね。敷地を勝手に離れたら生徒の安全を保障できなくなってしまうし、一人が味を占めたことで次々に他の生徒も城を抜け出すようになっては、なおさらだ。秩序を保つために、勝手に城を抜け出す不届き者には、重い罰を持って見せしめにしなければならない」

 

「……」

 

「その不届き者たちが、そもそもホグズミードに行く権利のない一年生と、いたいけな一年生を非行の道に引きずりこんだ上級生の組み合わせだったら、さらに罪は重くなるだろう」

 

「……」

 

「ああ、怖くなった?――なんてからかわないよ。それで慎重になるのこそ賢明なスリザリンだ」

 

「……重い罰って、つまり最悪、退学とか?」

 

 ――箒もそのままにして置いておくように。さもないと、クィディッチの『ク』を言う前にホグワーツから出て行ってもらいますよ――

 

 シムは、ふと初回の飛行訓練の授業のマダム・フーチの厳格な言葉が頭をよぎり、胃がすっと冷たくなった。箒に乗った生徒が退学になることは結局なかったが、それは単にその生徒がハリー・ポッターであったからかもしれず、仮に退学の基準があの程度のラインに引かれるなら、城を抜け出す行為は間違いなく退学にあたるように思えた。セラはのんびりとした口調で安心させるように言った。

 

「先生方は、一年生とか二年生には、よく退学という言葉をちらつかせて戒めるよね。でも、さすがに一発で退学にはならないと思うよ。普通魔法レベル(ふくろう)試験も終えていない未熟な生徒を退学にするなんて、魔法社会から追放するのとほとんど同じだし。それに、今のホグワーツにどれだけ悪ガキや無法者がのさばってるか考えてみなよ」

 

「……たしかに」

 

 シムは頷いた。「グリフィンドールの双子のウィーズリーが、糞爆弾(クソばくだん)を息を吐くように廊下で炸裂させる彼らが、『禁じられた森』に頻繁に繰り出しては森番のハグリッドにつまみだされているらしい彼らが、ホグワーツに二年間以上在籍している」という事実が、シムを大きく安心させた。

 

「もちろん、絶対に安心とは言えないけどね。ホグズミードは魔法族しかいないから大丈夫だけど、たとえば休暇中に校外で魔法を使うとか、『国際魔法使い機密保持法』を脅かす行いは退学になりうるらしい。ただそれ以外は、よほど道に外れた行いをしなければ、まず大丈夫だと思う」

 

「……黙って校外に抜け出すのが学校に対してとても迷惑というのを置いておけば、指定された日以外に一年生がホグズミード村に行くこと自体は、そこまで道に外れた行いとは思いません」

 

 セラは右手の甲を顎に当てて考える素振りをした。

 

「ホグズミードに行ける日にちが決まっているのは、恐らく一つには生徒の安全を確保するためだ。校外に生徒がバラバラに出てしまってはチェックをし辛いし、休日のたびに先生が出て行かなくちゃならないからね。そして一つには、もしかしたらお店のためでもあるのかもしれない。毎回の休日に不規則にばらばらに来られるより、何度か決められた日に確実に数百人が来てお金を落とすと分かっていた方が、受け入れる体制を整えやすいのかな?商売について分からないけれどね」

 

「そして三年生以上しか行けないのは、一・二年生のうちはまだ分別のつかない生徒も多いし、魔法の腕もまだまだで危険に巻き込まれやすいから、村に迷惑をかけかねないということだろう。だから――分別のある上級生が、分別のある一年生を連れて、何も問題を起こさず無事にこっそり帰ってくれば、あまり大きな問題はないと思う」

 

「分別のある生徒がそもそもこっそりホグズミードに行こうと思うかはさておいて、何事もなく戻ってくれば良いんですよね」

 

「そうだと思うよ」

 

「今までも何度も行ってて大丈夫だったんですよね?」

 

「六年上のシーナとソフィアに連れられたときも、私が一人で行ったときも大丈夫だった。二人は『上級生にもなって規則違反がバレるのは、馬鹿かグリフィンドールか、その両方だ』とよく言っていた。私はホグズミードに限らず校則違反がバレて重い罰を喰らうことは一度もなかったし、私よりずっと好き放題に過ごしていた二人も、私の知る限りでは一度もない」

 

 セラはさらりと言う。そして、ふと思い出すかのように付け加える。

 

「……まあただ、あの二人は、『校長がどこまで校内の事情を把握してるのかまるで分からない。ほとんど何もバレてないのかもしれないけれど、もしかしたら見逃されているだけなのかもしれない』とも言っていたな。『校長の目を誤魔化すのは厳しいから、一線を越えていないか、道に外れていないかどうかをよく考えなさい』とも。――そうはいってもあの二人はたまに、談話室に私を置いて、ホグズミードから『姿現し』して遠くの海岸やらに出かけていたくらいだったけど、それはちょっと一線を越えている気もするけど……」

 

 シムはまだ、アルバス・ダンブルドア校長と話したことはおろか、間近で目にすることすらもなかった。食事のたび、大広間の上座の中央で、にこやかに笑みを浮かべているところしか見たことがない(シムはいつも、上座から最も遠い端の席に座っているし、そもそも夕食時はたいてい大広間でなく談話室で食べている)。あの老人について知っていることといえば、今世紀で最も偉大な魔法使いと称されていること、マグル生まれの権利の擁護者であるらしいということ、「例のあの人」に対抗したということ、スリザリン寮で激しく憎まれていることくらいだ。

 

「ともかく、寮監や他の先生に一任しているのか、わざわざ校長先生直々(じきじき)に生徒を罰する場面はまだ私は見たことがないけれど、もし校長先生に見咎められたら、諦めてくれ」

 

 セラは切り替えるかのようにあっけらかんと言ってのける。シムは神妙に頷いた。

 

「あと、繰り返しになるけど、退学にはならなくても、バレたときの罰は多分ひどく重いからね。管理人のフィルチさんがひどく喜ぶような目に遭うかもしれないし、スネイプ先生は激怒するだろうし、これ以上悪くなりようがないスリザリン寮での立場がさらに悪くなるだろうし、監督生のジェマに呪われるだろう――その覚悟はある?」

 

 意地悪な口調でセラは問う。シムは目をつむって考える。頭の中で、にたにた笑うフィルチと、激怒するスネイプと、無表情で杖を向けるジェマ・ファーレイの姿とが浮びあがった。目を開くと、セラの姿が視界に入る。たちどころに頭の中のフィルチとスネイプとジェマ・ファーレイはかき消える。

 

 シムが再び頷くと、セラは悪戯っぽく口の端を吊り上げた。鼓動が二度跳ねる。杖がなくても魔法は使えると知る。

 

「それじゃあ、明日、ホグズミードに行くとしよう」

 

 

  ★

 

 

 土曜の大広間は、クィディッチの試合への期待と興奮の空気に包まれていた。シムがテーブルについた頃には、既にスリザリンの選手は競技場へと去った後で、生徒達も三々五々、玄関ホールへの扉に吸い込まれてゆくところだった。シムは寝不足の頭を恨めしく思いながら、スクランブルエッグとトーストとかぼちゃジュースを胃に流し込み、人の流れに逆行し、玄関ホールとは反対、一階の廊下へ通ずる扉をくぐった。

 

 もちろんスリザリンのテーブルで、大広間から遠ざかるその方向に歩く者は誰もいない――いや、違う。一人だけいた。

 シムは自分の前方に、銀髪を長く垂らした少女が、大広間の喧騒に関せずすたすた歩いているのを見とめた。見覚えのある姿だった。

 少女はふと足を止めると、こちらを振り返った。淡いブルーの瞳が三度、眠たそうに瞬いた。

 

「……ああ、マグル生まれ。おはよう」

 

「……ムーン」

 

 スリザリン一年生の、リリア・ムーンだった。

 スリザリン一年生は、男子も女子も奇数である。そして一年生の魔法薬学の授業では、たまに二人一組で作業をすることが求められる。リリア・ムーンはその際にシムのペアとなる生徒だった。片親がマグルというわけでもない。由緒ある家の生まれにもかかわらずである。

 

「おはよう。試合、見に行かないんだね」

 

 シムは意外そうな調子で挨拶を返す。ムーンはシムのことを、「マグル生まれの生徒」として以上の認識や関心を持っていないようであり、授業の外の場で、彼女から会話を始めるのは初めてのことであった。

 

「マグル生まれ。あなた、今日もあの魔女に会いに行くの?」

 

 ムーンはシムの言葉を関せず、鈴のようなソプラノボイスで囁いた。シムは目を(しばたた)かせた。「魔女」はセラのことだろうか。セラとムーンが顔を合わせているところは別段見たことがなかったが。

 

「あなたとマグル生まれの魔女、この前危ない目に遭ったでしょう?」

 

 眠たげな目をもたげて気だるげに、しかしどこか楽しそうにムーンは言った。

 

(いつも眠たげな様子のムーンはしょっちゅう授業中に睡魔に襲われていたが、それは教室がどこであるかを問わなかった。皆が仮眠か内職をするビンズ先生の魔法史の教室は言うに及ばず、担当教授も含め誰一人として居眠りが発生するとは想定していない、スネイプの魔法薬学の教室でさえも、その例外ではなかった。スネイプが黒板に向き直って座学の講義をしている間、彼女の頭が船を漕ぐたび、シムは背筋が凍る思いで彼女の背筋を小突くのだった。とはいえムーンは実技に極めて優れており、講義が終わってひとたび調合が始まると、シムは彼女の足を引っ張らないように集中せねばならなかった) 

 

「……なんのこと?」

 

 シムは(とぼ)けたが、ムーンは確信しているような調子で、シムを気にせず続けた。

 

「あの魔女、多分そのうち、また危ないことに巻き込まれる。今日じゃないけれど」

 

 彼女の青い瞳がシムにまっすぐ向いた。

 

「それは……忠告?それとも予言?占い?」

 

 シムは占いの類を信じるような性格では元来なかったが、魔法が存在すると知った今、ホグワーツでは「占い学」なる科目があると知った今、少女の奇怪な発言を一笑に付す気にはなれなかった。

 

「――ただの勘。私は『予見者』の器じゃないから」

 

 初めてシムの問いかけを無視せず答え、ムーンは首元に下げたブローチを弄んだ。ブローチには透明な水晶の球が埋め込まれていた。

 

「…………そうか」

 

 眉をひそめるシムの反応を気にせずに、ムーンは言葉を続ける。

 

「ところでマグル生まれ。人にはそれぞれ、その人が主役の物語があって。その無数の物語が少しずつ重なり合って世界が出来ている。私には私の物語、マグル生まれにはマグル生まれの物語。……けれど、もしこの世界が、ひとつのうねる物語にまとめられるとしたら――マグル生まれ、あなたはこんなことを考えたことある?」

 

 シムは当惑して口をぽかんと開けた。

 

「つまり、もしかしたら、無数の名無しの人達でなく、ごく一部の重要な人達の思惑と行動で、世界が動いてゆくのではないかって、そう思えてしまうことはない?――そんなひとつの物語では、私は多分、名無しの端役。でも、マグル生まれは、もしかしたら、脇役かもしれない。あのマグル生まれの魔女も、脇役」

 

 ムーンは歌うように天井を見上げて、夢見心地の表情で言葉を紡ぐ。

 

「脇役は否応なしに主役達の物語に巻き込まれる、脇役は主役ではないから。そして脇役はページから降りる権利もない、名無しの端役でもないから。――だから気を付けてね。気を付けようもないかもしれないけれど」

 

 ムーンは呆気にとられたままのシムに背を向けると、そのまま去っていった。リリア・ムーンが純血にもかかわらずスリザリン一年生から遠巻きにされていることは、その異質な言動と何にも頓着しない性格からは、自然な理といえた。彼女が虐めを受けているというわけではないのも、その魔法の才と超然とした雰囲気からは、やはり不思議ではなかった(それに、古くから続く魔法族の一族の中には、政治闘争に心血を注ぐ一族や純血思想に凝り固まる一族もある一方で、杖作りのオリバンダー家や箒乗りのパーキン家や星見のムーン家のように魔の道に取り憑かれてしまった一族もあるということは、スリザリン生は大抵知っていることであった)。

 

 シムは我に返ると、口を閉じて頭を振りつつ彼女のことを思考から追い払いながら、廊下を曲がり、セラとの待ち合わせ場所へと向かった。朝の陽光に照らされながら窓に背をもたれていたセラは、シムが近づくと読んでいた文庫本をローブの裾に仕舞い微笑む。相も変わらず、画になる光景であった。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 セラは自身とシムに「目くらまし術」をかけ、周囲に「消音呪文」をかけると、のんびりと歩き出した。シムはついついセラを追い越さないよう、歩調を合わせるのに苦労した。

 

 

 ★

 

 

 三階まで上り、東棟(ひがしとう)へ入って、城の六階まで上り、古く侘しい廊下を歩いているうちに、ようやく「ここだ」とセラの声が響いた。初めて入る区画(一年生の受講科目の教室はこの階にない)を物珍しく見回していたシムは、慌てて立ち止まった。禿げてでっぷりとした、壺を抱えた男の銅像が、廊下の曲がり角の突き当りに鎮座していた。

 

「『おべんちゃらのグレゴリー像』。飲ませた相手が自分を大親友だと思い込むようになる魔法薬・『グレゴリーのアンクチュアス・アンクション(お世辞たらたら油)』の開発者らしい」

 

 セラの声だけが中空に響いた。セラは一度咳払いをすると、露骨に媚びへつらうような、大仰な芝居がかった調子の声を出した。

 

「グレゴリー様、魔術の茫洋たる海をかき分け前人未踏の偉業を打ち立てあそばされたグレゴリー様、ご機嫌麗しう。貴公のご尊顔を拝する栄誉に浴しましたこと誠に恐悦至極に存じます。貴方様がお守りになるその扉を、私めが通るお許しをもし賜りましたらこの上なき幸せでございます」

 

 シムが当惑してると、銅像がゆっくり動き出し左にずれた。そして銅像の背で隠れていた廊下の壁の一部が、両開きの扉のように奥に開き、暗闇に浮かぶ下り階段が姿を現した。

 

「とまあ、こんな風に心にもないおべんちゃらを言うと、像の裏の隠し通路が開く仕掛けになっている。――別に、グレゴリー像に向けてへりくだる必要はないんだ。スオウ卿に空虚なお世辞を申し上げるのは大変失礼かと存じて控えてしまいましたが、先ほど私めがスオウ伯爵を美辞麗句を持って褒めたたえたとしても、やはり同様に壁は開いた次第でございます。つまらぬ説明でお耳汚しをして恐縮でございます。ささ、中へどうぞ」

 

 セラは自身とシムの「目くらまし」を解くと、ふざけた調子で大げさにお辞儀をした。シムも深々と頭を下げて声の調子を合わせた。

 

「さすがはデイム・セラ。私めにホグワーツの神秘を寛大にも授けてくださるご慈悲を誠にありがとうございます」

 

「――ところで、つまらぬ疑問で恐れ入りますが、聡明にしてホグワーツの無数の秘密に精通しておられるストーリー女史に是非ともお伺いしたいのですが。これって開け方を知らなかったとしても、ふざけてお世辞を言い合って偶然知る生徒が一人くらいいてもおかしくはなさそうですね。この道は他の生徒にも知られてたりするんですかね」

 

 セラは声を普通の調子に戻して答えた。

 

「たしかに、意味ありげに鎮座してる『おべんちゃら』像の前でおべんちゃらを試しに言ってみるというのは、隠し扉を見つける手段として難易度が低い部類ではあるね。抜け道を知っているような生徒の不文律として、無闇に他の生徒に抜け道を言いふらさないだろうから――そんなことをして広まっては立ち入り禁止になるに決まっているから――どの生徒が知ってるのか分からないけれど、どうせ双子のウィーズリーとかグリフィンドール三年のリー・ジョーダンあたりは知ってると思うよ。私なんかより遥かに城に詳しいだろうしね」

 

 シムはなるほどと頷いた。

 

「……あ、あと管理人のフィルチさんとこの廊下でかち合ったことがあってね。像の前で立ち止まってたし、多分フィルチさんも知っていると思う。だから急いで入ってしまいましょうか、スオウ教授」

 

 そう言うとセラは穴をくぐって階段を下り始めた。シムも後ろを振り返りつつ階段に足を踏み入れた途端、隠し扉が閉じて壁の穴はふさがってしまった。同時に頭上で白い光が灯り、二人と周囲を淡く照らした。二人の歩調にあわせて、灯りは動いた。階段は螺旋になっており、かなり長いこと下ったと思ったところで、道は平坦に伸び始めた。

 

「ここは地面の下だね。換気がちゃんと問題なさそうなのが不思議なところだ。ちょっと凸凹しているから、足もとに気を付けて」

 

 セラは言いつつ、黙ってずんずん歩いていった。曲がりくねりながらも変わり映えのしない狭い道をセラはひたすら歩き続け、その背中をシムは追い続けた。暗さと沈黙とが相まって、シムの不安が高まっていった頃、ようやく景色に変化が訪れた。道は途切れ、梯子が五メートルほど頭上まで伸びていた。

 

「長かったけど、ここを登るとホグズミードに出る。お先にどうぞ」

 

 セラはシムに向き直ると、梯子を後ろ手で示した。冷たい風ではためくローブに足をとられながら、シムは梯子をよじ登った。金属で出来た梯子はひんやりしていたが、錆びてはおらず掴みやすかった。登り切ると、再び平らな短い通路が開け、三メートルほど先に重々しい扉が鎮座している。

振り返って声をかけると、セラも振り向いて梯子を登り始め、シムに並んだ。

 

「そうだ。ホグズミードに行く前に――」

 

 セラはシムと自身のローブを杖で叩いた。襟元が緑色の黒のローブが、紺色一色に変わった。

 

「ホグワーツ生がいたところで気にされないだろうけど、ホグワーツ生ですスリザリン生ですって見せびらかすのも気が引けるしね。こうすれば君は入学前の十歳と思われなくもないだろうし――気を悪くしたらごめんね――私は十八歳で通すのは苦しいかもしれないけれど、わざわざ『老け薬』を飲むほどでもないかな」

 

 セラは通路の扉を開けた。白い光に視界が覆われたかと思うと、シムの光景は一変していた。

 二人は開けた道の上に立っていた。抜けるように青い空のもと、茅葺(かやぶき)屋根の小さな家や店が、まっすぐ延々と立ち並ぶ。そして道ゆく人は皆、ローブをまとってマントを羽織り、山高帽子を被っていた。

 

「ここが、英国ただ一つの魔法族だけが住む村、ホグズミードだよ」

 

 愉快そうにセラは言う。シムは、息を吸って冷たい空気を取り入れるたびに、心もみるみる膨らんでいくのを感じた。

 

 

 

 




だいぶ間が空いてしまいました。続きは明後日の夜に投稿します。

「去年のグリフィンドール対スリザリンの最終戦」
 マクゴナガルは「去年の最終戦でぺしゃんこに負けた」と言ってますが、伝説のシーカーにしてキャプテンのチャーリーはこのときまだ七年生でホグワーツに在籍しているんですよね。もう七年時にはチームに在籍していなかった・偶々欠場していた・不調だった・そもそもチームの層が薄かった(ウッド以外みな年齢若い)とか色々妄想できます。チャーリーが二年時から七年時までスリザリンに寮杯をとられているという事実も、こじつければ、「グリフィンドールはクィディッチは強かったが、他の様々な面でスリザリンに寮杯を明け渡す結果になった」とか「チャーリーとウッド以外の層が薄くて、双子やチェイサー三人が入ってくるまでグリフィンドールチームは弱小だった(シーカーが強いなら、基本的にその時点で勝ててしまいますが…)」とか色々妄想できそうです。

「ムーン」
サリー=アン・パークスやモラグ・マクドゥガルと同様、一巻の組分け時のみ言及されるボツ生徒。ローリング氏の初期構想案の一年生40人(wizarding worldの"The Original Forty"の記事、写真はHarry Potter Lexiconや種々の日本語サイトに)の中には、「リリー・ムーン」なる女子生徒(寮は不明で恐らく鷲以外)がおり、後のルーナ・ラブグッドの原型になった模様。この二次創作ではスリザリン生に(ムーンをスリザリン女子に割り当てている他の作品も拝見しましたが、キャラ被りしてないので大丈夫だろうと判断)。「レオナルド・スペンサー=ムーン」(グリンデルバルド全盛期の英国魔法界を導き、チャーチル首相と強固な関係を築いた)は「史上三番目に偉大な魔法大臣」だそう(wizarindworldの"The best and worst Ministers for Magic")。


「おべんちゃらグレゴリー像の裏の抜け道」
一巻九章で双子が存在について言及。ホグズミード直行の抜け道かどうかは不明。(仮にホグズミード直行の抜け道だとすると、三巻で彼らが言及している「フィルチが知っている四つの抜け道」の一つになります。その他の抜け道は「四階の隻眼の魔女→ハニーデュークス」「暴れ柳→叫びの屋敷」「五階の鏡の裏→不明(後に使用不可)」)。
一巻で双子はこの抜け道について「新学期の初週に見つけた」と言っていますが、三巻によれば双子は一年の頃から忍びの地図を入手してすべての抜け道を知っているはずなので、一巻執筆時には忍びの地図の構想はなかった(少なくとも双子が持っている構想ではなかった)のかなという気がします(地図には、悪戯仕掛人が発見できていない構造/当時は無かった構造は記載されていないという風にも考えられますが。少なくとも「秘密の部屋」は地図には載ってないのでしょうし、この二次創作ではそんな感じの設定で行きます)。リー・ジョーダンは地図なしで独りきりで自力で抜け道を一つ発見していることになるので凄い。


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第4話 休暇 (2)ホグズミードは遠足にぴったり

 

 シムはそれから、雲一つない青天のもと、ホグズミードの村をセラにのんびりと連れられて歩いた。

 

「こっちは『ダービッシュ・アンド・バングズ魔法用具店』。かくれん防止器(スニーコスコープ)とかこのまえ譲った開錠呪文防止錠(アンチアロホモラ)とか、便利な道具が買えたり、修理したりできるんだ」

 

「そっちは『ゾンコの悪戯専門店』。ウィーズリーの双子は常連だろうね。……ほとんどホグワーツの生徒しか買わないような、しかもほとんどが校則に違反してそうな品物を扱う、悪戯専門店(ジョークショップ)なんて商売が成り立つって、よく考えたら凄いね」

 

「ここは『マダム・パディフットの喫茶店』。リボン!フリル!ピンク!な甘ったるい雰囲気が私はどうも好きじゃないけれど、ここはホグワーツカップル御用達のデートスポットだよ。君もいずれ恋人とホグズミードに来ることがあったら、覚えておくと良い」

 

「ちょっと表通りから逸れちゃったけど、あそこは有名な『ホッグズ・ヘッド』。ここはお世辞にもカップル御用達とは言えないね。村のパブといえば『三本の箒』かここだけど、怪しい連中が(たむ)ろしてるようだし、店は掃除が行き届いてないようだし、どうにもヤギの臭いが――まずい、バーテンさんが出てくる。行こう」

 

「パーティ用のドレスやローブから仮装用のコスチュームまで、この『グラドラグス魔法ファッション店』に色々あってね。私の誕生日祝いを買ってくれるとかでホグズミードに連れ出されたとき、ソフィアに散々着替え人形にされたなあ。――写真?無いよ」

 

「村で一番繁盛してるパブ、『三本の箒』。生徒は大抵ここではバタービールを飲むよ。あと女将のマダム・ロスメルタがとても色気あってね」

 

「ここは行ったことがなかったな、『オリバンダーの杖・ホグズミード支店』って書いてある。――たしかに、支店を展開しても儲かるのかは私もあまり分からないな……杖なんて人生にそうそう何度も買うものでもないし……」

 

「あそこの丘にぽつんと建ってるのが、見たまんまの名前の『藍色の館』。奇人で名を馳せたレイブンクロー出身の魔女が建てたアトラクションで、謎を解きながら迷路を進んで、どんどん地下まで延々と下ってゆくらしい。下に行くほど難しくなって、シーナは地下二十八階で諦めたって言ってた」

 

「ホグワーツ生大人気の『ハニーデュークスの菓子店』。ホグワーツ特急の車内販売をさらにグレードアップした感じだね。『どんどん膨らむドルーブルガム』から『ゴキブリゴソゴソ豆板』まで、魔法のお菓子が山ほどある。ちょっと寄っても良いけど、せっかくすぐにランチを取るし、今は立ち入らなくて良いかな」

 

「『郵便局』。魔法族は手紙をフクロウでやりとりしているけれど、フクロウを飼っていなくとも、ここのフクロウとかホグワーツのふくろう小屋のフクロウを使えば、手紙を出せる。――そう、私も飼ってない。さすがに世話が大変だし、休暇に手紙をやり取りする魔法族生まれの生徒がそんなにいるわけでもないしね……」

 

「魔法界最大のラジオ局、『WWN(魔法ラジオネットワーク)』。――うん、魔法の無線放送を魔法族は聞いているんだよ、こういうところはモダンだよね。テレビもそろそろ導入されないものかな、やろうと思えばすぐに出来るだろうに」

 

「ホグズミードである意味いちばん非魔法界のお店に近いのは、そこの『ドミニク・マエストロの楽器店』かもしれない。まあ、電気を使うような楽器は一切なくて、代わりに魔法で音を増幅する楽器とか、魔法で自動演奏したりする楽器とかがあるけどね」

 

 冷たい木枯らしがずっと吹き付けていたが、シムは特に寒いとは感じなかった。セラは色とりどりの楽しい商店や建物を紹介して回ったが、中に入って商品を購入するということは特にしなかった。

 そうしてどのくらい時間が経っただろうか、村のはずれに近い一画で、セラは立ち止まった。小さな二階建ての建物で、扉には「喫茶セレニティ」と書かれている。 

 

「ここ、私の行きつけの店なんだ。美味しいしマスターも良い人だし。軽食だけじゃなくて、割としっかり食べられるから、ここでお昼を摂って良いかな?」

 

 シムが頷くと、セラは扉を開けた。ベルが涼やかな音をたてる。

 シムは店内を見回す。柔らかな照明に照らされ、円いテーブルがいくつか並ぶ。壁と天井には魔法がかけられているようで、黄緑色の草原と青い空の景色が映し出されていた。そのため、大草原のもとにぽつんとテーブルが置かれているような錯覚も覚える。

 

「久しぶり。夏休みはどうだった? ――あら、もしかして一年生?こっそりこの村に連れ込んで来たの?」

 

 奥のカウンターから、ライムのローブをまとった妙齢の女性が顔を出した。

 

「お久しぶり、マスター。夏は母とのんびり過ごしましたよ。――そうです、一年生を連れてきちゃいました」

 

 シムも挨拶をすると、女性がシムの方に顔を向けた。微笑みは柔和だったが、眼つきは鋭く、シムは背筋がそわりと撫でられる心地がした。

 

「あら可愛い。一年生ってやっぱり初々しいね」

 

 シムはこっ恥ずかしくなった。マスターは再びセラを見る。

 

「さしずめ弟ができた気分かしら?」

 

「まさしく。ついつい隙あらば大人ぶっちゃいますよ」

 

「そんなあなたも一年生のときはもっと――いや、そのときからスレててあまり可愛げがなかったかしら」

 

「これは手厳しい」

 

 セラは肩をすくめて苦笑した。 

 

「まあでももう少し背は小さかったよね。上級生と並んでたからかな。…………そういえばあの二人は生きて仕事してるのかしら。かれこれ二年見てないけれど」

 

「ひと月前に来た手紙ではなんとか無事だって言ってました」

 

 それなら良かったとマスターは頷き、「好きなとこ座って」と促すと厨房に引っ込んだ。二人が窓のそばのテーブルに座ると(壁の景色と異なり、窓ガラスからは至って普通にホグズミードの通りが見えるので、奇妙な心地がした)、マスターはメニューとジョッキ二つを携えて戻ってきた。

 

「バタービールはサービスしてあげる。初めてでしょ」

 

 お礼を言うと、シムはしげしげと目の前に置かれたジョッキを眺めた。ジョッキには、泡立つ金色の液体が並々と注がれ、湯気を上げていた。

 

「ビールとはいっても、アルコールはほぼ全くないよ。酔う代わりに身体が温まるんだ」

 

 セラはそう言うと、ジョッキを傾けごくごく豪快に飲み干し、息を吐いた。シムもちびりと一口二口、流し込んだ。不思議な味わいだ。バタースコッチを飲み物にしたような感じか。十一月の寒風で冷え切った身体の芯が、セラの言う通り、ぽかぽか温まってゆくのを感じた。

 満足そうな二人の顔を見やって、マスターは口を開いた。

 

「今日は普通の休日?それともまたクィディッチの試合かなんかがあったりするの?」

 

「スリザリン対グリフィンドールの試合です。……なんでも、あのハリー・ポッターがグリフィンドールから出場するみたいですよ」

 

 マスターは眉を上げた後、感慨深そうに呟いた。

 

「……そうか、もうそんなに経ったのか、魔法界の救世主様がついに入学する年になったのね。……そういえば父親のポッターの方もクィディッチをやってた気がするわ。遺伝かしら」

 

 そして彼女はメニューを二冊机に置いて「決まったら呼んでね」とカウンターへまた引っ込んで行った。

 シムはメニューをパラパラとめくった。見慣れぬ品はない。サンドイッチにスコーン、それから家庭料理がいくつか。

 

「おすすめあったりしますか?」

 

「私はビーフシチューが特に好きだね。今日も頼もうかな」

 

「じゃあ、僕もそれにします」

 

 マスターに注文をした後、シムは再びバタービールを飲む。

 厨房に視線を移すと、鍋にお玉に食材に、あらゆるものが魔法で自発的に動いている。

 店内に目を向ける。円テーブルはどれもからっぽ。空気がのんびりと漂っている。 

 壁を見回す。景色には奥行きがあって、やっぱり壁のようには思えない。瑞々しい黄緑の草が風に揺れて、白い雲がゆっくり動いている。遠くには紫の山並み。清々しい秋の高原に、シムとセラだけが二人、ぽつんと青空の下に座っている。

 

「良い雰囲気ですね、ここ」

 

 シムはしみじみと口を開いた。

 

「うん、本当に好き。君も気に入ったなら良かった」

 

 セラはにっこりと笑った。あまり見せることのないセラの輝く笑顔にはとても強い魔力があることにシムは改めて気づいた。

 

「――それと、このお店の上には古本屋があってね。そこで買った本を、ここでお茶を()みながら楽しめるんだ」

 

「……最高ですね」

 

「同感。それじゃあ食事が済んだら、本屋にも寄って良いかな?今日はあまり村に長居をしたくないから、ここでゆっくり本を読まずにそのまま帰るけどね」

 

「そうしましょう」

 

 セラは満足げに頷いた。シムは続けて口を開く。

 

「それと今更ですが、ホグズミードに来れて良かったです。楽しい村ですね」

 

「買い物も何もせずに本当にただ歩き回っただけだったけど、そう言ってくれるなら甲斐があったよ。――やっぱりたまには外に出ないと、息が詰まるよね」

 

「ええ。ホグワーツも校庭も湖も、呆れるほど広くて楽しい場所ではありますが」

 

「それでもやっぱり、学校から一度離れて息を吸いたくはなってくるよね。あいにくクリスマスまでにはまだ二ヶ月あるしね――クリスマスは君も家に帰るのだろう?」

 

「はい、まだ十一月なのにもう親から手紙で念押しされてますよ」

 

 全寮制のホグワーツは、いったん新学期が始まれば、実家に帰れる機会は、クリスマス休暇とイースター休暇と夏休み、一年に三度だけだ(なお、魔法族も非魔法族と同じく、クリスマスという文化や、クリスマスは家族で過ごすものという観念が根付いている)。

 クリスマス休暇に必ずしも帰省する義務はなく、城に留まる選択も取れるとはいえ、故郷の水を飲む貴重な機会を逃す生徒はほとんどいない。シムもまた、ホームシックとまではいえないが、イースターまで帰省を延期する気はさらさらなかった。空っぽのホグワーツ城で休暇を過ごすというのも魅力的ではあるが、セラも帰るのなら、さして後ろ髪を引かれるものではない。

 大抵の生徒がクリスマス休暇を待ち望むのと同じかそれ以上に、大抵の親も、子の顔を見るのを待ち望んでいる。入学したばかりの一年生の親、それもマグル生まれの親なら――魔法界という訳の分からない社会に子どもを取り上げられてしまった親ならば、なおさらだ。シムは家族に毎週手紙を送ることを約束させられており、家族からも今のところ毎週手紙が来ていた。

 

(なお、ふくろうを飼っていない家庭からでもホグワーツ生に手紙を送ることは可能である。受動的な方法としては「ホグワーツ所有のふくろうが子供からの手紙を運んできたときに、直ちに返信を持たせる」というものであり、能動的な方法として最もポピュラーなものは、「専用の封筒に、エディンバラのとあるダミーの住所を書いて普通のポストに投函する」というものだ。後はその住所からホグワーツに手紙が転送されるのを待つだけで良い。また、この住所には、とある名門の全寮制の学校が古くから()()()()()()()()()()()()()、マグル生まれの親が自分の子の状況を周囲に説明せねばらないとき、この架空の学校の名を挙げれば、相手にすんなり納得してもらえる寸法になっている。マグル生まれの家族は「国際機密保持法」を容易に脅かしかねない存在であるからして、誰も聞いたことがないはずのダミーの学校に疑問を持たれないために、きわめて複雑で高度な魔法が用いられているらしい)

 

 両親からは、風邪を引いていないか、食事はきちんととっているか、運動をしているのか、友達と仲良くやっているか、家族に魔法使いがいないことをからかわれていないか、授業についていけているのかなどの心配が、毎週変り映えもせず書き綴られており、シムの年齢ではごく自然であるように、鬱陶しく思うことや面倒に思うことは多かった。しかし、両親の心配は容易に想像できるし、外界との貴重な接点でもあるし、家族との手紙のやりとりはシムの楽しみでもあり慰めでもあった。

 

(シムはもちろん、手紙で親に安心させることだけを書くようにしていた。未だ二ヶ月しか経っていないホグワーツ生活が今までのどんな二ヶ月間よりも激しいものであり、ホグワーツ生活のこれまでの経験が、親の想定の最悪ラインを遥かにぶち抜くものであることは分かり切っていた。「よく体を動かしていて風邪は引いてないし、ホグワーツは不思議な城でいくら探険しても未知の場所が沢山あるし、授業も難しくて宿題がどっさり出るけど頑張ってついているし、魔法使いの家に生まれていない生徒は他にもいて色々と助けてもらっているし、境遇でからかわれることはないし、毎日が楽しい」――というようなことを毎週書き連ねていた。セラのことを同級生の男子四・五人であるかのように書いているというほかは、概ね本当のことしか書いていない。何かを書かないということは嘘をつくということではない)

 

「仲が良いことだね。私も、家に帰れるのが今から楽しみだよ。……全寮制じゃなくて、『煙突飛行』かなんかを使って毎日家から通えれば良いのに」

 

 セラは溜息をついた。

 

「学期の間は家に帰れないのも残念だけど、家にいる間は今度は魔法を使えないのも残念だ。掃除も洗濯も、杖を振ればすぐに片付くのに。母を楽にさせられないんじゃ、せっかく魔法を覚えても……」

 

「ああ、未成年って家で杖魔法を使っちゃいけないんでしたっけ。『国際機密保持法』ですか」

 

「それもあるけど、たしか『未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令』かな。『休暇中魔法を使わないように』って忌々しい注意書きが配られるよ。非魔法族の面前で使うと、すぐに『次やったら退学』って警告が魔法省から飛んで来るってソフィアが言ってた」

 

「……すぐバレるんですね、もしかして魔法で監視されるんですか……?というか、わざわざ使ったんですか」

 

「いちいち監視されているというよりは、魔法が使われると探知されるという方が近いみたい、それでも怖いけど。それと、絶対に杖を使っちゃいけないというわけではなくて、生命の危険があるときとか、緊急時に使うのは認められているから、それでソフィアは警告が取消になったらしい。なんでも道で暴漢にナイフで刺されそうになってとっさに『全身金縛り術』をかけたとかなんとか」

 

「……それは何より」

 

 そしてセラは再び溜息をつき、苦々しげに吐き捨てた。

 

「ともかく、このルールが腹立たしいのは、やたら処分が厳しくて監視も凄いルールの癖に、絶対に守らなければならないのは非魔法族出身者(わたしたち)だけということなんだよね。どうせスリザリンの『純血』様はみんな家で好き放題魔法を使っている」

 

「……え、そうなんですか?」

 

「魔法省は、未成年()魔法を使ったどうかを検知できるわけじゃなくて、未成年()()()()魔法が使われたかどうかを検知できるだけなんだ。私達みたいに、子ども以外は非魔法族しかいないという家で魔法が使われたら、犯人はすぐにわかる。反対に、魔法族しかいない家で魔法が使われたら、どうせ大人が使ったから問題なしと判断される。もしかしたら初めから検知の対象に入ってないかもしれない、その家で魔法が使われるのは当たり前だから、いちいち検知していたらキリが無いし」

 

「…………めちゃくちゃ不公平ですね」

 

 シムは腹に怒りがふつふつと込みあげてくるのを感じたが、セラは自嘲気味に唇を歪めた。

 

「そうでもなければ、非魔法族は猿と同じと思っている純血主義の皆様が、『休暇中は自分の子供に、猿のように杖を持たずに過ごさせる』なんて馬鹿げた規則が存在するのを、許し続けるわけがないだろう?一方で彼らにとっては杖を持つ資格のない非魔法族出身者は、少なくとも休暇中は杖を持たずに、猿としての分をわきまえて過ごさなければならない。実に良い気味だ」

 

「…………」

 

 セラは肩をすくめて、さらっとした口調で言う。

 

「まあ、まったく理に適っている話だけれどね。魔法力を適切に制御する術を学んでいる途中の未成年が、監督者なしに魔法を使っては、何かが起これば誰も事態を収拾できないけれど、私達の家には、大人の魔法使いはいない。一方で、魔法族しかいない家では――」

 

「……未成年が魔法を使ったところで、何か失敗をしてもすぐに収拾がつくというわけですか」

 

「そもそもそういう家は、非魔法族の都市から孤立して、人里離れた場所にひっそり建っていることも多いらしいし、色々と保護魔法もかかっているらしいしね。ちょっとやそっとでは『国際機密保持法』は脅かされない。一方で非魔法族出身の生徒は、当然、非魔法族のコミュニティのど真ん中に暮しているから、ちょっと注意を怠れば、住人に魔法の存在を知られてしまうリスクもある」

 

「……それなら、最初から『非魔法族の前で魔法を使ってはいけない』『魔法族の監督者なしに魔法を使ってはいけない』と言えば良いような気がするんですけど……。いったん条件付きで認めてしまうと、どうせ収集がつかなくなるから、『休暇中は一切魔法を使ってはいけない』と一律で禁止する方が良いんでしょうかね」

 

「そういうことかもしれない、親にとっても休暇中に子供に面倒を起こしてほしくないから、特にグリフィンドールあたりの親にとっては、一律で杖を禁止してくれた方がありがたいのかもしれないし。あと、非魔法族の前で魔法を使ってはいけないのは未成年に限らないけどね」

 

「そうでした。……あれ、未成年の周りで使った魔法が検知されるってことは、今ホグワーツ生がホグズミードにいるって魔法省にバレてるってことですか?」

 

 シムはふと厨房に目を向け、自動でかき混ぜられている鍋を見て怖くなる。

 

「うーん、ホグズミードには入学前の子供もいるだろうし大丈夫じゃないかな?というより、そもそもホグズミードは魔法族しかいないから、わざわざ記録する必要はないと思うし」

 

「なるほど」

 

 セラはまたも溜息をつく。

 

「何にせよ、休みの間に一切魔法の練習ができないのは歯痒い。ひたすら座学に励むしかない」

 

「……セラは休暇中くらい、ゆっくり休んでも良いんじゃないですか」

 

 魔法の勉強と練習に憑かれたかのように励む普段のセラを見ていての率直な感想をシムは呑気に述べた後、セラの気を悪くすしてしまうかとも思ったが、セラはふっと肩の力を抜いて微笑んだ。

 

「たしかに、そうかもね。君の言う通りだ」

 

 切り替えるように、セラは明るい口調で続ける。

 

「あまり楽しくない話ばかりしてしまったね。楽しい話をしようか、この前の『魔法薬学』でスネイプ先生が――」

 

 

  ★

 

 

 二人はそれからものんびり他愛ない話をしていると、マスターが料理を運んできた。並々とよそられた深皿から、食欲をそそる蒸気が昇っている。

 

「お待たせしました。ビーフシチューになります。のんびり召し上がれ」

 

 セラはマスターにお礼を言うと、スプーンを幾度も口に運び、実に幸せそうにシチューを頬張っていた。ホグワーツで見る彼女の食事の作法は至って上品であり、少量しか口に運ばない。だからセラのこの種の表情も貴重であり、やはり強い魔力があることをシムは発見した。

 シムもスプーンを口に運ぶ。懐かしくも新しい感覚が舌を包む。

 

「――美味しいですね」

 

「美味しいよね」

 

 シムが思わず声を漏らすと、セラも噛みしめた料理を飲み込んでから口を開いた。至って普通のビーフシチューのはずだが、不思議なものだ。均整が完璧に取れた普通は、普通でなくなるということかもしれない。

 

「――ロンドンで出せば繁盛しそうですよね。そこまで人口も多くないこの村で開くのは、正直もったいないような。マグル相手に商売をするなんてと怒られるかもですが」

 

 シムは小声で、正直な感想をセラに述べた。

 

「どういたしまして。マグル向けに、ロンドンなんかで出したら、繁盛しすぎて国際機密保持法に触れちゃうの」

 

 店主の耳に入ってしまったようで、カウンターから彼女の冗談めかした声が飛んできた。

 

「……何か魔法植物の隠し味が入っているのですか?」

 

「そんなわけないわ。冗談よ」

 

 マスターは快活に笑った。

 

「マグルに向けてお店を出すと、法律とか税金とか色々ややこしいことがあるし、調理にも杖を使えないし、土地だって高いし、ホグズミード(ここ)で開くのが遥かにやりやすいの。それに、このお店は半分趣味みたいなものだしね、お客さんが多少来てくれるだけで構わないのよ」

 

 シムはマスターをまじまじ見つめた。魔法族の寿命が長いとはいえ、とても余生を過ごす年齢には見えない。

 

「他にお仕事されているのですか?それとも、土地とかを持っているとか?」

 

「ひみつ」

 

 店主は指を唇に当ててウインクをした。

 

「……不躾な質問しちゃいました、すみません」

 

「いや良いのよ。――あ、マグルの法律に従わなくて良いっていっても、もちろん衛生面とかをおろそかにしているわけじゃないのよ、そこは安心して」

 

 マスターは付け加えると、杖を振って仕事へと戻った。二人が食べ終わると、淹れたての紅茶が運ばれてきた。喫茶店だけあって、これもやはりとても美味しかった。

 

「今日も美味しかった、また来ますね」

 

「美味しかったです、ありがとう」

 

「またいらっしゃい」

 

 紅茶を飲み終えた後もしばしのんびりとくつろいだ後、二人は店を後にした。セラの後に従い、店の裏口をくぐり、薄暗い通廊へと出た。左には急峻な木造の階段、右にはまた別な出口。階段を昇って、扉を開ける。ベルが乾いた音をたて、途端に本の臭いが鼻腔に押し寄せる。

 

「ここが、サンドフォード書店だ」

 

 こじんまりした空間に、本がぎっしり詰まった棚が所狭しと並んでいた。シムはおよそ書店や図書館と名がつく場所に入るとワクワクする種類の人間であったから、このときも例の感情を、つまり未知の無数の新世界が自らの眼前に開けていると認識したときのあの腹の底をくすぐる快感を、しかと覚えていた。

 この書店にも二人の他に客の影はなく、カウンターに一人の男が、書類と本の山にまみれて座っているのみだった。

 店主は、杖を片手に何やら書き物をしていたが(紙に自動で文字が浮かび上がっていた)、顔を上げ、二人を一瞥すると、机の引き出しを漁り、本を二冊取り出して置いた。

 

「取り寄せておいた」

 

 店主は陰気な声色で言う。まだ若いようであったが、年齢の割に老けているようにも見えた。

 

「ありがとうございます」

 

 セラは店主のもとに近寄ると、財布から銀貨を何枚も取り出してカウンターに置き、本をローブに仕舞った。そしてシムのもとに戻り、小声で言う。店主は再び書き物にいそしんでいた。

 

「魔法族の書いた本ならダイアゴン横丁から送ってもらえるけれど。非魔法族の小説を読みたいと思っても、まさかホグワーツからウォーターストーンズにふくろう便で注文するわけにはいかないからね。ここに頼めば取り寄せてくれるんだ」

 

「なるほど」

 

 シムは店内を見渡した。半分はフィクションのコーナーで、後は魔法の実用書や学術書、随筆に詩など。色々な本を手に取ってみたくなったが、「死の囚人vs炎のプリンス」に手を伸ばしかけたところで、ふと以前のセラの言葉を思い出して思いとどまる。

 

「ここって、ホグワーツ図書館の禁書の棚みたいに、危険な本って置いてありますか?」

 

 セラは微笑んで言う。「ちゃんと心構えができていて何よりだ」

 

「ただ、ここのお店に限っては、どれでも触って大丈夫とは言われた。高度な魔導書とか古文書とかの類は置いていないらしい。――ですよね?」

 

 セラが店主に声をかけると、彼は顔を上げて、強い眼光を返す。

 

「マグルの本だろうと、危険になり得ない本なんて存在しないと思うが。つまり、自分の心と人生を根本から壊して変えてしまい得るのが、本というものの潜在的に持つ力のはずだが」

 

「……まあ、たしかに……」

 

 いったん言葉を切ると、店主は視線を手元の紙に落として再び口を開いた。呟くような調子だが、不思議とはっきりと通る声だ。

 

「質問の趣旨に沿う答を返すならば、気安く触れるべきでない本は置いていない。ここの本には、魔法族が書物に通常の措置としてかける範疇の魔法しか、つまり動く絵の魔法や複製防止の魔法や防腐の魔法や、そういった魔法しかかかっていない。魔術の専門書は、ホグズミードだとトームズ・アンド・スクロールズ(大冊と巻物屋)の領分だ」

 

 気難しい答えに苦笑をしつつ、セラは店主に礼を言う。続いてシムに向けて小声で言う。

 

「まあ、その代わりに、トームズ・アンド・スクロールズにも、ダイアゴン横丁のフローリシュ・アンド・ブロッツにもないようなコーナーもあって」

 

 セラは入口から右端の棚に歩み寄ると、上から三段目の棚を指し示した。シムもセラの横に並ぶ。棚には色とりどりの大判本が並び、どの本の背表紙にもタイトルがなかった。

 

「この棚の左端の青い本と右端の赤い本、それから、ひとつ内側の緑色の本と黄色い本とをそれぞれ入れ替えて、最後に真ん中の紫の本を一つ上の棚に置くと――」

 

 セラは呟きながら手早く本を動かし続けた。分厚い紫色の本を両手で置くと、景色がぐるりと回転した。どうやら二人の立つ床が、目の前の本棚ごと回転したようだ。

 

「――こんな風に、隣の部屋に移れる」

 

 シムは目を見開く。先ほどより更にこじんまりとした部屋に、やはり本棚が並んでいた。しかし、魔法界の本屋という趣はない。紙質が羊皮紙のそれではないし、本のタイトルも、小学校時代に読んだことがあるようなものも――「ライオンと魔女」や「チョコレート工場の秘密」や「はてしない物語」や――ちらほらある。

 

「非魔法界の本の、店主さんのコレクションの部屋だそう。どれも買えるけどね。あそこには映画のビデオテープとかもある。もちろん呪いの類はかかっていない」

 

 シムは棚に近づいて「ライオンと魔女」を手に取って頁をぱらぱらめくる。親の寝室の洋服箪笥をこっそり開けたところで魔法の国に繋がることは当然なかったのだが、まさかその五年後にキングス・クロス駅の九と四分の三番線から魔法学校に来ることになるとは。

 シムがしばらく物色し、「クリスマス・キャロル」を引き抜いたところで、セラはふと声をかけた。

 

「――そういえば、さっき少しクリスマスの話になったけど、今年の君の『クリスマスプレゼントをあげる友達』リストの中に、私の名前は含まれているかな」

 

「もちろん、そのつもりでした。セラのリストの中に僕が入っていればですが」

 

 唐突な質問に、シムは少し驚きつつ声を返す。会話がどういう流れなのか分からないが、少なくとも来月にセラの生家の住所を聞く勇気を出さなくて済むことになりそうだ。

 

「それは良かった。それで君は、プレゼントの希望が何かあったりするかな?」

 

「いえ、特には。何でも楽しみです」

 

 シムは言い終わった後で、何でも良いではなく何かを口に出すべきだったかと思ったが、セラは頷くと気にせず続けた。

 

「ホグワーツ生はふつう魔法界のグッズを送り合うけれど、魔法界に不慣れの私達にとってはどうにもチョイスが難しいし、なにより普通の郵便では贈れないしね。――まあ、郵便については、休暇で家に帰るまでに用意すれば、学校やホグズミードやダイアゴン横丁のふくろうを使えば解決するけれど」

 

「だからどうだろう、クリスマスはお互い非魔法族の本を贈ることにしない?この部屋の本は大抵中古だから、もちろんここの本でなくて構わないけれど」

 

「面白そうですね」

 

 シムは笑って頷く。プレゼント選びにひどく悩むことになったはずだ、セラの方からジャンルを指定されるのはありがたかった。

 

(シムは少しして、「相手が既に読んでいる本を贈ってしまうかもしれないし、読んだことがないかどうか、事前に聞くわけにもいかない」という心配が思い浮かんだが、セラは「それはそれで、相手に合うだろうと思っていた予想が、実際に当たっていたってことだから、嬉しいんじゃない?」と笑って流した)

 

 

  ★

 

 

 ひとしきり棚を眺めた後、結局何かを買うことはせず、二人は魔法界の書籍の部屋に戻った(回転する床の本棚の五色の本の位置を、今度は元通りに直すことで再び床を動かすことができる。なお、本を買う場合は、その本をこの棚に置いておかねばならず、ローブや鞄に隠し持っていても床はびくともしないらしい。非魔法界で販売されている物品に魔法をかけるのは法律で制限されているため、本自体には万引き防止の魔法がかかっていない)。

 

 それから魔法界の本をあれこれ手に取り、最終的にシムは「ヌンドゥとロウェナ」と「ホグワーツ特急殺人事件」と「マッドなマグル、マーチン・ミグズの冒険(ノベライズ版)」とを、セラは「透明術の透明本(半透明版)」と「毛だらけ心臓はゴーレムキメラの夢を見るか」とを購入し、書店を後にした。階段を降りて、喫茶店の裏口を横目にまっすぐ出口をくぐり、ホグズミードのハイストリートへと出る。相変わらず空は見事に晴れており、冷たい秋風が頬を叩く。まっすぐ道を進み、やがて、ホグズミードに来たときのあたりへと戻ってきた。

 

「……これって、どうやって城に戻るんですか?さっきは、扉を開けた瞬間に地上に出てたような気がするんですが」

 

 シムが辺りを見回して問いかけると、セラは杖を出して二人のローブを元に戻し、答える。

 

「もちろん、城に戻る道の方が面倒な手段を踏む必要がある。私の言う通りにやってみて」

 

 セラはてきぱきと指示を出す。

 

「最初の地点の真後ろの方向に、小さな横道があるだろう?何もないこの小道を進むとすぐに、大木が植わって行き止まりになっているから、深々とお辞儀をする。するとさっきまで何もなかった幹に、ホグワーツ生なら目の前に扉が、ほら、見える。この扉を開けると、こうやって、何もない部屋に入れる。いったん中に入って、扉を閉じてから、もう一度この扉のノブに手をかける。そして『どうぞホグワーツにお戻しください ホグホグワツワツホグワーツ』という感じのセリフを、校歌のように適当な節をつけて歌いながら扉を開ける」

 

 シムがセラの言う通りにすると、再び地下の通路に戻っていた。

 

「なかなか手が込んでますね。自力じゃとても帰れなそうです」

 

「私も教えてもらったクチだけれど、この扉によく見ればちゃんと『戻るときも礼を尽くすべし』と刻まれているから、自力で抜け道を発見できる生徒なら難しくないんだろうね。それと正確には、最後のセリフの後半部分はいらないし、歌う必要もないしね」

 

 セラはさらっと言うと、シムの抗議を待たずにすたすた歩きだし、さっさと梯子を降りた。

 相変わらず薄暗くて単調な道だったが、帰りの旅は、行きの旅ほどには長く感じなかった。地下通路の終点まで来て、螺旋階段を登り、再び六階の廊下の手前まで来る。

 

「グレゴリー公爵、魔術の深淵を覗き見て得た叡智を我々にお恵みになったグレゴリー公爵。再び貴公のご尊顔を拝しこのうえない幸せにございます。もしこの先の廊下に、人や猫やゴーストやポルターガイストの影が一つも無ければ、どうぞ我々をお通し願います」

 

 セラが仰々しく媚びへつらうと、壁の向こうで像が動くような重い音が響き、壁が開いてホグワーツ城の廊下が姿を現す。廊下に降り立って、壁と銅像が元通りになるのを見届け、周囲に誰もいないのを確認すると、シムは心からほっとして呟く。

 

「無事に戻ってこれましたね」

 

「あとはちゃんと寮に戻れば大丈夫だよ」

 

「……試合ってもう、終わっているんですかね?」

 

 シムは窓を見たが、ここからはクィディッチ競技場は見えない。

 

「もう終わっていると思うよ。どんなに長引いても、大抵は二時間くらいで終わるしね」

 

「じゃあ、もうスリザリン談話室は大盛況ですか。すぐに帰らない方がよさそうですね」

 

「うん。祝宴ムードであってもお通夜ムードであっても、どっちにしても門限ぎりぎりに戻るのが良いと思う。私はいったんスリザード談話室に向かうよ、荷物を置いたままだし」

 

「僕もそうします。――ここって六階だから、五階の図書館が近いですね。宿題を取りに戻ったら図書館で『薬草学』のレポートの調べものをしようかな」

 

「なんにせよ、ここをウロウロしているのを見られたくないから、とりあえず2E教室に行こうか」

 

 セラは杖を取り出して二人に「目くらまし」をかけた。そして五階に下り、今日の冒険はもう終わったものという心持ちで、シムが図書館の近くの廊下を歩いているとき。安堵感と満足感に浸りながら、曲がり角に差し掛かったところで。

 

「こんにちは、ミス・セラ・ストーリー、そしてミスター・シム・スオウ。実に良い天気じゃな」

 

 歳月の重みに満ちた声が廊下に静かに響き、シムの背筋が凍り付いた。

 立ち止まって恐る恐る振り返る。先ほどまで誰もいなかったはずの廊下には、誰かがたしかに立っていた。その「誰か」は、長い銀髪と髭をたたえた、背の高い老人で、半月メガネ越しに輝くブルーの瞳を、まっすぐこちらに向けて立っていた。

 それは間違えようもない、ホグワーツ魔法魔術学校学校長、アルバス・ダンブルドアその人の姿だった。

 




息抜き回。続きは明後日の夜か明々後日の夜に更新したい →やっぱりだいぶ遅れます、すみません

・イギリスのティーショップで昼食にがっつりシチューみたいなものを食べられるかよく分からなかったのですが、違ったら日本の喫茶店みたいな感じということでご容赦ください

・「未成年の周囲での魔法を嗅ぎ出す呪文」に関する作中の描写のすべてに整合性をつけることは困難ですが、いちおう「五巻でグリモールドプレイス12番地が魔法省にバレてない」のは「そもそもブラック家(や純血の家)には必要がないから検知できないようになっている」とかの妄想設定で補完できるかもしれまん(単に「オリオン・ブラックやダンブルドアの保護魔法が強力」とも取れます)。
(五巻での「ダーズリー家からグリモールド・プレイスまでの移動」、四巻での「リトル・ハングルトンの墓地でのヴォルデモート対ハリー」、六巻での「不審な未成年が近くにいることが判明しているはずなのに、モーフィンがリドルに殺人の冤罪を着せられたこと」など色々厳しいものはありますが、「リドルやダンブルドアクラスになると『臭い』を誤魔化せる、七巻ムーディレベルだとキツい」で強引に決着を付けられるかもしれません)


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第4話 休暇 (3)遠足は談話室に帰るまで

「こんにちは、ミス・セラ・ストーリー、そしてミスター・シム・スオウ。良い天気じゃな」

 

 深くゆったりした声が廊下に響いた。シムの背筋が凍りつく。無言で振り返る。先ほどまで誰もいなかったはずの廊下に、長い長い銀髪と髭をたたえた長身の老人、ホグワーツ校長アルバス・ダンブルドアが、二人の目の前に立ち、ブルーの瞳をキラキラさせて、こちらをじっと見つめていた。

 

「こんにちは、校長先生。良いお天気ですね」

 

 セラは二人の「目くらまし」を解いて、緊張の混じる声で快活に挨拶をし、シムも続けて挨拶をしたが、何と言ったのか自分でも覚えていなかった。

 魔法学校の校長、それも、今世紀最大の魔法使いと呼ばれる賢者、マーリン勲章勲一等・大魔法使い(グランド・ソーサラー)最上級独立魔法使い(スプリーム・マグワンプ)・ウィゼンガモット首席魔法戦士(チーフ・ワーロック)・国際魔法使い連盟議長の数々の(きら)びやかな肩書を持つ大人物が、こちらに相対して声をかけている。

 ただでさえ緊張しよう状況であるが、それに輪をわけて、今はわざわざ姿を消して人気のない校舎を歩いているところを目撃されたという状況なのだ。シムの鼓動は強さと速さを増した。教師であれば、何かやましいことがないか訝しんで当然であり、実際に二人にはやましいことがある。

 

「全然気づかず、失礼しました。……ひょっとして、しばらく私達の後ろにいたのですか?」

 

 セラはあくまでにこやかに言葉を続けた。

  

「否。わしは透明になって生徒の跡を付け回すような真似はせんよ。ちょうど図書館から出たら、廊下を歩いているきみ達が遠目で見えたからの。こっちも『目くらまし』を使って驚かしてみたくなったまで」

 

 校長先生は微笑んだ。セラは(かぶり)を振った。

 

「……かなり景色に溶け込めるようになったつもりでしたし、音も匂いも消せるようになったつもりでしたが、やっぱり校長先生の前で透明になれはしないものなのですね。後学のために、どこがダメだったか教えて頂けないですか?もちろん目を凝らせば何かがいることは分かると思いますが、遠くで一目見ただけでとは……」

 

 シムは、この間の悪い場面で、魔法についての質問を堂々とぶつけるセラの胆力に感心した。校長先生は鷹揚(おうよう)と頷いて応じた。

 

「まず、そもそも『目くらまし』をきみの年齢で、半分透けて見えるようなレベルではなく実用的なレベルで使えるということ自体、随分と天晴(あっぱ)れなことじゃ。習得が非常に難しく、魔力の消耗も大きく、本人の適正にも――つまり警戒心や狡猾さや慎重さといった気質にも大きく左右される。幸いほとんどの生徒が使えないからこそ、城全体に『目くらまし』を暴く結界が張られていなくとも、この学校がなんとか学校の形を保っていられるわけじゃが」

 

 校長先生はそこで一回言葉を区切った。

 

「その上で指摘するならば、魔法にはほとんど必ず痕跡が残るものだからの。きみのような十代の魔法使いの瑞々しい魔法の痕跡を、わしくらい年老いて干からびた魔法使いが見破るのは朝飯前なのじゃ。年の功という奴かの」

 

「痕跡ですか……」

 

「今は分からなくとも、いずれ分かるようになるかもしれぬ。精進あるのみじゃ」

 

「わかりました。頑張ります。……しかし校長先生ともなると、『目くらまし術』で完璧に透明になれるのですね。――たしか魔法界には、『死』の目すら誤魔化せるマントをもらったお話があったと思いますが、あのマントも実は、校長先生のような、『目くらまし術』の達人がモデルになってたりするのでしょうか」

 

 セラがあえて話を逸らし続けているのは、校長先生が自分達に都合の悪い話題に切り込むのを避けるためではなく、純粋な好奇心なのだろうかと、シムは(いぶか)しんだ。いくら百歳を超える老人でも、話の本題を忘れるはずがない。仮にも魔法学校の校長を務め、今世紀最高の賢者と(うた)われる人物がそこまで耄碌(もうろく)しているはずがない。……いや、ホグワーツ初日の(そーれ、わっしょい、)新入生歓迎会(こらしょい、)での頓珍漢な挨拶(どっこらしょい)を聞く限りでは、その可能性もなくはないかもしれないが――。

 

「お世辞は照れるの。たしかにわしは、あの物語に出てくる『マント』がなくても、人の目を(あざむ)いてほとんど姿を隠すことができるが。あの話の末っ子が『目くらまし術』の達人だったという説は考えたことがなかったの。長持ちしない普通の『透明マント』――もちろん『普通』とはいっても葉隠れ獣(デミガイズ)の毛で織ったり『眩惑呪文』を繊維に染み込ませたりするような極めて値の張る代物じゃが――それの理想形として思い描かれたものだと思っておった」

 

 校長先生は自らの顎鬚(あごひげ)()ぜた。

 

「しかしマグル出身のきみは吟遊詩人ビードルを読んで育ってはいないはずじゃが、こちらのお伽噺についても勉強しておるのだね」

 

「読み物としても面白いですが、ただの空想にすぎない非魔法界のお伽噺とは違って、妖精(フェアリー)の実在が既知となっている社会でのお伽噺(フェアリーテイル)は、現実じみていそうでとても興味深いです。死すら克服する魔法具がもし本当にあったとすれば――」

 

 熱っぽく言うセラを(さえぎ)るように片手を挙げ、校長先生は重々しく言った。

 

「たしかにビードルの伝承には史実が基になっているものも多いが、ただのお伽噺にすぎぬものも無論多い。死を克服する手段があろうとは、それをお伽噺に求めようとは、まともな魔法使いならば――賢い魔法使いならば、そんな夢想はしないものじゃ。ワフリングの魔法基本第一法則が、そしてほかならぬ『三人兄弟の物語』の教訓が戒めているとおり」

 

「それは残念です」

 

 心から残念そうにセラは言った。

 

「………しかし、たしか校長先生は錬金術の研究をされていましたよね?死を克服する手段がないといっても、錬金術では、『賢者の石』を創り出せたのですよね?命の水・不滅の霊薬(immortality elixir)や黄金を生める石を、創り出せたのですよね?非魔法族の歴史の本からは、錬金術(alchemy)は失敗に終わって、化学(chemistry)や工業の発展に貢献しただけと教わりましたけど……」

 

 セラは、ローブから取り出して開いた黒い手帳を見ながら言った。校長先生は眉を上げて応じる。

 

「ふむ。きみの言う通り、わしは錬金術師とも共同研究をしていたの。きみは錬金術にも興味があるのかね」

 

「はい、六年生になったら履修したいと思っています、今年は開講されていないみたいですが……」

 

「『錬金術』のクラスは六年生以上の希望者が一人でもいれば開講されることになっておる。講義についてゆくために、O.W.L(ふくろう)試験の『変身術』『魔法薬学』『天文学』で『O・優(大いによろしい)』と、『呪文学』『数占い学』『古代ルーン文字学』『薬草学』で『E・良(期待以上)』の成績を修めるのが強く推奨されるがの。それもあってか、今年は誰も希望者がおらなんだ。ただ、わしも時間があれば一回ほどゲストで講義するかもしれぬから、もし開講されれば張り切っ――」

 

「不死の石、金を生む石ですか?!そんなとんでもないものが魔法界にあるんですか!?それならなんでみんなそれを使わないんですか!?なんで『魔法史』の教科書に出てくる人は皆死んでしまっていて、なんでガリオン金貨の価値が暴落していないんで…………いえ、すみません」

 

 数テンポ遅れて、シムは驚きの声を上げた。ダンブルドア校長の言葉を遮ってしまったことに気づき、そしてこれがダンブルドア校長に向けて発した初めてのまともな台詞だったことに気づき、シムは赤面して口ごもった。

 

「――シム。まず、欲しいだけの命と黄金なんて、そんなに大したものではないよ。それどころか、人生で最悪の物じゃ」

 

 校長先生は優しく、しかし有無を言わせぬ調子で言った。いきなりファーストネームで呼ばれたことにシムは驚いた。

 

「そしてその上で答えるなら、まず『賢者の石』で得られる『命の水』は、飲んでも厳密には不滅になるわけではなく、あくまで老いる速さを限りなくゼロに近づけて寿命を延ばすだけじゃ。しかも効果が持続しないから、定期的に飲み続けねばならぬ」

 

「それでも十分に凄ま――」

 

 シムの発言を再び片手を挙げて制し、校長先生はきっぱりと言った。

 

「そして『命の水』は、魔法薬とは違って、驚くべきことに、()()()『賢者の石』を使って生み出さないと、一切の効果を得られない。それどころか、ただの毒じゃ。(いにしえ)のマグル達は、水銀を生む赤い石を『賢者の石』、ただの水銀を『命の水』だと思い込んで飲んでしもうたようじゃが、哀れな彼らと同じような末路をたどることになる。無論、『命の水』は金属などではないが」

 

「……」

 

「この理由を理解するには、きちんと錬金術を勉強する必要があるからして、説明は省かせてほしいがの。ともかく、他人の作った『命の水』は飲めないゆえ、『命の水』をダイアゴン横丁の軒先で見るということはないのじゃ。夜の闇(ノクターン)横丁あたりで叩き売りされることもあるかもしれぬが、ただちに魔法省に厳しく取り締まられる。詐欺か、さもなくば殺人未遂になるからの」

 

「……」

 

「さらに『賢者の石』を扱うことのできる魔法使いは、極めて限られる。錬金術という極めて難解で精緻な魔法分野の深奥まで熟達し、かつ錬金術の土台となる学問、ホグワーツの教科でいえば『変身術』『魔法薬学』『呪文学』『天文学』『数占い学』、加えて『古代ルーン文字』『薬草学』などにも精通し――N.E.W.T試験でこれらすべて『O.優』を取るなどということは序の口にすぎぬ――そのうえで莫大な魔法力を持っていなければ、そこから『命の水』を一滴でも絞り出すことはかなわぬ。『賢者の石』の作成者にして所有者のニコラス・フラメルと妻のペレネレは、この六百年間、『命の水』を飲み続けておるが、これは決して並大抵のことではない」

 

「……」

 

「『賢者の石』でクヌート銅貨がすべてガリオン金貨に置き換わってしまう状況になっていないのも、『命の水』が、多大な労力と魔力と時間とを注いで、ようやく少量が得られるというものだからじゃ。贋金(にせがね)鋳造(ちゅうぞう)が割に合うものではないのと似たようなものじゃな。もちろん、それ以上に、ニコラスとペレネレが、欲望のままに卑金属(ひきんぞく)を黄金に変えたり、その黄金を他者に施したりといったことをしない、理性を適切に備えた者たちであるからというのも大きな理由じゃ。――もっとも、魔法の研究に不自由しないだけの財産を得たり、母校ボーバトン改築のためのある程度の資金を贈る程度の慎ましさはあったようじゃが……」

 

 淡々と解説を続けた校長先生は、そこでようやく言葉を切った。シムはなおも問いかける。

 

「……『賢者の石』は、フラメル夫妻が持っているものですべてなのですか?いま新たに創り出すこともできないのですか?」

 

「とても幸いなことに、それもかなわぬ。『賢者の石』の創造に成功したのはニコラス・フラメルのただ一人のみじゃが、これは彼が魔法史上、文字通り比類なき才を持つ錬金術師であったことに加え、いくつかの幸運が作用したからじゃ――幸運の極めつけは何より、錬金術に非常に重要になる、太陽と月と惑星と星ぼしの位置が、ちょうど適切であったこと。今後恐らく一千年は、『石』を創れる星空にはならぬ。ゆえに、たとえマーリンやロウェナやサラザールやパラケルススや鄒衍(ゾウ・ヤン)が今ここに蘇ろうとも、新たな『石』が生まれることは決してない」

 

「……」

 

 シムは再び沈黙した。いくら魔法界とはいえ、そんなうまい話があるわけがないかと、自分を納得させる。セラは眉をひそめて食い下がった。

 

「……()()()不老長寿になって数世紀を生き続けていないのはそういうわけだったのですね。しかし、『賢者の石』を扱う能力があれば、ニコラス・フラメルとペレネレ()()()()数百年を生きられる可能性があるのですよね?夫妻に『石』を貸してもらえれば――貸してもらえずとも、夫妻の見ている前で『石』を使うなどすれば。……そして、ひどく(おご)っているかもしれませんが、もし万が一、私が将来、『賢者の石』を扱えるだけの力を身につけられたとしたら、フラメル夫妻にそれを願うことはできるのですよね」

 

「――きみはそうまでして、長く生きたいのかね?何故かの?」

 

 校長先生は静かに問うた。セラは目を輝かせた。

 

「だってそれは――やりたいことが沢山あるからです。魔法族が百年以上はラクに生きれるといっても、まだまだ足りません。もっと魔法を使えるようになりたいし、新しい魔法を作れるようにもなりたいし、魔法のしくみを知りたいし、魔法だけじゃなく世界のしくみも知りたいし、世界中を旅したいし、それで世界中の綺麗な景色や珍しい物を見て、世界中の美味しい物を食べて、世界中の本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、ギャンブルやお酒にハマったりもして、スポーツに打ち込んで、それで、それで――。とにかく、一度きりじゃない、色々な人生を送れます。自分にどこまで力があるのかわからないけれど、それでも色々な可能性を試せます。こんな因襲的な魔法界を改革して、魔法界と非魔法界とつなげて人類をもっと豊かにするような人生も送ってみたいし、いっそ大学に通って広い非魔法界で杖に頼らない人生も送ってみたいし、上級生二人についてゆく人生も送ってみたいし、人里離れた小屋で静かに野菜を育てて暮らしながら、世界の移り変わりを眺めつづけるような人生も送ってみたい。――ああ、もちろん、私ひとりだけじゃなくて、ほかの誰でも使えるような『石』を作りたいですし、そうすれば私の家族も友達も皆、不老長寿で健康で望むだけ生きられる世界になりますし、もちろんそんな世界に変わったら色々な問題が生じるでしょうけど、それも魔法でなんとかできるかもしれないですし――」

 

 ほとんど息を継がないままセラは言い終えた。校長先生は溜息をついた。

 

「まことに、老人には眩しい夢じゃな。しかしセラ、きみはまだ若いから分からないじゃろうが――きみのような、とりわけ可能性の大きく開けた若人(わこうど)には、未来はどこまでも明るく眩く映るものかもしれぬが。百年も生きておるとな、大抵の人は、もう十分だと思うようになるものじゃ。人生の酸いも甘きも、ほとんど舐めつくしてしまうのじゃ、わしがさっきまで舐めていたレモン・キャンディーと同じように、いつまでも味わうことはできぬ。」

 

 校長先生は(さと)すような視線を送る。

 

「永遠に生き続けるということは、生きていないことと同じじゃ。そういう不死の存在(インモータル)は、ポルターガイストやまね妖怪(ボガート)のような、始めから生きていない存在(アモータル)と、もはや変わらぬ。『死』というものがあるからこそ――大いなる旅の終着点にして新たなる旅の出発地でもある『死』というものがあるからこそ、人の生は輝くものじゃ」

 

「…………そうかもしれませんが、生きることに退屈してしまうのは、心も体も老いてゆくからなのではないでしょうか?もし私の脳みそも身体も若いまま保たれたとしたらそんなことはないかもしれませんし、それに生きるのを止めたくなったら『命の水』を飲むのを止めれば良いだけです。それに、だいたいフラメル夫妻だって六百年も――」

 

 セラの不満げな反論を気にせず、校長先生は続けた。

 

「『賢者の石』は忌むべき邪悪な魔術ではない。『命の水』を生み出すために、他の生命の犠牲が必要になることもないし、憎悪や害意といった黒い感情を要するものではない。しかし、それでも、セラ。あれは本来、人の手には過ぎた代物じゃ。フラメル夫妻もそれを分かっておる。彼らは、魔法の叡智を研究し深めるばかりで、よほど世界に危険が迫ったときには人々に手を貸してくれることもあったが、普段は人の世から隠遁して静かにひっそり暮らしておる。『賢者の石』を生み出した者の責務として、長すぎる寿命が人にどのような影響をもたらすのか、自らその実験台になろうとしているのではないかとすら、わしは考えておる」

 

 校長先生の声はどこまでも重々しかった。

 

「フラメル夫妻が、他人に石を貸し与えて使わせるか否かは、わしのあずかり知らぬところじゃ。ただ、彼らのほかに六世紀を生きている人間はわしは知らぬ。であるから、みだりに人に使わせないだけの賢明さはあるのだろうし、『賢者の石』を扱えるだけの魔法使いもまた、過ぎた寿命を望まぬだけの賢明さを持っておるのだと思う」

 

「…………貸してくれないなら『石』を奪ってしまおう、そう思う人はいなかったんですか?」

 

 継ぐ言葉を考えるかのようにセラがいったん黙ったので、そこでシムが疑問を口に出してみると、校長先生は首を振った。

 

「いたとしても、今まではその試みはすべて失敗に終わったことじゃろう。並の闇の魔術師なら、フラメル夫妻の棲家を突き止めてその護りを破れるとは思えぬ」

 

 セラはまだ何か言いたげだったが、校長先生はそこで手を叩いて、口調と話題を切り替えた。

 

 

 ★

 

 

「この話はさておいて。長々と話し込んでしまったが、まだきちんと挨拶すらしていなかったの。セラ、ハロウィーン以来じゃな。シムは初めまして。この前は怖い思いをさせてすまなんだ」

 

 キラキラしたブルーの瞳に射すくめられ、シムは頭を下げた。

 

「こちらこそ初めまして、校長先生。なんとか無事で良かったです」

 

「校長先生、結局あの後何か分かったことはありましたか?」

 

 セラの問いかけに、ダンブルドア校長は首を静かに横に振った。

 

「すまぬ。まだ調査中じゃ。きみ達を狙った襲撃ではないことは確かだと思うが」

 

「そうですか……。魔法界一の賢者として知られる校長先生なら、何でもすぐにお見通しなのかと思いました」

 

 セラは眉をひそめて言った。あれほど大胆にもかかわらず、手がかりの欠片も見つからないほど周到な事件だったのだろうか。もっとも、仮に分かったことがあったとしても、ただの生徒に過ぎない自分達に込み入った事情を明かすわけにいかないのだろうが。

 

「いくつになっても生徒にお世辞を言われるのは照れるの。顔が髭と白髪にまみれてると、赤くなってもバレにくいのが便利じゃな、シムもこの歳になったら思い切って伸ばしてみてはどうかの」

 

 照れのない平静そのものの表情で校長先生は言った。戸惑うシムを気にせず、校長先生は肩をすくめる。

 

「わしは確かに、自分で言うのもなんじゃが、賢者だとかなんだとか、そんな風に見られがちで、そんな風な称号で呼ばれることが多いの。しかしたとえわしの見た目が、トールキンのガンダルフに、あるいはル=グウィンの魔法学院のネマールに見た目がそっくりだからといって、ドイルのホームズにもクリスティのポワロにも似ているということにはならんよ。ほれ、パイプも吸っておらんし」

 

 セラは驚いたように言う。

 

「校長先生こそ、随分と非魔法界の物語にお詳しいのですね」

 

 そしてセラは校長先生から視線を外して呟くように言う。

 

「……それにしても今年は色々ありますね。怪物が城に現れたり、クィレル先生が戻ってきたかと思えば『闇の魔術に対する防衛術』の先生になったり、四階の廊下の一つが立入禁止になったり、ハリー・ポッターが入学したり――」

 

「――ハリー・ポッターは、きみ達と同じ、マグルの家庭に育った普通の少年じゃよ。箒がとびきり上手いらしいということを除けばの。ホグワーツの普通の一年生のように接してあげるのが本人のためじゃ。……きみ達とは寮が違うから、関わる機会は少ないかもしれないがの」

 

 校長先生は柔らかい調子で諭すように言った。

 

「そうします。……そもそも私達はスリザリンですから、スリザリン生とグリフィンドール生とが『普通に』接する機会というものはなかなか訪れない気はしますけれど」

 

 皮肉っぽくセラは付け加えた。そしてお辞儀をして続ける。

 

「ともかく、ためになるお話ができて良かったです。ありがとうございました。それではまた――」

 

「セラや、そう急ぐでない。ハロウィーンの話はまだ終わっていない。立ちっぱなしも疲れるから、座りなさい」

 

 話を切り上げようとするセラを遮るように、校長先生は杖を振り、ふかふかの肘掛け椅子が三脚現れた。校長先生が座って指を組むのを見て、二人も観念して座る。誰もいない長い廊下で、校長と向かい合って椅子に座るというのは、傍から見れば非常に奇妙な光景だろう。

 校長先生も同じことを思ったようで、「……この光景はちと、寂しいの」と呟いた。そう言い終えるのと同時にシムは三度(まばた)きしてしまったのだが、一度目を(しばたた)かせると、校長先生の手には再び杖が握られていて、しかもその杖はローブに仕舞われようとするところで、廊下の壁の色が変わりぐにゃりと歪み始めていた。再び目を瞬かせた後には、校長先生の背後に白い靄が立ち込め針葉樹が生え始め、もう一度目を瞬かせると、シムは、クリスマスの飾りつけがなされた赤と緑を基調にした小さな部屋にいた。

 シムの脳が状況を咀嚼(そしゃく)しようとする前に、校長先生の声がする。

 

「セラ、ハロウィーンの次の日に、きみがした要求についてじゃが――」

 

 会話の方向が予想していなかった方向に進み、シムは驚いた。横には暖炉の火が爆ぜており、先ほどまでと違って暖かい空気がシムの周りを包んでいた。

 

「『ホグワーツの部屋でマグルの電子機器を使えるようにしたい』というきみの望みは、この前も言った通り、叶えることができぬ。城の極めて強い魔法力の干渉を徹底して防がねばならず、仮に実現できたとしても、種々の保護魔法を遮ることになり、きみの身の安全もそうじゃが、それ以前に城の構造そのものへの危険が生じることもありうるからの」

 

 セラはそんなことを校長にお願いしたのかと、シムは半ば呆れつつ半ば納得していた。

 

「代わりと言ってはなんじゃが――」

 

 ダンブルドア校長が杖を振り、透明な大きい袋が宙に現れた。一見すると大きなビニール袋のようだ。

 

「ちょうど一昨日こしらえた物じゃ。中に入れたものは、外からの魔法の干渉から護られる。『テレビ』などを入れるわけにはいかないじゃろうが、持ち運びのできるサイズの機械なら、そうじゃな、ホグワーツに仮に持って行っても、恐らく壊れることは無いじゃろうし、袋の上から操作することもできなくはないかもしれぬ。――正直、そこまでしてマグル製品を持ってゆく意味は無いと思うが、少しはきみの期待に沿うかの?」

 

「すごい……ありがとうございます」

 

 セラは感心した声を上げる。シムは小声で問いかける。

 

「……まさかホグワーツに、電卓とか『ゲームボーイ』とかでも持ってゆくつもりなのですか?電池がすぐ切れそうですけど」

 

「たしかに電卓を使えるのは便利かもしれないね。あとはまあ、便利な小さい機械もそのうち色々出てくるかもしれないし。それに、非魔法界の製品が入っているか魔法界の品が入っているかを気にせずに、ひとつの荷物でデパートにもダイアゴン横丁にも行けるし」

 

 セラは懐からポーチを取り出した。

 

「……念のために言っておくが、マグルの面前で『検知不可能拡大呪文』のかかったポーチから不用意に多数の物を取り出してはいけないからの。それと、そのポーチは購入したものであろうな?法律は『検知不可能拡大呪文』の個人使用を禁じているということは一応言っておかねばならぬ、たとえ多くの魔法使いが無視していようと」

 

「心得ておきます。もちろんこれはダイアゴン横丁で買った物です」

 

「うむ。加えてじゃが、魔法力のある品はその袋に入れられないし、マグル製品であっても、殺傷する目的に転じうると本人が考えているような物は入れられないようになっておる。きみがそうするとは思っておらぬが、万一ホグワーツに危険な物を持ち込まれてはかなわないからの」

 

「わかりました、もちろんそんなことはしませんよ。素敵なクリスマスプレゼントをありがとうございます」

 

 セラは頭を下げる。校長先生は愉快そうに皮肉めいた口調で言う。

 

「まさか生徒から、それも十一月に、クリスマスプレゼントを要求されることになろうとは思ってもみなかったが。いやはやスリザリン生の慎み深さというものは中々侮れぬものじゃな」

 

「お褒めにあずかり光栄です」

 

 セラは恭しく一礼した。校長先生は生意気を気にも留めず、手をぽんと叩いた。

 

「そういえば、マグルにはサンタクロースのお伽噺があったの。自分で言うのもなんじゃが、わし、サンタクロースそっくりの見た目じゃな。今年のクリスマスはサンタクロースの格好をして生徒達にプレゼント配りでもしてみようかの。どうせ生徒はそんなにおらんし」

 

 とたんに校長先生のローブが真っ赤に染まり、右手には大きな白い袋が握られていた。長い白髪と白髭を備えた老人のこの格好は、背後の大きなクリスマスツリーと相まって、お伽噺の挿絵が顕現したかのようだ。

 

「レイブンクローとハッフルパフの談話室は合言葉がなくても入れるのじゃが。シム、スリザリン談話室の合言葉を今度こっそり教えてくれんかの」

 

「グリフィンドール出身者に合言葉を教えたら監督生に殺されちゃいますよ」

 

「たしかにミス・ロウルやミス・ファーレイあたりは怒るととても怖そうじゃな。ちなみに半世紀前のグリフィンドール寮にも、ミネルバ・マクゴナガルという名の、生徒達がたいそう恐れた監督生がおっての。つまり、今の変身術教授よりもさらに、ということじゃが」

 

「……というより、校長先生の権限で入ろうと思えばいつでも入れたりしないのですか?」

 

「おおセラ、そういえばそうじゃったな。ところで、これ、似合ってるかの?」

 

「とてもお似合いですが……しかし難癖をつけるなら、本物はもっとでっぷりと太ってるような気がします」

 

 校長先生のローブは元の紫色に戻った。

 

「忘れておった。それではホラスとわしを足して二で割れば丁度良いかの。……ああ、すまぬ、彼はとっくに退職しておった。ホラスというのは、スネイプ先生の前任の、スリザリン寮監を勤めていた魔法薬学の先生じゃ。今もホグワーツにいれば、きみ達を可愛がったかもしれぬが」

 

「そうだったんですね」

 

「そうじゃ、シム、きみにも何かささやかなプレゼントを贈ると、セラと約束してしまっておった。何か希望はあるかね?」

 

「えっと……すみません、ちょっとまだ考えていませんでした」

 

 シムは急に話を振られ、当惑して答えた。たしかにハロウィーンの翌日、セラとそんな会話をしたような気がするが、半ばただの冗談かと思っていた。

 

「もし何でも良ければ、『魔法界と非魔法界の安くて美味しいお菓子厳選詰め合わせセット』とかどうかね?わしはマグルのお菓子も大好きでの、十年しかマグルのお菓子を食べていないであろうきみよりも、遥かに詳しい自信がある」

 

「ではそれでお願いします、ありがとうございます」

 

 シムは反射的にそう答えてしまった後、折角の機会だからもっとちゃんと考えれば良かったかと悔い始めた。校長先生は首を傾げた。

 

「まあ、セラと比べるとちょっと手抜きかもしれぬの。さらに欲があれば、クリスマスが過ぎても言ってくれて構わぬ。用意できるかはわしの気分次第じゃが」

 

 校長先生はそして、いたって何気ない口調で、シムが恐れていた本題に切り込んだ。

 

「さて、セラ。先ほどはどうして、この実に良い天気の中、わざわざガラガラの城の中で『目くらまし』をかけて廊下を歩いていたのかの?」

 

 

  ★

 

 

 固まるシムをよそに、セラは落ち着いた口調で淀みなく答える。

 

「せっかく人がガラガラなので、思い切り城を探険していました。そのついでに、『目くらまし』で歩く練習をしようと思ったからです。校内に人が沢山いるときでは危なくて『目くらまし』なんてかけられないですからね」

 

 校長先生は深々と頷いた。

 

「なるほどの。百年近く住んでるホグワーツ熟練者のわしでさえ、常に変化し続ける摩訶不思議なこの城の全容を把握できているとはとても言いがたい。散歩や探険がちっとも飽きないから、老人の健康への配慮なのかとも思うくらいじゃ」

 

「廊下でお見かけすることはあまりありませんでしたが、校長先生も城を散歩されるんですね」

 

「かち合うとしたら双子のウィーズリーくらいのものじゃろうな、わしの散歩ルートや時間は中々に特殊じゃからして。まあ、寝ぼけて深夜にさまよって迷子になっているだけともいうが」

 

 そして校長先生はなおも何気ない口調のまま続ける。

 

「ところで話は変わるが、慎重を美徳とするスリザリンの中でも、とりわけ思慮深いきみなら当然、教職員の保護から離れて勝手に校外に出るのは、たとえばホグズミードなどに繰り出すのは、賢明ではないということくらいは分かっておるの?」

 

 校長先生の眼鏡がキラリと光った。今日のことがバレてるのだとシムは悟った。

 

「校長先生からそんな風に褒めて頂けるなんて恐縮ですが、もちろん承知しております。ホグズミードには当然、素性の知れない成人の魔法使いが多数いて、そのすべてが魔法を好きなだけ使える場だということも、何かあったときに先生方の迅速な救助を期待できないということも承知してます」

 

 セラはやはり声色を変えずに答えた。校長先生も平坦な口調で続ける。

 

「それではそんなきみが、もし仮にシムを連れて城を抜け出すことを計画するなら、きみ自身やシムの安全を、どのように図るつもりだったのかね?」

 

「もし計画するとしたら、表の大通りをざっと案内して、馴染みの店に入るだけで、昼過ぎには帰ってくるようにすれば、大丈夫だろうと判断します。この前先生に『守護霊(パトローナス)』で伝言を載せる方法を教わりましたから、万一のことがあっても、村の信頼できる大人と連絡も取れますし。それと、抜け道は五階の『おべんちゃらのグレゴリー像』の裏を使います。いたって安全な道ですし、そんなに城の抜け道に詳しくない私ですら知っている道で、フィルチさんや他の一部の生徒も知っているでしょうから、道中で万一の事態が起こったとしても、助かる可能性がいくばくかは期待できるかもしれません。念の為に当日の朝も、あらかじめ安全を確認しておきますが」

 

「ふむ。――しかし計画する上でそこまであれこれ考えるなら、一般的にはその時点で、城の外に出るべきでないと思いとどまるものではないかな?」

 

「もちろん仰る通りです」

 

「発覚すれば、軽くない罰則や減点が課されることも、セブルスやミネルバが上機嫌にはならないであろうことも、分かっておるな?」

 

「もちろんです」

 

「そうであれば、そこまでして城の外に行く理由は何なのじゃ?」

 

 シムはからからの喉を絞って、自分が連れて行ってほしいと頼んだ、と言おうとしたが、セラはシムに目配せを飛ばすと、校長先生の方に向き直り、首をかしげて「そうですね……」と滔々(とうとう)と言葉を紡いだ。

 

「私達みたいな生徒にとって、学校って、世界のほとんどすべてみたいなものじゃないですか。……ましてや魔法界は狭くて、ここにはほとんど英国中の子どもがいますし、ホグワーツは全寮制ですし。本当に、ほとんど世界そのものです」

 

「それなのに、この世界は、どこまでも閉鎖的で因習的で差別的で。ちょっとやそっとで挫けはしないですが、めげまいと頑張っても、やっぱりどこかで、少し息苦しくなってきてしまいます」

 

 若干うつむいていたセラは、緑の瞳を、まっすぐ校長先生のブルーの瞳に向ける。

 

「だから、この城だけが魔法の世界じゃないって実感できたとしたら――私は一年生のときに、上級生に連れられて――失礼、連れられたとしたら、凄く嬉しかったはずです。なので、私も下級生に、はやく城の外を見せてみたいと思うはずです」

 

「なるほどのう。……きみ達のように十一歳で初めてこちらの世界にやってくる子も、そうでない子も。貧しき子も、重い病を患う子も、親のいない子も、愛を知らずに育った子も。どの子も隔てなく、何の憂いもなく健やかに暮らせる。そのような理想的な社会を築けなかったことは、わしら大人の責任であり、わしの人生でやり残したことの一つじゃ」

 

 校長先生は息を吐きながら目を細める。

 

「――ではシム、きみはそうやって城の外に行ったとしたら、世界の広さを実感できたと思うかね?」

 

「えっと、はい、良い村だなと思ったと思います」

 

 校長先生は右手で顎鬚を撫でた。

 

「うむ。――それではセラ、きみとシムがホグズミードにこっそり観光しに行くとしたら、どのようなコースをたどるのかね?」

 

「先ほど申し上げた通り、ホグズミードの表通りをざっと案内した後、喫茶セレニティというお店でお昼を食べます。あそこの内装は素敵で料理も美味しいですし、上のサンドフォード書店では、非魔法界の物語も読めますしね。そうしたらまっすぐ城に戻ることにします」

 

「それは楽しそうじゃの。たしかにシルヴィアは胡瓜サンドイッチひとつとっても一味違うからの。わしの人生指折りの出来の『拭浄呪文』が発動した瞬間は、サミュエルから借りた幻想文学の頁に珈琲をこぼしてしもうたときじゃった」

 

 校長先生はそれから厳粛そうな顔つきをして言った。

 

「さて、今の心躍る冒険の計画は、もちろん仮定の話であって、今後は――つまり、何かと城が慌ただしい今年度いっぱいはということじゃが――計画を実行に移しているきみ達をわしが見かけるようなことはないと思って良いかな?そうであれば、無論、その話をわざわざスリザリン寮監や副校長が知る必要はなくて済むのじゃが」

 

「もちろんです」

 

 微笑んでウィンクをする校長先生に、二人は大きく頷いた。不問に付されると分かり、シムは心からほっとした。

 

「うむ。――ときにセラ。きみは放課後に先生の個人研究室を訪ねて過ごすということはあるかね?」

 

 再び転換する話にセラはきょとんとしたが、肩をすくめてさらりと言う。

 

「先生方も忙しいですし、私も忙しいですしね。あいにく、そのようなことは中々」

 

 校長先生は頷いた。

 

「そうか。確かに今年度は、先生方は忙しいからの。そうしたいことがあったとしても、なるべく我慢してくれると嬉しい」

 

 今度はシムの方を見て校長は続けた。

 

「シム。きみもそのまま頑張りつつ、あまり根を詰めすぎぬように、ただし羽目を外しすぎぬようにの」

 

 校長先生は椅子から立ち上がり、二人も反射的に立ち上がった。校長先生が杖を振ると、椅子は消え、壁も暖炉も薄くぼやけて崩れ落ち、景色はたちまち元の寒々とした長い廊下に戻った。

 

「では、さらばじゃ」

 

 校長先生は(きびす)を返し、廊下の向こうに消えていった。

 

 

  ★

 

 

 セラはどっと緊張が解けたように、長々と息を吐いて片手を壁についた。シムもしばらくして動悸がおさまり、セラに話しかけた。

 

「……寿命が縮みましたけど、なんとか大丈夫でしたね。セラの言う通り、見逃してくれましたね」

 

「今年のうちはもうダメみたいだけどね。とりあえずは良かった。――学校を抜け出したことについて言われたのは、今回が初めてだ。今までは見逃されただけだったのかどうかは分からないけれど……」

 

「……今までも見逃されてたのだとしたら、そろそろセラの規則違反が目に余ったから、ここらで注意しとこうと思ったんですかね?」

 

「うーん、直々に注意するほど校長先生も暇じゃないだろう。まず寮監に先に話を通すだろうし……」

 

「じゃあ、ハロウィーンの件との差し引きで、そこら辺は大目に見てくれたとか」

 

 セラはしばらく黙って、口を開く。

 

「それもあるかもしれないけど――注意したかったというより、他の目的もあったのかもしれない。……たとえば、本当にただ遊びに行っただけなのかを確認したかった、とか」

 

 シムは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

「……怪しい闇の魔法使いの手先になって、怪物かなんかを、ドラゴンの卵かなんかを城に持ち込んできてやしないか疑われてた、ってことですか」

 

「……うん。ハロウィーンから間を置かずにだからね。疑われてはなくとも、また厄介ごとに巻き込まれてないか、心配して念のため確認するくらいは」

 

 セラは壁に手をついて前傾する姿勢をやめ、振り返って壁に背をもたれさせた。

 

「すぐに校長先生が現れたのも、見慣れない子どもを見たら報告するように村に話が通ってたか、抜け道を使うと分かるようになってたからかもしれない。たぶん今まで私が抜け出したときもそうやって把握されていたのかも。――それはそうか、ホグズミードが、世界の外のわけがないか」

 

「…………これ、話を聞かれてませんよね?校長先生、そこらへんに隠れていたりしないですよね?」

 

「そこまで校長先生も悪趣味じゃないだろうし、聞かれて困る話もしてないだろう。どうせホグズミード行きはバレてたんだし、向こうで何も後ろ暗いことはしてないし」

 

 シムは頷いた後、首を捻る。

 

「でも、僕らの話を確かめにきたなら、セラが嘘をついたり隠したりしてないかどうか、もう少し念入りに確認せずに、あんなにあっさり僕らを帰してしまって良いのですか?」

 

 セラは肩をすくめた。

 

「今世紀最大の魔法使いでなくとも、長年先生をやってれば、子どもの嘘なんて大抵すぐに分かるものじゃないかな。私は嘘や演技が得意な方でもないし。『忘却呪文(オブリビエイト)』や『服従の呪い(インペリオ)』にかかってても、話が不自然になるかもしれない」

 

 そしてセラは思い出したかのように言う。

 

「……あと、『開心術(レジリメンシー)』という魔法だってあるしね。さっき使っていたかは分からないし、さすがに気軽に生徒に使うことはないだろうけど、その気になれば、目を合わせたときに私の直近の行動は(つまび)らかになっただろうし」

 

「……『開心術(レジリメンシー)』?」

 

 どうせろくな魔法ではなさそうだと思いながらシムは繰り返した。

 

「平たく言うと、人の心に触れて侵入して、記憶や感情や思考をそのまま理解する、そんな魔法らしい」

 

「……心を読む魔法ですか。そんな魔法があっても驚きはしないですが、いやな魔法ですね」

 

「心を読むのとはまた違うらしいけど――まあ、私にはその違いはよく分からなかった。ともかく、目の前の魔法使いが開心術を使えるなら、交渉をするときだろうと、戦闘をするときだろうと、当然圧倒的に不利になる。そのうえ、開心術を使える魔法使いは、ほとんどが優れた魔法使いらしい。だからこそ、防御手段の『閉心術(オクルメンシー)』を習得するべきだと、シーナには言われた。開心術と閉心術は表裏一体で、開心術は、かならず同じ技量の閉心術で逸らすことができるそうだ」

 

「『閉心術』……」

 

「サラザール・スリザリンその人が稀代の『開心術士』だったらしく、スリザリン生は開心術や閉心術の適性がある人がそこそこいるみたいで、シーナもそのタイプだったけれど。私は、ほんのちょっとだけ練習した限りでは、どうもあまり閉心術がうまくないみたいだ。基本の『心をからっぽにする』という時点でどうも難しくて――」

 

「……そのうち、『閉心術』の練習もやるんですか?」

 

 シムはここ最近で一番の恐怖を覚えながら、セラの言葉を遮って恐る恐る聞いた。幸いセラは、首を横に振った。

 

「私自身、うまく開心術を使える自信もないし。それに、心を見られる方も見る方も、お互いとてもしんどいだろうし。あれは精神的に一番キツい訓練だった。もちろん、君が閉心術の訓練を望むなら、やろうと思うけど――」

 

「できればやりたくないです」

 

 反射的にシムは答えていた。セラに自らの心を覗き見られるようなことがあれば、トロールに喰われた方がマシだ。セラもどこかほっとしたように頷く。

 

「それなら、今のところは止めておこう。習得できるに越したことはないし、私もそのうちきちんと使えるようになりたいところだけどね」

 

「……『閉心術』を使わないと、開心術は絶対に防げないんですか?心を覗かれてるかどうかも分からないんですか?」

 

「本格的な開心術は、杖を振って呪文を唱えるし、『相手に心に入り込まれてる』ことがはっきりと分かる。ただ、優れた開心術士は、目を合わせるだけである程度のことを読み取れるらしい。この場合、そこまで違和感はないみたい」

 

 何故かシムは、この前に医務室で見た、寮監の黒い瞳が頭をよぎり、すぐに無意識にそのことを考えるのを止めた。

 

「……だからまあ、目を合わせないことがいちおうの対処にはなると思う。もちろん、相手が開心術士なら、『開心術を警戒している』という露骨なメッセージになってしまうけれど。……ただまあ、いずれにしても、さすがにホグワーツの生徒に『開心術』を使われるなんてことは想定しなくて良いと思うよ。まず使えないだろうし」

 

 それからセラは息を吐いて、もたれていた壁を後ろ手で押して直立の姿勢に直った。

 

「面白い話も聞けたけれど、やっぱり校長先生と話して本当に疲れた。はやく談話室で冷えたかぼちゃジュースを飲みたい」

 

 セラは歩き出し、シムも後を追う。六十度の角度で三度捻じれた奇妙な階段を曲がりながら降り、下の階へ至る。

 

「それにしてもセラでも緊張するんですね。安心しました」

 

 セラはゆっくり首を横に振った。

 

「いくらなんでも、百歳くらい年上の、こちらのことなんてすべてを見透かしてそうな、当代最強といわれる魔法使い相手に、ふつうに話せるわけがないだろう。いくら向こうが気さくに接していたとしても――逆になんで、あそこまでの魔法使いが、ただの小娘相手に、親戚のお爺ちゃんみたいに振舞えるんだ――畏れ多いものは畏れ多いよ」

 

 シムも似たようなことは感じていた。お茶目な好々爺(こうこうや)のようにも、あるいはすべてを知る老賢者のようにも、あるいは計り知れない力を持つ魔法使いのようにも、あるいは単なる変人のようにも見えるかの校長は、当然今まで会ったことのないタイプの、あまりに印象的な人物だった。

 

「……あれほどスリザリン生が毛嫌いしてるから、性格がよほどグリフィンドールぽい感じなのかと思ってましたけど、そこまででもなさそうというか、むしろ――」

 

 シムは口を閉じて足を止めた。廊下の向こうから、何人もの人影が足早に現れたからだ。

 

 とても小柄な老爺、神経質そうな若い男、箒を携えた眼光鋭い壮年の女性――「呪文学」のフリットウィック先生、「闇の魔術に対する防衛術」のクィレル先生、「飛行術」のマダム・フーチだった。

 

 

 ★

 

 

「おや、ミス・ストーリーにミスター・スオウ。こんにちは」

 

 三人は立ち止まり、フリットウィック先生が、二人を見上げてキーキーした声で言った。二人も挨拶を返す。珍しい組み合わせに、シムが戸惑いながらフーチ先生の箒に視線を向けていると、フーチ先生はきびきびした声で説明する。

 

「ほら、グリフィンドールのシーカーの動きが、試合の途中に少しだけ、非常に不自然に、箒に振り回されていたようになっていたでしょう。念のために、箒に異常がないか、呪いがかかっていないかを調べていたところです」

 

「……そうだったんですね」

 

「――あなた方は、試合を、見てはいなかったのですか?クィディッチの、試合を?……リーグ初戦の、クィディッチの、試合、を!?」

 

 フーチ先生は驚愕の声を上げたが、二人が頷くと、溜息をついた。

 

「…………まあ、スリザリンは敗れてしまいましたから、あなた方がスリザリン生なら、見なくて正解だったかもしれませんね」

 

「それで、箒に異常はあったのですか?」

 

 セラは興味ありげに問いかけ、フーチ先生は首を横に振る。

 

「ありませんでした。呪いの類も、現状はかかっておらず、痕跡も見出せてはいません」

 

「呪いですか……。その、詳しくはありませんが、フーチ先生の授業では、箒には強固な防護魔法が施されているから、呪いをかけるのは極めて困難だし、直接に触ることなしに動きを制御することもできないと、そう教わったような……」

 

「その通りです。ましてや、この箒は当日の試合途中まできちんと動いていました。仮に試合中に、高速で飛び回る箒に遠方から呪いをかけるとなると、熟練の魔法使いであっても考えられないことです。遅延発動する類の呪いをしみこませて、何らかのトリガーで起動したとしても、いつどうやって箒にそれを行ったのか、いつどうやって痕跡を――」

 

「マダム・フーチ」

 

 フリットウィック先生が咎めるように短く声を出した。箒を二人の鼻先に突き付け熱く語っていたフーチ先生は口をつぐんだ。しかし、セラはなおも遠慮がちに続けた。

 

「……選手自体に『錯乱呪文(コンファンド)』がかけられていた可能性は?飛び方を見てはないですが、箒がおかしかったように見えただけで、実は選手がおかしかったとか」

 

「……その可能性も拭えなくはないないでしょうが。『錯乱』した状態では、明らかに箒を振り回して飛んでいるように見えるはずです。箒()振り回されているように見せるなどという、曲芸じみた難しい飛行をできるはずがありません」

 

「それなら……たとえば『服従の呪い(インペリオ)』にかかっている状態なら、箒をコントロールする技能は落ちなそうな気はしますが……」

 

「……校内で『許されざる呪い』が使われるなどまず有り得ないでしょうが、優れた飛び手なら、命令されてそのように飛ぶのは不可能ではないかもしれませんが――」

 

 フーチ先生は言いよどみ、今度はクィレル先生がおどおどしながら口を開いた。

 

「ミ、ミス・ストーリー、手段について色々な可能性をか、考えるのは良いことだが、手段だけでなく、その目的も考える必要があ、ある。『許されざる呪い』は、使えばしゅ、終身刑になる。闇に覆われた時代ならともかく、い、今の時代では、そのリスクを背負うほどのリターンがな、なければ、使うのはば、馬鹿げていると思わないかね?」

 

「……そうですね、わざわざ選手を『服従』させておきながら、群衆の前で箒の曲芸をやらせるだけというのは、馬鹿げている。選手を傷つけるか殺すかしたいなら、もっと手っ取り早い命令を出せば良いし、そもそも『服従』をさせる必要も無い。思い至りませんでした」

 

 得心したかのように頷くセラに、フリットウィック先生も付け加える。 

 

「何にせよ、試合後の選手はまったくの正常でした。選手に呪いがかけられていたとは考えられん。ミネルバの購入した箒が不運にも不良品であり、試合中に一時的にわずかな不調をきたしてしまった。そして選手が不運にも場慣れのしていない新人だったために、戸惑ってコントロールを失い、箒の動きの歪みを不用意に増幅させてしまった。そうみるのが自然です」

 

「念のために、次回の試合は校長先生にも監視していただきます。ですから何人(なんびと)たりとも、神聖なクィディッチの試合を侵すことは、できません」

 

 怒りか熱意か、炎のゆらめくまっすぐな瞳でマダム・フーチは言い切った。セラは頭を下げる。

 

「わかりました。お忙しいところ色々聞いてすみません、ありがとうございました」

 

 セラとシムは廊下の壁に退()いて先生たちが通れるようにしたが、フリットウィック先生は立ち止まったまま口を開いた。

 

「いえいえ。しかしミス・ストーリーもミスター・スオウも、あれから元気そうで良かったです」

 

 またか、という顔つきにならないようにシムは気をつけた。ハロウィーンの件について先ほども校長先生と話したのは、目の前の先生方は当然知らない。

 

「お気遣いありがとうございます。今のところは、あれからまた怪物に襲われることはなくて良かったです」

 

 クィレル先生も、おどおどした口調で話し始めた。

 

「フ、フリットウィック先生からじ、事情を聞いて驚いた。あのか、怪物たちにそ、遭遇して、切り抜けたとは、た、たいしたものだ。ぼ、防衛術の期末試験をめ、免除して合格にして良いくらいだ」

 

 セラは頭を下げて答える。

 

「いや、フリットウィック先生とスプラウト先生が来てくださらなければ危なかったですよ。期末試験もフリットウィック先生持込可で受けられるシステムなら、合格にしてほしいところですが――私一人で受けなきゃいけないですよね」

 

 おどけるセラに、クィレル先生も笑う。

 

「も、持込はもちろん不可だ。先生持込可の実技試験にしてしまえば、ド、ドラゴンでも、ダース単位で持ってこなければな、難易度がわ、わりにあわない」

 

「ドラゴンの群れを相手取るなんて、私もダンブルドア校長を持ち込まないと無理です。それ以前に私はモノではないが」

 

「ごめんなさい」

 

「まあ、と、とにかく、君達がぶ、無事で、ほ、本当に良かった。本当に良かった」

 

 そして三人の先生は、二人の横を通って廊下を去っていった。

 

 

 ★

 

 

 三人の背中を見送りながら、シムは呟く。

 

「……今気づきましたが、グリフィンドールのシーカーって、あのハリー・ポッターですよね」

 

「……たしかに、そうだったね」

 

 ハリー・ポッター。つくづく話題に事欠かない人物だと、シムは半ば呆れ、半ば同情する。

 

「……あのハリー・ポッターの箒が、試合中にたまたまおかしくなったんですか?それとも、やっぱり誰かに狙われてるってことはないですかね?……もちろん、校内の大半が見てる場で事故に見せかけて殺すというのは、あまりにリスキーですけど。逆に校内の大半が揃ってる場だからこそ、容疑者になりにくいということも……」

 

「うーん、どうだろう……。『例のあの人』の信奉者なんかには、ひょっとしたら恨まれてるかもしれないけど。箒に触れずに外から呪いでコントロールするというのは無理があるし。やっぱり、単に初舞台で緊張しちゃったんじゃないかな……試合の様子を観てないからなんとも言えないけど」

 

「あれ、でも、緊張してめちゃくちゃに飛んでたんだとしても、スリザリンが負けたということは――」

 

「そうか、彼はスニッチを獲った可能性が大きいのか。まったく『生き残った男の子』は大したものだ」

 

「普段から彼の凄い飛びっぷりは目にしてますが、さすがですね。……というか、スリザリンが負けたなら、談話室の雰囲気、今あまり良くなさそうですね」

 

「うん。門限ギリギリに戻るのが無難だろうね」

 

 そうして二人はいったん2E教室へ向かい、それからシムは鞄を持って図書館にこもり、「薬草学」のレポートに取り組んだ。既定の長さにまとめられたところで、図書館を出て夕食をとり、夕食後は2E教室で「魔法史」の宿題も片づけた。杖を取り出して、自らの文房具をダンスをさせる練習をしていると、外出禁止時刻が近づいたところで、スリザード談話室からセラが出てきた。

 

「そろそろ、スリザリン寮に戻っても良い頃合いだろう」

 

 冷え切った夜の廊下と階段を練り歩き、スリザリン談話室へとつながる石壁の前に立つと、セラは二人の「目くらまし」を解除した(あいにく、姿を見せた状態で合言葉を言わないと、この壁は開いてくれない)。

 

偉大なるマーリン

 

 合言葉を唱えると、壁が開いて、仄暗い緑色の光に照らされた荘厳な談話室が姿を現す。それと同時に、セラが呟いた。

 

「……まだお通夜が続いてたか」

 

 普段は、この時刻には人があまりいないものだが、シムの期待に反し、室内はスリザリン生で溢れ返っていた。人数に応じて収縮する談話室の今の様相は、「室」と表現するには少々広大にすぎるかもしれない。

 そして、広大な談話室(じゅう)に、陰鬱(いんうつ)きわまりない空気が立ち込めている。ソファに黙って座る者、宿題を片付ける者、小声で会話をする者が大部分だ。全員が全員、宿敵(グリフィンドール)への敗戦を未だに引きずっているわけではないだろうが、活発に話したくとも、周囲の空気が許さない状況であると見えた。

 さらに不運なことに、静寂に包まれていたせいで、二人の入室が非常に注目を浴びてしまうことになった。談話室にいた者のほとんどがいったん動きを止めて入口に目をやり、軽蔑と憎悪に満ちた視線を送る。ひそひそした揶揄らしき声が部屋のあちこちで沸き起こる。陰鬱な空気は立ち消え、かわりに敵意に満ちた嫌な空気が醸成されてゆく。

 

「魔法界のネイティブは、こういうとき『マーリンの髭(なんてこった)』って言うんでしたっけ」

 

 シムも呟いたが、おどけたセリフを唇に乗せたところで、心境が軽くなるわけでもないことに気づいた。

 普段はシムが談話室を通ったところで、とくだん寮生から関心を払われることはなく、したがって身の危険を感じることはない。たまに悪口を浴びせられることが精々だ。

 しかし、今日は最も仲の悪い寮(グリフィンドール)と雌雄を決する日。寮の団結心が一年で一番高くなりうる日であり、したがって排外意識も最も強く働く。あるいは試合に勝利を飾れば寛容にもなったかもしれないが、今は(グリフィンドール)の最年少の英雄に惨めに敗れた後だ。そこに、鬱憤の捌け口となる異端(セラとシム)が――「異教(グリフィンドール)」よりもよほど忌むべきかもしれない「異端(マグル出身スリザリン)」が――ひょっこり現れた状況だ。シムは、張り詰めた今の談話室の空気を吸って、自分が置かれた状況を否応なしに理解させられた。

 さらに、談話室は、基本的に教師や他寮の生徒の介入が望めない聖域だ。唯一立ち入る可能性のある寮監スネイプは、必要に迫られなければ談話室を訪れることはない。スリザリン寮の寝室には、異なる性別の生徒も異なる学年の生徒も入れないから、はやく寝室に入ってしまえば良いのだが、あいにく、男子寮へと続く扉はかなり遠い。

 

「杖をいつでも出せるように、ただし自分から決して抜くな」

 

 セラが唇を動かさないまま呟き、その平坦な低い声にシムはぞっとした。セラは以前、最上級生の集団を相手するのは骨だと言っていた。そしてセラはまた、一対一の決闘で自分より強い生徒は校内にほとんどいないと言っていたが――これは裏を返せば、セラより強い生徒も、当然いるということだ。

 

「……『穢れた血』か。今頃になってのこのこ顔を出すとは、良いご身分だな」

 

 そして談話室の空気を汲み上げるように、声が低く響いた。

 




「二・三日後に更新したい」と言っておいて二ヶ月後ですみません。会話回が続く。キリが悪いですが続けると三万字を超えるのでいったん二万字で区切ります。(ハリーやリドル以外の)一般生徒と校長との会話はサンプルが無いので、校長が一般生徒とどう接するかは想像で書くしかない。トップクラスに好きなキャラクタだけれど難しい。


「目くらまし」:
作中の人物があまり「目くらまし」や「(効果が薄れゆくほうの)透明マント」をあまり使わない理由について、単に作劇上の都合ではあると思いますが、一応ここでは「『目くらまし』はとても難しいから」「マントは非常に高価だから」としてます。

「透明になる魔法はダンブルドアクラスじゃないと使えない」という設定ならばハリーの透明マントの価値もより際立つと思うのですが、七巻で普通にクラッブが使ってるんですよね…。「もう『目くろます術』を使える」という彼のセリフからは、ホグワーツで「目くらまし」を習うのか否か判然としませんが(ホグミスでは習うようですが)、この二次創作では、ホグワーツ生は基本的に使えないということでお願いします。フレッドとジョージは五巻で「首なし帽子」をさらっと作ってますが(父親が「透明ブースター」を搭載していることやハーマイオニーが帽子を見て手放しで称賛してる事実に目を向けずとも)彼らは明らかに規格外に優秀なホグワーツ生なのでノーカウント。

(とはいえ、クラッブとゴイル、「成績が悪い」「防衛術のふくろう試験を落としている」事実はありますが、「悪霊の火」を使えている以上、魔法の力自体は決して劣っているわけではないのかもしれません。もっとも「悪霊の火」は「制御も難しいが、使うこと自体も難しい」のか「制御が難しいだけで、使うこと自体はとても簡単」なのか原作の描写からは何とも判然としませんが…。後者ぽい感じはしますが、仮に前者なら、「クラッブは実はめちゃくちゃ強かった」で解決しそうです。あそこのシーンは日本の漫画なら「『悪霊の火』を使いこなすまでに成長した超強化クラッブ&『髪飾り』に触れて人間性と引き換えに超知性殺人サイボーグと化したゴイル」VS「三人組&ドラコ」の死闘になりそう)

マントについては、一巻で、死の秘宝が実在すると知らないロンが、透明マントを見て「こういうマントを手に入れるためだったら、僕、なんだってあげちゃう。ほんとになんでもだよ」と発言しているので、普通の透明マントも、ウィーズリー家の経済力では、手の届かない代物だとみなせそう。また、五巻でムーディの手持ちのマントは二枚しかないが、もし安価であれば、ムーディの性格的に、もっと持っていても良さそう。


「賢者の石」:
この超チートアイテムの存在が知られていながら、存在がほとんど無視されて魔法界が回っている理由(いくら魔法族の寿命が長いとはいえど、皆が皆ハリーやダンブルドアのように、達観した死生観を持って定命を受け入れ、財産への執着もないというのは少々不自然のように思われる)について、わざわざ重箱の隅を突いても仕方ないですが、一応ここでは「石を使うのは極めて難しい」「自分で石を使わないと意味がない」「現代では石を作れない」などの独自設定を無理矢理つけてます。解消しきれていないこと、たとえばダンブルドアの死生観と彼とフラメルの友人関係とが並立していることなどについては、筆者の手に余るのでこれ以上深入りしないつもりです。

(現代で石を作れないとすると、六巻でのハリーとダンブルドアの「なんでヴォルデモートは賢者の石を自分で作ったり盗もうとしなかったのか」「命の水は寿命を延ばすだけだし、命の水に依存した状態になるから、分霊箱より魅力的ではなかったと思う」のような会話と若干の齟齬が生じますが、そこは勘弁)


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第4話 休暇 (4)談話室は清純の場

「……『穢れた血』か。今頃になってのこのこ顔を出すとは、良いご身分だな」

 

 談話室の空気を汲みあげるように、声が低く響いた。シムの心臓が跳ねる。セラはシムに目配せをすると、声を無視して歩き出した。しかしすぐに、上級生がにやにやしながら数人立ちはだかり、行く手を阻む。女子寮へ続く扉も男子寮へ続く扉も遥か遠い。背後を見やると、談話室の入口も既に、何気なく移動した上級生で塞がれている。

 セラはわざとらしく溜息をつくと、声の主に顔を向けた。周りを囲む上級生ともども、数歩そちらへと近づく。

 

「これは失礼しました、ミスター・ヴァルカン・フリント。私の黄色い声援で、キャプテン・マーカス・フリントやスリザリンチームの士気が上がるとは思いもしなかったもので」

 

 何メートルも先、談話室の入口左手方向の一段と高い場所。ひときわ豪奢(ごうしゃ)な机を前にして、一人の大柄な男が、足を組んで両腕を肘掛にもたれさせ、傲然と坐していた。

 スリザリン七年生のヴァルカン・フリント――古い純血の家であるフリント家の人間で、クィディッチチームのキャプテンの従兄(いとこ)。シムが入学式に初めて話した上級生であり、シムに初めて「穢れた血」という侮辱を叩きつけ、スリザリンの洗礼を浴びせた純血主義者。

 シムはあの日以来この男と話す機会はなかったが、彼の恵まれた体躯(たいく)と残忍な人相は――仮に彼が非魔法族であったとしても非魔法界の学校で支配者として君臨しているであろうことが想像できる――遠目で目にするだけで、背筋が冷たくなるものだった。

 

「もしそうだったのでしたら、心より、お詫び申し上げます」

 

 ヴァルカン・フリントは、セラの慇懃無礼(いんぎんぶれい)な言い回しに、憮然として言い放つ。

 

「勝手に泥まみれの口を開くな。誰が発言を許可した」

 

「黙っていたままでは許されないのなら、何か発言すべきなのかと思いましたが、それすらも許されないとは――魔法使いは色々な物理法則を無視するだけでなく、排中律も無視できるのですね。勉強になりました」

 

 セラは皮肉たっぷりに答えた。フリントの殺気が増す。

 

「発言の許しを乞えと言ったのだ。マグルは英語を教わらずに育つのか?少しは身分をわきまえろ」

 

 そして目を細め、嫌味を愉快そうな声に乗せる。

 

「……一年生の頃はあんなに怯えてコソコソ背中を丸めていたというのに。随分と偉そうに増長したではないか」

 

 セラは変わらず飄々としている。

 

「たしかに一年生の頃の私は七年生のシーナ・シンクレアとソフィア・ソールズベリーの背中に隠れて生きていたけれど――しかしミスター・フリントこそ、彼女達に近づこうとはしていなかったのでは?……まさかフリント家の名を背負うお方が、いくら三学年上とはいえ、非魔法族出身のあの二人に、コソコソ怯えていたわけはないと思いますが」

 

「あのような穢れた野蛮な雌犬どもの名前を二度と出すな」

 

 ヴァルカン・フリントは顔を歪めて吐き捨てた。セラの発言を受けて、下級生達は何のことか分からない様子でいたが、上級生の何人かはビクリと動きを止める。

 

「スリザリンの純血達が、あの下賤な輩に怯えるわけがなかろう。常に片時も離れずくっついているわ、猿のようにすぐに杖を振り回すわで、油断も隙も――いや、ひたすら野蛮だったというだけだ。……奴らに美点があるとすれば、魔法族の高貴な血に、あの穢れた血を混じらせることも無いだろうというくらいのものか。あの様子では二人でいつ式でも挙げるのかと不思議に思ったくらいだ。端から嫁の貰い手もあるまいが」

 

 フリントは呵々と嘲笑し、周囲もそれに同調した。

 

「劣等種は劣等種同士で身を寄せ合うのが世の節理だが――しかしお前もお前だ。身分を偽って、従順な半純血の女として振舞って、蛇に取り入ろうともしないとは。狡知と野心の寮の、素質の欠片もないと言わざるを得んな」

 

「高貴な家名に恥じないだけの、中身を備えておられない方々に媚びて、人生を無駄にするつもりは無い。生憎と、利己や合理を尊ぶ寮にいるもので」

 

 セラは冷たい声で侮辱を返す。

 

「ふん。それで行き着く先がその小童のお守か。――お前はさぞ楽しいだろう。この独りぼっちのママに、寝小便の面倒を見てもらうというのは」

 

 フリントは今度はシムの方を見て嘲る。恥辱と怒りと恐怖でシムは顔に血が上るのを感じた。

 

「彼の価値を見出せないのであれば――資産のある家に育った人間は審美眼が養われるものだという私の認識は、どうやら見直す余地がありそうですね」

 

 セラに庇われ、いたたまれなさに、シムの視線は談話室を素早く走った。遠く、下級生が多く(つど)っている区画には、子分や取り巻きを(はべ)らせた一年の王者ドラコ・マルフォイが、この愉快な催しを見てせせら笑っている。目を逸らす。どうやらこちらに興味がある一年生ばかりではなく、リリア・ムーンはぼーっとした様子で暖炉を見つめているし、ブレーズ・ザビニは双子のカロー姉妹と忍び笑いで歓談をすることに忙しく、トレイシー・デイビスは三人の背後でハート型の赤い煙を打ち上げて忍び笑いをしており、ミリセント・ブルストロードは巨大な黒い猫と戯れており(格闘しているようにも見える)、寡黙なセオドール・ノットや令嬢ダフネ・グリーングラスは勉強に没頭している。さらに遠くに視線を移す。右の奥で、五年の監督生のジェマ・ファーレイらしき人影が、大きな机を占有して山と本を積んで読みふけっている。――ジェマは数少ない友好的な上級生だが、仮にこちらの状況を認識していたとしても、彼女の助力は望めまい。この状況で堂々とセラとシムを庇いだてするほど無鉄砲であれば、スリザリン監督生を務めるに値しないし、そもそもスリザリンに組分けされているはずがない。

 

「なんで――なんで、そんなに僕達を忌み嫌うんですか」

 

 シムの口から、思わず言葉が漏れる。自分の耳に台詞が届き、馬鹿なことを口走ってしまったと後悔する。しかし予想に反して、フリントは笑いを引っ込めた。

 

「なんで?……言うに事欠いて、なんで、だと?『穢れた血』の罪業を、説明されなければ分からないだと!?よくもぬけぬけと――」

 

 フリントの声が轟く。

 

「――これまで、我ら純血の家が。この英国で何世紀にもわたり。野蛮なマグルどもの群れに、貴重な子を迫害される憂き目にも遭いながら、崇高な魔道を継承し、社会を築き、繁栄させていった」

 

 二人に向ける瞳が、憤怒で燃え上がる。

 

「にもかかわらず。お前達『穢れた血』は――汚泥と血にまみれたマグルの世界から、恥じらいもせず、のこのこやってくるお前達は!魔法族の整えた庭を土足で踏み荒らし、杖の秘技を我が物顔で享受し。そして何も我ら魔法族に還元することなく、穢れた血でもって魔法族の清浄な血を弱める!穢れた血を殖やす!――今の我らの誰が、サラザールやマーリンと肩を並べよう?我ら魔法族は、このままではいずれ――いずれマグルと同じところにさえ――!」

 

 そして彼はセラに、太い人差し指を突き付ける。

 

「そのくせ、お前は――お前は――。サラザールの寮にありながら――その身に流れる穢れた血を、蛮族の血を、隠すでも恥じるでもなく、誇るだと?あまつさえマグルどもの低俗な文化を、優れていると崇めるだと?その杖を振り回しながら?――サラザールの教えを――魔法族の誇りを――どこまで辱めれば気が済むというのだ」

 

 これほどの憎悪に満ちた声を向けられながら、セラは無表情を保っていた。

 

「さらにそのうえ、『穢れた血』どもは、自分の身分に大人しく甘んじるでなく、声高に権利を求める。……このホグワーツでの教育を許されておいて、これ以上、何を望む?なぜ魔法族と同じだけの富や名声を望む?純血の敷いた秩序を、どこまで壊せば気が済む?『穢れた血』ばかりが護られ、純血はどんどん脇に追いやられ、打ち捨てられる。――あの、魔法力が莫大なだけで、魔法族の秩序を何一つ考えない、半純血で、ホグワーツもウィゼンガモットも国際魔法使い連盟も仕切る、痴呆の独裁者の、アルバス・ダンブルドアと、その信者どものせいで!」

 

 声がますます激しさを増し、鼻息荒く、その忌むべき名を吐き捨てる。

 

「……たしかに先の戦争で、英国の魔法族の貴重な血が多く流れてしまったのは事実だが――たしかにスリザリンは革命に加担した者も多いが――しかしそれは、ボケ老人の独裁と、純血スリザリンの迫害を許容できることにはならない」

 

 一転して静かな口調になり、フリントは長い演説を終え、息を吐いた。

 彼の眼は、()()()()()()抑圧された被害者なのだと疑っていない目だった。差別をする側の強者が往々にして用いる、強弁あるいは信念。

 シムは初めて、スリザリン寮に巣食う病理の、その根深さを垣間見た気がした。

 

 シムやセラのような「マグル生まれ」の人数は、他寮を含めてもごく少数にとどまるが、さりとて二世紀以上も遡れるほどの「純血」家系に連なる者も、ごくわずかである。

 半世紀前の書物「純血一族一覧」の匿名の偏者が「間違いなく純血」とみなした家の名も――ブラック家やマルフォイ家やフリント家やカロー家やオリバンダー家など――併せて28しかない。そのリストには「純血」を自称する家の多くが記載されなかった反面、マグルの血を誇るウィーズリー家すら含まれる始末だった。英国中の家と姻戚関係を持つあの家を仮に省いたのならば、恐らくは編者みずからの「純血」の正当性すら損なわれてしまうから。

 しかし、現在の魔法界では必ずしも、そのわずかな「純血」の旧家を支配階級とした、ピラミッド構造になっているわけではない。

 たとえ純血の家の多くが、莫大な資産を蓄え広い人脈を備え、貴重な魔導書や魔法具を所有し、行政たる魔法省を裏から牛耳り、司法たるウィゼンガモットの票の大半を握っているにせよ――それでも「純血が偉い」という価値観は、魔法界で支配的というわけではない。「マグル生まれは唾棄すべき存在」という価値観は、なおさら、受け入れられていない。スリザリンを除く三寮で――とりわけグリフィンドール寮で――「穢れた血」などという最大級の差別用語を一度でも放ったならば、激しく糾弾されることは必至で、それだけでコミュニティでの立場が危うくなる(もっとも、「穢れた血(mud blood)」の語が忌避される一方で、「純血(pure blood)」の語は、積極的に用いられなくともさして忌避されないというのは、少し奇妙だともシムは感じていた)。

 純血主義の御旗(みはた)の下に、虐殺と拷問で英国中を恐怖に陥れた「例のあの人」が敗れ去った後の世ならば。あるいはマグルの擁護者にして今世紀最大最強の魔法戦士アルバス・ダンブルドアが一世紀にわたって英国に君臨しているのならば。純血至上主義を忌避する風潮が加速するのは、至極当然のことである。

 

「そうはいっても――好きで魔法使いになったわけではないし、好きでこっちの世界に来たわけじゃないし、しょうがないでしょう。どうすれば良いというのですか?」

 

 シムの口から、またも弱々しく言葉がこぼれる。

 

「だから、身分をわきまえろと言っているのだ。純血に敬意を払い、身を粉にして黙って魔法界に仕えろ、ということだ」

 

「マグル生まれは、異文化から連れてこられる便利な奴隷でもなんでもないですよ……古代ローマでもあるまいし」

 

「ホグワーツで同じ空気を吸いたいというのならばだ。本来『穢れた血』は魔法界に来るべきではない。最大限の譲歩だ」

 

「魔法界にいるべきでないと言われても……そもそも、非魔法界から来る人がいなくても、魔法界は人口を保てるんですか。三親等までに限ってすら、マグルやスクイブが一切いない人なんて魔法界にどれだけ――」

 

 セラに制止されなかったこともありつい思ったことを口に出してしまったが、シムは明らかに言葉が過ぎたことに気づいた。口をつぐむが、遅すぎた。殺気と怒声がシムに浴びせられ、息が詰まる。フリントが息を吸って口を開く前に、とっさにセラが声を張った。

 

「もちろん、私達がいなくとも、あるいはいない方が、少数の純血の皆様で、楽しく元気に魔法界を営んでいけるでしょう。魔法界の問題を全部解決できる、シンプルでベストな方法ですね!魔法界の過去を知り未来を憂う純血の皆様は、さすが聡明でおられる」

 

 セラはやんわりと、周囲の注目をシムから自分の方へと向ける。そのうえで、首を傾げて、ゆっくりと口を開く。

 

「ですが――仮に私達が皆、ホグワーツから出たとしたら、魔法界からいなくなったとしたら――。この中の本当に全員が、本心から喜ぶのでしょうか?困る人も少なくないのではないでしょうか?『魔法族の血が濃い』ということしか、心の拠り所がない人は」

 

 セラの放った台詞は禁句だった。談話室が静まり返る。

 純血主義者は、ひとくちに「純血主義者」と括れるようなものでもない。マグル生まれは杖を持つ資格が無いと主張する者ばかりではなく、マグル生まれはヒエラルキー最下層の身分を甘受していればそれで良いという者もいる。後者は言うに及ばず、仮に前者であっても。差別対象(マグル生まれ)がいなくなれば、それのお陰で、自尊心を維持することができ鬱憤を解消できていたと、気づかされるかもしれない。マグルの片親・祖父母・叔父叔母・曾祖父母を持つ者であれば、自らのカーストが一段下がる、直接的な害も生じる。

 そのことに気づいている者も気づいていない者も、気づかないふりをしている者も、セラの罵倒にプライドをいたく刺激される者は、当然多い。先ほどまでとは度合の違う怒気が、ふつふつと立ち昇り、沸点に達しようとし――。

 

 

 

「ミスター・ヴァルカン・フリント」

 

 とても柔らかで、しかしひどく冷たい、真冬のそよ風を思わせる声が響いた。談話室の怒気の一切が、急速に冷めてゆく。

 

 

 ヴァルカン・フリントの発言を邪魔できる者は、スリザリン寮にそう多くない。その声の方向に向かって談話室の注目が集まり、声の主を見とめてすぐに緊張が走る。セラの顔にも初めて――ほんの一瞬だがはっきりと――緊迫の感情が現れたことにシムは気づいた。

 談話室の中央の一番奥、最上級生の女子が数人座る高雅なテーブルで。艶やかな金髪の魔女が、白い手で紅茶のカップを置いて、フリントを澄んだ碧眼で射すくめていた。彼女の背後の椅子には、生徒がひとり侍女の如く、無表情で静かに控えている。最上級生は抑揚を調整した声で穏やかに続ける。

 

「あなた、いつまでそちらに構っているのかしら?困っているでしょう?早く寝床に通してあげなさい。談話室の秩序を、和やかな雰囲気を乱していますわ」

 

 (よわい)十八とは思えないほどに完成された気品と色香。魔女を見てシムの首筋の毛がぞわりと逆立つ。

 彼女の右胸には、銀色の蛇が絡みつく緑色の「監督生()」バッジが留まっている。そしてそのすぐ上にはもう一つ、漆黒のバッジに銀色で刻まれた「首席(HG)」の字が燦然と輝いている。

 スリザリン七年の女子監督生にして、本年度のホグワーツ女子首席(Head Girl)、フレヤ・ロウル。「間違いなく純血」とされる英国魔法界屈指の名家たる、ロウル家とグリーングラス家の血を引く令嬢。スリザリンの寮対抗杯六年連続優勝の一因とも(ささや)かれる、品行方正な模範生。

 

 そのような彼女なら、自寮の最上級生が自寮の下級生に嫌味をぶつけている状況を、自寮の下級生が矢面に立たされている状況を、傍観するはずがなく、注意するだろう。

 ……などという見方は楽観的にすぎると、シムは分かっていた。

 直接話したことは一度もなくとも、シムはこの生徒の名をしっかり把握していた。なぜなら――

 

「そもそも、談話室は()()()()の健全な社交の場だということをお忘れですか?――それともまさか、それ(it)を好いているのですか?不器用な求愛行動ですか?」

 

 ――セラが()()()()()()()と端的に忠告していたスリザリン生だからだ。マグルやマグル生まれを、そもそも同じヒトだと考えていない。そのうえ彼女の父親ソーフィン・ロウルは、ルシウス・マルフォイなどと同じく、「死喰い人(デスイーター)の嫌疑が濃厚だった」うちの一人であるらしい。

 ロウルと視線が一瞬交錯し、その澄んだ青い瞳に、侮蔑の色が一切込められてないのを見て取って、シムは改めて空恐ろしさを覚える。ただのモノを見るとき、人はわざわざ軽蔑の顔つきをしない。

 

「私、年頃の殿方の欲求不満がいかほどのものなのかについては存じ上げませんが――外見がヒトの女性のようでさえあれば、中身がヒトでなくても何でもお構いなしなのですか?」

 

 相も変わらず上品な口調で、まったく上品でないセリフを、いたって純粋を装った表情で、首を傾げて投げつける。フリントの額に青筋が浮かぶ。

 

「純血が『穢れた血』を好くだと?正気か?恋愛などが『穢れた血』に相応しいわけがないだろう。相応しいのは精々――。なぜ分かり切った問いをする?――はたしてお前の方が俺を好いているからではないかと、周囲に疑われたいのか?」

 

 表情を徐々に平静に戻したフリントが軽口を返したことで、談話室の空気がさらに冷えてゆく。ロウルの背後に控える侍女が、無表情のままフリントをじっと見つめる。わざわざフレヤ・ロウルの機嫌を、あるいは侍女の機嫌を損ねたいと思うスリザリン生はまずいない。寮点を減らすという間接的な形でさえそれが躊躇われるのであれば、直接に挑発するのはなおのこと。

 

「『フレヤ・ロウルが()()()()()()()()()()好いていて、(him)と仲睦まじげに会話をしているそれ(it)に嫉妬している』ですか?いったい誰がそんなことを疑うと思いますか?『ザ・クィブラー』ですら――たとえマルフォイ卿が『説得』を試みたとしても――掲載を躊躇う内容でしょう」

 

 しかしロウルは穏やかに微笑んで煽りを返した。

 

「私は母から、人を見た目で判断してはいけないと教育を受けてきましたが。しかしそうはいっても……トロールのような見た目をしている方は、やはり頭脳もトロール並になってしまうのでしょうか?」

 

 一切の(てら)いのない罵倒に、フリントの周囲がロウルに殺気立った視線を送るが、ロウルは意にも介さず紅茶を(すす)る。有象無象の彼らの存在など、純血のホグワーツ首席にとって何一つ脅威たり得ない。

 

「――そうであれば残念ですが、いくら血が清らかといえど、フリント家の継嗣といえど、偉大なる我らがサラザールの寮に相応しいとは言えませんわ。『純血』のヒトたるもの、常に強く賢くなくては」

 

 フリントは首を静かに横に振る。

 

「お前に言われるまでもなく、何がサラザールに相応しくて何が相応しくないかは知っている。俺もこれ以上、サラザールに相応しくない奴らと同じ空気を吸いたくないところだが――その前に相応しくない所業に然るべき処分を下してからでないとな」

 

 セラとシムの方を向いて、にやりと笑みを浮かべる。

 

「お前達、門限を過ぎただろう?」

 

「……え?」

 

 それまで黙って成り行きを見守っていたシムは、思わず戸惑いの声を上げた。

 

「…………私達は、二分も前に談話室に到着したはずですが。こうやってお喋りしていたから、もちろん今は十分を過ぎているけれど」

 

 セラも、談話室の時計(数字も針もない代わりに盤を巡るいくつもの丸い星が時刻を示しており、シムは最近ようやくスムーズに解読できるようになった)と腕時計とを見比べてフリントに言った。ホグワーツでも機能する、入学時に買ってもらった、家計を鑑みれば十一歳への子への贈り物としては恐らく不釣り合いな、彼女の機械式の腕時計は、非常に正確だ。

 

「いや、お前達が入ってきた頃には、既に門限を二分過ぎていた。――そうだろう?」

 

 残酷な表情でフリントは周囲を見回す。次々と同意の声が上がる。

 

「……」

 

 セラは呆れと諦めの入り混じった表情で黙り込む。どう反論したところで聞き入れられるわけが無いだろう。そもそもシムの方も、自分達が本当に遅れていないかどうか、確信が持てなくなってきた。

 

「それに、どうせお前達は校則を二つ三つ破っていたはずだ。遅くまで何を戯れてたか知らんが――今日はこそこそ校内で悪事を働くにはうってつけの日だ」

 

 フリントは断言して嘲笑った。これは「開心術」などではなく単なるかまかけだ。シムは動揺しないように努めた。たしかに校則を堂々と破っていたのは揺るぎのない事実である。

 

「……門限破りにしろ何にしろ、証拠も事実もないのは置いておくとして。それで私達をどうしたい?寮点を減らして、寮監の研究室に連れて行く?」

 

 セラは平然と皮肉る。

 

「寮監はさぞ喜ばれるでしょうね。たかだか二分かそこら遅れた自寮の生徒を、うやむやにせずきちんと報告する、スリザリン生達のパーフェクトでパーシーな規律正しさに」

 

 スリザリン生は通常、自寮で減点し合ったり、自寮の生徒の規則破りをわざわざ教師に報告するような、自寮の得にならないことはしない。寮監の方も、自寮の生徒が多少門限に遅れた程度で、夜の貴重な時間を潰されることなど望んでいないであろうことを、スリザリン生は皆知っている(もちろん、門限破りを()()()()()バレて寮点を損なうような真似を寮監は決して喜ばないということも、グリフィンドール生の見ていない場では寮監に甘やかされることを全く期待すべきでないということも、スリザリン生は肝に銘じている)

 

「いや、わざわざスネイプ教授の手を煩わせるまでもない。スリザリン生の手で罰則を与えれば良い」

 

 彼の目的は要するに、寮生の鬱憤を晴らすための私刑(リンチ)なのだとシムは気づいた。校則破りの理由は何でも良いし、事実はなくても良いのだ。

 セラは露骨に息を吐いて、肩をすくめる。

 

「罰則って書き取り罰則かなんかですか?『次からは門限を守ります』を百回書けば満足ですか?」

 

「そうだな……」

 

 彼は杖を抜いて、シムが警戒する前に、振り終える。談話室の隅で、一人の下級生の男子――生まれだか経済力だか魔法力だかの理由で恐らく寮内の立場が低い――が飲んでいたカップが浮遊し、二人の前で中身のコーヒーをぶちまけた。「盾の呪文」が織り込まれた帽子によって、熱い飛沫(しぶき)は一滴もシムのローブにかからず、床に(したた)り落ちる。カップを元のテーブルに戻すと、フリントは平然と言った。

 

「すまない、手が滑った。……ところでスネイプ教授やフィルチは、よく、グリフィンドールの馬鹿どもに、マグル式の掃除の罰則を課していたな?お前はマグルの血を恥もせず誇っているようだが、それならその尊いマグルのやり方で、掃除をしてみたらどうだ?談話室中を、這いつくばって、綺麗に磨きあげろ。皆が心から声援を送ってくれるだろう」

 

 フリントは杖を振って、汚らしいボロ雑巾を二つ、二人の前に落とした。笑いが起こる(なおスネイプは、「魔法を使わず掃除をする」などというスリザリン生にとって極めて屈辱じみた罰則を、スリザリン生に課すことは通常ない)。

 

 セラは黙ったまま杖を抜き、ボロ雑巾とコーヒーの汚れを消した。そして杖を談話室の隅から隅まで、撫ぜるように掃くと、床の埃という埃がそわそわ地面を流れ、フリントの足下に集まった。毎晩、屋敷妖精(ハウスエルフ)が綺麗に掃除しているため、埃はさしたる量ではなかった。

 

「どうせご存知ないでしょうが、実は今はマグルも、わざわざ這いつくばらなくても、けっこう簡単に掃除を終えられるんですよ。――それはさておき、然るべき正式な手順を踏んだ罰則ならいくらでも受けるけど。失礼ながら、ミスター・フリントはそもそも監督生じゃないだろう?罰則を与える権限は無いはずだ」

 

 フリントが眉をひそめる。セラの指摘の通り、ヴァルカン・フリントは、五年以上の各学年男女二名が選ばれる「監督生」の役には就いていなかった。スリザリンでは監督生の権力が他寮より強い傾向にあるといえど――たとえばグリフィンドール寮では誰も監督生パーシー・ウィーズリーに(うやうや)しく(ひざまず)こうとはしない――それはもともと強い権力を持つ者が監督生になるからであって、「監督生」という役自体の重みは他寮より遥かに軽い(フリントが監督生でない理由は、本人が語る通り監督生の雑務に追われるのを嫌って寮監に頼んだからなのか、あるいは単に成績がフォウリーよりずっと劣っていたからなのかは判然としないが、いずれにせよ七年男子の監督生はフォウリー家の次男が務めており、フォウリーは寮内の自治にほとんど興味がない)。

 

「それに、監督生だって、寮監に報告しなければ罰則を与えられないはずだし、罰も書き取りが精々のはず。談話室を磨きあげなければならない義務は私達にはない」

 

 セラは冷静に指摘を続ける。

 生徒を統率する監督生には、「生徒の寮点を減ずる」権利のほか、校則を破り秩序を乱す生徒に「罰則を課す」権利もたしかに認められている。はるか昔の時代には、同時代のマグルのパブリックスクールよろしく、監督生が専横的な体制を敷き、厳しい上下関係のもと、下級生に自らの気分で体罰を与えるようなケースも少なくなかったという。

 とはいえ、アルバス・ダンブルドアの治世下の現在のホグワーツでは、監督生の権限は大幅に制限されている。罰則を課すためには、事前にその生徒が所属する寮監に書類を送らなければならないし、与えられる罰則も限定される(教師は、「掃除」「自らの仕事の手伝い」などの幅広い罰則を生徒に課すことができるが、体罰を課すことはやはり現在のホグワーツでは認められていない)。手続きを無視して勝手に罰則を与えれば、当然厳しい処分が下る。そのため現在のホグワーツでは、監督生がわざわざ生徒に罰則を課そうとすることは滅多にない。

 

「ああ、そうだな。俺は監督生ではない」

 

 フリントは素直に頷いて、セラの指摘の前半部分を認め――

 

「しかしだからこそ、わざわざ掃除などという軽い罰で、寮生の不満を和らげてやろうとしたのに、断るとは。よほど重い罰がお望みらしい」

 

 ――そしてセラの指摘の後半を無視した。フリントが口元を吊り上げるのに呼応して、取り巻きの上級生達も残忍に笑って、わざとらしく大声をあげる。

 

「十年以上昔は、生意気な下級生には『逆さ吊り』の呪いで礼儀を教えこんだらしい」「爺ちゃんは管理人に『寝れない土牢』に叩き込まれたのが今でもトラウマだって言ってたぜ」「フィルチの部屋にある『傷つかない(ムチ)』も一世紀前は現役だったって聞くがな」「そんなものここに無いだろ。ここで出来るのは精々、『レタス喰い虫(フローバーワーム)ダービー』くらいだ」「『くらげ足(ロコモーター・ウィーブル)』やら『足縛り(ロコモーター・モルティス)』やらをかけて『鬼火の呪い』に追わせて、どっちが速く()えるか賭けるゲームな」「この前のハッフルパフ二年は『足縛り』の方が勝ったっけか」「あれはお前の『くらげ足』が下手だったからだ」

 

 シムの顔から血が引き始めたが、セラが相変わらず呆れ顔のまま手をローブの裾に近づけるのを見て、ふと冷静になった。そうだ、彼らはこちらが怯えるのを見て楽しみたいだけだ。まさか本当にここでそんな(いじ)めを始めようとするはずがない。仮に本気だったとしても、セラが大人しくしてるはずはなく、入口近くの上級生を吹き飛ばして談話室から出ようとするだろう。自分はその際にセラをうまく掩護(えんご)すれば良いだけだ――できるかは分からないが。いや、たしかセラは「守護霊(パトローナス)」とかいう魔法を使って伝言を先生のもとに飛ばせるはずだから、最悪の場合はそうすれば状況は解決する。

 シムは心を落ち着け、顔を引き締める。しかし、フリントは満足げな顔のまま取り巻きの声を手で制すると、談話室を見回しながら言う。

 

「……ただ残念なことに、そこの『穢れた血』の言う通り、俺達は罰則の中身を決めることもできなければ、罰則を与えることもできない」

 

 そして一点を向き、口元を歪める。

 

「――では、幸運にもその両方の権利を持っておられる、偉大なるスリザリン寮の監督生にして、()えあるホグワーツ首席女子の、ミス・フレヤ・ロウルに、ご判断を仰ぐことにしよう。こいつらに相応しい罰は何か?」

 

 フリントはわざとらしくロウルに(こうべ)を垂れた。ロウルは紅茶を飲み干し、カップをソーサーに置く。陶器が触れあって音が鳴ると同時に、侍女が静かに立ち上がって杖を振り、一切の危なげない制御でポットを飛ばし、飛沫の一滴も散らすことなく、主人のカップに紅茶を注ぐ。座り直す前に、主人の舌が好む温度に調節することも、この侍女は忘れない。

 

「罰則ねえ――そうね――」

 

 ミルクを垂らして紅茶を優雅にかきまぜながら、ロウルは首を傾げた。生粋の純血主義者であるはずの彼女の声は、しかし、さして乗り気ではない。

 シムはすぐに気づいた。スリザリン監督生が()()()()()()()()。仮に自らの名と責任において、ロウルがシムとセラに不条理な私刑(リンチ)を課したとしたら。たとえ「マグル生まれへの虐め」であれ、スリザリン生の大半が目撃者であるこの場では、スリザリン生に後で教師に密告されるリスクは決してゼロではない。ゼロでないどころか、フリント達の笑みを見れば、「『穢れた血』虐めで憂さを晴らすことも、ロウルの首席バッジを失わせることもできる」一挙両得の機会を、逃すはずがないことは明らかだ。

 その計算が働かなくとも――シムはロウルの評判を改めて思い出した――そもそもフレヤ・ロウルは()()()()で知られる。それは教師の目が届かない場であっても同じだ。彼女は決して、虐めや脅迫や暴行を、自らの手で行うこともしないし、取り巻きに命じて行わせることもしない。そんな粗野なことをしなければ周囲に格を示せないような、器ではない。仮に自らの障害を排除する必要が生じたとすれば、背後に控える侍女が、(あるじ)の命令を待たずにそれを済ませる。

 

 しかし、では逆に、仮にロウルが、今の異様な談話室の空気のもとで、「罰則を勝手に下す権限は監督生にもない」と正論を言ってフリントを退(しりぞ)けたとしたら。まったく大きな痛手にはなりえないが、しかしそれでも純血主義者達の多少の失望を買うことは避けられないだろう。寮生達の鬱憤の始末を煽るだけ煽ったフリントは、その始末をロウルにつけさせることができる。

 

 シムは、それこそがフリントの狙いだと悟る。どうやらフリントにとって、シムとセラの存在は、もはや憂さ晴らしの道具ですらなく、自らを侮辱したロウルへのささやかな意趣返しのための道具に過ぎないらしい。たとえお互い魔法が使えなかったとしても、今の自分では到底、スリザリンの上級生達と渡り合えないだろう。

 

 であればロウルはどうするか。当然、フリントに提示された選択肢のどちらにも取り合わなければ良い。彼女は、談話室の右奥――とあるスリザリン生専用の机に向けて、冷たい声を優しくかける。ロウルの視線にあわせて、背後の侍女が杖をまっすぐ向け、ロウルの静かな声は減衰されることなく、談話室の端まで届いた。

 

「ねえジェマ、聞こえているでしょう?宿題で忙しいかもしれないけれど、少しよろしいかしら?新米監督生としてのあなたの意見を聞いてみたいわ。じきに卒業する七年生が、いつまでもスリザリン寮を仕切るのはよろしくないですもの」

 

 監督生の一人でもあり、強い力を持つスリザリン生の一人でもあり、純血主義にさほど関心を寄せないスリザリン生の一人でもあり、身分差を甘受して生きて行くことを内心でよしとしない一部のスリザリン生の支持を集める生徒でもあり、カースト外のセラとシムに陰で協力してくれる生徒でもある、五年のジェマ・ファーレイに、代わりに事態の収拾を任せることは、このスリザリン最上級生にとって、至って自然な選択である。

 

 

 

 




毎度感想やここすき機能などありがとうございます…!

・モブスリザリン上級生を出そうとすると、原作ネームドキャラはクィディッチ選手しかいないので、オリキャラばかりになるのは勘弁。貴重なマーカスフリントは七年にもなって三年ドラコと一緒に吸魂鬼コスプレ試合妨害するレベルの精神年齢ではあるので…。

・原作でのスリザリン像はドラコ・マルフォイを中心に画一化して描かれていますが、「純血」「穢れた血」の概念やマグルについてスリザリン生がどのようなスタンスをとっていたかは、バリエーションやグラデーションがあっても当然おかしくないでしょうし、ホラス・スラグホーンが「血を裏切る」レッテルを貼られておらず死喰い人加入前のマルフォイ家と繋がりがあったことからも、ホラスのようなスタンスは決して異端思想ではなかったともうかがえます(スラグホーン家が「間違いなく純血」とされ、ホラスが多数の有力者とパイプを持ち、ホラス自身が極めて有能な魔法使いであったこと、マグルの血に対して親よりリベラルであったこと(原作者エッセイ)を踏まえれば、ホラスは一般的なスリザリンのサンプルとはもちろんいえないでしょうけれど)。
とはいえ本性を表す前のヴォルデモートの主張に少なからずの「純血」家系が賛同を示したことは確かですし、ドラコのスタンスが(彼がスリザリン全体に極めて強い影響力を持ってたにせよ)ごく少数派であったともやはり考えにくい気はします。

・ソーフィン・ロウル:六巻初出の「ブロンドの大柄な死喰い人」。アズカバン収監組かアズカバン逃れ組かは不明。「アバダケダブラを乱射できる」「ハグリッドに無言呪文一発でシレンシオを通せる」パワーを持つものの、ハリー捕縛失敗でヴォルデモートの激しい怒りを買ったり仲間を流れ弾で殺したりで、見せ場が無いままフェードアウト。「呪いの子」との整合性を取るのは大変なので、エフェーミア・ラウル(デルフィーニの養母)は親戚かなんかという感じで。

・ホグワーツの人数について:
原作七巻の間でも描写が一巻していない(確固に設定して柔軟性を損なう意義が薄いからか、一巻執筆後に方針転換したのもあるからか)ため、「①:一学年あたり40人(各寮10人ずつ)」か「②:全校で数百~千人」だと解するのが主流の印象がありますが、この二次創作では、他の多くの二次創作と同じく「全校で千人近く、スリザリン寮は二百人ちょい」のイメージ。多い方が楽しそうなので。

(①の長所(②の短所):ローリング氏の初期構想と合致(The Orginal Forty)・同寮同級生同性の生徒は五名を超えて登場していない・「クィディッチ初回授業の箒の本数」など一巻の描写に合致・「組分けの時間」「大広間のテーブルの長さ」「談話室のサイズ」を現実的に考慮すると妥当(後二つに関しては魔法でどうにでもなると解せるが)etc

①の短所(②の長所):ホグワーツも英国魔法界もあまりにこじんまりとしすぎで寂しい・グリフィンドール単独の授業だと三人組がこそこそ私語をできるような人数ではない・「ハリーが名前すら知らないグリフィンドール生」が何年経ってもそこそこ多い(ハリーの性格的には不自然とはいえないが、「70人しかいない和気藹々としたグリフィンドール寮で名前すら知らない」というのは少々淡白?)・「三巻クィディッチ決勝戦でのスリザリンの観客席の人数(二百人)」などの説明に合致しないetc)


・監督生と罰則について、五巻ロンハーの「態度が悪いやつには罰則を与えることができるからゴイルに難癖付けるのが待ちきれないぜ」「立場を濫用しちゃダメ」「分かってるよマルフォイは絶対濫用しないもんな」、ドラコとハリーの「君と違って僕は監督生だから罰則を与える権限がある」「そうだけど君は僕と違って卑劣なやつだから帰れ」、ハーマイオニーの「マルフォイは監督生だから、あなたをもっと苦しい目に遭わせることだってできる」的な会話からは、原作ホグワーツでは割と気軽に罰則を与えられるような雰囲気もうかがえます。
 とはいえ、学生生活の描写が詳細な割には「監督生が下級生に罰則を与える」シーンは一切なく(もちろん話の筋に絡まないからでしょうが)、アンブリッジの「尋問官親衛隊」においてすら同様(これに関しては、罰を与える愉しみをアンブリッジが独占したかったからとも解せますが)。「監督生」自体が物語において英国の全寮制学校生活のいちフレーバー以上の重みがなく、下級生にとってそこまで大きな存在でもなさそうという印象もあります(パーシーひとりで空回ってたグリフィンドール寮の状況しか読者には分からないので、他の寮の状況には妄想の余地がありますが)。



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第4話 休暇 (5)談話室は清純の場′

・更新の間が空いてしまったので付記:今回の後半部分は、前回の話の場面を、セリフの重複箇所の一部を省いたうえで別のキャラクタの視点から展開している構造です。 (前回までのあらすじ:クィディッチの日にシムとセラは城を抜け出してホグズミード村を観光。険悪な雰囲気の談話室に戻ると、上級生達に難癖をつけられた)
・(野暮な注意書ですが)今話においてはとりわけ、地の文で記された登場人物の価値観は筆者の意見と一致するものではありません



 胸に「監督生」バッジを留めるスリザリン五年生のジェマ・ファーレイは、広大なスリザリン談話室の右の奥、彼女専用のふかふかした肘掛け椅子にもたれ、物思いに耽っていた。

 午前十一時に始まったクィディッチの試合は、スリザリンの敗北という形で午後一時には幕を引き、ジェマはそのまま談話室に戻り――クィディッチは長引く可能性があるので、昼食は大広間ではなく競技場で済ませてしまうのがホグワーツ生の常である。屋敷妖精(ハウスエルフ)が試合の日には予めサンドウィッチを山ほど用意している――通夜のムードの談話室で、いつになく七面倒臭い「魔法薬学」と「呪文学」のレポートを片付けていた。そして夜になり、大広間で夕食を食べ、再び談話室に戻ってきたところだった。

 ベクトル教授の課題がまだ羊皮紙二巻ぶん残っているが、「数占い学」は夕食後の回らない脳みそで取り組むには如何せん荷が重い。明日に回してしまおうか。しかし明日はジャスミンやサブリーナと箒に乗って気晴らしをする予定だ。だからこそ今日は独りで勉強させてと頼んだのだ。それにどうせ平日はまた課題漬け。今後の進路を左右するふくろう(O.W.L)試験(普通魔法レベル(Ordinary Wizarding Level)試験)を控えるホグワーツ五年生は、前年に比べて課題の分量が跳ね上がる。

 そのうえ今年から監督生になったことで、監督生の雑務もこなす必要がある。廊下を巡回したり、生徒の揉め事を処理したり、下級生の面倒を見たり。これらは中々に大変で、些細な楽しみ(つまり、グリフィンドールの校則違反を積極的に減点したり、虐めや喧嘩の現場にお化け呪い(ジンクスオブボギー)をけしかけたり)で相殺できるものではない。溜息をついて鞄から「数霊術」と「幾何学の魔法」を取り出し、目の前の机に置く。地下の自習室とかジェマの個室で勉強する方が(はかど)るのはもちろんだが、談話室の動向は把握しておかねばならない。寮のほぼ全員が揃っているのであればなおのこと。

 

「あのポッター、何でスニッチを呑み込んでも許されるんだ?」

「双子のウィーズリー、あいつら一昨日、糞爆弾・液体タイプをぶちまけやがって。今度という今度は――」

 

 幾千回となるグリフィンドールへの憎悪の声が、左右のテーブルから聞こえてくる。スリザリンはひとつの家族のようなもの。だから、喜びも悲しみも、皆で分かち合う。

 今日の試合でスリザリン寮は、英雄ハリー・ポッターの華々しいデビューの場の、当て馬を演じる役に甘んじるのみだった。ポッターは、自身の箒が不可解な暴走を始めたにもかかわらず、キャプテンのマーカス・フリントの反則級の妨害にもかかわらず、鮮やかに勝利を掴んだのだ。勝利のためにはラフプレイも辞さないのがスリザリンチームの伝統だが、それで勝てなければしようがない。

 まあ、試合の中身もスリザリンチームの体たらくも、いまさら思い返すほどではない。ジェマにとって重要なのは試合結果が及ぼす影響だ。

 明後日の魔法生物飼育学のクラスでグリフィンドール監督生どもの――石頭眼鏡(パーフェクト・ウェーザビー)とアンドレア・ジョンソンの間抜けな得意顔を見なければならないのは実に実に実に実に腹立たしい。今から幻聴が聞こえてくる。耳障り極まりない。

 

「まあ、スリザリンの野郎が弱かったわけじゃねえな。うちのチームが強すぎたってだけだ。ハリー・ポッター御大を抜きにしても、新人チェイサー三人衆からしても層が厚い」「スリザリンに聞こえるだろう、少しは声を抑えたまえ、ジョンソン。それにだ、客観的に分析すると、君の妹(アンジェリーナ)が実力を最大限発揮できたのは、ビーター二人(双子)の連携が優秀だったからだと言わざるを得ない。君の家族愛も麗しい限りだが」「なあパーシー、マジ頼むから、ふくろう試験の練習だと思って、いっぺん『鏡面呪文』をそのイカした眼鏡のレンズに染みこませて今日一日過ごしてくんない?自分の目ん玉バッチリ見えっからさ――あ、やっぱその前に、こっちの会話に興味無さそうなフリしてスカしながら肩と拳プルプル震わせてるそこのスリザリンのおもしろ女の顔を焼きつけてからの方が――っ――」「ふむ。しかしジョンソン、不勉強で恥ずかしいが、僕の記憶ではそんな呪文はふくろう試験には出な――ちょ――ジョンソンもミス・ファーレイも呪いを打ち合うのはやめろ!護れ(プロテゴ)森の生き物を刺激したらどうする!二寮から一点ずつ減点――いや監督生同士は減点できないっ――そうだ君たちは監督生だろう!その自覚を持ったらどうだ!少しはレイブンクローの監督生を――」「るせえよ角縁(つのぶち)眼鏡、先に杖抜いたのはそのクソ女だ、それに今は『魔法生物格闘学』の授業前だぜ、ケトルバーンが愉快な怪物連れてくる前に肩温めとかなきゃだろ」

 

 それに、スリザリンが六年連続で守り続けている寮対抗杯は、クィディッチの点数にも大きく左右される。今回大きなリードを――よりによってグリフィンドールに――譲ってしまった状況もいただけない。今年も勝ったところで、監督生は褒め讃えられないだろうが。負けたとしたら、寮生の関心が監督生に向かうのは避けられないだろう。とりわけ、今年初めて監督生になった、実績のない五年生には。

 

 しかしながら、五年生のチームキャプテンのマーカス・フリント、およびその従兄の七年生ヴァルカン・フリントの傲然な言動がしばらくは鳴りを潜めるであろうことは実に喜ばしい。心底嫌いな男だが、英国魔法界屈指の歴史を誇るフリント一族の次代当主たる、ヴァルカン・フリントの寮内での影響力は非常に大きい。

 スリザリンはひとつの家族のようなもの。だから当然、一人一人に序列(ランク)がある。英国における「純血」の権威が、アルバス・ダンブルドアと「名前を言ってはいけないあの人」の両名に粉々に砕かれてなお、スリザリン寮では依然として、旧家の人間が幅を利かせ、入学したその日から――いや、入学する前から、歴とした序列が出来上がっている。

 ジェマが胸に留める監督生バッジそのものには、所詮教師から与えられたに過ぎない代物には、実のところさして効力がない。監督生になったから力を持つのではなく、力を持つ者が監督生として振舞うことを周囲に認められるにすぎない。

 だから、古き家でも富める家でもない生まれのジェマが、監督生として振舞うことを周囲に認められている現状は――様々な力を寮内の殆ど誰より磨いてきた当然の帰結とはいえ――脆いバランスの上に成り立っているものだ。さながら二月のホグワーツの中庭の池の薄氷に立つような(グリフィンドール生は馬鹿だからわざわざ度胸試しをしてたまに落っこちる)。

 

 話に聞く前寮監、超一流の魔法薬師(ポーション・マスター)、ホラス・スラグホーン師がいまなおスリザリン寮監であれば、もう少し自由に振舞えていただろうか――ともジェマは思う。かの教授は、才を見出した生徒を自らのサロン「スラグ・クラブ」に囲い込み、卒業後の彼らが方々(ほうぼう)で活躍するのを見ることと、彼らから種々の便宜を図ってもらうことを好んだという。両親はスラグホーン教授の覚えがめでたくなかったようであるが、ジェマ自身は、スラグホーンの寵愛を受けることができたかもしれない。才を見出さない生徒には冷淡なまでに無関心であったというその姿勢はまことにスリザリン的であるが、彼は非常に古い純血の名家スラグホーンの出身でありながら、家名や血筋で差別せず(むろん純血思想を持つ教師をアルバス・ダンブルドアが迎え入れるはずもないだろうが)、才のあるものは平等にスラグ・クラブに迎え入れたという。とても話が合いそうだ。

 

(スリザリン生は概ね、強い同胞愛という点で気質を一にしているが、どのように線引きして「同胞」とみなすかは、必ずしも一枚岩ではない。つまり、流れる魔法族の血がどれだけ濃いかを重視する者ばかりだけでなく、魔法の力がどれだけ強いかを重視する者もいる。ジェマ・ファーレイは後者であった)

 

 一方でいまの寮監スネイプは――恐らく寮生にほとんど一切の関心がない。自分は寮監に気に入られていると自慢気な生徒がたまにいるが、あれは単なる馬鹿だ。少し考えれば、グリフィンドールの当てつけとしての贔屓だとか、生家と教授に親交があるからだとか、気づけるだろうに。

 監督生という立場上、ジェマは他のスリザリン生よりスネイプ教授と話す機会が多かったが。彼のジェマに対する印象は、どれだけ好意的に見積もっても、「そこらのウスノロより少しはマシな存在」か、あるいは精々「そこらのウスノロの起こす問題の多くを、自分の手を煩わせる前に内々に処理してくれる便利な存在」であるに違いない。

 余程の才があれば、あるいは教授の持つ力と知を積極的に教え授ける気になるのかもしれないが――彼の魔法薬学のクラスで一番優秀という程度では、全く足りないようである。もとより、あの恐ろしい男に魔法を師事したいとも思わないが。

 

 そういえば、そろそろセブルス・スネイプ教授に会わねばならない時刻が近づいていることを思い出した。暖炉のそばの居心地の良い暖かい空間から離れるのは気が重い。しかし寮監は遅刻を快く思わない。立ち上がり談話室の扉に向かう。「あら、ジェマ、こんな時間にどこに行くのかしら」「昨日、監督生用のお風呂にクレンジング忘れてきちゃったみたい」「それなら呼寄せ呪文(アクシオ)は効きませんね。今から六階まで上がるなんて面倒ね」。談話室の扉を離れると、すぐに凍える冷気が頬を突き刺す。曲がりくねった地下の廊下を進む。

 ホグワーツの地下(ダンジョン)を歩くのはとても落ち着くのだが、冬も近づくととにかく寒いのは頂けない。いまは最短ルートを進むに限る。青みがかっている大理石を選んで一歩一歩を踏みしめる。右斜め前に二歩、左斜め前に三歩、後ろに一歩。そして左の壁のひときわざらざらした石に触れる。体が石に引き込まれ、目の前には寮監の研究室の扉。陰鬱で物々しい、真っ黒の扉。一度深呼吸して、三度ノックし、声をかける。「ジェマ・ファーレイです」。扉が開き、室内の景色が、蝋燭に照らされ仄暗く現れる。棚にずらりと並ぶ薬瓶を背景に、男が座り、羊皮紙を前に事務作業をしている。

 

「こんばんは、スネイプ教授」

 

 足を踏み入れると扉が閉まる。廊下よりはマシとはいえ、室内も薄ら寒い。 

 室内の雰囲気に違わぬ、陰気な男に目を向ける。薬の染みがついたローブ。ねっとりと長い黒髪。土気色の顔。その風貌から、世間や周囲の一切に関心がなさそうだと推察できる。富貴や高雅とは絶望的に程遠い。くわえて、誰も口にしないが、そもそもスネイプなどという家の名は、とんと知られていない。

 ――にもかかわらず、この男を恐れないスリザリン生はいない。一目見て、魔法使いとして自らより格が上だと直観できないのなら、その者は馬鹿かグリフィンドールだ。

 

「掛けたまえ」

 

 この教授は世間話や社交辞令の類を好まない。だからジェマは椅子に座るや否や、端的に要件だけを口にする。

 

「今週も特に何事もありませんでした。先生にご報告すべきことに限れば」

 

 ホグワーツの寮生活は、生徒の自治を旨としている。寮監はみな、自寮に必要以上に干渉しないし、スリザリン寮監はなおのこと。その代わりに監督生のジェマはこうして、寮の模様について報告することになっている。その会合は、週に二度、十五分間。水曜夜の十分間は、他の監督生が全員そろっているから、一対一になるのは土曜夜の五分だけ。

 

「ご苦労。今後も監督生としての君の働きに期待している」

 

 ジェマの簡潔な台詞も、寮監の素っ気ない返事も、いつも通り。厳密に何事もなかったわけでないのも、いつも通り。モンタギューとベイジーの諍いだとか、ブルストロードとパーキンソンの喧嘩とか、ブルストロードのカローの猫の死闘とか、ムーンとアンの深夜徘徊とか、オズモンドとサイアーズとセイシェルの痴話喧嘩とか、そんなことはいちいち寮監の耳に入れる必要も無いだろう。

 

「ときにファーレイ、先週の繰り返しにはなるが」

 

 すぐに退室を促されることもあるのだが、今日のスネイプ教授は羽根ペンをインク壺に置き、口を開く。

 

「君も承知のことと思うが、近ごろの城の様子は平時とは少し異なる。生徒にそのような能力があるとも思えんが――城に下らん騒乱を持ち込むことを愉快に思うような輩が――あるいはそのような輩に協力させられている者が、万一にもスリザリンに紛れているとすれば――それは我がスリザリン寮にとって望むところではない。」

 

 呟くような調子だが、寮監の台詞は聞き漏らすことがない。ジェマの脳裏に、ハロウィーンの騒ぎと今日のクィディッチの様子が浮かぶ。

(ポッターの滑稽な曲芸を見た下級生は彼を嘲笑していたが、買って二ヶ月の競技箒が故障するはずがないことも、箒を暴走させるほどの強力な呪いを生徒が使えるはずがないことも、ホグワーツ五年生にもなれば当然知っている。つまりポッターは何か異常な事態に見舞われていたとみるのが自然であるが、グリフィンドール生がどうなろうがジェマの知ったことではない)

 

「寮の広くを知る立場にある君が、仮に胸に秘めていることがあるとすれば。寮にとっても君自身にとっても、得策ではあるまい。――無論、君が何がしかの圧力を受けているならば、ホグワーツ教授の庇護が君の信用に足るものでないと考えているならば、その限りではないが」 

 

 スネイプ教授の言い回しは迂遠であるが、内容は火トカゲ(サラマンダー)を見るより明らか。スリザリン生の信に背きたくはないが、寮監の信に背くわけにもいかない。

 

「……スリザリン寮の中で、何かしらの不審な動きは、私の関知する限りでは、生憎とありません――優れた能力を持つ生徒や、他の監督生を含めても」

 

 ジェマは寮監の問いかけに嘘偽りなく答えた。嫌いな生徒、失脚してほしい生徒は多数いるが。仮にそいつらが後ろ暗いことをしていたとしても、ジェマが尻尾を掴めるとも思えない。ジェマ以外の監督生も、寮監から同じことを訊かれているのだろうが、ジェマはこれらの件に関して何もやましいことはないから、密告される心配は無い。いや、この件に限らなければ、やましいことをしていないわけではないが、寮監が問題にするほどのことは何もない、はずである。

 ジェマは答えながらも、寮監の黒く虚ろな瞳に、毎度ながら寒気を覚える。明らかに卓越した魔法の力を持ちながら、まだ年齢も若いというのに、何の野心も目的も抱いていないように思える。こちらの生ばかりか、自分の命にすら一切執着が無いのではないか、とまで感じさせられる。

 そもそも、この寮監はなぜ、ホグワーツで教鞭を執っているのだろうか。子供と関わるのが好きでないのは明らかだし、闇の魔術の研究をダンブルドアに禁じられているのは周知の事実であるし、魔法薬を研究するにも他に環境はある。だから、ダンブルドアが何か教授の弱味を握っていて、教授の意思に反して縛り付けているからという者もある。しかし、そうであればダンブルドアがこの闇の魔術師を自らのお膝元に置く理由が分からない。

 

「――構わん。もとより、スリザリン生を疑ってはいない。今のは、寮監の義務としての、形式的な質問にすぎない。無論、教師との会話の断片を吹聴するほど、君は愚かであるまい」

 

 寮監はジェマから視線をそらし、手元の羊皮紙に向き直った。ジェマは緊張を少し緩める。

 

「もちろんです。……もし私に何かすべきことがあれば、お伺いしたいです」

 

「寮生達の学校生活に危害が及ばぬように努めるのは寮監の役目であるからして。我が寮の監督生に何かを――どこぞの寮のように馬鹿げた冒険心や使命感を(おこ)すような真似を――望むつもりはない」

 

「承知しました」

 

 会話が終わったと見てジェマは腰を浮かしかけたが、寮監はなおも呟く。

 

「――とはいえ。寮の……隅まで目を払い、物事を調整する君の手腕は、常々高く評価している。――加えて警告だが、無法の輩であれ、下級生に杖を向けるのは程々にしたまえ」

 

「今後も目を配っていきます。今後はマクゴナガル教授の目に留まらない狡猾さを身に着けるように努めます」

 

 研究室の扉が開く。ジェマは今度こそ立ち上がって黙礼をし、退室した。

 

 

  ★

 

 

 冷え込む廊下を近道を利用して練り歩き、談話室に戻る。深々と自分の椅子にもたれ、息をつく。緊張を強いられる会話は、たとえ数分であろうと疲れる。

 

「ミス・ファーレイ、今よろしいですか?魔法薬学でお伺いしたいことがありまして」

 

 暖炉の火で体が温まるのに任せて休んでいると、一年生が分厚い「薬草ときのこ千種」「魔法薬調合法」を抱えてジェマのところにやってくる。遠慮がちの声色を示しつつも、背筋を伸ばして堂々と。とっさに威厳と寛容と敬意を混ぜた表情を作る。

 

「もちろん、喜んで。――それにしても熱心ね、グリーングラスさん」

 

「勉学は好みませんが、この分野をちょっと励みたくて。もちろん将来の務めは魔法薬師ではないのですが」

 

「感心な心構えです。ただ、私にわかる範囲だと良いのだけれど。一年生の宿題でないのならば、お役に立てないかもしれません」

 

「スネイプ先生とは未だ気軽にお話しできる仲ではないですし、優しくて賢いミス・ファーレイを頼りたいのです。それで、ここでアルマジロの膵液と双頭ナメクジを潰したものに日長石の粉末を加える意味についてなんですけど――」

 

 スリザリンはひとつの家族のようなもの。だから、上級生が下級生の勉強を積極的に手助けする文化が根付いている。不正の手助けが多いのは汚点だが、周囲にさして興味のないレイブンクローの文化、勉強を馬鹿にする風潮のあるグリフィンドールの文化よりは遥かに素晴らしいにきまってる。――下級生のうちは呑気にそう思っていたが、上級生になると、はたして。監督生で、古い血筋でもないジェマは、積極的に下級生に頼られる、もとい、こき使われる。

 とはいえ、ジェマは一年生に不正の味を覚えさせるほど冷淡ではない(ズルをする、他人にやらせるのがスリザリンの流儀だと思っている馬鹿は多い。労働と無縁の家に生まれた人間でなければ、ふくろう試験と就職で泣きを見ることになるのに)。だからガリオン金貨を手に代筆レポートを求めるような生徒が来ないのは良い。それにこの旧家の令嬢は、血筋を鼻にかけてジェマを軽んじるような態度を取らないのも良い。少なくとも表向きはだが(表にも隠さない奴らもいる。パグ犬みたいな顔の一年とか)。

 それに、意欲的な生徒と魔法の議論を交わすには、自分にとってもメリットが――

 

「ファーレイさん、俺も少し良いですか。宿題ではないんですが。時間に関する魔術に興味があって」

 

 ――私はレイブンクローではないから、そんな危険な議論に巻き込まないで。反射的に喉から飛び出しかけた言葉を呑み込む。小難しい単語が書き殴られたノートを携えた一年生がノット家の息子であろうがなかろうが、せっかく自分を尋ねてくれたことへの礼節を忘れるわけにはいかない。といっても、関わりたくはない。時に関する魔法を皆が必死に追い求めようとしないのは、法で厳重に規制されているからではなく、時が思い通りにならないことも、下手にいじろうとすればロクなことにならないことも分かり切っているからだ。談話室を見回し、対岸の隅でぽつんと座る、不気味な魔導書を陰鬱な表情で読んでいるメイ・ルックウッドの姿を見止めた。あいつの父親は魔法省神秘部に勤めていたはずだから、もしかしたら何か知っているかもしれない。と思ったが、すぐにその父親は死喰い人の(とが)で収監中だったと思い出す。ノット家の当主が「捕まっていないが恐らく元死喰い人」とささやかれていることを踏まえると、その息子とルックウッドを引き合わせることは賢明ではないだろう。だからジェマは、自分はこの分野を何も知らないから、ベクトル教授かシニストラ教授あたりを尋ねると良いかもしれないけれど、変に目を付けられるかもしれないから、図書館に行くのが一番良いと思うけれど、禁書でない区画だとあまり役に立つ本は少ないかもしれない、というようなことをつらつらと申し訳なさそうに述べて送り返すにとどめた。まあ、この少年は、この手の質問に乗じてジェマをデートに誘おうとしないのは、ありがたい。ワリントンとかと違って。

 

 それからほどなくして、ジェマが「数占い学」の本を取り出したとき、ばたばた駆けよる音が聞こえ、再び声がかかった。

 

「勉強お疲れさまです。良ければ、眠気覚ましにどうぞ。お好きでしたよね」

 

 ジェマは顔を上げる。マグルの父を持つ、三年生の女子だ。真っ赤な(スズ)の缶を、ジェマのテーブルに置く。

 

「ああシャーリー。気が利くのね、ありがとう。……でも本当に良いの?下級生に使い走りをさせているなんて、周りに思われてしまうかも」

 

「いえ、ほんとに私の気持ちですから!」

 

 女子生徒は手をぶんぶん振ると、ジェマの耳元に顔を近づけて、囁く。

 

「――月曜、三階の女子トイレの前の廊下で、オールディスとブラッドバーンの鞄とローブから、黒い蛇が何十匹も這い出してきて、壁に牙を突き立てて。それが手紙に変わって、読んだ二人が蒼ざめてるうちに、手紙が消えて。それからはあの二人に、何もされなくなりました。――あれ、ファーレイさんですよね。わざわざ私なんかのために、本当に本当にありがとうございます」

 

「……そんなことがあったなんて、全然知らなかった。教えてくれてありがとう」

 

 眉をひそめて呟き、右手を顎に当てる。

 

「でも、何か誤解していない?監督生ジェマ・ファーレイが、同じスリザリン生に危害を加えるなんてことを、見逃すはずも、ましてや自分がするわけもないでしょう?」

 

 ジェマは声を冷たくとがらせて囁き、右手をローブの裾に入れ、杖に触れる。怯えた顔で女子生徒が飛びのく。

 

「……も、申し訳ありませんっ……!」

 

 そしてジェマは両手で少女の手を包み、微笑んでウインクをする。

 

「――でも、シャーリー・サザランドの友達のジェマなら、もちろん。あなたに陰険な酷い嫌がらせをする奴らを、ただで許すわけない。……私こそ、もっと早く気づいてあげられなくて、ごめんなさい。あなたにとって気軽に相談できる存在でなくて、ごめんなさい」

 

 少女の顔が輝く。目をうるませて下を向きながら、ジェマの両手を上下に振る。雫が二滴三滴、床に垂れる。ジェマがゆっくり手を離すと、少女は目元を拭う。そして不意に表情に不安の影がよぎる。

 

「でも、家に言いつけたり教師に犯人捜しをさせたら――私のせいでファーレイさんにご迷惑が――」

 

「そうしたら、あいつらの秘密が、談話室にばら撒かれることになる。どうせそんな度胸はないから、心配しないで。――あとレイチェルから聞いた話だと、キャベンディッシュは蜘蛛(くも)が大の苦手らしい。あいつにも何かされたら思い出しなさい。――そういえば、関係ないけど、ロバートがレイブンクローの子に昨日フられたって話、もう聞いた?――そう。またアタックするつもりなら応援する」

 

 少女は驚いた顔をすると、深々と頭を下げて、ジェマのもとから早歩きで去っていった。人に聞かれるべきでない会話を談話室でしてしまうような、迂闊(うかつ)で不器用なところがあるが、健気で可愛がりたくなる子だ。少女の背中を見送りながら、ジェマは再びローブの裾に右手を入れて杖に触れると、「終われ(フィニート)」と呟いて「耳塞ぎ(マフリアート)」を解呪する。話を盗み聞きされるのを防ぐ魔法は他にもあるが、これが一番使いやすい。教科書に載っていないのも良い(極めて優秀な生徒が在学中に魔法を開発し、その魔法を一部の生徒にのみ口伝する、というケースがたまにある)。

 

 紅茶を一口飲み、先ほどの女子生徒が置いていった錫の缶から、紅炎生姜(アイアージンジャー)ビスケットを一枚、浮かばせて口に放り込む。イモリ形のそれをかみ砕くと、束の間の甘さから一転、目の冴える猛烈な辛さが全身を駆け巡る。この時間のお菓子は大罪だ。けれど折角くれたのだから食べてあげるのが優しさと礼儀だし、甘いものは脳に良いのだとクリアウォーターが言っていた気がするし、これは甘さより辛さが上回っているし、お菓子じゃなくて眠気覚ましだから、何も問題ない。浮遊術の調子があまり良くなかったように思えたので、もう一度缶からビスケットを浮かばせて口に放りこむ。美味しい。

 そしてジェマが図や式がごちゃごちゃ並んだ羊皮紙を取り出して、インク壺に羽根ペンを浸したとき。談話室に不意に静寂が訪れた。

 

「『穢れた血』かよ……」「チッ」

 

 ざわめきが聞こえる。辺りを見回す。遥か遠くで、あっち側(マグル)の生まれのスリザリン生、セラ・ストーリーとシム・スオウが談話室の入口の前に立っていた。

 

 

 

  ★

 

 

穢れた血(Mudblood)」――「純血(Pure-Blood)」の対極の唾棄すべき存在――という言葉の定義は、実のところ、確固としたものはない。

 しかし近ごろでは、生粋の純血主義者であっても、その言葉の意味する対象は、きわめて限定されている。昔がどうだったのかはいざしらず、少なくとも近年のスリザリン寮では、「親の少なくとも一方が、『穢れた血』ではない」のならば、「『穢れた血』とは呼ばない」という共通認識ができあがっている。

 

 つまり、「親の片方がマグル、親の片方が半純血」というような生徒でさえ――むろん寮での序列がどうなるかは言うまでもないが――スリザリンの同胞として迎え入れられる。同胞に「穢れた血」と呼ぶことは、決して許されない。本来サラザール・スリザリンが自らの生徒に望んだとされる条件からすれば、柔軟とさえいえる。

 その代わりに、「穢れた血」が同胞として迎えられることはない。その最低限のラインは守られなければならない。たとえ「穢れた血」がホグワーツ城に混ざっていようと、選ばれしスリザリン寮だけは、清浄でなければならない。

 

 とはいえ、新入生に自らが「穢れた血」でないかどうかを証明させる、ということはしない。端からスリザリンには「穢れた血」は来ないものとして扱われるからだ(そもそもスリザリンには、お互いの出自を過剰に探らない不文律がある。よほど傲慢な詐称でなければ、自称を最大限に尊重しなければならない。気に入らない相手の弱味を探るためであっても、家系図の瑕疵(かし)を探ることは決してしてはならない――さもなければ、自らが同じ報いを受けることになりかねない)。それに、隣のスリザリン生が両親ともマグルであるかもしれないなんてことは、考えたくもないからだ。へえ、スペンサー。聞かない家系だね。大陸の出身かい?ほう。イングランドなの。まあ、母君が魔女なら、君も魔法族だ。なるほど、母からホグワーツなんて聞いたことなかった。それはおかしいな。じゃあたとえば、君の母親の母親が、うっかり杖を持たないときにマグルに無理矢理、そして母親はマグルに閉じ込められて城に通えなかった、ってとこかな。え、普通に学校に通っていた。じゃあ母親は退学になって杖を折られて追放されたのかな。さすがにそうだよね。うん、それなら母親は話したくないはずだよね。君も立派な魔法族だ。ようこそスリザリンへ。

 

 それでは、マグルの生まれであることを隠さないような魔女がいたとしたら――それどころか、マグルの血を堂々と誇るような魔女がいたとしたら。

 

「……『穢れた血』か。今頃になってのこのこ顔を出すとは、良いご身分だな」

 

 当然、徹底的に無視をされる。もしくは、容赦ない攻撃の対象にされることになる。ちょうど今のように、寮全体が、鬱憤の捌け口を求めているときには。

 スリザリンはひとつの家族だ。だから、外敵(よそもの)の侵入は拒む。家名を穢す者は家族ではなく、ただの外敵。

 

「これは失礼しました、ミスター・ヴァルカン・フリント。私の黄色い声援で、キャプテン・マーカス・フリントやスリザリンチームの士気が上がるとは思いもしなかったもので。――もしそうだったのでしたら、心より、お詫び申し上げます」

 

「勝手に泥まみれの口を開くな。誰が発言を許可した」

 

 こちらまで響く、ヴァルカン・フリントの傲然とした声をものともせず、セラ・ストーリーの涼し気な声が聞こえる。

 

「黙っていたままでは許されないのなら、何か発言すべきなのかと思いましたが、それすらも許されないとは――魔法使いは色々な物理法則を無視するだけでなく、排中律も無視できるのですね。勉強になりました」

 

 セラ・ストーリーとは長い付き合いになるが。才気に溢れ、除け者の地位を堂々と甘受する、この魔女に対する自分の気持ちが。慈愛か親愛か羨望か嫉妬か同情か憐憫か軽蔑か嫌悪か罪悪感か恐怖か憧憬か敬意かは、未だによく分かっていない。

 

「発言の許しを乞えと言ったのだ。マグルは英語を教わらずに育つのか?少しは身分をわきまえろ。……一年生の頃はあんなに怯えてコソコソ背中を丸めていたというのに。随分と偉そうに増長したではないか」

 

「たしかに一年生の頃の私は七年生のシーナ・シンクレアとソフィア・ソールズベリーの背中に隠れて生きていたけれど――しかしミスター・フリントこそ、彼女達に近づこうとはしていなかったのでは?」

 

「あのような穢れた野蛮な雌犬どもの名前を二度と出すな」

 

 存在しなかったことになっている忌み名をセラが口にし、四年生以上の一部は、顔を歪める。不本意ながら世話になったジェマ自身、あまり思い出したくはない。セラのように毎日あの二人に鍛えられる(虐待される)のは真っ平だ。

 あの二人は、スリザリン寮の一切合切に、何も気を払わなかった。二人の世界は、二人だけで完結していた。その代わりに、自分達の領域を侵す者に対しては、苛烈に徹底的に応じた。それができるだけの実力は備えていた。自然、相互不可侵の合意が暗黙に生まれていた。今の上級生たちは、何にも媚びず我が物顔で城を闊歩するあの二人を苦々しく思いながら、何も手を打てない自分達にも苛立っていたことだろう。

 

「スリザリンの純血達が、あの下賤な輩に怯えるわけがなかろう。常に片時も離れずくっついているわ、猿のようにすぐに杖を振り回すわで、油断も隙も――いや、ひたすら野蛮だったというだけだ。……奴らに美点があるとすれば、魔法族の高貴な血に、あの穢れた血を混じらせることも無いだろうというくらいのものか。あの様子では二人でいつ式でも挙げるのかと不思議に思ったくらいだ。端から嫁の貰い手もあるまいが」

 

「劣等種は劣等種同士で身を寄せ合うのが世の節理だが――しかしお前もお前だ。身分を偽って、従順な半純血の女として振舞って、蛇に取り入ろうともしないとは。狡知と野心の寮の、素質の欠片もないと言わざるを得んな」 

 

「高貴な家名に恥じないだけの、中身を備えておられない方々に媚びて、人生を無駄にするつもりは無い。生憎と、利己や合理を尊ぶ寮にいるもので」

 

「それで行き着く先がその小童のお守か。――お前はさぞ楽しいだろう。この独りぼっちのママに、寝小便の面倒を見てもらうというのは」

 

 フリントの侮辱の矛先は一年のシム・スオウに移った。マグル生まれ(なかま)が久しぶりに入ったものだから、セラは彼を弟のように可愛がっている。ジェマにとっては、多少ませた一年坊という印象だが、姉にとっては、ジェマに成長を自慢するに足るようだ。

 

「彼の価値を見出せないのであれば――資産のある家に育った人間は審美眼が養われるものだという私の認識は、どうやら見直す余地がありそうですね」

 

 シムの目が談話室を泳ぎ、やがてこちらに向いたのを感じ、ジェマは本に目を落とし、頁をぱらぱらとめくる。自分は無思慮なグリフィンドールではなくスリザリンだ、という言葉は、自分の心に蓋する言い訳に、たいそう好都合だ。

 

「なんで――なんで、そんなに僕達を忌み嫌うんですか」

 

「なんで?……言うに事欠いて、なんで、だと?『穢れた血』の罪業を、説明されなければ分からないだと!?よくもぬけぬけと――」

 

 弱々しいシムの問いかけに応えて、フリントが憤怒の声で演説をする。

 野蛮なマグルに迫害されたおかげで、魔法族は隠れ住まざるを得なかった。「穢れた血」は、マグルにもかかわらず、魔法族のふりをして杖を振る恥知らず。魔法の神秘と文化にたかる寄生虫。マグルの血を混じらせて魔法を弱める侵略者。だから、「穢れた血」を、同胞に受け入れてはならない。……これが、スリザリンの「論理」なのだ。

 

「そのくせ、お前は――お前は――。サラザールの寮にありながら――その身に流れる穢れた血を、蛮族の血を、隠すでも恥じるでもなく、誇るだと?あまつさえマグルどもの低俗な文化を、優れていると崇めるだと?その杖を振り回しながら?――サラザールの教えを――魔法族の誇りを――どこまで辱めれば気が済むというのだ」

 

 怒りのあまり声が途切れ途切れになるフリントの巨体に正対しながら、談話室中の生徒達の憎悪の視線を浴びながら、セラはあくまで飄々と堂々と立っている。つまらなそうな無表情で。もしかすると怯えや萎縮を欠片でも見せてはいけないと努めているのかもしれないし、あるいはセラにとってシーナ・シンクレアやソフィア・ソールズベリーに比べればフリントも周囲の有象無象も全く恐るるに足りないのかもしれない。いずれにしても並大抵の胆力ではないのだが。

 

「さらにそのうえ、『穢れた血』どもは、自分の身分に大人しく甘んじるでなく、声高に権利を求める。……このホグワーツでの教育を許されておいて、これ以上、何を望む?なぜ魔法族と同じだけの富や名声を望む?純血の敷いた秩序を、どこまで壊せば気が済む?『穢れた血』ばかりが護られ、純血はどんどん脇に追いやられ、打ち棄てられる。――あの、魔法力が莫大なだけで、魔法族の秩序を何一つ考えない、半純血で、ホグワーツもウィゼンガモットも国際魔法使い連盟も仕切る、痴呆の独裁者の、アルバス・ダンブルドアと、その信者どものせいで!……たしかに先の戦争で、英国の魔法族の貴重な血が多く流れてしまったのは事実だが――たしかにスリザリンは革命に加担した者も多いが――しかしそれは、ボケ老人の独裁と、純血スリザリンの迫害を許容できることにはならない」

 

 フリントの被害者意識に満ちた演説は、古い家に生まれた者達を代表する叫びといえた。「スリザリン」や「純血名家」の印象は、他の三寮から見れば、魔法界を牽引する誇り高き指導者などではなく。千年前の異端の思想に固執し、マグルとマグル生まれを憎悪し、闇の魔術にのめりこみ、「例のあの人」のもとで家族や親戚や友人を多数殺した者達。マグルの血はどんどん濃くなっているのに、「純血」の自称にしがみつく、所詮は衰退する運命にある者達――そんなところだろう。もしかしたら純血主義者のほうも、今は金と力を蓄えていても、いずれは特権階級ではなくただの少数派の弱者になる恐怖を薄々感じているのかもしれない。

 

「そうはいっても――好きで魔法使いになったわけではないし、好きでこっちの世界に来たわけじゃないし、しょうがないでしょう。どうすれば良いというのですか?」

 

 シムがなんとか反論する。ただでさえ魔法使いは数が少ないのだ。たとえ魔法を一切使えない家に生まれていようと、積極的に迎え入れていくのが、魔法界のためだとジェマは思うが。セラのように優秀な魔法使いならばなおのこと、取り立てないのはスリザリンの損失だが。

 

「魔法界にいるべきでないと言われても……そもそも、非魔法界から来る人がいなくても、魔法界は人口を保てるんですか。三親等までに限ってすら、マグルやスクイブが一切いない人なんて魔法界にどれだけ――」

 

 しかしマグル生まれへの憎悪が寮の柱の一つになってしまっている以上は、理屈ではないのだろう。スリザリンの両親を持つジェマ自身、四年前までは大概だった。だからシムの正論に対して、寮は殺気立つ。

 

「もちろん、私達がいなくとも、あるいはいない方が、少数の純血の皆様で、楽しく元気に魔法界を営んでいけるでしょう。魔法界の問題を全部解決できる、シンプルでベストな方法ですね!魔法界の過去を知り未来を憂う純血の皆様は、さすが聡明でおられる」

 

 セラはやんわりと、殺気をシムから自分の方に受け流した。そのうえで、首を傾げて、痛烈に皮肉を放つ。

 

「ですが――仮に私達が皆、ホグワーツから出たとしたら、魔法界からいなくなったとしたら――。この中の本当に全員が、本心から喜ぶのでしょうか?困る人も少なくないのではないでしょうか?『魔法族の血が濃い』ということしか、心の拠り所がない人は」

 

 これはいくぶん挑発的に過ぎた。無言の怒気で熱くなる空気を肌で感じ、ジェマの頬を汗が一筋伝ったところで――

 

「ミスター・ヴァルカン・フリント」

 

 ここで初めて、ホグワーツ首席(ヘッドガール)のフレヤ・ロウルが声を上げ、場の空気を休息に冷やした。金色に輝く彼女の稀有な髪は、遠くからでも見紛うことがない。

 

「あなた、いつまでそちらに構っているのかしら?困っているでしょう?早く寝床に通してあげなさい。談話室の秩序を、和やかな雰囲気を乱していますわ」

 

 この、成績優秀で品行方正で富貴栄華で魔力莫大で統率力があるだけの女がホグワーツ首席とは、まったく嘆かわしい限りだが、他に首席たりうる人物が七年生にいない以上は、仕方ない。オリバンダーなどは性格が問題外だ。その点、いまの五年女子は、首席決めに苦慮しないから、教師も安心だろう。

(もっとも、クリアウォーターに首席バッジを取られる可能性も十分ある。腹立たしくも彼女に筆記試験では勝てないということをこの四年間で理解させられつつあるし、そのハンディを埋められるほど実技試験で勝っている確信も持てない。それにあいつは真面目だから教師にバレて困るようなことを普段あまりしていないはずだ)

 

「――そもそも、談話室は()()()()の健全な社交の場だということをお忘れですか?――それともまさか、それ(it)を好いているのですか?不器用な求愛行動ですか?」

 

 ロウルはフリントを痛烈に罵る。彼女も生粋の純血主義者だが、「『穢れた血』とは関わろうとせずただ無視すべきである」という姿勢を徹底している。その後も皮肉と罵倒の応酬をフリントと続けながらも、ロウルは穏やかに紅茶を啜る。

 

「――そうであれば残念ですが、いくら血が清らかといえど、フリント家の継嗣といえど、偉大なる我らがサラザールの寮に相応しいとは言えませんわ。『純血』のヒトたるもの、常に強く賢くなくては」

 

 家柄しか拠り所のない能無しならばジェマの敵ではないが。ロウルもフリントも能無し()()()()というのが厄介なところだ。そのうえに、潤沢な資産だとか幼少期から触れる豊かな文化だとか有力者との人脈だとか、そんなものを持っている。ダイアゴン横丁と夜の闇(ノクターン)の境でひっそり看板を出してる道具屋に生まれた一人娘にとっては、そんなものは端から手に入らない。

 

「俺もこれ以上、サラザールに相応しくない奴らと同じ空気を吸いたくないところだが――その前に相応しくない所業に然るべき処分を下してからでないとな。――お前達、門限を過ぎただろう?」

 

 そしてフリントはロウルとの舌戦を切り上げ、再びセラとシムに難癖をつけ始める。罰則を与えるだの何だのと嫌がらせを始め、セラは相変わらず冷静に退屈そうに受け流す。

 

「ミスター・フリントはそもそも監督生じゃないだろう?罰則を与える権限は無いはずだ」

 

「ああ、そうだな。俺は監督生ではない。しかしだからこそ、わざわざ掃除などという軽い罰で、寮生の不満を和らげてやろうとしたのに、断るとは。よほど重い罰がお望みらしい」

 

「十年以上昔は、生意気な下級生には『逆さ吊り』の呪いで礼儀を教えこんだらしい」「爺ちゃんは管理人に『寝れない土牢』に叩き込まれたのが今でもトラウマだって言ってたぜ」「フィルチの部屋にある『傷つかない鞭ムチ』も一世紀前は現役だったって聞くがな」「そんなものここに無いだろ。ここで出来るのは精々、『レタス喰い虫フローバーワームダービー』くらいだ」「『くらげ足ロコモーター・ウィーブル』やら『足縛りロコモーター・モルティス』やらをかけて『鬼火の呪い』に追わせて、どっちが速く這はえるか賭けるゲームな」「この前のハッフルパフ二年は『足縛り』の方が勝ったっけか」「あれはお前の『くらげ足』が下手だったからだ」

 

 無性に苛々(いらいら)してきたが、もちろん読書を続ける。ジェマはグリフィンドールでもハッフルパフでもない。セラも当然、ジェマが今の地位を失いかねない真似は望んでいない。セラにとってこの程度の状況は危険でも何でもない。お互いにとって、これは合理的で最適な選択だ。だというのに、こういう選択をするたびにジェマの心のどこかは「蜂刺しの呪い」を受けたかのような声を出す。この感覚はひどく苛立つ。本のページを無為にめくって、勉強するふりを続ける。

 

「……ただ残念なことに、そこの『穢れた血』の言う通り、俺達は罰則の中身を決めることもできなければ、罰則を与えることもできない。では、幸運にもその両方の権利を持っておられる、偉大なるスリザリン寮の監督生にして、()えあるホグワーツ首席女子の、ミス・フレヤ・ロウルに、ご判断を仰ぐことにしよう。こいつらに相応しい罰は何か?」

 

 案の定、端からフリントは本気ではなかった。仮にもスリザリンの権力者である彼は当然、この衆目の場でセラ達を虐めようとするほど馬鹿ではない。ただのロウルへの意趣返しにすぎない。

 

「罰則ねえ――そうね――」

 

 そして、はるか遠くでかすかに聞こえていたロウルの声が、急に、耳元で響いた。

 

「ねえジェマ、聞こえているでしょう?宿題で忙しいかもしれないけれど、少しよろしいかしら?新米監督生としてのあなたの意見を聞いてみたいわ。じきに卒業する七年生が、いつまでもスリザリン寮を仕切るのはよろしくないですもの」

 

 

 ★

 

 

 驚きを顔に出さないようにするのに注意を要した。ロウルの侍女が杖を真っ直ぐこちらに伸ばしている。指向呪文と拡声呪文を組み合わせているのだろうか。

 ジェマは本を閉じて立ち上がる。スリザリンの原則、一。強者に無為に歯向かうべからず。

 背筋を伸ばし、顎をわずかに上に向け、周りには一切視線を向けず、広い談話室を静かにまっすぐ歩く。軽んじられない程度には遅く、さりとて無礼にならない程度には速いペースを保ちながら。こういう所作は、目の肥えてない者を誤魔化せる程度には板についた。

 しかし表情には出さないが、内心げんなり溜息をつく。セラへの攻撃に加担するつもりはないが、嫌な雰囲気が醸成されている。

 そしてロウルと取り巻きの座るテーブルに近づくと、ロウルの従者が杖を振り、銀色の美しい椅子と小机がジェマの横に「出現」した。従者の魔法の腕に、今更驚きはしない。ジェマは、絡み合う蛇の装飾が施された背もたれを引き寄せて、座った。ロウルに向き直り、にこやかに(しと)やかに挨拶をする。同時に探りも入れる。

 

「ごきげんよう、ミス・ロウル。あいにく、ベクトル教授の情け容赦ない課題に苦労していたもので、きちんと状況をつかめていないのですが。二人が門限に遅刻したから監督生が何らかの罰則を与えるべき、と()()()()()()()()()()()主張している、ということですか?」

 

 ロウルは青い目を細め、穏やかに口を開く。ロウルが座る椅子は、黒一色で、一切の装飾がなく、周囲の銀色の華美な椅子の中にあっては、かえって存在感を醸し出している。むろん、背もたれに嵌っている大きなエメラルドを見れば、その椅子がいちばんの高級品であることは明らか。

 

「ごきげんよう。あなた『数占い系』女子なのかと思っていましたけれど、あなたでも苦戦するほどなのですね。N.E.W.T(いもり)課程では一段と課題が難しくなりますわ。――それはさておき。私も今の件について、概ねそのような認識です」

 

 ロウルの今の意向は、「そこの『穢れた血』と一緒にお前が生贄になれ」ではなく、「そこで『穢れた血』とくっちゃべっているフリントが不快だからお前が黙らせろ」で合っているはず。それならラクだ。まあ、もともと大した危機ではなかったが。スリザリンでもさすがに、「『穢れた血』を抹殺しろ」と唱えなければ「血を裏切る」と呼ばれる(ハブられる)なんてことはない。

 

「わかりました。それでは、口頭の注意で済ませても良いと思いますが。罰則は、原因と改善策を反省文にまとめてもらう形式で、羊皮紙二巻が妥当でしょう。スネイプ教授には私から報告しておきます。高々五分かそこら門限に遅れただけなら、教授はそれ以上の罰則や減点は望まないでしょう。……そもそもストーリーとスオウは何分遅れたのですか?正確に分かっていないと、報告書にまとめられませんけど」

 

 不満の声が飛ぶ。セラは一礼をする。

 

「スリザリン監督生にあなたが選ばれたことはここ数年のスリザリンで最も名誉あることです、ミス・ファーレイ」

 

 ロウルも微笑んだ。

 

「あなた、監督生になったからかしら、あの真面目な『ミスター・監督生』にちょっと似てきましたね」 

「……あんな堅物眼鏡と一緒にしないでください」

 

 ジェマは我を忘れて反射的に七年生を睨んで吐き捨てた。

 

(ジェマはグリフィンドール監督生のパーシー・ウィーズリーが心底苦手だ。彼のどこまでも実直で独善的で猪突猛進で融通無碍な気質は、ジェマの根っからのスリザリンの気質とはとてもそりが合わなかったからだった。それでいて彼は貪婪(どんらん)な権力欲を隠そうともせず、ジェマの同族嫌悪の心を掻き立てるからでもあった。――いや、パーシーがというより、魔法界のあちこちに根を張るウィーズリーの一族自体が嫌いだったといっていいかもしれない。ウィーズリー家――由緒正しい魔法族の家柄として知られながら、「純血」と称されることを嫌い、マグルの血筋を誇る一族。……純血思想に堂々と中指を立てようと、純血主義者に「血を裏切る」一族と軽蔑されようと、()()()()()()()()、グリフィンドールの優秀な大人数の一族。……頼れる親戚もなく、スリザリンのお得意様の機嫌を損ねればすぐに首が回らなくなる小さな店で、両親とジェマの三人のみが暮らす、ジェマが「血を裏切る」レッテルをひとたび貼られたらおしまいの、ファーレイ家などとは違って)

 

 しかしジェマはすぐに冷静になり、パーシー・ウィーズリー如きのために、目の前の権力者に向かって無礼な態度をとるのは愚か極まりないと気づき、頭を下げた。

 

「失礼しました、ミス・フレヤ・ロウル。私はスリザリン生であることを心から誇りに思っているもので、あんなのと並べられるのは心外でしたので」

 

 言いつつも、ジェマの心は冷えてゆく。ウィーズリー家の名を引き合いに出すということは、「血を裏切る」と揶揄することであって、それは「穢れた血」の次くらいに強い侮辱だ。ロウルが虐めを望むと思ってもみなかったが、意向を読み誤ったのだろうか。しかし、ロウルは涼やかに笑う。

 

「いえ、私こそごめんなさいね。勘違いさせてしまったかもしれませんが、(くだん)の監督生は、ハッフルパフのガブリエル・トゥルーマンのことであって、どこぞの赤毛の一族ではありませんよ。――いずれにしても、ちょっとからかっただけでしたの、あなたがスリザリン生ではないと侮辱するつもりはありませんでした」

 

 ロウルはわざとらしく会釈すると、立ち上がってジェマに歩み寄りながら言葉を続けた。ジェマもつられて立ち上がる。

 

「私は四年前からずっと、ジェマを高く評価していますのよ。あなたはとても優秀で狡猾で機智に富んでいて向上心が強くて、同族愛に満ちていてときに柔軟に規則を解釈し、そして決して魔法族としての誇りを忘れない、まさにスリザリンの模範だと思ってます。私だけでなく、これはスリザリン生の総意でしょう」

 

 そしてジェマの前までくると、突如、蛇のように、ロウルは右腕をジェマの肩に巻き付けた。ジェマが反応する間もなく、耳元で囁く。

 

「――だからこそ、当然、そんなあなたが、ヒトでなしやら他寮のはみ出し者やらなんやらと杖を交えて仲良くしてるなんて場面は、私達が間違っても目撃することはありませんよね」

 




キリがとても悪いのですが2万字を越えているのでここで区切ってます。スリザリン寮のあれこれを描きたかっただけの回。監督生とスネイプの距離感ってこんな感じだったろうなとか、スリザリン生同士の距離感とか(英国の学校における学年の差の感覚が日本とどの程度違うのか分からないうえに、スリザリンは何代遡れる純血かということが大きくかかわってきそうでややこしいですが)。
九月には投稿するつもり、十一月には投稿するつもりで、気づけば半年以上経ってしまいました。更新が不定期極まりないですが、感想やここすきなど毎度本当にありがたいです。第4話の残り3回と、おまけの話3回(ジェマが一年生の頃の話)のストックを連日投稿予定です。お付き合いくだされば嬉しいです。


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第4話 休暇 (6)談話室は清純の場 ″

昨日の続きです


「――だからこそ、当然、そんなあなたが、ヒトでなしやら他寮のはみ出し者やらなんやらと杖を交えて仲良くしてるなんて場面は、私達が間違っても目撃することはありませんよね」

 

 ジェマの背筋が凍り付いた。一年生の頃から、そして今もなお、寮の垣根の無い秘密の決闘クラブに参加しているということは、マグル生まれのセラやクリアウォーターなどと魔法戦闘の練習をしているということは、純血主義者の誰にも、絶対知られてはいけないことだった。とりわけ目の前の、マグル生まれを獣と思っているようなスリザリン監督生には。ただの鎌かけだろうか。あるいは、仮になにか知っていたとしても、暴露しない以上は、含みがあるのかもしれない。

 

「何のことなのか、分かりませんけれど。……ただ仮に、私がそんなことをするとすれば。その動機は、その連中と馴れ合うためではなく、魔女としてより成長するためでしょう。いずれ自らに向けられるかどうかも考えずに気前よく力を貸してくれる者達から、血や寮やらを言い分に避けるのは損だと思います、利己的なスリザリンとはいえません」

 

 ジェマは声を平静に保ちながら、ロウルにのみ聞こえるであろう声で呟く。嘘は言っていない――特にグリフィンドールのジョンソンなどとは絶対に馴れ合うつもりはないしあいつは一刻も早く退学になってほしい。ロウルは柔らかく囁く。

 

「そうでしょうね、分かっていますよ。『血を裏切る』つもりだとは思っていません。あなたは入学した頃から向上心がとても旺盛でしたものね。『力』を得るため奪い返すためなら、ひととき身を穢すのもいとわない――私にはとても真似できませんが、それも立派なスリザリンのありかたなのでしょう」

 

 危機の最高潮が過ぎたのを感じて初めて、ロウルの容貌(かお)肢体(からだ)――日頃寮中の欲望と羨望を集める――が、ジェマに触れていることに気づかされた。横目でうかがうと、頬のきめ細かい白い肌が視界に入る。化粧は一切ムラがなく薄く施されている。この女に、私は勝てる気がしない。なおもロウルの吐息が耳をくすぐる。

 

「いまのスリザリンの純血に、あなたより優秀な魔法使いがロクにいないことこそ恥です。一年の頃から私をもっと頼ってくれなかったのはいたく残念ですが、万が一よりにもよってあのヒトでなし達を頼っていたのだとしたら無念ですが――今更それは構いません。私はこれからも、あなたがどう自由に過ごしても気にしませんわ。……ああ、私とあなたの会話には『遮音呪文』をかけさせていたので、ご心配なく」

 

 ジェマが別の方向をみると、ロウルの侍女が座ったままテーブルの下で杖を携えているのが見えた。無表情のままだが、心なしか、視線が強く鋭く感じられる。目をそらす。

 

「スリザリンは一枚岩でない方が良いかもしれませんし――私や七年生は卒業してしまいますが、マルフォイ家もノット家もカロー家もグリーングラス家も、今年は次々に優秀な純血の跡取りが入学してきたことですし」

 

 ジェマは唇を噛む。

 仮にロウルが、ジェマの行動や人間関係をある程度――完全にではないはずだが――見抜いていたのだとしたら。あえて放置を決めている。寮のガス抜きのためか、あるいはジェマが今の寮の秩序に対する真の脅威になりえないためか。

 そしてロウルの言葉を否定できない。ロウルやフリントなどの、純血の有力な派閥が来年いなくなったところで。ジェマ自身がスリザリンの長たりえる力を持っている自信は無い。今年入学したマルフォイ家の継嗣は、未だ寮内の多数の上級生を従えるほどの権力を持ってはいないが、それも時間の問題だろう。

(いくらマルフォイ家の人間といえど、さすがに七年生のロウル家の長女やフリント家の長男を差し置いて寮を統率せんとするつもりはないとみえ、両者ともに敬意を払う姿勢を取っているが、既に下級生を中心に多大な影響力を持っている――いつでも杖を振るえば黙らせられる実力差がこちらにあると思えば気が楽だが、そうすればジェマの両親がマルフォイ卿に永久に黙らされることになる。ノット家の長男やカローの双子やグリーングラス家の令嬢はあまりこの手のことに関心がなさそうだし、ジェマと友好的な関係を持っているが、ジェマが彼らを差し置くことにどれほど多くの者が快く思うかは分からない)

 現状までジェマが上り詰められたということだけでも、御の字なのか。ジェマの口惜しさをよそに、ロウルはジェマにもたれかかるのをやめて体を離すと、何事もなかったかのように椅子に座った。

 

 

「失礼。疲労で少々目まいを起こしてしまったようです。体調の管理には努めているつもりでしたのに。お恥ずかしい限りです。ジェマにもお詫び申し上げます」

 

 そして堂々と(うそぶ)く。説明が納得できるものである必要はない。目まいを起こしただけとロウルが言ったのだから、周囲はそう受け止めるべきなのである。

 無論、今の二分間の不自然な静寂の中で、二人の間に何らかのやり取りがあったことは明らかである。観衆の前でそれを行う目的は、「ジェマがフリントよりはロウルの派閥に近しいことと、ジェマとロウルに明確な上下関係があること」を周囲に改めて示すため、ということも当然明らか。

 ジェマもあわせて口を開く。

 

「とんでもありません、首席の務めや試験勉強でお疲れでしょうから、お大事になさってください。……しかしミス・ロウル、面倒ごとを私に押し付けるなんて、手厳しいですよ」

 

「ごめんなさいね。あなたを信用していましたけれど、監督生になったばかりのあなたが、しっかり役目を果たせるのかを、知りたかっただけですの。たかが場の雰囲気に負けて、誰に密告されるかも分からない場所で、下劣な行いに加担しようなど。狡知と高貴の寮を統率するに全くふさわしくないですものね」

 

 ロウルがフリントを見て首を傾げる。フリントの目が細められた。

 

「ふん。フレヤ・ロウルもジェマ・ファーレイも、スリザリンの監督生は腰抜け揃いか。嘆かわしいな」

 

「それらにわざわざ関わり合って、呪いや暴言でもって自らの心を堕する(ほう)が、理解できません。誇り高き『純血』とは思えません」

 

 ロウルはほかにも、誰に対してであれ暴力や虐めを嫌う姿勢、規則破り(がバレること)を許さない姿勢、試験における不正を禁ずる姿勢を貫いている。ともすればハッフルパフ的とまでいえる、その「優等生」的な姿勢を、疎ましく息苦しく思う者も少なくない――だから暴力や規則破りや不正を好む連中は、ロウルの敷く秩序から逃れるために、たいていフリントの派閥に近しい派閥に身を置く。

 

「ふん、どの口が。それが本心ならば、俺に言うより先に、お前の()()()()()同じことを言ったらどうだ。お前の父上は、『穢れた血』やマグルどもに指一本触れなかったのか?」

 

「……それはフリント家からロウル家への侮辱ととらえてもよろしくて?父はただの一度も、ウィゼンガモットで有罪判決を受けていません。――それに私は父から、秩序のもとでは、秩序を乱さないように生きろ、と教えを受けています。今はヒトでなしを排除して世を清めろ、という『秩序』が敷かれているわけではありません。ヒトでなしであれヒトであれ、二足で歩くものを杖で傷つけてはいけないという『秩序』です。そうであれば、それらにあえて杖を向けて近づく道理はありません。私は秩序と倫理に従うのみです」

 

 いや、だからといって、フリントに近い者が、皆が皆ろくでもない連中というわけではない。フリント家は死喰い人の疑惑などの、黒い話は特にない。一方でロウル家には、数々の不気味な後ろ暗い噂が付きまとっているから、フレヤ・ロウル自身があくまで高潔な優等生然としていることも手伝って、彼女を訝しみ距離を置く者も少なくない。

 そういうわけで、今のスリザリン寮は、ロウルの派閥とフリントの派閥の二つが最大の派閥として君臨している状況にある。ジェマは今のところ、寮内でも発言力ある者の一角として、どちらにも目をつけられることなく、取り込まれることもなく、ある程度好きに振舞っていられるが、自らの派閥の力はごく小さい。

(ジェマ自身が、血の濃さだのなんだのに内心まるで関心が無いのだから、ジェマを慕う者は、スリザリンで傍流にあたる者が多くなるのは当然だ。マグルの祖母や父を持つような者――それも「より強い者の庇護」ではなく「より自由な呼吸」を求めるような者だとか)

 この両者は日ごろは対立していないが、今日は少々険悪にすぎる。フリントの挑発で再び不穏になる空気を散らすかのように、ジェマも溜息をついてロウルの発言にかぶせる。

 

「分かっていてわざと言ってるんでしょうけれど、ミスター・フリント。監督生の権限を越えたところで、後で責任を被って損をするのは私やミス・ロウルだけで馬鹿みたいじゃない。それが不満なら個々人で決闘でもなんでも勝手にやってください」

 

 ジェマは談話室の扉を指さす。彼らが本当に外に出ていくとも思えないので言ったが、セラは呆れと苛立ちが混じった様子で肩をすくめた。

 

「さっさと寝かせてほしいところですが。決闘ごっこなら、付き合っても良いですよ。体も温まるし」

 

「下級生の『穢れた血』に決闘を挑むほど、落ちぶれちゃいない」

 

 フリントはせせら笑った。

 

「……内容だけなら言い訳の印象を与えかねない台詞を、威厳を一切損なわないままに唱えるとは、さすがは高貴な生まれと育ちが成せる技巧ですね」

 

 セラの皮肉は、しかし飽くまで慎重な調子であり、フリントの台詞の返答として期待されるべき挑発の範疇に収まっていた。

 彼女自身、互いの力を測りかねているのだろう。セラは確かに魔法戦闘の腕が非常に優れている。くわえて今は平和な時代だから、そもそも腕を磨こうとするスリザリン生は少ない。だから、並のスリザリン生相手では、複数に囲まれようと、背後から不意打ちされようと、セラは一蹴できる。しかしそれでも、セラはホグワーツ生で最強というわけではない。少なくともジェマ自身は、セラにいつも勝てないというわけではない。そしてジェマが決闘を挑む自信のない者が談話室にいるとすれば、ヴァルカン・フリントはその一人だ。

 

「たしかに貴方の仰る通りなのでしょう。元々条件がフェアではありませんね。仮に貴方が私に胸を貸したところで。貴方は勝っても何の栄誉も利益も得られず、さりとて負ければ、貴方が失うものは、私が負けて失うものより遥かに大きい」

 

 セラの言う通り、純血旧家の人間が、三学年も下の「穢れた血」に、正面から決闘を挑んで万一敗れようものなら、もしくは背後から呪いをかけようとして万一返り討ちにされようものなら、失うものがあまりに大きい。一方で、下級生の劣等種に勝利したところで何の自慢にもならないし、そもそもセラ・ストーリーに確実に勝てる自信もない。――ほぼすべての六年生や七年生がセラと接触しようとしない理由の一つは、ジェマの考える限りはそれだろう。多くの純血主義者は、この図に乗った穢れた魔女は早く誰かに叩きのめされて身の程を思い知らされるべきだと考えているだろうが、その「誰か」は少なくとも自分ではないとも考えているだろう。

 

「なんでも決闘で雌雄を決するような、そんな野蛮な時代ではないだろう。魔法戦争は終わった。力ある者はいかに勢力を増やして固めるか、力なき者はいかに強者の庇護を得るか。それが賢い蛇の在り方だ。個は集団に勝てない」

 

 フリントが唇を歪めて紡いだ言葉は、しかし正論といえた。暴力が幅を利かせる時代は終わった。スリザリン寮も今は、腕が優れれば直ちに「上」に行けるというような空気ではない。

 

「お前も、ここの全員を敵に回して勝てるとうそぶくほど、愚かではないだろう?」

 

「ええ、そうですね。せいぜい四、五人を同時に相手取るのが限界でしょう」

 

 幾人もの上級生が額に青筋を浮かべ、ローブの裾に手を伸ばした。セラは気にせず続ける。

 

「それともまさか、この場の全員で私を袋叩きにしようとするほど、『純血』様のプライドがないわけではないでしょう?そこまでしなければ、非魔法族出身の一人にさえ勝つ自信が無いわけではないでしょう?」

 

「どんな手段を用いようと、勝てば良い。それが蛇の信条だ。勝利こそ誇れるものだ」

 

 セラの皮肉を意に介さず、フリントは平然と言い放った。

 

「たしかに、『穢れた血』一匹二匹、集団でかかる価値もないが。我々がそういう態度に出ないのは、誇りの問題というよりむしろ、慈悲の問題だ。お前が今ここで、我ら純血の憩いの場に入り込んで、純血と同じ空気を吸うことが許されているのは、単に我々の慈悲だということを忘れるな」

 

 どこまでも傲然に言うと、ふと彼は上の空を見つめ、自嘲気味に吐き捨てた。

 

「それに――たとえ魔法戦闘が多少強かったところで、結局のところ上には上がいる。個は集団に勝てないとつまらない常識を口走ってしまったが、非常識の存在を忘れていたな。強者を2ダース3ダース相手どろうと、一顧だにせずねじ伏せる()()()()()がな」

 

 ヴァルカン・フリントの台詞で、談話室の上級生の数人が凍り付いた。紅茶のカップを持ち上げたロウルの右手も、ふいにぴたりと止まり、慣性のままに躍り上がった飛沫が、ロウルの従者の杖によって即座に消された。

 

「……これは善意の忠告だが、結局、我々の持つ力というのは、そういった本物の強者に気に入られるための指標になる役割しか果たさない。むろん気に入られなければ、精々、強者から逃げて隠れる役割しか果たさない」

 

 

 誰にとっても言うまでもないが、彼の言う「本物の強者」は、明らかに特定の魔法使い達を指していた。

 

 その名はまずは、アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。スリザリンの憎むべき敵。マーリン勲章勲一等・大魔法使い・最上級独立魔法使い(スプリーム・マグワンプ)魔法戦士隊長(チーフ・ワーロック)・ウィゼンガモット首席魔法戦士・国際魔法使い連盟議長・ホグワーツ魔法魔術学校学校長の数々の称号と地位を(ほしいまま)にする、英国魔法界に一世紀を越えて君臨する忌まわしき老人。

 

 そして何よりも、「()()()()()()()()()()()()()()」。

 

「例のあの人」が消息を絶ったのは、わずか十年前。「例のあの人」在りし日の記憶は、最上級生にとっては生々しく焼き付いている。そして何人かは、実際に「あの人」を()()可能性がある。今のホグワーツ生の中で、「例のあの人」がなぜ()()()()()()()()()()()とまで呼ばれるのかを誰より正確に認識しているのは彼らだろう。支持者や協力者でもなければ、「あの人」と相対して無事に生き残るなど、どだい無理だったのだから。

 

 だからこそ。普段の談話室において、「あの人」の話題をおくびにも出す者は誰もいない。自らの家が「あの人」と密接に関わりがあったとちらつかせることは、不利益でしかないから、という打算的な理由ではなく。むしろもっと本能的で感情的な理由で。

 

 フリントは寮の禁忌(タブー)を侵した空気を吸いながら、笑う。

 

「――話を戻すが、そもそも、魔法の力の優劣は決闘だけで測れるものではないだろう?高度な呪いは、生徒同士のお遊びの決闘などは、常識的に使えないだろう」

 

 思わせぶりに言うと、フリントは杖をゆっくりと取り出して上に向けた。

 

闇よ熾きよ(ラーワ・インセンディオ)

 

不吉な詠唱とともに、彼の太く短い杖から、禍々しい赤黒い炎と熱風とが噴き出し、ドラゴンの形をとった。ドラゴンは威嚇の咆哮を上げ、談話室の天井を旋回し、弾けて消えた。

 ジェマもセラも声色を変えた。

 

「……あなた正気?」

「……使って良いわけがないじゃないか、一歩間違えれば何十人も死ぬ」

 

 フリントの(まじな)いを見て、スリザリンの寮内を流れるバカバカしい噂の一つがジェマの脳裏をよぎった。――「ヴァルカン・フリントは、『悪霊の火(フィエンドファイヤ)』を()()()()()

 悪霊の火とは、あらゆるものを焼き尽くす地獄の業火。一人の魔法使いが杖を振るだけで行使できる魔法の中では、最高級の破壊力を持つ。この呪いの真に悪辣な点は、最上級の闇の魔術にもかかわらず、「習得して行使する」だけなら、ホグワーツ上級生であっても、力の優れたものならば十分可能であるという点である。しかしよほど力が無ければ、術者は暴れ狂う炎に喰らわれ自滅する。この呪いを正しく制御するには困難を極める。

 フリントは自らに注がれる畏怖の視線を、満足気に見渡した。

 

「ああ、もちろん、学校で『穢れた血』の火あぶりパーティをやるつもりはない。俺がそこまで馬鹿だと思うのか?常識的には使えないと言っただろう」

 

 そして彼はセラに顔を向けてせせら笑う。

 

「……まさかとは思うが、こんなのが本物の『悪霊の火』だとは思ってないだろうな?これは飽くまで、ただの虚仮脅し、無害な『お化けの種火(ボギーエンバー)』だ。紙一枚すら焼けない代物だ。常識だろう?パーティの余興で見たことが一度もないのか?」

 

 宙の一点を見た後、大袈裟に手を打つ。

 

「………ああ、『穢れた血』にはそんな機会があるわけがないな。分かり切ったことを聞いて、すまない」

 

 フリントがわざとらしく会釈をし、周囲に忍び笑いが広がる。彼が本当に「悪霊の火」を制御できるほどの能力を持つのかは、周囲の者にとって問題ではない。高度な呪いを「使えるかもしれない」と思わせるだけで、周囲を畏怖させるには十分。

 

「しかしファーレイ、まさかお前は怯えてはいまい。お前も『お化けの種火』を見たことが無かったのか?お前はああいうこけおどしの類の呪いをよくグリフィンドール連中にけしかけているだろう」

 

 ……そういえば、純血達のパーティでは派手な魔法を魅せるようなこともあると聞いたことがあった。ジェマはもちろん、幼少期にはそんなものにお呼ばれする機会はなかった。平然とした表情をなんとか保つ。

 

「……あんな風に自分の力を遠回しにちらつかせるのが悪趣味だと思っただけ」

 

「そう無理に強がっても可愛げがないな。……まあ、社交の場に出たことがないというのは、お前も同じだったか、ファーレイ。少しはしおらしくして、良いところに嫁に行けると良いな。もう手遅れかもしれないが。手遅れだったら、(めかけ)に迎えても良いが」

 

「あなたに心配される筋合いはない、ミスター・フリント」

 

 忍び笑いが広がる前に、ジェマは声を低く凍り付かせて言った。

(ジェマと学年の近いスリザリン生には残念ながら、彼女の興味を惹くような生徒はほとんどいない。いたところで、二回もデートすればこちらを尊重しそうもないタイプと分かって冷める。三年にセドリック・ディゴリーが一人いるぶん、ハッフルパフの男子の方がマシかもしれない。むろん、仮に彼とのロマンスが始まることがあれば、無数の女子生徒からの殺意を一身に引き受けることになるのだろうが)

 

 そしてしばらく黙っていたロウルが、口を開いた。

 

「一理あるかもしれませんね。闇の帝王は、お隠れになってしまわれた。『闇の魔術に対する防衛術』も、『闇の魔術』も、たとえ修練したところで、さして意味のある時代ではないのかもしれません」

 

 ロウルは滑らかに黄金色の杖を取り出すと、天井に掲げた。フリントに支配されていた場の注目が、再びロウルの手に移る。そして目を(つむ)り、歌うように唱える。

 

光よ流れよ(ルーモス・フルーエ)

 

 細く長い杖先に、緑の光が灯る。煌々と明るさを増してゆき、突如、眼もくらむような緑の閃光が六条、天井に向けて放たれた。光は天井を這うように四方へ広がり、壁に流れ床に伝わり、広大な談話室全体を、昼間のように明るく、緑一色に包む。ロウルが再び杖を振ると、緑色の光はすべて流れ落ちて、飛沫(しぶき)をあげる奔流となって渦を巻きながら彼女の足下に溜まり、そしてするする杖先に吸い上げられ、すべての光が杖に呑まれると、談話室にもとの仄暗さが戻った。杖を仕舞い、彼女は口元に薄く笑みを浮かべた。

 

「上の世代とは違って私達は幸いにも、卒業後に同胞と殺し合いを演ずることにはなりませんしね。殺し合いの場で飛び交う危険な呪いは、当然必要ありません。淑やかにつましく暮らしていれば済みます」

 

 一年生の九月に教わる「光よ(ルーモス)」のただの変種。そのはずなのに、ロウルの言葉が再び響くまで、談話室にいる誰もが動きを止めていた。今の曲芸に要求されるであろう莫大な魔力と高度な技術に畏怖させられたから、という以前に、緑色の閃光は――この色の閃光を伴う呪いは「ナメクジ喰らえ」など数々あるが――何よりもまず、「死の呪い(アバダ・ケダブラ)」という名の禁術を想起させるからだ。

 

 ――ロウル家では、庭小人(ノーム)やドクシーの駆除に死の呪い(アバダ・ケダブラ)を用いるらしい――

 ――フレヤの父ソーフィン・ロウル氏が死喰い人の嫌疑から解放されたのは、犯罪現場の目撃者をすべてその場で死の呪い(アバダ・ケダブラ)で仕留めて証拠が残らなかったから――

 

 ジェマはふと、スリザリン寮でまことしやかに囁かれるバカバカしい噂を思い出す。「死の呪い」は、ヒトのみならず大概の魔法生物も一撃で(ほふ)ることのできる呪いであるが、習得が非常に難しいばかりか、莫大な魔力も必要になる。そのためたかが逃げ惑う庭小人ごときのために、数十発も「死の呪い」を打つというのはあまりに燃費が悪いのだが、しかしロウルを見ているとあながち与太話とも――。魔法族の家で使われた呪文は魔法省に検知されないし。

(まあ、少なくとも、後者の与太話は、死の呪いを瞬時に連射できるはずもないという点にたとえ目をつぶろうとも、そもそも目撃者がいないのなら噂が流れようはずもないという点が致命的だ)

 

 ロウルが静かに紅茶を啜り、場の空気が色を取り戻してゆく。フリントとロウルの術を見たことで、談話室の一部はセラに嘲笑と挑発の眼差しを送る。さながらグリフィンの威を借るニーズルだ。

 

「――さすがはホグワーツ七年生、お二方ともお見事です。たしかに私は、高度な呪いを使うことはできません。私の家には闇の魔術の書物はありませんし、図書館の禁書も未だ手に取ることが許されない学年です。夏休みに堂々と法を破って家で魔法を練習して、皆さんに必死に追いつくこともできませんし――もちろん、皆さんがそんなことをしているとは思わないですが」

 

 セラは皮肉たっぷりに言うと、ローブから自らのイチイの杖を取り出した。同時にロウルの背後の侍女が立ち上がったが、ロウルはセラを見つめたまま、片手で合図を送って侍女を座らせる。

 

「とはいえ、曲芸を披露しあうのなら私も参加できそうです。これはたしかに魔法の力を測るのにうってつけですね。校則違反もになりませんし、怪我をする心配もないですし」

 

 セラは深呼吸をすると、誰も座っていない近くの椅子を計三脚、脇に呼び寄せ、三度ずつ叩く。椅子はいったん緑色の大蛇に転じたかと思うと、皮が破れて裂け、談話室の天井に届かんばかりの巨大な生き物に変成する。奇妙な大トカゲ――たしかこれは、マグルの空想のドラゴン、「嗅竜(ライナソー)」といったか。セラが前にそう言っていた気がする。

(マグルは不可解にも。()()()ウェールズにドラゴンが生息しているという話はお伽噺だと思い込む癖に、人が現れる()()()の大地には、火も噴かないドラゴンがうじゃうじゃ闊歩していて、その子孫が()()()()()()()()()()()(わし)()()()()なんて話を、本気で信じ込んでいるらしい)

 竜は天井に向けて咆哮を上げ、口から赤黒い炎を噴き出す、炎は流体へと転じて落ち、竜の頭から全身を包み込む。竜の体を包み込んだ流体は緑色のまばゆい光を放ちながら縮み、やがて元の椅子へと戻った。

 そしてセラは一礼をし、杖をローブに仕舞った。談話室は静寂のまま。たしかにブーイングを飛ばせないレベルの曲芸だ。変身術の授業では、五年生であっても、鳥をグラスに変えたりネズミを「消失」させたりといった課題が精々で、ふくろう試験もその難易度を大きく超えない。それでもボリュームゾーンの生徒にとっては、「E・良」を取って翌年の上級クラスを受講する権利を勝ち取ろうと思えば、多大な努力を要する(ただし上位層はとっくに七年生以上のレベルの術を習得しているし、もちろんジェマも、今ふくろう試験を受けても「O・優」を取れると確信している。いや、四年生の今頃……のさらに一ヶ月に受けても取れているはず)。杖魔法の素養も練習量も卓越していることを否応なしに知らしめる、純血主義者達へのこの上ない嫌がらせ。

 このように七年生達と張り合うのが、しかも先の二人の例を踏襲した魔法を見せるのがスリザリンとして賢明なのかどうかはジェマには分からない。とはいえ何もせず引き下がるのも賢明ではなかったかもしれない。とりわけ一年生のシム・スオウを庇護する役目があるとなれば、なおのこと、力を誇示して舐められないようにするのがセラの生存戦略なのかもしれない。

 

 談話室の沈黙を破るように、ホグワーツ首席は手を三度叩く。自身の力を把握しているがゆえの、余裕に溢れる態度で。

 

「ヒトでなしの癖に、杖の扱いがまた随分と上手くなったのね」

 

 称賛一転、ロウルは心からの侮蔑の眼差しを送る。

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()のかしら。……つくづくお前達はおぞましいことをするのですね。その子は本当なら今頃、お前よりずっと素晴らしい魔法使いになっていたでしょうに」

 




モブ上級生女子の姓をパーキンソンかブルストロードかカローかジャグソンあたりで悩んでロウルにしたところモブ感が消えてハイパー魔力令嬢になった。「ナメクジ食らえ」が緑色の閃光なの絶対意味が無いと思いますがなんか面白いです


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第4話 休暇 (7)清純は正準

昨日と一昨日の続きです。


「マグルの癖に、杖の扱いがまた随分と上手くなったのね。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()のかしら」

 

 称賛一点、ロウルは心からの軽蔑に満ちた視線を送る。

 

「つくづくおぞましいことをするのね。その子は本当なら今頃、お前よりずっと素晴らしい魔法使いになっていたでしょうに」

 

 

 ★

 

 

 純血主義の信念では、「穢れた血」は「純血」より魔法の力も技も遥かに劣る。しかし現実には、目の前のセラ・ストーリーのように、マグル生まれの中にも卓越した魔法使いはたしかに存在する。では、その矛盾を純血主義者はどのように解消するか。一つの方法は、単に見て見ぬふりをする。また一つには、たまにはそういう例外もいると受け流す。また一つには、実力を過大に見せかけているだけと信ずる。あるいは一つには、魔法の猿真似は上手くとも、下等なマグルの風習と文化に染まっていて、教養も品性もなく人間として劣っていると断ずる。――そして一つには、()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()と本気で考え嫌悪する。

 

 そもそも純血主義者にとっては、マグル生まれは魔法使いではない。マグルの両親から生まれるのはマグルに過ぎない。スクイブの子から数世代を経て魔法の力が発現するなど、起こりえない。

 であれば、マグルなのに、我が物顔で杖を操る者達は一体何なのか。

 魔法の力を、何らかの不当な方法で魔法族から「強奪した」マグルなのだ。

 そうであれば、強力な「穢れた血」が稀に現れるのも、有り得ないことではない。それだけ強力な魔法使いから奪ったということなのだから。そんな奴らはただの「穢れた血」より、なおのこと罪深い。

 当然、マグル生まれにとっては、まったく身に覚えのないことである。すぐにでも反論や疑問が多数生じる。シムは衝撃むきだしの様子でロウルに声を張った。

 

「なんでそんな……『奪った』なんてことを言うのですか?おかしいでしょう?」

 

 

 ★

 

 

 ジェマは二年前のちょうど今頃のことを思い出す。あの頃のセラは、シーナ・シンクレアとソフィア・ソールズベリーが卒業して間もなかったため、虐めのターゲットとして狙われ、返り討ちにする、ということが頻発した。セラがスリザリン談話室の近くの廊下(暗く細い道が入り組んでおり、虐めにはかなり向いている)で、上級生数人を吹き飛ばしたところに、ちょうどジェマも、侍女を従えたロウルも、通りがかったのだ。

 その上級生達はロウルにそれなりに近しい者であり、ジェマはセラの今後の身を案じた。しかしロウルは倒れている者達を嫌悪の目で一瞥すると、特に何もしようとせず、セラに視線を移し、今と同じようなセリフを吐き捨てるのみだった。セラは訳の分からないといった表情で、必死にロウルに問いかけるのだった。今のシムと、ちょうど同じような内容を。

 

「そもそも魔法の力を強奪するなんてことができるのですか?いったいどうやって?」

――お前達ヒトでなし自身がよく知っておいででしょう?私達魔法族(ヒト)には計り知れませんし、想像すらしたくありません。どうせ極めて野蛮な方法なのでしょう。ヒトの子どもに陰惨な暴力をふるって再起不能にし、ヒトの血を取り込むと、稀にそのような不運も起こってしまうのでしょう。

 

「魔法の力がそんな簡単に奪えてしまうのなら、『魔法族を親に持ちながら魔法の力を持たない』人たちの存在は、どうやって説明できるのですか?」

――出来損ないのスクイブといえど、お前達とは違って最低限の矜持は、魔法の力を奪わないだけの誇りは持っているのでしょう。あるいはどうあがいても魔法の力を手に入れられないほど、不幸な存在なのかもしれません。いずれにせよ、スクイブが生まれてしまうのは、マグルの血が濃い家の話であって、古い家には関係のないことですが。

 

「……非魔法族の生まれの者も皆、十一歳でホグワーツに入学します。たかだか十歳にも満たないような子供に、そんな『おぞましい暴力』ができるのですか?」

――たかだか十歳に満たないのにそんなことができてしまうほど、残虐だというだけでしょう。

 

「……でも『強い魔法使いの力を奪った』と言っても、十歳にも満たないような子供に力を奪われてしまうような魔法使いは、『強い魔法使い』と言えるのですか?」

――自分が奪っておきながら、その対象をあまつさえ侮辱するというのですか?もちろん大人のヒトには子どものマグルがかなうわけがないでしょう。だからお前達は、幼いヒトの子どもに暴力をふるって奪ったのですよね。

――ヒトとて生まれたときから完成されてはいません。いかに力が強かろうと才能があろうと、幼く、杖を持たず、魔法力の制御がおぼつかない状態では、下劣なマグルの暴力に敗れてしまってもおかしくはありません。……魔女狩りが激しかった頃は、ヒトの子どもが多く犠牲になりました。魔法の力の片鱗をマグルにみられてしまった不幸な子どもは、運が良くて直ちに処刑をされ、運が悪ければ激しい拷問や私刑の末に、魔法の力を制御できなくなり、気の毒にもヒトとしての未来が全く断たれたり、あるいはオブスキュリアルとして凄絶な最後を遂げたりしました。その当時であれば、そんな憐れな子どもから力を奪った悪しきマグルは、自分が魔女として告発され拷問され処刑される、自業自得の末路を辿ったのでしょうけれど。

 

「……いや、そもそも、非魔法族の出身者を代表して言わせてもらえば、暴力で魔法を奪うなんてことをした覚えはないです。普通に暮らしていたら、ある日突然、副校長先生が訪ねてきて、入学許可証を(たずさ)えて、ホグワーツに千年受け継がれる『受け入れ羽根ペン』が『入学名簿』に私の名前を記したのだと仰りました。そしてダイアゴン横丁に行き、イチイの杖を買ってもらいました。杖が私を選んだんです!」

――犯罪者がみな自首して自白するのなら、魔法警察も闇祓いも必要ありませんわ、白々しいですね。ホグワーツの深奥の秘密は知りませんし「入学名簿」の現物を見たこともありませんが、聞くところによれば「入学名簿」には、当人の魔力と両親の魔力の混同を防ぐために、僅かな魔力の兆候を検知したときではなく、強く明確な魔法の力を示したときに初めて、当人の名前が記されるのでしょう?ですから、「入学名簿」に記される以前の幼い子どもから力を奪ってしまえば、図々しくも「入学名簿」に横入りをしてしまえるわけですよね。

――偉大なるフィニアス=ナイジェラス・ブラック校長も、その不正には頭を悩ませたことでしょうが、どうにもしようがありません。これを防ぐために、僅かな魔力の兆候を検知した段階で入学を認めるようにしてしまえば、今度は代わりに、本人の周りにいる両親の魔力と誤認して、スクイブの名を記すことになりかねませんし。あるいはロウェナの仕掛けに修正を加えること自体が困難なのかもしれません。

――そしてお前達が杖を所持していることが、なぜお前達が正しくヒトである証明になると思うのですか?杖の忠誠心が敵へと移ることもあるくらいですから、たとえヒトでなしであろうと、魔法の力を持っていれば、杖が尻尾を振って仕えてしまってもおかしくはないですわ。そしてオリバンダーの一族は、この二千年以上、杖にかけては他の追随を許しませんが、杖以外のことにまるで関心がありません。小鬼(ゴブリン)鬼婆(ハッグ)吸血鬼(ヴァンパイア)に売らないだけの分別はあるのでしょうが、法が禁ずるまでは、ヒトでなしにも純血にも、おかまいなしに杖を売るのでしょう、嘆かわしいことに。……しかし、魔法の繁栄のためには、あの一族には今まで通り、杖を作る技を磨くことにのみ集中してもらう方が良いのでしょう。

 

「……あなた達の言うことが真実なら――非魔法族出身者が、本当にそんなことをしているというのなら、魔法省が野放しにするわけがないでしょう!?私達が嘘をついているというのなら、『真実薬(ベリタセラム)』も『開心術(レジリメンシー)』でも、何でも使えば(つまび)らかになるでしょう!?」

――アルバス・ダンブルドアとその犬どもの影響が。迫害されるヒトよりむしろ迫害するマグルの権利を尊重する輩の影響が未だ強いうちは、無理でしょうね。それに、「真実薬」や「開心術」とて万能ではありません。「閉心術(オクルメンシー)」を習得していなかったとしても、罪悪感で無意識的に心の奥底に押し込めて忘れてしまったような幼少期の記憶には、それらが意味をなさないこともあると聞きます。仮にそうであれば、お前は嘘をついていないのかもしれませんね。自分の非を恥じるだけの心は持っているのかもしれませんね。「忘却呪文(オブリビエイト)」で封じられた記憶を「磔の呪い(クルーシオ)」で呼び覚ますようなこともあると聞きますが――それも今の魔法省が認めるわけはないでしょう。もっとも、いかにヒトでなし相手であれ、私はそんなむごい方法を用いたいと思いませんが。

 

「そんなの――そんなの――それこそ魔女狩りと同じじゃないですか!!拷問から逃れるためにでまかせを言うにきまっている。存在しない記憶を脳みそが捏造してしまうかもしれない」

――?それの何が問題なんですか?そんな記憶は存在しないと、思い込んでいただけなのでしょう?

 

「――なっ――なんて――そんなっ――そんなめちゃくちゃなことを…………あなたはとても賢いんじゃないのか、成績も四年連続で学年一位だってオオニシさんから聞いた!少し自分の頭で考えればおかしいってわかるじゃないか――」

――しかし確かに、お前がひどく残虐な過去を忘れ去って今はさも人間性があるかのようにふるまっているとする仮定は、少々複雑に過ぎるというのも事実です。魔法力を奪うためには、自覚的な暴力が必ず伴うとは限らないかもしれません。何らかの条件が重なれば、劇的な接触なしに魔法力が移動するとか。お前は単にヒトの子供とごくふつうの交流をしていただけだったのかもしれません。……そうであればなおのこと、お前達は人類にとって脅威ですが……。

 

「……それならもう、『奪った』なんて言う必要は無いじゃないですか。もともと魔法の力を持って生まれただけだと思ってくれて良いじゃないですか。それを認められなかったとしても、近くの魔法族の影響で魔法の力が目覚めただけだと思ってくれれば良いじゃないですか」

――犬からヒトが生まれないように、ヒトでないものからヒトは生まれません。魔法の力は、ヒトにしか受け継がれません。

 

「……。教科書にはそんなことは書いてないですが、そんな本がホグワーツ図書館に置いてあるなら、読んでみたいものです。論理が破綻した妄想本を」

――ホグワーツ図書館からは、マグル贔屓には腹立たしい真実が記されたような書物はあの校長が取り除いているはずです。しかし書物に記されているか否かという点についてはそこまで重要でありません。魔法は元来、書物ではなく口伝されるものですし、魔法の秘奥や深淵、真に重要で危険なことについては、今でも変わりません。たとえばホグワーツ校長にはこの城を司る数多(あまた)の強力な魔法が授けられていますが、それが羊皮紙に記されているとでも思うのですか?

 

「……もうそれなら、好き勝手言ったもの勝ちじゃないですか?」

――は?偉大なるサラザール・スリザリンの教えが、千年間、連綿と継がれてきた教えが、好き勝手?組分け帽子の過ちであれ、いやしくもスリザリンの名を呼ばれておきながら、サラザールを愚弄するのですか?ヒトでなしはそこまで恥知らずなのですか?

 

「サラザール・スリザリンが魔法使いとしてあまりに優れていたことは私も疑いませんし、敬意を払いますけど。歴史に名を残す人物の、思想の言動のすべてが今見ても正しいということにはならないでしょう。私はサラザールを崇拝するつもりはありません。それに、ゴドリック・グリフィンドールだけでなく、ロウェナ・レイブンクローもヘルガ・ハッフルパフも、サラザールの思想に賛同しなかったじゃないか」

――それこそ、「歴史に名を残す人物の、思想の言動のすべてが今見ても正しいということにはならないでしょう」。私は当然ゴドリックもロウェナもヘルガも深く尊敬していますが、サラザールの忠言をあの三人が無思慮に退けたことについては、ひどく遺憾に思います。

 

 かくして、いかに理性的な疑問を投げかけようとも、意に介されない。きわめて知的なはずのロウルは、自らの信念にも矛盾にも、少しも顧みようとせず、会話が全く通じない。ロウルの思想からすれば、あくまで義は当人たちにあって、マグル生まれは残忍にも魔法族から力を奪った「悪」なのだ。

 

「…………でも、私は魔法使いです。その前に人間です!私は偶然『魔法の力』を得ただけの、ただの一人の人間です」

――今更腹を立てる気力もありませんが。私達への、杖を持つ誇り高きヒトへの侮辱は、どうかやめなさい。…………あなたの言うことが真実なら、あなたにとってだけでなく、私にとってもどれほど良かったことでしょう。……残念です。

 

「……っ……」

 

 セラが続く言葉を失っているまま、ロウルが悠然と立ち去るのを、ジェマはただ見送るのだった。

 

 

 ★

 

 

 ロウルとの対話を終えた今のシムも、まったく混乱した様子で、言葉を失っていた。純血主義の教義も一枚岩ではないが、ロウルの信ずる、この「『穢れた血』は魔法族から力を不当に『奪った』」教義は。論理が破綻している点にさえ目をつぶれば、最も強力に自らを正当化でき、かつ、マグル生まれの尊厳を根幹から否定するものだ。

 

「そんな――セラが――いままでどれだけ――!」

 

 セラが諦めたように微笑を続ける一方で、シムは顔を赤くしてロウルに食って掛かった。

 

「セラがどれだけ頑張ったか――分かってるんですか――!!!」

 

「知りません。興味もありません。勤勉それ自体を尊ぶのはハッフルパフの流儀です」

 

 ロウルは冷たく返す。

 

「逆にお前は、()()今までどれほど努力を重ねたのか知っているとでも言うのですか」

 

「いやそれは――でもそういうことではなく――セラの努力を、そうやって無いものにして――卑怯な乱暴者呼ばわりするなんて――!!」

 

「シム」

 

 セラも短く言う。微笑んだまま、有無を言わさぬ調子で。

 

「良いんだ。ありがとう」

 

「良くないですよ!こんな風に言われて良いわけが――」

 

「良いんだよ。放っておけば。私も君も、他の三寮の人たちもみんな分かってることだろ。この手の人たちは衰退してゆくだけの運命だって」

 

 セラは表情を変えないまま、滑らかに吐き捨てる。

 

「これ以上お前達と口論したくもないですが」

 

 ロウルは眉をひそめて声を固く張る。

 

「今のを聞き捨てるわけにいきません」

 

「だってそうでしょう、この島に『純血』の一族は――魔法を使えない人の血が混ざってない()()()()()()()()家はいくつあるんですか?自称はさておき、この寮の皆が認める『純血』の家の数は?100?50?それともたった28?とっくにみんな親戚じゃないか。妥協するか、不老長寿にでもならなければ、『純血主義』は続かないでしょう。その割には皆さん、錬金術の勉強も『賢者の石』を盗み出す努力もしていないですよね?」

 

「なぜこの島に限るのですか?」

 

 セラの嘲笑に腹を立てるまでもなく、ロウルは心底不思議そうに首を傾げる。

 

「この星に、同じヒトは沢山いるでしょう。大陸(ヨーロッパ)にも新大陸(アメリカ)にも、七つの大陸のあちこちに。言葉や肌の色が異なっていようと、同じ魔法のわざを操るヒトが。――そもそも、ずっとこの島に根を張っていた一族はそう多くないでしょう。二千年にもわたって住み続けているオリバンダーはむしろ稀有ですし、あの家さえもローマがルーツでしょう。マルフォイ家は中世にフランスから渡って来ましたし、私のロウル家も北方から来ました。この島に身を落ち着けながらアフリカに結婚相手を探しに向かう習わしのシャックルボルトの家はもちろん奇異ではありますが、異なる大地の血を取り入れることも、異なる大地に渡ることも、何ら躊躇うことでは――」

 

「フレヤ・ロウルは卒業旅行ではるばる婿探しに向かうとでも言うのか」 

 

 フリントは愉快そうに茶々を入れた。ロウルは溜息をつく。

 

「言うまでもないことですが、婚姻というものは、私個人の意志ではなく私の家が決めることです。しかし命じられれば私はどこへでも――たとえワンパスキャットが牙むく北米の岩山であろうと、エルンペントが駆けずるアフリカの平原であろうと、カッパが集落を築く極東の川辺であろうと、レシフォールドが忍び寄るメラネシアの熱帯雨林であろうと、喜んで向かいましょう」

 

 眉を上げるフリントに対して、ロウルは自信に満ちて言う。

 

「家と人類の繁栄のためであれば。ヒトでなしからヒトの血と文化を保護するためであれば。その程度の労苦は私は(いと)いません」

 

「まあ、アメリカは最近までマグルとの関わりを禁じていた(ラパポート法の下にあった)から、ここより純血は多く残っていよう。アフリカもアジアも太平洋も、西洋に無い魔法が多くあると聞くし、それを取り入れるのも一興かもしれん。女はここのが一番上等だろうが――」

 

「……非魔法族から隠れ住みながら、非魔法族の出身者を排斥しながら、ですか。いつまでも『国際機密保持法』が破られないと信じたまま。いつまでも非魔法族の文明が未熟だと信じたまま」

 

 そこでセラが静かに言い、ロウルもフリントもゆっくり首を回す。

 

「お前は何を言っている?」

 

「『国際機密保持法』を破ろうとする魔法族の試みは」

 

 ジェマはふと、今のセラは場を穏便におさめて引き下がる冷静さを欠いているのではないかと、嫌な予感を覚えた。セラの表情や声や動作が常に冷静であることは、彼女が喜怒哀楽に乏しい性格であることを意味しない。むしろ逆だ。

 

「誰もが知っているように、ゲラート・グリンデルバルドほどの力を持つ者が悪事を尽くしてさえ、失敗に終わりました。あるいは、『きわめて卓越した杖無し魔法の使い手』という程度の力量で、穏健なことしかしなかったカルロッタ・ピンクストーンであれば言うまでもなく」

 

 首を横に振って、セラは微笑む。

 

「でも、それは昔の話です。じきに限界が来ますよ。魔法族が変わらなくとも、非魔法族はどんどん変わります。そのうち()()()()に『機密保持法』は形無しにされます」

 

「たかがマグルにそんなこと――」

 

「18世紀の終わりにアメリカがラパポート法を制定することになったきっかけは、ドーカス・トゥエルブツリーズという大した力のない魔女ですよ。非魔法族の恋人に、魔法界について洗いざらいべらべら喋って杖を奪われたというだけで。その恋人がたまたま魔法族を心から憎んでいて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というだけで、大事になりました。新聞のニュースが文字通り(new)しかったような時代にさえ」

 

 アメリカはそれ以来、マグルと結婚することも友達になることも禁じたのだと、いつかの「魔法史」の試験で出題された覚えがある(つまり授業でも扱っているはずだが、退屈極まりない「魔法史」の講義は、ジェマも他の全生徒と同様に聞いていない)。

 

「非魔法族の文明がどこまで高度に発達しているのか知っていますか?……片親が非魔法族の人でもなければ、どうせろくに知らないだろうけど。英国の非魔法族は、洞穴(ほらあな)の中で焚火で暖を取りながら、狼煙(のろし)をあげて隣の集落と通信しているわけじゃない。アメリカまですぐに自分の声も表情も届けられる。グリンデルバルドの時代にもそんな技術はあったけれど、今はずっと発達して普及している。……分かりやすく言うと、じきに非魔法族は、『両面鏡』を――いやすべての『両面鏡』と会話をできるような『両面鏡』を()()持つようになるはず」

 

 ジェマはセラの話を聞く度に、今の英国のマグルが、もはや魔法族とそこまで大して変わらない便利な生活を送っているということに驚かされる(ジェマは当然「マグル学」を受講していない。スリザリンであの科目を取るのは自殺行為だし、あと百二十年は生きるつもりでいる)。マグル生まれの生徒の生活水準に大きなギャップがあるという時代では、もはやない。火を熾すわざも、服を清めるわざも、作物を実らせるわざも、病を癒すわざも、物を変形して組み立てるわざも、遠くの人と会話をするわざも、記憶を紙に封じるわざも、空を飛ぶわざも、どんどん進歩しているのだという。魔法なしに高度な文明を築けるなんて、癪であるとか不思議であるとか以前に恐怖を覚える。

 

「……一瞬で何万人も同時に魔法を『目撃』できてしまう時代に、魔法を見た非魔法族に一人一人『忘却呪文』をかけて回るような今のやり方じゃ、魔法を隠しておくのは厳しい。魔法族の家族や政府の首脳以外にも、あっという間に知れ渡ってしまう。作り物の映像とかなんとか言って誤魔化すのは無理がありますよ。『忘却呪文』を広範囲にかけるとか電波に乗せるとかができるようになれば別だけど、多分この国の魔法族はそんな研究を始めようとすらしてないんじゃ――」

 

「意味不明な妄言だが」

 

 フリントは憮然として遮る。

 

「だったら何だというんだ?マグルが我々の存在に気づいたとして」

 

 セラは溜息をついた。

 

「そんなことになれば非魔法界は激震ですよ。その後に、魔法族と非魔法族が手を取り合って生きていけるようになれれば理想だけれど。でも、ほとんどの魔法族にそんな準備はできていないでしょう?そして、()()()()()()()のように、非魔法族を嫌っている魔法族が沢山いるということが非魔法界に広く知れ渡ってしまったら?それどころか、非魔法族を()()()()()()()と知られてしまったら?また()()()()()()()()()()与えてしまうことになるじゃないか。……スリザリン生の非魔法族への憎悪をこれ以上煽りたくはないけれど。残念だけど非魔法族が、『隣人が、魔法という、訳の分からない、自分には持っていない、強力な力を持っている』ことに耐えられる人ばかりだとは限らないと思う」

 

「……マグルが『魔女狩り』を初めると言うなら、制圧して支配するのみだ」

 

「ミスター・フリント、先ほどは()()()()()()()()()()言ってたじゃないか。杖を携えた魔法族一人は銃を携えた非魔法族一人に圧勝できるとしても――魔法族の一万倍も多く非魔法族がこの国に暮らしているんだ。そもそも何で魔法族は『魔女狩り』を経て非魔法族から隠れたんですか?グリンデルバルドはおろか、()()()()()()()()()()非魔法族を掌握できていなかったでしょう!」

 

 躊躇なく寮の禁忌を踏み越えて「あの人」を話題に出し、セラは顎に手を当てる。

 

「そもそもグリンデルバルドや『あの人』が、非魔法族の支配や殺戮をスローガンに旗を掲げたところで、魔法族は一丸とならずに対立した。善悪以前に、多分メリットがそこまで大きくない。……でも反対に、非魔法族が魔法族を支配して使役するメリットも、体をばらばらに解剖して研究するメリットも、()()()()()()()んですよ!私は非魔法族の倫理観を信じたいところですが――しかし、()()()()()()()、非魔法族をヒトではないとみなしているのなら、非魔法族の方も()()()()()()()()()()()みなしてはならない道理はない。残念ですが」

 

「魔法族にとってマグルなど敵ではない!!万が一、仮に、マグルどもが真に魔法族の脅威になると言うのなら、こちらに気づいて『魔女狩り』を始める前に狩れば良い!」

 

「だから『あの人』もグリンデルバルドもなしにそんなことできる自信があるんですか?非魔法族は()()()()()()いるんです。それだけ多くの人たちが、今は一瞬で知識や言葉を伝えあうことができて、だからますます文明は加速していって、魔法みたいなことが次々にできるようになっている!」

 

「数がなんだというんだ、『服従の呪い』も『忘却呪文』も『姿現し』も変身術も魔法薬もマグルはないだろう!」

 

「いくら強力な魔法があっても、魔法界も無傷では済まない、お互いに悲惨なことになってしまう」

 

「じゃあなんだ、まさかお前はマグルが『魔女狩り』を始めたら諦めろとでも言うのか!?」

 

「だからそれならそれで、真面目に『魔女狩り』にどう抵抗するか考えて本気で備えておかないと!そのためにもまず彼らが魔法も使えない野蛮な猿という認識を改めて()()()把握しておかなければ、非魔法族と手を取り合って『魔女狩り』を防ぐのも、『魔女狩り』が起こってしまった後に抵抗をするのも難しくなります。……要するに私が言いたいことは、非魔法族を理解するべきだ、そして尊重するべきだ、それが()()()()()()だ、ということです」

 

 セラとフリントの舌戦が熱を帯びるにつれ、談話室もざわめきが広がっていたが、セラの言葉で再び静まり返った。フリントは一語一語力をこめてゆっくりと発音する。

 

「……言わせておけば。マグルを理解?尊重?……野蛮なマグルを避けて、気高き魔法族の繁栄を望んだ、サラザールの誇りを汚すとでも?恥さらしが」

 

「彼が何で純血主義を唱えて非魔法族出身者を追い出そうとしたのか知りませんが、本当にそんな目的だったとすれば、非魔法族から魔法族を護るためだったとすれば――なおのことです。私達、非魔法族出身者を排斥するのは、()()()()()。それではサラザールの志は無碍になる」

 

「……は?」

 

 セラの声は再び冷たさを取り戻して響いた。フリントは椅子の肘掛けを握りしめ、怒っているのか笑っているのか呆れているのか分からない顔つきになった。

 

「純血主義者に限らず魔法族の多くは、非魔法族にロクに理解がないし、理解しようとしていない。同等の人間だとも思っていない。――でも私達は非魔法族に理解があるだけでなく、強く接点もある。私もシムも、母も父も親戚も、みんな非魔法族だ。それでいて私達は魔法の力も持っている。だからいつか『機密保持法』が消えたときに、非魔法族出身者の存在は重要になるはずです。私達自身が、非魔法界に対して、『どちらも同じヒト』というメッセージになる。『魔法族と非魔法族の親から生まれた人』も『魔法族の両親から生まれた、魔法力を持たない人』も、同様に重要です」

 

「驕るのも大概に――」

 

「でも、仮に不幸にも、非魔法界とあなた達が対立するようなことになれば。そのときにもあなた方が、私達を迫害するのなら。私達は、『自分をより尊重してくれるところ』に流れますよ。そして非魔法界は()()使()()()()()も得られることになる。……だから、非魔法族の出身者に対する敵意や軽蔑や憎悪は、今のうちに捨てた方が()()()()ですよ」

 

「……裏切るというのか?これまで魔法界にのうのうと居座って恩を受けておきながら?」

 

「裏切るも何も、そっちからすれば端から同胞ではないんだろう?本来の居場所を見つけて安住しにいくというだけだ」

 

 フリントは歯を食いしばり、憤怒もあらわに声を震わせた。

 

「お前は――お前はどこまで図に乗れば――!……我々は今まであまりに寛大になっていたが――いつまでも大きな口を叩けると――城を堂々と歩けると、勘違いするな」

 

「もうけっこう」

 

 ずっと黙っていたロウルが、凍てつく声を張り上げ、右手で談話室の奥を指し示した。声は滑らかだったものの、人差し指の先がわずかに震え、目は煮えたぎっていた。

 

「十分です。侮辱がまだ足りないとは言わせません。寝室に行きなさい。今すぐ」

 

「同じ人間として尊重してほしいとお願いしただけなのですが。それではお休みなさい、良い夢を」

 

 部屋中の憎悪と憤怒の眼差しを相変わらず気にすることなく、セラはわざとらしくお辞儀をすると、背筋を伸ばして談話室を横切ってゆき、シムも横に並んで、二人はそれぞれ女子寮と男子寮に消えていった。

 

 

 ★

 

 

 ロウルは息を長く吐くと、微笑んで、取り巻きを見渡して話し出した。先ほどまでのことが無かったかのように、いたって明るく。

 

「来月のお茶会ですが、趣向を変えて、北塔の六階で開こうと思いますの。一、二年生も広く招待するつもりです。そうですね、十人ほど新たに――」

 

 その声が呼び水となり、スリザリン生たちの多くは、先ほどまでのことが無かったかのように、にぎやかに、それぞれの会話や作業に戻り出した。フリント達は残忍に頬を引きつらせながら、低い声で囁き合っていた。ロウルがジェマに目を向けて声をかけたので、ジェマは注意をロウルに戻した。

 

「――ああ、ジェマ。勉強を中断させてしまっていましたね、ありがとう。あなたも勉強の気分転換をしたいときは、いつでもお茶会に歓迎しますわ」

 

 ジェマは礼を述べて、自分の机へと戻った。椅子に全体重をあずけ、首元の汗を拭いた。三度深呼吸をし、緊張を解く。

 

「……ジェマ、大丈夫?ロウルさんに意地悪とかされてない?」

 

 そして声をかけて寄ってきたルームメイトのジャスミンに笑顔を作ると、明日の遊びの計画について話し始めた。

 友人との交遊についても、勉強やふくろう試験についても、体重やネイルについても、監督生の仕事についても、寮の情勢についても、決闘クラブについても、グリフィンドールの馬鹿達についても、教師についても、可愛がっている寮生達についても。あまりに考えることが多いから、その都度その都度、頭を切り替えねばならない。セラやマグル生まれが少しでも過ごしやすくなるように、自分の思考と行動を毎日少しは割くと、そう二年生の頃から決めているけれども。今日はあまりに疲れたので、今日のあれこれの材料をもとに考えて今後の方針を立てる作業は、いったん明日に回すことにした。明日はまた明日で、考えねばならないこともやらねばならないことも沢山出てくるだろうという当然の予測は、このときは頭から抜けていた。

 




明日はシムとセラの話に戻ります。
この回は秋から構想していたものであり、時勢に応じた意図などが一切ないことを予めおことわりします。

「魔女狩り」
・「魔女狩り」などのマグルの迫害により、魔法族がどれだけ犠牲になったかは定かではありません。三巻冒頭のバチルダ・バグショットの『魔法史』には、「炎凍結術」を使える大人にとっては何も脅威ではなく、わざと何度も捕まって焼かれるふりをして楽しんだ「変わり物のウェリンドン」という者もいた旨が記述されています。
(もっとも、なぜ処刑時に杖を取り上げられていないのか、処刑後にどのように逃げたのかなどの問題も生じるので、深入りする意味はあまりない箇所のようには思えます。この問題については一応、ウェリンドンが「動物もどき」であるとか卓越した「杖無し魔法」の使い手であるとか「炎凍結術」が杖無しで使える程度の簡単な魔法であるとかの設定を付与すれば整合性をとることが可能ではありますが…)

・しかし、魔法族が「国際機密保持法」を制定してマグルから隠遁した要因は魔女狩りですし(魔法族のみならずマグルも保護する目的もありましたが)、寮憑きゴーストの「ほとんど首無しニック」や「太った修道士」は不運な犠牲者の一角ですし、『吟遊詩人ビードルの物語』のアルバス・ダンブルドアのメモからは、魔法族の子供が多数犠牲になった旨が記されてます。

・魔女狩りの被害の記憶は、純血主義のコミュニティでは、他の魔法族のコミュニティと比べ、「積極的に忘却する」か「実情かそれ以上に強く語り継ぐ」だろうと思いますが、この二次創作では、主に後者だとしています。


「マグル生まれは、魔法族から魔法力を窃盗・強奪した」
・七巻で登場するこの思想は、マグル生まれを法の下に弾圧するために魔法省が急遽(「神秘部の近年の調査により判明」として)打ち出した苦肉の理屈で誰も信じていないと最初は思っていましたが、純血主義者には以前から共有されていたドグマだった可能性もあるかと思い、この二次創作では「純血主義者の一部は本気で信じている」としています。

・「マグルが魔法使いから魔法の力を奪う」論はもちろん作中でナンセンスと断じられていますが、少なくとも「マグルの暴力のせいで、魔法の力が制御不能になる」のはアリアナ・ダンブルドアという実例があります。〈サラザール・スリザリンの時代では異端思想だった純血主義やマグル生まれ排斥が、魔女狩り及び国際機密保持法制定を機に高まっていった〉という背景設定も踏まえると、〈「魔法族の幼い子どもが、マグルの暴力のせいで魔法力を適切に制御できなくなる。または魔法力を失う」というケースがこの時代に多発し、このことが「マグル生まれの魔法使い」の存在と結びつけられて、「マグル生まれなのに魔法を使える者は、魔法族から暴力により魔法の力を奪った」と一部で考えられるようになってしまった〉と解釈することも可能かもしれません(書くまでもないですが念のため付記すると、この二次創作は純血思想を一切擁護しません)。

・「受け入れ羽根ペンと入学者名簿」; wizardingworldのThe Quill of Acceptance and the Book of Admittanceの記事


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第4話 休暇 (8)クリスマス

更新4日目


 時は瞬く間に過ぎ、十二月も半ば、クリスマス休暇が目前に迫った。「禁じられた森」は雪に覆われ、湖は凍てついた。城の廊下では息を吐くたびに白い霧ができ、「持ち運びできる火」「温風魔法」「寒さをしばらく忘れる魔法」などはホグワーツ生の必需品だった。地下はいっそうひどく冷え込み、スリザリン生は皆、大広間と談話室を往復する間はほとんど駆け足になっていた。「魔法薬学」の教室ではナイフを持つ手が震えて誰もが材料を刻むので精一杯で、ネビル・ロングボトムは手が滑ってあやうくディーン・トーマスの肩を刻みそうになったし、シェーマス・フィネガンは手が滑って薬を爆発させた。生徒は皆、クリスマス休暇が近づくムードで浮足立っていた。双子のウィーズリーがスネイプを(かたど)った巨大な雪像を校庭に立て、スリザリン以外の三寮の生徒がこぞって落書きをするほどには、浮足立っていた。騒ぎを聞きつけたスリザリン監督生のジェマ・ファーレイが現場に急行すると同時に、グリフィンドール監督生のアンドレア・ジョンソンほか数名が特大の「粉々呪文(レダクト)」を放って雪像スネイプの欠片は美しく宙を舞って散った。

 

「入学してからまだ三ヶ月しか経ってないなんて信じられませんよ。一年半くらい経った気分です」

 

「色々あったからね」

 

 いよいよホグワーツ特急が出発する日の朝、シムはスリザリンの寮からトランクを引き揚げて三階に上がり、スリザード談話室に置きっぱなしになっていた私物をいくらか放り込み、そしてセラと一緒に、再び階段を降りながら大広間へ向かっていくところだった。

 クリスマス休暇では、城に残るかどうかは生徒の選択にゆだねられるが、ほとんどの生徒は、実家へと帰る。マグルの世界で育った生徒であれば、なおのこと生徒も家族も互いの再会を望むものだ。

 しかしもちろん、何事にも例外はある。

 

「セラ。やっと見つけた。今年もクリスマス帰るのかな」

 

 大広間に続く廊下で、巻き毛の女子生徒が二人を見とめて歩いてきた。レイブンクロー監督生の、ペネロピー・クリアウォーターだ。

 

「おはようペニー。もちろん帰るよ。――ああそうか、君は城に残るんだったね、忘れていた」

 

「そうなの」

 

 シムは、ペネロピーが言葉を濁しながら、こちらをちらちら見ていることに気づいた。シムは屈んで靴の紐を解いてきつく結び直すことにした。頭上で二人の小声が聞こえた。

 

「――ここに書いてあるの、お願い。お金はこれで足りるはず」

 

「わかった。だいたい前と同じ感じだね」

 

「無かったら無理に探さなくて良いから」

 

「大丈夫だよ。それじゃ、新学期の最初の土曜に西塔七階の『夕日が綺麗な部屋』で渡す形でも良いかな。久々にゆっくり喋りたいし」 

 

「いつもありがとう。そうしよ、私も色々話したい」

 

「こちらこそ」

 

 もう片方の靴の紐を結び終えたところで、二人の話が終わったと見え、シムは立ち上がった。セラは羊皮紙をローブの裾に滑り込ませていた。

 

「じゃあ、セラ、あとスオウ君も。家族と素敵なクリスマスを」

 

「ペニーも、仲間と楽しいクリスマスを。……あー、といっても、あまりお友達が城に残らないか」

 

 ペネロピーは肩をすくめた。

 

「友達はみんな帰るけれど、ほとんど誰もいない城を独り占めできるのも贅沢なものだと思う。ディナーはとっても豪華だし、先生方もちょっと羽目を外すし、中々に素敵なクリスマス。……あと、そうだね、寮で独りになるとしても、他の寮にも人はいるし、今年のクリスマスはいつもより楽しみなの」

 

 ペネロピーはにこやかに言うと、足取り軽く去っていった。彼女の背中が消えるのを待ってシムは小声で言う。

 

「……他の寮にも人はいるって、クリアウォーターさん、意外にハリー・ポッターのファンとかじゃないですよね?」

 

 マグルに育てられたハリー・ポッターもそのお供のウィーズリーも、クリスマス休暇はホグワーツ城に残るのだという。ドラコ・マルフォイが、嘲笑とともに言っていたのをシムは思い出した。マルフォイはグリフィンドールの生徒を除けば――あるいはグリフィンドールの大半の生徒よりも――ハリー・ポッターの生態について一番詳しく、そしてドラコ・マルフォイは四六時中スリザリン生の前でハリー・ポッターについての情報を吹聴しており、ドラコ・マルフォイの発言を止められる一年生は誰もいないので、自然とスリザリン一年生はハリー・ポッターについて詳しくならざるを得なかった。

 

「…………いや、そうではないだろう」

 

「ですよね。……それで結局、どんな用だったんですか」

 

 セラは、シムの聞きたげな表情を見て答える。

 

「非魔法界で売ってる、細々した品のお使いだよ。彼女はいつも城に残るから、私が代わりに買いにゆくんだ」

 

「なるほど。……あれ、でもレイブンクローにも、マグル生まれの女子はいますよね。それも沢山」

 

 セラは肩をすくめる。

 

「同じ寮の友達だからこそ、頼りにくかったり弱味見せたくなかったりすることもあるんじゃないかな。監督生ならなおさら。私としても、ペネロピーには日ごろ世話になっているから、こういうところで借りを返せるのはありがたいし」

 

「でも、実家に手紙を書いて送ってもらえば済むんじゃないですか。……いや、親に頼みたくないような物だと無理か」

 

「そういう品であろうとなかろうと、実家に手紙を書くことはないよ。家族がいないわけじゃない、今も健在だと聞いている。でも、彼女は絶対に夏休みにしかホグワーツを離れない。家族であれば、クリスマスをお互い心から祝えるというわけではない」

 

 シムは黙り込んだ。

 

「……君も心当たりがあると思うけれど、魔法の才能を持つ子どもは、非魔法族の両親から生まれても、ホグワーツからの手紙が届く前から、なんというか、多かれ少なかれ『普通』じゃない特質を示すだろ。君のご家族はそんなことがないと思うけれど、家族によっては、そんな子を――」

 

 セラは淡々と語った。

 

「――疎ましく思う。あるいは嫌う、憎む、虐める、無視する。ペネロピーは、ただでさえ頭がとっても、家族の誰より良かったから、それも相まって余計に不気味に思われていたみたい。それである日手紙が来て、普通じゃない世界の学校へと消えてしまった。もう互いに距離を縮めるどころではない」

 

「……」

 

 この前の魔法薬学のクラスでドラコ・マルフォイがハリー・ポッターに浴びせていた侮辱が、シムの頭をよぎった。

――かわいそうに。家に帰ってくるなと言われて、クリスマスなのにホグワーツに居残る子がいるんだね――

 

「自分の子どもが『魔法』という、得体の知れない、とてつもない力を持っていて、杖の一振りでなんでもやってしまえて。年が経つたびどんどん知っている我が子じゃなくなる。……虐待は許されないけど、『普通』の家族でなくなってしまうのも仕方のないことなのかな」

 

 セラは遠くを見て呟く。

 

「……やっぱりね。私の母も、私が魔法使いだってわかってから、どうにもよそよそしくなったような気もしてね。もしかしたら変わったのは私の方かもしれないけれど。…………それに私が寮生活で家にいないから、料理を全然しなくなってちゃんとしたものを食べてないみたいだし、休暇のたびにまた痩せてたらと思うと……」

 

 セラはシムの顔を見て、頭を振って苦笑を浮かべた。

 

「……いや、これから帰る君の気分を盛り下げるようなことを言ってもしょうがないね。すまなかった。君のクリスマスはきっと楽しいはずだよ」

 

 セラは明るく言うと、歩きだした。

 

「私も帰ったら、料理を山ほど一緒に作って、母にたくさん食べさせるんだ。あと六百年は健康でいてもらわないと」

 

 シムも苦笑いして言葉を返す。

 

「六百年って、ニコラス・フラメルじゃあるまいし」

 

 そのとき、背後で、重い物が次々に落下する音と、短く鋭い悲鳴とが聞こえた。二人が振り返ると、大きい重たそうなトランクが口を開けて倒れていて、そこから吐き出された何十もの分厚い本が床に散らばっていた。トランクと本の持ち主であるらしい少女は這いつくばって本を拾って入れ始めた。

 

「大丈夫かい?」

 

 セラは呪文を唱えて、本を浮かばせて寄せ、少女がトランクに本を入れるのを手伝った。赤い襟のローブに身を包んだ、豊かなボサボサの栗毛をした一年生だった。山のような本に囲まれたホグワーツ一年生といえば、一人しかいない。グリフィンドールのマグル生まれの優等生、ハーマイオニー・グレンジャーだった。

 

「すみません、手伝ってくださり本当にありがとうござい――」

 

 本をあらかた詰め終わるとグレンジャーはセラに顔を向け、緑色の襟に気づき固まった。

 

「む、どうした、ハーマイオニー?」

 

 荒々しい声が轟いた。廊下の先、大広間の扉から、大男が大きな(もみ)の木を担いでやってきた。いくら小さい廊下であるとはいえ、男の背丈は天井に届かんばかりに高く、横幅も廊下を塞がんばかりに広い。ここまで大きな人間は、ホグワーツには一人しかいない。森番のルビウス・ハグリッドだった。

 

「お前さん達、そこで何をやっちょる!……ああ、お前さんか」

 

 倒れ込む一年生を囲む生徒二人という構図を目にしてハグリッドは眉をひそめたが、セラを見とめてバツの悪そうな顔つきをした。

 

「彼女の本が散らばったので手助けをしてました。……ハグリッドさんこそ、どうしたんですかそれ。飾りつけですか。重くないのですか」

 

「うむ。大広間に持ってきたときには気づかなんだが、どういうわけか、ちっこいボウトラックルが迷子になって紛れ込んでの。無理に剝がしても怖がらせちまうし、ちょっくら森までこのまま担いで、放しに行こうと思ってな。なに、腹ごなしの運動よ」

 

 クリスマスの飾りつけがなされた大きな(もみ)の木は、しかしこの大男でもさすがに重いと見え、ハグリッドはふうふう息を吐いていた。そしてグレンジャーに目を向け、声をかける。

 

「ハーマイオニー、また勉強か。お前さん、クリスマスくらいゆっくり休んだらどうだ、え?……そうだ、それと大広間でパーバティ達が、お前さんがまだ寮から降りてこないって探しとったぞ」

 

「いけない、ありがとうございます」

 

 グレンジャーはハッとして立ち上がり、慌てて本を詰めると、二人とハグリッドに頭を下げて駆けて行った。

 

「じゃ、お前さん達も元気でな」

 

 ハグリッドも振り返って大広間の方にのしのし戻っていった。二人も顔を見合わせたのち、トランクを引きずりながら、大広間――壁の(ひいらぎ)宿木(やどりぎ)(もみ)の木も、教授陣の手で盛大に魔法で飾りつけがなされていてとにかく美しく、たしかに城に残るクリスマスも素敵だろうと思わされる――を通り過ぎ、凍てつく校庭へと繰り出した。校門の前には、馬の無い馬車がいくつも待機していて、それに揺られてホグワーツ特急の駅まで向かう。

 

「九月に入学したときは、ボートで湖を渡っただろう?これからはずっとこの馬車を使うんだよ」 

  

 真紅の汽車が停まる駅は、生徒でごった返し、順に列車へと乗り込んでゆくところだった。セラとゆっくり前に進みながら、列車の扉に近づいたとき、

 

「おーセラ、久しぶりだな!あたし達と一緒に帰ろうぜ!!」

 

 快活な声が響き、赤い襟のローブの、ドレッドヘアの女子生徒がこちらに歩いて来るのが見えた。ペネロピー・クリアウォーター以外にも、セラは他寮に交友関係を持っているであろうことを、シムは忘れていた。シムは素早く思考を巡らせた。セラと、他寮の見知らぬ上級生の女子達に囲まれ、皆に気を遣われる自分の姿を想像する。

 

「セラ、じゃあまた後で」

 

「あ、ちょっと――」

 

 想像して気まずさにいたたまれなくなり、シムは回れ右をして、トランクを引きずり、別な扉から列車に乗り込む。すぐに後悔に襲われる。スリザリン生と目が合わないように、どこのコンパートメントも、空きがない。独りでとぼとぼ歩き続ける。

 

「やあ、シム。ひさしぶり」

 

 カールした黒髪の少年、ハッフルパフ一年生のマグル生まれ、ジャスティン・フィンチ=フレッチリーだった。右手でトランクを引っ張りながら、左手ではコンパートメントの扉を開けて、ちょうど中へ入ろうとしているところのようだった。

 間が悪いところで会ってしまったと思いつつも、シムが挨拶を返すと、ジャスティンは続けざまに言った。

 

「どこも混んでますよね。空きがあって良かった。シム君も一人?」

 

「うん、なかなか空きが見つからなくて、困ってるところ」

 

 気恥ずかしさを覚えつつも、へたに隠し立てする方が惨めに思え、正直に答えた。

 

「じゃあここに来ます?――アーニー、ゴールドスタイン君、まだ席が空いてるし良いかな?」

 

 シムの返事を待たずにジャスティンは中の方を向いて言った。コンパートメントには既に二人の先客がいた。黄色い襟の、小太りの少年が立ち上がり、シムの方をじろじろ見た。彼は眉をひそめながらシムのローブの襟元の緑色をしばし注視し――スリザリンとハッフルパフの関係は良好とはいえない――ジャスティンの顔を見て、再びシムの顔に目を戻した。

 

「ジャスティンの友達なら歓迎さ。アンソニーを呼んだのも、他の寮とかかわる折角の機会を逃さないためだったしね」

 

「俺も構わないよ」

 

 奥に座っていた青い襟のローブを着た少年も短く答えた。

 

「ありがとう」

 

 シムはトランクを引きずりながら、中に入る。独りで列車をさまよう状況から脱せたことに安堵した。

 一つ寮の集団に一人だけ混ざるのはいたたまれないが、ハッフルパフ以外の生徒も混ざっているなら、いくぶん気は楽だ。

 

「僕はハッフルパフのアーニー・マクミラン。よろしく」

 

 アーニーは気取ったように言って右手を差し出した。実のところ、シムは言われる前から彼の名を知っていた。彼はハッフルパフ一年の中心的な人物だったし、マクミラン家が中世以前まで遡れる名門の魔法家系の一つだという話もスリザリンにいれば耳に入る(なお、たとえアーニー・マクミランの魔法族の血がスリザリン生の大半より濃かろうと、ハッフルパフ生という時点で軽蔑に値すると考えるスリザリン生は多い)。

 

「僕はシム・スオウ。よろしく。ジャスティンと同じでマグルの出身だよ」

 

 右手を握り返す。

 

「マグル生まれがスリザリンに入るのは珍しいな」

 

 奥に座ったレイブンクローの少年が、興味深そうに声を上げる。

(スリザリン寮とレイブンクロー寮の関係は、険悪極まりないというわけではない。レイブンクローはハッフルパフよりは遥かにマシと考えているスリザリン生が多いことや、二寮の気質に似通う部分もあることなどが理由だ)

 

「アンソニー・ゴールドスタイン。寮はレイブンクロー」

 

 少年は落ち着いた声で続ける。彼の名もシムは知っていた。レイブンクローと合同になる「薬草学」の授業では、他の生徒が答えられない先生の質問を引き受けるのは大抵、パドマ・パチルかアンソニー・ゴールドスタインの役目だった。

 

「よろしく。今のところマグル生まれは一人しか見かけてないよ。他にもいるかもしれないけど」

 

 シムが溜息をつきながら首を横に振ったとき、背後でバタンと何かが倒れる音が響いた。

 振り返ると、一人の少年が床に倒れ、膝の下には彼のものと思しきトランクが横たわっている、奇妙で滑稽な光景がそこにあった。どうやら自らのトランクに蹴躓(けつまづ)いたらしい。斜めに倒れたことで、通路の半分を遮ってしまっており、少年の後ろでつっかえた上級生達が舌打ちをした。

 

「大丈夫か」

 

 アーニーとジャスティンは慌てて少年を助け起こし、シムもトランクを通路の脇に引き寄せて道を空けた。

 少年は痛そうに顔をしかめながら、「ご、ごめん、ありがとう」と言った。

 

 ジャスティンは声をかけた。

 

「ネビル、君もこのコンパートメント座るかい?」

 

 ネビル・ロングボトムという名の、このオドオドした少年は、尋常ではない頻度で尋常ではない度合のドジを踏むことで有名である。それは魔法薬学と飛行術(スリザリンとグリフィンドールの合同授業)を受けていれば十分明らかであり、スリザリン生の間で笑いものの種だった。嘲笑う者ばかりでなく、純血の面汚しだと憤る者もいた(彼は由緒正しい名門・ロングボトム家の跡継ぎである)。

 

「い、いいのかな、僕なんかがここにいて」

 

 ネビルは、やはりシムの緑色の襟を見て怯えたような顔になり――スリザリンとグリフィンドールの関係は控え目に形容しても最悪である――しかし出て行こうとはしなかった。他のグリフィンドール生が周囲にいないのを見て、ネビルも独りで空いているコンパートメントを探していたのだとシムは察した。彼がグリフィンドール生からいじめられたり邪険にされる光景を見たことはないが、さりとてグリフィンドールの輪の内側で盛り上がっている光景を見たこともない。――陽気なグリフィンドール生達はネビルを迎え入れることも手助けすることも厭わないだろうが、あるいは彼自身が寮の足を引っ張る現状に引け目を感じて距離を置いているのかもしれない。

 

「まあ、いいから早く入れよ」

 

 アーニーはネビルを引き寄せて座らせた。シムは右に詰め、ネビルとアーニーのスペースを取った。

 

「こっちがレイブンクローのアンソニー・ゴールドスタインで、そっちがシム・スオウ。彼はグリフィンドールのネビル・ロングボトム」

 

 アーニーは勝手に互いの紹介を終えて、満足そうにうなずく。

 

「ひとつのコンパートメントに四寮が揃うなんて面白いね。それに、僕とネビルは純血、ジャスティンとスオウはマグル生まれだ。アンソニーは半純血だったっけ?違った?」

 

――いい加減に同級生の男子の知り合いを増やさなければいけない頃合いだったから、丁度良い機会だった。そのうえ、ハッフルパフ一年とレイブンクロー一年の、中心人物と近づけるなんて得をしたじゃないか。

 アーニーの声を聞きながら、シムの心の中で、スリザリン的と呼べそうな一面が囁いた。ネビル・ロングボトムも、まあ、仲良くしておけば今後、良いこともあるかもしれない。

 

「君、マグル生まれなんだ。だからか」

 

 ネビルはきょとんとして、頷いた。「だから魔法薬学のクラスで余って女子のリリー・ムーンと組んだりしているのか」、などと口にしないだけの分別は持っているらしい。

 

「スリザリンは純血しかいないんだと思ってた。どうしてスリザリンに?」

 

「僕も分からないよ。グリフィンドールにはけっこうマグル生まれがいるんだろう?羨ましい限りだよ」

 

「あのハーマイオニー・グレンジャーとかな」

 

 ゴールドスタインも口を挟んだ。学力が重大な意味を持つであろうレイブンクローではとりわけ、意識されないはずがないのだろう。

 

「うん、彼女はいつも点をもらってる。僕がその分減点されちゃってるけどね。……僕も、なんでグリフィンドールに入れたのか分かんないよ。オドオドしてばっかで、失敗してばっかだし……」

 

 まったく同感だと口にしないだけの分別はシムは持っており、さりとて安易に「そんなことないよ」と彼の自虐を否定するわけにもいかず、神妙な表情を保った。

 

「こんな僕にお似合いなのはグリフィンドールなんかじゃなくて――」

 

 そこまで言ったところで、ネビルは今自分がどんなコンパートメントにいるのか気づいたようで、はっとジャスティンの顔を見て慌てて口をつぐんだが、続きを言ったも同然だった。アーニーはさすがに気分を害した様子で口を開いた。

 

「ネビル、君、もしかしてハッフルパフが落ちこぼれのダメな寮だと思ってるのかい?三年のセドリック・ディゴリーを見ればそんなことは言えないよ。ハッフルパフの中のハッフルパフだ。それに七年の監督生のオオニシサンなんかもとっても尊敬できる方だし決闘が強いって噂だし」

 

 ネビルは慌てて言った。

 

「ハッフルパフがダメだなんて、僕、もちろん思ってないよ。僕、組分け帽子にハッフルパフに入れてくれって言ったら、断られちゃったくらいだし。ハッフルパフは素晴らしい寮だよ、あそこと比べたらずっと――」

 

 ネビルはそこではっとシムを見て、再び口をつぐんだ。その様子が面白かったので、「ネビルがレイブンクローに言及しかけてアンソニー・ゴールドスタインの顔を見て口をつぐむ」ところも見たいとシムは感じた。アーニーは気にせず続けた。

 

「それに、去年の卒業生の中には、何年かぶりに『闇祓い(オーラー)』の研修生になった人すらいる。たしかトンクスさんって人。あ、闇祓いってわかるかな、ほら、闇と戦う仕事さ」

 

 誇らしげにアーニーは胸をそらす。侮辱されたと思ったのか、ネビルはふいに顔を歪めて「知ってる」とだけぽつりと言って黙り込んだ。アーニーは気にせず続ける。

 

「ともかく、ハッフルパフは素晴らしい寮だよ。みんな優しくて、温かくて、助け合う。ヘルガ・ハッフルパフの理想を体現した寮だ」

 

「ホグワーツ生の八割は自分の寮こそが素晴らしいと思ってるだろう」

 

 ゴールドスタインは笑った。

 

「レイブンクロー生は、自分の寮を皮肉る人も少なくなさそうだけど」

 

「それでもたぶん、他の寮生に馬鹿にされれば勢いよく反論するよ。そんなもんさ」

 

 彼はこともなげに返し、シムを見た。

 

「ところでドラコ・マルフォイだとか、スリザリンにはマグル嫌いの奴も多いだろう?仲良くやってるのか?それともあいつらも、身内のマグル生まれには優しいのか?」

 

「そうだな、仲が良いスリザリン生もいるにはいるけど。その手合いとは仲が良いとは言えないかな」

 

 ゴールドスタインの問いかけに、シムは曖昧に答えた。

 

「……大丈夫なの?ほら、後ろから呪いをかけられたりとか。僕、この前もマルフォイに『足縛りの呪い』をかけられちゃって……」

 

 ネビルが丸顔を歪めて聞いた。

 

「大丈夫だよ。マグル生まれのスリザリン生は他にもいるから。背中から呪いをかけられても大丈夫なように、身を護る術を教えてもらっている」

 

 慎重にぼかした範囲でシムは答えた。それでもアーニーの表情は引きつり、ジャスティンの目は好奇の色を帯びた。

 

「でも、マグル生まれのスリザリンって、もしかしてこの前のあの上級生の女子ですか――」

 

「車内販売です。お菓子はいかが?」

 

 年配の魔女が扉を開けた。シムは話が逸れたことに感謝しつつ、かぼちゃパイと蛙チョコレートを買い込んだ。

 銘々(めいめい)がお菓子を広げながら、蛙チョコカード(歴史に名を残す魔法使いのカードが付いている)の交換をした。アグリッパ、モルガナ、無敵のアンドロス、ニコラス・フラメル、サラザール・スリザリンなどが場に並んだ。それからはアーニーの持ってきた蛙チョコ・カードバトル・スタジアム(カードをセットするとカードからミニチュアが出てきて決闘を始める)で、アーニーのアンドロスがジャスティンのサラザールを殴り飛ばしたり、シムのモルガナがゴールドスタインのアグリッパを蛙に変えたりするさまを眺めた。

 その次はバーティボッツの百味(Every Flavour)ビーンズ(味は本当に何でもあり(Every Flavour)だ。リンゴ味からキュウリサンドイッチ味からゲロの味やレタス食い虫(フローバーワーム)味まである)の中身当てゲームを楽しんだ。ネビルは信じられない悪運で、何故か毎回、「鼻糞」味やら「ドラゴンの肝」味やら「骨生え薬」味やらを引き当てた(さらに信じられないことに、ネビルはそのどれも経験済みであった)。

 それから爆発スナップ(カードが爆発するトランプのようなもの。スナップだけでなくババ抜きもポーカーもできる)をしながら、マクゴナガルとスプラウトとフリットウィックの中で一番年長なのは誰であるかとか、スネイプの悪口だとか、ミセス・ノリスの弱点だとか、グリフィンドールとスリザリンで密かに交際してるカップルがいるらしいだとか、スネイプの悪口だとか、「魔法史」の授業はどこまで騒いだらビンズ教授が気付くのかだとか、クィディッチはどの寮が強いだとか、その他思春期の猥雑な話題も含め、とりとめのない話をした。シムは、こうして同級生の男子と他愛ない話をするのは小学校以来であった。

 

「家に帰れるのは楽しみだけど、城から離れるのもちょっと寂しいな」

 

 車窓に目をやって、ふとジャスティンは呟く。暗緑色の丘だとか鬱蒼たる森だとか曲がりくねった川だとか、そんな荒涼とした風景は、いつの間にか整然とした畑や牧場に変わっていた。旅は折り返しをとうに過ぎていた。

 

「面白そうなところがいっぱいあるもんな。痛い死に方をする四階の廊下とかな」

 

 ゴールドスタインは笑う。ネビルはクッキーを取り落とした。

 

「ネビル。そんな怖がることか?あの廊下は入れないだろう?」

 

「う、うん。入ってない。入れない」

 

 さらりと言うゴールドスタインに、ネビルはしどろもどろに答えた。アーニーは眉をひそめる。

 

「痛い死に方をするって校長先生が言っていただろう?レイブンクロー生は近づくのかい?」

 

 ゴールドスタインは肩をすくめる。

 

「好奇心が命より大事、みたいな人がいるのがレイブンクローだ。そういう人のおかげで九月の二週にはある程度の情報は聞いていた。つまり、開錠呪文(アロホモラ)をぶっ放すと、古い魔法に関する暗号みたいなものが出てくるらしい。ふくろう試験で八科目『O.優』を取るレベルのその人でもさっぱり分からなくて、暗号ががすぐ消えるし書き写せないしでその場にずっと留まっていたらフィルチに捕まったらしい」

 

 その上級生はフィルチに、「校長先生は『とても痛い死に方をしたくない人は、入ってはいけない』と言っていただけだから、論理的に考えれば、『とても痛い死に方をしてもかまわない人』は禁止されてるとはいえない」と抗議したところ、余計に罰則を伸ばされたという。

 

「それで、『入ってはいけない扉がアロホモラで開くようになっているわけがないし、あれはただのダンブルドア校長の悪戯で、何か別な方法を取らなければ開かない』、という仮説が談話室で受け入れられていた。その後は七年のオリバンダーさんが、『絶対壊れないようになってるなら杖の威力を確かめる絶好の機会』とかなんとか言って、あらゆる呪文を色んな杖でぶっ放したらしくて。それもあって監督生のロバート・ヒリアードさんがカンカンになって、『あの廊下に近づく者には、談話室の図書室を、寮監に言いつけて利用禁止にさせる』と脅して、つまりこれは一部のレイブンクロー生にとって死刑宣告みたいなものだから、それで誰も廊下の話はしなくなった」

 

 ゴールドスタインの語りに、ジャスティンとアーニーの顔は引きつっていた。アーニーは「レイブンクローは狂ってる」と呟いた。ゴールドスタインは気にせず、ネビルに顔を向ける。

 

「でもグリフィンドール生の方が情報を知ってそうだな。やるなと言われたことは必ずやるのがグリフィンドールだよな?」

 

「……グリフィンドールは、誰も何の話もしない」

 

 ネビルはぽつりとつぶやいた。

 

「ああ。全員が当たり前に突撃するなら、わざわざ話す意味も無いのか」

 

 ゴールドスタインは勝手に納得したように首肯した。彼は続いてシムに目を向けた。

 

「……スリザリン生は、メリットがなければ、危険にわざわざ近づくようなことはしないと思う」

 

 シムは、セラと一緒に赴いた「廊下」の景色を思い浮かべながら、答えた。

 

「ふむ」

 

 ゴールドスタインが顎に手を当てるのにあわせて、シムは話題を変える。

 

「ところでさっき言ってたけど、レイブンクローの談話室には図書室なんてものがあるの?」

 

 それからは互いの寮の談話室や文化の話になった。レイブンクロー、ハッフルパフ、グリフィンドール。シムの寮について問われる番になったが、シムはそもそもスリザリン寮の文化をほとんど知らないし、知ってる範囲で答えても引かれそうなので、返答には注意を要した。

 

「スオウ、レイブンクローに来たら良かったのに。君は向いているだろ」

 

「いや、ハッフルパフでしょ」

 

 シムの話を聞いて、ゴールドスタインやジャスティンがあっさりと言う。たぶん自分にはハッフルパフの空気は合わないし、レイブンクローにはスリザリンの四年生はいない、ということを言うわけにもいかず、さりとて「君達こそスリザリンに来れば良かったのに」と言うわけにもいかず、「楽しそうだね」と言うにとどめた。ネビルはさすがに、「グリフィンドールに向いているよ」とは言わなかった。

 

 

 ★

 

 

 列車は速度を落とし、いよいよ目的地のキングズ・クロス駅に近づいていた。夜の帳はとうに落ちて、町の灯りがきらめいている。シム達は急いでマグルの服装に着替えた。

 

「今日は君達と話せて良かったよ。じゃあ、また年明けに会おう。良いクリスマスを」

 

 車両が止まると同時に、アーニーはもったいつけたように言った。魔法族の家の生まれであるためか、マグルの服装が若干珍妙だったために、あまり格好が付いていなかった。

 

「いつでも爆発スナップやろう」

 

 ゴールドスタインは片手を揚げてトランクを引き擦っていった。

 

「クリスマスカード急いで出すよ」

 

「おた、お互い頑張ろうね」

 

 アーニーを連れ立ったジャスティンとネビルとを見送り、シムもコンパートメントを出た。列車を降りた途端に人の波に呑まれ、トランクを握りしめながら、壁の方へとにじりよって混雑をやりすごし、混雑が収まるのをしばし待った。

 

「やあ、シム、良かった」

 

 列車と空の境界のあたりをぼうっと眺めていたとき、近くの客車から降りてきた女子生徒がこちらに声をかけた。セラだった。

 

「別れの挨拶もできずじまいになるかと思ったよ」

 

 魔女のローブ姿でないセラを見るのは初めてであった。セラは当然のようにマグルの服を完璧に着こなしていた。服は少し色褪せているようにも見えたが、やはり様になっていた。魔法とは一切無縁の、ごく普通の女子に見える。いや、もちろんごく普通の女子ではない。シムの小学校や町にはセラのような人はいなかったし、シムが進学するはずだった中学校にもたぶんいなかっただろう。

 

「柵の向こうで母に待ってもらっていてね。魔法使いに囲まれたくはないだろうから。シムのご両親もかな?」

 

 シムは頷いた。二人は人の流れでごった返す9と4分の3番線のホームをかきわけ、柵をくぐり、マグル側のキングス・クロス駅のホームへと戻った。

 9と4分の3番線が人でごった返していたといっても、こっちにくらべれば、目ではない、沢山の人、人、人。ローブも着ていなければ、杖も持たない、人達。壁に張られたポスターの俳優は、微動だにせず微笑んでいる。懐かしいはずなのに、異様な光景だ。いまの感情をうまく咀嚼できなかった。

 突っ立つシムをよそに、セラはあたりを見回し、ふいに声をあげた。

 

「母さん!」

 

 スーツ姿の女性が振り向いて、セラの方を見た。

 シムはセラの母についてあれこれ想像をめぐらしていた。予想を超えるだろうと踏んでいたシムの予想に違わず、女性は、セラがそのまま歳を二・三十年重ねればまさにこのようになるのだろうと感じさせられる風貌であった。恐らく年齢よりは若々しいであろう顔立ちは、しかし目元の隈や疲れた表情や草臥れた服によって、相殺されているようにも見えた。

 

「久しぶり。元気だった?」

 

 セラの母は微笑むと、セラを抱きしめた。セラより頭ひとつ高い。セラは額を母の鎖骨のあたりに押し当てる。

 

「うん。元気」

 

 親子の再開をじろじろ見てはいけないような気がして、シムは目線をそらしていたが、セラの母の視線を感じ、会釈をした。セラが母から体を離して説明する。

 

「同じ寮の一年生で。彼も両親が魔法使いじゃない生徒なんだ」

 

「そう。この子と仲良くしてくれてありがとう」

 

 セラの母は顔つきを緩めた。そして腕時計を一瞥し、セラに向き直る。

 

「もうそろそろ行かないと」

 

「――わかった。じゃあシム、よいクリスマスを」

 

 セラは手をひらひら振ると、母とともにキングス・クロスの雑踏へと消えていった。シムはしばらくその方向を見つめた。急に空気が冷え込んできたことにシムは気づいた。

 ほどなくして、シムの両親が現れた。上等なスーツに身を包んでいた。シムはほっとしたが、それは久々に両親の顔を見ての安堵という以上に、自身が自らの両親といるところをセラに見られなくて済んだことに対しての安堵の方が大きかった。しかしセラは堂々と母と仲良くしていたことを思い起こすと、恥ずかしさも覚えた。

 駅からロンドン郊外の自宅まで車で移動する間、すっかり眠りこけてしまい、両親の質問攻めをしばし回避することができた。一切の憂いが無く、ご飯と寝床にありつけるという久しぶりの経験は、感動的なまでであった。しかし、翌日の朝食の席で、自分の目の前にいるのが両親だということに、何か足りない気持ちを覚えた。

 

 

 それから日が経ち、クリスマスの前日になった。明日のクリスマスは郵便が休みだから、郵便配達は今日が最後。いや、小学校時代の友達からのクリスマスカードは、もちろん12月の中頃までには、つまりシムが家に帰る頃には既に届いていた。けれどもシムは朝から、二階の自室の窓から何度となしに、玄関を見下ろした。

 三十回は窓の外を見た後の昼下がり、郵便配達の車が家の前に停まったとたん、シムは駆け下りて玄関の扉を開けた。小包を二つ受け取り、リビングにいる親に一つを渡し、自室に駆け上がって内ポケットに隠していた一つを取り出し、包みを破った。

 簡素なラッピングが施された長方形の包みと、カードとが同封されていた。カードには、流れる達筆で文がしたたまれていた。 

 

 

シムへ

クリスマスおめでとう。家で家族と過ごしているところかな。私は家に帰るたびに、自分の家のなつかしさとホグワーツへのなつかしさで胸がいっぱいになってしまいます。

 

君の学校生活にとって私がどこまで助けになったかは分からないけれど、少なくとも私の学校生活にとっては、君が入学してくれたことは大きな変化になった。

 

それではまた来年もよろしく。

 

セラより

 

 

追伸

君に贈った本は私のお気に入りの一つです。有名な本だから、読んでなくとも粗筋を知っているかもしれないけれど、そのうえで読んでも、まったく問題のない本だと思う。はからずも私は最初に読んだときに泣いてしまった。君の感想を聞ければ嬉しい。

 

 

 シムはその短い手紙を三度読み直した。

 そして机の引き出しの上から二番目の、鍵のかかった引き出しを開けた。祖父から貰ったゼンマイ仕掛けのおもちゃだとか、祖母が亡くなる三日前に貰ったお守りだとか、引っ越して転校していった近所の少女と撮った写真だとか、そんなものがごちゃごちゃ入っている引き出しに、手紙を仕舞い、鍵をかけた。しかし二分ほど経って、再び引き出しを開けた。手紙を読み直し、今度こそ手紙を仕舞いこんだ。

 

 同封された本の表紙には、(ねずみ)と男が描かれていた。シムは早速読み始め、そのまま中断することなく読み終えた。

 要約すれば、周囲より遥かに知能が低く、孤独だった男が、画期的な手術を受けて、知能が急激に上昇し、世界が色づき人々との交わりを得るが、しかし世に並ぶべくもない賢さとなってやはり孤独になり、そして最後には知能が下降して元の状態に戻ってしまう、それだけの話だった。

 しかし、たしかに粗筋を知っていても何も問題ない物語だった。シムは濡れて染みがついてしまった最後のページを丁寧に拭きとってから、本を閉じた。

 またも引き出しを開けて、セラの手紙を読み直した。昼食に呼ばれる声がして、シムは引き出しに鍵をかけて、顔を拭って降りて行った。

 

 

  ★

 

 

 クリスマス休暇があっという間に終わり、シムは再びキングズ・クロスの9と3/4番線に戻ってきた。白い湯気を吐く真紅の汽車を見ながら、人でごった返すホームを気もそぞろに歩いていると、背後から声がかかる。

 

「やあ、久しぶり。君の本、とても面白かったよ」

 

 魔女はあくまで飄々と、にこやかに、堂々と立っていた。最後にセラと別れてから、三週間と経っていないことがシムは信じられなかった。何でもなさそうな笑顔を努めて装ってから、シムは挨拶を返した。

 

 

  ★

 

 

 それからのシムは、休暇前と変わらない日々を送った。一月も二月も、激しくも穏やかな日常が過ぎていった。変化があるとすれば――

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 ある二月の夜の2E教室で。シムの放った赤い光が、セラの身体を突き刺し、セラの杖と身体を吹き飛ばした。

 

「いまのは油断していなかったけれども――いやはや」

 

 セラは立ち上がると、壁にもたれてしばらく黙っていた。

 

「シム。私は前に、決闘クラブでたまに遊んでいるという話をしたのを覚えているかな。ジェマとかペネロピーとかセドリックとか、後はほかにも何人も、私にはまるで歯が立たないような人も含めているんだけど」

 

「一回遊びに来てみない?君が彼らに勝つのはまだ難しいと思うけど、刺激になるはずだよ」

 

――それは、シムが他寮の上級生と関わる機会ができたということであった。

 シムの人間関係の範囲はさらに広がり、心強い味方が――癖も強かったが――増えた。それに、ジャスティンやアーニーやゴールドスタインと廊下ですれ違えば彼らは気さくに挨拶を交わしてくれたので、他のレイブンクローやハッフルパフの一年生に露骨に避けられるということもあまりなくなり、やがて知人もいくらか増えた。自分の体から根が伸びて城のあちこちに張ってゆく感覚、自分の足場が固まってゆく感覚をシムは覚えた。

 ただし、そのせいもあって、シムはつい先ごろにもスリザリンの談話室で強烈な差別と悪意を向けられたことを、ほとんど忘れそうになっていた。いや、彼らがマグル生まれに強烈な悪感情を持っていることは常に認識していても、だからといって軽い呪いをかけたり侮辱したりという程度を超えてその心身を真に脅かそうとすることは無いだろうと、どこか楽観的に思ってしまったのかもしれない。そして、それはもしかしたら、警戒心が常に非常に強いセラでさえも同じだったのかもしれない。

 

 




プレゼントを貰うくだりを書きたかっただけの回。

マグル生まれのペネロピー・クリアウォーターが『秘密の部屋』事件の真っ最中のクリスマスに帰宅していないということは、メタ的には話の進行のため(ハリーに面識を持たせるため)ではありますが、二次創作する上では妄想の余白があります。

決闘クラブの第5話と、賢者の石の第6話で終了になりますが、その前にジェマ・ファーレイの一・二年生の頃の物語を明日から三回分投稿します。本筋とはあまり関係ない3万5千字の短編小説です、感想いつも励みになります。


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第4½話 蛇とトカゲ(前)

更新5日目 (今日から3回分はスピンオフ)


「ストーリー・セラ!」

 

 毎年九月一日に行われるホグワーツ伝統行事、組分けの儀式。ABC順に一人ずつ、新入生が呼ばれてゆき、魔法の帽子を被り、今後七年間寝食を共にする寮の行き先が、帽子によって告げられる。

 二年生以降の生徒は、自分の寮のテーブルに座りながら、組分けの様子を見守りつづける。組分けの儀式は、FやH、せいぜいMくらいまでは楽しいが、Pを回った頃にはさすがに少々飽きもくる。空かせた腹を抱えながら、残り時間の計算を始め出す。とはいえ、自分の寮の名が呼ばれれば、手を叩いて心からの歓声を上げ、一年生の背中を叩き、温かく自寮に迎え入れる。

 そして残る一年生の数もようやく少なくなり、Sの姓が呼ばれる。

 黒い髪と緑の瞳、すらりと大人びた、目を惹く女子生徒が、緊張の足取りとともに進み、古びた大きな帽子を被った。沈黙が走る。

 ほとんどの生徒は、十秒、二十秒、せいぜい三十秒以内に組分けが終了する。

 この女子生徒は、例外にあたる生徒だった。

 一分。

 二分。

 三分。

 ()れと緊張が、見守る上級生達の間にも広がる。

 複数の寮の特質が拮抗した優秀な生徒、内面が人一倍複雑な生徒、何かしら問題のある生徒。組分けに時間がかかる生徒は、往々にして、そのような傾向があるとみなされがちだ。女子生徒の方へと注目が集まる。

 三分と三十秒。

 ついに、帽子が高らかに叫んだ。

 

「スリザリン!!!」

 

 他のテーブルからのわずかな溜息やせせら笑いをかき消すように、スリザリンのテーブルから拍手が鳴り響く。スリザリン二年のジェマ・ファーレイは、歓迎の手を叩きながらも、この少女の身を案じる。

 他のスリザリン生も分かっているはずだ。ストーリー家などという家は聞いたこともないし、スリザリンに組分けされる生徒のほとんどは組分けに時間を要さない。つまりは「あっち側(マグル)」の血がそれなりに濃いのだろうと推察することは、ごく自然な帰結だ。

 

 

 ★

 

 

 ジェマ・ファーレイは、魔法族の両親のもとに生を受けた。

 両親は、魔法族専用の商店街、ダイアゴン横丁と夜の闇(ノクターン)の境目で、小さな魔法道具屋を営んでいた。子守歌を歌うぬいぐるみから、古代の闇の儀式の呪具まで、雑多な品がごちゃごちゃにひしめく店。一家のすまいも店の上にあったから、ジェマは魔法と魔法族に囲まれて育った。

 魔法族のみが密集したコミュニティというものは、英国にはホグズミードかここくらいのものだ。ジェマは恵まれた環境で育ったと言えただろう。他の魔法族は、マグルの集落や都市に溶け込んで暮らすか、人里離れた僻地で暮らしている。

 親やベビーシッター(屋敷妖精(ハウスエルフ)なんてものはこの小さな家にはやってこない)に連れられて遠くの森や野原で駆け回ることもあった。けれども基本的には、ダイアゴン横丁がジェマの遊び場だった。

 午前中は、ベビーシッターに英語の読み書き、ラテン語の文法、掛け算割り算、魔法界の仕組みに歴史、魔法薬の種類に効果、その他あれやこれやを勉強させられたが、お昼を食べると、自由な時間が与えられた。

 お店から飛び出し、薬問屋のおばあちゃんにおべっかを使ってお菓子をもらい、フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーのおっちゃんに笑顔で挨拶をしてソフトクリームをごちそうしてもらい、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店で店員ににらまれるまで物語を立ち読みして(「マーリンの冒険5 ヘレナとドラゴン退治」がお気に入りだったので、いつの間にか売れてしまったのが残念だった。148ページをめくるとルーマニア・ロングホーン種がジェマの鼻先まで火を噴くのだ!350ページでは美しい主人公二人がキスをしていてとてもドキドキした)、横丁の端っこの広場や、横丁の地下に広がる原っぱ(横丁に住む子どもだけの秘密の遊び場!横丁はとっても狭いけれど、ここでは伸び伸びと体を動かせる。地上の日が暮れてくると、管理人のバンス婆ちゃんが魔法の空を暗くするのだ。雨を降らされたくないから、みんな婆ちゃんを怒らせないように気を付けている)で走り回り、空が暗くなる前に店に戻り、ちょっとお店を手伝って、店じまいをしてから夜ご飯を食べて、眠りにつくのだった。

 

 もちろん、あらゆる魔法使いが横丁に来るのだから、杖も持たない子供が一人でうろつくのは、全く安全ではない。横丁の怪しい店いくつかには近づかないようにとは口を酸っぱくして言われた。そして店を出て右に五メートル、闇の魔術専門の夜の闇(ノクターン)横丁には一歩も足を踏み入れないようにと、毎日固く言いつけられた。ジェマは店のどんな売り物より高品質な、魔除けと人避けと呪い返しの護符を、ローブの裏と肌に何十枚もベタベタ張り付けていたが、本当に厄介な魔法使いには、そんなものは効かないおそれがあるからだ。下手をすれば、ジェマ自身が売り物として並んでしまうかもしれない。もちろん、生きたまま売り飛ばされるなんて未来を想像するのは贅沢だ、眼とか血とか骨とかの状態でバラ売りされてしまうだろう。お客の跡をつけて、夜の闇(ノクターン)横丁の手前のアーチで二秒三秒立ち止まっているだけで、ジェマに貼られた護符が店の警報を作動させ、父か母がすぐに飛んできて、家の屋根裏に連れ込まれ、「ビンタの呪文」と「お化け呪い」で脅しつけられ、向こう数日は家から出してもらえなかった。

 そして、横丁の中心にあるパブ「漏れ鍋」にも絶対に入るなとも言い含められた。横丁という大鍋に空いた穴、「あっち側(マグル世界)」に続く道だからだ。

 マグル。魔法を全く使えない、惨めな可哀想な存在。 

 ジェマは歴史をある程度学んでいたから、魔法族とマグルの関係を理解していた。

 魔法族はマグルに魔法で手助けをし、良き隣人として付き合ってきた。しかし魔法の力を畏れるマグルは、「魔女狩り」を始める。天候が悪いのも、作物の実りが悪いのも、家族が病気になるのも、全部全部、魔法のせいにされる。魔法族とみなしたものを、捕えて拷問し処刑する。

 一対一ではもちろん、魔法族がマグルに負けるわけがない。そもそも、杖があれば捕まりようもない。マグルが「魔女狩り」で処刑した者のほとんどは、愚かにも、何も魔法を使えないマグルだった。

 しかしマグルはとにかく数が多い。大人の魔法族ですら油断して杖を奪われてしまう者もいたし、魔法をろくに使えない子供の魔法使いは、大勢の大人のマグル相手にはほとんど無力だった。

 マグルは子供にも容赦しなかった。むしろ、子供を断てば魔法を永遠に葬れると考えたかもしれない。魔法の力を制御できなかったところを見られたが運の尽き。年頃なら散々(はずかし)められ、その後は親指を締められ、爪をはがされ、水をのまされ、切り刻まれ、魔女だと認めさせられ、いったん認めれば魔法について知ってることを洗いざらい訊き出される。そして魔法の力もなくなり、使い物にならなくなったら、生きたまま火で炙られた。

 魔法族は、野蛮なマグルのもとから永久に姿を隠すことにした。三百年以上たっても、魔女狩りがとうに終わっていても、国際機密保持法は、世界中の魔法族にとって最重要の法律になっている。魔法を使うところを決してマグルにみられてはいけない。特に子どもであれば、魔力の制御がおぼつかないから、ロンドンの雑踏に足を踏み入れるわけにはいかない。

 だから「あっち側」に行ってはだめ。お前もさらわれてマグルに殺されるぞ。殴られて穢されて、魔法の力を奪われるぞ。ジェマもわざわざ、魔法もない「あっち側」へ行きたいと思わなかったから、漏れ鍋に近づくことはなかった。

 

 そしてジェマは11歳になり、ホグワーツへ入学する年となった。

 ようやく自分の杖も持てた。リンボクにドラゴンの心臓の琴線。今までは、大人の杖を使って簡単な呪文の練習をする間だけしか、杖に触ることができなかった。手を使わずに生姜ビスケットを口に放り込むことも、からかってきたエドを呪うこともできない。これじゃあマグルと変わらないじゃないか。いつも不満だった。だから、オリバンダーの店を出て、初めて自分が「一人前の人間」になれた気がした。毎日ぴかぴかに磨き上げた。そうすれば、絵本のドラゴンみたいに、杖から火花がシュシューと噴き出てくるのだ。入学するまでの半年間、ひたすら呪文の練習をした。失敗して爆発すると、音を聞きつけて駆けあがってきた両親に杖を取り上げられてしまったたが、次第にコツがわかってきた。

 瞬く間に九月一日になった。ジェマはおかしなダサい服を着て――マグルの服装らしい――片手でトランクを引きずり、片手で母に手を引かれ、初めて「漏れ鍋」に入った。歯の抜けたバーテンダーと大勢の魔法使いでごった返す店内をすり抜けながら、母は言い含める。

 

「絶対に手を離してだめ」

 

 ジェマは緊張して頷き、「漏れ鍋」の敷居をまたぎ、「あっち側」に足を踏み入れた。

 ジェマは歩きながら息を呑んだ。

 魔法の香りが何もない。空気がごみごみしてる。そして、道を行き交う人、人、人。とにかく人が多い。圧倒された。ダイアゴン横丁も常に人で混雑していたが、その比ではない。その上、誰もが、奇妙な服を着ている。今のジェマが着ているような。

 ――いや、これがマグルか。こんなに沢山のマグルを見たのは初めてだ。服装以外は、一目で魔法族(こっち)と見分けがつかない。ジェマはゾっとした。

 吐き気をこらえながら、ジェマは上を見上げた。グリンゴッツよりも背の高い建物ばかり。くらくらする。逃げるように、建物の隙間の青い空を見る。空にふくろうは一羽も飛んでいない。代わりに、高い空に、百味ビーンズより小さい、白い鳥が、まっすぐ飛んでいた。鳥の後ろには雲が尾を引いていた。雲を生み出す鳥なんて、魔法生物に違いないが――しかもマグルは、あの鳥に気に留める様子が無いから、ただのマグルには見えないのだろう――「幻の生物とその生息地」にはあの鳥は載っていなかった。

 母親に手を引かれ、狭い袋小路に入り、「姿くらまし」した。キングズ・クロス駅に着くと、さらに、周囲がマグルで溢れ返っていた。全身の鳥肌が立った。

 ジェマはこのときまで、なぜ「魔女狩り」の後に、魔法使いがマグルに復讐せずおとなしく隠れたのか、さっぱりわからなかった。杖を使えば簡単に制圧して支配できるだろうにと。

 数がここまで違うとは思っていなかった。ここのマグル達が一斉にこちらに襲い掛かってきたときのことを想像し、怖くなった。両親がマグルを皆殺しにするより前に、魔力の快復が間に合わなくてやられてしまうかもしれない。

 柵をくぐって9と4分の3番線のホームに着いてようやく、ジェマは安堵の溜息をついた。別れの挨拶をする前に、母が忠告する。

 

「良いこと、ジェマ、あなたはスリザリンに組分けされる。スリザリンでは誰が『強者』かをちゃんと見極めなさい。そして『強者』に取り入りなさい――媚びへつらうのでも逆らうのでもなく、仲良くするということ。そうすれば、きっと楽しく過ごせる」

 

 前にも聞かされていたことだ。ジェマは元気に頷いて、ホグワーツ特急に乗り込んだ。

 ジェマは、ホグワーツには寮が三つあるということをとっくに把握していた。

 まず一つは、スリザリン。強い者が集う寮。偉大なるマーリンも「例のあの人」もここの出身。マグルが誰もいない寮。

 そしてもう一つは、グリフィンドール。偽善者とマグル贔屓とスリザリン嫌いばかりがいる寮。

 そして最後は、レイブンクロー。頭でっかちと、奇人ぶってる凡人のための寮。

 そしてどこにも入れなかった愚鈍な余り物は、屋敷妖精(ハウスエルフ)の巣穴のそばの、ハッフルパフというねぐらにまとめて押し込められるらしい。

 

 横丁の顔なじみの友達とぺちゃくちゃ喋っているうちに、ホグワーツ特急に運ばれて城に着き、ジェマはすぐにスリザリンに組分けされた。エイミーはハッフルパフに行ってしまった。がっかりだ。そんな子だったなんて。

 

「ごきげんよう。あなた、お名前は?……ファーレイ?――ああ、もしかして『ファーレイの店』のご令嬢ですか?私は行ったことがありませんが、両親がお世話になったかもしれません。スリザリンにようこそ」

 

 スリザリンのテーブルには、ジェマが既に顔見知りの生徒もいたが、それまでほとんど関わりのなかった、古い純血の家の生徒も沢山いた。そういう生徒達からも、ジェマはまったく邪険にはされず、むしろ暖かく迎え入れられた。しかしそれでも、見えない壁があることは、はっきりと感じ取れた。そういう生徒達は、入学前からすでに、家同士の強い繋がりがあるようで、上級生に敬意をもって迎え入れられていた。

 スリザリンでは強者をみきわめ、強者に取り入りなさい。母の言葉を噛みしめ、学校生活をスタートさせた。

 

「ミス・ファーレイ。素晴らしい針の鋭さです。金属質への転換が不十分ですが、今はよろしい。形相のイメージと理解に努めること。スリザリンに――一点」

 

「ちょっと急に何?さっきパーキンソンさんに無礼な口きいてたからこの子を教育してただけだけど――ギャッ」

 

「ファーレイ、火加減と攪拌の速度がともに正確だ。スリザリンに一点――――馬鹿者!すぐ火を止めろ!――――ウッド、山嵐の針はよく断ってから鍋に入れろという指示が読めないのか?ウィーズリーも日頃しゃしゃりでるならこういうときこそ注意したまえ。グリフィンドール一点減点」

 

「なあジェマ、明日は空いてるか?水蛇回廊に良い感じの部屋を見つけたから、一緒に水魔(グリンデロー)と大イカを見に行こう」

 

「……あ?そいつらがあたしのダチに、カスのクズの差別用語をぶちまけたからぶん殴っただけだ、なんか文句あんのか?……ッ!……いきなり杖かよご挨拶だな、良いぜ、来いよ。アンドレア・ジョンソンを舐めんな蛇女」

 

「ちょっとそこ、フーチ先生が見てないときに勝手に箒レースはやめろ、危ないだろ!おいウッド、僕もチャーリーの弟だ、思い切り飛べない辛さは分かるが少しは飛行欲を抑えろ。それにミス・ファーレイも、いや、ちが、僕はパーフェクト・角縁眼鏡・ウェーザビーじゃなくてパーシー・イグネイシャス・ウィーズリーだ、だからウェーザビーじゃなくてウィーズリー、だからほら、ああもう、いやもしかして外国から来たとかで、まだ英語を聞き取りにくいのか?うん、そうか分かった、それならすまない、スペルを杖で宙に書くぞ、W!E!A!S!――えっフーチ先生違うんです、僕は騒いで遊んでるんじゃなくて彼らをただ注意しただけで、あれっいない、いやさっきまでは後ろにいたんです」

 

「なあ、明日こそ空いてないか?一緒に水魔を見ようよ。ちょっとだけだからさ」

 

「初めまして、ミス・ジェマ・ファーレイ。私、ロウル家の当主ソーフィンとグリーングラス家の次女エリスの長女、フレヤです、以後お見知りおきを。ときにミス・ファーレイ――いやジェマとお呼びしてもよろしくて?――土曜の午後、私のお茶会にあなたをお招きしたいのですが、ご都合いかが?私、ジェマのようなスリザリン生は常に、心から歓迎しますわ」

 

 三週間経ってジェマは気づいた。自分が強者になれば良いのだと。

 

 

 ★

 

 

 勉強も箒もスキンケアの仕方も、自分で頑張ったり同級生や上級生に教えてもらったりでいくらでも身に着けてゆける。礼儀作法、人の心を掴む話し方、軽くみられない振舞い方なども、まったくの(マグル)真似だが、古い家の生徒から盗める。家の資産だとか家同士の人脈だとか、そういったものは端から諦めるしかない。

 しかしジェマにとって、手を伸ばせそうだが現状では足りないと感じるものが一つあった。

 自分の身を護る目的および周囲を畏怖させる目的に用いられる、場合によっては率直に「暴力」と表現されるもの、つまり護身術や決闘術と呼ばれる技術だ。

 マグルの学校であれば(むろんジェマは知る由もないが)、「殴り合いが強い者が偉い」価値観が女子同士の間で適用されることはあまりない。しかし、全員が杖を携帯しているホグワーツなら話は別である。たとえ他の生徒と呪いを掛け合うようなことがなくても――野蛮なグリフィンドール生相手では日常的に起こりうるが――「強い」ことは、それだけでステータスとなる(「スリザリンらしく淑女たる」ことと、「自らの杖で、自らを護り、周りを従える」ことは、何も矛盾しない)。それに今後ジェマが寮で権力を握ろうとしていった場合に、それを良く思わない連中から集団で虐められるという可能性を、摘んでおける。スリザリンには、陰険で柄の悪い暴力的な連中も少なくない。

 この種の技術は、独りで本を読んで練習すれば十分というわけではない。もちろん独りで魔法の腕を磨くのが、この種の技術にとっても一番の要である。しかし羽を浮かせたりネズミを嗅ぎ煙草入れに変えたところで、それだけでは「強い」と思われないだろう。

 誰かと練習するのだとしたら、その場が必要だ。教師の目から隠れて、防衛術や決闘術を学ぶような集まりは、スリザリン内にあるにはあるようだった。とはいえジェマの知るそれは、男子ばかりだし残忍な上級生ばかり。さすがに接触する気は起きなかった。あるいは下級生の女子のいるクラブもあったのかもしれないが、ジェマの耳には入っていなかった。

 優秀な上級生に個人的に教えを乞うのも手だ。しかし必要以上に借りを作りたくはなかった。同胞への助けを惜しまないとはいっても、無論、限度はある。必要以上に助けを乞う者は、自分の立場を不利にしかねない。上級生の派閥に取り込まれて小間使いとして学校生活を送ることになっては、意味が無い(マグルの学校であれば、女子のコミュニティは序列より同調性のほうが意識されやすいのかもしれないが、スリザリンは歴然とした階級社会であったし、ジェマは競争意識が生来とても強かった)。

 そして迎えたある金曜日。

 

「何で起こしてくれなかったの!?」

「それはこっちのセリフ!!」

「ちょっと二人ともそんなこと言ってる場合じゃないでしょこれ遅れたら本当にまずくない次スネイプ先生だよね」

「やっぱり大広間に朝ご飯食べに行かなければ全然急ぐ必要ないじゃない、教室は寮の近くだし」

「それはだめ無理持たない授業で鍋かき混ぜてる間に吐く、五分で食べよ」

「早食いして走るほうが吐かない?私も食べたいけど」

 

 ジェマは前の晩に夜更かしをしたせいで、ルームメイトともども寝坊し、始業時間の近くに大広間に駆け込んだ。生徒の大部分は既に大広間を去っている。未だのんびり食事を続けている者の多くは、一時限目が空いているN.E.W.T(イモリ)課程の六・七年生だ。ジェマ達は走りながら、扉にほど近い、空いた席を見つけて座った。よりによって一時限目は、グリフィンドールと合同の、スネイプ寮監の「魔法薬学」のクラスだ。遅刻しないべく、会話もそこそこにオートミールを掻きこみながら、辺りを見回す。

 一寮につき一本だけの大広間の長テーブルは、とにかく長い。大広間の扉から、教員の上座(かみざ)まで、まっすぐ伸びている。ジェマは普段、中央より奥に近い方に座っていたから、まるで景色が違う。教員の顔もほとんど見えないし、近くに座るスリザリン生も、ジェマが話したことのない生徒ばかり。扉に近い席は、どれも空いていて、一番端にだけ、見たことのなかった上級生が二人座って談笑していた。

 

「あら、このプディングとっても美味しい。――ねえシーナも食べなさい、ほら、あーん」

 

 柔和な風貌のプラチナブロンドの魔女が、甘い声を出しながら、スプーンを差し出していた。黒髪で長身の、無表情の魔女が黙って口を開け、プディングを頬張(ほおば)る。

 その瞬間、魔女の顔が無表情のまま真っ赤に染まり、耳から煙が出る。

 

「アハハハハ、あなたやっぱり夏休みでニブった?屋敷妖精の美味しいプディングはそっち、これはハニーデュークスの『ファイアプディング』。食事中だけどこれはセーフね、だって食べ物で遊んだわけじゃな――っ――」

 

 笑っていた魔女は、顔を歪めてスプーンを取り落とした。

 

「……ゾンコの『サンダービーンズ』も一緒に噛んでいた。金属を持っていると痺れが走る。大広間では礼儀正しく静かに食べろ」

 

「あなたいつからそんなもの頬張ってたの?」

 

「仕掛けるときこそ一番警戒すべき。ソフィアは夏休みでひどく鈍ってしまった」

 

「……ふうん。今夜は覚えてなさい。生意気を後悔させてあげる」

 

「ソフィアは忘れているだろうが、去年は92勝90敗98分で私が勝ち越していた。今年も10勝7敗6分だ」

 

「去年の最後のあなたの2敗は完敗だったのを忘れたのかしら。そのすまし顔が無様に歪んで、とっても可愛かったわ」

 

「ソフィアは勝っても負けてもいつも可愛かった」

 

「知ってる」

 

 

 

「……なんなの、あれ」

 

「あんな、汚らわしいマグルを見てはだめ。ほっときなさい」

 

 周囲をはばからない二人の様子をジェマが見ていると、近くの四年生が苦々し気に言った。ルームメイトの一人が怯えた声を上げる。

 

「スリザリンにそんなのがいるんですか?まさか」

 

「スリザリンに『穢れた血』はいない。奴らはスリザリンじゃない。それ以外はみんな、このテーブルにいるのはスリザリン生」

 

 四年生はにべもなく言うと、食事を終えて席を立った。

 ジェマは観察を続けた。上級生の集団が、大広間から出て行こうとするとき、舌打ちをして、一人がさりげなく、プラチナブロンドの魔女の方に杖を向けた。

 

「そういえばこの前もちょっと話したけど、夏休みにとってもクールなことがあったの――というかこいつハイランドの山奥で(なま)ったシーナよりもずっとトロいのね夏休み何してたのかしら――それでシーナどこまで話したかしら、そう、夜道を歩いてたら、いや危険に決まってるわ、でもしょうがなかったの、そしたらね」

 

 プラチナブロンドの魔女が首を回して杖を抜いて桃色の閃光を放ち、上級生が呻いて杖を取り落とした。何事もなかったように振り返って会話を続ける魔女に、もう一人が遮る。

 

「ソフィア。恐らく遮音の魔法の効果が切れている。そうでなければ、ロンドンのスラムで鈍って魔法の効果が弱まった」

 

「あら、それじゃあ確かに『純血』の繊細なお耳にご迷惑だった。悪いことしちゃった」

 

「どっちにしても大広間では品性を持って食べるべきだ」

 

「私はきちんと食べる前に感謝のお祈りを捧げているわ」

 

 ソフィアと呼ばれた魔女は再び杖を振り、それから二人の会話はジェマの耳に入らなくなった。

 ジェマの周りは、軽蔑の顔をして一切気にせず食事に戻っていたが、ジェマの興味は、この二人に向けられた。朝食を食べ終え、「魔法薬学」の教室に駆け下りながらも、考える。

 うす汚い「あっち側(マグル世界)」から来た連中の癖に、スリザリンのテーブルに座って横柄な顔をしていられるなんて。スリザリン生の不意打ちを防ぐなんて。何か秘密があるのだろうか。野蛮な連中とは全く関わりたくないが、時間があるときに少し跡をつけて様子を見てみようか。

 そう思ったときに、「スリザリン生なら、慎重さを忘れずに自分の身を護るべき」という母の言葉、「付き合う生徒は選べ。魂がうす汚い奴らには近づくな」という父の言葉が頭をよぎったが、ジェマの好奇心がそれを遮る。遠くから見るだけなら、自分は安全だろう。校則違反してるところを見つけるとか、あの二人の弱味を何か握れるかもしれないし。

 しかし、昼食も夕食も、夜の談話室でも、二人の姿を目にすることはなかった。

 翌日の土曜日、朝食の席で、ジェマは再びあの二人の姿を目にした。やはり扉の近くの、一番端に座っている。彼女達がさっさと食べ終えて扉から出ていったのを見て、ジェマは友達に適当な言い訳をして中座した。大広間の廊下を出る。二人は他愛のない会話をしながら歩いている。十分に距離をとって二人の背中を追い、二人が角を曲がるたびに、ダッシュして距離を詰める。そうやって三階まで昇り、三回曲がったとき、ジェマの目の前で、一年生が何人も、ジェマがあまり近づきたくないような大柄な生徒を含め、廊下に倒れて伸びていた。そちらに目もくれずに、二人は歩き続け、のんびり会話を続けている。

 

「こいつら、大勢で後ろから掛かれば、私達にちょっかい出せるとでも思ったのかしら?どうして私達が他のスリザリン生達と一緒に仲良く楽しく元気に暮らしていられるのか、考えようともしなかったのかしら?ホグワーツ六年生を舐めているのか、マグル生まれを舐めているのか、私達を舐めているのか、それとも他の愉快なスリザリン生達を舐めているのか、どれなのかしら?」

 

「すべてだろう」

 

「じゃあ他のもっと怖い上級生にシめられる前に謙虚な姿勢を学べて良かったね。最初の校歌斉唱でも教わるはずなのに。『ホグホグワツワツホグワーツ/教えてどうぞ僕達に/学べよ脳みそ腐るまで』

 

「あのふざけたイベントに情操教育の意図は皆無だろう」

 

水中人(マーピープル)泣き妖怪(バンシー)二部合唱風の音を今夜この子達のベッドにプレゼントしてあげるってのはどう?いっそ録りに行く?でも面倒臭いわね」

 

「湖を散歩しようとするのは自殺行為だ」

 

 二人が再度角を曲がったとき、急に二人の姿が見えなり、声も聞こえなくなった。しばらく辺りを歩き回ったが、見当もつかない。抜け道かなにかに入ったのだろうと、ジェマは諦めて、階段を降りていった。昼も夜も、談話室でも大広間でも、二人の姿を見ることはなかった。

 翌日の日曜、朝食の席には再び、あの二人の姿があった。ジェマは再び二人の跡をつけた。まだ入学したばかりで慎重さに欠けていたジェマは、ソフィアの「どうして私達が他のスリザリン生達と一緒に仲良く楽しく元気に暮らしていられるのか、考えようともしなかったのか」という言葉を深く考えようともしなかった。

 二人の声(主に片方の声が大きく響いている)を頼りに、息をひそめて忍び足で走る。五階まであがり、隠し扉をくぐり(一見ただの壁に見えたが、「2・3・5・7のリズムでノックするなんてかなり不親切よね」「数占術師(アリスマンサー)のブリジット・ウェンロックの肖像画がヒントになっているのだろう」「腕が疲れるという意味よ」という会話が聞こえたおかげで開けることができた)、四回角を曲がり、二人はあてどなく散歩しているだけなのだろうかと(いぶか)しんだところで、二人の姿と声が急に掻き消えた。

 ジェマはふと不安になった。ここの辺りは一度も来たことがなかった。殺風景な廊下に、ちっぽけな教室が右手にひとつだけある。ホグワーツ城はまさしく迷宮だ。ダイアゴン横丁のように、「行きは右に曲がったなら、帰り道は左に曲がれば良い」、という保証があるかは分からない。

 冷静になると、そもそもなんで、あんな野蛮な連中のために、貴重な日曜日の時間を無駄にしているのだろうか。ジェマは自分に腹が立ってきた。はやく談話室に戻ろう。そしてジャスミンと遊ぼう。踵を返したとき、ジェマは息を呑んだ。

 

「こんにちは。もしかしてあなた、私達を捜していたの?」

 

 二人の姿が目の前にあった。無表情の黒髪の魔女と、柔和に笑うプラチナブロンドの魔女。後者が腰をかがめてジェマと視線をあわせ、優しく語り掛けた。

 

「初めまして、私はソフィア・ソールズベリー。こっちはシーナ・シンクレア。スリザリン六年生よ。あなたのお名前は何かしら?スリザリンの一年生よね?」

 

 そうだ。姿を隠す魔法なんてのは、高度な魔法だが当然存在する。こいつらが使えるかもしれないとも、全く思っていなかっただけで。

 

「……ジェマ・ファーレイです」

 

 足がすくんで動けない。本名を言うべきか迷ったが、尾行がバレていた以上、嘘をついたら、余計にまずいことになる気がした。

 

「ジェマ・ファーレイ――ファーレイ――そう。良い名前ね。ねえジェマ、もしかして、本当はご両親ともマグルだったりするのかな?マグル生まれの生徒が今年入ってきたとは耳にしていなかったけれど」

 

 何を言っているのか、一緒にするな。喉から飛び出しかけた言葉は、恐怖心が抑え込んだ。黙ったまま背筋が波打つジェマを見て、ソフィアと名乗った六年生は、穏やかに語り続けた。

 

「――いや、怖がらなくて良いのよ。今のスリザリンで、そんなこと公言するわけにいかないものね。でも、知っているかもしれないけれど、私達もマグル生まれなの。だからあなたも同じだったら、本当に嬉しいし、あなたの力になりたいの。もちろん周りに隠すと約束する」

 

「…………いえ、私の親は両方、どちらもちゃんとした魔法族です」

 

 ジェマは、まさか自分の出自を口にすることに、躊躇せねばならないときが来るとは思ってもいなかった。

 

「そうなのね。じゃあ、ご両親が両方マグル生まれなのかしら?スリザリンの主流の解釈だと、多分それも私達(マグル生まれ)と同類よね」

 

 ジェマと両親への侮辱に再び怒りがこみあげる。ジェマの本能は、ソフィアの笑顔にひそむ剣呑な雰囲気を感じ取りつつも。

 

「そんなんじゃないです。私の家系は三代は遡れます。()()()()()()

 

「そう」

 

 ソフィアは笑顔のまま、ジェマの胸倉を掴んで立ち上がり、横の教室の扉を開け、中にジェマを連れ込み、壁に押し当て、杖を左頬に突きつける。シーナと呼ばれた黒髪の魔女が扉の鍵をかけ、扉にもたれる。

 一連の動作は、わずか四秒に満たなかった。壁の冷たさを感じながら、ソフィアの杖を見ながら、ジェマは一拍遅れて状況を把握する。

 なんで。純血。穢れ。杖を。野蛮。マグル。杖が。私に。

 混乱するジェマに向けて、ソフィアは歌うように問いかける。声を凍てつかせながら。

 

「私達をこそこそ嗅ぎまわる目的は何かしら。私達がいつもどこで何をして過ごしているか知るため?奇襲をかけるため?呪いを忍ばせるため?話せ。――そして誰の指示かしら。ブラッドバーン?カロー?ジャグソン?ロウル?パーキンソン?マーク?ギボン?フリント?答えろ」




原作のダイアゴン横丁が子供を健やかに育てられる場所なのかは微妙ですが、魔法族とマグルのコミュニティに分かりやすく境があるところがそこくらいしかないので勘弁。幼い子どもが一人でロンドンの町中をうろつくことが80年代後半でも許容されたかどうかわからないのですが、ダイアゴン横丁はマグルのロンドンと常識が違うということで。


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第4½話 蛇とトカゲ(中)

更新6日目
ジェマ・ファーレイ: スリザリン一年生。ダイアゴン横丁生まれ。
シーナ・シンクレア: スリザリン六年生。マグル生まれ。
ソフィア・ソールズベリー: スリザリン六年生。マグル生まれ。
(パーシー・ウィーズリー: グリフィンドール一年生。オッタリー・セント・キャッチポール生まれ)


「私達をこそこそ嗅ぎまわる目的は何かしら。私達がいつもどこで何をして過ごしているか知るため?奇襲をかけるため?呪いを忍ばせるため?話せ。――そして誰の指示かしら。ブラッドバーン?カロー?ジャグソン?ロウル?パーキンソン?マーク?ギボン?フリント?答えろ」

 

「……っ…………」

 

 杖を頬に突き付けられ、笑顔で冷たく問われ、ジェマは思わず唾をのむ。ジェマにとって、身の危険を真に感じる瞬間は、このときが初めてであった。六年生は一年生より遥かに大きく、魔法力も遥かに多い。誰か通りがからないかと、教室の扉に目を走らせるが、すぐに無駄だと悟る――誰も休日にわざわざ通りかからないような城の僻地におびき寄せられたのだと、ようやく気付いたからだ。ソフィアはジェマにさらに顔を近づけ、声を一転和らげる。

 

「目の前の私より、上級生のほうが怖いのかしら?ひょっとしたらその背後にいる親たちが怖い?でも、一年生を脅してけしかけるような腰抜けが、怖いわけないと思わない?……それとも単に、同級生からのいじめとか罰ゲームとかの一環なのかしら。それなら、一緒に楽しい復讐の方法を考えましょう」

 

「私がいじめなんてされるわけが……誰に命令されたのでもなくて……」

 

 ソフィアは杖を下ろすと、左手でジェマの右肩に触れた。慈母のように、柔らかく語り掛ける。

 

「本当?無理しなくて良いのよ」

 

「……っ……!」

 

 ジェマは反射的に、左手でソフィアの左手を払いのけ、右の肩を抑えた。ソフィアはひとときジェマの手を見つめたあと、相も変わらず笑顔のまま、杖を再びジェマの左の頬に向ける。左頬に触れる杖の感触が、強まり、痛みに変わる。

 

「……あら、そう。じゃあ何が目的なの?さっさと答えろ。――ところで、マグルの血が薄い人達って、自分達のこと『純血(Pure-Blood)』って言って、私達のこと『穢れた血(Mudblood)』っていうじゃない?私の血は赤くてサラッサラなのに。これが(mud)に見えてしまうくらいに、『純血』の血って変なのかしら?たとえば透き通っているとか?それとも赤いんじゃなくて青かったりするの?悪魔の魚(タコ)みたいに。あなた私に教えてくれないかしら?ほら。シーナはどう思う?」

 

 ジェマの表情を見て、ソフィアは悪魔じみた笑い声を上げる。そしてシーナもジェマに無表情の顔を向け、口を開く。シーナの声はいたって冷静だった。

 

「私が思うに、ソフィア、そういった歯の浮くような台詞は、ホグワーツ三年生くらいで卒業しないと恥ずかしい」

 

「だからこそ一年生には効果的なんじゃないの」

 

 ソフィアは肩をすくめて、杖をジェマの頬から離す。鼓動が少し落ち着き、ジェマはなんとか声を絞り出した。

 

「その……私は家の後ろ盾もないから、古い血でもないしお金持ちでもないから、強くなりたくて……でも誰かに教われるわけでもないから……それで二人を見かけて、二人が何で強いのか知りたくて……」

 

 ソフィアはシーナと目配せをする。

 

「どう思う?」

 

 シーナはジェマに視線を向け直す。相変わらず、感情に乏しい瞳だった。

 

「恐らく嘘は言っていないだろう。純粋に向上心と好奇心と怖いもの見たさゆえじゃないか」

 

 シーナは扉を開け、杖を廊下に向けた。黄色い閃光が何条も、網のように飛び出し、廊下を照らす。

 

「……そも、一年生に下手な尾行をさせる意義があるとすれば、ソフィアが一年生に危害を加えているところを撮影する目的くらいだろうが……その線もなさそうだ」

 

「そう。じゃあ自意識過剰だったのね、恥ずかしいわ。怖がらせちゃってごめんなさいね」

 

 ソフィアは杖を下ろして悪びれずに言う。

 

「でも、私達それだけ必死なの。あなた達が本気で傷つけるつもりであろうと単に悪ふざけのつもりであろうと。最悪を想定しておかずに、身を護れなければ、私達を傷つけた連中がたとえ退学処分になったところで、私達の傷は治らないから。――分かってくれるかしら?まあ、分からないわよね。まったく、私はただシーナと一緒にいられればそれで良いというのに。『例のあの人』が消えて6年も経つというのに」

 

 ソフィアは溜息をつく。

 

「あなたに愚痴ってもしょうがないことね。ホグワーツは本当に良いところだから、不満は無いわ。ご飯も美味しいし布団も温かいし大人も乱暴じゃないし」

 

「……」

 

「私達に目をつけるセンスはとっても素敵だから、こそこそ嗅ぎ回っていたことは許してあげる。たしかに私達より強いホグワーツ生はそんなにいないと思う。ロンドンに住んで小学校に通っていれば、生き抜くスキルが身に着くってものよ」

            

「個別の事例を一般化して語ることはロンドンと小学校への風評被害を生みかねない」

     

「それに下級生のときに散々、性悪で陰険で偏屈で捻くれた上級生に鍛えられたから」

 

「『性悪』の語を、自分自身と比較して用いたのだとしたら、ソフィアの認知には歪みがあると言わざるを得ない」

 

「でも『純血』のあなたは、私達の状況とは違うのよね。誰かに教わるわけにもいかないと言っていたけど、強くなりたいなら、専門家を雇うなりなんなりするのが一番じゃないかしら」

 

「まあ、裕福で無いスリザリン生も沢山いるだろう」

 

「そうね。――それであなたは私達に何をしてほしいの?魔法や喧嘩のやり方を教えてほしいのかしら。でも、私達にどんなメリットがあるのかしら」

 

「……?」

 

 ソフィアは手で杖をくるくる弄んだ。

 

「あなたもスリザリンに組分けされたのなら分かるでしょう。取引には対価が発生する。あなたが同胞(マグル生まれ)なら喜んで対価を無視するけれど。あなたは別に強くならなくても、安心してホグワーツを歩けるじゃない」

 

 何か勘違いされているようだが、ジェマ自身も、この二人に教えを乞いに行ったつもりではない。「あなたの言う通りです」と言って、さっさと立ち去ろうとした。しかしシーナが表情を変えないまま、口を挟む。

 

「ソフィア。そんなことを言わずに力を貸せば良いんじゃないか。他者に教えることは、私達の修練にとってもメリットがある」

 

 身の危険が去ったと思っていたジェマは、再び風向きが変わりつつあるのを感じた。ソフィアも戸惑った様子を見せた。

 

「シーナ、急にどうしたのかしら?メリットがなくはないかもしれないけど、ほとんど慈善行為じゃない、あなたらしくもない」

 

「力を貸すことは再来年以降の保険にもつながる。来年『私達』が入らないかもしれない」

 

「たしかにねえ。でもこの子に務まると思うかしら」

 

「可能性の芽を蒔いておくことが大事だ。『私達』が暮らしやすくなるための」

 

「でも、そんな幽かな希望のために、わざわざ『純血』の子を相手にして、私達の貴重な時間を減らして良いのかしら。一日か二日で済むわけじゃないでしょ」

 

「今後百五十年のうちの一、二年は誤差」

 

「……っ!………っ………今後三百五十年に、訂正しなさい」

 

「それに、『血』で態度を変えるのであれば、それこそ連中と変わらない。ソフィアらしくもない」

 

「…………べつに血じゃないわ。こちらを蔑んだりしない子なら何も文句は無いけれど」

 

「価値観は終生不変ともいえない」

 

 ソフィアは溜息をついた。

 

「ああもうわかったわ、しょうがないわね。……シーナ、代わりにあなた今夜、私の命令(わがまま)をあと二つ聞きなさい」 

 

「いつも聞いている」

 

「いつも以上に」

 

 そしてソフィアはジェマに顔を向ける。

 

「あなたが望むなら防衛術と決闘術の稽古をつける。魔法について私達が知っていることで他の連中から教わっていないことがあれば教える。週一回、二時間。場所は――そうね、とりあえず最初は、第二東塔の七階の『片恋のエリーゼ』の絵の前に来なさい。トロフィールームの前の『首無し(かぶと)』に道を尋ねれば、迷わずに来れるはず」

 

 唐突な提案にジェマは面食らった。

 

「えっと――その、対価が払えるわけでもないので……」

 

 そもそもお前達に何も教わりたくもないのだが。その言葉は何とか呑み込んだ。

 

「対価はそうね。あなたの気が向けば、私達以外のスリザリンのマグル生まれに、協力してあげること」

 

「は?」

 

「あのね。さっきも言ったけど、私達の上のスリザリンにもマグル生まれはいたの。その上にも。多分その上にも。――片親がマグルの生徒がいるくらいだから、両親がマグルの生徒がいてもおかしくないでしょ?本来のサラザール・スリザリンの思想からすれば、どちらも資格無いだろうし。まあそもそも、本当の『純血』なんてどこにもいないだろうけど」

 

 スリザリンへの嘲笑なのか自嘲なのか、判別の難しい笑い声を、ソフィアは上げた。

 

「今のスリザリンには、私達の他にマグル生まれは――少なくとも私達が知っている限りでは――いない。けれど、そのうちまた、入ってくると思うの。私達は来年で卒業してしまうのにね」

 

 ソフィアの声色と顔色に、初めて哀愁が混ざった。

 

「だから、私達が卒業した後に、そういう子が入ってくることがあったら。何かの折に、こっそり手を差し伸べるとか。それができなくても、せめて私達に言伝(ことづて)するとか、そういうことをしてくれれば良いわ」

 

 困惑の表情を浮かべるジェマを気にせず、ソフィアは肩をすくめる。

 

「別に、契約でも命令でもないわ。無理矢理やらせてもしょうがないし。将来のあなたにその気があれば、そうしてくれれば、その子も嬉しいだろうし私達も嬉しい、というだけのこと。単なる私とシーナの意思表明」

 

「……」

 

「そういうわけで、これからよろしくね。一年生だからといって容赦はしないから」

 

 ソフィアは満面の笑みで、右手を差し出した。

 ――「穢れ」がうつる。魔法の力が奪われる――

 ジェマの心が訴えた。

 ソフィアは笑みを吊り上げ、首をかしげる。

 目の前の野蛮人への恐怖が勝った。ジェマは恐る恐る右手を差し出して、ソフィアの右手に触れる。冷たい肌がジェマの右手に触れて握りしめ、背筋に冷たいものが走る。手はすぐに離れた。ローブの手を拭かないようにすることに注意した。

 

「さっそく明日の七時は空いてるかしら?『片恋のエリーゼ』に独りで来なさい。気が変わったら別にばっくれても良いけど、他のスリザリン生とか教師とかにチクろうとしたら不吉な呪いがかかると思え」 

 

 ソフィアは手をひらひら振ると、シーナと一緒に、連れ立って出て行った。

 ジェマはしばらく放心していたが、我に返り、水道に駆け込んで、右手を洗った。ごしごしと洗った。ジェマの肌の色は、変わらなかった。杖を取り出して、すこし手の甲を割いてみた。いつもと変わらない、赤い鮮やかな血が流れ出た。

 

 

 ★

 

 

 次の日、ジェマは一日中、今夜どうするか決めあぐねていた。昨日の恐怖がありありと思い出され、そのたびに、絶対にあんな野蛮な汚らしい奴らに関わらないと自分に言い聞かせた。

 

「来たのか」

 

「良い心意気ね」

 

 授業が終わりいつの間にか七時になっていて、ジェマはなぜか気づけば、首のない甲冑に案内されるまま、城の未知の区画に足を踏み入れていて、若い魔女が描かれた絵の前に立っていた。そしてシーナとソフィアが「目くらまし」術を解いて姿を現し、二人の声が短く響いた。

 ジェマが瞬きする前に、シーナの杖がジェマの方に抜かれ、ジェマの周りを黄色い閃光が網のように包んだ。それから杖があちこちに動かされ、廊下が黄色く照らされる。シーナは杖を下ろす。

 

「謝罪する。誰かを呼んでないか、跡をつけられていないか確かめただけだ」

 

「どうせあそこには呼ばないんだから、スリザリン生にバレたところで私たちは困らないけどね。でも教師に密告されたら面倒だし」

 

「今日はこの先の隠し部屋で行う。――『私はもう呪われた』

 

 シーナは眼前の絵を指し示す。薄暗い木立の中で、真っ赤な瞳の魔女がうつむきながら切株に腰掛ける、寂しげな絵であった。シーナの合言葉を聞くと魔女が立ち上がり、脇によけたかと思うと、絵が歪んで波打った。二人に続いて絵をくぐり、ジェマは部屋に降り立った。靴が踏みしめるは土の感触。絵の背景と似た、森の中のような景色が広がっていた。ひどく寒く、木は一様に葉を落としていた。城の中とは思えない景色に、ジェマはしばし呆然となる。

 

「ここ、寂しくて好きなの。なぜか三ヶ月くらい季節がズレているから、今は冬。このセンダングサとか、ほんとはちょうど今トゲトゲの種をつけてる頃よね。小さいころ、服にこっそり付け合って遊んだりしなかった?そう、してないのね。どこで育ったの、えっダイアゴン横丁なの?凄いわね」

 

 そしてジェマはシーナとソフィアの二人から、魔法と魔法戦闘の訓練を受けた。一切容赦のなく、徹底的に。この無感情自動人形と性悪嗜虐癖悪魔に近づいてしまったことを、泥にまみれながらジェマはすぐにひどく後悔した。

 

 





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第4½話 蛇とトカゲ(後)

更新七日目


 それからもジェマは、週に一回、シーナとソフィアから魔法と魔法戦闘の訓練を受け続けた。それが終わるたびに、彼女らに(特にソフィアに)はやく不幸が訪れるよう願った。というか一度は実際に呪った。自分のローブに付いたソフィアの銀色の髪を手に入れて、ヘビの血をまぜ、「腰から蛇が何匹も生える」呪いをかけたのだ。そうしたら、ジェマのローブから顔のない大トカゲが這い出してきて、ジェマは寝室で悲鳴を上げた。どうやってかソフィアは髪の毛をジェマのそれと取り換えたうえで、呪いをアレンジしていたのだった。翌日、怯えと恐怖と怒りと絶望が入り混じったジェマの表情を見て、ソフィアは涙が出るほど爆笑した。

 ジェマは、なぜこの二人が強いのかを悟った。単純に、才能溢れる魔法使いであったから。そして、やたら狡猾であり無駄に警戒心が強いから。そして、四六時中、魔法を練習するか体を鍛えるか勉強をするか決闘をするかしているからであった。

 ジェマの訓練が終わるとすぐに二人は決闘を始めていたので、ジェマがいちど、なんでそんなに決闘をするのか尋ねると、シーナは無表情のまま「言語あるいは身体を用いるコミュニケーションと同じように、杖を重ねるコミュニケーションでもお互いのことをさらに理解できるようになる気がするから」と説明し、ソフィアは笑顔で「愉しいから」と答えた。要するに戦闘狂なのだとジェマは納得した。

 他の寮生にバレたらまずいのに、ジェマはなぜか毎週、シーナとソフィアのもとに足を運び続けた。自分はこの分野も向いているかもしれないという気もした。ジェマはスリザリンの一年の中で発言力があったし成績も一番良かったしトラブルにしょっちゅう首を突っ込んでいたが、そのことで性悪な連中や古い家の生徒達から、何か嫌がらせや虐めや脅迫をされるということはなかった。いや、されそうになるたびにすべて叩き潰していたので、ジェマに何かしようとしたらロクなことにならない、と思われるようになったのかもしれない。

 

 

 ★

 

 

「あなた私達の決闘クラブに行きましょう。なんでって、楽しいから。無様に負けるあなたの悔しそうな顔を、何も疲れることなく見れて、私が楽しめるの」

 

「ジェマ・ファーレイの力が一定の水準に達したと判断した。みな気の良い連中だから心配しなくて良い」

 

 やがて、ある日ジェマはシーナとソフィアに、八階の「必要の部屋」まで連行された。この二人と仲良くするような輩は――そもそも存在するということ自体驚きだったが――どうせ気の良い連中のわけがないとジェマは身構えた。扉が開き、ジェマがまず目にしたのは、ジェマより少し背の高い、黄色い襟のローブの生徒だった。その生徒はジェマと同じ顔の女子生徒だった。とっさに後ずさって扉に背中をぶつけてしまった。

 

「あはは、驚いた驚いた?!ナマの七変化(メタモルフェイガス)だよ凄いでしょ?!あたしハッフルパフ四年のトンクス!よろし――ブッ!――」

 

 元気に早口でまくしたてながら駆け寄ってきた女子生徒は、派手に転んだ。床に前のめりに、大の字に手足を伸ばし、芸術的に倒れた。ジェマの顔をした彼女は、頬を紅潮させながら、周囲を睨みつけながら立ち上がった。髪が真っ赤に染まり逆立つ。

 

「ちょっと!今『足すくい』をかけたの誰!?ソフィア?!」

 

「あなたいつものように何も無いところで転んだだけよ、ドジなニンファドーラ」

 

「っ、名で呼ぶなって何度言ったら、マジでほんとに、アンタは!ていうか絶対アンタの仕業でしょ、ほら今杖をしまって――ブッ!」

 

 足音を鳴らして詰め寄ろうとした女子生徒は再び(つまづ)いて派手に転んだ。

 

「今度は何もしてないわ。ジェマの顔で怒るのも可愛いのね。――そうねジェマ、あなたも髪を真っ赤に染めたら案外似合うんじゃない。今から染めて良いかしら、いっぺん転んで怒ってみて」

 

 

 ――ジェマはやがて、ハッフルパフは愚鈍の集まりではないということを知った。

 

 

「ウィリアム・ウィーズリー。グリフィンドール六年生で、君と同じ学年のパーシーの兄だ。よろしく」

 

 次いで、赤い襟のローブの、垢ぬけた青年が歩み寄り、爽やかな笑顔でジェマに手を差し出した。

 背が高く、スリムながらローブ越しにも分かるたくましい身体つきをしていた。厚い胸には「監督生」バッジが留まっている。髪はドラゴンの血のように赤く、肩まで長く伸びており、自然なウェーブでセットしてある。右目尻のほくろの下の、頬には少しそばかすが目立つが、それはピカピカの大鍋にこびりついた焦げというよりはむしろバタービールに添えられた泡のような趣を――

 

「……ジェマ、たまには真面目なことを言うわ。こういう、何一つ欠点が無いように見えて実はとりたてて欠点のない、城中の女にちやほやされる、男からも教師からも認められる、からかいがいのない、いけすかない男にハマりこんじゃうと、学校生活は多分あまり幸せにならないと思う」

 

「いくらなんでも俺が一年生に手を出すわけないだろ」

 

「だからこそよ」

 

 

 ――ジェマはやがて、グリフィンドールは偽善者の考え無しの喧嘩っ早い野蛮人だけの集まりではないことを、いや確かにそういう集まりであるが、グリフィンドールにもロクでもないとまではいえない人物もいなくはないということを必ずしも確実に否定できるわけではない、ことを知った。

 

 

「……私はレイブンクロー三年のヤマナラシ(aspen)使い。早速だが主人(つえ)を見せてほしい………」

 

 次いで、青い襟のローブに身を包んだ、大きな眼鏡をかけた小柄な魔女が現れると、ジェマの手から杖をもぎ取った。杖を触りながら、呟く。一度も顔を上げないまま。

 

「ものはリンボク(blackthorn)。芯はドラゴンの心臓の琴線……材との組み合わせを踏まえればドラゴンの種はハンガリー・ホーンテールかルーマニア・ロングホーンが通例だけれども……長さは22センチ。柔らかくしなりやすい…………長さや弾性靭性との相性を考慮すればヘブリディーズ・ブラックとみるのが妥当か…………むろん、オーストラリア=ニュージーランド・オパールアイ種を用いて杖の攻撃性を抑える例もある。危険すぎるけれども、ペルー毒牙種を用いて逆に破壊に特化する例すらあると聞く。……私はドラゴンの種への造詣が足りない。トネリコ使い(チャーリー)との会話で何か掴めるものがあるかもしれない…………手入れはなされている。乗り物(ひと)に対する信頼は良好。呪詛(ヘックス)の行使が得意。畏怖させて従えることが好き…………乗り物の性格と調和している。しかしまだ能力があまり引き出されてはいない…………リンボクの杖は『危険や苦難をともに乗り越えることで真に同調する』性質をもつ。したがってこの杖の戦闘分析を私が行う際には、乗り物の恐怖や屈辱を積極的に誘因する姿勢を取ることにする…………いや、それは期せずしてサンザシ使い(ソフィア)が十二分に与えているはず。私が余計な干渉をすべきでない。サンザシ使いとの戦闘を見学するだけで、リンボク材の杖の信頼の変化の過程を調査できる。私が刺激を与えるのはサンザシ使いとスギ使い(シーナ)が卒業する二年後から……」

 

「あ、オリバンダーはいつもこんな感じだから大丈夫よ、ジェマ」

 

 

 ――ジェマはすぐに、レイブンクローは奇人ぶった凡人だけで構成されているような他愛のない寮ではないことも知った。

 

 

 そうこうしているうちに、ホグワーツ一年目は、あっという間に終わりを迎えた。決闘クラブでは、一年生のジェマが上級生に一矢を報いるのは難しかったが。それでも一年生相手では、ジェマは自分が一番だと思っていた。それがテストであれば、敵は当然いないだろうと高をくくっていた。

 

「……あなたが、レイブンクローのペネロピー・クリアウォーター?学年末試験一位の、筆記で満点をとったっていう」

 

 人気のない西塔の廊下で、ジェマは巻き毛の女子生徒に声をかけた。彼女は警戒と不審の目つきで、辺りを窺いながら答えた。

 

「……そうだけど、スリザリン生が私に何の用?成績が良くなかったことの逆恨み?それとも私が無知なだけで、私に呪いをかけるとあなたの試験の点数が跳ね上がるような仕掛けを、偉大なるサラザール・スリザリン卿がこの城に施しているの?」

 

「そんなんじゃない。……ただ、来年以降はジェマ・ファーレイが一位でペネロピー・クリアウォーターは二位に落ちてしまうっていう、残念なニュースを持ってきてあげただけ」

 

「そう。それはとっても怖い。そもそも二位はグリフィンドールの男子だと聞いていたけれど、それはともかく、今回は偶然調子がふるわなかったスリザリン生にいずれ負ける瞬間を、怯えて待つことにする。ご丁寧にありがとう」

 

「…………私を舐め腐っているようだけれど。べつに、テストで測れるようなものだけが魔法使いの力じゃないと思う」

 

「マグル生まれにたかがテストで勝てなくても、暴力でねじ伏せて黙らせてやれば良いって意味?やっぱりスリザリン生って怖いんだね」

 

「だから、私にはいきなりあなたやマグル生まれに呪いをかけるような趣味は無い。たとえば、お互いの合意のもとに模擬決闘か何かをしたとすればという意味」

 

「たしかにそんなのでは、私はあなたに勝てないと思うけれど。経験が無いし肉体派でもないし。…………そういえば、ジェマ・ファーレイって言った?どこかで聞いたような。――ああ、思い出した、十一日前に西塔七階の隠し工房でジンジャーさんが私に『杖の動きを調べたいから来年から決闘クラブに来ないか』と声をかけて下さったときに、『上級生相手はともかく同じ一年生のリンボク使い(ジェマ・ファーレイ)にならすぐに追いついたり追い越せるようになる可能性もなくはない』と、そう仰っていた、あなたがそのジェマ・ファーレイなのか」

 

「…………あなた、性格がとっても素敵ね、って、沢山いるお友達から、何度も言われないかな?」

 

「あなたほどじゃないと思う。残念だけど」

 

 

 ――ジェマはやがて、自分と同じ学年にも、自分が頭脳で勝てないような者がいることも知った。

 

 

 

 ★

 

 

 そして、学年末の宴が大広間で行われた。寮対抗杯でスリザリンは、昨年と一昨年に引き続き、有終の美を飾った。クィディッチのリーグは四年のチャーリー・ウィーズリー(監督生ウィリアム・ウィーズリーの弟で、一年の糞真面目角縁眼鏡の兄)を擁するグリフィンドールチームが全チームに圧勝したのだが、スリザリンは普段の素行(むろん表面的な素行である)や試験などでグリフィンドールを優に上回っていた。談話室も夜通しパーティが続き、

 

「久しいですね、ジェマ。成績も普段の行いも、とても素晴らしいと聞き及んでいます。来年も期待していますわ」

 

 三年生フレヤ・ロウル――優等生でありスリザリン女子の大半を統率する有力者であり間違いなく三年連続優勝の立役者の一人である――が、ジェマを呼び寄せて微笑みかけた。ジェマは、談話室の皆の注目が集まっていることに満足しながら礼を述べたが、この場にいない、いるはずのない二人の顔をふと思い出した。ジェマは結局、シーナ・シンクレアとソフィア・ソールズベリーには終始やられっぱなしであった。毎週の訓練で、ハンディを設けても、一対一では歯が立たなかった。それだけでなく、こっそりソフィアを呪ってやろうとしても、毎回失敗して、ジェマがかけようとした呪いと同程度のしっぺ返しを食らうのだった。

(姿を隠す「目くらまし」はあまりに難しいから、ソフィアにバレないようにこっそり近づくことがそもそも難しい。訓練のときが絶好のタイミングなのだが、呪いを仕込もうとする余裕はほとんど無い。あらかじめ部屋で待ち伏せして罠を仕掛けても、すべてお見通しなのだった。あの二人は、自身のローブや周囲に、魔法を防いだり検知する術をかなり厳重に施しているようだった。ソフィアはジェマの試みが失敗するたびに思い切り嘲笑ったが、それ以上咎めるということはなかった)

 明日ホグワーツ特急に乗り込む前に、なんとかソフィアの悔しがる顔を見なければ、気持ちよく家に帰れないということに気づいた。

 

 

 ★

 

 

 翌朝、大広間のテーブルの端で、シーナとソフィアが朝食を食べ終わって立つのを見ると、ジェマも立ち上がって大広間を出て、スリザリンの談話室に続く地下への階段ではなく、二人が消えていった上の階へと向かった。九月のときにやったように、シーナとソフィアが廊下の角に消えるたびに、足音を忍ばせて駆け寄る。二人がいつもスリザリン談話室でなくどこで過ごしているのか、ジェマは(つい)ぞ分からずじまいであった。二人は城のおびただしい数の隠し通路・隠し扉・隠し部屋を知悉(ちしつ)しているかのようにジェマには思えた。このときもやはり、二人は談笑しながら城の僻地へと向かって行った。何回も階段を上がって下がって五階まで達し、2・3・5・7のリズムでノックする隠し扉をくぐり、四回角を曲がった。

 そして人気のない廊下の、古い教室の前にさしかかると、シーナとソフィアは立ち止まって振り返り、互いに「目くらまし」をかけて姿を隠した。

 しかし、それまで二人の耳に届いていた、自分達を尾行する幽かな足音も止み、廊下は静寂が訪れた。二人は「目くらまし」に魔力を割くのは得策ではないと判断し、解呪して再び姿を現した。

 

「姿を隠してるのかしら、なのにわざとらしく足音を立てて、何の挑発かしら」

 

 ソフィアは言いながら杖を上げ、シーナはソフィアと背中合わせの位置を取って杖を上げ、ともに黄色い閃光の網を放って廊下を照らし出し、不審な事物を炙り出さんとした。

 廊下の角から姿を現したのは、奇妙な一足の靴だった。同時に二人の横から扉を開けて姿を現したジェマが、「お化け呪い」を唱え、黒い塊を繰り出した。あわせて横丁の「ギャンボル・アンド・ジェイプス悪戯専門店」の「ドクター・フィリバスターの長々花火」が一ダース、火花を噴きながら廊下を舞った。ソフィアは扉の開く音を耳にすると同時に、杖を扉に向けて無言で「全身金縛り(ペトリフィカス・トタルス)」を放った後に「盾の呪文」を張った。シーナは「放水呪文(アグアメンティ)」で四方八方に散水し、襲いくる花火を吹き飛ばした。ジェマは呪いを放つとともに屈んで横に跳んでいたが、ソフィアが初めからその方向に狙いをつけていたため、青い光をくらって、両手足が体にまっすぐ張り付き、一枚の板のようになって仰向けに倒れた。ソフィアは、右手で展開した「盾」に阻まれて黒い霊が床にボタボタ落ちるのを確認しながら、教室に足を踏み入れた。同時に、天井に身を潜めていた黒い蛇が、ソフィアに襲い掛かった。しかしソフィアは一瞥もせずに蛇を吹き消し、教室を黄色い閃光の網で包み、罠を炙り出した。「蛇出でよ《サーペンソーティア》」で召喚されていた黒い蛇がもう一匹、机から落ちて消えた。「頑張ったのに、残念だったわね」。そして、嗜虐的に唇を吊り上げながら、床に倒れたジェマのそばに近寄って屈みこみ、杖から桃色の閃光を放った。そのときジェマのローブから黒い蛇がもう一匹躍り出て、ソフィアの首筋に巻き付いた。ソフィアや花火を処理し終えたシーナが杖を向けるより先に、蛇は牙を剥いてソフィアに噛みつかんとし、そのまま黒い霧となって消え失せた。

 

 

「……」

 

 二人はゲームの終了を認識し、ゆっくりと杖を下ろした。ソフィアはジェマの「金縛り」を解呪すると、廊下に出た。シーナが屈んでソフィアのローブの脚に触れ、「片恋のエリーゼ」の隠し部屋に植わったセンダングサ(bur marigold)の種――マグルの子供同士が秋になると悪戯で服にくっつけるようなそれ――と、そこに結ばれた白い糸をローブから外した。床の大理石と同じ色をしたその糸をシーナが手繰り続けると、廊下の角に置かれた靴は、パタパタと歩き、二人の脇に止まった。靴には、動物の鼻がついていた。ソフィアの顔が一瞬、ひどく悔しそうに歪んだ。しかしすぐに、立ち上がって教室から出てきたジェマにじっと見つめられていることに気づき、微笑んだ。

 

「途中までは私が跡をつけて、五階の隠し扉をくぐった後は、靴を履き替えて、ソフィアのローブの裾に『浮遊術』で糸をつけて、逆方向から教室に先回りしました。無言呪文は使えないですが、『耳塞ぎ(マフリアート)』という呪文を予めかけていたので、『浮遊術』の詠唱は聞こえなかったはずです。この靴は、半分だけ犬に変身させました。距離を取ってあなた達を尾けさせるように調整するのはまだ私には難しいので、この糸の先端に臭いを付けて、その先端を追うようにさせました」

 

 ジェマは淀みなく言う。

 

「こっそり跡をつける足音を聞いて、あなた達が前と同じこのルートに変更するかは賭けでした。ソフィアのローブが、魔力も害もない、マグルの他愛のない悪戯を防がないかどうかも賭けでした。音に注意を払って糸に気づかないかも賭けでした。足音の質が変わったことに気づかないかも賭けでした。追跡者を焦らすために、わざと遠回りに四回曲がる道を選ぶかも賭けでした。下手な一年生の尾行にわざわざする必要はないとみなして、途中で振り返らないかも、途中で『目くらまし』を使わないかも賭けでした。教室に引きずり込みやすい位置をとろうとして、ちょうど教室の前で立ち止まるかも賭けでした。待ち伏せより両方向からの挟み撃ちをまず想定するのが自然とはいえ、シーナが教室の中ではなくまず廊下の逆方向をチェックするかも賭けでした。花火をまず確実に片づけるために、シーナがソフィアと行動をともにしないかも賭けでした。『武器よ去れ(エクスペリアームス)』や『麻痺せよ(ステューピファイ)』を食らっていれば蛇が使い物にならないので、『石になれ(ペトリフィカス・トタルス)』をソフィアが選ぶかも賭けでした。ソフィアなら相手の意識を保ったまま身動きをとれなくさせたいだろうとはいえ。私自身にトラップがあるリスクを想定するより先に、ソフィアが遠くからでなく間近で私をいたぶろうとするかも賭けでした」

 

 ジェマはそこで息を継いだ。顎を上に向け、胸をそらす。

 

「全部賭けです。でも、私の勝ちです」

 

 ソフィアは満面の笑みで、左手をジェマの肩にのせる。ほころんだ唇から柔らかな声がこぼれる。ジェマはソフィアを見上げようとして、自らの視線の高さがソフィアの首のあたりまで迫っていることに気づいた。

 

「……あなた、そんな表情(かお)もできるのね。生意気だけど、今までで一番可愛いわ」

 

 シーナは無表情のまま、二度頷いた。

 

「完敗だ。たしかに不確実極まりない策だが、結果的にソフィアはジェマの道連れになって死んだ。私達の油断と慢心と思考停止については何も弁解の余地が無い。それを利用して終始私達を自らの掌の上で踊らせた。素晴らしい」

 

 二人は花火の燃えカスや煤や水で汚れた廊下を杖で掃除すると、再び口を開いた。

 

「毎週よくやった。ジェマがスリザリンで得たい類の『力』は、それを伸ばしてゆくために私達のような外れ者が役に立てることは、正直なところ、これ以上はあまりないだろう。むろん、模擬戦闘であれば望むならいつでも相手をする。お前はまだまだ強くなると思う。あの決闘クラブの方も、同学年のグリフィンドールとレイブンクローが来ると聞いたから、より張り合いがあるかもしれない」

 

「あなたのお陰で今年随分と愉しめたわ」

 

 ジェマは何を言うべきか言葉を探そうとして押し黙ったが、二人は足取り軽く廊下を去っていった。

 

「あの」

 

 廊下の角で、二人が立ち止まった。ジェマは息を吸い込んだ。二人に向けてこの言葉を面と向かって口にするのは、あるいはこれが初めてだったかもしれない。

 

「ありがとうございました」

 

 二人ともジェマを振り返らないまま、シーナは片手を挙げ、ソフィアは片手をひらひらと振り、角を曲がって消えた。ジェマはしばらくその場に立ち尽くしていたが、はっとなってスリザリンの談話室に駆け降り、ルームメイトのジャスミンやサブリーナと一緒にホグワーツ特急に乗ってキングス・クロスまで戻り、9と4分の3番線で両親と顔を合わせた。母はジェマを抱きしめながら問う。

 

「学校はどうだった?ちゃんとスリザリンらしくできた?」

 

「とっても楽しかったよ。もちろん」

 

 ジェマは薄く笑いながら答えると、母から体を離して、柵を越えて「あっち側(マグル世界)」に踏み出した。

 

 

  ★

 

 

 長い夏休みも終盤、八月の下旬になると、どの家庭も新学期の買い出しをするから、ダイアゴン横丁は嵐のような混雑で、ファーレイの店もいつになく忙しく、ジェマも手伝いに駆り出され、ようやく一息つけたのは八月の三十一日であった。

 そして九月一日を迎え、二年生になってホグワーツに戻ってきたジェマは、スリザリンの長テーブルで、組分けを眺めていた。

 

「ストーリー・セラ!」

 

 そして残る一年生の数もようやく少なくなり、Sの姓が呼ばれる。

 黒い髪と緑の瞳、すらりと大人びた、目を惹く女子生徒が、緊張の足取りとともに進み、古びた大きな帽子を被った。

 一分。

 二分。

 三分。

 ()れと緊張が、見守る上級生達の間にも広がり、女子生徒の方へと注目が集まる。

 三分と三十秒。

 ついに、帽子が高らかに叫んだ。

 

「スリザリン!!!」

 

 他のテーブルからのわずかな溜息やせせら笑いをかき消すように、スリザリンのテーブルから拍手が鳴り響く。

 セラ・ストーリーは、組分けの緊張からすっかり解かれた様子で、大広間の天井の満天の星空、浮かぶ何千本もの蝋燭、飛び交う幽霊(ゴースト)を輝く眼差しで見回していた。スリザリンのテーブルに向かう足取りは、とても緩やか。

 ジェマは、まずいと反射的に思った。

 スリザリン出身の親を持つ者であれば、たいてい、初日は好奇心を抑えて振舞え、と親兄弟から戒められる。

 もちろん、たとえ純血の古い屋敷に生まれようと、初めて見るホグワーツ城には誰しも圧倒されるものだ。しかし、それでも落ち着いてスリザリンのテーブルに速やかに座るようにと言い含められる。そうでなければ、自らが魔法に全く慣れていない者だと、告白してしまうようなものだから。

 ただでさえ、ストーリー家という家は聞いたことがない。それに、組分けにやたら時間がかかっていた。だから周囲のスリザリン生も、全く同じことを考えているはずだ。マグルの血が半分くらい混ざってるのかもしれない。だから魔法界のことを、ろくに知らないまま育ったのだろう、と。

 

「あなた、こちらへどうぞ」

 

 セラが浮いた足取りでスリザリンのテーブルを進んでいると、冷たくも柔らかい声が響いた。金髪碧眼の魔女、ロウル家とグリーングラス家の血を引く令嬢、四年のフレヤ・ロウルだった。彼女の席は、テーブルの中央に近い席だった。教師の耳からも大広間の扉からも距離がある快適な位置。ロウルは、向かいの空いている席を掌で示し、セラを導く。その席がこのときまで空いていたのは、むろん当人の意向である。権力者には、自らが最初に話す新入生を選ぶ権利がある。

 生粋の純血主義者として知られるロウルが、自らの向かいに、恐らく半分程度マグルの血が混ざっているこの一年生を招こうとは、ジェマにとっては意外だった。未だ組分けが終わっていないTより先の姓にめぼしい生徒がいないと判断したのか。あるいは、この魔女に何かしらを見出したのか。

あるいは。

 

「ありがとうございます。初めまして、セラ・ストーリーです、よろしくお願いします。あなたのお名前はなん――」

 

 次の生徒の組分けが進む中、スリザリン生の注目は二人に集まっていた。セラの小声の問いかけを気にせず、ロウルは問いかけを返す。

 

「レイブンクローと迷われていたのですか?」

 

「はい、そうでした」

 

「やはりそうでしたか。たしかにあなたは聡明であるように見受けられます。――第一印象だけで人を判断するなと、母に戒められておりますが、今の印象に関しては誤っていないでしょう」

 

 ロウルは青い眼をそばめる。

 

「たとえヒトでない血が濃くとも――あなたに責はありません。スリザリン寮は、あなたを歓迎致します、セラ・ストーリー。私、ロウル家のフレヤも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 組分けを邪魔しない声量で、しかしはっきりとロウルは告げた。この新入生を呼び寄せた目的は、彼女を保護するためなのかもしれないとジェマは悟った。今の台詞は、セラに向けたものというよりもむしろ、周囲に対する牽制だろう。ロウル自ら歓迎の意を示したのだから、セラ・ストーリーの血に関して、悪意を持って野暮な詮索をしたとすれば、ロウルの意向に反することになる。

 一方でセラは、目の前の上級生にあらゆることを問いただしたく、しかし葛藤をしているように見受けられた。

 

「……えっとそれはどう――」

 

 ロウルは人差し指を立ててセラを黙らせ、組分け帽子の方を向き直った。やがてようやく組分けが終わり、校長が宴の始まりを告げる。同時にテーブルいっぱいに料理が出現し、大広間が喧騒に包まれる。

 ジェマは好物をとりわけ、自らの皿によそり、周りの二年生としゃべりながらも、ロウルがセラに話しかける声を聞いていた。ジェマはいくぶん教授陣のテーブルに近い席に座っていたが、喧騒の中にあってもロウルの声ははっきり響いていた。

 

「ずいぶん美味しそうですね。ホグワーツの料理は、素晴らしいでしょう?」

 

「本当に美味しいです。……あ、行儀が悪かったらすみません。その、見ての通り、上流階級(アッパークラス)のお嬢様と接する機会なんてなかったもので」

 

「……階級(クラス)?上流階級?そんなもの、ここにはありませんよ。家の古さと、血の濃さはありますが」 

 

 ロウルは怪訝そうに言うと、声を柔らげる。

 

「先ほども言った通りに、ヒトの血の濃さにかかわらず、同じ杖を持つ仲間だと、私は考えております。あるいは、十年前までの混乱で、親を亡くした子供も少なくないですし、不幸にも野蛮な世界で育たざるを得なかったという者もいるでしょう。いずれにしても、仮にあなたが今まで魔法に馴染めていなかったのだとしても、恐れる必要はありません――むろん生まれ育ちを誇るのは望ましくありませんが。ここで求められるのは、(スリザリン)としての振舞いだけです」

 

 セラは、ロウルの話をなんとか消化しようとしているようだった。

 

「ヒトの血……。――もしかして、あまり聞いてはいけないかもしれませんが、上座に座っていらっしゃる先生の中には、身長がだいぶ違う方々がいますが、生まれつきの病気ということではなく……?」 

 

「フィリウス・フリットウィック教授は、小鬼(ゴブリン)の血を引いていると聞いています。しかし魔術師として教育者として卓越していることに疑う余地はありません。ハグリッドのことを言っているのでしたら、あれは先生などではなく単なる森番です、あれだけ巨大であれば巨人(ジャイアント)の血を引いていると噂ですが、どちらでもよろしい。小鬼は冷酷で強欲、巨人は残忍で野蛮ですが、いずれにしても『ヒトたる存在(Being)』に分類されます」

 

「『ヒトたる存在』……。小鬼とか巨人が、なんというか、人間と子供をなせるんですね。」

 

「ええ。他にも魔法省は、ヴィーラ、屋敷妖精(ハウスエルフ)吸血鬼(ヴァンパイア)鬼婆(ハグ)人狼(ウェアウルフ)を『ヒトたる存在』と位置付けています。たとえその種族がどれほど忌まわしく賤しかろうと、ヒトの言葉を解し、ヒトに近い知性を持ち、ヒトとつがうことすらできます。場合によってはヒトを超える魔法力をも持ちます。――『禁じられた森』のケンタウルスや湖の水中人(マーピープル)も、似たようなものですね。彼らは『ヒトたる存在』と呼ばれることを拒否しましたが」

 

「なるほど。……じゃあその中に、髪が黒くて目が緑の、私みたいな種族はいるんですか」

 

「まさか。どれも一目で分かりますよ。あなたは吸血鬼(ヴァンパイア)のように牙が鋭くないでしょう?ヴィーラは銀髪の女性に擬態できますが、ほとんどの男性にもいくらかの女性にも魅了の魔法をかけてしまう。あなたにその経験はないでしょう。目が合っただけの男子が、熱に浮かされたようにフラフラ近づいてくるという経験が」

 

「もちろんありません」

 

「変身していない人狼はヒトと見分けがつきませんが、いくらあの校長でも『魔法省分類(M.O.M)XXXXX(魔法使い殺し)』の危険生物を城に入れない分別はあるでしょう。あなたはまさか、満月の夜に変身して人を襲ってはいませんよね」

 

「もちろん違います。――あの、小鬼とか吸血鬼とか、人間じゃない種族の血を引いてる人じゃなくて。たとえばマクゴナガル教授も、父親は魔法使いでないと言っていましたが。こっちでは、魔抜け(マグル)?って言うんでしたっけ」

 

 ロウルはステーキを切るナイフの動きをいったん止める。

 

「――マクゴナガル教授も」

 

 皿にナイフとフォークを置いてナプキンで口を拭い、まっすぐセラの目を見た。

 

「『動物もどき(アニメーガス)』の変身を見ずしても魔術師としての力量に疑う余地はありませんし、教育者の力量も同様です。変身術という危険で難解な学科を教えるにあたり、回復不能な事故を起こすことなく授業を進行させ、しかもどれほど怠惰な生徒や力量の劣る生徒であれ、一定の水準にまで引き上げる手腕は、見事としか言いようがありません。下に合わせるばかりではなく、意欲的な生徒には、追加でカリキュラムを組む対応もしてくださいます。また、生徒がグリフィンドールであれスリザリンであれ、あの教授は普段の授業できわめて厳格に公平にスリザリン生に接します。ホグワーツの教授陣に、純粋なヒトは多くありませんが、しかしほとんどの教授を、私は深く尊敬しています。マクゴナガル教授を半ヒトだとそしる者がいれば、私は断じて抗議します」

 

「……マクゴナガル先生は良い方だと私も思いましたが――」

 

 セラは混乱しているようだった。

 

「…………その、参考までに聞きたいのですが、マクゴナガル先生とは違って、両親ともマグルだという生徒はホグワーツにいるのですか?マクゴナガル先生からは、そういう生徒もいると聞いていた気がするのですが」

 

「少なくともスリザリンにいれば関わる機会はないので安心しなさい」

 

 ロウルはにべもなく答えた。セラはしばらく黙った。ジェマは、そこでセラが()()()()()()なのだと確信したが、大広間の端を見やる勇気は起きなかった。この一年生も、自分がロウルの基準で同胞(ヒト)ではないと確信したようだったので、ジェマは、救いの手を差し伸べようがない今の状況に苛まれる必要はなくなった。

 

「…………なるほど。……じゃあ、皆さんやっぱり、入学したころから魔法を沢山使える感じなんですか?マクゴナガル先生は、一から教えるから心配しなくて良いとおっしゃっていたのですが」

 

「簡単な魔法を扱える生徒は当然いるでしょう。しかしマグゴナガル教授の授ける変身術は、きわめて危険ですから、入学前に教えるような家庭はほとんど無いと思いますわ。他の科目であれ、教授のおっしゃる通り、何も心配しなくてよろしい」

 

「それなら良かったです」

 

 セラは肩をなでおろす。ロウルは自信に満ちた様子で頷く。

 

「逆に良い家に生まれたからといって怠ければ魔法は身に着きません。どの生徒も、これからの努力次第でいくらでも変わります。あなたが励み、良い成績を取れば、寮にその分貢献できることになります。もちろん良い成績を取れなくても、気に病む必要はありません。スリザリン生は家族のようなものです、皆で支え合います」

 

「なんとか頑張ります。――ところでホグワーツでは、その『変身術』以外にどんな魔法を学ぶんでしたっけ。教科書は他にも魔法薬の教科書とか呪文集とかを買いましたが」

 

「杖を使うわざとしては、モノに新たな性質を与える『呪文学(チャームズ)』と、モノの形や性質を変化させる『変身術(トランスフィギュレーション)』が支柱です。それから、薬を(せん)じるわざ、薬草を採るわざ、(そら)を読み解くわざ、闇を(はら)うわざが、一年生のうちから学ぶ魔法の基本です。三年生になれば、神秘の文字を読み書きするわざ、未来を占うわざ、魔法に数や論理をあてがうわざ、生き物を御するわざなども、各々が選んで学びます。その他、箒で飛ぶわざや、限りなき欲と時を求めんとするわざなど、特別な科目もいくつもありますね」

 

「色々あるのですね、面白そうです。……あ、歴史の授業もありますか。『魔法史』って教科書がとても面白くて」

 

「失礼、挙げそびれておりました。歴史もホグワーツで学びます。ただ、ビンズ教授の講義は……あー……その……ゴーストでいらっしゃるためか、恥ずかしながら、集中して聴くに骨が折れるものでして」

 

「なるほど。そういえば、わざわざ『魔法史』って名前がついてますけど、魔法族以外の歴史はやらないんですか」

 

「……は?ヒト以外の歴史を、『ふくろうの歴史』を学校で教えるとでも?ゴブリンとヒトの間の血なまぐさい歴史なら、散々に魔法史の教科書に出てきますわ」

 

「……そうでした。――でも、魔法を使えない人の、『マグル』の文化を学ぶ、マグル学とかいうのもあるって聞きましたが」

 

「あんなものは学問でもなんでもありません。マグル贔屓達と、それに追従する愚か者達の自己満足で設けられたに過ぎません。それが『正しい』ことなのだとのたまって。野蛮なマグルの生態を知って真似して何になるのですか?子供のごっこ遊びでもあるまいに。当然、あれを履修して時間を無駄にするスリザリン生はいません」

 

「…………ロウルさんは、『マグル』にどういうイメージを持っているのですか?魔法使い……いやヒトと『マグル』は魔法が使えるか使えないかの違いでしかないって聞いたのですが」

 

 セラは慎重に、しかし声をわずかに震わせながら、ロウルを見上げた。ロウルの白い肌に赤みがさし、その声もわずかに震えた。

 

「魔法が使えるか使えないかの差?恥を知りなさい。杖も箒も使えず、闘争と生殖ばかり好む、魔法を使えるヒトを妬み憎み苦しめて殺す、ヒトを誘惑しあるいは無理矢理につがってヒトの血を薄める、ヒトの顔を被ってヒトに擬態した、地べたを這いずり無数に蠢く(けだもの)です」

 

「えっいくらなんでもさすがにそれはあんまりですよ、中にはそういう人もいるかもしれませんが皆が皆そんなんじゃ――」

 

「私の先ほど言ったことが聞こえなくて?あなたがどれほど劣悪な環境で育ったのであれ、それ自体は罪ではありませんが、今後は蛇の流儀と正しい知識を身に付けなさい。何よりもあなた自身のために」

 

 セラはロウルを睨みつけて立ち上がると、堰を切ったようにまくし立てた。

 

「劣悪な環境って、たしかに家は貧乏ですけど、母は魔法なしにずっと一人で私をしっかり育ててくれましたよ、父も魔法使いでなくて私は『()()()()()()』だって先生に言われましたが、私の町には一人も魔法使いが住んでないって言われましたが、別に私も家族も町の人も普通の()()ですよ!私に流れてるのはヒトの血です!それと別に杖なんてなくても人間はもう色々な魔法みたいなことができるし、それに箒がなくたって空だって飛べますよ!!飛行機っていうんです、白い鳥みたいなものが飛んでることを見たことないんですか?鉄の大きな塊が、翼をつけて前に動かすだけで浮くんですよ!呪文を一つも知らない沢山の人々が!試行錯誤して挑戦をして!頭を振り絞って議論して!そのおかげで!そういう技術を色々取り入れれば魔法だってさらに発展――」

 

 セラはそこで、スリザリン中の生徒が黙って自分の方に目を向けていることに気づき、ゆっくり口を閉じ、座った。ロウルはナイフとフォークを静かに皿に置いた。ナプキンで口を拭うと、冷たく言い放つ。

 

「皿を共にすると言った先ほどの言葉を、撤回します。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ヒトでなしを讃美してヒトの文化を愚弄する者であれば、なおのこと」

 

 セラの表情には恐怖や怒りや後悔よりも強く当惑の色が現れており、何を言うべきかひどく混乱しているようだった。

 

「……でも、さっき乗ってきたホグワーツ特急だって、あれは元はロンドンで使われてた汽車を改造したんでしょう?思い切り『マグル』の文化じゃないですか」

 

「ヒトがこうして肉やパンを食して生きているからといって」

 

 ロウルはにべもなく言った。

 

「ヒトが獣や小麦と同じ存在だといえるでしょうか?否でしょう。たしかにホグワーツ特急を私は快く思いませんが、あれに乗っているくらいでヒトがマグルと同等だということにはなりません。それにあの列車は、当代の高名な人々の手で複雑な術が施された、一つの非常に精緻な魔法建造物です。ヒトにしか再現できません」

 

 ロウルは、セラの方を見ずに答える。

 

「組分け帽子は、たとえ創設者の手によるものとはいえ、千年も使われ続けた魔法具です、稀に過ちが起こるとしても、私の手に負えるものではありません。私は、ヒトとの食事に戻ることにしますわ」

 

 セラは何も言わず、血の気が失せたまま硬直していた。ジェマはテーブルの端を見ないように努め、自分の空の皿に視線を落としたが、今シーナ・シンクレアとソフィア・ソールズベリーがどんな表情をしているのか、その無表情と満面の笑みを正確に想像できている自信があった。

 

 

 ★

 

 

 二年生になったジェマの学校生活は、さしたる変化がなく、順調なものだった。とはいえ、右も左も分からなかった一年前に比べるとずいぶん余裕が生まれたので、寮や一年生達の様子について、注意を払うことができた。マグル生まれのセラ・ストーリーはあの日以降、寮では徹底的に孤立しているようだったし、授業以外の時間はシーナとソフィアと共に過ごしているようだった。シーナとソフィアが、人ひとり分も遠く離れて廊下を歩くという光景は、実に新鮮だった。この二人に両脇を固められた状態で危害が加わることは無いだろうから、二人が七年生のうちに入学できたことは、あの一年生にとって唯一の幸運だったのかもしれない。とはいえセラは、独りであろうと三人であろうと、いつでも背筋を伸ばして前を向いて歩いていた。

 

 ジェマは、シーナとソフィアと関わることはもうなくなっていた。いつでも歓迎するとは年度末に言われたものの、セラの面倒を見るのに忙しいであろう二人の時間を、今更わざわざ割こうとは思わなかった。

 そして新学期から三週間経ったのち、ジェマは初めてセラ・ストーリーに接触した。セラが独りで廊下を歩くのは、授業の合間のとき、かつ、シーナとソフィアが他の授業を受けているときに限られるから、タイミングを合わせるのは難しかった。「魔法史」の教室から少し離れた、閑散とした廊下のトイレから出てきたときを見計らって、ジェマは声をかけた。

 

「あなたが一年のマグル生まれのセラ・ストーリーね」

 

 ジェマの襟の緑色を見止めた瞬間にセラは杖を抜いていた。

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 魔法に触れて三週間の動きとはとても思えなかった。ジェマは紙一重で赤い閃光をかわし、再度襲ってきた光を「盾の呪文」で弾く。

 

「私は何も、するつもりはない」

 

 ジェマは、リンボクの杖を床に落として、両手を挙げてみせた。去年の誕生日にもらってから、毎日大切に磨いている自分の分身が、じめじめした大理石に転がる。セラはゆっくりと杖を下ろす。

 

「私は二年のジェマ・ファーレイ。七年生のシーナ・シンクレアとクソ女……いやソフィア・ソールズベリーの、不本意な知り合い、のようなもの」

 

 セラの目に驚きと疑いの色が混ざった。

 

「……いきなり呪文をかけたのは謝ります。でも、シーナとソフィアの友達が、何の用?二人からは何も聞いていなかったけど。君も非魔法族の出身なの?」

 

(あの二人はジェマについて何も言っていなかったのか、「その方が面白いから」とでも思ったのだろうか、言っていればこの少女の心強さも少しは増しただろうにと、ジェマは呆れと怒りを覚えた。しかしすぐに、「無理矢理やらせてもしょうがないし。将来のあなたにその気があれば、そうしてくれれば、その子も嬉しいだろうし私達も嬉しい、というだけのこと」というソフィアの声を思い出した)

 

「私はダイアゴン横丁で育ったし、少なくとも三代前までは非魔法族は誰もいない。――用か。そうだね、特に用は無いのだけれど。あの二人以外はみんなあなたの敵、というわけじゃないことを、伝えておきたかっただけ」

 

 セラの目が見開かれたが、なおも疑わしげに問いかけた。

 

「……何か目的があるの?私みたいなのと仲良くして、特にメリットは無いだろう」

 

「あなたは中々、『強者』の表情(かお)をしている気がするから」

 

 ジェマは首を横に振る。

 

「――なんていう私の予感が間違いだったとしても。メリットどうこうでなくて、同胞(なかま)に力を貸すのは当然のことじゃない」

 

 セラはしばらく黙った。

 

 

「…………『シーナ・シンクレアの杖の材質は?』」

 

「『スギ(cedar)に一角獣の毛』。『であるが、ブナノキ(beech)にドラゴンの心臓の琴線の組み合わせも強い適性を示したので、オリバンダー氏は十五分悩んだ』」

 

「……『ソフィア・ソールズベリーの一番好きな朝食のメニューは?』

 

「『イチゴジャムとバターをたっぷり塗ったトースト』。『だったけれど、シーナにハイランドのヘザー蜂蜜を添えたポリッジを振舞われてからは、それが一番に変わったわ』」

 

 

 セラはようやく警戒が解けたようで、また同時にこらえていた感情が溢れたようで、肩を落として深く息を吐き、片手で目を覆った。

 ジェマは屈んで杖をゆっくり拾い、丁寧に拭いて、ローブに仕舞う。セラが顔を拭い終わるのを待って、ジェマは声をかける。

 

「あなた、何でスリザリンに入ったの?組分け困難(ハットストール)になりかけていたのなら、他の寮の選択肢もあったでしょ。何でよりによって、ここの寮に来たの」

 

 セラは迷っていたが、ぽつりと声を漏らす。

 

「……スリザリンでは、私の可能性が一番開けると言われたから。険しい道になるけどスリザリンではきっと力を手に入れられる、って言われて」

 

「セラ。――あなた最高だよ」

 

 ジェマは右手を差出した。

 

「あなたみたいな人こそスリザリンに来るべき――そして堂々と歩けるべきなの」

 

 あっち側(マグル)の世界から来た少女の手が、ジェマの肌に触れた。ジェマはセラの手を握りしめる。そこに人の手の温もりを感じ取る。

 

「歩けるようにすべきなの」

 

 

(第4½話・終)

 

 




第4½話は一個の短編小説としての文章の描写や構造を意識しようとしました。
「全部賭けです。でも、勝ちです」のセリフにどこかで既視感があたのですが、思い出せなかったのでそのまま出しました。

7日間で9万字になってしまいましたが連日の投稿はいったん終了です。第5話の投稿は先になってしまいますが、そのときも読んでくださる方がいらっしゃれば幸いです。感想も(ストーリーやキャラやディテールや文章や描写についてのコメントも考察もひとことのメッセージも)ここすき機能も、いつも本当に励みになります。

今話のキャラクタの学年の表:
+9 シーナ・シンクレア, ソフィア・ソールズベリー, ウィリアム・ウィーズリー
+7 ニンファドーラ・トンクス, チャーリー・ウィーズリー
+6 フレヤ・ロウル, ジンジャー・オリバンダー
+4 ジェマ・ファーレイ, ペネロピー・クリアウォーター, パーシー・ウィーズリー, アンドレア・ジョンソン, オリバー・ウッド
+3 セラ・ストーリー
(+0 ハリー・ポッター, シム・スオウ)



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第5話 決闘と血統 (1)土曜の決闘クラブ

「第4話 休暇 (8)クリスマス」からの続きです。


「シム。私は前に、決闘クラブでたまに遊んでいるという話をしたのを覚えているかな。ジェマとかペネロピーとかセドリックとか、後は他にも何人も、私にはまるで歯が立たないような人も含めているんだけど――いちど遊びに来てみない?君が彼らに勝つのはまだ難しいと思うけど、刺激になるはずだよ」

 

 ある二月の夜の2E教室で、シムはセラに一定の成長を認められ。翌週の土曜の昼、セラの宣言通り、シムは秘密の決闘クラブに行くこととなった。昼食後のスリザード談話室で、杖を片手で握りしめて片手で神経質に磨く、緊張の混じるシムの顔を見てセラは苦笑する。

 

「気の良い人ばかりだから、気にしなくて良いよ。君を今日連れて行くことも既に伝えてあるし、『登録』も済ませている」

 

 セラは羊皮紙を二枚取り出し、その一片(ひとひら)をシムに手渡す。羊皮紙にはただ、今年の組分け帽子の歌が雑な手書きで記されていた。裏側は白紙だ。

 

「失くさないでね。この紙の裏側を杖で叩いて、合言葉を指でなぞって書く。――『ドラゴンのくすぐりを眠らせろ』」

 

 すると羊皮紙が光り、上部に色とりどりの文字が躍った。

 

土曜14時 CG 赤樫 ヤマナラシ リンボク シカモア (あし) イチイ トネリコ 桜

 

「ここに、今日の場所と参加者の名前が記されている。オリバンダーさんが複雑な『変幻自在(へんげんじざい)術』をかけていて、書いた内容が他の羊皮紙にも反映されるから、こうやって連絡にも使える」

 

 セラが羊皮紙を指でなぞり、文字を(つづ)る。シムの手元の羊皮紙に、緑色の文字が浮かび上がった。

 

今行きます

 

 セラは既に右手を下ろしていたが、続けて緑色の文字がひとりでに記されてゆく。

 

今行きます :イチイ

 

 イチイはセラの杖に由来するコードネームのようなもので、誰が書いたのか示す仕組みになっているのだと合点(がてん)してシムが羊皮紙を眺めていると、緑色の文字の下に赤色の文字が浮かび上がった。

 

今行きます :イチイ

 早く来い :シカモア

 

「じゃあ行こうか。五階の南西の端にあたるけど、普通の道が無くてやけに遠いから、十五分は歩くかな」

 

 五階に上がって廊下を四回右に曲がった後、風景画と隠し扉を三度くぐり、隠し階段を七階ぶんほど降りて、隠し階段をまた七階ぶんほど上がり、廊下を六回左に曲がり、真冬の寒さもとうに感じなくなったところで、ようやくセラは立ち止まった。

 

「ここだ。『あったりなかったり部屋(the Come and Go Room)』とか『都合良すぎの部屋(Merlin's Room)』とか『必要の部屋(the Room of Requirement)』とか呼ばれている」

 

 シムが一度も立ち寄ったことのないその薄暗い廊下は突き当りになっていて、正面の窓から冬の曇り空が見える。左側の壁にはトロールにアルファベットを教えようとして棍棒で打ち据えられている男の絵が掛かっていた。

 

「入る人の要求に応えて中身を変えてくれる凄まじい部屋だけれども、いつでも扉が開くわけではない。ちょっと気分転換で自習しようと思っても入れてくれない。まさに『あったりなかったり』なんだ」

 

 セラが絵の額縁を軽く叩くと、トロールはこちらに注意を移し、棍棒をだらりと下げて睨んだ。絵の中のトロールは本物よりずいぶんと間抜けに見えた。

 

「それに入口の場所も『あったりなかったり』で安定しない。去年も一昨年も別の階にあってもう少し行きやすかった」

 

 そう言ってセラは絵画に背を向けると、祈るかのように両手を胸の前で組み、目をぎゅっとつむる。

 しばらくしてセラが目を開けると、磨き上げられた扉と真鍮の取っ手が、石の壁に現れていた。扉を開けると、その先は広大な部屋になっていた。

 

 

 ★

 

 

「やあみんな、久しぶり」

 

 セラは声を張りながら部屋に入る。白い壁で覆われた正方形の部屋だった。部屋の周縁には大きなクッションがいくつも置かれていて、四隅に四本の柱がそびえている。四本の柱より内側は一段高く、やはり白い正方形の舞台になっている。要するに「決闘場」なのだと、シムは直観した。

 扉の近くのクッションには、スリザリン監督生のジェマ・ファーレイが腰かけていた。その少し左には、落ち着いた雰囲気の巻き毛の生徒、レイブンクロー監督生のペネロピー・クリアウォーター。そして部屋の奥、ジェマと反対側の位置には、ドレッドヘアで浅黒い肌の、グリフィンドールの女子生徒が――彼女も「監督生」のバッジを胸に留めている――両手を頭の後ろで組んでいる。右側の壁には、人当たりの良い笑みを浮かべるハッフルパフの男子生徒がもたれかかっていた。

 

 セラの声に合わせて、全員の視線がこちらに突き刺さり、シムは反射的に肩をすくめる。しかし、その視線は軽蔑や隔意(かくい)の色のない、温かなものだった。

 

「前話した通り、一年生を連れてきた」

 

「シム・スオウです。初めまして」

 

 セラにあわせてシムも挨拶を返し、セラはシムと四人を交互に見ながら言葉を続ける。

 

「ジェマは良いとして、ペネロピーもシムは会ったことあるよね。それでそこにいるのが――」

 

 セラがグリフィンドールの生徒を示すと、彼女はドレッドヘアを揺らしてこちらに歩きながら口を開く。

 

「まーたスリザリンが増えるのかよ!やってらんねえな!」

 

 台詞の内容に反し、その監督生はからからと笑う。クリスマス休暇の前、ホグワーツ特急に乗るセラに声をかけた生徒だとシムは思い出した。

 

「まあ、(スリザリン)(マグル生まれ)味方(なかま)だから歓迎するぜ、よろしくな!あたしは五年のアンドレア・ジョンソン」

 

 ジョンソンは近寄って握手すると、シムの右肩をバシバシ叩いた。快活で無遠慮でまっすぐ。シムの中のグリフィンドールのイメージと(たが)わぬ生徒と見えた。

 

「ザリンのカスどもに虐められたらあたしに言えよどこでもシメに行くから。……セラもなぁ、グリフィンドールに来てればいつでも可愛がってやれたのによ。組分け帽子がトチ狂ったせいで」

 

 セラとシムを交互に見ながら、ジョンソンはしみじみ言う。

 

「セラは頭が良いのに、そんな寮に入るわけないでしょう、お前は馬鹿なの?ああ馬鹿だったか」

 

 あからさまに溜息をつくジェマを無視して、ジョンソンは続ける。

 

「つーかセラも一年の頃からここに来てたっけか?あたしも一年を誰か連れてこうかな?……つってもハーマイオニーは喧嘩上等のガラでもないし――クィディッチで日々お忙しいハリー・ポッター大先生を呼んだら(アンジー)箒馬鹿(ウッド)にシメられるし」

 

「まあ、グリフィンドールには今年も大した人材はいないんでしょうね」

 

 鼻で笑うジェマを、今度は無視せずジョンソンは声を尖らせる。

 

「んだコラ。今年のスリザリンも陰険モヤシとウスノロデカブツしかいねえーろ。あのマルフォイとか、グラッブとコイルとか」

 

「クラッブとゴイル。監督生がそんな記憶力ならグリフィンドールの程度が知れるってもの。――彼らはたしかに学習面で難があるけれど、きちんと私達がサポートしている」

 

「お、変身術のレポートを代筆してあげてるのか?意外と優しいな、さすがスリザリンの監督生、マクゴナガルも大喜びだ」

 

「は?私がそんなことするわけない私は純血連中の小間使いじゃないしそれに自分で力つけなきゃ意味ないしそもそも五年生が一年生っぽい文章を書けるわけないでしょう。……ああそうか、お前の代筆レポートはどうせ、一年生並の頭しかない五年生が書いたものだから、さすがのマクゴナガルも気づかないか」

 

「パーシーにテスト勝てない奴がなんか偉そうに言ってら」

 

「黙れあの赤毛しかまともに点取れる監督生がいないお前達の現状を恥じれウィーズリーの長男の頃とは大違いの現状を」

 

「あーはいはい仰る通りですねジェマ・ビル(にい)にベタ惚れしてた・ファーレイ・監督生様様。……つーかお前そんな偉そうに監督生を語るならよ、お前の方こそスリザリン監督生としてもう少しセラを――」

 

「……こっちの事情も知らないで気楽に言うなグリフィンドールが」

 

 ジェマとジョンソンが互いを睨みながらポケットに杖を手をかけた。そこで扉が開き、

 

「まったく君達、すぐに喧嘩をすることは、あまり良くないことだと俺は思いますよ」

 

 訛りの強い英語とともに、小柄な青年が現れた。二人は動きを止めて同時に挨拶する。

 

「オオニシさん!」

 

 青年は東洋系の顔だちで、人の好さそうな笑顔を浮かべていた。襟は黄色で、彼も胸に「監督生」バッジを留めている。腰からは木の棒を――おそらくは杖だが、非常に長く杖というより短刀のように見える――吊り下げている。

 

「ジョンソンさん、ファーレイさん、こんにちは。ストーリーさんも、こんにちは。そして――」

 

 部屋を見回していた青年は、シムと目が会い、目を細める。

 

「ああ、セラさんが連れてくると言っていた方だね。初めまして。俺の名前はオオニシ・コウイチ。ハッフルパフの七年生だ。……四年生と五年生ばかりの中に、何で七年生が居座っているのだろうか?ということを、もしかすると君は疑問に思うかもしれません。去年までは僕の上の年に何人もいたけれども、みな卒業してしまったのです」

 

 はにかみながら青年は名乗った。英語は若干たどたどしかったが、しっかりした声量だった。

 

「シム・スオウです。スリザリンの一年です」

 

「ふむ。君、失礼で気分を害してしまったらたいへん申し訳ありませんが、セラさんによれば、君は日本人の血を引いているのですか」

 

「あー、はい、祖父が日本人でした」

 

 オオニシは顔を輝かせた。

 

「そうか!それは実に、嬉しいなあ。俺も、日本から来たのですよ。しかしながら、日本人も日系人も、日本に縁のある人はここには誰もいないです、前はスリザリンにミス・ハネダがいたけれども。もちろん、日本について分かる人も、ほとんどいません」

 

「いたとしても、スシ・ニンジャ・ハラキリくらいですよね。ニンジャもハラキリもとっくにないのに」

 

「いや、忍者はいますよ」

 

「え?」

 

「ところで、君は今までの人生で、日本に行った経験がありますか?」

 

「あー……実は日本は行ったことがなくて。生まれも育ちも英国です」

 

「そうか。一度は行ってみると良いです。日本のご飯が美味しいと俺は思う。――まあ、日本はここから遠いのが、面倒ですね。君はマグル生まれなのですから、飛行機を使って行くほうが良いかもしれません。さもなければ、『姿現し』や『移動キー』を何べんも繰り返し、君は使わなければならない」

 

「いつか行ってみたいです。……オオニシさんは日本からの留学生とかなんですか?日本にも魔法学校があったと聞いていますが」

 

「俺が8歳のときに、両親が仕事で英国に来ました。しかしながら、そのときに俺だけ日本に戻ることもできました。というのも、全寮制の西洋魔法の学校は日本にも小笠原諸島にあるし、西洋魔法と体系は異なりますが、本州の西には陰陽寮も、忍術学園もある。しかし、折角英国に来たのだから、名門ホグワーツに通うほうが良いと、両親は考えました。さらに、ホグワーツは非常に安全です。なぜならば、城に甚大に強力な魔法が施されている、かつ、ダンブルドア先生が守護しているからです。皆さんがご存知のように、ダンブルドア先生は世界で最も偉大な魔法使いの一人です。英国の魔法界も、秩序がとれていて治安が良好です」

 

 オオニシは杖を振って頭上に戯画化された世界地図を浮かべながら、しみじみと説明する。日本列島から巨鳥に乗ってブリテン諸島に向かうオオニシ一家。ブリテン諸島にそびえるホグワーツ城と、白い髭をたたえたアルバス・ダンブルドア校長。

 

「そうだったんですね。言葉とかは苦労しませんでした?」

 

「ええ、俺は本当に苦労しました。なぜならば、英語の発音、日本語ととても違いますので。俺は8歳になるまで、英語を読んだり聞いたりすることを、全く試みていませんでした。とりわけ、杖を使う授業では、苦労しましたよとても。でも、フリットウィック先生はとても優しい。ホグワーツの先生は、スプラウト先生もマクゴナガル先生もシニストラ先生もベクトル先生も、ほとんどすべての先生は優しい。したがって、俺は授業に何とかついてゆけました」

 

「オオニシサンはすーぐ謙遜するけど、こうやって立派に監督生やってるからな」

 

 ジョンソンはオオニシの背中をばしばし叩きながら笑った。

 

「なぜならば、ハッフルパフの生徒はみんな優しいですから。英語もほとんど話せなかった俺を、優しく助けてくれました。俺にゆっくり話してくれるし、俺の稚拙な英語を笑う人も少ないし、東アジアの文化の違いにも寛容な人が多く存在します。そのうえ、こうやって監督生をやる機会も、皆は俺に与えてくれる」

 

 オオニシは首を横に振った。

 

「おっとごめんなさい。つい長く話してしまった。また君とお話したいですね。今度お茶でも飲もう。君は緑茶が好物ですか?」

 

「あまり飲んだことは無いですが、好きです」

 

「それなら良かった。ハッフルパフ寮の近くには、お茶を飲める素敵な場所があります。俺は良い茶葉を持っている。今度君を誘うでしょう」

 

 オオニシははにかむ。何も偉ぶらず気取らないが堂々としたこの青年は、たしかにハッフルパフの下級生に慕われるだろうとシムは感じた。

 

「見ての通り、オオニシさんはとても素晴らしい方だよ。――そしてもう一人そこにいるハッフルパフ生がセドリックだ」

 

 セラが指し示すと、それまで微笑んで黙っていた青年が、立ち上がって口を開く。

 

「セドリック・ディゴリー、三年生だ。よろしく」

 

 シムは彼をまじまじと見つめる。三年生と思えないほど、彼は背が高く大人びていた。

 

「ザ・ハッフルパフと呼ばれていて、文武両道で眉目秀麗(びもくしゅうれい)で全校の半分をファンに持つ」

 

 セラは真面目くさった調子でおどけて語った。

 

「冗談はやめてくれよセラ。本気にしちゃうじゃないか」

 

 ディゴリーもおどけて笑い、セラはつられて微笑む。

 

「事実じゃないか。先週のデビュー戦も、とても良い飛びっぷりだったよ」

 

 そのときシムは、セラが男子と親しく談笑する場面をこれまで自分がまだ見たことがなかったからといって、セラに男子の友達がいないわけではなく、むしろいて当然だということに、今更気づいた自分がいかに愚かであったか悟った。

 

「あー、観てくれていたのか。本当に無様な姿を見せてしまったね。一瞬で叩きのめされた――それも一年生(ポッター)相手に、スネイプ先生の贔屓(ひいき)の審判があった上で」

 

 セラが寮内で孤立しているのは、ひとえに彼女がマグル生まれでありマグル趣味を公言しているからにすぎず、そんなスリザリンの事情は他の寮の男子からすれば関係がないということをシムは当然分かっていたし、

 

「ビーターの連携がまったくなっていなかったからだろう。ポッターと違って君はずっとブラッジャーに追われ続けなければならなかった。チェイサーもキーパーも、グリフィンドールとはレベルがまるで違う。たしかにシーカーのポッターは凄かったけれど、あれはどう考えても外れ値の存在だ。君はついこの前、代打でシーカーになったばかりだろう?それであそこまでポッターに食らいつけば十分すぎる。実際、どの寮も、ハッフルパフのシーカーを嘲る声は無いじゃないか」

 

 セラの性格がたとえ大半の女子と大きく異なっているというくらいでは、セラに近づきたい気持ちがそこまで減少せずむしろ人によっては増大しうるだろうということもシムは当然分かっていたはずだし、

 

「セラは優しいね。どんなに才能があるにせよ、ポッターも箒に乗って数ヶ月だ。仮にハッフルパフのビーターとチェイサーとキーパーがグリフィンドールと対等だったとしても、俺とチームは完敗した。そこに言い訳の余地は無い」

 

 セラは独りを好むタイプとはいえ他者との関わりも好むタイプであるということもシムは当然分かっていたはずだが、

 

「まあ、それは私もその通りだと思う。正直に言えば、もう少し粘ってほしかったとも思った。――でも、セドリック・ディゴリーがそれで終わるわけないだろう?」

 

 しかしそれを頭で理解することと、セラが他の男子に冗句や称賛や激励を笑顔で飛ばす様を実際に見聞きすることは、別だった。

 

「ああ。シーカーとしての腕を磨く。不本意であれ、一度引き受けたからには俺はやる。再来年には俺がキャプテンだ、絶対にチームを立て直す。ウッドとポッターのチームに完勝する」

 

 ましてセドリック・ディゴリーは――。人望に厚いらしく、学年一の好成績らしく、クィディッチのシーカーらしく、目の前で見るに、とても背が高く、程よく筋肉質で、どれだけ辛口に見てもハンサムと表現せざるを得ない顔をしている。横に並んで笑いあうセドリックとセラは、じつに()になっているように思われた。

 

「楽しみにしているよ――セドリックがクィディッチでも輝いたせいでますますファンクラブが拡大してしまう様子をね」

 

 シムは自身と彼を比べ、彼に勝っている点があるかを検分した。アーニー・マクミランはハッフルパフの模範生だとディゴリーを称していたが、実は腹の底では性格がどうしようもなくめちゃくちゃ悪いとかであってほしい。そうでなければ公平ではない。

 

「だからからかうのはやめてくれよ」

 

 セラとセドリックの談笑がひと段落し、ようやくシムは我に返った。

 

「彼とは――ずいぶん長い友達(フレンド)なんですね」

 

 シムはいたって何気ない風を装って声を出した。二人の会話の様子を聞くに、セドリックはセラの彼氏(ボーイフレンド)ではないはずだ。セラはセドリックを見て首を傾げる。

 

「二年前のちょうど今ごろ、オオニシさんとトンクスが一年のセドリックを連れてきてね。それ以来かな」

 

 シムはそこで三年のセドリックは四年のセラよりも学年が下であることに気づき、それはつまり、セラにとって初めての、下級生の男子という存在が、セドリックであることに気づいてしまった。シムがセドリックに勝っている点があるとすれば、ハッフルパフではなくスリザリンという点だった。勤勉(きんべん)利他(りた)の寮ではなく、陰険と利己の寮。

 シムがなおもぼうっとしていると、セドリックが声をひそめてシムに問いかけた。

 

「……スオウ、君はいつもセラと一緒にいるんだろう、毎日のようにセラの『指導』を受けているのか?」

 

 シムは声が力強くならないように気を付けながらも即答した。 

 

「そうです」

 

 答えると同時に、勝利のみならず不安の気持ちが湧いてきた。セドリックはもしかして――

 

「……それは大変そうだね」

 

 ――しかしシムの予測に反し、セドリックはシムに純粋な同情の視線を送った。セドリックがセラに向ける感情は、セラがセドリックに向ける感情と近いのかもしれない。……どちらも推測でしかないけれど。

 

「いやいや、セドリック、君とはここでたまに決闘して遊ぶくらいじゃないか、私はセドリックに何も『指導』した覚えはいないよ。教えたことがあるとすれば、ハッフルパフ生が知らない隠し通路くらいのものだろう」

 

 さらりと言うとセラは、シムを気にもせず羊皮紙を取り出して言う。

 

「さて、そろそろ始めましょうか。あと一人来るはずだったけれど――遅れてくるみたいだし」

 

 ジョンソンはジェマの方を見ずに、ジェマに人差し指を突きつけてセラに言う。

 

「じゃあ早速、あたしはそこの陰険(いんけん)蛇女(へびおんな)とやるわ。シム、スリザリンじゃどうせこの監督生がいつも威張り腐ってんだろ?代わりにぶちのめしてスカっとさせてやるよ」

 

「シム・スオウ。日々下級生に模範を示す監督生が、グリフィンドールの馬鹿の野蛮の不良を優雅に片づける(さま)を、今後のために目に焼き付けておきなさい」

 

「……二人はなんだかんだ仲が良いんですか?」

 

「は?」

 

「っすぞ」

 

「何でもないですごめんなさい」

 

 声にドスを()かせてシムを射すくめる二人を、オオニシが立ち上がって手で制す。

 

「審判は、俺がやるよ。セドリックとペネロピーさんは、副審をお願いします。なぜならばセラさんは、シムさんに教えてあげることもあるでしょうから」

 

「気遣いありがとう、オオニシさん。――それではシム、この前も説明したけど、改めて。決闘というのは当然、危ない。非魔法族の現代の常識に照らせば、生徒達が教師の目を離れてコソコソ勝手にやるものでもない。非魔法族と違って魔法族は平然と鉄球をぶつけあうイカれたスポーツ(クィディッチ)で遊ぶくらい頑丈とはいえ、魔法戦闘に伴う危険はまた質が違うしね」

 

 セラは淡々と講釈を始めた。シムは神妙に頷く。セラは杖を取り出して壁に向ける。動く絵がそこに投影された。二人の魔法使いが相対し、華々しく呪文を打ちあっている。

 

「とはいえ、魔法族の間では昔から今に至るまで、これが一種のスポーツのように行われてきた側面もある。決闘は、互いが磨いた魔法の技芸を競い合い魅せ合う、競技にして演舞(えんぶ)であるともいえる。互いに刺激を与えあって魔法の腕を切磋琢磨(せっさたくま)する目的で、また授業だけでは不十分な、魔法で戦い身を護る術を身につける目的で、また他寮との貴重な交流の機会を設ける目的で、私達のクラブは活動している。今の七年生が入学するよりも前から連綿(れんめん)と、腕も人格も信頼できる友人に紹介してゆくという形で」

 

 セラは映像を消し、真剣な表情でシムに向き合う。

 

「もちろん、安全を図るためにルールを整備するのは当然だ。まず、使って良い術は慎重に制限する。具体的には、『基本呪文集・一年生用』から『七年生用』までに載っている呪文の一部と、『護身術入門』に載っている呪文のうちの一部と、試合前に予め申請をして認められた術だけ。そして『出現』系の一部の呪文を除いて『変身術』は基本的に禁止」

 

 セラの声と杖の動きに合わせて、部屋の隅の棚から巻紙が飛び、宙に広がった。「武器よ去れ(エクスペリアームス)」「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)」などの呪文がリストになって書かれている。

(ジョンソンがそこで、「派手に『発火呪文(インセンディオ)』ぶっ放したくてもこいつら許してくんねえの。どうせこの部屋は火事にならねえしよっぽどペニーの放水呪文(アグアメンティ)の方が危険だっつってもダメ」とぼやいた)

 

「何の術を使ったのかを相手と観衆にはっきりさせるため、無言呪文も禁止。もちろん『武器よ去(エクスペリア)――』と唱えるふりをして無言呪文で『石になれ(ペトリフィカス・トタルス)』をかけるような技巧も禁止。それと、殴ったり蹴ったり杖で刺したりも禁止」

 

 セラが説明をするうち、ジェマとジョンソンは、段差を昇り、試合場に向かい合って立った。部屋の四隅の柱が白く光り、隣り合う柱と柱の間が、虹色の膜で包まれる。続いて柱の内側の試合場から、大小様々の柱が何本もせせり立ち、身をひそめ呪文をかわすための障害物に富んだ地形へと変化した。

 

「試合場には結界を何重にもかけて、魔法の効果を弱めて大けがをしないようになっている。床も障害物も『軟化呪文(スポンジファイ)』のように柔らかくなっている。最低三人以上が審判として試合を見守り、片方が片方に杖を奪われたり、片方が身動きをとれなくなった時点で試合を止める。場外に出たり、怪我を負った時点でも試合を止める。応急処置の薬のキットも部屋に備えてはいるけどね」

 

 オオニシが部屋の真正面の奥の壁に立ち、オオニシと二等辺三角形をなすようにペネロピーとセドリックが位置取り、その三角形でジェマとジョンソンが囲まれる陣形が作られた。

 

「そういうわけで、幸い今まで誰も、マダム・ポンフリーのお世話になるようなことになっていない。先生のお咎めを喰らうことにもなっていない。誰かが重傷を負うようなことがあれば退学も免れないかもしれない。ルールは絶対に守ること。良いね?」

 

「分かりました。……でもそういえば、ここで派手に決闘やって、他の生徒とか先生は来たりしないんですか?たしかに城の僻地ではありますけど……」

 

 シムは扉をちらりと振り返りながら言ったが、セラは羊皮紙をひらひら振った。

 

「この羊皮紙に登録した人以外を入れないように『必要の部屋』にお願いしているからね。それは大丈夫。音も漏れない」

 

「便利なものですね。……それにしても、ここにいるのがルールを守らせる立場の監督生ばかりというのは意外でしたが」

 

 シムが小声でセラに言うと、ジョンソンが耳ざとく聞きつける。

 

「おいおい、十二人もいる監督生がみんなパーシーみたいだったら、生徒は窒息しちまうだろ。あいつみたいな真面目君(まじめくん)は一人いれば十分なの。パーシーとあたしと両方いるから、グリフィンドール監督生はバランスがとれてるってわけなんだよ」

 

「グリフィンドールの監督生は極端なのしかいないんだな」

 

「るせえスリザリンの監督生も人のこと言えねえだろ。……ところでよ、パーシーといえばあれが傑作だったな、十一月のクィディッチの何日か前に、ウッドの馬鹿が授業で鍋を溶かしちまったときがあって、そんときスネイプに向かって『こんな簡単に底が抜ける鍋が売られているなんて!何で市場に流通している鍋底の厚さが統一されてないんですか!?』って本気で言っててよ――鍋底の、厚さだぜ!?鍋底の厚さ!……あたしがブン投げたサラマンダーの血ボタボタ流してヤバい顔になってるスネイプまっすぐ見ながら、鍋底がどうって――」

 

「アンドレア・ジョンソン」

 

 腹をよじりながら言うジョンソンに、ペネロピーが鋭く声を出して遮った。

 

「あなた、やっぱり今日はジェマでなく私とやろう。良いね?」

 

 有無を言わせぬ調子だった。ジョンソンはきょとんとして、ジェマとペネロピーを見やる。

 

「……まあ、良いけどよ。こいつとはいつでもやりあえるし」

 

「私も別に構わないけど。いくらグリフィンドールの馬鹿であっても、一年生のスオウの前で無様に負けを晒させるのは可哀想だし」

 

「無様を晒すのはお前の方だろ?」

 

 軽口を叩くジェマと入れ替わってペネロピーが試合場に降り立ち、ジョンソンと相対する。ペネロピーは目をつむって一度大きく深呼吸をすると、目を開いた。ジョンソンはリラックスした表情で、首と肩を軽く回す。互いに準備が整ったのを見て、オオニシが杖をまっすぐ向ける。ペネロピーはローブの裾をつまみながら、片足を引いて膝を曲げた。ジョンソンは何気なく頭を下げる。「始める前に、相手に敬意を表してお辞儀をするのが、魔法使いのマナーだ。――ちなみに私達はオオニシさんの意向で、決闘が終わった後にもお辞儀をすることにしている」とセラはシムに(ささや)いた。

 

 そしてペネロピーとジョンソンが杖を構えると、オオニシが杖を掲げて声を張り上げた。  

 

「三――二――」

 

「――それとジョンソン。鍋底の厚さの規格をきちんと作って品質低下を防ぐのって、私は画期的だと思う。非魔法界と違って、魔法界はあらゆることにルーズすぎるの」

 

 ペネロピーは杖をまっすぐ伸ばしたまま、冷たく言い放った。

 

(いち)――はじめ!」

 

 

 ★

 

 

水よ(アグアメンティ)

 

 開戦を告げたオオニシの杖からホイッスルのような鋭い音が響くと同時に、ペネロピーの杖から勢いよく水流が(ほとばし)った。水流を横跳びにかわし、ジョンソンは杖を鞭打つようにふるう。

 

(四隅の柱の間に張られた見えない結界に阻まれ、水は試合場の外に飛び出さずに消えた。自分に直撃していたらと思うと、シムの背筋が冷たくなった)

 

縛れ(インカーセラス)

 

 ジョンソンの杖から長い縄が飛び出す。同時にペネロピーは杖をジョンソンの方に向け――槍のような水流がジョンソンに向き、ジョンソンは再び驚異的な反射神経で横に跳び――ペネロピーは叫ぶ。

 

氷河となれ(グレイシアス)

 

 縄を包みこんだ水流は、熱力学を(わら)うこの呪文を浴びてたちまちに凍りついて割れ、三本の太い氷の柱となり床に落下する。息を切らした瞬間を逃さず、ジョンソンは杖を突きつける。

 

麻痺せよ(ステューピファイ)

 

 失神呪文の赤い閃光がジョンソンの杖から(ほとばし)り――

 

踊れ(タラントアレグラ)

 

 ――だがペネロピーもジョンソンと同時に呪文を唱えており、氷の柱が一斉に動き出した。ペネロピーの目の前の氷塊が跳ねて、失神呪文の赤い閃光を弾く。ジョンソンの目の前の氷塊がくねり這い寄り、彼女を襲う。ジョンソンはそれを軽やかに跳躍して避け、

 

昇れ(アセンディオ)――ったくあぶねーな」

 

 自らに杖を向け唱えると、障害物の柱を駆け上り、頂に立つ。杖を鞭打つように横に振るい、ジョンソンは叫ぶ。

 

灼熱(フラグランテ)!!――こっからあたしのターンな」

 

 すべての氷塊が赤橙色(せきとうしょく)の光に包まれて蒸発した。立ち込める熱い白い湯気に、ペネロピーは反射的に目をつぶり片手で顔を覆う。それを逃さずニヤリと笑うと、二メートルの高みからジョンソンは杖を振り下ろす。

 

掘れ(ディフォディオ)掘れ(ディフォディオ)

 

 しかし杖の先端が向く先は、ペネロピーではなく足下。試合場の床が二か所、爆ぜて穴が空いた。ジョンソンは改めてペネロピーに向けて呪文を浴びせる。

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 湯気が晴れ体勢を立て直したペネロピーは、「武装解除術」の赤い閃光をかわすと、即座に応戦する。分が悪いのは、地上にいる自分ではなく、足場の狭い柱に立ったままの選択を取ってしまったジョンソンの方だと冷静に判断しながら。

 

水よ(アグアメンティ)――」

  

 水流がジョンソンに向けてまっすぐ伸びる。柱の上にいては、回避するために飛び降りるか『盾』を張るしかない。そしてジョンソンが柱から飛び降りたところを狙い、本命の呪文で追撃する。――魔法使いも重力から逃れられないのだから、飛び降りる時も飛び降りた直後も呪文をかわすことなどできやしない。

 

「――妨害せ(インペ)……っ!……」

 

 しかし、床下を進む「穴掘り呪文(ディフォディオ)」がペネロピーのすぐ近くで地上に突き上げ、床が盛り上がって弾けたことで、彼女はバランスを崩す。音に注意を払って二発目の「穴掘り呪文」を警戒するも、今度は足下の床が弾け、回避が間に合わずに彼女は横に倒れ込む。

 床に両手足をついて着地したジョンソンは、そんなペネロピーを見ながら、悠々と立ち上がって唱えた。

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 しかしペネロピーは「武装解除」の赤い光を浴びる寸前、杖を()()()()()。彼女は赤い光に包まれて近くの障害物の柱に叩きつけられるが、杖は「武装解除」の影響を受けず、重力のみに従ってまっすぐ下に落ち、ペネロピーの手元に納まる。

 

麻痺せ(ステューピ)――

 

石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

 杖が自らの手元に飛来しないことに気づいてジョンソンが「失神呪文」で追撃するも、既にペネロピーは呪文を唱え終わっていた。青い光を浴びたジョンソンは、硬直して倒れた。

 

「そこまで!」

 

 オオニシの声とともに、鋭い音が彼の杖から鳴り、試合の終わりを告げた。

 ジョンソンはオオニシに「全身金縛り」を解かれて立ち上がり、ペネロピーと向かい合ってお辞儀をした。

 

「いやー、負けた負けた。っぱ頭じゃペニーに敵わねーわ、運動神経の勝負に持ち込みたかったけどよ」

 

 快活に笑い、ジョンソンはペネロピーの肩をばしばし叩きながら言う。それを聞いてセラがシムに(ささや)く。

 

「……違う、謙遜だ。たしかにペニーは頭脳で戦うタイプで、アンドレアは身体能力と直観で戦うタイプだ。けれど今回はアンドレアが策で場を支配していた。放水呪文(アグアメンティ)が来るのを見越して実体のある捕縛呪文(インカーセラス)を放って氷結呪文(グレイシアス)を誘ったのも、上昇呪文(アセンディオ)掘削呪文(ディフォディオ)で注意を上と下の両方にそらしたのも。ただ、ペニーの最後の凄まじい機転に対応できず、ペニーが勝った」

 

 シムは言葉が出なかった。目の前で繰り広げられた上級生同士の決闘に、ただ圧倒されていた。これが()()()()()()()()()、と。

 ジョンソンはにやにやしたまま、ペネロピーに手を合わせる。

 

「さっきは悪かったな、あたしは別に大親友(マブ)のパーシーを馬鹿にするつもりはないんだわ、ちょーっと頭固くて笑えるだけで、良い奴だよあいつは、多分。…………つーかペニーも冷たいよなもっと早くあたしにも相談しろよパースの奴この頃毎日『クリアウォーター君の言うところには』とか『少しは君もクリアウォーター君を見習ってだな』とか無意識に口走っててうるさくてよ、どーせお前ら両方奥手だからあたしが店セッティングしたるわ来週のホグズミード予定空けとけよ」

 

「私は別にそんなんじゃ――それどういうこともっと詳しく聞かせて――というかそんな勝手なことするのはやめて――私は私のペースで距離を――」

 

 早口になるペネロピーを見て、シムはようやく、以前会ったときに不可解だった彼女の言動の意味を悟った。

 

「……『パーシー・ジョーク』をうっかり口に出していなくて良かったです」 

 

「そんな真似をしそうになったら私がちゃんと黙らせ呪文(シレンシオ)で止めてあげたよ」

 

 セラはずっと前から知っているようだった。セラの察しが良いのでなければ、ペネロピーとセラはその手の会話をするのだと、シムは気づいた。セラはシムの前でこの手の会話をすることは今まで一度もなかった。セラもペネロピーみたく誰かに焦がれたりするのだろうか。そうだとしても、相談する先は一年男子ではなく同年代の女子(ペネロピー達)なのだろうけれど。

 

「あんな試合を見せられては、私も早くやりたくなってくるね」

 

 ペネロピー達やシムをそれ以上気にすることなく、セラは腰を叩いて立ち上がる。

 

「じゃあ俺は、ストーリーさんと手合わせ願おうかな」

 

 オオニシがセラの方を見る。セラは腕を組み眉をひそめる。

 

「勝ってシムに格好良いところ見せようと思ったけど、オオニシさん相手だとちょっと厳しいな……。他ならともかく」

 

「なぁおいペネロピーにファーレイ、競争しようぜ競争、先にこいつ泣きながら謝らせた方が勝ち」

 

「賛成」

 

「お前たぶん今年初めてまともなことを言ったと思う」

 

「ほんの冗談だよ」

 

 殺気を飛ばすジョンソン・ペネロピー・ジェマの三人に、セラは両手を挙げて降伏のポーズを取ると、そのまま試合場に向かった。オオニシは丁寧に一礼をしてから、試合場に入場した。ジョンソンが主審に立ち、ジェマとセドリックが副審に立ち、ペネロピーはシムの隣のクッションに腰かけた。そこでオオニシはふと、シムに顔を向けた。

 

「――ところでシム・スオウさん。俺は今から三歳も下の女子に本気で戦います。しかし、失望しないでください。なぜならば、そうしなければ失礼だから。そして、そうしなければストーリーさんに勝利できないから。魔法使いの戦いを左右するのは、年齢や性別や筋力ではなく、ただ魔法の力と技のみなのです」

 

 四年生の女子にしては長身のセラと、七年生の男子にしては幾分小柄なオオニシが相対し、お辞儀を交わした。シムは思わず息を呑む。オオニシのそれは、背筋の伸びから腰の角度から手の位置から間の取り方から何から、完璧に均整が取れていた。セラもまた、英国の女性がするようなそれではなく、オオニシと同じく東アジアの流儀に沿ったお辞儀をした。ジョンソンが声を張る。

 

(さん)――()――(いち)――」

 

 腰から吊り下げていた、五十センチはあろうかという木の短刀を抜いて構えると、オオニシのまとう穏やかな空気が一変した。セラもオオニシも脱力して自然体のようでいて、全身には魔力が充溢(じゅういつ)していた。シムは再び息を呑む。試合場の緊張が最高潮に達した段階で、

 

「はじめ!」

 

 ジョンソンの声が響き、同時に二人は地を駆けた。

 

 




相変わらず久々の更新になってしまいましたが、一月中のどこかにまとめて五話を投稿する予定です。

・初出のキャラはいませんが、今話オリキャラが色々出てしまってるので、上級生達を一応再掲します。

グリフィンドール
アンドレア・ジョンソン(五年):妹のアンジェリーナ・ジョンソン(三年)は原作キャラでクィディッチチームメンバー。

レイブンクロー
ペネロピー・クリアウォーター(五年):出番と台詞は限られるが原作キャラ。マグル生まれの監督生。

ハッフルパフ
セドリック・ディゴリー(三年):二次創作でオリキャラと絡む割合九割超と思われる。
コウイチ・オオニシ(七年):コウタ・オオニシ(本作に登場しない)はゲーム版アズカバンの囚人とゲーム版謎のプリンスに登場するよう。

スリザリン
ジェマ・ファーレイ(五年):原作キャラではないが、Pottermoreでスリザリン寮の歓迎挨拶を述べている監督生(学年不詳)。
ヴァルカン・フリント(七年):従弟のマーカス・フリント(五年)は原作キャラでクィディッチキャプテン。
フレヤ・ロウル(七年):父のソーフィン・ロウルは原作キャラで死喰い人。
シーナ・シンクレア(十年、卒業済):セラの六学年上のマグル生まれ。
ソフィア・ソールズベリー(十年、卒業済):セラの六学年上のマグル生まれ。


・武装解除:
 原作世界だと、たぶん食らった瞬間に杖を手放していても無効にはならなそうな気もしますが、そこはご愛敬ということで


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第5話 決闘と血統 (2)対等の舞台

 

「はじめ!」

 

 ジョンソンが試合開始を告げるとともに、オオニシとセラは同時に地を駆けた。オオニシは木の短刀を振りかぶって前方に大きく跳躍し、着地と同時に振り下ろす。

 

風よ(ヴェンタス)

 

 宙を裂く唸りとともに突風が()け、セラに襲い掛かる。

 

護れ(プロテゴ)

 

 セラは右手に握りしめた杖を左手で支え、オールを漕ぐかのように右から左に動かす。杖と身体を場外に吹き飛ばすはずだった強風を、「盾の呪文」で横に受け流しながら、セラは右後ろにステップを踏む。

 しかしオオニシは、セラが杖を構えなおす前に、返す手で続けざまに呪いを放つ。

 

麻痺せよ(ステューピファイ)

 

 意識を刈り取る赤い閃光がセラの真正面に迫る。オオニシはそれで休むことなく、なおもセラの方へ跳躍し、容赦なく木刀を横に()ぐ。

 

風よ(ヴェンタス)

 

 先ほどと同じ烈風が、今度はセラの真横から吹いて唸る。赤い閃光と突風が別方向から迫りくる中、セラは赤い閃光を無視し、風の方に体を向けて叫ぶ。

 

風よ(ヴェンタス)

 

 風には風を。オオニシの猛烈な「強風呪文(ヴェンタス)」に対して、やはり猛烈なセラの「強風呪文(ヴェンタス)」がぶつかり、相殺(そうさい)せんとする。否、相殺しきれず、セラの身体が後ろに()されるが――それはセラの元々の計算のうちだ。オオニシの呪文の威力の方がわずかに勝るなら、それを利用して「失神呪文(ステューピファイ)」を避ければ良い。向かい風で後ろに跳躍するセラの、そのわずかに前方を、赤く太い「失神呪文(ステューピファイ)」の光が通り過ぎた。

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 オオニシの死角、脇腹に回り込んだセラが、ようやく攻撃に転じる。火力が低いぶん、「武装解除呪文(エクスペリアームス)」は「失神呪文(ステューピファイ)」よりもずっと速く進む。

 

護れ(プロテゴ)――麻痺せよ(ステューピファイ)

 

 オオニシは体をターンさせて駆け出し、短刀を突き出して「盾」を張り、セラの赤い光を散らすと同時に「盾」を解除し、その姿勢のまま「失神呪文」で反撃をする。目の前わずか三十センチ先に迫る木刀の切っ先から、赤い光が閃く。

 

「ッ……風よ(ヴェンタス)――衰えよ(スポンジファイ)

 

 セラは杖を右に向けて杖から強風を放ち、自分の身体を大きく飛ばした。近くの柱に激突する寸前、柱に「軟化呪文(スポンジファイ)」をかけ、もともと柔らかかった柱を綿のように変え、衝撃を吸収させる。

 

「いつものように熱戦だね。魔法使いの決闘はある程度距離を取って呪文を打ち合うのが普通だけど、オオニシさんは超近接戦タイプだから、一瞬の体捌きのミスが命とりになる。私は運動苦手だしあんなに機敏に動くのは無理」

 

 そばに腰かけたペネロピーが、セラとオオニシの戦闘を見て淡々と呟く。何か気の利いた感想を考える前に、全長五十センチはくだらないオオニシの短刀が目に入ってシムの口から言葉が漏れる。

 

「……ていうかオオニシさんの杖、リーチ長くないですか?あんなの振り回して良いんですか、魔法以外で攻撃するのはダメなんでしょう」

 

 ちょうど、セラが「妨害呪文(インペディメンタ)」で反撃をし、オオニシがかわして、木刀をセラの至近距離で薙ぎながら「強風呪文(ヴェンタス)」を放ち、セラが前方に転がるように跳んで紙一重で刀と風を避けて、オオニシの背後を取った、というところだった

 

「オオニシさんは故郷で作ったあれを杖代わりにしている。生家(せいか)の剣術では一メートル以上ある長い刀を両手で使うらしいし、斬撃(ディフィンド)を飛ばしたり強風呪文(ヴェンタス)刃物(はもの)みたいに飛ばしたり刀に魔法を纏わせたりもするらしいけれど、今はルールに則ってただ安全に呪文を唱えているだけ。仮に杖がちょっと当たったところで、魔法族だから大した怪我もしない」

 

 しかし、眉をひそめるシムに、ペネロピーはにべもなく返す。

 その間にも、セラとオオニシの戦いは激しさを増す。

 

縛れ(インカーセラス)――蜥蜴出でよ(ラケルソーティア)――襲え(オパグノ)――接地(コロッシュー)――泡に眠れ(エバブリオ)――沈め(デプリモ)

 

麻痺せよ(ステューピファイ)――風よ(ヴェンタス)!――武器よ去れ(エクスペリアームス)――妨害せよ(インペディメンタ)――風よ(ヴェンタス)――終われ(フィニート)

 

 セラは試合場を跳んで駆けながら、相手に雨霰(あめあられ)と呪文を浴びせ、(こま)を呼んで攻撃させ、試合場に罠をかける。

 オオニシは、小細工を一切弄さず、ただ身体を(さば)きながら、木刀で空を裂き、空を突いて、風や光をセラに浴びせる。

 

 シムはほとんど(まばた)きを忘れ、至近距離で攻撃と回避を繰り返す二人の応酬を眺めた。

 人間相手に本気で戦うセラを目にするのは、シムはこれが初めてだった。

 一心不乱に同じステージで舞いながら杖を振り呪文を飛ばし合う、二人のそれは、一つの激しいコミュニケーションのように見えた。シムは、心に虚しい穴が空いてじわじわ広がるような感じがした。それは、セラがディゴリーと会話しているときに感じた、心がかきむしられ火がつくような感覚ともまた違っていた。

 

 自分はまだ、彼女と同じ舞台に立ててすらいないのだと、改めて痛感してしまった。

 

武器よ去(エクスペリアー)……っ!――護れ(プロテゴ)

 

妨害せよ(インペディメンタ)風よ(ヴェンタス)

 

 そしてまた、シムは「私より強いホグワーツ生は()()()()いない」と言っていた意味も悟った。戦況はどちらかというと、セラが押されているように見えた。セラの呪文はオオニシにあまり届いていないか、すべていなされている。一方でセラの方は、オオニシの呪文をきわどいところでかわし続けていて、防戦を強いられている。

 顔をこわばらせるシムを見て、ペネロピーが呟いた。

 

「ひょっとして、あれだけ才能に溢れていて、あれだけこれまで必死に頑張ってきたセラなら、七年生にも余裕で勝てると思っていた?…………オオニシさんは、勤勉の寮(ハッフルパフ)の監督生は、()()()()()必死に頑張っていた。いつも仲間を助けて、英語の練習する合間に。十代の三年の差は、魔法族であってもとても大きいよ。私より冴えていてアンドレアより運動できる四年生トップ(セラ)であろうとも」

 

「……」

 

「あとはやっぱり、オオニシさんがああやって近接戦に持ち込んでいるから、お互いの身体能力の差が如実に現れる。マグルと違って魔法族は、魔力をうまく身体に循環させることで、男女の筋力の差を縮めることができるけれど――オオニシさんはその魔力の操作も、三年分熟達している」

 

 オオニシが木刀を薙ぎ、またも強烈な横風を呼ぶ。セラは紙一重でかわすも、杖先に突風があたり、危うく杖が手から離れかける。

 

「……セラが負けるって言いたいんですか」

 

「それでもセラはやっぱり、強い」

 

 シムが声を尖らせると、ペネロピーは即答してシムをじっと見つめた。

 

「私が何年セラを見てきたと思って――いや、ひょっとしたらもうあなたの方がセラと長く時間を過ごしているのだから、分かるでしょう?」

 

 ペネロピーは落ち着き払ってそう言い切ると同時に、オオニシが声を張り上げる。

 

風よ(ヴェンタス)――麻痺せよ(ステューピファイ)

 

 セラの右方からすさぶ烈風と、直進する赤い光線。先ほどと同じ布陣だが、しかし赤い光線の軌道は、セラの身体よりも左に逸れていた。黙っていれば強風の餌食になるし、強風を先ほどの要領で凌ごうとすれば、風圧で左に圧されるセラの身体が、ちょうど「失神呪文」の軌道にぶつかる。

 

衰えよ(スポンジファイ)――風よ(ヴェンタス)

 

 セラはどれにも構わず()()に杖を向けて床を軟化させると、()()に向けて強風を放った。風圧で身体と床が急激に大きく沈み込み、頭が地面の下にかき消え、オオニシの強風がその上を通り過ぎる。

 

くらげ足(ロコモーター・ウィーブリー)

 

 沈み込んだ床が元に戻ろうと上昇する中で、セラが続けて唱える。足を骨抜きにする「くらげ足の呪い」が、地面を這いながら進む。オオニシはそれを高く跳躍して難なく避け、宙に浮いたまま足下に杖を向け、上半身を現したばかりのセラに向けて、とどめを刺そうとし――

 

武器よ去れ(エクスペリアース)――」

 

風よ(ヴェンタス)

 

 ――オオニシが赤い光を放つと同時に、セラが斜め下から突風を吹き上げ、オオニシの木刀が宙を舞う。一方のセラは、「軟化呪文(スポンジファイ)のかかった床が再び反動で斜め後ろに沈み、赤い光を間一髪で逃れる。決着は唐突に訪れた。

 

「そこまで!」

 

 

 ★

 

 

 二人はしばらく深呼吸をしていたが、やがて向き直ると、互いにお辞儀をした。

 

「――やっぱりストーリーさんは、強くなりましたね。今回は最後にうっかり決着を急いでしまいましたけれど、どちらにせよ、僕ではもう、勝てそうにないなあ」

 

「今のはまぐれでしたよ、一歩遅ければ負けてました。……でも、オオニシさんに認めてもらえるのはとっても嬉しいです。一年の頃は、自分がいつかオオニシさんに追いつけるだなんてとてもとても」

 

 息を切らしながらも二人は爽やかに笑い合い、スタジアムから降りる。戻ってきたセラに、シムは心からの声をかける。

 

「お疲れ様です。……格好良かったですよ」

 

 セラの息はまだ整っておらず、額には汗が光っていたが、晴れやかな調子で言う。

 

「ありがとう。格好良いところを見せられて良かった。…………それにしても疲れたな、いったん水を飲ませてくれ」

 

 セラは部屋の隅に用意された水差しの方に向かった。ペネロピーはセラを見送ると、シムにしか聞こえない声で呟く。

 

「……セラ、本当に格好良いでしょう?ああやって何でもできて。弱音を吐かずに独りで凜と振舞って。前からずっとそう。マグル生まれ(わたしたち)はレイブンクローだって楽でもないのに。今までセラがどれほど、それこそホグワーツに来る前だって――」

 

「……」

 

「でもあの子だって、いつもどこでも強くあれるわけじゃないと思う。そんなわけがない」

 

 ペネロピーはシムをまっすぐ見る。

 

「……だからせめて同じ寮のあなたは。ちゃんとセラを見てほしい。守るとか助けるとか支えるとか付きまとうとかじゃない。きちんと『見て』ほしい。『スリザリン生』でも『マグル生まれ』でも『優等生』でもない、『僕の天使』でもないセラを。…………こんなこと、まだ一年生のあなたに、言うことでもないけどね」

 

「そんな真剣な顔して何の話してたの?」

 

 水を飲んだセラが戻って来たので、ペネロピーは肩をすくめて立ち上がった。

 

「別に。セラがこの前、かぼちゃジュースと間違えて紅炎生姜(アンガージンジャー)ジュースを飲んで(むせ)てて可愛かったよって話」

 

「えっそれわざわざシムの前で言わなくても良いだろ?」

 

「……だから僕もちゃんとクリアウォーターさんに、セラがこの前自分で床にかけた減摩呪文(グリセオ)で滑っちゃってたって教えてあげましたよ」

 

「君もさあ……」

 

 セラはやれやれと首を振る。

 

「私の尽きない失敗談は良いとして。次はシム、君の番かな。ジェマでも良いけれど、学年が近いのは――」

 

「――俺だね」

 

 

  ★

 

 

 セドリックがこちらを見て微笑む。シムは背筋に熱いものが走るのを感じた。黙って立ち上がり、セラの方を振り返らずに試合場へ向かう。興奮と緊張とで、心臓の鼓動がどんどん速くなっていった。セドリックはシムの目の前に立つと、相変わらず微笑んでいた。相手にならないとでも言うかのように。シムの鼓動がさらにうるさくなる。

 主審の位置にセラが立つと、セドリックはふとそちらに顔を向けて、奥歯にものが挟まったような調子で、切り出した。

 

「あー、セラ。この試合は、俺は――つまり――」

 

 セラは目を細め、きっぱり言う。

 

「セドリック。手を抜いたら許さない。全力でシムと戦え」

 

「分かったよ」

 

 神妙に頷くセドリックを見て、シムは、できるだけ恥をかかせるやり方でセドリックを負かすにはどうすれば良いのかを考えた。肥大呪文(エンゴージオ)身体移動(モビリコーパス)強風呪文(ヴェンタス)を使って――。

 

「シム」

 

 セラの言葉が飛び、シムは「セドリックが大観衆の前で滑稽に膨らんで宙にぷかぷか浮かんで(わら)われる」想像の世界から、現実世界へと引き戻された。セラの方を見ると、彼女は穏やかに微笑んでいる。

 

「焦ることはない。彼の胸を借りるつもりで、リラックスして臨みなさい。さっき言ったように、重要なのは勝敗ではなく、むしろ、相手のレベルにかかわらず今の君の実力を最大限に発揮できたかどうかだ。何をしようが相手に勝てれば良い、勝たなければいけないという姿勢ではなく、技と術を美しく見せるという姿勢を意識すること」

 

 その言葉を聞いて、シムの鼓動は落ち着いてきた。シムは頷いて深呼吸をする。これはディゴリーとの競争ではない。セラに自分の成長を見せる場だ。もちろん、そのうえで、勝つに越したことはないけれど。

 

(さん)――()――(いち)――」

 

 セラの声が凜と響く。

 

「はじめ!」

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 セドリックの詠唱を聞くより前に、シムは右に跳躍した。決闘は開始のタイミングが決まっているのだから、初手をどうするかしっかり考えろと、シムは何度も言われていた。三年のセドリックと真向(まっこう)から呪文を打ちあっては押し負けるし、シムはまだ「盾の呪文」を十分に張ることができない。セドリックも同じことを考えるだろう。であれば「かわす」一択だ。

 

犬よ(カニス)――犬よ(カニス)

 

 しかしシムが体勢を立て直して杖を向けるより先にセドリックは続けて呪文を唱える。大きなラブラドール・レトリバーが二頭、吠えながらシムに突進した。猟犬としての攻撃性を露わにした肉食動物の眼光に、本能的な恐怖で、シムの頭が固まる。

 

麻痺せよ(ステューピファイ)

 

 セドリックの杖から赤い光が飛んできて再び思考が回り、なんとか体を捻ってかわす。

 そしてシムは、ルール上、魔法でできた犬に噛まれることはないと気づき、冷静になった。シムの気を散らしたり、シムの動きを邪魔をすることだけが、この自律機動する駒の役目だ。

 

錯乱せよ(コンファンド)

 

 シムの呪文が犬の一頭に当たり、犬はふらふらした足取りでもう一頭に襲いかかった。二頭はぶつかって床に一体となって倒れ込み、揉みあううちに霧となって消えた。シムは呪文が当たったのを確認するとすぐ、犬達の様子を見届けることなく、柱の陰からセドリックに呪いを放つ。

 

妨害せよ(インペディメンタ)

 

護れ(プロテゴ)

 

 セドリックに盾を張らせて時間を稼ぎながら、次の手を素早く考える。セドリックが自分より、力量が明らかに(まさ)ることは認めるしかない。

 格上の相手と対峙(たいじ)するとき、正面からぶつかっては、結果は見えている。かといって短期決戦を避けて守りに入ろうとしても、場をコントロールする力も相手の方が長けている以上は、やはり苦しくなる。だから相手の予想から外れる手を打ち続けて、相手に主導権を握らせないようにしなければならない。――シムはセラの言葉を思い出す。

 そうやって、相手が自分より弱い札を切るチャンスを待つ。切れる手札(カード)の数も、手札の強さも、たとえ相手の方が大きく勝っていようと、相手が必勝の切り札(ワイルドカード)を持っていることはない。

 

掘れ(ディフォディオ)

 

 先ほどのジョンソンのように、シムは「穴掘り呪文」を自分の足下で唱える。呪文は試合場の床を穿(うが)って地下を掘り進み、セドリックの足下へと向かう。セドリックの視線がわずかに下を向く。

 

来い(アクシオ)

 

 シムはセドリックに杖を向けて「呼び寄せ呪文」を唱える。上方や正面からの攻撃を警戒していたであろうセドリックは、意表を()かれ、反射的に後ろを見やってしまった。「相手の背後にある物を呼び寄せ(アクシオ)でぶつける奇襲」を好むセラとの戦闘を繰り返している者として自然の反応だったが、しかし、呼寄せ呪文で飛んでくるような物体は、シムは何も置いていなかった。

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 そしてブラフだと気づくも、直後、足下の地面を突き破って爆ぜた「穴掘り呪文」に足を取られてしまったセドリックは、正面から来るシムの「武装解除(エクスペリアームス)」の赤い光をかわすことができず――

 

護れ(プロテゴ)――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

 ――代わりにセドリックは的確に「盾の呪文」で()ね返し、「全身金縛り」でシムに反撃をする。しかし元々勝負が決まるとは思っていなかったシムは、横に移動して柱の陰に隠れながら、次の呪文を放っていた。

 

妨害せよ(インペディメンタ)

 

水よ(アグアメンティ)

 

 その妨害呪文(インペディメンタ)もセドリックは危なげなくかわし、そのまま放水呪文(アグアメンティ)を、シムに向けてではなく()()の穴に向けて放った。水流は「穴掘り呪文」で掘られた地下の道を勢いよく進み、シムの近くの穴から噴きあがった。今度はシムが意表を衝かれた。この噴水でセドリックは何をしようとしているのか、一瞬考えてしまい、そして、駆け出したセドリックがこちらに二メートルぶん距離を詰めて杖を真っ直ぐ向けていることに気づく。セドリックが正面から自分に呪文を打つと予想したシムは、呪文の打ち合いで押し負けないよう、杖を上げるのではなくセドリックの呪文を避ける準備に入る。

 

固まれ(デューロ)――来い(アクシオ)

 

 しかしセドリックは杖をシムではなく噴水に向けた。噴きあげられて地面に落ち行く水がゼリーのように固まり、大量のゼリーが「呼び寄せ呪文」に導かれ――セドリックは噴水とシムの延長上に位置どっていたので――シムの体にぶつかり、シムは前のめりに倒れる。

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 セドリックの追撃で、シムは床に倒れた姿勢のまま、後ろにごろごろ吹き飛ぶ。シムの杖がセドリックの手に収まり、セラが声を張り上げる。

 

「そこまで!」

 

 

 ★

 

 

 シムは立ち上がって礼をするも、表情は悔しさを抑えられなかった。

 

「すごいなスオウ、一年でこんな動けるのか。もう少しで負けるとこだったよ」

 

 しかしセドリックは開口一番、心から感心した様子で言い、握手を求めた。シムは手を握って黙礼し、ますます歯噛みした。シムが試合場から上がると、ジョンソンも近寄って背中を(ほが)らかに叩く。

 

「いやシム、一年にしちゃよくやるよマジで。あたしが一年の頃は(ちょく)で殴るしかできなかったからすげーよ。正直セドと張り合うなんて思ってなかったわ、っぱセラが連れて来るだけあるな」

 

「当然。どこぞの馬鹿寮と違ってスリザリンの一年は優秀なの」

 

「いやシムとセラの力だろお前(ファーレイ)は何もしちゃいねえだろ調子乗んなカス」

 

 周囲から褒められ、いっそうシムは情けなさと落胆が増した。一年生のときのセラは、シムと違って、彼女たちからの評価は「一年にしちゃよくやる」どころではなかったはずだと、シムは確信していた。

 

「お疲れ様、シム」

 

 セラと今は話したくなかったのに、彼女の声が隣で響く。シムはセラの顔をまっすぐ見るのが躊躇(ためら)われたが、顔をそむけているのもさすがに子どもっぽいように思われ、セラの方を向き直る。セラはやはり穏やかに微笑んでいた。

 

「皆の言う通り、とても良い動きだったよ」

 

「……はい」

 

 シムの情けなさがさらに増す。

 

「…………けれど君が欲しい言葉がこういう励ましじゃないとすれば――」

 

 そんなシムを見て、セラは声量を落とし、シムにだけ聞こえる声で囁く。

 

「たしかにセドリックは君より遥かに強いけど、それでも絶対に勝てない相手ではなく、十分に勝機はあった。あえて指摘すれば、君は少なくとも二度チャンスがあった」

 まず、セドリックが犬を作りだしたとき。彼は犬を二頭も出したけど、犬が君に迫るまでには時間がある。黙って観察するのではなく、セドリックが『失神呪文(ステューピファイ)』を唱えるまでに何か呪文を打てば、彼のペースを乱せた。

 二つ目は何より、セドリックが穴に向けて『放水呪文(アグアメンティ)』を打ったとき。あれを打ったときの大きな隙で呪文を一発二発撃ち込めただろうし、それに分かっていると思うけど、君の近くの穴から水が噴きあがったところで、無視してしまうか、自分から利用してしまえば良かった。多分彼は、あそこで勝ちを決めに行ったというよりは、君を驚かせて同じ手で意趣返(いしゅがえ)しをしたい気持ちが先行したようにも見えた。だから焦らなければ対処はできた。

 ……もちろん、ぜんぶ結果論であって、後からならいくらでも言えてしまうけどね」 

 

「……はい」

 

 シムはうつむきながらも、セラの言葉を噛みしめる。厳しい言葉の方が、慰めよりもよほどありがたかった。

 

「ちゃんと考えたり、積極的に攪乱(かくらん)させにいく姿勢は良かったよ。ただ、変に考えすぎたり奇をてらったりしないのも大事。バランスが難しいけどね。あと、他人の戦法を吸収しようとする姿勢も良かった。ただし、自分の戦法を相手に取り入れられたときにどう対処するかも想定していないといけない」

 

「はい」

 

「……まあ、ごちゃごちゃ言ったけど。あえて厳しい言葉をかけるならってだけだから、気にしなくて良いよ。君が他の人と杖を交わすのは初めて見たけど、とても良い動きだった。緊張しただろうに、ベストを尽くした思う」

 

 セラはシムの手に肩を乗せる。

 

「それに、皆が君を知って、きちんと君を評価してくれて、私も鼻が高いよ。ありがとね」

 

 セラの心からの笑顔を見て、シムはうじうじした気分が吹き飛ぶのを感じた。

 

「んだよ姉弟(きょうだい)でこそこそ仲良く喋ってんなよあたしにも聞かせろよ――」

 

 ジョンソンが茶化すと同時に、タイミングよく扉が開き、全員の注目が扉に集まった。大きな分厚い丸眼鏡をかけた、小柄な女子生徒が、大きなトランクを引きずっていた。

 

「遅刻してすまない」

 

 

 ★ 

 

 

 女子生徒を目にし、早速ペネロピーとジョンソンが嬉しそうに声をかける。

 

「ジンジャーさん!」

 

「遅いじゃないの、どしたの、まーたギトギト頭に罰則でも食らってたんすか」

 

 陰気な雰囲気を醸し出す彼女は、二人を見て淡々と呟く。

 

「おはよう蘆使い(ペネロピー)シカモア使い(アンドレア)。…………その通り。朝からずっと地下室で、一年生と六年生の魔法薬の授業で使う材料の下ごしらえをさせられていた。肉食角ナメクジを茹でたり、ネズミの脾臓(ひぞう)を潰したり、ドラゴンの肝を割いたり。…………昨晩、四階の『禁じられた廊下』で新しい杖の威力を試していたところを見つかったせい。……あの扉は壊れないしかける呪文に応じて異なる反応を返すから実に興味深い。……どんな呪文をかけようと壊れずにその威力を吸収して魔法に変換して放出する機構は共通しているけれども、たとえば『爆発せよ(コンフリンゴ)』であれば白煙を放出し、『爆破(エクソパルソ)』であれば青い光を放出する。…………対価が罰則という名の無賃労働で済むなら悪くない……」

 

「マジかよブレねえなあんた」

 

 呆れ顔のジョンソンを意に介さず、彼女は首を回してシムとセラの方を見た。セラが前に進み出る。

 

「久しぶりですオリバンダーさん。――シム、こちらジンジャー・オリバンダーさん。杖作りのオリバンダー翁の曾孫(ひまご)にあたる」

 

「久しぶりイチイ使い(セラ)。そして君がサクラ使い(シム・スオウ)か。…………私はレイブンクロー七年のヤマナラシ使い。『杖作り(メーカー)』見習いをやっている。よろしく。…………ところで早速だけれど君の主人(つえ)を見せてほしい…………」

 

「…………」

 

 ジンジャー・オリバンダーは挨拶もそこそこに切り上げると、半ばひったくるようにシムの杖を取り、灯りに透かしたり触ったりしながらぶつぶつ呟いた。

 

「サクラにドラゴンの心臓の琴線。二十二センチ。しなりやすい。…………ドラゴンは見たところウェールズ・グリーン普通種のように見える。…………サクラ材はスウェーデン・ショートスナウト種やノルウェー・リッジバッグ種やオーストラリア=ニュージーランド・オパールアイ種とも組み合わされるし、中国火の玉種(チャイニーズ・ファイアボール)はさらに一般的。…………そういえば東洋ではサクラ材の魔法扇に日本九頭竜種(ジャパニーズ・ナインヘッド)のたてがみを織り込むこともあるらしい。しかしあれの心臓の琴線を西洋杖に組み込むには既存の技術では困難が伴う。あのような東洋無翼竜(アジアン・サーペント)をドラゴンの亜種とみなすには無理があるとトネリコ使い(チャーリー)が言っていた気がする。…………この杖が交流している杖は概ねそこのイチイの杖のみ…………確固たる上下関係であれ関係性は悪くはない…………」

 

 オリバンダーはぶつぶつ呟き続け、天井に向けて振ると「花よ(オーキデウス)」と唱えた。

 

 (らん)の花束が杖から噴き出たと思うと、花束は桃色の光とともに炸裂し、シムの視界は白い雪で埋め尽くされた。しかしすぐに雪ではなく花びらだと気づく。白い桜の花びらが、風も無いのに吹き荒れ、部屋一面に舞っていた。自分の杖がもたらした幻想的な光景に、シムはしばし見とれた。

 ひらひら舞い落ちる花びらは地面に着くや(いな)や雪のように溶けて消え、部屋はやがて元の姿へと戻った。

 

「……サクラ材には一般的に強力な『杖』が宿るけれども、芯にドラゴンを用いたものに仕える(を使う)のはかなり難しい。…………卓越した自制心と精神力を身に付けない限り、主人(つえ)乗り物(ヒト)を認めようとしないから。…………現状ではまだ認めていないだろう。…………時間はかかるだろうが……主人をよく理解し、主人によく理解してもらおうと努めるに限る。…………それともう少し手入れをこまめにする方が良い……」

 

 オリバンダーはシムに杖を返した。

 シムは絶句しながらも、オリバンダーの青い襟を見て納得した。「レイブンクローは奇人の寮」のような評判とは異なり、レイブンクロー生の九割以上は普通の生徒だが――しかしこの種のぶっ飛んだ人間が入りうる寮があるとしたら、それはレイブンクローでしかありえない。セラがシムに囁く。

 

「オリバンダーさんは生まれながらの杖作りで杖作りに命を捧げている人だし、『杖をヒトが使っている』のでなく『杖がヒトを使っている』と思っているタイプの人だけれど、それさえ目をつぶればごく普通の優しい人だよ」

 

「……」

 

 唖然(あぜん)としたままのシムに構わず、オリバンダーはトランクを開けて広げた。大小様々の杖が、敷き詰められたクッションの上に整然と並べられている。彼女はその中の一本を手に取ると、周囲を見回した。

 

「今日も性能を評価したい新しい()がいる。…………誰かこの杖のテストに付き合ってくれないか」

 

 空気が一気に張り詰め、皆がジェマの方を向く。

 

「…………一戦もやっていないのは私だけか。一年生の前で無様を晒したくなかったけど。よろしくお願いします」

 

 ジェマは背筋を伸ばし毅然(きぜん)と言った。

 

「ありがとうリンボク使い(ジェマ)。丁度良かった。…………リンボク材の杖は乗り物(ヒト)とともに危険や苦難を乗り越えるほど紐帯(ちゅうたい)が強くなるけれども、毎度同じパターンの苦難では慣れが生まれてしまう。……あのサンザシ使い(ソフィア)は実に苦難の与え方が上手かった。私の性格ではあの域には至れない」

 

「……ちなみに、その杖の材質を聞いても?」

 

 シムはジェマの声にわずかに怯えが混じっていたことに気づいた。

 

月桂樹(Laurel)に一角獣のたてがみ。二十七センチ。しなりやすい」

 

「月桂樹の杖……たしか()()()()()()()()()()()()()っていう――?」

 

「その効果をこの杖は著しく強めている」

 

「……今日は『武装解除』すら使えずあなたとやり合わなきゃならないんですか」

 

 ジェマは肩を落とすと、オリバンダーは眼鏡のつるを中指で押し上げた。

 

「公平を期して私の方はリンボク使い(ジェマ)の杖を奪う試みをしないことにする。…………もちろんリンボク使いの方は好きに『武装解除』でもなんでも試してくれて良い。その場合はこの杖が反応を示すが、安全性は蘆使い(ペネロピー)と確認済」

 

 ジェマは疑わし気にペネロピーの方を見たが、ペネロピーは微妙な表情で沈黙を保った。 

 ジェマはそれ以上の追及は諦めて、オリバンダーとともにスタジアムにつき、お辞儀を交わす。シムはセラに囁く。

 

「……?二人は決闘するんですか?オリバンダーさんの杖の性能を調べるのではなく?」

 

「もちろん決闘だよ。オリバンダーさんに言わせれば、一人で杖を振るときと、二本の杖が相対して魔法を繰り出し合うときでは、勝手が異なるらしい。彼女は戦闘時のデータを分析するために、このクラブに入っている」

 

「……決闘しながら杖の分析なんてできるんですか?ジェマはどう見ても本気ですけれど、あんなおっかないのと勝負するだけで精一杯なんじゃないですか?」

 

 ジェマとオリバンダーを交互に見ながら、シムは疑問の声を上げる。

 ジェマ・ファーレイは――文武両道(ぶんぶりょうどう)才色兼備(さいしょくけんび)と名高く、低い家名にもかかわらず監督生の地位にあり寮内で一定の勢力を固め、決闘や呪い(カース)も優れていると噂され、実際にグリフィンドールの喧嘩を制圧するのが趣味で、自らに牙を剥く者や自らの舎弟を虐める者には丁寧に呪いで落とし前をつけ、スリザリン寮のために陽に陰に活躍し暗躍し、多くのスリザリン下級生からの敬意と畏怖(いふ)思慕(しぼ)を集める彼女は――このとき、静かに呼吸を整え()()ましながら、一分の隙もなく杖を構え、背筋を伸ばして殺気立ち、持てる闘争心すべてを相手に向けていた。

 一方のオリバンダーは、猫背気味で、寝癖のついた髪のまま、分厚い大きな眼鏡が鼻に若干ずり落ちたまま、ただぼさっと突っ立って杖を構えている。

 

「いや、全く精一杯なんてことはない。ジンジャー・オリバンダーは、このクラブで最強だから。――杖を振ってない今だって、明らかに別格だと見抜けるだろ」

 

 セラが冷静に呟くと同時に、試合開始を告げる主審のペネロピーの声が響き渡る。

 




「一月中にまとめて五話を更新」ではなくギリ一回分になってしまいました。続き五回は隔日投稿します。


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第5話 決闘と血統 (3)杖作りのオリバンダー

 

「ジンジャー・オリバンダーは、このクラブで最強だから」

 

 セラが冷静に呟くと同時に、主審のペネロピーの声が響き渡る。

 

「はじめ!」

 

沈め(デプリモ)麻痺せよ(ステューピファイ)蛇出でよ(サーペンソーティア)

 

 ジェマは左右に小刻みにステップを踏みながら、三度詠唱した。オリバンダーの足下の床が泥になったかのようにぬかるみ、赤い閃光が彼女めがけて宙を走り、黒や白の大きな蛇が十匹も牙を剥いて地を這った。

 

「……固まれ(デューロ)――護れ(プロテゴ)

 

 ぬかるみにオリバンダーの足が沈みこむが、彼女は膝が浸かる前に地面を固め直し、「盾」を張って後方に跳躍した。赤い閃光が「盾」に弾かれ()ね返る。

 

縛れ(インカーセラス)

 

 ジェマの杖から飛び出した長い(なわ)が、オリバンダーを縛ろうとする。オリバンダーは地面をすくい上げるように杖を振って唱える。

 

咲き誇れ(オーキデウス・マキシマ)

 

 巨大な(らん)が次々に床を突き破って生えて天井まで伸び、花を咲かせた。そのうち三輪(さんりん)の花は縄の動きを押しとどめ、六輪(ろくりん)の花はジェマを取り囲んで壁を作る。

 

放せ(レラシオ)放せっ(レラシオ)放せっ(レラシオ)!!――ッ!」

 

宙を踊れ(エヴァーテ・スタティム)――消失せよ(エバネスコ)――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――縮め(レデュシオ)――蛇よ消えよ(ヴィペラ・イヴァネスカ)――目よ荒れろ(オキュレ・インフラマーレイ)――縛れ(インカーセラス)――」

 

 ジェマが四方に紫色の閃光を放って自らを(はば)む花を消そうとする間、オリバンダーは、襲い来る蛇の一匹一匹に対して冷静に杖を向ける。蛇は術を受けるたびに黒い霧となって消えた。

 

歯呪い(デンソージオ)――肥大せよ(エンゴージオ)

 

 残り一匹になった蛇――「歯呪い(デンソージオ)」で牙が巨大化し床に突き刺さって動けなくなった――をオリバンダーは両足で踏みつけ、足元に杖を向ける。蛇が瞬く間に巨大化し、彼女は天井の高さまで押し上げられる。

 

麻痺せよ(ステューピファイ)

 

 ようやく植物の壁を散らしてオリバンダーを仕留めんとしたジェマの「失神呪文(ステューピファイ)」は、巨大化する蛇の身体で弾かれる。蛇は呪文を受けて霧散(むさん)し、オリバンダーの身体が中空(ちゅうくう)に放られる。

 

鳥よ(エイビス)――肥大せよ(エンゴージオ)

 

 しかし蛇が消えると同時にオリバンダーは巨鳥を出現させ、その肩に飛び乗る。

 

水よ(アグアメンティ)――動くな(イモビラス)――退け(デパルソ)――」

 

 そしてオリバンダーは巨鳥をサーフボードのように乗りこなして、宙を旋回(せんかい)して降下しながら、ジェマに雨霰(あめあられ)と呪文を浴びせた。

 

おどろおどろしい(スブーギー)

 

 ジェマはかわしながら、空を飛び回る標的に照準を定めるのは分が悪いとみて、彼女が虚仮脅(こけおど)しに日常的に用いている「お化け呪い」を繰り出した。禍々しい黒い塊がいくつも鳥に追尾し――

 

消えよ(デリトリウス)

 

 オリバンダーが杖で円を描くと、そのすべてが消えた。

 

万全の護り(プロテゴ・トタラム)

 

 ジェマはそれ以上の攻撃を諦めて柱に身をひそめ、「盾」の上位呪文――消耗は大きいが一時の猛攻を凌ぐには最適のはず――を張って守りに徹した。魔法の鳥が時間切れで消え失せオリバンダーが着地したとみるや、

 

襲え(オパグノ)

 

 ジェマの合図で、障害物の陰の地中にとぐろを巻いて潜んでいた白い蛇がオリバンダーに踊りかかった。オリバンダーは一歩飛びのくとともに、蛇の口内へ杖を突き出す。蛇は杖に食らいつき、オリバンダーの手から杖を引きはがした。

 同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(はし)()、雷鳴が空気を(つんざ)いた。蛇は瞬時に焦げて消え失せ、杖が地に落ちる。

 

護れ(プロテゴ)

 

 ジェマは、蛇が杖を(くわ)えると同時に再度「盾」を張って備えていたが、電光は「盾」を突き破り、ジェマの手に当たる。ジェマの手が痙攣し、杖を取り落とした。

 

 それまで二人の立ち合いにただ圧倒させられていたシムは、そこで目を見開いてセラに問う。

 

「……何ですか今の」

 

「……月桂樹の杖は、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』があるらしいとは聞いていたけれど……」

 

 オリバンダーは蛇から地に落とされた杖を拾う。ジェマもまた杖を拾うと、障害物に身を潜めた。ジェマは忌々(いまいま)しげに吐き棄てる。

 

「蛇が杖を奪っても術者(わたし)も雷を喰らうのか。スタジアムの結界と『盾』で阻まれてもここまで強力ということも驚き」

 

「これは魔法の光であって、本物の電撃とは違って感電や火傷の畏れはない。安全性は事前に確認済。…………しかし確かに、護身の効果と弁解できる瀬戸際のラインではある。…………もちろん売り物ならば、授業や模擬戦闘の際に効果を調整できるようにする必要がある」

 

 オリバンダーは杖を目の高さまで上げ、しげしげ眺めた。

 

「実戦におけるこの杖の利点と欠点を概ね把握できた。…………柔軟性に優れ、技の種類や状況を問わず強力なパフォーマンスを発揮してくれる。速度や精度は少々不十分か。…………リンボク使い(ジェマ)は大抵、同一の複数の魔法生成物(ヘビの群れ)を出してくれるから、様々な術を試しやすい。配慮に感謝する」

 

「どういたしまして。でもまだこっちは試合の途中なんですよ襲え(オパグノ)妨害せよ(インペディメンタ)

 

 地中に潜んでいた白い蛇――この地面は「固めろ(デューロ)」の範囲から外れて沈め(デプリモ)の効果が継続していた――がもう一匹、オリバンダーの背後から躍りかかり、オリバンダーの正面には水色の閃光が奔る。しかしオリバンダーは軽やかに横に跳び、どちらもかわして呟く。

 

「あとは連射の性能と最大出力の性能。これは壁が相手ではどうも調べにくい。――麻痺せよ(ステューピファイ)麻痺せよ(ステューピファイ)麻痺せよ(ステューピファイ)麻痺せよ(ステューピファイ)麻痺せよ(ステューピファイ)

 

「……っ……!」

 

 オリバンダーはジェマとの距離を詰めながら、詠唱を連発した。同じ呪文を続けて唱えると威力が落ちるのは不可避だが、それでもオリバンダーの失神呪文は力強く高速にジェマの脇をかすめ続けた。ジェマは紙一重でかわし続けたが、オリバンダーの巧妙な足運びで、スタジアムの端に、それも障害物の無い区域に追い詰められていった。オリバンダーが息と魔力を切らして立ち止まったのを好機と見るや、ジェマは杖を掲げる。

 

妨害せよ(インペディメンタ)

 

 深く息を吸い込んだオリバンダーも杖を掲げ、お互いが同時に、同じ詠唱を口にした。同じ水色の魔力光は、片方が太さも速さも大きく、もう片方の光を跳ねのけた。二本の「妨害呪文」が直撃したジェマの体が後方に吹き飛び、場外の床に叩きつけられる。

 

 

 ★

 

 

「そこまで!」

 

 ジェマはしばらく大の字に横たわっていたが、妨害呪文の効果が切れて動けるようになると、心底悔しそうな表情で試合場に戻り、お辞儀をする。

 

「…………あなたが卒業するまでに絶対、その余裕ぶっこいた態度を崩してやるから。次はテストとかなしに本気でやりなさいオリバンダーさん。単純な実力では到底追いつけなくても、策で叩きのめす」

 

 オリバンダーは眉を上げて首を傾げる。

 

「…………いや、私はいつも本気。そうでなければ戦闘分析をする意味が無い。……実のところ、最近のリンボク使い(ジェマ)を相手取るのはかなり厳しい。敵への理解と容赦の無さが段々とスギ使い(シーナ)に似てきたようにも思う。…………今回私は、障害物の色と同化させた蛇を仕込ませている可能性に思い至らず、蛇の数も数えず、すべて仕留めたと思い込んでしまっていた。…………むしろリンボク使い(ジェマ)との交流で私が学ぶことが多い。たしかに私も、卒業まで残り僅かなのは名残惜しく感じる。リンボク使い(ジェマ)リンボクの杖(あるじ)の成長をさらに観察できただろうに」

 

「…………!…………だからあなたのそういうたまにちょっと気遣いできる人間らしいところが本当に余計に……!」

 

 歯噛みして拳を握り締めるジェマを見て、セラは溜息をついてシムに小声で語りかける。

 

「私もまだとても勝てる気がしない。魔力の量だけでなく魔力の練度も術の精度も身体捌きも判断力も勘も」

 

「……」

 

「今の戦闘でジェマは最善を尽くしたと言って良いだろう。最初に、相手の足元を変化させつつ、直進する閃光と自立機動する蛇を出して、複数の方向から攻撃させたのは分かるね?地形に擬態させた蛇をトラップに仕込ませておいてもいる。『自分で出現させた鳥に乗って十五秒も飛び回る』なんて常軌を逸した相手の芸当にも、冷静に対応している。それでも、月桂樹の杖の特性がなかったとしても、勝っていたのはオリバンダーさんだ」

 

「……そもそもあの人、今普通に使っていた杖が自分の手作りなんですよね?その時点で凄くないですか?もういつでも店を開けるじゃないですか」

 

 思わず大きな声を出したシムに対し、オリバンダーは顔を向けてはっきり言う。

 

「……それは違う。それは違う桜使い(シム・スオウ)。…………私はまだ杖作りとしては半人前も良いところ。一人前になるためにはあと半世紀はかかる。……それに私は杖作りに関しては、残念ながら凡才きわまりない。山はひたすらに高く険しい」

 

 オリバンダーはシムに近寄って手を取り、月桂樹の杖を握らせる。

 

「私に『全身金縛り』を撃って。…………思い切りで構わない」

 

 シムは一瞬戸惑うも、指示に従い、オリバンダーの胸に杖を突きつける。

 

石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

 杖がくるりと手の中で反転し、シムに青い光を浴びせた。硬直して後ろに倒れかかるシムを、セラは抱きとめて直立させ、金縛りを解呪した。シムは唖然(あぜん)として杖を眺めた。杖はシムの手を離れて飛び出し、オリバンダーの手に納まる。オリバンダーはそれを元のトランクに納め、何本もの杖を眺める。

 

乳母子(このこ)たちは乳母(わたし)だけは十二分(じゅうにぶん)に性能を引き出せるが…………それ以外の誰を使う気にもならない。乳母(わたし)から離れる気がないのなら、とても売り物にならない。…………もっとも私自身が乳母子(つくったつえ)の愛着を捨てられないからでもある…………手放したくはない…………」

 

「……杖の忠誠心の関係で二本以上杖を持てないと聞きましたけど――そんな沢山の杖の性能を十二分に引き出せるのなら、凄いことなんじゃないですか」

 

「忠誠心、か。……そもそも私の持論では、主人(つえ)乗り物(ヒト)に忠誠を誓うのではない。乗り物(ヒト)が忠誠を誓うのを主人(つえ)が許すだけ。…………しかし話を戻すと、私がいつも仕える(使える)主人(つえ)はこのヤマナラシの一本のみ、それは変わらない。…………乳母子(このこ)たちを杖作り(わたし)が育てる程度のことで主人(つえ)は私を見放すことはない」

 

 オリバンダーは白く細い杖をローブから取り出してシムに見せ、トランクの杖を指し示す。

 

「もちろん、日常的に乳母子(このこ)たちをローブに入れて代わりとすることは主人(つえ)は決して許さないだろう。…………命を賭ける真の決闘でも同様。……私自身も、主人(つえ)以外に命を預けられる気がしない」

 

 オリバンダーは溜息をつく。

 

「……それにしても、杖作りの道は私にとって遠い。才能が無い以前に、私はそもそもヤマナラシ使いだ。…………当代店主のクマシデ使い(ギャリックおじいさま)と違って、私の気質自体が杖作り(メーカー)に向いていない。…………闇祓い(オーラー)癒師(ヒーラー)にでもなれれば楽だっただろうけれども…………」

 

 ホグワーツ生の進路として最難関の筆頭であるその二つの職業を口に出して、オリバンダーは肩をすくめ、呟く。

 

「……無論、たとえ気質が向いていようと、闇祓いの道も甘くはないだろう。同じ七年生でさえ私は梨使い達に及ばない実力なのだから」

 

「……やっぱり老舗(しにせ)だと、他のことをしたかったとしても、後を継がなきゃいけないプレッシャーがあったりするんですか」

 

 シムは声をひそめる。ルーツのない魔法界では言うに及ばず、マグルの世界にいた頃でも、シムの家は特に伝統や歴史といったものとは無縁だったから、こういう話は遠いことのように感じられた。

 

「それも違う、桜使い。…………家の誰も、私に『杖作り』になれと強いたことはない。オリバンダーの家に伝統を固持する意識はない。…………ただ私が『杖』に見出ださ(魅入ら)れてしまっただけ」

 

「……どういうことですか?」

 

「『オリバンダーの店――紀元前三八二年創業 高級杖メーカー』」

 

「え?」

 

 オリバンダーの脈絡のない発声に、シムは戸惑いの声を上げた。

 

「これはオリバンダーの看板の謳い文句。…………桜使いは蘆使い(ペネロピー)イチイ使い(セラ)のように『(使)えぬ者』の生まれなのだと聞いた。…………仕えぬ者(マグル)の常識に照らしてみてどう思う。……ひとつの店が二千年もの間、途絶えず同族経営で続くなんて、おかしいと思わないだろうか。……たとえ杖の市場の特性が、需要は途絶えず供給は少ないからといえ」

 

「…………魔法界なら別におかしくないかってスルーしていました」

 

「そうか。しかしともかく、オリバンダーの看板は誇張や偽称ではない。ギリシアから渡って以来二千三百年、オリバンダーは杖作りを続けている。オリバンダーの家はそのときから『杖』に呪われてしまったから。…………だから家に生まれた者がしばしば『杖』に見出される。または『杖』に見出された者がオリバンダーの家に来て家の者と結ばれる。あるいは養子となってオリバンダーを襲名したこともあったろう、『杖』は血脈にはこだわらない。…………そうして二千三百年経っても、オリバンダーは『杖作り』の看板を掲げている。ブリテンのどの古い家にも、その記録の黎明(れいめい)よりオリバンダーの名が記されている。……自然、オリバンダーはスリザリン達が言うところの『間違いなく純血』の二十八の家に数えられている。…………しかし間違いなく、オリバンダーは『間違いなく純血』などではない。仕えぬ者(マグル)の血もたびたび取り入れている。クマシデ使い(ギャリックじいさま)の母だって仕えぬ者(マグル)生まれ。……血の濃さなど『杖』は望まない……」

 

「……」

 

「材を離れた上位の総体としての『杖』のような概念を仮定することは『杖作り』の間でも主流ではないが。…………しかし私の持論では、乗り物(ヒト)主人(つえ)で魔法を使うのではなく、主人(つえ)乗り物(ヒト)に魔法を使わせる。…………実際、シカモア材の杖は退屈すると燃え上がってつまらない魔法ばかり唱えないよう警告することがあるし、トウヒ材の杖は使わせる魔法を自ら判断することさえある。ニワトコ材の杖は、乗り物(ヒト)が周囲の者より優れていなければ早々に乗り捨てる。つまり魔法を使わせる意欲を露骨に失う」

 

「マジか、まだ燃えたことないけどこの杖。……つうかニワトコってそんな不便なのかよ面白いな。あれだろ、ビードルの童話に出てくるやつもニワトコだろ。『死』がくれる最強の杖」

 

 ジョンソンが自分のシカモアの杖を(もてあそ)びながら、口を挟む。

 

「『死の杖』を題材にした童話があったのか。あいにく私はあまりビードルを読み聞かされて育たなかった。…………たしかにニワトコの名を特別たらしめているのは何より、()()ニワトコの杖(The Elder Wand)』すなわち『古の杖(The Elder Wand)』や『死の杖(The Deathstick)』『宿命の杖(The Wand of Destiny)』と呼ばれる杖が、文献によれば、まさしくニワトコ材だからだ。…………杖作りはみな、あの世界最強の杖に焦がれる」と呼ばれる杖が、文献によれば、まさしくニワトコ材だからだ。…………杖作りはみな、あの世界最強の杖に焦がれる」

 

 オリバンダーは上を向く。

 

「通常のニワトコ材の杖も、杖作りにとって抗いがたい魅力がある。…………むろんニワトコ材は、オリバンダーでも滅多に取り扱わない。……育てるのがきわめて難しい割に『にわとこの杖、とこしえに不幸("Wand of elder, never prosper.")』の迷信で売れないから。……という以前に、ニワトコ材の杖は仕える者を激しく選ぶから。乗り物(ヒト)を一切信頼していない。すぐに乗り捨てる。完璧主義で愛情が無い。…………ニワトコ材の杖()継続して仕えられる(使える)時点で、それは傑物を意味している。ニワトコ使いの校長(アルバス・ダンブルドア)がそうであるように」

 

「……校長は、世界最強の杖を持っているんですか?じゃあ、世界最強の魔法使いは、元々最強なんじゃなくて、世界最強の杖を持っているから最強ということですか?」

 

 シムはなんとか話を咀嚼(そしゃく)しようとして聞くが、オリバンダーは首を横に振る。

 

「『死の杖』は常に最強の乗り物を望む。『死の杖』に仕えるには、()()()()()()()()()()()()()()()()()を『死の杖』なしで倒す必要がある。…………そして仕える権利を得た以降も、『死の杖』は乗り物が最強であることを望む。一度の敗北すら許さず見限る。…………つまり、『死の杖』に仕えるから世界最強なのではなく、世界最強であり続けることができるから『死の杖』に仕えられる。……『宿命の杖』や『死の杖』と呼ばれる所以(ゆえん)は、最強でなければならない宿痾(しゅくあ)に囚われ、その鎖から解放されるときにはおよそ死が待っているからこそ」

 

「……」

 

「たしかに『宿命の杖』()(使)える資格がある者が今の世界にいるとすれば、ニワトコ使い(アルバス・ダンブルドア)をおいて他にはいないだろう。……しかしいずれにしても、校長の杖は通常のニワトコ材の杖に見えた。『宿命の杖』ではない。…………ずいぶん前、粘り強く懇願(こんがん)して一度だけ見せてもらった」

 

「どうしてその『宿命の杖』じゃないってわかるんですか?」

 

 ペネロピーは疑わしそうに聞く。

 

「校長の杖は文献にみられる『宿命の杖』の特徴と全く合致しない。杖作りの端くれであれば誰でも判別できる目だった特徴がある。杖に『変身術』をかけて偽装できるわけもない。…………常識を破る杖があるとすればそれこそが『宿命の杖』であろうから、『宿命の杖』が自らを偽装していないと断言することはできないが…………。むろん、そもそも文献の記述が正しいとは限らない。…………『ニワトコ材にセストラルの尾』からして、私は信頼していない。未知の材質かもしれない。『最強の杖に相応しい材は、既知の木材の中ではニワトコが最も(もっと)もらしい』という判断に基づく創作にすぎないのではと考えている」

 

「そもそも、そんな杖が本当に今もあるんですか?歴史の逸話には、エグバードがエメリックから最強の杖を勝ち取ったとか、そんなのが出てきますけど」

 

「……ニワトコ材にセストラルの尾やバジリスクの牙やキメラの角やレシフォールドの皮や不死鳥の尾羽を用いて第二・第三の『死の杖』を作ろうとした試みは何度も行われてきた。それらは単なるニワトコ材の杖を大きく超えるものではない。…………真の『死の杖』が今なお喪われていないからこそ、最強の『杖』が他に宿りようがないのだと私は考えている。…………ただ、杖作りに携わっていない者にそれが信念や願望と言われれば、私は反論する術を持たない」

 

「……」

 

「しかしそれにしても、『死の杖』はなぜ最強の乗り物を求めて渡り歩くのか。…………『杖』は我々に魔法を使わせ、『杖』同士を交遊させ、魔法を編ませ洗練させ、我々同士に教えさせ、『杖』と魔法を継承させ存続させてゆく。……目的など無いのかもしれない、それが『杖』というものだから。我々は『杖』の気の赴くまま、互いに魔法を見せびらかし互いに殺し合う。…………ブリテンの者達は杖に仕えることこそヒトの象徴であり特権と考え、小鬼(ゴブリン)屋敷妖精(ハウスエルフ)達に仕えさせないが…………。私にしてみれば、小鬼や屋敷妖精達は、不自由を抱えているのではなく、むしろ杖からの自由を手にしている。……適度に『杖』と距離を置くアジアの魔術師達や、『杖』を信頼していないアフリカの魔術師達も同様。…………けれどもこの島の我々は、私は、『杖』の魅力にもう抗うことがかなわない」

 

「……」

 

 部屋の沈黙を意に介さず、オリバンダーは(うやうや)しくヤマナラシの杖を自らの頬で撫ぜると、それを仕舞ってトランクを手にした。

 

「すまない。私はそろそろ行かなければならない。…………モミ使い(マクゴナガル教授)の罰則もこれから控えている。教材の準備や課題の採点を手伝わされる。…………『不対反消失(ふついはんしょうしつ)呪文』の講義中にこれを利用したユニコーンのたてがみの調整法を思いついて試したくなってしまったせいで」

 

「マジでぶれねえなあんた」

 

 呆れ顔のジョンソンに構わず、オリバンダーはペネロピーに顔を向ける。

 

「そういえば蘆使い(ペネロピー)O.W.L.(ふくろう)の実技試験の対策と講評について、夕食後の西塔七階北西の部屋で構わなかっただろうか」

 

「うん。ありがとうジンジャーさん」

 

「おいブンクロ特権かよずりいな、変身術の筆記がマジでヤバいからあたしにも時間割いてよジンジャー」

 

「構わない。明日は空いていないから、来週以降なら。…………明日は『禁じられた森』にこもる。ナラ使い(ハグリッド)にユニコーンのたてがみを一緒に採取する許可を得た。……卒業までにホグワーツで得られる資源は得られるだけ得ておきたい。…………最近ユニコーンの不審死が相次いでいると聞くが、それでも『禁じられた森』のユニコーンは強力な個体が多い。…………ドラゴンの心臓の琴線も自前で入手したい。……法律は杖作りの目的でドラゴンを弑することを禁じ、死体からの採取のみを許すし、その死体の入手も制限が多いけれども。……ナラ使いの小屋にはドラゴンの飼育法についての本があった。…………まさか彼がドラゴンを違法に飼育しようとするとは思わないけれど…………しかし万が一………その彼の試みが失敗したとすれば…………それに不死鳥の尾羽も欲しい。…………ニワトコ使い(ダンブルドア校長)は不死鳥を友としている。……けれどもどれだけ懇願しても不死鳥は尾羽を提供してはくれなかった」

 

 

 ぶつぶつ呟くと、そのままオリバンダーはトランクを引きずってさっさと部屋を後にした。扉が閉まると、再び部屋が沈黙に包まれた。

 

「…………なんというか、パワフルな人ですね」

 

 シムが呟くと、セラは苦笑する。

 

「とても優秀なことは確かだし、私もよく勉強を教わったりしてるよ、あの人には」

 

 セラは全員の顔を見回す。

 

「今日はもう二回戦をやる雰囲気じゃないだろうし、練習やって終わりますか」

 

 

  ★

 

 

 そこからは、二・三人で一組になって、呪文の練習をした。シムは、ジェマや、ペネロピー、ジョンソン、オオニシ、そしてセドリックにも様々な指導を受けた。それぞれ得意なこともアドバイスの仕方も違うために、杖の振り方や魔力の練り方や放ち方ひとつをとっても、普段の授業や生活で役に立ちそうだと感じた。

 数時間経って皆が疲れた後は、部屋でくつろいで雑談をしたりゲームをしたりして(必要の部屋は爆発スナップもボードゲームもパーティゲームも提供してくれるのだ)、夕食の時間が近づいて解散となった。

 

「次はいつやる?つってもあたしもペニーもO.W.L(ふくろう)試験が近いからあんま余裕なくなってくけど。オオニシさんもN.E.W.T(いもり)試験だろ」 

 

「そうですね、さすがに五月はN.E.W.T(いもり)試験直前で厳しいですが、俺は三月や四月なら大丈夫だよ。また後で決めましょう」

 

 皆は三々五々と部屋を出て行ったが、シムとセラは「必要の部屋」に残った。二人は夜の弁当を持参してきていた。

 

「……この部屋、本当に凄まじいですね」

 

 部屋がお洒落なレストランのような内装に変わるのを見て、シムは感嘆の溜息を洩らした。

 

「いつ誰が何のために作ったのかさっぱり分からないけど、ロウェナ・レイブンクローでもなければ無理なんじゃないかと思うよ」

 

 それからシムは、今日の色々な感情や経験を反芻(はんすう)しながら、言葉少なで夕食を食べた。何よりも、セラの交友関係を知れたのは――優秀な上級生達にセラが囲まれ、そこで大切に扱われているということを知ったのは、新鮮で印象的だった。

 そして夕食を終え、廊下を六回右に曲がり、隠し階段を七階ぶんほど下り、隠し階段をまた七階ぶんほど上がり、隠し扉と風景画を三度くぐり、ようやく五階の見慣れた五階の廊下が見えてきた。セラはシムに問いかける。

 

「今日は楽しかった?」

 

「とても。負けたのは悔しかったですけど――」

 

 しかし、そこでセラは突然、口元を抑えてうずくまった。

 

「大丈夫ですか?」

 

「…………ちょっと、吐き気と腹痛が。……そこのお手洗いに行ってくる。君は先に戻ってて」

 

「本当に大丈夫ですか?医務室に連れて行きましょうか?そういえばセラは先月も――」

 

「いや大丈夫。多分、あー、疲れだ。ありがとう」

 

 有無を言わさぬ調子でセラは言うと、立ち上がり、廊下を片手で壁を這いながら、端にあったトイレに進んで行った。シムは手を貸そうとして貸せない、中途半端な姿勢で、セラの横を歩いてついて行った。

 

「いや、その前に」

 

 セラは振り返って杖を取り出すと、廊下を黄色い網のような光で包み、不審な事物が潜んでいないかを探った。そしてシムに「目くらまし」をかけた。

 

「…………大袈裟ですよ、ちょっと談話室に戻るくらいで」

 

 恥ずかしくなりながらシムは答える。

 

「まあただの過保護で済めば良いんだけど。どうにもこのところ……っ、……じゃあまた後で」

 

 セラはよろめきながらトイレに吸い込まれていった。昨日のご飯が(あた)ったのだろうかと、常に元気溌剌(はつらつ)としていた彼女の調子を案じてしばし女子トイレの前で突っ立っていたが、ずっと待っているのはセラにとってバツが悪いだろうと思い立ち、踵を返した。

 そうしてシムが2E教室への道を進み、三叉路を右に曲がろうとする途中、

 

「嫌っ!!」

 

 甲高い悲鳴と、複数人の笑い声が重なって聞こえた。シムは一瞬迷ったのち、左折して声のした方へ駆ける。何か虐めや暴力が行われているとしたら、確かめないのは居心地が悪い。自分は今「目くらまし」がかかっているから、応援を呼ぶこともできる。

 しかし声のした辺りに来ても、誰もいない。シムは見回し、嫌な予感を覚える。

 すると目の前わずか三十センチ先に突然、黒いローブの女子生徒が現れた。白い狐の仮面を被っており素顔が(うかが)えない。シムが驚いてよろめく間もなく、彼女は杖を出してシムの頭の位置に正確に触れ、シムの「目くらまし」を解除した。

 

「え」

 

 仮面の女子生徒はそのまま自らの頭に杖を向けると、その姿を消した。

 シムが今の現象を理解する間もなく、廊下を大勢が駆ける音が聞こえてきた。

 

「ここにいたか『穢れた血』」

 

 前方に三人、後方に三人のスリザリン生――恐らく六年生以上――がこちらに杖を向けている。シムは恐怖する間もなく、ローブから球を一個取り出すと、床に投げつけた。この状況で固まっていては、セラに叱られる。

 

滑れ(グリセオ)――退け!(デパルソ)

 

 球から閃光と大音量が放たれるのと同時に、シムは杖を下方と前方に向け、叫ぶ。一つ目の呪文で床が氷上のように滑らかになり、二つ目の呪文が前方の上級生達を横に飛ばしてシムの進路をこじ開けた。シムは帽子を目深にかぶると重心を低くして、脇目もふらず廊下を滑る。セラであればさらに「武装解除(エクスペリアームス)」と「妨害呪文(インペディメンタ)」と「失神呪文(ステューピファイ)」を無言で浴びせられるところであるが、今のシムは逃げる時間を確保できればベストだ。バランスを立て直した上級生達が後ろから赤い閃光を浴びせてくるが、セラが改良を重ねたこの「盾の帽子」は、緊急時には最上級生の強力な呪文であろうと難なく弾いてくれる。曲がり角で跳び、「滑れ(グリセオ)」のかかっていない廊下に着地する。

 

滑れ(グリセオ)――風よ(ヴェンタス)風よ(ヴェンタス)

 

 再び前方の廊下を滑らかにすると、今度は後ろを向いて体を伏せて、杖で突風を連射する。うつ伏せで後ろ向きに猛スピードに滑る格好はひどく滑稽だが、シム自身が加速しつつ、あわせて追手の走る勢いも()げる、一石二鳥の一手だ。

 再び曲がり角に到り、追手が見えなくなったことに安堵しながら、階段を駆け上る。

 

「十人二十人に囲まれたら、さすがに勝てるわけがない。けれど不意を衝いて逃げるだけなら、活路を見出すことは不可能じゃない」――脳裏でセラの言葉がよみがえる。つい先日セラと廊下を歩いているとき、六人と七人に両側を挟まれても、セラはシムの手を引いて逃げおおせていた。シム一人でも似たようなことができるなんて――。

 

「うわ」

 

 誇らしさも覚えながらシムが階段を上ったとき、目の前に再び、白い狐のお面を被った生徒が現れた。シムが驚いて杖を掲げる前に、彼女は無言で「失神呪文」の赤い閃光を放つ。帽子に弾かれることなく光が直撃し、シムはその場に倒れた。

 

 

 ★

 

 

 セラは腹痛が収まるのを待って、個室の扉を開けた。医務室のマダム・ポンフリーに相談するのも手かと思いながら、口を(すす)ぎ廊下に踏み出すと、

 

「ここで張っててよかったわ、にしてもずいぶん長かったな」

 

麻痺せよ(ステューピファイ)麻痺せよ(ステューピファイ)

 

 気さくに声をかけながらスリザリンの六年女子が一人ずつ左右から現れたのを見て、反射的に術を唱えて一人を「失神」させた。

 

「黙って杖を捨てろ『穢れた血』。私に攻撃したら――」

 

 二人目は「盾」を張って防ぎ、「両面鏡(りょうめんきょう)」を掲げてセラに見せた。鏡には、暗い地下の牢で、目隠しをしたシムが後ろ手に、椅子に縛られている姿が映し出されている。大柄な生徒が数人、シムの背後に控えて、手を振っている。セラは目を細めて吐き棄てた。

 

「――シムをまさか殺すとでも?このホグワーツで。人質ごっこも大概にしろ」

 

「今から五分もすれば、パンツ丸出しのシム・スオウが『失禁(しっきん)呪文』で床をビチャビチャ濡らす恥ずかしい写真が、四寮の談話室にばら撒かれることになる。元の写真はすぐに『消失』するけど、シム・スオウの学生生活はとても楽しいものになるだろうね」

 

 女子生徒の言葉に、セラは顔を歪める。肉体への暴力よりもある意味たちが悪い。子どもは残酷だ。そんなことになれば、他寮の生徒にとって、シムが明確に「下」の存在となってしまうだろう。つまり、憐憫(れんびん)と軽蔑と嘲笑(ちょうしょう)と攻撃の的に。

 

「……そんなのがバレたら、マクゴナガルがお前たちを――」

 

「ホグワーツがこの程度のいじめでスリザリンの十数人を一度に退学にするとでも?そうなったらなったで、お前はそのうちどこかの家に消されるけどな。どんなに重くても停学だろ」

 

「……私が大人しく従おうとそうでなかろうと、シムに危害を加えるつもりの癖に。それなら私は職員室に直行するだけだ」

 

「この一年坊に誰も大して興味はねーよ本命はお前だよ。()()()()()()()()()()()()()()から、お前かシム・スオウかどちらを生贄(いけにえ)にするか、お前が選べ。()()()()()()()()()()()()()()職員室に直行すれば、お前は無傷のまま、シム・スオウは可哀想な目に遭ったあげくに写真が城中にばら撒かれる。……まあ、そいつが仲間でもないなら、見捨てるのがスリザリンらしい合理的な選択だな。さあ、シム・スオウ君にお前の選択を聞かせろよ。杖を捨てるか、そいつを見捨てるか」

 

 女子生徒は嘲った。セラは怒りを抑えて(つと)めて冷静を保つ。

 ハロウィーンのトロール騒ぎのときは、セラはシムに自分を見捨てるよう命じた。それはシムを確実に逃がしつ自分の助かる確率も上げるためだったが――今回は逆に自分がシムを見捨てるかどうかの瀬戸際に立たされている。しかしシムがあの状態から自力で復帰できるとも思えないから、セラがシムを見捨てなければ、どちらも犠牲になる。杖をおとなしく捨てるのは愚か極まりない。丸腰で向かったところで、当然シムが解放される保証などない。つまり、今すぐ「守護霊(パトローナス)」を職員室に送るべきだ。

 ――だがこの会話に乗せられてしまった時点で、その選択肢は心理的に潰されている。彼らがシムに()()何もしていないのは、セラが彼らの手に乗らなかった場合に、シムとセラ自身に「()()()()()()()()()()シムがひどい目に遭った」と思わせるためである。 

 しかし、他に選択の余地が無い。シムに屈辱が与えられることは避けられないが、教師に通報したうえで、写真を回収すれば事態の延焼は回避できる。「決闘クラブ」の連絡板を使えば、ジェマとペネロピーとアンドレアとオオニシ、各寮の監督生に同時に連絡を取って、すべて回収してしまえる。守護霊や連絡板の通信手段について、彼らは知らないだろう。……しかし本当にすべて回収できるのか?監督生たちはすぐに気づくのか?……いや、そもそもどうやってどこから四寮の談話室にばらまくというのか?煙突飛行粉(フルーパウダー)は談話室同士を結べるのか?ただのはったりではないのか?

 迷走する思考をリセットし、セラは改めて冷静になる。写真をばら撒いて証拠を残すことは、彼らとしても本意ではないだろう。目的は()()()()()()()()ため、()()()()()()()()()ため。だから逃走や通報の意志を見せない限りは、シムは大丈夫のはず。

 セラは杖を女子生徒の胸に突きつける。通報は折を見てから。今ここでセラがシムに――初めての弟に聞かせるべきセリフは決まっている。

 

「チクらないでそっちに行ってやるからシムの場所を教えろ。全員潰す」

 

「聞いたかな『穢れた血』の絆かな泣ける話だね。まあ杖は捨ててもらうしお前の選択肢は元々一つなんだけどな」

 

 セラの真横に、白い狐の仮面を被った別の女子生徒が「目くらまし」を解いて姿を現し杖を向けた。セラが反応する前に水色の閃光が(はし)り、セラの動きが固まる。続いて藍色の光がセラを包み、ローブにかけられた種々の防護呪文――「盾の呪文」や「接触禁止呪文」など――をあらかた洗い流した。

 

「来てくれると思わなかったよヒヤヒヤしたわありがとな」

 

 再び姿を消した仮面の生徒に向けてそう言うと、「両面鏡」を持った女子はローブから薬瓶を取り出して、振って見せて、セラの口に黄色の液体を注ぐ。

 

「『生人形の水薬』。手足が痺れて動かせなくなるやつな。五滴で朝までごゆっくり」

 

「妨害呪文」で硬直したセラの体は抵抗できず、液体がそのまま食道へ流れ込む。セラは二度痙攣するとその場で崩れ落ちた。

 




サーペンソーティア:
・ラテン語的には蛇か一匹か複数の蛇かで呪文が変わってきそうですが、原作の「エイビス(Avis) 鳥よ」も単数形で群れを出しているので、サーペンソーティアで群れも出せるはず。

杖の材質:
木材ごとの性質の公式情報(ギャリック・オリバンダーの見立て)は、wizardingworldのWand Woodsの記事でも確認できます。

悪霊の呪い:
一巻九章で言及される「悪霊の呪い/Curse of Bogies」よりも、ジェマのお化け呪い(Jinx of Bogies)はずっとマイルドなイメージ。(「悪霊の呪い」はポッターモアやゲーム版では「めちゃくちゃ鼻水を出させたりヤバい風邪を起こす呪文:Mucus ad Nauseam(ミューカス・エ・ノージアム)」らしいですが、未確認)

ジンジャー・オリバンダー:
・彼女の見解は、原作世界の描写やギャリック・オリバンダーの見解と一致するものではありません。

ニワトコの杖:
・「この杖は、杖の術に熟達した者なら、必ず見分けることができる特徴を備えておる。(…)そうした文献には、確実な信憑性がある」(ギャリック・オリバンダー、七巻第二十四章)が正しいとすれば、「わしは、(…)ニワトコの杖を所有し、しかもそれを吹聴せず、それで人を殺さぬことに、適しておったのじゃ」(アルバス・ダンブルドア、七巻第三十五章)を踏まえれば、ダンブルドアは自らの杖を「(普通のニワトコ材の杖と違う)本物の『死の杖』」だと分からないように何か工夫していたのかもしれません。


いつも感想/評価/ここすき等ありがとうございます。頂けるたびにテンション爆上がりしてます。


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第5話 決闘と血統 (4)支配の暴力

・読者の方の一部に心理的な負荷を与える可能性がある描写が含まれます。今話を読み飛ばしても、先のストーリーの把握に支障はありません。
・あくまで児童文学の二次創作である今作において、未成年への暴力を明示的/扇情的に描く意図は(次話以降も含め)筆者にありません。(本作の物語上避けて通れないと判断しましたが、キャラクタを困難な状況に置くための設定として、安直であることは否めません)
・今話後半の主人公達の選択にかんして、同様の状況に置かれた方の行動として相応しい/適切/推奨すると筆者が考えているわけではありません。
・今回の話を考案したのは一年以上前であり、国外・国内の時事的な出来事との連関は一切ありません。


 

 地下の古い部屋で椅子に繋がれていたシムは、しばらくして、ぐったりしたセラが二人がかりで運び込まれ、乱暴に床に転がされるのを見た。声を上げようにも、シムは『沈黙呪文(シレンシオ)』で声が塞がれている。部屋にいるのは十一人。そのほとんどが男子生徒で六・七年生。

 部屋の奥で傲然と椅子に座っている、リーダー格の巨躯が誰であるかはすぐわかる。スリザリンの支配者の一人、七年生のヴァルカン・フリントだ。

 

「起きろ『穢れた血』」

 

 彼は立ち上がってセラの元まで歩くと、しゃがみこんで胸倉を掴み、二、三発、平手で頬を叩いた。セラが薄く目を開ける。

 

「……っ」

 

 セラはもがこうとするが、かなわず、歯を食いしばる。フリントが滑らかに声を出す。

 

「状況が掴めたか?お前の手足は『生人形の水薬』で朝まで動かない。首から上だけは動く。悲鳴や泣き声を聞けないと面白くないからな。――ああ、しかし、叫んで助けを呼ぼうとしても無駄だ。扉にも廊下にも、『防音呪文』をかけている」

 

「……何が目的だ。お前たちに何もした覚えはない」

 

「何も?あれだけ()(まま)にふるまっておいて何もだと?…………目的はだ。そんな風に、自分が純血と同じ価値があると思ってはばからない傲慢な『穢れた血』に、正しい身の程を、教え込むためだ」

 

 傲然(ごうぜん)と、自らの言葉を欠片も疑うことなく、フリントは言う。

 

「しかしたとえ下賤な『穢れた血』だろうと、存在する価値というものはある。とりわけお前は。まさか分からないとは言うまい?」

 

 フリントはセラの顎を太い指で持ち上げ、その顔を覗き込んだ。

 

「咽び泣くお前を支配して矯正させるのは、さぞ愉快だろう。そういうことになった」 

 

 下卑た忍び笑いが広がる。フリントは胸倉を掴む手を放して立ち上がる。セラは再び床に転がされたまま、毅然と言う。

 

「……低俗な小説の読み過ぎだ。そんなことをしてただで済むと思うのか。ダンブルドアが黙っていない」

 

 セラの声色は変わらなかったが、動揺していないのか、それを出さないようにしているのか、シムには分からなかった。

 

「ふむ。あの老人がどうやって知るというんだ?俺達が親切に教えるとでも?」

 

 フリントがわざとらしく首をかしげ、不思議そうに問う。 

 

「喜ばしいことに私達にも口があって、親切に教えることができる。私に口止めの脅迫は効かない」

 

 フリントが指をさすと、一人がカメラを掲げた。

 

「先ほど説明を受けたはずだから、『写真』がどういうものか知っているよな?これからお前の写真が撮影される。お前の口が動くと、お前の写真が城中、英国中にばら撒かれる。――それらは自然と複製されることになるだろうから、そのすべてを消失させる呪いを組むには、まあ、ダンブルドアであっても困難だろうな」

 

 シムは吐き気がこみあげる。セラは一段と声を低くする。

 

「……そうなったら私は社会的に死ぬけれど、お前らも同じだ。口封じのためにわざわざご丁寧に証拠を残すなんて馬鹿じゃないか。退学どころじゃない、アズカバン行きだろう。私は泣き寝入りしない。私を傷つければ、お前達は絶対に道連れにする」

 

「本当にお前にそんな度胸があったとして。『穢れた血』の女が純血に『矯正』されたところで。ウィゼンガモットがスリザリンの子息十人をアズカバンに叩き込むとでも?」

 

 セラは声色を変えた。

 

「いくら魔法界でも、そこまで腐っているはずが――!」

 

「神聖なウィゼンガモットの大法廷で扱われることもないだろうが、万一そうなったとして。判断するのは、ウィゼンガモットの()()なる陪審員だ。彼らはみな、裁判の前には『予言者』や『週刊魔女』の記事を読んで()()に駆られていることだろう――つまり、『穢れた血』の()()()()()()()雌犬が、()()()()()未来ある純血の若者を何人も罠に嵌めようとしている」

 

 セラは絶句し、かつて上級生から聞き、半分聞き流していた知識を思い出した。有罪無罪も量刑も陪審員の多数決で決まる。陪審員は必ずしも法律に熟達していない。本職の裁判官や検察官や弁護士はいない。三権分立の概念はない。その場の雰囲気と政治的な駆け引きが裁判の結果を大きく左右する。

 しかし、それでも。仮にもウィゼンガモットの今のトップ(チーフ・ワーロック)は、ホグワーツ校長のアルバス・ダンブルドアその人だ。

 

「……ウィゼンガモットも、腐った純血連中ばかりのわけがない、ダンブルドア校長と思想を同じくする者もいるだろう」

 

 たとえ「首席魔法戦士(チーフ・ワーロック)」の肩書が、古来連綿と継がれる名誉職であってダンブルドア自身が法廷に立つことはほとんど無いとはいえ、ダンブルドア自身がウィゼンガモットに与える影響力は計り知れない。ウィゼンガモットのパワーバランスは、絶妙な均衡を保っている。

 しかしフリントは一顧だにせず切り捨てる。

 

「たしかにウィゼンガモットにも頭が足りないダンブルドアの犬は多いし、腐ったマグル贔屓(びいき)の連中も沢山いる。いつも『穢れた血』を擁護して純血を抑圧し、それで自分達がさも高尚で善なる存在であるかのように取り(つくろ)う、(おご)った偽善者たちがな。たしかに連中は『穢れた血』がピーピー喚いたら、ろくに中身も聞く前に涙を流して慰めるだろう――お前が()()()()()()でなければな」

 

 フリントの唇が皮肉に吊り上がる。

 

「連中は、『正義のグリフィンドール・対・悪のスリザリン』に関心があっても、スリザリン同士のごたごたに関心などない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の言うことなど、笑い飛ばす偽善者ばかりだろう」

 

 セラの顔が歪む。フリントの話は、大概、根拠のない想像でもない。実際にスリザリン寮に所属していると、()()()()()()()()()()ことがある。

 他寮のスリザリンに対する偏見は、根拠の()()事実に基づいた偏見だ。実際に、「例のあの人」に従った者のほとんどはスリザリン出身だし、「例のあの人」が消えた以降も相変わらずマグル生まれやマグルを差別する者は多いし、闇の魔法使いと呼ばれた者の多くはスリザリン出身だし、七年スリザリンの環境にいたことでスリザリンに染まってしまう者も多い。しかし、「スリザリンにそのような傾向がある」と「目の前のスリザリン生にそのような傾向がある」は決して同じではない。その二つを区別せず端から決めつける者も、少なくない。

 

「純血の女の中には、お前の言うことを真に受ける優しい馬鹿がいるかもしれん。しかしまあ、たいていは()()()()()と判断するだろうな」

 

 セラは唇を噛む。何らかの落ち度があったと()()()()中傷されることも、魔法界に限った話ではない。それほどに人間の脳の「世界は公平にできているはず」という信念は強固だ。あるいは属性の差別に基づいた感情が。

 

「さっきお前は、何もした覚えが無いと言ったが。不思議と俺のもとには、お前に傷つけられた()()を訴える声が、懺悔(ざんげ)とともに舞い込んで来る。――『危うく『血を裏切り』そうになってしまった。あいつが()()してきたせいだ。()()()()()キスを拒絶された。呪いを喰らった』。こういう声がいくつもな」

 

 セラは苦々しげに吐き棄てる。

 

「それは、そいつとちょっと普通に話しただけで、そいつが勝手に勘違いして、勝手にしつこく付きまとってきて、勝手に逆恨みしただけだろう!…………お互いに寮内で扱いが良くないから私を差別せずに接してくれるかと思えば、こうだ」

 

 フリントは無視して追い打ちをかけるように言う。

 

「まあ、そもそもウィゼンガモットの出る幕などありえん。魔法省もだ。ダンブルドアがそんなことをするわけがない。ホグワーツは伝統的に魔法省やウィゼンガモットに干渉させない。仮にも()()()()()()()()が、やすやす()()()に物事を運ぶわけがない。ハロウィーンにトロールが来ようが、生徒が()()なろうがかぼちゃになろうが()()()()になろうが。あのボケ老人にも千年の伝統と神秘を背負う城主としての自覚があれば、()()()()()()()()()()()()()

 

「…………ホグワーツが、英国魔法省から独立しているとして。ダンブルドア校長やマクゴナガル教授が、生徒が傷つくのを見過ごすはずがない。お前達を重く罰する。アズカバンに行かなくとも、退学だ」

 

「どうかな。お前はあの老人を聖人君子だと思っているのか?たかが『穢れた血』一匹のために、スリザリンの数々の家を敵に回す?あの老人は無用な対立を避けたがるだろう。お前にはそこまでの価値がない」

 

「アルバス・ダンブルドアは断じてそんな人ではない!」

 

 セラの怒気に、フリントは肩をすくめてあざ笑う。

 

損得勘定(そんとくかんじょう)を抜きにしても、あの老人が聖人だとしても――。それでもあの老人は、そう、慈悲深いことに、誰であれ『やり直し』のチャンスを与えてくれる。あるグリフィンドール生があるスリザリン生を『出来心で怪物のいる場所に行かせて殺しかけた』程度のことでは、()()にすらならない。スリザリンでは有名な話だ」

 

「……いや、公平を期すなら、グリフィンドールとスリザリンを入れ替えても同じことだろう。あの老人はグリフィンドール贔屓(びいき)とよく言われるが、憎きスリザリン生であっても、呆れるほど()()()()。我らがスリザリン寮監、スネイプ教授が『死喰い人(デス・イーター)』の疑いでウィゼンガモットにかけられたのは知っているな?ダンブルドアの擁護と庇護で()()()()になった。ダンブルドアの陣営を利するためだったのだと、そんなことをのたまって。……十年前にスリザリンの家を潰そうと血道を上げていたのは、ダンブルドアではなく()()()クラウチ家当主だ」

 

「………………校長は偉大な教育者だ。たとえどんな悪人でも、更生のチャンスを与えるのだろう。けれども、被害者を抑圧することもない」

 

「教育者、か。ご立派な忠誠心だ。『穢れた血』をホグワーツに受け入れるだけ受け入れて、『穢れた血』のためになることは何もやっていないというのに。お前達にも、他の三寮の『穢れた血』にも」

 

 フリントは(わら)う。

 

「……優遇せず他の生徒と同じように平等に扱っているというだけだ」

 

「もう一度お前たちにも分かりやすく説明してあげるとだな。マグルにも学校はあるのだろう?ある日、一匹の猿がやってくる。校長は言う。この猿は猿から生まれたが、とても賢く授業についていける、見た目もお前たちとそっくりだ、だからお前たちと変わらないんだと。お前たちと一緒に学ばせようと。猿と言うのは差別だと。一方で、猿には()()()()()というものを教えない。同じ人間だから分かるだろうと、放置する。――これは猿にも()()()じゃないか?猿も苦労するだろうに」

 

 セラは虚を突かれたように口を閉ざす。ややあって口を開く。

 

「……たしかに、校長というか、そもそも魔法界のシステムが、非魔法族出身者に向けて整備されてはいないし、理解が足りない。けれど、致命的な問題はない。非魔法族は猿ではないから。非魔法族も魔法族も、人間だ。魔法が使えるか使えないか、それだけの違いだ」

 

 フリントは突如、憤怒の形相で杖を抜いて天井に掲げた。太く短い杖から、緑色の炎が噴きあがる。

 

「本当にそう思っているのか?魔法が使える()()?自らの腕のみでこんなことができるか?自らの姿を変えられるか?俺たちと違って、お前は野蛮なマグルに囲まれて暮らしていた。お前は本当に、自分が魔法も使えないマグルと対等だと思うのか?()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……」

 

 ()()()()()()()()()()()()セラは咄嗟(とっさ)に反論を上げられず、押し黙ってしまった。フリントがせせら笑う。

 

「我々とマグルは、たまたま見た目が似て子をなせるというだけだ。小鬼(ゴブリン)やら鬼婆(ハッグ)やら吸血鬼(ヴァンパイア)やらヴィーラやら屋敷妖精(ハウスエルフ)のような亜人どもと同じようにな。魔法を使える分、あれらの方がまだ高等な生物かもしれん。……まあ、鬼婆や屋敷妖精を相手するなど狂気の沙汰だから、人形としてはマグルは上等の部類だろう。体は魔女とさほど変わらないし、力は魔女と違ってまるで無い。ただの玩具(おもちゃ)に溺れて結婚する奴の気は知れんが」

 

「だから非魔法族も人間だ、お前は人間を何だと思っているんだ……!」

 

「だから、我々とマグルは同じではない。そんなにマグルが愛しいというなら――お前はさっき脅迫に屈しないと言ったが――お前のマグルの家族は大事じゃないのか?お前がホグワーツを出るまでは、お前の家には()()()()()()()()のだろう?大人しくしていた方が賢明だと思わないのか?」

 

 フリントはゆっくり、幼児に言い聞かせるように話す。セラの声が一段と低く一段と荒々しくなる。

 

「……母に何かしようものなら、私は絶対に許さない。けれど魔法界は、魔法族同士の暴力よりむしろ、非魔法族への暴力の方を厳しく監視し裁いているはずだ。国際機密保持法に――世界中の魔法族の最高法規に触れるからだ!純血だろうとなんだろうと、非魔法族を攻撃すればアズカバンに送られることくらい、私は知っている」

 

「嘆かわしいことに、その通りだ。しかし、前にお前も言っていたように、マグルはとにかく()()()()。そして、魔法法執行部隊の数は限られる。そして、魔法を使った『臭い』は、成人すれば消える。――お前はまさか、魔法族が非魔法族に何かすると、()()()()()()()()()()()()()と本気で思っているのか?」

 

 セラはまたも口をつぐむ。セラ自身、()()()()()()()()()()()()()()()()()と想定しているからこそ、間違っても魔法族の強盗が来ることのないよう、シーナやソフィアの協力を仰いで、家に可能な限りの魔法的な保護を施している。しかし、母が外にいる間は、せいぜい気休めの護符を持たせることしかできない。

 

「ついでに言えば、『穢れた血』の家族自体が、『既に魔法を知っているマグル』として、機密保持法では例外的に扱われるが。『穢れた血』の家族は、『無知で哀れで傷つけてはいけないマグル』と扱われるのではなく、むしろ『機密保持法を守るべき立場』であり『最も機密保持法を()()()()()()()()』として言動が警戒されていることくらい、『穢れた血』なら知っているだろう」

 

「……嘆かわしいことに、よくよく知っている。――けれど、だからこそ、非魔法族出身者の家族に、魔法省にバレずに手を出すなんて、普通の非魔法族より難しいに決まっている。お前達やお前達の家にそんな度胸があるのだとしたら、私はダンブルドアの庇護をいくらでも仰ぐ」

 

 フリントは失笑する。

 

「また、ダンブルドアか。たいそうな忠誠心だ。……その盲信はどこから生まれる?『穢れた血』の権利を口だけは擁護してくれるからか?」

 

「お前がスリザリンにいることは我々にとって目障り極まりないが――お前にとってもスリザリンは居心地の良い場所ではないだろう。お前は一度たりとも、ダンブルドアが()()()()()()()()()()()()()()()()()と願ったことはないのか?ダンブルドアを()()()()()()()()のか?」

 

「…………」

 

「ホグワーツ創設者によって、四寮を固持するような魔法はかかっているかもしれない。しかし、スリザリン寮の在り方にはいくらでも()()することはできる。それなのに、偽善やマグル贔屓の戯言を口にしながら、あの老人は、思想のかけ離れる俺たちスリザリンに、『何もしない』。抑圧も『教化』もせず、()()()()()()

 

「校長や教授陣は、決してお前達の差別を容認してはいないし、お前達も面前で『穢れた血』なんて言えないだろう。最低でも一週間は罰則だ。お前達の内心までは、どうしようもないと諦めているのかもしれないけど」

 

「嘘だな。我々をあれの思想に洗脳しようとするどころか、『マグル学』の履修を義務付けることすらしない。『マグルと仲良く』などと言う輩であれば、嬉々として考えそうなものだが」

 

「それは……。――さっきお前が、スリザリンの家との対立を避けたがるって言ったじゃないか。スリザリン連中の無用な抗議で、生徒が学ぶのに支障が出ては本末転倒だ」

 

「対立を避けているのは、単に本気を出したくないからだ。本気を出せば、あの老人にとってスリザリンの家など取るに足らない。スリザリンの家という家が徒党を組もうと、残念なことにあの老人を殺すことなどできないのだから。唯一ダンブルドアに対抗できる存在は、十年前に姿を消してしまったのだから。……それほどの力を持ちながら!あの老人は!ホグワーツも()()()に対しても、『何もしない』!」

 

 フリントの声は、嘲笑からむしろ、怒りへと変わった。

 

「校長は常識的な善人だから、力づくで従えるなんて発想をするわけがないだろう。それでは『例のあの人』と何も変わらない」

 

「『あの人』のように恐怖と力で支配しろということではない。穏便な方法であれなんであれ、あれにはそもそも魔法界を牽引しようとする気概が無い。あれだけの力を持っておいて、ホグワーツとウィゼンガモットと国際魔法使い連盟の頂に君臨するだけ君臨しながら、何もしない!」

 

「……まさか、ダンブルドアに支配されたいと?フリント家が?」

 

「無論マグル狂いのボケ老人に跪くなど真っ平だ。…………しかし、そうであった方が、今よりもまだマシだっただろうか、と全く思わなかったことが無いとは言わん」

 

 フリントは苦々しく吐き棄てる。

 

「あの老人なりに魔法界の未来を描いて示して導こうとするなら、その途上で純血を顎で使おうとしたり純血を潰そうとするなら、従う余地も、死に物狂いで抵抗する余地もある。――しかしあの老人がやることと言えば、マグルは魔法族と同じだと偽善をのたまい、マグルどもの血が魔法界に侵食するさまを、にこにこ手を組んで微笑むだけ。純血やスリザリンが衰退してゆくさまを、自分は直接手を下すこもとなく眺めるだけ!純血の秩序を壊して乱して踏みにじっておいて、その先にどんな未来が待っているか、我々に教えることもない!端から考えてもいないのだろうが!」

 

 フリントの叫びは、うねる時代に取り残され、マグル生まれへの憎悪とダンブルドアへの苛立ちをよりどころとした、純血スリザリン生を体現したものと言えた。セラは静かに告げる。

 

「それは、どちらも同じ人間の血の割合が変わったところで魔法界はたいして変わらない、『純血』かどうかは心の持ちようにすぎないと、校長やまっとうな魔法族がみんな考えているからだ。

 ――それで校長から話を戻すと。改めて言うと、私に口止めは無用だし、ホグワーツはお前達を重く罰する。だから、今すぐ私達を解放しろ。そうすれば穏便に済ませても良い」

 

 周囲の笑い声。

 

「この状況で上から目線とは、哀れでしかないが。――飽くまでお前が強情であれば、今夜の『記憶』をお前から消せばそれで済む。忠誠と恐怖の感情だけを残してな」

 

 パンにはバターを塗るとでも言うかのように、飽くまで何でもないことのようにフリントは言う。

 

「…………『忘却術』も『記憶修正』も、城の中で生徒が使えるわけがない。この城にその程度のセキュリティはあって然るべき――」

 

「それなら城の外に行けば良いだけだ。日が昇る前に『森』でお前の記憶を処置する」

 

 慣れた様子で言うと、フリントは欠伸(あくび)を噛み殺した。

 

「さて、冷静を必死で装って時間を稼ごうとするお前は見ものだったが、そろそろ飽きた。長く話しすぎた。お前達もそうだろう」

 

 周囲の目がぎらつき、シムは再び吐き気を催す。

 

「…………ロウェナ・レイブンクローやヘルガ・ハッフルパフはこの城に、お前たちのような悪事を防ぐ仕掛けを施している」

 

「正気か?そんなのあるわけがないだろう。ここは女子寮や女子トイレではない」

 

 フリントはせせら笑った。

 

「……しかし噂に聞く、『必要の部屋』は、スリザリンの秩序と未来を守るための施設が欲しいという切実な願いをどうやら聞き遂げてくれなかったが」

 

 フリントは辺りを見回す。

 

「むろんここでも文句は言うまい。『寝れない土牢』――趣味の良い部屋だろう」

 

 部屋は湿って薄暗く、壁は粗削りの石がむき出しで、天井からは鎖が何本も垂れ下がっている。

 

「……『穢れた血』に触れたら、お前達も穢れることになるだろう。そうでないと言うなら、都合の良い思想だ」

 

「『穢れた血』に触るくらいで、俺達の高貴な血は穢れない」

 

「穢れるのは魂だ。お前達に純血の誇りは無いのか!それも一人じゃ勝てないから十人がかりで!」

 

「『魂が穢れる』?『誇り』?これは、お前達を正しく導いてやろうという、誇り高き行いだ」

 

 フリントの声は、あくまでセラが何を言っているのか分からないという調子だった。

 

「これは『懲罰』と『教育』だ。秩序を乱し権威を(わら)う『穢れた血』が、純血に正しく恐怖と敬意をもって接することができるように変わるためにな。」

 

 自身の発する言葉を毛ほども疑っていない男の声に、シムはぞっとする。この連中は、自分達がいま悪事をなしているとすら思っていない。狂っている。

 ……いや、この連中の倫理観が特段狂っているというわけ()()()()のかもしれない。さらに言えば、魔法界が狂っているというわけ()()()()。歴史を繙けばマグルも、自分達と異なる「劣った」属性の人間や「敵」の人間には何をしても良いと考えいかに惨い仕打ちをしてきたかは、明らかだ。西欧のマグルだって最近までは、そうだ。あるいは現代でも。

 

 シムはそれに気づいて、さらにぞっとした。

 

 ヴァルカン・フリントは、生まれながらの下劣な悪人など()()()()

「純血は優れた貴い存在で、マグル生まれは低劣な賤しい存在。各々が身分をわきまえなければ、社会が混乱する。わきまえない者は、身の程を分からせないといけない」

 ――そういう環境で、素直に「常識」を身に着けて、「良い子」に育った。彼の普段の傲然たる振舞も、周囲からそう求められて身に着けたもの。

 今からセラに行おうとしていることも、セラを「矯正」させるため、スリザリン寮の秩序を正すため、子分達の怒りを収めるため――自分の欲求を正当化しようとしているのではなく、本気で「正しい」ことをしていると、そう思っている。

 

「お前の、お前達のその考えが、十年前にどれほどの悲劇を生んだか、分かっているのか!非魔法族の出身も、『純血』さえも、スリザリンの連中も、どれほど多くの魔法族が死んだか……!」

 

「ああ。フリント家も、あの方の行いが全部正しいとは思っていない。英国の魔法族の貴重な血が多く流れてしまった。大きな損失だ。『穢れた血』だろうと無闇に殺す意味はない。――実際俺は、お前を殺すとも言っていない。『矯正』させると言ったまでだ」

 

 あるいは、プライドのため。自らの強さや純血の誇りを根本から傷つける、マグル生まれの優秀な魔女のセラを支配することで、自らのプライドを再確認しようとしている。

 

 セラはしばらく黙った。シムは、セラがもう諦めてしまったのではないかと思って、胸が冷えていった。もとよりセラが何を言ったところで今更フリント達が解放するわけはなかっただろうが――しかしセラが時間稼ぎをしていたのだとすれば――逃れる策も無いし救助も見込めないと、悟ってしまったのではないか。

 

「…………せめてシムは解放してくれ。シムに用は無いだろう。私で憂さを晴らせば満足だろう」

 

 諦めた調子のセラに向けて、シムは何か叫ぼうとしたが、拘束具のせいで、声を出せなかった。

 

「すると思うか?同罪だ。図に乗る『穢れた血』がどういう目に遭うかを目に焼き付かせる」

 

 フリントは宙を向き、何か考え込む。シムはさらにぞっとした。

 

「……いや、こいつも混ぜるか。こいつも本望だろう。まだ早いかもしれんが」

 

 再び部屋中に笑いの(さざなみ)が広がる。シムは怒りと恥辱で真っ赤になる。同時に、フリントの話で唐突に惹起(じゃっき)された生理的現象に、激しい自己嫌悪を覚えた。ローブを着て椅子に座っていたことと、セラの顔が見えないことがせめてもの幸いだった。

 

「シムは放――っ……ぅっ……ぉっ……」

 

 セラが叫ぼうとするが、フリントはセラの胸元を踏みつけ、ぐりぐりと動かした。セラがえづいた。

 

「もう良い。始めるぞ」

 

 合図すると、上級生達がセラを取り囲んだ。しかし一人が声を上げる。

 

「……いや。その『穢れた血』のガキみたく、こいつも色々ローブに罠を仕込んでるかもしれねえ。剥ぐ前に全部出した方が良い――武器よ去れ(エクスペリアームス)武器よ去れ(エクスペリアームス)武器よ去れ(エクスペリアームス)!」

 

 赤い閃光を受けるたび、セラのローブから、魔法薬の小刀やらドクター・フィリバスターの長々花火やらが現れ、床に落ちた。呪文を浴びるたび、セラは床に打ち据えられ、咽込んだ。何度目かの後、ようやく赤い閃光がやむ。

 

「……この(アマ)。これで全部か」

 

「こいつのことだ、これで終わりでもないだろう」

 

 一人がわざとらしくローブをまさぐり、取り出した。

 

「なんだこれは、マグルの低俗な本か?」

 

 杖を向け、小説は燃えて灰になった。続いて薬瓶が取り出される。

 

「『安らぎの水薬』?飲ませるか?」

 

「そんなん飲ませてもつまんねえだろ痛覚増す『敏感薬』の方がおもしれえって」

 

 瓶が放られる。

 

「…………なんだこの箱は」

 

 そして小さな黒い箱が現れ、男の手の中でカチリと音を立てた。カチ。カチ。カチ。

 

「……なんだこれは。おい聞いてんのか」

 

 一人がセラの腰を強く蹴った。

 

「…………爆発せよ(コンフリンゴ)爆破(エクソパルソ)粉砕せよ(ボンバーダ)。物を爆発させる呪いは数々持っている。ところがさしものダンブルドア校長でも、『爆発せよ(コンフリンゴ)』一発で町ひとつを粉々にするなんてできやしない」

 

 無表情でセラの口から言葉が漏れる。

 

「は?」

 

「けれど非魔法族はその魔法が使えてしまう。地震を起こしたり火山を噴火させるために地球が蓄えている熱源、そのうちのひとつを集めると、都市ひとつを吹き飛ばす魔法具が作れてしまう。その魔法具を()()()にして、空に輝く太陽のミニチュアを召喚して島ひとつを焼き尽くすような魔法具すら作れてしまう。愚かで悲しいことに本当に作ってしまった」

 

 ヴァルカン・フリントは笑った。

 

「これがそれだと?愚かな嘘をつくな。よしんばマグルがそんなものを使えるとして、お前みたいなのが簡単に持てたらとっくに世界が滅びてる。ホグワーツの結界がそんなものを中に入れるわけもない」

 

「もちろんこれは違う。けれど()()()()()()()を吹き飛ばすくらいのささやかな道具なら、私でも持とうと思えば持ててしまうし、ホグワーツの結界も通してしまうんですよ」

 

 部屋に沈黙が降りる。

 

「残り時間はあとわずか。下手に衝撃を与えたり『凍結呪文』をかけるとその時点でアウト。魔法使いでも無事じゃ済まない。――私に地獄を見せるというならお前たちも道連れだ!」

 

 セラは弾けるように哄笑(こうしょう)した。セラと箱から、全員がさっと離れる。

 

こじ開けろ(アロホモラ・マウロア)!!――浮遊せよ(ウィンガーディアム・レビオーサ)」 

 

 フリントは怯むことなく杖を取り出すと、部屋の封印をすべて解き、箱を浮かばせ、部屋の外に飛ばし、廊下の彼方へ追いやった。遠くの床に着地させることをイメージして箱を動かしながら、彼を続けて指示を出す。

 

「扉を閉じて盾を張れ!有害なものだけを防ぐように意識を集中しろ!」

 

封鎖せよ!(コロポータス・マキシマ)」「万全の護り!(プロテゴ・トタラム)」「万全の護り!(プロテゴ・トタラム)」「万全の護り!(プロテゴ・トタラム)

 

 沈黙が降りた。フリントはゆっくり嘲笑う。

 

「さて。マグルのおもちゃも形無しで、俺たちと心中は敵わなかったわけだが」

 

 笑いが起きる中、一人が扉の方を見やる。

 

「……でもこれ、本当に爆発したのか?そもそもただのおもちゃだったんじゃないのか?」

 

「中からの音は遮ってても外からの音は聞こえるようにしている、爆発したら音が――」

 

あなた達!!何をしておいでですか!!!

 

 マクゴナガル先生の絶叫が廊下から響きわたった。セラ以外の全員が反射的に凍り付き、扉を見やる。セラは立ち上がると近くの生徒の股間に膝蹴りを入れ、杖を抜き取って掲げた。

 

暁光よ(ルーモス・アウレウム)!!

 

 杖から放たれた強烈な金色(こんじき)の光が、薄暗い部屋を昼間の如く照らし出し、皆が反射的に顔を覆い、それをできなかったものは視界を潰された。

 

錯乱せよ(コンファンド)錯乱せよ(コンファンド)踊り狂え(タラントアレグラ・マキシマ)――大トカゲ出でよ(ヴァルヌソーティア)洪水よ(アグアメンティ・マキシマ)放せ(レラシオ)!!」

 

 その隙を塗って、セラは部屋の奥まで駆け抜けながら怒濤のように呪文を唱えた。一番近くにいた二人が「錯乱」状態に陥り、天井から垂れさがる鎖という鎖が高速で回り出して先端に触れた一人が縛り上げられ、視界を取り戻した者達が杖を出してセラに呪文を飛ばそうとしたが、「錯乱」した仲間に拳を振るわれて二人が床に倒れ、残りの者が鎖をかわそうとする間に、二メートルの大トカゲが突進して一人を蹴散らし、宙から注ぐ奔流(ほんりゅう)が一人を呑んで壁に叩きつけ、「解放呪文(レラシオ)」でシムの拘束が弾け飛んだ。シムは倒れた一人から杖をもぎ取り――

 

裂け(ディフィン)――

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 ――セラに背後から呪いを浴びせようとした一人に向けて武装解除呪文を叫び、そいつを吹き飛ばした。セラと背中合わせの位置に立つ。

 

麻痺せよ(ステューピファイ)

 

石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

燃えよ(インセンディオ)

 

 残りの三人がセラとシムに向けて呪いを浴びせた。しかしセラは、ローブから取り出した大きな透明な袋をさっと広げる。ダンブルドア校長からもらった魔法の袋――マグル製品を入れられるように魔法を通さないような魔法がかかっている――は呪文をすべて遮った。

 

麻痺せよ(ステューピファイ)

 

妨害せよ(インペディメンタ)

 

 セラとシムの呪文が二人に命中し、吹き飛ばした。動ける敵は、場に独りだけとなった。

 

「……闇の火(カリグニ)――」

 

 最後に立っていた一人、ヴァルカン・フリントが叫ぶ。シムは悪寒を覚えた。何か禍々しいモノが来る気配に肌が粟立(あわだ)つ。部屋の気温が一気に上昇した。

 

黙れ(シレンシオ)

 

 セラが素早く唱え、フリントの口から詠唱が途絶える。杖から噴き出しはじめていた赤黒い何かが消え、部屋は元の冷たさを取り戻す。

 

 

 ★

 

 

麻痺せよ(ステューピファイ)…………いくらなんでもまさか、この狭い部屋で本当に『悪霊の火』を呼ぼうとしたわけじゃないだろう、馬鹿なのか血迷ったのか、それこそ道連れじゃないか」

 

 追撃の「失神呪文」で気絶したフリントを見下ろして、セラは呟いた。そして倒れ込んだ全員に『失神呪文』をかけ、杖を奪い、縛り上げ、床に転がした。床の隅に転がっていたイチイの杖を見つけ、丁寧に拭うと大切に仕舞いこんだ。シムも自分の杖を取り戻す。

 

 そしてセラは扉の封印を解くと、廊下に転がっていた黒い小箱を呼び寄せた。それは、シムに以前見せた、マクゴナガル教授の声を録音した箱だった。

 

「……まさか半分冗談みたいな玩具が本当に役立つなんて」

 

 そこでセラは初めて息を大きく吐き、力が抜けたかのように床にしゃがみこんだ。顔を膝にうずめて、静かに身体を震わせていた。

 

「セラ……」

 

 シムは遠慮がちにゆっくり近づいた。セラは下を向いたまま首を振ると、声を絞り出した。

 

「なんで私は――なんで私は――!――ただ非魔法族の生まれというだけで――ただ女というだけで――こんな目に――遭わなきゃ――望んでそう生まれたわけでも――ないのに――!」

 

「セラ」

 

 目の前に迫ったシムに気づくと、セラはビクリと震え、さっと立ち上がると後ずさりした。そしてすぐに、しまったという顔をして、微笑んだ。

 

「いや――すまない――本当にすまない。そういうつもりじゃ――君は違うのに――()()()()()()――()()()()()()()()()()()()――私は顔と体だけの人形のようには――」

 

 シムの身体が凍り付いた。その言葉は呪いとなった。 

 

「君も今回の被害者なのに――それでも私は――君は普段――()()が受けてきたような嫌がらせは――多分()()()()だろうし――でも――」

 

「…………」

 

 怪物の純粋な殺意に晒されたときの方が、人間の不純な悪意に晒された今よりもずっと、セラは毅然としていたように見えた。シムは、セラのことをほとんど何も知らなかったと気づいた。かける言葉が思いつかなかった。

 しかしセラは数度深呼吸して顔を叩くと、微笑んで、声をいつもの調子に戻した。

 

「すまない。とにかく一緒に戦ってくれてありがとう、シム。途中の援護も助かった」

 

「こちらこそ、助けてくれてありがとうございます。…………ごめんなさい。僕が捕まってさえいなければ」

 

「どうか責めないでくれ。君は十分頑張ったよ。それを言うなら私も失敗してしまった。……あいつらに何かされなかったかい?」

 

「僕の方は、縛られた後に何発か殴られたくらいで全然大丈夫です。……それこそセラはなにか飲まされていませんでした?」

 

「いや。『生人形の水薬』と言っていたけど――多分あれは、ただの色水だった。私は起きたときには、身体が動けるようになっていた」

 

 セラは肩をすくめる。

 

「杖を奪えるタイミング、全員の隙をつけるタイミングを(うかが)っていた。ご丁寧にマクゴナガルの録音を引き当ててくれたおかげで楽にできた」

 

 シムは、改めてセラの対応力の凄まじさに舌を巻いた。

 セラは部屋の隅に行き、魔法薬の瓶に「スカービンの暴露呪文」をかけるなどしてしばらく検分したのち、「これも全部色水だ」と呟いた。

 

「……この後、どうしますか。……マクゴナガル先生を呼びますか。それか、スプラウト先生とか。誰であれ僕達をきちんと保護してくれるでしょうし」

 

 シムは部屋を見渡して言う。セラはしばらく黙ってから口を開いた。

 

「……そうするのが『正解』だと思う。あいつらが思い上がるほどスリザリンに力は無いだろうし、先生方はまさかもみ消しなんてしないだろう、問題にしてくれるだろう」

 

 セラは首を横に振る。

 

「けれど私は、そうしたくはない」

 

「……え?」

 

「……私がどういう目に遭いそうになったかを、改めて先生にいちいち言葉で説明しなくちゃいけないのか?嫌だ」

 

 セラは苦々しく言う。

 

「それで、仮に奴らが何らかの処分を受けたり、私達がなんらかの『保護』を受けたとしてだ――それで全校生徒に私はどう見られる?『可哀想な被害者』?『惨めな弱者』?私はそんな風に見られるなんて真っ平ごめんだっ!」

 

「……」

 

「……もっといえば『嘘で何人も罠に陥れて破滅させようとしたあげく目立とうとするマグル生まれ』とかなんとか、デマで中傷されることになったら?……奴らも言ってたろ、新聞か雑誌かなんかに書き立てられることになったら?唯一の学校のスキャンダルなんて恰好のタネだろう?そうしたら――私は今後ずっと『そういう女』として生きてかなきゃいけないのか?」

 

「……」

 

 セラは語気を荒げる。

 

「それに、保護って、今後しばらく移動の度に誰か先生に付き添ってもらうとか?あるいはレイブンクローに移る?これから非魔法族出身者は寮を移れるように制度を整える?まさかスリザリンはみんな退学?……そうしたところで根本的に何かが解決するの?私はこんな程度では屈さないし、闘い続ける。シーナやソフィアだって、その上だって、ずっとそうしてきたんだ!まして『例のあの人』がいた頃に比べればずっと生きやすくなってる今に、私が『負ける』わけには!シーナとソフィアもどれほど大変な目に――!」

 

「……それでも。先生に言えば、全校生徒に知られない範囲で、現状をもうすこし良くできるかもしれません」

 

「……あいつが言ってたように、この学校で純血主義は、ずっとずっと前から、放置されてきたんだ。先生方は色々取り組んできたのかもしれないけど、それでも変わっていない。私達は極端でも、他の寮の非魔法族出身者も差別を受けてきた。今更急に変わるとも思えない。それに――」

 

 そこでセラは表情をすっと消す。

 

「――それに、処分を人に任せるのでは私の気が収まらない。教師に引き渡しては、()()()()復讐できなくなる」

 

「……」

 

 セラはハッフルパフやグリフィンドールでもないし、レイブンクローでもない。

 今のセラの(かお)は、紛れもなくスリザリンの魔女のそれだった。

 

「魔法界にはどうせ少年犯罪者施設(Young Offenders Institution)も更生のプログラムもないだろう。杖が折られるでもなければ、書き取り罰則だろうが退学だろうが、大したダメージもないし反省もしないだろう。恨みを買って終わりだ。たしかにこいつらはアズカバンに行くことは無いだろう、仮にそうだとしても、あんな拷問施設に放り込ませて満足するくらいなら、自分の手ですっきりする」

 

「…………。……それでも――今の僕たちの状況は――非魔法界の基準では異常ですし、たぶん、ホグワーツ基準でも異常です」

 

 セラはそこではっとなり、シムを見た。

 

「…………もちろん、私のエゴで君まで危険に晒すつもりはない。君はまだ一年だ。私よりもまだ弱い。……そもそも、自分で身を守れるほど強くならなきゃ安心して生活できないなんて、状況自体がおかしいなんてことも、君が言うように、分かっている。もちろん、そうだ……」

 

 セラは、自分に言い聞かせるように、言葉を濁した。

 しかし、シムの選択肢は、最初から一つだけだ。

 

「僕はセラに任せますよ」

 

「…………ありがとうシム。マクゴナガル先生には後で、細部をぼかしたうえで、危ない目に遭ったと正直に打ち明けに行くよ。約束する。一緒に話しに行こう」

 

 セラは穏やかに微笑む。

 

「私は今まで、自分でなんとかしようとしすぎた。前よりも生徒達に目を光らせてくれるなら、私達はより過ごしやすくなる。そして――」

 

 セラの顔から感情が消えた。シムの背筋が凍る。セラが本気で怒るのを目にするのは初めてだ。

 

「それはさておき、今からこいつら全員に復讐する。朝まで時間はたっぷりある、ひとりに三十分以上使える。――私を傷つけようとしたことは、許さない」

 

「…………僕も手伝いますよ」

 

「……君も怖く恥ずかしい目に遭わされそうになったから、君がやりたいと言うなら無理に止められない。でも、単に私を手伝いたというだけなら、やらなくて良い。できれば君は共犯になってほしくない。君に手を汚してほしくない」

 

「…………何をするんです」

 

 セラは静かに口を開く。

 

「そもそもどんな手段なら取れるか、それがとても難しい。――まず、恨みを買って、復讐の連鎖になることは避けないといけない。だから中途半端に終わらせるのではなく、助かったことに感謝して復讐なんて考えないような恐怖を与えないといけない。他人に口外したいと思わないような恥辱も与える。発覚してはいけないから、体を一切傷つけてはいけない。万一発覚したとき、退学やアズカバン送りにならないような一線も、もちろん守らないといけない。……まあ、こいつらが言ったように、何をしても『禁じられた森』まで運んで具体的な記憶を消せば済むかもしれないけど、私はそこまで堕ちるつもりはない。今回はあくまで未遂で終わったのに、こいつらのために悪に身を落とすなんてもったいない」

 

「……具体的な手段があるんですか」

 

 セラは上を向いて呟く。シムに聞かせる声量ではなく、自分に言い聞かせるような調子だった。

 

「もちろん私じゃすぐに思いつくことはできない。けれど、ソフィアはどうすれば良いか私に教えてくれた。ソフィアは、私がいずれこういうことに巻き込まれないか、いつも心配していた。ソフィアは――ロンドンの治安が最悪の場所で育ったから――こういう話をするときは、いつも真剣だった。

 ……『魔法族の女性は幸い、魔力も杖も持っているから、非魔法族の女性と違って自分で自分の身を護りやすい。とはいえ、だからこそ、何かあっても自己責任という風潮が非魔法界よりもさらに強い。けれど、自分の身を護れなかったとしても、それはあなたのせいではない。あなたの心と体を深く傷つけられてしまったとしても、あなたの魂までは誰にも傷つけられない。自分が汚れたなんて絶対に思ってはいけない』」

 

 セラは杖を取り出し、緑の目を細める。声はあくまで冷たく静かなまま、炎がたぎっていた。

 

「……『そしてもし万が一そうされそうになったら、あなたに手を出そうとしたことを、深く後悔させなさい。自分が逆の立場ならどれほど恐怖するか、そしてあなたに指一本でも触れたらどんな悲惨な目に遭っていたか、こういう魔法で幻影を見せて変身術を使って――』」

 

 

 ★

 

 

 それからセラは、倒れて縛られている一人ずつ順に目を覚まさせ、各々に「復讐」を済ませ、再び眠らせた。シムは扉を見張り、縛られている他の者達が目を覚まさないように見張った。シムは――自分がセラを傷つけるようなことは絶対しないと元々確信しているが――そんな愚かなことをしようとすれば、どういうことになるのか、身をもって知った。

 最後の一人に「復讐」を終えたのは、明け方も近くなっていた。

 部屋を片付けて拘束を解き、扉の封印を解くと、二人は牢を出て行き、スリザリンの談話室へと戻った。セラの表情はあくまで静かなままだった。二人は黙って別れ、各々の寮で眠りについた。

 

 




今話で扱っているテーマは複数に渡る上にどれも筆者の知識や腕に余るものであるので、勉強不足/筆力不足により適切な表現になっていないかもしれません。表現が相応しくないと判断した場合に後で訂正します。

・スリザリン生のダンブルドアに対する見解は、筆者の原作ダンブルドアに対する見解と一致するものではありません。今作はダンブルドアへのいわゆるアンチ・ヘイトを意図したものではありません。

・マクゴナガルの音声が録音された黒い箱:
第2話(4)に登場

・ダンブルドアの袋:
第3話(3)に登場


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第5話 決闘と血統 (5)純血の令嬢

・「残酷な描写」タグに相当する可能性のある表現が含まれます



 

 翌日のホグワーツはいつもと特に変わらない一日が過ぎ、そのまた翌日のホグワーツも、いつもと変わらない一日が始まった。シムは何事もなく朝食をとり、何事もなく授業を受け、何事もなく昼食をとり、何事もなく午後の授業を受けた。

 ひとつ変わったことがあるとすれば、スリザリン寮においてヴァルカン・フリントの派閥の権勢が大きく損なわれ、彼らが傲然と談話室で振る舞う姿が見られなくなったということだった。事情を知っているごく一部の上級生は何も黙して語らず、下級生はドラコ・マルフォイでさえ何もつかめていないようだったが、セラ・ストーリーとシム・スオウが何らかの形でかかわっているということだけは誰もが薄々理解しているようだった。

 

 シムは夕食後、セラとともに五階の空き教室の中にいた。階段を何度も上がっては下がり、「ただの壁に見えるが二、三、五、七回のリズムでノックすると開く」隠し扉をくぐり、四回角を曲がった先の、殺風景な廊下にある教室。生徒が不意に近寄ることのない、ホグワーツの辺境。

 やがて二人を呼び出したジェマ・ファーレイがやってきて、教室のドアを開けるなり問い詰めた。

 

「色んな噂が……あなた達…………フリント達に……?」

 

 扉に遮音の呪文をかけると、セラはふっと笑って肩をすくめる。

 

「私達だけで片をつけた。何もされなかったら大丈夫。ジェマの手を煩わせずに済んだし、おかげでジェマの立ち位置も上がっ――」

 

「馬鹿っ!」

 

 ジェマの平手がセラの頬を張った。セラは片手で頬を抑えて、目を見開いた。

 

「馬鹿……!四年も経って――そんなことを――気にして――!」

 

 ジェマはセラを抱き締めた。ジェマの頬に水が垂れる。しばらくしてジェマはセラから身体を離し、心配そうに問う。

 

「でも、本当に何もされてないのね?」

 

「何も――ではないけど。身動き取れなくされたり殴られたりローブ越しに触られたりする以上のことは」

 

「…………そう。でも、それ以上がなくて良かった。――良かった」

 

 ジェマはゆっくり頭を横に振った。次いでシムに顔を向ける。

 

「……あなたは大丈夫?」

 

 シムが頷くと、ジェマはシムにも抱擁をする。

 そしてすぐに離れて冷静な表情に戻ると、声を低くし、目を暗く光らせる。

 

「復讐するなら、私も全力で協力する。私が関わってるなんて気づかせやしないから、気にするな」

 

「ありがとう、でももう十分済ませたから、気持ちだけで十分。私はこれでも、ソフィア・ソールズベリーの弟子なんだ」

 

「……そう」

 

 不満半分、納得半分で頷くと、ジェマは頭を下げる。

 

「ごめん。連中の動向は気にしていたつもりだったけど――確かな情報は何もつかめなくて。寮監に報告できるようなことも何も」

 

「近々私に何かしてくるかもしれないって警告くれただけで十分ありがたかったよ。……私だけで対処できる範囲だと思ってしまったのも私の責だし」

 

「ごめんね。……たしかに私もフリント達くらい何とかなると踏んでいたけれど」

 

 セラは肩をすくめる。

 

「奴らだけなら対処はできたかもしれないけどね。協力者がいたらどうにも」

 

「まさか――」

 

 ジェマが眉をひそめる。

 

「まだ解決はしてないからね。今からきっちり話をつけにゆく。この後、あの二人と会う予定」

 

「…………なんで早速そんな危ないことするの。あなた達だけを行かせるのは……」

 

 言いながらも、ジェマの声は怯えが混じっていた。

 

「数を(たの)むタイプでもないし、騙し討ちをするタイプでも無いだろう。隠れて見守ったりしてくれなくて大丈夫だよ、そんなことしたらどうせバレる」

 

「……本当に気を付けてよ。あいつらは、本当にヤバい」

 

「ありがとう、ジェマ。……じゃあ、そろそろ行くから」

 

 

 ★

 

 

 そしてシムはセラとともに、今度は二階のとある空き教室で来客を待った。足音が聞こえ、二人は廊下に出る。セラが声を張る。

 

「ごきげんようフレア・ロウル。匿名の手紙を破り捨てることなく、二人きりでおいでくださって恐悦至極」

 

 目の前には、ホグワーツ首席(ヘッドガール)のフレヤ・ロウルが、背筋を伸ばして、長い金髪を揺らしながら、歩いてきた。取り巻きの一人も連れていなかったが、常にロウルに付き添っている侍女だけは、このときもロウルの斜め後ろを音もなく歩いている。

 

 ロウルはセラに顔を向けることも歩みを止めることなく、にべもなく言う。

 

「私は残された学生生活の一刻一刻を惜しむ日々を送っています。ヒトでなしと話す時間はありません――」

 

「あなた達は、ヴァルカン・フリント達の襲撃計画を補佐して邪魔した。そうだな」

 

 セラは単刀直入に問いかけた。ロウルは立ち止まり、初めてセラに顔を向ける。

 

「――彼らの愚昧(ぐまい)な企みについて、関知していたとして、私は余計な支援や干渉をするほど暇ではありません」

 

 セラは扉を開けて教室へと手で示した。ロウルは教室に入り、立ったままセラをじっと見る。

 

「私は不意に通りがかった数人程度にやられるほど弱くないから、私を襲おうと思ったら、いちばん確実で簡単な手段は談話室で十人がかりで待ち伏せすることだ。女子寮はセキュリティ万全の個室だけれども、談話室はそうではない。朝に女子寮の前の扉で待ち構えれば良い。

 けれど当然、そんなことはできない。談話室からは信号の一発で寮監の研究室に伝わるということを予測できる頭を持っていてもいなくても、そもそもたとえスリザリンといえど、談話室の衆人環視で『穢れた血』を堂々と暴行することを認めるような合意があるわけでもないから」

 

 侍女が扉を閉める。セラは椅子に無造作に腰掛け、言葉を続ける。

 

「とりわけフレヤ・ロウルは談話室での暴力を決して許さない。高貴で優雅な談話室の秩序が崩れるのを認めない。実際、私達を襲撃したのはフリントの派閥の者のみだった。あなたは表向き、何も関与していない」

 

 侍女が杖を振って現れたふかふかの椅子にロウルは腰を沈めながら、無言を保つ。

 

「談話室で待ち伏せできないからといって、授業後に生徒が大勢通るようなところで待ち伏せするのは目立つ。だから休日に私が人気のないところを歩いているところを狙うのが一番。それでも、この広いホグワーツで、私達がどの時間にどのルートを通るなんてことを予測するのは難しい」

 

「――しかし、どうやらあなたはずいぶん前に、ジェマと私が同じ『決闘クラブ』で活動をしていることを自分が把握している、というようなことをジェマに仄めかしていた。それなら、直近のクラブの日時と場所も知っていても、おかしくはない。どうやって知ったのかは分からないけど、もしかしたら『開心術』か何かを使ったのかもしれない。あなたはつい最近も『決闘クラブ』のことをジェマに仄めかし、そのときジェマの意識に上った『決闘クラブ』の詳細を把握した」

 

 セラは、ロウルの青い眼を見ずに言う。ロウルは目を細める。

 

「あなたは人間の礼儀を知らないかもしれませんが、根拠もない憶測で、他人に対して『他人に『開心術』をかけている』と非難するのは、きわめて強い侮辱にあたります」

 

「そこの彼女が『目くらまし』なりなんなりで探ったのかもしれない。まあ、何でも良い。どちらにしても、あの日の夜に私が五階の辺りをうろつくという情報を流せる立場にあった可能性が一番高いのはあなただけ。あなたは今のところジェマを失脚させる気が無いから、ジェマの立場が不利になる情報まではわざわざ流さなかった」

 

「憶測が多すぎる。お前がその日に『必要の部屋』にいることを知っていた『かもしれない』私より、『確実に』知っていたジェマの方が情報を流した疑いが濃いのではありませんか?」

 

 間髪入れずにセラは返す。

 

「動機が無い。なにか脅されて言わざるを得なかったのだとしても、ジェマならもっとうまく立ち回る。もちろん、不注意で会合の存在を周囲に気づかせてしまうわけもない」

 

「そう。信頼されて正当に能力を評価される――ジェマは良い友を得たのですね。それがヒトでないことについてはいたく残念ですが」

 

 ロウルは寂しげに言うと、首をかしげる。

 

「しかし、お前が言うことには、私達が『開心術』か何かで得た不確かな情報をもとに、フリントの子分どもが、夜にずっと、五階の人気のない廊下を、五階といっても極めて広いのに、大人数で張り込む?それはもはや待ち伏せとは言わないでしょう、言っていることが途中で矛盾していますわ」

 

「うまくいけばラッキーくらいの心持ちだったのかもしれない。私とシムがあそこで別れたのもたまたまだったし」

 

 シムは拳を握りしめる。セラは頑なに言及を避けていたが、結局のところ、今回の計画はシムがいなければ実行に移されなかったのだろう。ジェマもハロウィーンのときに仄めかしていた。シムが弱いから、セラがシムを見捨てるような性格でないから、シムはセラの弱点になる。

 

「シムは本来ならば上級生達に捕まることはなかった。狐のお面を被った何者かが、シムの『目くらまし』を見破って『目くらまし』を解除した上で、追手から逃げおおせたシムの『盾の帽子』を貫く失神呪文を放つようなことがなければ。

 そんな芸当ができる生徒がスリザリンにいるとすれば――。フレヤ・ロウルがわざわざ出張るとも思わない。ロウルの指示を受けたかロウルの意向を汲んだあなたがやったのでしょう」

 

 セラは隣の侍女に視線を送る。侍女は何も言わず、セラと目もあわさず、扉の近くに立ってまっすぐ前を見ていた。

 

「ロウルに匹敵する力を持つと言われる生徒なら、可能だ。――そして、私に『妨害呪文』と『消壁呪文』をかけたのもあなたでしょう」

 

 侍女の代わりにロウルが落ち着き払って答える。

 

「私は特に命じていません。もちろん彼女は極めて優秀ですから、私が何も言わずとも万事取り計らってくれますし、お前が言った程度のことは楽にこなせるでしょう。しかしお前は、何も証拠を持たずに彼女がやったと言っているにすぎない」

 

 冷たく笑い、続ける。 

 

「『彼女以外のホグワーツ生に不可能だから彼女が犯人』だと言うのは馬鹿げています。ホグワーツ生という仮定が正しいとしても、お前の発言を証明するには、彼女以外のすべてのホグワーツ生が同じ真似をするのが不可能だということを、実際に示さねばなりません。――たしかに彼女より優秀なホグワーツ生などいるはずがありませんが、彼女ほど優秀でなくても、お前が言った程度のことはできるでしょう」

 

「証拠は、せいぜい『直前呪文』や『真実薬』でも使わない限りは、何もないだろう。それらも万能でない。――しかし、証拠があろうとなかろうと、それは問題ではない。教師に突き出したいわけではないから、そんなものは必要ない。問題は、私達は恐怖と屈辱と危険に晒されたということ。私の体と心と尊厳が大きく傷つけられかけた。許せない」

 

「だから復讐するとでも?」

 

 薄い笑みを浮かべたままのロウルに、セラも淡々と返す。

 

「その通り。…………と言いたいところだけど、厄介なのは、私達が捕まるように仕向けただけでなく、わざわざ脱出できる道を残したのも、恐らくあなただということです」

 

 セラは細めた目を侍女に向ける。

 

「私は『生人形の水薬』を飲まされて、手足が朝まで動けなくなるはずだったのに、部屋に連れられて早々に手足が自由になっていた。あなたは恐らく、薬をただの色水にすり替えたうえで、私が薬を飲まされると同時に、姿を隠したまま私を失神させた。地下のあの部屋に用意されてた魔法薬をすべて色水にしたのも、恐らくあなたです」

 

「何のためにわざわざそんな手の込んだことを?」

 

「わからないから、聞きにきた。ただ、私の推測では、『穢れた血』相手であろうと、暴力が嫌いなフレヤ・ロウルはフリントの計画を見過ごせなかった。しかし私達を増長させないように恐怖を与えて脅迫すること自体は、望ましい。

 だから、私達の捕縛を裏から手伝い、そのうえでわざわざ私達が反撃できる状況を用意し、フリント達と私達を潰し合わせた。フリント達が負けたとしたら、ロウルとロウルの派閥の力が増す。私達が負けたとしても、『穢れた血』がどういう目に遭おうが知ったことではない」

 

 ロウルは溜息をついた。

 

「精々、『A・可(まあまあ)』の点でしょう。お前達が増長した態度を取るのは甚だ不愉快ですが、お前達程度、わざわざ警告するほど暇ではありません。そして七年生の春にもなって、今更スリザリン寮での自らの立ち位置をこれ以上固めることにさして興味はありません、スリザリン談話室など所詮子どもの箱庭ですし、ヴァルカン・フリントの下品な子分など取り込んでも仕方ありませんわ」

 

 肩をすくめてロウルは嘲る。

 

「しかし、お前がどういう目に遭おうと、興味ないというのは確かです。あの程度の状況を対処できなかったら、お前は所詮それまでだったということ」

 

 さらりと言うと、ロウルは侍女にちらりと目を向けて呟く。

 

「……まあ、あなたが『目くらまし』を用いてその場に居合わせていたのかどうか、ヒトでなしが状況を覆せなかったときにあなたがあの場の全員を『失神』させる気があったかどうか、私のあずかり知らぬところです。私はそうするなとも指示はしていませんから。――あなたがあえて姿を見せて関与の証拠を残したとしたら、彼らに加担したわけではないことを示すための手を、何かしら打ったのでしょうが」

 

 セラは声を低く張った。

 

「…………私達に逃げ道を残したことについては礼を言う。でも、わざわざ私達を危険な目に遭わせたことについては許さない」

 

 ロウルは眉をひそめる。

 

シム・スオウ(それ)が逃げおおせるはずだったとお前は言いましたが、今回の襲撃が不発に終わったとて、次回の襲撃が無いとでも?そして次回も不発に終わるとでも?いずれにしても時間の問題でした。早いか遅いか、それだけの話。いずれ()()()()()()()()()魔法薬を、私達が()()()()()()()()()()のだと考えているなら、お前がそこまで()()しているのなら、そのことについて私達を非難するのは理解に苦しみます」

 

 セラが反論の怒声を上げる前に、ロウルは畳みかける。

 

「お前の『力』は、今の腑抜けのホグワーツ生の中で、()()片手で数えられるかどうか、といった程度のことでしょう。()()()()()()()()()()()()()()、スリザリン寮を相手取って我が物顔で振舞えるとでも?お前の主張した通り、仮に彼女が今回の件に介入したのだとしたら、お前達は、彼女に何も成す術が無く敗れたということでしょう。彼女ひとりが腰を上げれば、()()()()()()()、お前達は暴力から身を守れない」

 

「……」

 

 沈黙するセラをよそに、ロウルはシムにちらりと見た。眼を逸らしてうつむくシムに、ロウルは失笑する。

 

「眼を(のぞ)かずとも表情だけで分かりますが、お前は自らが弱いせいでそこのヒトでなしの人質として狙われたと思っている。たしかに事実ですが、事実の半分です。お前がいようがいまいが、そこのヒトでなしは彼女に完敗するのですから」

 

 ロウルは再びセラを見る。

 

「お前も、この私に遥か力及ばぬことくらいは知っているのでしょう。声の震えを押し隠しても、呼吸と力の乱れは分かりやすい」

 

「…………私より上がいることくらいは分かっているけれど。私とフレヤ・ロウルのどちらが強いかについては、やってみるまでは分からないだろう」

 

 セラの声が一段と低くなった。シムはセラの静かに燃える目を見て、セラの声がわずかに震えているのは、緊張だけでなく、怒りと闘争心のためだと気づいた。

 同時に、ロウルの侍女が初めて動き、ゆらりと前に進み出る。

 

「下がりなさい。私一人で十分」

 

 ロウルが鋭く声を出すと、侍女は再び壁の方に戻る。そして侍女は杖を振って机と椅子をすべて脇に寄せた。

 そしてロウルはあからさまに面倒そうな息をつきながら、黄金色(こがねいろ)の杖を取り出した。ロウルの長い髪が逆立ってゆく。

 

 

 

「曇りなき見識眼がヒトでなしに備わってるなど、端から期待していませんが。格の違いすら分からないとは、さすがに不愉快です。現実を知る準備が出来たら、いつでも杖を抜きなさい。」

 

 聞くが早いが、(むち)のようにしなったセラの杖から「武装解除」の赤い光が(ほとばし)る。ロウルは不動のまま杖を振り、轟音とともに同じ赤い閃光を、続けざまに四本射出した。一つ目の閃光は、セラの武装解除術とぶつかって呑み込み、セラの閃光もろともセラの方に伸びた。セラはそれを横滑りでよけ、体制を立て直して「盾」を張った。しかし続く二本の閃光で盾が砕け、セラは衝撃で後ろに押し出されて壁にぶつかり、さらに四本目の閃光が直撃して杖が手を離れた。

 

あなた達、何をしておいでですか!

 

 そのとき、駆け寄る音とともに、マクゴナガル先生の怒鳴り声が響き渡った。

 すぐさまロウルは杖を振るい、セラの杖をセラの手元に戻した。ロウルの侍女も杖を振るうと、床が花畑となり、華々しく光と音が打ちあがった。セラも立ち上がって杖を振り、大きな蝶の群れを花畑に舞わせた。シムは呆けて突っ立ったままだった。

 

「いったい何を――!」

 

 教室に入り込んだマクゴナガル先生は、その派手な光景を前にゆっくり口を閉じた。ロウルと侍女、セラとシムを交互に見やる。

 

「――お騒がせして申し訳ありません、マクゴナガル教授。年度末にスリザリンの談話室で行うパーティの余興を練習しておりました。私は今年で卒業してしまいますから、彼女らにも少し芸を伝授しようかと。談話室ではできませんからね。この教室を使う許可は取っていませんでしたが、普段使われていない教室でしたし、出来心で使ってしまいましたわ」

 

 いけしゃあしゃあとロウルは虚言を吐き、セラも「まあそんなところです」と呟いた。

 マクゴナガル先生は明らかに信じていない様子で二人を(にら)んでいたが、やがて諦めたように溜息をついた。

 

「スリザリンから二点減点。そしてミス・ロウル、もしあなたが、仮にマグル生まれの生徒に何かいじめを行おうとしていたのであれば、たとえN.E.W.T(いもり)試験の直前だろうと私としては――」

 

 ロウルは哀しそうに首を振り、マクゴナガル先生の声を遮った。

 

「ホグワーツに通うすべてのヒトと、()()()()()()()()()()()()()すべての存在に対し、私はいじめなど断じてしませんわ。スリザリン監督生として、首席として、寮のためホグワーツのために身を粉にしていましたのに。七年経っても未だマクゴナガル教授の信頼を得られていないことは、実に寂しいです」

 

「…………本当にあなたが()()()()()()を同じ人間として等しく扱っているならば。私は何も言うことがありません。あなたの監督生としての働きぶりは、もちろん知っております」

 

「ええ。杖とマーリンに誓って、私は()()()()()()を同じ人間として尊重しております。むろん、あなたの血の濃さにかかわらず、六年前からずっと、深く尊敬しお(した)いしておりますわ。マクゴナガル教授」

 

 マクゴナガル先生はロウルを見つめて口を真一文字に結んでいたが、マクゴナガル先生は誰ともなしに呟く。

 

「十年前の争乱で――私は多くの教え子を失いました。その何割かはマグル生まれの生徒でした。ある気弱な子は、進路面談の際に『ホグワーツに置いてください』と冗談半分で私に――ホグワーツは唯一の安全な場所でしたから――そのとき私があの時に何と言って(さと)したか――毎年この季節に彼の墓にスミレの花を供えに行くたび、彼のあの諦念に満ちた瞳を思い出して私は悔やみます」

 

 マクゴナガル先生は肩を落とす。 

 

「スリザリン寮があれから変わったとも思えません。――教師とは実に無力なものです」

 

 微笑んだままのロウルから視線を外し、マクゴナガル先生はセラとシムに顔を向けた。

 

「ミス・ストーリー、ミスター・スオウ。以前も言いましたがあなた方はいつでも――私をもっと頼ってくれて構いません」

 

「ありがとうございます。……後で相談したいことは色々ありますが。今日はひとまず、私達はもう少し彼女と余興の練習をしていきますので」

 

「…………そうですか」

 

 しばらく目をつむって沈黙したのち、マクゴナガル先生は再び、ロウルの方を見て口を開く。

 

「……ミス・ロウル。思想信条がどうであろうとスリザリン生であろうと私は――ホグワーツ教師としてすべてのホグワーツ生の相談を受けるつもりでいます。人は独りきりで、すべての物事を抱え込んで対処できるようにはできていません」

 

「嬉しいですわ、マクゴナガル教授。それではお言葉に甘えまして、節足動物と単子葉植物を『消失』させる際の非直観的な共通点について、今週中にご質問に伺います」

 

 ロウルが滑らかに答えるとマクゴナガル先生は哀し気に目を伏せ、今度は隣の侍女に顔を向ける。

 

「……あなたも同じです。ミス・ソウル」

 

 侍女はゆっくり儀礼的に黙礼をした。マクゴナガル先生は全員の顔を見渡すと、溜息をついて教室を出ていった。彼女の足音が遠くなる。

 と思いきや、再びドアが開いてマクゴナガル先生が顔を出した。

 

「どうされましたか、マクゴナガル先生」

 

 マクゴナガル先生のトリックに驚くそぶりもみせず、ロウルは柔らかく問いかける。四人はまだ、誰も話しても動いてもいなかった。

 

「……いえ。部屋をきちんと片づけておきなさい」

 

「もちろんですわ」

 

 今度こそマクゴナガル先生の足音が遠くに聞こえていった。ロウルの侍女が扉を開けて外に出て、誰もいないことを確認し、再度教室に戻って扉を閉じた。

 それを合図に、ロウルはくすくす笑い出し、(せき)を切ったように、手で口を抑えながら腹をよじった。ひとしきり笑って落ち着くと、ロウルは涙をぬぐって侍女に語り掛ける。

 

 

 

「――ああ、私はなんて愚かだったのでしょう!他者から強奪した借り物の力を持つだけの、たかだか四年魔法を訓練しただけの、野蛮なヒトでなしに、魔法力からして明らかに格下のそいつに、あるいは私が勝てないかもしれないと、杖を抜く前にほんのわずか自信が揺らいでしまったなんて!私にはロウルとグリーングラスの血が流れているというのに!祖先に申し訳が立ちませんわ。所詮、六・七年生をダース単位で退けたというだけなのに。――オリバンダー家のジンジャーのほうがよほど手ごたえがありました。あれも仮にも英国最古の家のひとつなのですから当然ではありますが」

 

 セラは何も口を挟まず、立ち尽くしていた。シムもまた、マクゴナガル先生の闖入(ちんにゅう)で意識から追いやられていた、セラがあまりにあっさり敗北を喫したことの衝撃が再び蘇った。

 無表情を保つ侍女に構わず、ロウルはセラを見る。

 

「先ほども言った通り。お前がホグワーツに傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に振舞っているのは、自分に『力』があると思い込んでいるからでしょう。あの二つ、シーナ・シンクレアとソフィア・ソールズベリーとかいうヒトでなしがそうだったように。――しかしお前の『力』はせいぜい、『四年生にしては非常に優秀』『七年生まで含めても五番目くらいに優秀』、程度のものでしかない。『規格外の天才』などではない。私がそうではないのと同じように。それでは自由には全く()()()()()

 

「……」

 

「それともまさか、ヒトでなしなのにスリザリンに組分けされたから特別だとそう思っていますか?まさか()()()()()()()スリザリンにヒトでなしがいないとでも?」

 

 不意をつくロウルの言葉に、セラは固まる。

 

「考えたくないことですが、私はお前たちの他にも何人か潜んでいても不思議でないと思いますよ。ヒトと獣の間に生まれた不幸な子がスリザリンにさえこれだけ多くいるのですし。耄碌(もうろく)した組み分け帽子が半人間とヒトでなしの区別をつけられているかは怪しい」

 

 ロウルは肩をすくめる。

 

「その顔だと、お前達はまだ他のヒトでなしに会ったことがないのでしょうね。いないなら何よりですが。ヒトでなしたちがヒトの振りをしているとするならば、お前たちのような力がないからです。あるいは、お前たちなどより遥かに狡猾だからかもしれません。自らの目的のためには手段を選ばない。ずる賢くヒトに擬態する」 

 

 溜息をつき、憂いを帯びた表情で付け加える。 

 

「嘆かわしいことですが、しかし、それが賢いあり方です。ヴァルカン・フリントも以前にお前たちに忠告していたと思いますが、どれだけ力がある強者でも、()()()()()()()()()()。――そしてまた集団も、一騎当千の力を持つ()()()()()()()()()()の前では霞む。私達スリザリンが束になろうとも、アルバス・ダンブルドアに血の一滴も流すことはかなわない。

 …………同じように、あの方がいらっしゃれば、お前達のあがきはすべて無駄になる。……闇の帝王がいらっしゃれば」

 

 ロウルははじめて怯えた表情になって恐々と付け加え、自分で口に出した言葉に対して小さく身震いをした。

 

「……帝王が今ここにいらっしゃれば、お前達など、()()()()()()()死にます。…………むろん私も、誤ってお怒りを買えば同じ末路になってしまうかもしれませんが……」

 

 ロウルはぶるぶる首を横に振り、笑顔を繕い、声を高くする。

 

「…………極北の例を出すまでもなく。聞けばお前はハロウィーンの日にギガントロールに殺されかけたそうですが。まだ四年生だなんて言い訳は、学校の外では通じないでしょう。お前は所詮、フリットウィック教授が間に合わなければ、呆気なく死んでいた程度でしかなかった」

 

「生徒は知らないはずだ、何でそれを――!」

 

「当然、スネイプ教授とダンブルドアからです。私は仮にも首席で監督生でスリザリンですから、こういったことがあれば校長室で事情聴取もされる。代わりに、他の生徒が知り得ない多少の情報を共有してくれることもある」

 

「ずいぶん信用されていることで」

 

「ダンブルドアからは欠片も信用されておりませんが。幸い能力は正当に買われております。――もちろん、実態以上に他人をおだてて円滑に自らの意に沿わせようとするのは、あの校長の得意とするところでしょうが」

 

 ロウルは苦々しく付け加える。

 

「もちろん私は、ハロウィーンのあのような馬鹿騒ぎに何も関与しておりません。ホグワーツの秩序が乱されることは望みません。私がここで何よりも優先したいことは、魔術を研鑽することと同胞との交流を温めることですし、私の家もそれを望んでいます。スネイプ教授やダンブルドアにも再三申し上げている通り」

 

 首を重く横に振り、言葉を続ける。

 

「今の秩序は、魔法省とダンブルドアが敷いた秩序です。私はその秩序に従順に過ごし、ここを卒業すればどこかに嫁ぎ、夫を支え、子を支え、古い血をつなぎ、盛り立てる。そうして生きていくのでしょう」

 

 ロウルは皮肉に笑う。

 

「……しかし、仮に今が『闇の帝王』の統治される世界なら。私は帝王にお仕えし、帝王の覇道にこの身を捧げて働き、汚らわしいマグルや罪深いヒトでなしをこの手で数多(あまた)処分していたことでしょう。裂いて剥いて刺して炙って削って沈めて溶かして砕いて」

 

 声を上ずらせて、ロウルは語る。セラやシムの表情を見ることなく、教室に両手を広げる。

 

「このホグワーツを御手に収めることも、帝王は覇道の(しるべ)とされていたようです。偉大なるサラザールと三賢人が力と叡智の限りを尽くして築いたこの牙城は、この千年、ブリテンの(いしずえ)であり続けました。世界を真に統べるということは、当然、ホグワーツを統べることも意味します」

 

「……」 

 

「そうなれば。帝王は死喰い人(デス・イーター)達にホグワーツを改革させたことでしょう。この城がどのように変わるかは、想像に難くありません」

 

 ロウルはセラとシムを見て、ゆっくり語る。

 

「当然、すべてのヒトでなしは掌握されます。『入学名簿』はご丁寧に、子どものヒトでなしの名を()()()()()()()()()()()()のですから。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことができます」

 

「……!」

 

 魔法使いだと知らされ、死の収容所に向かうとも知らず真紅の汽車に乗り込む子供たちを想像してしまい、シムは総毛(そうけ)だった。

 

「ええ、行先はアズカバンではなくホグワーツでしょう。折角の資源をすぐに吸魂鬼(ディメンター)の餌にしても、()()()()()にはなりません。ホグワーツの地下室(ダンジョン)の深部には、とうに使われていない地下牢が多数ありますから、罪人を収容するには相応しい。

 収容してどうするか?労働力、呪文の練習台、魔法薬の実験体、不満や鬱憤(うっぷん)を晴らして心身を健康に保つための道具、褒章(ほうしょう)の道具――ヒトでなしにも色々な使い道はあります。ホグワーツに置けば、教材としても有用です。こいつらが残忍な重罪人だと教えて、生徒達にも罰を執行させれば、そうやって()()()()()を受けた生徒達が大人になれば、(マグル)とヒトが同じだと思う者はやがて()()()()()()()()()

 

 セラは顔をあらんかぎり嫌悪に歪める。

 民族浄化という吐き気を催す非道は、歴史を(ひもと)けばあまりに普遍的に頻繁に、そして近代になってより()()()に、行われてきた。魔法使いに限らない、有史以来の人間の業だ。しかし何より業が深いのは、この「マグル生まれ狩り」という民族浄化は()()()()()()。奴隷あるいは実験動物あるいは玩具の身分に貶められたマグル生まれは、常に、供給され続ける。

 ロウルはなおも空想にふける。冷たい声を弾ませながら。

 

「まあ、子供のうちは生かさず殺さずで、ずっと収容所(キャンプ)で罪を償わせて育てるかもしれません。ヒトでなしとはいえ子供ですから、子供で呪文を練習したいと思う人は多くないでしょう。大人になれば、使()()()()()()()()()()。使い道がなくなればようやく吸魂鬼の餌です。

 ……いや、絶望と苦痛と諦念しかない心など吸魂鬼の好みではないですから、ヒトでなし達には希望を与えておくでしょうね。……たとえば、そう、『二十五歳まで罪を償えば、ヒトと同じ自由と権利が与えられる』と信じさせておくとか、空しい作り話を聞かせておく。希望があれば、より()()()()()でしょう。そして希望が絶望に変わる瞬間は、吸魂鬼の大好物です」

 

 恍惚(こうこつ)とした笑みを浮かべるロウルに向けて、憎悪と軽蔑に満ちた表情で、セラはゆっくり口を開く。

 

「…………でもそれを話すあなたは、ちっとも()()()()()()()()。そんな未来が来るのを本当は()()()()()()()

 

 ロウルは表情を消し、眉をひそめる。

 

「何を言っているのですか?」

 

「あなたはクソ野蛮な純血主義者だけれど。罪人であれ獣であれなんであれ、殺戮(さつりく)を好むような性格ではないだろう。あなたは本当に『例のあの人』を崇拝しているのか?」

 

「闇の帝王は偉大で至上で絶対的な魔術師。その御言葉は絶対です。疑問を持つわけがありません」

 

 ロウルの口から半ば自動で言葉が漏れる。

 

「……え?」

 

「闇の帝王にお目にかかってない者は、愚かにも侮る。闇の帝王は我々ヒトとは違う、圧倒的な『力』を備えておられる。……いや、()()()()()()()()()()()()。この世界には、力と、力を手にするには弱すぎる我々ふつうの人間がいるに過ぎない。帝王は――逆らうとか疑問を持つとかの存在ではありません。そんな程度の、私達と同じステージにいる存在ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ロウルは勢いよく立ち上がった。

 

「いったいなぜ、『闇の帝王がわずか一歳の赤ん坊によってお隠れになった』なんて()()()()()鹿()()()()を、賢きも愚かも含め、この国の大多数が信じていると思いますか?ダンブルドアの信者ばかりではありませんし、ダンブルドアが何かを語る前から既に、闇の帝王の()()()()、そう信じていました。ポッター家で消息を絶ったにもかかわらず――『闇の帝王が()()()()()()と相討ちになった』などと考える者は、()()()()()()()()()()()

 

 ロウルは忌々し気に吐き捨てた。

 

「ポッター夫妻が十把一絡げの凡人だから?違います。ジェームズ・ポッターは、『血を裏切る』家であれ、歴史のきわめて古いポッター家の嫡男(ちゃくなん)であり、在学中はブラック家の恥晒しとたった二人で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()五体満足で生きていた男ですし、その(つがい)のヒトでなしの女も、仮にも首席(ヘッドガール)であり、老いたスラグホーン師を(たぶら)かしてその知識を一部得ていたにしても、審美眼に長けた師を眩惑させるだけの手腕や魅力はありました。そして卒業後のポッター夫妻は、無謀にも真向から帝王に叛逆し、帝王の御前から()()()()()()()()()だけの力と悪運は備えていた」

 

 ロウルは声を静かに落とす。

 

「しかし、()()()()()()()では、その()()()()()()()()()()闇の帝王と互角に相まみえるわけないと、()()()わかっていたのです。まだ『帝王を上回るほどの一歳の赤子が生まれた』という馬鹿げた神話にすがる方が、いくらか()()()だったからです。()()に、闇の帝王()()()が、恐らくサラザールとマーリン以来の、神話のような力を持って生まれた存在なのですから。

 ――皆が皆、帝王にひれ伏したわけでも、恐れて口を閉ざしたわけでもない。愚かにも帝王に反逆する者もいたし、帝王に背いて死んだ家族や友人の()()を憐れにも試みる者もいた。しかし、そのすべてが徒労でしかなかった。ダンブルドアでさえ、帝王と互角ではなかった」

 

「……」

 

「しかし、『ハリー・ポッター』以後は、秩序は一気に魔法省とダンブルドアに塗り替わった。ブラック家のベラトリックス嬢などの強者の足掻きは、何にもならなかった。

 ――スリザリン寮も、ええ、今年の九月までは、今後は『第二の帝王』ハリー・ポッターに仕えるべきかを真剣に検討していた者達もいました。…………箒の才能しかないあの子どもが、帝王を上回る存在かもしれないと一度は思ったなんて、私もひどく愚かでした」

 

 ロウルの声は自嘲の色を帯びる。

 

「…………いくら『例のあの人』だとしても。フレヤ・ロウルともあろう人が。そこまで怯えるなんて、らしくもないじゃないか――」

 

 セラが言葉を上げると、ロウルの瞳が再び燃え上がる。

 

「何たる不遜を――!お前達が帝王の何たるかを知らないのは、非常に不愉快です」

 

 ロウルは凍てついた声を荒げる。

 

「……しかし書物でしか知らないのであれば、無理もない。ヒトの想像力があっても、想像の埒外の存在を想像するには無理があります」

 

 しかしロウルは溜息をつき、目を伏せる。しばらく沈黙をした後、ロウルは顔を上げ、ためらいがちに口を開いて、閉じる。再び口を開くと、今度は滑らかに言葉を紡いだ。

 

「今から私が話すことは、ただの虚構(フィクション)です。この物語を、お前達が誰それに吹聴(ふいちょう)することは許されません。――仮にそうしたところで、私は何も不利益は被りませんが」

 

 ロウルは杖を上げて、扉に遮音の呪文を何重にもかけた。そして椅子に深々と腰を下ろす。

 

「ある古い家に生まれた少女の話です。兄弟の誰より父の魔力を受け継いだ彼女は、幼い頃から魔法をよく扱いました。少女は両親から日々厳しい教育を受けながら、研鑽(けんさん)に努めておりました――」

 

 




・第七巻で、ホグワーツ入学が義務化になるニュースを聞いて、ハリーが「家族に会える最後になるとも知らずに」と吐き気をこらえるシーンがありますが、その年のマグル生まれの一年生達がどうなったか描かれることはありません。クリービー兄弟などのマグル生まれ達や、騎士団、そのほか勇敢な名もなき人々が、救済に貢献していたと期待する余地はあります。

・ヴォルデモートが勝利した世界では、『呪いの子』の記述を正史とすれば、ホグワーツには「穢れた血の『収容所』」が設けられ、生徒が気軽に拷問できるようになっているようです(作劇上、わかりやすく露悪的に誇張されている面はあるでしょうけれど)。それ以上は詳らかになっていませんが、仮に「入学名簿」が変わらず機能するとすれば、収容所には人員が補充されつづけるという暗い推測は可能です。


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第5話 決闘と血統 (6)闇の帝王

・「残酷な描写」タグに相当しうる表現が含まれます


 

「ある古い家に生まれた少女の話です。兄弟の誰より父の魔力を受け継いだ彼女は、幼い頃から魔法をよく扱いました。少女は両親から日々厳しい教育を受けながら、研鑽(けんさん)(つと)めておりました」

 

 ロウルが何を話すかを察したロウルの侍女(じじょ)は、眉を上げてロウルの横に進み出て首を強く横に振ったが、ロウルは片手で制する。

 

「構いません。――この頃は、闇の帝王が新たな秩序を敷きつつある時代でした。少女の家は、多くの古い家と同じように、闇の帝王の支配にありました。父は帝王のために奉仕をしておりました。父や母が心から忠誠(ちゅうせい)を誓っていたのかどうかは、そのときの少女は知りません。

 帝王に逆らう家が辿る末路は、推して知るべしです。『死の呪文』で苦痛なく素早く一家全員が葬られるというものは、間違いなく最も()()な末路です。マッキノン家がどんな悲惨な末路を遂げたか――!ともかく、闇の帝王は偉大で、絶対的な存在だということを知っていれば、少女にとってはそれで十分でした」

 

 ロウルは淡々と語った。

 

「さて、少女は八歳になりました。あるとき少女の父親は、帝王に命じられたきわめて重要な任務に、手ひどく失敗をしました。少女はもちろん任務を詳しく知りませんが、後から推測するに、マグルの重要な人物や施設を襲撃するというものだったようです。しかし情報を敵方に知られ、目的を達成できなかったばかりか、協力者や配下の手の者を何人も失いました。闇の帝王は激怒されました。少女の家の地下で、帝王直々に父を厳しく折檻(せっかん)されました」

 

 小さく身震い。

 

「闇の帝王のお怒りは凄まじく、見せしめに娘を呼びつけるほどでした。父を殺されたくなければ目と耳をふさぐなと、闇の帝王は仰いました。帝王直々の『磔の呪い(クルーシオ)』を()()()の長きにもわたって、計()()も。父は泣き叫びながら失禁しており、普段の父の恐るべき威厳は何も残っていませんでした」

 

 声も震わせ、(ささや)くように続ける。

 

「闇の帝王は――()()()()()()()()()()()です。一度でもお目にかかれば、どんな愚者でもわかる。逆らうことや意見することが可能な、人と同じ水準の存在ではないと。(ひざまず)いて、(あた)う限りに全力の奉仕をし、束の間の生をお許しくださるよう慈悲を乞うのみ。命令は絶対。逆らうことは許されない。失敗は許されない。あのお方がお怒りになったならば、ただ罰を受けて泣いて許しを願うしかない。闇の帝王は、()()()()()()()()()()のです」

 

 (かす)かに消え入るように声が(しぼ)んだ。再び元の大きさに戻し、乾いた声で続ける。

 

「ようやく闇の帝王は、杖を下げると(おっしゃ)いました。お前の娘はその歳で、もう杖を使えるそうじゃないか。お前より娘の方がまだ役に立つのではないか、と。そして帝王は他の配下に命じて、牢からヒトでなし(穢れた血)を一体出して、私の目の前に置かせました。

 それ(It)は父の任務を邪魔し失敗させた張本人でした。省の犬(闇祓い)でもダンブルドアの犬(不死鳥の騎士団)でもなく、獣と交わり(マグルと結婚し)獣の群れに混じっていた(マグルの世界で働いていた)だけのヒトでなしでしたが、たまたまそこで働いていたことで父の任務の場に居合わせ、直前にたまたま情報を入手し、マグルどもと手を結び、その場のマグルをすべて逃がした上で、帝王の配下や父の下っ端と交戦し、五人を殺しおおせたのでした。相当な手練(てだ)れだったと言えるでしょう。しかし闇祓いの応援が到着する前に、そのヒトでなしは片足を失い父に捕えられました」

 

 所詮、個は集団に勝てませんから。憐憫(れんびん)と嘲笑を口の端に乗せる。

 

「そのヒトでなしは、三十かそこらの雌のようでしたが、既に複数人の激しい拷問を受けて、体の多くが欠けて(ただ)れて内部が見え、ほとんど死体のように見えました。いや、荒療治で無理に生を繋がれている状態だったのでしょう。情報源としても凌辱の人形としても拷問の玩具としても、その辺のごろつきにも使い倒された後で、既に用済みになっていました。それでも一刻でも長く苦痛を与えるためだけに生かされていました。絶え間ない激痛に晒されながら、満足に叫ぶ声も残っていないようでした。正気を失うことも、治癒魔法とそれの強靭な精神が許していないようでした。

 ……ああ、拷問には常に『磔の呪い』のみが用いられるわけではありません。磔の呪いは、娯楽としての拷問にはあまり向いていません。苦痛が大きすぎて慎重に加減しないとすぐに精神が壊れてしまいますし、悲鳴しか聞けず視覚的に単調ですから。それでは見せしめの効果も薄い」

 

 ハハ、とロウルは笑う。

 

「さて、帝王は少女に仰いました。この憐れな『穢れた血』をお前の手で楽にしてやれと。うまくできれば、お前の父を許してやろうと。父は正気を失う寸前でほとんど意識が朦朧(もうろう)としていましたから、本来なら娘の手を血に染めまいと帝王を止めようとしたのか、それとも止めようとしなかったのか、それともむしろ積極的に賛成したのか、少女には分かりませんでした。母は地下に降りないように命じられていて、その場におりませんでした。少女は震えて立ちすくみました。帝王は緑色の光を父のそばに放って、早くしろと仰せになりました」

 

 シムは吐き気をこらえた。セラは口を真一文字に結んでいる。

 

「少女が杖を取り出すと、ヒトでなしと目が合いました。欠けた頭を回して、虚ろな目ではっきりと少女を見ました。意識がまだありました。『楽にして』とか『復讐してやる』とかうわごとを言いました。少女は杖を首に向け――当然『死の呪い』なんてこの頃はまだ使えませんでしたから――『裂けよ(ディフィンド)』と唱えました」

 

「……」

 

「しかし少女の呪いはごく弱いものでしたし、目をつぶって手も震えていたので狙いが(ひたい)や腕や胸に逸れてしまいましたから、何度も何度も何度も『裂けよ(ディフィンド)』と唱え続けなければなりませんでした。ヒトでなしはそのたびに(かす)れた悲鳴や呻き声を上げました。片手で杖を握っているので、少女は耳を片方しか抑えられません」

 

 シムは耳を塞ぎたくなったが、先に口を押さえてしまっていたので、できなかった。

 

「何度目かの後、少女が薄目を開けると、ヒトでなしはまだ私の目を見つめていました。ずたずたになった顔で笑おうとしたのか口を動かして、『私にも()()()()()()がいてね』と、その何の脈絡もないうわごとを絞り出して、そして動かなくなりました」

 

 ロウルの口元は凄絶に吊り上がっていたが、目は笑っていなかった。

 

「帝王は少女の魔法の腕に感心なされました。将来は、今のしもべの多くより役に立つかもしれないと。それまではお前が責任をもって育てろと父に仰ると、家を後にされました」

 

 それから遠くに視線を移し、多種の感情が混ざった色を声に乗せる。

 

「それからひと月もせず、闇の帝王は姿を消されました。国中を飛び交う帝王と『生き残った男の子』にまつわる噂の有象無象(うぞうむぞう)は馬鹿げたものでしたが、しかし実際に、帝王は二度と英国に姿を見せることがありませんでした。帝王の敷きつつあった秩序は一瞬で瓦解し、少女の家は魔法省の取り調べを受けることとなりました。

 ウィゼンガモットは、父が『服従』させられていたと判断して、無罪放免を言い渡しました。父が関与した事件の一割も把握していたか疑わしい法廷は当然、八歳の少女を取り調べることもありません。少女の家は、平穏が保たれました。多少の金貨を失ったほかは何事もなく、新たな秩序に(こうべ)を垂れることが許されたのです」

 

 皮肉に唇を歪め、ブロンドの魔女は呟く。

 

「その後の少女は父から魔法教育を()()()施されました。ホグワーツに入るまでの間、そして入学後は毎年夏休みの間。母が止めなければ、少女は二度は死んでいたことでしょう。少女は戦闘の訓練も、様々な闇の呪いも身に着けました。

 そんなものは帝王のいなくなった平和な時代には不要でしょう。しかし父は、闇の帝王が()()()()()()()()()可能性を念頭に置いていたのだと思います――アズカバンにいない者はすすんで考えようとしないことですが、その御名の意味(死を越える)からして、帝王が一歳の赤子によってお隠れになったと考えるのは、不合理ですから。

 仮に闇の帝王がいつか帰還されることがあったとしたら。娘を立派なしもべにするために、帝王への忠誠を誓ってアズカバンで時間を浪費するような真似は避けた――そんな言い訳があれば、父や一家は帝王のお怒りから免れるかもしれませんから」

 

 自嘲してくすくすと笑うロウル。

 

「実際にそんな言い訳が通用するかは分かりませんが。たしかに父は少女を立派な魔法使いとして育て上げたといえるでしょう。貴人の見本たる母とはまるで異なり、父はあまりに粗野で乱暴で激しやすく家名を負うにふさわしい品格は備えていませんでしたが――魔法の力と腕はたしかでした」

 

 苦々しげに吐き捨てると、前を向いた。

 

「そして少女はずっと強く賢く美しく(ずる)(たっと)(しと)やかな(したた)かなスリザリン生の模範たらんと努めてきました。()()()()()()()()()()()()()()()を侍女に迎え、二人でずっと一緒に――」

 

 ロウルは横の侍女に目線をちらりと向けてはにかんだ。

 

「――これが近ごろの私が読んだ、とある物語の筋書きですわ」

 

 

 

 

 セラは同情と憐憫と嫌悪の混じった眼つきでしばらく黙っていたが、呟く。

 

「…………その『物語』をわざわざ私達に聞かせて、あなたはどうしたかった?その物語では、『例のあの人』がいかに人智を超えた存在かというよりも、単にいかに残忍なクソ野郎かということしか伝わらない。

……もしかして、その物語の少女は、今も罪悪感に苦しんでいるんじゃないか。人を殺してしまっ――いや、脅迫されて死にかけの人を楽にしてあげたことを。それを懺悔して償いたくとも、誰にも叱って裁いてもらえない。……実際、発覚してたとしても、何か罰を受けるとも思わないけれど。非魔法界なら絶対に、少女に必要なのは罰ではなくケアのプログラムだと――」

 

「口を閉じなさい」

 

 ロウルは有無を言わさぬ調子で、セラを睨みつけた。憎悪と憤怒で、青い瞳が凍えたまま燃え上がっていた。

 

「少女がこの手で切り裂いたのはヒトなんかじゃないでしょう?夢に見るあの血まみれの顔は、ヒトの皮を被ったただの悪鬼(あっき)でしょう?闇の帝王も少女の父も、ヒトを穢すマグルどもとヒトでなしを成敗して、世界を正しく作ろうとしていたのでしょう?だってそうでなければ――いや、だって少女は()()()()()()()()()!少女は()()()()()()()()()!父も母も帝王も間違っていないもの!少女はこれまでも、その後も、ずっとずっと()()()にしていた!目上の偉い人の言うことをきちんと聞いておとなしく言うとおりにしてきた!ずっとずっと()()()()()()()()!自分自身が笑顔でいられるために、家族が笑顔でいられるために!」

 

 ロウルは叫んだ。楽しそうに満面の笑みを浮かべながら、一筋の水が頬を伝っていた。

 シムもセラも、言葉を失ったまま、悟った。フレヤ・ロウルという名の心優しい少女は、十年前に壊されてしまったのだと。何か気づいていることがあるとしても、心を守るために気づかないようにしているのだと。

 侍女は相変わらずじっとロウルを見つめていた。セラはやがて口を開く。

 

「…………あなたは三年前、私の組分けのときに、どの寮で迷ったかを聞き、私はレイブンクローと答えた。…………ロウル、もしかしたらあなたも組分けはひどく時間がかかったんじゃないですか?あなたはスリザリンではなく、忠実と勤勉と慈愛(じあい)の寮を勧められたんじゃないですか?本来のあなたはそっちの空気が合っていた。現にあなたのやり方はときにスリザリン生からそう揶揄(やゆ)される」

 

 怒りと嫌悪の表情でロウルは首を振った。黄金色の髪と黒の首席バッジが揺れる。

 

「なんたる世迷言(よまいごと)を。あの帽子は所詮、お前ですらスリザリンに入れるような耄碌(もうろく)した帽子です。私はスリザリン生たることを心から誇っています。侮辱は許しません」

 

「スリザリン生なら」

 

 セラは息を吸った。滔々(とうとう)とまくしたてる。

 

「野心というものが無いのか。家やスリザリン社会や『上』に従って、『あの人』がいれば『あの人』に忠誠を誓う?あなたには自分が本当に成りたい姿、本当にやりたいことが無いのか。これからもずっと、『良い子』でい続ければ満足なのか。心の底のどこかで本当は違うと思ってることを、自分自身で変えようとも思わないのか。従順を装いながら狡猾に牙を研ぐのが蛇じゃないのか。

 あなたはどこにでもいる凡人じゃない。スリザリンや社会を変えられるだけの力だってあるかもしれないのに。現にあなたはこの七年間、自分の手でスリザリン寮から暴力と不正を減らしつづけてきた。余計な枠組やしがらみに(とら)われることなく、()()()()()が上に立って先導して、本当にあなたのしたいことだってできる!わざわざ上に立たなくとも、誰のいいなりでもない()()()()()の人生を生きられる!」

 

 セラはいったん息を継ぎ、声を落とす。

 

「……いや、あなたが心に深い傷を負ったのはわかる。傷を癒やす前に、癒しはじめられる前に、こんなことを言うなんて、酷だった。……でも、『例のあの人』だってもういないんだ、あなたを縛れるほどの力がある存在なんてそういないだろう」

 

 ロウルは心底理解できないという風に首をかしげ、呆れた視線を送る。

 

「何を言ってるのやら。私はこれまで通り、ロウル家のフレヤとして邁進してゆくのみです。それが私の喜びです。それともまさか、私が家名を捨て()()()()()()()()()()()()()とでも?」

 

 セラは寂しげに呟く。

 

「……それならあなたはスリザリンにもハッフルパフにもなれずじまいだった。これまでもこれからも」

 

「ヒトでなしの戯言(ざれごと)は、相も変わらず英語であっても理解不能です」

 

 ロウルは肩をすくめた。

 

「…………ではミス・ソウル、あなたの方はいったいどうしてロウルに仕える立場に甘――」

 

 セラは初めて隣の侍女に――しばしば「意志も感情も無いロウルの操り人形」と陰で揶揄される彼女に話しかけた。侍女はセラの言葉に初めて反応し、無表情を保ったまま、まっすぐセラの緑の瞳を見つめた。常日頃と同じように、濁りのない真っ暗な瞳で。

 

「………………いや。何でもない」

 

 セラは目を逸らすと、口にしかけた言葉を呑みこんだ。

「開心術」を侍女にかけられると警戒するより前のわずかな一瞬でセラは、幾重に厳重に閉ざした自らの内奥をむしろあえてわずかに緩めた侍女の瞳の、波一つ立たない静かで真っ暗な水面の遥か彼方の深みに、何らかの感情が、何かはわからないがそれが過去より絶え間なく激しく渦巻いて泡立ちつづけているということを垣間見ていた。

 セラの方が開いて、閉じる。ロウルに拾われる前の彼女がどうしていたか、彼女の家が何代遡れる「純血」を自称していたのか、そもそも彼女に「ヒト(魔法族)の血」がどれだけ流れているのかを反射的に問いそうになり、それを理性と本能が押しとどめた。

 

 しかしロウルはもはや、セラやシムがまだそこにいることなど一切気にせず、立ち上がると嬉しそうに侍女に語りかけた。

 

「――ところでサリー、先ほどの私の杖さばきを見ていまして?そろそろ私があなたに初めて勝てる日が来るかもしれないと、そう思いませんこと?」

 

 侍女はロウルを見つめると、心なしか哀しげに目を伏せて、首をゆっくり、しかし大きく横に振った。

 

「…………あなたのその、決してお世辞を用いない性格は、美点でも欠点でもありますわ」

 

 ロウルは溜息をついた。

 

「ですが、時にはあなたの見識が曇ることもあるでしょう」

 

 ロウルはごく自然に黄金色(こがねいろ)の杖を抜き、そこから何が起こったのか、速すぎてシムは理解できなかったが、視界にうつった情報を後から検討するに、まず、莫大な魔力を体から解放するとともに、侍女に向けて「武装解除」と「全身金縛り」の閃光を、それも机四つ分ほどには広がるそれを射出し、同時に、天井の高さほどある大蛇が侍女の背後に現れて牙を剥いた。しかし、蛇の背後の床からさらに巨大な蛇がその上半身を現わし――蛇と一見錯覚したそれは甲羅(こうら)と脚を備えた陸亀(りくがめ)であった――その陸亀は首を長く伸ばして蛇の頭を噛みちぎると床に沈み込んだ。同時に巨大な海亀が侍女の前に垂直に飛び出し、閃光をすべて甲羅で受け止めると霧となって消失した。侍女の杖から「武装解除」光線が二本射出され、その一本はロウルにまっすぐ迫り、もう一本は天井で反射したのちにロウルの頭上へ迫り、侍女の姿が掻き消える。そしてロウルが一歩下がって「盾の呪文」を張ったとき、侍女はロウルの真横から脇腹に杖を突きつけていた。

 

「……いえ。やはり目にも杖の腕にも常に一辺の曇りもありませんことね」

 

 ロウルが黄金色の(なし)の杖を下ろすと、侍女も杖を下ろして、一歩引き下がって黙礼する。

 

「いい加減、最後のN.E.W.T(イモリ)試験こそは手を抜くのを辞めなさい。存分に力を見せつけなさい。私を立てようとすることは、私への侮辱です。私はむしろあなたが華々しく活躍することこそを望むのです。私の陰に甘んじるのでなく」

 

 侍女は黒いニワトコ材の杖をローブに仕舞い込み、再び首をゆっくり横に振った。ロウルも再び溜息をついて、目を伏せる。

 

「強情ですこと。そんな風に、他者の意志より己の意志と感情に最も忠実なところも含めて、私はあなたを信頼しておりますが。

 ……まったく、私がどれだけ努力しても、どうして私よりわずかに低い成績を狙って取れるのか、未だに分かりませんわ。それに、そんなにどこまでも強く賢く高みに登って、いったい何を目指そうとしてるのやら……」

 

 顔を上げるとロウルは、侍女以外の誰にも決して見せない、天真爛漫(てんしんらんまん)の少女の顔で、侍女に笑いかけた。侍女以外の誰にも決して聞かせない、敬愛と友愛と親愛に満ちた、心から弾んだ声で、自らの生きがいを自らの生きがいに向けて語り掛ける。

 

「もちろん、サリー、あなたに釣り合う(あるじ)でありたいからこそ、いつかあなたの背中に追い付きたいからこそ、私はいつでもいつまでも、どこでもどこまでも何だって頑張れるのですが――」

 

 そしてロウルは侍女とともに教室の扉を開けて去っていった。ロウルが声で語り掛け、侍女が目で応対する、いつもの二人のやり方の会話を続けながら。

 

 

 ★

 

 

 二人はその後もじっと立ち尽くしていたが、やがてセラが口を開いた。

 

「シム」

 

「はい」

 

「……純血思想の連中が皆、彼女みたいな凄絶な過去を持っているわけではない」

 

「そうです」

 

「そういう過去を持っていたとしても、私達への態度を水に流せはしない」

 

「そう思います」

 

「だとしても――彼女もまた『あの人』の被害者だ。…………そんなこと知りたくなかったし――知れて良かったかもしれないし――もう分からない」

 

 セラは弱々しく長々と息を吐く。

 

「…………『例のあの人』がすべての元凶なんですか?千年前から純血主義があるように、『例のあの人』も突然生えてきたわけじゃないんですよね?もしホグワーツ生なら、『例のあの人』はスリザリンで育ってきたんですよね?なんで『例のあの人』は『例のあの人』に()()()んですか?それとも生まれたときから、ああだったんですか?」

 

「…………私達には、推し量りようがないことだ」

 

 しばらくの沈黙の後、廊下の窓の方を見やる。

 

「でも。一つだけはロウルの言う通りだ。私はもっと強くならなきゃいけない。あんな奴らに負けているようじゃ、駄目なんだ……。『あの人』のいない時代であっても……。自由に堂々と生きるには……」

 

 セラは唇を噛む。

 しかしセラはやがて、ふと肩の力を落として首を振る。

 

「……いや。あいつらの言う通り、私がどれだけ強くなろうとしても、限界がある。一人では限界が。…………私はもっと、仲間を増やさないといけない。団結できるようにしないといけない。『決闘クラブ』だけじゃなくて、私の『同類』と。私は少々、独りきりで引きこもりすぎた。シーナとソフィアは二人だけで二人だけの世界を完結できたけど――私はそうはできない」

 

 シムの胸に痛みが走る。自分では不足という、無力感。

 

「……そのためのスリザード・クラブだと思っていましたけど」

 

 セラはにべもなく返す。

 

「この城には君と私だけ。あとは六年上に二人。そのさらに五年上に一人。その何年か上に――ともかく、二十代までに限っても、これだけだ。いくらなんでも、数が少なすぎる」

 

「……」

 

 シムの表情を見て、セラは微笑む。

 

「もちろん、スリザリンの非魔法族出身者(わたしたち)のクラブは、私にとって家族のようなものだ。……けれど、家族の中で助け合っているだけでは、周りは変わらない。私達が生きやすくするように環境を変えてゆきたい。私達は、『スリザリンの非魔法族出身者』であるより先に、『非魔法族の出身者』というマイノリティだ。この属性も魔法界では立場が弱いし、そして数も二人よりはずっと多い」

 

 セラは拳を握り締める。

 

「……そうだ、非魔法族出身者は少なすぎるわけではない。団結して声を上げれば、決して無視できない程度には多いのに。けれど、他の寮の非魔法族出身者達は、仲間同士で固まろうとすることなく、魔法族出身の魔法族の間に積極的に埋没している。だからといって純血主義者に平等に扱われるわけでもないのに」

 

 決意を固めたセラの表情を見て、シムは何か言うのを諦めた。もうシムが何を言おうと、意志は変わらないだろう。

 もっとも、セラの決断に口を挟む意志は最初からない。そのさっぱりした表情で真っ直ぐ突き進むからこそのセラだ。

 

「非魔法族出身者の、非魔法族出身者による、非魔法族出身者のための、寮を越えたグループを、ホグワーツで組織する」

 

 セラは静かに宣言した。

 

 





従者にのみ心を許して依存しきった主人と、完璧超人の従者の、捻じ切れた関係性。
多少特殊であれ、この二人の物語は魔法戦争で無数に発生した悲劇のごく一例です。二人の過去や未来についてこれ以上本編を割いて示すのは野暮ですので、想像していただければ。


隔日でなくてすみません。今話が第五話クライマックスですが残り一回を今月中に投稿します。(→来月以降に投稿します)
感想等ありがとうございます。面白いと思って読んでいただける方が筆者以外にも確かにいらっしゃると知れることはとても励みになっております。


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