青春ガールズロックと黄昏ティーチャー。 (黒マメファナ)
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第一章:不良教師と不良生徒
①屋上エンカウンター


※初見の方へ
バンドリだと思って読むとイライラすることになります。全てを受け入れる覚悟と全てを赦す心の余裕を持って読みましょう。

※既読の方へ
少し手直しする(なにぶん初回が昔すぎて色々おかしいところがある)ので投稿が遅くなりますがあの頃の気持ちで読んでいただけると嬉しいです。なんならどこぞのクズを補足した物語読んでくれてもええんやで。

※既読でかつ以前低評価をした方へ(追記)
わざわざ嫌いなもの見に来るの楽しいんですか? まさかこのパターンが存在することに驚きを感じ、そして配慮の至らなさを指摘されたようになりました。この度はお詫び申し上げます。二度と来るな。


 教師なんて仕事はロクなもんじゃない。オレはそんなことを、24ん時に私立の女子校に就職してから知ってしまった。中高一貫のそこは、部活に力を入れてるようで、上司の一人が、ウチのダンス部は全国的にも有名で、と声をでかくした瞬間にしまったと思ったのをよく覚えている。

 ──それから四年が経ち、若くて熱意のあったオレを過去っつう暗闇に置き去りにして、未だ未来なんて言葉だけはいっちょまえな暗闇をだらだらと行進中……やってられるかとやる気を失ったばかりにオレは不良教師のひとりってわけだ。唯一の救いは顧問をしてる天文部はよく分からん頭のイカれた天才がひとり、私的利用してるだけ。ろくな話をしたこともねぇけど、変人だってのはよく分かってた。同僚、上司もソイツの扱いにゃ困ってるからな。

 んで、そんなことよりもっと問題なことがある。教師がロクなもんじゃねぇって証左が、オレの同僚の現文の教師なんだ。コイツがなまた爽やかなイケメンくんで、先日結婚式を挙げた。めでてぇよな? そうだな、フツーの反応ならそうだけどな……ってここまで前フリしてりゃ想像つくだろ。

 元教え子、しかもつい先月卒業したばっかのピッチピッチで犯罪係数300オーバーで即抹殺クラスの18歳。二年前から付き合ってたんだと。いや、よくその首が落ちなかったな、と思わず、ロリで始まってコン、で終わる四文字の犯罪者予備軍の名称が頭に浮かんだもんだ。いやいや絶対に嫁探しに女子校就職しただろテメー。

 

「……はぁ、んだかなぁ……」

 

 そんな人生薔薇色グレイブ直行が羨ましくないかと言われれば羨ましいし妬ましいから今すぐ事故って死なねぇかなってくらいだが、オレは対照的に嫁候補どころか大学時代以来カノジョが出来ない有様だった。それをソイツに愚痴ったところ、出逢いはいくらでも……そう、受け持ちクラス×約40人はいるんだからさ、と爽やかに言われ、お礼に良い精神科を紹介してやった。いいところだぞ、オレも世話んなったからな。とまぁ、冗談はさておき、見方を変えれば景色が変わるように、いっそ──

 

「その辺のJK落とせれば……オレの人生も黒から薔薇色へ……」

「……通報していい?」

 

 紫煙とともに吐いた歌うような独り言に、鋭い声が突き刺さり屋上から真下へ転落していった。おかしいな、キレイな空模様なんだがな、オレには鉄格子が見えるんだが。

 

「ふぅー……はぁ……土下座したら見逃してもらえるか?」

「バカじゃないの」

「バカにすんなよ、本気の土下座だ」

「プライドないの?」

「ねぇよ。そんなもんちぎって猫の餌にしてやったよ」

 

 鉄格子の未来より、10も年下のガキに頭下げたくれぇで済むなら安いもんだ。

 ──と、そこで初めてオレの断頭台のロープを持つ執行者の顔を見た。

 目に入る情報は気の強そうな眼に、黒檀の髪に映える赤メッシュ。制服のネクタイやスカートが緑色ってことは、ぴっかぴかの一年生か、メッシュのインパクトもあったが、その割にはピアスとかは空けてなさそうだな……と、思考したところでそいつは目を細めて軽蔑の表情に変わった。

 

「……アンタ、やっぱり通報されたいわけ?」

 

 おや、と思ったのも束の間、そりゃぁ最初の発言したうえで下から上まで視線という唾液でベッタベタに舐めたら、その反応も納得だ。

 ──さて、と。アレ使うか。禁じ手だが。

 

「お前、今は授業中だろう? サボりか?」

「うわ……コイツ」

 

 土下座もダメなら立場を使う。お前は生徒でオレは教師、残念ながらどこまで行ってもこの学校という監獄じゃ、オレが上だ。

 都合のいいことに今は授業中のハズで、屋上までわざわざサボりとはな、保健室で良いじゃねぇかよ。

 

「まぁなんだ、そこ座れよ」

「……嫌なんだけど」

「ウルセーな。見逃してやる代わりに弁明の機会を寄越せっつう意味だよ」

「いいけど……これ以上寄ってこないでよ」

「へいへい」

 

 生返事をしながら我が仕事の相棒に火を点ける。手すりに肘を置き、吸って吐く動作を、大人二人分距離を空けたソイツはじっと見つめていた。見世物じゃねぇぞ、とも思ったけど、オレはさっき仕舞った相棒を再び取り出し、ソイツに向けた。

 

「吸うか?」

「……ハァ? アンタ本当に先生?」

「知らんようだから教えてやるよ、何やったって教員免許持って学校に雇われてりゃ教師なんだよ」

 

 そう。教師なんてそんなもんだ。未成年にタバコを吸うかと問うても、教え子に手を出しても、オレたちはコイツらのセンセーだ。腹立たしいだろうけどな。

 

「信じらんない……」

「なんだ、吸ったことねぇの?」

「アタシ、未成年なんだけど」

「赤メッシュ入れてるくれぇだからそんなルール、破ってると思ったよ」

「そういう目でみないでくれる?」

「んだったら、いい加減オレをその目でみるの、やめようぜ?」

「それは無理」

「その気になれば力尽くで襲えるっつうの」

 

 嘆息混じりにそう言うと、ソイツはしばらく難しい顔して黙っていたが、それもそうだね、と一歩近づいてきた。

 

「……ホントにロリコンじゃないよね?」

「さぁな、口で言って信用するか?」

「しない」

「かわいくねぇヤツ」

 

 悪い? と睨みつけながら、ソイツはさっきよりも近い距離でオレに向けて言葉を紡いでいく。なんでだろうな、ガキとの会話なんて、正直徒労ぐらいにしか思っないのに、ソイツとは殴り合いのようなこのやり取りが成立する。

 

「……美竹蘭」

「は?」

「……アタシの名前」

「そうかい、覚えててほしいのか?」

「別に、アンタ、赤メッシュとか呼びそうだから」

 

 おっと、その通りだったんだがな。どうやら赤メッシュを入れてるのは自分の意志でも、それを記号にされるのはヤなんだな。子どもらしい、矛盾だらけでバカげた思考回路だ。

 

「美竹、な。おぼえるだろうよ」

「なんで?」

「忘れるほど薄い印象じゃねぇからな」

「あっそ」

「……あとクッソ生意気だからな」

「アンタ、尊敬されるようなヤツだった?」

 

 違うけど、それを口に出されるのはムカっとするな。っと、オレもまだまだ子どもっぽいところはあるらしい。特にコイツ、若干笑いながら言ってくるから余計に腹立たしい。けど、笑うその顔は美人で……共学だったら高嶺の花で、男どもに人気出るんだろうな。

 

「……で?」

「なんだよ」

「アタシ、名乗ったんだけど」

「……はぁ?」

 

 どうやら名乗ったから名乗れってことらしい。狭いコミュニティなんだから知る方法いくらでもあんだろ。いや、それはオレにも言えたことか。

 

「名乗らないならいいよ。変態ロリコンクソ教師」

「……チッ、一成(かずなり)清瀬(きよせ)、一成だ」

「カズナリ、ね、たぶん、アタシも忘れない」

「おい呼び捨てはヤメロ、一応先生つけろ」

「はいはい……清瀬センセ」

 

 こうしてオレは、出逢っちまった。妙にとんがったこの美竹蘭とか言う女に。担当でもねぇクラスのやつの名前を、覚えちまった。これが出逢い、なんてこれっぽっちも思っちゃいないけど、不良教師と不良生徒、この羽丘の不良債権は確かに縁を結んだ。それは、絆のように、簡単には切れない呪いのような気がして、オレは短くなったタバコを携帯灰皿に捩じ込んだ。

 

「ま、お前の青春を聴いてやるくれぇなら、付き合ってやるよ。偶には教師らしく生徒のカウンセリングをしてやる」

「頼んでないけど」

「わざわざ屋上までサボりに来て、なんか思うとことかあんだろ」

「うざ……」

 

 うざい、か。子どもにとっての大人なんて、理屈っぽくて、矛盾して、無駄に偉そうだからな。けど、今のオレは大人としてガキに人生経験を振りかざす気にはとてもじゃないが、なかった。

 

「オレはある」

「……は?」

「思うところ、青春ではねぇけど、吐き出したい汚いものなんて幾らでもある」

 

 それこそ文字にしたら優に800文字を超えるくれぇには、愚痴や教師なんていう仕事に対する文句が出てくる。けど、それは一人で処理しなきゃいけないもんだ。無理なこともあるだろうが、少なくともオレの胸中に巣食うこの無気力は、そういう類の、蚊みてーなもんだ。小さくて、鬱陶しくて、オマケに潰そうとすると避けて、ほっとけば痒くなる、そんなもん。そんな鬱陶しい感情に火をつけて吐くくらいなら、無駄に溜め込んでそうな美竹の、十代特有のくだらない悩みの方が、何百倍も耳に優しい、そう思っただけだ。

 

「じゃあ言えばいいじゃん」

「バーカ。ガキにゃ十年はえぇんだよ」

「子ども扱いすんな」

「うるせぇな。ガキじゃねぇってんなら、この問答が無駄だってことくれぇわかるだろ?」

「……はぁ、ホント、アンタって」

 

 ああ言えばこう言う、ってか? それはオレが大人だからで、それが嫌に聴こえるのはテメーが子どもだからだよ……なんて反論は口には出さなかった。コイツの反骨心に火を点けて眺めんのは楽しいけどな。

 

「……笑わない?」

「保証はしかねる。けどスッキリする、ってのは間違いねぇだろうな」

 

 嘘は言わねぇし言うつもりもねぇ。コイツは今、生ぬるい優しさのような嘘を求めてないから、冗談めいて言葉を吐くけど、そこに込められた意味は本当だ。それが分かったのか、躊躇いながら、美竹は声を絞り出した。

 

「……どうしたら、いいんだろう、って」

 

 それはさっきまでの尖った印象はなく、弱々しい、十代の少女の幼い嘆きだった。

 ──美竹は、中学にも屋上で佇むことがあったらしい。そんな彼女を守るため、繋ぐため、コイツの仲間とやら……そう友達じゃなくて、仲間がバンドを提案した。それで孤独感は解消されたけど、今度は家を継ぐって親父さんとの話から始まり、揉めてるらしい。この見た目でいいとこ出かよ、とツッコミは抑えて、オレはタバコ……の代わりに飴を口に放り込み、聴いていた。

 

「継げばいいじゃねぇかよ。バンドと掛け持ちできねぇってわけじゃないんだろ?」

「そんな簡単に……!」

「カンタンだろ。逃げてるって思われたくねぇならどうする? 立ち向かえばいい。シンプルな解答だ」

 

 華道の集まりに参加せずにバンドを続けるイコールバンドごっこに逃げてる、って式が成り立つなら、華道もバンドも両立できてれば逃げてねぇって証明になるわけだ、1+1は2になるなら答えが2にならなきゃ1+1じゃねぇ、なんて小学生でもわかる解だって言ってやった。けど、美竹はそれに反論する。

 

「……人間の心は、数字じゃない」

「そうだな。でも確定しないものを定義するのが数学でもある。公式はねぇけどな」

 

 大人になれば嫌でも()()っつう変数を公式っつう名前の鋳型に嵌め込んで、ガッチャンガッチャンとどこかへ売り出さなきゃならない。そうやって量産されていく自分で作った自分っつう鋳型は、ある意味じゃ思春期に最も理解できないモノなんだろうな。

 

「けど──!」

「本気なんだろ、バンド。だったら本気のひとつくらい出して、仲間や親父を安心させてやろうとか思ってみろよ」

「でもあの人は……父さんはバンドを認めてなんて……!」

「──バカだな、ホント」

 

 美竹にとってみれば重大なことでも、バカだと思えるのはきっと、オレがこいつの親父さんの側だからだろうな。一通り話を聞いて、勘違いしてやがるからな。

 

「なんで」

「んなもん、テメーで考えろ。授業サボって屋上で腐ってる暇があったら、オレに愚痴ってる暇があったら、仲間とか親父に、素直になってみることだな。誰も斜に構えたお前を求めてない。本当の気持ちを知りたがってんだよ」

 

 我ながら説教くさい。歳を取ると口臭体臭、挙句説教まで臭くなっちまったら、そりゃ、パパくさいから始まり、娘も寄ってこなくなるわけだ。ん、まぁオレには娘というものには縁がなさそうだけどな、クソったれ。

 

「アンタに、そんなこと言われなくても」

「分かってたら、そんな顔はしねぇだろ」

「──っ!」

 

 眉間に皺を寄せて、オレを睨みつけるが……赤くなってちゃ、凄みがないんだよ。なんだか、思ったよりも表情が動くな、コイツ。まぁ、なんだ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……それに、大切な仲間、なんだろ? 当たり前とかじゃなくて、もっと大切に過ごせよ」

「……なに、それ」

「人間関係なんてな、思ったよりもカンタンなんだってコトだ。わかんねぇかもしれないけど」

 

 高校生ん時はそんな気持ち、わからねぇし、わからなくてもいいと思う。けどな、高校時代に得た人間関係はそこまで長続きしない。なんたって中学卒業からたった五年で、殆どの人とする挨拶が、久しぶりなんだからな。中学は中学、高校は高校、大学は大学……そのあとも職場、と人間関係はその都度再構成される。

 オレも、今は殆どココの教師とだけしか付き合いがない。大学時代に夜中までどんちゃん騒ぎして警察官に説教食らった日の友達も、代返し合って、下宿で泊まって、一緒にパチンコでバイト代すっからかんにした友達も、もうオレのスマホを鳴らすことはない。

 ──青春は一瞬。その楽しさも感傷も、人間関係さえも、な。

 

「アンタみたいなヤツなら……くだらない、とか言うと思ってた」

「ま、休み時間の職員室でこんな相談されたら、くだらねぇこと言うんじゃねぇ、オレの時間なんだと思ってんだタバコ吸わせろ、くらい言うだろうな」

「……だったら、なんで?」

「ここが屋上で、今が授業中だから、かな。あと、オレだってくだらない感傷に浸ってたからってのもあるな」

「そう……そっか」

 

 お、表情が柔らかくなったな。なんかスッキリしたらしく、オレへの警戒もやや薄れてるみたいだ。よしよし、ちゃんとロリコンの危ないオッサンから先生には格上げされてるっぽいな、作戦成功。

 

「……ありがと」

「なに、オレが生徒に手を出すような変態じゃねぇことがわかってくれんなら、真摯にもなる」

「ふふ、まだ疑ってる」

「テメー……」

 

 笑ってんじゃねぇか。声を上げるわけじゃないおしとやかな印象の笑顔。普段からコエー顔さえしてなきゃ、さぞクラスで浮くなんてないんだろうな。もっとも、それを変えられないから、コイツは不良生徒なわけだが。

 ──と、そこで授業が終わるチャイムが屋上の世界を裂いていった。それを合図に美竹は立ち上がり、スカートを払って、伸びをした。

 

「……じゃあね、センセイ」

「おう」

「アンタの授業なら、聴いてもいいかも、って思ったよ」

「説教くさいのがそんなに気に入ったのか?」

「全然……でも、退屈じゃなかったから」

「嬉しいね、タバコやろうか?」

「いらない、バカじゃないの?」

 

 それを最後に屋上の扉が閉まり、もう一本吸うか、と手にしてからそれを仕舞った。吸う気にはならなかった。別に止めたくなったわけじゃないが、なんとなく、今はいい……自然とそう思った。

 

「美竹、蘭か」

 

 青春を青春だって叫べるヤツ。でも素直じゃない。矛盾してる、してるからこそ、アイツはオレの知ってる誰よりも煌めいているように見えた。オレの同僚からしたらこれは運命か恋か……そうじゃないだろ。

 そんなもんで塗りつぶすには勿体ない出逢いだと素直に感じた。確かにあの時、美竹が笑ったその瞬間、オレの独りで煙にしていた文句や愚痴が、全部空に溶けちまったんだからな。

 ──その日は久しぶりに大学時代のダチと飲みに行った。まるであの頃にタイムスリップしたかのように、オレとそいつは、バカみたいに笑って酒を飲んで、上機嫌のまま別れて、眠りについた。

 



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②小悪魔リビドー

※初見の方へ
作者はマジで原作の氷川日菜の属性がこう見えています。男いないんだから証明のしようがないだけ。


 出逢いが劇的過ぎてもう二度と、会うこたぁねぇと思ってた。そんなわけねぇんだよな。ここは狭くて劣悪な環境を誇る監獄(がっこう)で、美竹蘭は囚人(せいと)、オレは看守(せんせい)だ。当たり前のようにオレと美竹は再会した。場所は夕焼けの屋上、なんて絵になる場所で、絵になるやつが来たから口からタバコが滑り落ちた。

 

「ぷっ、ダッサ、なにやってんの」

「うるへぇ、ったく、一本無駄にしちまったじゃねぇか」

「どう考えてもアンタの自業自得でしょ」

「生意気なガキだな。つうかオレ教師なんだけどもしかして敬語とか使えない系かお前?」

「は? ちゃんと尊敬できるヒトとか目上の人には敬語だけど」

 

 おいまてこのクソガキ。前者は諦めてるからいいとしても後者はオレもその括りに入ってるだろ。なんでさも当たり前のようにオレを目上から除外してんだよ。ちゃんとの意味間違ってんだろ。敬語使えない系は天文部の変態だけにしとけよ。

 

「この時間にいるってことは、なんかの顧問でもやってんの?」

「いちおうこれでも天文部なんだがな。オレはそこに巣食う天才ちゃんが部活動をするって言いだした時にこうして屋上でサビ残してるんだ」

「天才ちゃん……ああ、あの氷川って先輩」

「なんでも最近はギターが楽しいらしいから、もっぱら部活動もそれだけどな」

「……天文部なんだよね?」

 

 そんなあからさまにバカじゃないの、みてぇな顔されてもな。その問題児が羽丘唯一の天文部だから、何しようがそいつの勝手ってことになってんだよ。顧問も管理とか言いつつの屋上で一服吸って、缶コーヒー片手にテキトーに残業してるだけだからな。オレのことだけど。

 

「じゃあ……アンタ暇なんだ」

「不本意だがな……つかお前こそ、こんな時間になんでいるんだよ。帰宅部だろ」

「つぐみ……友達が生徒会だから」

「ふーん、前に言ってた仲間、ってヤツか」

「うん」

 

 つぐみ、ってあの羽沢つぐみか。職員会議で最近氷川、美竹、瀬田に続いて名前の挙がるヤツだ。上記三人とは違ってコッチはお偉いさま方もにっこりの頑張り屋だ。この間学年主任で生徒会の顧問でもあるハゲが、うちのつぐみがとか言い出して思わずスマホのディスプレイに110の数列を並べちまったから関連で覚えたんだよな。ほんとこの職場、変態とロリコンが多いな、やっぱ辞めた方がいいかもしれねぇ。そんな真面目ちゃんがこんな赤メッシュと一緒にガールズバンドか……イメージつかねぇな。

 

「……アンタ今、つぐみがこんな赤メッシュの不良と一緒にバンドとかイメージつかないって思ったでしょ」

「失敬な、そんなこと思っちゃいない」

 

 そこまで悪い意味を込めたわけじゃないからな。

 ──それにしてもコイツ、見た目はアレだが、会話のテンポが常識人の範囲内だからか、会話が弾むな。職員室ですらここまでテンポが合うやつは一人しかいねぇから、ついつい話し込む。

 

「それで? 今日は特に嫌なことがあったってわけじゃなさそうだな」

「……夕焼け、見に来ただけだから」

「夕焼け? ああ、今日は確かに眩しいな」

「この景色が、アタシたちの始まりだから」

「そう、かい」

 

 コイツらのバンドの名前はAfterglow……美竹が言った始まりでもある夕焼けの英語。単純で、実に結成当時中学生だったことを伺える安直なネーミングだ。カッコいいじゃん、嫌いじゃねぇ。

 歌詞をこねくり回して詩的に歌うのは、ポップの仕事だ。ロックはたぶん、もっとまっすぐで歪んでて、勢いと矛盾で構成されるもんなんだから、それでいいと思った。

 

「アンタの言う通り……って言うのは癪だけど、バンドも華道も、向き合うことにした」

「そっか、ま、できるだけ頑張れ。できねぇと思ったら、そん時はまた立ち止まって考えりゃいいんだよ」

「そうするつもり」

「オレのアドバイスは役に立ったみたいで、安心した」

「全然」

「おい」

 

 楽しそうに冗談を放つコイツは、以前の思いつめて眉間に皺が寄ってたヤツとはまるで別人だった。つか、そんな風に笑わないでくれよ、お前は顔が良すぎて心臓に悪い。思わず15歳と28歳っつう年の差を忘れちまうぐれぇにはな。男ってのは単純だ。美人の笑顔に弱すぎる。

 

「お前といると、オレがなんの仕事してんのか、忘れそうだよ」

「大して先生してないじゃん」

「てめ……」

「だから、あの日、アンタがいてくれて……その、よかったって思ってる」

 

 それはコッチのセリフだ。口には出さないが、オレだって、あの日美竹に会えてよかったと思ってる。だから、まるで無力に救われた側みたいな顔しないでくれ。恥ずかしいから絶対言わねーけど、オレはお前のおかげで、まだ、やり切ってない、って思えたんだから。

 

「あれ~、ら~ん~」

「……も、モカ!」

「……お前は」

「あらら~? 清瀬センセーだ~、こんにちは~」

 

 そんなときに、屋上の扉を開いて世界を割いて現れたのは間延びした口調にやたらと眠そうな女子生徒。美竹とは違うクラスで、オレの担当するクラスの一年生でもあった。知り合い……いや、コイツも羽沢同様、仲間ってわけか。名前はなんて言ったけか……あ、コイツいつも寝てるから知らねえわ。つか顔を真正面から見たのすら初めてだ。

 

「おやおや~、もしかして~、もしかするとですか~?」

「……なにその指」

「え~、伝わんないかな~」

 

 小指を立てるならオレにだろ。美竹には親指だったはずだ。どちらでも首を振られるのに変わりはないが、そんなの流行ってないのによく知ってるな、コイツ。と観察していたら半眼をこちらに向けてきやがる。安心しろ、別に付き合ってねぇよ。だから通報すんなよ。

 

「偶々ここで会っただけだ」

「なんか見つけたみたいだった蘭がそそくさと屋上行くから、てっきり密会の待ち合わせかと~」

「モカっ!」

 

 おー、なるほどな。仲間うちにはこんな顔すんのか、コイツ。あとこんなアクティブなコイツをオレは知らないからそれはそれで新鮮だ。寝てるか人の授業中に堂々とパン食ってるようなヤツだからな。よく近くの席に座ってる羽沢とかに止められてんだけど。

 ──でも、不思議と問題児には仲間入りしてねぇんだよな。なんでだ……ってたぶん注意されねぇ授業を選んでんな。

 

「モカ……このクズ教師、モカのことわかんないみたいだけど」

「えー、あたし~、センセーの授業にいますよね~?」

「いるだけだな。食欲に睡眠……欲求に忠実なヤツとしか認識してねぇ」

「あー、そーいえば~……青葉モカで~す」

 

 青葉モカ、と不本意なことにまた新しいガキの名前を脳に刻み付けちまった。しかもコイツは明らかにオレの苦手なタイプだ。何考えてんのかわかんねーし、表情読めねーし。言動すべてが不可解、ブラックボックスみてーな女は、総じて近寄らねぇことにしてるんだから、勘弁してくれ。

 ──けど、これはまだまだ後になってわかることだが、この女は特にやべーヤツだった。オレはきちんとコイツの行動原理の半分を理解してたのに、もう半分を意識するあまり、理解していた部分がすっぽりと抜け落ちることになるんだからな。

 

「……ふっふっふ~、蘭があたしたち以外と楽しそうにおしゃべりしてるの~、めずらしーよね~?」

「う、うるさいな!」

「やっぱり普段はむっつりしてんのか」

「むっつりさんですよ~」

「その言い方ヤなんだけど?」

 

 弄りすぎたか、そんな二対一になった美竹は顔を赤らめながら怒ったように足音荒く屋上を後にした。それに続いて青葉もそそくさと何も言わずに屋上をオレ独りの世界に戻した。もしかしたら……そんな予感をまさかと振り払って、タバコを吸おうと胸ポケットを漁って、一本取りだした。そんなとき、あ~! と、聞き慣れたくもねぇ声が聞こえて、また火もつけずに口から離した。

 

「先生いた!」

「氷川……部活は?」

「うん、もう終わりだよー」

 

 ──元祖敬語使えない系、氷川日菜。天文部唯一の部員にして、羽丘きっての天才兼、問題児。とにかく言動がぶっとんでるし、人間離れしてるし、正直同種だと定義することすら躊躇われる生物。フツーの人間じゃ感じえないことも平然となんでと口にする、そんな奴だ。

 

「今さ~、赤メッシュの女の子と灰色の女の子とすれ違ったけど、怪しいコジンシドーってやつ?」

「んなわけねーだろ、タバコ吸ってたら来ただけだ」

「えー、なんかるんってこないなー」

 

 なんだよるんって、理解できる言語でしゃべれよ。けど、オレの回答は些かコイツには不満だったみたいで、オレの胸ポケットからタバコをくすねやがった。あ、つかそれオレが口つけたやつ。最後の二本なんだが。

 

「先生、ライター」

「先生はライターじゃありません」

「先生、ライター貸して」

「はぁ? タバコ咥えた未成年に堂々とライター貸すバカがいると思うのか、お前は」

「ここにいるじゃん、早くしてよ」

 

 チッ、と舌打ちをしてライターを氷川に放り投げた。実は、これが初めての未成年喫煙じゃない。氷川は今年から顧問となったオレに、こうしてサビ残をサボる口実として部活動をしているという体裁を整えて、こうして対価とばかりにタバコを要求してきやがる。未成年の分際でイキった印象のない慣れた所作で紫煙を吐く姿は、とてもつい最近から吸い始めたとは思えなかった。

 

「先っぽ、ちょっと濡れてるんだけど」

「そりゃ、オレが咥えて吸いかけたヤツだからな」

「あは、間接チューだ♪」

「気持ち悪い表現をすんなボケ」

「あたしはそー思ってないもん」

 

 そんな更に気持ち悪いことを言いだした氷川はじりじりとオレに近寄ってくる。最初、一歩でも手が届かない距離から近づいてこなかった美竹とは大違いだ。こいつは最初から肘が当たるような距離で、あたしにもちょーだいって言ったんだからな。短い回想をしていると、コツンと氷川の肘が触れた。だがそれでも尚無言で距離を詰めようとしてくるアホの頭に、オレは手刀を繰り出した。

 

「氷川、いてぇからやめろ」

「その呼び方、ヤダって言ったけどなー」

「……ヒナ」

 

 呼び方を変えると満足そうにまた一歩詰めよってくる。ああ、そうそう。コイツはオレにちょっかいをかけてくる。タバコもたぶんその一環だろうな。けど、コイツとまともに会話が成立しない理由は、ちょっかいをかけてくることじゃない。コイツは、オレって道具を通して、本来自分が味わえないものを強請るだけの駄々っ子だからだ。

 

「カズ先生?」

「その呼び方はやめろと言った」

「ね、カズくん」

「誰が親しげにしろと言った」

「だって、カズナリ、って長いじゃん」

「清瀬って短くて読みやすい苗字があるんだがな」

「キスしよ」

「……断る」

「じゃあえっち」

「いい精神科紹介してやる。親兄弟を泣かす前に受診しろ」

「行くからえっちしよ?」

「クソビッチ」

「カズ先生にしか言ったことないし、カズ先生でしかイったことないよ?」

「……メンヘラかよ」

 

 ああもう、タバコが短くなって……フィルターじゃなくていつの間にか氷川の舌に吸い付く。とろける、倫理がとろけて宇宙に放り出されたように身体が浮く感覚がする。吸ったばっかだから唾液はタバコの味がするし、息を吸う間もねーんじゃねぇかってくらい口塞いでくるから苦しいし、頭がくらくらする。そのまま身体を支えきれなくなって、へたり込むと目の前の悪魔が舌なめずりをしながらスカートを捲って跨ってきやがる。

 

「あはっ、るんってきた♪ やっぱり部活の最後は、コレだよね~」

「恒例にしたくねぇからヒナからやめてくれると助かるんだがな……」

「……やばいってぇ……このタイミングで名前呼ばれたら、あたしもう……無理♪」

 

 夕焼けに背を向けて、背徳交わるランデブー。度し難いのは、氷川とはたったこれだけ、恋人同士として付き合ってるわけではなく、ただ突き合ってるだけのオトモダチ(セフレ)だってこと。

 ──ん? そうだな、オレも同僚のこと、笑えやしないレベルの度し難い変態ってわけだ。干支一周分離れた16歳のガキに流されて、部活という名の欲求の解消。これが何もかも忘れられるくらいに気持ちいのが悪いんだ、なんて口では言い訳して、また流される。美竹に知られたらまた、あの顔に逆戻りだろうに……ん? ふふ、ふはは、思った以上に、オレはアイツが話をしてくれたことを良く思ってたらしい。知られたくないんだな、コレを。

 

「……他の女のこと考えてた?」

「そもそも、お前をオレの女にした覚えはねぇけどな」

「こんなにあたしを汚して、そんなこと言うんだ」

「男はみんな狼だって知らねえのか、美人に誘われて腰振らねぇ男はいねぇよ」

「わぁ、先生の言葉じゃないよね~」

「悪いか」

「ううん、最っ高……♪ またきゅんってしちゃった」

 

 爛れた関係ってこういうのを言うんだろうな。これに比べたらきちんと薔薇色グレイブ直行したオレの同僚ってまだ良心的な気がしてきた。けどこの悪魔とだけは勘弁してほしい。何考えてんのかわかんねぇやつはお断りなんだ。

 

「あの赤メッシュの子、カズ先生好みだよね」

「んっ!? ……んなわけ」

「はい、ウソついたから、ペナルティーね、家まで送ってってよ、先生?」

 

 きちんと訳すとカーセックスしたい……だな。とんでもねぇ日本語が飛び出してきやがったな。ヒトの車汚すのは勘弁しろ。つか車はキレーにしたくてタバコ吸わねーようにしてんだから。そっちも禁止だからな、なんて文句を垂れると氷川はニヤっと意地の悪い笑みで、もってなにー? とわざとらしく訊いてきやがった。

 

「ったく、とんでもねぇ女に捕まっちまったもんだな、オレも」

「あははは、あの子だったらあたしも諦めてあげていいって言ったら……どうする?」

「ウソはペナルティーじゃねぇのか?」

「あ、うん。(くち)使う?」

「帰るんだよ、アホかお前どんだけだよ」

 

 そろそろ最終下校時刻だからバレるだろ、という意味も込めての手刀でようやくオレの上から氷川が退いた。部室のカギを返して、後はコイツと不本意な放課後デートか。

 ──ああ、ちくしょう、認めてやるよ。美竹が恋しい。アイツとただの教師と生徒の会話をしてる時間の、その合間にあるなんか許されてるって感じが、めちゃくちゃ居心地良かったんだよ。この悪魔に出逢う前に、お前と会いたかった、なんて思ってるくらいにはな。

 

「じゃ、あたし先に駐車場行ってるねー!」

「……はぁ」

 

 嵐のように去っていく氷川の後ろ姿を見送り、やっと独りになって、タバコ……はもう最後の一本アイツに取られたんだった、クソ。そうやって悪態を付きながら重い腰を上げて扉を開ける。そして階段を降りていく途中で、のんびりとした声を聴いた。

 ──もう一体の悪魔の声。眠そうな目には感情が映ってないくせに、笑みだけはやけに寒気のある、三日月。

 

「さっきのさ~、バレたらヤバいヤツですよね~?」

「あ……おば」

「はい、ちょーぜつびしょーじょのモカちゃんで~す」

「さっきの、って?」

「え~、ここで誤魔化すの無駄だと思うんすよ~、ほら」

「……チッ」

 

 さよならオレのティーチャーライフ。青葉の手に握られていたスマホには抱き合う教師と生徒、再生ボタンを押さなくとも、悪魔が恍惚の表情で身体を上下に振るのがわかりきっている動画。学校なんていう生ぬるい監獄の看守からモノホンの監獄の囚人にジョブチェンジ待ったなしだ。

 

「それで~、あたし、質問しましたよね~?」

「ああ、めちゃくちゃヤバい。お前が何か行動一つするだけで下手すると物理的に首が飛ぶ」

「いや、そこまでないと思いますし、日本の死刑は絞首っすよ~?」

 

 と、オレの首に大斧を構えた悪魔からの一言。そんな常識的なツッコミは今求めてない。オレの解にお前がどうするのか、ただそれだけなんだから、早く楽にしてくれ。オレは既に苦しんでる。

 

「……じゃあ、連絡先、こーかんしませんか?」

「は? いや、意味がわからん」

 

 青葉の真意がわからず、オレは死刑執行寸前にも関わらず、呆けた顔をしてしまったのだった。

 

 




とりあえず二話まで、ここからクズのクズ道が始まるのだった。
次回はブタ箱からの大脱出編です(大嘘)


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③契約ディザスター

※初見さんへ
モカの解釈は、ずーっとガルパのモカの口調が作り物に聴こえたからというものです。まぁあの間延びしたしゃべりかたを強要されたらそうなるよね。別に中のヒトが嫌いではないです。というか本心しゃべらずに道化を務めるのは原作もそうじゃない?

※既読(低評価者へ)
好き嫌いって個人の自由なので何度見ても嫌いなものは嫌いでしかないと思います。僕もあなたたちが嫌いですしお互い見たくもないなら除外しといた方が精神衛生のためになるかと思います。


 なんで、氷川とこんな関係になったのか。認識されるようになったのは2ヶ月前のこと、たったそれだけの期間でオレは教師として最悪の展開である、ガキと関係を持つようになった。2月の冬の寒さでも、オレはちょっとした時間に屋上でタバコを吸う。つーか散々吸っといて今更だが、もちろん学校敷地は全面禁煙だ。けどまぁ、場所は選んでられなかった。失ったもんがでかすぎて、遣る瀬無くて。それを相棒(タバコ)ナシで耐えられるほどオレは大人になりきれてるとは言い難いからな。

 

「ねぇ、そこのヒト」

「……ん? なんだ、氷川か」

「うん……というか、あたしのこと知ってるんだ?」

「いいや。お前がクソみたいに問題児だって会議で話をしてるから覚えただけだよ」

 

 そんな息も凍り……はしねぇけど、ホットのコーヒーも一瞬で温くなっちまうような日に、屋上で羽丘一の問題児と初めて言葉を交わした。青緑の髪を三つ編みにした、いかにも活発そうな輝く瞳と健康的な肉体。そして、人事異動でオレが顧問をやる部活の……唯一の部員。タイミング良すぎて戸惑っていたオレに氷川は肘がぶつかる距離にやってきた。

 

「……名前、なんて言うの?」

「なんで教えなきゃならん」

「だって、天文部の顧問になるんでしょ?」

「……やっぱり、フツーは四月になるまでわからねーはずなんだがな」

「前の先生が辞めちゃって、次は清瀬先生って人だよって言ってたから」

「そーかい」

 

 前任の天文部は良い女性であり、先生だった。普段はふわっとしたお嬢様みてーな雰囲気のあるがきちんと教師としてのメリハリを持って生徒と接していて、大学では地学を専攻してたオレのふたつ歳下。ただ、良い女性でもあった彼女はあっという間に寿退職しちまった。私立はホント、教師の回転が早いんだなと実感したよ。つーか、あんな女を嫁に貰った旦那が羨ましくてタバコが進む進む。なんせ去り際にそのわたがしみたいな優しくて甘いスマイルで、オレにこの厄災をこう表現したんだからな。

 

「氷川さんのこと……よろしくお願いしますね。簡単にはいかないとは思いますけど、あの子は誰よりも認められることに飢えてる……そんな気がします。だから、助けてあげてください、清瀬先生」

 

 そんな羽丘で誰よりも氷川を正当に評価してた大人がいなくなって、コイツも多少の寂しさはあるんだろう、とアタリをつけて接する。ここで信頼を勝ち取って飴を与えておけば、子どもは大人しくなる。世の常だ。

 

「ってか知りてぇのって、下の名前ってことか」

「うん。清瀬先生、しか知らないもん」

「一成、まぁ、呼ぶことはねーだろ」

「え、カズくんって呼んじゃだめ?」

 

 ダメですと即座に却下するとじゃあカズ先生と更に返ってくる。辛うじて先生ついてるけど渾名だよな、それ。コイツのヒトに対する距離感どうなってんだよ。そんな文句が口から出そうになってなんとか飲み込んだ。認められることに飢えてる……か。

 

「普段は禁止だが、オレがタバコ吸ってる間はなんも言わん……ってのはどうだ」

「いいねっ!」

 

 パッと夜空に星が瞬くみてーな笑顔に、なんだ、かわいいやつじゃんか、とか思った。思っちまった、お陰で、警戒心が緩んだ。その瞬間を、悪魔は見逃さなかった。

 オレが手に持ってたライターを引ったくりやがった。なにしやがる、という言葉は、最初の一文字だけが空気に溶けて、あとは全部氷川が自分の口の中に飲み込んだ。

 

「……ねぇ、ソレもちょーだい、カズくん」

「お前、未成年だろうが」

「いーじゃん。それとも、屋上で無理やりキスされましたーって言って欲しい?」

 

 お前からしてきたくせに、とは思うが目撃者はなし。どちらの言葉が信用されるかと言うと……まぁ少なくともオレではないだろうな。選択肢のねぇ悪魔の契約。そうだとしてもオレにノーと言える余地は、なかった。

 

「んっ、ぅ、え……まっずい……っけほ」

「大人の味だから、ガキにゃまだはえーっての」

「あでも、なんか……いいね、るんってする……のかな?」

 

 ──あーあ、こんだけダラダラしゃべってなんだけど、くだらねぇ言い訳だな。オレは教師に成りたかった。オレだって誰かに認められたかった。だから相手が子どもだろうと、法を犯してようと、あと5年もしないうちに美人になるだろうコイツが共犯者であってくれることに、甘えちまった。

 

「カズくん、あたしのことはヒナ、って呼んで」

()()()ゼッテー呼ばねえ」

「じゃあ、吸ってる間だけでいいから名前で呼んで」

「……ヒナ」

 

 こんな風にグイグイ来る悪魔に流されたオレは、程なくして押し倒され襲われることになる。それからは生徒と先生の枠なんて感じることもなく、最近までは倫理観すら忘れ去って()()()に専念してた。あんまりにもヤリすぎると、その行為自体のハードルが下がるんだな、と痛いほど実感した。

 ──笑えねぇよな? 美竹に初めて会うまで、オレは先生とすら呼ばれる価値のないゴミクズカスロリコン性犯罪者のまま、教壇に立ってたんだからな。そんなオレを教師に戻してくれた。いやまぁ、結局氷川のこと拒絶できなかったけどさ。それを悪いんだって思うことはできるようになった。なのに……なのに、どうやら手遅れだったみてぇだ。いずれはこうなるんだろうな。屋上でヤってりゃ他の生徒の目は当然あるってのに。

 

「……あ、きたきた〜、おそいな〜」

「……うるせー」

 

 第二の悪魔にオレの悪行はバレ、貴重な休日にその悪魔はあろうことかオレを呼び出してきやがった。場所は学校近くの商店街の一角。喫茶店の前だった。人気も少ねぇし、どうやらその喫茶店に入るみたいだが、扉にはデカデカと全面禁煙とな……はぁ、憂鬱だ。

 

「だってあたし〜、タバコの臭い、すきじゃないもーん」

「あっそ」

 

 そんな嫌そうに青葉の後をついて歩いていると、的確に人の内心に返事をしやがる。思った通り店内はガラガラ……つか、オレと青葉しかいやがらねぇ。焦燥感がすげぇし、誤魔化す意味でもやっぱ吸いたい。

 

「さて、座って座って~」

「……んで? 呼び出しの要件は?」

「蘭にもああゆうこと、してるの?」

 

 ピリッとした言葉。のんびりマイペースな雰囲気も、間延びしていた口調も、全部が霧散した。剥き出しの敵意、憎しみのような感情……そんな、痛い視線にオレはなんとか首を横に振る。

 

「いや、氷川だけだ……信じてもらおうとか思ってねぇけど、アイツが望んだから流されてるだけだよ」

「そりゃあ信じられないよ。氷川先輩とすれ違って、その表情を見たらさ」

「ヒナめ……」

「下の名前なんだ、先輩のこと」

「だったらなんだよ、お前にゃなんのカンケーもねぇだろ」

 

 ああ、やっぱオレはダメだわ。吸えねぇとイライラする。それにコイツはいちいち回りくどい。別に相手が大人ならそれでもいい。大人には体裁と前置きが必要で、オレもそういう話し方をしてるしな。

 けどな、ガキが大人ぶった顔でありもしない体裁を作って話すのが嫌いなんだ。美竹みたいに素直に言葉を発するのが苦手なやつは別だし、開けっぴろげに言葉をマシンガンに装填してオレを穴だらけにする氷川はもうちょいなんとかしてほしいとは思うがな。

 

「そうかも知れないけど、それが蘭も、だったらカンケーあると思うな」

「安心しろ、杞憂ってヤツだ」

「ふうん」

 

 なら安心、はいさようなら……ってワケじゃねぇんだろ。コエー顔だ。いつもオレの授業で安らかな寝息を立てたり、お気に入りらしいパン屋の袋を堂々と机に置いたりとやりたい放題のやつと同一人物とは思えねぇな。だからこそ、オレは余計にコイツが嫌いだ。

 

「……だったら手遅れになる前に、蘭には近づかないで」

「あ? 頭おかしいのかお前。いい精神科紹介してやるよ」

 

 今回ばかりは本気で知り合いを紹介してやろうかと思った。コイツは正真正銘本物のバカだ。世間にバレたら標本にされるレベルの稀少バカだ。よかったな発見者がオレで。

 流石の青葉もそれは予想外だったようで、いつもなら眠そうな半開きの目を見開き、怒気を孕んだ口調で睨みつけられた。

 

「なんでそんな言い方って顔だな。でもお前この間言ってただろ? 美竹が何かを見つけて屋上に行った、ってな」

「……それが?」

「カンケーあるだろ。オレは屋上で天才ちゃんにあやかってサボタージュしてるだけで、美竹はそんなオレを見つけて勝手に寄っただけ、ってことだろ?」

 

 なんせオレはなんか勝手に美竹とはあれ以降会えないみたいな雰囲気出てたしな。けど、美竹は屋上にいたオレにわざわざ報告に来た。律儀でかわいい教え子的なやつだ。当然、オレは教師として構ってるだけ。青葉に何を言われても美竹蘭がオレを先生と呼んでる限り、コイツが望むようにはならねぇよ。つかガキが脅しをかけたぐれぇで思い通りになると思うなよ。

 

「蘭は、蘭は大事な仲間……だから」

「……美竹もそう言ってた。羨ましいよ」

「そうやって煙に巻こうとする!」

 

 ガチャン、と水の入ったコップが無表情のオレの代わりに驚いたように跳ねた。いいな。それでいいんだよ。さっきよりも随分と好感が持てるな。剥き出しの感情、怒り、嫉妬、それに素直になれるのが子どもの特権だ。そして大人はそれを無償で受け止める義務がある。そうやって子どもを大人にしていかなければならないんだからな。

 

「悪いけど本日教師はお休み、ただの28歳独身の寂しい男としてここにいるんだ。ガキに理不尽突き付けられて無言でいられるかってんだ」

「子ども扱いしないで!」

「ガキだろ、感情的になって、体裁なんて、こうあるべきなんて鋳型もねぇ、クソガキだろうが」

「──っ!」

 

 胸倉を掴まれる、そう思った。だが、それは第三者の手に止められた。焦ったような顔が、それでも絵になるワインレッドの流れるような髪、パンクな服装はかわいい、美人というフェミニンな印象よりも、かっこいい、と形容すべき容姿と立ち姿。コイツも青葉や羽沢と同じクラス……んで、いつもその二人と更にひとりと一緒につるんでるヤツだ。名前は、確か宇田川だったか。

 

「トモち~ん……止めるのはソッチの性犯罪者でしょ~?」

「悪いけど、アタシには暴走してるのはモカのほうだと思ったからな」

 

 どうやら助けてくれたようだ。慌てて飛び出してきたのか余裕のない様子だが、あくまでニッと笑顔で青葉に言葉を向けてやがる、やだイケメン。

 そんなオレの王子様……もとい宇田川に続いて青葉とつるんでるメンバー二人が更に青葉と宇田川を止めに来た。つか、三人を忍ばせてたのか。まぁ、明らかに自分よりも力が強い男と二人きりなんてバカ、そうそういないか。そういう賢いところは、まぁ及第点ってとこだな。

 

「ご、ごめんなさい……モカちゃんが」

「いや、宇田川のおかげで実害はねぇからな」

「はぁ……先生にケガがなくてよかったです!」

 

 安堵の吐息を漏らす羽沢は素直でいいヤツ過ぎるな。オレよりも青葉の心配してやった方がいいと思うけどな。結局手を上げようとしたのは青葉だが、オレが氷川と関係を持っていて、更に美竹とも二人きりで会話をしていたようなヤツなのには変わりはねぇんだからな。宇田川も上原も、青葉を宥めつつ、そこには警戒してるし。

 

「お前、誰にも言わねぇんじゃねぇのかよ」

「……そんな約束はしてないな~」

「あ? って……そういやそうだったな」

 

 コイツとはバレたらヤバいってことと、連絡先を交換して指定された場所に来ただけ、その代わりにバラさない、とは一言も発してなかったことを今更思い出した。明日から鉄格子の空か、そんなんだったらもっと出掛ける時に見上げときゃよかった。

 

「ひーちゃん、こっちのおっぱいの大きなひまりちゃん以外は口が堅い方なんでご安心を……あたしからはなにもしません」

「信用できねぇし、上原が爆弾すぎるだろ」

「おっぱい的な意味で~? セクハラですか~?」

「……やめてやれ、上原、泣きそうだから」

 

 違う、とは言えねぇのが悲しいところではあるが。人物説明に悪意がありすぎる。まぁ確かに青葉、宇田川、羽沢……ついで美竹に比べて上原の胸部には著しい成長がみられ、ダイナマイトと呼称しても問題ないが、本人はコンプレックスなんじゃないか? いっつも授業前後、体重の話してるイメージあるしな。

 

「モカのばかぁ~」

「あーもう、モカのやつ……落ち着くためとは言え、めちゃくちゃですんません……」

「こっちこそ、いらんことする不良教師だからこうなった、ってだけだ。多少のめちゃくちゃやブタ箱生活は問題ないさ」

 

 いや悪い、よく考えなくてもブタ箱生活になったら氷川を恨むわ。お前、前科持ちは二度と教師になれねぇんだぞ。だが、口約束とはいえ、青葉は確かになにもしない、って言ったな。これで上原が口を滑らせなきゃオレの教師人生は続くってことか。

 

「い、言いませんっ、絶対っ」

「……オレ、そんなコエー顔してたか?」

 

 上原に少し視線を合わせただけだが、涙目で必死に否定されてしまい困ってしまうが、それに答えてくれるやつはおらず、ただ羽沢が申し訳なさそうに苦笑いをするだけだった。

 そのまま、会話もなくなり解散。来週からの授業はつつがなく憂鬱に過ぎていった。オレの授業を聞いてるやつの四人がオレのロクでもないところを知ってるという痛さ、オレの授業を聞いてるやつの内一人にオレが手を出したヤツがいるという痛さ、自己嫌悪と被害妄想で針のムシロで土下座させられてる気分だ。

 ──本当に、教師なんてロクな仕事じゃねぇし、ロクなやつがいねぇよ。アンタの言ってた通りだったな。ホントにオレもアンタも含めてろくでなしだ。

 

「はぁ……」

「なんで、そんな風になってまで先生やってんの?」

「よう美竹。また羽沢待ちか?」

「まぁね」

 

 コイツも、もう知ってるのか。そうだろうな、と思ったところでスマホが震えた。氷川か、と美竹に断ってからディスプレイを見ると、意外なことに青葉からのメッセージが届いていた。中には蘭にはしゃべってないから、というイマドキの女子高生らしくない飾り気もなにも存在しない簡素な文字が躍っていた。思わず、隣で手すりに背中を預けて下を向く美竹に視線を送った。

 

「……なに?」

「いや……なんでもない」

「返事、しなくていいの?」

「スパムだよ」

「あっそ」

 

 ──ダメだな。動揺してるせいか、今日のオレは教師としての言葉を紡げない。余計なウソまで吐いて、美竹からの言葉を待ってる。教師じゃねぇオレは全国のろくでなしの皆様に西から東へ東奔西走、謝罪してった方がいいレベルだ。そんな無言になったクズに向かって、美竹は不安そうな顔をして言葉を続けた、続けてくれた。

 

「……質問」

「ん?」

「最初の質問に、答えてない」

「ああ……なんで教師やってるのか、か?」

「うん」

 

 メッシュを指で弄りながら、美竹はそんな質問を再度ぶつけてきた。オレがこんなクズでも教師をやってる理由、か……そうだな、辞めた方がいいのかもな。仕事をロクでもないと呼称して、それに従事するヤツを貶すオレがここに居続ける意味なんて、美竹には見えねぇのかもしれない。

 

「そりゃココに雇われてるからな」

「真面目に答えて」

「免許持ってるから」

「ああもう、なんで教師になろうと思ったのかって訊いてんだけど」

「……なんでそんなこと気にするんだよ」

「アンタ……全然、楽しそうじゃないのに、他にもできること、あると思うのに……なんで教師なの?」

 

 ──それには、オレの話をしなくちゃいけない。自分語りは教師の仕事と飲み会じゃバッドコミュニケーションって言われる会話の一つなんだ。前向き後ろ向き、どっちに転んでも自慢になる。幸運自慢も不幸自慢も気持ちいのは、てめぇだけ。オナニーとなんら変わんねぇ独り善がりだからな。

 だから、美竹には話せない。オレが、唯一、教師として接することのできるコイツには、絶対に。

 

「さぁな。そんな昔のこと忘れちまったよ」

「……バカ」

「さ、そろそろ生徒会も終わりだろ、また青葉にからかわれたくなきゃさっさと帰れ」

「わかった……」

 

 今日は少しだけ強めに、それ以上は何も言わずに扉を閉めていった。失望させちまったかな。今度こそ、もうオレを見つけて来ることもねぇかもな。なんならそのまま、二度とオレはアイツの顔を見ずに……なんてな。

 

「……まず」

 

 こんなに不味い味だったか、と紫煙を吐きながらぼやいた。思い出までオレを責めるかのような味。だが、吸うのはやめない。不味い煙を吸い込んで、吐き出す。肺を汚すことがもう、目的とでもいうように。

 

「悪いな。オレはクズなんだ。失ってもなお忘れられねぇ、黄昏を背負ってる」

 

 少なくとも、羽丘の屋上を照らす夕焼けを瞳に刻み付けている限り……思い出の中にある大切な景色を、誰かとではなくオレが独り占めしている限りは、クズだろうともなんだろうとも、美竹蘭の前で嘘を吐き続けなきゃいけねぇんだ。

 

 




直すのだりー


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④相談カミーリアと探索ディストピア

※初見の方へ
だいたいここまでがプロローグ、のようなものです。お疲れさまでした。今井リサはヒロインではありません。今は。

※既読の方へ
リサ関係がやや修正、というかわかりにくすぎたのでちょいわかりやすくしました。一応伏線張ってたのにこうして手直しをするまでどこだったけと作者ですら思ったんだよなぁ……


 ──アタシ、なにかマズいこと言った? 思考が上手く纏まらない。原因はアイツの表情だった。拒絶された、とわかる困ったような顔が、ぐるぐるとミキサーにかけられてわけわかんなくなってくる。何かミスをしたのか、もしかしてもう屋上にはいなくなってしまうんじゃ、焦燥が暗い妄想になっていく。

 

「なんで……?」

 

 こういう時はいっそ、誰かに全部話せば楽になる。ケド、アタシにそんなアテはない。ひまりは口が軽いし、つぐみは一緒になって暗くなる、巴、モカ……というか、Afterglowの仲間には頼れない、頼りたくない。なんか、アタシの勘がモカはヤバいって言ってる。わけわかんない、けど、すれ違ったあの先輩を見たモカの表情が、アタシと一緒に歩いてる時にアイツを見たモカの顔が、ずっと頭から離れないから。

 

「わっ、と~、だいじょーぶ?」

「っ、ご、ごめんなさい……」

 

 考え事をしてたせいで、曲がり角で人にぶつかってしまう。一瞬見えたネクタイとスカートは青色……二年生だ。ウェーブのかかった茶髪、センスがよくわかんないウサギのピアス、いかにもなギャル風のこのヒトは見たことある。

 

「あれ~、蘭じゃ~ん!」

「あなたは……Roseliaの……!」

 

 名前は今井リサさん。モカのバイト先、コンビニで働いてて、そのせいかアタシによく話しかけてくる……言っちゃ悪いとは思うけどグイグイ来るところが割と苦手な先輩。

 ──そうだ、二年生! もしかして、アイツを知ってる? ううん、今はヒトを選んでられる状況じゃない。

 

「あ、あの……今井、さん」

「もー、リサでいーよってゆったじゃ~ん!」

「ちょっと時間、いいですか……?」

「……あはは、改まっちゃってどーしたの? おねーさんに相談?」

 

 なんというかこの人、ノリが妙にモカに似てる。というか、モカが若干真似してるんだと思う。昔からモカがこうだったかと聞かれたら、そうだったかも、って答えるけど。じゃなくて、近くの空き教室にリサさんを押し込んで、向かい合った。まず、どうしたらいいんだろう。いや、迷ったら全部話せばいいんだ。なりふり構ってなんていられない。

 

「……ちょっと長い話しても、いいですか?」

「もっちろん、何時間でも!」

「そこまでは、えっと……」

 

 ──本当に全部話した。アタシが家から逃げてバンドをしていた時に出逢ったこと、教師のクセに禁煙の学校の屋上で堂々と煙草を吸っていた先生は、あんまり教師っぽくなく、けど大人として余裕のある言葉を次から次へと吐き出したこと。くだらないこと言いやがって、って顔してたからすっごいムカついたこと。でも、それなのに先生として真面目に全部アタシの話を聞いてくれて、救われた、スッキリしたこと。

 ガラにもないとは思ったけどありがとうって言いたくて、また屋上にいたのを見つけたのにモカが来て……それから全部おかしくなった。次に会ったアイツは、なんか余裕がなくて……質問にも答えようとしなかった。全部聞いてくれたリサさんはと唸った後、ゆっくり言葉を出した。

 

「なるほどねぇ、あの清瀬センセがね~」

「アタシ、あの人の授業聞いたことないんですけど」

「あの人めっちゃテキトーだよ~? 寝てる子とかしゃべってる子いても注意しないし」

「……そうですか。概ね予想通りな気はしますけど」

「ケド、授業自体はわかりやすいし、根はいい先生じゃないかな~って思うところはあるよ」

 

 どんな授業でもしゃべらないアタシにはよくわからないけど、とりあえず印象通りの授業をするのはわかった。屋上であんなことをしてるくらいだからそれこそ言葉通り他の教師には煙たがれてるんだろう、っていうのはわかるけど、生徒の前では少なくともきちんとしたい、そう思ってるのかな。

 

「変な噂はケッコーあるケドね……なによりヒナが懐いてるみたいでさ。時々部室に行ってもいないのに」

「あの人、その時間は基本屋上にいますね」

「なんか不思議だよね~」

 

 確かに不思議だ。アタシはアイツの口から一切氷川先輩のことを聴いたことがない。何かあるのか……そういえば一度だけ屋上へ向かうところは見かけた。けどその時は部活終わるから呼びに行ったのかくらいにしか考えてなかったけど。ああもう、わかんないところだらけだ。アイツが情報をストップさせてるから。わかりそうなことも全然わかんない。

 

「氷川先輩なら……知ってる?」

「さぁ? 少なくともアタシは何も聞いたことがないからな~」

 

 最後に付け加えてリサさんは、なんとなくだけど紗夜も、清瀬先生のことはなんにも知らない気がすると氷川先輩の家族も知らないんじゃないかという推測をこぼした。進展というほどのものはなかったけど、わかったこともある。アタシは今井……じゃなくてリサさんに頭を下げた。

 

「……ありがとうございました」

「そんな、いーって、アタシも蘭と話せてよかった~って思ってるからさっ☆」

 

 自然な動作で星が飛んでいくようなウィンクを残して、リサさんは教室から去っていった。あのヒトまさか、なにか勘違いしてるのかな? きっとひまりなんかが本気でリサさんと同じ結論になるし、そういう勘違いがしやすいのも事実だよね。アタシが女子の会話で一番苦手なもの、オシャレ、流行……そして恋愛。別にアイツに恋をしてるわけじゃない。けど、アタシは子どもで、大人が必要だって思わせてくれたアイツが大人を保てないなら、助けてあげたい。そう、思っただけ。それが子どものわがままだったとしても。

 

「あ、蘭ちゃん」

「つぐみ、もう終わったの?」

「うん、お待たせ! 行こう?」

「うん」

 

 けど、つぐみが来たからここで時間切れ。悔しいけど今日は諦めよう。そう考えながらつぐみと二人で歩き出す。今日モカたちはいない。スタジオ予約をしにつぐみと一緒に帰るだけだから本当はアイツの隣にいられたけど……それじゃ、ダメなんだ。アタシのことを知ってくれたようにアタシだって、アイツのことを知ってないと。

 

「大丈夫? 蘭ちゃん?」

「あ、うん。平気」

 

 ──アイツのことばっかりになってたの、つぐみには気づかれてたかな。気持ちを切り替えないと。そう思って一旦家に寄ってから、道中はバンドの話をする。

 道が商店街に差し掛かった時、ポスターの前に見たことのあるネコミミに星の髪留め、あれは……確か。

 

「あ、香澄ちゃん。こんにちは」

 

 つぐみが率先して挨拶をする。戸山香澄、近くの花咲川女子学園に通ってる……なんていうかちょっと言動がアタシには理解しかねるヤツ。この辺りの住みじゃないのによく会うから、名前を憶えたよ。香澄はどうやら天体観測の申し込みをしたいけど、どうやら一人じゃ嫌だったようで、アタシたちを誘ってきた。月末……か、そういえば、氷川先輩は天文部、なんだっけ。もしかしたら何かわかるかも、と思ったけど正直そんな気分じゃない……じゃないのにツグってるつぐみと香澄に押されて、結局行く羽目になった。

 

「そういえば、氷川先輩も、ああいうタイプだったっけ」

「あーうん。そんな感じだった気がする」

 

 ──じゃあもしかして、懐かれてるっていうならアンタもこうやって、氷川先輩のペースに巻き込まれてたり、振り回されてたりすることもあるのかな。結局また、アイツのことばっかりを考えて、アタシは帰路を歩いた。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 気分が悪い時に限って、この悪魔はオレを求めたがる。タバコ吸わせて、キスして、えっちして、ってバカの一つ覚えみたいに欲求の発露をオレに刺してくる。お前のそのシてって言葉にこっちはもう血まみれのゲームオーバー状態だから、死体蹴りはそろそろ勘弁してくんねぇかな。無理か、無理だよな氷川だもんな。

 

「ねぇ、カズ先生? お願いがあるんだけど」

「……拒否権があるときにお願いって言葉は使うもんだ」

「じゃあお願いじゃなくて……なに?」

「脅迫だな……つかマジで拒否権ねぇのかよ」

「ないよ」

 

 乱れた服を直しながらタバコを吸ってると、後ろから抱き着いてニヤリと笑ってお願い……もとい契約による命令。拒否はすなわち魂の譲渡ってわけでオレは今にも魂を抜き取ろうとしてくる悪魔を引きはがしながら訊き返した。ロクでもないこと言ったらゼッテー今日は送ってやんねぇ。

 

「今月末さ、流星群あるでしょ? 」

「あるな」

「こころちゃんと観ようって約束してさ!」

 

 こころ、ってのはハートのことじゃなくて弦巻こころ。今年から近くにある女子高、花咲川にできた天文部の氷川と同じ唯一の部員。つか、この弦巻ってやつがとんでもねぇ曲者らしいってことを学校交流の際に耳にした。ウチでいう氷川並かそれ以上のぶっ飛びロケットかつパンダ並の希少生物なガキなんだと。そんな珍獣と珍獣の夢のベストマッチこそ、コイツが唯一真面目に天文部として活動する日だ。その際はかかわりたくないため表向きは引率だが絶対に同行しない。向こうの顧問も同様だ。

 ──だが、その話を今した、ということは……オレにもついてこいってことだろうな。

 

「まさか、車がないと行けねぇ場所なのか」

「うん! あと、山で夜中に活動するから、流石に大人を連れていった方がいいんじゃないかと思って」

「んで、お前と弦巻の引率にオレが行くと」

「そう!」

 

 このクソメンヘラ女……余計なことを。だがまぁ、その理論はわからんでもない。あと氷川の顔にはどう考えてもオレと一緒に泊まりたいって書いてある。オレはカレシじゃねぇし、弦巻がいるんだからデートにもなってねぇ。

 

「暗いから、触ってもバレないかもよ?」

「触ってくるから覚悟しろ、って言え、日本語は正しく使うもんだ」

「あはは、誘ってるんだよ~♪」

「山の中で迷子になりやがれ、二度と帰ってくるな」

 

 そんな草も生えない不毛なやり取りをしながらも、いつの間にかスーツの内ポケットからオレの薄給で買われているタバコと消耗品のライターを取り出して、カチカチと鳴らすが、ざまぁみやがれ、オイルが切れたせいで点きやしない。それを尻目に吸うタバコのなんと美味いことか……いや、あんまりだな。今日はやけに、不味い。

 

「むー、点かない」

「日頃のオレに対する行いだろ」

「あんなに気持ち良くしてあげてるのに」

「そのせいだとわからんなら一生点かんな」

「じゃあいい」

 

 ライターをその辺の床に投げ捨てて、氷川はずんずんと近づいてタバコの先をオレのタバコの先に押し当てた。意図に気づいて慌てて息を止めようとするが、時既に遅し、同時に息を吸い込み氷川のにも火が点いた。蕩けるような女の笑顔で、氷川はオレに向かって紫煙を吐き出してくる。

 

「あは、シガレットキス、だっけ? るんってくるね♪」

「……ゼッテー送ってってやんねぇ」

「え~、こんなの、カノジョさんともしたことないでしょ?」

「だからテメーがいい思いさせてやったってか?」

「……ううん、カズくんの初めて、欲しかったんだ」

 

 初めて、ねぇ。そんなのに拘るのもガキの証拠だっつうの。初めてのキス、初めての行為、恋人、デート、そんなのこの年になってまでフツーはいちいち覚えちゃいねぇよ。覚えてるってのはよっぽどの思い出だった時だけだろ。例えば、オレみてぇな。

 

「アタシのそういう初体験は、ほとんどカズ先生にあげちゃったけど。キスとかさ」

「キスは中二んときにカレシとしたことあるって言ってたが?」

「あれ、そうだっけ?」

「ウソばっかりつきやがって。ペナルティーはどうした」

「その時のカレシなんてもう、名前も覚えてないよ」

 

 そんくれー嫌でもわかる。けどな氷川、オレは、お前の先生になりたかったんだよ。教師として、お前を助けてやりたかった。もう、叶わない目標だけどな。にしても、このクソメンヘラ女の元カレはかわいそうだな。中学生だろ、付き合って、舞い上がって、そうしたらフラれたってだろうな。

 

「あ、勘違いしてるかもだけど、相手のヒトが8つ年上の大学生だったってのは覚えてるよ」

 

 前言撤回、ざまぁみろロリコン、中学生に手出す暇があるなら就活してろ。

 ──なら逆に氷川の苦手なタイプだったんだな。抑圧して、どうあっても氷川よりも上に立とうとして、同等にみられたくて、破滅した。コイツが人間を対等なんて、ありえねぇ冗談だ。

 

「どんな風にフった……ってかよくフれたな」

「あ! そうそう思い出した。一週間くらいして無理やりえっちしようとしてきて、その辺にあるものでテキトーに十回くらい殴ったんだった」

「……バイオレンスだなぁおい。相手死んだだろそれ」

「生きてるって! なんかキスもデートもるんってこなかったし、もういいかなって思ったトコロに、だもんね。ついやりすぎちゃった」

 

 その追加の話には本気で引いた。中二に無理やり行為を迫るそいつもそいつだが氷川の方がえげつねぇ。結局コイツはそういうヤツだ。興味を持っている間と興味を失ったときの温度差が激しい。オレだって今は興味を持たれてるからメンヘラみたいに迫ってくるが、興味が失せたら一切視界に映らなくなる。

 

「でもカズくんはね、なんかるんってする」

「そりゃあ光栄だ。できれば教師としてしてほしかったな」

「先生としてかぁ……まぁ、ちょっとは面白いヒトなのかなーとは思ったけど」

「……チッ」

 

 ものの見事に後輩との約束を果たすことも出来ず、挙句はこの言われようとはな。遣る瀬無ぇにもほどがある。

 ──いっそ、オレがコイツをカノジョにすれば……そう思わなくもないけど、それはダメだ。美竹と出逢って、オレはいつだったか、あのヒトの前で啖呵を切ったことを思い出した。オレはアンタとは違う教師になる、なんてバカみてぇな夢だ。

 

「氷川」

「……タバコ吸ってる」

「……ヒナ」

「なにっ?」

 

 攻略対象の難易度は高すぎてまだまだ勉強不足ではあったんだろうけどな。もうコイツは教師としてのオレを見ちゃいない。呼び方ひとつで変わる表情の切り替えがそれをヒシヒシと伝えてくる。

 

「つかなんでまた弦巻とそんな話になった? 天文部とはいえロクでもねぇ活動しかしてねぇのに」

「えっとね、こころちゃんが、新しい星を見つけるとそこに名前を付けれるーって話があって……」

 

 そしてぶっ飛んでやがる。明るい顔で話すその内容はもうオレの耳には入ってくるが脳にまで浸透しない。異言語のように理解できない。名前を付けれる、わかる。だが、その先に氷川が発したその星に王国を作る、という言葉は日本語として認識できなかった。

 

「見つけたら、先生も一緒に住もうね! 楽園だよー!」

「……はぁ、断固お断りなんだよなぁ」

「えー、なんでー!」

 

 珍獣と珍獣の世界にオレひとりが楽園? 冗談よせよ失楽園だろ。屋上を後にしながら、オレは氷川を躱し続けた。やがて火が消え、世界が紺色に包まれ始めた頃、そろそろ誰か助けてくれねぇかなぁと思ったその時、救世主はジャージ姿で顔周りの汗を拭きながらやってきた。

 

「……あ、あれ、ヒナもここにいたんだ。部活は終わり〜?」

「リサちーだ!」

「今井はダンス部か?」

「まぁ、そんなところですね」

 

 学年会議の名前が挙がる人物の一人、今井リサ。成績は上の中で教師への態度はまるで模範生、見た目を除けば特に問題行動はないが、常に囲いのいる同性殺しの瀬田、マトモに関わってはいけない氷川の二大問題児をコントロールできるハイスペックギャルのため良く聞く名前だ。あとダンス部の顧問の教師が()()()リサはって自慢してくる。ホントロクな大人がいねぇ。

 

「つかそろそろ日も暮れるが、親御さんとか来てくれるのか?」

「あ、一人で大丈夫です」

「いや危ねぇだろ」

「……えーっと、ヒナと先生は?」

「あたしは先生の車なんだよー! 送ってってもらうの!」

 

 送り狼になるけどな、氷川が。

 と思ったけどあるじゃねぇか、回避する方法。ナイスタイミングで今井がいてくれた、一学期の内申4.5以上だったら5つけてやるレベルだ。

 

「一人になっちまうんなら今井も来い。最近不審者出たらしい、春は何かと物騒だ」

 

 副社長様……教頭が鼻息を荒くして会議の際に不審人物撃退! 躊躇う必要なく警察に突き出してやるべきですと言っていたから真実だ。あ、コイツら全員通報していいんだ、と一瞬本気で思った。だからオレの足から退けろ氷川、踏んでるから。グリグリしてくんのやめろ、めっちゃ痛えし。

 

「あ、あはは……お邪魔しちゃってもいいの、かな?」

「子どもが大人に遠慮するもんじゃねぇよ。今井がもしも襲われたら困るしな」

 

 オレもこれ以上襲われるのは腰痛的な意味で困るしな。氷川は大人であるオレに少しは遠慮してほしい。獣みてーにむちゃくちゃするからな、コイツ。それに、なんか元気ない感じなのも気になっちまってるんだから、一人は余計にあぶねぇよ。

 

「ヒナ……えっと、いいの?」

「いいよ、リサちーが危ない目に遭うの、あたしも嫌だもん」

「いいよ、じゃねぇよ。オレの車だろ」

「ふん」

 

 ってかそれよりなにより嫉妬を隠せっての。今井にダダ漏れなせいでオレじゃなくてお前に確認とってるんだからな。呆れていたら腕を組まれて小さな声で、あたしが助手席ねと脅された。わかってるっつうの。

 

「じゃあお言葉に甘えて……ゴメンね、ヒナ」

 

 ほら、今井のやつ、やっぱオレじゃなくてお前に謝ってるから。困ったやつ、青葉の件といいオレをそんなに教師のままにしたくねぇのなカミサマってのは。氷川は今井にはあくまで明るく振舞うけどありゃ誰だってわかるだろ。嫉妬と寂寥、そんな顔をしてる。

 

「……リサちーなら、言いふらしたりしないもん」

「バレバレなのはお前の感情だけだ」

「じゃあリサちーの前でキスしよ」

「アホか」

 

 ──そんな風に拒否してみたはいいものの、今井の帰り支度をしてる間、駐車場で結局氷川にタップリ20秒、唇を奪われ、今井にバレないように甘く誘われ、コイツの方が家が近いのに後に回しちまうんだが……ホント、教師失格のクズもいいとこだ。

 

 

 

 




――というわけでプロローグ終了でございます。
天体観測編もお楽しみに。


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⑤天才リスタート

 結局、オレなんていらないんじゃねぇか。月末の土曜、本当なら家でダラダラとテレビでも見て月曜からの仕事をする日だっつーのに朝から車を走らせて氷川家の前に止めて待つ。まずここで数十分待たされた。どんな格好がいい? って訊かれてもお前の私服なんざどうだっていいから、さすがに路上で車止めて吸ってるとご近所様の印象に響くな、とタバコもお預け。そう思ってると氷川が思ったよりも地味めの格好で出てきた。

 

「おせぇよ、氷川」

「えっ」

「えっ?」

 

 なんで天体観測なのにギターケース背負ってんだ、と思ったら声が違う。底抜けに明るいあのアホの声じゃなくて、もっと物静かな印象がする声、瓜二つの顔も、よく見るとややアイツよりも棘がある。アレを花に例えるのは癪だが、日菜は向日葵でコイツは薔薇のような、触れがたい印象だ。つかアイツに姉妹とかいたんだな。全然そんな話しねぇせいで知らなかった。

 

「あ、貴方は……?」

「悪い、オレは氷川……えっと、日菜さんの所属する天文部の顧問、まぁこういうもんだ」

「はぁ……清瀬、先生ですか」

 

 名刺はいつでも持っておくべし、社会人だし一歩間違えると青い制服のお兄さんたちに勘違いされやすいって小学校教諭になった先輩からの金言な。そのおかげで氷川の姉か妹かわからんコイツも、警戒心が薄れたようだ。

 

「いつも日菜がお世話になってます。私は姉の氷川紗夜です……まぁ、姉と言っても双子なんですが」

 

 折り目正しい挨拶、ペコリと軽く頭を下げるだけなのは後ろのギターケースのせいだな。双子でギタリスト同士、この子の氷川を呼ぶ声も柔らかく、仲睦まじい姉妹なんだろう、と勝手に思った。

 

「そっかそんでアイツがギターやりだしたんだな」

「……ええ、はい」

 

 ──ん? なんかミスったらしい。表情が曇ったことでオレはそれ以上の追及はやめ手を振って氷川姉を見送った。あの反応はアイツ姉にまでなんかやらかしたんだろ。プライベートのことも何もかも知らないが、性格と本性くれーはわかる。アイツは無意識でヒトを傷つける厄災のようなヤツだからな。

 

「お待たせー、おはようカズ先生!」

「遅い、私服一つにどんだけ悩むんだよ」

「だって普段制服でしょ~? 先生に見せる初めてだからさ、決めらんなくて」

「アホか、山の中なんだから動きやすい格好にしろ」

 

 折り目正しい姉の後だとよりアホに見えるなコイツ。車に乗り込みながら本当に大丈夫かと格好を見る。見せるから、とか言っておいてきちんと動きやすそうな格好なのか、なんだ安心した。流石の氷川もそれくらいの分別はついてるか。

 

「あれ、もしかしてスカートの方がよかった? これだと着たままはえっちできないもんね」

「んなわけあるか。つか夜は冷えるから、カイロ持ってるか?」

「持ってな~い」

「だと思った、ほらよ」

 

 日中は随分暖かく、歩いてると汗が出てきそうになるくらいにはなったが、夜は冷え込みまだまだ夏には程遠い。そんな夜中のしかも山でその薄着は風邪引くだろ。まぁ車にはタオルケットとかオレの予備の防寒具積んでるから、最悪はそれで足りるだろ。特に小言はやめておくか。

 

「これがあたしを女として気遣って、だったらきゅんきゅんでるるるるんって感じなのになぁ」

「生徒の体調管理不足に目を行き渡らせるのは、教師の仕事だ」

「最近、ソレ多いよ。つまんない」

 

 お前を楽しませるために生きてるんじゃねぇからな。それにオレはお前のカレシじゃねぇって何度も言ってるだろ。

 ──生徒と先生でもない、セフレ、ってのもちょっと違うクソみたいに面倒な関係だ。ちょっと不機嫌になったらしい氷川それ以上は特に会話をせず、オレもわざわざ話しかけることもねぇから無言で駅のロータリーに車を走らせていく。

 すると、遠目でもわかるほど目立つ金髪に氷川が扉を開けて手を振った。

 

「こころちゃん!」

「日菜! 絶好の天体観測日和ね!」

「うん! 楽しみだね!」

「ええ、とーっても!」

 

 金髪、とは言うが染めたようなくすんだ金じゃなくて、西欧系でも中々いないだろうってくらいの眩しい金色。さながら太陽の金。瞳も同じようにまるで太陽のように輝くことを当たり前にしてやがる。

 確かに珍獣だ。こんな女子高生、滅多にいねぇよな。精神年齢いくつだよ、高校生のガキでもまだ少しはこの世界に多少なり諦めて生きてるっつーのに。ちなみにコイツらの()()()ってのは星を見ることだけじゃなくその中にあるはずであろう移住できる星を探すことも含まれてる。引率がオレだけってマジか、不安すぎるだろ。

 

「ご心配なく、なにかあれば我々もサポートします」

「……はぁ? えっと、弦巻の関係者ですか?」

「はい。日頃こころお嬢様をサポートしているものです」

 

 そう言ってどこかへ消えていく黒服のおねーさんたち。はぁ、やっぱいらねぇじゃんオレ。生徒と他校のお嬢様に無意味なアッシー君として休日出勤……はぁ、タバコ吸いてぇ。事前にさすがに氷川に釘を刺されてるしな。ちなみにあたしも我慢するとのこと。いやお前は外で吸うなよ当たり前だろ未成年。

 

「なら、出発ね!」

「れっつごー! ごーごー!」

「はいはい……って、オレの車じゃないのな」

 

 いつの間にかオレの車は無く、あるのは車ん中が部屋みたいになってる縦長の車。キャンピングカーの中でもバスベースのヤツじゃねぇかよ。ホント勘弁してくれ……ワゴン車までしか運転したことねぇよ。

 

「問題ありません、私たちが運転致しますので」

「……ああ、そいつはどうも」

「そちらのお車に積まれていた荷物も我々の車の方に積ませていただきました」

「ありがとう、ございます……」

 

 絶対にオレいらない。もはやアッシー君ですらない。というか帰りたい、帰るか。運転席と助手席に乗り込む黒服さん二人を見送ってから疲れたようにため息をつくと、氷川が袖を引っ張ってきた。

 

「ごめんね、こころちゃんが、どうせならみんなで楽しく、って。カズ先生も、偶には休んでほしいなって」

「……ガキが大人にいらん気を遣うなっての」

「うん……」

 

 珍しく殊勝で、少し気落ちしていて……初めて見るな、こんな氷川。けど、いっつもメンヘラっぽいし、傍若無人なせいで忘れてたけど、コイツはコイツで、オレを振り向かせたくて必死なんだな。

 片想いの相手を振り向かせたくて必死になる。オレだって、そういう時期は多分にあったさ。コイツは、本気で手に入れたいんだ。

 

「んじゃあ氷川の厚意に甘えて、オレはオレの休日を過ごさせてもらうな」

「──カズくん!」

「あ、もちろん引率としてな」

「……いじわる」

「まぁ、ちょっとは感謝してるけどな……()()

 

 ──嫌になるくらい、オレはガキに甘すぎる。偶には氷川にもアメをやらないと、なんて思っちまって、コイツを喜ばせるような言葉を探してしまう自分は、教師なんか向いてないんだろうな。

 

「えへへ、るんってきた~!」

「それじゃあ、せっかくだしお邪魔させてもらうな、弦巻」

「日菜の笑顔のためだもの」

「笑顔、か」

「ええ、あたしは、世界中を笑顔でいーっぱいにするのよ! 日菜も……もちろん貴方も」

「そんな目標持ってるとさぞ学校って環境は狭いだろうな」

 

 目に蓄えられた光をこっちに向けて微笑む弦巻。コイツは何かが視えてる、そう思える瞳だ。花女の異空間、弦巻こころ……突飛な言動はあるが噂よりもずっと賢いヤツみたいだ。珍獣すぎるだろ。本能のまま子どものようにはしゃぎながら、その実ヒトを視る目がある。占い師やっても成功しそうなヤツだ。

 

「貴方、貴方は、他の大人とは違うのね、素敵だわ」

 

 ほらな。あっという間に奥底まで踏み込んできやがった。少しの嫌悪を相手がガキだってことで思いとどまる。ヒトが住める星を探して王様になる……コイツにはその目標はただの絵空事じゃねぇ。この世界は、コイツが住むには狭すぎるんだ。だから、外へ飛び出そうとしてる。世の中、こんなヤツばっかりだったら、悲しいことが少なくなるんだろう。

 山の上にある弦巻の別荘であるコテージへの道中、氷川は弦巻との話に花を咲かせていた。時々、構ってほしそうに手を握ってくる氷川を窘めながら、話を振ってくる弦巻に相槌を打つ。

 

「瀬田がメンバーにいるのか」

「ええ、薫はとっても素敵よ! 臆病なのだけれど、誰よりも自分に厳しくて、努力家だわ」

 

 弦巻の人物プロファイリングはメモの価値ありだった。特に手がつけられない二大問題児(せたとひかわ)を知っているという点でオレは今日ここに来た意味を見出していた。瀬田は演劇部の王子様、だったな。きっと、演じるという上で誰よりも王子であることを自分に科してる、弦巻の話を聞いてそんな気がした。今度それを今井と話してみよう。

 

「なら、ヒ……氷川は?」

「あら、普段は名前なのでしょう? あたしは気にしないわ」

「……ヒナは?」

「ええ、日菜はいつもニコニコしていて、ひまわりみたいに周りを笑顔にできるわ」

「だって、ひまわりスマイル~♪」

「いっつもオレに向けるお前の笑顔は邪悪だけどな」

「先生がいるから、きっと意地悪なひまわりになってしまうのね」

 

 意地悪なひまわり、か。悪魔みたいなヤツ、けど、悪魔は対価を払えばヒトと契約し、望みを叶えてくれる存在。オレはその召喚を間違えちまっただけだ。手の延ばし方を、契約の結び方をほんの少しだけ。氷川からすれば、全然ちっとも、間違えちゃいないんだろうけど。

 コテージに着いて、弦巻と氷川が高原の周りを駆け回っている間、コテージのテラスに肘を置いて、そこで漸く一服できた。空気が澄んでるとコイツも美味い、フツーなら空気が澄んでると直接吸い込むんだろうけど、これはこれで味わいがある。屋上なんかよりもずっと遮るものがなくてキレイな青空、けどキレイ過ぎてオレにはどうもな。あの雑多な街が見下ろせるってのがなんとなくオレには合ってるんだと思う。

 

「せーんせっ」

「ヒナ、弦巻と探検は?」

「行ってきたよ、でもあたしは探検も楽しいけど、この時間も楽しいから」

「あっそ、今日はあげねぇからな」

「代わりにカズ先生をくれたら、いいよ」

「それもダメ」

「けち」

 

 でも今日はそれでもいいのか、オレの腕に頭を寄せてしばらく無言で数度深呼吸をしていた。無駄だと思いつつも、そんな氷川が煙を吸い込まないように上を向いて吐き出す。そうすると身じろぎをしてから、腕を組んできやがる。振り払おうとして、その瞳がオレではない虚空を見ていることに気付き、タバコを携帯灰皿に押し込んだ。

 

「おねーちゃんに会ったんだ?」

「ああ、出掛けるところに偶々な」

「あたしのこと、なにか……言ってた?」

「なんも。けどお前がギターやってること言ったら表情が曇った」

「あはは……だよね」

 

 この距離じゃねぇとしゃべれねぇのかってくらい、オレとの距離を限りなくゼロにして氷川はぽつぽつとしゃべり出した。氷川姉は努力家で成績優秀スポーツ万能、そんな風に才能を発揮してきた。それを全て追って、折って回ったのが、氷川だった。姉がバスケを始めればその後を追い、姉よりも才能を発揮する。姉が死ぬ思いで勉強しテストで90点を取っても、妹は直前まで友人と遊び歩き平然と100点を取る。そんな日々を10年以上、続けてきた。そして最後に姉の手に残ったギターで才能を発揮、プロ顔負けのアマチュアガールズバンドのギタリストになった……のだが、妹は平然と追いかけものの数日、オーディションに合格し、アイドルバンドとしてプロのギタリストになった。

 

「お前……そんなに姉が嫌いなのか。ひでぇな」

 

 最後のアイドルなんて、それでお前は未成年喫煙とかその他諸々をやらかしてんのか、とツッコミたいところは山ほどあるが、とにかく、真っ先に言いたいことはそれだった。氷川姉は反復する努力の人、氷川は努力をしない、見て覚える天才。その話を聞くに氷川姉妹の到達点に差はない。が、それに日数を必要としない氷川の存在は、姉にとって相当なコンプレックスだ。比べられることをわかっていて、氷川は姉を潰して回っていた。嫌いだとしか思えねぇ。

 けど、氷川は首を横に振った。悲しそうに、寂しそうに。あるいはそれは、悪魔である氷川日菜の、人間の顔だったのかもしれねぇ。

 

「ううん大好きだよ、おねーちゃんのこと大好き」

「そっか」

 

 意地悪なひまわり、本当に弦巻の言う通りだ。コイツはただ姉が好きで、そんな姉の後ろをちょこちょこついてくるかわいい妹だっただけだ。おねーちゃん、おねーちゃんって、姉のやることに興味を示して姉を手本にしただけ、それだけだ。それが双子の姉妹に亀裂を生んだ。

 ──これが、氷川の口から語られた、初めてのプライベートの情報だった。最初にプライベートな相談から始まった美竹とは大違いだな。けど、納得した部分はある。コイツは自分の才能を認められてこなかったんだ。妬まれ、僻まれ、この話をすれば姉の同情になる。後輩の言ってた通り、飢えてるんだな。

 

「アプローチの仕方を間違えてんだよ。お前も、姉も」

「どうしたらよかったのかな」

「んでもって過去形にゃまだはえぇよ。まだ変われる、そうだろ?」

「どうして?」

「姉はギターをやめてるのか?」

「……あ」

 

 なんか、コイツとまともに成立する会話をしたのも、ほぼ初めてな気がするな。そうそう、入り口がそこだったんだよ。オレと氷川の本当に始めるべきだった入り口は、こういうところにあったんだ。

 ──過去形には早すぎる。なにせまだ16だろ、姉がそこで折れてギターをやめてないなら、10年経てばあの時はムカついたで済むようになるだろ。んでもって多分な、悪い部分はもう一つある。

 

「それに、お前、姉が辞めると興味失くすだろ、それが余計に腹立つんだよ」

「そ、そうだったんだ……」

 

 自分よりも才能あるやつが、もしかしたら世界にすら羽搏けるような才能の持ち主が飽きたからやーめた、ってのはかなりムカつくだろ。ああ、氷川にはそう感じるような相手がいないからわかんねぇかもしれないけどな。

 

「お前が姉と昔みてぇに仲良くしてたいって言うなら、今度は中途半端にやめねぇことだな」

「そうだね……そうすればおねーちゃんも」

「いつか、笑ってくれるさ」

「うん……ありがと、()()。すっきりした! なんか、星探し、しなくていっかなー」

「移住するんじゃなかったのか?」

「だって、住む星が違うなら、おねーちゃんも苦しむことないかなーって思っただけだもん」

 

 ホント、コイツは破滅思考だな。確かに手の届くところにいるから姉は苦しんでるんだろうけど、そこから別の星を探して移住するって発想にはならねぇだろ。けど、変えるには逃げるんじゃなくて、向き合うこと。美竹にも言ったことで……今のオレにも言えることだな。オレは、氷川から逃げてるから。

 

「ん」

「え?」

「弦巻、しばらく帰ってこないんだろ? 一本やる」

「い、いいの?」

「その代わりちょっとずつでいいから、お前自身のことを話せ」

「それは、コレだけじゃあな~って言ったら?」

「じゃあ多少は許してやるよ」

 

 ──コイツに間違ったアメを教えたのはオレだ。なら、きちんと向き合うべきだろ。教師として、超問題児にな。そのためのプロセスで必要ってんなら……オレはいくらでも汚れてやる。間違えてる問題をガキのせいにしてちゃ、先生には程遠いからな。

 

「なんか、るんってこないなぁ」

「じゃあやめてもいい」

「それはヤダ、カズくんとするの、きもちいもん」

「クソビッチ」

「カズくんだけだってば~」

「メンヘラ」

「じゃあパスパレの話、したいからえっちしよ~」

「結局かよ」

 

 教師と生徒、にしちゃ随分爛れてて、どうしようもなく褒められた関係じゃねぇけどな。それで氷川が……ヒナが変わるってんなら、ヒナが大人になるってんなら、オレは都合の良いこと言って生徒とヤっちまう先生でいい。間違えた過去はもう、間違えたまま進んでいっちまうから。これが、傍迷惑な天才ちゃんとの付き合い方ってなら、オレは最後の最後まで付き合ってやるよ、ヒナ。

 

「言ったね? じゃあ最後まであたしに付き合ってね! 見捨てたら泣いてやるんだから!」

「イチイチメンヘラくせぇな」

「あたしは本気だよ、本気でカズくんになら、全部をあげられる」

「それもメンヘラだっての」

「……でも、見捨てないんだ」

 

 そりゃそうだ。ようやく、ようやくお前に教師としての付き合い方がわかったんだ。どんなに正解から遠くたって、美竹に何も言えねぇようなことをしてたって、オレはお前にとっての教師として力の限りを尽くしてやる。なんだかんだでお前は……オレを助けてくれたんだから。

 

 

 




この時点でまぁこころはこれっきりとは思ってなかったよええ。
というかタバコ吸えないと思考回路働くなら禁煙しろ


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⑥夜空フォーリンスターと特別ミッドナイト

天体観測編終了でございます。


 なんで、こうなったんだっけか? 自問は意味を成さず、気まずそうな羽沢となんか思い詰めてる風の美竹、お構い無しのヒナに、弦巻、あとネコミミの初対面。星空の下に集ったメンバーにオレは思わず頭を掻きむしった。キャパオーバーだっつーの。ホント、上手くいかねぇことが多すぎて、新しいライターをポケットの中で弄る。原因はギターの音。猫耳娘の持つ赤いギターの音を聞いた弦巻とヒナが顔を見合わせて山を降りていった。

 

「あ、あはは……偶然ですね」

「そう、だな……お前らは天体観測か?」

「はい」

「うん、ツアーでさ」

 

 そういうことらしい。そんな中、あれよあれよという間に女子高生五人と天体観測ということになってしまった。あーあ、お守りの人数が増えたよ。全く……とため息をついてそんな面倒も火に点けてやり過ごそうと寒空のテラスにやってきた。すると、そこには先客がいて、オレを見た瞬間に二度ほど表情が変わった。

 

「アンタ……こんなとこまで来てタバコ吸うつもり? こんなに空気が澄んでるのに、もったいない」

「空気が澄んでるから、より美味いんだよ」

「バカみたい」

 

 一瞬、あっと驚いたような顔をして、次いで鋭い表情になった美竹はそれでもどこか歌うように息を吐いた。なんだかな、コイツが隣にいるとあんまり吸う気になれなくて、出しかけたタバコを仕舞って、代わりに車に積んであったタオルケットを手に持って投げて渡した。

 

「わ……なに?」

「肩掛けるだけでもマシだろ」

「……別に、寒くないし」

「つかカイロとか持ってきてねぇのかよ、ほら」

「あっつ……これ、アンタの使いかけじゃん」

「今からあっためるよりいいだろ」

「……まぁ、あったかい、けど」

 

 大体世のJKどもはどうしてそう足を出すかな……まぁ、腿まで出せるのは今だけだろうし、そんな若い青春の一瞬に枯れた格好をしろとは言わないけどな。寒い時くれぇもうちょいあったかそうな格好をしてほしいな。

 と、そんなオレの思考と視線に気付いた美竹は、タオルケットで身体を覆いながら睨みつけてくる。

 

「アンタ、視線が下すぎなんだけど……通報するよ?」

「おっと、そんなつもりじゃなかった」

「はぁ……どうせ足出して寒そう、とか思ってたんでしょ。タイツって意外とあったかいんだよ」

「それは知らなかった」

 

 ふふ、と悪戯めいた笑いをする美竹に、最初だったらしばらく話しかけてすらくれなかったんだろうと思った。コイツは、生徒に欲情したり手を出すようなクズじゃないって信じてる目……罪悪感に圧し潰されちまいそうだ。本当に羽沢や青葉は美竹には言ってないんだな。何考えてんだあのガキ。そんな居心地悪さを感じてると隣から白い息が吐き出された。

 

「……あのさ」

「ん? なんか悩み事か?」

「まぁ……そんな感じ」

 

 少しだけ期待してるけど二度も頼るのは恥ずかしい、そんな雰囲気がする美竹にオレは堪えきれずに笑いを漏らした。別に恥じることねぇだろ。青春はいつだって、悩みの連続なんだからな。つか、ヒナに爪の垢を煎じて飲ませてやりてぇよ。アイツも、コイツみたいにもっと青い春を過ごしてほしいところだ。アイツは目を離すと春を売りそうで困る。

 

「氷川……日菜さんと、仲よかったんだね」

「顧問だしな。さすがに」

「いっつもあんなところでサボってるのに?」

「……部活が終わると屋上でちょっと話してたりするうちにな」

「そう」

 

 まず探りを入れるような、悩みを切り出す勇気を充電するような、他愛のない会話。オレは背中に汗掻いてるけどな、寒いはずなのにおかしいなぁ。まぁ、一般人の思考でその屋上に部活の終了を顧問に報告に来た生徒がタバコとついでにカラダをおねだりしてるなんて想像しねぇだろ。そこに思考が行き着くのは本人だからで、美竹は純粋に不思議がってるだけだ。

 

「……アンタさ、もうタバコやめなよ」

「どうした、急に」

「別に、ただそう思っただけ……やめたくなきゃ聞き流してくれていいよ」

「嫌いか?」

「うん」

 

 意外……でもないか。華道の家元で育ったコイツのことだ、あんまりそういうとは縁がなかったのかもな、もしかしたら厳しい親父さんがタバコは花によくないからと教育してたのかもしれない。けど、なんかそれだけじゃない、暗い目を、憎悪を込めてる。ただそれには気づかないフリをしておこう。触れたら、戻ってこれなくなりそうだ。

 

「お前の前じゃ吸ってねぇからセーフってわけにはいかねぇか」

「うん。わがままかもしれないけど」

「いや、美竹が正しいよ」

「……ありがと」

 

 テラスの木製の手すりに頭を預け、弱々しい感謝の言葉、らしくない感謝をされた。お前の前で吸ってねぇのは気分じゃねぇってだけなんだがな。火に点けなくても、コイツと言葉を交わして、教師としての時間を過ごしてれば、ある程度気は晴れる。そうじゃなきゃヒナの前でも吸ったりしてねぇよ。

 

「……あ、流れ星」

「見逃しててたな……んで、なんか願い事でもしたか?」

「そんなの間に合わないからいいよ」

 

 流れ星が燃え尽きる間に三回、願いを繰り返せば願いは叶う。ヒトの感覚時間じゃ無理だろうな。けど、それを無理だからって諦めるのは大人の反応だ。そんなの勿体ねぇだろ。

 ──ほら見ろ、そんなことを無駄だとも思わないお子様が飛び出してきた。オッサンのオレからするとお前らの瞳の中にこの星空とおんなじものが輝いてるっつうの。

 

「ああ、また流れた! ええと、うわー難しいよ~」

「香澄、もう一回挑戦するわよ!」

「すっごいよーつぐちゃん、キラキラだ~!」

「はい! すごくキラキラしてます……!」

 

 必死に願いを叶えようと流れ星を追いかけるお子様二名と満天の星空に目を奪われる子どもが二名。遮るもののない広い空は雑踏の屋上じゃ見れない、正に息を呑むほどの景色をオレたちの前に見せてくれていた。オレだって、内心は童心に還ってしまうくらいドキドキしてるよ。

 

「行ってこいよ、美竹」

「え……アンタは」

「オレは引率。ここならあの暗い中はしゃぎまわるガキどもを見てられるからな」

「……そう、そっか、アンタは先生だもんね」

「ああ……オレは、教師だ」

 

 そう、オレは教師(おとな)、お前らは生徒(こども)なんだから、遠慮するんじゃねぇよ。混ざってはしゃぐようなエネルギーはオレにはねぇし、弦巻と猫耳娘……戸山がほんっとに危なっかしいからな。黒服どもがいるからよっぽどのことにはならねぇだろうけど、引率ってことになってるんだからな。

 

「ねぇねぇ、カズくん! すごいよね! もうね、星座とかもぜんっぜんわかんないくらい、星ばっかり!」

「わかったわかった、落ち着けヒナ」

 

 なにせヒナもこんな感じだ。いつもの悪魔のような雰囲気ってより、元々の小悪魔、悪戯好きのひまわりが、オレの視界をいっぱいにしてくる。つか、邪魔なんだよ、とぼやきながらそのライトブルーの頭をどかして、白い息、紫煙じゃなくてただの白い息を濃紺に溶かしていった。オレにもお前の頭じゃなくて星を観察させろっての。

 

「カズくんはこっち来ないの?」

「オレは引率だからな」

「……来てくれたらいいのに」

「引率が終わったらそうだな、美竹たちを送って帰ってきてからなら一緒に観てやってもいい」

「ホントっ!? 絶対だからね~!」

「約束は守ってやるよ……けどその前に寝そうだな」

 

 こんな夜にはしゃぎまわってるからな、すぐに電池が切れたように動かなくなるから安心しろ、お前が望んでるような夜は来ねぇよ。さて、腰の心配もしなくてよさそうだし、黒服さんを探して毛布を用意してもらうとするかな。あと栄養ドリンク、オレが眠るわけにはいかねぇしな。

 やれやれ、オレもガキの頃の体力がほしいよ。ホントさ、あ、体力ねぇのはタバコのせいもあるのか。やめねぇけど、やめられない止まらないニコチン依存症なもんでな。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 よかった、よかった……! 嬉しくて、安心して、アタシは暗闇の中つぐみに抱き着いた。つぐみはびっくりしてるけど、もうそんな恥ずかしさも、つぐみへの説明もなにもかもがどうだってよくて、優しい声を出して頭を撫でてくれるつぐみに顔を埋めた。

 ──アイツは先生に戻ってた。先週になにがあって揺らいで、なにがあって元に戻ったのかわからないけど、アイツは前の教師(おとな)の顔でアタシに応えてくれた。いつものテノール、遠目で見たことしかないけど煙を吐く、その煙のように穏やかな口調。なんでか自分でもわからない程、安心して気付いたらちょっとだけ涙も出た。流石に恥ずかしくてつぐみにも顔を見せられないけど。

 だけどその感情の暴走ですっかり忘れてた。つぐみの近くに誰がいたのか、そのヒトが、暗闇でもわかるくらい、アブナイ光を瞳から放っていたから。

 

「ねぇ蘭ちゃん? 蘭ちゃんは……カズ、先生のなに?」

 

 ぞっとした。声に抑揚がないから、よく聞く日菜さんの声とは似ても似つかない暗い声だから、アタシは縫い留められたように振り向けなかった。まるで言葉のナイフを背中に突き付けられたみたいで振り向いたら、ナイフが身体を貫通する気さえした。

 

「蘭ちゃんはカズ先生の授業の担当クラスじゃないよねなんで先生と仲良さそうに並んでたのねぇなんでなんで答えてよ蘭ちゃんねぇ、ねぇ?」

「……たまたま、屋上で会っただけ、ですけど」

「ふーん、そっかそっかぁ……ふうん?」

「一度、屋上に行く日菜さんとすれ違ったことも、あったと思うんですが……」

「あれ? あ、そーだったね、忘れてたよ~」

 

 それを最後に嘘みたいに元の表情に戻った日菜さんはアイツのところへ行った。あのヒト、あんなにぶっ壊れてたっけ? いやぶっ飛んだヒトだってのは知ってた。羽丘の氷川日菜は、中学の頃から変人ってことで有名だから。けど、これは変人じゃなくて確実に病んでるだけでしょ。正直、殺されるかとすら思ったんだけど。

 リサさんすらわからないわけだ。日菜さんは、たぶんアイツを先生だと……教師だと思ってないんだ。あのヒトがアイツを教師から引きずり降ろして、思うがままにしようとしてる。アイツはずっと、教師として何かを成し遂げたいって叫んでるのに。それを無視してまで。

 

「ら、蘭ちゃん……?」

「ねぇ、つぐみ。アタシさ、もっと、欲張ってもいいかな?」

「え?」

「目標ができた。そのためなら、なんだってやる覚悟も」

「蘭ちゃん……」

 

 恥ずかしいから誰にも言わないけど。今度はアタシが、アンタの叫びを聴いてあげること、それだけ。黄昏の中で朽ちようとしてる先生を、アタシが教師のまま留めるんだ。

 どうして拒絶されたんだろうっていうくだらない悩みはもうおしまい。今までは日菜さんのことを隠していて、知られたら今度こそ教師としてダメになりそうで、苦しんで黙ってるしかなかったんだ。

 

「わ、私も……私にも、手伝わせて!」

「つぐみ?」

「やっぱり私ね、先生がモカちゃんの言うようなヒトには思えなくて、先生も否定しなかったけど、やっぱり疑いきれないよ」

 

 なんにも言ってないのに。つぐみはアタシが見てる方向くらいお見通しってことだ。そして、頑張り屋な幼馴染らしくアタシの背中を押してくれる。アタシの恥ずかしいくらいのこの衝動こそが、青春っていうのかな。もしかしたら大人になって後悔するかも、もしかしたらあんな風に屋上で独りそのことを思い出してなにやってんだ、なんて吐き出すかも。けど、アイツはいつも、いずれそうなるんだから青春なんてくだらない、なんてつまんないことは言わない。いずれそうなるからこそ、くだらないことに一生懸命になる青春は、大切なんだって言ってくれる。

 

「……でも、蘭ちゃん。その、大丈夫?」

「大丈夫。アイツのことが大丈夫なことは、もう最初の時にわかってるから」

 

 心配してくれてありがとつぐみ。けどもう怖くないんだ。アイツはいつも、あの雑踏が見下ろせて、そのくせやたらと広い空が見える屋上と、アタシがいつも通りを信じるきっかけになったあの日見た景色と一緒だから。つぐみの手を握って頷いて、そこで漸く気付いた。今、何時だろう? 

 

「ってか、時間やばくない?」

「あ! そろそろ帰らなきゃ! 香澄ちゃーん!」

 

 そうして星が瞬く空に別れを告げて、アタシたちはこころの世話役みたいな黒服の人が運転する車に乗せてもらった。中は広くて、シンクやソファーなんかもあって全員が乗っても広々できるスペースがある。そこにアタシとつぐみ、香澄とこころ、日菜さんと先生で座って五人で談笑していた。

 ──暖かく少し揺れる車内のせいか、星空の興奮で忘れていた睡魔があっという間に瞼を重くしていく。隣を見ると、つぐみは既にアタシの左肩に頭を預けて寝息を立てていた。

 

「そっか、戸山は寝れねぇのか」

「はいっ! なんかもう、キラキラでドキドキで!」

「でも見ろ、みんな寝てるから静かにな。つかヒナ、狸寝入りはやめろ」

「眠いのはホントだよ~」

 

 そんな香澄と先生、そして日菜さんがアイツに密着してるところで、アタシも限界が来た。それから車に揺られる間、アタシはついさっきの星の夢を見た。溢れる星はそれらをつなぐ線なんてわかるはずなくて、けど、確かにそこにあるってことはちゃんとわかった。きっとこれからはあんな数の星を見ることなんてないだろうけど、この景色もあの日の夕焼けとおんなじ、忘れたくない、忘れない景色。

 そんな夢から醒めた頃、アイツの声に目を開くと香澄ももう寝ていて、日菜さんもアイツの膝枕でちょっとだけ幸せそうに寝ていた。

 

「美竹」

「なに?」

「月曜にな」

「……うん」

 

 合言葉みたいな短いやり取り、月曜に、またアイツは屋上でタバコを吸ってるっていう、意思表示。アタシは胸に宿った、やったという思いを頑張って堪えて返事をした。そうしたら、先生はあっと声を上げて、小さな声でそっと囁いてきた。

 

「課題、ちゃんとやっとけよ」

「わかってる……まだやってないけど」

「一年の主任、職員会議ですぐお前の愚痴が出てくるからな」

「いいよ。提出するヤツは、ちゃんとやってるから」

 

 つぐみとか巴に手伝ってもらいながらだけど。素行が悪いとか、赤のメッシュが目立つとか、そういうのは返せないからそれだけでもちゃんとしといた方がいい、っていうのが巴の言葉。逆にひまりは愛想がいいからあんまりやらなくても目立たないって。

 

「コイツとか全然提出しねぇからな」

「そんな感じします」

「けど考査は学年一位だし、それが逆に問題になってるんだよな」

 

 困ったように笑う先生。問題になってる、って言っていた声が何処か他人事に聞こえるのは、本人は問題だって思ってないから。そういうところはホント、教師っぽくない。けどコイツらしいとは思った。流石、不良教師だ。普通の先生が評価するような基準とは、違うんだよね。

 

「アンタさ、日菜さんのことあんまり構いすぎると他の先生に嫌われるかもよ?」

「それは困るけど、それでヒナを構わなかった後が怖いからなぁ」

「生徒の尻に敷かれてるから……?」

「おい、なんか言ったか?」

 

 日菜さんはあの騒がしさがどこに行っちゃったのかなってくらいに凄く静かに眠ってて、やっぱり日菜さんと先生は教師と生徒じゃない繋がりがあるんだなってわかる。少なくとも日菜さんは先生のこと、恋愛感情があるんじゃないかな。

 

「日菜さんのこと、好きになってたりしない?」

「ないな」

「ないんだ」

 

 何故か少し、ほっとした。懐いてくれる日菜さんのことはやっぱり特別なんだろう、とは思うけどそれ以上はない、って感じの否定だった。先生は平等じゃない。そもそも平等な先生はいないけど、訊けば平等に評価してる、なんて口を揃えて言う。じゃあ、このヒトはどうだろう。

 

「アンタはさ、生徒を平等に扱ってる?」

「いや全然。ヒナがいい例だろ。ほかにも、羽沢や今井はいつも授業で率先してくれるから、印象もいいしすぐに名前を覚えた。逆に青葉なんて最近まで全く印象なかったしな」

「……そっか」

「他にも、美竹とか、オレは個人的に話して好印象を持ってる。きっと授業を受け持てば、それだけ悪い評価は付きにくいだろうな」

「そういうのは、隠した方がいいんじゃないの?」

「でも、オレはどうしても平等にはできねぇ。できねぇことは、隠してもイミねぇだろ」

 

 ──そういうところが、安心する。ダメなヒトだけど、どうしようもない不良教師だけど。このヒトは大人として子どもに誠実であろうとしてるのかな。

 大丈夫、やっぱりこのヒトのことは、強がりなんかじゃなくて、本当に大丈夫だ。

 その会話が最後で、黒服の人が声を掛けてくれて、眠たそうに目を擦るつぐみと香澄をなんとか引っ張って、じゃあとだけ言った。おやすみは言えなかったけど、また月曜になったら屋上にいてよ、先生。

 

 

 

 

 




こう見ると二年前(前回投稿のリアル日時)に比べてクズもちゃんと物語の中で成長してるんだなぁと感じる作者であった。手癖で書くとこのころよりマッチョになっちゃうもんね。


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幕間:緋椿バックドア

第一章にあったリサの初登場の裏側(バックドア)です。


 第一印象は、もうそのまんま。テキトーそうな先生だなってことくらい。英語を担当することだけを簡潔に伝えたそのヒトは、高校に上がったばかりで浮かれてざわつく教室なんてお構いなしに授業を始めちゃった。静かにさせることもなく、生徒を視界に入れてるのかわからない、そんな授業。当然生徒(アタシたち)からのリアクションもなく終わっていく。印象にも残らない先生をだけど、印象付けたのはダンス部の先輩からの噂話だった。

 

「清瀬先生って、前はあんなんじゃなくてさ。親しみやすくて、マジメな先生だったんだよね」

「そーだったんですか……イメージ湧かない」

「だろうね。でも退学者出してから変わっちゃった」

 

 どうやらその退学者を出した原因が、生徒じゃなくて先生にあるみたいで、すっごく責任を問われて今やぞんざいな扱いを受けているみたい。退学者はすっごい不良で、よく二人でいたから一部では爛れた関係を持ってて両親にバレて退学させられた、みたいな噂もあるらしく、アタシはそれに言い知れない不安を感じた。

 

「先生も、アタシら子どもにキョーミなんて持つもんなんですかね」

「まぁうちらだって異性だと思っちゃうところあるし。そのくらい年が近いとなっちゃうんじゃない?」

 

 うちの好みは年下だけど、と余計な一言を付け加えられながら先輩の言葉を心の中で反芻する。年が近いってアタシとあの先生に十歳は差があるはずなのに、子どもじゃなくて女として見られてるのかなという不安。ずっと女子校で異性というものにあまり触れてこなかったから、怖いとすら思った。

 

「え、次の顧問の先生、あのヒトなの?」

「リサちー知ってるの?」

「え、うんまぁ……噂とか、色々」

「へぇ」

 

 だからヒナの新しい顧問になるって知った時、アタシはその噂を全てヒナにしゃべった。もしかしたらそのヒトは、アタシら子どもを女として見てて、いやらしい目で値踏みしてくるのかもしれない。そんな噂に踊らされて。

 

「それにいっつも屋上でタバコ吸ってるっぽいし、ヤバいってヒナ」

「屋上、タバコ……えっち、そっかそっかぁ」

 

 けどヒナはそんなアタシの噂に靡くこともなく、フツーに部活をして過ごしていった。逆にヒナが先生の話をする時は楽しそうで、あの教師どころか結構クラスメイトにも嫌われがちなヒナが懐いてるってことは、根はいい先生なんだろうなとも思った。

 

「あの……先生」

「ん、どうした?」

「実は……わかんないことがあって」

「えーっと、この赤線とこ?」

「はい、訳が変になっちゃって」

「なるほど」

 

 ヒナに感化されて勇気を持って訊きに行った時には丁寧に教えてくれた。いっつもこのくらい丁寧だったらいいのにってくらいで。それが逆に噂ほどじゃなくてもその退学した生徒さんとなにかあって、やる気が無くなっちゃった。もしくはまた傷つきたくないって閉じこもってる。そんな感じがした。

 

「リサさ~ん」

「……あ、ごめん。どしたのモカ?」

「おつかれ~のところ申し訳ないんですけど~、愛しのカレシさんがお呼びで~す」

「愛しのって……もう、モカ~」

 

 二年生になって、アタシはまた友希那と音楽を始めた。その練習とダンス部、バイト、とにかくアタシは変わった環境に疲れて、清瀬先生の授業も何度か謝りながら寝てしまったこともあった。そんなアタシにとって、去年から付き合っていたカレシは段々と、重荷のように感じていたのかもしれない。

 

「どしたの? 今日ってシフトないよね?」

「え、ああうん。でもリサに会いたくて」

「今は休憩中なんだケドな~?」

「……だよな」

 

 嫌なわけじゃない。嬉しかった。アタシは誰かに頼られることがアタシだって思ってるから。誰かに頼られなくなったアタシは……もうアタシじゃない。そーゆー意味だと、二つ年上だけどなんだか頼りないカレに惹かれたのも、放っておくとすぐサボろうとするモカがいてくれるのも、アタシの性格故なのかも。

 

「じゃあ、リサ」

「うん」

 

 でもやっぱり面倒見がいいとか、お世話上手とか言われてもそれは体力を使っちゃう行為みたいで、アタシはため息を一つこぼした。こんな時にはヒナが一番だ。ヒナはアタシの言葉に嫌な顔ひとつせずに……まぁつまんなかったらつまんないって言われちゃうケド、愚痴を聴いててくれる。

 

「ふんふんふ~ん、ふふふ~、えへへぇ~♪」

「モカ~、ご機嫌じゃんどーしたの?」

「……ちょーっと、写真のせーりをしてただけでして~、んふふ~」

「笑い方怪しいんだケド」

 

 振り返るモカの表情はすごく嬉しそうで、蘭とか幼馴染のかな? モカってばその話ばっかりだもんね。どうやらスマホのデータぎっしり詰まってるどころか外部に移さなきゃいけないレベルらしく、よく撮らせてくれるねって笑った。性格的に蘭って恥ずかしがりそうなのに。

 

「……ふっふっふ~」

「え、まさか隠し撮り?」

「リサさ~ん、ナイショですよ~?」

 

 そんなストーカーじみたモカの一面に苦笑いをして、アタシは整理終わったらちゃんと働いてねと釘を差しておいた。そうして、やがて満足そうに出てきたモカはそーいえば~と眠くなるくらい間延びした表情でアタシに雑談を振ってくる。

 

「GWの予定って~、どーなってます~?」

「どしたの急に、フツーにRoseliaの練習だケド……」

「……やっぱり~」

 

 珍しく歯切れの悪くもごもごと独り言を呟くモカにアタシは首を傾げた。え、なに? となにか悪いことでもあったのかと訊くと実はですね~とアタシにとっては足許が崩れるような事実を悲しそうに告げてくれた。告げてくれて、まだよかったのかもしれない。

 

「リサさんのカレシさんが~こないだきゅーけーちゅーに~電話でうれしそーに~、GWの()()()()()()()()()()ハナシをしてたんですよ~……」

「……えっ」

「えっと~、その~、黙ってよーかな~とも思ったんですけど~」

 

 もちろん、相手は友達だった様子でなにかの見栄だったのかもしれない。楽観的に考えれば大学一年生、サークルとかのめんどくさい用事に誘われた断り文句にアタシを使ったのかも。そう思ってみたけれど、胸がスッとしない。そんな楽観的な見方じゃなくて、アタシもモカと同じ懸念をしてしまったから。

 

「……教えてくれてアリガト、モカ」

「いや、でも~」

「ううん、見ないフリはできないでしょ」

 

 また友希那と音楽ができるって報告した時におめでとうと言ってくれたカレが、デートの終わりに送るよって優しく言ってくれるカレが、いっつもアタシに会える度に嬉しそうな顔するカレが……アタシだってそう信じたい。信じてあげたい。それに、アタシが構ってあげられなくて浮気をしてるんだったら、そのくらい、ちゃんと赦してあげたい。

 

「……青葉のやつ、あの時電話終わってからきました~みたいな顔してたクセに」

「じゃあ……」

「ホントだよ」

「……っ! そ、そっか……アタシとじゃ、デートできないもん、ね」

 

 シフトが被ってるバイト終わりに、アタシはカレに問いかけた。詰問したつもりはない。浮気を咎めるどころか、むしろそうだとしてもアタシはカレに恋人としていてほしかった。もうしないよ、だなんて反省してくれればそれでよかった。アタシはそれ以外のものを求めてはいなかった。アタシにはそれ以上のことなんてなかったのに。

 ──カレの口から出てきた言葉は、アタシを傷付けるものだった。

 

「あいつ……ああGWに会う約束してるやつな。あいつに言われたんだ。それって付き合えてるんですか、大切にされていますか……ってな」

「……それは」

「おれもそうだなって思ったよ。それに」

「うん……」

「お節介なんだよ、お前さ」

 

 頭を殴られたような衝撃だった。アタシはアタシなりに、カノジョとしてカレにできることをしようと頑張って……頑張ってたのに。

 その先にある言葉なんてわかってる。聞かなくても、こうなったらアタシが受ける言葉は一つだけ。

 

「お節介焼かれてばっかで、年下の尻に敷かれてんのかってダチにも言われた。そう思われんのはもう嫌だ……だから、別れてくれ」

「……あ」

「あいつは違う。なんでも気が回って先回りしてくるお前とは違って、あいつはいつだって後ろにいてくれる。そんな安心感が、おれは欲しかったんだ」

 

 そっか、だなんてどこか別のヒトの話を聞いてるかのようにアタシは相槌を打つことしかできなかった。もし、もしもここで気づかないフリをしていたら、まだカレの傍にいられたのかな。これも余計な気が回っちゃうお節介なせいなのかな。そんなことばっかり頭の中でぐるぐると浮かんでは消えていく。

 

「バイバイ、リサ」

 

 待ってと縋りつくこともできなかった。そうしたら、カレに迷惑だななんて思ってアタシは言葉を押し殺すことしかできなかった。夢であってほしい、目が覚めたらいつも通りおはようとメッセージが来るんじゃないかなんてバカみたいなことを考えちゃうほど、どこか現実感がなくて、虚無感に包まれた。

 

「はぁ……あ」

 

 ダンス部で気を紛らわそうとしてみたものの晴れやかになるどころかじわじわと別れちゃったんだという悲しみが雨雲のように押し寄せてくるばかり。そんな感情に押しつぶされそうになっていた時に、角でヒトにぶつかってしまう。

 

「わっと~、だいじょーぶ?」

「っご、ごめんなさい」

 

 そのツヤツヤの黒髪に、赤メッシュ、ちょっと吊り目気味の不良テイストな子こそ、モカがいつも話してくれるし、偶にコンビニにも来てくれる美竹蘭だった。でも蘭って確か部活してないのに、こんな時間にどーしたんだろ? そんな風に考えていたらなにやら相談事をされてしまった。

 

「うーんなるほどねぇ、あの清瀬センセがね~」

 

 意外だな、と思う一方でやっぱりそういうヒトなんだなって思いがあった。何かのきっかけで教師であるってことに火を点けられなくなっちゃっただけのヒトで、元は情熱もあっていい先生だったんだろうな。同時に、蘭の青春の悩みを大人の余裕で笑って流して解決してくれたってことがアタシの中で引っかかっていく。

 

「……ありがとうございました」

「そんなのいーって。アタシも蘭と話せてよかった~って思ってるからさっ☆」

 

 でもやっぱり少しだけ怖いところもあった。蘭は、清瀬先生のことが好きなのかな。そうやって好きになってほしくてカッコつけただけってこともあり得るよね。なんだろう、運命感じちゃって大人の男の魅力を出した、みたいな。だから対象外であろうアタシのことなんて知らんって言われておしまいかも。

 やっぱりアタシは恋愛とかそういう手の話が苦手だ。周りには付き合ってるカレもいたし、相談は基本断らないからモテ上手みたいに思われるっぽいケド……アタシはそんな恋愛だってロクにしたことない、子どもなんだ。子どもだから、アイツにもフラれた。アタシは、大好きだったカレにフラれたんだ。

 

「……っ、あれ……アタシ、なんで今頃……?」

 

 押し寄せていた曇天の雲はようやく、雨を降らせ始めた。時が進むような脱力感、冷たくて悲しくてアタシの胸を締め付けるような、でも燃えていた火事を消すような優しい雨が降っていく。とめどなく溢れてきて、もうダメだって思って一人で気持ちを消化するために、あの恋を昇華させるために屋上の階段を上っていく。

 

「見つけたら、先生も一緒に住もうね! 楽園だよー!」

「……はぁ、断固お断りなんだよなぁ」

「えー、なんでー!」

 

 屋上のドアを開けた瞬間、そんな声が、聞き覚えのある声がアタシの耳に入ってきた。いやでも、アタシと話すよりも数段明るい声。これは……そうだアタシが紗夜の話をした時のヒナにそっくりで、でも何かが決定的に違うものだった。開けかけたドアに気づかれないうちに、アタシは慌てて涙を首にかけていたタオルで拭く。汗と一緒にしてしまおう、そうしたら、誰にも気づかれなくて済むから。

 

「あ、あれ、ヒナもここにいたんだ。部活は終わり~?」

「リサちーだ!」

「おう今井は、ダンス部か」

「まぁそんなところですね」

 

 ──でも、危なかったなぁ。扉を開けるまで先生はタバコ吸ってる時はここにいるって言ってたのもすっかり忘れてた。もしヒナがいなかったら気づかなかったかも。でも、そうしたら先生は……なんて声をかけてくれたのかな? 無視、はさすがにないよね。もしかしたらアタシ、ちょっとは期待してたのかな。蘭を助けてくれたように、アタシも、もしかしたら笑ってハナシを聞いてくれたのかな。

 

「じゃあ、家の前だけど気をつけて帰れよ。変態はちょっとしたスキを狙ってくるもんだからな」

「そーだよリサちー!」

「あはは~」

「……お前のことだけどな」

 

 ぼそりと呟いた言葉は、やっぱりヒナは特別なんだなぁと思わせるには充分なものだった。第一、アタシんちを先にしちゃうとヒナんちを先にするより遠回りだし……やっぱり邪魔しちゃったかな? そうやって伺ってるとどうした? と先生は優しい顔で問いかけてくれる。

 

「元気ねぇんなら、まぁ気が向いた時に屋上でも来いよ」

「あー、カズくん!」

「先生をつけろバカ氷川」

「ヒナに怒られちゃいそうなんで、あはは~」

「遠慮すんなよ。青春の悩みの捌け口くれぇにはなるだろうからな。ガキにゃ言えねぇことなら尚更な」

「……はい」

 

 いいなヒナは。こんな先生にとっても特別なんて。自然にそう思った。きっとヒナはそれを嫌がるだろうけど、先生はあくまで生徒としてヒナを大事にしてる。退学しちゃった生徒のこともきっと、そして蘭やアタシのことすら。きっかけはアタシがヒナと仲がいいから制御できる相手を求めてとかそういうのかもしれないケド、向けられた暖かい言葉は、雨が降り続いていた心にそっと傘を差してくれるような温もりだった。

 

「ありがとうございました」

「じゃあ、またな」

「また明日ねー!」

 

 また、そう言ってくれるのはいつだってアタシを見てくれるヒトのものだ。バイバイといつも別れていたカレは、一度だってごめんね、とまたねを聴いたことがなかった。カレはいつもどこを見ていたのかな、誰を見ていたのかな。ぎゅっと胸が締め付けられるケド、テールランプの光を残していく車から掛けられた言葉がアタシを立ち上がらせてくれた。

 ──さよなら大好きだったヒト。キミを傷付けてごめんね……バイバイ。

 

 

 

 

 




書き下ろしでした。やっぱこういうのないと再投稿したイミないよね!
リサちーの過去はほんのちょろっと別のところでやっただけなので。でもヒロインじゃないんじゃあ~


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第二章:失敗の連続
①屋上トゥルース


第二章は間違えまくるティーチャー。クソザコメンタルなクズなので、はい。


 新章突入、というところで悪いが、バカじゃねぇのと言わせてくれ。

 ──バカじゃねぇのあのヒトの皮を被ったケダモノ。一丁前に氷川日菜だとか人間らしい名前を自称してるソイツは弦巻の別荘に泊まった翌朝、何故かオレのベッドで寝ていた。きちんと黒服の人が一切起きない二人を部屋に連れていったから一緒に寝てないことは明白、つまり潜り込んできやがった。思わず夢の中だと思って寝惚けていたオレは言いたい放題言ってやった。流石のヒナもこれなら堪えるだろうとそれはもう散々に。

 結果は、言わずもがなだ。コイツに言葉が通じると思ったオレが間違いだった。

 

「んー……そっかぁ、じゃあえっちしよー」

 

 抱き着いてきて甘い声でのその一言にぞっとした。そもそも日本語が通じてるんだかないんだかわかんねぇんだよなコイツ。寝惚けてるにしても思考回路が理解出来ん。後でケダモノ曰く、夜シてなかったから、とのこと。もっと意味不明だった。下半身に脳ついてんのかテメーは。そんなある意味刺激的な日曜の朝を経て、週明け月曜、幸い長い連休で授業がなかったからいいものの、死ぬほど腰が痛かった。アイツにはもうちょい淑女の恥じらいを持って欲しい。

 

「いてぇ……」

「そりゃぁ災難ですな〜、日菜さんとは昨日も激しいやつを……と」

「なにメモってんだおい。なにに使うつもりだ」

「ナニとかやめてくださ〜い、つーほーしますよ〜?」

「……はぁ」

 

 そんで月曜の昼には屋上で別の悪魔に遭遇する始末だ。もう一回くらい言っとくか、バカじゃねぇの。

 ──コイツは、青葉は、きっと羽沢か美竹あたりから会ったっつう話を聞いてまた釘でも刺してきたんだろうな。釘を刺す、つってもコイツの場合は全力で穴だらけになるまで刺しにくるから困るんだが。そんな力いっぱいやったら折れちまうからな釘。

 

「なにしに来やがった」

「いえ別に〜。蘭がみょ〜につぐとコソコソしてるから遂に蘭を押し倒したのかと思って〜」

「あっそ、つかオレカンケーねぇじゃん」

「知ってる〜」

 

 むちゃくちゃイラッとした。じゃあ何しに来たんだよ。お前はホントいちいち遠回りだな。人間年食うと気が短くなるんだからな。のんびり眠そうなのはいいが、オレはお前から解放されてぇよ。ついでにヒナからも解放されてぇ。

 

「そんな〜会話するのも苦痛、みたいな顔は傷つくな〜、あ〜モカちゃん悲しーな〜よよよ〜」

「……うぜぇ」

「ノリ悪いな〜」

「お前のこと嫌いだからな」

「うわ〜あたしもせーとなのに〜」

 

 生徒? てめぇが? 冗談も大概にしろよ、自分が何したか覚えてねぇのかこのクソガキ。羽沢なんか朝会った時に、先生のこと誤解してましたなんて言って頭下げてくれたのに。いや実際、誤解はしてねぇけどな。ヒナとはそういうことする関係だけど。まぁとにかく羽沢はそれを蘭やモカなんかにも同じことをするんじゃねぇのかっつう疑惑の目、みたいなのをやめてくれた。けどコイツはまだ目の奥にまるで浮気でもされたかのような敵意を込めてやがる。目下の爆弾は青葉だけだ。

 

「モカちゃんだけに目下〜、なんちって〜」

「うぜぇ上にさみぃんだよクソガキ」

「冷た〜」

 

 人の心を読むんじゃねぇよ。ちょっと思っちまったことなんだから余計に腹立つし、それをわかって言ってくるから今すぐこの頭にアイアンクローかまして投げ捨ててやりたいくれぇだ。

 

「本題を言えクソガキ。オレだって今日はタバコ吸ってるだけじゃねぇんだよ。タバコ吸っててもイライラするイベントがあるのオッケー?」

「せっかちさんだな〜、もしかして早漏?」

「は?」

「……んもう、ホントにノリ悪いな〜」

 

 早くねぇよ。じゃなくて、マジで今日はやっつけなきゃならん仕事あんだから手短に済ませてくれ。なのになんで吸ってるかってこの後はヒナがお昼食べに行きたいとか言い出したから。どっちにも遅れるとロクな目にあわねぇんだよ。

 

「蘭たちとなんの話、したの?」

「フツーのことしか話してねぇよ」

「……つぐが突然、先生は悪いヒトじゃないとか言い出して」

「知るかよ」

 

 やっぱりその話か。知らない美竹ならまだしも、オレがヒナとヤってることを知ってる羽沢がオレを擁護し始めたのが、こいつはよっぽど気に入らないらしい。しかもその日はヒナとオレは同じところに泊まりで、どうなるかなんて羽沢も思い至るハズなのに、ってとこか? 

 

「つぐをどうやって騙したの」

「オレが知りてぇくれだけど、聞き方が既に喧嘩腰のお前には何言っても通じねぇだろうな」

「教師の皮を被ったケダモノみたいなクセして」

 

 それはなんというかオレがヒナに抱く感想と同じ、なんて皮肉だな。まぁどうだっていいな。こいつにとってオレは生徒を己の性欲のまま犯す危険なケダモノ。羽沢にとっては、不信はあれど先生として(ツラ)を保ってる。その溝はどう説明したって埋まるわけねぇんだよ。

 

「質問は終わりか? 帰れ、お前と話すことはねぇよ」

「あたしにはあるんだけど?」

「もうすぐヒナが来るからな、それでもいいならどうぞご自由に」

「……っ」

 

 ありゃ本物のケダモノだからな。食い散らされたくなかったらとっとと逃げることをおすすめするよ。大人を言い負かすには大人ぶった背伸びが必要だとか思ってる限り、お前はオレを黙らせることはできねぇよ。大人びてるは子どもに使う言葉だしな。

 二本目に火を点けるのと、青葉が足音荒く思いっきり扉を閉めるのは、ほぼ、同じタイミングだった。そんなチャチな言葉じゃ大人には笑われるだけだよ、青葉。そうだな……どんな言葉が大人を黙らせるかといえば。

 

「カズくんっ! おまたせ!」

 

 この悪魔の言葉がわかりやすいな。青葉がいなくなって少ししてから、にこにこ顔でやってきてオレの腕に纒わり付くコイツは、オレの天敵だ。自然な動作で未成年喫煙をして嬉しそうに笑う、無邪気な……いや無ではねぇな。邪気に溢れたヒナは、まるで紫煙を吐く行為が別になんともないかのように、会話を成立させる。

 

「来なくてもよかったんだがな。つか聞きそびれてたけど、外で食うのか?」

「うん、そうだよ? 弁当持ってないし、学食はヤバいでしょ?」

「オレスーツ、お前制服、イコール案件。お分かり?」

「いいじゃん、制服デートしよ」

「はぁ? アホかお前、良くて援交、最悪の場合逮捕されるだろ」

「ねぇいいじゃん! 奢ってあげるからさ〜」

「そういう問題じゃねぇよ逮捕はよくねぇだろ」

「ジョーダンだよ〜♪ ね、何食べる?」

「ああもうわかった……ファミレスとかでいいだろ」

 

 大人を黙らせるのに飾り気のある言葉なんていらねぇんだよ。こうやってな、子どもの言葉で理不尽なくらい邪気を込めた無邪気な仕草で大人を振り回せば、自然となにも言えなくなる。それは大人の方に責任が重く重くのしかかってるから。特にオレはガキを無碍にしねぇっていうポリシーがある。プライドとポリシーは大人になれば何よりも重くて、時々何よりも軽くなる都合のいい生き方だ。オレの、ヒナに対する対応がいい例だよな。

 

「あ、カズくん……腰、大丈夫?」

「大丈夫じゃねぇよ。湿布貼ってるくれぇ大丈夫じゃねぇ」

「……ごめんね」

「謝るくらいなら、もうちょいなんとかならねぇの?」

「むり、だってベッドの上とかハジメテでさ、気持ち良すぎてトんじゃってるもん」

「……ったく。今日はナシだからな」

「はぁい。って言ってもそもそもできないけどね〜」

「ああ月ものか。今週は安泰なようで助かる」

 

 なんかどうせならと振り切ってからというもの、ヒナの狂気みたいな感覚は減っていた。相変わらずめちゃくちゃだが、前みたいに会話が成立しないことは減った。あと日曜にまた少し、自分の話をしてくれた。今、コイツが何をしているのか知ることが出来た。

 

「……あ、ねぇねぇ行く前にさ、ぎゅーってして」

「なんで」

「いいから……キスとかえっちはあるけど、ぎゅーってしてもらったこと、ないなぁって」

「オレはカレシじゃねぇんだけど」

「そうだけど、先生にぎゅってされたい」

 

 あと、甘えてくるようになった。この変化も間違えてるけど、最初が間違えてるからな。まぁ、変わってるだけいいってことか。いやしねぇけどな。だからオレはカレシじゃねぇから。お前に愛は分けてやらん。

 

「ほら、バカなこと言ってねぇで、行くなら行く」

「……むぅ」

「んな顔してもしねぇよ」

「じゃあえっち」

「アホか。初めての時の再来はもっと勘弁してくれ」

「どっちか」

 

 だが駄々をこねたヒナに思わずため息が出る。今日はいつもより頑固だな。もしかして青葉とのやり取りでも見てたのか。空気は読めねぇヤツじゃねぇし屋上に来るタイミング的にもそう考えるのが妥当だな。大丈夫だよ、お前みたいな失敗はしねぇから安心してほしいところだ。

 

「んじゃあ……後でな」

「えー! 今、今がいい! ごまかしてるでしょ!」

「違ぇよ。どうせ、抱き着いてきてそれだけで満足しねぇだろ、お前は……」

「あそっか! じゃあ駐車場、先に行ってるね!」

 

 泥沼に足を突っ込んだみてぇに沈んでる。ヒナとキスしたり、ヤったりすることに、少しずつ、少しずつ抵抗が無くなっていく。ほとんどの場合は無理やりだった。舌を口ん中に捩じ込まれて、押し倒されて。教師になって最大の失敗とも言うべきこの間違いは、こうやって長い間、オレをクズにしていってる。昨日はついにいつの間にか、オレがヒナをベッドに押し倒してたし。

 

「マジで欲情しちまってたんだな……アイツに」

 

 ガキと大人は違うからなんてポリシーはオレの中で最も重くて、同時に最も軽いもんだ。抜け出せない沼の前にそのポリシーは、いつ間にかポケットから零れていた。

 結局、メシを食いに行く前に車の中でヒナのわがままを叶えて、その代わりにメシの間はまたヒナの話を聞いた。そして、車から降りるアイツは嬉しそうに去っていく。

 

「……日菜さんと、どこか行ってたの?」

 

 見送って車から降りてカギを閉めたその瞬間、そんな声が飛んできて思わず肩が跳ねた。聞いた声で安心しながらも、オレはそれでもゆっくりと振り返った。なんか妙に不機嫌そうなその顔も、なんつうかほっとするよ。

 

「びっくりさせんなよ、美竹」

「声掛けただけなんだけどやましい事あるんだ……通報していい?」

「やましいに決まってんだろ。ヒナとメシ食いに行ったんだよ」

「外に? それってヤバいんじゃないの?」

「……言うな」

 

 客観的な観測はより事態を重く認識させられる。なんて、思わず頭が良くなっちまうだろ。ただメシ食いに行っただけ、まぁ、車の中で一切接触しなかったのかと問われれば今すぐ警察に自首しに行って罪を償う覚悟ができているが。やっぱ人間たるもの、溜め込むより吐き出した方が何百倍も楽、つまりは抑えるより抱きしめて舌を突っ込むほうが何倍も楽なもんでな。

 

「にしても駐車場で会うなんて珍しいな」

「話題すり替えて、恥ずかしくない?」

「全然、それで逸らせるなら自分を褒めてやりたいくれぇだ」

「クズ教師」

「大人イコール、クズだからな」

 

 そんな軽蔑の表情をすんなよ。先週の車ん中で言っただろうけど、ヒナの機嫌を損ねると後でやべぇんだよ。がっついてこられるとホントに腰が痛くてしんどいから。美竹にはそこまで言えはしねぇんだけどさ。

 

「……まったく、屋上にいないと思ったら」

「悪いな」

 

 そういや、コイツとも約束って感じじゃねぇけど、屋上にいることを伝えたら、妙に嬉しそうな表情をしてたっけか。頑張ってそんな感じの気持ちを堪えようとして、でも全然堪えきれてない、年相応の嬉しそうな表情。ツンケンしてるより素直な方が印象もいいんだけどな、少なくとも、赤メッシュなんて気にならねぇくらい。というか、コイツまさかオレの車が停まるのを見てわざわざ来たとか? いや、いくらなんでも美竹にそこまでオレ個人を拘る理由なんてないか。ヒナじゃあるまいし。

 

「今からは?」

「仕事だな」

「……そう」

 

 そしてなんか、全体的に表情が分かりやすくなったな。少しだけ目を伏せてしゅんとして、期待が外れた、ってそんな感じが伝わってくる。同時に意地の悪いことを言っちまったことに罪悪感を覚えるからついつい甘くなっちまう。

 

「専門じゃねぇけど、屋上で生徒の話を聞くんだよ。忙しい仕事だろ?」

「それって……あ、アンタわざと……!」

「さぁな。けど、やめるならそれでいいんだけどな?」

「うるさい、バカ、最低、クズ」

 

 美竹の恨み言を背中で聞きながら屋上へと階段を上っていく。わかりやすいお前が悪いんだ、なんて大人として最低の言い訳を心でしながら、息が上がりそうになるのをなんとか堪えながら。上る度に自分が喫煙者で、その枷を負ってる感覚がする。けど、ここで後悔してもオレはやめられねぇんだよな、後悔も喉元を過ぎれば忘れて、また火を点ける。

 ──まぁ、今のところは、美竹がいる間は点けずに済みそうだけどな。

 

「……アンタ、ホントにやめたら?」

「なんの、ことだ?」

「タバコ。毎日階段で息上がってたらしんどくない?」

「そういうお前は元気そうで……血の気の多いやつはいいねぇ」

「ケンカ売ってんの?」

 

 そういうところが血の気の多いって言ってんだよ。ちったぁ献血でもして世の中に貢献した方がいい。つか良く見てんのな、あんまり見られても困るんだがな。後、やめたら? でやめられたら苦労してない。なにせ尽きる前にストック買うくらいヘビーになってきてるからな。

 刺すような不機嫌そうな視線を流し、屋上のドアを開けた。夕方には早い、青色の空。風は雑多な街のぬるさを運んでくるその中で、オレは美竹に振り返った。

 

「なんで、そんなにタバコを嫌うんだ?」

「……別に、わざわざ毒になるもの、吸ってる意味がわかんないだけ」

 

 嘘が下手なヤツだ。意味がわからんだけなら、別にオレに向かって二度も言う必要はないしな。嫌な思いでもしたかそれとも……いや、ヒナを基準に考えるのはよくねぇな。アレは特殊だってことを偶に忘れるのは、オレの悪いクセみてぇなもんだな。

 

「毒、か……けど、毒だからやめられねぇんだよな」

「どうして?」

「毒の味って知ってるか?」

「さぁ……って毒だから食べたら死んじゃうじゃん」

「甘いんだよ。毒は胸が詰まるくらいに甘い、誘惑の味だ」

「……だから、やめられない?」

「ま、タバコは甘くはねぇけどな」

 

 けど、毒は人体にとって害である以上にヒトを惹きつけるなにかがあるってことだ。フグの毒を食って死ぬ人間がいなくならんように、タバコを吸う人間がいなくならんように。毒素を取り込むという行為は、一種の自傷行為なのかもな。オレも大学時代はストレス発散に吸ってたし、高校の時から……おっとこれはナイショな。

 

「……わかんない。でも、アンタが吸ってる姿は見たくない」

「それは個人的な好みで? それとも身体に悪いからか?」

「……アタシの、個人的な好み」

「美竹の前じゃ吸ってねぇんだけどな……」

「ニオイ、するじゃん」

 

 やっぱり、タバコに関連してなんかあったのか。親が体罰に使った……はねぇな。そういや蘭といえば華道関連ばっかりでタバコのイメージなかったが、コイツはバンドもやってんだったな。そりゃバンドはタバコとか、そういうイメージで溢れてる。だからオレも初めて会った時に、吸うかどうか訊いたんだったな。

 

「それじゃあ、ライブハウスとか大変だろ」

「……そうだね、殆どのところはいっつもタバコのにおいするし、出演者の人とか結構吸ってる」

「悪い、嫌なこと訊いたな」

「いい……平気」

 

 スカートの裾を握りしめながら言われてもな、平気って顔してねぇよ。よく、コイツはオレに近づいてきたな。そういや、あの時もまじまじとヒトの顔見てたな。最初は吸いてぇのかとでも思ってたが、アレが違う意味だとしたらなんだろうか。考えていたら、美竹が口を開いた。

 

「……カレシ、いたんだ」

「カレシ、お前が?」

「そこに反応しないで……話が進まない」

「……ああ、悪い」

 

 こう言っちゃ悪いが心底意外だった。顔は悪くねぇしスタイルいいしで引く手は数多だろうけど、コイツ自身が相当な人見知りだろ。そんな人見知り子ちゃんとまともにコミュニケーションとって付き合えるようなヤツがいたなんて知らなかったよ。ぜひともその手腕を大学ん時に知りたかった。

 

「ほんの二週間くらいだけど……中三の時に、ライブハウスで知り合って、付き合ってたヒトがいた。あ、もちろんアタシ一人だけじゃダメで、つぐみとか巴とかひまりが背中を押してくれた。相手のヤツも、結構押してくるタイプだったし」

 

 バンドマン、さぞチャラい男なんだろうな……って待て待て、口振りだとソイツ、年上だよな。それは口挟んでいいのか? つっこんでいいのか?

 その疑問は、美竹自身が勝手に解消してくれた。

 

「えっと、確か大学生だった。成人式がどうのって言ってたからハタチ、まぁ、その前からタバコは吸ってたみたいだけど」

「……五つなら、セーフか?」

「いや、今考えると中学生にかわいい、付き合おうなんて言ってくるヤツ、ロリコンでしょ」

「そうか。でも、お前は付き合ったんだな」

「うん。でも──」

 

 けど、長続きはしなかった。その後の美竹が明かしてくれた言葉に、オレはしばらく何も言えなかった。コイツがタバコを嫌いな理由、オレに向けてた視線、青葉の言葉の半分、コイツの仲間たちがあれほどオレを警戒していた理由、全部の意味が繋がった気がした。

 ──その日、オレは、美竹を抱き寄せた。顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくるコイツを、それでもオレを先生と呼んでくれる美竹を、抱き寄せていた。

 

「オレは、また間違えてんだよな」

「……うん。でも、今は……間違ったままでいて、ほしい」

 

 教師なんて仕事は本当にロクでもない。美竹の体温を感じながら、オレは漸く、その本当の意味に気付いてしまった。ああ、悪い。アンタの言う通りだったよ。アンタはロクでもない教師(おとな)だった。なにせアンタはオレに教師ってもんを、タバコの味を、なにより青春を教えてくれた……初恋の女だからな、クソ教師。

 

 

 




あーあ、抱きしめちゃった。カレシじゃねぇからとか言ったくせに~


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②失格ティーチャー

ころころとクズは下り坂を転がり落ちていきます。池ポチャまであと少し


 あんなことがあったっつうのに、美竹は相も変わらず屋上にいるとやってくるようになった。けど変わったことも勿論あって、偶に羽沢を連れてくることもあった。なにより廊下ですれ違うと、挨拶をしてくるようになった。これがまぁ素敵な笑顔なもんだから、オレは好奇の視線を独り占めできちまうわけで。お仲間四人は口を開けて驚いてた。

 

「別に、アタシだって()()()()にくらい挨拶するって」

「おかげさんでオレは一躍人気者だよ」

「よかったね、センセイ?」

「嫌な言い方すんな気持ち悪い」

 

 前までならしなかっただろ、そんな冗談も楽しそうな顔もつかオレと話してる時のコイツは、ツンケンってなんだったっけってくれぇに素直で年相応の笑顔をしてくるようになった。原因なんて考えなくてもわかる。完全に引いていたはずの線を踏み越えちまったあの日の出来事が美竹を変えちまったんだ。

 

「ねぇ」

「なんだよ」

「今度さ、ライブやるんだけど……来てほしい」

「暇だったらな」

「そこはいいよって言ってくれないんだ」

 

 拗ねるような口ぶり、ジトリとツリ目がオレに向いた。そんな目をするなよ。お前は誰かの支えがねぇと生きていけない自分が嫌いじゃなかったのか。縋るような顔をするその本性が嫌で、ずっと隠して生きてきたんじゃねぇのかよ。

 

「そりゃまぁ、教師の仕事の範囲を越えてるからな」

「そう、だよね」

 

 おい、青葉。今ならお前が来ても許してやるから早く来てくれ。んでなんとか言ってやってくれ。そんなオレの願いが通じたのかそれとも監視でもしてやがったのかタイミングよく間延びした声と扉を開く音がオレと美竹の耳に届いた。いつもは顔を見るだけで気持ちが重くなる青葉の登場にオレはほっと安堵する。だが、それも束の間のことだった。

 

「モカ聞いてよ。コイツ、ライブに誘ったのに即答で断ってきたんだけど」

「断ってねぇよ暇だったらっつったんだよ」

「え~、蘭がかわいそーだよ~せんせ~」

「もっと言ってやってよ」

 

 青葉が来ても何も変わらずにあの顔をする。青葉もそれを嫌だと思うどころか良いとすら思ってるのか、たいそうご機嫌な様子だった。そこにはオレが感じていたロックなんてどこにもなくて、オレは言葉が継げなくなる。

 

「そーいえば蘭、ひーちゃんが探してたよ~」

「わかった……じゃあライブ、絶対来てよね」

 

 愕然とする中で扉が閉まり、青葉と二人になる。疑問と疑念に渦巻く頭を整理するため、思考の時間を無理やりつくりだすためにオレはライターとタバコを取り出した。青葉がいるとか知ったことじゃねぇ。火を点け、空に向かってこの気持ちを落ち着けるために息を吐いた。

 

「せんせーのせいだよ」

「んなのはてめぇに言われんでもわかってるっつうの」

「え~、わかってないよ~」

「だいたいなんでそんな嬉しそうなんだよてめぇは」

「だってさ~、蘭が前よりあたしを頼ってくれるんだよ~? 弱い声でさ~嬉しいよ~?」

 

 寒気が走った。恍惚の表情をする青葉はやっぱりオレの見立てに間違いのねぇ悪魔だ。あの状況を、あの美竹を、あの声と顔を嬉しいと形容するコイツが、オレにはおぞましいものに感じる。眠そうな目と食欲の中に潜んでいたナニカが今、オレの隣で鼻歌を歌ってやがる。

 

「あはは、最初はさ、せんせーのせいで蘭が変わっちゃうんじゃないかーって怖くなったけど、せんせーのおかげだね」

「美竹がこのまま一人で立てなくなってもいいってのか」

「……大人だね、せんせーは。子どもが一人で立てるように頑張ってるんだよね。でもね、蘭にはあたしがいるから、あたしたちが一生傍にいるから安心していいよ」

 

 安心だと? ふざけんなできるわけねぇだろ。一生傍にいる? あたしたちが? お前の言う一生ってのはしょせんは子どもに見える限りの将来、つまりは高校時代までの展望だろうが。そのあとはどうする、進路は? 美竹は華道を継ぐんだろ? そこにお前が顔を出すってのかよ。そんなの無理に決まってる。無駄にイラつく笑顔で語るその一生は、なんにも、何一つだって将来を見通せてはいねぇ。ただ美竹が壊れてくのを見るだけになる。

 

「でも大丈夫だよ、せんせー、あたしは──」

「──出てけ、てめぇのツラは少なくとも今日中は見たくねぇ」

「……冷たいな~、まぁいいや、またね、せんせー」

 

 オレはとんでもねぇバカだ。思惑から外れていたとはいえ青葉の望んだ通りの場所に美竹を連れてっちまった。何もかも、あの日美竹を抱き寄せたせいで。

 間違えてんのぐれぇ、その時からわかってたさ。けどじゃあどうすりゃよかったんだよ。アイツの傷を、涙を知って、言葉や表情の意味を知って、どうすりゃ正しいんだよ。なぁ……誰か教えてくれよ。

 ──クズ教師、アンタなら正解を知ってたのか? あのどうしようもねぇ悲しみに正しい大人であれたのか? 

 

「クズ教師はカズくんでしょ?」

「……ヒナ」

 

 合計すると今日は五度目の扉の開閉音。蘭、モカと続いてオレを探してやってきたのは当然、ヒナだ。待て待て、止まれっての。今はひでぇ顔してるから。教師(おとな)としてのツラを保てねぇほどひでぇ顔してんだから、今だけは寄ってくんじゃねぇよ。

 けど、ヒナはいつものような悪魔の笑顔をしてはいなかった。

 

「偶にはさ、カズくんだって先生を休憩しないと、疲れちゃうんだよ」

「……休憩、か」

「うん、疲れちゃったら休憩する! ね? 当たり前のことでしょ?」

「そう、だな」

「だから、おいでカズくん」

 

 今までに見たことねぇくれぇの優しい顔で、穏やかな声音でヒナは両手を広げてきた。なんだそれ、キャラじゃねぇな。つかガキの分際で大人に対しておいでなんて、バカじゃねぇの……なんて愚痴も、今日は口から出てこねぇ。これも疲れちまってるからなのかな。

 

「カズくんってさ。他の大人よりもずーっと子どもみたい」

「……あ?」

「だってほら、今の一瞬にいっぱい心を動かせるのが子どもならさ……カズくんもじゃん!」

「なるほどな」

「うん。ほらほら、子どもなんだからいーでしょ?」

 

 天使の表情と慈愛で放たれる悪魔の囁き、狡猾な蛇の甘言。そこに言い訳に言い訳を重ねた甘くとろけんばかりのミルフィーユを腕の中に用意してきやがった。一度は拒絶したものの二度目は抗えず、オレはガキみてぇにヒナの背中に手を回してその温もりを受け取っていく。

 ああもう、こりゃもうダメだな。ここんとこ色んなことが起こりっぱなしでオレも疲れちまってるみてぇだ。まぁその原因の一つでもあるコイツに甘えちまうのは、教師であろうとなかろうと不本意だけどな。

 

「なぁヒナ?」

「んー?」

「なんでオレを構おうとする?」

「わかんないや」

 

 そんな言葉が顎の下からする。底抜けでいつも通りの明るさと少しの優しさを含んだ……コイツらしくもねぇけど、そんな光もコイツは持ってるんだなんて安心しちまえる。なんだよ、今日はわがままも言わねぇつもりかよ。

 

「こういうのはるんってこねぇんじゃねぇのか」

「そーでもないよ? よしよ~し」

「トシ、一回り違うんだけどな」

「いーじゃん! カズくんに触れてたり、触れてもらったりすると胸がきゅうってなるんだ。それがカズくんに感じる、るんって気持ちだから!」

 

 そりゃあ完全に重症だな。ヒトはちっちゃなことで恋に堕ちる。特に思春期なんてその最たるもんで、席が隣になった、話しかけられて仲良くなった、委員会や部活で一緒になった、帰り道にたまたま会って一緒に帰った。そういうちっちゃな異性とのエピソードに事欠かねぇもんだからな。まぁここは女子校でそりゃねぇんだけど。けどホントに小さなことで意識するようになる。ヒナの場合、それが興味と認められてぇという飢えを満たしてくれるという実感ってとこか。オレはヒナのことを会った最初から認めてる。問題児だとか言われてはいるが、なんでって授業が退屈だからなんだよな。既知を脱せないバカな大人ばっかで、更にそれを指摘すると顔を真っ赤にしちまうくらいのバカばっかりで。

 

「もっとぎゅーってしてもいい?」

「好きにしろ」

「やった♪」

 

 ホントにやべぇことは今井が止めてくれる。だからオレは授業でも好きにしていいと言った。結果としては大成功だったんだよな。対して聴いちゃいねぇけど課題はマジメに出してくれるようになった。時折、オレがわかんねぇような英語の本を読んではそのハナシをしてくれるようになった。ヒナの世界にオレという存在が花開くにはそれだけで十分だったんだ。

 

「好きだよ、カズくん」

「オレはお前が嫌いだよ」

「知ってるよ」

「初めて会った時からオレのタバコ吸いたがるし、かと思えば今度はキスしよえっちしよってそればっか。しかも床が堅いってのにがっついてくるから腰痛くなるし、ナカに出す時に気持ちよさが変わるかどうかって興味だけで、オレのゴムにこっそり穴開けてんの見た時はさすがに屋上から突き落としそうになるくれぇ、ムカつくし嫌いだ」

「知ってるってば」

「けど、別のどこかで……そうだな、教師と生徒って立場じゃなきゃ、間違いなくここで付き合ってるだろうな」

「──それは、知らなかったなぁ。あたし、そんなにいい女だった?」

「調子乗んな、全然よくねぇに決まってんだろこのメンヘラクソ女」

 

 そうメンヘラなんだよヒナはさ。興味だけで股を開くようなビッチじゃねぇことをオレは知ってた。キスしてきたのだって興味以外の何か、例えば試した……ってところか? お前みてぇないい女なら男はみんな舐めるような視線で見るだろうしな。アイドルやってんならなおのことヒトの目には晒されるし、夜の駅前に立ってりゃ間違いなくオッサンに援交求められるだろうしな。

 

「いいカラダは、してるでしょ?」

「カラダばっかで品性がまるで追いついてねぇんだよなぁ」

「え~……気に入ってるクセに」

「まぁ……付き合ってきた女の中でもトップクラスだった」

「やり~、いっちば~ん」

 

 一番とは言ってねぇ。ただ誘われて萎んだままでいるほど枯れてねぇのもまた事実で。コイツの腰回りに触れていて、胸に顔を埋めてみるとわかる通り、スタイルいいんだよなぁとか考えるくれぇには、いいカラダはしてる。

 

「カズくん」

「このタイミングでえっちしよは通じねぇよ。今はさすがに流されねぇからな」

「今は……ね?」

「まさかお前、家まで着いてくるつもりかよ」

「いっつも最終下校時刻がーって満足する前にやめちゃうもん」

「満足してなかったのか……」

 

 なんだコイツ頭イカれて……はいるのか。けどそれも流されねぇよとヒナを膝の上に置いて抱きしめられてるっつうカッコ悪い状態のまま見上げると、驚くことにヒナはまだ向日葵みてぇな笑顔をしてきやがる。ああはいはい、流す流されねぇじゃなくて離れるつもりもねぇんだな。言っとくけどオレはお前と付き合うつもりはねぇからな。

 

「ありゃ、フラれちゃった」

「そりゃそうだろ」

「じゃあカズくんに慰めてもらわないとな~」

「同一人物だバカヒナ」

「とか言ってカズくんも離れないんだもん、ホントはもう流されちゃいたくなってるんでしょ。カズくんもバカだよねぇ」

「うるせぇな」

「……ほら、今は先生じゃないなら。持ち帰ってえっちし放題だよ~?」

 

 誘惑の仕方がホントにヤバいからやめろ。押し付けてくるなイロイロと。なんだかんだでコイツも青春してやがるってことなのかな。春を売るんじゃなくて、それで気持ちよくなることだけが目的じゃなくて。まぁこれでオレが首を縦に振らなくても何がなんでも振らされるんだよな。

 

「アイドルとスキャンダル、援交教師、どっちがいい?」

「どっちも勘弁してくれ」

「じゃあいっぱいシようね! 今日だけなんだし♪」

「その今日が終わって土曜日にお前がえっちしよって言うまでは予想できるけどな」

「えへへ~、だって好きなんだもん!」

 

 どちらからというわけでもなくオレとヒナは恋人同士みてぇにゆっくりと唇を重ねた。微熱にうなされたような潤んだ瞳が、オレという存在で満たされていく。この熱にアテられることで救われた気がしちまうから、オレはやっぱりクズなんだよなぁ。

 ──なぁ、アンタもそうだったのかな? オレがいてアンタは幸せになれたか? 救われてたのか? なんてやっぱり問うても答えなんてあるはずはねぇよな。

 オレの歩もうとした理想とはかけ離れた、大人と子どもが取る距離感にしちゃ近すぎるってことはよくわかってる。結果として一人のガキを壊して、もう一人は全裸でオレのベッドで寝息を立てることになるんだからな。昔のオレが知ったら卒倒するのか、それとも。

 

「一成、好きだよ。こんなオバサンでいいなら」

「いいに決まってんだろ、アンタくれぇの眩しさで、オレは照らされていたかったんだ」

 

 見てきた教師が、オレの()()()がどうしようもねぇ大人のクズだから当たり前だと笑うか。あのヒトとは違う教師になってみせるだなんて啖呵を切った理由も、結局は恋人が教師だったから。その教師の生徒がカレシだったからっつう浮気防止の宣言に過ぎねぇ。そもそも今のオレを作り上げたのはあのクズ教師なんだよな。恋も青春もキスもデートもタバコもセックスも、ハジメテは全部あのヒトが持ってった。黄昏の空を見ながら二人で吸ったタバコは今も、オレのポケットの中で相棒として入ってる。つかオバサンって言うけど今のオレより二つ年下だったな。そういや。

 

「カズくん、起きたの? どうかした?」

「ああ、悪い。ちょっとな」

「ふうん……ね」

「教えねぇ」

「えー」

 

 なんか、昔の夢を見た気がする。なんにも知らねぇガキの頃の夢だな。オレが丁度、今のヒナと同じ高校二年生の時の夢だ。なにやら興味を惹かれた、というよりは若干嫉妬が混じったような目をしてやがる。そういうとこばっか鋭いのはなんとなかんねぇかな、とは思うけど絶対に教えられねぇってんでオレは誤魔化す目的で布団の下で足を絡めてくるヒナにキスをしてやる。

 

「む、誤魔化した?」

「……つかいつ帰るのお前」

「まだ足りない」

「は? 明日もいるつもりなのかよ」

「いーじゃん、どーせ暇でしょ?」

「いやそうだけどな……」

「ほらほら、昨日みたいにカズくんからきてもいいんだよ~?」

 

 ヒナは朝っぱらだってのに楽しそうに誘ってきやがる。しかもここで触らねぇと襲ってくるのがクソ悪魔であるゆえんなんだよな。こんなヤツと一日一緒にいたらカラダ持ちそうにねぇしフツーにもう腰に違和感あるからせめて夕方には帰ってもらうとするか。

 つかお前アイドルどうした。レッスンとかあるだろフツー。そう咎める視線に気づいたのかヒナはオレの手を自分の胸に乗せながら布団を広げてきやがった。

 

「なんかカズくんとえっちの気分になった」

「ほっとくと一日中その気分だろうがバカ。つかお前のせいですっかりゴムもタバコもねぇよ、コンビニ行かねぇと」

「じゃああたしも行く~」

「待て待て、制服しかねぇだろお前。その恰好はマズいっつうの」

「ダメ?」

「ダメです、つかお前それでよく今日も泊まる気になったな」

「じゃあ服とか下着も買って」

「……泊まらねぇって選択をしろバカヒナ」

 

 薄給にたかるんじゃねぇよと言いながらとりあえずはこのハザードは乗り越えることに成功する。とりあえず制服だってバレねぇようにしてコンビニへ。んで服を買いに行くのか……あーあデートコースまっしぐら。しかも教師を自主的に休憩してようがなにしようがガキどもの青春は否応なく大人のオレを巻き込んでいく。

 

「シャワー浴びないとベッタベタだね、あ、カズくんも一緒に入る?」

「ゴムねぇっつってんだろアホ」

「あ、そっか♪」

 

 ベランダに出て、最後の一本を吸いながらオレはシャワーの音とヒナのご機嫌なナンバーをBGMに南にやってきていた太陽に向かって煙を吐き出した。教師失格のクズを糾弾するため天からの裁きがくだされそうなくれぇのいい天気、嫌になるな。来週には元通り教師やってられるかなぁ。豚箱レッツゴーだけは勘弁したい。けどオレって悲しいことに青色の制服のお兄さんたちに囲まれねぇ保証はねぇってくらいに、悪行ばっか積んでるからなぁ。

 

 




というわけで次回第二章③豚箱レッツゴーをお楽しみに! クズの教師人生最後に起こる奇跡と感動の物語が――あるといいなぁ

そうそうクズポエムは精神に余裕があるロックな魂を宿してる時にしかでないので現時点のコイツはポエマーにはなってません。カッコつける余裕もねぇってか、あはは


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③休日エンカウンター

タイトルは間違っていません


 悪魔に絆され傷心につけ込まれ、オレは休日を迎えていた。隣にはまんまとオレの部屋に上がりこみ、ついにはオレんちで一晩を共にしちまった一回り年下の、その悪魔が一匹。尻尾があんなら思いっきり掴んでやりたい。まぁ、コイツはそれをも利用してオレに迫ってきそうだが。

 

「せめて変装しようとか思わんのな」

「えー、してるじゃん。マスクと帽子とパーカーじゃ不満?」

「とっても」

 

 そんな悪魔、ことヒナの今の格好はオレのものまみれだ。違ぇのは下着と制服のスカート、後はローファーくれぇで、それが逆に外泊っぽくて連れ出したくねぇんだが、まぁそのまま制服でついてこられるよりマシか。

 家の鍵をかけてから、腕を組んでくる度に振り払ってたんだが、もう四度目は諦めた。飽きっぽいくせにそういう根気はあるんだから、お前ってホントよくわかんねぇんだよな。

 

「コンビニと……服か」

「つまりデートだね」

 

 暢気な言葉に自然とため息が出る。ヒナもオレも見た目は年相応だろう。外から見れば年の差カップルより前に援交を疑われそうな感じのな。しかもお相手はまだ認知度は低いとはいえアイドルだ。援交、通報、スキャンダルの残念……もとい三連コンボで変態前科持ちに変身は勘弁願いたい、コンボはヤバい、ぶっ倒れること間違いなしだ。

 

「えっと……カズくんの近場のコンビニってここ?」

「いや、電車乗るしここでいいだろ」

「……ま、いっか」

 

 本音としては結構な頻度で利用するコンビニは避けたかったんだがヒナがわざわざ確認してきた意味を、オレはもうちょい慎重に考えるべきだった。散々人を振り回しているコイツにだって、今の姿を見られたらオレがヤバいってことはわかってるのなら訊き返す努力をすべき。それを怠るから、こうなるんだ。

 

「いらっしゃ……い、ませ……?」

「やっほー、()()()()!」

「う、うん……やっほーヒナ……と先生?」

 

 完全に処理落ちしていらっしゃる。そりゃあ、自分の友人とその顧問が土曜に腕組んでバイト先に現れたらフリーズする。今オレもフリーズしてる。そんな絶対零度の極寒地獄に放り込まれてんのは今井リサ。コンビニの制服を着てても中々真面目なようには見えにくいが、普段のコイツを知ってれば誰よりも真面目に仕事をしてることくれぇは、予想がつく。悪い、清々しい勤労の邪魔してホントすまん。

 

「今井、なんとか黙っててくれねぇか? 後で成績優遇でもなんでもしてやるから」

「いらないですケド……ヒナとは、やっぱり付き合って?」

「ううん、カラダだけー」

「そこは正直に言うとこじゃねぇよバカヒナ」

「か、から、だ……って、え、えぇ?」

 

 意味深に誤魔化せば勘違いしてくれそうなのになに悪化させてんだ当事者。と、思ったら今井がなにやら真っ赤になってあわあわ言い出しちまう。今度は灼熱地獄ですかね、ホントに勤労の邪魔してすまん。

 

「リサちー音楽とダンス、勉強も家事もできるけど、未だ処女でちょーウブなんだ」

「なるほど引く手はあまたそうだけど、やっぱヒトってのは見かけによらねぇもんだな」

「ちょっと、ヒナ! なんで!?」

「え、リサちーのハナシ聴いてたらわかるよ?」

「え!?」

 

 割とチャラチャラした見た目に反して随分落ち着いた女だとは前から思ってたけど、そこまでとはな。つか友達だろバカヒナ。友達の性事情を赤裸々に、そのうえ勝手に教師に教えちゃダメだろ。セクハラになるから、オレが

 つかホントに悪魔だなコイツ。今井も驚きと羞恥でめちゃくちゃな顔してんじゃん。なんでそんな簡単に誰にも知られたくないこと知ってんの? 怖えよ、お前。

 

「とゆーわけで! リサちーもカズくんも口堅い方だから秘密の共有ってことで、ね?」

「え、えぇ……っと、うん」

 

 それは秘密の押し付けと脅迫なんじゃねぇかなヒナ。日本語は正しく使ってこそだとオレは思うんだがな。まぁ、今の状況を誰かにしゃべられるよりマシか。

 それにしてもヒナのヤツ何も考えてないんじゃねぇのな。きちんと知り合いに会った対応を考えてそうな口振りだ、友達に対しての脅迫にも迷いがない。つくづく敵に回したくねぇなこの悪魔。

 

「あ~れ~、だれかとおもえば~、日菜さんとクズ教師さんじゃないですか~」

「……青葉?」

「はーい、ちょーぜつびしょーじょじぇーけーの、青葉モカちゃんです~、いえーいぴーすぴーす~」

「……うぜぇ」

 

 安堵したのも束の間、クソみてぇな口上と共にまさかの二体目の悪魔と遭遇した。つかコイツもコンビニの制服着てやがるってことはお前ら二人ともここで働いてるのか。きちっとキレイに使ってる今井に比べて雑な扱いをしてるのは見てわかるけどな。さて、さすがのヒナも青葉に会うのは予想外か? 

 

「モカちゃんやっほー」

「やっほーで~す。そのカッコ、さてはおとまりでしたか~」

「まぁね~♪」

「やっぱりせんせーはロリコンさんですね~、あ、通報しとくんでお構いなく~」

「構うっつうの、なに自然な動作でスマホ出してんのお前」

 

 あ、コイツ、なんか知らねぇけど開き直って付き合ってるとか思ってキレただろお前。なんなんだよ、ヒナと付き合ったら美竹ともなんかあるとでも思ってんのかコイツ。もうてめぇとはなんの関係もねぇ、杞憂だっつっても通用しねぇんだろうな。

 

「は~、犯罪者を通報しないヒトっているんですか~?」

「……モカちゃんは、そーやってカズくんとあたしを引き裂こうとするんだ」

 

 そしてモカの言葉にヒナがキレちまった。悪魔と悪魔の睨みあい、コンビニはさらに極熱地獄に早変わり。だれかこの地獄から出して。蜘蛛の糸を垂らしてくれよ。オレは巻き込まれたくねぇ……って、そういやオレが中心だから逃げらんねぇのか。むしろオレがいるから地獄が生まれるのか、なるほどこりゃ天罰か。

 

「そこの援交クズ教師は~、日菜さんだけじゃなくて10代ならだれでもいーってゆーロリコンなんすよ~」

「あはは、モカちゃんって冗談好きだよね~? カズくんのことそんな風に言うんだ、あたしのカズくんにそんなこと言って傷つけるんだ……あは、あはは、面白い……と思う?」

「いや~、教師をあたしの~とか言っちゃうんですね~、あはは、おもしろ~い」

 

 助けて。ツッコミたいこと山ほどあるけどツッコミが追い付かんくらいに怖え。病みと病みの超融合、処理が追い付かないからそこに割って入れるわけねぇんだよな。そんな中、唯一の常識人であるはずの今井に顔を向けた。勤労中のところすまんが助けてくれ。

 

「……センセってさ、モカにもちょっかい出したの?」

「ヒナにしかしてねぇ」

 

 美竹はあの日に抱きしめちまっただけだからちょっかい(セックス)はヒナだけにしかシてねぇ。よしんば触れ合っただけで今井の言うちょっかいの部類に入るなら美竹にはしたけど青葉にはしてねぇ。オレだって青葉がキレてる理由を知りてぇんだけど。

 

「あーあ……いいの? 蘭ちゃんのトラウマのこと、あたしも知ってるんだけど」

「……は?」

 

 そこでオレを見るんじゃねぇよ、オレはなんもしゃべってねぇ。正確にはそこの悪魔に全部しゃべろうとしたら知ってたってだけで。あとは青葉にお前との屋上のランデブーのせいで脅されたってことはしゃべったけど。

 

「それに、モカちゃんがカズくんにしたことも知ってるんだけど、いーのかなぁ、蘭ちゃんとかにしゃべったら、どうなるかなぁ?」

「ひ、ひな……さん、それだけは……」

「そうだよね? モカちゃんが一番嫌なのは今が変わっちゃうことだもんねぇ? あたしはねぇ……好きなヒトと一緒にいられないことかなぁ?」

「……っ、わ、わかりました」

「あ、そうだ。脅迫した動画も見せて」

 

 近くでぼそりとヒナが無双してると声が聴こえた。なんだろうな、コイツの情報源が知りたい、けどそれを考えようとすると頭に金色と太陽とその近くにある黒色が浮かんで考えたくなくなった。個人情報って持つものの前じゃ無意味なセキュリティだってことなのか。

 

「カズくん、モカちゃんの脅迫材料は全部無力化しといたから!」

「さ、サンキュ……ヒナ」

「えへ、カズくんのためだもん♪」

 

 尽くす女みてぇなセリフだけど、違うよな? オレを堕とすためだもんなソレ。あ、堕とすために全力を尽くす女なのか。あながち間違いではなかったな。オレはチョロインじゃねぇから簡単にヒナには負けねぇ。

 ──と思うじゃん? タバコ買うじゃん? 電車に乗るじゃん? そのあとはヒナが気に入る服を探す時間だ。腕組んできて頭を寄せてきて、本当に無邪気に、楽しそうに指を差すヒナがなんか妙にかわいいって思っちまうからな。ホントに即堕ちだ。

 

「カズくんが似合うって言ってくれたのがいいなぁ」

「お前のセンスに任せたほうがいいだろ」

「いいの、そっちの方がるんってきそうなんだもん!」

 

 言っても、オレが選ぶのは割と落ち着いた系だからな。ガーリッシュなのは隣を歩かれると困る、という意味も込めて勘弁してくれ、最悪通報される。あと丈の短いパンツにタイツとか、正直オレの目にも悪いのもナシ。特に相手がヒナだと尚更アウトだよ。あとローファーで歩かせるのも、と思って既にヒナが気に入ったスニーカーを購入してる。前から欲しかったらしく、それは自分で買っていたが。

 

「オレが選ぶとスキニーとかになるな」

「スカートじゃなくていいの? ズボンだとえっちするとき、脱がないとだよ?」

「アホか」

 

 ヒナの相変わらずの発言を流しながら店頭に並ぶ服をまじまじと見る。んー、こうして眺めてもオッサンだから流行りとかよくわかんねぇな。普段はスーツだし、周りの女もスーツで私服を見たことなし、流行りに敏感なJKどももオレの前では一律で制服だからな。

 でも、やっぱりコイツに似合うのはスカートよりもパンツだな。なんとなく。

 

「なんで?」

「ヒナは、ヒラヒラしてんのより活動的な服の方が、なんつうかヒナらしい感じがするな」

「そっかぁ……えへへ、じゃあそうしようかな♪」

 

 ぱっとヒマワリの花が咲いたような、はにかみ。ヒナの魅力を全開にする笑顔。コイツを花に例えるのはしゃくだが、やっぱりお前は向日葵(サンフラワー)だよ。あのヒトが好きだった、ただ太陽にまっすぐ咲くことしかできねぇ盲目の花。あのヒトしか見えてなかったオレの花でもあるけどな。

 

「カズくん、上と下着は?」

「全身オレが選ぶ意味はどこにある?」

「え、男のヒトって自分が選んだ服でえっちするの、興奮するんじゃないの?」

「コスプレかよ」

 

 どこから得た知識だよ。だいぶ間違ってるっての。ってかコイツはなんでもかんでもヤる基準でしか考えてねぇのかよ。もうちょいこの後メシ食う時の、とかは考えねぇのかな。

 とまぁこんな具合で順調にオレはヒナに毒されてる。コイツが望んだように、当たり前のようにこうしてデートをして、セックスをして、そんな風に男女の関係を結ぼうとする、コイツに。

 

「ヤるんだったら、それこそお前の言う通りスカートの方が楽だろ」

「着衣なら結構どこでもできるもんねぇ、そういう意味だと、制服って楽だよねぇ」

「制服をそんな目で見てたのかよ、ヤバいなお前」

 

 明らかに幼児の目に毒、耳に毒、ついでに反復したら口に毒な会話を続けながら、結局下着以外の全身コーディネートをするハメになった。これからの梅雨の時期に向けたものだから、今にしてはちょっと涼しい恰好だけどな。だから結局、腕が出ねぇようにオレのパーカーを羽織ってるけど。ついでに寝間着まで選んでたけど今日はここで終わり。あとはコイツを送っていくだけだから、意味はねぇんだよ。わかってるのお前? 

 ──という予定だったのに、そのあとは気づいたらショッピングモールの喫煙所で一緒に吸ってるわけで。漫画にすると即堕ち二コマになりそうだ。

 

「……あんまり、喫煙所はるんってこないなぁ」

「なんか違ったか?」

「うん。カズくんのタバコじゃないにおいもするもん……屋上とか、カズくんのベランダがいいな」

 

 唇を尖らせたあと、ちょっとだけ甘えたような言葉を放たれて、ちょっと脳が揺れた。くらっときた。それを知られるのが嫌だが、悔しいことに隠し通すのも不可能なため、オレはヒナの髪をぐしゃぐしゃと乱して誤魔化してやる。

 

「あ~、なにするの~!」

「うるせぇ、バカヒナ。つかこの後どーすんだよ」

「この後~?」

「……泊まるにしても、まだ時間早えだろ」

「……うんっ! じゃあさ、おやつ食べたいしつぐちゃんちで!」

「羽沢珈琲店か……あそこね」

「うん、つぐちゃんはあたしとカズくんのこと知ってるんでしょ?」

「そうだけどな」

 

 次の行き先は羽沢の家でもある、ちょっと前に青葉に呼び出された珈琲店。今日もそこで家の手伝いをしてるであろう羽沢に現状を見られるのは躊躇われるが、ヒナにはどうやら作戦があるようで、まぁ問題ねぇだろ。もう腕を組まれても振り払ったりはしない。コイツの体温が、熱が、教師を休憩してる今のオレにはなくてはならないものの気がしてならないから。

 ──カランコロン、と電子音じゃない来客の知らせが、なんとなく夕日に合っていい感じだな。前来たときはそれどころじゃなかったせいもあるが、いつも屋上で空を見るオレには好きな雰囲気だ。

 

「いらしゃいませ……あ、清瀬先生! と、日菜さん?」

「やっほーつぐちゃん」

「……悪い、こんな状況で」

 

 気まずそうな顔をされちまった。そりゃ腕を組んだ学校の先輩と先生が店に来たら誰だってそんな顔するだろうな。

 それにしても、なるほど。こっちの情報をあえて与えることでこっちの事情に引きずり込むって作戦か。正直気が引けるんだけどな、と臆する暇もなくヒナは、羽沢に注文をしていた。仕方ねぇ、腹くくってオレもコーヒー飲むか。

 

「今日イヴちゃんは?」

「今日はお休みです」

「うん、そうだよね」

「……イヴって、お前んとこのキーボード?」

「うん」

 

 けどヒナのやつ、よりにもよってメンバーの働いてるところを指定しやがったのか。確認するくれぇなら別のところにしやがれ。ため息を吐きたくはなるが過ぎたことは気にしないようにして……羽沢が運んできたコーヒーを口につけた。あ、うめぇなコレ、常連になりそうだ。仕事も捗りそうな静かな雰囲気だし、ただ全席禁煙なのが勿体ねぇ。一応仕事中はタバコ吸わねぇけど。休憩中は吸いながら飲みてぇ派だし。

 ──スイーツはさすがに今の状態だと胃にくるからヒナが食べてるのを少しもらって満足して、つい最近成立するようになった下らねぇ雑談をして、トイレ~と包み隠すこともなく席を立ったタイミングで再び来客を知らせる鐘が鳴った。

 

「いらっしゃいませー」

「いつもの、あとロールケーキをもらえるかしら?」

「はい!」

 

 いつもの、ってカッコいい常連さんらしい頼み方。けどその主は柔らかで透き通る水のような声、見上げると薄いイエローの髪を背中まで伸ばした、小柄な少女が声に合ったかわいらしくも優美な微笑みをたたえてた。高校生くれぇかな、小柄だけどやけに大人っぽいヤツだからもしかしたら大学生か。服装もガーリッシュだが、エレガントな雰囲気もあるって、なんというかオーラがある、と形容したらいいのかな。

 

「ただいま……? ありゃ、ヤバ……!」

 

 おい、そこのクソ悪魔。帰ってきた途端に今なんつった。お前の知り合いだな? そうだな? しかもこれに至っては完全に出会うこと自体が想定外の知り合いなんだな? コンビニの今井と青葉の反応と比べると一目瞭然の顔してやがるけど。

 

「あら? 日菜ちゃんよね? ちょっといいかしら?」

 

 そして吹きすさぶブリザード。極北の風、けど圧倒的黒のオーラが降ってきた。どういうことだと思いながらヒナを見ると明らかに諦めたような顔してやがった。てめぇ、最後の最後でこれか、今すぐ荷物まとめて家から出てけよいいな。

 つか、この子も天使の微笑みが一転、悪魔の冷笑だ。最近のJKの流行りは悪魔系か? にしたって小悪魔でとどめておいてくれよ。ガチで魂抜きにくる系はすぐさまお帰り願いたいんだよなぁ。

 

「さて、説明してもらえるかしら? イチから全部、なにからなにまで、そうね……私が怒らず納得する理由をつけてもらえると助かるわね」

「あ、あはは~それはキビシーかなぁ、千聖ちゃん」

 

 千聖、それがこの新手のデーモンの名前らしい。ん、千聖ってどこかで聴いたことある名前だな。ああヒナが言ってたバンドのベースか。そして、その名前はオレでも知ってる。最近はあんまりテレビでも見かけなくなったからどうしてるかと思えばアイドルバンドなんてやってんのか。

 ──その正体は白鷺千聖。現役女子高生女優、それ以前は子役として、オレがティーンズの頃から芸能界を生きてるヤツだ。どうやらとんでもなく厄介なヤツに見つかっちまった、ということはそんな経歴とヒナの顔から容易に想像できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ――次回予告――
 やめて! 千聖の放つブリザードで日菜を糾弾したら、カラダの関係で繋がってるクズの身柄が確保されちゃう!
 お願い、捕まらないでクズ! アンタが今ここで捕まったら、蘭や日菜との約束はどうなっちゃうの? 言い訳の余地はまだ残ってる。ここを乗り切れば、無事に月曜を迎えられるんだから!
 次回、「クズ教師、社会的に死す」。デュエルスタンバイ!



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④復活ティーチャー

前回のあらすじ
サタン降臨【回復なし】


 三者面談はめんどくせぇ。オレは前にそれを経験して二度と担任にはなりたくねぇって思った。ガキが千差万別な以上に親も千差万別だ。そしてコイツの一番面倒なところは、相手が大人でありながら、ガキっぽいところが多いってところだ。

 別に親を下に見てるわけじゃねぇ、けどな、オレのたった二年の経験だが、ガキの前で大人をやり切ってオレに対応してきたヤツは数えるほどしかいなかった。

 大抵、隣に座ってんのが思春期のガキで教室じゃ家と別のロールを持ってるやつがほとんどだ。それを親はさも当たり前のように話す。んで偶にいるのが、反発したガキと喧嘩するヤツ。あと進路を思い通りにして反論してきたガキを暴論と親という立場で叩き伏せるやヤツ。

 ──大人ってクズばっかだよな。そもそもオレなんてまだ若いからかなりの確率でまず妻子持ちかどうかと聞かれる。なんでお前にオレのプライベートを教えてマウント取られにゃならん。バカか。

 

「それで? 貴方のお名前、年齢、ご職業、日菜ちゃんとはどういったご関係なのか、お話願えますか?」

「清瀬一成、28歳、羽丘女子学園高等部の英語教諭、ヒナとは、あーっと天文部の顧問と生徒だ」

「ウソをおっしゃると経歴詐称とみなしますが」

「……すんません」

 

 こんな自分語りをして、職質を受けてるオレを笑うか? 実はこれ、警察による職質じゃねぇんだよな。青い制服のお兄さんが相手じゃなくて、オレを職務質問するのは白鷺千聖、っつう、まぁカンタンに言うとJK。今、オレはヒナを隣に三者面談のような気分を味わっていた。いや、オレも親御さんにこんな高圧的に接することができたらどんなに楽か。

 

「話しにくいなら、日菜ちゃんに訊くわね? このヒトは?」

「えっと、あでも結構ホントだよ? 黙秘してるだけで──」

「──フォローしろと言ったわけはなく、このヒトとの関係を教えろと言ったつもりだったのだけれど、もしかしてそこまでおバカさんになってしまったのかしら?」

「うっ……えっと、せ、セフレ?」

「質問に疑問形で返すのはナンセンスよ」

「セフレ、だよ」

「へぇ、そうなのね。貴方は日菜ちゃんの学校の先生で、部活の顧問で、セフレ……でお間違いないでしょうか?」

 

 なにコイツ怖えよ、悪魔じゃねぇよ悪魔王だよラスボスの雰囲気出ちゃってるよ。オレがイメージしていた白鷺千聖を180°回転させた上で表裏反転させてプラスとマイナスを反対にしたらこうなりそうな気がする。正直、あの笑顔が営業スマイルだったなんて知りたくもねぇ真実だよ。

 

「……間違いないです」

「貴方……教師としての自覚あるのかしら? 未成年の教え子に手を出して、挙句、その子にセフレ、つまりセックスフレンドなんて破廉恥極まりない単語を発させる、度し難い変態ね」

 

 いやいやお前もその破廉恥極まりない単語口にしてるよ、しかも二回も。というかよくそんなポロポロと罵倒が出てくるな、尊敬するわ。オレの知ってるJKなんてるんってきた、キスしよ、タバコ吸いたい、えっちしよ、くれぇの語彙しかねぇからな。

 

「カズくんは変態じゃないよ、むっつりスケベだよ?」

「訂正するところがおかしいな」

「成程、内に秘めた性欲を発散するために立場を利用し、日菜ちゃんを篭絡し、昨日は朝までたっぷりとセックスに励んでいたというわけね」

「お前もうしゃべるな、さてはテメーの方がむっつりだろ」

 

 あれコイツ、下ネタ言いたいだけな気がしてきた。キャラ崩壊激しいんだよ、コイツ今また破廉恥極まりない単語放ったよな? お前テレビじゃねぇんだからピー音は入んねぇんだけど、ちゃんとお茶の間に響き渡っちまってるんだけど。

 

「合ってるけど。激しかったし」

 

 合ってねぇよ、ってそうじゃねぇんだけど。そもそも立場を利用して篭絡したのはお前だろ。結果だけをつまみ上げて肯定する行為は情報操作って言われるんだよ、覚えとけ。弛緩してきた空気に、オレもヒナもようやく詰まっていた息を吐いたところで、白鷺も長い溜息を吐いて、柔らかな口調に戻った。

 

「……それが、貴女が昨日のレッスンにも来ず、連絡をしても一向に返事がない理由なのね」

「……うん」

「心配したのよ。何か事件に巻き込まれたんじゃないか、って。よかったわ」

「あ……ご、ごめん、なさい」

 

 コイツ、やっぱりレッスンサボってやがったのか。そして、白鷺はヒナの弱点を知ってんだなって口調の変化だ。

 ヒナはいわば無償の愛ってやつに弱い。コイツの特性を考えれば当然だろうな、オレも、いつも教師でいるっつう代償を払ってるしな。ちゃんとヒナの扱いを心得てるってことだ。その一点だけで言うなら、今井以上にすげぇやつだな。

 

「とにかく、なんの事情があっても返事はすること、いいわね?」

「うん、わかった」

「まったく、今日会えてよかったわ」

 

 そう言って白鷺はチラシとオレを見てきた。あれか、どうせ教え子でそのうえアイドルとカラダ関係になったことを罵倒するんだろ。もう心は折れたあとなんだから優しくしてくれんのかね。しかし、悪魔王はそんなオレに意味深なウィンクをしながらとんでもないことを言い出した。

 

「それで、日菜ちゃん。どういう手管を使ったの?」

「え、えっと……結構強引に迫って……それからなし崩し的な感じ」

「そう、行為を無理やりでも迫って既成事実を作ったというわけね。流石日菜ちゃんだわ♪」

「し、白鷺……さん?」

 

 コイツ、ヒナからあらかたの事情を聴いたはずだよな。それなのに言葉に出すのはまさかの興味だと? もっとあるだろ、つか未成年喫煙のこととか。怪訝な顔をしていたオレに、ヒナは苦笑いをしながら耳打ちしてきた。

 

「あーダメだよ、カズくん。千聖ちゃんは本物のビッチだから」

「嘘、だよな?」

「心外だわ。誰でもいいわないじゃない。ちゃんと口とナニが堅そうなヒトを選んでいるわよ?」

「ほらね」

「……ありえねぇ」

 

 はい、コイツ悪魔王に正式決定。つか息するように下ネタ吐くのはやめろ。オレに負けず劣らずのクズじゃねぇか。つか最初あたりの教師としての自覚云々はテメーにだけは言われたくねぇ。芸能人でアイドルの自覚ねぇのかよ。

 

「ところでヒナちゃん……ちょっとだけ」

「ヤだ」

「……そう、そうよね。だってヒナちゃん、絶対に教えてくれなかったものね」

 

 ああ、今完全に理解した。ヒナの無駄で時々間違ってる性知識の源を、知りたかったんだよ。同じグループの芸能界の先輩に、教えてもらってた、ってことね。オレの中で反転していた白鷺千聖のイメージがさらに白黒反転したわ。

 

「ふふ、冗談はこれくらいにして、気が変わったらココに連絡してくださいね♪」

「は、はぁ……」

 

 誰としゃべってるのかわかんなくなってきた。いや誰コイツ。スキャンダルの塊みてぇなやつじゃねぇか。

 ──つか、だからオレとヒナを見てまっさきにオレの素性を明らかにしたがってたのか。ヒナと同じ手口の秘密の押し売りと脅迫、ってことだ。どうしよう、JKのこと純粋な目で見れなくなってきた。教師辞めようかな。

 そんなとき、いつも思い浮かぶのは美竹の顔だ。羽沢やアイツはまだ純粋なガキなんだよなぁ。けど、天罰はまだこれくらいじゃ終わらなくて、羽沢珈琲店は三度、カランコロン、と来客の鐘を鳴らした。

 

「あ……蘭ちゃん」

「ん、どうしたのつぐみ?」

「つぐ? 顔色悪くない? 大丈夫?」

「あ、う、ううん……私は平気、私は……」

 

 入ってきたのは上原と、噂をすればなんとやらの美竹。考えうる限り最悪の遭遇となった。羽沢、オレのことはいいから私は、を繰り返してこっちを見ないでくれ。おかげ様でピンクのおさげのダイナマイトとすっかり牙の抜けた赤メッシュの視線がオレと、あと白鷺とそんなオレの腕にすり寄るヒナを捉えちまっただろ。

 

「あら、蘭ちゃんにひまりちゃん、こんにちは♪」

「ど、どうも……」

 

 おっと、今日はさすがに白鷺がいるせいか猛獣みてぇな眼光を取り戻してやがる。つかそんなに睨むな。確かに今日のメッセージは全部無視してるけど、お前が行かねぇっつった再三ライブの話をするからだろうが。

 アイコンタクトでそう反論すると、牙の抜けた虎はつかつかとブーツを鳴らしてオレの隣にやってきて、机に手をゆっくり乗せて、壁ドンならぬ机ドン。オレに顔を近づけた。

 

「アンタ……なにしてんの?」

「あたしとデートだよ~」

「日菜ちゃんと、乱れ汁まみれの二泊三日の二日目ね」

「お前らもう出てってくれ」

「酷い言い草だわ、先生。私のことも遊びなのかしら?」

「お前とはまだ関係を持ったつもりはねぇ」

「……つまり、日菜さんとは持ってるんだ」

「……あやべ」

 

 向かいで悪魔王が天使の微笑を浮かべていた。コイツ、謀ったな。状況判断も恐ろしくはえぇし、ガキなのに口でも頭の回転でも勝てる気がしねぇ。そんな中で便乗してくるのは当然、隣に座っている悪魔だ。

 

「そうだよ、今はあたしのカズくんだからね」

「……あたしのカズくん。なるほどアンタさ、ホントのクズだったんだね」

「失望しただろ?」

「アタシのことも、そうするつもりだったの?」

「さてな」

 

 美竹はきちんと生徒として接していたさ。ホントにあの時まではな。つかそれが無理になったせいでオレはメンタルやられて今こうしてヒナが泊めてるようなもんだからな。信じてはもらえねぇのはわかってるから、通報さえされなければ構わない。

 

「……じゃあどうして」

「あん?」

「アタシじゃダメだったの? どうして結局アタシにはなんにも言わずに日菜さんばっかりそうやって扱うの?」

 

 待て待て、オレの予想と全く違う言葉が飛んでくる? フツー、教師としてオレを糾弾するんじゃねぇのかよ。なんでお前はそんな飼い主を取られたみてぇな顔してんだよ。お前は、タバコと性に脳を侵されたヤツは嫌いって言ってただろ。

 ──そもそもお前は、オレを教師として接してるんじゃなかったのかよ、お前に見てもらってるから、オレはギリギリ教師だったのに。

 

「美竹、お前……」

「アンタに全部話して、それでやっと気づいたんだ。アンタを教師として見たかったのはアンタがそれを望んだからで、アタシは、アンタが望んだ通り、その都合の良い関係に甘えてただけなんだって」

 

 言葉が出なかった。現実を突きつけられて、現実に毒を塗られて、吐き気がする。美竹がずっとオレをそういう目で見てたってのか? いやずっとじゃねぇ。あの劇的に変わった頃から、美竹はそういう目でオレを見ていたってのか。

 ──結局、オレはなんのためにお前に寄り添ったんだよ。お前に惚れられるために、オレはお前の前でタバコを吸わねぇんじゃねぇんだよ、話を聞いてるんじゃねぇんだよ。お前の夕焼けを見る表情を守り通して三年間、卒業するときまで過ごして、オレは自分の目標を全うしたって笑いたかったのに。

 

「蘭ちゃん……もうやめてあげてよ。もう、カズくんにそれ以上、好きって言わないであげて」

「どうして──」

「わかんないの? カズくんはそれが嫌で、今ここにいるんだよ?」

 

 やめろヒナ。今お前がなにか言ったところで逆効果だ。お前は美竹が今、一番いたい場所にいるんだよ。美竹は明確な敵意をヒナに向けた。やはり逆効果だったようで眉を吊り上げ、すぐさま反論してくる。

 

「日菜さんが許されるのにアタシは嫌? 矛盾してませんかソレ?」

「あたしはカズくんにとって好きとか嫌いよりもえっちしたいって都合のいい関係」

「なにそれ、サイッテー」

 

 吐き捨てるような言葉、けど予想されたような軽蔑の瞳は存在しなかった。言葉こそ吐き捨てるようだったものの、美竹は大きく息を吸って、手を机から離し、迫ってきていた距離を元に戻して、腕を組んでオレとヒナを見下ろした。

 

「……って、前のアタシなら、アンタのこと嫌いになってただろうね」

「単純でいいじゃねぇか、今からでも遅くねぇよ」

「もう遅いよ」

 

 ──教え子の成長ほど嬉しいものはない、なんて。でも、嬉しいのは事実だよ、一成。

 思い出された声は、やっぱりあのクソ教師のことで、どうやらオレが順調に轍を踏んで歩いてることは、わかった。未来、なんて言う真っ暗な道に示された、車輪の跡。当然、踏んじまうよな。

 

「そっか」

「アタシだって前に進むよ。だって、アンタに貰いっぱなしは嫌だから、アンタのために、なにかしてあげたいから」

 

 美竹は青春に精一杯もがいてる。華道からも逃げず、バンドからも逃げず、過去からも逃げず、こうしてオレにまっすぐ、青春をぶつけてくる。トラウマをぶり返して、少しばかり立ち止まったけど、結局こうして更に強くなった。

 すげぇよお前は。まっすぐなクセに素直じゃなくて、ちょっとしたことに笑って、泣いて、怒って、青春をきちんと青春なんて歌うロックなヤツ。カッコいいなお前は。ダサくてカッコ悪いオレは教えるより、教わる方が多かったぐれぇだよ。

 

「……眩しいな、お前は。いつもいつも、お前はオレの理想みてぇに、眩しくて、寂しいんだ」

「アタシはアンタの信じる青春の一瞬を信じてる」

「裏切られるよ、ソレは絶対にな」

「それでも、今の一瞬はアタシを裏切らない」

 

 お前らにはそれぞれの未来がある。美竹の信じる未来が必ずしも仲間たちの未来じゃねぇけど、それでも美竹は前に進もうとしてるんだな。ざまぁみろ、青葉。テメーの求める美竹蘭は、オレが全部ぶっ壊してやったらしいぜ。

 

「……カズくん」

 

 そんなとき、きゅっとオレの腕に抱き着く力を強めたのは、オレの理想のような美竹とはまるで逆、オレにとっての見たくない現実。けど、どこかで似通うようなものを感じるのは、オレが過去を知ってるせいか。

 ──なんつーか、来てほしくねぇモテ期だ。人生の中では三回あるって話だが、ここでガキどもにモテるってのは納得いかねぇな。

 

「オレは応えられねぇよ」

「どうして?」

「ヒナが言ってたろ? オレは今、立ち止まってる最中なんだ、教師を休憩してるクズのオレは、美竹の眩しさを直視できねぇんだよ」

「……そっか」

「だから……な?」

「わかった」

 

 これでいいだろ、ヒナ……とみると、悪魔の笑みがそこにはあった。何度も目にしてきた恍惚の表情にも近い、あ、ムラっときたんだなって顔だ。実際に、公共の場だっつうのに誘うように胸を腕に押し付けてくるし、手はオレの腿に触れていた。

 

「ウソつきにはペナルティ……だったよね♪」

「はいはい、もうちょいしたら帰るから、それまで抑えてくれ」

「焦らしプレイ、かしら」

「……まだ帰ってなかったのか、白鷺」

「修羅場、って見てるのは好きなんです♪」

 

 ずいぶんと楽しそうですこと、いい性格してやがりますね。しかもその邪悪なシラサギの花は、ヒナと同種の、アブナイ光を目の奥に宿していた。ああ、これが被食者の気分か。貴重な経験ができてラッキーとはいかねぇな。変な汗出るし。蛇に睨まれた蛙のようになってるんだよな、白鷺はスマホを()()取り出し、そのうちの一番かわいらしいカバーのついた方を軽快にタップした。三つ、手帳型カバーが仕事用、あの本来の性格が出ているであろうシンプルなのがプライベート、とすればあと一つは……アレか。

 

「もしもし? ええ、私よ♪ 今から会えないかしら? そう、今日はオフなの。ふふ、そうよ誘ってるの、ええ、ええ……それじゃあ、駅で待ってるわね♪」

 

 甘ったるい声、むせ返るほどの女の色香。こんなガキがいるのかと知見の狭さを再確認させられる。一体コイツはこの()()をいつから覚えたんだ。というか教えたの誰だよ、ぜってーロリコンのオッサンだろ。

 

「失礼な顔していますけど、初めてを奪っていったのも、今、お付き合いしているのも、マネージャーさん一人ですよ?」

「じゃあさっきのは?」

「──お得意様、でしょうか♪」

 

 やっぱりソレ用のスマホか。そんな意味深な言い方をして白鷺は立ち上がった。会計を済ませて、ついでにオレとヒナの分の伝票まで持っていきながら、悪魔すら苦笑いをする女王はあざといウィンクと人差し指で別れを告げた。

 

「それじゃあ、これは口止め料、ということで」

「まぁ、しゃべっても信じてもらえねぇからしゃべんねぇけどな」

「そうですか、安心しました……それじゃあ、お化粧も直したいし、これで失礼させていただきますね」

「まったね~千聖ちゃん」

「ええ、日菜ちゃんは、あまり紗夜ちゃんを心配させてはダメよ?」

「……おねーちゃんが……うん」

 

 嬉しそうな顔しやがって、難儀な姉妹だな。氷川姉もお前も。見送った後、ヒナがいい加減焦れてきているということもあり、オレも立ち上がり、美竹の席まで歩いていった。ノートを広げて、歌詞を考えているであろうソイツの、後頭部に手を置いた。

 

「またな」

「うん……ちゃんと屋上いてよ。()()()()()()()?」

「……お前」

 

 コイツにも、オレのウソは看破されてるらしい。まぁ、あんまり隠してるわけじゃねぇからな。不思議そうに見上げる上原と、トレイをもって微笑む羽沢にも手を振っていく。腕にくっついて離れないヒナの身体はもう、どこか熱を帯びているようで、ため息をつきたくなる。

 ──もう、十分に休めたんだけどな。それでコイツを捨ててったらそれはそれで後が怖いんだよな。あと、嘘をついていることと、美竹と向き合えたのもヒナのおかげだからあんまり無碍にしたくねぇっていう、言い訳ばっかりが頭をよぎった。そうだな、言い訳なんて取っ払うか。コイツはオレにとって都合のいい関係、そんな都合の良さにオレは堕とされてるんだ。

 

「ヒナ」

「なに?」

「キス、していいか?」

「──っ、今はダメ……我慢できなくなっちゃう」

「そうだったな、じゃあ後でな」

「ホント、クズなんだ」

「知ってるよ、つかそんな声出すなよ……オレも我慢できなくなる」

「カズ、くん」

 

 オレはコイツらの青春に、思春期に巻き込まれていく。それはオレがどうしようもないクズ教師だから。生徒との距離を適切から一歩踏み込んじまう、サイテーのクズ野郎だから、こうして思春期という牙の餌食になる。じゃあ、どうする? 逃げちまうか? 残念ながら、オレは逃げない、逃げられない。

 なぜならオレは教師だから。コイツらにとっての、青春を懸けるに値していると判断されたクズ教師だから。

 

 

 

 

 




千聖さんね、なんでこうなったんだろうね


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⑤屋上ニューデイズ

失敗の連続、復活してもまだまだ失敗は続きます。


 腰が痛え。こんな愚痴、今年度に入って何度零したんだろうな。原因はもちろん、ヒナで授業中に無意識にさすっていたら舌を出して、ノートにMe too.と無駄にキレイな字で書いてある部分をペンで示された。そういや昨日帰るとき散々腰がだるいってたなお前。誰のせいだとムカついたが、どっちも悪いからお互い腰を痛めてるんだよな。けどやっぱりムカついたから当ててやった。

 そうそう、ムカついた、といえばもう一人、こっちはマジでイラっとした。青葉モカ、珍しく目を開けて何も口に入れずに机に向かっていると思ったら、オレに刺すような視線を送ってきた。知るか、オレはお前のために美竹を構ってんじゃねぇんだよ。

 後の変化はやや怖がっていた上原が元通りの元気な声で挨拶してくれたこと。どうやら土曜の遭遇はオレにとってまたいい方に転がったらしい、悪運の強いヤツだ、我ながらな。だが駆け寄ると素敵なダイナマイトが揺れるのは勘弁してほしい。ガキに興味はねぇけどあのおっぱいは別なのよ、特にあそこまででけぇと男は自然と視線を誘導されるから、なるべくならかかわりになりたくない。だって美竹の顔コエーんだもん。

 

「変態、サイテー、クズ教師、なに今朝のやつ。ひまりの胸見て、鼻の下伸ばして」

「うるせぇな好みのサイズの胸を見た男の反応は生理現象と大差ねぇから蔑まれてもなんともできねぇんだよ」

 

 屋上で、その時の話を持ち出した美竹の罵倒の数々にそんな暴論で反論していく。つか真顔は維持できてるから鼻の下が伸びてるように見えんのは目線が下を向いちまったことによる見間違いだっつうの。あんまり否定できてないかもしれねぇけど。とにかく制服ってのはそもそも身体のラインをでにくくするために出来てんだよ。昨今のスカートは短いけどもともとは長くて、んでふわっとしてるから脚のラインがわかりにくいし、上もそのため。だからそんなものを破壊する上原が悪い、オレは悪くない。

 

「通報するから」

「ど、土下座でいいか?」

「第一、生徒と、その……え、えっち、してんだから否定する意味ないじゃん、ロリコン」

「……お前、ほんっと初心だな」

「うっさい!」

 

 顔を真っ赤にされるとこっちも反応に困るんだよな。最近性行為を連想させる単語を平然と放つ存在に出会い過ぎてるせいで感覚がマヒしてるのかもしれんが、それにしたってもうちょっと耐性をつけてもいいんじゃねぇの? あんまり口に出すとアレだからツッコミは控えるが、お前カレシいたことあんだろ。

 それにしても殴り合いのような会話、懐かしすぎて涙出そうだ。少し関係は変わっちまったけど、これはこれでオレとコイツの距離なんだろうな。

 

「ってかアンタ、モカがめちゃくちゃキレてたけど、なにしたの?」

「知ってる。そしてなにしたのかは知らねぇ」

「……モカは、アタシや仲間と同じくらいにアンタに対して導火線短いんだから」

「それも知ってる。そして再度言うが、心当たりはねぇよ」

 

 まぁ予想されるパターンとしては、青葉は徐々に自分の望んだ仲間たちから外れてってるお前らが気に入らねぇだけで、それをオレのせいにしてるだけ。

 だからそんな不安そうな顔でオレに抱き着いてくるんじゃねぇよ。さっきまでタバコ吸ってたっての。

 

「……タバコ」

「あんまり近づくと臭い移るから、離れとけよ」

「ううん、それはイヤ」

 

 ガキのわがままと虎のような鋭さのなくなった美竹は、オレから表情を隠すように顔を埋めてきた。

 月曜から、美竹はこんな調子だ。まぁ隠すような想いもなくなった上でオレがここにいるってのは、どこかで認められたと思ってんだろうな。オレも吹っ切れちまったせいで髪に指を通すことを躊躇わなくなってきたけど。これがまたサラサラでクセになるんだよなぁ。

 

「生徒に手出すような変態に抱き着いていいのかよ?」

「いい、別にアタシになら、襲ってきても」

 

 ウソはペナルティ……はヒナだけだが。肩震えてるくせに、呼吸が浅くなってきてるのにそんなこと言うなよ。矛盾してる。オレを好きだとか言っておいてそのくせ、触れられるのに恐怖してやがる。触れるとウソみてぇに鋭さがなくなるのは、コイツが委縮しちまってるからだ。こんなところ青葉には見せられねぇな。

 

「襲わねぇよ。教師のオレが生徒のお前を恐怖させてどうする」

「うん……ごめん」

「謝るとこじゃねぇ」

「じゃあ……好き……?」

「告白するところでもねぇよ、バカに頭侵されたか」

 

 オレがなぜコイツがこんなに近づいてくるのを拒否しないか……まぁ色々あんだよ。クズ教師として、特別になっちまった生徒くれぇ、笑って卒業させてやろうというオレの壮大で、ちっぽけな計画がな。そのために美竹にはコレが必要なんだ。

 ──ヒナの欲よりもずっとかわいらしいから、全然問題ない。メンヘラに比べられる美竹がかわいそうな気もするが。

 

「だって、怖いんだ……これでもしもアンタじゃなかったら、どうしようって……思うと」

「オレはオレだけどな。顔を見上げて確認するまで、オレではないかもしれないけど」

「……なにそれ」

「シュレディンガーの猫」

 

 名前は聞いたことあんだろ、と思ったら、まっすぐな視線がオレの視界に飛び込んで、ついでに首に手が回されて、唇が飛び込んできた。キスをしながら心中なんてドラマチックな最期を迎えるつもりはねぇから、なんとか手すりに背中を預けて、その背中……もう腰だな、腰に手をまわして受け止めた。

 

「……うん、アンタはアンタだった」

「キスは、初めてじゃなかったのか」

「うん、二回目、初めては……」

「悪い、変なこと言った」

 

 しまった、と思ったものの束の間、また唇が重なった。艶のある、リップがいらなさそうなピンクの唇。長い睫毛が間近に見えて、赤メッシュがオレの視界の右側を覆って、思わず見惚れてしまう。

 ──でもやっぱり唇はリップの味がする。バンドのボーカルだから、そういうのには気を払って当然か。

 

「……初めてはあんまり良い思い出じゃないから、代わりにアンタで埋めさせて」

「忘れるよ、大人になればな」

 

 残念ながらオレは覚えてるけどな。なにせ全部クズ教師に奪われたもんで。強烈な青春の思い出は大人になっても残る、遺ってしまう。きっと、コイツのファーストキスも、元カレも、そしてオレのことも。

 

「日菜さんとは……舌入れてるって、聞いたんだけど」

「するのか?」

「……それはムリ、まだ」

 

 まだってなんだよ。オレは一生しなくてもいいんだけどな。つかヒナが舌入れてくるときはヤるって合図だから覚えてほしくはない。アイツのせいで条件反射レベルまでオレの愚息が調教されてやがるからな。さすがのオレもその状態で平静を保てるほど枯れてねぇんだよ。

 

「その代わり……アンタから、キス……して」

「……やめとけ。ぶっ倒れられんのは困るんだよ」

 

 美竹はオレから触れることはしない。つかできねぇ。美竹自身はそれを望んでいるが、コイツの身体は激しい拒絶を示してる。ただ、自分からキスをしても平気だと知ったのは嬉しかったようで今度は頬に押し付けて蕩けるような乙女の顔で笑いやがった。

 

「ありがと」

「満足そうな顔しやがって」

「ふふ、アンタに襲われそうだからこのくらいにしとく」

「オレが襲われそうでビクビクしてんだよ」

 

 当初とは大きく逸れちまってるが、美竹はこうして逃げずに前に進んでる。オレも美竹から逃げずに、教師というものから逃げずに向き合ってる。正しいとは言えねぇけど、キレイさとか正しさが生徒を救うことには直接必要ねぇってことを、オレは美竹とヒナに教えてもらった。汚れちまったら、もう正しくはなれねぇんだってことも、同時に。

 

「だんだんと、夕日が遅くなってくな」

「……梅雨になったらあんまり見れなくなるから、アタシはあんまり六月が好きじゃないけど」

「でも、晴れ間に見える夕焼けはめちゃくちゃキレイなんだよな」

「そうだね」

 

 けどオレもあんまり六月ってかそもそも夏は好きじゃねぇからな。夏の空はオレを殺しにくるように屋上にいるだけで死ねるからな。あと雲の主張がやたらと激しくて好きじゃねぇ。

 やっぱ、オレが好きなのは秋の空だな。夕焼けもキレイで空も高くてなにより、オレにとっては思い出の季節だからな。

 

「それじゃあ、アタシは練習行ってくるね」

「おう……あ、そうだ」

「なに?」

「ちょうど来週末、暇になったんだよ。いい暇潰しがあったら教えてくれ」

「バカじゃないの、そんなの自分で考えなよ」

「うるせぇ」

「……明日、チケット持ってくるね」

「サンキュ」

 

 ギターを背負って、美竹は嬉しそうに扉を閉めた。練習ってことは少なくとも今日は青葉に会わなくて済みそうだな。まぁ面倒事を先延ばしにはしたくねぇし、その内メッセージでも送ってやるか。

 ──美竹が、あの先になにを求めてるのかなんて、そんなことはわかってる。けど、アイツが委縮してるだけで虚勢だけで生きていくのを見るのは嫌なんだよな。だったら、オレが悪役になってもいいから克服してほしい。それがヒナと同じになっても、それでヒナや青葉たちを傷つけることになっても。

 仕事の相棒に火を点けて、そろそろか、と時計を見た。夕焼けの語らいが終わり、少しの独りの時間が終われば、悪魔がオレを見つけてやってくる。

 

()()()っ!」

「ヒナ、もう部活は終わりか?」

「うん!」

 

 輝くような瞳でオレに飛びついてきたのはもちろんヒナ。土日にあれほどあった溶けてしまいそうな二日間がウソのようにヒナは変わらない。昨日はあんだけ泣かせたのに、その上都合のいい関係なんてのを押し付けてんのに、コイツはなんにも変わらねぇ。相変わらず日本語が通じない。

 

「えっちしよ~」

「そればっかりだな、つか腰痛いんだけど」

「あたしも~、だる~い」

「なのにシたい、と?」

「うん」

「なんで?」

「先生の顔見たらシたくなったから」

 

 ホントに刺激的な言語を使うヤツだ。意味が分からないし下半身に脳ついてんのかテメーは。けど、もうコイツの目の奥にはオレしか映ってなかった。そして、美竹が美竹にしかねぇ特別を行使するように、ヒナはヒナだけの特権をオレに向かって振りかざしてくる。

 

「今日も、蘭ちゃんと話してたんでしょ?」

「そうだな」

「ん」

「ん、じゃわからん」

「ライターとタバコ」

「オレはライターでもタバコでもねぇ」

「あたしも吸う」

 

 ヒナに手渡し、同じ紫煙を吐く未成年にため息をつく。土曜に珈琲店で美竹に会った日、ヒナはどこにも行かないでと嫉妬を全開にして求めてきた。おかげでお互い腰が痛い上に、シャツをめくると噛みアトまであった。見えるところは絶対にやめろ、という制止はさすがに聞き届けてくれたのだが、その行為はオレとヒナからまた倫理観を一つ奪ってみせた。

 

「つか、今日は遅かったな」

「リサちーとしゃべってたからね」

「そっか。あんまり時間ねぇけど?」

「じゃあ先生んち行く」

「……言うと思った。今日はさすがに泊まらずに帰れよ?」

「わかってるもん」

 

 腕を組んでくるのに抵抗感がなくなった。髪に触れることに躊躇いがなくなった。つか全体的に、ヒナに触れている時間が多くなった。狂気じゃなくて嫉妬を覚えたヒナはそんなオレの手に甘ったるい顔で喜ぶ。触れられてる独占している、それらを実感するとき、ヒナは笑うようになった。

 ──触れ合うことで愛情が生まれるらしい。だから同じ空間を共有すると恋愛感情に発展しやすいのだとか。絆されるってのはこういうことらしいな。携帯灰皿を手渡し、そこで火を消していくヒナに吸い込まれていく。

 

「ヒナ……」

「あ……カズくん」

 

 さすがに勿体ないとは言え、短くなったタバコの代わりにヒナの舌を求めるのは違うよな。けど、コイツの熱い吐息が、必死に吸い付いてくる顔が、タバコの味がする唾液が、息のできないくれぇに求められるその感覚が、オレを狂わせていく。美竹とキスをしたときにはなかった感情が、ヒナを、そしてオレ自身を襲っていた。

 

「家まで……我慢しよ? あたしも、我慢するから」

「……だな、悪い」

「ううん、きゅんってしたから、嫌じゃないよ♪」

 

 ヒナの特権は教師じゃねぇオレを呼び出すこと。コイツに条件が揃った状態で、コイツしか呼んでこねぇ名前を呼ばれると、どうしても溶けていくようなカラダの関係に身を浸したくなる。完全にヒナの魅力に敗北しちまった形なのが非常に癪だが、オレだって、お前が言うように嫌だなんて思ってねぇよ。

 

「……断言してやるよヒナ。お前はいい女だ」

「抱きがいあるでしょ?」

「そうだな」

「あはは、じゃあ……卒業までに心まで奪ってみせるね♪」

 

 ──それが、今のヒナの目標らしい。オレを惚れさせること。そりゃムリだと何回言っても聞かねぇから好きにしろって言ってやったら、余計にたくましくなりやがった。痛感したよ、コイツに好きにしろっつったら言葉通り好きにシてくる。日本語通じてねぇから、そこに投げやりとか認めたわけじゃねぇとかは、通用しなくなるってな。

 

「エサをくれたのはカズくんでしょ? 責任持って飼ってね?」

「懐いたから仕方なくエサをやるが、飼うつもりはねぇ」

「わ、サイテーだ」

「嫌なら諦めるか?」

「ううん」

 

 ヒナは強かだ。美竹は弱くて、その弱さを肯定して克服しながらオレを求めてくるのに対して、コイツは自分の強さを武器にオレの弱いところにつけ込んで、求めてくる。教師としてのオレが弱くねぇって認められた嬉しさ以上に、だからこそ毒の回りが早いわけだと納得しちまった。

 

「そうだ、今度ねー、パスパレのミニイベントやるんだー」

「ライブハウスでか?」

「うん。ガールズバンド専門のライブハウスがあってね、蘭ちゃんたちもそこでライブしてるんだ」

「ガールズバンド専門……か」

 

 そりゃあ確かにアイツら向きだな。スタッフのヒトも女性だろうし、アイドルバンドとしてもそれはありがてぇよな。

 パスパレ……コイツが所属してるPastel*Palettesってバンドは、知名度はまだまだ、白鷺曰く地下アイドルみてぇな扱いらしいが、当初の話題性からも、絶対にいつか全国区になる、って言われてるらしい。

 ──じゃあヒナがココの生徒の間にそうなったら、コイツとはどうなるんだろうか。屋上でヤんのはムリそうだし、オレんちなんてもってのほかだろうな。

 

「どーしたの?」

「いや、ヒナがもし有名になったら気軽に送ってくこともできそうにねぇなと思ってな」

「あはは、気にし過ぎだよー。千聖ちゃんなんてパスパレより前から有名なのに、アレなんだよ?」

 

 だがヒナは全く気にした様子はない。女優とアイドルって違う気もする……とは思うが、清純派の元子役がその実ビッチってのは週刊誌的には美味しいのか。アイツも、きっとイロイロあんだよな。つかマジで電話してくるんだから怖えんだよあの女。しかも風呂に入ってんだよ。おかげさんで知りたくもねぇ白鷺千聖を知って、オレはビミョーな気分だよ。

 

「……あ、でも、来週からあんまりえっちできないかも」

「レッスン、忙しくなるのか?」

「うん。腰だるいの千聖ちゃんにバレちゃったし。しばらく部活も休むね」

「好きにしろよ。天文部は今やお前のためだけにあるんだからな」

「ありがと、先生♪」

 

 車に乗り込みながら先生とか言うなよ。腰が痛えとか愚痴るけどな、オレはお前に欲情してんだから。乱れるヒナの顔に、くらっと来ちまうんだからさ。そんな杞憂は当然のようにカズくんちにれっつごー! という声で霧散した。

 

 

 

 

 

 

 




少し三人の関係が変わって、変化もありつつクズはクズのままのうのうと生きています。早く誰か裁けよこのクズ。


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⑥真実ロマンス

 部活が休みだろうとオレの安息の地は、いつも通りの屋上だ。少し曇り気味の空や帰り道を歩いていく生徒の姿に紫煙吹かせ、温くて、すっかり湿度が増えた風を浴びていた。今日は美竹も来ねぇって連絡あったし、夕方から雨降るって予報だし、その前にテキトーに仕事して定時で帰るとするかな。そんなことを考えながら煙を追いかけると、眼下に見たことのある女子生徒が見えた。

 言い訳するとそんな生徒をまじまじと見ていたわけではなく、何やら言い合いをしていたから目立ってるだけだけどな。

 

「……なーにやってんだ、アイツら」

 

 喧嘩をしてるのは仲良し五人組、Afterglowってバンドをしてるやつらのうちの二人、青葉と宇田川だ。美竹の言うことには美竹と宇田川はよくぶつかるが、それ以外はほとんど喧嘩しねぇって聞いたんだけどな。すると、ふと、灰色の頭がオレを見上げた。

 ──さて、偶には悪魔に恩でも売っとくか。携帯灰皿にタバコを押し込みながらオレはそいつに手招きをしてやった。

 

「どうした、青葉」

「せんせーこそ~、呼び出しなんてどーしたの~? あ~、ついにモカちゃんもせんせーの毒牙に~たいへんだ~」

 

 それから二分ほど、あくまでいつも通りに振舞う青葉は、オレにはどうしてもまだ泣いているように見えた。

 んでもって対峙して思うこともある。やっぱりオレはコイツが嫌いだ。なんでそう素直になれねぇんだよお前は。そんな風に隠してたってなんもいいことねぇぞ。大人になりゃ嫌でも隠し事をせざるを得ねぇしロクでもないことばかりで、オレは毎日ガキどもが羨ましいってのによ。それをわざわざドブに捨てるなよ、大人なんて、いつか勝手になっちまうんだから。

 

「……タバコ、吸わないの?」

「ガキの青臭え話を聞く時は吸わねぇな」

「……悪かったね、青くて」

 

 青くて結構じゃねぇか。青春を否定するといざ本当に大人になった時に後悔するんだからな。つか、今日くれぇまっすぐ言葉を投げてみろよ。変化球ばっかは肩とか肘に疲れがたまっちまう、ってハナシだしな。

 

「……トモちんと、ケンカ、しちゃった」

「そりゃ見かけたからな。原因は?」

「──カレシ、できたんだって」

「……ふぅん?」

 

 青葉はぽつぽつと語りはじめた。青葉と宇田川の諍いの間にあるのは、美竹の過去だ。アイツのトラウマは他の四人にも多少の傷を負わせた。羽沢、上原は年上の男が怖くなって、宇田川と青葉は美竹に対して過保護になっていった。

 そんな美竹の転機はオレの存在だ。羽沢や上原はオレに怖がることもなくなったし宇田川は、自分がそこまで神経質になることはねぇってことで、以前から仲の良かった商店街の同じトシのヤツと恋仲になった。

 

「……トモちんも、つぐも、ひーちゃんも、蘭も……みんな能天気すぎるのに、また、ああなるかもしれないのに……なのに」

「そりゃ、考えすぎってやつだな」

 

 それが青葉には裏切りだと感じた。だから宇田川につっかかって、言い返されてケンカになった。くだらねぇ理由だ。でもこれで青葉が本当は仲間たちに何を求めていたのか、それがなんとなくわかる気がするな。

 

「あたし……このままじゃ、独りになっちゃう……嫌だ、独りは……やだよ」

「……青葉」

 

 コイツは極度の依存体質だ。面倒なことに同じ目線にいてくれるヤツが自分を見ていないととてつもない不安に襲われる、そんなタイプだ。ヒナみてぇなメンヘラとは違ってタチが悪い。

 ──依存してるヤツを追い詰めてでも、自分に依存させたいって感じだな。厄介なヤツの話聞いちまったな。

 

「大丈夫だろ。この間も、美竹はお前がキレてんの心配してたからな。それに、お前らは五人でAfterglow……だろ?」

「し、知ったかぶり……だ」

「そりゃそうだ。なんせ美竹の受け売りだからな」

 

 ほらな、お前は大人なんかじゃねぇよ。どこまでもガキだ。本当に自分の願いのままに四人を存在させてぇなら悪役になる覚悟くれぇしねぇとな。

 それができねぇんじゃ、まだまだだ。合格点はやれねぇな。

 

「……なんで、そんな優しいの?」

「優しい? 冗談よせよ気持ち悪い。ケンカの解決は自分でなんとかしろって思ってるからな」

「そっちじゃなくて……なんで、あたしの味方、してるの? どう考えても、あたしがめちゃくちゃなこと言ってるのに」

 

 確かにめちゃくちゃなこと言ってるな。宇田川がカレシをつくったことに文句を言うなんざ筋違いもいいとこだ。けど、けどな……オレはそんな筋とか、お前が鬱陶しい悪魔だって以前にな、一つだけ見えたもんがあるんだよ。

 

「詩的に言うとだな……傘は濡れてるやつに貸してやるもんだろ?」

「……っ、う、うわ……キザ……似合わなさ過ぎて、警察呼びたい……」

「突き落としてやるから動くなよ」

 

 オレが青葉をわざわざ呼んだ理由、それは単純でお前が泣いてたからだよ。小さな子どもみたいに、独りにしないで、ってな。それに青葉はオレにとって余計なことしかしねぇ敵みてぇなもんだが、敵味方以前にオレは羽丘の生徒なんだよ。教師(おとな)は、生徒(こども)の悩みを真摯に受け止めるもん……ではねぇかもしれけど、オレはそういう教師に会って救われたんでな。そうなりてぇんだよ。

 

「……蘭が傍にいたいって思った理由、わかっちゃったな」

「そりゃ助かる」

「蘭とは付き合ってるの?」

「いや、オレに恋人はいねぇよ」

「そっか〜」

 

 全然、これっぽっちも関係のないハナシだが、オレはこの時、ヒロインの失恋を慰めたらいつしか惚れられていたとかいう物語だけじゃなくて展開の脇も甘いマンガが頭に浮かんだ。全然、これっぽっちも関係ないハナシだが。

 というか、心が折れかかった時に味方されると弱いってのはつい最近経験した。傷に染みていく暖かさを、ソイツからしかもらえねぇって、思っちまうんだろうな。だからきっと、一人で抱え込みがちな青葉は、吐き出せる相手に……依存しちまうんだろうな。

 

「……なら、屋上に来たら、あたしの話も聞いてくれる……?」

「ああ、もちろん」

「笑わない?」

「保証はしかねる……けど、溜め込むよりはずっとスッキリすると思うがな」

「せんせーがスッキリってゆーと変な意味に聞こえるな~」

「そりゃお前が妄想逞しい変態なだけだ」

 

 青葉は初めて、刺すような敵意もなく、悪魔のような笑顔でもなく、自然な表情をオレに向けた。なにも解決なんざしてねぇけど、独りじゃねぇってことに安心したみてぇだな。いつも距離のあったはずなのに今は一歩もないくれぇなのが、ちょっと気がかりだけど。

 

「あたしのコレは、みんなには教えられない。教えたくない」

「だろうな。引かれること間違いなし、だからな」

「だからさ……せんせーを利用させてもらうね」

 

 けどまぁ、コイツの本質も間違いなく悪魔だな。そうじゃなきゃこんな言葉が飛び出るワケねぇし、美竹を守るためと称してあんな画像や動画を撮影してるワケねぇんだよな。話を聞いてほしいとかじゃなくて、溜めこんで壊れちまいそうな自分を支えるために、オレでガス抜きってことか。依存体質は我慢が多くて大変だな。

 

「大変だよ? わがままばっかりなのに、そのわがままで嫌われちゃうかもーって考えると……息すらできなくなっちゃうもん」

「青葉はとことん、考えすぎだな」

「あはは~、そーかも」

「お前は隠すのがうますぎるから、余計めんどくせぇヤツだよ。ガキはガキらしく、素直に、思ったままでいいのによ」

「それが上手くいく子どもばっかりじゃないんだよ~」

 

 その言葉に、オレは肯定の意味で苦笑いをした。難儀だよな……子どもは子どもの、大人には大人の、勿体ないところがある。だから大人は、子どもが素直に思ったことを話せるように言葉を考えるし、子どもは、大人の手に余らないように本心を隠そうとする。だけどな、オレはお前が手に余るなんて、考えたことはねぇよ。客観的に見ればヒナには余してるように見えてるかもな。でもオレはアイツを手に余るヤツだと一度も思ったことはねぇ。まして青葉なら尚更だよ。

 

「じゃあ上手くいくように、オレが指導してやる」

「せんせーが指導ってゆーと卑猥だね」

「先生が指導って言ったらフツーの意味だろ、どんだけお前の脳内はピンク色なんだ」

「そりゃ~、そーゆーことにきょーみしんしんのJKですから」

「なら、あの隠し撮りは目に毒だったろうな」

「……あ、あれは……その……」

 

 揚げ足取りでからかったつもりだったが、揚げてカラっと空ぶったのはオレの方だったか。青葉はその性格上ヒナとかと同じ方向だと思い込んでたんだが、どうやら違ったらしい。顔を逸らしたその髪から僅かにのぞく耳は、羞恥に赤くなって、どうやらコイツには本当に刺激的すぎたのだとわかった。

 

「よく残してたな、そんなの」

「……見返さなきゃいいだけだもん」

「けど見返しちまうのが、興味ってヤツだもんな」

「あんなトコでシてるのが悪いんだ……」

「あっそ……つか、見返してたんだな」

「あ……うわ……さいてー、へんたい、性犯罪者」

 

 よし、これ以上はやめておくか。今までの仕返しができて満足したしな。ヒナが消したって言ってた以上、もう過去の話だし、いたいけ……かは議論の余地が残るもののJKにそれを見せたのはオレであるわけだし、これ以上つっこむとしっぺ返しが怖えし。

 ただ、隣で真っ赤になった顔を両手で冷やしてるコイツを見るのは新鮮で、なんつうか笑っちまうけど。

 

「日菜さんが動画消さなくていいよって言ってた理由がわかった……消しとけばよかったな~」

「……は? なんで、アイツ消したって」

「はぁ、日菜さんにはちょー甘いってホントなんだね~。あのヒトが無力化したのは()()()()ですよ~? 別に動画や画像を消した、なんて一言もゆってないんだな~」

「……あのクソ悪魔」

 

 つまり青葉が拡散した時のメリットしか消してねぇってことね。ヒナは青葉がその動画にどんな感情を抱いているか知ってた、つかスマホを見たときになんらかの要因で知ったんだろうな。あのエロ悪魔ならイタズラにそういうことしやがるだろうよ。というか下手するとアイツもそれを持ってる恐れがあるんだよな。

 

「日菜さんってとーんだ変態ですよね~……まぁ、それに反応したあたしも大概ってことになるんですんで、言いませんけど~」

「その変態に常に誘われてるオレのことも考えてくれると嬉しい」

「性犯罪者?」

「それやめろっつうの」

「否定しきれないからかな~?」

「うるせぇ」

 

 顔真っ赤にしながら言うことじゃねぇだろ、ったく。敵意がなくなった青葉は誰かのような殴り合いに近いようなものと、誰かのような悪魔との対話、その両方を感じる。嫌いだったコイツのよくわかんねぇところが解消されてるから余計にそう思っちまうな。

 

「せんせー」

「ん?」

「あたしの前だったら、吸っていいよ」

「いいのか?」

「うん、あたしはへーきだもん」

「近くにいると、においつくぞ」

「へーき」

 

 へーき、とか言われてもなぁ……オレ、親御さんにクレームつけられたくないのよ。まぁ、ヒナとか美竹の親には殺されても文句言えねぇけど。それに比べたら娘の制服からタバコのにおいがした、とか言われるとやや理不尽に思えるし、余計な軋轢は生みたくねぇんだが。

 

「日菜さんの前ではスパスパ吸ってるくせに〜」

「まぁ、そうだけどな……」

 

 アイツが吸うのにオレが我慢する意味ねぇもん。まさかお前も吸いてぇとか言うなよ? もうタバコあげるのヤなんだよ。そんなオレの考えを読んだ青葉は呆れたような顔をしてきやがる。

 

「吸わないよ〜、日菜さんじゃないんだからさ〜」

「ならいいけどな」

「……あ、あっちには……ちょっと、興味あるけど」

「……ヘンタイはどっちだ」

 

 青葉の言葉に甘えながら苦い顔をした。確定、コイツの脳内はピンク色だ。つかお前、それ同年代のお猿さんたちに言ってみろ。二時間後にはベッドまであるからな、気をつけろよ? まぁ、青葉はあの一件もあるし男には警戒心強いだろうけどな。

 

「だってさ……日菜さん、すごいえっちな顔で……あ、喘ぎ声とかも……すごくて……気持ちよさそう、だったんだもん」

「例の動画か」

「……うん」

 

 それは今まで見たことのねぇくらいにひび割れたような、熱いなにかを内に秘めた声だった。お前、オレのこと嫌いだったろうが、そんな顔すんなやめろ。まだタバコは残ってて、耐えるように背を向けるとその背に体重がかけられた。

 ──マジかよ、それで絆されたらチョロいってレベルじゃねぇからな? 美竹が比較的チョロいくらいなんだからな。

 

「実はあたし、前からせんせーのこと好きだよ〜?」

「は? 悪い、日本語か英語にしてくれ」

「あたし〜、割とまえから〜、せんせーのこと気になってたよ〜?」

 

 悪いな、青葉の日本語はオレには理解できてねぇみたいだ。その割と前ってふわっとしたのはなんだ、意味わかんねぇ、つかぜってぇウソだろ。おい、オレの考えがわかるなら青葉、オレの疑問に応えやがれ。

 

「せんせーがちゅーこーれんけーの授業に来た時のこと、覚えてない?」

「中高連携……あぁ、そういややったな」

「そんとき、あたしたちのクラスだったんだよ~?」

 

 ん? あーっと、あの時か。なんか中等部の教師とラブロマンスを題材にした英語の会話を解説したやつだ、恥ずかしすぎて一瞬記憶から抹消してたわ。解説する度にきゃーきゃー言われてさすがに辟易したしな。

 ──その中にいたいた。ヒトの解説を聞きながら堂々とパン食ってるヤツ。それが青葉ってわけだな。んで? 

 

「きょーみなくてさ、聞き流してたら、せんせー、なんて言ったか覚えてる?」

「いや全然、まぁ、怒ってないことは確実だな」

「えーごでね、後で調べたらキミは色気より食い気だな(You're eating than romance)って、ちょっと笑いながら」

「うわ……きめぇ」

「えー、本人が言います? それ」

「なんで英語……あぁ、ネコ被ってたんだな、ぜってぇそうだ」

 

 そうだな、あの時は確かまだスキルアップに邁進してた頃だから思わず口から出たのか? わからん、情熱溢れた当時の自分の思考が読めなくて苦笑いしかできねぇよ。日本語でいいじゃんか、少なくとも今のオレは母国語である日本語で表現することの方が好きなんだがな。

 

「ああ、こーゆー面白いせんせーもいるんだなって思ったらなんとなく追いかけちゃって、高等部に行く用事があるときは絶対に探してたし、入学式の日も欠伸してるの見かけたよ」

「……そうか」

 

 オレは青葉のことなんて覚えてもなかったんだけどな。そんなことを考えていると、いつの間にやら背中から正面に移動してきやがった。にへら、というような緩んだ笑顔、ホント、今日で印象がめまぐるしく変わるヤツだ。

 

「それ以来あたしは、せんせーのストーカーなんだけど~って言ったら、どうする?」

「イロイロ納得する。けど妙にタイミングがいいのは美竹がいるからだと思ってた」

「それもあるよ~? あたしは蘭に依存してるから」

「敵意を向けてきたのはどう説明すんだよ?」

「もっちろん、日菜さんとイチャイチャしてたからヤキモチだよ~」

 

 どーりで、コイツからはなにも読めないわけだ。行動原理を半分隠されてちゃ、わかるはずねぇよ。美竹が二度目に屋上に来たときにそれをいち早く発見した理由も、弱みにつけ込んだコイツが最初にしたことがオレとの連絡先の交換と、羽沢珈琲店への呼び出しだった理由も、それ以前から、コイツがオレの授業で食ったり寝たりしてた理由も、縺れた糸がほどけるように、氷が解けていくように、確信へと変わった。

 

『蘭に近づかないで』

『そうやって子ども扱いして!』

『蘭にはあたしがいるから、あたしが一生傍にいるから、安心してね』

『ありゃ、冷たいな~』

 

 隠してた意味があったのか。気付かねぇもんだな、ったく……お前のせいで苦しんだこともあるっつうのに。当の本人はやっと近づけた、って顔だな。素直じゃねぇって美竹のこと言えねぇよ、お前。

 

「やっとせんせーの生徒になれるね。ちゃんと約束したから、これからはあたしのことも構ってね、あたしのせんせー」

 

 強引に首を引っ張られ、屋上の手すりに背中を預けた青葉がオレの唇を貪る。最初はファーストキスらしい控えめでソフトに、そして三度目からはあの悪魔を彷彿とさせる強引な舌の動き。ヒナに絆されきった変態クズ教師たるオレに熟れてないはずのその果実は甘すぎて、オレ自身がどろりと溶け出しちまいそうだ。

 

「……こーふん、してくれたんだ。えへへ~♪」

「雨、降りそうだな」

「そーやってごまかすんだ?」

「……送ってってやる。傘持ってねぇんだろ?」

「──うん♪ あ、今日は遅くなるって、ちゃんと言ってあるから~」

「練習サボってんだったな」

 

 外堀を埋められ、夏の陣。槍も持ってねぇし三途の渡し賃もねぇオレに青葉なんつう大筒に勝ち目なんて万に一つもねぇんだよな。後はコイツの言う通りに、コイツを血だらけにして泣かせるだけ。

 ──なぁクズ教師。オレってやっぱ、アンタよりクズかもしんねぇな。アンタがオレ以外の他の生徒に手、出してたかなんて知らねぇけど。

 




これが負けヒロインの爆誕である。生まれながらにして負けているのである。


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⑦黄昏ドライブ

 ──やっちまった。どっちの意味でもヤっちまった、なんて笑えもしない冗談がふと横切るくれぇには、とんでもねぇミスをした。なにやってんだろうな、つか、オレは生徒に襲われるために教師やってんのか。

 青葉に迫られ、そりゃもう強引に、挙句車やスーツを血まみれにしてやるだとか半ば脅迫され、二体目の悪魔を家に上げちまった。汗が嫌だからシャワーを浴びろと言われ、オレは結局、そのまま風呂場で襲われ食われた。最悪だろ。

 

「そうですね、確かに最悪ですね」

「……はぁ」

「というか、二人とヤったなら三人ヤっても一緒じゃないですか?」

「うん、黙れクソビッチ」

「職場の生徒さん三人を囲んでおいて、良く言いますね♪」

 

 こんなの、一人で抱え込めるわけもなく、困ったオレは休日に魔王、女帝に愚痴を零していた。悪魔のようでありながら、妖精のような妖しい色香を前面に押し出し、脚を組み替える姿も蠱惑的だな。つか仕草で誘ってくんな、シねぇよ。

 

「私、清瀬さんが気になるんです」

「はぁ? なんでだよ」

 

 ヒナ、美竹、青葉に続き白鷺もか。一回り年下のガキとはいえ、こうも美人に好意的な言葉をかけられるとそろそろ騙されてんじゃねぇかとすら思えてきた。つか流石に白鷺クラスになると柄にもなくドキっとするな。

 

「──だって日菜ちゃんに訊いても絶対に教えてくれなくって……ムラムラしてしまうんですから」

「……悪い、お前に愚痴ろうと思ったオレがバカだった」

 

 オレのドキドキ返せ、ダメだコイツ、知り合いの精神科医……に押し付けたらキレられそうだ。ヒナといいコイツといいお前らのせいでアイドルは下半身でものを考えるヤツらって誤解しちまうからな、そろそろ。

 

「それに、先生との関係というのも素敵だと思うんです。花女にも良さそうな先生はいますけど、顔を合わせる頻度が高い以上、相応のリスクがあるので教師とはシたことってなくって」

「オレ、お前の下ネタ聞きたくて呼び出したんじゃねぇんだけどな?」

「そうでしたね、でしたら続きはピロートークで、いくらでもお聞きしますね♪」

 

 それ事後じゃねぇか。なんでお前に話をするのに事務所、マネージャーじゃなくて情事を通さねぇとダメなんだよ。

 ──つか、マネージャーで思い出したけどカレシだろ、平然と浮気すんなよ。

 

「マネージャーさんは?」

「今日の夜会う予定ですけど、どうかしましたか?」

「いや、カレシが可哀想だなと思ってな」

「気にしてないでしょうね。カレも他の子をつまみ食いしてるので、お互い様といったところでしょうか」

「……それ、付き合ってんのか?」

「ええ♪」

 

 わかんねぇ、オレにはわからねぇ世界が白鷺の周りには広がってるようだった。というかコイツ、こと男女関係に至ってはオレより成熟してる気がする。性欲は全然成熟してねぇクソビッチだけど。

 

「んなことより……美竹もだんだん目がヤバくなってきてるし、どうしたもんかな」

「ヤってしまえばいいのではありませんか?」

「やめろよ」

「神経質になる必要なんてないと思います。セックスなんて食事と同じだ、と思えば、大したことではないでしょう?」

「そこまで無責任にはなれねぇな」

「中途半端な倫理観でしたら、私がひと肌、脱ぎましょうか?」

 

 お前の場合は物理的にだろうが。美人の教導のまま一晩で価値観裏返る睦みあいなんて、相手がガキじゃなきゃ飛びつくくれぇ、オレだってまだまだそっちの欲はあるけどな。大人には責任があるんだ。例え中途半端な倫理観だとしても、捨てていいもんじゃねぇだろ。

 

「ふふっ……貴方は、素敵な先生ですね」

「からかわれてるのかな、どうも」

「こんなに理想高く、生徒さんの心に対して親身に寄り添える。だから日菜ちゃんも、モカちゃんも、そしていずれは蘭ちゃんも……貴方に処女を捧げようと思えるのだもの」

「泣かせてる人数が増えてるだけだろ」

「それは、考え方次第ですから」

 

 結局、青葉のヤツもオレの腕に爪が食い込むくれぇ痛がった。あの感触と表情は、慣れねぇよ。いくら嬉しいと言われても、オレはあの瞬間が大嫌いだ。美竹と白鷺だったら白鷺とでもいいかなと思うほどにな。

 

「素敵な先生で、素敵なヒト。残酷なくらいに優しくて……濡れてしまいそう」

「発散すんなら別のヤツにしてくれ……悪かったな」

「ふふ、そんなフり方じゃあ、未練が残ってしまうわ」

「生憎、フる程女に贅沢だったことないんでな」

 

 後味が悪い。いや、悪くされたのか。白鷺はわざとそうやって、オレを悩ませるつもりだな。アイツ相手じゃオレの大人っつう切り札も意味をなさねぇし、まさしく天敵だな。

 会計を済ませて、白鷺を置いて羽沢珈琲店を後にした。そうして少しフラフラと歩き、川沿いで一服。明日は久々にパチンコでも行くか、と気持ちを切り替えていく。

 

「──あ」

「……ん?」

 

 そう思った矢先に声が聞こえた。透き通った声。青春を青春と歌う、ロックを奏でる美声。キリッとしていて、けどどこかかわいらしい美竹の声だ。

 

「こんなとこでなにしてんの?」

「散歩。美竹たちは?」

「練習帰り」

 

 見ると、美竹だけじゃなく、仲良し五人組のAfterglowが勢ぞろい。なんだよ、あっさり仲直りしたのか、お前。そんな視線を送るとソイツはにへらと表情を崩した。まぁ、ケンカするほど仲がいい、ってか。結局青葉には宇田川に怒りをぶつける意味もなくなっちまったし、独りで抱え込んでたものはオレに寄こしやがったしな。

 

「みんな……先に行ってて。アタシ、コイツと話したいことあるから」

 

 美竹はそう言って四人を追いやる。青葉が非常に不満そうに、上原と宇田川は若干面白がって、オレと美竹を二人にした。相変わらず、こうなると刺すような視線に逆戻りなのかよ、この間のはなんだったんだよ。苦い顔をしながらオレは短くなったタバコを携帯灰皿に押し込んだ。

 

「別のとこ……いかない?」

「別のとこ?」

「うん……屋上みたいな、二人になれる場所がいい」

 

 そうやって頬を染める美竹は、間違いなく10代の恋をしてる。その相手がオレみてぇな大人のクズで、オレはそんな美竹が前を向いてくれるなら、と頷いてちまう本物のクズってのは、あんまり感心できねぇけど。そこは美竹の趣味が悪いってだけだから口には出さない。

 

「んじゃあ、一旦戻るか。ドライブでもどうだ?」

「……いいの?」

「このまま歩いても、二人にはなれねぇだろ」

「そっか……うん、それじゃあ、そうする」

 

 戸惑いながらも頷く美竹を見て漸く、そういえば美竹を車に乗せるのは初めてだったということに思い至った。日菜はしょっちゅうだからもう感覚が麻痺してやがるな。駐車場まで歩いて、そして車を走らせて、夕焼けに染まる小高い丘にやってきた。雑多な街を見下ろせる、屋上のような場所、そこで美竹は自然に、ごく自然にオレにもたれかかってきた。

 

「なんか嫌なこと、あったか?」

「ううん……けど、顔見たら……ちょっと」

「甘えたくなったってことか」

「……口に出さなくていい」

 

 抱きしめられる恰好のまま一度、頭を少し離してオレの鳩尾目掛けてヘッドバット。非常にロックな照れ方にオレは痛みを堪えながら美竹の頭を撫でた。びくっと身体を震わせたのはほんの一瞬、それからは力が抜けていき、オレを見上げる目がふにゃりと笑顔を作った。

 

「アンタの手……すき」

「そりゃ光栄だ」

「大丈夫、アンタのこともすき」

「別にそっちは求めてなかった」

 

 美竹は美竹で、誰にも見せられない自分をオレに見せてくる。とびきり弱い、抱きしめただけで折れちまいそうな、華奢な心。過去に震えるソイツを肯定して、美竹はオレを使って克服しようとしていた。どうやら抱きしめられるのと、キスすんのは平気になってきたらしい。ちょっとずつ躊躇いがなくなって、オレは少し困っちまうけどな。

 

「……モカのこと、アンタがなんとかしてくれたんでしょ?」

 

 二度目の唇の触れ合いのあと、美竹はそんな風に微笑んだ。厚い信頼だな。なんとかした、か。そうだな、間違っちゃいねぇけど、アイツの黒い感情の矛先を、なんとかオレに逸らしたってとこだな。結局、青葉は宇田川がカレシを作ったことで、五人が五人以外のコミュニティを作ることを恐れてる。けど、それは間違いだろ? 宇田川は地域の和太鼓やアルバイトで、上原もアルバイトで色々な交流を持って、羽沢も実家の手伝いで色々なやつと話をしている。美竹は美竹で、最近は湊や戸山といった交流がある。それに青葉だって、今井やコンビニの関係、お気に入りのパン屋でも仲の良いやつがいるみてぇだし、もう既に、世界は広がってるってことを、オレは説教臭く言ってやっただけ。

 

「でも、モカにまで手、出したら殴るから」

「……おう」

 

 時既に遅し、オレはどうやら美竹に殴られるらしい。つか美竹よりなにより一番怖いのは最近あんまり顔を合わせてない悪魔の方なんだが……まさかバレた瞬間、屋上から突き落とされるとかないよな? 周囲の警戒は怠らねぇようにしておくか。

 

「あ、アタシなら……いい、けど」

「良くはねぇだろ。肩が震えてんじゃねぇか」

「じゃあ、平気になったら、いいの?」

「良くは、ねぇだろ」

 

 そういう意図で言ったんじゃねぇんだけどな、と思ったけど、オレの言い方としてはそう捉えられるのか……ヒトのせいにしてぇ。これも全部ヒナのせいだ、おのれヒナ。お前が壊した倫理観は、どんどんオレをクズへと走らせてるよ。満足かこの野郎。

 そんな動揺を悟られたようで、美竹はくすっと笑って、少しだけ苦い顔でオレを見上げた。

 

「冗談だって」

「冗談に聞こえなかった」

「それはアンタの心が汚れてるからじゃない?」

「うるせぇ」

 

 そう言ってもう一度キスをされる。休日に屋上でもない、こんなところで生徒とコソコソしてると悪いことしてるみてぇだな、って、悪いことしてんのか。

 こんな美人に好き、なんて言い寄られて、ちょっとした間にはキスをする。生徒じゃなきゃな、全力で口説いて即お持ち帰りなんだがな。最近出逢える美人の異性は一回り年下ばかり。相手が子どもだからこそ興奮するらしきロリコンが羨ましくなってきた。手出しといてなに言ってんだって感じだが。

 

「そう、いえばさ」

「ん?」

「日菜さんのこと、いつの間にか苗字じゃなくて呼び捨てになったよね」

「ヒナ? ああ、前から二人ん時は呼ばねぇとひでぇ目に遭うから呼んでたけどな」

「なんで?」

「……アイツから、逃げるのをやめたから、かな」

 

 目をそらしたくなるくれぇにオレを求めてきたアイツを、オレはずっと氷川って呼び続けた。けど、それじゃあ、アイツは空っぽのまんまだって気付いた。空虚に、ただカラダをねだるのに流されてるだけじゃ、アイツを助けてはやれねぇからな。

 

「……アタシも」

「美竹」

「日菜さんと同じ特別が、ほしい」

 

 美竹らしい詩的な言葉。そうだな。オレが生徒を、ガキを名前で呼ぶのはヒナだけだ。そういう意味じゃアイツはオレにとって唯一の特別、まぁ、教師を休憩できる唯一でもあるけどな。ヒナはそういう意味じゃ誰も持ってねぇ特別な存在だ。

 ──そりゃあ羨ましいって美竹は嫉妬するよな。せめて同じになりてぇって思うのは恋してりゃフツーの気持ちだ。

 

「……蘭」

「……っ!」

「そんな嬉しそうな顔すんなよ」

「だって、いいんだって……アタシも、日菜さんと同じで、いいんだって思ったら……!」

 

 美竹……蘭は年相応にはしゃぐ。大人になれば、余計に名前じゃ呼ばれにくくなる。更にオレは名前に比べて清瀬の呼びやすさがあるからな。名前か渾名なんて呼んでくれたのはほんの一握りだ。だから事あるごとにカズくんカズくん言うやつは、あれはあれで結構、オレは好きなんだよな。

 

「つか、なんだ。特別じゃなきゃ、お前とこうやって話したりなんかしねぇよ……抱きしめたりしねぇよ」

「そう、だよね……ねぇ、もういっかい」

「蘭」

「もっと」

「……蘭」

 

 今までの分、とでもいうように名前を呼ばされ、蘭の顔に花が咲いた。そういや蘭の花は種類が多いんだったな。基本的には高貴で優美なイメージだが、花言葉の中にはそのイメージだけじゃなくて、わがままな美人だとか、一緒に踊って、だとか、そういう少女のかわいらしさのような言葉もある。するとやっぱり、コイツは名前の通り(オーキッド)、なんだな。

 

「好き、アンタのアタシを呼ぶその声も……好き」

「お前の言葉はいつも、ロックだな」

「Afterglowの歌詞は、アタシが考えてるからね」

 

 まっすぐなのに素直じゃなくて、ぶつけられたそれは柔らくて衝撃的、矛盾を内包する美しさ、いつもの蘭だ。かっこよくて、かわいくて、美人で、前にヒナが言った通りだ。蘭はオレの好みの女なんだよな。ヒナに惹かれたのはどっちかっていうと、昔の女に似てたからだが、オレはこうやって矛盾を矛盾のままキレイに昇華させるコイツみてぇな女が、好みだな。

 

「……美竹って呼ばれるの、あんまり好きじゃないんだ」

「どうして?」

「アタシにとってそれは、記号だから」

 

 記号……よくわかんねぇけど、今更そんな不満を押し付けてくんなっつうの。ったく、オレはもう蘭としか呼ばねぇから、安心しろって。だからもう……なんで泣いてるんだよ。

 

「蘭」

「……ごめん、ほっとしたら、きゅうに……っ」

「しょうがねぇやつ。オレをどこまでクズ教師にしたら気が済むんだよ」

「も、もう……なってる……ふふ」

「泣いてる最中に笑うなっつうの」

 

 嬉し涙……か。この間の涙とは全然違う、あたたかい涙だな。蘭の青春にアテられて、オレの心も動いちまう。黄昏を浴びて枯れていくだけだったあの頃にはもう、戻れねぇんだろうな。

 そもそも、ヒナとの関係を前向きに見ることができるようになったのも蘭のおかげだ。本当にありがとな、蘭。

 

「そんな青春をまっすぐ進む蘭に、オレが一つだけ、ヒントを教えてやる」

「ヒン、ト?」

「過去を見るな、オレを見ろ。なんも怖がることなんて、ホントはねぇんだよ」

「──っ!」

 

 そういや、こんな積極的にキスをしたのは、大学時代以来か。つかここ数ヶ月で卒業から今までの空白を埋めるくれぇにしてるから唇がふやけそうだ。それにしてもヒント、とか言って、教え子の唇を奪う教師か、クズもいいとこだな。しかもずっと、怖がってたヤツのだ。頬を張られても、おかしくはねぇな。

 

「……オレは、オレだろ? お前のトラウマじゃねぇよ」

「か、かっこ、つけんな……バカ……」

「蘭に倣ってみたんだけどな」

「もっとバカ」

 

 お怒りではあるが、頬はピンクだし、震えてもねぇ。どうやらちゃんとヒントから導き出される答えにたどり着いたみてぇだな。ついでに勢いあまって口説き文句をつけたことには、弁解の余地なし有罪判決、上告は棄却ってとこか。

 

「平気、なんだ……アタシ。アンタなら、平気みたい」

「そりゃ光栄だ」

「……これなら、さ、最後まで……いける、かな?」

「どんだけ18歳未満に手を出す犯罪者にするつもりだよ」

「だって……好き、なんだから、仕方ないでしょ」

 

 ──っ、危な、今のは危うかった。なにが? なんでもいいだろ、うるせーな犯罪者扱いすんな。ロリコンでもねぇよ。

 蘭の照れはどうしてこう、犯罪者でもいいか、と思えるんだろうな。知ってるよ好みの美人だからだよ。18歳以上だったらそんなに好きだったら試してみるかって言いくるめて即お持ち帰りだよ。

 

「……でも、試して、みたい」

 

 この瞬間、オレの中の天使と悪魔が脳裏に浮かび脳内裁判。まず、発言権は悪魔からあるらしく、オレという裁判長にとつとつと訴えようと息を吸い込んだ。

 

『二人も三人も一緒だわ、ヤっちゃいましょう♪』

 

 現実に存在する誰かに口調が酷似してる気がするがそれはスルーの方向で。つか、とつとつじゃなくて勢いじゃねぇか。ふざけんな。

 ──と、そんなオレのツッコミを受けて天使が立ち上がった。

 

『えー、カズくんはそこで我慢できるほど鋼の理性ないじゃん』

 

 天使の皮を被った悪魔かよ、そうじゃねぇよ。事実を語るんじゃなくて、魔王の言うことを否定してほしかったんだよ。つかなんで天使がヒナなんだよ。オレの脳内に天使はいねぇんだな? そうなんだな? 

 

「……あのさ」

「なんだよ」

「初めて……って、痛いんだよね……」

「らしいな」

「……なるべく、優しくシてくれる?」

 

 ──この翌日、たまたま昼間暇だったらしい白鷺に電話越しに、呆れ声で言ってることとヤってることが違うわね、と罵られた。こればっかりは言い訳のしようがねぇな。二月末に初めて生徒とカラダの関係を結んだクズ教師は、こうして六月には合計三人の生徒を食い散らかすゲスにランクアップしましたとさ。これ、蘭に青葉に手を出してること、ヒナに二人に手を出してること、青葉に蘭に手を出してること……どれかがバレたら、どうなるんだろうな。

 

 

 




いやどうなるんだろうなじゃなくて。


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⑧青春ビギンズと黄昏コンテニュー

 ──目を覚ました時、アタシは見知らぬベッドの上だった。小さな机には出前のピザのゴミ、脱ぎ散らかされたアタシの下着と男の人の寝巻きとボクサーパンツ。ゴミ箱の近くには投げ入れようとして外した、丸まったティッシュ。ゴミ箱の中から少し、ピンク色のゴム質が覗いていて、アタシは昨晩のことを思い出した。

 ここはアイツの家だ。アタシは、アイツに抱かれて求めあって、そのまま泊まったんだ。枕に顔を埋めるとアイツの匂いがして……ドキドキしてしまう。というかアタシも、恐らく背中にいるアイツも、裸っていうのはなんか生々しい。

 

「……か、かず……一成?」

 

 寝返りをうって、子どもみたいな寝顔をしてるヒトの名前を呼んだ。普段だったらきっと、せめて先生をつけろ、なんて怒られるだろうけど、今くらい、いいよね。

 無防備な顔に近づいてキスをしてみる。それだけで身体が熱くなってるみたいだった。きっと、昨日のことを思い出すからだ。痛かった、痛かったのに、幸せすぎて泣いたこと、その痛みも、いつの間にか気持ちよくなって、後から後から好きが溢れて、沢山名前を呼んで、呼ばれた。蘭、蘭……って言う一成、ちょっとだけかわいかった。

 アタシはこのヒトと、シたんだ。

 

『濡れてんだから──いいだろ?』

 

 だからちがう、チガウ。一成はそんなこと言ってない、最後の最後までアタシを気遣ってくれた。強引になんてしてきてない。やめて、来ないで……触んないで、やめて……やめて……助けて、誰か……助けて……! 

 

「……蘭?」

「あ……かず、なり……っ!」

「怖え夢でも見たか?」

 

 目を覚ました一成は、アタシの目許の涙を拭ってから、抱き込んで、布団を被せてくれた。浅くなっていた呼吸を鎮めるような優しい手つきは、アタシの大好きなヒトのもの。苦しさがあっという間に霧散して、正しく怖い夢みたいだ、なんて思った。

 ──アタシの元カレは一成なんか比じゃないくらいのクズだった。今考えるとおんなじバンドマンだと思われるのすら不快になるくらい。けど、今よりも更に子どもだったアタシはそんなヤツに言い寄られて悪くないなんて思ったんだ。きっと、認められることに飢えてたから、コロっと騙された。巴もモカも渋ったけど、アタシは押し切ってソイツと付き合って、すぐに後悔した。頭ん中、エロいことしか考えてないんだってすぐわかった。髪、腰、脚、胸……ベタベタ触ってきて、下品な笑い方をしてきた。

 

「蘭ってさ……エロいカラダしてるよねぇ」

「……やめてよ」

「いいじゃん、お前は、オレのカノジョだろ? ほら!」

「んっ、んん──っ」

「これからたっぷりシてやるよ……♪」

 

 近づかれる度にするタバコのにおい。性的対象としか見られてない無遠慮な視線。別れたかった、けど、どうしたらいいのか分からなかった。そうこう悩んでるウチに、ソイツにカラオケに誘われた。周りにはモカたちもいたし、ソイツのバンドメンバーもいた。断れずに、()()()()()()()()()()()()ソイツとカラオケに行った。

 迂闊、だった。そういうことに思い至らなかった自分の頭を疑うレベルだよね。けど実際にソイツとカラオケに行って、キスをされて襲われた。直前で様子を見に来てくれた巴とモカに助けられたけど……もしもそうじゃなかったら、どうなってたか、後になって震えが止まらなかった。

 

「ごめん、私も、止めればよかったのに」

「ひまりちゃんのせいじゃないよ……私も、怖くて」

「違う……アタシら全員の危機感が足りなかったんだ。どっかで、他人事だと思ってた」

「でも、大丈夫──これからはあたし、たちがずーっと守ってあげるね〜」

 

 それから、Afterglowのみんなも少しおかしくなった。つぐみとひまりは男性からの視線に敏感になって、俯くことが多くなって、巴は仲の良かった同年代のヒトを遠ざけるようになった。モカはしきりに、壊れたオーディオみたいに同じ言葉を繰り返すようになり、仲間に対して敏感に、近づいてくる男性に敵意を向けるようになった。

 アタシの危機感のなさが、みんなのいつも通りを、壊した。アタシの迂闊さが、Afterglowを、ひとつじゃなくした。それは、今も。

 

「蘭?」

「……なに?」

「怖え顔してる」

「別に……考え事してるだけ」

 

 一成に会ってそれはちょっとだけ良くなった。つぐみが倒れたり、モカがピリピリしてたりって色々あったけど、つぐみもひまりも、一成は平気だって言ってた。日菜さんのことを知った上でそう言ってくれた。ホントは生徒に手を出すようなヤツじゃないから、当たり前だって、アタシは笑った。

 巴は、一年越しに告白をオッケーしたらしい。ニカッと笑って、あのセンセーのおかげだ、なんて言われた。自分のことみたいに誇らしかった。

 モカも穏やかになった。まぁ、中一の時にモカが一目惚れした、なんてひまりから散々聞かされてたし、そんな一目惚れした先生に直接会って舞い上がってたのかもね。

 だから一成はアイツとは違う。わかってるのに、折角オレはオレ、なんてカッコつけてまで、アタシを前に進ませようとしてくれたのに、鎖はアタシを雁字搦めにしてくる。

 

「……もう、帰らなきゃ」

「名残惜しそうに言うなよ……引き留めたくなる」

「ウソ、アンタはそんな強引じゃないでしょ?」

「そうだな」

「うん」

 

 これ以上、一成の傍にいたくない。こんなに好きなのに、まだもっとずっと抱きしめて名前を呼んでほしいのに、引き留められたら嫌いになりそうで。

 だから……だからアタシは、昨日と同じ服で、そっと夢の扉を閉めた。

 雨降ってるし、送ってこうか? という言葉には首を横に振った。ごめん、代わりに傘は借りていくね。本当は傘をさしていたくなかったけど、きっとアイツは心配するから。

 

「ら〜ん〜」

「……モカ」

「ぐーぜんですな〜」

 

 ウソばっかり。傘を二つ持ってるくせに、偶然なんて、全然隠す気なんてないじゃん。間延びした口調、眠そうな瞳に、アタシがいた。モカは優しげに微笑んで、行こ〜、って背を向けた。どこに? もちろんそれは、仲間のところだ。

 アタシの大切な仲間、珈琲の匂いがするそこで、貸し切りと書かれた札のついた扉をくぐって、アタシは思いっきり泣いた。一緒に泣いてくれるひまり、蘭ちゃんは悪くないよと優しくコーヒーを出してくれるつぐみ、何も言わずに微笑む巴。大好きな仲間に囲まれてアタシは幸せだ。

 

「それじゃあ、あたしはちょっとでかけてくるね~」

「ドコ……って、アイツのところ?」

「うん」

 

 ──でも、やっぱりアタシはアイツのことも好きだ。だって、モカがアイツのところに行くって言ったとき、胸がずきって痛くなった。嫉妬してる、きっとそんなロマンチックな状況にはならないだろうけど、アタシじゃない誰かがアイツの家に行くっていうことが、堪らなく妬けてしまった。

 矛盾してるよね、でも、アンタはその矛盾をロックだな、なんて笑うから最近は嫌いじゃなくなった。ありがと、先生。

 あ、でも、でもさ。こんな風に最後みたいな言い方をするけど、さよならなんてしてやんない。アタシの処女を奪ったなら、最後まで、卒業までアタシを見ていてほしい。その過程で平気になったら……今度は、沢山シてほしい。だって、これで終わりなんかじゃない。これはアタシの青春、アタシのロック。その新しい一歩なんだから。

 

「アタシは青春ガールズロックを奏でるよ、一成」

 

 だからまた、屋上……はしばらく雨だから、何処にいるのか教えてよね。アタシの大事な()()。アタシを、愛してなんてくれなくていい。クズ教師でもいいから、アタシはアンタに見送られて笑って、この制服に袖を通す最後の日を迎えたいから。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……アナタは下半身で生きているのかしら?」

「面目次第もございません」

「私の誘いをあんな風に断る資格、あるのかしら?」

「貴女の怒りは至極当然かと思われますが……ビッチに突っ込む棒は持ち合わせてねぇな」

「言ってることとヤってることが違う性欲に忠実なクズ教師(だけん)が、良く吠えますね♪」

 

 魔王、悪魔の女帝からの気まぐれな連絡に、つい全部吐き出した結果、オレは一回り年下からありがたい罵倒の数々を浴びていた。というかクズ教師と書いて駄犬と読むのは高等テクニック過ぎてなんてコメントしたらいいのかわからんわん。けど白鷺(ビッチ)に性欲のことでここまで罵られ、いつの間にか敬語が消えてるっつーこの状況で素直に謝るわけないわん。わんわん。

 

「というわけで駄犬さん? どうするおつもりなのですか?」

「おい白鷺、いいから駄犬呼びはやめろ」

「え?」

「なんで聞き返した」

「いえ、畜生に成り下がってなお、ニンゲン様を気取ることに疑問を呈しただけなのだけれど」

「……返す言葉もねぇけどテメーに言われるのが癪なんだよ」

 

 わんわんと吠えてみるが、白鷺は反省することなく溜息を電話越しに吐き出した。お前だって気まぐれビッチな魔王だろ、つか用もないのに電話してくんなよ。仕事はどうした仕事は。その問いは聞くまでもなく白鷺が答えた。

 

「今、午前の仕事が終わって次の仕事まで時間が空いているのよ」

「あっそ、つか敬語は?」

「貴方は尊敬される対象だったかしら?」

 

 うるせーよ、どうせヒナにも蘭にもモカにも敬語使われてねぇよ。あとその返しはデジャヴだ。赤メッシュの二番煎じだからやり直せ。そんなことを言えばまた余計な罵倒が追加されるか、今日はこの辺にしておいてやろう。

 

「はぁ、今日の貴方は濡れないわ」

「電話越しに興奮されても困るんだけどな」

「それじゃあ切るわね……あ、マネージャー、この後のホテルの予定だけれど──」

「……切るならとっと切れよ」

 

 最後の会話は記憶から抹消するとして、頭を切り替えるとするか。ここから出ていく蘭は、まるで別れ際だ。追いかけて行くなって抱きしめてぇって思うくれぇに、これで終わりって感じだった。

 ──誘ってきたのは蘭だ。けど、理性が勝ってれば、止められたはずだった。なにせ、アイツは初心で、リードしたのはオレなんだからな。怖がらせずにシよう、とか思った時点でもう、オレは失敗してたってわけだ。

 

「……白鷺の言う通りだ、昨日のオレは、教師どころか、人間ですらねぇな」

 

 美人に無心で腰を振る駄犬、ざまぁねぇな。結局オレは性欲を教師っつーカーテンで覆い隠しただけのケダモノだ。そこには理想とか夢とか、そんなのはどこにも落ちてねぇ。落ちてんのは、オレの寝間着と、パンツと、丸まったティッシュ。クズだな、言い訳のしようがねぇくらい。

 ──そんな自己嫌悪に陥っていると、鬱陶しいくらい小気味のいい呼び鈴の音が部屋に響いた。もしかして、蘭か? なんか忘れもんでもしたか、と素早く寝間着を着なおし、玄関を開けた。

 

「やーやー、せんせー、きのうはおたのしみでしたか~?」

 

 ザァと雨の音に風の音が混ざって、少しだけ雨が降りこんだその飛沫を浴びながら、その訪問者を見つめた。

 悪魔が来た。決してオレに抱かれるためではなく、仲間を傷つけられた復讐に燃える瞳をオレに向けて。蘭に恐怖を刻み付けた、その代償にオレの魂を奪いに、やってきた。

 

「あ……おば」

「はーい、ちょーぜつびしょーじょで~、せんせーだいすきモカちゃんで~す……勿論、入れてくれるよね?」

「……ああ」

 

 口調だけはなんとかいつも通りだが、寒気がするほどの怒りを隠すこともない。嫉妬、じゃねぇな。青葉のこの刺すような敵意は、間違いなく蘭に手を出したことを怒ってる。狂ってしまうほど、今のコイツは、何も言わずにここからいなくなった蘭の代わりに、怒りを胸から湧き立たせているんだ。

 

「あ、言い訳とか聞かないから」

「その雰囲気じゃあな」

「じゃあ、今すぐそこの棚にある包丁で首でも切るか、屋上で飛び降りたら?」

「死んで解決すんなら、お前と会えてねぇよ」

「は? 解決するとかしないとかじゃないよせんせー。モカちゃんの精神安定のために今すぐ死ねって言ってんの、わかる?」

 

 これはこれでまた、直接的でロックな罵倒だ。荒れ狂ってんな、つかホントにお前オレのこと好きなんだよな? と思うくれぇに瞳は冷めてる。つかほっといたら殺されそうだ、比喩とかじゃなくて、マジで。敵意が殺気にランクアップしてやがる。

 

「ねぇ、せんせーは知ってたんでしょ? 蘭が元カレにレイプされかけたこと知ってたんだよねぇ?」

「ああ、知ってた。蘭本人から聞いた」

「……じゃあなんでシたの? バカなのクズなの? 蘭から誘われたからってホイホイヤっちゃうくらい堪え性のないムスコさんなら切ってあげようか?」

 

 キレッキレだな、青葉。けど、首を絞められないだけまだマシか。青葉に蘭とヤったことをバレたらどうなるか、その答えはコレだ。蘭に依存してる青葉が、蘭を泣かせるようなヤツは絶対に許せない青葉モカが、ここに来て相手が自分の好きな男だったから殺れねぇなんて言うはずねぇ。いや、もしかしたらちょっとは躊躇ってんのか、だから殺すじゃなくて死ね、なんだな。殺気は出てるけど、オレに手を伸ばすことはできない。悪い、オレもその提案を受け入れるのは無理だ。

 

「……蘭、泣いてたんだよ?」

「そっか」

「せんせーが、泣かせたんだ。せんせーが先生をしようとすると、蘭も日菜さんも泣かせ続けるんだよ?」

「そうだろうな。オレはこれからも蘭を、んでヒナを、青葉も泣かせるんだろうな」

「……幻滅した」

「ウソだな。お前はもう予感してたんだろ? だから今日、ここにいるし、きっと蘭は仲間に囲まれてる」

「うん」

 

 優しいヤツ。さっきまでの攻撃的な言葉の数々は涙に隠された。蘭のためにこうしてオレにヘイトをぶつけて悪者になろうとする青葉の優しさ、それは大人のすることじゃねぇ。ちゃんとお前の気持ちが、沢山籠った言葉たちだ。だからオレも、きちんと受け止めて、返事をしてる。

 

「……わかってるよ。ここでせんせーが死んじゃったら、蘭はあたしを許してくれなくなる。けど、あたしはせんせーに暗い気持ちが止まんなくなる。気持ち悪くなる。でも、せんせーは、絶対に嫌だって言うから、あたしが殺さないと、ダメなんだ」

「できないんだな、やっぱり」

「恨みきれないもん。蘭が望んだことだし、せんせーの優しくて酷いところ、あたしも知ってるから」

「青葉は優しいな。ヒナだったら下手するともう刺されておしまいだよ」

「そんなことない。日菜さんだって、せんせーのこと、知ってるもん」

 

 矛盾に矛盾を重ねた矛と盾のミルフィーユ。その相反する感情に青葉は壊れてしまいそうになっていた。

 ──オレが、オレが流されたから、オレが蘭を泣かせたから。ならどうする? また前のようにウジウジ悩んで、今度はヒナじゃなくて青葉のカラダに逃げるか? そんなことはしねぇ、したくねぇ。コイツの言う通り、蘭がまだオレに想いを残してんなら、オレは……青葉にも手を出す。コイツの純潔だって、オレが奪ったんだから。

 

「ほら、この距離なら、直接手を下せる」

「……うん」

「オレは酷いクズだから、自殺なんてしてやらねぇ」

「……うん」

「それどころか、青葉を抱きしめて、絆そうとする」

「うん……っ」

「誠意もなにもねぇけど、それがオレだから」

「うん……そんなせんせーが……すき、だよ」

「なら、このまま絆されちまえよ、()()

「そう、する……せんせー」

 

 殺意はいつの間にか涙と熱に変わっていた。青葉……モカはこうするつもりだったんだろうな。ちょっと前までのオレだったらここでモカを拒絶して、黄昏て、きっと全部を捨てて命すらも捨てるだろうけど、オレはモカを抱いて、蘭を抱いて、逃げられねぇってことを再確認した。だから、モカの殺意を前にしてもそれすらも受け止めて、恋愛感情に訴えかけて流しちまう。

 ──つかお前、もしかしなくてもオレが死んだら死ぬつもりだっただろ。

 

「うん……だって、あたし、今、せんせーがいないと死んじゃうもん」

「……重い」

「え~、こーみえてつぐの次に軽いんだけどなぁ」

「体重のハナシじゃねぇよ」

「えへへ……でも、もしも、あたしの言葉に折れちゃったら、どうしようって……不安だったのも、ホントだよ?」

「それは……悪かったな、モカ」

「そんな不安にさせたせんせーは、あたしにお仕置きされなきゃダメなんだよ~?」

「お手柔らかにな」

「むり♪」

 

 最近、土日はやけに腰が重くなるな。我ながら贅沢な休日だよまったく。

 ──蘭、これで終わりみてぇな雰囲気出してるとこ悪いけど、オレはお前の処女を奪った手前、こうなったら意地でも、最後までお前が卒業するまで構い続けてやる。例えそれで、お前の青春が散ってしまってでもな。オレはいつまでも、お前の好きな夕焼けを見てサボってるクズ教師だからな。

 

「オレは、どこまでいっても黄昏ティーチャーだ」

 

 だから、雨の日は別んとこにいること、教えてやるよ。また、お前の顔が見てぇ、逢いてぇって思えるから。オレはお前らが制服を着る最後の日まで、ちゃんと教師でいるとするよ。最後の日は、笑ってお前の卒業を祝ってやれるといいな。

 

 

 

 

 

 

 




蘭はマトモな方として、残りがメンヘラ、ヤンデレストーカーとろくでもないメンツなんだよなぁ。


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⑨雨天ダイアリー

「……そっか、結局、蘭ちゃんもモカちゃんも」

「そこはキレてくれていい。ヒナの気持ちを考えてたら、こんなことしなかったんだからな」

 

 蘭とモカとヤってから更に一週間が過ぎた水曜日。久しぶりに部活をするという連絡を受けたオレは、雨だということもあり、天文部の部室へと足を運んだ。せせこましい場所、こんな狭かったのかと驚いていたら、その部屋の主、氷川日菜に笑われた。

 一度も来たことはなかった。教室にいたらタバコは吸えねぇし、襲われてるところを誰かに見られるリスクもたけぇってんで避けてた場所だった。

 

「ううん」

「……怒んねぇのか?」

「だってあたしの気持ち考えてくれないのなんて、ずっとじゃん?」

「返す言葉もねぇ」

 

 そもそも、コイツの告白を一度フってる。それなのにヒナはオレを自分の膝に誘導して、星空みてぇなキラキラした瞳で見下ろしてくる。そんな極上の枕でプラネタリウムを鑑賞してると、ヒナはピラリと何の気なしにスカートをめくった。

 ──なるほどな今日はまた一段と色っぽい黒か。

 

「ガン見しすぎ~」

「見せてくるお前が悪い……もしかして新しいヤツ?」

「そーなんだよ~、るんってきたから買ったんだ~」

 

 この会話で、誰が健全な顧問の教師と部活動をする生徒だと信じるんだろうな。無理あるだろ。平然と教師にパンツ見せて、そのパンツで会話を膨らませるんだからな、変態的にも程があるだろうが、ヒナの下着のハナシは初めてじゃねぇからな。動揺したり反応したら悪魔の思うツボだし。反応しちまったけど。

 

「つか、アノ日は終わったのか」

「なに~? えっちしたいの? 変態だ~♪」

「ちげーよ。月頭だってこと覚えててさっきパンツ見たせいで気になっただけだっつーの」

「じゅーぶん変態だけどねー」

「……なんで言い訳したんだろうな」

 

 ヒナとはもう会話にも遠慮がねぇ。まるで何年も連れ添った恋人同士みてぇにコイツの下ネタも気にしねぇし、オレも平然とそれを口にする。膝枕を平然とされてる時点でお察しってレベルだけどな。コイツの太腿の柔らけぇのなんの。教室で雨の音を聞きながら美人の膝枕、しかも生足。相手がガキだってことに目をつぶって開き直ればコレ、理想郷だよな。

 

「そうそう彩ちゃんがねぇ、あたしの名前で検索すると太腿で挟まれたい、踏まれたいってあるらしいよ」

「欲望丸出しかよ」

「カズくんほどじゃないでしょ」

「丸出しにはしてねぇよ」

 

 挟まれたいは否定しない。だがオレは経験者なんだ。悪いな名も知らぬ欲望丸出しの変態たちよ。

 つか、ホントに白鷺が予想した通り、前回のミニライブでコイツらのグループは人気がうなぎ登りらしい。特にリーダーの丸山彩ってやつはトークで大成功を収めSNSのトレンドに名前が入ったのだとか。ヒナがバカみたいに笑いながら教えてくれた。ホントに成功したんだろうなそれ。

 

「つかまぁ、アイドルは得てしてそんな欲望の対象だろ」

「千聖ちゃんも手とか口とか、そんな感じかな~、でもえっちしたいって思ったよりも少ないんだよねぇ、不思議だよね」

「そうだな」

 

 白鷺魔王こそ、踏んでくれそうだなんてな。そんな妄想すると電話がかかってきそうで怖えからやめておこう。つか、この状況、モカが練習でよかった。あのストーカーなら見られててもおかしくねぇからな。カラダの関係のある人数が増えて、一人はもう手を出す気はないとしても内訳がメンヘラ一人、ストーカーが一人はキツイ。純愛青春を生きる蘭が二人のようにならないようにしたい。

 

「えっちしたい」

「今日は大学んときのダチと飲みに行くから無理だっつーの」

「明日も仕事なのに? クズなんだ~」

「仕事先の生徒とヤるよりは健全だろ」

「じゃあ今シて」

 

 にしてもヒナも随分変わったな。前だったらめちゃくちゃキレて口も利いてくれなかっただろうし、詰りもしただろうに、日常会話の中にその不満の解消を求めて、わがままとカラダの要求で、帳消しにしようとしてくれるんだから。諦めた、と言っても過言じゃねぇけどな。

 

「今って、バレるだろ」

「コレでバレないならえっちもバレないでしょ」

「お前が声でけーんだよ」

「だっていつも声出してってゆーじゃん」

 

 ただ、そのせいかいつもより会話が生々しい。モカもこの手の話題は顔を赤らめて黙るからな、久しぶりに二人きりだと余計にそう思えて仕方がない。あと、オレそんなこと言ってんのか、いや、自分だとヤってる最中は理性ぶっ飛んでてあんまり覚えてないんだよな。

 ──つったらどこからともなくICレコーダー出してきたのがこの悪魔なんだが。

 

「ねーねーえっちしよーよ~」

「バレないところ言えたらな」

「先生の車」

「やなこった、汚れる」

「バレないところってゆった~」

 

 ヒナが口をとがらせるが、知らん。オレは車じゃタバコも吸わねぇって前に言ったよな? 車はキレイに使いたいんだよ。そもそも外に出たらアウトだろ。

 それじゃあ、と思案するヒナを見上げながら、苦笑した。コイツはヤるっつったら意地でもヤろうとするよな。今外に出ずにヤれるところなんてねぇんだから、諦めてほしい。そう思ったら、ヒナはあっと声を上げてそれから笑った。

 

「……保健の先生って今、いないんだよね?」

「用事があるっつって早退してたな……まさか」

「うん、保健室♪」

 

 その瞬間スマホが震えて、メッセージ。モカからその手があったか~とのこと。

 ──待て待て、コイツまさか盗聴でもしてやがんのか。マズい、この状況を知られたら絶対にあの悪魔も便乗してきやがる。

 

「あー、モカちゃんね、今通話してるの」

「はぁ?」

 

 盗聴じゃなくて合意による傍受だった。なんでお前らグルなの? ストーカーとメンヘラのベストマッチはオレの背後と腰に危機感しかねぇよ。

 つか、保健室か。どこの教室からも遠い、特に職員室からは声が聞こえるところにねぇし、普通の生徒は保健室の前は通らねぇ。ご丁寧に内鍵が閉めれるからオレが職員室行って、ヒナが体調悪いんでーとテキトーに理由つければ最終下校時間まで二人きり。否定材料がねぇ。

 

「先生? 約束守んないとペナルティだよ?」

「具体的には?」

「全部の予定キャンセルしてあたしを泊める」

「……悪魔め」

 

 ヒナ、それさ、ヤるかヤるかの実質一択だって知ってるか? 知ってて言ってるんだよな。贅沢なプラネタリウムの時間は終わりか。

 そんなコイツのおねだりにも慣れて、ちょっと期待しちまうクズなんだけどな。コイツの嬉しそうな顔が、なによりの救いなんだから。

 

「ほらほら、もっとじっくり……見てほしいなぁ」

「はいはい、あとでじっくり見てやるからスカート捲るのはやめろ」

「うん! カズ先生が立てなくなったら困るもんねぇ」

「あんまバカなこと言ってると襲うぞ、ヒナ」

「──それ、あんまり言ったら今度はあたしが立てなくなっちゃうよ?」

 

 それは困ると素早くヒナの太腿から頭を離して、立ち上がったところで、ふと思ったことがあった。ヒナの過去のハナシ、それはちょっと前にもっと重いかたちで聞かされた気がするんだが……コイツは。

 

「そういや、お前ってカレシにレイプされかけたんだよな?」

「え? うん、そだよー」

「軽いな、おい。それなのに、襲うって言われても平気なのか」

「だってカズくんはカズくんだし、単純に襲うって言っても意味違うじゃん」

「……そうだけど」

「蘭ちゃんとは違うよ?」

「だな……悪い、変なこと聞いた」

 

 そうだよな。コイツは興味があって、その興味を失いかけたところに襲われ、その辺にあったもので殴って逃げた。逞しいヒナらしい、ある種笑えねぇストーリーだ。

 それに対して、蘭はもっとセンチメンタルで、ずっと性的な瞳に晒されて、気持ち悪さを抱えていたところにダメ押し。しかも自力じゃなんともできずにファーストキスを奪われてる。悲惨で、男性恐怖症になってもおかしくねぇストーリー。そりゃあ、性行為一つに対する恐怖なんて桁違いだろうな。

 

「蘭ちゃんもいつか、平気になるよ」

「どうしてそう言い切る?」

「なんとなくっ」

 

 そりゃあ随分な根拠だな。けど、ヒナのそれをオレは信じたい。信じたって、何も救われないかもしれねぇけど、抱き着いてくるコイツは、オレに安心を感じて、また与えてくれるから。根拠のねぇそのなんとなく、にオレは縋らせてもらうよ。ったく、最近のオレはとことん悪魔信仰だ。なにせヒナはオレにとって、悪魔(てんし)だからな。そして加護は与えられ、なんの疑われることもなく、オレは保健室のカギを手に入れれば、そこは簡易のラブホテル。

 ガキの頃、憧れた保健室っつうシチュエーションにまさか教師になってから体験できるとはな。相手が無駄にエロい保健室のセンセーではなく無駄にエロい教え子ってのはちょっと、いやだいぶ理想とはかけ離れてるが……なんやかんやでヤっちまうんだから、何を言い訳しても無駄だよな。

 

「あースッキリした~!」

「お前やっぱり動くの禁止、がっつくな」

「えー、つまんないじゃん」

「腰を労わってくれ」

「とか言って激しいのは先生もでしょー?」

 

 そうして下校時刻になり、駐車場までの道中、あまりに不毛で他人に聞かせられるようなもんじゃねぇ会話を続けていく。まぁ、雨の音に紛れてなかったら外でこんな会話しねぇけどさ。

 

「……あ、リサちーだ」

「ん? お、ホントだ」

 

 そんなとき、駐車場で立ち話をしている、茶髪の上半分を傘で隠した後ろ姿が見えた。隣はたぶん湊だな。ヒナ曰く、二人は同じバンドであり、幼馴染らしいからよくツーショットでの姿を見かける。ここまでは問題はない。特に、今井はオレとヒナの関係を察知してやがるからな。

 問題は、そこにさらにもう一人、別の制服に身を包んだ女子生徒がいることだ。傘から除くその髪色はまさかのヒナと瓜二つ。あれはまさか。

 

「……やっと来たみたいですね」

「や、やっほー、ヒナ……えーっとそれと、清瀬センセーも」

「氷川姉」

「その呼び方はやめてください」

「んじゃあ、呼び捨てで悪いけど紗夜でいいか?」

「ええ、構いませんよ」

 

 ヒナの双子の姉、氷川紗夜。その視線はまん丸の目を宇宙のように煌めかせるヒナとは違いツリ目気味。真一文字に引き締まった口は厳格でとっつきにくい印象を持つ。けどすらりとした足といい、全体的にヒナよりスレンダーで、間違いなく美人だな。

 じゃなくてだな。なんでここに紗夜がいる? ヒナの迎え、だったら連絡するよなフツー。今井の挙動不審具合といいまたもやここでなにかありそうだ。

 

「た、立ち話もなんだし、ホラホラ、ファミレスでもいこーよ、ね?」

「そうね、このままだと風邪を引いてしまうわ」

「……そうしましょう。清瀬さん、車に乗せていただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ、いいけど」

 

 後ろの席に湊、今井、紗夜が座り、ヒナは助手席。その横顔はなんだかいつものお気楽な顔じゃねぇのが引っかかる。つか空気が重い。普段はこんな空気を嫌うはずの今井もなんもしゃべんねぇし。

 あ、この空気覚えてると思ったら、アレだ。白鷺と初めてしゃべったときのやつだ。つまり、これから始まるのは……あの時の再来ってわけだ。帰りてぇ。

 そんな願いも空しく、ファミレスの席で、紗夜はオレとヒナに向かいあってオレを睨みつけた。

 

「……清瀬さん。妹と、日菜と交際をしているのですか?」

「いいや、付き合ってねぇよ」

「そうですか」

 

 ジャブのような言葉、それにウソをつくのはマズいから即答する。教師に対して真っ先にその質問が出るってことは全部知ってるっつう仮定で言葉を選んだほうがよさそうだ。紗夜はヒナにも目線で同じ問いかけをして、ヒナはゆっくりと頷いた。頼むぞヒナ、今回ばかりはどこぞのビッチの時みてぇに余計なことは言うなよ。

 

「成る程、そうだというのに貴方の家に日菜は外泊していたのですね?」

「そうだな」

「……よく平然と肯定しますね。正気を疑うレベルなのですが」

「勝手に疑ってくれて結構だ。ヒナはいつも外泊の許可を親からもらってるはずだけどな」

 

 それをしなかったのは最初の泊りだけ。あの時白鷺に叱られたヒナは二度はやるまいと事前に、いや何回かは直前に外泊することを両親に言っているはずだ。そして放任主義らしき親があっさり許可を出すところをオレも目撃してる。しかも、開けっ広げにカズくんちに泊まるね、だ。なにも咎められる、ことはあるけど、肯定することに迷いが出るわけねぇだろ。つか回りくどいから本題を言ってくれ。

 

「そうだとしても、相手が交際もしていない、しかも教師だなんて……不潔だと思われて当然ではありませんか?」

「あー、はいはい、汚いのは重々だ。けどな、当人たちが納得してるとは考えねぇの? 幾ら汚ねぇっつっても、それは個人の感想なんだよ。虫に触れることが汚くて怖いと思うヤツもいれば、虫を飼うヤツがいるように、お前の価値観でなんとでもなるわけねぇだろ」

 

 正論で武装するのはいいけど、気の短いうえにクズな大人にはちょっと足りねぇな。正論のほかに暴論を使いこなせなきゃ、ガキ扱いからは抜け出せねぇな、紗夜。かく言うオレは正論を暴論と暴論にサンドするサンドイッチクズだからな、お前を黙らせるのは片手で食べて片手でカードゲームしてやれるくれぇ簡単だな。

 

「日菜を抱いて、その責任を取ろうとすらしない貴方に何を言われても……っ」

「あたしはそれを望んでないもん。先生の重荷になりたくないもん」

「日菜……!」

 

 しかしそれでも譲らない紗夜を黙らせたのは、誰でもない、ヒナ自身だった。実はな、その話ひと月前に終わってんだよ紗夜。オレはコイツらの青春っつう猛獣の牙から逃げたりしねぇって決めたあの時に、オレとヒナはお互いの最適の距離を選んでる。今更他人の価値観に左右されるほど、オレの薄給みてぇな紙っぺらな時間は過ごせてねぇんだよ。

 

「日菜はそれでいいのっ?」

「うん。あたしは、今が一番幸せだよ、おねーちゃん」

 

 今井が隣で、あちゃー、って顔をしている。湊は何やら歌詞づくりに励んでいて、こっちのハナシに入ってこねぇわけだ。つか、今井さん? 紗夜のストッパーで来たんだろ? このタイミングしかねぇんだからなんかコメント残して、そこの狼をなんとかして宥めてくれ。

 

「……アタシらじゃ止めらんないよ、紗夜」

「けれどっ」

「よくわかんない世界が広がってるってだけだって……アタシや紗夜は、恋愛とか疎いんだから、これ以上は無駄だからさ、ね?」

「……今井さんが、そういうなら」

 

 おお、すげえ、流石羽丘の猛獣使い。ヒナ、瀬田、湊っつう扱いにくい三人を制御できる人物で、最近はモカも蘭も扱えている。つかオレの悩みの種、全員扱えるならヒナに協力してもらってアドバイザーになってもらおう、白鷺の数億倍は有意義そうだ。つかコイツが扱いきれない代表だろ、白鷺。

 

「けれど、私は認めませんっ!」

「オカンかよ」

「おねーちゃんだよ?」

「そういうこと言ってるんじゃねぇよ」

「ひ、ヒナも! 前にカレシと別れた時に、私が認めた相手じゃないとダメと言ったでしょう?」

 

 そんなこと言ったのか。オカンじゃなくてオトンだったか。というか涙目になるな、即堕ち負けヒロインムーブすんな。オレが言えたことじゃねぇけどお前もポンコツなのか。

 ──当の日菜はと言うと、驚きに口を開けていた。

 

「え、だって、おねーちゃん天体観測から帰ってきたときにカズ先生のこと訊いたら、いい先生ね、とか言ってたじゃん」

「ぶはっ……ひ、ヒナ……そこで紗夜の物真似は卑怯……っ」

「い、い、今井さん!」

「……いい先生ね……ふっ」

「湊さんまで!」

 

 なんだこのコント。湊も若干肩震わせてる。なんだコイツらのバンドってプロ顔負けの超絶技巧のガールズバンドだろ、コミカルバンドじゃねぇよな? ネタにネタを重ねて会場を笑いに咲き狂わせる集団だったのか、知らなかった。

 

「というわけで、ホラ、おねーちゃん認めてるじゃん」

「それは、そんな意味だとは……!」

「ちゃんと録音してるもん」

「あはは、紗夜~、言質取られてるんだってさ~」

「……いいでしょう、けれど、私は認めません!」

 

 シリアスが続かねぇやつらだな。紗夜、お前は白鷺とは違った方面でダメなやつだよ。ポンコツは蘭の枠で埋まってるから、さよなら。せめて白鷺くれぇインパクトがあればよかったんだがな。ヒロインにはちとキャラが不足してるよ。

 ──かわいそうになったオレは、紗夜たちにポテトとドリンクバーを奢ってやった。ものに釣られませんとかキリっとした表情で言うならほら、そのポテト食う手を止めてから言え、な? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




氷川紗夜陥落、この世界は終わっている。こんな男がのさぼっているなんて……


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⑩曇天アフタースクール

ひとつずつ、ひとつずつ紐をほどいていく感覚ですかね。


 どんより灰色、絶妙に頭が重くなる天気にオレはたゆたう紫煙を吐き出し、それを見つめながらぼんやりと考え事をしていた。もしかしたら行くわけないと返事をされるか、そもそもブロックされてるかも知れねぇな、と思いつつ蘭にメッセージを送る。

 ──雨の日は天文部の部室、それ以外は屋上でサボってる、ってな。返事は次の日に晴れたら行くとだけ返ってきた。それ以来晴れの日はなしで、天気にまで避けられてるなとため息がこぼれていく。

 んで今日は、雨が降らない代わりに太陽も見えず。なんとも悲しい天気だった。今度はため息の代わりに相棒の先端を赤に染め、曇天の雲と同じ色をした煙を吐き出していると背中に別の誰かの体重をかけられた。

 誰だ、と確認する必要もねぇな。小さな腕を腰に巻き付け、小さなカラダでオレを暖めようと密着させてくるヤツなんて、一人しかいねぇ。

 

「えへ〜、だーれだ〜」

「原始欲求に忠実なストーカー」

「はずれ〜、せーかいはモカちゃんでした〜」

 

 間違ってねぇじゃんか。夏かぜが流行り初めて子どもの食欲が、と言われる今の時期にあってもパンを大きな口で頬張り、若者の睡眠時間が、と問題になる昨今でヒトの授業中だろうとお構いなしに幸せそうに眠り、あろうことか性欲を教師のオレにぶつけてくるストーカー気質の青葉モカだろ。

 

「略せばオレの大好きなモカ、ってこと〜?」

「どこに大好きな、って要素あった? つかヒトの考えてること読むのはやめろ」

 

 にへら、と笑って、お構いなく密着してくるモカ。火点いてんだから危ねぇっての。

 蘭とは違ってコイツは態度で自分の気持ちを相手に伝達するタイプだ。どっちかって言うと、ヒナとおんなじタイプだな。波長が合うのかギタリスト同士ってのもあるのか、いつの間にか仲良くなってやがった。まぁ、実はオレの見えないとこでパワーあるヴィジョン的な何かで殺し合った末なのかもしれんが、オレを巻き込まなきゃ好きにしてくれ。

 

「今日日菜さんは〜?」

「レッスン。新曲の譜面配られるんだってとっとと帰ってったよ」

「ありゃ〜さみしーね〜」

「別に」

 

 アイツはいつだって興味を優先してるからな。いつかはこんなクズも部活も飽きて、新しい刺激を求めるだろうし。その時は寂しくはねぇよ。むしろその興味を求めて、オレのことなんて忘れてほしいくれぇだよ。それこそ、オレと関わったなにもかもをな。

 

「さみしーよ」

「なんでそう言い切る?」

「せんせーの言葉が、さみしーから」

 

 そりゃあそうだろ。オレにとってお前らはたった二年、三年で縁の切れる子どもの一人にしか過ぎねぇ。熱意はあるけど熱はねぇってのが、フツーだ。卒業を機に薔薇色の墓に埋まるような甲斐性はオレにはねぇしな。

 ヒナに関しては心配してない。アイツはそこでコロっと切り替えられるヤツだって思ってる。きっと誰かさんみたいに引きずることなく、健全に次に進む。

 その点、逆にモカは割と心配してるよ。まだ二年あるとか思ったら大間違いだからな。あと二年、そもそも三年しかねぇんだから。

 

「誰かと付き合おうとか……ないの?」

「ねぇよ」

「どうして?」

「教師だから。卒業したお前らの面倒なんて見られるかっつうの」

 

 クズだと罵られても、それだけはポリシーの問題だ。オレは教師としてお前らと接したっつう証。それが卒業で切れた鎖、残った傷と(わだち)だからな。

 ──ああ、だからか。ヒナにはそれが残んねぇかも、って思うことは、確かに寂しい。

 

「そうやって、せんせーは繰り返すの?」

「……かもな」

「最低だよ。せんせーのこと、好きなのに」

「どうも」

 

 生徒一人一人との轍を刻まれて、オレは教師を続ける。それが教師としてあるべき姿だよ。

 教師人生二年目と三年目に連続して担任を持った。去年卒業したヤツらの一クラスを二年間見守ったときになんで学ばなかったんだろうな。

 ちなみにもちろん、と胸を張るのは間違ってんだろうけど、担任としての評価は最悪最低、四年目からは外されて、担任時代の功績の数々は今も陰口の対象ってわけだ。無能、生徒の立場になれない、平等な立場で教育ができてない、挙句に問題を起こした等々、ホントなんつうか大人の陰口ってのは蠅みてぇなもんだ。ブンブンうるせぇくせに姿は見せやがらねぇ。汚物に集って、数ばっかり増やす、そんなことでオレがキラキラした顔で来年こそ頑張りますなんて言うと思ったかよ。

 来年こそは、って頑張れるその原動力は汚物(おとな)からは得られねぇってことだ。いつだって、教師は子どもから得られるもので動くんだからな。だから、お前らを一人前の女として認めることは、少なくとも羽丘の制服を着てる間は絶対にねぇよ

 

「そうそう、モカは卒業したら何したいんだ?」

「そんなの……まだ決まってないよ」

「だろうな。一年の一学期で決まってるヤツそうはいねぇよ」

「じゃあ、なんで訊いたの?」

「蘭の、Afterglowのそばにずっといたいって言ってたから、具体的に決まってんのかなって」

「……せんせーはそれを、子どもの幻想って笑うんでしょ?」

「そりゃもちろん」

 

 何度だって笑ってやるよ。目指したいところも性格も全然違う幼馴染五人が中高一貫で一緒だった、ここは商店街から近いしな。けど、羽丘学園にも大学はあるにはあるけどな、中等部から高等部に進学するのとはわけが違うんだよ。蘭は高校卒業したら親父さんの華道を継ぐ、羽沢はこの間立ち話したときにバリスタになりてぇって言ってたし、宇田川は和太鼓の経験を生かせたらいいなってよ。バラバラじゃねぇか。

 

「卒業すれば会う時間はどんどん減るだろうよ。新しい人間関係もできて、段々と今は過去になる。そうしたらいつの間にか、疎遠になっちまうよ」

「もっと夢を持たせてよ」

「夢は醒めなきゃな」

 

 ネバーランドはどこにもねぇんだ。あるいは、それは人生を全うしたものにだけ与えられる、天国なのかもしれねぇ。確実なのは、今すぐに行ける場所じゃねぇってことだけだ。オレも、お前も。空は飛べねぇ、永遠に子どもじゃいられねぇ。人間には叶えられる夢(Wish)醒めるだけの夢(Dream)があるんだよ。その夢は寝てるときだけに見てればいい。ずっと見ていたら、寝覚めが悪くなっちまう。

 

「……ヤだよ。みんなとも……せんせーとも、一緒じゃないなんて、あたしはどうやって息をしたらいいの?」

「息の仕方なんて、教えてやらんでもできるだろ」

「ウソだよ。苦しいよ……だって、独りは、独りなんて苦しいだけだよ」

「バカだな。蘭たちがお前を独りじゃなくしたように、また誰かが、お前を独りにはしねぇよ」

 

 世界はそうやって回る。誰かが手を繋いで、その手が離れれば別の誰かが手を繋ぐ。そうやって、最期の時まで誰かの記憶に残って、誰かと関わって、ヒトは燃え続ける。燃料のように、灰になるその日まで、誰もお前を独りにはしねぇんだよ。

 ──そうやって誰かが、青葉モカを愛してる。手を握って愛してるって伝えてくれる。

 

「でもどうせなら……最期までせんせーの手を握っていたいな」

「無理だな」

「あ、年齢的にはあたしがせんせーの最期に手を握ってあげる方だね~」

「そういう意味じゃねぇよ」

 

 抱きついて、モカはそう告白してきた。愛してほしいと、遠回しに、いじらしく。結局、お前も本気かよ。気になってるの意味は蘭の元カレに向けたもんとおんなじようなものじゃなかったのか? ただ近くに誰もいねぇから、大人っぽくありたかったから、大人であるオレに騙されてるんじゃ、なかったのか? 

 そんな内心を読んだモカはとびっきりの笑顔を向けてオレを押し倒してきた。曇天に紛れた灰色の髪、透き通る白い肌、そこに差す朱色と宝石のような瞳。

 

「最初はそうだったのかもね。でも、ウソだって時にはホントになるんだよ?」

「モカ……」

「せんせー、かずなりせんせー……あたしは、本気だよ」

 

 頬に大粒の雨が降った。次いで、その雨と一緒になまめかしい舌を伴うキスの雨。どこから出るんだと思うほどの力で押さえつけられ、ひたすらに奪われる。蹂躙される。

 ──本気過ぎんだろ。こんな熱をもらった男はこの悪魔の虜だな。コイツの一生を叶えるために身を粉にするんだろう。けど、けどなモカ。オレだって、本気なんだよ。

 

「オレは……教師だ」

「こんなコトしてるのに? 堪え性なく、硬くなって反応してるのに?」

「ああ、オレは教師だ。生徒に迫られて反応するクズ教師だ」

「……っ、こんな時になっても、せんせーは先生なの?」

「当然だろ」

 

 本気で、オレは教師として生きたいと思った。蘭の青春にアテられて、あの時できなかった、後悔したことを、今度こそ成そうって夢を見てる。だからお前らだけに教師としての命を使い切るわけにはいかないんだよ。

 

「じゃあ……もしも、もしもせんせーが今年限りの先生だったら?」

「もしもの話か……なら、ヒナや蘭と今後も浮気してもいいならってところかな?」

「……どっちもクズだ」

「悪いな、クズ教師だから、教師抜いてもクズは残るんだよ」

 

 溜息をつかれ、ようやくモカの顔じゃなくて曇り空が視界に広がった。自称するため認めたくはねぇけど、コイツもえらく美人で、そんな美人に誘惑されて、負ければひたすら求められるっつうオイシイイベントだったけど、今回はなんとか回避したな。まだグズグズ鼻を鳴らしてる曇天の頭をなでると、嬉しそうに頬にキスをされた。ネコみてぇだな、ホント。ネコは気分屋だけど、依存するととことんまで依存する。ヒナは姉に、蘭やモカは仲間に、そんなネコに懐かれるのも楽じゃねぇよ。

 

「あたしをフったこと、今回は許してあげるね~」

「おう……って次があんのか」

「うん。せんせーが先生を辞める時、今度こそあたしのこと離せなくなるように、縛り付けてあげるんだ~」

「……え?」

 

 ──なにせこの思考回路だからな。発言がマジトーンでぶっ飛びモノトーンだからマジで怖い。オレを運んで宇宙までも行きそうなヤツだ。悪い、宇宙空間に適応はできねぇからお手柔らかにお願いします。離せなくなるように縛り付けるって、依存と束縛は似通ってるとは言え、そこにヤンデレ加えたら下手しなくても青い制服のお兄さんが登場する物語が始まるだろ。

 

「あのね~、辞めたらね~、えへへぇ……あたしがいっしょー養ってあげるね~♪」

「……いや、次の職場探すから」

「そんなのいーよ? だって外に出たら日菜さんとか蘭に浮気するもん」

「そもそも辞めるイコールお前のモノって方程式が誤りなんじゃねぇの」

「え?」

「えぇ……」

 

 なんでそこで心底意外そうな顔できんの、怖えよ。

 しまったな、どうやらオレはこの悪魔を邪神に進化させちまったらしい、条件不明で攻略サイトにも載ってねぇよ、どうしたらいいんだ。外堀埋められても必死に抵抗したら、大筒がいつの間にかミサイルになりやがった感覚だ。外堀埋めた意味もねぇよ、本丸跡形も残らねぇから、それ。

 

「すきだよ、せんせー、どこにもいかないでどこかにいったらおしおきだよ、だってすきだもんあたしがぜーんぶやってあげるからね」

「自立したい」

「だめだよ?」

 

 ダメじゃねぇよ。完全にネジ外れてんじゃねぇか。落ち着かせてやらねぇと……とは言うものの……どうすりゃいいんだ、コイツ。と、思ったらまた押し倒された。ケダモノの気配、なんかが高まって発情期、完全にネコじゃねぇか。受け身なのはオレのほうだけどな。

 ──こりゃあ、腹いっぱいになって落ち着くまで、待つしかねぇのか。

 

「それじゃあ、いただきます♪」

 

 さよなら、オレの倫理観。流石に束縛ヤンデレに一生を縛られるくれぇならどんなクズにでも成り下がってやる。満足するまで、理性が戻ってくるまでなら、なんでもしてやるよモカ。

 そう決意したはいいものの、すぐに後悔した。理性のない獣を相手にするには腰に爆弾抱えてるのはきつかった。モカが満足して眠っちまったから抱えて、テキトーに言い訳つけて保健室を借りた。保健室の教師はオレの同期の一番の共犯者だから意味深な笑みで、ごゆっくり、腰は痛めないように、なんて言って去っていった。勘違いしてんじゃねぇよ。違わねぇけどここじゃシねぇっつうの。あと腰はもう遅い。

 

「……ん、ぅ……あれ、ここ……は?」

「お、起きたかモカ」

「せんせー……あ、えっと、あたし……」

「覚えてねぇのか、しょうがねぇやつ」

 

 それからモカが目を覚ましたのは最終下校時刻ギリギリ。いい時間感覚してんな、お前。手で目を擦り、状況を整理しようとして首を傾げるモカは、理性がぶっ飛んだことを覚えていないらしく、混乱しているみてぇだ。そうしたらやがて顔を真っ赤にし始めた。

 

「思い出したか?」

「……最初のほうだけね~」

「まぁ思い出さなくてもいいこともある」

「それで、ここでもう一回? 日菜さんみたいにベッドで襲っちゃう?」

「バーカ、もう最終下校時刻だ。生徒は速やかに下校しなさい」

「……もうそんな時間かぁ」

 

 俯いて、灰色の髪に表情が隠れ、声は落胆してることがわかる。

 ──本当にしょうがねぇヤツ。残りの仕事は後まわしだな、ったく、お前のせいで怒られるんだから、ちょっとくれぇはまぁいいやと思わせてほしいな。

 

「行くぞ、モカ」

「どこに?」

「帰るんだろ、送ってってやる」

「……あ、ありがと、せんせー」

「けどまぁ、寄り道すんなら、今のうちに言えよ」

「……あ、う、うん」

 

 それはヒトの考えを読むモカにとっても意外な言葉だったようで、戸惑いに目を白黒させていた。今日でハッキリとわかったけど、お前を不満なまま一日放置するとロクな目に合わないからな。束縛エンドを回避するためなら自称美少女JKと制服デートで援交の疑いをかけられ青い制服のお兄さんの職質の危険性にも耐えてやる。

 いや、やっぱりそうなったらモカも口添え頼む、アイツらの威圧感半端ねぇし。

 

「ね、じゃあさ……あたしのお気に入りのパン屋さんに行きたいな」

「近所だろ?」

 

 しかも羽沢珈琲店の向かいに位置する場所でもある。名前は確かやまぶきベーカリー、だったか。そんないつでも寄れる場所でいいのか。

 モカは、ふっふっふ~、とわざとらしい含み笑いでその疑問に答えてくれた。

 

「だって、せんせーは食べたことないでしょ~?」

 

 ホント、言葉より態度のいじらしいヤツ。今のはオッサン的にも割ときゅんとしたよ。屋上で会ったときの印象と全然違ぇんだからそれも作戦か、なんて深読みしちまうよ。周りくどさも、お前の好きって気持ちの表れなんだな。それなら大人みてぇな汚さがないな。体裁と打算じゃなくて、照れと好き、か。

 

「モカの好きなもの。確かに気にはなる……行くか」

「うん」

 

 曇天の髪色を持つ邪神……の側面を持つ悪魔はそこで晴天の笑顔を向けてきた。はぁ、お前もホント、純粋に笑うと悪魔(てんし)だよ。扱いは難しいけど、ヒナよりも純粋で、純情なんだもんな。病んでるけど、おそらく放置しすぎるとメンヘラより酷い目に合うけど。

 ──そして、実際にコイツの舌は割と頼りになって、そこのパンはめちゃくちゃ美味しいと思えた。スーパーの惣菜パンなんか目じゃねぇよ。喫煙者のオレにだって、それくれぇはわかる。

 ただ、ただな……モカ、一つだけ言いたいことは、そこにはAfterglow以外の幼馴染がいるってことを早く言えっつうの。

 

「よかったね~、つーほーされなくて~」

「よくねぇよ、折角美味しいパン屋見つけたのに寄りにくいじゃねぇか」

「そこは~、これからはあたしが、買ってきてあげるよ、せんせー♪」

 

 これから、罠を巡らす策略家の一面があるモカにオレは振り回されるらしい。一つ、また一歩モカに依存する形になったことに、オレは帰ったらとりあえずタバコ吸おう、とそれだけを考えていた。

 

 

 

 




決意を固めた彼、それは教師としてクズだろうとなんだろうと三人を生徒として送り出したいという願い。
やがてそれは、ある種では呪いへと変わっていくんだけれど。


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⑪晴天フューチャー

二章のラスト(幕間あるけど)はやっぱり正妻しか勝たん。


 週末、予報外れの晴天が東京の空を覆った。太陽は差すような光を降らせて、もう湿度も気温もすっかり夏だな。

 暑すぎて半袖のカッターシャツで出勤したオレを待っていたのは校門で生徒たちにおはよう、と声を掛け突っ立ってるっつうありがたすぎて涙が止まらない仕事だった。ホントに無能に回ってくる仕事は立ってるだけなんて、上司は適材適所を選んでるわけだ。尊敬するからはよくたばれ。

 当たり前だが生徒のほとんどはオレの挨拶に会釈をして返すのがせいぜい、友人と話してるヤツなんかは完全にオレを無視して校門を潜っていく。身だしなみのチェック? そんなことするわけねぇだろ。第一制服改造でもしてなきゃ注意することもねぇし、アクセサリーとかも派手過ぎなきゃセーフだから、オレは基本的にスルーしてる。

 

「基本はスルーなんだけどな、さすがにそのアクセサリーは目立つだろ」

「は~い」

「つか今井は素行のほうは良すぎるくれぇなのに、なんで身だしなみだけは校則違反常連者なんだよ……」

「えーっと……オシャレ?」

「逆さのウサギはオシャレなのか、レベル高すぎるだろ」

「これはアタシのお気に入りなんですよ」

 

 知らんがな。とりあえず今は外しとけ、あとはスルーしといてやるから。隣で湊が、だから紗夜にも散々身だしなみを注意されるのよ、なんて溜息をついていた。そういや紗夜は花咲川の風紀委員なんだっけか。確かにアイツは本来そういうキャラだよな。

 ──あとはほかにも何人か注意して、瀬田の取り巻きをなんとか散らす仕事。はぁ、それにしても、こんなにあちいってのに、登校させられて、お前たちも災難だな。オレは車だからいいけど、歩きじゃそりゃ教師に会って挨拶する気力なんてねぇよな。

 

「おはよ、カズせんせっ!」

「よう、ヒナ」

「立たされてるの~? 罰ゲーム?」

「んなわけねーだろ仕事だよ」

「あはは、それもそっか」

 

 と思ったらいたよ暑いのにめちゃくちゃ元気なヤツ。元気すぎてオレが倒れそうだ。

 オレの顔を見た瞬間、めちゃくちゃ素早く近づいてきてガキどもが揃いも揃って一瞥していく超問題児、氷川日菜。コイツが普段からこんなに教師とテンション上げてしゃべるやつなんていねぇから、当たり前だけど注目の的になってんだよ、離れろ。

 

「朝からカズ先生に会えたんだもん、なんかるんってきた!」

「はいはい。今日も部活休みだからな、そうだな」

「うん、そーなんだぁ。でも、明日はするからね!」

「……わかったからはよ教室行け」

「はーい!」

 

 するからねの意味が、部活じゃなくてナニなのもよーくわかった。ただ一応目立つところでは、えっちしよ、とは言わねぇのはちょっとだけ感心した。アイツも少しは人間らしい分別がある、ってことなのか。

 

「……せんせー、その感想は日菜さんに甘々すぎじゃないかな~?」

「おはよう、が先だろモカ」

「あーうん、おは……ふぁ……よ~」

「途中で欠伸すんな」

 

 でけぇ口で欠伸をしながら形式上の挨拶すらもロクにしない、欲望に忠実な邪神、青葉モカ。ヒトの考えを読むことに長けた超絶美少女JK、という非常に頭の悪そうな自称を堂々と掲げるうざいヤツだが、超絶かはさておき残りは全部事実なのが余計にうざい。

 あとヒナに甘いのはこのくれぇ甘くしねぇとアイツはお前とは別方向でめんどくせぇからだよ。

 

「すーぐそーやって浮気する~」

「誤解を招く物言いはよくない、つか他のは?」

「せんせーばりあーを前に今日休む~って言ってる照れ屋さんをみんなで説得ちゅ~」

「……あっそう」

 

 オレのせいじゃないけどなんか悪い。オレのせいじゃないけどな、仕事なんだよ。

 でもなんでそんな嫌がる? とも思ったがその答えは空にあった。

 太陽は金の光を降り注がせるこの天気。アイツは晴れたら行くって連絡してたな。晴れたから行きたくねぇし、すっぽかそうとしたものの、当のオレがここに居たからキャパオーバーと。相変わらず、残りの二人に比べて、かわいらしいヤツだ。

 

「で、お前はなにをうずうずしてんの?」

「抱きつきたいしょーどーを抑えてるの〜」

「はいはい、幼馴染んとこへお帰り」

「いけず〜」

 

 その割には嬉しそうだな、まったく。人目があればたったこれくらいで満足してくれるんだもんな。普段からこれでリリースしたい。通ってる整体の逞しいお髭のオヤジに愚痴ったら豪快に笑われた。

 贅沢な悩みでもオレには十分に悩みなんだよ。ふざけんな。つか整体のオヤジに、知り合いの精神科医、あけすけに話せる大人には妙に医療関係者が多いのはなんでだろうな。仕事柄か、なんでだ教師もヒトのハナシを聴く職業だろ。

 ──そもそもなんであのジジイの息子にジジイを紹介されたんだっけか。やべ、きっかけが思い出せねぇ、もう歳かな。

 

「……おはよ」

「よう、蘭。元気か?」

「……フン」

「コラ、ちゃんと答えてやれよ」

「うっさい」

「この間から先生のことばっかり考えてたから恥ずかしいみたいです、ごめんなさい、先生」

「ひまり!」

 

 モヤモヤと記憶を辿っているとAfterglowの仲良し五人組が勢揃い。明らかに面白がってる宇田川と苦笑い気味に二言ほど余計なことを教えてくれる上原。こうして関係が変わっても相変わらずおもしれぇヤツだな、蘭は、いや、蘭たちは。

 この五人のまま永遠でありてぇって気持ち、わからなくはねぇよ。オレだって、ずっと一緒にいられると思ったメンツがあったわけだからな。

 

「蘭」

「なに?」

「いつもんとこで待ってるな」

「──っ、ば、バカ! こんなとこで!」

 

 涙目で耳まで赤くして叫ぶ蘭が面白くて、堪えきれずに笑えちまう。上原は、ひゅーひゅー、と雑な煽りを蘭に向け、宇田川は、おお、今のいいな! と目を輝かかせて、羽沢は、よかったね蘭ちゃん、と蘭の肩に手を乗せた。

 

「……むぅー」

「モカ、いつの間にそんなわかりやすいヤツにキャラ変しやがった?」

「ばーかばーか、クズ〜」

「雑なんだよ……」

 

 モカは嫉妬の炎を隠さない。全員が苦笑いなところを見ると事情は知ってるみてぇだな。それでいつも通りってことはまたよっぽど大喧嘩したな、お前ら。

 ──仲良きことは美しい。ホント、幸せな仲間を持ってんだな。羨ましいよ。

 

「あ、カズく……先生! 忘れてたことが──」

「日菜さん……」

「どーもっす〜」

 

 と、円団で纏まりかけたそこに元祖悪魔の再臨。そういやオレの前にヒナ、モカ、蘭が揃うのは初めてだな。ちょっとした修羅場だ。選択肢一つミスるとオレの首がとぶ、勿論物理的にな。

 

「ヒナ、忘れてたことってなんだ?」

「あー蘭ちゃんといちゃいちゃしてたならそっち先でいいよ?」

 

 よくない。全っ然よくない。ここでそっか、つったら即死だな。チラリと時計を見るとまだ予鈴には時間があるし。そもそもなんでコイツらこんなはえぇんだよ。特にヒナはもうちょいおせぇだろ。なんの勘が働いたらそうなるんだよ。

 

「それはあたしがせんせーがココにいることをリークしてますから」

 

 こんの、ストーカーはホントに。キャラ的にはお前が一番遅刻ギリギリまで寝てるヤツだろ。つかそれ、お前ひとりの力じゃねぇな?

 そんな視線を送るとモカはわざとらしい口笛でそっぽを向きやがった。

 

「ヒナが先でいいから、どした?」

「……! うんっ、あのね、もうすぐ文化祭でしょ? あたし一人じゃるんってこないから辞めようと思ってたんだけどさ」

 

 グッドコミュニケーション。どうやらヒナ的には大正解だったらしく明るい顔で要件を話始めた。文化祭か、確かにオレも面倒だよ、でも部活でなんかやるなら先生有志という名の手すき強制の出し物しなくてよくなるのか。よし、やろう。是非とも、例えそれでヒナと文化祭デートすることになっても。

 説明をしているヒナに肯定すると、ますます嬉しそうに跳ね始めた。

 

「じゃあせんせ、約束ね! 一緒に作ろうね!」

 

 そうやってまた教室の方へと走っていくヒナ。また無双しやがって、アイツは白鷺以外には負けなさそうだな。おかげでオレは残った二人の文句を聞く係だよ。はぁ、二人とも目が怖えよ。

 

「……子どもでも作るの〜?」

「やめろ、シャレになってねぇ」

「……なってないの? アンタ、なにしたの?」

 

 なんもしてねぇよ、やったのはヒナの方な。前にも言ったと思うが、こっそりヒトのカバン漁ってタバコでも探してんのかと思ったらコンドームに穴を開け始めたことがある。曰く気持ちよさに差があるのか知りたかったんだとか。それでデキたらどうすんの? っつったら、結婚しよーよ、と軽く言われた。さすがに引いたし、それ以来アイツは天然のメンヘラだと思ってる。

 ──ってそうじゃねぇよ。モカのせいで朝っぱらから嫌なもん思い出したじゃねぇか。ヒトには忘れといた方がいいことあると思うんだよ。

 

「ほら散った、モカは昼休みに例のヤツな」

「は〜い」

「蘭は後でちゃんと、話があるからな」

「……うん」

 

 頷いてくれて助かった。オレはまだ、お前に謝れてすらねぇからな。ヤってそのまま縁切れて逃げる、なんて大人として恥もいいとこだし、役立たずのクズ確定だよ。

 モカの昼休みの件は全く関係なく、アイツオススメのパンをくれるっつう約束だ。結局、沙綾っつうやまぶきベーカリーで手伝いしてたポニテの将来口うるせぇオカンになりそうなヤツに警戒されっぱなしだしな。

 花咲川の先生方はほのぼの系多いし、オレみたいなヤツは怪しく映るってのもわからなくねぇんだけどさ。

 ──っと、それは一先ず置いといてだな。問題は蘭だ。頷いてくれたものの、気まずいだろうな。本来助けてくれるはずのAfterglowはいない。

 羽沢は生徒会、上原は部活、宇田川はデートで、モカは用事、らしい。なら、オレができることは一つだな。授業が終わり、少しして教室棟が静かになったのを見計らって、オレはドアを開けた。

 

「……なっ、なんで」

「遅いから迎えに来てやったんだよ」

「今から……行くつもりだったし」

 

 わかりやすいウソだな。けどそんなウソを証明する戸惑いと、ほんの少しだけ嬉しそうなその顔が、季節外れのオレンジに照らされて、キレイだなと、素直にそう思った。誘われたとは言い訳したくねぇ。手を出したのはオレだから、蘭に傷を残したのは、オレだから。男としてじゃなくて、教師として、っつうクズだけど、責任は負うさ。

 

「まず謝って、いや土下座で済むとすら思ってねぇ。けど、謝らせてくれ。許されてぇわけじゃねぇけどそれでも、オレは、謝るべきことをしたんだ」

「アンタ……」

「悪かった。お前に、恐怖を思い出させちまった」

「……そう、だね。怖かった……アンタのこと、わかんなくなった。同じだと、思った」

 

 その言葉は胸に突き刺さった。けど、今回ばかりは断罪されるべきだ。ここで殺されても、オレは恨んだりしねぇ。もう二度と顔を合わせたくねぇってんなら、それで構わねぇ。そういう覚悟だ。

 一歩、また一歩蘭は近づいてくる。眉間に皺を寄せて、そして思いっきりオレの頬を張った。痛ぇ、めちゃくちゃ痛ぇ。けど、涙を流した蘭の顔を見たら、これもこの痛みも当然かと思えた。

 

「痛い?」

「ああ」

「当然だよね」

「……ああ」

「これはモカに手を出した分……それで、これはアタシに手を出した分」

 

 もう一度、手を振り上げた蘭を受け入れようと、オレはその場にとどまった。目を閉じて、蘭への謝罪をずっと胸に込めて、頬に爆ぜるであろう痛みを待つ。

 ──けど、いつまで経っても想像した痛みは来ることなく、ゆっくりと目を開けると、夕陽の色を顔半分に埋め、もう片方を赤色のメッシュを揺らして、微笑んでいた。疑問が空白の時間を生み出したその瞬間を、まるで待ち構えていたように、蘭は踵を浮かせて、目を閉じた。二人しかいない教室、差し込む夕焼けは、まるで世界からオレたちだけ、切り取られたみてぇだな、なんて考えながら、青春の味を数秒、唇にもらった。

 

「……怖かったはずなのに、アンタに……一成にいっぱい名前を呼ばれて、夢中になったあの日、幸せだった。アタシの青春は、一成と出逢うためにあったんだ、って、思えるくらいにさ」

「バーカ、オレはクズ教師。お前が青春を感じるようなヤツじゃねぇよ」

「それはアタシが決めることでしょ? もう青春もなく枯れちゃったクズ教師のアンタは、アンタのいつも通りでいいから……アタシの青春を、見ていて」

 

 ああ、見てるさ。お前の黄昏を、お前の青春を、お前の……ロックを。

 成ってみせる、留まってみせるさ、蘭が望むなら、オレはいつまでだって、クズ教師のまま。お前の青春を、見守ってるよ。

 

「お前ってさ」

「なに?」

「男の趣味悪いよな」

「はぁ? なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないわけ?」

「……キレんなよ」

「前のカレシならまだしも、今の好きなヒトを悪く言うからでしょ」

「オレなんだよな?」

「それが本人でも、アタシにとっては、だ、だいすき……だから」

 

 そこで照れるなよ。見てるこっちも照れるじゃねぇか。つか、ヒトのことクズ教師、クズ教師って言っといてオレが言ったらキレんのかよ。理不尽だって思わねぇのかね。けど、やっぱりお前はロックだよ。モカには悪いけど、ヒナには悪いけど、教師じゃなくなった時、オレが求めるのはきっと……蘭だ。

 

「蘭」

「なに?」

「オレはお前みてぇなロックな女が好きだよ」

「……っ! アンタ、教師としてとか言っといて……!」

「待て待て、そういう意味じゃねぇよ。ただ、オレの好みはお前みてぇなカッコいいヤツだってことを思い出しただけだ」

「……一成」

 

 本当は蘭に最期の瞬間まで手を握っていてほしい。それが、教師としてじゃねぇ、一人の男としての、オレの望みだ。けどこれは正解なんかじゃねぇ。少しの正しさもねぇオレのエゴだ。そしてオレは教師を最後まで降りるつもりはねぇから。

 

「じゃあ、アタシはそんな一成にとって教師であることを後悔するくらいカッコよくなりたい」

「そん時はアレだな……責任取るしかねぇかな」

「言ったね? 今更ナシって言ったら怒るから」

 

 けど、蘭の言葉は不思議と安心感がある。コイツはまっすぐだからな、オレがマジで後悔するくれぇの女になってくれるだろう。ただ、これを蘭と約束するにはちょっとだけ不都合なところもある。あの悪魔どものこと。

 

「あ、でもさ」

「なんだ?」

「これからもモカと日菜さんのことも、それからアタシとも今まで通りにすること。それは約束して」

「……は?」

 

 けどそんなオレの葛藤を察知したのか蘭の言葉は予想してたものと真逆だった。最後のはまだ分かるけど、モカとヒナとの関係を知らねぇわけでもねぇのに、何考えてんだよ。だがそれは一成が教師だからと言葉を付け足してくれる。

 

「教師なら教師として卒業まで責任は取れってこと。アンタのことだから、またどうせ断れないんでしょ?」

「……そうだろうな」

 

 ヒナと顔を合わせる機会が増える分、というかあの悪魔はそれを狙ってるフシもあるが、当然、終わり二言目にはキスしよ、それから次はえっちしよ、だ。それを許さなかったら際限なく負の感情に押し潰されるんだろうな。納得したところで、蘭は、ふたつめ、と条件を提示してくる。

 

「タバコ吸う本数、減らして」

「無くして、じゃなくてか」

「ホントはそうだけど、アンタにとっては無くなったら困るものだから」

 

 苦手なクセに、譲歩するのかよ。ホント、お前はオレの生徒には勿体ねぇ女だ。ああそうだな。ちゃんとオレは教師として踏み出さなくちゃいけないんだ。タバコばっか吸ってちゃダメだよな。

 

「それで、みっつめ。モカや日菜さんだけじゃなくて、アタシも一成と、その……え、えっち……したい」

「それでシて辛くなったのに?」

「だけど、モカも日菜さんもシてるのに、アタシだけ手を出してもらえないのは、ヤだ。それにさ」

「それに?」

「ゆっくり、ならたぶん平気だから」

 

 蘭のヤツはそんなことを言ってオレを赦しちまう。甘くて、カッコよくてオレはお前みたいな生徒に想われて幸せだと思った。それ以上に、お前の将来が欲しいだなんて贅沢なことも。

 ──その週末には、家に来た蘭と溶けるような一日を過ごした。恋人っぽいね、なんて微笑まれて、オレも釣られて笑っちまった。

 結局、オレは生徒三人とヤっちまうクズ教師のまま失敗続きだった六月が過ぎていった。雨は上がり、黄昏の空に虹がかかったような晴れやかな気分。この日、オレはまた一つ、教師としての自分を取り戻していった。

 




これで山を一つ乗り越えたかと思いますが、山はあと二つあるんだよなぁ。頑張れクズ。捕まれクズ。


※既読の方へ
気づいたヒトもそうでないヒトもいるかと思いますがこの話はどうしても展開を変えたかったので一部セリフが変わっていたりします。(前々から結構差し替えてるけど)
ここで清瀬一成とクズ教師、どちらの理想も取り戻してしまったという描写をすることで今後の展開への布石としてこうという狙いです。
具体的に言うとより鮮明にみみ(大学時代の元カノ)との未練が残ってるカタチになっています。じゃあもう連絡とれよお前さぁ


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幕間:鷺草バックドア

第二章書き下ろしの裏口はもちろん次章メインキャラのひとり、白鷺さんです。


 ──所詮、私は子どもだ。子どもであり、けれど大人の真似事ができてしまうような、難しい年頃の子ども。言葉や仕草、ちょっとした視線の動きや足の組み換え、そんなものを身に着けて飾り付けた背伸びをしてでもほしいものがあった。

 

「マネー、ジャー?」

「悪い千聖、すぐに行かなくちゃいけないところがあるんだ。チェックアウトは一人でできるか?」

「……ええ」

 

 私が好きになったヒトは子どもみたいな大人だった。社会的には大人だけれど駄々っ子で、自分の想い通りにならないと嫌な子どもみたいなヒト。でも私にとっては彼しかいないというくらい、彼に助けられたし、子役から抜け出せなくて悩んでいたこの時期に新しい挑戦の話を持ってきてくれた。結果的にはそれは正解で、私は新しい白鷺千聖としてのブランドを保ち続けていた。

 ──白鷺千聖というブランドを、売り続けていた。

 

「珍しいね、千聖ちゃんから誘ってくれるなんて」

「ええ、まぁ……少しだけ、心境の変化がありまして」

「おや、それは気が引けてしまうね」

「嘘はよくありませんよ? うふふ♪」

 

 一回り以上、それどころか二回りも歳が離れた男相手に生まれたまま全てを晒し、愛撫され嬌声を上げる。私にとってのこれは、ブランドを売っている行為でありもう一つの意味があった。心奪われたヒトを振り向かせるための、ちっぽけで安っぽい復讐。

 

「……ふう」

 

 全てを終えた後、汗を流してゆっくりと湯船に浸かる。自分の声だけが反響する、暖かくて優しい空間。最初はこんな風に浮気、をしてしまう自分が汚いものに感じてしまって嫌で嫌で仕方なくて、涙を流しながら入っていた行為後のお風呂も、そのどちらも習慣になってしまえばなんのことはない。これが大人になることなのだろう。なんにも心の動かない惰性と義務感に動かされる。セックスも仕事も。そう諦観し始めていたのに。

 

「うふふ……」

 

 防水シートで覆ったスマホで電話を掛ける。一回、二回、三回……四回の途中でまるで躊躇っていたかのようにもしもし、とトゲがありながらも甘く優しいテノールが私の耳朶をくすぐった。もしもしと切り返して同じ言葉をあげるとため息、これだけでも少し嬉しくなってしまっている自分がいた。

 

「なあに()()? ため息を吐くと幸せが逃げちゃうわよ?」

「お前の先生になった覚えはねぇ。あとため息はリラックス効果があるんだよ。鬱病予防にもなるらしいって精神科の先生が言ってたんだがな」

「通説よ、先生?」

「……二度は言わねぇからな」

 

 電話の相手は清瀬一成さん。先生、とは呼ぶけれど私の通う花咲川の教師ではなくて、日菜ちゃんや麻弥ちゃんが通う羽丘の教師。そして日菜ちゃんにとっては大事な先生らしく、私は一目見た時から彼が気になっていた。気になる、というのはもちろん恋愛的な意味ではないのだけれど……まぁ性的な意味合いはあるから同じことのように彼にぶつけていく。

 

「つかまーた風呂かよ」

「まさかすぐわかるなんて、すごいわね」

「お、ケンカなら買ってやる」

「ふふ、怒らないでちょうだい。そこにわざわざ言及するあなたをからかいたくなっただけよ」

 

 それがケンカ売ってるんだよなぁ、とぼやく彼。最近の電話相手はなんだかとっても話しているのが楽しいヒトだった。かといって向こうから話題を振ってくるわけでもなく不思議な感じ、聞き上手というのかしら? 私の興味がある、という補正はあるだろうけれどとにかく時間を潰すのにうってつけの相手には間違いなかった。

 

「深夜に風呂入るクセ、なんなの?」

「深夜まで汗を掻くから、かしら?」

「……電話切ってもいいか?」

「どうして? 私はまだ満足していないのだけれど……もっとナカまで満たして♡」

「くたばれクソビッチ」

 

 と、言いつつ電話は切らずにおいていてくれるところが、なんというか遊びたくなるゆえんなのかしら。私、結構マゾヒズムに染まっている自覚があったのだけれどこういう一面もあったのね。というかれっきとした大人のクセにこういう軽い子どものような下ネタにムキになるからからかいたくなるのね、なるほど。

 

「ところで」

「あ?」

「私の出番はまだかしら?」

「一生ねぇよ」

「焦らされるのは好みじゃないわ。がっついてほしいの」

「知るか」

 

 ああもう、いじわるなヒトだ。あれだけ日菜ちゃんに手を出しておきながら、それでいて別に相手は生徒だ、なんてのたまっておきながらそんな意地の悪いことを言うだなんて。

 私は、追いかけられるより追いかける派なのよ? 中途半端に冷たくされたら、余計に気になってしまうじゃない。

 

「……んで、なんの用だよ。雑談だけってならもう寝るからな」

「うふふ、そうね」

 

 そしてなによりこの優しさがクセになってしまいそうになっている。なんの用だよ、ですって。別に好きでもない、生徒でもないただ日菜ちゃんという共通の知り合いがいるだけの子どもに対して、()()()()()()寝るからと言えてしまうその甘さともいうべき彼の性格が私を興味へと駆り立てるものだった。

 

「そうね、また今日の交換でいいかしら?」

「雑談か」

「違うわ。情報交換よ♪」

 

 こうやって電話を掛けられる時はお互いの今日を交換し合う。清瀬さんの一日を聞かせてもらい、私の一日を話す。そうすることでお互いのことを知り合える。我ながらロマンチックで素敵な言い訳よね。実際はただの雑談に違いはないのだけれど。

 

「つかあのクソメンヘラ、お前ならどうにかできねぇの?」

「私に? そのメンヘラちゃんは、先生のことが大好きなのだから馬に蹴られたくはないわね」

「あのモンスター生み出したの、白鷺の責任もあるだろうが」

「私は器に知識を詰め込んだだけ。そこに命と愛を与えたのは他でもない、あなたでしょう?」

 

 日菜ちゃんは退屈に飢えているから、だったら私のアソビでもやってみる? と誘ったのが始まりだった。初顔合わせからなにやら私に興味を示していたし、まだキスをすることやセックスの気持ちよさ、くらいしか知らなかった彼女にやや偏った性知識を詰め込み私ではないカラダに偶にはお得意様もどうかしらと提案したのだけれど。

 

「それで、ヒナはなんて?」

「興味ない、と」

「……ヒナらしいな」

 

 ほら、そこで安堵する。それがどんな意味を持つのかを知りながら純粋に先生として生徒が売春をしていないという事実に息を吐けるあなたは、どこかちぐはぐで、だからこそ剥いてみたい。日菜ちゃんは続けてあたしはあたしのるんってくるヒトとしかえっちしたくないから、と明るく笑ったのよ? その日菜ちゃんの言葉が向けられた先にいるのが誰かなんて、今更問う必要もないでしょうに。

 

「わかってるよ。けど、オレだってポリシー……みてぇなもんがあるんだよ」

「生徒とセックスする教師に?」

「そうだよ。ヒナとヤっちまうクズだけど、それが()()()()()()()()()()()()()()

「……そう」

 

 その声音はまるで、日菜ちゃんが私のアソビに興味ないと言った時に似ている気がした。彼だって男だ、しかもまだ三十路というところ。男性は一生射精ができるというのに彼のような若い男がイイ女とセックスがしたい、美人に種を蒔きたい。そんな欲を持たないわけがない。特定の奥さんや恋人がいない状態で、いやいても誘えばケダモノになれる本能を持っていながら、彼はそれが彼女や自分にとって大切な生徒にしか向かない。だから絆されるのも、彼が生徒と認めた子にだけ。

 

「どうした白鷺?」

「いえ、ガラにもなくないものねだりをしそうになっただけよ」

「……なんだそりゃ?」

「例えばあなたの子種、とか?」

 

 いけない。まさか私がいつの間にか嫉妬させられているなんて。本当に罪作りなセンセイね。私の仕入れたあなたについての噂にもだんまりだけれど……そんな生徒のために身体すら犠牲にできるのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 

「くどい」

「あなたが秘密主義だから、暴きたくなってしまうのよ」

「墓まで持ってくっつってんだろ。墓暴きはすんなよ」

「……甘そうな秘密を前にして?」

「やめろその声」

 

 なんだかまだまだヒミツがありそうなヒト。私も秘密を教えてあげますから素直に教えてくださいと要求するけれど、いらないの一点張りでどうやら本当に墓まで持っていく気らしい。もう、だから焦らされるのは好きじゃないのに。知りたい、知りたい。私はどんどんと清瀬一成という男に堕ちていく。

 

「あなたは、本当にいい先生だわ」

「オレがいい教師ってのはお世辞にしか聴こえねぇな」

「そう? 褒めているわよちゃんと」

「お前さっき自分でソレを指摘しただろ」

 

 ああ、生徒とセックスするような教師とは言ったけれどそれがあなたの教師観の全てを否定する材料になっていないじゃない。あなたという器には二つの理想がある。一つは生徒の鏡のように、映る範囲の望みを叶えようとする親身であり教師としは落第点もいいところの愛にあふれたクズ教師。そしてもう一つは、神の視点に立とうとする理想の教師像。全ての子どもを平等に教え導き、その旅立ちを見守ろうとする慈愛でありどこかヒトとは外れた御伽噺にもいない完璧な教師の姿。相反する夜と昼、悪魔と天使の顔。そこに私は危険な香りを、けれどどうしようもなく惹かれる仄暗さを感じるのよ。

 

「私の価値観では、イイ先生というところかしらね」

「都合が?」

「まぁそうともいうわね」

 

 ひとまずはその認識でいいんじゃないかしら? あなたはその教師の風上にも置けない男としてもクズの部類ある姿と、それとは違ってあまりに生徒を平等に愛そうとする姿の中間に立ってしまっている。だから特別に認められたい、愛されたいと願う問題児があなたという仄暗い光に惹かれるのでは、と考えている。私もそんな願いを抱えた問題児の一人だからこそ。

 ──私は、彼の生徒になりたいと思っている。この気持ちは一時の気の迷いなんかでは、ないと確信している。

 

「それじゃあ、そろそろ」

「ああ。長風呂はカラダによくねぇしな」

「……ええ」

 

 わざと嬉しそうな声音を出すと焦ったように一般論だよと言い訳を重ねる彼との会話が、最近何故だか無性に楽しい。お芝居をしなくても構ってくれるヒト、それでいながら他人に言えないようなアソビを知っているヒト。白鷺千聖(わたし)が私でいられるヒト。やっと見つけた、私が子どもになれるヒトだから。

 

「はぁ……まるで私じゃないみたい」

 

 彼はまだきっと、私のことをただカラダの関係という枠に都合のよいアソビの相手にしようとしてくるビッチとして見ているのよね。日菜ちゃんには申し訳ないけれど、私だって大人で仕事ができて聞き分けのよくていつも笑顔の白鷺千聖じゃいられないのよ。

 たまにはただの女の子として振舞いたいというわがままを叶えてくれるのは、もうきっと彼しかいないから。

 

「あ、おはようございますマネージャー。今どちらに?」

「……はよ、千聖。今は──」

 

 翌日、マネージャーにスケジュールの確認をしようと電話をしたところで眠そうな声と同じように眠そうなよく聴いたことのある声がどうしたの~? と暢気に私の電話口に響いた。ああそう、夜中までハッスルしていらっしゃったようで。お邪魔でしたかね? 

 

「なにキレてんの千聖?」

「いえ怒っていませんけど」

「お前だってどっかのおっさんとヨロシクヤってたんだろう」

 

 別に怒っているわけではなかったのだけれど今怒ったわ。そういう言い方をして、自分が正当化されると? 第一用事で帰ったはずなのにアイドル家に連れ込んでいるとはどういう了見なのかしらね? そういう文句まで言っていいなら本当にブチ撒けてやるわよ。

 

「──んん! 今日はいつ頃出勤されるおつもりですか?」

「すぐに支度するよ、今日は二人一緒だしな」

「……そうですか」

 

 向こうでは未だに眠そうに甘えた声を出すあの子がいて、私はガラでもなくイラっとしてしまう。いけないいけない。あのヒト、一成さんと出逢ってから私はとにかく、焦ってしまう。焦らされるのは嫌いだけれど、早いのも好きではないのよ。イク前にイッて満足されてしまった時といったら──とこれは関係のないハナシね。

 

「それではっ、プロデューサーに連絡してそちらに頼らせてもらいますので精々遅刻しないようにとそこでまた発情し始めた子にも伝えておいてくださいねっ」

 

 勢いよく通話終了ボタンを押して、私は深々とため息を吐いた。その苛立った様子たるや後でプロデューサーにあたふたと心配されたくらいだった。ええ大丈夫、今は新しいお得意様のおかげでなんとか頑張れてますから。

 

「……アソビの方もなんとかしてもらいたんですけど」

「それは無理です。文句ならあの無能色狂いマネージャーに言って頂戴」

「はぁ……」

 

 あれでもアソビの際の対面的には私のカレシということになっているんだから、もう少しちゃんとしていてほしいところね。お得意様はみんな知っててその辺は汲み取ってくれているけれど。なんならウチの社長と知り合いと言うヒトにマネージャー新しいの斡旋してくれるとまで言ってくれているし。イイヒトたちばかりなのよお得意様って。まぁ十代のアイドルと散々セックスするロクデナシしかいないとも捉えられるけれど。

 

「あ……」

「あら……こんにちは♪」

 

 そんな散々な仕事をして帰りに羽沢珈琲店で癒されようと立ち寄ると、そこにはすっかり打ち解けた様子でつぐみちゃんとお話しをしているクズ教師の姿があった。あら、これは運命というものを信じてもいいのかしら? うふふ、こんな沈んだ気持ちの時に限って、あなたは顔を見せてくれるなんて、本当に惚れてもいいのかしら? 

 

「悪い羽沢、今日は急遽腹が痛くなったから帰るわ」

「いいのかしら? アイドルとの関係……社会的な死を私からプレゼントしてあげてもいいのよ?」

「……魔王かよ」

 

 魔王だなんて、とんでもないこと言うわね。けれどそんな冗談も今の私には嬉しくて仕方がない。まるで恋を知ったばかりの乙女のように私は一成さんの向かいの席に座っていつもの紅茶を注文した。

 

「なんでいるんだよ」

「そちらこそ。ああそういえば今日は土曜日だったわね」

「そうだよ。ヒナはレッスン行ってるし、蘭は華道でモカはバイト。おかげで今日は自由だって思ったんだがな」

「うふふ」

 

 とかなんとか言って、寂しそうなところがあなたらしいというかなんというか。だからこそ私が相手をしてあげるわよと誘っているのに、あなたは本当に焦らすのが好きなのね? そこだけは私の性的嗜好に合わないのをどうにかしなくちゃいけないわね。

 

「だからシねぇっての」

「そんなこと言って、結局三人に増やしたのに」

「だからそれと白鷺は違ぇっての」

 

 今日はどうやら文化祭に向けた予定を立てているみたいで……ああ文化祭。確かこの間薫が客演として出てほしいとか抜かしていたわね。嫌よそんなのと一蹴したけれど私は諦めないとかキザなこと言ってたわね。何度来ても同じなのだけれど、はぁ鬱陶しい。

 

「ヒナがなぁ」

「最近忙しいものね」

「そうなんだよ」

 

 どうやら何かをしたいという意思はあるものの時間がないというのが今の状況らしい。サクっと話合える時間が取れればいいのよね? と私は素早く仕事用のスマホで日菜ちゃんのマネージャーに連絡を取る。どうせ日菜ちゃんのことだからそういうことは一切マネージャーに言ってないだろうし。

 

「というわけで、多分近いうちに纏まって放課後休みになる日が出てくるわね」

「お、おう」

「なに? もっとはしゃぎ回ってくれてもいいのよ?」

「キャラ間違えすぎだろ」

 

 借りを作ってしまった、というリアクションに私は思わず笑ってしまう。この程度のことでカラダを要求するほどヤクザじゃないわよ。こんな風にただ雑談をしているだけでも、私は降り積もったものを吹き飛ばされるような風を感じていた。ああ、やっぱり私は……あなたに恋をしているの。

 あなたにとって私はビッチかもしれない。穢れたカラダなのかもしれない。けれど、そうだったとしても、ただの子どもとしての私が叫び続けるの。あなたが、好きよと。

 ──例え、それが叶わないものだとしても。

 

 

 




子どもであり大人であり、千聖さんは難しい立場にいて、だからこそそんな自分をフィルターを通すことのなく見てくれるヒトに靡いていきます。
なにより追いかけてくるよりも手を引いてくれるヒト。彼女は大人っぽく振舞うからこそ臆病なところがあって、だから手を引いて新しい世界を見せてくれるヒトに恋をしてしまうのだという解釈です。


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第三章:星空のフェス
①交渉エンプレス


第三章、フェスの始まり!


 授業が終わり雨の天文部室、オレはヒナと文化祭でなにをするかというミーティングをしていた。学校内でのマトモな部活動なんて初めてで、ヒナとそれを笑いあいながら面白そうだと思うものを出し合ってた。

 

「でさ、進路相談ってだけでもるんってしないのに、脚をチラチラ見ながら話してくるし、カズ先生のこと悪く言うから、サイアクだったよー」

「まぁ、オレのこと悪く言わねぇ教師が少ねぇからな」

「確かにクズ教師だけどさー、なんかヤだなって」

「おい」

 

 ──マトモな部活動? してたよ、15分前まではな。ヒナが飽きてキスしたら、そんな気分じゃなくなったらしく、最近のお気に入りらしい膝枕で他愛のない会話を続けていく。脚云々は正直コメントに困る。コイツの脚は魅惑すぎるからな。今も頭を乗せていて、極上だと思っちまうし。

 

「あ、でもカズくんになら見られてもへーきだよ?」

「そりゃよかった」

「えっちしたくなっちゃうけど」

「へーきじゃねぇな、それは」

 

 そんだけでムラムラすんなよ。どんだけ持て余してんだよ。呆れてため息を吐いた時、机に置いてあったスマホが鳴った。ヒナは自分のだとわかると手を伸ばしてオレがいるのも構わず、通話ボタンを押した。

 

「もしもし、麻弥ちゃん? どしたの? うん、今部室だよー?」

 

 麻弥ちゃん、って大和か。ハナシには聞いたな。

 演劇部裏方のエース、大和麻弥。芸能事務所でも裏方をしていたヤツだが、白鷺にビジュアルを見込まれてPastel*Palettesに正式加入した、とはヒナから。人柄として、自信はやや足りないが、活動への真摯な態度とまた親しみやすい印象もあり、ファンからの人気も高い──と、演劇部の顧問の熱弁だ。もう慣れたな、このくだり。つかなんでアイドルとしての生徒も知ってんだよ。

 Pastel*Palettes……つまりオレを膝枕してご機嫌だった悪魔やオレにちょこちょこちょっかいかけてくる白鷺と同グループのメンバーってことだ。この二人のせいでアイドルの良い印象がねぇからちょっとばかしどうしていいのかわかんねぇけど。

 

「うん、うん……へー、そーなんだ。あ、それならいいヒト知ってるよー? うん、そうそう。お気に入りっぽいからさ」

 

 オトコのハナシ……みてぇだな。まさか大和もか、そうなのか。オレもうやだ。

 と、思ったところでヒナがオレを見て悪魔の笑みを浮かべた……え、なに怖、オレもそっちの話に巻き込む気かよ。

 

「……なんの話だよ」

「ん? ちょーっと、頼まれたことがあってね」

「頼まれごと?」

「うん。今回ね、演劇部の公演百回目なんだって、それで、客演を呼ぼうって決めたんだけど、その子が出ないーって言うからどうにかならないかーって、麻弥ちゃんから」

「……それで?」

「助っ人に先生を推薦しといた♪」

 

 意味わかんねぇよ。客演のヤツと知り合いでもねぇとそもそも交渉すら成り立たねぇだろ。

 ──ん? オレの知り合い? 客演、お気に入り。かつ大和とヒナ共通の認識がある……まさか。まさかな。

 

「あ、羽沢珈琲店で待ち合わせだって、行こっか」

「……おう」

 

 嫌な予感しかしねぇ。そう思って起き上がらずにいると、ヒナはまた、唐突にスカートを捲ってきやがった。今日は白に黒のレース。天使で悪魔なコイツっぽい、つかなんか気合い入ってるの、気のせいか? 

 

「……今日、泊まるね」

「紗夜に文句言われなきゃいいぞ」

「今日はカズくんに見てもらおうと思って選んだのに」

「……つか、初めから泊まる気だったろ」

 

 荷物多いんだよ。替えの下着とか入ってるだろ。ヒナだけじゃねぇけど、オレんちに寝巻きを置いてもお前ら、結局裸で寝るなら意味ねぇだろ。

 けど、大和が迎えに来るってことでオレは極上の枕から頭を離し、近くの駐車場から歩いて羽沢珈琲店まで向かった。

 

「……あら、今日は薫じゃなくて、貴方がネゴシエーターというわけね、先生?」

「やっぱりお前か……白鷺」

 

 そこにいたのは魔王、白鷺千聖。大和とヒナの会話はコイツのことだったんだな。そして白鷺の交渉にいいヒト、白鷺のお気に入り、それはオレのことだったと。身の危険を感じる。

 ──案の定、白鷺は下から上へ目線でオレを撫でると、うっとりしたような表情を浮かべた。

 

「ふふ♪ どうやら迷いは吹っ切れたみたいね。前より素敵な顔、してるわ♪」

「どうも……」

 

 寒気がした。蛇に睨まれた蛙の気分だな。というか、オレがコイツに対して持ってる交渉カードって一枚だけなんだが、そこんとこどうなんだよ。おい、知ってるか? カラダは売ったらダメだって教えるのが教師なんだが。なんでそんな教師が売らにゃならんのだ。

 

「千聖さん! 清瀬先生を好きにしていいですから、どうか客演、よろしくお願いします!」

「大和、お前のことぜってぇ恨むからな」

「恨まれたとしても、公演成功のためっス!」

 

 大和のやつ、思ってたのとなんか違う気がするけど。確かに真摯だ、でもやっぱ方向違うよな。この上原クラスのダイナマイトはあろうことかオレを生贄にしようとしてるからな。白鷺の前にエサを出せば釣れるだろうな。よかったな、おい。

 ──と、思ったものの白鷺はいつになくシリアスな雰囲気で首を横に振った。

 

「……いくら清瀬さんを自由にできても、その条件は呑めないわ」

「──!? ど、どうしてっスか!? 先生とヤりたい放題っスよ!?」

「ち、千聖ちゃんが……カズ先生をフるなんて」

 

 おいこらそこのパスパレ羽丘ガールズ。白鷺に対して幾らなんでも失礼だろ。コイツは、一応女優としての矜恃と誇りを持ってる。男でホイホイ釣れるような尻の軽いヤツではないと思うけどな。いや尻の軽いビッチではあるが。

 

「ふふ、清瀬さんは、どうやら理解してくれているようね」

「まぁな。白鷺が三つスマホを持ってる時にはなんとなくそうだと思ったよ」

「え、どうゆうこと?」

「多分、ヒナには一生わからんだろうな」

 

 白鷺には芸能人としての白鷺、ただのJKとしての白鷺、性行為を娯楽として楽しむ白鷺、三つの顔があるんだよ。望んでそうなったワケじゃねぇと思うけどな、そうやって分割することで、うっかりすると潰れちまいそうな世界でひとり、コイツは生きてきたんだ。

 端的に言えば、文化祭の客演、なんつう中途半端な仕事は引き受けたくねぇってことだ。

 

「簡単に言うとね、薫の前で、女優の顔を保っていられる自信がないのよ」

「……そんな」

 

 大和は落胆するが、そこは白鷺を分かってやらねぇお前らが悪い。まぁ、難解な女だとは思うから知らねぇ方が人生としては幸せだろうよ。知ったら食われかねねぇし。魔王だとか女帝だとかオレは表現するけど、コイツはまだ高校二年生のクソガキだ。大和や、ヒナと同じ歳なんだよ。だから、オレは大人として、ガキに言葉を向けてやるさ。

 

「だからこそ出たらどうだ」

「……どうして?」

「お前はたかが文化祭の公演ごときで揺らぐような安い女だと思ってねぇから」

「高く買ってくれるわね」

「そりゃ、ガキ相手に勝てねぇって思ったのはお前だけだからな」

「それはいいけれど、私が()ると言えば貴方は私とヤることになるのよ?」

「教師だからな。生徒の、しかもヒナがそうしてぇって思ったことはできるなら叶えてやりてぇんだよ」

 

 そりゃあ食われんで済むならそれに越したことはねぇけどヒナが、白鷺が出た方が面白ぇって思っちまってんだから、しょうがなくはないけどなんとかしてやりたいさ。それに同性殺しの王子様である瀬田と天使のような微笑で男女問わず騙してきた白鷺のダブル主演なんてわくわくするよな。オレだって、観てみてぇって思っちまうんだから。

 

「カズ先生……えへへ」

「……本気になってしまいそうだわ」

「カレシいんだろ」

「カレがいたら、本気になったらイケナイのかしら?」

 

 いやダメだろ。不思議そうな顔で訊くなっつうの。どこまで自由なんだよ。そう思った瞬間、白鷺の表情が変わった。

 うっとりと魅惑の表情。きっとファンには一生しねぇだろうなとわかる、そりゃもう甘すぎる毒を伴ったむせかえるほどの、情欲を見せてきた。

 

「清瀬さん……今からはどう?」

「ヒナとの用事があるから無理だな」

 

 コレは確かに男には抗いがたいな。魔王の魅了に踊らさせるのも悪くねぇと思うくれぇの雰囲気だ。けど、やっぱりお前かヒナか選ぶとしたらヒナだって即答するさ。なにせ、オレはクズである以上にクズ教師だからな。教え子の方がかわいいに決まってんだろ。

 

「そう……残念。それなら、文化祭準備中に借りるわね」

「うん、蘭ちゃんとモカちゃんがいいってゆーかわかんないけど」

「ふふ、そうね。あまり外向きでない蘭ちゃんとモカちゃんを魅了した清瀬さん……うふふ、どういうテクを持ってるのかますます興味が出てくるわ♪」

 

 やっぱり、コイツは魔王で、悪魔の女帝だ。特に嫉妬深く束縛癖のあるモカのこと、敵とすら思ってもねぇんだから。つか楽しそうだな。きっとオレと同年代ともヤったことのあるお前からしたら、オレなんか取るに足らないだろうに。それでも迫ってくるのは、やっぱりオレの肩書か? 

 

「お前は、オレのどこを見てそんなに誘ってきやがる?」

「先生だって言うのもあるけれど……なにより、日菜ちゃんがあんまりにも必死に教えようとしないから、かしら」

「だって千聖ちゃんはそーなると思ってたもん」

「寝取り、というのもやってみたい気持ちだわ」

 

 知らんし、それで本気になったら既にオレが寝取ってることになるから後味悪いしで最悪だな。オレにそっちの趣味はねぇ。特殊なプレイは見るだけで十分だってヒナに思い知らされてるからな。

 ヒナと白鷺は、それからなにやらオレのとある部位のサイズのハナシに花が咲いてる。咲かすな、つか具体的にサイズを手で表現するなヒナ。

 

「……えと、あんなにおっきいんですか」

「大和……」

「あ……すいません。カレ、あ、いえ、気にかけてくれてる男性はいるんスけど……フヘヘ」

 

 よかった。大和は純情系だったか。どうも先にヒナと白鷺を見ちまったせいで大和もそうなんじゃねぇかって思ってたんだよな。あまり他人には聞かせられないようなハナシで盛り上がる二人を見ながら、大和は苦笑いをしていた。

 

「なぁ、パスパレって五人だよな」

「え、あ、ハイ……あと、彩さん、イヴさんっスね」

「……大丈夫なのか?」

「イヴさんは、ハイ」

 

 なるほどな。けどヒナはメンヘラで白鷺はクソビッチ。それに加えて、大和も濁したもののカレシがいて丸山とやらにもどうやらソレっぽいのがいるらしい。アイドルっつっても中身はJKだもんな、よっぽどの覚悟じゃねぇと仕事は恋人にならねぇってことだ。そんな丸山彩と若宮イヴの印象の話をしていると、大和はポツリと呟いた。

 

「清瀬先生は、なんというか、授業とは印象が違いますね」

「まぁな。いつもは影薄くサラっとすませてるしな」

「……それじゃあやっぱり先輩から聴いた()()()は本当、なんですか?」

「さぁ、どうだろうな?」

 

 我ながら下手な誤魔化し方だな。これじゃあ肯定とそう変わりゃしねぇよ。ただ、肯定してやるからこれ以上その話題に触れるなっつう意味も込めてるからな、大和もそれを深く訊くことはしてこなかった。

 ウワサ、ウワサか。そうだよな。アレがあった時に高等部の生徒だったのは今の三年だけ。しかも先輩が吹聴したのを聞いた程度だろうからな。確定情報はもう出回ってはいねぇか。

 

「まぁ、ウワサがどうであれ、今日はありがとうございました。お陰様で千聖さんを客演に呼べました」

「おう、オレは大事なもんを失うんだから間違いなく成功させろよ? あ、あと天文部なにやるかとか決めてねぇけどそっちの宣伝もよろしくな」

「ええ! その辺りはご心配なく!」

 

 大和は賢いヤツだな。コイツも、テキトーにバイトして、時々サボったりしてドヤ顔で社会経験とか言うクチじゃなくて、スタジオミュージシャンとして、またアイドルとして、本物の社会っつうもんを感じてる。まぁ言わば大人に片足を突っ込んでるっとこだな。白鷺やヒナとは大違いだけど。やっぱコイツもどこか他のガキとは違うよな。

 

「それじゃあ、また文化祭準備中に……楽しみにしていますね♪」

「はぁ……んじゃ、またな」

「まったねー!」

 

 羽沢珈琲店と後にして、ヒナと商店街を歩いていく。色々話をしたが、なにはともあれ、当初の目的通りオレが大義のための犠牲になって、魔王の交渉に成功か。あーあ、あんなカッコつけといて蘭になんて説明するんだよ。モカにも、なんて言い訳すれば陽の光を浴びれるか考えとかねぇとな。

 

「……そういや、ヒナはよかったのか?」

「なにが?」

「いや、オレが白鷺とヤることになったことだよ」

「そりゃ、カズくんがとられちゃうのはヤだよ……でもね」

「ん?」

「千聖ちゃんが、今日って言った時に用事があるって言ってくれたのが、嬉しかったんだ。あたしは仕方なくじゃないんだ、ってわかったから、トクベツに許してあげることにしたんだ!」

 

 ──ヒナは、いつもと変わらない笑顔だ。傘を一回転させて、イタズラ好きなひまわりを咲かせて、オレの傘の中に素早く滑り込んできた。

 ヨメ、トオメ、カサのウチ……美人の条件として、半ば笑い話のように語られる原則。共通点は、明け透けに言えばヒトには見えにくいってことだ。そりゃ煙る視界じゃ、相合傘をする二人が唇を重ねていても、気づかねぇもんだ。

 

「ん、その代わり……さ、今日はいっぱい、シて?」

「泊まるんだろ?」

「うん」

「ヒナの好きにしろよ」

「……うん!」

 

 オレはとことんまでヒナに甘い。そんくれぇ自覚してるさ。けどコイツは教師を辞めようとしていたところに困った笑顔でやってきて、オレに新しい意味をくれた。性欲が強くて、メンヘラで、困ったヤツだけど……ヒナは、やっぱりオレの悪魔(てんし)だ。道に迷った時に現れて、示してくれる。そんなヤツのこと、甘くならねぇわけねぇんだよ。

 

「千聖ちゃんのこと、本気になっちゃダメだよ?」

「ならねぇよ」

「わかんないよ? 千聖ちゃんが本気で気に入ったヒトは毎日でもえっちするんだって」

「それは待て……ソースを提示しろ」

「千聖ちゃんのマネージャーさん」

「……マジかよ」

 

 そりゃあ確かな情報源だな。けど、やっぱりオレにはその二人のことをイマイチ理解しきれねぇ。その情報を知ってるマネージャーとやらは確か白鷺のカレシだよな。いくら自分も手を出してるとは言え、生徒たちが他の男にも腰を振ってると思うとなんとなくモヤモヤする。感覚が違うだけかもしれねぇけどさ、あの関係にはなんとなく違和感があるんだよな。

 そんな言い切れない感覚が顔に出てたのか、ヒナはシャツの袖を引いてきた。いつもよりも数段控えめな主張だな。

 

「難しく考えすぎだよ」

「そうか?」

「うん。カズくんは先生だもん。きっと千聖ちゃんのこと、さっきみたいにわかってあげられるよ」

「そうか。つかいつの間にか、ガキの相談に乗ること多くなっちまったな」

「それがホントのカズくんの先生としてのスタイルでしょ?」

 

 ヒナの言う通りだな。生徒が必要以上に抱える荷物を取り除いて、背中を押す。それが本来はあのクズ教師が取っていたスタンスだ。

 教師とは鏡であれ。目に映るその生徒を理解し、読み取り、より良き道を見つけられるようにしてやれ。クズ教師に教わったことはねぇけど、オレはあのヒトからそうするのがあるべき姿だと思った。オレは違う道を歩みてぇと思っていたけどどうやらちゃんとまだ、燻っていたみてぇだな。

 

「けど、まぁ全生徒は無理だな。オレにそんなキャパはねぇよ」

「でもさ、その分あたしもカズくんもオイシイ思いできてるから、アリだよー?」

「整体通い始めて薄い封筒がますます薄くなった」

「そんなかわいそうなカズくんをあたしが癒してあげるね?」

「それが原因なんだけどな?」

 

 オレの理想に照らし合わせるなら全員なんだが、関わった全員なんてとても不可能だ。オレはそこまで聖人にはなれねぇし特別な感情を抱けねぇ。けど、オレにはヒナがいて、モカがいて、蘭がいる。せめてその三人には高校の時にそんな教師がいたな、ってことを覚えてくれりゃ、オレはそれで満足だ。

 ──ヒナの記憶にも、残るんだろうか。コイツは記憶の取捨選択ができすぎるから、きっと忘れないでいるのか、それともいらない記憶としていつかは処理されるのか。訊いてみてぇと思うけど、怖くて訊けねぇな。大事なヒトに忘れられるのは、キツいからな。

 




忘れたのは果たしてどっちなんでしょうね。



ところでどうでもいいけど評価のガイドラインくらい理解してから評価してくれ。いちいち報告すんのめんどいからさぁ


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②歴戦ポイズン

 元子役で女優、そしてアイドルでもある才媛、白鷺千聖と、羽丘女子学園演劇部が誇る魅惑の王子、瀬田薫による夢の舞台、『ロミオとジュリエット』という触れ込みはどうやら近隣の学校にすら広まっているらしい。かのウィリアム・シェイクスピアもまさかあの作品に百合の花を咲かせられるとは思ってもなかっただろうな。ヒナと一緒に興味本位でチラリと練習を除いたところ、瀬田の甘いボイスはまるで女性しかいない歌劇団の男役みてぇな華やかさがあった。普段から演技がかってるが、それはまだまだ序の口だってことを思い知らされた。

 

「ならどうして、アンタはそんなビミョーな顔してんの?」

「んー、なんて言うかな、瀬田と白鷺が噛み合ってねぇんだよ」

「噛み合って……ない?」

「温度差がある気がすんだよな」

 

 少なくとも、主役二人くらいは見てる世界を一緒にしないといけねぇよな、なんて言ってみてぇけどオレは演劇に詳しいわけでもねぇからよけいな口は挟まなかったけど、ヒナもちょっと変な顔してたな。オレの腐った感性なんかはアテになりゃしねぇけど、実は芸術もピカイチに天才的なヒナの感性は、あれで結構アテんなる。だからこそ白鷺に言おうかどうか悩んでるところなんだが。

 

「言えばいいんじゃないの?」

「お前に言うのとは違って、明け透けにしゃべる相手でもねぇからな」

「面倒だね」

「面倒ってのはお前にだけは言われたかねぇな」

「は? ケンカ売ってんの?」

 

 蘭はそんな風に眉を吊り上げてくるけどあのな、ひとつ言ってやる。殴り合いの会話がしたかったら、とりあえずオレの脚の間から退けよ。

 ──とまぁ、今日は晴れちまってることもあって、オレは屋上の手摺に背中を預けて座り込み、蘭がその脚の間に座って背中を預けて、お互いの体温で幸せいっぱいのカップル状態だった。今週は文化祭準備でヒナばっかりにかかりきりであんまり構ってやれなかったせいか、めちゃくちゃ嬉しそうだ。

 時々キスをせがんできては応えてやるたびに微笑む蘭、なんだろうこの妙にかわいい生き物は。

 

「ん……でもさ、一成がそう思ったなら、少なくとも千聖さんには言ったほうがいいよ」

「そうか?」

「元々アンタが焚きつけてるんだから、責任取るのがフツーでしょ?」

「カラダ差し出してるのに?」

「カラダ差し出してるのに」

 

 それ以上を要求はいくらなんでも強欲過ぎだろ。魔王だけあって七つの大罪コンプリートする気かよ。つかそもそも蘭がアッサリと白鷺の、清瀬さんを借りるわね、に対して、いいよ、と頷いたのが解せねぇんだけど。オレさ、約束では一度だけとはいえ、お前の三つの要求外の女とヤるってことなんだけど。

 

「……妬かないワケじゃないけど。アンタはそういうヤツだから」

「割り切れるもんなのか」

「じゃあやめてくれるの?」

「……今更は無理、だな」

「ほら」

 

 確かに、やめられないし止まらない。オレが教師としてやる気を見せれば見せるほどヤっちまうのが現状の三人プラス白鷺だしな。蘭としては割り切るとか割り切れないとかじゃなくて、そこは駄々をこねても無理だってだけだったのか。本当にどうしようもねぇクズで悪いな。

 

「でも、一成がクズだから、アタシはこうしてアタシである意味を知った。最低だけど最高のヒトだよ」

「……蘭」

 

 吹っ切れた蘭は、前よりもずっと、いい女になった。ビジュアルとかスタイルじゃなくて、青春とロックの融合に磨きがかかった。モカも最近の蘭は前よりもエモい、とか言ってたな、オッサンのオレには、エモい、がよくわかんねぇけどさ。もたれかかって甘えながらカッコいいことを言えるコイツは、やっぱオレが思う最高のロックだよ。

 

「先客がいたのね……お邪魔しちゃったかしら?」

「いや、いても関係ねぇから」

「アタシが気にするって」

「白鷺相手に気を遣う必要あるか?」

「清瀬さん? それはどういう意味かしら?」

 

 そんな教師としての束の間の休息を取っていると、屋上に邪魔者が現れた。お邪魔だと思うならUターンして帰ってくれてもいいものの、わざわざ近づいてくる。邪魔だと思ってねぇなら言うんじゃねぇよ、馬に蹴られて死ねよ。

 そんな悪態をつきつつも、白鷺の方へと頭を切り替えていく。頭に手を置き気にする、と言ったくせに不承不承の顔をする蘭を後でな、と宥めてから立ち上がった。

 

「んで? オレと蘭が屋上にいるの知ってたのにもかかわらずわざわざここまで来た白鷺は、なんか用でもあんのか?」

「随分言葉にトゲがあるわね?」

「気のせいだろ」

「……まぁいいわ」

 

 嘆息した白鷺はそう言って西日に目を向けた。いつもの女帝のような、誰をも煙に巻き絡めとってしまう妖しい雰囲気とは打って変わって、十代の少女の顔をした白鷺は、ポツリと今の練習が上手くいっていないことを話しだした。

 つか、やっぱ上手くいってなかったんだな。そしてコイツが瀬田の前では女優でいられる自信がねぇって意味も語ってくれる。

 

「薫とは、腐れ縁なのよ。小さい時から、ずっと」

「あの王子様とねぇ」

「……王子様、そうね、みんなにとって瀬田薫は、キザで、芝居がかっていて、貴公子。みんなのことを子猫ちゃんなんて言って甘い言葉を吐く、王子様よね」

 

 口振りが意味深で、オレと蘭は顔を見合わせた。まるで、それじゃあ白鷺にとっての瀬田はどういうヤツなんだ? って訊いてほしいみてぇな。腐れ縁で、仲の良かった瀬田の、何かを知ってるってことだよな? 

 

「千聖さんにとっては?」

「おばけが怖くて、引っ込み思案で、よく私の後をついて回ってきた、かわいらしい子」

「……瀬田のこと、だよな?」

「ええ、昔の薫は、あんな風ではなかったわ」

 

 いや、幼少期からアレは流石に引く。けど、白鷺の言葉通りなら、本当は臆病で親友の袖をいつも引いて、二言目にはやめようよ……現在との差がありすぎてイメージ湧かねぇけどつまり、今のアイツのキャラクターは、鎧だって、言うのか。

 

「それに、私の『ロミオとジュリエット』の解釈が薫と決定的に違うのも原因だわ」

「解釈……そっか、お前と瀬田を同時に制御できるヤツなんていねぇだろうしな」

「そうね」

 

 そうねじゃねぇけどな。オレは芸術には詳しくねぇけど、『ロミオとジュリエット』くれぇならストーリーも知ってる。授業で使おうってんで原文をなんとかして読んだことがあるからな。

 あれは日本でこそ悲劇としてポピュラーだけど、その実で恋愛を題材にした王道の喜劇でもあるし王道のロマンスでもある。ラストはそれこそ悲劇的だけど、なんでそこで間違えるんだよって笑えちまうし、死して添い遂げるってすげぇなっつうロマンスでもある。途中途中も、原文は喜劇寄りで割とエロい表現も多いし言葉遊びも多い。

 だからこそ難しい。女子高の劇で原文から訳すにはそれなりに削らなきゃいけねぇし、悲劇にするか喜劇、どっちかに振り切ったほうがいいもんができる。そうするとやっぱ日本人には悲劇のほうが馴染み深いよな。

 ──とまぁこんな風にちょっと聞きかじっただけでもコレなんだからそりゃあ成功しねぇよな。

 

「……薫は、認めたくないけれど天才よ。役になりきる力は、私が見てきた誰よりも……けど、私はジュリエットのようには考えられない。すべてを捨てる彼女の気持ちが、わからないの」

「千聖さん……」

 

 なんだかんだ苦しんでんだなコイツも。どんなに才媛でも悩みは尽きない。ヒナだってギターの演奏で首を傾げてる姿を何度か見かけてるし。能力が高けりゃ悩みがないわけじゃねぇ。苦心がねぇわけじゃねぇ。むしろ能力が高いから、そのスペックの上に悩みを置く。白鷺は、相手もそうだってことを忘れてやがるな。

 瀬田だって、当然のように悩んでるよ。お前との差異にきっと今も頭を捻ってる。演劇部の花形としての責任として、この舞台を成功させるために。

 だったらオレはそんな白鷺の背中を押した責任を取るために、素人とはいえ口を出していくことにする。

 

「白鷺は、白鷺千聖が、嫌いなんだな」

「……え?」

「お前は、名前に縛られることを嫌ってる。嫌ってるけど、その名は捨てられないから、すべてを捨てたジュリエットを拒絶するんだろ?」

 

 オレだって名前を知ってたくれぇだしな。元子役で現役高校生女優、白鷺千聖。それはコイツが歩んできた道についた轍の名前だ。決して、今こうして、屋上で苦心を吐露するヤツに向けた名前じゃねぇ。きっと、文化祭のポスターにも書いてあんだろ、()()白鷺千聖が客演ってな。

 同情するよ。だからこそ、お前は三つのスマホを持ってるんだろ? 自分の名前を呼ばれるためにな。

 

「お前が役に向けてるモンは嫉妬だよ。お前は決して成れないものを演じようとするうちに、感情移入しすぎて空回りしてやがる。相手は羽ペン持ったオッサン、そう思っとけよ」

「そう、そうね……」

「それに、瀬田のことも。なにもかも自分の中で処理できんのが大人じゃねぇんだよ」

 

 大人にだって、自分の中で処理しきれねぇことはある。オレだって最近、ガキに教えられて知ったことだけどな。

 ヒトは、一人じゃ生きていけない。起こったことを自分の中だけで完結させようとしてたら、いつかは破裂しちまうよ。

 

「じゃあどうすれば……いいの?」

「言えばいいんだよ。瀬田が過去を重く閉ざして、隠してたとしても、悪戯に、()()()()()暴いちまえば、案外悲劇も喜劇に変わっちまうもんだ」

「……あなたは、ずるいヒトね」

「大人だからな」

「一成はクズ、ですから」

「おい」

 

 つかお前、ちょっと黙ってたと思ったら急にソレか。しかも白鷺にもヒナにも敬語なのになんでオレには最初っから敬語じゃねぇんだよ。納得できねぇし、ヒナにそこまで尊敬できる要素ねぇだろ……と思ったが、ヒナのギターを凄いって言ってたのは蘭だったな。ちくしょう。

 

「うふふ……ねぇ、清瀬さん? もし、もしもそうやって、()を演劇部の前で晒して、うまくことが運んだなら……なにかご褒美、とか貰えるのかしら?」

「準備中はオレの生徒として扱う……って契約だろ」

「それならそれなりには、期待させてもらうとするわ……頑張ってくるわね♪」

 

 光を棚引かせて、白鷺は優雅に、今までの葛藤がまるで嘘のように屋上のドアを開け、再び演劇部という舞台の場へと躍り出ていった。裏方として取り残されたオレと蘭は苦笑しあい、また、元の位置へと戻っていった。

 

「はぁー、アイツと会話するとどっと疲れる」

「お疲れ様……カッコよかった」

「それは補正かけすぎだな」

「一成の言葉も、ロックだった」

「そりゃあ勿体ねぇ言葉だ、サンキュ」

 

 蘭の肩に頭をうずめると背中越しに頭を撫でられ、頬にキスをしてもらった。蘭を抱きしめて、労ってもらう。実家のような安心感、とはこのことだろうか。10年近く帰ってねぇからよくわかんねぇけどな。けど、蘭の手の温かさ、唇の熱、離れがたいぬくもりだ。

 

「それで、千聖さんの言ってたご褒美、今日あげるの?」

「今日は蘭がいるからなぁ……どうするか」

「アタシ、週末でもいいよ」

「それなら今日も週末も逃げてぇ」

「どっちかにしよ?」

「仕方ねぇ、そうするか」

 

 こんなのホントに誰にも見せられねぇな。結局、蘭は土曜日にオレんちから直接バンドの練習に行くことになった。オレは文化祭準備あるってことで送りついでに出勤、まぁ妥当なとこだな。

 白鷺のスマホに今日、空けてやったとメッセージを送ったところ、一時間ほどしたころに、それじゃあ屋上で待っていて、と返事が来た。おお神よ、私は今から悪魔の王にこのカラダを捧げるのです、という悲壮な決意だ。見かねた蘭がまた慰めてくれた。最近、なんつうか生徒に甘えっぱなしだな。

 

「アタシは別に、好きでやってるから」

 

 そうやってはにかむ蘭の笑顔はまさしく、オレがずっと見つめた黄昏のような優しさがあり、ますますドツボに嵌ってしまうんだけどな。あれ、オレって結構堕ちやすい性格だったっけか? それを訊くと肯定されそうな気がしたためやめておいた。

 ──蘭、と蘭を迎えに来た羽沢に見送られ、白鷺はオレの車に乗り込んだ。助手席で早速脚に手を這わせるな、おい。

 

「さて、デートしてからホテルね♪」

「18歳未満がロクでもねぇデートコース指定してくんじゃねぇよ」

 

 知ってるか? ラブホって18歳未満は立ち入り禁止なんだけど。しかし、やはりというべきかコイツにとっては今更らしく、バレなきゃいいのよ、と微笑まれた。蕩けるような笑み、魔王に相応しい、蠱惑的な瞳だ。

 

「そうやってオッサンどもをホイホイしてきたのか」

「そうね、大人であればあるほど、性的に魅力があることに喜ばないヒトはいなくなるわね」

「カレシもか」

「……うふふ」

 

 なんだその意味ありげな目線は。ジロリと睨むと、白鷺は勝手にヒトのカーナビの行き先を操作し、指定した。タクシーかよオレは。とは言え、これは契約でもあるから従う。まぁいいや、振り回されてやるよ。そう思ってナビ通りに進路変更した。

 

「本当に、本気になりそうだわ」

「カレシは?」

「気づいてない、というわけではないのでしょう?」

 

 は? 気づいてはねぇよ。違和感があるなってだけだっつうの。大和の話を聞かなきゃよかったと心から思ったけどな。

 コイツは、オレに会った時、真実の中に嘘を混ぜ込んで話をしていた。真実ってのは男を食い荒らしてること、初めてはマネージャーだったこと。

 

「やっぱカレシってのはウソかよ」

「半分はね、今の彼は彼で夢中なヒトがいるから」

「丸山か」

「知っていたのね」

「ヒナがベラベラしゃべってくれたよ」

 

 パスパレ結成時、マネージャーがいたのは白鷺と若宮の二人だけ。だからそれ以外の三人はプロデューサーと各マネージャーで受け持つことになった。めちゃくちゃ手に余るヒナはプロデューサーの管轄、大和は若宮のマネージャー、そして白鷺のマネージャーは、そこで運命の出逢いをした。今じゃラブラブのカップルなんだとか。白鷺とは少しだけ関係を結んだらしいが、結局は仕事上の付き合いになってるらしい。

 以上、ヒナにちょっと訊いたらいらんことまでしゃべってくれたよ。だからもしかしたらコッソリ二股でもかけてんのか、とも思ったが、やっぱり予防線か。

 

「本気じゃねぇってアピールが目的か?」

「ええ、中には関係ないってヒトもいるでしょうけど、大半はそれで割り切れてしまうから」

「オレにはちょっと味付けが濃すぎたな」

「あたはが強情だから、ついスパイスを多めにしてしまったのよ」

 

 けどきちんと男関係は把握してる上に本気になられたことのあるマネージャーはコイツの裏の顔を知ってる。確かに、近い存在でもあるし、大和が言うにはアイドルあるあるらしいからカモフラージュには最適だったってわけだ。結局アイドルのことは純粋な目で見れなくなったけどな。

 

「それで、フリーだって知った清瀬さんは……どうするの?」

「どうもしねぇよ。生徒にカレシがいるかいねぇかで変わるわけねぇだろ」

「そうね。関係ないけれどこれで、私が本気になってもあなたの心が痛むことはなくなったわね?」

「……わかってんなら最初から訊くんじゃねぇよ」

 

 寝取りは趣味じゃねぇからな。ギラついたお前の目を躱すだけで済むならいいんだが、それでカレシに恨まれたりしたら最悪じゃねぇかよ。その心配をしなくていいってんなら、オレだって中途半端な扱いをしなくて済むしな。

 そんなロクでもない安堵をしていると、目的地が見えてきたらしくナビの音声案内が流れた。白鷺の指に従ってウィンカーを出すと、そこにはちびっこがお城だと瞳を輝かせそうな建物が目に入った。

 

「あそこよ」

「あそこよ……って、ラブホじゃねぇか」

「ええ、サービスは悪いけれど、チェックが緩いから制服姿の女子高生でも問題なく利用できる18歳未満立ち入り禁止のホテルよ♪」

「……デート、とは?」

「ドライブしたじゃない。それに……焦らされるのはシュミじゃないの」

 

 いやお前の性癖とか知らんがな。しかしここで引き返そうものなら後が恐ろしそうなコイツに逆らうわけにもいかず、駐車場を止める。うわ、しかも高ぇじゃねぇか。サービス最悪のくせにナメてんのか。

 ──エンジンを止めたはいいものの、いろんな理由が重なって躊躇っていると、いつの間にかシートベルトを外していた白鷺がオレに迫ってきて、耳元でねっとり、甘い毒を含んだ声で囁いてきた。

 

「……はやくして、待ちきれないのよ? ()()

「てめぇ……」

「ふふ、イケナイこと沢山教えてくださいね……先生?」

 

 はいはい、今更逃げやしねぇって。つかそのまま部屋でも先生っつったらヤらねぇからな。

 しかしそれは白鷺には完全に予想の範疇内の反応だったようで、ニマっと笑った魔王は、また蕩けるような瞳で、オレを誘惑してきやがった。

 

「先生って呼ばれるのがイヤなら、私のことはきちんと千聖って呼んでくれるのよね?」

「つくづくオレを嵌めやがって」

「ハメるのは今からでしょう? ほら、偶には、ブレザーじゃなくて、セーラー服もいいと思わない? ねぇ、一成さん?」

「ぜってぇ恨むからな……千聖」

「ええ、是非……恨まれたとしても、私はもう、貴方の虜よ♪」

 

 車に乗ってからここまでの会話全部が、女帝の手のひらの上、って……コイツはホントに悪女だな。まぁ、他の三人に比べてコイツはオレと同世代のヤツをも堕としてる歴戦の猛者だもんな。手練れに決まってるんだよな。

 ──さて、オレは今から、クズを嘲笑うクズに成り下がるとして蘭に、つかそれよりもモカになんて言おうか。当然、口添えはしてくれんだろうな? もうお前だって無関係とは言わせねぇからな、なぁそうだろ千聖? 

 




ヒロイン増えました! 増やしてよかったのかは未だによくわかっていないけれど。まぁ好きでいてくれるヒトがいるならそれでいっかなぁって


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③狂気リビドー

 とある日を境に白鷺千聖が羽丘にやってくる日が倍増した。演劇部のメンバーもそんな彼女の熱意にアテられたようでいつも以上に練習に精を出している、と瀬田は語ってくれた。良い方向に転がってくれて助かってるよ、ホントにさ。

 

「先生が千聖を説得してくれたのでしょう? 頑固な彼女をオトしてみせたその手腕、是非とも知りたいものですね」

「訊くな……そんなキレイなもんじゃねぇからな」

 

 格式ばった……本当に演劇の世界から抜け出てきたような口調でしゃべる瀬田は、オレにきちんと敬語を使うヤツだった。しかしオレはコイツが苦手だ。なぜならコイツとしゃべってると取り巻きに囲まれるハメになる。しかも教師ってんで一応はスルーされているが、一部にはヒナと仲いいこともあり、とある噂まで蔓延してやがるもんでまぁ面倒なことになってるしな。どうやらヒナや今井は瀬田ファンクラブの皆様の仮想敵キャラらしいな。よかったな千聖、瀬田の本来を暴いたのが非公開の場で。

 

「んじゃあ、演劇、頑張れよ」

「ええ、必ず」

「ヒナー、先行って部室のカギ開けとくから」

「はーい!」

 

 そう言って堪えてた欠伸をしながら職員室へと向かう。金曜と土曜の昼までは約束通り蘭に使って、そこから日曜も含めて千聖とヒナに付き合わされて、昨日は突然モカが泊まりに来た。おかげで寝不足だよ。というかそろそろ平日にまで泊まりにくんのはやめろっての。出勤ついでに朝には叩き起こして家まで送ってくんだけどさ。

 しかも唐突だったから、すっかりモカに千聖のことを言うの忘れてた。どうすっかな、つかオレ一人でモカがどうにかなるとは思えねぇんだけど。ちなみに、ストーカーでもあるモカを唯一振り切る方法は車を使うこと。流石にJKのアイツが車に追いつける足はねぇってことだな。

 そんなモカへの対処を考えながら天文部のカギを片手に職員室を後にしようとすると、ドアが開かれ、小柄で可憐な黄色い花が咲き誇った。

 

「失礼……あ、ふふ、失礼します♪」

 

 演劇部の顧問が、白鷺さん、こっちこっちと嬉しそうに手招きをしていた。おい、流し目を送ってくんな。意味ありげに微笑むな、手を振るな。おかげで近くにいた同僚に質問責めにあった。攻略してねぇ、ヒナの関係で知り合っただけだっつうの。つかお前らあの白鷺千聖って言っても十代のガキだからな? うらやましいとかもう通報してやるからなお前ら。

 

「はぁ、ったく」

「仕方ないわよね。あなたは注目されるだけのことを私にしているのだから」

「うーわいつの間に、もうちょい休ませてくれねぇの?」

「行き先がわかってるもの、先回りは当然だわ」

 

 部室の前でカギを開けて中に入った途端、後ろには噂の美人女優様がさっきとは違った微笑みを称えていた。

 そりゃもう餌を見つけた、って感じだな。文化祭中は生徒扱いなのでしょうとか言い出し押し切られて日曜も抱いちまったせいで、結局一度きりっつう契約もうやむやにされちまってるしな。

 

「ここって……人気ないのよね?」

「まさか、ここほど人の往来の多い部室もねぇってくれぇだよ」

「ふふ、かわいいウソね、誘っているの?」

「んなわけねぇだろ」

 

 ヒナが苦笑い気味に言うには、オレは千聖に火を点けちまったらしい。すぐに迫ってくるおかげであんまり会話できてねぇから、今日こそ、まともで健全な会話をさせてくれ。そう思って必死になってキスをしようとしてくる魔王の肩を掴んだ。つか練習しに来たなら部室行けや。

 

「モカのこと、忘れてねぇだろ?」

「ええ、けれど……私の言葉も、忘れてないわよね?」

「忘れたな」

 

 焦らされんのはシュミじゃねぇってか? お前がそうやって迫ってばっかりだからこっちが焦れてんだよ。お前にとってはモカなんてテキトーにあしらえる相手かもしれねぇけど、オレにとってはヒナより怖ぇヤンデレなんだよ。

 ――かくなるうえは、我が身を犠牲にってか。いっつもこんなんだな、そろそろ泣いてもいいかもしれんな。

 

「いじわるなこと言うのね?」

「わかった……わかったけど、屋上でな」

「あら、素敵な場所を知っているのね♪」

 

 ヒナにメッセージを送ってから、階段を上っていく。最近、雨の日も少なくなってきたな。本格的に夏になれば、屋上は死の世界に姿を変えるけど、日陰もあるし、まだ大丈夫そうだな。

 そんな日陰で、隠れるようにセーラー服(たこう)の生徒に迫られ、舌に乗せられた甘い毒を呑み込む、いつも通りのクズ具合に、我ながら呆れちまう。つか今日はそれが狙いで屋上に来たわけじゃねぇよ。知ってるか、千聖、屋上には悪魔が住んでんだ。とあるクズ教師に憑いてる、やべぇ悪魔がな。

 

「お楽しみのところすいませ~ん」

「……モカちゃん」

「どーも~、ちょーぜつびしょーじょのモカちゃんで~す」

 

 いつもの口上、張り付けた笑顔。予想通りキレてやがる。気をつけねぇとオレの命に関わるか一生をモカに縛り付けられて生き地獄を味わうかの二択だ。嘘みてぇだろ、コイツオレのこと好きって言って憚らないメンヘラストーカーなんだぜ?

 

「邪魔しないでもらえるかしら?」

「いやいや~、そのクズせんせーはあたしのなんで~」

「ふふ、彼のいち生徒でしかない貴女が所有権を主張するなんて……倒錯しているのね」

「……ねぇせんせーなにこの女、あたし、浮気するヒト増やしていいっていった? そもそも浮気もヤなんだけどさ、それでもまだ蘭や日菜さんなら納得できてたんだけどいくらなんでも節操なくない? やっぱりあたしがちゃんと性欲管理してあげないとダメなの?」

「大変ね、あなたも」

「ちょっと前まではこの枠、ヒナだったんだがな」

 

 いや、ヒナも根はこんな感じだけどな。アイツはなんだかんだその辺の精神の成熟ができてるとは思う。泊まると偶に言動がぶっ飛ぶから、そん時くれぇはちゃんと受け止めてるけど、ヒナはそもそも認められたいって欲と興味が混ざった上にオレが流されたから歪んじまっただけで、本来は賢くてかわいらしいヤツなんだよ。

 けどモカは最初からこんな狂気を常に放出してる。虎視眈々とオレが教師を辞めちまうところを望んでるし、道半ばで倒れたら自分のものになると本気で信じてる。コイツは、依存してねぇとダメなヤツだからな。

 

「モカはどこにも行かないでって泣いてるだけだよ。さみしがりなヤツだからさ」

「……豪胆ね、あの勢いなら寂しいってだけでヒトを殺せちゃうわよ?」

「これがいじらしいことにオレだけは殺せないんだな、アイツ」

 

 それは幻滅されて嫌われたら即首元にナイフとか突きつけてきそうなほどの殺気が滲んでるけどな。とりあえず今のところ言葉に感じるほどの命の危険はねぇ。千聖は知らねぇけど、きっと寂しがりなだけのモカはオレと自分ぐれぇしか殺せねぇだろうな。

 だからオレは平然とモカに近づいて寂しさを和らげてやる。自分の不満を泣くことでしか表せないガキを、宥めるように抱きしめて名前を呼んでやるだけだけどな。

 

「悪かったなモカ。なんにも説明できてねぇ挙句に放置しちまって」

「……バカ、死んじゃえバカ、クズ、最低、今すぐ飛び降りてよ、女たらし、節操なし……すき、だいすき、どこにも行かないで」

「約束は守るから、安心してろっつうの」

「……うん」

 

 抱きしめられて数分で、モカの狂気はなりをひそめた。わがままで寂しがりで、自分の気持ちにまっすぐ過ぎて歪んでるどうしようもねぇヤツ。これがヒナくれぇ思い切りがよかったら刺されて死んでるだろうな、悪運が強いのはホントにそうだな。

 

「ごめんなさい、モカちゃん。貴女から一成さんを取ろうというわけではないのよ?」

「……ホント、ですか~?」

「ええ、本当よ♪」

 

 噓つけ、この間寝取りをしてみてぇって言ってたろ。二枚舌もいいとこだな、と睨むとモカが安心したようにキスをしてきた。しかもまるで、さっきの千聖とのやり取りを見てたかのように激しく、泣いた代償を求めてくる。

 ――見てたんだな、コイツ。だから嫉妬のまま、オレを燃やそうとしてきやがる。

 

「ねぇねぇ、いつ暇? 今日?」

「昨日泊まったばっかりだろ」

「いーから~」

「明日、保健の先生が出張だからな、カギを確保できたら、明日な」

「りょーかーい」

 

 納得したのか、ようやく離れたモカに、千聖とこうなった経緯を説明していく。精神状態が穏やかなモカならまだ説得できる。千聖の口の上手さに任せてすべての説明を終えたところで、モカは唇を尖らせていた。

 

「ほんとさ~せんせーは節操ないよね~」

「なんとも言わねぇ」

「言えないから~?」

 

 言えねぇ、そうだな、節操ねぇってオレも思うよ。ヒナから始まり、モカ、蘭、遂には他校の生徒である千聖。教師生活でこんなに色んな意味で刺激的になるなんてな。おかげで、四ヵ月前までは黄昏に煙を吐くだけの無能は生徒に手を出しながらもソイツらの歩みを見届ける節操のねぇクズ教師に成ったよ。

 

「けど、あたしは開き直ったせんせーもすき~……えへへ~」

「はいはい。お前はいつもそれだな」

「いつもだも~ん♪」

 

 体重を預けてきて、幸せそうに極端に愛情を伝えてくるモカに、千聖はやや苦笑いをしていた。本気になったってんならお前も同じ穴の貉だからな。悪魔と魔王なんだから似たようなもんだろ。

 

「一成さんに夢中になってもらうのは至難の業になりそうね」

「できねぇから安心しとけ」

「そーですよ。せんせーはあたしのだも~ん」

「それも違ぇよ」

「蘭ちゃんにはアッサリ許可を貰ってしまったし、日菜ちゃんも全然ダメとは言ってくれないし、手強い子ばかりだわ」

 

 千聖は、ホテルに行った日、寝取りはしたことがない、と語ってくれた。いやフツーねぇよとツッコミたいのを堪えて、オレは辛抱強く、それってどういうことだ、と訊いたけどな。

 曰く、カノジョや奥さんがいるヒトは相手にしたことがないらしく、狙ってるとか追いかけてる、と言いつつオレに対して決定的にアプローチをかけてこなかった理由をここで初めて察することができた。

 コイツは本来、リスキーなことはしねぇタイプだ。浮気や不倫をして、女性側から恨まれ、スキャンダルをばら撒かれることを恐れてたらからだ。すなわち、それはモカや蘭といった存在を警戒していたってことでもある。

 だから、文化祭の客演に出演を依頼されたとき、オレが来ると思い拒絶し続けていた、と。これがコイツの瀬田がいる、白鷺千聖の名を売られる以外に嫌がっていた理由だったんだと。

 

「……千聖も、大概めんどくせぇヤツだよな」

「けれど、彩ちゃんに教えてもらったのよ? 時にはリスクを冒してでも、まっすぐにならなくちゃいけないって」

「……それは芸能活動だけに活かしてくれ」

「はー、千聖さんは逞しいですね~」

 

 逞しすぎんだろ。パスパレの出逢いは千聖をまた一つ成長させたらしい。その成果を、今回で見せたい、とコイツは笑った。

 ――はぁ、腹割って話すのに千聖が前に冗談交じりに言った通り、本当に事務所やマネージャーとかじゃなくヤんなきゃいけなかったってんだから呆れたヤツだよな。おかげ様でピロートークは有意義だったよ。

 

「そうそう、ピロートークはリピーターになってほしいヒトとしかしないようにしてるのよ?」

「……知りたくもねぇ事実だな」

「リピーターになってほしーってゆーのは知ってるけどね~」

「また、沢山ハナシを聞いてほしいわ、イロイロとタマってるのよ」

「卑猥な意味にしか聞こえねぇ」

「いや~、たぶんどっちもっすね~」

 

 そう、誘ってはいるが、千聖が近寄ろうにもモカがオレに片時も離れないため誘惑できないという現状。オレには笑顔のモカと笑顔の千聖の目線に火花が見えるけど、気のせいじゃねぇんだろうな。最近落ち着いてきたと思ったらすぐこれだ。

 

「モカちゃんは昨日、お泊りだったのよね?」

「ええ、まぁ。だから今日は蘭あたりに譲ろうかな~と」

「私が先に誘ったのだけれど」

「参入した瞬間負け確のサブヒロインがですか~?」

「ふ、ふふ……ここまでコケにされたのは初めてよ……!」

 

 ああ、修羅場なり。ヒナヘルプ。実は蘭は今日、華道の集まりで来ないから千聖さんの話でも聞いてあげたという余裕のセリフをいただいてるからヒナだけが頼りなんだ。そう思ったところで、屋上のドアが勢いよく開け放たれ、ヒナが……あ、やべ、ヒナのやつ目のハイライトが消えてる。久々のメンヘラモードだ。

 

「カズくん? 今日は部活の手伝いしてくれるってゆったよね、なのに部室で待っても来ないし屋上で二人といちゃいちゃしてるしあたし放置するんだそうなんだ、あはは、あははは」

「ひ、ヒナ……」

「千聖ちゃん?」

「……な、なにかしら?」

 

 ちなみにコイツとモカの最大の違いはオレ以外に狂気の矛先が向くこと、過去に蘭もモカも被害に遭ってるせいか、モカがゆっくりとオレから離れていった。おい逃げんなこうなったらお前も道連れなんだよ。

 

「ねぇ千聖ちゃんは他校のヒトだからがっついちゃうのはわかるけどさ? 会ったから食べちゃった、じゃあカズくんが壊れちゃうでしょ? ねぇ?」

「う、は、はい……」

「大体さぁ、麻弥ちゃんが探してたし練習終わったら部室でよくない? ってか練習とそうでないときのメリハリをつけなさいってゆうの千聖ちゃんでしょ? ほらぁ、あは、前にゆってたじゃん」

「……そうね、ごめんなさい……」

 

 遂に魔王に対しても無双し始めたよ、元祖悪魔。笑顔を作ってるつもりなんだけど全っ然、笑えねぇ。口が裂けてるようにしか見えねぇし、言葉の速さと声の大きさがまちまちなの、マジで怖いから。ゆっくりん時は叫ぶように、早口のときは蚊の鳴くような声で、あと途中で笑うな急にホラー要素付け足すのやめろ。

 

「モカちゃんもねぇ? カズくんが決めたんだから節操なくてもクズでも、いちおーは納得しようって、前に話したよね?」

「……はい」

 

 モカはもう諦めてるな。まぁ、あんまり事情を知らずに暴走してそれを冷ましてる最中だったし、聞き分けはいいか。今日は都合がつけば帰りに送ってってやるから、あんま肩落とすなよ。頭を撫でてやるとモカは許されてることを理解したらしく、ヒナがそれ以上狂気を向けることはなかった。

 モカにはな。あとはオレが待ってるから。コイツの反動はすさまじいんだよな。

 

「それじゃあ、モカは最後までいるなら、送ってってやる」

「じゃあ残る~」

「千聖、仕事は?」

「ないから誘っているのよ」

「んじゃあお前もな」

「ええ、ありがとう♪」

 

 そうしてヒナとオレを残し、千聖とモカは半ば逃げるようにして屋上のドアを閉めた。

 空白の時間、狂気をまき散らし、散々に暴れた悪魔は、ん、と手のひらを見せてきた。お手、じゃなくて、コレはいつものだな。とライターとタバコを取り出し渡した。

 半袖のブレザーのJKが慣れた手つきで火を点け、紫煙を吐き出す。中々に退廃的で、画になっちまうのがなんだか悔しいな。

 

「カズくん、久しぶりに火、点けてあげる♪」

「前は点けてやったんだろ」

「あはは、そうだったね」

 

 けどライターはコイツが持ってるしな、と特に抵抗することもなく、差し出されたタバコを咥え、火の点いたヒナのタバコが火の点いてねぇオレのタバコの先端に押し当てられ、ヒナに合わせて息を吸う。紫煙がオレの口からも吐き出され、嬉しそうな顔をする悪魔が蠱惑的でつい、抱き寄せて、タバコを手にもったまま、ヒナの唇に、ヤニの味がする舌に吸い付いた。

 

「……っはぁ、あの時よりえっちだもんね、カズくんは」

「うるせー、千聖にもモカにも舌入れられてんだぞコッチは」

 

 大体、ディープキスで反応するようになったのは誰のせいだったっけな。そもそも、生徒とヤるっつう心理的ハードルを下げたのは、誰だったんだろうな。

 もう日差しもキツいから、涼し気な日陰に座って、壁に背中を預けて、タバコとヒナを交互に味わっていく。

 ――最後に、タバコが短くなって火を消しちまえば、前は恒例だった部活動のシメが、待ってる。いつの間にかキスをしていたヒナが、スカートを捲りあげて、オレに跨ってくる。

 

「えっちしよ、カズくん。あたしもう、ガマンできないや……♪」

「ガマンするつもりもねぇくせに」

「うん、無理だもん。腰、痛くしちゃったら、ごめんね」

「もう諦めてる」

 

 コイツの狂気の反動は、オレがカラダで払うことになる。つか最近だと整体にリアルに金を払ってるけどな。

 蘭がきて、モカがきて、劇的に変化したはずの爛れたオレとヒナの関係は、こうして、今も変わらずに続いている。

 つかこの後千聖が泊まりに来るらしいことをさっきタバコを吸ってるときにスマホのメッセージアプリが教えてくれた。ヒナに教えたら、じゃあさんぴーで、だと。バカじゃねぇの、つか無理に決まってんだろカラダ持つわけねぇじゃん。

 

 

 

 




変わっていく日常に、変わらない情事。
いい風に言ってみてもコイツはクズ。認めてはならん。


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③再現スターリースカイ

文化祭編本格開始します(前半二話はほぼ茶番)


 ヒナが天文部として文化祭でやりたいものが決まったと連絡してきたため、オレは空き教室を確保して放課後に聴取を行っていた。んでオレだけじゃ評価が甘くなるってんでヒナは助っ人兼コメンテーターに蘭を招いていた。そこでヒナが発した案っつうのがまたとんでもねぇものだった。

 

「あ、あの時の星を……ですか?」

「そうなんだー、あのいっーぱいの星空、るんってしたから、みんなにもそれを知って欲しいんだ♪」

 

 それこそが、ヒナが満を持して考えていた計画だった。春に天体観測をした時の星を教室に再現する、という無理難題でもある提案。余談だがヒナが蘭を呼んだのはオレとヒナに耐性がある、つかヒナがガマン出来なくなってキスとかしても大丈夫なヤツで、かつ天体観測のことを知ってるヤツ。んなもん全校生徒探しても蘭しかいねぇよ。

 

「ねぇ一成、コレ、相当難しいと思うんだけど」

「そうだな、オレも写真に収めたワケじゃねぇからな、それに、当時を完コピできたとしてもホームセンターであるもんで工作できるもんだとは思えねぇな」

「だよね、どうすんの?」

「つっても、方向はこれしか決まってねぇしな」

「……バカ」

「ってぇな」

 

 ローキックかまされても、オレはヒナを甘やかすって決めてんだから、と思ったが無茶を通そうとして怒ってんじゃなくて妬いてたのか。もしかしなくても、オレは蘭相手より甘いから拗ねてやがった、と……じゃなくて話が逸れたな。蘭は、まぁ後で構ってやるとして、この状況を打破するのはやはり羽丘きっての天才的問題児、略して天才児のヒナの知恵が必要ってことだな。

 

「ヒナにはコレが可能になる天才的アイデアがあんだろ?」

「もっちろん!」

「……え、ほ、ホントですか?」

「ホントホント! んーっと、あったあった! これ使えばいいよね?」

「お前コレ、マジで言ってんのか?」

 

 ヒナがスマホをタップして見せてきたのは、建物なんかをスクリーンに見立てて立体的な映像を流すっつう、プロジェクションマッピングだった。

 ──ふぅ、ヒナは想像以上のおバカさんだったか。確かにこれがあればお前の言う星空を映し出すことも可能だろうな。だがな、ヒナ、これを、お前は教室で出来ると思ってんのか? なーんで思いついちゃった時点でおかしいとか思わねぇんだよ、なんだそのあたしってすごいでしょ? 完璧でしょ? 天っ才でしょ? と言わんばかりの顔は。悪魔かよ。

 

「日菜さん、フツーに考えてプロジェクションマッピングをするには学校の予算と一成の薄い給料じゃ無理だと思います」

「その通りだけどな、蘭。そもそもオレは私財を投じる気はサラサラねぇからな?」

「えぇーそんなにかかるの?」

 

 えぇーむしろなんで天文部の予算だけで足りると思ったの? お前が見せたその駅のヤツ、そういうプロジェクションマッピングの企業が企画とか制作とかしてるから。学校予算じゃお前の脳内に広がってるものの100分の1くらいしか再現できねぇから。

 

「むー、つまんない!」

「そんなこと言っても、機材もタダじゃないですから」

「つか市販のプロジェクターでどうにかなるもんなのか?」

 

 泥船氷川丸は早速暗雲座礁に乗り上げ、またイチから考え直しか。そう、蘭もオレも思っていた。

 しかし、オレは忘れていた。天文部員はもう一人いることを。その一人が不可能を可能にする黄金の風であることを。無理かと諦め始めたその時、オレたちの笑顔が無くなったその時、黄金ムテキのヒーローは、輝く流星の如くやってきた。

 

「とてもステキなことを考えてるのね! あたしも協力するわ!」

「こころちゃん!」

「つ、弦巻……」

「こころ……なんで?」

「あたしも、天文部だからよ!」

 

 たったひとりの天文部同士、ヒナと弦巻は交流していた。特にカタチしかない天文部である弦巻は、こうして時折、気の向くままに羽丘にやってきていた。んで、この準備も例に漏れず、面白そうだからそのうち行きたいわと言ってたらしい。

 そして今日がその日だったと。最悪のタイミングでベストマッチな二人が揃っちまったよ。

 

「駅のやつはあたしも見たわ! 映像なのに立体的でとーってもキレイだったの!」

「だよねだよね! それで、これがあれば星を再現できるんじゃないかなって!」

「……というか、今更ですけど、プラネタリウムじゃダメだったんですか?」

 

 蘭、いい事言ったな。確かにプラネタリウムだとチャチではあるが手作りもできる。キットも雑貨屋なんかに売ってる。けど、ヒナの野望はそんな小さなものじゃ収まらんらしいな。

 

「だめだよ、あれって天井が丸くないと出来ないんだよ」

「あ、確かに……」

「でも、映像なら、最初っから教室のカタチに合わせられるじゃん!」

 

 ヒナにしては珍しい、なんとなくとか、感覚とかだけじゃねぇ、理屈で蘭を丸め込んでいた。つか論破されてんじゃねぇよ。お金とか、映像の中身とかオレたちだけでなんとかなるわきゃねぇだろ。

 無理、無駄、無謀、それは常識人が常識人たるために必要なもの。無理だと思うこと、無駄だと思うこと、無謀だと思うこと。人生は自分のスペックを越えたことの連続だからな。

 だから、スペックが無限のヤツのことなんてオレは対象外ってことでもあるけど。そこの金髪とかな。

 

「教室があの時の星空になるのね! すごい、すごいわヒナ!」

「うんうん♪ あ、どーせなら流れ星も流しちゃおうよ! あの時もいーっぱい見つけたんだからさ!」

「ええ、素敵だわ! ここに来るみーんな、笑顔になれるわ!」

 

 ツッコミよろしく蘭。オレはもうお手上げだ。笑顔至上主義で、無理も、無駄も、無謀も、なにも持ってない太陽サマの頭にはもう、この教室にあの星空が映し出されてる。現実的に不可能、なんてコイツには通用しない。なにせ、ここまでついてきた来たらしいいつもの黒服さん方が、何やらスマホで短い通話を終えると、オレに確認をとってきやがったからだ。

 

「機材の確保はできました。映像のほうも我々でなんとかします」

「……でしょうね」

「教室も、ここの空き教室ではなく、空いていた音楽室を借りれるように手配致しました」

「……おう、やっぱりこうなるのか」

 

 音楽室は吹部が練習できるように角地で広く作られてるってのが鉄板だ。例に漏れずウチの部室棟の最上階角地は、音楽室だ。ピアノ等をどかせば、確かにここの手狭な教室よりも満天の星空が一望できるだろう。

 ──蘭やヒナと見た、あの空が。それは、もしかしなくても楽しみだ。そんなオレのリアクションに蘭は肘でつついてくる。

 

「アンタが楽しそうにしてどうすんの」

「アレは確かにキレイだったし、ついな」

「ったく……気持ちはわからなくないけど」

 

 あの後、蘭はツインボーカルの相手に戸山を呼んでスペシャルライブをしたらしい。黄昏の空がテーマのAfterglowと星を追いかける戸山のツインボーカルは、それは盛り上がったらしい。

 そのくれぇ、あの空は見たヤツの世界を変えた。戸山も、弦巻も、羽沢も、ヒナも、蘭も、そしてオレも。だからヒナは、今度はもっと大勢にあの星を見せたいんだろうな。

 

「んじゃあ、オレたちがすることは音楽室を空にすることと、星が映えるように光を塞ぐことだな」

「そうだね」

「運び出しは我々も手伝います」

「ありがとうございます、オレとヒナと蘭だけじゃさすがにキツいしな」

 

 テンション上がってるし、言わないでおくが、まぁこれは部活動の範疇を逸脱すぎたものではある。きっとこれが完成し、公開された後、オレは上司にお説教をされるだろう。当然だ、部費でできる範囲のことをして楽しむのが文化祭なんだからな。

 けど、ヒナが楽しそうで、手伝いにきてくれた蘭も弦巻も楽しそうだから、怒られるくれぇなんてことねぇよ。責任者として、教師として、笑顔にしてやりたい、なんてな。それはちょっとばかし、弦巻に汚染されちまった考え方かもな。

 

「ヤッホー、ヒナー、進んでるー?」

「あ、リサちー!」

「リサ!」

「お、今井か。いいとこ来たな」

「え?」

 

 こうして甘味片手に様子を見に来た今井を巻き込み、パンを差し入れてくれたモカをも巻き込み、じゃなくてコイツはオレ目当てだからどっちかっつうと巻き込まれにきたんだが、どこに機材を設置するかとか、音楽はどうする、とかの話を進めていった。

 

「あたしが弾く~! ジャジャジャジャーンって感じで!」

「いやいや、ヒナ~、それだとフンイキに合わなくない?」

「アタシも静かな感じがいいと思います」

「それじゃあ蘭が弾く~?」

「え、アタシ? モカのほうがいいんじゃない?」

 

 女三人寄れば姦しいってのはまぁ、よく言ったもんだな。いつもヒナや蘭と一緒にいるさすがのオレも、この空間にはついていけねぇと壁に背中を預けて遠巻きに見守っていると、いつの間にか、隣に弦巻が同じように壁に背中をくっつけて意味ありげに微笑んでいた。

 お前、そんな顔もできんのな。いつもの純粋なガキみてぇな楽しそうな笑顔じゃねぇ、見守るような、ちょっとだけ、インテリジェンスを感じる笑顔だ。

 

「先生は、本物の魔法使いだわ」

「そんなことねぇ、シンデレラを城に届けてやることもできやしねぇよ」

「けれど、先生は素敵なドレスと靴をヒナに与えてくれたわ。ずっと独りで寂しそうだったのに」

「それこそ、オレの魔法(チカラ)じゃねぇよ」

 

 それは姉である紗夜であり、千聖たちパスパレの仲間たちのおかげだ。同じギターを始めたことで、紗夜と日菜の溝は埋まりつつある、って千聖が言ってたんだよ。才能、という差は歴然だったが、姉妹はここで違う道を進んだからってな。芸術には間違いはあっても正解なんて存在しねぇ。紗夜のようなバカみてぇに生真面目で、堅物な超絶技巧も芸術だし、日菜のような雑味と自由も芸術だからな。あとは二人が過去の影を振り払えば、もう紗夜がアイツを敵視することもなくなるってわけだ。それはオレの魔法じゃねぇ、音楽の魔法だ。

 パスパレだってそうだ。オレとは関係ナシに、いつの間にかヒナはアイドルになってやがった。例えオレが、無能のままヒナとも会話せず天文部を放置してても、アイツは勝手に仲間と一緒に何かを見つけて笑顔になってた、そういうヤツだ。

 

「けれど、もし先生がいなくなったら、ヒナは悲しむわ。それは、先生のチカラよね?」

「ふっ、マジかよお前、それはフツー、オレのせいっつうんだよ」

「フツーってなにかしら? あたしにはそう見えただけよ?」

「いや、悪い。弦巻に曖昧な言葉は通用しねぇな」

 

 空気を読む、なんてコイツには通用しねぇ。空気に文字はないって大真面目に返されるだけだ。自分がしたいことを、他者を笑顔にすることを、他者の内側にまでズケズケと踏み込んででも実行しようとする。こんなにキレイな魂をしてるのに、こんなにキラキラと眩しくて惹きこまれる人間性があるのに、コイツがどこか孤独な理由がよくわかった。

 太陽に近づきすぎた星は、呑み込まれる。カンタンなハナシだ。惑星は恒星と常に一定の距離にいる。太陽は恵みでもあると同時に発する紫外線でヒトをカンタンに殺せる。コイツのことは、遠巻きに見てんのが、人間には一番害もなく、恩恵を得られるってことだな。

 

「なぁ、弦巻。独りは寂しいか?」

「そうね、独りよりもみんなといた方が、楽しいわね!」

「そっか」

 

 サラ、と金色の髪が窓からの風に靡いた。光を反射してるんじゃねぇかと思うほどの長くキレイな髪は千聖に近いけど、アイツよりもより光に当てると眩しい光を放っていた。

 コイツは独りに慣れてるって顔だな。こんな特殊なヤツだから、友達とか自分と何かを共有してくれるようなヤツなんて、いなかったんだろうな。だから、ヒナといるときのコイツはキラキラしてる。

 視線が重なり、思わず見とれちまったことに気づき、バツが悪くなって視線を逸らす。興味ってのはこういう感覚なのを思い出したよ、と言い訳を頭ん中で並べていると、いつもの無邪気な雰囲気に戻った弦巻が声を上げた。

 

「あ、そうだわ、先生」

「ん?」

「ヒナとえっちなことしてるのよね?」

「──それ……ヒナから聞いたのか?」

「ええ」

 

 なんてことしゃべってんだあのお気楽問題児。弦巻なんて下手すると子どもはコウノトリが運んでくることを疑わなさそうなヤツなのに、つか信用できたとしても明け透けにベラベラと惚気るヤツがいるかあのバカ。オレが教師だってこと忘れんじゃねぇよ。

 

「ダメよ? 子作りは結婚してからってお父様とお母様が言っていたもの」

「あ、ああ……気をつけてはいるけどな」

 

 ソッチはしてねぇよ。けど、子どもを作るためにシてんじゃねぇって言っても通じるだろうか、この雰囲気じゃ無理だな、どうあったってどういう状況か、どんな気分なのか、一から十まで、根掘り葉掘り、事細かに説明しねぇと納得はしてくれねぇだろうな。モカにヒナとヤってんのを見られてた時よりも正直焦ってる。純粋無垢を望んでたが、いざ本物と対面すると恐ろしい。

 冷や汗を流して沈黙していると、弦巻は更に爆弾を放り投げてくる。

 

「そうね、ひにんぐ、というのがあれば妊娠はしないのよね? お父様が言ってたわ」

 

 性教育は正しく、包み隠さずな教育方針なんだな、弦巻家は。良いことだと思うよ、性的なことに関心を持つ時期はどうしたって来るんだから、隠すと余計に非行に走りやすいしな。

 その点、このご家庭の令嬢はとても良い情操教育をなされているんだが、ならなんでこんなに純真なんだよ。性的本能を胎盤にでも置いてきたのか弦巻。

 

「けれど100%ではないのだから、ヒナを泣かせることはしちゃダメよ?」

「き、肝に銘じます……」

 

 コイツに説教をされちまうと、自分がいかに汚い人間なのか思い知らされるな。ヒナは既に何度か泣かせてるし、きっとこれからも泣かせることになるからホントに、救いようがねぇなって。こんなオレをお前はそれでも魔法使いだって言うんだから、一生勝てそうにはねぇよ。敵に回したくねぇ。

 

「ねぇねぇこころちゃんちって、電気じゃないギターある?」

「クラシックギターか」

「クラシック、ギター?」

「真ん中に穴が開いてて、電気使わずに音鳴らすギターだろ?」

「うんそれ~」

「それならウチにあるはずよ! 見たことある気がするもの!」

 

 不確かだな、えらく。まぁなかったらあの方々が準備するんだろ。つか唐突に言い出したけど、クラシックギターなんて何に使うんだよ。そんな視線に気づいたヒナが瞳を輝かせながら、エアギターをしてみせた。

 

「あたしが弾くの!」

「ああ、文化祭でってことか?」

「うん!」

 

 また予算オーバーなものを。まぁもう手遅れだからいいけど。どうやら音楽バカ四人が揃って相談した結果、いつも持ってるような電気ギターじゃねぇギターを使って、ロックじゃなくてしっとりとBGMを奏でる星空のリサイタル、を思いついたらしい。音楽室の黒板に生真面目で丁寧な字でそう書かれていた。まとめたのは今井か。

 

「でも、ヒナだけだと大変だろ」

「アタシも練習したら弾けるし」

「蘭ちゃんと交代で」

「本物のプラネタリウムとかも始まる時間決まってるじゃないですか。そんなイメージにすれば、負担も減るじゃんって感じで~」

「そしたら~、せんせーもひまができるしさ~?」

 

 興味(ヒナ)思惑(モカ)善意(いまい)好意(らん)、奇跡の一致だった。

 ヒナは新しいことをしてみたい。モカはオレと一緒に文化祭を回りたい、今井はそんなバカどもの意図を汲んで、蘭はヒナには負けたくないしオレと関わってる時間を長くしたいってとこだな。後ろで弦巻が、当日も手伝いに行くわ、と楽しそうに笑って、その日はそれまで決まらなかった何もかもが決まって解散になった。

 ちなみにそのまま申請を出すわけにもいかねぇから、書類には手作りの本格プラネタリウムを背景に部員による演奏会、としておいた。蘭とモカは部活にも入っていないため、この文化祭の間の仮入部員の登録、弦巻も外部生として活動登録をしておいた。こうすればそこまでとやかく言われることはねぇしな。

 ──んでもって、一仕事のあとのタバコはうめぇもんだ。とある感慨に耽りながら、オレは夕焼けに白い煙を吐き出した。

 

「……また吸ってる」

「蘭、帰ったんじゃねぇのか」

「アンタいるし……じゃなくて、すぐ目を離すとコレなんだから」

「仕事終わりは癒しタイムが必要なんだよ……まったく」

「そういう言い方する。正当化しないで」

「正当化はオレの得意分野だな、つかお前らとの関係も正当化の末なんだが」

「……はぁ」

 

 いつもの、殴り合いの言葉の応酬。けど、蘭にはちょっとトゲがあって。まぁ、それで幻滅したっていいさ。これが大人だ。悪いことを自分で悪いと思ったら、オレはやってけねぇよ。

 それに、オレは独りじゃタバコ無しで生きていけねぇくれぇのどうしようもねぇクズなんだよ。

 

「せっかく……はぐ、しようと思ったのに」

「独りだと思ってたからな」

「バカ、独りが寂しいクセに、独りになろうとすんなっての」

「……ごめんな、蘭」

「イヤ」

「今日はえらくケチだな、いつもだったら、許してキスくれぇはしてくれるのに」

「カレシ面すんな」

「してねぇよ」

 

 そんなもん、一度だってしたことねぇっつうの。むしろお前がカノジョ面してる時あんだろ。トゲのある蘭は、やっぱり拗ねてんだろうな。ずっとヒナにかかりっきりだったうえに、最近は千聖がやたら誘ってくる。それがオレだからとは言ったものの、やっぱり不安なところもあるのか。お前だけは本当にいつもマトモな恋をしてるよな。

 

「蘭」

「なに?」

「今日、泊まってけよ」

「……っ! いいの?」

「もう教師は終わりだからな」

「……ずるい」

「クズだからな、尽くしてやる」

「ウソ、尽くさせるタイプでしょ」

「それはそれ以外のハナシだろ?」

「変態」

 

 変態ってな、すぐ罵倒しやがる。けどいいんだよ、お前は奥手で遠慮がちなんだからこうやってオレから誘ってやらねぇとすぐあの悪魔どもに予定を埋められちまうからな。そんな蘭だけにはオレが尽くしてやるってんだよ。

 

「……ウソだ」

「なにが?」

「気づいてないかもしれないけど、アンタが尽くしてるの、アタシだけじゃないし」

「そうか?」

「ほら……やっぱりクズ」

 

 それは、今のオレですら気づいてない、気づくはずねぇもんだ。

 ──オレは理想に尽くしてる。同時に、過去という名の思い出にも、同じくらい尽くしてるんだ。ただのクズですらなかった頃に言葉を尽くして縛り付けようとしたアイツと同じ匂いがする、アイツに。

 

 

 

 

 




直しながら前半削れば千聖ヒロインにしなくてよかったような気がしたけど、そうなると本格的に話が明るくなりにくいからやっぱりちーちゃんはヒロインで。あの三人だけだとどうしてもね。


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④青春フェスティバル

 羽丘の文化祭は、校舎を全部使った小さな、いや小さくもねぇな。結構な規模の大きさのまさにお祭りだ。特にウチはダンス、演劇など割と文化部が全国有数の知名度を誇っているため、それらの活躍の場でもある文化祭には他校や、他の中学校から多数の客が押し寄せる。それがなぁ、今年は特に去年全国大会で好成績を残したダンス部、そしてなによりも羽丘の誇るエース瀬田薫の相方を務める白鷺千聖の存在は、それだけで人入りを増やしていた。なにがってめちゃくちゃヒト混みひどい。

 

「最後尾はぁ~! こ、コチラで~す!」

「お疲れさん、羽沢」

「あ、せんせぇ〜、蘭ちゃ〜ん」

「……頑張って、つぐみ」

 

 これには列の整理をしてる生徒会メンバーもてんやわんやの状態。普段は生徒にまかせっきりのはずの教師もほとんどが出張ってのも一大イベントとなっていた……つーわけで、オレはその中で悠々と、のんびり廊下を歩いてた。羽沢が目を回してたんだが、ドンマイ庶務、せめて生きて帰ってこいよ。オレはその中で教師は教師の特別席があるってんで余裕の表情だ。

 

「そういうトコがクズなんだけど?」

「褒めんなよ」

「フツーに貶してる」

「あ? 演奏会の練習するって言ってクラスの出し物手伝うの回避したヤツ、どこの誰だっけか?」

「くっ……」

「そして更に言うと、仮入部ってカタチでソイツを無理やり天文部ねじ込んだの、誰だっけ?」

「アンタ……さいってー!」

 

 なんとでもどうぞ。オレは今お前に対して有利なカードを持ってんだよ。最低でもクズでもなんとでも言えよ。別にオレはクラスが気まずいとか言うお前のポツリと漏らした弱音を無視したってよかったんだけどな。

 

「……通報する」

「してみろ」

「ふーん?」

「あ、待って本気かお前」

「だってこの間のはアウトでしょ」

「まて、ここでそのハナシはマズいからな、オレが悪かったから」

 

 ただし、蘭もオレに対しては有利なカードを持ってる。しかもオレの手札が紙切れになるレベルの、文字通り手に人権を握られてるため、蘭には万が一にも勝つ見込みなんてなかった。

 それでも挑むさ、勝てるかどうかじゃねぇ、大人のプライド的にそれを考えてる時点でもう負けてんのさ。

 

「一成はなにと戦ってんの……?」

「プライド?」

「ないじゃん」

「……おい」

「は? 生徒に流されてほいほい……ヤっちゃうくせに」

 

 いや、最後の最後で照れるなよ。蘭はいつまで経ってもそれには慣れなさそうだな。まぁヒナや千聖みてぇに遠慮もなく下ネタが飛び出すのよりもかわいげがあっていいけどな。つかアイツらは時々刺激的すぎて困るくれぇだし、極端なヤツしかいねぇよな。

 

「初めて会ったとき、土下座しようとしてたしさ」

「そんなこともあったな」

「まだ三ヶ月前のハナシだよ?」

 

 蘭に笑われてそういやそうか、と釣られて笑っちまった。いや、正確に言うと四月末だったから、まだ三ヶ月も経ってねぇな。コイツ、前は家のことで揉めて、Afterglowでも揉めて、何もかもが嫌んなってサボってたんだっけか。そん時に比べて蘭はずっといい女になってやがるんだから、すげぇよな。

 

「そうだ、お前んとこのメイド喫茶、割と人気っぽいな」

「なんか衣装キワドイし、オッサンばっかで最悪だよ」

「あ、やっぱりか」

 

 一年の学年主任がテンション上がって同僚と視察に行ったっつうハナシを耳にしたから予想は出来てた。お前らホント通報されたら? つかA組の担任……は、あの新婚ゴミクズだったな。

 

「担任はウワサだと予備の一着持って帰ったらしいし……」

「あー、ヨメさんに着せるのかな」

「……ホントここの先生、マトモなのいないの?」

 

 男に関しては悪いがいないとしか言い様がねぇ。あ、まともと言えば、まともな部類に入るのは大和んとこの担任は仏のようなオヤジだな。職員室でもまるで置きもんみてぇだからな。別に以前はスパルタ教師でデビルと呼ばれていた、みてぇな感じでもなく、穏やかなヒトだったはずだ。

 

「まぁ、一成が就職してるくらいだし」

「待て」

「うっさい」

 

 なんか八つ当たりされた。くっそ理不尽だなオイ。こちとらヒナの演奏会目当てで来た行列さんの相手してたってのに。オレだって多少はマジメにやってんだけどな。今は休憩時間で、ヒナは弦巻と二年生のエリアで遊んでるだろうけど。

 

「そこのお二人さん、フェイスペイントやってるからさ! よかったらどーぞ!」

 

 そしてオレと蘭は一年のエリアにいて、やたらとイケメンなJKに声をかけられたところだ。ニカっと笑う姿がまた画になってることで、集客効果はバツグンってところだな。賑わいがすげぇよ。

 

「すごい人気だね、巴」

「ああ! お陰様で大盛況だ!」

「すげぇな、つか素人でこんなことできんのか」

「ええ、よかったらお揃いにしときますよ?」

「お揃いは遠慮しとく。つかオレはいいよ」

「え〜、せんせー、行っちゃうの〜?」

 

 呼び込みを受けたところに、ネコのお髭が素敵なモカが出てきた。つかお前が描いたのか、今の客。

 そういや、モカは母親がデザイナーなんだったな。ポスター、衣装、そういった見た目の映えってのも、コイツは幼い頃から見てきたってことか。それを自分にも適用しろっての、ものぐさめ。

 

「にゃーにゃー。せんせーがネコずきーってヒナさんに聞いたからおヒゲ描いたのに〜」

「そうか……」

 

 ヒナのやつ、信用に値すると思ったヤツには口が軽いのがホントに難だな。コイツはコイツで、動物としてのネコが好きなワケじゃなくて、オレの性癖ってのを知ってて、往来だからそう言ってんのか、それとも、ヒナがオレに口を滑らせるために張った罠か……どっちだ? 

 

「せんせー? あたしの特技忘れたの〜?」

「……おっとやらかした」

「せーかいはぁ〜……ヒミツー♪」

「おい、そりゃねぇだろ、気になるじゃねぇか」

 

 うっかりしてた。心を読まれて、どの道モカにも知られちまった。

 ついでに言うと隣で冷てぇ目をしてる蘭は知ってるっつうか、ベッドの下を漁られたせいでバレてる。当然蔑まれたさ。しかもヒナが持ち込んだカチューシャと尻尾の付いた下着もついでに見つかってしばらく口を利いてくれなかったくれぇだからな。

 

「変態」

「……んなこと言われてもな」

 

 言い訳しようもしてみるけど、実際なにも違わねぇと思う。でもこればっかりは愚息が反応しやがるんだからどうしようもねぇんだよ。だからその目はやめろ。クズの上にケモ耳性癖の変態は確かにアブネーヤツだけどさ。

 そんな雑談を廊下でしているうちに、時計を見ると演劇部の発表の時間になっていた。そろそろ行かねぇとな。

 

「モカたちは見ねぇの?」

「きょーみなし~」

「誰かは、残らないといけませんから」

 

 モカはまだしも、宇田川はホントに言動全てがイケメンだな。瀬田がいなかったら瀬田の枠は確実にお前だよ。もう一人の姿がなく、聞くと上原は一人で観に行ったらしい。つまりはあの人混みの中にいたのか、大変だろうな。

 教師枠、ってのがあるが、ほとんどは生徒と一緒にもしくは教師同士でそれぞれのブースをエンジョイしている。だから蘭を隣に座らせてもなんの問題もねぇってわけだ。ついでにハナシをつけてあるから、ヒナと弦巻の席も確保してある。

 

「ずるいことばっかりして……ホントクズ」

「うっせぇ。その分テキトーに出し物見れたんだからいいだろ」

「まぁね」

 

 ヒトが近くにいると蘭はツンと素っ気ない態度ばかりとりやがる。モカ曰く照れてるだけだよとは言われてるし、まぁ人前でもヒナみたいにくっついて来られたら困ると言えば困るけどな。

 なんて考えてると宇田川にはなんか今日はいつもより口数が多いですねと言われちまった。いかんいかん。生徒がいる手前オレは教師だ。ついついこの雰囲気にアテられてデート気分になっちまうな。切り替えねぇと。

 

「ホントに座っていいの?」

「いねぇんだから、いいだろ」

 

 講堂の教師席はガラガラもいいとこだった。プログラムには演劇部の次が教師たちによる寸劇となっていたのでそのせいだな。運が良いな、これなら他にヒナが連れてきたとしても空いてるな、と思ったところで早速、ヒナから、リサちーとひまりちゃんも一緒に連れてくねー、とあった。アイツはまったくしょうがねぇヤツ。

 

「ひまり、やっぱり入れなかったんだ」

「みてぇだな。けど、ヒナに見つけてもらえたのはラッキーだったな」

 

 しゃべりながら、周囲に誰もいないことをいいことに蘭はオレの手を握ってきた。こっちもこっちでしょうがねぇヤツ。言葉だけはいつものツンとした態度なのに、繋いでやった手だけがやたらと甘えてきて、んでもって嬉しそうだ。ヒナが着くまでは、このままでいてやるか。

 

「一成は、クズだけど、あったかいから……すき」

「演劇はロミジュリなのに、ここでラブロマンスは砂糖が多すぎるだろ」

「イヤだった?」

「コーヒーはブラックが好きだけどな」

「偶にはミルクと砂糖も、おいしいよ」

 

 それはいつも、お前らから貰ってるからこそオレはブラックコーヒーでいいんだよ。特に蘭の青春は、甘くて、そのくせどこか酸味があるから、余計にそう思える。賑わう前列の中、求められるままに隠れるようにキスをした。暗がりのせいか、それとも雰囲気のせいか、思わず舌を入れそうになったのを我慢できたのは我ながらよくやったと褒めたいところだ。けど、蘭はこんなところでキスをしたことがよっぽど恥ずかしかったらしく、照れるように目をそらして、それから笑ってくるから思わずオレも笑っちまう。

 

「むぅ」

「ひ、日菜さん……! みんなも……」

「あら、ここは確かに、特等席ね!」

「お邪魔しちゃってゴメンね~蘭」

「あ、あはは……ごめんなさい」

 

 そこで漸く、ヒナたちが到着した。確保してあったオレと蘭の前列に上原、リサ、こころが、そしてオレの隣には蘭と更にヒナにサンドイッチされた。しかもヒナ、不満げにオレの右腕を抱き寄せて半袖で露わになっている二の腕に唇をつけてくる。

 

「蘭ちゃん、カズく……カズ先生といちゃいちゃしてたんだ」

「ヤキモチはわかったから、くすぐったいしやめろっての」

「じゃああたしともいちゃいちゃしよ~」

「……蘭、ヘルプ」

「知らない、一成が不用心にキスとかするからでしょ」

「キスしたの? じゃああたしにもー!」

 

 突き放すようなツンとした言い方だが、実のところ、左手は蘭がガッチリ握られていて、ヒナは右腕を抱き込んでわざわざ胸を押し付けてくる。両手に花、まさしく両手に麗しき花といった状況なんだが、今は教師で、周囲の目があるのに、これは嬉しくともなんともねぇよ。つか蘭、今わざとヒナに、さっきキスしたこと教えただろ。

 ──結局、そのまま大輪の花に圧し潰されかけながら、瀬田と千聖の百合花咲き乱れる演劇を見ていた。ロマンスシーンのたびに迫ってくるのホントやめろっての。展開知ってるから、余計にハラハラしてみてられねぇんだよ。

 座ってるのに気の休まらない演劇を見た後は、蘭の演奏会の支度だ。手伝ってくれるらしい千聖と準備室に行った。

 

「ち、千聖……?」

 

 それが間違いだった。演技力高く素の表情をその鉄壁の笑顔の中に閉じこめることができるこの女がにこやかに、手伝いをしてくれることで油断していた。身長差がそれなりにあるのに、身動きの取れないほど威圧感のある壁ドンをされた。そしてその表情はわかりやすいほどに怒ってやがる。

 

「なんでまた急に」

「舞台から見えたのよ」

「なにが?」

「私を虜にしたヒトが、私を置いて人目を憚らず、教え子に鼻の下を延ばしていたところよ」

「……残念ながら、ジュリエットをロミオから奪うのは無理だったもんでな」

「なら終わった後、迎えに来てくれてもよかったのではないかしら?」

「死んだジュリエットをか? 死神になんのはごめんだね」

 

 真面目に答えるつもりのないオレに千聖の表情は険しい。ったく、普段の余裕はどこ行った、お前。

 ロミオの熱にでもアテられたのか? あんな言葉を囁かれて……思うところでもあったか。

 

「それは」

「つか観客の目を裏切ってんだろそれ。ジュリエットがロミオ以外を想ってどうすんだよ」

「私は私よ! 私は、白鷺千聖よ。ロミオではなくあなたに心を奪われた、憐れな女よ」

「そうだな。お前は白鷺千聖だ。観客を魅了してみせた、名前を捨てられねぇ憐れな花だ」

 

 ──名前など無意味なもの、僕は僕、君は君だ。

 ロミオが……いや、あれは瀬田の言葉だな。アドリブを挟んだんだろう。千聖の反応と瀬田の声がそれを物語っていた。ロマンチックだが、それ故に恐ろしいまでに、十代の若い言葉だ。

 まぁ、幸い、と言っていいかわかんねぇけど、ロミオもジュリエットも実際に相当若かったハズ。違和感はなかったが、オレには響かなかったよ。

 名前には意味がある。名があるから薔薇はその意味を持つ。ロミオとジュリエットのロマンスも、言ってしまえば二人がモンタギューとキャピレットだから成り立つんだって思っちまうからな。

 

「なぁ千聖、なんでオレに拘る? ヒナと違ってお前は興味だけでそこまで必死になれるようなヤツじゃねぇだろ」

「……あなたが、()を見てくれたから……ただそれだけだと笑われても、私にはそれ以上に魅力的なことなんてないわ」

 

 ここは文化祭の喧騒がウソのように、静かだった。だから、千聖の小さな嘆きは、全て耳に届いた。

 たったそんだけの理由でか。オレはそう思って、()()()()()()()が青春に生きるガキにとってどれ程重要なことかを思い出した。たったそんだけで、コイツらの世界は劇的に変わる。モノクロが彩り溢れるように、日が登って、空が濃紺から澄んだオレンジに変わる様子を、早送りして見るように、劇的に、ドラマチックに。

 

「結局、お前も青春の真っ只中、ってワケか」

「無粋な言葉ね、そうやって、自分だけ外に出ようとするなんて」

 

 迫られ、唇を奪われた。小柄な千聖の身体は、腰に手を添えただけで持ち上げれそうなほど、軽い。けど、壁際に追い込まれ逃げられねぇほど、コイツは怖え顔をしてた。

 いつもどこかで軽さを見せてきた千聖。キスをしても、舌を絡めあっても、なんなら枕を並べていても、魔王らしい余裕の表情をしていた。だからオレは気に入られてはいるが、それはヒナや蘭、モカとは違う感情だと、信じてた。だからコイツのことを文化祭中は生徒とは言うが正直後回しにしてた。構ってくれる男なんていくらでもいんだろって、蘭を優先したこともあった。ヒナが甘えてくるから、と電話を切ったこともあった。モカが拗ねるから、メッセージの返事をしなかったことがあった。

 ──違ぇんだ。余裕の表情をしていたのは、そうじゃねぇと不安だったからだ。オレもどっかで忘れてた。白鷺千聖は、オレとは一周離れた十代の、ガキなんだ。

 

「どうして?」

「なにが」

「どうして拒絶しないの? 振りほどくことなんて、簡単でしょう?」

「まぁな」

「……なら」

「オレがミスをしたからだ。間違いを認めねぇまま振りほどいて逃げるなんて、大人としちゃ落第もいいとこだ」

 

 ここで、やめろ、と言えないところは教師としてクズもいいとこなんだが、それは置いておこう。そんなことは百も承知で、オレは千聖に向き合うことにしたんだからな。

 クズ教師として、生徒とカラダを重ねてでも、前に進む。黄昏ティーチャーであり続けること。どれだけミスをしても、そこだけはぜってぇ、間違えたりしねぇよ。

 

「なぁ、千聖。お前、最近男遊びしてねぇだろ」

「……ええ、お誘いも、全て断っているわ」

「つまりは本気なんだな」

「もちろんよ。あなたのせいで、他の男全てが色褪せてしまったわ」

「ヤりまくってんだから、多少は軽い女だと思ってたんだけどな」

「そうね、こんなこと初めてで、私も驚いているの。燃えるような恋、全てを捨てでも手に入れたいヒト……もう、あなたでなければ濡れないほどに」

「そりゃ光栄だ」

 

 舞台で感じたロマンスシーンとは比べものにならない程の迫力に満ちたセリフだな、千聖。それがお前らしい告白ってヤツか? オレは応えることはできねぇけど、どうせそれでも、お前は責任を取れっつうんだろ。こちとらそれは三回目だから覚悟はしてやる。ただし、お前だけには整体の代金請求してやるからな。

 

「けれど、言葉ではまだ軽いままよね。私だって覚悟を見せるのが、礼儀よね」

「覚悟って、なんだよ」

「本気の証明、よ」

 

 そう言って、千聖はかわいらしい装飾のついたスマホを取り出した。そこにはコイツの気に入った男たちの名前が登録されているだろう、お得意様の連絡用の、スマートフォン。

 それを千聖は床に──力いっぱいたたきつけた。防護フィルムのおかげで液晶のカケラが跳ねることはなかったが、たったそれだけの簡単な動作で、ソイツはただの物言わぬスクラップと名前を変えた。

 本気すぎだろ、千聖。本気で、オレ以外の男はいらねぇってか。恐ろしいヤツだな。恋する魔王(おとめ)の本気、ずいぶんパワフルで、そういうのは嫌いじゃねぇな。

 

「いいのか?」

「マネージャーのスマホにも連絡先は入っているし、それにあのスマホに登録してあったお得意様がお得意様なワケはここにあるのよ」

「は?」

「──私がもし、本気で恋をした時は、応援してくれるって」

「つまり、お得意様は全員、お前のウソを知ってたってことか」

「あなたも含めて、ね♪」

「はぁ、お前……すげぇよ」

「お褒めに預かり光栄ね……それで、アレは新しく、貴方専用のスマホにでもしましょうか」

「フツーにそっちのでいい」

「それじゃあつまらないけれど……修理が終わるまではコッチで連絡するわね」

「おう」

「それで、次はいつかしら?」

「テメーは仕事あんだろうが。またそれも連絡する」

「ええ、待ってるわ♪」

 

 はぁ、しまったな思ったより時間を取られた。準備しねぇと、そうやって千聖に文句を言いながら先に準備室を後にすると、そこにはヤケに憮然とした表情のヤツがいた。

 オレは、ソイツを抱き寄せて、唇を奪ってみせる。こんなことして、千聖にアテられたな。本気の証明、正直、しびれた。だからオレも、証明してみせた。

 

「な、なにして……!」

「今日、ウチ来るだろ?」

「……うん。けど、次の日も早いんだから、控えめだからね」

「んじゃあ出前取るか、時間もったいねぇし」

「ホント……クズなんだから」

 

 そうして、文化祭一日目は幕を下ろした。二日目はあんまり人入りは少ねぇだろ、と思ったら、千聖曰く、二日目も演るんだと。は? じゃあ混むに決まってんだろ何考えてんだこの学校。

 

 

 

 

 

 



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⑤太陽フェスティバル

負けヒロイン以下のサブヒロインが活躍してくれるのが文化祭という魔法。


 文化祭の二日目。オレは蘭と朝早くから準備を進めていた。そこに千聖が来て、今井と弦巻とヒナが来て、最後にモカがのんびりとパンを差し入れながら音楽室に集合した。つか、部員とその扱いの蘭、ヒナ、モカと手伝いで来てくれる弦巻はいいとしても、今井と千聖はそれぞれの持ち場もあるのにな。特に今井は別にオレ目的でもねぇんだし手伝ってもらうのは申し訳ねぇな。

 

「いやいや、乗りかかった舟だし、センセーはあの()()の収集つけらんないっしょ?」

「……まぁ、そうなんだけどな」

「あはは、遠慮しなくていいって~」

 

 準備も一通り済んで、音楽準備室で今井と言葉を交わした。そうやって誰と話すのとは変わらないテンションでウィンクをする今井は、敬語を使うのは苦手らしくこの話し方なのだが、正直見た目完全にギャルなのにきっちりかっちり敬語でしゃべられたら詐欺だな。金返せって言われかねねぇ。なんの金かはしらんが。

 

「それにアタシさ、割とお節介だって自覚してるし」

「そうか?」

 

 少し伏し目がちにそう言う今井は続けて、たぶん紗夜にもウザがられてるしね~、とおちゃらけてみせた。バカだな、そんなウザいと思ってるヤツが大事な妹とクズ教師をとっちめようとして頼るか? その後もどうせ紗夜のことだからお前にヒナとオレの様子を訊いてんだろ。お前はお節介じゃねぇよ。

 

「そういうのはな、世話焼き上手っつうんだよ。日本語は正しく使わねぇとな」

「……あはは、英語教師なのに?」

「英語教師だけど、オレは日本語の方が好きだからな」

 

 回りくどくて、表現するための言葉が多い。ヒトの個性をこれほど表現できる言語はそうねぇよ。オレのしゃべり方、今井のしゃべり方、英語にしちまえばそれほど違いがねぇからな。口語文を文字におこすだけで誰がしゃべってんのかわかるって、すげぇと思うよ。

 

「そっかそっか、今のはちょっときゅんとしたなぁ。センセーはそーやって、口説いて回ってるってことね~」

「口説いてねぇよ。ガキを認めてやんのはオレの仕事ってのを、アイツらが勝手に勘違いしてるだけだ」

「ふ~ん? それじゃあ、そーゆーことにしとくね」

 

 口説き文句も、まぁ言ってしまえば他者を褒めて認めてやることだから、大した違いはねぇのかも知れねぇけどな。けど、その含み笑いと意味深な納得はやめてくれ。まるでオレが意図的に教師の仕事を悪用して口説いてるみてぇじゃねぇか。

 

「……リサさんとなにしゃべってたんですか~?」

「うお、びっくりした。急に出てくんなモカ」

「せんせーいるところにモカちゃんありっすよ~」

 

 冗談に聴こえねぇからやめろこのストーカー。昨日は文化祭のシフトがあったから追っかけてきてはねぇだろうけどな。苦笑いをしたらモカはふくれっ面になって腕を引っ張ってきた。昨日モカのクラスで会ったきりというのが相当不満だったらしい。まぁ、お前以外の全員は人目盗んでくっついてきやがったし。つかそもそもキスされたしな。

 

「ひどい」

「悪かった」

「蘭から、千聖さんともココでちゅっちゅしてたって聞いた」

「言い方、なんかヤだなそれ」

「あたし、昨日ちゅーどころかぎゅーもしてない」

 

 んなこと言われてもオレからはなにもしねぇよ。アイツらが迫ってくるだけだっつうの。まぁあえてアドバイスしてやるなら、受動的な人間は腐ってくだけだ。能動的になってこそ、ヒトはそのヒトの脳を動かせるんだよ。学校生活で受動的なだけじゃ、またゆとりだのなんだの嘆かれるんだよ、オレみたいにな。

 

「だからさ、今日はシフトない午後は構ってね?」

「はいよ。その代わりこっちの準備も手伝えよ?」

「は~い」

 

 抱きついてきたモカはふにゃりと笑ってみせた。幸せを表情で、万人に伝わるように。そういや、あのクズ教師んちにいたネコも、やたらとオレに近寄ってきて、構ってやると嬉しいのか擦り寄ってきてたな。モテるね、なんて言われてガキだったオレは拗ねたっけか。オレはアンタだけいればいい、って。

 

「……せんせー?」

「……悪い」

「ううん。あたしにも、過去のことは読めないから」

「そっか、ならいい」

 

 しまった。モカに気を遣わせちまった。けど、昔の話はしたくねぇからな。つか正確に言うとできねぇんだ。

 大学入ってから二年の途中くらいまでの記憶があやふやなんだ。ピースがいくつか欠けて、そのせいで全体の絵がぼやけてるように、ナニカが足らなくて、そのせいでその辺りの記憶が混濁してる。そのあたりから地元に帰らなくなって、って考えてるとちょっと頭が痛くなってるから、あんまり考えねぇようにしてるけど。

 

「……準備、してくるね〜」

「ああ、悪いな」

「モカちゃんはね〜、こう見えても空気、読めちゃうんだ」

「知ってるよ」

「にしし〜」

 

 マイペースなクセに鋭い。けど不器用なとこがあって、お前は気難しいヤツだ。単純な行動原理と言えば、依存心だけ。安心できるヤツがいなくなったら息すら忘れるバカ、それがオレの知る青葉モカだからな。

 

「カズ先生ー、準備できたよー!」

「おう、んじゃあ今日も頼むな、ヒナも蘭も」

「うんっ!」

「うん」

 

 蘭も、ヒナも、今日もコンディションは絶好調って感じだな。蘭はちょっと心配してたが、問題なさそうだ。ちゃんと言われた通り控えめにした甲斐はあったっつうことかな。

 手伝いをしてくれた弦巻も、今井も、千聖も、笑顔だ。なんか、ここ数日で一気にここの居心地がよく感じるな。文化祭効果ってやつだろうか。

 

「ふふ、こういう高校生らしいイベントも偶にはいいものね」

「なんなら都合が合えば、このメンツで焼肉でも行くか? オレが奢ってやるよ」

「つまり、打ち上げ、ということね! 素晴らしいアイデアだわ! 大賛成よ!」

「センセー気が早いな〜、ケド、どーせならご相伴に預からせてもらっちゃおうかな〜?」

「ふふ、勿論私も賛成よ♪」

 

 JKまみれにオレひとりってのは中々、奇異の目で見られるかもしれんが、それよりも、個性的なこのガキどものやりとりを見守りながらメシってのもいいな、と思った。まぁ、オレの隣がどうので争いが始まりそうな予感はするが、そこの対策とかは今井と練るとするか。

 

「ん? どしたのセンセー」

「いや、なんでもねぇ」

 

 まだいいかとそれは脇に置いといて、準備が終わったところで千聖、今井とモカがそれぞれの仕事に戻っていった。弦巻は蘭となにかを話しているようで、それを遠巻きに見ていた。最初のうちは奇想天外すぎる弦巻が苦手だったらしい蘭も、呆れ交じりにツッコミを入れてる。いやまぁ噛み合ってるとは言えねぇけどさ。

 

「タバコ吸えないからもっとイライラしてると思ってたけど、楽しそうだね、()()()()?」

「先生をつけろ」

「はーいカズ先生」

「……吸わねぇからイライラしてんじゃなくて、イライラした時に吸ってるからな」

「先生は、なんだか先生が揺らいでる時に吸うよね。一旦先生をリセットしてる感じ」

 

 遠巻きに加わったヒナの言葉に、口ん中が苦い感覚がした。わかってんなら質問すんなよ。つってもそれをヒナが一番見てきてるから、わかって当然か。

 オレは大学時代、自己評価で教師に向いてる、って思って信じることで今の職に就いた。けど、どうやら教師に向きすぎていて、だから教師に向いちゃいなかったっつうことが担任を持った時にわかっちまった。んで封印してたタバコを解禁したらあら不思議、さざ波の立っていた感情が穏やかになって、オレは教師として教壇に立つことができた。

 ──以来、この百害あって一利なし、と言われる健康を損ねる嗜好品は、オレにとっては仕事の相棒となった。たゆたう白い煙、息を吸い込むと赤くなる火、胸を焦がすような感覚、オレだけの時間。それがオレにとってはなくてはならない、味方だった。

 

「……まぁ、そんなタバコに頼るくれぇなんだから、やっぱ教師なんて向いてなかったんだろうな」

「そうかもね」

「肯定すんなよ、傷つくだろ」

「だって、カズくんのホントは、大人とか子どもとか、そんなの気にするヒトじゃないもん」

「そうか?」

「うん。カンケーねぇ、オレはオレの思ったことをしてぇ、くらい言いそうだよ」

「自分勝手なヤツだな」

「カズくんはわがままでしょ?」

 

 そうかもな。つか、カンケーねぇって思ってるからオレはヒナと関係を持って、モカとも蘭とも、千聖まで囲ってまで教師を続けてるんだよな。オレは強欲なヤツだ、四人も囲う色魔でもあるし、それは悪食ってわけだ。イライラを火に点けなければやってられねぇくらい憤怒に染まることもある。普段は教師として怠惰もいいとこだろうし、ただ授業はこなすし他の英語担当が教えてるより何故か平均点は上がってるんだよな。これはまぁヒナが無駄にやる気だしたり、モカが頑張ってくれたりと生徒に助けられてる結果なんだが、教師陣から傲慢だとでも思われてんだろ。もちろん嫉妬もする。わがままで、自分勝手でオレはとことんまでクズだ。

 ──けどね、っつうんだろ、ヒナ。そんなクズだから、ヒナは羽丘を楽しいと思えるようになった。本気になれるヒトを見つけたから、ヒナはオレを認めるっつうんだろ。

 

「あたしは、るんってすることが好き、だから、大好きな先生(カズくん)にも、るんってしててほしい。ううん、カズくんがるんってしてるから、あたしも」

「……口説かれてるって認識でいいのかソレ」

「えへへ、カズくんみたいに上手じゃないけど」

「口説いたことねぇし」

「ウソつき。ペナルティだよ?」

「……うるせぇな」

 

 コイツに口で負けるようになるっつうのは、ホントに困るな。つか最近、オレはコイツらと同じ目線でしゃべっちまうことが多くなってきたな。眩しすぎるんだよ、可憐すぎんだよ。一等星のように輝くお前らの笑った顔が、花が朝日を浴びて咲き誇るように、頬を染めて微笑むお前らの恋する顔が、燃え尽きちまって、枯れちまったオレの心に、突き刺さって、抜けなくなっていく。

 

「後夜祭、あたしはココで待ってるね」

「……そうか」

 

 また、そうやって刺してきやがるんだな。生徒の、ガキのクセして、そうやってオレを、オレの虚しい戦いから救おうとしてきやがる。ったくそんなにオレが教師やってんのが気に入らねぇのかよ、ヒナ。

 ──いいや、違うな。そうやって訊いたらお前はぜってぇ、違うっつうんだろうな。お前は教師じゃねぇオレの傍にいてくれたから、それでもいい、って両手を広げたヤツだからな。

 

「文化祭はすごいわね! みーんな、笑顔なんだもの!」

「すぐに花咲川も文化祭だろ?」

「ええ、とっても楽しみだわ!」

 

 それから、クラスの方に合流したヒナや蘭と別々になり、オレは弦巻と文化祭を歩いていた。昨日と変わらねぇってのは、普段からこんな雰囲気だったかと感じさせるな。そして跳ね回り、金の光を周囲に振りまく弦巻は否が応でも目立つ。しかもセーラー服だしな。

 

「つか、そんなクルクル回ってるとパンツ見えるからやめとけ」

「あら、それもそうね。楽しいと身体が動いちゃうの、あと歌いたくなるわ!」

「……はぁ、そうですか」

 

 15分も歩けば気づく。コイツはヒナの快楽主義に近い何かを持ってる。けど、常に笑顔になれるものを探す弦巻の熱は、周囲に影響を与える。裏表のない言葉、屈託のない喜怒哀楽、なんつってもオレは喜と楽しか見てねぇけど、そしてその立ち振る舞い。

 変人だが、恐ろしいまでに美人だしな。つか黙ってれば深窓の令嬢もいけるだろ。黙ってればな。

 

「つか今どこ向かってんの、お前」

「さぁ? きっと楽しい方よ!」

「あ、そう。んじゃもう好きにしてくれ」

 

 こんなヤツ放置するつもりだったさ。なのにこの個性派お嬢様は、ひとりじゃつまらないわ、とか言い出してヒトを振り回してらっしゃる。じゃあ一人でくんなよ、保護者代わりに誰かいねぇのかよ。黒服さんはどうせついてきてはいるだろうけど。

 

「オレ、ついて歩いてるだけでいいのかよ」

「ええ、そうよ?」

「なんで?」

「その質問がもう、答えだわ」

「意味わかんねぇよ、もうちょいコミュニケーションを……って、ああそういうことか」

「ふふ、わかってくれたみたいね」

 

 コイツが一人じゃつまんねぇと言う意味、それは質問した時点でそれが答えだな。お前、今はそうじゃねぇってハナシだけど、どんだけ独りだったんだよ。どんだけ、楽しげに笑うヤツらを尻目に虚しく楽しいことを探してきてんだよ。ガキのクセに時折賢くなるのは、そのせいか。

 

「なんだよ、意外と繊細なのな弦巻って」

「こころよ」

「あ?」

「あたしの名前は、こころよ」

「ホントに意外と繊細なのな、()()()は」

「そうかしら? 先生だって、もしも日菜や蘭に清瀬先生、って呼ばれたら、同じことを言うわ」

「そうか、そうなんだろうな」

 

 ニッコリと微笑まれ、オレはこころの胸に潜む光をも呑み込む穴を見つけた気がした。そういや、智恵と美の象徴として見られる金星は昼夜の温暖差が激しいんだっけか。そんなくだらねぇことを考えるくれぇには、冷や汗が流れた。

 

「おや? こころじゃないか!」

「薫! 今日はロミオはお休みかしら?」

「まさか、今からジュリエットの元に参上するところさ」

 

 そんなタイミングで瀬田が現れてくれて本当に助かった。こころの声も元通りで、少し安堵の息を吐いた。瀬田と目が合ったタイミングで微笑まれ、オレはそれに苦笑いで返す。やっぱり太陽のようなヤツっつっても十代のガキだもんな、色々拗らせて当然か。子どもを一括りにするのは教師として、大人としてバッドコミュニケーションだけど、こればっかりは例外がいねぇんじゃねぇのと思うようになってきた。今井も、こころも、千聖も、きっと瀬田も、十代らしい青春に振り回されて生きてる。それに巻き込まれてる大人は堪ったもんじゃねぇけどさ。

 どうしても子どもだけじゃどうにもならなくなった時に頼られるのは、大人の、っつうより教師の義務みてぇなもんだからな。逃げるわけにはいかねぇよ。

 

「こころ、話しててぇなら先行くからな」

「ふふ、先生が待ちきれなくなってしまったようだね」

「そのようね、それじゃあ今日も素敵なロミオを期待しているわね!」

「勿論だとも、精一杯、プリンセスの期待に沿うとするよ」

 

 なんつうか、瀬田とこころのやり取りは、それはそれで演劇の延長のような感覚がするな。自由でお子様なクセに言葉には品がある。つか語調は全く違うが口調は千聖と同じ、丁寧なもんだ。当たり前のように敬語は使わねぇけど。コイツはきっと国のトップとかにも、貴方がもっと良い政策をすれば、みんな笑顔になるわ、とか平然と言いそうなんだよ。

 んで、そんなこころと芝居がかった口調の瀬田のやり取りは絵本から飛び出したプリンセスとプリンスだ。立ち振る舞いとかも、社交ダンスとかしたら釘付け間違いなしの美女百合カップルだな。

 

「そうだ」

「なにかしら?」

「お前って許嫁とかいねぇの?」

「いないわよ?」

「意外だな。仮にも弦巻家唯一の跡取りだろ? どこかの御曹司の次男とか、ありそうだけどな」

「それは高校を卒業してから、あたしがあたしの目で決めるの。その前に恋をしてもそのヒトと結婚しても、自由。お父様もそうやって、お付き合いをしていたお母様と結婚したのよ」

 

 なんとなく一般的なイメージとしてのお嬢様っつうのは幼少期から決められた結婚があって、とかだと勝手に思ってた。ドラマの見過ぎとか言われても、コイツの家柄がフィクションだからそれを疑う余地もなかったんだが。

 そうか、みんなを笑顔に、か。きっと両親の願いでもあるんだろうな。お前は、みんなを笑顔にできる存在でいなさい、だから、そのためには、まずこころが笑顔でなくちゃいけない。だから自由なんだなお前は。けど、その分だと恋愛はできそうにねぇな。

 

「んじゃあ理想の性格とか、ねぇの?」

「んー、そうね。一緒にいて笑顔になれるヒト」

「だろうな」

「あとは、あたしを否定してくれるヒトがいいわ」

「……なんでだよ?」

「あたしは弦巻こころ。今まで、ほしい、と思ってダメだと言われたことはないわ」

 

 ああ、そう。ないものねだりは人間の特権だよな。けどな、ダメだと言われればほしくなる。与えられ過ぎれば、際限がなくなる。それが人間の強欲ってヤツだ。

 わざわざ、ダメだと言われることを欲しがるヤツ、いねぇよ。お前は常に認められて生きてきた。弦巻だから、弦巻家の令嬢だから、そうやって大人たちに囲まれて生きてきたんだろ。

 ──だから、お前はお前の生き方に反発するヤツがいいんだな。お前の言葉にふざけんな、って叫べるようなヤツと一生を添い遂げてぇ、とお前は求めてる。趣味悪いな、お前も大概。

 

「さぁ、先生! 目指すは文化祭完全制覇よ! ぜーんぶ見て、ぜーんぶ食べるわよ!」

「オレの胃はそんな容量ねぇから、それはお前だけにしてくれ。んで午後はヒナと回ってくれ」

「……ええ、そうするわ!」

 

 太陽は恵みを与えるだけじゃねぇ。けど、太陽はそもそも恵みを与えたくて燃えてるわけじゃねぇ。

 絶え間なく核融合を行ってるから燃えてるだけ。悪いけどお前の金色は、黄昏が好きなオレにはゴメンだね。

 

 

 

 




フラグ立てんな。


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⑥灰色ストーカー

 いっつも蘭が奏でてる青春ガールズロック。まっすぐで、でも素直じゃなくて、暗めなのに何処か眩しい、エモいロック。けど今日はいつものそれじゃなくて、青葉モカ(あたし)の青春ガールズロック。誰も聴いたりなんてしてくれないかもしれないけど、ちょっとだけ、聴いてほしいな。

 ──その音楽が始まるのは中学一年生の時、仲良し五人組だったあたしたちの中で蘭だけが一人、別のクラスになった。そこでつぐがバンドをしようって言って、元通りになったちょっと後のこと。

 

「ねぇ聞いてよモカ! 今日の活動、高等部から先生が来て英語の授業するんだって!」

「へ~、あたしえーご苦手だしな~、寝ててもバレないかな~?」

「いや、バレるだろ」

「が、頑張っておきてようね、モカちゃん!」

 

 授業ってゆっても本当に英語の教科があるわけじゃないけど。高等部はこんなことをしてるよ、ってゆう説明と、オリエンテーションみたいなお遊びがあるだけ。寝てたい、おなか減った。そんなことばっかり考えてるうちにその先生が中等部の英語の先生に紹介されてはいってきた。

 

「高等部で英語の教師をしています、清瀬一成です。よろしくお願いします」

 

 今考えると誰だ、ってなるかもしれないけど、三年前のせんせーはハツラツとしてた。まだまだ若いヒトなんだな、ってわかる25歳。中等部にいないタイプの先生だったから、クラスもちょっとだけ色めき立ってた。あたしは色気より食い気なんで、と興味を失ってたけど。

 教え方は上手なんだなってことはわかった。たとえ話を交えて話すことが多くて、なんか無駄に英語の発音でドヤ顔をするヒトじゃなくて、むしろ日本語の語彙があるから英語向いてないんじゃないって思った。

 

「それじゃあ、みなさん退屈してきたと思うので、女性には嬉しい、ボクにはちょっと恥ずかしい恋のハナシでもしましょうか」

 

 なんだコイツって思った。いやこれは今でも思うけど。恋なんて興味ないしきゃーきゃーと黄色い声の立つ教室もくだらないと思った。読めてる、どうせ英語なんだからわかんないじゃん。あとどうせ実体験じゃなくてどっかの古典でしょ? あたしの想像を逸脱しないその授業はひどく退屈だった。

 

「こ、こここ恋だって、モカ!」

「……ひーちゃん、鯉みたい、お魚の」

「ハハ、言えてるな、ひまり」

「巴~」

 

 ひーちゃんは楽しそう。まぁひーちゃん恋愛映画好きだし、成長期にご飯食べたらめっちゃ太った~って泣いてた、のは関係ないか。あとその体重はおっぱいのせいだと思う。目に見えて成長してるし、ブラのホックすぐ壊れるって泣いてたし。

 それに比べてあたしは全然成長してる様子はなし。きっとひーちゃんやつぐみたいなかわいい子は恋をして、あたしにはそんなもの無縁だって諦めてた。

 

「お……なぁ、つぐ、これなんて読むんだ?」

「ロミオとジュリエット」

「タイトルは聴いたことあるな」

「有名だもんね。私も、聴いたことあるだけだけど」

 

 ロミオとジュリエット、ベタだよね。ベタだしあたしはミステリーとかホラーの方が好きだから、興味がない。けど、クラスの子たちは違うみたいで、ざわざわしてた。どうせまともに聞き取れないし、見てもわかんない単語だらけなのにね。

 ──そして一幕、ロミオが塀を越えてジュリエットと出逢うシーンを大根二人が演じてくれて、その後はせんせーによる解説。色っぽい表現にきゃーきゃーまた黄色い声が出るクラスを尻目に遂にあたしはパンを食べ始めた。

 反抗期ってやつなのかな? 受け入れられてる環境の中で、一度きりの授業とは言え拒絶されたら、やっぱりキレちゃうのかな。そんなスリルを求めた行為。けど、せんせーはそれを見つけて、英語の解説中だったせいか、ふっと笑って一言だけ漏らしただけだった。

 

「You're eating than romance」

 

 あたしにもわかるように、ゆっくりの発音だった。授業のあと、すぐに調べて、あたしはたったそれだけのことで、と自分の心臓を今すぐ止めてやりたくなった。

 ──キミは、色気より食い気だな。安心したような、恥ずかしい中でほっとしたような言葉。ドキドキした。拒絶されたくせに、まるで受け入れたようにそうやってカッコつけて、バカじゃないの。

 そうやって自分にウソを吐き続けていた。後になってせんせーと関係を結んだ時、あたしはウソをついた。大人になりたかったから、大人なせんせーを利用しようと思ってた。蘭の元カレみたいに、年上だからいいなとか思った。目の前に積み上げたウソの気持ちすら、せんせーの前ではホンモノになっていった。けど、ホントは全部ホンモノなんだ。

 この時、あたしはせんせーが好きになった。最初はAfterglowの誰かが高等部に用事があると決まってついていって、せんせーを見つけては写真を撮った。二年生、三年生になるとちょっとした暇には、せんせーを追って写真を撮ることが、あたしの日課だった。だから他の女子生徒と仲良く話している姿、泣いてる子に寄り添ってる姿、屋上でタバコを吸うようになった日の写真。だんだんと誰も傍にいなくなって、独りになっていく姿。そんな一人だったせんせーに悪魔が近づいた日。

 あたしは全部、知ってる。蘭も日菜さんも、もちろんつい最近付きまとうようになった千聖さんなんかは絶対に知らないせんせーをあたしだけが知ってる。写真のせんせーのように、今のせんせーをずっと、あたしの手の中に閉じ込めておけたら、どれだけ幸せなんだろう。考えただけで、ドキドキする。絶対に独りになんかしないよ、せんせー。あたしが一生、いてあげるから、だから安心してね。

 

「いや無理だろ」

「ありゃ、不満? あたしのせーしゅんを、せきららに語ったのに~?」

「随分拗らせた中学時代だったことしかわからねぇ……」

 

 文化祭も午後になって、いくつかのお店は値下げを始めてた。食べ物は余ったら大変だもんね、って笑いながら、あたしは大好きなせんせーの隣を歩いてる。デートですデート。

 せんせーはタバコを吸いたい欲求を解消してるのか、棒つきのキャンディーを食べてた。せんせーの唾液にまみれたアメ玉が緑色なのはステキだけど、歩きながらは危ないよ? 歩きタバコはしねぇって言ってたのに歩きながらソレの方がもっと危ないよ。

 

「……モカ、視線」

「あ~、ごめんごめん、つい~」

 

 口許に視線が行き過ぎちゃってたみたいで、せんせーは嫌そうに眉をしかめてた。隣を歩くと幸せなのに、写真を撮れないのだけが唯一の不満。保存できるのは、あたしに視線が向いてない時だけ。だからその分、今は触れていてほしいのに。どうせなら、アメ玉みたいにあたしを……そんなピンク色の妄想が脳内に広がった。

 

「何考えてんのか知らねぇけど、くねくねすんな」

「だって~、舌がエロいんだも~ん」

「今後一切お前に話しかけねぇ」

「え~、ひどいよ~」

 

 あたしはこんなにもせんせーを想ってるのに、肝心のせんせーはぜーんぜん、構ってくれない。あんなに蘭や日菜さんのことは構ってるのに。その二人より、あたしの方が長く、せんせーを想ってるのに。

 

「……んで? どうせお前はシンプルに食いもん目当てだろ?」

「うん。奢ってくれるの?」

「オレも食う時だけな」

 

 ──けど、せんせーのそんなところもすき。あたしがホントは今すぐにでも縛って、閉じ込めておきたいって考えてるの知ってて、それでも隣を歩いてくれるところがすき。理解してくれるのがすき。ツンとしてるのに優しいところがすき。ずっと一緒にいてほしい、独りにしないで、あたしはやっぱり誰か、じゃなくて、せんせーと手を繋いでいたいよ。

 

「せんせー」

「……ダメに決まってんだろ」

「だって」

「言い訳する余地ねぇよ」

 

 言葉にはあんまり、すごくすきが溢れちゃった時にしか言えない。だからあたしはせんせーにくっついて、キスして、えっちをする。言葉にしなくても、すきって伝わるように。すきって気持ちでせんせーを埋められるように。

 

「……こんなとこで発情すんなよ」

「よっきゅーふまんだもん、いいもん放置するなら襲っちゃうからね」

「ヒナかお前は」

 

 む、日菜さんの名前出されて余計に不満だよ。デート中に他の女の子の名前は嫌。そんなの許さない。襲ってやる。そんな勢いであたしはせんせーを音楽準備室まで連れて押し込んだ。プラネタリウムで星の瞬かないそこは、呑み込まれそうな闇が広がっていた。

 せんせーの顔も見えないけど、膝に乗ってる感触、腰に巻かれる腕の感触、舌の感触、脚に当たる、あの感触。それが今のあたしの全部、あたしとせんせーの世界。

 

「やっぱり……今はせんせーを食べたい気分だな〜」

「……ヒナが戻ってくる前に済ませろよ」

「うん、バレたら、まずい?」

「ヒナにも襲われる」

 

 浮気はダメだよっていつも言うのにな〜。そうやって、日菜さんともそうやってえっちしてるんだ。クズ教師だって、言い訳してさ。あたし知ってるよ。

 せんせーは蘭のロックの中に夢を見つけたんだよね。ドリームじゃなくて、ウィッシュの方。叶えたい夢を。だから二人はすっごく仲良しで、まるで恋人みたいに間には入れなくなっちゃった。

 それと同時に日菜さんの瞳に夢を見てることも、知ってるよ。醒めない過去の夢、せんせーの、逃避。だからせんせーは蘭だけじゃなくて、日菜さんのことも特別の中でも特別。

 この二人がいる限り、あたしは所詮負けヒロイン、わかってる。せんせーの物語のメインヒロインは、蘭と日菜さんで、それ以外は脇役なんて、わかってても、納得できるわけないよ。

 

「モカ、泣いてんのか?」

「せんせーが、いじわるだから」

「お前が悪い男に引っかかってるからな。ロクでもないから卒業したら新しい恋をしろよ」

「なんで? せんせーじゃ、ダメ?」

「騙されてんだよ。生徒を認めんのはオレの仕事だから、それを愛されてるって勘違いしてるだけ。それを利用してガキのカラダをいいように貪ってるクズなんだから」

 

 それが全員に適用されたら、あたしもそうなんだーって思えたけど、せんせーはそうじゃないことも知ってるから、それがせんせーの優しいウソだってわかっちゃうよ。

 そんなこと考えてるクズだったら、どうして担任の時はヤってなかったの? 中にはさ、確かに本気っぽい、言わば二つの意味の先輩もいたけど、そのヒトにも一定の距離を保ってたよね。

 

「お前らみてぇな猛獣はいなかったからな」

 

 乾いた笑い、そうかもしれないけど、最大の理由はせんせーに余裕がなかったから。担任を持ってたせんせーはもっと自分に自信があって、だからこそ苦しんでて、それこそ屋上でタバコ吸ってる不良教師なんかじゃなかった。そんな風に誘って揺らぎそうな印象はなかった。

 もうウソはつかないで、ホントのことをしゃべってよ、せんせー。

 

「せんせーはなにか嫌なことがあって辞めようとまで思った。けど日菜さんに出逢って、それでここまで来たんでしょ?」

「さぁな、嫌なことなんて、そんなんオレにしかわかんねぇだろ」

「じゃあ、なんで一昨年の秋の一時期、急に休んだの?」

「……は?」

「え?」

「休んだ? オレが?」

「う、うん……」

 

 ──おかしい。今のはウソをついてる反応じゃない。なんで、あたしは、というかあたしのスマホにはちゃんと残ってる。あの時期はつぐだったりひーちゃんだったりが毎日のように高等部に用事があったから、日付順にすると毎日一枚はせんせーの写真がある。それが表情が暗くなって、ある日から一週間、写真がなくなって。それから先はあたしの良く知ってるせんせーの、不良教師の顔になる。つぐが聞いてくれたんだ。あの先生は()()()()()それから一週間休んだんだって。なんで憶えてないの? 

 

「……それって……」

「カズせんせー? あ、モカちゃんも、いたいた~!」

「日菜さん、こころんも~」

「あら、こんなところにいたのね」

 

 せんせーが何かを思い出そうとした時、日菜さんとこころんがやってきた。もうそんな時間か、と乱れた制服を整えた。せんせーはもういつも通り、先生になってて、日菜さんと次にどの曲を演奏するか話し合ってた。

 なんでかな、天体観測の気分に近くなるようにって低めに設定されている空調のせいか、寒気がして、寒いのに、汗が背中に流れた。その日、なにがあったの? 知りたいけど、知っちゃいけない、そんな気がした。

 

「んじゃあ、それで。でも、アンコールはあっても一曲な」

「うん、えへへ、昨日はごめんね」

 

 昨日はヒナさんの演奏はすごい人気だったんだけど、目を離した隙にアンコールで三曲、その上どこからか出した自分のギターで星空のロックンロールをしてたんだって。おかげさまで仕事が増えたじゃねぇか、って、でもあんまり怒ってる風じゃないせんせーはまた、あたしの心を揺らした。

 

「あんまりカズ先生を困らせないようにしま~す」

「ふっ、できるならそうしてくれ」

「そうだなー、カズ先生があたしを満足させてくれたらねー」

「満足する過程で困ってるから、そりゃ無理そうだな」

 

 なんで、あたしじゃないんだろう。そこにいるのが、そこでせんせーに前みたいに先生をさせてあげられるのが、なんで、あたしじゃないんだろう。なんだか、蚊帳の外だ。

 ──せんせーを閉じ込めるのはカンタンなんだ。あたしが持ってる動画を使えば、あっという間にせんせーは先生じゃいられなくなって、一生、あたしが面倒を見てあげればいい。けどそれじゃあ、せんせーは幸せになってくれないってゆうんだ。

 誰かがあたしを愛してくれるって言うのに、あたしが一生手を繫いであげてもせんせーは幸せになってくれないんだ。

 

「モカ?」

「……なに?」

「ヒナたち来たし、腹減ったよ。奢ってやる」

「あ、うん」

 

 あたしの頭に手を置いてせんせーはちょっとだけ子どもっぽく笑っていた。ああ、またキラキラしだした。初めて会った時に見せた安堵と同じお日様みたいな暖かい笑顔。ホントのせんせーの暖かさ。

 やっぱりね、あたしの気持ちは最初から偽物なんかじゃないんだ。まっすぐで、でも素直じゃなくて、大人であろうとして、でもちょっと子どもっぽい。蘭が見つけた景色のように暖かくてちょっとだけ寂しい。矛盾だらけで、その矛盾が、せんせーを支えてる。

 

「せんせー、なに食べたいの~? あ、もしかして~あたし~?」

「さっき食った、っつうか食われた」

「ごちそうさまでした~、えへへ~」

「じゃあお前の分いらねぇな」

「えー、それは別腹だよ~」

 

 文化祭ってゆう空気のせいかな。せんせーはいつもより元々のせんせーに近い気がする。蘭と一緒に歩いてる時も今も、先生ってゆう荷物を半分だけどこかに置いてきてるような気がした。

 あたしは向かい合ってしか見られないと思ってた、先生じゃないせんせー。なんだ、ちゃんとせんせーの中に、あたしはいるんだ。ちゃんと、あたしを見てくれてるんだ。

 

「……なんだよ」

「今ね、ぎゅーってしたくて……えへへ」

「いつもだろ、お前は原始的な欲求で生きてるもんな」

「えー、そう?」

「食欲、睡眠欲、性欲。モカの行動原理まんまじゃねぇか」

「せーよくじゃないもん……これはラブだから、えっと……愛欲?」

「意味ほぼ一緒だろ」

 

 これからも多分、あたしはせんせーに愛されることはないと思う。欲求だけを受け止めてもらう、片想い。所詮、あたしは負けヒロインだから、蘭みたいなロックを奏でられないし、日菜さんみたいな、自由な愛も持てない。想ってる長さが偉いわけでも、そのヒトと結ばれる権利があるわけじゃないから。

 ──でも、あたしはせんせーの傍にいたい。いつかは、誰かにせんせーみたいな黄昏のロックを、聴かせてあげらるように。せんせーに恋したことを、いつか誰かに伝えられるように。

 



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⑦焼肉フェスティバル

祭りの最後といえば打ち上げだよね。楽しかったなぁ……打ち上げ(遠い目)


 祭りは終わり、オレは片づけをするために振り替えの休みにもかかわらず休日出勤をしていた。

 とは言うものの、振り替え休日なんてその日のうちに片づけちまったヤツにしかなく、基本的には文化祭に関わったほぼ全員が学校へとやってきて、各々片づけをしていた。

 

「さすがに花咲の二人は来れないか~」

「そりゃそうだろ、あっちは通常授業だろうからな」

「アタシたち四人で、なんとかなるの、これ」

「ピアノ動かすの大変だよね~」

 

 千聖とこころは今頃通常授業、今井はダンス部の方に顔を出してる。となれば残るは顧問のオレと唯一の正規部員であるヒナ、あとは仮入部扱いの蘭とモカしかいない。あ、あとオレは説教が待ってたな。教頭が昨日見に来ていただき、その素晴らしいセットに青筋を立ててらっしゃった。そんだけで昼に呼び出しとは高血圧は怖いね、オレも気ぃつけるとするかな。

 

「あのさ、カズ先生」

「ん?」

「お昼に呼び出しがあるって、あたしが無茶なこと言ったから、だよね」

 

 そんなことを気にするなら構想段階で気を遣っていてくれると助かったんだが、まぁオレもやってみて、お客さんの反応がよくて楽しかったからな。帰る時によかった、次も観に行きたいって笑顔で去っていくヒトを見送るのは、悪くなかった。初めて聴いたヒナの本気の演奏は息を呑むほどだったしな。お前が悪いわけじゃねぇよ。

 だからオレは殊勝なことを言ってくる悪魔の項垂れる頭に手刀を入れてやった。しょんぼりすんな気持ち悪い。

 

「いた……」

「無茶じゃねぇよ。実際、大成功だったろうが。アレなら1000円でもヒトは集まっただろうな」

「ん……えへへ、だってあたしプロだし~?」

「チョーシ乗んな」

 

 因みに初期設定の500円で、集めた金は焼肉に使う予定だ。つか二日目は噂を聞きつけたパスパレのヒナを目当てのヤツとAfterglowの蘭を目的にしたヤツがいたな。音響云々があるとは言え、普段コイツらの演奏を聴くにはもっと金がかかるから、ハードル的にも低かったらしい。まぁ、だからって倍にしたらそれこそ高血圧に雷を落とされるけどな。

 ──いざとなったらこころに頼るか。まさか弦巻家のお嬢様が関与してるなんて思ってないだろうしな。そう思って授業中で悪いとは思いながら万が一を考えてメッセージを送っておいた。これで、焼肉代が巻き上げられるようなことはないな。

 

「あんなキレイだったら、あたしもさ~、蘭たちと同じ景色、見たかったな~」

「モカ、連絡しても返事なかったじゃん」

「だって~、せんせーが別ルートでいて、引率だとはさすがに予想つかないって~」

「……あ、理由そっちなんだ」

 

 蘭もドン引きしてるけど、このストーカーはホント怖いな。まだ今は姿を現してくれるだけ幸せだ。羽沢たちから聞いたハナシによるとモカのスマホの写真フォルダには三年前の二学期からのオレの写真が詰まってるらしい。一度スマホを変えてもどうにかして引き継いだらしいことも、羽沢と上原が苦笑い気味に教えてくれた。オレが担任をしてた頃も、辞めてぇと毎日思ってた頃も全部知っていた、っつう衝撃の真実に言葉を失ったのは言うまでもねぇ。

 

「一成? どうかした?」

「あ、いや、なんでもない」

 

 だけど一個だけ腑に落ちねぇところもある。オレの記憶では、とある問題がクラスで起こって、最悪の展開になってそこで、封印してたタバコを吸い始めた、っつうものが残っていた。繋がってると思いきや、モカの言葉がホントなら、オレはそこの一週間がまるっと抜け落ち、無理やりつなげてるってことだな。なにがあった。大学時代と同じだ。はぁ、知り合いの精神科医のお世話になるしかねぇようだな。幸い、親子そろってオレの愚痴を親身に聞いてくれるしな。

 

「疲れてるなら、休んでていいよ。オッサンなんだし」

「オッサンって言うなっつうの。まだ20代はオニーサンで通じる」

「……アンタは今年で幾つだったっけ?」

「……29だよ」

「もう30じゃん」

「うるせーまだ20代だろうが」

 

 そんな精神の難解さはプロに丸投げするとして、今は外に追い出したピアノやら机やらを運ぶ作業に戻る。蘭の言葉はいつも通りトゲだらけだが、これはきっとオレの身体を気遣ってくれてるんだろう。そう思うといじらしくてかわいいヤツだと思えてヒトをオッサン呼ばわりしたことは許せるから不思議だ。知ってるか蘭。オレみたいな年代はな、オッサンを自称することは許容できても、オッサンと他人に言われるのは絶対に嫌っつう、複雑な年頃なんだよ。覚えとけ。

 

「そーいえばさ、焼肉っていつ行くの? 今日?」

「まぁ、今日でもいいな。予約取ってねぇけど」

「平日なら今からでもよゆーだと思うな~」

「あ、でも千聖さん。この後仕事とかないんですか?」

「ええ、ないわよ?」

「んじゃあ、こころと今井に確認を取って……って、あ?」

「どうかしたのかしら?」

「……なんでココにいるんだよ、千聖」

 

 いつの間にやら制服姿のガキの中に私服姿のガキが混ざっていた。どこか清楚さを感じさせる服装に、ふふ、と笑う姿は品が漂う。中身はとんだ性欲を持て余す魔王だけどな。千聖はオレの疑問に甘ったるい声で返事をしてくる。

 

「なんで? わかるでしょう? あなたに会いに来たのよ?」

「学校はどうした、つかよく私服で通れたな」

「恋の翼で飛び越えてきたのよ♪」

 

 それロミオのセリフだろ。随分逞しいジュリエットなことで。これにはさすがのモカやヒナも苦笑いだ。つかブレーキのいねぇ状況でコイツらが揃うのは腰への危機を感じさせるんだが。

 

「ダメだよ千聖ちゃん? 片付けの後、カズ先生は教頭先生のお説教があるんだから」

「それは残念、それじゃあ今日は、手伝いと焼肉で我慢するしかなさそうね?」

「とか言いつつくっついてくんな」

 

 まぁ、それは蘭以外の二人にも言えることだけどな。お前らホントボディタッチ多いっつうの。おかげで蘭には睨まれるし、ちょっと二人きりになると甘え出すから勘弁してほしい。祭りは終わったんだから、そろそろ教師でいさせてくれ。

 けど、まぁ千聖がいてくれて助かった。人手が増えたことで思ったよりもスムーズに文化祭の前の景色に元通りになった。ここで星空のリサイタルがあったなんて、夢だったように、音楽室は音楽室の姿を取り戻していた。

 

「……祭りの後って、さみしーよね」

「ヒナ」

「あーんなに楽しかったのに、それも明日からはないんだもん」

「そうだな」

 

 けどな、ヒナ。祭りはそれが日常じゃねぇから、楽しいんだよ。いつもは整然としてた廊下が、賑やかなストリートになって、机とイスの味気ねぇ教室が、彩り豊かな店に変わる。それが楽しいんだ。低い天井がどこまでも高い夜空になったから、来てくれたみんなが笑顔になって、お前も笑顔になったんだよ。

 

「……さてと、オレは怒られに行ってくるかな」

「じゃああたしリサちー呼びに行ってくるね~」

「私も一緒に行くわ。ついでにお昼も食べてしまいましょうか」

「ら~ん~、ひーちゃんたちがご飯食べよーって」

「ホントだ……行こ、モカ」

 

 音楽室をそれぞれ離れていく。祭りは終わりだと言うように。けど最後に大きな祭りがある。楽しかった文化祭のシメとして、また、日常へと戻れるように、色々な話をしながら、肉を食うっつう楽しい打ち上げが、待ってんだからな。

 ──それはそれとして、教頭の雷はそれほど強くなく、学校の文化祭という枠を超えることはよろしくない、今後はそういった逸脱はないように、との注意で済まされちまった。苦笑いの同僚が言うには、なんと、こころの親父さんが学校に電話をかけてきたらしい。天文部の出し物について、ウチの娘がすまない、と。当然、教頭どころか学長様すら腰を折り続ける冷や汗もんだ。まさか弦巻家の令嬢が関わってるなんて思わねぇもんな。結果、一切使わなかった部費を一部返納したうえでお咎めなしということになった。いやマジで敵に回したくねぇな、弦巻家。

 

「笑顔になれるものに、制限なんているのかしら?」

「お偉いさま方は楽しいことよりも面子を保ってることのほうが笑顔になれるもんだからな」

「難しいのね」

「大人だからな」

 

 放課後にいつも通り屋上でサボっているところにやってきたこころは少しだけ納得のいかないという顔をしていた。そりゃあ、教頭だって学園の外で同じことをして誘われたら笑顔になるかもしれねぇけど、学校って空間を守らなきゃいけねぇって立場がある以上、そう簡単にはいかねぇさ。ルールは守るためにある。世界を笑顔にするんなら、知っておかねぇとな。

 

「ゲームなんかと一緒、ということよね。決められたルールがあって、それを守らないと成り立たないのね」

「まぁ、そうだな。社会ってのは決められたルールがねぇと成り立たねぇからな」

 

 極端なハナシをすると世の中にはヒトを殺して笑顔になれるヤツがいるとして、そいつに銃を手渡すかっつうことだ。それを平気で手渡すヤツがいるから人間は争うことをやめられねぇのかもしれねぇけど。

 まぁ間違いなく、こころはルールを創る側の存在だから、それすらも自由なんだろうが。自分本位のルールは、衰退の原因にもなるんだよな。

 

「争いの種を生むのは避ける。お前が考えるべきことはそこだな」

「争いの……」

「そうだ。例えばだな、金を積んだヤツのところにお前のバンドが演奏するとしたらどうだ?」

「そんなの、不公平だわ」

 

 こころは賢い。理解すんのが早いからついつい教師として熱が入る。前は必死で勉強していた、つまらなくない話し方を意識して、授業をするようにこころの野望でもある世界を笑顔にするための方法を模索させていく。まずは小さな目標からかなえていくスモールステップでの導入や、どうしたら世界中が笑顔になったのか、っつうゴールの明確化。そこに至る過程をどう評価していくか。

 熱く語り合っているうちに今井とヒナと千聖が来て、モカと蘭がきて、それでもしばらく授業は続いた。

 

「いやー、センセーってこんな授業できるんだね~」

「真摯に向き合って語っている姿、とってもぬれ……素敵だったわ」

 

 なんだか久しぶりにここまで真面目に講義をした気がして、終わると少しだけ恥ずかしいな。やっぱり大人数より少人数のほうが教えることも凝縮できるし目も届く。辞めることになったら塾講師ってのもよさそうだな、相当ブラックらしいけど。あと千聖は今すぐ帰っていいからな。

 

「ヒナ、あなたとーってもいい先生に教わっているのね!」

「ん~、普段はあんまりだけどね~」

「たしかに~、テキトーだもんね~」

「一成は説教臭いだけかと思ってた」

「おい蘭」

 

 そうして授業の時間は終わり、延長は焼肉店で、ということになった。揉めないようにと今井が予め作っておいてくれたくじ引きで席を決めた。決めたのはいいんだけどこの決め方なんか合コンみたいで余計ヤんなるんだが。

 

「あ~、友達とかバイトの先輩に頼まれてたまに行くからさ~、数合わせで」

「あたしも一回一緒にいったよね、リサちー」

「……あれはもう思い出したくないな~」

 

 今井なら確かにありそうだな。手慣れてるっつうことは数合わせなのに幹事やってたのか、大変だな。つかそれよりなにやらかしたんだよヒナ。一年のハナシだよな、二年以降だとなんとなく予想がつくからお前は怖えんだよ。

 

「えっとぉ……ヒナ、紗夜とセンセーのハナシしかしてなくて……あとつまんないって途中で帰ったから」

「だってるんってしなかったもん」

「もん、じゃねぇよ」

「合コンは嫌でもついていったのなら最後まで責任を負うべきよ、日菜ちゃん」

 

 オレの隣はヒナと蘭が両隣、そしてヒナの隣に今井。向かいがモカ、千聖、こころっつう配置だ。なぁ、合コンよろしく仕組んでねぇよな。今井じゃなくて運命サマが意地悪なだけだよな。恨みの視線を今井に向けると舌を出してウィンクしてきやがった。ここでいらん運を発動するんじゃねぇよ。それとヒナ、脚さするな。お触り禁止だって言ってるだろうが。

 

「日菜さん、最初から無視する気でしたか、もしかして」

「え、うん」

「さも当たり前のように言うわね……」

「だってカズくんが隣なのに我慢できるわけないじゃん!」

「じまんげにゆーことじゃないと思うな~」

 

 原始的欲求に素直なモカに言われてちゃ世話ねぇな。あとそんな悪魔のせいで蘭が地味に甘えてくるのも悩みの種なんだから察してくれ。さらに言うとこころの真後ろ、オレからはバッチリ見える席には黒い服のおねぇさま方が焼肉を食べていた。いやその恰好は目立つだろう。せめて私服でカモフラージュする気はないんですかね。

 

「自分でお肉を焼くのね! すごいわ!」

「やってみるか?」

「ええ!」

 

 二つあった肉焼きトングの一つを渡し、千聖がサポートをしながらこころに肉を焼かせた。黒服さん、ちょっと心配そうにガン見すんのはやめてくれませんかね。これには蘭もため息をついていた。もう一つのトングは今井が握っており、廊下側に座っていることもありテキパキと肉を焼いていく。さすがは世話焼きギャル、ついでにモカが、ママ~、とか言いながら口を開けているところにツッコミを入れていた。ハイスペックすぎだろ。

 

「カズくん、はいあ~ん」

「……蘭、そこのタレとってくれ」

「ん」

「あ~ん」

「って、あっつ! お前バカじゃねぇの!?」

「だって」

「どこの世界に、だって、で熱々の肉をヒトの頬に押し当てるバカがいるんだよ……」

「日菜さんならやるよね~」

「次から口移しにする~」

「こころの教育に悪いからやめろっつうの、バカヒナ」

「あ、アタシの目にも毒なんだケドな~?」

 

 なんというかカオスだ。モカは注文できる端末を手放すことなくひたすらに肉を頼んでいくし、めちゃくちゃ食べてやがる。ホントに色気より食い気なのは昔から変わらねぇんだな。

 真向いに座る千聖はこころやリサ、ヒナと話しながら時折流し目を送ったり、靴を脱いだ脚でオレの脚をさすってくる。お前も我慢できねぇクチか。

 こころは蘭と千聖に手伝ってもらいながら初めての経験に目を輝かせていた。普段ならコイツの相手なんざゴメンだが、今日に限ってはなんてヒーリングスポットなんだろうな。食べることも忘れないあたりもちゃんとしてる。つか食べ方めっちゃ上品だな、お嬢様かよ。お嬢様か。

 蘭はヒナがオレに向かって甘えたりむちゃくちゃしたりするたびにこそっと左手を握ってくる。なんだよ、今すぐ持ち帰りたくなるから我慢してほしいんだけどな。

 

「一成」

「ん?」

「楽しいね」

「……おう」

 

 確かに、めちゃくちゃだし、個性的すぎて収拾つかねぇけど、蘭の言う通り楽しい。この場にいる全員が笑顔だ。それは文化祭っつう時間を共有したからこその、笑顔でもあるような気がした。

 

「ん~、おにく~、しあわせ~……」

「大発見よ千聖! 自分で焼くととーってもおいしいわ!」

「ふふ、そうね。自分で味をつけたものは……おいしいわよね?」

「オレを見て言うな、味付けされた記憶はねぇ」

「あら、そうだったかしら」

「あー、今更だけどココ、センセーのハーレムじゃん」

「今井、その言い方は誤解を招くからやめてくれ」

「モカちゃんはお肉に寝取られてるけどね~」

「おにく~」

「モカの語彙が消滅してるんだけど」

 

 文化祭で楽しむだけ楽しんだボーナスステージ。まぁ、今日までは教師は休みでいいか。左手の指から伝わる蘭の温かさと、右腕にまとわりつくヒナの温かさを感じながら、オレは大人であることを諦めることにした。そうするとなんだか肉がより美味く感じるんだから、人間の精神ってのは案外テキトーだよな。

 

「蘭、甘えられると食いにくいんだけど」

「甘えてないし」

「わかったわかった。後でいくらでも構ってやるから、な?」

「……すぐ子ども扱いする」

「ガキだろ」

「うっさいロリコン」

 

 にやけられながら言われてもな。けど、今日楽しかったこと、文化祭で楽しかったこと、お前らの口から沢山聞きてぇんだから、しょうがねぇだろ。

 ──これが終わったらすぐ、夏休み。お前らにはなかなか会えねぇ期間が始まっちまうからな。

 

 

 




というわけで文化祭編これにて終了となります! あとはいつも通り幕間投稿したら次は夏休み編が始まるよ!






※前投稿最終話まで既読者向け。ネタバレ注意








編集してて思ったけどこの時の気持ち、クズ教師じゃなくて清瀬一成として二日間+α楽しんどいて何も気づかなかったのかと思うと本当に成長がねぇなこのクズと思うわけですよ。
ここにヒントが眠ってて、この時に幸せだなぁってちゃんと思ってたら少なくとも黄昏ティーチャーとして云々とかいう発言は出てこなかったきがしなくはない。


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幕間:太陽アフターフェス

後の祭りじゃなくて祭りの後ね。


 天文部は大いに盛り上がった。みんなが笑顔になってくれた。少なくともあたしはそう思っていた。日菜がクラシックギターで我慢できなくなって、エレキギター取り出して受付をしていたあたしに声を掛けてくれた。

 

「一緒に歌おうよ、こころちゃん!」

 

 一緒に、素敵な響きよね。それからリサを巻き込んで、たまたま遊びに来てくれていた花音と燐子を巻き込んで、黒服の人たちが機材とかを用意してくれて、即興ではあるけれどあたしたちは星空の下で大盛り上がりのお祭りを楽しんだ。

 

「あはは、楽しかったぁ!」

「ありがとうリサ、花音、燐子!」

「……いえ、わたしも、楽しかった……ですから」

「うん、やっぱ音楽っていいなぁって思えたもん」

「確かに、こころの狙い通りってカンジだった!」

 

 そんな盛り上がりに触発された蘭はわざわざ二日目にはみんなに頭を下げて、あたしにも頭を下げてAfterglowのゲリラライブをやっていた。アンコールでは飛び入りの香澄とあたしの三人で歌ったのもとーっても楽しかったわ! 

 ──気づけば、色んな人を巻き込んでの二日間だった。薫と千聖の即興劇も、ミッシェルが来てくれて一緒に踊ってくれたことも。先生は詳しくは知らないけれど本当は先生が思っているよりももっともっと予定とは違うことをして、サーカスのような二日だったわ。来てくれた人たちみーんなが、笑顔になってくれたそんな文化祭だった。

 

「え、どうして?」

 

 だからこそ、二日目の最後の公演後、誰かに頭を下げて、その誰かが怒鳴ったような声を上げてまた謝る先生の姿を見た時、少しだけショックだった。どうして? あんなにお客さんを笑顔にしたのに、どうしてそれを許可してくれた先生が怒られなくちゃいけないの? 

 

「変なとこ見せちゃったみたいで悪かったな」

「あたしは……ただ」

「──別にこころたちが悪いわけじゃねぇよ。お客さんの顔が笑顔なんだ、それは成功だろ?」

 

 成功なんてしてないわ。だって、だって……まだ先生を笑顔にできていないもの。あたしは世界中を笑顔で埋め尽くしたい。世界を笑顔にしたい。そのためにはただ一つとして取りこぼすのは成功なんかじゃない。

 先生も、先生を怒っていた人も笑顔にしなきゃ、あたしは。

 

「暗くなんなよ。ほら、ピカピカの太陽サマがそんなんじゃみんな心配しちまうよ」

 

 だけど、先生はまるでさっき怒られていたのがなかったようにあたしに笑顔をくれる。日菜や蘭たちのようにあたしに触れたりはしないけれど、まるで抱きしめられたような暖かな声で笑っていた。

 

「どうして?」

「ん?」

「どうして、先生は怒られたのに笑顔なの?」

「そりゃあ、アイツらがめっちゃ楽しそうだからな」

「先生は……日菜たちが笑顔だと、笑顔なの?」

「教師だからな」

 

 教師だから。それは、あたしにはどこか逃げているように聞こえた。何から逃げているのかもわからないけれど、このヒトはホントウの言葉があって、ホントウの顔があって、そのホントウから逃げている。でも、だからといって教師だからと笑った先生の顔がウソとは思えない。難しくて、あたしは少しだけ顔を顰めてしまう。

 

「なんで納得できてねぇんだよ」

「先生のせいだわ」

「おっと、まさかのオレか。そりゃあ悪かったな」

 

 ガキにはちょっと難しいか? なんてわざと煽るような言葉を掛けてくる。その本心にはきっと、あたしに対する信頼とあたしがいつかそんな難解な清瀬一成(せんせい)というパズルを解いてくれると信じているような、そんな気がした。

 

「あたしはそんなあなたを解けないなんて、まだまだ子どもだわ」

「いいんじゃねぇの。オレだって十五、六の頃なんて、なんも難しいことわかんなかったさ」

「時間が解決することなのかしら?」

「十年経ってみろ。今答えが見つかんねぇのが意味わからなくなるくらいになるからな」

 

 十年なんて気が長すぎるわ、だなんて言うとあっという間だよと寂しそうに笑った。人の一生の時間感覚はおおよそ二十歳で半分らしいからなと先生は教えてくれる。そう考えるとそれでもあたしには十年が長いわ。

 

「まだあと四年あるもんな、ハタチまで」

「でも先生からすればあっという間の四年なのね」

「……まぁな」

 

 どれだけ濃密で、大変な一年になるのだとしても。やはり先生にとってみれば振り返ればあっという間のこと。そのあっという間の時間の中にしかいられないのが、あたしたち生徒なのだということも。あたしたちにとっては一生の中でとても長く、そして星のようにキラキラとした三年間を過ごしていたとしても、先生にとっては、一瞬の輝きでしかないのだから。

 

「やっぱり先生は、あたしたちと一緒の時間を過ごしているわけじゃないのね」

「そうなるのかな。けど、オレはそれでいいと思う。教師が生徒と一緒に青春なんて、だっせぇだろ」

 

 ダサくても、なんでも一緒にいてほしい。そんな風に思った。けれど先生にとってのあたしはあくまで日菜の友達止まりで、生徒にはどう頑張ってもなれないから。あたしの声は先生にはちゃんと届かない。

 どうしたら、伝わるのかしら。あたしは一生懸命考える。まるで考えることこそが大事であるかのように先生は笑ってくれた。

 

「どーしたらって、あたしに言われても。そもそもその先生知らんし」

「でも……あたしは」

「わかった、わーかったからそんな泣きそうな顔しないでよこころ」

 

 ハロハピ会議の後、あたしの思いついたイメージを歌詞にする作業をひと段落させながら美咲はその清瀬先生ってどういう人? と優しく問いかけてくれる。

 彼は、大人だわ。年齢がじゃなくて、見せてくれる顔が。日菜や蘭、モカにも、もちろんあたしに対しても絶対に()()()()()()()()()()()()()。いつだって上から目線で、子どもであるあたしたち対してお説教をするみたいに言葉を出すようなヒトよ。

 

「え、それウザくない? 大人だってことひけらかしてサイテーの先生じゃん」

「そうなのかしら?」

「いやこころから見たら違うのかもしれないけど……あたしはそんな先生は嫌だなぁ」

 

 でも、日菜や蘭たち、それに薫も彼を嫌だとは思っていないことを伝えた。けれどやっぱり美咲はピンときていないようで、ううーんと唸りだしてしまった。あたしの言葉が足らないのかしら? けれど、あたしから見た清瀬一成(せんせい)を全て伝えても、やっぱり美咲は首を傾げたままだった。

 

「そうだわ!」

「え、なに?」

「美咲、明日は用事ないかしら?」

「え、ないよ? どうしたの?」

「美咲に先生のこと知ってもらうには、あたしだけの言葉じゃ足りないわ。だったら!」

「なーるほどね。他のヒトに訊けばいいってこと? まぁ、こころがそう言うなら付き合うけどさ」

 

 そうして、翌日、あたしと美咲は羽沢珈琲店へと向かった。基本的には羽丘生の知り合いに話を聞いてみるならということで、早速出迎えてくれた一人目、つぐみに先生のことを訊いていくわよ! 気分はまるで街角のインタビュアーだ、なんて美咲が言うからあたしは清瀬先生のことをまるでマイクを向けるようにつぐみに訊ねた。

 

「えっと、清瀬先生は……なんて言ったらいいのかな? 適度に力を抜ける人なのかなーって思うんだ。ほら先生ってなんだか忙しい時はみんなピリピリしてて話かけにくいことが多いけど、清瀬先生ってそれがないんだよね。いっつも大抵屋上でサボってるせいもあるかもしれないけど」

「サボ……って、ええ? ちょっとこころ、ホントに大丈夫な先生なのそれ?」

 

 確か日菜がそんなことも言ってたわね、というと美咲がダメな教師じゃんと苦い顔をする。うーん、屋上で黄昏るのもまた、あの人が生徒に向き合うために必要なルーティンのようなものなのだけれど。やっぱり伝えるのは難しいわ。

 

「あ、こころちゃんだ!」

「やっほーこころに美咲も。こころは打ち上げ振りだねーどしたの?」

 

 そんなタイミングでやってきたのは日菜とリサだった。どうやら夏期講習? 帰りだったらしく何かしらと美咲に問いかけるとあたしも出てたからソレと言われてしまった。あたしも夏休みに学校行きたいわ!

 

「はいはい、そーじゃなくて」

「そうね! 二人に清瀬先生のことを訊いておきたくて」

「センセーのこと?」

「カズくんがどーかしたの?」

「カズ……くん」

 

 美咲が何か驚いてるけど、それじゃあまずは一番先生と関わりがある日菜に訊いてみようかしら! 日菜は今年の二月に初めて先生と話をしたことは知っていた。どんなことをしているかも日菜から聞いてるけれど、じゃあ先生ってどんな人なの? とは訊いたことがなかった。その質問に少しだけ考える仕草をした日菜は、まず最初にクズかなと言った。

 

「クズ……ですか」

「うん。カズくんってさ、たぶん誰かの好き! って気持ちにすごく弱いんだよね。だからあたしが持ってたもの、ちゅーとかえっちとか、そーゆーのも全部他の人にあげちゃう」

「え、ええっと……ねぇこれヤバいでしょこころ」

「あでもね。それは拒否らないカズくんがクズだからなんだけど、でも試したことあるんだよね。リサちーとこころちゃんにはゆったよねコレ」

「あーアレ?」

 

 どれ? と美咲が首を傾げる。段々と美咲が困惑してきているけれどどうかしたのかしら? ぶつぶつとどうしてリサまでこの状況に適応しているのか、とかつぐみとかひまりも聞こえてるはずなのに平気そうにしてるのかとか色々と言葉が積み重なっていた。あたしから見たらつぐみは飾らない日菜の言葉に恥ずかしそうにしているし、ひまりはちょっと興味ありげに聞いているわよ? 

 

「そーじゃなくて……いやもういいや。あたしがおかしい。そう思うことにしておく」

「──でね、あんまりに興奮されるからあたしは禁止! ってゆってしばらくえっちやめよーってしたんだけど、その時に気づいたんだ。カズくんって、どんだけ頭の中でえっちしたいって思ってても、あたしや他の子にえっちしよって言わないなぁって」

「そりゃ誘ったらアウトでしょ、センセーのポリシーがあるんだから」

「え、それでポリシー保ててるんですか? あたしには既に犬のエサになってるとしか思えないんですけど」

 

 でもそこが、先生の教師と生徒の、大人と子どもの境界線なんだと日菜は笑った。少しだけ寂しそうな笑顔で、本当はそんな境界線はいらないと思っていることもあたしには伝わった。どれだけ愛してると伝えても、どれだけ本気で好きなのかを伝えても、その境界線がある限り先生が生徒である日菜を求めることはない。もしも日菜が求めなくなれば、その時は先生も日菜に手を伸ばさなくなる。その日が来ると日菜はどこかで予感しているとすら思える表情だった。

 

「とゆーわけで、カズくんの魅力、伝わった? あたしとしてはこれ以上カズくんとえっちしちゃう子が増えると妬けるからイヤだけど」

「いえ全然」

「そっか!」

「いやいいんだ……ってヒナ的にはいいのか」

「それよりもさーこころちゃん相談に乗ってほしいことがあるんだけど!」

「なにかしら?」

 

 美咲はいやもうホントになんにもわかんない。なにがいいのか全然わかんなかったんだけどとひたすらに首を傾げてしまったけれど、だったらあたしとしては直接会って確かめてみればいいの。おんなじ時間を過ごせば、あの人の教師としての在り方が嫌だとは思わなくなるはずだわ。

 ──おんなじ、時間。あたしは自分が思った言葉にすっごいアイデアがあることに気づいて思わず美咲に抱き着く。

 

「え、なに? ど、どーしたのこころ?」

「そうよ! おんなじ時間を過ごせばいいのよ。教師としての先生と、一緒の時間を過ごせばきっと! 先生のことを解けるヒントがあるわ!」

 

 そうと決まれば、あたしは世界を笑顔にするため、先生を笑顔にするために未来に絵を描いていく。千聖が文化祭も終わってしまって、また構ってもらえなくなるわと悲しんでいたことを花音から聞いた。日菜もそのことであたしに相談、というよりは提案をしにきてくれた。点が線を結んで星が星座(しんわ)を創っていくように、あたしの頭の中には先生を解くための道筋が出来上がっていく。

 ──そうね、ちょっとだけズルをしてもいいかしら? 相手は先生で、大人なのだから。今回くらいは子どもではなく、弦巻としてあたしは先生を理不尽に巻き込んでみせるわ! だってそれが、世界を笑顔にするための道筋なのだから。あたしが今一番したいことは、先生を理解して、先生と言う謎を解いてみせることなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 




生徒とヤらなきゃそれなりにいい先生ではあるんだよなあのクズ。大人になればなるほどクズみたいなクズは結構ありがたくなるんだよなぁと思わなくない。
なんか以前に「上から目線でうざい」みたいなこと言われたことあったなぁと思いだしながら書きました。


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第四章:騒々しいバケーション
①安息バケーション


クズのハーレム夏休みがはーじまーるよー(流行りへの便乗)
なんのRTA? クズなんてもうガバりまくってるじゃん。十年くらいガバってるよ。


 ──夏休みには夏期講習がある。出席すればなんと指定校推薦と公募推薦がもらえるありがたくも生徒にとっても教師にとっても迷惑な貴重な夏休みを無駄にする制度の名前だ。40日しかねぇその長期休暇の実に二週間という時間を奪うそれを、生徒は参加自由……という名の推薦欲しいヤツは強制、オレは教える側として当然のように強制させられる。

 まぁ、ただ、オレは二年生の一コマだけ。楽っちゃ楽だけど大変な先生は夏休みほしいとかぼやいてた。一般的な社会人にも夏休みはねぇけどな。

 

「つかお前、ほとんど出てねぇっぽいけどそもそも来る意味あんの? 一般で余裕だろ」

「ほとんど出てないのはレッスンとか収録あるからだし、来る意味はカズくんがいる限りあるよ?」

「あっそう」

 

 コイツならぜってぇ来ねぇし、悪魔から逃げられるかと思いきや、そう上手くはいかねぇらしいことを初回であきれ顔をした今井の隣にいたニコニコ顔のヒナを見つけた時に察した。わざわざオレに会いに意味のねぇ夏期講習とはね。レッスン云々で思い出したけどそういや、芸能活動での単位評価の変動、どうなってんのかは知らねぇけど、オレは気にしてねぇな。大和は提出物ちゃんとしてるから出席云々関係なしに4つけたし、ヒナに至っては、提出物はちょいちょい遅れるけど文句なく完璧に毎回満点とるから5だしな。

 

「モカちゃんが、通知表出るとしばらく、電話とか保護者訪問の対応で忙しそうって落ち込んでたよ?」

「あのメンヘラストーカー、そんなとこ見なくていいのにな」

「ホントなんだ」

「……まぁな」

 

 まぁ、教師にもイロイロあんだよ。オレは三年を担当しちゃいねぇからまだマシだけどな。生徒の親の頃とは評価基準がかけ離れてるんだから、点数が八割だからって4評価はつかねぇっつうとなんでと言われやすい。んなもん時代が変わって教師の匙加減がききやすい評価基準になってんだよ、っつう反感を買いそうな言葉はさておき、実は点数って教師にもよるが大体はダイレクトに影響しなくて、授業態度が幅をきかせてるからガキによっちゃ、80点取っても3が着いちまう勿体ねぇやつがクラスに一人はいるんだよな。

 

「お前なんてどうせ、4ばっかだろ?」

「え、うん。あ、確か政経は3だったよー?」

「3ってのは意外だな、テスト二回で何点だったんだ?」

「んーっとね、98と100だったよ」

「マジかよ」

 

 この授業態度ってのがまぁ、言うなら教師側の好みに分けられやすいんだよな。ヒナが人間的にムカつく、反抗してきたとか色々……ガキの態度でイライラして成績ってカタチで報復してくる。大人ってホント汚ねぇよな。つか政経って担任か。通りで目の敵にされてるわけだ。二回の定期考査で平均点99点のバケモノに3をつける度胸だけは評価に値するな。

 

「ねーもう一本ちょーだい」

「は? 二本もやるわけねぇだろバカヒナ」

「……じゃあキス」

「言うと思った」

 

 そんなハナシには飽きた、と言わんばかりにヒナはオレが常備してるヒナ専用の携帯灰皿を指で遊びながらそんなことを言い出した。ニコチンの依存症で、じゃなくて、ただオレとキスをしたかっただけ。キスしてってだけだとダメと言われるから会話を間に挟んだだけ。これでも成長した方なんだから、恐ろしいほど言語コミュニケーション能力に欠陥があるヤツなんだよな。

 

「しよ?」

「ヤらねぇって誓えるなら」

「むり」

「ナメてんのかてめぇ」

「キスしたら、舌入れたくなる。舌入れたら、あたしもカズくんもえっちしたくなる、ね?」

「ね、じゃねぇよ」

 

 今までのパターンからして否定しきれねぇのがまたヤなんだけどな。そうは思いながらもヒナに甘いオレは結局、日陰で、太陽の光と人目を避けるように、あっさりと生徒と教師の枠を超えて、蕩けていくヒナの瞳を見つめた。

 つか、キスして反応するようになった原因、何度も言ってるけど、お前のせいなんだよ、バカヒナ。それはお前もそうなのかもしれねぇけど。

 

「……えへへ、授業はもうおしまいだもんね」

「そうだな。一緒に帰るか?」

「うんっ」

「あ、でも先にメシ食いに行くだろ?」

 

 ただ、それよりも腹が減った。日陰っつっても夏の猛暑の中で激しい運動は水分不足になるからな。一旦家に帰ってクーラーつけて、それからメシ食いに行こうか。そういや蘭たちも夏期講習受けてんのかな、一応連絡しておくか。

 だが、その手はヒナの手に止められた。珍しく余裕のない顔だな。

 

「ダメ」

「ヒナ?」

「やだ」

 

 どうやらこの悪魔はオレを独り占めしたかったらしい。そのためにわざわざ残りの授業をサボってまでオレのところにきて、こうして熱っぽい視線でオレを誘おうとしてんのか。そして、こんな困ったヤツでも、そっぽを向ききれねぇんだよな。

 

「……わかったよ」

「うん。ご飯もテキトーでいいよ」

「そんなにシてぇのかよ」

「ご飯中に襲っちゃいそうだよー」

「……おい」

「ゴブサタだったもーん」

 

 ウソつけ。一週間も我慢してねぇよ。苦い顔はしてみたものの、コイツが処女を散らしてから二ヶ月は、蘭に出逢う前は、オレに懐いてくれてんのはヒナだけで、ヤっちまうのも、ヒナだけの特権だったんだもんな。

 

「しょうがねぇな。けどコンビニ寄って、そっからな」

「うんっ」

 

 このクソ暑い季節に映えるひまわりを咲かせて、ヒナはオレの前を歩き出した。コイツの瞳にはいつも宇宙が煌めいていて、オレを映すときはいつも、星が瞬いている。

 ──わかんねぇな。お前が興味を惹かれるようなとこ、オレ自身には思い当たらねぇんだけどな。

 

「え、すきだから、カズくんに恋してるからだよー」

「お前がそんな感情を知ってるなんて、驚きで大気圏を突破できそうだ」

 

 お前が歌う好きは恋とかそういうのは違えと思うんだけどな。ただ単に、お前は珍しいものに惹かれてるだけだろ。こんな状況になってまで、お前を拒絶しないオレが、もの珍しいだけだろ。そう言うとヒナは目を丸くしてから、そうだよ? と首を傾げてきた。

 

「それがあたしにとっては恋してるってことだもん」

「そんな理由で?」

「あはは、千聖ちゃん言ってたよ? 恋に大した理由なんて必要ないって。一緒にいて安心する、楽しい、そんな単純な理由でも、ヒトは恋に落ちるんだ、ってさ」

 

 そうか、まぁそうなのかもな。ヒナの顔を見てたらそれは納得できた。コイツは、遊びでとかそういう目をしてねぇ。いつもいつも、むせ返りそうなくれぇ蕩けた顔で、瞳を潤ませ、頬を染めてオレを求めてきやがる。

 

「ねぇねぇ、講習終わったら海行こーよ、海!」

「アイドルと海とかシャレんなんねぇから、パス」

「じゃあプール」

「お前はバカだな、バカヒナ。知ってたけど」

 

 どっちもお前が肌を人目に晒したうえでオレに纏わりついて女の顔をしやがるからダメ。つかホントに最近名前を聴くようになってきたんだから自重しろよ。自覚があって自重する千聖みてぇになってほしいわけでもねぇけど、道を歩いたら声を掛けられるようになんのももう時間の問題だっつうことを、コイツにはそろそろ気付いてほしいな。

 

「カズくんはいじわるだー」

「うるせぇな」

 

 そんなハナシをしながら、部屋のクーラーをつけて、それからコンビニで簡単なメシと飲み物とタバコを買って、それからまた部屋に戻る。地獄のような暑さはなく、湿度と温度が不快にならねぇくらいの快適な空間がそこにはあった。

 

「わー、涼しー♪」

「ふぅ、暑すぎてどうにかなっちまいそうだな」

「だね~」

 

 そんなこと言いながら、真っ先にベッドにダイブすんなっつうの。制服のスカートがひらひらと揺れてそこから除くレースの白に、理性もゆらゆら揺れる。オレにはもう、コイツが生徒で、教師として手を出すなんてイケナイ、なんて倫理観は持ち合わせちゃいないらしいな。誰も見てることがねぇって保証があれば、あとはもう、ヒナとヤるってことになんら背徳感すら湧きはしねぇんだもんな。

 

「ん? パンツみたいの?」

「もう見えてる」

「えへへ~、おいで、カズくん♪」

 

 そこからはもう、オレはヒナの性欲の玩具だ。ヤって、ヤって、ベランダでタバコを吸ってテレビを見たらまたヤって、デート用、と嬉しそうに見せてきた私服を着たヒナとまたコンビニでメシと、切れたコンドームを買い出しに、そっからはヤって、風呂入って、ヤって寝る。こんなことするから腰を痛めるんだよ、なんて笑われるけど、じゃあ誘ってくんなよ。

 

「カズくん」

「ん?」

「腕枕、して?」

「どうした? 寒くなったか?」

 

 その日の夜は、ヒナは珍しくゴソゴソと甘えてきた。投げ出したオレの腕に頭を乗せて、ピッタリとカラダをくっつけてくる。流石に冷房効いた部屋でハダカはさみぃだろ、と思ったが、どうやらそれだけが理由ではないらしく、ううん、と否定してヒナはキスをしてきた。

 

「夏期講習終わったらまた、カズくんとあんまり会えなくなっちゃうから」

「なんだ、随分乙女な苦悩だな」

「だって、好きだもん」

 

 いつもはこんなに好き、なんて言ってくるヤツじゃねぇのに、それだけコイツも、オレに依存してるってことか。抱き寄せてやると、驚く程おとなしくなって、そのうち寝息を立て始めた。さらっとしてるくせにクセの強い髪が腕をくすぐって、寝顔はあどけないのに恐ろしいくれぇに顔は美人で、さっきまでの悪魔はどこにいったんだよ。

 

「好き、か」

 

 コイツだけの特権は、いつの間にか他のヤツにも取られてた。モカ、蘭、千聖……二人きりだった屋上の世界はいつしか、二人じゃなくなってた。んじゃあお前はそんなに前から恋に落ちてたって言いてぇのかよ。伝えなくても、振り回すだけで満足だったのに、それだけじゃ振り向いてもらえなくなって。ヒナの不安はオレにはよくわかんねぇけど、泣いちまうくれぇに心細いんだろうな。

 ──オレの前では、二度しか泣いたことねぇクセに、ホントはもっと泣かせてんだろうな。コイツはいつも冗談みてぇな顔して、いつも本気で生きてんだから。

 

「……ずくん、カズくん」

「……ん?」

「あ、やっと起きた♪ おはよ」

「おう……」

 

 思考してたらいつの間にか夢を見ていたらしい。なんの夢か、なんてあっという間に忘れちまったけど、悲しい、って感情だけがオレの中に残ってた。新しい朝、ヒナや蘭たちと会える、貴重な、二週間。そんな気分になったのも、夢のせいだと決めつけ、散らばっていた服を洗濯機に投げ入れた。

 

「今日はレッスンあんの?」

「うん、寂しいかもしれないけど、泣いちゃだめだよ?」

「バカか、ヒナこそ、千聖に説教されんなよ?」

「はーい」

 

 ──コイツは、教師じゃねぇオレの中では、なんなんだろうな。蘭といる時に感じるような新しさじゃなくて、もっと、安心するような……よくわからねぇけど、ヒナといる時に居心地の悪さは感じねぇ。だからあっさり倫理の壁も越えちまうんだけど、オレはずっと昔から、コイツが欲しかった、そんな気がしていつも部屋から去っていく後ろ姿を眺める。

 

「朝から黄昏て、どうしたの?」

「……わざわざオレんちまで、どうした?」

「訊いてんのはアタシなんだけど」

「怒んなって。美人が台無しだろ」

「……バカ」

 

 なのに、蘭の顔を見たらついついニヤケちまうんだから、オレって、言われた通り、クズなんだな。教師として四人の子どもに手を出したクズで、一人の男としてですら、蘭と、ヒナに手を出してるクズ。そして、モカや千聖も、オレに迫ってくる。一度手を出した責任を武器に、覚悟を武器に。

 夏期講習が終わっても、オレがコイツらから逃げられるわけねぇんだよな。オレがクズ教師である限り、オレに夏休みなんて来ねぇんだから。

 

「で? 蘭は?」

「……散歩」

「こんな暑い中か?」

「誰かさんの部屋は……涼しいでしょ?」

「そりゃあな」

 

 悪魔が去り、天使が降りて、再びオレは部屋のドアを閉めた。ヒナと違うのは一日引きこもるわけじゃなく、昼過ぎには車を走らせてショッピングモールに向かってるってことだな。JKとデートなんてオレは気が気じゃねぇんだけどな。

 

「気にしすぎ……別に通報するようなヤツなんていないって」

「……そうは言うがな」

「せっかくのデートだから、一成も楽しんでよ」

 

 苦笑いをされ、手を引っ張られた。連れてこられた先は夏限定の匂いがする女性用水着がズラリと並んだ店。女子大生がキャピキャピと水着を選んでる横で、オレは少し顔を赤くしている蘭に確認をとる。

 

「プールでもいくのか?」

「うん、まぁ今からアンタを誘うとこだけど」

「……オレかよ」

 

 蘭の水着に感想を堂々と言える羨ましいヤツはどうやらオレらしい。どうせAfterglowのメンバーだろうと思ってたんだがな。どうやら上原が今井と海に行くってんで予定が空いちまったらしい。ん? それってあの悪魔がいる以上デートじゃなくねぇか? 

 

「……モカには、まだ言ってない」

「いや言わなくても何故か付いてくるから安心しとけ」

「まぁモカだしね」

 

 そうやって笑いあってんのも、モカは知ってそうだけどな。アイツはオレのストーカーを名乗ってるだけはあるからな。どうせなら出てきてくれた方が後で水着を選ばされることもなさそうだけど、デートがいいとか言いそうだしな。アイツもめんどくせぇ悪魔だしな。あはは。

 

「……って本気で行くつもりかよ」

「うん……そうだけど?」

「はぁ、お前な」

「さっきも言ったけど、気にしすぎ」

 

 気にしすぎ、か。確かに、こうして並んでも誰かに咎められることはねぇけどさ。18歳未満に手を出してるっつう状況が、蘭といる今を純粋に楽しいって思えねぇんだよな。あとここは知り合いに出会う確率が高いっつうのもあるよな。めんどくせぇと思うかもしんねぇけどな。

 

「アタシは、学校以外でももっと、アンタと一緒にいたい」

「蘭……」

「あの星空みたいに、アンタと一緒に色んな空を見たい」

「……そっか」

「夕焼けもいいけどさ、偶には、青空も悪くない。アンタが一緒なら、そう思えるから」

 

 なんで、コイツはこんなに青春を生きてんだろうな。JKだから? 十代だから? バンドをしてるから? 恋をしてるから? オレには眩しすぎるんだよな。だからこそ、オレはコイツのロックを、背中から見ていてぇって思えるんだろうけど。

 

「……やっぱ、オレには蘭がどうしてもカッコよくみえちまうな」

「はいはい」

「まぁお前の水着が見てぇって思うくれぇには、枯れてねぇしな」

「そっちも、ってかソッチはむしろヒナさんとは控えてほしいくらい」

 

 こうして、オレは開き直って、蘭の水着を選んだ。店員さんも別に年の差があるカップル、くれぇにしか見ていなかったようで安心したが、やっぱりどうにも素直に感想は言えねぇから、似合ってるかめちゃくちゃ似合ってるとしか言わなかったけど。蘭は満足げにオレの右手にある紙袋を見つめていた。

 

「楽しみ、って顔だな」

「うん、こうやってアンタを好きになってからの遠出、初めてだから」

「……サラっと言ってくれるな」

 

 しかし、ここで落とし穴。モカからのメッセージをスルーしていたオレと蘭はバッタリと最悪のヤツに会ってしまった。今井リサ、コイツは全然問題ないんだが、その隣にいた二人のうちの初対面じゃねぇほうにはそういや、ヒナからもなんの説明もされてねぇんだったな、ということを今更ながら思い出した。鬼の形相をして今にも掴みかかろうとしてくるのを二人が必死に抑えていた。

 

「さ、紗夜~、落ち着こ、ね?」

「ひ、氷川さん……ここで、あまり……目立つのは……」

「説明していただけるのですよね? 美竹さんと、日菜以外のヒトと仲睦まじく歩いている、理由を」

「……一成、アンタなにしたの?」

「なにって察しはつくだろ。ヒナの姉貴なんだから」

 

 悪いモカ。わざわざ、前方に紗夜さん発見。迂回されたし、なんつう業務連絡めいたメッセージをもらったのに気付かなくて、ストーキング行為は見逃しておいてやる。

 ショッピングモールの中にある喫茶店で、オレと蘭は紗夜、今井、あと初対面だった白金っつう三人を前に、今井の助けを借りながら、全てを話した。初対面から、ヒナと蘭、さらにモカと千聖とも関係を持ってますなんて聞かされて悪いけど、花女らしいし、もう関わることはなさそうだし、放置することにした。

 

「──信じられない程、下劣なクズですね、貴方は。教師であるはずが、生徒を次から次へと……なんて」

「まぁ、否定はしねぇな」

「これ以上日菜に近づかないでください」

「それ、ヒナにも言っといてくれよ。なんて言い返されるかは予想つくけど」

 

 このやり取りは偶々通りかかった千聖とヒナを含めたパスパレメンバーがやってきたことでなんとか収集がついた、ついたのだが運の悪いことに大和にも初対面の残り二人のメンバーにも、オレの悪行は知れ渡っちまった。

 ──やっぱりJKと気楽にデートとか無理だわ。気楽にそのまま豚箱行きの危険性がある。あとヒナと千聖にプールの一件がバレたのが一番ヤバい気がする。オレの中では最悪の可能性がずっと脳裏で沈まぬ太陽となって浮かんでた。オレの安息の夏休みは、どこにあるんだろうな。誰か教えてくれ。

 

 




あら、先生はいつも大変ね。この後は日菜や蘭だけじゃなくて千聖にもそれなら私もとプールか海の誘いを受けてしまうのね!
けれど、やっぱり芸能人としてスキャンダルが怖い以上、日菜や千聖と安全にプールや海を堪能できる方法なんて……あるのかしら? どうやら、二人には勝算があるみたいね! どんな方法なのかしら? とーっても楽しみだわ♪


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②青空バケーション

盛大なフラグ回収。


 確かに、オレは千聖とヒナに条件を出した。その条件をクリアすれば一緒にプールなり海なりに行ってやってもいいと言った。そういう許可はだした。

 ――条件はただ一つ、騒ぎにならないこと。二人揃ってアイドルで目立ちまくるオーラもある白鷺千聖と氷川日菜っつうメンバーでもオレが安心、安全に休みを満喫できる環境があればいいと言った。だからって、だからってお前らは平然とジョーカーを切ってくるだなんて思いもしなかった。

 方法は単純、アイツらはあろうことか弦巻こころに頼みこみ、あっさりとその環境を提示しやがったらしい。千聖のほうはあっさり了承されすぎて冗談かどうか迷ったっつってたからな。

 

「いや~、確かにこころがなんとかすれば千聖とヒナがファンの人たちに見つかることもなく泳げるよね、でも思いついてもやんないよね、フツー」

 

 海に行く、と言っていた今井は夏期講習の合間、そんな苦笑いを残していた。シャレになってねぇよ。つかなんでこんな時に限ってお前はいねぇんだよ。ブレーキは? 保護者は? 焼肉メンバーに今井が抜けただけってのは心労でハゲそうなんだけど。

 

「あはは、じゃあアタシの代わりにブレーキになりそうなメンバー探してみることにするよ、人数多くて千聖やヒナたちの知り合いなら、センセーの負担も減るっしょ?」

「頼む、このままじゃオレは警察に自首しかねん」

「まっかせといて~☆」

 

 唯一の頼みは当日海に出かけてるこの世話焼きハイスペックギャル。今日会った白金もどうやら海に行くらしいし、そもそもあんまり対人コミュニケーションが苦手な部類らしいから違うとして、誰が来るんだ? JKなのは確定だから安心はしきれねぇけど。

 

「こんにちは」

「……あ、こんにちは」

 

 現地に集合時間一時間前に集まりそんなことを思考していると、折り目正しく、そんな挨拶をされた。こころと同じくれぇの背丈に肩に届くくらいに切りそろえられた黒髪に帽子、服装はモノトーン系でややボーイッシュな印象がある、けどそのパチっと開く目といい、なんだか年相応の美人って感じだな。

 

「えっと、清瀬、センセーですよね。羽丘の」

「おう、キミは?」

「あたしは――」

「――美咲!」

「うわっ、あーもう、暑苦しい!」

 

 そんな控えめ美人に向かって急に太陽が降り注いだ。金色の髪を跳ねさせ、嬉しそうに抱きつき、見てるこっちの気温が上がってきた。ヒナ相手とはまた違った笑顔を振りまき、そしてオレを見つけてささ、と身なりを整えてまたパっと笑顔を咲かせてくる。

 

「先生はいつも早いわね!」

「先生なもんでな。つかお前もはえぇよ、こころ」

「美咲は先生に自己紹介したのかしら?」

「……しようとしたらあんたに邪魔されたとこだよ、ったく……」

「はは、キミは苦労人っぽそうだな」

「ええ、まぁ……奥沢美咲です。花咲川の一年でらいちおー、そこの天災お嬢様のバンドの所属です」

「美咲はすごいのよ! いつも――」

 

 朝日に照らされて、一気に花が咲くようにこころは奥沢のことを語りだした。クラスが一緒で席が隣で、心配性だけれど、頼れるヒト。なるほど、こころのブレーキにはうってつけの人物ってわけだ。

 

「それにしても暑いわね、下は水着だし、脱いでもいいかしら?」

「いやいやダメでしょ」

「ダメに決まってんだろ」

 

 なんか、ちょっと振り回されてるとこある気がするけど、いざとなれば奥沢に頼ればいいってことだな。けど、これじゃあ悪魔と魔王の方はどうなるんだろう、と思ったら噂の二人が人を伴ってやってきた。

 

「カズくん! おっはよー!」

「……どうも。今井さんに言われて貴方を監視しに来ました」

「おかしいな。お前はヒナの監視のハズだが?」

「ふえぇ……ち、千聖ちゃん。これ、どういうことなの?」

「どうもこうもないわよ。一成さん? あまり紗夜ちゃんを煽る発言はやめた方がいいわよ?」

 

 ヒナの隣にいたのは悪魔を妹に持つ鬼、氷川紗夜。今日もオレを見る眼差しは性犯罪者に向けるような、名前のごとく氷のように冷てぇ。夏にはちょうどいいな。氷川姉クーラー。

 まぁ、コイツはもう顔見知りだし千聖が呆れ顔だし置いておこう、今井の選んだメンツが非常に不安になってきた。後は千聖の近くにいる見るからにおっとりしてそうなヤツ。ふわふわしてるのは髪だけじゃなく、金髪お嬢様よりもお嬢様って感じがするな。

 

「え、えっと……松原、花音、です」

「花音は割と人見知りする子だから、迫っちゃダメよ?」

「しねぇよ」

「それにまだ処――」

「やめろっての」

 

 

 処……はさておくとして、松原は千聖と中学からの親友なのだとか。紗夜さえ機能してくれればオレとしては文句のねぇメンツだが、問題はモカだな。アイツはああ見えて交流せめぇしな。今井に懐いてる理由もバイト先が一緒だからだ。山吹とかやめろよ、アイツはアイツでオレに冷てぇ反応するからな。

 

「それはもう、誰もいませんな〜」

「大丈夫、アタシがいるからさ」

 

 まぁ、ココは順当に蘭がモカを抑える役だろうな。モカの暴走はこの中じゃ病み力をメンヘラで抑え込めるヒナか蘭しかいねぇけど、逆を返せばこの二人がいれば一先ずは安心だな。っつうかここ全員と知り合いってマジで今井の人間関係はなんかの能力かと思うな。

 

「さて、行くわよ!」

「おー! れっつごー!」

「って、こころ、ドコいくの? プールを貸し切ったってこと?」

「いえ、流石にレジャー客で混み合うプールを貸し切りにするのはやめた方がいいと、奥沢様も申しておりましたので、代替案を用意させていただきました」

「……あ、そうですかー、あー、これはこれは……まさかね」

「美咲ちゃん……もしかして」

「ええ、花音さんも予想している通り、黒服さんたちならやりかねません」

「……だよね」

 

 奥沢と松原がなんか不穏な会話をしてた。どういうことだよ、と訊き返す間もなく奥沢が、あー、きっと車に乗ればわかりますよ、と諦め半分の苦笑いを向けてきた。説明になってねぇし、乗ればわかる、は誘拐でもされるのかオレたちは。相手が黒服だけに余計に身構えちまうじゃねぇか。

 

「まぁこころだし、千聖さんと日菜さんの要望から遠いトコじゃないでしょ」

「もう賽は投げられたんだよ~? 後は丁が出るか、半が出るか、ってヤツだよ~」

「とは言え、弦巻さんが枠に収まらないようなヒトであることには違いないですから、不安と言えば不安です」

 

 けど、こころがいなきゃヒナや千聖が提示した条件の場所には辿り着かないワケで……オレと、蘭とヒナ、千聖とモカにおまけが数人。よくわかんねぇメンバーによる珍道中となった。天体観測の時と同じ車に揺られて……いや、恐ろしいくらいに揺れない快適なキャンピングカーで、オレはすかさず隣にやってきたヒナと千聖に囲まれた。

 

「うふふ、焼肉の時はクジ運が無かったけれど、やっぱりココが一番ね♪」

「えへへ~、ココはあたしのてーいちだからねー」

「……定位置、ですかなるほど」

「おいこら、スマホの手を止めろ。通報すんな」

「あ、あはは……なんか、すごいね」

「マジでこんなカオスなヒトが羽丘にはいるんですね、いや、ホントできれば知り合いにはなりたくなかったです」

 

 奥沢になんかひでぇことを言われたんだが。オレだってヒナに腕を抱き寄せられて千聖に妖しげに脚を撫でられたくて教師やってんじゃねぇんだよ。つか千聖は援交モード入ってんじゃねぇよ松原いんだろ。

 

「あら、花音は私のアソビを知ってるわよ?」

「う、うん……」

「……え、じゃあ」

「花音をそういう目で見るなら抉ってもいいわよね?」

「……えぇー」

 

 え、なんでそうなんの? なんでサラっとアブネー発言してんだよ。別に松原もアソビ仲間かとか言ってねぇじゃんか。一瞬疑ったけど、あんなオドオドしてるようなヤツが実は陰でヤリまくってた、とか言われたらオレはショックで寝込むっつうの。千聖の真実でもしばらく立ち直れなかったのに。

 

「花音は純粋なの。悪い虫がつかないようにしないといけないのよ」

「なんかあったの?」

「え、えっとぉ……バイトし始めた時に、ちょっと」

「バイトしてんのか、マジか」

「松原さんとはよく会いますよね」

「う、うん。いつもポテト食べに来てくれるから……」

 

 この子がファストフード店でバイトって、なんかイメージつかねぇな。ん、つうことは上原とか宇田川とも同じバイト先なのか。んで紗夜はそこに良く通ってる、と。うわ、世間せめぇな。お前らのネットワークにオレが巻き込まれてるだけかもしかして。

 

「でも花音ちゃんって確かにオジサンがすきそーだよね。かわいーし、おとなしーし、カラダも意外とえっちだし。押し切ったらえっちできちゃいそうだよねぇ」

「ヒナ……明け透けすぎだっつうの」

「ふ、ふえぇ……」

「年上に好まれやすい……なるほど、つまり松原さんも危険なのでやはりここでこの男は排除しておきましょうか」

「なんでそうなるんだよ……お前の思考回路やべぇだろ」

「暴論を身につけるべき、と語ったのはどなたでしたか?」

「……オレだな」

 

 でもな紗夜。そこで暴論と暴論で正論をサンドイッチしたらなにができるかよく考えろ。まごうことなきクズの完成だからな。鉄板で挟んで上手に焼けて、出来上がったのがサンドイッチクズなんて食ったら絶対に腹壊すからやめとけ。

 ――というところで、辺りが暗くなって車が完全に停車した。着いた場所は何処かの地下駐車場のようで、本格的にドコだという不安が募るが、黒服さん方はいつも通りのテンションだ。

 

「ここからは、こちらにお乗りいただき、到着までお待ちください」

「……こちら?」

「それって、ここがもうフェリーってこと~?」

「はい。船での移動になります」

「わー! 船だって、千聖ちゃん!」

「え、ええ……ということは行き先がプール、というわけではないのね」

「そうよ! プールの貸し切りは美咲に反対されてしまったから、誰もいない無人島に招待するわ!」

 

 むじんとう、むじんとう……なんだろう、頭ん中で漢字に変換できねぇくれぇに日本語が理解できなくなってきたらしい。それに対する反応はそれぞれ、オレと蘭、紗夜が言葉も出ないっつうかもう日本語が理解できてなかった。

 

「無人島……なんかもうアタマ痛くなってきたんだけど……」

「想像以上のスケールですね……」

「……マジかよ。ぶっ飛びすぎだろ」

「無人島と言っても宿泊施設などは整えさせていただいておりますので、プライベートビーチを想像していただければ結構です」

「……と、言われてそーぞーできます、千聖さん?」

「さすがに無理ね」

 

 奥沢と松原は半分予想していたようで、やっぱりという顔をしてた。流石はハロハピ、メンタルをあの天災お嬢様に鍛えられてやがる。

 んでヒナはめっちゃ楽しそうで、千聖とモカは苦笑い。この状況を受け入れてんのがそもそも半数以下なのが本当にぶっ飛んでるっつう証拠だよな。

 つうわけで弦巻家の車をそのままでかくしたような、つまりホテルみてぇなフェリーに乗って更に移動、そしてそこにはエメラルドグリーンが広がっていた。今十時だし、移動時間は四時間くれぇか。

 

「……朝早く集められたワケだ」

「すごいね、コレ。というかココ、日本?」

「ギリギリ日本っぽいっすな~」

 

 ギリギリなのか。ホントに状況を飲み込むのすら精一杯だからその情報は余計だモカ。つかスゲーな弦巻家って。島一つ持ってるところもそうだけど、なんか子どもが見たら目を輝かせてお城だーって喜びそうな建物が見える。ラブホテルじゃなくてマジの城だ。アレがそれぞれの宿泊施設、か。

 ――つまり一泊するんだな? オレ聞かされてねぇんだけど?

 

「……いちおー、帰ってから仕事しようと思ったんだけど」

「でしたら言っていただければ()()()()用意させていただきますので」

「……んじゃあとりあえずパソコンとコピー機」

「かしこまりました。清瀬様のお部屋に設置させていただきます」

 

 なんでも……ね。思わず乾いた笑いが出た。よく見ると、蘭がダメ元でギター持ってきてないやとぼやくと、かしこまりました、と言われもう笑うしかねぇって感じでオレの部屋にやってきた。ご都合展開、チープすぎて読み飛ばされちまうくれぇ、なんでもかんでもとんとん拍子だもんな。

 

「なんか、デートのつもりだったのに、規模がよくわかんなくなったね」

「だな。メンバーもオレの想定より三倍多いしな」

「アタシとアンタとモカだもんね」

 

 それがヒナに千聖、そしてこころに、奥沢、松原、紗夜が加わって九人だ。三人だったはずなのにな。けど、なんでか肩は軽い。あんなにどうしようか考えてたはずの当日がウソみてぇに今は窓の外の景色がオレを呼んでる気がする。

 

「――アタシたちしかいないから」

「ああ、それが理由か」

「ここなら、一成が心配したようなことは、起こらないでしょ?」

「……なんのことだよ」

「アンタのことだから、アタシやモカがナンパされるの、ヤだったんでしょ?」

「さぁな。オレはブルーのおにーさんに職質されるのがなによりの恐怖なんだよ」

「そっか」

 

 そのわかってます顔うぜぇっての。まぁ、蘭のその顔はキレイで、ドキッとするけどな。んでこんな顔をした蘭は当然のようにベッドに座っていたオレの脚の間にやってきて背中を預けてくる。ふわりと香る花の匂い、まるで恋人の語らいみてぇな舌の交わりも、その先も、もう蘭は怖がることなく、ほしい、と潤んだ瞳でねだってくる。

 

「日菜さんの、えっち、って言い方、柔らかくて好き」

「セックスじゃダメか?」

「なんか、ヤだ」

 

 それは元カレが口にしてたからだろ、とは思ったが口には出さなかった。確かにアイツの言い方は、なんつうか柔らかい。カタカナよりもひらがなの方が丸くて柔らかい印象があるみてぇに、アイツの言い方は、ひらがなみたいにふわっとした言い方だしな。オレも、なんとなくそっちのがいいって思っちまうな。

 

「……じゃあ、え、えっ……えっち、したい」

「したくねぇとか言われても、正直、我慢できるかどうかわからんかったけどな」

「ヘンタイ、クズ」

「知ってる。オレはクズでヘンタイの不良教師で、そんでもって、今は夏休みだ」

「……ホント、クズなんだから……だいすき」

 

 まだ午前中だってのに、蘭に誘われるまま服を脱いじまうクズに、コイツはそんな風に微笑んでくれる。それだけで今日の精神的に疲れた道中の意味があったような気がするんだから、単純なもんだよな。

 青い空、エメラルドに輝く海。雑多なプールの景色を共有するはずだったのに、天体観測の時に負けねぇくらいの、いつもじゃ見られねぇ景色がそこには広がってる。

 

「また、思い出、増えたね」

「……だな」

「あー! 蘭ちゃんずるい! 今カズくんの部屋から出てきた!」

「うっわ、ヒナ」

「あたしも!」

「バカか、恰好を見ろ。今から海行くんだよ」

「むー、あたしも行く!」

「好きにしろ」

 

 正直、ただの臨海学校、とかだったら景色を楽しむ余裕もあったのかもしれねぇけど、オレが放っておかれることはまずねぇからな。蘭はさっきの道中にオレをヒナと千聖に取られっぱなしだったことで離れてくれねぇし、それこそその二人もことあるごとにくっついてくる。さらにはストーカーつきだ。

 

「今日はストーカーじゃなくてくっつててもいーよね~?」

「モカ……いつの間に。しかも着替えてるし」

「えへへ~、せんせーのお肌が焼けないようにあたしが日焼け止めを塗ってあげるね~」

「手つきがもうアウトだよ」

 

 つかそれは男女逆じゃねぇのか。いやオレはそんなイベント起こすつもりもねぇし自分で塗ってほしいと思うとこではあるけどな。

 ――とコントを繰り広げていると、既にこころと奥沢が入り口に立っていた。金色をポニーテールにして振り返ると光を反射して眩しい。こころが髪を縛ってるところを見るのはなんか新鮮だな、いつも降ろしてるし、そういうことには無頓着そうだ。

 

「美咲がやってくれたのよ、ふふ、似合うかしら?」

「あーもう、なんでそれだけでそんなに嬉しそうかな……あんたは」

「こころんは髪さらっさらですな~」

「しかも動きが激しいから。フツーに髪結んだりしても解けちゃうんだよね、結構キツめにしたけど、痛くない?」

「ええ、平気よ」

 

 奥沢は、なんつうかどっかのハイスペックギャルとは違うベクトルだけど、姉気質で、言葉端に見える雰囲気が長女っぽい。オレも年の離れた姉貴がいるし、あの雰囲気はそれに似てるしな。こころに対して奥沢はまさしく保護者だ。よかった、アイツを目で追いかけるのは割と苦労することは文化祭で経験済みだし、慣れてるヤツに任せよう。

 

「さて、行くわよ美咲! 思いっきり、遊ぶわよ~!」

「あ、ちょ、こころ!?」

 

 ――よし、放っておこう。あのロケットお嬢様に気に入られるとロクなことにならねぇってことはよくわかった。オレもアレに片足どころかきちんと両足を突っ込み始めてるとか考えただけでぞっとする。今はストーカー気質の悪魔とロックな天使の相手で忙しいしな。応援と同情はしてやるから頑張ってくれ奥沢。

 

「なんかね~、海の家もあるっぽいよ~?」

「プライベートビーチなのに?」

「日菜さんがほしいって言ったらしくて……ほら」

「……なんか、怖くなってきた」

 

 そして黒服さん方の言葉通り、ホントになんでも用意できるということを再確認した。店すらも自由自在に用意できるってどうやってんの気になるけど、やめておこう。考えるだけ無駄だ。頭を切り替え、モカに引っ張られるカタチで、オレは照り付ける太陽の下に躍り出た。

 

 

 

 

 

 

 




次の章への箸休め的な話なのです。


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③夏空バケーションと正論ブルーローズ

 パラソルで日差しを避け、白い砂浜にビーチチェアに腰掛けてのんびりできていたのは何分前だったか。

 それが今では魔王が跨ってきて蠱惑的な視線を紫外線の代わりに降らせてくる。つか、振りほどこうにもコイツ力強ぇし。下着とさほど変わりのねぇ露出度のセパレートの水着から伸びて押し付けられる肢体に思わず理性が眩んだ。

 

「……ねぇ、いいでしょう?」

「よくねぇよ」

「文化祭以来、構ってもらってないわ。夢中にした責任を取ってくれるのでしょう?」

「ここが屋外のビーチじゃなかったら、考えたかもしれねぇけどな」

「散々屋上で楽しんでたヒトのセリフとは、思えないわね」

 

 それを言われんのは耳が痛てぇけど、ありゃ一応誰もいねぇって保証があるからであって、今はスルーしちゃいるが後ろでツリ目のオネーサンがめっちゃ怖え顔してんだからな。まぁ、元クソビッチのお前にとっちゃ紗夜なんて大した脅威じゃねぇかもしれねぇけどさ。

 

「待て待て、ちゃんと夏休み中に相手してやるつもりだったさ。お前は強引だからな。オレの安息を脅かしかねねぇし」

「待てないわ。もう既に遅いのよ、早いくせに」

「早かねぇだろ。おいこら、オレにつっこませて逸らそうたってそうはいかねぇからな」

「そう、早いのでココに突っ込んでほしいのよ」

「会話が噛み合ってねぇよ……あと早くねぇ」

 

 早いとか遅いとか男のプライドぶち壊すこと言わねぇで欲しいんだけどな。つかオレはオレしか知らねぇから疑えねぇんだよ。そう言ったら千聖に、処女ばかりに手を出すからよ、と呆れられた。うるせぇビッチ。

 

「つかいい加減紗夜を空気扱いすんのやめろよ」

「……あら、紗夜ちゃんは、紗夜って呼ぶのね?」

「余計なことばっかに反応すんな、お前は」

「あなたが知りたい乙女心よ?」

 

 とんだ乙女心だな、おい。そんなツッコミをする間もなく、逆に舌を突っ込まれた。ヒナのオレとしかしたことねぇからこその気持ちよさとも違って、蘭やモカみてぇなぎこちなさは全くねぇ、丁寧で、けどイタズラめいて、まるで千聖の性格を表したかのようなキスだった。

 ──意外と余裕なさそうなところも、演技なんじゃねぇかと思っちまうだろ、そこだけは損な女だな。

 

「はぁ……ん、ふふ。流石にコレを監視できるような豪胆さは、ないみたいね」

「ホント、強引なヤツ」

 

 紗夜はいつの間にかいなくなってた。幸い、通報してもここまでは鋼鉄のブルーウォーリアーことお巡りさん方も来れそうにはねぇしな。プールだったら即通報からの豚箱ネバーランドで空を見上げる日々だったな。

 

「それじゃあ……少し、話をしましょうか」

「ヤるんじゃねぇのか」

「あなたに振り向いてほしいのだから、少しぐらいは我慢して、ね?」

「我慢すんのはお前だろ」

 

 そう言って千聖は隣にあったビーチチェアに腰掛けた。セレブ然としたその態度にオレを見る目は恋する十代のそれで、ギャップで頭がおかしくなりそうだよ、千聖。焦らされるのは好きじゃねぇけど焦らすのはするってか。

 

「彩ちゃんも、今頃は水着で頑張ってる頃なの」

「それって……仕事、ってことか?」

「ええ、地元の小さな海の家の一日店長。プロデューサーが見つけてくる仕事は変なのばかりで呆れてしまうけれど」

 

 なんで今、その話題を、と思ったところで千聖が少し不満げなことに気づいたが、そこはスルー。きっと、今はそのハナシじゃねぇからな。

 で、と話を促すと視線を動かした。その先にはビーチボールで遊ぶヒナ、モカ、蘭、こころの姿。笑顔の絶えない、その四人を見ながら千聖は、少女の顔を見せた。

 

「──もしあなたが、一成さんが花咲川の先生で、日菜ちゃんや蘭ちゃんよりも先に私と会っていたら、どうなっていたのかしら?」

「どうだろうな」

 

 けど言えるのは順番なんて関係ねぇよ。これが運命、なんて安っぽい言葉に置き換えられるほど、今の生徒たちに囲まれることが決まってたんじゃねぇか、とは思うよ。

 ──ああ、ただ千聖の本性を何よりも先に知ったらわかんねぇな。お前には絶対に近づかなさそうだ。

 

「酷いヒト」

「お前も随分なヤツだろ?」

「これだけ夢中にしておいてまだ誠実になろうとするなんて」

「まぁ、親はオレの名前を最後まで成か誠、どっちにするか悩んだっつってたくれぇだからな」

「一途に誠実、成りたいものにまっすぐ……あなたらしくて、そしてあなたとは正反対の名前よね」

「うるせぇな、自覚あるからやめろよ」

 

 千聖は、男を取っかえ引っ変えして、クソビッチの魔王であると同時に、きっとオレが手を出しちまった誰よりも、恋を夢見るお姫様だ。ロマンチックに、ドラマチックに、いつか飾らない自分を飾らない態度で運命の相手が迎えに来てくれると信じてる。白馬に乗った王子じゃなくて、弱くても脆くてもカッコ悪くても、()()()()()()()()()()()なんて、オレにはわからねぇけどな。

 

「なんつうか、お前が瀬田に対して邪険な理由、なんとなくわかったよ」

「そしてあなたに恋した理由も、わかったでしょう?」

「まぁな」

 

 自分ではカッコつけてるつもりなんだがな。そもそもキザったらしい言葉と態度で意中の相手を射止めようと、縫い止めようと必死になった過去を持つオレからすれば、飾らない態度で、なんて正反対もいいとこだ。

 

「一成さんなら、いつか迎えに来てくれると信じていたのに」

「ほっといても逞しく成長すんだろシラサギ(おまえ)は」

「なら貴方が変えて。私を、シラサギでなくして」

「……名前がなんだと言うのだ、ってな」

「……ずるいわ」

 

 ずるくて結構、オレは汚くてずるい大人だ。本心だけが真実、なんて子どもの理屈なんだよ。嘘と欺瞞だけが、大人の味方だっつうのに、子どもの理論だと思わなきゃ、オレたちは何に縋って生きてんだよ。

 だから、オレはお前の誘惑から逃げなきゃなんねぇ。お前を最後には教師として見送んなきゃいけねぇ。それがオレの立てた覚悟だ。

 

「責任は取る。お前がオレとヤりてぇってなら嫌とは言うけどダメとは言わねぇ。けど、お前を見てやるのは卒業までだ」

「本当にその理屈が通ると思っているの?」

「……通すさ、オレはそういうヤツだからな」

「なら私があの子たちの代わりに言ってあげるわ。無理に決まっているのよ。あの子たちのような例外を作ってしまった以上、放流されて、はいそうですかと割り切れるなんて、虫が良すぎるわ」

「なんとでも言えよ。なんならお前が他の大人にチクれば、それだけで全部が終わる」

 

 今、オレが歩いてる道、一寸先は闇の細い綱だ。道ですらねぇ。誰かが手を引けば終わる、誰かが押せば、悪意を持って干渉するだけで、オレの人生は闇に閉ざされる。それを、開き直ってでも、オレは教師を続けてんだよ。お前の言葉ひとつで変わると思うなよ。

 

「本気、なのね。あなたは本気で、ずっと、先生であり続けようとするのね」

「オレはそうやって大人になったからな。それ以外の生き方を知らねぇんだよ」

 

 オレの黄昏。過去のまだガキだったオレ。そうやって過去にあった宣言が、あのクズ教師に向かって切った啖呵が、今のオレを作ってる。失敗も、成功も、今のオレに必要なものなんだから。この覚悟が間違ってたとしても、これからのオレには必要なもんなんだよ。

 後ろ暗い生き方はしてる。まぁガキとヤってんだから当たり前だけどな……その前にあったあの失敗も、担任の時にできなかった後悔も、それに比べりゃ暗くなんてねぇし間違いなんかじゃねぇってことだ。モカの言葉は、また別の方向で引っかかっちゃいるけどな。

 

「……あなたは、本当に眩しいわね」

「あの日差しとどっちが眩しいんだろうな」

「ふふ、そうじゃないの。金色のようなキラキラした眩しさじゃなくて、黄昏の色、昏くて……なのにまっすぐで、危険な色」

「リスクは避けるんだろ?」

「危ない、の意味が違う……なんて貴方には愚問よね」

「そりゃあな」

 

 うっとりと、魅入られたように。千聖はオレに吸い付いてきた。黄昏は逢魔が時、とも呼ばれてその名前の通り、赤い空はこの世のもんじゃねぇもんがこの世と交わった時、なんて考えられてきた。魔王も、悪魔も、天使も、言っちまえば、この世のもんじゃねぇってことか。危険な色に惹かれるのは、お前もまた、危険な色を放つからなんだろうな。

 

「それじゃあそろそろ、とは言えさすがに人目は避けたいわね」

「部屋に行くか?」

「それじゃあ情緒がないじゃない? あの辺り、きっと影になってるでしょうから、そっちがいいわね♪」

「まぁ……そうなるよな」

 

 ここで誘われても多少の余裕があるのは、いつ襲われるかわかんねぇっつうこの環境のせいだな。今も机に置いてあるポーチの中にはゴム入ってるし、千聖の言ってた人目を避けれる場所ってのも知ってる。オレとしては部屋がいいんだけどな、ベッド柔らかいから腰の負担少ねぇし。

 

「そうだわ、今更だけれど、水着の感想がほしいところだわ」

「……普段の制服が恋しくなるな」

「今日は貴方に見せるためだもの、特別なのよ?」

 

 千聖のイタズラっぽい笑みは、いつもよりも幼くて、紛れもなく、飾らない態度で。そんなコイツの心に踏み込んでいけるようなヤツは、きっとカッコいいヤツなんだろうな、と思った。少なくともオレには無理だな。けど、そんな王子様が見つかる前に男漁りはやめておかねぇとな。せめて、オレだけにしとけよ、千聖。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 気づいたら一成がいなくなってた。多分、千聖さんとどこか、ってのはわかった。千聖さん、なんか暗くなってたうえに悶々としてたからスルーしたけど、やっぱりちょっと妬けるんけど。まぁ、それはアイツもわかってるだろうけど。こころたちとボールを使って遊んでたその休憩にアタシは海の家へとやってきて、ドリンクバーのボタンを押してアイスコーヒーをグラスに注ぐ。見ると散々遊んでたのにもかかわらず日菜さんとこころは未だにビーチボールで遊んでる。めちゃくちゃ体力あるよね、あの二人は。モカは……もしかして一成のところかな。いいや、放っておこう。

 

「……隣、いいですか?」

「……どうぞ」

 

 ぼーっと日菜さんたちを見ながらストローに口をつけていると、そんな声が聞こえて、少し戸惑った。氷川紗夜さんとはあんまりしゃべるわけじゃないから、雰囲気が日菜さんと全然違って、顔が似てるから余計に、緊張する。

 ──どうせ、訊かれるのは一成関連だろうけど。そう思って紗夜さんの言葉の続きを待った。

 

「美竹さんは、あの男を軽薄だ、とは思いませんか?」

「クズだしすぐ生徒に手を出すし、今も千聖さんとヤってるしで最低なヤツとは思ってますけど」

 

 だけど軽薄、とは思わない。ナンパなヒトじゃないし、チャラチャラしてるわけじゃない。不良で、クズ教師だけど、アイツの言葉や態度は、決して軽いもんじゃない。じゃなきゃ、アタシだって好きになんてならないから。

 

「そこまで貶して、どうしてあの男を?」

「その貶せるところの何倍も、アイツの好きなところがありますから」

 

 最低だけど、アイツはアタシの夕焼けでいてくれる。夕焼けを守ってくれてる。アタシの軽率な行動が起こした全部を、アイツがなんとかしてくれたから。壊れそうなモカを繋ぎとめてくれたことも、巴がちゃんと付き合い始めたことも、ひまりやつぐみが必要以上に男の人を怖がらなくなったのも、全部、全部、アイツの、一成のたった一言だから。

 

「一成はダメなところばっかり目立ちます。目立つけど、それだけのヤツだったら日菜さんはとっくに興味を失ってますよ。元カレがそうでしょう?」

「──っ、あ、あのヒトのこと……知ってるの?」

「ええ、日菜さんと一成から聞きました」

「……そう、あの男も、知っているのね」

 

 ああ、そうか。一成が言ってた通りだ。このヒトは後悔してるから、一成を敵視してるんだ。()()守れなかったって、大切な妹を傷つけた男を今度こそ排除して、日菜さんを守ろうと心を砕いてるんだ。自分に厳しくて、妹に優しすぎるヤツなんだよってアイツが笑った通り。あの日、デートした日の帰り道に、一成が言葉にした通り。

 

「なんで紗夜さんに、ハッキリ言わなかったの?」

「もしさ、自分の正しいことが揺らいだら、蘭はどう思う?」

「え……っと、なにもわかんなくなる。何を信じていいのか、何を疑っていいのか」

「そう、紗夜が持ってる正しいことってのは、オレを排除することで妹が幸せになれるってことだ」

「……でも」

「そう、ヒナはそんなこと望んじゃいねぇし、オレが自分で言うのもナンだが、オレが急にいなくなって、幸せでいてくれるとは思えねぇ」

 

 諭すように、語り掛けるように、問いかけを使ってクズ教師はアタシに教授しようとする。一成は絶対にすぐ答えは言わない。遠回しに、質問をして、答えを気づかせようとする。こういうところは、根っから教師でいたい、っていう覚悟も本気なんだって思えるから、好きなところなんだけど。

 

「紗夜は、優しい。優しすぎるヤツなんだよ」

「あんなに厳しいのに? 千聖さんが前に鬼風紀委員って言われてるって言ってたけど」

「鬼、な。確かに鬼だ。ヒトに厳しく、自分にはもっと厳しい。でもそれはその厳しさがきっと自分や他人のためになるって信じて疑ってねぇからだ」

「……それが、正しさ、だから?」

「そうそう、アイツは正しさの鬼だ。あと十年したらあの美人に口で勝てるヤツなんていなくなるだろうよ」

「……ふん」

 

 美人、確かにそうだけどさ。それはアタシの前でわざわざ言うことなんだろうか。背も高くて、スラっとしてて、羨ましいと思うけど、一成ってロリコンだからもうちょっと小柄なほうが好きでしょ? 

 

「……なんか、妙な誤解っつうか余計なこと考えてねぇか?」

「別に」

「心配すんな。お前だってめちゃくちゃ美人だよ」

「……別に、そんなこと」

 

 こういうところは嫌い。一成はすぐ煙に巻こうとする。過去のハナシも、これからのハナシも、都合の悪いことはこうやってごまかして、最後には正論を暴論の間に挟んで強制的に黙らせようとしてくる。そういうところはクズだし最低だし、思わず殴りたくなる。けどハナシを変な方向にもってったのはアタシだから、ここは黙っておく。

 

「さて、ハナシを戻そうか。正しさの鬼だから、紗夜は一つ、ヒナに対して後悔してることがある……あ、いや、もう二つか」

「後悔?」

「ヒナからも聞いたろ? アイツに元カレがいたハナシ」

「うん」

 

 妙な境遇だけど、アタシと同じように年上ロリコンの元カレがいて、行為を迫ろうとしてきたことを日菜さんから聞いた。ただ、助けてもらって後を引いたアタシと決定的に違うのは、その辺にあったもので殴って呻いてる間に逃げたってこと。そもそも別れを切りだしたら犯されそうになったって言ってたから、そもそもが日菜さんの方が逞しいんだなって笑っちゃった。

 そっか、けど、そんな最低な男と付き合ったことも、犯されそうになったことも、紗夜さんは知ってるんだ。

 

「結局、守れなかった、ってこと?」

「正解。元カレと付き合ってたことを反対できずに、妹がレイプされそうになった。そんなヒナが今度は新しい男、しかも教師でありながら複数の生徒と関係を持つ、これまた最低な男に純潔を捧げたこと」

「……許せないんだ。自分が」

「だろうな。だから狂犬よろしくオレに噛みついてくる。つか狂犬っつうよりは番犬だな……ヒナに向き合えねぇくせにな」

 

 そんなハナシを聞いたせいか、紗夜さんの叫びも、ちょっとは理解できてるつもり。だから、アタシはアタシの言葉を尽くして、紗夜さんを否定するんじゃなくて、一成を肯定していく。日菜さんの想いも、きちんと伝わってほしいから。

 

「日菜さんも、ずっと後悔してます」

「……え?」

「おねーちゃんが、やめなさいって言ってたのに、結局、付き合ったこと。悪いことをしたって、言ってました」

「……日菜が」

 

 紗夜さんと日菜さんはほとんどしゃべらないというハナシも聞いた。過去が過去だけにあまり居心地がいい関係ではないってことも。でも、近いからぶつかるなんて、アタシからすればそんなの当たり前。Afterglowは、そうやってケンカしながら成り立ってるから。

 

「一度、日菜さんのハナシを、きちんと聞いてあげてください。ゆっくりでもいいから、あのヒトのやってることを、見てあげてください。そうしたら、一成のことも、一成を好きでいることも、もう少し理解できるようになりますから」

「……理解なんて」

「日菜さん、すごく幸せそうだと思いませんか? 明るくて、一成はよく、アイツの瞳は宇宙みてぇだ、なんて言いますけど、紗夜さんにもそんなキラキラした瞳、向けてませんか?」

「……私は、そんな風に、日菜の瞳を見たことなんて」

「なら見てください。パスパレとしての日菜さんも、いつもの日菜さんも、アンタは、向き合うべきなんだから」

 

 一成は紗夜さんに言葉は尽くさない。だって一成の言葉は、紗夜さんにはどんな正論でさえ耳障りだと感じてしまう。

 ──なら、アタシが言葉を尽くす。一成も認めてくれたアタシの言葉なら、きっと、届くと信じてるから。

 

「もう一つ……質問しても?」

「どうぞ」

「日菜は、貴女や、他のヒトと、清瀬さんが関係を持つことに対して、なんと?」

「カズくんが先生として頑張ってる間は許してあげてる、とだけ」

「……そうですか」

 

 紗夜さんが何を思ったのかはわからなかったけど、これで一成のこと少しは、日菜さんが好きで、むしろ好きすぎてちょっと怖い時があるくらいってことを、わかってくれたら。あの剥き出しの刃みたいな恋心は、自分のしていることを認めてはくれない姉にもぶつけてるはずのものだから。

 

 




負けちゃダメだよ紗夜さん、実はそいつも暴論振りかざしてるからね。

というところでふと評価覗いてみたら黄色で笑った。まぁ再投稿だしこんなもんでしょ。


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④無敵サンシャインガール

 笑顔を絶やさない無敵のヒーロー。それは画面の向こうにしかいねぇと思ってた。物語だから無敵なんだろ、と鼻で笑った時期もあった。けど、現実に無敵のヒーローはちゃんと存在する。誰よりも自分の味方をしてくれて、誰よりも自分を理解してくれる、究極のヒーロー……それは、自分だ。自分自身が自分自身のヒーロー。けど、コイツはそんな理論を遥かに飛び越えて、ロケットのようにこの狭い世界を飛び回っていた。

 

「ええ、あたしは、世界中を笑顔でいーっぱいにするのよ! 日菜も……もちろんあなたも」

 

 煌めく瞳、輝く金色の髪。小さな体に秘めた無限のエネルギーを振りまいて、誰もが鼻で笑う世界中を笑顔に、なんて言葉を、実現させようとする。それは夢でも望みでもなく、コイツがいつか辿り着く、未来の景色。だからオレはコイツを生徒にだけはしたくねぇと思ってる。

 完成されたこの奇跡を、大人っつう不完全な穢れで触れるなんざ、死んでもごめんだ。弦巻こころは、ガキで、ガキのまま大人になっていく。だったら、オレは手を加えることなく、それを見てるだけで十分だからな。

 

「先生! 一緒に遊びましょう!」

「いや、オレは見てるだけでいいよ」

 

 ──だからお前の無尽蔵な体力に付き合わせるのはホンットに勘弁してくれ。こちとら既に魔王と一緒に遊んじまって体力切れなんだよ。

 当の魔王は海の家で紗夜や松原とティータイムを楽しんでいた。おいマジでふざけんなよ。あはは、うふふ、じゃねぇよこっち来い。

 

「ダメよ! せっかく海に来たのだもの、座ってるだけなんてつまらないじゃない」

「オレはつまらなくねぇ、つか座ってるだけでもなかった」

「それじゃあ、あたしがつまらないから一緒に来てほしいわ。楽しいことがしたいの」

「……お前な。まぁいいや、そういうことなら、少しだけな」

「ええ、ありがとう!」

 

 自分本位で身勝手なわがまま。けど、まぁ許せちまうのは、オレの甘さか、それとも相手がガキだからか。結果としてオレは立ち上がり、日陰から炎天下へと連れ出されちまった。向かった先には呆れ顔の奥沢と嬉しそうなヒナの顔。なるほど、妙に聞き分けが悪かったのはそういうことか。つかヒナ、お前のその手に持つカラフルでプラスチックな銃はなんだ? 

 

「水鉄砲だよ!」

「わかってんだよ、それは。オレはまさかそれで撃ち合って遊ぶ、とか言うんじゃねぇよな、って訊きてぇんだよ」

「じゃあ、あたしの返事は、うんっそうだよ! だね!」

「だね、じゃねぇよ」

「それ以前に会話が変なの、ツッコんでもいいやつでしょうか?」

 

 ヒナはこうやってちゃんと指摘してやらねぇと会話のキャッチボールができねぇからな。これでも前よりは随分マシになった方だからな。会った当初なら言葉じゃなくて銃口を向けてくる恐れまであるようなヤツだよ、コイツは。

 

「それじゃあ、ルールを決めたいわね! ただ撃ち合うだけなのも、つまらないじゃない?」

「あー確かに。終わり見えないし」

「モカに審判頼むか」

「え、どこにいるんですか?」

「知らん。呼べば聞こえるとこにはいんだろ。おーい、モカー」

 

 え、そんな適当に、と奥沢が苦い顔をするがアイツは仮にもオレのストーカーを自称するストーキング、盗撮、ついでに最近痴漢と強姦してくるようになりやがった、オレが逆にやったら即刻社会的死が待ってそうな犯罪のオンパレード悪魔だから、と呼ぶと、当たり前のようにひょっこりとこころの後ろから現れた。

 

「は~い、呼ばれて飛び出て、じゃじゃじゃじゃ~ん、ちょーぜつびしょーじょじぇ──―」

「いい加減に口上が長い」

「んもう、そーろーのせっかちさんだな~」

 

 おい、テメー……今、オレの愚息のことなんつった?

 そろそろお前らがネタにするせいでよぉ~、怒りで傍に立つっつう名前を持つパワーあるビジョンが出せるようになりそうになってきたんだけどよぉ~。

 ──つかお前はオレしか知らねぇだろこのクソヤンデレ犯罪者。あとついでにくしゃみしてそうな大魔王にランクアップすんのは勘弁してくれ。

 

「ハナシ、どこから聞いてた?」

「え~っとね。……ねぇ、いいでしょう? のあたりから聞いてた~」

「うん、お前そろそろコッチが通報したくなってきた」

 

 それ、今のハナシじゃなくて前の話だよな。後ろを漢字にした意味は特にあるかもしれねぇしねぇかもしれねぇけど、この違いにはなんとなく拘りてぇよな。日本語は正しく、んでもって楽しく使えて、なんぼだからな。でもモカの日本語はアブナイ匂いしかしねぇから嫌なんだよ。

 

「んーっと~、じゃあ、すぐ終わるのもつまんないし、二体二のチーム戦で、ライフ制とかどう~?」

「いいね、あたしとカズくんのコンビネーション、見せちゃうよ!」

「んなもん、ねぇよ」

 

 ただ、モカの提示してくれたルールは四人だけで遊ぶにはちょうどよさそうだな。ライフは三で、いつの間にやら黒服さんが壁を設置していった。武器も、ありとあらゆるものが取り揃えられております、だそうで、ただ遊ぶだけなのにもうおなか一杯になってきた。

 

「さぁ、美咲! 一緒に日菜と先生を倒して、優勝よ!」

「……なにに?」

「あ、じゃあ優勝景品はせんせーになんでもお願いできる権利ってことで~」

「さぁ、美咲! やるわよ!」

「……えぇ~」

「これは負けらんないね、カズくん!」

 

 なんでそれでテンションあがるんだよお前ら。いやそれオレが勝っても負けても嫌な予感しかねぇんだけど。まぁその中でもヒナのお願い、なんて大概はえっちしよ、で済まされるけど、負けたらどうなるのか予想つかねぇことが一番問題だな。これはヒナの玩具になる覚悟で未知への恐怖を回避するしかねぇ。つか先にお願い決めてからにしねぇ?

 

「では~、この笛吹いたらすたーと~ってことで~」

「どっから出した」

「訊かないでよ~、知ってるでしょ~?」

 

 審判、黒服さんでよかった気がしてきた。悪いモカ。苦笑いをしていたら、モカがにへら、といつもの笑顔で、ヒトの口にしてない言葉を読み取ったうえで、気にしてないよ~、と手を握ってきた。

 

「せんせーが呼んでくれたからね~」

「そうかよ」

「うん」

 

 控えめなことで。けど、今日はそんな控えめがありがたくもあった。今度パンくれぇは奢ってやるよ。手を出しといて言うことじゃねぇのかもしれねぇけど、モカは誰よりもオレの生徒をしてくれるからな。

 何かを知ってるから、なのかもしれねぇのは、ちょっとだけ怖いとこでもあるんだけど。お前はオレすら忘れちまってるオレを知ってる、ってことだもんな。それはまた、オレが教師やってる時にでも教えてくれ。そんな意味を込めてモカの頭を撫でてヒナが手を振る場所まで歩いていった。

 

「じゃあ作戦立てよっか」

「おう、どうする?」

 

 ──勝っても負けても地獄なら、まだ内容がわかるヒナの方がまともだろうとヒナの言葉に耳を傾ける。普段がバカすぎて忘れがちだが、コイツは記憶力も判断力も高く、運動神経もいいし、策士としてもかなり頭の切れるヤツだから、参考にはなるだろうな。

 

「まずカズくんが突っ込んでこころちゃんを倒す」

「次クソみてぇな作戦口にしたら後ろから撃ってやるからな」

「えー、ひどい!」

「ひでぇのはお前の作戦の出来だろうが」

 

 お前まで姉よろしくポンコツになったら教師として社会に通用する人材に育成する方法にテストによる学力を測定する、っつう項目に疑問を持ち始めちまうだろ。花咲川のテストトップは紗夜だって知ってるからな。しかも妹と違って授業態度も普段の行動も先生受けは抜群だとか。生徒には嫌われてそうなところがアイツのまぁ問題なところではあるんだが。実際千聖には煙に巻かれてるからな。

 

「あ、るんってくる作戦を思いついたよ!」

「おう、覚悟はいいな?」

「わー、待って待って、カズくんを特攻させないヤツだから!」

「違うのか?」

「大丈夫、カズくんを自爆させるとかそういうんじゃないからさ!」

 

 ちっ、なんだよだったら早く言えっつうの。そろそろ作戦タイムも終わるだろ。向こうは確実にこころが前衛、奥沢がサポートっつう編成だろうからな。()()()()()()()()()()()()()()っつうルール判定だから、無策で勝てるほど相手もバカじゃねぇぞ。

 

「まずね、あたしがココにコレで穴を掘る」

「おう。どっから出したそのスコップ」

「いいから。あたしはここで身体を低くして隠れるから、カズくんが牽制で打ちながら後退して、こころちゃんが追いかけたて来たのを、あたしが撃つ! そうして二人で一人づつやっちゃう感じだよ!」

「簡易的な釣り野伏、ってわけか」

「そうそう!」

 

 まぁ、ヒナの存在がバレてるから伏兵警戒はするかもしれねぇけど、猪突猛進ガールの弦巻こころがそこまで慎重な性格か、と言われると、それはなさそうだ。現にヒナも恐らく、そこまでこころが戦術を練って読んでくる、とは考えてねぇしな。よし、乗った。

 

「この作戦で勝てたら追加のご褒美をやろう」

「ホント!? よ~し、るんってきた~!」

「──だから、勝つぞ」

「うんっ!」

 

 伊達にこのコミュニケーション能力ナシのヒナに半年も振り回されてるオレじゃねぇ、カバーやサポートだってできる。そういう自信があった。慢心じゃねぇ、自信があった。

 ──けど、失念してた。やる気はなさそうだったし、もしかしたらあっさり降参してくれるかも、と思ってた。敵はこころだけじゃねぇってことを、忘れてたんだ。

 そんなこともわからず勝つ気だったオレとヒナは笛が鳴った瞬間、作戦通りの行動に出ようとして、海水を浴びちまって、愕然とした。

 

「──え? ヒット?」

「マジか、どうやって……」

 

 そこでオレとヒナが見つけたものは……風船の破片のようなもの。水爆弾、確かにそんなのも黒服たちが用意した中にはあった。けど、あれってふよふよカタチが変わるし、本物の手投げ爆弾よろしく意外にも遠くには投げられるような重さじゃねぇ。それをしゃがんだ状態で山なりに投げて、狙いピッタリで30メートルオーバーだと? これをやったのは、どっちだ? 

 

「……美咲ちゃんだ」

「え? 奥沢? あんな華奢なヤツが……」

「美咲ちゃんはね、()()()()()なんだよ」

 

 ──ミッシェル。こころが楽しそうに話してくれた、ハロハピを異色のバンドたらしめるクマのキグルミDJ。その正体は奥沢だっつうのか。

 つまり、アイツはいつも、こころを抱えたり、腕を使うDJっつう役を、キグルミでやってるようなヤツ、ってことか。クソ、完全に誤算だった。慌てて向こうの様子を確認しようとすると、なんか明らかに抱えて走る用じゃねぇ狙撃銃のカタチした、どこにも売ってなさそうな水鉄砲を構えた奥沢がいた。危な、もうちょいで当たるところだった。

 

「あちゃ~、美咲ちゃんがそこまでやる気とはね~」

「奥沢のが策士として一枚上手だったな」

「だね、負けない──けどっ!」

 

 そう言って、ヒナはその身体能力をいかしてアサルトしていく。奥沢の水の弾丸を避け、こころが向かおうとしたところで、ヒナはにやりと笑ってバックステップからの()()()を投げつけた。避けようとするが遅く、相打ち覚悟の奥沢の近接用の水鉄砲すらも避け、またこっちまで戻ってきやがった。

 

「な、なんで氷川先輩も持って──」

「待って、美咲、コレ!」

「──マジ、ですか」

「あはは、カズくんは小心者だからね、それ、常備してるんだ!」

「誇れることじゃねぇけどな」

 

 ヒナが水爆弾にしたのは、避妊具(コンドーム)。ほら、アレめっちゃ伸縮するから、ガキのころよく水とか空気とか入れて遊んだだろ? その経験を思い出したってわけだ。幸い、ポーチは基本常に腰に巻いて持ち歩いてる。カッコわりぃけど、これでおあいこだ。

 

「ってか水鉄砲避けるとか、人間ですかホントに」

「あはは、どこに撃ってくるかわかればカンタンだよ!」

 

 頭大丈夫か、お前。そのカンタンの基準ぶっ壊れてるからな。オレがおんなじことはぜってぇできねぇし、全速力でジグザグと急停止急発進込みで三十メートル往復とか死んじまうからな。するとこころが両手に水爆弾を持ってバリケードの上に躍り出た。

 

「これなら、あたしでも届くでしょう?」

「けど、的になるよ?」

「カンタンよ、美咲が守ってくれるもの」

「カンタンじゃないし……でも、やれるだけやってやりますか!」

 

 爆撃メインとかお前らバカかよ。まぁ、あのヒナがやった奇襲は二度と成功しねぇから、順当な作戦っちゃ、そうなのか。

 ──と、そこで、ヒナが穴を掘り始めた。おい、当初の作戦、やるつもりかよ、それってオレに爆弾の狙撃の中を牽制しながら下がれってことだろうが。ちくしょう、こうなったらヤケだ。やってやるよ。

 

「来たわ! 美咲!」

「りょーかいっと」

 

 ここでオレが退くまえにやんねぇといけないのは高いところにいるこころを下ろすこと、注目させること。じゃねぇとこころには穴を掘るヒナが見えちまうからな。と思ったけど、コレ、ホントにオッサンにはきっついな。必死に奥沢の狙撃を避けるためにごろりと無様に転がって、二発、距離は足らずにこころには届かねぇけど、あとちょいだ。被弾覚悟でいきゃ、こころは落とせる。

 

「こころ、それ一個投げて降りて!」

「わかったわ! それっ!」

「判断はえぇな、おい」

 

 普通に降りてくれた方が助かったんだがな。ここでもしも爆弾を食らえば、奥沢の狙撃と合わせてオレのライフは尽きる。けど、こっちも無策じゃねぇんでな。ヒナの大きな銃を持ってきたのは、コイツを直接、ぶつけるためなんだよ。

 奥沢の狙撃を肩に受けながら、ヒナと同じようにバックステップしながら破裂前の爆弾に向かって貯水できる予め外しておいたタンクをぶつけてやった。これでもオレ、コントロールは良いからな。狙い的中、オレに届くことなく爆ぜ、そのまま追いかけてくるこころをこちら側に釣りだした。

 

「ナイス、カズくん!」

「え──きゃっ! ヒナ!」

「えへへ~、あたしももう一つ銃持ってたんだ~♪」

 

 よし、ここで挟み込めば、オレたちが完全に有利だ。そう思って前に進んで、おかしい、と違和感が襲い掛かってきた。

 ──なんで奥沢がまだ陰に隠れてる? フツーならヒナがもう一つ銃を持ってることくれぇすぐわかるよな。ならなんでフォローに来ねぇ? そこで、ヒナの言葉が頭をよぎった。

 

『大丈夫、カズくんを自爆させるとかそういうんじゃないからさ!』

 

 ああ、しまった、コレ、全部奥沢の作戦のうちかよ。オレとヒナ撃つよりも早く、こころがにっこりと水爆弾を手に持って、地面に叩きつけた。

 自爆、か。これで、二回被弾してるこころとオレはアウト、ヒナは残りライフ一つ。そこに当然、奥沢が見逃すはずなく、避けられきれねぇ近距離まで素早く近づいてヒナの頭に至ってフツーの水鉄砲を突きつけた。

 

「反撃してもいいですよ。あたし、あと一回までセーフですから」

「うわ~、美咲ちゃんすごいね~、なんでそこまでやる気出したの?」

「新しいラケットです」

「へ?」

「テニス部なんで、ちょっとお小遣いも心許ないってことで、景品としてもらえるかこころに訊いたら、いいわよ、ってあっさりです」

「他には?」

「……はぁ、めんどいんですけど全力でやらないと、こころが笑ってくれませんから」

「……るんってきた♪」

 

 それと同時にヒナの頭に無慈悲な弾丸、まぁ水なんだけど、が当たり、これでアウト。チームハロハピの勝利となった。

 ──けど、なんだろう、めちゃくちゃ楽しかった。こんなに身体を動かしたのも、マジで遊んだのも、めちゃくちゃ久しぶりだったせいだな。童心に戻って白熱しちまったよ。

 

「やったわ! やっぱり美咲はさいっこーだわ!」

「あーはいはい。約束のラケットも、忘れずに頼むよ?」

「もっちろん、今回のMVPだもの!」

「あはは、確かに、純粋な得点でも、美咲ちゃんが一番だもんね」

 

 オレは悲しきかな、ヒット数ゼロ。んで、こころが二、ヒナが三、奥沢が四だ。作戦指揮も兼ねたっつうこともあって、文句なしだな。ついでに楽しませてもらったからな、今なら大人としてなんでも応えてやる所存だ。

 

「それじゃあ、あたしは先生にお願いがあるのだけれど、いい?」

「なんだよ、言ってみろ」

「あたしの先生になって!」

「……は?」

「へ?」

「ん?」

 

 そしてその突飛な言葉にオレとヒナ、そしてチームメイトだった奥沢が首を傾げた。どういうことだこころ。言葉が全然足らないからな。もうちょっと説明してくれ。そう思ったら、こころが瞳の太陽を全開にして再度、オレにお願いをしてきた。

 

「あたしの学校で、先生をしてほしいの!」

「はぁ!?」

「え、ちょ、こころ!?」

 

 これは一体どういうことだよ、と嘆く間もなく、オレはついさっきのなんでも応えてやる所存を撤回したくなった。

 ──そしてこんなクソみてぇな無茶振りを叶えるってところが、弦巻こころが周囲の大人に恐れられてる原因だっつうのに。

 そんなの、無敵の太陽様には関係ねぇってか。お前は自分の叶えたいものにまっすぐなんだもんな。

 

 

 

 

 

 




なんだかんだ書くのはバトル描写が一番好きなんです。絶対に一作は常に書いてたしね。

というわけで果たしてクズは花咲川の教師になってしまうのか! というかどうやってこのクソ中途半端な時期に転勤するのか! 無理って言葉はヤツに通用しない。




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⑤黄昏バケーション

 こころのぶっ飛び発言の詳しいハナシは二学期になってから、と黒服さん方に説明を受け、衝撃のまま夜が明けた。二日目もバカみてぇに晴れやがって、波の音が今日もヒトを誘い出してるようだった。

 

「あ、お、おはよう……ございます」

「おはよう松原」

 

 教師としての生活リズムのせいか、早起きをして散歩をしていると、声をかけられて振り返った。

 コイツとはほぼ初対面だな。松原花音、花咲川の二年生で千聖と同じクラス。んで親友らしく……その一言でオレは警戒しちまうけど、千聖曰く松原を見て清純派を学んでるらしく、どうやらシロ、らしい。正直に言うと千聖のシロクロ判定は信用してねぇからな。

 

「え、えっと……は、はやいです、ね」

「まぁな、これでも生徒よりは早起きしなきゃいけねぇ立場だからな」

「ふふ、先生ですもんね」

 

 うんシロ。こんな子がクロとか人間不信待ったナシだ。千聖の守ってあげないとっつう言葉も理解できた。バイトにかこつけて松原に近づいたヤツは千聖と一緒にごうも……尋問、あ、いや、事情聴取するしかねぇ、守ってみせます、この笑顔。

 そんな癒し系ゆるふわ美少女は、それでもまだオレには人見知りしてしまうようで、言葉もつっかえながらだが、千聖が素を見せてるってことで多少はマシらしい。

 

「あ、あの……」

「ん?」

「……こころちゃんが、言ってました。先生は魔法使いだ、って」

「買い被りすぎだな、オレは生徒を手篭めにして泣かせる、クズ教師だよ」

「そんな軟派なヒトだったら、わざわざそんなこと言いませんから」

 

 魔法使いだってよ。まぁ、そんな風になりてぇと思ってるけどさ、こころを見たら全然そんなことねぇただのクズなんだなって思い知らされたよ。アイツこそ笑顔を届ける希望の魔法使いだろ。あと、奥沢もな。

 

「先生は優しい、ってよく言われませんか?」

「……いい意味でも悪い意味でも言われるな」

「優しくて、だからこそ、酷いヒト。千聖ちゃんの受け売りですけど」

「オレは教師でいてぇだけなんだけどな」

 

 千聖にも言われたけど、ヒナもモカも、今のまま卒業して、そこでハイさようならっつって納得するようなヤツじゃねぇ。最初のうちはそれでも忙しくなっていけば自然と、オレなんかに会いに来ることはねぇとタカをくくってた。それもなんか無理そうなんだよな。こうして考えるとわかるけど、アイツらはオレの教師としてじゃねぇ、ただのクズとしてのオレに踏み込んでやがるから。

 ──教師じゃなくなっても、それでもアイツらはオレを過去にはしたがらねぇ。当然だよな。オレだって、惚れた女を過去にしようとしては、失敗してんだから。

 

「……教師に拘ることで、何を守ろうとしているのか、私には分からないけど、千聖ちゃんは私の親友、だから……先生のこと、私は紗夜ちゃんや、先生が言うようなヒトだとは、思えないんです」

「ちなみに紗夜はなんて?」

「……言っていいのか、わからないんですけど……」

 

 松原はおずおずと昨日、オレがこころたちと遊んでる間に海の家での紗夜の言葉をオレに伝えてくれた。

 紗夜ちゃんが一成さんを敵視するのは、羨望……悪く言えば、嫉妬でしょう、と千聖に指摘され、紗夜は言葉を躊躇った後、私では、あんな風に日菜に寄り添うなんて考えもしなかった、と口にしたらしい。そしてだからこそ、それが日菜だけでないことが許せない、許したら私はなんのために日菜にキツイ言葉をぶつけ続けていたのかわからなくなる、と悲しそうに言ったらしい。

 

「ったく、紗夜も買い被りだっつうの。ヒナに寄り添えてなんてねぇよ、オレは」

「そう……なんですか?」

「ああ、アイツの思考回路なんてコレっぽっちも理解できてねぇよ」

 

 辛うじてわかるのはアイツがオレに本気で、アイツなりに恋をしてること。バカみてぇに欲求に正直なところ。んで、姉である紗夜のことをホントに大事に思ってることだけだ。見りゃわかるだろうけど、ここの双子は言わば両片想いだからな。アプローチを間違い続けて、結果が断絶なだけだよ。

 そんな風に笑うと、松原は驚いた顔をしてから恐ろしいくらい慈愛に満ちた笑みを返してきやがった。

 

「……先生は、素敵な先生なんだな、って思いました。こころちゃんに頼んで、私のクラスにも来てもらおうかな?」

「……それがホントに叶うんなら、松原が頼まなくても千聖が頼んでるよ」

「あ、そっかぁ……そうですね。それじゃあ、楽しみにしてます」

 

 ふわりと柔らかく、子どものあどけなさと、大人に一歩足を踏み入れた女性的な魅力を混ぜ合わせたような、そんな顔で笑われ、毒気が抜かれちまった。コイツ、接客業向いてねぇように感じるけど、こと対応力だけなら向いてるようにも感じた。モカみてぇなヤツに、しゃーせー、しゃーしたー、とかテキトーな挨拶されるくれぇなら松原のスマイルに金払いに行く。それくらいまぁ、悪く言っちまうと男を堕とす才能はめちゃくちゃあるってことだな。流石千聖の親友、腐っても類は友を呼ぶってわけか。

 

「……ところで、先生? さ、早速……教えてほしいことがあって、今、ここじゃないとダメなことなんですけど……」

「おう、なんだ?」

「帰り道……わかんなくて」

「……こっちだな」

 

 聞けば方向音痴らしい。こういう抜けたところは千聖とは似ても似つかねぇ……と、思ったけど、アイツはアイツで電車移動が壊滅的だっつってたな。小さな頃からずっと車でしか移動したことねぇんだと。さっすが芸能人。オレなんて高校がそもそも電車通学だったんだがな。送っていく中で、似てねぇようで、やっぱどこか似てる松原が千聖みてぇにエロ魔王にならなくてよかった、と内心で安堵した。

 

「松原さんはああ見えて遅刻が多いんです」

「……方向音痴ってレベルか、それ」

「しかし、嘘をつくようなヒトでしょうか?」

「まぁ、そうだけどな」

 

 にしたって学校への道を迷うかフツー。しかも二年目だろうが。一年以上通ってて、迷っちまうのは、ある意味凄まじく、そしてオレには理解できねぇハナシだよ。

 ──今日は昨日の疲れもあり、オレは水着になることなく、黒服さんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら同じく私服姿の紗夜と話をしていた。さっきまで千聖がいて、今朝のハナシをしてたんだが、松原に呼ばれちまったからこうして二人で、やや気まずい時間を過ごす。

 

「貴方は、そんな生徒を担任したらどう思いますか? また、どうしますか?」

「なんだろうな。ほぼ毎日通う道を迷う、ってのがオレには理解できねぇからな。本人の言葉を認めた上で、んじゃあ、どうするってハナシだな」

 

 地図作ってやってもきっと地図読めねぇだろうしな。難しい問題だからこれは松原自身と話さなきゃ解決できねぇ問題だと思うな。けど遅刻欠席は内申にも響く事項でもあるし、なんとかしねぇと松原の将来にかかわっちまう。遅刻以外の学校生活がまともってなら、尚更だ。

 それを聞いた紗夜は、オレの回答が意外だったのか驚いたような表情を僅かにして、それから、ため息をつきやがった。

 

「なんだよ」

「いえ……何故、それほどまでに教師として正しくあろうとする貴方が、生徒に手を出しているのか、と思っただけです」

「オレは流されやすいってだけだ。あと、聖人でもねぇからエロい誘惑されたら反応するってだけだな」

「なるほど……それはまた清々しいまでのクズですね」

「うるせぇよ」

 

 ここに来る最初に比べて、やけに紗夜の態度が柔らかい。多分、蘭がなんとかしてくれたって感じだな。アイツの言葉はロックだからな、生粋のギタリストとしての紗夜を動かしちまったんだろう。そういうところは素直に羨ましいと思う。オレにはあんなカッコいい言葉は浮かばねぇからな。

 

「……そうしたら」

「ん?」

「例えば……あくまで例えば、仮定として聞いてください」

「おう」

「──優れた妹にヒドいことを言っている出来損ないの姉が、ホントは、どうにかして、妹と、まっすぐ話せるように、そして、何も気づかなかったころのような姉妹に戻りたい、と相談してきたら、先生は……どう答えますか?」

 

 例えば、あくまで仮定ね。随分限定的な例えば、だが紗夜がどうしても気になるって顔してるからな、オレは仮定としてちゃんと答えるさ。

 紗夜……じゃなくてその出来損ないの姉がどんな人物なのか、オレはよくは知らねぇけど、そうなるんならオレができることなんてそう多くはねぇよ。

 

「そうだな……その妹が行ってきた努力を知らずに姉を越えるっつう一種の暴力によって、自分のアイデンティティを崩されたって傷は、他人が思うよりもずっと深いものだろうな。けど、血を分けた家族でもあるわけで、どうしても嫌いになれねぇってことだろ?」

「……はい」

「そりゃ、多分妹の方もだよ」

「え……?」

「お前がさっき肯定したろ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってさ。それは、相手もそう思ってんだろ」

「……けれど」

 

 ヒナ……妹が行ってきた無自覚の暴力は、オレなんかには想像もできやしねぇほど辛いもんだったのにも関わらず、それでも願いは、まっすぐ話せるようになりてぇ、昔みてぇに愛に満ちた関係に戻りてぇって思えたんだ。お前から受けた言葉の暴力なんて受けても、今更嫌いになんてならねぇよ。あのお気楽天才娘はな。

 オレはお前のことはよく知らねぇし、ヒナのことも正直あんまりわからねぇ。けど、アイツが言葉にしてきたことは、ちゃんと覚えてんだから、信用しろよ。アイツは、誰よりも紗夜を愛してる。アイツにとっての愛は、紗夜に向けるために存在してんだからな。

 

「アイツは認められることに飢えてた。認められる何かがあれば、姉とまた並んでいられる、そう思ったんだろうな」

「……あの子が、そんなこと」

「一度でいいから、アイツのギター、聴いてやってくんねぇか? お前を追いかけて見つけた、認められるものは、紗夜が認めることで、始まるんだからな」

「ヒナの……わかりました」

 

 オレの言葉で解決になんねぇことはわかってる。けど、じれってぇ背中を押してやって、後は二人がなんとかすればいい。

 けどな、これは自分で気づくべきことだけど、ヒナはギターを持って奇跡を象徴する青い薔薇を彩ってる紗夜が、大好きだってこと。アイツは、たびたび今井に紗夜のことを聞いて、こっそりとライブを聴きに行って、お前のギターのファン第一号なんだからな。

 

「良い回答だったかは、わかんねぇけど、オレの全力なんだ。感想は?」

「……やはり、貴方が後ろ暗いものを抱えてることが、勿体なく感じます」

「オレは生徒と距離が近すぎるからな」

「わかっているのに、やめないのですか?」

「生徒に望まれる教師でありてぇ。オレが目指してる教師はそういうヒトだったから、生徒が望む限りはやめねぇよ」

「……ふふ、貴方にはやはり、クズ教師の称号が似合いますね」

「最高の褒め言葉だな」

 

 去り際に、紗夜は初めてオレの前で笑ってみせた。薔薇の棘じゃなくて、何よりも孤高に、美しく咲く、薔薇の笑顔。ヒナをきっかけに華のある女が身近に多くなりすぎて、どうにかなっちまいそうだな。紗夜もヒナとはまた違った系統の美人だしな、松原も、奥沢も、他とは違う華がある。あんま美人ばっかりに囲まれると、教師としては疲れちまうところだな。

 

「そーだね~、蘭も日菜さんもとびっきり美人なのにね~」

「……お前も十分すぎるよ」

「え~、あたし、もしかして口説かれてる~? 不束者ですが~、一生大事にしてね~?」

「はいはい、卒業までな」

「いっしょーってゆった~」

 

 ──と、ここで悪魔の登場。さっきまで紗夜のいた場所ではなく何故かオレの隣に。ふにゃりと顔をだらしなく弛緩させて、冗談じゃない冗談を飛ばしてくる自称超絶美少女JKのモカは、いつもの長ったらしい口上もなく、せんせー、と甘えたい欲を隠すことのないトーンでオレを呼んできた。

 

「ん?」

「えへへ~、あのね~、よんだだけ〜」

「そうか」

「うん」

 

 なんつうか、甘ったるいな。正しく懐かれちまった、ってイメージだ。撫でろと言わんばかりにオレを見あげて、その通りにしてやると目を細めてまたふにゃりと頬を緩めた。

 ホント、猫みてぇなヤツ。気まぐれなくせに、寂しがりやで依存しがちなところも、お前はアイツを思い出す。なんて名前だったかな、モカ、じゃなかったとは思うけど。

 

「……ねぇ、せんせーは花女の先生になっちゃうの?」

 

 ほらな。さっきまで幸せの絶頂だったくせに、急にこれだ。蘭にもヒナにも、まぁ行ってらっしゃい、くれぇなもんで大した反応を貰えなかったっつうのに、コイツだけは、不安そうにオレの腕を抱き込んでくる。

 ──あ、いや蘭には諦め気味に味方増やしは程々にね、って言われたっけ。

 

「行っちゃやだよ、せんせーは羽丘の先生でしょ? 卒業までいてくれないとやだよ」

「……モカ」

「花女の子と仲良くしないで、いつもみたいに屋上で不良教師しててよ、あたしの前からいなくならないでよ……」

 

 あたしの前から……か。コイツは、恋を知ってからの長い年月、オレを追いかけてたんだっけか。そう考えると尚更重たい言葉だな。バカだなお前は。そんな恋はもっとオレなんかより誠実で、愚直な男を探してしてくれよ。

 

「安心しろ。出向、みてぇなもんらしい。交流会ってカタチで何人かの教師も巻き込んで実現ってとこだろ」

「どのくらい?」

「曰く三週間くれぇだろうって話だ。詳しいことはまた後になってからだけど」

「……長い」

「連絡はしてやる。筆不精なお前にはちょうどいいだろ?」

「毎晩電話かけるから」

「多いな」

 

 最後のはどうやら冗談だったようで、にや、としてオレにキスをしてきやがった。安心した途端これだ。困ったヤツだよ、お前はさ。慣れちまえばどうってことねぇけど、いつか誰かに見せる時は慎重にな。

 

「……せんせー? 審判のごほーび、ほしいな〜、って思うんだけど〜」

「ものによるな」

「じゃあ大丈夫だね〜」

「なんだよ」

「……えっちなこと、だもん」

 

 それを大丈夫と言い切るモカは、やっぱり照れがあって、お前はあの二人には絶対にソッチじゃ勝てなさそうだな。悪魔のクセに、ヤンデレでストーカーのクセに、肝心なところじゃかわいらしいガキなんだから。

 

「んじゃベッド行くか」

「うん、あ~」

「なんだよ」

「水着ですればよかったな~って」

「乾いてるだろ」

「……えへへ」

 

 はいはい。水着の感想も言ってなかったもんな。コイツはやっぱりあの二人に負けず劣らずの悪魔だな。その悪魔の誘導にあえてハマってやるオレも大概な気もするが、やっぱオレにはこの夏休みは刺激的すぎるよ。

 

 

 




これにて夏休み終了です。


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幕間:三色菫バケーション

たぶん初公開だよねこの視点は。


 私と千聖ちゃん、それから紗夜ちゃんは、水鉄砲を手に砂浜ではしゃぐ三人とちょっと疲れた顔をする人を眺めていた。

 横にいる二人のうち、千聖ちゃんはすごく楽しそうに一人のことをずっと見てる。その顔は一時期の千聖ちゃんとは大違いだった。

 

「あら、ああいうのもイマドキは売っているのかしら?」

「さぁ、あんな大きなもの。子どもが買ってもロクに撃てないんじゃないでしょうか」

「たぶん……売ってないかなぁ?」

 

 水鉄砲とは言いつつも、普通のものばかりじゃなかった。特に美咲ちゃんが持ってるものは絶対にどこにも売ってないスナイパーライフル仕様。どうやって作ったのかのかもわかんないそれは明らかに水鉄砲の威力をしてないよね。逆に日菜ちゃんが持ってるのもアサルトライフルみたいな形をしていて、どうやらトリガーを押しっぱなしにすると水が出続けるみたい。水鉄砲じゃなくてフツーのサバイバルゲームやってもいいんじゃないかなあって動きしてるね。

 

「それにしても楽しそうね、あのヒト」

「子どもに混ざって」

「元気なのはいいことなんじゃないかなあ?」

「あれだけ突き上げておいてまだ動けるだなんて、流石だわ、うふふ♪」

 

 うーん、千聖ちゃんは何か違うことを言ってるような……まあ千聖ちゃんだし。そんなことを考えてると蘭ちゃんがやってきてアイスコーヒーを飲みながらサングラスを上げた。

 髪には水が滴っていて、泳いできたんだなぁと思えるけどその仕草はなんだかカッコよかった。

 

「なにやってるんですか? というかなんで避妊具(アレ)投げてるの?」

「水風船の代わりね」

「……バカじゃないの」

「バカじゃなきゃできませんよ」

「確かに」

 

 そういえば、紗夜ちゃんはなんだか先生に対する風当たりが弱くなったというか、言葉が柔らかくなったような気がする。それは、二人がいいコンビネーションを発揮してるからなのか、それとも別の理由なのかわからないけれど。あのヒトはそういう力を持ってるのかな? 

 

「花音はあの男に近づいちゃダメよ」

「そうです。傾向的に男性経験の少ないヒトほど引っかかりやすいようですから」

「え、えっと」

「つまり処女ほど一成さんの毒牙にかかりやすいってことね」

「ふえぇ……しょ、処女……」

「いくらなんでも明け透けすぎじゃないですか?」

 

 そ、それはそうだけど、断定されちゃうと私としてもなんだかモヤモヤするよお? というか、それを言うなら紗夜ちゃんだってそうじゃないの? と問いかけるとそうですけどといつもの表情を崩さずに返事をされた。

 

「私があの男に靡くと?」

「可能性はありますね」

「フラグはもう立ってるものね」

「……なんとでも。私は生徒を何人も毒牙にかけるような男に救われるほど弱くはありませんから」

 

 わあフラグだあって流石に思ったけど誰も口にはしなかった。豆知識を披露するように一成さんが下の名前で呼ぶ子は毒牙対象よと笑い紗夜ちゃんが苦い顔をした。あ、私は松原って呼ばれてるからセーフなんだね、よかったあ。

 

「大丈夫よ。一成さんに花音のこと花音だなんて気安く呼ばせないから」

「千聖さんは時々二重人格じゃないかって疑うくらい一成のこと貶しますよね」

「ええ、あんなクズに花音を任せられるわけないじゃない! だって花音よ? こんな愛くるしくてかわいらしい可憐な花を根っこから千切ろうとするなんて許せないじゃない?」

「その言葉を返すと既に日菜や白鷺さんは根っこから千切られている気がしますが」

「アタシもなんですけど」

 

 でも、私は知ってる。千聖ちゃんがこんなに過激になるのは、()()()()があったから。

 去年の秋頃、ううん正確に言うとバイトを始めた直後からその事件は始まった。まず店長さんがややセクハラ気味なこと。これは別にカラダを触られちゃったとかそういうのはなかったからいいんだけど。お客さんの中に、ストーキングしてくる人が現れたことが一番の原因だった。幸運だったのは限界になる前にコンビニに立ち寄った時にたまたま会った千聖ちゃんに相談できたこと。そこで声を掛けてくれたリサちゃんとそのカレシさん……今は元カレさんだよね。そのヒトに解決してもらった。

 

「少なくとも、先生はああいう人たちとは……違う気がするけどなあ」

「違わないわよ」

「え?」

「きちんと手順を踏めるか踏めないかの違いよ」

「でも千聖ちゃんはそんな風にきちんと手順が踏める先生を好きになったんでしょ?」

 

 そうだけれど、と千聖ちゃんは首を横に振った。過保護というか、彼女は私が()()()()でいられなくなることを恐れてるような気がする。それは紛れもない千聖ちゃんにとっての傷であり、だから私はそっかあとそれ以上の言葉は諦めることにした。

 怖がりな千聖ちゃん、()()()()一緒にいられるといいね。

 

「ところできちんと手順を踏めるというところに疑問を挟んでもよろしいのでしょうか?」

「あら、私にとってはそうよ?」

「美竹さんは?」

「……まぁ、一成なりのルールには則ってるんじゃないんですかね」

「それは手順を踏めているのかしら……?」

 

 そもそも自分の働いてる学校の生徒さんに手を出しちゃう、しかも複数形ってのは……紗夜ちゃんには汚いものでも見るような感じなんだろうなあ。

 私はまだ、そういう恋をしたことはないけど、恋愛ってそんなキレイなものじゃあないんだなあというのはリサちゃんとの関わりで知ってる。

 ──私は、リサちゃんの元カレさんに抱きしめられたことがあるから。彼の愚痴もダメなところも全部、知ってるから。

 

「あ、美咲ちゃんとこころちゃんが勝ったみたいだよ」

「あら、流石の日菜ちゃんとは言えども、お荷物(せんせい)とコンビじゃダメだったのかしら?」

「見た感じこころもだいぶ、日菜さんに負けず劣らずの能力持ってる気がしますけど」

「じゃあやっぱり彼が敗因かしらね?」

 

 言いたい放題言ってるところにこころちゃんが勝ったことで先生にお願いを聞いてもらうことになった。その内容とは、なんとびっくりなことに花咲川に教師として来てほしいというものだった。

 

「ヘッドハンティング、ということかしら?」

「ヘッドハンティングは優秀な人材を引き抜くためのものだったはずですが」

「優秀じゃないの?」

「少なくとも下半身は非常に優秀ね♪」

 

 それは、たぶんダメなやつだよ千聖ちゃん。紗夜ちゃんもその言葉に対して風紀の乱れを花咲川(こちら)に持ち込むのは感心しませんね、と校内でえっちな……そういうことが行われるかもしれないということに対して敵意のようなものを見せた。

 

「とことん一成さんが嫌いなのね」

「好きになっているあなたたちが信じられませんが」

「紗夜ちゃんの敵意は羨望、ニュアンスを悪くすれば嫉妬でしょう?」

「……知ったようなことを」

 

 あ、あのケンカはダメだよお。この二人はいっつもこうだ。特に千聖ちゃんは以前に紗夜ちゃんの前でうっかりスマホの画面、今は先生専用らしい、アソビ相手の連絡先が詰まっていたスマホを見られてしまって以来、相容れないところがあるみたい。水と油っていうのかな、とにかく言い合いはしょっちゅうしてる印象があった。

 ──だけど千聖ちゃんの言葉はどうやらクリティカルだったみたいで、躊躇った後にゆっくりと口を開いた。

 

「あんな風にあんな方法で日菜に寄り添えるヒトがいるだなんて、考えもしなかったわ」

「ましてや過去が過去ですからね」

「ええ、そうよ。だから私の中で羨ましい、という気持ちは強いわ。日菜の笑顔を引きだせている、幸せそうに笑えているのはあのヒトなのだから……だからこそ」

 

 だからこそ、日菜ちゃんだけでなく蘭ちゃんやモカちゃん、挙句他校の千聖ちゃんまでそうやって不誠実に生徒を囲ってしまっているという事実に嫉妬しているんだとも紗夜ちゃんは語ってくれた。

 

「許せないのよ、あの男の手管が。許してしまったら私は日菜に接してきた態度はなんだったのよ……私は、どうすればよかったの?」

 

 悲しそうな声だった。千聖ちゃんもそれ以上からかうような言葉をかけずに少しだけマジメな顔でそうねとため息を吐いて蘭ちゃんにどうすればよかったと思う? とものすごいキラーパスを放っていた。

 

「えっ、えっと……そうですね。間違いを間違いって認めることから始めるしかない、んじゃないでしょうか」

「そうね。正しさの奴隷は、いつか間違いの前に膝を折るのよ」

「……何かの引用ですか?」

「そんなことするわけないでしょう。誰かさんじゃあるまいし」

 

 薫さんのことかな。確かに今の言い回しは薫さんがシェイクスピアの名言を引用してるみたいなニュアンスがあったけど。それは紗夜ちゃんにだけ向けられたものではなさそうだった。正しさの奴隷、その単語に蘭ちゃんも同じ人物を思い浮かべているみたい。

 

「間違いを認める……私にできるでしょうか」

「できますよ。人間は誰だって」

「そうね」

 

 それを聞きながら、私は一つの結論に辿り着いていた。正しい恋なんて誰にもわからない。リサちゃんが正しかったのか、彼が正しかったのか、あの時抱きしめられて、迫られて拒否した私が正しかったのか。今になってはわからないことかもしれない。もしかしたらこの先、誰かの好きな人を好きになっちゃうのかもしれない。それが親友の千聖ちゃんでも、ハロハピの仲間である美咲ちゃんでも、私はきっとその好きな人に夢中になってしまうから。

 ──私はもう、自分の好きを偽りたくない。ドラムも、ハロハピも、それから恋も。

 

「私も年上がいいなあ」

「年上なんて、ロクでもないですよ」

「そういえば美咲ちゃんのカレシさんも年上だっけ」

「特にタバコ吸うヤツはダメ、せめてあたしの前で吸わないでっていっつも言ってるんですけどね」

 

 夜になって美咲ちゃんとお話しているとそんな話題になった。そっか、だから美咲ちゃんは清瀬先生が苦手なんだねと笑うと、苦い顔をしながらまぁそうですねと頬を掻いた。ほらね、美咲ちゃんだって正しくない恋愛をしてる。正しくないことをわかっていながら、でも好きだからって離れられないでいる。

 

「でも時々、デート中にも脚とか触ってくるのは……イヤって思う自分が嫌だなとは思いますね」

「どうして?」

「ほらだって、一応カレシじゃないですか。日菜さんたちじゃないですけど、好きな人とはそーゆーことするもんでしょ?」

 

 好きだから触れてほしいのに、触られたくない。そんな二つの気持ちに美咲ちゃんの想いが伝わった。それに対して私はわからなくてごめんねと謝ることにした。好きな人とはそういうことをするものなのはそうなんだけど。

 

「私は、いっぱい触れてほしい。どこでもいいから……その人と触れていたいな」

「花音さんって、割と肉食的ですよね。やっぱクラゲ好きだから?」

「ふふ、そうなのかなあ?」

 

 クラゲさんは肉食だし、ペンギンさんも肉食だよ? なんて笑うと美咲ちゃんはまた苦笑いをする。でも美咲ちゃんのカレシさんはたぶん好みには引っかからないから安心してね。私もタバコは匂いがダメだから。

 

「それは、千聖さんも安心できますね」

「千聖ちゃんは千聖ちゃんで、安心はできないだろうけどね」

「まぁそうですね。ただ……」

 

 ただ? と首を傾げると美咲ちゃんは話に聞いてるだけではわからない清瀬先生のことをたくさん知ることができたから、こころちゃんの無茶振りに付き合ってよかったと笑った。変な先生ではあるけど、確かに悪いヒトじゃあないんだろうなあってのは伝わったかな。

 

「そうなんだろうけど」

「悪いヒトじゃないから、日菜ちゃんが好きになって、好きになってくれたヒトの想いに応えたいって気持ちがあるんだろうなあって」

「やり方が間違ってる気もしますけど」

 

 でも、間違ってたとしても私は先生に迷わず進んでほしいなあって思うよ。あの人は想いに応えすぎちゃう部分があることについて千聖ちゃんも優しすぎてヒドいヒトって言ってたし。傷だらけなんだよ、あの人は。

 

「だから傷だらけの人に傷ついてほしくない、って手を伸ばしちゃうんだよ。ぎゅーってして、守ってあげたくなっちゃうんだよ」

「父性、てきな?」

「わかんない」

 

 たぶんね、それが教師だからってせいでできなかったからだよ。そのせいで、逆に誰かを傷付けて、自分を傷付けた。

 ──教師のままじゃ、あの人の願いを叶えられなかった。だから不良教師なんだよ。

 

「よくわかりますね」

「ふふ、なんとなくね」

 

 なんとなくだけど、でもわかっちゃうのは、きっと千聖ちゃんやリサちゃんを知ってるから、なんだろうなぁ。後彩ちゃんとか、色んな人が傷ついていて、だからこそ私はこころちゃんの言う、世界を笑顔にしなきゃいけないって思うから。

 だから私もいつか、誰か一人の笑顔が見たいって思える日を待ってる。そういう素敵な出逢いは、まだないけれど。

 

 




――と言っても松原花音がサブヒロインポジなのはこれと世界観が一緒のもう一作品があったりするんですがどうでもいいですね。ただボクはこういうアソビが好きなのでたぶん手直し作業の際か書き下ろしでもう一人オリキャラが増えるかと思います。美咲のカレシ、なんで付き合ったんだろうね。ホント謎だよ作者的にも


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第五章:花咲川女学園
①花咲川ニューデイズ


 あっという間の夏休みが終わり、二学期が始まった。九月なんて季節的には秋だっつうのに太陽は元気に夏を謳歌していらっしゃるのはどうかと思うが、とにかく、暦の上ではもう秋季だ。修学旅行、運動会、通常授業が少なく、あっという間に過ぎ去っていくこの季節を迎えたオレは、早速、数名の、担任を持たねぇ教師とともに校長と教頭に呼び出された。

 

「……ホントに三週間かよ」

 

 急な話で申し訳ないが、と前置きをされ、出された書類には時候の挨拶から始まり、学校交流の一環として三週間、お互いの教師を入れ替えてみる、という前代未聞の内容が書かれていた。弦巻家すげぇな、前例がなければ作ればいいっつう理論を地でいくこの取り組み、他の教師たちも開いた口が塞らねぇってとこだな。

 ──つうわけで、その次の週にはお互いのやってることの確認と引継ぎ、要注意生徒の確認、んでその次の週、オレはいつもの羽丘ではなく、花咲川女学園へと車を走らせ、全校集会で自己紹介。当たり障りのねぇこと言っといて、んで、二年生と一年生を受け持つことになった。

 

「ふふ、本当に貴方がここに来るなんて、夢のようね♪」

「悪夢だな。醒ましてやろうか?」

「遠慮しておくわね、悪夢のまま、眠らせて?」

 

 その初日の放課後、嬉しそうな顔で近づいてきやがったのは勿論、千聖。つかお前がこのむちゃくちゃなこころの発案で一番得してるよな。しきりに蘭やヒナはずるいって言ってたしな。だからって、屋上に呼びつけてカラダをくっつけてくるとは思わなかったけどな。

 

「ココ、原則立ち入り禁止なのに、こころちゃんが先生のために、って許可を取ってくれたのよ?」

「……そうだったのか、だから何故か灰皿があるんだな?」

「そうね」

 

 二学期ってキリがいいように見えて、科目のハナシをするなら中途半端もいいとこだ。だからここで慣れねぇ環境に放り込まれるっつうストレスは確かに感じたし、なんなら帰りにどこかで吸うか、とも思ってたんだがな。まぁ、活用させてもらうとするか。千聖がいなくなってから、だけどな。

 

「つかお前、仕事は?」

「キャンセルしたわ」

「おいおい……」

「だって……折角、滅多にない独り占めできるチャンスなのよ? 傍にいたいわ」

 

 随分なわがままだな、そりゃ。座り込んだ屋上で、隣に座っていた千聖が、肩に頭を乗せてきた。こんなの滅多にねぇな、確かに。いっつも忘れそうになるけど、千聖もガキなんだよな。そりゃあ、偶には余裕の表情でオレを誘惑するだけじゃなくて、ただ独りじゃねぇって安心感が欲しくなる時もあるよな。

 

「ほら、遠慮すんなら、ヤりてぇって時にしてくれ」

「……それはムリだわ」

「なんだ。もしかしていざがっつかなくても平気だと思うと戸惑うタイプか、お前」

「余計なお世話よ」

 

 図星だったらしい。まぁコイツ、男を騙す技術は超一流だろうな。自分の笑顔がかわいくもあり美人でもありどこかエロさもある。笑ってほしい、振り向いてほしいって思われるタイプだってことを自覚してやがるからな。それを振り撒けば女王とその配下のブタさんの完成だ。

 けど、本人の性格上、極度の恋愛下手そうだな。そもそもコイツの理想が素のままでいてくれて、素のままの自分を愛してくれるヒトだからな。素顔をみせないくせに素顔を愛してと言われてもな、ってツッコミてぇとこだしな。だから、カラダを重ねなくてもいい時になると、途端に恋愛経験ナシの十代のガキになるってわけだ。お前さ、前にマネージャーと恋人になったことあるって言ってなかったか? 

 

「……マネージャーとは恋人未満、セフレ以上の関係だったわ。プライベートになれば、行先はいっつもホテル。恋人らしいことなんてしたことなかったわ」

「それはマネージャーが?」

「どちらも、ね。目立ってしまうからと避けるためだったものが、いつの間にか当たり前になっていたの」

 

 そんな時間があるっつう安心感からかえらく饒舌に、千聖は膝を抱えて語り始めた。オレもずっと引っかかって、けど先送りにしていたそのハナシを、目を閉じて、ぽつり、ぽつりと雨のように語り始めた。

 

「それでも、少なくとも私は本気だった。本気でずっと、愛してくれると思って、私も偽りのない顔を見せていたわ」

「相手はそうじゃなかったんだな」

「……ええ、今でも、信じられないわ」

「でも、真実だったのか」

 

 千聖は、ほんの僅かに頷いた。いつも気丈で、冷静に振る舞う千聖はどこにもいなかった。愛して欲しいヒトに背を向けられた、悲しみに暮れる弱々しい少女、それが、今の千聖だった。

 

「遊び……いいえ、あのヒトにとって私は宝石だったの。ただ煌めく、くすんでしまえば飽きてしまう宝石だわ」

「充分過ぎるくれぇにクズだな」

 

 それは遊びだったっつう並みだと思うんだけどな。けど、その先があるんだろ。今のお前はまた昔のように、いや昔よりも女として、芸能人(ほうせき)として煌めきだしたはずなのにな。

 

「……アイドルなのだからスキャンダルで足を引っ張るわけにはいかない。そんな言い訳で突き放していたのに、あのヒトは、彩ちゃんを選んだの」

「丸山……か」

 

 オレも今日顔を合わせたパスパレのボーカル。アイドルとして今軌道に乗ってる人物、丸山彩。男女問わず人気のかわいらしいフェイスと声、少女らしくもあり、女らしくもあるその肢体と、誰よりもまっすぐで努力家、そのくせドジな一面もある。それだけ聞くとまるでアイドルになるために生まれてきたようなヤツだ。実際しゃべってみると芸能人、ってオーラもねぇし、フツーのガキだったんだけどな。

 千聖のマネージャーと丸山が出逢ったきっかけは前に聞いたな。人員が不足してるからと千聖のマネージャーが丸山のマネージャーを兼任してる、っつう。そうやって丸山の傍にいる中で、そういった男女の感情が生まれたんだな。

 

「あの子は、私に持っていないものを沢山持っているわ。まっすぐで努力家で、信じるに値する夢がある。そんなところに、彼は惹かれてしまった。いつかそんな夢が挫けた時に、また立ち上がるまで傍にいてあげたい、そう言われたの。それ以来、ぱったりとホテルに行くこともなくなったわ」

「そっから、お前はアッチを劇化させてたんだな?」

「……ええ」

 

 最初は不満の発露だったんだろうな。誘って、デートをして、それだけで楽しかった。そんな援交をすることで、マネージャーは振り向いてくれるんじゃねぇかって、思ってた。けど、そんなことはなくて、そんな不満が、どんどんと爛れた方向にシフトしていった。

 ──結局、コイツが経験する男は、会えばホテルに行って腰を振るようなヤツだけ。ホントのところ、千聖が求めていたのは、フツーの少女が体験するような、ありきたりで、ありふれた恋愛。それだけだったんだな。

 

「だから、日菜ちゃんと一緒にいる貴方を見た時、いいな、と思ったの」

「……つまり、援交だと思ってたんだな?」

「ええ、見るからに年の差があったし、貴方の挙動も不審だったもの。やましいことをしているのだと、見た時に思ったわ」

 

 ああ、つまり気にしすぎだったっつうわけだな。続いて千聖に、もっと堂々としていればそんなこと思われないわよ、と言われ、力なく首肯することしかできなかった。あの時はそんな余裕もなにもなかったんだよ。喫茶店もヒナに連れられてただけだし、お前に最初会った時豚箱も覚悟したんだからな。

 

「そして事情を聞いて、あなたを知りたくなった。ふふ、すぐにチャンスが来るなんて、思ってもいなかったけれど」

「……そうだな。んで? マネージャーから反応は得られたか?」

「少しだけ、少しだけだけれど」

 

 嬉しそうに言いやがって。やっぱり、そうなんだな。お前はまだまだ、その男のことが忘れられねぇんだな。いっつもそうだ、お前はいつでも本気だ。オレに向き合って魅惑の表情をするのも本気だから。それと同時に戻れるなら戻って、今度こそ自分の後悔を払拭してぇって思うのも本気。

 過去に置き去りにした恋も、今の恋も、千聖はどっちも抱えて生きてんだな。それはすげぇことだ。誰にでもできることじゃねぇ。

 

「女の恋は切り替えって聞いたことあんだけどな」

「一般論よ。万人がそう、とは限らないでしょう?」

「……だな」

「だから、貴方への愛も、本物よ」

「偽物でもオレは構わねぇけどな」

「……そんな一成さんだから、私は二心を持ってしまったのよ?」

「ヒトのせいにすんなクソビッチ」

 

 ったく、今日は誰もいねぇと思ってるせいか表情がわかりやすい。恋する魔王(おとめ)の本気、それは、まさしくフツーの恋がしたかっただけの、少し悪戯好きのガキだったってことだ。オレにはそのフツーの恋ができるだけの隙があったってことでもあるんだけどな、ホント、クズだな。

 

「はぁ、色恋にここまで悩めるのは今だけだから、もうちょい相手は選んだほうがいいと思うんだがな」

「選んだからこそ、あなたの肩に頭を乗せているのよ?」

「……かわいくねぇガキだな」

「ならかわいくなるようにその手で撫でて、魔法をかけてみせて」

「むちゃくちゃ言うな」

「できるわよ。素敵な魔法使いさん?」

 

 ホント、かわいくねぇヤツ。楽しそうにオレの唇を奪ってみせるようなヤツが、制服を着たガキだっつうんだからな。お前のハナシを聞いたオレが、なんて言ってお前を引き剥がすかなんて、分かってるくせに、分かってて、オレにそんなカオをするんだから、やっぱり、かわいくねぇ。

 

「素敵な魔法をかける前に、お前は夢から醒めるべきだな」

「……夢を見ているままでは、ダメかしら?」

「ダメだ。どっちも本気だろうと、お前は過去を宙ぶらりんにしてるだけだろ?」

 

 言っててちょっと痛かった。教師は時にブーメランを投げねばならぬこともある。自分にできなかったからと言って、誰かにそれを教えなければ、教えられた方もそれができなくなっちまうからな。今のうちに過去は清算しとけ。オレは清算しそこねて、ずるずると引きずっちまってんだからさ。

 

「彩ちゃんと、関係が悪くなってもいいと言うの?」

「わかりきった質問すんじゃねぇよ。万が一そうなりそうならオレが手を貸してやる。お前にとって、丸山は大切なヤツで、パスパレは大切な居場所だろ? そんくれぇ守ってやれるように、オレは尽力する。こうやってお前にキツイことを強いてんだからな」

「……それを、恥ずかしげもなく言える貴方は、やっぱり、素敵な魔法使いね」

「言わせてんだろうが。それに、こんなセリフ、恥ずかしいに決まってんだろ」

「そうね、お詫びは……カラダでいいかしら?」

「すぐそっちに走んなよ。自分のカラダは大切にしろっつうの」

 

 とはいえ、するりと手で撫でた脚に見惚れちまったのは事実だけど。つかずっとスルーしてたけど、膝立てて座ってると横からとは言えパンツ見えそうだからな。誰かと一緒で気にしねぇのかもしれねぇけど。つか制服の白色でも、脚の肌色でもねぇ色が見えたの、気のせいだよな? 

 

「……えっち」

「お前がそう言うとあざとい上に財布の用意をしそうになるからやめろ」

「お金払えば見せてくれそう、ということかしら?」

「ちげぇよ、金を払わなきゃ通報する、って脅されてる気分になる」

「見たかったら、見てもいいのよ? トクベツ、貴方になら……ふふ♪」

「いくらだ? いくら必要か言ってみろ」

「もう、タダよ?」

 

 タダより高い物はねぇって知らねぇのか。援助交際でオッサンが過剰に金を払う理由でもあるんだよな。タダはホントに落とし穴かどうか悩むことに時間が割かれて楽しめねぇんだ、ってことだ。

 あ、これ実体験じゃねぇからな。教師のクセにそういうことが好きなヤツも世の中にはいて、酒の席でぽろっと零しちまうっつうことだよ。度し難い世の中だよな。宴席じゃなきゃ通報してたな。

 

「お金のハナシは援交っぽくて嫌よ。フツーにデートをして、その流れで、シてみたいわ」

「見つかって問題になったらどうすんだよ」

「あら、つまり問題にならなければ、許可してくれるのね?」

「おい」

 

 そういう意味じゃねぇんだよな。そんなツッコミをする間もなく、千聖はスマホを取り出してデートしたい場所を検索し始めた。しかも、あろうことかヒトの肩から膝に頭を乗せサラサラの髪を落としながら、日陰での残暑のひと時を、笑顔で過ごそうとしてくる。

 

「映画とかいいわね、ロマンスとか」

「うっわ、オレの苦手なヤツ。もっと飛行機とか車が爆発するようなハリウッド映画がいいんだけど」

「……恋人としか見られないようなものが、見たいの」

「濡れ場があっても友達と見に行けるだろ」

「もう、わかってないわね」

「ムードを盛り上げてそのままホテル、もしくはオレんちで、っつうお前の意図を、か?」

「うふふ、濡れ場の感想を話しながら、キスしたり、触り合ったり……そういう導入、いいと思わない?」

「んじゃあ昼に終わるヤツにするか。メシの予約して」

「……いじわる。焦らされるの、嫌いよ」

「言うと思った」

 

 そんな導入に憧れる、魔王様と、その日は……つか花咲川に来てから最初の日なんだが、部活の声を聴きながら、最終下校時刻まで屋上で語りあった。長いよな、なにがあったかなんてまぁ、言わなくてもわかると思うけど。屋上に来るような生徒がいねぇってのは、どうやらココも一緒なんだと。説明してくれんのはいいけど、オレの脚の間に顔を埋めた状態ってのはどうかと思うんだよな。

 

「……そろそろ帰りてぇんだけど」

「そうね、送ってってくれるわよね?」

「あーあー、みなまで言うな。どうせ松原が部活だからついでに送ってけとか言うんだろ?」

「ええ、その通りよ♪」

 

 腰の倦怠感を抱えながら、駐車場まで向かい、その途中で夕焼けに照らされる水色の髪が見えた。まぁ、極度の方向音痴らしいし、部活帰りのこの暗い中を独りで歩かせるってのは気が引けるようなヤツだけど、だからって教師であるオレを使うか。いっそのこと断っちまおうかな、マジで腰だるいし。

 

「あ、千聖ちゃん」

「花音、お待たせ」

「う、うん……その、本当にいいんですか?」

「問題ねぇよ。そんなに遠いってわけでもねぇんだろ?」

「はい。ホントは、車で送ってもらう必要もないんですけど……暗いと道がわからなくなっちゃって……」

 

 よし、んじゃあ張り切ってアッシー君になるとしますか。断るとかあり得ねぇよ、こんな困った表情をしてる生徒がいるのに教師が放って行っちまうとか、オレにはぜってぇできねぇな。

 ──と、まぁそれまでの意見を見事にひっくり返し、二人を後部座席に乗せて、オレは車を走らせた。

 

「そういや、松原って部活何やってんの?」

「わ、私は、茶道部に入ってます」

「茶道部……部活はコッチの方が種類は多そうだな」

 

 弓道場もあったしな。剣道、弓道、茶道、他にも多種多様な部活があって……なんつうか花咲川は青春を青春として過ごしてる、自由さがあるな。羽丘は割と校則は緩いけど、意外と教師陣はしっかりさせたがるし、なにより部活はのんびりやるもんじゃなくて、高校生に集団生活の自覚を持たせる、みてぇな風潮がある。だから結果が出ねぇと部費もロクにもらえやしねぇしな。うちとか。

 

「それで? 花女と羽丘、一成さんはどっちの雰囲気が好きなのかしら?」

「いやどっちがよくてもオレは羽丘の教師だからな」

「それなのにこうして花女にやってきてるのね、かわいそうなヒト」

「うるせぇ」

「……あ、あはは、こころちゃんが、ごめんなさい」

「松原が謝ることじゃねぇよ」

 

 これもいい経験、そう思わせてもらうことにするさ。私立に入った以上、転勤することもそうそうねぇから、違う空気に触れるってのも大事だろ。まぁ、一日目の終わりがホントに羽丘とそう変わりねぇのがやんなりそうだけどな。

 

「それじゃあ、私も、花音と同じところで降りるわ」

「いいのか?」

「ええ、少し寄り道をするから」

「……気をつけろよ」

「──ふふ、ありがとう♪」

 

 千聖はそう言って、嬉しそうに松原と一緒に車から降りていった。そんなに気を遣われたことが嬉しいのか。女心は難しいように見えてそういうとこは案外簡単なんだから、逆によくわかんねぇんだよな。

 

「──と、思ったところに~、きゅーきょくぜっせーのびしょーじょじぇーけーがとつぜん助手席の扉をあけた~」

「……おう、そうか。今日はモノローグ風なんだな」

「モカ、口上長いから」

 

 ──と、思ったところに灰色髪の悪魔がえらく長い口上を言いながら、ゆっくりと助手席の扉を開けて座ってきやがった。そういや、練習の時のお前らの帰り道だったんだな。ギターを持ってるモカが乗り込んだところに、残りの四人が苦笑いをしていた。

 

「モカ~!」

「ひーちゃん、あたしはこのままでーとしてくるから~」

「だって、どうする蘭?」

「……別に、勝手にしたら?」

 

 宇田川にそんなことを言われて蘭はふい、と顔をそらした。なんだよ、いつもよりも素直な反応だな。拗ねてんのがわかりやすくて、宇田川も上原も羽沢にも笑われてんじゃねぇか。仕方ねぇな。

 

「蘭」

「……なに?」

「乗れよ」

「……ふん」

 

 他の三人と別れた二人にオレはこれから振り回される。教師として仕事を終えてまたガキのお守りってわけで……それがオレには嬉しいことのように感じた。

 ──後で蘭には電話で散々罵られるんだけどな。モカがいる手前甘えたくないのに、だとか、そもそもモカとくっつきすぎだとか。あんなについて来たそうにしてたクセに出るわ出るわの文句のオンパレード。

 やっぱり、女心ってよくわかんねぇよ。それで放置しても不満だったクセに。

 

 

 

 

 

 

 

 



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②秋雨マジシャン

「んじゃあ、今日はここまで──と、ちょうどよかったな」

 

 キリのいいところで言葉を発し、それに合わせて終業のチャイムが鳴った。時間をいっぱいに使うことは目標としてるけど、ここまで気持ちよく終わることもそう多くはない。教材を纏めて一年生の教室を出ていこうとしたところで、せんせー! と声を掛けられた。

 

「どうした?」

「えっとね、前のところでどうしても訳せないところがあって……」

「ノートは?」

「……えっと」

 

 オレンジの短髪、小柄な肢体は大きな瞳と同じで良く動く、見るからにスポーツ少女、といった感じの元気娘の名前は北沢はぐみ。どうやら英語が大の苦手らしく、クラスメイト曰く英単語の小テストで追試を何度も受けてるらしい。いや、ノート取らねぇのが悪いと思うんだけどな。

 

「……まぁ、いいや。ノートはちゃんと取ること。少なくともオレが担当してるところは、わかりやすけりゃなんでもいいから」

「え、ノート提出とかはしないの?」

「それじゃあオレがわかりやすいものになっちまうだろ」

 

 脳に定着させやすいものってのは個人差があるんだから、提出させたら評価しなきゃいけなくなるだろ。黒板を忠実に、ってので授業態度は確かに見れるからもしんねぇけど、それが覚えやすいかと言われればそうでもねぇんだよな。

 つかそうかこの間に一回定期テストあんのか、バカじゃねぇの。なんで他所の高校の定期テスト作んなきゃいけねぇんだよ。

 

「北沢は英語のなにが苦手なんだ?」

「うまく言えないんだけどね、えーごって、にほんごと違いすぎて……」

「文法とかが、っつうことか?」

「うん……」

 

 言っちまえば日本語の主語の後に述語にあたるもんが来ずに長々と言い訳から入るって言葉のスタイルそのものが珍しい部類なんだがな。日本語を母国語にしてるオレたちには自然な流れも、英語や中国語にとっちゃ異端ってことだ。

 

「あと、SがどうとかVがどうとか……そういうのも」

 

 こりゃあ入口から躓いてんだな。英語ってのはそこまで複雑な言語じゃねぇってのに。母国語だってのを除けば、日本語の方がよっぽど難解で複雑で、かつめんどくせぇ言語もそうはねぇんだよな。

 

「そうか……それじゃあ今度時間取ってどっかで基礎から教えてやる」

「ホントっ!? ありがとせんせっ!」

「まぁ、せっかく教えてんだから嫌いとは言われたくねぇからな」

 

 ──とまぁ、こんな感じで花咲川での教師生活も順調、っつうところだな。羽丘に比べて騒がしいヤツが多いけど、今の北沢とか、おんなじクラスだと、もう一人いたな。ほかにも前からの知り合いとか、果てはオレの秘密も知ってるようなヤツもいるから、正直気が休まらねぇクラスでもあるが。

 

「せんせー! 今日も寝ずに頑張ったよー!」

「それがフツーだっつうの」

「あはは……それが香澄の場合はフツーじゃないですから」

 

 休まらねぇ原因、それが戸山と、それよりもその隣にいる山吹のことだ。戸山は天体観測で会った猫耳娘だからな、ある程度は好意的だが、そんな戸山がオレに近づくとぜってぇ近くに来る山吹はオレに対してあんまり友好的な感情は持ってねぇ。まぁ、初めてモカとやまぶきベーカリーに行った時が悪い。

 ありゃ、いつの話だったか、そうそう梅雨の時期だったな。モカに誘われて、曇天の中、オレはその香ばしい匂いのするそこに入ったんだった。

 

「いらっしゃいませー……あ、モカ」

「やっほー、さーや」

「さー……や?」

 

 オレはこんなところでモカと同じ年頃の少女に会うなんて思ってもなかったから、油断しきっていた。行きつけ、とは聞いていたけどな。そのせいかモカとの距離感を間違えてた。

 ──モカは腕に抱き着くかたちで、にへら、と嬉しそうな顔をしてやがった。

 

「……え、っと、モカ~? そのヒトは?」

「このヒトはね~、清瀬一成せんせー……羽丘の先生だよ~」

「せん……せい……? そ、それにしては~、距離、近くない?」

「あー……それは、だな」

「モカちゃんの全てを奪ったヒトだからかな~」

 

 その言い方は誤解を生む……つか誤解ではならないんだろうが、オレの今後が危なくなるだろうが、というツッコミも機能する前に、山吹は笑顔を凍らせ、そして汗をかき始めた。この顔はぜってぇやべぇと思いつつ、モカにこそっと山吹のことを聞いた。

 

「下ネタとか、そういうことに耐性のあるヤツなのか?」

「さぁ~? 少なくとも~あたしが知ってるさーやの情報は、パン屋さんの手伝いで忙しくって部活とかにも入ってないってことかな~?」

「……その情報が真実なら、カレシとかいたことねぇだろうな」

「そだね~、聞いたことないね~」

 

 そんなんなのにいきなり真実をつまびらかにしても無駄だろうな。通報待ったなしっつう恐らく最大のピンチにモカは、大丈夫だよ~、と間の抜けた声を出した。いや、その場合の大丈夫は全く大丈夫じゃねぇんだけど。お前ってやっぱり全く信用ならねぇ。

 

「あの……援助交際って、犯罪……ですよね。しかも教師が、生徒と、って……」

 

 ほら見ろ、明らかに誤解してるしクズを見るような目でオレを睨みつけてるじゃねぇか。つか察するにAfterglow以外のお前の幼馴染なんだろ、なんとかしろよ。そう目で訴えかけ、モカは危機感がなさそうに口を開いた。

 

「さーや、いつものメロンパンある~?」

「そうじゃねぇだろ。援交じゃねぇって言えよ」

「せんせー、奢ってよ~」

「今奢ったら言い訳しきれねぇだろ……悪い。山吹……でいいか?」

「……はい」

 

 モカのせいで警戒心がマックスだ。山吹になんとか通報は待ってほしいと説得を試みようとはするものの、まぁ、これはあんまり効果がなさそうだとため息を吐いて、それでもなんとか豚箱エンドだけは避けようと努力はすることにした。

 

「モカとの関係が通報されたらアウトってのは否定しねぇけど……別にコイツを女として使おうとか、そういうんじゃねぇんだよ……わかってほしい、とは言わねぇ。でもオレは、教師だ」

「お~、カッコいい~。惚れ直しちゃうな~」

「はいはい、後でな」

「は~い」

 

 こんなこと言っておいてつい、抱き着いてきたモカをあしらうために腰に手を回して落ち着かせたら意味ねぇと思うだろうが、これはもうクセみてぇなもんで……やってから、あ、しまった、と自分のしでかしたことに気付いた。

 山吹の重すぎる沈黙を破ったのは、カランコロン、とドアを開けた新たな来客だった。そこには見覚えのある猫耳娘と、黒髪ロングがサラリと空気になびく、スレンダーなミステリアスビューティーの雰囲気を纏った、恐らくJKが店にやってきて山吹に手を振ったのだった。

 

「さーや~、遊びに来たよ~!」

「私も、来た」

「か、香澄! おたえも!」

「あ~、やっほ~」

「モカだ、やっほー」

「……と、天体観測の時の先生だっ! お久しぶりです!」

「おう、四月ぶりだな、戸山」

 

 一人は戸山で、もう一人は、おたえ、というなんとも特徴的な渾名を持つ、花園たえ。いや、フルネーム聞いたら、安直だけど。花園は戸山の反応を見て、オレの顔をまじまじと見てから、唐突に、ウサギ、と言い出した。この時から察していたが、コイツはミステリアスなんじゃなくて不思議ちゃんなんだよな。ミステリアスだとクレバーな印象が出るけど、コイツは間違いなく戸山と同じ部類だ。

 

「……香澄とも、知り合いなんですか……まさか」

「そのまさかは完全に違う方向に行ってるな」

「先生は日菜先輩、ですよね!」

「……ふーん」

「あ、待て、なんだその手に持ってるスマホは、ちょっと、話を聞いてくれ!」

「あははは、やっぱり、このお兄さん、面白いヒトだ」

「そーなんだよ~、めちゃめちゃ面白いよ~」

「いい先生だよね~、モカちゃんが羨ましい!」

「お前らも言ってねぇで山吹を止めろっつうの!」

 

 ──とまぁ、こんな感じで回想終了。こんなファーストコンタクトで良好な関係が結べるはずもねぇよな。まさかこんなところで再会するなんてな運命(こころ)もひでぇことをするもんだ。

 ちなみにこのクラスには件の花園もいるんだが、今日はそういう気分じゃねぇようで、チョココロネを食べてる小柄な少女と楽しそうに談話中。助けてはくれねぇ。

 

「さーや、先生はいい先生だよ? そりゃあ、ちょっと問題はあるかもだけど……」

「いやいや、問題だらけでしょ」

「え!? せんせーってなにか悪いことしてるのっ!?」

 

 してるしてる。北沢には多分言ってもわかんねぇと思うけどな。山吹曰く、一応はモカもすごく嬉しそうだったし、巴もいいヒトだ、って言ってたから通報する気はないけど、香澄たちに、私の友達に手を出すようなら考える、だそうだ。つまり監視者ってわけだ。オレじゃなくて千聖を監視しといてくれ。花女での問題は白鷺千聖ただひとりなんだからな。

 

「まぁ、詳しいハナシはこころと奥沢にでも聞いてくれ。アイツらが多分一番北沢にわかるように説明してくれると思うからな」

「こころんとみーくんだね、わかったよ!」

「……そこで投げるんですか」

「オレの口からはやべぇだろ」

「確かに」

 

 そんな山吹との会話を最後に教室から移動した。ホント、気の休まらねぇトコだ。いかに羽丘で、オレのことを知ってるヤツらがそれを最早当たり前だと思っているのかがわかったよ。ホントは山吹とか、紗夜みたいに、異常だと反応するのがフツーだっつうのにな。

 

「清瀬先生」

「……と思ったところにお前か」

「どうかしましたか?」

「いいや? 一年になにか用でもあったのか?」

 

 噂をすればなんとやら。ちょうど階段から氷川紗夜が降りてきたところだった。双子ってだけに何度見ても瓜二つの顔立ち。印象は違えから流石にもう間違えたりはしねぇけどな。

 紗夜はオレの質問に、いいえ、と少し暗い表情で首を振った。えらく沈んだ声だな。

 

「先生は、今から職員室に戻りですか?」

「まぁな。その後は生憎、暇してるけどな」

「……あなたが言うと、とてもいかがわしく聞こえますね」

「おい、どういう意味だよ」

「逢い引きを誘っているように聞こえる、ということです」

 

 そりゃ結構な解釈だな。せっかくヒトが親切心を出してんのに、顔まで逸らしやがって。オレの顔見てそうなったってことは、大体ヒナだろ。またアイツがなんかやらかしたか? それとも、オレ関連か? 

 

「放課後、屋上来い。強制な」

「……貴方なら、そう言うと思いました。だから会いたくなかったのに」

「んじゃあタイミング悪かったと諦めるんだな」

 

 そんな気になる顔しといて、ハイそうですかなんて見逃すような薄情な教師にはなりたくねぇんでな。余計なお世話でも、鬱陶しい大人のお節介でも、なんであっても、ガキが重い荷物を持ってんのに、笑って通り過ぎるようなことは、オレにはできねぇからな。

 

「屋上……タバコは吸わないでくださいね」

「わかったよ」

「それでは……失礼します」

 

 そう言って、あくまで気丈に振る舞って、紗夜はオレから背を向けた。

 なんつうか、ホント、生きづらそうなヤツだな。独りでなにもかも抱えやがって、それが正しいと信じてる。そうじゃねぇだろと思うんだけどな。

 

「もっと周りを頼りにしてもいいんだけどな」

「それを教えるのも、先生の仕事ということね!」

「まぁ、教える必要がねぇやつも世の中にはいるけどな」

「あら、それは誰のことかしらっ?」

「……いつの間にかオレの隣に立ってるお前とかな」

 

 あら、じゃねぇんだよ気配を消して突然出てくんな。お前に教えることなんてねぇよ。つかココに来て気付いたけど、特に英語はオレが教えるようなレベルの内容なんて完璧に頭に入ってんじゃねぇか。英語ペラペラとか聞いてねぇ。

 

「紗夜のこと、先生はどうやって攻略するのかしら?」

「人聞きの悪いこと言うんじゃねぇよ」

「あら、違うの? 美咲はそう言っていたけれど!」

「アイツ……ったく攻略ならもっとオレの役目じゃねぇな。オレは背中を押すだけ。あんまりにも素直になれねぇバカ姉妹のな」

 

 アイツを傷つけるヤツがヒナだってんなら、許せるのも、またヒナしかいねぇんだよ。最後はあの二人が自力で思ってることを伝えあわなきゃ意味がねぇ。それが、わかり合う、関係がよくなるってことだからな。

 

「……頑張って、魔法使いさん。先生の魔法ならきっと、日菜も紗夜も、笑顔にできるわ!」

「こころからお墨付きもらえるなら心強いな。うまくいく、そんな気がしてくるよ」

 

 オレには、世界を笑顔にできる、なんて自信はどこにもねぇ。それが子ども相手なら尚更だ。今もこころに言葉を掛けられなかったら、結局紗夜をなんとかしよう、なんて思わなかったかもしれねぇ。

 ──どんだけ失敗しても、同じ失敗はしねぇ。向き合えずにした失敗は、向き合うことでしか、払拭できねぇからな。

 

「ありがとな」

「あたしはなにもしてないわ!」

「……いや、ココで教師やってるから、オレはオレを見失わずに済んでるよ」

「そういうことなら、もっともっと、思うままに先生でいて欲しいわ!」

「そうさせてもらうよ……それじゃあ、行くかな」

 

 オーナーの望みとあれば、ここでも自由気ままにクズ教師をやらせてもらうとするかな。せめてオレを先生、と呼んでくれるヤツを笑顔にするため、裁きを受けるその日まで、クズと罵られながら教壇に立たせてもらうさ。

 こころと別れたオレは、教師としての仕事にキリをつけてから、屋上へと上がった。そこには既に、風を受けて髪を靡かせる、青い薔薇が佇んでいた。

 

「呼びつけておいて遅れるなんて、随分ですね」

「仕事が遅いもんでな」

「もう少しまともな言い訳をしてもいいと思いますけど」

「必要ねぇだろ。悪かったな」

「……いえ」

 

 こころが設置してくれたらしい灰皿を挟んで、オレと紗夜は街を見下ろしていた。所在なさげに目を泳がせる紗夜は、まるで迷子の子どもだった。左右もなにもかもを失って泣きじゃくるガキに、オレは目を向けた。

 

「で? なにがあった?」

「……先週、テレビで初めて、日菜のギターを聴きました」

「そっか。一歩、踏み出したんだな」

「……でも、その一歩で、なにも分からなくなって……自分のギターが、酷くつまらないものに感じて……」

 

 ヒナと紗夜はすぐわかりそうなことだけど、真逆の感性を持ってる。天才肌で感覚に身を任せるヒナと、努力と経験に裏付けを大事にしていく紗夜。だからギターひとつでも到達点は別にありそうなもんだが、紗夜はヒナの音楽を到達点だと感じたようだな。自由と感覚、楽しいことを見つける旅のようなアテもなにもねぇ音楽……でもオレから言わせれば、違ぇだろ、と言いてぇけどな。

 

「……お前が自分の演奏をつまんねぇってんなら、そうなんじゃねぇの?」

「──っ、そ、そう……ですね」

「そうだよな。お前は、正しすぎるお前が嫌いだもんな」

「……正しいというだけに意味はない、と先生なら言うのでしょうね」

「まぁな。正しいだけだったら音楽なんて打ち込んじまえば、それが完璧だろ。音楽ってやつはな、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 オレはガキのころ、ジャズを好んで聴いてた。好きな女が好きだったからってだけの浅ましい理由だけどな、思いのほかハマっちまって、呆れられたっつう過去もあるんだが、その中でその時の気分でアレンジの入るジャズに魅せられたからこそ、メトロノームとチューナーじゃ、音楽はできねぇって知ることができた。正しいだけじゃ、何も得られねぇってことを、オレは音楽から学んだんだ。

 

「……なら、私はギタリストに、向いてなかった、ということですね……それなら、納得できます」

 

 ──そんなオレの言葉に紗夜は項垂れそんな諦めの言葉を吐いた。正しさを追いかける自分には、ギターは向いてない、ヒナにできて自分にはこれ以上は無理だ、と見えねぇ表情と沈黙で語る紗夜に、オレは……ありったけバカにした顔で煽ってやった。

 

「はぁ? お前の脳内どうなってんだよ。妹同様お花畑なんじゃねぇの」

「なっ、どうして、そんなことっ……! 」

「どうしてだと? 言ってやるよ。お前がとんでもねぇバカだってわかったからだよ」

「バカにされる筋合いなんてありません! 私は私なりに、苦しんでそう答えを出しました!」

「それがバカだっつってんだよ」

「ならどうしたらいいのよ!」

 

 怒り、ひょっとすると近隣住民にまで聞こえそうな声量に、目に涙を浮かべた必死な表情。もう諦めると言ったくせに、オレの言葉に縋るような表情。

 諦めたくねぇならそう言えよ。私にはギターしかないのよ、だろ? 変なとこで行儀良くなってたって、損すんのはお前だけだっつうのに。

 

「……オレが知るかよ。お前の音楽だろ、てめぇの芸術なんて、てめぇで認めてやるしかねぇだろ」

「そんな風に上から見下ろさないで!」

「見下ろすだろうよ。お前はガキ、オレは大人だからな」

 

 それ以上言うことはねぇから、オレは紗夜を置き去りにする。

 やれやれ、嫌われたかな。あ、いや紗夜には前からか。どうやら魔法は失敗しちまったかな。まぁ、オレが答えを与えてやんのはカンタンだけどな、それじゃあお前は、ヒナとまっすぐは話せねぇだろ。だから自立しやがれ。ヒナに依存して何かを成そうとすんのは、もうやめろ。

 

「……優しい魔法使いさん? 今日は雨が降りそうね?」

「気づかなかったな。なんだ、傘でも貸してくれるのか? 太陽さん?」

「それなら、あたしは隠れてしまっているから、無理そうね」

「んじゃあ……雲に隠れてる間、失敗続きのダメな魔法使いとデートでもしてくれるってのか?」

「それなら、とーっても楽しそうねっ」

「そりゃよかった、どちらまで? エスコートなら任せな」

「貴方が笑顔になれるところまで、素敵な魔法を見せて欲しいわ」

 

 焚き付けた手前、そうやってオレを慰めてくれるとはな、なんともまぁ、ホントにオレなんかが教えること、なんもなさそうだな、太陽サマは。

 ──んじゃあまぁ、付き合ってもらうとするかな。雨が上がるまで、オレの魔法が良い結果を運んでくれることを願ってな。

 

 

 

 

 




魔法は不発、残念でした。


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③秋晴シンフォニー

「それで? そのまま放置して大丈夫なの?」

「オレにできることはなんもねぇよ。言葉足らずで紗夜に嫌われても、それはそれで仕方ねぇしな」

「……すぐウソつく。アンタがそんな図太い性格だったら、愚痴なんて言わないでしょ」

「うるせぇ」

 

 花咲川教師生活一週目があっという間に終わり、オレは蘭と近所を歩いていた。

 結局あの後、紗夜がどうなったのかなんて知らねぇけど、やっぱりどうにもこころとカフェで話しただけじゃ、不安の雲がぬぐい切れなかった。そんな弱気を見せられるのは、やっぱり慣れ親しんだ生徒たちだよな。不思議なことに、コイツが隣にいるってだけで晴れていくんだから、ヒトの気持ちなんて、女心でなくても秋の空みてぇに、コロコロ変わっちまうのかもな。

 

「一成の言葉も、紗夜さんと同じ、なんだと思うよ」

「……正しすぎるってことか」

「そう。正解すぎて、思わずムカっとする。アタシたち子どもは、正しすぎることに嫌気が差しちゃうからさ」

「だな……あーあ、オレもまだまだだな」

 

 後悔なんて、選択すれば必ずする。そして人生は選択肢でできてる以上、後悔することは当然ある。その、あーあ、と思っちまうことを減らす最大の薬は、自分の選択に絶対の自信を持つこと。間違ってねぇと信じて突き進めば、あーあ、なんて言わなくても済むからな。今のオレには到底無理なことでもあるけど。

 

「ねぇ、今日は一成んちじゃなくてよかったの?」

「……家だとヤっちまうだろ。今日は気分じゃねぇけど、生憎オレは流されやすいクズだもんでな」

「知ってた」

「んじゃあ訊かなくてよかったろ?」

「ごめんって」

 

 蘭との会話は相変わらずのノーガードの殴り合いみてぇなもんで。お互いのことを知ってるだけに余計に、オレと蘭の間に遠慮とかそういうもんはない。心配とか、恋慕とか、そういうのは多分に含まれてたりもするが、初めての感情に戸惑いながら言葉を選んでくれねぇ蘭には、これくれぇがちょうどいいってことだ。

 

「つか、付き合ってもらってアレだが今日は練習とか華道の集まりはねぇの?」

「うん。ひまりがミスってスタジオの予約取れてなかったからさ」

「あ、そういう暇なんだな」

 

 つうことはモカもどっかにいやがるのか、と思ったらどうやらアイツはバイト中らしく、残念そうに連絡を蘭に寄越していたことを明かされた。

 ストーカーとか言いつつそういうとこあるんだよな、モカは。つかヒナにも連絡したのに全然返事来ねぇし、ついにオレも飽きられたかな。いや、ヒナ以外からはちょくちょく来るけど。

 

「まぁお前の顔見て愚痴ったらちょっと楽になったよ」

「……そういうの、真顔で言わないで」

「あ、悪い」

「もう、それじゃあコンビニ行こ」

「モカがいるのに?」

「一成がうじうじしてるから、晴れさせてあげるってこと」

「そのために、コンビニに行く必要があるってことか」

 

 蘭がうなずき、オレは渋々了承した。コンビニに何があるのかわかんねぇけど、コイツがそう言うんだったら、何かはあんだろ、とモカが働いてるコンビニへと進路を変更した。商店街から少し外れた、羽丘にほど近いコンビニ、自動ドアを潜ると案の定、しゃーせー、と気の抜けた挨拶が耳に届いた。

 

「ちゃんと発音しろよ」

「あ~、せんせーに蘭まで~、デートですか~、いーなぁ」

「今日は全然構ってくれないけどね」

「おい」

 

 客もいねぇからとそんな雑談をしてるところに、誰か来てるの? と声が聴こえた。ああ、そういやコイツもバイトしてるんだっけか。バックヤードから顔を見せたのは世話焼きハイスペックギャルの今井だった。オレと蘭を見て今井は、いらっしゃいませ、と滑らかな発音で笑ってみせた。

 

「二人揃ってどうしたの? デートじゃココには寄らないもんね~」

「お前らがいるからな」

「あはは、そーだよね。それじゃあ、なんか用事?」

「一成が()()()で落ち込んでるので、リサさんを頼りにしに来ました」

「なるほどねぇ? もうすぐで休憩だから、ちょーっと、待っててね!」

 

 そう言って、今井はまた奥へと消えていった。あの事、ってのは昨日のことで間違いはねぇんだけど、それで今井を頼りにってのはどういうことだ? と考えたのは一瞬、そういや、アイツは紗夜ともヒナともそれなりに深く繋がってんのか。紗夜とは同じバンドの仲間として、ヒナとはクラスメイトでブレーキとして。

 ──つまり、今井リサはオレのくせぇ説教の結果を、知ってるってことだな。

 

「おまたせ~、はい、コーヒー」

「サンキュ」

「ありがとうございます」

 

 コンビニの端にあるカフェスペースで、今井は早速、とオレがハナシをした後の紗夜を教えてくれた。

 あの後、湊にも自分の音を失ってることを指摘され、茫然自失となったこと。ヒナに会って、姉妹喧嘩をしたこと。やっと、自分たちの気持ちを、伝えあったこと。どうやら今日は二人で出掛けているらしいこと。今井は自分が知ってる全てを話してくれた。

 

「……はぁ、そういうオチか。やっぱオレの言葉なんて、必要ねぇってことな」

「まぁ、カンタンにゆうと、そうだねー」

「当人の問題なんて、当人同士でなきゃ無意味か」

 

 結局、オレの魔法のおかげ、なんてことはなに一切なく、秋時雨に傘は差されたらしい。まだ晴れることはなさそうだが、青空になんのも、もう時間の問題だろうな。めでたしめでたし、まぁ、拗れてねぇだけよかったとするかな。

 

「でもさ、センセーの言葉が完全に無意味だったか、って言ったら、多分違うと思うんだ」

「……つまり?」

「だって練習に来た紗夜は、正しさを求めてるわけじゃなくて、つまらない音楽をどうにか変えようと必死だったよ? 試行錯誤して迷子になって……それってセンセーのお説教があったからだって、アタシはそう思った」

 

 今井は優しい声で、フォローを入れてくれた。あまりにも分かりやすくて、確証のねぇフォローだったけど、すっと胸が軽くなるような感じがした。言わなきゃよかったっつう後悔が、言ってよかったっつう安心に、自然と変わっていった。そんな時に、自動ドアが開き、モカがまた、しゃーせー、と気の抜けた挨拶をした。

 来客は、オレたちを見つけると、あら、と落ち着いた、澄んだ声で柔らかな笑顔を浮かべていた。

 

「友希那?」

「リサ、休憩中?」

「う、うん」

「清瀬先生もいることだし、丁度良かったわ」

 

 そんな来客……湊は、今井の隣に腰を下ろし、ノートを広げた。そこには湊の湧き出るインスピレーションが言葉として踊っていた。痛み、雨、苦しみ、そんな暗さを連想させるワードが、(アンブレラ)という単語から一気に明るく、晴れ渡っていく。決意、勇気、約束、貴方の隣で……それはオレに、一輪の青薔薇を連想させた。

 ──そっか、お前は、決めたんだな。茨の道を突き進むんだと、見つけると。

 

「……さっき、二人で歩く紗夜たちを見かけたわ」

「そうだったんだ」

「あんな紗夜の顔、初めて見たわ。憑き物が落ちた、そんな感じよ」

 

 わざわざオレの顔を見てそれを言うか。あんまり関わりがなかったと記憶してるんだが。そんなお前すら、オレをそうやってまた教師として立たせようとするんだな。いや、それより乱暴な生徒からの檄だな。

 紗夜が立ち上がったんだから、お前が座り込んでじゃねぇっつう、平手打ちに近ぇ、喝だ。痛ぇけど、めちゃくちゃ効くな。

 

「紗夜は貴方のこと、きっと気にかけているわ。素直になれずに、キチンと自分のための言葉をかけてくれたヒトが、傷ついていないか」

「光栄だな。なら、来週にでも声を掛けてみるよ」

「……ええ」

 

 どうやら用事はそれだけだったようで、歌詞の続きを書くため、羽沢珈琲店へと向かうと口にした湊は、ノートを閉じて立ち上がった。それじゃあ、と静かに歩いていく姿に、どうしてもオレが気になっていたことをぶつけてみる。以前は孤高の歌姫と呼ばれていた湊友希那は、バンドを組むと決めた際の最初のメンバー……氷川紗夜を、どう思ってんのか。

 

「湊、もしヒナがお前のバンドにギターとして入りてぇって言ってたら、どうした?」

「どうもないわ。Roseliaのギタリストは、紗夜一人。紗夜のギターしか、あり得ない」

「……そうかよ」

 

 答えは、思った以上にロックだった。痺れたよ、湊。お前もめちゃくちゃ、カッコいいじゃねぇか。なんかでチラっと耳にした孤高の歌姫、っつう異名ももう過去のものなんだな、今は五人で最高を、てっぺんを見つけるのが、お前のロックなんだな。

 蘭とは違ったロックを魅せられたオレもまた、今井にサンキュ、と声を掛けて嬉しそうな顔をする蘭とコンビニを後にした。

 

「しゃーした~、今度は~、あたしともデートしてね~」

「気が向いたらな」

「いけず~」

 

 もう、オレの頭上にも胸にも不安の雲なんてなくなってた。今の空と同じ、青色……きっと今日は、キレイな黄昏が見られるんだろうな。

 少し前までの夏はどこに行ったんだっつうくれぇの、秋晴れの中、蘭と手を繋いでいく。嬉しそうな顔しやがって、ったく。

 

「……ありがとな、蘭」

「どういたしまして。やっぱり一成はありすぎなくらい自信満々の方が、カッコいいよ」

「失敗続きだけどな」

「それでも、少なくとも紗夜さんも、一成がきっかけだった。アタシや、日菜さん、モカも千聖さんも、アンタが笑顔にしたんだから、胸を張っていいんじゃない?」

「んじゃ、カッコつけさせてもらうよ」

 

 今頃は、紗夜もヒナも笑ってんだよな。オレの魔法はきちんと届いたんだな。そう思うと嬉しくなって、いいトシして飛び上がりたくなっちまうな。失敗続きの魔法使いが、初めて魔法を成功させた。そんな気分だ。数々の失敗がたった一度の成功を導いた、つまりはオレの教師人生は全部が全部、無駄じゃねぇってことだからな。

 

「さて、次はどこ行く? 好きなとこに連れてってやれるくらい、今のオレは機嫌がいい」

「だったら……家、行こ?」

「……ちょっと前に言ったこと、忘れたか?」

「忘れてないよ。だから、()()()って言ってんの」

 

 顔を赤らめてそんなことを言い出す蘭に、漸く自分が誘惑されてることに気付いた。普段積極的すぎるのが近くにいるせいで感覚が完全に麻痺しちまってんな。

 ──ってか、蘭からこうも誘ってくるなんて珍しいな。タマって……じゃなくて、構ってやれなかったからな。偶にはこういうのもあんのか。

 

「泊りは?」

「する。明日はどうせ練習だし」

「そっか」

「……だから、気持ちいトコまで、連れてって」

 

 プッツン、と理性の切れる音を自分で感じ取った。最初の頃に比べて蘭も怖がらなくなったしな。時間のあるうちに、決して交わるってのは怖ぇことじゃねぇってことを、ちゃんと教えてやらねぇとな。もしも相手がオレじゃなくなっても、トラウマがなくなっちまうように、好きなヤツに誘われた時に、シたいと思えるようにな。

 ──言い訳が頭に過ぎって、それが言い訳だってことには気づけなかった。気づけないからこそ、オレはクズなんだが。

 

「んじゃあ、行くか」

「……うん」

 

 結局、オレは蘭にどっかで甘えちまうんだよな。コイツとだけは、どうしても教師と生徒の枠を軽く越えちまう。嫌かどうか訊いてもぜってぇこの女は、嬉しいよ、なんて笑いやがるから、余計なんだけどな。

 

「一成は一成だから。教師だって一人の男の人、でしょ? アタシの前で建前はいらないから」

「生意気だな」

「……イヤ?」

「まさか。どんどん大人(キレイ)になっていく蘭が、眩しいってだけだ。オッサンには、若者の成長ってのは目も当てられないくれぇだからな」

 

 目まぐるしい。たった半年、出逢ってたったそれだけの時間で、蘭は駄々をこねるだけのクソガキじゃなくなって、蕾だった花弁は静かに開こうとしてる。眩しくて、目が眩んで、けど目を伏せたら、お前はいなくなっちまいそうで。

 ──いなくなってほしくない。そんな剥き出しの欲望のまま、オレは蘭に触れる。手で、指で、唇で触れるたびにピク、と反応する蘭はまるで麻薬のように、ガキのようなわがままを解消してくれる。

 

「熱っ、一成……熱くなってる」

「蘭だって」

「それは、アンタが触るから……っ」

 

 オレは、ずっとなんて言葉を信用してねぇ。モカが仲間を見て口にするずっとであろうと、ヒナが楽しそうに口角を上げるずっとであろうと、千聖が空を見ながら縋るずっとであろうと、そして蘭がオレに向けて約束したずっとですら、その全部をオレは信用できねぇ。一生なんて、いつまでが一生かなんて、わかりはしねぇのに。

 ──明日には突然、その一生が終わるかもしれねぇのに。明日って言葉が、オレは嫌いだ。

 

「……かず、なり? どうか……した?」

「なんでもねぇよ」

 

 そんなこと考えて萎えちまうんだから、やっぱ今日は流されてヤっちまう気分じゃなかったっつうことだな。明日人生が終わる確率なんて考えるくれぇなら、宝くじでも買ってワクワクしてた方がマシだっつうのに。なんでまた、こんな暗すぎて呆れちまうような考えが頭を過ったのか、オレ自身にもわからねぇけど、そんな不慮の事故かなんかで、死んだヤツとか、身近にいたっけか? 覚えてねぇ時点で、そんなん、いなかったに決まってんだけどな。

 

「そういえばさ」

「ん?」

 

 しばらくして、ベッドから降りて散らばってた服を集めてる最中、蘭が思い出したかのように、最近連絡を寄越して来ねぇ薄情なガキの様子を口にした。羽丘に交換で行った教師のうち、社会を担当してるのが地学専攻で天体に熱心なハゲ、じゃなくて間違えた。坊主頭のヤツがいたらしく、オレの代わりに顧問代理をやっているらしいこと。

 

「あのヒト、日菜さんに天文部の活動をしろって、ギターの持ち込み禁止したり、結構縛り付けてるっぽいよ。リサさんが言ってた」

「……そんなことになってたのか」

 

 オレとしてはじゃあなんで花咲川の天文部の顧問じゃねぇんだよテメーと思ったけど、そりゃあアレは屋上に無断で侵入して星を見ようとしてたこころをなんとかしてお咎めなしにしようと、こころのために設立された部活だったな。そりゃ、寄り付きたくはねぇだろうよ。おかげさんで今はオレが顧問代理だしな。

 

「んなことになってんなら、なーんで連絡寄越さねぇかね、あのクソガキは」

「それは……日菜さんも、子どものままじゃない、ってこと。アタシだって、日菜さんの立場なら、アンタに連絡なんて絶対しないから」

「はぁ、それにしてもあのヒナがねぇ……らしくねぇことすんなよな」

 

 まぁ、後二週間すれば、そんなハゲ教師ともおさらばなんだからっつうのもあるんだろうな。そんな風にヒナのヤツが選択してんなら、オレから連絡もしないっつうのはおかしな話か。

 ──紗夜に訊かきゃなんねぇことできちまったじゃねぇか、クソ。あの問題児め。

 

「アタシもその話、昨日聞いたばっかりだから、月曜にリサさんに言ってフォローしてみるから」

「悪いな蘭」

「別に、アンタが流されやすくてその上浮気性のクズってのはわかってるし」

「そうじゃねぇけど……つか怒ってんじゃねぇか」

「怒らないヒト、いないと思うんだけど?」

「だからなぁ。んじゃ、オレの甲斐性に免じて、ってのはどうだ?」

「はぁ? 死んできたら?」

「……うるせぇ」

 

 ああ、晴れた思ったらまた曇りか。本格的に秋になり始めて、天気がコロコロ変わるように、一難去ってまた一難、千聖、紗夜の次の問題は、ヒナか。

 ヒナか、とは言うけど、コイツに至ってはいつでも問題起こしてる気がするし、なんなら初めからオレに対して災厄ばっかり降らせてきやがるし、やっぱ悪魔だなアイツは。

 そんな悪魔を見捨てることができねぇのが、オレがクズ教師っつう証左に他ならない、ってのも、また嫌んなるけど。アイツはアイツで、蘭にはないオレにとっての大切なものを持ってるからな。それを言うときっとベランダで夕陽を眺める蘭に拗ねられるから、口にはしねぇけどな。

 

 

 

 

 

 

 




一難去ってまた一難。クズがクズである限り問題は尽きないのだ。

訂正により蘭との明日と明日を信じられないって矛盾がなくなったらなくなったでこのクズはゴロゴロ坂を下りよるな。もう破滅しかないってのに。


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④悪魔グローイングと新生ヒロイン

 あたしは退屈が嫌いだ。だってつまんないと、その一分、一秒を無駄にしてるみたいだもん。イキモノである以上、時間は有限なのに、つまんないことに使うなんてそんなゼータクしてる余裕、ないじゃん? 

 ──だから、るんってすることを探すのが好き。カズくんはそういう意味で言うなら、価値観も趣味もなにもかもが違うから一緒にいて退屈しなかった。あと、好きなことをやらせてくれるし、好きなだけヤらせてくれるのもあたしには合ってたのかも。

 

「……ヒナ? あのー、ヒナ~?」

「ん……? どーしたの、リサちー?」

「いやどうしたのじゃなくて……ストロー」

「……あ」

 

 退屈を紛らわせるためにイロイロ思考してたら、リサちーに指摘されて気が付いた。ジュースのストローを噛んでて、もうグニャグニャになっちゃってたよ。カズくんが言ってたけど、ストロー噛むやつは性欲強くて欲求不満らしいなって、最初はなにそれ、とか思ったけど、そうかもって思った。だって今あたし、欲求不満だし。

 

「イライラしてる?」

「ん~、どっちかっていうとムラムラ?」

「……心配してソンした」

 

 あははうそうそ。イライラもしてるからそんな呆れた顔しないでよ、リサちー。どうせ今日も部活はサボるし、おねーちゃんとファストフード食べに行く約束してるから、それほど気になってないだけだよ。

 部活、そう部活。カズくんはなーんにも言わなかったのになぁ。なんにも言わないだけじゃつまらないけど、サボれればなんでもいいとか言っといてあたしのした活動に興味を示してくれたのが、すごくうれしかった。あと二週間()我慢しなきゃいけないなんて、やだなぁ。

 

「蘭が言ってたよ? センセーが心配してたって」

「……うん」

「あれ? もっと喜ぶのかと思ったのに、ホントにヒナ、どうしちゃったの?」

 

 どうもしてないよ、嬉しいけどねリサちー、それはカズくんが()()()()()()()()()なんだ。蘭ちゃんと出逢って、カズくんはすっごくカッコよくなった。あたしのことも受け止めてくれるようになったし、あたしといても笑ってくれるようになった。でもそれは、やっぱり悔しい。カズくんを変えたのは、あたしじゃなくて、蘭ちゃんなんだ。そう思うと胸がズキってする。

 

「……大丈夫だよ。あたしは、別に平気だから」

 

 こんな風に言うことがあるなんて自分でもビックリ。こんなの、誰が聞いても大丈夫じゃないってわかるのに、なんでか、口にしちゃうんだ。口にして、カズくんが早く帰ってくるわけでもないのに。

 そんなモヤモヤを抱えてると、ポケットに入ってるスマホが震えた。メッセージを送ってきたのはおねーちゃんで、ちょっとだけるんってしてロックを解除した。

 

「……そっか」

「ん? 紗夜から?」

「うん……カズくんに呼び出されたからちょっと遅くなるかも、だって」

「あ、あはは……」

 

 ──どうして? さっきの明るい気持ちに、冷や水を浴びせられたみたいに手が冷たくなっていった。カズくんに、呼び出された……おねーちゃんが。背筋がぞわっとして、あたしの中に潜んでる悪魔が鎌首をもたげた。もしかしたら、千聖ちゃんやモカちゃんみたいに、あたしみたいに、なっちゃった? そんなのやだ、やだやだ、なんであたしだけじゃダメだったの? あたしに何かダメなとこがあるなら言ってよ、あたしはカズくんが、こんなにも好きなのに。

 

「あちゃー、結構ヤバいかもな~……」

 

 そんなリサちーの声を無視して、あたしはガンガンする頭を押さえながら自問する。どうして、どうして、おねーちゃんとカズくんがそういう関係になったとはまだ決まってないのに、()()()が壊れていく。

 会いたいよ、カズくん。カズくん、カズくん……ダイスキなヒトの名前を呼んでも、ダイスキなヒトが教えてくれてた教科の時間になっても、ダイスキなヒトはいないんだ。

 けど、クラスの雰囲気は変わらない。むしろ、今の先生はきっちりしてて爽やかで、テキトーだったカズくんよりも受け入れられてる気がする。清瀬先生より今の方がいい、そんな声も聴こえた。他の先生たちも、きっとそうだ。無能なんていらないって、このままがいいなんて、思ってるんだ。

 

「せんせー。頭痛いから保健室行ってくるね」

 

 え、ちょっと、なんて戸惑う先生をよそに、リサちーを指名して一緒に保健室まで歩いてもらった。ウソはついてないよ、だってウソついたらペナルティだからね。

 リサちーと一緒にやってきた保健室でのんびりくつろいでた先生は、おや? と時計を見て、あたしとリサちーの顔を見てから、どうしたんだい? と声を掛けてきた。

 

「ヒナのヤツ、頭痛いみたいで」

「大変だね、痛み止め、持っているかい?」

「それはアタシが」

「ならよかった。コップならここにあるものを使いなさい」

 

 頭痛以外にもなにかがある、ということを察知してるみたいな先生は、それでは何かあったら内線を使って構わないから、と、リサちーにも、付き添ってあげなさい、と言い残してどこかへ行っちゃった。

 

「ヒナ、ホントに大丈夫?」

「……ううん、やっぱ無理そう」

「あのさ……ヒナ? アタシ的には、別に清瀬センセーに甘えても、大丈夫な状況だと思うんだケド?」

「嫌われたくない」

「いやいやゼッタイ嫌わないって、あのヒト、ヒナと蘭にだけは激甘じゃん!」

 

 モカちゃんもそう言ってたし、千聖ちゃんも。けどあたしには実感できないもん。カズくんは蘭、蘭、ってそればっかり。えっちしよって誘っても流されない時は大抵、蘭ちゃん絡みでなにかあった時だもん。

 あたしは二番、好きになった長さも、全部。一番になんてなれない。

 

「……ヒナ、らしくないって。何をそんなに怖がってるの?」

「怖いよ、怖いに決まってるよ! リサちーだって、自分がいらないのかも、って考えて怖くて泣いたことあるじゃん! それと一緒だよ……あたしは、あたしの価値を証明しないと、一生かかっても蘭ちゃんには勝てないんだもん!」

「それがらしくないって言ってんの、わかんないの? ヒナはさ、いっつも飄々としてて、余裕そうなカオで、よくわかんないコトに目を輝かせて! それがヒナじゃないの!?」

 

 リサちーとこんな口喧嘩、初めてした。ついこの間、おねーちゃんと喧嘩した時もすっごく感情的になっちゃったけど、最近、あたし自身ももしかしたら、変わり始めてるのかもしれない。カズくんが変わって、千聖ちゃんが変わって、おねーちゃんが変わってるみたいに。こんな嫌な気持ちなのに、そう思うと、なんだかストンと腑に落ちた。

 

「変わるっつうのはヒナだっていつかは大人になるってことだ。そん時はモヤモヤして気分サイアクだろうけど、タバコがうまく感じちまうように、痛かったのが気持ちよく……あ、これは一言余計か。んんっ、とにかくだ、成長痛みてぇなもんだからな、バッキバキに痛む心に戸惑ってもいいさ、そん時は抱え込まずに、大人を頼ってみてもいいんじゃねぇの?」

 

 カズくんは、いつかにそうやって笑ってた。夕陽を見ながら、そんな風に、あたしにもそんなのあるんだ、って聞いてた。

 ちゃんと、わかってたんだ。あたしがらしくなく悩むことも、痛くなって、嫌になって、リサちーを傷つけちゃうことも。だから、そんな言葉を残したんだ。

 やっぱり、カズくんは先生だなぁ……こんな嫌でどす黒い気持ちすら、受け止めてくれようとしてるなんてさ。

 

「……ヒナ?」

「ごめん……この気持ち、あたしじゃまだ、上手く言葉にも、感情にもできないんだ。だから……ごめん、なさい」

「……そっか」

 

 そうだよ。あたしはそんな風に価値を考えて評価してもらうなんてキャラじゃない。あたしはあたしとして自由に振舞って、あたしの興味のまま、大好きなヒトを振り回すんだ。だから、わがままでもいいんだ。わがままでも、カズくんはあたしを、氷川日菜を嫌いになんてならない。

 例え二番でも、一番になれなくても、氷川日菜は、あたししかいないんだから。

 

「……カズくんに電話する。リサちーも、もうちょっと、一緒にいて?」

「うん……もっちろん! ヒナだけじゃ状況説明できるか不安だしね~」

 

 そうやって、ウィンクするリサちーは、あたしよりもずっと大人に見えた。おねーちゃんもそうだけど、妹にはない視点が、一人っ子とか、姉にはあるのかも。

 やっぱり、あたしじゃないヒトのことを知ると、るんってする。そこはきっと、大人になっても変わらない。

 そう思いながら、暇じゃないかもしれないけど、電話を掛けた。コールは二回、すぐに、おう、どした? と何かを咥えながらのカズくんの声が、スマホから聞こえてきた。

 

「カズくん!」

「なんだよ、つか授業中だろ、どうかしたのかよ」

「……いやぁ、センセータバコ吸ってるっしょ」

「オレは休憩中だからいいんだよ。つか今井も一緒ってことは、マジになんかあったのか?」

 

 カズくんの声が、どこかダウナーな感じから一気に先生のソレに変わった。タバコも火を点ける前だったのか、もう何かを咥えながらのしゃべり方じゃなくて、その切り替わりに、ドキッとした。

 

「あー、ヒナがさ。限界っぽくて」

「だと思った。つかヒナ」

「なに?」

「なんでそんなギリギリまで連絡寄越さねぇんだよ。まさかマジでオレが花咲川いるからって遠慮してたわけじゃねぇよな?」

「うん、遠慮してたよ?」

「してたよ? じゃねぇんだよバカヒナ。確かに報連相を怠ったオレも悪い。けど、お前が音沙汰なしってのはそれだけで連絡しづれぇんだよ」

 

 報連相、今じゃ違う意味で使われてるけど、元々は上司が部下との関係を良好にするための合言葉。上司が部下たちのことを知るための、イマドキじゃない使い方。こういうとこも、なんだか()()()()っぽくて、ちょっと笑えた。

 

「ごめんね」

「まぁそこまで怒ってるわけじゃねぇからいいけど……詳しいハナシは、顔見ての方がよさそうだな」

「うん、会いたい。あたしさっきまでストロー噛んでボロボロにしちゃってたんだから」

「……どんな誘い文句だよクソメンヘラめ」

 

 その会話にリサちーが、どゆこと? って首を傾げた。ほら、やっぱりリサちーも知らないじゃん。まるで当たり前みたいに言うから、あたしが知らなかっただけかと思ってたんだから。

 

「まぁいいや。んじゃあ、またコッチから連絡する。紗夜と一緒にファストフードでいいか?」

「……おねーちゃんにまで手出したらダメだよ?」

「しねぇよバカ」

「おねーちゃんがカズくんに惚れちゃったらわかんないじゃん。すぐ流されるクセに」

「あーあー、電波悪いからもう切るな、それじゃあ今井、とりあえず放課後までヒナのこと頼んだ」

「あ、ちょ──切れたし」

 

 よかった。あたしの知ってるカズ先生で、あたしがるんってくるカズくんだ。リサちーの言う通り、ガマンなんかせずに、わがままでも、よかったんだ。

 でも、やっぱりいいな。おねーちゃんと一緒ってことはたぶん、助手席に座れるってことだもん。

 モヤモヤはすっきりしたけど、ムラムラはちょっとだけ強くなった。

 このまま五限はサボっちゃおっか、って苦笑いするリサちーに頷いて、あたしはモカちゃんが知らなさそうなカズくんのハナシをしてあげた。

 

「クズだよねホント、あのセンセー」

「クズだから、あたしはハマっちゃったんだけどねー」

「悪いヒトじゃないのにクズってトコが、アタシとしては、勿体ないんだケドな〜」

「あげないよ? あたしのカズくんだもん♪」

 

 いらないから大丈夫、って言って笑ったリサちーに釣られて、あたしも笑った。

 もう、頭は痛くない、悪魔もいない。だってあたしは、あのヒトにとってただ一人の氷川日菜だから! 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「……ったく」

 

 スマホをポケットに仕舞い、改めてライターとタバコを取り出し、火をつけた。揺蕩う煙を眺めて、思い浮かぶのはあの底抜けに明るい天才少女の底知れねぇ闇のような嫉妬。アイツの、殺意に似た恋愛感情。

 天才とか呼ばれてアイドルで、ぶっ飛んでるヤツだが、そんなヒナだって、結局はそこら辺にいるJKとなんら変わりはねぇ。

 その辺のと一緒にすんな、っつう言葉そのものが、ナンセンスなんだよな。アイツはまだ16のガキだ。そもそも、そこら辺にいるJKとやらにも、様々な個性があるっつうのにな。

 

「けど、ヒナのことをオレがわかってるかと言えば……そうでもねぇんだけどな」

 

 思わず口に出ちまう独り言。誰に聞かせるでもなく煙と一緒に溶ける空白の時間。

 いつもだったら隣にいて、一緒にタバコを吸って、よくわかんねぇことに興味を示してる。半年以上そんな関係を続けちゃいるが、アイツが何考えてるか、なんてわかっちゃいねぇ。つか理解できるヤツなんて、いるのかよってくれぇだろ。

 わかってんのは、アイツが今、大人になろうとしてるってこと。不安定になったそんな時期に、認めてやれる大人がいなくなったことで、少し壊れちまってるってことだけだ。

 

「他者を理解してぇ、自分じゃねぇ人間を知りてぇなんてさ、誰でも思ってんだよ。けど、誰にもできねぇのが、お前が追っかけてるもんなんだよ……ヒナ」

「日菜がどうかしましたか?」

「……グッドタイミングだな。ちっとにおいはしちまうだろうけど」

「本来ならば敷地内禁煙です。もう少し遠慮をしてください」

「悪い、ちょっとな」

 

 肩を竦めて謝意を示すと、それほど怒ってはいねぇようで、眉を吊り上げることなくため息と、少しだけ穏やかで、美人らしく絵になるような微笑みで、仕方ないヒトですね、とか言い始めた。

 なんだコイツ。先週と別キャラじゃねぇか気持ち悪い。ヒナと仲直りした途端姉キャラ気取んのやめてくれ。

 

「……今、失礼なことを考えていませんか?」

「おう。キャラ変更は徐々に行うもんだからな」

「わけのわからないことを言わないでください」

 

 ワケわかんねぇのはお前の精神状態だろ、精神科紹介してやるから連れてってやるよ。強制な。

 ──とまぁ、冗談は程々にっつうことで、こっからは、真剣なハナシだ。

 

「なぁ紗夜……ヒナの今の状態、知ってるか?」

「いえ……あ、今の天文部は、つまらない、という話は聞きました」

「それか、やっぱ……アイツ、なのに全然連絡して来ねぇから、ヤバくなっちまったみてぇなんだ」

「……あの子が不満を溜め込むなんて」

 

 紗夜は一転して心配そうな表情に変わった。だよな、オレの知ってるアイツも、不満と性欲は溜めこまねぇようなヤツだからな。

 ホント、教師ってのは大変だ。日々成長してくガキなんて、枯れた大人の感性じゃついていくのすらままならねぇっつうのに。

 

「つうわけで、紗夜もついてきてくれ」

「そうですけ……けれどその前に、先生に、いえ、()()()()()()()言いたいことがあります」

「おう、どうした」

 

 わざわざ言い直したっつうことは、クズ教師としてじゃなくて、ただのクズに用事ってことだな。紗夜の真剣な表情に、オレはゆっくりと頷いた。

 紗夜は言葉を探している様子だった。自分の伝えてぇ感情やモノを自分なりの言葉にしようとするのに苦労してる、そんな感じだ。そんなんフィーリングでいいだろ。ホントつくづく、姉妹でタイプの違うヤツらだな。

 

「……はぁ」

「まとまったか?」

「ええ……まぁ。少し、遠回りな言葉になってしまいますが、いいですか?」

「事前申告なら受け付ける」

「でしたら……」

 

 息を吸って、紗夜はゆっくりと言葉を紡ぎだした。まずは先週のこと、素直に聞くことができなくてごめんなさい、とそこは当然予想通りだが、これじゃあ遠回りとは言わねぇし、むしろ率直なんだが。まだなんかあんのか。

 

「……あの時の清瀬さんの言葉は、とてもまっすぐで……折れない芯のようなものを、感じました」

「オレは折れてばっかりだけどな」

「そうですか? けれど、折れても立ち直る……貴方は、素敵なヒトだと思えました」

 

 あ、このパターンヤバいやつだ。流石の流されやすいオレにだって、()()()()()()()()()()()()()、これは黄色信号だってのはわかる。つか最近ゼロかオーバーフローかしかねぇのかよ。もうちょい北沢とか、宇田川とか、今井とか、そういう生徒との関わりを目指してんだけどな、一応。今すぐダッシュで逃げたいところだが、訊くと決めた手前、逃げられない! ってテキストバーが見えるのがつらいところだ。ゲームジャンルにしたらオレの教師生活はRPGのボスラッシュか、せめてシュミレーションにしてくれ、頼むから選択肢を寄越せ。

 

「……清瀬さんをクズだと思う気持ちは変わりません。妹だけでなく、様々な生徒に流され、か、カラダを……重ねているのですから」

「だな、自覚あるから大丈夫だ」

「ええ、それでも教師でありたいという()()()()()、そしてなにより()()()()()()に触れて、離れたくない、流されてでもいいから傍にいたい、という生徒の気持ちを、理解することができました」

 

 気づいてたけどさ、コイツ、ポンコツだよな。ヒナとは別ベクトルでバカ。蘭が最近良い女になってポンコツ感なくなってきたから補充にでも走ってんのか、おい。

 しかも最悪なのは、モカや千聖と違って恋愛にもクレバーさをまったく、これっぽっちも感じないこと。なんだ高潔な精神って、オレは性根からクズって言われたし、なんなら名前とヤってることが合ってねぇって言われてんだからな、千聖に。

 

「清瀬さん……私にも、恋を教えてください」

「お断りしたいんだけど、全力で」

「……優しいんですね」

 

 なんでそうなった? どこに優しさあったんだよ教えて偉い人。コイツ本格的に精神科連れてったほうがいいんじゃねぇの、そう思っていたら、するりとオレのそばにやってきて、このポンコツくっころさんはここで抗いがたいほどの魅惑の表情でオレを見上げてきやがった。

 

「責任は……取ってくれるのですよね? 貴方のポリシーにつけこませてもらいますから──」

 

 めくるめくキャラ崩壊の末、恋に盲目になったピンク色の薔薇の花は、責任どころか唇を押し付けてきやがった。潤んだ瞳がゆっくり閉じられ、スレンダーで、きっとこっから更に女らしく成長するんだろうなとわかる肢体を惜しげもなく押し付けてきやがる。

 ──紗夜ちゃんは、固いだけで割とむっつりだと思うわ、だなんてビーチでヒトに跨りんがらそんな余計なコト言ってた女がいたなそういえば。耳年増ってことかって訊き返して、絶対に言ったらダメよ、と釘を刺された思い出が、唇の柔らかな感触の間に挟まってきた。

 

「……初めてのキスは甘酸っぱいと聞いていましたが、酸っぱさは、ありませんね」

「バカ野郎。こんなところで青春を無駄遣いすんじゃねぇよ」

「私は無駄だなんて思いません。こんなに充実しているのですから」

 

 その充実は、今だけなんだ。モカも千聖も、ヒナだって、一瞬の充実とそのあとの虚しさに、苦しんでるっつうのに。泣きながら、微笑んでるのが、その証拠だっつうのに。

 紗夜、お前は、どこまでも茨に身を置きたがるんだな。

 

「今日はこのくらいにしておきましょうか、日菜が待ってるわ」

「オレに明日があるといいんだけどな」

「自業自得、でしょう?」

 

 自業自得ってんならお前らも同罪だろって言葉は紗夜には出なかった。

 結局、ヒナが最後に残した言葉通り……つかお前言葉足らねぇんだよ確定情報ならそう言えっつうの。

 恋に恋する盲目乙女と化した紗夜を乗せて、ヒナの待つファストフード店へと向かう。

 仕方ねぇ。いつかは目覚めんだろ。それまでは多少だけでも相手してやるか。それより今は、ヒナのほうだからな。

 




Q.ああ~なんでここで堕ちるんじゃ~
A.作者は氷川紗夜のことをチョロいと思い込んでいるフシがあるから


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⑤太陽マジック

「それで、日菜ちゃんは大丈夫だったの?」

「まぁ、あんまり大丈夫じゃなかったけど、()()()()してやったし、とりあえず二週間我慢したらしばらく構ってやるって約束したし、大丈夫だろ」

「……またそんな風に安請け合いしたのね?」

「安いもんだろ」

 

 花咲川の屋上にて、オレは千聖と先日あった話をかいつまんで説明してやった。

 千聖がいつになく呆れ顔なのとやや腰が痛ぇのはまぁこの際置いておくとして、オレを背もたれにする小柄な魔王様のジト目にそう嘯いた。

 けど千聖は、そうじゃないわよ、と逸らしてた目線を自分に向けさせた。なに怒ってんだよ。オレが安請け合いなのはいつものことだろ。

 

「私が言っているのは、紗夜ちゃんのことよ」

「……そっちか」

「貴方のことだからどうせ、すぐに飽きて元に戻るだとか、そのうち目が覚めるまで相手してやるだとか、浅はかな策を巡らせているのでしょうけれど」

「お前のそういうところ嫌いだよ」

 

 勘のいいガキは嫌いだし、賢しいだけの子どもも嫌いだよ。そんな風に否定するとキレられるから余計にめんどくせぇ。ガキが無駄に賢しいってのはそれだけで悪いことだし気づかなくていいことに気づくのも悪いことなんだよ。大人の世界ってのはな。

 そもそもそんな風にいいながら安請け合いで得してんのお前だろ。今とかな。

 

「ここで私だけにしておけばいいのに」

「それはねぇな」

「そう言いながら、誰か一人に絞れないのがあなたの悪いところじゃない」

 

 責任取って、責任取ってと迫ってくるような口でよくも言ったなこの二枚舌め。ここでお前以外の誰かにするっつったら止めるのもお前だろうが。いや、それは千聖だけじゃなさそうだけどな。そもそも、ヒナのハナシしてんだから逸らすなっつうの。

 

「んで、ヒナが――っ」

「――他の女のハナシは、しないで?」

「……さっきまで訊いてきたの、誰だったっけ?」

「さぁ? キスしたら忘れてしまったわ」

 

 こんのクソビッチ。言葉を続けられねぇでいると、千聖は更に唇を重ねて、二枚舌でたっぷりとオレから反論も文句も愚痴も、他の女のハナシもすべてを奪って、うっとりとした表情で微笑んでみせた。

 ほらな、逃がしてなんてくれねぇじゃねぇか。逃げられねぇってわかってるから、そうやってゆっくりと迫ってくんだろうが。

 

「キスだけでこうなっちゃうんだから、ホントに、かわいいヒト♪」

「もう少し情緒とか、そういうのはねぇの?」

「あら、ずっと言ってるじゃない。焦らされるのは嫌いよ?」

 

 そうだったな。けど、それにしてはマイペースだよな。ゆったりすんの好きだし、そういうところは別に嫌いじゃねぇけど、もう花咲川はお前の独壇場じゃねぇんだから、()()()が来るだろ。

 口には出さなかったが、予想通り、屋上のドアが開け放たれ、一成先生、と声がした瞬間、千聖の形相がほんのわずかに、険しくなった。

 

「……はぁ、恋は盲目ってそういうのじゃないと思うのだけれど」

「オレに言われてもな」

「白鷺さんもいたのですか」

「それはそうよ。オフの愉しみだもの」

 

 オレとの情事を休日のいつもの過ごし方に入れんなクソビッチ。でもまぁそんなツッコミよりも羽丘にいた頃にはあった()()()()を邪魔しないっつう不可侵条約めいたものを全く知らずにズケズケと入ってくる紗夜に対する千聖の態度のほうが問題だな。いつもなら表情には出さねぇだろうけど、さすがに今は別か。修羅場は最初の方以来、避けてたんだけどなぁ、一応。

 

「紗夜、なんか用か?」

「いえ……用というほどの用ではありませんが、か、顔を……見たいな、と思って」

「……そうか」

 

 あーめんどくせぇ女だなこっちはこっちで。なんやかんやでオレはこんな風に真っ当に恋してくるヤツに耐性がねぇからな。モカは最初から歪んでるし、蘭は色々重なっちまったからな。それが逆によかったのかもな。

 

「めんどくさいわね」

「言うなよ千聖」

「わかってるわよ。黙っていれば続きは保証されるのなら、私としては問題ないけれど?」

「約束してやるから」

 

 んでまたコッチはコッチで構うのが大変だ。なんかどす黒いオーラが出てやがるし。名前白鷺から黒鷺に改名でもすんのか?

 そんな冗談を言えば身に危険が降ってくるのは確実だからな、腰に巻いてた腕で制しておく。けど意地でも離れるつもりはなさそうだな、困ったヤツ。

 

「白鷺さん。ココは神聖な学び舎ですよ? 屋上で人気がないからと言ってむやみにカラダを接触させるのは、よろしくないとは思いませんか?」

「その学び舎の教師に女の顔をする紗夜ちゃんにとやかく言われる筋合いって、あるのかしら?」

 

 おいこら千聖。売り言葉に買い言葉かよ。早速わかってねぇじゃねぇか。つかこいつらもしかしなくても仲悪いよな。まぁ鉄の風紀委員と援交クソビッチだしなぁ。

 オレが苦い顔をしていると、千聖は喧嘩を売ってきたのはアッチよ? と言いながらまたさっきみてぇにオレの口から出るはずの文句やなんやらを全部奪ってきやがった。しかも紗夜の前で……ビーチの時よりも濃厚に、まるで見せつけるように。

 ――そもそもコイツはいっつも割と挑戦的な女だった。最近誰かと競争してるトコ見てねぇからすっかり忘れてたよ。文化祭んときなんか、モカともバトってたな。

 

「な、な、なにを……は、破廉恥ですっ!」

「――ん、一成さん、もっと、シて?」

「おい待て、無視はしてやんなよ」

「いいわよ。最後までシていたら、出ていくのだもの」

 

 お堅いむっつり紗夜を追い払うにはそういう、見ていられないコトをする……か。強行突破にも程ってもんがあんだろ。

 そんな塩対応でオレに絡んでくる千聖に、紗夜はワナワナと肩を震わせた。もう動きがポンコツくせぇ。モカは自分や千聖を、負けヒロイン、なんて言うけど、コイツのことだろポンコツ負けヒロイン。

 

「白鷺さん! 貴女はアイドルで、芸能人なのでしょう?」

「……邪魔しないでくれるかしら? 私はこれから、()()()()にたっぷり、愛してもらうのだから」

 

 そんな呼び方初めてだな。ついでに言うとお前に呼ばれるとなんでか、カ、じゃなくて、ク、に聴こえる。この上なく間違ってねぇけど。

 つか紗夜いる間は触んねぇからな? 触ってきても、無駄だからな?

 

「キス……ならいいかしら? 今日は求められたい気分なのだけれど」

「お前、18歳未満にポルノ行為はすんのも見せるのもアウトって知ってたか?」

「いいじゃない。ねぇ紗夜ちゃん? これが、このヒトを好きになる、ということなのよ?」

「……それは」

「性行為を爛れてる、とか汚い、とか思っている限り、一成さんの特別には、なれないわよ」

 

 この行為が爛れてる、とはオレ自身が思ってんだけどな。つかホント千聖はアダルティな雰囲気になると強い。経験値を総動員してるって感じで、それだけコイツが紗夜を認めたオレに対して不満を抱いてることが分かるんだけどな。

 

「かっ、カラダの関係を結ぶだけが、恋愛ではないと思います」

「詭弁ね、ヒトを愛するということは、決してキレイにはならないわよ?」

「そんな……」

「流石に暴論だろ」

 

 一応、あまりにもポンコツ過ぎてかわいそうなので紗夜をフォローしておく。好きになるっつうことがどんなことかをよく知ってるオレとしては、ホントのところは千聖と同じ意見だけどな。両想いになったら、当然その欲が出る。それは自然で当然の欲求ってやつだ。

 千聖はそんなオレのつぶやきを無視して、紗夜に厳しい……が、少しだけ憐れむような表情をして言葉を続けた。

 

「それがわからないなら、私の邪魔をしないでくれるかしら。私は、紗夜ちゃんの言うキレイさに興味がないもの」

「……し、失礼します」

 

 パタンとそれでもお行儀よく屋上のドアが閉められ、千聖が表情を崩してため息をついてからオレにもたれかかってきた。

 ――悪いな、損な役を回して。まぁ、千聖からすれば珍しく優しいお説教だったな。

 

「嫌われた、かしらね」

「そんなんで嫌うならオレにあんなカオしねぇだろ」

「……慣れないことは、するものじゃないわね。あなたの真似をしたつもりだったのだけれど」

「それでやけに暴論だったわけか」

「そのリアクションは役者として悔しいわね。次の機会にはもう少し磨いておくとするわ」

 

 千聖にとって、オレはオアシスみてぇなもんなのかもな。特に飾ることもなく、周囲の評価や、白鷺千聖像について考えなくてもいい、休憩所。

 つまり今のコイツに周囲の評価を気にさせるような言葉は地雷ってことだな。紗夜のヤツとかみたいにな。

 

「……ん? オレもちょいちょいお前にアイドルなんだろって言葉にしてる気がするけどな」

「口だけじゃない」

「もうオレの真似はしなくてよくないか?」

「してないわよ。本心だもの」

 

 それは聴きたくなかったんだけどな。本心から口だけと生徒に言われると割とショックなんだよな。

 つか、紗夜の行動はこれからも千聖は唯一の平穏を脅かされるってことなのか。これ以上、不満が噴出するとオレのカラダが一つじゃ足らなくなりそうだな。二人に分裂してオレはお前でウィーアーするしか手が回らなくなるからな。

 

「……私は大丈夫よ?」

「遠慮すんじゃねぇよ。別にそれをお前らに我慢させて表面的な解決にするつもりなんでねぇから」

 

 おずおずと声を出した千聖の頭頂部に手刀でツッコミを入れる。ガキが大人に遠慮なんかすんなっつってんのに。ガキがワガママなんて当たり前のことなんだから、それを解消してやるのは大人ってのも当たり前のことなんだよ。

 

「もう、だからあなたはずるいというのよ。これ以上私を虜にして、どうするつもり?」

「自分の足で歩けるまで一緒にいてやるだけだよ」

「……いじわるなヒト」

 

 それが千聖のスイッチだったようで、蠱惑的な視線で今度は邪魔するものがなにもない状態で舌を器用に動かし、オレから理性を吸い取っていく。背中は屋上の手すりに預けてそこに千聖が体重かけてるから、案外逃げられねぇんだよな、この態勢。

 オレが生徒から逃げ出すか、と言われれば、そこはハッキリとNoって言ってやるけどな。逃げんのはもうやめたんだよ。立ち向かうのがカッコいいとかじゃなくて、背を見せるなら、前を歩いてる時ってのがカッコいいんだよ。

 

「……紗夜ちゃんのこと、どうするつもり?」

「任せとけ。これ以上お前を脅かすことはさせねぇようにするさ」

「なら、お任せするわね……明日、日菜ちゃんと用事ある?」

「あるけど、今日は千聖優先だな。迷惑かけちまったしな」

 

 キザだろうと、クサかろうと、オレはカッコよくありてぇんだ。誰だってそうだろ。惚れた女の前やオレを好いてくれる女の前じゃ、いつだって最高の自分でありてぇよな。ダメなとこを見せられんのは、それこそダメなとこも全部ひっくるめて好きになった時だけだからな。ああ、そういう過去は振り返りたくもねぇけど。

 

「最悪の場合、日菜ちゃんと三人でシてもいいのよ?」

「勘弁してくれ」

「紗夜ちゃんを懐柔したならソッチでもアリよ? なんなら姉妹ど――」

「言わせねぇからな」

 

 なんで3(ピー)前提なんだよ。そりゃあさ、男なら憧れるシチュエーションだよな。複数の女性を愉しめる、夢の世界だ。けど、実際のところ、腰に爆弾抱えてるオレがヤるにはちょいキツい世界だろ。最悪腰が砕けてネバーランド行きだ。

 

「なら、今日は独り占めしていいのね?」

「……それ、言わせてぇだけだろ」

 

 ふふ、と微笑みパステルイエローの小柄な魔王は、小さな声で、すきよ、と呟いて、少しだけ寂しそうに目じりを下げた。

 紗夜のこと、本当になんとかしてやらねぇとな。コイツは人間関係が拗れるのが、それほど好きじゃねぇんだろう。じゃねぇと丸山やマネージャーに対して何も言わずに抱え込んでるような女じゃねぇはずだもんな。

 

「あ、先生! やっぱりここにいたのね!」

「こころちゃん」

「よう」

 

 今更ながら、学校の屋上だっつうのに乱れた服を直し、肩に乗せてくる頭を撫で、その髪のサラサラ具合に驚きながらのんびりとしゃべって、行くか、と階段を降りたところに、壁に背を預けていたこころがぱっと笑顔で迎えてくれた。

 

「千聖、少し先生を借りてもいいかしら?」

「ええ、どうぞ♪」

「ありがとう!」

 

 ――コイツ、もしかしてヤってる間、ずっと待ってたのか? いや、考えすぎか……でも、屋上まで来ずに階段の下で待ってたのか確実だな。千聖への一言といい、どっかの誰かに見習わせてぇくれぇ空気読めるし周囲への配慮があるな、お前は。

 

「それで、どうかしたか?」

「今度の天文部の活動の話をしようと思ったの!」

「活動……ってヒナと合同のヤツか?」

「ええ、それよ」

 

 にしても、楽しそうに会話するヤツだな。まぁ、天文部の活動のハナシをすると、コイツはずっと顧問がいない状態での活動だったからな。そしてなんとこころの場合は気が向くと黒服さんに用意してもらった望遠鏡で屋上から星を見るらしい。

 ちゃんと天文部として設立された羽丘がアイツの気ままな部屋で、ちゃんと設立されてない天文部がマトモに活動してるって、なんか笑えるな。

 

「あと一週間と少し、日菜が我慢してしまうのは先生にとってもよくないわよね?」

「そうだな」

「だから来週から合同で、しかも外で活動することにしたの! そうすれば、先生がココにいる間も日菜を構ってあげられるでしょう?」

「……なるほどな」

「……こころちゃん、すごいわね」

 

 そうすれば、少なくともヒナの鬱憤を晴らしてやれる。ただ聴いてやるより、会ってやれる方がヒナとしても、精神衛生上いいだろうしな。けど、それだけだと千聖との両立がしにくいな。コイツは絶対大丈夫、とか言っちまうタイプだし、どうしたもんか。

 

「千聖も、今日みたいにお仕事がない日は参加すればいいわ! 向こうも蘭とモカが仮入部しているのよね? そうすれば、不満は解消ね! あ、えっちなことはできないけれど、それもなんとかした方がいいかしら?」

「ありがたいけれど、そっちまで気を回してもらわなくてもいいわ。そこは当人がなんとかするところなのだから」

「同意見だ」

 

 弦巻の、じゃなくて鶴の一声でオレがどうにかしよう、どうにかしようと苦心していたことが解決されていく。日菜が危ういってことを知って、オレたちを笑顔にするためについに太陽が動き出したってわけか。

 こうなっちまったら、後はご都合展開まっしぐら。練習のない時に今こころが口にしたメンバーが入れ替わりで天文部の活動をするってだけだ。

 

「決まりね! それじゃあ、日菜には先生から連絡しておいてくれるかしら!」

「おう、任された」

「ふふ、頑張ってね先生! 先生を好きになったみーんなを、笑顔にして!」

 

 まるで見返りとばかりに太陽サマからそんな無理難題を言い残された。オレを好きになったみーんなを、か。こころには紗夜のことは話してねぇはずなんだがな、なんだかそれも含めての言葉のように聞こえちまったよ。

 

「……一生かかっても敵いそうにないわね。あの子が私より年下、なんて」

「一コだけだろ」

「今は大きな差よ?」

 

 千聖はそんなことを呟いた。確かに、お前やオレじゃ考えもしなかった方法で、全部を良い方に向かせて去っていくなんて、アイツの魔法には一生かかっても追いつけそうにねぇな。そもそも、世界中を笑顔で埋め尽くすために上を向き続けるこころに、勝てるヤツなんてそういねぇだろ。

 

「なんだか、風が吹いた、そんな感じね」

「……だな。紗夜のこと、もう少しなんとかしてみることにするか。日菜や千聖のことは、天文部で解決しちまったしな」

「あら、それならもうなんとでもなるわよ?」

「どういうことだよ」

 

 千聖は悪戯っぽく、そしてどこかドヤ顔で、微笑んで見せた。こういう時は魔王ってよりは妖精、って感じなんだけどな。もしかしたら歪んじまう前は妖精みたいにキレイで、んで悪戯な少女だったのかもな。

 

「私と同じよ。勝手が分からない、郷に入っては郷に従え、ができないなら郷を見せてあげれて、勝手を教えてあげればいいのよ」

「……つまり、紗夜を放課後のパーティーに招待してやる、と」

「ええ、あなたの誘いなら万が一にも断らないでしょうし、知ってもらういい機会だわ♪」

 

 ――弦巻こころは、ホント、なんつうかスゲーヤツだ。アイツの一言で、オレが頭を捻っていた全部が、もう解決への糸口を見つけてる状態になっちまってんだからな。案外探偵とかやったら、迷探偵じゃなくて名探偵になれんじゃねぇのか。的外れな一言が解決への近道、みてぇな感じだ。

 

「そうと決まれば……そうね、明日の朝にでも、連絡してあげましょうか♪」

「うわ、嫉妬は怖いねぇ」

「今日は独占していい、と言ったのはあなたじゃない、ねぇ、カズ先生?」

「お前にそれを呼ばれるとヤな感じだな」

「クズ先生?」

「やめろ」

 

 先が見えなかったところに光が差した気がした。黄昏みてぇな、まだまだ淡い色の光だけど、迷子になりかけてたオレ、そして紗夜を照らすには、それだけできっと、十分だろうな。

 



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⑥小悪魔シスターズ

 こころの提案の翌日、早速放課後の学校外での部活が行われることになった。授業が終わり、一服する間もなく駐車場に向かう。そこにいたのは花咲川天文部唯一の部員、弦巻こころがいつもの太陽を煌めかせ、手を振ってきた。

 

「早かったな」

「ええ、待ちきれなかったから、思わずダッシュしてしまったわ」

「わくわく、って感じだな」

「ふふ、先生も明るい顔をしてるわね」

 

 まぁ、そりゃあな。ところで()()()()が見当たらねぇけど、こういう集合みてぇのにはきっちりしてそうなアイツがいないってのはなんか違和感あんな。もしかしたら委員会の仕事か? 

 

「誰をお探しですか?」

「わかりきったことを敢えて聞くんじゃねぇよ」

「すみません、探してもらったのだと知って舞い上がってしまいました。さて、行きましょうか」

「はぁ……どうしてこういう日に限って千聖も蘭もいねぇんだろうな」

 

 比較的良識があるヤツがいないとどうにもカオスな予感しかしねぇ。こころも空気は読めるがぶっ飛んでやがるのも事実だからな。

 本来なら紗夜も良識があるヤツに数えられるんだが。今の状態じゃ頼りにはならねぇだろうな。

 

「助手席に乗るの、初めてだわ!」

「そうかよ。羨ましいことで」

 

 そんな初めてに目を輝かせるこころを助手席に乗せ、一旦羽丘へと向かいヒナを拾いに行く。

 半ば飛び出てくるような勢いのヒナは当たり前のように助手席に座ろうとして窓から顔を覗かせたこころに、ほんの少しだけ顔が固まったように見えた。

 

「ごめんなさい日菜」

「ううん、大丈夫!」

「謝る必要ねぇよ。コイツ助手席だとすぐ脚触ってくるからな」

「だって~」

「……日菜、運転に支障が出たら危ないじゃない」

 

 それでも隣に紗夜がいる、っつうのはヒナにとっては良いことだったみてぇだ。楽しそうに後部座席に乗り込んで、腕を組んで説教を始めるおねーちゃんの話を頷きながら聞いてた。連れてきてよかったのか悩んだけど、まぁ、結果オーライってとこか。

 

「ん~、じゃあ代わりにおねーちゃん触るー」

「ちょ、ひ、日菜、脚、ひゃん、ど、どこ触って……んっ」

「えー、カズくん、今どこ触ってると思うー?」

「今は教師だから先生つけろ」

「はーい、カズ先生」

「そっ、そういうことじゃ……や、めなさい……日菜ぁ」

 

 さて、何故か百合の花を咲かせた二人は放っておいて目的地に向かうとするか。あとバックミラーで見えてるからな。スカートの中に手を突っ込むのはやめてあげろ。つかこころの情操教育に悪影響だからやめなさい。

 まずは腹ごしらえ。こころの要望でファミレスへと向かうことにした。なんつうか、高級料理を食べてそうなコイツにしては意外なチョイスだ。

 

「美咲が好きなのよ。それで、ハロハピで行ったらとーっても楽しくて、友達といっぱいお話しながら食べられる、なんて素敵な場所だもの!」

「わかるなー。パスパレで行くとついつい長居しちゃうもん」

「Roseliaでも、よくここで反省会をしますね」

 

 そんな話をしながらそれぞれの注文を済ませて、通路側にいるオレとこころが紗夜とヒナの分の飲み物を取りに席を立った。

 ──もう、一方通行だった二人はどこにもいねぇんだな。ヒナの言葉に紗夜が返して、またヒナが嬉しそうに言葉を返す。フツーに仲良し姉妹じゃねぇか。

 

「素敵な魔法だわ」

「こころには遠く及ばねぇけどな」

「比べるものじゃないわ。笑顔にできたらそれはもう素敵なのよ」

 

 すれ違うヒトが二度見をしてしまうほどツヤがあって光を反射する金色の髪を浮かせながらこころは大きな目を細めて笑った。

 比べるものじゃない……ねぇ、その顔がもうオレには眩しくて遠く及ばねぇよ。お前の魔法は、きっといつか全人類に届くべきものなんだからな。

 

「紗夜のこと、こころはどう思う?」

「そうね。眩しくて、目がチカチカしてる感じ、かしら? そのうち慣れれば、紗夜は良いことと悪いことが判断できると思うの」

「……なら安心だな。オレが悪い方向に引きこんだ、なんてことになったら、それこそ一生だって後悔するからな」

 

 生徒を良い方向に導くのが教師の仕事だ。なのに生徒を盲目にしちまった挙句、悪い方向に向かわせちまったら、オレは教師失格だ、今度こそ辞めちまうくれぇに後悔するだろうよ。けど、こころはそんなオレの安堵にくすくす、と笑いを零した。

 

「もっとハッピーに考えましょう? 先生が良くしようとしたなら、それで紗夜がどういう結論を出しても、良い方向なのよ。ポジティブシンキングよ!」

「そりゃあポジティブすぎんだろ」

「悪いことかしら?」

「いや、最高だな」

 

 んじゃあその考えに乗っからせてもらうよ、こころ。オレにはできねぇ思考だからこそ、お前の理論におんぶにだっこで、自分を許してやろうと思うし、紗夜のことをのんびり待ってやれるからな。

 そんな会話をしながらオレたちが飲み物を両手に戻ってくる間に、既に紗夜の頼んだものは机の上に載っていた。

 サラダが一つと、山盛りのポテトが()()

 

「……多いな」

「一つはみなさんで分けてください」

「つまり一つはお前が食うんだな?」

「はい」

 

 はい、じゃねぇよ。カロリー重すぎんだろ、と思ったらヒナが、おいしー、とか言いながらひょいひょい食ってやがった。そういやコイツ、ジャンクフード好きなんだったな。流石双子の姉妹。好みまで一緒か。

 

「確かに、これはおいしいわね!」

「でしょでしょ? おねーちゃんが気に入るポテトはねー、全部おいしーんだよ」

「今のところ、羽沢珈琲店のポテトが一番ですね」

「……悪い、ツッコミは休憩させてくれ」

 

 誰かヘルプくれ。コイツらの会話についていくにはもう一人補助が必要だと思うんだが、こういう時に限ってホント、なんで誰もいねぇんだよ。

 千聖は仕事だからいいとして、あっさりと練習だからと断った蘭、とついでにモカ。そこでヤバいと思い、バンドの練習もねぇことを紗夜が口にしたから急遽連絡をした今井にも部活あるから、と一蹴されちまったからな。

 

「……こういう時は奥沢にも頼るべきか」

「美咲なら部活よ?」

「詰んでんじゃねぇか」

 

 さっきは紗夜の選択はゆっくりでいいみてぇなこと言ったけどやっぱ急務だな。ブレーキ不在でオレの疲労感がすさまじいから。

 急がせても、恋に恋する紗夜の目が光に慣れるワケねぇんだけどさ。

 

「──でね、ギターを持ち込み禁止、って言ってきてさーホント、サイアクだよ」

「方針が急に変わって戸惑うのはわかるけれど、その先生の言うことも間違っているわけじゃないわよ、日菜」

「そーだけどさー。カズ先生がテキトーだったから窮屈だもん」

「それは一成さんが問題ですね」

「オレはコイツに何かを強制させるようなヤツじゃねぇんでな。教育方針がそもそも違う」

 

 教師は生徒を管理する立場ってのをオレは否定する方なんでな。牛舎のように一頭一頭並べて出荷を待つなんて、オレには合わねぇよ。そもそもヒトに決められる人生ってのは、つまんねぇだろうからな。

 

「進路相談は、一成さんにはできなさそうですね」

「それなりに乗ってはやるけどな。決めるのはオレじゃねぇ」

 

 鋳型に嵌め込まなきゃいけねぇのが大人なら、その鋳型を作ってやることが教師じゃなくて、鋳型を創る手伝いをしてやることが教師だっつう考えが、オレのロクでもねぇ理屈だ。親になったら反抗期で徹底的に嫌われる程度の放任主義だろうな。自分の子どもってのは特別なんだろうけど、だからこそ、間違えたくはねぇからな。

 

「あたしは、カズ先生に将来のこととか、イロイロ教えてほしいけどなー」

「なんかヘンな意味に聞こえてくるな」

「それはカズ先生がえっちなだけでしょ?」

「誰かさんが口を開けば、えっちしよ、えっちしよ、って迫ってくるからだろ」

 

 身から出た錆って言葉知ってるか。お前の普段の言動がオレにそういうイメージを持たせてんだよ。そんななんの足しにもならねぇ言い合いをしていると、いつの間にかこころと紗夜の表情に変化があった。こころは楽しそうに、紗夜はやや不満げに。

 

「……先生のことも、日菜とそこまでまっすぐ話ができるのも、少し……妬けてしまうわ」

「仲良しなのはいいことだけれど、あたしたちを忘れてはダメよ?」

 

 おい、特にこころ。なんだその喧嘩する程仲が良いバカップルを見るような目は。ヒナもそんなリアクションに満腹そうな顔すんじゃねぇよ。オレはその顔になんて答えりゃいいのかなんて知らねぇんだから。

 

「いっつもみたいに、バカヒナ、って感じでいいよ?」

「なんだその、あたし分かってますのツラは……ったく、バカヒナ」

「えへへ~」

 

 調子が狂う。確かに今日はお前の溜まった鬱憤を晴らすガス抜きがメインだけどな、メシ食ってるけど今は部活中なんだから、もうちょい教師でいさせてくれ。こころも紗夜もいるんだから、お前に普段見せてるオレをアイツらに見せるのは、なんつうかヤなんだよ。

 

「ほら、さっさとメシ食って、移動だ。オレたちはメシを食いに来たんじゃなくて星を見に行くんだろ?」

「そうね、行きましょ、日菜!」

 

 ──思ったよりも長い時間、食ってしゃべって、すっかり暗くなった道を運転していく。夜になっても煌々と明るく灯る都会を抜けて、二時間、向かった先は湖が広がる山ん中だった。

 たった二時間でもう都会の喧騒も灯りもなにも見えず、そこには星が広がってた。

 

「すごい! 星がいっぱい見えるよ、おねーちゃん!」

「ええ……確かに、これは学校では見られない景色ね」

 

 顔を上に固定したままはしゃぐ姉妹の後ろ姿を見ながら、オレもまた闇の中で輝いている星空に目を奪われていた。

 もう一ヶ月遅ければ、きっと紅葉も合わせてキレイだったろうけど、まぁ、多くは望まねぇさ。

 

「他のヤツにも見せてやりてぇな」

「大丈夫、ちゃんと見てるわよ。みんな、同じ空を見上げているのだもの!」

「なるほど、そりゃあいいな」

 

 見てる星は同じ、ってことか。こころのポジティブシンキングには舌を巻くことばっかりだな。

 つか、そんなんなら同じ星じゃなくても、ココならそう苦労せずに行けるしな。一度だけじゃなくて、また行けばいいんだろう。

 

「きょうだいがいるって、どういうものなのかしら?」

「どうした、藪から棒に」

「あたしは一人っ子だもの、日菜や紗夜の関係、美咲が妹や弟に向ける笑顔、それがよく分からないの」

「ふっ、ふふ……いやいや、きょうだいの関係なんて、当人たちにしかわかんねぇよ。オレだって、きっとオレと姉貴の関係は、オレと姉貴にしかわかんねぇからな」

「そんなものかしら?」

「そんなもんだよ」

 

 千聖とその妹との関係も本人たちにしかないものがあって、丸山もそう。宇田川にも妹がいて、それだけでわかるけど、きょうだい、なんて一口にしても、トシの差だったり、同性、異性、環境、色んな要因で、千変万化、本人たち以外には理解できないものになる。ヒナと紗夜は、その中でも双子っつう特殊さがあって、それが偶々、周りに迷惑をかけるほどのものだったってだけだ。

 

「一人っ子だからこうだとか、姉がいるから、妹がいるから、なんてのは、血液型とか星座で性格を決められるようなもんだろ。あやふやで、ヒトの多様性なんて感じないのは、教師(オレ)が惑わされていいもんじゃねぇよ」

「ふふ」

「なんだよ」

「先生が素敵な魔法使いなのは、ヒトには個性があることを知っているからなのね」

「そりゃこころもだろ」

「あたしは、知ってるヒトだけだわ」

 

 そんなん、オレだってそうだっつうの。つかガキどもはオレを過大評価しすぎなんだよ。子どもから見たら大人の価値観ってのは人生の長さの分、カッコよく聞こえるのかもしれねぇけど、実際大人になってみれば、何言ってたんだ、ってなることだっていくらでもあるんだけどな。

 

「あたしは、夢や理想というものを知らなかったの。欲しいものがあればなんでもウチにあって、やりたいことはすぐにできた。そういうのが、フツーのヒトだと思っていたわ」

「……違ったか?」

「ええ、だからあたしからするとみんながキラキラして見えたの。一生懸命に夢や理想を叶えるために前を向くヒトたちが、あたしには星みたいだった」

 

 そこで自分の優位性を認識するんじゃなくて、羨ましいと思ったっつうことか。つくづく思考回路が人間のソレじゃねぇな。同じ生物かどうかすらオレにはわからなくなりそうなんだけどな、それ。

 

「けれど、中にはそれを諦めてしまって俯いてるヒトがいた。かわいいものが好きなのに理由をつけてヒトにあげてしまう子、自分には似合わないってウソをついてしまう子、自分の思ったことを素直に言えずにいる子、そんな子を、あたしは笑顔にしてあげたいって思ったの!」

「だから、ハロー、ハッピーワールド! があるのか」

「ええ、歌を歌うことが好きだったから、そして、そこで初めてすぐ、びっくりすることがあったの」

「びっくり?」

「音楽で笑顔にしたいって思ってもそうはならなかったの、簡単じゃなかったの! あたしは、夢を持つことができたの!」

 

 歌うように踊るようにこころの言葉が星空に響いた。そっか、お前は初めて、自分で考えて、悩んで、試行錯誤しねぇと辿り着かねぇものを見つけられたのか。

 ──夢は叶わないから見るもの。けど、夢は叶えるもの。こころはその場その場の楽しいことじゃなくて、そこに向かう過程を楽しむことを知ったのか。

 

「世界を笑顔にすることは簡単じゃなかった、だから! だからあたしは世界を笑顔にしたい! 世界中みーんなに、自分の楽しいことを、嬉しいことを、夢を、思い出してほしい!」

「……こころ」

 

 それがお前の行動原理、お前が唯一、正しいと信じる気持ち。ヒトには笑顔になれるものがあって、それを思い出させるために音楽を、お前の自身が楽しいことを介して届けるんだな。

 

「……先生も、忘れそうになったらそれを思い出して? 辛い時は、楽しいことを思い出すの、嬉しいこと、夢を……思い出して」

「そうさせてもらうよ。ありがとな、こころ」

「ええ、そして笑顔になったら、次は誰かにそれを伝えるのよ、そうすればいつか──」

「──世界は笑顔になる、ってか?」

「その通りよ!」

 

 ホントお前にだけは敵わねぇな、こころ。オレからそれをヒナや紗夜に伝えろってことだろ? それをすべきなのはお前じゃなくてオレってことだろ? 

 厳しいヤツだ。けど、ただ生徒に頼っちまうだけじゃ教師失格だもんな。わかってる、わかってるよ。ゆっくりとか言い訳してる場合じゃねぇよな。

 

「それじゃあ、おやすみなさい!」

「おう、おやすみ」

 

 それから星空を堪能した後、こころを家まで送って、うつらうつらと眠る紗夜と、そんな姉を見て静かな声でカズくん、と脚に触れてくるヒナを連れて車を走らせる。

 普段うるさすぎるくれぇのコイツが静かな声を出すと、美人さに磨きがかかって、ドキっとするんだよな。

 

「泊りてぇってんなら、好きにしてもいいけど」

「うん。そうなんだけど……今日はあたしだけじゃなくて、おねーちゃんも一緒に……いい?」

 

 珍しいことを言い出すな。てっきりお前は紗夜すら受け入れたこと、妬いてるし怒ってると思ってた。受け入れたっつってもお前と違ってヤってはねぇけどな。けど、紗夜がオレに特別な感情を持っていて、それにオレは好きにしろっつったのは、事実だからな。

 

「ヤれねぇだろ」

「……うん」

 

 そこで不満そうな顔するのかよ。よかった珍しいこと言い出したけど、ヒナはヒナだな。変わってるようで、やっぱコイツはそうそう変わるようなヤツじゃねぇよな。知ってたけど。

 

「でも、えっちできなくても、あたしはおねーちゃんも一緒がいい」

「……オレに床で寝ろってことかよ」

「あ、三人じゃ寝れないもんね」

 

 気付いてなかったのかよ。けどお前がそう言うならオレは床でもいいさ。幸い、大学時代に友人が泊まれるようにと布団は二人分ほど押し入れにしまってあるしな。それで我慢してやるよ。

 

「……あたしね、気づいたことがあるんだ」

「なんだよ」

「ん~、やっぱナイショ」

「おい」

「今は、まだいいよ。カズくんが羽丘に帰ってきたら、ゆっくり、話したいことあるんだ」

「わかった。ならまた屋上で、な?」

「うんっ」

 

 コイツは、氷川日菜はオレにとって始まりだ。コイツがオレに興味を持ったから、オレは教師としてもう一度だけ頑張ろうと思えた。間違いだらけだったけど、コイツに引っ張られて立ち上がったことだけは間違いじゃねぇって、オレに笑顔を向けてくる生徒の顔を思い返す度に考える。

 だから、お前のハナシくれぇちゃんと聴いてやるさ。屋上で夕陽を見ながら。お前が欲しがるってんならタバコも、キスも、なんならセックスだって惜しんだりしねぇから。

 

「ん……かずなり……さん?」

「おい、もうすぐ着くけど、どうすんだよ紗夜」

「ひな、は?」

「カズくんち泊まるよ?」

「それじゃあ、わたしもいいですか?」

 

 コイツは紗夜がそうやって言うのをわかってやがったんだな。だから泊まりたいっつったんだな。

 ──けど、まさか全てが全てヒナの想定に収まってるとは知らなかった。なにがあったのか、詳細は省かねぇとやってらんないからな、ソイツは察してくれると助かる。ただ、千聖の言葉がリアルになってオレが腰痛に呻く事態になったってことだけは補足させてくれ。

 

「……日菜となら怖くありませんでしたから」

「おねーちゃんも一緒がいいって思ってたんだ♪」

 

 この姉妹はどっちも揃うとより厄介なんだなっつうことはよーくわかった。つか紗夜がここまで早くカラダを委ねてくるなんて思いもしなかったから、コッチは最後までなんかオチがあんじゃねぇのかってビクビクしてたんだからな。

 

 




タイトルは小悪魔シスターズだけどやっぱり一番のおすすめはこころの言葉たち。今までたくさん書いてきたけれど、たぶん弦巻こころだけは本当に、いつだって変わらないんじゃないかなぁって思う。推しだしね。
彼女の世界を笑顔にするための理屈は本当に、素敵なヒトの善性の塊みたいなものだから


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⑦花咲川ラストプロブレム

「一成さん、もっとください」

「休憩時間がほしいんだが」

「我慢しろ、と言うのですか? そういうプレイなら」

 

 狼みてぇなヤツだなんて、そう思ったのはいつだったか。一学期の雨の降る日だった気がするんだが。それからたった数ヶ月でここまで印象が変化するなんてそん時は思いもしなかった。コイツは間違いなく犬だ。犬系の甘えたがりで、そのくせカッコつけるポンコツだなんてな。

 ヒナも、蘭も、モカも、千聖も、どっちかっていうと猫っぽいイメージのあるヤツばっかりだからこういうのは慣れねぇし、そうやって落ち込まれると流されやすいクズっつうことに定評のあるオレもその、もっとに応えてやりたくなっちまうんだからな。

 

「……紗夜」

 

 こうしてオレは五人目に手を出していた。千聖でこりごりだと思ってたのに、紗夜を抱きしめて、誘惑に反応した堪え性のない愚息で満足させる。荒い息を吐きながら、幸せそうに笑う紗夜に、オレはやや困らざるを得ない状況に陥っていた。

 

「よかったじゃない。思った以上の成果で私もビックリしてるわ」

「よくねぇよ。なんか思った以上の変化でオレはかなり困惑してるっつうの」

 

 それから数日後の放課後、オレが花咲川で過ごすのもいよいよ最後の週となった頃、いつもの屋上での密会ではなくヒナも呼んでファストフード店で部活動っつう名目のオレの愚痴を聴く会を開いていた。

 千聖が妙にツヤツヤ機嫌が良いのと、オレの腰がだるくて猫背なのはいつも通りとしか言いようがねぇけど、今日はそれを表に出すわけにはいかねぇんだよな。

 

「あ、あはは……先生は、マジで苦労してるんですね~」

「女たらしなだけよ」

「ひどい言い方をしやがるな」

「いやいや、あのお堅い紗夜さんまで女にしてしまうんですから、相当かと」

 

 今日はゲストに奥沢がいるからな。こころがなんかの食事会とか言って来れねぇらしく代わりに、と巻き込まれたらしい可哀想なやれやれ系のダウナー美少女。顔はいいしなんならこころと二人で歩いてると絵になるんだが、それよりも先に振り回されてるコイツが心配になるけどな。

 

「絶対それ先入観だろ」

「確かにそうよね。紗夜ちゃん、案外カワイイところあるわよね」

 

 風紀委員会として誰よりもヒトに厳しく、そして自分に厳しい紗夜。けどそれはアイツがヒナのために正しくあろうとするからで、食生活としてはポテト好きでニンジンが嫌いだったり、犬が好きで道行く犬に話しかけ撫でてたり、普段とのギャップがすげぇんだよな。そもそも、紗夜が怖い印象を受けるのは言い方が冷てぇのと、つり目なとこだろ。なんで知ってるのかは訊かねぇ約束だよ。

 

「それで、紗夜ちゃんはすっかり?」

「おう、話してるだけなら元の紗夜だ。二人きりになるとすぐ誘惑してくるメンヘラになったけどな」

「ツンデレって言いましょ、そこはかわいい感じにしとかないと」

 

 あの妹にしてあの姉あり、って感じだからな。紗夜のヤツ。流石にヒナほど口を開けば欲望まみれってワケじゃねぇけど、ヤりてぇって時はどこであろうとめちゃくちゃ分かりやすく誘ってきやがるしかなりヤキモチも妬く。

 あと、調べたらこういうのが気持ちいらしいので、と真面目くさった顔で性知識を披露してくるのが紗夜らしいけど、なんか慣れねぇ。

 

「今日は練習があって来ないのね?」

「そうだな。ヒナは来るらしいけど」

 

 遅いな。連絡してるんだけど、まさかこの間話題になってたハゲ、間違えた髪の毛が寂しくなった教師がなんか邪魔してんじゃねぇのか、と思って電話を掛けた。頼むから最後の週くれぇ、何事もなく終わらせてくれよ。

 

「どうしたの?」

「……繋がんねぇ」

「日菜さんに、ですか?」

「ああ、不在着信になりやがった」

 

 ちょっと前まではいつも通り顔文字だらけのメッセージ送ってきてたのに、最後の週もどうやらオレの願いは届かなかったみてぇだな。

 ――となれば、連絡するべきは蘭かモカなんだが、あの二人は極度の筆不精だ。当然、スマホもそうずっと手元に置くようなヤツじゃねぇ。とすれば後は頼れるのは一人だな。

 

「は~い、もしもーし」

「今井、お前今どこにいる?」

「え、フツーに練習に向かおっかなーって学校出るトコ……なにかあった?」

「ヒナは?」

「……あー、ホントならソッチ向かってるハズなんだけどな~」

 

 苦い顔をしてるんだろうと容易に想像のできる声、その声でオレは逆に安堵した。行き道で事故とかだったらもっと切羽詰まってるハズだからな。きっと厄介事に巻き込まれてて、今井はそれに思い当たるフシがある、そんな口調だった。

 

「リサちゃん、それってあの……」

「たぶんね、ちょっと前に探してるトコ見ちゃったし」

「なにかあったんですか?」

「ん? まぁかいつまんで説明すると、ヒナの自由さにオレの代わりの臨時顧問の怒り心頭ってところだな」

 

 オレが想定した最悪の事態からは程遠く、こうして和やかになったものの、当人にとっては最悪の事態に相応しい状況なんだろうけど。楽しい時間に水を差す。それがヒナのような人物だった場合、爆発することくれぇは想像に難くねぇしな。

 

「その先生、こころのこともあんまり良く思ってない感じでしたね」

「言うことを聞けないと将来絶対困る、とか言っちゃいそうなタイプよね、余計なお世話ね」

「千聖ーそれは言い過ぎだと思うな~? アタシ的には、頑張ってるんだなーって思ったんだケド」

「リサちゃんは人類に甘すぎるのよ」

「人類って……」

 

 なんか壮大なスケールの甘やかしが出てきたところで、これはオレが迎えに行かないとダメなヤツなんだろうか。

 千聖に目線を送ったら、にっこりと微笑まれた。どうやらオレに行けっつうことなんだな。あのハゲ、ぜってぇ毛根がどう頑張っても減っていく呪いにかけてやるからな。覚えとけよハゲ。

 そんな愚痴を心に溜め込みながら、オレは羽丘に向かった。そんなオレを待っていたらしく校門の前にいたのは、今井と、モカだった。

 

「モカ」

「さっき見てきたけどね~、日菜さん、多分いつものトコにいるよ~」

「屋上か。サンキューなモカ」

「センセー、ヒナのこと、怒らないで」

「怒るに決まってんだろ。待たされてんだからな」

 

 オレはお前みてぇに甘くねぇからな。教師である以上、遅刻に対して厳しい態度で接さないと、示しがつかねぇだろ。

 いつもの場所へと歩く景色は、三週間ぶりでも驚く程、当たり前の光景だった。それだけオレが屋上でサボって、ヒナと爛れた関係を過ごしたっつうことなんだけどな。でも、それはもちろん後悔してるけどオレが教師として踏みとどまるのに必要だったと思えるから、それをヒナの前で否定したりはしねぇ。

 ――オレとヒナが変わるために必要だったってんならな。

 

「よう、迎えに来てやった」

「……か、ず、くん?」

「バカヒナ。いい加減校内では先生つける癖をだな――」

「――カズくんっ」

 

 あーあー、落ち込んでたところにやってきたせいか、ヒナの好感度が突き抜けた感覚がしたな。つか一度注意したのに直ってねぇしこのバカ。ったく許してやんのは今日だけだからな。それ以上は、まぁ大目に見てやるか。

 

「中々来ねぇからオレが来るハメになっただろ、ったく」

「うん……ごめんなさい、えへへ」

「嬉しそうに謝んなっつうの」

「だってだって、カズくんがあたしを連れ出してくれるんでしょ?」

 

 今のヒナはさしずめ囚われの身ってトコか。学校外活動なんて認可できない、って個人的感情で閉じ込めたバカによって、ココから出られなくなっちまったのか。こころにチクったらどうなるかなんてわからねぇわけでもねぇのに、そんなに子どもに優位に立たれるのが嫌なんだな。

 大人なんて、所詮はガキの踏み台だろうが。ガキどもが自分のやりたいことが出来るように、背伸びじゃ届かねぇところに手を届かせてやるのが、教師の仕事だろ。

 

「行くか?」

「うんっ! 連れてって、カズくん!」

 

 そうして、オレはヒナを連れ出した。明日のことなんて考えねぇまま、つか明日なんてもういいだろ。オレにはもうヒナが笑顔になれる道が見えてんだから、アンタのことは用済みってな。またこころの権力に震える教師人生でも送っててくれ。

 ――ヒナにはオレがいるからな、天文部の顧問は、悪いけどオレなもんでな。

 

「明日からどうするの? あのハゲ、絶対怒るよ?」

「ん? ヒナは今週いっぱいまで停学だな。屋上はちょっと前から校則で立ち入り禁止になったしな」

「え? っと、つまり……」

 

 そしてウチは校則違反の事項で担任、学年主任、さらには部活の顧問の一存によって停学処分が決められる。ちなみに屋上の無断侵入は前例で停学食らったヤツもいるから別に横暴でもなんでもない。これでヒナは明日から週明けまで、()()()()()()()()()()()()()

 

「まぁ停学中も構ってやれるから、とにかくおとなしくしとけ。んで停学明ければ、もうオレがいる」

「……カズくん!」

 

 停学食らってこんな嬉しそうなヤツ、初めて見たな。一応言っておくと停学は内申書に書かれるから手痛い履歴でもあるんだけどな。まぁ、コイツは去年の時点で推薦資格も失ってるし、そこはあんまし心配しなくていいからこその措置だけどな。

 

「やっぱり、あたしにとっての先生はカズくんだよ! だいすき!」

「はいはい、だったらとりあえず先生をつけろ、な?」

「カズ先生って、言いにくくない?」

「お前が言い出したんだろ」

「そーだっけ?」

 

 そんなことより沈んでたヒナが笑顔に変わっちまったんだ。ひとまずは、ちっとは心配してるだろう千聖と、こんなことに巻き込んじまった奥沢と一緒に、オレの魔法が遂に大成功したことを、祝うとするか。

 

「日菜ちゃんと千聖ちゃんのこと、大事にしてあげてくださいね!」

「卒業まではな」

「ふふっ、ホントですか~?」

 

 ファストフード店に戻ってきたオレは奢ってやるということで、なけなしの薄給で四人分の注文を取っていると、やけに馴れ馴れしい店員にそう言われた。

 最初はマジで誰だコイツ、と思ったらふわふわとしたピンクの髪を纏めたソイツは、丸山だった。

 

「ホントだよ。なんなら丸山も、完全に無関係ってわけじゃねぇからな」

「えー、口説いてるんですかぁ?」

 

 口説いてねぇよ。お前は千聖との関係でややこしいだろうから、オレの中では監視対象なんだよ。つかお前自分が三角関係の頂点だって理解してる? してねぇだろ。

 そんな弁解に、丸山はポツリとだけ、声を漏らした。

 

「……三角じゃないですよ?」

「は?」

「先生も、なんならそこにヒナちゃんもいますから、ぐちゃぐちゃに絡まってる感じですよね?」

「それには千聖の……ってまさか」

()()マネージャーさんは優柔不断だけど欲深いヒトなんです」

 

 なーんか、コッチはまた面倒ごとになりそうだな。人間関係の多角化、もしくは縺れ、なんてオレには無縁のものだと思ってきたんだけどな。

 大学時代だとオレとカラダを持ったヤツが実は他の男に貢がれてたって知った時は、めんどくさくて連絡断ったし、浮気してたヤツもいたけど別にオレと男の間にイザコザがあったわけじゃねぇし、なんならオレだって浮気したことねぇわけじゃねぇからな。そうやって節目節目で人間関係をすっきりさせながら生きてきたって自負してる。なのにいつの間にかこんなことに巻き込まれてる、なんて思わなかった。

 

「欲深いって……丸山も十分な」

「そうですか?」

「おう」

 

 そんなことを言いながら、サービスしてくれたポテトをトレイに乗せ、いつもの二割増しに機嫌の良いヒナ、何か考え事をしている、つかオレが丸山と話してるところを見てたんだろう千聖。その視線は疑惑が籠っていたけどスルーして、そんなヘンな先輩に囲まれて苦笑いをする奥沢に手を振って、トレイを机の中央に置いた。

 

「ポテトがずいぶん多いわね」

「丸山がどっさり入れてくれたんだよ」

「彩ちゃんが……へぇ、ふーん?」

「なんだそのリアクションは」

「別に」

 

 拗ねんなよ。そういうとこ、千聖はいつもよりもガキっぽいんだよな。ホント、別に、じゃなくて、丸山と浮気すんなくれぇ言えねぇのか。言えねぇから、オレは言えるようになるまでいてやるっつったんだけどな。

 

「彩ちゃんと浮気ー?」

「違ぇよ。サービスいいだけだろ」

 

 まぁ、こうやって誰かのように言われてもお前はオレのカノジョじゃねぇだろって言うだけなんだけど、ようするにそういう気概を持てっつうことだよ。黙ってんのが美徳、なんてことはねぇんだからさ。

 

「大変ですね、いつも」

「奥沢、そんなことを言ってくれんのはお前か今井くれぇなもんだ」

「まぁ自業自得なところもありますし、心配なんてする必要もないんでしょうけど」

 

 それを言わないでくれ。ちゃんとわかっているからこそ痛いんだよ、その言葉。

 ただ、だからどうにかしろって言われても、オレはなんともしねぇだろうけどな。これでも、嘘は吐くけど約束は守る方なんだよ。

 

「なんか、愚痴る気分でもなくなったな」

「だから紗夜ちゃんは安定しているのだから、悪いことはないでしょう?」

「悪いことだらけだよ」

「おねーちゃん。ちゃんとカズくんを好きになることをわかってるから、いいと思うんだけどなー」

「でしょう? 私の時間の邪魔もしないし、普段はいつもの紗夜ちゃんだから、私もそれでいいと思うのよ」

 

 二人に言われちまうと、なんとも反論しづれぇな。どうにも、味方はいなさそうだし、やっぱり愚痴る気分じゃねぇな。

 つか千聖は今週で最後なのにえらく平常だな。無理してねぇのか。

 

「ええ、たくさん相手してもらったから、平気よ」

「ならいいけど」

「……どっちかというとこころの方があたしとしては心配ですけど」

「こころ?」

 

 どうしてそこでこころの名前が出てくる? アイツに心配になるようなところがオレとしては一切ないんだが。

 首を傾げていると、奥沢は少しだけ言おうかどうか迷った後、えっとですね、とゆっくり言葉を紡ぎ出した。

 

「……こころは、先生のこと、正直めちゃくちゃ気に入ってて、だからこそ、先生を花女に呼んでまで、先生が先生として立つところを見ていたんです」

「そうね」

「そうね、って……千聖も気付いてたのか」

「当たり前よ。こころちゃんはずっとあなたの傍にいたのよ?」

 

 そういやそうだったな。紗夜に説教をした日、千聖の時間を紗夜が邪魔した日、それから先、基本的にこころはオレに笑顔を向けていた。ヒナや千聖よりも一歩引いたところから、オレを魔法使いと呼んで、オレが成すことを、目を輝かせて見守っていた。

 ――アイツにとってオレが来た三週間ってなんだったのか。それはアイツにとっての夢、だったのかもな。

 

「こころちゃんってカズくんの一番のファンだよねー。天体観測の時からずっと、カズくんのことを知りたがってたし!」

「それに、いくらなんでも、あなたがいると言わなければ、こころちゃんも快く無人島を紹介したりはしないでしょう?」

「前に散々プレゼンされましたよ。ステキな先生だって」

 

 そんなこころが三週間の夢から醒めるのを寂しいと感じてくれてんのか。完璧で、オレができることなんてないと思っていた、こころが。

 オレ自身にもどこにそんな、こころが気に入るようなことがあったのかなんてわからねぇけど、それを放置して羽丘には帰れねぇな。

 

「オレの最後の仕事、ってワケだな」

「はい。こころが寂しいと思わないようにしてあげてほしいです」

 

 そうだな。花咲川であった怒涛のような三週間。そこで学んだ全てを生かした、総復習ってとこだな。

 弦巻こころを笑顔にして、笑って見送ってもらうとするか。

 

「でも手を出すのはダメだよ?」

「バカヒナ、出したらさすがにオレの人生が終わるから」

 

 ホントバカじゃねぇの。相手を考えてしゃべってくれ。そりゃお前の変人仲間かもしれねぇけど、世界に名だたる弦巻家の一人娘を誑かして純潔を奪いました、じゃオレの明日は豚箱どころの騒ぎじゃねぇことになるし、最悪マジモンの墓場に直行だ。

 唯一の救いは、本人が結婚までヤるのはダメっつうありがたくも美しい貞操観念をお持ちなことだけだ。

 

「ちなみに、どうするつもりなの?」

「そりゃあ、もちろん。オレが出せる方法は一つしかねぇよ」

 

 なにせオレはクズ教師だからな。平等とか公平なんざ無視しまくって、こころを特別扱いしてやるに決まってんだろ。ヒナや蘭、モカ、千聖に紗夜、他にも今井や奥沢も、オレを知ってる生徒は全員がオレにとって特別な生徒で、だからこそどこまでも巻き込んでやるからな。

 ――オレはお前らの卒業していく後ろ姿に、満足してぇんだからさ。

 

 




花咲川最後の被害者は弦巻こころですよー!


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⑧太陽メモリーと花咲川ラストデイズ

今日のメインヒロインはもちろんこころですとも。


 あたしは小さな頃から()()()だった。物心ついた時には楽しいことを探して見つけて、笑うことが好きな子だったわ。思いついたら即行動! だって善は急げって言うじゃない? 足踏みしてたらつまらないもの。

 だけど、そんなあたしに、友達、と言えるヒトはだぁれもいなかったわ。いつも独りで遊んでいた。あたしが()()こころだから。あたしがトクベツだから。

 

「弦巻さんと遊んでケガさせたら大変だってママが」

 

 ケガなんて平気よ。黒い服の人たちが来てくれて応急手当はしてくれるし、お父様も、ケガのない人生なんてつまらない。痛いことを知って、それを覚えてこそ人生は楽しくなるんだ、ってよく言ってくれたわ。

 

「おじょうさま、なんでしょ? わたしたちと違うから遊んじゃダメなんだって」

 

 なにも違わないわ。あたしもみんなと同じ人間よ。笑って泣いて、怒って、そうやって大きくなっていく、あなたとあたしに、なんの違いもないのよ。

 ──けれど、そんな言葉はクラスメイトたちの耳には届かなかった。一緒に遊んでくれるヒトなんて、誰もいなかった。一時期は名前を呪ったことすらあったわ。あたしが弦巻じゃなければ、友達ができたのに、一緒に遊んでくれたのに、って。

 

「こころ様はこころ様です。例えお嬢様が弦巻でなくなっても、我々は共に」

 

 けれど、けれどね。そうやって塞ぎこんだあたしに、いっつも無表情の黒い服のヒトたちが、少しだけ笑いながらそう言ってくれたの。

 このヒトたちはあたしと一緒にいてくれて、それが、嬉しいんだわってわかった時に、あたしは例え独りでも、そうやって誰かに笑顔を届けてあげられるんだって気付いたの。だからあたしは決めた。

 

「あたし、魔法使いになるわ。魔法使いになって、魔法で世界中を──笑顔にしてみせるわ!」

 

 これがあたしの夢。初めて見た夢。でもこうやって夢を見たことで、あたしはどんどん、独りじゃなくなっていったわ。

 ドラムを手にオドオドとあたりを見回してた子。あたしの歌を褒めて、とっても上手なドラムを叩いてくれた子。

 

「こころちゃん、私、ドラム諦めなくてよかったって思うんだ。ハロハピが大好きだもん」

 

 花音は、あたしと出逢って、俯いて諦めようとしたドラムを楽しそうに、今も向き合ってくれる。素敵な笑顔で、ビートを刻んでくれる。あたしの大事な、友達。ちょっと怖がりだけど、いざという時は勇気を持ってくれるヒト。もしあたしにお姉さまがいたのなら、こんな感じかしら? そんなことも思っていたの。

 

「こころと出逢ったのは正に運命だね……実際に、私の世界は広がった。感謝しているよ」

 

 薫は噂を聞いた時から絶対に必要なヒトだって思ったから、あたしも運命、というものを信じたくなったわ。ギターは初めてだったのに、まるでギターと長年連れ添ったように自分の音を出す薫は、とーっても素敵な王子様ね。この調子でもっと自分の言葉で素直に自分の気持ちも出せたら、もっともっといいと思うわ。

 

「はぐみ、難しいことはわかんないけど、ハロハピに入って、すっごく楽しいんだっ、こころんと一緒に世界を笑顔にするって、すっごく楽しいことだもん!」

 

 はぐみはハロハピ以外でもどんどんヒトを笑顔にしていけるとっても素敵な女の子ね。はぐみが持ってきてくれるコロッケも、はぐみと一緒で、ぽかぽかしてて、みんなが、笑顔になれるもの。だから、別にかわいいものが好きでも恥ずかしいことじゃないのよ? あたしだってぬいぐるみにぎゅーってして寝るの、好きだもの。

 

「こころちゃんと一緒に世界を笑顔に。ミッシェルも、その一員になれて嬉しいんだ」

 

 ミッシェルに喜んでもらえるなんて、それだけでも意味があった気がするわね。みんなのヒーロー、クマのミッシェルのDJは、いつも観客を虜に、その姿は子どもたちを虜にする、ハロハピのヒーローよ。

 

「はいはい……まぁ、あたしも、あんたに、こころに巻き込まれて厄介だって思うことの方が多いけど……よかったな、って思うこともあるから……って、今のナシ! あーもうなに言ってんだあたし……」

 

 なにより、美咲がいてこそのハロハピね。ステージには立たないけれど、色々なことを、後ろで支えてくれてる。あたしたちにとって、美咲がいない、というのは足場のない空を歩かされてしまうようなものだわ。

 

「それじゃあ、今日も、世界を笑顔にするわよ!」

 

 ──そんな素敵な友達、仲間に囲まれたのが、今のあたし。最近じゃ、日菜、香澄、蘭、リサ、千聖、色々なヒトと知り合って、道を歩けば商店街の人たちや色々なヒトがあたしに話しかけてくれる。あたしの夢は、あたしを太陽のようにピカピカさせてくれた。

 

「日菜は、顧問の先生がいるのよね、女のヒト」

「あー、実は四月から代わって、今は男のヒトなんだ」

「そうなのね」

「うん、あたしの大切なヒト。こころちゃんには教えてあげるけど、実は……」

 

 そんなことを聞いてあたしはびっくりしたわ。えっちなこともしてるなんて、と思ったけど、日菜は、だって、好きなんだもん、なんて笑うから、なにも言えなかった。だからどんな先生なんだろうってあたしも少しだけ興味が湧いた。だから天体観測の日に先生を呼んだのよ? 

 結果は思った以上のものだったわ。夢に破れて、それでもまた夢を失わずに立ってる貴方は、素敵な大人だ、って素直に思った。だから文化祭にも手伝いに行った。千聖と日菜に頼まれて、誰もいないところを見つけた。そして、先生を、花女に呼んだわ。全部、先生が、どんな夢を叶えるのか見ていたくて。

 楽しい、とっても楽しい三週間だった。大切な生徒たちを笑顔にするために悩んで、それでももがいて、不恰好(すてき)な魔法を使う魔法使いさん、貴方の魔法はいつも、あたしがちゃんと、見ていたわ。

 ──けれど、先生がココに来るのはもう今日で最後。先生は羽丘のヒトだとわかっていたけれど、どこかでもっとずっと、あたしのところにいてほしいって、思った。

 どうしたらいいのかしら。この気持ちは、モヤモヤはどうすればいいの? 教えて、先生。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「……ホントに今日で終わりなの?」

「そうなんだよ。なんか全然、教えてやれねぇで悪かったな」

「ううん、チョー分かりやすかった! ありがと、せんせっ!」

 

 ──そうしてやってきた花咲川で授業をする最後の日。ココのクラスは北沢の人懐っこい笑みにまず見送られた。

 また会えることを知ってるせいか千聖と紗夜、んでついでに松原も丸山もえらくあっさりしてたせいかな。こうやって最後ってのを強調されると、ガラでもなくぐっとくるな。特に北沢は英語が苦手とか言いながら一生懸命ついてきてくれたからな、名残惜しいと言えばそうだな。

 

「えー先生もういっちゃうの~?」

「お前はオレの授業かなり寝てたろ」

「……てへっ」

「てへ、じゃねぇよ。花園も戸山も、あんま寝てると受験生になった時に泣きを見ることになるからな」

「……気を付ける……オッちゃん」

「もう半分、寝てんじゃねぇか」

 

 オレはお前んちのウサギじゃねぇっつうの。ったく、コイツらは最後だっつうのに……まぁ、羽丘と花咲川は近ぇし、なんだかんだでまたすぐ会えそうな気はするしな。あんまり最後って感覚にはならねぇんだろう。そう思っていたら、山吹が近づいてきた。

 

「よう、どうした?」

「……先生って、ちゃんと先生するんだなって」

「……なんだよ、改まって」

「モカから聞いてた印象とはちょっと違ったから、私、誤解してたかも」

 

 そりゃあ、モカが話すオレの印象は多分にダメな部分が入ってるからな。そりゃあ誤解もするさ。それでも、山吹の態度が軟化するなら、頑張って話しかけてた甲斐も出たってもんだ。

 

「……また、ウチに来てください。今度はちゃんとオススメのパン、紹介しますから」

「ホントなんだよ。地味に湿っぽいじゃねぇか」

「あ、それだったら、ウチ、近くの肉屋なんだ! コロッケも買ってってよ!」

「わかった。ぜってぇ行くよ」

 

 惜しまれるってのはなんだかむず痒いけど、嬉しいことでもあるな。それだけ、生徒に響く教師でいられたっつうことなんだから。なんか羽丘でも、もうちょい頑張ってみようか、そう思える三週間だった。それはやっぱりアイツのおかげだな。

 

「こころなら多分、屋上にいますよ」

「サンキュ、奥沢」

「はい。三週間、ありがとうございました」

「英語だけじゃなくて分かんなくなったらいつでも訊けよ? お前とも、ここで終わる縁じゃねぇだろうし」

「そうですね、そうします……あと、こころを」

「わかってる」

 

 奥沢とはそれこそ卒業までの付き合いになりそうだ。夏休みに会った時はこんなことになるなんて想像もできなかったけど、やり切っちまった今は、そう思える。

 また、どうせこころに振り回されるんだろ、そうしたら、オレとの縁も、そう簡単でもねぇからな。

 

「清瀬様、我々からも……」

「まぁ、オレ(クズ)の手法でいいなら」

「お願いします」

 

 そんな黒服さんたちにも見送られながら、オレは屋上のドアを開けた。夕焼けに棚引く金色の糸、切なげに揺れるそれを纏う小柄で、けれど息を呑むほどの美しい、()()()

 弦巻こころは文字通り、屋上で黄昏ていた。

 

「ようこころ、随分探させたな」

「……そうみたいね」

 

 屋上で空を見ていたこころは、少しだけ沈んだ声でそう言った。口にしなくてもその態度だけで全てを物語ってんな。

 ──終わらないで。そのまま夢を見させて。そんな叫びがオレの耳に聴こえてきそうだった。

 

「そんな空ばっかり見てても星はまだ見えねぇだろ。天文部の活動にはまだ時間が早すぎるな」

「けれど、星はあるわ。あたしの目には見えないだけで」

 

 姿を見せてくれねぇ星に願ったって、こころの夢を現実にしてくれるわけもねぇのに、縋って、なんか、らしくねぇな。笑顔じゃねぇこころが、何かに縋るこころが、オレには強烈な違和感を伴って襲ってくるようだ。

 そうじゃねぇだろ。お前は、享受する方じゃなくて創造する方だろ。創ってこそ、弦巻こころじゃねぇのか。だから、今のお前には、冷たくさせてもらうからな。

 

「ガキだな。出来もしないことを空に届けちまって、七夕はもう随分と前だった気がするけどな」

「……そうね」

「言いたいことがねぇってんなら、オレはもう行くからな」

「……ええ」

 

 ため息が零れた。今日は随分と勝手が違うな。普段だったらそこで頷くようなヤツじゃねぇくせに。いや、実際、なんて言ったらいいのかわからねぇのか? だから諦めてる、ってんなら、余計にらしくねぇだろ。

 ──しょうがねぇな。太陽サマにとってオレは素敵な魔法使いだ。そうやって三週間、オレを見ててくれたっつう恩もあることだし、生徒の意図を汲んでやることも、教師には必要な力だ。

 

「こころ。お前はオレになんつったか、覚えてるか?」

「たくさんお話したわ。どれかしら?」

「辛い時、どうすればいいってハナシだよ」

「……もちろん、覚えているわ」

「なら」

「ダメなの……楽しいこと、嬉しいこと、思い出す度に胸が痛いの。先生がいた三週間のことばかり思い出して、お別れだと思うたびに、痛いの」

「──こころ」

 

 それは、ガラでもなく喜んでいいことか、こころ? オレはお前にとって先生でいられたっつうことか。

 惜しんでくれるってのは、ホント、むず痒い。んでもって、教師としてこれ以上なく嬉しいことだ。自分との別れを悲しんでくれる生徒がいる。それだけ、お前を笑顔にしてやれたって、思っていいんだな。

 

「オレもだ。花咲川にいた三週間、ドタバタしすぎて、あっという間の、濃い時間だったよ」

 

 北沢がようやく入り口に立ってくれて、めちゃくちゃ嬉しかった。アイツの元気な笑顔がパッと輝いて、わかったよ、ありがとっ! って言ってもらえて誇らしかった。

 戸山はなんだかんだ寝てたくせにしっかりオレが大事だっつったところは抑えてたしな、なんなら途中から北沢と一緒に勉強してる姿を見んのが、楽しかった。

 花園はよく分かんなかったけど、テストは頑張って考えたアトがあって笑っちまった。枠外にめちゃくちゃ色々書いてあって、最終的にはわかんねぇとこ全部、跳ねる、だとか、ウサギに関連した単語ばっかりなのは呼び出して説教すべきか悩んだけどな。

 山吹は一週間ちょい過ぎたあたりから態度が軟化してきた。曰く、なんか拍子抜けしたらしい。つか意外にも要領が悪くて、不器用なのは、授業態度からよーく理解できた。

 丸山はバカだった。なんか授業中もしょっちゅう新しいキメポーズのイメージ固めてて、なんだコイツと思ったけど、クソ真面目で、流石にアイドル、バイト、学業を兼任してるだけはあった。赤点ギリギリだったけどな。

 

「お前はいっつもオレを助けてくれたな。紗夜ん時も、授業中も、オレの気が回らねぇとこにわざわざ立ってて、いつものスマイルでオレを呼んでくれた。感謝してもしきれねぇよ」

 

 MVPは間違いなくお前だよ、こころ。三週間でオレは随分と自信を取り戻すことができた。きっともう、ウジウジと教師でいることに悩まなくて済みそうだ。通常の授業じゃ全然手がかからなくて、助けられてばっかだったのは、反省しなきゃいけねぇけどな。

 

「だから、オレは決めたことがある。教師としてはお世辞にも正解とは言えねぇ、クズみてぇなことだけど、オレは思っちまったんだ」

「……思った? 決めた?」

「こころの卒業してく姿をちゃんと見ていてぇってな」

 

 お前はもう、オレにとってただの他校の生徒じゃねぇんだよ。多分、オレが名前もロクに覚えてねぇ羽丘の生徒よりもよっぽど大事な、それこそどっちかしか教えらんねぇって言うなら即座にこころを選ぶくれぇに、オレにとって弦巻こころはでけぇ存在なんだよ。

 ──そもそも、花咲川の教師になったのはお前がぶっ飛んだことを言ったのが原因だ。ならその報酬くれぇ、給料とは別にもらっても構わねぇだろ? 

 

花咲川(こころ)羽丘(ヒナ)の合同による天文部の外部活動はこれからも、続ける。もちろん引率は必須事項でな」

「……それって!」

「ああ、ヒナは芸能活動があるし、こころはハロハピの練習もあるだろうけど、どっちかがいたらオレはついていくさ」

 

 オレは無粋にも、この別れをぶち壊させてもらう。いいだろ、今以上に手を広げたって、まだ終わりにしたくねぇって思っても。

 オレだって惜しいんだよ。お前らが今以上に成長していく姿を、ちゃんとこの目で見てぇって思うんだよ。んでそのためにはこころがいねぇと、始まんねぇんだよ。

 

「つ、つまり……先生は、あたしの先生をやめない、というわけね?」

「そういうことになるな。顧問の名前には入ってねぇけど、実質ってヤツだな」

 

 時々はちゃんとした活動もするさ。こころんとこの黒服さんの運転で、秋はキャンプがてら、冬は室内でもいいけど、この屋上じゃ見れねぇような満天の星空を見上げる活動と、あとは、そうだな。

 

「──また、焼肉でも行くか?」

「ええ、ええ! もちろん! 今度は一人で、バッチリお肉を焼いてみせるわよ!」

 

 それは黒服さんがオロオロするからやめような。ったく、確かに弦巻家のお嬢様がケガなんて大変なことかもしんねぇけどさ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()。痛ぇってことを知って、それが痛ぇってことを覚えてこそ、楽しい人生が送れるんだろうからな。かく言うオレだって擦りむき、傷ついて、それがあるから教師としてガキどもに世話を焼けるんだしな。

 

「んじゃあ、決まりだな」

「……ふふ、ありがとう、魔法使いさん。貴方は、もう立派な魔法を使えるようになったのね」

「先代の魔法使いが優秀なもんでな。このくれぇは習得しなきゃ、教えてくれたヤツに失礼だろ」

「あ、でも、日菜や千聖みたいにえっちなことはしないわよ?」

「バカ、結婚してから……ってのはイマドキ清らかすぎるかもしれねぇけど、そういうのは惚れた相手にしとけっつうの」

「それじゃああたしが先生に惚れたら、シちゃうのかしら?」

「……言葉の綾だ。曲解だ。オレはお前に触れる気はねぇよ」

「そうね。襲われちゃったら、お父様とお母様になんて言ったらいいのかわからないわね」

「だろうな」

 

 ったく、いつも通りの笑顔じゃなかったら冗談でも笑えなかったっつうの。お前は弦巻なんだから、言葉には気を付けてもらいてぇもんだな。つかお前にはそんなことしなくてもいいだろ。

 

「それでも、あたしだって女の子よ? 日菜がよく教えてくれるし、ちょっとくらい興味はあるわ」

「……ヒナのヤツ。悪いことは言わねぇからもっといい男見つけろ。優良物件ならいくらでもある」

 

 さしずめオレは事故物件だな。メンヘラとヤンデレストーカーとビッチとついでにメンヘラの中に飛び込んだら最後、命の保証はしねぇ。オレの生命も危ぶまれるからオススメなんてしねぇ。

 

「決める時にいなかったら、先生にしておくわ。素敵なことに変わりはないのだから」

「おい」

「それより、今日の活動は山で天体観測にしましょう? ハロハピのメンバーと先生で!」

「決定事項なのか」

「ええ、今決まったの!」

「……え」

 

 そうしてオレとこころ、そして奥沢、松原、北沢、そして合流した瀬田と共に、春に天体観測をした弦巻家のペンションまで黒服さん運転の車で行って、練習風景を見せられ、豪華なメシを食って、一泊の真夜中の天体ショーを見ることになった。

 キレイだった。キレイだったけど、レッツゴー、だよっ! と笑顔を見せた北沢と、キミはいつも、素晴らしい提案をするね……ああ、儚い、と微笑む瀬田はさておき、常識的だと思ってた松原が、きっとキレイなんだろうな、とそして奥沢が、まぁ、こころが決めたことだし、諦めましょ、と乗り込んだことに少なくないショックを受けた。

 ハロー、ハッピーワールド! は、常識人すら、その世界に取り込むのか……ホント、こころの魔法は、恐ろしさすらあるな。そんな太陽サマの力を再確認した、金曜日だった。

 




サブヒロインなのになんでこんなに……まぁ個人的な好みですよね、そうだよ。

というわけでこれにて章を締めくくらせてもらいます。幕間は明日の前半で。


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幕間:太陽メモリーズ①

ここから書き下ろしは幕間連載します。たぶん三話の予定、わかんない。



 ──これはオレが花咲川の教師から羽丘の教師として帰ってきて、幾分か時が過ぎた頃の話だ。ヒナがこころと一緒になにやら色々と計画を立ててるのをちょっとだけ覗いて、オレはいつもの場所に移動していた。

 

「先生の大学時代ってどんなのだったのかしらっ?」

「……あ?」

 

 いつものように屋上でタバコを吸っていたら、唐突にそんなことを問われた。なんだよ藪から棒にと問い返すと、流石にすぐ近くにはやってこねぇけど、弦巻こころはいつもみてぇなキラキラした瞳でオレの暗黒を覗き込もうとしていた。

 やめとけって、自分語りは好きじゃねぇし、面白い話でもねぇんだから。

 

「面白いかどうか、じゃないわよ?」

「だろうな」

 

 ヒナたちにも、詳しい話は伏せている。伏せてるっつうか、逃げてるんだけどな。先日あったあの騒動からホラ、オレの過去ってヤツはなんとなく訊きにくい雰囲気あんだろ。だから誤魔化しきれてるんだよな。

 

「ずるいわ。そういうのはちゃんとみんなと共有するべきだわ」

「オレの過去はオレのもんだよ。いくら惚れてようが生徒だろうがそれは譲れねぇな」

「……先生?」

 

 あーもう鬱陶しいな。わかったわかった。話せばいいんだろ、ただし吹聴すんのはナシな。どんな相手であろうと、オレの傷を誰かにも紹介されるのはさすがの大人なオレでもキレるからな。そのくれぇ、大学時代なんてもんは過去にしてぇものでもあるんだけど。

 

「思い出しながら、吐き出した方がいいことの方が多いわ」

「特に弦巻こころには、か?」

「ええ、あたしは、あたしだもの」

 

 その過去すら笑顔に変えてくれるってか? ありがてぇ提案ではあるが、聴くんなら意見せずに聴いてほしいな。

 オレにとって大学時代って過去は、笑顔にしちゃいけないことの方が多いんだからな。

 

「まぁ大学入った経緯は……すっ飛ばしても?」

「ええ」

「──最初の方はマジメだったよ。今でも信じらんねぇくれぇだけど」

 

 教師になりてぇって熱意にあふれてた頃だ。なんだかんだでタバコは吸ってた……おっと未成年っつう野暮なツッコミはなしでな。タバコは吸ってたけど当時は不良学生じゃなくて不良のフリしてるカッコつけって先輩に笑われてた。そんなガキだった。だが根はどう頑張ってもマジメにはなれねぇもんで、更にはあのクセは既に大学の頃からあったんだよな。

 

「当時付き合ってたカノジョ……ってのはまぁいいとして、遠距離だったからな」

「浮気を、してしまったのね?」

「ああ、ゼミのヤツとな」

 

 女が二人いて、一人は既に付き合ってるヤツがいてラブラブだったもんでオレに興味は示してこなかったけど、もう一人がな。一人暮らしの、今の家でもあるけど、そこにたむろするようになったんだよ。最初なんてほとんど押しかけだ。CDコンポなんつう古臭いアイテムまで家から持ってきて、いっつもジャズを流しながら宅飲みしてたっけな。当然ながら未成年だったけど。

 

「それで、男女二人きりの誰もいねぇ空間なんて、自然とそうなるもんなんだよな」

 

 オレはもちろんカノジョがいるっつって断ろうとした。けど酒の勢いのまま押し倒されればオレに拒否するほどの堪え性なんてねぇんだよな。

 ──そいつとのセフレ同然の関係は、オレが()()()の関連でおかしくなった時に、突如退学するまで続いた。今思えば、その同期はオレになんかを伝えたかったのかもしれねぇ。ヒナとか千聖みてぇに愛されること、認められることに飢えてたのかもな。

 

「けれど、その子は」

「たぶんオレが優しくしすぎたんだろうな。浮気だって事実に耐え切れなかったんだろ」

 

 優しいとは言わねぇ気がするけど、とにかくオレはそいつを受け入れた。求めてくるのを拒まなかったし、好きって言葉をずっと呪いのように吐き出し続けたのを否定したことは一度もなかった。だからこそ、オレの前からCDコンポとジャズのCDだけ残して姿を消しちまった。メンヘラ女のクセに、オレなんかに惚れるからだよ。なんて今なら会ってもそう言える気はするけどな。

 

「それで、何もかも失ったオレは無気力で怠惰な男に成り下がったってわけだ」

「なるほど、先生が不良学生、というのはその時のことなのね?」

 

 そういうことだ。んで、その不良学生は女を気軽にアソビに誘ったし、ダチとバカみたいな生活を送った。特に別のカノジョ作った時なんて欠席回数ギリギリだったな。ただこの女が恋人って口約束したハズなのに、オレ以外に既にカレシがいやがったっつうトンデモクソビッチでな。それ以外にも色々いたはずなのに全部被害者ヅラでカレシと同棲し始めやがったんだよな。確かそのまんまデキ婚したってのは風の噂で聞いたな。

 

「デキ……えっと?」

「デキ婚。ガキが腹ん中にいたから結婚したんだとよ。それでカレシは金持ちだからな、すぐに辞めちまった」

 

 これで女二人辞めさせたオレは一転疫病神扱いを受けることになる。そりゃそうだよな。偶然にしちゃヤバすぎる確率なんだよ。しかもウチは退学者毎年数えるほどしかいねぇのにな。二年連続だったからまるでバイキン扱いだ。いやアイツはオレのせいじゃねぇだろとは思うけど。

 

「三年生は?」

「三年は……そうだなぁ」

 

 つか今思い出してみるとオレって女途切れねぇな。ある意味スゲーよ。三年は三年で二つ下、当時の新入生と速攻で付き合ったな。ただコイツとはだいぶ長持ちしたし辞めてもなくてきっちり教師やってるハズだ。

 

「どうして別れてしまったの?」

「別に、ただそいつとヤるのに飽きただけだよ」

「……嘘はよくないわ」

「お前なぁ」

 

 即座に看破してくんな。あのな、オレだってこう、思い出すと寂しくなる相手くれぇあのクズ教師以外にいるんだっての。特に三年から卒業まで付き合ってたそいつは喫茶店でコーヒー飲むのが好きだったからな。今でも、ふと元気かなって思っちまうくれぇの相手だったんだよ。ただ、飽きたなんてクソほど雑な別れを切り出して……それ以来だけど。

 

「つかなんで嘘だなんてわかるんだよ」

「先生が惚れた女性に飽きたなんて言葉を吐くわけがないから、かしら!」

「あーはいはい、オレの性格完璧に把握されてんのか、ムカつくなそれ」

「きっとその元カノさんも、嘘だってわかってるわよ! あなたは、あなたのステキなところをたくさん見せてくれる人だから」

 

 お手上げ。やっぱコイツはオレの手に負えるような女じゃねぇ。つかお前はホントなんでヒトの話をする時も聴いてる時もそんなにキラキラできるんだよ。本当にピカピカで、太陽みたいなヤツ。オレのめちゃくちゃ苦手なタイプだよ

 

「あたしのこと苦手なの?」

「苦手だよ。つか苦手じゃなかったらこんなに話さねぇよ」

 

 苦手だっつってんのになんでそんなに嬉しそうなんだろうなお前は。モカはヒトの考えてること的確に当ててくる怖い女だけど、お前はその上でヒトを笑顔にしようとしてくるんだからなおのことヤバいんだよな。だから苦手なんだっての。オレにカッコつけさせろってんだよ。

 

「そんなことしなくても、あたしの中で先生はとっくにカッコいい魔法使いよ!」

「好意を向けてくるな、コッチは結構気を遣ってるつもりなんだからな」

「あたしは、気を遣われたくはないわ」

 

 そんなことを言いながらこころは少しだけ不満そうな顔をしてきた。なんだ今日はどうした。随分とわがままな太陽サマだな。またないものねだりか? お前なんてないものを探す方がめんどくせぇってのに、よくやるよ。

 

()()の幸せがほしいわ」

「……十分もらってるよ」

「下手な嘘はやめましょう? ここはあたしだけよ」

 

 ──急に大人びた顔すんな、温度差で風邪引いちまうよ。なんでお前はこうも先回り先回りなんだ。コッチは漸く自分の教師としての在り方を考えてるってのに。つかマジで薄々気づいてたけど、オレが関わってきた生徒の中でお前が一番大人に近いな。ガキっぽいって思ってた初対面が懐かしいくれぇだよ。つか呼び捨てにしたな今、つまりは……言いてぇことはわかった。

 

「お前にはやらん」

「でも」

「いいんだよ」

「よくないわ!」

「カッコつけさせろっての、バカが」

「一成がカッコつけるとその分だけ笑顔が減るから嫌よ!」

「オレの幸せはここにあるんだよ」

「……そうね、先生の幸せは、きっとここにあるわ」

 

 オレは教師で大人だ。お前らみてぇな生徒で、まだ十の位が二にすらなってねぇガキに幸せだなんだって言われたくはねぇんだよ。それに、おかしいだろ? オレは散々教師だ、教師だって突っ張ってきたのに、いきなりそれじゃあ生徒、もしくは生徒だった女を囲って幸せになりました? バカだろ、ふざけてる。そんなのはな、間違ってんだよ。

 

「間違って……そうね、間違ってるわ」

「だろ?」

「けれど、正しければ一成は笑顔になれるわけじゃあないわ。むしろ……」

「安心しろよ、そんなことにはさせねぇよ」

 

 その言葉にこころはオレを見上げた。コイツのピカピカ太陽の瞳の中には、どんなオレが映ってるのかなんて、見てもわかりはしねぇけど。少なくともオレはそれで納得してる。それがアイツらの幸せで、オレの幸せだと信じてる。

 

「ヒナや蘭、千聖はイケると思うんだが、モカ紗夜辺りはどうすっかなぁ……なぁこころ?」

「……ずるいわ。そうやって、あたしを蚊帳の外に放り出そうというのね」

「そうだよ。お前がいちゃ、ご都合主義になっちまうだろ?」

 

 お前の力を知ってる。お前に弦巻っつう名前をやや疎ましいとは思った過去がありながら、今は世界を笑顔にするためには惜しみなく使ってくる力。なんでもかんでも捻じ曲げる、ルールを創る側としての圧倒的で無比な力だ。それさえありゃ、なんでもできる。清瀬一成(オレ)の幸せだってあいつらの幸せだって、なんだって。

 

「それにな」

「それに?」

「正直、()()()()()()。教師として生徒との時間ってのは結局アイツらとヤってばっかでさ、そろそろマトモな教師ってヤツをやりてぇんだよ」

 

 卒業すりゃあ合法かもしんねぇけど、違うんだよ。アイツらは卒業したらそれで生徒じゃなくなる。生徒じゃなくなれば、ただの男女になるんだよ。それじゃあダメなんだ。ただの男としてアイツらを抱くのは、アイツらに好きって言われて鼻の下を延ばしてるようじゃ、オレはいつまで経ってもクズのまま。

 

「なぁこころ。オレの夢を聴けよ」

「……ええ」

「オレは、この黄昏みたいな教師になりてぇんだ」

 

 太陽、でもどっかの太陽サマみたいにピカピカしてねぇ、けどあったかくて優しいオレンジの太陽のような教師になりたい。中天よりも近くで寄り添えて、未来なんていう真っ暗な夜の世界に星があることを教えられる、そんなヤツになりたいんだ。

 

「アイツらを女として見たらもう、オレはソレには二度となれねぇ。いや、女として見てるからこそだな……手を取ったら、教師には戻れねぇ」

「そんなこと……きっとまた」

()()()()()()()()()

 

 明日、なんてオレは信じてやれねぇ。その明日がオレから大事なもんを奪った。明日がオレに痛いものばっかりを遺した。

 ──だからオレは、一日でも一秒でも早く、今を教師として生きたい。不良でもなんでも黄昏の中で生徒を導ける……黄昏ティーチャーに。

 

「悪い、だから。モカと紗夜のこと……頼めるか?」

 

 そんなオレの夢を聴いたこころは、大粒の涙をこぼしていた。本当は今すぐにでも首を横に振って、コイツらしい無理やりなご都合展開で、オレを幸せにしようとしてくれるだろう。だけど、最高の魔法使いはゆっくりと頷いた。

 

「ヒナと蘭、千聖は……特に千聖のヤツはオレが探す。そうじゃねぇと納得しねぇだろうし」

「ええ、そうね」

「泣くなよ」

「泣くわ、一成を笑顔にできないことが、とっても悔しくて悔しくて」

「ありがとな」

「……あたしは?」

「……は?」

 

 そうやってどうするか迷ったものの、金髪にゆっくり触れながら教師としてじゃなくて、ただのオレとしての感謝を伝えていくと、泣きはらした目で今度はまっすぐにオレを見てきやがった。あたしは、ってどういうことだよ。

 

「十八歳の誕生日」

「あ?」

「あたしはもう一度だけ、同じ質問をするわ」

「二年後か、また先のハナシだな」

「それが嫌なのはわかっているわ。けれど、あたしは変わらない。それは約束するわ、()()()よ」

 

 決意の表情、覚悟のロック。まさかこころからこんなカオが飛び出してくるとはな。真剣でそうじゃなきゃ無条件で信じちまうくれぇに強い言葉だった。半信半疑なのは、これはもう変われねぇ気がするから悪いけど。

 

「んで? あたしはってどういうことだ。もちろんお前だって生徒の──」

「──あたしと結婚してくれないかしら?」

「……はぁ?」

 

 なに? なんのハナシだよ? 結婚? バカかお前は。待て待て筋道立てて説明しろ。いややっぱいい、流石にオレでも次にお前がなんて言うかくれぇはわかる。アレだろ、オレを笑顔にするためよ、とか言い出すつもりだな。

 

「そうよ!」

「お断りだな」

「だからもう一度だけ、あたしの十八の誕生日に訊くわ」

「オレの答えは変わんねぇよ」

「変わるわ。明日を信じられないのなら、明日、あなたがどうなるかなんてわからないでしょう?」

「なるほどな」

 

 つまりはお前とオレとのバトルってわけだな。オレの理想のための筋道が変わんなきゃお前の負け、オレがそれに答えてもいいなって思えるようになりゃお前の勝ちってわけだ。これが弦巻こころの敗北確定からの最後の最後の足掻きによる大逆転の一手、パーペチュアルチェックによる勝負の持越しか。相変わらず、お前はオレの想像を遥かに越えてくる。そういうところは、素直に惚れちまうよ。生徒じゃなきゃな。

 

「期間、延長してもいいけど?」

「あら、優しいのね! いつまでかしら?」

「卒業まで。まるっと二年以上だよ」

「……言ったわね? あたしが生徒でなくなる瞬間まで待ってくれるなんて、やっぱりあたなは素敵な魔法使いだわ!」

 

 ここから始まるのは、幕間の中でも特にくだらねぇ、オレとこころの攻防戦。お互いの意地を懸けた、未来という盤面のマス数もコマの役割も、なんもわかんねぇ人生という名のボードゲーム。勝てば官軍負ければ賊軍、一騎当千の覇者はいねぇし大逆転の一手もねぇ。ただどっちかのプレミ一つで勝敗が決まるだけの淡々としたクソゲーだ。

 ──結末まで、オレが屋上でタバコを吸って空に吐き出すまでの間に起こった、中天の太陽と黄昏の太陽になりてぇ男の、太陽メモリーズだ。

 

 

 

 




ガッツリ関わってるはずなのにこころの影が途中でフェードアウトするということに気づきこころ推しの作者が書き下ろした太陽メモリーズ。
要するに裏番組でサブヒロインがメインヒロインとして、二度目のプロポーズをするまでの過程のお話になります。
(ごめん、フツーにこのコンビが一番好きなだけ)


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第六章:トラウマを越えて
①回想ホリデイ


新章、怒涛の「転」が今始まる――!


「今しがた帰ってきたトコだ、疲れたよマジで」

「それはそれは~、お疲れさま~」

 

 天文部の活動から翌日の土曜日、オレは休日丸出しの格好で羽沢珈琲店にいた。ハロハピのメンツと別れたのはつい一時間くれぇ前のことだ。最後に北沢と一緒に帰ってきたついでに、そのままココに来たってわけだ。

 

「つか、嬉しそうだな」

「そりゃ~、せんせーが、帰ってきてまっさきにあたしに愛を、間違えた、会いに来てくれてるんだも~ん」

「そうかよ。めでてぇ頭だな」

「ん? 愛でたい頭?」

「なんだコイツ」

 

 言葉遊びが今日のお前の中では流行りなのか? 付き合う気はねぇけど。

 ヒトがいねぇことをいいことに店員の羽沢はいるがまるでそれはいなかったかのように、モカは向かいじゃなくて隣に座ってきて甘えたい欲求を隠すことなくじゃれてくる。コイツはかわいいもんだな。ヒナ、紗夜、千聖なら間違いなく脚を触ってくる場面だが、モカは腕にくっついてるだけ。蘭はそもそも隣には座ってこねぇし、トシが違うだけでここまでスキンシップに差があるんだろうか、と真面目に考察したくなってきた。

 

「いや~、先輩方がただ単にエロエロなだけでは~?」

「……それは間違いねぇな」

 

 身も蓋もねぇけど、その方がなんかしっくりくるな。あのエロ悪魔どもめ、一人増えてますます大変なことになってるんだよな。

 ヒトの考えを読んでくるモカは、そんないつもの眠くなっちまいそうなくらいの間延びした口調から、少しだけ感情を出したモカに変わった。

 

「せんせーは、相変わらずだね」

「そうだろうな」

「でも、完璧にモヤモヤが消えたね」

「イロイロあったからな」

 

 諦めたフリして不良教師をやってるオレは花咲川にいた三週間でホントにいなくなっちまったな。結局、タバコも殆ど吸っちゃいねぇし、この際、禁煙すんのもアリだな。そもそも担任やってる時は吸ってなかったわけだしな。我慢できる気はしねぇから当面は減らしてく方向だな。ヒナにもそう言っとかねぇと。

 ──そういや担任で思い出した。モカが前に謎なことを言ってやがったな。あの事、訊こうと思って訊きそびれてたんだよな。

 

「せんせーが一昨年の秋に一週間休んだーってハナシ?」

「それだよ。覚えてねぇんだよ、ソレ」

 

 あの本音をまき散らしてた状態のストーカーが、わざわざウソを言う必要はねぇ。けど、オレには一週間も休んだ記憶がねぇ。

 二年前の毎日を逐一整理できてるわけねぇから、その前後になにがあったのかも覚えてねぇけど、秋っつうとあのクソ問題児と揉めてた頃だな。確かにサボった……っけか? 

 

「なにか嫌なことあったの?」

「んー、担任二年目はマジで嫌なことばっかりだったな」

「何があったの?」

 

 そこまではモカも知らねぇのか。まぁ、ストーカーっつっても、写真撮ってるだけだもんな。そりゃあ、オレに何があったのか、オレのクラスに何があったのか、知ってるハズもねぇよな。

 あの時のオレは理想に溺れてた。平等、公平、そんな耳障りのいい幻想を本気で遂げようと必死で、必死になって自分の正義を押し付けて、その結果がオレの教師歴の傷ってわけだ。

 ──オレは、退学者を出した。オレの言葉に潰れた生徒が、教室からいなくなった。嫌な記憶だ。どうせならコレも忘れていてほしいもんだな。

 

「あ、ごめんなさい……」

「いや、オレの方こそ悪かった」

 

 こんなのさすがに恥ずかしいし、気分も悪くなっちまうってんでホントは話したくもねぇんだよな。その辺、モカは考えを読んでくれるからな。口に出さなくて済んでる分オレも楽だよ。

 それにしても、オレがタバコを解禁したのがそのすぐ後だったはずだから、モカの話も総合すると倒れたのはそんな嫌な記憶の前後、ってワケだな。

 

「その退学が倒れた原因じゃないの?」

「だったらソレも覚えてねぇだろ」

 

 これは知り合いの精神科の受け売りだけどな。トラウマ、専門家っぽく言うならPTSDか。これで引き起こされる記憶障碍ってのは脳の防衛本能みてぇなもんだからな。倒れたことを覚えてねぇってことは倒れた原因に記憶が混濁するほどのナニカがあったんだろうな。確かに精神的には脆い状態だったから、そこに追い討ちがあったんだろうな。

 

「考えてると頭が痛むな……マジでなにがあった?」

「あんまり、思い出さない方がいいんじゃないかな? それでまたせんせーがいなくなったら……やだよ」

「そうは言ってもな、気になるんだよな」

 

 なんつうか、自分のことで自分が知らねぇで、他人が知ってるってのがモヤモヤすんだよ。まぁでもこれ以上はモカも知らねぇみてぇだし、とりあえず話は切り上げとくかと、そう思った瞬間、モカの表情がパっと明るいものに変わった。なんだよ。だらしねぇ顔してんな。

 

「えへへ~、でーとしてるんだもん、たのしーのがいいよね~」

「おっと、これはデートだったか」

「む~」

「そんなカオすんなっつうの。冗談だよ」

 

 モカはオレのおどけた表情に対して憮然としてから、知ってたもん、と唇をとがらせた。ウソつけ、わかってなかっただろ。それともその表情も甘えるための作戦かなにかか? 策略家を騙るのもいいけど、ちったぁかわいげのあるヤツにしといてくれよ。

 

「あ~、そんなことゆーと~今日はもう離れてあげないもんね~」

 

 こうしてのんびりとモカと会ったのは久しぶりなせいか、言葉通り一向に離れる気配がねぇな。まぁ、休日だし、それも悪くはねぇとは思うけどな。

 羽沢に頼んでコーヒーのお代わりを頼んで、遂にはヒトの膝で寝始めやがったモカの寝息と落ち着いたピアノジャズをBGMにホットコーヒーの匂いを堪能するっつう贅沢な時間の使い方をしていると、机に置いてたオレのスマホが短く音を鳴らした。誰だ、ヒナ……は今オレが既読のまんま放置してるから違ぇし、そもそも今仕事中のハズ。千聖も同理由だし、紗夜も練習してるハズだからな、なんならコイツも既読のまんま放置中。んじゃあ一体、と思ったところで筆不精すぎて存在を忘れてたヤツを思い出した。

 

「蘭だな」

 

 蘭から、暇になったんだけど、どこにいる? とメッセージが来ていた。別に電話でもいいんだけどな。モカが寝てる今はありがたくもあるな。花咲川での三週間が終わったら、まるで待ち構えてたかのような怒涛の会いたいコールってのは、なんか教師としては微妙な気分だな。

 

「いらっしゃいませっ」

「つぐみ、一成は……?」

「あそこだよ、モカちゃんと一緒」

「そ、じゃあ、ホットコーヒー」

「いつもの、だね!」

「うん」

 

 コーヒーが温くなってきたころ、私服姿の蘭が店にやってきてキョロキョロと左右を見渡していた。んで、オレを見つけてちょっとだけ顔が明るくなってから、またいつもの初対面でキツイ印象を与えてきそうな表情に戻った。一瞬の笑顔だけど、やっぱ美人だよな。なんて思っちまって、やだやだ、相手はまだガキなのに最近そう思うことが増えてきたな。

 

「……どしたの、アタシの顔、じっと見て」

「いや、美人の笑顔が見れるなんて役得、だと思ってな」

「バッ、アンタ、見てたの?」

「バッチリな」

「……サイアク、サイテー、変態クズ、エロ教師」

「ハイハイ、蘭ちゃんはカワイーナァ」

「……ぶっ殺す」

 

 あーあー、美人が使っていい言葉じゃねぇんだよな。まぁ、蘭はなんかオレが軟派っぽいこと言うと不機嫌になるし、今のはからかった自覚があるからな。

 モカを見た蘭はため息をついて、オレの向かいに座って本を開き始めた。ったく、素直じゃねぇ女だな。別に甘えてぇってならそういやいいのに。まぁそれを恥じらうのも、気づいてほしいって思うのも、奥ゆかしいオトメゴコロってヤツなんだろうけど。

 

「なに、ジロジロみられると集中できないんだけど」

「だろうな、さっきから一ページも進んでねぇ上にオレと目が合うもんな」

「……うるさい。ホントウザい」

 

 眉を下げながら言われてもなぁ。相変わらず他の女が絡まねぇと一気にポンコツ度が増すのは、かわいいと言っていいのか、なんて言ったらいいのかわかんねぇところだけどな。

 まぁ、今はモカが膝ですぅすぅいってるからあんまり拗ねることも甘えることもできなくてムカつくってとこか。

 

「蘭」

「なに……って、なにこの手」

「三週間、よく待ってくれたな、サンキュ」

「……うん」

 

 手に頭を置いたことでギロリと、まるで虎を思わせる猛獣の眼光を一瞬覗かせたが、オレのその言葉がグッドコミュニケーションだったようで、一瞬で猛虎は愛らしい猫へとサイズを変えてみせた。

 戸山とか北沢とか、最近そういうヤツらと関わってきたからな、それに、モカとかヒナとか千聖とか、そういう類の猛獣(せいと)も扱ってきてんだ。体裁の必要ねぇ今、蘭の相手なんざ赤子の手を捻るようなもんだ。

 

「どうだった? 一成にとって、なにか得るものはあった?」

「そりゃもちろん。教師としてまた、一つ成長できたな」

「……つまり、また生徒(かこい)を増やしたってことなんだ」

「ん、まぁそう、だな」

 

 具体的に言うと紗夜だな。秩序の獣、狼をイメージさせる青い薔薇は、そのアイデンティティを失わないまま、オレに別種の笑顔を見せてくれるようになった。

 更にはこころや奥沢など、そこで切れる縁じゃなくなっちまったヤツも何人か増えちまった。

 教師としては少数学級だが、男女と見るならキャパオーバーもいいとこだ。そもそもヒナとモカ、蘭の時点でキャパオーバーだったっつうの。それが今や倍だ。キャパ200%を超えた今、オレの腰は遂に湿布と一生を添い遂げる腹積もりらしい。

 

「もう。一成のソレは病気だね」

「これでも今年からなんだよな、コレ」

「ソレを始めたのが今年からだからってだけでしょ?」

「だけど、ここまで効果覿面だと戸惑って当たり前だな」

 

 ついでにここまで女の敵になって一部からの嫌われ率も上昇中ってこった。まぁ、卒業した先輩や先生方からありがたいオレの無能具合を聞いてるヤツからしたら、ヒナや蘭、モカといったメンツは理解しがたいもんだろうけどな。

 

「一成は、アタシがずっと傍にいたいって思ったヒトは、そうやって誰かに嫌われても、好きでいてくれる誰かのために頑張れるヒトだから」

「そうかよ」

「ヘンタイの上にクズだし、浮気性だし……人間性はあり得ないくらい最悪だけど」

「そうかよ」

「一成は無能なんかじゃない。アタシたちはそれを知ってるからさ」

 

 蘭はそうやって、少し恥ずかしそうに、けど、綻んだ顔が自然に作り出したように、くすっと笑った。

 お前は、クズで、また女を増やしてきたどうしようもねぇオレを、そんな風に笑い飛ばしてくれんのか。まいったな、甘やかされ過ぎて、甘すぎて、愛おしい。蘭にはずっと、ココにいてほしい。何処にも、行かないでほしい。明日も、一緒に未来を歩んでほしかった。

 

「……一成?」

「え?」

「せんせー……なんで泣いてるの?」

「……ない、てる?」

 

 身動ぎをしたモカにも、蘭にもそれを指摘された。オレの感情とは無関係、もしかしたら無関係じゃねぇけど、とにかくオレがついていけてねぇのに、いつの間にか涙が頬を伝っていった。

 どうした急に、戸惑いがでかいんだが、なんか、奥に引っかかることがある。なにがあったんだ。そう考えてると、突如、メッセージが鳴った。

 

「誰から?」

「日菜さん?」

 

 心臓が跳ねる。頭が痛む。これはマズい、そんな嫌な予感が胸に広がった。

 あたしが検閲しなければ~、とモカがなんの気なしにオレのスマホのパスコードを入力して、そのメッセージの中身を覗き込んで……ああ、やっぱりな、ヒナじゃねぇ、モカの表情が凍り付いた。

 そもそもソレはいつものメッセージアプリじゃなかったんだろ? んで、送信者は過去からの贈り物ってとこだろうか。

 

「……え、コレ、どういうこと」

「どうしたの、モカ?」

「何が書いてあった?」

「……ダメ、せんせーは見ちゃダメ!」

 

 びっくりする程の大きな声、羽沢が何事かと様子を見に来た。そりゃ普段のんびり口調なモカが声を張れば誰でも驚く。けど、なによりも羽沢が様子を見に来た理由は、モカの声が、震えていたからだ。

 

「待て待て、オレ宛てのメッセージなのにオレが見ちゃダメってどういうことだよ」

「ダメなんだもん、ダメだよ、こんなの、ダメ、だって、見せたら」

 

 ぶつぶつと涙を流しながらうわごとのように呟くモカに、流石の蘭とオレ、そして羽沢も異常事態だということには気づいた。

 ──この瞬間に、モカは全部を理解していた。オレに対して疑問だったことの全部を。それが最後のピースだからだ。

 

「モカ、それでも、一成のとこに来たんだから、一成は見なきゃいけないでしょ?」

「そうだよモカちゃん」

「これはダメなヤツなの……ぜったい」

「……なんでそこまで、ダメってわかるんだ?」

「せんせーは()()()()。だから思い出してほしくて、コレが送られたんだよ。でも、まだダメ、もっと、せんせーが先生として満足してないと、ダメなんだ」

 

 思い出してほしい、か。きっとそれはさっきのオレのモヤモヤを埋めるようなものだったんだな。けど、それは同時に()()()()()()()()()()()()ってことか。それをモカは必死に教えまいと首を振っていた。

 

「……モカ、サンキュ。でも、オレは今日思い出さなきゃいけねぇ理由があるんだろ?」

「……うん。でも、これは来年でも、再来年でもいいんだよ。別に今日じゃなくても」

「やっぱり、クズ教師(あのひと)のことだな」

「──!」

 

 すっかり忘れてたけど、今日は丁度、あのクズ教師と、まだまだ純朴な少年……だったハズのオレが出逢った日。アイツが記念日、とか言ってガキみてぇに笑ってた日だ。それは覚えてるけど、じゃあそのメッセージの中身はなんだろうな。恐らく二年前にも似たようなもんが届いた。んでそれを見たオレは、()()()()()()()()()()()

 

「もし、またおんなじことになっても、今度は蘭とお前、あと羽沢もいるからな」

 

 精神科の知り合いがいるのは、オレがそうやって精神が不安定だった時期があるから。それすら覚えてねぇんだから最高に笑えるけどな。

 ピースが嵌っていく感覚、オレの中にあった不可解が全部晴れて、最悪の現実が見えてくる、そんな感じだ。

 なんで実家に帰らねぇのか、なんで大学の始めの記憶と二年前の記憶がブツブツで混濁してんのか、なんで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが一度に分かるってワケだ。

 

「モカ」

「……でも」

「一成を信じよう? 一成はアタシたちの先生なんだから」

「そうだよ、モカちゃん」

「……うん、わかった」

 

 悪いなモカ、もしダメだったら、電話帳ん中から適切な名前を引っ張り出しておいてくれ。それさえ準備できてれば、大丈夫だろ。向こうも恐らく、このことを知ってるだろうしな。

 ──過去におんぶにだっこってのはちっと気に入らねぇ部分もあるけど、トラウマをほじくり返す準備は万端ってことだ。

 

「……えっと、やっぱり差出人はオレか? でも、オレじゃねぇな」

「うん」

「誰から?」

「わかんねぇけど過去から未来のオレへっつうなんともロマンチックなメッセージだな」

「そんなことできるんですね」

 

 アプリとかでそういうのもあるんだよ。それを利用して、忘れたくない、けど忘れちまう何かを思い出すために二年前に()()は策を弄した。イマのオレなら、この現実を受け止めるための鍵を持ってると信じて。

 

「……マジかよ」

 

 その文章に目を通した瞬間、心臓がめちゃくちゃなビートを刻み始めた。脂汗が出て、モカの、せんせー、っつう声がやけに遠くから聞こえた。オレからのメッセージはそれだけオレにショックを与えることができるものだった。

 

「思い出して、一成。センセーが影と思い出に縋ってたクズ教師は、川澄由美子(かわすみゆみこ)先生はもう、()()()()()()()。今日はその人と出逢った日でもあり、死んじゃった日でもあるんだ。辛いと思うけど、どうか、思い出して一成──富士見麗奈(ふじみれな)より」

 

 ああそうだったな。あのクズ、ずっと見てるとか言いながら、さっさとオレを置いて逝きやがったんだったな。

 ──ねぇ、ネバーランドってあると思う? そうやって笑ってたアイツは、永遠の国へと旅立ってるんだ。二年前は……そうだ。なるほどな、()()()をサボって高校ん時のダチから、連絡がきたのか。

 

「ヤベ……モカ、蘭、悪い、やっぱ、キツそうだ」

「せんせー……」

「一成」

 

 目の前が真っ白になる。ああ、悪いな、豆腐メンタルなヤツで。確か一昨年はレナの前でこうやって倒れたんだろうな。そりゃ無能だ、表向きにはどう考えてもアイツを救えなかったことによる心労だもんな。

 ──全くのブラフってんだから、オレもヒトが悪い。そりゃ前からか。んでそれをオレ自身すら勘違いしてるんだから、最高に笑えねぇな。

 

「一成!」

「せ、せんせー……あ、電話、しないと」

「電話って救急車!?」

「ううん、こんな風になるせんせーを、知ってるヒト」

 

 そうだな。頼んだ、モカ……オレは少しだけ、休むとするよ。っつっても、まぁ一週間も休むのは勘弁だけどな。あと、ヒナにも謝っとかねぇと。やっぱりガラでもなく明日の約束なんて、するもんじゃねぇな。

 ──レナ、富士見麗奈。オレの傷跡でもあるアイツにはもう、謝れねぇな。悪い、お前のメンタルをなんとかしてやるつもりが、まさかお前にオレの過去を背負わせるなんて重たいことなんか、しちまって。

 

 

 

 




川澄由美子(かわすみ ゆみこ)は手直し前から名前出てたけど、ここでレナが別作品でヒロインやってるので展開をちゃんとリンクさせてもらいました。
富士見麗奈(ふじみれな)、オリキャラであり、生徒零号の称号を持つ彼女の出番はたぶんこれで終わりです……すまんなレナ


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②決裂ガールズ

 一成が倒れた。そんな関係のないヒトからすれば小さな事件かもしれないけど、少なくともアタシたちの中では大きな事件として瞬く間に情報が広がっていった。

 原因は精神的なショックだって、モカが一成のスマホで連絡を取った精神科の先生は苦笑いをしながら言った。そして翌日、見舞いに行った時にそんな先生にアイツの過去の話を聞いた。

 一緒に来てたのはモカと日菜さん。二人はそれぞれの面持ちでその話を聞いた。

 

「まず、清瀬くんの高校時代のハナシを、知っているか?」

「いえ……詳しくは」

「あたしも、カズくんの初カノジョが高校生の時ってハナシしか……」

「氷川さん、それじゃあ、そのカノジョがどうなったかは知らないんだね?」

「……うん、あ、はい」

 

 アイツは、一成は自分のハナシをしたがらない。突っ込んで訊こうとしても、自分語りはしたくねぇなって躱して、アタシにも日菜さんにもモカにも、過去を明かしたことはなかった。だから、日菜さんの言ってた元カノのハナシも、ちょっとしか聞いたことはなかったから、自然消滅でもしたのかとでも思ってた。

 

「──清瀬くんの高校時代の恋人は、もう亡くなってるんだ」

「亡くなって……って、死んじゃってるの?」

「そう、彼が大学二年生に上がる寸前にね」

「……そんな、ウソ」

「ホントだよ、蘭」

 

 動揺するアタシと日菜さんに対して、静かな肯定をしたのは、モカだった。メッセージの中身を見たモカは、その言葉がホントだって知ってるんだね。

 だからかな。一成は思い出を探るような顔をすることが多いんだ。もう、一成が好きで、どうしても一緒にいたかった一人目のヒトは、思い出にしかいないことを、心のどこかで分かってたのかな。

 

「でも、カズくんと先生がなんで知り合いなの?」

「ウチの息子がね、大学の同期なんだ。それでかつ、清瀬くんが一番不安定なところを見て、ウチに招待した人物でもある。そういう繋がりさ」

「なるほど~」

 

 ハナシによると一成の大学入学時からかなり不安定な時期があったらしい。それはさっきの元カノのことで不安定になってた。

 一成がそのヒトに誓って、教師を目指して大学へとやってきてすぐ、その先生は病気で倒れてしまったらしい。だから一成はそれを三年間、気づいてあげられなかった自分を責めていたみたい。

 

「それじゃあ、最初はまだカノジョさんとも繋がりがあったんだ」

「そうだね、何度か大学を休んで地元の方に帰っては、その彼女に怒られた、と私に話してくれたよ」

 

 そのヒトは、多彩な才能を発揮できる才媛と呼ばれたヒトだった。けど恋愛には全然興味がなくて高校教師になってからも独り身だった。そんな時、当時は星を見ることが好きな男の子に出逢った。それが、清瀬一成という生徒だった。

 

「……っと、こんなに話してしまっては清瀬くんに申し訳が立たないな。続きは、清瀬くんが語ってくれるよ、きっと今回は大丈夫だろうから」

 

 その言葉を最後に今日はもう帰りなさい、と言われ日菜さんもモカも沈んだ顔で外に出た。ここまで知ったアタシたちに、流石のせんせーも話さざるを得ないだろうってタイミングの切り上げ方だってモカは呟いた。温和そうだけど、一成のメンタルをケアしてるヒトだけにそういうところは強かなヒトみたいだ。

 

「……それじゃあ、明日は来ないんだよね」

「多分、このまま泊まりでしょうし」

「そっか、カズくんは()()約束を破るんだ」

「……仕方ないと思いますよ~?」

「仕方ないとかじゃないよ。あたしは」

「──仕方ないんですよ。日菜さんがどんなにワガママを言っても、せんせーはこの状態なんだから」

「そんなこと、あたしだってわかってるよ」

「ホントですか~?」

「ちょ、モカ、日菜さん、急にケンカは──」

 

 仲裁に入るケド、明らかにモカの様子がおかしい。待って、モカは何か知ってるの? そんなことを問い掛ける前に、モカはさっさと何処かへ歩いていってしまった。まるで日菜さんやアタシ、なにも知らずにのうのうとしてる二人が許せない、とでもいいたげな背中を見せながら。

 

「……ねぇ、蘭ちゃん?」

「はい」

「お腹、減ったね」

「……そういえば、もうそんな時間ですね」

 

 お昼はとっくに過ぎてる。日菜さんに指摘されて漸く、腹の虫も空腹を思い出したようにくぅ、と鳴いた。

 いつもだったらムカつくし恥ずかしいから腹を殴ってやりたくなるけど、今は、その音に笑う日菜さんの雰囲気が和やかになったし、仕方ないから許すことにした。

 

「おねーちゃんたちがね、CiRCLEでランチ食べるんだって、よかったら一緒にどう?」

「……Roseliaのメンバーと?」

 

 それは、つまり湊さんもいるってことだよね。アタシ、湊さんはあんまり得意じゃないし、あこは何言ってるのかわからなくて、白金さんは白金さんで会話が続かない。逆に紗夜さんは前までは会話は続かなかった。今は日菜さんと、なにより一成っていう共通の話題があるけど。あでも、今日は紗夜さんやリサさんに、一成ことを伝えないと。

 

「行きます」

「じゃあ、れっつごー!」

 

 日菜さんはそうやってアタシの少し前を歩きだした。一成が倒れて、三人の中で一番ショックを受けてるのは多分、日菜さんなのに、いつも通りを維持しようとしてる。アタシが気にしないで済むようにいつも通りでいようとしてくれる。このヒトはホントに、一成に悪魔とか言われてる、日菜さんなんだろうか。それとも、一成に触れて、変わったのかな。

 

「ん? どしたの蘭ちゃん」

「……いえ」

 

 このヒトは一成にとっての、最初の生徒(トクベツ)で、アタシにはないものを沢山持ってる。天才と呼ばれて、それを鼻にかけるわけでもなく、かといって謙遜は絶対にしない。そんな日菜さんに向き合ってる一成を、純粋に尊敬することもあった。

 

「いやぁ、オレはヒナと向き合えてなんかねぇよ」

「……は?」

 

 ──けど、花咲川に行く前の一成はそうやってアタシの言葉を笑い飛ばした。ベランダに腕を置いて、タバコは吸ってないけど、その代わりに缶コーヒーを飲みながら、黄昏に照らされた、カッコいい大人は、くしゃりと特別なヒトにしか見せない子どもみたいな顔で、そうやって笑い飛ばした。

 

「だって、蘭はアレの言動、理解できてんの?」

「……無理、だけど」

「そう、無理なんだよ。理解なんてできるわけねぇ、精々、行動を見てからあの能天気な頭がどう動いてるかが分かる程度だよ。オレはあの天才ちゃんの考えてることなんて一パーも理解できちゃいねぇさ」

 

 少なくとも日菜さんはそう思ってなさそうだけど、その差はなんだろうと考えてると、一成はアタシにキスをしてくれた。

 教師からもらったは思えない熱の籠ったキス、返事はもちろんアタシからのキスで、アタシからは愛してる、という意味を込めて。

 そんなセンセイとセイトの関係にしては不釣り合いな甘い時間の後、一成はにっと笑顔を見せた。

 

「ほらな、理解できるだろ?」

「……だね」

「ヒナにはそれがねぇんだ。でも、オレはそれでいいと思ってる」

「いいの?」

「アイツを理解できるなんて、それこそ天才(バケモノ)の思考を持たねぇと無理だろ。理解しようとすると、必然的に思考がバケモノのそれになる。オレはオレだから、そんなのゴメンだね」

 

 その言葉にアタシはとある哲学者の言葉を思い出した。怪物と戦う時、自分も怪物にならないよう注意しなければならないって、感じの言葉。

 氷川日菜という人物を理解するためには、あのヒトと同じ思考をしなきゃいけなくて、一成はそうなったら自分の理想の教師になれないから。だからそれを否定して見せた。

 

「アイツを教師として正しく、間違ってても最後にはアイツにとっていい方向に導いてやるには、アイツと向き合うのはナンセンスで、理解なんてしちゃいけねぇんだよ」

 

 理解しすぎたら同族嫌悪でヒナを拒絶しちまうだろうからな、と最後に付け足した一成に、アタシはそれがわかってるってことじゃないのか、とも思ったけど、上手い言葉がでなくて代わりに、他のヒトのことを熱く語った浮気者の腰に手を回して、向き合ってくれる喜びを噛み締めた。

 生徒じゃなくて、アタシのことはその先まで見てるから、こうやって向き合ってくれてるのか、と思うと、嬉しかった。

 ──そんな一成とのなんでもない日のことを思い出して、また日菜さんの背中を見た。

 今、一成はいないんだ。だったらアタシが。

 

「日菜さん。平気そうなんで余計なお世話かも知れませんけど……ヤなことがあるなら、アタシは先に行ってますから」

「……あはは、そこは胸に飛び込んでもいいよ、じゃないんだ」

「アタシは、一成じゃないし、日菜さんでもないんで」

「……そっか、そっかそっか♪」

 

 なるほど、謎だと思ってた日菜さんと一成はこうやってコミュニケーションを取ってたってことか。アタシは日菜さんをこれっぽっちも理解して言った言葉じゃない。けど、日菜さんにとってはそんな言葉こそが、言われて嬉しいものでもあるんだ。

 そうするとつまり、一成はそうやって日菜さんを認めながら、サラっと躱す、そんなカッコいい大人を目指して失敗したってことか、ホント、色々残念な大人だ。

 

「日菜さんは認めながら、こうやってそのヒトのありのままでぶつかるヒトが好きなんですね」

「んー、よくわかんないケド~、そんな感じかも? あたしをわかろうと頑張るヒトより、あたしが他のヒトと違うことを知った上で、自分はどうするか教えてくれるヒトが好きだよ」

「一成はピッタリですね」

「そうそう。だからカズくんは一緒にいて楽しいよ」

 

 天才だから、凡人には考えも及ばない。だからそれを凡庸な言葉で当てはめてなんかほしくない、か。

 アタシが湊さんや日菜さんを苦手にするのは、そういう壁を感じるからなのかもしれない。いや、こればっかりはアタシが凡人だなんて認めたくないけど。でも、そっか、一成が言ったことがアタリなら、逆もまた真実だ。

 ──怪物と戦いたければ、怪物を理解して、怪物になればいい。だったらアタシは日菜さんを理解したいな。

 

「なんかヘンなこと考えてるかもだけど、蘭ちゃんは充分、コッチ側だと思うよ?」

「え?」

 

 間の抜けた声が思わず出てしまった。コッチ側って、まさか、湊さんや紗夜さん、日菜さんがいる場所ってこと? でも、いつも差を感じて、アタシは焦って、噛みついてばっかりで、そんな追いついてるだなんて、まだまだなのに。

 

「だって、カズくんが言ってたよ? あたしと蘭ちゃんのソリがビミョーに合わないのは、()()()()()()()()()()()()()

「……一成が」

 

 アイツは、色々なものを遺していく。いや、死んじゃったワケじゃないけど、アタシには日菜さんのことを、日菜さんにはアタシのことを。そうやって笑って、時々真剣に語ってた言葉はこうやって一成がいなくなってから、バラバラの二人を繋ぐ橋になってる。

 争うくれぇなら、二人でも三人でも纏めて後ろ暗くても構わねぇよ。そんな風に、けど腰を痛そうにさすりながら言ったこともあるアイツは、一体どんな世界が見えてたんだろう。やっぱり、大人って自称するだけはある。

 

「カズくんってさ、ホントクズだよね」

「ええ、ホントに」

「あたしには蘭ちゃんのこと惚気けてくるんだよ?」

「アタシには日菜さんのこと惚気けてきますね」

「一緒だ!」

「はい」

 

 アタシは、日菜さんとこうして話ができてる。それは、意味が分からない言動の多い日菜さんを、一成が認めてるから。

 アイツにとって、日菜さんは、多分アタシと同じくらい、いなくなってほしくないヒトだからだ。悔しいけど、妬けるけど、このヒトは一成が悔いのない教師として生きる上で、必要なヒトだ。つまり、それはアタシにとってもおんなじってこと。

 そんなことを思っていると、日菜さんは、いつもの人懐っこそうな笑みを維持したまま、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……あたしさ、誰かに負けたこと、なかったんだ」

「……そう、なんですか」

「うん。スポーツも、勉強も、一度もね。そりゃあじゃんけんとかは別だけどさ、そういうのじゃなくてさ、えっと、んー、上手く言えないけど、蘭ちゃんなら分かるよね?」

「ええ、まぁ」

「よかった、コレが伝わらないと理不尽だもんねー」

 

 周囲の気温が下がったんじゃないかってくらいに鳥肌が立つのに、ヒリヒリしそうなくらい、日菜さんは熱い感情をアタシに向ける。こんな熱いのにいつも通りで……多分、こんな熱いのにいつも通りだからこそ、余計に日菜さんから視線が離せない。今すぐにでもこの悪魔はアタシの首元に刃を突きつけてくるんじゃないかってくらいだ。

 

「……()()()()()()。カズくんが蘭ちゃんの前で教師として頑張ろうとしてるのを見て、あたしは()()()()()()()()()()

「負け知らずだって、いつかは負けますよ」

「あはは、まぁ、確かにね、おんなじ負け知らずのこころちゃんとかいるしね。でも、そうじゃないよ。こころちゃんも夏休みのことがあるけど、誰にも負けたくなかった、負けるなんて思ってなかったカズくんとの時間を、横から蘭ちゃんが奪った、ってゆうのが、ダイジなトコだよ?」

「奪ってなんていませんよ。一成は誰かを選んだりしませんよ」

「あは、言うねぇ、蘭ちゃん。もう理解者気取り?」

「まさか、アタシは真似をしてるだけ」

 

 引いたら負けだ。臆したら死ぬんだ。アタシが今いる場所は、誰でもない、一成がここに居てくれって言ってくれた場所なんだ。抑止力(かずなり)がいなくなったからって、揺らいでいい立場じゃない。

 

「……カズくんの口癖、知ってるでしょ?」

「なんですか?」

「カズくんは明日を信じない。信じられない。そんなカズくんが卒業まで面倒なんて、見てくれると思う?」

「それは」

 

 一成が倒れる前なら、思ってます、って啖呵切れたけど、今は、言葉が続かない。

 アイツは明日を信じない。今ならその理由がわかるけど、信じて裏切られてるから。ずっとなんて言葉、一成は本気で口にしたことはない。一成が信じるものは明日じゃなくて過去だから。

 

「蘭ちゃんはカズくんにとっての未来の希望だったのかも。でも、その未来を信じてないカズくんが蘭ちゃんを希望だなんて本当に思うのかな?」

 

 ──いいか、不信は毒だ。一度信じれなくなっちまうと、それが周囲を腐食して、いつか全部が信じれなくなる。

 そんな言葉の通りだ。少しだけ感じた不信感が、一成の言葉を溶かしていく。アタシの中で大切だった言葉が、意味のない音の羅列に変わっていく。

 

「結局、カズくんはまた離れちゃうのが怖かっただけだよ。だから生徒だ、って言って女の子を囲うクズで、そうやって求められる自分がキモチイだけ」

「……だとしても、日菜さんだって、そういうことになりますけど?」

「そうだね。あたしは別にそれでもいいよ? あたしが気持ちよくて、カズくんがキモチイならさ。求めてあげるし、えっちだってシちゃえるから」

 

 それは、都合の良い関係だ。浅ましくて、剥き出しの性欲に身を任せるだけの、都合の良い関係。日菜さんは、それを許容してたんだ。それを認めることを指して、一成に好きだって言葉にしてただけ。一成も、それを許容して日菜さんを抱いてるってこと。

 

「あはっ、蘭ちゃんにはムリでしょ。カズくんがホントに欲しいのは、あたしたちに求められたいってゆう気持ちと、カラダだけだもん。蘭ちゃんはそんなの、認められないもんねっ、認めてあげられるのは、あたしだけだもん♪」

 

 一成はずっと、大人であろうとした。理性的であろうとした。それはコレを懸念してたんだと、アタシは今になって気付いた。

 自分がいなくなった時、なにが起こるか。それは日菜さんの暴走に始まる、一成の争奪戦。モカはそれをいち早く察知して、アタシたちから離れていったんだ。

 初めて負けた氷川日菜という天才が、死にもの狂いで欲する勝利、清瀬一成の独り占め。ああ、止めなきゃいけないのに、今のアタシには止められない。このまま日菜さんの思い通りになったら、一成は今度こそ教師を全うできないままになる。それだけは、例え、アタシがアイツといられなくなっても、それだけは阻止しないと。

 無力を噛み締めながら、アタシは日菜さんと反対の方へと歩いていく。先手が打たれてるなら、わざわざ日菜さん(テキ)相手に無様を晒す必要なんてない。後手だとしても、アタシは一成の本懐を、信じてみせる。

 

「……ですね。でも、アタシはアタシの信じる一成を信じます。それが──アタシが目指す、青春ですから」

「いいね、そうこなくっちゃ!」

 

 今日で、温かったアタシたちが奏でる青春ガールズロックと、それを受け止めて日常に帰る黄昏ティーチャーの関係はここでおしまい。

 ここからは、アタシたちによる、泣いて、怒って、出し抜いて、自分の信じる一成のための、修羅場の始まり。

 ──アタシと、日菜さんの戦争の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 




薄氷の上で成り立っていた関係は、楔を失って崩れていく。
そうやって、取りこぼして、繰り返す。何度でも。


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③黄昏ウォーズと青春メモリーズ

「はぁ……それは、まんまと日菜ちゃんの策にハマってしまったわね」

「……はい」

「それで、焦った蘭ちゃんは、日菜ちゃんに近くかつ口で対抗できる私を頼ろう、というわけね? 少し浅はかではないかしら?」

「……ごもっともです」

 

 早速、一成の様子を知りたいと連絡を取ってきた千聖さんにあらかたの事情を説明した。反応は以下の通り、わかってる、わかってるけど、日菜さんを出し抜こうなんて考えたらそれこそ、全部が手遅れになっちゃうから浅はかだろうとなんだろうと、むしろ他力本願だろうと、アタシには千聖さんのチカラが必要なんだから。

 

「……ふぅ、まぁ、普段ココは利用させてもらっているし、芸能人だとか、アイドルだとか、そういう面倒なしがらみから抜けられる環境ということで、つぐみちゃんのお店は重宝してるわ。そこに付随するなら、蘭ちゃんやモカちゃんがあのヒトとのかかわりがあったからこそ、ココでカレと出逢えたのだから、私としては協力を惜しむ理由はないけれど」

 

 長い。前置きと言い訳で一瞬寝るかと思いました。そんな言葉は間違っても出せないから、ありがとうございますとだけ言っておく。それにしてもこのヒト正直めちゃくちゃ面倒だな。ツンデレの素養もあったなんて聞いてないし。

 けど、アタシに協力してくれるって言質は取りましたからね、なんならモカにICレコーダーも借りた方がいいかな。まぁ、そこまでしなくてももう一度同じ手順を踏めばいいか。最悪、日菜さんに与するか否かの二択に迫ればいいし。

 

「……あの、蘭ちゃん?」

「なんですか?」

「何を考えたのか、読めたうえで先回りさせてもらうわね。その考え方、一成さん(どこかのクズ)みたいよ?」

 

 心外ですよ、千聖さん。完全に無意識に日菜さんを上回るために何ができるかを考えてるだけなんだけどな。もしかしてそれが悪魔たる日菜さんを扱ってきた一成の思考に似るのかな。一成とおんなじ、か……そっか。

 

「つぐみちゃん、このポンコツ赤メッシュ……いえ、蘭ちゃんが壊れたから替えを頼むわ」

「あの、流石にウチに蘭ちゃんの替えは置いてないんです……というか今サラっと蘭ちゃんのこと酷い呼び方しませんでしたか?」

「気のせいよ」

「え、でも」

「気のせいよ♪」

「は、はぁ……」

 

 一成と同じ、というところに嬉しさを感じている間に、なにやらつぐみが丸め込まれてた。しっかりして、蘭ちゃんと言われ、アタシは正気に戻って、千聖さんに再び相対する。モカにも助力というか集まって、と言ったのに、結局既読すらつかずに連絡は来ず、ドコに行ったんだろう。それとも、モカはモカでまた、違う目的のために動いてるのかな。

 

「……話を戻しましょうか。私は()()一成さんが好きよ。それを都合の良い方向に変えてしまおうとするなら、私は敵になるだけよ」

「つまり、敵の敵は味方、ってことですか」

「そうなるわね」

 

 千聖さんはこの間までの温さになにかを見出したみたいで、どっちつかずではあるけど曖昧ながらも日菜さんの考えを支持しないことを明言した。

 なんだか、背中を預けたら裏切ってきそうなヒトだけど、これでモカ以外のヒトの戦争スタンスは明確になった。

 

「日菜さんは、このまま一成を教師じゃなくて、ただのクズとして閉じ込めようとしてます」

「それはいただけないわね。それで、日菜ちゃんはそれを受け入れられない蘭ちゃんを排除しようとしているのね?」

「排除……とまではいかないですけど」

 

 日菜さんが求めるものは停滞。明日を信じないのなら、明日ではなく今日を永遠にしていく。風の吹かない日々っていうのかな。

 千聖さんが求めるものは平穏。似ているようだけど、それは一成が教師であるという前提に成り立ってる。だから日菜さんとは敵対する意見を持ってる。

 アタシは一成の本懐を大事にしてあげたい。明日が信じなくても、理想だけは信じていてほしい。その理想の先にあるのが、一成の幸せであってほしいから。

 あとは、紗夜さん。あのヒトの求めるものは、日菜さんと似て非なるものだった。日菜さんに同意をしながらも、永遠の今日がないことを口にした。

 

「紗夜ちゃんは……いえ、予想はつくけれど」

「……あのヒトは、一成の停滞を認めたうえで、キモチイことだけが全てなら、与える、と」

「置物にしてあげるというのね、あの紗夜ちゃんがそんなことを」

 

 向上心の鬼みたいなヒトだと思ってたのに、けど、あのヒトは本気だった。本気で一成を閉じ込めてしまおうとしているみたい。それだけは間違いなくダメだってのに。

 出そろったところで、千聖さんは目をパチパチと二度、瞬きさせてから、甘いわね、と紅茶をすすった。多分、紅茶じゃないよね、アタシの認識のハナシだよね。

 

「……もう一人、いるのよ」

「もう一人?」

 

 え、アイツ、更に一人に手を出してたの? それは全然、聞いてないんだけど。そんな驚きの表情をくみ取ってくれた千聖さんが、はぁ、とどんな大きな幸せも尻尾を巻いて逃げそうな、魔王の大きなため息を吐いて、三週間の最後の日にあったことを、全部聞いた。

 

「だから、カラダで繋がってなくても、こころちゃんのスタンスは今後を左右するわ」

「……そうですね」

 

 けど、諸々の事情を聞いた限りだとこころが取るスタンスはアタシに近い気もする。けど確かに千聖さんの言うことはわからなくもない。

 こころにはヒトを惹きつける才がある。そりゃあ普段はぶっ飛んでて、なるべくなら近づきたくないって思うけど、その反面、実は意外とヒトをよく見てる。そしてその影響力は未熟で歪だった一成を魔法使いに変える程。無視はできなさそうだ。

 

「……けれど、こころちゃんは恐らく、もう動いてるわ。そういう子だもの」

「そうですね。我が強そうっていうのはわかります」

 

 それは、みんな同じだ。本来、一成に対する考え方も、関わり方も、全部が違うはずなのに曲りなりにも、表面上は仲良くやっていけていたのは、全員を一成がフォローしてたから。ホントなら恋敵で、こんな風に話し合うことすらままならない、敵同士だから。

 

「とりあえず、このくだらない争いに参加するのは、あなたと日菜ちゃん、それと紗夜ちゃんというわけね」

「千聖さんは参加しないんですか?」

「放置したら、それこそ日菜ちゃんたちは調子でしょうけど、仮にもあのヒトの言葉に絆された一員として、一成さんにも申し訳が立たないもの」

 

 そんな義務感のような言葉を、と思ったけれど、億劫そうなこのヒトは何か怯えているような感覚もあるように思えた。ああ、もう、こんな時にモカがいてくれたらな。そう思っても、アタシが一番頼りにしてる幼馴染は、ここにはいない。

 けれど、千聖さんはアタシが探ってきていることに気付いたようで、また大きなため息をついてから、肘を机に乗せて、その手の上に顎を乗せてから眉根を寄せ、呟くのだった。

 

「私としては、いい加減腹を割って話した方がいいところではあるわね。私は蘭ちゃんのことをなにも知らないし、逆に蘭ちゃんは私のことをなにも知らない。それで協力しよう、だなんてムシのいいハナシだわ」

「……そうですね」

「少し、身の上話のようなものをしましょうか」

 

 そうやって、千聖さんは少しだけ自分が一成に惹かれた理由を語り始めた。そんな明確に理由がある、というのは少しびっくりしたけど、ああアイツならそうするな、とも思えた。千聖さんは人間関係が縺れるのを怖がってる。だから、消極的なんだ。

 

「アタシには、そんなハッキリとした理由なんてないけど……ただアイツが教師として、笑う姿を、ずっと見ていたいって思っただけで」

「十二分に大した理由よ。そもそも恋に落ちる理由なんて、些細なことでいいのよ」

 

 千聖さんはそうやって大人びた笑みで、素敵な青春だわ、と言葉を続けた。

 羨ましい。このヒトは、こうやって、時には厳しく、時には優しく、一成の後ろ姿を見てきたんだ。花が咲くような笑顔で、アイツの腕に収まっていくんだ。

 

「不思議ね。本来ならいがみあってもおかしくないハズなのに」

「確かに、そうですね。千聖さんと話して、逆にすっきりしました」

「ふふ、それが一成さんの魔法、かしら?」

 

 そんな大層なものじゃないですよ、きっと。アイツは生徒を大切で特別だと思ってる。だから、そんなアイツのことを大切に思ってるアタシたちが、わざわざアイツの大切なものを傷つけるわけない。ただ、それだけだ。だからこそ、日菜さんも一成がいる間は、おとなしかったんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 あー、暇だ。なんでこう、忙しい時は一日中でもゴロゴロしててぇって思うのに、いざそうなると暇で、あの忙しい日が恋しくなっちまうんだろうな。

 部屋なんてもう片付けて、キレイにしちまったし、これなら女を上げても文句を言われることはねぇってくれぇだ。まぁ、そうじゃなくても女の方から文句も言わずに上がってくるんだけどな。

 そんな独り言に近い思考に、ホントに暇だということを再確認したオレは時計に目を向けた。時間はもう夕方。普段なら仕事にひと段落つけて部活があるとかテキトーなことを抜かして屋上で一服吸ってる頃だな。

 だってのに自分の部屋にいる虚しさとか、色々な感情が渦巻いて、ため息として処理されたのと同じタイミングで、呼び鈴が鳴った。さて、誰が一番乗りかなっと。

 

「はいはいって、お前か」

「そーですよ~、ちょーぜつびしょーじょじぇーけーのモカちゃんでーす」

「お前は相変わらず……ってワケでもなさそうだな。入るか?」

「うん、おじゃまします」

 

 そうやって制服姿の超絶美少女JKこと青葉モカを部屋に招きいれる。つい一昨日会ったばかりな気がするんだが、なんか随分前にも感じるな。

 モカに、お茶でも出そうか、とは訊くが、やっぱり首を横に振られ、その沈んだ頭に手を置いて丸机の反対側に座った。

 

「にしてもよくオレがここにいるってわかったな」

「そりゃ、ただショックで倒れただけなのに、入院なんてしてるわけないって、考えればすぐわかるもん」

「考えれば、な」

 

 そうそう。オレは日曜の午前中は、確かに病院にいた。起きなかったらしく泊めてくれたっつう方が正しいか。けど、お前らが来たすぐ後、オレは腹が減ったってこともあり、丁度出くわしたこころと奥沢と一緒にメシに行って、そのまま帰ってきたってワケだ。勿論、ケアとカウンセリングのために通院はしてるし、仕事は休んでる。今日も午前中に行ってきたトコだしな。

 

「……わざと、連絡してないんでしょ」

「まぁ、な。色々考えて、そうしてる」

 

 ちゃんと出くわした二人にも口止めはしておいた。これはアイツらのためだって言いくるめてな。

 その真意もモカはわかってんだろうな。流石だ。まぁ、予想通り一番最初に、オレのところに来たしな。

 

「それで、どうだ?」

「せんせーの考えてる通り、蘭と日菜さんが決裂したよ。目下戦争中って感じ」

「お前は参加しないのか?」

「あたしはせんせーのストーカーだもん」

「そうだったな」

 

 オレの隣を争う戦争、か。美人二人に取り合ってもらえるなんて光栄だな。モテる男はつらい。んで、そんな自分勝手な二人を差し置いて、ストーカーを名乗るこの悪魔は、知りたいことを訊き出す、っつう構図だな。アイツらなら、そうなるだろうとは思ったけど、楽しそうでなによりだ。

 

「んじゃあ、最初にやってきたモカにはご褒美をやらねぇとな。カラダ以外で」

「全部、聞かせて。せんせーの自分語り。高校生の時、なにがあって、結局せんせーは今のせんせーになったのか、聞かせて」

「それだけか?」

「他にもあるけど、一番最初は、ソレ」

 

 真剣な表情で、モカはオレから全部を訊き出そうとしてくる。仕方ねぇな。ここで引っ張って隠してても、設定忘れてたんじゃねぇかとかあらぬ疑いがかかりそうだしな。時が来たら、は今がそんときだな。

 

「どっから話したらいいのか……そうだな、高校一年の秋だな。まぁ、その前からあのクズ教師のことは知ってたんだけどな」

「……うん」

 

 今はもう、いなくなっちまった。オレにとって何物にも代えがたい日々。高校一年の秋に屋上で夕陽を見ながら、タバコを吸うクズに出逢った。

 オレが今愛用してるソレの先端に口紅の色を残しながら、オレに気づいたソイツは、一瞬だけ、うわぁとでも言いたげな顔をしてから、咳払いをしやがった。

 

「……どうしたの? 屋上は許可がないと立ち入り禁止だったハズだったけど」

「はぁ? 禁煙のハズの学校で堂々とタバコ吸ってるクセに教師ヅラすんのかよ、うぜぇ」

「ウザくてもなんでも、キミは生徒で私は教師……まぁ、コッチおいで」

「なんで」

「そりゃあ、生徒に何か悩みがあったらハナシを聴くのが、教師の仕事だからさ。それで屋上に来たのは不問にしてあげよう」

 

 ソイツの名前は川澄由美子。快活そうな肩に届かねぇくれぇの髪にスタイルは正直思春期の男に女性を意識させんのには充分な凹凸のあって、なにより雰囲気は独特ながら親しみやすさもあって、男子生徒にゆみちゃんの愛称で呼ばれる、美人だった。

 

「川澄センセって不良だったんだな」

「認識の違いだね。不良のようにカッコいいからタバコ吸ってるんじゃなくてストレスから逃げるために吸ってるから」

「……ダメ人間、クズじゃんか」

「まぁ、ソレは否定できないかな、あはは、私はクズ教師ってワケだ!」

 

 由美子は、まぁそういうヤツだった。挙句オレにキミも吸ってみる? とタバコを差し出しやがるかな。コイツ、通報した方がいいんじゃねぇかとも思ったワケで。第一印象で受けた美人で才媛って評価はカンタンに覆された。けど、それがオレの悩みを、バカバカしいもんに変えてくれた。

 

「それで、清瀬くんはどうして黄昏に現れたのかな?」

「キザな言い方すんじゃねぇよ」

「というか敬語は?」

「は? 頭沸いてんのか。尊敬できねぇのに使うかよ」

「敬語は目上に使うものだよー?」

 

 こん時のオレは青春真っ只中で、そりゃあもう盛ん……じゃなくて多感な時期だったもんだから。由美子の妙な大人の色香にドギマギしながら、目下の悩みを吐露した。

 中学ん時に惚れたヤツがいたこと、そんな相手の気持ちがわかんなくてどうしたらいいのかわかんねぇってな。

 

「……ふふ、若いねぇ」

「茶化すんだったら校長にでも言いつけてやるよ」

「茶化してなんかないよ。キミは素敵なヒトだなぁって思っただけ。好かれた子が羨ましいくらいに」

「……は、はぁ?」

 

 楽しそうに笑うその顔は正しく花が、ひまわりの花が咲いたみてぇで。

 肯定なんてしてほしいわけじゃなかったのに、その時雲が晴れたみてぇに、するりと由美子はオレの心に潜り込んできた。

 

「そんな素敵なキミには代わりに、アメちゃんをあげよう。私のお気に入りだよ?」

「……やっぱうぜぇ」

「ええー、ハナシを聞いてあげたのに、冷たいなぁ。センセーは悲しい」

「あーはいはい。悪かった悪かった」

「悪かったと思うなら、またココに来てよ」

「はぁ? なんでだよ」

「私だって話し相手が欲しいんだよ? 一人で一服してるより、キミといた方が私も楽しいから」

「うわ、逆ナン? 悪いけどオレ好きなヤツいるんで勘弁してもらえませんかね?」

「自意識過剰だなー」

 

 殴り合いみてぇな、けど絶妙にかみ合ってねぇ会話。これが、オレとクズ教師の始まりだった。黄昏に出逢った、オレの全ての始まりでもある女。

 オレの理想は、ココから始まることになるんだ。

 

「……やっぱり、そっか。あたしの予想は、正しかったんだ」

「ん? どういうことだ?」

「全部話したら教えたげるね」

 

 モカはここまで聞いてそっと呟いてみせた。まぁ、お前が、何かに気付いてることは知ってたけど、ここで確信に変わったってんなら良いことだな。

 オレはまだ理想を失ってなんかねぇ。何かきっかけがねぇと立ち上がれはしねぇけど、そのきっかけを、モカが確信として発してくれそうな予感がするからな。

 

「それにしても、高校生のせんせーはむっつりさんでしたか」

「うるせぇ、むっつりっつうか知識と性欲だけあっただけのドーテーだな」

「あはは~、今のせんせーからは考えられないねぇ」

「まぁ、あのクズ教師……由美子に変えられたっつうのが正しいけどな」

 

 そんな余計なやり取りをしながら、オレはもう喪ってしまった過去を回想していく。幸せで、ただ毎日がバラ色だった、あどけない日常を。黄昏に照らされた、輝かしいあの日々を。

 

 

 

 

 

 




バンドリってなんだっけ?


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④青春トワイライト

 あのクズ教師に出逢ってから、オレはなんとなく暇な放課後は屋上へと足を進める日々が続いた。今思えば、オレは既にアイツの虜になっちまってたんだと思う。笑ってる顔、怒ってる顔、時折、達観したような顔も、全てが黄昏に混ざって、絵画でも見てる気分になった。

 そんな日常に新しいものが入りこんだのは、それから少し、二月になってのことだった。

 

「そういえばさ、最初に相談した子とはどうなったの?」

「あ、あーっとな……自然消滅、した」

「えー? あそこまで頑張って自然消滅?」

「うるせぇ、大体アンタの皆無な恋愛経験で相談なんて無理あんだろ」

「ひどーい。一成ひどいよー」

 

 いつの間にか、オレは川澄先生、って呼んでたハズが由美子に、由美子もいつの間にか清瀬くんから一成へと……まぁそれだけ仲良くなっちまったってことだ。そりゃ距離が近づいた分、気持ちも近くなっちまうわけで。

 

「……今は、別に好きなヤツいるからな」

「え、ウソ、だれだれ? クラスの子?」

「はぁ? 教えるワケねぇだろ、ナメてんのか」

「気になるでしょ、フツー、ってかもしかして一成って惚れっぽい?」

「んなことねぇよ……そんなに恋とかしたことねぇからわかんねぇけど」

 

 アンタだよ、なんて言えるはずもなく、恋愛下手なオレはこの時間を、大事にしていた。この一日が永遠になればいい、そう思ってた。

 んで、それは由美子も同じ気持ちだったらしく、紫煙を吐きながらポツリと呟いた。

 

「……私も、好きなヒトができたんだ」

「……は? 趣味と仕事で手一杯とか言ってたアンタが? なんの冗談だよ」

「ホント」

「そうかよ。どんなヤツ?」

「気になる?」

「いや……別に」

「えー、もっとこう、根掘り葉掘り訊いてくれていいんだよ?」

「あーもう、うぜぇ。顔近い。なんでそんな前のめりなんだよ」

「だって、私の好きなヒトがキミだから」

 

 けど、けどな。あのクズは平然とオレが言えなかった言葉を口にしやがった。んで、気分が盛り上がったバカに押し倒され、オレは高校一年生の冬に、ファーストキスをした。

 悪魔みてぇな女で、そのまま、むせ返るくれぇの誘惑の表情で、由美子は告白……にしてはオレが思ってのとは違う言葉が飛び出た。

 

「好きな子が誰でもいいけど……私を好きになってよ。一成」

「……ガキかよ」

「大人だよ? だからこうして、直接誘ってる」

「淫行教師」

「大丈夫、まだ処女だし」

「っ、んなこと言ってんじゃねぇよ」

「あはは、赤くなってる、かわいいなぁ」

 

 今年で26になるクズ教師は、16歳の男子高校生を、こうして見事に堕としてみせやがった。

 それからは、ホントに一応は恋人同士だけど、生徒と教師、っつうこともあって、コソコソと会ってた。そのスリルのせいか、お互いバカみてぇに求めあって、そういうコトをすんのがある種当たり前になったまま、一年半が過ぎた頃。

 

「東京の大学に行く?」

「おう。親が一人暮らししてみろってさ」

「……恋人を置いて?」

「そんなに離れちゃいねぇだろ。それに、いつか、オレは由美子と……一緒になりてぇしな」

「一成……」

「だから、オレはそこでアンタとは違う教師になってみせるさ。証明してみせる」

「それで?」

「証明したら、そん時は……一緒に暮らして、結婚しよう」

「……一成はやっぱり素敵だね」

 

 この約束は果たされることはねぇ。いつか、明日、未来、そんな曖昧で、不確かな言葉を信じたオレは、由美子の異変には、気づけなかった。そもそも、アイツが、そう遠くない未来に、いなくなっちまうってことさえ。

 

「……それがオレの、青春だ」

 

 ──モカは、オレの長ったらしい自分語りにゆっくりと瞬きをした。時計の秒針と、沈み始めた黄昏に照らされて、頭の中を整理してるだろうモカが言葉を発するのを待った。

 ホントは大学のこともあるけど、まだその辺はどれがいつのか、時系列が狂っちまうからな。そこはアイツが入院してる病室にやってきては、話をして、そのうちに逝っちまうってだけ、知っといてくれれば充分だ。

 

「……やっぱり、せんせーは、その時にあったことを、ずっと引きずってるんだね」

「そうだな」

「だから、日菜さんと蘭が、せんせーの特別の中の特別なんだ」

 

 蘭がそうなのは理解できる。アイツはなんつうかオレにとって教師としての理想を取り戻すきっかけになったヤツだから。けど、ヒナは、なんでだ?

 その答えは、モカが言葉にしてくれた。

 

「せんせーは、由美子さんと日菜さんを重ねてるんだよ。どこか似てたんじゃない? 雰囲気とか、そういう感じのが」

「……あー、なるほどね。んで、シチュエーションもばっちりで、オレは拒否しきれずに、ずるずると今まで来たってワケか」

 

 認めちまえばなんで今まで気づかなかったんだってくれぇだな。ヒナは何処か由美子に似通ったものを感じる。笑った顔が、まるでひまわりが咲いたような、けど悪魔的な何かを感じるところ。アイツも強引で性欲に忠実だったしな、んで若干メンヘラっぽかった。そういうところもなんとなく、ヒナにそっくりだ。

 オレは、ヒナに由美子の影を見てたのか。

 

「すっきりした、サンキュ、モカ」

「……でも、なんにも解決してないよ?」

「解決なんてしないさ。オレはこれ以上、アイツらに干渉はしねぇ」

「え?」

 

 オレは結局、教師として以上に、過去の亡霊をヒナに押し付けてた。だからその責任も、取る。ヒナがそんなオレに赦しでも、裁きでも、なんでもいいから下してくれるってんなら、オレは今更教師に拘る気はねぇ。

 逆に、蘭がこんなクズのハナシを知った上で、それでもオレに青春ロックを聴かせてくれるってんなら今度こそ、アイツの前で堂々と教師として立てる。

 今、オレはどっちの覚悟もできてんだよ。モカに聞いてもらって、話ながら自分の気持ちを整理した結果だ。ヒナの前に教師でいられなくなるオレも、蘭の前に教師でいられるオレも、どっちでもいいんだ。

 

「……クズ」

「知ってる。なにせオレの教師としての師匠は、とんでもねぇクズ教師だったからな」

 

 高校生のオレにタバコの味を教えて、セックスを教えて、オレがクズになった直接の原因は由美子にあると言っても過言じゃねぇからな。おかげで、今も大変な目に遭ってるわけだが、教師としては、アイツのやってきた通りにすると、驚く程上手くいっちまうんだから、すげぇヤツだと思う。

 

「オレはもう、アイツらのフォローはしねぇ。アイツらがオレの隣にいてぇっていうなら、勝手にすりゃいい」

「……そっか」

 

 オレの覚悟の言葉に、モカは諦めたようなそんな悲しい表情をする。蘭とヒナが特別の中の特別なら、自分は選ばれることはねぇって顔だ。そうだな、お前は特別ではあるけどそこから先、オレの過去には踏み込めねぇし、踏み込ませるつもりもねぇからな。

 

「ひどいなぁ。あたしは、こんなに……こんなに、せんせーが好きなのに」

「悪い、モカ。流されて、お前の気持ちを宙ぶらりんにしちまってるな」

 

 そもそも、それこそがオレの一番の悪癖でありオレ自身が一番、嫌うところだ。

 結局大学でオレは、他の女に目が眩んだ。ゼミが一緒になった同期と未成年の分際で宅飲みして、酔ってキスをされて。いつの間にか、周囲の公認のカップルになった。

 ──ああ、一番のトラウマはコレだな。思い出しただけで頭がまた痛んできた。結局それからオレは、全くといいほど成長してねぇ。担任の時だって、いがみ合う二人に中途半端な関わりをして、結局、その女には最低なヒトだと泣き喚かれ、片方には言葉もなく学校そのものを辞められた。だからこそ、もうそれはおしまいにしねぇと。

 鼻を鳴らすモカを抱きしめて、せめて今日だけは、と思ったところで、突然ドアが開いた。無粋な闖入者、それはすっかり沈んだ太陽が、また昇ってきたような錯覚があった。

 

「ダメよ、先生。貴方は間違っているわ」

「……あれ~、こころん……」

「こころ……なんで」

「先生が間違ってしまいそうだから、お見舞いついでに、笑顔にしに来てあげたわ!」

 

 堂々の仁王立ちをする太陽サマは、オレやモカの中で、それしかねぇと思ってた考えをたった一言で吹き飛ばした。

 もう賽は投げられてんだ、今更どうしろってんだよ、こころ。世界を笑顔にするお前は、どんな魔法を使えるってんだよ。

 差し入れらしいメロンを持ってきたこころは、オレの顔をじっと見て、それから頬をそっと撫でた。

 

「どんなにわがままでもいいのよ。笑顔になりましょう? 今のままじゃ、先生は笑顔でなくなってしまうもの!」

「オレはそんな単純なガキじゃねぇよ」

「ガキとか、大人とか、そんなの……そんなことで先生が笑顔でなくなるなら、大人になる意味なんてないわ」

「それで他のヤツから笑顔を奪ってでも、か?」

「そんなことないわ、先生は──」

「──あるんだよ。オレがオレのままでいる限り悲しませる。モカや千聖、紗夜、たくさんのヤツを、泣かせちまう」

 

 正直、全部思い出しちまってもうどうでもよくなってきちまった部分もあるんだ。オレがどんだけ頑張って、生徒のための教師であろうとしても結局はあのクズ教師と同じことになる。ガキに惚れちまって、ソイツのために、教師としての人生を使い切っちまった。使い切らせちまった。

 由美子は、もっと多くの生徒を笑顔にできたハズなのに、一成が隣にいてくれるから、と笑って、ガタの来てるカラダでオレを送り出した。それ自体が大きな後悔だ。もう手遅れになっちまったオレの痛みだ。

 だからもう、いいんだ。オレのために誰かの人生を使い切ってもらいたくなんてねぇんだよ。それが教師ってことならオレはそれを捨ててでも──そう思った時、乾いた音がした。ジンジンと頬が痛む。痛ぇ、そんな熱に戸惑っていると、涙で目を腫らしたモカが、肩で息をしながら、腕を振りぬいていた。

 

「バカ、せんせーは、一成はサイテーだよ! カッコつけて、大人だからってなんでもわかって諦めたフリして、閉じこもってるだけのガキじゃん……っ!」

「……モカ」

「あたしは、あたしはっ、蘭のロックが好き。エモくて、弱いのに強くて、泣き虫で怖がりなクセにあたしが気付かない間に前に行っちゃう蘭のロックが大好き。だから、そんなロックを取り戻してくれた一成のロックも、エモくて、まっすぐで、大好きで」

「……けどそれは」

「それがどんなスタートでも、カッコいいって思えるのは、一成だから。一成だからロックで眩しいって思えちゃうんだから。だから、こんなトコでうずくまるのはやめよう? あたしが蘭たちに依存してたのを救ってくれたみたいに、蘭が羽搏くきっかけをくれたみたいに、せんせーも悩んだりヤになった時は、独りじゃないんだってことを……あたしたちがいることを信じてよ。明日が信じられないなら、あたしたちを信じて」

 

 頭を殴られたような衝撃だった。モカの言葉、魂の叫び、それは間違いなく、オレの魂にも響く、青春を彩るようなロックな言葉たちだった。夕陽の名前を持つバンドのギタリスト。なに考えてんだかわかんねぇ表情で、青春を奏でる灰の花は、その灰の中から真っ白な花を咲かせていた。

 

「……モカの言う通りだわ。誰かが笑顔になれないのなら、誰かが笑顔にしてあげる。貴方が誰かを笑顔にすることで失われる笑顔は、また別の誰かが届けてくれるわ」

「こころ……」

「どうせなら、とびきり贅沢になりましょう? 蘭や、日菜が特別で、モカや千聖、紗夜のことも大切、それでいいじゃない! だって、ヒトの幸せはみんなそれぞれなのでしょう?」

 

 みんなそれぞれ、か。どんなに最低な今の状態も、オレにとっては理想を現実にするためのプロセス。

 ──それだけじゃねぇ、最初から、オレが生まれてから今までしてきた選択全てが、いずれ抱く理想を叶えるための鍵なのかもしれねぇな。

 

「……ありがとな、こころ、モカ。目が覚めたみてぇだ」

「先生を笑顔にするためだもの」

「おねぼうさんですな~、まったく」

 

 ならオレは明日から逃げるのはもうやめよう。オレはもうヒナに過去を押し付けたりしねぇ。蘭に明日を強要したりもしねぇ。

 オレを大切だと言ってくれる生徒たちが、オレにとっても大切で、オレが輝けるのは、そうやってクズでもなんでも、アイツらの教師でいる今の時間なんだからな。精一杯、最後まで足掻いて、教師を全うしてみせて、その後のことはその後で決めりゃいいんだ。

 

「ますますクズになったね、せんせーは」

「そうか? 開き直っただけだけどな」

「それがモカの言うクズ、じゃないかしら?」

「そうだけどな。最近オレを慕ってくれんの、美人揃いなんだから、クズにもなるっつうの」

 

 認めちまえば楽なもんだ。蘭も、ヒナも、紗夜も、千聖も、モカも、美人ばっかり。ヤってる時は蕩けちまうんじゃねぇかってくれぇだし、手放したいなんて不能じゃねぇんでな。来るものは拒まねぇよ。ただし去る者も追わねぇけど。

 卒業までこうやって爛れた教師と生徒の関係を続けて、まぁ、卒業後も偶には遊びに来てくれよ。美人の相手なら、喜んでしてやるからな。

 

「あ、こころだけは拒否するからな」

「仲間外れというわけね?」

「お前を相手にすると社会的にピンチだからだよ」

「とか、言いながら、美人じゃないあたしのことは放っておくのね?」

「はぁ? お前もバカみてぇに美人だろうが、鏡見たことねぇの?」

「……モカ、あたし、もしかして口説かれてるのかしら?」

「ううん、せんせーはこうやって勘違いさせて毒牙にかけてるだけだよ~」

 

 そんなさっきまで涙を流していたとは思えねぇほど和やかな空気になり、見舞いのメロンを切り分けて、奥沢を含めた四人で頬張って、駄弁って、んで黒服に連れられて帰っていくのを、モカと見送った。

 あ、泊まってくんだな。予想はしてたけど、つか最初からその気だったもんな。

 そして再誕したクズの第一犠牲者として、性欲のままに交わり、カラダをくっつけ合って、眠りに堕ちていった。

 ──だから、こっから先の記憶は、夢だ。弱ったオレが見た、幻想の世界。

 

「……あれ、まだ立てないの?」

「まさか、休憩中だよ。見ろ、一服吸ってんだろ。すぐにまた、オレは教師として頑張るさ」

 

 羽丘の屋上で落ちない夕陽を見ながら、その黄昏を浴びて、紫煙を吐くオレに、人影が近づいてきた。

 オレと同じタバコを吸って、独特……なんつうかヒナに似た雰囲気を纏ったオレと同年代の女。って、こんな周りくどい説明はいらねぇな。オレの幻想が作り出した、由美子の姿だ。

 

「頑張りすぎはカラダに毒だよ。大丈夫?」

「心配すんなって。オレも、今じゃ立派なクズ教師だからな。心配すんなら腰にしてくれ」

「ふふ、あはは、言うようになったじゃん、顔を真っ赤にしてた一成が、こーんなに変態のクズになっちゃうなんて、悲しいなぁ」

「てめぇがそうなるように教え込んだんだろ、センセ?」

 

 もう十年近くしてこなかった会話なんだけどな。思った以上にするっと出てくる。オレの中での由美子のイメージだろう元気な教師やってた姿で、その幻影はひとしきり笑った後、背伸びをしてオレの頭を撫でた。

 

「……もうそんなに年齢が変わらなくなったね」

「それでも、アンタはオレにとっては永遠にクズ教師だし……愛したヒトだよ」

「キザなのも、相変わらず……っと。なるほどね、このトークテクニックで生徒を堕としてきたんだもんねー」

「ケンカ売ってんなら今すぐ突き落としてやるよ、由美子」

 

 ああ、幻影だろうと、夢だろうと、オレはアンタに会えてよかったよ。オレはあの頃よりも随分クズになっちまって、アンタの前で啖呵を切ったような教師にはなれなかったけど、それでももう一つの方はちゃんとなんとかなりそうだよ。

 

「生徒に寄り添える教師ってヤツ?」

「おう。ちと、寄り添いすぎな部分もあるけどな」

「えー、ちと、かなぁ?」

「ちょっと、だろ。少なくともアンタよりはな」

「確かに」

 

 にしても、こうやって夢で見ると思うな。由美子はヒナを常識人っぽくして大人にしたらこんな感じになりそうだ。まぁ、性格は壊滅してるし、多分似てんのはエロメンヘラ悪魔ってトコくれぇだけど。

 

「あー、ヒナちゃんね。カズくん、なんて呼ばれていっつも鼻の下延ばしてるよね、まぁ、私なんかより、ピッチピチでかわいいけど」

「拗ねんなよ」

「それより、私としては蘭って子の方が、気になるかな。なんだか、一成を見てるみたいでさ」

「……オレ、あんなか?」

「昔はね」

 

 アクティブにオレの今に口出ししやがって、死人に口なしって言葉をちゃんと守れっつうの。

 んで、夢枕に立つんだったら、ちゃんと事前に申告しろ。オレは由美子に言いたかったこと、たくさんありすぎて、整理できねぇんだからさ。

 ──まぁ、まとまんねぇまま、全部言葉にさせてもらうさ。ったく、なんか、自然と泣けてきちまうな、クソったれ。まだまだ、オレはアンタの前じゃガキ同然だな。

 

「……墓参りとか、いけなくて、悪かった」

「気にしてない。一成は()()()()()忘れたワケじゃないからね」

「浮気して、悪かった」

「それはちょっと不満かな? でも、お詫びはキスで許してあげよう。私は一成に激甘だからね」

「んなの、お安い御用だ」

 

 唇を触れ合わせて、段々、黄昏が紺碧へと色を変えていく空を二人で眺めていく。こっからまた夜が明けて、オレは現実に教師として生徒たちとココで沢山の時間を過ごしていくよ。アンタの分まで生きて笑って、ヒトを笑顔にしてみせるよ。

 

「ん、その意気だ! それでこそ、私の大好きな一成だよ」

「……年始には、会いに行くことにするよ。由美子のために買った指輪を、置いていかなきゃいけねぇからな」

「そんなもの、用意してくれてたんだ……ふふっ、つくづく、キミは素敵なヒトだね」

「当たり前だろ。オレはアンタと同じ、クズ教師だからな」

「それじゃあ、そんな一成がすべきことは一つだよ。剥き出しの青春ガールズロックを奏でるあの子たちを、その両手で包んであげて」

「ああ、約束する……じゃあまたな、由美子」

「うん、またね、一成」

 

 ──サンキュ。ずっと、見ていてくれて。これからも、オレはアンタを愛してたことを、アンタがいなくなってからずっと泣いてたこともぜってぇ忘れねぇからな。だけどもう、泣いたり、ぶっ倒れたりなんかしねぇ。オレは、アイツらにとってのクズ教師だからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




由美子の死という事実を乗り越え、再臨のクズ。
ここから始まるのは単なるクズによる囲い込みだよ


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⑤新生ティーチャーと放課後イーグレット

二人目の被害者は――イーグレットとは鷺草って日本語訳できるけどもしかしたら違う人かもしれないねぇ。


 日差しが差し込むベッド、朝のウォーキングを終えてシャワーを浴びたオレはその上でまだぐっすりと眠っている灰髪のお姫様の頭を撫でた。

 穏やかな寝息は、なんとなく安心感のようなものがある気がするな。つか今まで不安にさせすぎたんだよな。昨日の一日でその埋め合わせができたなんて思っちゃいねぇ。こっからだ。こっからオレは、コイツを幸せにしてやらなきゃなんねぇから。

 

「……せんせーの手、あったかい」

「風呂上りだからな」

「一緒に入りたかった~」

「やなこった」

 

 さっきまで寝息立ててたくせに、急にパッチリと目を開けて微笑んでくるモカにオレは苦い顔で断っておく。第一、お前と風呂とか朝からナニさせるつもりだよ。

 すると寝ぼけまなこのモカははっとした表情で、徐々に顔が紅潮していった。気付いてなかったのかよ。

 

「……へんたい」

「一緒に入りてぇって言ったのはお前だろ」

「一緒にってだけでソレを想像するから変態って言ってるんだけどな~」

「前科があるからな」

 

 前科持ちには世の中は厳しいんだから諦めるんだな。そんな態度で接しているとモカが通報してやると言いながらスマホを構えられ、平謝りする羽目になるんだが、リアル前科持ちにはなりたくねぇし、世の中厳しいから二度と教師にはなれねぇんだからな。

 

「んで、そろそろ学校行かねぇと遅刻するから起きろっつうの。オレはまだ通院でサボるからいいけど」

「あたしもサボろっかな~」

「……蘭が心配すんだろ」

「いーよ。今の蘭なんか、あたしのこと、見てもないから」

 

 そんな風に拗ねてみせるモカをもう一度説得しようとはせず、朝飯の準備をし始めていく。オレとしては親御さんが心配してねぇってんなら、と思ったけどモカの両親はオレとモカのことを知ってる、正確に言うと口にしてねぇのに察知されてたっつってたな。コイツの親だけはある、と当時背筋が凍ったもんだ。

 

「ママならむしろせんせーのこと、心配してたよ?」

「親御さんに心配されるなんて、光栄だね」

「まぁ、来年は担任でもしてもらえばいい、って言ってたしね~。結構信頼されてるみたい」

「それは、オレにはどうしようもねぇな」

 

 それを決めるのは理事会のお偉いサマどもだからな。にしてもまさかオレが親に気に入られるとはね。こんなんだし、蘭の親父さんとか超怖いってハナシだからぜってぇ関わり合いにはなりたくねぇ。ヒナと紗夜の親は、少なくともヒナとオレの関係は知ってるっぽいけどな。

 

「まぁまぁ、そんなことより~、デートしよ、デート」

「平日にJK連れまわしたらそれこそ職質からの解雇までのお手軽コースが待ってるだろ」

「じゃあ、じゃあさ、ココでデートでもいいよ~?」

「……朝からナニするつもりだよ」

 

 さっきと同じツッコミが今度は口から直接出てきた。つか昨日シただろお前。なんか泣けるような胸がすっきりするような夢見た手前、めちゃくちゃ頭に浮かべづらかったけど確かにヤったよな。だからお前は全裸だもんな。

 

「ゆうべはお楽しみでしたな~」

「はいはい、楽しんだ楽しんだ。まぁ、美人相手はいつでも楽しんでるからな」

「……えっち」

「ハナシ振ったのお前だろうが」

 

 なんかこんな退廃的な会話をすんのも久々な気がするな。最近はイロイロありすぎて健全になってた。いいことっぽく言ってるけどヒナとかぜってぇタマってるだろ、それでイライラしてんのもあるだろうな。あのメンヘラのことだ、どうせそれでイライラして蘭に喧嘩でも売ってんだろ。んで、蘭は喧嘩売られると買っちまう正確だし。んで売り言葉に買い言葉、明日を信じられねぇオレに対して不信がった蘭をボコボコにして暴走してるのが今の状態だってのは直接訊かんでもわかる。

 

「復活したらしたで、やることは多そうだな」

「そうだね~、ヒナさん抱いて~、蘭抱いて~、千聖さんに紗夜さんだもん、多いね~」

「ヤることじゃなくてだな。まぁこの際百歩譲って同義語だとしてもあとの二人も必要なのか?」

「そりゃ~その二人は今、問題児二人に巻き込まれてるわけですから~」

 

 それはご愁傷様だな。千聖はともかく、紗夜はヒナに振り回されてまた見失ってなきゃいいけどな。んじゃあ最初はそっちの二人だな。いきなり本丸を攻めても向こうは完全武装だ。苦戦するに決まってる。だったら、外堀を埋め、敵勢力の懐柔といこうか。頼むな軍師殿? 

 

「え~、あたしも巻き込まれる前提?」

「モカだけが頼りなんだよ。安心しろ、()()()は弾んでやる」

「……クズ、ばーか、へんたい、エロきょーし」

「じゃあナシでもいいけど」

「……する」

 

 別にヤることがご褒美とは言ってねぇんだけど、どうやらモカの中ではイコールで結びついたらしい。つか熱っぽい視線はやめろっつうの、今からあのクソオヤジんとこ行って大丈夫っぽいってこと言いにいくために支度してんだから。

 

「よかったね~、もう来なくていいんだって~」

「まぁ、そりゃあな」

 

 ──んで、モカの不満を回避しながら結局、マジでサボりやがったモカと共に、クソオヤジんとこ、もといお世話になった先生のところで、大丈夫っぽいっつうことを報告しにいった。

 じゃれついてくるコイツをどうにか学校に送り出そうともしたが、流石はストーカーを名乗るだけはある。テコでも動くつもりはないらしい。

 

「それで、これからヒマだけど、どーするの~?」

「ヒマじゃねぇよ、お前の事前情報が確かなら、千聖が羽沢珈琲店に来るんだろ?」

「花音さんもね~」

 

 サボるっつう連絡をしたついでに紗夜か千聖のことを訊いてくれたモカから、そんな情報を寄せられ、代わりに黙らされてるっつうのもあるんだけどな。このままオレの知らねぇところで、オレが由美子の死を乗り越えるきっかけをくれた生徒たちがバラバラになんのは、正直嫌だからな。どうせなら引っ掻き回してやるさ。

 

「メシをどっかで食って、行くとするか」

「は~い」

 

 車に乗り込んで、今日ほどモカが味方でよかったと思うことはねぇと噛み締めた。その調子で、マジで頼らせてもらうからな軍師殿?

 んで、もうお前は負けヒロインなんかじゃねぇよ。お前も、オレにとっては特別で、大切な生徒の一人だからな。まぁなんだ、高校を卒業したらそのストーカー気質を直すついでに、他の男にでも目を向けてみろよ。モカは自称通り、超絶美少女JKなんだろ? だったらそれがJDになって、今よりいい女になってみろ、選り取り見取りで男どもが寄ってくモテモテライフが始まるからな。その中で、お前が一番幸せになれる道を見つけてくれりゃあ、オレは大満足ってヤツだよ。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後になりやや速足で校門まで向かっていく。少し遅くなったせいで待たせていないかしらと息を切らせて彼女の名前を呼ぶと、待たせたにも関わらず、スマホから目線を私に向けてかわいらしく微笑んでみせた。

 

「あ、千聖ちゃん」

「ごめんなさい、少し待たせてしまって」

「ううん、大丈夫」

 

 ああ、守ってあげたいこの笑顔。花音は変わらず天使のような微笑みで私の言い訳を聞いてくれる。申し訳ないという顔をした私を見て、逆に申し訳なさそうな顔をしてしまうような子で、間違っても半端な男の手に、特にあのクズ教師の手になんて掛けさせないと私に決意させる。

 

「それじゃあ、行きましょう、花音」

「うん」

 

 そんな花音とデートができるのだもの、役得よね。彼女といる時は少しだけ空いた胸の穴も忘れることができるし、何より楽しまないと花音に失礼だわ。

 ──結局、日菜ちゃんと蘭ちゃんは決裂したまま。二人は一成さんを立たせるために、生かすためと火花を散らしているけれど、どう考えても()()()()()()()()、あのヒトは成り立たないのに。

 日菜ちゃんの行いも蘭ちゃんの敵愾心も、全てがあのヒトにとって毒なのにも気づかずに、私はそんな二人を眺めていることしかできない。こんなことで一成さんは本当に私たちの前に帰ってきてくれるわけがないのに。

 

「本当に羽沢珈琲店でよかったのかしら? 別の場所もあったのだけれど」

「うん。落ち着けるところがいいなと思って。最近、千聖ちゃんがなんだか難しい顔してること多いから」

「……花音」

「私でよければ、お話、聞くから……なんて、えへへ、カッコつけすぎかな?」

「ううん、そんなことないわ。ありがとう、花音」

 

 優しくて、気配りができて、おっとりしてるのに、こうして勇気を出して前に立ってくれる。素敵な子だわ。そんな花音に倣って私も、もう少し前に出てみたい。そう思いながら羽沢珈琲店のドアを開くと、そこには予想だにしなかった光景が広がっていた。

 

「ううん……むずかしーよ、センセー」

「難しくねぇよ。北沢がそう考えるから難しくなるんだよ。頭は柔らかく使うもんだ」

「やわらか~ですな~。こんな感じ」

「きゃっあ、んや、ちょモカ~。ヒトの胸で説明しなくていーでしょ~!」

「いま一瞬エロい声出ましたな~」

「モカ、上原も一応勉強してんだからあんまりいじってやんなよ」

「え~、いじってないよ~ココは」

「も、モカ~!」

 

 わいわいと賑やかな一角。そこには制服姿のはぐみちゃんとひまりちゃん、そして学校を休んだらしい私服姿のモカちゃん。何より驚きなのはとてもつい先日、倒れたとは思えないほどキラキラと先生をしている一成さんがいた。思わず茫然とした私にイヴちゃんが近づいてきて、二名様ですか? とまるで人形のようなかわいらしさで接客をしてくれて思わず頭を撫でそうになった。

 ──じゃなくて、なんで一成さんがアクティブに先生をしているのかしら? まずはそこを解決しないと。

 

「一成、さん?」

「よ、千聖。遅かったな」

「あー、千聖さんだ~」

「かのちゃん先輩! やっほー!」

「うん、また会ったねはぐみちゃん」

「……どうして、ココにいるのかしら?」

「そんなのお前に会いに来たからだよ」

「ふざけないでもらえるかしら?」

「お、呆れられるのは予想してたけど怒るのは予想外だったな」

 

 そうでしょうね。貴方はそう能天気に私に声をかけたけれど、私が今日までどれだけ貴方がいなくて不安で、不安で心細くて、かつなんともできない二人の分裂を見ているしかできなかったという歯がゆさを感じていたのか、貴方は知らないでココにいるのだから。

 

「悪い。お前に用事があるんだけど、北沢と上原の勉強がひと段落ついてからでいいか?」

「……ええ、私も、貴方には用があるわ」

「だろうな。そうそう松原」

「は、はい?」

「千聖のこと、よろしくな」

「……はい?」

 

 しかし、そんな怒りを滲ませても、一成さんは普段の態度をクズ、もとい崩すことなく、また二人の授業へと戻っていく。さり気なく隣で甘えているモカちゃんも見れたから、これで蘭ちゃんが懸念していたこと、モカちゃんが一成さん不在にどう立ち回っているのか、わかってしまったわね。完全に出し抜かれてるじゃない。

 

「お、落ち着いて千聖ちゃん、何があったの?」

 

 ここまできて花音に説明しないわけにもいかず、事の発端とそのせいで私がどんなことに巻き込まれているかを洗いざらい話すハメになった。さっきまでは深刻だったハナシも、結局あのヒト自身があそこで元気に活動している時点で緊張感も何もない。そんな怒りがまた沸々と湧いてくる。

 

「……げ、元気になったなら、よかったんじゃないかなぁ?」

「そういう問題じゃないのよ。当人としてはそこまで問題ではなくても、日菜ちゃんと蘭ちゃんにとってはもう大きすぎる問題だわ。それをここでのほほんとされては、どんな顔したらいいのかわからないじゃない」

「あはは……確かにね」

 

 花音の視線がチラリと一成さんの方へ向く。すっかり元気そうな一成さん。その目が一瞬、私を映して柔らかな笑顔をした気がして、心臓が跳ねた。なんなのよ、その、バカ二人のケンカに巻き込まれてんのに悪いな、みたいな視線は。

 ──悪いと思ってるなら、今すぐ私の傍に来て、言い訳をしてよ。いつも言ってるじゃない、焦らされるのは嫌いなのよ。

 

「悪い松原。任せるって言った手前早すぎるかもしれねぇけど、限界みてぇだな。借りてってもいいか?」

「はい。泣かせないならそのまま借りっぱなしでもいいですよ?」

「それは保証しかねるな。なんか既に泣きそうだし」

 

 そんな私の願いを汲み取ってくれたように一成さんは私の傍に来てくれる。花音がはぐみちゃんとひまりちゃんを教える立場に立って、その代わりに、私の向かいには一成さんが座り、待たせて悪かったなと笑った。

 

「今の状況、わかっているの?」

「予想だけどな。だからまずは中立のお前にと思ってな」

「わかっているならいいけれど、二人を止めるつもりなのね」

 

 まぁなと緊張感のないその返しに私はイライラしてしまう。あくまでいつも通りを維持しようとする一成さんがひどく、この現状をなんとも思っていないのではないかという焦燥にも駆られた。もしかしたら、彼は自分が忘れていた辛い現実がイヤで、なにもかもを捨てようとしてるのかもという恐怖が、私の態度を冷たくさせた。

 

「なら今すぐ私を抱きしめて、絆してしまえばいいわ」

「それでどうにかなるなら、スゲーカンタンなんだけどな」

「どうせ、モカちゃんとだってヤってるクセに」

「今日は一段と棘が多いな。逆にお前の立場だったら手を出してほしくねぇって思うか?」

 

 そんなの詭弁だわ。その二択なら当然、手を出してくれなかったら不能だとか、チキンだとか散々罵るけれど、それにしたってソコにハナシを持っていくなんて卑怯もいいとこだわ、そういうところがクズだって言うのよ。だけど、そのクズという言葉に一成さんはそうなんだよ、と今までにない返しをされてしまった。

 

「オレはもうクズ教師でいいんだよ。ヤって解決するくれぇなら一晩中でも相手してやるっつうの。でもそうじゃねぇだろ?」

 

 けれど、一成さんの声には、反論できない圧力があって、思わずたじろいだ。彼は、少なからず、蘭ちゃんや日菜ちゃん以外のヒトと交わることに遠慮を持っていたハズなのに、今はそれが全く感じられない。本当にヤって解決するなら言葉通り、一晩中私を離すことはしないと、そう思えた。

 

「……何があったの?」

「腹を据えたんだよ」

「説明になってないわ」

「オレの大事な生徒は全員大事、そう思っただけだ」

 

 それって、と言いたいのをぐっと堪えた。喜んじゃいけない。だってあなたは教師なのでしょう? それで明日を信じていられるの? ちゃんと教師のまま破綻せずにいられるの? その疑問は一成さん自身が自然と答えてくれた。

 

「前までのオレはただ怖くてその恐怖をアイツらに押し付けてたんだよ。このままじゃアイツらはオレに巻き込まれて不幸になる。教師として、生徒を不幸に誘うなんてできねぇよ」

「だから一度リセットするとでも言うの?」

「絡まっちまった糸は一回切っちまった方が楽だよ、また結べばいいだけだろ?」

 

 一成さんは、もうあの頃の彼ではなくなっていた。私にはそう思えた。大切なヒトの死に挫けていたのはもう過去の彼。今はもう、彼は彼の中にある理想のために、私たちを繋ぎとめようとしている。

 私たち子どもには理解できないわ。悲しい恋を、そうやって今の幸せに変えないといけない、なんて。重すぎる選択だわ。

 

「貴方は、それで……辛くないの? 忘れたいくらい大切なヒトを、過去にすることは、辛くないの?」

「ああ、もう、いいんだ。由美子は……少なくともオレの中にいる幻影は、背中を押してくれた。だからオレも、今こうして千聖の前にいる。あのヒトのクズ教師としての名前を受け継いで」

 

 遂に、本当に言葉通り貴方は開き直ったのね。クズ教師として、あなたはこれからも私たちを抱いて、絆して愛してくれるのよね? だったらもう、私は何も言わない。貴方の生徒として、私はこれからも傍にいるわ。それでいいのでしょう、一成さん(センセイ)? 

 

「んじゃあ、行くか?」

「ええ……連れていって?」

 

 手を延ばされる。今までは私をまっすぐ見つめてくれたことなんてないのに、あんなにアプローチしたにもかかわらずただのビッチとしてしか扱われなかったのに。一成さんは私に手を差し伸べてくれる。その手の中に、笑みの中に、輝く太陽のような、けれど眩しいわけじゃない、夕暮れの太陽があった。その手を取ればもう、私は……いいわ。元からあなたの虜なのだもの、連れていってくれるわよね? 

 向かう先は素敵なお城ではなくアパートだけれど、そこで私は今までにないくらいに愛された。名前を呼ばれ、体重を掛けられ、何度も何度も愛を注がれた。

 

「千聖は自分の関係を気持ちをきちんと清算しろよ? 丸山のことやマネージャーのこと、それを宙ぶらりんのままこうやってオレとの関係に逃げるんじゃねぇ。それじゃあ前までの援交と、なんら変わってねぇだろ」

「……ええ」

「お前の気持ちはわかってる。だからこそだ、今のままじゃいつかお前は壊れちまうからな」

 

 明かりのつかない部屋で抱き寄せられながらだとちょっとだけ説得力に欠けてしまうけれど、一成さんは教師としての顔で、だけど優しく包み込んでくれながら私に幸せになる道を示してくれる。わかってるわ、私はやってみせる。この口づけに誓って。

 

「んで、今日は風呂入んねぇの?」

「……一緒に入りたいの?」

「嫌がるだろお前」

「誘ったのよ……今日はお風呂だなんて余裕もないくらいに、ほしいもの」

 

 そうして私は、彼の腕の中で意識を奪われた。こんなのは初めてだもの、どうしてくれるのかしら。私は、前よりも今の貴方の方が好きになってしまって、あなたでないといけないくらいに愛されてしまったら。

 ──そうよ。私は愛されたかったの。立場とかアイドルとか女優とかではなく、素顔のままのあなたに。それをわかってほしかったの。だから、ちゃんと本気だったわ。 

 

 

 

 

 

 




本当にコイツクズですよね。誰か通報しろよ。


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⑥心配ブルーローズ

 由美子の死を乗り越えオレは新しいオレとして復活した。沈んでた気分も忘れてた自分ってのもなく、なんつうかホントの意味で生まれ変わったっつう感じだな。

 これを機とばかりにクリーニングに出したからパリっとのりの効いたスーツに身を包み、駐車場に車を停ると就職し始めた時に近いような緊張感がオレの胸に広がった。

 実に三週間と少し振りの凱旋だ。まぁあんまり嬉しい高揚感みてぇなのはねぇな。長引いた休みに恐らく同僚がたは不満たらたらの、しかめっ面で出迎えてくださるだろうしな。

 やれやれって言いたくもなるな。まぁ一度失った信用はそうそう帰ってくるもんじゃねぇのは今更だからいいけどさ、急に倒れたんだから困るとか、対処のしようがじゃなくてフツーに大丈夫、って言ってほしいトコではあるけどな。

 

「あ、カズセンセーじゃん、おひさ~☆」

「久しぶりだな、今井」

 

 そんなため息交じりの出勤をしていると、上はマゼンタに近い赤色のTシャツに下はジャージ姿でタオルを首に巻いた今井リサに遭遇した。汗を拭いながら、恐らく朝練中かと思われるこの世話焼きハイスペックギャルは、言葉通り久しぶりに顔を合わせた。

 でもその呼び方、まるでヒナみてぇだな。前は違う感じじゃなかったか? 

 

「……ん?」

「いや、その呼び方」

「あ、ああ。ヒナに散々カズくんが、カズくんがーってゆうからさ、つい」

 

 まぁ呼び方に関してならもうそこまで気にしねぇことにしたからな。ヒナも最近じゃ今井と同じ呼び方じゃなくてその後に口にしたカズくん、だからな。オレはお前のカレシじゃねぇって何度も言うけど直んねぇし、なんならせんせーって呼ぶのヤったことあるメンツじゃモカだけだからな。

 

「それで、カズセンセーは今日から復帰?」

「まぁな。昨日までヒナの相手してくれてありがとな」

「いーっていーって♪ アタシとセンセーの仲じゃん?」

 

 そうだな、つくづく、お前が味方っつうか、オレやヒナの関係を受け入れてくれてよかったと思ってるよ。そういう意味じゃ、今井とオレの仲にそんな義理人情的な会話は必要ねぇな。

 ──そうだ。ここで今井と出会えたのも何かの導きか、タイミングがいいから()()()の居所を訊いておかねぇとな。

 

「なぁ、今井」

「んー?」

「今日の放課後って、バンド練習あるか?」

「あるよ~」

「よかった。紗夜に会いたい。できればヒナのいないトコで」

「……ふ~ん?」

 

 そんな目をされても、深い意味はねぇよ。ただオレはお前らがバラバラになって、いずれオレのトコにもやってこないっつうのが単純につまんねぇってだけ。最後はヒナだって紗夜だって、なんならヤってねぇだけでお前もオレの大事な生徒だからな。

 

「ねぇセンセーってさ、紗夜やヒナ、みんなを結局はどうしたいワケ?」

「教師として教え導いてやりてぇ。授業だけじゃなくてイロイロとな」

「そのために囲っちゃうの?」

「……それはアイツらが求めてきた結果。オレだって男として美人を泣かせた償いと責任の取り方くらいは心得てるさ」

 

 オレはもう、その辺の区分けを明確に行わねぇってだけ。まぁ一歩間違えたら豚箱行きなんだが……あ、それは割と前からか。教師として近すぎた結果、アイツらがカラダを欲するなら男として逃げるのが勿体ねぇってだけだ。

 

「不誠実……とか思わない? 浮気とかさ」

「思うけど、思うことが幸せかどうかは、最終的にアイツら任せの無責任な大人のクズってわけだ」

 

 今井の言う通り複数の女、しかも全員18歳未満を囲って肉欲に溺れる、なんて最低最悪もいいとこだろうな。正直言うとクズとかいうレベルじゃねぇ。だからあくまでオレはアイツらに大人として接する。その先、アイツらも大人になった先でどういう恋をするのかはオレじゃなくてアイツらの考えるコトだ。

 そもそも、オレは恋愛とカラダの関係は別んトコにあると思うクチの人間だからな。不安定で由美子の死を受け入れられないが故の考え方かと思ったけど、それはまた別ってことだな。

 

「結局、ヤりてぇってのは生殖本能だろ? そもそも三大欲求の一つなんだし、食うことと寝ることと同じように湧いてくるもんだ。それと恋や愛が一緒なんてロマンがねぇからな」

「クズだね、ホント。そんな理論、通用するの?」

「ガキにゃわからんだろうけど、大人になればわかるさ」

 

 もちろんセックスアピールも恋愛の駆け引きの一つではあるがな。女で言えば胸の膨らみ、髪の艶やかさ、腰のくびれ、尻の丸み、脚の細さ、そこで勝負するのも恋愛の一手だ。あくまで一手な。

 でもそれで続くのはカラダの関係だけだろ。ずっと一緒にいてぇ、コイツといると安心するってのは、性欲とはまったく別のトコから湧いてくるもんだろ。

 

「……ヒナを捨てるってワケじゃないんだ」

「もちろん。なんなら今井を中に入れてもいいんだけどな?」

「もしかして口説いてるの、センセー」

「冗談だけどな。まぁセクハラってんなら以後気を付けるよ」

「あはは、アタシなら大丈夫って思って口にしてるクセに~」

 

 正直、お前とはこの距離が丁度いいけどな。オレと距離の近すぎるヤツらからじゃ見えない、オレやヒナたちの様子を見て、伝えてくれる、そんな役割もこの関係を繋げてくのに必要だからな。それを変えてオレと関係を結ぶかどうかを決めるのも、また今井の選択だ。でもなるべくなら遠慮してくれ。

 

「それって、カズセンセーにとって、アタシも大事な生徒ってこと?」

「そう言ってんだろ。紗夜とのファーストコンタクトから始まり、文化祭、焼肉、海、そうやって関わってきたのに、今更その辺の生徒と一緒にできるかよ」

 

 なんなら頼りにって意味ならこころ並みに頼りにしてる。SSS(トリプルエス)級だな。なんか困ったことがあったら某ネコ型ロボット並みに泣きつきに行ってやるからな。

 ──そんなことを言うと今井は少しだけ困ったように頬を掻きながら、けど何処か嬉しそうに、そっか、と声を弾ませた。

 

「名前の呼び方で分けられてるのかと思ってた」

「名前?」

「うん。ヒナはヒナ、蘭は蘭、モカ、千聖、紗夜、こころ……でも、アタシだけ苗字じゃん?」

「そうだな」

 

 蘭、モカ、千聖は心境が変わったから、ヒナは強制で、こころはそう呼んでと言われたから、紗夜はヒナがいたから、自然にって感じだな。特にオレの中でその辺を気にかけてるわけじゃなかったんだがな。

 そう考えると、今井は、文化祭で盛り上がったメンツん中で、唯一、苗字で呼んでるな。って、まさかそれが少し引き気味だった理由だってのか。

 

「……アタシは、ホラ、センセーから見たらまだまだコドモじゃん? なんか、バイトとかでも仲良い子同士は異性でも呼び捨てだし、なんかソレがステータスになってるってゆうかさ……」

「そうなのか」

「……ぶっちゃけ、紗夜が紗夜、なのにアタシが今井って呼ばれて……なんかさ、距離置かれてるのかも、って思っちゃうし」

 

 ──なんつうか、ホント、今井はハイスペックで、その辺抜かりなさそうなコミュニケーション能力の持ち主なのに、異性が絡むと途端にポンコツになるんだな。つかそっか、お前、実は根っからの女子校通いで、免疫がねぇのか。そういや蘭もそんなこと言ってたな。Afterglowは結構そういうところがあるって。

 あと距離は一定、置いてるつもりだな。紗夜やヒナみたいになられちゃ困る人員だからな。それが呼び方で突き放してる、ってのは自覚ねぇけど。

 

「んじゃあ、今井が求める呼び方で。あ、けど渾名を考えろとか無茶言うなよ?」

「ううん、みんなと一緒で」

「ならいいけどな……んじゃあ、リサ。放課後な。ついでに湊や宇田川妹と一緒にスタジオまで送ってってやるよ」

「あ、マジで? ありがとっセンセ☆」

 

 さっきまでの乙女な雰囲気が掻き消えて再び軽い、いつものギャルっぽい仕草と口調に戻ったリサに、オレはちょっと危なかったなと思ったことは言わねぇことにしとく。

 なんつうか今、ふと頭に、ほらやっぱり、とにやける由美子の顔が浮かんだ。なんだよ言いてぇことがあんなら今夜にでも夢枕に立ちやがれってんだ。

 

「あ、つか悪い、朝練中なのに捕まえちまって、じゃあな」

「はいはーい♪ またね、カズセンセー!」

 

 元気な声を聴きながらオレは職員室へと向かい、待ちに待った羽丘復帰初日を迎えた。とんとん拍子で進む一日、ただそこに、芸能活動で休んでいるという一つの空白の席が、何故だかとても元通りの日常でないことを示しているようだった。まぁ、今日だけは都合が良いと思うことにするか。あの悪魔に気取られたら、正直計画ご破算もいいとこだからな。

 そんな打算的な考えを浮かべて、時間が変わり、夕方頃、容姿端麗でありながらどこか瞳に影を落とすセーラー服姿の美少女、氷川紗夜がオレの向かいには座っていた。

 

「それで、私に会うためにわざわざこのスタジオまでやってきた、というわけですか。あなた自身が」

「そういうコトだ」

「普段なら感涙……というところではありますし、今でも十分嬉しくて胸が躍りますが、それとは別に不安もあるのですが」

 

 普段から感涙されたら困るし、お前のキャラで嬉しくて胸が躍るサマを見せつけられたら、正直精神科を勧めざるを得ないな。オレを何年も見てくれてんだ、腕……この場合は口かな、まぁ、そういう実力は確かだしな。

 んで、不安ってのは、オレが復活して、現状をどうするか、だろ? 

 

「私は、日菜の考えが最良ではありませんが、逆に美竹さんの考えを良しとは思っていません。貴方は教師をするには抱えてるものが多すぎると、前から思っていたのです」

「確かにな」

 

 由美子の死、教師として自信を奪われた過去、流されやすくまた情に訴えられると弱い性格。オレはハタから見ると教師やってるにしては不安要素が多すぎるな。だから紗夜はヒナの考えに同調したのか。オレを、教師っつう枷から解き放つために。犯罪者にしねぇようにするために。

 

「ですから、一成さんはこれ以上苦しまないように、日菜と美竹さんの争いを静観していただけませんか?」

「そっか……紗夜はそこまで考えてくれてんだな。スゲーよ。めちゃくちゃに嬉しい」

「……一成さん」

「──()()()()()()()()()

 

 それはなんでもない発言だが、紗夜にとっては、今の自分の厚意を完全に無駄にするような発言に他ならねぇ。千聖だったりモカだったりするなら、即ブチ切れられるような煽り方を、オレは今した。勿論敢えてな。

 

「それでも、それでもまだ……あなたは教師であろうとするの、何故?」

「なんでってそりゃ……オレがクズ教師だからだよ」

「傷つかない道が他にもあるはずよ! そうやって苦しまなくても……私や日菜が……」

「そうやって楽な道に逃げて、オレは理想を遂げられずに倒れてる。都合三度もな。それについては、触れねぇの?」

「……それは」

 

 正論で敢えて自分が不利な事実は隠す。紗夜も短期間で口が随分うまくなったな。けどさ、それってオレ本人相手じゃ悪手もいいとこだろ。もっと論理的思考じゃねぇものに訴えかけたほうがまだ、効果はあると思うけどな、この場合さ。

 

「大体、紗夜が楽な道を示すってそれだけで違和感バリバリなんだよ。もうちょい自分のキャラ見直せっつうの。お前は、茨の道を進んで、進み続けてやっと手に入れたんだろ、その居場所を。Roseliaと、そこで奏でる氷川紗夜のギターってのを、見つけようとしてんだろ」

「……っ」

「身内に甘くなるのはいいけど、堕落させんのはホントに良いことなのかよ。例えば、湊がここでアマチュアで満足するっつって、それを許せるのかよ」

 

 畳みかける。なんか色々ズレたことも言ってる気がするが、そこは勢いと語調で誤魔化していく。重要なのは、それがホントに良い方向に導く過程の選択なのかを考えさせるっつうことだ。それでも良いってんならオレは何も言わねぇし、悪いってんなら、その対案はオレが一緒に考えてやる。

 

「……それなら、あなたを傷付け苦しませたまま、放置しろと、もしくは更に陥れろと、言うの?」

「んなこと言ってねぇし、そもそもオレを見ろっつうの。思い出ん中にいる弱っちいオレじゃなくて、今紗夜の目の前にいる、弱っちいオレを見ろ」

「……え」

「オレは弱いさ。確かに、紗夜や生徒たちの支えがねぇとやってけねぇくれぇにザコもいいとこの貧弱教師だ。けど、けどな紗夜。そこで弱っちいまま許されて、それで笑えるほど、オレは夢もなにもなく惰性で生きてるわけじゃねぇんだ」

 

 オレには大きな理想がある。半ばで逝っちまった由美子の分まで、生徒と一緒に、笑って、怒って、そうやって充実したみんなの記憶に残るようなクズ教師でありてぇっつうアテもなんもねぇただでけぇだけの理想がな。

 それを叶えなくていいなんて優しくされても、オレはちっとも幸せじゃねぇ。ちっとも笑顔になんかなれねぇからな。

 紗夜がかつて、自分の音を見失って、それでも辞めればいいって言葉に頷けなかったのと、本質はおんなじだ。でけぇ理想に向かって歩く道のりは、苦しくてもぜってぇ他人には譲れねぇもんなんだよ。それは、紗夜もわかってんだろ。

 

「まぁ……サンキュな、紗夜。お前の気遣い、ホントに嬉しかった。それはホントだ」

 

 そこには感謝もしてる。ポンコツだポンコツだと思ってたのに、必死にオレが生きていける道を模索してくれた言葉は、きちんとオレの胸に届いてる。それは紛れもない、紗夜の成長ってヤツだ。お前はそのまま、間違いと正解を決めて成長していってくれよ。

 

「……かず、なりさん」

「あーあー泣くなっつうの。結局オレが泣かしちまったみてぇじゃんか」

「じじつ、なかせてるじゃない……っ、しんぱいしたのに、倒れたって、知って……でもそれでも、ギタリストとして、できることをしようと……ココに残ったのに……」

「そうだったのか、偉いな、紗夜。お前は、オレが見ねぇ間にもどんどん、成長していくな」

 

 まるでガキをあやすように、泣きじゃくる紗夜を包んで慰めていく。

 コイツは、いつも安心を求めてくるな。いつも年も生まれた日も変わらねぇ、手のかかり過ぎる妹の姉をするのに手いっぱいで、なのに妹は自分のできることよりも更に上の次元をこなしていく。そんな、おねーちゃんとして必死な紗夜には拠り所がねぇのかもな。あるいはそれは、Roseliaのメンバーでもある。んで、今回は、オレってワケだな。

 

「心配させた責任は、当然取っていただけるのですよね……?」

「それは……お誘いってことでいいか?」

「はい。今夜は……一成さんと、一緒にいさせて、くださいね」

 

 結局それかよ。どいつもこいつも。まぁソッチに訴えかけて、紗夜がそれで満足ってんなら、オレだって拒否する理由はねぇけど。

 とりあえず、今日はこの辺でな。羽沢珈琲店にいるから、終わったら連絡しやがれ、とだけ言い残し、オレはスタジオを後にした。

 

「なんだろうな。オレがしてることは、正しくはねぇんだろうけど……」

 

 ──紗夜にも後で伝えなきゃならんことがあるな。そうだな、アイツにはオレを鳥籠にしてほしくねぇからな。アイツがギタリストとして自分の音っつうのをホントに見つけて好きになってほしいな。そん時はもっとRoseliaも色々な交流が増えてるはず、そん中で、きっともっとギターで語り合える男、自分よりギターが上手くて師匠になってくれるヤツだっているかも。そういうのよりもオレがいいってんなら、その時はオレはお前の帰る場所にくれぇに、なってやろうかな。

 こうやって甘やかすのは正しいわけじゃねぇ。正しくねぇけど、でもこの場合において間違ってるワケじゃねぇってのはホントに難しいな。ホントならここでオレがバシっと一人の女に絞ればいいんだけど。それはそれで、なんかズルなんだよな。モカと一晩過ごして、オレは改めて、オレの意思が介入するとめんどくさくなるってのを思い知ったからな。

 

「つかな……全員美人揃いだから、選びきれねぇっつうのも悪いクセだよなぁ」

 

 でもこのなんかめんどくさいハーレムエンドを回避するには、色々しなきゃいけねぇ。

 ヤっといて、しかも千聖以外とは処女奪っといてじゃあコイツが好きだから、他はこれっきりってのも、なんかな……そもそも手を出したオレが悪いと言えばそうだな。

 せめて刺されないように、立ち回るのが精々かな。そんな退廃的で、かつ一部の女性どころか男性にも刺されかねねぇようなことを考えながら、オレは車を商店街の方へと向けた。

 

 

 

 

 

 




ハーレムエンドまで頑張れクズ!


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⑦攻城オーキッド

めちゃめちゃ修正した


 さて、外堀(ちさと)埋め(おとし)門番(さよ)抱き込んだ(おとした)。遂に本丸を攻める時がやってきたっつうわけだ。幸い、本丸はどっちも羽丘だし、そもそも花咲川だから先に篭絡したのであって、別にサブヒロインとかメインヒロインとかいう括りなんかじゃねぇよ、決してな。

 

「……それだと結局、あたしが負けヒロインなんだけど~?」

「だから否定しただろ軍師殿」

「ドコに向けた言い訳なのかな~、バカ殿様?」

「誰がバカだ、せめてクズ教師にしろ」

 

 昼休み、オレはいつもの屋上で軍師殿、もとい今回の一番の味方であるモカと作戦会議を開いていた。モカはいつも通りパンと弁当というカロリーマシマシな重厚感溢れる昼メニュー、それに対してオレもいつも通りめんどくさがってコンビニ弁当とはならず、弁当箱を持ってきていた。

 

「あれ~、な~んかかわいらしいっすね~」

「紗夜がツンデレしながら作ってくれたんだ」

「愛人べんと~」

「言い方ヤだな、ソレ」

 

 確かに愛人。同様の関係の女が複数いるしその表現は的確かつ適切だな。流石は万能の女の才能を見出したヤツ。恐ろしく器用だ。けど本人曰く料理はあまり得意じゃないらしい。確かにおっかなびっくりだったしな。

 

「あれっすね~、紗夜さんって~、な~んか、だいたい、って言葉苦手そうだよね~」

「そう、まさにそれなんだよな」

 

 だから結局分量とかはオレが決めてやった。不満そうだったがクソ忙しい朝にイチイチ量るんじゃ、いつまで経っても本当の意味でツンデレ愛人弁当の完成は程遠いな。しかし味はうまいから筋はいいんだよな。

 きっとコイツはこの筋がいいの時点では相当マルチな才を発揮してんだろうけど。どこかしらで不器用だからな。

 

「で~? 今日は愛人のべんと~をあたしにわざわざ見せつける作戦会議~?」

「違うからフォークをオレに向けるな、危ねぇっつうの」

 

 ふん、と鼻息を荒くしてそっぽを向いたモカ。ホントに、自称負けヒロインの時とは打って変わってっつう感じだな。嫉妬が敵意に変換するクセさえなければかわいい、で済むんだけど、そのクセがあるから、オレとしても冷や汗を流すハメになるんだよな。

 

「蘭の攻略に協力してもらおうと思ってな」

「……あ、そっか」

 

 そっかじゃねぇんだよな軍師様よ。んで、今回なにが軍師様を頼らなきゃならねぇほど厄介って、ヒナの存在が蘭を苦しめて、傷付けちまってるってことなんだよ。更に厄介なのは苦しめながらも蘭がオレにとってヒナに対抗する唯一の支えってことだ。

 

「じゃあ、日菜さんからじゃダメ?」

「甘いな。ヒナを攻略すれば、アイツはまたいつものメンヘラに逆戻りだ。すると蘭もまた変わらねぇからな」

「わ~、蘭もめんどくさいせーかくしてるもんね~」

「まったくだ」

 

 けど、無条件で待ってるっつうのとは距離が離れた気がしちまうからな。色々策を弄しなきゃいけねぇところなんだよな。

 そこで、やっぱり幼馴染で蘭に最も依存してる人物であろうモカの出番ってワケだ。まぁ、勿論無償なんてムシのいい話はしねぇよ。

 

「……ご褒美?」

「甘ったるい声を出すな」

 

 期待に潤んだ目をしやがって。まだ真っ昼間だっつうのに発情すんなよ。まぁ、いつも言うようだが、それがお前にとって頑張ってくれる報酬になるってんなら、オレは構わねぇけどな。

 そう思っていたら、モカがしばらくの無言の後、ポツリと訊いてきた。

 

「せんせーって、次空きなの?」

「おう。じゃねぇとこんなとこでのんびりメシなんて食ってねぇからな」

「……じゃあ」

 

 その答えを聞いたモカの行動は素早かった。オレの膝の間に座りこみスマホを取り出し、誰かに電話をかけていく。誰だ、なんて思うまでもねぇな。きっと羽沢か上原のどっちかだ。

 その予想通りモカの耳元から、どしたのモカ~、と底抜けに明るい声がした。上原の声だな。

 

「あ~、ひーちゃん、実はさ~、熱っぽくなっちゃって~」

 

 おいおい仮病かよ。と突っ込む間もなくモカに唇を奪われ、その感触に眩暈がする。上原の大丈夫ってかホントなの? っつう声が遠くに聴こえて、モカが唾液の橋を切って上原に答える頃には既に、モカを止めれるくらいに理性は働いてなかった。

 

「はぁ……うん、ホントだよ~、ん、ヤバいカンジ~」

 

 確かにさっきより息が荒く、艶っぽくなってるけど、それって完全に熱っぽいの意味が違うだろ。ここでモカの恐ろしいところは、ウソはついてないところだな。体調が悪い、なんて一言も言ってねぇ。あとオレの逃げ道をふさぐように脚の間にいやがるし、なんならスマホを耳元に当ててる右手の、その反対側の手は、オレの堪え性のない愚息をロックオンしてやがった。

 

「ん~、次の授業お休みすれば大丈夫だと思う~、うん、うん、は~い……えへへ、またサボちゃった~♪」

「ココじゃ寒いだろ……熱っぽいらしいし、保健室でも行くか?」

「ううん。ココがいい。シてたら、あったかいからさ~、へーき」

 

 熱っぽいのはモカだけじゃねぇな。オレもだ。つか前払いって、ちゃんと働いてくれるんだろうな。まぁここで、嫌だと言われても、オレはもう我慢はできそうにねぇけどな。もし、働かなかったらぜってぇ、覚えてろよ。

 

「……もー、疑りぶかいな~。せんせーのためなら、せんせーとのご褒美のためなら、あたしは蘭とケンカしたっていいもん」

「重いな、ホント」

「ストーカーだからね~」

「頼りにしてるからな、モカ」

「うん」

 

 授業をサボったモカと、そろそろ寒くなってきた空の下でお互いに夢中になって性欲を発散させていく。ヒナのせいでなんかもう慣れちまったスーツを脱ぐことのねぇ、んで制服を脱がすことのねぇその行為をするたびに、制服のスカートって実は欠陥品なんじゃねぇかって思えてくるよ。まぁそんなこと言ったら、ズボンのチャックだっておんなじかもしれねぇけど。

 ――まぁとにかく交渉成立っつうことで、モカに頼んで放課後にオレは蘭を呼び出してもらった。つい先週会ってるっつうのにひどく久しぶりな感じのするその立ち姿は、相変わらず優美で、けどどこか張りつめてる感覚がした。

 

「……なに」

「なに、は酷いな。せっかく復帰したっつうのに。会いにも来てくれねぇし」

「別に、忙しかっただけだし」

 

 爆発しそうな何かを我慢してるような蘭。ヒナになんか言われたのか? 例えば、オレは明日なんか信じてないから教師やってる意味がない、みてぇな。蘭を、利用して教師を続けようとしてきただけだと言われでもしたか? それを必死に否定しようとして、躍起なんだったら、悪いけど、オレはその期待には応えられそうにねぇな。

 

「……なんつうか。ここで二人ってのは、懐かしい気もするな」

「そうだね、アンタはずっと、ココにはいなかった」

「……吸っていいか?」

「勝手にすれば」

 

 屋上で棘のあるコイツと会話すんのは久しぶり、ついでに言えば、コイツの前で吸うのも、久しぶりだ。ホントは蘭がいる手前、止めるとこだけど、当時の感覚と距離感を取り戻すためだ。ここで相棒任せになっちまうのはカッコ悪いけどな。

 

「お前は今、どんな青春を抱えてる? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……頼んでないけど?」

「ふっ、頼まれなくてもお前を構うのが今のオレだからな」

「うざ……」

 

 懐かしい感覚だ。オレの手の届かねぇとこに身を置いて、そうやって独りでクサクサして、全然ロックじゃねぇな。わがままをこねるクソガキじゃねぇか。カッコ悪い。今の蘭は、そんなことにも気づいてねぇくらい、余裕がねぇのか。

 

「うざくてもなんでも、オレにはオレのポリシーがある。そのポリシーが、蘭を放っておくなって言ってんだよ」

「……別に、アンタに、アンタなんかに構われて、嬉しくなんて」

「どうして、あんなにオレを――」

「――黙って!」

 

 叫び、悲痛な蘭の声にオレは無言になって灰を落とした。蘭は今、葛藤してる。ここでまたオレに甘えてぇ、泣きついてどこにもいかないでって、泣きじゃくりたいっつう自分と、そんなことをしても、いずれは捨てられるっつう不信感を持った自分がせめぎ合って、余裕をなくしてる。

 

「……アンタは結局、理想を、アタシたちの黄昏をコレぽっちも信じてなかったんだ!」

「ああ、信じてねぇ。信じられるワケねぇだろ。信じた結果、由美子にはもう、会えなくなっちまったんだから」

「そのくせに、アタシの前で理想を語った」

「そうすることで、蘭の教師でいられると思ってたからな」

 

蘭は確かに教師としての希望だった。

 

「アタシは、その理想を信じた。信じて、アンタが教師をやってく中でいなくなったら困ると思って、日菜さんも、モカも、千聖さんも、紗夜さんも抱きこんだのを黙ってた。ホントはすごく嫌で、なんでこんなヤツのこと好きになったんだろ、って何度も思った。だけど、それでアンタがアタシのことを見てくれるならって」

「悪いな、流されるだけのクズで」

「……はぁ? ソレだけでハイそうですかってアタシが納得すると思ってんの? 今までの全部ウソでした、で納得できるほどアタシは大人じゃないし、そんな大人になりたくなんてない!」

 

 そうだろうな。オレだって、そんな大人にはなりたくねぇと願ったさ。あーあ、なんか、ホントなんつうか、お前は昔のオレみてぇだな。

 剥き出しの承認欲求と、大人から享受されるものに甘んじるクソガキ。なぁ、蘭。わかったろ? 愛されたいだけじゃ、人間関係はうまくいかねぇんだよ。

 

「まだ大人ヅラすんの? クズのクセにアタシより上だとでも思ってんの、ねぇ!」

「あ? ナメんな。オレはお前の目上だ。教師と生徒、年上と年下。どんなにクズだろうが、尊敬できなかろうが、この関係に変動はねぇよ」

「――っ、この……っ」

 

 涙を流しながら、怒りの表情でオレを睨んでくる蘭。というところで流石のオレも焦りが背中を流れていった。

 あの、モカはまだ出てこねぇの? そろそろ出てきてくれてもいいんだけどな。着地点どんどんオレが見失い始めてんだけど、おいモカ、まさかマジで裏切ったとか言うなよこの土壇場で。

 

「オレは教師だ。どんなにクズでも、オレはどうしても蘭を生徒として認識するし、由美子が逝っちまったっつう過去がある以上、明日、を信じることはできねぇ。そこはもう、変えられねぇんだ」

「ならなんで……アタシにはあんなこと、都合の良いこと、言うの。アタシは、アンタの言葉を信じてたのに……」

「信じてみたくなったから。あんときは、なんでか知らねぇけど怖くて怖くて、仕方がなかった明日を、蘭がいることで信じてみたくなったからだ」

「けど、結局信じてくれなかった」

「そうだな、オレは変われなかった」

 

 悔しそうに俯き、拳を強く握る。そもそも、それが間違いだった。蘭をまるで正妻のように扱ったソコがもう、オレにとって最悪の選択肢だった。

 どんなに蘭にとって幸せな選択だったとしてもそれは、オレの幸せじゃねぇ。特別で大切だと思える生徒たちにメイン、サブの格付けをするなんて、オレには結局、できねぇことだったんだ。

 そんな蘭の怒りが収束し始めた時、屋上のドアが開いて、モカがやってきた。いやもう遅えから。なんか解決に向かいつつあるのに出てきたの、お前。

 

「お取込み中どーも~」

「……モカ?」

「蘭って、かわいそーだよね~。結局、蘭がヒナさんともめて自分こそがせんせーの隣に相応しいって頑張ってる時、あたしさ~、せんせーとえっちしてたんだ~」

「……え?」

「お、おいモカ?」

 

 確かに事実だな。蘭がそうやって千聖と話してる間に、お前はオレの家に来て、こころが持ってきたメロンを食って、オレんちに泊まった。間違ってねぇけど、それをそういう言い方でカミングアウトする意味はなんだ、逆効果じゃねぇのか。

 

「それって……」

「うん、せんせーはあたしを選んでくれたよ~? だって今日も、お昼にココでシたし~、らぶらぶなんだ~」

 

 ちょっと待て、なんで蘭を追い詰める。その必要はどこにあんだ、と止めようとしたらモカに唇を奪われって、この件、昼もやっただろうが。

 不信感が募り、けどモカの瞳は、蘭を突き放そうとする意志はねぇ。んだったら、最後まで乗ってやる。舌を差し込んで、茫然とする蘭の目の前で、むせ返るようなキスを繰り返した。

 

「ほら、これが今のせんせーだよ」

 

 そうだな。お前を信じてる。それが今のオレだけど、ホントに蘭に正しく伝わるんだろうな。後はその悪魔の囁きに任せたからな。オレは傍観に徹させてもらうからな。

 ――蘭は唇を噛んで怒っているように見える。まぁ当然だな。突然出てきたモカを受け入れたんだから、オレのやってることは最低もいいとこだ。

 

「アタシに飽きて、ヒナさんに飽きて、次はモカってワケ?」

「いやいや~、そもそもせんせーはあたしたちのことは生徒としか思ってないわけでしょ~?」

「なのにそこのクズはモカを選んだんでしょ?」

「……そりゃ~、あたしは、せんせーを認めて、信じてるからね~」

 

 選んだのはモカだけじゃねぇ。同じように千聖がごちゃごちゃした関係に決着をつけたときに、おかえりと言えるように、紗夜が羽搏いて、戻ってきた時に、おかえりと言えるように、オレはそういう余地を与えた。とモカは言いてぇんだろうけど。絶対蘭には伝わってねぇよ。

 

「何が言いたいの、モカ」

「せんせーは、蘭の知ってるせんせーじゃないよ。だから、蘭の駄々っ子みたいな言葉は、せんせーには通じない。せんせーは、先生だから」

「はぁ?」

「蘭、どっかで思ってるでしょ? せんせー……一成が教師として立つなら、また自分との約束をしてくれるんじゃないかって、だからその言葉が出るまで駄々をこねて粘るつもりだったんでしょ?」

「……っ、それは……」

 

 なるほどな。だから、モカはこのタイミングで出てきたワケか。蘭の中でヒナとの正妻を巡る血塗られた戦いはまだ続いてて、ここでヒナを出し抜くためにオレを利用しようとしてた、と。それは気付かなかったな。ナイスだモカ、とオレは前に立つ灰色の悪魔の頭を撫でてやった。

 

「蘭の思い通りにはならないよ。だって、せんせーは由美子さんに貰ったものを使い切らなきゃいけないんだから」

「……だな。モカ、何からなにまでサンキュ」

「えへへ、ちゃんと役に立った~?」

「立ちすぎて、昼の分じゃ足りそうにねぇな」

「ふっふっふ~、そこも、ちゃーんと予想通りだから~」

 

 蘭は、全ては悪魔に勝つため、か。ヒナのヒトを歪めるチカラはえげつねぇな。夕陽みてぇにキラキラした青春と、それをまっすぐ伝える声を持つロックなコイツを、そんな風にしちまうなんて、やっぱ、アイツがラスボスだ。

 

「蘭、オレはこうやって今、明日を信じてくれるコイツらを信じて、なんとか教師としてやってる。それじゃあお前は不満だろうけど、もう結んじまった関係の中で順番をつけて、コイツみてぇに泣かせたくねぇんだ」

 

 モカがかつて負けヒロインっつうなら、お前は勝ちヒロインだったっつうわけだ。同じ立場にいながらオレに更に特別扱いをされる破格の優遇。んでそれが、今回のヒナと蘭がオレの周囲を巻き込むきっかけになった。

 だったらそんな順番いらねぇよ。オレはカラダの関係を結んだ全員の責任を取らなきゃいけねぇってのに、蘭やヒナだけに構ってるヒマはねぇんだよ。

 

「蘭、やりてぇこと全部やれ。もうオレのことなんか見なくていいんだ。まっすぐ自分の生きたいように生きろ、んで、華道とバンドみてぇに全部こなしてみせろ」

 

 その先でお前を幸せにしてやれる男なんて、いくらでもいる。あの春の満天の星に負けねぇくらいな。その中で誰を選ぶかも、もちろん蘭の生きたいように生きるってことだ。恋も自由にしろ。将来とか約束とか、そんなチープなもんで、お前の明日を狭めんじゃねぇよ。

 

「……生きて、それでも一成がいい、って言ったら?」

「そん時は、そん時に考えるさ」

「――っ、バカ、クズ、サイテー、それって、結局アタシとの約束なんて守らないってことでしょ?」

「でも~、蘭がせんせー以上に相応しいヒトがいないと思えば、それは約束してたのとおんなじだよ~?」

「……モカ」

「モカの言う通りだ。悪いな蘭」

 

 泣きじゃくる蘭を抱きしめてキスをする。今度は約束じゃなくて、お前の人生のために、お前の青春を輝かせてほしい。

 そこでまた、カッコいい美竹蘭を見せてほしい。お前の青春という名のロックを聴かせてほしい。

 

「それでも、アタシは一成が好き……それでも、いいの?」

「それはそれだな。今のお前がそうなら、オレも受け止める」

「……え、えっち、したい、とか言っても?」

「断ると思ったか? お前みたいなとびきりの美人にそう思われてさ」

「……やっぱり、クズ」

「嫌だったか?」

「ううん……だったらさ、週末、空いてる?」

「そりゃもちろん」

「……じゃあ、デート、してくれるよね?」

「デート、か。もちろんだよ」

 

 蘭はそこで笑顔を見せた。いつも通りの笑顔で、黄昏に映える、蘭の花を思わせる笑顔で、オレを見上げて、もう一度キスをした。

 ――これで、後はあのメンヘラ悪魔だけか。まぁ明日には来てくれんだろ、アイツも。

 

 




蘭だけ立ち位置変わっちゃったからホント大変だよ。メインヒロインとかいらないんだよなぁ。


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⑧狂想サンフラワー

 オレはアイツのことをわかってやれねぇ。そう思ったのは衝撃的な出逢いをした少し後だった。認めてやることはできても、アイツの思考はあまりにぶっ飛んでて、独創的で、オレには理解の外だった。けど、それを知った上で、アイツはオレを求めてきた。るんってきた、とか言うテキトーな理由で、オレには理解できねぇ言語で、オレに笑顔を振りまいてきた。

 ただ、アイツには困ったことも参ったこと沢山あったけど、それ以上に何もなかった一年の最後に、キラキラした目でオレを見上げたことで、今の一年がバカみたいに楽しくなった。今ならそう思える。

 結局、アイツ……ヒナに由美子の影を背負わせちまったのは、何よりそうやって、由美子のようにオレの世界を劇的に変えてくれたからだ。

 そんなヒナが、最近羽丘に来ていない。千聖が言うには最近はパスパレの活動が忙しい、とは言ってたが、それにしたってアイツがオレの前に影も形もあらわさねぇってのも、なんつうか変な感じだ。

 

「連絡とか、来てないの?」

「来てたら苦労してねぇよ、ったく」

「はいは~い、よしよ~し」

「あら、こういう時こそスマイルよ、スマイル!」

 

 今日の放課後は多少とは言うが、まぁ落ち着いたということで羽沢珈琲店で部活動という名のスイッチオフモードだ。四人掛けの席にモカ、オレ、こころ、蘭が座って、それぞれのハナシをしていた。

 

「それにしても日菜が来ないなんて、珍しいわね」

「めんどくせぇこと考えてなきゃいいけど」

 

 アイツのことだからまたどでけぇ爆弾を抱えてるに決まってる。ヒナと連絡が取れてる人物はパスパレのメンバーと紗夜、んでリサだけだからな。そいつらもオレを話題になるとハナシを逸らされるらしいからな。紗夜やリサでもダメ、となると厳しい。そもそもヒナが一人でなんか考え込んでるって状況がもうまずヤな予感しかしねぇ。

 

「蘭、なんかヒナからヒントとかもらってねぇの?」

「ほとんど話してないってば」

「あたしも~、ぜーんぜん会ってないな~」

「こころは?」

「あたしも会ってないわ。天文部の予定も立てられなくて困っているところよ」

 

 こんな有様だしな紗夜やリサ、千聖っつうメンバーを集めて、ホントに対策会議でもしなきゃいけねぇのか、そう思ったところで新しい客が来店してきた。羽沢が接客しているその姿にどこか見覚えを感じてじっと見つめていると、ソイツもこっちに気付いて、先輩、と微笑まれた。

 

「お久しぶりです、清瀬先輩……あ、すいません、先生、ですよね」

「いや、もう辞めたんだし、前みてぇに先輩でいいよ」

「そうですね、とにかく、お久しぶりです、先輩。お元気そうで安心しました」

「そりゃコッチのセリフだ、加賀谷(かがや)先生……おっと、今は違う苗字だったな」

「ふふ、その呼び方は仕事でしかしなかったのに、わざとらしいのは変わりませんね」

 

 蘭やモカが誰、っつう顔をする。あ、そっか、お前らはほとんど会ったことねぇんだな。きっと中高連携とか、()()()で顔を見た覚えはあると思うんだがな。

 ふわっとした印象が特徴的なお嬢様風のソイツの名前は、加賀谷……じゃなくて、確か荻原(おぎわら)香織(かおり)。オレの大学時代の二つ下の後輩で同じ羽丘の元教師。

 苗字変わってるのはつい半年ほど前に結婚したからだ。今は荻原くん……つまりは旦那さんとのんびり新婚生活を満喫中だ。この大変な時期に羨ましいことに。

 

「あ~、天文部の前任の顧問の先生……ですよね~?」

「はい。荻原香織です。一年生の貴女たちとは離任式で顔を見たくらいだから、あまり印象にはありませんと思いますが」

「んで香織、今日はどうした?」

「寄り道、です。私も、ここには偶に立ち寄っていましたから」

「……香織」

 

 蘭が何か引っかかってるようだがその予想はハズレだ。まぁ近況報告はさておき、モカの言う通り、天文部の去年度までの顧問、つまりオレの前任。つまり、ヒナが一年の時に、三年生と一緒に活動してたヤツってことだ。辞める前に後任にオレを指名したのも、コイツってわけで……丁度、ヒナのことで頭を悩ませてるところに適任が来た、っつう感じだな。ただ、どう説明したらいいもんか。そう思っていたら、こころが丁度いいわ、とか言い出してあらかた説明しやがった。おい、まて、そこまで言うとオレがヤバいヤツだから。

 

「……先輩」

「……悪い、いつの間にか、な」

「相変わらず年下好きなんですね?」

「バカ、そのハナシは」

「ふーん? 一成って、昔からそうなんだ……」

「ら、蘭……」

 

 大学時代のハナシはよせ。あれはオレの暗黒時代、そう、蝶の羽で消し去ってしまいてぇくらいの黒歴史なんだからな。つか食いつくのやめろそこのモカ蘭。香織も楽しそうに話すなよ。

 

「私の同期の子に即座に手を出して……就職してからは落ち着いたと思ったのに、悪化してますね? それとも我慢した分ですか?」

「勘弁してくれ……」

「せんせー、なにしたの?」

「……勘弁してくれって」

 

 ハナシが逸れてるしお前謎にキレてるキャラになってるから方向を戻して、ヒナのハナシしてほしいところだ。つかお嬢様風のクセにこうやってヒトの気にしてるところを的確に面白おかしく突いてくるからオレは羽丘に就職した同期として、仲良くもしてたけど決して得意なヤツではねぇんだからな。

 

「そうそう、氷川さんですね……あの子には昨日会いましたよ?」

「昨日?」

「はい、丁度お買い物の帰り道に、一緒にアイドル活動をしているという、ピンク色の髪をしたお友達と歩いてるのを見かけました」

「……丸山か」

 

 意外な情報がココで飛び出してきたな。昨日は丸山と歩いてるところで香織に会ったのか。ヒナはコイツに懐いてたってハナシだったし、なんか、ヒントみてぇなのが飛び出そうだな。行き詰ってる現状、藁にも縋る思いだ。

 

「久しぶりですけど、あの子はいっつも、星みたいなかわいい子ですよね」

「……ほし?」

「……お前の星を感じる感性はいっつもわかんねぇっつってんだろ」

「わかりませんか?」

「あら、あたしにはわかるわよ?」

 

 そりゃあな。こころの感性は宇宙のソレだからな。無限と眩い輝きを感じさせるこころなら、香織の感性なんて楽勝だろうよ。ただ、ここでは一般人の感性で頼む。モカも蘭も、完全に理解の外側にいるからな。

 

「……コホン。ハナシが逸れた気がしますね」

「今更だな」

「──それでですね、その時、あの子、すごくギラギラしてて……なんというか、野獣みたいでした。アレは先輩を食べてしまおうという顔だったのですね」

「そーだつせんですからね~」

「人気者だからな」

 

 ギラギラか。つうことはなんかやべぇことでも考えてんじゃねぇだろうな。アイツはバカだけど頭は無駄に回るからな。ったく、事情を知ったオレを後手に回らせるとは、流石、腐っても天才ちゃんだな。下手するとオレの動きも知ってる恐れまであるんだよな、ヒナのやつ。

 

「……そう、それで、何やらチサトちゃんがどう、とか言っていた気がします」

「千聖さん?」

「千聖、ってことは、パスパレの楽しいお話かしら?」

 

 いや、不穏だな。つか嫌な予感がする。ヒナの野獣のような雰囲気、ギラギラ、千聖の話題に丸山が関与してる? まてまてアイツ、オレ以上にクズなこと考えてねぇか? オレの予想が正しければ、元々は蘭から味方を奪う作戦で、その味方を奪う対象をオレに変えて成り立たせようとしてるんじゃねぇよな? 

 

「……あ~、あたしにもピカン、と同じ考えが浮かんだ~」

「なにかあるってこと?」

「もしそうなら、オレなんかより千聖がヤバい……仕方ねぇヒナは後回しだ」

 

 今度は香織とこころと蘭が首を傾げていた。まぁヒナの考えを理解なんかできてねぇから、これがマジなのかはわかんねぇけど、マジだったら、今最優先は千聖だ。杞憂なら杞憂で構わねぇけどな。とりあえず、千聖に連絡するとしようか。

 

「仕事中だったら出れないんじゃない?」

「……だろうな」

 

 ちなみに前から言ってるけどアイツのスマホは三台あって、オレが知ってるのはプライベート用と、かつてのアソビのお得意様用だった、今ではオレ専用のスマホ。オレはプライベートでいいっつったんだが、際どい会話もしたいとか言うクソみてぇな理由で拒否された。確かにうっかり見られただけでスキャンダルだけどさ。

 けど逆にいいことは、そこに連絡取ると確実に電話に出るか電源が切れてるかの二択なところだ。普段ならな。

 

「……出ねぇ」

「忙しいってこと?」

「いや、()()()()()()()()()()()()。遅かったかもしれねぇ」

「ええっと、なにか事件……ということでしょうか?」

 

 じわりと口の中に苦い味が広がった。あのバカ悪魔……暴走してんにも程があんだろ。お前は、オレの大切な生徒をぶっ壊そうってのか。

 紗夜はぜってぇ事情を知らねぇ。同じ理由でリサもだ。この二人は今もバンドの練習に精を出してるだろうし、邪魔はしたくねぇ。どうしたらいいんだ? 

 

「……なにか問題なのね?」

「こころ……ああ、そうみたいだ」

「それなら協力するわ! 日菜が間違ってることをしようとしてるなら、止めなきゃいけないもの!」

「悪いな、香織。またココでゆっくりハナシでもするとして、今はそんな暇もねぇみてぇだ」

「はい。氷川さんのこと、よろしくお願いしますと頼んだのは、私ですから」

 

 香織がうなずき、離れた場所でコーヒーを飲み始めた。こっから先は香織を巻き込むワケにはいかねぇからな。ヒナを歪めたのはオレの責任だ。アイツにまでその責任を負わせるのは違うからさ。

 

「んじゃあ、こころ。瀬田に連絡が取れるか?」

「薫ね! ちょっと待って!」

 

 こころはいつもの黒服さんからスマホを受け取り、自身のバンドのメンバーでもあり、千聖の幼馴染でもある瀬田に電話を掛けた。スピーカーから、やけに気取った声で、やぁこころ、一体どうしたんだい? というセリフが流れた。よし、繋がった。

 

「薫! 今日、千聖がどうしてるか知らないかしら?」

「……千聖かい? 今日は確かスタジオでの撮影だったと思ったが……どうかしたのかい?」

 

 電話の主はこころの声を聴いて一気に真剣さを帯びた声に変わった。流石は舞台で輝くヤツ。イントネーション、語調からの読み取る力は尋常じゃねぇな。

 瀬田に事情を説明して、千聖と連絡が取れないことを話し終えると、固い声がスマホから響き渡った。

 

「……すまない。私は仕事の内容以上のことはわからないんだ。ただ、千聖が清瀬先生の連絡に気付かないことなどあり得ない、とだけは言っておこう。それは私が保証する」

「すると益々ヤな予感がするね~……スタジオでの撮影ってことは一人じゃなくないですか~?」

「バンド全員での撮影だったと記憶している。麻弥も今日は部活を休んでいるからね」

「……ウソだろ」

 

 最悪の想定が頭ん中で虚像を作り上げた。丸山と会話した時のあの言葉、んで今日はパスパレ全員ってことは、関係者も集合してるだろうな。

 ああ、モカも同じことを思ったな。焦った顔をしてる。んできっと、これはオレも同じ顔をしてるな。

 

「サンキュ、瀬田」

「お安い御用です。それでは……千聖とこころをよろしくお願いします」

「おう」

 

 なんて急展開。これってダラダラとオレが教師として頑張る感じのジャンルじゃねぇの? つかまぁ不穏なのなんとか隠してこれまでやってきてたのに、今になってシリアスっつうか、わかりやすい問題を起こすとは思わねぇだろ。

 悪魔の囁きは、ヒトをかき乱す。悪魔は配下を呼び出して、魔王としての力を奪われた千聖に襲い掛からせたんだ。

 

「スタジオの場所、分かるかこころ?」

「ええと……」

「こころ様、ここは我々に」

「ありがとう!」

 

 サンキュ、黒い服のひとたち。蘭は留守番っつうか、自分から留守番を名乗り出た。悪い蘭、今回はお前よりもモカとこころの方が適任そうだ。オレたちが解決してほっと一息つく場所にいてくれると、助かる。

 

「アンタの足手まといにはなりたくないから、ここでつぐみと待ってるね」

「じょ、状況がわかりませんけど、気を付けてくださいね……!」

「それじゃあ私は大学時代の先輩の話を」

「お前いい性格してやがるなおい」

 

 まぁ無事に帰ってくるって信じてくれてるって受け止めてるからな香織。すぐ近くに止められていた黒服さんの運転する車に乗り込み、敵の牙城へと進む。ところでスタジオって、オレら入れるのか? そこんとこすっかり忘れてた、と思ったらそこも、弦巻家には問題ナシのようで、こころを含むオレたち三人の許可証を手渡された。おお、流石はご都合展開弦巻家。なんでもできるな。

 

「ヒナには会わねぇようにしてぇな。アイツは直接手を下してねぇから、離れたところにいるだろうし」

「それは運次第じゃないかな?」

「……めんどくせぇな」

 

 けどまぁ目指すべきは控室だ。オレは千聖にもう一度電話を掛ける。アイツ、出れるときは基本的にマナーモード切ってるからな。それが時間稼ぎにでもなってくれればそれでいい。ああもう、つか出てくれねぇっつうのがここまで焦燥感に駆られることだとは思いたくもなかった。せめて討伐される前でいてくれよ千聖。

 

「こころ、モカ。お前らならオレよりも多少耳がいいよな?」

「まぁ、若いからね~」

 

 一言余計だモカ。オレだってまだモスキート音聴こえるから。じゃなくてだな、緊張感ねぇな。それだけモカも焦りはしたが大丈夫だと思ってるってことだな。この不透明な現状じゃありがてぇな。

 

「……つか、オレ、ソイツの顔知らねぇんだけど」

「あたしも~」

「千聖が見つかれば自然とわかるんじゃないかしら?」

「あー、確かに~」

 

 ならいいけど。人違いになったら恥ずかしいヤツだから気をつけねぇとな。お互いハナシには聞いても顔も名前も知らねぇ状態だからな。モカとこころが耳を澄ませて、あっちよ、とこころが走り出したのを追いかけた。すると、次第にモスキート音も聴こえるオレの耳にもスマホのコール音が聴こえてきた。

 

「ここの部屋からだな」

「ええ」

「さしずめ魔獣退治ってとこですな~」

「呑気な勇者パーティだな」

 

 勇者こころと賢者モカ、んで、クズ教師のオレだからな。すると先陣はやっぱり、オレだな。

 ──つか、控室ん中で既に男女の揉める声が聴こえてきてるな。モカとオレの予想は大当たりで、まぁ切羽詰まる前でよかったってとこかな。オレは部屋の扉を平然と開いた。やっぱり鍵かかってねぇのな。そりゃそうか。

 

「一成さん」

「よう、千聖。連絡しても出ねぇから迎えに来たんだが……お取込み中だったみてぇだな」

「あー、確かに、お邪魔しま~すって感じですな~」

 

 制服のボタンが外れ、肩からブラのヒモが見えてる千聖、ああ、それより問題なのはそんな千聖の上に()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()。突然で緊張感のねぇオレたちの登場に状況が全然、掴めてねぇのか、ポカンとしてやがるな。

 悪いな、そこの魔王(オヒメサマ)はアンタのエサじゃねぇんでな。少しだけ悪役になってもらうとするか、()()()()()()()()? 

 

「初めまして、清瀬一成と言います。羽丘学園でクズ教師をしてるんで……どうぞお見知りおきを」

 

 社会人の通例は初対面の挨拶には名刺交換だ。まぁ、相手はすぐには出せるのは名刺じゃなくて下半身なんだけど。

 つか思うんだけどソレ、後々の処理どうすんだよ。お前の社会的地位は落ちぶれること間違いなしなのによくもまぁ、元カノでマネジメント担当のアイドルを襲えるな。オレなんか誘われねぇとシねぇってのに。

 ──悪魔攻略戦、なんともめんどくせぇ状況になってきたな。アイツは、ついにオレだけを標的にすんじゃなくて物理的に、オレの周辺にいるヤツを排除しにかかってきたっつうことだ。つか犯罪はやめろ犯罪は。オレに言われたくはねぇかもしれねぇけどさ。

 

 



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⑨狂猛ビーストと黄昏ヒーローズ

 ──迂闊だった、としか言いようがないわね。パスパレ全員が集まる雑誌の撮影、私は今日、完全にプライベート……つまり日菜ちゃんと一成さんの揉め事、彩ちゃんと私の三角関係を切り離して臨んだ。プロとしてそうあるべきだと考えていた。それがそもそもの間違いだったことを後になって思い知ることになった。

 間違いではなかった。プロとしての心構えとして私は正解だった、けれど、それはあまりにも自分本位でしかなかった。相手もその気持ちで臨んでいるかどうか、それを考えずに、何が正解だというのかしら。きっと一成さんに叱られてしまうわね。

 ホンモノの悪魔と化した日菜ちゃんがまさかそこまでやるなんて思わなかった、なんて、危機管理が甘いなんてものじゃないし、言い訳としては最悪もいいところね。

 

「お疲れ様です」

 

 そんな後悔より少し前、一通り撮影を終えて息を吐いた私は、その視界の端に嫌なものを見つけた。所感を語り合う麻弥ちゃんとイヴちゃん、それは大丈夫、いつもの光景だけれど、その横、マネージャーと笑いながら、どこかその関係以上のものを感じさせる彩ちゃん、そして、そこに満面の笑顔でやってくる、日菜ちゃん。その横顔はひどく寒気を感じさせるもので、綻んだ口許というよりは、真っ黒なモノが、三日月に裂けたような、おぞましさ。

 日菜ちゃんはマネージャーと話してる。なにを? 頭に嫌な想像が膨れる。いくら日菜ちゃんでも、そんなことはしない。きっと、私の考えすぎよ。そんな風に考えながら、楽屋へと向かう。急がなきゃと少し、この胸のざわめきを抑えるために着替えながら三つのスマホ、そのうちの一番シンプルな、けれど今の私には一番大切なものを取り出し、電源をオンにした。

 

「一成さん……」

「それが、イマのオトコの名前、か?」

「──っ!」

 

 ノックもせずに、そんな怒りがふっと湧いた。鏡に映ったのは、マネージャー。私が子役の時からの知り合いであり、かつて私を愛してくれたヒトであり、今は彩ちゃんを愛している、私が今でも忘れられない過去の遺産、素敵な思い出。

 そう、思い出なの。あなたはあくまで思い出。二心を持っていると言ったけれど、私にとってのイマは、行くかと手を差し伸べてくれたあの日から、あのヒトだけ。

 

「……ええ、そうよ。言ったでしょう?」

「遊びはやめたのか?」

「あのヒトの前にそういう飾りはいらないもの。このスマホと同じよ」

 

 スマホと同じく剥き出しのまま、彼にはそれでいい。結局は芸能活動に輝く女を抱くことに悦を感じたあなたにはわからないでしょうけれど。なにせバッシングを一番受け、世間から飽きられた元子役をあなたはアッサリと捨てて、夢にまっすぐ全力でアイドルをこなすあの子を選んだのだから。

 

「……なぁ、千聖。なんでだ? あの遊びは、別の男を探すために使っていたのか?」

「なんの話?」

「他のオトコなんて結局飾りで俺の気を引くため、そうじゃないのか?」

 

 自意識過剰……と言いたいけれど、間違ってはいないわね。あなたに嫉妬してほしかった。あなたが捨てた女はこんなに価値があるのよ、と思い知らせたくて始めたアソビ。だけど、出逢ってしまったのよ。私は私を満たしてくれるヒトに、不誠実なうえにクズで、どうしようもなく愛しくて、カッコいいヒト。

 

「一成さんは他のオトコとは違うわ」

「──っ、な、んで……」

「飾りのついた女しか愛せないあなたには、一生わからないわ。いえ、わかってなんかほしくない」

 

 女はステータスじゃないのよ。それをあなたはなにもわかってない。ああそれとも、嫉妬してほしいとカラダを汚す私すら、手に入れてると思って悦に浸ってたのかしら。機が熟して、それも無意味だとわかってまた芸能界で輝けるようになったら、甘い言葉で彩ちゃん諸共、手中に入れてしまおうと、そういう算段だったのかしら? 浅はかだわ。だから最近、あなたではなくプロデューサーの方を頼っているというのに。それにすら気付いていないだなんて。

 

「前々から思っていたけれど、この世界は恋愛が中心じゃないのよ? もちろんあなたのように下半身でしか物事を考えられないクズもいるでしょうけれど」

「それはっ、それはそのカズナリってヤツも同じだろ!」

「……一緒にしないでもらえるかしら?」

「日菜から聞いたんだ! その男は自分やほかにも複数人の女を囲って、飽きれば捨てるようなクズだって、お前はその男に騙されてるんだ!」

 

 ──やっぱり、日菜ちゃんがコイツに話していたのはそういうことね。日菜ちゃんは私を一成さんから引き離すために煽ってみせた、と。よく彩ちゃんが許可して……ああ、どのみちこの事件を引き起こせば、私はコイツから離れずにはいられない。そこまで計算してあるのね。さすがは日菜ちゃん。

 

「騙されてる……そうかもしれないわね」

「なら……!」

「けれど、一成さんには、騙されてもいいさえ思えるわ。あのヒトの温もりと優しさ、なにより弱さに触れて、素敵だと思えるのよ」

 

 あなたにはその弱さを認める力がない。飾りにまみれたあなたに求めることが酷なのかもしれないけれど、どこまでも、それこそ複数の生徒を囲ってでも、教師であろうとするその姿勢は、私にはカッコいいとすら思える。

 けれど、今の彼にはなにを言っても無駄みたいね。しかも眼が、怒りと、嫉妬に狂って、なにをしでかすかわからない、という感じね。これは……一成さんに連絡を、そう思った時、マネージャーは、いえ、もうマネージャーとすら呼べないただの獣は、私の手首を掴んできた。

 

「……なに?」

「お前は、俺が必要なんだろ? 俺に助けてほしくって、まだカズナリってヤツを構うんだろ?」

 

 何か的外れなことを言っているわね。日菜ちゃんの入れ知恵かしら? そんなことはないとばかりに大仰にため息をついて私の手首を握る手を睨みつけた。

 いつもなら、そこで怯んでしまうほどの怖がりなのだけれど、どうやら日菜ちゃんの魔法は臆病な獣を魔獣に変えてしまったようで、血走った眼で私を見る。

 ──その時、スマホから呼び出し音が鳴った。一成さんから、そう思った瞬間、唇をふさがれた。

 

「……っ、は、ん、なんの、つもり? ふざけているのかしら」

「──ふざけてるのは千聖だ、お前は俺のことをまだ想ってるんだろ?」

「今ハッキリ確信したわ。あなたのことなんて、もうなんとも思っていない、過去を引きずるのはもうやめましょう? あなたも私も、お互いの幻を見ていたのよ」

 

 少なくとも、愛しているヒトに虚飾なんてもう、求められたくない。白鷺千聖をありのまま見てくれる飾らないヒトが今はいるのだから、あなたも、もう彩ちゃんにあの頃の私の影を見るのをやめて。けれど、獣には何を言っても通じない。男女であるが故に膂力の差は歴然、そのまま、もう一度唇をふさがれ、楽屋の床に押し倒されてしまった。

 昔はこのヒトのとのキスは認められている、という感覚で好きだったのに、今はもう、気持ち悪いものでしかない。舌の感触も、胸に触れてくる手も、押し当てられる股間も、なにもかもが、気持ち悪い。

 

「……っ、こんなことしても私は戻ってこないわよ」

「うるさい! お前が悪いんだ。お前が素直にならないから、こうして、こうするしかないんだ……」

 

 最悪だわ。嫉妬に狂った獣は、こうも性欲でしかモノを考えられなくなるのかしら。こんなことをされても、私は気持ち良くなんてない、精々なんの反応もないマグロ(わたし)相手に自分の欲求をぶつけるだけだというのに。

 ただ、このままはまずいわね。妊娠で既成事実なんてごめんだわ。そう思って一応の抵抗をしていると、また、一成さんからコールがあった。一成さんは……ふふ、まるでヒーローね。もしかして、駆けつけてくれるのかしら? 

 

「なんだってんだ……なんでお前はこの状況で、笑っていられるんだ!」

「……アレはもう、一成さん専用なのよ。私が電源を入れている以上、アレに出ないということは私に何かあった時なのよ。その意味がわかるかしら?」

「……なんだって?」

「ヤるなら早くしないと、気持ち良くなる前にヒーローに退治されてしまうわよ?」

「千聖……!」

 

 それでも、逃亡ではなく私を組み伏せるなんて、愚かなヒト。ああ、そうだったわ。このヒトは普段からは考えられないくらいに、かわいらしく喘ぐ私に興奮するとか抜かしていたわね。残念だけれど、それはあなたに応えただけ。私が本気で余裕のなく男を求める表情をしたのなんて、黄昏に煙を燻らすクズ教師だけ。あのヒトにハジメテを奪われてしまったわ。

 だから制服のボタンを外されても、脚を無理やり開かれても、私は彼の前で少女のように泣き叫ぶことはしない。彼を、睨みつける。

 

「……ココにソイツが来ると思うか? 女を複数囲うようなクズがお前ひとりのために、こんなところまで助けにくると?」

「ええ、それが、私の先生だもの」

「なんでだ! 俺の方がお前を幸せにしてやれる、導いてやれるんだ!」

「無理よ。私を理解した気でいるあなたには、一生」

 

 一成さんは理解なんてしてくれない。だから寄り添ってくれる。わかってるフリもしない、理解した気にもならない。だから、あのヒトは、私の、そして……なにより日菜ちゃんの心を奪ったのだから。

 そろそろ抵抗も限界、彼が鼻息荒くベルトを外したところで、楽屋のドアが開いた。ほらやっぱり、彼はやってくるでしょう? スマホを鳴らしたということはそういうことなのよ。鍵を閉めなかったのは本当に愚かなミスね。

 

「一成さん」

「よう、千聖。連絡しても出ねぇから迎えに来たんだが……お取込み中だったみてぇだな」

「あー、確かに、お邪魔しま~すって感じですな~」

 

 勇者一行のご到着、ってところね。こころちゃん、モカちゃんを連れて、待ち望んだ私の先生(ヒーロー)は、あくまでいつもの調子で声をかけた。その安心感からか、涙が出てきて、ついに私は少女の顔をしてしまった。

 平気だと思っていたけれど、本当はそうでもなかったみたいで、よかった。私は、壊れずに済んだのね。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「……お前が、カズナリ」

「なんだ、オレの名前、知ってたんですね。まさかマネージャーさんに覚えてもらえてるとは、光栄です」

 

 対峙する男にあくまで慇懃を意識して話しかける。なんか煽られると弱そうな感じだしな。つか、冷静に考えてアイドルの口車に乗って担当のアイドルを押し倒して無理やりって、なんだかな。オレが知り合う大人にはロクなヤツがいねぇとは思ってたけどコイツは最たるもんだな。お巡りさんは今日も非番か? オレも陽の当たるところで教師やってるし、正義もなにもねぇやってられねぇ世の中だな。

 

「千聖を救うヒーロー気取りか、女を食い散らかすクズの分際で」

「担当アイドル食い散らかすクズに言われたかねぇな」

「せんせーもうけーご剥がれてるよ~」

 

 あ、しまったつい。悪いな、煽り言葉に弱いのはオレも一緒なんだよな。そしてアイツの言うことに間違いはねぇ。つまりお巡りさん来たら捕まるのはオレも一緒ってことだな。言い訳もなにもねぇ、オレにとってはままならねぇ世の中だ。

 

「まぁいいや。つかさ、オレが会話してんだからとりあえず千聖から降りとけとよこのゲス。自分が何してんのかわかってねぇのかよ」

「お前に説教をされる筋合いはない!」

「あのさ、同じ穴の貉として声を掛けてやってんだよ、コッチはさ」

 

 見たとこオレとトシはそう離れてなさそうだ。つまり、コイツも一回り年下に欲情する変態クズってこった。まいったな親近感湧いてきちまったよ。

 けど、性欲のまま子孫繁栄の本能に生きる畜生に成り下がってレイプなんて、そんな気持ち悪いことをするヤツを仲間として迎え入れたくはねぇけどな。

 

「コイツは……千聖は、俺じゃないとダメなんだ。俺が、俺が……俺がっ、傍にいてやらなかったから、カラダの関係を始めて……俺がもう一度最初から、全部愛してやらないといけないんだ……だから、だからこれは、下心じゃない、俺は正当な理由を持ってるんだ」

「わ~、このヒトきも~い、って感じですな~」

「ヒナのヤツ……何を吹き込んだんだ」

 

 なんか目がイッちまってやがる。支離滅裂、現実逃避、それで股間腫らしてカラダ触ってたら下心だろ。そう思っていたら、千聖がその男の頬を張った。しかも思いっきり、いい音したな。オレがモカに食らったのといい勝負だ。やっぱり親近感湧いちまうな。ドンマイ。

 

「いい加減にしなさい! あなたのソレは犯罪以外の何物でもないのよ? それであなたを純粋に愛してくれている彩ちゃんを傷つけるつもりなの?」

「……ち、さと……?」

「目を覚まして……お願い。あなたは、彩ちゃんにとって大切なヒトなのよ?」

 

 そうだな。こんな煽られてクソ犯罪者になっちまうようなヤツでも、丸山は大切に想ってる。それはオレだって容易に理解できた。千聖にとってもかつては自分の傍にいてくれた、大切なヒトだ。そんなヤツが暴走してんのを、見過ごせねぇよな。

 

「──っ、千聖……俺は、俺はお前が……彩は、千聖は、あ、ああ、なにがいけなかったんだ、なにが、なんで、なんで、ナンデ……!」

「うわ〜、バグっちゃった」

「千聖! 大丈夫かしら? ひどいことされてない?」

「……ええ、タイミング良くてびっくりしたわ」

 

 後ずさりして、椅子に引っかかって盛大にコケて、それでも茫然自失としてやがる。コレが、ヒナにおかしくされたヤツの末路、つまりは前までのオレの。アイツ、マジでなんとかしねぇと。それより、今は救い出したオヒメサマの心配だな。

 

「……ムネ、触られた程度か?」

「キス二回、舌も入れられたし胸とそれと脚と……股間にはアレを擦りつけられたわ」

「詳しく説明すんなよ……」

「訊かれたから答えたまでよ。酷いヒトだわ」

 

 涙は流しているものの、いつも通りでとりあえずは安心した。けど、そこから帰り道、蘭と羽沢が明るい顔で迎えてくれる羽沢珈琲店でも千聖はオレの傍を絶対に離れなかった。気丈に振舞ってるだけ、か。そりゃそうだろうな。蘭は特にそんな千聖を気遣う姿が見られた。

 ──同じような経験を持つからこその気遣い。千聖が遭ったコレは蘭にも少なからず、ダメージを与えたってことか。そこまで計算しての行動なんだろうが、ヒナのヤツえぐいこと考えやがるな。蘭は、それでも、いつもより口数の少ない千聖に声をかけた。

 

「千聖さん、今日……一成の家に泊まっていってください」

「いいのかしら? 明日はデートなのでしょう? だからココにいるのに」

「今、離れて辛い思いをしたら、一成や()()()()()()()()()()()()

 

 意外な言葉が蘭の口から飛び出たから、オレも千聖も、幼馴染たちも驚きの顔をした。今までの蘭には考えられない言葉だもんな。元々引っ込み思案だし、どこかに他のヤツとは違う特別っつう意識があったのか、あんまり歩み寄ることはなかったからな。

 

「……そう、なら、お言葉に甘えさせてもらうわね。ありがとう」

「また今度、ゆっくりお話……聴きます」

「……ええ」

 

 なんだよ、蘭、お前はすげぇヤツだ。最高だ。いつの間にそんなこと言えるようになったんだよ。心の中で絶賛していると、ジロリと蘭に睨まれた。なんだよ、割と本気で褒めてんのに、怒んなよ。

 

「明日、うっかり千聖さんと寝坊、なんてやめてよね」

「うふふ、それは一成さん次第、かしら?」

「どう考えてもお前次第に決まってんだろクソビッチ」

「私から誘っているような言い草ね」

「そう言ってんだよ」

 

 コイツ、わかってて言ってんだろ。つか途端に機嫌よくなりやがって、何がそんなにうれしかったんだよ、まったく。蘭がそうやって誰かとコミュニケーションをとったことか、それとも単純に、譲ってもらえたことか。どっちでもいいけど、その眼はやめろ。蜂蜜のような甘くて、ドロっと煮詰まってるみてぇな、感情。お前はそれを恋慕の情だとか思ってんのかよ。

 蘭やモカたちと別れ、千聖を連れて家に戻った。ようやくだな。待たせて悪かった。

 ──千聖は、玄関で泣き崩れた。

 

「怖かった……怖かった……来てくれると信じていなければ、私……わたしっ」

「大丈夫。もう大丈夫だ」

 

 肩を震わせる千聖の支えとして、オレはコイツをただ受け止めた。泣きつかれて眠るまで、キスをして、頭を撫でて、幼い子どもをあやすように。お疲れ、千聖。お前はゆっくり休んでろ。ヒナの件は、オレや紗夜でなんとかしてやるから。

 

「……かずなり、さん」

「どした?」

「さよちゃんが……」

「紗夜? 紗夜がどうした?」

「あぶない……の。次にひなちゃんが排除するとしたら……さよちゃんよ」

 

 ヒナの狂気は、紗夜にも手を出すってのかよ。そうするとリサも、巻き込まずに……なんて都合の良い展開にはならねぇだろうな。

 こうなったら、とことんまでヒナに付き合ってやろうじゃねぇか。また、オレの生徒として、過ごせるようにな。

 

 

 



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⑩相愛サンフラワー

 ヒナは全てを敵に回してる。アイツは今、全てが敵だと思ってるだろうからな。悪を叩き、制裁を与えて正妻に収まろうっつう腹みてぇだ。と字面だけは面白いものの何をしでかすが分からねぇっつう笑えねぇ状況でオレは蘭とデートをしていた。買い物してメシ食って、向かった先はカラオケボックス。

 どっかのガールズバンドの曲を熱唱していく蘭をぼーっと眺めながら、やっぱちゃんとヒトに聴かせる練習をしてるヤツってすげぇな、なんて考えていた。

 

「おー、点数高ぇ」

「別に、普通だから」

「そう言うなよ。オレなんか得意な曲でもそんなに行かねぇんだからさ」

「……一成に負けるわけないし」

「そうか? ならちょっとでも負けてたら笑ってやる」

 

 まぁ当然普段から歌を人に聴かせるヤツに勝てるワケもなく80点台の点数にオレはしかめっ面をした。このテの娯楽は教師になってから遠のいちまったからな。そうそう90なんて取れやしねぇか。蘭に対抗なんてバカバカしいけど、これが意外にモチベーションになるから、オレも割と負けず嫌いだな。

 

「ところで、お前ってカラオケ大丈夫だったんだな」

「なんのハナシ?」

「んー、いや、深い意味はねぇけど」

「気になる言い方するくらいなら、言えば?」

 

 肩を寄せて曲を選んでいた、その右側の赤メッシュを撫でながらながら、スキンシップを一瞬、躊躇った。その動作で蘭もどういうことなのかを察知しやがったみてぇだ。するりとヒトの前にやってきて、ちょん、とキスをしてきた。

 

「……元カレとのこと、心配してた?」

「そりゃあな。こちとら、一回トラウマこじ開けて泣かせちまってんだからさ」

「ありがと」

「嬉しそうにすんなよ、バカ」

「うっさいクズ」

 

 蘭がかつて元カレに迫られてあわやっつう状況になったのが、カラオケボックスだったのを知ってるからな。そこでホントは怖くて泣きそうだったら困るんだっつうの。今は綻ぶ口許が杞憂だってことを教えてくれて、よかった、なんて安堵してるけどな。

 

「それに……一成なら、ココで襲われても……きっときもちいから」

「バーカ、こんなトコ、カメラ付いてんだからヤったら通報もんだろうが」

「ふふ……あはは、そうだった。18歳未満を連れ込んでえっち、なんて……一成、終わっちゃうもんね?」

「よくわかってんじゃねぇか。ほらほら、次の曲入れろよ」

「うん」

 

 ったく、ヘンなこと囁きやがって。思わずそういう気分になりかけただろうが。

 そう思っていたらやけに過激な歌詞が飛ぶヴィジュアル系バンドの曲を歌い始めた。なんつうか雰囲気がピンク色だ。おいやめろ、流し目送ってくんな、どこで覚えてきやがったそんなの。

 

「……千聖さんが、一成を誘うならストレートの方が効くって」

「クソビッチめ……」

「それでもダメなら舌入れろって」

「……あんのエロ魔王……」

 

 昨日なんだかんだで、キスだけで年相応みてぇな寝顔で眠っちまったクセに。おかげで割とここだけのハナシ、ムラっとしたままお預けだったんだからな。舌なんか突っ込まれたら襲いかねねぇからやめてくれ。

 そんな煩悩を払うように大学の一時期ハマってた失恋ソングを歌い終わったオレに、蘭は少しの沈黙を挟んで、切り出した。

 

「……日菜さんのこと、大丈夫なの?」

「どうだろうな。とりあえず紗夜とリサに危ねぇからっつうことは言ったけど」

「解決はしてないよね?」

「そうだな。全く解決してねぇ」

 

 けどこれ以上はどうしようもねぇんだよ。紗夜には必要以上になんにも言うなって言ってあるしな。万が一ってこともあるから蘭やモカも目を離して一人にさせるワケにはいかねぇんだよな。

 対策として一応、常に二人で行動を意識するように伝えてる。紗夜にはリサ、花咲川なら千聖や松原、こころと。

 モカはバイトでリサ、もしくは蘭や他のメンバーと。そうやって千聖と同じ徹を踏ませねぇって決めてるからな。アイツん時はなんとか間に合ったけど、もしも間に合わなかったら、そう考えるとぞっとする。

 そんなことあっていいはずがねぇ。ヒナの欲望のために他のヤツが傷つく、なんてのをスルーしてたらクズ教師すらも失格だ。コレはもうオレが教師としてやっていくかどうかのハナシだ。そう思うと、ぜってぇに止めてみせるって気になるな。

 

「……なんでちょっとイキイキしてんの?」

「いや、なんか教師スイッチ入ったからな」

「……ぷっ、なにそれ」

「笑わなくていいだろ」

 

 なにより、こうやって笑って背中を押してくれるヤツがいるってことがオレにはでかすぎる財産みてぇなもんだ。オレが知らねぇ間にもめまぐるしく成長していく生徒たち。流されやすくて、そのくせカラダの関係を持っても浮気性なオレをそれでも、好いてくれるとんでもねぇバカども。ソイツらのためにも、ヒナの暴走を止めなきゃいけねぇ。

 

「気合入ったのはいい。でも、一人でなんとかしようとか思わないでよ」

「……そうだな」

「あと、一成がなんと言おうと、アタシとモカがこれ以上はダメって思ったら、日菜さんは排除する。これ以上みんなに危険が及ぶならアタシは戦う」

「……蘭」

 

 これは蘭からの忠告だ。あんまり悠長に、甘いことばっか言ってるとヒナはますます増長する。だから、早めに決着をつけろってことだ。厳しい。けど当然の反応だよな。

 現に千聖がもう傷を負ってる。紗夜、モカ、蘭。もしかしたら蘭の幼馴染たち、こころやリサにまで手を出すかもしれない。あまりにも危険すぎるんだ、今のヒナは。

 底抜けに明るくて、よく分かんねぇところに興味を惹かれて、目を輝かせるあどけないアイツは、どこにもいねぇんだ。

 

「……ねぇ、一成」

「どした……っ」

 

 前のヒナを思い返して、少し表情が暗くなったのを見透かされたせいか、蘭は大きな目を閉じて、オレの唇に自分の唇を押し当ててきた。長いキスの後、ついばむように何度か繰り返して閉じてた目を開いた、そこに、潤んだ星が、瞬いていた。

 

「どうしよう……アタシ、どんどん一成のこと、前より好きになってる。一緒にいて幸せ過ぎて、その後を考えるのが怖い、苦しい……これが、ヒトを好きになるって気持ちなの?」

「……そうだな。それが、好きって気持ちだな」

 

 コイツは今、繋ぎとめようと必死なんだな。オレにどこにも行ってほしくない、教師じゃなくて、男として自分だけを見ていてほしい。そんな不満すら、青春の前じゃ胸をざわつかせる恋心に変わる。

 ──悪いな、蘭。オレは共感しかしてやれねぇ。教師として、お前のその苦しいってくれぇの好きをなんとかすることはできねぇんだ。んで、それはあのクズ教師にもできなかったことだ。

 アイツは、由美子はその気持ちを丸ごと、呑み込んできやがったからな。その上で、それじゃあずっと一緒にいてあげるよ、一成、なんて笑いやがるんだから。自分が長くねぇことを知っていながら、それでも言わずにはいられなかった、って今ならそう思える。

 

「少なくとも今は、こうして受け止めてやれる」

「その後は……アタシが決めること」

「ああ、まだ時間はある。ゆっくりでいいから、お前にとっての青春の答えを見つけるんだ」

 

 オレは別に、事故とかで死んだりしねぇ限り大丈夫だから悩め。悩んで、悩んで、お前の青春の色を羽丘にやってきて聴かせてほしい。そん時は、元教え子としてでも、爛れた関係だったヤツとしてでもいいから。オレはお前やヒナ、モカたちとの間にできた切れない縁を、見ねぇフリなんてしないから。

 髪に触れ、肩に触れてきて、そうやって触れ合っていくうちに、また個室に唇が触れ合う音が響いていく。

 

「ん……もっと」

「これ以上は、オレが止まんなくなるから」

「いいよ。襲ってよ」

「まずいだろ」

「じゃあ……一成んちなら、いいでしょ?」

「……悪い、わけじゃねぇけど」

 

 いつの間にそんな誘いを覚えてきやがったんだ。しかも流石は蘭、ストレートながら直接的な単語は出さない。そして流石はクズ教師たるオレでもあって、ダメだのなんだの言いながら、流されるまま、蘭の舌を受け入れちまう。つか上手くなったってか、たどたどしさがなくなってきてんのは、この際どうリアクションすればいいんだろうな。

 

「蘭?」

「……モカがさ、前に言ってて……その、調べてみたんだけど」

「何を?」

 

 個人的観点だが、ここで思わず訊き返しちまうところが、流されやすいクズって部分なんじゃないかと思うんだが。純粋(ピュア)で、割と性知識にも乏しかった蘭だけど、モカや千聖に毒され始めてるようだ。これは教師としてあの厳格な父親に申し訳が立たない事態って、もう手を出してるから一緒か。ならいっか。

 

「こ、コレを……口で、する、んだよね……舐めたり、く、咥えたり……って」

「なるほどな。やってこねぇと思ったら、知らなかったのか」

「し、知るわけないじゃんっ、モカと千聖さんが、それで何処が弱いとか、話してて……そこで初めて知ったんだから」

 

 蘭っつうヤツが近くにいんのにオープンすぎんだよ二人。つかモカは恥ずかしがってただろ、ちょっと前まで。オレの反応が楽しくなったらしくノリノリだけど。つか千聖は後輩にナニ吹き込んでんだよ。あのエロ魔王め。

 際どい、っつうかもう退廃的でしかねぇ会話に仄めかされる、ピンク色の空気に、波にオレは流されていく。

 

「……間近で見たの、初めてかも。なんか、グロくて、変なニオイする。こんなの、口に入るの……?」

「最初は舌だけにしとけ、顎が外れると歌うのに苦労するだろ」

「うん……」

 

 こんな一幕が、蘭や他のヤツと過ごす、爛れてて、退廃的な時間がヒナにとって敵だって言うんなら、オレはヒナだけを選べねぇな、やっぱ。度し難いかもしれねぇけど、コイツらは、きっと後から出逢う生徒たちの中でも、とびきり特別で、生徒と教師以上に、大切なモノを持ってるから、きっと、間違いの被害者は、コイツらだけだから。

 

「……明日、アタシも一緒に行っていい?」

「もちろん。つか、今日泊まってく気満々だろ」

「まぁ……うん」

 

 日曜は紗夜のハナシを聴きに行くってことで、それ以上、ヒナのハナシも、明日のハナシもせず、オレはカラオケ帰り、メシも食わずに蘭を家に連れ込み、その日は家を出ることはなく、モカの訪問でやっと家を出た。

 

「紗夜さんとは~、どこで待ち合わせですか~?」

「氷川家前」

「……日菜さんと鉢合わせとか、大丈夫なの?」

 

 その辺は抜かりない。朝から撮影があるらしいからな。それに、万が一紗夜に何かを仕掛けてたとしても、家の前集合なら防止できんだろ。アイツが直接紗夜を攻撃してなきゃな。それはそれで警戒しなきゃなんねぇことだけど、ヒナはそこまで考えなしじゃダメだってことくらい、わかってんだろ。

 

「わざわざ迎えに来ていただき、ありがとうございます」

「よう、なんも変わりねぇようで安心した」

「ええ、流石に家の中ではなにもできないようでしたから」

 

 助手席に座った紗夜が、柔らかく微笑みながら、けど純粋な善意への感謝じゃなくて頬に恋の色を浮かべてるところがらしいと言えばらしいな。

 それを言うなら、オレも純粋な善意なんかじゃねぇんだけど。紗夜もそれくらいわかって、それでいてこんな顔をしてる。

 

「それで、どこ行く? 紗夜の行きてぇところでいいからな」

「……それでは、その、カラオケに」

「カラオケ?」

「意外っすね~」

 

 確かに意外だけど、オレと蘭が微妙な顔してんのはもう一つの理由は、昨日行ったばっかりだからなんだよな。ただ、それを察知したモカと違って知ることのない紗夜は下を向いて、照れた表情をしていた。

 

「その……実は、私、そういうところに今まで行ったことがなくて……」

「なるほど」

「キョーミはあったんですね~」

「私は歌よりギターばかりですから、そういったものに縁がなくて」

「でも〜、今だと楽器弾けるトコもありますよ〜」

「……そうなんですか?」

「そうなの?」

 

 紗夜とついでに蘭がえらく食いついて、しばらくの逡巡。ポツリと、ギター取ってきます、と言ってまた車から降りていった。

 ホントにギターばっかりなんだな。そこが紗夜の魅力だって感じちまうよ。

 

「あ、アタシも……取ってこようかな」

 

 蘭はなんか負けず嫌い発動してるな。ストイックさで言うなら紗夜の方が上だしな。

 まぁ、好きにしたらいいさ。でも、ちゃんとハナシもしてくれるんだろうな、特に紗夜は。

 んで結局、車にはオレとモカだけになった。確かに近所だけどな。仕方ねぇ、後で迎えに行ってやるか。

 

「……ギターにヤキモチ?」

「違ぇよ」

「あたしはせんせーにそんな顔させるみんなにヤキモチだけどね」

「ならモカもギター取りに戻るか?」

 

 いい、とマジで不機嫌そうな声が真後ろで聴こえた。前に比べたら随分とかわいい嫉妬だな。それも、お前の成長、自分の気持ちに向き合ってるっつうことなんだろうな。なら、オレはそれに応えるのが、誑かした責任の取り方だ。

 頬を膨らませてるのか、なにやら空気の音がする真後ろに手を延ばすと柔らかい頬の感触がこすりつけられてくる。ホント、ネコみてぇなヤツだよ、お前はさ。

 

「……そうやって構うから、あたしみたいな子がチョーシ乗っちゃうんだよ」

「知ってる。今お前があっという間に機嫌よくなってんのもな」

「むぅ」

 

 モカのご機嫌取りに頬を撫で、頭を撫で、えへへぇ、と綻ぶ顔に笑っていると紗夜が戻ってきた。

 ギターは後ろに乗せて、また助手席に座った紗夜は、険しい顔をしてた。なんかあったのか。

 

「随分、青葉さんとはスキンシップが多いのですね」

「そうか? モカは口より手が出るタイプだからじゃないのか?」

「もー、それだとぼーりょくてき、みたいじゃ〜ん」

「合ってる合ってる。お前のスキは一種の暴力だよ」

 

 座席の間から顔を出して、もっと撫でろと言わんばかりのモカにその感想は間違ってねぇだろ。しかし、モカにも紗夜にもそれは納得できる答えじゃなかったらしい。

 

「私ももう少し」

「……いや、お前は構いきる前にエロ悪魔と化すだろ」

「あーやっぱ紗夜さんもエロたんとーなんですね〜」

「ちがっ、違います!」

 

 なんも違わねぇから。否定するとこじゃねぇからな。お前はエロ担当なんだよ残念なことにさ。

 なんせ普段の凛とした青薔薇も、誰もいなくなった途端に甘い香りを放つピンク色に早変わりだからな。ついついそれにクラっとやられるオレがなんか言えることじゃねぇけど。

 つか続きはせめてカラオケボックスでしてくれ。拗ねるヤツがもう一人増えたら付き合いきれねぇから。

 

「コホン、とにかく、一度手を出したのならこういった不満は出さないことを念頭に置いてください」

「……おう」

「そもそも、不公平によって不満が噴出したから、次から次へと問題が起こるのでしょう?」

「……そうだな」

 

 ド正論だった。流石に今回は暴論で逃げるっつう手段は逆効果だと悟り素直に受け止めておく。JKに論破させるの、なんかスゲー負けてる気がするけど。ホント、しかも紗夜に、あの正しさの鬼である紗夜に。

 ──まぁ和やかで平和的な限りなんでもいいけどな。この輪の中にアイツがいねぇんだけどな。

 

「……そういうところが、不公平だ、と言うのです。今この時も、貴方の中に……日菜がいるなんて」

「放っておけるような性格じゃねぇからな……アレを見れば尚更な」

 

 あの底抜けに明るいバカヒナが、悪魔と言ってたものの、なんやかんやで甘くて、いっつもキラキラしてたヒナが、千聖にあんなことをけしかけたっつうのは、オレにとって少なくねぇショックを与えてた。だから、これ以上ヒナがバカなことをしねぇように、妨害してる。被害を止めるためじゃなくて、ヒナがヒトを傷つけなくてよくなるように。

 結局、ヒナはオレのリスタートポイントなんだよ。腐ってた不良教師を、そのまま受け入れてくれた。ダメになりそうだったオレに寄り添ってくれた。それは、由美子の影としてじゃねぇ、特別な気持ちだ。

 

「だからこそオレは教師として、ヒナを今のまま放置するワケにはいかねぇ」

「……一成」

 

 ──未来への希望が蘭であり逆位置にいたヒナは過去の希望の存在だ。ああやっと自覚できた。オレ氷川日菜っつう女にどうしようもなく惹かれてたんだな。

 夜空のように底の見えない黒と、そこにキラキラ粒のように光る星のような、困ったひまわり。オレはヒナが大切で特別だった。どうしようもねぇくらいの安らぎだった。それなら余計にオレが出来ることは一つだ。ケジメをつける。戻らねぇ時計の針を、無理やりにだって巻き戻すだけだ。

 

 



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⑪屋上デビル

 ヒナの一件でどこまでも、オレは甘くて愚かでクズもいいとこの男だと思い知らされた。けどそれを思ったのは初めてじゃねぇ。担任二年目。当時二年生のクラスを持っていたオレはクラス内での人間関係の悪化を見せられて、その結末にオレは思い知らされた。

 グループが一人を追い詰めるっつうクソな展開、そのグループのリーダー各だったヤツは、社交性はあるが我が強く、他人に合わせるというよりは自分に合わさせるっつうほうが正しいキツイ性格をしてたクラスのトップカースト。コイツはその性格で教師すらも呑み込もうとしてた恐ろしいヤツだ。

 んで、それと取り巻きに絶対に靡かなかったのが、オレにこうして克服の機会をくれた富士見麗奈。レナは別にクラスのカーストが低かったワケじゃなくて、そのピラミッドから完全に外れてたヤツだった。一匹狼で近寄りがたいヤツだけど、オレはソイツと関わることが多かった。なんだか放っておけなくて。

 

「センセーは、ムリしすぎ。今のセンセーは、ツクリモノみたい。見てらんないくらい、痛々しい」

 

 レナは言葉に飾りっ気がなくて、でもその分、その通りだと思うことが多かった。口調に気を付けてた、タバコなんて吸わねぇようにしてた。そんなオレの無理を、ぶっきらぼうに指摘して、少しだけ悲しそうな瞳を伏せた。ツクリモノのオレを否定してきた。

 素直にカッコいいとそう思えたヤツだった。けど、オレはソイツの言葉をホントの意味で理解できちゃいなかった。だから崩壊した。

 

「……その悪化は、その彼女の退学で収まった、というわけですか」

 

 しかもオレが倒れてる間にだ。ホントに突然の自主退学だった。理由もその後もなにもなく、アイツはいなくなった。

 けど、それに対して辛いとか嫌だとかじゃなくて、一番に悔しいと思った。確かに素行のいいヤツじゃなかった。バイク乗り回すのが好きっつってたし、髪も染めてたし、タバコも吸ってやがった。わかりやすいくれぇの不良だったけど、オレの授業は……つかどの授業も、聴いてねぇようできっちり聴いてたからな。

 だからそんなヤツがいなくなって、クラスも、他の教師も、安堵してたことが、悔しかった。

 

「せんせーてきに根はいいヒトだったんだね~」

 

 そう、レナはいいヤツだった。そんないいヤツを、オレはみすみす、退学させちまった。二年間を、空白にしちまった。それはあっという間に噂として広まっていった。

 ──無能教師が、生徒を退学に追い込んだってな。間違ってねぇだけに、オレはなんとも言いようがなく、積み上げた信頼もなにもかもを失った。

 

「でも、あなたはおかしなことしていたワケじゃないわ。平等、それは美しいまでの理想であるべきよ」

 

 それは結果が伴ってこそ。結果の伴わねぇ理想なんて寝言と変わりねぇ。オレは寝てたっつうことだな。

 眠りこけてたクズ教師は、そこで更に一年、腐っていく。なにもねぇ、ただ教科担当としての責務だけをこなす毎日。淡々と、淡々と。同じようなことを延々と、繰り返す日々。自分には何もねぇ、そう思い知らされた。

 

「けど、そんな一成をあのヒトが見つけた。また、強制的に教師にした」

 

 そうだ。アイツが、ヒナがオレのところに来てくれた時から、ただこなしてくだけだった日々を一変させちまった。

 蘭に逢うまでの二ヶ月間、オレの羽丘での生活はヒナに振り回され、ヒナの笑顔と一緒にあった。たったそれだけのことで、オレはアイツに安らぎを感じた。許されたことに、許せたことに、オレはどうしようもなく充実を感じたんだ。

 

「それで、先生は変わったのね、笑顔を届ける魔法使いに!」

「ヒナが好きで、そんなヒナのために……かぁ。うん、ロマンチックでカズセンセっぽくていいと思うな〜、なんて」

「だったら! やっぱり目をそらすなんてよくないよ! 全力でぶつからなくちゃっ!」

「ほどほど……なんて言ってられないなら、もう受け入れちゃいましょ。その方がいい方向になることだってあるんですから」

「あの……私は、日菜ちゃんのために……できること、先生はまだ、たくさん……あるんだと、思います」

「いっけー! 当たって砕けちゃえ! その方がキラキラできますよっ!」

 

 いざと言う時に逃げたくなるような臆病なオレが、いなくなったワケじゃねぇ。今だって足は竦むし手が震える。けど、オレの背中に、逃げられねぇくらい沢山のヤツが、手を延ばして、押してくれる。ホントに、ムカつくくれぇ、幸せな教師やってるよな、オレはさ。

 

「一成なら大丈夫だよ。誰よりも大人になることに憧れたキミなら、誰よりも……私の背中を見て、教師を目指したキミなら、生徒みんなを、幸せにできるよ」

 

 ああ、アンタにまで太鼓判押されるなら、砕けてみちまおうなんて思っちまうような弱くてクズなオレを許してほしい。

 優柔不断で、流されやすいクセにウジウジと昔の恋を引きずるオレを、どうかそれでも最後まで見ていてほしい。アンタの前じゃまだまだガキっぽくなっちまうけど、オレはきちんと教師として、間違えちまった関係を、清算しに行ってくるよ。

 

「悪いヒナ……遅くなった」

「……カズくん」

 

 ついに、壊れちまったヒナと真正面から対峙した。愛してほしいと必死に泣くガキを放置したツケが、これだ。歪んじまったヒナからは、前のような宇宙の煌めきなんて感じなかった。星の無い夜。暗闇、それだけがヒナの目には映っていた。

 

「呼び出したってことは……やっと、やっとあたしだけを受け入れる気になってくれたの? やっと、あたしを好きだって、言葉にしてくれるの?」

「気付いてたのか」

「あはは、なに言ってるの? 自分じゃないヒトのことがわかんないあたしでも、あたしに向けられた気持ちがどんなのかくらいは、わかっちゃうよ」

「……そうだな」

 

 お前は鈍いけど、興味を惹かれたものには、普段の能天気さから想像できねぇくれぇの力を発揮するもんな。きちんと準備してきたつもりだったけど、ラスボスは思った以上に強敵だ。今のレベルじゃ、安全とは言えねぇな。

 

「けどココで今更、ヒナを愛してる、お前だけが全てだ。なーんて甘っちょろい言葉を並べるためだけに屋上を不法占拠してるわけじゃねぇんだ」

「そっか。結局あたしはカズくんの一番にはなれないんだ、あたしは、勝てないんだ」

「勝ち負けじゃねぇよ」

「勝ち負けだよ。たくさんライバルのいる、勝負だったよ」

 

 確かにそうなんだろうな。それは蘭やモカ、千聖からも薄々は思ってたけど。勝ちヒロイン、負けヒロインってのはモカの言葉だったな。蘭やヒナは勝ちで、自分は負け……今なら確実にその意味を理解できる。理解できるようになったんだよ。だからオレはお前の前に出てきたんだ。

 

「……あたしは、絶対にカズくんの一番になれない」

「ヒナ?」

「一番になりたかった。でも無理なんでしょ? だったらもう、いいよ」

「……おい」

 

 まるで当たり前のように、ヒナは屋上の手すりに、よっ、と腰掛けた。夕陽が沈もうとする屋上で見るその景色は、ひとつの絵画で、悲壮な顔をするヒナは、それでも美しく見えた。おいおいまさか、冗談だろ、なぁヒナ。

 

「カズくんを好きになって、カズくんに好きになってもらって、いっぱい色んなことがわかって、すごく楽しかった。るんってすることもいっぱいあって、楽しかった。けど……それだけじゃ意味ないよ」

「意味はあっただろ。色んなことがわかった、楽しかった。それだけで意味はあっただろ」

「だって……こんなに苦しいのに、カズくんは大丈夫だよ、って抱きしめてくれないんだもん」

 

 苦しい? そんなん一番になれたって幾らでも味わうんだよ。苦しくって誰にも言えねぇ気持ちを抱えて、泣いて、泣いて……そうやって恋をする。青春ってのはそういうもんだよ。お前だけがその痛みを味わうワケじゃねぇんだよ。

 

「それにさ、カズくんは……裏切ったんだ。明日を、あたしの明日を、裏切った」

「……なんの、ことだよ」

「停学明けて、カズくんが屋上に来るかなって、待ってたんだ」

 

 ──けど、オレはそこにいなかった。トラウマをこじ開けて、情けなくぶっ倒れて、休んだんだ。オレのことを探してくれるヒナを、置き去りにして。

 それは間違いなく裏切りだ。待ち望んだヤツが来ない辛さ、そんなオレを縛り付けてしまえばいい、なんて思ったのか。けどだからって、お前は自分が何をしようとしてんのかわかってんのか。

 

「……カズ先生は、また間違えたんだよ。だから……今度はあたしが……それを教えてあげるんだ」

「──ヒナ!」

 

 あっさりと、ヒナは体重を後ろにかけ、黄昏の中に消えようと、身を投げた。

 オレを縛り付けるために、由美子のように、オレの前から消えたアイツのように、オレを殺すために。これで、オレはヒナを殺したっつう傷が残る。一生モンのな。

 ──ふざけんな。ふざけんなよバカヒナ。このオレが、クズ教師やってるようなオレが、三度も同じ失敗をするようなヤツだと思うなよ。成長してんのはてめぇだけじゃねぇんだよ。それを思い知る時だ。

 

「……え?」

「──ったく、バカヒナめ。死んでなんとかなるなんて思ってんじゃねぇよ!」

「どう……して?」

 

 不意を突いたつもりだろうがお生憎様だな。ちょいキツいけど、お前の背はオレが支えてる。死なせねぇよ、絶対に。死んで終わりなんてさせるかよ。道徳とか倫理じゃねぇ。オレがお前に、生きていてほしいって思うからだ。

 

「……モカだよ」

「……っ! モカちゃんが……」

「お前が手すりに座るまでオレも半信半疑だったけどな」

 

 強引に引き寄せて腕の中に収めたヒナの体温にほっと息を吐いた。よかったちゃんと生きてんな。現実は一緒に落ちてて、なんてことはねぇな? 安堵とは別になんか慣れちまったその抱き心地に複雑な心境を半分感じてると、ヒナは、少しの涙声でオレにすがりついてきた。

 

「……まだ、こうやって抱き締めてくれるの?」

「それが、今までオレとヒナがしてきたコミュニケーションだろ?」

「嫌いに、なってないの?」

「なるかっつうの。ただ、お前を好きになっちまったっつう気持ちを、リセットしてぇってだけだ。教師として、生徒が生徒でいるうちは、勝ち負けを作らねぇようにしてぇだけだ」

「一番に……なれる?」

「お前がオレの言ったことを全うして、そんでもまだオレが一番なら、そんときはもっと堂々と一番になるために頑張りゃいいんだよ」

 

 お前はまだまだ、わがままいっぱい遊びてぇ盛りのガキもいいとこだ。でもそれは悪いことじゃねぇ。むしろそれでいい。それでこそ青春だろ。

 ──だから、お前に言うことはそれだけだ。遊べ、ガキらしく遊んで遊んで、青春を骨まで楽しんでいけ。んで、大人になったら、ちったぁその困った性格もなんとかなんだろ。その時になってもまだ、オレの一番に拘るってんなら、戻ってきた他のヤツを蹴落としたなら、オレがお前を全力で幸せにしてやる。

 

「とりあえず、お前は大人になれ。けどすぐじゃなくていい。青春を生きて、もういいなってなるまで、お前は好きに生きてみろ」

「……いじわる。今すぐ幸せにしてほしい」

「ダメだ。それは不公平だ。他の生徒(あいつら)に示しがつかねぇ」

 

 文句は絶え間なく出てくる。けど涙の中にヒナの星空が戻ってきた。

 つか、こんなんであっさり元に戻るなら、最初からあんなことすんなよ。千聖もきっとため息ついちまうよ。

 

「全然だよ」

「ん?」

「全然、許せない。今でも死んでやろう、とか、他の子との関係をめちゃくちゃにしたいって、そうなっちゃえばいいって思ってる」

「……おい」

「でも、でもね……カズくんが、カズくんがいつもみたいに怒ってくれるから、笑ってくれるから……そこまで頑張んなくても、いっかなって、思うんだ」

「そうかよ。オレは今まで通りのクズなもんでな。お前が暴走しねぇってなら、腰が痛くなることくれぇ平気だ」

 

 収まったワケじゃねぇけど、か。結局、構って欲しかっただけかよ。メンヘラの領域超えてるような気がするんだけどな、それは。

 んで、やっぱりそんなクソメンヘラ悪魔を抑えるにはオレ自身が生贄にならなきゃいけねぇんだな。卒業まで、お前の教師として、生徒と爛れた肉体関係を持った教師として、付き合っていかなきゃならねぇってことだな。

 

「じゃあじゃあ……ゴフサタだった分までさ──えっちしよ♪」

「……バカヒナ」

「ほーちされたんだもん、そのくらいフツーのヨッキューだよ!」

「フツーってのはセンセーにカラダは求めねぇヤツのことを言うんだよ」

「あはは、他の子なんて知らないよー、あたしのフツーだもん♪」

 

 そっからは、ホントの意味で元通りだ。今日だけは、モカも蘭も、千聖も紗夜も、誰もいねぇ。あの日みてぇに、唯一の生徒として、オレを満天の星に埋め尽くされた宇宙で、埋め尽くす。一緒に一服吸う時間も、タバコの味がする舌を貪る感覚も、寒ぃからってカラダをくっつけあって快楽に溺れるのも、全部、全部、かつてヒナだけに感じてた感覚だ。

 

「……ヒナ」

「なにー?」

「結局、お前が気づいたことって、なんだったんだ?」

「……覚えてたんだ」

「逆になんで忘れると思ったんだよ。むしろ気になって仕方がなかったっつうの」

 

 ヒナと紗夜とこころで天体観測をした時、ヒナが口走ってた言葉。ちゃんと覚えてるっつうの。

 そして文字通り興味がある限り忘れることのないコイツが忘れるワケもなく、あっさりと二週間くれぇ前のちょっとした会話の続きが始まる。

 

「えっとね、あたしを見てる時のカズくん、どこかで別のヒトを視てたなーって思ってさ。今はそんなことないんだけど」

「……そのハナシか」

 

 それは割と前に終わったハナシなんだけどな。ヒナには説明、つかなにも知らせてなかったな。悪かった、ホントにお前を置いていっちまってたんだな。

 ちゃんと話さねぇとな。オレがどうやってここまできて、どこまで行くのか。ヒナだってオレの大事な生徒の一人なんだから。

 

「そっか、じゃあもう大丈夫なんだね」

「ああ、全部オレの過去だからな。んで、ヒナはオレの過去(ゆみこ)じゃねぇことも、もうちゃんとわかってるから」

「あたしはあたしだよ! でも、カズくんの先生にも会ってみたかったなぁ」

「ケンカになるからやめた方がいいな」

 

 お前とはちと相性が悪い気がするからな。アイツはそれなりに子どもっぽいとこあったし、ヒナだってまだまだ、だからこそそれなりに仲良くなれちまうのかも、とか思うこともあるけど。

 もし、ヒナが逝こうとしたところに、由美子がいたとしたら、ヒナはアイツになんつってたんだろうな。

 

「わかんない。だって会ったことないもん」

「想像するとかねぇのか」

「できないことだもん、イミないって! そんなことより、もうすぐクリスマスだよ、クリスマス! どっか行ったりしない?」

「日本では一般的に恋人と過ごす日だからな」

「うん、だから訊いたんだけど」

 

 会話がかみ合ってねぇよ。オレはお前のカレシじゃねぇって何度言えばわかるんだこのクソメンヘラが。つかマジなハナシすると二学期の終わりだから忙しいんでお前や他のヤツと退廃的で凄まじく妬まれるような性……聖夜は訪れそうにねぇんだよな。だからいっそ複数人で焼肉とか、そっちの方が健全かつ現実的だな。そもそももうすぐってひと月以上先だし。

 

「あとね、星も見たいな~! 双子座流星群とか!」

「それはいいな。こころとかほかのメンツ誘ってみるか」

「……二人がいいなぁ。カズくんちのベランダでゆっくり見たいし」

「ダメだ。ちゃんと天文部の活動として、じゃねぇとオレは許可しねぇ」

 

 まったく、わがままなポルックスなことで。どっかのカストル……も似たりよったりだったな。特に最近。人間(ぼんじん)として生まれたとかいいつつ、神の子(てんさい)の姉で、やっぱり根っこは双子なんだなって思うよ。

 

「あとねあとね~、えへへ、これからもいーっぱい、あたしの先生として、傍にいてね、カズくん♪」

「先生だって思うなら先生をつけろバカヒナ」

「カズくんって短くて呼びやすいも~ん」

 

 ──言われなくとも、卒業まで嫌だっつっても構ってやるさ。

 オレは、お前の、そしてオレを先生として認めてくれるアイツらにとっての黄昏であり続けるんだ。

 青春のように、人生の中でほんの少しだけ色の違う時間を、クズ教師っつう光で、振り返った時に、幸せだったと思ってくれるように。

 大人になったお前らが、いつか子どもに、そんな幸せを与えられるように。それが、オレの人生で見つけた──新しい夢だからな。

 

 

 

 

 



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幕間:太陽メモリーズ②

 新しい夢、そうオレが黄昏の太陽として生徒たちの青春を照らす。それがオレの夢であり同時にオレがオレに課した、命題のようなもの。その先で何があるのか、オレにだってよくわからねぇけど、少なくともきっとこれからオレは……最低で最悪な男になるんだろうなってことはよくわかっていた。

 

「これで、後は芽吹くのを待つだけか」

「……種を蒔いたのに、芽吹かせるのは一成ではないのね」

「来ると思ったよ、こころ」

 

 その種を蒔いたっつう言葉が別の意味に聴こえるからやめてくれると嬉しいな。まぁ芽吹くのを待つってぼやいたのはオレなんだけど。その言葉はやっぱり、オレを責めようって魂胆か? らしくねぇなこころ、お前が誰かを責めるだなんて。

 

「ごめんなさい、そう聴こえたのなら謝るわ」

「いやいい。オレだって責められるべきだって思ってるからな」

 

 非難されるべきだ。いやそんなこと言ったら最初からなんだが、それでも最初のアレを認めてくれたヤツにとっても、アイツらの感情を知ってるヤツにとっても、オレの本当の姿を知ってるヤツにとっても、オレが描こうとしてるエンドロールは罵声を浴びせかけるようなものだ。

 

「あたしはまだ、納得できないわ」

「誰だってそう思うさ」

 

 けど、よく考えてほしい。アイツらを囲い込んで、うっかり愛しちまった。このオレがみっともなくガキに対して()()()()()()()()()って思ったんだよ。教師だ、教師なんだって突っ張ってるのもいわば、それを認めたくねぇからに過ぎない。

 

「なら、まっすぐにそれを伝えるべきだわ」

()()()が好きだってか? ふざけてるな、めちゃくちゃふざけてる」

「ふざけてなんて」

「ああそうだな、こころはルールを創る側の人間だもんな。でも、オレはルールを破る側の人間なんだよ」

 

 散々ルールを破って、青色のおにーさんにビクビクと怯えながら堂々と開き直って教師をやってるオレだが、つまりオレには守ることはできても創ることはできねぇって証左なんだよ。なければ創ればいいってのは、それだけお前がルールを創る側って証拠でもあるようにな。

 

「この国は一夫一妻制だ。戸籍上で夫婦になれんのは、家族だって認められる他人はたった一人だけなんだよ」

「……だからって」

()()()だろ? お前も見ただろ、あの惨状を。あれはこのままじゃもう一度起こる。それは未来なんて曖昧なもんじゃねぇんだよ」

 

 ヒナは全てを排除しようとした。蘭はそれに立ち向かってヒナを排除しようとする。モカが全員を出し抜いて、千聖は関係に挟まれ動けず、紗夜は待つことしかできねぇ。リサは泣きそうになっちまうし、お前はオレを叱咤することでしかアイツらを笑顔にできなくなる。これが今起こる結末なんだよ。オレはその結末をほんの二年かそこらだけ先延ばしにしただけ。明日を信じられねぇオレにとってできる最悪の手だ。

 

「アイツらはもう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。オレが、クズだから」

 

 だいたい、これまで失敗続きだったオレがポンと一回成功しちまっただけで美人に囲まれてハッピーエンドってそりゃねぇだろ。しかもオレ自身はなんもしてねぇ、ただ大人だとか抜かして上から目線でアイツらがわちゃわちゃしてるのについていっただけの腰巾着、金魚のフンが妥当な評価だ。正直、今年一年で教師としての体裁を保てただけ奇跡に近いレベルだ。

 

「ここまで言えばわかるだろ」

「だけど!」

「けどもクソもねぇ。もしもってのもナシだ。オレは教師であり西日だ。それがいきなり盛って中天上がってアイツらを焼き殺すなんて……死んでもごめんだね」

 

 我ながら逃げの一手だけはすぐ思いつくなって笑うレベルだったよ。でも、もう逃げるくれぇしかなくなっちまった。アイツらはそれだけオレに近づきすぎてる。もう教師と生徒って体裁も通用しなくなる程度には。どんどん、石は坂を転がって、止まらねぇっていうんならオレは、その下にいるアイツらに危険だって教えてやらなきゃなんねぇ。

 

「だから、頼む。もう二度と、ヒナがここを飛び降りるなんてバカな真似をしねぇためなんだ」

「……あたしだって」

「こころ?」

「あたしだって、あなたの物語のヒロインになりたかった。なのに」

 

 もしかしたらこれからもああやってオレが奔走して、教師だかハーレムカス野郎だかなんだかわからん状態で女を口説きまくってたら、それもあったのかもしれねぇ、他にもリサとか、他のヤツと関わっていくとふとした時にそういうフラグが立つのかもしれねぇ。アイツらがまだ制服を着る期間は少なくとも、一年以上ある。蘭やモカ、こころは二年だ。その中でゆっくりと育まれる関係ってのもあったのかもしれねぇ。

 ──それをオレは今ここで叩き折った。こころの中にいつの間にか蒔かれていた種、って言い方はやっぱ嫌だな。ヤってねぇし。とにかく、関わってきた時間が弦巻こころという女に、ゆっくりと恋を教えていくはずだったのに。

 

「別のヤツにしとけって言ったけどな」

「それで別のヒトにしようと思えたら……恋ではないのでしょう?」

「違うな」

 

 わかってる、お前の言いてぇことは痛ぇくれぇに伝わってる。だからそんな顔すんな。いっつもにこにこ晴天の太陽サマは、オレしかいねぇと最近ホントに曇りっぱなしだな。ああもう、お前までオレを教師から遠ざけようとしてくるなんて思わなかったよ。バカどもに影響されすぎなんじゃねぇの? 

 

「ほら、こころ」

「……一成」

「誰もいねぇ時ならいい。アイツら、たぶんまた人数増やすと余計荒れるからな」

「愛人、というわけね」

「ヤらねぇからな」

「惚れたら、いいのでしょう?」

「言葉の綾で曲解だ、って訂正した気がするんだがな」

 

 するりとオレの腕の中に入ってくる太陽サマをしっかりと抱きとめて……ってお前、なんつうか、印象のせいで気づくこともそういう目で見てくることもなかったけどかなりメリハリあります? なんかパット仕込んできたとかならいいんだけど腰の割にケツも、と思考したら耳を抓られた。

 

「痛ぇな」

「変態さんには、お仕置きしなきゃいけないわ」

「お、身体の関係もねぇクセに早速愛人気取りか。気が早ぇ……って耳はやめろっての」

 

 思いの外、女性として魅惑的な身体をしていることを知ってしまったところで、こころはゆっくりと目を開けて、びっくりするくれぇに幸せそうな顔で微笑んできやがった。あーあ、お前も男を見る目がねぇな。こんなおっさんじゃなくてもっと同年代のイイ男探せよ。手頃にあるもんで済ませていいわけねぇじゃねぇかよ

 

「好き」

「そうかよ。届かねぇもんを追っかけてるだけなんだけどな」

「それが、青春だと教えてくれたのは先生よ?」

「だからそれを同年代で探せっつうの」

 

 なんでその相手が自分より一回り年上のおっさんなんだよ、おかしいだろ。けどそんなことはどうだっていいのよ、とかこころがまた笑顔を見せながら人の温もりをこれでもかというほどに奪っていく。いや、奪ってるどころかオレもこころの温もりでほっとしちまうんだけど。

 

「んん、ずーっとこうしていたくなるわ」

「ずっとは困るな」

「わかっているわ。けれど……離れがたいのも事実なのよ?」

「理解はしてるさ」

 

 そう言いながらさりげなくこころを引き剥がしつつ、どこかにでかけるか? と問いかける。ぱっと笑顔を咲かせ、いいわね! とこころはまた無邪気な仕草で立ち上がりオレより前を歩いていく。どこかってお前の好きなところってわけじゃねぇんだけど。まぁいいか。

 

「一成は」

「あ?」

「どういう先生だったの?」

 

 まだ出たな。この間言ったろうが、オレは過去の話をするのが苦手だって。そもそも由美子の件があるのが大前提としてあるし、そうじゃなくてもオレは誰かに自慢できるような過去がねぇからな。

 

「前に言ったわ」

「知ってる。だから語らねぇとは言ってねぇだろ」

「……いじわるだわ」

「バカ、バカ野郎……運転中に足を抓るんじゃねぇ」

 

 さっきの耳といいアレか? 暴力系なのかお前? やめとけやめとけ流行んねぇよイマドキ。蘭だって偶にしか手が出ねぇっての。千聖が文句あると足踏んでくるけど。あのクソビッチ、ヒールで踏みやがるからな。ご褒美でもねぇから。車を走らせてやってきたのはそれほど遠いワケでもねぇ、いつもの羽沢珈琲店……とは違う、駅前の喫茶店だった。さすがにここなら誰もこねぇしな。

 

「そんで、何が訊きてぇんだよ」

「全部よ!」

「大長編語らせやがるな。夜が明けちまうよ」

「それもいいわね! 先生のおうちでゆっくり聴きたいわ!」

「自分のおうちに帰ってもらいますかね?」

 

 人んちで夜明けを迎えようとするな。んじゃあ全部とは言うけどかいつまんで適当に語るとするかな。まずは、そもそも入る前に色々あったんだよな。具体的に言うとオレって二十四の時に就職してるんだよ。二年後ろで、だから先日あった香織とばったり会って気まずい思いをしまったんだけど。

 

「前の二年は何をしていたの?」

「なんかアプリの運営みてぇなの。広報とかカスタマーみてぇなのとか」

 

 タバコ仲間だった先輩が社長を務めるソコで二年間、とにかくオレは不特定多数の、しかも相手が男だか女だか年上だか年下だかよくわからんヤツらの相手を延々とさせられた。それがお前の仕事だとクソ理不尽なことに四六時中だ。

 

「元々二年で辞めるっつうか、二年経ってまだ教師になりてぇんだったら社長自ら紹介してやるって言われてな。大学四年で色々不安定になってたオレは、ちょっと逃げるって意味もあってそこで過ごした」

「それで、二年遠回りをして羽丘の先生になったのね」

「おう」

 

 どういうコネをもってたのかなんてさっぱりだがとにかく、その伝手を使ってオレは羽丘の教師になった。そしたらまさかの同ゼミの、しかも浅からぬ縁の後輩が一緒ってんだから当時のオレはめちゃくちゃ驚いたってわけだ。

 

「浅からぬ縁……ということは?」

「ハズレだ」

 

 正確に言うと大学三年から卒業まで付き合ってたカノジョと高校大学と一緒だったヤツなんだよ。ほらな、一応浅い縁じゃねぇだろ? まぁ香織やその親友のことはどうだっていいんだよ、今は教師時代の話だからな。

 

「つか最初のころはなんの問題もねぇよ。とりあえず馴れるまで大変だったってのはそうだが」

「担任の先生にもなったのよね?」

 

 そうだな。それなりにマジメにやってて評価されたのか、教科担当としてウケがよかったのかはわからねぇけど、結構すぐに一年生の担当をやらせてもらった。副担任から慣らしてくるんじゃねぇのかとか思ったけどな。たぶんオレは部活の顧問もやってなかったから暇だろってことだったんだと思う。

 

「失敗したのね?」

「まぁ、端的に言うと」

 

 あの頃のオレはなんでもかんでも平等で生徒を導ける、カミサマみたいなものを目指していた。今考えるとくっだらねぇけど、あの頃のオレはそれを目指して邁進していた。だけど、じゃなくて()()()失敗したんだよ。ホント、あの頃は後悔だらけだ。ちゃんとレナが教えてくれたってのにな。

 

「アイツはいっつもオレの理想をくだらないだの貶してきたんだよ。今じゃ正しかったのはレナの方だったけど、当時のオレに認められるワケもなくてさ」

 

 けど色々と偽ってるオレにとって素のままで教師ができてたのはレナだけだった。担任をしていて情けねぇことだとは思うけど、オレが胸張って生徒だって言えたのは、レナだけのはずだったんだよな。けど、アイツは中退した。

 

「つい最近までこの辺の記憶あやふやだったんだけどな、オレさ、アイツを助けようとしてたんだ」

 

 そこで呼び出して、話をしてる最中に高校ん時のダチから連絡が来たんだよ。内容は由美子の法事に来ねぇことに対する怒り。ソイツはオレと由美子が付き合ってたことも知ってたから、余計にそう思ったんだろうな。恋人が死んだ時にも、その後の法要に呼ばれてたはずなのに、オレは無視し続けてたんだから。

 

「……一成」

「ほら、湿っぽくなるだろ? これを笑い話にできる自信がねぇから言いたくなかったんだ」

 

 結局は、大学時代も教師時代も、いつもいつもオレは由美子を引きずってミスをしてる。今回のことだってそうだろ? だからもう、オレは明日に人生を懸けるのはやめたんだよ。オレが人生を懸けるものはただ一つ、教師としてアイツらを幸せにしてやることだけ。

 

「つかこころも」

「あたし?」

「幸せになれよ」

「……怒っていいかしら?」

「勝手にしろ。怒ってくれて構わねぇけど、オレはお前らの将来の相手になるつもりはねぇよ」

 

 言い切ると不満そうな顔をされるものの、オレはもう決めたんだよ。つかお前らだっていやだろ、明日を信じられねぇクソみてぇな男、しかも浮気までするような男だ。そんなの青春のアヤマチで済ませた方が身のためだろ。そもそもこころはオレで処女まで散らすバカな真似はしねぇって信じてる分いいけどな。

 

「それで安心されていると……なんとかして奪ってほしくなっちゃうわね」

「ははは、マジで勘弁してくれ」

 

 ホントに勘弁してくれよな。オレが本気で誘われると断れねぇってのはわかってんだろうが。というかしっとりと微笑むな、オレの中で何かが目覚めそうになる。弦巻こころといえばいっつも太陽みてぇな金ピカ笑顔だろ。ガキみてぇに口を開けて笑うんじゃなくて、微笑まれるとなんて言ったらいいんだろうな、とにかく相手をガキだと思ってるからそうなるんだろうな。

 

「なるほど、先生を笑顔にするにはあたしが大人になればいいのね!」

「まぁそうなるのか……って違う。ガキだからとかじゃなくてだな……」

「そうなるのよ!」

 

 いやお前が自己完結するんかい。全く持ってこころってヤツの思考はヒナと同等かそれ以上にわかんねぇやつだ。だが少なくとも、目的だけは一つ、明らかになっていることがある。

 ──コイツはオレを教師であり続けながら一人の男としての笑顔を模索している。そんな風に、あり得ないことをカタチにしてくれようとするほどに、オレを愛してくれる。優しくてバカみたいに明るい太陽サマだ。

 

 

 

 

 

 

 



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第七章:そして彼は屋上で
①夕空オーキッド


 教師なんて仕事はロクなもんじゃない。オレはそんなことを、24ん時に私立の女子校に就職してから知ってしまった。中高一貫のそこは、部活に力を入れてるようで、上司の一人が、ウチのダンス部は全国的にも有名で、と声をでかくした瞬間にしまったと思ったのをよく覚えている。オレはあんまり部活の熱意、っつうのはよくわかんなかったからな。

 ──それから四年と半年が経ち、若くて熱意のあったオレを過去っつう暗闇に置き去りにして、未だ未来なんて言葉だけはいっちょまえな暗闇をだらだらと行進中……やってられるかとやる気を失ったばかりにオレは不良教師のひとりってわけだ。唯一の救いは顧問をしてる天文部はメンヘラ悪魔の頭がイカれてんのかと思う天才がひとり、私的利用してるだけ。変人だってのはよく分かってる上に同僚、上司も、なんならオレだってソイツの扱いにゃ困ってるようなヤツだけど、オレとしては都合がいい部分もあるんだよな。

 んで、そんなことよりもっと問題なことがある。教師がロクなもんじゃねぇって証左が、このオレ、清瀬一成って人間なんだよな。

 なにせ、オレはクズ教師よろしく、生徒を囲い込み、挙句は複数人とカラダの関係を持ってるっつう事実があって、即時抹殺されてもおかしくねぇ行為だ。ロクでもねえ教師、の最上級みてぇな存在が、オレだった。別に女子校に嫁探ししに来たわけじゃねぇが、セフレはもっと探してもねぇんだよな。けど結局、他校の生徒まで含めて五人と関係を持ってる。いつ通報されるかいっそワクワクしてる部分もあるんだけどな。

 

「つかなーにやってんだろうな、オレは」

「……今更後悔するんだ?」

「客観的に考えてみろよ」

「通報するけどいい?」

 

 絶好のサボり場でもある屋上で、オレはそんな生徒による無体な言葉に息を吐いた。そうか、そうだよな。客観的に考えたら生徒たちの将来のためには社会的にぶち殺した方がずっとマシだよな。教師できなくさせた方がいいよな。

 

「本気で落ち込まないでよ。アタシがそんなことするわけないじゃん」

「優しくされるとムラッとするな」

「……やっぱ通報する。変態、バカ、クズ」

 

 けど、そんな変態ロリコンクズによる犯罪スレスレどころか一線をゼロにして幅跳びしてるような言葉にも、蘭はその特徴的なメッシュと顔を同じ色にするだけ。本気で嫌がってはいねぇんだよな。

 むしろ、満更でもない感じがするうえに、そんな蘭がかわいいと思っちまうから、やっぱクズだよな。

 

「それで、日菜さんは? ほっといていいの?」

「……今頃、たっぷり怒られてる頃だと思う」

「誰に?」

 

 そりゃあ、蘭はこの間初対面だった、普段はゆったりのほほんとしてて、更に自由を基本理念にしてるクセに、怒るとめちゃくちゃ怖いお姉さん(かおり)だからしらねぇか。ヒナがあっさりと元に戻ったことを知ったそいつは、程なくしてヒナをお茶に誘った。それが丁度今日だった。

 お茶に誘った理由は勿論、オレがヒナの悪行を言いつけてるから、だな。それを知らないヒナは呑気に向かって、さて、ヒナのブレーキたる香織とはどんなハナシをしてるんだろうな。

 

「なんか、一成の後輩って感じだね」

「適当と自由は別モンだろ。反面教師にされたってなら納得だけどな」

 

 それにアイツは去年、ヒナとそれに負けず劣らず変人だったもう一人のヤツを制御してたようなヤツだからな。オレとどっちがマトモな教師か、なんて語るまでもねぇよ。辞めちまうなんてホント、オレからしたら勿体ねぇにも程があるっつうのに。

 

「……蘭」

「なに?」

「吸ってもいいか?」

「……なんかあったの?」

 

 なんも、と首を横に振った。決別のための最後の一本ってだけだ。これが終わったら禁煙……はしねぇけど、しばらく独りで吸うことはなくなるだろう。唯一、ヒナといる時だけ、ヒナが鍵を持ってる天文部の棚ん中に、保管してある。

 未成年に預けるなんてカッコ悪いことこの上ないけどな。こうでもしねぇと、結局吸っちまいそうでさ。

 

「……いいよ」

「サンキュ、蘭」

「うん。アタシはもう、平気だから。タバコも、キスも……えっちも」

「強がらなくていいんだけどな」

「強がってない……一成の記憶に、全部上書きされたから」

 

 なんだよ、それは。なんでそんな幸せそうに照れ笑いしてんだよ。

 結局オレは、なに一つ、変われなかった。紗夜が、千聖が、モカが、ヒナが……なにより蘭が変わって、成長していったのに、オレは成長することなく、こうやって生徒の甘い顔に、甘い声に、クラっとしちまう。それがいいことだなんて思ってなんかいねぇ。これがハッピーエンドだと思うような、めでたしめでたしの思考は残念ながら持ってねぇんだ。

 迷いじゃねぇ、これがコイツらの教師として現状での最適な答え、ってのもわかってる。

 わかってるから、オレは自分が嫌になりそうだ。バカみてぇに次から次へと問題が起こったってのに、のほほんとヒナの活動中、屋上で一服して蘭を構う日々が戻ってきたんだからな。

 

「一成は、アタシとするの、嫌なの?」

「なにヒナみてぇなこと言ってんだよお前」

「いいから、答えて」

「……嫌なワケねぇだろ。とびきりの美人が甘い声で啼いて、感じてくれるってのに」

「……っ、うるさい、バカ、変態……変態っ」

「ぐっ、み、鳩尾はよせ……悪かったから」

 

 お前が訊いてきたから答えたのに鳩尾にグーって理不尽じゃねぇのか。突然過ぎて意味わかってねぇんだよコッチは。しかもわざわざ変態を二度言ってくか。

 しばらくの暴力的な戯れを受け入れ、ソイツが落ち着いたけど、まだ顔を赤くした蘭はそっぽを向きながらぶっきらぼうに言葉を紡いでくれる。

 

「ちゃんと一成も変わってる。初めて会った時よりずっと……カッコいい大人になってる」

「……蘭」

「アタシの信じてる黄昏ティーチャーサマはさ、無駄に自信満々で、美人の誘いにホイホイ流されちゃうクズで……アタシの将来全部を奪って欲しいって思えるヒトだから。変わってるところもあるし、変わってないからほっとしてるところも、あるから」

「アゲるクセに罵倒すんのかよ」

「嬉しそうな顔すんな、ばーか」

 

 だって、そんなこと言われてもな、蘭の青春でエモいロックに褒められたんだから、にやけちまうっつうの。んで、さっきまでのマイナスな自己評価が手のひらの上で高速回転しちまうくれぇに嬉しいんだよ。

 あんだけお前にとって最悪な教師でもあるオレに向かって笑ってくれる。変わらずにそういうヤツなんだな。そんなお前に甘えても許してもらえるんだもんな。

 

「アタシは、一成のコトを好きになっちゃったから。いいとこも悪いとこもあって、一成、なんだから」

「……むず痒いな」

「青春してるから」

 

 青春、だな。大人には眩しくて、恥ずかしくて、痒くて、くだらなくて、尊くて……きっと子どもにしか見えねぇキレイなもんが沢山あって。

 オレはそれをちょっとだけ見せてくれるお前らが、今はなによりも大切だ。そんな子どもの世界で一緒にはしゃげるような教師でいられることが、オレの誇りなんだ。

 

「……タバコ、もうおしまいだね」

「だな。二年間、相棒として頑張ってくれたせいか、やっぱ名残惜しくもなっちまうな」

 

 由美子との思い出の香り、アイツに憧れて吸い始めたコイツは、もう相棒じゃなくなる。そうしていつしか思い出の香りは、ヒナとの退廃的なこれからのために必要なモノへ変わっていくんだ。

 百害あって一利なしだなんてよく言われて嫌がられるこの多いコイツだけどさ。少なくとも、オレにとっては大切な思い出と、大切なこれからを繋いでくれる橋みてぇなもんだ。

 

「さて、行くか」

「うん」

 

 ──っつうわけで、コレで湿っぽく、かつイイ感じにハッピーエンド……となればよかったけどな。気付いてるかもしれねぇけど、短いんだよなコレじゃ。尺が余り過ぎてるからな。なんのハナシだってなるかもしれねぇけど、大概こういう時は、後から笑えちまうような問題が起きる時ってなもんだ。そろそろ学んできただろ? 

 その問題は、蘭と半分以上開き直ってイチャイチャとしながらやってきた羽沢珈琲店で起きた。いや、既に起こっていた。

 

「……あ、い、いらっしゃい……ませ」

「つぐみ?」

「どうした羽沢、顔色悪いけど」

「あ、あの……ひ、ひまりちゃん」

「そこで私にフらないでよつぐ~……」

「まぁ、遅かれ早かれこうなるだろうからな、いいんじゃないのか?」

「と、ともえぇ~」

 

 そこにいたのは手伝いをしてる羽沢と、客としては上原、宇田川……そして、えらく和服の似合うダンディな男性が、そこにはいた。

 黒く短く整った髪は女性が羨むくらいにツヤがあって、将来ハゲることは少なくともなさそうでそのキリっとした、どこか不愛想な感じはオレの隣で青ざめてるヤツに似ていて。つかフツーに蘭の親父さんじゃねぇか。さすがのオレでも見たことはある。

 

「……と、父さん」

 

 さてさて、バッドエンドのフラグはどこで踏んだんだろうな? 案外気付かねぇもんだな。千聖の時とか紗夜の時とか、何度かそう思ったこともあったけど、回避してきた。けど、その回避方法、もうわかってると思うけど、二人とも抱き込んじまったから許されてるとこ、結構あるんだよな。オレがホモに目覚めてそういうルートに突入できれば、同じパターンで回避できるかもしれねぇけどな。まぁ相手妻子持ちだしキビシソウダナー。

 

「座りなさい、蘭。()()もお座りください」

「……失礼します」

 

 この感じ、終わったな。しかもオレの素性もバッチリってとこか。さて、これが最終回だからな。次からは語り部が蘭になってオレの帰りを待ってくれるかもしれねぇけど、それじゃあ物語として成り立ってねぇから、はい、今回で最後だ。おつかれさん。

 

「清瀬一成先生……でお間違いないでしょうか?」

「……ええ。清瀬一成です」

「いつも娘がお世話になっているようで」

「いえ、こちらこそ。至らぬ教師で、学ぶことのほうが多い日ばかりです」

 

 やべ、心臓がバクバクしてきた。待て待て、どこからオレと蘭のことがバレた? いや、そもそも二学期あたりからあんまりコソコソしてる感じはなかったし、そんなことしなくてもいいってことに気付いたけど、それでも、蘭がうっかりしゃべらねぇ限り、もしくはモカとかそっちから漏れない限りセーフだと思ったんだけどな。

 

「な、なんで父さんが一成のことを?」

「……ごめん、蘭」

「ひまり?」

「私が、うっかりして……口を滑らせちゃって」

 

 上原かー、それは盲点だった。そういや、モカが最初の頃に口が軽いって言ってたな。マジで最初の頃のハナシだったから忘れてた。ここで回収してくるのか、こんな蛇足で、回収しなくてもいいと思うんだけどな。

 

「……つまり、私と蘭、さんの関係は承知してる……ということでしょうか?」

「そう判断してくれて構いませんよ」

 

 そりゃ威圧感も出るわ。大事な跡継ぎの娘がどこの馬の骨ともしれねぇどころか一回り年上のクズ教師とめくるめく退廃、背徳、爛れた関係を結んでるんだもんな。今すぐ刀でも抜いて切り捨て御免って感じだな。持ってねぇよな刀? 

 なんて言い訳したらいいんだろうなこの場合。なんて言い訳しても更迭、じゃなくて鋼鉄の警察さんのお世話になりそうだな。よし、開き直るか。

 

「自分が何をしているかはわかっています。けれど、貴方の娘さんを不幸にはしません、絶対に」

「……例え、ルールを犯してでも、ですか?」

「一成は大丈夫だから。もう()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉に、蘭の親父さんはほんの僅かに眉を動かした。あんなこと、そのことに関して思い浮かぶ蘭の過去と言えば、やっぱ中学時代のことだよな。反発心だけでバンドをやって、反発心だけで男を作った末路、それを親父さんは心配してしてんだな。守れなかったって、怖い目に遭わせたことを、後悔してんだな。

 

「──確かに、私は、かつて蘭さんとお付き合いしていたヒトと同レベルのクズだと思います。正直言いますと、今すぐにでも警察に突き出されてもおかしくないとすら思っています」

「ではなぜ?」

「それが、娘さんの……蘭の幸せだからです。傍にいる時の安心したような笑顔が、私にとって、オレにとっての幸せだからです」

「一成……」

 

 あ、なんか勢いに任せてえらく熱くなっちまった。けど、これが本音だ。

 けど、親父さんにとっては蘭が悪い男に食い物にされてんのかどうかが重要だ。そんなら一方向だけでも誠意を見せれば、つまりいつもの暴論サンドイッチなら多少は誤魔化せるはずだ。

 

「……あのさ、父さん」

「なんだ?」

「アタシ、一成と、このヒトと出逢えたから、逃げないって決めることができた。家のこともバンドも、駄々をこねるだけのガキじゃダメなんだってわかった。そんなヒトとアタシは将来を一緒にしたいし、一緒にいたい。アタシはもう全部から逃げないから」

 

 全部から逃げない。やりてぇこと全部、やらなきゃいけねぇこと全部、欲張りに全部できるチカラがある蘭なら、そうやって選びたい放題の未来に素敵な旦那さんと素敵な未来が待ってるハズ、そう信じてる。

 それがオレってんなら、まぁ、後は戻って来た悪魔どもと戦うのに助言は言わねぇってだけ。無責任で最低だけど、蘭のイマはそういうことらしいな。痺れる一言だったよ。

 

「……そう、か。蘭、本気なんだな?」

「アタシは本気。ハンパな気持ちじゃなくて、バンドとおんなじくらい、華道とおんなじくらい、本気だよ」

「清瀬さん」

「はい」

「……ここに来る前には、貴方のことはなんとしてでも認めない。そういう気持ちでした」

「それは親として当然の判断です。立場を無視していますから」

「ええ、けれど、ここで色々なヒトの言葉を聴いて、蘭が本気なら、清瀬さんが本気なら、覚悟を決めよう、そう思って待っていました」

 

 ──あっぶねぇ。誰だかしらねぇけどナイスだ。多分宇田川とか上原とか、あとは千聖とかだな。オレと蘭だけじゃダメだったけど、色んなヤツがオレのことを、オレと蘭のことを言葉にしてくれて、態度が軟化してたってことか。けどまぁ殺されそうな目つきだったんだけど、それはどういうことなんだろうな。

 

「……すみません、娘の恋人と会う、というのは初めての経験で……少々、緊張していて」

「……そ、そうですよね」

 

 緊張で顔が固くなってただけかよ。それでブチ切れてるように見えるんだから流石は蘭の親父さんだな。顔どころか表情筋も似てんのな。そう思っていたら思いっきり蘭に足を踏まれた。痛ぇよ、つかいつからモカの特技を覚えた。なんにも口に出してねぇのに。

 

「それで、ゆくゆくは婿入りして(みたけになって)いただけるのでしょうか?」

「ま、待ってください、それはあまりに気が早いのでは?」

「いえ、蘭はともかく清瀬さんはもう年齢的にも急ぐべき、高校卒業と同時なら、清瀬さんの職業にも影響はありませんし」

「……ちょ、ちょっと父さん!」

 

 ニワトリの親はニワトリ。ポンコツの親はポンコツか。なんか暴走しはじめた親父さんを最後は羽沢の親父さんが宥めて止めていた。なんだコレ。緊張が抜けた途端、また別のコミカルな問題が発生しやがって。羽沢の親父さんがやってくる前にはついに孫の名前まで考え出しやがって。

 こうして、なんかよくわからねぇ間に親公認になっちまった。いや、実のところ氷川家は既に公認なんだけどな。じゃなきゃ家の前に集合もできやしねぇんだけど。

 これはこれで、蘭と一緒にいやすくはなったけど、それよりなによりいざという時にどうやって断ろうって問題が待ってんだけどな。どうしようか、どうしようもねぇ気がするんうえに……あーあヒナたちになんて説明するべきか。

 まぁなんとかなるだろうなきっと。とりあえず収監エンドは避けたんだからな。

 

 

 

 



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②虹橋イーグレット

「あら、それは災難だったわね」

「災難、の一言で済ますな。マジで豚箱を覚悟したんだからな」

 

 蘭の親父さんと出会うというハプニングから二日後、オレは同じく羽沢珈琲店にて、こころからの要望で天文部の活動っつう名目のお茶会が開かれていた。参加者はオレとこころ、あとは千聖と松原、っつうメンツだった。

 

「でも何事もないなら、とってもハッピーなことだわ!」

「そうね。過ぎたるは猶及ばざるが如し、とも言うし、一成さんがココにいるのだから、これ以上の言葉なんて無駄というものよ」

 

 迎えてくれた羽沢の反応から何かあったのだと察知した千聖に根掘り葉掘り、語った結果が千聖のこのドライさだ。確かにそうなのかもしれねぇし、多分オレも千聖の立場だったら、もう過ぎ去ったことなんだからそれ以上なんて言うんだよバーカ、くれぇは言うだろうけど。立場が変われば、言葉なんてひっくり返ってなんぼだろ。

 

「えと、お父さん公認になった先生は蘭ちゃんと……結婚しちゃうんですか?」

「そんなワケねぇだろ……」

「でも、それを曖昧にしてまた蘭ちゃんだけ特別になったら……千聖ちゃんが」

 

 松原は純粋に親友のためを思っての発言だったらしい。千聖が、花音は優しいし気遣いもできるしかわいいしいい匂いもするしで最高の親友だわ、とややアブナイ褒め方をしていた。相変わらず松原のことになるとガチだな、お前。なんか満足そうだし、これ以上は言わなくていいか。千聖のことだ、信じてるわ、っつう重くて軽い一言で済ますんだろうしな。

 

「あと花音はぎゅーってすると、柔らかいわよ!」

「そうね! 髪の手触りもいい、暖かくて……なんとか抱き枕にできないかしら?」

「ふえぇ……は、恥ずかしいです~」

 

 まぁ、松原は包容力ありそうだし、童心に還りたくなったりするときには最適なのかもしれないけどな。大丈夫、オレはクズで最低の変態だけど子どもに戻りてぇって思ってねぇから。そこで同意したら犯罪だから。そんな外から眺めていたオレをちらりと伺った千聖は、にやりと口許を歪める、邪悪な笑顔を放った。

 

「……まぁそんなこと言う私は、今日は一成さんの抱き枕になるのだけれどね」

「わざわざ口に出す意味あんのか」

「ええ、蚊帳の外決め込んでる、自称大人なクズで変態を拗らせた29歳独身男性もちゃんと巻き込んであげないと、可哀想だもの」

「……改めてプロフィールさらけ出されると死にたくなるな」

 

 まだ十の位が2なのを安堵すべきか、あと一年で3なのを嘆くべきか。特にそのいいトシしたヤツに独身男性ってつけるのやめような。精神的にダメージがくるっつうの。こちとら昔は25くらいで理想の教師になって結婚するプランだっただけに、余計にキツい。

 

「大丈夫よ。私がちゃんと行き遅れた一成さんをもらってあげるわね♪」

「んじゃあ、人間関係なんとかしてこいよ」

「……意地悪ね」

 

 そうそう。ここで墓穴を掘ったから出せた話題だけど、変化は迎えても終わってはいねぇ。あのマネージャーは今、相当ショックだったようで精神的に病んでるらしい。それは丸山だけじゃどうにもならなさそうだってんで千聖も一緒に付き添ってる。三角関係が結局また、出来始めちまってるってわけだな。マネージャーの精神を支えるには千聖が必要だけど丸山はマネージャーの恋人で、千聖は別の男に連れ去られた。ややこしい状況で、かつそればっかりはオレにはどうにもできねぇことだ。

 幸いなのは、丸山も千聖も、その原因を作ったヒナのことを仲間として受け入れていることだな。

 

「日菜ちゃんは問題を掘り出しただけ。いずれは、誰かが掘って、こうならなくちゃいけなかったのだから、恨むのは道理違いよ」

 

 と、これは千聖の弁論だ。強くて美しい、千聖らしい言葉はオレをこれ以上の心配をさせまいとしての言葉だったんだろうけど、それが言えるようになっただけでも、充分成長してるよな。不器用なとこもあるもんな千聖も。

 

「……けれど、乗り越えてみせるわ。私はあなたを過去にしたくなんてないもの」

「そっか」

「私は千聖ちゃんの味方だからね?」

「ありがとう、花音」

 

 そんな千聖と丸山、両方とそれなりにかかわりがあるのが松原で、こころ曰く、二人を笑顔にするためにいつも頑張っている、だそうだ。そうだよな、青春に必要なものは恋愛だけじゃねぇ。友達、仲間、ライバル、そういう裏表があって、一口じゃ言い表せねぇような関係も青春には必要だ。そういうことなら松原は千聖にとってある意味、オレ以上に欠かすことのできねぇ存在ってことだ。

 蘭やモカにとっての幼馴染で、ヒナにとっての紗夜、紗夜にとってのヒナ、そんなのに近い感じだ。親愛、友情も、打算やいがみ合いだっていっそ、後になればアルバムのように、ノスタルジーに浸れるような一幕ってことだ。

 

「千聖をよろしくな、松原」

「はい」

「んで、こころは……」

「大丈夫! 花音を一人になんてしないわ! 絶対よ!」

「……悪い、どうやら余計な気回しだったな」

 

 人は最後には一人だけど、独りじゃ生きてはいけねぇ。選択も決定も、結果を左右するのは自分自身でも、その結果に必要な過程は、独りじゃ生まれねぇ。んで、結果すらも、別の誰かに影響を与えていく。

 世界は、決してオレたちを独りになんて、しねぇようにできてんだ。

 

「進展があれば、一成さんにもきちんと報告するわ。なくても、愛してほしくてウソをついてしまうかも」

「ウソなんてなくても、一先ず卒業までは構ってやるっつうの」

「言ったわね、信じるわよ、それも無償で、無邪気に、なにも疑いもなく信じてしまうわね?」

「ああもう勝手にしろ。つかどうせ口に出さなくても信じてんだろ」

「ふふ、うふふ……もちろんよ。けれど、けれどね? 口にしてくれた、ということが重要なの。暗黙よりも耳で聴いた言葉がある、というのが、私と貴方の間に赤い糸を結ぶのよ?」

 

 そりゃ重畳、ってなもんだな、お前は。でもな、夢見る乙女(だいまおう)のお前は知らないかもしんねぇけど、赤い糸ってのは運命の神サマが小指と小指を結ぶもんであってだな、カラダをグルグル巻きにして、二人の距離を強制的に縮めるための暴力じゃねぇんだわ。結んでねぇ縛ってる。

 

「赤い糸、見えないのに赤いなんて、なんだか面白いわ!」

「そ、そういうことじゃないと思うな……頑張ってください、先生。千聖ちゃんはロマンチックで割と夢見がちなところあるから……」

 

 知ってた。シビアに見えてがむしゃらに頑張る丸山に胸打たれてパスパレの千聖として頑張ろうとか思ってみたり、ヒナに思うところがあったり、コイツの頭は案外お花畑だ。ちびっ子の頃は言動ともにいとうつくしゅうていらっしゃったに違いねぇだろうな。古文苦手だからこんな語彙しか出てこねぇけど。

 

「……ねぇ? 一成さん?」

 

 しばらく談笑する花音と千聖を横目にこころと、ヒナが見たがっていた流星群のハナシをしていると、脚に細くて白い指が這ってきた。堪えられねぇのかよ。ほら見ろ、そんな甘い声を出すから松原なんて苦笑いしてんじゃねぇか。それで隠してるとか言うなよ? 

 ──ったく、普段の千聖からは考えられないほどの隙を見せられたら少しくれぇ、意地も悪くなるさ。

 

「ひゃんっ」

「どうしたの、千聖?」

「い、いえ……なんでも、っ……」

「どうした、千聖。顔赤いけど」

「……先生?」

 

 別になんもしてねぇからそんな怖い顔をするな松原。ただ千聖がするのとおんなじように脚に指を這わせただけ。それで、千聖の方が過剰に反応したってだけだ。オレは悪いことなんざなに一切してねぇよ。ちょっと際どいトコを撫でたくれぇじゃここでなりふり構わなくなるようなヤツでもねぇし、偶には焦らされとけ。苦手は克服しなくっちゃな。

 こころが首を傾げ、松原が苦笑いするようなやり取りを繰り返し、千聖に余裕がなくなってきたところで時間的にも解散となった。大人の見得で四人分の会計を済ませ、懐が寂しくなったオレに、熱っぽいカラダを持て余した千聖が、見上げてきた。

 

「……犯されてしまったわ」

「それはこれからだろって感想もなんか違うな」

「こんな、こんなに焦らされて、人前で、あんなことをされたの……初めてなのよ? 恥ずかしくて、いっそ今から死んでしまいたいくらいだわ」

「へぇ……嫌だったんなら今すぐ通報でもしたらどうだ? 強制猥褻、しかも18歳未満を、なんつったら一発でアウトだけどな」

「……変態教師」

「最高の褒め言葉をどうも」

 

 実はここだけのハナシだが、千聖はエロ関連のスイッチが入るとやや押しが弱くなる傾向がある。強引なのは最初だけで、ホントのところは主導権を握るより握られたほうが性癖に刺さるタイプ。いわゆるマゾっ気ってヤツだな。だからオレもスイッチが入るとついつい言葉が強気になっちまうんだけどな。ここで普段の千聖のテンションに戻ったら多分ここがアスファルトだろうとなんだろうと額を地に付けて詫びなきゃなんねぇとこなんだが。今はもじもじと内腿を擦り合わせるだけ。千聖ってキツい印象だけど、実は小柄でかわいらしい一面もあって、その上でこう発情と照れを混ぜ合わされると……アブナイものに目覚めそうだ。いつもは上に乗られてるせいなのかもしれねぇけど。

 

「ほら、いつもみたいに誘わねぇの? つかさっきも誘ってきてたし」

「……いわ」

「ん? ワンモア、もういっかい」

「……家に、一成さんの家に、行きたいわ、行きたいの」

 

 結局のところ、千聖のハジメテの男であるマネージャーは、この一面を引き出すことは叶わなかったらしい。そこだけは、ガッツポーズしてぇくれぇに嬉しいトコでもある。無責任に、マネージャーから千聖を奪い去ったオレとしては、比べられるっつうことが少しだけ怖いからな。

 負けたくはねぇんだよな。カッコつけて奪い去ったクセに、結局はマネージャーの方が良かったってなったら、それは千聖を幸せに導いてやれてるとは言えねぇ、それはオレが囲いたくて、私利私欲のために奪っただけってことになる。それは千聖が認めてくれるようなヒーローの所業じゃねぇからな。

 

「わかった。んじゃあ、行くか」

「……ええ」

 

 オレは恋人、配偶者、セフレが欲しくて教師をやってるわけじゃねぇ。ヤりてぇだけなら、正直こんな面倒な回り道をしなきゃなんねぇ職業なんてしてねぇさ。クズではあるが、オレはオレを先生と呼んでくれるヤツ、先生と慕ってくれるヤツのために、より良い方向を進んでいけるように道を教えてやりたくてこの道を生きてる。この言葉だって、行為だって、そうだとどっかで信じてるから、もうある種の諦めを含めて、ノるだけ。そりゃオレだって男だ。美人とヤれるならヤっちまいてぇなんて、あたりまえに持ってる感情だから、できることなんだけどな。

 

「……ねぇ?」

「ん?」

「やっぱり私、焦らされるのは嫌いだわ」

「そうか」

 

 それからすっかり日も暮れ、お互い服もなにも身に着けずに、ベッドに転がって体温と布団でぬくさを感じ始めたころ。千聖はオレの腕に頭を乗せ、くっつくことで顔を合わせずに、言葉をポツリ、ポツリと紡ぎ始めた。なんだかんだでスイッチ入ってたし、気にいってたのかと思ってたけど、そうじゃなかったのか。そんなやや失礼なことを考えながら、相槌を打っていると、千聖はいつもより幼い印象のある声で、小さく、その理由を語ってくれた。

 

「気持ちよくないわけじゃないの。でも、そのままで終わってしまうんじゃないかって思うと、満足させてくれないんじゃないかって思うと、ダメなの」

「でも、今までの経験上、焦らすの好きなねちっこいオッサンとかいたろ?」

「ええ、いたわ。けれど、あんまり……その、長いと、私が冷めてしまって……」

 

 なるほどな。それでいつしか満足させてくれねぇんじゃねぇかっつう恐怖が、お前に苦手意識をすり込んだってわけか。案外繊細だよな千聖は。人間関係も芸能界での生き方も、全部、その鉄のような笑顔の下に、繊細で傷つきやすくて、なのにハッキリしたいっつうちょっとケンカしちまうような本心があって。それがお前を魔王にしたてあげたんだな。

 

「でも、一成さんはちゃんと、私を見ていて、タイミングを見て……そうやって細やかなところに目が行き届く。こんな時まで、あなたはカズ先生なのだもの」

「美人とヤるんなら満足させてこそだ。せっかく男が食いつくような女が靡いてくれるんだから、っつう、浅ましい欲だよ。別に教師としてなんか関係ねぇって」

「そういうことにしておくわね……だから、これからもそれは変えないでいて」

 

 ったく、お前はオレをキレイにさせたがるな。そんな体裁なんて必要もねぇくせに、自分が汚れていて、それをオレが慰めるっつう構図に、どうしてそこまで拘る。どうせそれは打算が生み出した感情だろ。もしかしたら、そんな気持ちが、自分を穢れた女だと貶めるんだろ。

 

「なぁ、千聖。お前を生徒として認めた時のこと、ちゃんと覚えてるか?」

「あなたとの初夜ね」

「言い方おかしいだろ……まぁいいけど」

 

 初めてヤった夜のことだからあながち間違いじゃねぇけど、言葉の端に事実以上に情報を盛ろうとする意図を感じる以上、肯定はしねぇからな。

 まぁ、コイツが覚えてねぇなんてこれっぽっちも思っちゃいねぇけど。それでも言われなきゃ忘れてることだってあるからな。

 

「シてしまった以上、私もあなたの生徒。別に言いたくないなら言わなくてもいいけれど、悩みや苦しいことは、味方になってくれる……そんな内容だったわね」

「100点満点で覚えてんじゃねぇか」

「あなたが先生としてくれた言葉は、大切にしているわ」

「そうかよ……んじゃあ、オレがこれから言おうとしてることは、わかるか?」

 

 千聖は、少しの間があってから、ええ、と答えた。ちょっと迷ってんだろうな。それこそ、テスト範囲の重要な問題をその担当の教師に直接、個別に訊くようなもんだ。不平等の範囲がどこかわかりにくいんだな。今のお前の悩みは、それとおんなじようなことに関するようなもんだからな。

 

「……マネージャーは結局、悪ではないの」

「そうだろうな。オレとおんなじだ。自分がこうやって千聖に触れることが、千聖にとっての最良だと信じてた」

「けれど、私はあのヒトを悪だと詰って、とても酷いフり方をしてしまったわ」

 

 強姦されそうになったんだから充分すぎるくれぇ優しかったとオレは思うけどな。ずっと一緒に芸能界で生きてきたんだ。今更憎むなんてできねぇんだろうな。そういう無償の愛ってのがわからねぇわけじゃねぇから、千聖の言葉はオレの胸を、少しだけ傷つけていく。

 

「今、彩ちゃんが傍につきっきりで、あのヒトを癒そうと必死になっているの。私も、マネージャーは芸能活動をしていく上で大切なパートナーだったから、なにかできないかと思うのだけれど……違うのよ。何かが、決定的に」

「マネージャーが千聖を見る目が違う、丸山が千聖を見る目が違う、事情を知るヤツの目が違う、か」

「……ええ」

 

 当たり前と言えばそれまでのことだ。マネージャーにとっては自分を捨てた女。丸山にとっては自分の愛したヒトを傷つけた敵、事情を知る蚊帳の外から見れば、マネージャーによって強姦未遂に遭った、可哀想な子。でもそれは、どれも千聖が望んだものじゃねぇ。マネージャーのことは今でも、男女の感情ではなくとも千聖の中では大切なヒトだろうし、丸山は仲間、自分はそんな可哀想なヤツなんかじゃねぇって思ってる。だからそんな自分と周囲のギャップに苦しんでんだな。だったら、オレができるアドバイスなんて、ロクなことじゃねぇさ。

 

「オレを頼っていい。千聖の抱えるもんは、お前ひとりで抱えるには重すぎる」

「……一成さん」

「ホントは難しくなるのはもっと後だと思ってオレも言ったんだ。その甘い見通しの詫び含めて、オレは手を尽くす。千聖はオレの大事な生徒だからな」

「ごめんなさい……ありがとう」

 

 謝る方はいらねぇよ。大人でクズ教師なんだ。子どもで生徒の前ではカッコつけとかねぇとな。前に丸山が教えてくれたことには、絡まった糸の中にはオレやヒナも交じってるらしいからな。関係ねぇってそっぽ向いてたら足元を掬われる危険もあるしな。

 いざとなったら、クズらしく糸全部を燃やすくれぇの勢いで、オレは手を出すからな。そんな過激なオチにならねぇように、頑張れよ、千聖。雨続きのお前の空に、ちゃんと虹の橋が架かっていけるように。雨上がりに傘を閉じて、そこで夕陽に染まる景色に見惚れちまえるように、オレは千聖を構い続けてるからな。

 

 



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③青空ローズ

終わり際になってお気に入りやらが増えて嬉しい反面、再投稿ということに対する厳しさを痛感しています。


 12月、師走と呼ばれるだけあって教()であるオレとしても忙しいことこの上ない時期だ。期末テストが終わってすぐに冬休み、そして年末に向かって進むカレンダーを前にため息を吐く暇もねぇ時期だ。だから、アイツらには悪いが割と生徒と構う暇なんてのも当然ねぇんだよな。

 

「一成さん、ポテト、まだ食べますか?」

「んー、おう」

 

 割と構う暇ねぇんだけどな。なんでオレはコイツと一緒にいるんだろうな。

 珍しくノートパソコンなんて持ち出して、更に珍しいことに無賃で作業をしているオレの隣にいたソイツが店員を呼び出し、また山盛りのポテトを注文した。そのキリっとした様子をパソコン越しに覗き見ると、やっぱりさっきと同一人物だとは、到底考えられねぇな。

 

「どうかしましたか?」

「いや、退屈してねぇかなと思って」

「お気遣いありがとうございます……ふふ」

「にやけんなよ、そこで」

 

 休日の真っ昼間、ファストフード店で氷川紗夜と過ごしていた。最初は忙しいってんで断ったんだが、邪魔をしませんからという紗夜の言葉に流され今に至っていた。

 最初はどうせすぐ飽きて構ってと鬱陶しく鳴いてくるかと思ったが、そういやコイツはヒナやモカじゃねぇんだから、そこまで構われなきゃ死ぬってようなヤツじゃなかった。

 まるで忠犬のようにおとなしく、オレの向かいで嬉しそうに作業を眺めているだけだ。

 

「やっぱり、お前はどっか犬っぽいよな」

「私は猫より犬派ですが」

「そうじゃなくてな……まぁいいや」

 

 オレの言葉の意図を汲んだ上での発言だったらしくまた作業に戻らせてもらう。猫のように作業を邪魔して構ってほしいことをアピールするのではなく、両手が空いた時に思いっきり構ってもらいたい。そういう紗夜の意思を表現する言葉だったんだろうな。ある意味じゃ、お前は千聖よりも理知的だよ。千聖なら間違いなく全部わかって誘ってくるからな。アレは狐だな、言ったら絶対に怒られる気がするが。

 

「私は、羽丘の人たちのように気軽に一成さんを眺められるワケではありませんから……これでも充分満たされています」

「そりゃ手がかからなくてよろしい……もうちょいでキリつくからな」

「はい。お待ちしてます」

 

 待たせてんのに嫌な顔ひとつしねぇ。待つことすら楽しくて幸せってか。感情との付き合い方を知ってからも相変わらず、お前はどっかで盲信的なところがあるよな。惚れた相手とならなんでも幸せ、なんでも喜び。まぁそれが紗夜だってんならもうなんも口出ししねぇけどさ。

 そこで、お待たせ致しました、と店員さんがポテトをテーブルに置いていった。明らかに高校、大学生くれぇの女性と、オッサンがこうして休日にのんびりと過ごしてるっつう状況は、店員にはどんな風に映ってんだろうな。ちょっとインタビューしてみてぇと思うこともある。

 

「……なぁ紗夜」

「どうかしましたか?」

「いや、どうもしてねぇけど、テストの出来はどうだったのかな、と」

「問題はありませんでした。少しズルかもしれませんが、英語は満点でした」

「そりゃすごいな」

 

 まぁ、確かにズルいかもな。なんせ他所のテストだとか言って無責任に出題範囲絞って、教えてやったからな。ただ、やりすぎて千聖も満点なんだよな。アイツは元々、英語は芸能界で必要、とか言って多少の会話なら出来るからな。秀才の紗夜と千聖くれぇ、まぁ不審がられることもねぇか。

 

「北沢さんや戸山さんにも教えていたのでしょう? そちらはどうでしたか?」

「あー、まだ結果を聞いてねぇんだ。本人たち曰くできたらしいけどな」

 

 あっちは満点とはいかねぇだろうな。元々北沢は赤点取るくれぇに英語は苦手だし、戸山は読みの流暢さからは想像もできねぇほど日本語訳が苦手だからな。

 とは言えその苦手はちゃんとゆっくり教えてやれば克服できる。ここは教師としてのジレンマでもあって、生徒は集団でかつ、苦手意識のねぇように教えなきゃなんねぇけど、その苦手意識を取り払うためにはソイツ個人を教えなきゃなんねぇ。だから家庭教師やら塾講師なんてのが教師とは別の職業として存在するわけで、つまりは教師だけじゃ、子どもの教育を支え切れてねぇってことだ。

 

「別に、塾講師とか家庭教師よりオレ(きょうし)の方が偉い、なんて言うつもりもねぇけどな」

「塾には塾の、家庭教師には家庭教師の、それぞれの良さがありますから」

「むしろこんなぐうたら教師の手が回らねぇトコまで見てくれるんだから、感謝してるくれぇだよ」

「一成さんらしい言葉ですね」

「らしい、ってなんだよ」

「そのままの意味です」

 

 まぁそんなこと言いながらお前を含めて個別に授業しちまってるけどな。でもそれは北沢や紗夜が他校の生徒だからできることであって、それでもバレたらきっとクレームつけられるようなことだけどな。

 

「私はあなたがあなたらしくいてくれれば、それでいいんです」

「なんだよそれ」

 

 紗夜が急に意味深なことを言い出した。そんなの、オレが言いてぇっつうの。紗夜がプライド高く、んでストイックさを出しながらも、こうして柔らかな雰囲気も出せる、そんな魅力的なヤツでいてくれるなら、オレはそれでいいと思う。

 

「……口が上手いですね」

「口下手なヤツって教師向いてねぇと思うけどな」

「開き直るのですね」

「そりゃあな。紗夜がそれを望んでるんだからな」

「……一成さん」

 

 確かに楽しい気分でいてほしいからこうやって構うけど、こんなところで熱い視線は勘弁してくれ。そんな湿り気を帯びた声を出すなっつうの。

 そろそろ限界かと思いパソコンのデータを保存しようとしたところで、やっほー、と明るい声でオレの隣にするりと新しいヤツが座ってきた。

 

「い、今井さん……湊さんも」

「どーもー♪ やー、まさかこんなところで会えるなんて奇遇だねぇ~」

「よう、どっか出掛けてたのか?」

「んー、ちょっとね~」

「いつも通り、羽沢珈琲店で新曲を練っていたら、リサが青葉さんに──」

「わー、ちょ、ちょっと友希那~、それは言っちゃダメだって」

 

 なるほどな。流石オレのストーカー、オレの居場所は蘭たちと行動しててもバッチリ把握済みか。もしかして最近姿をみせねぇのは発信機とか盗聴器とか、そういうガチなもんでも使うようになったか。

 んで、リサはそれでオレを探してたっつうことか。

 

「それで、なんか用だったか?」

「あ、うん……来週さ、カズセンセはヒナや紗夜たちと流星群見に行くんでしょ?」

 

 そうだな。天文部合同での二学期最後のイベントっつうことで、流星群を見に行くことにはなってるし、この間こころと予定詰めてたしな。今のところメンバーは天文部二人と羽丘からは蘭とモカが、花咲川からは千聖、戸山、北沢……あとここにいる紗夜が来ることになってる。随分と大所帯になっちまってて、大丈夫かと心配してるとこなんだよな。

 

「……アタシも、って言ったら……メーワクかな?」

「まさか、むしろこのままだったら頼もうと思ってたくれぇだよ」

 

 なにせブレーキがいねぇもんだからな。奥沢にも松原にも山吹にも断られて、保護者側を増やしてぇとこだったんだよ。ありがてぇ。これでちっとは楽になりそうだよ。リサがいれば心強い。

 

「頼めるか、リサ」

「う、うんっ、まかせとけ〜ってねっ♪」

「よかったわね、リサ」

「……確かに、今井さんは必要な人材ですが」

 

 まぁ、そう渋い顔すんなよ、紗夜。リサがオレに見せる教師に対するもんじゃねぇ感情は、お前とおんなじに見えて実は違うとこにあんだから。ぶっちゃけこころの方を警戒しておいてほしいくれぇだよ。

 

「湊はどうする?」

「私……?」

「ああ、湊もどうだ? そうそう見れる景色じゃねぇことは保証するし、そういうのを直に感じるのって、アーティストには必要なんじゃねぇかなって思うんだが」

「……私のことは、そう口説いてくるのね?」

「お前……つか敬語は?」

「今は、先生でないのでしょう?」

 

 言うじゃねぇか。一応教師としての仕事してるっつうの。そういえば、湊は学校じゃねぇとこだと敬語じゃなかった気がするな。そういう区切り以前に一応日本には目上年上は敬うっつう文化が存在したと思ってたんだが?

 

「まぁいいや、来るんだろう?」

「ええ、同行するわ」

「それじゃ、決まりってことで! 邪魔してゴメンね、センセー」

「もうキリつけてたから邪魔だとは思ってねぇよ」

 

 そうは言うものの、オレの向かいにいる忠犬が猛犬、あるいは元の狼になり始めてるからな。帰るなら帰ったほうがいい。特にリサはオレの隣を陣取っちまってるから牙を突き立てられる前にな。今のところはポテトが犠牲になってくれてるから平気だとは思うけど。つか食うペース早えよ。

 

「ならよかった! てかさ、カズセンセーがパソコンって珍しくない?」

「珍しいことしてんだよ」

「ふ~ん、あ、アタシが見ちゃダメなヤツとかもあんの?」

「そりゃあな。紗夜ならヨソの生徒だからまだしも、リサはウチの生徒だろうが」

 

 そんな狼を前にしてもリサは退くことなくオレとの距離を詰めてきた。おい湊、全部を察した上で知らん顔を決め込むな、ドリアを頼むんじゃねぇよおい。それオレの支払いになんだろ。

 

「……しまったわ。ドリアは熱すぎてすぐには食べられないわ」

「も~、友希那ってば、猫舌なんだからやめときなって~」

「猫……いいわ。頼んだからにはきちんと食べてみせるわ。時間がかかったとしても……必ず」

 

 湊のキャラもこの空間のせいか崩壊し始めてやがる。おいこら、特定の単語で自分の舌に愛着わくんじゃねぇよこのポンコツ。あれか、Roseliaってのはどいつもこいつも音楽以外がポンコツじゃねぇと目指せねぇ高みでも目標にしてんのか。唯一の例外は隣のハイスペックギャルのみじゃねぇか。今のリサはハイスペックギャル、というよりネコ科……豹のような肉食獣のオーラを纏ってるけどな。

 

「そういえばさ~、センセーとこーやって直でしゃべるの、久々な気がするね」

「そうだな。最後ん時もヒナたちのことでバタバタしてたしな」

「センセーが節操なしだからねぇ~」

「おいリサ。あんま痛いトコ突くのはやめろ」

 

 はーい、と聞いてんのか聞いてねぇのか判別しにくい返事をしたリサはなんかめちゃくちゃ機嫌が良かった。最初は変なヤツだと思ったけど、これは多分、原因はひとつだな。オレの言った言葉がその場のウソじゃなかったっつう確認が、リサにとってはここに来た意味にもなってんだろうな。

 最後に会話した時に変わったこと、オレが何気なく口にしてるから嬉しいんだろ。なぁ、()()

 

「……んんっ、少しよろしいですか一成さん?」

「なんだ」

「先程から気になっていたのですが、私の記憶では今井さんのことは苗字で呼んでいた気がしたのですが」

「美人で聡明な紗夜なら、予想は立つだろ」

「びじんで……はっ、そ、そんなわかりやすい口説き文句に惑わされる私ではありません!」

 

 いや、思いっきり惑わされてただろ、今。つかお前ならマジで、なんでかなんてちょっと考えればわかるよな。それに、わかりやすい口説き文句だけど、それは心にもねぇことを言ったわけじゃねぇことだってのは、事実だからな。

 

「……そうですね。さしずめ文化祭があったのにも関わらず、今井さんが自分だけよそよそしい呼び方なのは我慢できなかった、というところでしょうか」

「……だからってホントにピンポイントに当てるんだからすげぇよな」

「一成さんのお眼鏡に叶うほどの美人で聡明な私ですから」

 

 ドヤ、じゃねぇよドヤ、じゃ。さっきまで嫉妬で牙を研いでたヤツのクセに。雰囲気的にもキリっとした印象のあった紗夜も、湊も、色々なことに心を動かして、今の一瞬に生きる子どもってことだよな結局。

 

「とはいえ、今井さん」

「なに~?」

「呼び方の距離が縮まっただけで、別に物理的な距離を近くしなくても良いと思うのですが」

「ヤキモチ妬く紗夜が面白くって、つい、ね♪」

「紗夜には基礎基本、余裕ってもんがないんだからやめてやれよ」

 

 紗夜を面白がるリサと、そんなリサの策にハマって眉を吊り上げる紗夜。この二人のじゃれあいはオレを巻き込み、最後には湊をも巻き込み、昼時を過ごしていった。

 店員がなんかすごく微妙な顔してたけど、やっぱりどう映ってんのか気になるよな。二人だったらまだ年の差があるカップルもしくは援交で済むけど、十代女性が三人にオレ一人は、なんとも面倒な誤解をされている気がするんだよな。

 

「それじゃあ、まったね~、センセー☆」

「おう」

「紗夜も、いっぱい甘えてきてねぇ~」

「い、今井さん!」

 

 ウィンクと投げキッスをしてから手を振り去っていくリサと、振り返ることなく歩いていく湊に手を振り返し、車に乗り込んだ。本来ならちょいちょい楽器店でも付き合ってやって、今の時間には送ってくっつう予定だったけど……さて、どうせ紗夜のことだ、次に言う言葉は決まっている。

 

「……もう時間ですし、帰りましょう」

 

 そうだろうな。紗夜はそういうヤツだ。予定を狂わせたリサに怒るわけでもなく、もう少し一緒にいたいとわがままをこねるわけでもなく、紗夜は澄ました顔でそう告げる。

 ああ、でもな紗夜。オレはお前がとんでもなく寂しがってること、ホントはあのファミレスで満足するくれぇに甘えられるっつう計算だったからこの予定を立てたこと、わかってるんだよ。

 

「まぁ、お前がそれでいいってんなら、オレはそうするけどな」

「はい」

 

 正しい選択だよ。最初の予定を崩さず、繰り上げることでキープする。大人になる上で大事なことだ。けど、子どもが大人にならなきゃいけねぇほど、オレは子どもに無理を強いるようなヤツだと思われるってのは、心外だな。

 お前が大人ぶるってんなら、オレは、ガキみてぇなわがままで、お前をそこから引きずり降ろしてやるよ。

 

「紗夜」

「……ん、まだ、ここ……っ」

「んじゃあ、あっさり帰れば満足だったか?」

「……っ、ずるいです、それは、その質問は……」

 

 抱き寄せて、唇を重ねていく。紗夜の閉じた門をこじ開けて、ぬるりと、甘く毒のように溶かして引き出して、しゃぶりつくす。

 紗夜、お前には確かにオレを鳥籠にしてほしくねぇとは言った。羽搏くための翼を無駄にしてほしくねぇってな。

 けど、鳥はずっと飛んでるんじゃねぇんだよ。ずっと羽搏いてると、疲れちまう。そんな時は、休むのに適したもんを見つけて、翼を手入れするんだよ。

 鳥籠になるつもりはねぇ。けどな、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、オレのことはそれくらいの扱いでいいんだ。

 

「紗夜」

「……はい」

「どうするべきか、なんて訊かねぇ。お前は、どうしたい?」

 

 休むことも、生きることだ。飛ぶことだけが鳥にとっての生きることじゃねぇってことだ。甘えんのも、紗夜にとって生きてるってことであってほしい。オレでも、別の誰かでも、いいから、今のうちに甘えるってことを覚えておけ。大人になってからじゃ、甘えることを知らねぇのは、苦労することになる。

 

「……抱いて、いただけますか?」

「……飛躍しすぎだろ」

「私は美人で聡明ですから……このまま甘えていたら、どうなるかなんてわかっています」

「そりゃあ、確かにそうだろうけど」

「だから……誘ったら、応えてくれますよね?」

 

 応えねぇわけねぇだろ。オレがお前らの誘いに弱いのも、わかってるくせに。そんな風に訊いてくんじゃねぇよ。

 熱を持った紗夜を左に置いて、オレは氷川家ではなく、自分の家へと車を走らせた。完全に二人きりになった紗夜は、リサとの距離のことを愚痴りながら、ついに翌日目が覚めるまでオレから離れることがなかった。

 美人にずっと誘われるってのはそのハチミツみてぇな甘さに喉がつまりそうだ。

 

「……おはようございます、今日も良い天気ですね」

「文句無しの青空、ってのも、いいもんだな」

 

 冬枯れは、夏の蒼とは違って寂しげで、けどそれがキレイだと思えた。

 力強い群青ではなく、センチメンタルに揺れるアイスブルーの髪が、キレイだと思うようにその微笑みが、天使が降らせた奇跡のようだと、思えるせいなんだろうか。

 ──奇跡の青い薔薇、幸せの青い鳥。それは黄昏ばかりのオレには、少し眩しすぎるな。けど、お前はそのままでいい。そのまま飛び立ってくれりゃあオレは幸せだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 




気が向いているのでもしかしたら最終話とこの話の間を増やすかもです。書き下ろしというか補足? みたいな。ちょこちょこさせてもらってはいるけど。


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④宵闇サンフラワー

 オレが失意の暗闇で何もかも嫌になってた時、平然とソイツは現れてオレがどうしようもねぇクズだってことを突きつけてきた。まだ熟れてもねぇ女を武器にしやがって、何もなかったオレにたったひとつだけ、ココにいる意味を押し付けてきやがった。

 

「カズ先生はさ、天文部の先生なんだからさ、ちゃんとあたしが部活してる間は学校にいてよ」

「は? 勝手に活動すりゃいいだろ」

「もー、それじゃあダメなんだってばー」

「あのな氷川、悪いけどちゃんと理由も添えてくれ。オレを置いてけぼりにすんな」

「あーひかわってゆったー、ペナルティだよー? はい、えっち1回ね」

「そんなルール追加した覚えはねぇよ」

 

 そんなくだらねぇやり取りがいつの間にか嘘ついたらペナルティとかいうルールに変わっていくんだが。まぁそれは置いとくとして、ヒナはそんな風にあっけなくオレに居場所をくれた。オレにとって、ヒナが部活終わりにやってきて会話にならねぇ会話をしてくる時間が、何より充実してた。教師として最悪の行動がオレを支えていた。

 だからオレは、ヒナに強烈に依存してたんだと思う。居場所はヒナのところにしかねぇ気がして。

 

「あ、カズくん!」

「よう、ヒナ。部活はもう終わりか?」

「うん。カズくんはお仕事終わったの?」

「ちゃんと終わらせてきたとこだ。タイミングよかったな」

 

 そんな少し前の過去を黄昏の屋上に置いて、オレはひまわりのように明るい笑顔を向けて抱き着いてくるヒナの頬にキスをした。そんな行為が教師として最悪だとかそんな小さなことに拘るオレはもうココにはいなくなっちまって、傍からみりゃ、暑苦しいバカップルなんだろうな。

 

「よかったぁ、これで明日はバッチリだね!」

「まぁ、そっちは終わってなくても行くけどな。流石に黒服サマ方にまかせっきりってワケにはいかねぇよ」

「そっちよりもみんなが怒るよ、多分」

「……だろうな」

 

 明日は、春のように弦巻家が持ってるペンションで天体観測だ。けど最初の頃はこころとヒナだけだったメンバーは、いつの間にやらえらく人数が増えていた。それはまるで、ヒナに依存してた怖がりのオレが、いつの間にか教師として悪戦苦闘していった時間のようで、笑えちまう。

 ヒナがはい、と差し出してきたタバコとライターを受け取り、火を点ける。仕事を共にこなしてきた相棒はこうして部活の終わりを告げる小さな狼煙へと姿を変えていた。

 

「カズくん、火、ちょうだい」

「……好きだなお前も」

「えへへ~、だって、あたしとしかしたことのないキス……だもん」

 

 唇じゃなくてタバコ同士をつけるキス。呼吸を合わせて、新品だったタバコに火が点いていく様子は、ヒナじゃねぇけど、ヒナとしか味わえねぇもんがあるな。高校ん時も大学ん時は当たり前だった隣で誰かと一服なんてものは、今じゃヒナだけのもんだからな。

 

「そういや、ヒナは銘柄違うの買ってみよう、とか思わねぇの?」

「え、うん」

「なんで」

「だって、コレはカズくんの味で、カズくんの匂いだもん。あたしは、タバコが好きなんじゃなくて……カズくんが好きだから」

 

 悔しいけど、その気持ちはめちゃくちゃ良くわかった。オレもおんなじだったから。由美子の味で、由美子の匂いだったコイツを、オレは欲してた。高校ん時、未成年の分際で吸ってたのは別にそれがカッコいいとかじゃなくて、由美子の感じてるものを感じていたかったからだ。それは、大学に入ってからもおんなじで。

 

「あ、でもカズくんがずっとおんなじってのも似合わないよね~」

「は?」

「えー、知らないの? タバコの銘柄を変えないヒトは、一途なんだって。浮気者のカズくんっぽくないじゃん?」

 

 乾いた笑いが出た。うるせーオレは元々一途なんだよと言いたいところだが、結局浮気で由美子をほったらかしにしたオレはそこには黙ってることしかできねぇ。ヒナはオレのリアクションに何故か楽しそうにタバコの先端を赤くして紫煙を吐き出した。

 

「こーやって、カズくんとゆっくりお話しするようになってさ、色んなことあったよねー」

「あったな、お前はいつもオレを困らせてたな」

「あたしだけじゃないでしょ~?」

 

 そうだけどな、ヒナは特にだよ。けど、それがあったから今のんびりできてるんだけどな。まぁ結果だけ見れば、オレはヒナに感謝してる。こうして教師としてまだ生きてられるのは、多分、ヒナのおかげだしな。

 

「さて、帰るかヒナ」

「うん! カズくんちでごはん?」

「別にヒナが食いてぇもんでいいけど」

「カズくん!」

「性欲じゃなくて食欲で語ってくれるか?」

 

 そっちはどのみち食うんだろうが。そうじゃなくて、晩メシどうすんだよ。そうやって部室にタバコを置いて鍵を閉めていると、ヒナはなんでもいいよとか言い始めた。それじゃあオレが困るんだよな。

 

「ホントになんでもいいもーん」

「それはそれで困るんだけどな……」

「じゃあ、ファストフードでいいよ。ぱぱっと食べれるのがいいな」

 

 そうかよ。んじゃあお嬢様の望みのままに、っつうことで。ぱぱっと食べてナニすんのかしらねぇけど。まぁそこもヒナの望みのままに、っつうことだ。

 ファストフード店に寄って、持ち帰りのポテトとバーガーを買って、ご機嫌なヒナを部屋に連れこんでいった。

 

「ねぇねぇ、カズくん」

「ん?」

「こんなに好きにさせて、どうしたいの?」

 

 電気の消えた部屋でヒナが、布団から少しだけ顔を出してそんなことを訊いてきた。そんなこと言われてもな。好きになってんのはお前の自由だろうが。オレはヒナを惚れさせてどうしようとか考えたこともねぇよ。

 ──逆に、嫌われたくねぇってのはあるかもしれねぇけど。

 

「あたしが大人になったら……カズくんはどうなってるかな?」

「さぁな。逆にヒナがどうなってるのか、わかんねぇよ」

「あはは、そうだねー」

 

 未来、なんてのはわかりっこねぇよな。でもそうやって未来のことに想いを馳せられるっつうこの時間が、オレは堪らなく温かい気分になった。

 やっぱり、ダメだな。暗闇でもわかる屈託のねぇ笑顔でオレに抱き着いてくるヒナをオレはどうしても千聖や紗夜たちと同じには見れねぇ。そういう意味でも、この日常はなに一切変わりがねぇんだ。

 

「……ヒナ」

「あ……カズ、くん?」

「オレは……」

 

 抱きしめて、全部誤魔化せればよかったんだけど、オレはオレを裏切ることなんてできねぇ。それを生徒たちにさせなかったから、ウソをペナルティなんて決めちまったから、言葉にしようとしちまった時点で、なんでもねぇ、なんて言えねぇ。

 蘭にも感じたことだけど、オレは、やっぱり、自分のこの鼓動に逆らうなんて、できそうにねぇんだ。公平な教師なんて存在しねぇように、オレもまた、不公平に、生徒に好き嫌いを押し付けちまうんだ。

 

「……オレはヒナが好き()()()

「……やめてよ」

「ヒナ……」

「やめてってば、そんなこと言われたら……あたし、どうしたらいいのか、わかんないよ」

「でも、事実なんだよ」

 

 もしもだ、これがもしも()()()()()()、コイツが卒業まで待てばいい。そうすりゃ堂々と付き合えるし、誹られはするだろうが誰にも咎められることなくヒナを愛することができる。でもそれじゃダメなんだ。オレやヒナがこれを悪いこととして認識してる理由は、これが一途な想いなんかじゃねぇからだ。

 

「カズくんはヒドイよ……そうやって、蘭ちゃんにも言えちゃうんだから」

「……そうだな」

 

 まだギリギリ、蘭には口にしてねぇけどヒナはダメだった。こうやって口にしちまった。気のせいなんかじゃねぇ気持ち、こうやって抱きしめて触れるたびに胸に火が灯ったみてぇに熱くなる気持ちは、錯覚なんかじゃねぇから。

 

「なのにそんなことゆって、あたしが嬉しいわけないのに」

「喜ばせてぇわけじゃねぇ。これはオレのわがままだ。今まで伝えずにいられなかった、オレの弱さだから」

「カズくん……」

 

 闇に溶けるヒナの星空を見て、また少し、由美子の気持ちがわかった気がした。

 結局、オレたち大人だって、恋に落ちることがある。それが年下のガキ相手だってことも当然のように。んで、恋は大人をただの子どもに変えるチカラがあるんだ。いや、それとも恋に大人も子どももねぇのかもな。キレイも汚いも、良いも悪いも、何もねぇ。ヒトとヒトが繋がっていくから、そこに貴賤があるはずねぇんだ。

 

「じゃあカズくん、もう一回、えっちしよ? それで許してあげる」

「……いいのか?」

「だってそういうルールでしょ? ウソついたらペナルティ。あたしにずっとウソをつき続けてきたのを、一回で許してあげるんだから、嫌だなんて、言わせないよ?」

 

 そうじゃねぇよ。お前はオレのそんなクズでどうしようもねぇところを、その一言で、その欲求の解消だけで、許しちまえるのかよ。

 オレは、そこに流されるだけのクズだってのに、お前は、それでいいよ、なんて笑えちまうのかよ。

 

「みんな、そうだよ。だって好きなんだもん……カズくんがさ」

「いいのかよ……」

()()()()()()()()()()()()()。蘭ちゃんだって、モカちゃんだって、千聖ちゃんも、おねーちゃんも、カズくんに好きになってもらえたら幸せだよ?」

 

 けど、オレが好きだったなんてことを認めちまったら、全部茶番になる。オレが教師としてヒナを遠ざけてきた意味がなくなる。だから、幸せだなんて思ってはくれねぇ。

 ──オレは、氷川日菜のことだけは好きになっちゃいけなかったんだ。だってコイツはずっと、教師としてのオレを煽り続けてきたんだから。

 

「ふざけてるな」

 

 この事実に湧いてくるのはどうしようもねぇ怒りだ。無力で弱い自分への怒りだけど、こんなにムカつくことはねぇよ。こんな理不尽で、()()()()()()()()()()()()なんて結末が、あり得ることへの怒りだった。

 ヒナはずっとオレを奮い立たせてくれたんだ。教師でいることを諦めてた時も、教師でいることに疲れた時も、教師であり続けるっつう覚悟をした時も、ヒナはずっと、傍で笑ってくれてたのに、そんな女を笑顔にできねぇのが、オレの目指した教師であっていいわけがねぇ。コイツの青春がそんなもののために消費されていいわけがねぇんだよ。

 

「オレは、関わった生徒全員を笑顔にしてみせる。そう誓った。できもしねぇ妄想で終わらせんのは、オレのプライドにかけてさせねぇ」

「でも、カズくんはあたしのことも、蘭ちゃんのことも……生徒として不公平になる気持ちを持ってたんでしょ?」

 

 その言葉は、オレを追い詰めるものじゃなかった。逆にオレをさらなるクズへと陥れる、悪魔の囁き。啓示にも似た、ナニカ。

 流石オレの悪魔(てんし)だな。今ので閃いたよ、ヒナ。ヒナへの気持ちが、蘭への気持ちが、モカや千聖、紗夜にとって不公平になるのなら。

 ──全員、平等にしてやればいい。スタートを同じにしてやれば、ゴールも同じところにあるんだからな。それならカンタンだ。どうせ一度は抱いちまったんだ。依存させたり絆したり、散々教師と生徒っつう関係が裸足で逃げ出すようなクズ行為(ムーブ)を、何度もしちまってんだ、今更だよな。

 

「決めた」

「へ?」

 

 残念ながらここは現代日本だ。一夫多妻は認められてねぇから、それ以上先はお前らの前で大口開けて待ってるだけのクズでいるさ。

 けど、どうせなら、全員、カラダの関係以上の何かはあるんだ。それを愛しちまえば、いいんだ。

 負けヒロインのない勝ちヒロインだけの世界、最低の平等に、最悪の公平さが、そこには存在するんだ。こうすりゃヒナを笑顔にもできるだろ? その先のことなんて知ったことじゃねぇ。オレは全員を愛してやることにするさ。

 

「さいってー、クズなんだ!」

「けど、それで嫌いになるような女じゃねぇだろ?」

「ムっカ……つく! ホントにハーレム気取りなんて信じらんない! カズくんのクズ! バカ! 変態!」

「あーうるせぇうるせぇ、今夜中だから、声のトーン落とせっつうの」

 

 オレに抱きしめられながらヒナは、割と本気の威力で胸に握りこぶしが叩き込まれる。ぽこぽこ、なんて生易しい表現じゃ絶対に伝わらねぇっつうか痛ぇ。

 それからバカヒナが落ち着くまでかなりの時間を要した。荒い息を吐いて、オレの腕に収まるヒナは、最後にもう一度だけ、クズ、と言葉を零した。

 

「クズだな、オレは」

「いっぱい痛い目見るよ。刺されちゃうかも」

「実は殺されるかと思ったことはあってだな」

「その気持ちがハンパだったらあたしが殺してるから」

 

 ぞっとした。いや、ヒナならマジでその辺の本棚から辞書でも取り出して滅多打ちとかしかねねぇからな。そうじゃなくても、千聖には思いっきり足とか踏まれるだろうし、モカは絶対に爪を立ててくる。蘭にはどつかれるだろうし、紗夜はどうだろうな。わかんねぇっつうのが逆に怖ぇな。

 けどもう惚れたのは過去なんだから、下方修正はきかねぇんならインフレさせるしかねぇだろ。今の教師として欠かせねぇっつう気持ちを、男女の爛れたソレに変化させるしか、オレには思いつかなかったんだからな。

 

「……けど、嬉しいな」

「なにが?」

「あたしも、カズくんに愛されて幸せって思っていいんだってところ。それだけは、嬉しい」

「今まで苦しい思いさせたんだ。ヒナはぜってぇ卒業式で泣かせるくれぇ、構ってやるからな」

「……ぷっ、あは、あはは、それはムリだよ、絶対、ゼッタイ、ムリ!」

 

 なんでだよ、と問おうとして気付いた。それはオレの心境の変化にもあったことだ。卒業式で泣けるのは離別だからだ。今日でさようなら、明日からは離れて、別の人生を歩むから、泣けてきちまうんだ。ヒナにはそれがねぇことを、オレはちゃんとわかっていた。

 ──今更、卒業なんかで終わる関係なんかじゃねぇよな、オレとお前は。卒業してからも、こうやって外で会って、デートして、メシ食って、オレの部屋でハダカで朝を迎える。そんな明日が待ってそうなんだから。泣けるわけねぇよな。

 

「それじゃあヒナを泣かせるのは、お前が本気で幸せになりてぇって思った時かな」

「……それがいいな。そうしたら、泣いちゃうかも」

 

 泣き顔が見れるかどうかは、ヒナ次第。そんなクズな言葉にオレは笑った。オレはこのやり取りを明日……いやもう少ししたら朝が来ちまうから、今日か。

 星を見ながら、アイツらにも言わなきゃなんねぇんだな。どんな表情するんだろうな。紗夜は呆れて、蘭は怒って、千聖も、モカもキレちまうんだろうな。

 あ、いや、多分()()()は違う反応するかもな。()()()は何もかもが他のヤツとは違うからな。もしかしたら、()()()とだけは、ちゃんと一対一で話さなきゃなんねぇかもな。

 

「あ、ちゃんとペナルティのえっち一回は、シようね!」

「……また今度な。流石に今からシたら、夜までもたねぇよ」

 

 とはいえ、今は、このメンヘラクソ悪魔に殺されなかった喜びを噛み締めて、まだ宵闇に包まれた朝を迎えるとするかな。外は雲のない空が広がっていて、ちゃんと明日も晴れそうで、助かるよ。

 そう思いながら、ヒナに誘われるがままにシャワーを浴びに行った。

 

 

 




――そこがもう間違いなんだけどね。


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⑤曇天スピラエア

 ある()()()()に夢を見た。夢ってほとんどぼやけてて、起きた頃にはほとんど覚えてねぇもんだけど、その日の夢はきっちり、ハッキリ覚えてた。

 夕暮れの中、オレが晴れ着を纏ったとびきりの美人と、いつもの屋上で会話をする夢。その美人は青春を振り返って、少しだけ寂しそうに笑ってオレはそいつの笑顔に心を痛める。

 アタシだけじゃダメだったんだよ。そんな後悔を引きずる美人にオレはじゃあもっとクズでも良かったのか、なんて問うと、それが一成の教師として生きる覚悟だったんだよとまた寂しそうに微笑んだ。

 今考えても不思議な夢だった。でもあれは、たぶん蘭だった。妄想全開でいくと、教師としての覚悟の足らなかったオレは、ハタチになった蘭と再会して語らったんだろうな。んで、失敗を二人で語り合う、あったかもしれない未来……なんてな、くっだらねぇ妄想でしかねぇし、オレは覚えてるかぎりだと知り合いが出てくる夢を見るからな。ヒナと暮らしてる夢だとか、この間の由美子とかな。

 ただオレが見た夢に意味があるってなら、オレが覚悟をしなかったら、あの夢の蘭の会話が未来に待ってるってなら、オレはどこまでもクズ教師でいるさ。蘭に、生徒にそんな寂しい顔をさせるわけにはいかねぇからな。

 

「だからって、アレは流石にクズすぎるんじゃないカナー? ってアタシは思うんだケド?」

「いいんだよ。アイツらが爛れたって()()の関係じゃ嫌だってんなら、いっそコッチの方が幸せだろ」

「うわー、暴論……」

 

 これは現実に生徒との会話だ。雨が降り出しそうな空を避けるため天文部の部室で、JK二人と昼休み、なんて一部から妬み嫉みの大批判を受けそうな状況だが、オレとしては休日はほとんどこんな環境のせいかなんとも思わなくなっていた。慣れって怖いんだな。けど、その分制服のポリスメンには気をつけねぇとな。職務質問とかめんどくせぇしうっとうしいんだよ、っつう体験談なのがなんとも悲しいけど。

 そうそう、JK二人、とは言ったものの、そのうちの一人、ヒナは席を外してる。なんか色々画策してるようで、最近は羽沢とコソコソしてることが多い。なんかやらかそうとしてんのか、面白そうなコトを。

 

「アタシはさ、ハーレム、だっけ? そーゆーのはよくわかんないし、一人のヒトを好きになって、好きになってもらって、ってそうゆうのがキレイで良い恋愛だと思ってる」

「リサらしい言葉だな」

「だから、カズセンセーの、その、クズ教師として──ってやつ? は、あんまり……キレイじゃないってゆーか……んー、うまく言えないんだけどさ……それは、ホントにヒナたちを幸せに、笑顔にできるの?」

 

 ヒナがいなくなって……いや、ヒナがいなくなったからこその、言葉なんだろうな。リサとしては、リサ自身が思い描く恋愛……たぶん小説とか漫画とか映画とか、そっちが基礎になってるヤツ、それからかけ離れた今の友人、知り合い、後輩、そして教師の関係を、不安な思いで見つめてるんだろうな。

 

「ヒナたちがフツーの恋をしてねぇから、それが心配か?」

「うん……そんな感じ」

「……なぁ、リサ。フツーってなんだろうな」

「え?」

「例えば日本だって五百年も遡ればある程度の地位の男性は一夫多妻がフツーだろ。世界には今でもそれがフツーの国もある」

「そう……だね」

 

 それがなんだと言われたら、どうもしねぇよとしか返せねぇけど、そんだけフツーって言葉は曖昧で、共通認識をはかる言葉でありながら実際のところ、各個人で認識の尺度に差がある。そういうもんだ。だから、オレはリサの言葉を否定はしねぇ。心配すんなとは言いてぇけど、まぁそれはリサを安心させる言葉とは言い難いからな。

 

「普通と常識で上から言葉をかけてくるヤツは信用しねぇ。それはソイツにとって都合のいいもんだからな」

「う、うん……なんかハナシそれてない?」

「……そこは流されとけよ」

「センセーじゃないんだから」

 

 おい、オレがまるで流されるキャラみてぇな言い方だな。まぁ否定できる要素はねぇけど。それは置いといて、ジト目で煙に巻こうとしたオレを言葉無く糾弾してくるリサに、つまりだと棚上げする。

 

「どんなクズな選択だったとしても、アイツらを不幸にはしねぇ。それだけは約束するよ」

「……わかった」

 

 リサは半信半疑といった感じだったが一応は頷いてくれた。その気になったらリサにはギロチンのヒモを預けてあるんだから、暴走しちまったらとっととこの首を落としてくれればいいんだけどな。

 

「たっだいまー! つぐちゃん確保してきたよー!」

「確保してくんなリリースしてやれ」

「ひ、日菜先輩……はやい、です……あ、リサ先輩、清瀬先生、こんにちは」

「だいじょーぶだよつぐみ、アタシもついてけてないからさ」

「メシ食ってねぇならここで食っとけ、ヒナに捕まったんだしな」

「は、ハイ……き、清瀬先生は、すごいですね……」

 

 まぁ、オレはな。最近益々ぶっとび具合がひどくなってきたヒナにとって残された唯一の先生だからな。ヒナの言語は相変わらず難しいけど、それでもこうやって行動原理からなんとなくを浮かべられんだよな。

 そんなワケかどうかはしらねぇけど、四人に増えてリサと世間話をする羽沢を見てヒナは満足そうに笑った。怒ろうと思ったのにちくしょう美人だなてめぇ。

 

「うんうん♪ こころちゃんのゆってた通りだね」

「だからって無理やり引っ張てくんのはやめろって」

「だってー、つぐちゃんが」

「だって、を前につけんのやめろっつうの」

「だってー」

「ほらまただって」

「むー、カズくんのバーカ! バーカバーカ!」

「ガキかよ……」

「だってカズくんが、あ、もう……キライ!」

 

 天体観測以来幼児退行し始め、わかりやすく頬を膨らませてそっぽを向いたたバカヒナにため息をついていると、羽沢は何故かほっこりとした表情をしていた。リサはリサで複雑な顔してるし、なんかあったか? 

 

「なんだかさ……ねぇ?」

「はい……なんだか、痴話喧嘩、ですよね」

「だよねぇ〜、なんか心配してソンしてる気がしてきた」

 

 痴話喧嘩、と言われてもな。確かにこんなヒナは今まで経験がなかったけど。つか、国語辞典の粗探しできるようなヤツの語彙力じゃねぇだろ。なんだよバーカバーカって。このバカヒナ。

 さっきまで頬を膨らませていたヒナはバカバカ呟きながら、オレの肩に頭を乗せてきやがる。甘えるか不満を吐露するかどっちかにしろ。

 

「あはは……」

「悪いな羽沢。こんな感じで」

「いえっ……モカちゃんが最近元気なくて、先生がどうしてるのか気になってましたから……でも、今日先生と日菜先輩の様子を見て安心できました」

 

 やっぱり幼馴染だからかな。羽沢はモカの変化をちゃんと見て、オレがいるだろう天文部へと足を運んだか、それともヒナに突撃でもしたか。どのみち無理やり引っ張ってきたわけじゃないんだな、お前。

 

「ウソついてないよ? あたし、だってつぐちゃんが、ってゆったもん。その先を聴かなかったカズくんが悪いもん」

「別にヒナを咎めてぇわけじゃねぇよ。ヒナの言う通りだし、クズの中でも特にクズ行為をしてんだから、厳しい目を向けられて当然だしな」

 

 けど、今日でそれは終わる……だろう。今日はヒナが部活の間、モカと話をすることになってるからな。そこでキッチリ、ケリがつくだろう。

 だろうってのは、拗れるかもしれねぇし今回だけはホントにコロっと堕ちたりだとか笑顔の魔法でどうにかならねぇからだ。

 それでも、オレはモカにも手を延ばす。そうしなきゃだとか、そんなんじゃなくて……オレがそうしてぇからだ。

 

「羽沢、羽沢にとってオレはどう見える?」

「どう……ですか? えっと……いつも自信に溢れてて、最近では授業でも、そのいつもが出てきていて……間違ってるハズなのに正しい……という……感じでしょうか」

「間違ってんのに、正しいか……ロックだな」

 

 いつもはジャズピアノみてぇに柔らかくて細やかで縁の下で頑張るってな雰囲気なのに、今の羽沢の言葉はロックで、カッコいいキーボードのそれだった。

 そうだよな……おかげでオレもモカにぶつける言葉が見つかった。今日は、羽沢の頑張り屋なところも、少しだけ借りるとするよ。

 ──それからは、限られた時間を笑って過ごして、オレは屋上でモカを待っていた。覚悟は決まった。あとは……夢で見たアイツの言葉を、信じるだけだ。

 

「あ……せんせー」

「よう、超絶美少女JKのモカ。来ないかと思ったよ」

「……行くよ、せんせーの言葉をもらえるなら、何処へでも」

「重いっつうの」

 

 もう既にモカは人を食ったようで意味深な言動を繰り返すモカちゃんモードではなかった。ある種冷たさすら感じるモカのトーンは、けれどドロドロに煮詰まって喉を焦がす程の愛情を内包していた。

 

「終わったよ、モカ」

「うん」

「バタバタしちまって報告が遅れたけど、オレはオレのまま、こうしてヒナたちを囲ってみせたよ」

「……知ってるよ。ぜんぶ、ぜんぶね」

 

 だろうな。お前はまるで、見てきたように、ページを捲ったりサイトのリンクをクリックしてきたように知ってるだろうな。

 オレの仕事用のカバン、部屋、車に盗聴器があったのには気づいた。他にもあるだろうし、何を知っててもお前相手なら流石だなとしか思わねぇけど。

 

「オレは、できる限りのクズ教師として、できる限りのことを、したよな」

「うん。ぱーふぇくと、だよ〜。だからさ……おいで」

「モカ」

 

 ──オレはいつも自信に溢れてて、間違ってるのに正しくて、そんな大人だ。傲慢で、ガキに上から目線で話す。偉そうになんて言われても、当然だと思いながら直したりはしねぇ。

 けど、いいよな。相手はモカだ。ストーカーで、重いくれぇに病んでて、ピカピカの理想に生きた頃から、オレを見てきたコイツなら……カッコつけなくたって、ガキだ大人だとかにこだわんなくて、いいよな。

 

「わわ……も〜、勢い強すぎだな〜。いくらモカちゃんが好きすぎたーって言ってもさ〜」

「そうだな……悪い」

「……茶化したつもりなんだけどな〜」

 

 みっともなくモカに抱きついて背中に背負ったもんを涙と一緒に、全部口から出していく。弱っちいオレは、モカの甘さに甘えて、ドロドロの愛に溺れ、沈んでいく。

 そういやコイツは、好きなヤツがどうしようもなく泣きじゃくるのが好きだったな。モカ、モカって求めてくるのが、たまらなく気持ちいんだったな。

 

「オレは……オレは、アイツらの笑顔を守れたか? お前の笑顔を、守れてるか?」

「うん……だいじょーぶ」

「元気ねぇって言われてたけど」

「んー、せんせーのコト、考えてたから……花になれないあたしも、同じ扱いなのかな、って」

「……花?」

「ありゃ、無意識?」

 

 ああ、そういうことか。蘭ならオーキッド(らん)、ヒナはサンフラワー(ひまわり)、千聖はイーグレット(さぎそう)、紗夜がブルーローズ(あおばら)。オレが勝手にアイツらに向けてる花だ。そういや、モカには一度も、そう喩えたことはなかった。けど、最後の言葉は心外だな。モカにはSpiraeaがピッタリだよ。

 

「すぴ……えっと〜?」

「ユキヤナギ……だな」

「……そんなかわいい花で、いいの?」

「いいんだよ。モカだからな」

 

 小さくて白い花を咲かせる雪柳は、オレとしてはモカのイメージにピッタリなんだがな。

 花言葉は、なんだったっけ。そっちには疎いっつうか、オレの思い出で聞いたことある知識だけだからな。花のことも、オレが趣味ってワケじゃねぇからな。

 

「……花言葉はね、蘭から聞いたことあるよ。愛嬌、賢明、殊勝、静かな思い、そんな感じ」

「モカっぽくねぇな」

「え〜あいきょーもあるし、しゅしょーだし〜」

「どこがだよ」

 

 モカは強欲だろ。お前ほど、欲しいもんに向かって強かなヤツを、オレは知らねぇよ。こうやって、あっさりと、オレの奥深くまで踏み込んでくるお前は賢さはあっても殊勝さは、ねぇな。

 そんな、段々といつも通りのテンポの会話になっていく中で、モカは小さく、呟いた。

 

「ごめんね……せんせー」

「なんで謝る」

「……あたしは、あたしたちは……せんせーを笑顔にできてないから。せんせーにだけ、いつも、難しいことを押し付けてるから」

「それは……オレは大人だからな」

「でも、それじゃあホントの幸せじゃない。せんせーが幸せになってくれなきゃ、ダメだよ。大人だって、幸せにならなくちゃ、いけないんだよ」

 

 背中に回る手の力が強くなって、その強さにオレは驚いた。初めて会った頃は、色気より食い気の、ただのクソガキもいいとこだったのに、いつの間にか、こんな甘くて辛くて、カッコいい言葉を吐ける悪魔に成長してたんだな。

 青葉モカは常に考えてた。蘭のため幼馴染のため、自分を押し殺してまで、自分の中にある小さな世界を、笑顔で満たそうと、必死に。けど、それじゃダメになっちまったんだな。オレっつう異物が入り込んで、蘭が変わっていって、巻き込まれてく中で、自分が笑えねぇ世界に、イミがあんのか、っつうところまで辿り着いたんだな。

 ──ホントは、オレが先に辿り着くべき答えに。世界の誰かが自分を愛してくれるなら、愛するヒトのために、笑っていようっつう、単純で、優しい答えに。

 

「もう、みんなそのことで頭がいっぱいだよ?」

「みんな?」

「そう。せんせーが笑顔にしていった生徒たちみんな。次はせんせーを笑顔にしよう、ってさ。言い出しっぺは日菜さんで、真っ先に蘭が乗ったんだ~」

「……だからか、最近ヒナがコソコソやってると思ったら、そういうことか」

 

 バカ、バカだな、お前らホントに、バカばっかりだ。無能でクズ教師なんて肩書きを持つオレに称賛なんて必要ねぇって、精々罵られるくれぇが丁度いいんだ。それが、なんだよ。ヒナが言い出して、蘭がそれに乗った? んでいつの間にか、羽沢やリサ、こころたちが乗っかってるってことかよ。ふざけんな、なにが笑顔にだよ。マジでふざけんなよ。

 

「ね~、みんなバカになっちゃった。せんせーが今までしてきたこと、ぜーんぶが、こうやってせんせーを、泣かせてるんだね」

「……ふざけてるな。こんなに、()()()()()()()()()()()()()()()

「せんせーはむのーで、クズで……批難される立場……ねぇ? ホントにそうか、なんて……せんせーが大切にしてきた生徒が決めることだよ?」

 

 これ以上、どうしろってんだ。モカの前でみっともなく涙を流すオレを、お前らはこれ以上、どうやって幸せにしてくれるんだよ。オレはもうこんなに()()()()()()()()

 この仕事はどうしようもなく報われねぇ、褒められねぇ仕事だと思ってた。上司はなんつうか考えが古くて、伝統を大事にしすぎるあまりに革新をしようとしねぇし、客である保護者からは日夜クレーム。小さくて細かいことまで、そりゃもうめちゃくちゃに。

 けど、そうじゃなかったんだな。オレが経験してこなかっただけで、教師には、こんなに報われる瞬間が存在するんだな。

 

「ほら、もう泣かないでせんせー……生徒(あたしたち)は、せんせーをちゃんと、愛してるよ」

 

 真摯に向き合えば生徒はちゃんと応えてくれる。大人になってほしいと心を砕けば、きちんと成長した姿を見せてくれる。

 これほどまでに、教師をやってよかったと思える瞬間はきっとねぇんだろうな。ありがとうなモカ、そのことを教えにきてくれたんだな。もしも自分も花なら、ちゃんと育ててくれたことに報いようと、サプライズを用意してくれてたんだな。

 

「やっぱり、オレは、教師を辞められなさそうだ。何時まで経っても」

「えへへ~、それでこそせんせーだね~」

「それじゃあ、そんなモカも別の幸せってのは目を向けねぇのか?」

「あー、でもな~、せんせーしか見えないあたしにそれはな~」

 

 卒業してオレ以外の男に目を向けろっつう話。確かにお前には難しい問題だな。病んでて、ストーカー気質のお前は、そう簡単に他の男に乗り換えられるような性格してなさそうだもんな。

 

「安心しろ。お前みたいな美人、男どもが放っておかねぇよ」

「……ふふ、じゃあ、待ってみるね。せんせーお墨付きの美人のあたしは、がっついたりしないからさ~」

「そうしてくれ」

「まぁお墨付きどころか噛み跡とかつけられちゃうんだけど~」

「おい、台無しだろうが」

 

 ──これからも、少なくともモカや蘭が卒業するまで、今のようにモカのしっとりとした熱っぽい表情見る限り、オレはコイツらと爛れた付き合いをしていくことになる。デートして、キスをして、ヤって、そうやって関係を繋ぎ続けていく。けど、後悔することは多分二度とねぇだろう。

 オレは今きっと、この世界中で一番、幸せな教師だからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日からしばらくは書き下ろしになります。あれだよ、前回投稿時に最終話とコレの落差が激しすぎて不評だったからね! 崖じゃなくて坂にしようという発想なんだよ。結果は変わらないけどね。


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⑥向日葵ビストレイヤー

書き下ろし分、はーじまるよー



 オレは教師としてこの上のねぇ幸せを抱いた。満たされたことでオレは、ゆっくりと風を失っていった。持論ではあるが順風満帆ってのはやっぱり風が吹かねぇといけないのであって凪いだ日常はそんな四文字熟語には似つかわしくねぇ閉塞感がある。

 

「ヒナが生徒会長ってのは、なんつうか似合わねぇもんだな」

「確かにそうね」

 

 月日は流れ、クリスマスやら色んなイベントを通り過ぎていったオレやオレが愛する生徒たちはこの春の日に学年を一つ上げていた。ヒナやリサたちは三年に、蘭やモカたちは二年に。そんな日常の始まりにオレは羽沢珈琲店で千聖を向かいにおいて駄弁っていた。

 

「けれどあの子の自由さは、きっと羽丘を変える風になってくれるわよ」

「そうだといいがな」

 

 風って言うのは聴こえがいいが、ありゃ暴風だろ。横殴りの雨に身体が浮くほどの暴風の中でわざわざ外に出て風を感じてぇ奇特なヤツはそうそういねぇとは思うんだよ。すっかり巻き込まれちまってる副会長(はざわ)はもう知らんけど。

 

「とりあえず、天文部はしばらくこころだけになっちまったな」

「さみしいのかしら?」

「そりゃそうだろ」

 

 生徒会の忙しさってのは学校によってまちまちではあるが、責任感みてぇなのを尊重するってスタンスを取ってる羽丘(ウチ)は特に丸投げ、もとい生徒たちの自主性に任せるため生徒会の忙しさは相当だ。羽沢なんて休み時間に留まってることの方が少ねぇってことはクラスメイトの幼馴染ズからもよく聴かされるしな。あのお気楽メンヘラクソ悪魔もさすがにその流れには逆らえねぇようで、天文部の活動は去年に比べて目減りしていた。

 

「日菜ちゃんだもの、慣れればすぐあなたの愛をねだりにくるわよ」

「そうだといいがな」

「悲観的すぎるのはどうかと思うのだけれど」

「悲観的なんじゃなくて期待すんのが負けたみてぇで嫌なんだよ」

 

 なにせヒトの弱みに漬け込んですぐにキスしよえっちしよ、だからなヒナは。後輩組がそれを真似するからやめろってのに。蘭とか特にあの事件以来ヒナを意識してる感じなんだから、あの純粋ラブコメ赤メッシュの情操教育に悪影響だっての。

 

「悪影響なのは一成さんよ?」

「それは棚上げしてるんだよバカ」

「そう?」

「そうだよ」

 

 おいなんだその半笑いは。いいだろ別に、今は仕事もしてねぇし千聖とのんびりデートしてるだけなんだから。それともお前はカッコつけまくってゴテゴテと装飾をつけたオレの方が好みだったか? 

 

「あら、先生として頑張るあなたは好きよ? カッコつけていたとしても、私の前ではちゃんと素を見せてくれる一成さんが好きだもの」

「そりゃどうも。流し目もやめてくれると助かるな」

「うふふ」

 

 うふふじゃねぇ、と文句を言ったところでそういやと話を無理やり転換させてもらうことにする。千聖と関連して松原がポツリとこぼしていた言葉が気にはなってたんだが、なにやら奥沢の動向が冬以来変だってな。

 

「ああそのことね。たぶんカレと別れたのよ」

「……あー」

 

 まぁそうなるんじゃねぇかなって気はしてたけどな。確か結構なクズ男だったもんなってオレが言ったら終わりな気がするけど。どうやら冬にカレシと別れて、そこからしばらく家には帰らなかったっつう期間があって、千聖が松原の頼みで秘密裏に調査をしていたっつうことか。

 

「こころちゃんが既に全部知っていたけれど」

「まぁこころだし」

 

 あの不可能を可能にする女こと弦巻こころに文字通り不可能はねぇ。アイツの前にプライバシーって言葉は存在しねぇも同義だからな。

 ただ松原には言うんじゃなくて奥沢の口から直接言わせる必要があるのは同意する。というかオレはあの太陽サマの次の行動がなんとなく読めたな。

 

「あら、訊かせてほしいわね」

「もうその新しいカレシとやらに接触してる頃だろうよ」

「……なるほど」

 

 バイト先まで追っかけるなんてなかなか情熱的なところあるな奥沢も。というか半同棲ってのが気になるけど相手は当然オレとそれほどトシは変わらねぇはずだよな? ヒトのことは言えんが女子高生と付き合うおっさんにロクな男はいねぇからやめといた方が身のためだと思うがな。

 

「まだ二十代だったはずよ?」

「うるせぇまだオレだって二十代だ」

「もうすぐ三十じゃない」

「じゃあなんだ、向こうは二十代前半だってのか」

「そこまでは知らないわよ」

 

 一周は違わないはずよと言われオレはそう変わらんだろと苦し紛れに自分を正当化していく。なにせコッチは千聖とジャスト一周差だからな。まぁそんなことはどうだっていいだろ、奥沢がそれで幸せだってんならそれでいいんだよ。

 

「そういえば、最近妙なことがもう一つあるのよね」

「なんだよ」

「燐子ちゃんが、モカちゃんと妙に仲良くなにか交流めいたものをしているらしいの」

 

 燐子ちゃんっていうと花咲川で会長になった白金のことか。Roselia関連でリサや紗夜から話には聞くし、最近そんなリサにくっついてくる新入生の宇田川妹が特にプライベートでも交流あるらしく、オレとしてはタイムリーな人物ではあった。引っ込み思案でおどおどしたような印象を受けたが、モカとか。

 

「まぁそれもどうだっていいな」

「なによ」

「モカだって交流を広げようとしてるんだろ。特に白金は上原や羽沢、宇田川と交流もあるしな」

 

 そもそも蘭のヤツがRoseliaはライバルで湊のことやたらと意識してるところだが案外AfterglowとRoseliaはプライベートの交流が盛んだ。オレだってその間にいるせいでどっちのバンドのメンバーとも知り合いだしな。

 

「モカちゃんが交流を、ねぇ」

「おかしくはねぇ……とは断言できんが、アイツだって思うところはあるだろ」

 

 オレとばっかり一緒にいたって、いいことは欲求が満たされるくれぇだろ。モカはソッチに忠実なメンヘラストーカーではあるものの、それ以上にアイツは自分のロックを大事にしてるからな。蘭が変わっていくのを目の当たりにしても、アイツは前に進むことを選べた。ちゃんとアイツだって成長してるのさ。

 

「ところで千聖の方はどうなんだよ」

「私は……まだ」

「ゆっくりでいい。お前は傷つきやすいんだから」

「けれど」

 

 そうだな、オレの生徒たちは順調に変わり始めてる。蘭もモカも日菜も紗夜も、なんならリサやこころだって。でもそれはあくまで自分のペースでの話だろ? 千聖はどうしてもそれを受け入れるのに時間がかかるんだ。焦っても仕方ねぇし、オレはそんな千聖にとって安心できる場所でありてぇから。

 

「ありがとう、一成さん」

「まぁなんだ。最近みんな忙しいみてぇだし、今日は安心して独り占めできるがどうする?」

「ふふ、なぁに? まるで私が忙しくないみたいじゃない」

「実際暇だろ?」

「忙しいわ、あなたに恋をすることに精一杯」

 

 そうかよ、そりゃあよかったな。オレとしても断られなくてほっとしたよ。寂しいんだよ、そりゃあオレだってさみしいに決まってる。去年はずっとヒナに振り回されてる時期だったせいかな、独りでのんびりと帰ることが多くなって腰の痛みもなんとなしに治ってきて、タバコも吸う必要がねぇくれぇに凪いだこの生活が、オレはスゲー寂しい。

 

「寂しいのは、どうして? あなたは教師としてこの上ない幸せを掴んだ。そう言ったのに?」

「……わかんねぇよ、んなこと」

「わからないの? すぐそこに答えは転がってる。こんなこと、わざわざ先生に教わる必要すらないことよ?」

 

 なんだよその言い方は。まるで、オレが何かを見失ってるみてぇだな。いや実際なんかを見失ってるのか。教師としての最上級の幸せを手に入れたと思ったのに、これは間違いだったのか? そう疑いたくもなるくらいにオレの心はカラカラに乾いていた。千聖に求められて、そこに水が注がれるような感覚に、オレは顔を顰めたくなった。

 ──結局オレは何かに依存してるだけだ。それがタバコからコイツら生徒になっただけ。過去から現在(イマ)になっただけ。だから、崩壊するんだ。だから逃げなきゃいけなかったことを思い出さなきゃならんくなるんだ。

 

「つかなんでわざわざホテルなんだよ、千聖」

「いいじゃない。狭いベッドより情緒もあって偶にはいいでしょう?」

「悪かったな狭いベッドで」

 

 そんな愚痴を言いながら助手席に千聖を乗せて、夜の街を駆け抜けようとエンジンを掛けた、その時だった。オレは信じられねぇものを見るように助手席(ちさと)側の窓に見えた人影を目で追っかけた。

 

「一成さん?」

「……なんでだ」

 

 ゴメンね、最近構ってあげられなくて! そんな風に笑ってたのは忙しかったからじゃねぇのか。だったらなんで連絡も寄越さねぇでこんなところにいやがる。千聖もオレの視線と表情がおかしいってことに気づいたように後ろを振り返り、オレを同じものを見て固まっていた。

 

「今のって」

「間違い、ねぇよな」

「え、ええ……でも」

 

 あのアイスブルーの髪と、あの服装は間違いねぇ。姉じゃねぇ妹だ。つか今更後ろ姿でも間違えるはずがねぇんだ。千聖もオレも、最初は他人の空似だと思いたかった。思おうとした。けど現実はいつだって非情に、オレを突き落とそうとしてきやがる。男の方が何かを話して、それに素早く返事をするようにひまわりみてぇなスマイルの横顔が見えた。元気いっぱいに跳ね回るその姿、もう間違いようがねぇ。

 

「ヒナ」

 

 日常ってやつが崩れるのはいつだって一瞬だ。そのことをオレはすっかり安寧の日々の中で忘れていたらしい。由美子が倒れた時だってそうだし、大学ん時に付き合ってたと思ってたのに実はオレはそいつにとって浮気相手だってことが発覚した時もそうだった。今回の衝撃は比較的後者に近いのかもしれねぇな。

 

「そそ! そんでね! 星がすっごいの!」

「なら今度行く?」

「やり! デートだデート! ねねいつ行く? 明日?」

「明日は急すぎるでしょう」

 

 援交か、とも思った。つかそっちであってほしいとすら願ったさ。教師のクセに、本気であってほしくないだなんてそんなクズみてぇな思考がでるくらいにはオレは衝撃を受けていた。

 ──ヒトは変わっていく。特にティーンエイジャーなんてのはいつの間にか大人になっていくのに、オレはついていけるはずもねぇ。大人は大人になっていくガキにも気づかず置いていかれるだけのやる瀬ねぇ存在でしかない。

 

「悪い、今日は」

「……ええ、帰らせてもらうわね」

「おう」

 

 教師なんてロクなもんじゃねぇと思ってた。必死に教師としての幸福を、正解を求めた先にあったのが生徒との爛れた五股なんだからな。オレはそれすらただのわかったつもりでしかねぇことをこの時になって初めて知った。天文部のクソメンヘラ悪魔はずっと、少なくともアイツと蘭くれぇはずっとなんて無邪気に信じ始めていたオレがいた。ずっとなんて、あるはずがねぇってことくれぇ痛いほど思い知ったと思ってたのにな。

 

「いっそヒナに……」

「あたしがどーかした?」

 

 こんなぐちゃぐちゃした感情で仕事なんてやってられるかといつも通りの屋上でサボタージュしてると、まるで狙いすましたかのようにご本人様の登場だった。今日ほどタバコがねぇことにイライラすることも最近じゃなかったっつうのに、コイツはいつだってオレの穏やかだったもんをぶっ壊してくれるな。

 

「なぁヒナ?」

「ん?」

「……お前、別の男と付き合ってるだろ」

「あ、うん。そだよ?」

 

 絶句した。なんつうか去年を思い出すような言語が通じてねぇのかと思うやりとり。お前は、ああいや違うのか。オレはあくまで教師、ヒナは生徒、いくらカラダの繋がりがある爛れた関係を結ぼうともコイツとの間にあるのは恋人関係でもなんでもない。最低な言い方をすれば所謂セフレだからな。

 

「そっか」

「あれ、もしかして妬いちゃった? あたしにカレシができたの知って、カズくんはどう思った?」

 

 うるせぇクソ悪魔。そうだよ妬いたよ。そう言えれば、オレはどんだけ惨めな自分を受け入れることができたんだろうか。胸が痛ぇ、またオレは正解を選べなかったのか。ヒナとの関係を、アイツらとの関係を結んだのはやっぱ教師として不正解だった。正しくねぇ行いには必ず報いってもんが返ってくる。だったらオレは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。今からでも教師としての幸福を、黄昏ティーチャーとしての幸せを掴んでやるよ。

 

「妬いちゃったならしょーがないな、あたしは──」

「──よかったな」

「……え?」

()()()()()()()()()。んでこれでお前に腰を破壊されることもなくなったわけだ。せいせいするよ」

「カズ、くん……?」

「妬くわけねぇだろ。むしろ押し付けてそのカレシに同情してるくれぇだ。あんまがっつくなよ? 逃げられちまうからな」

「そっか……うん、そだよね」

 

 ヒナはそれだけを言うと扉を勢いよく閉めて屋上から去っていった。オレに背を向けて、振り返ることもなく。

 ──買っといてよかったな。アイツがカギ持ってるからな、あそこから()()を持ち出すのはなんだか気が引ける。()()()()()()()()()、火を点けて紫煙をくゆらせていく。オレのストレスをなんとかしてくれるのはやっぱコイツだけなんだよな。仕事の相棒、思い出の香り。

 

「……まず、やっぱダメだな」

 

 けど予想通り、オレが教師として揺らいでる時ほどコイツは相棒じゃなくてまるで誰かのように上から目線でオレを立ち上がらせようと味覚を刺激してくる。わかってる、今日だけだ。今日のこの感情をリセットして、こころとの賭けはオレの勝ちだという感覚で肺を満たしていく。

 

「ガキと付き合うのはナシだな。ガキはガキだ」

 

 言い訳だな。そう言いたい自分はどんどんと煙と一緒に吐き出していく。もういいだろ、いい加減一人の男として、ただの清瀬一成としての幸せなんてもうねぇんだよ。あの時に取りこぼしたんだろ。由美子ん時か、未来(みみ)ん時か、はたまた別のところに転がってたのかもしれねぇけど。オレは、アイツらの青春に向き合えるほど強くねぇ。アイツらの青春を抱きしめられるほど強くねぇ。だったらオレにとっての正解たただ一つだろう。

 ──逃げるんだよ。青春から目を逸らして、教師としてアイツらにオレじゃねぇ幸せってヤツを押し付けてやるだけだ。この屋上で黄昏を見るのはもう、オレだけでいいから。

 




氷川日菜──脱落。黄昏エンド(トゥルーエンド)まであと四人。


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⑦黄昏トゥモロー

時の進みが非常に早くなりますが、ごめんねついてきてくれると嬉しいです。
前回より一年以上経っております。


 オレはなんにもわかってなかった。ヒナのことを理解できるはずがねぇって思ってた。思ってたのにもかかわらずオレは、アイツのことを理解した気でいた。だからアイツが()()()()()()()()()()にイライラしたし、それを突き放した。あの頃のまま、生徒と教師でいればそんなこともなかったのに。

 ──あの騒動から一年、それこそヒナたちが卒業してくその一年の間にオレはヒナを抱くことはなかった。まるでその前の一年が夢だったように。だが、アイツは何かを開き直ったように新しい天文部の後輩にちょっかいをかけてくるようになった。澤田は随分と迷惑そうにしているが。

 

「へぇ、んじゃあお前今フリーなのか」

「そうなんですよ、清瀬さんは相変わらず女の噂が絶えませんね」

「ほっとけ」

 

 そんなこんなでまた新しい一年が始まってしばらくしたころ、飲み屋で偶々出くわした大学の頃のダチの弟と近況報告をしていた。ちょいちょい顔を合わせてはいたけどまさかこんなイケメンになってるとは、と驚きがあるが。まさか同棲まで考えてた彼女と別れてたとはな。

 

「……あのさ、お前ってなんの仕事してたっけ?」

「裏方っす。演劇の舞台とかの」

「ああそういや近くの劇場で……ん?」

 

 その劇場の名前、オレはちょっと前に聴いた記憶があった。そうそう、千聖だ。千聖のヤツ、やっと立ち直ってきたばっかだけど結局マネージャーと丸山との三角関係が完全に修復しきれずにボロボロになってたんだよな。それでここんところかかりっきりっぽくなってモカとか蘭には怒られてたんだが、その時に電話で舞台の仕事もするのよって言ってた。

 

「これは運命と捉えるべきか、否か」

「なんの話ですか?」

「いや、コッチに優良、かはどうかは各自の判別に従うとして、顔と一部の中身だけはめちゃくちゃにいい女がちょうど傷心なんだよ」

「えっと? それをボクに紹介ってことですか?」

「まぁ単純に言うとそうなる。つかお前は近いうちにソイツに会うから」

 

 まるで胡散臭い預言者みてぇにオレはそう言った。この男は千聖が求めていた理想そのものだ。裏表のねぇありのまま自然体の素朴で、けどカッコいい王子様とかナイト様タイプ。モテるっちゃモテるけど別れた最近はそういうのにガツガツしてなかったらしいが、アイツの傷を癒すのはこういうちょい朴念仁くれぇが丁度いい気がする。朴念仁って言ったら失礼だけど。

 

「ソイツのこと、気にしてやってくれねぇか? 不審がるようだったらオレの名前を出してもいい。お前も傷心のとこ悪いけど、頼まれてくれねぇか?」

「いいですよ。清瀬さんにはあの子も紹介してくれた恩がありますから」

 

 そうやって爽やかに笑うと、マジで王子サマって雰囲気だな。これで気取ってねぇんだから、オレなんかよりよっぽど超絶優良物件だ。

 ──そんな暢気に笑って別れて一週間ほどしてから、オレはいつもの羽沢珈琲店でのんびりしてるところで女子大生に壁ドンをされることになる。

 

「……ねえ清瀬先生?」

「な、なんだよ松原……怖い顔だな」

「心当たりがあるんじゃあないですか?」

 

 おかしいな。オレが知ってる松原花音ってヤツはおっとりにこにこ顔がデフォルトでほんわか守ってあげたい系だったはずなんだが、こんなアブナイ光を目に宿すヤツだったか? 誰だキャラ変させたやつは。

 

「お前がオレに向かってくるときは千聖系列だろうってことくれぇなら」

「なんだあ、わかってるならちゃんと口にしてくれないと……ふふ♪」

 

 怖、いやなに怖くね? 確かに千聖でやらかすとキレてきそうだってのは予想はしてた。友情重めなヤツ多いなオレの周辺、レズしかおらんのかこの界隈。

 ──じゃなくて、オレは千聖を送り出してホクホク顔なんだけどなんかした? お前にキレられるようなことしましたっけ? 

 

「わかんないんですか?」

「わからねぇな。オレは千聖を幸せにしてやるつもりなんだが」

「──ふうん?」

 

 おっと目からハイライトが消滅しやがった。ガキ相手に命の危険を感じるのは久しぶりすぎて全身から汗を掻くほどだ。もう夏だしすっかり松原も夏の装いだしな。ただいつそのアイスティーがオレの顔にぶちまけられるのかドキドキするくれぇにホラーな気分だよ。

 

「私は、そういうつもりで、先生に約束してもらったんじゃ……ないんです」

「どういうことだよ」

「確かに、千聖ちゃんはあのヒトと相性がいい……って言ったら変かもしれないですけど、カップルになったら素敵だなって思います。だけど」

 

 だけど、松原はオレを見つめた。悪いけどオレにそれ以上はねぇよ。なんならお前に紅茶を掛けられる覚悟で言ってやる。()()()幸せにしてやるとは言った。けど()()()()()()()()()()()()()()()幸せにするとは言ってねぇ。そもそも()()()()()()()()()()

 

「……っ、そ、それじゃあ、今までのは……今まで先生が千聖ちゃんを抱いて、愛していたのは? なんだったんですか?」

「気の迷い、とかじゃねぇの? 美人だし、手は出したくなるだろ」

「え……」

「オレは千聖が求め続けた男じゃねぇ。松原が思うような男でもねぇ。ただのクズ教師だ。それ以外にはなんも持ってねぇよ」

 

 それじゃあどうして急にとでも言いたそうな顔だな松原? 飽きただけだよ、バカだな。どんな美人だっていつかは飽きる。んでどうしようかと思ってたところに偶々よさげな男がいたからソイツにあげただけ。連れ込んでヤってんだろ? だからお前はこうしてオレに突っかかってるわけだしな。

 

「言ってる、言ってる意味が……わかりません」

「そりゃ可哀想にな。まぁしょ──」

「──それ以上は、怒るわよ」

 

 涙を目いっぱいに溜めた松原を、クズ男から救うために現れたヒーローは、金色の髪を靡かせるオレの()()、真夏の太陽サマこと弦巻こころだった。

 怒りの炎を燃やすそのツラはいいけど、お前オレと約束した言葉は忘れたのか? 

 

「なんのことかしら?」

「おい」

「あたしは、()()()()に関しての手伝いを禁止されているだけよ。花音はどうだったかしら?」

「口が達者だな」

「……こころちゃん」

「花音、先生の相手はあたしに任せて千聖を呼んでもらえるかしら?」

「う、うん」

 

 おい待て待て、そりゃ卑怯だろと言いたいけどこころはそんなことを許してくれそうな雰囲気じゃなかった。ようやく言いくるめられそうになって締めに外野から罵詈雑言を浴びるようなことを言ってやろうと思ったのに邪魔すんなよ。

 

「悪者のフリは、楽しそうね」

「楽しいね。つか正義の味方になったつもりもねぇよ」

「イライラしているなら花音に当たるのはやめて素直になったらどうかしら? きっとすっきりするわよ?」

「ガキにか? 勘弁しろよ」

 

 まぁこころにこのテの煽りは通用しねぇだろうなってのはよくわかる。けどここでスタンスを変えるのは主義に反するからな。オレは断固としてこのクズムーブを崩すことはしねぇ、できねぇんだけど。

 

「あたしは世界を笑顔にするの。花音も千聖も、先生も」

「オレはオレっつう関わりで壊れたもんを直してるんだよ。邪魔すんなよ」

 

 そうね、邪魔はしないわよとこころはくるりと優雅にターンしてやってきた千聖と交代していった。アイツと関わったのが運のツキってことだな。つかハロハピが関わると容赦なく冷たい顔するんだからな。アレでサブヒロイン気取りなんだから恐ろしいもんだ。

 

「一成さん」

「よ、千聖」

「……やっぱり、私ではダメなの?」

 

 ダメかダメじゃねぇかで言えばダメじゃねぇよ。千聖はなんにも悪くねぇしお前は自分の関係をなんとかしようとこれまで必死が頑張った。頑張って、失敗はしたけど次の幸せに手を届かせる段階に入った。そのためにお前の背中を押してるんじゃねぇか。

 

「もうお前は幸せになっていいんだよ。それくれぇ十分に頑張った」

 

 その頑張りをオレが食うわけにはいかねぇな。頑張ったな、なんつって腰振って気持ちよくなって、その先に何がある? なんもねぇよ。結局アイツの心の傷を癒すもんが身体の関係ってことになっちまう。オレが相手じゃどう頑張ってもそうなっちまうんだよ。

 ──千聖はもうそろそろ、()()()()()()()()()()()。同年代のガキみてぇにカレシのことに一喜一憂して、たまのデートでは夜の街をホテルから見下ろしてみたり、お互いの家で愛を語らってみたり。そういう、青春で味わうべき恋を知らねぇのはダメなことだろ。

 

「オレじゃあ、それは味わえねぇだろ?」

「そうね。あなたはいつだって浮気者で、クズで、あのヒトとは全然違うわ」

「だろ? まぁちょっとスパイスのある浮気も青春のうちだ。そのくれぇなら偶に付き合ってやるよ」

「……そうね、そうよね。あなたは、いつだって私の二番目よ」

 

 ああ、それでいいさ。それでいい。ちょっとケンカした時に愚痴る相手にはなる。浮気がしたくなるようなクソビッチの相手はしてやる。ただアイツはめっちゃいいヤツだから泣かすんじゃねぇよ。それだけは約束してほしい。

 

「嫌よ」

「イヤってなぁ」

「浮気するのは知っていてほしいの。浮気をされるくらい不満なのよって、振り回してみたいわ」

「ああそうかよ、それは万人受けするもんじゃねぇけどな?」

「いいのよ。一人に伝わればそれで。それが恋なのでしょう?」

 

 最後まで、千聖は泣くことも怒ることもしなかった。白鷺千聖はいずれオレとの関係が切れるその日まで、いつだって鉄の微笑を浮かべていた。

 ──千聖の涙を見ることはもうねぇだろうな。そういう確信もあった。

 

「それで最近千聖ちゃんはデートとか楽しそうなんだね~」

「おう」

「それでカズくん、あたしとのデートは?」

「は? 頭湧いてんのか。カレシとしてこい」

「だってアイツ浮気したもん」

「何回目だよ」

「知らない。カズくんくらい浮気性だし」

「お前のカレシになった覚えは一度もねぇけどな?」

 

 天文部の部室にて、澤田はヘッドホンでオレとヒナの会話を意図的にシャットアウトしていた。悪い悪い、このクソメンヘラ悪魔はそういうヤツなんだ。たぶんオレとお前が実はデキてるとかなんじゃねぇか疑ってるだけだから気にすんなよ。

 

「つか、ヒナ」

「ん?」

「去年のほぼ関わりなかったの、なんだったんだってくれぇお前はコッチに来るよな」

「だってカズくんはカズくんなんだもん。もう怒ってないし」

 

 やっぱ怒ってたのか。つかオレが突き放したのは元はと言えばてめぇがカレシ作ったクセにいつものノリで話かけてくるからだろ。そもそも、カレシ作るんだったらオレとの関係ちゃんと清算しろよお前は千聖か。

 

「浮気だったし」

「は? だからオレはお前の──」

「カレシの方が浮気相手だよ」

「……はぁ?」

 

 わかんないならいーもんとヒナはオレに抱き着いてきやがる。澤田がいる、いるからな? そう言いつつもオレは拒否することなく受け止めちまうんだが。もしかしてお前結構ヘコんでんのか。

 

「だってさ、あたしがちょーっと海外ロケとかでいない間に二人だよ!? しかもサンピーしてんの!」

「生々しいハナシはやめてもらえますセンパイ?」

「あ、ゴメーン、千晴ちゃん」

「謝る気ないじゃん……この女」

 

 ところでお前もめちゃくちゃに嫌われたもんだな。一応お前ひとりだった天文部を廃部の危機から救ったヤツなんだから優しくしてやれよヒナ。そう言ったけど本人はダンス部希望だったんだっけ。宇田川妹とゲーム友達らしいからな。

 

「屋上行こーカズくん!」

「はいはい、一服だけ付き合ってやる」

「えー、えっちしよ~」

「シねぇ」

「死ね」

 

 おい小さく後ろから罵倒が飛んできたから。ホントに仲良くしろよヒナ。だけどヒナはだってるんってこないもんとか言い出す。後輩に対してひどい先輩だな。ただまぁ、その気持ちはわからんでもねぇからいいんだけど。

 

「ほとんど活動してないでしょ?」

「こころがいくら呼びかけても無視だな」

「そーゆーとこ、嫌いだからいい。来年面白い新入部員獲得するもん!」

「はいはい」

 

 つまりお前は来年も天文部に我が物顔でやってくるんだな? まぁいいけど、オレとしてはお前といると堂々と一服できるし。ただ、ホントにセックスはしねぇからな。オレはお前のカレシに恨まれんのだけは嫌なの。ただでさえこの間千聖とシたんだから。

 

「じゃあ一緒じゃん」

「一緒じゃねぇ」

「あたし、カズくんのハナシめっちゃしてるよ?」

「カレシに?」

「うん」

 

 前言撤回、もう既に恨まれてそうだな。いや相手も大概のクズだからいいのか? ううんわからん。お前が語る人物像だとどんな男かもわからんからな。そろそろヒトに伝える日本語を習得してくれると助かるんだがな。

 

「んー、カズくんにちょっと似てる」

「オレがオレのことをヒャクパーわかると思うなよ」

「けど若いからかな? えっちが上手、腰も壊さないし」

「めちゃくちゃムカっときたんだが」

「ムラっと?」

「ムカっとだよ」

 

 ただし性欲が有り余ってるのと女が複数ほしいタチらしく浮気したら殺すって言ってんのに度々ヒナがアイドルや女優活動でいなくなると新しい女を連れ込むらしい。つかお前らもう同棲してんのか、気がはえーなおい。

 

「まぁいいよ。これも青春でしょ!」

「爛れた青春だな」

「カズくんと一緒でも変わんないよ、そこはね」

「確かに」

「でも青春だからさ。いつか大人になって、あたしもアイツも浮気しなくなって……そしたら結婚するのかなぁ、なんて!」

 

 ヒナはその指で空に明日(みらい)を描いていく。眩しい、青春の明日。オレが信じられなかった真っ暗な世界を、ヒナは昔とちっとも変わらねぇ、あのクズ教師と同じ系統のおひさまスマイルで照らしていく。

 

「その前にアイツのもいどこうかな」

「子どもはいらねぇの?」

「んー、どうだろ。あ、子どもといえば最近ね、香織センセが赤ちゃんできたって」

「そりゃ知らなかったな」

「おなかおっきくなってたからもうそろそろだったと思うよ!」

 

 一年しか空いてねぇのに、ひどく懐かしいやりとりをして、んでついでにタバコが短くなったタイミングでいつもの展開を挟んで、オレは少し大人になったヒナと会話を重ねた。卒業してもやっぱ逃れられねぇんだなぁと思うと同時に、だがこれが当たり前の日常じゃねぇんだという実感も湧いた。

 

 

 

 




白鷺千聖――脱落。トゥルーエンドまであと三人


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⑧惜別グラデュエーション

 時は流れる。激流のようにそこに抗うことはできずに。時折流されてきた元の場所には何があったんだろうと振り返ることもある。けれどそれは水煙と吐き出され続け押し出そうとしてくる水だけで、他は何も見えねぇ。所詮、過去も未来も真っ暗だ。過去だって歩んできた道が自分の足跡で光ってるだけ。もしも、なんて考えるとやっぱ一歩外は真っ暗だ。

 

「──卒業生、答辞」

 

 羽沢がまっすぐに、けれど今にも泣きだしそうな顔で壇上に立つ。珍しくオレもきっちりとスーツを着て、その言葉を一字一句逃さずに聴いていく。去年はヒナがやるって聞かなくてなんとかオレと羽沢で説得してリサにやらせたんだよな。アイツがやるとめちゃくちゃになるからって。そのせいか妙にそのヒナを扱いきったってのが評価されたようで、オレは翌年にいきなり三年の担任をやらされた。幸い、と言っちゃなんだがAfterglowが一箇所に固められたところに放り込まれただけで、羽沢や上級生になってすっかり頼もしくなった上原や蘭に手伝ってもらいながらなんとか一年をこなしてきた。

 

「やっぱり、担任をするとジンときますか?」

「いや、オレの場合は感慨ですかね。はぁー終わったー、みたいな」

 

 隣の副担任とそんなことを話しながら、オレは一年を振り返っていった。なにせ三年の担任やってるっつってんのにあの卒業生と他校の生徒どもは何かありゃオレに連絡を寄越しやがる。つか千聖はとっとと付き合ってくれ。まだ揉めてるんだよなアイツ。

 

「せんせぇ~!」

「おっと、つかお前ずっと泣いてただろ上原」

「だ、だ、だって~」

 

 堅苦しい式典が終わり、卒業生が退場した後で上原に抱き着かれ、そのボリュームに一瞬だけ苦い顔をしてモカのジト目に気づいたオレはなんとか教師としての顔を維持する。羽沢も結局最後に決壊したし、宇田川も絶対仲間に見せるつもりはねぇようだが目許が赤かった。モカはなんも変わらねぇ顔でオレを見つめてくるけど。

 

「ありがとな、お前ら」

「清瀬先生」

「久々の担任で、しかも三年ってことでカッコつかねぇとこばっかだっただろうけど、お前らがいてくれたから、見ててくれたからこうやって見送れる。最高に幸せだよ」

「──先生!」

 

 今度は羽沢まで抱き着いてきやがる。ああもう、まーたこれでオレは教師や保護者方から冷たい目で見られるんだがな。そもそもこの一年お前らに頼りっぱなしだったせいで生徒と教師の枠を越えてるんじゃないかーってクレーム何回か来てたんだからな。まぁ今日で最後だから今日くれぇはいいんだろうけどさ。

 

「モカ、この後の予定は?」

「打ち上げだよー、せんせーも来る?」

「クラスのか?」

「んーん、こころんとか、アッチの卒業生と」

「オレ来てもいいやつか?」

「もち~」

 

 流石にモカは抱き着いてはこねぇな。コイツのはガチで教師と生徒の一線とび越えてるからそれされたらヤバかったんだけど安心したよ。ただ後が怖いけどな、あの顔は絶対に嫉妬してる。もしかしたら抱き着かれるだけで済んだ方がマシだったと思えるようなことが起こるかもな。かもじゃねぇ気がしなくもねぇが。

 

「んじゃあ今日はパッパと仕事終わらせてソッチに合流するかな」

「こんな時まで仕事あるんですか~?」

「オレは教師を卒業するわけじゃあねぇからな」

 

 お前らが卒業してもオレは教科担当としての仕事も残ってるし、来年から始まる新一年生の担任業の準備もしなきゃならんからな。後の方は卒業生いえどもおいそれと口には出せねぇ機密事項ではあるんだが。

 

「ん、そういや蘭は?」

「いつものとこだよ~」

「たぶん、先生を待ってるんだと思うんです、行ってあげてください!」

「……そうか」

 

 宇田川とモカに指され、オレはなんというかアイツらしいなと思った。蘭は泣いてはねぇだろうな。ただ待ってるんだ。この黄昏からはまだまだ遠いこの空を眺めながら、オレが来て声を掛けるのを。

 ──さすがに緊張するな。ガラでもねぇけど、緊張する。けどここしかねぇ。後に回すと次はあの太陽サマに迫られるからな。誕生日にはきちんとフってやったけど、まだ卒業までって約束だからな。最後のチャンスに仕掛けてくるのは目に見えてる。つか()()()()()()()()()()()()()()()。ったく、蚊帳の外にしてやってもあの手この手で干渉しようとしてきやがるなこころは。すっかりアイツは変化球の使い方まで覚えちまって、将来が恐ろしい限りだ。

 

「──まだ夕陽には早いだろ」

「うん。でも、アンタとアタシといったら……屋上(ここ)でしょ?」

 

 そうだな、と肯定する。一年になったばっかりのお前が授業をサボりに来て、たまたまオレと出くわした場所。通報していい? なんてクソみてぇなお前の言葉から始まった、長いようで短い三年間の、その始まりの場所だ。

 

「その辺のJK落として、薔薇色だった?」

「そうだな、薔薇色だった」

「通報していい?」

「その必要はねぇな」

 

 なにせ、オレはその関係を()()()()()()()()()()()()()。蘭はほんの少し、怒ったような顔をしてから、そっかとその怒りをひっこめた。二年前だったら確実に胸倉掴まれてただろうに、成長したなお前も。だが代わりに青臭く胸倉を掴まれる方が幾分かマシだと思うほど鋭く、冷静な質問がとんでくる。

 

「なんで?」

「生徒を絆してヤって見送る。そんなの教師の所業じゃねぇだろ?」

「そうだね、アンタは教師として最低だった」

「ああ最低だった。お前とも一昨日シたばっかだしな」

 

 家に帰ってきたら自由登校のハズのクラスの生徒が何故かいて、一緒にメシ食って一緒に寝た。幸せそうに眠る赤メッシュを撫でながらこれがずっと続いたらいいなと思った自分がいた。だけどこれは教師として最悪もいいところだ。断罪されるべき業だ。その間違いのまま幸せになることが正しいはずがねぇだろ? 

 

「アタシは、そんなの望んでない」

「けどもう親父さんには伝えた。頭を下げてきたよ」

「──はぁ?」

 

 そこで、蘭はキレた。当たり前だろう、既にこの議論は終着しているからな。自分のことなのに自分と関係のねぇところで関係が終わらせられてたなんて知ったら誰だってソイツを突き落としたくなる。大人同士の約束を利用して蘭は口を出すヒマもなく、結婚相手を探す日々が始まるわけだからな。蘭の夢見た未来では、オレがなるはずだった蘭の結婚相手を。

 

「どうして? アタシは三年間、全部頑張ったのに。アンタに言われたからじゃない。華道もバンドも学業も全部、全部全力で走ってきた。アタシの青春を奏でてきたのに」

「おう、だからお前は幸せになれるんだ」

「一成じゃない」

「オレじゃなくたって幸せにはなれる。そもそもオレが幸せにしてやるとは言ってねぇ」

「──そんなの!」

 

 意味がねぇってか? そうはならねぇだろ。意味ならある。お前はこの二年間で色んな青春の思い出を刻んできた。その中で出逢いもあっただろう。ホラ、いたじゃんか。なんか蘭の作品に惚れこんできた良家の次男坊とかな。アイツめっちゃいいヤツだったよ。なにせお前の親父さんに連れられて三人でしこたま飲んできたからな。

 

「アタシは他の誰でもない、清瀬一成にアタシの将来を奪ってほしかった」

「それはできねぇ。オレは教師だからな」

 

 もしオレが、教師としてではなくて何かの形で蘭と出逢っていたなら、ソレもありだったのかもな。けど、そうじゃねぇ。オレは蘭を生徒としてかかわっていたい。これからは卒業生としてたまにやってきて二言三言交わすだけの生徒と教師の関係。薄くて、けれど確かに青春に刻まれた人物として。

 

「アタシは、一成を愛してる」

「オレも蘭を愛してるよ」

「だったら……アタシと」

「──悪い」

 

 嘘はねぇ。蘭のことを愛していた。ヒナも千聖も紗夜もモカも、生徒と教師の垣根なんて意味がねぇくらいに大事な女だった。お前らを愛してきた時間があったからこそオレは今教師として再び担任をして、今度は一年大成功を収めるまでに至った。そう、()()()()()、オレは今一度正しく教師としての理想をリセットしたい。ただ絆してカラダの関係結んでなんてクソでクズな男じゃなくて、きちんと教師として生徒を送り出したい。ちょうど来年からは新一年生だし、ここから三年間任されるくれぇになってオレはオレの夢を叶えたい。

 

「これがオレの(ロック)だ。青春からは遠く離れた黄昏のオレが奏でる、最高の」

「……じゃあ、アタシから」

 

 そう言って蘭はオレに一歩近づいてくる。さよならのキスか? だなんて身構えていると思いっきり頬を張られた。痛ぇ、ジンジンくるな。反射的に閉じた目を開けると、涙で瞳を潤ませたとびっきりの美人がそこにはいた。胸が痛くなる。後悔なんてゆっくりと後でじんわりくるもんだと思ってたのに、もう後悔してやがる自分がいた。それほどまでにオレは美竹蘭を愛していたんだな。自分でも気づかねぇくらいに、深く。

 

「アタシは、諦めない」

「……いや、諦めてくれよ」

「ううん、アタシは絶対にアンタを幸せにしてみせる。どんな形だろうと、アタシはアンタに復讐する。これはアタシの決意と覚悟……絶対に、忘れないで」

 

 蘭は、諦めることはなかった。今日の自分がダメでも明日の自分を信じてる。未来の自分自身ならなんとかしてくれると本気で信じてやがった。なんでだよ、なんでお前はそんなにキラキラしていられるんだ。明日なんて信じてなんになる。現にお前らはオレが言った通り進路をバラバラにした。ずっと一緒だなんてもんは幻想だったことを、お前ら自身が証明したじゃねぇか。なのに、どうして明日を信じてるんだよ。

 

「おう、お待たせ」

「あー、一成先生!」

「よう戸山」

「センセも呼ばれたの?」

「こころにな」

 

 打ち上げにはちょっと遅れていった。蘭はやっぱり拗ねたようにオレには話し掛けてこなかったけど、その様子にみんな気づいていながら触れてくることはねぇ。

 まぁ触れてくるのはモカかこころだろうな。他はあくまで生徒と教師って面目を保ってるメンツばっかりだから。わいわいと卒業で盛り上がる中で、オレはちょっと悪いと立ち上がった。山吹にどうしたんですか? と問われるけどタバコだよと言ったら納得された。

 

「はぁ……どいつもこいつも」

「タバコなんて持ってないでしょう?」

「なにしにきた、トイレか?」

「野暮用、というヤツかしらっ?」

 

 野暮用ってのはオレのことか。まぁ要件はわかってるし先回りしようかとも思った。また誕生日ん時みてぇに結婚して、だなんてキラキラお目々でプロポーズしてくるんだろう? どっかの誰かのようにもう卒業するんだからってな。

 

「いいえ。それは後でするけれど」

「じゃあなんだよ」

「はいっ!」

 

 そう明るい顔でこころは両腕を広げてきた。なんのつもりだよそりゃ。すると今度は不満げに頬を膨らませながら身長差があって腰を折ってくれないとダメなの! と文句を言ってきやがった。抱き着きてぇのか抱きしめてほしいのかどっちかにしろよ。

 

「……最後だからってたっぷり甘えておこうって腹積もりか?」

「そうじゃないの。ただ……お疲れ様、先生」

「まだ終わりじゃねぇよ」

「ええ、これからが始まり。そうよね?」

 

 なんだ、お前はわかってくれるのか。その上でお疲れ様と笑って受け止めてくれるのか。ホントに、惜しい女だ。オレなんかに惚れることなく、もっと別の出逢いを求めていればお前はもっともっと幸せになれただろ。お前は気ままに散歩すんのが趣味なんだから、その先で色んなヤツに出逢っていただろう。

 

「いいの、いいのよ。そんなもしもがあったとしても、今のあたしは一成の体温を感じられるだけで、ハッピーなの」

「そりゃあ、素敵なハッピーだな」

「そうよ? それをくれるのはいつだって、一成だもの」

 

 万感のこもったハグ、万感の想いがこもった愛の言葉。曇りのない、晴々とした弦巻こころの告白はきっと誰もを笑顔にする力があるようだった。

 ──勿体ねぇな。こんなキラキラの恋をできるのに、なんで相手がよりにもよってオレなんだよ。お前のことを幸せにしてやりてぇ、笑顔にしてやりてぇって思える男がなんで清瀬一成なんだよ。

 

「卒業しても、天文部の活動はしてもいいわよね?」

「……ああ、つか澤田じゃ来年度の活動が危ういから手伝ってくれると助かる」

「もちろんよっ、名誉部長と一緒に盛り上げに行くわね!」

 

 名誉部長ってまさかとは思うけど……ヒナだよな、そうだよな。お前にとっての天文部といえばオレとヒナと、んで他のメンバーがついてきて一緒に笑顔になる活動のことだもんな。澤田はお前のこともヒナのこともめちゃくちゃ嫌いだけど、来年度の新入部員はお前についていけるくれぇのヤツを集めねぇとな。

 

「それと、モカのこと……準備は整ったけれど本当にいいの?」

「いいんだよ。アイツには恨まれるくれぇで丁度いい。嫌われるくれぇじゃねぇと幸せにはなってくれねぇよ」

 

 それでも幸せになれるかは半々なんだからな。オレの一番の失敗はアイツをどう転んでも泣かせなきゃならんところだな。アイツに依存しすぎちまった。蘭ですら幸せになれよって送り出せるのに、ヒナですら半ば意地になれば送り出せたのに、アイツには言葉通り一生一緒にいてくれそうな覚悟を感じるんだよ。例え不幸になっても、オレのせいで傷つき続けて、その果てに死ぬとしても、オレと添い遂げる道を選びそうなんだよ。そんなモカにオレは重いもんを預けすぎた。

 

「預けたもんは、返してもらわねぇとな」

「あたしも、モカは一度離れた方がいいと思うの……あの子は自分を不幸にしすぎてしまうわ」

 

 ありゃそういう星の元に生まれてるんじゃねぇかって勢いだからな。アイツは今のままじゃあまりに周りを不幸にするし、自分を不幸にする。それでも日常生活の面で多少はマシになったけど、恋愛が絡むと一年の頃となんも変わってねぇ。

 ──そもそも、モカと一緒にいられねぇ以上、オレはマジでお前らの誰とも一緒になるつもりはねぇんだよ。

 

「義理立て、ということ?」

「半分はな。もう半分はやっぱ、正しい教師になりてぇってわがままさ」

 

 少しだけ、思うんだ。アイツらがそれぞれの青春を過ごして、その先でオレを取り合って戦争を起こすのは正直勝手にしてほしいし、それが幸せになる道筋なら教師としてでも放っておいてやるって。だけど、モカがそこに参加できねぇってなったら話は別だろ? そんなのアイツが負けヒロインじゃねぇか。不公平だろ。カミサマになるつもりもねぇけどせめて、五人、いやこころ含めて六人か。まぁ何人でもいいけど全員に可能性はあって然るべきだろ。

 

「だからこそリセット、なのね?」

「オレのことは気にするな。そのうち気が向いたら自分で幸せになるよ」

「……ええ」

 

 こころは悲しそうに頷いてくれた。そう、モカへの義理立て。オレはモカがいなきゃとっくに死んでただろうから。せいぜい殺してぇくらいに恨んでくれ、そんでオレの前から消えてくれ。

 ──お前のこともオレは死んでもいいってくれぇに愛してたからさ。

 

 

 




美竹蘭、青葉モカ――脱落。トゥルーエンドまであと一人


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⑨青春エピローグ

 蘭をフり、こころが断りにくいって聴いたわとかめちゃくちゃズルいこと言って打ち上げメンバー全員の前でしてきたプロポーズも断り、モカを合コンに送りだし半ば強制的に突き合わせて、そうやって送り出しに時間を費やした。正直、モカには殺されるかと思った。つかヒナとかに止めてもらわなかったら危なかった。

 

「なんだかんだでセンセーの近くにいるの紗夜だけじゃん?」

「あと紗夜なぁ……どうすっかなぁ」

「あはは、紗夜だもんね~」

 

 現在はリサに誘われてドライブとしゃれこんでる。この情報だけでもあのストーカーがまだストーカーしてたらスプラッタホラー間違いなしなんだろうなと思いながらも紗夜の情報収集のため、すっかり大学生が板についた見た目ギャル女を助手席に座らせていた。

 

「アイツ、男フりまくってるんだよな」

「ん、そだね」

「そのたびにオレんとこ来るんだよ」

 

 最近じゃセックスを求められることも少なくなってきたが、絶対に最後にはキスとハグを求めてくるんだよ。しかも一成さんよりいいヒトなんていませんとか殺し文句まで添えてくる始末だ。なんとかせねばとオレはようやく新しい年度のアレコレが落ち着いた六月に今井リサに連絡を取った。

 

「そーいえば、すごいギタリストがいてさ」

「ほう」

「紗夜はちょっと揺れてるとこあるっぽいよ」

「そりゃいいことを聴いた」

 

 やっぱ音楽に人生懸けてるヤツが惹かれるのは同じく音楽に人生懸けてるヤツってことなんだろうな。それまで何人にアプローチされても靡かなかったアイツの琴線がどういうものなのかはわからんがこれは千載一遇のチャンスと捉えるべきだろう。

 

「誰もいなくなって、センセーは寂しくないの?」

「そうだな。寂しくねぇって言えれば完璧なんだけどな」

 

 ヒナと蘭、モカの三人とはもうカラダの関係はねぇ。千聖ともようやくなくなってきたし、紗夜とも回数自体は減ってきた。寂しくねぇって言うのは嘘になっちまうけど、もう少し、もう少しでオレの理想が、夢への新しい一歩が始まろうとしてるんだ。間違いだらけだったこれまでの教師人生じゃなくて、これからの夢が始まろうとしてるんだからな。

 

「……うん、そだよね」

「どうした?」

「ううん、お節介なことゆっちゃいそうになっただけ」

「別にお節介だなんて思わねぇよ。リサもそういうとこ直してけてるといいんだがな」

 

 関わってきて知ったことだが、リサは自己肯定感がめちゃくちゃに低いんだよな。自分のことをお節介だとかなんだとかって遠慮しがちだけど、オレからすりゃリサの気配りはめちゃくちゃありがたいっていっつも伝えてるんだけど中々通じねぇんだよな。

 

「なんかさ、これは違うって感じするんだよ」

「どれ?」

「今の状況?」

 

 ゆっくりと言葉を選ぶように、リサはおどおどと声を出す。違うのか、オレはこれが正解だって信じてるところあるんだけど、リサ的にはどうやら何か居心地の悪いもんらしい。けどお前らがまだJKだった頃よりはマシになってると胸を張りたい。

 

「確かにね、ヒナとしゃべんない時は、ホントにどーしたらいいのかわかんなくて泣きそうになったもん」

「悪かったな。けど今は」

「うん、まぁヒナのカレシの愚痴訊いてるとため息吐きたくなるケドね」

 

 それはそうだろうな。オレも話を聞いてる限りじゃまた浮気しただなんだってばっかだからな。でもやっぱり元通りにラブラブに戻るらしいからホントよくわからんカップルだなぁとはオレも思うな。つかリサは浮気とかに敏感だよな。

 

「あ、まぁアタシはさ、前にもゆったケド」

「あーそれがフツーの恋愛じゃねぇからだっけ?」

「ん」

 

 それに対してオレはフツーってなんだろうなって返したけど、アイツらがフツーじゃねぇのはオレも思う。浮気してもされても、ああやってまた愛し合うってのはどういう思考回路してんだろうな。ヒナの思考を理解できるわけねぇとはずっと思ってたけど、やっぱりヒナはヒナのままだ。愚痴もなんかメンヘラっぽいしな。

 

「そういえば千聖とはまだ関係があるんでしょ?」

「まぁな。あのクソビッチ、全然カレシが手を出してきやがらねぇからって焦らされた分全部オレにムラムラ押し付けてきやがるんだよ」

「あ、あはは……じゃあ向こうはまだ」

「まだらしい」

 

 早く手を出せ押し倒せと思ってるんだけどな、あの魔王は変なところで乙女だからな。オレには欲しいって素直に言えるクセに、と愚痴っておいてそういやリサがそれに輪をかけて乙女だってことをすっかり忘れてた。なんか居づらそうな反応しやがって今年ハタチなんだからいい加減馴れてほしいところではあるな。

 

「だ、だって……アタシまだ……だし」

「つかお前も、大学にイイ男とかいねぇの?」

「んー、仲良い男子は割といるケド、なんかみんなチャラチャラしててさ」

 

 そりゃあリサの見た目的にチャラチャラしてるっぽいだろうからな、と言うのはやめておいた。なんかチャラチャラしたのが苦手なのか、そりゃあ結構、苦労しそうだな。男が精神的に落ち着くのはもっと後だから同年代じゃなくてたぶん年上の方がオススメだよ。そう言うとリサはオレをじっと見上げてきやがる。

 

「……なんだよ」

「いや、落ち着いた年上でまっさきに出てきたのがセンセーだから」

「オレはやめとけ、浮気する」

「自分で言うんだ……」

 

 こういうのはちゃんと自己申告できる方がいいだろ。マジオレ一途だから、マジマジ浮気とかしねぇし、とかマジマジうるせぇ嘘つきよりかはマシじゃねぇかなとは思うわけなんだがどうだろうか。

 

「でも、アタシさ、センセーなら平気かなって思うとこもあったりして」

「ガラにもなるドキっとしちまったよ。後十歳若けりゃソッコー手出してたくらいに」

「そんなに?」

「美人だしな」

 

 ただオレはリサがマジになったとしても応えられる自信はねぇ。落ち着いてるだなんて称してもらって悪いけどオレの根本はもっとわちゃわちゃしてて子どもっぽいとこあるからな。教師として、大人としての顔を保ってる時はいいが男女としてってなると間にある歳差はぐっと小さくなっちまうだろうよ。

 

「センセーロリコンっぽいもんね」

「言うなよ。オレとお前でも一周差だからな」

「そだね」

 

 そんな雑談をしながら、情報提供のお礼にってわけでもねぇけどこうしてちょいちょい買い物に付き合ってる。ヒナや紗夜とかも偶に来るし、驚きなのは白金がついてくることもあるってことなんだよな。

 

「ここ何年かで燐子もだいぶセンセーに馴れたよね」

「オレはまだ馴れねぇけどな」

 

 白金の何がアレってカレシとの関係が微妙にアレなところだよな。馴れ初めを何かで訊ねる機会があってご主人様として拾っていただいて云々とか言われた時には頭がどうにかなりそうだったしな。設定がぶっ飛びすぎてるだろ。詳しく訊くことも躊躇うような馴れ初めは生まれて初めての出来事だった。それ以来ちょっと苦手なところではある。

 

「でも燐子も高三の時よりかはマシになった方だよ?」

「……そうなのか?」

「うん、前はどこでも構わずカレシのことご主人様って紹介してたし首輪代わりにチョーカーつけてたよ」

「怖、カレシの性癖が怖いわ」

「カレシはフツーな感じ。だいたいコンビニバイトで一緒だったし」

 

 フツーって、いやフツーじゃねぇだろとツッコミをする。この話はこれ以上してるとマジで脳細胞を破壊されそうだからやめておこうな。会話内容はヒドいもんだが簡単なデートとしゃれこんでいく。興味を示すのがキッチン用品中心なところがまたリサの見た目イメージには合わねぇよな。

 

「そだ、また忙しい時はお弁当とか作ってあげよっか?」

「そりゃ嬉しいな」

「うんうん♪ とびきりかわいいのにしてあげる!」

 

 それは変な噂が立つからやめてくれ。最近なんか知らんがまた学内でオレが女誑しのクソ野郎って噂、まぁ事実ではあるが噂が立ち始めてるんだよ。一応これでも脱女誑しに向けて頑張ってるところなのにな。

 

「確かにねぇ」

「かわいい弁当じゃなきゃいいよ。それならオレ自分で弁当詰めてるしな」

 

 気合入れられすぎてたらさすがに怪しまれるかもしれんが、あんまり弁当の中身見られることもねぇしな。

 そこから羽丘の話をし始めていくけど、ふとオレはリサが()()()に会ったことがねぇことを思い出した。

 

「アイツって?」

「音羽、新入部員の」

「あー確かに、なんか会ってないね」

「たぶんリサとはすぐ仲良くなれるタイプの明るいヤツだよ」

 

 おっ、じゃあ千晴よりかはよさそうだねとか言いだしてオレは苦笑いをしてしまう。アイツはなぁ、ヒナのことは確かにめちゃくちゃ嫌いだけど実はリサのことは来るって知ったらそわそわするかわいらしい一面もあるんだけどな? 

 

「え、そうなの?」

「澤田はなぁリサに会うと緊張するらしい」

「好意的ってこと?」

「まぁな」

 

 まぁリサを嫌うようなヤツそうそういねぇしな。澤田のこと苦手かもしれねぇけどまぁ嫌わねぇでやってほしいところでもある。オレのことめっちゃ嫌いだしオレも時折ムカっとするところはあるけど悪いヤツじゃねぇからな。

 

「ふふ」

「なんだよ」

「んーん、やっぱりセンセーはセンセーだなーって」

「なんだよソレ」

「生徒のこと嫌ったりしないからさ」

「オレだって嫌いな生徒くれぇいるよ」

 

 いや正確に言うと嫌いな生徒がいたってくれぇだな。昔スゲーのがいてな、担任をしてたんだがまぁ性悪で最後には付き合いきれねぇって突き放して、ロクになんも教師らしいこともできずに終わったヤツがな。

 

「そうなんだ」

「たぶんお前も知ってるヤツだと思う。三つだから被ってねぇとは思うけど」

「んー? ああアレでしょ? 吹部の先輩」

「たぶんソイツだ」

 

 アイツだけはマジでオレの理解の外というか、今でも顔見たらムカっとしそうだな。そのくらい苦手っつうかオレにとってトラウマ級の女なんだよ。そもそもオレの悪い噂の大本はソイツが流してる疑惑まであったからな。

 

「千晴は違う、って思うよ」

「知ってる。オレの噂の一部に取り込まれるのが嫌なだけだろうよ」

「それを怖がらないみんながおかしいだけだって」

 

 それはお前もだろ。というかそういう流れで言うなら音羽も全く怖がる気配がないのがアレだけどな。ヒナとこころが求めていた自分たちについてきてくれるような面白い後輩ってヤツだからなぁ。澤田には悪いけど、天文部として活動するには音羽結良のような人材が必要だったってことだな。

 

「へぇ、その結良って子確かに面白そうだね♪」

「元気なヤツだよ」

「ヒナとこころに着いてくってところがもう面白そーだよねぇ」

 

 それなら今度の天体観測はアタシも行こうかな、とリサは嬉しそうに語ってくれる。なんだか音羽が来てくれたことでこころやヒナ、リサってメンツが集まりつつあるな。半分くらい無理やり遠ざけておいてなんだろうなとは思うけど、オレは今のこの教師としての在り方がすごく楽しい。

 

「あ、リサちー!」

「やっほーヒナ、とそっちが?」

「お、音羽結良です」

 

 音羽とリサはオレの予想した通りにすぐ仲良くなった。ただし、これはヒナやこころにもキツく言い含めてるところだけど、オレの過去はしゃべるなよ。せっかくの貴重なオレがお前らと同じようで違う生徒としてかかわれそうなヤツなんだから。そういう目で見てるって思われたら嫌だろうしな。

 

「ってゆーんだけど、リサちー」

「まぁそりゃあ黙っててあげるケド」

「なんだよ」

「すぐバレると思うよ?」

 

 わかってるよそんなこと、千聖や紗夜だって直接話したりはしねぇけどたびたび天文部に顔出してくるし、音羽が知らねぇオレの生徒は蘭モカくれぇだからな。でもそれをわざわざ吹聴したりカミングアウトする必要はねぇだろ。そう言うとヒナとリサは顔を見合わせてまぁいいかと苦笑いをしてきた。なんなんだよお前らは。

 

「カズくん先生」

「おう……って」

 

 その後、アイツらが別の教師と話しているところで天文部に戻ってくると音羽にそう呼ばれた。直前まで清瀬先生、もしくは先生だったのに。なんだよその呼び方と問うとヒナからオレが喜ぶと言われたらしい。あの先輩はロクなことを教えちゃくれねぇな。ならばとオレは結良と呼び捨ててやることにした。リサはリサ、ヒナはヒナで千聖も紗夜も呼び捨てなのに自分が音羽、なのをちょっと気にしてたフシがあるからな。

 

「やっぱり」

「なにが」

「ゆーらちゃんはカズくんにとって特別なんだなぁって」

「……そうかもな」

 

 ただ、お前らみたいな特別とは違う。ヒナや蘭みてぇに屋上で運命のような出逢いをしたわけでもなく、モカみてぇに三年間の万感を胸にオレに接触してきたわけでもねぇ。

 ──結良は()()()()()()()。天文部に興味があって、なんつうフツーすぎて面白みもなんともねぇ理由でオレの前に現れた面白いヤツ。そういう特別だ。

 

「あたしね」

「なんだ」

「もう浮気するのやめようと思うんだ」

「……そうか」

 

 その顔は、なんというか青春に満足した、そういう顔だった。向こうはまだまだその青春を謳歌してぇみてぇだけどなとこの間の愚痴の内容を言ってやるとちょっとだけ不満そうな顔をして、それからまた向日葵みてぇなキラキラの笑顔ででもねとオレを見上げてくる。

 

「ちゃんと好きって思えるんだ」

「なら、オレが言うことは一つだな」

「──幸せになる。あたし、カズくんじゃない相手と」

「……ああ」

 

 オレのセリフ取るんじゃねぇよバカヒナ。けどこれで紗夜も最後に会って話をしねぇとなって気分にもなることができた。爛れた関係としては最後、千聖もそろそろ焦れてきたらしいし、オレはこうして全員を送り出す決意が固まった。

 蘭は自分が掴み取りてぇ全てに全力でまっすぐにやり抜いた。モカはちゃんとオレ以外に目を向け始めてる。紗夜は追いかけるべき道をきちんと歩んでいった。千聖はごちゃごちゃだった関係をきちんと完結させることができた。ヒナはこうして青春を骨の髄までしゃぶりつくして、オレの前から去っていく。これが関係の終わりじゃねぇ。けどこれで終わりだ。アイツらのカラダを貪り、最低なクズ教師としての役割は、もうすぐ終わる。

 ──もう、エンディングはすぐそこにあった。

 

 




氷川紗夜――脱落。(出番ないけど)
これでフラグは成立、トゥルーエンドまで後、一年半。


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⑩正解トワイライト

第七章最終話、そして「黄昏ティーチャー」の最後のお話になります。




 ──あれから一年半が経ち、オレは穏やかな平穏を取り戻していた。今年は多忙なことに二年生の担任を任されてる。いや、もう教師人生10年になろうというヤツがいつまでも担任経験浅いとか言ってらんねぇし、一年からの繰りあがりだからそれなりに慣れ親しんでるからいいんだけどな。ダラダラと英語だけ教えてた頃が恋しくなる時がたまにあるんだよな。

 

「あ、カズくん先生」

「よう、結良。掃除中だったか?」

「うん……そうそう先生って、タバコ吸ってた?」

「どうしたいきなり?」

「棚の中整理してたらこんなの出てきて、最初はヒナちゃん先輩のかなって思ったんだけど」

「……ああ、そりゃオレのっちゃオレのだな」

 

 アイツ、忘れてってやがるな。今じゃもうてめぇで買えるからこそこそしてる必要もねぇだろうしな。天文部員でありオレが持ってるクラスの生徒でもある音羽結良(おとわゆうら)が片手に持ってるのはオレと、()()()()()()が吸っていたタバコだった。たぶん卒業ん時からずっとそこに置いてあるんだろうな。

 

「もらっとく。結良が持ってたら問題になるし、置いといても問題になるからな」

「ん、お願いします」

「外でも偶に吸うし、五年くらい前には屋上で吸ってたからな、毎日のように」

「そうなんだ」

 

 結良は目を丸くして驚くけど、知ってるヤツからしたら当たり前のようなハナシだったりするんだよな。なにせ、アイツが言いふらしてるからな。めんどくせぇ、あとアイツはもう一個困ったことを言いふらしてるからな。オレはそろそろ一度やめろと言ったほうがいいんだろうか。

 

「つかなんで掃除してんの?」

「え、聞いてないの?」

 

 なにが、と訊く前に丁度タイミングよく、答えが扉をあけ放って登場した。今ダントツで注目されてるアイドルバンドグループのギタリストであり、ここのOGが昔と変わらねぇ明るい笑顔で、やっほー、と変装もせずに。

 

「あ! ゆーらちゃんにカズくんもいた!」

「いた、じゃねぇよヒナ。毎度毎度、来るならオレにも連絡しろっつうの」

「ヒナちゃん先輩、こんにちは」

「えへへ〜会いに来たよ〜!」

「めっちゃ嬉しい!」

 

 ヒナ、氷川日菜は、以前じゃ有り得ねぇ光景だけど、後輩からのウケもいいし、こうして連絡を取り合ってくる姿は、まさしく成長したってとこか。相変わらずオレに対しては振り回してくるクソ悪魔のスマイルのままだけどな。

 

「もちろん、カズくんにも会いに来たんだよー?」

「いらん。どうせ学校外でもお構いなく突撃してくるんだからな」

「愛ゆえに〜だよ」

「なにが愛だこの浮気性」

「愛……ふふっ」

「おい結良、なにニヤけてんだよ」

「いや、やっぱりヒナちゃん先輩相手だと違うんだなぁって」

 

 そりゃな。ヒナはフツーの生徒とは違う関係を結んでたからな。結良には詳しく教えるつもりもねぇけど、爛れた過去だ。オレがクズ教師の名前と一緒に置いてきた、眩いばかりの過去の遺物。

 

「つかヒナ。ちょうどよかった」

「なにが? って、それ」

「お前の忘れもんだろ」

「あはは〜、まだ隠してたのあったんだ〜」

「え、そのタバコ、ヒナちゃん先輩のだったの? ってゆうか、吸ってるの?」

「あれ、ゆってなかったけ? 今も吸ってるよ?」

「意外すぎ……」

 

 オレとしてはもう何年もの付き合いだから見慣れたもんだけどな。コイツの喫煙なんて、高校生の時からしてやがる不良だっつうの。それが元は生徒会長サマってんだから羽丘の風紀も地に堕ちたと嘆くべきだな、教師としては。

 

「んで? 今日はなんの要件だ」

「だーかーらー、カズくんに会いに来たんだってばー」

「それはいいから」

「ホントだよー? だって今日でしょ? 成人祝いのヤツ」

「……現地集合の予定だろ」

「成人?」

 

 成人祝いな。一番年下組、こころたちが成人式を今頃してるだろう。これで全員が大っぴらに飲めるようになったっつうワケだ。だから久しぶりに集まれるだけ集まってやろうって会なんだよな。

 

「こころちゃんがね~、お店貸し切ってくれたんだって~」

「こころ先輩……あの金髪お嬢様の」

「合ってる合ってる。あのこころだ」

 

 貸し切りって、一人でできるようなことじゃねぇはずなんだがな。まぁそこは弦巻家のトップっつうワケで、その辺は余裕だ。あの女にできねぇことは存在しねぇと思うよ。

 そういや、結局オレは誰が来るとか聞かされてねぇんだけど。蘭とかモカとか、こころとか、成人式の二次会とかあんだろ。

 

「こころちゃんと蘭ちゃんは来るんだってさ、カズくんいるしねー」

「……バカどもが」

 

 そんなんだったら、わざわざこんな日に集まんなくてよかったっつうのに。別に今日じゃなきゃオレがいねぇってワケでもねぇのに。

 そんなことを思いながらヒナがまだJKだった頃、少し前の話を結良にしていると、天文部の扉が生真面目に三度叩かれ、失礼します、とこれまた真面目くさったカタい口調で、ヒナそっくりの女性が扉を開けた。

 

「紗夜。お前も来てたのか」

「来てはいけませんでしたか」

「開幕でいじけんなよ」

 

 そう言ってはみるもののオレのリアクションに紗夜はショックを受けたり、落ち込んだりすることもなく、今はお仕事忙しいですか、と嬉しそうに訊ねてきやがる。今仕事してねぇことくれぇ見りゃわかんだろ。お前はお前でそういうとこは変わらねぇのな。

 

「うわぁ、やっぱ先生が卒業した生徒とデートしたりイチャイチャしたりしてる女誑しってリサちー先輩がゆってたけど……ホントなんだ」

「ゆってたもクソもそのリサちー先輩がデート相手だけどな」

「あはは、それ以外にも結構遊びに行ったりするよね!」

「私は羽丘のOGではないけれど……間違ってはいないわね」

 

 そのデートしたメンバーは、教師人生で関わった中でもひと握り、ほんの数人に限られるけどな。ヒナや紗夜たちの世代と、その一つ下、今年度成人を迎えるヤツら。アイツらはオレを変えてくれた特別な世代だからな。オレとしても教師と生徒以上に踏み込んだイロイロがあったから、このハナシは結良や他のヤツにベラベラ喋りたいような話じゃねぇんだけどな。

 

「しかも美人揃いだもんねぇ……道は険しい」

「だってさ」

「なんだよ」

「日菜、一成さんにそれは酷でしょう」

「なんだよ紗夜まで」

 

 なんかヒナが妙に含みのある顔をしてきやがる。流石にオレとしては理不尽だと思うんだが、残念ながらオレはそれほど鈍感じゃねぇから。けどお前ら相手ほどコッチから踏み込むことはねぇからな。つか爛れてたのはお前らが最初で最後だっつうの。そんな毎年毎年生徒を食い物にするようなゲスになったつもりもねぇし。

 

「カズくん」

「屋上だよ。着いてくんな」

「はーい」

 

 結局、オレが一番落ち着く場所ってのは屋上だ。ヒナやモカみてぇに屋上まで追いかけてくるような生徒なんていねぇし。まぁ結良は偶に来るがとにかく、生徒に引っばりだこの教師としては、この一人の時間ってのは案外大事になってくる。一服の代わりに、お気に入りすぎて挽いた豆を買って持ち歩くようになったとある店のコーヒーが入ったタンブラーを持ち、クロスワードのアプリなんてものを入れて、キリがつくまでスマホを弄る、そんな日々だ。

 

「……蘭の、花」

 

 クロスワードにオーキッドの文字を入力する。蘭の花。それは色々あったと懐かしさに触れる花。結局、あの黄昏に、アイツに会ったことが、全ての始まりだったような気がするな。ふとこの黄昏に想いを馳せたくなるくれぇには。

 親父への反発心しかなくて何もかも中途半端だったポンコツ不良生徒は、何もかも無くしたクズの不良教師の両手に溢れるばかりのものをくれた。

 

「アタシが、なんだって?」

「よう、久しぶりだな」

 

 屋上の扉が開く音、振り返った先には、目を見張る程の美人が晴れ着姿で立っていた。人生に一度のハズのそれを優美に着こなし、相変わらず揺れる髪の一部に赤が揺れている。

 久しぶり、って言うほど久しぶりってワケでもねぇのに、やっぱり、化粧と服装でガラリと印象が変わるな。

 

「なにビックリしてんの?」

「そりゃ振り返ったら絶世の美女がいたんだから、ビックリもするさ」

「……あっそ、バーカ」

 

 相変わらず照れ隠しが下手くそな美人だな。からかいがいがあって安心するよ。これで大人の余裕なんて見せられた日にはオレの方が緊張してどもっちまうところだ。ほんの少しだけ頬を赤く染めて、咳払いで気を取り直した蘭は、もう一度今度は早口で同じ質問をしてきた。

 

「で、アタシがどうかしたの?」

「蘭じゃねぇよ。花の蘭(オーキッド)の方だよ」

「……ふーん」

 

 バカはお前だったな蘭。自意識過剰だと思ったらしくあからさまに顔を逸らした蘭が面白くて、ついつい笑っちまう。そうしたら死ねとか言われて殴られるんだけど。まぁ、花の蘭から蘭を連想してるから、蘭のことを考えてたっつうんなら、その通りなんだけどな。

 

「どうした。そんな晴れ着でわざわざ」

「……別に。帰りに寄っただけだし」

「ん、似合ってる。おめでとう」

「ありがと」

 

 沈黙が流れる。なんか言いてぇことでもあんなら、言えばいいのにな。素直になれないお前じゃ、どうやっても晴れ着を見せたかった、なんて言えねぇか。

 オレも、そんなお前から無理やり本音なんて、引っ張ってはやることしねぇ。蘭の傍にいるのはもう、オレじゃあねぇから。

 

「……モカね」

「ん?」

「モカが、今度()()()とスキー行くんだって。なんか、めちゃくちゃなこと言っててさ……」

「モカらしいっちゃらしいな」

 

 どうせアイツのことだ。蘭も引っ張っていこうとしたんだろ。モカはモカで、蘭にはいい加減にその煮えきらねぇ態度をなんとかしてほしいんだろうな。自分で決めたことくれぇちゃんとやれってな。あとはラブラブバカップルを見せつけりゃ、多少蘭の火も点くと思ったんだろ、あの悪魔はそのくれぇやりかねねぇからな。

 

「アタシには……アタシのペースがあるって、いつも言ってるのに」

「でも、結婚するんだろ?」

「……そう、だけど」

「それなのに未だに奥手じゃ、旦那にも飽きられるし、親父さんも孫が見れねぇって泣いちまうよ」

「うるさいな……一成のクセに」

 

 そりゃあ煩くもなるっつうの。いつも言ってるだろ? お前の幸せをオレはいつだって願ってるってさ。

 ソイツと一生を添い遂げるって決めたらお前は全力を出さなきゃいけねぇだろ? そうやって決めたからには最後までちゃんとしろってオレはまだ反発心ばっかのガキの頃から言ってるからな。

 

「一成はいい加減相手を見つけなよ」

「それこそ蘭のクセにうるせぇよ。なんかそろそろ独り身でもいいかと思ってんだから」

「ホントに独りになったら、さみしいクセに」

「……わかってるよ、それもな」

 

 そもそも、アイツらがフリーすぎんだよ。ヒナはカレシとやっと落ち着いてきたのに結良目当てついでにオレに会いにくるし、紗夜は片想い相手がいるっつうのに、未だにオレの相手もしてんだからな。特に紗夜はオレのとこ来る暇あるんだったら追いかけていけっていつも言ってんだけどな。

 

「千聖さんは?」

「……アイツはアイツで、まだまだめんどくせぇよ」

 

 千聖は千聖ですぐ電話してきてカレシの愚痴が多い上にマジで振り回したい時はオレに迫ってくるんだから困ったもんで。まだ付き合ってそう時間も経ってねぇんだから、許してやれっつうの。相手が嫉妬してるからってオレを利用すんなよ。

 先週末にも電話が掛かってきたとこで、開口一番に、聞いてほしいの、から続いてこんな感じだからな。

 

「あのヒトったら、結局一度も服を褒めてくれないのよ? 折角のデートだったのに、それだけならまだしも、挙句に寒そうってなによ! バカなの?」

「……あー、うるせぇ。今何時だと思ってんだ」

「愚痴を聞いてやるって言ったのはあなたでしょう」

「そうだけどな。そっちは、今……風呂ってことは、結局ヤってんじゃねぇか」

「それはそれ、コレはコレよ」

「バカはてめぇだ」

 

 千聖はヤった後に汗を流したいっつうクセと、独りで余韻に浸りたいっつうクセがあるからな。もう草木も眠るような夜中に無駄に反響する声とパチャパチャと水音をさせてるっつうことはまぁ、そういうことだ。

 んで、愚痴にため息が多い時は、決まって千聖はガキの頃に戻ろうとしてくる。

 

「……会いたいわ」

「はぁ? 来週の集まり来るんだろ?」

「そうじゃないって、わかっているクセにすぐ焦らすのね」

「そっちこそ、わかってて言ってんだろ」

「……まだ、これでよかったか、なんて自信が持てないのよ……構ってくれてもいいでしょう? ねぇ、先生?」

 

 一般的な卒業生は教師に対してそんな色っぽい声は出さないと思うんだが、オレが引き合わせたことは事実だからわかったよ、って言うしかねぇんだよな。流されやすいクズってのは、結局直ったりするもんじゃねぇんだろうな。まぁなんだかんだでヤることはなくなったけどさ。

 

「……もうお前のカレシにキレられんのはゴメンだからな」

「カレには怒るなら私にして、と言っているわ」

 

 それがつい最近の会話。それから結局構う暇もなく今に至ってるから、多分平気なんだろ。アイツも情緒不安定な千聖を制御するにはまだ時間が足りねぇんだけだからちっとは待ってやればいいのにさ。

 ──そんな事情を聞いた蘭は、どこか楽しそうに、けれどどこか寂しそうに、頷いた。

 

「みんな、それぞれ歩き出してるんだ……一成の思惑通りに、さ」

「そうだな」

 

 それを知ってるのはこころとモカくれぇのハズなんだけどな。相変わらずアイツは身内には口が軽い。

 オレは指導者の名の通りアイツらに道を示した。それは未来においてアイツらが、自分の力で、オレに頼らない幸せを手にしてほしかったっつうことで。

 かくしてその作戦は一応の成功をした。いやまだ振り切れてねぇヤツもいるけど。蘭とはもう二年くらい、デートすらしてねぇし、モカに至っては一年以上会ってねぇ。アイツが何してるのかなんて知らねぇし、向こうもオレが今どんな風に教師をしてるかなんて知ってるかどうかすらわからんな。

 

「モカ、無理してないかって心配してたよ」

「そっか。アイツが、()()ね」

「……えっと、それとそのまま無理を重ねて死ねばって」

「よかった、変わんねぇなあのクソ悪魔も」

 

 今日、バカみてぇに食って、飲んで、はしゃいで、それから先はもうオレと蘭の人生が交わることはねぇんだよな。それが寂しいかどうかというと、まぁ正直寂しいところはある。けど同時にほっとしてる。蘭やアイツらが成長して大人になったことを報告しにきてくれることがたまらなく嬉しい。クズ教師としては蘭の隣で一生を過ごせたら、モカとあのままの関係でいられたら、ヒナとずっと一緒に笑っていられたら、紗夜の甘さに溺れられたら、千聖をずっと構ってやれたら、と思うこともある。

 けどそれは(ドリーム)だ。生身で空を飛びてぇって思うくれぇに荒唐無稽な夢のハナシなんだよな。

 

「……ねぇ」

「なんだ」

「……いや、なんでもない。ちゃんと今幸せなのかなって」

「見りゃわかんだろ、そんくらいは」

「そだね、うん」

 

 そう笑ってくれる。それが安堵なのか別のものなのかは、オレにはもうわからなくなっちまった。もう蘭の横顔を見たとしても考えてることがわかって、キスして、なんてことはもうしなくなっちまったから。

 

「らーん! そろそろいかないと着替える時間、なくなっちゃうよ!」

「あ、ひまり! それじゃあ、また後で」

「おう」

 

 それから、また一人になった屋上で、オレはクロスワードの続きを開きながらタンブラーの小さな飲み口からコーヒーを啜った。保温性にすぐれたコイツは、あの会話に夢中になってた間もまだまだ暖かく待っててくれてた。それがなんとも言えずにオレは独りの空を仰いだ。

 

「……苦ぇな」

 

 コーヒーってのは苦いもんだ。そう勝手自分を納得させ、オレは屋上を後にした。きっと結良とヒナと紗夜で、オレの愚痴やら過去なんかを言い合って盛り上がってる頃だろ。結良もヒナも、すぐヒトのことをしゃべっちまうんだから、ホント困ったもんだよな。

 まぁ、特別な日だし今日くらい許してやるか。そう思いながらオレは天文部の部室に戻っていった。

 もう黄昏は段々と紺色に近づいていく。こうやって何度も何度も、オレは教師として、繰り返していく。生徒との轍をカラダに刻み、巣立っていくガキを見送りながら。時々、大人になったガキどものハナシを聴きながら。

 ──それが、黄昏ティーチャー(オレ)にとって、一番幸せな瞬間だ。なぁそうだろ? と問いかけても、誰も答えてくれるヤツは、いねぇけど。

 

 




こうしてクズ教師だった男は黄昏ティーチャーとして、正しい、間違っても生徒とカラダの関係を結んだり、屋上でタバコを吸うような不良教師ではなくまっとうな大人としての道を歩んでいくだろう。

というわけで、ここまで読了、ありがとうございました! この作品は本当に思い入れのある作品、自分の全力と愛を全て込めた作品になっているので初見の方は楽しめていただけたか不安ではありますがここまで読破したということは、まぁ文句はあるでしょうけどこの世界に浸かっていてくれたものだと判断しております。教師と生徒の不埒ものという攻めたとかいうレベルじゃないものではありますが、それもこうして正しいエンディングへと導けたことを幸福に思います。彼ら彼女らの未来がどうあるものかは気になるところではありますが、ここで筆をおかせていただきます。
それでは、またどこかでお会いしましょう!
――本醸醤油味の黒豆。













終わり? ――そんなことさせないわ。蛇足だろうとなんだろうと()()()()、あのヒトをハッピーにしてみせる。間違っていたって、あのヒトが()()でなければ意味がないでしょう?


幕間:太陽メモリーズ③ 14日 19:00投稿
()()()()()()()()15日 12:00投稿

物語は、アナザーエンディングへ。



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幕間:太陽メモリーズ③

※ここから先は、前までの話をすべて無駄にするクソの塊のような蛇足です。前回までギリギリで保っていた「バンドリ」の体裁を全てぶち壊して、この物語はバンドリの二次創作から、「清瀬一成」の物語へとすり替わっていくからです。

バンドリとして読んでいた方、本当にありがとうございました。ブラウザバック推奨しています。


 結局、青春なんて自分勝手で独り善がりで周囲に気を配るほどの余裕なんてないから、誰も一成の幸せに目を向けることはなかった。いいえ、先生にも責任があるしむしろ先生の責任の方がとっても重くて、そんな悲しい義務感みたいな言葉で表現しないなら、あたしの想像を遥かに越える意地っ張りだった、ってことね。

 

「あー、そうだよね~」

 

 一番真実に近かったのは、やっぱり日菜と蘭、そしてモカだった。あの二人が先生を先生として以上に、一人の男性として見ていた時期があったからかしら? でも、それも自分の青春と彼の意地っ張りに押し流されてしまうかたちで、違う人とお付き合いを始めてしまった。日菜はタバコの煙を吐き出しながら、まるであの頃の先生のように苦笑いをした。

 

「……まぁもう、あたしにはカンケーないし、キョーミもないから」

「嘘はよくないわよ、日菜」

「だって、それくらいじゃないとカズくんに未練が残っちゃうじゃん」

 

 未練、その言葉がしっくりハマる気がした。そしてまだ紗夜と千聖がギリギリ、縁が切れそうで切れてないというこの最悪の状況をひっくり返すには、その未練すら利用しないといけない。それは、みんなの傷口を開くような行為でもあった。けれどもう、この手しかない。そのためにあたしは頑張るしかない。

 

「え、そんなことできるのこころ?」

「やるだけよ! だってあたしは、世界を……ううん、一成を笑顔にしなきゃいけないもの」

 

 かくいうあたしも二度目の勝負には負けた。結局あたしの愛は届かずにこうして高校を卒業して、でも特定の誰かを選ぶこともできずにこうしてあのヒトのことばかりを考えている。これも、未練のうちでしょう? そう問うと美咲はそうだねと髪を揺らして頷いた。

 

「みんなの未練を集めて、集めて一成に伝えるの。あたしたちが本当に、本当に望んだことを、先生はちっとも理解してくれないんだもの!」

「なるほどね、じゃああたしたちにもできることは手伝うよ」

 

 あたしだってあのヒトには感謝してるから。そんな風に美咲は協力してくれることを約束

 して、早速と言った様子でハロハピのみんなに連絡していく。花音も、薫も、はぐみも、先生のためならとすぐに集まってくれた。

 

「伝えるって言っても直接口で、じゃあ伝わらないんだろうね」

「うん、たぶん……先生はそういうのじゃ動かないんじゃないかなぁ?」

「それじゃあもう見せるしかなくないかなっ?」

「なるほど、百聞は一見に如かず、というわけか。実際にその姿を見せることで気づくこともある……ああ、儚い」

「いやでもそれは、流石に無理じゃない?」

 

 なにが無理なのかしら? と美咲に問いかけるとなんて言ったらいいんだろうと悩みながらホワイトボードにペンを走らせていく。まとめてくれたことによるとあのヒトがその未練に気づいてくれる方法は、逃げてしまった選択こそが幸せになれたはずだというのを知ること。つまりはその未来を歩ませなければいけないということ。

 

「だから一旦過去に戻ってその幸せを見せなきゃいけない。それは……難しくない?」

「そうだよね、タイムマシンとかないと難しいかも」

 

 流石にタイムマシンは難しいわね。それにタイムマシンを使ったとしても先生がそれを選んでくれる保証はないわ。問題点はまだまだある。意固地になっている先生を解きほぐすには今の教師としての幸せが必要、ということもわかる。その上で、あたしが蛇足を付け加えることで完成するわ。

 

「それは問題ないでしょ。今も天文部は面白い子いるんじゃなかったっけ?」

「結良ね!」

 

 音羽結良。文化祭で予算をオーバーさせたプラネタリウムで大盛り上がりした時に来てくれて、それがきっかけで羽丘の天文部にやってきてくれた子。あたしや日菜の正統な意味での後輩ね。その子がいることで先生はちゃんと教師としての幸せを歩んでいけているみたい。

 

「先生が本当に前を向くためには、千聖たち、あの子たちの未練を集めてその未練を叶えるに相応しい舞台を用意する必要があるね。例えそれが一夜の幻であったとしても」

「舞台、幻……」

 

 みんなが頭を悩ませているところでぽつりと出てきた薫の言葉が、あたしの中で一つの映像として再生されていく。全員の未練をいっぺんに叶えることはできないけれど、例えば一人一人に舞台を設えてあげたら? 教師としてではなく一人の男としての幸せという未来を、いつも名前ばかりキラキラしている真っ暗な道を太陽(あたし)が照らせる未来を創りだしたら? 

 

「一人の未来に一つの世界を創り出すしかないわ」

「え、待ってそれある意味タイムマシンより難しくない?」

「でも、夢を操るようなものなら……できる?」

 

 可能かはどうかわからない。けれど夢は記憶の整理であるとともに違う世界を窓から覗いているようなものとも言うじゃない? それをあたしが調整してあげるの。一夜の幻、例え幻想だったとしても、あなたには幸せになれる未来がもっとあったはずよと答え合わせをしてあげられる。

 

「どうですか黒服さん」

「時間をいただければ、理論上は」

「……できるんだ」

 

 大丈夫よ! だってあたしは一成が蚊帳の外にしようとした、ご都合主義というものだから。あたしにできないことはない。少なくとも一成を無理やりにでも幸せにすることができたという証明なのだから。三度目の勝負は、必ず勝ってみせる。それでも引き分けではあるけれど、あたしとしては最後に勝った方が勝ちだと思うからあたしの勝ちね! 

 

「なになにそれ! 面白そうじゃん! あのわかった顔ばっかりするカズくんに一泡吹かせられるってこと?」

「ええそうよ! 協力してくれるかしら?」

「もっちろん! あはは、あたしの恨み(みれん)でいいなら全部こころちゃんに預けてあげる! あたしにヒドいことゆったの、後悔させてやるんだから!」

 

 そのことを伝えると日菜はとっても素敵な笑顔で協力してくれることになった。日菜は今のカレシとは浮気で、一成の気を引くための装置でしかなかったということを教えてくれた。けれど、彼はヒドいことに嫉妬するどころかほっとしたような顔をした。よかったなとまるで子ども扱いをしたのだと語ってくれた。

 

「ええ、もちろんいいわよ。私がどれだけあのヒトを恨んで……それ以上にあのヒトのことをまだ忘れられないか思い知らせるにはちょうどいいわ」

「やっぱり千聖もまだ、一成が好きなのね?」

「今のヒトではダメというわけではないわ。あのヒトも飾らなくて素敵なところがある。私にとっての光のようなカレも愛おしいけれど」

 

 愛おしいからこそ、そうやってマジメで素敵なヒトをあてがってきた一成のことが許せるわけではないと千聖は怒っているような泣いているような、どちらとも取れない笑顔で未練を語ってくれた。突如として紹介され、義理立てと彼に嫌われたくないという乙女の一心で始まった千聖、本当は心の底から幸せにしてくれると信じた先生からの裏切りに、怒りたかったのに。

 

「……そうですね。私があのヒトの負担になるだなんて、考えたくはないですが。それ以上に、私にも捨てられた女としてのプライドがあるものよ」

「そうね、幸せになりたくないだなんてわがまま、許せないわよね?」

「ええ、もちろん。幸せになってほしいというのなら、一成さんも幸せになっていただかないと……あんな寂しそうな彼を見るのは、あの一度で十分です」

 

 紗夜はつい最近に会ったと言っていた。最後の別れとして告白を終えたばかりで、悲しそうに目を伏せて、それ以上に彼の寂しそうな後ろ姿を見ていたからこその言葉だった。追われるよりも追う方が好きな紗夜にとって、追ってくる男に妥協しろというのは許せるものじゃないわね。

 

「──なんであんなヒトにきょーりょくしなきゃなんないの? こころん、あのヒトは地獄に堕ちるべきだよ」

「モカ……でも」

「とゆーかさ~、こころんもどーざいだけど? だってあたしの今のカレシしょーかいしたのこころんだし~?」

 

 ──三人は比較的すんなりと頷いてくれたけれど、問題はモカと蘭だった。二人は先生と同じくらい意地っ張りで、それ以上に一成への愛にあふれていた。だからこそ許せないんだと思う。特にモカはカレと付き合い始めて以来、一度も連絡も会いに行くこともなかったことを蘭から教えてもらった。

 

「モカ」

「蘭も嫌い」

「なんで」

「蘭たちの誰かならまだ納得できたのに。今あのヒトに近いのなんだっけ? おとわゆーらだっけ? だって一成のパターン的にくっつくのソイツでしょ?」

「ソイツって」

 

 そうねとあたしは素直に頷いておく。未練としての一舞台のヒロインとして幸せな夢は見られるけれど、それはあくまで夢でしかない。だからきっと、一成は結良を選んでしまうわ。あの子が一番、あの頃のあたしたちに近いのだから。

 

「アタシも、正直納得はできない。二度も裏切られて、結局手近にいた後輩に一成を幸せにしてもらうっていうのは」

「なんならもういっそ殺した方がマシだよ。もういいでしょ、みんないなくなったんだしとっとと辞めさせるか殺すかした方がいいよ」

「アタシはモカほど過激にはなれないけど、あのまま一成を肯定するのは無理」

 

 だったら、とあたしは一つの条件を出した。あたしは結良に託すことにした。日菜も千聖も、結良にならって言ってくれた。だから彼女のことを知ってほしい。その未練の世界にはあの子も連れていくから。許せないのなら夢の中で満足するまで殺せばいい。先生も結良も、なにもかもを壊してそれでモカの未練が解消されるならそれでいいと。

 

「……そこまで言うなら、モカは?」

「あたしは徹底的に幸せ邪魔してやるから」

「だって」

「わかったわ」

 

 順風満帆、とはいかなかったけれどこれで未練は揃ったんじゃないかしら? あとは結良に、と思っていたら丁度結良はリサとお話をしていた。あの二人は初対面だったみたいで日菜の後輩ということでリサが話し掛けたらしい。

 

「へぇ、おもしろそーなことしてるね~」

「わ、わたしが? その中に……いいのかな?」

「いーじゃんいーじゃん! 結良だってさ、センセーの生徒なわけじゃん?」

「そ、それなら……いい、ですか?」

「ええ!」

「ってかリサちーも、いいんじゃないそろそろ? 素直になっちゃえば?」

「え、アタシ!?」

 

 話が纏まりかけたところで、日菜の言葉にリサが素っ頓狂な声を上げた。リサにそんな未練があるだなんて把握していなかったけれど確かに先生の生徒、という意味ではリサもその一員よね。参加資格は十分あるけれど、日菜の言葉はどういう意味なのかしら? 

 

「リサちー、三年の間とか結構好きになってたでしょ?」

「え、えーっとそれは……」

「そうだったのね!」

「あ、あはは……あんまり自分でも自覚ないんだケドね」

 

 そういえばリサは卒業後に一成とお出かけもしていたのよね? わたしも一緒に何度か買い物とかしたよと結良の言葉もあって、みるみるうちにリサの顔が赤くなって肯定が小さく萎んでいく。そして一番小さな声で、けれどかろうじて聴こえる声で呟いた。

 

「……いつ気づいたの?」

「んー、カズくんから離れてちょっとしてから」

「も、もう二年以上前のことじゃん。そのころアタシも無自覚なんだケド」

「きっかけはなんだったのかしら?」

「特にはないけど……自覚がないきっかけは知ってるよ」

 

 リサとしては複数のヒトと身体の関係がある一成のことはそれなりに苦手だったらしい。浮気をされて、挙句それを指摘したところで別れを切り出されてしまったから。その恐怖がリサの心を縛りつけてしまった。気づかせることを遅らせてしまっていたのね。

 

「ま、まぁホラ! アタシとセンセーがもしそーゆーカンケーになってもさ、うまくいくとは限んないじゃん!」

「けど、うまくいったかもですよ!」

「……結良って、ときどーき無邪気だよね」

「時々!?」

 

 ヒナみたいでこころみたい、なんて笑われて困り交じりに照れが入っている結良の横顔をじっと見て、なるほどとあたしは彼女の奥底にあるものを見た。モカはエスパーみたいだとは感じていたけれど、一成を見る目は本当に確かなのだということはわかった。彼女は確かな意味での先生の()()()()なのね。あってほしくなかった次、次世代。あたしたちの誰かで終わるはずだった、先生の黄昏の被害者。

 

「記憶弄れるの!?」

「順番に未練を消化していくのよ。未練が無くなるとそこにいるだけになっちゃうから気をつけて」

「つまり?」

「ヒナが未練を消化したら、その後は記憶があるってこと?」

「そうよ!」

「えー邪魔し放題ってこと?」

「やめてちょうだい」

「日菜?」

「わかってるよー!」

 

 ここにはいないモカの分も蘭の分も、未練の充電は完了した。後はこれを一成に渡して夢を見てもらうだけ。あたしたちみんなの夢は繋がって一つの、いいえいくつもの世界を生み出してくれる。そしてあたしは、その結末を予想していたモカの言葉を紗夜や千聖にも教えた。

 

「……えっと? わたし、ですか?」

「そうなるのね……一成さんは」

「ふふ、いいじゃない。私たちは所詮負けヒロイン、でしょう?」

「ゆーらちゃん、カズくんのこと、よろしくね」

「その前にアタシたちがバッチリ幸せにしといてアゲルから!」

「もちろん、その結果が違っても恨みっこなしよ! いいわね?」

 

 それぞれが頷く。エキストラも巻き込ませてもらうわね。Afterglowやハロハピ、一成が関わってきた全ての生徒があなたの夢を、幸せな夢を見せてあげるわ。そして、思い出してほしいの。あなたは、幸せにならなくちゃいけない。あたしたちを送り出して独りになろうとするなら、あたしたちはとことんまで追い詰めるわ。

 ──あたしたちの青春全てを懸けた違った結末(アナザーエンディング)で、あなたを笑顔にするわね、先生! 

 

 

 

 




次回第八章は、彼女たちの未練を詰め込んだ、もしもの世界。
清瀬一成が、クズのまま幸せになる世界へと。


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第八章:もう一つの結末へ
プロローグ:夢幻トラップ


そのエンディング、異議あり!



 大盛り上がりだった。成人式の二次会のようなものは、まさかのその先輩方によって散々に荒らされるという盛り上がりを見せた。つか店員に謝りに行こうとしたけどこころの貸し切りを受けていたせいで壊さなきゃ大丈夫ですよーみてぇな雰囲気だったし壊してもたぶん黒服さんがなにごともなかったかのように修復するから平気よ、らしい。ホントに弦巻家ってヤツは。

 

「こんにちは、先生!」

「よう」

 

 そんな楽しい祭りから数日後、オレはこころに連絡をもらい()()で待ち受けていた。言われた通り結良には断っておいたけど、一対一って言うと最近お前とバチバチにやり合ってたことか温もり求められた過去しか思い出せねぇから身構えちまうんだけど。

 

「ほいコーヒー。苦いのは飲めるようになったか?」

「ええ、一成と同じものも飲めるわよ?」

「ん……随分大人っぽくなられて、オレは緊張しちまうよ」

 

 金髪キラキラの太陽サマなのには代わりねぇけど、かわいいっつうよりはとびきり美人になりやがったな。いや雰囲気はマジで変わることがねぇんだけど時折やってくる仕草や表情に気品が漂うんだよ。お前の成長は赤ん坊かってくれぇだな。

 

「赤ん坊といえば」

「どうせまたお前も香織んとこの、って言うんだろ」

「あら、のんちゃんとはもう会ったのかしらっ!」

「会ってねぇよヒナがめちゃくちゃしゃべるから知ってるだけだよ」

 

 どうやら香織、オレの大学の後輩ちゃんは幸せいっぱいの家庭の象徴をあろうことかメンヘラクソ悪魔に触らせているらしい。やめとけって思うんだよな。アイツめちゃくちゃやりそうだもん。どうやらこころも何度か関わったことがあるらしくかわいいし会う度にめまぐるしく成長しているのよ! と嬉しそうに語ってくれた。

 

「乳幼児の一日はヒトの一年って通説があるくれぇだからな」

「ふふ、そうね」

 

 つまりお前は半年前に比べて百八十年くらい成長してるわけだ。若さを保ったまま老いることなく生きるのもそれはそれで辛いらしいから悩みなら聴いてやれるよ。まぁ三十ちょいしか生きてねぇうえに精神年齢低めと定評のある若輩者でいいならだけどな。

 

「相談じゃないけれど」

「んじゃあ要件は?」

「──最後の勝負を持ち掛けに来たわ」

 

 最後の勝負、三年くれぇ前に一度目の勝負を無理やり引き分けにされて二度目はオレの完全勝利だったな。このまま勝ち逃げできるかと思ったけどやっぱ三回勝負か。最後はどういうルールでいくんだよ。二度目はオレに有利だったから三度目は譲ってやる。大人の余裕ってヤツだ。

 

「ずばり、これよ!」

「……VR機器か?」

「まぁそんなところね」

 

 でっかいヘッドギアみてぇな目まですっぽり覆い隠すごっつい機械が出てきてちょっと身構える。次はフルダイブ型ゲームで勝負でもすんのか? つか現代の技術でフルダイブってできなくありませんでした弦巻さん? いや弦巻家だし、そのくれぇならいけるか。

 

「これは、あたしがドリームキャッチャーと名付けてあたしが設計したの」

「……弦巻家はどこに行くつもりなんだ?」

 

 ドリームキャッチャーってアレだろ? あの家とかに飾る魔除けアイテム。悪夢は真ん中の網目に捕らえられて、いい夢だけが装飾の羽を伝って……ってやつ。なんかで作った記憶があるから覚えてるよ。そういう伝承をSFチックに叶えようってもんなのか? 

 

「そうね、具体的に説明すると、これには特定の思い出を捕まえる機能があって、それを装着したヒトに追体験をさせるものなの」

「んん……任意の夢を見せることのできる装置、って解釈でいいのか?」

「ええ!」

 

 ええ! ってまたえらいもん作りだしたな。それって一種の走馬灯だろ。実用化、一般販売したら倫理上の問題で訴えられかねねぇだろうが。

 誰だって幸せの記憶があって、それを後悔してたら、ヘタをすると一生帰ってこれなくなるっつう危険な代物になりかねない。安楽死のアイテムになるからな。

 

「だから使うのは先生よ」

「なるほど、オレのために創ったってことか」

 

 まさかガチで自分の有利舞台に引きずりこもうとしてくるとは思わんかったな。それだけ本気ってことは伝わってくるから余計にオレは断ることができなくなってるんだが。

 ──追体験、思い出、走馬灯、幸せな記憶。なるほどな、つまりお前はオレに()()()()()()()って言うんだろ? ゲームで言うところのロードからの別ルートを選べと。

 

「そうなるわね」

「んで?」

「一成はクズ教師のままでも幸せになれたはずよって、教えてあげたいの。笑顔にしてあげたいの」

「そういうことか」

 

 もう蚊帳の外にしたのも時効だ。アイツらはそれぞれ別の相手を選んで幸せの道を歩いてる。それがわかったからこそのこころの逆転の一手っつうわけだな。やっぱコイツだけは手出されねぇように除外しておいてホントよかった。三年前にこれが出されてたらどうなってたことか。

 

「そんでコイツの捕まえる思い出ってのは?」

「もうもらってきたわ。()()()から」

「本気だな」

「ええ、本気よ。あたしは世界を笑顔にするもの」

 

 したいじゃなくてするか。強くなったなマジで。同時にお前のその成長性が怖くて遠ざけたんだよ。弦巻こころはそれをするだけの力を持てる。どんな手段を用いても、どんな無茶無謀だろうと世界を笑顔にしてくる。曖昧な言葉じゃなくて具体的な手段で、雨が降らねぇなら雨を降らせる勢いで。

 

「ここには、みんなの未練が詰まっているわ」

「未練、か」

「ええ未練よ。わかっているでしょう?」

 

 わかってなんてねぇよ。どんだけでけぇ未練かなんてオレには想像もつかねぇ。ヒナが未だにオレを構おうとするのも、蘭がちょっと寂しそうに笑ってたのも、モカが結局食事会

 に来なかったのも、千聖がオレを求めたくなっちまうのも、紗夜がオレを追いかけようとしちまうことも。それがどのくれぇ重くて大事な未練なのか、クズ教師でなくなったオレには理解できねぇ。理解できねぇし、それを見てやれるほどの関係もねぇから。

 

「なら知りたくはないの?」

「それで教師ができなくなるってんなら知りたくねぇな」

「でも、これならその心配はなく、知ることができるわ。記憶の一部制限とかもできるの」

「……スゲーな」

 

 万が一の安全装置ってヤツか。夢としてもしもの世界を歩くときは現実を思い出さねぇように。んで帰ってきた時にはクズ教師にならなくていいようにか。スゲーよこころは。そう笑うと負けヒロインにすらなれなかったサブヒロインは、我慢が耐え兼ねたようにオレの隣にやってきて肩に頭を乗せてきた。

 

「お前も、未練ならあるんだろうな」

「幾らでもよ」

「オレは、まだ最後まであのバカどもを、お前を笑顔にはできてねぇんだろうな」

 

 そんな顔させておいてオレは生徒を送りました! じゃあ納得できるわけがねぇ、オレが納得できねぇ。だから、ならせめてお前らの未練をオレが受け止めて笑顔に変えてやりたい。未練が晴れてすっきりして、真っ暗闇な未来だろうがなんだろうが少しでもアイツらが幸せそうな笑顔でいてくれて、今度はその顔でオレに話しかけに来てくれるなら。

 

「なんか、もう負けてるな」

「必勝よ? 一成の笑顔のためなら手段は選んでなんてあげないわ」

「そりゃ頼もしいな」

 

 どんなに頑張ってももう結末は変わらねぇのかもしれねぇ。いや変わっちゃいけねぇもんだとすら思う。オレはクズには成り切れなかったし、だからといって何もかもを忘れることもできなかった。ああそうだ、中途半端なんだ。今のオレは中途半端で何かが足らない、()()()()()()()。リサが前に言った通り歯車が噛み合わねぇ感覚があったのはそのせいなんだ。

 

「あたしはずっと思ってたの。笑顔になれない原因にはかならず、こうだったらいいのに、もっとこうしておけばよかったのにっていう気持ちがあるということ」

「それが未練ってヤツだな」

「ええ、だからあたしはそれすらも笑顔にしたい。世界を笑顔にするために、それもなんとかしたいの」

 

 要するにオレでうまくいったら実用化も考えるつもりだと。結局オレは実験動物か。モルモットになる気はねぇからな。

 だけど被験者にならなきゃいけねぇ原因を作ったのも間違いなくオレだ。だから喜んでその装置を頭につけさせてもらうよ。

 

「ええ、一成は逃げたの。逃げ切ったわ……自分の幸せから」

「言ってくれるな」

「言うわよ、あたしは弦巻こころ。世界を笑顔にするハロハピの弦巻こころなのよ?」

 

 そうだな。ところでコレ、命の保障はあるよな? 何かで故障してオレの頭ごと吹き飛ばすとかそういうクレイジーな結末だけはやめてくれよ? そこは大丈夫よといつもの太陽のスマイルが担保らしい。信用してやるけどこれで今後の生活に影響出たらふんだくってやるからな。

 

「アフターケアというなら、愛を以て応えてあげてもいいわよ?」

「誠意でほしいな」

「愛も誠意の一つだわ」

「お前の体温でなんでも解決するならそれほど素敵な魔法はねぇな」

 

 ──そんなこんなで早速、オレはこころにもらったマニュアル通りにコンセントに繋いで自宅のベッドに転がりながら自動で起動されるのを待つ。どうやら細かいのはまだこころ側が遠隔でモニタリングしながら操作しなきゃならんらしく、22時に必ずと言い含められていた。そういや千聖は大丈夫だろうか、連絡は、と思ったけど一日くれぇ我慢してほしいところだ。今からお前の未練とやらをオレが昇華させてやるんだからな。

 

「なんだかんだで、楽しみなところはあるな」

 

 そりゃオレだって好きで美人をフってフってフりまくって独り身を選んだわけじゃねぇ。本気で愛してた、愛してたからこそオレはアイツらが教えてくれた、立たせてくれた恩に報いたかった。それがアイツらと卒業してもダラダラと背徳感に任せて爛れた生活を送ることじゃなかったってだけだ。

 

「ならオレは堪能させてもらうよ」

 

 クズ教師として誰か一人の将来を奪っていいってんなら。その明日があの金ピカ太陽に担保されてるってんなら、オレは選んでやる。幸せになって、骨の髄までその幸せをしゃぶりつくしてアイツらをベタベタに愛してやる。オレはどっちかっていうと独占欲も束縛も強いタチなんだ。ほしいもんには全力でみっともなくほしがっちまう弱い男なんだよ。アイツらにはそこまで見せられなかったってだけで。

 

「そうだったとしても、アイツらは笑ってくれんのかな。はは、案外幻滅されたりしてな」

 

 それがフツーだ。アイツらはフツーじゃあねぇけど、オレがもっともっとガキっぽくて一周差以上のクソガキどものことを本気で傍にいてほしいと感じたことを知ったらさすがに嫌われそうだな。それはそれで、まぁいいか。カッコつけるのも疲れるんだよな。そしたら休憩していいよって言ってくれたのは、ヒナだったか。

 ──思い出に浸りながらどういう未来(もしも)を描いていけるんだろうと期待に胸を膨らませていると搭載されている通信機が反応し、こころがそれじゃあ準備はいいかしら? と問いかける。

 

「おう」

 

 そこまではいい。こころはオペレーターとして話しかけてくれてるんだなって思うからな。だが、その言葉に()()()()()()()()()()もんだからオレは仰天しちまう。それは何人も何人もいて、中には声だけでわかるようなヤツもいた。

 

「おっけー!」

「うん、大丈夫」

「あ、もいっこパン食べてもいーい?」

「ええ、準備はできてるわ」

「はい、こちらも問題ありません」

「はいはーい、こっちも以上ナシ! オールグリーンだよ~☆」

「わたしも、おっけー、です!」

「は? え、待てこころ、どういうことだ」

 

 なんでだよと叫びたくなった。いや驚きの声はあげたな。なんで、アイツらの声が聴こえるんだよ。それだけじゃねぇ、オレが関わってきたガキどもがみんないやがる。まさか、待てこの装置は夢を操作するだけじゃなくて共有するもんなのか? 

 

「今更気づいても遅いわよ、まったくアッチは早いのに」

「早くねぇよ」

「うるさ~い、ねぇはやく~おなかへってきた~」

「モカ、イライラしないで」

「だって久々に聞いたら楽しそうでムカ~っとくらいするでしょ~」

「ええっと、改めて場違いな気がしてきちゃった……どうしよ」

「だいじょーぶだよゆーらちゃん!」

「ヒナもマイペースなんじゃないカナ~と思うんだケドね?」

「まったくよ」

 

 ──ハメられた、と思う間もなくオレの意識はその装置に吸い取られていくように瞼が閉じていく。こころめ、本当に本気でオレにアイツらとのクズ教師としての生活をやり直せってのか。荒療治すぎるだろ、モカとか間違いなくキレてたしな。それ以外にもエキストラとしてオレと関わってきたヤツらが集合して、違う世界を、もしもの世界の輪郭を創り出していく。それは、オレがホンモノのクズだった世界。幸せになりたかっただけのおっさんと化したもう一つの結末(アナザーエンディング)だ。

 

 

 




というわけでトゥルーエンドの隠しルートアナザーエンドを進めていきます。(RTA風)
設定はごちゃごちゃこの話で語ったけど要するにメイン五人ルート、サブヒロインルートを辿っていくだけのものになります。楽しんでってね。


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①向日葵ハッピーエンド

イフシリーズトップバッターはもちろんこのヒト。
氷川日菜!


 ねぇ起きてよ、起きてってばー。そんな、明るい声に朦朧としてた意識がはっきりと実像を結んでいく。

 ただ明るいだけじゃなくて底抜けに明るい声。オレをいつも立ち上がらせてくれた、宵闇に咲くおかしなひまわりの声。かつての生徒の声だった。

 

「もうお昼だよー。いい加減起きてよー」

「……悪い。おはよ、ヒナ」

「うんっ」

 

 顔を寄せてキスをねだってくるのは氷川日菜。オレが教師をしてる羽丘女子学園の元生徒会長、そして元天文部部長、現在は大学二年生で、性懲りもなく天体観測のサークルに所属している。おかしなヤツで、その頭のぶっ飛び具合は今もなお健在。神童はハタチになればただのヒトって言葉はまやかしだったのかと思うほど、マルチな才能を発揮してる。あ、そうだ。まだこの女はアイドルバンドもやってたな。

 

「どうしたの?」

「……いいや? 人気アイドルバンドのギタリストサマがこんなとこで家事に勤しんでるのが信じらんねぇな、と思って」

「愛ゆえに~、だよ!」

 

 はいはい。お前のその愛ゆえにってのは便利だな。なんでも愛ゆえに、愛があるから、アイドルやりながらこうやって一人の男に夢中になってんだもんな。

 お前も充分クズだよ、ヒナ。ファンに対する裏切りとか、そんな後ろめたさを、感じてすらねぇもんな。

 

「あ! ねぇ、このままイチャイチャってのもるんってくるかも知れないけどさ、お出かけしようよ!」

「行先は?」

「んー、カズくんに任せる!」

 

 出たな気分屋。そしてお前の困ったところはどこでも楽しそうな顔をしてくれるってところだ。好みがうるせぇ方が、限定されて楽なんだけどな。

 ただ、変装してくれるんだろうな? スキャンダルになって顔がネットに公開されて住所特定とか勘弁してくれよ? 

 

「じゃあ、こころんが作ってくれたこのおねーちゃんウィッグでも──」

「却下。そもそも双子の姉の真似してどうすんだよ」

「むぅ……おねーちゃんなら口調も真似できるのにー」

 

 それじゃオレが紗夜とデートしてる気分になんだろうが。それじゃあ、折角ヒナと出掛ける意味がねぇだろ。

 それに対してヒナはきょとんと眼を丸くした後、あはは、そっかそっかと明るく笑った。

 

「じゃあ、フツーに、帽子と眼鏡、でオッケー?」

「ノープロブレム」

「カタカナ英語だー、先生のクセに」

「いいだろ別に……着替える」

 

 はーい、と鼻歌交じりにヒナはリビングへと戻っていった。リビング、そうオレの住んでるとこはもうワンルームじゃなくなったんだよな。稼ぎのある、しかも下手するとオレより稼いでるヒナと()()()()()()()()時に、オレの通勤にも、ヒナの通学、通勤にも絶好の場所を弦巻家から格安でマンションを紹介してもらった。駅近、上階、角地、家具付きでコレかと目を見張る値段で、事故物件かどうかと質問したが、とうの仲介主は、幽霊さんが出たら教えてちょうだい! 一度お話してみたいもの! とのたまった。流石はこころだよな。

 

「まぁ今のところ問題ねぇどころかそもそも幽霊なんか裸足で逃げ出しそうなヤツが住んでるしなぁ」

 

 同棲生活は始まったばかりではあるが淀んだ雰囲気とかそんなのは一切なく、不自由のない生活を送ってる。ヒナがいるしきっと大丈夫だろう。寝巻を脱ぎ去り、着替えてリビングに向かうと、待ちきれないとばかりに笑顔を振りまくヒナがいた。

 

「カズくんとデートっ、ひっさしぶりのデートー♪」

「久しぶり……そうだな」

「でしょー? あたしも忙しかったし、カズくんも忙しかったもん」

 

 だから無理にでも起こしてきたんだな。お前はそういうところは、困ったどころじゃねぇ。ホント、なんつうか言葉にできないくれぇにヒナの笑顔に応えたくなる。きっとこれを、このどうしようもなく胸が詰まるような感覚を先人は端的に、時には小難しく詩的に言葉にしてきて、ヒトという種を残してきたんだな。

 

「……ヒナ」

「んー?」

「愛してる」

「……どうしたの、急に。いつもは、ぜーんぜん態度にも出さないのにさ」

「オレは溜めて溜めて、やっと言葉にするタイプなんだよ」

 

 火山で言うと鐘状って感じだな。お前みたいな盾状と一緒にされちゃ確かに全然噴火(ことばに)しねぇけど。オレはちゃんとヒナと一緒にいて幸せだし、ヒナの笑顔が見られることが愛おしい。

 

「バカ、カズくんのバカ……クズ」

「いつものことだろ」

「……行こ」

「おう」

 

 珍しく照れた様子のヒナを追いかけるように、外へと出掛ける。なんつうか今日は冷えるな。二月なんだから当然っちゃ当然なんだがな。

 白い息を吐いたところで、同じことを感じたらしいヒナは、もぞもぞとオレの横までやってきて、ジャンバーのポケットに手を入れた。

 

「……あったかくない」

「当たり前だろ」

「こうゆうのって、あったかーいってなるのが王道じゃないの?」

 

 家出たばっかりであったまってるわけねぇしそもそもお前に王道って言葉が似合うと思うなよこの邪道女。つかさっきの照れはどこ行った。今は頬を膨らませてるんってしなーい、帰ろっかなーとか言いだした。おい、まだエレベーターにも着いてねぇだろうが。

 

「ほい」

「……ん?」

「貼らないカイロ。まだあったまってねぇけど」

「ふんだ。いらないもん」

「わがままだな」

 

 いつからか、オレとヒナはこうやってしょっちゅう喧嘩をするようになった。他愛もねぇ、リサに言わせれば犬も喰わぬとかなんとか。喧嘩するほど仲がいいってヤツを、オレは信じてるタイプじゃなかったんだが、きっと、こんな風に相手のことを一切考えずに言葉で殴り合っても、態度だけで殴り合っても、関係が揺らぐことのねぇくらいお互いを想い合ってるっつうのが、その諺の本当の意味なのかもしれねぇな。

 だったらオレはヒナと小さな喧嘩をいつもしていこうと思う。そうやってお互いを曝け出して、それでも切れない縁だから、オレとヒナは同じ屋根の下にいるんだから。

 

「カズくんにあっためてほしいのに、ぎゅーとか……えっちでも」

「家出たばっかでそりゃねぇだろ」

「じゃあ戻る?」

「やなこった」

「えー、えっちしたい気分になった!」

「大声で言うなよそんなこと……」

 

 それに積極的にコイツの言うことを真に受けてたらバカになりそうだしな。このご時世にご近所付き合いがなくなったとか言われてるけどよ。ご近所さんに噂されるよりもネットに書かれたりするご時世だからある意味近所の井戸端会議よりハナシがでかくなるからやめろよ。

 これで世紀の天才なんだから驚きだよな。るんってきた、とか言う理由で色彩検定とか、世界遺産検定とか、よくわかんねぇ資格とかを一年で取りまくって、一切日常に使ってねぇような異常者だからな。ワケわかんねぇし、とあるビジネス英会話向けの英語検定もオレより点数高いしな。コイツは一体、将来何になりてぇんだか。

 

「……将来?」

「そう。なんか色々履歴書に書けるもんも増えたろ? このままアイドルやるのか、とか、院に行くとか、どうすんだよ」

「んー、あんまり決めてないからなー」

「ってことは、決めてることはあんのか」

「うん。とりあえず、彩ちゃんたちと一緒にアイドルは続けるつもりだよ。あんなに、ドキドキしてワクワクして、毎日が楽しいこと、今までになかったもん。それって、すっごく大事なコトでしょ?」

 

 そうだな。なんでもできるお前に一番必要なのは、その熱意っつうか興味っつうか、そういう前に進む原動力だな。ヒナならパスパレが解散になってその後も色んな事ができるからな。その辺は心配してねぇけど、そこにオレがいられるのかっつうのは、ガラにでもなく、不安になるんだよ。

 清瀬一成は、氷川日菜を失望させてるんじゃねぇか、なんてな。

 

「……あと、は。もういっこだけ決めてることがあるよ?」

「なんだよ」

「ナイショ」

「は? ここまで引っ張っといてか?」

「うん。さーどこまで行く? あたし的にはこのまま羽沢珈琲店でもいっかなーって思うけど」

「んじゃあ……そうするか」

「はーい」

 

 結局、いつもと同じ時間の潰し方。チラリと様子を伺うもヒナに文句の色はなくて、それが逆に心配になる。コイツは嫌だったら嫌って言うタイプだが、それ以上に気分の変化が激しいってことが、勝手に壁を感じさせる。ケンカすんならケンカした方がすっきりするからな。

 

「あ、いらっしゃいませ! いつものでいいですか?」

「うん。ありがと、つぐちゃん。カズくんもそれでいい?」

「おう。あと、チーズケーキも。ヒナは?」

「うーん……あたしもおんなじので」

「はい! こちらこそいつもありがとうございますっ!」

 

 顔馴染みの店員との短い会話、すっかり常連になった証だな。落ち着いた雰囲気の店内には、利用し始めよりもヒトが多く、またギターやベースといったバンドを思わせる楽器を持った女性が客層に多くなったな。

 これも看板娘の効果なのかもしれねぇと思うと、これはこれで聖地、って感じだよな。

 

「あれ、日菜さんに、先輩じゃないですか。こんにちは、デートですか?」

「よう香織」

「えへへ~、そうなんだー」

 

 その中でふわふわとした雰囲気を醸し出している香織の近くに座った。つかお前既婚者だよな、いっつも休日ココでコーヒー飲んでる気がするんだけど、旦那さんとはうまくやってんのかよ。

 

「らぶらぶですよ? 休日は()()()()()とお留守番してくれてますから。家事と育児で忙しいなら休んでいいんだよ、って」

「そりゃ……マジでできた旦那さんだな」

 

 のんちゃんってのは二年前に生まれた香織の娘、希美(のぞみ)のこと。つか荻原くん、旦那さんは相変わらず非の打ち所がないイケメンだな。ヒナはどうやらその子とも面識があるようで、二人であれがかわいい、それがかわいいと語り合っている。ヒナが子ども好きってのはなんつうか意外なんだよな。コイツは確かにガキと同レベルになれるっつう稀有な才能も持ってるだろうけど、同レベルになれたんじゃ仲良くはなれねぇってのが、オレの定説だったんだがな。

 

「カズくんはのんちゃんと仲良くはムリだよー。多分、自分の子どもにはデレデレするタイプだけど」

「そういえば、同棲してるなら日菜さんは先輩とそういう予定、ないんですか?」

「……んー、回数はそれなりだと思うんだけど、カズくんがナマはまだダメって」

「まだ、ならきっと大丈夫ですね」

「頼むからこんな場所でそんな会話をするのはやめてくれ」

 

 まだダメって、まぁ確かにそういう意味で言ったんだけどそうじゃねぇんだよ。イチイチ後輩に指摘されたくて放った言葉じゃねぇっつうのに。

 つか他人にそういう事情を知られるってのは、恥ずかしいことだと思ったんだけどな。そりゃオレだけだったか。

 

「のんちゃんも、おねーちゃんは? ってよく聞かれますから、またいつでも遊びに来てくださいね?」

「うん!」

 

 訊けば月一で香織の家や一緒に水族館などに行っているらしい。こころも交えて天体観測も一緒に行った仲らしく、ヒナはおねーたん、と舌足らずながらも知り合い認定されてるらしい。なんだそれ、オレも行ったらおにーたんになれるのか。

 

「……カズくんは、おじちゃんが精一杯でしょ」

「確かに……おにーちゃんは無理がありますよ、先輩」

「うるせぇ言ってみただけだろ。いいんだよ、オレはちゃんと娘にパパって呼んでもらうんだから」

「はいはい、そーだね」

 

 そんな会話だけで、大して時間も潰してねぇってのにヒナは香織と一緒に立ち上がって会計を済ませてしまった。そしてオレの手を取って満面の笑みで、行きたいとこできたよとまだ夕暮れにも早い道をさっきとは逆方向へと歩いていく。

 

「どこだよ、行きたいとこって」

「帰る」

「は? 帰るって、ウチにか?」

「うん」

 

 え、なんで。マジでオレ、なんかヒナを怒らせるようなことしたか? けど帰りてぇと引っ張るその顔は不機嫌どころかむしろめちゃくちゃご機嫌で、全く行動が理解できずにただ、オレはヒナに連れられるように歩くだけ。

 ちょっとは説明してくれ、ヒナ。オレはお前と以心伝心なんてできないことはこの二年でたっぷり思い知ったんだからさ。

 ──お前とこんな風になったのはホントに突然だった。きっかけはアレだ、高三の春に別の男と関係を持ってたことだった。紗夜すら知らずにびっくりして声を張り上げたのはまだ記憶に残ってる。それからヒナが前よりもわからなくなって、生徒会で忙しいヒナとしゃべることはしたくねぇと思ったこともあった。もっとカレシなら大切にしろよって言おうと思ったこともあった。けど、そうじゃねぇと思った。たったそん時だけは、ヒナのことがわかったんだけどな。

 

「あれ? 妬いちゃった? あたしにカレシができたの知って、カズくんはどう思ったの?」

 

 どうもこうもねぇとオレは怒った。素直にお前が他の男のところに行くのが嫌だと思ったんだ。正直、それでよかったなとか言って突き放してやろうと思った。つか冷静に考えなかったらそっちの方が断然オレの選択としてあり得る話だ。オレは案外ガキっぽくて独占欲が強いんだ。

 

「妬いちゃったならしょーがないなぁ」

「なんだ、オレのために別れてくれるのか?」

「あたしは別に本気じゃ、って……え?」

「なんだよ」

「わ、別れて……ほしい? いつもなら、カレシじゃねぇってゆうじゃん」

「そうだな」

「……カレシになってくれるの?」

「そうだな」

 

 

 オレはヒナを選んだ。嫉妬しちまってそれを隠すためにぶっきらぼうな返事にはなっちまったものの、そん時は素直になれた。それからは早かった。結局オレに決めてほしかったらしいアイツらは、すぐに納得したように他の幸せを一緒に探していった。生徒会長が教師と恋仲となって、けどその恋仲ってのがなんかすげぇすっきりしてて、逆に思い切りよくヒナと一緒にいられた。

 んで、ここまできて順調すぎて、けどホントにヒナはこれでよかったんだろうか。

 

「……嬉しかった」

「なにが?」

「カズくんが、娘にパパって呼ばれる予定……って言ってくれたこと。それって、あたしとの子ども、だよね」

「……それでお前、まさか」

「うん。えっち、したくなっちゃった……あはは」

 

 あはは、じゃねぇよ。だから上機嫌で、なのに急に帰りてぇなんて言い出したのかよ。まさか、お前も不安だったのか? 今までのことやこれからのこと、オレがホントに望んだことだったのかとか、自分とはいつか終わる関係なのかとかも。

 バカだな。やっぱりお前はバカヒナだ。オレは既に覚悟を決めてお前と一緒にいるんだからな。例え、それが黄昏ティーチャー(オレ)にとって最良じゃなくても、清瀬一成(オレ)にとってベストな道だって信じてきたからこそ、オレはヒナをちゃんと恋人として抱けるんだ。逃げるんじゃなくて、覚悟を決めてアイツらを泣かせてもヒナを、ヒナだけはオレの傍で幸せにしたかったから。

 

「あたし……アイドル続ける以外にもういっこだけ、決めてることあるって、言ったじゃん?」

「言ってたな」

 

 それから家に帰って、ヒナの要望を叶えてすっかり暗くなった寝室の天井を見上げながら、ヒナはポツリと呟いた。

 決めてること、それは……ああ、それはなんか、オレにもちゃんと伝わった。ヒナのことまた少し、わかってやることができた気がしたよ。

 

「……一緒にいたい」

「そ、っか」

「スキャンダルとか、色々怖いかもしれないけど、あたしは、カズくんと、色んな空を観て、えっちしたり、デートしたり、喧嘩したりさ。そうやって毎日を過ごして……いつか、いつか……」

「ヒナ」

 

 いつか、の先は、どっちが口にする言葉なのか。覚悟を決めるって意味なら、やっぱりオレからだよな。

 けど、悪いなヒナ。バシっとカッコよくは言えなさそうだ。カッコつけてねぇと結婚しようって言葉も言えねぇヘタレなオレを許さなくてもいいけど、でも、そのいつかを思い描いてるのはオレも同じだってことだけは忘れんなよ。なんてな、そんなこと言わなくてもバカヒナに忘れるなんてことは心配するだけ無駄だよな。

 

「なぁヒナ、今度……指のサイズ、測っていいか?」

「……え?」

「いや、アレって、サプライズの方がカッコいいんだろうけどさ。失敗したくねぇしさ、一人でコソコソ買いに行くよりやっぱヒナが……なんだ、るんってくるようなものがいいからな」

「──っ、うん……うんっ!」

 

 カッコつかねぇけどちゃんと伝わった。ちゃんと伝えられた。

 この先、何があるかなんてわからねぇけど、オレはヒナを信じてる。なにせコイツは、オレを教師として立ち上がらせてくれた大事な生徒だったヤツなんだから。ちゃんと青春を好き放題に生きてきたせいか最近は随分おとなしくなったしな。時々高校時代を振り返ることも増えてきたことだし、そろそろ、また別の落ち着きを与えるってのもいい判断なのかもな。

 なにせ子どもを持つ母親がふらふら青春してるってのも、なんか違うだろ? まぁヒナなら言葉にしなくてもちゃんと、わかってくれるだろうけどな。

 

「ねね! カッコつけてもいいからさ、ちゃんとゆって!」

「仕方ねぇな……お前の明日を、これからを、オレに奪わせてほしい。ただ一人、ヒナの未来を」

「……はい! これからずーっと、よろしくね! あたしだけのカズくん!」

 

 ──向日葵は満開に咲き誇った。たまらなく幸せなその一瞬を胸に。このもしもを知ったヒナはなんて言うんだろうな。

 いや、アイツはなんも言わねぇ。なんも言わねぇけどただ無言でオレの隣でタバコを吸ってくる。そういう女だ。

 




このサブテーマにはカップルがケンカをしたらというものが含まれています。クズは今まで相手をガキとしか認識していなかったがために感情でぶつかり合うことをしてこなかったからなんだけど。ここでは存分に彼の感情を引っ張りだす場所となっております。
次回からしばらく前後編が続きますのでよろしく~



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②鷺草ハッピーエンド・前編

クズをハメようイフストーリー企画、第二弾は――


 女優・白鷺千聖は傑物である。鉄壁の笑顔を常に崩さず、舞台でも、アイドルバンドのベーシストとしても、彼女の才能は光輝いている。子役として活躍してきた彼女は、常に文武両道ということを、まるで息をするようにこなしてきている。

 中高一貫である花咲川女子学園を卒業後、現在は現役女子大生としての顔を持ちながら、先に述べた芸能活動を行っている。まさに才媛、天才、傑物、という言葉が我々の頭に思い浮かぶだろう。

 

「……なにかしらこれ」

「なにって、なんだろうな」

 

 ──事務所から送られてきたそんな賛辞が並べられる記事に千聖は顔を顰めた。まだ寝巻き姿で髪も整わない、恐らくこの賛辞を書き連ねたヤツは一生目にすることが叶わないだろう白鷺千聖のオフ。お揃いのマグカップにミルクティーを淹れたソイツにオレはパンを齧りながら、きっとネットでこんな記事、気持ち悪いだとかなんとか叩かれるってのになと苦笑いをする。

 

「つか今日、仕事は?」

「今日はオフよ。だからまだこんな格好してるじゃない」

「そうだな……千聖の分のパンは」

「自分で焼けるわ」

「……サラダは冷蔵庫にあるから、あと卵は、自分で焼けるな?」

「ええ、ありがとう」

 

 あ、この鉄壁の笑顔はきっと、自信はないけれど大丈夫よ、ありがとうという意味だな。自信ねぇならなんとかしてやりてぇって言っても、オレはこれ以上コイツを構ってるわけにはいかねぇ。オレは千聖とは違って今日はオフ、オンってのが平日と休日できっちり分けられてるからな。

 昔は自分でなんでもできるヤツだと思っていたけど案外できねぇことが多いのがアイツの特徴だった。料理なんてほとんどしたことがねぇってのもその一つだな。きっとガキの頃から芸能活動でそんなことにイチイチ気を回してる余裕なんてなかったんだろうなってのは聴かなくてもわかることだった。

 

「んじゃあ、行ってくるな」

「……ええ」

 

 あと、実は……これは前から感じていたが、極度の甘えたがりだ。プライベートではどうしようもなく弱い女になる。けど自分を守るための殻がでかくなり過ぎた結果、それをうまく口には出せねぇのがコイツの弱点だ。

 だからオレができることはコイツをやりすぎなくれぇに甘やかすってことだ。芸能活動をのびのびとできるようにオレが、コイツの基盤になってやることだ。

 

「放課後、部室に遊びに来いよ。結良が会いたがってた」

「……いいの?」

「おいおい、そこはそうじゃねぇだろ」

「そうね。ありがとう、一成」

「ん、それでよし。お前はもうオレの生徒じゃねぇんだからさ」

「ええ……」

 

 出掛け際に軽くキスをして、とろんと夢の中のような微笑みを見せる千聖との間に扉を挟む。ホントなら扉の外まで出迎えてほしいところだが、相手はあの千聖だ。おいそれと人目に付くわけにはいかねぇからな。

 事務所からは半公認、みてぇな状態とは言え半分だけ。スキャンダルかなんかで週刊誌にすっぱ抜かれれば、オレと千聖の関係はそこまでだ。それはアイツの幸せにはならねぇからな。

 

「──まぁ、既に、反対を押し切って、同棲なんかしちまってるワケだしな」

 

 そこがまず問題なんだが、コレは千聖が押し切ったんだよな。オレは流されただけってのはいつものこと。行動力はすげぇんだよな。出逢ったばっかの頃にスマホをたたき割ったことといい、コイツは自分が決めたことに対して物凄いチカラを発揮するからな。

 けど果たしてオレに、千聖がそこまでエネルギーを使う必要があったのか。そうふと頭に過ることがある。そうじゃなくて、例えば芸能の裏方とかで活躍してるアイツとか、そういう、ホントに素直で素朴なのに頑張って誰かに手を延ばしてしまえるような、そんな主人公みたいなヤツの方がアイツは幸せになれるんじゃねぇのかと考えることがある。

 

「それ、贅沢な悩みってやつじゃない?」

「……そうか?」

「だってそうじゃん? 先生はさ、先生のことを好きでいてくれるちーちゃん先輩のことが好きでたまらないから、逆に不安になるんでしょ?」

 

 思わず愚痴が出ると結良は嘆息してくる。なんだコイツ。つかなんで部室で化粧直ししてんのお前。そういう目で見ていると、結良はストレートの茶髪を揺らし、決まってるよ、と立ち上がった。

 

「ちーちゃん先輩来るんだから、オシャレしとかないと!」

「当のちーちゃんは前に化粧が濃いから勿体ねぇって言ってたけどな」

「……え? それホント?」

「マジだ。つかオレも普段通りでいいと思うんだよな」

「ん……なら、そうする」

 

 なんだよ随分素直じゃねぇか。そんなに千聖の評価重視か、それとも……いや、これは考えねぇでおくか。この気付かねぇほうが幸せな部分に触れてきたからこそ千聖を始めとしたアイツらの関係は混迷を極めたんだしな。

 

「こんにちは、結良ちゃん」

「ちーちゃん先輩!」

「ふふ、相変わらず元気そうね」

「うん! 元気です!」

 

 そんなこんなで結良が化粧を落としていつもの顔に戻って数分、千聖が天文部へとやってきた。けど、なんか違和感だ。

 つか違和感、なんて生易しい表現じゃねぇ、変だ。なんで、そんな()()()()()を浮かべてるんだよ。あの後なんかあったのか? そう問いかけても千聖ははぐらかし、なかったことにしようとする。

 

「なにもないわよ。どうしたの?」

「先生、いきなりすぎるよ」

「いいや変だろ。結良もそう思うだろ? 千聖がよそよそしいだろ」

「えー……そう、かなぁ……?」

「ほら、結良ちゃんもこう言ってるじゃない」

 

 しまった。結良じゃまだ千聖の変化には気づけねぇか。ここで結良が千聖の言葉に味方したら、このハナシは有耶無耶にされちまう。つかそうするために結良を頷かせようとしてやがるな、この魔王は。

 ──けど、ねぇ結良ちゃん。私、どこも変じゃないわよね? と再確認する千聖に、結良は予想だにしてねぇリアクションをとった。首を、横に振りやがった。

 

「わかんないけど……けど、先生が、誰よりもちーちゃん先輩を大事にしてる先生が、きっぱりと変ってゆうなら……わたしも、変なんじゃないかなって、思う」

「……結良」

 

 ここで結良が言ってくれたのはでかい。千聖も戸惑って、誤魔化そうとしたけどできなくてため息を一つ吐いた。その後に見せた表情は、オレの知ってる千聖の顔だ。

 やっぱりなんかあったんじゃねぇか。なんで黙ってようとするんだよ。

 

「女誑しなのは変わらないわね」

「女子校じゃなきゃ、多分男にもモテモテだと思うんだけどな」

「そういう意味じゃないわよ、バカ」

 

 バカってなんだよ、せめてハナシをはぐらかさないでって言えよ。んで、それよりも何があったのかちゃんと話せ。結良はできたヤツだからな。ここで聴いたことを外に漏らすようなヤツじゃねぇから。つってもそれは、お前がオレに気軽に会いに来れる時点でわかってるだろうけどな。

 

「事務所から、一成と別れてほしい、って電話があったわ」

「……またそのハナシか」

「え、ええっと、また、なの?」

 

 おう、千聖と別れろってハナシは一度目じゃねぇ。むしろ定期イベントみてぇなもんだ。一般人、しかもお相手は高校時代に教師として出逢った人物、そんなヤツと同棲してるってんだから、バレた時に世間体が悪いってハナシだ。身勝手で到底納得できる理由じゃねぇって千聖も頑なに拒否し続けてる。でも、なんだって急に。

 

「先日、日菜と彩ちゃん……パスパレの周囲に、どうやら怪しい動きがあったらしいわ。日菜ちゃんが気付いて捕まえたらしいけれど」

「……さすがヒナ」

 

 そういう時は相変わらずホントぶっ飛んでるな。けどその捕まえた相手の素性が、週刊誌の記者だったらしい。そりゃ、確かに事務所も警戒するし、幾らか強引な策ではある気もするが。大人の事情的には煙が立つ前に火元を消しておこうとするだろうな。

 

「ええ、特にその記者はイヴちゃんを含めて全員のスキャンダル写真を持っていたのだから、余計に」

「……手遅れ、だったんだ」

 

 若宮の実際はなにやらファンにいつのもバイト前でばったり出会ってっつうなんだかかわいらしいでっち上げらしいが、それ以外は完全に事実。その中でも特に同棲してるオレと千聖はまずいモンが撮れてるってワケだな。

 別に事務所の規約として恋愛禁止としてるワケじゃねぇけど、アイドルはファンのための偶像、ってのが暗黙の了解で、そんなアイドルが特定の誰かに愛を向けているというのは批判の対象になる。特に今話題で、汚い言い方をすれば稼ぎ頭のアイドルバンドは、できれば地雷源を減らしていきてぇよな。

 そんな大人の事情を察知していると、千聖の顔が険しくなって、周囲の温度が下がった感覚がした。

 

「……ねぇ、一成? どうしてあなたは、そう、納得した顔をしているの?」

「いや、納得はしてねぇよ」

「でも理解はしたのね?」

「そりゃあな……」

 

 笑顔だとか、自分のそのものだとか、そんなカタチにならねぇもんを売ってはいるが結局は利益ありきだろ。そういうのを度外視したバンドならオレや千聖の知り合いに、笑顔そのものを目的とした慈善事業かなにかかと思うのがあんだろ。それとは違うってのも、千聖は理解できてるんじゃねぇのかよ。

 けど、千聖はオレの態度が気に入らなかったようで、下がった温度をいきなり上げてきた。

 

「──ふざけないで!」

「な、ふざけてねぇよ。頭ごなしに否定するのはどっちの特にもならねぇだろ」

「そうやって……っ、そうやって、大人ぶって理解を示すところ! あなたのそういうところが嫌いなのよ! なにもわかってないクセに……」

 

 急激な怒りの感情にアテられて、オレも激情が腹から昇ってくる。さらに最後の一言が、オレに火を点けた。何もわかってねぇって言われるのはムカっとくる。

 そうなると、自分でもこの暴れる感情を制御できぬままに、声を荒げちまう。熱された頭じゃ、上手く考えもまとまらねぇまま。

 

「わかってねぇってなんだよ。なにが、どこでわかってねぇっつうんだよ」

「そ、そういうところよ……一成のその上から目線が、気に入らないのよ。苛立つのよ!」

「はぁ? ガキっぽく泣き喚くお前の目線がどこにあんのか教えてほしいくれぇなんだがな? せめて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……っ、すぐそれよ……私だって……わたし、だって……っ、わたしだって、()()()()()()()()()()()()()。バカ……もういい、今日は、もう、帰るわ」

「おい千聖!」

 

 思いっきり扉を開けて走り去る千聖を追いかけようとするが、まって、と結良に後ろから腰を抱き締められる形になってそれ以上進めねぇまま、千聖の後ろ姿を見送るハメになった。

 ──なんだよ、黙ってたと思ったらなんで邪魔すんだよ。そう苛立ちのまま口調を荒げると結良はビクっと怯え交じりではあるが静かにオレに反論を投げてくる。

 

「先生はっ、今ちーちゃん先輩追いかけてあの怒りをなんとかできる言葉、あるの?」

「……ねぇ、けど」

「ねぇのに追いかけるのは、先輩に言われた通りバカだと思うよ。もうちょい冷静になろ、ね? カズくん先生?」

「そのややこしい呼び方はやめろっつったろ」

 

 けど、結良の言う通りだとため息でクールダウンしていく。オレの根本はクズで、そんなクズで流されやすいオレがこれ以上感情的になってちゃ、千聖とは永遠に平行線だ。

 ここは、アイツの言った通りアイツの立場になってやらねぇとダメなんだ。オレは何を怒らせたのか、何がまずかったのか。コレはオレ一人じゃ解決しねぇんだけど、今日は心強い生徒(みかた)がいるから、頼らせてもらうとするか。

 

「なぁ、結良」

「はいはい」

「結良は、千聖の()()ってのはなんだと思う?」

 

 いつもの教える側と教わる側、じゃなくて二人で頭を突き合わせる相談の形式。結良は少しだけ嬉しそうにそうだねぇと虚空に視線を浮かべた。そもそも朝からちょっと様子はおかしかった気がする。だから千聖を天文部誘ったんだけどな。そう考えると今日のハナシから始まったことじゃねぇのか。

 

「ちーちゃん先輩がもういいってなった原因は、きっと蘭ちゃん先輩と、紗夜ちゃん先輩の名前を出したことだよね」

「そう……だな」

「二人とも先生と何かトクベツな関係があったんだよね? ちーちゃん先輩が名前だけで、ああなっちゃうってことは、それなりに」

「……そうだな」

 

 鋭い。結良には黙ってたんだけど、察知されてたのかよ。オレはかつてクズ教師として千聖を始め、複数の生徒と爛れた、カラダの関係を結んでいた。でもそれだけじゃなくてアイツらを愛して、愛された過去があるからこそ今もこうして教師をしていられる。とは言えオレはまだしもオレがアイツらとの関係があったっつうのは、結良がアイツらを見る目まで変えちまいかねねぇからな、その辺は黙ってた。いや別に結良を信用してねぇとかじゃなくてただ、それを他人に言いふらすのは良くねぇことだと思ったってことだ。

 

「そっか」

「悪いな、変なこと言って」

「ううん、じゃあさ。最近ちーちゃん先輩と、シてます?」

「……なんだよ急に」

「いいから」

 

 なんだってお前にそんなこと訊かれなきゃいけねぇんだよ、とは思ったけどそれが今回の解決に役立つってんなら、オレも生徒に対してそんなことを応えるっつう恥は、捨てるとする。

 最近、最近ってか直近だろ? 最後にヤったのいつだったっけか。あ、やべ、思い出せねぇくれぇ前だ。その後にもあっただろうけどクリスマス前くれぇだな。

 

「そんなに、なの? 倦怠期?」

「休みが合わなかったんだよ、特に芸能人は年末年始ってのが忙しい職だしな」

「でもそれで、その間に一度紗夜ちゃん先輩と会ってるよね?」

「会ってるな」

「……関係ないと思う?」

「思わねぇ」

 

 あの時は結良には声を掛けていかなかったのに良くご存じで。つか流石にもう前のような関係はねぇけど、紗夜が報告に来てくれたから屋上で話して、そのまま送ってったことを、お前は知ってるんだったな。

 何もなかったとは言わねぇ。最後ですからと別れ際にキスをされたしな。んで更に、紗夜は微笑みながら、今のカレを追いかけているのも充実しています。けれど、やっぱりあなたを好きでいたあの頃が一番、充実してたわとまで言われて揺らいだのも事実だ。それを、千聖は見抜いてたのかもな。

 

「カズくんは流されやすいクズだから気をつけて見ててあげないとってこれはヒナちゃん先輩から」

「それに反論する言葉は持ってねぇな」

「そもそもさ、先生は、なんでちーちゃん先輩を選んだの?」

 

 千聖を選んだ理由、それはあの三角関係に苦しむ千聖だけはオレ以外に拠り所がねぇと思ったからだ。ヒナや蘭、モカ、紗夜も根っこはめちゃくちゃ強いヤツだ。オレに依存しなくてもちゃんと自分の幸せを掴めるヤツらだったから。だけど千聖は元カレの、今は丸山のカレシでもあるマネージャーと丸山との関係に挟まれてボロボロになってた。

 だけどそれをなんとかしねぇと、と考えてる時に知り合いの弟に舞台裏で活躍してる、めちゃくちゃ性格がイケメンでカッコいいクセに裏表のねぇっつう、当時カノジョと別れたばっかの優良物件と飲む機会があった。

 

「これは運命と捉えるべきか、否か」

「なんの話ですか?」

「いや、コッチに優良、かはどうかは各自の判別に従うとして、顔と一部の中身だけはめちゃくちゃにいい女がちょうど傷心なんだよ」

「えっと? それをボクに紹介ってことですか?」

「いや、お前は近いうちにソイツに会うから……そうだな」

 

 丁度顔を合わせるってハナシだったから任せる、いや押し付けようとした。けどなにかが引っかかったんだ。そうじゃねぇだろって、声が聞こえた気がした。だから、傷心の男に傷心の女を引き合わせて恋をさせるのとは違う選択をした。

 

「ソイツの()()()()()()()()()()? 不審がるようだったらオレの名前を出してもいい。お前も傷心のとこ悪いけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。頼まれてくれねぇか?」

「ええもちろんです。清瀬さんには元カノ(あのこ)も紹介してくれた恩がありますから」

 

 ストンと腑に落ちた。オレは、()()()()()なんとかしてやりてぇ。アイツの肩に乗ってる重荷はオレの荷物でもあるって思った。傍にいて、愛して、たった一人として選んでやりてぇって考えることができたんだ。

 

「ねぇ、それって……一回でもちーちゃん先輩に伝えた?」

「そりゃ……言葉にはしてねぇな」

「ダメだよ。言葉にしなくても伝わる、なんて……そんなの、言葉にして伝えあったから、できることなんだよ?」

 

 結良の言う通りだ。オレは告白して付き合って同棲して、ってそれだけのことで以来どんどん落ち着きを取り戻していく千聖に、安心しきってたのかもしれねぇ。

 信頼していた相手が突如いなくなるっつう痛みを、オレも千聖も経験してるっつうのに、そんなことを忘れてオレは千聖を蔑ろにしてたんだ。

 アイツはどこかで怯えてるんだ。オレが紗夜や蘭を選んで、どっかに行っちまうんじゃねぇかって。オレがアイツらに感じた恐怖そのものでもあるあの気持ちを。それが今回最悪のタイミングが重なって表に出てきただけだ。

 

「確かにこれはわかってねぇな。なにもわかってねぇクセに、オレは千聖の気持ちじゃなくて、事務所の都合に理解を示しちまった」

「うん。それはちーちゃん先輩にとって、裏切りだよ。まるで、じゃあ別れようか、って言われると思っちゃうよ」

「──ヒドイ男だな、オレって」

「すごくヒドイ。流石クズ教師、だね」

 

 謎は解けたってとこだな。これなら千聖を追いかけれるけどまだ問題として、あのオヒメサマ(まおう)はどこにいったのか。帰るっつってたけど、オレがいる以上、家はねぇんだよな。すると実家の方か。それとも別のどっかで途方に暮れてるのか。

 

「きっと、ちーちゃん先輩は思い出に浸ってると思うよ。ほら、どっか思い出の場所とかないの?」

「思い出の場所……か」

 

 すると幾つか思い浮かぶな。その中でも、千聖が優しさを求めてるってんなら、場所はきっと、あそこだろ。()()()()()()()()()()()()()()

 頼りになる生徒に、サンキュ、とひとまずの感謝の言葉を述べて、オレは千聖を迎えに行くことにした。

 

 

 ……後編に続く。

 




というわけで後編に続きます。文の量がおかしい。


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③鷺草ハッピーエンド・後編

 私は惨めな女だわ。いくらどんな舞台で演技をこなしても、アイドルバンドのベーシストとして活躍しても、私には当然のことができないのだから。甘ったれているクセに素直に甘えたり、わがままを言ったりすることもできずに怒りを滲ませて、結果としてあのヒトの元から逃げ出した。こんなのただの八つ当たり。大切なヒトを傷つけて、行くアテもなく思い出に浸るために空を見上げるなんてそんな弱い女、きっとあのヒトだってお断りだって言うに決まっているわ。

 

「はぁ……一成は、こうやって空を見上げて、どんなことを感じていたのかしら」

 

 初めて会った頃の、私が高校生二年生の頃の一成に少しだけ年齢が近づけた。近づけたのにココに来ても何もあのヒトのことはわからない。そう、あのヒトのことがわからない。

 当然だわ、他人のことなんてどう頑張っても全て理解できるわけなんてない。それなのに私は、何もわからないクセになんて怒鳴って突き放した。何も言ってないのだから、わからない方が普通なのに、私はなんて浅ましい言葉を彼に突き刺したのかしら。そんな自己嫌悪が後から後から湧いてくる。

 

「ダメね。結局私は……蘭ちゃんや、日菜ちゃんのようには、なれない」

 

 日菜ちゃんのカレシ騒動の時の彼の顔を、私は間近で見た。ああ、やっぱり私たちではあなたには相応しくなかった、そう諦めてしまえるようなそんな絶望を私は知っていた。それから一年後の舞台で練習の際に、裏方のヒトが彼に頼まれて個人的に様子を伺っていたことを説明された時は覚悟を決めた方がいいと思い、彼の向かい側に座った。その前に花音に相談したせいで、あの子は私のために彼を問い詰めてくれた。

 

「私は、そういうつもりで、先生に約束してもらったんじゃ……ないんです」

「どういうことだよ」

「確かに聞いた感じだと千聖ちゃんはあのヒトと相性がいい、って言ったら変かもしれないですけど、カップルになったら素敵だなって思います。だけど」

「ん? 待て松原、お前なんか勘違いしてねぇか?」

「……ふぇ?」

 

 だけど彼は、彼は私が怯えていた言葉とはまったく違ったものをくれた。花音の影に隠れていた私を呼びだして、まっすぐ、恋人として一緒に過ごしてくれないかと言われた時にはもう、飛び上がるくらい嬉しかった。嬉しすぎて思わず泣きじゃくってしまうくらいにはあの時、全てから祝福されている気分になった。

 

「オレ相手じゃあもう、フツーの恋はできねぇだろうけど」

「そうね。あなたはいつだって浮気者で、クズで、私を泣かせるヒドいヒトよ」

「だろ? でもまぁ信じてくれると助かる。こうなったら泣かせた分の倍は幸せにしてやるからな」

「言ったわね? あなたは、いつだって私の()()になってくれるのね?」

「ああ、成ってやるよ、お前の一番に」

 

 でもそれがもしかしたら、同情から来る言葉ではないかと思い始めてしまった。彩ちゃんとマネージャーが立ち直って、二人で幸せになっていく姿にどこか虚無感を覚えながら生活をしていて、あの頃の一成は優しく、不安定な私を包み込んでくれるような安心感があった。だからその延長なのではと疑問を常に抱えながら今日まできた。

 けど一成の覚悟は本物で、私以外に関係のあった、全員を断ってでも私の傍にいてくれた。彼を、一成を信じようと思えるには充分な行動だったけれど、その幸せの次に来た気持ちは、私なんかよりももっとリスクの少ない、他の子との未来もあったのはずなのにという不安だった。事務所からそういう圧力がある度に、私の心は摩耗していった。

 

「……最近は、顔を合わせることすら、少なくなって……もう、ダメなのかしら」

 

 トドメになったのは最近、紗夜ちゃんに会ったということ。天文部にやってきて近況を報告してそれから彼の車で帰ったというのは、結良ちゃんから聞いたハナシだ。

 なにもないワケがない。一成の表情からもそれはわかったし、紗夜ちゃんはまだ一成の想いを完全には振り切れていないことを知っていたから。だからそうやって二人で過ごしたという事実が私をより一層、不安にさせた。

 ──白鷺千聖では、清瀬一成を幸せにしてあげられないのではないか。もっと相応しいヒトがいるのではないのか。それなら、それならいっそ。

 

「別れた方が……いいのかしら」

「滅多なこと言うんじゃねぇよ、バカ野郎」

 

 そんな悲しい結論に至った瞬間、後ろの扉から沈んでいく夕陽を浴びているのは、追いかけてきたはずなのに、もうその表情には少しの怒りもない、私の恋人の姿。

 彼は苦い顔で私の隣までやってきて、いいか? と珍しくタバコを取り出した。断る理由もない私は頷く。

 ライターの火がタバコの先端を焦がし、紫煙を黄昏に吐く姿は、私が初めて見たのと同じ場所、同じ顔だった。一成は、一成さんは何かを整理したように一泊置いてから私を見つめた。とても優しい顔で見つめてきた。

 

「まさか屋上にいたとはな。案外近くにいるもんだ」

「……出てったクセに、とでも言いたいのかしら?」

「いいや。ココにいてくれてよかった。感謝してぇくれぇだ」

「……そう」

 

 ああ、なんだか随分久しぶりに見た気がする()()の顔をしている貴方を相手にして、まるで私も昔に戻ったよう。やっぱり私は大人なんかになれていないわね。私はまだまだ、あなたの生徒のまま。

 だから少しだけあの頃の、子どもに戻ったつもりで私は言葉を続けた。

 

「怒って……いないのね」

「怒ってねぇ。そりゃ千聖の方が悪かったら、怒ってるかもしれねぇけど」

 

 優しいヒト。いっそ肩を掴んでなにやってんだ、なんて叱ってくれてもいいのに。そうよね、あなたはクズ教師だものね。生徒にはとことんまで甘くて、けれど厳しいところが、一成さんのスタイルなのだから。

 

「……悪かった、千聖。全然、お前のことをわかってやれないクズで……」

「私こそ……一成さんは正しいことを言っていたわ」

「そうだな、きっとオレの方が正しかった。()()()()()オレは千聖に誠心誠意、謝んねぇといけねぇんだ。ホントに悪かったな」

 

 やっぱりあなたは、私には勿体のないヒトだわ。正しいことをしたというのに、その正しさを否定しないまま、間違っている私に頭を下げられるようなヒト。私を大切にしてくれていることを、その態度だけで表せてしまえる彼に、私の嫌な部分が、素直になることを拒絶してくる。だから、本心とは逆の言葉が屋上の空気を震わせた。

 

「……同情のつもりかしら? 正しいクセに謝って、それでカッコつけてるつもりなの? 嫌味にも程があるわ。正義感に酔ってるいるのならば、今すぐ私の前から消えてちょうだい」

 

 我ながらカッコ悪い言葉。いつもは守るために使う殻が私に寄り添ってくれる彼を攻撃した瞬間だった。本当に、あなたには紗夜ちゃんや、他のみんなのようにかわいげもあって、それでいて貴方をこんな風に困らせないヒトの方が、そう思って怒りの言葉を受け入れようとしたけれど、怒りは、降ってはこなかった。

 ──タバコが地面に落ちて、その赤を黒く染めていく。夕焼けの中で、私の影は一成さんの中に埋もれてタバコと彼の匂いが私を包んでいった。腰と背中には彼の手があって、そこから雨が降ってくる。

 

「……え?」

「バカ野郎。お前相手にカッコつけてどうすんだよ。ただ、フツーに戻ってきて欲しいだけだっつうの。このままお前のいない家に帰るのが、このままお前がどっか行っちまうのが、嫌で嫌でしょうがねぇだけなんだよ」

「……かず、なり? なんで、なんであなたが、泣いてるの……?」

 

 抱きしめられて、顔の見えない彼の声は上から涙と一緒に降ってくる。一緒にいてほしい? 貴方が、私に? どうして?

 そんな疑問が浮かんでは消える。それはたった一つの、シンプルな答えだから。

 ──清瀬一成は真剣に、本気で白鷺千聖を愛してくれている。その事実が私を包んでいた。

 

「ヒナがどっか行っちまった時にさ……オレの幸せは、教師生活の中にしかねぇと、信じてた。本気でそう思ってたんだ……お前の傍にいくまでは」

「私で……よかったの?」

()()()()()()()()()()()。でも、今のオレは、めちゃくちゃ幸せだ。お前と同じトコで暮らして、同じもんを食って、同じベッドで寝れるっつうことが、最高に幸せなんだよ」

 

 それは、そんなの、私も同じよ。貴方の用意してくれた朝食を食べて出かけることがこんなに幸せだなんて思わなかった。遅く帰って来た時に、お疲れ、と声をかけてくれたことが、こんなに幸せだなんて思わなかった。

 一人で眠った朝、目の前に貴方の寝顔があることがこんなに、こんなに幸せだなんて、私は思ってもなかった。

 

「私は、日菜ちゃんや紗夜ちゃんのように、素直でかわいくはなれないわ」

「それでいい」

「蘭ちゃんやモカちゃんのように、貴方に寄り添ってあげられないわ」

「それでいい……オレが愛してるってハッキリ口にできるのは、白鷺千聖だけだ」

 

 そんな問いかけの繰り返しに、逆に一成に、お前はオレでよかったのか、なんて訊かれる。私は……訊かれるまでもないわ。

 一成は、一成のままでいい。私がこうして(そのまま)でいられるのは、清瀬一成だけなのだから。

 

「……なんつうか、似たもん同士、だな。オレたち」

「ふふ……そうね。意地っ張りで、変に大人ぶって、だから喧嘩してしまうのかも」

「でも、その後笑えるんだ。なら似てんのも、嫌じゃねぇよ」

「ええ、そうね」

 

 これからも、私と一成は衝突する。似たもの同士の私たちにとって、お互いはまるで鏡のようだから。

 けれど、私たちは同じではない。同じではないから、私たちはこうして仲直りができるのだから。

 それは……これから長い間、続いていくこと。私たちは、これからも、ずっと。

 

「明日、土曜よね? ……オフにしてしまおうかしら」

「おいおい、天下の人気アイドルがか?」

「活動自粛、と言ってほしいわね。なにせスキャンダルを起こした天下の人気アイドルだもの」

「言うじゃねぇか。久々に出かけるか?」

「ええ、少し、羽を伸ばしたいわ」

「りょーかい」

 

 これからもずっと……でしょう? 出逢いはほんのちょっとした偶然でも、私と貴方が心を繋ぐのは、必然だと、信じているわ。

 幸せにするわ。貴方のこと。ずっとずっと……いつまでも。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 んでこっからは蛇足だ。まぁ解決したようで問題はなに一切解決してねぇんだけど、取り敢えず、オレと千聖が破局することは免れた。その後は待ってくれてた結良と三人でメシを食って、送って、その帰り道だ。

 その車の中で千聖のマネージャー、つっても前のマネージャーは彩の専属になって、トラブルを避けるために同性の新マネージャーなんだが、千聖は端的に二つの決定事項をソイツに突きつけた。

 

「別れません、なんと言われようと私たちそのものの関係が悪化しない限り、別れません」

「白鷺さん!? そ、それで許されると思ってるんですか!? 冷静に考えてください! 白鷺さんはまだまだこれからで、そのこれからのためにリスクは──」

「──リスク? そんな()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ああ、それと明日の予定は全てキャンセルで。スキャンダルを起こすようなアイドルは活動を自粛するのが常でしょう? 丁度パスパレで集まる仕事もありませんし、偶には恋人と水入らずのデートをしたいもので」

「自粛ならせめて隠してもらえますか!? 自粛とか言っといて! だいたい氷川さんも丸や──」

 

 えげつねぇ。途中で切りやがったし。せめて言い分を聞いてやろうとかそういう優しさも最早捨て去ったらしい。それどころか千聖は、オレと喧嘩をした時とは別の怒りを滲ませる始末だった。

 ──あと、あとさ、どうでもいいけど、最後のセリフ、ぜってぇ問題は千聖だけじゃねぇよな。

 

「小娘だと思って下に見るからよ。いっそ移籍でもしてしまおうかしら」

「パスパレはどうすんだよ」

「パスパレがあるからまだいるようなものだわ。こんな無能事務所」

「おいおい……」

 

 子役からの恩とか義理とか、そういうのは……ねぇんだろうな。そもそもコイツはその恩を仇で返されっぱなしだしな。今では大切にしてるとは言え、パスパレも当初は事務所の都合で勝手に加入させられただけだしな。そのデビューライブでやらかしたアテフリ、いわゆるヤラセのおかげで千聖の評価は一時期地に落ちた、っつうハナシだし、そこから今の輝かしい来歴に戻すのは、千聖自身相当な挑戦をさせられたんだろうな。そして、根に持ってる、と。

 

「女の怒りは根深いものよ」

「そうだな」

 

 女心は秋空に例えられるほど移ろいやすいけど、それは恋とかそういう感情だったり、怒から楽、哀から喜といった感情のシフトが早いだけ。その時に怒ったことは、かなり根深く、ちょっとしたことで再来するらしい。面倒くせぇ。

 

「それで、どこへ連れてってくれるの?」

「そうだな、マリンアンドウォーク、なんてどうだ?」

「あら、ショッピングに付き合ってくれるなんて、珍しいわね」

「いいだろ。電車が苦手なお前が、一人、もしくは親友と二人で行けるなんて思わねぇしな」

「一言余計よ?」

 

 千聖に凄まれながら、漸く、といった気分で家に帰ってきた。真っ暗な部屋の明かりを点けると、まるで部屋そのものがおかえり、と歓迎してくれてるようで、少しだけオレの心にもリビングと同じ僅かにオレンジの明かりが灯る。まぁ、暖房もついてねぇから寒いんだけど。暖色系の明かりには不似合いの寒さだな。

 

「……暖房付けても、暖かくなるのには時間がかかりそうね」

「だな」

 

 チラチラこっち見ながらそんなこと言うなよ。フツーに口に出せばいいんだけどな。まぁ、それがすぐできたら千聖じゃねぇか。大きなブランケットを出してきて、リビングのソファに座りながら、左側にスペースを作った。

 

「うふふ……おじゃまします♪」

「どうぞ。全く、素直になれねぇのな」

「無理よ。そうやってもうハタチを過ぎてしまったのだから」

 

 そう言って笑う顔は、なんつうか高校生の頃から変わんねぇんだよな。ぐっと大人っぽくなったけど、結局お前が一番幼い気がするよ。無邪気に笑いながら嬉しそうに身体を寄せてきたら、そうも思いたくなる。

 けど、そんな甘い空間が長持ちしねぇのが、白鷺千聖ってヤツだ。

 

「……ねぇ、早く」

「情緒ねぇな、相変わらず」

「昔からずっと、言っているでしょう?」

 

 焦らされるのは苦手だったな。はいはい、お前はいつだって、オレに一途になったって、どっかでそのビッチ魔王っぽさは抜けてねぇんだよな。つか最近のコイツ、よく我慢できてたな。オレの方が帰りは早くて、しかも寝ちまってることが多かったから、オレは我慢するとかしねぇとかじゃねぇけど。

 

「……訊かないで。恥ずかしいじゃない……」

「まぁ予想はついてたけどな。つまり、ずっと焦らされてたっつうことか」

「……バカ、クズ、早く触って」

 

 これまた随分とアダルティな雰囲気を出した罵倒だな。

 なんだよ、そんな誘ってきやがって、デートは昼からってことでいいんだな? 

 そういうと千聖はもう一度だけ、もう、クズね、なんて微笑んできた。ああそうだよ、クズだよ、悪いかよ。

 オレだって久々でテンション上がってんだから、長くなってもそりゃ当たり前ってもんだろうが。

 

「あ、その前にシャワーを……きゃ」

「……どうせ後で風呂入るだろ、お前は」

「けど……」

「焦らすなって言ったのは千聖だろ?」

「……っ」

 

 こうなるといつも思うことがある。まだ教師と生徒だった頃は、一応オレは自分のこのどうしようもねぇ性欲を、制御できてたんだな、と。もちろん誘われたら応えてたけど、流されてヤっちまってたけど、そうじゃなくて……どっかで、相手はガキだからっつう抑制はきちんとできてたらしいことを、千聖と付き合ってから知った。

 なにせ当時、遊びで、ある程度の行為に慣れてたはずの千聖が、激しい、と文句を言うくれぇだからな。溶けるような愛おしさは、マジに理性を、溶かし尽くしちまうらしい。だから、今回もまた、千聖はこの後、お風呂で寝てしまったらどうするのよバカ、と言いながら風呂に向かおうとすることになるんだけどな。

 

「んじゃあ、一緒に入るか?」

「……そんなことしたら、また始まるじゃない」

「今のは誘ったつもりだった」

「知ってるわよ、クズ先生?」

「おい」

 

 誰もが思いつきそうで誰も呼ばなかったんだからな、その呼び方。そうやって煽ってきた千聖とオレが寝たのは、結局それから更に数時間経ち、空が段々と白み始めてきた頃だった。

 最初に言ったけど、まだなんにも解決してねぇ。スキャンダルのこととか、事務所がどう出るとか、問題は山積みだ。けど、まぁきっとなんとかなんだろ、っつう楽観的な思考がオレの頭にも、千聖の頭にもあった。

 もう、この問題に対して一人で抱え込むことはねぇからな。一人じゃ無理でも、二人なら、オレと千聖っつう暴論カップルが組めば無敵なんだからな。

 それにどうやらオレたちの味方はまだまだいるようだ。それを、昼前に起きたオレたちは知ることになる。

 

「イヴちゃんなら正に下剋上、とでも言いそうな展開ね♪」

「そうだな。まぁ事務所の態度が軟化すりゃ、オレはそれでいいよ」

「そうね、私もそれで文句ないわ。けど、そういう甘さを見せたら漬け込まれるから……徹底的にやっちゃいましょう」

 

 やっぱ、パスパレ……特に千聖とヒナだけは敵に回しちゃいけねぇ存在だと思うな。オレは密かに、これから引っ掻き回され、各所に頭を下げるハメになるだろう事務所の大人たちに同情の念を送りつつ、もう我慢する必要もねぇなとばかりに千聖の手を握った。

 

「行きましょう、あなたは私の一番なのでしょう?」

「ああ、んでお前はオレの一番だよ」

 

 ──鷺草はその花を綻ばせてくれる。たまらなく幸せなその一瞬を胸に。このもしもを知った千聖はなんて言うだろうか。

 アイツは確実に文句を言って、また泣くんだろうな。アイツの成りたかったもんは女優でも、アイドルでも、誰かに愛される幸せな女でもねぇ。オレの一番なんだから。

 

 




つまりはこうなるところを生徒に見せられないからクズはクズなんだよな。大人とか子どもとかなくて、大人な事情に理解を示して愛したいと言えないところ。

この話は昔の女の後悔を使ってクズの問題点をつまびらかにするという目的を含んでいるので、さすが弦巻、オレにたちに――(割愛)

次回も前後編ですのでお楽しみに。


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④青薔薇ハッピーエンド・前編

三人目は――おねーちゃんだ!!!!


 ──私は、私はもう、ギターだけが人生ではないわ。それを誰よりもあなたが否定することは、私や、私とあなたのために身を引いていったみんなに失礼だとは思いませんか? 

 頬を張られ、少し泣きそうな顔でそう言われたのは、まだ雨の多い梅雨の時期だった。それからもうそろそろ秋風が吹きこんできた。残暑ももう終わって、オレは多忙な二学期を教師として過ごそうとしていた。

 アイツはいなくなって広い家にオレは独り、何がいけなかったのかもわからずに。多忙な時期を過ごしてしまっていた。

 

「いや、おねーちゃんツアー中なだけじゃん」

「うるせぇな。ちっとはかつて好きあった男の愚痴ぐれぇまともに聞けよ」

「そんなカッコ悪いヒト好きになった覚えないもーん」

 

 都会の喧騒から離れた小さな居酒屋でオレは、今はいない同居人と同じ髪色で、同じ顔立ちをした女と飲んでいた。ふわりと匂うかつての青春の香り、そして思い出の香りに、オレも一本と禁煙してたハズなのに、その女から受け取りライターを借りて火を点けた。

 

「いやいや、カズくんが完全に、パーフェクトに悪いんだからしょーがなくない?」

「……オレが悪モンかよ」

「あはは、あったりまえじゃん♪」

 

 そういうお前もカレシと喧嘩中だって結良から聞いたけどな。んで今は院の連中、しかも男女交じりで取材旅行中なんだろ? 仕事で行けねぇお前を置いて。

 なら境遇は一緒じゃねぇか。そう言うとソイツ……ヒナは心底嫌そうな顔で一緒にしないでよ、バカと言われた。ほら見ろ、引きずってイライラしてんのも、一緒だ。

 

「あーもう、アイツのハナシやめよ、お酒まずくなるし」

「めちゃくちゃキレてんじゃねぇか」

「だって絶対アレ浮気だよ、浮気! もうしないってゆったクセに!」

「お前はいいのかお前は」

 

 高三の付き合いたての頃、何回浮気したよ。まぁ相手はオレなんだけど、両手じゃ数えきれねぇからな? まぁ、カレシもそれでいいっつって付き合ってるって話だからそっちは棚上げできるのか、でも浮気一回でその怒りは理不尽じゃねぇの? 

 

「なんで? なんであたしがいいならいいって発想になるの? ダメに決まってるじゃんだってあたしのカレシなのに他の子とえっちして挙句朝帰りだよ?」

「あーはいはい、まだ未遂だろうがこのメンヘラクソ悪魔」

 

 お前のヤンデレは酒がまずくなるっつうの。そんなこんなで生中と、ヒナはジントニックを注文し、つまみを何品か追加した。おい、ちゃんと払う気あんだろうな、お前。仮にも天下の人気アイドルサマが薄給の私学教師からたかろうとか考えてねぇよな? 

 

「え、奢ってくんないの?」

「バカヒナ」

「えー、いいじゃん。ほら、えっちもつけるからさ」

「ハタチになってまで援交かおい」

「パパ活、ってゆーんだよ、最近は」

 

 意味が変わってねぇならどっちでも一緒で、デキ婚じゃ体裁悪いから授かり婚に名前が変わったのとそう大した差がねぇなソレ。

 つかアイドルだろ、しれっとカラダ売るな。そしてカラダ売ってきても、流されはするだろうけど金のやり取りはナシだからな。その辺は流されねぇからな。

 

「えっちはするんだ、やっぱカズくんはクズだねー」

「なんだよ、ヒナはそのつもりじゃなかったのか」

「……酔ってるとよりクズっぽいよね、ホント」

 

 大学ん時はそうでもなかったけど、我慢してることが多いせいかアルコールが入ると自分の感情にストレートになるんだよな。その代わり大学の時とは変わって記憶がトばなくなったのはいいことか悪いことか。まぁ性欲が肥大化して駄々洩れになるっつう普段に輪をかけてクズと化すだけで、笑い上戸とか泣き上戸にはならねぇんだよな。

 つか、今寂しいんだよ。お前もそれを知っててオレんとこに来たんだろうが。

 

「んー、そうかな。カズくんを慰めて、ついでに慰めてもらおうと思って」

「じゃあ満足したらオレんち行くか?」

「ホテルがいいなー、おねーちゃんが寝てる場所でしょ、ソコ?」

 

 もう何ヶ月も帰ってきてねぇから、アイツの匂いなんて消えたよ。けどまぁ、ホテルがいいってならそれでいいけど。

 当然、泊まりだよな。つかそれ以外だったら強制的にオレんちに引きずってやる。

 

「もっちろん♪ えへへ~、アイツに写真送ってやろーっと」

「……ひでぇカノジョだな」

「そっちこそ、ヒドイカレシだよね」

 

 こうして酒のチカラで完全にクズと化したオレとヒナは二時間程飲み食いをして、駅の近くにあるラブホへと移動した。なんだかんだで、紗夜と付き合ってから始めての浮気ってヤツだ。つまり、あんだけ回数重ねてたヒナとヤんのも、ほぼ一年半かそこら振りってことで……久しぶりに抱く極上のカラダに、その熱に夢中になりながらも、それが逆にオレが今、氷川紗夜と恋人同士だっつう感慨が湧いてきた。

 ──その感慨のせいか、その夜見た夢は過去の映像の焼き直しだった。オレが紗夜と付き合うまでの、ほんの一瞬の夢。

 高校を卒業して、大学へと進学した紗夜は、その美貌とギターで多くの男を虜にした。リサ曰く毎日のようにアプローチをかけられてたらしい。しかし、この花には棘があったようで、紗夜は興味がありませんの一択で全て断っていた。

 

「一成さん以外のヒトにアプローチをかけられても、何も感じません」

「そりゃ光栄だな」

「むしろ、どれだけ一成さんが素敵なヒトだったかを思い知るばかりです」

 

 そんな風に寂しそうに笑う紗夜に、オレは苦笑いをするしかなかった。どうやらオレは思った以上に自己評価が低かったらしい。よくよく考えたら、クズの本性が曝け出されたのだって、()()()()()()()()()()()()()()だしな。誰でも女を囲いこむことができる世の中だったら、別の感想が抱けたかもしれねぇけど。

 そうして時が更に過ぎて、紗夜が大学二年生になったばっかりの頃、既にカレシのいたヒナやそれ以外のヤツらと違って紗夜には中々、コイツだってヤツが現れなかった。千聖はあんまり乗り気じゃなかったものの段々とカレシの方へと身体が傾いていく中で、紗夜には男の影がなかった。

 

「なんか、紗夜が最後になっちまったな」

「そうですね……」

「まぁお前にだっていつかは現れるさ。お前の求める理想に届くヤツがさ」

「……はい」

 

 紗夜は、男に言い寄られる度にオレのところへやってきた。まるで、オレとの思い出が風化してしまわねぇように、更新するように。そしてその度に送ってやって、キスだけをして帰っていく日々が続いた。まるで、オレを誘う時はいつもキスだったのを、忘れたくねぇとでも言うように。

 ──あなたが、私の出逢ったヒトの中で一番素敵な、思い出です。

 そんな言葉を言い残して助手席から去っていく日が続いたある日、漸くその紗夜の理想に近い男が見つかった。だけどオレとの思い出に板挟みになり、踏み出せなかった紗夜の背中を押したのは、ヒナだったらしい。

 あたしはもう大丈夫だから、おねーちゃんは、カズくんを幸せにしてあげて。そんな風に背中を押された紗夜は、いつもの屋上で宣言した。

 

「これで断られるなら諦めます、二度と、同じ言葉は口にしません……私は、私は……清瀬一成さんを、一番だと考えています。私の傍で、私を抱きしめてくれるヒトは、あなたであってほしいと、願っています……ですから、どうか、私をあなたの傍に、置いてください……お願い、します」

 

 縋るような告白だった。最初は、断ろうと思った。すぐに、オレは教師としてお前を生徒として送り出したつもりで、それは変わらねぇ。だからオレはお前らの誰を傍に置くとは考えてねぇという言葉が思い浮かんだ。けど実際は、自分でも不思議なくれぇに正反対の態度をとった。紗夜を抱き寄せて、腕に収めての言葉だった。

 

「お願いすんのは、オレの方だ……紗夜」

「……え?」

「紗夜……お前さえよければ、オレの傍にいてくれねぇか?」

「……あ、は……はいっ、喜んで……っ」

 

 オレはいつしか、自分でも気づかねぇくれぇ無意識に氷川紗夜っつう女が、こうしてオレの隣で色んなハナシをしてくれることに、小さな幸せを感じていたことに気付いた。

 きっと、寂しさもあったんだろうな。生徒で、卒業すれば手を離れるっつっても、それ以上に、アイツらとは色々なことを過ごしてきたから。

 それからの紗夜の成長は目まぐるしかった。ギターに打ち込む姿も、どこか楽しそうで、幸せそうで。青いバラの美しさと気高さはそのまま、それでいて、デートや家ではかわいらしい一面をより一層見せるようになった。

 

「一成さん、一緒に暮らしましょう」

「……は? あのワンルームで?」

「いえ、今井さんから将来を考えるなら同棲でもしてみたら、とアドバイスをもらいまして、たまたま近くで聴いていた弦巻さんが──」

「──フツーのマンションとかだよな? オレの給料と紗夜の出演料でなんとかなるくれぇの」

「それは既に訊きましたが、お金はどうだっていいからむしろプレゼント、という不穏な言葉が一緒についてきました」

 

 それで納得したのかよとツッコミを入れて、取り敢えずこころにハナシを聴きにいけば、あれよあれよという間に、一室をオレの給料だけで賄えるレベルの家賃で貸してくれた。あとで奥沢の話によるとマンションそのものを寄越そうとしたらしく、それは松原と二人、全力で止めてくれたらしい。ありがとう奥沢。

 そんな順調で幸せに溢れた生活も、ほんの一年ちょっとで崩れるんだから、やるせねぇよな。

 

「はぁ……」

「どした紗夜。ため息なんか吐いて」

「いえ……どうしてこう、バンドマンというのは、軽いのだろうと考えていまして」

「……またナンパでもされたか?」

「ええ、まぁ……ただし迂遠に誘って来ないだけまだ潔いのかもしれませんが」

 

 丁度なんかのロックフェス帰りだった。つまりこの後打ち上げでお酒を飲んで楽しくぱーっとやってホテルでぱーっとヤろうぜ、って感じか。確かに潔いっつうか、変に騙そうとする意図がねぇだけまだ善良か。

 つかRoseliaってもうそこそこは有名だろ? そりゃ寄ってくる男もごまんといるだろ。

 

「そろそろ慣れてきましたね、白金さんが一番上手に断れるのですが」

 

 慣れって怖いな。でもまぁあの子なら確かに押せばイケそうな雰囲気出してるが中身はめちゃくちゃ一筋にご主人様(カレシ)ラブだからな。そんくらい断れなきゃちょっとアンダーグラウンドな感じのライブとかに出れねぇだろうしな。そんな雑談をしながら、冗談交じりの言葉だった。紗夜も平気そうだったと思った。だがその平気そうだと思ったってのが多分、間違いだったんだろうな。

 

「まぁいいヤツでもいたら、ちょっと相手するくれぇいいんじゃねぇの」

「……っ、それは、浮気になります。一成さんに対する裏切りでしかありません」

「大丈夫だって、オレに義理立てんじゃなくて、ギターに一途な紗夜が世界で羽ばたくための布石だと思えば──っ」

 

 そこで立ち上がった紗夜に頬を張られた。怒りとも、悲しみともとれる表情で、紗夜は腕を振りぬいていた。

 何故、何故ですか。そんな言葉が口から僅かに洩れていて、痛みとその感情にオレは思考がショートしたように紗夜の顔を見ることしかできなかった。

 

「義理……と、そんな言葉がどうして……あなたから発せられるの? 何か勘違いをしているわ、あなたは……とても大きな勘違いを」

「オレは……別に」

「一成さんの中で、私は未だにギターに縋って、そのギターに変わる存在があなた、という愚かな女なのでしょうけれど……私は、私はもう、ギターだけが人生ではないわ。それを誰よりもあなたが否定することは、私や、私とあなたのために身を引いていったみんなに失礼だとは思いませんか?」

 

 オレはその言葉の意味がわからなかった。逆だろ、とそれしか思うことがなかった。

 ──オレにはもう、紗夜しかいねぇから。その紗夜が成功するためだったら、その過程にあるもんは気にしたくねぇって、それだけ。紗夜なら実力だけで頂点を目指す、と言うだろうけど、世の中はそれだけじゃ上手くいかねぇこともまた事実だから。ホテル云々で浮気してもいいって言葉じゃなくて、打ち上げの飲み会とか行けば、それなりに繋がりができて、その繋がりがRoseliaを世界に羽搏かせていくんじゃねぇの、って言葉だった。

 けどそのすれ違った言葉は思ったよりも紗夜の根っこにまで潜っちまったようで、それからロクに口も利かないまま、紗夜は最後に、それじゃあ、とだけ言ってギターを背負いとスーツケースを引いて部屋から出ていった。まるで、さよならを言われたみてぇに、紗夜のいなくなった部屋は、空っぽだった。

 

「うん、事情はゆーらちゃんから聞いたよー?」

「そっか……アイツ。黙ってろって言ったんだけどな」

「見てらんなかったんだと思うよ? カズくん、今、全然キラキラしてないもん」

 

 紗夜の怒りをわかってやれねぇ挙句、浮気までした朝、ヒナは着替えながらそう語った。そもそもヒナが昨晩飲もうよと誘ったこと自体が結良の差し金らしい。いったい何が狙いだよ。

 片やマジにラブホで写真を何枚か撮ってたヒナは満足そうにスマホを眺めて、途中までベッドでゴロゴロしていたが、通知音に目を輝かせたと思ったら、シャワーを浴び始め、あっという間に帰り支度を始めた。

 

「まぁ一言だけゆっとくとね、カズくんはいっつも、あたしたちに救われたって思ってるでしょ? 先生やってられるのも、今おねーちゃんと付き合ってるのも、全部救われてるからってさ」

「……そうだな」

()()()()()()()()()()()()()、ほらもう行こ! 帰ったらあたしデート行かなきゃだし」

「……は、デートってカレシは?」

「帰ってきてくれるって♪ カズくんも早く帰りなよ!」

 

 コイツちゃっかりしてんな。けど、同時にまたチリっと寂しさが胸を焦がした。浮気してんのにヒナのヤツはきっと、これからまた喧嘩して仲直りしてカレシと一緒に過ごすんだろうな。それに比べて、オレは、紗夜がいつ帰ってくるのかもわかんねぇってのに、浮気しちまって黙ってて、()()アイツに後ろ暗いものができただけ。この違いってなんだろうな。

 ヒナの意味深な言葉も、結局その真意を測れねぇまま、暗い気分で帰路につく。ギターの音が気にならねぇようにってこころに言われて上階にしたせいか、エレベーターがやけにゆっくりに感じる。

 あの部屋は、紗夜と二人で過ごすためのものだったっつう事実の一つ。ダメだな、今はなに考えても、思考はマイナスだ。

 

「会いてぇな」

 

 その末にもう別れることになっちまってもいい、ただ、ただ顔を見て、もうちょっと話がしたかった。できたら夏休みの間とかどっかにでかけたり、天文部に顔を出してくれたり、そうやって少しでも話がしたかった。

 ──特に、夏にあったこころやヒナたちと一緒に観た星は最高だった。あの場に紗夜もいたら、一緒に星を観たかった。

 正直、こんなにオレが紗夜に依存しちまうなんて思いもしなかったな。教師としてのオレは一人でいることが居続けることが幸せだとすら思ってたのにな。得て、そして失ってみるとこんなに空虚なことだとはな。

 

「……あれ、紗夜?」

 

 カギを開けて扉を引きながら誰もいないハズのそこに、見慣れた女性ものの靴があることに目を見開いた。アイツのお気に入り、ショッピングに行った時に、一緒に選んだ、靴。まさかと思い靴を整えもせずに脱ぎ散らかして、リビングへと向かった。

 

「……おかえりなさい。一成さん」

「さ、紗夜か?」

「ええ」

 

 そこには、オレが少年のように焦がれていた、氷川紗夜の姿があった。寝巻姿で、まだ片づけきれていねぇスーツケースをリビングに置いて、本人はコーヒーとパンというカンタンな朝食を取っていた。

 

「帰ってきてたのか……」

「ええ、昨日の夜、こちらに到着しました。ワケあって一成さんには連絡していませんでしたが」

 

 だよな、ケンカ中のオレに連絡するなんてするわけねぇもんなって待て。オレにはってことは他の誰かには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その嫌な予感に言葉を失うと、紗夜は、にっこりと微笑んで、あなたが思った通りです。とやけに他人行儀に肯定してくれた。

 

「こういう時、白金さんになんと言うか教わって……ええと、ゆうべはおたのしみでしたね、でしたか?」

「……マジか」

 

 完全に昨日、誰とナニをシてたのかバレてるらしい。どうやらここでオレはバッドエンドのようだ。何せ紗夜が途轍もなくにこやかで、かつ他人行儀な時は感情を抑制してる時、つまりは完全にキレてる時だ。つか隠せてねぇ、眉が吊り上がってる。

 

「浮気はどうでしたか? 久しぶりの、しかも勝手知ったる日菜と一夜を過ごして気分は晴れましたか?」

 

 ああ、そしてもう一個、完全に忘れてたことがある。

 ──コイツはヒナの双子の姉だ。普段は容姿以外似てるところがねぇような二人だけど、こと恋愛感情については、一点、似通ってるところがある。嫉妬すると病み気味なところだ。つまり、オレはあのメンヘラクソ悪魔と同等の嫉妬をこれからなんとかしてかなければいけないんだな。

 取り敢えず……土下座は必須項目だな。そうやって、オレはそっとフローリングに正座をした。

 

 ……後編に続く。

 




これが日本の心、DO☆GE☆ZA☆DA!!!


※どうでもいいですけど設定上このヒナは自分の未練を消化した後のヒナなのでこの後同じく未練を消化したちーちゃんに嫉妬交じりに怒られます。あと結良はこんなことになるなんて考えてなかった(サンダース並感)


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⑤青薔薇ハッピーエンド・後編

 オレが持つ氷川紗夜の印象はとてもじゃねぇけど世間一般の、つまりはRoseliaの氷川紗夜とはかけ離れてる。

 高校生の頃の紗夜は風紀委員を務めていて、これもRoseliaで演奏している紗夜に通じるような、まさに氷のような冷たさを感じるヤツも多くオレが感じた第一印象もコレで、けど一方で陽だまりのような暖かさのあるヤツだと思った。そしてそんな紗夜に惚れられ、手を出しそこで知ったのは、なんつうか難儀な女だということ。

 愚直な紗夜の恋はその通りまっすぐで、良く言えば一途なんだが悪く言うと盲信的なところがある。だからこそオレはそんな紗夜に、別の男に目を向けろと言ったわけで。そうすれば盲信的な紗夜が成長できる、大人になれると思った。

 

「んで、そのまま朝まで一緒にいて、今帰ってきたとこだ」

「……そうですか」

 

 そうした結果、ケンカした挙句にこんな風に浮気して土下座をするハメになるとは思わなかった。まぁ浮気どうのは多分コイツらが制服着てた頃から心配されてたことだと思うけど、腕を組む紗夜に見下ろされての状況に申し訳なさの中になんとも言えない気分になった。一周差なんだよな、オレと紗夜。

 

「起きてしまったことを責めても仕方ありません。今後の再発防止のために、傾向と対策を明らかにしなければなりませんね」

「そんな勉強みてぇな」

「誰が私の許可なく発言していいと?」

「すいませんでした」

 

 氷だ。氷の女王様がいらっしゃる。穏やかな口調だからもういいかと思ったらめっちゃ怒ってた。おかげで話してぇと思ってたことが全部泡のように消えていっちまうな。

 紗夜は大きくため息を吐きながら傾向と対策を練ろうと思案していく。そして色々、説明してぇのはヤマヤマなんだがここではとても口に出せないようなものを含めて色々と、表面的な再発防止策を口に出してから、そもそもの問題に取り組んできた。いや、最初のワンクッションいらねぇだろ。

 

「そもそもの話をしましょう。そもそも私が出掛ける前に言い残した言葉の意味はわかっていますか? いえ無意味な質問ですね。わかっていたら日菜に愚痴を吐いた挙句に性欲まで吐露するハズがないので答えはわかっていますが」

「……そうだな」

「では一成さん。一成さんにとって私とは、氷川紗夜とはどういう存在ですか?」

「それは……なんて言ったらいいのか」

 

 言葉を迷わせながらもオレは紗夜にありのままを打ち明けていく。紗夜はオレを救ってくれたヤツの一人で、オレがまだ夢なんてもんに向かって教師をやっていられる、感謝してもしきれねぇくれぇのヒトだって、まぁ今朝ヒナにも同じことを言った以上の言葉は結局出てきそうもなかった。ヒナにそこがダメって言われてるけどな。じゃあどうダメなのか、オレはそこが知りてぇ。

 

「それでは質問を変えましょう。あなたにとって氷川紗夜は、未だあなたの生徒ということでしょうか? 恋人ではなくただ一人残っているから相手をしているだけの子どもという認識なのですか?」

「あ……」

「もし本当にそうなら私は、私は本当に哀れな女になりますね。無邪気に教師に対して恋をしただけの盲目な女に」

 

 はっとした。漸く、スゲー手遅れだがオレの認識のなにがいけないのかを悟った。つまりこのままだとオレは、紗夜を未だ遊びで消費してるだけのゲスになるってことだ。ずっと紗夜はそれを怒ってたのか。付き合ってからもずっと、どこかで紗夜の幸せが別にあるような態度を取っていたことに怒ってたのか。

 

「ちゃんと私は言いました。私はもうギターだけが人生ではない、と」

「……オレが、清瀬一成がお前の人生に入ってんのか」

「当たり前です。でなければ一緒に暮らしたりしないでしょう? 一成さんがあの日、一緒にいてほしいと抱きしめてくれた日から私はあなたの傍を帰る場所にしたかったの」

 

 そうかオレは、紗夜から見たオレを軽く見過ぎてたんだ。だからこんな風に紗夜を悲しませちまった。

 救いの一人ってのはそうだ。確かに事実で、紗夜はオレを教師として立ち上がらせてくれた一人だ。けどもうそれだけじゃねぇんだ。オレが紗夜を同情とか最後だったからじゃなくて、どこにも行ってほしくねぇって思ったのと同じなんだ。

 

「あなたはカッコつけすぎなのよ。私の前でそんなに強くなろうとしなくていいの」

「紗夜、でもオレは」

「あの時だって、そうじゃない」

 

 紗夜の言う通りだ。あの時オレは、一度紗夜を突き放そうと思った。思ったけどできなかったんだ。あの一瞬だけはオレは生徒に対して教師として失格の、ただの男としての弱みを見せた。もしもその弱みを隠せて、紗夜を真に生徒として見送る覚悟があったならオレは思った通りの言葉が口から出てたんだろうな。

 けど、変なハナシだとオレ自身も思うけど、弱くてよかった。弱くていいんだ。みっともなく紗夜を求めて一緒にいることが幸せだと口にしても、いいんだな。

 

「カッコ悪くても、カッコついていなくても、一成さんは私にとって最高のヒトです」

「そっか……そうだった。紗夜はいつだって教師としてのオレも、カッコ悪いオレも、どっちも含めて、惚れていてくれてたんだったな」

「変わったりしないわ」

「んじゃあオレは紗夜には、紗夜だけには、ダサくて惨めで弱っちい、清瀬一成(オレ)のままでいるよ」

 

 ケンカっつうか、再確認だ。これってきっと付き合った頃、いや付き合う前に気付くべきだった認識なんだよな。それを漸く、改めて一年以上遅れた出発を今日ここですることになるんだろうな。

 あの四人と紗夜は決定的に違う。元生徒、それは変わらねぇけどそれ以上に紗夜は、氷川紗夜って女はオレにとって最高の女性だって、これからは不安にさせねぇように伝えてかなきゃな。

 

「あ、そうだ。ツアーお疲れ様、今日はゆっくりしてくか?」

「ええ、そうさせてもらうわ……けれど、明日は……」

「わかってる。偶にはテーマパークでも行くか? リサとヒナが紗夜は案外ああいうところが好きって聞いたんだけど」

「……ええ。それに、あそこは音楽とかも刺激になるし、いいところなのですよ?」

「なんだ、行ったことあんのか」

「男性とは……まだ、です」

 

 それじゃあ、今日はゆっくり休んで、明日は夢を見に行くとするか。ソファに座って、漸く目線の高さが同じになって、紗夜がゆっくりとオレに体重をかけてきた。

 細い身体は軽いと思いきや、案外質量を感じて、オレはそれを全身で受け止めると同時に、久々に触れる紗夜の温もりに息を吐いた。

 

「……おかえり、紗夜」

「ただいま……一成さん」

「寂しかった」

「……ふふ、私もよ」

 

 いなくなってセンチメンタルに浸ってたけど、結局いない間も、想ってたのはお互いのことか。そう思うと、熱が上がるのを感じた。

 こんな歳になって一周差のカノジョが好きで好きで仕方がねぇなんて、なんだか恥ずかしいな。とてもじゃねぇけど、ヒナや蘭、クラスのヤツら、結良にだって堂々と見せられそうにはねぇよ。

 

「一成さんが案外甘えんぼうなこと、私は知っていますから」

「……うるせぇ」

「素直になれない、仕方のないヒト」

 

 あーもう、まとわりついてくんな。なんでそんな幸せそうなんだよいつもいつも。お前は昔っからそうだ。今思い出した。オレがパソコンで仕事してるところにやってきて、お前はその姿を幸せそうに待ってたよな。んで、見兼ねて声をかけると満開の花を咲かせる、そんな陽だまりみたいな優しいヤツだった。変わらねぇってか、昔よりパワーアップしてやがるな。

 

「沢山のヒトに魅力的だと言ってもらって、一つだけ気づいたことがあるの」

「なんだよ」

「私は、追いかけられるより、追いかける方がその、燃えるようですし」

「なるほどな、なんとなく理解した」

 

 オレが知ってる紗夜はオレを追いかけてはキラキラしてた。結局、その時がお前にとって一番幸せだった、っつうことだな。

 それを知った今だから、お前はこうしてオレを求めてくるんだな。

 

「じゃあ、隣を歩いてる今は、そのうち冷めてくるか?」

「そんなハズありません。あなたの見ていた景色を見ていられることが、こんなに幸せなのですから」

「紗夜は……なんつうか、成長したな」

「はい。()()のおかげで、私は最高のヒトと、最高に幸せな日々を過ごせそうです」

 

 もうそこに、かつて自分の音をつまらないと思った氷川紗夜はいなくなった。走って走って、切り立った山を越えた先にあるものを目指して、そしていつの間にか、いや最初から持っていた翼でその先に届いたんだ。

 ちゃんとオレとの約束通りきっちりと大人になってそれでもまだ傍にいてくれる。紗夜らしいな。愚直で少しだけ盲信的なところがあって、紗夜は紗夜のまま大人になった。

 それってすげぇことだよ。オレにはできなかったことで、きっと大人の誰もが成ろうと思って成れるもんじゃねぇから。

 

「私は、一成さんもそっちのタイプだと思いますが……」

「そうか? 自覚ねぇな」

「いつもそうです。先生をやっていた時から、あなたは時々、子どもみたいに笑いますから。私たちがあなたの言葉で幸せになっていく度に、とても晴々と笑っていました。だから私は、そんな一成さんの真似をしただけです」

「オレの真似、か」

 

 にしては、オレには似てねぇ気がするんだけどな。それは紗夜のオリジナルが混じってるからってところだろう。オレの足らねぇところを紗夜が補って、より完璧にしてくれた。こんなに教師としても嬉しいこともねぇってくれぇに紗夜は優等生すぎるな。

 

「教え方がうまい、からですね」

「持ち上げんなよ。褒めても特になんもでねぇからな」

「ふふ、本当ですか?」

 

 紗夜はいたずらっぽく微笑んだ。なんだよ、その千聖みてぇな仕草は。そう思ったら、ちょっとだけ恥ずかしそうにコホンと咳払いをした。なんかちょっとかわいいと思っちまったし、こういうちょっとポンコツっぽいところもまた、紗夜っぽいな。

 

「その、白鷺さんから、一成さんはこういった、えっと……あ、あざ、なんでしたっけ」

「あざとい?」

「そう、あざとい仕草に案外弱い、と聞きました」

「んー、間違ってはねぇけど」

 

 千聖にまでそれを知られてるのはなんだか嫌なところだな。と思ったら、オレの女の趣味や嗜好は共通の話題だったという事実を紗夜から聞いて驚愕した。お前ら、そんな風にして仲良くなってたのか。ヒナとモカといい前々から気になってたけど、そういうことだったのか。

 ──にしても、懐かしいな。アイツらとは長く二人きりじゃなくて三人とかで過ごしてたな。

 

「恋しくなりましたか?」

「……ちょっとな」

 

 アイツらがどうなったか、最近はあんまり報告には来てくれねぇからな。けど、それでもしアイツらがヒナみてぇに誘ってはこねぇっつう保証がねぇからな、それは困るんだよ。いくら紗夜一筋っつっても、オレはいつまで経っても流されやすいクズのまんまだからな。

 

「いいんですよ。浮気は良くありませんし、それをあっさりと許すわけにはいきません。けれど……あの頃を思い出して、またみんなで一緒にいたいのは、私だって同じですから」

「……なら、こころに頼んでみるか?」

「ええ」

 

 その日は、紗夜とカラダの語り合いの後、少し過去のハナシに想いを馳せた。笑っちまうくらい楽しいことばかりが思い出されて、ずっと、そのハナシをしていた。

 ヒナの真意を確かめるためにわざわざ羽丘にまで足を運んできた雨の日の紗夜。その後、夏休みにやってきて、監視します、とオレに敵意を見せたあの日。蘭やモカに言われ、オレの見方を変えようと思ったらしい。

 んで、あの三週間で紗夜は今の紗夜の原型を作り出した。色々あったけど、紗夜もアイツらも音楽に、恋に、友情に、青春をそうやって生きてきた。そこに後悔も当然あるだろうけど、それをオレが否定しちまったら、ダメだったんだよな。

 

「理想を失わないでほしいわ。いつまで経っても、あなたはあなたの中の、最高の先生を目指していてほしい……私は、決してあなたの理想を食いつぶすために、ココにいるのではないのだから」

「わかってる。紗夜……」

 

 なぁ、紗夜。オレはどうやら屋上でタバコを手に不良教師をやってた頃よりも、更に弱い男になっちまったらしい。いつも黄昏に浮かばせてた理想を、もうオレは独りじゃ保つのすら難しい、惨めなクズになっちまったよ。

 

「オレはもちろん。今までみてぇに紗夜が世界に羽ばたいて、その帰る場所としてココにいる。だから」

「はい。私は、今までのように一成さんが教師として理想を遂げて、その帰る場所として、ココにいます」

 

 オレには紗夜が必要だ。みっともねぇ依存かもしれねぇけど、ホントにアイツらを幸せにしてやれたのか、別の方法があったのかと考えちまう今、それを吐き出せるような存在が、どうしても必要なんだ。

 ──ヒトは、独りじゃ生きていけないんだよ一成。誰かに縋って、頼って、そうやってみっともなく生きていく。でも、だからさ、ヒトは、ヒトを好きになれるんじゃないかな? 子孫を遺したいとか、そういう本能じゃなくて、もっと優しい理由で誰かを好きになれるんだと思うよ。

 ああ、今頃になって由美子の言ってたコトがわかった気がした。死ぬときは一人でも、独りじゃ生きていけない。アンタもホントは死ぬのがどうしようもなく怖かったんだな。オレに置いていかれて、ゆっくりと自分が終わりに近づいていくのが、めちゃくちゃに怖かったんだな。ホントはガキみてぇに泣きじゃくってオレを引き留めたかったんだな。

 

「お願いしてもいいか、紗夜?」

「え、ええ……内容によりますが」

「オレは明日を信用してねぇ。それは、知ってるよな?」

「……はい」

「だから、もういつか、なんて思うのはやめた。まだなんも準備してねぇのにいきなりこんなの、カッコ悪いかもしれねぇけど」

 

 もうこの時点でカッコ悪いんだよな。グダグダ、肝心の一言がどうしても口から出て来やしねぇ。思ったよりも勇気のいる行為だな。やっぱり、告白ってのは。よくも紗夜たちは平然とできたし、オレも紗夜に勢いに任せられたな。

 けど、紗夜のなんか、わかっているからゆっくりでいいわよ、みてぇな顔に力が抜けた。嬉しそうだな、お前。追いかけるのと待つのは、お前の幸せだって、よくわかったよ。

 

「け、結婚、して……くれねぇか」

「ホントに、急ね」

「明日、オレが死ぬかもしれねぇ、紗夜が死ぬかもしれねぇって思ったら、今じゃねぇとって思ったんだよ」

 

 実際、口にしてみて、それを言葉にするのがどうして怖いのか、実感した。由美子にはいつか、いつかと後回しにしてた言葉だからだ。口にはしたけど、それも口約束みてぇな曖昧なもので、だから由美子が逝っちまって、宙ぶらりんになった言葉、やっと、やっとだ。やっと、オレはあの時描いた幸せに、追いつける。

 ──悪いな由美子。アンタじゃなくなっちまったけど、オレはやっと幸せになれる。あの日の夢を思い出せたんだ。

 

「一成さん」

「おう」

「浮気はしませんか? ましてや、明日……まぁ役所に届け出等提出しなければ正式に夫婦にはなれませんが、それはともかく口に出したのなら明日からは浮気ではなく不倫になります。それを絶対にしないと誓えますか?」

「……それはだな」

「そこで正直なのはいっそ尊敬に値しますが、ここはきちんと、口だけでもカッコつけてほしいわ」

 

 ふっと柔らかく微笑まれ、なんだよ全然信用してねぇんじゃねぇかとツッコミを入れそうになった。なるべく、紗夜が失望しねぇように頑張るとするかな。流されやすい、流されやすいと言っても、明日からは紗夜の言う通り正式じゃねぇとは言え、夫婦になるんだ。そのくれぇの誓いを立てれねぇとな。

 

「しねぇ。不倫したっつう基準は紗夜の判断に任せる。紗夜なら、正しい判断を下せるだろうからな」

「はい。なにもしゃべったり、日菜とご飯に行ったりしただけで断罪するほど、束縛するつもりは最初からありませんから」

「……ヒナ指定なんだな」

「ええ、同様にあなたの生徒、というなら、判定は若干甘くなりますから……安心してください」

 

 厳しいのか甘いのかよくわかんねぇな。けど、これからは紗夜を悲しませねぇようにしないとな。オレは、ギターしかなかった紗夜にとって、人生を懸けるに値する男だと認められたんだ。だったらオレも、紗夜に、そして紗夜が目指してほしいと願う理想を追いかけることに人生を懸けよう。

 いつか、自分たちの子どもに、呆れられるくれぇのストーリーが出来上がるようにな。

 

「なぁ紗夜」

「はい」

「オレはカッコ悪くて、弱くてもいいんだよな。幸せになりてぇってガキみてぇに喚いても、いいんだよな」

「もちろんよ。そんなことであなたを罰するヒトなんてどこにもいないのだから」

 

 ──青薔薇は朝露に陽を反射させて煌めいた。たまらなく幸せなこの一瞬を胸に。このもしもを知った紗夜はなんて言うんだろうな。

 いや、アイツはなんも言わねぇ。言わねぇけどオレがホントにキツい時にそっと手を差し伸べてくれる。そういう女だ。

 




強がりで生徒の前じゃカッコつけたがりのクズ。今回はそんなクズが是正されました。
コイツマジでボコボコ悪いところ出てくるな


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⑥雪柳ハッピーエンド・前編

お次は最もバッドエンドに近いルートといきましょうね。


 青葉モカは当時オレのストーカーでヒナとの関係についてオレを脅迫してきたのが始まりだった。今の恋人のことをそう説明したところ、まぁ当然といえば当然だけど、天文部室には驚きの声が響いた。そうなの? マジで? 冗談じゃなくて? そんな矢継ぎ早の質問に、オレはいちいち肯定の意を込めて頷いた。

 

「……わ、わぁ……すごい」

「おい引くな」

「いや、びっくりもびっくりだよ。モカちゃん先輩って、すごくいいお嫁さんって感じだからさ。美人で、賢いし、先生の考えてることズバリ当てちゃうし」

「ただ料理はできねぇし、掃除の途中でマンガを読み始めるようなぐうたらの分際で専業主婦になりてぇとか抜かすからな」

「先生が料理できるからよくない?」

「よくねぇ。働かねぇってなら全然、これっぽっちもよくねぇ」

 

 まぁきっと専業主婦云々は冗談だろうけどな。アイツはアイツで成りたいものがちゃんとある。だから、今はデザイナーの専門学校で、そして自分の母親のもとで、バリバリ腕を磨いてんだろうけどな。そう肯定してやると、結良はニマニマっつう効果音でも聞こえてきそうな、なんつうかやらしい笑顔でオレを見てきた。

 

「愛だねぇ」

「あ? なにが」

「恋しいヒトのことを考えて、そうやって笑うカズくん先生、割とカッコいいからさ」

「は?」

 

 なに言ってんだコイツ。そう思って引いた表情をすると、結良はいいよ、どうせわかんないってゆーんだ、と頬を膨らませた。わかりたくねぇだけだ。そもそも自分のカッコいいところ自覚してるって割と寒いヤツじゃないか? 

 

「そっすね~、寒くて寒くて~トモちんのオヤジギャグレベルじゃないかな~?」

「……モカか」

「は~い、ごぞんじ~、ちょーぜつびしょーじょじぇーけ……あ、いまはちがうや~、あはは~、とりあえず~()()()()のいとしのいとしのモカちゃんで~す~、いえーい」

「……うぜぇし口上長ぇよ」

「あーまたそーゆーことゆーんだ~」

 

 噂をすればなんとやらだな。まぁ今日は学校帰りに寄ってくるのは知ってたからその話をしてたってだけなんだが、青葉モカの登場だった。つか相変わらず口上がクソ長ぇよ。元超絶美少女JK、もしくは超絶美少女専門女子学生でいいんじゃねぇの? 

 そんなコメントを残すと、いやそうじゃないと思うよ先生とツッコミが入った。いいんだよ。コイツはマジで超絶美少女だからな。

 

「肯定しちゃうんだ……ホント、カズくん先生ってモカちゃん先輩相手だと凄くバカになるよね……」

「そりゃ~、バカップルだもんね~、かずなり~?」

「そうだな」

「ええ……ホントやだ、この二人揃うといちゃいちゃし始めるし……」

 

 生徒の目の前だってのにも関わらず、座ってるオレの後ろから抱き着いてきて、キスをねだってくるコイツにキスをしてやると、流石の結良もドン引きだ。悪いな結良。

 オレはモカのスキンシップを断らねぇって決めてるんだ。ここで発情されたら止めるけど。けど単純に引いて、オレやモカに幻滅してねぇだけ結良は物事の本質を見分けられるヤツだよな。その上で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、きっと大物になるよ、お前は。

 

「帰るか、モカ?」

「もう、帰れる~?」

「まぁ、モカ待ちだったし」

「じゃあさ~、帰ろ~、ゆーたんは~?」

 

 だからか知らねぇけど、モカは同時に結良のことをめちゃくちゃ視界に入れようとしてる。オレに一秒でも早く会いたかったっつうのも勿論あるけど、わざわざココに来るのは、モカが音羽結良を気に入ってる証拠だ。

 

「ううん、今日は遠慮するね」

「そっか~、じゃあね~、今度は二人でご飯とかいこーね~」

「うん、めっちゃ楽しみにしとく!」

 

 そんな会話の通りだ。実に良いことだ。生徒がこうして、かつての生徒だったコイツを慕ってくれてるっつう構図は、オレが目指していた教師としての在り方の一つだからな。

 あ、でもな、だからって、無理やりその理想に合わせなくていいんだからな、モカ。

 

「……ゆーたんのことはホントに好きだよ? だって、一成の新しい生徒だもん」

「ソレ、ソッチの意味も入ってんのか?」

「うん」

 

 うん、ってお前、オレは気付かねぇようにしてんだからあっさり肯定すんなよ。そう思ってると、モカはそれを読んだ上で、最低だね、と冷たく言い放った。

 さっきの間延びした口調は霧散し、オレが慣れ親しんだ青葉モカの表情に変わる。のんびり屋なのは生来だが、コイツの正直イラっとするくれぇ長く伸びる口調は、完全に演技だ。つかオレに対してはわざと、演技とホントの口調を分けて使ってくる。

 

「結良への牽制だよな、いつもいつもキスすんの。やりすぎてバレかけてるからな」

「あれは、最初は牽制だったけど、今じゃシたくなっちゃうんだもん」

「あ、そう」

 

 欲望に一直線なのは、高校ん時から変わらず。今年でハタチになって、ちょっと残ってた幼さの消えたモカはもう、超絶美少女ってよりは超絶美人、だな。モノトーンのクセにやけに鮮やかさを感じる、矛盾した灰色を揺らす曇天に咲く雪柳は、今日も満開だな。

 

「でたー、一成のクズポエム」

「なんだクズポエムって」

「だってそれ、キライだもん」

「……モカ」

 

 けど、コイツの好き嫌いは大きく様変わりしてた。様変わりというかまるで真逆になっちまっていた。

 コイツは黄昏が嫌いで、赤色が嫌いで、カッコつけたポエムが嫌いで……自分を置いていってしまうような眩いばかりの理想が、大嫌いだ。

 そしてなりより、コイツは美竹蘭って女の存在がどこまでも嫌いなんだ。

 

「一成」

「……いいだろ、昔は──」

「昔は昔、今は今だよ。あたしは蘭なんて、キライだもん」

 

 青葉モカはもう、バンドをしていなかった。いやそれ以前にそもそも。

 ──Afterglowなんてバンドは、もう存在してねぇ。幼馴染で結成した仲良く、それでいて正統派ロックを奏でる夕焼けは、この世界のどこにもねぇんだ。

 原因は、色々あったんだと思う。オレだって直接この目で崩壊を見たわけじゃねぇから、なんとも言わねぇけど、羽沢は苦しそうに、ただ私たちはモカちゃんのことをわかってあげられなかったんです、とだけ教えてくれた。

 

「ねぇ、一成。今日は泊まってっちゃ、ダメ?」

「ダメだ。帰らねぇと、明日はお袋さんにポスターのデザイン見てもらうんだろ?」

「……うん」

 

 そんなモカの最後に残った、青春の残滓のようなもの。それが清瀬一成(オレ)。だからモカがオレにべったりと、それこそ放置したら何日も家に帰らねぇようになったのは、もう一年半前のことだ。

 蘭やモカの卒業の日、オレは蘭の親父さんに頭を下げた。それは親父さんを納得させるのに、多分、不適切ではあるが、わかったと言わせる内容だったらしい。

 

「モカを幸せにしてやりたいんだ。だからモカのことを、選ぼうと思う」

「そっか。一成は、選べるようになったんだ」

「ああ、だから悪いな、蘭、お前とは今日で終わりだ」

「ううん。アタシは沢山幸せをもらった。だから……だから……っ、ぜったい、しあわせにしてよね……アタシのだいじな、幼なじみ、なんだから、なか、せたら、ぶっとばす……から……っ」

「約束する。ありがとな……蘭。お前のことも充分すぎるくらい、愛してたよ」

 

 それが最後の言葉、蘭とはそれっきり、会ってねぇ。ただ、風の噂っつうか羽沢珈琲店で、羽沢つぐみが蘭のことをそれとなく教えてくれて、知ってるだけ。

 どうやら結婚するらしい、ってのも、相手が良家の次男坊だけど、ちゃんと蘭が選んだヤツだってのも、そこで仕入れた情報だ。それからコイツらが卒業して、僅か三ヵ月でAfterglowは崩壊した。

 ──ホントに、アタシたちの青春だったのかもな。ワインレッドの髪を揺らしながら、宇田川はそう言っていた。

 

「じゃあな、モカ。また明日」

「……うん。また、明日」

 

 メシ食ってる最中も、ヤってる最中も、満たされた表情をしてても、帰り際になるといつもこんな表情だ。物足りねぇんだろうな。もっと一緒にいたい、もっとなんてそんな欲望がオレにまで聞こえてくるようだな。

 けど、それを許せる状況と、許してやれねぇ状況があるっつうこと、モカもちゃんとわかってはいるんだろうな。

 何度も振り返っては捨て猫のような目をするモカを置いて、オレは帰路についた。この一人の時間は、オレの思考を加速させる。ワンルームの部屋のベッドで寝転がり、オレは窓から外を眺めた。

 

「星はいつだって……か。そうだな、ヒナ」

 

 モカがストーキングしてねぇことが確信できるから言えることだけど、オレとモカの関係は表面上で見るよりも遥かに、遥かに上手くいってねぇ。なんつうか歪で、どうにも恋人っつう関係に無理やりお互いを嵌め込んでるように感じて、苦しいし痛ぇ。そんな鬱屈した関係にそれでも前に向けるのは、背中を押してくれた生徒たちの言葉があるからだ。

 

「星はいつだって見れるよ。だから、カズくんは迷ったら星を探して、あたしや、みんなと見たことを、忘れないで。だからあたしは、この一年で、春夏秋冬全部の星を、見たんだから!」

「……そっか。ありがとな、ヒナ」

「うん! 約束だよ、カズくん!」

 

 ヒナとはそれが最後。去年の冬の、天体観測の時に残した言葉が最後の会話だった。モカはそれ以来連絡もしてこないヒナに対してポツリとたった一言だけ、なにそれと呟いてたっけ。あれは、なんの怒りだったんだろうか。

 あの後から、モカはしきりにオレから離れたがらなくなったな。なにかあったんだよな。けどそれは、いつまでもアイツの胸の奥に隠したままだ。

 

「……ダメだな」

 

 喧嘩なんてしたことがねぇ。浮気も、なにもしてねぇ。停滞だ。凪いでる状態で、とても順風満帆とはいいがたいな。風のない、息のつまりそうな変わらねぇ日々が、オレとモカの周りに渦巻いていた。なんなら付き合う前、生徒と教師だった頃の方がマシにお互いを曝け出してた。でもなんでだろう、アイツは、オレの過去を全部知ってるんだけどな。

 眠れなくて、冴えちまった頭で考えてると、スマホの明かりがぱっと点いた。誰からだ、と思っていると、そこには、白鷺千聖の文字が躍っていた。

 

「もしもし?」

「一成さん、起きていたのね」

「電話してきたヤツのセリフとは思えねぇな。つかなんで毎度風呂で電話すんだよ」

「そういう気分だからよ」

 

 千聖は、よくオレに()()を持ちかけてきた。まぁ紹介した責任もあるしなってんで乗ってやるが、根本的にコイツは、わかってほしいっつうタイプだからな。肯定してやるだけで割とすっきりしてくれる。あと深夜の風呂中はやめろ。オレはお前のクセを知ってるんだから。

 

「別にいいじゃない。ヤってる最中に電話してるわけじゃないのよ?」

「万が一したら着信拒否してやるからな」

「ヒドイ先生ね」

「ヒドイ生徒なんだよ、お前は」

 

 それからは千聖の相談が始まる。服を褒めてもらうにはどうしたらいいだとか、髪型が変わって気付く瞬間はどういうの、とか。千聖は妙に、青春の悩みを継続してる。つうか高校の時にマトモに恋愛してねぇからそれで悩むハメになってんだけどな。

 

「ありがとう一成さん。それで、お返しではないけれど最近困ってることはないかしら?」

「……丁度、困ってることだらけだよ」

「珍しいわね。素直じゃない」

「生徒の前で素直になるならない、とか言ってる場合じゃねぇんだよ。今は藁にも縋りてぇ気分だ」

「モカちゃんのことよね」

 

 そうだ。オレは、アイツに好きだと言って、生徒であることじゃなくて、恋人として愛してやれば、アイツは幸せになると思ってた。卒業を控えて、信じてきたいつも通りの終わりが近づいていて、どんどんと笑うことが減っていたモカをなんとかして笑顔にしてぇ、今までもらうばっかりだったアイツに、少しでも何か返してやりたくて、その答えしかねぇと、()()()()()()()()()

 

「バカね。それは大きな間違いよ」

「……そうなのか、やっぱ」

「貴方はモカちゃんが苦しんでいることを、わかってないわ。それは()()()()()()()()()()()()()()

「あ?」

「……よく考えることね。あの子は私たちの願っていた幸せとは根本から違うということ」

「おい」

 

 最後の言葉はやけに意味深で、けどなんつうかそれまでの千聖とは違った雰囲気がした気がして、ああなんて言ったらいいのかわかんねぇけど、それは間違いなく千聖がくれてた明確なヒントだったんだ。

 

「モカちゃんは、その理想と現実のギャップに苦しんでるのよ。それは、あの子の幼馴染がかつてした失敗と同じよ」

「蘭、だな……」

「ええ、蘭ちゃんもあなたも、理想に羽ばたこうとして、置いていっちゃいけないものを置いていったのよ」

 

 それは間違いなくオレがやろうとした間違いでありモカにとって欠けたピースだ。幼馴染、かつて何よりも大事だと言った、美竹蘭との決別。そしてヒナに対してモカが放った言葉、それが組みあがった時がモカの幸せっつうことだな。

 そう確認をすると千聖は少しだけ考えて、ええそうねと寂しそうに肯定した。

 

「けれど、それはもう戻らないものだわ」

「戻らねぇ、か」

「ええ、その欠けたピースには私がいる。きっと、紗夜ちゃん、こころちゃん、リサちゃんも……もうわかっているのでしょう?」

「そうだな」

 

 まだハッキリと確信したわけじゃねぇ。けど千聖が言ったことを総合すると、モカの求める幸せは、それこそ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 最悪だな。ずっと気付いてたはずなのにな。オレとモカは相性が最高のようで、ある一点でその相性が最悪に変わる。その一点が、今回だ。

 

「悪い。ヒントくれた手前申し訳ねぇけど少し、一人で考えさせてくれ」

「わかったわ……けれど一つだけ、最後に言わせて?」

「なんだ」

「一成さんは、自分のことを絶対に見失わないようにして。それはモカちゃんと貴方の未来に、とても重要なものよ」

 

 千聖はそれだけを言うと、それじゃあ頑張ってね、()()と電話を切った。相変わらず勝手にかけて勝手に切りやがるな。まぁ今日だけは許してやるとするか。

 ──ここで何を考えたとしても、それはただ憶測にしかならねぇ。真意は、真実は直接、本人から訊かなきゃなんねぇ。それはモカの逆鱗に触れるに等しい行為だろうな。最悪、オレとモカの関係は修復不可能になる。

 

「そんなんならいっそ……いや、それもダメだな」

 

 今からでもオレじゃなくて、新しい恋でも見つけりゃいい。そういうことも考えてたしな。でもそれをしたら間違いなくモカはオレの前から消える。連絡も何もしてこなくなるし、それこそ今の蘭かあるいはヒナのようになっちまう。あのストーカーは、あくまでストーカー気質なだけで、オレに構われねぇのに、オレがもう振り向く可能性はないのにストーカーを続けられるほど、神経が太くねぇ。

 蘭のようにケジメとかそういうんじゃなくて、恨みだとか未練が残ってそれでもその未練に押し潰されてる自分を見つけられねぇようにするに決まってる。あのバカは、そうやって大人のフリばっかりするようなヤツだから。

 

「……傷つけるにも、覚悟がいる。オレは今その覚悟ってヤツを、試されてんのかもな」

 

 真綿で首を絞められて死ぬくれぇなら、いっそ一発刺されて致命傷の方がマシだ。このまま温くて、風邪でも引いちまいそうな停滞に甘んじるくれぇなら、いっそ、いっそ……最後に本音を聞いて別れた方がマシなんだ。

 そうと決まれば、オレの行動は一つだ。まずは結良に連絡をして協力を仰いで、んで、細工をするとしますかね。

 モカを幸せにするのに足らねぇもんがあるなら、轍をなぞってでも幸せにしてやる。手段なんかもう選んでやらねぇ、クズ教師に戻ってやるからな。

 オレはもう覚悟をした。お前にも覚悟してもらうからな、青葉モカ。

 

 




本編のクズはこうなることを恐れていました。モカが一人残ると崩壊することを予期していました。ただ彼女は誰かを選んでも、誰も選ばなくても、恨みと未練を残してしまう。ただ一つ彼女にとってのハッピーエンドは、別のところにあるから。


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⑦雪柳ハッピーエンド・後編

 モカを幸せにするってどういうことだろうか。千聖との電話からオレは必死で考えた。考えて、考えて、色々な記憶を辿った。絶対にアイツと関わってきた時間の中にヒントがあるはずだ。

 目をつぶって、暗い部屋の中で記憶の海に潜っていく。モカとした会話、モカのことを話した会話、リアクション、膨大な情報がオレの頭を通り過ぎていく。

 ──もう、モカはホント、何考えてるのかわかんないんだから~。そんな風に上原がからかわれて口にしていたな。確かにそうだ。アイツは何を考えてんのかわかんねぇ。そのせいで最初は苦手だったんだよな。

 けど、やがてシンプルな行動原理で、その苦手意識を払拭させてくれた。それ以来、モカはオレに対しては猫を被ることがなくなったな。モカは自分を理解して、求めてくれるヤツが必要ってことだ。それは、モカが高校一年生の時に嫌っつうほど実感した。

 そんな記憶の海の中で印象的なことがあった。あれはモカが高三の頃のなんでもねぇフツーの日にあったことだ。

 

「青葉さんと一成さんは……見ていて不思議な関係ですね」

「ふしぎですか~?」

「ええ、とても」

 

 そうだ。紗夜がそんなことを前に呟いてたな。オレとモカがリバーシをやってる時に天文部に遊びに来た紗夜は、じっと様子を観察してから、やはりそうですね、と言葉を続けた。パチ、パチ、とシロとクロが入れ替わる盤上の無機質な音に、紗夜の淡々とした声が重なる。

 

「……大なり小なり、私たちは一成さんに対する態度が一定です。二人きりでも周囲にいても」

「紗夜さんは違うんでしょ~?」

「確かにそうですね。しかし、それ以上に青葉さんは、恐らく一成さんしか知らないような、それも白が黒になってしまうような事実が多い気がします」

「ほうほう。さすがですな~」

 

 モカの声にピリっとした敵意を感じて、オレは相槌を多少打つ程度にしておく。思えばモカと紗夜の会話って珍しい状況だしな。ズバズバ言っちまう紗夜との相性はなんとなく悪い気がしてたんだよな。

 そんな止める気のねぇオレに文句ありげな目線を送ってから、モカはあのですね、とやや普段に近い口調で話し始めた。

 

「大体、両面とも白なヒトなんているワケないじゃないですか~。紗夜さんだって、甘えまくって、その上すぐえっちしたがるような性格、他のヒトにも見せてないですよね?」

「そうですね。だからあなたのソレは私のソレがかわいく見えるようなものだと予想しているのです」

「かわいいって自分でゆっちゃうんだ~、へぇ~」

「言葉の綾です」

 

 ピリピリ、久々の修羅場な雰囲気にオレは無言を貫いて盤上に裏表のある石を置いていく。オレが蒔いた種ってこの言い方別の意味に聴こえるからヤなんだけど、まぁ意味的にもオレが蒔いた種だから、ホントはもっとなんか口出したりするんだろうけど、この時のオレはどこまでも蚊帳の外に逃げ出していた。

 

「例えば、そうですね。一成さんの少し前のことを知っている、とか」

「……だから?」

「それを優越感にしているのでしょう? 百聞は一見に如かず、という言葉通り、あなたが高校生になる以前からの一成さんを知っていると仮定すれば、一つの結論が導けます」

 

 鋭いなんてもんじゃねぇな。大当たりだ。モカはオレのストーカーだった。コイツのスマホのフォルダは中学一年の時から積み重ねたオレでいっぱいだからな。そのおかげで由美子のことに向き合うきっかけにもなったんだからオレとしては何も悪く言う要素がねぇけど。問題は、モカ自身にある。それを紗夜は指摘してるんだな。

 

「青葉さんは、どこかで自分こそが一番、と思っていませんか? あるいは、自分こそが一成さんを理解できる存在であると」

「ありゃ、あんまりにもらぶらぶで~鼻につきますか?」

「いいえ。しかし一成さんは停滞を良しとしないヒトです。今は私たちがいて、見送るまで休憩をしているだけ、本当ならすぐにでも理想に走り出せるヒトですから」

「……ご高説、どうもです」

 

 そんな一触即発の雰囲気の時があったな。紗夜は、その時にモカは維持に固執するようなヤツだってことを見抜いていたんだな。ずっと永遠に、モカは青春で口走ってしまいそうなソレを、本気で信じてる。だから、傷つきやすいんだってことを、紗夜は知ってたんだな。そしてモカは排他主義だ。あんまり交友関係が広いヤツじゃねぇことは知ってたけど、この一件を思い出したことで明確に分かったコトがある。コイツは千聖と紗夜が嫌いだったってことに。

 

「……あ。待て、待てよ」

 

 じゃあオレに、千聖さんにはカッコつけない素朴な、そういうヒトの方がいいかもねと言ったのは誰だった? 紗夜さんって、片想いさせた方がいいタイプだよねと言ったのは誰だった? 逆に、浮気状態だったヒナに今のままほーちしていいの? と訊いてきたのも、アイツじゃなかったか? 

 ああなるほどな。モカは、アイツは今日までなに一切幸せになんてなってなかったのか。アイツは、最初から何も、何も変わってなかったんだ。変わったように見せかけて、全く、これっぽっちも。

 

「……ミスってたのか、()()()()()()()

「そうだね。だからアタシは、日菜さんと相談んして一成から離れることにしたんだよ」

「……え」

 

 朝が来て、どうせならと羽沢珈琲店で、ぐるぐると最悪の想定で回る頭を整理していると、その向かいにヒトが座ってきた。最後に会った時よりはるかに美人になって、一瞬誰かと思ったけど、声と左の一部を染めた赤メッシュだけは変わらねぇ。だからすぐにわかった。

 久しぶり、なんて軽く声をかけようと思ったけど、うまく声が出ねぇ。そうしていると、蘭は……美竹蘭はぷっと噴き出した。

 

「あははは、なにそのカオ。アタシがこんなに美人になって、驚いてるの?」

「……あ、いや……驚いてるっつうか、久々にお前の顔みたら、ほっとしたっつうか……」

「ふふ、一成は変わんないね、ちゃんとトシ取ってるの?」

「なんだそれ、つかいいことだろ。老け込んだら困るしな」

 

 そんなやり取りに漸く肩の力が抜けてきた。羽沢もどうやら顔を見たのは久しぶりだったようで、嬉しそうな顔で蘭にいつも通りのブラックのコーヒーを置いて行った。

 久々で、話してぇこといっぱいあんのに、借りちまって悪いな、羽沢。

 

「千聖さんから聞いた。モカのこと、悩んでるんだって?」

「アイツ、世話焼いてきやがって」

「まぁモカは昔っから何考えてるのかわかんないコト多かったし、一成はモカに甘いから」

「そうか?」

「うん」

 

 確かにあんまモカに厳しく当たったことねぇかもな。そんなこと言うとヒナや蘭にもそうそうなかった気がするんだけど、そう言うと、蘭はそうじゃなくて、アタシや日菜さんとは違う態度を取ってたってこと、と指摘され、なんとも言えなくなっちまった。

 ──確かに、そうだな。モカはオレを知ってるからって、そういう態度で接してたのかもしれねぇな。

 

「だから、モカは変わらなかった。変われなかった」

「……オレのせいだって言いてぇのか」

()()()()()()()。モカを変えられるのは一成なんだから」

「……なに?」

 

 薄々感じていたコトをハッキリと指摘されたオレは、思わず口調が怒りに変わっちまった。ふざけんな、と言いたいけど言えねぇっつうもどかしさは、八つ当たりに似た言葉を口から吐き出す。

 

「……じゃあなんだよ。モカは変われなかったってんならタイムマシンでも創って変われるようにルート変更でもしろってのかよ。そんな過去のこと言うためにわざわざオレんとこに出てきたのかよ、連絡も、なんもしねぇで、今まで」

 

 我ながらなんつうカッコ悪いセリフ吐いてんだろうな。蘭はそんなことを言いに来たんじゃねぇことも、そんな性格じゃねぇことも、わかってんのに。でも、オレが感じていた後悔を、誰かに吐き出すことをしなきゃ、どうにもならなかった。

 それだけ、今のオレは弱ってたっつう証明でもあり、オレが弱い男だっつう証でもあった。

 

「まだ遅くないよ。モカはまだ変われる。一成なら変えられるから」

 

 けど、反対に蘭は強い眼差しで、過去じゃなくて未来を指す。かつて大切だった、夕焼けを一緒に見た幼馴染を、仲間を、幸せにするために。

 今度こそ、あの黄昏を過去にしないために。蘭はここにやってきたんだな。

 

「……連絡しなくて、ゴメン。アタシも、ケジメをつけなくちゃって思って。連絡したら、会いたくなるから」

「そうだな。もう()()()()()()()()()()()()()()

「うん」

「蘭は今、幸せか?」

「ぶつかることもあるけど……幸せだよ」

「なら良し。よく頑張ったな」

 

 前のままじゃいられねぇ。そうだ、その当たり前のことが、モカを苦しめてるんだ。それをオレは奇しくもかつての生徒たちに教えてもらった。

 星はいつでも見てる。欠けたピースには私がいる。見送るまで休憩をしている。まだ遅くない。

 やっぱりオレは、モカにとっての間違いしか選択できそうにねぇな。この正解を口にするには、そこに辿り着く過程が、あまりにも正解からかけ離れてるんだよ。千聖もヒナも紗夜だって、それも多分わかっての言葉だったんだろうな。

 

「こっちですよ、モカちゃん先輩!」

「え~、あ、一成、と~蘭……だよね?」

「モカ……久しぶり」

「……そーだね~、ひさしぶり~」

 

 というわけでオレは結良にモカの息抜きをしてやってくれと頼んだ。午後は空いてるの知ってたからな。多分食いまくって、んでココまでやってきたんだろうけど、細かく連絡をしてたとは言え、ナイスタイミングだな。

 今のモカは素の顔をしない。当然だな。蘭に結良、羽沢もいるし、そこでオレに見せるのと同じ黒は見せたりはしねぇ。でも、引きずり出すのは、案外簡単だ。

 

「それで~? 一成はなんでそんな真剣な顔なの~?」

「真剣なハナシがあるからな」

「え~、モカちゃんぴんちだ~、ゆーたんたすけて~」

「……別れよう」

「──え?」

 

 蘭も結良も驚いた顔をした。そりゃそうだろうな。切り口がいきなりすぎるよな。けど、これは本気で考えたことでもある。今のまま、モカが幸せにならねぇくれぇなら、それも、一つの手段だと、オレは思う。

 

「ど、どーして……? あたし、なにかした……?」

()()()。オレもお前も、お互いになにもしてやれてねぇから」

「そんな……こと」

「あるだろ。つかお前は二人きりで将来、とかそういうの考えてなかったんだから」

 

 連絡をしなかったヒナに対する反応、そして蘭のこと、思い起こせばヒントはいくらでもあった。モカの望みは、幸せは、オレとの家庭を持つことでもなく、オレを独占することでもなかった。蘭がいて、ヒナがいて、んでモカがいて、そうやってオレを取り合ってんのか共有してんのかよくわかんねぇ、状況が、モカにとっての幸せだった。

 青葉モカは、あの黄昏の日々をずっと過ごしていたかったんだ。まるで、進まない時を永遠に過ごすように。

 

「蘭から離れた理由、教えてもらってなかったけどコイツが変わろうとしたからだろ? ヒナも同じだ。お前はヒナを追いかけてほしいってオレを誘導してた」

「……そんなの、でたらめで……」

「逆に千聖と紗夜は引き離したんだろ? まぁノっちまったオレも悪いけど。でもそれでもオレとの関係は切れないと踏んでの計画だ」

「それって……ホントに、あの頃のままでいたかった、ってこと?」

 

 そう、モカは羽丘にいた頃、それもヒナたちが高二で、モカと蘭が高一だった頃が、ずっと続けばいいと願ってたんだ。明日を一番信じてねぇのはオレだと思ってた。けど、その明日を嫌ってたのは他でもねぇ、モカだったんだ。

 でも、みんな大人になって、オレから離れていってどんどんと変わっていくことにモカは苦しんでた。それが完全に壊れたのは、結良の存在だ。

 

「え、わたし?」

「結良はモカの中でいちゃいけねぇ存在なんだよ。自分たちがいなくなった後の()()()()だからな」

「……そっか」

 

 だからモカは結良のことを気にして、警戒してた。オレがこれからも教師としての理想を追いかけていくのに、結良は絶対に必要になる。つまり結良はモカが嫌う明日に繋がるヤツだからな。そう結論づけていると、違う! と叫ぶ声が響いた。モカが、叫んだ。

 

「みんなあたしを置いて行ったんだ……蘭も、日菜さんも、一成も、先に進むことばっかりで……」

「モカ、でもそれが……」

「あんなに楽しかったのに? あんなに、いっぱい笑えたいつも通りを捨てた蘭に、なにも言われたくないよ! なんでダメなの? なんであの日をずっとって思っちゃダメなの? 一成、ねぇ……せんせー……」

「そんなの……」

 

 ダメに決まってんだろ。水が流れ続けてねぇと淀むように、それこそ、黄昏はいつか夜に沈むように、オレんちに置いてあったお前のマグカップが割れたように、同じものがソコに永遠にあり続ける、なんてことはねぇんだよ。だから変えてかなきゃいけねぇ、それは避けられねぇことなんだよ。

 それでも駄々をこねるようにかぶりを振り続けるモカに、ポツリと言葉を発したのは、結良だった。

 

「……ダメだよ、モカちゃん先輩。カズくん先生だって、ヒナちゃん先輩だって、()()()()()()もみんな、それがずっと続くなら続いてほしいって、思ったハズだよ。でも、続かないから、イヤでも前に進んだ。幸せは、ずっと続くものじゃないから。新しい幸せを、どんどん、見つけてかなきゃいけないから」

「結良……」

「わたしね、モカちゃん先輩。好きなヒトがいるんだ。でもそのヒトは今、他のヒトを幸せにするので精一杯で振り向いてなんてくれないけど、それでも幸せで……ずっと続いたらいいのに、っていつも思ってるよ」

「なら……」

「うん。だからね、卒業したら、もっと幸せになれること、探したいんだ。幸せを探す度をしたい。わたしはそういうのが、人生だなって思うよ」

 

 ──その言葉に茫然としたのは、モカよりオレだった。いつの間にか、ただのお気楽ものじゃなくなってたんだな、お前は。ホント、結良はオレにはデキが良すぎる生徒だよ。

 んで、悪いな。その気持ちに応えてやれなくて。その寂しそうな顔をさせちまった責任はとるさ。後は、オレがモカに言葉をかけてやる番だ。

 

「……でもな、変わんなくていいこともある」

「……え?」

「例えばお前の気持ちとかな。ずっとオレを見てくれたこととか、食う時にめちゃくちゃ幸せそうな顔するとことか、寂しがりで、一緒に寝る時に抱きしめてやらねぇと嫌がるとことか」

「ちょ、ま……最後の、いる?」

「今までの仕返しだ」

 

 黄昏はいつか紺碧の夜空に変わる。けど、その夜空は朝焼けに変わって、太陽が昇る蒼天になって、また黄昏がやってくる。そのサイクルは変わらないもの。変わっちゃいけねぇもので、それはオレが愛してるモカの根本と同じってことだ。

 もう、ヒナと蘭はいなくなっちまった。結良の言う新しい幸せってヤツを見つけちまったからな。だったらモカも、新しい幸せを探してほしい。それができるんなら、別れなくて済みそうなんだけどな。

 

「……新しい幸せ」

「モカ、それこそ……一成と付き合って、思うところもあったんじゃない?」

「……あった。あったよ、せんせー、じゃなくて、一成って呼ぶようになって、たくさん一成の先生じゃない一面を見たもん」

 

 教師じゃねぇオレと過ごして、やっぱりモカも変わるきっかけは見つけてたんだな。そういやお前、いつの間にかせんせーって呼ばなくなったな。それも変わったことじゃねぇか。涙で腫れた目で、モカはじっとオレを見る。そして、うん、と納得したように頷いた。

 

「あたしのこと、本気で愛してくれて、色んなところに連れてってくれた。すごいんだよ。テレビで見たご当地のグルメをおいしそーだな~、って言うと、じゃあ、って連れてってくれるの。最初はびっくりしちゃった。けど、それはあたしが恋人だから、だよね」

「ああ、生徒にはそんなことしねぇよ」

「あと、意外と手を繋ぎたがるんだ。歩くときとか、バスに乗っても、車で助手席座ってる時も」

「そうだな。割とモカに触れていてぇって思ってるな」

「あと、あとね……えっちの時は、すごく求めてくれる。それが、すごくきもちよくて……幸せ」

 

 バカ、そんなことまで言わなくていいんだよ。と思ったらモカは舌を出して微笑んだ。さっきの仕返しのつもりかよ。

 次から次へと出てくる、教師じゃなくて一人の男としての清瀬一成を語るモカの表情はホントに幸せそうで、結良も、蘭も、笑顔に変わっていく。

 

「……だから、あたしの次の幸せはきっと、一成の一緒にいることなんだと思う」

「うん。独り占めしていいから」

「そーする。蘭にはもうあげないからね~……えへへ」

「いらない」

 

 いらない、は傷つくんだけど。お前の卒業式の涙は何処に行った。そんな和やかになっていく、漸く苦し気な空気から脱却していく中で、モカは結良に深々と頭を下げ、ごめんなさい、と謝罪をした。

 唐突のことで結良は、へ、は? と言葉にならない声を上げてる。そうだな、結良は本人の意思云々は関係なく、謝罪してもらうべきだろうな。

 

「あたしね、ゆーたんのこと、敵だと思ってた……あたしのいつも通りを崩す敵だって。でも、一成を支えてくれてるんだって知って……ホントにごめんなさい」

「わたしとモカちゃん先輩はいわば同志だから。幸せになってくれないと、わたしも幸せになれないから」

 

 どうやら結良とモカもわかり合うことができたみてぇだ、よかった。そんな感慨に浸ってると、蘭に、ほら、と促された。わかってるよ。今日はこれで帰るけど、わかってんだろうな。今度またココに集まるからな。お前だけは現状を何一切聞いてねぇんだから、根掘り葉掘り聞いてやる、覚悟しろよ。目線でそんな恨みに近い視線を送って、オレは手を繋いでモカと羽沢珈琲店を後にした。

 

「……別れない、よね?」

「安心しろ。第一それはオレの意思に反してる」

「うん……ごめんなさい」

「いいんだよ、もう。オレこそ、いきなり別れようなんて言って悪かった」

「あたしも、もういいんだ……別れるって思ったから、気づけたってゆーのもあるしさ……一成があたしをこんなにも愛してくれてることにも、ちゃんと気づけたから」

 

 なんつうか、やっと始まりって感じだな。二年近くに及ぶ恋人ごっこを経て、オレとモカはやっと新しい幸せに向かって歩き出した。そうなれば今度はまだまだ経験してなかった苦しいことが待ってるハズだ。

 けど、もうモカは変われる。オレも、変われた。だから、きっと、大丈夫だ。()()()()()()、今日より幸せになれるからな。

 

「お腹減った~」

「お前……結良とクレープ食ったんだろ?」

「だって~、泣いたらお腹減っちゃったんだも~ん」

「……ったく。なんか食いに行くか」

「やった~、焼肉たべほーだいだ~」

「なんかって言ったよな?」

 

 取り敢えず、頃合いを見て同棲から始めてみるか。ぐうたらモカのことだ、家事とかはオレが結構やんねぇといけねぇだろうけど、まぁそんなこと、些細な問題だよな。

 オレにはモカがいる。モカにはオレがいる。今はそれで、それだけで幸せだからな。

 

「ねぇせんせー? あたしは、まだ幸せになれるかな?」

「当たり前だろ、なにせオレがいるんだからな」

「……うん」

 

 ──雪柳は慎ましく風に揺れる。たまらなく幸せなこの一瞬を胸に。このもしもを知ったモカはなんて言うんだろうな。

 いや、その前に今どういう状況か教えてもらうところからだな。もう恨んでくれるなよって祈りながらオレから電話をしてやるのも手か。とりあえず、幸せならそれでいいけどそうじゃねぇんなら、オレを頼ってくれよ。オレがいるんだからな。

 

 




明日を信じてやれないクズは、モカを通じて信じてあげること、信じさせてあげることの大切さを取り戻しました。
どんどんと笑顔が増えていく。未練の先にある、幸せへの道を。


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⑧蘭華ハッピーエンド

五人目はもちろんメインヒロインだったはずのこのヒト


 四月、羽丘の高等部に進学したばかりの美竹蘭は、華道の家元である自分の家を継ぐことに反発してた。自分には音楽があるんだと。しかし同時に些細なことでバンドメンバーであり幼馴染とも喧嘩をして、モヤモヤした思いを抱えて授業中だってのにもかかわらずに屋上にやってきた。

 そして、そこにいた不良教師(オレ)と出逢った。校内禁煙の場所でタバコを吸い、完全に聞いてはいけない一言を発した、オレに。

 

「その辺のJKを落とせば……オレの人生も黒から薔薇色へ……」

「……通報していい?」

 

 そんなつもりはなかったさ。いや、今考えれば少しはあったのかもな。どっちにしろその出逢いが、全ての始まりだった。

 蘭の存在にヒナが嫉妬して、モカが脅迫してきて、オレはだんだんとクズ教師として変わっていく。自分の傍にいてくれる生徒たちを笑顔にするために、尽力するようになっていく。

 けど生徒と教師って関係はずっと続かねぇ。フツーは久しぶりに会っても生徒と教師だろうけど、オレとアイツらにはカラダの関係があったから。お互いに好きと言い合った関係があった。それじゃあやっぱ、生徒と教師って関係は、最後には崩れちまう。

 ──打開策はただ一つ、オレが覚悟を決めること。覚悟のままオレはただ一人の生徒を恋人にしなけりゃ、アイツらは納得しねぇ。

 

「その辺のJK落として、薔薇色だった?」

「そうだな、薔薇色だった」

「通報していい?」

「いいのか? ちゃんとオレはお前を幸せにしてやりてぇんだけど」

「……そっか」

 

 だから蘭たちが卒業する日、始まりの屋上で待っていてくれた蘭に告白をした。誰でもよかったってわけじゃねぇけど。オレは蘭の、蘭なら明日を信じてもいいんじゃねぇかなって思うようになっていた。自然と、漠然と。

 

「今日、親父さんにも伝えた。蘭が了承してくれたら、オレは美竹になりますってな」

「……一成!」

 

 実際は家元関連の活動以外は清瀬、でいいどころか、蘭を嫁に出してくれるとまで言ってくれた。そちらの方が教師としての仕事も続けやすいだろうからと。

 その時の親父さんの顔は、やはりキミが娘を幸せにしてくれるんだ、という安心と祝福の笑顔をしていた。

 ──そんなこんなで卒業後、四月になって、流石に一日はやめておこうと決めて翌日に、オレと蘭は入籍した。普段はお互い別姓を名乗って、二人一緒の時だけ同じ姓、そういう生活だ。

 

「おはよ、一成。今日もいい天気だよ」

「……おはよ、蘭」

 

 そうしてバタバタとしているうちにオレと蘭の結婚生活はもう一年以上経過して、蘭はハタチになった。青春に振り回されることなく少し落ち着いた蘭、生徒に手を出すことも屋上で黄昏ることもなくなったオレ。

 青春ガールズロックでも、黄昏ティーチャーでもなくなった、オレと蘭の生活は、ひどく春の日差しのように緩やかで、幸福で溢れていた。

 

「今日はなんか美竹の方で用事あるのか?」

「別に、ただ、つぐみのところに遊びに行こうかなって、それだけ」

 

 Afterglowとしての活動は、結婚後も続いてる。一部では曲調が変わったとか、尖ってる感じがなくなったと酷評されたらしいけど、オレからすればそれは当然で。

 そりゃ、今まではコイツの青春を歌ってたんだ。今のコイツは違うさ。でも蘭のカッコよさは失われてねぇから、オレは好きだけどな。

 

「なるほどね、偶にはオレもついていくかな」

「きっと、喜ぶんじゃない?」

 

 羽沢や宇田川たちとはよく顔を合わせる。今日もきっと羽沢珈琲店でたむろってるんだろうなっつうことも容易に想像できるから、蘭の言葉にはすぐ誰か思い当たった。アイツのことだな。ちょくちょく天文部にも遊びに来ては、ゆーたんはいい子だね~、とウチの生徒をかわいがってるヤツ。この間モカのカレシが結良にカノジョを取られそう、って泣いてたって蘭が言ってたのにアイツは。

 

「一年半、ずっと見てたけど」

「ん?」

「結局、一成はアタシ以外の子、抱かなかったね」

「……あのな。一応奥さんのいる身だからな? 流石に親父さんに殴られるようなことはしねぇよ」

「一成のクセに」

「なんだと?」

 

 まぁけど、蘭の評価もあながち間違いじゃねぇな。あのバカどもはまるで選んだら最初からこうするつもりでした、と言わんばかりにオレとの関係を、カラダを除いた生徒と教師の関係にしやがった。だからカレシの愚痴、恋愛相談、近況報告なんてのはまぁしょっちゅう来るけど誰ともキスとか、ヤったりだとか、そういうのは一切なくなった。

 結局、誰かを選べば恨みっこなし、というかオレがちゃんと幸せになればいいってことか、と苦笑いが出ちまうけどな。

 

「あ、せんせー、おはよ~」

「お、清瀬先生は奥さんの同伴っすか?」

「巴~、蘭がめっちゃにらんでるよ~!」

「おじゃまするな、羽沢」

「はい! ゆっくりしていってくださいね!」

「巴、ますますオッサンくさい」

「ひどいぞ蘭!」

 

 騒がしいないつもいつも。まぁ、まるであの頃を見てるようでオレは微笑ましく見守らせてもらうとするかと思ったら、なにやら視線を感じた。視線のした方向には、いつまでも変わらねぇぶっ飛んだバカ二人組が紙を広げてなにかをしていた。

 

「なにやってんだお前ら」

「さーくる活動? って言うのよ!」

「そうそう! でさ、今度は北アルプスの方行こうよー」

「いいわね! きっと星も近く見えるわ!」

 

 お前らは登山サークルでも立ち上げたのか。前も山登ってたろ。そんなツッコミをしたくなるような天体観測サークルを一緒に始めたらしい弦巻こころと氷川日菜の二人。相変わらずコイツらの笑顔はピカピカで、自然と頬が緩んじまうな。

 

「カズくんも一緒に行こうよー。羽丘天文部としてさ」

「そうね! 先生と結良も一緒ならもっともーっと楽しくなりそうだわ!」

「日程が決まったら言ってくれ。結良とも相談しなきゃならん」

 

 絶対にアイツには、またヒナちゃん先輩と、こころん先輩かー、と苦笑いされるに決まってるからな。コイツらのむちゃくちゃに振り回されてそろそろもう二年目、結良もいい加減慣れてきちまってるんだよな、悲しいことに。

 あちこち賑やかな羽沢珈琲店。若宮がお代わりはいかがですか? と来てくれたのでありがたくコーヒーのお代わりをもらう。最近は羽沢が淹れることもあるらしく、これがマスターに負けねぇくらいおいしいってんで、娘の成長にマスターは男泣きしていた。うん、今日も最高だ。

 

「あ、いらっしゃいませ! これは、チサトさん!」

「あらイヴちゃん。貴女もオフだったのね」

「ハイ!」

「そして……ふふ、こんにちは」

「流し目はやめろ、千聖」

 

 何故か空いてる席じゃなくてオレの向かいに座りやがったのは白鷺千聖。女優でアイドル、その輝くような美貌が放つ鉄壁のスマイルは、世のティーンエイジャーたちを虜にしていく。そんな賛美を書かれた雑誌を見かけた後だから、少しだけ笑ってしまう。実はファン層が10代だけじゃなくて40代くれぇにも人気なんだよな。小柄なクセに妖艶、意外と男ってそういうのに弱いんだよな。

 

「一成さんは私に見惚れるのいいけれど、後が怖いわよ?」

「一成?」

「……余計なお世話だ」

 

 なんかポンコツ赤メッシュが睨んでくるな。まぁ気のせいとして後で宥めておくか。じゃなくて別に見惚れてねぇよ。心の中で笑っちまっただけで。

 そんな清廉ながら妖艶っつう二つの顔を持つ千聖、カレシ持ちでしかもぞっこんってのを知らねぇヤツがほとんどなんだなって思うとついな。

 

「んで、今日はオレが紹介してやった愛しのカレは?」

「仕事よ、しごと。はぁ……誰かさんと一緒で仕事熱心で、時折妬けてしまうわ」

「誰だろうな、ソレ」

 

 まさかオレとか言うなよ。オレはこんなところでのんびりできるくれぇにはサボってるから、その評価には必死に首を左右に振らざるを得なくなっちまうからな。まぁ、仕事熱心なヤツってのは知ってるし、そのひたむきさがお前の心を掴んだポイントだろうが。

 そこで始まるデート談義、と言う名のほぼ千聖の愚痴を聞いていると、またしても客がやってきた。今日はやけに多いな。いつもは静かなんだけどな。

 

「だから、そーゆーときにさ、料理とか作ってあげるんだって! 胃袋掴んでこそ!」

「なるほど。流石は想い人に後一言が出なかった今井さんですね」

「ちょっと紗夜、喧嘩売ってるよね、ソレ?」

「いえ、本心です」

 

 ギターとベースを背負った女性二人、氷川紗夜と今井リサのコンビが来店してきた。その二人はオレと千聖に気付くとにこやかに手を振りながら紗夜はオレの隣に、千聖の隣にはリサが座ってきた。だからなんで空いてる席じゃなくてオレんとこなんだよお前ら。

 

「あれ~、カズセンセー浮気ですか~?」

「いけませんね、奥さんがいるというのに。しかも芸能人と」

「あのな、その奥さんソコにいるからな?」

 

 ほら、なんかポンコツ赤メッシュがそわそわしてモカに怒られてるじゃねぇか。相変わらず嫉妬しだすとポンコツ化するんだからやめろよな。つか揃いも揃ってオレを介してウチの奥さんいじめんなよ。

 

「おねーちゃんだ!」

「日菜、ここにいたのね」

「うん! あ、そだそだ! リサちーもおねーちゃんも千聖ちゃんもさ、よかったら一緒に天体観測行こうよ!」

「……まず、いつにするかを決めてから誘いなさい」

「だからみんなの予定を訊きたいんだってばー」

 

 ヒナとこころが隣の席に移動してきて、また更に騒がしくなっていく。スケジュール帳にびっしりと文字が埋まってる紗夜と千聖にリサがさすが~、と感嘆し、こころがこのハートはなにかしら? と千聖のスケジュール帳を指さす。カレに会った日よと嬉しそうに話して温度の上がったところで、ヒナが、あはは、千聖ちゃんこどもっぽい! と笑って千聖と紗夜を怒らせる。

 

「センセー、なんかニヤニヤしてない?」

「ふふ、とーっても面白いものを見つけたって顔ね!」

「わ、私のスケジュール帳……じゃないでしょうね?」

「いやー、カズくんのことだから、ねぇ?」

「ええ、どうせ。考えてることはもっと単純ですよね?」

 

 うるせぇな。なんか本来こんな風にならないと思ってた気がしてなんとなく感慨に耽っちまったんだよ、悪いかよ。

 最初は、誰も選ぶつもりなんてなかった。けど、蘭を選んだことでこの未来があるなら、この明日があるならそれでよかった。そう思ったんだよ。それはこの間見た夢のせいなのかもな。

 

「あ~、なんかたのしそ~だ~、あたしもまぜて~」

「も、モカ! なにやって!」

「あ、つ、つい、昔のクセで……あはは~」

「カレシに怒られても知らねぇからな」

「ナイショにしとこ~」

「もう、それくらいならいいけど。なんのハナシしてたの?」

「うん。今ねー、天体観測に行こうって予定を合わせてるんだー」

 

 なんか、オレとしては顔馴染みになっちまったメンバーが楽しそうにお互いの予定を出し合って、行く方向で話し合ってる。それが、オレにはすごく幸せなことだ。こうして、オレは教師として、卒業していった生徒たちにとっての記憶に残って、そして、幸せな時間を手に入れてる。

 そうして、夕方までAfterglowをも巻き込んでの賑やかな会議は終わり、まるで学校が終わるかのように、それぞれの帰り道を歩き出した。また明日、ってまた明日もかよ。まぁ、いいけどさ。

 

「……ら、蘭さん?」

「……なに」

 

 そしてこちらはとても不機嫌なご様子の美竹蘭さん。わかりやすくむすっとしてる。なんだお前かわいいな。

 じゃなくて、ここで迂闊なこと言うとめんどくさいことになるからなぁ、けどまぁ原因はとてもシンプルでわかりやすい。結局紗夜が隣を空けてくれず、隣の席にはヒナがいたから、蘭からオレは結構遠いところにいたんだよな。

 

「ほら、蘭」

「ヤダ。どうせすぐそこだし」

「そうかよ」

 

 手を繋ごうとしたらフラれた。どうせ拗ねてたって夜には怒りながら構ってくれなかったって甘えてくるクセに。こういう強情で嫉妬するとポンコツなところは、まぁなんつったらいいか、惚れてなかったらキレるところだけど、まぁ、そういうトコも含めての蘭だからな。

 

「浮気してたか、オレ?」

「うん」

「早いな、判定も頷くのも」

「だって、デレデレしてた」

 

 リサとこころは違うけど、残りの四人とはかつて、なにもかも曝け出して愛まで囁いたことのある連中だ。蘭がこうなるのは当たり前だけどな。しかもオレは好きになった女を案外思い出に残しちまうタイプだってことも、蘭は知ってる。その時も、納得はしたけど、嫉妬はするって言ってたしな。

 

「えっちしなきゃセーフなんて、言わせないから」

「言わねぇよ。オレと蘭は夫婦、だからな」

「……うん」

「不安そうな顔すんな。別に蘭が嫉妬してわがまま言ったくれぇで、オレはお前を捨てたりしねぇし、キライになんてならねぇよ」

「……ウソ」

「ウソじゃねぇ」

「ウソだ、ウソつきだよ」

 

 部屋の前に着いたところで、とうとう蘭は泣き出しちまった。まぁ、あそこまで全員が集まったのはマジで久々だったからな。それだけ蘭も当時のことを思い出したんだろうな。

 楽しいし、あの時間は幸せそのものだったけど、誰が選ばれるか、不安を抱えてたあの頃、選ばれた後じゃ、余計にそうなのかも。

 

「ウソじゃねぇよ。オレは蘭を愛してる。アイツらの誰でもなく、蘭を愛してるから、今一緒にいるんだろ?」

「でも、後悔してたら……」

「そんなことあり得ねぇよ」

「どうして?」

「……夢を見たんだ」

 

 そう、最近見た夢、それは悲しくて、けど不思議な夢だった。オレが覚悟を決められずに誰も選ばなかった今。それは教師として充実しながらどっかで寂しさを抱えるっつう夢。

 ヒナが寂しそうに笑って、蘭が少し怒ってるようで、モカはいなくなって、千聖と紗夜は、まだオレっつう未練に苦しんでる、そんな今。

 そんな夢を見たからこそ、思ったんだ。誰を選んでもきっと後悔はしなかったってな。あ、でもきっと千聖と紗夜、んでモカは絶対に拗れるだろうな。アイツらとはまだまだ分かり合う時間が足らなかったように感じる。逆にヒナとは、まぁ昔のまま、自然にケンカして笑って、結婚すんのかもしれないな。

 

「前に言ったろ? 全員がむちゃくちゃ美人で、一人だって勿体ねぇって思ったくれぇだって」

「……うん」

「だから、後悔なんてしねぇよ。今ですら、オレには充分な幸せだからな」

「そっか……うん」

 

 そしてオレと蘭は眠りについて、また明日を迎える。まるで同窓会のような雰囲気に包まれる貸し切りの羽沢珈琲店で、生徒たちの笑顔に包まれて、オレはハッピーエンドを迎えるんだ。

 今日も、明日も、そのまた明日も、この未来が続くかぎりを、蘭と、幸せに過ごしていくんだ。

 

「アタシさ」

「おう」

「一成のことが好き。でも、好きすぎて一成のこと見えてなかった」

「いいんだよ。子どもが大人の顔を伺うようになっちまったら終わりだ。オレがちゃんとお前らを対等に扱う勇気がなかっただけだからさ」

「……なら、今度は」

「おう。ちゃんとお互いに幸せについて考えられるといいな。大丈夫、オレたちには明日があるんだろ?」

 

 ──蘭の華は夕焼けの中でロックを歌い続ける。たまらなく幸せなこの一瞬を胸に。このもしもを知った蘭はなんて言うんだろうな。

 とりあえず怒ってくれるんだろう。んでその後はちゃんと笑って顔を突き合わせてくれる。オレにとってお前は世界一カッコいいヤツだよホントに。そういう女だもんな。

 

 




これでメイン五人が完了。もはやこれでも実質ハッピーエンドだよね。でも続くんだよ。


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⑨緋椿ハッピーエンド

六人目はサブヒロイン、戦う前からの負けヒロインでございます


 それは今から数年前のこと。まだアイツが学生の頃の話だ。その時は少なくとも自分が生徒と恋仲になるなんて思いもしなかったな。けど出逢ったんだ。羽丘でオレは、今井リサと出逢い、恋をした。

 まぁ好きになったと言っても、最初の印象は、そうだな、ヒナの保護者って感じだな。

 

「あの……先生」

「ん、どうした?」

「実は……わかんないことがあって」

「えーっと、この赤線とこ?」

「はい、訳が変になっちゃって」

「なるほど」

 

 リサとのファーストコンタクトはこんな風になんというか生徒と教師の関係としてあまりにフツーだった。でも、オレはコイツもかとちょっとだけ落胆した記憶があった。なにせおっかなびっくりだったんだからな。

 

「なぁ今井」

「……なんですか」

「お前もオレの噂、知ってるのか」

「まぁ、はい……」

 

 まぁ信じるか信じないかなんて自由にしてほしい。そんなのはどうだっていい。当時のオレは無気力で不良教師だったから。でもリサは段々とオレに対する関わりにおっかなびっくりが消えていくのが目に見えてわかった。二度目はちょっと遠慮がちに、んで三度目からは遠慮も消えた。

 

「そういえばセンセって、ヒナの天文部、顔出してる印象ないんですけど」

「そりゃ、氷川の活動に関わると頭がおかしくなるからな」

「あ、あはは……確かに」

 

 フツーだった。なんつうか見た目は派手だし結構目立つ存在だしでオレとしては関わることなんてねぇんだろうと思っていただけに、リサとのフツーの生徒と教師の関係が続いているのが、オレの中ではリサはぶっちぎりに印象のいい生徒になっていた。だけどそれだけに、実際にヒナとは身体の関係があって、オレは評価通りのクズもいいところだってことがオレとリサの線を区切らせていた。

 

「それじゃ、カズくん! 約束したから絶対きてよ!」

「先生つけろっての、わかったよ……ったく」

 

 その線が壊れたのがGW前のことだった。いつものようにヒナと屋上で背徳交わるランデブーの後、流星群を見に行きてぇって引きずられる約束をしたところでオレは一人でなんだかなぁと空を見上げた。段々と紺色になっていく空で一人静かにタバコを吸ってから帰ろう、そんな風に考えていた時だった。

 

「あれ……うそ、清瀬センセー、いたんだ」

「今井?」

 

 屋上の扉が開いて誰がやってきたのかと思えば、そこにはジャージ姿で汗を拭くためか顔周辺にタオルで抑えるリサが来た。オレがここでタバコ吸ってるってことを忘れちまってるくらい、暗い顔でな。ここで()()()()()()()()()、気付かねぇフリをしただろうけど、流石そんな顔されてちゃ、オレだって訊かねぇわけにはいかない。

 

「どうしたんだよ。なんかあったのか?」

「え、あ……ううん、なんにも。大丈夫、だから」

「大丈夫って……そんな顔してねぇだろ」

 

 笑顔を無理やり作ろうとするリサだったが、明らかに大丈夫じゃねぇ。そうかよなんて引き下がるわけにもいかねぇからオレは逃げ出そうとするリサの手を取った。タオルが首から離れて、泣き腫らした顔がオレを捉えた。

 

「だいじょうぶ……アタシの、コレは、自分で、なんとかしなきゃ、だから……」

「ふざけんなよ。ここでオレに見つかったのが運のツキだよ」

「……なんで」

「そりゃそうだろ。お前はいつもいつも世話焼きで、スゲーヤツで、お前だったらこんな状況で放っておかねぇ──」

「──それがっ、それがダメ、なんだって! アタシの、どうしようもなく、ダメなトコだったんだって……」

「……は?」

 

 感極まったのか、それとも観念したのか。あのね、とポツリポツリとリサは語り始めた。自分には高校一年生でコンビニのバイト先で出逢って、付き合ってた二つ年上のカレシがいたこと。そのカレシに、浮気された挙句にフラれちまったことを話してくれた。お節介だ、なんて言われたこと。なんでも気が回りすぎる今井より、自分を立てて、尊敬してくれる女の子に、靡いたこと。

 浅はかだな。浅はかすぎる。それで、そんなことでお前は捨てられたってのか。こんなにいい女が、こんなに、気が利いて、それでいていつも小さなことで悩んで笑う、年相応のコイツが。なんでそんなくだらねぇことで捨てられなきゃならん。

 

「しっかしその男は、見る目ねぇな」

「……それ、もしかしてアタシを褒めてくれてます?」

「当たり前だろ。オレはお前のこと買ってるんだからな」

「……そっか」

「んじゃ送ってくよ。最近不審者が多いらしいし」

「え~、襲いませんか?」

「バカ」

「あはは、冗談ですって☆」

 

 これが転換点だった。それから、ヒナじゃなくてオレに会いに来てくれるようになった。ヒナがオレのとこまで突撃してくるまで屋上で他愛のないハナシをし続けたこともあった。

 それが、いつの間にか教師と生徒の枠を飛び越えた。ありきたりでつまんねぇ理由だけど、その時間はリサにとって、教師と生徒の関係以上に心に残ったんだと思う。

 ──ただ一番問題だったのはやっぱりオレがどうしようもねぇクズだったということ。ヒナやリサだけじゃなくて蘭にモカ、千聖に紗夜と抱く女が増えること増えること。しかもヒナのことずっと隠してたってことがバレた時には本気でヤバかった。

 

「それじゃあセンセーなんてアイツとおんなじじゃん! アタシは、アタシはキープなわけ!?」

「そうじゃねぇ」

「……そうだよね、ガキのことなんてみんなアソビなんでしょ? どうせ、身体が目当てなんでしょ?」

 

 思い出しただけでも胃が痛くなるな。だけどその日々こそが教師としてのオレをも成長させてくれる大事な機会になった。由美子との過去と向き合うきっかけにもなった。そして、時間が流れて、卒業してから一年が過ぎ、二年生になったリサと買い物に……デートに出かけた時のことだった。

 

「誰もいなくなって、センセーは寂しくないの?」

「誰も、じゃねぇだろ」

「え?」

「紗夜にもやっと相手が見つかったんだ。オレもようやく、()()に愛を届けられるってなもんだ」

「え……えっ?」

 

 そう、ずっと待ってたんだよ。つかアイツらも薄々は理解していたらしい。だからこそオレの言葉にわかったと笑って、泣いて、怒りながらも別の相手を選んでくれた。こうやって最後の一人になるまでの時間待たせて悪いなとか思いながらな。

 

「リサの言うフツーの恋、それができねぇといけねぇだろ?」

「う、浮気……しない?」

「自信はねぇけど、これからはガチで怒ってくれ。オレはリサの恋人になるんだからな」

 

 そんな数年の遠回りをしてからすぐ、オレとリサは同棲を始めた。体感的には三年の付き合いなんだ、もう今更曝け出すものもねぇオレたちはまるで最初からこうなる予定だったかのように二人の生活を続けていた。

 

「ただいま」

「あ、おかえり~、お疲れさま~♪」

「いい匂いだな」

「今日は自信作~♪」

 

 同棲から一年半、リサは大学三年生になりオレは未だ幸せなことに教師を続けていた。よくよく考えると捕まらずによくここまでこれたなと担任をしながら考えている時が増えた。それは、変えるとこうやって陽だまりの笑顔をくれるリサがいるからなんだろうな。

 

「あ、せっかくだし定番のアレ、やっとく?」

「なんだよ。風呂よりメシよりリサって言ってもいいのか?」

「……バーカ、えっち」

「自分で言ったくせに」

 

 こんな具合でバカップルをやらせてもらってる。順調すぎて、なんなら大学卒業くらいには結婚するかみたいなハナシもするようになった。ちょっと前には指輪も見に行ったり、式場のパンフレットを見たりして、リサはこれからの幸せに頬を緩ませる毎日だった。

 

「んじゃあまぁ、メシができそうならそっちを先にするよ」

「ん、もうできるから、先に着替えてきなよ」

「そうする」

 

 ネクタイを緩めてスーツを脱いでクローゼットにかけて、今日も終わったっつう感じだ。パタパタと食器を用意してくれるエプロン姿のリサが用意してくれる料理の匂いも、その感覚を増幅させてるな。

 そして、二人で机を囲んで、お互いのハナシをしながら食べるのが、リサが決めたルール。これは子どもができても続けるからね、と息巻いてたな。

 

「それで、来年はどうなりそう?」

「たぶん三年の担任だな。二度目だけど」

「そっかそっか」

「まぁ結良は喜びそうだよな」

「センセーのこと大好きだもんねぇゆーらって」

「久しぶりにそう呼ばれたな」

「あはは、確かにね、今は()()だもんね♪」

 

 ヒナはもちろんリサの不安の種だと思う。まぁなにせいつまでたってもアイツはかわんねぇからな。そうやって考えるのがフツーで、なにも感じねぇ方が不自然ってくれぇだ。

 それに結良も口には出してねぇけど、リサもオレも気持ちに気付いてる。一成は生徒って決めるととことん構っちゃうからねとリサは苦笑いで済ませてくれてるけど。

 

「つかそんなに不安なら、リサも来いよ」

「アタシ? アタシはなぁ……天文部じゃなかったしさ」

「けど、結良は絶対に喜ぶだろうけどな」

「そーかな」

 

 結良はオレと付き合ってるリサを敵視なんてしてねぇんだえけどな。アイツはオレの傍で部活を続けることが幸せなんだろうけど、それ以上に色んなことをしてみたい、世界はこんなに広いんだって思いたい、なんて言い出すようなヤツだからな。そんな小さなこと、気にしたりしねぇよ。

 

「……それはそれで、妬ける。負けてる感じするし」

「まぁ、リサちー先輩最近来ないな、って寂しそうに言ってたしな」

「そう言われると……もう、一成に似てずるい後輩だよ、ゆーらはさ」

 

 懐かれるとどうしても構いたくなるし世話を焼きたくなるってのがリサの性格だからな。無下にはできねぇと思ったよ。それに最近忙しそうだったし、偶には休んでもらわねぇとな。あの騒がしい後輩と同期の相手が休憩になるかはしらねぇけど。

 

「そういや、Roseliaはどうなんだ?」

「続けるつもりだって友希那は言ってた。みんなそれに賛成だって」

「そっか」

 

 どうやら色々あったがRoseliaはプロになるらしい。そのためには制限も色々とあるんだけど、湊はそれを受け入れたんだな。それもまた成長だ。アマチュアのままじゃダメなこともある。きっと事務所の方針みてぇなのには絶対に首を横に振るだろうけど、CDを出して、ライブを行って、もっともっと有名になっていくんだろうな。

 

「ん、でも忙しくなって、一成に会えなくなるのはイヤだなって」

「リサはそれを心配してたのか」

「……うん」

 

 リサらしいな。オレとしてはリサがずっと願ってた、湊の傍で、湊の力になるってことが叶った瞬間だから、もっと喜んでもいいと思うんだけどな。

 ──そういや思い出した。確か大学入りたての頃、リサのSNSが炎上した時のこと、コイツの今の表情はその時に似てるな。

 Roseliaに今井リサは必要ない。そんな話だ。孤高の歌姫として信奉するものが多い湊、超絶技巧をいとも容易く弾いてみせる紗夜、繊細に、だが大胆に弾きこなしてみせる白金、抜群のリズム感とパワフルさで圧倒する宇田川妹、そんなメンバーの中でリサだけは一部のファンにRoseliaの異物として扱われていた。

 そんな演奏だけ見てるヤツにリサの何がわかると言いたいところだが、ファンってのは演奏だけを見てるもんだ。コイツらの私生活は何ら関係ない。例え、リサの存在が、四人を支えてたとしても。

 

「あら、清瀬さん」

「よう湊、元気そうだな」

「そちらも……リサから聞いているわ」

 

 行きつけの羽沢珈琲店でのんびりしてた時、歌詞を考えていた湊に出くわし、オレはその事件のことを知った。

 珍しくため息の多い湊にどうした、と問い掛け、コレを見てくれるかしら、と白金からのメッセージを見せられた。

 

「随分と……会って話すのと印象と違うな」

「そうではなくて……コレを」

「……リサが」

 

 そこにあったのは、リサの投稿に心ない返事をぶつけるファンと思わしきアカウント。紗夜と一緒にお菓子を作ってた時の投稿に対して、もっと練習しろブス、だとか、Roseliaの、湊友希那のベースに相応しくない、だとか。思わず顔を歪ませる程の負の感情が、無機質な文章になって牙を向いていた。

 

「……やはり、知らなかったのね」

「ああ……リサはなんにも言って」

「心配かけたくなかった、ということでしょうね」

「ムカつくな……ああ、めちゃくちゃムカつく」

 

 なにも気づかなかったオレ自身に、素性がわからねぇからってなにも考えずに悪意を振りまいてリサが被害にあったっつう事実が、オレの心に火を点けた。

 ふざけてんだろ。なんでわざわざ、リサに見える形でそれを吐き出す。ああちくしょう、わかってるさ、人間の悪意や鬱憤なんて、自分だけで解決できたら苦労なんてしねぇってな。

 

「痛みをわからずとも、癒すことはできるわ。貴方にはリサの心の中に踏み込むだけの信頼を得ているのだから」

「……そりゃあお前だってそうだろ」

()()()。意味が違う……私の踏み込むリサの領域と、貴方が踏み込めるリサの領域は、別物だわ」

 

 幼馴染で、何をするのもいつも一緒で、そうやってお互いを尊敬し合ってきたリサと湊。だからリサは湊のことを気に掛けるし、湊は口に出さなくとも、リサのことを気にかけてるとわかる。湊がリサをベースに選んだのは、決してその友情だとか情けの問題じゃねぇ。オレは知らなかった事実だが、Roseliaを結成する以前、当時のアイツはネイルに凝ってたらしい。

 

「リサは、それを全部、剥がしてきたの。伸ばして、整えていた爪を深爪なくらいに切って、当然装飾は一切ない、そんな状態になっていたわ」

 

 それは、間違いなくリサの覚悟だった、湊は懐かしむように語った。だから私はリサがRoseliaに必要だと思った。そしてそれは、思っていた以上だったわ、とそこで初めて、微笑んだ。普段は無表情を貫く歌姫は、顔を綻ばせて、そう締めくくった。

 

「なんだそれ……カッコいいな、めちゃくちゃ」

 

 痺れた。しかもそれを、なんてことないように笑いとばしたってんだから、また痺れた。リサは、こんなところでオレにカッコいいところを教えてくれるんだな。そんな言葉に、湊は、でしょう? と誇ったような顔をしやがった。

 

「それが自慢の幼馴染(リサ)よ。だから、貴方は……」

「おう。サンキュな、湊。よくわかった」

「……ええ、リサのこと、よろしくお願いします」

 

 オレはリサを心配するのが仕事じゃねぇ。それでもRoseliaのベースであり続けるであろうリサの覚悟を、認めてやるのが湊のできることなら、支えてやるのがオレのできること、オレにしかできねぇことだ。だからオレは何も知らねぇフリをしてずっと傍にい続けた。それが正解かどうかは、知らぬまま。

 ──そしてRoseliaはもうすぐプロになる。そうしたらまた、あの時のようにリサは火を浴びることになるんだろうな。けど、リサはもう、自分を認めるっつう覚悟をした。だからもう、大丈夫だな。

 

「ねぇ一成?」

「なんだよ」

「さっきから一成が考えてること、当ててあげよっか?」

「なんだ急に、モカみたいだな」

「ふっふっふ~、ってカンジ? あはは、モカみたいにすごいヤツじゃなくて、一成だから使えるんだけど」

「んじゃあ、どんなこと考えてたのか、当ててもらおうか」

「んーとねぇ……アタシのこと」

「あーそうそう、さっすがー」

「当てずっぽうじゃないよ? アタシが炎上してた時のこと、考えてたんでしょ?」

 

 ──は? という間抜けな声がオレの口から出て、手から箸が滑り落ちた。マジかよお前、マジでモカと同等じゃねぇかそれ。

 なんでわかった。いやそもそもモカの時から思ってるけど、どうやって、そんな焦りにリサはしてやったりという顔で笑うだけ。悔しいんだけどな、そういうの。

 

「あはは、あの時、どんなに苦しいことを言われても、アタシを支えてくれてるんだなーってこと、実はわかってたんだ♪」

「……スゲーな」

「アタシは一成のカノジョだからね」

 

 負けた。負けだ負けだ。リサはオレの考えてるよりもスゲー女だよ。あの時、リサの覚悟を支えるために奔走したオレの頑張りをお前は知ってたっつうのか。んで、お前はオレの頑張りにいつも一輪の花をくれたっつうのか。

 

「アタシさ、世話を焼くのは好きだけど、逆はさ、あんまりってかケッコー苦手なんだよね……だから、アタシに世話を焼こうとする一成の世話を焼いたってワケ。どう?」

「バカだな、リサは」

「アタシにとっての癒しは、世話を焼くのを休むことじゃないんだ……我ながらめんどくさい女だと思うけど」

 

 リサにとっての癒しは、その世話を焼いた相手が、自分に笑顔を向けてくれること。ありがとう、と言葉にして、笑ってくれること、ってワケか。確かにめんどくさい女だな。

 ──好きになった自分じゃねぇ誰かの幸せこそ、今井リサの幸せなんだな。だから、リサは高校生の頃はいつもいつも、肝心なトコで一歩引いてたんだな。

 

「あはは~、バレてた?」

「まぁ、今気づいたけどな。でも今は……違うんだな」

「うん。だから言ったでしょ?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()ってか?」

「大正解♪ 流石は一成だねぇ」

 

 過去のセリフを参照にするのは悪いが得意技なんだ。ヒントになってなくとも、先に発言したのは全部ヒントだからな。

 そんなみみっちい特技は置いといてだからねとリサは微笑んだ。オレの幸せを自分の幸せとしてカウントする、優しくて残酷な女は、少しの不安を表情に出して、一言だけ、わがままを言った。

 

「もっと一成には幸せになってほしい」

「ホント、バカだなお前は。バカだよ」

「え?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 相手が幸せなら自分も幸せ? 相手の幸せが自分の幸せ? バカ野郎、そんなのオレだってそうだ。リサが笑顔なら、オレは今の選択に後悔なんかひとつだってねぇんだよ。リサが笑ってくれんなら、いつもみてぇに世話を焼いて、あはは、と朗らかに笑ってくれるお前がいれば、幸せなんだっつうの。

 いや、もうそうじゃねぇ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。なんだっていいんだ。泣いててもそこに寄り添えるのが幸せだ。怒ってたら、宥めたり、謝ったりして許してもらうまで気に掛けれることが幸せだ。

 

「だからなんだよ。だからお前と、一緒に暮らしてぇって思ったのは」

「……恥ずかしいじゃん。そんなのベタ惚れじゃん」

「ああそうだよ。悪いかよ」

 

 ベタ惚れなんだよ。オレは今井リサを、どうしようもなく愛してるって胸を張って……は無理だな、お前相手くれぇなら遠回しに伝えられるんだよ。それはきっとリサも同じだってことだろ。

 だからな、一人で幸せを探すのはもう終わりなんだよ。オレとリサの幸せはもう、独りじゃ見つかりっこねぇんだから。

 

「恥ずかしいくらいに、ベタ惚れだね……アタシも、一成も」

「そうだな」

「アタシもね、一成のことが好きって言うのは、悪いところも全部含めての好きなんだ」

 

 悪いところも含めてか。それはスゲーことだよな。ちょっとすれ違ってケンカしたくれぇじゃ、崩れねぇくらいに、お互いがお互いを想い合ってるってことだもんな。

 じゃあやっぱり、心配は無用だな。なんだよ、最初から悩んだりすることねぇじゃん。ここまでバカップルなら、後の言葉は一つでいい。

 

「んじゃ明日役所行って書類でも書くか」

「そだね、やっぱもうそうだよね、って、えぇえ!? ちょ、急展開じゃない!?」

「そうか? チラホラそういう話してただろ?」

「それとこれとは別じゃない? どうしたの一成、バカになった!?」

「はぁ? バカがバカって言っていいと思ってんのかこのバカ」

「一成の頭がポンコツのバカだからバカって言ってるんだケド?」

「上等だ。もう今日は一緒に寝てやんねぇ」

「いいし、今日はもうアタシリビングで寝るから!」

「勝手にしろ」

 

 ──バカとバカでお似合いのバカップルだってんなら、もうずっと一緒にいさせてほしい。きっと、リサ以上に幸せになれるヤツは、もういねぇだろうから。こんな風に一回り年下のお前と同レベルで口喧嘩するようなオレでよければ、だけどな。

 その答えは、バーカとたった一言、うつらうつらとし始めたオレの腕の中で、暗闇の中でもわかるくらいの笑顔で甘えるように響いた。

 

「ホントさ、一成ってバカ」

「いいだろ。つかお前はもっとバカになれよ」

「……でも」

「でももクソもねぇ、オレはクズなんだからな」

「……バカ」

 

 ──緋色の椿はオレの肩にはらりと落ちていく。たまらなく幸せなこの一瞬を胸に。このもしもを知ったリサはなんて言うんだろうな。

 いや、なんか言う前にオレがバーカって言ってやる。お前はそうやっていつまでもいつまでも他人ばっか見てやがって。もう容赦しねぇ、お前も幸せにしてやるからな。覚えとけ。

 

 

 

 

 




既読だった方は驚いたでしょう。一人減っているわけじゃなくて明日投稿します。そしてイマジナリーじゃなくてフツーのハッピーエンドになりました。よかったねリサ。正史じゃ幸せになれなかったはずのリサがちゃんと幸せになれるのは作者としても変更したかったところなんです。


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⑩太陽ハッピーエンド

七人目、個人のトリは彼女で決定でしょう。


 オレの人生が大きく変わった瞬間ってのは、どういう時なんだろうな。そういうのって、大概後からわかるのであって、オレもその例にもれず、きっと後からそのことに気付いた。アイツの誘いに乗った二学期の始め、たった三週間の出来事がオレの人生を変えたんだと思う。その時からずっと、オレはどこかでこの気持ちを持っていたのかもしれねぇ。

 

「……あたしは?」

 

 ヒナたちとのいずれ訪れる別離を話した時に、ポツリとこぼれた言葉。続く言葉にオレは呆れたような声が出ちまう。コイツはさみしそうなオレを捕まえて、生徒たちの別離に水を差してきやがった。

 ──あたしと結婚してくれないかしら? キラキラのお目目を輝かせて、こころは告白もなんもかもをすっ飛ばしてプロポーズしてきやがった。オレを笑顔にするために、だよな。

 

「そうよ! だから今はダメかもしれないけれど十八の誕生日に──」

「──いいよ」

「……え?」

「あ? なんで驚くんだよ。結婚してやるっつってんだよ」

 

 断られる覚悟だったらしく、目を見開いていた。面白れぇな、初めて見たよお前のその顔は。だから言ってるだろ? オレはあの三週間であまりにもお前の魔法に助けられた。そのせいかわかんねぇけどさ、ピカピカの太陽サマを信じてみたくなったんだ。

 

「本当、よね? 嘘じゃないわよね?」

「んで、こころこそ、本気なのか?」

「あたしは……あたしはいつだって本気よ! 一成の笑顔のため、それ以上に……あたしは一成が大好きなの!」

「そっか」

 

 とりあえずは、今いる生徒たちを無事に送り届けてから恋人から順立てていこうなと約束をした。まぁ恋人ってことがどういうことなのかわからなかったのかと思ってた。だからため息交じりにちょこっとずつ教えればいいかとも思った。教えてやりゃわかるようなヤツだしな。

 けど、それが杞憂だと察したのはそれからわずか四ヵ月後、クリスマスを祝った時だった。こころは誰から聞いたかしらねぇけど、リアルに、あたしがプレゼントよ! を慣行してきやがって、その時に初めて気づいた。

 ──この女は、本気でオレとの将来っつうか、男女としての付き合いをする気だったんだっつう、まぁこころなりの覚悟だったんだろう。それからは一度だってこころの愛を疑ったことはなかった。

 それが印象的だったのはこころが卒業した日、蘭をフった後の打ち上げでトイレに行って店の前でタバコを吸うわけにもいかずぼーっとしてる時だった。

 

「はいっ!」

 

 オレのところまでやってきて、そう明るい顔でこころは両腕を広げてきた。なんのつもりだよそりゃ。すると今度は不満げに頬を膨らませながら身長差があって腰を折ってくれないとダメなの! と文句を言ってきやがった。抱き着きてぇのか抱きしめてほしいのかどっちかにしろよ。

 

「……最後だからってたっぷり甘えておこうって腹積もりか?」

「そうじゃないの。ただ……お疲れ様、先生」

「まだ終わりじゃねぇよ」

「ええ、でも」

「ああ、ありがと……こころ」

 

 こころの温もりは大切なアイツらをフっていく中で傷ついたオレを癒してくれた。別に()()()()()()()()送り出したわけじゃねぇけど、やっぱ申し訳ねぇなって気持ちが強くて、その分オレはこころに依存していた。

 

「一成はヒトの関係を大切にするから、依存じゃないわ!」

「そうかね」

「だって、あたしには一成のおっきな背中がちゃんと見えているもの」

 

 そんなこころにゴリ押しされるカタチで、オレはこころと結婚をした。だが同棲先は夢のような豪邸、お城のような家ではなく、何故か一等地とはいえマンションだった。何故だと問い掛けるオレにこころは首を傾げて当然じゃない、と口にしやがった。

 

「二人で生きていくのよ? 黒い服のヒトたちに頼り切りも、いけないもの!」

「……スゲーなお前は」

 

 こころはとんでもなく大人になるスピードが早かった。ホントに同じキャラかよと思うくらいには、こころは成長していった。

 その急成長は傍にいたオレすら気付くこともなく、けどそこには新居に昔のようにはしゃいで金髪を揺らすこころがいて、眩暈がしそうになった。ホントに、こころはすごいヤツだとは思ってたけど、いい意味で子どものまま大人になっていくところを見ちまうと、オレはホントにお前の旦那でいいのか、と何度も確認したくなっちまうな。

 

「不便なことなんてないわ。これでも旦那様を連れてきても恥ずかしくないように、とできることは多いのよ?」

「……まさか」

 

 そのまさかで、こころは料理こそ最初は失敗して顔をしかめたが、掃除、洗濯といった家事は、一通りできていた。料理は経験だからな。失敗は成功の母だろ? そういうとこころは、それじゃあ次は成功させてみせるわ! と前向きに微笑んだ。

 そんなキラキラの太陽との同棲生活もそろそろ二年が経過しようという頃のなんでもねぇ一ページが今日のことだ。

 

「おはよう、一成!」

「……はよ、こころ」

「ええ! 今日もいい朝よ!」

「……その前に服着ろ、服」

「あら、そうだったわ」

 

 眩い金の髪は輝きを衰えず、その美貌はますます磨きがかかり、そしてその美貌が放つ極上の金色の笑顔は、今日もオレの朝一番の景色を埋め尽くした。

 ──おはよう、オレの太陽サマ。元気の出るようなその笑顔が、オレの笑顔の源だ。

 

「今日は大学が終わったらヒナと天文部に行くわね!」

「……おう。なんの予定もねぇけど」

「けれど、結良と一成はいるでしょう?」

「まぁな」

 

 こういうところは相変わらずの太陽サマだ。けど少し違うのは度々オレに甘えてくるところか。高校生の時は二人きりの時に抱きしめるくらいなもんでそれが不満だったことをオレは後から知ったくれぇだし。その分を埋めてるのかと思うと拒否はできねぇ。できねぇけど。

 

「なにかしら?」

「いい加減服を着ろ」

「あ……ふふ、そんなにじろじろ見られたら……恥ずかしいわ」

 

 どこで覚えたそんな流し目。絶対あの芸能人のクセにマネージャーに別れろとか言われて逆にキレてカレシの家でヤりたい放題した女に教わったろ。アイツ、干されてるらしいけど、意に介すことなくそのうち泣きついてくるわ、とか言ってたな。流石魔王、健在だ。

 ──それはさておき、こころはジャージを着て、オレもスーツに着替えて朝食を摂る。毎朝オレと同じ時間に起きて、大学の時間までこうして毎日ランニングをするらしい。健康的だな、見習いてぇよ。

 

「行ってらっしゃい、一成」

「おう。こころも、気を付けてな」

「ええ!」

 

 もう、アイツの周りに黒い服のヒトたちはいねぇ。だから髪をポニーテールで縛ったその後ろ姿に少し不安になるって言いてぇトコだが、残念ながらそうはならねぇ。何故なら、最初の言葉はウソだからだ。

 

「では一成様、行ってらっしゃいませ」

「……ああ、うん。はい……いつもながらこころのこと、よろしくお願いします」

「かしこまりました。いつもながら、全力で」

 

 このヒトたちは太陽であるこころが作り出す影のようなもの。こころの日の光(えがお)が届かねぇところに出てきて、アイツの意思を遂げる、正に影の立役者たち。つまり、まぁ出番は減ったがこうしてこころが一人で出掛けるとどこからともなくやってくる。そして、陰ながらこころを見守っていく。

 そしてこころお嬢様は、こころ様、奥様へ、オレは清瀬様から一成様、旦那様へとクラスアップだ。独り立ちさせたいからよろしく、と言った大旦那様、つまりこころの親父さんも、結局はどこにでもいる、娘の幸せを願うお父さん、ってことだよな。

 

「さて、オレも教師として、頑張りますか」

 

 ともかく、今年度もあと少し、来年は大切な生徒である結良の卒業の年だしな。今までより、それこそこころたちの世代が卒業してった時くれぇに張り切らなきゃ送り出したアイツらにも怒られちまう。

 そう思ったら、丁度、メッセージが入った。二人分、相変わらずの仲良しで嬉しい限りだな。いつも通りでいいから、頑張れ、という優しい言葉、そして、また遊びに行くからね~、というのんびりとした言葉。かつての生徒たちの激励は、今が冬だってのも忘れさせるくれぇの暖かさだった。

 

「──というわけで! 第一回、天文部存続会議を始めるよー!」

「おー!」

「お、おー……なに、このテンション……」

「オレに訊くな」

「司会はあたし、名誉部長の氷川日菜が務めるからね!」

「いつできたそんな役職」

 

 そんな始まり一転、天文部室は妙な空気に振り回されていた。しまった、こころとヒナを同時に連れてきたのはまずかった。どこからか持ってきた名誉会長の襷を掛け、何故か制服……っておい。ハタチになってまでコスプレすんな。

 

「なーにーカズくん? 昔のことでも思い出した?」

「いや、キツそうだなと思って」

「うん、確かに……胸とかお尻、ケッコーキツいかも」

 

 よかったこころも制服じゃなくて、こころも昔からだいぶ成長してるからな。オレの眼に毒だ。既にヒナがそうだしおかげで結良がやや引き気味だけど。

 そんな視線は無視して、ヒナはどっからかもってきたホワイトボードに、部員を集めよう! と無駄にキレイな文字で書いた。

 

「えっと、ヒナちゃん先輩前に、プロジェクションマッピングが~とか言ってなかった?」

「そうだけどさー、ぶっちゃけそれだけじゃインパクト足らないでしょ!」

「インパクトは必要なのか?」

「いるよ! だって面白い子が入ってほしいもん!」

 

 お前の私物じゃねぇんだけど、と思っていたらこころが議題の下に、面白い子を集める! と書き足した。いやいや、このバカヒナを諫めてくれよマイハニー。そういうヤツじゃねぇと思ってても納得いかねぇよ。

 

「確かに、あたしたちともかかわるのだから、ある程度面白くないとダメだわ」

「芸人か、ここはいつから芸人を集める部活になった」

「わたしはソレ、クリアしちゃってるんだ……割とショックだよ」

 

 結良にある程度の面白さがあるのは認めるけどな。この部長は先輩方の脛をしゃぶりつくしてでも天文部としての活動実績を近年で一番にしたいって息巻いてるんだ。その辺の意思は汲んでやれよ。

 

「カズくん、甘いよ、甘すぎるよ!」

「……おう」

「そうよ一成! よく考えてみて? フツーの子はきっと、毎回のように遠出の泊りで星を観たくて天文部には入らないわ!」

「ん、まぁ……確かにな」

 

 こころにそのフツーを説かれると釈然としねぇんだけど、確かにその通りだ。結良の掲げた毎月宿泊がてらの天体観測会は異常な頻度だ。きっと気疲れしちまうだろうし、それでお金がかかるかもという心配に駆られるヤツもいるかもな。そう言うと結良は、じゃあ大々的に無料って言おうと手を挙げたけど、ヒナはそれじゃあだめだよと諭した。

 

「どうして?」

「だって、無料! って大きく掲げるんでしょ? タダより高いものはないってゆうじゃん? 逆に近寄りにくくなっちゃうんじゃないかなー?」

「……あ、そだね」

 

 際どいコスプレスカートを揺らしてマトモなこと言うな。まぁツッコミは入れつつも概ねはああでもないこうでもないと話し合う新旧の天文部部長たちを見守ることにする。するとこころは椅子を持ってきて、オレの隣に座った。やけに嬉しそうな顔で、どうした? と問い掛けると、輝くような微笑みで、答えてくれた。

 

「あの二人が笑顔だもの、きっと楽しい歓迎会ができるに決まってるわ」

「……そうだな。つかヒナを焚きつけたの、お前だろ?」

「ふふ、どうかしら?」

 

 そんな風に太陽サマは柔らかい、春の日差しに似た笑みでヒナと結良を見つめていた。その二人はオレの笑顔の源だ、とでも言わんばかりに。

 かつて部長と生徒会長を兼任し自由にオレを振り回した一年を持つヒナと、そんなヒナたちが集まれる場所を守ってくれている結良。どちらもオレが教師として笑顔でいられるには欠かせねぇ二人。だからこころは二人で来たっつうわけだろ。

 

「旦那様のことを放っておけないもの」

「ずいぶん甲斐性のある奥さんで助かってるのか立つ瀬がねぇのか」

「あたしは一成を愛してるだけよ。世界を笑顔にして、そしてその思い出を貴方と巡って、一緒に逝きたい、それが今のあたしの夢だわ」

「そりゃ……瀬田風に言うなら、随分と儚げな夢だな」

 

 オレは、いつの間にか、お前が笑顔にする世界から魔法を教えた弟子に、そして一緒に世界を歩く夫婦としてお前の隣にいたんだな。撫でるとサラリと流れる金色の川が、オレの肩へと止まって、ふふとまた微笑みが生まれる。なんか今日は全体的に春の日差しだな。いつもの真夏はどこに行った? 

 

「眠いんだな?」

「……ええ、一成が平気そうな方が不思議だわ。昨日はあんなに激しかったのに……」

「残念ながら、そこのバカとかその他に鍛えられてるからな」

「ずるいわ。あたしにももっと手を出してくれてもよかったのに」

 

 やなこった。それこそ社会的に死ぬと思ってたからな。クリスマスん時はギリギリ踏みとどまったけど、アレは大変だった。ホワイトデー騒動って言えば、ヒナも多分笑いだすからな。

 

「お返しにブランデー入りなんて渡す貴方が悪いのよ」

「会食とかに行く機会があるって聞いて勝手に酒も平気、とか思ったんだっけか」

「そうよ」

 

 懐かしいな。こころんちで起こった騒動、結果はあっという間に全部食ったこころが完全に酔っちまって、そのこころに押し倒されて……酔いが醒めたのは痛かったから、なんて今じゃ笑い話にしかならねぇよ。けどそん時はもう止まらなくて、と話していたら、こころに太股を叩かれた。

 

「……そんな細かいところまで覚えているなんて、やっぱり一成は変態さんだわ」

「あんまりにもキレイで笑えて、んで愛おしくてさ。忘れたくても忘れられねぇよ」

「えっち」

 

 ふい、と拗ねた様子でそっぽを向いたこころ。まぁまぁと宥めるフリして腰を抱いて、耳にキスをして、そこではっと気づいた。

 ──あ、やべ。ここ家じゃねぇ。それと同時に刺すような視線を四つ。一つは顔を真っ赤に、一つは呆れ顔で。

 

「あ、ああ、あだるてぃ……コレがヒナちゃん先輩や蘭ちゃん先輩が言ってたクズ教師、のカズくん先生なんだ……」

「カズくん、意外とどこでも発情するもん。えっちだし」

「誰のせいだろうな」

「えっちなのは元からじゃん」

 

 それについては否定できねぇ。けどどこでも発情するっつうかスイッチが入るようになったのはぜってぇお前のせいだ。つかココでもヤったことあるもんな。あとキスで反応するようになった原因でもあるからお前が指摘する側に回るのは間違ってる。

 

「一成はギルティよ、有罪だわ」

「ほらほら、奥さんもそうゆうってことは、やっぱりカズくんがえっちなだけじゃん♪」

「え、えっと、聞いちゃダメなんだろうけど、聞きたい……うぅ」

 

 そんな脱線はあったものの、一年生にプロジェクションマッピングをやるということを広報して、文化祭の時みてぇに音楽室で上映、そんで興味がある方はこころんちのペンションで一泊二日の無料ツアーの開催、という作戦になった。一回くらいなら、の一回でハマってくれて、なおかつヒナのキャラについていければ問題なく入部してくれるだろうな。

 大まかな作戦が決まったあとはメシを四人で食べて、家に帰った。すると玄関が閉じられた瞬間に背中に体重をかけられ、オレは背中越しに振り返った。

 

「ん? どうしたこころ?」

「なんでもないわ、けれど」

「……こころ」

「あ……ん、かず、なり……」

 

 玄関で靴も脱がずに、こころにキスの雨を降らせていく。キラキラ輝く太陽を曇らせる情欲の雨、けど、太陽がずっと照らしてちゃ、世界は疲弊するだけだからな。

 だから別に嫉妬したって構わねぇんだよ。ヒナにヤキモチ妬いても全然おかしくねぇんだから。

 

「ヒナもそうだけれど、あたしとしては結良だわ」

「結良が? ああ、そっか。結良はなぁ」

「ええ、貴方と二人きりでもし、そうなったら」

「大丈夫だよ。昔ならまだしも、オレはこころだけって決めてるからな」

 

 そんなしおらしい顔すんなよ。知ってるか? 男は狼で、羊が弱ったところは、絶対に見逃さない生き物で、性欲は食欲に似てるらしい。肉食系って、案外間違ってねぇ表現だよな。メシ食ったばっかりなのに、ハラが減った感じだ。愛おしい羊の心配なんて、無用なくらい、オレはこころにぞっこんだよ。

 

「お、お風呂は? え、一成?」

「いいだろ、後でも」

「……きっと汗かいているわ」

「んじゃあ一緒に入るか?」

「いっ……いい、わよ」

 

 そういやヒナが最後に言ってたな。えっちなのは知ってたけど、誘ってきたことってなかったよね、と。そうだな。オレはあくまで流される立場で、一応ムラっときても我慢はできてたんだよ。けど、今の相手はこころだ。将来を奪った、オレが選んだ一人だ。そんな相手に対して、我慢なんてできるワケねぇだろ。

 ──だから翌日もこころは眠そうにしちまうんだよな。激しかった、と文句を言いながらさ。

 

「一成は欲張りなのよ。欲張りなのに、カッコつけるから」

「そうだな、オレはこころも欲しかったんだな」

「やっぱり……えっちで欲張りさんだわ」

「それでいいって言うくせに、お前だって十分欲張りだよ」

 

 太陽は暮れることなくいつまでもピカピカとオレの頭上で輝いてる。たまらなく幸せなこの一瞬を胸に。このもしもを知ったこころはなんて言うんだろうな。

 いや、こころがなんか言うわけねぇ。だいたいコイツのやろうとしてることは読めてきた。後はオレの選択次第ってことになるな。まぁなんにしてもオレが求めるのはもうカッコつけることのねぇ、純粋な笑顔と幸せのためだけだ。

 




リサはサブヒロインだけど、こころはどちらかというと隠しヒロイン的なイメージなんだよね。

実はこの未練世界の創造も後一話なんです。どうぞよろしく。


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⑪繚乱ハーレムエンド

これいる? とか思ってしまってすまん。ちゃんと必要でしょうな。だってこれは。


 ハーレムってのは、この国では唾棄すべき悪だ。一人の男が女を複数囲んで、なんて異常にもほどがある。きっとそうやって大衆の悪としてオレは認知されちまうんだろうな。

 そうだな、オレは大衆の悪だよ。でも、どうしたらわかんねぇまま、オレは全員を幸せにしたかった。その時、なんでか知らねぇけどオレの頭に浮かんだ選択肢の内、一番バカげてるのを選んじまっただけで。

 一つ、誰も選ばない。誰も選ばず、オレは黄昏ティーチャーとして、アイツらを生徒として見送ることで、アイツらにオレ以外の幸せを押し付けて逃げる。

 一つ、誰か一人を選ぶ。そうすることで、未練は残るだろうけど、アイツらが納得するだろう誰かとの幸せを最優先にする。

 そして、最後の一つ……それが、全員を選ぶこと。みんなオレが幸せにしてやる、なんつう頭の悪い選択肢。これがノベルゲームなら間違ってもこの選択肢は上二つの選択を一通りし終わらねぇと選びたくねぇものを、オレは一度しかねぇ人生で、選んじまった。

 

「いいのではありませんか? 貴方がそうだと言うなら、突き進むことも必要で、そのための補助なら、私がしますから」

「ん~、なーんか違う気がするんだけどな~、まー、あたし的には~、みんながいるならへーきかな~って」

 

 最初に賛同してくれたのはこの二人。通称負けヒロイン同盟の紗夜とモカ。千聖は正直この時点でマネージャーとのゴタゴタがあるため確認は後回しだった。まぁそれも、オレ一人よりは紗夜やモカに手伝ってもらった方がいいなっつう感じだったしな。

 

「は? ナメてんの?」

「あは、カズくんおもしろいねー、冗談だよね、ねぇ?」

 

 に対して敵はモカの名づけに従うと勝ちヒロインズ。おかしくね? なんで勝ちヒロインが敵で負けヒロインが味方なんだよ。逆だろフツー。

 けど、怒りに燃える蘭と頭のおかしくなったオレに遂に病みが頂点に達したヒナっつうどう考えてもパワーバランスのおかしな戦争は始まっちまった。

 中立、というより今からでも遅くないから誰か一人を選びなさい、と途中から参戦した千聖も含めて冷戦状態が続いた。それがなんと進級から半年経過の秋だった。見かねた我らの太陽サマが、その選択肢を突き付けた。

 

「一成が選べる手はもう一つよ。ルールを創る側に回ること、それだけよ」

「それだな、そうするしかねぇか」

 

 かくして、全員との関係を惰性のように続けながら、卒業してからそれぞれの幸せも模索しつつ、オレが全員囲って幸せにしてやる宣言をバラ撒いた。不思議なことにその幸せの模索をしていた間に気付いちまったらしい。案外、居心地が悪くなかったことに。

 

「そりゃあさ、ヤキモチも妬くけど、モカちゃんとか千聖ちゃんとずるいとか、あたしもそんなデートしたい、とか言い合ってるの、なんかるんってくるんだよね」

「わかるわ。結局、一成さんは私のことを構ってくれるし、不満はないのよね」

「……おかしい。おかしいけど、アタシも、みんながいてほっとする。これがいつも通りなんだなって思えちゃうんだよね」

 

 こころの一言と時間が反対派を篭絡し、なぁなぁの関係はいつしかこころとリサをも巻き込んでハーレムとしてオレの日常になった。

 それでこそね、と言いだしっぺはなんとめちゃくちゃ豪華な寮をオレに寄こしやがった。そんな大きなのいらねぇよって拒否したのに、駅からそこそこ近いし騒音もそもそも近所ってもんがない上に防音完備とかいう流石にご都合主義じゃ済まねぇぞこの野郎ってくらいのものを、もらっちまった。

 まず家主特権ってんで屋上テラスの真下、三階の何部屋かをぶち抜きでオレがもらってまるでラブホのような寝室をもらって、全員がそれぞれ暮らす部屋がある。んで共有の部屋があって、楽器の練習室やトレーニングルームなんてもんもあって、みんな好き勝手に、けど一つの家族のように暮らしている。料理担当とか決めて、怒ったり笑ったり、バカみてぇに楽しく、異常だってことも忘れてな。

 

「……カズくん先生は結局、みんなに優劣をつけたくなかったんじゃない?」

「なるほどな……じゃなきゃこんな騒がしい日を過ごしたりしねぇだろうな」

 

 そんなこんなで引っ越すことになったと事情を説明した結良には苦笑いでそう言われて初めて気づいた。無自覚だったんだ、と呆れる結良は、でもそっちの方が先生らしいよ、と笑ってくれた。結良が認めてくれて、オレはこれでもいいんだなって自信になった。

 ──それが漸く日常となっていた土曜日、パソコンと睨めっこをしているオレは、電話の音で作業を中断した。部屋にひとつずつ置いてある内線を鳴らしたのはヒナだった。

 

「カズくん暇ー?」

「暇だと思うかこのメンヘラ女」

「え~、構って~構ってくれないとヘラっちゃうよ」

 

 うぜぇ、とオレは目頭を抑えながらヒナに我慢しろと伝えた。するとその電話口からリサのが一成~と切実な声を出した。すまん、今日はガチでオレも手が離せねぇんだよ。そこでオレは紗夜を頼れと言っておいた。幸い今日は珍しく全員家にいるだろと言ったらおねーちゃん練習中なんだもん。とか抜かしやがった。

 

「ああもうじゃあ後で手伝えよこのクソ悪魔!」

「わかった!」

 

 わかったじゃねぇと思いながらも約束を取り付けてオレは共有スペースへと向かっていく。オレの部屋に来るとあの悪魔が言うことはキスしよから始まるいつもの肉体的コミュニケーションだからな。

 

「カズくん!」

「ごめん一成、アタシじゃ止められなかった」

「いや、止めれるやつなんてそうそういねぇよ」

 

 抱き着いてくるヒナを受け止めると、ちょっとだけ遠慮がちにリサも近づいてきやがる。お前はもうちょいでいいからヒナとかモカくれぇの強引さを身に着けてほしいな。甘えてぇなら素直でいいだろ。

 

「え、えと……じゃあ」

「──か、ずなり~!」

「わっ、びっくりしたぁ」

 

 おずおずと甘えようとしていたリサだったが、突如としてオレの後ろからやってきた太陽に邪魔をされてぱっと離れていってしまった。そういやお前も強引な側だったな。おいこら、せっかくコッチは珍しく甘えてくれるリサを見れそうだったのに。

 

「そうだったの!」

「元気そうに言うな。申し訳なさそうに言え」

「後で、後で甘える……から」

 

 その後でってのは全く信用できねぇから取り立てに行くとして、つかこころもいたのか。今日はマジで珍しく全員集合してる気がするな。そろそろ昼になりそうな時間だってのに出かけてるヤツがいねぇのはほぼ奇跡だろ。そう言いながら六人くらい座れるソファーに座ると早速ヒトの膝に頭を乗せてネコかなにかみてぇに甘えてくるヒナを撫でながらリサを招いた。

 

「あたしの場所がないわ」

「オレは一人しかいねぇからとりあえずは我慢してくれ」

 

 異様な光景だけどこれが日常なんだよな。この状態で千聖が来れば甘えてこられるし紗夜でも一緒、蘭はちょっと構ってほしそうにコッチをチラリとみて、オレが呼ぶと嬉しそうに甘えてくる。モカは独りの時を狙って膝の上に乗ってくるって感じだ。

 

「ん……ふふ、一成の手はきもちいな~♪」

「んん……すぅ」

 

 ネコ科動物と化したリサとヒナを構っているとやがてヒナが寝息を立て始めた。なんなんだと思ったらこころが更に隣にやってきて、昨日遅くまで星を観ていたからねと優しく微笑んでみせた。それはもうリサが驚くくれぇの母性にあふれた瞳で、なんだかオレもドキっとしたよ。

 

「つか屋上にいるなとは思ってたけど星を観てたのか」

「ええ、とーってもキレイだったわ」

 

 都会なのにキレイだったのか、そりゃあ羨ましいことで。だが、盛り上がったという発言を聞いてオレはおかしいなと思っていたらヒナの部屋からバタンと音がして、ヒナちゃん先輩どこ~? と寝ぼけ交じりのヤツがオレを見つけて顔を真っ赤にした。

 

「おはよ結良」

「お、おはよ……ゴザイマス、先生」

「ヒナはおやすみしてるケドね~」

 

 いつの間にかリサがオレから離れてるのは最早プロの技だな。ところで別にオレはお前の寝間着姿なんて今更気にしねぇけどな。と言ってもやはり結良側が気にするようで着替えてくるとやや速足にヒナの部屋に戻っていった。そのタイミングで朝ご飯食べるヒト~とリサが声を掛けた。お、食べる食べる。つかいい加減起きろヒナ。

 

「そういえば結良ちゃんはまだ抱いてないの?」

「ぶっ! ちょ、ちーちゃん先輩!?」

「お前なぁ」

「おねーちゃんは?」

「あとでパン食べますって」

 

 ここはオレたちの家ではあるけど、今日の結良みてぇにAfterglowの連中が泊まりに来たり、パスパレが避難所兼隠れ家代わりに遊びに来たり、ハロハピの会議場所に何故か使われたり、ポピパのメンツが差し入れがてら雑談したり、Roseliaが個人練習にやってきたり、そうやっていつも誰かしらが誰かしらを連れてやってくる。

 

「カズくん先生の部屋は広めなんだよね」

「そうなんだよ。管理人はオレってことになってるからな」

「まぁ実際はこころと黒服さんだけど」

「そうだよね~、こころんがいなきゃ成り立たないもんね~」

 

 まぁ家政婦を雇う金なんてねぇからな。一応各自部屋の掃除はちゃんとしろってことになってるし、土日のどっちかは共同スペースの掃除をみんなでしてる。けどそれでも手の届かないところは、偶に来ては黒服さんがやってくれる。申し訳ねぇけどこころ様のご住居ですからと言われたらどうしようもねぇしな。

 

「ん、リサの味噌汁は天下一だな」

「ありがとっ☆」

「私の時はそんなこと言ってくれないのに」

「いや千聖はとりあえず味噌入れてから沸騰させるのやめような」

「うまみが~、ってなっちゃいますよ~?」

「なるほど」

 

 そこから始まり、蘭の話やモカの話、ヒナの話を聞いていく。するといつの間にか紗夜がきてみんないるならいると言ってくださいと盛大に拗ねられ、後で構ってやるからということろでひとまずは落ち着いたところだった。

 ──その様子を間近で見ていた結良がポツリとこぼした。

 

「カズくん先生は、どこにいてもカズくん先生だね」

「そりゃあな。オレは割と素のままいさせてもらってるからな」

「そっか、素なんだね……そっか」

 

 なんだその意味深な言葉と安堵したような顔は。今のリアクションがもう答えだろ、と言いかけてやめた。別にここで結良の真意とか想いとか、そういう青春のごちゃごちゃした感情を暴いたってオレも結良も痛ぇだけだ。けど、こんな風によそよそしい結良ってのは、なんだか昔を思い出すな。出逢ったばかりのことを。

 

「わ、忘れてよ……先生はいじわるだ」

「生憎、よっぽど嫌なことじゃなきゃそうそう忘れねぇもんでな」

「だからクラスでも、実は女誑しとかって噂が立つんだよ」

「……そんな噂が」

 

 否定できねぇのが悔しいな。オレの現状の女性関係を世間的に分析すれば女誑し、っつう言葉すらマイルドに感じるだろうし、女の敵だと軽蔑されてもおかしくはねぇ。

 その点、結良は知ってもいいっつうオーラがあったからな。信頼に足る生徒だし。なによりたった独りになってもずっと天文部の活動を続けてくれてたようなヤツだからな。

 そんな結良がココに来た目的は多分二つ。ヒナの返事から逆算すると、教師と生徒として大事なのは、その二つ目の理由だ。結良は、雑談が途切れたところで、意を決したように打ち明けてくれた。

 

「ねぇ先生? わたしね、大学行こうか、迷ってるんだ」

「……そうか」

「先生ゆってたもん。自分のやりてぇことにまっすぐな方が、フツーを意識するよりも案外うまくいくんじゃねぇのって」

「結良にとってそれは、進学じゃねぇってことだな」

 

 三者面談では絶対に口に出さずに、模試の判定は上々だから、このまま勉強を続けていれば志望校に入るのは難しくねぇっつうことだけを、オレも親御さんに伝えた。けど、結良の望みはソレじゃねぇ。結良の望みはあんまりにもフツーからはかけ離れてるからだ。

 

「でもさ、就職でもないんだよ。わたしは世界中を旅してみたい。世界の色んなところで星を観たい。オーロラとか南半球の星とか、見たことのない星空をこの目で見てみたい」

「世界中を、か」

「うん、変だよねこんなの。絶対にパパとかママには、反対される」

 

 そりゃそうだ。青春の妄想だと思うさ。一過性の流行り病みてぇなもんで、ちゃんと大学に行って、就職して、結婚して、子どもを産んで、そうやって順を踏んでいく方が幸せだって、思うのが当然だ。教師としても、そっちに誘導してやんのが、正しさだろうな。正解がどっちかなんて自問するまでもねぇし、それは結良もわかってる。

 

「なんだそれ」

「……あ、あはは、だよね」

()()()()()()()()()()()()()()()

「……へ?」

 

 だからオレは間違えるんだ。敢えて見えてる正解よりも一寸先も見えねぇ暗夜の先にある夢を、オレは面白そうだって感じるんだからな。

 そもそも土曜日の、今のオレは教師を休憩中だしココは進路相談室でもなんでもなくオレの家。何言っても自由で、職務じゃなくて興味で語るのは間違いですらねぇんだけどな。

 

「やっぱ結良は最高に面白いな。いいじゃねぇか。めちゃくちゃイイカメラでも買ってさ、みんながその写真に思わず息を呑んで見惚れる景色をお前は、肉眼で、独り占めできるんだからな」

「……先生、わたし……」

 

 夢を嗤うヤツを、オレは信じねぇ。夢は必ず叶うと謳うヤツを、オレは信じねぇ。オレが信じるのはバカみてぇに大きな夢を叶わないかもしれねぇとわかっていながらも、その夢にキラキラと瞳に星空を浮かべるようなヤツだ。

 現実を見るのなんてな、そんなの大人になってからでいいんだよ。青春を生きるお前に現実なんて見えてなくていい。現実的にだとかそんな言葉で諦めちまう、それはクレバーじゃなくて、斜に構えてるっつうんだよ。

 

「でも、こんなの……叶うわけ」

「なんでだ?」

「へ? なんでって……お金とか、イロイロあるじゃん」

「バカだな。なんでやってもねぇのに叶わねぇってわかるんだよ、なぁこころ?」

「ええそうね! ()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 ピカピカの太陽サマなら間違いなくそうやって言い出すだろうと思ってたよ。なにせオレの幸せに尽力してくれたヤツだからな。それに続いて、結良のでっけぇ夢を知った住人はそれぞれの反応を示す。

 蘭は、いいんじゃない? と微笑んだ。自分のやりたいことに目いっぱい手を広げた蘭華は、端的に結良の夢を後押しした。

 ヒナは、あたしも一緒に行きたい! と目を輝かせた。星を観ることが好きなお気楽天才肌の向日葵は、結良の夢が一人のものじゃねぇってことを言葉にした。

 モカは、せーしゅんですな~、と笑った。かつて停滞を望んだ雪柳は、前に進もうとする結良を眩しそうに見つめていた。

 千聖は、いいわねそういうの、と素の笑顔を見せた。ありのままの自分に苦しんだ鷺草は、結良のありのままを認めていた。

 紗夜は、どうすればいいのでしょうか、と顔をしかめた。正しさを突き詰めていた青薔薇は、結良の間違いを間違いでなく正解にしようと思案していた。

 リサは、アタシにも手伝わせてよと頼もしい言葉を向けた。お節介で自分の幸せを見つけられなかった緋色の椿は、迷うことなく結良に手を差し伸べた。

 

「な? これがオレの生徒たちだ。オレが選べなかった、最高のヤツらだ」

「……うん。すごいね」

 

 世界の星、という言葉にこころが興味を示し、ヒナと結良が説明していく。見る場所によって星空は違う、ということにこころはすごいわ! と興味が惹かれたようで……あ、やべぇ。これはアレだな、結良捕まったな。

 

「それなら、あたしと同じ大学に入ったらいいわ! ヒナは卒業してしまうけれど、一年でできるだけ、世界中の星空を観に行きましょう?」

「え、い、いいの? お金とかそういうのは?」

「あたしに任せてちょうだい!」

 

 まぁ、そうなるよな。あたしもー、とヒナが手を上げ、全員が苦笑いをする。お前は今の芸能事務所に残るんだろうが、またとやかく言われるからな絶対に。

 けど、雰囲気は暖かくて、まぁいいか、という感じだった。

 

「こんな簡単でいいんだ。わたしの夢って、あっさり叶っちゃって、いいんだ……」

「そりゃそうだろ。だってこころだからな」

「こころん先輩だもんね……あ、じゃあさ、こころん先輩、もう一つの夢も叶えちゃっていいかな?」

「なにかしら? あたしにできることなら!」

 

 結良はそうやってこころに耳打ちした。おいおい気になるんだけどなんだその面白いことを思いついた、みてぇな表情は。その言葉にこころはぱっと笑顔を咲かせて、いいわね! と肯定した。え、もう叶ったの? 

 

「うん」

「それじゃあ、準備しておくわね!」

「お願いします!」

 

 なんだかイヤな予感と蘭が呟き、モカは黙々と食事を摂っていてさしたる興味はないようで、ヒナはどんなことだったのか予想できたようで楽しそうだ。紗夜と千聖、リサは、顔を見合わせて、また大変になりそうだと話し合っていた。

 ──それがわたしもハーレムに入れてね、と結良がココに引っ越してくる、という相談だったのを知るのは、少し先のことだった。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 ──さて、と一日を振り返るようにオレは屋上でタバコを吸いながら星を観ていた。結良が来ることになって、ココはますます大騒ぎだ。でも結良が言った高校卒業したらもう我慢しないからというのは、やっぱりそういうイミなんだよな。そして、それがまた新しい幸せを呼ぶのも。

 

「さて、もういいかしら?」

「もうちょい余韻に浸らせてくれてもいいんじゃねぇの?」

「ダメよ。もうそろそろ、時間切れだもの」

 

 後ろにやってきたこころとそんな会話をしていく。自然に、思い出した。多分こころはちゃんとそういう機能を付けてくれてたんだろうな。記憶が残ってたら、面倒なことになるから。それにしても、ココは甘すぎるな。ざっと思い出すだけで、腰が痛くなりそうだ。

 

「それだけ、未練があったのよ」

「……そうだな」

 

 未練がもしもの世界を開く、今までのがアイツらの未練だったとしたらこれはオレの未練か? バカらしいな、オレが心の奥底でこんな浅ましい未練を持ってたとはな。

 けど、満足して、消滅しようとしてる。作り上げた砂の城のように、あっけなく正に一夜の幻のように。

 

「幸せだったかしら?」

「ふざけてるくれぇにな」

 

 オレはそれが幸せじゃねぇとは言えねぇ。だって、めちゃくちゃ幸せなもしもを体験しちまったから。ヒナとバカみてぇに言い争って、結婚する未来も、千聖がオレに必要なもんを分けてくれる未来も、紗夜が厳しくも優しく、オレの欲しいものを引き出してくれる未来も、モカが痛い想いをしてでも、オレに大事なことを思い出させてくれる未来も、蘭と甘く、どこまでも一緒にいる未来も、全部がオレの幸せだった。こころやリサとの未来も、そうだ。今だって、めちゃくちゃ幸せだったさ。

 

「だから、一成は幸せになるための道、もう見えたでしょ?」

「今からでも遅くないよー、あたしと一緒に幸せになる?」

「それとも、こうやってハーレムでも作りますか?」

「ふふ、まだ幸せになる道はたくさんあるわよ?」

「せんせーの好きにしていーんだよ~?」

 

 やり直せるのか。まだやり直せるんだったら、オレはこころのおかげで、そしてお前らのおかげで気づけたことがある。自分もちゃんと幸せにならなきゃいけねぇってことにな。 ありがとう、最高の生徒たち。オレは、お前らといられて幸せだった。だから今度こそ、オレが幸せになっていくのを見守っていてほしい。

 ──そんな宣言を最後に、オレは、オレたちは夢から目覚めていく。全ての未練を消化して、全ての幸せをしゃぶりつくして、新しい朝を、本当の朝を迎えるために。

 




――選べないんだったらルールを創る側になりたかった。これが一成の本音だったということですね。みっともなく弦巻こころを頼ることができたら、彼女たちと創る明日があれば、もしかしたらこうなっていたのかもしれない、と。

そして明日は最終話が投稿されますので、どうぞお楽しみに!


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エピローグA:蒲公英ネバーフューチャー

大団円!


 出逢い、なんてそんな劇的なものはなかった。ヒナちゃん先輩のようにキスとタバコで始まったりもしなかったし、蘭ちゃん先輩みたいにきれいな黄昏の中、特別授業を受けたわけでもなかった。

 ましてや、モカちゃん先輩みたいに中高連携で特別な思い出になる言葉はなかったし、そもそも来てなかったっけ。ちーちゃん先輩や紗夜ちゃん先輩みたいに、救われたわけでもなかった。なんでもない、ただ純粋に天文部に入部したらいた、ってそれだけ。むしろ天文部に出逢ったきっかけの方が劇的だよ。

 

「キレイ、演奏カッコいい、すごい……!」

 

 中学一年生の時、高等部の文化祭でヒナちゃん先輩がやっていたプロジェクションマッピングで映し出された満天の星空に魅せられた、ヒナちゃん先輩の演奏に魅せられた。それまでは夜になっても空なんて見上げもしなかったのに、わたしは天体の虜になった。星座の物語、ロマンチックなものからちょっと怖いもの、悲しいもの、色々あって、きっと昔のヒトも、この星を見上げて、色んな想像をしたんだな、って思えた。だから、わたしは高等部に進学して迷うことなく、天文部に入った。

 

「ども」

「あ……初めまして」

 

 そこには三年生の先輩が一人いて、後輩ができてよかったな、と笑う顧問の先生がいた。それはわたしのクラスの担任で、高等部に姉のいたヒトはあんまりいい噂を聞かないヒトだって言ってたヒト。

 ──わたしがどうしようもなく好きになる、清瀬一成先生との、初対面だった。

 

「わぁ、ハルちゃん、後輩だね!」

「そうですね、これでヒナ先輩のプレッシャーに胃を痛めることもなくなったわけですね」

「あはは~、そんなに追い詰めてないよ~?」

「……ぜったいうそだ」

 

 ハルちゃん先輩……澤田千晴先輩は、元々は宇田川あこ先輩の知り合いでダンス部にしようと思ってたんだって、そこをリサちー先輩とヒナちゃん先輩、モカちゃん先輩で共謀して、天文部に入れたらしい。ただ、そのせいかハルちゃん先輩はもっぱら天文部に持ち込んでたパソコンでゲームばっかり。わたしとしてはちょっと退屈だった。

 

「おい澤田、活動報告は?」

「まだです」

「まだですって、手つけてねぇだろ」

「イベント中ですので」

「この野郎……」

 

 カズくん先生のことも、さっきの噂を知っていて、あんまり近づこうとはしなかった。かくいうわたしも、清瀬先生に不用意に近づくと大変なことになるから、と念を押された。今思えば、天文部に来るちーちゃん先輩とか紗夜ちゃん先輩とかといい雰囲気出してるのに、噂をただの噂、なんて思うわけないよね。

 

「わたし、もう生徒会に提出しましたよ?」

「え、マジか」

「マジです」

「おお、澤田よりも頼りになるヤツだな、音羽は」

 

 けど、わたしはわたしの居場所を手に入れて、ヒナちゃん先輩たちと天体観測に出かけることを選んだ。三年ぶりに会った先輩はますますキレイになってて、そんなヒトに先生は意味ありげな言葉をかけて、少しだけ寂しそうにする。不思議な関係だなって思った。

 

「カズくん先生」

「おう、ってなんだその呼び方は」

「ヒナちゃん先輩がカズくんって呼んであげると喜ぶよって」

「いらんことを吹き込んだな、バカヒナめ……でも、結局は先生をつけちまうんだな」

「先生ですからね?」

「そっか。んじゃあ、オレは結良って呼んでも?」

「よろしくてよ」

「なんだそれ」

「ふふ、カズくん先生は面白くて、なんか退屈しなさそうだなぁ」

 

 そんな気持ちが恋に変わったのはハルちゃん先輩が卒業した次の年の夏、つい半年くらい前のことだった。

 二年生になったわたしは、一人の部員としてこころん先輩とヒナちゃん先輩に振り回され続けた。そこで沢山恋のハナシも聞いて、わたしもカズくん先生に感じてる気持ちが、ヒナちゃん先輩とおんなじだって気づいて、始まった恋だった。

 

「カズくんはね選んでくれなかったんだ。急かしすぎちゃって、結局、あたしにもカレシができちゃって……」

「ヒナちゃん先輩は、カレシさんのこと好きじゃないの?」

「浮気のつもりだったんだ。カズくんが振り向いてくれないなら、嫉妬してほしいって思って。よかったな、なんて言われちゃったけど」

 

 あ、今はちゃんと好きだよ。優しいし、どこかカズくんみたいなトコもあるから、と笑うヒナちゃん先輩の眼は、やっぱり先生のことばっかり追ってて、未練があることなんて訊かなくてもわかっちゃった。

 蘭ちゃん先輩とモカちゃん先輩たちには会えなくて、紗夜ちゃん先輩にはついこの間初めましてで、その先輩たちとも、なんだか言い方がおかしいけど夢の中で出会ってすごく仲良くなれた。それもこころん先輩があなたは先生にとって大事なヒトだからってあの未練の世界に連れてってくれたから。

 

「……結良ちゃん?」

「なに?」

「ふふ、ここ数年知り合って、わかったわ。こころちゃんがあなたを連れてきた理由」

「そ、そうかな?」

「そうよ。そうやってどこの世界でも一成さんの生徒でいてあげてね。あなたは私たちと一成さんに足りなかったものを繋いでくれる、橋なのだから」

 

 ちーちゃん先輩にはそんなことを言われた。先輩と先生が恋人の世界ではちーちゃん先輩はわたしにとってお洒落とかを教えてくれるお姉ちゃんみたいな先輩だった。いっぱい甘えたし、ちーちゃん先輩も甘やかしてくれた。大好きになった。あとちーちゃん先輩はいつも、わたしにまだ出逢ってない先輩のことも教えてくれた。

 

「きっと、音羽さんがいなければ、私はあのヒトに大切なことを伝えられなかったわ、ありがとう」

「ううん。紗夜ちゃん先輩の未練なんだから、先輩が一番、幸せにならないとね」

「……なら、私はいつかの未来に、音羽さんが幸せであることを願っているわ」

 

 紗夜ちゃん先輩はカッコいいヒトだった。クールビューティーで、でもカズくん先生のことが絡むとかわいくなる。だから先生と恋人の世界でわたしは未練が解消されたヒナちゃん先輩と共謀して先生と先輩に足らないものを教えた。それと同時に、紗夜ちゃん先輩の不器用なところがどうしようもなく好きになれた。

 

「ゆーたん、元の世界に帰っても友達になろーね」

「うん。そのためにはまず天文部に来てね!」

「りょーか~い、ふふ……」

 

 モカちゃん先輩は最初、すごく敵視してきて、怖かったけど、それを元の世界じゃなくて先生と恋人の世界で解消できたのはすごく助かった。実は、あまりにも拗れすぎてた二人が仲違いしたせいでみんなが焦ってたんだけど。なんとかちーちゃん先輩が口を出して止めてくれたんだって。あのセリフはあまりにグレーだったわ、と苦笑いをしてた。

 

「何年もあったのに、こんな風にゆっくり、結良とあんまりちゃんとしゃべれなかったね」

「まぁ、こころん先輩とヒナちゃん先輩がすぐ絡んでくるからね」

「ふふ、あの二人はすっかり結良のことが気に入ってるよね」

「楽しいから、わたしも好きだよ。もちろん、蘭ちゃん先輩も!」

「……う、うん、ありがと……なんか、その言い方、ちょっと一成っぽい」

 

 蘭ちゃん先輩はすごく沢山のことを話せた。いつも天文部に遊びに来てくれたし、というかここの時点ではもうみんなそれぞれ未練が解消されて楽しそうに笑ってた。お互いの文句とか言い合って、それが本当にみんなが望んでたことだったんだな、ってすぐわかった。みんな一緒にいられなかったこと、それもみんなの未練だったんだって。

 

「アタシって、ホントバカだなー」

「リサちー先輩」

「アタシのことあんなにしっかり見てくれるヒト、ちゃんと近くにいたのに……あはは」

「いるんだよ。カズくん先生はまだいるから……だから」

「うん、そうだよね……ありがと、ゆーら」

 

 リサちー先輩とは前から関わっていたけど、あんな苦しい恋をしていたなんて知らくて、未練の世界で先生に教えてもらった。あんなに幸せになれたことにびっくりしてるのはたぶんリサちー先輩が一番なんだろうなって、みんなはそんなリサちー先輩の肩を叩くような感覚だったことをよく覚えてる。

 そんな風に、わたしは恋人たちと先生の橋であり、幸せになっていく姿を見る係だった。でもハーレムの時にやっと言えた。わたしも仲間に入れてほしいって。

 ──それをカズくん先生は、どう捉えたのかな。そうドキドキしながら、わたしとカズくん先生の、みんなの本当の夜明けが、やってきた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 戻ってきた。戻ってきちまった。現実の朝に戻ってきちまった。とはいえ音沙汰がなかった蘭やモカからはまるで昨日までの方が夢だったかのように連絡がきて。成人式の打ち上げでもロクに話さずに帰っちまったからな。特にその場にいなかったモカとはゆっくり話したいところだな。

 

「すげぇな、こころって」

 

 夢の出来事とはいえ結婚してみてわかった。アイツは笑顔のためのプロセスを弾き出す天才だ。大がかりなこのまるで数年っつうか実際数年かかってるんだけど数年に感じる一夜で、オレたちのギクシャクしちまってたもんも、全部とっぱらって、笑顔に変えやがったんだからな。

 ──けど、今日のヒロインは蘭でも、ヒナでも、モカでも、千聖でも、紗夜でも、ましてやこころやリサでもねぇ。

 オレを天文部で待ってくれてる、アイツが、今日のメインヒロインだ。

 

「あ、先生」

「よう、結良。ちょっと遅くなった」

「ううん、わたしも今来たとこだよー」

 

 音羽結良。どこの世界でも常に生徒として、オレに惚れた一人として、みんなと縁を繋いできたヤツ。変わらねぇんだ、コイツだけは、どこにいても。お気楽で、面白いことが好きで、オレの恋人になったヤツとも良好な関係を結んで、オレのことが好きで、ヒナやこころに振り回されるところもあって……オレは、いかに結良が大切な存在なのかを、教えられた。

 

「……ねぇ、先生。屋上行かない?」

「屋上? 一服吸ってもいいなら」

()()()()()()()()()、先生の思い出の場所なんだもん。話すならソコがいいよ」

「……そっか。そうだったな」

 

 久しぶりに吸うからお前に見せたことは、あるけどなかったハズだけどな。それに、お前に屋上のことを話した記憶は、あるけどないんだよな。なんか変な感覚で、余計にあれがただの夢じゃねぇってことを思い知らされる。

 

「……まだ、黄昏には早いね」

「そりゃな……さて、んじゃあ、なにから話そうか」

「うーん。あ、そうだ。モカちゃん先輩から連絡来たよ。今度遊びに来るから、初めましてだけどよろしくね、ゆーたん、だって……ふふ」

「よくよく考えると変な言葉だな」

「ホントに」

 

 そっか。結良はオレの生徒たちにほとんど会ったことがねぇのか。ヒナとリサは前から知り合いだったけど、紗夜と千聖とは一度きり、こころとも夏休みにちらっと顔を合わせただけ、残りは会ったことすらなかったんだな。

 それが、もうすっかり顔馴染みみてぇだな。一夜にして、結良はアイツらにも受け入れられたってわけか。

 

「……わたしの夢、あれ、ホントだよ?」

「旅してぇってヤツか」

「うん。進学とか就職とか考えないなら、今すぐ、どこかに飛び出して星をみたいんだ……でも、今は大学かな? こころん先輩に誘われちゃったし」

「……じゃあ、もう一つの方は?」

「……ホントだよ。先生に、生徒ってだけじゃなくて大切なヒトになりたいのも、ホントの夢なんだ」

 

 そうか。やっぱり、そうなんだな。知らず知らずのうちに、オレは結良を堕としてたってわけだ。ヒナたちみてぇに劇的な何かがあるわけじゃなくて、一緒にいた時間を大切にしてくれた結果、結良はアイツらと同じ感情を手に入れた。

 多分、昨日までのオレなら逃げちまうんだろうな。オレは生徒としてお前を大切にしてきたんだ、って。けど、そんな言葉で片づけられるほど浅い気持ちじゃねぇことも、それが結良のためでもなんでもねぇことも、今のオレは知ってるんだ。散々、アイツらに教えてもらったからな。

 

「なぁ、結良。あの後、お前が引っ越してきた後さ、オレはお前になんて言うと思う?」

「え……うーん……そうだなぁ。あ、なんとなくわかっちゃったかも」

「お、なら言ってみろ」

「えーっとね、ココに引っ越してくるのを認めたってことは、答えは一つだろ、ってとこかな?」

「だいたい合ってるな」

「わーい」

 

 オレが用意してたのは、引っ越してくるんだから、お前の想いは認めてるってことだから安心しろ、っつうまぁ意味はなんにも変わらねぇ言葉だな。結良の予想したオレのセリフはめちゃくちゃカッコつけてるオレじゃねぇか、わざとか。

 それはさておき、その意味は、あのハーレムがねぇ今だと、別の意味を持つ。それを結良はわかってるんだろうか。

 

「なぁ、結良」

「うん?」

「……カッコつけても、いいか? 素じゃ言えそうにもなさそうだ」

「ぷっ、ダサ」

「てめぇ」

「ジョーダンだよ、ほらほらいいからさ、とびきりカッコつけてみて?」

 

 結良に促されて息を大きく吸った。慣れねぇな。何人に告白したのか、わかんねぇけど、慣れるもんじゃねぇ。けど、これで今の黄昏ティーチャー以外の何かに、誰かの一番に成れるんなら、オレはオレのロックを奏でるよ。

 

「沢山見てきた、そのどれでもねぇ未来を、一緒に見てくれねぇか。これからも、ずっと、恋人として」

「……はい。これでやっと、カズくんって呼べるね……えへへ」

「学校では先生つけろよ。ちゃんと」

「はーい、先生」

 

 音羽結良は、言うならタンポポだ。一輪花として咲く逞しい花だけど、それはつまりは雑草だ。アイツらのような見目麗しい花たちとは違って店にも売られてねぇし、路傍に咲いて、踏まれて、注目されずに一生を終える、悲しい花だ。

 こころはそんな日陰に咲いていたタンポポに太陽を当てて、気づかせてくれた。大輪の花を枯らしてしまったオレに、最後に残った花があることを。

 これから、結良はオレの生徒たちとまた一から関わっていくんだろうな。モカと近くのおいしいもの探しをして、千聖にメイクやファッションの流行なんてものを教えてもらって、紗夜にため息をつかれつつも構われて、蘭と花のハナシを、ヒナと星のハナシをするんだろう。

 離れていったアイツらを、結良が、また結んでくれる。今度こそ、最良の幸せに。教師としても、一人の男としても、足りないものを埋めたオレにふわふわと幸せを届けてくれる。

 

「わたしのこと、ホントにちゃんと好き?」

「ん? バーカ、愛してるに決まってんだろ?」

「あっ、あい……そ、ソデスカ……」

「わかりやすく真っ赤になってるけどな」

「ゆ、ゆーやけのせいだもん」

 

 あれだけ未来を見て、幸せをしゃぶりつくしたオレにも、この先がどうなるかなんてわからねぇ。結良との未来は、未練がねぇせいで見れなかったからな。だけど、だからこそ楽しみだ。これからの毎日が、これからの明日が。きっとめんどくさいことも多いだろう。アイツらは未練を昇華されたものの、オレへの気持ちが宙ぶらりんだったっつう過去はかわらねぇんだから。きっとそれに対してまた奔走していく日々が始まりそうな気がしてならねぇしな。でもオレには明日があるんだ。もう、それを信じるに足るヤツが傍にいるんだからな。

 

「とりあえず今週末デートしよ、隣県にある夢の国」

「初デートがえらく金がかかりそうな場所だな」

「いやぁ、カレシとキャラクターの耳つけて回ってみたかったんだよねぇ、わたしの小さな夢」

「夢多いんだよお前」

「夢見る青春ドリーマーですから~」

 

 はいはい。それならお前の青春に思う夢をどんな手を使ってでも叶えさせてもらいますよ。叶えて、そんで、どうせ最後の夢はアレだろ? ウェディングドレスって言いだすんだろ? そう言うと結良はにひ、といたずらっぽく笑った。

 

「着せてくれるの?」

「卒業したらな」

「やった、約束ね!」

 

 別にタキシードがオレじゃなくてもいい、なんて言うつもりはもうねぇからな。アイツらに祝福してもらいながら、お前とこの手を繋いでった方が、ちゃんと幸せだからな。だから、これからもよろしくな、結良。

 そして、オレの大事な生徒たち。オレが傷つけちまったアイツらとも、これからも笑い合っていくんだ。未練のない幸せな人生を、これからも。

 ──また、明日も過ごしていけると信じてるから。

 




 こうして、未練を昇華したクズは最良の縁を結んでいくのでしょう。めでたしめでたしというわけです!
 ここまで読了していただいたかたありがとうございました! ハッキリ言って加筆するだけでも相当な労力になってしまったのですが、見事ここまでたどり着きました。
 ろくにバンドリ要素も出せずにではありますが最早ストーリーだけでこれたことすら奇跡と言っても過言ではないでしょうか。いやこれはあまりに自信過剰ですね。
 ルール破りのエピローグ、というか旧題のアナザーエンディングをくっつけたことは所感として大きな挑戦だったかと思います。
 うわ、この作者やったわとか思わないでいてくださるととてもありがたいのですが、やはりオリキャラとくっつけるのはどうなのかなと今でも感じています。
 と、まぁグチグチ言っても仕方ないですね、終わったことをひとまずは喜びつつ、次はどうしようかなぁと考えている次第です。
 アナザーエンディングの続きだった「黄昏ティーチャーと夢見る青春ドリーマー」と設定が矛盾してるのですが、それもおいおい直していこうかなぁと。とりあえずはあのまま出しておきますが。
 ルート違いとか、イフルートとか、色々書いてて長く続けていくとふと思いますよね。
 よく、エタらないなぁと。それでは、またお会いしましょう!


――本醸醤油味の黒豆。


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エピローグB:太陽ハッピーメイカー

大団円! よくぞここまで辿り着きました!


 未練の世界、終わりの瞬間に、あたしは羽丘学園の屋上にいた。昇華されたあたしの未練は、すごくすごく幸せで、思わず切なくなるくらいのものだった。もしも一成がプロポーズを受けてくれたら、あんな風に甘くて幸せな家庭が待っていたことを知った。知ってしまった。

 

「これは、失敗ね……一成が気づいていなければいいけれど」

 

 一成がみんなの未練を通じて、自分には足らないものがあったことを知ってもらう。それは成功したわ。大成功して、彼にクズ教師としての過去が決して今の教師の幸せに干渉しないことを教えることができた。けれど想定外だったことが一つだけあった。

 ──()()()()()()()()()()。先生としてではない、一人の男性としての一成があたしたちにくれる幸せは、あまりにも大きすぎた。

 

「ん、そうだね……あたしもそう思う」

「日菜」

「そっかぁってなるよね。あたしたちがもっともっと、大好きだーって言えて、自分のためじゃなくてカズくんのために頑張れたら、あんな風に愛してもらえたなんて知ったら」

 

 そうね、そうよね。その言葉に応えるようにあたしの周りには一成が愛してきた人たちがそこに集まっていた。蘭もモカも、紗夜も千聖も、リサまでみんな同じ顔をする。ごめんなさい、あたしみんなを笑顔にできなかったわ。

 

「ううん、こころんは……あたしたちを笑顔にできてる」

「うん、これはもうしょうがないことなんだよ」

「そんな、そんなこと……そんなことを認めていたらダメなのよ」

 

 今のみんなの表情を笑顔だわ! だなんて無邪気に喜ぶことは、とてもできない。未練を昇華するのだと息巻いてみんなを巻き込んでしまったのに、後悔が残ってしまうなんて考えてもなかった。後悔は笑顔を奪うものだわ、ああしていれば、こうしていれば、そんなもしもがこんな幸せだったなんて。

 

「一成さんらしいけれど」

「ええ、とっても」

「……本当に、バカなんだから」

「アタシ、センセーのこと好きだったんだなぁって思い知らされちゃった。あんなに、愛してくれるかもしれなかったってことも」

「でも、人生は後悔の連続なのだから」

「おねーちゃんのゆー通りだよ。カズくんを責めるのは禁止!」

「わかってま~す」

「アタシも、そう思います。一成を傷付けるのはナシにした方がいい」

 

 だけど半年経ったら、きちんと各々でこの後悔をすっきりさせよう。そういう予定を立てた。結良との関係が始まって落ち着くまでの間は待ってあげて、それからは感情のままにしてもいいという約束をした。全員がそれに頷いて、あたしの世界は眠りについた。

 

「……おはよう、今日も世界を笑顔に」

 

 ──そして来るのは目覚めの時。長い長い夜が明けた本当の朝、あたしは大学には行かずに少しだけ散歩をしようと日菜に断りの連絡をした。今日はどうしようかしら、そんな風にのんびりと考えていると一成から、先生から連絡がきた。()()()()()()()()()()()()というものでなにかしらと首を傾げながらあたしは気分が向いた場所へと足を運んだ。

 短いようで、とっても長い半年という間、みんなが壊れてしまわないようにしないと。特にモカや千聖、リサは脆いところがあるから一成と結良の幸せを邪魔しちゃわないようにしないと。

 

「あら、美咲!」

「こころ、ってなんでここにいんの?」

「散歩してたの、美咲は?」

「あたしはお昼からだし」

 

 考え事をしながら散歩をしていたら、いつの間にか美咲のおうちの前に来ていたみたい。ということはと期待に目を輝かせていたのがバレたのか、ちょっとだけヤキモチ妬いたような顔をした美咲に仕事行ったからいませーんと言われてしまった。

 

「言い方がいじわるだわ!」

「自分の好きなヒトに会えないからってヒトのカレシで穴埋めようってこころの方がよっぽど意地が悪い気がするんですけど」

「そういうんじゃ……ないわ」

 

 彼の言葉はあったかくて、今のあたしの笑顔の源になってくれるだけ。でもそれが嫌なのと美咲は手でバッテンを作った。そう、そうよね。きっとそうしたら、結良にも同じような顔をされてしまうわね、あたしは。

 

「らしくないこと考えてる顔だね」

「らしくない、そうかしら?」

「そ、らしくない。こころはさ、ヒトを笑顔にする時いっつもどういう顔してるのか忘れてる」

「……どういう顔?」

「まずはこころが笑ってないと。笑顔はあげるもの、でしょ?」

 

 美咲はそんな風に優しく笑ってくれて、その顔につられたようにあたしも思わず笑みがこぼれて、あたしはあたしを取り戻した。会えないかって言われてらしくなく不安になってしまっていたみたい! そうよね、なにごともポジティブに考えないと!

 

「それでこそあたしたちのリーダーだ」

「ええ! それじゃあ彼やお姉さんによろしくね!」

「ん、伝えとく。ウチのお姉ちゃんは会えなくて悔しがるだろーけど」

 

 やっぱり笑顔のパワーはすごい! 笑顔を忘れてしまったあたしを、笑顔にするってどういうことなのか忘れちゃったあたしを一瞬で、元に戻してしまったのだもの! 晴れることがあって、曇ることがあって、時々は雨も降る。だからこそあたしはみーんなにとっての太陽で、笑顔を与える存在でいたい。だっていつだってあのヒトは、あたしのことをピカピカの太陽サマって言っていたから! 

 ──あたしは足取り軽やかに次の笑顔をあげるために歩き始めた。終着点は羽丘学園になるように、色んなところで笑顔をあげて、笑顔をもらうために。そうしたらきっと一成に会う頃には素敵な笑顔を彼に見せてあげられるから! 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 放課後になり階段を上がっていつもの扉を開ける。そこにはもう先客がいて、オレは屋上でゆらゆらと金色の光を揺らす太陽サマに声を掛けた。振り返りながら光があふれるような顔でその太陽サマ、弦巻こころは至極自慢げにどうだったかしら! と一夜の夢にしてはボリューム満載だったオレをハメよう計画の感想を訊ねてきた。

 

「寝起きが悪くてしょうがなかったよ。大切な部分しか残らねぇっつっても、何回だ? わかんねぇくれぇ人生歩まされたんだからな」

「でも、その分自分がいかに逃げたかは理解できたでしょう?」

「そりゃあもう。オレってヤツはどうしようもねぇ男だよ」

 

 ああでもまだ終わりじゃねぇよな。オレが間違え続けた過去はまだ終わってねぇ。もしものアイツらを幸せにできたからこそ、現在のアイツらのこともきちんと幸せにしてやらなきゃならねぇ。未練は解消されたけど、オレにはまだまだやることがあるからな。

 

「そうね、それを……これから一成はあの子と手を取っていくのね」

「あの子? 結良のことか」

「ええ!」

 

 そういや結良の存在もこころには織り込み済みだったんだな。そうか、ようやくお前の計画の全貌がわかった。未練を解消して、オレがダメダメだってことを突き付けた上でそれを今引き継いでいる結良に託す。オレが結良を幸せにしてそれでハッピーエンドってところか。なるほどスゲーなお前は。それでお前の完全勝利ってわけか。

 ──ふざけんな。そこまで思い通りになると思うなよ。オレはお前が描いたもう一つの結末ってヤツに泥を塗りつけるために来たんだよ。

 

「……どういうこと?」

「これはオレとお前の勝負だろ? それを忘れてねぇんだよこれが」

「ええ、だけどこれは」

 

 そう、だけどこれは本来なら勝負にすらならねぇ勝負。オレが油断したことによってこころが必勝のパターンを持っていた勝負でもあった。当然オレは必ず負ける。そう仕組まれてるからな。残念なことにレフェリーはおらず明確な反則もねぇから、オレは負けてこころが勝ち逃げをする。そういうシナリオだった。そう、()()()()()()()()()()()んだよ。

 

「まだわかんねぇのかこころ」

「え、ええ……一成は、ここから逆転しようというの?」

「おう、まだ必殺の一手は残ってたんでな」

 

 お前はきっと想定してなかったんだろ。ありゃいくらなんでも()()()()()。何回も何回もしゃぶりつくしたオレですら、逃げずにいればアイツらをちゃんと幸せにできたんだなぁって後悔しちまうくれぇにはな。それをアイツら、そしてお前も含めて後悔してねぇって考えるのはムシがよすぎるだろ? だからこそオレはそこに付け入らせてもらうことにしたよ。

 

「なぁこころ? 変なこと訊ねるが、結婚の予定とかあるか?」

「ないわ。まだあたしはあたしの全てを預けるヒトを、探している最中なの」

「だろうな。じゃなきゃあんな未練は残してかねぇよな」

「……え?」

 

 なんだよその今更気づきましたみたいなリアクションは。こころにしてはえらく察しが悪いな、体調崩してるってんならまた日を改めてもいいけどな。もう焦ったり急いだりはしねぇよ。オレは、失ってたもん全部取り戻したんだからな。

 

「オレはさ、意地っ張りで不安を吐露できねぇくれぇに強がりで、肝心なところで本心隠すバカで、寂しがりのクズで、大事なところで逃げグセのあるヤツで、明日も信じられねぇどうしようもねぇヤツだった」

「そうね、そうだったわ」

 

 けどそんなオレは何度も何度も幸せになる度にいなくなっていった。ヒナとの幸せが、千聖との幸せが、紗夜と、モカと、蘭とリサと、そしてこころ、お前との幸せを通してオレは本当の意味でのクズ教師で、誰かの明日のために、自分の明日のために全力になれる男になれるきっかけをくれた。そんなお前を、じゃあ今の生徒は結良だから結良とめでたしめでたしのハッピーエンドで捨てられるようなオレじゃねぇんだ。いや気付かねぇんなら別だけど、とにかくオレは気づいた。お前らの心残りってヤツにさ。

 

「──ってわけだ。もうわかるよな?」

「い、いいの……? だって、他にも」

「他? 弦巻こころに他はねぇだろ?」

「か、カッコ……つけるわね」

「じゃねぇと面と向かって言えなさそうなもんでな」

 

 こころの瞳が揺れる。悪い、随分と遠回りをしちまったけど、オレは決めた。あの未練の旅を続けて、ヒトを笑顔にする魔法ってもんがマジにあるんだって知ることができたからこそ、オレはその旅を続けてぇって思ったんだ。幸せに逃げるためじゃなくて、名前だけはいっちょまえだが、実のところは真っ暗な未来ってヤツを照らしてくれるお前の傍で、ずっと。

 

「オレを、世界を笑顔にする旅に、お前の人生の一員に加えてほしい。曇った時や雨が降った時にはオレがお前を支えてやるから」

「……かず、なり。あたしは……あたしは、ずっと」

「ああずっと、お前はずっと愛してくれてた。だからオレは、その分お前を抱きしめる。愛してるって言葉にし続けるから」

 

 そうずっとだ。まだまだ世界を笑顔にするってだけでなんにもできてなかった頃からずっと、お前はオレを愛してくれていた。具体的に何をしていくか道筋がわかってもずっと愛してくれていた。笑顔の魔法、お前が世界に向けて唱えるそれを、オレはこころ一人に唱えるよ。そうすりゃホラ、世界全部が笑顔だ。

 

「素敵ね、素敵な魔法だわ……だけど」

「ん? なにかダメか?」

「あなたも、笑顔の魔法を世界にも向けて。あたしだけじゃなくてその魔法で、一成に関わる全てのヒトを、笑顔にしてあげて」

「……ああ、そうする」

 

 言葉はそこまでだった。もう我慢の限界がきたようでこころはまるでオレに突進でもしてくるように首に腕を巻き付けて、オレの腕の中へと納まった。愛人関係とかなんとかふざけた関係を結んだ時から思ってたけど、ホントに温もりを感じるのが好きなヤツだ。だけど違いは、躊躇うことなく唇を重ねてきやがるってことだけかな。

 

「これから」

「ん?」

「これからいーっぱい、愛してるって伝えるわ!」

「じゃあオレはその数倍は愛してるって伝えるよ」

 

 こころが口にするこれから、という言葉はオレにとっては信じることができなかったはずの言葉たちだ。ずっと、これから、明日、未来、オレにはコイツらに裏切られた気がしてならねぇからな。だけどもう裏切られることもねぇだろう。なにせ今日から、そのこれからを照らしてくれるのはピカピカの太陽サマなんだから。

 ──なぁこころ。オレはどこまでもお前の傍で笑ってやるよ。海の果てでも宇宙でも、どこでだってオレとこころなら、無敵になれる気がするからな。

 

「これからデートしましょう!」

「急だな、どこに?」

「気の向くまま、あたしと一成の笑顔の源を探すのよ!」

「早速幸せ作りか、好きだなお前も」

「当然よ、あたしは太陽ハッピーメイカーなんだから!」

 

 そうかよ。じゃあオレはそんなお前のハッピーを創るとしますかね。誰かじゃなくて、誰でもねぇオレが弦巻こころにとっての一番のスマイルの素になれるように。あとはもしもの世界でできなかった盛大な結婚式とかもしてぇしな。よし、行先は決まったな。オレはお前と将来を誓う場所を探しに行きたいんだ。ついてきてくれるよな、こころ? 

 

 

 




――というわけで前話のあとがきに気づいてくれた方はありがとうございます、気付かなかった方は段落頭の文字を並べてみてください。
このルートは本来ないはずでした。そう前投稿は結良エンドで終わりなんですよね。でも、ここでこころをここまで活躍させておいて、そりゃないわと思ったので救済しました。リサは別の投稿でちゃんと救済してるんで。
というわけで本当にここで終わりです。終わり終わり詐欺を二回もしておいて何を言うかと思いますがマジでここで終わりですお疲れ様でした! あなたの人生に、少しでも読み物としての価値がありますように。それではまたどこかで。

――本醸醤油味の黒豆。


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