起きたらドデブスの魔女に生まれ変わっていた俺の話、聞いてくれる? (サイスー)
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プロローグ
カリステファス


 腹が重い。単純に肉が積み重なった結果だ。ケツが分厚い。その理由も同様。歩くと股ずれを起こしそう。下を向こうとすると顎の肉に邪魔されるし、身体を動かすのがとてもおっくうだ。腕の可動域の狭いこと狭いこと。背脂が邪魔をして、天使の羽(肩甲骨)なんて恥ずかしがってすっかり埋もれちまった。

 

 そっぽを向いた鏡を久しぶりにこちらに向けると、映った姿に絶句した。誰だこれ。俺か。もともと顔の造りは薄いほうだったので、完璧にパーツが埋没してしまっている。アゴはどこへ行ったんだ? ああ、悲しきかな、デブだ。まごうことなきデブだ。知ってる。

 

 一生でこんなに愛することはない、と思えるほど愛した彼女に振られ、暴食に走った結果がこれだ。食べているあいだは不思議と寂しさが和らいだ気がした。なにかを常に口の中に入れておきたかった。

 

 顔はイマイチだったが、同性の友人は多く、女友達だってそれなりにいた。背の高さとそれなりに高いコミュニケーション能力で、人並みの暮らしは送っていた。

 

 世間は正月。去年は彼女とコタツでふたり寄り添って笑いあっていたのにな、とほろりと涙をこぼしながら、ぶんぶんと首を振る。

 

 いつまでも考えていたって、なにも変わらない。暴食はすこしのあいだ寂しさを紛らわせてくれていたけれど、残したのは盛大な贅肉だけ。

 

 新年、心機一転変わるしかない!

 

 そう決意して、おっくうな身体を引きずり、最近普段着と化しているぶかぶかのスウェットのまま外へ走り出したのがつい先ほど。夜なので人目はないが、車のライトが見えるたびにびくびくした。豚が畜舎から逃げ出していると思われかねない体型だからだ。俺は養豚場から逃げ出したんじゃねえ、新たな未来へ向けて駆けだした豚だ。紅の豚だ。かの有名な豚は言っていた。走れない豚は、ただの豚だと。

 

 走り始めて十分も立たないうちに膝の痛み、足首の痛みと、関節という関節が肉の重みに負けてきしみだす。おまけに呼吸は死ぬほど苦しい。ひゅーひゅーと喘息音が身体中をこだまし、口のなかは血の味だ。なにから、いや、何者からも逃げるように俺はただただ走り続けていた。

 

 そして。意識が途切れた、のだったか。

 そうだ、走っている最中から記憶がないから、どうやら気を失っていたらしい。

 なら、ここはどこだ?

 うす明るい天をめがけて、ぐんぐんと意識が浮上していく。上も下もよくわからない空間だけれど、なんとなくそちらが上のような気がする。

 やけに重い瞼を開くが、目がかすんでまわりがよく見えない。

 薬草、のような香りが漂っている。おだやかにあたたかな気温で、すこしばかり湿度が高い。

 

「やっと起きましたか」

 

 心底嫌そうな男の声に驚いた。部屋に男はいない。寂しい男一人暮らしだ。間違いない。

 ここは、病院?

 何度も瞬くと、白い霧は晴れた。

 

「誰」

 

 やけに不愛想な声が出た。不愛想で不機嫌そうな声だというのに、いつもよりも随分と高い声だ。不思議に思いながらも、条件反射で苛立ったのは、自分をのぞき込む見知らぬ男の顔がモデルのように整っていたからだ。

 

「俺の家で何してる」

「俺とは……実に嘆かわしい。その見た目で俺っ子の需要はありませんよ」

「はァ?」

 

 嘘くさい仕草でハンカチを目に当てるやけに綺麗な男。赤い目なんて初めて見た。カラコンだろうか。異様に白い肌といい、悪魔みたいな男だ。長身痩躯の彼はモデルになれば売れっ子間違いなしであろう。ニヒルな笑みを浮かべて、男は形のよい唇を開いた。

 

「わたしは高位使い魔カリステファス。あなたはいつもわたしをカロスとお呼びになる。そして貴女は、魔女のグラジオラス」

 

 頭沸いてんじゃねえか、こいつ。

 失礼なことに心の底からそう思った。だが魔女だとか使い魔だとか、ばかげたことを当たり前に口にするこの男は、おそらくおつむが弱いのだろう。さらには、俺の性別すら間違うとは、痛々しいにも程がある。

 

「お言葉ですが、弱いのはあなたのお頭ですよ。まわりをよくご覧なさい」

 

 そう言われ、寝転がったまま視線だけを巡らせると、見覚えのないものばかりがある。全体的に木造りだ。素朴な丸いテーブルに、椅子がひとつ。花瓶には食虫植物かと見まごうゲテモノが刺さっており、天井のシャンデリアは古びた雰囲気を醸し出している。ベッド脇の棚にはティーポットが置かれており、湯気のたつカップから薬草のかおりが漂っているらしかった。部屋は狭く、調度品の類は安物だ。不釣り合いなのは古ぼけたシャンデリアくらいで、ふつうの明かりにすりゃあいいのに、と思う。

 

 とりあえず俺ン家じゃない。あと、病院でもない。

 

 気になるのは、かけられた布団が体のかたちにこんもりと膨らんでいることだ。悲しいほどに腹が膨らんでいる。

 

 起き上がろうとすると、カロスが背中に手を添えて手伝ってくれた。見目麗しい青年がボランティアで老人の介護をしているような、そんな風景が広がっていることだろう。

 

 腹の肉が邪魔で邪魔で、気を抜くとこてんと後ろへ転がってしまいそうだ。

 

 目の前に姿見があった。やけに遠くのものが明瞭に見える。眼鏡をかけたまま眠っていたのだろうかと考えていた思考が、衝撃でぶっ飛んだ。

 

「ド……」

「……ど?」

「ドデブス!!!」

 

 とんでもないデブのとんでもないブスが姿見に映っていた。ぱちくりと瞬くタイミングも同じ、そばに美青年をはべらせているのも同じ、となるとあれは、俺か?

 いやいやいやいや、こんなにドデブのブスではなかったはずだ。もうちょっと小ましだった! いろいろと! なんかわからんけど、たぶん。しかもドデブスなのになんか女っぽい!

 

「主様、お気を確かに。それは現実です」

「失礼だな、お前。いろいろと」

「いやはや正直な性分でして」

 

 悪魔のくせに、と考えて首をかしげる。

 

「どうかなさいましたか? わたしは悪魔で間違いありませんよ」

 

 先ほどから心のなかを読んだようなタイミングで、的確な答えを返してくる。何者だ。

 

「悪魔でございます。類稀なる高位の悪魔カリステファス。わたしを使い魔とできたことを誇りにお思いになるとよろしいかと」

 

 疑問を遮るように、彼は一枚の便箋を差し出してきた。見たことのない文字だが、読める。読めるのだ。

 親愛なるグラジオラスと書かれた封筒を開けると、なかには流れるように美しい文字が書かれている。

 

 グラディス、最近どうしているのかしら。あなたのことだから、また家に引きこもっているのでしょう?

 ブスはどうにもできないけれど、デブはどうにかできるのだから、その見苦しい肉をそろそろどうにかしたほうがいいわよ。あなたったら、もう三世紀も太ったままじゃない。といっても、わたくしとあなたの付き合いなんて三世紀しかないのだけれど。ほほほ。

 そろそろカリステファス様をわたくしに引き渡してはどうかしら。彼もそのほうが喜ぶと思うわ。だってわたくしのほうが美しいのだから。魔力と知識だけが取り柄のあなたとは違って、わたくしはそのうえに美貌と金もあるのよ。

 さて冗談交じりの本気はここまでにして、本題よ。

 あなた、最近王からのオーダーを無視しているそうね。本当にのたれ死んでんじゃないかと思って手紙をしたためた次第だけれど、カリステファスがいる限りそれはないかしら。

 返事くらいよこしなさい。あと、さっさとオーダーをこなさないと面倒なことになるわよ。

 

  美の魔女ダリアより

 

 なんだか心底腹が立ったので、手紙は燃やしておいた。燃えろ、と念じると青白い炎が手のひらから出てきて、なめるように手紙を屠っていったのだ。熱さはさほど感じなかったし、手の皮はただれていない。それができると、俺は確信していた。手から炎が出るなど、ふつうに考えてあり得ないことだというのに。

 

「魂が変われども、相変わらず魔法だけは見事なものです」

 

 うん? 今こいつ、聞き逃せないことを言いやしなかったろうか。俺がこの身体に見覚えがないこと、その答えをこの悪魔は当たり前のように認識しているような。

 

「わたしほど高位の悪魔が魂が入れ替わったことに気づかぬはずがないでしょう。しかし貴女はグラジオラスとして生活するに、他はありませんよ」

 

 何を言ってるんだこいつは。

 

「本当にお頭の弱いことで……嘆かわしい。貴女は異世界から魂だけを飛ばし、それがグラジオラスに宿ったのです。グラジオラスの魂は、わたしがいただきました。それが契約でしたので。

 すでに貴女の魂とわたしの契約は終えています。貴女が死ねば、その魂はわたしのものとなる、ということです。グラジオラスの魔力はとても美味だ。

 わたしは芳醇な魔力に満ちた魂を得る、右も左もわからぬ貴女は有能な使い魔を得る。お互いに利のある素晴らしい契約でしょう。お分かりになりましたか?」

「いや、お分かりにならん。何勝手に契約してんだ。クーリングオフだ、クーリングオフ。それに俺は男だ。この身体は女だ。いろいろとおかしいだろう」

「魂に男女の概念などありませんよ。男に生まれれば男として生きる。女に生まれれば女として生きる。郷に入っては郷に従え、と貴女の故郷では言うのでしょう?

 それが受け入れられぬ者が巷ではトランスジェンダーなどと呼ばれていると。郷に入っては郷に従えぬ者たちのことです」

「いや、それも違うと思う」

「やれやれ。反論するのがお好きな方だ」

 

 ドラマか映画に出てくる鼻につくイケメンのやれやれ、という仕草。

 少女漫画ではそんな男の姿に黄色い声をあげるその他大勢と、唯一何も反応しない主人公との恋が繰り広げられるのが定石だったっけ。

 妹の買い集めていた少女漫画を暇つぶしに読んでいた俺は、実際に目の前で繰り広げられるその光景に腹立たしさしか感じない。この悪魔、愛憎劇の末に交通事故やら記憶喪失やらで不幸のどん底に落ちればいいんだ。母のハマっていた韓ドラみたいに。

 

「貴女の思考回路はぐちゃぐちゃとしていて要領が得ませんね。で?」

「"で?" なんて言われても、俺は一言も言葉になどしていないはずなんだが。勝手に俺の思考回路に口をはさんでくるんじゃねえ」

 

 パチン、と悪魔は指を鳴らした。すると、悪魔は濡れるような長く艶やかな黒髪に、柘榴のような赤い瞳の豊満な身体をした美女へと変じた。

 挑戦的な上目遣いで俺を見あげ、蠱惑的な笑みを浮かべて顎に手をかけてくる。むっちりとした白い胸が押し付けられ、俺は自然と鼻息荒くその谷間を見下ろした。

 

「女の身体になれば、女としてふるまう。容易なことですわ」

 

 再びパチンと指が鳴り、絶世の美女はいけ好かない男に戻ってしまった。

 

「さっきの女! 女の姿で暮らせ! 命令だ! 主の命令だぞ!」

「小物っぽ……ごほん。主だと仰るのならば、そのように振舞っていただかないと」

 

 その整った容姿といい、人を小ばかにした態度といい、何もかもが鼻につく男だ。

 

「ああ、そうでした。貴女が眠っているあいだに、また借用書が届きました。右肩上がりの贅肉と比例して、借金の額もどんどんと増えていっておりますよ」

「贅肉は余計だ。……借金?」

「はい。王からのオーダーをこなさぬペナルティが課されたようです。そろそろ金ではなく魔力搾取の刑が実行されると思われます。そうなるとわたしとしても困りますので、ここはひとつ簡単なオーダーからこなしてまいりましょう、主様」

 

 



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モカラ

 

「それでは手始めに、王からのオーダーを消化していきましょうか。大丈夫、問題はございません。貴女の身体はきちんと調合を覚えておりますから」

 

 カロスが手際よく準備したのは鍋とバーナー、すり鉢にすりこぎ棒、薬草各種と奇天烈な昆虫の干物である。

 古ぼけた箪笥から適当に取り出しているのかと思いきや、グラジオラスが記していたらしい薬草の調合書に、それらの品が羅列された薬があった。

 勃起薬、と書かれている。見間違いかと目をこするが、文字は変わらない。

 王から調合を指示された薬の名も、勃起薬。

 王様って、チンポたたねえんだ……。哀れな事実を知ってしまった。

 次から次へと送られてきていたらしい王からの依頼品(オーダー)が記された紙は、すっかり机の上に山積みになっている。それらを魔力で手繰り寄せ、目を通す。捲れども捲れども、勃起薬、勃起薬、勃起薬、勃起薬……目頭を押さえ、俺は涙を堪えた。たたねえんだな。切羽つまってんだな。王妃からのプレッシャーもすげえんだろうな。

 いいよ、勃起薬。作ってやるよ勃起薬。つれえよなあ……! 悲しいよなぁ……!

 

「さあ、主様。どうぞ調合を」

 

 それにしても、栄えある俺の初仕事が勃起薬とは……(現実に戻った)。

 髪とチンポは男の生命線だものな。そのうち薄毛薬とかも作らされんじゃないだろうか。

 よっこらせ! と腰をあげる。身体の重いこと、重いこと。ただ身体を起こして調合場へ移動するだけなのにバクバクと心臓がうるさく鼓動を刻む。

 すんごいビートだな、おい。頑張れ心臓、負けるなよ。ぽっくり逝ったことある身だからこそ余計に思う。

 

 薬草を2種類すり鉢にいれ、ガリガリゴリゴリすりつぶしてゆく。空いた手でバーナーに鍋をかけ、呼び出した水を小ぶりな鍋半分に溜めて火を起こす。ペースト状になった薬草をすり鉢から清潔な白い布に移し、すり鉢とすりこぎ棒を浄化する。昆虫の干物を刻んで、煙を上げ始めた鍋に入れ、魔力を込めつつ混ぜる。空いた手で残った薬草を再びすり鉢ですりつぶす。このときに魔力を微量ずつ加えていくのがポイントだ。沸騰してきたら火を弱め、すり終わった薬草をすり鉢をこそぐように鍋へと移す。煮え切らないように火の加減を調整しつつ、きっかり10分煮込んだ後に、火を止めて白い布をぎゅっと潰してエキスのみを鍋に3滴。ぽわん、と薄紫のチン……キノコ型の煙が発生したら、完成だ。

 カロスが手渡す薬瓶に移し、グラジオラスの刻印を施す。よし、3本分の勃起薬が出来上がった。

 

「って、えええ……俺すげぇ……めっちゃスマートじゃねぇ……?」

「太っても、失礼。腐っても魔女なのですから調合など息をするようなものでしょう」

「わざと間違えてないか? お前」

「間違えてなどおりませんよ。故意です」

「なお悪いわ!」

「大声を出されますと、心臓に悪いですよ。心臓がビート刻んでしまいますよ」

「お前のせいで余計にビート刻んでるわ! ダンカンバカ野郎!」

 

 きらきらしい美貌のまま小首をかしげる悪魔に、苛立ちは最高潮に達する。無視だ、無視。しまった、この手のやつは、相手をすればするほど喜ぶやつだ。

 手早く片付けをしようとするカロスを止め、俺は残った品に少し材料を加えて、手軽で簡単、しかしながら高品質な化粧水を作りだす。

 

「ついでにこれを王妃様に詫びとして届けておこう」

「求められた仕事よりもさらに上回った仕事をするだなんて……貴女は本当に魔女ですか?」

「いや、どちらかというと社畜だな」

「生粋の魔界のイキモノにはあり得ない習性です」

「言われたことだけやるなんてのは、三流の仕事だよ」

「今の貴女は言われたことすらできていない三流以下というわけですね。汚名返上になるとよろしいのですが」

 

 さらりと毒を吐きながら新しい瓶を差し出してくるところが鼻につくほど有能だ。俺がオーダーを止めてたわけじゃないのに。起きてすぐに仕事してるんだぜ?

 

 どうせならば、と不愛想な薬瓶に細かく薔薇の彫刻を施した。肌に良いローズの香油を加えているし、ちょうどいいだろう。これ、彼女にも作ってやりたかったな。あ……元、彼女。あ、なんか落ち込む。誰でもいいから俺のこと慰めてくんないかな。できれば美女美少女希望で。

 

「その倒錯した性癖は世間では隠してください」

「お前が勝手に俺の思考回路を読んでるだけだろうが」

「ですから、あまり余ってふくよかに過ぎる体型に口の悪い貴女に俺っ子の需要などありませんよ。私、と仰っていただけますでしょうか? 主様」

「公共の場ではな」

 

 こちとら何年も社会人をやってきたのだ。公共の場で俺などと称したりはしない。

 悪魔の煽り文句にもいちいち反応せず、スルーだ。少しつまらなそうにしているカロスだが、手早くラッピングを終わらせている。有能だ。減らず口がなくなれば文句なしなのだが。

 カロスは窓際に置かれた水晶玉に手をかざす。水晶に魔力が供給され、青く光る球に「モカラ、品が出来ました」とやたらといい声で囁きかけた。

 

「はいな! 呼ばれて飛び出てモモモモーン! モカラ参上!」

 

 これまたお頭の弱そうな……いや、待て。桃色の髪に翠の瞳をした特上の美少女じゃないか。

 どっから出てきたんだ、おい。床下に埋まってたのか? 床の汚れと同化していたらしい魔法陣が光って、とんでもない美少女が現れた。

 つややかな桃色の髪は腰ほどまであろうか。あの睫毛つまようじ何本乗るんだ? ていうか目でっか。かっわい。

 あー、あの薄っすら描かれてる魔法陣がこの家のマーキングになっているのか。

 

「相変わらず早いですね」

「えへへ。早い、安いがうちの通販のモットーですから!

 カリステファス様に褒められるだなんて、今日は空から毒針でも振ってくるんじゃないでしょーか!」

 

 嬉しそうに頬を染めてくるくると回る美少女……目の保養だ。

 アホかわいい。

 

「ああ! グラジオラス様! 覚えてます? 覚えてます? モカラですよー!」

 

 ぼふっと俺の肉厚な身体に抱き着いてきた。こぢんまりとした細い身体が俺の肉に埋もれている。かわいい。

 

「離れなさい、無礼者」

 

 襟首を掴んだカロスに引きはがされ、ぶーぶー文句を垂れている。きらきらの翠の瞳。とがらせた唇。かわいい。ちゅーしたろか、おい。

 使い魔チェンジで。

 

「こんなのを使い魔にしたら大変なことになりますよ」

「モカラは転移くらいしか取り柄のない低位悪魔なので、とてもとてもグラジオラス様のような魔女様とは契約できないのです……しょぼん」

「無理に契約を結べばモカラの身体は爆発することになるでしょう」

「どっかーんは嫌なのです……。あ! でもでも、カリステファス様の従えている悪魔……むもごぅっ」

 

 カロスが素早くモカラの口をふさぐ。モカラは頭の上にいくつものハテナマークを浮かべている。

 

「おしゃべりの過ぎる女は好かれませんよ。時は一刻を争うのです。はやく王家へお持ちしてください」

「モカラりょうかーい! またのご利用をお待ちしております、グラジオラス様! カリステファス様!」

 

 嵐のように現れ、嵐のように去っていった。

 

「どうしよう、何あれ。めっちゃ可愛い」

「この私という有能な存在がありながら、よく仰います」

「チェンジしてえ。マジで。なんで契約できないんだ? 爆発するってどういうことだ」

「空気を詰めすぎた風船みたいなものです。主様から流れ出した魔力を受け止めきれる器がモカラにはありません」

「最後になんか言いかけてたけど」

「そうですね。しかし、今モカラは魔女通信の配達人として雇用されておりますので、諦めていただくほかないかと」

「そっかー残念だなぁ……。クビになったらぜひともうちに来て欲しいなあ」

 

 秒速で現れたモカラによって、秒速で届けられたらしいことはすぐにわかることになった。

 おもむろに窓を開けたカロスが、三つ目のカラスが運んできた手紙を受け取る。カラスは手紙を届けるとすぐに空へと舞い上がり、魔法陣のなかへと消えていった。

 カラスが届けたのは、納品完了証らしい。

 

「ひとまず、魔力搾取の刑は免れましたね」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 アゲラタムは日々積み重ねられていく書類を休みなく消化していた。睡眠時間も食事時間も娯楽の時間もすべてをかなぐり捨てて業務にあたっているというのに、魔界は次から次へと問題が起きて、処理が終わらない。

 割とどうでもいいというか、しょーもない案件も紛れ込んでいる。ケルベロスの餌の時間が1回でも2回でもどちらだって構わないし、リコリス(妻)の下着の色が赤でも黒でも黄色でも、なんだったら虹色でもなんでもいい。

 

 わざわざ魔王にまわす案件ではないものも紛れ込んでいるが、文句ひとつ言わずに責務をこなす。享楽的な魔界の生き物には珍しく、苦労性の魔王だ。

 

 ベッドに入る時間は毎日1時間ほど確保されているのだが、もれなくリコリスが侍ってくる。一生懸命アゲラタムの息子をあやそうとしてくるのだが、数秒で爆睡する日々だ。ここ数年はそのような調子である。そういえば無理やり勃起薬を混入させられることがなくなったな。

 

 ここ最近毎日のように執務時間にべったりとリコリスが侍っている。朝の8時15分から夕方の17時まできっかりだ。しっかりと残業までしているアゲラタムは見張られずとも仕事をサボる気など毛頭ないのだが、一体リコリスは何を考えてずっと執務室にいるのだろうか。

 

 コンコンコン、と扉が三度ノックされ、入室の許可を問われる。

 

「魔女通信のモカラです!」

「入れ」

「失礼いたします! 魔王オーダごむごっ……何するんですかぁ、王妃様」

 

 一瞬で距離を詰めたリコリスがモカラの口を抑えつける。赤い爪先が頬に食い込んでいる。アゲラタムはそっと目をそらし、書類を処理する手を速めた。

 リコリスは昔から可愛いものや美しいものに目がないのだ。魔女通信社の転移要因であるモカラは特にリコリスが気に入っており、よくよく王宮に出入りしている。

 

「モカラ、あなた相変わらず可愛らしいわね。ね、グラジオラスからの品かしら?」

「はい! 魔王様に直接お渡しごむごっ」

「魔王様は多忙なの。わたくしが代わりに」

「キソクで、社からは直接お渡しするようむごごごごご」

「アゲラタム、受取っておくわよ」

「ああ。頼む」

 

 やっと書類に集中できる。尊い犠牲をありがとう、モカラ。後で社に礼の品を送っておくからな、と内心で熱い涙を流しつつ、アゲラタムは一瞥すらすることなく二人の退室を許した。

 あれ……? オーダーなんてしてたっけか。

 いや、それよりもまずやらねばならぬことが山積みだ。魔王オーダーでなければ、別に妻が何をオーダーしようが構わない。

 アゲラタムは再び書類の山へと向きあった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「これ、王からのオーダーで、必ず手渡ししろって言われたんです……モカラ怒られちゃいます」

 

 しょぼんと眉尻を下げたモカラの頭をリコリスは撫でた。

 

「大丈夫よ、モカラ。王はお忙しいから特別に、そう。特別にわたくしが受け取ったの。社には王にきちんとお渡ししましたと言えばいいのよ。ほら、印も王専用のものだから大丈夫」

 

 魔王の印を勝手に取り出し、印を押してカラスに運ばせる。

 

「本当はもっと貴女と遊びたかったけれど、王からのオーダーを運ぶ任務なら、早く帰って報告しなければならないわよね」

「そうなのです。モカラは、王様にちゃんと渡した、でいいですか?」

「その通りよ、賢いわね。モカラ」

「えへへー! 今日は2度も褒められたです! 王妃様、またです!」

「ええ、またね。モカラ」

 

 何度も教え込まれたに違いない綺麗な礼をして、モカラが部屋を出ていくのを確認する。

 

 数週間ぶりに返答のあったグラジオラスからの品。瓶が4本もある。そのうちの1本は緻密な薔薇が瓶に彫られており、雅な品だ。これが……例の薬? やけにお洒落で……逆に卑猥ね。

 同封された手紙を開いたリコリスは、陶器のように白い肌を赤く紅潮させた。

 深紅のウェーブの髪をかき上げ、冷静を装う。

 

 この薔薇は……化粧品、だったの? どうして同封されているのかしら。まさか、わたくしが影でこの薬を注文していたことに気づいただなんて、そんなことはないでしょうね。

 きっと、アゲラタムに届けられて、彼から私への贈り物にさせたかったに違いないわ。ええ、そうよ。それにしても気の利く魔女もいたものね……。驚いたわ。

 

 試しに手の甲で使ってみると、肌がもっちりとして吸い付くようだ。肌のキメさえあっという間に整えるすさまじい効力の化粧水は、今回納品が遅れた詫びの品だという。金はとられていない。

 

「本当に素晴らしい才能だわ。王家直属の魔女になってくれたらいいのに」

 

 ここ最近多忙を極めている魔王は、業務に追われてリコリスの相手をする暇はない。

 おかげでリコリスは魔王の目を盗んで王家からの指示として魔女を動かすことができるのだが、本来であれば王からのオーダーは、王のみに許された特権である。その妻であっても、権利を用いてはならないのだ。

 

「よく考えたらまずいんじゃないかしら、これ」

 

 もしも本当にグラジオラスが度重なる例の薬をオーダーしたのが魔王ではなくリコリスだと気づいているのならば、異端審問にかけられて負けるのはリコリスである。

 オーダーを無視していたのは、魔王が下したものではないとわかっていたから?

 度重なるオーダーにようやく納品したかと思えば、化粧水が備えられていたというのは、気づいているんだぞと暗に示しているから?

 

「えええ……グラジオラスは確か、知識と魔力を司る魔女よね……ああ、気づいてるわ、これ。

 どうしてグラジオラスにオーダーしてしまったのかしら……質が落ちてもダリアあたりに……いいえ、あの女に弱みを握られるのはもっと不味い。

 あまり薬を作る腕は評判ではないけれど、ネモフィラぐらいに頼んでおけばよかったわ……」

 

 どうしよう、どうしようと頭を抱えていたリコリスは、はっと顔をあげた。

 

「そうだわ、グラジオラスを買収してしまいましょう。そうしましょう。より強固なつながりを作っておけば、今回のオーダーもなかったことに。

 わたくしからのオーダーを通せるほどの仲を作っておけば、今後困ることもないわ。そうね、そうしましょう」

 

 卓上の鈴をチリンチリンと鳴らす。扉の前で控えていたメイドが淑やかに入室する。

 

「ネリネ、手紙を書くわ。紙とペンとインクと、便箋とノリを用意してちょうだい。インクは原液じゃなくてインク壺にいれて頂戴ね」

 

 指示されたことしかできないが、逆に指示していないことは一切しない。ある意味とても使い勝手の良いネリネをリコリスは非常に重宝していた。夫であるアゲラタムは、痒いところに全く手が届かないネリネを苦手としているが、秘密の多い女には丁度いい。

 インクの原液を手を真っ黒に染めて持ってきたときはどうしようかと思ったが、きちんと指示しなかったリコリスの責任なのだ。きちんと事細かに指示をすれば仕事はできるのだ。言ったことはできる。言ったこと"は"。

 

「かしこまりました、王妃様」

 

 隠蔽工作を施すため、リコリスはせっせとグラジオラスへ手紙をしたためた。

 

 



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ニヒム

 やわらかくてあたたかい、ふわふわのベッドの上で自分の好きなだけ眠る。うむ、この世の天国だ。

 決まった時間に出社する必要はないし、煩わしい人間関係もない。人に期待されることもなければ、プレッシャーのかかる仕事もない。

 

 ああ……俺はもしかすると今、とても自由なのかもしれない。至福だ。うむ、実に幸せなことである……はずだ。

 

 相変わらず身体は重くて寝返りをするのでさえやっとだが。

 自分で蓄えた脂肪ならまだしも、人がせっせと蓄えた脂肪が纏わりついているというのは、妙に嫌なものである。このラード、何を食って身についたのだろうか。

 万が一俺の身体に違う人間の魂が宿っているなら、本気のスライディング土下座をかますところだ。地面に頭をめり込ます勢いで謝罪できる。それくらいに不快だ。

 

 なんて思考を巡らせるくらいに暇だ。

 

 自由ではある。だが、暇なのだ。

 暇すぎて暇すぎて、嫌気が差してくる。これから先何も起こらず平穏にゴロゴロゴロゴロ……それが何年も続くと思うとゾッとする。

 ブラック企業に勤める社畜に聞かれたらナイフで刺されそうなもんだが、暇なものは暇なのだ。

 

 俺に息子がついていた頃、サザエさんの時間帯になれば物悲しい気持ちになっていたものだったが、この世にサザエさんはいなけりゃドラえもんもいないし、世知辛い会社もない世界だ。

 

 俺はなんのために生まれ変わってしまったんだろう。そんな仕様もない堂々巡りの思考に陥る。だからあえて考えないようにしている。

 

 あーあ、のどが湧いたなあ。

 

「カロス、お茶」

「主様。もう1週間も食っちゃ寝、食っちゃ寝だらしのない。そんなことでは豚になりますよ」

「おい、俺ってお前の主人だったよな?」

「はい」

「涼しい顔でいけしゃあしゃあと……。

 くっそ、あるじサマは気分を害したぞ! 謝罪しろ!」

「ああ……はい。豚さん申し訳ございません」

「俺にだ! ……俺に言ったのか?」

 

 す、と差し出された冷えた茶。俺は上半身をわずかに持ち上げて、ベッドに寝転がったまま受取る。

 

「堕落の極みですね。少しは運動してはどうですか」

「母ちゃんか、お前は。……まあ、たしかにそろそろ動かねえとなあ」

 

 ゴキブリでも見るような冷えた目にビビった訳ではない。断じてない、うん。心底俺のことを軽蔑しているらしいとよくわかる冷えた視線が痛い。悪魔ってやつは感情表現が随分と得意な生き物であるらしい。

 

 そりゃ奴の気持ちもわからないでもない。

 自分があくせく働いているなかで、ごろごろとベッドで眠るだけの怠惰な姿を見せられるのだ。ベッドから出ればいいのにとか、ちょっとくらい起きればいいのにとか。なんか寝てる姿を見ているだけで腹が立つだとか。思わないこともないだろう。

 

 実際俺がカロスの立場に立てば、寝転がって食料と時間を浪費するだけの豚は殺処分したくなることだろう。

 

「なかなか自虐的な思考で。殺処分など恐れ多い……しかし、どんな悲鳴をあげるのでしょうね、貴女は」

 

 ブラッドルビーの瞳が妖しく細まり、俺は背筋を震わせた。

 そうだこいつ悪魔だった。

 

 この身体の持ち主であり、カロスに食われてしまった以前のグラジオラスはどんな人間――いや、魔女だったのだろうか。

 契約に従ってグラジオラスの魂を食ったと言っていたが、俺はいつカロスに食われることになるのだろう。痛いのだろうか。痛いのは嫌だ。でもこのドSの具現のようなこの男のことだ。きっと無駄に拷問とかするに違いない。

 

「しばらくは自由にしてさしあげるつもりでしたが、主様がお望みならば今すぐにでも」

「バカバカバカ、やめろ! ほんとお前……当たり前のように俺の思考を読んでるのな」

「主様の状態を把握するのも、わたしの仕事のうちですので」

 

 カロスは俺の身の回りの世話を余すことなくしてくれる、よくできた使用人のような存在だ。見目麗しく有能な執事。これで俺が小柄な貴族の坊ちゃんであれば、大人気漫画の原作にもなれただろう。復讐に燃えているとなおよし、だ。おっと話が逸れた。

 

 ふつうに一人暮らしをしていると、何から何までやらねばならないのは自分だ。掃除も、洗濯も、食事作りも。郵便物なんて適当に家の前にでも置いておいてくれればいいのに、取りに行かねば配達員の地獄のループが始まってしまう。配達員さんに申し訳ない。

 面倒くさがって家事を放置していてもやってくれるドラえもんは現れない。可愛い幼馴染がお節介を焼きに来てくれることもない。

 また明日やればいいか、と洗濯物やら今日のやるせなさやらが積み重なっていくだけ。

 何もかもを後回し、後回しに生活していると、やがて何をするにも気力がなくなってくる。口さみしさに食べ物ばかりを身体に詰め込んで、ぶくぶくと太っていくんだ。味わってなどいないから、満足しようはずもない。

 どうして彼女は俺を振ったんだろう。何がいけなかったんだろう。答えのない押し問答をずっと繰り返して、可哀そうな自分を自分で慰める。俺はそんな生活をしていた。

 元カノをオカズにするたびに妙にやるせな気分になって、余計に自信をなくしていた。ははっ、辛え。

 

 そんな自分に心底嫌気が差して逃げるように走り出したのが、あの日のことだ。

 

 走るのを辞めてしまえば、死ぬような気がしていた。実際のところは走り続けて死んだわけだが。まあ、あれだ。気持ちの面でだ。止まりたくなかったんだ。止まれば、また同じことの繰り返しに引き戻されるような気がして。

 

 俺はどうやら心の底から追い詰められていたらしい。

 誰が追い詰めたでもない。

 俺を振った元カノが悪いわけでもない。

 

 自分で自分を虐げ、嫌悪し、貶めた。そうして自分自身に追い詰められたんだ。

 

 俺を殺したのは、俺自身だ。

 

 俺は自分を大切にすることができなかった。

 自分を大切にできない人間が、どうして人から魅力的に見られるだろう。

 自分に自信のない人間が、どうして人から慕われることだろう。

 だからといって自分、自分と我が強いだけのやつなんてもっと糞食らえだが。

 

 一気に飲み干したカップにはすぐさま茶が注がれ、気の利く悪魔にありがとうと一声かけてズズズとすする。なんだよ、その目。言いたいことがあるなら言えよ。

 カロスは特に何を言うでもなく、きょとんとした表情のまま軽く首を振った。

 

 俺は思考に戻る。

 自信なんてないのに張りぼての仮面をかぶって生活している人間が、人に慕われていたとしたら。きっとその人は心からの満足を覚えやしないことだろう。人からの称賛を素直に受け止められず、人を疑い、それでも己の被った仮面のせいで不安を誰かに打ち明けることができない。そうやって追い込まれていくんだ。

 まあ、以前の俺だな。

 

 変化やら転機ってやつは、待っていれば突然訪れる。なんてことはない。

 少しずつでも自分が行動を変えねば、なにも変わりはしないのだ。

 

 俺は変化への一歩を、死ぬ前に踏み出していた。

 その一歩の先に続く未来が、輝かしいものであったのか、それとも絶望することになったのかは分からずじまいだ。

 

 俺は自分自身に誇れるような人間になりたかった。

 誰がどう言おうと自分の意思を主張できる、自分を信ずる人間になりたかった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 膝をついての腕立て伏せ、上がるところまでの腹筋、背筋、椅子の背に手をかけてのスクワット。それらを10回ずつ5セット。

 

 初めこそ奇妙な虫でも見るようなカロスの視線が痛かったが、習慣となればカロスも慣れてくる。俺だって慣れてくる。カロスの目に。

 まるで気にせず筋トレを終わらせ、外に出た。

 

 家の裏には広大な薬草畑が広がっている。

 暗雲立ち込める灰色の空は、雲の切れ間が赤く染まって禍々しい。ちなみにこれが晴れらしい。

 

 茶色と白の煉瓦で区分けされ、畝の設けられた薬草畑はこんもりと盛り上がった土に多種多様な薬草が植えられている。

 ほわほわとした丸い塊がえっさほいさと昼夜を問わず土を耕している。ずっと夕方みたいな暗さだから、いつが朝でいつが夜かもわかりゃしないが。

 あのほわほわの白い毛玉はニヒムというらしい。まっくろくろすけの白いバージョンみたいだ。ほじくれるような目玉はついてないが。ストラップでもつけりゃあ、女子高生がよく鞄につけてる毛玉の出来上がりだ。

 

 ニヒムは土の精霊で、難しい植物を育てるときには必ず手を借りなければならないという。ニヒムが住まう田畑は、収穫量や質が桁違いに高いと言われている。知識のなかにあった。

 目につくほとんどはグラジオラスの知るものであるらしく、俺が見覚えのないものでも当たり前のようにその名前や役割が浮かんでくる。優秀な身体だなあ。

 

 そんなニヒムがわらわらと住まうこの薬草畑は、きっと良質な薬草が育っているのだろう。

 

 前世ではいろいろぶっ飛ばして駆け足をしてしまったが、この身体ではウォーキングからだ。基礎もクソもありやしない脂肪の塊が突然人並みに走れるわけがないのだ。死ぬ死ぬ。ていうか、死んだ。

 

 広大な薬草畑を脂汗をだくだくと流しながら歩く。何がうれしいのかニヒムが俺の歩いた後をわらわらと群を為してついてくる。以前カロスに聞いてみたら、汗に混じった魔力やら俺の体液そのものに引き寄せられているということらしい。ちょっとマッシロシロスケが怖くなった。

 

 毛玉を引き連れての行進を1時間ほど続けて家に帰ると、カロスが薬草茶を用意して待っている。

 

「お帰りなさいませ、主様」

「おう、ただいま!」

 

 一人暮らしの長かった俺は、おかえりだなんて言ってもらえることはそれこそ元彼女が泊まりに来ていたときくらいのものだった。

 初めこそなんだか照れ臭かったが、1週間も続けると随分慣れた。それを言い出したのはカロスからであった。野郎にお帰りなさいませなんて言われて喜ぶ趣味はなかったはずだが、不思議と悪い気はしなかった。

 自分の居場所がここにあるんだ、とすとんと思った。

 カロスらしからぬ棘のない物言いだったからかもしれない。

 

 カロスが用意してくれた脂肪燃焼効果の高い薬草茶は、俺が調合したものだ。以前のレシピに改良を加えて飲みやすさを追求した。氷を入れればぐいぐいと幾らでも飲み干せる。運動前と運動後に呑むようにしているが、多量飲んでも身体に害はない。はずだ。

 

 以前の脂肪燃焼薬草茶の味は酷いなんてものではなかった。口に含むごとに吐き気がこみ上げて、口のなかはどぶ臭さと謎の甘さで息をするのも辛いほどだった。とてもではないが、一杯飲み干せるようなものではなかった。

 良薬は口に苦し、とでも言えばいいのか効果は高かった。耐えがたい吐き気的な意味で食欲の減退効果という作用もあったのだが、なにせ続かない。そこで俺は効果をそのままに味の改良一点絞りで研究を進めた。

 そうして完成した改良版の脂肪燃焼薬草茶は、商品化して魔女通販サイトのカタログにのせてもらった。女性を中心に結構な売れ行きであるらしい。

 

「一週間も続くとは思いもしませんでした。以前の貴女は痩せる痩せると口ばかりの痩せる詐欺魔女でしたから」

「はっ。人に宣言することでダイエットや禁煙が続くなんて言われてるが、お前に宣言したところで大した抑止力にならなかったんだろうよ。

 とりあえず簡単なところから始めてはみたが、まだまだ先は長いな」

「いつまで続くか見ものです」

「ねえ、キミは素直に応援できないの?

 皮肉を言わないと息ができないの?」

 

 ふんと鼻をならす俺に、カロスが楽し気に笑い声をあげる。

 

 目的のないダイエットは続かないものだ。だが俺には命の危機という切羽詰まった理由もあるし、なによりこの悪魔に罵られないようにする、という崇高な目的がある。

 あと。自己管理のなっていなかった己の過去の身体を重ね合わせて、それなりにちゃんとしたいと思ったんだ。

 

 置かれた場所で咲きなさい、とはキリスト教の修道女の言葉だったか。熱心な修道女でも、まさか魔女の立場に置かれた俺のことなんて考えもしていないだろうが、せっかく設けた命だ。咲いてやりたいじゃないか。

 俺は、今度こそきちんと信念を貫いて生きていきたい。己を恥じるばかりの人生じゃなくて、己を誇ることのできる人生を送りたい。

 

 その機会が与えられた。とんだドデブスの魔女の身体だとしても、ありがたいことだ。

 

 実に不思議なことではあるが、人間動くといろいろとやる気が出てくる。とりあえず簡単な作業からでも始めてみると、さらにほかのことも、と手が伸びていくのだ。

 

 滞納していたらしい注文票の品を作り、自分のために化粧水や乳液、薬草茶を作った。だってほら、せっかく女の身体なわけだし綺麗になってみたいじゃん。

 

 ああ見えて甘味好きらしいカロスのためにクッキーを焼いた。口は悪いが、手を抜くことなく家事をこなしてくれることへの感謝を示したかったんだ。悪くないです、なんて耳を真っ赤に染めて言っていた。ツンデレかよ。多く作りすぎてしまったかと思ったが、痩せの大食いらしいカロスがすべて食べつくした。俺が食べれたのは一枚だけだった。ダイエットすると決めたのだし、別にいいんだけどさ。

 

 身体を動かすことにもなるから、と掃除をしようかと思ったのだが、どこもかしこもホコリひとつついていない。洗濯物もいつの間にか綺麗に洗って畳んでなおされている。布団はいつもお日様の匂いがするふかふかなもので、野菜中心にとオーダーした料理は、一級品の美味さだ。カロスは自分で有能だと言うだけあって、非の付け所のない仕事ぶりだ。

 あいつの減らず口にもすっかり慣れてきた俺は、カロスのことを親しい友人に似たなにかに感じ始めていた。

 

 俺が気にしなくなっただけなのか、それとも俺がチクチクと嫌味を言われる前に動いているからなのか、カロスのことは最近それほどウザくない。美人は三日で飽きるというが、美男にも三日で慣れた。

 時折思い出したようにイラっとすることはあるが、まあ……俺の心の狭さが平常運転ってだけだ。だってイケメンむかつく。羨ましい。劣等感がビリビリと刺激される。きっとモカラみたいな美少女もみんなメロメロになるんだぜ。あーーーー、羨ましい。

 

 めらめらと嫉妬の炎を滾らせてカロスを睨みつけていると、彼はそういえば、と口を開いた。

 

「随分前に王妃様より届いた手紙、まだ返信をなさっていないようですが」

「はぁ?! 王妃様ってーと……魔王の嫁の?」

「それ以外に何か」

「いやいやいやいや、ンなもん知らねえぞ!」

「お渡し致しましたよ。ほら、こちらに」

 

 机の上に山積みになっていた手紙からひょいとカロスが取り出したのは、美しい便箋。

 確かに見覚えがある。ひと際綺麗な便箋なうえにものすんごく汚い字だったから覚えている。汚すぎて解読する気が失せて放り出したんだったか。

 

「えぇー……王妃様って……嘘だろ、めっちゃ字汚ねえぞ、これ」

「王妃様の悪筆ぶりは魔界でも有名ですから。代筆でないとは実に珍しいことです。それだけ重要だったのでは? もしくは内密にしたい事柄か」

「それ無視してるってやばくないか?」

「ですから催促の手紙が山のように来ているのでしょう」

「悪質なイタズラかと思ってたぜ……」

 

 誰かに何通か送らないと死ぬ、みたいなチェンメ的なやつかと。

 

 ミミズがのたくった様な汚い文字が綺麗な便箋に書き散らかされている。これなんてほら、ミミズとミミズが尺取り虫みたく縮こまってキスしてる図にしか見えねえ。これが文字だってか。

 

 何枚も届いているところを見るに、お怒りなのは間違いない。

 なんでもっと早く教えてくれないんだ、と思わないでもなかったが、無視したのは完全に俺の責任である。恨み言が漏れないように口を引き結び、カロスを睨みつけた。涼しい顔で佇むカロスに、まったく気にした様子はない。

 

「解読してくれ」

「王妃様から主様宛の手紙を拝見するなど、恐れ多いことでございます」

「どうせ俺の思考を読んでんだから、変わらないだろうに。

 許可するから、読んでくれ」

「……畏まりました。少々お時間を頂いても?」

「ああ、これ全部頼むな」

「くっ……わたしに不可能なことなどありません、受けて立ちましょう」

 

 今から戦場にでも行くような悲壮さを漂わせるカロスの姿に、俺はにんまりと笑みを深めた。

 

 カロスを困らせるなんて、王妃様。会ったことねえけどあんた最高だぜ!

 

 にちゃあ、と汚い笑みを浮かべつつ俺はカロスがミミズの解析をする間、借金返済のために薬草を煎じることにした。

 




1/2 誤字及び若干の会話修正 大きな変更はありません。


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ライラック

 くねくねと曲がりくねった石畳の細い路地。真っ白に塗り込められた石壁の建物が連なっている。みんな一階建てだ。屋根の色だけがカラフルで、石を積み上げた円筒状の代物である。異国情緒あふれるいい街並みだ。

 生憎の曇り空(ああ、これが晴れだったっけか)ではあるが、赤、青、黄色と個性豊かな屋根の街並みは目に楽しい。

 

 建物の側壁、扉の上手ほどに突き刺さるのは鉄看板で、店の名前がアンティーク調でシャレオツだ。

 きょろきょろと辺りを見回す俺は謎の既視感に襲われていた。おそらくは身体の記憶なのだろうが、妙に懐かしい気持ちでいっぱいだ。似たような街並みでも見たことがあっただろうか。

 いや、海外旅行どころか本州から出たことないし、そんなはずないか。身体の記憶はどういう基準で浮かんでくるのだろう。

 文字は読めるし、物の正体もわかるが、人の名前はわからないし、街並みなんかもわからない。おいおい解明していくとしよう。

 

 道行く人々の髪色や瞳の色はとても個性的だった。白い髪に紫の瞳をした青年や、青い髪に青い瞳のお姉さま。薄いピンクの髪の幼女が銀の髪の美女に手を引かれている。

 

「ふえぇ……アイスぅ……ママが露天で買ってくれたアイス……うれしいよぉぉ……!

 ふぁぁぁぁこのまろやかな口溶け、口の中にしあわせが広がるよぉぉ」

 

 彦魔呂か。

 情感豊かな幼女だな……。涙を流してアイスを口に含みつつ幼女は右へ左へと自由に歩こうとしては母親に引っ張られている。仕方がないわね、と言うような母性あふれる笑顔の母がめっちゃ美人だ。

 

 服装もコスプレみたいで面白い。男は燕尾服やスーツといったかっちりした服装の者もいれば、麻のシャツに黒いズボンとブーツという簡素な者も。

 女性は基本ドレスを身につけているが、服の素材は様々だ。パニエでぐっと腰を膨らませたドレスもあれば、身体のラインを綺麗にだしたAラインのドレスもある。あんまり流行とかはなさそうだ。

 

 胸の半分がふっくらとまろびでたナイスバディのお姉さんが隣を通ったときなど、鼻の下が伸びかけた。若干伸びたかもしれない。すんすん鼻を啜って誤魔化しつつ、むっちりした胸元を視線を逸らしながらも目で追う。

 

 俺の服装はフードを目深に被り、足首までのどでかいローブで身体を隠している。すっぽりとかぶるタイプのローブは、両手を広げればどでかいモモンガ気分になれる。悪目立ちするんじゃないかと危惧したが、あいにくクローゼットには似たり寄ったりの黒いドレスとローブしかなかった。

 俺以外にもローブを着込んだ怪しい人間は何人かいたのでよしとしよう。

 

 初めての魔界の街。彩り豊かな街並みに、魔界といえども人間の暮らす街と大きな差はないのだと知った。

 好奇心に胸を高鳴らせつつ、目的地へと足を進める。

 

 カロスお手製の地図に従いえっちらおっちら歩を進める。

 街の入り口まではカロスの転移でひとっ飛びで来た。

 目的地はこの町で一番の魔法薬の材料店だ。うきうきするぜ。

 

 俺の予想をはるかに超えるほど王妃の手紙の解読は困難を極めており、カロスは昼夜を問わずに机に向かっている。いろいろな分厚い辞書を机のうえに積み重ねて文字を書き殴っては熟考を繰り返していた。なんだか申し訳ない気持ちになった。

 薬の材料が切れかけており、買い出しへ行くというカロスの代行を申し出たのは罪悪感を払拭するためであった。

 こうして、俺の初めてのおつかいが始まった。

 テレテテテレテテ テッテテレテテ♪ 上機嫌で鼻歌なんか歌いながら街を歩く。

 

 ちなみにカロスは俺をここまで送ってきてくれた後すぐに転移で消えた。

 俺のローブにラペルピンを取り付け、一応身分証明になりますと簡素な説明だけしてくれた。

 カッティングが光を幾重にも放つスワロフスキーのような輝きのその石の底には、オシャンティな字体で模様が……いや、よく見ると数字だ。数字が書かれている。

 

 三、と。

 

 おしゃれなのかダサいのかイマイチ判断がつかないうえに、こんなアイテムが身分証代わりに本当になるのだろうか。

 魔界とは不思議なところである。

 

 カロスとは一応2時間後に再び元の場所で待ち合わせの予定だ。

 

 

 ぐるぐると薬草庭園を歩くのにも飽きてきたところだし、散歩するにも良い街だ。

 

 

「おい、どう落とし前をつけるってんだ? あ?」

 

 後ろからドスの効いた声が聞こえてきた。その大声に割と本気でビックリして肩をすくめる。心臓がビート刻んでるぜ、ほんとやめてくれよ……。

 

「も、申し訳ございません……」

「ごめんで済んだら魔警察はいらねえってんだ」

「悪気はなかったんです、どうかお許しください」

 

 うーわ、なんてテンプレ的なチンピラ。

 振り返ると、絡まれているのは銀髪母とピンクの娘だ。さっきの親子じゃないか。

 チンピラの黒いズボンにはべっとりとアイスがついており、コーンを持った幼児は大きな目にいっぱいの涙をためている。

 うーわ、なんてテンプレ。

 

「このクソガキ!

 この方は紋章に見ての通り、悪魔第四序列に位置されるカタバミ様だぞ! 道を譲るどころかアイスをぶつけるなど、とんだ無礼を働きおって……!」

 

 なんで説明口調なんだ。

 

 こっちの文字で四という数字が胸元に貼り付けられている。なにあれ、ワッペン? ちとダサい。

 ん? なんかこの妙なダサさ。先程感じたような。

 

「ふえぇ……アイスが……!

 わたしのアイスが第四序列の悪魔カタバミ様のズボンにべったりついちゃってるよぉお……」

 

 なんで幼女も説明口調なんだ。

 

「見たところ母親のお前は第五序列の魔女であろう? どう落とし前をつけるのだ」

「至らぬ子の責任を持つのは親の務め。

 第四序列の悪魔様のズボンを汚してしまったこの事態……なんと罪深いことをしてしまったのでしょう。

 クリーニング代をお支払いいたしますので、どうかお慈悲を」

 

 俺以外にも人はいたが、まるで見て見ぬふりだ。心底興味がないようで一瞥さえしない。遠巻きに見つめるギャラリーもいないのが、日本と大きく違っていた。

 そんなに日常茶飯事なのか? 物騒な……というか、法律だとか道徳、倫理だとかが根本的に違うんだろうな。改めて日本という国は素晴らしい。

 

「クリーニング代なんてせせっこましいことは言わねえぜ。

 謝罪ってんなら、アンタの身体で支払え」

「うぅ……それは……どうかお許しを、旦那様」

 

 アイスがべったりついた男に腕を無理やりに引かれ、か細い女性がつんのめる。ちょ、これ不味いやつじゃないか?

 俺は思わずカロスの姿を探してしまい、我に帰る。いやなんであいつのことなんか探したんだ。

 

 俺以外に助けの手は入りそうにない。

 俺が、行くしかない。

 ずしずしと一歩ごとに体重をのせて俺は諍いのもとへと向かう。

 

「なっ↑、なあ、あんた。幾らなんでもやりすぎじゃないか?」

 

 声が裏返った。べべべ、別にビビってなんかねえ! 大丈夫、怖くない!

 ちょっと久しぶりに声を出したから喉が張りついていただけだ。

 自己暗示をかける。

 

「他人が口を出すんじゃ……魔女序列第三位、だと? なんでそんなお方がこんな場所を歩いていらっしゃるんだ……!

 い、いえ、あの、魔女様、しかしですね。このガキが私めにぶつかりズボンを汚してきたのです」

 

 なんか予想以上に謙ってきた。

 

 魔女序列ってなんだ。カロスがローブにつけたラペルピンにそういや三って書いてたな。ちょっとした身分証明になるというのは、こういうことか。すげえなおい。

 

 鼻につくほど優秀なカロスのおかげで、なんとなくなんとかなりそうな雰囲気である。

 俺は三という数字が以前よりもぐっと好きになった。

 ありがとう、三。

 

「見てられないんだ。腹の立つ気持ちはわかるが、どうかこれで許してやってくれないか?」

 

 言い、銅貨1枚を差し出す。物価を知らぬため価値はわからないが、俺の小遣いとして渡されたのだし、それなりの額はあるだろう。

 俺とて借金まみれだが、俺の小遣いでこの場が穏便に収まるならば安い買い物だ。

 

「は……? んまい棒も買えな……あ、いえ、失礼いたしました! 魔女様のお気に障ってしまい、申し訳ねえです。おい、退散するぞ!」

「へい、旦那!」

 

 すたこらさっさと消えていく男たちを俺は物悲しい気持ちで見送る。

 小遣いにとカロスがくれた銅貨だったが、子どものおやつも買えなさそうな気がするぞ……。

 

 まあ、でも無事に事が収まって本当によかった。今更ながら足ががたがたと震えてきやがる。

 

「魔女序列第三位の尊き魔女様、お手を煩わせてしまい申し訳ございません。本当に、本当にありがとうございました。

 この御恩はきっと忘れません」

「お……私が気になってしたことだ。気にしないでくれ」

「しかし、高位の魔女様が位の低い雑魚に声をかけて下さるどころか、助けてくださるなど……本当に信じられない奇跡でございます。

 ありがとうございます」

 

 自分で雑魚って言っちゃったよこの人。どんだけ自己評価低いんだ。なんか親近感湧いてきたわ。

 

「あー、まあ。気をつけてな」

「はい! ほら、スギナもお礼を言いなさい」

「ふえぇ……魔女様ありがとうございますぅぅ……。よろこびでこのちいさな胸は張り裂けんばかりですぅぅ」

「……どういたしまして。キミは将来レポーターとかしたら大成するよ、きっと。

 ほんと大事にならなくてよかった。じゃあな」

 

 ひらひらと母娘に手を振り、そういえばカロスは序列何位なのだろうと考える。高位だと自分で言っていたし、さっきの男よりは高いのだろう。

 

 

 しばらく歩くと、建物こそ似たようなものだが高級感のある扉の大店が見えてきた。おそらくはカロスが地図に書いてくれた店で間違いないだろう。

 重厚な木製の扉を押し開けると、咽返るほどの薬草の臭いがツンと鼻を刺す。壁沿い一面に様々な薬草や鉱物、昆虫の干物や何かの内臓などが天井一杯まで陳列されている。

 扉を開けて奥の正面にカウンターがあり、浅黒い肌をした筋肉隆々のオッサンが頬杖をついて座っていた。

 

「帰んな」

 

 来店一声拒絶の言葉。

 

「いや、あの。買い物したいんですけど」

「俺の店は一見サンはお断りだ。紹介状はあるのか?」

「カロス……いや、カリステファスから勧められたんだが。このピンでいいか?」

 

 先ほど悪漢を退けてくれたラペルピンを、店主の下へ近づきながら見せる。

 

「カリステファス様のご紹介?

 うん? 魔女序列第三位か! 見かけによらねえな。

 魔女序列第三位ならば俺の店の客に相応しい。先ほどは失礼した。名前はなんて言うんだ?

 俺は悪魔序列第三位のライラックだ。親しい奴は俺をラックと呼ぶ」

 

 ニヤリと口の片端をあげて自己紹介をする店主に、俺も自己紹介をせねばと思う。この身体の持ち主の名前はグラジオラスだ。その名前で自己紹介をしておくのがいいだろう。

 

「お……私は、グラジオラスという」

「…………グラディスだぁ?

 キサマ……!! よくもぬけぬけとこの店に顔を出せたもんだなあ!

 よくよくみりゃあ確かに面影がある。随分と醜く太ったもんだ! ハッ、ざまあねえ。因果応報だ。

 出ていけ!! 二度とこの店に足を踏み入れるんじゃねえ!!」

 

 俺の身体は見えない圧力でぐいぐいと後ろへ押され、店の外へと放り出された。眼前でバタンと扉が閉まる。

 ひゅぅうと風がローブの裾を遊ばせる。

 

 何が起きたんだ、一体。

 品を買うことさえ許してくれない雰囲気だ。きっとまた店に入っても同じことが起きるだけだろう。

 彼とグラジオラスの間になにがあったのかはわからないが、彼にとってみれば俺は紛れもなくグラジオラスだ。中身が違うなんて言っても通用しないだろう。

 はぁ、と深いため息をついて俺は辺りに他の薬材店を探すことにした。

 

 街一番の大店は先ほどの店らしいが、路地にシートを広げた簡素な露店や小さな店でも薬品の材料は売っていた。

 街を散策しながらリストに従い材料を買いそろえていく。

 店の人はことごとく不愉快な反応をしてくれた。俺の姿を見て眉を顰め、フードに刺したラペルピンを見て態度を一転させてゴマをすってくる。そんな様子を繰り返し見つつ材料を買いそろえていく。

 数店舗まわってずっと同じような反応だ。

 

 自分でもドデブスだとは思うが、なにもあからさまに態度に出すことはないだろう。

 俺とて生前は美人もブスも態度の悪い奴も礼儀正しい奴もいろいろ見てきたが、嫌な奴に対してあからさまに嫌な態度はとってねえぞ。当たり前か。

 

 俺が唯一誇れるのは、影で悪口を言ったがないってことだけだ。友人が誰それがかわいいだの、誰それとは絶対に付き合いたくねえだの会話をしているときだって、俺は絶対に会話に乗りはしなかった。ノリが悪いと言われようが、面白くないと言われようが、偽善者だと評されようがそこは曲げなかった。

 影で悪口は言わない、もし言うなら本人に。そんな俺の信条に反することだから。

 

 ああ、むしゃくしゃするなあ。権力がなんだっていうんだ。俺の階級を示すらしいピンを見て態度を一転させやがって。腹が立つ。

 

 むしゃくしゃする。このちっぽけなピンに左右される俺の価値に。

 むしゃくしゃする。好きでドデブスなわけじゃねえのに。

 むしゃくしゃする。……よし! とりあえず今日は早く家に帰ってニヒムと戯れよう!

 

 とっとと買い物を終わらせるか。あとは、リストによるとクロコアイトだけだ。どこに売ってるんだ?

 

 鉱物の店はどこにあるのだろうか。鉱物専門店となると敷居が高くなり、門前払いを食らうことはすでに経験済みだ。きらめかしいスワロフスキーのピンを見せれば態度は一変するのだろうが、どうしてだろうか。足が進まない。

 

 嫌だなんて言ってられないんだ。

 内心で陰鬱なため息をかまし、俺は再び元来た道を歩く。石畳を眺めながら鉱物専門店に戻る。

 店の前にはいけ好かないチャラ男風の紫髪が立っている。スーツをぴっちりと着こなし、店に来る客を選別している。

 俺が目の前に立つと、深々とため息をついた。

 

「また貴女ですか。ですから、ここは貴女のような魔女が来るところではありません。店の前をうろつかれるだけでも迷惑です。お帰りください」

「これを見ろ」

「はぁ……魔女序列第三位……? ま、まさか……!

 ……大変、失礼いたしました……!」

 

 唇を噛みしめながら謝罪する男に、俺はなんの返答もせずに店のなかに入った。そんなに悔しいか、おい。

 

 客人も店主もみなきらびやかなドレスや、高級なスーツを身に着けている。俺が入ってきたことにぎょっとした顔をする者がほとんどだ。

 なんだなんだ、見世物じゃねえぞ! 目的の品探すでもなく真っすぐにレジへと向かう。

 

「クロコアイトを50g頼む」

「畏まりました」

 

 珍獣でも見るようなレジの店員の目は、上から下までざっと俺を観察し、襟もとにつけたラペルピンをまじまじと見て慌てたように商品を魔法で引き寄せてくる。

 先ほどの冷徹な声色とは打って変わった礼儀正しい態度で頭を下げた。

 

「不躾な視線を、大変失礼いたしました。

 魔女様、貴女の身体は呪いに犯されているようですが……。

 もしよろしければ呪いを解く石も我が店には取り揃えておりますし、よければご覧になりませんか?」

「またの機会があればな」

 

 壺を売りつける詐欺師みたいな感じだろうか。

 俺そんなにチョロくねーぞ。

 陰鬱なため息を吐く。この店員はまだマシな部類だが、積み重なる冷ややかな態度に俺の心はブレイク寸前だ。早く帰りたい。

 あれ、そういやカロスと約束した2時間をとっくに過ぎちまってる。やべえ。本当に早く帰ろう。

 

 支払いを済ませて踵を返すと、ふと視線に飛び込んできたのは見覚えのある長身痩躯。燕尾服をぴしりと身に着け、綺麗な姿勢で扉横に立っている。ほうっと光悦した表情でカロスを見るのは御婦人方だ。そんな人たちには目もくれぬ赤い瞳とばっちり目が合った。

 

「カロス……!?」

「お探しいたしましたよ、主様。時間になっても一向にいらっしゃらないので心配致しました。帰りましょう」

 

 聞きなれた低い声。ぶわっと胸のうちがあたたかくなり俺は不思議と泣きそうになった。

 なんだこれ、なんでこんなに安心するんだ。

 

「これは、カリステファス様。いつも御贔屓にありがとうございます。

 魔女様、またのご来店をお待ちしております」

「帰りましょう、主様」

「ああ……迎えに来てくれて、ありがとな。カロス」

「いいえ。当然のことです」

 

 目の下にうっすらとクマを作り若干疲れた様子のカロスがいつも通りの笑みを浮かべる。

 俺は家に帰ったらたんまりと甘い物を食わせてやろうと決意した。

 

 そして、更なる自己改革を誓う。

 

 人は見た目だけではないが、第一印象は大切だ。

 ドデブスなだけでここまで嫌われるのは変だが、筋肉マッチョの発言からしても"俺"はなにかをしでかしている。きっと重大な。

 過去にとんでもない不名誉を背負ったらしいが、それを挽回したい。その理由を探らなければならない。

 

 そして。俺は、俺自身に誇れる――カロスの主足り得るに相応しい人間になりたい。

 

 



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呪い

 落ち着いた木製の室内。窓から差し込む麗かな陽光が白いカーテンに透けてやわらかく室内を照らしだす。不釣り合いなシャンデリアは息をひそめ、陽光に恥じるかのように時折反射光をチラつかせる程度だ。照明器具としての役割は立派に果たしてくれているが、この部屋に似つかわしくない奇妙なアンティーク感にはいつも違和感を覚えた。

 

 様々な薬草の入り混じった匂いが立ち込めているが、決して鼻につくほどではない。

 

 俺はぐっと腕を天井にむけて突きあげた。首や肩の肉がこれでもかと呼吸器を締めあげて苦しくなり、深いため息をつきながら腕を下ろす。当初は伸びすら満足にできなかったというのだから、成長したもんだ。

 

 飴色に使い込まれたテーブルにはビーカーやすりこぎ、すり棒に各種薬草類、さらには数グラム程度の鉱物がろ紙に乗せられて所狭しと置かれている。俺は迷うことなくそれらを調合していき、薬品へと仕立てあげる。すっかり慣れた作業で、もう随分と前から当たり前のようにしてきた動作のようだ。

 

 着々とオーダーをこなし、気分転換も兼ねて仕事の合間に軽い運動をする。歩くほうが早いのでは、というペースながらもジョギングをできるようになった。筋トレと有酸素運動を生活の一部に取り入れ、着々と脂肪は減らせている。

 

 救いがたいデブから強そうなデブくらいには変化していると思う、たぶん。

 

 ネックなのが借金だ。なにに使ったのか、この身体の持ち主は随分な額の借金を積み重ねていた。時折伝書鳥が運んでくる督促状にはため息を禁じ得ない。払っても払っても減らない、借金地獄である。こつこつと働いて返済していくしかないのだろう。

 

 

 最近はお得意さまが復活し、俺を指名してのオーダーも増えてきた。魔力を使った薬品というのは、作り手によってかなりの効果の差が産まれるらしく、俺はそれなりに高い評価を巷で得ている。

 それに。カロスが苦労して解読してくれた王妃からの手紙には、俺を懇意にしたいという内容が書かれていて、おかげさまで月々の稼ぎは大きく跳ね上がった。

 王妃様御用達、と箔がついた基礎化粧品は飛ぶように売れており、逆に生産が追いついていない始末だ。強気の値段設定でかなりの純利益を狙えるうえに手軽に作れる俺的借金返済エース商品である。

 王妃様に近い王族貴族から製品を卸しているのだが、まだまだ数が足りない。もう100は作ったと思うのだが、それでも足りないというのだから魔界の人口は想像以上に多いのだろう。

 ある程度自由にできる金ができたならば、外部に委託する形で同じような成分で低所得者向けの基礎化粧品を販売するのもアリだろう。

 高所得者向けに、抗炎症作用だとか保湿特化だとかアンチエイジングだとか機能別にラインをわけるのもアリだよな。

 夢はどんどん膨らむが、生憎と俺の身体はひとつしかないし、そんなに手がまわらない。寝食プラス個人の時間まできっちり取っているお陰でストレスフリーな生活ではあるが。長い目で見れば借金返済にも近づけているのだし、現状差し迫った問題はない。だからこそ考えてしまうのは、この身体の持ち主がしでかしたことだ。

 

 作業をやめ、一息つく。すっと差し出されるのは真っ黒くて底も見えないブラックコーヒーだ。ほのかに白い湯気が立ち、空気に溶けてゆく。

 

 街にでて初めて知ったことだが、随分な恨みを買っている。そもそもあの街は、なんという街の名前なのだろう。そして、ここからどれほど離れた場所にあるのだろう。便利な転移術であっという間にたどり着いたが、庭から見渡す限りどこにも街の影などありはしない。のどかな緑が地平線まで続き、鈍い灰色の空とくっきり分かたれているのみだ。

 

 そもそもこの奇妙な魔界に転生したのはどうしてなのだろうか。男の身であったはずなのに、見知らぬ魔女の身体に宿るようなかたちになったのも。不可思議な魔法がある世界だ。きっと他者の魂を宿らせる魔法もあるだろう。俺をグラジオラスという魔女に宿らせる魔法を使った人間がいるかもしれないのだ。ただの憶測ではあるが。

 

「なにを考えていらっしゃるのですか?」

 

 にこりと微笑を浮かべるカロスは、女たちが見れば黄色い悲鳴をあげそうな相変わらずの美貌である。

 

「ん? ……わかってるくせに」

 

 心を読める悪魔が俺の考えをわざわざ聞いてくる意図がわからない。

 

 自分の思考が筒抜けになる気恥ずかしさは当初に捨てた。どうせ思考を読まれてしまうのだし、近づかないという手は存在しない。ならば諦めて受け入れるしかなかろう。変なところで諦めがいいのは昔からの習性だ。美点でもあり、欠点でもある。よくよく面接の自己紹介で使っていたことまで思い出し、しようもない思考回路を閉じる。

 カロスは俺の疑問に気づいている。気づいていながら答えない。まるで知らないふりをするところを見るに、知られたくないし、聞かれたくもないことなのだろう。

 

 だが、俺は知りたかった。

 

 

 俺は部屋を出て、薬草園へと向かった。

 薬草を育てている薬草園はそれなりの広さを誇っている。

 陽の光なんてものはこの世界に来てから久しく見ていない。灰色の暗雲が垂れ込む空は、もくもくとした重々しい雲が幾重にも積み重なっており、その上に陽があることは一切感じさせてくれない。

 それでも草木は育つのだが、俺が繁殖させたい薬草は気温に左右されやすい。透明なビニールの天幕内は安定した温暖な気候だ。魔法で軽く調整していてはいるものの、雨風しのげる天幕内は外気よりもほんのりと温かく、どこかほっとする。元気に育つ薬草を眺めつつ、カロスが淹れてくれたお茶をすするのが俺の日課である。

 随分とすっきりしてきた腰回りをなんとはなしに撫でながら、ずずず、と水筒に入れた茶をすする。

 

 時折吹き付ける突風が天幕にごう、とあたる以外には物音ひとつしない。草木を手入れしてくれるニヒムたちは音もなく動くし、余計な会話もいらない。だから考え事に集中できる。

 

 カロスの視線がなくなり、再び俺は考えていた。

 街に下りたときのあまりの嫌われっぷり。

 引きこもりだった俺がなにかをしでかしたはずなどないし、そうなると俺がこの身体に入る前に、身体の持ち主がなにかをしたことになる。

 過去を変えることはできない。現状を嘆くことなど、無駄だ。過去を恨んだって仕方がない。俺が変えられるのは、今この瞬間の行動だけだ。地位や伝手、魔力を向上させてなにか情報を掴まなければ。

 元の世界に未練などないし、いつまでこの生活が続くのかもわからない。もしかすると突然グラジオラスの魂が戻ってきて、俺はなにもわからない間に消えてしまう可能性だって0じゃない。しかしそれは、何もしない理由にはならない。

 

 そもそもこの奇天烈な魔界に転生した理由はなんだ。誰か転生させた者がいるはずなのだ。テンプレ的に言うと神的な存在が。俺の場合は「はぁ~い☆ 神でッす!」みたいな軽々しい神の出現はなかったし、転生の際に願いを叶えてくれるなんてこともなかった。俺が今できることは、薬草を作り、王家からの覚えをめでたくして、この身体が犯したであろう罪を知ることだ。

 

 そして、その真実は今日暴かれる。

 

「呼ばれて飛び出てモモモモーン! モカラ参上!」

 

 来た。俺はばくばくと跳ねあがる鼓動を感じつつ、温室の気温が保たれるように、開けっ放しの扉を指し示す。

 

「はやく扉閉めて」

「はいな!」

 

 勢いよくビニール扉を開いて突撃してきた桃色髪の美少女は、こぼれそうに大きな翡翠色の瞳をきらきらと輝かせて、相も変わらず俺に突撃してくる。

 ぽふっと埋まる美少女の頭をとりあえず撫でる。

 

「なんだかグラジオラス様、お痩せになりました?」

「そう? そりゃ嬉しいな」

「モカラは悲しいです~……ふわふわしてて気持ちよかったのに……です」

「それはそうと、頼んでた件は?」

「はいな! お持ち致しました!」

 

 差し出された便箋は簡素なものだ。宛名と差し出し名のみが書かれている。魔界探偵事務所、なんて怪しい名前の事務所であるが、1000年以上も続く名門だという。旦那の浮気調査から国内外の情勢までまるっとオミトオシの恐ろしい一族が営んでいる。どんな情報でも得られるものだから、調査したい内容は魔王に報告が上がるのだという。こわやこわや……。

 

 震える指で押さえつつ、レターナイフで開く。

 そこにはグラジオラスの過去と、彼女を恨む悪魔の存在が書かれていた。

 

 今から5年前、グラジオラスはある一人の男のことを心から愛していた。男もまた、グラジオラスのことを少なからず想っている様子であった。そう、グラジオラスは思っていた。だがその男には大切にする女性が別にいたことが判明する。嫉妬に狂ったグラジオラスは、その男が真に大切にする女に呪いをかけた。死に至る呪いではなく、眠りの呪いを。いつまで経っても永久に目覚めぬ呪いを。

 グラジオラスほどの魔法の腕前であれば殺すこともできたというのに、それはしなかった。彼女が最後にかけた温情なのか、はたまた目覚めぬ女性を見て一縷の希望を抱きつつ苦しむ男の姿を見たかったのか、彼女の真意はわからない。だが、グラジオラスが呪いをかけた、という話しは町中でもよく知られた事実であるという。なるほど、彼女が忌み嫌われるのもわからない話ではない。

 

「これが嘘ってことは、ないよな?」

「虚偽の内容は書けないよう制約がなされているのです。意図して情報を一部隠すことはあっても、嘘は書けないのです」

「俺が……呪った?」

「はい、そうなるです……。確かに御話は聞いた事がありますが、モカラはグラジオラス様がそのようなことをなさったとは信じられないです……」

「どうしてモカラはそんなにも俺のことを信じてくれるんだ?」

「モカラは弱い魔女です。弱いから殺されるなど自然のセツリというやつです。それを救ってくださったのはグラジオラス様でした。

 以前も今もお変わりなく、グラジオラス様はお優しい方なのです。そんなグラジオラス様が人をお呪いになるなど……到底信じられないことなのです」

 

 忌み嫌われ、愛していた男にも嫌われ、生きる希望を失ったグラジオラスは自ら死を選ぶこととなった。そして、空になった器に呼ばれたのが俺の魂ということか。

 

「魔界の探偵ってやつは凄いんだな。何から何まで見てきたようにわかるだなんて」

「遠見の魔術を血統魔法に持つ一族が営んでおりますので、信用も厚いのです」

「良いところを紹介してくれてありがとう。とりあえず、何故俺がこんなにも嫌われているかがわかってすっきりしたよ」

 

 実際すっきりなんてしていない。余計に胸糞悪くなった。

 

 俺だって一生をともにと願った女性に振られた。だが、憎んで呪うだなんてそんな発想は出なかった。俺の何が悪かったのだろうと内省することはあっても、人に憎しみをぶつけることなどお門違いだと知っているからだ。どんな事情であれ、人を恨んでいいことなど一つもない。憎しみ続けている己自身だって失われるし、歪んでいく。うまいこと折り合いをつけて生きていかねばならないのだ。

 

「グラジオラス様?」

「あ、すまん。ありがとな。料金はカロスから貰ってくれるか?」

「……またのご利用お待ちしております! グラジオラス様」

 

 来た時とは少し違う、明るい笑顔でモカラは温室を出ていった。

 残された俺は大きくため息を吐く。

 

「呪い……かあ」

 

 その女性は今もまだ眠り続けているのだろうか。

 俺を憎んでいるというその男は、今どうしているのだろうか。

 大切な女性を奪われたその男は、俺をどう思っているのだろうか。

 

「あー……」

 

 意味のない声をあげ、俺は座ったまま大きく伸びをした。

 

 とりあえず、今日もサボらず筋トレしてランニングでもして、そんでもってシャワーを浴びて頭をすっきりさせよう!

 

 今すぐに俺がどうこうできるもんじゃない。

 来る日のために、魔力を高めて、知識を高めなければならない。グラジオラスが以前難なく作っていたという高等魔薬を俺はまだ作れない。以前のグラジオラスほどの力がないということだ。呪いもまた高等な代物である。女性を突き止め、その呪いを解くためにも俺は自分の力を高めなければ。

 それが今の俺にできる最善だと思うから。

 

 



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フリージア

 

 ジリリリリリリリリリリリリリリリリ……

 朝、目覚まし時計にたたき起こされた俺は身体のだるさと凄まじい眠気を感じつつ、やかましくなり続けるベルを叩いた。チンッ! と音を立ててベルが止む。正直二度寝を決め込もうと思ったのだが、強靭な意志の力を以て二度寝欲を抑えつける。二度寝してるときの幸福はそれはもうすさまじいものだが、二度寝後の倦怠感とやるせなさ、後はカロスへの苛立ちを思い起こして、無理やり布団を蹴り上げる。辛いのは最初だけ。風呂だって入ってしまえば苦ではない。それと一緒だ。

 

 三日目ともなると、少しばかり朝起きることに慣れてきた。夜は疲労困憊で瞼が自然に閉じていくほどの眠気が訪れる。初日こそなかなか寝付けないうえに浅い眠りで寝た気がしなかったが、二日目には幾分マシになり、今日にいたる。

 のっそりと起き上がった俺は、洗面台へと向かう。ものぐさな性格がよく現れているというか、部屋は幾つかあるのだがグラジオラスが主に使っていたのはリビング兼寝室とシャワールームとトイレくらい。家の散策をしたときにほかの部屋はあまり手入れをしていないので入らないでくれとカロスから言われていた。反抗してちらりと開かずの扉を開くと、凄まじい勢いの埃がぶわりと舞い上がって、おとなしく扉を閉めた。それきり近づいてすらいない。

 

「おめでとうございます。これで三日坊主に昇格ですね」

「ふん。明日も起きて習慣にしてやるよ」

 

 カロスが床に落ちた布団を回収しつつ近づいてくる。ぴっしりとした燕尾服を身に着けた隙のない格好である。何時から起きていたんだ?

 夜中に起きてトイレに行くと、カロスの姿はない。例のあの人のごとく名前を呼んだら出てきそうなので呼んだことはないが、家に自分以外の人の気配はない気がする。

 

 憎まれ口を叩くカロスのおかげで、すっかり眠気は去りつつある。

 初日のカロスの対応ったら酷かった。すでにリビングに控えていたらしいカロスは音を立てないように掃除をしながら「随分と懐かしい音を聞きました」と上半身を起こした俺に言った。そこから再びベッドに倒れ込むと「ふっ……」と馬鹿にしたように笑う。半分眠りそうになりながらも頭のなかで「ふっ……」と笑うカロスの声とそれ見たことかと俺を貶す顔が想像されて、無性に腹が立って起床した。顔を洗いに行く俺に怪訝な顔して「トイレですか?」と訊ねてきやがる。女性にトイレとか言うなし。あ、なんか当たり前に女と認めてしまっている。

 毛虫を見るような目で俺が行動するのを見ていたが、顔を洗ってテーブルにつく頃には温かいモーニングティーを用意してくれていた。こういう卒のないところがホントむかつく。

 

 顔を洗い、歯磨きを済ませて寝間着から普段着へと着替える。そういえば洗濯物はいつの間にか消えていて、綺麗な服が当たり前に用意されている。カロスが洗濯をしている場面に遭遇したことはないが、俺のパンツを洗ってるところを想像すると笑えた。女性ものの下着をごしごしと洗濯板でこする美形の悪魔。変態じゃん。にたりと笑ってカロスへの苛立ちを解消する。

 

 香り高いモーニングティーと、サラダとパン。到底俺の胃袋を満たす量ではないが、よく噛みしめて満腹中枢を刺激する。腹八分目が一番だ。毎食腹いっぱいに食べたら、どんなに細い人だって2週間で肉がつく。

 食べる量を減らさねば、運動だけではとうていこの分厚い脂肪は減らせない。どうしても口さみしくなったら、ナッツを噛み噛み噛み噛み原子になるまでかみ砕き、水を飲んで空腹を誤魔化す。ダイエットに忍耐は必要だが、我慢が過ぎても続かない。

 

 朝食を食べたら軽くストレッチをして、身体が温まったら仕事に取り掛かる。

 

 面倒くさがらず、後回しにせずに真面目にこつこつと。それが人生を生き抜くうえで大切なことだと思う。

 3時間も作業をしていると、だんだんフラストレーションが溜まってきて、なんでこんなに大量のオーダーを放置していたんだ。っていうかオーダーストップ制度ねえのかよ。もう注文してくんな、と内心で悪態づきながらも黙々とオーダーをこなす。本気でやめたい。

 俺は作業のひとつひとつの動作に集中することで煩悩を抑えつけていた。ここでやめれば元の木阿弥。俺は変わると決めたんだ。変化には大なり小なり苦痛がついてまわる。

 

「血気迫る表情ですね。お茶はいかがですか?」

「いる。ありがと」

 

 温かな湯気から甘い果実の香りがする。ほわっと凝り固まっていた心と身体が癒される。

 

「ほんとお前は口さえ悪くなけりゃ有能なのにな」

「おや、今更気づかれたんですか? 一つ訂正しますと、口が悪くても有能に変わりはございません」

「自分で有能とか言う?」

「事実ですから」

「おま、恥ずかしい奴だな……」

「同意してさしあげます。あなたが自分を豚だと言うのと同じ程度の恥ずかしさは感じておりますよ」

「それ、めっちゃ恥ずかしいんじゃん」

「ええ。事実とはいえ、何度も能力をひけらかすなど小物のすること」

「その割には普通に言うよな」

「主様につるつるの脳みそにわたしの有能さを刻み込むための努力です」

「お前、俺に反論したいだけだろ? そうなんだろ?」

「ご想像にお任せします」

 

 にこりと綺麗な顔で微笑むカロスは、優雅に一礼して「薬草を取って参ります」と姿を消す。

 薬草園の薬草はグラジオラスの魔力で育てられているらしいが、採取はカロスに任せっきりだ。それぞれ適した部位や採取方法があって、グラジオラスの記憶にはない。昔からずっとカロスに任せっぱなしだったらしい。俺もぼちぼち勉強しているのだが、優先順位は薬品作りのほうが高いため、あまり時間は取れない。

 

 お昼時には少し早いが、小腹がすいてきた。ざららら、と小皿の上にだしたナッツを再びつまみつつ、紅茶を飲む。

 この香り高さは茶葉も高級なのだろうが、淹れるカロスの腕前も相当高いのだろう。俺は昔からコーヒー党で紅茶なんて滅多に飲まなかったが、カロスの淹れる紅茶は好きだ。

 

 薬草を取りに行ったカロスはしばらく帰ってこない。

 ぼうっと休憩していたが、一度作業を中断するとすぐに取り掛かる気分にはなれなくて、俺は立ち上がって伸びをした。

 

 薬草採取の勉強があまり進んでいない。時間が取れないというのは言い訳で、この休憩時間を使えばできる。知ってる。仕方なしにベッド脇に積んだ本を持ってきて捲るが、まったく頭に入ってこない。

 ああ、そうだ。カロスが採取するところを見て覚えてもいいかもしれない。親切に教えてくれるカロスの想像はできなかったが、見て盗む分には嫌な顔はされないだろう。そうと決まれば行動だ。

 

 紅茶を一息に飲み、薬草園へと向かう。

 ニヒムたちがぴょんぴょんと跳ねながら俺の後ろをついてくる。今日も元気そうだ。広大な敷地に薬草は植わっており、いつもニヒムたちが土を耕してくれている。

 カロスの姿を探してぼちぼちと歩きつつ、ニヒムのために用意した金平糖をばらまく。わらわらと寄ってくる姿は、まっくろく〇すけそっくりだ。ははは、かわいいな。

 

 薬草園のなかでも温室のなかにカロスの姿はあった。シャー!! シャー!!と威嚇する鳴き声が聞こえる。薬草園で生物は飼っていなかったはずだが、なんの声だ。

 しゃがむ燕尾服の男の近くに寄ると、彼の片手には白い毛玉が握られていた。そこから声が出ている。

 

「主様、どうかされましたか? お呼びいただければ伺いましたのに」

「いや、薬草採取してるところ見せてもらおうと思ってな」

 

 俺はカロスが握る白いものが気になって仕方がなかった。一瞬ニヒムかと思ったのだが、それにしては少し大きいし、尻尾みたいなのがある。ああ、子猫だ。真っ白い毛皮がところどころ血で汚れている。

 

「お前……それ、なんだ?」

「主様の気になさることではございません」

「猫だよな?」

「ええ。薬草園にとんだ泥棒猫がおりまして。殺処分でよろしいですよね」

「よろしいわけがあるか! こんなかわいい子猫ちゃんを……!」

「カワイイ? 主様、気は確かですか」

「逆に聞きたい。お前の目は節穴か!」

 

 ピルピルと震える子猫を悪魔から奪い取る。両手どころか片手に乗るほど小さな子猫である。「怖くないよ~」と毛並みをとかす。やわらかい、あったかい、めっさかわいい。

 

 カロスは無表情で右手袋を脱ぎ、その場で燃やした。ポケットから新しいものを取り出して嵌めている。そんなにか。

 

「お前猫嫌いなの?」

「いいえ。ですがコレは受け付けません」

「嫌いなんじゃん。こんなにちっちゃい子猫なのに」

 

 震えが収まり、あどけなく俺を見あげる子猫の目は吸い込まれるほど綺麗なサファイアだ。子猫は、撫でる俺の手をちろりと舐めた。なぁ、と甘えた声ですりすりと顔をこすりつけられている。

 

「よし、飼おう。この子の名前はフリージアだ!」

「いけません。飼うことは許しませんよ。早く捨ててきなさい!」

「だからおかんか、お前は」

「冗談抜きに拒否いたします。そのような獣、傍にいるのもおぞましい。

 感じませんか? その獣からあふれ出る邪な気配を」

 

 なぅ、と身体をすりすり俺の手に擦り付けてめいっぱいの愛らしさしか感じない。

 

「お前の方がよっぽどそんな気配出てるぞ。あまりの愛らしさに妬いてんのか?」

「はぁ……本当に気づかないのですね」

 

 呆れた様子のカロスは面倒なことになりましたね、と低く呟いた。

 

「俺が見ていない間に殺すのは禁止だぞ!」

「……」

「素知らぬ顔をするな! 聞こえてるだろ」

「こんな時ばかりは勘が鋭い」

 

 ローブのポケットに仕舞えちゃう可愛さだ。ひょこっと顔と小さなおててをだして外を見ているのがかわいいのなんのって。

 

「なぜこの獣が主様に懐くのかわかりませんが、後悔しても知りませんよ」

 

 なぁ、と甘えたように鳴く子猫を飼うのに後悔などするはずもない。昔から魔女の相棒は猫だと決まっている。

 フリージアは、あどけないかわいらしさ全開の顔でカロスへ向けて鳴いた。

 珍しくも心底嫌そうに眉を顰め、憎々しげに赤い瞳で猫を睨みつけるカロス。今更気づくが、カロスとフリージアの瞳は対照的であった。黒髪のカロスと白い毛皮のフリージア。そういえば性格も対照的だ。憎たらしいカロスと愛らしいフリージア。

 

 くくく、と俺は笑いながらよしよしとポケットから飛び出たフリージアの頭を指先で撫でた。

 

 

 

 



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魔女通信

 

 空腹だった。最近は空腹ばかり感じている。

 ぐぅぅぅとやかましく腹が鳴ったので、ナッツを5粒ほど食べて水を飲む。とにかく水を飲んで空腹を紛らわせるのがコツだ。それでも空腹感は消えなかったが、なんとか水で腹を膨らませる。

 食べるものがあれば手当たり次第に詰め込みたいくらいには腹が減っている。日本にいた頃は少し足を運べばコンビニがあって、ストックに大量のカップラーメンを置いて、と空腹を覚えることなんてなかった。手に届くところに食べ物があると、意思の弱い俺なんかはついつい手が伸びてしまう。ダイエットを本気でするなら不必要な食べ物は処分するのが望ましいんだろうな。といってももったいない精神でついつい取っておいてしまうんだけど。

 

 空腹には2種類ある。本当に身体が栄養を必要として、お腹がぐぅぐぅと鳴る空腹が一つ。心が「あれ食べたい」と美味しそうなものを見て訴える偽物の空腹がもう一つ。後者をエモーショナルイーティングと言い、空腹とは区別する。俺は本物の空腹に悩まされていた。ナッツは残り僅かで、フリージアも好んで食べるため(って言っても微々たる量だが)ストックが切れそうだ。

 本当に腹が減るまで、ご飯は食べなくていいのだとガンジーのような生活をして悟った。食べ物のおいしさが桁違いだ。味覚が敏感になり、なにを食べてもめちゃくちゃうまい。若干ナッツには飽きてきているが、それでもナッツの香ばしさや種類ごとの味わいが空腹という最高の調味料によって彩られる。

 

 フリージアは頭のいい猫で、俺の言ってることを理解している節がある。高い金を出して買った猫缶は絶対に食べてくれない。

 猫の身体に悪そうな俺用の非常食や、外から見つけてきた果実をちょいちょいと食べるくらいだ。

 

「フリージアお腹すいてないか?」

「にゃにゃん」

「そっか。ならよかった」

 

 小さく首を振るフリージアをなでる。

 今日は生憎の雨で、簡単な筋トレとストレッチを終わらせた俺は、めちゃくちゃスローペースジョギングができずに身体の気持ち悪さを覚えていた。走れなくて気持ち悪いなんて、過去の自分じゃあ一生思うことがなかった。

 

 

 さて、本題に戻る。俺は大いなる空腹の危機に陥っているのは、なにも言わずとも時間になれば飯を用意してくれていたカロスがこの1週間ストライキを起こしているからだった。俺がフリージアを飼うことを決めたのが、どうしても許せないらしい。いつも余裕の顔で笑っていたカロスが心底憎々し気にフリージアを睨んでいる姿は、黒猫と白猫が互いにバチバチと火花を散らしている姿にも見えた。

 フリージアは俺の庇護下にあることを十分理解しており、最近カロスを馬鹿にしたような行動を見せていた。俺から見れば愛らしい行動でも、初っ端から嫌いだと明言している存在に馬鹿にされたカロスは「このわたしが獣畜生に馬鹿にされるとは」と暗い笑みを浮かべて笑っていた。周囲の気温が5度は下がる静かな怒りっぷりであった。

 

 当たり前のように食事が現れ、当たり前のように風呂が沸かされ、当たり前のように薬草が手渡される。なに不自由ない生活に慣らされていた俺は、カロスがいなくなってから1日で「なあ、カロ……」と呼びかけて、彼がいないのを思い出す、といった繰り返しをしていた。洗濯物はどんどんと溜まっていき、新しい服がなくなった。同じような服のストックを着ていたのだが、衣服がなくなって初めて困る。家のどこを探しても洗濯機のようなものがない。洗剤はないが、水はある。仕方なしに桶に水を汲んで手洗いをし、あまり日の差さない外に簡単なつっかえ棒を置いて洗濯物を干した。ハンガーもないのでそれはもう適当な干し方になってしまったし、洗剤を使っていないので綺麗になっているのかもわからない。

 

 魔女のもとには魔女通信という通販カタログみたいなものが送られてくるので、仕方なしにそこで食料を注文した。

 ついでに生活魔法大辞典という本を見つけたので、それも注文した。初日に注文したのだが、そろそろ1週間なのだがまだ届かない。

 野暮ったいローブも新調することにした。借金返済にあてねばならないので、あまり金はないのだが、仕方がない。外に干していても日光がなく、洗った衣服がすべて生乾きの臭いになってしまったのだ。急激に痩せてきて衣服がだぼだぼになってきたことだし、無駄にはならないだろう。

 魔女通信を読んで、世にはいろいろな魔女がいることを知った。彼女らは時代遅れな俺のローブとは全く違うお洒落な服装をしていた。有名な魔女のなかでもカリスマ的先導力を持っているのが、ダリアとネモフィラという魔女だった。魔界の住民ならば誰しもが知る有能な魔女らしい。彼女らが売る品物も魔女通信に掲載されていたが、俺の売る薬品とは桁が違う。それほど効能が高いのだろうかと疑問に思うが、俺の商品よりも俄然売れ筋商品で、何カ月も待つことは当たり前だという。

 

 薬品を作ってはカラスに渡す(カロスがやっているのを真似したら普通にできた)単調な毎日。腹の立つ奴だと思っても、会話をできていたのはありがたかった。フリージアに言葉は伝わっている気がするのだがにゃーんとしか喋れないため、会話ができない。俺が一方的にしゃべり続けているだけだ。フリージアは自由に部屋のなかを散歩したり、外に遊びに行ったりするほかは俺のポケットのなかに入り込んでいた。

 今もポケットのなかでひょっこりと顔を出していたが、ひゅんっと頭を引っ込めた。

 

 床下のくすんだ魔法陣が光る。

 

「呼ばれて飛び出てモモモモーン! モカラ参上! 魔女通信のお品物をお届けに参りましたー!」

「モカラぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! 待ってた!! 待ってたよぉおおおお!!!」

「うわ! グラジオラス様、随分と小さくなって……! なんだか魔力の質も変わったような……」

 

 たんまりと物が詰まったリュックを持ち、桃色髪の美少女がお決まりの文句と一緒に現れる。

 人の言葉を聞けたのがうれしすぎて泣ける。ぶわぁと涙を流す俺に、モカラが大きな目をさらに見開く。

 

「どどどどどどーされたのです?!」

「カロスがいなくなってよぉ……! いや、それはいいんだ。品物見せてくれるか?」

「はいな! 生活魔法大辞典なんて頼まれることがなかったので随分探したです」

 

 新しいローブ×3着、生活魔法大辞典、食料。頼んだのはそれだけだ。

 

「生活魔法大辞典って、なんで今更必要になったですか?」

「今更っていうか俺生活魔法とかわからないからさ」

「生まれたときから使えるような簡単な魔法ばかりですよ? グラジオラス様ほどの魔力であれば、いちいち詠唱などしなくてもできるです。モカラでもできるです!」

「いや、その魔法がどんなのか知らないからさ……」

 

 不思議そうなモカラは小首を傾げながらリュックいっぱいに詰め込んだそれらを長机のうえに陳列した。「お値段は3金カとんで8銅カと5銭カになりますです」うっ、と衝撃が走る。この1週間薬品を作り続けた売り上げがほぼすべて飛ぶこととなるからだ。カというのは魔界の通貨で、金銭面もカロスが握っていたため、オーダーをこなしては届けられる黒カラスの持ってきた金をちまちまと貯めていた。巾着袋に入れていた銭たちを出してモカラに渡す。

 

「はいな! 確かに頂戴しました! グラジオラス様とてもとても顔色がお悪いですが、本当にダイジョブですか?」

「モカラの顔を見たら元気が出てきたよ。ありがとな」

「ホントですか! モカラの顔、もっといっぱい見て元気になってくださいです!」

 

 にこにこ微笑みぴょんぴょん跳ねる美少女。まじ癒しだ。

 

「モカラはすぐにお金を届けにいかないといけないですが、困ったらいつでも呼んでくださいね?

 あ! 大事なことを忘れてたです! これ、王妃様からのお手紙です! きちんと渡したですよ?」

「え……うん。読めるかな……。返事は遅れると思うって伝えといてくれるか?

 ほんとありがとな、モカラ」

「はいな! きちんとお伝えするです! またのご利用をお待ちしております!」

 

 教え込まれた綺麗な礼を披露して、モカラが魔法陣で消えていく。

 ポケットのなかにすっかり入り込んでいたフリージアが再びひょこりと顔を出し、テーブルのうえへとポケットのなかから器用にジャンプして移動するのだ。

 

「ああ……帰ってしまった……俺の癒し……。そしてすっからかんになってしまった……薬品作らないとなあ」

 

 俺とてダリアやネモフィラみたいに強気な価格設定ができれば、あっという間に借金返済できるだろう。だが、魔女の序列によっておおよその相場が決まっているのだ。過去グラジオラスの魔女序列は2位だったという。ことごとく王からのオーダーを無視し続けたために、グラジオラスの序列は下げられた。

 こつこつと働いていれば、また2位になれるはずだ。いや、そんなことでは甘い。どうせならば1位を狙わないと。

 1位というのは魔界のなかでもほんの一握りしかおらず、魔女序列1位は空席だ。何世紀ものあいだ生きる魔女であっても、いずれ死ぬ時がくる。序列1位の唯一の魔女は1世紀前に死んだばかりだという。それがグラジオラスの師匠だと、グラジオラスが書きしたためていた手記で知った。

 

「さて、と」

 

 生乾きの衣服を脱ぎ、新しいローブに袖を通す。とりあえずLサイズを頼んでみたが、結構いい感じだ。身体のラインもすっきりとして見えて、痩せたんだなとしみじみ思う。

 肉球で目を隠していたフリージアに「似合うか?」と訊ねると、にゃんにゃんにゃんにゃん首を縦にふって肯定してくれる。

 

「そーかそーか、ありがとなあ」

 

 気分の変わる白いローブだ。白は膨張色だが、乳と尻が目立つ体型のおかげでグラマラスに見えないこともない(ちょっと無理はあるが)と思う。フリージアは自分の毛皮をぽふぽふしたあと、にゃんっとかわいい声とともに俺のぽふりと叩く。

 

「んん?」

「にゃんにゃん、にゃんっ」

 

 毛皮ぽふぽふ、俺ぽふ。

 

「んんん??」

「にゃんにゃん、にゃんっ!」

 

 毛皮ぽふぽふ、俺ぽふ。

 

「ああ! お揃いっていいたいのか?」

「にゃん!」

「そうだなー一緒の色だなぁ」

 

 俺はやに下がった顔ででれでれとフリージアを撫でる。頭もいいし愛らしいし、どうしてカロスはフリージアを毛嫌いしているのだろうか。

 

「もしカロスが帰ってきたら、ちゃんと仲良くしてくれよ?」

「にゃぁぁぁ……」

 

 テーブルのうえで毛づくろいするフリージアはまるで聞いちゃいない。

 

「おーい、俺の言うことわかってるんだろう?」

 

 くしくしと前足で顔をかいている。かわいい。

 怒る気にもなれず、俺は生活魔法大辞典を開いた。目次から清潔の欄を見つけてページを開く。除菌・消臭・汚れ落としなどの基本魔法のあと、香り付けの応用魔法が書かれていた。魔力を満足に扱えない子どものために詠唱もあるらしい。

 脱いだばかりの生乾き臭がするローブにさっそく消臭魔法をかけてみる。

 

「えっと、まず消臭対象に集中するっと。そんで……"腐ったチーズ……ブルーチーズ……ラフレシアも逃げ出す消臭力……かかれ、消臭魔法"……! え、これが詠唱?」

 

 きらきらとした粒子がローブのまわりを舞う。

 おそるおそる手に取って臭いをかいでみる。

 ……臭くない!

 

「マジかよ」

 

 他のローブのもとへと急ぎ、俺はローブに集中して「消臭魔法」と呟いた。きらきらした粒子が発生する。

 

「……臭くない! こんな簡単だったのか……!」

 

 どうりでモカラも生まれた時から使えると疑問に思うはずだ。だがその便利で当たり前の存在でも、知らなければ使えない。随分といい値段がしたが、必要経費だと涙を呑む。

 それから俺はいろいろな生活魔法を試み、どれもこれも失敗することなく成功して満足した。

 

 

 



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ダリア

 カロスがストライキを起こして早2週間、長期保存食をちまちまと食べて生きながらえていた俺は、ヤツに本気で愛想を尽かされたのかもと思い始めていた。

 沈んだ俺の様子を知ってか知らずか、フリージアが膝のうえでなうなう鳴いている。肉球が、俺の引っ込んできつつある腹を慰めるようにぽふぽふしてくる。優しい子だなあ。

 

 なんやかんやで面倒見の良かった悪魔は、一度も顔を見せに来ていない。なにしてんだろ。元気してるのかな。

 

 かわいい猫相手に大袈裟すぎるだろうと思っていたが、実はめちゃくちゃ猫アレルギーとかだったりするんだろうか。蕁麻疹に咳くしゃみ、発熱するレベルで苦手とか?

 

 カロスは俺のこと心配してないのかな。主に野垂れ死してそうだ、とか。

 

 薬品作りが生活の基本であるが、運動も欠かしていない。早起きも継続されている。最近は目覚ましが鳴る前にぱちりと目が覚めることさえあるくらいだ。カロスにこの様子を見てほしい。

 

 

 グラジオラスの手記を読んでは、色々な薬品作りに挑戦するも、過去の技量には達していないようで失敗することもままあった。

 簡単な魔法ならば魔力に物を言わせて楽に作れるのだが、高度な魔法薬となると熟練したタイミングや緻密な魔力操作が必要になってくる。俺はその魔力操作が特に苦手だった。手足のように自由に使えるはずの魔力だが、俺にとっては3本目の左手みたいなものだ。ちなみに俺の利き腕は右である。

 

「ぐぁぁあああああああ!!! 多すぎたり少なすぎたり難しすぎんだろ!!」

「にゃーん」

「全然うまくいかねぇぇぇぇ!!! ……でも、やるしかないんだよな」

「にゃん」

 

 フリージアが俺の身体をぽふっと叩いて慰めてくれる。ほんといい子だね、お前は。

 

 モカナが持ってきてくれた王妃から送られてきた手紙を解読しようと努力をしたこともあったが、みみずののたくった字は相変わらず読めない。

 カロスはどうやってこの文字を読み解いたのだろうか。彼が帰ってこなければ、永久に暗号文として保存され、返事を出せないままになる。

 

 

 返事と言えば、ダリアという魔女は俺に手紙をくれていたことがあったな、と思い出した。

 魔女通信でも有名なダリアだ。

 目覚めて初っ端、カロスに煽られた状態で手紙を読んだものだから腹が立って燃やしてしまったが、内容はあまり覚えていないが、高飛車ながらも王からのオーダーをこなすよう催促してくれていたと思う。

 

 ツンデレ魔女なのかもしれない。

 

 手紙をくれる仲なのだから、それなりに繋がりがあったのだろう。俺としてはダリアの顔は全然思い出せないが、グラジオラスを町の民衆のように嫌っていればそのような手紙を送ってくれることもないだろう。

 グラジオラスという魔女は手記通りであれば社会知らずの人嫌いであるが、彼女が思っている以上に人との繋がりのあった魔女だと思う。

 俺よりもずっと。

 

 

 俺は天気が晴れていることを確認して、ローブのまま外へ出てだらだらジョギングを始めた。空腹で辛いが、辞めればもう2度とやらないような気がして日課を崩さないようにしたのだ。

 まだまだ痩せる余地はある。ということは体内に消費されるべき脂肪があるということなので、死にはしないだろう。

 

 

 薬草園で魔力操作の練習のためにニヒムに微量の魔力をばらまきつつ1時間程度のジョギングをする。呼吸の乱れもマシになってきて随分と走れる身体になったと思う。

 

 リバウンドしそうな痩せ方ではあるが、空腹が我慢できる程度のタンパク質や野菜(というか薬草)は取っているし、長期保存のパンも食べている。金がないし自炊もできないので同じような食事内容に嫌になりつつある。

 ご飯が面倒だなんて初めて思った。食べることは人一倍好きだったはずなのにな。

 

 

 だくだくと汗をかいて気持ち悪くなったので、清潔魔法で身体とローブを身ぎれいにする。すっかり身体のべたべた感はとれて気分は多少すっきりする。それでも入浴には敵わないので、今日は久しぶりに風呂に入ろうと思う。

 カロスがいる頃は毎日入っていたが、便利な魔法を覚えてからというものすっかり利用しなくなっていた。

 

 フリージアは森のほうへと遊びに行っており、まだ戻っていない様子だ。ジョギングが終わる頃を見計らって家の前で待ってくれていたり、少し後に帰ってきたり。彼(オスだった)もまた毎日散歩を楽しんでいるようだ。

 今日はゆっくりの帰宅らしい。

 

 

 家に戻ると、長机ではなく丸テーブルの方に人がいた。

 ビックリして言葉も出ない。華やかにティータイムを楽しむ細身の人影は、髪の長さからして女性だ。

 その脇には燕尾服の青年が立っている。

 

「カロス……?!」

「やっと戻ってきたのね、待ちくたびれたわ」

 

 青年は、よく見ると深い青色の髪をしており、身長もカロスより少し低くて華奢だった。

 

 振り返ったその女性は、吊り目がちの大きな瞳と綺麗に弧を描く艶やかな唇、自信に溢れて輝く笑顔の魅力的な美女だ。

 髪の根元は深い桃色で毛先になるに従い白くなっている。見事なグラデーションの髪は波打ち、彼女の背ほどまで伸ばされている。翠色の瞳は潤んだように煌めいていて、白い肌に豊満な身体つきをしたハリウッド女優みたいだ。

 

 彼女の隣に立つ青年は、カロスとは似ても似つかぬ爽やかな笑顔を浮かべて綺麗な一礼をする。

 どうして見間違えたんだろう。全然違うじゃん。

 

「あらぁ? ここはグラディスの家じゃなかったかしら?」

「どちら様で……?」

「見てわからないかしら?

 ちょっと待って、その声……あなたもしかしてグラディス?

 その魔力……似てるわね……」

「いつまで現実逃避なさっているのです。

 お久しぶりですね、グラジオラス様。とても……お綺麗になられましたね」

 

 爽やかに微笑む青年がさらっと俺を褒めてくれる。モテそうだな、おい。

 ちょっと嬉しくなっちゃったじゃんかよ。

 驚愕に目を見開いていた美女は、さらりと髪をかきあげて俺へと向き直る。

 

「う、嘘……やっぱりグラディス?

 まあ、あなたも座りなさいよ。あんなにわたくしが言っても痩せなかったのに、どういう心境の変化?

 きっ……きれいになったじゃない?

 まあ、そうは言ってもまだまだわたくしには敵わないし、余計な脂肪でぽちゃっとしてはいるのだけどね! おほほほほ。

 あなたったらわたくしの手紙をいつまでも無視するから、仕方なく来てあげたのよ」

 

 俺の家なんだけどな。まるで主のような振る舞いだが、それがどうにもよく似合う。

 微妙な顔をしながら美女の前に腰かける。

 

「ところでカリステファス様はどちらに? 気配がないようだけれど」

「あー……少し、外しています」

「なんなのあなたさっきから気持ち悪い敬語を使って。

 たとえあなたの序列が下がろうと、同じローズ様の弟子なのに変わりはないのだからもっとしゃきっとして頂戴!」

「はい!」

 

 ローズ様に申し訳が立たないわ! と憤慨する美女に叱咤されて、思わず姿勢が伸びる。長い髪の毛を指先でくるくると弄びつつ、美女はじとりと俺を睨みつける。

 

「ほんと気持ち悪いわね……まあ、いいわ。カリステファス様はいつになったらお戻りになるの?」

「ここのところ2週間は戻って来てないです……ない、ね」

 

 ぎろりと大きな目で睨まれて、敬語をやめる。どうやらこれが正解らしい。目力強すぎる。

 

「2週間って……あなたの使い魔だったわよね? そんなに離れていて大丈夫なの?」

「まあ、なんとか……」

 

 家に埃は積もってきているし、主に生活面や仕事面でも困ってはいたが、なんとか生きてはいけている。

 

「あなたのことじゃないわよ。カリステファス様よ。使い魔は常に主の傍にいて、魔力の供給を受けなければ魔力の循環に支障をきたすこと知っているでしょう」

「ええ……! そうなんです……の?」

「あなたさっきからなんなの? 気色悪くて身体が痒くなってくるわ! わたくしに対する嫌がらせ? もじもじしないではっきり話して頂戴」

「はい!」

「なんだか魔力の質も昔と少し違う気がするし……なにかあったの?」

 

 美女に質問責めにされてめちゃくちゃ気まずい。

 いやー、と視線を逸らしていると、ひょこっと外から戻ってきたフリージアがこちらに走ってくるのが見える。

 

「お帰り、フリージア」

「なに? ………………っぃゃああああああああああああ!!!!!!!」

 

 家が震えるほどのつんざく悲鳴を上げて美女は立ち上がり、逃げる。ゴキブリを見たときのような反応だ。

 美女に従っていた執事風の青年も、爽やかな笑みを凍らせて同じように壁まで逃げている。

 

「なっなっなっ……なんって邪な気配の獣を……!! ちょっと、あなた正気?! だからそんなにも激やせしたの?!」

 

 フリージアはなにかを咥えている。机の上にぽたりとそれを置き、いつもどおり俺のポケットのなかへと納まる。

 今日の散歩のお土産は綺麗な花らしい。フリージアによく似た純白の可愛らしい花だった。和む。

 

「猫嫌い?」

「猫は嫌いじゃないわよ!! ソレが無理なのよ!」

 

 ぶんぶんと首を縦にふって燕尾服の青年も頷いている。

 いや、猫じゃん。強いて言えば子猫か。

 

「この三世紀ずっと変だと思っていたけれど、もっと変になっていたなんて……! カリステファス様がいながらどうして?!

 ん……? まさか……。一応聞くけど、ソレを飼い始めたのって、いつ?」

「二週間前かなぁ」

「カリステファス様がいなくなったのは?」

「二週間前かなぁ」

「そりゃあカリステファス様も帰りたくても帰れないわよ!! はやくそれを捨ててきなさい!! は・や・く!!!!」

 

 揃いも揃って同じことを言われるが、俺は捨てたくない。こんなにも愛らしいのに、なぜカロスも美女も嫌がるのだろうか。

 

「なにをもたもたしているの!」

「いや……」

「はっきり話しなさいよ!! いっつもわたくしばかり、馬鹿みたいじゃないの!」

 

 女性はドン、と机を叩いた。テーブルのうえに乗ったティーセットがカタカタ揺れる。

 

「せっかくだから言わせていただくけれど、わたくし、あなたがまたオーダーをこなし始めたと聞いて、嬉しかったのよ!

 魔女通信の人間が家に来た時に、あなたの人気が高まってきているときいて……前みたいなお互いに切磋琢磨できる関係に戻れると思って、嬉しかったの!

 今ならわたくしと話をしてくれるのではないかと思ってここに来たのに、ほんと、馬鹿みたいじゃない……!」

 

 激昂され、あわあわと助けを求めるが、女性は少しも俺から目を逸らさずに気持ちをぶつけてくるし、執事っぽい青年は静かに下を向いて空気と化している。

 姿形は全然似ていないのに、モカナを思い出した。彼女と似た翠色の瞳だからかもしれない。

 吸い込まれるほど美しいエメラルドグリーンの瞳から目が逸らさなくなる。溢れんばかりの感情が湛えられ、苛烈に煌めくその瞳のなんと美しいことか。

 

「あなたってば昔からそうよ。なんにも話さないくせに、自分は不幸のどん底だみたいな顔をして!

 言われなければ、なにもわからないじゃない! 顔を見るだけであなたの考えていることがすべてわかると思って?!

 助けたくっても助けられないじゃない!!

 ねえ、ちゃんと話してよ!!」

 

 悲痛な女の声に、俺は愕然とした。

 グラジオラスだけじゃない。俺だって、そうだ。

 なにか辛いことがあっても、誰にも相談したりしなかった。嫌なことを思い起こして話すのも不快だったし、愚痴を言ったら嫌われるのではないかとも思ったし、自分の意見をずっと誰にも伝えられなかった。

 

 俺を振った彼女も、もしかして目の前の女性のように思っていてくれたのだろうか。何度も彼女は言ってくれていた。ちゃんと話して、相談に乗りたいの、と。

 彼女は目の前の女性ほど苛烈な言葉で言い募ったりはしなかったが、俺に合わせてくれていたのだろう。そうしてしびれを切らして、離れていったのだ。

 

 気持ちは一生懸命言葉にしないと、伝わらない。

 面白おかしく人の会話を盛り上げることは得意だったが、そういえば俺は自分の話を人にしたことがあっただろうか。思い起こす限り、ずっとない。いつから自分のことを話さなくなっていたのだろう。

 

 話さなければ伝わらない。そんな当たり前のことをどうして忘れていたのだろう。

 

「まただんまり? お得意ね。そうやって私は不幸のどん底です、みたいな顔をするんでしょう? でも逃がしてあげないわ。今日という今日は、徹底的に――」

「ありがとう。私……いや、俺は本当はグラジオラスじゃないんです」

「……は?」

「グラジオラスじゃなくて、違う世界から呼ばれてこの身体に宿っただけの、日本で生まれ育った男なんです」

「……なによ、今度は作り話でわたくしを巻こうとでも……?」

「本当なんだ。貴女は俺のことを知っているようだけど、俺は貴女のことを知らないんです」

「だけど、王からのオーダーは確かに……」

「この身体が記憶を少しばかり覚えているようで、それでオーダーはなんとかこなせました」

「そんな……そんな……。いえ、そうだわ。カリステファス様はそのことを?」

「知っています。彼から説明を受けましたから」

「カリステファス様から……?」

 

 そんなことが、嘘でしょう。がりがりと髪を掻きむしった美女は、強い視線を俺に向けてずんずんと近寄ってくる。少し椅子を離した状態で、座った。

 

「わたくしは魔女序列2位美の魔女ダリア。グラジオラスの身体をしたあなたは一体誰?」

 

 未だ訝しげな顔をしながらも、幼馴染の気安い表情から聡明な魔女への表情へと変じたダリア。

 それは、初めて"俺"自身へと向けられた言葉だった。

 

 



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臆病な心

 俺は昔から人に向けて自分の話をすることは不得手だった。

 自分の話となると、なによりも簡単そうに思えてなによりも難しかった。

 

 つっかえつっかえなうえに、時間軸も前後して、おまけにぼそぼそと自信のない声色で、自分でも穴があったら入りたいくらいに情けない話し方だった。喉に声が張りついて時々裏返ったが、ダリアは意外にも笑ったりしなかった。

 聞きづらいし、要領を得ない話だったろうに、彼女は最初のマシンガントークが嘘のように聞き手に徹し、適宜質問して話を促してくれた。

 俺は始終苦い顔をしていたが、真剣な顔をして頷いてくれるダリアに励まされてなんとか今までの経緯を話しきる。

 一仕事を終えたような謎の達成感と緊張でいっぱいになる。

 

「そんなことが……。魔女の常識では到底信じられないけれど、そうね。使い魔は主に嘘を吐くことができないから、カリステファス様が言ったという、あなたが他の世界から来た魂、ってことは信じざるを得ないのかもしれない。

 けれどね、おかしいのよ。普通魂と肉体は切っても切り離せない存在で、そんなに当たり前に身体を動かすことなんてできないはずよ」

 

 曰く、身体に形があるように魂にもまた器という形がある。

 小さすぎても大きすぎてもいけない、身体の見かけとはまた違った器と魂とがぴったりと一致しているものだという。だから魂と身体にズレが生じたアンデッドや、無理矢理に入れ物と魂とを合成したキメラなどはすぐに崩れるのだと説明される。

 

 パズルのピースがぱちりとはまるように、奇跡的なまでにぴったりと器と魂とが合っている。そうでなくてはおかしいのだが、そんなことがあるというのもあり得ないことだという。

 だが、そんなあり得ない状況が俺の身に起きている。

 

「偶然が絡みあってこうなったのか、それとも誰かが意図してこうなったのか……どちらなんでしょうね」

「ええ、どうかしら。まだ判断材料に欠けるところはあるけれど、あなたはどう思う?」

 

 当たり前のように俺の意見を求めてくれて、俺は自分の気持ちに対してどうしたいのかと再度尋ねた。心の声を知らぬ間に無視し続けていると、いつのまにか心の声は聞こえなくなっていて。

 

 どうしたいか、なんて考えたのはいつぶりだろう。

 

 意見を求められて答えるのは、自分の考えではなく、人がどう言って欲しそうか、であった。同意をして欲しそうならば同意をするし、大抵の人はそうだった。俺は自分の意見を言い、反論されては、結局同意をして欲しいだけなのだろう? と考えることをやめていた。

 

 だがダリアは紛れもなく自分の意見を求めてくれている、と感じた。

 

 俺はいつだってそうだ。変わったつもりでいたけれど根本のところでは変わっていなかったのだと気付かされる。

 

 グラジオラスの身体に宿ってしまったから、そのなかで出来ることを考える。ダイエットといい魔力の練磨といい、自分なりに俺は出来ることをやっていたつもりだった。だがそれは俺がしたい、と心から願ったものではなく、ただ最善手を選んでいるにすぎないと気づいた。

 

 だって俺は、カロスになにも尋ねていない。

 なにか知っているに違いないのに、聞けば教えてくれたかもしれないのに、彼が言いたくなさそうなことは聞かなかった。遠回しにグラジオラスのことを調べたこともあったが、それだってカロスに自分の気持ちを伝えるのが、鬱陶しがられるのが嫌で逃避の先の選択肢であった。

 

 俺はあのとき、どうしてやたらめったら人に嫌われているんだろうと不思議に思っていた。

 疑問を解消することは結果として出来たが、それは魔界の有能な一族がいたからに他ならない。そんな便利な存在は日本にはいない。じゃあ日本で同じようなことになっていたら、俺はどうしただろう。

 きっと、見て見ぬふりをしたまま心の奥底にそっとしまっていただけに違いなかった。

 

 俺はどうしたいんだろう。なにがしたいんだろう。

 自分の考えに没頭しかけるが、根気強く待ち続けてくれているダリアの存在を思い出す。

 

「偶然、とはあんまり考えづらいと……思います」

 

 自分の意見だ、と認識して発言する。ただそれだけでばくばくと心臓が激しく高鳴る。

 

「そうね。わたくしも同じ考えよ」

 

 さらっと同意されて、なぜか俺はほっとしていた。

 彼女の意見がどうであれ、俺の意見に変わりはないというのに。

 

 やっぱり俺は、根っこのところでは臆病な豚のままだった。

 少しは痩せてきて、行動を変えて、良い方向へと進んでいると思っていたけれど。俺の努力は、果たして正しかったのだろうか。

 

 相談しろ、とダリアは言ってくれた。

 それは幼馴染であるグラジオラスへかけた言葉であろうが、歯にものを着せぬ物言いの彼女は真っ直ぐで、俺の話を真剣に聞いてくれるダリアの存在はとても貴重だった。俺は彼女のことをこの短時間ですでに信頼できる人だと確信していた。

 俺は本日二度目の勇気を振り絞った。

 

「俺のしてきたことは……あっていたんでしょうか?」

「なに? どういうことかしら」

「俺は日本に生まれて普通に生きてきただけの……なんの変哲もない、普通の男なんです。俺は、俺が出来ることを必死に努力してきたつもりで……なにが言いたいんだろうな……はは。ははは……」

「これでいいのか、が不安なのね」

「え……あ、その、通りです」

 

 俺は不安だったのだ、と気づく。

 この背筋がぞわぞわとして落ち着かない感覚は、不安か。

 

「誰しもが大なり小なり不安を抱えて生きているものよ。

 不安に思うのは、あなたがそれだけ懸命に生きているから。けれどあなたは誰よりもあなたを信じてあげねばならないのよ。この行動でいいんだと信じることこそが自信。

 グラディス……彼女も少しばかり人の意見に振り回されすぎるきらいはあったけれど……それは優しさの延長であって、悪く思ったことはないわ。彼女は口に出さなくても、自分の意思はしっかりと持っていたし」

 

 ダリアが遠い目をする。

 

「あなたが誰よりも努力する姿を、わたくしはとても美しいと思っていたわ。だからあなたの体型を口さがなく言うやつに傷つくあなたを見ていられなくて……。

 ああ、ごめんなさい……わたくしこそ、なにを話しているんでしょうね。

 すっかりグラディスに話しているような気分になってしまったわ。あなたって、ほんとうにグラディスにそっくりだから」

「いいえ」

 

 しっかりとした魔女の仮面がはがれ、ちらりと垣間見えるのは幼馴染の顔。

 グラジオラスへと向けた言葉なのだろうが、すっと俺の心のなかに入り込んできて、染み渡った。

 それは彼女が一生懸命に伝えようとしてくれている、と心から感じたからであった。

 

 自分を信じることが、自信。

 

 俺は自分の努力が無駄ではなかったと、自信をもたないといけないんだ。

 

「話を戻すわね。稀有な事象に巻き込まれたあなたに、特別な意識はないの? 例えばなにか思い当たる節とか」

「思い返してみても……特にはないです。

 デブなくらい……? ごめん」

「あなたが謝ることではないわ。あなたをグラディスの身体に宿らせた者が悪いのよ。あなただって被害者じゃない。どうして謝るのよ」

「……ごめん」

「またそうやってすぐに謝る」

「……うん」

 

 ごめん、と言いかけてやめる。

 次言ったら張り手が飛んできそうだ。

 

 口をついて出てくる薄っぺらい謝罪の言葉に自嘲する。

 

 謝れば、責められないから。

 謝れば、折れていけば、それ以上言及されることがないから。

 俺は逃げていたんだ。

 

 俺は自分に自信が持てない。

 どうやったらそんなに自信がもてるんだろう? と根拠もなく自信満々に間違ったことを言いふらす人を見て不思議だった。

 

 俺は彼らとは違って、大勢の人の前にいくと身体が震えて止まらないし、自己主張することすら難しい。

 

 我の強い人間が嫌いだった。人のことを考えずに言葉の槍を突き刺す者が嫌いだった。だけど俺はそんなやつらにもへらへらと安い笑顔を振りまいていた。怖かったからだ。そんなやつらに理不尽に言い募られるのは怒りよりも恐怖が先立つ。

 

 暗い顔をする俺に、ぐっと唇を噛むダリア。なにか言いたげで、でもなにも言わない。……はぁ、と大きくつかれたため息に俺はビクリと身体を震わせた。そのため息が怖くて仕方ないのだ。いま彼女はなにを考えていて、俺のなにに失望したのだろう。

 

「……あなたがわたくしの言うことを素直に聞いてくれるものだから、すこし言い過ぎてしまったようね。傷つけてしまっていたら、ごめんなさい」

「ううん、いや……全然大丈夫です」

 

 彼女の謝罪にはきちんと心がこもっている。

 俺の暗い態度を見て、それを俺のせいにはせず、己の行動が原因だと謝罪する。

 簡単なことではない。

 人はなにかあれば、すぐに人のせいにする生き物だから。

 

 彼女は己の言動が人に及ぼす影響の大きいことを理解していて、俺の様子をしっかりと見てくれている。

 なんてすごい魔女なのだろうと素直に思った。

 

「当事者であるあなた以外に、このことを知っているのは誰?

 本物のグラディスの魂はどこへ行ったのかしらね」

「それはカロスだと、思います。……」

 

 本物のグラジオラスの魂は、契約に従いカロスに食べられた、だなんて軽々しく伝えられる内容ではなかった。

 口籠もると、ダリアはしばらく俺の言葉を待ってくれていたが、続かないことを悟って言う。

 

「少し聞いてみただけよ。別に正しい答えを求めてなんかないわ。もっと肩の力を抜きなさい。

 言い忘れていたけれど、タメ口でいいわよ」

 

 違う。俺はその正しい答えを知っているんだ。

 ただ、あなたが悲しむだろうと思って、どういう風に伝えるのが正解なのかがわからないだけで。

 

「早くその獣を捨ててカリステファス様を呼び戻しなさい。そうしないことにはなにも始まらないわ。

 あなたの話の通りだと、カリステファス様はなにかをご存知で、それをあなたは知らなくてはならないわ。

 わたくしも、できることであれば手伝うわ。

 なにもあなたに恩を着せよう、というわけではないのよ? わたくしもグラディスには色々と言いたいことがあるから」

 

 恥ずかしそうにほおを染め、視線をそらしつつ言うダリアは照れている様子だった。

 ダリアはグラジオラスの親友であって、俺の親友ではない。偽物の俺を詰るどころか手伝うと申し出てくれているのがどれだけありがたいことか。

 そうはわかっているけれど、わがままなことに俺は切なさを感じてしまった。

 幼馴染がすでにいなくなってしまっていると知れば、彼女はどれほど深く落ち込むことだろうか。

 

 ひょこっとポケットから顔をだすフリージアを見下ろす。ポケットのなかに収まったフリージアをそっと片手で救い上げると、なぅん? と愛らしい声をあげ、俺を見あげている。

 キラキラと澄んだサファイアの瞳がしばらく俺の目をじぃっと見つめている。

 

 フリージアは薬草園に迷い込んだとき、怪我をしていた。

 その怪我もすっかり治って、艶やかな毛並みの血統書つきの猫みたいだ。

 もとから人懐っこい子猫だったが、カロスがいなくて寂しくなかったのはフリージアがいてくれたからだ。

 一緒に寝て、一緒にご飯を食べて。

 そんなフリージアを捨てる? 無理だ。

 だって、フリージアはなにも悪いことなんてしていない。全然邪な気配だってしない。

 

「フリージア」

 

 フリージアはちろっと俺の指を舐めて「なぁ」と鳴いた。丸く大きな目が細められる。

 俺の手にちょこんと収まっていた子猫は、ぴょんと床に飛び降りた。

 

 小さな足をとてとてと動かしてしっかりとした足取りで離れていく。

 

 迷いのない足取りを見て、フリージアは、ただの散歩でもなんでもなく、もう2度と帰ってこないつもりなのだと確信した。

 

 フリージアは言葉を解する利口な猫だ。今までの会話を聞いて、きちんと理解をして。

 そうして去ることを選んだんだ。

 

 俺は、違う。出ていって欲しいなんて思っていない。

 俺は、俺は--!

 

「フリージア!!」

「なうん」

 

 振り返り、ひょろりと尻尾を振る。ばいばい、と言っている気がした。

 

「待って、フリージア!! 行かないでくれ!!

 俺は、お前にそばにいて欲しい!!」

 

 フリージアのために開けたままにしていた窓に足をかけ、ひょんっと飛ぶ。

 俺は窓へと転がるように走った。

 

 小さな白い猫は草原を駆けている。

 

「待てってば! フリージア!! お前の家はここだろ!」

 

 すでに俺のなかでフリージアはとても大切な存在になっていた。たった2週間程度しか一緒にいなかったが、やわらかくて小さな存在は俺の心を慰めてくれた。

 あんな小さな子猫がどうやって外の世界で生きていけるんだ。

 

 あの優しい子猫は、俺のために身を引いたんだ。

 俺が、煮え切らない態度ばかりするから。

 

 俺はフリージアを追いかけるべく、扉へと向かった。

 

「待って。行ってどうするの? カリステファス様を呼び戻すためにはあの子には去ってもらわないといけないのよ。

 それとも、あなたは魔力をわけた使い魔よりも、あの獣のほうが大切だというの?」

 

 ガツンと頭を殴られる思いだった。

 どちらが大切とかではない。どっちも大切な存在だ。だが、フリージアがいるためにカロスが家を出たことは真実。

 

 子猫くらい毛嫌いしなくても。

 違う。きっとフリージアはただの子猫なんかじゃない。姿形こそ愛らしい子猫ではあるが、魂は純粋な猫ではないのだろう。猫は人の言葉を理解しない。

 

 カロスやダリアが邪な存在、と言ったって、俺にとってはそうではなかった。

 なにひとつ悪いことをしていないし、今日だって落ち込んでいた俺に花を摘んできてくれた優しい子だ。

 カロスのことも大切だし、フリージアのことも大切。どちらのほうが大切か選べ、と言われても、選ぶことなんてできない。

 

 俺は、静止を振り切って外に出た。

 

「待ちなさい!」

 

 後ろでダリアの声がする。彼女の言っていることは正しい。そんなことは百も承知だが、ここでフリージアを見捨てたら俺は一生後悔すると思った。

 

 辺り一面見渡しても、白い子猫の姿はない。

 

 闇雲に走り出そうとする俺の肩をそっと掴んでとめたのは「主様」懐かしい声だった。

 

「カロス……」

 

 なんだよ、こんなタイミングで帰ってきやがって。まるで本当にフリージアが邪魔で帰れなかったみたいじゃないか。

 振り返ると、長身痩躯の青年が。

 ムカつくほどに整った容姿に懐かしい、嬉しい、寂しかったと心が震える。

 

 カロス、痛々しいくらい痩せてるじゃん。

 壮絶なまでの美貌は研ぎ澄まされ、神様が作った彫刻のようにも見えた。

 

 使い魔がそばにいないと、みたいなダリアの言葉は本当だったんだ。もともと白い肌をしていたが、今にも倒れそうなくらいに真っ白だ。

 

「すぐに根をあげると思っていましたが、随分と長いこと粘りましたね」

 

 カロスが長い指先で俺の頬をなでる。

 自分だってしんどかったくせに、そのことにはまるで触れないままに。いつもみたいに俺のことを詰ればいいのに。詰ってくれたら、どれたけ気持ちが楽になるだろうか。

 なあ、わかってんだろ? どうせ俺の心を読んでいるんだろう?

 

「あんな畜生をそれほどまでそばに置いておきたいのですか?」

「あ……当たり前だ!」

「わたしよりも?」

「…………」

 

 なにも答えられずに俯く俺は卑怯だ。

 

「冗談ですよ。いつものあなたらしくもない。憎まれ口はどうしたんです。

 少々手荒な真似をしましたが、探し物はこれですね?」

 

 そう言って、カロスは垂らしていた手を持ち上げた。

 

「フリージア……?」

 

 カロスは白い子猫を掴んでいて、腹のあたりを掴まれた白い猫がくったりと眠っている。

 首には赤色の首輪がつけられていた。

 

 扉から出てきたダリアがカロスの手のなかで眠る子猫を見て呟く。

 

「すごい……なんて強い力の首輪……。これ、さっきのと同じ獣なの?

 すっかり気配が抑えられているわ。これなら猫に見える……」

 

 そうは言いつつも少し遠いところから、フリージアを観察するダリア。

 彼女にフリージアは、なにに見えていたのだろうか。

 

「お前……まさか、フリージアと一緒に暮らす方法を探してくれていたのか……?」

「使い魔たるもの、無茶な主様の要望でも応えねばなりませんから」

「もう……なんだよ。言ってくれりゃよかったじゃねーか……。

 勝手に消えたりして、なんだよ……。

 ……りがと」

「はい?」

「ほんと……、ほんとにありがとうな。

 やっぱお前は腹立つくらいに有能だわ」

 

 俺にはその首輪がどれほどすごいものなのかはわからない。

 だが集中すると、その首輪にとてつもない魔力が込められていることはわかった。魔力が感じられるようになったのは、日々魔力操作の修行をしていた成果である。

 

「礼など不要です。

 主様がわたしなしに生活できず、アレを手放すことになればいいと願っておりましたから」

「さらっとヤンデレ発言するのな。

 ははっ……でもほんと、ありがとう。

 俺さ……お前がいなくて、ほんとに寂しかった。

 お前が今までどんだけ俺のことを一生懸命世話してくれていたのかわかった。

 戻ってきてくれて、ほんとにありがとな」

「なにか悪いものでも食べましたか? 気持ち悪いですね」

「気持ち悪いだろ? 慣れてくれ。

 俺も……ちゃんと自分の気持ちは伝えるようにしようと思ったんだ」

 

 ダリアがにこりと微笑み、頷いてくれる。

 

 そうですか、と遠いところを見ながら言うカロスの耳はわずかに赤かった。

 俺はカロスの手を、両手で包み込んだ。不思議そうな顔をするカロスに、魔力を流していく。

 やつれたカロスは魔力不足だ。ならば俺の魔力を与えればいいと思ったのだ。

 

「おや……魔力操作ができるようになったんですか」

「あんまり微量は調整できないけど、ある程度はな」

「そうですか……この2週間、あなたもまた無駄にはせずに、よく努力されたのですね。

 魔界の生き物では到底考えられないことです」

 

 いつも通りに左右対称の綺麗な笑みではあったが、カロスの赤い瞳はいつもよりも温かく見えた。

 

「なあ、カロス。聞きたいことがあるんだ」

 

 笑みを浮かべるカロスを真っ直ぐに見据えて、俺は震える声を絞り出した。

 

 



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疑惑

 話すのなら落ち着いて室内で、と俺たちは家のなかへと場所を移した。

 

 わたくしも同席してもよろしいかしら。

 ダリアがそう言い、一も二もなく許可しようとした俺だったが、それよりも早くカロスが言う。

 

「申し訳ございませんが、本日のところは主様と二人で話させていただいても?」

「カリステファス様がそうおっしゃるなら……」

 

 ダリアはそう引き下がるが、未練たらたらの顔をしている。

 表情と感情が直結していることは恥ずかしいことだと思っていた俺だったが、彼女と出会って少し考えが変わった。

 それもまた、魅力的のひとつなのかもしれない、と。

 

 ダリアと彼女の執事は転移陣で部屋から帰っていった。

 また改めて連絡するわ、と俺にウインクを残して。

 

 

 家のなかにカロスがいる。当たり前だと思っていたのに、二週間もあけば懐かしさが込み上げてくる。それほど汚くはしていないつもりだったが、カロス的には思うところがあるらしく、窓際や棚の上など手をつけていない部分へ足を運んではツーっと手袋を嵌めた指先を滑らせて、姑のごとく清掃チェックをしている。悪かったな、たしかに拭いてねえよ。

 

 王妃からの手紙が目立つところに置かれており、すぐにそれを見つけたカロスが眉を顰める。

 今回は宛名までもが王妃の直筆で、悪筆のそれを目に入れた瞬間にピンときたらしい。

 

「また王妃様の直筆ですか」

「そうなんだよ。お前が帰ってこないから全然暗号を読み解けなくってさ」

「暗号のほうがまだ可愛らしいものですよ。

 魔界文字との対応表を譲り受けましたので、前回よりスムーズに読み解けるかと」

「ひらがなカタカナ対応表みたいなやつか。そんなのあるんだ」

 

 っていうかその魔界文字を書いているはずなのに、対応表が必要な王妃様って。

 

「対応させるのもまた、一苦労なのですけれどね」

 

 みみずが苦しみたくったあげくに、もがいて干からびたような文字だものな。あんな字書かれるくらいなら象形文字を読み解く方がずっと簡単そうだ。

 

 軽い口調で他愛のない話をしつつ、俺はフリージアをベッドに寝かせて、2人で丸テーブルを挟んで向かい合う。

 

 切り出したのはカロスであった。

 

「それで、聞きたいことというのは?」

「……俺の、魂のことだ。

 もうひとつ。本来のグラジオラスが、どうなったかということ」

 

 勇気を振り絞ってカロスに尋ねたが、得られた内容は当初説明された内容とさほど変わらない内容であった。

 

「そんなことですか。なにを言われるのかと少し身構えてしまいました。

 あなたは別の世界から来た魂です。

 グラジオラスの魂は--わたしがいただいた、そう以前にも申し上げませんでしたか?」

「言ってた」

「思い出してくださいましたか?

 全く……。ご飯を食べてすぐにご飯はまだか、と言われたような気分ですよ」

「誰が痴呆症だ。覚えてたけど、確認のために聞いたんだよ!」

「ほう……?」

 

 怪しい、みたいな目で見るな。

 そんなノリで話すことじゃないし。

 

「なんで、俺の魂を召喚したんだ?

 ダリアに聞いたんだけどさ。身体と魂とはぴったりと適合していないと支障をきたすらしいけど、俺は全然そんなこと感じてない。

 なにか、魂を選ぶ基準みたいなのはあったのか?」

 

 俺はさりげない風を装って、カロスが俺の魂を召喚したと確認を取るために尋問する。声は震えなかったし、泳ぎたくなる視線を必死に押さえつけているのでなんとかそれっぽく見えているはずだ。

 

「遠見の一族に依頼したので、あなたの魂がその身体に適合するであろうことは凡そ検討がついていました。

 あなたは異界で死にかけていた。そこであなたをグラジオラスの身体に宿らせることにしたのですよ」

 

 やっぱり、カロスが俺を喚んだんだ。

 改めてその事実を知り、俺は愕然とする。

 なぜ俺が選ばれたのか。それはグラジオラスの身体とぴったり適合する稀有な素質を持っていたからだとして。俺を召喚したからにはなにか意図があるはずだ。

 

「一生を終わらせる魔族もいるんだろう? 例えば、グラジオラスの師匠みたいに。どうしてグラジオラスの魂を取り替えてまで、俺を召喚したんだ?」

「戻りたいですか? あなたの元の身体がどうなっているかは分かりませんよ。

 あなたはせっかく得た二度目の生を謳歌すればよろしいのでは」

 

 そうは言ったって。

 側から見れば、俺はグラジオラスの身体を奪った他人だ。

 自分の身体のスペックも考えずに馬鹿みたいに走っていて、その途中で気を失ったのだ。あれは死にかけていたのか。

 

 そうだ。俺の身体はどうなっているんだろう。道端に転がっていたはずの俺の身体は、病院で植物状態になっているのだろうか。それとも、もう焼却されてしまっただろうか。

 たとえ元の身体に戻れるとしても、身体がない状態じゃあ死んだも同然だ。

 

 一生女として生きていく。

 ただグラジオラスの身体を借り受けたような気持ちでいたが、もしもそうなるとしたら?

 

 今すぐ死にたいほどに嫌ではない。だが、引っ掛かりは覚える。

 

「俺のいまの身体の状態って、わかんないのか?」

「どうでしょうか。遠見の一族であれば或いは」

 

 遠見の一族。やっぱり怖すぎる。プライベートもなにもありやしない。

 調べて欲しいような、だが結果が怖いような。なんとも言えずに、俺ははぐらかした。

 

「覗き放題だな、その一族にかかりゃあ」

「全魔族を常に見ているのではもちろんありませんよ。身体がいくつあっても足りませんから。

 通常は彼らに依頼しても魔法使用履歴の書かれた紙しか送られてこないのですが、少々伝がありましてね。あなたのことは詳しく調べていただきました」

 

 たしかに俺にも紙が届いた。

 だが、魔法使用履歴なんて書かれていなかったぞ。

 あれは、まざまざとグラジオラスの感情までもが描かれた壮大なメロドラマみたいになっていた。

 

 なぜだ? カロスに聞いてみるか。

 いや、駄目だ。

 

 俺はグラジオラスのことを調べたことを一瞬言おうかと悩んだが、すぐにやめる。

 

「モカラが言ってたんだけど、送られてきた紙にものすんごい文章が書かれてるって……。それが魔法使用履歴ってことか?」

 

 そしてモカラから聞いた体で話す。

 

「あの魔女、見た目通りの常識知らずですね。さすがに想像以上でしたが。

 あの紙の正しい扱い方すら知らないとは、呆れよりも驚きの感情が先立ちます」

 

 ごめん、モカラ。ものっそい言われっぷりだ。

 俺は心のなかなかで謝罪する。俺のせいで度を超えた常識知らず扱いをされてしまってる。

 

 カロスは疑うでもなく、ダリアは妹に常識も教えていないのですねと呟く。

 

 ダリアを見ていると妙にモカラを思い出すと思っていたんだ!

 美人姉妹か……!

 

 知り得た情報に興奮する俺だったが、カロスが口を開いたので一旦落ち着く。

 

「あの一族は遠見だけでなく、大魔法を常に感知する警戒職務についているのです。大魔法の裏には大抵なにかがありますから。逆に事件の裏にもまた大魔法が行使されていることが多い。

 ですから、魔界探偵事務所宛に対象人物の名前を送れば、大魔法使用履歴であればすぐに手紙の返答がきます。

 ただ妄想内容を聞いて欲しい悪癖があるので、特殊な紙に大魔法の裏にあると面白いストーリーを奴らが考えては、送りつけてくるのですよ」

「へぇ。その特殊な紙ってのはどういうやつ?」

「魔力を流し込めば、本当の文字が出てくるのです。普通に見ればただの彼らの妄想です。気になるのであれば、一度依頼してみてはどうでしょうか」

 

 それがもう、したんだよな。

 俺はグラジオラスのことを調べて欲しい、と書いたから、グラジオラスの大魔法使用履歴が送られてきているのだろう。

 

 紙に魔力を流し込んだりはしていない。

 俺は、彼らの妄想の文章しか読んでいなかったってことか。

 

 どうりで、変な文章が書かれていると思った。

 手記から垣間見える彼女の人間性は、嫉妬に狂うようなタイプではなかったし、違和感はあったんだ。

 

 カロスに嘘をついたのは、我ながら不思議だった。

 駄目だ、と咄嗟に思ったんだ。

 俺を召喚した悪魔であることが確定したからだろうか。

 第六感が激しく訴えてきた。これはカロスに隠すべき内容だ、と。

 

 モカラには悪いことをしてしまったし、カロスを信じない明確な理由もないのだが、不思議と言うべきではないと謎の確信をした。

 自分の心が訴えるこの不思議な感覚を、俺は無視すべきではないと判断した。

 

「……そうだな。今度依頼してみようかな」

「話というのは、以上でしょうか」

「うん。

 そういやさ、遠見の一族は血統魔法が使えるらしいけど、俺はなんか血統魔法みたいなのってあるのか?」

「わたしが彼女から以前聞いたのは、人の魔力が色として認識できるということでした」

「え、普通は見えないのか?」

 

 カロスからは常時濃い赤の魔力が見える。モカラは転移陣から現れるときに桃色の魔力が。

 それは当たり前のように存在していて、俺は疑問を感じることさえなかった。そういえばいつも見えていたカロスの魔力が今は見えない。

 

 ちなみに俺の魔力は緑寄りの青である。

 

「見えませんよ。感知能力の高いものであっても、強烈ななにか、としか認識できないのです。

 魔力を常時可視できるグラジオラスが、緻密な魔力操作を必要とする魔法薬を作れたのはその為でしょうね」

「へぇ……じゃあ、俺も極めればなんとかなりそうだな!

 カロスはどんな血統魔法なんだ?」

「わたしは記憶を司る悪魔です。

 主様の心が読めるのも、読心魔法が使えるからですよ。今は魔力不足ですので使っておりませんが」

「え、じゃあお前いま、俺の考えてることわかんねえのか」

「はい」

 

 そんな魔法があったのか。

 だからいつもカロスからは赤い魔力が漂っていたのか。

 

 その読心魔法とやらは、生活魔法と同じように簡単に使えるものなのだろうか。

 

「読心魔法!」

 

 唱える俺に、にこりと微笑むカロス。

 

 なに考えてんのか全然わかんねえ。

 

「あなたには使えませんよ。一族の血統魔法ですから」

「あっそ」

 

 俺は内心でにやりと笑った。

 別にカロスの心のなかを読めなくてもいい。

 これで心のなかでどれだけカロスを馬鹿にしようともバレないということのほうが大きい。

 

 ばーかばーか、憎たらしい面しやがって! イケメンがなんだってんだ! 慇懃無礼男め!

 有能だと認めてても、イケメンへのフラストレーションは溜まるんだよ。

 お前なんかインポになっちまえ。やーい、インポ悪魔。

 

「下品なことでも考えているのでしょう。すごく不愉快です」

 

 にこり、と笑みをさらに深めるカロスに、俺は背筋が凍る。

 よ、読めてないんだよな?

 

「そんな失礼な。考えてねえよ」

 

 俺はそう言い、慌てて視線を下に落とす。

 

「もう魔力はわけてくださらないので?」

「読心魔法使われるんだろ? 聞いたうえでわけるわけねぇだろ。

 どんだけドMだと思ってんだ」

 

 かさ、と衣ずれ音がした。

 俺は振り返ってベッドをみる。

 フリージアが、まんまるの目を開き、まるで様子がわからないようで、きょろきょろと不思議そうに部屋を見回していた。

 

「フリージア! 起きたか」

 

 俺はベッドへと駆け寄り、なんで勝手に出て行こうとしたんだ! とフリージアをぎゅうぎゅう抱きしめると、ぺこんと耳をさげた。

 フリージアは反省している様子だった。

 かわいいやつめ! 許してやるけど、もう勝手にいなくならないでくれよと念を押す。フリージアはうるうるとしたまんまるの瞳で俺を見上げ、にゃぁと返事した。

 

 フリージアがこうして家にいてくれているのは、カロスのおかげなんだよな。

 まあ、フリージアを追い出すような話になったのもカロスのせいなんだけど。

 

 以前と変わりない態度のカロスだが、自分の方が無理してるんじゃないかと心配になるほど顔色が悪い。

 ただの魔力不足です、とカロスは言う。顔色が真っ白で少し痩せた以外には、たしかにいつも通りと言える。無理はしないでほしいところだ。

 

 

 さて、話を終えて俺の腹は盛大に鳴った。緊張の糸が途切れたのだ。

 グラジオラスか嫉妬に狂って呪いをかけた、それは遠見の一族の妄想かもしれない。

 そのことが、随分と気を楽にしてくれる。

 

 呪いをかけたことも、偽りであればいい。

 そう願う。

 

 

 

 久しぶりに食べたカロスの料理は、涙が出るほど美味かった。

 

 あなたは猫缶で十分でしょう、とフリージアの前に放置されていた猫缶を出すが、フリージアは見向きもせずにぴょこんと俺の膝の上に乗った。俺はいつも通りナッツを分けてやる。

 

 魔法薬にも挑む。

 難易度の高い魔法薬は、魔力の色の濃さや容量を意識することで以前は作れなかったものもうまくいった。とはいっても最上級の魔法薬はまだ作れていない。もっともっと練習が必要だ。

 

 集中力が切れた頃にグラジオラスの手記の、日記部分だけを読んでいく。

 彼女の手記から垣間見える精神は、やっぱり、とても人を呪うような人には思えない。日々の穏やかな生活を愛し、人に尽くすことを苦としない勤勉な性格に見える。

 呪いなんて、やっぱりかけていないのではないか。

 もしもかけたとしたら、どうして呪いなどに手を出したりしたのだろうか。

 

 悩む俺のもとにカロスが歩み寄ってくる。

 

「主様、手紙の解読が終わりました」

「え、もう?」

「前回の魔法薬が素晴らしかったので、特別に茶会に招待するとのことです。都合の良い日をなるべく早く教えてくれ、と」

「なるべく早くかぁ……魔界のなる早って、どんくらいよ」

「最低1日、最長3日程度でしょうか」

「だよなあ。明日以降いつでもあいてますって書いてすぐ送るわ」

 

 やることはまだまだ山積みで、疑問も山ほどあって。

 どれから手をつけていいのかわからないほどだけれど、焦らず一つずつこなしていくしかないのだ。

 

 

 引き出しのなかに仕舞い込んだ魔界探偵事務所からの手紙を、カロスの目を盗んで見つからない場所へと移動させる。

 

 

 それを開封したのは、深夜だ。

 カロスがいなくなったことを見計らって、生活魔法で小さな光をだし、手紙を取り出す。フリージアはぐっすりと眠っており、起きる様子はない。

 

 文章が書き連ねられた紙に魔力を流していく。

 

 手紙の文字のインクが、紙のなかに吸い込まれるように消えていく。

 まっさらになった紙に、今度はインクが滲み出てくる。不思議な光景であった。

 そこには全く違う文字が浮かんでおり、その内容は簡素なものであった。ここの内容から妄想を広げたのかと感嘆する。

 

 魔界序列3位グラジオラスの3025年 大魔法使用履歴

 魔界歴3025年3月2日 長距離移動魔法

 魔界歴3025年4月1日 長距離移動魔法

 魔界歴3025年6月3日 永遠の眠りの魔法

 魔界歴3025年7月3日 サムシャ魔法

 

「永遠の眠り……」

 

 思わず呟いた。暗く静かな室内に俺の声が響く。

 永遠の眠りの魔法というやつが、呪いと呼ばれるものなのだろう。

 

 グラジオラスは本当に呪いをかけていた。

 その後のサムシャ魔法というのは、なんなのだろう。それ以降が書かれていないということは、それくらいの時期で俺の魂が入ったということだろうか。

 

 あの内容ならば、ダリアが同席していてもなんら問題がなかった。となると、カロスが恐れていたのはダリアからの質問であろう。

 

 俺では気づかない違和感を、ダリアならば解消してくれるかもしれない。

 カロスから聞いた話を伝えるのと、サムシャ魔法なるものを教えてもらうためにも、明日にでもダリアと連絡を取ろうと決めた。

 

 



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