ましろ、僕はね── (黒マメファナ)
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①シュガー/ビター
麗らかで眠たくなるようなピンク色のある日、僕の大切なヒトは高校生になった。外部受験で名門である月ノ森という女子校への進学、それは彼女にとってみれば大変な冒険で。でも彼女は僕の目の前で制服を見せびらかすように立っていて、それがなんでか少しだけ誇らしかった。
「じゃーん! どうどう?」
「……かわいい」
「かわ──っ! も、もう! カイくんはそーゆーこと平気でゆっちゃうんだから」
「制服がね」
「あ、う……ばか! ばかばか、ばーか!」
顔を真っ赤にして照れたと思ったら、顔を真っ赤にして怒る僕の大切なヒト、僕のことをカイくんと呼ぶヒト、倉田ましろ。呼ぶ時はましろ、とたった三文字の記号で、だけどそのヒトを現す愛おしい記号を僕はいつものように発した。
「……ん」
「おめでとう」
「うん……アリガト」
改まって言われると恥ずかしいねとはにかむ彼女だけれど、随分と進路には悩んでいた。それこそギリギリまで。僕の通う共学か、月ノ森か。安寧か挑戦かの二択に、ましろは変わりたいと挑戦を選んだ。僕はそれがとっても誇らしい。
──僕だったら、迷わず安寧を選ぶ。ましろも、前はそうだったんだけど。
「ねぇ、カイくん」
「ん?」
「制服、かわいい?」
「うん。ちょっとスカートが短いなぁとは思うけど」
うちの学校だって似たようなものだし、ましろの中学に比べたらってことなんだけど。もしそれが原因で彼女が男に性的な目を向けられることがあったら……僕は。
その僕の指摘が思った通りだったのか、そうじゃなかったのかはわからないけれど、ましろはちょっとだけ迷ってから紺色のプリーツスカートの裾をつまんだ。
「あの、さ……も、もし、パンツとか……見えちゃったら、コーフン、する?」
「何言って……」
「わたしが、捲ったら……カイくんは、どうする?」
するすると白く眩しい太股が見えていく。傷もない、純白の
「カイ、くん……」
「大丈夫、大丈夫だよ、ましろ……そんなことしなくたって、僕はましろが……ましろのことが大好きだから」
手を引き、ましろを抱き寄せる。華奢な、小さな肩を包み込んで、後頭部を撫でてあげると彼女は決まってもぞもぞと僕の肩に顔の下半分を埋めてくる。それが溜まらなく愛おしかった。ああ、僕はましろが好きだ。ましろに触れるだけでこんなに心が満たされていくのを感じる。
「ごめん、しばらく受験で会えなくて……卒業後もバタバタしてたし」
「ううん、僕こそ、不安にさせてごめん」
「ありがと……大好きだよ、カイくん」
そっと、唇を重ねる。僅かな触れ合い、だけど確かな熱を帯びた男女の触れ合い。思わず腰に回した手に力を込めてしまいそうになるけれど、ぐっと我慢をしてこれ以上の欲が出ないうちに離れていく。
「ん……えへへ」
「どうしたの?」
「カイくんからぎゅーってしてくれたの、五回目」
「五回って……数えてるの?」
「うん、大事だから」
大事だから、そんな小さなことでそんな風に笑えるましろのことが、愛おしかった。同時に、そんな彼女に五回も触れていることに対して、少しだけごめんという気持ちになった。それに追い討ちを掛けられるように、だけどましろは嬉しそうにキスをしたそのままの距離で笑顔を浮かべた。
「もう付き合って、二年くらい? だけど……この間がクリスマスでしょ? その前が息抜きにって紅葉狩りの時でしょ? 半分以上最近だよね」
「……そっか」
謝りそうになる。ましろはそれを望んでいるのだろう。だけれど、僕はそれを望んでなんかいない。僕はましろのことが大好きで、愛してるとさえ思う。だけど恋人として、男女としての関係、明け透けな言葉を使ってしまえば……そう、セックスがしたいわけじゃない。僕の手垢でましろを穢すなんて、僕の欲でましろを染めるだなんて、そんな汚いことはできない。僕はむしろ、ましろをそういう汚いものから、守りたいんだ。
「カイくん?」
「……ん?」
「ぼーっとして、疲れてる?」
「いや……まぁうん。最近バイトの先輩が厳しくて」
「そ、そっか、ごめんね付き合わせちゃって」
「ううん、いち早くましろの制服姿が見れて、嬉しい」
僕もだいぶ勉強手伝ったからねと笑うとご迷惑をおかけしましたとおどけて返される。そんな暖かな雰囲気ではあったけれどバイトの時間になるからとましろを送っていってそのままバイト先であるコンビニに向かった。
「あ~、
「青葉さん、お疲れさま」
「え~、むひょーじょーだ~、ホントに思ってる~?」
思ってるよと同年代の彼女に返す。確かに僕は普段から表情筋が死んでるとは言うけれど。それはキミも同じでしょうと言い返してやると、しばらくしてからどーでもいーや~と冷たい反応をされてしまった。いや別にいいんだけど。
「ヤッホー、
「おはようございます、今井さん」
ひとまず青葉さんをスルーして事務所に向かうと、スマホを片手に缶コーヒーを煽る彼女がいた。僕を見つけるとにこやかでフランクな挨拶をされ、軽く会釈で返す。だが、今井さんはその僕の様子が気に入らなかったようで大きなため息を吐かれてしまった。
「カタいなぁ、もう一年の付き合いでしょ? リサって呼んでよ~」
「……それで今井さんは」
「無視かこの」
「休憩中ですか?」
「ん、そだよ。サボってるワケじゃないから安心してよ」
そうじゃなくて、僕が着替えるからって遠回しに言ったつもりなんだけど。というかなんで更衣室が区切られてないのか不思議でしょうがない。まぁ制服も上に羽織るだけだし、ほとんど上や下を着替えるヒトがいないんだからそれほど気にしなくてもいいんだけど。
──でも、僕はこのヒトに、今井リサさんに着替えを見せるのが、気に食わなかった。
「で?」
「……なんですか」
「カノジョさんと、シた?」
「まさかでしょう」
「ふ~ん、まだ続けてんだ」
まるでつまらない意地を張ってるとでも言いたげな声音で呟いてから、ゆっくりと立ち上がる音がした。まずいと思って振り返ったけれどもう既に今井さんは僕のすぐ近くで小悪魔のような微笑みを浮かべていた。んで? とまたもやそれだけでは意味のわからない問いかけ、でも僕にはすぐに意味が理解できた。
「ドキドキした?」
「それはもう、新鮮でした」
「セックスしたくなった?」
「いえ」
「じゃあ、コレは……なにかな?」
「……あなたが触るから」
「あはは、キミのそゆとこ……案外嫌いじゃないよ?」
瞳が妖艶に歪む。肩を掴む手が熱い。そのまま、吸い込まれるように僕は今井さんの唇に吸い付いた。倫理観も、価値観も、なにもかもが溶けるようなディープキス。舌を絡め合い、壁と彼女にサンドイッチされるようにして強制的に性欲のスイッチを入れられる。
「……まさか、ココでするとか、言いませんよね?」
「流石にそれは怖いからね~」
「なら、これ以上は……っんぐ」
「っはぁ、でもアタシは約束するまで海斗を解放するワケにはいかないんだよね」
「……またですか」
「え、嫌だった?」
そこで意外そうな顔をされると不満なんだけど。それは言わずにその不満が、図星だということを肯定する。嫌じゃない。このヒトの熱いのにどこかひんやりとした唇も、別の生き物ように僕を捉えてくる舌も。長くてキレイな指も、魅惑的な肢体も、好きか嫌いかと問われて、嫌いと断言できる一般的な男子高校生は一体どのくらいいるのだろう。それくらいに、今井さんの持つ熱は僕には熱すぎた。なのに、芯は冷ややかで。
「じゃあバイト終わりに」
「わかりました」
「……ん~、でも後一回、しよ」
水音を響かせて、今井さんはその五分後にはなんともないかのように青葉さんと交代していくその後ろ姿に、僕は言い様のない感情を抱いていた。抱きしめたい。だけどましろに抱くものとは真反対の感情。このヒトの上げる声が聴きたい。襲って、奪って、トロトロに蕩けさせたい。まぁもっとも、そんなことはできないんだけれど。僕のテクはあのヒトに仕込まれたものだ。舌も手も指も、腰遣いも。全てが、今井さんでできている。
ましろ、僕はね──キミじゃないヒトとセックスをしている。裸になって、キミじゃない記号を呼んで、キミじゃないヒトの裸に、欲情する。そんな浮気を始めてもうそろそろ、一年が経つそうです。
評価、感想、お気に入りをくれ。オラに元気をわけてくれ!
二話は明日の同じ時間に投稿されまーす!
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②安寧/冒険
初手伸びもここ最近ではめちゃくちゃいい方だし……ありがてぇ!
ましろに言えない秘密ができる最初のきっかけは一年前のこと。僕が高校一年生になる時のことだった。父が四月付けで地方へ転勤となったことで、僕は二つの道を突き付けられた。一つは両親と一緒に引っ越すという道、もう一つは独り暮らしをしてでもここに留まるという道。安寧を得ることが大事な僕は両親の庇護で生活するよりも、より安心できる道、住み馴れた街から離れず、なによりましろと離れなくてもいい、独り暮らしを選んだ。
家を売り払って社宅に住むにあたり、僕はそのお金でワンルームでないマンションを選んでもらった。将来ましろと住むなら、今のうちにということらしい。
「ましろと暮らす……か」
だが、僕には全くそのビジョンが浮かばなかった。ましろのことは好きだ。小学生の時に出逢って以来、僕の世界の中心に彼女はいた。幼い頃からずっと僕は彼女を守って、彼女と一生を共にするのだと信じて疑わなかった。けれど、やはり両親が望むのは、ましろとの結婚、家庭を持つということ。すなわち、彼女の処女をこの手で奪い、彼女に血を流させるということでもあり、僕はそれが嫌だった。血も痛みも、あの子は人一倍苦手だから。
──そんな嫌悪感と、嫌悪感のはずが時折触れたくて仕方なくなるという二つの気持ちが僕を揺るがしているのが日常だった。だけど、
『はいはーい』
「すみません、今日隣に越してきた大崎です」
『ちょ~っと待ってて! すぐ出るから!』
呼び鈴から聞こえたのは随分と若く、軽い感じの女性の声だった。やがて速足に駆けてくる音がして玄関が開け放たれて出てきた彼女は、声の印象通り若く、僕と年が変わらないように見えた。
「ごめんね、お待たせしました!」
「大崎海斗です、つまらないものですが」
「わぁ、わざわざアリガト! アタシはいま……えーっと、
「はぁ」
随分とフランクなヒトだなぁと思った。それでいて無防備だ。身長差があるせいでキャミソールの胸元の谷間が目に入るし、降ろされた茶色のウェーブがかった髪はお風呂上りだったのかしっとりとしていて、シャンプーなのかコンディショナーなのか、甘くていい香りが漂ってくる。そんな彼女に目を逸らしながらファーストコンタクトは滞りなく、踏み込むことなく、何も知ることもなく。そのまま一ヶ月半が経過した。
「じゃあやっぱり会えないんだ」
『うう、もう塾で勉強ばっかりだよぉ……会いたい』
高校からマンションへの道を歩きながら、ましろの愚痴を聞いていた。彼女は受験の真っただ中で、しかも上を目指そうとしている以上妥協をさせてあげることはできなかった。電話やメッセージのやり取りだけではあったけれど、僕がましろにとって安らげる相手というのは、嬉しかった。
「しょうがないよ。ウチも月ノ森も今のままだと厳しいんでしょう?」
『カイく~ん』
「そんな声出さないで、僕だって寂しいんだから」
『……うん。電話出てくれて、ありがと』
「どうしてもダメだったら、迎えに行くよ」
『えへへ、大好き……』
「うん、それじゃあ頑張って」
名残惜しそうに電話が切れ、僕はふうと息を吐いた。その真後ろでかーいとっ、と明るく跳ねるような声がして僕はなるべく平静を保ちながら振り返り、リサさんにどうもと会釈をしてから少しだけ愚痴を言わせてもらった。
「びっくりするので、後ろから声を掛けないでください」
「え、びっくりしてる? 眉一ミリも動いてなかったケド?」
「……学校帰りですか?」
「まぁね、海斗もでしょ?」
そう、リサさん。最初は遠慮して久國さんと呼んでいたけれど、そう呼ぶと非常に困ったような顔をしてリサって呼んでよと言われてしまって、それを三回繰り返し、四回目からは名前で呼ぶことにしている。彼女はちょっと離れた羽丘、という高校に通う高校二年生で、本当に殆ど年が変わらないことに驚いた。年の近いお隣さんということもあり、多少の雑談をする仲になったものの、やはり彼女のことは苦手だった。
「──今のさ」
「……はぁ」
「カノジョさん?」
「ええ、まぁ」
「ふぅん?」
時折、彼女が読めなくなる。貼り付けた明るい営業スマイルじゃなくて、興味の色を含んだ瞳をぶつけられることが、たまらなく苦手だった。近いところから見上げられ、僕は何を訊ねられているのだろうと考えたところでリサさんが口を開いた。
「海斗ってさ、童貞だよね?」
「……は?」
「いや、そんな感じしたからさ」
意味がわからない、理解できない。急になんでそんなことを訊ねてくるんだろうと困惑していると、続けてリサさんは可哀想にと、何かを察したかのように慈愛の微笑みを貼り付けてくる。
「いやさ、だってカノジョさんがヤらせてくれないってことでしょ?」
「……は?」
「可哀想に」
「何言って……」
「──アタシとする?」
肩が僅かにあがる。変わらない興味の色を帯びた瞳に、だけどその奥にある何か別の、僕の良く知るナニカが潜んでいて一歩近づかれても、胸が当たっていても、それよりも彼女の瞳の色に目が離せなくなってしまった。
「……なーんて、冗談冗談♪」
「は?」
「ドーテーくんには刺激が強すぎたカナ? でも、海斗のこと、アタシ嫌いじゃないからさっ! 相手してほしかったらゆってね~」
一瞬で元のリサさんに戻り、ヒラヒラと手を振ってとっとと部屋に戻っていってしまうのを見送りながら僕はからかわれたのかと上がった肩を元に戻した。タチの悪い冗談だ、でも、そう思い切れないほどあの瞳から放たれた熱は僕の心までじんわりと熱を持たせるようなほど真に迫っていた。
「……なんだ、これ」
頭の中が、あのヒトで埋め尽くされていく。ましろに会って抱きしめて、キスをしても、あの瞳が忘れられない。頭の中から消えてくれない。
──結局ましろに会いに行った僕は、その帰り道に目の前で目撃してしまった。リサさんの部屋から男が出てくるのを。その男が玄関先で彼女を抱き寄せ唇を重ねていくのを。
「それじゃあ、行ってくるな」
「……次はいつ帰ってくる?」
「すぐ帰ってくるよ。オレの家はここしかねぇからさ」
「……ん」
背中には黒い何かを背負っている。楽器だろうか。カレシがいることについては、特に驚くこともなかった。でも彼女の表情が僕にはよっぽど衝撃だった。どこか冷めたような温度を持っていたリサさんが、ああまで熱を込めるのを、僕は知らなかった。いや僕は彼女のことを何も知らない。知っている気になっただけで、理解できているはずがなかった。
「最近越して来たの? オレはココに住んでる久國
「……どうも」
「あー海斗、おかえり。コッチの子は隣の部屋に越してきた大崎海斗くん」
「なるほど、リサがいつもお世話になってます」
にこっと微笑む。バンドマンなんだろうか、見たところ清潔感もあっておおよそのバンドマンのイメージとは対極というか、非の打ち所がないとは彼のことを言うのだろうと思えた。それほど、彼に嫌だと感じる隙が存在しない。驚くほど爽やかに、それじゃあと去っていく男の後ろ姿を眺めながら、僕は横目で寂しそうな顔をするリサさんに問いかけた。
「結婚していたんですね」
「あはは、結婚じゃないよ。この家に住まわせてもらってるだけ。本名は今井リサっていうんだ」
「……あんなヒトがいるのに、あんなこと言ったんですか」
「あんなコト? あー、アタシで童貞捨てる的なやつ?」
あっけらかんと口にするリサさんに僕は微弱な頭痛さえ感じた。このヒトは未知だ。僕にとってとんでもない未知の存在。安寧なんてものからは外れた、僕にとっての対極の存在だ。だから、僕はどうしてと訊ねることが多くなる。
「んー質問に質問で返しちゃうケドさ」
「はい」
「カノジョさんのこと、好き? 愛してる?」
「……そりゃ、付き合ってるんですから」
「あはは……別に、付き合ってるからって万人が万人、そういうワケじゃないんだよ」
また、どうしてと訊ねてしまう。どうして僕にそんなことを言ってくる? どうして僕の心に突き刺さるような熱を帯びた
「……知りたい、ですね」
「うんうん、知的好奇心が強いことは悪いことじゃないからね……じゃあさ」
「はい」
「──ウチ、来る?
「それじゃあ……おじゃまします」
ましろ、僕はね──興味を持ってしまった。どうしてここまで彼女の目に引き寄せられてしまうのか、どうしてそんなに冷ややかなのに、ひび割れそうなくらいに熱いのか。なだらかで安寧しかなかったましろとの付き合いにはなかった、僕の初めての冒険だった。そして僕はね、そこでカレシのいるヒトとセックスをしたんだ。
──初めてのセックスは、キミじゃないヒトとした。こんな最悪な行為、やっぱりキミにはできそうにないよ、ましろ。
メインヒロインの影がいきなり薄い? ははは、確かにね!
というわけで感想、評価、お気に入り待ってまーす! もうちょっとリサとの馴れ初め続くかもです。
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③赤/青
目を覚ますと、時計の秒針が静かに静かに時を刻んでいて、左に目を向けると紺色のブラジャーを見つけて、少しだけ居心地悪くなり身体を起こし同じ色のショーツを見つけて起き上がったことを後悔した。先に起きたのなら片付ければいいのに。わざとやってるのかと思っていると寝室の扉が開かれてにこやかで冷ややかな笑顔をした今井さんがコーヒーを持ってきてくれた。
「おはよー青少年、健全な朝を迎えてる?」
「まさか」
「あっはははは、ごめんごめん下着片付け忘れちゃった」
「わざとでしょう?」
「いやー海斗ってば表情筋死んでるから崩れないかなーって思ってるんだケド、なかなか上手くいかないね~」
このヒトは、と思いながらもコーヒーを淹れてくれたことに感謝を述べながら一口、ホットの湯気を顔に浴びながら喉に通していく。独特の苦み、深い味わいと言えばいいのだろうか……と、僕が飲んでいる様子を観察していたらしい今井さんは腰掛けていたベッドで膝を抱え込むようにしながらいいでしょ? と笑った。
「まぁアタシの好みの味だけど」
「……苦いですね」
「そう? ってか苦いならにがーって顔してよ」
「どんな顔ですか」
一年の途中までは、こういった雑談にセックスが追加されたくらいだった。だけど僕の事情を知った今井さんはバイトを紹介してくれて、最近ではバイトの先輩後輩にもなってしまった。仕事は丁寧だし、そこを非難するつもりはないんだけど。そこで僕はどうしようもなく今井リサという人間性に惹かれてしまった。
──このヒトには、二面性がある。そしてなにより僕の前ではその二面が曖昧になる瞬間が、僕を捕らえて離さなかった。
「今井さん」
「リサって呼んでってば」
「嫌です」
「なんで」
不満そうにむっとされるけれど、僕には今井さんに今井さんと呼ぶ理由がないと告げた。実際、理由はない。言われた通り呼ぶ理由も、逆に忌避する理由も。だけど僕は今井さんと呼ぶことを選んだ。特に話すような理由もないけど、そうであるべきだと感じたからだ。
「ふーん、それでさ」
「なんですか?」
「今日は学校、休みでしょ? バンドも休みだからさ、どっか出掛けない?」
「……別に、構いませんよ」
「んじゃ荷物持ちヨロシク!」
──初めて浮気をしたあの日も、今井さんはこうして僕を外に連れ出した。荷物持ちと称して本当に荷物持ちをやらされて、フランチャイズチェーンの喫茶店でんで? と明け透けに問いかけられた。
「脱童貞の感想は?」
「……最悪ですね」
「そ、アタシはね……」
そこで、彼女はニヤリと笑った。まるであの見下ろした紅潮する肌を思い出させるように、あの最悪な瞬間をなぞるように敢えてたっぷりと溜めを作ってから、わざわざ囁くような声で呟いてきた。
「よかったよ」
「……はぁ」
「あはは、腰遣いは荒かったケドね~」
からかうような声音、だけど瞳だけがしっとりと熱を帯びて、僕を捕まえてくる。直感的に思った。ああ僕は、これからもこのヒトとセックスをするんだろうなと。荒かった腰遣いが彼女に合うようになるまで、いやなっても終わることはないだろうと。そしてそれは現実として、季節が春になってもこうして僕と今井さんはセックスをしていた。
「ね」
「なんですか」
「下着、どれがいい?」
「ネットならまだ受け付けていますけど、店頭で選ぶのは恥ずかしすぎてここのフロアをのたうち回る自信がありますね」
「なにそれ、見たいから選んで」
「じゃあ、赤色で」
「いやいや、赤色~とかじゃなくて、レースとか柄とかそゆのも選んでよ」
冗談じゃないと僕は首を横に振った。あくまで僕は荷物持ちであり、デートまがいではあっても決してカップルのように下着を選ぶなんてことはしないし、したくない。
──もし、あの時ましろの下着が見えていたら、いや彼女はどんな下着なのだろうか。まさか隣にいるこのヒトのような誰かに見せてしまえる装飾では、ないだろう。きっと、そうあってほしい。
「どした?」
「今井さんは、ああいう際どい方が似合いますね」
「褒めてるそれ? それとも海斗の好み?」
「まさか、どっちでもないですよ」
「あー今あったま来たからコレ買おうっと」
そう言って選んだのはブラジャーにマネキンの太股辺りまで少し透けるような同じ色の裾がついたベビードールというものを指さして僕を見てきた。裾からチラリと覗く臍や、ショーツ、そして透ける肌という視覚的インパクト。僕は周囲から向けられる奇異の視線に居心地の悪さを感じながら、少し間を開けて肯定した。
「いいんじゃないですか、僕はそういうフェチズムとか、好きですよ」
「能面みたいな無表情で言われてもなぁ」
「じゃあその能面みたいな顔で……興奮する、って言ったら?」
「おねーさんがガラにもなく求めちゃうかも?」
「……いいんじゃないですか。偶にはそういうの」
「じゃ買おーっと」
そこでまた荷物が増えることに気づいて、僕は少しだけため息を吐いた。周囲からはまだ奇異の目で見られている。嫌だなと思いながらも揺れる今井さんのポニーテールに目線を送っていると、袋を渡してきながら目を細めて笑う彼女に腕を組まれた。
「……なんですか?」
「いや? やっぱ海斗ってばさ、パッと見長身クール系のイケメンじゃん? 結構身体も鍛えてるっぽいし、細マッチョみがあるってかさ」
「褒めても何もでませんよ」
「あはは、海斗に何かもらうほど、おねーさんは落ちぶれてないんだな~☆」
これは事実だった。きっとあの久國さんというカレシからお金をもらっているのだろう、彼女の羽振りは異常ともいうべきだった。今日だって、お店一つで僕の今月のバイト代くらい使ってるのに、それを三軒、あとバッグに下着だ。部屋には機材やら楽器やらが置いてあるし。一年前は少し気になって思わず訊ねてしまったことがある。だけど彼女はあっけらかんと笑って。
「いーのいーの、翔はそんなので怒ったりしないから」
そう、言い放った。事実として一年で二度ほど、あの日を除いて二度久國さんが帰ってきているのを見かけたが、どこかへ行く時は常に彼女に向かって微笑みを浮かべて去っていく。彼にマイナスの感情はあるのだろうかというほどの完璧な笑顔で。その後ろ姿に今井さんは決まって寂しそうな顔をするのだが、その理由を問いかけるほど、僕は彼女を知らないし、知りたいわけではない。
「それで、なんで急に褒めたんですか?」
「褒めてないって、周囲の女の子がアタシたちのこと美男美女カップル、だってさ」
「……そうですか」
「ちょっとは喜んだらどーなの? イケメンって女の子にもてはやされてるのにさ」
僕にはましろがいますから。ましろが好きでいてくれれば、別にイケメンともてはやされなくたっていい、されてもどうだっていい。ましろがカッコいいと言ってくれないのなら、後は誰にカッコいいと言われても意味がない。僕にとってましろは僕が
「それなのに、アタシとシちゃうんだ?」
「……そうですね」
「なんで?」
「なんででしょうね」
今井さんとしていること、セックスは少なくとも、ましろには絶対にしたいと思うことではない。けれど愛し合う男女がするのが普通のセックスだとするなら、愛し合うってなんだろうか、僕と今井さんはどうして愛し合っていないのだろうか? 僕にはその答えが、まるで見つかる気がしない。ましろ、僕はね──だからこそ、また今井さんと身体を重ねるよ。もしキミに触れあった先にセックスというものがあるのだとしたら、それを発散するために、今井さんに触れる。ああだけど、乱れる今井さんは、何故だかとても……キレイに見えてしまう時がある。
──僕は、その理由を見つけられてはいない。
「海斗は」
「はい」
「今日の献立リクエストある?」
「……赤いもの」
「いや色じゃなくて」
「じゃあ、リゾットで」
「ん、じゃあトマトかな?」
なにより彼女の赤を見た時に、僕はふと、あの日のスカートの先にある色が、青色だったらよかったなと思ってしまった理由がわからなかった。キミの下着が何色であろうが、僕はましろを好きなことに、変わりないはずなのに。
目指せ毎日投稿で完結!
次回はちゃんとましろ回書きます。ヒロインちゃんと書きますから! どうか感想・評価・お気に入りしてくれよな!
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④舞う/落ちる
ようやっとましろ回だ! メインヒロインなのにごめんねましろ。
すっかり暖かくなったある日、僕はましろと公園に出かけていた。なんでも花見をしたいのだとかで、せっかくだからデートをしようと誘ってくれた。そこで、もう受験生じゃないんだから、会うのを我慢する必要がないことに気づいた。
「そうだよ。だから去年の分もいーっぱい、一緒にいてね!」
「うん」
「あ、うんって言った! 構ってくれないと怒るからね」
もちろんだよ、ましろ。僕は愛しいひとの右手から与えられる体温を感じながらそう、呟いた。暖かくなったけれど、この手は夏だろうが冬だろうが離したくない。僕が繋ぐべきただ一つの手。だけど僕は、頭の隅っこで今井さんの温度を考えていた。あのヒトの手はひんやりとしている記憶がある。だけどシーツを握りしめる手に近づけた時に手の甲に食い込むほどに爪を立てられた時は、途轍もなく熱かった。
「カイくん?」
「……ん?」
「やっぱり、バイト疲れてる?」
「いいや、ついつい寝すぎちゃってることが多くて、そのせいかも」
「あるある。ついね」
「それで遅刻しちゃってない?」
「それはない! 大丈夫!」
それをきっかけに、ましろから近況を訊ねられる。学校はどう? という問いかけだったため、嘘を吐かなくてよかったと安堵しながら答えていく。僕にあるましろには明かせない秘密はただ一つ、今井さんとの関係だけ。学校のことなんて、答えられないようなことは何一つとして存在しない。
「告白はされる?」
「中学の時ほどじゃないよ」
「そ、そっか」
「僕、グループとかそういうのに所属してないから」
前は、それこそ中学の時はましろがいたこともあって彼女と同じ委員会を選んでみたり、なるべく会えるようにしてみたり、色んなことをしたけれど。その時ほどの社交性は持ち合わせていない。ましろがいないんだから、意味がない。そうすると、不思議なことに昔ほど呼び出しされることは減った。それは、いいことだと思う。
「よかった。カイくんカッコいいもん、他のヒトに取られちゃうんじゃないかって、時々思っちゃうんだ」
「うん大丈夫。僕にはましろがいる」
「……えへへ、なんか、恥ずかしいな」
モテるとか、顔がいいとか背が高いとか、そんなのはどうでもいい。僕が見た目を気にするのはましろのため、ましろが褒めてくれるから僕は服を選ぶし、髪をセットする。ましろが褒めてくれるからなるべく体重を変えないように努力をする。僕はましろによって形作られているし、そうあるべきだとも考えている。
「でも、ちょーっと背は伸びすぎだよねっ」
「……そう?」
「だって、背伸びしてもキス、できないもん」
「その時は、言ってくれたら僕から迎えに行くよ」
「それは、それで嬉しいんだけどさ? こう、わたしからサっとしてみたいんだもん」
僕とましろだと三十センチほど身長差があったはずだ。確かにそうなると僕が直立してしまっていたらましろが一生懸命に踵を上げても唇は重ならない。必然的に僕からが多くなることが、彼女としては不満なのかもしれない。
「カイくんのこと、ドキドキさせたい」
「なるほどね」
「ほら、カイくんってクールだし」
「クール」
表情筋が死んでる、とはよく言われているため自覚がある。自覚があるというよりそう思われているということは理解している。だけどましろにはそう映っていたことを初めて知った。言われたことがないから、余計にじんわりと胸に広がった。
「普段は、氷とか雪みたいに、まっしろで冷たくて……でも、その下には暖かい花がある。そんな感じ」
「まっしろ、か……一緒だね」
「あ……そだね」
ああでも、僕はましろのように無垢な白さを保っていられている気がしない。ましろに触れている指で、僕は今井さんの膣を撫でた。跳ねる腰を撫でながら彼女の愛液をこの手で受け止めた。ましろに好きだと語る舌でも。それが汚いというのなら、やはり僕はまっしろだなんて言葉は似合わない。同じ雪でも、新雪なんかじゃなくて踏み固められ、泥に汚されて溶けかけた、触れるのも躊躇うほどのものだ。でも、あのヒトに触れるのをやめられない。あのヒトの熱に溶かされることを。その手でましろに触れなくちゃいけないというのに。
「カイくん」
「……なに?」
「ほら見て?」
ぐるぐると思考の渦に呑み込まれかけた時、そう言われてましろと同じ視線に目を向けると眩い日差しに踊るように桜の花びらが舞い散っているのが目に入った。ひらひらと光を浴びて、地面の緑や黒を桜色に染めようと足掻くその花びらたち。
だけど、やっぱり地面に落ち、踏まれた花びらは黒く無残な姿になっていた。
「下じゃなくて上だよ」
「え?」
「わたしも、ううん前までのわたしだったらきっとカイくんみたいに下ばっかり見て、汚くなっちゃった桜見て、嫌だなぁって思ってたけど」
だけど、ましろは変わろうとしていた。桜を見て、下ではなく上を見るようになった。地面に落ちた花びらではなく、舞い散る花びらに対して、素直な気持ちでキレイだと思えるようにと。
「だからさ、カイくんも上見てよ」
「……そうすると、ましろが見えなくなる」
「見て欲しい時は、わたしがちゃんと言うから、ね?」
ましろの微笑みは、まさしく春の日差しのような優しさがあって、僕は思わず顔を綻ばせた。僕のそれがよっぽど驚きだったのか、ましろは目をまんまるに見開いて、それからとても幸せそうに顔を綻ばせてくた。
「やったぁ」
「なに?」
「カイくんが笑ってくれた。わたしを見て、笑ってくれた」
「それだけで?」
「
ましろの笑顔の輝きは、僕の心にも春を招いてくれた。ドロドロに汚れた雪を全部溶かして、白と灰色だった僕という大地を、緑燃ゆる草原へと。冬から春へと季節を変えてくれる。僕は、その笑顔が何よりも大切だった。僕が何に代えても守りたいと願う、彼女の眩い輝きだった。
「ましろ」
「なに?」
「ありがとう、ましろが僕の恋人で本当によかった」
「へっ? あ、ああうん……あはは、照れちゃうよ……もう」
「さっきのましろのセリフの方が恥ずかしかった。顔が熱いよ」
「……全然、変わってないよ?」
気分的には顔真っ赤でのたうち回ってるから、と僕はましろから目を逸らしながら前へ前へと歩き進めていく。どうやら屋台もあるらしく、ましろのためにとサイフの紐を緩めていく。自分で出すよとは言われるけれど、ましろは両親からバイトも止められているでしょう? お小遣いだけだとすぐになくなっちゃうよ。
「うっ、それは……その」
「遠慮しないで、僕がしてあげたいって思ったことなんだから」
「じゃあ、お言葉に甘えちゃうけど……わたしも、カイくんに奢ってあげたいって思ってる」
「そっか、期待せずに待ってるよ」
「もうっ、信じてない!」
信じてるよ。ましろ、僕はね──キミに何かをあげるのも、もらうのも好きだよ。だって、全てがましろの笑顔でできたものだから。あげた時の笑顔も、もらった時に見せてくれる笑顔も。僕の大好きな笑顔だ。
「新生活」
「うん」
「何かあったら僕に教えて、僕が……絶対に守るから」
「……ありがとう、カイくん。カイくんも、だよ?」
「うん?」
「独り暮らし……前はわたし受験で全然、気付けてあげられなかったけど、何か変わったことがあったら全部、教えて?」
「……わかったよ」
──だけど、僕は一つだけ、キミにあげたくないものを渡している。それは、嘘だ。全部だなんてとても教えられない。だって、
ましろへの感情、リサへの感情、その違いは一体何なのか。というところで
☆10をもらいました。累計二人目です、わーい、うれしーなー。
感想も毎話もらえるし、おかげで今のところ年内の毎日更新が決まりました。明日も投稿されるよ。
モチベを保つ上でとても助かっております。それでは! また明日お会いしましょう!
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⑤ボーカル/ベース
みんな巣ごもり需要と年末暇だーって方はぼくとオトモダチになれそうです。
僕は、引っ越してから一年で、バンドにすっかりいい印象を抱かなくなってしまった。だけれど、巷の流行りはガールズバンドらしく、中学からの知り合いの後輩、まぁ他人だけど、僕のことを先輩と呼ぶ男がわざわざ話しかけてきて、そんなことを教えてくれた。最初の方は対して聞いてなかったけど、先輩はこういうビジュアル寄りの方が好きそうですよねと画像を見せてきた。
「ろぜ……りあでいいの?」
「ハイ! Roseliaです」
「……まじか」
なんでも
──ベース、今井リサ。間違えようがない、あのヒトだ。アマチュアだよ、とは言っていたけど、アマチュアはアマチュアでもプロ顔負けじゃないか。
「ん、そだよ。アタシがRoseliaの今井リサ」
「……初耳なんですけど」
「言う必要ある?」
「ないですね」
「ないんじゃん」
それを知って、余計にバンドにいい印象を抱かなくなってしまった。別に、今井さんのことを嫌ってるわけではないけど。でも、どうしてもあの久國さんの後ろ姿が目に焼き付いているから。
「嫌いじゃないんだ?」
「なんですか?」
「いや、アタシのこと嫌いじゃないんだなぁと思って」
「恋愛感情のハナシじゃないですよ」
「それはアタシもないから」
恋愛感情はないけれど、ヒトとして嫌いではない。そもそも本当に人間的に嫌悪感があったら、セックスしようとすら思わなかった気がする。苦手ではあるけれど。
そんな服を着なおしながら、時間、大丈夫? と問いかけられパっと壁掛け時計に目線を向ける。もう午後六時を回っていて、少しだけ急いで服を拾い集めていく。
「そのまま行くの?」
「まさか、着替えていきますよ」
「そだよね、あ、コインランドリー行くんだけど、ついでに海斗の分も洗濯しといてあげよっか?」
「別に、そこまでしてもらわなくても」
「なんで?」
なんでって、僕と今井さんは他人でしょう? 恋愛感情があるわけでもない、少し身体の関係がある
「いいから、アタシに任せて」
「……突然久國さんが帰ってきても知りませんよ」
「そん時はうまくごまかしとく」
「信用してませんけど、ありがたいのは事実なので」
必死な声だった。熱の籠った、それこそセックスをしている時以上で。火傷をしてしまいそうな瞳の色に僕は問答よりも早くましろに会うことを優先した。よろしくお願いしますと渡すと、今井さんは後ろ向いてと言ってくる。
「なんでですか?」
「髪、跳ねてる」
「……すいません」
「カノジョに会うんだから、身だしなみくらいはちゃんとしないとさ!」
「ですね」
ましろの横に立って、向かいに座るのなら、できる限りカッコいい自分でいたい。髪を整えて、僕は改めて自分の隣の部屋を後にした。一瞬だけ振り返ってみるけど、行ってらっしゃいとも、それ以上なんの声も掛けられることもなかった。本来なら、そうあるべきだろう。僕と今井さんは、他人であるべき存在なのだから。
「──今井さん」
「ん、どしたー?」
「洗濯物は
けれど、僕は彼女の感傷めいたものに土足で踏み入る。
──今井さんは、放っておくとある日突然に死んでしまいそうで。それは、とんでもなく不快だ。舌の上がザラつくような、雑味すら感じる。それが、なんと呼ぶ感情なのかはわからないけれど、それを見過ごすくらいなら僕は彼女の手を取って、その脈拍に安堵していたい。
「海斗ってさ」
「なんですか」
「……ううん。ホラ、遅刻するよ。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
あのヒトの笑顔がどれだけ偽りだったとしても、無理に貼り付けたものだったとしても。それすら保つことなく死んでいくリサさんを見たくはない。この気持ちもきっと、ましろにも話すことができない秘密だ。
「お待たせましろ」
「もう、遅い!」
「……ごめん」
「なーんてね! わたしもちょっと支度に手間取っちゃって、さっき来たところ」
小走りで向かうと既にましろは待ち合わせの場所にいて、なんだかいつもと雰囲気を変えていた。今日は彼女と食事の約束をしていた。食事の約束、といってもかしこまったものじゃない。高校生同士らしい、デートを兼ねて近くの飲食店でのディナーをすることになっていた。
「でも、ホントにビュッフェなんていいの?」
「高いところじゃなくてチェーン店だし」
「わたし、あんまり食べれないよ?」
「お腹いっぱい好きなもの食べてくれたらそれでいいよ」
「……甘やかしすぎだよ」
そんなこと言われても、今日はそういう予定立てちゃったし。それに元を取るなんてよほどの大食漢でもないと無理だから。それに大概食べに行くと、ましろって苦手なもの入ってるし。ビュッフェの方が嬉しそうなましろが見られればそれでいいんだよ。
「そういえばね、言ってなかったけど」
「うん」
「わたし、やっと月ノ森で見つけたんだ! わたしにしかない、トクベツを!」
食事の席での楽しそうなましろの報告に僕は
「これ見て!」
「……これ、バンド?」
「そ、バンド! わたしはボーカルなんだ」
前から、落ち込んだことがあるとカラオケに行ってたしお世辞抜きに声が透き通ってて歌が上手だったから納得はした。だけど、どうしてよりにもよって……バンドなんだ。嫌でも重ねてしまう。赤いベースを部屋に飾るあのヒトを、背中にベースを背負うあの男を。
「確かに、流行りらしいけど……合唱部じゃ、ダメだったの?」
「え? うん、一回様子を見たんだけどね、やっぱりわたしじゃ勇気が出なくて……そんな時に声を掛けてくれたのがつくしちゃんなんだ。あえっと、こっちの黒髪のヒト」
「……そっか」
動揺してしまう。運命のいたずら、とでもいうのだろうか。つい最近バンドに対する印象がよくない、と考えていたのに。と、そこでましろは僕の揺らぎに気づいたようで心配そうに首を傾げていた。
「どうしたのカイくん?」
「……いや」
「カイくん、独り暮らしにしてからますます表情がわかんなくなった」
「ごめん」
そうじゃなくて、と言われるけれど僕には謝ることしかできなかった。ましろは悪くない。むしろまた一歩自分のために頑張っているんだ、誇らしく思うことはあっても嫌な顔なんてしてはいけない。いけないことはわかってるんだけど。
「ごめん、バンドに……いい印象がなくて」
「なにかあった?」
「隣の部屋のヒトが、バンドマンで」
「そうだったんだ……も、もしかして騒音とか?」
久國さんは家じゃ弾かないみたいだし、今井さんもほんの時々しか部屋で触ってるのを見たことも聴いたこともない。たぶんヘッドホンか何かで対策をしているとは思う。だからうるさいってわけじゃないのに、なんで僕はこんなに毛嫌いしているのだろうか。
「……カイくんは」
「うん」
「バンド、やめてほしい?」
「そんなこと……」
そんなことない、とすぐさま否定できなかった。もしかしたらバンドを始めてしまったら、ましろが久國さんのように僕の傍からいなくなってしまう、と考えたのかもしれない。いや実際、ましろはどんどん前に進んでいる。安寧から一歩外へ、冒険と挑戦の旅へと。
ましろ、僕はね──もしかしたら、キミという船にとっての風には、なれないのかもしれない。それを感じてしまったのか、ましろはそこから先、バンドの話は一切しなくなって、必然的に学校の話を一切しなくなった。彼女にとってバンドは既に、学校生活の大半を占めていたから。
やったー、評価だー! ☆10ひとつ、☆9ひとつ、ありがとうございます! これにて評価バーが透明じゃなくなるまであと一名となりました!
あとあっという間に50お気に入りありがとうございました! これからも感想、評価、お気に入りは無限にお待ちしております!
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⑥恋人/仲間
今回はマンネリ化防止のましろ視点だ!
カイくんは、優しい。普段はクールで表情が全然動かないけれど、いつだってわたしのことを考えてくれている。余裕があって、紳士で、カッコいいのにわたしなんかをずっと好きでいてくれるトクベツなヒト。でも、バンドを始めたってのを聴いた時のカイくんのリアクションは、今まで見たことがないものだった。お隣さんと何かあったのかわからないけれど、カイくんはバンドがあんまり好きじゃないみたいだった。
「はぁ」
「どうしたのましろちゃん?」
「あ、つくしちゃん……わたし、バンド辞めなきゃいけないかも」
「えっ! と、突然どうしたの?」
──月ノ森の空き教室にて、つくしちゃんとわたしがいて他のメンバー待ちをしている最中も、もしかしたらバンドを、Morfonicaを辞めた方がいいのかなと考えてみる。でも、嫌だよ。それでカイくんに嫌われちゃうのも嫌だけど、せっかく見つけたわたしにとっての真昼の月を失うのは……怖い。
「た、たたた、たっ大変だよ! 透子ちゃん!」
「どしたふーすけ? 今のリズム、練習してたやつ?」
「そうじゃなくて!」
「騒がしいわね」
「どーしたの~?」
結局、カイくんには悪いけどやっぱりバンドはやめられない、と考え事に結論をつけて周囲を見渡すと、いつの間にかみんな揃っていて神妙な顔で何かを話し合っていた。どうしたの? 何かあった?
「何かあったじゃねーよシロ! 今度は何があったんだよ!」
「へ?」
「辞めちゃうなんて言わないで!」
「そーだよ、せっかくこんなに楽しいのに」
辞める? あ、なんかさっきつくしちゃんにそんなことを訊かれたかもしれない。なんとか訂正をしようとするけれど、わたしはカイくんにもよく言われるようにあんまり嘘をつくのが得意じゃないから。色々バラしてしまった。カイくんのこととか、色々。
「え、マジ? シロ、カレシいんの?」
「うん、大崎海斗くん、小学校の頃から一緒なんだ」
「え、ええ!」
「カレシ、わ、私いないんだけど……いるのがフツー?」
「女子ばかりのこの環境ならば、いない方が
「つか写真ある? 見せて!」
うわぁ、すごい食いつき。女子校とかって恋バナが好きって本当なんだなぁ。わたしは、あんまり恋の話とか得意じゃない。そもそもわたしにとって恋はカイくんそのもの、みたいなところがあるから。ずっと昔から一緒にいて、一緒に大人になって、いつか結婚するのかなって漠然と考えてるくらいに他のヒトということを考えてなんていないから。ただモニカのみんなは友達、そうわたしは少なくとも友達だと思ってるからスマホを操作して別段加工とかもしてないけど、わたしが中学を卒業した時の写真が出てきた。
「え、カッコよ!」
「背高いねー」
「百八十……んっといくつだったっけ。確か九十に近かったと思う」
「でっか! ましろちゃんのカレシでっかくない?」
「……確かに、写真で見ても倉田さんとの身長差がすごいわね」
あれれ、なんかこういうのに興味なさそうなるいさんにまで食いつかれてる。やっぱりるいさんみたいなヒトも、恋愛事には興味があるんだろうか。気になったけれどただ単純に感想を言っただけなのかもと考えて言葉を口にすることはできなかった。
「でもさ、なんか顔が……無?」
「ちょ、透子ちゃん!」
「いやいやふーすけ、コレどう見たって無でしょ、ルイ並み! 証明写真じゃん!」
大丈夫、透子ちゃんなら絶対言うと思ったから。サラっとるいさんまで巻き込んだけど当の本人はただ単純に感情表現に表情筋を使う必要性を感じていないだけでしょうと言い放っていた。わたしも、最初にるいさんと話した時にカイくんとどっちが表情動かないかなぁって考えたくらいだもん。
「笑ってる写真とかねーの?」
「ん、ないよ。カイくんは基本この顔だから」
「やば」
「……じゃなくてさ、このカレシがバンドを辞めさせようとしてる、みたいな話じゃなかったっけ?」
「そうだよ! 目的忘れてた!」
まだ誤解されてる、どうしよ。なんとか色々説明をして……ごめんねカイくん。なんかいつの間にか独り暮らししてることとかお隣さんがバンドやってることとかも話しちゃったけど、それでバンドやってるのは嫌なのかなって悩んで、やっぱりわたしはモニカが大事だから辞めないってことをカイくんに伝えようとしてるってところまでで漸くわかってくれた。
「あーでもさ、なんで隣のバンドマン? の影響でモニカのバンド活動まで嫌な顔されなきゃいけないんだよ、そこはシロが文句言うところじゃね?」
「で、でも」
「けれど、私たちとその隣人のバンドが違う、という証明はできないわよ。そもそも倉田さんの話では隣人と何があったのかは言わなかったわけでしょう?」
「……うん」
「なにか事情があるかもーってるいるいは言いたいんだね」
「そもそも事情や理由のない嫌悪なんて、そうそう向けられることないわよ?」
それが虫や生理的に受け付けないものならまだしも、と付け加える。隣人の影響で苦手になったということは少なくとも隣人に関するなにかしらの理由や事情がある。だからわたしが悩むべきは辞めるか否かではなく、どうやってその隣人が起こしたトラブルとわたしの活動を違うと認めてくれるかだとるいさんは教えてくれた。
「あ、ありがとうるいさん」
「お礼を言われることでもないわよ。桐ヶ谷さんの憤りも、理解はできるから」
「だよね……」
わたしも、できればカイくんにバンドの話をしたい。それで笑ってほしい。わたしにとってモニカは、ずっと探していた
「んじゃーカンタンじゃね?」
「何が?」
「アレだよ、百聞は一見に如かずって言うじゃん? アタシらのチョークールな演奏聴かせれば、違いなんて一発っしょ!」
「技術でどうにかなるものなら、ね」
「うっ、じゃ、じゃあなんか案あんのルイは?」
「そうね……おそらく問題は技術ではなく素行、でしょうね。隣人トラブルというと相手の性格があまりに破滅的だとか、周囲を顧みないだとか、そういったものが楽器やバンドに紐づけられそうね」
「素行……つまり?」
「シロちゃんが悪い友達に付き合わされて不良になってるんじゃないかって心配してるかもってとこかな?」
すごい、るいさん探偵さんみたい。それにすぐさま理解を示してわかりやすく噛み砕いてくれる七深ちゃんもすごいけど。二人の言葉にようやく理解が追いついたところで透子ちゃんが、んならもっとラクショーじゃん! と笑った。
「え?」
「なんだよふーすけ」
「確かに、私も同じ懸念に思い当たったわ」
「あ?」
「あ、あはは……確かに透子ちゃんは見た感じ不良っぽいってのは、私にもわかるなぁ」
「うそ!」
自覚ないの? とつくしちゃんとるいさんに驚かれて、七深ちゃんは苦笑いをしている。そうなんだよね、不思議な雰囲気があるけどパッと見た感じは普通の七深ちゃん、クールでミステリアスだけど真面目で不良な雰囲気とは程遠いるいさん、同じく真面目なつくしちゃんに比べて、透子ちゃんは……イマドキというか、ギャルっぽいというか。
「なんでアタシめっちゃディスられてんの?」
「普段の行い、かしら?」
「ま、まぁまぁ……透子ちゃん、話せばいい子だーってわかるし」
「……話せばね」
「シロ?」
「なんでもない、なんでもないよ」
しかも中途半端に写真だけ見せちゃったせいで余計になんだけど、見た目印象だけで決められたらもうお手上げなんだよね。つまり話せばわかるのなら話してもらうしかない。これは完全に私事になっちゃうけど、透子ちゃんにはカイくんの説得というかカイくんが安心してくれるようにしてほしい。
「アタシが? まぁ……いいけどさ。どーなっても恨みっこなしなら」
「その時は私から話すから安心してちょうだい」
「ということは全員参加、ってことかな?」
「よ、よしっ、なら私もリーダーとして頑張るねましろちゃん!」
こうして、モニカ全員でカイくんにわたしは不良になったわけじゃないよって言いにいくことになった。問題はカイくんが意外と女のヒトが苦手ってことなんだけど。きっとそこは問題ない、はず。たぶん最初は目も合わせてくれない気がするけど。
カイくん、わたしね──モニカなら今度こそ本当にトクベツな何かを見つけられるんじゃないかなって思うんだ。香澄さんと出逢って、モニカに出逢って、自分の世界を表現することがこんなに楽しいんだって思った。わたしだけが歌う、わたしにしか歌えない歌を。
「わたしは大丈夫だからね、カイくん」
だからわたしはわたしの新しい挑戦のために、月ノ森へ進学したっていう冒険が無駄じゃなかった、よかったと思えるようにするために、カイくんに向かい合おうと思う。カイくんが大好きで大事だからこそ。わたしはもう、守ってもらうだけじゃないよってことをカイくんに伝えたいから。
評価者様が一気に増えまして四名から九名に、無事評価バーに赤色が点灯いたしました本当にありがとうございます。低評価は安心と信頼のテンプレ文章だったのでどうでもいいとして、☆10が5つ、☆9が3つとなりました。そして、もうすぐお気に入り登録者ももうすぐ百人行きそうなところで、五話でここまで伸びたことを嬉しく思います。
あと毎話感想書いていただいている方もありがとうございます。また時間のある時にお返事させていただきます。
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⑦淡い光/血色の椿
ランキング乗ったのかな? 全然見れてないんだけどやっぱり事後報告でもいいから一報くれるシステムない?
基本的に今井さんと二人で室内にいる時は、事後、つまりセックスをしたすぐ後くらいでないとまともに会話を交わさない。言葉よりも身体を交えることの方が多い。ああ、あとはお互いの服を脱いでる時だ。彼女は身に着けている服や下着、アクセサリーの類に関する感想を求めたがる傾向にあるから。
「……今井さん」
「ん、なに?」
けれどそれは部屋での話。彼女とはアルバイトも一緒だけれど、バイト中はまるでヒトが変わったかのように明るくて頼りになる先輩になる。いや、それでも時々、何があるのかは理解してないけれど彼女の中で寂しかったのか、それとも単純にムラムラしたのか迫られることはある。
「やっぱり、好きなヒトとはセックスがしたいって思うものなんでしょうか」
「んー、少なくともアタシは好きって思ったらセックスしたいって思うのも含めて好きだよ。セックスが気持ちいか、ってのが好きに繋がることはないケド」
「僕は、セックスと好きがうまく結びつかなくて」
「あはは、そもそも海斗ってアタシとしかシてないでしょ?」
そうですよと嫌々ながら肯定する。セックスをするから好きということなら僕は今井さんが好きということになる。でも事実として今井さんに恋人のような感情を持ち合わせていない。でも、僕は今井さんと身体を重ねている。なぜだろうか?
「アタシと海斗の理由は同じだよ。同じだけど、だからこそアタシが言葉にしちゃいけないと思う」
「どういうことですか?」
「気づく、と気づかされる、の違いがある。それがわからないほどじゃないでしょ?」
「まぁ、そうですね」
今井さんが答えを知っていたからと言ってなにも考えずにその理由を問うのは間違っていることくらいは理解できた。でも、ならば僕は
「そういえば、どんな子なのか見せてくれないよね」
「見せびらかすものじゃないでしょう」
「……確かにね」
ましろは僕のアクセサリーではない。宝石のように大切で、美しいのは認めるけれど、それをわざわざ見せびらかすなんてするはずがない。男だろうが女だろうが、僕を通すことでましろの価値を測ろうとするだなんてされたくもないし、その逆もまた不快だ。
「なんでそこまでして、カノジョさんを守ろうとするの?」
「なんでって、カノジョだからですよ」
「……そっか」
僕にとってましろは光のような存在だ。どこに行けばいいのかすらわからない現実の中で、彼女はいつだって自分の輝きを持っていた。自信がなくて、誰かが悪意を持って吹けばあっという間に消えてしまいそうなくらいの、小さな、淡い光だから。その悪意の風から守るための壁でありたいと思うことは自然だと思っている。
「アタシは?」
「なにがですか」
「アタシは、海斗にとってなに?」
じっと見つめられる。いつもの興味や欲とは違った、含みのある視線を向けられた僕は、少しだけ考えてからゆっくりと答えを出すことにした。少なくとも、ましろのように光ではない。今井さんは、僕にとって光とはまるで逆、未知と恐怖を連れてくる暗闇のような存在だから。
「でも、知りたかった」
「……言ってたね、知りたいって」
「僕は、今井さんのようなヒトを理解できなかったから」
でも、その理解できないと同じくらいに、僕は今井さんのことを他人だと済ませることができなくなってしまった。明るいのに、芯は冷たくて、でも確かに熱を持っている。そんな雪の白の中で紅く鮮やかな血の色で咲く椿のようなちぐはぐさ、そして目を離すとポトリと散華すらせずに雪と泥に美しかった花弁を汚してしまうような危うさ。それを感じてしまった。
「そっか」
「はい」
「前から思ってたケド」
「はい?」
「海斗って詩人だよね」
「バカにしてます?」
「ううん。自分の気持ちに自分の言葉をあてはめられるのってすごいと思うんだ」
でも僕はあてはめることしかできない。僕がいることで今井さんの苦しみがなんとかなるだなんて傲慢な考えを持ってはいないけれど、僕は彼女の感情の蓋をずらしてあげられるだけだ。しかも些細で、本心なんて漏れでもしないくらいのなんてことない小さな隙間だけ。
「だね、海斗がいることでアタシはヤなこと忘れられることなんて、一度だってない」
「でしょうね。そもそも、そこから溢れ出てくるものを、僕が受け止めることなんて不可能ですから」
「うんうん、流石に一年も知り合うとそういうことはわかってくるね」
「ええ、はい」
代替品だろうと最初は思った。けれどすぐに僕は代替品ですらないことに気づいた。今井さんはいつだって、僕の後ろに誰かを見るようなことはしない。きちんと
「ホントにさ、カノジョさんとセックスはしないの? 結構がっついてくるくせに」
「……一言余計です」
「言わないと、海斗は逃げるからね?」
「そうですね。どちらの質問にも肯定します」
ましろとセックスをするつもりはないし余計な一言がなかったらはぐらかしてる自信はある。でも、今井さんとの関係を続けていく中で気づいたことは幾つかある。その中でも一番気づきを得ることができたのは、決してましろに触れたくないとか女として見ることができないとか、そういうわけではないってところだ。
「あはは、もし本当にカノジョは好きだけどセックスはしたくない。触れたくないって心の底から考えてたら、きっとアタシはもっと海斗に冷たいかな?」
「そうだったんですね、と言っても気づいたのはそんなに前じゃないんですけどね」
「
「……コンビニをですか」
「そ!」
そんな内心があったのかと僕は深く頷いた。それまでだったらきっと、高校に上がってもバイトができないであろうましろのために、無事に受験が終わったら色んなところに連れて行ってあげるお金がほしいと相談しても、今井さんはコンビニのバイト先を紹介なんてしてくれなかったのかもしれない。
「どう? またアタシのことを知れた感想は?」
「飛び上がりたいほど嬉しいですね」
「あはは、それは思っててその顔?」
思ってますよ。飛び上がりたいほどじゃないですけどね。今井さんは僕のこの胸の内で燻っている疑問への答えを持っているから。そして、僕を見る瞳の中にある何かを知りたいから。諦めのようでありながら、慰めのようでありながら、また別の何かの正体を。
「じゃあ今日も、バイト終わったら……うち来る?」
「それじゃあ伺いますね、それにしても」
「ん~?」
「今日はえらくストレートに誘ってきますね」
「ホラ、前に買ったベビードール着てないな~ってのをさ、海斗の顔見てたら思い出したんだ」
顔見てたら思い出したって。別に僕は選んではないですからねと釘を刺すように言うと別にそんなこと言ってないケドね~? と意識していたことを遠回しに指摘されてしまう。
男はヒラヒラしたものに弱いらしい。なんのソースか知らないけれど、スカートのヒラヒラだったりそれこそレースのヒラヒラだったり、僕らはそれを前にすると猫じゃらしで遊んでいるのか、猫じゃらしに遊ばれているのかわからない猫のようにうずうずとしてしまうのだとか。僕はきっと後者だ。今井さん相手に優位に立てたことなんて、ただの一度だってないのだから。
「さー休憩終わり! 真面目に、誠実に、そして健全に労働をしようか青年!」
「……今井さんが言うとめちゃくちゃ胡散臭くなりますね」
「だーかーらー、リサって呼びなさいってば」
「あ、それよりも健全な相談があるんですけど」
「海斗がそれ言うとえっちな相談カナ、ってなるね」
「仕返しですか」
「当たり前!」
ましろ、僕はね──僕は段々と今井さんとこうして、お互いの本当の感情を隠すマスカレードのような会話が必要だと思い始めているよ。笑顔を貼り付けた彼女となんの感情も表に出さない僕は、案外テンポが合うらしくまた、僕の歪であろうましろへの想いを相談できる唯一のヒトになってしまっているから。今日だって、ましろから送られたバンドの子と話してほしいというものにも、今井さんのゴーサインがないとダメなくらいだから。
「ガールズバンドはいい子ばっかりだよ、少なくともアタシの知り合いは」
「そうなんですね」
「翔は……ごめん、擁護はできないカモ」
そういえば、久國さんがどうしてここまで今井さんを放置するのか、家に全然帰ってこないのかっていうの、あんまり聞いたことない。黒いケースを背負うあの後ろ姿に何故いつも今井さんが冷ややかな、けれどマグマのような紅蓮の熱を視線に籠めているのか僕は知らないままでいた。
とりあえずお気に入り登録者100突破ァ! ありがとうございます!
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⑧お嬢様/ギャル
そして! 展開が遅いと思ってるみなさん! ごめんね!
静かな喫茶店は客層に女性が多いことを思わせるポップなメニューではあるものの、内装は大人の雰囲気を醸し出した。こんなところで話し合いをするというし、月ノ森は由緒あるお嬢様学校ということなので、一体どんな大和撫子な清楚系が出てくるのかと思って緊張していたら、そこには金髪のイマドキな女の子がにこやかな微笑みを口許に浮かべていた。
「どうもーハジメマシテ! アタシ、桐ヶ谷透子って言います。シ……倉田さんにはいつもお世話になってます」
「初めまして桐ヶ谷さん。大崎海斗です」
思ったより緊張しないのは、その明るいギャルのような感じが誰かを彷彿とさせるからだろうか。誰と言ってはわざわざ相談に乗ってくれた挙句、服を選んでもらった手前失礼かもしれないけれど。ああいや、その分向こうに付き合ったんだからいいか。僕の服よりあのヒトの買いたいものの方が多かったから。
「……大崎さん?」
「あ、あーすいません。少しだけイメージしていた方とあまりに違ったので、びっくりしたというか」
しまった、確かに雰囲気は似てるけど目の前にいるのは今井さんじゃないんだから、気を抜いてちゃダメだよな。そう思って謝罪したけれど、桐ヶ谷さんはびっくりしてたんですかと逆に驚かれた。どういうこと?
「えっと、なんて言ったらいいか……ずっと無表情だったから」
「よく言われます」
「あ、あはは……言われるんだ」
それにしても、彼女はどこかぎこちない。その雰囲気でわかってしまうが、普段が明るい感じなのだろう。それを無理やり押し込めて敬語にして、なんとかしてましろが所属しているバンドは、僕が心配しているようなものじゃないってことをアピールしているのだろうか。今井さんが言うに、わざわざ引き合わせたいというならそういう意図があるらしいし。そう思ってどうにかこのぎこちなさを取っ払っていきたいと考えているとお待たせいたしましたと店員さんがホットコーヒーとチーズケーキ、僕にはレモンケーキを置いていったことで少し空気の流れが変わった。
「桐ヶ谷さんはミルクと砂糖はどうします?」
「一個ずつ、で」
「どうぞ」
「ありがとうございます……って、大崎さんは?」
「僕はブラックで飲みなれてるから」
「スッゲ……あ、えっと」
「いいよ。敬語じゃなくて」
隠し事をされるのは、苦手ってわけじゃないけれど顔色を窺われるのはあんまり得意じゃない。気を遣えるのは確かに人付き合いではプラスなんだろうけれど、それはあくまで踏み込まない関係での話だ。今回の相手もビジネスパートナーではなく、ましろの友人としてだ。だったら、お世辞じみたものは、好まない。
「僕も敬語じゃなくするし、それでいい?」
「オッケーっス。でも年上にはやっぱ敬語だと思うんで、あんまり得意じゃないんスけど!」
「わかった。でも無理はしなくていいよ」
「ッス!」
ニカっと笑うその顔はやっと堅いものが取れたようだった。そこから仕切り直しということで桐ヶ谷さんは色々な話をしてくれた。ましろのバンド活動の経緯、それはあまり彼女から訊いていなかったことだからとても新鮮だった。
「──ってなことがあって! アタシら、もういっかいやってこうってなったんです」
「いい友達を持ったんだね、ましろは」
「いい、かはどうか……正直まだわかんないっスね、シロはどっかでまだ一歩引いてるってか、後ろ向きになるんで」
桐ヶ谷さんの言葉で語られる桐ヶ谷さん自体は、あくまで主観だ。でもそれをなるべく排除して客観的に語れるというのが僕にはすごいことのように感じた。元来正直者というか思ったことまっすぐの行動しかできないヒトなんだろう。だからましろとは時折ぶつかるし、明け透けに傷つくことも言ってしまう。
「なんてゆーか、大崎さんってマジで表情筋死んでんだなーってのは理解しました」
「これでも喜んでるよ。今すぐに外に走り出したいくらいに」
「ぶっ、はは、なんそれ……ウケる」
ウケたらしい。でもましろにそういう同性の友達ができたのは、嬉しいことだよ。それこそ外に飛び出してしまいたいくらいに、スキップして帰りたいくらいには。そう言うと、中学の頃のシロってどんなんでした? と問い返された。中学の頃のましろか。
「とにかく、後ろ向きな子だった」
「あー、やっぱ」
「きっと桐ヶ谷さんが知ってる初期のましろの倍は後ろ向きだね」
「でもわたしなんかーとか言いつつ、構ってちゃんですもんね」
「悪く言うとそうだね」
それに付随して僕の事情に巻き込まれたせいで結構同性には嫌われてた。男子にも、一部では暗くてうじうじしててムカつくって言われてたみたい。でもやっぱり顔はかわいいから、ある程度チヤホヤしてくれる男もいて、それで余計に女子受けが悪かったかな。
「想像つくなー。アタシは共学とか通ったことないんですけど、女子ってそういうの協調性ないって思いがちですよね」
「まぁ実際にましろにあるかと言われるとないんだけど」
なによりましろは基本的に人嫌いだから。初対面とかに結構嫌われるんだよ。その辺は徐々に改善されていると信じたいけど。僕としてはこの人嫌いの部分の事情を知ってるからどうにかしようと思えなくなっちゃうんだけど。
「……もしかして、大崎さんが付き合った理由って」
「想像してるところに近いと思う。もちろんちゃんと好きだからってのもあるけど」
「それで……なるほど」
それから、僕は遠巻きに見ていたらしい八潮瑠唯さん、広町七深さん、二葉つくしさんとも少し話をした。もしも桐ヶ谷さんがボロを出して僕にいい印象を抱いてもらえなかった場合のバックアップとして控えていたらしい。中でも八潮さんの大人びた雰囲気はもしかして先輩かと疑ったものだ。
「むぅ……」
「で? なんでましろはそんな膨れてるの?」
「だって……」
その帰り道、僕がましろを送っていくと二人きりになった時のことだった。ましろは感情が表情に出やすい、僕としては羨ましいタイプだけどここまで拗ねるのは久しぶりのことだった。ずっと頬が膨れていて、僕は少し歩きだしたタイミングで問いかけてみた。
「別に言っても怒らないよ。大体予想はできてるし」
「う……透子ちゃんと、仲良さそうだなって」
だと思った。僕だって話してる途中でどこかで見ていることを知っていたから絶対に妬くだろうなって思ってたから。でも僕は大丈夫、浮気なんてしないよと淀みなく自分で言ってから少しだけ胸が痛んだ。
「なんか、カイくんちょっと変わったね」
「なにが?」
「前だったら、透子ちゃんみたいなタイプ、一番苦手だったじゃん」
「……そうだったね」
僕は距離を詰めてくるタイプが苦手だった。ましろがいると知っていながら僕に女の顔をしてくる人が嫌いだった。中学時代の影響で桐ヶ谷さんは、桐ヶ谷さんにとってそんなつもりはなくてもいつしか、僕の苦手なタイプの分類に属していた。
「桐ヶ谷さんは、パっと見と雰囲気と話し方がそうだけど」
「もうそれだったら充分じゃない?」
「そうだね……でも、平気になったんだよ」
「どうして?」
「高校も色んな人がいるからね」
また、嘘を吐いた。確かに桐ヶ谷さんがそういうタイプじゃないってわかったからというのもある。それ以上に僕がすんなりと話せたのはもう一つの理由があるからだ。僕はそれを、ましろには言えない。言えるはずがない。
ましろ、僕はね──あの雰囲気が、人懐っこさが今井さんを彷彿とさせていたから平気だったんだ。話してみて違うってことも理解したけれど、初対面で嫌だなと思わなかったのは、前の日に今井さんと一緒にいたからなんだ。僕の事情を聴いて、写真を見せられた今井さんがそれじゃあと一日一緒にいてくれたのは、そういう意図もあるのかもしれないと今では思うほどに。
「でも、妬かせた分は返すよ。わがまま一回でいい?」
「じゃ、じゃあ……」
「うん」
僕はこの二重の生活が普通になっていた。今井さんとセックスをして、ましろを愛して、そんな浮気を一年繰り返していた僕はすっかり気が緩んでいたらしい。だけど現実は、そこまで甘いわけじゃない。僕がしていることの落とし前、というものはきちんとつけなければならないから。
「……あのさ」
「なに?」
「今度のお休み……カイくんちに、お泊りがしたい」
「……え」
真剣な目、今まで一度も言われたことのない、予想外のわがまま。それは僕にとって、試練の時なのかそれとも。けれど確実なのが、このわがままは決して断れないということ。妬かせたお詫びなのだから、僕はましろのお願いを叶えなければならない。それこそ僕ができるましろへの愛情だから。
──だからこそ、ましろは独り暮らしをしている僕の家に泊まりに来ることになった。それは意図的に引き離していた二人がすごく近くに来るということでもあるのだった。
そして物語は動き出す。次回はましろのお泊り回となります。何が起きるのか、なにが始まるのか、それはわからない。
先日気づかなくて申し訳ない。流石に年始は忙しくてハーメルン開く暇もほとんどなくてな……
☆10と☆9をひとつずつもらいまして、評価バーが早くも二つ目赤色で点灯いたしました。このあとがきを書いている頃はまだですが、もしかしたらお気に入り150いくかな? さすがに無理ですかね? とにかく、いつもお気に入りや評価、ありがとうございます! 年始で忙しかったかたも、一気読みしてくださいね!
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⑨迷子/導くもの
どうしよう、迷っちゃった。
学校が終わって一旦家に帰ってからカイくんの部屋におじゃましようと思ったのに、すっかり迷子になっちゃった。うう、地図苦手なのにカイくんに見栄張っちゃったせいでこんなことに。でも、今日はカイくんに迎えに来てもらわなくても大丈夫ってところ見せなきゃだし。
「ううん、わたしはやれる、できる……はず!」
そうしてカイくんにもらった地図情報とスマホのGPS機能を照らし合わせながらあっちでもないこっちでもないとうろうろしていく。今頃カイくんはわたしが来るのを心配しながら待っているのだろうと思うと、わたしは少しだけ勇気が湧いてくる。
「んーっと、さっきの道が……こうなってて、だからえっと……」
「なにしてるの?」
「ヒッ……! え、あ……?」
「ひってひどくない? まいいや、やっほ」
きょろきょろと周囲と地図を交互に見ていたわたしは突然声を掛けられてびっくりしてしまった。でも、
「い、今井さん!?」
「リサでいーよー。えっと、倉田ましろちゃん、だったよね」
今井リサさん。
「どしたの? 迷子?」
「は、はい……あの、ここに行きたくて」
「……ふぅん? なるほどねぇ」
「……えっと?」
いつもは明るくて、なんだかぽかぽかしたヒトだなぁという印象だったのに、場所を示した瞬間に、冷たくて意地悪な笑みのようなものを浮かべられてしまった。まるでエサを見つけた、遊びがいのある玩具を見つけた猫のような残酷な笑みにわたしは鳥肌を立てた。
「何号室?」
「え、えっと」
なんでそんなことをとは思ったけどおっかなびっくりながら教えるとリサさんは目を細めてなるほどねともう一度呟いた。彼女の納得がなんなのかがわからない。わからないは怖い。だけど知らない人ではないということが、その恐怖を不必要に和らげていた。
「そこアタシんちなんだ」
「え、そうなんですか?」
「そういうこと! だから案内してあげるよ」
ほっとした。ちょっと怖かったけど、案内してくれるということでなるほどと無理やり納得することにした。彼女の家でもあるからなるほどと言ったのだと。頭ではずっと黄色信号だというのをまるで見なかったようにしながら。
「うんうん、おねーさんに任せなさい」
「あ、ありがとうございます」
スマホをしまい、リサさんについていく。ものの数分でやってきて、アニメ映画で見たチェシャ猫に振り回されるアリスにならなくてよかったと安堵しながらその部屋の前で呼び鈴を鳴らすけど返事がない。どっかでかけてるのかな? とリサさんが首を傾げてよかったらアタシの部屋に来る? と言われた。
「あ、あのでも……」
「大丈夫大丈夫♪ アタシの部屋、
「え、それって……」
「……ましろ」
淡々と、だけどまるでお姫様を救うナイトのように、手を引かれようとしたわたしに声を掛けてくれる。カイくんが後ろに立っていて、わたしはリサさんの手を解いて、カイくんの元へあと数歩のところを飛びつくようにして残りの距離をゼロにした。
コンビニ帰りだった。部屋にコーヒーしかなかったのでましろのためにジュースやお菓子を買いに行って、帰ってきた時だった。部屋の前にましろの後頭部が見えて、その奥にいる人物と目が合ってすかさずましろに声を掛けた。
「……ましろ」
「カイくん!」
抱き着いてくるましろを受け止めて、嬉しそうな顔で見上げてくる彼女に愛おしさを感じているとおかえりとにこやかな笑顔を貼り付けて声を掛けてくる今井さんにもしかして案内してくれたんですか? とあくまでお隣さんの体で返事をした。
「そそ、アタシも知らない子じゃなかったからさ、きょろきょろしててなにしてんのカナーって」
「ありがとうございます、リサさん!」
「いーっていーって、それにしても、
「……ええ」
まぁそうなるよな。底意地の悪い今井さんのことだ。絶対わざわざ僕の名前を呼ぶと思っていた。思っていたから冷静に返事をした。ましろは僕が海斗と呼び捨てにされたことについて反応したけれど、何かを問いかけることはしなかった。
「ってかその荷物、もしかしてお泊まり?」
「そうですよ」
「ふーん、じゃ、襲われないように気を付けてねー」
そんなことを言いながらリサさんは自分の部屋に戻っていった。ましろに見えるように僕の隣の部屋に。あのヒトは何がしたいんだかと思ったけれど、効果はてきめんらしくましろは今までにないくらいに頬を膨らませてヤキモチを妬いていた。
「聞いてないよ」
「言ってない。お隣さんが知り合いだなんて知らなかったよ」
「お隣さん? リサさんは、カイくんのこと呼び捨てだったよ」
「……今井さんが」
知り合いだなんて知らなかったのは事実で、そして単なるお隣さんじゃなくてバイト先の先輩だってことも事実だ。それを言うとあ、そっかと何かストンと納得してくれたらしい。そういえば今のバイトは紹介されたってことは言ってあったっけ。
「お隣さんで、バイトが一緒。だから、仲良しなんだ」
「それ以外になにがあるの?」
「……だよね、カイくんはわたしのカレシだもんね」
胸が痛んだ。たぶん、ましろが最初に考えていた仲良しの理由、それよりも斜め上にまずいところを歩んでるから。嘘を吐いてしまわないといけない。いけないことをしている、その罪悪感が僕の胸を刺した。
「ごちそうさま! カイくんの手料理、おいしかったよ!」
「お粗末さま、練習した甲斐があった」
「えへへ、ありがとう」
「うん。お風呂も沸かしてあるから先どうぞ」
「はーい!」
ましろを風呂に入れて、その間に洗い物をする。お皿の白を再び取り戻させるように丁寧に擦り、泡立たせていく。手料理、教えて
「カノジョのためですよ」
「カノジョさん、料理できないの?」
「料理というか、家事はたぶん」
「そうなんだ」
「リサさんは、得意ですよね」
「そりゃもちろん」
そのもちろんが、女性としてという意味なのかそれとも、カレシのためなのかという意味なのかはわからなかったけれど。僕はそれを特段ステータスとは感じない。僕が最低限とはいえ自炊を覚えていて、簡単な料理なら作れるのはましろが苦手だからだ。家事が苦手なら僕はそれを助けてあげればいい。そもそも、家事を女性がしなければというのは、あまりに前時代的ではあるし。
「んーまぁそだケド」
「リサさんの料理は好きですよ」
「そう?」
「優しい味がしますから」
「……なに? もしかして口説いてる?」
そんな今井さんの優しい味の秘密を知りたくて僕はましろのために半年以上練習を積み重ねていった。その成果を発表できたことを嬉しく思いながらも、代金だと身体を請求されたことを同時に思い出してため息を吐いた。唯一救いなのはこの部屋に今井さんを一度も上げてないということくらいだろうか。
「はぁ……ふぅ」
ましろとお風呂を代わって、湯船に浸かる。やっぱりましろが傍にいるというのはそれだけ、彼女の無防備で底なしの優しさに触れてしまえるということ。それが泊まりなのだからなおさらだ。
──いっそ、これならいっそましろに欲情できない方がよかった。あの無垢な身体に指を這わせて、白が赤に染まっていくさまを……見たいと思ってしまうなんて。
「ダメだ。そんなんじゃ……僕がましろを守るって決めたんだから」
ましろ、僕はね──今井さんにもらった甘さをもらう度に、キミの優しさを穢したくなる自分がいるんだ。好きは、愛は、セックスという結論に至ってしまうのは当然であることを知りながらも、それを拒否した報いなのか。僕は、ましろに欲情をしている。そんな熱を、だが彼女はある意味で更に熱してくれるし、ある意味では冷ましてくれる。
「……カイくん。これ……ってさ、
風呂上りのリビングで目撃したのは半裸の、青色が眩しい下着姿のましろ。そんな彼女が手に持っていたそれは、未使用のコンドームだった。そんな危機的な状況でも、彼女の胸元や臍に太股に目を向けそうになってしまう僕は、もしかしたらとっくに……壊れているのかもしれない。
ついに邂逅したましろとリサ、そして見つかる決定的証拠。明日はどっちだ。
無事、お気に入りが150件突破しましたー!
そして☆10と☆9が一つずつ追加され、順調に評価も増えて嬉しい限りです。続くので次の話もお楽しみに!
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⑩嘘つき/灰色
僕は、ましろを大切に想っている。彼女には僕がいないと、なんておこがましいことは考えてなんていないけれど、僕には彼女がいなければならないと思っている。ましろは名前の通り、真白であり淡い光だから。僕が穢したり、曇らせたりすることなんてあってはならない。ましてや、僕の行いで彼女に悲しみを与えるなんて。そう思ってきた。
「カイくん……なんで、コンドームなんて、持ってるの?」
「……ましろ」
「なんで?」
だからこそ、出てくるときには身に着けていたはずの寝間着、パーカーや短パンを脱いで静かに問い詰めようとしている彼女の目に、僕はひどく狼狽していた。そもそも何故脱いでいるのかということなんだけど。その表情は切羽詰まったものだった。
「わたし、
そう言って更にブラが床に落ちていく。それらを認識する間もなく、ましろは僕に抱き着いて、まるで糾弾するというよりは縋るように、顔を埋めた。僕も、ましろのここまでの肌色を目にするのは初めてだったからより動揺がひどかった。でも、なんとか、なんとか言い聞かせようと彼女を抱きしめた。
「ましろ」
「──だから、他のヒトと浮気なんて、しないで……!」
「ましろってば」
「そういうことがしたいなら……なに?」
「あれ、もらったんだ」
「もら……っえ?」
「カノジョが来るって知ったバイト先の先輩にもらっただけだから」
もちろん、嘘だ。最初は今井さんが持っていたものを使っていたが流石にそれは申し訳ないし男としてどうなんだろうと思った結果、自分で買うようにしていた。その余りの一個が見つかったのだから、僕の吐いた言葉に何一つ真実がない。
「そっか、わたしの、早とちり……」
「……大丈夫だよ。大丈夫だから服を着てくれると嬉しいな」
「あ……っう、うん……」
「着替えが終わったら呼んで」
そう言って寝室の扉を閉めて、僕は長い長い息を吐いた。
小さな背中、直に伝わるぬくもり、下から潤んだ瞳で見上げられるその視線。そして、平気だよという言葉、それが意味するものを想像して僕は頭が痛くなりそうだった。僕のせいだ、僕がましろを不安にさせたからあんなことを言い出した。
「……これは、まずい」
これが、ムラっとするという気持ちなのだろうか。今すぐにでも着替えてる最中だろう彼女を抱きしめ、押し倒して、ましろのナカに欲望を突き立ててしまいたい。そう考える自分がいた。もし、いざ自分が性欲に触れた時彼女はどういう反応をするのか、知りたいと思ってしまった。
「……おやすみ、ましろ」
「ん、おやすみ……カイくん」
ましろに布団を被せていく。寝息を立てる無防備な姿。ここまでよく我慢ができたと思ったくらいだった。いや、我慢はできていなかったかもしれない。僕から彼女を抱き寄せてしまったし、キスもした。一度や二度じゃない、今までにないくらいの回数、僕はましろの唇に触れた。そこで、限界だった。
「……タバコでも吸ってそうな表情だね、海斗」
「吸いませんよ。僕、気管支弱いんで」
「そっか……で? カノジョとのお泊り、しかも二人きりなのにどーしてそんな浮かない顔してるのカナ?」
「……二人きりで浮かれると思いますか、僕が」
「あはは、怒んないでよ」
ベランダに出ると今井さんが話し掛けてくる。軽い、からかうような、あしらわれるような話し方。だけど、僕が怒っていないことなんてわかりきっているように、今井さんはにこやかに手招きをしてきた。いや、してくれた。
「今回ではっきりしました。僕は、ましろに欲情してしまう。きっとあのまま一緒にいたら、恋人としてあるべき一線を越えたんでしょう」
「そっか」
「……でも、ダメなんです。ましろに痛みを与えることが、性欲を持って触れることが、僕にとって許されざる罪なんです」
「だから……アタシを代わりにするんだ?」
唇が触れ合う。胸板にひんやりと触れてくる細く長い、キレイな指。それを捕まえて、ベッドに押し付けるとひんやりしていたはずの手が熱を帯びる。代わりに、そうなのかもしれない。ましろに欲情してはいけないから、その欲を今井さんで発散する。そういう最低なことを、僕はしているのかもしれない。
「別に、アタシだってそうだからいいんじゃない? 少なくとも、海斗はアタシのこと……恋愛的に好きなわけじゃないでしょ?」
「……はい」
「アタシもそう。でもさ、ホラ、人間にとって食欲や睡眠欲が必要なのとおんなじだよ……だからさ」
「そういう、もんですかね?」
「じゃあどうして……海斗は
眼前に見るのは月明かりに照らされた紅いベビードール。半透明なレースに透ける臍が、腰が、溜まらなく煽情的だった。真ん中で別れているそれに手を差しこみ、奥に隠された彼女の白を指で撫でていく。
「……僕は、壊れてしまっているのかな?」
「壊れて、なんか……っないって。セックスしたい、フツーの感情だよ」
「でも、カノジョじゃ……ましろじゃない」
「それじゃあ海斗は、アタシとましろ、どっちとセックスする?」
したい、ではなくする? という問いかけ。それを腕を広げられ、導かれるようにされて僕は彼女の口から漏れ出てくる嬌声に熱を上げながらゆっくりと返事をした。壊れてないのなら、僕は、僕は僕は……何故そこでましろと言えないのだろうか。
「今井さん」
「リサって、呼んでよ……ね? 海斗」
「……リサ、さん」
「リサ」
「……どうして?」
「アタシがそれを望んでるから」
それは、今までに見たことがない表情だった。いや、見たことないわけじゃない。僕はこの顔を知っている。潤んだ瞳の中にある、火傷をしそうな欲求。ああしてほしい、こうしてほしい。そういった一種の
「……リサ」
「ん、もう一回」
「リサ」
「……っあ、あはは……ヤバ、今日のアタシ……めっちゃ興奮してる」
「それは」
「ほら、今日は朝には帰らないといけないんだから……きて、海斗」
さっきましろに見つかったコンドームの袋を破く。また、今井さんの寝室のゴミ箱に僕の欲望が吐き出されていく。一つだけじゃない、二つも、三つも。丸められたティッシュの数も増えていく。
今井さんの行為はいつもよりも熱が籠っていて、僕はましろが隣の部屋にいるのに、今井さんとセックスをした。
「……あ、アタシがアト残しちゃまずいか」
「そうですね」
「じゃ、海斗がアタシにアトをちょうだい」
「……久國さんにバレますよ」
「帰ってこないってさ」
それ以上は、お互いの話はしなかった。ただ欲のまま貪って、お互いの記号を極限まで短く呼んで、果ててを繰り替えしていった。
ましろ、僕はね──きっと最低な男なんだと思う。隣にましろを泊めて、今井さんとセックスをして、ましろよりも長く、多くキスをして、ましろよりも多く名前を呼んで。嘘も隠し事もしないで求め合った。
「あ……おはよ、カイくん」
「うん、おはよ」
「えへへ……幸せだなぁ」
「どうして?」
「朝起きたら、一番にカイくんに声を掛けてもらえる。カイくんにぎゅーってしてもいいなんて、幸せだよ」
「……そっか」
だから一瞬、躊躇ってしまった。数時間前まで裸の今井さんを抱き寄せていた腕の中に彼女を招いていいのだろうか。躊躇ったけれど、僕は一つの覚悟を決めていた。今までは迷っていた一つの覚悟、僕の浅ましいまでの打算的な愛情。
「昨日は、いっぱい不安にさせてごめん」
「そんな、わたしも……変に疑って、ごめんね」
「いいんだ。でも」
「でも?」
「セックスなんてしなくても、ましろのことをちゃんと……愛してるから」
「……うん」
とっくに僕の手が不貞と打算で穢れているのなら、その穢れを隠しぬいてみせよう。ましろのことを抱かない。僕はましろとセックスはしない。例えその代わりに今井さんを、リサを抱くことになっても。リサに、欲情したとしても。ましろを守るためなら僕は……黒でも白でもない、どっちつかずの灰色でいい。
「それじゃあ、どこに行く?」
「んー、じゃあ水族館がいいな。ペンギンが見たい」
「わかった」
もう、これからもましろを泊めることになるだろうあの部屋に、コンドームは置かないことにした。どうせこの部屋にましろと両親以外を上げることはないだろうから。
──アレは、リサの部屋にあればいい。僕がリサを抱くときに手元にあればいいものなのだから。
結局、ましろの焦りが海斗とリサを繋げてしまいました。いや抱けよ。
☆9が二つ増えてこれで15件となりました! そして、早くもお気に入りが200件を突破しまして驚くばかりです。話数が二桁になり、ますます深く沈んでいく砂糖水に顔を突っ込んだような泥沼あまあまを、よろしくお願いします。
感想もいっぱい待ってるよー!
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⑪遊び/恋人
セックスの時に呼び方を変えるとそれはそれで興奮することを知った。最初はリサさんって呼ばれてて、セックスが日常になると今井さんになった。そして、最近はセックスの時だけ、リサと短く呼び捨てにされる。
「……アタシって、思ってたよりМなのかな」
「なに言ってるんですか」
だってぇと大きな背中にしなだれかかる。一年くらいでアタシと海斗は色んなセックスを経験した。回数ならたぶん、翔より多いと思う……ってアイツの話はいいや。
あ、でも、たまに帰ってくる翔とのセックスはたまらなくきもちい。比べちゃうのはよくないってわかってるケド、海斗とするよりも断然。
「今井さんは」
「うん」
「ヒトを構いたい、構っていたいタイプですよね。だから自分にちゃんと目線が向いてると安心できる。名前のことだって、そうじゃないんですか?」
なるほどねとアタシは海斗の言葉に頷いた。なら、このついつい世話を焼いちゃうお節介な性格も、そこからきてるのかな。誰かが困ってたり、悩んでたりするとアタシはついつい口を出しちゃうんだよね。
──でも、そうじゃなくて、困ってたり悩んでたりしたヒトをたった一人だけ、アタシは突き落としたことがある。手を引いて、救えたはずのヒトを一人……谷底に落とした。
「それで? そんなことよりさ、ましろとの水族館はどうだったの?」
「楽しかったですよ。はしゃぎ回って、途中の電車ですっかり寝ちゃってました」
「あはは、その眠ったましろに?」
「……なにもしませんよ」
「そだよね。だって、その前の日もあんなに激しかったのに……帰ってくるなり朝までコースなんだもんね?」
しかも情熱的な割には足らなくなるかもとコンビニでコンドームを追加で買ってくる用意周到さは、間違いなくアタシが創り出した。歪んだ鏡のような白でもない、でも黒にもなりきれない灰色の彼。
「お昼、何がいい?」
「リサ」
「──えっ」
だけど、変わったことが一つある。彼は自分が歪んでいることを、どっちつかずの色を持っていることから目を逸らさなくなった。ましろが寝ている隣でセックスした時から、彼は灰色な自分を武器に使ってくるようになった。相変わらず無表情で、そんなことを言って立ち上がったアタシの手を握ってくるから、ドキっとしてしまった。
「冗談ですよ。チャーハンがいいですね」
「……この間までドーテーだったクセに、生意気だな~」
「この間って、一年前のことですけどね」
けれど、すぐに手は離れていってしまって、アタシは初めて、この日初めて海斗を海斗として意識させられた。
──正直なところ、アタシにとって海斗は翔の代わり以外のなにものでもない。絶対に代替できないものの代替品、劣化の劣化もいいとこの、アタシの性欲と不満を処理するための道具。そうやって一年、遊んで使い潰して、壊れそうになっていた玩具。部屋の隅に仕舞ってあるディルドと同等の存在。それがアタシにとっての大崎海斗だった。
「今井さん」
「んー?」
「ホントにGWに久國さん帰ってこないんですか?」
「そうやって連絡来た」
「サプライズ、とか」
「そんな楽しいことしてくれるヤツじゃないよ」
「なら、荷物持ちはしますよ」
だったはずなのに、じわりじわりとアタシは海斗のことを浮気相手として意識させられ始めていた。無意識なのか、意識的なのか。自分の罪の意識をアタシにも押し付けているのか。アタシは、海斗に対して自分の感情の熱を冷ませなくなってきていた。
「イヤ」
「嫌なんですか?」
「買い物だけじゃ、イヤ」
「……なにするんですか?」
海斗のカノジョであるましろは家族旅行らしく、こうして恋人がいるというのにデートにも行けずに部屋でのんびりするしかない。すると必然、暇人で身体の関係があるアタシたちは気ままにセックスをする日々を過ごしていた。でも、やっぱセックスだけじゃ物足らなくなる。前ののっぺらぼうみたいな海斗だったら、まぁ海斗だしってなったかもしれないけれど。
「映画」
「はい?」
「五月から始まる映画が気になってて」
「はぁ……」
「だから、観に行こうね」
後は、アタシも偶には水族館とか、ゆっくりものを眺める時間がほしい。テレビじゃなくてキレイなものをこの目で見て、ほっとしたい。Roseliaの練習とかで大変だけど、幸い夜は空いてることが多いから。
「夜景の見えるレストランとか、温泉もいいなぁ」
「……ですか」
恋人と付き合ったら、そういうの行けるって思ってた。暇な時は色んなところに連れてってもらって、そこでロマンチックなキスとか、それこそキレイなホテルの夜景を背景にしてセックスとか。甘くて、愛おしくて、思い出になるような時間が積み重なるって、アタシは無邪気に考えてたんだ。
「行きますか?」
「……アタシのこと、好きじゃないのに?」
「お互い様ですよ」
そうだね、お互い様だ。
アタシと海斗は、ちょっとだけ似ている。似ているけど真反対、それがアタシたち。大好きなヒトがいて、大好きなヒトに嫌われることを誰よりも恐れているのに、その欲は相手にとってあまりに都合が悪い。翔のことを認めてあげられないアタシと、ましろに触れることができない海斗にとって、好きでもないけれどお互い様のお隣さんは、都合がよすぎた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さま~、それで? これからどうする? 暇だし持て余してるなら相手してあげよっか?」
「チャーハン食べたから、しばらくセックスはしたくないですね」
「にんにくだもんねー」
「ミスりましたかね?」
「……ブレスケアしたらちょっと出掛けよ。海斗は荷物持ちね」
「わかりました」
こういうところはホント、一年で賢くなってしまった。セックスしたかったら既にチャーハンを指定された時点で拒否してる。それを、海斗は知ってて断ったんだから。かわいくないなぁ、怖がりでカノジョを神聖視しちゃう童貞だったクセに。
「海斗ってさ」
「はい」
「表情筋は死んでるけど、アタシは好みだよ」
「褒めてもなにもでませんよ」
「あはは、褒めて何かをおねだりしてるわけじゃないよ。なんだかんだ、イケメンだから浮気したとこもあるし」
「どうしたんですか急に」
あ、今、困ったような顔した? 僅かに前髪を揺らして、たじろいだのか困ったのか、どっちかわかんないケド。
──それは、毒のようだった。アタシの心の隙間に垂らされる毒。今までずっと能面みたいだとか、表情が死んでるだとか、その表情がピクリとも動かなかったことが気に入らなかった。翔は、何があっても笑顔を崩さないから。それに似ている気がして、ムカついてたから。
「……そっか」
「何を一人で納得してるんですか」
「いーや、なんだかんだ一年くらいかぁと思ってさ」
「そうですね」
アタシが生きているのは、死んでしまうはずだったアタシを生き返らせてくれたのは、ずっと冷たい、生身の感触すらない玩具だと思ってたヒトだったんだなぁ。それで好きになったりしない。そんなヒーローみたいなことをしてもらったって、アタシはアタシを殺し続けているはずの翔のことしか、愛せない。二股もない、アタシは翔が好き、翔じゃないと嫌だ。アタシの全ては、翔のためにあるから。翔にとってアタシが全てじゃなかったとしても、
「ましろと映画観に行ったりする?」
「しますね、この間も戦隊ヒーローのやつにアニメの総集編なんかを」
「そういうのばっか? 恋愛系は?」
「……ましろがそういうの得意に見えますか?」
「いや全然、でもそっか。じゃあ二度見じゃなくて済みそうだね~」
「ですね」
でも、アタシさ──ずっと、恋人になりたかった。ごっこでもいい、遊びみたいな、おままごとみたいな、セックスとかそういうののない、ただデートして同じ景色を見て同じもの食べて、大好きだよって抱きしめて眠らせてくれる恋愛がしてみたかった。翔、アンタが鼻で笑うような、子どもの恋愛がアタシにはどうにも宝石みたいに見えちゃうんだ。
「今日の今井さんは」
「んー?」
「……いえ、楽しそうですね」
海斗は、そんな子どもみたいなデートをしてくれる。セックスは、もちろんするし、結局作り笑いすらしてくれない能面だけどね。
だからごめん、ましろ。もうしばらくカレシを借りるね。盗ったりなんてしないケド、アタシは
カノジョが大切でおままごとのようなデートしかできない海斗
カレシに嫌われたくなくておままごとのようなデートをしたことがないリサ
セフレのようなものだけど、身体の相性よりも。
総合評価がもうすぐ500ということなので、思ったよりも早い到達に驚いています。感想もたくさんいただきありがとうございます!
また、お気に入りや評価、感想よろしくお願いします!
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⑫本能/愛情
喫茶店で席に座って、本を片手にコーヒーを飲む。その止まったような時を感じることが僕は好きだ。ましろにはそういうのを暇だと言われてしまうけれど、本をめくる時以外の全てが本の中にある時間が、好きだ。
「それでは、相席は迷惑でしょうか?」
「いいえ、流石に一人じゃない時にするほど、無神経ではないですから」
あくまでそれは喫茶店を好きになったきっかけであり一人での楽しみ方だから。対面したのなら僕だってコミュニケーションくらいは努力してみせる。そういう意味を込めての言葉に対して、
「それで、八潮さんはどうして僕に話しかけてきたんですか?」
そう、僕の向かいにいるのは八潮瑠唯さん。ましろのバンド仲間の一人で年下とは思えない静かで大人びた雰囲気を纏うヒトだった。他の月ノ森の知り合い、恋人であるましろや道で会う度に話しかけてくる桐ヶ谷さんと比べると、彼女の大人っぽさはより際立っている。そんな彼女に僕は話があると呼び止められ、こうして本屋にいたところを近くの喫茶店に入ることにしてしまった。
「……倉田さんのパフォーマンス、練習効率が少し落ちているのは、ご存知ですか?」
「いいえ、そもそもバンドの話はあんまりしませんね」
初めて僕の部屋に泊まった日以来、ましろはよりバンドの話をしなくなった。今井さんはそれをアタシのせいかなぁと言っていたけれど、関係あるのかどうかはわからない。僕はましろがしたくない話を聞きだすなんて野暮なことはしたくないし。けれど、八潮さんの言い方は練習効率が落ちている原因に僕がいそうな雰囲気だった。
「そうですか……」
「ましろ、練習に身が入っていないって認識でいいんですか?」
「それ以外にありますか?」
トゲトゲしい返しをされ、少しだけ言葉を探してからそれをコーヒーと一緒に飲み込んだ。八潮さんのことは、というかましろのバンドメンバーのことは概ね桐ヶ谷さんが教えてくれていた。ああいうおしゃべり好きな知り合いもいるはいるで役に立つものだ。
彼女は極度のめんどくさがり、と桐ヶ谷さんは言っていた。すごくマジメで勤勉そうだと思うのにどうしてと問いかけたところ、彼女はエピソードを交えて教えてくれた。
「効率がいいことが好きなんスよ、ルイって」
「へぇ、確かに無駄なことは嫌い、みたいなこと言いそう」
「真顔で言いますよ、マジで!」
桐ヶ谷さんは何がそう面白いのだろうというくらいに笑う。透子って呼んでくださいよーと言われるけど、僕はよっぽどのことがない限りましろ以外の女性を名前で呼ばないって決めてるからと説明すると一応の理解は示してくれた。これもましろのヤキモチに対する誓いのようなものだから。
「でもあたしが海斗サンって呼ぶのはセーフなんスか?」
「まぁ、呼び方くらいは好きにしていいと思うよ」
「あっは! やり~! んで、ですね。ルイはちょーめんどくさがりなんスよ」
「無駄なことを嫌うから、めんどくさがりか。なるほどね」
「そーなんですよ!」
その言葉とは裏腹に、八潮さんは僕を見つけて話しかけたうえで今はじっと、まるで睨みつけるようにしている。僕も特に何も言うことがなく黙っていると、どうして? と問いかけられ、僕は首を傾げた。
「何がですか?」
「……十代の恋はほとんど、そのほとんどが大人になるまで長続きしないのに、どうして付き合おうと思うのですか?」
「それ別れろって遠回しに言ってる?」
ああそれは、それならいくら僕でも怒りを隠すのは難しい。普段は隠しているわけじゃないけれど、いつもリサから表情筋が死んでるだとか能面だとか言われるこの顔も、怒りに染まってしまうほどに。
「いえ」
「じゃあなに?」
「非効率的であることを指摘しただけです」
「そうだね、非効率的だ」
「ならばどうして?」
「本能だから」
言い方は悪いけれど、恋愛は子孫繁栄の本能を人間が理性で抑え込むようになってしまった結果生み出された感情を理性的に処理するためのものでしかない。それから外れた僕の感情は、どういうものかなんて結論はつけられないけれど。無駄なものかそうでないかというと、そもそも感情から発露された欲求に無駄なんてものは、そうないんじゃないかと考えてしまう。
「食事と睡眠と同じだよ」
「とても、そうは思えませんが」
「僕には、ましろのことを愛せていない自分が想像できない。ましろに愛されていない自分が想像できない。八潮さんの理解は必要としていないよ」
バンドにとって必要ないものを排除したかったのかはわからないけれど、自惚れでもなんでもなく事実として僕が急にここでましろに別れを切り出そうものなら、それこそパフォーマンスがガタ落ちするよ。それくらいに、僕はましろの生活の中にあるし、ましろは僕の生活の中にある。
「それが非効率的だっていうならそうだろうけど、僕はそもそも八潮さんの効率ってものに興味がないよ。ただ、ましろが何かを気にしてるって言うなら、僕がなんとかするよ」
「安請け合いですね」
「ましろは
そう言って僕は八潮さんの分まで会計を済ませて立ち去る。
──ああ、ムカつく。心がザワつく。高校生になって、ましろと別々になったからこんなことを感じることがないと油断していた。中学生の頃だったら、日常的にあったことだったから苛立つこともなかったのに。最初の印象は一番悪かったはずの桐ヶ谷さんが結局、他者との適切な距離感を保つのが上手だ。広町さんや二葉さんとはほとんどしゃべったことはないけれど、たぶん、あの中では桐ヶ谷さんがダントツだ。
「シロって、なんであんなに自信ないんスか?」
「……やっぱり、桐ヶ谷さんから見ても釣り合わないように思う?」
「あーいや、ぶっちゃけそれも感じたけど……どっちかってゆーとシロが海斗サンと付き合っててあんなに自分なんかがーってなるのがおかしいからなんで、って気持ちです」
「うーん、ましろから何か聴いてる?」
「カイくんは、どんなに告白されてもずっと、わたしなんかを好きでいてくれたって」
僕はその言葉にため息を吐いた。いつも言っているのに、僕はましろ以外と恋人になるということに興味も関心もない。恋人、カノジョと言ったらましろ。傍にいてほしいと感じたのはましろだけ。クラスメイトや委員会が同じ人ならまだしも、名前も性格もなにも知らない女の子に告白されて、ましろよりいいかもとなることなんてあるはずがない。
「顔で選んでみるとか」
「僕がそれを嫌ってるからね」
「あはは、それなーってヤツです。かわいいねってナンパされて好きになるわけねーって思いますよね」
「そうだね」
ましろに言われるのは嬉しい。カッコいいよと言われると抱きしめたくなる。ましろもかわいいよ、大好きだよって気持ちに変わる。だけど、それを他者から、特に
「でも、いや、えっとムカっとすること言っちゃうと思うんスけど、ぶっちゃけ海斗さん、ましろに対して過剰ですよね。愛が重いってか」
「過剰、か……今となっては、過剰なのかな」
「なにか、あったんですか?」
僕がましろを好きになったキッカケはすごくくだらないものだ。小学生の頃からずっと懐いてくれていた彼女が愛おしくて、それが第二次性徴を機に恋心に変わっただけ。だけど付き合ったキッカケは、あまりにそういった愛おしさとはかけ離れたものだった。
「ましろは、昔からいじめられっ子で、その分優しさに弱かった」
「……それで男子にチヤホヤってのは、最初ん時に言ってましたね」
「うん」
彼女の身体が女性らしさを帯びてきたのも、中学に入って少ししてから。幼い印象はまだあったけれど、肩や胸、腰回りがどんどんと大人の女性に近づいていくのが早かったしなにより劇的だった。
「夏休みが終わってからだったかな、その成長が収まってきたのは」
「それがきっかけって……?」
「別に僕が大人になったましろに性欲を持て余したわけじゃないよ」
そんなのわかってますってと冗談交じりに笑われる。ここで僕も桐ヶ谷さんに笑い飛ばしてもらわないと、リセットしないといけない。そして、僕の本当の気持ちはましろも察してはいるだろうけれど、言葉にしたことはない。
ましろ、僕はね──あの時に誓ったんだよ。ましろを守るんだって。あの穢れたものたちから、名前と同じ色を、守り続けるんだって。
今回はプロローグというか導入のようなものです。次回から時間が過去に飛びますのでよろしく。
☆8をいただきまして、お気に入りもいただいたので無事、総合評価が500となりました。まだまだ自慢できるようなものでもないですが、毎日更新を続けて、地道に一歩一歩頑張ってまいります。
もしよろしければ感想、評価、お気に入りをくださると嬉しいです。毎日更新のはげみは一つ一つ増えていくポイントですからね
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⑬呪い/誓い
日間ランキング乗ってました、ありがとうございますー! これからも精進してまいります!
ましろは、かわいいと思う。幼馴染としての贔屓目かもしれないと最初は感じていたけれど、夏休みが終わったくらいから一年にかわいい子がいるという噂を耳にし始めてからそうでもないことを知った。
「カ……
「
「え、っと……図書の片付けが、なかなか終わらなくて」
「わかった、手伝うよ」
図書委員をやりたいということで、僕も図書委員になった。我ながらなんて子どもっぽい動機なんだろうと苦笑したくなるほど、当時からましろのことが好きだった。ましろといると安心する。小学校の時から変わらない、安寧が彼女にはあったから。
「ふへ~、なんとか終わったね」
「お疲れ様、コンビニ寄って帰ろうか」
「うん!」
最終下校時刻ギリギリに僕とましろは同じ道を歩く。二人だけの道、けれど僕としては少しだけ物足りなくなってしまうカバン二つ分の距離。夕暮れの中、もどかしい距離を保ったまま、僕たちは歩いて帰っていた。
「なんかさ」
「うん?」
「慣れてきたけど、カイくんのことを先輩って、言わなきゃいけないの変だなぁって」
「そうかな。きっと、周りから見れば委員会の先輩のことを渾名で呼ぶましろが変だよ」
「そーだけどさぁ」
仏頂面をする彼女になにが不満なの? と問いかけると、ましろはだってと甘えるような表情で僕を見つめてきた。その顔はずるい、思わず抱きしめたいと思ってしまうほどにあどけなく、愛おしいものだった。
「なんか、距離が空いちゃったみたい」
「学校だけだよ。今はましろのことは、ましろって呼ぶよ」
「……カイくん」
その表情は、両想いだろうということを僕に余すことなく伝えてくれた。付き合ってるわけじゃない。恋人かと問われれば否定する。カノジョかと言われたら幼馴染だよと答える。だけど、僕とましろは、お互いに好意を抱いていた。だけど、僕が踏み込めないのには、理由があった。
「そういえばね、また男子がさ……」
「ん」
「ああいうの、嫌い。みんなもカイくんみたいに優しかったらなぁ」
僕もそれは耳にする。一年にかわいい子がいる、それが倉田ましろ。だけど彼女は高嶺の花のような扱いはされていなかった。
──曰く、頼み込めばヤらせてくれそう。体育で揺れるのが癒し。スカート捲れた時の尻がイイ。そういう下品な評価ばかり。そんな奇異の目から守ってくれる盾が僕だと、ましろは思っているようだった。
「カイくんは、そういう目でみないから平気だけど……怖いよ」
「……そうだね」
違うよ、ましろ。僕だって男だから、そうやってましろで下品な妄想をする一人だ。いいや頼み込めばヤらせてくれそうと笑うだけまだマシなのかもしれない。僕は、僕だけはましろを独占できている、頼み込まなくても、自然とセックスをするような関係になれる。そういう浅ましくて、真っ黒で、気持ち悪い妄想を腹の内に溜め込んでいたのだから。むしろ、僕が一番、ましろのことを性的な目で見ていたんだから。
「大崎くんってさ」
「はい」
「倉田のカレシ?」
「……違いますけど」
「じゃあさ、あたしと付き合ってよ」
「嫌です」
「どうして?」
「先輩に興味ないからですよ」
そんな若い性欲を持て余してはいるけれど、僕はましろ以外に興味はなかった。むしろその屈折した欲を持っていたが故に、僕はましろ以外に目を向けることがなかったのかもしれない。いつしか僕は、男子の敵として認識され始めていた。
「先輩! 私と付き合ってください」
「……ごめん、僕はキミのことを知らない。知らないヒトとは付き合えないし、僕には好きな人がいるから」
「で、ですよね……やっぱり」
今考えるともう少し断り方があったかもしれない。だけどあまりに僕は盲目で、愚かで、ましろのことばかりを見ていたから。結果としてましろの敵を作っていることに気が付いたのは、相当手遅れになった頃だった。
ケガをして保健室に連れていかれたということを訊いて、僕は急いで彼女の元へと向かった。先生に目の上を冷やしてもらっているましろを見て、僕は頭に血が上りそうになった。
「わたし、カイくんを束縛してるのかな?」
「……どうして、そんなこと言うの?」
「だって、釣り合ってないクセに、付き合ってないクセに、カノジョ面してるって」
──だけど、嫌がらせ程度で終わればよかった。正直、思い出したくもない。
「なぁ海斗」
「なに」
「……ヤバいことになってる」
ましろの隠し撮り、しかもただの隠し撮りじゃなくてパンチラや着替え、逆さ撮りなんてものもあるらしく。それに尾ひれがついて、それを売ってるだとか援助交際をしてるだとか、そういうくだらない嘘まで。男子の間で押せばヤれそうという印象が付きすぎた結果、ましろを貶めようと、辱めようとする流れができてしまった。トドメが、友人の言ったヤバいことだった。
「なんでましろが呼び出し?」
「おかしいだろ? しかも噂がどこまでかはわからんが……盗撮の一部はソイツの仕業ってのもあるんだよ」
「……どうして」
大人は、子どもよりも汚らしいと、本気で感じた。その呼び出しすらも、教師とヤってるんじゃないかという輩まで現れる始末だった。この大きな流れは、止められない。ならばせめて、僕が……僕がその流れを全部受け止める、守ってやる。そう誓った。
「そっか、噂はガセだったんだ」
「……うん。一対一じゃなくて、カウンセラーのひとと女の先生も一緒でね、説明する時は聞かないようにって退出してくれた」
「よかった」
「でも……もう言ったんだけど、三年生の先輩には……胸とか、足とか」
「もう、いいよ」
「……ヤらせてくれたら、ってアレを」
「もういいって」
「カイくん……わたし、怖いよ」
それから、一週間、僕は学校を休んだましろに会いに行った。僕には流れを変えることはできない。ならばせめて、その流れにましろが呑まれないようにしよう。だから、僕はましろと恋人になった。
「僕のカノジョはましろですから、興味ありませんよ」
「釣り合ってないでしょ~」
「先輩も」
「はぁ?」
「僕なんかが隣にいたら、蔑まれますよ。不釣り合いだって」
恋人になって、好きと口で言ってもらえることが格段に増えたし、好きと口にできることが増えた。不変と安寧を求めていた僕は、取り返しのつかないミスをしていたことにここでようやく気が付いた。変わらないということに拘るのはダメだ。僕とましろは、これから変わっていかなきゃ。安寧のためには不変という考え方は、邪魔でしかない。
「恋人って」
「うん」
「ぎゅーとか、ち、ちゅー……とかも、する、よね?」
「そうだね。でも」
「なに?」
「
「……そ、そっか」
だけど、恋人らしい触れ合い、ハグやキスをしたのは僕が卒業する寸前だった。一年以上、手すら繋がなかった。僕の中にあった真っ黒な欲望は、もう表面化することはなくなっていった。何故なら。
「僕は、ましろを襲った男とは違う。触れ合わなくたってましろを愛してるし、セックスなんてしなくてもちゃんと言葉で愛を伝えあえる。僕はましろのカレシだから、ましろのトクベツだから」
それは、呪いだった。詭弁だ。触れ合うことで育む愛は証明されている。好きな人と触れ合うことは安心と信頼の証でもあるから。その最上位であるセックスは、生殖本能だけではない愛し合う、信頼しているという恋人としての言葉にならない想いを伝えあえるものだからだ。
ましろ、僕はね──本当は、ましろとずっとセックスがしたかった。言い方は悪いけれど、一年以上触れ合うことも許されず、あれほど渦巻いていた欲をなかったことにして過ごすのは、やっぱりキツかったよ。でも、今更退くなんてできっこない。もちろん、だからってリサとの関係が正しいだなんて言い訳をする気はないよ。僕は正義になりたいわけでも、正しい生き方がしたいわけでもない。
これが彼の壊れた原因であり、ましろの傷でもありました。
☆10ひとついただきまして、ありがとうございます! とても嬉しいです!
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⑭オモテ/ウラ
夢を見た、昔の夢、嫌な夢。中学一年生の時の、サイアクな夢。
──わたしは中一の冬に、三年生のヤンキーみたいな先輩に犯されかけた。おしりや胸を触られて、無理矢理、手でアレを……ズボン越しに勃起した男根を触らされた。そのヒリヒリと火傷しそうな性欲の視線、冷たい笑いは当時の担任の先生に助けられるまで、ううん、その後もずっと、わたしの耳にこびりついていた。
「ん……カイくん、カイ、くん……」
名前を呼ぶ度に、吐息が熱くなる。ベッドで暗闇の中、わたしは静かにカイくんを求めていく。
夢にあったそれが原因で男のひとが怖くなった。最後の最後にカイくんと同じ共学の高校じゃなくて月ノ森にしたのも、それが一つの原因だったように思える。だからこそ、カイくんは絶対にわたしに性欲は見せてくれない。抱いていないのかもしれないけれど、キスのその先、えっちなことは絶対にしようとしない。それがこの間のお泊りでハッキリした。カイくんは、あの時からずっと守ってくれてる。ボールをぶつけられた痛みから、先輩に犯されかけた恐怖から。自分がそれをしないようにすることで。
「ハジメテって、痛いんだよね……ここに、カイくんの……っ!」
えっちしたいって気持ちは確かに、先輩たちに向けられたものと同じ熱だ。そして男のヒトのアレを……受け入れるっていうのは、きっとボールをぶつけられた時よりもずっと痛いんだろう。指を入れても、狭くてうまく入っていかない。怖いのもあるし。
「はぁ……なに、やってんだろ」
しばらくいじってからじっとり湿っている指を、枕元にあったティッシュで拭き、ちょっとだけ躊躇ってから脚を開いて間を拭いていく。
カイくんは、わたしが本当は名前を呼びながら一人でシちゃうえっちな女の子だって知ったら、引くかな? いっつもきもちいの後は自己嫌悪に陥る。でもやめらんなくて、お泊りがあってからは頻度が倍くらいになった。
「……ホントに、ホントのホントになんにもないのかな?」
疑いたくはない。疑いたくないけど、コンドームがあったこと。しかもああいうのってバラ売りとかされてないんでしょう? 一つノリでもらったって言われても、わたしはもやもやしてしまう。そしてなにより今井リサさん。隣でカレシと同棲してるとは訊いたけど、そのカレシさん、一度も会ったことないんだもん! 確かカイくんは久國さんって呼んでたっけ。
「どんなヒトなんだろう」
浮気とかそういうんじゃない。ただ、バンドマンってことだけは教えてもらっていたからどこかでライブとかしているんだろうか。モニカをやっていれば、別の場所で会うこともあるんだろうか。どうして、リサさんを置いていったまま、家に帰らないんだろうか。色々な疑問は、やがてわたしに眠りをもたらしていった。
「あ、リプついた。はぁーマジ神だわー
「……なにしてるの?」
「このヒトさ、今あたしん中でキテるバンドマンなんだけど!」
──その翌日、わたしは透子ちゃんと待ち合わせでショッピングモールに出かけていた。偶には違う服でカイくんとデートしたいと言ったら手を挙げてくれた。
その道中の雑談で出てきたバンドマン、という単語に昨日の思考が重なり身構えてしまう。どうやら全国ツアーとかを度々やる、華やかでありながらセンシティブな世界観のV系バンドのベース兼ボーカリスト、らしい。写真を見せてもらったけど、カイくんくらい身長ありそうだし、爽やかで優しそうなスマイルがもう伝わってくる。
「いやカケルさん、オフん時はイケメンだし優しいのにやっぱめっちゃ大人の色気~って感じでさ、これでまだ二十代なんだって」
「……確かにカッコいい、ってオフ?」
そう問いかけると住みこの辺らしくて、ツアーとかイベントでほとんど帰れないらしいんだと捲し立てられるけど、そうじゃなくて。プライベートでそのカケルってヒトに会ってるの?
「昨日の一回だけだって! ま、あたしもSNSではちょっとは名が知れてるし?」
「そ、そっか」
「──まぁ、帰りにご飯誘われたけど。あ、シロこれはナイショで♪」
「え、ええ! そ、それでどうしたの?」
「家がうるさいんでパスって」
そ、そっか。透子ちゃんのおうち、呉服屋さんで厳しんだっけ。厳しいのになんで透子ちゃんはこうなんだろうとちょっと思わなくないけど、前に厳しいのは男付き合いとか社会的に問題があるかどうかってだけで他は基本的に自由って言ってたっけ。
「特にオシャレとかのセンスは呉服屋には必要っしょ?」
「確かに……?」
「だからまぁ、いちおーなんもなかったよ」
けどさ、と透子ちゃんはいきなり真剣な顔になった。カラっとしたいつもの明るい雰囲気じゃなくて、ちょっとだけ静かな感じで気を付けたほうがいいよと言われてわたしは首を傾げた。何に気を付けるの?
「噂っつーか、ほぼ確定情報なんだけど」
「うん」
「カケルさん、どうやらガールズバンドキラーらしいよ」
「……んっと?」
「だーかーらぁ、めっちゃ優しい顔して近づいてくるけどGBやってるような女の子を引っかけて遊んでるチャラいヤツかもしんないってこと! 特にシロなんて強引なの、苦手じゃん? なんかあったら海斗サンに申し訳が立たないしさ」
あ、そっか。わたしもそのガールズバンドをやってる女の子に入ってるのか。まだまだ人気はそんなにあるってほどじゃないけど、あの月ノ森から出発したバンドってことでコア層には注目をされてるらしい。しかもガールズバンドって流行してるからそのカケルさんってヒトの耳に入ってるかもしれないし。
──あと、確かに強引なのが苦手なのはそうだけど、透子ちゃん……何かカイくんから聴いてる口ぶりだった。
「妬くな妬くな、あたしはたまたま会った海斗サンに気になったことを質問しただけ。別に盗ろうってわけじゃないから!」
「そう?」
「それに、あたし的にはもうちょっと愛想が欲しいかな。それこそカケルさんみたいな」
「ふふん、透子ちゃんにはカイくんの良さはわかんないよね」
「うわ、うっざ……」
なんで! いいじゃん偶にはさ。わ、わたしだって憧れてたんだよ。友達にカレシ自慢とか。いっつもそういうの聴く係だったから、惚気とかちょっとしてみたいなーとか思ってたのに。透子ちゃんならカイくんのことも知ってるし。
「はいはい、わかったわかった」
「いいの?」
「ヤダ、海斗サンからも無自覚に惚気られてるからマジ勘弁だわ!」
「そんなぁ」
カイくんからじゃなくてわたしからもと縋ってみるけど透子ちゃんは取り合ってくれなかった。透子ちゃんしかいないんだよ? 七深ちゃんはリアクション薄いし、瑠唯さんはそもそもそんなことに時間を取らないでとか言われちゃうし、つくしちゃんはやたら食いつきがすごいのとちゅーしたって言っただけでめちゃくちゃ怒るんだも~ん。
「よし、こんなもんで! メンドイから一括であたしが払ってくる」
「う、うん……」
──それからは普通に服を選んでもらい、流石に下着は遠慮しておいたけど。きっと、わたしはまだカイくんとえっちをする覚悟がない。この間は勢いで脱いじゃったけど後ですごく恥ずかしくなっちゃったし。きっとカイくんが許してくれない。でも、えっちって好きだからするんじゃないのかな? もしカイくんがえっちをしたくないって思ってたら、それはわたしのことをちゃんと好きでいてくれてるのかな? このまま結婚して、子どもを作るには、えっちしなきゃなんだよ? わたしはもっともっと、カイくんに触ってほしい。えっちな目で見てほしい。
「こんなところでどうしたの? 一人?」
「……え」
カイくんのことを考えてぼーっとショッピングモールの吹き抜けを上から見下ろしていると、声をかけられた。優しい声、振り返ると身長の高い
「えっと?」
「ああごめん、一人で寂しそうにしてたから声掛けちゃった。オレは……んーっと、まぁ本名でいっか、
「──っ、ひさくに……?」
それは間違いなく、カイくんのお隣さんと同じ苗字だった。でももっと衝撃なのは、その顔をつい最近わたしは見たからだった。透子ちゃんと一緒に写真に写っていたヒト。そう、カケルさんなんだから。
家に帰らないバンドマン、久國翔……翔けるだからカケル。そんなくだらない答え合わせを見せられてわたしは思わず眉間に皺が寄った。
「ちょ、カケルさん? あたしのバンド仲間に手ェ出すの禁止って……言いませんでした?」
「トーコちゃん、いたんだ。いやさ、寂しそうだったから一人かなぁって思ったんだよ」
ガールズバンドキラー、ガールズバンドの女の子ばかりに手を出す悪癖を持ち、一緒に住んでるリサさんの存在がまるでいないかのような扱い。わたしはこのヒトが理解できなかった。
「どうして?」
「え?」
「シロ?」
「どうしてリサさんと一緒に暮らしてるのに、浮気をするんですか?」
「……知りたいなら、ついておいでよ。
カイくん、わたしは──カイくんがどうしてほとんど帰ってこないはずの久國翔さんに苦手意識を持っていたのかやっと理解したよ。彼はわたしを犯そうとした先輩たちとおんなじだ。えっちなこと、セックスをすることに愛情とかそういうのがないんだ。ただきもちいから、お気に入りの女の子にセックスをするだけ。浮気性で、それを悪いとも考えていない、わたしから見て不気味で真っ黒なヒトだった。
ついに久國翔(ひさくに しょう)さん登場。家に帰らない理由、リサが冷たさを持っていた理由、その全てが明かされようとしていました。
☆10が二つ、☆9を一ついただきまして、投票者総数も20を突破致しました! 誠にありがとうございます。先日分は投稿にあとがきを撃ち込むのが遅れたので昨日は☆8もいただいていました! 励みになっております。
お気に入り、評価、感想、いつもいただきありがとうございます! 次回からしばらく翔くんの話が続くと思います。
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⑮マグマ/ホットミルク
六月も半ばになる頃、隣の部屋に久國さんが帰ってきていた。いつもどうしていなくなるのか、今井さんはなんにも教えてくれないけれど、その前日のこと、僕は帰ってくるんだと嬉しそうに話していた彼女にふと問いかけてみた。
「どうして、今井さんはいっつも待つんですか?」
「そりゃ、アタシが付きまとうのは翔の迷惑になるからね」
「……意味がわかりません」
僕がましろとずっと一緒にいて不都合なのは欲の処理くらいだ。それ以外だったらずっと、目の届くところにいてほしいとすら思う。それは所有欲なのかもしれないけれど、僕にとってのましろを愛してるっていうのは、そういう意味でもあるから。
「海斗は……んー、知ったら絶対に拒否すると思う」
「そうなんですか?」
「うん、だから教えたくない。翔のこと、悪く言われるとアタシは……どこまでも最悪になれるから」
その表情は、爪を明かりに透かしているその顔に宿っている感情は、僕が見たことのあるなによりも熱を持っていて、冗談なんかではないことが伺えた。理解するけど拒否する。つまり僕が久國さんのことを最低だと思わず罵ってしまうようなことが、根底にあるってことはわかった。
「海斗から見て、翔はどういうやつ?」
「完璧、でしょうか。笑みも立ち振る舞いも雰囲気もなにもかも、相手を不快にさせる要素がなに一つ見当たらない。嫌いになる要素が何一つ見当たらない人物です」
「んふふ~、ベタ褒めだね~」
「嬉しそうですね」
「そりゃ、大好きなカレシを褒めちぎられて、嬉しくならないカノジョはいないって」
女の子だったら妬くケドと付け加えた今井さんは、本当に嬉しそうだった。嬉しそうに
「なんで?」
「セックスの時はいっぱいするじゃん」
「それと今は関係あります?」
そもそも、もう一つ問いたいのはなんでカレシを褒められた喜びで僕にキスしようとしてくるのかってことなんですけどね。
そういえばましろも、最近は妙にキスをしたがる。キスをしたいってどういう心理なんですか? と問いかけてみた。
「逆に、海斗はどういう時?」
「僕は……どうなんだろう」
「ほら、アタシにしてみな?」
人差し指で触って誘う彼女の唇に自分の唇を重ねる。すると、いややはりと言うべきだろうか、触れ合うだけでは収まるワケもなく、あっという間に舌が入ってきて、リサの吐息が熱を帯びていく。
「……っはぁ、どう?」
「リサのキスは、熱されすぎてる」
ましろとのキスがふんわりと暖かい、優しい……そうホットミルクのような温さだとするならば、彼女はマグマのような、ドロっとしていて火傷をしてしまいそうで、欲望にまみれている。キスは求めること。僕は少なくともそう感じた。でも同じ求めているという行為だけど、愛と欲では大きく様変わりしている。
「一緒になる時もあるだろうケド、海斗の場合はそだよね」
「ましろに、愛以外を求めたりはしない」
「うん……じゃあ、今日は激しめに……ね♪」
ましろに求めることはしない。求めたくない。だからって、リサに欲を求めてしまうのを僕は、どうにも止められなくなっていた。
そして、やっぱり気になってしまう。リサがその唇に乗せない、僕で言うところのましろが、どういう人なのか。久國さんは、どういうヒトなんだろう。僕の第一印象を肯定したリサは、欠点なんてないよと言い出した。
「
「うん。頭も顔も雰囲気もいいし、家事もアタシに負けないくらいできる。というかアタシが翔に対して誇れるのが家事くらい。楽器持たせても歌わせても、あっという間に人を引き付ける、あとセックスが上手」
「最後の、いる?」
「アタシ、翔と海斗以外経験ないケド」
「……それは知らなかった」
つまり今僕は久國さんに比べてヘタクソと罵られたってこと? それはなんだか嫌だなと感じていると下手、じゃないと訂正してきた。下手じゃないけど、ただ単純にカレとする方が
「それ、下手ってことじゃ」
「違う。翔とするのは……そんだけ、好きって気持ちが乗るから」
「なるほど、好きな相手だと、きもちいってこと」
「そ、海斗にはわからないだろーケドね」
「なるべくなら一生わかりたくない」
それは、ましろの方がということだ。そんな快楽の差のため
──話が逸れた気がするけれど、ならなんでリサは僕を誘ったのかという疑問が残った。僕に足らなかったものを、教えるにしてはいくら何でもこの関係は惰性で続きすぎている。
「そりゃ、海斗、完璧な人間はいないからだよ」
「……言ってることが矛盾してる」
「
意味がわからずに首を傾げるけれど、もうアイツの話はいいでしょとリサが僕に背を向けた。これで、まるで僕がましろに向けるような好きという気持ちを久國さんに向けているというのだから、まだまだ僕はリサのことを理解なんてできていないんだろう。
「それじゃあ、おやすみなさい……今井さん」
「は?」
「……は、って」
「なんで帰ろうとしてんの?」
「え……理不尽ですか?」
「そだよ」
いや肯定しないでほしい。今日は一人で寝るんだろうなぁと思って気を遣って服を着始めたのに、リサはそれを許してはくれなかった。いやまぁこの部屋で寝泊まりすることは一度や二度じゃないからいいんだけど。むしろそっちの方が多いし。そう思ってベッドに戻っていくと甘えるように寄ってくる。これは珍しいとかいうレベルじゃない。
「……なんですか?」
「海斗は、あったかいから」
「はぁ」
「表情筋とは違って」
一言余計だけど、要するに抱き枕になれということか。つくづく、リサは僕のことをモノ扱いする時がある。この間思ったのは台所で料理の作り置きをしている時だった。やけに裾の丈が短いけどそういう短パンとか履いてるのかなとかスマホを触りながら考えていたら、キッチンでシたかったと怒られたくらいだし。
「今井さん」
「なに?」
「久國さん、いつ帰ってくるんでしたっけ?」
「明日の、夜だケド」
「それじゃあ、明日はデートしませんか? いつものように荷物持ちでもいいですよ」
「……海斗」
僕は、リサのことを知らない。彼女が何を考えて、なんで完璧なはずのカレとは離れて過ごし僕を利用しようとするのか。高校生だからというのもあるだろう。でもだったらなんで去年の夏休みも冬休みも春休みも会いに行く素振りすら見せないのだろうか。今年のGWだってそうだ。会いに行こうと思えば行けるのに、どうして僕で代用するのか。
「じゃあ、どこ行く?」
「今井さんのお好きに」
「海斗の言った場所」
「……僕は、家でのんびりしてたいですね」
「デートしよって言ったの海斗なのに?」
だから買い物に行って、一緒にご飯を作って食べて夕方くらいまで過ごしていたい。リサはそこで気づいたように、いいの? と少し熱の籠った問いかけを投げてきた。僕は最初から提案している側なので、それに対して肯定することしかしない。
「……海斗は、最低だね。カノジョいるくせに、アタシに情でも湧いた?」
「愛情は一ミリも」
「やっぱ、最低」
「それはリサもでしょう?」
「んっ、や、ばか……さわられたら、シたくなる、からぁ」
けれど、僕にとってリサは誰にも代えられない
「じゃあ……もう一回」
「わざわざ、着たのに脱ぐんだ」
「じゃないと、できないでしょう?」
「……だね」
ましろ、僕はね──リサを部屋に上げた。そこで夕方まで過ごして、行ってらっしゃいと声を掛けて、一人の静寂を過ごした。平穏だと思った。だけどそれが破られたのはそれから数日後のこと、今井さんとバイトを終えたちょうどその時だった。
「海斗~、透子ちゃんから緊急! ってメッセージ届いてるよ」
「中身なんて書いてありますか?」
「……翔にナンパされたって」
「はい?」
「あちゃ~、アイツ……やらかしてる」
理解が追いつかなかった。桐ヶ谷さんからはシロがカケルさんに声を掛けられてそのままついてっちゃったんだけど! と焦り交じりの連絡が届いていた。ついてった? というかそのカケルさんってのが久國さんなの?
「翔がオンで使う時の名前。確か昨日透子ちゃんとコラボしたって言ってた」
「でも、ナンパって」
「アタシが言った完璧じゃないとこ! アイツ、女癖がめちゃくちゃ悪いの!」
「……え」
僕は桐ヶ谷さんと通話を繋げながら急いでましろたちの元へと向かった。急展開すぎて頭がついていかないけれど、あの時の無意識の嫌悪が全く間違いではなかったことがわかった。ただ、僕もあんまり人のことは言えないけれど。
もどかしいでしょうが、一話挟みました。数話ぶりのメインメンバー全員集合まであと数十分。
☆8ひとついただきまして、更にお気に入り登録が300となりました! めでたい!
決して健全でもライトな物語でもない。血液に現すと不健康そのものの物語ではありますが、感想、お気に入り、評価がいただける限り、マイナーだろうとなんだろうと一話一話を大切に書かせていただきます! よろしく!
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⑯善意/悪意
わたしは、透子ちゃんにカイくんへの連絡をお願いして久國さんについていくことにした。触られるのは嫌だから、距離を空けて、二人きりになれるところは嫌ですとハッキリ口にした。こんなハッキリ言えるだなんて、自分でもびっくりだった。でも、拒否されたというのに、久國さんは爽やかな笑みを絶対に崩さずに苦笑してくる。
「ごちそうって、そういう意味じゃなかったんだけど」
「話相手なら」
「わかった。それならそれでいいよ」
久國さんが選んだのは賑やかなファミレスだった。どうして? と問いかけると賑やかな方がいいんでしょう? と笑顔。どうしてそんな笑顔でいられるのかと気になったけれど、それが一番ヒトにいい印象を与えられるからなんだろうか。確かに、久國さんはカッコいい。カイくんくらい身長高いし、ルックスは甘く、でもバンドマンのイメージにあるように髪が別段長いわけじゃなくて、それが余計に爽やかさを演出している。太いわけじゃないけれどよく見ると筋肉質で、髭や腕なんかも剃り跡さえ見えないほど清潔感がある。でも、わたしはこのヒトが怖い。ルックスが、必ずしも内面を保証するわけじゃないことをわたしは知っているから。
「ごめんなさい、ましろちゃん」
「……え」
注文して、そうして少しの沈黙の後、開口一番に久國さんから出されたのは、
戸惑う。考えれば謝罪されて当たり前の場面なのにどうして謝られているのかわからなくなってしまうほど、滑らかで虚を突かれてしまった。
「トーコちゃんから聴いて知ってるかもしんないけど俺さ、なんていうか」
「──バンドやってる女の子に手を出してる、んですよね」
「うん、なんか寂しそうでさ、ああいう声の掛け方をしちゃった。不快にさせてごめんなさい」
毒気を抜かれてしまい……少し、警戒しすぎたのかもと悪いなという気分になった。拒否して、強く当たりすぎてしまったと罪悪感を覚えた。そうして、一息とばかりにドリンクを取ってきてくれた翔さん、久國さんって呼び方は慣れないから翔か、カケルって呼んでよと言われて、少し考えてから翔さんと呼ぶことにした。彼は何が知りたい? とわたしに問いかけてきた。
「……翔さんは、リサさんと結婚? 付き合ってる? んですよね?」
「結婚はまだかな、同棲はしてるけど」
「な、なのに……浮気を?」
「んー、じゃあリサとの馴れ初め、とかどうかな?」
まるでそこに自分がああいう声を掛けたルーツがありそうなしゃべり方にわたしは頷くしかなかった。ああ、カイくんだったら、それとなんの関係があるんですか? くらい言っちゃうかも。カイくんは常に無表情なうえに案外空気が読めない。わたしも時々読み間違えるんだけど、カイくんは読もうとすらしないからなぁ。今は、そんなカイくんの強引さが、少しだけ羨ましいと思った。
「リサとは、俺が高校生の頃からの付き合いなんだ。あ、付き合いって言っても、恋人になったのは、アイツが中学になってからだけど」
同棲はリサさんが高校生になって、翔さんが大学を卒業してから。なんとプロを何人も輩出しているような有名音大の出身らしく、わたしは驚くしかなかった。本人としては音楽が大手を振ってできる大学ならそれでよかったし、なんなら高卒でもよかったと話していたけれど。
「俺の憧れのヒトは、湊さんでさ。俺が路上ライブしてる時に偶々友希那とリサと一緒に歩いてるところに出くわして、そこから仲良くなったんだ」
「そう、だったんだ」
「だから最初は弟子兼近所の子ども、みたいな感覚だった」
でも、友希那さんのお父さんはバンドをやめてしまって。そこから、三人だったのが二人になって、リサさんはずっとどこか寂しそうだったのを翔さんは傍にいて和らげようとしていた。だけど彼女が中学になった頃、それは突然変化してしまった。
「アイツが中二になったばっかの頃さ、突然やってきてご飯作るとか言い出して……ちょっと酔ってたのもあって、まぁ色々あって……押し倒されて」
「それで」
「そこから付き合い始めたんだよ。責任を取るって感じでな。でも、幾らなんでも中学生に手を出すハタチってヤバイだろ?」
確かに、なんとなくそう思う。なら今わたしや透子ちゃんにナンパするのはいいのか、と一瞬思ったけれど。でもそれが、どうして浮気することに繋がっているの? わたしは当初の疑問に戻ってきた。
「二年間手は出さない代わりにリサは、セフレを作ってもいいと条件を出してきたんだよ」
「……それを、今も」
「俺さ、ツアーとか地方興行とかで結構飛び回るから、そのたびに現地の子に呼ばれるんだよ。あとはそうだな、かわいい子が俺に惚れるところは見たくても、泣くところは見たくないだろ?」
ああ、わかった。理解できた。このヒトは、優しいヒトなんだ。たくさんの女の子の涙を拭えるカッコよくて優しい、わたしが好きなヒーローみたいなヒトなんだ。あとは、そう、ライトノベルでよく見る男のヒトの最後のその先のような。
──ハーレム主人公のアフターストーリーのような、そんなヒトだ。
「他に質問は?」
「浮気した中でリサさんに一番近いヒトは誰ですか?」
「友希那かな。一番近いって言うと、うん」
「……なんで?」
「高二の冬だったかな、ずっと好きだったって言われてあいつの部屋で……リサと同棲した後だから、見られる心配もなかったしな」
「この近辺で、相手はどのくらいいるんですか?」
「どんくらいだろ? ゆりは海外行っちまったから、ノーカンか? 最後まで離れたくないって言われて困ったもんだったよ」
「リサさんは、知ってるんですか?」
「知ってるよ、というか
なんだろう、これは。この、気持ち悪さはなんだろう。澄んでいると思った水が水ではなく無色透明の有害物質だったような、甘い香りを漂わせる毒の花のような、遠くから見るとキレイなコスモスの花畑が、近くで見るとそうでもなかったときのような、なんとも言えない気持ち悪さ。わかることはただ一つ。このヒトは、わたしにとって害だ。理解からもっとも遠い存在だ。
「ましろちゃんも」
「……はい?」
「何かあったら俺を頼ってよ。カレシとケンカした女の子を
悪いと、悪いとすら思ってないのか。仕方がないって? 本気でそう思ってる。悪意ではなく善意で、透き通るくらいの善意が彼の瞳の中にある。笑顔を崩さないのは、悪いことをしている自覚すらもないからか。
「俺のことを知って、もっとましろちゃんと仲良くなれたらいいって思ってんだよ」
「わたしは……」
ドリンクバーで、自分でやりますと席を立っていくと何故かついてこられて、少しだけ居心地悪く感じながら、そう言われて仲良くなんてなりたくないと言いたい気持ちをぐっとこらえた。通じないのなら、黙っていた方がマシだ。でも、翔さんは何かを思い出したかのように一歩近づいてきてわたしにだけ聴こえる小さな声で囁いてきた。
「あと」
「……なんですか?」
「ましろちゃんのカレって、お隣さんの大崎くんだろ? 気を付けた方がいい」
「なにを、言ってるんですか?」
「俺は
それってと反応しようとして、肩に手を置かれた。翔さんから遠い方の肩をそのまま、抱き寄せられるようにして、わたしと彼の距離が狭まっていく。怖い、その内容を聴くのも、彼に触れられているのも全てが、わたしの安寧を壊していくような気がして鳥肌が立った。
「──ましろに、なにをしているんですか……久國さん」
「カイ、くん……っ!」
「……大崎くん、久しぶり」
「ええお久しぶりです。ツアーは忙しかったですか?」
「そりゃもう。だけど充実してたよ……相変わらず無表情だけど、怒ってんのそれ?」
「はい、とても。
「……そうなのかな?」
カイくんが、カイくんが来てくれた。誰も入り込めないくらいに近づいていたわたしと翔さんの距離を無理やりこじ開けて、カイくんは怒りを全身から放っていた。対する翔さんは、笑みを崩すことはなかった。まだ、自分は悪くないと思っているのは、ある意味すごいと思う。
「はい、ここで騒ぎは起こさない! 」
「リサ、バイトは……もう終わってるか」
「まぁね。ほら海斗も、続きは部屋帰ってから」
「……わかりました」
「ん、それじゃあ俺は会計してくる。ごめんねましろちゃん。奢ってあげるから」
「……はい」
あくまでにこやかに、会計を済ませている間にカイくんは大丈夫だった? とわたしの頬に触れてくれる。あったかくて、珍しく焦った表情をしていて、思わず笑ってしまった。
カイくん、わたしね──やっぱりカイくんが好きだよ。カイくんになら、触れられても嬉しくなる。優しさもあったかさも、きっと欲望ですら、カイくんからもらうなら嬉しいんだよ? だから……わたしは、決めたよ。
「やっぱりわたしも翔さんに謝ってくる」
「え、ましろ……?」
カイくんから離れて、わたしは会計をする翔さんの隣へと向かった。そこでわたしは彼に確認をする。本当に、頼ってもいいですか? と。答えはもちろんという言葉と頭に置かれた優しい手だった。わたしは幸せを予感して、満面の笑みを彼に見せていった。
浮気要素はあるけど、NTRはないです。もう一度いいます、ネトラレもネトラセも、ネトリもありません。浮気は最初からしてますけど。
ましろの言葉通り、翔くんのモチーフは所謂ハーレムラブコメの主人公のその後です。紆余曲折を経て、メインヒロインが一人いて、結局サブヒロインともなぁなぁの関係を続けているどころかサブヒロイン増やそうとしてますハーレム主人公。
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⑰決意/覚悟
久國さんの家で、僕たち四人は向かい合っていた。あっけらかんとましろちゃんには別に何かまずいことをしたわけじゃない、と彼は言い放つ。だが、意外なのは同意を求められ翔さんの言う通りだよと笑顔を浮かべるましろの方だった。
「わたしは事情を説明してもらっただけだよ、カイくん」
「でも、あの時」
「あの時は触ってごめん」
「いえ……
どうして、ましろは彼を拒否しないのだろう? 僕も事情の説明はだいたい今井さんにしてもらったけれど、理解に苦しむ。まだ、愛のない、ただ気持ちよくなりたいだけの代替品というのなら納得できる。なのに、久國さんはおかしいことを言うなと苦笑いをしてきた。まるで僕や、今井さんが間違っているとでもいいたげに。
「多少なりとも愛があるからセックスができるものじゃないか? 欲だけじゃあ、動物と同じだ」
「……複数人を愛してるとでも?」
「
言い切る。罪悪感なんて欠片もなく、笑顔で。更にその中でも一番はもちろんリサだよ、だなんて言って隣にいる彼女に微笑みかけた。まるでキスでもするような距離感で、今井さんもアリガト、だなんて熱を帯びた目で微笑みを返した。僕がおかしいのだろうかと思うレベルだ。
「僕には、あなたが理解できない」
「理解してほしいわけじゃない。けど、俺はそうなんだよ」
完全に僕だけが孤立している感覚だった。今井さんは、そうだ彼女は究極までに彼の味方であり、彼に愛を向けるってスタンスだから。でも、ましろまでそこになんの言葉も非難もぶつけないのは、どうして?
「普通じゃないことは理解している。だからこそ、俺は理解してもらいたいだなんて押し付けはしない。リサも、そんな俺でもいいと言ってくれるからこそ、同じ家にいるのだから」
「……うん、だって翔は……アタシのこと愛してくれるから」
ならなんでそんな貼り付けたような顔をするんですか、なんでそんな冷めた目をするんですか。そんなこと言えるはずもなかった。彼女に釘を刺されていたから、どんな理由であろうと、どれだけの理由があろうと久國さんを悪く言うことは絶対に許さないし、許せないと。それはきっと
「……わかりました。だけど、僕はましろに誘いをかけたことを、許しません」
「それは、申し訳ないことをした。まさかモニカのましろちゃんが、お隣さんとお付き合いをしているだなんて思わなくて」
「わたしも……わたしも、別にホテルに連れ込まるとか、そういうことだったら絶対に拒否してたから、ね?」
「……うん」
そう、だからもう僕に彼を非難する動機はない。ましろに
「んじゃあ、完全に仲直りってワケにはいかないだろーケド、今日はアタシがご飯をごちそうしてあげる! ちょうど今日はハンバーグにしようと思ってたんだ~」
「リサの料理はホントにおいしいんだ。ましろちゃんもとっても気に入るはずだよ」
「そうなんですね、リサさんの手料理、楽しみです!」
「まかせて、腕によりをかけちゃうからね♪」
そこからは淡々と日常が繰り広げられた。雑談をして、ご飯を食べてそしてごちそうさまですと隣の部屋へと戻っていく。それが、僕にはなんだか気味が悪かった。きっと気味の悪さの原因は罪悪感の欠如だ。あのヒトには欠片だって今井さんを傷付けてるという意識がない。あのヒトがどれだけ自分の悪癖に傷ついているのか、言いたいことが言えないのかがわかってない。あれだけ、今井さんのことを愛していると囁きながら、彼は彼女を真の意味で見てなんていないからだ。
「ましろ」
「ん?」
「帰るなら送ってくけど、泊まってく?」
「あ、えっと……制服しかないから、帰るね」
「そっか、じゃあ」
「ううん、透子ちゃんが迎えに来てくれたから……大丈夫」
「……わかった」
「うん、それじゃあ、着いたら連絡する」
もう一つが、ましろの態度だった。まるで躱されているような感覚、いや実際に避けられているんだろう。ましろがこうまで僕と一緒にいることを嫌がったり離れたがることは一度もないのだから。どうして? と大きなショックを受けてしまうのも、何かおかしいことなのかもしれないけれど、僕はその原因には久國さんがいるのでは、というわけのわからない妄想めいた怒りを胸に抱いていた。
「ヤッホー☆」
「……なんで」
「こういうのを正しく、来ちゃった♡ ってヤツかな?」
気持ち悪くて、頭が痛くなりそうで沈みそうになっていた僕の部屋のインターホンを鳴らし、笑顔を向けてきたのは、今井さんだった。彼女は僕の質問を半分くらい無視して、ドアを閉め、内側から鍵をかけた。いや、待ってほしい。確かに数日前に部屋に上げたから思ったほどの焦りはなかったけれど、それは久國さんがいないからだ。
「……翔なら、別のヒトんとこ行ったよ」
「え……それって」
「ましろじゃないから安心していいよ」
そうじゃなくて、今井さんを放置して、彼は浮気をしに行ったということ? そう訊ねると首を横に振って、だから言ってたでしょ? アイツはそれを浮気だなんて思ってもないからさと冷たい笑みを浮かべた。
「そんなこと」
「アタシの知り合いにさ、世界を笑顔にーなんて言っちゃって、本気でそれを信じてる子がいるんだケド」
「はい」
「そういう底なしの善意を、翔は持ってる。ヒトのために生きれるヤツなんだよ」
ね、アタシのカレシってすごいでしょ? そう言いたげに僕を見上げてくる。それが、その結論が恋人を放置して他の女性とセックスをしに行くってことだって言うの? 恋人が、今井さんがこんなに悲しそうな顔をしているのに?
「……アタシは、
「なんですか、それ」
「翔にはアタシ以外にも幸せにしたくて、愛してあげたいヒトがいーっぱいいて、手が届く限り、そういう子たちを幸せにしてる」
「でも、今井さんは」
「アタシは翔の傍にいられるだけで幸せだよ」
そんなの、そんなのあり得ない。複数を愛せるというのは理解した。わかったけれど、だったら今井さんにこんな顔をさせたらダメでしょう。でも、久國さんにはそれがわからない。わからないから、彼女は満たされないんだ。
「ようやく、今井さんが僕に向けた言葉の意味が理解できました」
「そっか」
付き合ってるからって万人が万人、そうじゃないと言ったのは、最初は久國さんがなんらかの形で今井さんを愛しているわけじゃないとずっと思っていた。今井さんはいつだって久國さんのことを愛していたし、それを見ていた僕は疑うこともなかった。もしそれが付き合ってるからって愛し合ってるわけじゃないと言いたいのではなく、付き合ってることが即ちきちんと愛し合ってるとは言えないという意味だったら?
「海斗は、薄々気づいてたんじゃない? アタシがデートをしたがる理由」
「まぁ、本当に薄々ですけど」
このヒトはデートというのをあまりしたことがないんだろう。忙しいヒトなんだったら尚更だろう。そこから考えられる彼女が描いていた幸せが見えてくる。欠けているんだ。この二人には大事なものが欠けている。それは時間だ。二人は長い間一緒にいるようで、その実、中身がない。スカスカなんだ。
「うん、それに気づいた時にはさ、もう手遅れだった」
「……今井さん」
「だからね、正直、アタシはお子様みたいな恋をしてる海斗に……嫉妬してた。なんなら別れちゃえ、壊れちゃえって気持ちで、海斗に浮気をさせた」
「……そう、だったんですね」
「うん、アタシもさ、どっちかっていうと困ってるヒトは放っておけないタイプじゃん?」
そうですね、と頷く。アルバイトで一緒になってそれは本当に思ったことだ。何かに迷ったり、困ったりしたお客さんに対して今井さんは絶対に声を掛ける。声をかけて身振り手振りと笑顔で相手の困ってることを訊きだして、なんとか解決しようと試みる。それで一度詐欺にあいそうだったおばあさんを助けたことだってあるくらいだ。
「あはは、でもね……海斗だけ」
「なるほど、確かに」
「海斗だけ、アタシは困ってたところを助けるんじゃなくて、逆に
「……それは、違う」
「え?」
確かに浮気をしたのは大きな過ちだ。今井さんと身体を重ねて、とっくの昔に汚れていた僕が、もうましろを名前の通りまっしろのままだなんて無理なことなのかもしれない。だけど、僕はあの日、今井さんと身体を重ねたことに対してましろのことを考えれば、後悔し懺悔することだけどそれで前に進めないなんてことは、したくない。
「僕は、リサに救われてはないけど……大事なことは教えてもらった」
「海斗?」
「僕は正義のヒーローになんてなれないってこと」
ましろ、僕はね──どっちつかずの灰色の自分を、やめようと思う。僕はましろのような色にはなれない。最初から真っ黒な欲望を持ってた僕が白になれるはずもなかったんだ。だから僕は、もう覚悟を決めた。
「リサ」
「……ホントに、ホントにそれでいいの?」
「うん。これが、僕のケジメだよ」
僕はリサを抱きしめる。もう躊躇いも何もなく唇を重ねて貪っていく、けれど頭の中に僅かにましろの笑顔が浮かんで、浮かんでしまったからこそ僕は敢えて彼女の耳許で囁いていく。それに答えてもらわなくたっていい。僕は、それでいいんだ。
──愛してるよ、リサ。
彼の、そしてましろの決意/覚悟の先へ。ましろと海斗の恋は翔くんとリサを巻き込む形で、加速していきます。
というわけでどんどんと坂を転がっていきます。
お気に入り、評価、感想を無限にお待ちしています。
ここだけの話、最近伸びないんだ……くすん。
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⑱まっしろ/まっくろ
僕は、嘘つきだ。僕の言葉にはどんどん嘘が混じっていく。それは白と黒が混じり合っていくような、灰色の言葉。それが、以前の僕には苦痛だった。ましろに嘘を吐かなければいけないことが、唯一嘘のない言葉を吐けるのが、リサだけだったということが。
「……ん」
「おはよう、リサ」
「おはよ、海斗」
「コーヒー淹れてみたんだけど、どう?」
「じゃあ、もらっちゃおうかな」
でも、僕はもうそんな灰色にも戻れなくなった。部屋で眠っていたリサを起こして、僕はまるで
「……バカだね、海斗は。バカで、最低だ」
「そうなんだろうね」
「でも、最低なのはアタシもだ」
「リサは、別に」
「だって、アタシ……今すっごく、満たされちゃってる。こういう、甘ったるいのが、アタシには必要だったのかな」
「甘かった?」
コーヒーがじゃないよとリサは笑う。甘かった、そう僕は甘かったんだ。それを知ってしまった僕はもう、この胸から湧きたつ黒を抑えることはできない。できないのなら、僕は中途半端な白色を捨てる。捨ててしまえばいいんだ。ましろが選んでくれたこのマグカップを床に落とせば、ゴミになってしまうのと同じだ。
「海斗」
「……なに?」
「また明日になったらしばらく翔がいなくなるからさ」
「うん」
「そしたら、アタシ……しばらくコッチにいていいかな?」
少しだけ悩んでから、僕は頷いた。この部屋はもう、僕とましろの将来を保証してくれるものなんかじゃない。ここは僕の幸せを守る箱庭だ。ちっぽけで、大事なヒトをまっすぐ愛せすらない哀れな僕の、大事な大事な箱庭だ。その幸せとは、リサを拒絶することではなく、受け入れることだから。
「リサ」
「んっ……もう、昨日から、キスばっかり……っん」
「僕が、そうしたいと思ってるから」
「海斗って、結構甘えんぼ?」
「そうかな。でも、僕に言わせるとリサもだよ」
確かに、とリサが笑って、今度はリサから唇を重ねてくる。たったそれだけで凪いでいく。揺らいでいた僕という存在が輪郭を保っていられる。こういうのを、正しく依存と言うのだろうな。リサは久國さんに、僕はましろに、そして僕とリサはお互いに。
「それじゃ、アタシ練習行ってくるから」
「うん」
「気が向いたら外の空気吸いなよ? 大丈夫、
「わかってる」
そう言って、僕はリサを玄関まで送っていく。最後まで手を繋いで、けれどもう一度だけキスをしたらまるでそれまでの温もりが嘘だったかのように、彼女はあっさりと手を離してそれじゃあ、と明るく去っていってしまった。
「……行ってらっしゃい」
嘘ばかりだ。この生活に本当は何一つ存在しない。でも、なら僕はどうしてこんなに満たされているのだろう。空っぽなのに、リサがいなくなれば僕には何も残らないのに。きっと気が向くことはないだろうと部屋に戻ると、机の上に置きっぱなしだったスマホでましろに連絡をする。
『も、もしもし』
「もしもし」
『……カイくんおはよ、どうしたの?』
「おはよ……ましろ」
ましろは数コール置いてから電話に出た。何やら少し慌ただしい様子だった彼女に悪いなと思いながらも僕は、バンドの練習? と問いかけた。支度をしているということが伝わっていることを知ったのだろうましろは少し悩んでから違うよと言った。
「用事?」
『うん、まぁそんなとこ、かな?』
「暇だったら出掛けようかって誘おうと思ったんだけど」
『……ごめん』
いいよ、と言うともう出掛けなきゃだからとましろは会話を切り上げて電話を切った。やっぱり、今日は気が向かない日だったよリサ。
僕は、ベッドに転がり、目を閉じた。暗い瞼の先にいるのは、いつだって僕の傍にいてくれた、大切なヒトの姿だった。
それじゃあと電話を切ってわたしは息を吐いた。びっくりしたぁ。カイくんは普段自分から電話を掛けることもましてやデートに誘ってくれることもない。それは冷めてるからとかじゃなくて、考えすぎてるところがあるから。
カイくんは優しい。でも、その優しさは付き合ってからは少しだけ煩わしいこともある。恋人なんだからもっと、気軽に電話を掛けたいし掛けてほしい。デートだって、いっぱい誘ってほしいのに。これが付き合う前、中学に入ったばっかりだったら違ったのにな。
「……カイくん」
罪悪感で圧し潰されそうになる。だって用事は用事だけど、私が出掛ける相手を知ったらカイくんはきっと、また怒ってしまうだろうから。カイくんが前にかわいいねと褒めてくれた服を着て、わたしは少しだけ気持ちを引き締めるように目を閉じる。今から会う相手はカイくんみたいに優しくない。けれど、頼れる相手ではあるから。
「お、遅くなりました」
「大丈夫、俺も今来たところだから」
その相手とは、久國翔さん。先日顔を合わせた、リサさんのカレシさんでありカイくんのお隣さん。優しいけれど、わたしからすると油断はできない相手。透子ちゃんが警戒していたほどチャラくないことはわかったんだけど、このヒトの悪いところは別にある。
「じゃあ行こうか」
「……はい」
すごく自然な所作で背中に手が添えられた。鳥肌が立ったけど我慢我慢。翔さんは女性関係があまりにも多いせいかボディタッチが多い。本当ならそれほど不快になるものじゃないとは思うんだけど。わたしはちょっとトラウマがあるせいでカイくん以外の男のヒトに触れられるの苦手だから。
「ごめん、触られるの苦手なんだっけか」
「……知ってたんですか?」
「いや、表情がさ。癖って怖いなぁ、気を付ける」
わかっちゃうんだ。これが、翔さんの魔力って言えばいいのかな。惹きつけられる要因にもなってるんだろう。合わせてくれる優しさ、察してくれる優しさ、優先してくれる優しさ。彼は女性に対する優しさの塊のようだ。透子ちゃんが推せるって言ってた意味がよくわかる。
「それよりも、まさか
「頼っていいって言ってたので」
きっぱりと食事以上のことはしないと断っておく。わたしは別に翔さんのハーレムとやらに加わるつもりはないから。すると翔さんはましろちゃんは本当に大崎くんが大好きなんだねと裏表のない爽やかな笑みを向けてくる。
「カイくんは、わたしのカレシですから」
「はは、普段は後ろ向きなましろちゃんが、彼のためには前を向けるって、すっげーカッコいいと思うよ」
後ろ向きって……まぁそうなんだけどさ。そう思いながら今日は喫茶店で向かい合った。そこでわたしが問いかけるのはただ一つ、カイくんとリサさんの関係について知ってることを話してほしい、ということだった。
「どうして知りたいの? 知っても傷つくだけなのに」
「相手がカイくんだから」
わたしはいずれカイくんに消えない傷をつけて
「わかった。大崎くんはリサと結構頻繁にセックスをしてるくらいには、深い関係だ。半年、いや下手すると一年くらいはな」
「や、やっぱり」
あの寝室にあったコンドームも、リサさんの含みのある笑みも、全部そういうことなんだ。でも、ならどうして翔さんはそれを知っててカイくんやリサさんに何も言わないんだろうか。わたしは、正直今すぐにでもカイくんのところに行きたいくらいなのに。それにしても、一年か。わたしが受験生で会えないころ、カイくんはずっとリサさんとえっち、してたのかな。
「それが、リサの幸せだからな」
「……どういう意味ですか?」
「そのまんまだよ。俺だけじゃもう、リサのことを幸せにできなくなってたんだよ」
「ならどうして翔さんは……放置するんですか」
「俺はそれでいいからな。結局、俺とリサは愛し合えている。幸せになるためにお互いしかないなんて、そんな必要はないだろ」
自分やリサさんにバンドがあるように、色々な形の幸せがあってもいいと彼は語った。確かな愛があれば、翔さんがリサさんを、リサさんが翔さんを愛していれば誰とセックスをしていてもいいって。
「お互いがそれでいいって思うことが重要なんじゃないかって思うんだよ」
カイくん、わたしは──わたしはどうやらとんでもないヒトを頼ってしまったようです。翔さんはまっしろなヒトだ。裏も表もない、まっしろで、それ故に色が見えない、真っ黒に見えてしまうくらいの、純粋さだった。
どんどんとすれ違い、乖離し始める二人の行方は、どっちだ!
次回はたぶんリサが中心になると思います。海斗に向ける気持ち、翔くんに向ける気持ち、それらを描写していけたらなぁと。
☆9ひとついただいて、無事メンタル回復しました。感想も増えてきてとっても嬉しいです!
それではまた、感想、評価、お気に入りをよろしくお願いいたします。
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⑲恋/愛
本日またランキング乗ってました、ありがとうございますー
アタシは、翔のことを愛してる。アタシがこうして笑顔でいられるのは翔がいてくれるからだ。翔がアタシに愛をくれた、アタシの背中を押してくれた。
──でも、幸せはくれなかった。愛してくれても、幸せはくれなかった。
「次はどこ行くの?」
「とりあえず神戸に三日くらいかなその次は福岡、また帰ってくるときに連絡する」
「……そっか」
「愛してるよ、リサ」
「アタシも」
キスをする。もっと、もっとしてほしい。ベッドの上のように情熱的に、愛を求めてほしい。アタシは翔に生かされてる。生かされていたはずなのに、去っていく翔の笑顔にアタシは、胸を抑えた。
「行かないでって、言えればいいのに」
単純な話だ。アタシは結局、自分の約束に首を絞められてる。アタシと付き合って、一週間で別の女の子の家に泊まりに行った。相手は高校生で、翔のことが大好きで、翔の愛に救われた一人だった。
「……え」
「どうして驚くんだよ。リサがそれでもいいって言ったんだろ?」
言ったよ。言ったケドさ。だからって
翔はアタシを愛してくれると言った。確かに愛してくれる。一番に考えてくれる。でも、本当は翔にとって愛に順番をつけること自体が、間違いなんじゃないかと思い始めた。
「友希那に呼び出されたから、晩飯はいらなくなると思う」
「そ、そっか」
「おう、それじゃあ行ってくるな」
ちぐはぐだった。今から友希那のところに行く。アタシからすれば浮気をするって言われてるのに、抱き寄せられて重ねられた唇はアタシにとって唯一の、アタシが唯一知ってる愛情だった。でも、もらえるのは愛だけ。もちろんアタシが欲しいものはきっと翔は嫌な顔一つせずに用意してくれるんだと思う。デートだって行きたいって言えば連れてってくれるだろうし、行かないでって言えばきっと、振り返ってくれるに違いない。
──だけど、そう言いたくなる度に、あの言葉がアタシの中で喉を傷付けて、言葉を失わせる。リサがそれでもいいって言ったんだろ? 悪意のないただ純然たる疑問。だけど、それが、翔の幸せにアタシのわがままはあっちゃいけない気がしていた。
「リサ」
「友希那、どしたの?」
「いえ、翔は……どうしているかしら?」
練習終わりにそう声を掛けられ、ちょっと考えてから他の子のところに一泊してそのまま神戸だってさと隠すことなく伝えた。そう、と呟く友希那は、去年の冬に翔を求めて、そして抱かれている。それからどうやら春になるまで数回は会ってたらしいけど、春以降はきっぱり、自分の気持ちにケジメをつけるのだと言っていた。
「どうして?」
「どうしてって……翔を求めたのが私なら、彼の帰る場所が違うのだと知っているのも、また私だから」
「えっと?」
「翔にはリサがいる。いくら翔がいいと言っても、それが現実。忘れられないとしても、ケジメはつけるべきだわ」
「……友希那」
アタシの幼馴染は、カッコいいことを言ってくれる。だからこそ、思わずポロっと浮気しちゃったことを話してしまった。
──アタシの愛と幸せは、二つに割れてしまった。愛は翔から、幸せは海斗から。それはいくら自分では何と言おうと二心でしかない。こんなの翔のことが好きな友希那からしたら軽蔑されることだろう、そう思っていたのに。
「浮気をするなら、徹底してやりなさい。いつも女性にヤキモチを向けられるだけなんて、不公平でしょう? 偶には妬かせてやるべきだわ」
「え、ええ……なにその謎理論」
「きっと翔が気づいてるというなら、間違いなくリサが自分から離れるわけがないと安堵して……いいえ舐め切ってるわよ」
結婚までするというなら、不倫はさせるべきじゃないしするべきじゃない。断ち切るなら今しかないと友希那は強くて、でも優しい口調でそう言い切った。それはまるで、アタシが自分で掛けていた呪いの檻から、出口を示してくれるような。
「私は、リサの幸せを願っているわ。翔ではなく、あなたの」
「だから、翔から離れたの?」
「当然じゃない。リサが本当に抱えている気持ちに、私が気づかないはずがない」
うわ、友希那はだから、最初からその冬の間だけって決めてたんだ。自分の気持ちとアタシの気持ちの折衷案を最初から考えてくれてたんだ。
──簡単だ。アタシは正直、こうして同棲をし始めたら翔の浮気癖が直るものだと思ってた。結婚のこともあるし、落ち着いてくれると本気で楽観視していた。でも高校生になって、もう三年になるケド、アイツはまだまだ、他の子のところに行ってはその子を抱いて、デートしてってのを繰り返してる。アタシとはデートなんてしてくれないクセに。
「不満なら、言ってやっていいと思うわよ」
「でも」
「
「いいのかな」
「それで反省してくれるくらいが、リサの傍にいるヒトとしてはいいわよ」
でも、アタシにはそれに対する懸念と良心の呵責がある。懸念は今までずっと我慢してきた翔へのわがままで、本当に翔を繋ぎとめられるのかということ。友希那はああいうけれど、アタシは翔が愛してくれないのは嫌だ。愛してくれないくらいなら、死んでしまいたいくらいだもん。わがままを言って、もし面倒な女だと思われたら……アタシは生きていけない。
良心の呵責というのはもちろん。海斗を利用することになるからだ。海斗は今、すごく傷ついてる。傷ついてるあの子を自分の利益のために騙すようなことをするのは、嫌だな。
「簡単じゃない」
「え? なにが?」
「一方通行だと思うからダメなのよ」
あ、ああ……それを、まさかそれを友希那に言われるとは思わなかった。そうだ。アタシはなんで
「ねね、海斗」
「どうしたの?」
「夏休みさ、お泊りデートとか……どう?」
「いいよ」
「安請け合いだ~、いーのカナ~?」
一緒にキッチンに立ってご飯後の洗い物の最中、雑談でからかってみるけど、海斗はいつもの無表情ながらちょっとだけ暗い印象を保ったまま安くはないよと言い返してくる。確かに、安くはない。恋とか愛とか、めんどくさいものをお互いに抱いていないアタシと海斗が向け合うものは、たった一つ、欲だ。
「ん、ちょ、海斗……っ」
「どのくらいリサを独り占めできるか、だから」
「もう、こんなとこで……っや」
この間海斗と選んだパーカーワンピの部屋着の下から欲に満ちた指が太股を伝ってくる。ホントに、アタシとしてはこの海斗の性欲を翔も持ってほしいなぁとため息を吐きたくなる。翔なんて絶対気づかないからね。そう思いながらアタシはちょっとだけ腰を突き出して真後ろにやってきた海斗を煽っていく。
「やっばー、めっちゃコーフンした」
「確かに、リサの食いつきすごかった」
「あははー、シてみたかったんだよね、キッチン」
事後はお風呂で……まぁここでもアタシがムラムラしちゃうんだケド。抜かりなく洗面所にコンドーム持ってきてる海斗には負けちゃうね。それでも足らなくてベッドでいっぱいセックスして、また朝になってそれぞれバイトや練習、学校に向かって、そして帰ってきていちゃいちゃしてを繰り返す。
翔、アタシさ──こういうことをしてくれる海斗のこと、ただ単純に翔の
これがリサの決意。リサの幸せへの道となるのです。
☆10ひとつ ☆9ひとつ、☆7ひとつ、ありがとうございます。数話前から言っていますがNTRはないです。どうなにが転んでも翔くんとましろがセックスしたりましろが惚れることは絶対にないです。
また感想もいつもありがとうございます。
お気に入り、評価、感想が励みです。これからも頑張ります!
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⑳日暮れ/夜明け
朝、目覚める場所は部屋よりもホテルの方が多い。幸い枕が変わっても寝られるタチだし、なんなら移動中もどこでも寝れるって特技があるから困ったことはない。なにより、朝は一日の始まりであると同時に、愛と幸福をもらえる一瞬であるから好きだ。
「ん……翔」
「おはよう、まだ寝てていいけどな」
「うん」
背中越しに抱きしめていくと、また寝息が聞こえ始めて、俺も少し微睡みに誘われてしまう。女性の肌は、何度触れても不思議を感じる。自分とは違う質感だとすら思う。柔らかくて、暖かい。女性の方が全体的に暖かいとされるけれど、それは確かにと納得できる。
「翔、次はいつ会える?」
「来月になったらまたすぐイベントがあるから、そん時に、な?」
「うん……大好き」
キスをして、玄関まで送ってくれる彼女に手を振って俺は久國翔から
「カケルー! バッチリだよ!」
「わっと、おいアキ、飛びついてくんなって」
「でもアキの言う通りだな。これなら新曲もセトリ入れれそうだ」
俺の生活は、満たされている。愛に幸せに、充実している。でもそんな俺の明るかった生活に影を落とした子がいた。
──その子は、俺を頼ってくると言いながら俺を、まるで嘲るように毒を垂らしてきたのだから。
「取られますよ、いつか」
「それはない」
「あはは、無邪気ですね。羨ましい」
その子の名前は──倉田ましろちゃん。最近バンドを始めたニューフェイスであり、色々複雑な縁を持ってしまった子だった。取られる、それが恋人で同棲をしているリサをお隣さんである大崎くんに、という意味だと受け止めた俺は冗談だと笑い飛ばそうとするが、そうはさせないとばかりにましろちゃんは言葉を紡いでくる。
「えっちなことをするってことに、ただ欲だけを籠める……本当にそんなことできると思いますか?」
「……わからない。少なくとも、俺には無理だ」
俺の場合、身体の関係というのは複数人に向けるものではあるが、そこにただ気持ちいいからだとか良い身体つきだったから、なんてことは一度だってない。そもそも俺は、一度だってリサ以外の相手にセックスを求めたことはない。誘う方ではなく、誘われる方だから。
「わたしも同じ考えです。だからこそ、わたしなんかよりもずっとずっとヒトに優しく、ヒトの気持ちに寄り添えるカイくんやリサさんが……本当にただ満たされない欲だけでえっちなことをすると思いますか?」
「……それは」
瞬間、迷ったことを後悔した。それはリサを疑うということだ。どうしても愛してほしくて、そして誰よりも俺を求めて、俺がいることで笑顔を保てると言ってくれたリサの愛を、リサの決意や約束を、疑うということに他ならなかった。だが、後悔を口にする間もなくましろちゃんは言葉を積み上げていく。
「わたしはカイくんのことを疑っています。その上、きっと間違った道に進もうとしてる。だから協力してほしいんです」
「頼る、んじゃあなくて、協力か」
「利用とも言います」
じっと俺を見据えてくるましろちゃんには、なんとも言えない覚悟の光を感じた。成程、男嫌いの表情をしているましろちゃんがどうしてここまで俺に近づこうとしているのか理解できた気がした。これは俺にはない色だ。俺の理解から最も遠い色、だからこそ理解できてしまった。
「俺を利用して、俺にメリットは?」
「リサさんを取られなくて済みます」
「そもそも取られるということが確定していないから、不成立だな」
「──まぁ、いいや。すぐにわかりますよ」
そう言って、今日はありがとうございましたと
「つぐみ」
「さっきの、倉田ましろちゃんだよね」
「ああ」
「……シたの?」
「カレシ持ちで頼られてるだけ、言い方悪いな」
「キミだから」
それになんの返事もせずに俺は、コーヒーのお代わりを頼んだ。怖い子だな、と感じてしまう。以前にもああやって、気持ちを溜め込んでいる子や俺とリサと、その他の子との関係を認めようとしない子はいたけれど、ましろちゃんの言葉はそのどれとも違う確かな重量があった。
「あの、さ」
「ん?」
「今度はいつ、出発するの?」
「……ごめんつぐみ。今日の夜行なんだ」
「そ、そっか……でも」
でも夜行なら、と誘われ結局流されるまま晩御飯はつぐみと一緒だった。
東京は、一番落ち着く暇もない気がする。住んでるところだから、リサがいて、他にも俺を求めて、愛してくれるヒトたちがいる。充実しているけれど、ましろちゃんの毒は俺を不安にさせた。
「そんなわけない」
それまでは一度だってリサの愛を疑ったことがない。俺を愛してくれるし、ロクに家に帰ってもやれないとしても、その愛が曇ったことはただ一度もないから。それは大崎くんとセックスをしていると知った後も変わることがなかった。だけど、その不安から俺は最後にリサに会おうとマンションの前にやってきて、それをすぐに後悔することになった。
「ふふ」
「ご機嫌だね」
「夜に部屋着でコンビニってさ、なんか
「確かに、というかないの?」
「翔はホラ、他の子いるからコンドーム切らすことなんてないし、アタシも事前に買っちゃうタイプだからね」
思わず隠れてしまった。けれど、マンションに入っていく二人の姿はリサの、そしてましろちゃんの言う通りだった。コンビニの袋を手に持つ大崎くんに、腕を絡めるようにして薄着のリサが恋人のように寄り添っている。彼の方は変わらない無表情であるため何を考えているのかはわかりにくいが、リサの幸せそうな笑顔と仕草が、二人の世界を形成していた。
「……リサ」
少し前までは浮気をしていてもちっとも嬉しそうじゃなかったのに、罪悪感とか色々な感情で圧し潰されそうになっていたのに。俺がそれを抱きしめて、ごめんと愛してるを籠めることで彼女は嬉しそうに微笑んでいたのに。
──リサの顔から、罪悪感が消えた。悪意が消えた。ただただ、幸せそうに腕を組んで会話をしながら隣の部屋に消えていった。
「──カケル、カケルってばぁ」
「……なに、アキ?」
「あー、あたしの話きーてなかったでしょ!」
「ごめん、考え事してた」
それから、数日経つ。今も、大崎くんと食事をしているのだろうか。彼の家のキッチンで腕を振るい、感想や雑談を交えてやがてそれは、お互いを求める触れ合いへと変わっていくような、まるで恋人のような営みへと。
「どったの? 東京のライブから暗くない?」
「カケルも色々考えることがあるんだろ、そっとしといてやれ」
「ライノはオカンだなぁ、相変わらず」
「オカンじゃねぇよシン」
「んじゃあさー、久々にあたしとシよーよ! ヤなこと忘れて、パーっとさ!」
「ちょ、声でかいってアキちゃん」
「ぶー、シンうざーい。だからフラれるんだ」
バンドメンバーは俺に気を配ってくれる。でもこれは、誰かに言えることじゃない。誰かに言えば、それこそ
「ちょっとな、リサとケンカして」
「へぇ、カケルがケンカってめちゃ珍しいね」
「そういう時にこそ連絡するんだよ。お前は謝れる男だろ」
男性陣二人、
「ばーか」
「……急に罵倒してくるなよ」
「だってさ、そこでカケルが……翔がウジウジしてるから余計にあたしがあの女のこと悪く言えちゃうんだよ? 翔が後悔するから、あたしはだったら乗り換えてあたしにしなよって言う隙になるんだよ?」
それでいいの? とアキは、
「頼って」
「……晶子」
「翔はホント、完璧すぎるくらいに完璧だから普段はイヤミの一つも出てこないけどさ、今は言わせてもらう。あたしを頼れ、仲間を頼れっての」
「アキちゃん、なんか珍しくイイコト言ってない?」
「珍しく?」
ああ、この仲間たちは……最高だな。アキも、ライノも、シンも。くよくよしすぎてたのかも。俺はみんなに愛してもらって、いつしか、一人で生きていけると勘違いをしていたのかもしれない。俺の人生、一度だってたった独りで歩んだことなんてないのに。憧れのヒトに、仲間に、友達に、たくさんの女の子たちに、そして誰よりもリサと一緒に。
「……よし、仲直りする準備はできそう」
「そ、じゃあ今日くらいは一人で慰めてることね」
「そうする」
「うわー流石カケルっち。俺じゃそんなキメ顔でそうするって言えないわー」
「らしい、と言えばらしいけどな」
リサ、俺はさ──ずっとずっと、遠回りをしていたのかもしれない。でも、まだ近道はできないみたいだ。あまりに道を間違えすぎて、そっちに戻るのはもう少しだけかかりそうだから。とりあえず、ましろちゃんに連絡をしよう。きっと縺れた四人の糸が向かうべき未来というのは同じ方向を見ているはずだから。
一話でメンブレ/メンリセする男、久國翔。
余談中の余談ですが、バンド・ラストデウスについて。たぶん考えただけでもう登場しないのであとがきでだらだらと。
言葉通りの最後の神とセンシティブなV系気味という設定から色欲(LUST)をかけて色欲の神、そして色欲の悪魔であるアスモデウスのトリプルミーニングとなっております。
メンバーはリーダーでベース/ボーカルがKAKER(久國翔)、ギター/ボーカルがAKI(
☆9ひとつありがとうございます! ゆっくりとではありますが、順調に評価されているのが嬉しくあります。
もしまだの方がいらっしゃるならお気に入り、感想、評価をどうぞよろしくお願いいたします。感想いっぱいきてくれて嬉しいです! 返事遅くてごめんなさい!
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㉑一日/一日中
──終業式を終え、すっかり雨の少なくなった空を見上げた。けれど去年の夏休みとは感情は全く違うものだった。去年は、受験勉強に追われるましろとはほとんど出掛ける機会がなかった。そのかわり時々図書館とかで勉強を教えてたんだけど。
「来年は」
「ん?」
「カイくんと色んなとこ行きたいな、花火とか、海……は水着とか、恥ずかしいけど」
「海はだめ」
「……わかった」
花火も、万が一ましろとはぐれたらと思うと気が気じゃない。でも、中学生の時に二人で夏祭りに行ったあの思い出を語りながら僕とましろは来年こそ、色んな場所に出かけようと約束していた。けれど、どうやらその約束は果たせそうになかった。
「水着さ、海斗はどーゆー系が好み?」
「……なん、なに?」
「だからぁ、海斗はどういうタイプの水着が好み? って訊いてるの」
水着にタイプがあるんだ。そもそもそこからなんだけど、僕が思い浮かぶ種類といえば競泳用、スクール、あとはセパレートかそうじゃないかの違いくらいしかわからないんだけど。そういうとリサはニヤリと嫌な笑顔を浮かべてきた。
「フェチだね」
「競泳用やスクール水着がいいとは、言ってないけど」
「でも、チョット想像したでしょ?」
今まさに想像させられたよ。確かに健康的なリサのボディラインを包む競泳用、とか似合いそうな雰囲気はある。だけどリサの言う水着は水泳のためのものじゃなくて、海とかプールとかに行くためのものでしょう?
「そ、海斗とね」
「僕は今初めて聞いたんだけど」
「言ってないもん」
「……そう」
言ってないけど、確定事項となっているようで、リサはスマホを操作しながらどういう系? とさっきと同じ質問を、今度は更に簡略化して訊ねてくる。セパレートかセパレートじゃないかでいったら、僕も男だしセパレートの方が好みだよ。リサのスタイルでお腹を出されてしまうのは少し、目のやり場に困ってしまいそうだけど。
「海斗ってさ、ホントむっつりだよね~」
「むっつり、というほど自分の欲を隠した覚えはない」
「あはは、でも表情には出ないじゃん?」
だからってむっつりに認定されるのは納得がいかない。じゃあ見たいか見たくないかで教えてと言われてしまうと見たいと返事ができるのは、オープンな方だと思うけど。
これがましろなら……って、ああまた考えてた。考えないようにと思っているけれど、やっぱりふとした時に考えてしまう。
「夏休み、会えないの?」
「うん」
ましろに会ったのはつい数時間前のことだった。喫茶店でデートの休憩をしていたところで夏休みの予定を立てようとしたことそのものを打ち砕かれてしまった。夏期講習、モニカの合宿やらライブの準備と練習やらでどうやら今年の夏のましろは、去年にもまして忙しい日々を送るみたいだ。それは仕方ないねと僕は頷いた。
「それじゃあ桐ヶ谷さんたちによろしくね」
「ごめんね、カイくん……夏祭りは一緒に行こうね」
「……うん」
たった一日、僕に与えられた恋人との時間は夏祭りというたった数時間しかなかった。それでも思い出になる特別な時間になるだろう。そう思っていたけれど、それは帰ってきてしばらくしてから与えられた暖かさに薄まる予感がしていた。
「たっだいま~♪ あーすずしー」
「涼んでるのに密着がすごい」
「あ、ごめんごめん、結構白熱してたから汗臭かったでしょ」
「気にならないよ」
「そう?」
汗でしっとりした髪や首筋に顔を埋めることだってあるのに今更でしょうと雑誌から目を離さずに言うとちょっと離れていた暖かさがまた耳許までやってきた。なに、と問いかける間もなく首筋にキスをされ、囁かれた。
「えっち♡」
「……僕も帰ってきたばっかりだから、汗臭いよ」
「じゃあお風呂入ろ、汗流してからご飯にしよっか」
「うん」
何がスイッチだったのかなんてわからない。もしかしたら最初から
「今までのセックスでさ」
「……急にどうしたの」
「いやお風呂で何となく考えてたんだケドね」
「うん」
「海斗って腰フェチだよね」
思わず手を引っ込めてしまい、リサに笑われる。でも冗談ではなく本当にふと考えたことらしく、僕は完全に無意識だったためどうなんだろうと大真面目に考察してしまう。どうやらリサはだからこそ水着の種類を訊ねてきたらしい。
「フェチにも色々あるじゃん? フェチ部分が見えてた方がいいのか、それともピッチリラインの方がいいのか、みたいな」
「……そこまで自分の
そもそも僕のどこを見てそう思ったのか知りたいんだけど。そう言うとリサはセックスの時に腰を触ることが多いことを指摘してきた。特に後ろからの時や向かい合った時は手で支えるだけじゃなくて撫でてくるとも。
「あ、確かに」
「でしょ」
「でも、たぶん腰フェチ……ではない、と思う」
「じゃあなに?」
脚の間にリサの手が置かれ、キスをされるんじゃないかというくらいの距離で見上げられ、僕はその視線が自然と動いた方向を考えた。最初に見える男性が女性を見る部位としては顔を除くと胸元だ。特に彼女の夏場はキャミソールが基本なので前傾姿勢で下から覗きこまれれば嫌でも視界に入る。だというのに、僕が見た場所は胸元ではなかった。
「たぶん、お尻……だと思う」
「腰じゃなくて?」
「うん。リサが言ってるのは、無意識に腰とお尻の境目というかそのあたりを触ってたんだと思う」
なるほどねーと納得を見せるリサに、じゃあじゃあとなんだか目を輝かせて色々と僕に見せてくる。だというのに、僕はまたましろのことを考えていた。ましろが僕のこの性癖を知ったらどう思うのだろうか。抱きしめた時、無意識に触ってはいなかっただろうか。無意識に、彼女のことを性欲に塗れた手で触れていなかっただろうか。そんなことばっかりを考えて、もしそうだったらと自己嫌悪に陥っていく。その泥のような負の感情に囚われていく僕を、リサは引っ張り上げてはくれない。自己嫌悪した僕のことを決して助けてはくれない。
「幻滅しないかもよ? 知ってて、黙ってくれてるかも?」
「そうなのかな」
「でも、わかることは一つあるよ。
そう言って、リサはするりと僕に背を向けてソファに寝ころんだ。いや、寝転ぶんじゃなくて、ソファの端に腕を置いて、膝を立ててホットパンツという無防備なお尻をわざわざ僕に向けてきた。
「あのさ、リサ」
「んー?」
「もういっこ、どうしても目が離せない場所を見つけたよ」
「どこ? 触って、アタシに教え……っ!」
煽られることはわかりきっていたから既にそこに中指を押し当て、短い爪が触れるかどうかというほどのソフトタッチで下から上へと指を移動させていく。今みたいに膝を合わせてる時や、ショートパンツで立っている時、膝を折ってソファでのんびりとくつろいでいる時など。その時に見えるお尻から太股のライン、僕はそこに指を這わせることが好きみたいだということに気づいた。
「んっ、なにそれぇ……下半身ばっかり」
「いや、でも違うか」
「……なにが?」
「
「──っ、ばか……そんなの、次から気になっちゃう……じゃん」
その言葉が僕のスイッチになり、今日もまた僕の部屋のゴミ箱に使用済みのコンドームとティッシュが我が物顔でスペースを取っていく。ましろと僕の愛がたくさん積みあがるはずだったこの家の色々な場所で、僕とリサのセックスの記憶が積みあがっていく。
「せっかくなんだもん、ベッドだけじゃなくて、欲しい時に、欲しい場所でよくない?」
「向こうではベッドだけだったクセに」
「海斗もね」
「案外、興奮しちゃうものだからさ」
ましろ、僕はね──どうやら思った以上に自分で自分の性欲やエロを抑え込んでいたみたいだ。リサには見せられる僕の欲は、もう、前よりもっとましろには見せられないほど膨れ上がっていた。でも、それが僕のありのままなんだ。そんなありのままを見せることもできない僕は、きっとましろの傍にいる資格なんてないんだろうね。あまりにこの部屋でセックスした場所が多すぎて、僕はきっと次にましろを部屋に上げたら……ましろの純潔を奪ってしまうだろう。そういう確証めいた予感があった。
箸休め回、というか夏休み編のプロローグ的なやつになります。フェチズムって割と女の子に嫌われるかもってなりますよね。ぼくは変態なのでなります。
☆10、☆9、☆8をひとつずついただきまして、ありがとうございます。
感想も最近もらえてとてもありがたく読ませていただいております。
それでは、次の話でお会いしましょう。
お気に入り、感想、評価もお願いしますね!
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㉒代替/欠陥
僕の日常は、カタチを変えて、歪めながらも順調に進んでいく。すっかり外に出るだけで命の危険も感じるようになってしまったある日のこと、バイトから帰ってきた僕は少しだけ隣の部屋に目線を送ってから玄関の鍵を開けた。
八月になって、久國さんが帰ってきていた。リサ曰く結構前からアタシらが浮気してるの知ってると思うよ、とは言っていたし僕もそう思っているけれど、どうしても不思議なことがあった。
「……あのヒトが怒るところ、想像できないな」
少なくとも僕が見た限りでは久國翔という人物が笑顔以外の表情をするのを見たことがない。そりゃあ普通は浮気されて怒るだろうけれど、それすら、想像ができない。というか想像できる人だったらあのファミレスの時点で怒りの片鱗くらい見せてくれてもいいはずだから。
『
『……そうなのかな?』
あのヒトは笑顔を崩すことなく
「今は、どうなんだろう」
今となっては僕とリサの関係は更にヒトに褒められたものじゃなくなっていた。なんならどちらかというと現状リサと久國さんより、僕とリサの方が同棲してるような気がする。一日一緒のことなんてまずなかったらしいし、今は海斗がいるからね、と嬉しそうにするリサの瞳からだんだんと久國さんが消えているような感覚がしたのもその一端なのかも。
「あ、海斗サン!」
「桐ヶ谷さん、こんばんは」
「ちす! 海斗サンはコンビニ飯っスか?」
「うん、偶にはね」
コンビニへとUターンして買い物をしていると桐ヶ谷さんに話しかけられた。ましろとの件はどうやら知らないようではあるけれど、ある種巻き込まれているためそういえば、とひと月前のことを訊ねてくる。
「あれから、ましろとはうまく行ってます?」
「なんとか久國さんに取られずに済んでるよ」
「カケルさん、あたしがチャラいって脅してたんですけどそうでもなかったーってシロのヤツが言ってましたね」
ズキリと胸が痛んだ。ここひと月の間に、リサがどうやって情報を入手したのかは教えてくれなかったけれど、ましろと久國さんが喫茶店にいたらしいよと言っていた。見間違いとかではないというか確たる証拠まであるらしい。そのこと、桐ヶ谷さんなら知っているのだろうか、それとも、彼女は何も知らないままなのか。
「桐ヶ谷さんは」
「はい」
「何か飲む?」
「……いいんですか?」
いいも何も、たかがジュース一本だ。そりゃあ毎日はちょっと無理だけれど、ここで会ったましろの友達に、はいそれじゃあなんて薄情な精神は持ってないよ。そう言うと桐ヶ谷さんはきょとんとしてから、んじゃあ遠慮なくと嬉しそうに選んでいく。その後ろ姿にようやく、そういえばこの子、偏見になるかもしれないけど言動からは想像がつかないようなお金持ちの名家出身だったことを想い出した。
「いやいや、カンケーないですよ。ありがたさに変わりはないっスから!」
「そう? ならいいけど」
「ぷっはー、キク~!」
お酒じゃない。ただの炭酸ジュースだけど、桐ヶ谷さんはまるで仕事終わりに飲酒したみたいな味わいを表情に浮かべていた。イートインスペースでもう少ししゃべろうということになったものの、会話が始まったのはそれから少ししてからだった。
「シロのこと、訊かないんですね」
「どうして?」
「前だったら、海斗サンはシロの話するシロも海斗サンの話してたのになぁって、それだけっス」
普通なら、タダのケンカかって思いますけど、と付け加えられ、露骨に何かあったことを察知されている雰囲気に、僕は何を話せばいいのかわからなくなった。ましろのこと? それともいっそ自分の状況を打ち明ける? そんな永遠に終わらない言葉選びをぶった切ったのは、いつもの快活な雰囲気とは違った桐ヶ谷さんの言葉だった。
「カケルさん」
「……っ!」
「──と、なにかあったんスね」
鋭い。というかカマをかけられたのか。だが桐ヶ谷さんはそれ以上の詮索をする気はなさそうで興味が無さそうにジュースを煽っていく。炭酸が彼女の喉を動かし、潤し、癒しの吐息に変わっていくのをじっと見ていた僕は、ましろは、と口を開いていた。
「ましろは……久國さんと会ってるの?」
「……っぽいってことをふーすけ、えっとツインテのちっちゃいのが」
「二葉さん?」
「そっス。なんでもきょうだいの面倒見てたらデートっぽい服装のシロがめちゃ笑顔の素敵な高身長イケメンと歩いてたって言ってました」
めちゃ笑顔が素敵ってところで僕じゃないと悟ったらしいのはこの際聞かなかったことにしておくとして。そっか、
「シロのこと、もう冷めたんスか?」
「冷めた……か。そうじゃなくて冷められたのかもね」
「でも、前の海斗サンだったら、ここでブチ切れそうな感じ、ありましたよ」
男に触れられることが我慢できないのは、ましろがそれで過去ひどい目に遭ってるからだ。彼女に性欲を向けてはならないと思ったのは、それがましろのトラウマだからだ。僕はそのトラウマの中で唯一、そういう目で見ない男だったから傍にいただけだ。
──ましろが僕に守られなくていい。平気になったというなら、僕は必要ない。
「だいたい、そのトラウマ云々が……しょーじきキモイってか、考えすぎな気もしますね」
「キモ……でも、ましろは」
「なんでシロのこと信じてあげらんないんですか? あたしだったら、例え好きな幼馴染だろうとトラウマあったらハグすら拒否りますよ」
「……桐ヶ谷さん」
「でもシロとキスとかハグとかしたんですよね? つかシロから半裸で迫ったけど避けられたって話もされましたけど」
「そうだね」
「結局ソレって、海斗サンがチキってるだけじゃん。だから
「──え?」
思わず、桐ヶ谷さんに目線を向ける。知ってますよとでも言いたげな目線で空になった炭酸ジュースのペットボトルをゴミ箱に捨てながら、この近辺住んでるのになんでバレないと思ったんですか? と逆に煽られてしまった。
「あたし、ケッコーこの近辺に仲いい先輩とかいるんですよ」
「なるほど。最近は隠すとかそういうこともロクにしてないから」
「つか、海斗サンがやろうとしてること、予想できてるヒトとも、知り合いってか友達なんですよ」
それは、僕はそんなにわかりやすくなってしまったのだろうか。いつも無表情で何を考えてるのかわからないと言われる僕の思考を読める人間なんているなんて。別にポーカーフェイスってわけじゃないけれど、今までましろ以外に会ったことがなかったな。
「……わかってんじゃん」
「え?」
小さな声で呟かれて聞こえなかったけれど、訊き返しても無視されてしまう。代わりに、桐ヶ谷さんは軽蔑するわけでもなく、怒るわけでもないような、微妙にフラットなまま海斗サンは、と去り際の問いを投げかけてきた。
「海斗サンは、シロのこと好きなんですよね?」
「……え、それは」
「あー、それは、言葉じゃない方が……あたしは好きっス」
イートインスペースから去っていく桐ヶ谷さんの言葉は、どういう意味なのか。僕は少しだけ考えて、わからなくて頭を振った。ただ一つだけ言えるのは、言葉でならましろのことを好きだと言えるけれど、それじゃあ足りないということ。きっとリサは久國さんと一緒に寝ているんだろうということがわかっても、特に何かを感じたり、特段リサに連絡をしてみたりする気にはならなかった。別に、久國さんからリサを寝取るつもりなんて最初からないし、愛してるだとか好きだとか言葉にして、恋人みたいに過ごしていても、所詮僕らの関係は足りないものを補うための
ましろ、僕はね──ましろが愛おしいよ。ましろに会いたい、会って、大好きだって、愛してるって伝えたい。前までは気軽だった言葉たちが、伝えられなくて、僕は水の中で呼吸困難になったみたいに、もがいているよ。
散々浮気しまくったせいでましろは翔くんとたびたび(東京にいる日中のほんの数時間程度)デートをしていて、かつ夜は代替品に頼ることもできない(翔くんが帰ってきてリサを取られる)海斗くん。いや、メシウマですね。もっとやれ、桐ヶ谷さんにいじめられ、メンブレ状態の主人公くんに救いはあるのか! ないです!!!!!! あるわけねぇだろ!!!!!!
※ちゃんとハッピーエンドにします。
☆9ひとつありがとうございます! これでなんと! ついにバー三本目が赤色になりました! みなさん評価ありがとうございます! 感想も気づけば46件になってました。とってもとっても嬉しい(語彙力)
お気に入りの伸びはいまいちなのはひとえに求められていないとはわかっていますが、それでもこうして高い評価をいただけていることを励みに、毎日のクオリティを落とさず! 落とさずに頑張っていこうと思います。
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㉓利用/同盟
カイくんに会えない日々が続いている。ううん、会わない日々を続けている。最初はそれが後々になってわたしやカイくんのためになるんだと思えば我慢できると思っていた。でも、やっぱりダメになっちゃうから夏休み前に会っちゃった。会って、お話して拒絶しちゃって。心の中でわたしは嘘つきで悪い子なんだって何度も自己嫌悪に陥った。
「ましろちゃんってさ」
「……なんですか」
「いや、やっぱワルモノ似合わない性格してるよ、ましろちゃんは」
「そんなの……わたしが一番わかってるもん」
その自己嫌悪の原因の一つとして、本来は会える時間を、翔さんと会っていることも挙げられる。浮気だよこんなの、もうカイくんに顔向けできないよと沈んでくわたしに翔さんはいやあっちその大崎くんはガッツリ浮気してるけどなと苦笑いしてくる。
「それとこれは別です」
「別なのか、どういうメンタル?」
「わたしが浮気したって思ったら浮気なんです」
「それ、普通は相手が浮気した時に言うと思うんだよ」
圧倒的になんの中身もない雑談を繰り返す相手が、カイくんじゃないというだけで、わたしの胸の内は荒れに荒れて、雨模様を通り越してもはや嵐が吹きすさんでいるようだった。後ろ向き、そうわたしは前に向けているのかすごく不安になる。ホントはこのままだとカイくんと一緒にいられないんじゃないかって、今すぐ縋り付いた方がいいんじゃないかって思う時もある。
「……それで、翔さんの方は何か成果はありましたか?」
「それが……ない」
「ない? もしかしてふざけてますか?」
「そんなわけないだろ。俺としてもリサを取り戻すために心の武装をしたさ」
「なのに?」
「……扉開けたらリサがいて、それで」
はぁ、と思わずため息がこぼれてしまった。それでそのままイチャイチャしてしまったらしい。ダメだこのヒト。頼りになると思ったけど想像以上にメンタル脆いね翔さんって。今まで悪意というものに触れてこなかったのが原因だと思うんだけど、それにしたって最初に会った時の無敵感をもうちょっと持続させてほしかったなぁ。
「俺もつい最近、ましろちゃんにいじめられるまでは自分のメンタル疑ってなかったんだ」
「わたしのせいですか?」
「違うの?」
「違います」
いじめたんじゃなくて現実を知ってほしかっただけなんですけど。というか回りのヒトが甘やかしすぎなんじゃないかなって思うんだ。
──それはさておき、今日はなんで来てくれたんですか? いつもだいたい他の女の子と用事があるからって言うのに。
「いや、リサのこと……話せるのましろちゃんしかいないし」
「なるほど」
この一ヶ月ほどで数回会って、何度かの電話のやり取りをしたわたしと翔さんは、言い方は悪くなってしまうけど、リサさんとカイくんの幸せをぶっ壊そう同盟のようなものを組んでいる。最初は利用するつもりだった。翔さんはこの東京で過ごせばそれだけでリサさんの耳に動向がわかる程度の知り合いがいるらしいから、そこでわたしがいることでカイくんを動揺させようとしていた。
「思ったんだけどさ」
「うん?」
「なんで大崎くんを動揺させなきゃならないんだ? フツーに浮気だと勘違いされて別れようってならない?」
「甘いですね、カイくんの心理をこれっぽっちも理解してませんよそれ」
「たぶん理解できるのましろちゃんくらいじゃね?」
それはさておくとして、今のカイくんは自己矛盾を引き起こしているんです。カイくん、あれでも性欲が強い方なんじゃないかーとは昔から、それこそ付き合う前から察知してました。それを嫌だとは一度も思ったり口に出したこともないけど。
「性欲が……ちょっとうらやましいな」
「え、翔さん絶対えっちじゃん」
「そんなことねぇよ。いっつも薄味だーって言われる」
リサはその点一度もそう言われたことないからな、と補足されるけど。複数と関係持ってて性欲ありません、というのは信じられないけど、翔さんは嘘つかないからなぁと判断して、話を元に戻していく。
「大崎くん、性欲強いんだな」
「それをわたしに向けられなくて、リサさんを
リサさんはリサさんで、何かしらの翔さんに向けたいけど向けられないものをカイくんに向けて
「つまり、以前の状態は歪だけどバランスが良かったのか」
「それで一年くらい安定してたんで、そうなんでしょうね。だけど、そんなの嫌じゃないですか」
少なくともわたしは、カイくんに浮気までして貞操を守りたいわけじゃないし、守ってほしいだなんて言った覚えはない。むしろわたしはカイくんだけ知ってればいいと思ってる。カイくんにえっちな目で見られたら、カイくんに押し倒されてえっちなことされちゃうなら……って思うと嬉しいというか、ぞくぞくする。
「あ、でもカイくんだけなので。わたし、これでも男性が怖いんです」
「えぇ……嘘だろ」
それは本当のこと。過去のトラウマはまだ拭えないけど、最初にハグをされた時、カイくんの中学卒業の時におめでとうと抱きしめられた時から、わたしはカイくんの熱にだけは夢中だから。
「でもカイくんは自分も男だからって譲らなくて。それで僕はましろを性的に見る他の男とは違う、特別だからって……全然わかってくれない、逆なのに」
「ましろちゃんとしては、大崎くんだけが特別で、触れられたい相手ってことか」
頷く。カイくんが特別だから、カイくんだけはわたしの全てを見てほしい。まっしろなんかじゃ我慢できなくて、カイくんの色に染まりたい。わたしを、カイくんと同じ色にしてほしい。そうずっと、思ってきたから。
「ましろちゃんも、なんだかやや肉食気味だね」
「いっつもカイくんの肉食に晒されてたから、かな?」
ハグの時も我慢しきれてない時はしれっと触り方やらしかったりするんですよ、と段々と惚気に変わっていくわたしの言葉を翔さんは自分のことを、豊富な女性経験を交えながら聞いて、相槌を打ってくれた。こういうデートも、作戦の一つだ。
──作戦の目的はリサさんに向けてる欲を全部わたしに向けてほしい。リサさんにしてることを全部わたしに、吐き出すモノも全部わたしにほしい。わたしだけがカイくんに全部求められたい。でもカイくんは頑固だから、わたしが迫っても拒否したから、無理やりにでも振り向かせてみせるんだ。
「翔さんとは利害の一致です。リサさんを引き剥がすのに丁度よかったから」
「……明け透けすぎじゃね?」
「嘘つく必要ありますか?」
今更でしょう。こうなったらカイくんを孤立させるしか方法はないんですから。ちなみにそんなにのんびりもしてられなかったりする。カイくんのメンタルは筒抜けだからわかるんだけど、カイくんは選んじゃダメな選択肢を実行しようとしてる。それより前に、作戦を遂行するんです。
「とりあえず! そのためにはリサさんとお話してくださいよ」
「リサの方だって頑固なんだよな。不満はないって言われる」
「んー、せめてなんの不満を持ってるかわかればいいんですけどね」
リサさんも強情だ。なら、わたしが出張るしかない。怖いけど……怖いけど。わたしがわたししかいない、特別だって教えてくれたヒトのために。似合わない悪役をやってみせる。リサさんにとってもう、カイくんは掛け替えのないヒトならば、本音を引き出させることくらいならできるはずだから。
「それは、俺がやるべきじゃ」
「いやもう、翔さんはカイくんにものすごい勢いで嫌われてるんで……逆効果ですね」
「そっか」
しょぼんとされると困る。このヒトは本当に根っからの善人だ。リサさんを取ったカイくんに対して憎悪とか、不幸になればいいとばかりにわたしに話しかけてもいいくらいなのに。だからこそ、いつの間にか利用したかったはずのヒトと同盟を組んじゃってるんだけど。
「それじゃあ、いつにしますか?」
「あ……夏中は、その……」
「……え、無理なんですか? 夏休み?」
「サマーフェスとか、海外遠征もあるし」
それは純粋にすごいとは思うけど、その忙しさは絶対にリサさんの不満点の一つだと予想してるからなぁ。でも、わたしはもう決めてるんだ。
カイくん、わたしね──カイくんとの幸せな未来を勝ち取ってみせるよ。そのためなら苦手でもなんでも、ワルモノになってみせる。だから夏休みの間はどうか……不用意なことはしないでくれると嬉しいな。というかそれまではリサさん、どうかカイくんに幸せを分けてあげください。それなら、浮気したことも許しちゃえるから。
というわけでましろの作戦が明らかになりました。だけど彼女が危惧している海斗の選択とは。作戦とはいえこうして翔くんとのデートをたびたびしているのでやっぱりかわいそうな主人公。やめないけど。
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㉔停滞/前進
つぐみや他の女の子から、翔が見たことない新しい女の子とデートしてるって話をされるようになった。そこまでなら問題ない。今までも何度かそういうのあったし、突発的なデートじゃないかぎりアタシが知ってることがほとんどだから。
──でも、今回は二つの問題があった。ひとつは突発的なデートじゃないのに、翔がアタシになにも言ってないところ。もうひとつはその相手が海斗の恋人、ましろってことだった。
「いや~、あたしはなんも訊いてないっス! お力になれずにすんませんけど!」
「そっか」
透子ちゃんはああ言ってたケド、ましろが海斗に最近あんまり連絡しないってことに何か関係がある気がする。そんなことを考えてるうちに翔はサマーフェスの準備や海外遠征に向けて慌ただしくなって、果てはしばらく事務所で寝泊まりすると言われた。
「九月、九月になったら一日のんびりできると思う。それまで……ごめんな」
「……翔?」
夏休みに全然翔がいないことなんて今更慣れっこだケド、その苦笑いがなんとなく気になった。翔は、アタシに何か隠してる? 付き合ったクセに浮気しに行くのに、それをわざわざアタシに報告するバカ正直な翔が? それはアタシに少なくない衝撃を与えた。
「自然に考えると、ましろと翔がコソコソ何かやってるってことだよね……?」
「……ましろと」
「あーごめん今のナシ」
「いや……いずれはこうなる予感はしてたよ。なんか、ファミレスの時からやけに懐いてたみたいだし」
しまった、相談した相手がよくなかったとアタシは身近にいた人間で驚きを共有しようとしたことを後悔した。海斗を抱きしめてそんなことないってと慰めてあげるケド、こればっかりはアタシも
──翔は、ほっといても幸せになる。もし翔がましろを愛して、幸せにしてくれるんだったらましろも。でもそうなったら海斗は? 海斗だけ、ひとりぼっちになっちゃう。そうなった海斗は、一生自分のしてきたアヤマチで自分を傷つけ続ける。
「海斗……そうなったら、アタシは海斗と一緒にいる」
「……いいよ、僕は」
「よくない……全っ然、よくないよ……!」
放ってなんておけない。アタシにとっては海斗が、アタシの嫌なところを知ってる。アタシのこの、ドロドロでぐちゃぐちゃな気持ちを知ってくれてるヒトなんだから。もし今すぐに海斗がいなくなったら、アタシもひとりぼっちになっちゃう。それがどんだけ怖いのかなんて、海斗なら言わなくてもわかるでしょ?
「……リサ」
「いっそ」
「なに?」
「んーん、なんもない」
いっそ、交換してしまう? だけどそれは嫌なんだ。アタシも海斗も、結局はお互いの恋人の傍にいたくて、でもいられないからこうして歪な関係を続けちゃってる。アタシはとっくに手遅れだけど、海斗も救われなくなるのは……嫌だ。
「とりまさ、えっちしよ」
「なんで?」
「考えてもしょうがないじゃん? それより、アタシのことばっか考えてほしい」
「……欲張り」
「ん! 海斗もアタシも、欲張りだからね?」
そうやって、アタシは海斗の欲を奪う。本当はましろに向けなきゃいけないソレを奪って、本当は翔に向けなきゃいけない欲を見せていく。もっと、もっと欲しがって。恋人しかしないはずのこと、もう恋人じゃないと見せない欲までアタシと海斗は求め合い始めていた。
──愛したい、愛されたい。不満が爆発すればするほど、二人の関係はヒトには言えなくなっていく。
「……今井さん?」
「ん? なに?」
「……首のところ、なにか……」
「あー、キスマだ。ごめん隠れてなかった?」
練習中、またカレシですか、と紗夜に呆れられてしまう。Roseliaのメンバーに翔のことを知らないヒトはいないから。でも、友希那だけがじっとアタシのことを見ている気がした。そして案の定、アタシは友希那に呼び止められた。
「そのアト、お隣さんの?」
「……そだよ、海斗につけてもらったヤツ」
つけてもらったとヒトに言ってしまうとなんだか嫌な感じになるケド、これはつけられたとは言いたくなかった。そのくらい、アタシは追い詰められていた。だけど、友希那はそう、としか言葉を発することなく、前を向いた。
「翔のこと、どうするの?」
「それは……」
「リサはそれで幸せなの?」
畳みかけられてちょっとだけ怯む。怒ってるのかな? アタシが恋人だからって自分が身を引いたのに、当のアタシが浮気してるんだもんね。当然といえば当然なんだろう。でも、アタシは、幸せになるためだよと言い切った。
「幸せに?」
「アタシさ、自分だけが幸せってなれないみたい」
海斗のこと、アタシは無視なんてできない。海斗に愛されて、この愛の行き場を失くすとどうなっちゃうのか、考えるのが怖いんだ。それに、アタシだってただ犠牲の心で海斗を受け入れてるわけでも、翔への当てつけで受け入れてるわけでもないから。
「アタシは海斗に、満たされるってどういうことか教えてもらったから」
「……そう」
「心配してくれてアリガト、でもアタシは平気」
「そうみたいね」
むしろちょっとだけ持ち直してきてる感じもある。翔に対して不満をブチ撒けてやろうと思えるくらいの気概もある。
──まぁ、この間帰ってきた時はなんだかイチャイチャしたくなって、怒るより先に甘えちゃったんだけど。
「友希那、頼まれてもいい?」
「……なにかしら?」
「翔に、会ってほしい。アイツしばらく会えないから後でいいんだケド」
「ええ、いいわよ」
「……断られるかと思ってた」
「翔に、真意を聞いてこいと言うのでしょう?」
知ってたんだ。そう言うと、翔のことだものと返されてしまった。その顔にちょっとだけヤキモチを妬いてから、ありがととお礼を言った。きっとアタシと翔が話し合ってもお互いに言いたいことが言えなくなっちゃう。だったら、別の知り合いに頼るしかないよね。
「それに」
「なに?」
「夏祭り終わったら海斗と旅行なんだもん! 暗い気持ちでデートしたくないじゃん?」
「……そうね」
なんとビーチの傍のホテルの宿泊が取れたんだもん。恋人じゃないケド、デートなんだから恋人気分でいたいじゃん? それなのにアタシが翔のことばっか気にしたり、海斗がましろのことばっか気にしたりじゃ、やっぱり盛り上がらないから。
「リサは、そのヒトのことをちゃんと想っているのね」
「浮気者だもん」
「でも、そのおかげでリサは前に進もうとしているわ」
うん、友希那の言う通りだ。あの日、海斗を助けることなく突き落として、自分の都合で真っ黒に染めて以来、アタシの時は漸く動き始めた。四年の停滞を無理やり動かしてくれたのは、海斗とましろだから。
「アタシは海斗とましろのことも幸せにしてあげたいからさ」
「……その言い方」
「なに?」
「翔みたいね」
「アイツの幸せにしたいは……ちょっと考えなさすぎだから」
でも、思うこともある。翔、アタシさ──翔の恋人になれたから、翔のカノジョでいたからこそ、アタシはこうやって優しくなれるんだと思うんだ。翔がみんなを幸せにしてあげたいって無茶なことばっか言って、アタシを置き去りにするから、アタシは優しくなれた。せめて目の前で不幸になろうとしてる相手くらいは、幸せにできるようになりたいって。
海斗、アタシね──海斗が好き。無表情だけど心の中では笑ったり怒ったり、言葉で表してくれる優しさが好き。ましろのこと、カノジョのことを一番に考えてる目が好き。ましろの思い出を語る時に一度だけ崩れたあの笑顔が……アタシは大好きだから。
「リサさん」
「ましろ、ぐーぜんだね」
「そ、そうですね、ホントに偶然で、驚いちゃいました」
「まーたキョロキョロして、海斗んち?」
「いえ……リサさんに会いたくて……って場所は一緒ですよね」
「そっか、どしたの?」
「──お願いがあります」
だからこそ、ごめんね海斗、海斗が翔のことを敵だって認識するなら、アタシは海斗の味方にはなれそうにないや。ましろから発せられたその言葉を聞いて、アタシは頷くことにした。ましろの作戦に、まぁ色々と条件はつけさせてもらったケド、この居心地のいい関係は、どうやら夏が終わるまでみたいだね、海斗。
三対一になりました。あーかわいそーな海斗くん。やめないけどね。
次回が一番いじめになると思う。オリ主なんだからこのくらい頑張ってくれ。
☆9ひとつ、ありがとうございます!
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㉕崩壊/反故
夏祭り当日、僕は集合時間までリサと過ごしていた。それに対して何の躊躇いもなくなってきた自分に、少しだけ苦い感覚がする。ましろが久國さんと一緒に行動していた。それ自体はショックだった。リサに、海斗はショックを受けてる時だけはわかりやすいと言われるほど、僕に衝撃を与えたものの、結局は僕の浅はかさが招いた結果だ。ましろがどういう行動を取ろうと、誰かの欲を求めようと、僕に咎める権利はない。だからといって、リサとの関係を続けてしまう自分が、嫌いになっていくけれど。
「え、甚平着てかないの?」
「……なんで」
「だってカッコいいじゃん? ましろの浴衣と海斗の甚平ってそれだけで映えるよ~」
そもそもましろが浴衣かどうかと言われたら間違いなく私服で来るから、僕にその選択肢はなかったよ。あと映える意味はないでしょ。僕らどっちも写真が苦手なんだから。人見知りのましろと表情筋が死んでる僕が並んだ写真は、お世辞にも楽しそうには映れないから。
「暗いな~」
「……自分が浮気してるのに、明るい顔で会えないよ」
「ましろだってしてるんだよ?」
「確定じゃないし……それで僕が正当化されることはないよ」
浮気は悪だし、それが正当化されていいことなんて何一つない。例えお互い様だとしても、お互いが悪というだけ。僕はそう考えてる。
リサは少しだけしょうがないヤツ、とでも言いたげな顔をして、それからそっと抱き着いてくる。
「……リサ?」
「帰ってこなくてもいいケド、どっか行っちゃわないでね」
まるで恋人を見送るように言われるけれど、リサには久國さんがいる。僕がいなくなっても、彼女はどこか知らないところで幸せになれる。ましろも、きっとそうなんだろう。僕がいなくたって、いつの間にか幸せになっていたのかもしれない。むしろ、僕が縛り付けていただけなのかもしれない。そう、考える時がある。
「ん……やっぱ」
「なに?」
「出かけるの、お風呂入ってからにしない?」
「済ませてくれる?」
「それは、もちろん」
リサは、見えるところにアトが欲しいとねだってくる。でも、逆に見えるところにアトをつけることはない。きっといいよと言っても彼女は遠慮する。それがどういう気持ちなのか僕にはわからない。ただその赤黒い小さな点が首筋にあるだけで、僕はリサと深く繋がれている気がしてしまう。喘ぐ声も好きという言葉も、嘘じゃないような気がしてしまう。何が本当なのかを、そのアトで隠してしまっている。
「カイくん、お待たせ」
「……ましろ」
案の定、ましろは普通の服装で現れて、僕も普通の服装だった。むしろ浴衣とかそういう気合を入れた格好をされてしまうと、僕はどうしたらいいのかわからなくなってしまうから。そういう意味だとなんとなく、いつものましろでほっとした。
「ヒト多いね」
「うん、気を付けてね」
「……ありがと、カイくん」
仕草も、笑い方も、繋いだ手の温もりですら、僕の知ってるましろだ。いつものましろなはずなのに、僕はどうしてそこに裏があるんじゃないか、なんて思ってしまうんだろう。どうして、ましろの笑顔を素直に受け取れなくなってしまっているんだろう。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
ましろの瞳が、じっと僕を見上げてくる。その澄んだ瞳にすら、僕は非難されているような気がしてしまって、思わず目を逸らしてしまう。なんでだろう、一緒にいるのに、一緒にいるからこそ、胸が痛い。僕の胸中を覆うこの暗雲の名前は、不安。リサとより深い仲になったせいか、それとも……僕は無意識にましろの浮気を咎めているのか。
「あのさ……ましろ」
「──何も言わないで」
「え?」
「何も言わないで、何も訊かないで。わたしもカイくんに訊いたり言ったりしないから」
「……それって」
「今日は……昔みたいにデートがしたい。なんにも知らなかった、無邪気なあの頃みたいに」
ましろが中学一年生の頃、まだただの両片思いだったころにも一度、夏祭りに行ったことがいる。その次の年は僕が受験で、その翌年はましろが、という感じのため本当に手放しで楽しめるはずのデートだったのに。
「無理だよ」
「無理じゃない」
「……無理なんだよ。僕は、もう真っ黒なんだ」
僕の見えないところには、リサのアトがつけられている。僕はもう、あの頃には戻れないし、ましろだってそうでしょう? あれだけ男のヒトが苦手だったましろが、久國さんとデートに行ってるんだから。
「翔さんとは……何も」
「何も? じゃあ僕はリサと何もなかったって言って、信用できるの?」
「……カイくん」
やっぱり、僕らは会うべきじゃなかった。ううん、もう付き合うべきじゃない。本当はリサがちゃんと久國さんと向き合った後に打ち明けようと思っていたけれど、もう限界だ。ううん、とっくに限界を越えていたのを、まだだ、まだだって誤魔化してきただけだ。もう、僕はましろをまっすぐ見れない。愛せない。この性欲に塗れた手でましろの手を握ることさえ、僕には耐えられない。
「……わたしは、そんなにキレイじゃないよ、カイくん」
「でも」
「ずっと前から、わたしは……もうずっとカイくんの色だよ。そうじゃなきゃ、カイくんの傍で、カイくんの欲に平気な顔なんてできないよ」
「……え」
それを知った僕は、急激な吐き気に襲われた。ずっと、もうずっと僕はましろを汚してきた? ましろは、隠していた気になってた僕の色を知っていた? その事実は、僕を嫌悪に進ませた。汚い、汚い。こんな気持ち、こんな愛なんて、汚い。性欲を伴った愛なんてまやかしであるはずなんだ。僕はましろをそういう意味で一緒にいたかったんじゃない。ましろとセックスがしたくて傍にいたんじゃない。違う、違う、汚い、汚い。
──僕は、僕はずっと、ましろを真っ黒な手で汚していたのか。それを、ましろはただ笑顔で受けとめてくれていただけ。
「──っ!」
「か、カイくん? カイくん!」
「く、るな……こない、で」
喧騒が狂騒に変わる。道端のど真ん中で突然大の男が嘔吐したんだからしょうがないのかもしれない。汚いものを避けるように、嫌悪のまなざしを僕に向けてくる。でも止まらない。気持ち悪くて、一歩も動けなくて、そんな自分が嫌で、ましろに見られたくなくて。そんな僕をましろは触れようとしてくる。汚いのに、こんな……こんなに、汚れているのに。
「大崎くん大丈夫か? ましろちゃんは下ってて」
「ふえ、しょ、翔さん……?」
「どういう状況なんコレ? ねぇカケルっち!」
「いいからお前は救急車呼べ、シン!」
「お、おう……」
涙があふれる。みっともない、汚い。僕はどうしてこうも、誰かに寄りかからないと生きていけないんだ。知らないヒトに介抱してもらいながらずっと、うわごとのようにごめんなさい、と繰り返し続ける。チラリと、薄い意識の中で状況がわからず涙を流すましろを、久國さんが抱きしめているのを見て、ああ、そうなんだなと思った。
「……僕じゃ、ダメだ。ましろを幸せにするのは、僕じゃない」
僕は、ただ……ましろを愛したかったはずなのに。ましろを穢そうとするヒトから守りたかっただけなのに。いつの間にか、いや、最初からましろを誰よりも汚していたのは僕だったんだ。まず最初に粛清されるべきは、
ましろ、僕はね──気づけばましろに向けていた愛も、何もかも全部、取り返しのつかないほど真っ黒に汚れていたよ。僕が愛を向ける先なんて、なくていい。
「……行ってきます」
「ん! ほら、そんな沈んだ顔しない! ましろだって、海斗のことちゃんと好きだからデートしたいって誘ったんだからさ!」
「そう、かな……?」
「そうなの、偶にはおねーさんを信じなさいって!」
「……ごめん」
「いいからそういうの。戻ってくるならちゃんと戻ってきてね。独りで寝るの、やっぱ寂しいんだから」
リサ、ごめん──約束は守れないみたい。リサがちゃんと久國さんと前に進めるまでは一緒にいよう、代わりになろうって決めたのに……それすらもまともにこなせない。きっとリサは僕のこと、怒るんだろうな。バカって泣きながら。
──僕は、どうするのが正解だったのかな。それとも、リサと浮気をした時点で、もう幸せになる権利を失っていたのかな。意識が海の底に沈むような感覚がして、僕は怖くて、目を閉じることでその恐怖を和らげようとした。
あらすじ回収からの、病状はストレスによる急性胃腸炎ですどんまい。
次回は海斗とましろの甘々デート回です! ほんと、これまじ。だって今回がいじめようシリーズの最終話だからね。
気づかぬうちに感想が50件を越えていました、やった! 途中感想もらえなくて寂しい思いをしたこともありましたが、毎度の感想もありがたいです、ありがとうございます!
いよいよクライマックス! 別に感動するものでもないのでハンカチはいりませんが、どうぞ最後までよろしくお願いいたします!
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㉖回顧/幸福
夏祭り当日、最後まで甚平にするかどうかと母に問われたものの、ましろが浴衣じゃないからということを理由になんとか普通の服装を勝ち取った。似合っても似合わなくても関係ない。そりゃましろが浴衣だって言うのなら、別だけど。
「カイくんお待たせっ」
「ましろ」
「えへへ、どうかな?」
どう? と問い返す。普通の服装だけど、何故か服を見てほしそうな雰囲気を醸し出したましろに僕が首を傾げると、ましろは急に距離を詰めてきてわかってと頬を膨らませてきた。その反応からもしかして、とアタリをつけてみる。
「服、新しいの?」
「んっ!」
「……そっか、かわいいね」
「かわ……っ! も、もうカイくんってば、そういうこと真顔で言う──」
「服がね」
「──ばか!」
ましろのことをかわいいというには、少し気恥ずかしい。だから服を褒めたという言い訳を積み重ねてその一言を絞り出した。耳まで真っ赤にして照れたと思ったらまた大福みたいに頬を膨らませて怒り出す。かわいらしい僕の、幼馴染。
「それにしてもましろ」
「なに?」
「怒らないでよ」
「ふん」
「……人混みなのに、平気?」
「無視した? 今わたしの怒りをスルーした?」
ましろは賑やかなところを嫌う性格だ。静かなところで一人になって歌うことが好きな白い少女、みたいなそんなイメージ。でも僕と一緒にいる時だけはそんな静かな印象よりも騒がしくて甘えん坊といった雰囲気が増す。そういう違った一面を見られるのはやっぱり幼馴染として一緒に居続けた結果なのだろうか。
「……花火見たかったんだもん」
「もん、って。誰か他に行くひと……がいたらよかったね」
「カイくんしかいないもん」
「大崎先輩ね」
「今は学校じゃないからいいの! カイくんだってましろって呼んでた!」
「じゃあ倉田さん」
「イヤ、カイくん嫌い」
胸に矢が刺さる感覚がした。片思い相手に明確に嫌いと言われるのは、思春期真っ只中の中二には厳しいものがある。けれど、後半はましろも冗談交じりだったようで口角が上がっていて、僕も嬉しくなってしまう。こういうのを正しく幸せと言うのだろう。
「もう、カイくんはいじわるだよ」
「そう?」
「うん、いじわる。無表情で冗談言うんだもん」
僕は、ましろにしか冗談は言わないから、そう言われてしまうのかも。そんな言い合いをしながらもどこかで、心のどこかでましろが僕以外と夏祭りに行くような相手がいなくてよかったと思う自分と、ましろに誘われても問題ないくらい夏祭りに行くような相手がいなくてよかったと思う自分がいた。
「ん」
「……え?」
「手、繋ぐ? はぐれたら大変だし」
「……う、うん……つなぐ」
「どうしたの?」
「なんでもないっ……なんでそんな平気なの」
平気じゃない。言わないけど、心臓が飛び出そうなくらいに緊張した。昔はどこか一緒に行く時は必ず繋いでいた手も、男女という要素が加わった今では、どうしても意識してしまう。今日だけは、愛想がないと言われる自分の表情筋が、ありがたく感じる。
「それで、結局部活入らないことにしたの?」
「え、だってもう二学期になっちゃうんだよ? もう色々部活のメンバー、みたいな雰囲気あるしさ……」
「だから最初の時に入ればって言ったのに」
「だ、だってぇ……」
ましろは、中学生になってなにやら変化しようとしているらしい。肉体的な変化だけじゃなくて心の変化。今までは自分はなにやっても平凡だから、ってなんでもやる前から諦めていたのに、部活に入ろうとするなんて今までのましろでは考えられない成長だ。まぁ失敗してるんだけど。
「か、カイくんこそ……部活はいいの?」
「運動なら自分でしてるし」
「カイくん、スポーツも大体なんでもできるのに……もったいないよ」
「別に、そうでもないよ」
できたって意味がないからね。勉強はましろに教えられるからやる意味はあるけど、スポーツ全般はそもそも怖がりなましろじゃ教えることすら遠慮しちゃうし。しかも一年で20センチ伸びたこの身長と、すっかり性差が生まれてしまった状態では、うっかりしたらましろにケガすらさせる可能性がある。そういう意味だったら、部活も文化部をましろと一緒にのんびりとするくらいなら、いいのかもしれない。
「わたしも、自慢できるものがほしいよー!」
「歌、上手だよ」
「カイくんに比べたら誰だって上手だよ」
「……ん?」
「わ、怒った?」
「別に」
怒りはしない。だって僕の歌が潰滅的に下手だってのは事実だからね。だからましろの歌を褒めてるわけじゃないから、それについてはちょっとムカっとしたけど。いいんだ。ましろの透き通った声は、星空のような声は、いつかは誰かに認められるものだって信じてるから。
「いっぱい買っちゃったね……食べきれるかな?」
「大丈夫、僕が食べるから」
「本当に大丈夫?」
成長期はまだ続いてるからね。中学入学時で今のましろと変わらなかったはずの身長は、もうそろそろ180センチになろうとしていて、この夏にも身体が痛くてしょうがなかったくらいだから。
「いーなー、わたしもスラっとなりたい」
「ましろはキレイ系じゃないでしょ」
「キレイ系じゃないなら……なに?」
「……かわいい系?」
「そういうの真顔で言わないでよ」
「めちゃくちゃ照れてるよ」
「変わんないじゃん!」
いつものことだよ、と無意味なケンカのような言い合いをしているところでましろの顔が突如光に照らされた。大きな音と一緒にパっと咲いて散っていく花たち。さっきまでお互いを見つめ合っていたのに、もう空を見上げていた。
「……っ、えへへ……びっくりしちゃうね」
「ここまで近いと音も振動もすごいからね」
「うん……」
「……離れる?」
「ううん、カイくんの手があるから、平気」
その言葉の通りに、ましろの手は花火の音に一瞬反応して僕に弱々しい握力を伝えてくる。それが堪らなく愛おしくて、愛らしくて、僕はましろごと抱きしめたいのを必死に我慢して手を握り返した。この先、ましろに怖いことが起こっても、こうやって手を握って二人で空を見上げられたらいいな。そんなロマンチックなことを考えてしまうくらいに、そんなまだ付き合ってもないのに先のことばかりを僕は考えていた。
「でもさ本当に一瞬で散ってしまうね、花火って」
「一瞬じゃないよ」
「……なにが?」
「わたしの思い出には、ずっとキラキラしてる。カイくんと見た花火、わたしは忘れないよ」
「……ましろ」
「これだけじゃない。カイくんと一緒に見たもの全部、わたしは忘れない。わたしは、この気持ちを絶対に忘れない」
「絶対?」
「うん、絶対」
僕も、忘れない。ましろが好きって気持ちを忘れない。忘れたくなんてない。この日々を永遠にしたいんじゃなくて、この日々をいつか、いつかの未来で一緒に笑い合える日々がほしいっていうのが、僕がましろに向ける好きって気持ちなんだ。
「また、来ようね」
「来年は無理かな。流石に受験だし……そうすると再来年もか」
「それでもまた来るの! 来年と再来年が無理ならその次!」
「……わかった」
その次、がいつかになるかわからないけれど、その時には、今度こそ恋人だったらいいな。もちろん片思いではあるんだけど。それでも、少なくともましろがいった次の時はお互い高校生だから、いい加減きちんと想いを伝えられたらな、とは思ってる。それで例えフラれてもきっと僕は次の時に、ましろと花火を見るのかな。
「わかったって言ったらわかったんだよ? その時になって無理ですって言われても知らないから!」
「他に恋人できても?」
「別に恋人ができても、浮気とかでケンカしてても!」
「浮気って、恋人になってる前提なんだ?」
ましろは自分が言った内容が恥ずかしかったようでとにかく! と無理やり話題を仕切りなおしてくる。僕の幼馴染は、その時にはどういう顔で僕の隣にいるのだろうか。
ましろ、僕はね──ましろのことが好きだ。今は言葉になんてできないけれど、いつかましろとこのくだらないやり取りを振り返って笑いながら夏祭りの喧騒から遠ざかっていきたい。でもその未来が訪れないかも、なんて不安は感じていないよ。
「カイくん」
「どしたの?」
「なーんでもない♪ 花火、楽しかった」
「うん、そうだね」
僕にとって、ましろの傍にいることこそが幸せだから。そして、ましろの無邪気な笑みを向けてくれている相手が僕だから、信じてる。
──僕とましろが目指す幸せは、おんなじだってさ。僕はこの手の温もりが教えてくれている気がして、思わず笑った。
※内容は海斗がゲロ吐いて倒れた現在から三年前の夏祭りにあった無邪気でなんでもない二人のいちゃらぶです。両片思いの甘酸っぱい感じっていいですよね。それが幼馴染という気安さもあって、これがエモや尊みというやつですかね。(タイミングさえ見計らっていれば)
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㉗近道/遠回り
目を覚ました時、知らない部屋の天井が見えた。ちょっとだけぎょっとして慌てて何があったのかと起き上がろうとして、何かあったのは自分だったことを察した。ここは病院か。すっかり空は明るくなっており、記憶を漁っているとそこに見慣れた顔が入ってきた。
「あ、おはよー海斗」
「リサ?」
「もう朝だよ」
リサに言われて時計を見ると既に九時を回っていた。どうやら十二時間以上眠っていたらしい。結局、花火を見ることすらなく僕は……そうだ。僕はましろの前で嘔吐したのか。段々と鮮明になってくる記憶は、やっぱり思い出さない方が幸せなんじゃないかと思うことばかりだったけれど。
「飲む? 一応点滴はしてもらってたケド」
「飲む」
「ほい」
そうやって手渡されたのはスポーツ飲料。なんだか喉がカラカラな気分だったから余計に染み渡っていく気がした。点滴、とリサは言っていたけれど、もうどうやらその対処も既に過去のものらしく、僕の右腕は自由な状態だった。
「よ……っと」
「あ、ちょ……どこ行くの?」
「トイレ」
「……もう、案内してあげるから」
どうやらリサは、僕が運ばれていったという連絡を久國さんから受けて急いで向かってきたらしい。当の僕はすやすやだったからムカついて頬を抓ってやったと言われて、僕は怒るわけでも苦笑いをするわけでもなく、謝罪をした。
「ごめん」
「なんで海斗が謝るの」
「迷惑かけたから」
「はいダメ、海斗はダメダメ」
「……なに、急に」
僕の隣を歩きながら謝るのはいいケド、理由がダメとわけのわからないダメ出しをしてきた。流石にノーヒント過ぎると首を傾げていたら、迷惑だなんて思ってない、と急に真剣な顔でリサは僕の手を握った。
「じゃあ……」
「心配した」
「……心配」
「うん、翔から電話来て、心臓がめちゃくちゃ痛くなった。どうしようどうしようって、病院で海斗の寝顔見るまでずーっと頭んなかそればっかだった」
「……ごめん、心配かけて、ごめん」
「ん! いいよ! 今元気ならそれで!」
迷惑じゃなくて心配、というところと握られた体温にリサの優しさをしばらく感じていたけれど、病院のヒトに知らせてくるねとリサは嬉しそうに後ろで縛ったクセッ毛を揺らしながら部屋を後にした。
「そうだ、久國さん……」
翔から電話が来て、と言っていたように僕を介抱してくれたのは間違いなく彼だった。一応知らない仲ではないとはいえ、道端で突如倒れた僕に真っ先に駆け寄って、声を掛けてくれたヒト。救急車を呼んで、狼狽えるましろを……ましろを抱きしめていた。それに嫉妬はしない。悪意なんてあるはずがないから。それが、久國翔さんというヒトだから。
「カッコいいな……かなわない」
周囲の人間は僕のことを汚いと騒ぎ立てていた。状況がわからず関わらないように逃げるように僕から距離を置いた。なのに、あのヒトはましろの次に距離を詰めてきた。ああいうのがカッコいいヒーローなのだろう。外見だとか対応だとかそういうのとは違う、カッコよさがあった。
「大丈夫か、大崎くん」
「……久國さん」
「顔色は良くなったな。よかった」
「ご迷惑をお掛けしました」
「迷惑なんて言うなよ。俺はそういう謝罪がほしくて対処したわけじゃない」
「……リサと、同じようなことを言うんですね」
まぁな、と優しい笑みをくれる。ついでましろちゃんはご両親が心配するからと思って帰らせたよと補足してくれた。ありがとうございます。何から何までお世話になりっぱなしだった。本来ならば、僕と久國さんはお互いの恋人に手を出してる敵のような存在なのに、こうも助けられてしまうと、なんとも言えなくなる。嫉妬も憎悪も、感じない。それは、人間的に負けているからか。
「あーでもな、今言うことじゃないとは思うんだが、今じゃないと九月過ぎちまうから言っとくな」
「はぁ?」
──だがそこで、僕は久國さんの笑顔以外の感情を初めて目にすることになった。それは怒りと、嫉妬と、色んな感情がごちゃ混ぜになった……少なくともあの久國さんがしているとは思えないような表情だった。
「リサのこと頼むと思うと同時に……俺はキミを許せそうにはない」
「……は?」
この間と向けられる圧が違いすぎて僕はたじろいだ。許せない、それは僕が久國さんにファミレスの後で向けたものと同じ言葉。あの日確かに嫉妬はしないのかという遠回しな問いに笑みで応えたはずの彼から放たれたのは、まっすぐな肯定を示す熱だった。
「だから俺に教えてほしい」
「……なにを?」
「リサとどこに出かけたのか、とか。思い出せる範囲でいいから」
僕は、それこそが久國さんが変わろうとしている証だということに気づいた。彼は、遠回りをしながら気づいたんだ。自分がリサに対して与えていたものは何かということに、リサを幸せにできていなかったということに。
──まったくもって敵わない。僕は言える限りの、というか言えないことなんてないから全て教えていった。動物園や水族館、遊園地なんてのも一回あった。それから普通のショッピング、映画鑑賞、二人とも高校生だというのに興味本位でラブホにも行った。
「なるほどね」
「……どれも、久國さんとは行ってないって言ってました」
「うん。俺とリサって、実はマトモにデートってしかことないんだ。それこそ帰りにちょっとご飯行くとか、そういうのだけ」
だからこそ、僕は
「……すいません」
「いや、いいんだ。良くないけど……そっか、旅行……そういうのも、きっと恋人らしさなんだろうな」
僕だって女性と泊りがけの遠出なんて初めてですよ、と言うと久國さんはふふふと笑って俺もバンドメンバーの泊まりがなきゃ同じだな、なんて返してきた。そういえばもう一人のボーカルのヒト、女のヒトだったっけ。
「お、もしかして」
「ええまぁお隣さんですから、ちょっとくらいは調べたし曲も聴きましたよ」
リサのRoseliaだってそうだけど。雑談を繰り返しているとリサが戻ってきて、僕は万全とは言い難いけれどベッドを使うまでではないと薬を処方されて病院を後にした。万全じゃないとは、胃がものすごい荒れてるらしい。ストレスはしばらく控えた方がいいそうだ。
「ストレスになるものは控える、かぁ。こりゃしばらくご飯も消化のいいもの中心だね」
「別に僕に合わせなくても」
「いいのいいの。ほら、帰ろ!」
久國さんは、ましろちゃんにちゃんと連絡しておくことと言われた。そしてストレスの原因ならそういうことも、嫌だろうけどちゃんと伝えること、とも。そういうところも少し変わったような、そんな気がする。
「翔があんなこと言うなんてね……悔しいけど、海斗たちのおかげカナ?」
「僕は別に」
「アタシは、海斗のおかげで変われそう」
僕のおかげ、なんておおげさなことを言われても。むしろ僕は久國さんとリサが分かり合う遠回りをさせてしまっているだろうから。だけどリサはでも僕がいなかったらずっと変わらないままだった、と言われて首を横に振って否定した。
「正当化したくない。僕は僕の浅はかで愚かな気持ちでリサと浮気をしたから」
「でもその浅はかさが、現実としてアタシと翔の止まってた時間を動かした」
だから正当化はしないけど、感謝はしてるよ、とリサは僕の頬にキスをした。それだけで胸が痛くなるほど、幸せな気持ちになった。
ましろ、僕はね──しばらくキミには会えなさそうです。会ったらまた、とても心配をかけてしまうだろうから。でも、心配しないで。落ち着いた後でちゃんと話をしに行こうと思う。ちゃんと僕らの関係を、言葉にしておきたいから。
「とりあえず、帰ったらいーっぱいぎゅーってしたいな~」
「さみしがり屋だね」
「……知ってるでしょ?」
「知ってる。後甘えん坊だってことも」
「なら、ほらほら、とびっきり甘やかしてくれないと襲っちゃうからね~!」
「これでも病み上がりだから、お手柔らかに」
──もう、付き合うとか、付き合ってないとか。特別とかそうじゃないとかそういうのはどうでもいい。僕とリサの間にあるもののように、いくら汚くても、真っ黒でも、僕の手が誰かを幸せにできるなら、誰かのために汚れてくれているなら。僕は大好きなキミに……お別れを言おうと思う。だって、ましろには、世界で一番幸せになってほしいから。ましろのことを、愛してるから。
海斗は前に進んでいきます。どれだけ遠回りでも、どれだけ傷ついたとしても。歩むということそのものが、幸せになると信じているから。
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㉘日常/思い出
夏祭りから数日経ち、僕はすっかりよくなった胃の調子を病院で看てもらっていた。ただしまた強いストレスで同じことにならないとは限らない、と念を押され僕は頷いた。
──ましろに連絡を送ると、よかったとすぐさま返事が来る。でも、それ以上の話はしない。僕とましろは距離を置いた方がいい。それは全員が納得したことだった。
「なんか……思ってたよりも拗れちゃったね」
「ごめん」
「海斗のせいじゃないよ。それよりも、今は旅行を楽しみにしたいかな」
「……そうだね」
そもそも、きちんとリサが久國さんと向き合えたらこの関係を終わらせようと決めていたはずなのに、僕は情けないことに倒れて以来より強くリサに依存するようになってしまった。甘やかすように抱きしめているはずなのに、すがるように抱き着いてしまっている。キスマークも、リサが求めるのではなく、僕の欲で首筋にアトを残す。
「んっ、いいよ……アタシを海斗で、海斗の好きなようにして……」
セックスの激しさも回数も格段に増えてしまって、僕は後から顔から火が出るんじゃないかというほどの羞恥に襲われることもしばしばだった。
でも、わかったことが、わかってしまったこともある。リサとの浮気がなければ気づかなかったこともたくさん。
「確かに、最近めっちゃ激しいよね~、ふとももんところ見たらびっくりした」
「……ごめん」
「んーん、ヤじゃない。そんだけ、海斗はアタシに愛してるって伝えてくれてるんだからさ、それに……アタシは海斗の好きなようにされると、きもちいし?」
愛してる、という伝え方は、ただ言葉にするだけじゃないってこと。身体で触れなければ言葉にしないと、とでも言わんばっかりにましろに対しては言葉で縛り付けるように、狂ったように言葉にしていたけれど、リサにはキスと腰に手を回すだけで伝わる。あるいは、彼女をイカせて、僕がイクことでも伝わる。イッた余韻に熱の籠ったキスをすることでも。
「かーいと~? バイト遅刻するよ~?」
「……休みたい、腰だるい」
「ダメでーす。バイト行かないとアタシ隣の部屋で寝るカラ」
「もう一回って言ったのリサだよ」
「何言ってもダメなものはダメ~。ほら、バイトから返ってきたら……ね?」
「ん……行ってくる」
そして、愛してるは安らぎだってことも。僕はましろを守るための言葉にしか使ってなかったのに、気を張るための言葉だったのに。リサは当たり前の日々の中に溶かしこんでくれる。愛してるは特別な感情なんかじゃないってことを、愛を伝える手段としてキスしたい、触れたい、セックスがしたいというのは、何も特別なものでもなんでもないと。リサは教えてくれた。
「ただいま」
「あ、おかえり~」
「……うん」
「これは、テンプレなヤツやっとく? ご飯にする? お風呂にする? それとも~、アタシ?」
「リサが最初でもいいの?」
「ご飯にしてアタシにしてからお風呂にしよーね」
「決まってるんだ……」
なんでもない日々にこそ、好きという言葉が、愛してるという言葉が溶け込んでいる。僕とましろはそれに気づくことができなかった。いや、ましろは必死にそれを伝えようとしてくれていたのを、僕がずっと耳を塞いでいただけなんだろう。
「明日さ、夕方からなんもなかったよね?」
「ないね」
「じゃあ、水着選びに行こうよ」
「……まだ買ってなかったの?」
ひと月くらい前に水着の話してたから、とっくに買ってるものだと思ってたよ。そう言うとアタシも買おうと思ってたんだケドさ、と浴槽からスラリとした脚を伸ばしながら僕にもたれかかった。
「そういうの、勝手に選ぶんじゃなくて、海斗とおしゃべりしながら決めたい」
「……そういうのが、幸せだから?」
「んーん、単純に海斗とデートしたい。デートして、買い物して……ホテル行きたい」
微笑まれ、二重の意味で誘われて僕は耳の裏にキスをすることで誘いに対する返事にした。その翌日、僕はリサがバンドの練習しているというスタジオまで迎えに行くことにした。ちょうどそこは外にカフェテラスがあり、僕は暑いなぁと思いながらもぼーっと終わるのを待つこと十分ほど。
「ごめんっ、お待たせ~!」
「いいよ、大丈夫」
「あれ、リサ姉? そのヒトは?」
「久國さん……ではないのですか?」
リサが来て、立ち上がり
──だが、そこで後ろから声を掛けられたことで僕は自分のミスを悟った。
「あー、そだった忘れてた」
「……忘れてたんだ」
僕もあんまりヒトのことは言えないけど、リサはもっとヤバいこと言ってると思うよ。そんなリサは何かを考える仕草をした後、僕を指して名前を明かした上で実質同棲してるアタシのセフレとか言い出した。意味がわからない名称だね、否定できる要素が何も見当たらないのは、そうなんだけど。
「……同棲、してるのに……セフレ、ですか……」
「しかも久國さんはどうしたんですか」
「元はお隣さんなんだ。翔はホラ、帰ってこないし」
「翔兄……」
「ちなみに翔公認だから、言いつけたかったらいいよ~」
嘘は言ってない。元はというか現在もお隣さんですよ一応ってくらいだろうか。じっと見られて僕は心臓がうるさくなる。これもストレスのうちだと思うんだけど、思わぬところで嫌疑の目を向けられて僕は嫌な汗が流れるようだった。
「そう、彼が」
「……あの、あなたは?」
「湊友希那、リサを……よろしく」
「友希那さん……そっか、リサの幼馴染の」
「ええ」
──湊さんにだけは言っていたみたいで、でもそもそもリサの話によると彼女は久國さんのことを好きで、関係を持っててそれじゃあリサが幸せにならないと言って離れたって聞いたけど、それじゃあ今の状態ってとっても湊さんには許せないところじゃ?
「幾らなんでも、ふしだらすぎます! いくらあの方が女性関係に無頓着とはいえ、あなたまでそんなことでは!」
「……えー、紗夜ってば、海斗がカッコよくてヤキモチ?」
「翔兄とはタイプ違うイケメンだよね~、クール系?」
「……そうだね」
そうだね、と黒髪の女性に言われてしまう。ごめんなさい……僕はクールなんじゃなくて表情筋が死んでるだけなんです。クール系というのは湊さんのようなヒトのことを言うんじゃないかなと思うんだ。
「友希那も海斗と一緒だよ。表情筋が死んでるだけ」
「……生きてるわ」
「ほらね」
なんだか騒々しい、姦しい雰囲気に巻き込まれてしまって……ああ、なんだかモニカの騒ぎに似ている気がした。
事情は説明するとややこしいからと諦めて、僕とリサは困惑を隠せないメンバーに背を向けて本来の目的であるショッピングモールへと進路を切り替えた。
「忘れてた、なんて嘘でしょ」
「バレた? 海斗のこと、説明しとかなきゃじゃん?」
「説明もしてないけどね」
「だって、アタシと海斗の関係は、アタシたちにしかわからないからさ」
たち、ということは僕とリサ、そして久國さんとましろのことだろう。四人の縺れてしまった糸は、妙な絡み合いをしてお互いを近づけているような感覚があった。リサと、久國さんと。そしてましろとも。物理的には随分と遠くなってしまったけれど、昔よりもましろのことを、むしろ考えるくらいだ。
「そういえば水着を選ぶコンセプト決めなきゃ」
「コンセプト?」
「そそ、んー海斗が思わずアタシのおしりにアレを擦りつけてくるような──とか?」
「やけに具体的だし、却下でしょ」
「なんで」
「海水浴ができないからね」
なんでなんて野暮なこと訊かないでほしい。僕は純粋に海水浴がしたいのであって、岩場に隠れてとか、そういうのも思い出かもしれないけどさ。
ましろ、僕はね──ましろが昔言ってた、思い出というものが何かをやっとわかった気がしたよ。ましろは、今どういう思い出を刻んでいるのかな。久國さんとの思い出? わからないけど、泣いてたりしないといいな。僕は、ましろの笑顔が好きだから。そしてそれと同じくらい、リサとの思い出がどうなるのか楽しみな自分がいた。
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㉙ましろ/リサ
夏祭り前、アタシがましろからお願いされたことはそんなに複雑じゃなくて海斗のことをよろしく、みたいなニュアンスだった。ましろと翔は別にそういう関係じゃないし、むしろ翔にアタシの幸せのことを考えるようにと言ってる立場だってことを、ましろは明かしてくれた。
「なら、どうしてわざわざ浮気を疑われるようなことしてんの?」
「……カイくんは、自分の欲を呪い続けてるから」
「でもそれってましろのためじゃないの?」
「わたしは、そんなこと望んでないんです。でもカイくんは、わたしのことを守ろうとしすぎるから」
ましろはアタシと海斗の関係を羨ましいと言った。海斗の欲を、セックスしたいって気持ちを表現してもらえるからと。でも、アタシと海斗じゃ本当に幸せにはなれない。アタシが翔のことを好きだから、海斗がましろのことを好きだから。
「翔は……じゃあどうしてアタシに何も言わないの?」
「それは、わたしのわがままです……本当は、翔さんとリサさんはもう大丈夫なんですけど……カイくんが」
そんな歪な関係だったケド、アタシと翔のわだかまりは解ける一歩手前ではあるけれど、それにストップをかけたのがましろだと言う。その理由は言われなくてもわかった。これで翔とアタシがちゃんと恋人として、幸せな形を築いてしまったら……ぶっちゃけると海斗はいらなくなる。代替品が必要なくなるのは、当たりまえのことだケド、今の海斗にとってはアタシに欲を向けてるからなんとか成り立ってるってところだもんね。
「カイくんは……たぶん幸せになろうとしてくれてないから」
「……ましろと別れて、アタシとの関係を断って悲劇の主人公を気取ろうとしてる」
「はい」
海斗はやりそうだ。自分の不幸に酔ってるというか、自分にはその価値がないと本気で考えるような危ないヤツだから。ましろがいるのに浮気した自分が許せなくて、それで満たされる自分が許せなくて、だからってましろに触れたいって気持ちを持つことすらも許せなくて。自分の許せないって感情で自分の首を絞めてる。
「わたしはカイくんといつか幸せな家庭を築いて、いつまでもあったかいカイくんの隣でうたた寝をするような、そういう未来がほしいから……カイくんにはそれが幸せでないと、イヤ……なんです」
そりゃ、ましろにはそんな海斗の自己嫌悪が許せるはずがない。アタシがどんだけ空いてるって言っても遠征に連れていってくれない翔の口癖に対して、思ってることと一緒だ。俺についてっても、リサを構ってやれないからって。アタシは構われたくて連れてってほしいんじゃなくて、一緒にいたいだけなんだもん。なんなら練習帰りの翔にご飯作ってあげたり、構いたい方だし。そうやってましろの気持ちがわかる、理解できる。
──だからこそ、アタシはましろに対して冷たい感情を向ける。敢えて、突き放す。
「わがままだね。海斗がましろのその言葉でどんだけ苦しむと思ってるの?」
「……それは」
「いっそ、別れた方が海斗のためになる、とか考えないの?」
「そ、そんなの……イヤです。わたしは、カイくんじゃないとイヤ、カイくん以外のヒトにあの眼をされると、触れられると、まるでわたしが別の色になっちゃうんじゃないかって怖くて……でも、カイくんは平気なんです。カイくんは、カイくんの色だけは……わたしの幸せの色とおんなじだから」
色、とかはよくわかんないケド、海斗の色、翔の色、ましろの色、アタシの色、そういうモノがあって、海斗はましろの色を守りたい、守りたかった。でもましろに触れたらましろは海斗の色になってしまうから……絵具で色を混ぜて汚くなるような、そういうニュアンスなんだろうと思う。
「じゃあ条件を付ける。アタシのわがままも入れたら、ましろの独り善がりじゃなくなるでしょ?」
「……は、はい」
「ましろの知ってる限りの翔のこと、あと海斗のことを教えて。アタシも、きっとましろが知らないだろう海斗のこと、教えるから」
「わたしの知らないカイくん……」
そのリアクションに、まず自分の知らない海斗という言葉に嫉妬を見せるましろに、アタシは思わずため息を吐いた。みんなみんな、世話が焼けちゃうね。そもそも恋なんて、ままならなくてうざったいものばっかりだ。完璧だったはずなのに欠点ができちゃったり、一見順調に見えてもドミノみたいに何か一つが倒れるだけで崩壊しかけたり、幸せになりたいはずなのに傷ついてみたり……好きなヒトへの当てつけが、いつのまにか放っておけなくなったり。めんどくさいことばっかりで、恋愛なんてしない方がマシなんじゃないかーって思っちゃうよ。
「──そこで、ちょっと目を離した隙に仲良さそうに女の子に話しかけられてて、訊いたら初対面だって言うんですよ」
「あー、翔は断るって言葉を知らないもんなぁ」
「あ、でも、ほとんどがリサさんの話ですよ」
「そっかそっかぁ……ふふ。海斗もヤった後なんてすーぐましろの話になるよ」
「カイくんは真顔で無意識に惚気ますからね」
そこでドヤ顔をするましろは、なんというか自分に自信があることだと後ろ向きな性格だったのを忘れるくらいに前向きになるんだから。でも、アタシにとっては外向きの翔を知っている子であり、海斗のことを唯一理解してくれる子だから。海斗にとって、海斗の願いに反しちゃうことになるケド、ごめんね海斗。
──アタシも、海斗のことを放ってなんておけない。海斗には幸せになってほしい。アタシが海斗をこの道に突き落としたんだから、その贖罪くらいはさせてほしい。アタシが幸せになるのは、その後でいいからさ。
「カイくんはあげませんよ」
「いらない」
「いらないんですか?」
「あげないって言ったのましろじゃん」
もし、翔と出逢ってなかったら欲しがったかもね。それくらい海斗はアタシの理想に近かったから。でも、アタシには翔がいる。いつだって誰かのために頑張る翔にとって、アタシは翔が翔のためにいられる場所にしてあげたいって、翔の理想になってあげたいから。
「ましろこそ、翔のことイイなとか思わない?」
「翔さんを? ないですよ」
「へぇ?」
「ひっ、あ、あの……そういうことじゃなくて、えと、リサさんと一緒! そう、一緒です!」
わたわたと手を振るましろ。でも、ここまで翔のことをきっぱり好みじゃないって言う子って中々いないんだよね。節度がーとか規律がーとか言ってる紗夜ですら翔のことは悪くないって言うくらいだし。
──でも、ましろには海斗がいるもんね。海斗がましろにとっての唯一だから。
「カイくんと海行くんですか?」
「そそ、ましろは行ったことないの?」
「……行かせてくれると思います?」
「あー」
海斗のことだもんね、ましろの肌を他のヒトに見せたくないーって独占欲……ってよりは完全に過保護なんだろうなぁ。
でもましろとしては羨ましいようで、海かぁと思いを馳せていた。
「きっと、ましろも一緒に行ける日が来るよ」
「そうですか……ふふ」
「そういえば、まだ水着選んでないから、海斗と選びにいかないと」
「カイくんって、どういうのが好みなんですか?」
あのエピソードを言おうかどうか悩みながらも、いつかましろも同じ目を向けられるからいいかと明け透けに話していく。海斗ってば前もまたソコから触るんだから、よく何年もましろ相手に我慢したと思うよ。
「そっか、おしりの方が好きなんだ……カイくん」
「でもましろもかわいいから大丈夫だって」
「リサさんは……なんか中学の時にカイくんが好きだったモデルさんみたいです」
「へぇ」
海斗、アタシさ──海斗が自分を傷付けるなら許さないからね。アタシにとってもう海斗は大事なヒトなんだから。なんなら、いつかおしまいになるのが寂しいくらいにさ。でも海斗にはましろがいるんだから。幸せにならないと、許さないからね。
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㉚夢/現実
静かな空間、安らぎの眠り、午後の微睡みを味わっているとそこに優しい手が背中に置かれる感覚があった。だけど覚めたくなくて、反対を向くと今度は優しい声までする。僕の大好きな、あの子の声が。
「カイくん、カイくーん、もしもーし」
「……んぁ、ましろ……?」
「うん、わたしだよ? どしたのカイくん?」
ここは、と周囲を見渡す。目の前には恋人のましろがいて、外ではセミの声と野球部の練習の声が遠くで聴こえていた。幾ら夏休みでも図書室で寝ちゃダメでしょー、とましろは笑うからああそっか、と僕は鈍い頭で状況を整理した。
「……ん?」
「なに?」
「いや……なんか、いや……なんでもない」
「え、熱中症とか?」
「ううん」
違和感が、夏の日差しに氷が溶けるように消えていった。別にましろが
「というか、バンドの練習に合わせてわざわざ学校来なくてもいいんだよ? カイくんバイトもあるし、送り迎えなんて……」
「いいの、僕が好きでやってるんだから」
「もう……でも、ありがとう……大好き」
自然な流れで、僕とましろは二人きりの図書室で唇を交わす。一度目は立ってるましろから、二度目は座ってる僕から。いつもと上下が逆で、二人きりということもあり思わず舌まで入れそうになってしまったけれど……なんとか留まれてよかったと思っているとましろが後ろから抱き着いてくる。
「ましろ?」
「今のちゅー、えっちだった」
「そう?」
「舌入れそうな勢いのちゅーだった」
「……ごめん?」
「ん」
その相槌は許してくれたのか、どうなのかと戸惑っているとましろは僕の隣に座って、僕の手を抱きこみ、指を太股で挟んできた。
──柔らかい、じゃなくて……なんでそんなことするの? と驚いているとましろはもう、といたずらを成功させたような笑みを浮かべていた。
「
「……え」
「だっていっつも触ってくるんだもん。映画行った時とか、一緒にいるとすぐだよすぐ、秒だよ?」
そっか、と頷いた。確かに僕は今挟まれているところと椅子と接していて触れない後ろ側を触るのが好きだ。好きなんだけど、ましろに言ったっけ……むしろ触ったことあったっけという違和感に苛まれてた。でも、ましろがそう言ってるし、僕としても否定できない部分だからなと納得した。
「今日もさ、泊まってっていい?」
「おじさんとおばさん、なんて?」
「カイくんちならそのまま帰ってこなくてもいいよーだってさ。ふんだ、ホントに帰ってこない不良娘になってやるんだもん」
そう言っていつも来るのが僕のうちじゃ不良にはなれてないね。それはいいんだけど、ところでいつまで挟んでるつもりなんだろう。僕はなんだか無性にいじわるがしたくなり、身動きが取れない指たちで抗議をするように動かしてやる。
「ん……っあ」
「……よわ」
「だ、だって、しょーがないじゃん! だいたいカイくんが悪いんだよ? カイくんが触るようになってから……敏感になったんだもん」
「……今のは、誘ってる?」
「ない……ないから、まって」
「待てると、思う?」
「……だめ?」
「ダメ」
二人きりだし、誰も来ないし。そういう言い訳をしながら僕はましろから奏でられる声に本性を露わにしていく。ましろだけが知っている、僕の本性、僕の本当の姿。ましろへの独占欲と性欲で煮詰められた。真っ黒で汚れた姿だ。
「汚れてなんてないよ」
「……どうして?」
「だって……カイくんの気持ちがストレートに伝わってくるんだもん。それにさ」
「うん」
「カイくんに触られると……濡れちゃう、からさ。汚れてるって言うなら、わたしもだよ」
「……ましろ」
「あ、ちょ、またスイッチ入っちゃうの……?」
図書館で、というのは案外刺激的で、でもやっぱり声を出すのは我慢しないといけないから、それが逆に興奮してしまうことを知った。ましろは後から顔を真っ赤にして二度と学校でえっちはしないこと! とキツく言い含められてしまったけれど。
「でもましろの下着、新品だったね」
「よ、よく見てるなぁ……アレは、今日泊まるつもりだったから」
「……そっか」
「あ、今ムラっとしたでしょ、すぐえっちしたがる。へんたい、しきじょーま」
「でもましろもすぐスイッチ入るよね」
「カイくんのせいでしょ……?」
一緒の家に帰る。それだけで僕の幸せはましろと一緒にいることにあると考えてしまうくらいだ。なにより、僕のこの真っ黒な欲を、ましろは嬉しいと言ってくれる。幸せだと言ってくれることが、むしろましろから欲しいと同じ欲を見せてくれることが、幸福だった。
「最初からそうだったよ?」
「え?」
「だって、カイくんとお付き合いしたい、恋人になりたいって言うのは……カイくんにならえっちなことされてもいい、カイくんとえっちなことがしたいっていうのも、含めて恋人になりたいってことなんだから」
──はっとした頃には、もうましろの笑顔は隣になくなっていた。ベッドはうちよりも広い、旅行先のホテルのベッド、僕の腕にかかる髪の色は朝日のような眩しいましろの白色ではなく、優しい夕焼けのような、リサの赤茶色。なんて笑えて、くだらない夢なんだろうと思い返した。ましろが僕と同じ高校に入って、当たりまえに、それこそリサとするような気軽さで、ましろとセックスをする夢。現実のましろには舌を絡めたことも濡れるソコに触れたこともないのに。あまりにリアル過ぎて、罪悪感が滲み出てくる。ましろに気軽に触れたことと、隣で寝てるのはリサなのにという罪悪感。
「……どしたの海斗?」
「リサ……ごめん、起こした?」
「んーん、実は海斗が起きるちょっと前から目覚めちゃったから」
「そっか」
「匂い嗅いでたらちょっと興奮して寝てる間にキスしたし、ちょっとオナっただけ」
「そっか……は?」
「あと触ってたらおっきくなっただけ」
「それはだけじゃないね」
あんな夢見たのはなんでかと思ったら犯人は予想外のところにいた。つまり僕の手で慰めていたの? と問うとそだよ、と罪悪感なく返事をされて怒ればいいのか呆れればいいのかわからなくなってしまった。
「……夢見ちゃってさ、海斗とセックスする夢」
「現実だよ」
「明日の水着でセックスすんのヤバいくらいコーフンした……ってそうじゃなくて、恋人としてだよ」
「……恋人」
「そ、練習のスタジオまで迎えに来てくれて、そのままソコでシて、家に帰って脱ぐ前に襲われて……みたいなヤツ。翔にはごめんって感じだケド、幸せだった」
「幸せ……リサは、そんな風にされても、幸せ?」
まるで僕の夢に似てるから、感情が似通ってる気がするからそう問いかけるとリサは当たり前じゃん、と笑った。そして、まるで夢に出てきたましろのように、僕の手を太股の間に誘導してきた。
「この手が知らないヒトだったら、コーフンしない」
「……うん」
「撫でていーよともならない……撫でて」
「手加減できないよ」
「海斗の触りたいように……っん」
「……よわ」
即座に感じられてしまい、思わず夢を同じリアクションが出た。でも、弱いのは僕に触られてるからであって、誰に触られても同じように喘ぐことは絶対にないとリサは少しだけ潤んだ目を僕に向けてきた。
「海斗はさ、自分の欲、触りたいセックスしたい、ってのを汚いって思ってるんでしょ?」
「……うん」
「ましろを汚い手で触りたくないから、でも触りたいからアタシで代用したんでしょ?」
「……そうだね」
よくよく考えると、いや考えなくても薄々感じていたことだ。最初は僕のことを誘ってくるようなビッチなんだから、いいやという思いもあったけれど。一年こうして関係ができた今では、全く違うことを考えている。いつの間にか、汚いから代わりに、という思いが消えたのにそれでも僕はリサに触れ続けた。
──触れてる時、堪らなく幸せだった。女に欲望を突き立てられるから幸せなワケじゃなくて、このヒトと一緒になることが幸せだったから。
「それにホラ……アタシのココは、濡れてるケド……汚い?」
「ううん……嬉しい」
「ん、わかればいいんだよ」
どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。何も性欲は、女に自分の子孫を遺させたいって欲だけじゃないのに。それをしなくても愛は伝わる、だなんて子どもみたいな駄々をこねて、ずーっと遠回りしてきた。手遅れかもしれないけれど、リサに触れてる時の気持ちが、ようやく全部わかった。
ましろ、僕はね──ずっと言葉だけじゃ伝わらない気持ちを伝えたかったし、伝えてほしかった。それは、僕じゃないとできない特別だってことにもちゃんと心のどこかで気づいていたんだ。夢にあったましろの言葉は、きっと本当のましろも思ってたんだよね。
「付き合いたい、恋人になりたい……って気持ちは、そういうコトをしたいって気持ちでもある、か」
「わかったらさ……海斗」
「いいよ、リサ」
ちゃんと理解できたからこそ、リサとの関係はもう長くは続かないことを悟ってしまった。僕は、やり直していいのかな。
──ましろを好きな僕で、ましろとセックスがしたい僕のままで、キミの前に立つ資格はあるのかな?
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㉛終わり/始まり
九月になって少し、二学期が始まってすぐの頃、久國さん、翔さんが戻ってきた。戻ってきた、と言っても相変わらず戻ってきても忙しない日々が続いているようで、家にいない日が多いんだけど。どうやら少しずつ、彼も変わってきているらしい。
それから更に三ヶ月もの月日が経ち、もうすぐ二学期も終わりに差し掛かろうとしていた。
「あ、おっはよー海斗!」
「おはようございます、
「今出るとこ? 一緒に行こっか」
「はい」
過去に戻れないのはわかってる。今更リサのことを拗れる前の呼び方に直して、敬語にしたところで僕は彼女と浮気をしたことも、彼女と幸福を分け合ってしまったという事実が消えるわけじゃない。だけど僕とリサさんは、あの旅行以来、こうして住む場所も関係もきっちり分けていた。それが、僕と彼女なりの、決意というやつだ。
「そこでセンセーがさ、最初から拗れる要素ねぇだろ、とか言い出してさ! だったら苦労してないって、ね?」
「確かに」
「ほんっと、海斗のことまで言わなくてよかった」
「言ったらヤバかったんじゃないですか? 問題になるかも」
「ないない、チョーテキトーだもん」
なくなってはいないけれど、僕は時折、あの時に戻りたいと思ってしまうこともある。リサに生かされていた頃に、リサに何もかもをぶつけることで大崎海斗という記号を使われるにふさわしい輪郭をなんとか保っていたあの頃に。
──痛いことばっかりだったのに、今のほうが安定しているのに。不思議なことに僕はあの時間が心底必要だったんだろう。
「そういえばさ」
「はい」
「ましろとはどう?」
「……変わりませんよ特には」
「えー」
苦い顔されながら、もうアタシは代わりになってなんてあげないからねと言われ、僕はわかってますよと返した。
こんな時でも、僕の声は平坦なまま。震えることもなく淡々と表情筋と一緒で、死んでしまったようだ。
「ねーねー、おーさきさ~ん」
「……どしたの青葉さん」
「いや~、リサさんとの会話ちょーっと聴こえちゃって~」
バックヤードで休憩をしていると青葉さんがやってきて、そんなことを言う。にししと子どもみたいに笑う彼女はきっとましろとの間の云々を聴いたのだろう。リサとの関係ではないと、だがそんな楽観をするりと蛇のような狡猾で冷たい笑みに変わって、僕は鳥肌を立てた。
「別れちゃったんですか~? リサさんと~?」
「付き合ってないよ」
「あ~、浮気ですもんね~? バイト来た時からちょいちょい、いちゃいちゃしてましたもんね~?」
「……知ってたんだ」
「最初から~」
ずっと黙っていてくれたのを感謝すべきなのか、それを今明かしたことを訝しむべきなのか迷っていると、それで~? と青葉さんは畳みかけてくる。
僕はリサとの関係を夏で終わらせたよ、と素直に明かすとそっちじゃなくて~と僕との距離を一歩近づいてきた。
「なんで嘘つくんですか~? もう付き合ってもないですよ~って言わないんですか~?」
「なんで知ってるの?」
「あたし~、嘘つきを見抜くの、ちょー得意なんで~」
間延びした口調でとんでもないことを言われて汗を掻いてしまう。さっきの会話で僕が嘘を吐いていたことがわかるなんて、カマをかけていたとしてもすごい。僕の表情や感情を察知できるヒトなんて、リサかましろのように密接な関係になったヒトだけだと思っていた。
「リサさんは~、もう代わりにはなって、くれないんですよね~?」
「そうだね、リサさんは翔さんとちゃんと歩んでいけるようにって、幸せになろうとしてる」
「……あたし、フリー、なんですけど~」
「誰かを代わりにするのは、もういいよ」
僕と同種だと思っていた。ずっと表情の動かないと思っていた青葉さんなのに、その本性はとても表情豊かで、演技なのかどうなのかまでは判別できないけれど、ぞわりと鳥肌が収まらないほど、青葉モカという同級生は性欲を滲ませてきた。
「でも~、リサさんは~?」
「かけがえのないヒトだった。僕はそう思ってるよ」
「ですよね~、やっぱほんとは~、くやしーんですよね~? しょーさんなんかより~、自分の方が、ちゃーんと、リサさんを幸せにできたし~、えっちのあいしょーもバツグン、てきな~……思ってますよね?」
「そうだね」
「ありゃ、認めた~。てっきり怒るもんだと~」
思ってたよ。結局忙しくて会えなくて寂しがってることも、偶のデートでも結局他の女の子に声を掛けられて素直に楽しめなくなってしまうことも。僕の方がリサの求めるセックスができることも。でも、リサには翔さんしかいないんだ。僕にましろしかいなかったように、翔さんのことしか考えられないんだよ。
「それで納得してるんですか~?」
「青葉さんは、何が言いたいの?」
「……あの男が許せないだけですよ。あの男が不幸になるなら、なんだってする」
「翔さんが何かしたの?」
ヒトの不幸を願うなんて、そう思うけれど僕だって以前は翔さんに同じような思いを抱いていた。結局それも僕が一方的に恨んでいることだってわかってからはそうでもないけれど。だけど青葉さんの憎悪は、僕には計り知れないほど大きなものだった。
「女誑し……ってのは知ってますよね~?」
「複数の子と関係を持ってたってね」
「その多数の中に、あたしのだいじな幼馴染がいたんですよ~」
いた、いたんだね。翔さんはリサさんとの時間を作るために誘いを断るという技術を身に着けたらしい。どうやらましろに散々注意されて、じゃないとリサさんは一生僕に取られたままだと脅され続けたらしく、僕の方もリサさんとの関係がただのセフレを越えていたことから、翔さんは選ぶ、ということを覚えたようだ。それが、青葉さんの憎悪の原因だと。
「今まではどんなに彼女がいよーが、誘ったらホイホイヤってたクセに、都合が悪くなったからって全部切り捨てた。愛してるだなんて言いつつ、結局セフレ以下の存在だったんだ」
「それは違うでしょ。翔さんがそんな気持ちで」
「──あたしから見たらそうでしょ~? 事実として、ここ数ヶ月、つぐはふさぎ込んじゃってるし~?」
「……そうかも、しれないけど」
すごい迫力に圧倒され、僕はたじろぐしかなかった。そこで手始めに~と青葉さんはエプロンを持ち上げ、ショートパンツのジッパーを下ろし始める。流石の僕も焦りが顔に出て、彼女の奇行を止めた。
「なにしてるの?」
「これでもけーけんは積んでるので~、口でも、なんでもいーですよ~?」
「いやそうじゃなくて、僕が言いたいのはなんで脱ぐのってことなんだけど」
「……ニブちんだな~。おーさきさんには~、リサさんとカンケーを続けてほしいんですよ~、あたし的にはそれが、最優先なんだってば~」
青葉さんの間延びした解説を要約すると、僕にはリサと関係を続けてほしい。でも一度崩れた関係を元に戻すにはなにかキッカケを作らなければならない。そこで青葉さんが利用するのは僕が一ヶ月ほどましろと連絡を取っておらず、ほぼ自然消滅になっているという点である。そこを青葉さんはリサさんに察知させる手っ取り早い方法として、僕が青葉さんとセックスしているところを匂わせる、または見せることで問い詰めてもらうというスタートを計画しているらしい。
「いや、むちゃくちゃじゃ……」
「別にセックスとか減るもんじゃないし、そりゃ妊娠とかしちゃうとメンドーだけどさ~」
青葉さんが双方に上げるメリットとして、青葉さんは翔さんを不幸にすることで自分の幼馴染を悲しませた復讐を遂げられる。しかも自分の手を汚すことなく裏から。僕は自分の溜め込んでる欲を青葉さんに放出でき、更に願ってもない数ヶ月前の幸せな時間が返ってくるというものだ。
「あ、拒否権ないよ? 今のあたしに手を伸ばした状態……証拠として保存しちゃったからさ~」
「……は?」
「コレ、どう見えるかな~? あたしが誘ってるように見えるか、おーさきさんが無理やりやらせてるように見えるか、どっちだと思う~?」
ましろ、僕はね──結局あそこで変われなかった僕は、よくわからない人間関係の縺れに巻き込まれることになってしまったよ。こうなると、自分の愚かさとかバカみたいな制約とかをかけてしまって首を絞めているんだってことを嫌でも自覚させられてしまう。
でも、僕は……ましろに性欲を向けること自体が、怖くなってしまっていたんだ。わかってほしいなんて、もう二度と口にはしないけれど、僕はこれから、前に進んでいけるのだろうか。
大丈夫です。ちゃんとましろも出てきます。そりゃもうがっつりと……がっつりはでないかも。
最近前書きとかあとがきとか書くのにテンション割くのが面倒になってしまって空白でしたが、☆10ひとつきて復活しました。やっぱり評価は最高だな!
お気に入りは伸びないけどね。
次回はましろと海斗がどうして自然消滅したかを追ってイクゾー(疲れてる)
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㉜幸い/辛い
HEのその先へと!
僕とましろの関係は、九月に入ってすぐに始まった。翔さんと二人で話したこともあり、ましろが僕に嘘を吐いていたのを泣きながら謝ってきた。僕も一年近く嘘つきだったんだし、お互い様だよ、と言うけどましろは僕の腕の中で何度も首を横に振った。
「だって、だって……」
「……僕は、ましろと一緒にいて……いいの?」
「うんっ、わたしは変わらず、カイくんだけがわたしの唯一、特別だから!」
こうして、僕とましろはキスをしてハッピーエンドを迎えた。ましろは僕の家に泊まって、それから……ましろを僕の手でキズモノにした。痛がって、それでも受け入れてくれて、気持ちよくて。リサに感じていた幸福感とは全くの別物だった。
「えへへ……カイくん、どうだった?」
「……気持ちよかった」
「わたしも、ちょっと……なんか、激しかった? けど……」
「ごめん、次からは気を付ける」
「ううん、イヤじゃないから……大丈夫」
大丈夫、この時の言葉が大丈夫じゃなくて、いいよって言葉だったら僕は、自分を傷付けることはなかったんだろうか。最初のように、自分の欲でましろとセックスできたのだろうか。今となってはわからない。わからないことばかりだ。
「……っく、はぁ……なんで」
九月になって、僕はましろは三度部屋に泊まりに来て、その度にセックスをした。流石にホテルに入る度胸がましろになかったため、デートの回数はもう少し多かった。でも、僕はその欲を全て見せることはできなくて、寝室でましろが眠っていると決まってバレないように、夜中にこっそりとオナニーをした。ティッシュに欲を吐き出す瞬間、僕の頭に過るのはこの部屋に刻まれた、たくさんのセックスの記憶たち。
──過去はなくならない。それを、僕は痛いほどに味わっていた。いくらこうしてましろと幸せなセックスを繰り返したって、僕がリサとしたことは消えたりなんてしない。むしろ、僕を追い詰めていく。
「……やっぱり、汚い、こんな……こんなの」
ましろを守りたいって歪んだ想いは、決してセックスなんかで破ることはできなかった。ましろが挿入するさいにちょっとでも苦悶に近い表情をするとそれだけで性欲が萎んでしまう。口でするんだよね! と誰かから訊いた知識を利用するものの舐めただけで顔を顰めるましろにもう大丈夫だよって切り上げさせてしまう。
「はふ~、もうだめ~」
「終わり?」
「だって、疲れたもん……おや、すみ」
「……うん、おやすみ、大好きだよましろ」
なにより、寝ているましろに未だ萎えない性欲を押し付けそうになってしまった自分が嫌で嫌で仕方がなかった。ベッドだけじゃない場所で触れると怒られることも、僕にはいっそ理不尽にすら感じた。
「ほら、リサさんは……そういうのよかったかもだけど……わたしは、恥ずかしい」
「ごめん」
「……大丈夫。その分、ベッドでシよ?」
理想と違うなんてよくあることだし、そういう理想を現実に寄せること、妥協することが寛容というものだということも理解している。
──でも僕は、理想が現実になってしまった瞬間を知っている。ましろが世界の全てではないことを、知ってしまった。
「過去は消えない、ならさ。笑い話になるようにしないとね」
「……うん」
「ましろだって慣れてないだけじゃん。大丈夫、海斗もましろも、これから変わっていくって」
すっかりお隣さんに戻ってしまったリサに愚痴をこぼしてしまうけれど、もう彼女の方はあの時間が嘘だったんじゃないかというくらいあっさりとした感情を向けられて、それが余計に心に刺さった。リサも、翔さんも、ましろも前に進んでる。未来に向かって一歩一歩、また歩き始めているのに。僕の時間は、止まってしまった。止まったままだ。
「ま、待って……それ、だめ」
「なんで」
「だってアトついちゃう……恥ずかしいよ」
「……そっか」
「あ、カイくん……?」
やっぱり僕は、幸せになんてなれないほどの罪を犯しているんだ。結局、僕はましろに嘘を吐かなくちゃいけないという罪とましろといて幸せだということが、ましろとセックスができて幸せだってことが嘘だという罪を背負って。背負い切れるほど、僕は強くなんてない。
「だから僕は逃げ出した。もう会いたくないというメッセージ一つで、崩壊した」
「きょーみないな~」
「キミが訊いたんでしょう」
「いや、そこまでセンチにベラベラとしゃべられるとは思ってなくて~」
コンビニに程近い商店街にある珈琲の匂いが香ばしいカフェで、僕は青葉モカにあらかたの事情を説明した。結果としては冷たい反応だけが返ってきたけど。
とりあえず青葉さんは、復讐がしたいってことだけは伝わった。幼馴染を振り回して挙句手を出して勝手に泣かせて自分だけが幸せになろうとしてる翔さんが許せないと。
「というわけでちゃちゃっとリサさん寝取ってほしいな~事情訊いた限りじゃ脈ナシぱーふぇくとにセフレってわけじゃないんでしょ~? まぁ、おーさきさんの勘違い~って場合も多いにアリなんだけどさ~」
「そのために自分の身体を売ることも厭わない、って?」
「だから~、別に処女じゃないし~、そんなけーけんにんずーとか気にしないし~」
僕は翔さんに恨みはない。むしろ知ることが多くて感謝をしてるくらいだから。青葉さんの脅しがなければ話をすることも訊くこともなかった。大体、翔さんの性格からして幼馴染さんをナンパしたわけじゃないんでしょう? 逆恨みってやつだよそれ。
「……は?」
「事実を述べただけだから」
「逆恨みだろうがなんだろうが恨みじゃん? あたしは殺したいほどにあの男が憎い。それに善いとか悪いとかな~んも、かんけーないよ」
「僕はリサさんを不幸にできない」
「いーじゃん。寝取っちゃえば~、リサさんだってしあわせーでしょ? だっておーさきさんのカノジョになるんだから~」
そもそも僕とリサの間にセフレ以上の感情があったからと言って寝取れるかと問われれば間違いなく首を横に振る。僕が後ろめたいとかなくて、本当に翔さんに恨みがあったとしても、それは失敗すると思う。それだけ、リサさんにとっての翔さんは、世界の全てだから。
「はー、つっかえないな~」
「ごめんね、役立たずで」
「そもそも本当に世界の全て~が通じるんだったら、おーさきさんはカノジョと別れてないでしょ~?」
「そうだね」
「寝取れよ~、そのくらいしろよ~」
「──ごめん」
ごめんね青葉さん。僕は、青葉さんの復讐には乗れない。これはすごく悩んだことなんだけど、僕は僕の感情とか全部を犠牲にしたとしてもリサさんにはリサさんが思う理想の幸せを追求してほしい。その証拠に、僕は今の自分語りを全て聴かせたよ。
「モ~カ~、わるーい相談してるっぽいケドさ、おねーさんにも聴かせてみ?」
「……リサさん?」
「青葉さんにわざわざ長話をしたのは、時間稼ぎなんだ」
リサさんにすぐさま連絡してスマホを通話状態にしっぱなしにしといた。時間を稼いでという無茶に対応するためとはいえ、全部知られちゃったな。まぁ、一ヶ月も秘密が守られたんだから、よしってことで。本来だったらすぐさまましろが翔さんかリサに連絡をしてもおかしくはないからね。
「なーんだ、てっきりきまずーで連絡なんてできない~と思ったのに、思い切りいーじゃん」
「はい、いい加減にしないとひまりとか蘭にも言いつけるからね」
「……ちぇ~、帰ります~、でもリサさんも覚えといてくださいよ~、誰かが幸せになるってことは、こういうことでもあるんだ~って」
「はいはい」
そう言って、青葉さんは去っていった。誰かが幸せになるってことは、誰かがその幸せを諦めてる。その言葉は、今の僕にはとても刺さる一言だった。僕だって、ましろのためにとたくさんのヒトを泣かせた。当時はましろしか見えてなかったせいでなんにも感じなかったけれど、考えればきちんと僕のことを見て、傍にいたいって思ってくれた子も、いたんだろうな。
「……ましろと別れてたの?」
「はい」
「敬語、やめて」
「……別れたってよりは、僕が一方的に逃げた」
「アタシのせい?」
「そんなこと、言うと思う?」
そんな顔をしないでほしい。それは翔さんだけに見せてあげるべき表情だ。愛おしいヒトを案じるような、慈しみを感じるその手を僕はゆっくりとした動作で拒否した。
──知られても、僕が何かを求めることはもう二度としない。リサは、リサさんはもう、翔さん以外のことを考えないでほしい。
「ばか」
「そうだね」
「わかってない。海斗はなんっにもわかってない。アタシが、翔が海斗とましろだけ置いて幸せになれるわけないじゃん。こんなの知っちゃったら、アタシは」
「だったら……見てみぬフリくらいしてよ」
だって、僕の幸せはあの歪で痛いだけの日々にこそあったんだから。ずっとましろに悪いと己を痛め続けていたあの日常の中に僕の幸せはある。
ましろ、僕はね──もうキミと一緒にいても幸せにはなれないみたい。セックスをすれば何かが変わると思ってた。ちゃんと欲を見せれば前に進めると思ってた。でも、それは勘違いだったよ。ましろ。
というわけでハッピーエンドでした。二ヶ月くらい。作中が12月の半ば、11月の後半までなので正確に言うと二ヶ月と半分くらい。
キミともう一度つながる、というキミが誰かは、まぁ想像にお任せします。
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㉝偶然/運命
──わたしは、カイくんに捨てられた。一ヶ月くらい前、突然もう会いたくないと連絡が来て、それっきり。会いに行こうと思えば会える。カイくんのお隣さんであるリサさんや翔さんに頼ろうと思えば頼れる。だけど、わたしはそのどれもできなかった。だって、捨てられたんだもん。だって、カイくんは会いたくないって言ったんだもん。
「カイくん……なんで、どうして……」
正直、原因がわたしにない、とは言いきれない。あれだけカイくんの欲が平気だ、カイくんに触れられるなら幸せだと言ってきたくせに……怖かった。
カイくんの本性は思っていた以上に肉食動物みたいで、リサさんはそれがいいと言ってたから、わたしには気を付けてね、なんて一言だって伝えてくれなかった。ギラギラしていて、えっちで、なにより慣れている感覚が……わたしを嫌な子にさせた。
「身体の相性で別れちゃうことって、結構あるんだ……」
わたしにとっては人生を左右するほどのおおごとなのに、ネットではそれをよくあるパターンとして記号化されていてわたしは思わず怒りとか悲しみとかでスマホを床に叩きつけたい気持ちに襲われた。特に夜は情緒不安定になりやすくなって、胸がズキズキと痛む。
「カイくん……カイくん、カイくん……」
会いたい、会って、わたしを抱きしめてほしい。抱きしめて、キスをしてそれから……それから全てを奪ってほしい。あの叩きつけられるような行為こそが、カイくんがくれるまっすぐな愛だったのに。それを、わたしは拒絶した。拒絶しちゃった。怖くなって、わたしは逃げちゃった。
「ましろちゃん、帰らないの?」
「あ……うん、帰る」
「じゃあ途中まで……ってなんか外が騒がしいね?」
「そうだね」
つくしちゃんと一緒に帰る準備をして下駄箱前にやってくると、外が騒がしいことに気づいて首を傾げた。何かあったんだろうか、そんな風に顔を見合わせていると通り過ぎていく噂話が耳に飛び込んできた。
「すごいイケメンが校門前にいるんだけど!」
「誰待ち? ってかアレ有名人じゃない?」
イケメンで有名人が校門前で誰かを待っている。そんな話につくしちゃんは月ノ森生の自覚が、と言い始め注意を促そうとするけど……あ、やっぱり人並みにもみくちゃにされて帰ってきた。
「あ、あわわ……」
「おかえり、つくしちゃん」
「おーっす、なんこれ?」
「あ、透子ちゃん」
透子ちゃんもやってきてマジ? とその情報を素早く投稿する。それから誰なんだろうとSNSで画像やらが出回ってないか見て、それからアタリを見つけたような表情をした。
──そして、苦笑いで私を横目でみてきた。え、なに?
「いや、たぶん……じゃなくてひゃくぱー相手の目的はシロだからさ、明日からの質問攻めが大変そうだと思って」
「……わ、わたし? え、イケメンで、有名人で、わたしのことを待つようなヒトなんて」
いるね。いる、一人だけ思い当たるような人物がいるよ。そもそもわたしの知り合いにイケメンが二人しかいないもん。一人はわたしが今、世界で一番会いたくて焦がれてるカイくん。そしてもう一人が、話題のバンドのベース&ボーカルのKAKERさんこと、久國翔さんだ。
「……あ、連絡来てた。充電なくてほとんど触ってないんだった」
「そ、それよりもコレ……どうするのましろちゃん?」
「ど、どうしようね……」
んじゃぱっぱとなんとかさせるか、と透子ちゃんは素早く瑠唯さんに連絡、事情を受け止めた彼女が校門まで行き、応接室にまで通してもらった。何の話をしにきたか……なんて訊かなくてもわかってる。
「ごめん、連絡取れなくて直接出向いた方が早いとは思ったんだけど。まさか騒ぎになっちゃうなんてな」
「翔さんは目立つんだから、あとイケメンだし?」
「はは、ありがと」
「褒めてないよ?」
「……だよな」
敬語は、年上に使わないのはどうなんだーとは思うけど、このヒトと仲良くなると自然に敬語は野暮な気がしてしまう。そういうところもまた、彼が女の子を引っかける天才たるゆえんなのかもしれない。わたしにはその魅力も通じないけどね。
「……率直に訊くけど、海斗くんと別れたの?」
「別れた……のかな。連絡しても、返ってこなくなっちゃった」
別れた。ずっと否定してきた翔さんの客観的な一言に、わたしは胸を抉られたような気分になった。別れた、そうだ別れちゃったんだ。そんな気持ちが後から湧きたってきて、わたしは涙を抑えられなくなってしまった。
「ご、ごめんましろちゃん……泣かせるつもりじゃ」
「いい、いいの……誰かにそうやって口にしてもらえないと、信じられなかったから」
カイくんとわたしの関係は、自分で言うのもアレだけど簡単に崩れるものじゃないって自信があった。浮気とか、色々ぐちゃぐちゃになったとしても、一緒にいられる、愛してるよって言い合えるんだと無条件に信じてた。だけど、ちょっと調べてみたら学生時代の恋人と結婚するのはだいたい三割、中学生、しかも幼馴染だったり初恋だったりと条件を付けると一分にも満たないことを知った。ありふれてるんだ。わたしたちのような恋人が湧かれることなんて、普通にこの世界には当たり前にある光景なんだということを知った。
「こういうのも、人生なんだよね。カイくんと……別れるのも、別の素敵なヒトと、お付き合いできるための……人生の……っ」
「そうだ……なんて励ましも、そんなことないって慰めも、ましろちゃんには通じないんだろうな」
「……だって、カイくん、ずっと一緒にいてもいいよって言ったら、嬉しそうにしてくれてたのに、ずっと……愛してるよって言ってくれたのに」
言葉は、なんて薄っぺらくて、脆いものなんだろう。カイくんが信じなくなって、誰かにそれを分け与えなきゃダメになっちゃいそうになったという意味をわたしはカイくんに会えなくなってから知った。ずっと一緒なんて、そんな曖昧で、不確かで、アトの残らないものなのに。セックスのほうが、よっぽど、愛を伝えるのに合理的なのに。わたしはカイくんの欲を……拒否した。
「後悔してるんなら、話し合うべきだろう」
「だって」
「言い訳してる暇ないだろ。悪いけど、俺はましろちゃんと海斗くんに恩があると同時に、あの二人の……海斗くんとリサの関係を阻止しなくちゃいけない」
「……え、なんで……その二人が?」
確かに、あの二人はお互いがお互い、欠けてた部分がぴったり一致したみたいに強く結びついている印象があった。だけど、それはもう終わったんじゃ……まさか、それでカイくんは?
「いや違う。でも、二人がぴったり一致するのは、欠けた部分だけじゃないってことだ」
「相性、セックスとか、そういう?」
「それもある。でももっと漠然とした歩幅とも言えるものだ。俺やましろちゃんが
でもそれならそれで……いい気もする。翔さんにはそう言えないけど、カイくんを幸せにできないわたしなんかより、カイくんを一年間支えてくれたリサさんの方が、カイくんにはふさわしい気がする。
──あの二人には勝てないと思わせる、二人だけの世界が、確かにあるから。カイくんやリサさんが夢見て、そして諦めていたはずの
「でも、二人は決して幸せになんてなってくれないよ、ましろちゃん」
「……どうして?」
「海斗くん、どうやら相当ひどい状態らしい。前の方が良かったくらいだと」
「それは……きっとリサさんがいないからであって」
「そうかもしれない。けれど、それを癒せるのはリサじゃない。ましろちゃんだ」
「──わたしには無理だよ!」
わたしはもう……カイくんを否定した。してしまった。それはカイくん対する明確な裏切りで、浮気なんてちっぽけに見えるほどの罪だもん。もうどういう顔でカイくんの前に立てばいいのかもわかんない。キスされるのも触られるのも、受け入れられるかわかんないのに。どうやってカイくんを癒せるの? どうやって、カイくんを傷付けずにいられるの?
「だって……わたしは、カイくんを傷付けちゃうから……無理、無理だよ……わたしは」
「……トーコちゃん」
「はいはい」
「ごめん。ましろちゃんを頼む」
「カケルさん」
「こんなの見て……いっそ、俺がましろちゃんと……なんてちょっとでも考えた時点で、俺もかなりメンタルやられてるみたいだ。もう、叱咤する元気もねぇや」
カラ元気を振り絞ったように翔さんは笑って去っていく。わたしは、なんて子どもなんだろう。わがままで、ただ泣きじゃくって他人に迷惑をかけるだけ。自分じゃなんにもできなくて、自然消滅が嫌なのにそれをなんとかしようとすら思えずにうずくまって、泣くだけの、子ども。
カイくん、わたしね──大人になりたいよ。せめてカイくんが守るだとかそういう我慢や嘘を吐かなくていいくらいに、大人になりたい。それができないからきっと、カイくんはわたしに愛想を尽かしちゃったんだよね。ごめんねカイくん、ごめんね……会いたいよ。カイくんはもう、わたしといない方が幸せなのかな? わたしなんかのセックスじゃ気持ちよくなれないのかな? 教えて、教えてよ……カイくん。リサさんは、リサさんなら……どうしたのかな。
キミはリサにはなれないよ。
☆9から☆10へ上方修正ありがとうございます。とっても嬉しいです。
感想も気づけば60件を突破しておりました。ありがとうございます!
それでは、次回はリサ姉、動きます。
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㉞我慢/ケンカ
知られてしまったからには、向き合わないといけない。けれどこの向き合あうというものは簡単なことじゃない。僕もリサも。僕たちはあまりに間違え過ぎてしまって、間違えすぎたが故に自分たちが正解だと思っていたものよりも更に正解に近いものを、見てしまった。見つけてしまった。
「モカは、やっぱり……諦める気なんてないよね」
「ないだろうね。それだけ、幼馴染を不幸にされたっていうのが、青葉さんにとっては重い罪なんだから」
「ん……そだよね」
約四か月振りにリサが僕の部屋にやってきて、言葉を交わす。幼馴染の大切さは、奇しくも僕とリサもわかることだった。リサにとっての湊友希那さんであり、僕にとってのましろが、青葉さんにとっての幼馴染なんだ。僕の場合は異性だし、恋人になってしまったから少し違うかもしれないけど。
「どうしたら、いいのかな」
「考える必要はないと思うけど」
「でも! アタシにとってつぐみ……モカの幼馴染は知らない仲じゃないし、他にもきっと同じ子たちがいっぱいいるって思うと」
「だからってリサは自分を犠牲にしてもいいって? それで翔さんが喜ぶと思ってるの?」
「海斗だって、今自分がしてることでましろが喜ぶと思ってやってるの?」
「僕のことは関係ないでしょ」
「なくない、勝手に自分を蚊帳の外に置かないでよ」
何故か僕もリサもケンカ腰になってしまう。それだけ、心に余裕がないってことなんだろうか。それとも別の何かが原因なのか……僕にはもうなにもわからなかった。たった数ヶ月離れただけで、目の前にいるリサがまるで昔のブラックボックスだった頃に戻ったみたいに何も感じない。何も伝わってくることもなかった。
「……少なくとも、今は喜ぶなんて思ってない。でも、いつかはそれがよかったって思える日が来るって信じてるよ」
「なに、それ……ばかだ、ばかじゃないの? あんたは何年ましろの傍にいるの、何年、ましろの心を独占したと思ってんの? それをいつかはよかったって思える? そんな半端な覚悟で……っ!」
胸倉を掴まれるけれど、僕はそれを力づくで払う。半端な覚悟とか、何年独占しただとかもう、そんな客観的な一言で胸を抉られることなんてなかった。雨に濡れることもない、溢れる川も海もない。不毛の焼けつく荒野のような、ぽっかりと空いた虚しさだけが僕を支配していた。そこに感情の一滴だって染み込んじゃいないんだ。
「だったら」
「なに?」
「だったら僕が我慢と嘘を続ければよかった? あの時、九月のあの時にハッピーエンドのままエンドマークをつければ、納得したって言うの?」
「──海斗」
あのままだったとしても僕は何も変わらないし一歩だって前に進めなかった。だから僕は、自分ができる最大の行動を起こした。これ以上僕はましろを不幸にしたくない。それに、ましろはもう引っ込み思案で人見知りで、後ろ向きな子じゃない。仲間を得て、経験を得て、暖かい光に包まれることを知った。
──僕が愛さなくたって、誰かはましろを愛してくれる。なら、僕である必要はないでしょう?
「それ、翔をカノジョに持つアタシの前で言うの? それでもって翔の傍に居続けた、アタシの前で?」
「リサである必要はなかったんだろうね」
「……っ!」
顔が怒りに染まり、僕を睨みつける。それでいいよ、僕のことは放っておいてほしい。幸せになるなら勝手に幸せになってよ。僕を翔さんとリサの恋に巻き込まないでよ。最初から、最初からそうだったよ。
──リサが僕を誘わなきゃ、こんな面倒な感情を持つこともなかった。
「それは……それは、アタシ……アタシはっ」
「僕は、リサを恨んでるよ。巻き込まれなきゃきっと、あっさりと僕とましろの関係は終わっていただろうから」
「……そんな言い方」
それまで上向きだった顔が下を向いた。乾いていたはずの胸に何かが突き刺さっていく感覚を無視しながら、僕はもう帰ってとリサを追い出した。もう限界だった。もう顔も見たくない。二度と関わってほしくない。そんな風に、強い言葉を浴びせながら。
「海斗……アタシは、海斗にとって、迷惑だった?」
「……じゃなきゃなんだって言うの?」
「だよね……ごめん」
扉が僕とリサを隔てていく。最後の顔は……前髪に隠れて見えなかったけれど、笑顔だったんだろう。彼女はそういうヒトだ。悲しくても、なんだったとしても、他人には笑顔ばっかりを向ける。素直な表情なんて少しだってしない。悪感情なんてなおさらだ。怒りとか悲しみとか、そういう強い気持ちを向けるのは彼女にとって本当に大切なヒトだけだろうから。
「……ごめん、リサ。でも……僕はもう、リサに頼っちゃだめだから」
──独りになった空間で、考える。ちゃんと嘘は吐けていただろうか。表情筋が死んでるから、大丈夫だ……とは言いたいけれど、リサは僕の感情を読んでくる時もあったから不安だ。あと実は泣き虫なところもあるから、本当はすぐにでも扉を開けて抱きしめていたいくらいに胸が痛んだ。
「僕がリサを頼ったら、それこそ青葉さんの復讐になる。翔さんを悲しませることになる。それだけは……できない」
僕はもしかしたら、リサを幸せにできるのかもしれない。あの陽だまりのヒトを優しく包んであげることができるのかもしれない。でも、その資格があるのは僕じゃない、翔さんだ。そして、僕はましろを幸せにする資格はあっても、できはしない。結局、僕はましろにセックスに対して恐怖しか与えることができなかった。性欲というものに、不安と恐怖を植え付けた、あの男と同じように。
「……結局、逃げてばっかりだな、僕は」
もっと向き合えればいいんだけど、弱虫だから。見た目だけは強そうな言葉を、薄っぺらい言葉ばかりを使ってきた僕には、傷つけないと離れることすらできない。ましろにだって、リサにだって。失うと胸にぽっかりと穴が空いたように感じるらしい。前まではそうなんだ程度にしか考えていないけれど、いざ失う側に立ってみるとそれはすごく的確な表現なんだと実感できた。手を入れれば向こう側に貫通しているんじゃないかと思うほど、僕は満たされないものを感じながらそのまま眠りについた。
──その日見た夢は過去の中でも最悪のものだった。旅行の時にリサが言っていたものとほぼ同じような夢を、僕がリサと恋人同士の、幸せで退屈でただただそこに日常の中に二人の人生が浪費されていくような夢を見た。同時に僕は、僕はこんなものを求めていたんだと嫌悪した。
「あ、おはよー海斗!」
「おはよう海斗くん」
「──え」
目が覚めて、最悪だなと鈍い頭を振りながら朝ご飯を簡単に済ませようと扉を開けるとそこにはまるで当たり前のようにパンを頬張る翔さんと、台所に立つリサがいた。一瞬僕は隣の部屋にいるのかと思ったけれど、振り返ると見知った寝室で、リビングにあるものも自分の部屋のものだった。
「なんで、いるの」
「海斗に合鍵返してないし」
「そうじゃなくて」
「──海斗の嘘なんて、お見通しだし」
「これリサの嘘な、後で俺がそうなんじゃないかって話したんだよ」
「翔はとっとと事務所行っていーよ」
「おい、浮気するのか? 邪魔ものか?」
「はいはい、いーからばいばい」
「ちょ──ひどくね?」
何を、何を見せられるんだろうか。リサが翔さんを追い出してまた部屋で二人きりになる。忙しい朝にため息をついて、それから振り返ってリサはごめんねと優しい笑顔で、でも泣きそうな笑顔でそうつぶやいた。
「海斗の気持ち、わかってるつもりだったのに……アタシは焦ってばっかりだった。どうにかしなきゃ、ってさ。それってすごく独り善がりだよね」
「……リサは何を言ってるの?」
「今なら、翔がどうしてああまでして、アタシを蔑ろにしてまで誰かの愛に応えたのか……わかっちゃうな」
やめて、と首を横に振る。その表情をしないでほしい。その顔でその笑顔で、その暖かさで僕に触れないで。そうならないように昨日はあんな風に拒絶したのに、もう二度と僕とリサの道が交わらないようにってそう思っていたのに。
「──もう、我慢しなくていいよ海斗……独りになろうとしないで」
「……どうして、僕を……リサには、翔さんが」
「翔はいるケド、アタシは海斗が自分の欲のせいで自分を傷付ける姿を、ほっとけなかった。ごめん、せっかくアタシのためにって突き放してくれたのに」
抱きしめられて、慰められて絆されて、僕は涙を流しながら、リサだけじゃなくて翔さんにも心の中で謝りながらリサを襲った。さながら獣のように、お昼にお腹が空きすぎて大きな音が鳴るまで。いいよ海斗、という言葉に全てが流されてしまった。
──僕は認められたかった。そうだ、僕はいいよって言ってほしかったんだ。それがもう叶わないことも。
「翔には言ってあるよ。あはは、だいぶケンカしちゃったケド」
「……ごめん、リサ」
「いーってば、アタシのせいで海斗はましろとごっちゃになったのは事実なんだし」
「それは、リサを突き放すための嘘だし」
「んーん、海斗はホントのこと言ってるよ。それなのに、アタシは海斗のおかげで翔と今までより一緒になったんだよ? 感謝しても、しきれない」
だからこれだけは譲れない。アタシのやり残したことだからと決意の表情でリサは僕の腕の中に納まった。
僕はね──向き合わなくちゃいけないみたいだ。逃げることなんて許してもらえなくて、自分の欲とも気持ちとも、ケジメをつけなくっちゃいけない。それに、羨ましいとも思ったよ。ケンカしたんだ。リサと翔さんは、ケンカをした。僕はケンカなんてしてこれてないんだってことを、認識させられた。言いたいこと、実はずっと言えてなかったことを僕は今更ながら知ったよ。
結局こうなる。でもちゃんと前に進んでいるのですよ、あなたたちは。
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㉟他人のため/自分のため
翔さんの件については、どうやら翔さん自身で決着をつけに行くと決めたらしい。カッコいいな、本当にカッコいい。僕には真似できないカッコよさだ。そのつぐみちゃんって子が本当に自分のことを呪っているのか確かめに行くなんて特にできっこない。せいぜい今みたいに、自分がしたことに対して後悔をしながらその相手を抱きしめることくらいしか、できない。
「海斗はどうするの? ホントに別れたまんまにする?」
「……それは、ダメなんでしょう?」
「そりゃダメだケドさ、アタシはそんな正論とおんなじくらい、海斗に傷ついてほしくないから」
「二学期が終わる前に、ましろと話がしたい」
二学期が終わって年が変わったら、もう二度と会う勇気がでない気がする。このままリサとのぬるま湯のような幸せに浸かっていたいと思うこともあるけど、やっぱり風邪は引きたくないからね。
「……アタシ、海斗を苦しめてばっかだよね」
「そんなこと」
「正直さ、別れるくらい……言っちゃうとよくあることじゃん?」
「そうだね」
学生カップルが別れるなんて珍しいことじゃない。くだらないきっかけで別れるだなんて吐いて捨てるほどある。だからそこまで重くみなくていいってリサは逃げ道を作ろうとすることもできた。だけど、それを口にしなかった。僕に、辛い道を示してくる。
「僕のほうこそ、また浮気させて……苦しめてごめん」
「しょーがない、惚れた弱みってやつだし」
「……うん」
僕とリサは、どうしてこう理想に近すぎるんだろうか。あまりに残酷で、割り切れないほどに幸せな歩幅だから。鼻孔をくすぐるリサの暖かい香りに目を閉じているとそういえばさ、と腰に触れていた僕の手から視線を移しながらましろと話していたことを教えてくれた。
「モデルさん、好きだったの?」
「……小、中の時に」
「アタシに似てた?」
どうなんだろう、思い返すとタイプ的には似ていたのかもしれない。後ましろにはモデルって言い含めてきたけど……その、水着グラビアとかだから。たぶんそのヒト、グラドルだったと思う。
「ふーん、やっぱ昔の海斗ってむっつり?」
「言われるとそうかも。でもそういうのが好きだったせいか同級生は全然だった」
ましろは特別だったから。というかましろがその僕の欲情してしまうようなスタイルから外れていたことも、ここまで我慢できた原因にあったのかもしれないとくだらない結論に至ってしまうくらいだ。
「翔はさ」
「うん」
「今はそーでもないんだろうなとは思うんだけど、それでもやっぱ忙しいから一瞬ためらっちゃうんだよ。わがまま言ってもいいのかな、甘えていいのかなって」
でも、とリサは唇を重ねてくる。受け止められることがまるで当たり前だとでも言うように何度も、何度も熱を込めて、身体を密着させてきながら僕に向かって、微笑みを浮かべてきた。
「僕なら、迷う必要はないって?」
「海斗は……アタシと一緒なんだって安心感があるからね」
「一緒、か」
「でしょ?」
「うん、一緒だ」
安心感、か。確かに僕もリサにならいいんだって思う。どこまで欲を見せてもいいか、どこまでなら不快じゃないのかって触れるさいに考えることがない。強引に求めても、リサは応えてくれることを知ってるから。一緒なんだって思えるから。
「わがままだよね、アタシたち」
「そうだね」
このわがままだから我慢しよう、嘘をついてまで自分の本音が誰かを傷付けて、誰かに影響を与えるのを極端に怖がってしまうところが、僕やリサの悪い癖というものだ。相手がそれで変わることを望んでいても、僕らは……変わってほしくなんてなかった。自分なんかのために歩み寄ろうとしてほしくなかった。
「リサ」
「なに?」
「ありがとう」
「独りになろうとしないでよ? たとえ独りが楽だったとしてもさ」
「うん」
逃げるのはもうやめよう。リサとの約束があるから、僕は僕のわがままを怖がらずにましろに伝えようと思う。だって、ましろは僕の人生に色を付けてくれたヒトだから。甘えん坊で、わがままで、そのくせすぐに後ろ向きになって。でも何かにまっすぐ前を向けるヒト。僕のこうありたいというヒト。
「それで別れても、今度こそ慰めてなんてあげないから」
「……とか言って、リサは構ってきそう」
「うるさい」
図星だったのかくるりと寝返りを打って僕に背中を見せる。それを指摘すると更にうるさいばかと、海斗なんて嫌いだと顔を合わせずに怒ってくる。きっとましろに同じことをされたらどうしようと戸惑うだろう。だけど、リサならきっと大丈夫だから。彼女を包むようにして抱きしめた。
「僕はすきだよ、リサのこと」
「……ばか、どこでそんなの覚えてきたの」
「嫌だった?」
「んーん、すき」
ミルクチョコレートが口の中で溶けていくような、ただただ甘く、それゆえに顔を顰めたくなるほどの愛情に僕とリサはお互いの中にある口にできなかった言葉たちを交わしていく。やがてそれは熱の籠った吐息が混じり、嬌声の中に溶けていく。お互いの耳許に言葉で、唇を重ね奪い合うように、腰を打ち付け、言葉にならないほどの快楽の中で。僕たちはお互いの中に芽生えていた愛を確かめあった。心のどこかにあったタガの外れたセックスは、それまでのものを遥かに上回るほどに、充足感と幸福感に満ちていた。
「はぁーあ、やっぱ初恋追い求めすぎるのはミスってたカナ~?」
「どうして?」
「こんな好きで好きで仕方なくても許してくれるヒトがいるなんて、思わなかった」
「……僕も、幼馴染で初恋ってものにがむしゃらになりすぎたのかも」
「でも、そうやって理想を追い求めたから、アタシたちは出逢えたんだよね」
そうだ。僕とリサは出逢いが違えばとても幸せなカップルになれたのかもしれない。だけど、僕とリサが出逢ったのはこのマンションでお隣さんだったから。いつかましろと一緒に住む場所をと考えた僕と、翔さんとの幸せを欲しがったリサだったから。こうして出会えたんだ。
「……うん、アタシ決めたよ海斗」
「ん?」
「もし、ましろと話し合って、結局別れたりうまくいかなくなったら……アタシは、海斗と一緒にどこまでも堕ちていきたい」
「そこまでしなくても」
「いーの! どーせ海斗が泣いてたら手放しで翔と幸せになんてなれなくなっちゃうんだもん、だったらアタシはアタシの幸せのためだけに生きる。アタシだけが、海斗を救ってあげられるんだって手を伸ばすから」
それは、僕の決心が鈍ることのないようにと背中を押してくれるものだった。楽な方はないと叱咤してくれるような言葉だった。同時にリサは僕が望んでいた自分の幸せというものを追い求めてくれるとも約束してくれた。
「よかった。リサはいっつも翔さんや僕の幸せばっかり優先してたから、実は幸せになりたくなんてないんじゃないかって思ってた」
「……昔のアタシは、そうだったかも。海斗と浮気して、それで翔に罰してほしかったのかもね。そんな汚い女とは一緒にいられないって、言ってほしかったのかも」
「でも今は、幸せになろうとしてくれてる」
「だって、そうじゃないと海斗がアタシから離れてくれなさそうだし」
「……そっか、ふふ、あはは……ありがとう、リサ」
「──海斗」
リサの目がまん丸になる。僕だって正直すごく驚いている。いつも表情の出なかった僕が、笑いたい時にも、泣きたい時にも、一切動かなかったのに。
──僕は笑った。こらえきれなかったように、大好きなヒトを抱きしめながら笑みをこぼした。
「さっきの顔、ましろにも見せてあげなよ……見せてあげられるのなら」
「見せてあげられなかったら?」
「アタシがマウント取る。海斗を笑わせたのはアタシですよってさ」
僕の笑顔はきっと、リサからもらったものだ。いつだって笑顔で僕の傍にいてくれたリサのおかげで、僕は心から笑うということを覚えた。そんな風に笑顔をくれたリサが、僕は大好きだ。大好きだからこそ、もう二度とセックスをすることも大好きだって言葉にすることもしちゃいけない。僕とリサは今度こそ、最後にしなくちゃいけないんだ。
「……翔が、ましろと話し合う場所を作ってくれたってさ」
「翔さんも必死だね」
「ましろもね」
みんなそうなんだ。みんなそうだったんだ。僕たちが違っただけで、みんながみんな、自分の幸せのために必死に生きている。ましろにとっての幸せのために、翔さんにとっての幸せのために。そうやって生きてきた僕たちは、間違っていたんだろうね。
「んじゃ、行ってらっしゃい……二度と、おかえりなんて言わせないでよ、海斗」
「じゃあ、ただいまは言わなくていいね……行ってきます、リサ」
玄関先で僕はつま先立ちになったリサの腰と、頬に手を添えてたっぷりと数秒、唇を触れ合わせた。夢に見た理想の世界、夏の間にあった幸せな時間、その全てを終わりにすることへの躊躇いは、その唇に触れることで消し去っていく。
リサ、僕はね──もうリサのことを代わりになんてしない。次にもし、リサにこうして触れることがあったのならそれはもう誰かの代わりになんかじゃない。掛け替えのない、大好きなヒトとして、誰より僕がリサと幸せになる時だから。だから願わくば、そんな日が来ないことを。僕が幸せになる相手はもう、決めているから。
海斗くんついにメンタルリセット。そして更に五話の遠回りをしている関係に決着をつけに。翔さんは自分で解決できるんだから、自分で解決してください。青葉さんとバチバチやり合ってくれ。
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㊱王子様/幼馴染
「イヤだ」
「ちょ、シロ~?」
わたしは、首を横に振る。透子ちゃんは珍しく困ったような顔をしていいからさ、ほらと提案してくる。だけど頑として首を縦には振らなかった。振れなかった。
──翔さんから連絡が来て、カイくんに会ってほしいだなんて言われたけど、一ヶ月以上連絡来なくて急に会いたいだなんて、本格的な別れ話に決まってる。だから今更そんなもののためにカイくんに会いたくなんてない。
「いやいや、自然消滅してたのにわざわざ話すとかないっしょ」
「だって」
「いいから会っときなって」
「……やだ」
あーもうと苛立たれてしまって、ちょっと怖くなってしまうけど、わたしはそれでも拒否する。もういいんだ。恋ってもっと、楽しいものだと思っていた。それこそ香澄さんが言っていたみたいにキラキラしていて、ドキドキするような、そういうものだと思っていたのに。ずっと、苦しいままだ。息ができないくらいに苦しくて、暗くて、寒くて、寂しくて。
「だから言ったのよ。恋愛なんて感情は人生において無駄でしかないって」
「ちょ、るーいー」
「事実、今倉田さんはその無駄に時間を費やしているじゃない。
「瑠唯……」
「ちょ、るいるいもとーこちゃんも、落ち着こーよ~」
「そもそも私は桐ヶ谷さんでなく倉田さんに話しかけているのよ」
「……わたし?」
首を傾げる。そこで瑠唯さんはじっと透き通った宝石のような瞳にわたしの像を映しとっていた。そして、あなたの言葉や思考にはあなたの行動が何一つないと指摘される。意味がわからずに困惑していると、すごく深いため息を吐いた。
「あなたのその
「……わたしの」
わたしの
──カイくんを好きになった気持ちを、カイくんのせいにするの? カイくんを拒絶したのも、全部カイくんのせい? それで自然消滅して終わりで、本当にいいの?
「ましろちゃんは、大崎さんの特別でいたかったんじゃないの?」
「……つくしちゃん」
「海斗サンは待ってると思うよ、シロが自分でどーしたいかって選ぶのを」
「透子ちゃん」
うずくまったわたしに、手が差し伸べられる。透子ちゃんの強引で、でも優しいキラキラの手が、つくしちゃんの小さいけどあったかい手が、七深ちゃんのふわりとした柔らかな手が、瑠唯さんの冷たいけれどブレないまっすぐな手が、わたしを暗いところから引き出してくれる。
「ありがとう……わたし」
「友達はこういう時、放っておかない……でしょ?」
「……うん!」
「にしても瑠唯がねぇ?」
「恋愛を無駄だと思っているのは今もそうよ。だけど……それが倉田さんにとっての意思、なのでしょう?」
「ほら、行ってらっしゃい!」
わたしは背中を押されるようにして、空き教室から飛び出した。そして翔さんに連絡する。どうやら今日はお仕事がないのかあっさりと数コールでもしもし、と声がした。翔さんはわたしの事情を訊くとよかった! と喜びの声を上げてくれる。
「あ、ましろちゃんこっちだ」
「遅くなりました」
「よし、座って座って。つぐみちゃんオレンジジュース……でいいよね?」
「うん」
「はーい」
指定された場所が知らないとちょっと苦戦するんだけど羽沢珈琲店だったから、迷うことなくこれた。向かいに座るとなんだか視線が刺さってきたような気がして左右を見渡すけれど特に誰かいるわけでもなかった。
「ごめん、俺も今日くらいしかなくてさ」
「い、いえ……それで、カイくんは来るの……?」
「……まだわからない」
「え?」
「今日くらいしかないから、向こうはリサが説得……してくれてるといいけどなぁ」
どういうことなんだろうと困惑していると、順番に翔さんは説明をしてくれた。まず、カイくんがどうにもならなくなっていて、わたしもそれに引っ張られるようにうじうじしていたのに我慢できなかったのがリサさんだった。
「俺としてはこれ以上関わりすぎるのもよくないだろって言ったんだけど……アイツは、ホラ……海斗くんにさ」
「あ……そっか」
放っておけなくて、半ば翔さんに浮気を認めさせる形で一泊させてたのが昨日だと言っていた。認めさせたって、と問うと付き合って初めての大喧嘩だったよと翔さんはバツが悪そうに頬を掻いていた。
「悔しかったと同時に、でも嬉しかったんだよ。リサが自分から幸せになるためにって邪魔するなって怒ったんだ。何年も遠回りで、本当は最初の時にするケンカを、つい昨日してきたんだ」
それから、リサさんとカイくんを通しての問題が発覚した自分の周囲の関係の清算……をついさっき済ませたらしく、だからちょっと視線を感じたのかと納得した。出されたオレンジジュースを飲みながら、これできちんとリサさんとカイくんの関係が清算できたら、連絡が来ると言われた。
「来るかな……?」
「七割……いや六割、かな? 半々以上はあると思いたいけど」
「自信なくない?」
「ましろちゃんに自信ないって言われるとちょい傷つくな……でもまぁ、そのくらい俺たちは、リサや海斗くんを縛りすぎたんだよ」
わたしたちは自分の幸せを優先しすぎた。だからこうして未だに浮気されて喫茶店で二人がどういう結論を導くのかを祈ることしかできない。カイくんのことを考えてあげられずに、飾りにしすぎた結果なんだもん。
「そっか……また、えっちしたんだ」
「それは怒っていい。ここに来たなら怒ってあげた方がいいよ」
「……うん」
逆にそこで怒れなかったら、本当にわたしとカイくんの縁は切れてるってことだ。仕方がないって思ってしまった瞬間に、それは本当に愛してるとは言えない。そうだよね? と問うと耳が痛いなと翔さんが苦笑いをした。
「あ、そういえば浮気のこと、知ってて見ないフリしてたもんね」
「……ズバズバ言い過ぎだからな」
後悔すること、本当にたくさんある。わたしたちはいわば恋人を恋人って枠に収めて利用してきただけにすぎない。独りで入る度胸のないお店に引きずっていったり、肝心なところでは触られるのを嫌がったりして、一方的に使い潰していた。それはリサさんのことをカノジョだからって縛って、どこにも行けないようにしながら他の女のヒトとセックスをし続けていた翔さんも同じだ。
「わたしは、王子様が欲しかったのかなあ」
「王子様か、ロマンチックだ」
「うん。カッコよくて優しくて、わたしのことを大切にしてくれる、お姫様にしてくれるヒト……あはは、子どもっぽいね」
口にしてみれば、我ながらなんて幼稚な恋愛観なんだろうと思う。カイくんのことを、王子様にしたのはわたしだ。無表情だけど守って守ってって小さな頃から頼ってばかりだったせいでカイくんに、王子様にならないとって思わせちゃった。そんな呪いに似たわたしの幼い恋愛観がカイくんを苦しめたんだ。
「カイくんとの恋愛はきっとこれからも、キラキラもドキドキもしない。きっと、そういうドキドキとかって、翔さんならくれたんだろうなぁ」
「それが望みなら、約束しようってのが愛するヒトへの俺ができるスタンスだからな」
「ん、わたし……翔さんみたいなヒト、好きになっちゃうかもね」
「今からでも遅くないかもな。リサに振られたら、拾ってもらおうかな」
「ふふ、いいの? わたしめっちゃ甘えるよ。今の百倍は面倒だし、その……えっちは、優しくしてほしいな」
「心得た……でいいか?」
おどけるようなやり取りに、わたしはやっぱりなぁと再確認した。一緒にいてドキドキできる。キラキラしてる王子様でヒーローみたいなヒト。それはまさしく、久國翔さんがそうなんだ。合理的に考えるならお互いを取り換えっこしちゃえば丁度いいんじゃないかってくらい、見事に好みと実際に付き合ってるヒトが逆なんだね。
「じゃあ、もしカイくんがリサさんとって言ったら……翔さんに慰めてもらおうかな?」
「そうはならないと思うけど……もしそうなら、俺もましろちゃんで癒されようかな」
そうはならない。何故だか確信が持てた。だからわたしと翔さんはそんな冗談みたいなやり取りをする。
カイくん、わたしね──もう理想を追いかけるのはやめようと思う。だからカイくんも、わたしに言いたいこと全部教えてほしい。激しいえっちがしたいなら考えるし、わたしだって守られるだけじゃなくて、カイくんを守ってあげたいから。
もうわたしはまっしろでも、カイくんの色でもない。わたしだけの色を見つけたよ。だから、カイくんはカイくんの色のまま、今度こそ……幸せになりたいな。
まぁ設定上ちょうど逆になる感じでキャラメイクしたし(メタ発言)
なんならましろちゃんが翔さんがお隣さんだって知らずにいい感じになっちゃってうんたらみたいなのも考えてたし。もっと翔くんがクズみたいになるってパターンも考えてたしね。
完結予定が㊴となりましたので、完結まで残り三日となります。最後まで付き合ってくれYO!
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㊲過去/未来
僕は、ましろが待つ喫茶店へと足を運んだ。入り口前には青葉さんが、なにやら他の友達らしき人と話していて、横目に通り過ぎようとした瞬間に呼び止められた。どうやら翔さんの方はうまくいったらしいことを察するに余りある彼女の態度に、僕は驚きに満ちた。
「……おーさきさん、巻き込んで、ごめんなさい」
「青葉さんは、どうしたかったの?」
「あたしは……そんなにフクザツなものじゃない」
ずっと一緒にいた幼馴染のこと、その幼馴染が翔さんの毒牙に……ってのは青葉さんの言葉そのままだけど。毒牙にかかってしまったこと、また、違うきっかけではあるけれどたくさんの変化があったこと。それが青葉モカが信じてきた環境を壊すものだと思ってしまったこと。
「ったく、モカはいつも通りを、ホントにいつも通りって認識してるんだからっ」
「でもそれが、モカの音だから」
「だな! アタシはもう気にしてないからな!」
わいわいと姦しい会話に発展していく青葉さん以外の三人、というか主に二人だけど。そんな中で僕に向かって青葉さんは、じっと目線を合わせながら大丈夫? と言葉をかけてきた。憑き物が落ちたように透き通った目で……というか青葉さんと真面目に視線を合わせたのは、これが初めてだということに気づいた。
「大丈夫……になる予定」
「……そっか~」
「だから、終わったらご飯でも行こうか? リサと三人で」
「ん~、おーさきさんの奢りで~、食べ放題なら~いいよ~?」
「じゃあ楽しみにしてる」
僕は本当に、何も見てこなかったんだなということがわかった。狭い世界のことしか考えてなかった。それじゃあきっと、またどこかでうまくいかなくなる。もしちゃんと視野を広く持っていたのなら、青葉さんのことにも気づけていたのかもしれないし。
「あーあ、あたしも恋してみよ~かな~?」
「いいじゃん! ほら、昔おっかけてた先生とかどう?」
「え~、あのヒト今日菜さんとラブラブだからな~」
「……センセイ、なんだよね?」
「うん」
「あー、英語の!」
「……え、アイツ?」
「蘭だって~、結構いいヒトとか言ってなかった~?」
「え、日菜さんと? え、でもセンセイで?」
処理落ちしたように黒髪の子が顔を真っ赤にしているのを見て三人が笑う様子に、こういう幼馴染関係というのもいいなぁと思った。僕はましろ以外の幼馴染を大事にしてこれなかったし、なんならましろに誰かが近づくのすら嫌がっていたような記憶すらある。そんな風にナイト様を気取って、
「カイくん」
「……ましろ」
「こっちだよ」
「うん」
一ヶ月と少し振りのましろは、いつも通りのましろだった。僕の知っているましろのまま、それがほんの少しだけ迷いを生んでしまった。今更、あれだけリサに背中を押されてここまで来たのに、結局九月の焼き直しになるだけではないのかと不安に駆られた。
「コーヒー、ブラックで」
「かしこまりました!」
注文したコーヒーが来るまで僕は水で喉を潤していく。そのまま次の言葉が出てこないまま、時間だけが経過していく。本当に、このまま仲直りで大団円なのか? そんな疑念が頭の中をぐるぐると駆け巡って、言えなくて。変わったつもりできたのに僕もなんにも変わっていないような気さえした。
「カイくん」
「ん?」
「リサさんと、またシたの?」
「……うん」
口火を切ったのはましろの方だった。その問いかけは翔さんから訊いた話に当人からの確証がほしかったのだと判断し、素直に頷いた。でもましろの言葉がそれで始まってくれたのは逆によかったと思う。変わってない、ましろのまま? 僕だってそうじゃないか。性懲りもなくリサと浮気して、挙句に好きだなんて言い合って、保険をかけて。
──僕は、ましろに詰られて、捨てられてもおかしくないことをしている。
「気持ちよく……なかったよね、わたしとじゃ」
「……それは」
「いい、いいから……正直に答えて。嘘はだめ」
「思うほどじゃなかった。ううん、そもそも、僕とましろでは何もかもの歩幅があってない」
だったらこの際だ、と僕は言いたいことを全て言うことにした。これでダメならきっと何があったってダメだったんだ。リサにも言われた通り、我慢したからダメだったのならもう僕は、僕の中にあった汚いものを駄々洩れにするしかない。
「……全部、言っていいよ」
「わかった」
「うん」
僕は、息を吸って全ての感情を投げ捨てた。いつもならましろのためにと制限する言葉選びなども全て忘れて、僕はただただ思った言葉を全て並べていく。
セックスで言うとまずそもそも体力の差がすごい。ましろは一回、多くて二回だけど僕は最高でリサと四回から五回……だったっけ。とにかくわけがわからないくらい一晩にセックスするし時間も夜ご飯を食べてから朝日が昇るくらいまでシてたこともある。そしてベッドだけっていうのは毎回毎回だと飽きてくるものだってリサの考えに引っ張られてるところもあるけど、僕もどうせなら場所を変えてみたいしそれで興奮が変わるのは事実だ。それに激しいのは求めるままの速度だから調整しようとするとどうしてもセックスに没頭できない。本能のまま求め合うようなものがしたいから。
「……そんなに、違った?」
「違った。ましろの理想のセックスはただイチャイチャしてるだけだって僕は思った」
「でも、だってさ、カイくんだって……わかったっていうじゃん」
「僕のせいなの? じゃあ嫌だって言ったら、僕の求めるセックスをするの?」
「……それは、怖かったし」
「怖いなら最初から平気だなんて言わなきゃよかったでしょう? 僕だってタイミングとか、ゆっくりがいいならいいで話し合うこともなく強引にいいからって誘ったのはましろでしょ?」
「カイくんだってわたしのせいにしてるじゃん! わたしはまだしょ……えっと、シたことなかったんだよ? なのにカイくんはとっくにハジメテを浮気で捨てて経験者みたいな顔してる最低男のくせに!」
「──っ! そんな風に思ってたんだ、ましろは」
「う、うん! わたしには守るから、とか手は出さなくても愛は伝わるなんてカッコつけといて、裏でリサさんとシてたんだから、事実でしょ」
チラリと視線を感じるとめちゃくちゃ心配そうな顔をしてる翔さんが視界の端っこにいるのが見えた。そもそもそういえばここ喫茶店だった。声のトーンを落として、というかこのままだとお店にご迷惑になるので続きは翔さんのお部屋でもいいですか? と目で訴える。伝わらないよなぁと思っていたら、彼は突如立ち上がり僕とましろに手招きをしてくれた。伝わったの? すごくない?
「……なんとなく伝わったよ」
「だったらなんでリサにそれができないんですか?」
「それは言わないで、本当に俺もそう思ってんだから」
そして翔さんの部屋のリビングを借りて、リサと翔さん立ち合いのもと再び言いたいことを言い合っていく。歩いてる間に熱は冷めたかと思ったけど、全然そんなことなくて、いっそ殴られるんじゃないかってくらいの言葉だった。
「そもそも、わたしがふぇ……口でしようとしても、いいっていうじゃん」
「舐めた瞬間すごい顔しといてよく言うね」
「あれ苦いとかいう次元じゃないんだよ? なんだったらカイくんだって翔さんの舐めてみればいいよ!」
「……いやそれはどうかと思う」
翔さんもそれはヤバいなと苦笑いで頷いていて、リサは……なんか想像してたのか顔を赤らめていた。ちょっとまってリサ、なんてもの想像してるの? でもましろだけが怒りでわけがわからなくなっているらしく、まだまだ言葉を増やしてくる。
「だいたいリサさんはカイくんを甘やかしすぎなんです!」
「あ、あれ~アタシに飛び火するの? ここで?」
「そうだそうだ。童貞に特殊なプレイばっかり望むから歪むんだからな」
「翔は黙ってて」
「確かにリサは特殊だよね、性癖とか」
「へぇ? よく言ったね海斗?」
「ごめんなさい」
「そもそも、ましろもましろなんだケドね? 経験がないならないなりに海斗のリードに従うとかそういうのあったでしょ?」
「……カイくん、しゃべったの?」
「え……うん」
昨日の話なんだけど。それでさらにリサとましろが争ってて、翔さんと僕が怒られて、そんなわちゃわちゃした中というのがあんまりにもおかしくて、僕は、僕は笑った。リサにもらった笑顔を、僕はきちんとましろの前で見せることができた。
「笑いごとじゃないよカイくん……えっ! カイくんが笑った!」
「笑いごとじゃない、わかってる……わかってるけどさ、ましろ」
この大喧嘩が、まさに僕とましろの、そしてリサと翔さんの、四人のこれからを現してるみたいだったから。もう二度と浮気はしなくても、僕らが別々になることはなくても、僕たちとリサたちのこれからは、繋がっているんだなって思えて、それが嬉しかった。
──僕たちは、とっくに許し合えているんだ。
「はは……ふふ、ましろ」
「な、なに?」
「きっとこれからもうまくいかないこと、たくさんあると思う。セックスだけじゃなくて、歩幅が合わなくて、モヤモヤすることもあると思う」
だけど、そうなったらケンカしていけばいい。なんだったらお互いのカップル巻き込んで、こうやって今日みたいに、言葉の波に流していけばいいんだ。その中で僕はリサと、ましろは翔さんと歩幅が合ってることを想い出しちゃう時だってきっとある。お互いを入れ替えた方が幸せなんじゃないかって考えることもある。
「だけど、僕はましろと一緒にいたい。ましろのカレシでいたい」
「……カイくん」
「ましろ、僕はね──心の底からましろを愛してる。もう二度と、離れたくなんてない」
ずっと、言葉にできなかった。僕のわがままな一言。僕はね──と先が言えなかった、僕の本当の言葉、本当の幸せ。
ましろ、僕はね──これからもずっと、キミに伝えていきたい。結婚しても、子どもが生まれて家族ができても、おじいちゃんになっても、死んで……その先の世界があったとしても。僕はましろだけに伝えていきたいな。
――これで終わりじゃないぞ、もうちっとだけ続くんじゃ。
☆10評価ひとつ、ありがとうございます。
最後二話はエピローグとなっております。いつものやつね。
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㊳世話焼き/お節介
髪よし、メイクよし、服よし。うん今日もイケてる。そんな自己暗示に似たものを鏡の前でしてアタシはキャリーバッグを手にマンションを出た。Roseliaのみんなには言ってあって、友希那は対策なら紗夜と考えておくわ、なんて言っていたけどこれは気合入れて自主練しないとなぁと背中に背負ったベースに気を配りながらドアを潜った。
「ん……? おはよ、リサ」
「おはよ、海斗」
そこにはちょうど出てきた海斗と一緒になった。アタシがどんだけ別の男と話しても嫉妬する素振りすらない翔にこの間デートしたよーって言うとすごいヤキモチ妬いてくれるお隣さん。デートっていうかたまたま会って話してただけなんだケド、そこをデートって言ってやると反応が面白い。
「出かけるの?」
「そ、北海道まで」
「……翔さんか」
長くなるって連絡来たからにはさ、会いたいじゃん? ちょうど大学ないし、毎日暑いからちょーどいいじゃんって思ったんだよ。そう言うとそんな気軽な理由で北海道行くなんてセレブだね、なんてイヤミを言われてしまった。まぁ確かにRoseliaに専念するってなってバイトも辞めちゃったし、そう言われてもいいようなことしてるけどさ。
「あ、リサさん」
「ましろもおはよー」
「おはようございます」
海斗が受験期ということもあり、中々会えないことを危惧したましろは海斗の反対をわがままでゴリ押しして半分同棲してるみたい。おかげさまで目の前でこれでもかってくらいイチャイチャが繰り広げられる。
「カイくん、置いてかないでよ」
「あのまま抱き着いてたら寝るじゃんましろ」
「だって……ねぇやっぱ暑いし家にいようよ」
家にいたら勉強できないから図書館行くんでしょ、と言われてましろが膨れる。どうやらあれから半年以上が経っているが、二人の関係が順調な様子にアタシは微笑んだ。もうアタシがどうこう言うような関係じゃなくなっているのは、嬉しくもあり、やっぱり少し寂しいな。
「海斗、だからアタシが教えてあげようかって言ったじゃん?」
「カイくん?」
「そんなことを言われた覚えはない」
慌てる海斗だけど、ましろにも誘うのはほどほどにね~と釘を刺しておいた。海斗ってば誘うと無限に性欲湧いてくるみたいに襲ってくるもんね……なんて言ったらまた妬かれるからやめとくとして。
「そういえばもうすぐ花火大会だケド」
「行くことにしたよ」
「大丈夫?」
「大丈夫、もうましろと一緒にいることに不安もないし」
「そっか」
──いいな。やっぱり海斗の隣はあったかそう。でもそのいいなって気持ちは海斗じゃなくて翔に向けていく。翔はホントに忙しくて、ほっとくと全然帰ってこなくなるんだもん。こーして会いに行ってもいいってわかってるだけ一年前とはまるで違う状況だけど。やっぱ、あーやってのんびり日常の中で愛を育んでますって感じのを、羨ましいと思う。でも前に翔も海斗たちのこと見ていいなって言ってたから、おんなじ気持ちだってことは知ってるのが幸いだった。
「今度こそ、恋人としてカイくんと花火で見るんです」
「いいなー」
「そっちこそ、北海道土産は楽しみにしてる」
「カニ……いいな」
「いや、カニはお土産にもらうには高くない?」
そんなのんびりな二人の会話を途中まで聴きながら、アタシはなんでもない日常という幸せをほんの少しだけ分けてもらって、それから翔のいる場所に向かっていく。すっかり乗り慣れた飛行機で数時間、アタシは空港で待っててくれた翔に甘えていく。
「ごめんね翔」
「いや、俺も会えるのが嬉しいからな」
「よかった」
まだ、確認したくなっちゃうのは悪いクセだけど、翔の言葉に頬が緩む。海斗との色々が終わって、春休みやGWなど、それ以外の土日とかにも暇があれば翔に会いに行っていた。翔や翔のバンドメンバーはそれを快く受け入れてくれて、最初からこうすればよかったんだって思った。
「いや」
「ん?」
「最初から、は困った」
「あー浮気?」
「おう。あの頃の俺なら、リサを理由に切れるほど、決意の堅い人間じゃなかったからな」
ホテルの晩御飯を食べて部屋でベッドに座りながらアタシがわがままでいいのはあの二人のおかげってことだね、と言うとリサは海斗くんのおかげだろう? とちょっとだけえっちな手つきでアタシの腰に触れてきた。
「……今日の朝もね」
「なに」
「海斗が、ましろと一緒に部屋にいるとすぐえっちしちゃうからって図書館行くところに出くわしたんだ」
「それで?」
「や、ちょっと、早いってぇ」
そして翔は翔で、どうやらがっつくと自分のイメージが損なわれるからって我慢していた部分があったということも知った。翔にもアタシをどうにかしたいって欲求があったことが、アタシはすごく嬉しくて、こうやってからかって誘ってしまう。興奮した翔からもらえる熱は蕩けるくらいに幸せで、触れられるだけでぞくぞくして、前よりももっと気持ちいい。アタシの大好きな熱を翔は与えてくれる。
「リサ、練習は大丈夫なの?」
「いちおー自主練できるよーにって楽器は持ってるケド」
「スタジオは紹介する」
「アリガト」
アタシにとって、翔と同じくらい大切なバンドのこと、Roseliaのこと。放置しちゃうのはよくないんだケドね。こんなんだから、ホントはRoseliaに全てを掛ける覚悟なんて最初からなかったかも、なんてネガティブな発想をしてしまう。結局、アタシは何もかもが中途半端だから。海斗のことも、翔のことだって。
「リサ」
「……なに?」
「リサはヒトから何かをもらってばっかりだと思ってるんだな」
「そうだね」
「その逆は、本当にないのか?」
自分が何かを誰かに与えてるんだって? あるのかな。思いつくものと言ったら翔に愛を与てるってことと、後はそうだな……お節介を焼くことくらいだろうか。そのお節介が必要ないってわかると寂しくなっちゃうんだけど。
「……連絡来てる」
「誰から?」
「Roselia」
「練習の予定?」
「うん、変更になったってさ」
朝が来て、翔がアタシのスマホを見ながら教えてくれた。当日に変更って珍しいこともあるなぁと考えていたところで、翔がなにか面白いものを見つけたように笑いだした。あこあたりが面白いものでも送ったのかなと首を傾げると、リサも驚くよとそれを見せてきた。
──送信者は紗夜、その内容を見て、アタシは驚くとかいうレベルじゃない。一瞬で微睡から目が覚めた。
「え! ちょ、これ!」
「だってさ、
「嘘でしょ……」
マップに記された新しいスタジオはなんと、
『私は──大丈夫よ』
「紗夜たちがいるからでしょ」
『ねね! リサ姉はご飯決まってる!? 決まってなかったらおいしーもの食べたい!』
「なるほどね~ご当地グルメかぁ、夏はなにがいいのカナ?」
『この季節ですとウニ、メロン、ジャガイモ、カボチャなどでしょうか、後は花咲ガニというカニもあって、やっぱり北海道はおいしいもので溢れています!』
「燐子は情報が早いなぁ~」
『ジャガイモ……コホン! とにかく、練習はきっちり行ってから、ご飯で英気を養うという形で』
「あはは~、紗夜ってばポテト欲が透けてみえてるって~」
──アタシは、もらってばっかりじゃないんだ。だからこうやって何かあったら与えてくれる。それはアタシが誰かにとって施す側の存在だから。アタシが独りじゃないって証明がそこにはあった。
「な?」
「なんかエラソー」
「リサはもっと自分に自信を持ってほしい。リサの笑顔はあったかくて素敵なもんだからさ」
「……ありがと、翔」
きっと、アタシはこれからも自分に自信がなくて、自分を傷付けることがいっぱいある。お節介なんじゃないかって悩むこともたくさんある。だけど、そんなときは翔がいる。Roseliaのみんながいる。それから、海斗たちだって。
「それじゃあ、行ってきます」
「おう、帰りは連絡くれれば迎えに行くよ」
「りょーかい! 迷子になるかもだから、頼りにしてるよ!」
海斗、アタシさ──海斗に出逢えて、恋できてよかったよ。翔と一緒に歩く道を教えてくれたのは誰でもない、海斗だから。
これからも、アタシはあの時の恋をしてよかったって気持ちを忘れたりなんかしない。たとえ浮気だったとしても、汚いものだったとしても、アタシの中であの過去はキラキラ光る、キレイな思い出たちだから。
当たり障りのない日常というのも、幸せのひとつ。
次回海斗のエピローグで最後です!
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㊴恋愛/性欲
あれから、半年とちょっとが経って、僕にとっては苦い経験をした花火大会の日から一年が経過していた。リサと浮気をし始めたのがその更に一年以上前だから、全ての始まりとも言えるあの日から二年が経過していることになる。時の流れは振り返るとあっという間で、僕は図書室の静寂と彼女の寝息に耳を傾けていた。
『じゃあ結局そのままぐっすりなんだ』
スマホにはかつての浮気相手であり、今は交流のあるお隣さんであるリサから文字が苦笑いの顔文字と一緒に送られてくる。今頃飛行機に乗っているのだろう。愚痴ってみると思いの外レスポンスが早くてすっかり手は止まっていた。
『ってか、アタシも邪魔しちゃってるよね』
「大丈夫、休憩中だったし」
『そっか! ほどほどにね~』
ほどほどに、どころか普段はましろを構いたくなって足りてないと思うくらいなんだから。その構いたい、の意味を知っているリサはもう一度だけほどほどにね、と送ってくる。
──あのくだらないケンカから僕はましろに僕の欲を余すことなく、伝え続けた。ましろはリサよりも受け身に近いから、誘われるんじゃなくて誘うかたちで。最初は恥ずかしがっていたましろだったけれど、今ではスイッチの入れ方までバッチリ把握している。
『海斗は普段のましろに見せてるのより数倍は強引だもん、最初はびっくりするに決まってるじゃん』
「うるさいな」
こう、相手に自分の素直な性欲を知られているというのはなんだか恥ずかしさもある。ここが図書館でなければ顔を真っ赤にして叫びのたうち回っていることだろう。もしくはベッドにダイブして顔を埋めるだろう。
『いや無表情でしょ。海斗だし』
「これでもましろにすっごく表情がわかりやすくなったって評判なんだけど」
『ましろにはね』
それならそれで、まぁいいかと思う自分がいる。そういう世界を狭めるのはよくないけれど、そういうのじゃなくて。僕のことを、ましろが見てくれているということがまぁいいかって思える原因なんだ。
『海斗はさ、これが本当に幸せのカタチだーって思う?』
「急にどうしたの?」
『んー、なんていうかさ、あの時なら逆にアタシと海斗、ましろと翔、みたいに歩幅が合う感じになれたんじゃないかなーって思う時があるんだよね』
そんなこと……と入力してからそれを削除していく。青葉さんや他の子が納得するとは到底思えないけど、何かを追いかけるとか言いたいことが言えるという意味ではリサよりもましろの方が得意だろう。更にリサ曰く翔さんはましろの想像していた怖くないセックスの方が得意だとも。そうすると翔さんとましろの歩幅は合っていると言える。僕とリサの浮気が原因とはいえ、急速に交流を深めたのは一緒にいて安心できるからというのも一因だと感じる。
それに加えてリサと僕はわざわざ語る必要がない。あの時間の中で僕たちはあまりにも歩幅が合いすぎていたことが、拗れる原因の一つなんだから。
「リサは後悔してるの?」
『してないよ。ただ、今朝のましろと海斗を見て、やっぱいいなともなるわけでさ』
「でもあの時のリサ、すごくウキウキしてるように見えた」
『そだね、今もしてる。翔に会えるって思うと胸が高鳴る』
なら、わざわざそんなことを考える必要なんてないんじゃないかな? リサは翔さんや他のみんなに迷惑をかけてるとは言うけど、その迷惑を迷惑じゃないって思えることこそリサが誰かにずっと送り続けていた優しさとか世話焼きな部分なんだと思う。だから、僕は今の幸せに間違いなんてどこにもないって答えるよ。
「……どっちも間違いじゃないだろうけどね」
僕とリサだけで言うならそうだろう。けどそうなった場合にましろと翔さんが巻き込まれる事態というのは僕たちから見れば別問題だ。それに二人なら案外なんとかなりそうな気もする。だから、僕たちがどの選択をしても決して、間違いなんてことにはならなかった。そんな気がする。
「……カイくん」
「おはよう、起きてたの?」
「……ん」
それじゃあと連絡を打ち切ったタイミングで机に突っ伏していた顔がこちらを向き、頭を撫でようとすると払われてしまった。あれ、怒ってる? なんでかわからないけれど、わかっていることは、スキンシップを拒否するのは基本的に拗ねている時であるということだけ。
「ましろ?」
「ふん」
「おーい」
「ばか」
「えー……?」
今度はくるりと後頭部を向けられ、僕は首を捻った。ひょっとして嫌な夢でも見たのだろうか、それとも図書館に来たはいいけれどつまらなくてわがままを言っているのだろうか。正解もわからずにどうしようかと悩んでいると、ましろはわざわざスマホで僕にメッセージを送ってきた。
『浮気してた』
「してないよ?」
『してた。リサさんと』
そんなところから起きてたんだ。寝ているからと連絡を交わしてましろを不安にさせた内容を見せればいいんだろうけれど、それじゃあきっとましろは納得はするだろうけど。
ましろは実感をほしがる。理屈とか納得よりも実感を。言葉や証拠で納得するんじゃなくて、自分の身で僕にはましろだけだよってことが伝わらないと、機嫌が直ることはない。
「出ようか」
「……うん」
ましろがこういう手法を取ってしまうのは、最近あまり構えてないことが原因にある。受験期だから、と言ってもやっぱり根底に浮気をされたって事実がある。もしかしたら離れている間にまた浮気したくなるかもしれない。今度こそ別れてしまうかもしれない。そんな風に考えて、そんな風に信じられない自分が嫌になって、後ろばかりを向く。ましろの悪いクセであり、僕がましろに背負わせてしまった業とも呼ぶべきものだ。
「勉強……もういいの?」
「まぁ安心するためにやってるところあるし」
「……だよね、カイくん頭いいもん」
「日頃の努力だよ。ましろだって、月ノ森に入るのにすごい努力したでしょ?」
「わたしなんて……我慢できないし、すぐ漫画読むし、カイくんに会いたくなってしょうがないし」
今目指している大学も、特に成績が大きく下がることがなければ問題がないと言われているくらいだ。去年のごたごたで夏期講習を丸っとサボったせいで推薦は受けられなくなっちゃったけど。そのぶん今年は大手を振ってましろに時間が使えたのは不幸中の幸いってところかな。
「わたしはリサさんの
「そんなわけない」
「本当は、リサさんと一緒にいたかったんじゃないの?」
「そうだったら、ましろと一緒にいないよ」
ましろと一緒にいるのは哀れみでも過去の恋でもなんでもない。それが僕にとって一番幸せだったからだ。ましろと一緒にいることが僕の安らぎだから。もうましろに触れることに汚いとか躊躇いはない。触れたい、セックスしたい。そんな風に思うことにも、もう僕は僕を傷付けたりはしないから。
「わたしはね、中学の時、カイくんと一緒にいてドキドキできなかった」
「そう言ってたね」
「一緒にいすぎて、当たりまえすぎて、わたしの思っていた恋じゃなかった」
「……うん」
「でも、今は……触られるとドキドキする。恥ずかしくて、でも気持ちいいってこと……知ってるから」
ああ、今の僕は昔の僕に会えたならきっと、バカにするんだろう。なんて愚かなんだって。セックスなんてしなくても伝わる気持ちがある? 愛してるって気持ちは触れ合わなくてもわかる? そんなことはない。現にましろが求めていた恋愛はセックスの中にあった。トキメキを求めていたましろは僕の欲を受け入れる中でようやく、理想を叶えるものがなんなのかを知ったのだから。
「玄関で我慢できなかったら、ごめん」
「……意識しちゃうじゃん、ばか」
「嫌だったら、僕が先にドアを潜るから」
「……わかった」
繋ぐ手すら、熱を感じてしまう。そういえば、最近は勉強したいと言って僕からましろに手を出すことは少なかったような気がする。勉強ばかりで少しだけ、淡泊になっていたのかも。そう考えると同時にましろが実は欲求不満を起こしているという事実が、僕の頭をよぎった。以前ならその可能性すら排除してしたのに。今では当たり前のように、ましろが触れられたがっていることを受け入れていた。
「……カイくん鍵、開けて」
「うん」
鍵穴に差し込んで、捻る。ドアを開けるとましろが先に部屋に入っていく。チラリと僕を見ながら、まるで気づいていないとでも言うように、だが僅かに頬を紅く染めて。
後から入り、鍵をかけた僕はましろ、と名前を呼ぶ。既に外気の熱と内側の熱を込めた指に嬌声を上げる彼女の耳許で囁くように。汗はもう、お風呂で流せばいいやと思いながら、僕はそのままましろに覆いかぶさる。それをましろは、ちょうだいと受けいれてくれる。
「花火大会さ」
「うん」
「浴衣着てこうかな、リサさんがせっかくだから浴衣でダブルデートしたいって」
「いいんじゃない? あの二人がいるかどうか知らないけど」
「わたしが浴衣だったらカイくんは甚平ね。あと流石に野外でえっちはしないから」
「しないよ。ヒト目があるところじゃ」
「なかったらするの?」
ましろ、僕はね──もうましろに隠すことなんて何もないよ。それと今度こそ海やプールも行きたいなら行こうね、と言うとましろは去年までの言葉をひっくり返して、やだと言い出した。
「なんで?」
「カイくんに襲われるもん」
「襲わないよ、部屋じゃなきゃ」
「嘘、見えないところで触ってくる」
それは……前科があるから信用してもらえなさそうだね。でも、僕にとってはその隠すことも嘘も必要のなくなったましろとの時間がなによりも嬉しい。僕がどれだけ煩悩に塗れていて、ましろとセックスすることしか考えていなかったとしても、ましろは僕を変わらない記号で呼び続けてくれるから。愛してくれるから。
「カイくん」
「ん?」
「大好き」
「僕も、ましろが大好きだよ」
「うん」
ましろの言葉に、僕は笑顔で応えた。これからもこれからもずっと、僕はましろに言いたいことをもう我慢することなく、言葉や行動で伝えていこうと思うよ。大好きなましろに。
ましろ、僕はね──
THE END
ぼくは二次創作というものを書き始めて四年半から五年ほどの月日が経ちますが、男女の恋愛に必ずと言っていいほどセックスという手段を用いて物語を構成します。付き合ってない過程だろうが付き合ってからの物語だろうがセックスします。しない作品の方が少ないです。
でも、こういったライトノベル、オタクの界隈ではセックスの関与しない恋愛こそ「キレイな」恋愛と認知されていると、少なくともぼくはそう感じます。
そういった「性欲」を汚いものとして排除した恋愛がピュアで尊ばれるもの、故にこそそういった性に囚われない同一性による恋愛関係、所謂「百合」ものこそを正義として信じてやまない方もいるのでしょう。男女の愛とセックスは切り離せないからこそ。
今回、ぼくの作品はそれを否定しました。それを鼻で笑い、足蹴にし、セックスのある恋愛を正義としてエンドマークを記しました。主人公である大崎海斗が目指していたキレイな恋愛を、完膚なきまでに否定してきました。それによって何を感じたのか、何を受け取ったのかは、読者様次第です。ですが、ぼくにとっての正義ですらなくて、そもそも善悪二元論に頓着しないということだけは知っておいてほしいです。
長々と書きましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。ぼくはマーブル模様というものが好きです。パレオかわいいね。
――本醸醤油味の黒豆
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