1000年若返りTS少女「闇のころもってなんですか?」 (場合がある。)
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プロローグ 「  」の少女

TS物の練習も兼ねて初投稿です。



※ 期間限定でプロローグを含む一部のお話の特殊タグを撤去しています。このほうが良さそうならこのままでいってみます。


 ふと気づけば、ボクは見覚えのある場所に佇んでいた。

 

 ――憶えている。ここは、偉大な王が座す場所――玉座の間。()()の魔物たちとは次元が異なる力を秘めた、強大な「何か」がいるに違いない。

 

 視線を辺りに注ぐ。最も奥まった場所には何段もの階段があり、その最深部には立派な玉座が鎮座していた。人間の、ゆうに三倍ほどもある巨大な玉座には、その大きさに見合った何者かが座っていた。

 その細部に至るまで禍々しい意匠を施した巨大な玉座に腰掛け、優雅に頬杖をつき、ボクを冷たい眼差しで睥睨している。あの青ざめた魔族こそ、この玉座の間の主――「闇の大魔王」なのだ。

 

おまえは なにゆえ もがき いきるのか

 

 ビクリ、とボクの肩が震える。彼の言葉は相変わらず理解できなかったが、玉座に座る“闇の大魔王”が、ボクに話しかけてきたのだとは知っていた。

 

 あの恐ろしい何かに、じっと見られている。ただそれだけで、身体の芯が震えた。

 

ほろびこそ わが よろこび。 しにゆくものこそ うつくしい

「――――っ」

 

 ボクは、じりじりと後退りをした。“闇の大魔王”が玉座から、すっと立ち上がったのだ。豪奢な絨毯の敷かれた階段を一歩ずつ、悠然たる足取りで降りてくる。濃厚な死の気配がボクへと漂い、肌を粟立たせた。

 

みもこころも おおいなるやみに ゆだね。 はかいのかぎりを つくし あのものをも りくさつせしめんとする。 そなたには  これいじょうは にがおもかろう

「――――は?」

 

 ボクは恐怖を忘れ、間抜けな声を漏らした。

 

 極寒の世界だ。玉座の間が、白いヴェールに覆われている……!

 

 急激な冷却効果により玉座の間、その大気がミシミシと軋む。ボクは襲い来る猛烈な寒さにガチガチと歯を噛み合わせ、なんの予備動作も見せることなく地下空間に美しい雪化粧を施した元凶を、呆然と見上げた。

 

いきながらにして しぬ。 しにながらにして いきる。 せいとし。 そのきようかい(ミド)に とわに たゆたうものよ

 

 “闇の大魔王”が死に絶えた白い世界を、ゆっくりと歩いていく。一歩足を踏み出すたび、幾つもの氷の結晶が生み出され、白い世界に彩りを添えていく。あらゆる事象を瞬きする間に凍結させてしまう凍えた大気が支配する極寒の世界を、彼は悠々と進む。

 

いきたしかばね とおいいせかいの こどくなおうよ。 もう いきながら しぬことはない

 

 “闇の大魔王”の指先から、全てを凍らせる絶対零度の冷気が、波動のように噴き出した。

 《いてつくはどう》だ。ボクが身に着けたスキルとは別種の、しかし真実を暴くチカラが、無防備なボクを襲う。

 

よが あわれなそなたに ぜったいてきな しを あたえてやろう

「――あっ」

 

 その声は、あっけない。

 《いてつくはどう》をまともに浴びたボクの顔に、一筋の亀裂が入った。ピシリ、という嫌な音ともに仮初の肉体が崩壊し始める。

 

 ボクが、「ミド(ボク)」ではなくなっていく。

 

「あああ…………ッ!?」

 

 音を立てて次々と崩壊していく身体を、なんとか戻そうと試みる。

 しかし剥落した左目を元に戻そうとしたボクの右手もまた砕け散り、次の瞬間には左手もまた粉微塵になってしまった。ぐらりと揺れ、視界が反転しそうになる。右足の膝下部分が溶け落ちるようにして倒れ、あっさりと崩れ去ったのだ。まだ無事な左足でなんとか踏ん張るも、それが脆くも崩れ去り、バランスを崩して前のめりに倒れ込む。

 

 “闇の大魔王”の冷厳な声が、静かに響く。

 

さあ わが うでのなかで いきたえるがよい

 

 ボクは崩壊し続けている己の身体を見下ろした。すでに腹部から下はごっそりと抜け落ち、あるいは粉微塵に砕かれ、なにも無い空洞を晒している。――いや、ボクの心臓部に埋め込まれている、幾千幾万の命の灯火を宿す純白の宝玉だけが残されていた。命を宿すそれだけが、何もかもが焼き付くほどの煌々たる光を放っていた。

 

 数拍遅れてボクの右手首に嵌っていた真鍮製の腕輪が石床に跳ねて、からりと転がった。

 

「ボク、は…………」

 

 ボクの意識が、ずぶずぶと闇に沈み込んでいく。

 それは一切の灯りが存在しない、無明(むみょう)の世界だ。このまま身も心も大いなる闇に委ねれば、どんなに楽なことか。仮初の肉体に埋め込まれた純白の宝玉、その灯火(ともしび)もまたボクの意思を照らし出したせいか、徐々にその光明を失っていく。

 

 ボクはまず、安堵した。これでようやく終われるんだと思った。ボクは、ついに解放されるのだ。――あの、生き地獄から。

 

『――ミドッ!』

 

 でも、その時だった。――あの人が、ボクを呼んでくれたのは。

 

 

 

 

 ボクは、ハッとした。目を瞬かせる。

 

 ……どうやらボクは泡沫の夢を見ていたらしい。頭を振って残滓を振り払い、ボクは辺りを見渡した。そこには相変わらずの闇一色が広がっていた。深い深い闇の、かつてのボクが取り込んだ深淵よりもおぞましく禍々しい、全ての元凶たる“アレら”の箱庭が。

 

 ああ、そうだった。ようやく思い出す。――ボクたちは今まさに、射干玉(ぬばたま)の闇と対峙しているのだ。

 

 辺り一帯には夢と(うつつ)の境界をない交ぜにし、さらにボクたち人間たちを致死に至らしめる、あの穢れた瘴気が漂っている。噎せ返るほどの濃厚な闇と高濃度の瘴気が、ボクたちを侵食すべく牙を剥いているのである。

 気を強く保たなければ、あっという間に取り込まれてしまうだろう。ボクは静かに息を吐き出し、今にも侵食しようとしている邪気を追い払うべく、気合を入れた。

 

「おいおい、こんな時にボーっとしているのか。ま、お前らしいっちゃ、お前らしいけどな?」

 

 そんなボクを見咎めてか、最も付き合いの長い彼がからかうような口調で言った。

 

「少し、夢を見ていました」

「ふーん。どんな夢なんだ?」

「ふふ。……内緒です」

 

 ボクの傍らに立つ青年に、ボクは微笑んだ。

 

 瀟洒(しょうしゃ)な真紅の外套(コート)を纏った、青髪青瞳の青年だ。青い短髪が重力に逆らうかのように逆立っており、額にかかる前髪の一房だけが垂れている。

 華奢な腰には黒塗りの鞘に入った一振りの刀と、禍々しい(こしら)えの一本の長剣を()いていた。

 

「でも、本当に大丈夫ですよ。準備は万端です、いつでも行けます」

「よし、その意気だ。なんたってお前はオレたちのリーダーなんだからな。――うん?」

 

 宵闇そのものの暗黒空間に、異変が生じた。宵闇(よいやみ)の奥底から滲み出るようにして、激しく荒れ狂う風と禍々しさを湛えた黒き稲光とが生み出されたのである。猛烈な突風が青年の外套(コート)を激しくはためかせ、その逆立った髪を面白いように搔き乱した。

 

 射干玉(ぬばたま)が局地的な大嵐と化して、ボクたちと猛然と迫る。その様は一個体の生き物を思わせた。

 このまま行けばボクたちは大嵐に切り裂かれ、あるいは轟く雷鳴に打たれ、その生命活動をあっさりと終えてしまうだろう。それは予感であり、確信であった。

 

「チッ。せっかくのお前との残り少ない時間だっていうのに。あいつ等は情緒ってモンが理解できねえよな」

 

 傍らの青年には臆した様子が見当たらなかった。むしろこの状況を楽しんでいるのか口角を吊り上げ、不敵に微笑んでさえみせた。

 そして、目を軽く瞑ると腰を低く落とす。半身を開き、右手を刀が納まった黒い鞘に軽く添える。

 その左手が、刀の柄を握った。

 

「ふっ!」

 

 鋭い呼気とともに鞘走りの乾いた音が宵闇の中に響く。黒い鞘――天へと昇る一匹の龍が金箔押しで見事に表現されている――から抜き放たれた刀が、前方の迫り来る大嵐目掛けて放たれた。

 その抜刀速度はボクの目には映らないほど速い。まさに神速だ。

 

 そして、刀が黒い鞘に納まったとき、荒れ狂う風と禍々しさを湛えた稲光が、パッと晴れた。彼はたった一太刀――居合いで、迫り来る大嵐を真っ二つに切り裂いてみせたのである。その常人離れした技量は、まさに神業(かみわざ)というしかなかった。

 

「さすがですね」

「――おっと。そんなふうに褒めても何も出ないぜ?」

 

 おどけた様子で肩をすくめる彼に、ボクは相変わらずだなと思う。

 

「まさか「むしょく」のボクが、こんな一世一代の大決戦にお招きを頂くなんて。光栄の至りですよ」

「……そのセリフ、まだ言うのかよ?」

「だからこそ言うんですよ。これまで散々回り道をしましたが、ボクが成すべきことを理解できたのは他ならぬ“アレら”のおかげなんですから」

「たしかにな。ある意味、すげえ皮肉だよな」

 

 青年が、苦笑する。肩越しに、背後を振り向いた。

 

「見ろよ。あいつ等も、戦いたくてウズウズしているみたいだぜ?」

 

 そこには、数十人もの人影が居た。どの人達も尋常非ざる魔力が込められたと一目でわかる武器を持ち、素晴らしい戦装束に身を包み、歴戦の勇士の風格を備えている。人間以外にも竜族や魔族、そして光あふれる彼方の地の人々が肩を並べている。

 

 ……彼らとの出会いは順風満帆だったとは、言い難い。時には反目し合い、激しい戦いを通じて、徐々に交流を深めていった。今思えば、その全てが今日(こんにち)へと至る道標のように感じる。ここには居ない彼らの――ボクに想いとチカラを託してくれた、あの人たちのおかげでもあった。

 

 そして、彼らの背後にはありとあらゆる系統の魔物(モンスター)たちが蠢く。

 

 スライム系が、獣系が、(ドラゴン)系が、虫系が、鳥系が、植物系が、物質系が、機械(マシン)系が、死屍(ゾンビ)系が、悪魔系が、邪霊(エレメント)系が、怪人系が、水系が、???系が。

 

 さらにその中でも屈強な、老獪(ろうかい)な、悪辣な、何体もの配下を従えて君臨する、特に存在感を誇る者たちが居る。

 

 六つ腕に竜を思わせる造形の、破壊の権化たる異界の神。

 闇のころもを纏いし、指先から凍てつく冷気を迸らせる闇の大魔王。

 嘆きのあまり、進化の秘宝に身をゆだねた魔族の王。

 人間の殻を自ら捨て去り、邪道に堕ち魔界の神を名乗る魔王。

 現実と幻の世界を束ね、手中にせんと暗躍した狭間の王。

 神殺しを成し、世界を切り分け闇へと葬った天魔の王。

 光の世界と闇の世界、どちらの世界をも手に入れようとした暗黒の神。

 絶望と憎悪を尊び、世界を破滅に導く異形の堕天使。

 クワガタを思わせる金ぴか鎧を着こんだ、創造と芸術を愛する変わり種の魔王。

 永遠を意味するウロボロスのように大蛇骨の体を捩じる、魔剣と対になった魔王。

 

 そして――邪悪の化身。竜の中の竜。すべてのドラゴンの頂点に立つとされる竜族の王。闇の支配者。古き時代に天地を創造した聖なる竜の血を引く者。ボクとは合わせ鏡――お互いに惹かれ合う運命(さだめ)にあった。

 

 ――ここにいるのは光と闇の混成軍。深淵に引き摺り込まれし者たちの(よすが)を、ボクはその一身に引き受けていた。

 そこには泡沫の夢に出てきた“闇の大魔王”もいる。でも今は、彼と相対しても膝は震えないし、尻込みはしない。ボクたちを愉快そうに見下ろしている青ざめた巨躯をチラリと一瞥し、前方に向き直る。

 

 ……なにせ今のボクは、彼と同じ《闇のころも》を自由自在に纏うことすらできるのだから。

 

「いいか、ミド。こいつは、きっとオレたちにしかできない一世一代の大仕事だ」

「はい」

「責任重大、ってワケだ。だけどな……オレは、この胸の高鳴りを押さえきれねえんだ」

 

 青年が、にっと笑う。

 

「――だって、そうだろ? かつてのオレも経験しなかった決戦の時が、これから幕を開けるんだぜ。相棒が後で聞いたら、目を丸くするだろうな。いくらお前が取り込んじまった()()()()()によるものだとはいえ、あの邪神や魔王と仲良く肩を並べる日が来るなんてよ」

「すごく驚くでしょうね、きっと」

「ああ。きっとな。……オレが向こうに帰ったら、あいつに絶対自慢してやるんだ。――オレたちはクソッたれな世界をぶっ壊して、あらゆる世界を救っちまったってな!」

「ふふ。責任は重大ですね」

 

 ボクはくすりと微笑んだ。青年も口角を持ち上げる。

 

「だからなミド。お前の双肩に掛かっているモンを、世界を滅ぼす運命ってバカでかいモンを、オレたちが一緒に背負ってやる。他ならぬお前が、お前たちの世界を玩具にしやがったあいつ等に引導を渡してやるんだ!」

「はい!」

 

 ボクは、力強く頷いた。背負った鞘から一振りの長剣を、すらりと引き抜く。

 

 宵闇に、白刃が煌めく。鍔元に不死鳥の紋章を抱く美しい名剣だ。同じ不死鳥の紋章を彫り込んだ蒼穹色に映える盾を左手に括り付ける。

 ボクの身を守るのは青い戦装束。頭上には白銀の冠を頂く。大粒の青い宝玉が冠の額部分には嵌っていて、見ているだけで勇気が湧いてきそうな不可思議な光を湛えているのだった。

 

 いずれもボクだけしか――この歪み切った世界では、ボクしか身に着けることが許されなかった、失われし伝説の武具たちだった。

 

 “闇の大魔王”や“王の中の王”を始めとする深淵たちを取り込み、この世界で唯一無二の光の子となったボクは、今まさに与えられた使命を全うするべく、ここに居た。

 

 ――そう、彼らとともに。ならば、畏れるものは何も無い。

 

 ボクは、言った。

 

「さあ、行きましょう。この歪み切った世界の(ことわり)を滅ぼし、異なる世界へと再び分け隔てるために。皆さんが、もとの故郷(ふるさと)へと帰るために。“アレら”によって不当に捻じ曲げられ、今まさに葬り去られようとしている光と闇の物語を、あるべき姿に戻すために。ボクが――ボクたちが、この手で終止符を打つんです!!」

 

 闇の世界に(とき)の声が轟く。この世界を滅ぼし、全ての世界――全ての冒険譚を救う。――こうして、ボクたちの最後の戦いが始まった。

 

「――さてと、やるとするか」

「はいっ!」

 

 まずは職業ありき。それが、この世界の不文律――“常識”だった。

 この物語は異世界人のボクが唯一無二の「勇者」となり、やがて世界を滅ぼし全てを救うまでの、知られざる「竜と探究を巡る冒険譚(ドラゴンクエスト)」である。

 

 

 

 

 

 

 

「ミドさんに相応しい職業は、残念ながら見つかりませんでした」

 

 ――ただし、物語のはじまりは最底辺(「むしょく」)から始まるけれども。




ミド
HP ???
MP ???
?:


光と闇が合わさり最強にみえる系オリ主(ただし中身は約1000歳の爺とする)。


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第一章 ダーマの禁書と闇のころも
第一話 「むしょく」の少女


「ミドさんに相応しい職業は、残念ながら見つかりませんでした」

 

 ダーマ大神官さまのお言葉を聞いた瞬間、ボクは膝から崩れ落ちそうになった。

 

 それでも、なんとか踏み止まることには成功した。

 ここはダーマ神殿の大広間――『職業選択の儀式』が行われる神聖な場所。神殿内で働くダーマ神官に小間使い、そして、ボクと同じく職業を授かりに訪れた旅人たちが、ボクたちのやり取りを遠巻きに眺めている。そんな衆目(しゅうもく)を集める場で醜態を晒すわけにはいかない。

 

 心はぽっきりと折れそうになりながらも、すでに折れかかっているけれども、ボクは震える声を紡いだ。

 

「ダーマ大神官さま。それはつまり、ボクは「むしょく」のまま――ということでしょうか?」

「然り」

 

 壇上のダーマ大神官さまが重々しく顎を引いた。と同時にボクの顔に絶望が広がってゆく。

 

 ボクの儀式を担当してくださったのは恰幅のいい、聖職者然とした壮年男性だった。美しい刺繍を施した群青色の法衣を羽織り、転職の神ダーマに仕える証である銀のサークレットを頭に抱いている。

 群青色の法衣を羽織ることが許されているのはダーマ大神官のみ。彼こそダーマ神官たちを束ねる、最高位の人物なのだ。その言葉には嘘偽りなどあるはずもなかった。

 

 ……そしてそれは、最後通牒を突きつけられたのも同然なわけだけど。

 

「そう、ですか――」

 

 がくりと項垂(うなだ)れたボクの耳朶(じだ)を、複数の足音が打つ。(おもて)を上げると、数人の兵士を伴った若い神官が小走りに祭壇の上へと駆け上がってくるところだった。かなり急いでいる様子で、肩で荒い息をしている。

 

 若い神官は息を素早く整えると、壇上のダーマ大神官さまに小声で耳打ちをした。

 

「アントリアさま。先日、地下牢に捕らえた間抜けな盗賊のことで、内密にご相談したいことが……」

「うむ」

 

 ダーマ大神官さまが重々しく顎を引いた。ボクのほうへと向き直る。その眼差しには優しげだったが、ほんの少しだけ憐憫の情が含まれていた。

 

 ……そこに嘲りめいた匂いを感じ取ったのは、ボクがよほど追い詰められている証拠なのだろう。己の浅ましさに反吐が出るところだ。

 

 アントリアと呼ばれたダーマ大神官さまは優しげな声色で、愚かなボクを労わってくださった。

 

「そのように気落ちしないでください。生きていればいいこともありますよ」

「……はい。お手数をおかけいたしました」

 

 ボクはぺこりと頭を下げ、大広間から退出しようとした。

 

「――ああ、そうだ。何か困ったことがあれば、二階の大書庫を訪れるといいでしょう」

 

 ふと思い出したように呟いたアントリアさまのお言葉に、ボクは足を止めた。振り仰ぐと、柔和な面持ちでボクを見つめるアントリアさまと視線が交錯する。

 

「今日は蒐集物の整理のために終日閉館していたのですが、ミドさんのために開く手筈を伝えておきます。ダーマ神殿の大書庫といえば古今東西、ありとあらゆる文献が納められている、いわば知識の(もり)浅学菲才(せんがくひさい)の身の上、私はあなたのお役に立つことはできませんでしたが、ダーマの大書庫であれば何か役に立つ()()が見つかるやもしれません」

 

 ……気のせいだったのだろうか。アントリアさまが赤い双眸をぬめりと輝かせて、ボクのことを隅々まで見渡したように見えたのは。

 

 ボクは小さく頭を振るい、アントリアさまへと謝辞を述べた。

 

「ありがとうございます、アントリア大神官さま。なにからなにまで、すみません」

「いえいえ。困った時はお互い様ですから」

 

 深々と頭を下げたボクを、アントリアさまはガラス玉のような瞳でじっと見つめていたのだった。

 

 

      ●

 

 

「うう、これからどうしよう……? ようやく、ダーマ神殿に辿り着いたっていうのに……」

 

 悄然とした足取りで、ダーマ神殿内を歩く。

 

 中央大陸のど真ん中に位置するダーマ神殿は転職の神ダーマを祀った、この世界で唯一の場所だ。その歴史はとても古く、神代(かみよ)の時代にまで遡るという。

 まずは世界最高峰の山でもある霊峰ダーマの(いただき)に白亜の大神殿が建立され、山の麓に遠路はるばる訪れる旅人をもてなすための小さな門前町ができた。この門前町は時代の移り変わりとともに発展を遂げ、今では同じゴルドやラムダといった神代からの聖地と並ぶ、世界屈指の宗教都市に数えられるほどになっている。

 ボクは大勢の人々が行き来する門前町の熱気に()てられて、少しクラクラっとしてしまった。それが一日前の出来事だ。

 

 ダーマ神殿が大勢の旅人で賑わっているのは、明確な理由がある。

 ルイーダの酒場に登録できる職業的な冒険者になるには何かしらの職業――それも戦闘職である「基本職」か「上級職」のいずれかにつくことが必須とされているからだ。

 神殿内を見渡せば、今も肩で風を切るようにして何人もの武装した人々が神殿内を行き交っている。長剣を()き、杖を担ぎ、全身鎧やローブを着用した彼らは、きっと(くだん)の冒険者なのだろう。

 

 ボクは地に足のついた冒険者たちの横を、トボトボと通り抜けていった。

 

「これじゃ、元の世界に戻る方法を探すどころの話じゃないよね……。ボクみたいな「むしょく」の奴なんて、ヒエラルキーの最下層もいいところだし」

 

 ボクがこの世界に転移したのは、今を遡ること約一か月前のこと。

 異界の地に降り立った最初の頃は右も左もわからず、ヘマをやらかした。うっかり犯罪組織の片棒を担ぎ、危うく悪事に加担しかけてしまったのだ。結局、その一件は未遂に終わったし、犯罪組織も紆余曲折の末に壊滅したわけだから……結果オーライかもしれないが。

 ……その辺の話は、今は必要じゃないから脇にどけておくことにしよう。

 

 どうも、ボクは特異な人種らしい。この世界では十六歳になった時に、成人の儀式を迎えれば必ず授けられる職業を持たざる者だったのである。――これを「むしょく」と呼ぶ。

 

 ボクが転移者だからか、もしくは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのか。はたまた別の原因があるのかは、ボクには知る(すべ)は無い。

 ともかくボクは「呪文」や「特技」を一切覚えることができない、この世界では世にも珍しい人種に数えられるのである。

 

 そして、この世界において、ボクみたいな「むしょく」はヒエラルキーの最下層民として認識されている。

 というのも、この世界は職業ありきで成り立っている、といっても過言ではないのだ。

 この世界では数え歳で十六歳になると成人を迎え、その日のうちに職業の託宣を受ける。そのため、大多数の人間はなにかしらの職業に就いているのが通例なのである。

 

 武器屋や防具屋、それに道具屋の主人は「商人」を、教会でお務めをしている神父さまやシスターは「僧侶」を、それぞれ授かっている。お城の警備を務める兵士は「戦士」で、宮廷魔術師や大魔道士と名乗る人々は「魔法使い」だ。

 路地裏で人様の財布を盗もうと企む人たちは「盗賊」だし、鍛錬で汗を流している旅の修行者たちは、そのほとんどが「武闘家」である。

 なんらかの芸に秀でた人たちは「旅芸人」で、路上で歌や踊りを披露する人たちはそれぞれ「吟遊詩人」や「踊り子」だ。

 他には他人の運命を占う「占い師」なんて神秘的な職業もあるし、船の操舵術に長けた「船乗り」や羊の世話に長けた「羊飼い」という、特定の分野に特化した職業もある。

 その一方で、四六時中ただ遊んでいるだけの、「遊び人」と呼ばれる職業も。

 

 農作業に従事している人々や家計を切り盛りしている主婦だって、立派な職業である。もっとも、こちらは戦闘を得手としない職業――俗に「生活職」と呼ぶそうだが。

 なんでも城に住まう王さまやお姫さまも、高貴な血筋しか授かることができない特別な職業を得ているのだという。

 

 かたやボクみたいな職業を授かっていない者――「むしょく」は“はみ出し者”として扱われる。時には大っぴらではないにしろ、後ろ指を指されることもある。

 

 まずは職業ありき。それが、この世界の不文律――“常識”なのだ。「遊び人」以下、それがボクたち「むしょく」なのである。

 

「……ボクはこの世界の出身じゃないから、そんなことを今更言われてもなって感じもするけれども。言い訳がましいかもしれないけど、ボクも元の世界では、ちゃんと仕事に従事していたんだけどな」

 

 ボクは、この世界の不文律に辟易していた。ダーマ神殿を訪れる前に、侮蔑の言葉を投げかけられたことも一度や二度ではきかなかった。

 

 異界人のボクにこうした職業の仕組みに詳しく教えてくださったのは、双子の美人姉妹――旅の「踊り子」と「占い師」のおふたりだった。彼女たちは大事な使命のもと、世界中を旅しているらしい。

 

 ボクは彼女たちの世話になった。着の身着のままだったボクに寝床や暖かい食事を用意してくれ、さらに幾何(いくばく)かの路銀(この世界の基本通貨は「ゴールド」と呼ぶそうだ)も頂いた。この世界の常識も色々教えてもらった。

 

 ……元の世界には、帰りたい。なにがなんでも帰らなければならない事情が、ボクにはある。でも、まずはこの世界で生活基盤を確保する必要がある。このボクが、この世界の人間たちの生活に溶け込むためにも。

 

 そこで流浪の民の姉妹から紹介されたのが、ダーマ神殿の参拝だった。

 

 曰く、ボクみたいな特定の職業を持たない「むしょく」にも、道がひとつも残されていないわけじゃないらしい。――ダーマ神殿に行き、『職業選択の儀式』を受けることで、その人に相応しいとされる新しい職業に就くことができるのだ。

 しかも非戦闘職の「生活職」や戦闘職の「基本職」の他にも、複数の「基本職」を変遷することでさらなるチカラ――「上級職」への道を切り開くこともできるらしい。

 

 といっても、職業の熟練には個々人の素質が関係する。だからか、たとえ何年修行したとしても「基本職」止まりな人もいる。素質と血筋が物を言う職業も幾つかあるらしく、なんでも古代から綿々と受け継がれた血筋に由来する、トクベツな職業もあるとか。

 

 郷に入っては郷に従え、という。この世界は職業が全てだ。ならばボクも職業を求めたほうがいい。

 ボクがダーマ神殿に行くと決めたのは、こういう経緯があったのである。

 「基本職」と「生活職」、そのいずれかを授かれば。「基礎職」を運良く授かり、世界を巡る冒険者になれば、元の場所に帰る手立ても早く見つかるかもしれないからだ。

 

 ……けれども、トントン拍子に進んだわけではない。異世界人のボクに土地勘など、あるはずもなく。節約に節約に重ねたけれど姉妹から施しを受けたゴールドは早々に尽き、その日暮らしの日々が続いた。

 

 旅は、過酷だった。この世界の人々は姉妹のような心優しい人ばかりではない。典型的な悪人どもに狙われることも、しばしばだった。

 ボクみたいな護衛無しの一人旅は、彼らにとってみれば格好のカモといえる。追いはぎやスリに出会うこと十数回、盗賊団から身ぐるみはがされそうになること数回。

 うち一回は覆面パンツマスク男という、目のやり場に困る自称“伝説の大盗賊”とその子分たちに絡まれそうになった。……あれは悪夢以外の何物でもなかったな。色んな意味で。

 

 息をひそめて野生の魔物をやり過ごし。邪教団の巡行者たちを遠目に見守り。定期船に密航して野山を越え、バハラタの大河を渡り。数々の苦難を乗り越え、ついに中央大陸にあるダーマ神殿へと辿り着いたわけだけど――

 

 

「うう。ボクには適正な職業がひとつもない、なんて……」

 

 ボクの目論見(もくろみ)は、ご存じの通り。

 跡形もなく、木っ端微塵に打ち砕かれてしまったのである。ぐうの音もなく。

 

 なんとボクは「基本職」はおろか、「生活職」ですら何一つ就くことができない、まさしく完全無欠の「むしょく」らしいのだ。これでルイーダの酒場に登録可能な冒険者――様々な面で圧遇してもらえる――になる望みは絶たれてしまった。

 

「たぶん、これはボクが異世界から転移したせいなんだろうな。身体と精神が若返ったのも無関係ではないかもしれない」

 

 この世界の神サマは、ボクみたいな“異物”には慈悲をお恵みしてくださらないらしい。神サマに対して良い思い出がないボクとしては、すんなりと納得できる。

 もっとも、この不信心が、今のボクの境遇を作っているのかもしれないけれど。

 

「たしか()()()の世界も、大昔は職業についた冒険者たちが活躍していたんだっけか。でも、特に「むしょく」だと謗られることも無かったそうだし、自由意思で職業を選ぶことができたそうだから、「むしょく」のボクでも受け入れてくれたかもしれないな。……異世界転移をするなら、できれば彼女の世界がよかったなぁ」

 

 異なる世界の古い知人を思い出し、小さく吐息をつく。一人旅をしていると独り言が増えて困る。

 

 これはまったくの余談だけど、あえて「むしょく」のまま留まっている“変わり種”も、ごく稀にいるらしい。

 でも、ボクみたいにダーマ神殿へ足を運び、ダーマ大神官だけに与えられた万事を見通す秘奥の技《真・みやぶる》を使用してもなお、適切な職業が見つからない事例は稀有(けう)だ。ダーマ神殿建立から現在に至るまでの長い歴史の中でも、片手で数える程度だとか。

 

 たしか前例から数えること、かれこれ約千年ぶりだそうだから……転職の神ダーマって、実は性悪なんじゃないのかな?

 

「はぁ」

 

 ボクは悄然と項垂(うなだ)れた。……これから先、いったいどうやって過ごせばいいのか。ここまで運が悪いと、世知辛い世の中にぶつける悪態も出てこないじゃないか。

 

 ()()()、だ。悪いことは二度三度あると言うけれど、ボクの場合はこれだけでは済まされないのだ。

 

「――――」

 

 神殿内には白亜の敷石が敷き詰められ、中央部の大広間をぐるりと取り囲むようにして清浄な水を湛えた掘抜きがある。そこかしこには木々や芝生が植えられ、季節の花々が咲き乱れる花壇が来訪者の目を楽しませている。高い位置にある採光窓からは暖かな陽光が差し込み、ぽかぽか陽気に誘われたのか、小動物たちが思い思いの姿勢で日向ぼっこをしている。

 

 気持ちを落ち着かせるには最適な場所だ。……といっても、ボクの気分は沈み込んだままだが。

 

 ボクは無言のまま、手近な掘抜きのところまで歩み寄った。波風ひとつない穏やかな水面(みなも)を覗き込む。

 

「……はぁ」

 

 ボクは、再びため息をついた。水面(みなも)に映るボクもまた暗い表情で溜息を零している。

 

 肩口で切り揃えられた、上質な絹糸のようにサラリと流れる美しい茶髪。切れ長の碧眼。すっと通った鼻梁。ルージュを塗っていない薄紅色の唇。すり切れた黒い外套の袖から僅かに覗くのは、珠のように輝く白い肌。胸部には形の良い双丘がこれ見よがしに、その存在を声高(こわだか)に主張している。

 

 なんのことはない。――()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 ボクが身の上に起きた“異変”を知ったのは、今を遡ること約一か月前のこと。

 つまり、この世界に転移した直後だった。ただでさえ未知の世界に迷い込み、精神的にも疲弊していたというのに、これですっかり参ってしまった。

 

「性転換機能なんて、ボクの肉体にはついていなかったはずなんだけどな……。しかも髪の色や虹彩の色までガラッと変わってしまっているし……どうしてこうなったのやら」

 

 なるほど、今のボクの見た目はどこからどう見ても少女だ。しかも見目麗しき、と接頭語がつく。なにせ既に女としての色香が漂い始めているほどだ。路銀が無いせいで服装はみすぼらしいけれど、群衆の目を引き付ける容姿であることは何度も経験済みである。

 

 ボクを散々付け狙った盗賊の人たちは、もちろんボクの金品が第一の目的だったのだろう。でも、そういう情事絡みのいかがわしい魂胆も、もしかしたらあったのかもしれない。――今も昔も男の心を()()()()備えているボクとしては、たまったものじゃないけれども。

 

「……ボクはこんなところで、立ち止まっている場合じゃないんだ。向こうに帰らなきゃ」

 

 己を奮い立たせるために、右手首に嵌った真鍮製の腕輪にそっと触れた。

 

 少し薄汚れているそれは何の変哲もない品だ。美術品としての価値は無いに等しい。ただ、これを売れば幾何(いくばく)かのゴールドを得られるだろう。

 でも、ボクは路銀に当てることもなく、肌身離さず身に着けたままにしておいた。この腕輪はボクの誇りであり、ボクの全てだった。ボクが生きている証でもある。

 

「たしか何か困ったことがあれば、神殿の大書庫に立ち寄りなさいと仰っていたな……」

 

 ボクは一縷(いちる)の望みを託し、重たい足を引き摺って二階の大書庫に向かった。

 

 

      ●

 

 

「――バカな小娘だ」

「は?」

 

 アントリアの嘲りの言葉に、子飼いの神官はほんの少しだけ怪訝そうな表情を作った。

 

「報告にあったのはその者なのか? 人違いではあるまいな?」

「は。あのツンツン頭の「盗賊」は、アントリアさまの会合を盗み見していた不届き者で間違いありません。昨日の()()でようやく裏が取れました」

「……そうか。あの時の、不遜なネズミめか。取り逃がしたと思っていたが、まさか自らの足でのこのこと舞い戻ってくるとはな。人間とは愚かな生き物よ」

 

 アントリアが喉の奥でくつくつと嗤う。彼の忠実なシモベである神官は神殿内の隠し通路に生まれた暗闇に、ひっそりと佇んでいる。その顔は人形のように無表情だった。

 

「よし。ならば今日は、特にたっぷりと味わってもらうとしよう。苦痛と絶望に喘ぐ人間の断末魔は実に心地よいものだからな。なるべく時間を掛けて苦痛を長引かせ、全身をくまなく甚振(いたぶ)り、臓腑(ぞうふ)も念入りに痛め付けてやれ。ああ、「盗賊」自慢の器用な腕も忘れずにへし折れ。あやつの利き腕は――たしか()だったな」

「――では、そのように」

 

 子飼いの神官が腰を折り、一礼する。その姿は恭しく、畏敬に満ちていた。(きびす)を返す子飼いの神官を、アントリアが冷めた目で見送る。

 

「ふん。《真・みやぶる》で()たとおりか。アレが教団が見出した光の子とやらで間違いないようだな。――あの、襤褸(ぼろ)を纏っただけの、薄汚れた小娘が」

 

 アントリアが鼻を鳴らした。彼女は、己の職業が「むしょく」だと完全に思い込んでいるのだ。そうあれと、アントリアが(ろう)した策にまんまと引っ掛かっていた。

 

「いずこかにお隠れ遊ばした我が黒き神のためにも、新鮮な生贄は定期的に捧げなければならぬ。千年間の沈黙を破って、あの「勇者」めが再臨を果たすのも防がなければならぬ。くく……ちょうどいい、あの者とネズミめを我が神に捧げるとしよう」

 

 アントリアの(おもて)が醜悪に歪む。ダーマ神殿の大広間で披露した、あの清廉潔白な聖職者然とした敬虔さは、もはや影も形もなかった。

 

 ――いや、彼は正真正銘、敬虔な神の使徒なのだ。奉る神が他とは違うだけであって。

 

「しかし、皮肉なことだな。あの小娘こそが、己のことを「むしょく」だと思い込んでいる無知蒙昧(むちもうまい)女子(おなご)が、かの禁忌の御業(みわざ)に辿り着く唯一無二の人間だとは……しかも――」

 

 くつくつと喉を鳴らす。アントリアの高らかな哄笑(こうしょう)人気(ひとけ)のないダーマ神殿地下の隠し通路に響き渡った。

 

「――あの者たちにも報告をせねばなるまい。クリスタルパレスに勤めている我が同胞はともかく、セントベレス山の頂上で暇を持て余しているだろう光の教団の古狸めが我先にやって来るだろうな。……まったく、難儀なことだ」

 

 アントリアの声は暗闇の奥に呑まれ、やがて消えた。




ミド
HP ???
MP ???
む:


*「みなさん こんにちは。 ミドです。
  このコオナアでは おもに メタつぽいはなしを いろいろと
  していこうと おもつています。


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第二話 「ダーマの禁書」

 ダーマ神殿の大書庫は、ボクのような「むしょく」の“はみ出し者”を快く受け入れてくれた。――ただし、という言葉を付け足さなければならないけれど。

 

「はは、参ったな。……全然()()()()や」

 

 道中の立て看板の文字がさっぱりだったから、薄々予想できていたことだ。でも、こうして改めて現実を突きつけられると、乾いた笑い声しか出てこない。

 

 アントリア大神官さまの計らいで大書庫内への立ち入りを正式に許可されたボクは、神殿が所蔵している本を手当たり次第に当たった。しかし、どの本もダメだった。――新書も、古文書も。分厚い専門書も、挿絵付きの童話も。新旧ジャンルを問わず、ときた。

 

 この世界の文字は、ボクからすれば()()()()()()()()なのだ。武器防具屋や露店の値札などを参考にして、簡単な単語から読み解こうと何度も試みたけど、どうしてもだめだった。考えれば考えるほど、頭の中が霞がかかったように曖昧模糊(あいまいもこ)となってしまうのである。

 その一方で、話し言葉のほうは問題なく通じているわけだけど……。

 

「ううん……。千年王国(ボクのくに)の公用文字とも、呪文書(スクロール)に使用されている古代文字とも違う……。まあ、ここが異世界なんだから、当然と言えば当然なんだけど……。……これじゃ、当てが外れちゃったなあ」

 

 ボクは頭を抱えるしかなかった。

 

 もしやと思って元の世界へと還る方法がないかと手掛かりを探してみたけれど、これじゃ論外だ。これまでは未開人一歩手前の生活をしていたし、集落では看板のマークから、どんな店を指し示しているのかを判断していたけれど。本格的に文字を学ぶ必要があるかもしれない。

 

 でも、この世界は学術施設が充実しているとは、ちょっと言い難いんだよな。

 裕福な家庭や王侯貴族の子女が通う有名な学園は、世界各地に幾つかあるみたいだけれど(有名処はエルシオン学園やメダル女学園だろうか。どちらも全寮制の学校である。たしかこの世界の最果てにあるという新大陸群にも学び舎があると聞いたな)。

 誰かに師事をするにせよ、ボクは無一文も同然だからなぁ……。

 

「…………」

 

 司書を務めている女神官の後ろ姿を、チラリと見つめる。

 

 なお、無機物の大書庫はボクを快く出迎えてくれたけど、有機物の司書さんはボクのことをあまりよく思っていないらしく、最初はボクがここに立ち入るのに難色を示した。

 アントリアさまからの報告は、きちんと届いていた。右往左往するボクのことを見かねたのか、若いダーマ神官がひとり、付き添いで来てくれたため、彼女と押し問答をする事態は回避できた(そのダーマ神官は用が済んだとたんに、大書庫を早やかに立ち去ったけど)。

 

 ボクの噂は、広く知れ渡っているようだ。これまでにもボクのほうをチラチラと見つめ、ひそひそ話をしている人々を大書庫への道のりで何人も見た。「人の口に戸は立てられぬ」というが、ボクが置かれている状況がまさにそうだった。

 

「元いた世界じゃ、ちゃんと働いていたんだけどなあ……。この世界の「羊飼い」とは意味合いが違うけど、ボクだって羊たちの世話を精一杯頑張っていたのに。そりゃ最初は上手く行かないことばかりだったし、前任者から引き継いだ牧羊犬たちも、ボクの言うことを全然聞いてくれなかったけど。少しずつ、本当に長い時間を掛けて努力に努力を重ねて、ようやく羊の世話が軌道に乗ったと思ったら、異世界転移(コレ)だもんなあ」

 

 近くに誰もいないのをいいことに、とりとめのない愚痴をこぼす。本棚から取り出した本をパラパラとめくり、本棚に戻した。

 

 ざっと本棚を見る。

 

ゆうしやロトのせきひ

いつつのもんしよう

エツチなほん

まほうのつえをもとめて

てんくうのしろとりゆうのかみさま

せいねんテノリオのなやみ

ぼうけんしやヌルスケのにつき

れんきんじゆつのおとしあな

ガナンのれきししよ

アストルテイアのはじまり

ロオシユせんき

 

 ……うん。ダメだ。さっぱりわからない。

 

「やっぱり、文字を一から独学で学ぶしかないか。もしくは誰かに本の読み聞かせをしてもらうしか……この年齢(とし)にもなって読み聞かせプレイなんて。うう……羞恥の極みだ……っ」

 

 深々と溜息をつく。その時、チリリンという鈴の澄んだ音色が微かに聞こえてきた。幻聴が聞こえるほど追い詰められているのだろうかと自嘲し、鈴の音色がした方向を見やる。

 

「あれ?」

 

 ボクは小首を傾げた。ボクが居たところにほど近い本棚と本棚の隙間に、ちょうど一人ひとり分が通れるくらいの扉が、ひっそりと佇んでいたのである。――あんなもの、ついさっきまで無かったはずなのに。

 

「……あんなところに、扉が?」

 

 ()()()()()()、ボクの中で好奇心が鎌首をもたげた。――もしかしたら秘密の小部屋への扉かもしれない。

 

 司書さんのほうを、何気ない様子で伺う。彼女はカウンターのところで何かの作業をしているらしい。ボクに気を留めた素振りは無かった。

 

「ごめんなさい」

 

 小声で謝罪の言葉を口にする。木製の扉のドアノブに手を伸ばし、まず鍵が掛かっていないことを確認した。音をなるべく立てないようにしてドアノブを掴み、ゆっくりと扉を開ける。司書さんのほうをもう一度確かめ、扉の向こうへと足を踏み入れた。

 

「ここは……?」

 

 扉の向こうにあったのは、大人五人ほどが入れる程度の小部屋だった。円筒形をしていて、背の高い本棚がぐるりと取り囲んでいる。

 

 ここは……閉架式の書架、だろうか? それにしては全然埃っぽくないし、黒大理石と思しき床は鏡面にも使えそうなほどに磨き抜かれているけど。

 

 壁一面にずらりと並ぶ本棚を、ざっと見た。何十冊もの色とりどりの本が整然と並んでいる。それぞれの本の背表紙には一対の翼を広げた(おおとり)をはじめ、雲海(うんかい)に浮かぶ城や大海原を行く帆船(はんせん)林檎(りんご)のような果実といった趣向を凝らした意匠(デザイン)印章(いんしょう)が、金の箔で押してある。

 本の厚みはまちまちだ。開かれた扉の前でふたりの男女が手を繋いだ意匠(デザイン)の本が最も分厚く、大人をいとも容易く撲殺、いや、圧殺できそうなくらいの殺人的な厚みがある。たぶん他の本の軽く五冊分……六冊分はありそうだ。

 

 そのうちの一冊を手に取ってみた(すわ殺人兵器と見間違うかのような分厚い本は取り出す気にはなれなかった。……すごく重たそうだったし)。

 

 ボクが選んだのは先ほどの本の、右隣にあった赤い本である。表紙と背表紙には寝かせた三日月に包まれた、一振(ひとふ)りの剣。船の(いかり)のようにも、竜の瞳のようにも見える意匠(デザイン)だった。

 

「へえ、凝っているなあ……」

 

 表紙をじっくりと眺めやり、感嘆の吐息をつく。

 

 ボクは遠い異世界の古い知人がその世界きっての神学者であり、こういった書斎に入り浸っていることを、ふと思い出した。

 

 彼女曰く、並行世界の出来事を綴った幾つもの物語――「神話」が、彼女の世界では神代の時代から語り継がれているらしい。それぞれの「神話」には名うての戦士英雄賢者たちが登場し、それぞれの定められた悪と戦うのだと。

 そう語っていた彼女の紅潮した顔は、ボクの頭の片隅に焼き付いている。――その後に続く“のろけ話”についても。ぴんと尖がった両耳まで真っ赤にしつつ、背中の羽根をパタパタと動かす彼女は、なんとも愛らしかった。

 

(――ユキノフさん、今頃どこで何をしているのかな? これから宇宙観光の旅に行くって、最後の手紙には書かれてあったけど……)

 

 これは全くの余談だけど、彼女が語るお話の中には彼女の大事な人も、彼女自身も頻繁に登場した。彼らもまた偉大な冒険譚を後世に残す、その世界で並ぶ者のいない偉大な冒険者パーティのメンバーだったのだ。

 

「意外とこの本も、誰かの冒険の旅を描いたものかもしれないな。……まあ、どうせボクにはこの世界の文字なんて読めないし、生粋の冒険者で神学者だった彼女とは違って、ああいう冒険物語には興味が無いけどね」

 

 小さく肩をすくめ、赤い本を本棚に戻す。

 

 そして、何気なく辺りを見渡して、おやと声をあげた。小部屋の中央部には、小さな(テーブル)がポツンとあったのである。しかも、(テーブル)の上には――

 

「本? でも、あそこには(テーブル)なんて、もともと無かったような……?」

 

 小さな(テーブル)には、一冊の分厚い本が無造作に投げ出されていた。

 星空のない闇夜をそのまま溶かし込んだかのような、漆黒の装丁だ。表紙と背表紙には鮮血のように真っ赤な色で、翼が生えた美しい女性の横顔を模した印章が押されていた。

 

 その本は一目見て、異様だとわかった。キラキラと光輝く金色の鎖――鋭い棘が生えているようで、イバラとも受け取れる――で雁字搦(がんじがら)めにされていたのである。

 

「――――」

 

 ボクは、その妖しく光り輝いている黒い本へと右手を伸ばした。

 

「――って、ダメダメ! こんな見るからに怪しい本なんて、絶対触っちゃダメに決まっているじゃないか!」

 

 ふと我に返り、慌てて(かぶり)を振った。あと少しで本に届きそうだった右手も、さっと引っ込める。

 

 ……どうせボクはこの世界の文字が読めないんだ、無用の長物じゃないか。そう自分自身に言い聞かせ、後ろ髪を引かれる思いで(きびす)を返そうとして、ボクは目を丸くした。

 

「え? 帰り道が、無い……?」

 

 小部屋の出入り口が、忽然と消えているではないか。

 壁一面、背の高い本棚が隙間なく取り囲んでいるのだ。ついさっき、ボクがこの小部屋に入るために使用したはずの扉は、綺麗さっぱり無くなっていた。

 

「この部屋には、侵入者除けの罠が仕掛けられていたのかも。もしも許可を得ていない人間が入ったら部屋の中に閉じ込めちゃうとか、そういう(たぐい)のものが……」

 

 ボクは眉間に深い皺を寄せた。……この世界()()魔法がある。じゅうぶんあり得る話だった。

 

「うう、参ったな。こんなことになるくらいなら、扉の前を素通りするべきだ――っ!?」

 

 己の行いを悔やんでいたボクは、ぎょっとした。

 部屋の中央部に鎮座していた小さな(テーブル)がガタガタと揺れ始めたのだ。不思議なことにボクが立っていた床はなんともない。これが局地的な地震などではないことは自明の理だった。

 

 珍奇な現象に見舞われたボクが固まっている間にも、(テーブル)の揺れは激しさを増していった。奇妙なことに卓上にあった黒い本は微動だにしていない。……明らかに、おかしい。

 

 しかし、(テーブル)の震動は揺れ動き始めた時と同様に、唐突に止まった。

 

「なんだったんだろう……?」

 

 頭上に疑問符を浮かべたボクは、またしてもぎょっとする羽目になった。

 

 あの、黒い本だ。黒い本を縛り上げている金色の鎖が、一本ずつ音もなく(ほど)かれていったのである。

 

「な、なにが、起きているっていうんだ……?」

 

 驚くボクを他所(よそ)に、金色の鎖の(くびき)より解き放たれた本が、ふわふわと宙に浮かんだ。風なんてこれっぽちも吹いていないのに本のページがパラパラとめくられていき、あるページのところでピタリと止まる。

 

「ひっ!?」

 

 ボクは息を呑んだ。本のページの隙間から、にゅっと何かが伸びたのだ。

 

 二本の黒い(かいな)だ。その指先には、猛禽類の如き鉤爪を備えた五指があった。――それは鋭いかぎ爪を備えた、金の縁取りがなされた黒い腕だったのである。

 

「く、来るなッ!?」

 

 見るからにおぞましい(かいな)たちに叫ぶ。だけど二本の腕はボクの懇願などお構いなしらしく、するすると中空を突き進んだ。

 

 背中に固いものが当たった。――本棚だ。ボクは無意識のうちに後退りをしていたらしい。本棚に納められていた本を掴み取り、手当たり次第に投げつける。しかし、二本の腕は投げつけられた本を霞でも通り抜けるが如く、あっさりとすり抜けてしまった。ボクが投げつけた何冊もの本が床に落ち、乾いた音を立て続けに立てる。

 

「――く、来るんじゃないッ!!」

 

 さらに本からは穢れた霧が噴き出し、生きとし生ける者を魔のモノと化す濃紫色の霧が辺りに充満する。堕ちた天使の羽根がはらはらと落ち、呪いのイバラが無限に生み出され、触れたそばから一切合切を石化していく。邪悪な祈りが捧げられると得体のしれない肉塊みたいな化け物が次々に現れた。

 現と夢の狭間へと誘う裂け目と、魔界へと通じるだろう歪み。二種類の空間が同時に生まれ、無限の進化を続ける魔族の王が嗤う。

 闇の大魔王の凍える吐息が、死を導く者の呼び声が、誇り高い竜の雄叫びが轟いた。

 

 それらの得体のしれないモノたちはボクの身体へと、するりと潜り込んだ。

 

「――あああああああああああッ!?」

 

 無数の何かが、凄まじい勢いでボクの頭に流れ込んでくる。ボクはたまらず絶叫した。

 

 

《はげしいほのお》《ベホマ》《闇のころも》《いてつくはどう》《めいそう》《念じボール》《マダンテ》《神々の怒り》《超高速連打》《冥府の縛鎖》《不浄の魔力》《邪竜神の叫び》《時よ消し飛べ》《極大魔蝕》《やみの閃光》《けがれたきり》《帝王の一撃》《魔神の絶技》《天地魔闘の構え》《りゅうせい》《エクステンション・ライン》《あやしいひとみ》《祈り》《打撃完全ガード》《呪文完全ガード》《ダメージ完全ガード》《ドラゴンビート》《竜の咆哮》《召喚》《ゲノムバース》《想念具現の術》《ザオトーン・アビス》《リミットボルケーノ》《招雷ドラミング》《コールサファイア》《大盤振舞ゴールドシャワー》

 

 

 真っ黒に染まりゆく視界を、無数の文字列が濁流の如きスピードで埋め尽くしていく。

 

 ボクは、唐突に理解した。――これは()()だ。何百・何千・何万という莫大な数の戦いの記憶が、光に敗れた邪悪なるものたちの軌跡が、この本には何もかも全部、一切合切押し込められていたのだ。

 

 彼らの記憶が、知識が、ボクの(うち)に次から次へと植え付けられていく。

 拒むことはできない。許されない。ありのままをすべて受け入れろと本能が叫ぶ。とどめなく注ぎ込まれていく膨大な情報量はボクの脳を激しく揺さぶり、ひどい吐き気をもたらす。

 何度も、意識が飛びかけそうになる。

 ひたすら耐える。

 なにかが気管を逆流し、喉元まで込み上げてきたものを無理やり飲み込む。視界は定まらず、絶えず流動しつつボクを嘲笑っている。

 

 ……誰が? この世界そのものが? それとも全く別のナニカが?

 

 ボクは、見た。――あの小さな(テーブル)に置いてあった黒い本が(ほぐ)され、分子よりも細やかな黒き粒子となり、ボクの身体へと注がれていく様を。それらの光景を最後まで見届けたボクは、ようやく意識を手放すことができたのだった。

 

 

      ●

 

 

「……ここは、いったい?」

 

 目覚めたボクの第一声は、たっぷりとした疑念に彩られていた。

 

 理由は単純明快だ。どっからどう見ても、ボクの現在位置が薄闇の閉鎖空間にしか見えなかったからである。しかも何時の間にか寝転がっていたらしい。冷たい石の床には粗末なむしろが敷かれていて、襤褸(ぼろ)切れみたいな毛布が一枚だけ重ねられていた。ひどく黴臭い匂いが鼻孔(びこう)をつき、顔をしかめる。

 

「えっと……ボクはたしか、ダーマ神殿の大書庫にいたはずじゃ――?」

 

 そう呟き、ゆっくりと上体を起こす。きょろきょろと辺りを見渡した。

 

 三方を高い石壁に囲まれた小部屋だ。天井はかなり高い。残りの一面には頑丈そうな鉄格子がガッチリとはめ込まれてあった。出入り口――扉らしき箇所には大袈裟なくらい大きな南京錠が、これ見よがしにぶら下がっている。

 

「……なにを寝ぼけているんだ? ここは牢獄、しかも死刑に相当する重罪人がぶち込まれる、この世の終わりの楽園だぜ」

 

 憎たらしい南京錠を睨みつけていると、ニヒルな声がした。――どうやらここには先客がいたらしい。だんだんと暗闇に慣れてきた両目で、鉄格子の向こうを見やる。

 

 ……たしかダーマ大神官さまの部下が、「地下牢に捕らえた間抜けな「盗賊」」がどうのこうのと言っていたが。もしかしたら、この人のことなのだろうか? 音の反響具合からして、どうもこの地下牢には、ボクとこの人以外の生きた人間はいないようだし。

 

「ふーん。聞きしに勝る大物のようだな。こんなところで、ぐーすか寝ちまうとは」

 

 薄闇に一人のシルエットが浮かぶ。痩身だが痩せぎすというわけではない。腕組みをしながら鉄格子にもたれかかり、ボクのほうを興味深そうに青い瞳で覗き込んでいる。

 

 通路を挟んだ反対側に収容されていたのは若い青年のようだ。顔立ちは秀麗で線が細い。青い短髪は重力に逆らうかのように逆立っており、額にかかる前髪の一房だけが垂れている。

 着用しているのは深い草色の、胸元をはだけたチュニック。腰には臙脂(えんじ)色の布をベルト替わりに幾重にも巻いている。また、群青色のズボンと革製のショートブーツを身に着け、両手には指ぬきグローブ。両耳にはピアス、胸元にはペンダントをしている。――かなりのお洒落さんみたいだ。

 

「そのオンボロな黒い外套が、なかなかイカすな。(ちまた)で噂の邪教徒たちのモンにも見えるが……まさか奴らから剥ぎ取ったんじゃねえだろうな?」

 

 彼が、からかうような口調で聞いてきた。

 一瞬、ボクはドキリとしてしまった。内心の動揺を悟られないように、こっそりと深呼吸をする。

 

 (はす)に構え、憂いを帯びた眼差しを向けている彼に対し、ボクはおずおずと言った。

 

「あのう。あなたの話にあった「大物」って、いったい何のことなんですか?」

「おいおい……お前のことに決まっているだろ?」

 

 すぐさま、呆れ返った声が返ってくる。

 

 ……ボクが「大物」だって?

 ボクは何のチカラも持たない、ただの「むしょく」な“はみ出し者”なのに。もしかしたらからかわれているのかと、ほんの少しだけ気分を害していると、青年が言葉を重ねてきた。

 

「まさかとは思うが、あいつ等から何も聞かされていないのか?」

()()()()()()()? あの、何をですか?」

 

 ボクはこてんと小首を傾けた。青年がちょっと困った顔を作る。

 

「……マジかよ。このぶんじゃ、本当に知らされていねえのか? こりゃ参ったぜ」

「あの……どうか、教えてください。ボクは、どうしてこんなところに収容されているのですか? まことにお恥ずかしながら覚えていないのです」

 

 そう言って、深々と頭を下げる。

 

「はぁ……いいぜ。どうせその様子じゃマジで何も知らねえようだし、特別に教えてやるよ」

 

 彼はいくぶんか気の毒そうにつぶやくと、ボクに()()()()()()()()を暴露した。

 

「いいか? お前はな、世界に反逆する大悪党として指名手配を受けたんだ。この世界を丸ごとひっくり返すチカラを宿すとされる、あの「ダーマの禁書」を盗んだ咎でな」

「えっ?」

 

 彼の一言は寝耳に水といえた。ボクは、思わず間抜けな声を上げたのだった。




ミド
HP ???
MP ???
む:


*「うん? オレが ろうやに はいつているのが
  そんなに めずらしくねえのか?

はい
 いいえ

*「……チツ。 よけいな おせわだ。

*「こうはんぶぶんの なじみがなさそうな スキルは
  こんごもふえる かのうせいが あります。
  りゆうは……おさつしください。


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第三話 「盗賊」の青年

「「()()()()()()」……? でも、ボクはそんなものを盗んでなんか――ッ!」

 

 とっさに反論しかけ、ボクははっとした。

 

 思い当たる節が、ひとつだけあった。――()()()だ。ボクが大書庫の隠された小部屋で偶然見つけた黒い本。金色の鎖に雁字搦めにされていた、深淵よりも黒い装丁の本。アレが、あの黒い本こそが、彼がいうところの「ダーマの禁書」だとしたら……?

 

「じゃあまさか、()()が――?」

「へえ。その様子だと、やっぱり何か心当たりがあるみたいだな?」

 

 青髪ツンツン頭の青年が、青い瞳をすっと細めた。鉄格子越しにボクを観察している。……目敏い人だ。

 

 それでもボクは首を左右に振り、胸元に掲げた両手をぶんぶんと振った。

 

「そうですけど……でも、あれは不可抗力というか……! それに盗もうと思って盗んだわけではありません! だいいち、ボクは盗んではいません! 本当なんです!」

「お前、この期に及んでトボける気か? 盗っ人は決まってそう言うんだ」

 

 皮肉そうに唇の端を歪め、肩をすくめる青年。

 悔しくて、歯がゆくて。ボクは顔を真っ赤にして叫んだ。

 

「っ! ぼ、ボクは盗っ人なんかじゃありませんっ!」

「――ちっ。しみったれた奴だな。そんなふうにビービー喚いたって、置かれている状況は変わるはずもねえだろうが」

 

 青年が端正な顔をしかめ、舌打ちする。ボクは、しゅんとしてしまった。

 

「っ。――そう、ですね。ごめんなさい」

「なんでオレに謝るんだよ。……ったく、変な野郎だな」

 

 苛立ちまじりに青髪ツンツン頭を掻く。それでもボクへの詰問は止めるつもりがないらしく、先ほどよりも鋭い眼差しをボクに向けた。

 

「で、だ。――「ダーマの禁書」、どこにやったんだ?」

「どこに、って……」

 

 ボクは口ごもった。そんなボクを見た青年がニヒルに笑った。

 

「しらばっくれてもムダだぜ? お前が、どこかに隠したんだろ? いけ好かないアントリアを始めとしたダーマ神官たちが、お前の体をくまなく探してたみたいだが、結局見つからなかったらしいしな」

「く……くまなく、って――!?」

 

 ボクは、とっさに自分の身体を抱きしめていた。この世界に転移してすぐ、大勢の男たちに弄ばれた光景が脳裏に浮かぶ。たちまち怖気(おぞけ)が走り、背中を冷たいものが流れ落ちた。

 

「うん? なにをそんなにビビっているんだ?」

 

 ブルブルっと震えたボクに、怪訝そうな声が掛けられる。

 その直後に、わずかに息を呑む気配があった。「男にしては妙に甲高い声だから、もしやと思ってたが……よくよく見たら、お嬢ちゃんじゃねえか」続く声は口腔内にのみ収まった。「……アントリアの野郎め、いよいよ見境が無くなってきやがったな」

 

「……盗んでもいません。隠してなんか、いません」

 

 ボクの声は、少し震えていた。

 

「じゃあ、どこにあるってんだよ? 「ダーマの禁書」は?」

「それは――」

 

 ボクは、俯いた。両の手のひらに視線を落とす。ぎゅっと拳を握りしめた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……はあ?」

 

 青年は、すっとんきょうな声を上げた。

 

「吸い込まれただって? 本が? おいおい……いくら出任せにしたって、もっと上手い言い訳があるだろ?」

 

 ちょっとだけ――いや、かなり呆れた声音が返ってくる。ボクは少しだけ躊躇(ためら)ったのち、彼に洗いざらいの事情を話す決断を下した。

 

 でも、強迫観念に支配されたから、というわけでは別段ない。彼にならば事情を話してもいい、と不思議と思えたのだ。――見ず知らずの、赤の他人に。しかも相手がどんな人間かもわからないまま。

 

 これは、あまりにも異常な決断だった。仮に若返る前のボクならば天地がひっくり返ってもあり得ないことだろう。ボクは、ボクが想像している以上に、おかしくなっているのかもしれなかった。

 

「いいえ、出任せではありません。紛れもない事実です。実は、ボク―――」

 

 尾ひれを要領よく省き、これまでの経緯を青年に説明していく。青年は一笑(いっしょう)に付すかと思いきや、時どき相槌を打ちながらボクの話にじっと聞き耳を立てていた。

 

 ……全てを打ち明けたわけではない。青年に告白していないこともある。たとえば他世界から転移したこと、男から女に性転換をしたことなどだ。

 前者はこの世界の住人たちには今のところ誰にも打ち明けたことがなかったし、後者はボクにとっての羞恥以外の何物でも無い。それに、今の状況下には不必要だと判断した。

 

「ふうん。……なるほどな」

 

 青年は鉄格子にもたれかかったまま、じっくりとボクの話を吟味していた。

 

「「むしょく」だったお前はダーマ神殿にやって来たが、あのアントリアの野郎から最後通牒を突きつけられて、その足で大書庫に向かい――」

 

 そこで青年が、ボクをまじまじと見つめている気がした。

 

「隠された小部屋を、()()見つけた。室内にあった金色の鎖で封印された黒い本を発見、そいつからにゅっと伸びてきた黒い腕に掴まれ、そのまま意識を失っちまった――か。普段のオレなら眉唾物だと一蹴(いっしゅう)するところだが……後半部分はともかく、主だった内容はパルミドの情報屋から仕入れた話と、おおむね合致しているな」

 

 青年はしばらくの間、考え込んだ様子だった。

 

「そうか。お前が、あの門外不出のお宝……この世界の創造主から転職の神ダーマに下賜されたという、“大いなる深淵のチカラ”を秘めし伝説の秘宝「ダーマの禁書」を見つけちまうとはな……」

 

 それはボクに向けられているようで、いなかった。自嘲めいた独白だった。

 

「あそこはオレが何か月も掛けて調べたって言うのに、いくら探しても何も見つからなかった。あの大書庫には隠し部屋なんて、どこにも無かったはずなのに――」

 

 天を仰ぎ、やれやれとばかりに肩をすくめてみせる。

 

「ふらふらっと立ち寄っただけの「むしょく」のお嬢ちゃんに、まんまと先を越されちまったってワケか。……はは。参ったな、こりゃ」

 

 ボクはなんだか申し訳ない気持ちで一杯になり、正座したむしろの上で縮こまってしまった。

 

「しかし……お前も、これまでたった独りで大変だったんだな。一人旅は、つらかっただろ?」

「えっ?」

 

 ボクは、きょとんとした。

 

「いや、な。お前がどこからやって来たのかは知らねえし、聞かねえが……「むしょく」の人間は、呪文や特技を一切覚えないって聞いたことがあったからな。そんな華奢なナリで、よくダーマ領にまで辿り着いたと思ったんだ。少なくとも、オレにはマネできそうにねえ」

 

 彼の言葉には嘘偽りがない、心の底からの言葉に聞こえたからだ。

 この人は見ず知らずのボクのことを、心配してくれているらしい。胸にじんわりとしたものが染み渡るのを覚えた。

 

「さっきの言葉を、訂正する。オレは、お前の話を信じることにするぜ」

 

 青年が口元を、ふっと緩めた。きつめだった眼差しもまた和らぐ。

 

「……その、根掘り葉掘り聞いて、わるかったな? オレも「ダーマの禁書」には少し思うところがあってな、いや、実はオレもそいつを手に入れようと躍起になっていたんだ。そのせいでお前に、つらく当たっちまった。ただの、八つ当たりだな。その……自分でも大人げなかったと思ってるんだ」

「そう、だったんですか……」

 

 「ダーマの禁書」は、“大いなる深淵のチカラ”を秘めし伝説の秘宝。

 その大秘宝をどうしても入手しなければならない深い事情が、この青年にはあったのかもしれない。なんだか居心地が悪くなったボクは組んでいた足を意味もなく組み替えたのだった。

 

「あのな、お前が気にする必要はねえだろ?」

 

 青年が片眉を持ち上げた。ちょっと困った表情になっている。

 

「これはオレの……オレ()()だけの問題なんだ。過ぎ去った時は二度と戻らねえって言うしな、オレも「ダーマの禁書」のことはすっぱり諦めることにするつもりだ。……別のアテが無いわけじゃねえしな」

「はい」

「だがな――」

 

 青年が、ぽつりとつぶやいた。苦虫を噛み潰したような顔で、ボクではない別の誰かを睨みつけたようにも見えた。

 

「よりにもよって、あのアントリアに目を付けられたとはな。こいつは冗談抜きでヤベえかもしれねえぞ」

「あの。それは、どういう意味なんですか? あなたの話を伺っている限りでは、アントリア大神官さまには、あまり良い心証では無いように思えるのですが……?」

 

 青年が端正な顔を少し歪めた。

 

「その様子だと、お前はここの内情をよく知らねえみたいだな」独り言のように、小声で付け足す。「いや、ここの連中も似たり寄ったりか」

 

 ボクは疑問符を浮かべた。渋面の青年が言葉を継ぐ。

 

「あいつはな、ああ見えて悪党も悪党……天下一品の大悪党なんだ。それこそ……あいつにまんまと濡れ衣を着せられちまったお前なんて目じゃない程にな」

「はへ? ……アントリアさまが、ですか?」

 

 ボクは首をひねった。あの清廉潔白なダーマ大神官には相応しくない言葉に思えたのだ。

 

「ああ。実はあいつにはな――」青年が何かを言いかけ、口を噤む。口元に人差し指を押し当てる。「――誰か来る。この続きは後だ」

 

 ボクは、こくりと頷いた。

 

 ……ボクたちがいる独房のほうへと、誰かが近づいているようだ。ボクは襤褸(ぼろ)切れのような薄い毛布を頭から被ると、粗末なむしろの上に寝転がった。冷たい石床に耳を押し当てると、複数の足音が反響しているのがわかった。

 

 やがて足音が、ボクと青年がいる地下牢の前で止まった。頭に被っていた毛布を少しだけズラし、鉄格子の向こう側をそっと確認する。

 

 兵士だ。数は二人。片方は長剣、もう一方は短杖(「スティック」と呼ぶらしい)と丸い盾で武装し、さらに揃って赤い外套付きの全身鎧を着用している。その胸元に刻まれているのはダーマ神殿の紋章――叡智を示す法典と、正義を象徴する天秤。

 

 彼らはダーマ大神官直属の騎士団――ダーマ親衛隊の兵士たちだ。ダーマ神殿に仕える神官であると同時に武威を行使できる、ダーマ神殿では唯一無二といえる武闘派集団である。ダーマ神官が人々に職業を授け、新しい道を切り開く手助けをしてくれるが、ダーマ親衛隊はその鍛え抜かれた武力で以て神殿内外の秩序を保っていると聞いた。

 

 だけど――聞いている話と食い違う点もある。

 

 彼らの顔立ちであり、纏う雰囲気だ。品行方正・清廉潔白を()とするダーマ親衛隊のイメージとは逸脱しており、そこら辺のチンピラか何かのような粗暴さを感じさせる。少なくとも秩序と正義を胸に抱く騎士には見えない。ふたりとも暴力慣れしている匂いを纏っている、というべきか。そして、拷問官特有の優越感にも似た、あまり好ましくない雰囲気が備わっている。

 

 彼らがボクと青年の独房を交互に見下ろし、下卑(げび)た笑い声をあげているのが何よりの証拠である。隠しきれない嘲りの念がそこにはあった。

 

 ボクは強い疑念を覚えた。……彼らは本当に、ダーマ神官を兼任している大神官お抱えの親衛隊なのだろうか?

 

「出ろ」

 

 ダーマ親衛隊の兵士たちのお目当てはボクではなく、青年のほうらしい。腰に長剣を帯びたほうが懐から鍵束を取り出すと、そのうちの一本を鉄格子に取り付けられていた南京錠に突き刺した。カチャンという乾いた音ともに錠前が外れ、鉄格子の扉が開く。

 

「なんだ、その挑戦的な目は? また痛い目を見たいようだな」

 

 扉が開け放たれてもなお独房内に佇んでいる青年へ、兵士たちがドスの利いた声音を吐き出す。これではどちらがチンピラなのか、わかったものではない。

 

「とっとと出ろ」

 

 二度目の警告。青年が、のそりと歩き始めた。独房の外に出ると、ボクの独房を一瞥(いちべつ)する。その青く澄んだ眼差しからは、何も読み取れない。そして、青年はボクから視線を外した。

 

「両手を出せ。早くしろ」

 

 兵士たちが青年の両手両足に金属製の枷をはめた。彼の右足に嵌められた足枷は長い鎖付きで、その先端には冗談みたいにバカでかい鉄球が繋がっている。脱走を防ぐための拘束具だ。

 

「ほら、さっさと歩け」

 

 スティックの兵士が青年の肩を小突く。かなりの勢いと力に任せた、殴打めいた一撃だった。そのせいで少しだけ彼の体勢が崩れた。だが何も言わず、口元をきつく引き結んだままバランスを崩した身体を戻す。

 ふたりの兵士たちは面白くなかったのか、顔を見合わせると嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「今日は、たっぷり可愛がってやるからな。覚悟しておけよ」

「ふん。ゾッとしねえな」

 

 青年が、鼻で笑った。彼らの戯言など気にも留めていない、といった風情だった。たちまち、兵士たちの顔に朱が差す。

 

「っ! ほら、行くぞッ!」

「今日は忘れられねえ一日にしてやるぜ!」

 

 顔を歪め、口々に叫ぶ兵士たち。粗暴な兵士たちに両脇を固められた青年は無言で歩き始めた。

 

「だいじょうぶかな、あの人……」

 

 ボクの不安は、数時間後に的中することになる。

 

 

      ●

 

 

 ……誰かが、来る。青年の帰りを待ち続け、いつの間にか微睡(まどろ)んでいたボクは飛び起きた。毛布代わりの襤褸(ぼろ)切れを頭から被り、廊下に背を向けて丸くなる。息を潜める。

 

「早く入れ」

「――――ぐっ」

 

 横柄な命令口調。くぐもった声。ドンと何かを突き飛ばす鈍い音と、何かが固い床に転がる音。ガシャンという音。下卑(げび)た笑い声と二人分の靴音が遠ざかっていく。

 

 ボクは兵士たちがじゅうぶんに遠ざかったのを確認すると、頭に被った毛布を引き剥がし、がばりと起き上がった。鉄格子を握りしめ、小声で叫ぶ。

 

「――だ、だいじょうぶですか!?」

「ああ、こんなのはかすり傷だ――――っ!?」

 

 力なく座り込み、石壁にもたれかかった青年がゲホゲホと咳き込み、ゴボリと何かを吐き出した。とっさに右の手のひらで口元を覆うが、粘っこい赤黒い液体が指の隙間から滴り落ちていく。鉄錆の匂いが離れたところにいるボクのほうまで漂ってきた。

 

 ――間違いない。この人は、内臓をやられている!

 

 目を凝らして見れば、端正な顔立ちには幾つもの青痣や無数の裂傷があった。おそらく、傷は全身に至っているはずだ。拷問の過酷さを物語ると同時に、なんでもないように振る舞う青年の精神力の強さに驚嘆する。

 

 ――いや、今は悠長に感心している場合じゃない。一刻も早く、手当てをしなければ!

 

「だ、誰かッ!? 誰かいませんかッ!」

「ピーピー騒ぐな」

 

 青年が大声を張り上げたボクを制する。その声音は不気味なまでに穏やかだったけど、声の繋ぎ目にか細い呼吸音が漏れている。

 

「――奴らは、来ねえ。だいいち、オレたちみたいな罪人の傷の治療なんてするかよ。今頃、このまま野垂れ死ぬのが都合がいいと酒を飲み交わしながら談笑しているだろうさ」

「そ、そんなっ!?」

「ああ、お前は何も知らねえんだったな。あいつ等はな、このダーマ神殿の暗部そのものだ。ここは、くそったれな連中の巣窟なんだよ。あの上階の賑わいぶりはまやかし、ただの見せかけなんだ」

 

 青年は唾でも吐き捨てるように言った。

 

()()をしていたら、ちょっとドジっちまってな。こいつはその口封じってワケだ。今頃奴らも処刑の手間が省けたと諸手(もろて)で喜んでいる頃だろうさ」

「だ、ダーマ神殿の者たちが!? そんな、まさか……!」

 

 ボクは反射的に反論しようとして、あることが脳裏をかすめた。口から飛び出しかけた言葉を飲み込む。――この地下牢のことを。

 

 この地下牢で生きる者はボクと青年のみ。ボクは職業柄、人の()()()()には敏感な性質だ。長い年月を掛けて磨き抜かれた直感を信用するならば、ボクたち二人以外にも複数――少なくとも四人以上の人間が収容されているはず。

 

 だけど、これまでに一度も他の人たちの声を聞いていない。物音は遠くで鳴り響く静電気のような異音以外はひとつもしない。……生きた人間の気配を、これっぽちも感じない。でも、ただ疲れて眠っているだけだとは考えにくい。

 

 おそらく、他の人たちは――

 

「「まず世界に光ありき。しかして光あるところに必ず闇はある。長き時の果て、再び闇から何者かが現れるであろう」。――創世神話の有名な一節だが、言い得て(みょう)だよな。世界中から遠路はるばる訪れた旅人たちに、職業って名前の光をもたらすはずの神殿の奴らが軒並み腐っちまっているんだから」

 

 自嘲気味につぶやき、口から零れ落ちたドス黒い液体を右の手のひらで拭う。

 

(ど、どうすれば……どうすればいいんだっ!? 考えろ、ボク……!)

 

 ボクは必死の思いで思考を巡らせた。

 助けは来ない。――ならばボクが、このボクが、なんとかしなければ!

 

 ……だけど、どうすれば? そこでボクはピタリと硬直した。

 

 ボクは「むしょく」だ。呪文や特技をなにひとつ覚えられない、稀有な人種だ。ボクは「僧侶」ではない。傷を治すための回復呪文は、唱えることができない。

 

 ボクが元居た世界での魔法は、専用の呪文書(スクロール)が無ければ発動できない。ボクの手元には無い。ダーマ神殿への旅で全て使い切ってしまった。

 そして、アレの製作には特別な材料が必要だ。この世界では――正規の手段では、呪文書(スクロール)の材料は、全て揃えることができないだろう。

 

 だからボクは――青年を、助けることができない。厳然たる事実がボクに告げた。彼は、このまま死ぬのだと。

 

「ぁ、あ……っ」

 

 ボクは喘ぐように息を呑んだ。目の前が真っ黒になりかかる。眩暈もする。呼吸は荒く、人間でいうところの心臓の位置にはめ込まれた白い宝玉がドクンドクンと波打っているのを感じた。――無力な自分を、殴り飛ばしてやりたかった。

 

 ……何時も、こうだ。ボクは何時も目の前の大事な人たちを助けられず、この手のひらから零れ落ちていくのを、指を咥えて見守ることしか、できない。

 

「オレにはな……ちょうどお前ぐらいの年齢の、妹がいたんだ」

 

 打ちひしがれたボクの耳朶(じだ)を弱弱しい声が打つ。その声の正体に気づくのに数拍を要したのは、それまでの声音とは全然違っていたからだった。

 

「も、もう喋らないでください! これ以上喋ったらキズに障ります……!」

「――これが、とんだじゃじゃ馬でな。男勝りだわ、乱暴だわ、大の悪戯好きでおまけに業突(ごうつ)()りときた。オレは、いつもあいつの後始末をさせられる羽目になっちまってな。おかげさまで貧乏くじを引かされっぱなしだったぜ」

 

 ボクの懇願を聞いているのか、聞いていないのか。青年は床に(うずくま)ったまま、己の身体に視線を落とした。

 

「へへ。こんなんじゃ、あいつに……マヤのヤツに笑われちまうな……。世界中のお宝を全部手に入れて、あの伝説の大盗賊を超えるオレたちの夢も、これでおしまいか……」

 

 微苦笑を浮かべ、(ひと)()ちる。

 よく見れば、彼の左腕がピクリとも動いていない。力なく、だらりと垂れ下がっているのみだ。

 

「オレ自慢の利き腕がこんなになっちまったんじゃ、な。これで、「盗賊」稼業ともおさらばしねえといけないな」

「喋らないで、ください……これ以上喋ったら、あなたは――」

「なあ、そこのお尋ね者さんよ」

 

 青年がボクの言葉を、やんわりと遮る。穏やかな眼差しを、ボクのほうに向けていた。

 

「……ミド、です。ボクの名前は、ミドと言います」

 

 ボクは唇を噛みしめ、ようようと名乗るべき名前を絞り出した。そうしなければならないと強く思ったからだった。

 

「ミド。あんたがこの牢獄を万が一にでも出る機会があったら、オレの代わりに行方不明になっちまったマヤを探してくれねえか? あいつは、勝ち気で業突(ごうつ)()りなヤツだけど……それ以上に寂しがり屋なんだ。オレまでいなくなっちまったら、どうなるか……ゴホッゴホッ!」

 

 青年が激しく咳き込み、荒い息を吐き出す。口の端からは血の泡があぶくとなって流れ落ちる。目は虚ろだ。――もう、目が見えないのかもしれない。

 

「…………」

 

 ボクは、元の世界に帰りたい。なにがなんでも、たとえ他人を蹴落としても絶対に帰らなければならない。逼迫した事情が、ボクにはある。だけど、今のボクは――

 

 ボクは、右腕の腕輪にそっと触った。

 

 それでも……ボクは、この人を助けたい。一時(ひととき)でも、見ず知らずのボクのために親身になってくれたこの人を、救いたい。

 どうかどうか。誰でもいい、どこの誰でもいいんだ。どうかボクの願いを聞き届けてください。この前途有望な若者を救うためならば、ボクは悪魔にも……たとえ邪悪なる神々にだって、この魂全てを捧げましょう。この真鍮製の腕輪以外の全てを、捧げてみましょう。

 

「かつてボクの世界をお救い下さった「英雄(ミド)」の名にかけて、我が心身を捧げます。だから――どうかどうか、何卒ボクの願いを聞き届けてください。この青年を助けるための、お力を非力なボクに授けてください……っ!」

 

 ボクは、(こいねが)った。数百年、いや、ざっと千年ぶりに、第三者への祈りを捧げた。だけどボクの声を聞き届ける者はおらず、ただ虚しく地下牢内に反響し――

 

 

ほう。 そのことばに いつわりはないな

 

 

 ボクは、目を大きく見開いた。――()()()()()()? ()()()()()()()()()――!?

 

 

おもしろい にんげんだ。 おれのかいりきで こわしても こわせないなんて

 

いや アトラスよ。 それは ちがうぞ

 

バズズの いうとおり。 せんねんぶんもの としつきを いきながらえている にんげんが ただのにんげんで あるはずがない

 

これは にんげん? それとも おれたちといつしよ?

 

そのどちらでもない。 このものは あまりにも いじようだ。 ――もつとも しんえんのスキルブツクを やどしたのは そのいじようせいの おかげだろうが

 

ベリアルに どういするぜ。 ふうん……いきたしかばね か。 いせかいの にんげんは よくわかんねえな。 あまたのどうほうたちを けおとしてまで せいに しがみつきたいのか?

 

あわれよな

 

あわれ あわれ

 

 

 複数の声が聞こえる。何者かが口々に話している。――ボクを、嘲笑っている。

 

 数は三つ。純粋無垢な野太い声、好戦的な(しゃが)れ声、老獪(ろうかい)さと狡猾(こうかつ)さを備えた流暢な声。

 

 声帯を震わせ、大気を通じて音声を届かせているのではない。鼓膜を打つ(たぐい)のものではない。

 それらの声は、ボクの頭の中に直接響いていた。




ミド
HP ???
MP ???
む:


*「さいしよは ガンを とばされている のではないかと
  みがまえたのは ないしよです。

*「うすぎたない やろうだなと おもつてたら
  まさか おじようちやん だつたとはな。
  ……よそうが はずれたぜ。

*「カミユさん……じやなかつた ひんしになつたかれを
  ボクは たすけることが できるのでしようか?

*「……まあ マヤのなまえも でてるし
  ひだりききの あおがみツンツンあたまの とうぞく
  これで オレじやなかつたら あるいみ おどろきだけどな。


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第四話 死へと導く

おまけに オレたちのチカラを あくりようのかみがみを そのひりきなからだに やどしているとは

 

われわれだけではない。 ――すべてだ。 かつて ひかりにやぶれたものたち。 そのすべてを やどす

 

ダアマのきんしよ。 しんえんのスキルブツク。 アレらに たいこうしうる ゆいいつむにの アイテム

 

 

 三人の何者かが、口々に喋っている。

 

 ただ、肝心の内容についてはよくわからなかった。彼らの言葉は意味ある言葉として上手く認識できなかったのだ。この世界の文字はともかく、話し言葉については問題なく理解できるのに、奇妙なことだ。

 

 ……だけど、ニュアンスならばなんとなくわかる。彼らの言葉は諦観(ていかん)慨嘆(がいたん)嘲弄(ちょうろう)と、そして僅かな――ほんの少しだけ、畏怖(いふ)が込められていた。おそらく、ボクの想像など及びもつかぬ超常的な存在が、何かに(おそ)れを抱いていたのである。

 

 目を丸くしているボクを他所(よそ)に、三人の会話は続いていた。

 

 

――そういや はんぎよじんみたいな きつかいなおんなが なにくわぬかおで まざつているんだが……あれはなんだ?

 

むつうでの もとだいまおうに きいたが あれは ほんのせいさくしやの しゆみらしいぞ

 

……マジかよ。 ふざけているな

 

あのほんじたいが ふざけているからな。 いまさらだ

 

……あいつ きらい。 おれたちを もんどうむようで たたきのめした。 ぼうりよく はんたい

 

せいかくには われわれではなく いせかいのわれわれ だが……。 まあ アトラスに おおむね どういする

 

あいつ ぜつたい あたまがおかしいよな。 ……どこの だれだよ。 あんないかれたおんなに にじゆうもの しよくぎようを さずけたやつは

 

いせかいの てんしよくのかみダアマ。 しよあくのこんげん

 

しかも なんどころしても そのつど よみがえつてくる。 あれぞ りふじんのごんげ。 かつて こりずになんども われわれに たたかいをいどんできた ロトのちをひくわかものたちを おもいだす

 

 

 三つの声は三者三様に嘆息した。何故かはわからないけど、ボクは彼らに同情してしまった。

 

 

――ひかえろ あくりようのかみがみよ

 

 

 また、新しい声が増えた。四人目だ。上に立つ者特有の威厳たっぷりな声である。しかし、その一方で他者を決して信用していないと容易く見て取れた。

 

 ……この声色(こわいろ)には聞き覚えがある。世捨て人の声質(せいしつ)だ。

 

 

ハアゴンの いうとおりだ。 ここは オレたちの でばんではない

 

わたしも おなじものを つかえるが……

 

しんえんのスキルブツク そのせいとうな しよゆうしやよ。 いまこそ でんせつの はかいしん シドウのなを よぶのだ

 

しをみちびく ひかり。 すべてに はかいを よぶもの

 

 

 ボクは、目を見開いた。――ボクの目の前に、何かが滲み出るようにして浮かび上がってきたのだ。

 

 

ま せいぜい がんばりな。 オレは あのときみたいに あばれまわれるひが くるのを おまえのなかで たのしみにしているぜ

 

さよなら

 

われわれのチカラ こむすめごときに あつかいきれるとは おもえぬがな……

 

わたしはこんどこそ このせかいが はかいしつくされるさまを おまえのなかで みとどけるとしよう

 

 

 四つの声が思い思いに届く。

 それきり、頭に直接響く声は聞こえなくなった。

 

 

「い、今のは……いったい!? ()()()()()()()()()()()()()()()()――!?」

 

 ボクは激しく狼狽(ろうばい)した。

 

「身勝手な頼みだとはわかっている。だけど、今のオレにはお前以外に頼るヤツがいないんだ」

 

 青年が、穏やかな口調で言った。

 彼がボクの慌てふためきようを把握できているのかは、あやしい。すでに呼吸が途絶えつつあるからだ。おそらく、もう時間が残されていない。

 

 ボクは驚愕を無理やり飲み込み、今は彼の安否だけを考えることにした。あの声の持ち主たちについては後で考えれば済むことだからだ。

 

「はい。わかりました。でも――」ボクは、言った。力強く、安心させるように。言葉ひとつひとつに想いを乗せて言い切る。「あなたはいなくなりません。ボクが、絶対に助けます」

 

 すっくと立ちあがる。深呼吸をする。静かに呼気を吐く。両手を掲げた。

 

死へと導く滅びの光よ。今こそ大いなる癒しをもたらす曙光(しょこう)となりて、この者の傷を余すところなく癒せ

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして、ボクは()()を高らかに唱えた。

 

「――《ベホマ》!」

 

 ボクが掲げた両の手のひらに暖かな緑色(りょくしょく)の光が生まれた。それは空中を伝い、青年の傷ついた身体へと注がれてゆく。

 

 効果は劇的だった。青年の全身に刻まれていた擦過傷(さっかしょう)や裂傷、打撲などの外傷が瞬きもせずに塞がった。折れた肋骨は瞬く間に元通りになり、深刻なダメージを負っていた内臓もまた健全な状態へと修復されていく。弱弱しかった呼吸音も今や規則正しいリズムを刻み始め、苦悶の表情も和らぐ。

 

 ボクはこの超常的な現象を、知っている。この世界に転移した時、()の当たりにしたからだ。

 これは、復元呪文《ベホマ》。死に瀕した者ですらたちどころに癒し、四肢の欠損部位を復元して元通りにしてしまう。「僧侶」などの癒しを得手とする職業だけが修めることを許された、この世界における最上位の回復呪文である。

 

「やった、できた! ボクにも呪文の詠唱ができましたっ!!」

「なっ!? これ、は―――?」

 

 青年が、驚嘆の声をあげた。土気色だった頬には赤みが差している。肩甲骨を粉砕骨折したせいで力なく垂れ下がっていた左手の指先も、滑らかに動く。青年は両の手のひらを何度も開閉し、手足を軽く動かした。

 

 彼の口から乾いた笑い声が漏れた。

 

「はは……マジか。何もかも全部、元通りに治っていやがる……。あれだけのキズが、全部……」

 

 青年が五体満足な身体を、ただ呆然と見下ろす。

 次に彼は、頬を上気させて喝采を上げていたボクを怪訝そうな表情で眺めやった。あれほど青痣だらけだった顔も、すっかり元通りだった。

 

「……なあミド。お前は、たしか「むしょく」だったよな?」

「はい。そうですっ!」

 

 ボクの声は少し上擦っていた。慌てて誤魔化すために、ぶんぶんと両手を振った。

 

「あ、こ、これはですね……! べ、べつにこの世界の呪文を、初めて発現できたので興奮しているからじゃないですよ!? 本当ですよ!?」

「ああ、知っているよ」

 

 青年が微苦笑する。ボクはいたたまれなくなって、腫れぼったい頬をむにむにと揉んだ。

 

「話を戻すぜ。なら――お前は、どうして《ベホマ》を唱えることができたんだ? あれは高位の「僧侶」か、「賢者」さまみたいな癒しのスペシャリストじゃないと習得できない呪文のはずだろ?」

 

 ボクは後頭部を掻いた。

 

「えっとですね……信じてもらえないかもしれませんが。ボク、おでこの辺りに集中すると、不思議な文字列が浮き出るようになったみたいなんです」

「文字列……もしかして、スキルのことか?」

 

 青年の眉間に、ますます皺が寄る。彼は口元に手をやり、そこが血塗れなのに気づいて顔をしかめた。指ぬきグローブに包まれた手の甲で口元を拭う。手の甲にどす黒い血がべったりと付いたことに、「げっ」と小さく声をあげた。

 

 この世界の回復魔法は魔物との戦闘などで負った外傷を瞬時に治すが、決して万能などではない。病気は治せないし、すでに流れ落ちた血は補填できないのだ。

 

 青年は血が流れ過ぎたせいか、少しだけ青ざめた顔をボクに向けた。

 

「なあ、ミド。お前は「ダーマの禁書」に触れた……いや、お前の言う黒い本を覗き込んだ時、きっと何かを見たはずだ。いや、感じた……か? とにかく、なんでもいい。そこにお前が《ベホマ》を使えた手掛かりが、きっとあるはずだ」

 

 ボクは、あっと声をあげた。

 

「あ! そう言えば……無数の文字列が、ボクの頭の中に流れ込んでくるような不思議な光景を見ました。あれはたぶん、本に書かれてあった知識か何かじゃないかと思うのですが……」

「ふうん。たとえば、どんなのだ?」

「どんなの、って言われても……」

 

《はげしいほのお》《ベホマ》《闇のころも》《いてつくはどう》《めいそう》《あやしいひとみ》《いてつく冷気》《流星》《ジゴスパーク》《冥界の門》《神速メラガイアー》《天地破砕》《アポカリプスエンド》《連続魔瘴弾》《ダークブレイク》《終末の炎》《必殺の一撃》《ギガスロー》《鬼眼解放》《ひょうが》《アビスモ・デ・クレシェンテ》《あやしいひとみ》《祈り》《ドラゴンビート》《霜白の氷塊》《ダークシャウト》《海冥の威圧》《大地の爪牙》《ブラッドウェーブ》《おぞましき禍唱》《神速の空間》《ファントムボール》《セレブリティゾーン》

 

 おでこの辺りに意識を集中すると、無数の文字列が浮かぶ。

 

 でも、本当に文字列のみだ。そのうちの幾つかを意識して見つめていると、空中から滲み出るようにして新しい文章が別に浮かび上がってくる。これはボクが《ベホマ》を唱えた時の詠唱文のようなものだろうか。

 

 ――だが、それ以外は特に何も起きない。そして、ただ目の前に浮かぶ文字列を読んだだけでは、それらが意味するところはいまいち判然としなかった。そういう認識阻害の(まじな)いか何かが掛けられているかのように。

 

 ボクはそのうちのひとつを拾い上げると、声に出して読み上げた。

 

「あの。――《闇のころも》って、なんですか?」

「いや、オレに聞かれてもな」

「そ、そうですよね、ごめんなさい……」

 

 真顔で切り返されてしまい、しゅんと項垂(うなだ)れる。

 

「謝る必要はねえよ。――ったく、お前と話をしていると、こっちの調子が狂っちまうぜ」

 

 青年が額に垂れた前髪の一房をかき上げ、小さく吐息をついた。

 

「えっと、実はですね。先ほどの《ベホマ》も、あなたの傷を癒さなきゃいけないと強く願ったら、いきなり《ベホマ》の文字列が詠唱文らしきものと同時にポンとあらわれたんです」

 

 ひとまず、あの謎の声――あるいは念話――については伏せることにした。

 

「これはボクが知り合った旅の「占い師」さん――ミネアさんという方なんですが、その方に教えていただいた呪文の中に、回復呪文ホイミ系の上位呪文として名前があったのを思い出したんです。……その、出たとこ勝負で、ちょっと唱えてみたってわけですね。はは」

「はは、じゃないだろ。……でも、おかげでオレは助かった。この通り、礼を言うぜ」

 

 微苦笑する青年。なんだかむずがゆい思いを抱いたボクは、頬をほんのりと赤らめた。

 

「それはそうと文字列か。たぶん、そいつはスキルだな」

「スキル、ですか」

 

 ――聞いたことはある。いや、ボクも一度は手に入れようとしたものだ。

 

 この世界には、『スキル』と呼ばれる不思議なチカラがある。このスキルとは「その人がその人たらしめるための系統樹」の総称――らしい。

 ボクたちの心に浮かび上がる系統樹のイメージを読み解けば、様々な呪文や特技が習得可能だ。時には身体能力や魔力といった自分の能力を恒常的に向上させる『常時発動型技能(パッシブスキル)』を覚えることもできる。

 

 これらスキルは形あるものではない。決して目には見えないけれど、認知するのは容易い。この世界では人里に必ずひとつはある教会に行けば、個々人が習得しているスキル――より厳密にいえば、『スキルライン』や『スキルパネル』の二種類に分岐するらしい――について詳細を教えてもらえるからだ。

 

 といっても、スキルは「むしょく」のボクには無縁の存在だ。「むしょく」の人間には、一切のスキルが発現しないとされているのである。念のためにボクも教会で確かめたことがあるけど、ボクのスキルは「真っ白」――つまり未習得状態だった。

 

 その証拠に、ボクはちょっと前までは――あの隠し部屋で「ダーマの禁書」を発見するまでは、初歩の呪文や簡単な特技ですら、一度も上手く発動しなかったのである。幾つかの呪文を見よう見まねで唱えたこともあったけど、結局どれもダメで、火炎呪文の初級である《メラ》もマッチ程度の火すら満足に灯せなかったほどだった。

 

(呪文の仕組みはミネアさんのお姉さん……閃熱呪文や爆発呪文の使い手だったマーニャさんに教えてもらったけど、てんでダメだったんだよなあ……)

 

 でも、これは仕方がないのかもしれない。ボクの世界では魔法はともかく、特技に類する戦闘技術は確認されていない。達人級の剣士や熟練した武芸者も、そういった魔法めいた技能を習得した例は過去になかったはずだ。

 さらに魔法も専用の呪文書(スクロール)が無ければ、仮にどれほど優秀な魔術師――魔法を専門に扱う職種。この世界でいうところの魔道士、つまり「魔法使い」に当たる――であったとしても絶対に発現しない。

 もっとも、その生態が異なる法則に基づく魔物たちは、この限りではないが。

 

 ……とまぁ、そういう経緯もあって、スキルは異世界人で「むしょく」のボクにとってみれば未知の技能といえるのだった。

 

「ボクが、スキルを……本当に?」

「なんだそりゃ。《ベホマ》を唱えた本人が半信半疑なのか?」

「はい。お恥ずかしながら……」

 

 ボクはまたしても頬を赤らめ、後頭部をぽりぽりと掻いた。青年が難しい顔で考え込む。

 

「……まあ、それも無理はないかもしれねえな。スキルはオレたち人間に呪文や特技を授けてくれる、精霊神ルビスやマスタードラゴンを始めとした天上に座する神々からの贈り物だ。然るべき職業に就かないと、まず身に付かないとされていたが……」

 

 そこで彼がボクの顔を見つめた。

 

「もしかしたらスキルの無条件習得が、あの「ダーマの禁書」に秘められていた“大いなる深淵のチカラ”の正体なのかもしれないな。……こいつは、たしかに世紀の大発見だな」

 

 最後の言葉は、独り言のように紡がれた。

 

「無条件、習得……。このボクが、この世界のスキルを――」

 

 青年の言葉を口の中で反芻(はんすう)し、ボクは微妙な顔つきになった。手放しでは喜べない理由があったからだ。

 

「なるほど、()()()()()()()()ですか……。でも、それにしては……」

「うん? なんだ、歯切れが悪いな?」

 

 ボクは少し躊躇(ためら)ったけれど、(いぶか)しむ青年に答えた。

 

「それって……光と秩序を司る善なる神々のほうではなくて、()()()()()()()()()()()()……邪神の(たぐい)だったりしませんか? なんだか頭に浮かんできた文字列をざっと読んでいると、そういう感じのものばかりが、ズラっと並んでいるみたいなんですが……」

「…………マジかよ? それ、見間違いとかじゃねえよな?」

「マジみたいです」

 

 しばし、ボクたちの間に微妙な沈黙が流れた。

 

 《祈り》《いのる》《召喚》《魔力回復》それに《仲間呼び》。この辺はなんとなく理解できる。

 ただ、「何かを呼び出す」意味が含まれていると思しき文字列は、なんと数十個近くも並んでいた。その内容に差があるかもしれないが、しかし、パッと見ただけでは見分けが全然つかなかった。

 

 《はらわたをえぐる》《食べる》

 前者の意味はなんとなくわかるけど……《食べる》って、何を食べるんだろう? その近くには《吐き出す》なんて汚い文字列もある。

 

 《触手れんだ》《しょくしゅ》《テールスイング》《死グモのトゲ》《フェザースコール》《第三の目》《鬼眼解放》

 ……うん、物の見事にボクにはない生体器官ばかりだ。いったい、ボクにどうしろというのか。

 また、《はげしいほのお》を筆頭とした吐息(ブレス)系スキルも大量に含まれているようだ。ボクの肉体は人間と殆ど変わらないのだから、当然のように魔物みたいに口から炎や氷を吐いたりはできない。

 

 《レーザー》《スーパーレーザー》《ミサイル》《ダークミサイル》《エレキテルマイン》《火炎放射》

 この辺はボクには馴染みのある言葉だけど、この世界の文明度合いを考慮すると逸脱していると言わざるを得ない。

 

 《異種再生》《分身》《ミラーリング》《死出の影法師》《邪菌増殖》《きのこを食べる》《肉片飛ばし》

 よくわからないけど、この辺は絶対に使ったらダメな気がする。特に最初と最後のやつ。

 

 《ぱふぱふ》《セクシービーム》《テンプテーション》のような、そっち系の文字列も意外と多い。

 これでボクに色仕掛けをしろ、ということだろうか。でも、なんだか大事なものを捨ててしまう気がするので全力で却下だ。

 

 《芸術スペシャル》《イケメンはどこよ!》《雪だるま》《パンパカパーン》

 こういった愉快な文字列も沢山あった。ピンクな香りがする文字列もそうだけど、あの本の製作者のシュミなんだろうか?

 

 ……正直なところ、殆どの文字列は意味がよく分からないものばかりだ。おまけに大多数は邪悪な香りが漂ってきそうな、なんだかヤバそうな感じがするものが占めている。天が裂け、地を割り、海を干上がらせる。恐ろしい瘴気が充満し、生きとし生ける者が死に絶える……なんて深刻な事態に結びつきそうな気がしてならない。

 特に《終末の炎》とか《アポカリプスエンド》とか《ドルオーラ》とか《ひょうが》とか《エターナル・ドラゴニック・フレア》とか。その辺は絶対に唱えちゃいけない(たぐい)のものだと思う。

 

「まあ、その……なんだ? “禁書”と名がつくものなんだ、闇と混沌を司る悪しき神々のチカラが宿っていたとしても、おかしくはないよな。それに瀕死の重傷を負ったオレを治してくれたのは、そいつのおかげなんだ。使い方を間違いさえしなければ、オレたちに恩恵を与えてくれるんじゃないか?」

 

 青年は言葉を選びつつ、ボクのことを慰めてくれた。彼の親切心が身に染みる。

 

「ミド。命の恩人であるあんたに、こんなことを言うのは心苦しいが……頼む。さっきのことは、すっぱりと忘れてくれないか」

 

 ――さっきのこと? ボクは目を(しばた)かせた。

 

「……いや、な」

 

 青年が口ごもった様子で、ぼそぼそとつぶやく。

 

「さっきの情けねえ独白を、全部聞いちまっただろ?」

「ああ、ここを出たら行方不明になったマヤさんのことを探さないとですね。ボクも及ばずながら協力しますよ」

 

 ボクはポンと手と手を打ち鳴らした。

 

「っ!」青年が目を大きく見開く。がばりと身を乗り出し、慌てふためいた様子で叫んだ。「――そ、それだ! いいか、一刻も早く忘れろ! なにがなんでも忘れてくれ! この通りだっ! どうか頼むッ」

 

「……あっ、はい」

 

 青年の剣幕に少し面食らいつつも、ボクは頷いた。

 

 彼の意外な一面を垣間見てしまったようで、ちょっとした背徳感がボクを襲う。彼の言う通り、すっぱりと忘れたほうが無難かもしれないが……正直なところ、彼の妹さんのことも気掛かりではあった。忘れるか忘れまいかとジレンマに悩むところが、赤面した青年がボクを睨みつけるようにして凝視しているので、今のところは忘れることにしておく。

 

「えっと……話を戻しますが、ボクは「ダーマの禁書」を盗んだわけではありません。あれは、不幸な事故だったんです」

 

「ああ。そうみたいだな」青年が、頷く。先ほどの慌てぶりが嘘のような、落ち着き払った態度だった。おそらく、こちらが彼の素なのだろう。「お前みたいな裏表のなさそうなヤツが、嘘偽りを言っているはずもないしな」

 

 ――()()()。ボクは、あなたが思っているような清廉潔白なモノではありませんよ。ボクは(うち)から込み上げてきた言葉を辛うじて飲み込んだ。

 

「面倒ごとに巻き込まれちまって、お前も大変だな。命を救ってくれた礼もしたいし、オレもお前の役に立ちたいとは思っているんだが……」

 

 そう言って、彼は行く手を阻む鉄格子を睨みつけた。ボクは、頭をふるふると振った。

 

「いいえ、そのお気持ちだけでじゅうぶんです。ダーマ神官たちに事情を洗いざらい白状して、誠心誠意を込めて謝ろうと思っています。ボクが取り込んだ「ダーマの禁書」についても、アントリアさまならばボクから切り離す方法を御存知かもしれませんし……」

「いや、そいつは止めたほうがいいぜ」

「え?」

 

 バッサリと切り捨てた青年に、ボクは目を(しばた)かせた。

 

「そのことをお前に打ち明けようとしたんだが、その前にあいつ等の横槍が入っちまってな。――いいか? これからオレが喋ることを、よく聞いてくれ」

 

 青年が声を潜めて、言った。

 

「実はな、あのダーマ大神官アントリアにはきな臭い噂話が絶えねえんだ。魔族との接点を持っている、とな。……オレは、他ならぬあいつ自身が魔族、しかも位の高い上級魔族じゃないかと睨んでいる」

「ええ? ま――まさか!?」

 

 ボクは、天地がひっくり返ったような強い衝撃を受けた。

 

 ボクはこの世界に来て日がまだ浅いけれど、魔族の脅威は方々(ほうぼう)で聞き及んでいる。

 彼らは魔物の上位種。この世界とは次元を隔てた異世界――地の底にあるとされる魔界よりやって来て、地上に屍山血河(しざんけつが)を築きあげるのを最たる悦びとする、闇と混沌の神々の熱狂的な信奉者たち。

 それが、「魔族」と呼ばれる種族なのだ。根本的な精神構造が大きく異なるゆえに、青年のような人間たち――人族とは決して相容れぬ隣人とされている。

 

()()()()()()()()()()()()、この世界の魔族はオレたちみたいな人族のことなんて、家畜の餌くらいにしか思っちゃいねえ、血も涙もない連中だ。そんな奴に、本当のことをバカ正直に言ってみろ。――お前、間違いなく悲惨な目に遭わされるぞ」

「そ、そんなぁ……!?」

 

 ボクは情けない悲鳴を上げた。

 

「――ああ、予め言っとくが。お前が身の潔白を証明するために、別のダーマ大神官に事情を一切合切打ち明けたところで無駄骨になると思うぜ」

 

 ボクはどうして、とは言わなかった。薄々、言葉の先を容易く予測できたためだ。そして、その予想は的中する。

 

「あのアントリアに揉み消されちまうのが関の山だからな。どう足掻いてもお前の容疑は、絶対に晴れねえ。最初から、そういうふうに用意周到に仕組まれていやがるんだ。それこそ、あいつが大神官の座に就いている限りはな」

 

 青年が、チラリと隣の独房を一瞥(いちべつ)した。

 

「現にあいつの手で闇に葬られちまった大神官も、これまでに何人かいるみたいだからな。

……もしかしたらお前も気づいているかもしれねえが、オレたちの先客だった奴らは揃いも揃って棺桶の中だぜ」

「アントリア、さまが……。じゃあ、あの時の冷たい眼差しは……」

 

 あの時のアントリアさまに嘲笑めいた匂いを感じ取ったのは、ボクの気のせいではなかったのかもしれない。

 

「――なんてことだ」ボクは慨嘆した。「こんな神聖な場所に、魔族が何食わぬ顔で紛れ込んでいるなんて……」

 

「灯台下暗し、だな。この世界じゃ絶対的な職業を授けるダーマ神殿、その中枢部に、魔族がまんまと入り込んでやがるとは。オレも、これっぽちも思ってもみなかったぜ」

 

 そう言って、青年が肩をすくめてみせた。ボクは、ふと疑問に思った。

 

「あなたは、どうしてそれを……?」

「ちょっと、な。まあ、そんなことはどうだっていい。――お前は、これからどうするんだ?」

「ボクは――」

 

 ボクは右の手首に嵌っている腕輪を、そっと触った。

 

 なんの変哲もない、真鍮製の装身具。千年以上続くボクの家に代々伝わる由緒正しい品物で、当主の証である。――この腕輪に触っていると、気持ちが落ち着く。いや、ただの気休めかもしれないけれど。

 

(ボクはなんとしてでも、元の世界に帰らなければならない。それだけが、ボクの存在意義なんだから。向こうでボクの帰りを今か今かと待ちわびている彼らのために。そして、この腕輪をあの方のもとに還さなければならないんだ。そうしなければ、ボクの世界は――)

 

 そう自分自身に、言い聞かせる。戒めるために。逃れえぬ運命を、改めて自覚するために。

 

(……まさかこのボクが、指名手配犯になるなんて。()()()をしてみるものだな)

 

 めでたく、ボクはこの世界に反逆する大悪党として指名手配を受けたわけだ。しかし、その濡れ衣を晴らすのは、ひとまず保留にしなければならない。

 

 素早く、ダーマ地方の地図を頭の中で思い描く。ダーマ神殿はこの世界でも屈指の大瀑布(だいばくふ)を望む、断崖絶壁の上に建てられている。必然、出入り口は限られてくる。

 おそらく、神殿の出入り口近辺は兵士たちがガッチリと固めているだろう。ボクの事情を知らない無辜(むこ)の民たち――参拝客や旅人と鉢合わせをする危険性もあるし、彼らに紛れて外に出るのは……ダメだ。

 

 衆目(しゅうもく)の前で万年「むしょく」の烙印を押されたボクは有名人のはず。ただでさえ人目に付きやすい。ボクだとわからないように変装をしたら大丈夫かもしれないが……それにしたってそれ相応の小道具が入用(いりよう)になる。

 裏口か、地下道か。いずれにせよ、この地下牢を脱出しなければ何も始まらないだろう。

 

「……ふうん。その感じだと、お前も覚悟を決めたくちだな?」

 

 青年が目を細めた。へえ、と感心した様子で笑みを浮かべる。

 

「はい。ボクは、このまま座して死を待つつもりはありません。やらなければならないことがあるんです」

「じゃあオレに任せておけ」

 

 神妙に頷いたボクに、青年が言った。少しだけ声を潜め、言葉を()ぐ。

 

「実はな……この地下牢がある区画は上階のダーマ神殿とは隔離された、まるきりの別空間にあるんだ。特殊な転移装置が無ければ神殿内部とは絶対に行き来できない、面倒な仕組みになっているらしい。でもって、アントリアみたいな高位の神官でなければ、その『旅の扉』がある部屋には立ち入れねえんだと」

「え、では……ここからは脱出できないのですか?」

()()()()()じゃ、そうだろうな」

 

 青年が口の端を吊り上げ、不敵に笑った。

 

「オレに任せておけ、って言っただろ? ……なあに、お前の悪いようにはしねえさ」

「どうして、あなたはそこまでボクのことを――?」

 

 ボクはそう言いかけ、慌てて口を噤んだ。――()()だ。何者かがボクたちのいる地下牢へと近づいている。

 

「――――」

 

 青年が無言でボクに目配せした。ボクは襤褸(ぼろ)切れも同然の薄い毛布に(くる)まり、息を潜めた。青年が身じろぎをした音がわずかに聞こえたが、すぐに止んだ。

 

 地下牢を訪れたのは、あのダーマ大神官直属の親衛隊たちだ。

 数は二人。うち一人は見覚えのある顔――腰に長剣を帯びた、あの品のない兵士。もうひとりは新顔で、腰にはスティックではなく、代わりに凶悪なトゲ付きの金棒――片手持ちのハンマーを吊るしていた。

 

「出ろ」

 

 長剣を帯びた兵士が独房の中のボクを見下ろし、嘲りの笑みを浮かべた。……どうやら、今度はボクの出番らしい。重たい足を引き摺って、独房を出る。

 

 青年が収容されていた独房をチラリと見た。粗末な藁のベッドには毛布が被せられていて、ちょうど大人一人分の膨らみがあった。兵士たちをやり過ごすために息を潜めているのか、青年は微動だにしない。

 

「ふん。アイツめ、やっとくたばったか」

「アントリアさまの逆鱗に触れた報いだぜ。後で最高級品の死体袋に押し込んでやらないとな」

 

 兵士たちが嘲笑う。ボクは、そっと安堵の吐息をついた。――たぶん、あの人は上手くやってくれるはずだ。

 

「手を右から順番に出せ。両手が済んだら、両足もだ」

 

 言われるがままにする。ハンマーを装備したほうの兵士が、ボクの両手両足にズタ袋から取り出した鋼鉄製の枷を手際よくはめた。青年を連行した時と同じものらしい。

 右足の枷は長い鎖付きで、その先端には重たい鉄球が繋がっている。そのずっしりとした重さが、脱走する気力を萎えさせるのに一役買っていた。鉄球の重さに顔を顰める。

 

「早くしろ」

 

 そう言って、肩を乱暴に小突(こづ)かれた。

 もともとボクは体力がなく、ろくに体を鍛えてもいない。おまけに今は体格に劣る女の子になっている。ぐらりと身体がよろめき、その拍子に鉄球の重量が右足首に食い込み、前につんのめりそうになった。

 

「なにをしているんだ、間抜け。ほら、さっさと歩け」

「……おい、止めておけ。ボロ雑巾みたいな恰好をしているイイとこの出のお嬢ちゃんだからな、くれぐれも丁重に扱えよ?」

「くくく……ああ、そうだったな」

 

 兵士たちが下品な笑い声をあげる。恥辱に頬が歪みかけるのを、ぐっと我慢した。青年は、耐え抜いたのだから。

 

(――ありがとうございました、どうかお元気で)

 

 ボクは心の中だけで彼に感謝の言葉を述べた。

 

「…………」

 

 兵士たちに連行されている最中、他の独房をチラリと見た。

 

 その殆どはもぬけの殻だったが、幾つかの独房には物言わぬ屍が床に座り込んでいたり、倒れ伏していたりした。どの屍にも手枷と足枷があり、その脇にはボクに取り付けられた鎖付き鉄球が無造作に転がっていた。

 美しい刺繍をした法衣を羽織り、サークレットを身に着けた彼らの出自は容易に推測できる。ただし、肉も皮も腐敗し、肉体を構成する要素がこそげ落ちた白い髑髏からは今際(いまわ)の表情は窺い知れなかった。

 

(……なんだ? あの独房だけ、結界のようなものが張られているぞ?)

 

 地下牢の入口に最も近い独房の前を通りがかった時、ボクは疑問符を浮かべた。その独房を守るように鎮座していたのは、高い天井に擦れるほどの高さの青い四角錐であった。それは薄暗がりに沈む地下牢にあって異彩を放っていた。

 

 バチバチと音を立てて静電気を発する青い四角錐は、何かを中に閉じ込めるための結界装置ではないかと推測される。ボクが元居た世界でも、そういう(たぐい)の装置を何度か目にしたことがあったからだ。

 

 しかし、今は連行される身の上。じっくりと独房内を観察する暇はなく、すぐに視界から消えてしまった。

 

 

      ●

 

 

 ――地下牢に入る。お尋ね者になる。世界の反逆者、生死不問の大罪人として扱われる。だからこうなることは、とっくの昔に予測していたつもりだった。

 

 ……わかっていた、つもりなんだ。

 

「へへっ。お嬢ちゃん、よく見たらけっこうイイ身体をしているなぁ」

 

 欲情に満ち溢れた六つの眼差しが、ボクの肢体を射抜いていた。




ミド
HP ???
MP ???
む:


*「むつうでの もとだいまおう つてなんだよ。
  いせかいの だいまおうは いんたい できちまうのか?

*「いんたい というか だいがわりを しているので
  せんだいだいまおうと なつた というべきでしようか。

*「ふうん。 みようなせかいも あつたモンだぜ。

*「ちなみに こうにんの とうだいだいまおうは
  じこくりようで キラキラマラソンを がんばつたり
  ダアクトロルを たおしまくつていたそうです。

*「……ぜんぜん いみがわからねえ。
  かりにも だいまおうのくせに オレのあいぼう
  みたいなまねを するなよな。


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第五話 拷問部屋

 ボクは硬いベッドに仰向けになったまま、低い天井を眺めていた。

 ……いや、視線が固定されているため、天井しか見ることができないと言い換えたほうがいいかもしれない。

 

 今のボクの服装は、あのボロボロな黒い外套ではない。秘部を覆うショーツのみ。ほぼ全裸の恰好だ。ボクの身体が少し震えているのは、体温を少しでも上げようとする生理現象ゆえ。地下の冷たい空気が直に当たっているせいで、全身からは白い蒸気がうっすらと立ち昇っている。吐く息は白い。

 

 ――ボクが居るのはダーマ神殿地下深くにある秘密の拷問部屋である。蝋燭(ろうそく)にロープ、鋼鉄の処女に三角木馬、小型のギロチンに巨大な(はさみ)に長大な(のこぎり)、両手斧といったお馴染みの拷問器具が壁際に所狭しと並んでいる。肌を引き裂くのに使う(いばら)を編んだムチや、柔らかな肉を叩くのに最適な身の丈ほどの金属製ハンマーも転がっている。床を掃除する者が誰もいないのか、どす黒い血や白濁した体液らしきものがそこら中にこびり付いている。

 

 空気は最悪だ。むせ返るような鉄錆(てつさび)の臭いが充満している。もともとが通気性の乏しい地下深くに立地しているわけだし、おまけに部屋の外周部には糞尿が入り混じった汚水を湛えた側溝があり、そこからは鼻に突く悪臭が漂っている。

 ゆっくりと休むのには劣悪な環境といえるだろう。正直、ボクが収容されていた黴臭い地下牢がこの世の楽園にも思えてくるほどだ。

 

 ここは人々に職業を授けるダーマ神殿の、後ろめたい要素が全て詰め込まれた、暗部ともいうべき場所だった。

 

「――なあ、聞いたか? カシムの野郎、聖堂騎士団の詰め所に左遷されたそうだぞ!」

「ギャハハ、マジかよ! ザマ―見ろってんだ!」

「あのキザ野郎、前々から気に入らなかったからな。清々したぜ」

「アイツ、フォズ大神官……いやフォズ()大神官か? あのいけ好かないガキにゾッコンだったからな。ああいうのがいいなんて相当変わっているよな」

「ロリコン野郎だよな!」

 

 三人の若者たちが、下卑(げび)た笑い声とともに雑談を垂れ流している。

 もちろん、ボクの衣服をショーツを除いて全て引き剥がし、拷問用に拵えた鋼鉄製ベッドに手際よく括り付けたのは彼らの仕業だ。

 いずれの若い男も、それなりに鍛えていると見える恵まれた体格をしている。お揃いの赤い外套付きの白銀色に輝く全身鎧を着用しているものの、腰には鞘付きの長剣、スティックと小盾、ハンマーと大盾と、武装のほうは物の見事にバラバラだ。

 

 彼らはダーマ神殿の兵士たち――アントリア大神官直属の親衛隊の面々だった。

 

 ……正直、耳を塞ぎたい。でも鋼鉄製の手枷をガッチリと嵌められている以上、それは叶わない。

 ちなみに両足にも同じタイプの足枷が嵌められ、さらに胴体部分も背の低いベッドに丈夫な革製のベルトで何重にも括り付けられている。首にも革製のベルトがご丁寧にも取り付けられているため、まったくといっていいほど身動きが取れない。

 

 おかげさまで、ボクは拷問部屋の天井を拝むことしかできないというわけだ。

 

「いや、たしかアイツには同じ年頃の恋人がいたそうだぞ。たしかネリスって名前のダーマ神官見習いだ」

「それがな、アイツはそのネリスの実の弟の()()()()を庇った咎でアントリアさまの顰蹙(ひんしゅく)を買ったんだよ。小間使いだったそいつがあのお方がとても大事になさっていた銀の宝玉を、うっかり落として割ったそうだとよ」

「ああ、神殿の宝物庫にあったアレか。どこかの遺跡の最深部で発見されたのを献上されたっていう。俺も一度だけチラッと見たことがあるが、かなりギンギラに光り輝いていたなあ」

「お前、またサボったのかよ? それでアントリアさまが大層激怒なさってな、バカな姉弟たちはその日のうちに追放処分になったそうだ」

「まあ当たり前だよな。今頃、サヴェッラ地方の監獄島か、はたまたルザミにでもぶち込まれたのかね?」

「そこまでは聞いていないな。――で、だ。カシムの野郎め、その処分を取り消そうと直訴したそうだ。恋人に良いところを見せようとしたんだろうな。当然のようにあえなく失敗、左遷コースってワケだ。今まで出世街道まっしぐらだったのに、バカな姉弟を庇ったばかりにな!」

「ギャハハ! そいつは傑作だな!」

「アイツときたらアントリア大神官さまの派閥にわざわざ誘ってやったのに、すげなく断りやがったからな! その手を払いのけた自分の行いを今頃悔いている頃さ!」

「違いない!」

「――すみません、そこな親衛隊の皆さま方。少しお聞きしたいことがあるのですが、構いませんか?」

 

 彼らの話がひと段落したのを見計らい、声をかける。

 

 ……これは、ただの時間稼ぎだ。相手もボクの狙いを理解しているのか、こちらを見てニヤニヤと笑っている。兵士たちはひそひそと話し合い、腰に長剣を帯びた兵士が代表して進み出た。

 

「――言ってみろ」

「ありがとうございます」

 

 上目遣いで礼を述べる。経験上、こういう時は逆らわず、なるべく下手に出るほうがいい。ボクは少女の姿に見合った儚げな笑みを浮かべ、目元にウソの涙を滲ませながら、兵士たちに“お願い”をした。

 

「ボクは「ダーマの禁書」を盗んだ咎でお尋ね者になったそうですが、ボクが隠し部屋で倒れていた後の経緯を詳しくお聞かせ願いませんか? お恥ずかしいかぎりですが、あの地下牢に入るまで、ずっと気絶しっぱなしだったものでして……」

「ならぬ。それは神殿の機密事項、他言無用の厳命が下されている」

 

 唐竹割りの拒絶。

 ボクは内心で舌打ちした。さっきの雑談は、その機密事項ではないか。

 

「よし。そろそろ時間だ」

「たっぷりと尋問してやらないとな」

「――まあ、待て」

 

 長剣を帯びた兵士が、やんわりと仲間の話を遮る。彼は彼らの中でもリーダー格なのだろうか、残りのふたりは大人しく従った。

 

「コイツはどうせ死ぬんだ。今の時間を、なるべく楽しんでおいたほうがいいだろ?」

「死ぬ?」

 

 久しぶりにその言葉を聞いた気がする。寝耳に水といってもいい。ボクは置かれている状況を一瞬忘れて、きょとんとしてしまった。

 

「お前の処刑が明日の正午に執り行われる。場所はダーマ神殿の地下にある古代の闘技場跡地、執行者はダーマ大神官アントリアさまだ」

 

 この世界では法務機関のトップを各国の王が兼任しているらしいけれど、ここダーマ神殿では、権力では一国の王に匹敵しうると言われているダーマ大神官が行うというわけか。

 

 だけど……いくらなんでも、早すぎる。そんなにトントン拍子に事が進むものなのか。……あるいは、ボクを早々に始末しなければならない理由でも別にできたのか。

 

「念のためにお伺いしますが、その罪状はボクが「ダーマの禁書」を盗んだことで間違いありませんか?」

「そうだ。だが、それだけじゃない」

()()()()()()()()?」

 

 ボクはリーダー格の兵士の言葉を反芻(はんすう)し、眉根を寄せた。

 ……まさかボクが「むしょく」だからというわけではあるまいな。だとすればボクも、それなりに気分を害するぞ。

 

 でも、リーダー格の兵士が重ねた言葉は予想だにしないものだった。

 

「お前のせいで大書庫が吹っ飛んだんだ」

「えっ!?」

 

 ボクは悲鳴に近い大声を上げた。脳裏に浮かぶのはボクを蔑んだ目で見る女司書の姿だった。

 

 まさか「ダーマの禁書」に書かれていた、あの文字列のせいなのか……?

 

 ……いや、だとすればおかしい。あの時、ボクはすぐに気絶した。濁流のように押し寄せてくる大量の知識を一度に浴びせられて、ボクの脳は一時的にパンク状態に陥った。脳を高温で熱せられた刃物で搔き乱されたような、あの耐えがたい苦痛を、今もはっきりと覚えている。ボクは、その場に昏倒してしまったはずだ。

 

 ――いや、待てよ? もしかしたら気絶したボクが、黒い本のチカラを無意識のうちに行使してしまったとでもいうのだろうか?

 

 ボクは、さっと青ざめた。

 

 じゅうぶん、あり得る話だった。思い返してみるといい。アレは禁書に指定されるほど危険な代物だった。魔本、といってもいい。そう、たとえばボクの腕輪が所有している……人知を超えた神魔の存在が創り出したモノのような。

 

 青髪ツンツン頭の青年も、こう言っていたじゃないか。

 あの黒い本は、「門外不出のお宝……この世界の創造主から転職の神ダーマに下賜されたという、“大いなる深淵のチカラ”を秘めし伝説の秘宝」だと。

 

 ――だとすれば……ああ、なんてことだ。ボクは、取り返しのつかないことをしでかしてしまったのだ!

 

 愕然と顔を強張(こわば)らせたボクを見下ろし、兵士たちが嘲笑った。

 

「なんだ? お前みたいな世紀の大悪党も、罪悪感はいっちょ前に覚えるんだな?」

 

 リーダー格の兵士が唾でも吐くような侮蔑にまみれた声音で言った。取り巻きの兵士二人もまた(はや)し立てる。

 

「……大書庫は、全壊したのですか? 人的被害は?」

 

 ボクの声は、少し掠れていたかもしれない。

 

「ぶっ壊れたのは大書庫の一部だ。それこそ跡形もなく、木っ端微塵にな。極大呪文の暴発か何かで抉り取られたような巨大なクレーターができたらしい。天井にはバカでかい大穴が開き、そこからは青い空が丸見えになっているって聞いたぜ」

「死傷者はゼロだ。蒐集物の整理のために終日閉館していたおかげで、当時の大書庫に誰もいなかったのが幸いしたな。司書の当番を務めていた女神官は、たまたま席を外していて無事だったらしいぞ。――お前も、彼女の強運に助けられたな? もしも彼女に擦り傷でも負わせようものなら、その時点で打ち首確定だっただろうに」

「だが、長い年月をかけて世界中から蒐集した叡智の結晶は、あらかたおじゃんになっちまったそうだ。お前のせいでダーマ神殿は大損害を被っちまったよな。ええ? どう責任を取るんだ?」

 

 兵士たちが口々に喋り、ボクに向かって唾を吐き出す。

 

「ああ、良かった。あの方は、無事だったのですね……」

 

 ボクは、胸を撫で下ろした。

 ほんの一言二言しか言葉を交わしていないし、あまり愛想は良くなかったけれど、彼女の身に万が一にも危険が及んでいたら目覚めが悪いどころではなかった。

 

「……ふん」

 

 リーダー格の兵士がボクの顎先を掴み、自分のほうへと顔を無理やり向けさせた。

 

「他人事みたいな不遜な態度だな? それとも、あくまでも(しら)を切ろうとしているのか? ……いいご身分だな、「むしょく」の小娘め」

 

 嘲りたっぷりな面貌が目と鼻の先に迫る。皮肉そうに歪めた唇からは真っ黄色な乱杭歯(らんぐいば)が見えた。歯磨きをする習慣がないのか、吐く息が猛烈に臭い。

 

「万年「むしょく」の時点で存在価値がないのに、罪に罪を重ねるとはな」

「お前が浮浪者も同然なみすぼらしい恰好をしていたから、職業選択の儀式なんてせずに門前払いをすればよかったと神官たちが小声で話していたぞ」

「まったく。神殿に厄介事を持ち込むのは、いつもお前のような「むしょく」の奴らばかりだ。どうしてこんなヤツが生まれるのか、全知全能のダーマの神も罪なことをするものだ」

 

 口々に好き勝手なことを言い放つ兵士たち。リーダー格の兵士がボクの顎先を掴んでいた手を、やっと離してくれた。

 

「――――」

 

 喉元まで出掛かった反論を飲み込み、小さく息を吐き出す。努めて冷静な態度を保つためだ。ここで逆上するのは悪手でしかない。

 

「……では、ボクがその大爆発を引き起こした瞬間を目撃した人間はいるのですか?」

「知るか。お前が、その爆心地のクレーターのど真ん中に突っ伏していたんだからな。十中八九、いや、お前の仕業でまず間違いないだろうさ。いの一番に大書庫に駆け付けたアントリアさまが仰ったのだから、まず間違いはあるまい」

 

 ボクを見下ろし、忌々しそうに吐き捨てるリーダー格の兵士。

 

 ただの結果論だ。物的証拠ではなく状況証拠に過ぎず、確証もない。そう反論しようとしたが、喉から出かかった言葉を飲み込む。

 こいつ等には理詰めで追及したところでムダだ。(はな)からボクの話を聞くつもりがないのだから。この会話も予定調和に過ぎない。

 

「門外不出のお宝、世界中の誰もが探し求めていた「ダーマの禁書」の居場所をやっと突き止めたのが、こんな小汚い小娘だったとはな。しかも大書庫の本棚に隠されてあったとは盲点だったぜ。俺が見つけていれば全知全能のチカラを手に入れて、神殿のトップに居座っていただろうなあ」

「バカだな、あれはアントリアさまが一生を賭して探し求めていたお宝なんだぞ? あの方に即献上されるに決まっているじゃないか」

 

 取り巻き――ハンマーとスティックを腰にそれぞれ吊り下げた兵士たちが話している。

 

 これまでの話を総合するに、つい最近までダーマ大神官の間で泥沼の派閥争いが水面下で繰り広げられていたらしい。

 その抗争の敗者が、あの地下牢の物言わぬ屍たちというわけだ。先の会話にあったフォズ“元”大神官や親衛隊所属のカシムとやらも、その犠牲者なのだろう。

 

 そして、下卑(げび)た笑い声を上げている彼らこそ、あのアントリア大神官の派閥に属している親衛隊たち。人族を物のように扱う魔族に組している、もしくは上級魔族らしいアントリアに忠誠を誓っているだけあって、なるほど人間性も最低クラスのようだ。

 

 ここ、地下牢や拷問部屋を含めた巨大な地下空間は、大神官アントリアにとっての箱庭だった。一部の人間たち――ごく少数の神官やこいつらのような親衛隊といったアントリアの息がかかった忠実な駒以外には、ここの秘密を知る者はいないそうだ。つまり――

 

(地下空間の秘密を知った者たちは、その存在ごと揉み消されたのだろうな。こいつ等みたいなアントリアの子飼いどもによって)

 

 結界が張られた独房が、ボクの脳裏を()ぎる。あそこにいたのは、もしかしたら抗争に敗れた大神官の誰かなのかもしれない。――だが、さすがに生きてはいまい。

 

 ボクが考えをまとめている間にも、兵士たちの尋問は続いている。

 

「お前は天下の至宝を奪ったんだ、アントリアさまが仰っていた“大いなる深淵のチカラ”を試そうとして、大書庫を手始めに吹き飛ばしたんだろう?」

「ボクは、そんなことをしようとは思いません! あの隠し部屋に入ったのも、たまたま……偶然の産物なんです! あれは、ほんの出来心だったんです!」

 

 儚げな声で反論しつつも、高速で脳を回転させる。

 

 魔族に組する人間にしろ、魔族本人にしろ。大神官アントリアにだけは「ダーマの禁書」を渡すわけにはいかない。それだけは異世界人のボクでも理解できる。

 

 奴の……アントリアの目的は何だ?

 ボクを秘密裏に処刑する、それはまだわかる。ボクがアントリアの立場なら、まずは目障りな邪魔者を処理しようと動く。当然の帰結だ。

 

 ……まあ、そんなことは天地がひっくり返ったとしても、この世界の諺で言うところの「命の大樹が地上に堕ちる」や「ギアガの大穴が塞がる」や「上の世界と下の世界が離れ離れになる」ぐらいに()()()()()()()なんだけれども。

 

 じゃあ、その後は? 仮にボクが――所有者が死んだ後の「ダーマの禁書」は、いったいどうなるんだ? アントリアには、そのアテがあるのか?

 ……あいつは、ボクや青年が知らない何らかの重大な情報を握っているのか?

 

「隠し部屋だあ? そんなモンなんて、あるわけないだろ?」

 

 リーダー格の兵士が小馬鹿にした様子で鼻を鳴らす。

 

「――え?」

 

 一瞬、ボクは耳を疑った。

 

 いや……たしか青髪ツンツン頭の青年も、「あの大書庫には隠し部屋なんて、どこにも無かったはずなのに」と証言していた。あの小部屋には、招かざる客を排除する仕組みが備わっていた――とでもいうのだろうか?

 

 でも……だとすれば、どうしてボクはあの小部屋に入ることができたんだ?

 ……あの黒い本「ダーマの禁書」が、ボクのことを小部屋に招き入れたとでもいうのか? 異世界人の、このボクを?

 

 ボクは、ある重大なことに気付いた。……大神官アントリアは、いったいどうやってボクが「ダーマの禁書」を入手したと気づいたんだ?

 

「あの、待って。待ってください!」

「……なんだ?」

「「ダーマの禁書」を大書庫のどこに保管していたのか、正確に把握していた人間はいらっしゃったのですか?」

「アレは門外不出の宝だぞ? ダーマ神殿でもアントリアさまのような一握りの人間のみ、その保管場所を知っていたに決まっているだろう」

「その秘密裏に保管されていたはずの「ダーマの禁書」を、お前が盗み出したんだ。……いったい、どんな手品を使ったことやら」

 

 皮肉たっぷりに喋る兵士たち。ボクはますます眉根を寄せた。

 

 ――ならばアントリアも、あの隠し部屋のことを知っていたのか? だとすれば話に矛盾はないが……なんだろう、この感じは?

 

 ボクはその違和感の正体に、すぐに気づいた。

 

 あのアントリアが禁書の保管場所を知っているのであれば、入手するために必ず動くはずではないか。人生を賭して探し求めていたというわりには、目と鼻の先にある「ダーマの禁書」をみすみす見過ごしていたということになる。それは間抜けというしか他ない。

 

 アントリアは「ダーマの禁書」の保管場所を知っていたものの、禁書が保管されていたあの隠し部屋には、何らかの理由で辿り着けずにいた……ということか?

 あるいは隠し部屋には到達できたものの、肝心の「ダーマの禁書」を手に入れることができなかったか。

 

 ……なるほど。なんとなく奴の目論見(もくろみ)が読めてきたぞ。

 

 奴は、ボクが「ダーマの禁書」を手に入れたことにすぐに気付いた。おそらく、大書庫内に予め防御結界のようなものを敷き、隠し部屋の「ダーマの禁書」を入手した者がいれば即座に感知する仕組みか何かを構築していたのだろう。これならば奴がやたらと手際が良かったことにも納得がいく。

 

 こうして期せずして、長年アントリアが血眼になって探し求めた品が、ようやく見つかった。奴はこれを絶好の好機と見るに違いない。ボクの処刑を急ぐのも、全ては「ダーマの禁書」を手に入れるため。まだ確証はないが、奴はボクから「ダーマの禁書」を引き離す(すべ)を知っている可能性がある。

 

 奴は――アントリアは、ボクが想像していた以上に狡猾なようだ。……あの大広間でのやり取りも、今思えば別の意図が含められていたように思えてくる。終日閉館していたダーマの大書庫を、わざわざボクのために開放したのも――

 

 いや、待てよ? だとすればアントリアはボクが「ダーマの禁書」に辿り着くことを、あの時点で予期していたとでもいうのだろうか?

 

「…………!」

 

 ボクは、あの時の眼差しを――アントリアのガラス玉のような不気味な瞳を思い出して、ぶるりと震えた。

 ダーマ神殿にはダーマ大神官のみに貸し与えられる、万事を見通すとされる秘奥の技がある。アントリアは(くだん)の《真・みやぶる》で以て、ボクの全てを暴いてしまったのだとしたら――?

 

「で、肝心の「ダーマの禁書」はどこにあるんだ?」

 

 ボクは、リーダー格の兵士の問いかけに我に返った。

 

「お前が在り処を知っているんだろ? さっさと居場所を吐け」

 

 ボクは青年とのやり取りを思い出し、唇を固く引き結んだ。彼らは魔族と通じているダーマ大神官のアントリアの息がかかった連中だ、うかつなことは言えない。

 

「へえ? とぼける気だな?」

 

 リーダー格の兵士がボクの胸部のあたりを見下ろした。取り巻きの連中たちが口笛を吹く。

 

「へへっ。お嬢ちゃん、よく見たらけっこうイイ身体をしているなぁ」

「「むしょく」のくせに、そこだけは立派なものをお持ちなようだな……へへっ」

「なら、お前の体に教えてもらうとしようか? アントリアさまが直々に見分していた時には発見できなかったそうだが、もう一度、じっくりと隅々まで探せば手掛かりが見つかるかもしれないからなぁ」

 

 肉体年齢には少々そぐわない見事な双丘を触ろうとしているのか、両手を伸ばす。しかし、その寸前で何かに気づいたのか、その手を止めた。

 

「……うん? その腕輪は何だ?」

 

 リーダー格の兵士の眼差しは、ボクの右手首に注がれていた。そこには今も真鍮製の腕輪が嵌められている。ボクの拘束は取り巻き連中に全部任せていたから、サボっていた彼は気づかなかったのかもしれない。

 

「っ!? ――そ、その腕輪には、絶対に触れないでくださいっ! これはボクにとって最も大事なモノなんです!」

 

 ボクはとっさに身を捩った。しかし、ボクの手足は頑丈な枷と革のベルトでベッドに固定されている。ボクのひ弱なチカラではビクともしなかった。

 

「ふうん、そうなのか。おい……(やっとこ)を持って来い!」

「なっ!?」

 

 すぐさま彼の意図を想像して、目を剥く。リーダー格の兵士が嘲りの笑みを口元に浮かべた。

 

「バカな奴だな。それほど大事にしているなら、こんなふうに持ち運ばずに、家で後生大事に飾っておけばよかったんだ」

「ボクには、家なんてありません……」

「ふん。お前は「むしょく」の人間だからな。おおかた産みの親からも見捨てられたんだろうさ」

「産みの、親…………」

 

 ――薄暗い閉所。光の差さぬ海底。英雄の名を抱き、“悪”へと立ち向かった雄姿。天がひび割れ、地は揺らぎ、海は干上がる――この世の生き地獄。ケタケタと壊れたように笑うあの人の声。幾千幾万の命を宿して白く輝く宝玉。真鍮製の腕輪。黒い(とばり)のような雲から、ほんの少しだけ差し込んだ暖かな陽光。血だまりに伏した彼女の骸。ふたつになった視界で嘲笑う殺戮者の姿。

 

 ()()()()()()遥か遠い昔に忘れ去った思い出が、擦り切れたはずの過去の記憶が、まざまざと呼び覚まされる。ボクは唇を強く噛みしめ、過去の遺物をまとめて切り捨てた。

 

「恨むなら、お前の運命を恨め。生きとし生けるもの全てに職業をお授け下さる、慈悲深い転職の神ダーマから見捨てられ、一生を「むしょく」で過ごさなきゃいけねえ手前自身をな」

 

 そんなボクの様子を見て、勘違いをしたのか。悦に入ったリーダー格の兵士が、ボクに吐き捨てた。

 

「――おっと、お前の命は明日の正午で終わるんだったよなァ! ギャハハ、こいつは傑作だぜ!」

 

 兵士たちの馬鹿笑いが地下の拷問部屋に響き渡る。

 

「ふーん。そのお前にとっての唯一の拠り所が、この貧相な作りの腕輪ってワケか? いいねえ。それが粉々に砕かれる様を、そこでじっと見ているがいい。くくく……お前が絶望に歪む顔を見るのが今から楽しみだぜ」

「ち、違います!」

 

 ボクは首を振った。

 

「これは、あなた方の身を案じてのことなんです! あなた方のように(よこしま)な心を持ち、その腕輪に触れた者には大いなる災いが降りかかります!」

 

 ぽかんと口を開いているリーダー格の兵士とその取り巻きたち。ボクは構わず言葉を続けた。

 

「それにこの腕輪は天地開闢(てんちかいびゃく)の時から伝わりし我が家の秘宝、当主の証。世界が終わるその時でも、これだけは絶対に壊れることがありません! 何卒お願いします、どうかこの腕輪には……ボクの腕輪にだけは関わらないでいただきたいッ!」

「なっ、貴様! 俺達を愚弄するというのか!?」

「お前、よほど痛い目をみたいようだなっ!」

 

 色めき立つ取り巻き連中。

 リーダー格の兵士はそんな彼らを片手で制し、これ見よがしに長剣の柄頭(つかがしら)に逆の手のひらを乗せた。嘲りたっぷりに言い放つ。

 

「じゃあ、股を開け。それで大事な腕輪のことは不問にしておいてやるよ」

「――――っ」

 

 ボクは、(ほぞ)を噛んだ。顔面から血の気が引いていくのが、わかる。

 

「おいおい……なんだ、その初心(うぶ)な反応は? もしかして、これが初めてなのか? そいつは好都合だな。俺は処女しか食わねえんだ」

 

 そう言って、下卑(げび)た笑い声をあげるリーダー格の兵士。……あまり喜ばしくない情報を、ご丁寧にどうも。

 

「――おい、こいつの両足を自由にしてやれ。俺たちの慰みをしてくださる大事なお客さまだからな、くれぐれも丁重に扱うんだぞ?」

 

 指示を受けた取り巻きの兵士たちが、ボクの両足にそれぞれ張り付く。ベッドに固定するために括り付けてあった革製のベルトを取り外そうとしているのだ。

 先ほどの宣言通り、ボクに股を開かせようとしているのだろう。もしもボクが抵抗しようとするならば、両足に取り付いた彼らが無理やり開脚させる手筈のようだ。……用意周到なようで。

 

《メラガイアー》《ギラグレイド》《マヒャデドス》《ザバトローム》《バギムーチョ》《ジゴデイン》《ジバルンバ》《イオグランテ》《ドルマドン》《ベタランブル》《ヴェレノーマ》《カオスマダンテ》《ザラキーマ》《煉獄火炎》《絶対零度》《ダークネスブレス》《シャイニングブレス》《裁きの雷槌》《ダークテンペスト》《ショックウエーブ》《獄門クラッシュ》《大地の爪牙》《円陣殺》《翠光魔弾》《激震スプラッシュ》《ファイナルレイ》《逃れえぬ死の波動》《崩壊のレクイエム》《ブラッディインパクト》《黒の核晶》

 

 ……すると、どうだろう。文字列が次々に浮かんだではないか。

 

 ボクが不幸にもその身に取り込んだ「ダーマの禁書」が、ボクの危機的状況を汲み取ってくれたのかもしれない。ただ、前半にある呪文系統はともかく、残りの過半数は意味不明な文字列ばかりだったけど。

 なんだかスゴそうなラインアップだなとは、文字の並びからは読み取れる。

 おそらく、これらの文字を読み上げたとすれば、この粗暴で下劣な子羊たちなど、ひとたまりもないに違いない。

 

「――――」

 

 たまたま目に付いた文字列のひとつを読み上げようと口を開き、小さく吐息をついた。余計なお世話だ。……ボクは、また過ちを繰り返すところだった。

 

「ちっ、俺達の手を煩わせやがって!」

「ほら! さっさと開けっ!」

 

 ボクが何もしないと見るや、ふたりの兵士たちが舌打ちまじりにボクの股を無理やり開かせた。

 今のボクは十六歳の少女、しかも何の力も持たない「むしょく」だ。大人二人分の腕力には到底(あらが)えるはずもなく、ボクの股はあえなく大開きの形になる。

 ショーツで覆われている秘部が地下室の冷たい空気に晒され、そこがじっとりと汗をかいているのが肌に感じる。

 

 ……猛烈に、気持ちが悪い。吐き気がする。頭の中が、ぐちゃぐちゃになりそうだ。

 

 身体への傷は、特に問題ない。拷問には慣れているし、今のボクには四肢欠損すら治す復元呪文《ベホマ》がある。ボクが死ななければ後で治せばいい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――でも、心のほうは。

 

(ははっ。今回は再起不能になるまで精神的外傷(トラウマ)を負わなければ、いいけれど……)

 

 懐かしい日々を思い出し、自嘲めいた心の声を零す。

 

「もう一度、忠告をしておきます。この腕輪には、くれぐれも触らないようにお願いします」

「言いたいことはそれだけか? くっくっくっ……イイ声で鳴かせてやるよ」

 

 リーダー格の兵士がボクの顔を真横から覗き込み、いやらしい笑みを浮かべた。その指先が足の指先から足首、そして太腿へと至る肌を順繰りに触っていく。手つきが、イヤらしい。

 やがて指先がショーツのすぐそばまで至ったのを、肌で感じた。リーダー格の兵士がそこを愛撫するように優しく、殊更ゆっくりとした動作で何度も触る。ボクの性感帯はそこなのか、背中に電撃が走り抜けた。思わず、軽く仰け反る。

 

「――――っ!!」

 

 しかし嬌声を上げそうになったのを、歯を必死に喰いしばって耐え忍んだ。

 

「ふん。しぶとい奴だ。――だが、その気丈さがどこまで持つかな?」

 

 リーダー格の兵士はボクのショーツの端を触っていた指先を蠢かせ、ボクの耳元に耳打ちした。かつてないほどの怖気(おぞけ)が走り、胃から逆流した胃酸が込み上げてくる。

 開いた逆の手が、鎧の可動部を繋ぎ止めている腰のベルト部分へと伸びた。すでに緋色の外套は鎧の肩から剥がされ、床に落ちていた。

 

「さあ、たっぷりと楽しませてもらうぜ」

「なるべく早くしろよ? 後がつかえているんだからな!」

「――下衆(げす)どもめ」

 

 うっすらと涙を浮かべたボクの耳に、第三者の怒気(どき)(はら)んだ声が届いた。

 

「がっ!?」

 

 突然、白目を剥いて崩れ落ちるリーダー格の兵士。

 ボクのショーツを剥ぎ取ろうとしていた指先が引き剥がされ、身体ごとうつ伏せに倒れ込んでゆく。顔面を激しく強打し、一回バウンドして床に転がった。自らが脱いだ真紅の外套へと頭ごと突っ込み、ピクリとも動かなくなる。

 

「な、なんだ!?」

「な――何が起きやがった!?」

 

 残りの兵士たちは訓練の賜物ゆえか、とっさにその場から飛び退(すさ)ったはいいものの、何が起きたのかをとっさには呑み込めず、ただ唖然としていた。

 

「へっ。万年(さか)りの薄汚いお前には、コイツのほうがお似合いだぜ!」

 

 あの、青髪ツンツン頭の青年だった。

 目を剥いて昏倒している兵士の背中を左足で踏みしめ、左手の(やっとこ)を弄んでいた。――端正な顔立ちを、隠し切れぬ怒気(どき)に歪ませながら。




ミド
HP ???
MP ???
む:



■文字列の内訳
1.各種最高位呪文
2.各種最高位ブレス
3.インフレ化がヤベー世界の腕試し系ボスどもの4桁ダメージ~9999ダメージを与えるヤベー技
4.同じ世界出身のボスたちの専用特技(※特定手順を踏まないと全滅ほぼ確定コース)
5.アイテムだけど条件を満たしているのでエントリーをしていた黒の核晶


ミド「実は殺意レベル99でした」
兵士A「助かった」
兵士B「助かった」
兵士C「助かった」
青髪ツンツン頭の青年「って、オレも死ぬところだったのかよ!?」


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第六話 神業

 あり得ない人物の、あり得ない登場の仕方。ボクは信じられない、といわんばかりに両目を大開きにした。

 

「――あ、あなたは!? 何故こんなところに!?」

「おっと、積もる話はもう少しだけ待ってろよ? 薄汚いこいつらを片づけるのが先だからな」

 

 まるで魔法のように現れた青髪ツンツン頭の青年は、ベッドに括り付けられたまま驚愕しているボクにニヤリと笑った。

 いつの間に、くすねたのか。左手の(やっとこ)を巧みに操り、ボクの手枷と足枷の鎖を素早く切断する。たいした手際の良さだ。

 そして、足元で悶絶している兵士の赤い外套をもぎ取ると、ボクに手渡した。ベッドから起き上がり、全身を襲う拘束具の痛みに顔をしかめていたボクは少し戸惑う。

 

「……あられもない姿になっちまってるからな。これで大事なところを隠しとけ」

 

 青年は頬を少しだけ赤く染め、ぶっきらぼうに言った。

 

 ……そういえば、そうだった。今の今まで忘れていたけどボクの下着類を除く衣服は全部、兵士たちにはぎ取られてしまったのだ。すでにボロボロになっていた黒い外套もまた見るも無残に切り刻まれ、拷問部屋の片隅に投げ捨てられている。

 

 ボクは青年から手渡された赤い外套を、胸元と腰回りに素早く巻き付けた。応急処置だけど、無いよりはずっとマシだろう。

 

「少し、下がっていろ。あぶないからな」

 

 青年が自由の身になったボクを、片手のジェスチャーで下がるように合図した。こくりと頷き、彼の指示に従う。

 

「……おい、お前ら。オレの大恩人を、もうちょっとで一生モンの疵物(きずもの)にするところだったな? お前たち、良い度胸をしているじゃねえか。それ相応の覚悟はちゃんとできているんだろうな」

 

 青年が壁際まで下がったボクを遮る位置に立ち、ゆっくりと一歩を踏み出した。方や兵士たちはというと、彼の顔を見て、幽霊でも見たように慌てふためいている。

 

「――お、お前は!?」

「馬鹿な、お前は念入りに痛めつけたはずだっ! 瀕死の重傷を負っているお前が、今頃こうして生きているはずがねえ!」

「おあいにくさまだったな。この通り、オレはぴんしゃんしているぜ?」

 

 青年が小さく肩をすくめてみせた。

 

「……おっと。こんな重たいモンを持っていたんじゃ、満足に動けねえところだったぜ。オレは身軽なのが好きなんだ」

 

 左手で弄んでいた(やっとこ)を、邪魔だとばかりに床に放り捨てた。身のこなしには隙が無く、軽く握りしめた両の拳でのファイティングポーズは、なかなか様になっている。

 だが、彼は徒手空拳(としゅくうけん)だ。その身一つで完全武装した兵士たちに挑もうとしているのだろうか。

 

「くそ! どんな理屈かは知らねえが、もういっぺんギタギタにしてやれば同じことだっ!」

「できるモンならやってみろよ。……お前たち如きにできるモンなら、な?」

「――ヤロウっ!」

 

 ふたりの兵士たちが、挑発する青年へと一斉に飛びかかる。ただ、お互いの図体と武装が邪魔をしていて、突進力が半減してしまっている。

 

「おっと」

 

 青年は兵士たちの稚拙な攻撃を、ひょいひょいっとばかりに左右に(かわ)す。勢い余って体勢を崩し、蹈鞴(たたら)を踏む兵士たち。

 

「よっ、と」

 

 青年が、低い体勢から足払いをしかけた。攻撃後の硬直時を狙われた兵士たちは派手にすっ転び、床に顔面を(したた)かに打ち付けてしまった。その隙に青年は軽く飛び退(すさ)り、間合いを確保している。

 

「へえ。じゃじゃ馬姫さんの動きを真似してみたんだが、付け焼刃にしては結構上手くいったな。……まあ、あいつみたいな一級の達人相手には、オレのちゃちな格闘術が通用するとは思わねえし、やろうとも思わねえが」

 

 青年がブツブツと小声で何かを呟いている。

 

 あの素早い身のこなしから察するに、たとえば小回りの利く短剣などで一撃離脱の戦法を取るのではないかと推測していたが……なかなかどうして。まだ若いのに、徒手空拳(としゅくうけん)でも結構できるらしい。

 

「くそう……っ」

「いてぇ……いてえよぅ……」

 

 兵士たちが、よろめきながらも立ち上がる。どちらも硬い床に打ち付けた鼻の辺りを押さえている。鼻孔(びこう)からは赤い液体がだらだらと垂れていた。

 

「ふーん。ようやく見れる顔になったじゃねえか。男前度が二割り増しぐらいアップしたみたいだぜ?」

「貴様、絶対に許さないぞ!」

「コケにしたことを後悔させてやるっ!!」

 

 異口同音(いくどうおん)に叫ぶ兵士たち。鼻孔(びこう)から鼻血を垂れ流しているせいか迫力に欠けており、むしろ滑稽で苦笑すら込み上げてきそうになる。

 

「口は達者みたいだな。ただ、肝心な行動が伴っちゃいねえが……さっきから懐ががら空きだぞ?」

 

 眉根を少しだけ寄せた青年が、これ見よがしに何かを掲げて見せた。

 

「ぷ」

 

 ボクは噴き出しかけた。――それは、フサフサなカツラだったのである。

 

「なぁ!? お、俺のカツラが~~ァ!?」

 

 ハンマーの兵士が絶叫する。その頭頂部は拷問部屋の淡い灯りを反射して、ピカピカに光り輝いていた。

 僅かな攻防の合間に、青年が彼の頭からかすめ取ったのだろう。しかも当人が気づかないほどの速さで。たいした技巧の持ち主だと言わざるを得ない。

 

「か、返せっ!」

「イヤだね」

 

 青年は懇願をさらりと断ると、フサフサのカツラを無造作に放り投げた。

 

「ぁあ、俺のカツラがぁ~!?」

 

 ハンマーの兵士が悲鳴をあげた。

 艶やかな毛並みのカツラは空中をふわふわと漂い、拷問部屋の外周に張り巡らされた側溝に、無情にも落ちた。側溝には悪臭の漂う汚水が溜まっている。なんだかよくわからない汚水がたっぷりと染み込んだそれは、二度と使い物にならないだろう。

 

「~~~~~!?」

 

 ハンマーの兵士が声にならない絶叫を喉から迸らせた。

 

「あーあ、まだ若いのに気の毒にな。わかめ王子かこんぶ大将のダシから採ったスープを毎日飲むといいぜ? こいつが若ハゲには良く効くらしいんだ」

 

 青年が少し気の毒そうに言う。

 

「――殺す! 絶対に殺す!」

 

 青年の忠告を素直に聞くつもりはないらしい。実は禿頭だったハンマーの兵士が殺意を込めて叫ぶ。その両目はすっかり血走っていた。

 

「さっきから物騒だな。オレはこの通り、丸腰なんだぞ? もっと気楽にやろうぜ」

「そうだぞ、たかだがカツラが取れたぐらいでグダグダ騒ぐなよ」

 

 スティックの兵士は笑いを堪えているのか、汚い歯を必死に喰いしばっている。目尻には涙が溜まっていた。

 

「たかだがってなんだよ! 俺にとっちゃ死活問題なんだっ!」

 

 ハンマーの兵士が同僚に食ってかかる。

 

「――ぷっ」

 

 たまらず、といったふうに噴き出すスティック兵士。ハンマーの兵士が口元を押さえた彼を血走った目で睨む。

 

「ああっ!? お前、今俺のことを笑いやがったな!?」

「うん? ……これは何だ?」

 

 青年が怪訝そうな声をあげたために、兵士たちの口論は一時中断となった。兵士たちの視線が青年へと一斉に注がれる。

 彼は手元にあった一枚の紙切れを興味深そうに眺めていた。

 

「こいつは……シスターのプロマイドか?」

「こ――このっ! 僕のシスター・アンナのプロマイドを!? か、返せッ!!」

 

 スティックの兵士が顔を真っ赤にして叫ぶ。

 

「ふーん……このアングルからすると……ああ、なるほどな。隠し撮りか? ……へえ。お前、けっこう趣味が悪いんだな?」

 

 青年が写真らしきものを指先でつまみ、ひらひらと掲げて見せた。

 ……どうやらこの青年、かなり手癖が悪いらしい。彼の職業は十中八九、「盗賊」だろうから止む無しかもしれないが。

 

「~~~ッ! こうなったら挟み撃ちだ!」

「ぶち殺してやるッ!」

 

 兵士たちが口々に叫ぶ。

 

「聖なる守りよ、我が盾となる者に宿れ……」

 

 スティックの兵士が防護の魔法を詠唱し始めた。複雑な紋様の帯が彼の身体を取り巻き、足元から白い光が立ち昇る。

 

「くらいやがれッ!」

 

 その隙にハンマーの兵士は左手に攻城戦に用いられるような重装兵の大盾を掲げ、逆の手に凶悪なトゲ付きの金棒を握りしめ、青年へと殴りかかった。凶悪な破壊力を秘めたハンマーが、青年の頭へと振り下ろされる。

 

「《スカラ》!」

 

 ほぼ同時に、スティックの兵士の魔法が完成した。ハンマーの兵士の身体を青い障壁が一瞬だけ包み込み、すぐに消えた。

 

 ハンマーの兵士の口元に、会心の笑みが浮かぶ。そして、青年もまた口角(こうかく)を持ち上げた。――拷問部屋に青い疾風が吹く。

 

 ハンマーの兵士が振り下ろした鉄の金棒は、直前まで青年が立っていた床を打ち砕いたに終わる。彼は床にめり込んだ鉄の金棒を引き抜こうとするが、その隙を見過ごす青年ではない。短いステップで真横に回り込むと、その足を払った。

 ハンマーの兵士はまたしても足元を掬われ、大きく一回転をしながら顔面を派手に打ちつける。歯が何本か砕けたのか、顔を抑えている手のひらから零れる鼻血には白い破片が入り混じっていた。

 

 そこに飛来する、一条の煌めき。

 

「――おっと」

 

 スティックの兵士が懐に隠し持っていた投げナイフを、青年は冷静に捌いた。首をわずかに傾けただけで回避する。目標を見失った投げナイフは拷問部屋の片隅に山積みになっていた木箱の一つに、トスリと突き刺さった。

 

「返すぜ?」

 

 青年が木箱から投げナイフを素早く引き抜く。軽いスナップを利かせつつ、持ち主へと投げ返した。

 

「――ひぃ!?」

 

 投げナイフはスティックの兵士のすぐ脇を掠め、背後の石壁に弾き飛ばされ、床に転がった。スティックの兵士の右頬から、つぅと一筋の血が流れ落ちる。

 

「ふーん。それがお前らの本気なのか? さっきからハエが止まって見えるぜ」

 

 青年が手の平を逆にして扇ぎ、兵士たちを挑発する。

 

「ば、バカにしやがってッ!!」

「もう生かしちゃいねえ!」

 

 兵士たちの顔色に朱が差す。ふたりは異口同音(いくどうおん)怪鳥(けちょう)のような雄たけびをあげると、青年へと飛びかかった。

 

「――ふん」

 

 青年は彼らの攻撃を華麗な身のこなしで右に左に(かわ)し、ハンマーの兵士の足をまたも払った。足元がお留守なハンマーの兵士は都合三度目となる転倒を敢行し、床に転がる。

 

 その隙に、青年はスティックの兵士の懐に潜り込んだ。スティックの兵士はとっさに小盾を掲げるも、青年が右の人差し指と中指の間に挟み込んだシスターのプロマイドに、一瞬気を取られる。

 

「これ、返しとくぜ」

 

 青年は特に何もせず、スティックの兵士の手にシスターのプロマイドを握らせると、するすると後退する。ボクはそんな彼の行動を訝しんだ。

 

 ……いや、彼は何もしなかったわけではないらしい。その左手には炎が揺らめく長い蝋燭が握られていた。蝋燭の端からは蝋が少し垂れている。

 

「熱い蝋の味はどうだ?」

「――あ、あっつぃいいい!?」

 

 熱さのあまり、飛び上がって絶叫するスティックの兵士。首の付け根から全身鎧の隙間に入り込んだ熱い蝋を掻き出そうと躍起になっているが、どうしようもない。無我夢中で全身鎧を脱ごうとしていた矢先に、うっかり足を滑らせる。

 

 不幸なことに、その先には三角木馬が待ってましたとばかりに待ち構えていた。バランスを崩したスティックの兵士はよりにもよって、あの三角木馬の鋭角で金的部分を(したた)かに打ち付けてしまった。股間部を押さえ、顔を大きく歪めながら声なき声で悶絶する。

 おまけに彼の手からシスター・アンナのプロマイドが落ち、ひらひらと舞って、あのフサフサのカツラが投身自殺をした汚水溜まりの側溝そばに落ちてしまった。

 

「……あ、すまん。でも言っとくが、そいつは事故だからな?」

 

 その発端を作った青年が顔をしかめ、悪びれもせずに謝罪の言葉を述べた。

 

 これは全くの余談だけど、元男だったボクもまた大きく顔をしかめている。――さすがにあそこを鋭利な角度で強打するのは、いかんともしがたい。

 

「ぐらえッ!」

 

 歯が欠けたハンマーの兵士が、そこに急襲する。

 

 青年は蝋を垂らした蝋燭を素早く投げ捨て、これを迎え撃った。ハンマーの兵士が前方へと突き出すように叩きつけた大盾――あれはたしか盾スキルの《シールドアタック》だ――の縁を蹴りつけ、その勢いを借りて高く飛ぶ。

 

「なぁ!?」

 

 驚愕した彼らの頭上を飛び越えると、拷問部屋の天井に高い身体能力を生かして張り付く。そして、そこから急降下を仕掛けた。

 掲げていた大盾を踏みつけられ、バランスを大きく崩していたハンマーの兵士の頭を爪先で踏む。ハンマーの兵士はくぐもった声を上げながら前のめりになって倒れ込んだ。

 

 防御力上昇効果の《スカラ》を予め施されたためか、昏倒は免れたようだ。ただ、床に倒れて悶絶していたスティックの兵士をその巨体で巻き込んだせいで、ふたりして団子になったまま汚れた床をゴロゴロと転がる。くぐもった声がふたつ、またしても室内に響いた。

 

「……おいおい、狙うならちゃんと的を狙えよ? さっきからどこ狙っているんだ?」

 

 ふわりと飛び退(すさ)り、元の地点まで戻った青年には汗ひとつ掻いた様子がなかった。

 

「こ、こいつ、けっこうできるぞ……」

「た、ただのコソ泥じゃなかったのか……」

 

 対する取り巻きたちは元々重たい鎧を着用しているせいで動きが鈍い。俊敏な青年の動きに翻弄され続けている。おまけに戦っている最中にだんだんと疲労が蓄積していったのか、肩で息をしている始末だ。終始、いいように弄ばされている。

 唯一、特筆すべきはタフネスぶりだろうか。何度も攻撃を食らっても即座に起き上がってくる、その不屈の闘志には頭が下がる思いだ。少なくとも、たった一撃であっさりと昏倒してしまったリーダー格の兵士よりは、ずっと。――まあ、もっとも、青年が手加減をしている可能性も無きにしも非ずだが。

 

 兵士たちは敵わぬと見るや、お互いの顔を見合わせた。そして、青年の戦いぶりを壁際で観戦していたボクのほうをギラつく眼差しで射抜く。

 

「女だ! あの小娘を確保しろ! 人質に取るんだッ」

「……お前たちはとことんクズみたいだな。ダーマ大神官直属の親衛隊が聞いて呆れるぜ」

 

 青年がペッと唾を吐き出した。

 

「はっ! ほざいていろッ!」

「――な、おい! あ、アレッ!?」

 

 兵士のふたりが目を剥いた。ボクも瞠目する。――青年の腰帯には、鞘入りの長剣が納まっていたのだ。

 

「これ見よがしに武器が転がっていたんだから、使わない手はないよな?」

 

 彼が佩びているシンプルな形状の長剣には、見覚えがあった。床に倒れ伏したままの、あのリーダー格の兵士のものを奪い取ったのだろう。

 しかし、彼が何時どのようにして奪い取り、腰帯に差したのか。それら一連の動作はボクには全然見えなかった。――たいした早業(はやわざ)、いや神業(かみわざ)だ。

 

「うう……」

「コソ泥の、分際で……っ」

 

 兵士たちは、すっかり尻込みしているようだ。

 無理はない。彼らにとっての優位は青年が丸腰だったこと、その一点に尽きるのだから。その優位性が奪われた以上、蛇に睨まれた蛙のようになるのは、当然と言えば当然だった。

 

 ……ただ、ひどく情けないというか、哀れというか。

 

「しっかりしろよ。それでも親衛隊サマなのか?」

 

 完全な及び腰になった兵士たちに、青年は呆れ返った様子だった。

 

「せ……聖なる風よ!」

 

 スティックの兵士が後退しながら呪文の詠唱を始めた。その足元には緑色の不可思議な光が構築され、ゆっくりと旋回していた。さらに複雑な紋様の帯が彼の体を取り巻く。

 

 青年が顔をしかめた。

 

「おいおい……マジかよ」

「《バギ》!」

 

 青年のつぶやきをかき消すような大声が響く。スティックの兵士が得物をかざし、青年へと振り下ろしたのである。スティックの先端から真空の刃が射出され、青年へと牙を剥いた。

 

 風属性の真空呪文バギ系は大気の精霊のチカラを借り、周囲の風を操るとされる。バギ系呪文でも最下級に位置している《バギ》だが、もちろん当たればタダでは済まない。

 魔力で生み出された不可視の刃を、青年は空気のうねりを頼りに横っ飛びに(かわ)した。小さな竜巻は拷問部屋の石壁を浅く切り裂くに留まる。地下の閉所空間に堆積していた埃が巻き上がったせいでボクは少し噎せてしまった。

 

「チッ。こんな狭い場所で、攻撃呪文をぶっ放しやがるとはなっ!」

 

 素早く体勢を立て直した青年が毒づく。

 

「バカっ! ここには俺たちがいるんだぞ!?」

「構うものか! あいつを殺せばいいことだっ! お前は肉壁になって僕を守れッ!」

「……ぉ、おう」

 

 味方であるハンマーの兵士の言葉に聞く耳を持たず、逆に恫喝する。彼の剣幕に呑まれたのか、ハンマーの兵士が前に出た。床に落ちていた大盾を構え、文字通りの盾に成るべくスティックの兵士の前に陣取る。

 

「《バギ》!」

「――ちっ」

 

 青年は先ほどの要領で(かわ)そうとして、短く舌打ちした。

 

 ふたりの射線上には昏倒したままのリーダー格の兵士が床に転がっていたのだ。このままでは彼の肉体は着用していた鎧ごとズタズタに引き裂かれ、家畜の餌にもできそうなほど細切れになってしまうだろう。

 

 青年はリーダー格の兵士の胸板を、渾身の力で蹴り上げた。メリ、とイヤな音を立てながらリーダー格の兵士が吹き飛ぶ。そして、自らも前方目掛けて飛び込むようにして回避行動を取った。

 その直後、彼らがいた地点を小さな竜巻が通過していく。《バギ》の真空の刃は地面を舐めるように突き進み、拷問用ベッドの端を削り取り、やがて消えた。

 

 青年は素早く立ち上がると、腰に佩びた長剣の柄を握りしめた。その背後でリーダー格の兵士が拷問部屋の壁に打ちつけられ、またも床に崩れ落ちる。

 彼が悲鳴一つ上げないのは、すっかり夢の世界に旅立っているおかげだろう。

 しかも、衝突した際の衝撃で鎧どころか――すでに鎧の着脱部分が外れかけていたせいだ。理由は口にしたくない――青と白の縞模様のステテコパンツがずり落ち、下半身が露出している。

 

 ボクは天を衝いている小さくて汚いものから、さっと目を背けた。

 

「ははっ! お前に逃げ場は無いぞ! これで終わりだ!」

 

 スティックの兵士がヒステリックに叫ぶ。

 

 ……これはまずい。恐怖のあまり半狂乱になっているようだ。恐慌状態に陥ったスティックの兵士が再び、真空呪文を詠唱しようとしていた。

 

《マホトーン》《マホターン》《マホキテ》《マホステ》《マホカンタ》《マジックバリア》《マホトゾーン》《マホプラウス》《シャハルの鏡》《せいじゃくのたま》《ふういんのはどう》《忘却の光》《封殺》《魔獣の閃光》《おぞましいおたけび》《始原のおたけび》《退魔の盾》《シャイニングブレス》《絶の震撃》《封魔の邪法》《呪文完全ガード》《竜眼》《竜眼のはどう》《ファイナル・ドラゴニック・アイズ》

 

 ボクの目の前に文字列が浮かぶ。

 たぶん、現状を打破するのに最適なスキルを、「ダーマの禁書」が教えてくれているのだ。ボクはどうすればいいのかと悩んだ。

 

「――やれやれ。腹いせにからかい過ぎちまったのが、裏目に出たみてえだな。さっさと終わらせるか」

 

 その声を耳にして、ボクは慌てて首を振った。

 この世界の呪文についての知識はそれなりにあるけど、なんだか選択肢を間違えたら取り返しのつかない事態を引き起こしそうだったからだ。

 

「そんなところからじゃ、僕には攻撃は届かないぞッ!?」

「そうかい」

 

 青年の返答は簡潔だった。腰を低く落とし、半身を開く。右手を鞘に軽く添え、左手は長剣の柄を握った。

 

 ――あれは、たしか……?

 

「なんだ、そのポーズは? でも、そんなことをやってもムダだぞっ」

 

 スティックの兵士は青年が何をしようとしているのか理解できない様子だ。

 しかし、ひとまずは詠唱を優先するつもりらしい。ハンマーの兵士が大盾をしっかりと構え、両足で踏ん張る。なかなかいいコンビかもしれない。

 

「ふっ!」

 

 鋭い呼気とともに鞘走りの音がした。鞘から抜き放たれた白刃が閃く。高速の抜き打ちがハンマーの兵士の脇スレスレをすり抜け、スティックの兵士の胴目掛けて放たれたのである。

 

 どう、と倒れ伏すスティックの兵士。

 その時すでに青年の長剣は鞘に納められている。驚くべき居合いの速さだ。

 

「残念だったな。そこはオレの間合いなんだよ。――さて、と」

 

 ひとり残ったハンマーの兵士を鋭く睨み、再び居合いの構えを取った。

 

「ゆ、許して――!?」

「お前は、その子に酷いことをしやがったよな? その報いを受けろ」

 

 青年の宣告が終わるや否や、ハンマーの兵士は逃げ出そうと試みた。少しでも身軽になるためか武器と大盾とを投げ捨てて、一目散に逃げ始める。

 

「逃がすかよ!」

 

 一陣の風が吹く。

 

「――ぬがっ!?」

 

 ハンマーの兵士はくぐもった声を上げ、あと一歩のところで辿り着けなかった扉に身体ごともたれかかり、そのまま床に崩れ落ちてしまった。

 

 青年の判断は迅速だった。逃げ出そうとしたハンマーの兵士の後頭部を、鞘に納まったままの長剣の柄頭で力いっぱい殴りつけたのである。

 

「ふん。鍛錬不足が祟ったな」

 

 青年は相手が気絶したのを確認すると、鞘入りの長剣を腰帯に戻した。その足で拷問部屋の一角を目指す。そこには虜囚となっていた人々の持ち物が雑然と積まれてあった。

 あの兵士たちに武具や高価そうな貴金属といった目ぼしい品物は奪われたのかもしれないが、背嚢(はいのう)や荷物鞄なども十数個ほど混じっている。そのうちのひとつを見つけ、ボクはあっと声を上げた。

 

「……ほら。これ、お前の荷物なんだろ?」

 

 青年が、黄緑色の肩掛け鞄を差し出す。――ボクの荷物だ。中には財布を含めた一切合切が全部入っている。今のボクの全財産だといってもいい。

 

 彼も彼の荷物らしい、年代物の背嚢(はいのう)を手にしていた。

 

「あ、はい。ありがとうございます!」

 

 ぺこりと頭を下げ、肩掛け鞄を受け取る。

 

 中には小銭が数枚のみの薄っぺらな財布の他に、必要最低限の生活用品が入っている。武器や防具、それに傷を癒す薬草などの(たぐい)は無い。どれもボクには必要ないし、荷物が嵩張(かさば)る。なるべく身軽なほうが魔物たちの追跡を(かわ)しやすいからでもある。

 

 でも、これからは、ちゃんとした武具を所持したほうがいいかもしれないな。さっきの兵士たちのような貧弱な輩から舐められないためにも。

 

(……うん、やっぱりボクにはできそうにないかも)

 

 ボクは生粋の剣士ではない。鈍くなった剣の腕を取り戻すには、それ相応の時間がかかる。それに「むしょく」だからルイーダの酒場に登録できる職業的な冒険者には、金輪際なれないわけだし。――などど心の中で言い訳を重ねながら肩掛け鞄を身に着けた。

 

「オレも愛用の短剣が戻ってきたことだし、ご機嫌だぜ。こいつさえあれば百人力なんだ」

 

 青年が背嚢(はいのう)から取り出した一振りの短剣を掲げて見せた。丸みを帯びた刃先が特徴的な、赤い柄の短剣である。刃と柄の長さが等倍のそれを、彼は腰帯に差した。さらに兵士たちに奪われていた背嚢(はいのう)を肩に担ぐ。

 

 ボクは、床に倒れ伏した三人の兵士たちを順繰りに見やった。三人目のリーダー格の兵士からは、すぐに目を反らしたけれど。

 

「ああ、あいつ等か? べつに殺しちゃいねえよ。ぐっすりと眠ってもらっただけだ。……だが、お前がこいつ等に復讐したいなら話は別だ。どうする?」

「いいです。こんな出来損ないの子羊なんて殺す価値もありません」

「――ぷっ。大の大人を子羊呼ばわりか、そいつはいいな」

 

 なにがそんなにおかしかったのか、青年が小さく噴き出す。

 

「さっきの話だけどな。もちろん、脱獄したんだ。見回りの兵士どもを撒くためにやたらと時間を食っちまったせいで、お前の身に危険が及ぶところだった。……すまねえな」

「とんでもありません。今回はボクを助けていただき、本当に感謝しています。ありがとうございました!」

 

 深々と頭を下げる。ボクは顔を上げると、一番知りたかった疑問を口にした。

 

「でも……あなたは、どうやって脱獄したんですか?」

「ああそれはな、とっておきのコイツを使ったんだ」

 

 青年が懐から何かを取り出す。彼は手のひらのそれ――先端部に可動式と思しき三本の棒が組み込まれている細長い棒状のもの――を弄び、得意げに笑った。

 

「それは……カギ、ですか?」

「こいつはな、鍵開けの名手バコタが丹精込めて製作した一点物の〈とうぞくのかぎ・改〉なんだ。……へへっ、デルカダール城の宝物庫から行きがけの駄賃にくすねておいたのが、役に立つ日が来るとはな。あのいけ好かない野郎と強面(こわもて)旦那の歯ぎしりした顔が、今にも目に浮かぶようだぜ」

「――えっ。城の宝物庫……ですか?」

 

 さらっと言われてしまったので、驚きは後からやって来た。

 彼は盗み、しかも城の宝物庫という難所からの大金星を堂々と打ち明けたわけだけど、彼の職業はおそらく「盗賊」だ。あのカギは、彼にとってみれば記念すべき戦利品(ハンティングトロフィー)なのだろう。

 かくいうボクも若い頃は随分と()()()()をしたものだ。子羊たちの世話を前任者から引き継いでからは、それどころじゃなくなったけれど。……なんだか懐かしくなってきたな。

 

「おっと。今はのんびりしている場合じゃねえな」

 

 青年が笑みをかき消し、真顔になる。カギを懐に仕舞い込み、ボクを見据えた。

 

「ここから早く脱出するぞ。騒ぎを聞きつけた近衛兵たちがおっとり刀で駆けつけている頃合いだ」

「はい! ありがとうございます!」

 

 ボクは深々と頭を下げた。

 

「勘違いするなよ? ……オレは、お前に命を助けられた借りを返す。それだけだからな」

 

 彼はそっぽを向き、ぶっきらぼうな口調で言った。ボクは思わず、唇を綻ばせたのだった。

 

 

      ●

 

 

「――ここだ」

 

 青髪ツンツン頭の青年が地下牢の一箇所を指差した。しかし、ボクには何も変哲もない壁の一部にしか見えない。

 

 ……いや、よく目を凝らして見てみると、正面の壁は左右の壁と比べると、ボクの人差し指の太さほどの厚みが出っ張っているようだ。しかも左右の壁には何かが擦れたようなキズが平行線状に見受けられた。視線を下げてみると、壁の真下に位置している床にはボクや青年以外の足跡が無数に残っていた。――なるほど、と頷く。

 

「ここの壁の向こう側に、ダーマ神殿地下深くの闘技場跡地へと通じる隠し通路があるんだ。その先は地下牢で出た死体の搬出口へと通じているらしい。つまり死体袋を搬出している生身の人間も通っているってことだ。きっと、ここから外に出られるはずだ」

 

 そう言って、青年が正面の石壁を慎重な手つきで触っていく。

 

 やがて隠しスイッチらしき窪みを見つけ、それを押し込んだ。ガコン、という腹に響く重低音とともに正面の石壁が真っ二つに割れていく。見る見るうちに隠し通路への入り口があらわれた。

 

 なるほど。左右の壁のキズは、隠し扉でもある正面の石壁が擦れた跡だったのだ。

 

「オレがあんな奴らから一方的に甚振(いたぶ)られたのも、ここの隠し通路の情報をなんとか引き出そうとしたからなんだ。……まあ、ちょっとドジを踏んじまって、半死半生になっちまったけどな。ミドがいてくれなきゃ、今頃ホンモノの死体として外に放り出されるところだったぜ」

「あ、あはは……」

 

 あまり笑えない冗談だ。ボクはぎこちない笑みを浮かべた。

 

「先を急ぐぜ。拷問部屋のタンスに押し込んだ三バカどもが、もうそろそろ発見されてもおかしくねえ頃合いだからな」

「はい」

 

 青年は同意したボクを、何か言いたげな表情で見た。細められた青い瞳の奥で鋭い痛みが走った気がした。

 

「もっと探せば良い服があったかもしれねえが、今はそれで我慢してくれ」

「……似合わないでしょうか?」

 

 ボクは己の身体を見下ろした。

 

 リーダー格の兵士からはぎ取った赤い外套から、深い紫色を基調とした(よそお)いに衣替えを果たしている。革製のブーツがセットになった、どこかの国の兵士用の旅装と思しき丈夫そうな衣服は、あの拷問部屋に置かれてあった荷物のひとつから青年が無断で拝借したものだ。

 男物のようだが、不思議なことにボクの背格好にはぴったりだった。……胸部が多少きつめなのは、目を瞑らなければならないけれど。

 

 ……最初、ボクは着替えるのを躊躇(ためら)った。他人の荷物を無断で拝借するのは気が引けたのだ。でも、あの腰に巻いただけの赤い外套のままだと激しい運動ができない。これから先、何が起こるか分からないので、結局は着用することを選んだのである。ちょうど靴も欲しかったところだし(それまでボクは素足だったのだ)。

 それにボクの胸元から外套がずり落ちてしまったら、ボクはともかく、まだ二十歳にも満たないだろう青年の目には毒だろうし。

 

「――いや」

 

 青年は、頭を振った。

 

「ただ、お前のその姿を見ていると、どこかの誰かを思い出しそうで……。……おっと、ヘンなことを言っちまったな。気にしないでくれ」

 

 彼は近くの壁の松明(たいまつ)を取り外し、右手に持った。彼が掲げた松明(たいまつ)の灯りが、ぽっかりと開いた隠し通路への入り口を頼りなく照らし出していた。




ミド
???
HP ???HP ???
MP ???MP ???
む: と:


■【よくわかる!】「ダーマの禁書」のわくわく呪文対策
 封印したり
 防護したり
 反射したり
 吸収したり
 無効化したり
 無対策だと約1200ダメージを与えつつ呪文特技封印状態にしたり
 9999ダメージ(強化版だと二回攻撃)を与えつつ呪文特技封印状態にしたり
 効果は同じだけど文字違いだったり

 当たるとダメージつきの外れを引く確率は6/24。大外れは2/24。
 うちひとつは攻撃モーション的に直下型地震を誘発しているっぽいから、ダーマ神殿の地下もろともぶっ壊されるけど(*‘ω‘ *)


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第七話 あいつの相棒

 地下深くに、戦闘音が断続的に響いていた。ボクが掲げた松明(たいまつ)の灯りが、ダーマ神殿の地下道をぼんやりと照らし出す。

 

 ――ボクたちの前にあらわれたのは魔物の群れだ。いつも半笑いを浮かべている水滴状の生物。長い尻尾を垂らした黒い吸血蝙蝠(こうもり)。鋭い針を得物にした小柄な獣人。檻状の小さな体躯に火種を抱えたランタンの悪魔。これらの魔物たちは、ダーマ神殿まで旅をしていたボクも、その道中で何度か遭遇したことがあった。

 この他にも黄色い風船めいたお化けだの、独りでに動く一つ目の鉄球だの、二振りの鋭利な鎌を備えた等身大のカマキリだの、といった見知らぬ魔物たちも何匹か混じっている。

 

 魔物たちとの交戦は、今回で六度目を数える。ボクは比較的安全なところで松明(たいまつ)を守る担当で、その全てを青髪ツンツン頭の青年がいとも容易く仕留めてしまった。

 

 青年は、目を見張るほど強かった。薄暗い地下道をその俊敏さを生かして駆けずり回り、魔物たちを搔き乱す。一秒たりとも同じ場所には留まらない。魔物を一刀のもとに(ほふ)るたび、軽やかなステップを踏みながら立ち位置を素早く変え、移動し続ける。狭い隘路(あいろ)という地の利を生かし、壁を背に複数の魔物たちから囲まれることなく上手く立ち回る。ひとりで敵複数を相手取るうえでのお手本のような動きで、十匹もの魔物たちを一度に相手取り、終始翻弄する。

 今回の戦闘もさしたる苦戦はせず、たったひとりで魔物たちを全滅させてしまった。

 

 ただ、今回は予期せぬトラブルが発生した。

 最後に残った、独りでに動き回る一つ目の鉄球――後で聞いたけど、あれは『リビングハンマー』と呼ぶらしい――が、いきなり自爆攻撃を仕掛けてきたのだ。意思ある鎖付き鉄球が見る見るうちに膨張し、眩い光が体内から漏れ出す。

 

「ちっ!」

 

 青年は持ち前の素早さと危機管理能力、そして類まれな動体視力を発揮して、自爆の寸前で魔物から大きく飛び退(すさ)っていた。

 その直後に、猛烈な爆風に乗って命を散らした魔物の破片が、四方八方に飛び散る。クラスター爆弾さながらだ。

 

 そして、不運にも破片のひとつが、青年の邪魔にならないように壁沿いで縮こまっていたボクの顔面に、ちょうど当たりそうになった。

 照明用の松明(たいまつ)を手にしているため、とっさには動けない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、今は青年がいる。さすがに()()を他人に見られるのは不味い。

 

「――――っ」

 

 ボクはとっさに首を捻り、リビングハンマーの破片を(かわ)そうと試みた。

 大幅に若返ったせいか、腕力はからっきしだが身のこなしには多少なりとも自信がある。それでも青年の素早さには程遠いけれど、ボクでもなんとか回避できるはずだった。

 

 ――しかし、不運というものは重なるものらしい。回避を急ぐあまり外れかけていた石床の縁に(つまづ)き、うっかり転びそうになる。今度は別の破片が、無防備になったボクの額目掛けて飛来した。

 

「――ふっ!」

 

 ボクの脳天に風穴が開くのは、ギリギリのところで回避された。自爆したリビングハンマーの破片を、青年が抜く手も見せぬ抜刀術で叩き落としたのである。

 金属同士が激しくぶつかり合う擦過音が響き、思わず耳がキーンとなってしまう。青年に叩き落とされた魔物の残骸は地下道の薄暗い奥のほうへと消えていき、すぐに見えなくなった。

 

 バランスを崩したせいで手元で激しく揺らめいている松明(たいまつ)を手に、転びそうになった身体を元に戻す。ボクは命の恩人に対して、深々と頭を下げた。

 

「……あ、ありがとうございます。おかげで助かりました」

「気にするな。――やれやれ、ダーマ神殿の地下が魔物の巣窟(そうくつ)になっているとはな」

 

 青年は悪態をこぼすと、少し刃毀(はこぼ)れをしてしまった兵士の剣を腰帯に差した鞘に納めた。リビングハンマーの破片を叩き落とした際に、少し無理をしたのだ。

 

 あのリーダー格の兵士は支給された武具の扱いに頓着しない性格だったらしい。常日頃から手入れを怠っていたせいで、シンプルな剣身には人間のものとも魔物のものとも判断しがたい血と(あぶら)がこびり付いたままだった。

 低級ばかりとはいえ魔物を十数匹も屠れたのは、青年の腕が優れているからだろう。冴え渡る居合術には、長年ありとあらゆる武技を観戦してきたボクも唸るほどだった。

 

「今のところは低級魔物ばかりで助かっているが……もう少し手強い奴らが混じると、こいつじゃ心許ないな。……もう少し、あの部屋で粘ったほうがよかったか?」

 

 青年は逆立った青髪を掻き、ぼやいた。「いや、目ぼしいモンはあらかた見繕っておいたか」と付け足す。

 

「もともと、ここにはたくさんの魔物が居たのですか?」

「いや、そんなウワサは聞いたことはねえんだが……いくら魔物が巣食う迷宮(ダンジョン)だからって一概に決めつけるには、ちょっと数が多すぎるな――!?」

 

 いきなり、青年が顔を強張(こわば)らせた。

 

「――っ。ミド、早く隠れろ」

 

 ボクも彼に倣い、近くにあった物陰に隠れる。手にしていた松明(たいまつ)も床に投げ捨てると、ブーツの底で何度も踏みつけ、松明(たいまつ)に灯していた炎を素早く消した。そのとたん、辺りが薄暗がりに包まれる。

 それでも真っ暗闇にならないのは、地下道の壁に一定間隔ごとに松明(たいまつ)が焚かれているおかげだ。これらの松明(たいまつ)は魔法で点灯されているのか近寄っても熱さを感じないし、松明(たいまつ)の芯も何時まで経っても燃え尽きる様子がない。

 ただ、殆どの松明(たいまつ)は年代物ゆえか消えてしまっているため、手元の松明(たいまつ)が無ければ視界は無いに等しい。……すっかり目が暗闇に慣れたボクたちには関係が無いけれど。

 

「――――」

 

 複数の足音が、ボクたちのいる方角に近づいている。息を殺し、物陰から少しだけ身を乗り出して何者か――十中八九、追っ手だろう――の出方を伺う。ボクと青年、ふたりの息遣いだけが聞こえる。

 

 やがて地下道の静寂を踏みにじったのは軍靴(ぐんか)の音だった。――もちろん、足音の正体はダーマ神殿の兵士たちだ。赤い外套に白銀色に光り輝く全身鎧――間違いない、彼らはダーマ大神官直属の親衛隊だ。ただ、武装はバラバラというわけではなく、お揃いの長槍を握りしめ、腰には長剣と短剣をそれぞれ一本ずつ帯びている。

 

 奇妙なことに、地下道に生息していた魔物たちは、親衛隊の行軍を見るなり引き潮のように壁沿いへと離れてゆく。自由気ままに空を飛ぶ吸血蝙蝠(こうもり)の『ドラキー』や、打ち捨てられたランタンに種火の悪魔が宿った『ランタンこぞう』といった、何時もは生息領域をフラフラとしているような気まぐれな魔物たちも、彼らの脇を素通りした。

 

(なっ――!)

 

 ボクは、軽く目を見張った。――この世界に生息している魔物といえば臆病な種族を除き、基本的に人間と見るや我先にと襲い掛かってくるような好戦的な連中ばかりだ。それは、あまりにも異常な光景であった。

 

 彼らの先頭を歩いているのは、ひと際目を引く巨躯を誇る二人組の男だった。それぞれ猪と虎を彷彿とさせる、粗野な顔立ちだ。片方は身の丈大ほどもある長大な棍棒を、もう片方は十字架状の風変わりな長剣を腰に()びている。

 このふたりのみ、あの親衛隊を意味する白銀の全身鎧と赤い外套を着用しておらず、代わりになめし革の粗末なチョッキとズボンを身に着けている。あの筋骨隆々な巨体では並みの防具など内側からはじけ飛んでしまいそうだから、止む無しなのかもしれない。

 

 どちらも拷問部屋に詰めていた三人組と同じだ。かなり暴力慣れしている。また、普段から他人を使うのに慣れている雰囲気が、その振る舞いの端々(はしばし)から感じられた。おそらく、かなり高い地位――親衛隊を率いる立場にいるのだろう。

 

「脱獄者を探せ! 茶髪碧眼の娘だ! 若い男の手引きを受けていると報告が上がっている! 若い男の生死は不問だ、だが娘のほうは必ず生きたまま俺たちのもとに連れてこい! 娘を五体満足で連れて来た者にはアントリアさまが望みの褒賞を出すと仰っている!」

「探せ! まだ遠くには行っていないはずだ!」

 

 二人組の男たちが大音声(だいおんじょう)で指示を飛ばす。思わず、耳を塞ぎたくなるほどのひどい濁声(だみごえ)だ。

 

 親衛隊の面々は、神妙な面持ちで――二人組の男に、(おそ)れを抱いているようにも見える――彼らの話を聞いていた。そして、話が終わるや否や敬礼をすると、蜘蛛の子を散らすようにバラバラに散開していった。

 二人組の男たちは冷笑まじりにその様を最後まで見届け、肩で風を切るようにして地下道の奥へと悠々と歩き去っていった。

 

「……イノップとゴンズの野郎か。よりにもよって、あいつらが出張ってくるとはな」

 

 物陰から少しだけ身を乗り出して彼らの様子を伺っていた青年が、顔をしかめた。声量を落としているので彼の声はボク以外には聞こえない。

 

「あいつ等はアントリアの子飼い、特に性質(たち)の悪い連中だ。おまけに二人揃って相当な手練れだ。さっきの図体(ずうたい)だけ立派だった木偶(でく)の坊たちとはワケが違う。あいつ等に捕まったら命はまずないと思え」

「はい」

 

 ボクの返事は、少しくぐもっていた。鼻を摘まんでいたからだ。

 青年が怪訝そうな表情になる。

 

「うん? どうした?」

「いえ……あの人たちから鼻を摘まんじゃいそうなほど、獣くさい悪臭がしたもので……」

「ははっ、獣臭いか。こいつはいいな。なんだか顔立ちも、見るからに魔獣っぽいからな!」

 

 青年が、小さく噴き出す。しかし、すぐに真剣みを帯びた表情を作った。なにやら考え込んだ様子で腕組みをする。

 

「……妙だな。魔物どもが、あいつらのすぐそばを素通りして行きやがった。……ちょっとおかしいとは思わねえか?」

 

「たしかに」ボクは首肯した。「これもダーマ大神官のアントリアさま……いえ、アントリアが魔族だから、でしょうか?」

 

 青年が頷く。

 

「たぶんな。この様子じゃ、アントリア直属の部下たちも魔族の息がかかっているのかもしれねえな。……チッ。こいつはますます面倒なことになってきやがったぜ」

 

 地下道に生息していた魔物と、仲良く共存するダーマ大神官直属の親衛隊たち。……たしかに、きな臭くなってきたようだ。

 

 

      ●

 

 

「こんなところにも宝箱があるんですね」

「こんなところだからこそ、あるんだ」

 

 青年は、ボクの言葉をやんわりと否定した。

 

「ここはダーマ神殿の隠された地下道――いわば「迷宮(ダンジョン)」だからな。こういった場所には先人たちが何らかの理由で残した宝箱が、手付かずで放置されている確率が高いんだ。ちなみに魔物たちの中にもいっちょ前に知恵をつけた連中が居てな、返り討ちにした旅人の持ち物なんかを、自分の棲み処に隠しておいたりもする」

「へえ」

 

 兵士たちをやり過ごすために入った小部屋の片隅には、赤い(ひつ)がひっそりと置かれていた。ふたりで協力して蓋を開けてみると、中には合金らしき材質の小さな硬貨が一枚だけ入っていた。

 

硬貨(ガラクタ)ですか。剣か短剣だったらよかったのに」

「……いや、ある意味ビンゴだぜ。こいつは『小さなメダル』といってな、好事家(こうずか)の王さまに渡せば珍しい景品と交換してくれるんだ」

 

 がっかりしたボクに、硬貨を手のひらで転がしていた青年が耳寄り情報を教えてくれた。

 

「へえ。好事家(こうずか)の王さまが蒐集した品なら、さぞや珍しい品物ばかりなんでしょうね」

「世界にただ一つしかない一点物の武具や装飾品、道具……たしか錬金釜のレシピなんかもあるらしいぜ。かくいうオレも、ガキの頃はこいつをよく集めたもんだ。……旅に出るときに嵩張(かさば)るから、まとめて家に置いてきちまったけどな」

 

 青年が硬貨を凝視していたボクを見て、首をひねった。

 

「うん? ミドはこういった骨董品に興味があるのか?」

「いえ、普段はそういうワケではないのですが……そのメダルを見ていたら、なんだか無性に気になってしまって」

「……ふーん。なら、やるよ」

 

 青年が指先で硬貨をピンと弾く。ボクは投げ渡された硬貨を、慌てて空中でキャッチした。両面には星型の模様が刻まれている。

 

「いいんですか?」

「ああ。お前が持っていたほうが、なんだか良い気がしたんだ」

 

「は、はあ……?」ボクは、目を(しばた)かせた。「――えっと。では、お言葉に甘えていただきますね」

 

 ペコリを頭を下げ、小さなメダルを肩掛け鞄の奥に仕舞い込む。その様子を腕組みをしながらじっと見ていた青年が、だしぬけに言った。

 

「ミド、お前はこういう宝箱には興味をあまり示さないんだな。道中のタルやツボも全部素通りしていたし」

「えっ?」

 

 ボクは、きょとんとした。青年が少し困った表情を浮かべて、逆立った青髪を掻いた。

 

「――いや、な。()()()は、目に付いた宝箱という宝箱を片っ端から開けまくっていたからな。道端で見つけたツボやタルなんかも脇目も振らず叩き割って、中身を取り出していたし」

「それはまた……その方は、ワイルドなんですね?」

「ああ。()()()はな、よく赤の他人の家に土足で入り込んでは金品を物色していたんだ」

 

 ボクは目を丸くした。青年はそんなボクを尻目に遠くを見つめるような目で、懐かしそうに何某(なにがし)との思い出を語ってくれた。

 

「民家のタンスや宝箱を物色して目ぼしい中身を根こそぎ持ち去る。軒先に並べられているカボチャも、よく踏み荒らしてたし。……ああ、そうだ。たしか本棚に納められていた本も家主に無断で持ち去っていったな」

「えっと、それって――」

 

 どっからどう見ても強奪行為、器物損壊罪だ。

 仮にボクの国で同じことを仕出かしたならば、市中(しちゅう)を巡回している警邏隊(けいらたい)が一日以内に逮捕し、留置場もしくは刑務所にぶち込むだろう。

 

「こう言っちゃなんだが、()()()はオレなんかよりも、よっぽど「盗賊」らしい男だったからな。()()()と旅をしている最中にも、「こいつは、ひょっとしたらオレよりも「盗賊」に向いているんじゃねえか?」って感心したぐらいだ。……でも、()()()はオレみたいな「盗賊」じゃ……無かったはずだ。たぶんな」

 

 ……うん? 「盗賊」ではない? では、その人は「盗賊」の上級職――「海賊」だったんだろうか? 「盗賊」と「海賊」はどちらも盗みの腕に長けた戦闘職だ。

 

「――ミド、()()()はな」

 

 内心で首をひねっていると、青年が語り掛けてきた。過ぎ去りし時を懐かしむかのように青い目を細め、頬を緩ませながら。

 

「正義感が強くて、困った人を決して見捨てず、世界のために命を賭けて戦う。心優しくて、お人好しで、仲間想いで。()()()()()最も勇敢で、たとえ何が起きたとしても絶対に諦めようとはしなかった。きっと自分の命を天秤にかけるような重大な選択ですらも、なんの躊躇(ためら)いもなく選んじまうんだろう。……()()()はな、すげえヤツだったんだ」

「はい」

「――肝心の名前をド忘れしちまったオレが言うのもなんだけどな、()()()はオレの自慢だったんだ」

「はい」

 

 ボクではない誰かを、そして、どこか遠くを見つめて、ぽつりぽつりと話す青年。ボクは彼の話には口を挟むことなく、相槌を打つ。

 彼の口調からは強い郷愁の念を感じた。その「あいつ」とやらが誰かはボクには皆目わからないけれど、彼にとってかけがえのない人なのだとは容易に推測できる。

 

「ミド。実はな……お前と一緒にいたら、その懐かしい誰かを思い出しそうになるんだ。ずっと前に、オレは()()()と世界中を旅して、あの天上に浮かぶ命の大樹に昇って。空の彼方(かなた)で、何かとてつもない邪悪な存在と戦ったような……そうじゃないような……」

 

 しばらくの間、青年は俯き加減で考え込んだ様子だった。ふう、と小さく吐息を吐き出し、(おもて)を上げる。自嘲めいた微笑みが、そこにはあった。

 

「ただの、夢物語だ。だけどな、そんな懐かしい記憶がオレには確かにあるんだ」

 

 青年が、「……オレ、ちょっとヘンだよな?」と皮肉そうに頬を歪めた。

 

「あの天上に座す命の大樹に到達できた人間は歴史上ひとりもいない。星空の天使たちや竜神族といった伝説上の種族が訪れた……なんて御伽噺なら、ガキの頃に一度や二度は聞いたことがあるが……。それに、とてつもない邪悪な存在ってなんだよ? って話だよな。オレみたいな一介の「盗賊」如きが、聞いて呆れるぜ」

「――いいえ」

 

 ボクは、ゆっくりと頭を振った。青年が、少しだけ目を見張っている。

 

「ボクは、あなたの話を信じますよ。だって、あなたがその方の話をしている時、とても嬉しそうな顔をしていましたから。たぶん、あなたとその方は浅からぬ縁で結ばれた間柄……」

 

 ボクの口から、するりと続く一言が出た。

 

「そう……あなたにとって、その方はもしかしたら相棒のような、かけがえのない存在だったのかもしれませんね」

「そうか。――相棒、か」

 

 青年が何度も頷き、「……相棒、相棒」と口腔内で反芻(はんすう)する。

 

「へへっ、そうだな! きっと、オレは()()()の相棒だったんだ! ありがとな、ミド!」

 

 青年は白い歯を見せて、にっと笑った。たぶん、これまでで一番嬉しそうな笑顔だった。

 その笑顔が眩しくて、なんだか胸にチクリと小さなトゲが刺さって。ボクは少しだけ。ほんの少しだけ、彼から視線を反らしてしまったのだった。

 

「――よし、兵士どもを上手く撒けたようだな。……ミド?」

「はいっ!?」

 

 いきなり背後から声をかけられ、ボクは思わずひっくり返った声をあげてしまった。

 

 ――いや、これは単にボクがボーっとしていただけだろう。外の様子を探りに行っていた青年が、少し怪訝そうな顔でボクを見つめている。

 

「どうしたんだ? そんなに思いつめた顔をして?」

「すみません、少し考え事をしていました。先を急ぎましょう」

 

 青年は何も言わず、ボクに頷いた。

 

「地下闘技場跡地までは、もうひと踏ん張りのはずだ。魔物や兵士に見つからないように慎重に行くぞ」

「はい」

 

 ボクは青年とともに小部屋を後にしながら、きゅっと口元を引き結んだ。「英雄(ミド)」になるべく己の理想に燃えていた、かつてのボクを思い出したせいで。

 

 ……なんということはない。ボクは、青年が眩しかったのだ。その、名も顔もわからぬ一人の少年を想う彼の気持ちに、嘘偽りが――不純物が、一切無かったから。人が人を純心に想う気持ちは、なんと尊く素晴らしいことか。

 

 それはボクが、とっくの昔に失くしたものだった。




ミド
???
HP ???HP ???
MP ???MP ???
む: と:


*「へへつ。 なんだか なつかしいな。
  オレのあいぼうが はなしにはじめて とうじようした ときだよな!

*「さいしよは 「とうぞく」か「かいぞく」かなと
  すつかり おもいこんでいましたよ。
  「ゆうしや」が することとは とてもではないけど おもえませんでした。

*「そうか? ほかのやつらも にたようなことを やつてるぞ?

*「それはそれで……どうなんでしよう?


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第八話 命懸け

「――お前らもいい加減にしろよ。さっきから、ぞろぞろと現れやがって」

 

 青年が左手の武器を構えつつ、うんざりした口調で言った。

 

 青年が手にしていたのは愛用の短剣や兵士から奪った長剣ではなく、「く」の字に折れ曲がった金属製の武器だ。鋼鉄の板を薄く研ぎ、持ち手の部分以外を刃状に成形した、見るからに剣呑そうな投擲武器――ブーメランである。これも小さなメダルと同じく、地下道の片隅にポツンと置かれてあった赤い宝箱から入手したものだ。

 

 ブーメランは扱いが難しく、その道の達人以外には持て余す上級者向けの武器だが、青年は持ち前の器用さを生かし、上手く扱っていた。

 

「切り裂けッ!」

 

 雁首(がんくび)並べた低級魔物たちを投擲武器がまとめて薙ぎ払っていく。青年は手元に戻ってきた鋼鉄製のブーメランを難なくキャッチすると、再度投げるために身構えた。

 

 しかし、二度目の投擲はしなくてもよかったようだ。目の色を変えてボクたちに襲い掛かってきた魔物たちは先ほどの攻撃で全滅していた。壁沿いには臆病なスライムや気まぐれなドラキーが数匹いたはずだけど、戦闘のどさくさに紛れて逃げ出したようだった。

 

「――ふぅ」

「おつかれさまでした」

 

 小さく吐息をついた青年を(ねぎら)う。青年は鷹揚に頷き、真新しいブーメランを懐に収めた。

 

「こいつが心許ない以上、新しい武器を手に入れることができたのはラッキーだったな」

 

 そう言って、腰に()びた長剣の柄頭を軽く叩く。

 普段から手入れを怠っていたリーダー格の兵士の長剣は刃毀(はこぼ)れがひどくなる一方で、あと数合でも打ち合えば剣身が根元から砕け散ってもおかしくはなさそうだった。

 

 たしかに彼が言う通り、逃避行をしながらも新しい武器を入手できたのは幸運以外の何物でもなかった。しかも複数の敵をまとめて攻撃できる強力な武器だ、戦力は大幅に高まったといってもいいだろう。

 それに地下道に生息していた魔物たちは徒党(グループ)を組み、複数で襲い掛かってくるのが常。青年が愛用している短剣や兵士から奪い取った長剣では、複数体をまとめて相手取るのは少しきつかったみたいだし。

 

「ミド、お前の嗅覚には恐れ入るぜ。あんな目立たないところにあった宝箱を発見しちまうとはな。お前、実は「盗賊」の才能があるんじゃないか?」

「えっと、ありがとうございます?」

 

 青年からの誉め言葉に、ボクはどうしていいのか迷ったが、素直に頷いておくことにした。

 青年が新しく装備した〈やいばのブーメラン〉は、ボクが発見した宝箱に入っていたものだ。大量のタルやツボが並ぶ一区画の片隅に、目立たぬようにして安置されていた赤い宝箱を、ボクが見つけたのである。

 

 ……といっても偶然の産物なので、こうやって褒められるほどではないとは思うんだけど。でも、誰かに褒められるなんて、かれこれ何年ぶりだろうか。ちょっと嬉しい。

 

「本当に迷宮(ダンジョン)には色んな物が落ちているんですね」

「これが危険と未知が渦巻く迷宮(ダンジョン)探索の醍醐味ってヤツだな。……まあ、今は暢気に探索をしている場合じゃないんだが」

 

 青年が肩を小さくすくめ、地下道の壁にチラリと目をやった。そこには壁にもたれかかり、項垂(うなだ)れたまま気絶している兵士が二人。すぐ傍には彼らが装備していた長槍が石畳の上に転がっている。

 

「……人間と魔物たちが徒党を組んで、仲良く襲ってきやがるとはな。どうやらダーマ神殿の親衛隊は新しい警備の仕組みを導入したみたいだな」

 

 この世界の魔物たちとはボクがダーマ神殿を訪れるまでにも、何度か遭遇してきた。その経験に基づくのであれば、この世界の魔物たちの生態系は、ボクの世界に生息していた魔物のそれと、さほど変わっていないように見える。

 

 この世界には神が創りたもうた生きとし生ける者たちに入り混じり、魔に当てられたモノ――すなわち『魔物(モンスター)』が数多く生息している。野生の獣たちの中には魔に当てられ、魔物化したものもいる。

 これらの魔物はスライム系、獣(魔獣)系、(ドラゴン)系、自然系……といったふうに細かく分類化されており、魔物の系統は全部で十二種類もあるらしい。

 

 その一方で、魔物たちが人間たちと共生するのは珍しくはない。魔物の中には少なからず人族――青年のような人間を始めとした種族と共存する者もいる。そのため、一概には悪しき者と一括りにしてもよいとはいえない存在であるらしかった。そう――人間にも善き者と悪しき者、両方いるのと同じように。

 

 モンスターじいさんやタマゴ鑑定士、魔物管理人のような、そんな魔物と共にいることを選んだ人を支援する人々もいるし、モンスター・バトルロードやモンスター格闘場といった、各々が育てた魔物同士を競わせる一風変わった施設も、この世界のどこかにはあるそうだ。

 

 野生の魔物を使役し、共に戦う職業もダーマ神殿には伝わっている。「魔物使い」や「モンスターマスター」、「魔物ハンター」といった職業が該当する。

 だが、それは専用の職業に就いている者たちが使役する魔物の近くにいてこそだし、野生の魔物を自在に操る手段はないとされている。つまり、ダーマ神殿の親衛隊と、地下道の野生の魔物たちの共同戦線は、はっきり言ってしまえば異常――明らかに理解の埒外(らちがい)にあった。

 

 これは余談だけど、ボクの世界には野生の魔物を服従させる魔法がある。

 どんな強大な魔物も成功さえすればシモベに加えてしまう、とても強力な魔法だけど、発動の際には専用の呪文書(スクロール)が必要で、現代ではボク以外にその入手方法を知る者はいない。しかもここは異世界だ、あの()()を扱える人間はいまい。

 

「……あの、戦力は多いほうに越したことは無いと思います。これからはボクも戦わせてください」

 

 魔物との戦いを青年に一任するのは年長者としての沽券(こけん)に関わる。ボクは挙手して、彼に提案した。

 

「ダメだ」

 

 しかし、青年の返答は冷たかった。ボクの右手にある松明(たいまつ)を指差す。

 

「お前には松明(たいまつ)を持つ大事な役目があるだろ? 松明(たいまつ)を持ったままじゃ、さすがのオレも満足に戦えねえからな。これも適材適所だと思ってくれ」

「で、でも――あなただけが戦っていて、ボクだけが何もしないのは……」

 

 しどろもどろになりながらも、地下道を探索しながらも自分なりに考えていた意見を述べる。なおも食い下がるボクを見つめ、青年が肩を小さくすくめた。

 

「何もねえところですっ転ぶお前が魔物と戦うのか? どんくさくて、おまけに戦いに不慣れなヤツのお守りをしながら戦えるほど、オレは強くもなければ小器用でもないんだぞ?」

 

 うっ、と言葉が詰まる。

 ボクはこれまでに何度か朽ちた石畳に蹴躓(けつまず)き、危うくすっ転びそうになっていた。毎回のように青年がその都度助け起こしてくれたが、これが戦闘時であればお荷物もいいところだろう。

 

「それにお前は丸腰だろ? お前には、どうせ格闘術の心得なんてないだろうしな」

 

 たしかに、ボクには青年のように徒手空拳(としゅくうけん)で戦う(すべ)を持たない。

 

「だいいち……兵士や魔物たちが落とした武具に見向きもしなかったじゃねえか。宝箱の中身も、さっきからオレに譲ってばかりだろ」

 

 この世界の魔物は旅人などから奪った武器や防具、道具などを後生大事に所有している場合がある。青年の指摘はそのことを指しているのだ。

 青年は〈兵士の剣〉に〈はがねのブーメラン〉と順調に武装を増やしていった。その一方で、ボクはそれらの武器防具の装備を頑なに拒んできた。重たいものは嵩張(かさば)るからと言い訳をしてきたけれど、本音は違う。

 

「ミド。お前って……もしかしたら戦うのが嫌いじゃないか? オレにはお前が戦いを忌避したいようにみえるぜ?」

「そ、それは……」

 

 ボクは、ぎくりとしてしまった。図星を指した青年が何かを言うよりも先に、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 

「「ダーマの禁書」のチカラがあれば――」

「「ダーマの禁書」に秘められていた“大いなる深淵のチカラ”は、闇と混沌を司る悪しき神々のチカラでもあるんだろ? お前はちゃんと制御ができるのか?」

「そ、それは……その」

 

 さっ、と目を反らす。

 

 答えは「いいえ」だ。ボクは(くだん)の「ダーマの禁書」を扱いこなすどころか、そのチカラの片鱗すらにも届いていない。

 ……というか、伝説の秘宝サマはとんでもない欠陥品だったのだ。

 

 これまでの短い間で、「ダーマの禁書」についてわかったことが幾つかある。

 まず、「ダーマの禁書」はボクの身に危険が及びそうになると高確率で反応する。先ほどの魔物との戦闘中にも、幾つもの文字列が目の前を踊っていた。

 

 次に、「ダーマの禁書」に封じられていた呪文や特技――たしか青年は「スキル」と呼んでいた――の効果は()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 きちんと魔法の専門家によって系統付けられている呪文類はまだいいほうで、問題は特技だ。文字の響きから効果をなんとか読み取るしかない。

 

 最後は、危険回避の手段を()()()()()()()()()()()()、ありがた迷惑な点だ。

 「ダーマの禁書」に眠っている呪文や特技の数は膨大で、たぶん数十や数百ではきかない。その場に相応しい呪文や特技も、それ相応の数にのぼるだろう。それらを全部提示するのが、「ダーマの禁書」の最大の欠陥といっても過言ではなかった。

 

 その場に相応しい呪文や特技を提示してくれるのはいいけど、技の強弱や使い勝手は度外視しているのだから不便という他ない。狭い室内で《バギ》を唱えようとした兵士に対しても「ダーマの禁書」は反応したけど、あの時も明らかに分相応(ぶんそうおう)の呪文や特技まで含んでいたような気がしてならない。

 せめて《ベホマ》の時みたいに、どれか一つに絞ってくれよと言いたい。……いや、あの時はナゾの念話がボクに届いただけで、例の文字列は浮かんでいなかったっけ?

 

 ――まあ、とにかく。その場を凌ぐ()()()手段を提示してくれるのはありがたいけれど、融通が利かないのが不便すぎる。ボクにしてみたら威力も範囲も効果も全然わからないのだから、試しに使用してみて大惨事、なんて事態になれば目も当てられないし。

 中には使用者のボクごと周囲を吹き飛ばす危険な代物もあるかもしれないし、もしかしたら周辺の地形が変わるほどの大災害をもたらしかねないものもあるかもしれないのだ。ちゃんとした取扱説明書を用意してほしい、というのがボクの本音であった。

 

「ミド。……べつにオレはな、お前を困らせるために言っているワケじゃないんだ」

 

 青年が少し困った表情を浮かべ、逆立った青髪を掻いた。

 

「お前の気持ちも汲み取ってやりてえのはオレも重々承知しているさ、だけどな……これはお前のためでもあるんだ。戦いが不得手なお前が前に出たら、オレの身に危険が及ばないとも限らねえ。……それは、わかるよな?」

「――はい」

 

 神妙に頷くボク。それを見た青年が、ふっと口元を緩ませた。

 

「いいか、ミド。お前はオレたちの切り札だ。お前の「ダーマの禁書」は、どんな苦境をもひっくり返しうる可能性の宝庫だ。それは、そいつのおかげで瀕死の重傷から生還できたオレにも、なんとなく理解できる。……だけど、そいつは同時に災いの坩堝(るつぼ)にもなり得る。そんな気もするんだ」

「――災いの、坩堝」

 

 青年の言葉がボクに重たく圧し掛かる。

 

「こういった迷宮(ダンジョン)に巣食う魔物には『パンドラボックス』っていう、伝説上に謳われる厄災の箱の名から(あやか)ったトラップモンスターがいる。こいつの名前はな、とある女が厄災の箱を好奇心に負けて開けたら、この世のありとあらゆる災厄が箱から飛び出しちまったっていう故事から名づけられているんだ」

「災厄の箱……」

 

 ボクは青年の言葉を反芻(はんすう)した。青年が話を続ける。

 

「「ダーマの禁書」……そいつは、パンドラの箱だ。ありとあらゆる厄災が詰まっている。でも、故事の通り希望もある。それはミド、きっとお前自身だ」

「ボクが……?」

「そうだ。お前の使い方次第で、「ダーマの禁書」は善にも悪にもなり得る。お前がじゃじゃ馬な伝説の秘宝の手綱を取ってやれる、唯一の人間なんだ。……だけど、それはまだお前にはたぶん早すぎる」

 

 青年は、ボクをじっと見つめた。口の端には微苦笑めいた笑みが浮かぶ。

 

「お前が戦闘中に目を白黒させているのを、オレもチラッと見ているしな。たぶんあれは、そいつのチカラを持て余しているからじゃないのか?」

「……参りましたね」

 

 ボクはお手上げ、とばかりに両手を上げた。松明(たいまつ)の炎も揺れ動く。

 

「ボクのことは、すっかりお見通しですか」

「まあな。お前みたいな危なっかしいヤツと旅をした……記憶が、あるからな」

 

 肩を小さくすくめ、述懐するように目を細める青年。ボクは、しっかりと頷いた。もはや包み隠す必要もなかった。

 

「あなたの言う通りですよ。実はあの意味不明な文字列がボクの目の前をしょっちゅう流れているんです。おかげで、すっかり気が滅入ってしまいました」

「やっぱりな。そんなことじゃねえかと心配していたところなんだ」

 

 青年がニヒルに笑った。釣られてボクも笑う。

 

「でも、そいつは使い方さえ間違わなければ、お前に多大な恩恵をもたらすのも事実だ。ようは使い方次第ってワケだ。……オレが言っている意味、わかるな?」

 

 ボクは、こくりと頷いた。

 

「どうしようもないとき以外には、絶対に使わない。……これでいいですか?」

「ああ。そうならないように、オレがお前を守ってやる。こう見えて、オレはけっこうやるんだぜ?」

「はい。短い間ですが、これからもよろしくお願いします」

「おう」

 

 ぺこりとお辞儀をするボクに、青年が鷹揚に頷く。

 

「うう……」

 

 長話をしすぎたせいかもしれない。そのとき壁にもたれかかっていた兵士のひとりが、小さく身じろぎをした。青年が大股で彼の元に歩み寄ると、腰帯から引き抜いた長剣の柄頭で、その後頭部を殴りつける。

 

「うごっ!?」

 

 くぐもった声とともに夢の世界へと再び旅立つ兵士。ボクは少しだけ気の毒に思った。

 

「――おっ、そうだ」

 

 気絶した兵士たちを見下ろしていた青年が、にやりと笑った。

 

 なにか名案を思い付いたらしい。青年は兵士が腰に()びていた長剣を引き抜くと、彼の手元にあった刃毀(はこぼ)れがひどい長剣とを取り換えた。

 ダーマ大神官の親衛隊員たちに配布されている長剣は、同じ鋳型から鍛造された量産品なのかもしれない。新しい長剣は青年が拷問部屋に詰めていたリーダー格の兵士から奪い取ったなめし革の鞘に、ぴったりと収まった。

 

 新しい長剣を腰帯に差した彼に、ボクは少しだけ咎める声音で言った。

 

「それって、強盗ではありませんか?」

「いいんだよ。オレは「盗賊」だからな」

 

 青年は悪びれもせずに言い放った。ボクもそれ以上は何も言わない。

 彼は新しい長剣の具合を確かめるべく、なめし革の鞘から引き抜き、そして剣身をまじまじと見つめた後、無言で鞘に戻した。

 

 小さく、ため息をこぼす。

 

「こいつら、揃いも揃って武器の手入れを怠りやがって……」

「……たぶん、悪いことをしたバツじゃありませんか?」

 

 ボクは、ぼそりとつぶやいた。

 

 

      ●

 

 

 物陰から身をそっと乗り出し、地下道の先を眺める。

 丁字路だ。向かって右手側、すなわちボクたちの視線の延長線上には、地下道の奥へと続く出入り口があった。

 

 ただし、そのど真ん中には見上げんばかりの大きな生き物が鎮座している。墨のように真っ黒な鱗がびっしりと生えた巨体が、ゆっくりと上下に動く。華奢なボクの身体など一飲みにしてしまいそうな巨大な(あぎと)からは、規則正しい呼吸音が漏れ出ていた。

 

 ――地下闘技場跡地への道。その巨体で以て目的地への出入口を塞いでいた竜種と思しき黒い魔物は、深い眠りについていた。その背には骨と骨の間を皮膜が繋ぐ一対の翼があり、今は小さく折り畳まれている。

 

「――げ、マジかよ。狂暴なブラックドラゴンもいるとか、そんなの聞いてねえぞ」

 

 物陰から出入り口の様子を慎重に探っていた青年が顔を大きくしかめる。

 黒い魔物が放つ威圧感から薄々気づいていたが、ボクは彼の慌てふためきようから、のっぴきならない相手だと改めて理解した。彼に習い、竜種の黒い魔物をもう一度見た。

 

 その全身は漆黒の鱗で覆われ、背骨から長く太い尻尾に沿って鋭いトゲがびっしりと突き出している。頭部にはトサカと二本の角があり、口内にはずらりと鋸状の牙が並ぶ。

 両足は地上で二足歩行をするために発達したらしく、太く強靭である。これに対して、人間でいう胸部のところでだらりと垂れ下がっている両手は退化しているのか、大きな体躯に似合わず、かなり小さめだ。それら手足の先には獲物を引き裂くための猛禽類のごとき鋭い鉤爪をもち、頭上の天井にびっしりと生えている光ゴケの反射して鈍く輝いていた。

 

「あいつは獲物とみなした人間たちを甚振(いたぶ)るのが趣味でな、自分の狩り場にのこのこやってきた人間を、面白がって追い掛け回すこともある。強さは地下道に生息していた低級魔物たちの比じゃない。……くそ、こんなところにブラックドラゴンがいるとはな。完全に想定外だぞ」

 

 青年が顔をしかめながらも、無知なボクに黒い魔物の解説をしてくれた。

 

 『ブラックドラゴン』は(ドラゴン)系魔物のなかでも強大な闇のチカラを備えた上位クラスの竜種らしい。その攻撃の多くは巨体を生かした周囲の敵をまとめて薙ぎ払う《テールスウィング》や相手を一時的に怯ませる《おたけび》などの物理攻撃で、ときどき炎属性の吐息(ブレス)攻撃である《はげしいほのお》を吐くそうだ。

 特に吐息(ブレス)の威力は凄まじく、まともに浴びた人間の大人が消し炭にされかねないほど。時には強固な岩盤をも易々とくり抜き、跡形もなく溶かしてしまうのだという。

 知能も人間並みか、それ以上に高いらしい。

 

「なるほど。この世界には、ああいう大型タイプの竜種が現存しているのですね」

 

 ボクは(ひと)()ち、熟睡しているブラックドラゴンを興味津々に眺めた。

 

 ボクの世界にも竜種は生息していたけれど、その殆ど――特に中型から大型個体――は既に全滅している。

 僅かに生き残っている小型の竜種もその数が年々激減しており、現在では絶滅危惧種として認定され、特定の保護区域で厳格な管理のもと一定数が飼育されている。各国の有力者や専門の研究者でなければ、直に接する機会はない。

 ボクもここ最近は、たった数回しか実物を拝んだことがなかった。

 

「……()()()()?」

 

 青年が眉根を寄せて、何かを小声でつぶやいた。居住まいを正し、ボクを見据える。

 

「ミド、予めお前には言っておく。お前はくれぐれも、あいつ目掛けて真っ直ぐに突っ込んだりするような、無謀な真似は絶対にするなよ?」

「やりませんよ。そんなの、命が幾つあっても足りないじゃないですか」

「だよな」

 

 ちょっと微妙な表情で同意をする青年。彼は口元に微苦笑を刻んだ。

 

「いやな、お前みたいな年頃のヤツに口を酸っぱくして何度も忠告したのに、結局は棒に振られた苦い記憶があるんだ。――って、オレとしたことが。こんな時にヘンなことを喋っちまった。気にしないでくれ」

「は、はぁ」

 

 それは、青年が言う「あいつ」なる何某(なにがし)かもしれないな。ボクはそう思ったのだった。

 

 だとすれば無鉄砲というか、向こう見ずというか、無謀というか……。やはり、その「あいつ」とボクは、似ても似つかないんじゃないかなあ。

 

「しかし……参ったな。あいつが通せんぼをしている通路のちょうど向こう側に、オレたちの目的地があるはずなんだが……。あのバカでかい図体を何とかして退()けないことには話にならねえな……」

 

 顎先に右の手の甲を這わせ、ううむと考え込む青年。ボクもまた困り顔になる。

 

「別の道を探すしかないのでしょうか?」

「ああ。真っ向勝負を挑むには、ちょいと荷が重たい奴だからな。今回はそうするしかねえみたいだ――」

 

 青年が話の途中で、唇に人差し指を押し当てた。素早く周囲に視線を這わせる彼に倣い、ボクも耳を澄ませた。

 

「チッ。あいつらめ、もう追いついて来やがったのか」

 

 忌々しそうに唸る青年。真正面側の通路からボクと青年がいる地点へと、複数の足音が接近している。十中八九、追っ手の兵士たちだ。

 

「……ったく、しょうがねえな」

 

 辟易した様子で青年がつぶやいた。熟睡しているブラックドラゴンを指ぬきグローブで包まれた左手で指差す。

 

「ミド。オレの話をよく聞け。今からオレがあのデカブツを叩き起こして、オレたちが今いる反対方向の道へと上手く誘導する。お前はその隙に、あそこの通路まで走り抜けろ」

「えっ? それじゃ、あなたが……」

「オレの足の速さは、お前もよく知っているだろ? なあに、あんな鈍重そうなデカブツに追いつかれるようなヘマなんてしねえさ。それに、今のオレには()()()()()()()があるからな」

 

 目を丸くしたボクに、青年が不敵に笑う。ボクは少しだけ迷ったけれど、不承不承頷いた。

 

「……わかりました」

 

「よし」青年が頷く。そして、少しおどけた調子で言った。「でも、しくじるなよ? お前、ちょっと危なっかしいところがあるからな」

 

 ボクもまた涼しい顔で答えた。

 

「そちらこそ。今回はうっかり相手を挑発しすぎて、逆に自分の身を危うくしないようにしてくださいね?」

「……お前、けっこう言う奴なんだな」

 

 ボクから言い返されるとは思ってもみなかったようで、青年がかなり意外そうな表情をしている。

 

「伊達に長生きはしていませんから」

「うん?」

「あ、こちらの話です」

 

 きょとんとした青年に、ボクは首を振った。

 

「――よし。じゃあ、やるとするか」

 

 青年はそう言い残すと、散歩でも行くような軽やかな足取りで黒い巨竜の元へと歩を進めた。彼我(ひが)の大きさは、乳飲み子と大人ほどもある。遠くから見るよりも断然迫力があるとは思うが、彼の歩みには迷いが無かった。

 

「いいもん食わせてやるからな」

 

 彼の右手には背嚢(はいのう)から取り出した生の骨付き肉があった。拷問部屋の片隅に何故かあったものを、元の持ち主に黙って失敬したものだ。彼が言うところの()()()()()()()である。

 

 ちなみにボクと青年も人間用の食事の包みを二人分頂戴しており、これまでの道中で食べ切っている。パサパサな黒パンが一切れと、堅すぎる干し肉が一欠けら、そして少しカビの生えた穴あきチーズが半分だけという豪勢な食事だったが、無いよりはずっとマシだった。

 ボクは飢えて死ぬことは無いし、食事の内容は劣悪の一言だけど、複数人で食べるという食事はそれだけで嬉しいものだ。この世界に転移して、その喜びを久しぶりに味わった。

 

 これは余談だけれど、青年の話では、地下牢の囚人たちの食事は拷問部屋の兵士たちによって毎日一食ずつ用意されるらしい。

 だが、これが実は曲者で、当直の兵士たちの裁量ひとつで食事の時間が遅れたり、酷いときには三日以上も食事が一切無いケースもあったそうだ。昨日入牢したばかりのボクのぶんも、当然のように用意されてはおらず、もしかしたらあの二人分の包みは本来であればボクと青年用に配給されるはずだった今日のぶんの食事かもしれない、と青年は言っていた。

 

 ……度が過ぎた拷問で負った傷で死ぬのも、飢えて死ぬのも、監督官でもあるはずの一兵士の裁量次第とは聞いて呆れる。

 

 仮に死刑を待つ重罪人だからといって、無下に扱われていいわけがない。

 囚人に対する不当な冷遇は兵士たち、ひいてはその上の上司といった監督官たちの連帯責任に当たる。囚人を含め、全ての国民が最低限度の衣食住を確保されているボクの国では絶対に考えられないことだ。

 

「ほら、起きろ。飯だぞ」

 

 青年が通路のど真ん中を塞ぐブラックドラゴンに声をかける。

 うたた寝をしている黒い巨竜は無反応だ。青年は意に介した様子もなく、規則正しい呼吸音を響かせるブラックドラゴンの鼻面(はなづら)に、生の骨付き肉をゆっくりと近づけた。

 

 生の骨付き肉は魔物にとっての御馳走らしい。新鮮な肉に釣れられたせいか、かなり深い眠りについていたはずのブラックドラゴンが、ぱちりと目を見開いた。

 

「お、やっと起きたな。ねぼすけめ」

 

 寝ぼけ眼をしているブラックドラゴンが、目の前にいる青年を視認する。細長い瞳孔を細め、(いぶか)しそうに頭を傾けた。ひょっとしたら、彼のことを餌係だと思ったのだろうか。青年はブラックドラゴンの覚醒を確認した直後に、黒い巨竜に視線を固定したまま、ゆっくりと後退(あとずさ)りを始めている。

 

 いきなり、ブラックドラゴンの双眸に強い光が宿る。青年を丸呑みできそうな口からは大量の涎が滴り落ちた。黒き巨竜が地下道全体を震わせるような咆哮を轟かせる。次の瞬間、少し離れた場所で骨付き肉を掲げている青年目掛け、脇目も振らず突進した。長い首をもたげ、強靭な(あぎと)で彼の右腕を噛み砕こうと――いや、生の骨付き肉に齧り付こうとする。

 

「そうだ。お前の飯だ」

 

 涎を垂らしたブラックドラゴンが青年に迫る。青年は俊敏な身のこなしで左に横転しながらこれを(かわ)すと、素早く起き上がった。そこに皮膜の翼を羽ばたかせ、巨躯に急制動を掛けてUターンしてきたブラックドラゴンが凄まじい速度で突進してくる。

 

「そらっ!」

 

 青年が、骨付き肉を頭上へと放り投げた。

 

 ブラックドラゴンが皮膜の翼を広げ、空へと舞い上がる。そして、天井が擦れそうになるほどの高さまで飛ぶ。長い首を蛇のようにもたげ、空を舞った骨付き肉に噛みつく。バクンと(あぎと)が閉じられた。

 まんまと餌にありついたブラックドラゴンは皮膜の翼をはためかせ、華麗に着地した。翼を器用に折りたたむと口の中に入った骨付き肉を美味しそうに咀嚼(そしゃく)し始めた。

 

 しかし、巨体に反して骨付き肉はその僅か数十分の一程度しかない。あっという間に骨付き肉を完食したブラックドラゴンが、背嚢(はいのう)に手を突っ込んでいた青年を、じっと見つめる。爬虫類特有の細長い瞳孔を細め、口から涎を垂らす。長い尻尾で地面を何度も打ち据えた。

 

 ボクにはその仕草が、「もっと餌が欲しい」と言っているように見えた。

 

「まだ物足りないんだろ?」

 

 青年が背嚢(はいのう)から二本目の骨付き肉を取り出す。ブラックドラゴンが嬉しそうに尻尾を振るった。

 

「よーし、良い子だ。――こっちに来いっ!」

 

 青年はくるりと(きびす)を返すと、ボクが隠れているのとは別の道へと一目散に走り始めた。骨付き肉に釣られたブラックドラゴンも、青年を追いかけ始める。彼らの姿はあっという間に見えなくなってしまった。

 

「これって――餌付けだよね?」

 

 とても手慣れた様子でブラックドラゴンを誘導した青年を見て、ボクは誰にも聞こえない問いかけを口にしたのだった。

 

「って、いけない。今のうちに急がないと!」

 

 通せんぼをしていた黒き巨竜が退()いたことで開かれた道の先へと急ぐ。ボクは走りながらも奥歯に物が挟まったような感覚を覚えていた。

 

 ――あのブラックドラゴンは、たまたま道を塞いでいたというよりは、何かの出入り口を守るための門番として、何者かによって配置されていたように思えたのだ。それは餌に反応する習性だったり、野生の魔物よりは人懐っこい気性(きしょう)だったり……。

 

 ただの気のせいだと、いいのだが。




ミド
???
HP ???HP ???
MP ???MP ???
む: と:



青髪ツンツン頭の青年「何かのフラグが 立ったと思ったが 気のせいだったぜ!」



ドラクエモンスターズ新作の続報はまだかなあ(・∀・)?


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第九話 逃避行

※原作の青年の初期レベルは5だけど、本作では最初からレベル23ぐらいあります。普通に強いです。


「へへっ。……どうだ、上手くいっただろ?」

 

 青年は、五体満足で戻ってきた。

 

 つい先ほどまで命懸けの鬼ごっこをしてきたばかりだというのに、実に涼しい顔をしている。たいした胆力だと言わざるを得ない。得意げに指先で鼻を擦っている彼に、ボクは素直な賞賛の気持ちを口にした。

 

「わあ! さすがです!」

 

「……まあな」青年が、ちょっと照れくさそうに頬を掻く。「地下道を巡回していた兵士どもの何人かが、あいつの世話係を喜んで買って出てくれたからな。あんなデカブツの世話もそつなくこなしてくれるアントリア直属の親衛隊たちには、頭に下がる思いだぜ」

 

 はるか遠くのほうで、竜の咆哮(ほうこう)と人の悲鳴が微かに聞こえてきた。

 青年は、地下道を巡回している兵士たちにブラックドラゴンを無理やり押し付けてきたのだろう。彼らから命を狙われる身の上だとはいえ、ボクは突然()()に見舞われた兵士たちを、ほんの少しだけ気の毒に思った。

 

「よし、急ぐぞ。あんなのは、どうせ時間稼ぎに過ぎねえからな」

「はい――って、わわっ!?」

 

 ボクは頷こうとして、蹈鞴(たたら)を踏んだ。

 

 腹に響く、凄まじい地鳴り。耳をつんざく轟音とともに僕たちの立っていた地面が、いきなり激しく揺れたのだ。ボクに先んじてバランスを崩しかけた身体を立て直した青年が、周りを(せわ)しなく見渡していた。

 

「って、なんだ!?」

「これは地震……いや、違う?」

「っ! ミド、危ねえっ!」

 

 青年がバランスを崩したままのボクの首根っこを掴み、横っ飛びに身を投げ出す。

 その直後に、朽ちた石畳の上を爆風と爆煙を伴った炎の波が走り抜けた。石畳を舐めまわすように突き進んだ炎の波延長線上にあったあらゆるものを、まるで飴細工のように溶かしてゆく。

 

 そして、ボクたちのすぐそばの石壁に穿たれた大穴の向こう側から、一匹の(ドラゴン)系魔物が悠然たる足取りであらわれた。

 ……間違いない、あの姿形はブラックドラゴンだ。青年が餌付けをして兵士たちに上手く擦り付けたはずの個体が、もう戻ってきたのだろうか? などと悠長に考察している暇は無い。

 

 ブラックドラゴンが、極端な前かがみの姿勢を取ったのだ。その胸部が異常なまでに膨張する。――不味い、あれは吐息(ブレス)攻撃の前兆だ!

 

「くそっ!」

「――ひっ」

 

 苛立たしげな罵声と情けない悲鳴、二種類の声が地下道に響く。青年は巨竜の威圧感に気圧(けお)され、動きを止めてしまったボクを強引に抱き寄せた。

 

「ふぁ!?」

「ちょっとだけ我慢しろよっ!」

 

 ボクは何が起こったのか上手く理解できず、一瞬パニックになりかける。彼はそんなボクに構わず(きびす)を返すと、力強く地面を蹴りつけ駆け出した。

 

 ボクたちの背後で地を這うような猛烈な業火が巻き起こり、黒煙と火の粉が滅茶苦茶に吹き荒れる。青年の敏捷性はボクを抱え込んでいてもなお存分に発揮できており、背後から押し寄せる熱風を物ともせず、むしろその勢いを借りて青い疾風のように振り切ってしまった。

 

「あ、ありがとうございます……」

「礼はいい。ミド、こいつは気合を入れる必要がありそうだぞ」

 

 寸でのところでブラックドラゴンの《はげしいほのお》を(かわ)した青年が、小脇に抱きかかえたままのボクを安全な地面に下ろした。顔を大きくしかめ、肩越しに後方を見やる。ボクもおっかなびっくりに背後を眺めやった。

 

 地下道の一角に、新しい瓦礫の山が轟音を立てて生まれてゆく。ブラックドラゴンの吐息(ブレス)攻撃の余波だ。幸いにもボクと青年の目的地とは、逆方向――地下闘技場跡地に通じる道ではなかったものの、もう少しで生き埋めになるところだった。

 

 狭い地下道内で破壊活動を敢行したブラックドラゴンはというと、その巨体が邪魔をして瓦礫の山を潜り抜けることができない。ブラックドラゴンとを結ぶ一直線上に居たままでは炎属性の吐息(ブレス)攻撃をまとめて食らう恐れがあったが、もはや四の五を言っている場合ではなかった。

 

「チャンスだ、この隙に逃げるぞ!」

「は、はい!」

 

 ボクたちは示し合わせたように同時に駆け出した。後方で再び熱気が急速に膨れ上がるのを感じる。ボクの背中に、イヤな汗が流れ落ちた。

 

 第二波の《はげしいほのお》が吐き出されたのは、その直後だった。ブラックドラゴンの吐息(ブレス)は行く手を阻む瓦礫の山をドロドロに溶かしつつ、その余波で新しい瓦礫の山を生み出した。

 だが、吐息(ブレス)を吐き出した当のブラックドラゴンも、タダでは済まない。その黒い巨体が、天井部分から降り注いだ無数の岩石に瞬く間に圧し潰されたのだ。地下道に響いた轟音の合間には、かすかに苦悶の悲鳴が漏れ聞こえた。

 

「クソ、冗談じゃねえっ!」

 

 ボクと青年は地面を舐めるように突き進む炎の波から追い立てるようにして、もつれそうになる両足を必死で動かした。幸いにしてブラックドラゴンの吐息(ブレス)はボクたちには届かず、やがて幻のように霧散する。

 

 だけど天井の崩壊に巻き込まれてしまったら、たまったものではない。一息つく間もなく、すっかり瓦礫の山と化した地下道に残り火が(くすぶ)るなか、ボクたちは再び走り始めた。

 

「ま、まさか……!?」

「……マジかよ」

 

 そこに二度目の咆哮が届き、ボクは顔を強張(こわば)らせた。青年もまた頬を歪めている。

 

 その二度目の咆哮は、先ほどのブラックドラゴンが居た反対側の方角から聞こえてきたからだ。そして、続きざまに耳をつんざく轟音が鳴り響く。二度目の咆哮が轟いた方角の石壁が突如として赤く融解し、溶け落ちた石壁の残骸とともに黒き巨竜の姿を吐き出した。

 

「グルルルゥ……!」

 

 二体目のブラックドラゴンが、口腔内から火の粉まじりの吐息を漏らす。

 

「ぶ、ブラックドラゴンが二匹に増えた!?」

「くそっ! ここはブラックドラゴンの棲み処だったのか!?」

 

 青年が驚愕の呻き声を飲み込み、左手で兵士の剣の柄を握った。腰を低く落とし半身を開く。居合いの構えだ。

 

「――そこだッ!」

 

 彼は力強く踏み込むと、ボクたちに《はげしいほのお》を吐き出そうとした二体目のブラックドラゴンに向かって居合いを放った。抜く手も見せぬ(はや)さ、鞘走った長剣が半円を描く。

 大きく開いた(あぎと)に居合いの一閃をまともに食らったブラックドラゴンが、悲鳴まじりの怒号をあげながら仰け反る。特に大きなダメージを負ったようには見えなかったが、結果的に吐息(ブレス)攻撃は中断された。

 

 その時すでに、彼は鞘に納めていた長剣の柄を握っていた。

 

「ふっ!」

 

 二太刀目。それは二体目のブラックドラゴンの腹部に見事命中し、一文字の赤い筋を刻んだ。ブラックドラゴンが喉から苦悶まじりの怒号を轟かせる。

 

 しかし、ピシリ、という嫌な音が青年の手元から聞こえてきた。

 黒き巨竜は、尋常ではない硬さを誇っているらしい。その剣身が刃毀(はこぼ)れを起こし、ひび割れる。兵士から奪い取った長剣は、その根元からへし折れてしまった。

 

「ちっ、こいつじゃダメかッ」

 

 青年が舌打ちとともに鍔と柄だけになった兵士の剣を、とっさに投げ捨てる。

 

「はぁッ!」

 

 今度は懐から取り出した〈やいばのブーメラン〉を、短い呼気とともに投擲した。「く」の字に折れ曲がった剣呑な投擲武器が弧を描き、地下道を鈍い光とともに駆け抜ける。それは蹈鞴(たたら)を踏んでいた二体目のブラックドラゴンの両目を深々と抉り取り、青年の手元へと高速回転しながら戻ってきた。

 

「グギャァァアアアアア!?」

 

 長い尻尾を振り回し、この世のものともつかぬ怒号を喉から迸らせる黒き巨竜。青年はでたらめに振り回される長い尻尾をひらりひらりと(かわ)し、その懐に素早く潜り込んだ。左手には〈やいばのブーメラン〉ではなく、丸みを帯びた短剣が逆手に握られている。

 

「――こいつを食らいなっ!」

 

 愛用の短剣を、気合とともに一閃する。弧を描く短剣の軌跡には、無数の青い泡が纏わりついていた。やはりこれも比較的柔らかな部位であるブラックドラゴンの腹部を正確に狙ったものだった。

 しかも、彼の短剣に纏わりついていたのは、強烈な睡眠作用を誘発させる魔法の泡だったらしい。ブラックドラゴンは押し寄せてくる睡魔に勝てず、大きくよろめく。眠気を振り払うために長い尻尾をでたらめに振り回し、頭を何度も振るった。

 

「全力で逃げるぞ! まともに相手をしていたら、こっちの身がもたねえ!」

 

 短剣を鞘に素早く戻し、手痛いしっぺ返しを回避するために飛び退(すさ)った青年が大声で怒鳴る。

 

「はい!」

 

 彼の提案にはボクも全力で同意するところだ。大きく頷き、先を急ごうと第一歩を踏み出そうとした。

 

 そこに無情にも轟く、二度目の地響き。ぐらぐらと地面が激しく揺れ、朽ちた石畳に溜まりにたまった砂埃が派手にまき散らされた。傾いだ天井からバラバラと無数の破片と埃が雨の如く降り注ぐ。

 

「ま、まさか――!?」

「……ふざけていやがるな、まったく」

 

 怒りや苛立ちすら通り越してしまったのか、嘆息する青年。ボクの背筋に、嫌な汗がどっと噴き出す。

 

 はたしてそいつ等は、ボクと青年の前にあらわれた。

 

「――ギャオオオオオオオンッ!」

 

 もちろん、ブラックドラゴンだ。奴は仲間である二体目のブラックドラゴンをあろうことか邪魔だと言わんばかりに両足で踏み潰し、さらに至近距離からあらゆるものをドロドロに溶かす炎属性の吐息(ブレス)を吹きかけた。襲い来る睡魔と必死に戦っていた彼は断末魔の声を上げることなく息絶える。

 

 《はげしいほのお》を吐き出した三匹目のブラックドラゴンはお仲間の消し炭を両足で容赦なく踏み荒らし、その焼け落ちた(むくろ)を乗り越え、ゆっくりと前進し始めた。その背後には後続の黒き巨竜たちが、ぞろぞろと列を成している。悪夢のような光景だ。

 

 ボクと青年は、じりじりと後退(あとずさ)りを始めている。

 

「ひい、ふう、みい、よう……。あの狂暴凶悪なブラックドラゴンが全部で四体か。こいつは、いよいよ踏ん張りどころみたいだな……っ! 走るぞ、ミド!」

「は、はいっ!」

 

 ボクは頷くと同時に、全速力で走り始めた。

 

「はっ、はっ――っ!」

 

 走ってすぐに、すぐに息が上がってきた。

 

 落ち着けと念じ、荒い呼吸を必死で鎮める。それでも心臓は早鐘のように鳴り響いている。ボクは自分の鼓動の音がどんどん大きくなっているのを感じた。

 足を動かすたび、胸部で激しく揺れ動くふたつの双丘がこれほど煩わしいと思った日は無い。世の中の女性たちは、よくこんな邪魔なものを抱え込んだまま生きていけるものだ。

 

 ボクたちのすぐ背後からは、何匹もの巨竜たちの息遣いが、咆哮が、ひっきりなしに聞こえてくる。うっかり振り返ってしまったら逃げる気力が萎えてしまいかねない。

 

「いいか、死ぬ気で走れッ! 絶対に追いつかれるなよッ」

「はいッ!」

「後ろを振り返るなっ! 前だけ見るんだっ!」

「は――はいっ」

 

 先行する青年からの発破を受け、必死に足を動かす。

 

 ボクたちに与えられた選択肢は、ただひとつ。前を向き、ひたすら逃げ続けることだ。いつかブラックドラゴンたちが興味を失い、ボクたちの追跡を諦めてくれることに一縷(いちる)の望みを託して。か細い可能性の糸を、手繰り寄せるしか道はない。

 

 やがて薄暗い地下道の先に、小さな灯りが見えた。――出口? いや、地下闘技場か?

 

 いや、今はどちらでもいい。体力の限界が近づきつつあった。まず先行していた青年が光の向こうに到達する。数秒遅れでボクも無我夢中で飛び込んだ。

 

「オレたちを……追いかけて、来ねえな……?」

 

 一足先に辿り着いていた青年が愛用の短剣を逆手で構え、地下道の奥を眼光鋭く睨みつけていた。あれほど地下道内に反響していた竜の咆哮はいっかな聞こえず、地響きのような奴らの足音もまたしない。ブラックドラゴンたちの姿も視認できなかった。

 

「ふぅ。……どうやら撒いたようだな」

 

 やがて青年は緊張で強張(こわば)った身体を、くたりと弛緩させた。小さく吐息をつき、短剣を鞘に仕舞う。

 

「さすがのオレも、今回ばかりは生きた心地がしなかったぜ」

 

 その言葉ぶりに反して、さほど堪えた様子は無かった。

 さすがに額には(たま)のような大粒の汗が幾つも浮かんでいるし、息が上がっているものの、クールな口調はそのままだ。

 

 ……実はこの人って、結構な大物なんじゃないだろうか?

 一瞬のスキを突いて、人間はおろか魔物の持ち物をくすねてしまう手先の器用さや、ブラックドラゴンの強靭な鱗にも通用しうる居合術の腕前もそうだけど、年のわりには度胸が据わっている。まだ若いのに、実に大したものだ。

 

「はぁ、はぁ……。こ、こんなに、全力疾走をしたのは何百年……本当に久しぶりです……。コレも何もかも全部、肉体年齢が若返ったおかげですね……」

 

 一方のボクはといえば、半死半生、息も絶え絶えだった。これも鍛え方の違いだろうか。

 地面にへたり込み、肩で荒い息をしているボクを、ほんの一瞬だけ、青年が(いぶか)しげな表情で見たことにボクは気付かなかった。

 

 地下道の先にあったのは年季の入った建造物だった。等間隔に設置されている燭台の灯りが辺りを煌々と照らしているため、薄暗かった地下道と違って明るさは雲泥の差だ。ボクが右手に持っていた松明(たいまつ)はブラックドラゴンから逃げるときに投げ捨ててしまったので、これはありがたかった。

 

「ここは……例の地下闘技場へと続く建物か何かでしょうか?」

「みたいだな。グズグズしてたらブラックドラゴンどもに追いつかれちまう。ここをとっとと抜けるぞ」

「はい」

 

 青年から差し出された左手を取り、ゆっくりと起き上がる。

 

 まだ息は荒いし、心臓はバクバクしているけれど、動けないほどではない。これも原因不明の若返りのおかげだろうか。ボクとしてはこれまでの労苦(ろうく)の日々がふいになってしまったような気がして、あまりいい気持ちにはならないのだけれど。

 

 改めて思い返してみると性転換をするわ、精神的に大幅に若返るわ、覆面パンツマスク男の変態たちに追い回されるわ、ヒエラルキーの最下層である「むしょく」の万年認定を受けるわ、おまけに地下牢に収容された挙句、心は男のままだというのに貞操の危機に晒されるわ、この世界に来てから本当にろくなことがない。

 

 その中でも、あのジプシーの姉妹や青髪ツンツン頭の青年のような、心優しい人間たちに出会えたのが、せめてもの救いだろうか。

 

 この、救いようもないクズのボクなんかに……。

 

「うん? ――ミド? どこか痛むのか?」

「いいえ。なんでもありません」

 

 心配そうに声を掛けてきた青年へ、ボクは笑ってみせた。……本当に何でもないのだ。

 

「よし。先を急ぐぞ」

「はい」

 

 ボクと青年は休憩もそこそこに建造物の中を足早に歩き始めた。ここはどこか別の建造物へと繋がる連絡通路のようなものらしく、すぐに行き当たりに到達する。

 

 ……ボクたちの予想は正しかったらしい。歩き始めてから数分もしないうちに真四角の巨大な舞台が真正面に見えた。

 

「ふう。……どうやらビンゴらしいな」

 

 ボクたちが駆け込んだのはその舞台へと続く通路のようで、所々がすり切れた緋色の古めかしい絨毯が敷かれていた。舞台を挟んだ反対側にも出入り口があり、そこからも同じように狭い通路が続いている。戦いの勝者にとっては凱旋の、敗者にとっては物言わぬ屍になって運ばれる搬出口のひとつだったのだろうか。

 念のために罠がないか辺りを慎重に探りつつ、舞台への出入り口を潜り抜けると視界が大きく開けた。建造物自体に明り取りの魔法が施されているのか、辺りは昼間のように明るい。

 

 上を見上げても、ごつごつとした岩場の天井部分が遥か遠くに見えるのみ。中央部にある真四角の舞台を見下ろす形でぐるりと取り囲む吹き抜けの観覧席には、人影らしき姿は見当たらなかった。

 

 なるほど、ここがダーマ神殿の地下深くに建てられた古代の円形闘技場というわけか。闘技場の外縁部は二重構造の回廊になっているらしく、なにやら黒い柵のようなものが等間隔で設けられてあった。

 あれは、生死を分けた戦いから脱走しようとする逃亡者避けの設備だろうか。それにしては人間の背丈の数倍もの高さと幅がある、とても巨大な柵のようだが……。

 

「ダーマ神殿の地下深くに、こんな大掛かりな円形闘技場が建造されていたなんて……。神代の時代には、ここで血生臭い決闘が連日のように開催されていたんでしょうか? でも、いったい何の目的で?」

「過去の歴史に思いを馳せるのは、とりあえず後回しだ。どうもさっきから胸騒ぎがする。一刻も早くここを通り抜けるぞ」

 

 かくいうボクも、なんだか嫌な予感がしてきたところだった。青年の提案にはボクとしても諸手(もろて)で賛成したいところだ。

 

 ボクと青年は真四角な舞台に上がるための上がり階段へ、急ぎ足で向かった。

 

「しかし、参ったな……。ここからどうやって出るんだ? 見たところ、出入り口はさっきの通路と、反対側の通路しかないみたいだが……あの先に地上に抜ける道があるのか?」

 

 舞台に上がり、円形闘技場を見渡していた青年のチュニックの裾を、くいくいと引っ張る。

 

「…………あのう」

「なんだ?」

「この何かの(いびき)のような、唸り声のような……さっきから聞こえている音の正体って、何だと思います?」

「……お前も気づいていたのか。たぶん、人間のものじゃねえよな?」

「はい。……だと思います」

 

 ボクたちは、お互いの顔を見合わせた。青年の顔色が少しだけ青かったのは光源のせいやボクの気のせいではなさそうだ。ほぼ同時に、ふたりして低い唸り声がした方向を注視する。

 

 そこは二重構造の回廊になっていた外縁部だ。どうやら舞台から逃亡しようとする者を――つまり人間を戦いから逃さないための懲罰用の設備、などではなかったらしい。

 

「――()()()()()?」

「音の方向からして、あの檻は円形闘技場の外縁部に、ぐるっと隈なく張り巡らされていますよね……?」

「! まさか――!?」

 

 青年が、檻のひとつに駆け足で近づく。ボクもまたその後を慌てて追った。

 

「こいつは…………ッ」

「…………!」

 

 ふたり揃って、息を呑む。頑丈そうな鉄柵の向こう側に、あのブラックドラゴンが丸まった姿勢で穏やかな吐息を立てて、すやすやと眠りこけていたではないか。

 

 しかも、檻はひとつだけではなかった。

 

「……マジか。てことは()()()()()()()沿()()()()()、あの()()()()()……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っていうのかよ!? アントリアの野郎めっ、いったいブラックドラゴンを何匹飼えば気が済むんだ!?」

 

 ブラックドラゴンの檻がずらりと並ぶ外縁部を見渡し、ひくひくと引き攣った笑みを浮かべる青年。ボクの顔からも血の気が引いた。

 

「――な、なんだ!?」

 

 ボクは狼狽(ろうばい)した。突然、地面が上下に揺れ、数秒遅れて地鳴りのような音が鳴り響いたのである。

 

 ハッと背後を振り仰いでみれば、ボクたちが通ってきた円形闘技場の舞台へと通じる狭い出入り口が、頑丈そうな鉄格子によって閉じられてしまったではないか。おまけにその周囲には地面から青白い稲妻が発生する怪しげな装置がせりあがっており、行く手を阻んでいる。

 

「なっ! 鉄格子に、バリア装置だと!?」

「――――っ」

 

 ボクは歯噛みした。ボクと青年は、いつの間にか出口のない袋小路に追い詰められていたのだ。

 

「くひひ! ここを通ると思って張り込んでいて正解だったぜェ!」

 

 ボクたちの頭上から、狂った音程の大音声が降り注いだ。




ミド
???
HP ???HP ???
MP ???MP ???
む: と:



まさか評価をいただけるとは(コメント必須ですし)思っていませんでした。
驚きのあまり二度見をしてしまった。感想を書いてくださった人たちもそうですが、感謝感激ですo(^▽^)o

次回は第一章の折り返し回になります。ようやく青年の名前が…?


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第十話 暗黒の王が来たる

「っ、誰だ!? どこにいやがる!?」

 

 青年がハッとした様子で誰何(すいか)した。

 

「どこを見ているんだよ、間抜け! こっちだ!」

 

 ボクと青年は声を頼りに吹き抜けとなっている観覧席の一角を仰ぎ見て、目を見開いた。

 

 あの、リーダー格の兵士だ。先ほど確認した時は確かに居なかったはずなのだが、物陰に隠れてボクたちの様子をあそこから伺っていたらしい。

 彼の風貌は拷問部屋で見た時とは、がらりと一変している。顔は大きく歪み、目は血走り、口からは涎が零れ落ている。歯茎がうまく噛み合っていないからか、カチカチという音が微かに聞こえた。

 

 彼の両脇には、すっかり青ざめた顔でブルブルと総身を震わせている取り巻きたちがいる。どちらも拷問部屋で負った傷痕は見当たらない。適切な治療を受けたのだろう。

 

 そんな彼らの頭上にも、地下闘技場の外縁部に設けられていた鋼鉄製の檻があり、ひと際大きな体躯のブラックドラゴンが丸まった姿勢で深い眠りについていた。

 

「……へえ。こいつはまた随分とお早い再会だな。またオレにたっぷりと痛めつけて欲しくて、のこのこ現れたのか?」

 

 青年が彼らの豹変ぶりに顔をしかめ、ボクを庇うように一歩進み出た。腰帯に差した短剣の柄に触り、逆の手で懐から〈やいばのブーメラン〉を取り出そうと身構える。

 口調は何時ものように飄然としているが、目は笑っていない。額には、うっすらと汗が滲んでいた。彼の警戒心を掻き立てるほどの、危険な兆候がリーダー格の兵士の声音には含まれているのだ。

 

「お前を思う存分甚振(いたぶ)るのも、悪くはねえな。だが残念ながら、今回はそうじゃねえんだよなあァ!」

 

 リーダー格の兵士は焦点が合っていない目をボクたちに向けると、近くにあった仰々しい金属製の装置を指差した。何かの切り替えを行う装置らしく、取っ手部分が赤く塗られた金属製のバーが天に向かって(そび)えている。

 

「コイツが、何なのか分かるか?」

 

 その問いかけは不吉な匂いを漂わせていた。ボクと青年は同時に身じろぎした。

 

「――そうだ、開閉スイッチだ! ブラックドラゴンどもを閉じ込めるための檻のな!」

「よせ。ここにはお前たちもいるんだぞ」

 

 青年が努めて冷静な声で言う。距離が離れすぎていると判断したのか、短剣の柄に伸ばしかけていた手を止め、右手で懐から取り出した〈やいばのブーメラン〉を利き手で握った。

 

「その鋼鉄製の檻を開けちまったら、お前たちも袋の鼠には変わりがねえ。だいいち、オレはともかく、ミドのことは必ず生きて捕まえろと上から命令があったはずだろ? ……わかったら、バカな真似は止めろッ!」

「アントリアさまからのお達しだ。「お前たちを取り逃した(とが)を受けろ、失敗した者には死あるのみ」――とな」

 

 リーダー格の兵士が、ハイライトの消えた暗い瞳をボクに向けた。

 そのゾッとするような冷たい眼差しに、思わず喘ぐように息を呑む。青年がボクを庇うために右手を大きく広げた。

 

「ああ、そうだ! お前のせいで俺たちも皆死ぬんだよッ! お前が、その「むしょく」の女を庇ったばかりになッ! 女を生きたまま捕らえろだと? そんな命令なんてクソ食らえだ! 女共々、餓えたブラックドラゴンどもの群れに生きたまま貪り食われちまえッ!」

「くそ、聞く耳持たずか!」

 

 青年が頬を歪めた。完全に正気を失っているリーダー格の兵士ではなく、傍らのふたりに大声で怒鳴る。

 

「――おい! お前たちもそいつを止めろッ!」

 

 取り巻きたちは恐怖に強張(こわば)った顔で首を何度も左右に振り、檻の開閉スイッチへと手を伸ばした。

 

「――しぃっ!」

 

 短い呼気とともに、青年が左手に持ち替えた剣呑な投擲武器をスナップを利かせて投げつけた。それは美しい弧を描きながら空へと駆け抜ける。〈やいばのブーメラン〉の鋼鉄製の刃先が取り巻きの兵士たちの両腕を深々と切り裂き、目の色を変えたリーダー格の兵士をも手酷く傷つける。

 

 青年は唸り声とともに旋回して戻ってきた〈やいばのブーメラン〉を、難なくキャッチした。だが、顔つきはひどく厳しい。

 

「クソ、なんて奴らだッ!」

 

 取り巻きの兵士たちが切り裂かれた腕から血を流しつつも、苦悶の表情を浮かべながら開閉スイッチへと覆い被さったのだ。――なんという執念!

 しかも、ふたりぶんの自重で鋼鉄製の檻を制御するためのスイッチのバーが、半ばでへし折れてしまった。あれでは元に戻すのはムリだ。

 

「お前たちは、アントリアさまの秘密を知り過ぎた! あの方は用心深くてな、俺たちみたいな手駒ですら、用済みと見るやゴミのように切り捨てる恐ろしいお方だ。あの方に逆らったお前たちに、安息の地はこの世界のどこにもないと思えッ!」

 

 ガコン、という重低音ともに何かが――地下闘技場の外周に一定間隔で設けられていた鋼鉄製の檻、その分厚い鉄格子が、一斉にせり上がり始めた。

 檻の中で深い眠りに落ちていたブラックドラゴンたちが一匹、また一匹と、目覚めの咆哮を轟かせる。

 

「くくく……! もう暴れ回るこいつ等を制御できる手立てはねえ! お前たちの死にざまをこの目で見れねえのが癪だが、こうなったらどうでもいいッ! 何もかも全部、壊れちまえッ!」

 

 リーダー格の兵士は両手を大きく広げ、頭上を振り仰いだ。その真上には影があった。

 

「――――」

 

 ほんの一瞬だけ、正気を失っていたリーダー格の兵士の瞳に光が灯る。

 その手には、腰のベルトの鞘から取り出した短剣が握られていた。自らの首の頸動脈に押し当て、一気に引き抜く。

 

「っ! 見るなッ!」

 

 とっさに青年が、ボクに覆い被さる。

 

「アントリアさま万歳! ……ぐふっ!」

 

 ――だけど、ボクは見た。リーダー格の兵士が頭上から降り落ちてきた黒い巨体に、その胴体を完全に圧し潰され、くぐもった悲鳴とともに崩れ落ちる、まさにその瞬間を。ぐずぐずの肉塊になった胴体から頭がもげ、ごろりと床に転げ落ちる。

 

 仲間の死、そして非現実的な光景を目撃した取り巻きの兵士たちが、ぺたんと尻餅をついた。それを見た青年が、切羽詰まった声で叫ぶ。

 

「バカ野郎! 早くそこから逃げろッ!」

「はぁ?」

 

 呆けた声を上げる取り巻きの兵士たち。が、二人同時に、頭上を見上げた。巨影が彼らに降る。

 

「――あっ」

「あ」

 

 ハンマーとスティックの兵士たちに、ブラックドラゴンが強靭な脚部を容赦なく振り下ろす。ただの踏みつけが頑丈な金属鎧をまとった柔らかな人体を、ぺしゃんこに押し潰した。

 

 黒き巨竜はひき肉に変わった人間の残骸を(あしうら)にへばり付かせたまま、ゆっくりと歩き始める。爬虫類特有の細長い瞳孔には、たしかな知性の煌めきを湛えている。ボクたちを新しい獲物だと認識したからか、にたりと嗤ったようにも見えた。

 

「くそっ! あの三バカどもめ、とんでもない置き土産を残していきやがった……ッ!」

 

 青年が、ギリリと歯を噛みしめる。ボクもまた背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

 

 慌てふためくボクたちを嘲笑うように、竜の咆哮が次々に轟き始める。外縁部に設けられていた檻から開け放たれたブラックドラゴンの不気味に輝く双眸は、全てボクたちへと注がれていた。

 

「不味いぞ、こいつは! ミド、オレからはぐれるなよッ!」

「は、はい!」

 

 一刻も早く、逃げなければ。だけど肝心な出入り口は二か所とも頑丈な鉄格子で塞がれ、おまけに青白い稲妻を発生させるバリア装置で厳重に守られている。すっかり逃げ場がなくなったボクたちは、すぐに地下闘技場の舞台、その中央部付近まで追い詰められてしまった。

 

「ボクたち、モテモテですね」

「だな。まあ、こんな狂暴凶悪な奴らにモテても、あまり嬉しくはねえな」

「まったくですね。ちなみにですけど、骨付き肉はもう無いんですか?」

「さっきのブラックドラゴンを誘導するのに全部使いきっちまった。というか、この数じゃ餌付けはたぶん無理だぞ。あっという間に食べられちまうからな」

「ですよね。ちなみに、魔物の餌付けなんて芸当を何時どこで覚えたんですか?」

「さあな」

「いや。さあな、って」

「……気づいたら、できたんだよ。それ以上はオレにもわからねえ」

 

 襲い来る恐怖を少しでも紛れさせるために、軽口を叩き合う。自然と背中合わせになったボクと青年は、地響きを立てながら迫り来るブラックドラゴンたちを見渡した。

 

「こいつは、さすがのオレもどうしようもねえな。……お手上げだなこりゃ」

「これが王道物の冒険物語なら、颯爽と新しい仲間が現れてくれる展開なのに」

「いいな、それ。その案にはオレも大賛成だ。ま、ブラックドラゴンの群れを一網打尽にできるような腕利きなんて、そう簡単にいるワケがねえけどな。それこそ、御伽噺の中だけの話だ」

「現実は、そうは上手くは出来ていないってことですか」

「世知辛いよな」

「いや、まったくですよ」

「……うん? いや、待てよ?」

 

 青年が額に冷や汗を浮かべながら、ぽつりとつぶやいた。

 

「オレがガキの頃に知り合った傭兵のおっさんなら、もしかしたらブラックドラゴンの大群ですらも鎧袖一触(がいしゅういっしょく)にのしちまうかもしれねえな。おっさんはな、すげえ剣の使い手なんだ。雷を纏った斬撃を放つんだぜ」

「へえ、雷を纏った斬撃ですか。それはまたすごいですね!」

「ああ、バランっていう強面(こわもて)のおっさんだったんだが……今頃、どこでなにをしているんだろうな。ソアラさん……奥さんと、当て()もない旅をしているって言ってたが……」

「ふうん――――うぇ?」

 

 ボクは、気の抜けた声をあげた。

 

《ネロク》《エメス》《ゴーム》《なかま呼び》《しもべ呼び》《肉片飛ばし》《空間をきりさく》《しもべ召喚》《写実的なマモノ》《魔幻の剣召》《メガンテロックを作り出す》《暗黒時間》《チーズ食べ放題》《邪菌増殖》《三禍の陣召喚》《幻影獣召喚》《水邪招来》《レイジバルス召喚》《魔瘴魂召喚》《眷属呼び》《幻影召喚》《殺りく人形劇》《残影招来》《創生の群体》《バンドなかま呼び》《グレネーどり召喚》《Sグレネーどり召喚》《ファラオの召喚》《悪夢招来》《ボディーガード呼び》《救難信号》《釜召喚》《ワラタロー改呼び》《ペット呼び》《魔創兵召喚》《魔鐘召喚》《魔鐘の音色》《ベントラ・ベントラ》《ミステリーサークル》《死霊召喚》《召喚》《ゲノムバース》《徴兵の号令》《徴兵の大号令》《廻風ローリング》《コールサファイア》《スクランブルサファイア》《杖をかかげる》《魔力射出》《獣王の笛》

 

 またも例の文字列が目の前に浮かんだのだ。

 つい先ほど仲間が欲しいと――冗談交じりにだが――ボクが強く願ったからか、物の見事に仲間呼び系統のラインアップだ。しかも、やたらと数が多い。――もしかして、ここから選べというのだろうか?

 

 何らかの意味を備えた固有名詞の文字はともかく、《なかま呼び》はどうしたわけか数十個もズラっと並んでいる。見た目は全部同じなんだから、ここから中身の見分けなんて付くわけが無いだろッ!

 

 ――って、ボクは混乱しているようだ。ただの文字列に八つ当たりをするなんて……はは、ボクとしたことが。冷静さを欠いているようだ。

 

 ここは、慎重に選ぶ必要がある。とりあえず《肉片飛ばし》は全力で却下だ。自己犠牲呪文の《メガンテ》が含まれているのもたぶんダメだ。

 命と引き換えに繰り出される大爆発はブラックドラゴンたちを一掃できるだろうが、しかし、ボクと青年が仲良く生き埋めになってしまう。さすがのボクも地下深くに埋まった状態から脱出するのは至難の(わざ)だ。青年は言わずもがなである。

 

 ――いや、ダメだ。どうしようもないとき以外には、絶対に使わないって決めたばかりじゃないか! でも、今は緊急事態だ。そうも言っていられないじゃないか!

 

 ボクの中で天使のボクと悪魔のボクがせめぎ合う。何が起こるか未知数。()るか()るか。そうこうしているうちにもブラックドラゴンたちの包囲網は着実に完成しつつあった。

 

 このままでは頭からガブリ、だ。()()()()()()()()、生身の青年はまず耐えられない。

 

「くそ! オレは、オレたちは、くたばっちまうワケにはいかねえんだっ!」

 

 青年が荒々しく舌を打った。逆手に構えた短剣の柄頭に右手を添え、前傾姿勢を取る。その顔には諦めの境地にも似た闘志が燃えていた。

 

「――バランのおっさん、オレにチカラをくれッ!」

 

 彼は、あのブラックドラゴンの群れに単騎で突撃をするつもりらしい。――ムチャクチャだ! 無謀な勇気を披露しようとしていた彼の姿を見たボクの中で、何かが弾け飛んだ。

 

「もう、どうなっても知らないんだからねッ!」

「――って、おい!? ミド!?」

 

 青年が制止の声をかける。ボクは声を振り切り、今にも飛び出そうとしていた青年の前に躍り出た。青年は面食らった様子で動きを止めた。

 

「すみません、でも緊急事態です。パンドラの箱を抉じ開けさせていただきます!」

 

 ボクの中で弾けとんだモノ、それは良心だった。

 もう構うものか、今はこの現状を打破するための行動を取るのが最善だ。

 

 そして、今のボクにはそれが備わっている。――“大いなる深淵のチカラ”を秘めし伝説の秘宝「ダーマの禁書」が。闇と混沌を司る悪しき神々のチカラが、このボクには宿っているのだ。

 そのうちのひとつを引き出すべく、ずらっと並ぶ無数の文字列に目を通し、ひとつ頷く。ボクは直感を信じることにした。一回だけならダーマの司書さんも許してくれるはずだ。

 

(この場を、上手く切り抜けるためには――!)

 

 ボクは、文字列のひとつに目を止めた。すると文字列がバラバラに解れ、まったく新しい文字列が代わりに浮き上がっていく。それは、あっという間に三種類の文字列へと生まれ変わった。これを読め、と言われている気がした。

 

 ……さて、どれを選ぶべきか。だが、迷っている暇はない。

 

毒素だまりに沈む闇の領界、(さか)しまの天上に偽りの月が浮かぶ楽園の支配者、計測不能の暗黒エネルギーを放つ暗黒の王よ、その御力を我に分け与えたまえ……

 

 ボクは新しく浮かび上がった文字列の一つ目を、高らかに読み上げた。さらに力ある言葉――スキルを叫ぶ。

 

《召喚》! 《召喚》! 《召喚》! もひとつ《召喚》!」

 

 だけど……ボクは、ボクが思った以上に冷静さを欠いていたようだ。何が起きるのか未知数だっていうのに計四回も連呼してしまったではないか。

 

 でも、後悔先に立たず。いったん口から飛び出してしまった宣告は元には戻らない。ボクの切羽詰まった声は、ブラックドラゴンの群れで埋め尽くされていた地下闘技場中に高らかに反響したのだった。

 

「…………バカだ。ボク、世紀の大バカ野郎だ……。どうしようもないとき以外には、絶対に使わないって決めたばかりなのに……でも、今回ばかりは仕方がなかったんだ……」

 

 言い訳がましい台詞を並べ立て、がくりと項垂(うなだ)れる。穴があったら入りたいとは、まさに今のボクを指し示す(ことわざ)だった。

 

「なんだ、ありゃ?」

 

 すっとんきょうな声がして、ボクは(おもて)をあげた。もちろん、声の主は青髪ツンツン頭の青年である。

 

「え、なにあれ?」

 

 ボクも間抜けな声をあげた。ボクたちがいる前方、地下闘技場のど真ん中に、ボクの腰ほどの高さの真っ黒な結晶体が、いきなり現れたのだ。

 数は四つ。どの結晶体も得体のしれない紫色のオーラに包まれていた。

 

「なんだかよくわからねえが、やべえ感じがする。――おい、いったん下がるぞ!」

「は、はいっ」

 

 ブラックドラゴンたちは真っ黒な結晶体のほうに、すっかり気を取られている。何故かボクたちには見向きもせず、真っ黒な結晶体のほうに釘付けになっているのだ。

 

 これ幸いと、ボクたちは黒い巨躯の間隙を縫うようにして進み、地下闘技場の片隅まで移動した。そこにあった大人二人分が隠れるほどの深さの窪みに身を潜める。ふたりして中腰でしゃがみ込み、真っ黒な結晶体の様子を伺った。

 

「ミド。あいつらは、いったい何なんだ?」

「わかりません……」

「いや、わかりませんって……お前なぁ」

 

 青年からの問いかけに頭を振る。青年はちょっぴり鼻白(はなじろ)んだ様子だった。

 時を同じくして真っ黒な結晶体が、ぶるりと蠕動(ぜんどう)した。紫のオーラが不気味な輝きを放つ。

 

「っ! 伏せろッ!」

 

 青年が警句を発した。ボクは身を乗り出そうとした手を止め、慌ててしゃがみ込んだ。

 

 パシュンという小気味いい発射音と共に真っ黒な結晶体から一斉に、紫の太い光線が放たれた。真っ黒な結晶体の二個は水平方向に、残りの二個は垂直方向に。二種類の光線が十字状に交錯する。不気味に光り輝く光線に彩られた地下闘技場が一瞬、紫に染まった。

 

 光線の射程距離は極めて長い。地下闘技場の周囲をぐるりと取り囲む鋼鉄製の檻に収容されたまま、ボクたちの様子を伺っていた一匹のブラックドラゴンの脳天を、あっさりと撃ち抜く。そいつは大量の脳漿(のうしょう)と体液、血肉とを派手にぶちまけながら、ぐらりと倒れ伏した。

 しかも全ての光線には尋常ではない貫通能力が備わっているらしい。近くにいたブラックドラゴンの胴体に大穴を開けても勢いを弱めず、その延長線上にいた次の獲物へと牙を剥く。光線の小気味いい発射音と肉を貫く鈍い音、そしてブラックドラゴンの断末魔とが重なり合う。

 

「なっ! あの結晶体が、また増えやがったぞ!」

 

 目と鼻の先で繰り広げられる不協和音のアンサンブルのせいか、窪地から少しだけ身を乗り出し、その様子を伺おうとした青年が驚愕の声をあげた。ボクもまた彼に倣って顔の半分だけを窪地から乗り出し、目を丸くする。

 ボクたちが見ているそばから、地下闘技場全体があの真っ黒な結晶体で埋め尽くされていくではないか。

 

 身の危険を感じたブラックドラゴンが自慢の爪牙(そうが)で真っ黒な結晶体を叩き割ろうとしても、それはびくともしない。かすり傷一つすら、つかない。とんでもない強度だ。

 ならばと真っ黒な結晶体を押し倒そうと、渾身の体当たりをお見舞いしたブラックドラゴンも中にはいたが、やはりというかびくともしない。むしろ真っ黒な結晶体の向きが一回転することで光線の軌道が出鱈目(でたらめ)に拡散し、さらに被害を拡大させる始末。

 

 地下闘技場に、紫色の無差別殺人光線が乱舞する。ブラックドラゴンたちの怒号と悲鳴と断末魔とが飛び交い、脳漿(のうしょう)と血肉と体液が無差別に、そしてド派手にばら撒かれる。そこには、まさしく阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。

 

「……なんなんだよ、あれは。オレは、今いったい何を見ているってんだ……?」

 

 青年がぽかんと口を半開きにしたまま、呆然とつぶやく。

 

「――『“暗黒の王”の《召喚》。使用者の力量(レベル)に応じた規定数のダーククリスタルを呼び出す技。ダーククリスタルは縦方向の《パーティクルレーザー》と横方向の《ホライズンレーザー》を交互に放つ。ダーククリスタルは各レーザーを計八回撃つと自然消滅する。また、たとえいかなる攻撃であったとしても絶対に破壊されることがない』

「お、おい……だいじょうぶか、ミド?」

 

 がくがくと肩を揺さぶられ、ボクはぱちぱちと瞬きをした。

 

「えっ。あれ………ボクは、いったい?」

「いきなり妙なことをうわ言のように喋り始めたんだ。何があったんだ?」

「わかり、ません……。もしかしたら、あの本の――」

「本……つまり、あれも「ダーマの禁書」のチカラってワケか」

 

 眉根を寄せたボクの言葉を、顔をしかめた青年が引き継いだ。

 

 そうこうしているうちに黒い結晶体から光線を撃ち出す間隔が徐々に長くなっていき、ある時を境にピタリと止んだ。地下闘技場中に反響していた怒号と悲鳴、そして断末魔もまた、次第に聞こえてこなくなった。

 

 やがて辺り一帯が、水を打ったような静けさに包まれる。ボクたちはおっかなびっくり、隠れていた窪み部分から身を乗り出した。

 

「……マジか。あれだけウヨウヨいたブラックドラゴンが、すっかり全滅してやがる。ははっ……笑っちまうほどの圧倒的な破壊力だな。きっとバドランドやデルカダールの精鋭ですらも、あの黒い結晶体にかかれば一たまりもないに違いないぜ」

 

 地下闘技場を眺めやった青年が、引き攣った笑みを浮かべた。ボクもまた、あんぐりと口を開けている。

 

 見渡す限り、累々(るいるい)たる屍の山が横たわっている。全てブラックドラゴンのものだ。青い血だまりに伏している黒き竜種の巨躯には光線で穿たれた大穴が開いていた。

 真っ黒な結晶体――ダーククリスタルの光線は無差別に満遍なくまき散らされたらしく、ブラックドラゴンのみならず、地下闘技場の建物自体にも甚大な被害を与えていた。地下闘技場内に破壊の跡が色濃く残っているのだ。ボクたちが無傷だったのは、まさに僥倖(ぎょうこう)という他ないだろう。

 また、ボクたちを地下闘技場内に止めた頑丈な鉄格子も、その被害を免れなかったらしく、ど真ん中の部分が完全に融解してしまっていた。

 

 やがて恐るべき破壊力を発揮したダーククリスタルは、その役目を終えたからか、パキンという乾いた音ともに砕け散り、キラキラと光輝く粒子と化して空中に溶けていった。

 

「――いいか、ミド。たとえ今から何があったとしても、アントリアの野郎には「ダーマの禁書」を絶対に渡すんじゃねえぞ?」

 

 青年がボクの両肩を掴み、真剣な表情で言った。

 

「“大いなる深淵のチカラ”を秘めし伝説の秘宝――「ダーマの禁書」は、闇と混沌を司る悪しき神々のスキルを使えちまう、とんでもない道具なんだ。……さっきみたいにな。あの野郎の手にそんな代物が渡っちまったら、何をしでかすかわかったもんじゃねえ」

「はい。ボクもそのつもりです」

 

 ボクの返答に満足したのか、青年はボクの肩をポンポンと軽く叩いた。

 

「よく言った。えらいぞミド」

「ただ、今はボクと完全に同化しているみたいなので、アントリアが禁書の所持者になるためには、何かしらの方法でボクから引き剥がす必要があるかと」

「……そうだったな」

 

 青年が腕を組み、何かを考え込むような素振りをみせた。

 

「よし、こうなったら乗り掛かった舟だ」

 

 疑問符を浮かべたボクに、ニヤリと笑う。

 

「ミド、オレがお前を安全な場所まで連れて行ってやる。あいつの……アントリアの魔の手が絶対に届かない、お前にとっての安息の地にな」

 

 ボクの胸に、じんわりとしたものが滲む。目頭が熱くなる。腕組みをしたままの青年が、あっと声を上げた。

 

「――いや、待てよ? お前にも故郷や帰るべきところがあるなら、そっちにしたほうがいいか? お前も親御さんたちに挨拶をしておきたいだろうしな」

「いいえ。今のボクには行く宛なんてありません。あなたが指し示す道をボクも行きます」

「わかった。……オレに任せとけ」

 

 青年が、大きく頷いた。それまで隠れていた窪地から這い上がると、左手を差し出す。ボクは彼の手を取った。地下道での一幕でわかったことだけど、殆ど筋肉がついていなさそうな痩身に見えて、意外と腕力があるらしい。彼はボクをひょいと持ち上げると、窪地の外に運んでくれた。

 

 地面に降り立ったボクは、ぺこりと頭を下げた。

 

「あの。なにからなにまで、本当にすみません」

「いいって。これはオレがやりたいと思って勝手にやってることなんだ。これからはそうやって謝るのも無しだ。……できるか?」

「……はい!」

 

 しっかりと頷いたボクを見て、青年が微笑む。ボクはその時、ふと脳裏を()ぎった言葉を口にしかけた。

 

「ただ――」

「うん? なんだ?」

「いいえ。なんでもありません」

 

 ボクは、ゆるゆると首を左右に振った。

 

「ああ、そうだった。ミド、お前に肝心なことをひとつ言いそびれていたんだ」

「肝心なこと、ですか?」

 

 こてんと小首を傾げたボクに、彼はちょっと照れくさそうに笑った。

 

「オレの名前だよ。まだ、お前には打ち明けていなかっただろ。お前の仲間になるっていうのに、名前を教えていないのはどうかと思ってな」

「……ああ」

 

 一拍置き、ボクは頷いた。てっきり(すね)にキズがある裏稼業の人だから、ボクみたいな見ず知らずの他人には、自分の名前を打ち明けないものとばかり思い込んでいた。

 

 青年が、片眉を器用に持ち上げた。

 

「なんだよ。べつに見ず知らずの他人、ってワケじゃないだろ?」

「……あなたは読心術の使い手なのですか?」

「あのな、そんなワケがないだろ」

 

 軽く目を見開いたボクに、青年が苦笑する。

 

「お前ってさ、けっこう感情が読みやすいんだよ。単純というか、純粋というか」

「単純は一言余計です」

「おっと、すまん。悪気はなかった。それにな、お前に名前を打ち明けなかったのも、別にお前を信用していなかったワケじゃねえんだ」

 

 そう言って、彼は半壊した客席のほうを見上げた。

 

 すっかり瓦礫の山となったそこには、自ら人生に幕を引いたリーダー格の兵士と、ブラックドラゴンに踏み潰された哀れな取り巻きたちの、原形を留めていない遺体がまだ残されている。彼らの末路を思い出したのか、その眼差しはひどく険しい。

 

「アントリアの野郎と敵対するつもりなら、命を張る必要があるからな。オレのヤマにお前を巻き込みたくなかったんだ。……まあ、どちらかといえばオレはオマケ扱いで、お前のほうがお目当てみたいだけどな」

 

 彼は小さく肩をすくめ、視線をボクに戻す。不敵に笑った。

 

「オレはカミュ、この名前をよく覚えてくれよな。オレは訳あって、このとおり「盗賊」稼業をやっている。もしかしたらお前とは長い付き合いになるかもしれねえが、よろしく頼むぜ」

「はい、カミュさん! こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 ボクは、ぺこりと頭を下げた。……(おもて)を上げるまでに少し時間がかかったのは、照れ隠しを誤魔化していたわけではない。

 

「よし、行くか。ダーククリスタルのおかげで、行く手を阻んでいた鉄格子が壊れちまってるからな。別の道を探す手間が省けたぜ」

「はい」

 

 ボクは頷いた。しかし、すぐにカミュさんが鋭い視線を崩壊した観客席の一角に注いだので、疑問符を浮かべた。

 

「いかがされましたか?」

「いや。あそこに誰かの視線を感じたんだ。……気のせいだったみたいだな」

 

 誰もいない観客席をじっと睨みつけていたカミュさんが、表情を和らげる。彼に促され、ボクは無人の地下闘技場を後にした。

 

 

      ●

 

 

「――ほーっほっほっほっ!」

 

 物言わぬ骸だらけの地下闘技場に、その(しゃが)れた笑い声が木霊したのは、ミドとカミュが立ち去った直後だった。笑い方は朗らかとも言ってもよかったが、しかし、その一方で陰惨な死を連想させる不吉な声音でもあった。

 

「なるほど、なるほど……。あの者がアントリア大神官()()が仰っていた、「ダーマの禁書」の正統なる継承者とやらですか。まだほんの小娘ではありませんか」

 

 声がした地点は、無人のはずの観客席のひとつである。そこはちょうど、先ほどカミュが何者かの視線を感じ取った方角でもあった。

 岩場を荒く削り出し、形を整えただけの武骨な造りの観客席のひとつに、怪しげな黒い靄が(わだかま)っているのだ。黒い靄は絶えず(うごめ)いているものの、胸元でひょろりとした両手を組み合わせて(いん)を結ぶ、小柄な人型らしきものを時どき形作っていた。

 

「しかもあの小娘こそ、我々が探し求めていた当代の「勇者」だとは。なんたる偶然、なんたる僥倖(ぎょうこう)。千年前のあの日のことを思い出してしまいましたよ」

 

 くつくつと声が嗤う。

 

「ああ、なんと眩しい心の持ち主でしょう。だが――その一方で、射干玉(ぬばたま)の闇を心の奥底に抱えているようだ。実に、面白い。あれほどの二律背反(にりつはいはん)を抱えた人間を見たのは初めてかもしれません。ただの人間にしておくには少々惜しい逸材です」

 

 声が弾む。

 それは新しい玩具を見つけた幼子(おさなご)のよう。お気に入りの人形の手足を()いで遊ぶ、無邪気さと残酷さが完璧な配分で含まれた声色だった。

 

「この後に予定している会合(かいごう)にはまだ時間がありますし……もう少し様子を見守ることにいたしましょう。ひょっとしたら、もっと面白い余興を見ることができるかもしれませんからね。――ほーっほっほっほっ!」

 

 無人の地下闘技場内に無邪気な笑い声が反響する。(しゃが)れた声はそれきり、ピタリと止んだ。




 *「カミュが 仲間に加わった!▼」 

ミド
カミュ
HP ???HP ???
MP ???MP ???
む: と:



暗黒の王(ことダークキングの本体でもあるダーククリスタルA~J)が来たる。
……うん、ウソは言っていないな(^ω^)


ようやくカミュの名前が堂々と出せたので感無量です。約二か月間ずっと青年表記でしたからね…(´・ω・`)
クロスオーバータグもやっと本格的な仕事をしてくれました。第一章が終わったらバラン&ソアラ夫妻の話もほんのちょっとだけやります。……何か月後になるんだろう?


まさかまさかの評価も再び頂けたので飛び跳ねて喜んでいます。相変わらずのスローテンポですが、今後ともよろしくお願いします(*‘ω‘ *)


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第十一話 強き者ども

 足取りも軽やかに地下道を進む。あれほどうじゃうじゃいた魔物たちが一匹もおらず、兵士たちの姿もまた見当たらない。ボクたちは快適な脱走を洒落込んでいる、というわけだ。

 

 ボクの足取りが軽いのは、青髪ツンツン頭の青年改めカミュさんのおかげでもあった。

 彼は少し悪ぶっているところもあるけど、ボクとは違って性根が優しいのだ。だからか地下牢を脱獄し、魔族の息がかかったアントリア一派から命を狙われている真っ最中だというのに、地下牢に入る以前に比べると心身ともに軽くなった気さえしていた。

 これも肉体年齢と同じく、精神年齢まで大幅に若返ったせいなのだろうか。自分でも現金な奴だなとつくづく思う。

 

(……もっとも、ボクの肉体は人間たちとはだいぶ違うんだけどね)

 

 自嘲気味に微笑む。そんなボクを先頭を歩いていたカミュさんが足を止め、怪訝そうな表情で一瞥(いちべつ)した。

 

「ミド、何かあったのか?」

「いいえ。なんでもありませんよ、カミュさん」

「……そうか? ならいいんだが。さっきから魔物も兵士も全然いねえが、警戒だけは怠るなよ?」

「はい。了解しました」

 

 ボクの返答で満足したのか、カミュさんがひとつ頷いた。再び歩き出した彼の背中を眺めやりながら、ボクは今まで考えていたあることを、ふと思い出した。

 

 カミュさんに、ボクが異世界人であることを素直に打ち明けるべきか、少し悩んでいるのだ。

 ボクのような異世界出身者は極めて珍しいのか、あるいは存在が秘匿されているのか。ともかく、これまでに一度も遭遇したことがない。もしかしたらボクのお仲間は、この世界には一人も居ないのかもしれない。

 

 ボクとしても、カミュさんを騙すつもりはない。だけどボクの居場所――安息の地は、この世界には存在しない。

 ……否、してはダメなのだ。ボクの居場所は、あのくそったれでどうしようもなく、何時だって救いがない、向こうの世界にこそあるのだから。

 

 いったん離れてみて、改めて思い知らされた。あの世界こそが、ボクにとっての故郷(ふるさと)なのだ。我が家に代々仕えている執事とメイド長以外、誰とも顔を合わすこともない隠遁生活を送っているのだとしても。

 

 ……この世界に来てから既に一か月が経過している。……ボクには時間がない。ボクは千年王国の生誕祭が終わるまでに向こうに帰らなければならない。そうでなければ、ボクの世界は――

 

 だけど、この世界は異世界。この世界と向こうの世界、どちらも時間の進み方が同じと限らないのが恐ろしい。

 実はこの世界では向こうの世界よりも進み方がだいぶ早く、向こう側では一か月間の何倍もの時間が経過しているかもしれないのだ。……ぞっとしない話である。

 

(それでも……カミュさんの心遣いは、すごく嬉しかった。――うん、決めた。やっぱり、彼に告白しよう。ボクが異なる世界の住人で、安息の地は向こうにあると素直に打ち明けるべきだ。今は脱出が先決だから、後で言おう)

 

 薄暗い地下道を警戒しながら進みつつも、考えをまとめていく。

 

(まず、「ダーマの禁書」をどうにかしないといけないけど……うん? 待てよ? このまま「ダーマの禁書」のことを解決できないまま、向こうの世界に帰還する機会ができたらどうすればいいんだ?)

 

 ボクは、はたと気づいた。「ダーマの禁書」と元の世界への帰還を天秤にかける。ボクは即座に決定を下した。

 

 優先事項は無論、後者だ。ボクは、何が何でも元の世界に帰らなければならない。ただ、この世界の至宝である「ダーマの禁書」を持ち帰るのも(はばか)れるというもの。

 それに、あの世界に悪影響を及ぼす可能性も捨てきれない。やはり先に「ダーマの禁書」のほうを解決するべきかもしれない。

 

(……あ、よくよく考えてみたら、ボクが元男であることをカミュさんには話していなかったぞ。どうしよう……? でも、今更言うのもなんだし――)

 

 問題は山積みだ。考えれば考えるほど思考が堂々巡りする。悶々としていたら長い地下道の先に淡い光点が見えた。それも地下闘技場跡地で見た人工の光源ではなく、太陽が作り出す暖かな光だった。

 

「あっ! 見てください、あれがきっと地下道の出口です!」

「そうみたいだな」

 

 カミュさんも、地下道の先をじっと見つめていた。弾んだ声をあげたボクとは違い、そこに憎たらしい敵がいるのか眼差しは鋭かった。

 

「あの地下闘技場を出てから、アントリアの親衛隊どもに一度も遭遇しなかった。どうにもきな臭え気がしやがる」

 

 彼はきちんと釘を刺すのも忘れない。年甲斐もなく浮かれていた気持ちはすぐに沈み、ボクは気を引き締めた。

 

「罠……というわけですか?」

「可能性はある。くれぐれも油断するなよ、ミド」

「はい」

 

 ボクは神妙に頷き、先導するカミュさんの後をついて行く。

 

 ……ひとまず、今はここから脱出することが先決だ。無事に外に出たら、彼に今後について改めて相談しよう。

 

 地下道の出口は、天然の洞穴になっていた。眩しさに目を眇めつつ、慎重に外を眺めやる。すっかり薄暗がりに慣れてしまった目は、雲の谷間から差し込む淡い陽光も刺激がとても強いらしく、大粒の涙が出てきた。

 服の裾で目元を拭い、まずは目を光に慣らすことに努める。

 

 しかし――日の光が当たっているということは、今の時刻は昼間なのか。丸一日以上も日の差さない地下にいたせいか、いまいち時刻が分かりづらい。ただでさえ、この世界では正確な時刻を知るのに苦労するのに。

 簡単なネジ巻き式の時計や振り子式の柱時計は、一応はあるみたいだけど。……ああ、たしかリートルードという名前の町には、絡繰り仕掛けの立派な時計塔があるんだったか?

 

 都会はまだいいほうで、田舎では教会の鐘楼(しょうろう)の鐘で、朝・昼・夕方の三回だけ、時刻を知らせる鐘を教会に住み込みの神父さまがつく仕組みらしい。

 

 ……ボクの世界では鐘楼(しょうろう)の鐘で時刻を知らせてくれるなんて、今の時代、ド辺鄙な田舎でも滅多にないのに。この辺も場所が違えれば、何とやらかもしれないな。

 

「誰かの気配がしたと思ったんだが……いないみたいだな。……気のせい、か?」

 

 出入り口の直前で立ち止まって考え込んでいたカミュさんが、眉間に深い皺を寄せた。ざっと見回しただけだが、洞くつの先には人影らしきものは見当たらない。

 

「この先に登山道があるはずだ。行くぞ」

「はい」

 

 天然の出入り口を潜り抜けると、冷たい風がびゅうびゅうと吹きすさぶ、広々とした岩場に出た。平坦にならされているようだが、これは人工的なものではなく、風雨などの時の侵食によって元あった岩肌が削り取られた結果だろう。その証拠に足場は均一ではなく、所々が凸凹している。

 岩場の広さは先の地下闘技場ほどではないにしろ、十人単位で舞踏会が開催できるほどにはあった。

 

 水が激しく流れ落ちる音がする。この世界で一、二を争う大瀑布(だいばくふ)が目と鼻の先に見えた。峻険(しゅんけん)霊峰(れいほう)ダーマの(いただき)を水源地とする大滝だ。ごうごうと大量の水が流れ落ちる様は迫力満点で、見応えがある。

 

 といっても、今のボクたちには瀑布観光を暢気に楽しむ余裕はない。ふたりして凹凸のある岩場を足早に歩き、下に降りる道がないかを確認した。

 

「っ! 断崖絶壁とはなっ」

 

 テラスのようにせり出した岩場から、下の様子を確かめたカミュさんが顔をしかめた。ボクも彼に倣って眼下を覗き込み、うっかり立ち眩みがしそうになった。

 

 ボクたちが今いる岩場は、目も眩むような高さにあったのだ。岩場の突端部は彼の指摘通り、霊峰ダーマが誇る大瀑布を望む断崖絶壁が広がっていた。

 岩場から落ちないように身を乗り出し、真下を確認する。触れれば掴めそうなほどの濃い白霧が漂っている。それでも目を凝らして眺めやると遥か遠くのほうに、大量の水が注ぎ込む豆粒サイズの滝壺が微かに見えた。……ここから落ちたら、まず命はないだろう。

 

 カミュさんとふたりで下に降りるための道があるかどうかを注意深く探してみたけれど、発見できたのは青々とした蔓が巻き付いた高山特有の背の低い木が数本のみ。あいにく、下に続いていそうな道は発見できなかった。

 

「クソ。てっきり死体の搬出口があるのかと思っていたが、当てが外れたぜ。ここから死体袋を滝壺に投げ込んでいたんだろう。生きた人間は、ここから身を投げたら……まあ、間違いなく死体の仲間入りだな」

「うう。ここまで来たのに……骨折り損のくたびれ儲けですか」

 

 しょんぼりとしたボクの肩を、カミュさんがポンポンと軽く叩く。

 

「そんなに落ち込むなって。もしかしたらオレたちが見逃した脇道が、さっきの地下道にあるかもしれねえ。いったん戻るぞ」

 

 崖から滝壺を恨めしく見下ろしても、特に何かが変わるわけでもない。ここに長居しても仕方がない。ボクは彼の言葉に頷き、(きびす)を返した。

 

「あれ? コレは……?」

 

 岩場の半ばまで来たときに、ボクは立ち止まった。先行していたカミュさんが振り向き、怪訝そうな顔をボクに向けた。

 

「うん? どうした?」

「いえ、地下道で嗅ぎ慣れた臭いが、したもので……気のせいなのかな」

「臭い? 獣臭いっていう?」

「はい。しかも、これは鼻を摘まんじゃいそうなほど、獣くさい悪臭――」

 

 ボクは、“悪臭”の出どころを探ろうとした。眉間に皺を寄せ、地下道での記憶を手繰り寄せる。

 

「――――っ!?」

 

 カミュさんが、ハッとした。慌てた様子で空を見上げる彼に倣い、ボクも真上を仰ぎ見た。濃厚な殺意を伴った強烈な威圧感が、ボクたちの頭上に生じる。それらの気配は突如として湧いて出たものだった。

 

 大きな影がふたつ、降ってくる。

 

「ッ! 逃げろッ!」

 

 カミュさんが大声で怒鳴る。またも反応が出遅れてしまったボクを抱き寄せ、後方へと大きく飛び退(すさ)った。

 

 その直後に地下道の洞穴上部にあった、切り立った崖の出っ張り部分から、何者かが飛び降る。そのうちのひとりが巨体に似合わぬ軽やかな動作で、自重を利用した棍棒の振り下ろしをボクたちに撃ち込んできた。

 

 ボクを戦慄させ、ついでに大地を陥没させるほどの強烈な一撃だ。直前までボクたちが地点が、()端微塵(ぱみじん)に爆砕される。立ち込める粉塵(ふんじん)が大気と入り混じり、辺りに黄土色の(もや)が立ち込め、ボクたちの視界を妨げた。

 

「……上からの奇襲攻撃とはな。さすがのオレも驚いたぜ」

 

 ボクを安全な地面に下ろしたカミュさんが、ボクを後ろ手に庇う。腰帯に差した鞘から愛用の短剣を引き抜き、逆手に構えた。口元には苦い笑みが浮かぶ。

 

 襲撃者たちの気配を見落としていたことを、後悔しているのだろうか。だけど……ボクの記憶が正しければ、あそこには誰もいなかったはずだ。

 ……予め、透明化の魔法か何かを唱えておいたのだろうか?

 

「おい、イノップ。俺たちのねぐらに、何も知らずにのこのことやって来た獲物が二匹もいるぞ」

「そうだな、ゴンズ。まったく、バカな奴らだ。この先は断崖絶壁、貴様たちの逃げ場などどこにもないというのに」

 

 ボクたちを頭上から急襲したのは二人組の男だった。

 

 それぞれ猪と虎を彷彿とさせる、粗野な顔立ちである。どちらもはち切れんばかりの筋骨隆々の肉体を、なめし革のチョッキとズボンで申し訳ない程度に包み込んでいる。

 片方はボクたちを爆砕しかけた身の丈大ほどもある長大な棍棒で、もう片方は十字架状の風変わりな長剣を腰に()びていた。

 

 彼らはイノップとゴンズ。ボクたちの身柄を拘束しようと企む、かの大神官アントリアの子飼いたちだ。

 

「ちっ。オレたちはまんまと奴らの餌場に誘導されていた、ってことか。――ミド、下がってろ」

 

 ボクは無言で頷き、素直に下がった。本音を言えば彼と肩を並べて共に戦いたかったが……戦いの邪魔になることだけは避けなければならない。忸怩(じくじ)たる思いがボクの胸をつき、片手で胸部を押さえた。

 

「……ふん。貴様のようなコソ泥如きが、いっちょ前に騎士(ナイト)気取りか?」

「アントリアさまの足元を、ちょろちょろと這いずり回るドブネズミどもが。しかし我らの前に現れたのが運の尽き、このまま二度と我々に逆らわぬように痛め付けてやるわ」

 

 イノップとゴンズが、ボクたちを睥睨(へいげい)した。彼らの発する圧が、さらに強まっていく。

 

「へっ。なんだか妙に懐かしいセリフを聞いた気がするな」

 

 対するカミュさんに臆する様子は微塵も無い。むしろ口の端を吊り上げてみせた。

 

「だがな、そのドブネズミも時にはお前たちを噛み殺すんだぜ? 窮鼠猫(きゅうそねこ)を噛むってな!」

 

 不敵に笑い、そのまま戦闘態勢に移行する。

 その後ろ姿はとても頼もしく、二対一という数の劣勢など物ともしないと言わんばかりであった。

 

 でも、これはどうしてだろうか……彼の後ろ姿を見ていたボクの胸に、一抹(いちまつ)の不安が去来してしまったのは。

 

「この場はオレに任せておけ」

 

 ボクの胸に(わだかま)っていた不安を払拭したのは、その頼もしい一言だった。

 

「こいつらに「ダーマの禁書」のチカラのことを気取(けど)られると、後々面倒だ。《ベホマ》も……こいつらの前じゃ、なるべく唱えないほうがいい。魔物どもから分捕(ぶんど)った道具も、色々あるしな」

 

 カミュさんが肩越しに小声で囁く。ボクは、こくりと頷いた。

 

「では、怪我の手当てはお任せください」

「おう」

「……お前たち、なにをゴチャゴチャと喋っていやがる?」

「死ぬ算段でもしているのか? 殊勝な心掛けだな」

 

 胡乱げなイノップと囃し立てるゴンズ。

 

「ま、(あた)らずと(いえど)も遠からずだな。お前たちをどう料理してやろうか、ちょっと相談していたところだ」

 

 短剣を逆手に構え、すり足で歩を進めていたカミュさんが言った。そして、その姿が霞んだ。ボクの動体視力では彼を一時的に見失ってしまったのだ。

 

 慌てて目で追うと、カミュさんはゴンズの目と鼻の先にいた。

 驚くべき素早さである。

 

 しかし意外なことに、ゴンズはカミュさんの動きに反応してみせた。鈍重そうに見えて、機敏だ。

 

「こざかしいっ」

 

 罵声を放ち、腰に()いた十字状の長剣ではなく、長い両腕で掴みかかろうとするゴンズ。

 カミュさんは鮮やかな動きでゴンズの両腕をすり抜けると、彼の(ふところ)へと潜り込んだ。白刃が三度閃く。パッと赤い華が咲き、胸を切り裂かれたゴンズが蹈鞴(たたら)を踏む。

 

「なんだ、今の手ごたえは……?」

 

 カミュさんが一瞬、顔をしかめた。

 しかしすぐに気を取り直すと、よろめくゴンズを無視し、右へと軽やかなステップを踏んだ。ぶうんという恐ろしげな唸り声とともに振り下ろされたイノップの棍棒を、ギリギリのところで(かわ)す。

 

 最小限度の動きで回避に成功した彼は、お返しとばかりに短剣の鋭い切り上げを放った。

 

「くらえッ」

 

 短剣の軌跡には、無数の青い泡が纏わりついている。強烈な睡眠作用を誘発させる魔法の泡だ。ブラックドラゴンの巨躯をも一時的に深い眠りに陥れた短剣スキルの《スリープダガー》は、しかし、イノップには有効打を示すことが無かった。

 奴は深々と切り裂かれた腹部のキズを物ともせず、棍棒を大きく振り回し、カミュさんに殴りかかってきたのである。

 

「そらよっ!」

「ぐっ」

 

 カミュさんは棍棒の痛打を、辛くも(かわ)した。しかし、攻撃の副産物として生み出された衝撃波は防ぐことができない。彼の身体は爆風に乗って後方へと吹き飛ばされていく。恐るべき膂力(りょりょく)だ。

 

 吹き飛んでいくカミュさんの青い瞳が欄、と輝いた。彼の口角が、わずかに持ち上がる。

 すでに愛用の短剣は腰帯の鞘に納まっていた。おそらくイノップの棍棒を(かわ)した瞬間に納剣したのだろうが、ボクの目には映らなかった。早業、いや神業としか言えない。その左手は、懐に伸びていた。

 

 ボクは彼の真意に、気付いた。あの短剣での攻撃は、あくまでもフェイントだったのだ。

 

「はあッ!」

 

 空中でバランスを器用に取り戻した彼は、着地した。少し無理な体勢から、懐から取り出した剣呑な投擲武器――〈やいばのブーメラン〉を、最小限の動きで投げつける。

 「く」の字に折れ曲がった鋼鉄製のブーメランが美しい弧を描き、戦場を駆け抜けた。そして、体勢を立て直したばかりのゴンズの真後ろから急襲を仕掛けた。

 

「ふん、甘いヤツめ」

 

 しかしゴンズはまたしても意外な機敏さを発揮して、これを迎撃した。背後に目があるとでも言わんばかりに、〈やいばのブーメラン〉を易々と掴み取ってみせたのだ。しかも、持ち手ではなく、刃の部分を。

 

 だが、ご存じの通り、〈やいばのブーメラン〉は鋼鉄を薄く研ぎ、持ち手以外が刃状に成形した武器である。当然、持ち手以外は鋼鉄製の研磨された刃で構成されている。

 ゴンズはその鋭い刃を、恐れた様子もなく素手で掴み取ったのだ。皮膚が相当分厚くできているのか、少しだけ血が滲んだ程度で済んでいる。人間技とは到底思えなかった。

 

「っ、マジかよ!?」

 

 ゴンズの力業にはカミュさんも驚いたのか、瞠目している。動きを止めた彼を、相方であるイノップが身の丈の棍棒を振り回し、殴り掛かってきた。カミュさんは驚愕を飲み込み、飛び退(すさ)って攻撃を回避しようとした。

 

 そこに飛来する、銀の煌めき。

 

「くっ!?」

 

 カミュさんは無理やり身を捩じり、なんとかイノップの棍棒を(かわ)した。至近距離で吹き荒れた爆風の勢いを借りて、自らの身体を前方へと飛び込ませる。

 

 風切り音とともに飛来したのは〈やいばのブーメラン〉だ。ゴンズが投擲したそれはカミュさんのものとは違い、技術も工夫もなく、ただの純粋な腕力のみで投げつけたものだ。

 そのため軌跡は稚拙極まりなかったが、凄まじい回転力が加わり、焦げ臭い匂いとともに、直前までカミュさんがいた空間を恐ろしげな風切り音とともに薙いで突き進んだ。

 

 回避は、寸でのところで間に合っていた。血と肉がはじけ飛ぶことは回避できたが、カミュさんの右の頬を掠めている。皮膚が僅かに割け、一筋の赤い雫を落す。目標から反れた〈やいばのブーメラン〉はそり立った岩壁に当たり、耳障りな擦過音を響かせて弾き飛ばされ、地面に転がった。

 

 イノップは追撃をすることなく、ゴンズとでカミュさんを挟み撃ちにできる位置に立ち、あからさまな嘲りの薄笑いを浮かべた。

 

「おい、イノップ。あんな玩具で、俺たちをどうこうしようと思っていたらしいぞ?」

「まったくだな、ゴンズ。愚かな奴だ」

「……さすがに有象無象の兵士たちや地下道の低級魔物どもとは、勝手が違うか」

 

 カミュさんは崩していた体勢を素早く立て直すと、頬を歪めた。逆手に構えた短剣を握り直し、挟み撃ちにされた状況を冷静に見回す。そして、眉をひそめた。

 

「なんだこいつら。……ダメージを受けた様子がない、だと?」

 

 傍観者であるボクもまた眉を曇らせる。

 

 イノップとゴンズには奇妙なことに、ダメージらしいダメージが見当たらない。それぞれ腹部と胸部に浅くない傷を負ったはずなのに、全てのキズが完治しているのだ。

 しかも地面に落ちたはずの赤い雫もまた、どこにも無い。まるで夢幻だったかのように、跡形もなく消え失せてしまっていたのである。

 

「無駄な抵抗は止めておくんだな。大人しく命乞いをすれば、助けてやらんこともない。まあ、そっちの女は、女に飢えた部下どもが少し味見したいと言っていたから、まるきりの無傷とはいかねえかもしれねえがな」

 

 ゴンズがボクを頭のてっ辺から爪先まで、じっくりと舐め回すように眺めやった。拷問部屋の一件を思い出し、ボクの全身にぶるりと震えが走る。

 

 ボクの怯えた様を見て取ったのか、イノップが口元を歪め、ペロリと舌なめずりをした。

 

「いいねえ、いいねえ……その恐怖に引き歪んだ顔。たまんないねえ」

「呪文や特技はおろか、スキルを一切覚えねえ「むしょく」の役立たずとはいえ、見た目は及第点らしいからな。せいぜい血気盛んな兵士たちを慰めるのに役に立ってもらおうか」

 

 ゴンズもまた、せせら笑う。ボクは、下唇を噛みしめた。

 

「――下衆(げす)どもが」

 

 カミュさんがその青い双眸に憤怒の炎を灯し、唾とともに罵声を吐き捨てた。短剣の柄を握った左手が小刻みに震えている。

 

「ふん。そんなちっぽけな短剣ごときで、この俺たちに立ち向かう気か? 俺たちのお目当てはそこの女だ、貴様は尻尾を巻いて逃げ出しても構わんのだぞ?」

「ああ。安心しろよ? 女は、たっぷりと可愛がってやる。身も心も、しゃぶり尽くしてやるよ。そいつが廃人一歩寸前になるまでな」

「オレは――逃げも隠れもしねえッ!」

 

 ボクは、息を呑んだ。カミュさんが叫ぶや否や、ゴンズ目掛けて玉砕覚悟の刺突攻撃を敢行したのだ。

 

 ――いくらなんでも、無謀すぎる!

 

「おいおい……なんだ、小僧。自棄を起こしたのかぁ?」

 

 ふたりの体格差は幼児と大人ほどもある。そして、ゴンズは愚鈍ではなかった。カミュさんの刺突を冷静に捌き、逆に殴り掛かる。カミュさんはがら空きになっていた腹部を(したた)かに殴りつけられ、くぐもった声とともに苦悶の表情を浮かべた。くの字に折れ曲がった恰好のまま、ボクのところ――つまり断崖絶壁スレスレまで吹き飛ぶ。

 

「ゲホッゲホッ……。一瞬、うっかり別世界に旅立つところだったぜ」

 

 カミュさんは断崖絶壁から落下する一歩手前まで、吹き飛ばされてしまった。ぐらりとよろめきながらも、なんとか踏ん張る。

 

「だいじょうぶですか!?」

 

 カミュさんが慌てて駆け寄ったボクを、右手で制する。彼が左手で握りしめていたはずの短剣は腰帯の鞘に納まっていて、その代わりに鞘入りの長剣が握られていた。

 

 カミュさんの左手にあるものを見たゴンズが、目の色を変えた。

 

「――あっ、アイツ! アントリアさまから賜った、大事な〈はじゃのつるぎ〉を!?」

 

 ボクは、遅まきながら彼の意図を知った。

 あの隙だらけな突撃は相手の油断を誘い、ゴンズの懐に潜り込むための作戦だったのだ。目にも留まらぬ速さでゴンズの剣帯を短剣で切り裂き、まんまと腰の長剣をかすめ取り、殴打の勢いを借りて彼我(ひが)の距離を引き離したのである。

 

 カミュさんが、してやったりと笑った。

 

「へえ、こいつが念じれば閃熱(せんねつ)呪文が巻き起こるっていう、破邪(はじゃ)のチカラを秘めし業物(わざもの)中の業物なのか。いいもん拾ったぜ、ありがとな」

「拾ったんじゃねえ! 俺から奪ったんだろうがッ!」

 

 ()(だこ)のように顔を真っ赤にしたゴンズが叫ぶ。

 

「どうせお前には〈はじゃのつるぎ〉なんて無用の長物だろ。ただ単に、相手に殴り掛かるしか能がねえんだからな。それにオレの職業は「盗賊」だ、人様の持ち物をかすめ取るのはオレたちの専売特許だぜ?」

 

 盗っ人猛々しいとは、まさにこのことだ。ボクは、うっかり噴き出すところだった。先ほどの〈やいばのブーメラン〉を奪われた時の、意趣返しなのかもしれない。

 

「よし。じゃあ、第二ラウンドと行こうじゃねえか」

 

 腰帯に差した〈はじゃのつるぎ〉の柄頭を軽く叩き、カミュさんが不敵に笑う。

 

「調子に乗りやがって、ツンツン頭の小童がッ! 前言撤回だ、貴様から念入りに殺してやろう!」

騎士(ナイト)気取りのコソ泥め! 挽き肉にしてやるッ!」

「はっ、望むところだぜ! オレとしてもあの時の借り、きっちり返してやりてえと思ってたんだ!」

「うん? ……借り、だと?」

 

 イノップとゴンズが、きょとんとした。虚を突かれた様子でカミュさんが一瞬固まる。

 

「――おい。まさかとは思うが、覚えていねえのかよ。さすがにオレの顔に見覚えがあるはずだろ?」

「バカが! お前のような取るに足らないコソ泥の顔なんぞ、いちいち覚えるか!」

「なんだそりゃ。マジで覚えていないのかよ? ……つれないな。こっちは、お前らにしこたま殴られたキズが、まだ痛むっていうのによ」

 

 カミュさんは、ちょっぴり傷ついた表情を作った。

 

「――あ、コイツ!?」

 

 ゴンズが突然、大声をあげた。カミュさんを指差す。

 

「やっと思い出したぞ、イノップ! あの青髪ツンツン頭はアントリアさまの大事な会合を物陰に隠れて盗み聞きしてやがった、あのコソ泥だ!」

「なに!? お前、「ダーマの禁書」を奪った小娘と一緒に脱獄しやがったのか……!」

 

 イノップとゴンズが地団駄(じたんだ)を踏み鳴らす。

 

「だが、こいつはいい! ついでに捕まえて元居た地下牢に……いや、俺たちの手で私刑(リンチ)にしてやるぜッ!」

「飛んで火にいる何とやらだ! アントリアさまを悩ます頭痛のタネが、俺たちの元に飛び込んでくるとはな!」

「まさかとは思うが……お前たち、オレにやっと気づいたのか?」

 

 カミュさんは小さく肩をすくめた。口元に浮かぶのは好戦的な笑みだ。

 

「ミドにかまけて、このオレを「ついで」呼ばわりとは……猪と虎の分際で良い度胸をしているじゃねえか。舐めた口が利けなくなるように、ちょいと揉んでやる必要があるみたいだな」

「って、誰が虎だ!?」

「猪だとぉ!? ツンツン頭め、誰に向かって口を聞いているんだッ!?」

 

 イノップとゴンズのこめかみに青筋が浮かぶ。カミュさんは彼らの怒りなど、どこ吹く風。ふたりぶんの怒声を涼しい顔で受け流すと、口を開いた。

 

「ミドが言っていたぞ? お前たちから獣臭い匂いがプンプンするってな。……たしかに、お前たちから獣……いや、魔獣みたいな得体の知れねえ匂いがしやがる。数合打ち合っただけで、予想が確信に変わりつつあるぜ」

 

 カミュさんが、すっと青い双眸を細める。

 

「……お前ら、本当に人間なのか?」

 

《いてつくはどう》《いただきボール》《グレイブホール》《虚無の剣》《パンパカパーン》《裂気斬》《ばくえん烈破》《ひゃくれつなめ》《邪竜教祖のはどう》《悠久の砂塵》《闇の呪縛》《コズミックボール》《寂滅の息》《破滅の眼光》《暗黒の舞い》《凍てつく魔弾》《スーパーレーザー》《夢魔王のわざわい》《石化の魔光》《最後の審判》《深淵の戦陣》《ルネッサンスウェーブ》《海冥の威圧》《シャドウウィスパー》《紅蓮の熱波》《深紅の血陣》《禍々しきはどう》《翠将の喝破》《ゴールドフィンガー》《青のしょうげき》《いてつくゆきだま》

 

 ボクは面食らった。――()()だ。あの文字列が浮かび上がったのだ。ボクとカミュさんが導き出した答えが正しいのだ、と言わんばかりに。




ミド
カミュ
HP ???HP ???
MP ???MP ???
む: と:



第一章の山場のひとつイノップ&ゴンズ戦がスタートしました。本作の雑魚戦はさっくり、ボス戦はがっつりで行きたいと思います(・∀・)

またまた評価を頂けるとは思ってもみなかったので驚いています。ありがとうございました!


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