トレーナー辞めて結婚します (オールF)
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①トレーナー、辞めるってよ

リメイクしました。主人公が婚活ではなく結婚に向けて猪突猛進しています。


 トレーナーと呼ばれる仕事がある。

 定義的には『競技の練習を指導し、競技者のコンディションを整える面を受け持つ』ことと記されている。

 幼少期から小学校まではなりたいものがあった。野球選手に芸能人。幼稚園や小学校の卒業アルバムを見返せばキラキラしていた頃の俺がお出迎えというわけだ。

 中学になって、思春期特有の闇を抱えた俺だが他人を見て我が振りを見つめ直したおかげで黒歴史は少なくて済んだ。問題はその後だ。なんにでもなれると思っていた頃の夢は、努力してもなれるかわからず、なれてもその道で食っていけるか分からない。そう知ってからは特に目指すものもなく、行けそうな高校に入って怠惰な日々を過ごしていた。

 高校では、部活動はたった3ヶ月で退部して、高校生でもできるような人参の仕分けというバイトを淡々とこなしていた。そんな折にバイト先の社員さんに何になりたいかと問われた時、俺はこう答えた。

 

 

 "働きたくない"

 

 

 言ってから、人生舐めすぎかと口を噤んだが、1度出た言葉は引っ込まない。社員さんが突発性難聴になることを祈ったが、ばちこりと耳に届いており怒られるかなとヒヤヒヤしているとその人は笑った。

 

 

『だよなー、働きたくねぇよな』

 

 

 まさかの肯定。なんだやっぱりみんな働きたくないよなとウンウンと頷いていると、今度はそのためにはどうしたらいいかと聞かれた。無難に親のスネをかじり続けるとか、高収入の嫁を貰うとか答えてみたが、やはり現実性に欠けており、俺は人生そう上手くいかないかと肩を落とした。

 

 

『あるぞ。君が働かなくても、稼げる仕事が』

 

 

 それがトレーナーという仕事だ。就職率は低く、さらに結果を残せなければ収入はほぼゼロ。まさに実力主義の世界だ。確かにトレーナーがやるのはトレーニングメニューを考えて、練習させて勝たせることで実際に稼いでくるのはトレーナーではなく、ウマ娘と呼ばれるヒトとは似て非なる存在だ。ウマ娘の成績が自分の査定と収入に直結するため、育てることになるウマ娘次第では何もしなくても稼げる。いわば博打だ。

 天皇賞春秋連覇。トリプルティアラに秋三冠などと言った輝かしい記録を達成出来るウマ娘は社員さん曰く片手で足りるほどしかいない。だが、実際に達成したウマ娘がいるのだから、不可能ではないと口角を上げる。

 

 

『トレーナーになるには実力がいるが……その後は運だ』

 

 

 それにトレーナーは結構モテると聞いて、俺の中で興味が湧く。理由としては、現在ウマ娘の数に対してトレーナーの数は不足している。不足しているのは志願者がいないのではなく、なるための道が険しいからだそうだ。逆に、なることが出来ればそれだけで黄金のチケットを手にしたも当然らしい。

 トゥインクル・シリーズでの活躍を目指すウマ娘たちにとってトレーナーの存在は不可欠。 トレーナーがどんなにダメ人間でも、ウマ娘は勝手に頑張ってレースで勝ってくる。勝てば報酬と名誉が得られる。負けてもウマ娘から首を言い渡されない限りは勝ち組。切られても次に行けばいいと社員さんは1枚のチラシを俺にみせてきた。

 

 

『俺はなりたかったが、なれなかった。何故かって? なりたいと思った時には俺の時間は無くなっていた。だが、お前はどうだ?』

 

 

 この人は何者なんだ。どうして俺にそんなことを語る? そんな疑問よりも俺は他の質問で頭がいっぱいだった。本当にトレーナーにさえなれば、何もしなくてもいいのか? いいウマ娘を見つけるだけで俺は金を稼げるのかと。

 

 

『あぁ、トレーナーにさえなればな』

 

 

 この言葉を聞いて、俺はチラシを奪い取った。トレーナーになるための専門学校。合格率は低く、さらには卒業できてもトレーナーになれるという保証はない。だが、なれたやつがいるのだから、俺になれないという道理はない。レースと違って勝者は1人と決まっていない。トレーナーになるための条件を満たせば誰でもなれる。

 楽して稼ぐため、いや働かずして稼ぐための投資と考えれば、安いものだ。残りの学生生活をトレーナーになるために捧げるにはな。

 そして、俺は───────

 

 

 

 

 

 ###

 

 

 

 

「辞めます。俺」

 

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園、略してトレセン学園の理事長室で"退職願"と書いた封筒を叩きつけた俺はそう述べた。

 

 

「……? 質問ッ! ……どういうことだ?」

 

 

「えっと、これは……?」

 

 

 目の前にはちっこいくせにこの学園の理事長を務める秋川やよいと秘書である駿川たづなさんがいて、俺の言葉を聞いて疑問の表情を浮かべる。

 なるほど、言葉が足りなかったかと俺は言葉を付け足した。

 

 

「辞表です」

 

 

「それは分かります!」

 

 

「不可解ッ!!! どうしてこうなった!?」

 

 

 驚く2人に対して俺は2週間目のセミの表情だ。いや、あいつらにも表情なんてものがあるのかは定かではないが。要するに死にかけというのが伝わればそれでいい。

 

 

「いや、そのもうキツいんですよね」

 

 

 トレーナーになることができて、あとは俺が何もしなくてもいいウマ娘を見つけるだけってことでトレーナーになったのに、トレーナーさんやること多すぎない? 練習場の確保に、レースの予約。機材のメンテナンス手配に祝勝会の日取りに幹事。担当ウマ娘のご機嫌取りにやたらと揺れるUFOキャッチャー。あと何やったっけな。

 働かずに得る金は素晴らしいが、想定以上に働くことになって俺の身体はボロボロだ。勤続6年目にして橘さんも雪上で蹲るのもわかるマンになった。薄々勘づいてはいたが、これも美味い飯のため、いいベッドのためと考えていたが、トレセン学園に設けられた仮眠室以外で寝た記憶が少ない。この前なんて、飲み会帰りに酔って自宅ではなく仮眠室に帰ってしまった。あぁ、俺の理想郷を忘れるとは哀れな僕。

 ということで、これ以上は限界だ。担当たちには悪いが、心療内科に通う前に早く辞めたい。辞めて択捉島にでも移住しようかと思う。あそこなら競バ場もないだろうし。

 

 

「説明ッ! 理由は!?」

 

 

「給料に見合った仕事……ですかねぇ……」

 

 

「それのなにがいけないッ!?」

 

 

 理事長のおっしゃる通りだ。働きに見合った給料がもらえる。世間一般的には素晴らしいことなんだろう。有給休暇も担当ウマ娘の大切なレースが控えてなければ受理されるし、天皇賞に優勝すればボーナスが出る。しなくても出るけど。福利厚生も手厚く、社会保険も充実している。周りに比べればとてもいい職場だ。でも、俺働きたくなくてここに来たんだよね。働いて給料もらってたら本末転倒なんだよね……。

 

 

「ほ、ほか! 他の理由は!?」

 

 

「そ、そうだ! 体調が悪いのか!?」

 

 

「あぁ……健康診断はオールAでしたねぇ……」

 

 

 ウマ娘の生活に合わしてたら、いつの間にかねぇ。23時には眠くなる身体にされちった。食事もトレセン学園の栄養豊富な定食ばっかだし、ウマ娘のトレーニングに付き合わされて身体は引き締まっちゃって。ダンスと歌まで上手くなっちゃって……今なら合コンとか行けばKINGになれちゃうよ。顔はともかくとして、金はあるし、身体も健康そのもの。でも、男は面白さと優しさらしいから無理だわ。お疲れ様でした。

 

 

「何故落ち込んでいるッ!?」

 

 

 脳内でお前に負けるなら悔いはないさしているのが顔に出ていたらしい。

 

 

「せ、精神的な疾患か何かですか……?」

 

 

「だと良かったんですけどね」

 

 

 別に寝れないとか、悪夢を見るとか、身体がだるいとかはないんですよ。健康的な生活をしているので。ただ、働いているとどうして働いているんだろって考えちゃって病むことはあるけど、夜しっかり寝たらしばらく考えないし。

 そしたら、またそのタイミングが来るまで働き続けちゃうし、それまで健康かも分からないから。

 

 

「結婚、しようと思うんです」

 

 

「えっ!?」

 

 

「唐突ッ!?」

 

 

「俺より収入のいい人と結婚します」

 

 

「何故ェッ!?」

 

 

「……俺が働かなくて済むじゃないですか」

 

 

「ッ……!? ま、まさか、トレーナーの仕事が苦痛だと言うのか……!!」

 

 

 いや、それはない。働いた分だけ給料が出るよりも、俺が働いた分だけウマ娘も頑張ってくれるやつを見るのは嬉しいし、結果も出してくれると尚のこと良い。もちろん、負けた時は悲しいけど、それを分かち合えるのはいい事だと思うし、分かち合えるからこそ次は負けないようにって思える。だから、働くのは苦痛に思ってもトレーナーという仕事を嫌ったことはない。やることが多くて辟易したのは嘘じゃないっす。仕事した分の対価が支払われているのは喜ばしいことだ。

 

 

 それはそれとして。

 

 

「そうじゃないんですけど、とりあえず働きたくないんですよ」

 

 

「えぇ〜っと……つまり、そのどういうことですか?」

 

 

「辞めたい。結婚したい」

 

 

 額を抑えながら訊いてきたたづなさんだが、俺の言葉でより頭痛が酷くなったのか眉間にシワが寄っていた。ううむ、眉間にシワが寄っていてもやはり可愛いな。

 

 

「そういえば、たづなさんって収入どれくらいなんですか?」

 

 

「私ですか……? 私は……って遠回しなプロポーズですか!? ごめんなさい、そういうのはもっと時間をかけて、最高のタイミングでお願いします!」

 

 

 早口で何言ってるのわかんなかった……。でも謝られたからなんか振られたっぽいな。収入聞いただけなのに。

 

 

「じゃあ、理事長は?」

 

 

「不快ッ! ついでのように訊くな!」

 

 

「えぇ……」

 

 

 年齢を聞くのは失礼と聞いた事はあるが、収入を聞くもダメなのか。2人の場合は「やだ、私の収入低すぎ……?」ってことはないだろうに。あわよくば養ってもらおうと思ったのだがダメらしい。2人とも可愛いし仲良いと思ってたから、俺と因子継承して欲しかったのに。うわなにこれキモすぎ死のう。

 

 

「死にたくなったので帰ります」

 

 

「本当に何故ッ!?」

 

 

「えっ、あ、あの、し、死なないでくださいね!」

 

 

 辞めるということは一応伝えたし、辞表も出したから辞めさせて貰えるだろう。辞めるのと死ぬのどちらが早いかリアルタイムアタックしようと思ったけど、たづなさんに死んで欲しくないって言われたし、頑張って生きよう。

 

 

 ###

 

 

「り、理事長どうするんですか……?」

 

 

「無論ッ! 拒否だ拒否……今、彼に抜けられたら困る」

 

 

 自殺をほのめかす発言してトレーナーが去っていった後、やよいとたづなは彼の置いていった辞表を見つめながら、神妙な面持ちで口を開く。

 

 

「そもそも、結婚したいから辞めるというのがわからん! 辞めなくても結婚はできるだろう!」

 

 

 今ではマッチングアプリだとか、〇〇婚だとか、色々とあるからトレーナーをやりながらでも結婚できるはずだと思ったやよい。引き止められるのならば自分がしてもいいとも考えていた。

 

 

「想定ッ! 私と彼が結婚すれば……!」

 

 

 瞬間、やよいの脳内に溢れ出した彼との結婚生活。

 

 

 やよい〜! 今日もうまぴょいしてきたぜ〜! 

 流石ッ! 私の旦那だ! 

 馬鹿野郎ッ! 俺が真にうまぴょいするのはお前だけだッ! 

 ッ……! 羞恥ッ! だが……歓迎ッ! 

 

 

「……ッ! 理事長ッ! 大丈夫ですか!?」

 

 

「ハッ! す、すまない……恥ずかしいところを……」

 

 

 URAファイナルズで上位入賞したウマ娘だけが歌うことを許されるうまぴょい伝説を使ってあんな想像を……後ろめたいと同時にこの発想に至ったやよいは顔を朱に染める。

 

 

「理事長と彼が結婚してしまうと、学園運営とウマ娘の育成に支障が出ます。なので、ここは私が……!」

 

 

 瞬間、たづなの脳内に溢れ出した彼との結婚生活! 

 

 あら、あなたおかえりなさい。

 ただいまたづな。

 今日はお風呂にしますか? ご飯にしますか? それとも……? 

 決まっているだろう! 勝利の女神はお前だけだ! 

 

 

「……なっ! づな……! たづなッ!」

 

 

「……ッ! わ、私は何を……!」

 

 

 理事長に呼びかけられなければあのままどうなっていたか……想像するだけで顔から火が出そうになるたづなは顔を手で覆った。

 変な妄想に走りはしたが、2人の考えは一致していた。彼を辞めさせないためにも、学園に所属しているうちに結婚する。その相手が誰かというのは彼女たちの中では互いに決まっていた。

 

 




トレーナーをトレーナーになるように唆した人は、トレーナーになりたかったけどなれなかった誰か……ではなく、トレセン学園の職員で、学生バイトに「学生、お前もトレーナーにならないか?」と勧誘している。大抵は断るが、主人公は大抵から外れた人。


登場ウマ娘はなるべくハーメルンで取り扱われていないやつにしたいなと思ってはいます。はい。


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②俺はお兄ちゃんじゃねぇ

予想外にもお気に入りと評価あって芝ァ!ありがとねぇい


 

 トレセン学園は日本でも有数のウマ娘育成学園として数えられるだけあって、学園内の設備が豊富だ。豊富すぎて迷子になりそうになることもあったが、6年もいればそんなことは無い。僕ちんこんなところに6年もいたの……?

 練習施設完備、図書館やデータをまとめるためとコンピュータールーム、視聴覚室に、室内にある温水プール、やたらとでかい体育館に食堂、ウマ娘たち専用の寮とトレセン学園の施設は豊潤だ! 

 ウマ娘育成学園のため、ウマ娘のための施設に目がいきがちだが一応、我らトレーナーのための施設もある。そのひとつが仮眠室だ。冷暖房完備で組み立て式の軋むベッドと手厚い待遇である。さらに申請すれば寮にも入れてくれる。しかし、業務に必要だからとサウナルームを設置するほどのスペースはないので、賃貸へと移ったのだが最近帰った記憶が正月くらいしかない。引き払った方が吉なのかもしれない。

 理事長とたづなさんに辞表を提出した次はウマ娘達への報告だ。彼女達も頑張っていたが、その分俺も頑張ったしもうゴールしてもいいよね? あいつらならきっと分かってくれるさと俺はグラウンドへと出る。すると、俺を見つけるなり駆け出してくるウマ娘が1人。最初はアイツに報告するかと俺も足を動かした。

 

 

「お兄ちゃーん! おそーい!」

 

 

「俺はお前のお兄ちゃんじゃねぇ」

 

 

「えー、またそんなこと言う」

 

 

 俺の事を兄と呼ぶウマ娘、トレセン学園ではこの子以外にももう1人いるが俺の担当ではたった1人。SNSで輩に絡まれても、ガイドラインに沿って排除する系ウマ娘にして、俺を兄呼ばわりして犯罪者に仕立てあげようとしてくるのがカレンチャンである。

 ショートボブのクリーム色の髪に、SNSでもバズるウマ娘カーストの上位に位置すると俺が勝手に思い込むほどに顔のいいウマ娘だ。しかし、そんなウマ娘も俺の前では普通の女の子だ。

 

 

「もしかして、もう妹として見られないとか? きゃー!」

 

 

「はいはい、もうそれでいいよ……」

 

 

 なにがきゃーだよ。もう妹として見られないとか、その先は地獄だぞ。両親に引き裂かれて兄貴の方が復讐するんでしょ? 俺は詳しいんだ。

 

 

「そんなことよりカレン、お前に伝えなければならないことがある」

 

 

「え? なになに? もしかしてシチーちゃんと一緒に撮影会とか?」

 

 

 そいつは魅力的な話だな。だが違うんだ。

 

 

「俺、トレーナー辞めるんだ」

 

 

「エイプリルフールはもう終わったよ、お兄ちゃん」

 

 

 嘘じゃないんだ、ほんとだよ? エイプリルフールに嘘つきまくったから信じられないのかもしれないけど。本当なんだ。

 

 

「俺ちゃん、もう疲れたからトレーナー辞めるんだ」

 

 

「……? 疲れてる人は夏合宿であんなにはしゃがないと思うけど?」

 

 

 確かにウマ娘よりはしゃぎましたよ? だって夏合宿は俺何もしなくていいもん。レースに出ない限りは、俺もフリーだし。年に数回の羽根を伸ばせる機会だぜ? 伸ばさなきゃ損でしょ。

 

 

「それに……すぐに他所の女の子に声かけるし……」

 

 

 膨れっ面で自身の胸を押さえながら、俺を睨んでくるカレンに目を逸らしてしまう。仕方ないじゃないか。万乳引力の法則だ。人はでかい音とかでかいものに目が引き寄せられるんだから。でも、カレンはまだ成長期だし、可能性あると思うよ、うん。

 

 

「俺、結婚したいんだ」

 

 

 女の子に闇雲に声をかけてるわけじゃないんだ。将来有望で俺より稼ぎがありそうな女の子をこの28年間鍛え上げた眼で見ていただけなんだ。決して胸だけを見ていたわけじゃない。水着のデザインとか太ももとか脇、あとは尻も見てた。

 とにかく、俺が女の子を視姦していたのはやましい気持ちじゃなくて純粋に結婚したいからなんだぜという意味を込めて言うと、途端にカレンからの視線が熱くなる。

 

 

「えっ!? その、き、急に言われても……」

 

 

「まぁ、困るよな。けど、決めたことなんだ」

 

 

「カ、カレンの気持ちは……聞いて、くれないの?」

 

 

「あぁ。受け入れてくれ」

 

 

 カレンは俺の事を慕ってくれているように思う。そんな女の子に結婚したいから辞めるだなんて最低だと思うけど、思い立った時に行動しないとダメだってことは嫌という程知っているから。

 

 

「うん、分かった。お兄ちゃんがそう言うなら……いいよ」

 

 

「ありがとう、カレン」

 

 

 後任は信用も信頼もできて、俺より働きたいってやつに任せるからと言おうとして、そういえば後任決めてなかったなと気付く。理事長やたづなさんが用意してくれるのならば、助かるけどあの感じだとそこまではしてくれ無さそうだ。

 

 

「じゃあ、これからはお兄ちゃんって呼べなくなっちゃうね」

 

 

「俺はその方が助かるけどな」

 

 

 職質かけられなくて済むしな。ワッハッハーと笑みがこぼれる。

 

 

「もうっ!」

 

 

「あいったぁ……」

 

 

 愛バからの愛のある殴打が肩へと突き刺さるも、加減はされていて痛みは感じない。けれど、この子なりの激励か、あるいは哀しみの表れなのかは分からない。でも、確かに心に感じた痛みだけは本物だった。

 お前の不幸は俺に勝てると思わせたことだと勝手なことを思いながら、カレンを練習へと送り出すと、俺は他の担当へと話を伝えるべくグラウンドから離れた。

 とりあえず、これでカレンへの報告は完了だ。

 

 

 ###

 

 

 カレンチャンは芝の短距離を得意とするウマ娘で、とってもおしゃまなイマドキの女の子。無邪気で気分屋だが、おだてられてやる気になれば信じられない実力を発揮する点が今のトレーナーとは非常に噛み合っていた。おだてればやる気になる性質はトレーナーも同様であったので、何を言えばやる気になるかを彼は知っていたのだ。

 しかし、そのせいで彼がより激務になってしまう。ウマスタグラム、ウマッターなどに投稿する際に写真を撮るのはトレーナーの仕事になるだけならまだしも、新しい服の意見役や他の可愛い系ウマ娘への対抗策を講じさせられるなど「俺はマネージャーかプロデューサーにでもなったのか?」と呟いていた。

 そのおかげでカレンチャンのやる気は落ちることなく、出走した短距離レースでは無敵とまで言わしめるほどになっていた。サマースプリントシリーズは彼女の独壇場となり、レース後に行われるウイニングライブでは勝利の喜びと可愛さを全開にできる場ということもあって大いに楽しんでいた。

 それもお兄ちゃんと慕うトレーナーのおかげだったのだが、カレンチャンは彼が去った後のグラウンドで両頬に手を添えてため息をついていた。いつもは元気で可愛いカレンの物憂げな表情に誰もが首を傾げた。

 

 

「お兄ちゃん……唐突すぎるよ……」

 

 

 トレーナーから告げられた辞めるという言葉と、結婚したいという言葉。カレンはそれを「ここを辞めて、カレンと結婚したい」と受け取っていた。固い意思のトレーナーに、カレンは戸惑うも彼がそこまで言うならと了承した。

 

 

「パパもママも許してくれるかな……?」

 

 

 さすがに卒業してからになると思うし、お兄ちゃんもそれまで待てるかなと不安になったカレンだが、それよりも先に父と母の説得の方が先決ではないかと思い悩む。基本的にヘラヘラしてて、都合が悪くなれば幼児退行して逃げる男だ。両親へ挨拶に行こうと言っても仮眠室に引きこもるに決まっている。そしたら、また自分か誰かが引っ張り出さないといけなくなるのだろうと、昔のことを思い出すと自然と笑みを零れた。

 

 

「あれじゃどっちが上かわからなくなるよ」

 

 

 もー仕方ないなと顔を上げたカレンはその時はその時だと、今は来年のサマースプリントシリーズも勝てるように努力を続ける。あそこで見た最高の景色を再び目に焼きつけるために。そして、最前列で見てくれる人のために。

 と、練習を再開した時にふとおかしなことに気付く。

 

 

「あれ? お兄ちゃん、カレンが卒業する前に辞めちゃうの……?」

 

 

 トレーナー曰く辞めるのと結婚したいのはセットだったが、カレンはまだ中等部で法律的に結婚出来る年齢に達していない。カレンが卒業するまで待つという発言はなかった。つまりそういうことである。

 笑顔からまたしても暗い表情へと変わったカレンは練習を中断し、トレーナーが去っていった方向へと目を向けた。

 

 

「……お兄ちゃんは私だけのお兄ちゃんなんだから」

 

 

 カレンはそう呟くとグラウンドから離れていく。その後ろ姿を見ていた相部屋のウマ娘は、夜は話しかけない方がいいなと心の中で思ったという。

 

 

 

 




ライスは結構みたけど、カレンチャンのは少ないなと思ったので。あとは可愛いし。好き!(直球) てか、ライスが高等部でカレンが中等部なのびっくり。


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③式場と産婦人科が決まったら連絡してやる

フジキセキとどちらにするか悩んだけど、この前Aランクが出たので。


 トレセン学園には様々な異名やら称号を持ったウマ娘が多く在籍している。漆黒の追跡者とか皇帝とか帝王とか。赤い彗星に白い流星、最後の2つは居ないけど、大抵のウマ娘は名前やその功績から尊敬と畏怖の念を込めて2つ名のようなものが付けられている。

 俺の担当するウマ娘の1人、エアグルーヴもまた"女帝"と呼ばれ、容姿端麗、学業優秀、何でも完璧にこなす才媛ってのはまさしく高嶺の華だ。もしも、同期か先輩にいたら求婚してるところだが、残念なことに俺よりも歳下でしかも教え子の立ち位置になる。けど、ほとんど教えてないので、俺ちゃん必要なのかしらと疑っちゃう。

 だから、こいつに関しては俺が辞めると告げても「やっとか」みたいな反応をされると思うので、まだ気が楽である。トレーナーがいなくても勝手に練習をするようなウマ娘だし、俺がいない方がアイツもやりやすくなるだろう。

 エアグルーヴはトレセン学園の生徒会役員であり、シンボリルドルフ会長を支える副会長だ。そのため、彼女がグラウンドや練習施設にいないとなると必然的に生徒会室にいる可能性が高い。

 

 

「お前はエアグルーヴの」

 

 

「あー、ナリタ……なんだっけ?」

 

 

「ブライアンだ。いい加減に覚えろ」

 

 

 生徒会室へと向かう途中で、鼻腔テープをつけた黒いポニーテールのウマ娘と出会う。担当以外のウマ娘の名前は曖昧だし、なんなら似たような名前が多くてこんがらがってしまう。その事でナリタブライアンに冷たい視線を向けられるが、俺がここにいる理由を察したのか彼女は後方へと目を向けた。

 

 

「アイツならまだ生徒会室にいたぞ」

 

 

「サンキュー」

 

 

 訊かなくても答えてくれるとか社会適合者か? 訊かれたことすら答えないことがあることに定評のある俺が通りますよと。てか、この子は一体どこへ行くのやら。まぁ、知ったことじゃないからいいけど。

 

 

「どうぞ」

 

 

 生徒会室の前に着き、ドアをノックすると会長であるなんたらルドルフの声が返ってくる。俺はできた人間だからちゃんと返事があるまでドアを開けたりはしないんだ。

 

 

「なんだ貴様か」

 

 

 入ると直ぐに興味なさげに視線を向けてきたのは、当然のごとくエアグルーヴだ。

 

 

「何の用だ。今日の練習は17時からだと伝えたはずだが」

 

 

「そうだっけ?」

 

 

 俺が聞き返すと目力が強くなる。美人に睨まれるとシンプルに怖いんだよな。一昨日くらいに練習場は予約しているから心配すんなー☆とウインクすると、ため息をつかれた。いつも通りのことなので、慣れたものだが、はじめの頃はよく引かれて侮蔑の視線を……ってそれは今もでした。

 

 

「ふふっ、相変わらず仲がいいな」

 

 

「そんなことはありません」

 

 

 笑う会長に即座に否定したエアグルーヴは、俺へと視線を戻した。

 

 

「それで本当に何の用だ。いつもはメッセージで済ませてくるクセに」

 

 

「あー、口頭じゃなくてもいいかなとは思ったんだけど、後でまくし立てられても困るから」

 

 

「……どういうことだ?」

 

 

 生徒会運営に後輩の指導と、俺と違って働き者のエアグルーヴは基本的に自分のためではなく誰かのために時間を使う。それは自分のレースよりも優先されることで、珍しいやつもいるんだなと思った。しかも、彼女が必要だと思うことをレースで勝つためには無駄だと言うトレーナー達は悉く切り捨てられていた。だからこそ怠け者の俺とは相性が良かったのだろう。最低限のトレーニングメニューを送り付けたらオワオワリ! 他にやりたいことがありゃ勝手にどうぞとしていたら、過干渉してこない俺のことが気に入ったというよりは、彼女にとっても都合が良かったのだろう。

 俺はエアグルーヴがやりたいことをするためのトレーナーとして、練習場やレースの予約はしてやった。たまにカフェやレストランの付き添いを頼まれて、行ってやったこともある。後輩と行くため、会長を招待するためだとか理由は様々だったが、仕事ではなかったしそれくらいならと引き受けた覚えがある。結局行ったのかは知らねぇけど。

 

 

「おい、聞いているのか」

 

 

「あぁ、来た理由だっけ……?」

 

 

 そう言って会長の方をちらりと見やる。まぁ、遅かれ早かれ彼女の耳には入りそうだし、聞かれてても問題は無いだろうが、一応な。

 

 

「ふむ、邪魔なら少し出るが」

 

 

「いえ、私たちが」

 

 

「会長さんが良ければ別に聞いてくれてもいい」

 

 

 大した話でもないし、理事長やたづなさんに話した時点で生徒会長の耳にも入るのは必然だからな。それに座っているウマ娘に出て行かせるのも気が引ける。

 

 

「俺、トレーナー辞めるんだわ」

 

 

「……はぁ、またその冗談か」

 

 

「いや、今度は嘘じゃないっす」

 

 

 確かエアグルーヴにめちゃくちゃ怒られた時に口走った気がする。だってあの時のアイツめちゃくちゃ怖かったんだもん……。昔のことを思い出して俺が怯えていると会長が口を開いた。

 

 

「正気かい? 本当ならば理由はなんなんだ?」

 

 

「結婚です」

 

 

 言うと2人は互いに目を合わせて、再び俺へと視線やるとまた目を合わせた。なんなの? 目と目で通じ合うの? 

 

 

「ふむ、それはつまり……その、なんだ。結婚するから辞めるということか?」

 

 

「そういうことだな」

 

 

 思いのほか状況の飲み込めていないエアグルーヴに代わり、会長が俺へ確認するように尋ねてくる。

 

 

「ちなみにだが、相手は誰なんだ?」

 

 

「相手?」

 

 

「あぁ。結婚するというのならば相手がいるのは至極当然。差し支えないなら聞いておきたい」

 

 

 君とは知らない仲でもないのだからと語る会長に俺は頭を抱えそうになった。いや、結婚したいから辞めるんですけどとはとても言えない。トレセン学園の生徒会ツートップ。頭は回るし、俺が結婚相手を見つけてないことがバレれば、正論のナイフで滅多刺しにされるのは目に見えている。

 

 

「……私にも、聞かせてもらおうか」

 

 

「ヒェッ」

 

 

 なんでちょっと怒ってんだよ。エアグルーヴ的には無能なトレーナーがいなくてラッキーじゃないのん? いや、もしかしたら電話やメッセージ1つで飛んでくる都合のいい男がいなくなることを危惧して!? どちらにせよ俺への評価が低いのは変わらねぇじゃん。

 あるいは、俺と結婚する奇特な女性について興味があるのか。そして、俺から名前と住所を聞き出して俺の危険性を暴露して破局に追い込もうって魂胆か。先行と差しのクセにぃ! 

 

 

「……そこはまぁ、また今度正式な発表をもって、ご報告とさせていただきます」

 

 

「は?」

 

 

「ヒィッ」

 

 

「言えないのか? 何故だ? 言ってみろ」

 

 

 鬼舞辻エアグルーヴ様、おやめください。わたくし、死んでしまいます! ジリジリと詰めて来て、圧迫面接みたいに壁ドンするのはやめてください。圧迫面接で壁ドンはしないわ。

 

 

「いや、その、相手に了承を……」

 

 

「取っていない? そもそも、結婚するだけならトレーナーを辞めなくてもいいだろう。トレーナーでもない貴様になんの価値がある?」

 

 

「あ、ありますよ……ありますあります……(超小声)」

 

 

「例えば?」

 

 

 ええっと……ジョークに富んでいるとか、ユーモラスに溢れている。比類出来ないほどのクズさ。腐ったにんじんよりも性根が腐ってるとか。あとは死なずに生きてるとか、6年は働いたこととか……。ダメだ俺のセールスポイントがありふれすぎている。希少性と社会的に宜しくない方向に。トレーナーじゃない俺の価値とか1番知りてぇわと思っていると、目の前のエアグルーヴがより迫ってくる。

 

 

「ないんだろう。だから、結婚なんてジョークを言うのは」

 

 

 瞬間、俺の意識は事切れた。というか、よく分からなくなった。

 

 

「うるさーい! 黙れ黙れ! キミみたいな胸も態度もデカい女じゃなくて! ボクのことをトロットロに甘やかしてくれる女の子と結婚するんだ! 要領も頭も顔も身体もいいからって調子に乗るなよ!!」

 

 

「け、貶すのか、褒めるのかどっちかにしろ!」

 

 

「知るかー! ボクはもう帰る! 結婚するって言ったらするんだ! 結婚してボクは働かずに暮らすんだ! 式場と産婦人科が決まったら連絡してやるからな覚悟しておけ!」

 

 

 早口でまくし立てて、エアグルーヴを逆に壁ドンしてやると、彼女は押し黙る。そして、部屋から出る前にボクとエアグルーヴのやり取りを呆然と見ていた会長へと頭を下げる。

 

 

「お騒がせしてすみませんでしたぁっ!!」

 

 

 今日はもう疲れた。ほかのウマ娘への連絡は明日にしよう。うん。

 

 

 

 ###

 

 

 言いたいことだけを言って出ていった男の姿が無くなってから、数分経ってシンボリルドルフはこめかみを押さえていた手を離すと、副会長の方を見た。

 

 

「……大丈夫か?」

 

 

「……えっ? えぇ、はい……私は、大丈夫です」

 

 

 確かに見た様子はいつも通りのエアグルーヴだが、やや放心状態なように思える。シンボリルドルフは紅茶をいれに席を離れる。彼女が戻ってくるまでエアグルーヴはずっと立ち尽くしたままであった。

 

 

「エアグルーヴ、紅茶をいれたんだが」

 

 

「……あぁ、ありがとう、ございます。いただきます」

 

 

 言うとエアグルーヴはソファへと腰掛けると、カップを持ち上げて紅茶を一口喉へと通す。飲み物が入ってやや落ち着いたエアグルーヴは会長へと頭を下げるとカップを机へと置いた。

 

 

「すみません。私のトレーナーが」

 

 

「いや、彼の奇行は聞き及んでいた」

 

 

 しかし、実際に目の当たりにすると凄いなとシンボリルドルフは内心かなり驚いていた。幼稚地味た口調ではあったが、あのエアグルーヴを気迫で押し切るとは。やはり只者ではないと頷いた。

 

 

「それで、彼のアレは本気だと思うか?」

 

 

「……分かりません。いつもの事のようにも思えますが」

 

 

 辞めるとは何度か聞いたことがあるがその度に駄々をこねても説教をしてきた。先程の幼児退行も見慣れていたが、今回は雰囲気が違ったとエアグルーヴはため息をつく。

 

 

「結婚したいからと明確な理由を言ったのは初めてだったので、おそらく本気、かと」

 

 

 本当に辞めるとなれば辞表が理事長の手元に届いているだろう。真実かどうかは確かめればすぐに分かることだ。流石に口だけで辞めると言って去るほど腐ってはいない……と思いたいルドルフとエアグルーヴは眉間に皺を寄せた。

 

 

「まぁ、結婚理由も大概だが、君への言葉も……」

 

 

 エアグルーヴの言う通り貶しているのか褒めているのか分からなくなる言い方だった。あのトレーナーは幼児退行した分、思っていることが素直に出るらしい。

 

 

「……っ。か、からかわないでください」

 

 

「すまない。そんなつもりはなかったんだが」

 

 

 エアグルーヴはトレーナーに自分の要領の良さ、頭や顔、身体を褒められたのは初めてで、しかもそんなふうに思っていると知り、嬉しくはないが不快でもないというやや不安定な気持ちが湧き上がっていた。おまけに辞めたいと言いつつもやれと言えば大抵の事はやるし、電話やメッセージ1つですぐに飛んでくる彼は、今まで出会ったどのトレーナーよりも自分に合っていると感じていた。変にアドバイスや口出しはしてこないし、生徒会活動や後輩育成に異を唱えたこともない。人間性は難があるがトレーナーとしては悪くないという評価がエアグルーヴの下した第一印象であった。練習メニューにも無駄がなく、練習場やレースの予約を怠ったことも無い。生徒会にいれば重宝されているであろう人材のクセして"働きたくない"と言った時は、エアグルーヴはキレた。

 

 

「アレはアレで一応いいところはあるんです」

 

 

 幼児退行するとめんどくさいが、可愛げは出るのだ。エアグルーヴの母性が少しばかり刺激されたほどである。トレセン学園一母性に溢れたウマ娘が担当にいなくて良かったと思いつつ、彼を矯正しようと試みたが良くなったのは生活態度だけで性格は相変わらずであった。しかし、腐ってはいるが、味はあるとエアグルーヴは会長や後輩と行くからと連れ出したショッピングや食事の際に交わした会話を思い出していく。

 

 

『お前、マジでいい女よな』『どこから見ても美人とかせこくない?』

『顔もいい上にスタイルもいいとか世界でも救ったことあるの?』

『お前の子供ぜってぇ可愛いじゃん』『顔がいいやつは食べ方もいいんですねー! 羨ましー!』

 

 

「───────あのバカ……ッ!」

 

 

 割と昔から言われてたと髪の毛をわしゃわしゃと掻き乱して机へとダイブするほどトレーナーとの思い出に浸っているエアグルーヴの前では、私も自分のトレーナーに顔がいいとか、賢いとか褒めて欲しいなとシンボリルドルフも思っていた。だがそれよりも、今はエアグルーヴとそのトレーナーのことだと我に返る。

 

 

「彼に辞められるとリベンジが果たせなくなるな……」

 

 

 私情ではあるが、唯一無二。2年連続天皇賞制覇という目標を阻止してきたのは彼のウマ娘だ。彼がいなくなってもそのウマ娘の調子や能力は変わらないと思う。しかし、勝ってもどこか納得できない自分がいるとシンボリルドルフは腰を上げた。

 

 

「私は理事長の所へ確認に行ってくる」

 

 

「……私もお供します」

 

 

 エアグルーヴの申し出に頷いたルドルフは生徒会室の扉を開け放つ。向かう先は理事長室だ。

 

 

 




今のところのトレーナー情報
・トレーナー歴6年目
・働きたくない
・結婚願望がある
・ヒモになりたい
・やれと言われたやる
・ユーモラス(自称)
・担当以外のウマ娘の名前は覚えていない
・追い詰められると幼児退行する
・健康診断ALL A
・脚質は逃げ


珍しくやる気の下がらないエアグルーヴ


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④名誉終身追っかけ厄介ヲタク

1話目を投稿してから、24時間以内に4話投稿したからもう俺が書き損じた二次創作や、消してしまったやつのことは忘れてくれ……(懇願)
それはそうと感想と評価ありがとう……! 返しにくいやつに関してはスルーさせてもらってます。


 辞めたいという話をすると、人はいつも否定的だ。どうしてそこで諦めるんだと問う者やもうちょっと頑張ってみないかと引き止めてくる者もいる。快く送り出されたという者は見たことがない。

 これは彼らなりの温情と捉えることも出来れば、貴重な戦力を失ってしまうことを危惧しているとも取れる。もし、辞めたいと言って簡単に放り出されてしまったら、自分は誰にも惜しまれずに手放されるほどに愚かな存在であったのかと自覚してしまう。

 そう考えれば昨日の俺は理由は聞かれても、辞めるのを止めてきた者は誰もいなかった。冗談なのかと言われて本気だと伝えても制止はされなかった。つまりは俺はこの学園にとっても、ウマ娘たちにとっても無価値だったということだろうか。

 エイプリルフールには虚言を吐きまくり、夏合宿では担当ウマ娘から目を離して他の女性の身体を目で追っている。練習場に顔を出すのは呼ばれた時だけで、呼ばれない限りは冷暖房のある仮眠室を占拠してダラダラと過ごしている俺だが、顔は悪くないしトレセン学園での生活で鍛えられた肉体とメンタルは中々のものだ。なか卯の持ち帰り牛丼をウマ娘に奪われて病んでから音信不通になったトレーナーに比べれば常務取締役と部長くらいの差がある。

 身長179センチ、体重は……健康診断の紙は結果だけ見て捨てたから覚えてないや。爽やかヘアースタイル(自称)に恐れ知らずなクールフェイス(自称)、引き締まった肉体(自称)に加えて6年間のトレーナー業務で得た収入を晒せば、身体とお金目当ての女の子がわんさか釣れることは間違いない。しかし、そこに愛はあるんか? 俺は理想に生きる男。顔や身体、収入で食いつく女には興味ありません! 俺だって女の子は見た目だけじゃなくて中身も大切だということはこの歳になれば理解している。この俺が性格を語るのはタブーな気がするが、あえて言わせてもらおう! 顔も身体も性格もどちゃクソにいい女と結婚したいです。

 

 

 閑話休題。

 

 働きたくない+結婚相手を探すためという邪な気持ちでトレーナーになったはいいが、結局めちゃくちゃ働いて、挙句には彼女もできなかった。まぁ、ウマ娘という女の子と過ごしたおかげで女性への扱いには慣れた。今なら1時間もあれば初対面の女の子を落とすことが出来る……気がする! 

 

 

 話を戻していこう。快く送り出される者は組織に必要のない者や不利益をもたらす者が自主的に去った場合のみだ。大抵そういうやつは送り出されるのではなく、排除される。

 では、引き止められもしないし、学園側やウマ娘から切られなかった俺は一体なんなのか。たまたま優秀なウマ娘にトレーナーがいなくて、その子の目の前にいたのが俺だったという話なのだが、それでも残してきた輝かしい実績は俺と共に共有される。可哀想なウマ娘たち。頑張ったのはお前たちなのに。いや、俺もめちゃくちゃ頑張ったわ。テンション上げたいからって理由で横断幕も作らされたし、旗も作った。応援歌も作詞・作曲したし、オペラもやった。俺は本当にトレーナーか? トレーナーの中には薬物実験に付き合わされたやつもいるらしいから、それに比べれば遥かにマシかもしれない。この前見たらナメック星人みたいになっていたが元に戻ったのだろうか。

 

 

 そいつのことよりも、自分のことだ。俺ももう三十路。そろそろ身体が思うように動かなくなる時期だ。少しの運動で身体は悲鳴を上げ、胃は縮まりラーメンの替え玉が頼めなくなる。更に精力も弱って子供も作れなくなるかもしれないという歳だ。これは結婚を前提に妊娠もしてもらわねばと考えたところでキモすぎて死にたくなった。そもそも彼女の1人も居ないのに……。

 何故か気だるげな雰囲気が漂っているので、消し去るために朝の陽光を浴びようと外に出た。すると、外は大雨ザーザー。なるほど君の仕業か。低気圧は敵。憎むべき敵。

 こんな雨の中、他の担当ウマ娘への報告に行くのはめんどくせぇなと自然にため息が出る。ため息とはそういうものだ。

 濡れるから仮眠室へと戻ろうとすると、バチャバチャと水の滴ったコンクリートを走ってくる音が聞こえてくる。こんな朝早くに誰だと目を見やれば暗くてもよく映えるキラキラした栗色の髪を揺らして、見知った顔がこちらへと向かってくる。

 そいつは雨宿りするために、建物の屋根の下に入ると口を開いた。

 

 

「もぉ〜雨が降るだなんて聞いてないんだけど〜!」

 

 

 学生カバンからピンク色のタオルを出して濡れた肌や衣服を拭き取る彼女は、ようやく気付いたといわんばかりに俺の方を見た。

 

 

「あ、キミはファル子のファン第1号のトレーナーさんじゃん! ぐーぜんだね!」

 

 

「……なにやってんのお前」

 

 

 いつ突っ込もうか悩んでいたが、さすがにこの時間に偶然ここへ来たというのは無理がありすぎるだろうと俺は担当ウマ娘の1人、スマートファルコンへと口を開いた。

 

 

「うーん、青春ドラマに出ることになった時の練習? ほら、今のウマドルは走って歌って踊れるだけじゃなくて、もっとマルチにいかないといけないから!」

 

 

「そうじゃなくて……ってまぁいいや」

 

 

 なんか聞くと長くなりそうだ。昨今のウマドル事情について早朝からハイテンションかつ早口で語られるとか新しい拷問かな? 俺が投げやりに言わなくていいよと手を振ると、ファル子は嬉しそうに頷いた。

 

 

「うん! ファル子、トレーナーさんのそういうとこ結構好きだよ!」

 

 

 あぁ、俺も自分のこういう気にしといて、あとから別にいいやってなるところ嫌いじゃないよ。好きかって聞かれたら微妙だけど。

 

 

「で、どうだった? ファル子の演技、ウマドル界でも通じそう?」

 

 

「さぁ、俺はウマ娘界しか知らないからなぁ。プロデューサーかマネージャーさん辺りに聞いてみれば?」

 

 

 なんならそのウマ娘界に関してもあやふやなので、プロデューサーもマネージャーもよく分かっていないんだけどね。

 

 

「……ファル子にとってのプロデューサーさんとマネージャーさんは、トレーナーさんだけだよ?」

 

 

「ンンンン、それでは拙僧過労死してしまいますぞ?」

 

 

 しかも全部裏方じゃん。裏方好きですけどね? 本番頑張らなくていいって考えると、もうずっと裏方でいいなって思えるし、人生も主役じゃなくて脇役かモブでもいいやってなる。

 けれど、スマートファルコンはそうでは無い。常にセンター、1番目立つところにいたい。色んな人にチヤホヤされたい。愛されたいという願望を持っている。それに見合った努力は怠らないし、ファンとの交流や自身の宣伝活動にも力を入れている。まさに努力の化身だ。

 そんな彼女が貴重な睡眠時間を削ってまでここに来た理由には大凡の見当はついている。理事長室、生徒会室で暴露してきたんだ。学園全体とまではいかなくても担当たちの耳には入っていてもおかしくは無い。

 

 

「ねぇ、トレーナーさん」

 

 

 呼ばれて俺はファル子の顔を見た。その顔はいつものファン達へと向ける笑顔に溢れたものではなかった。雨に濡れてなのか、それとも暗い外気が彼女に沈鬱な表情を引き出させているのか、16番人気の俺が辞めるということを知って悲しんでいるというものだが、答えは今のところ分からない。

 

 

「ウマドルってどれくらいで結婚するのがいいのかな?」

 

 

「そういうのはファル子の方が詳しそうだけどな」

 

 

「うん、そうなんだけど。よく分からなくて」

 

 

 みんなバラバラだし、なんならしてない子もいるしと小さく言った。まぁ、ヒトのアイドルだって婚期はバラバラだし、そこはウマ娘と大差ないだろう。大抵は30近くになってからな気がする。俺やん! 

 

 

「ファル子は結婚したいのか?」

 

 

「うん! だって、結婚って女の子の夢だよ? 真っ白で綺麗な教会で、純白のウェディングドレスを着て、みんなに祝福されて、素敵な旦那様と幸せな家庭を築くんだよ?」

 

 

 わぁ、俺よりも結婚に前向きな上に結婚式やその後のことまで想定してらっしゃる。女子高生がそう考えているのに対して、俺はと言うと相手の妊娠と俺が働かないことしか考えていない。控えめに言ってもカスである。

 

 

「でもさ、ウマドルになる以上、結婚はしばらく諦めなきゃーって」

 

 

 壁に背中を預けたファル子は雨を降らせている雲を見ながらそう零した。

 

 

「……トレーナーさんは、結婚したいんだよね」

 

 

「あぁ」

 

 

「いないと思うけど、相手いるの?」

 

 

「いないって分かるのに聞くのやめてくんない?」

 

 

「それなのに結婚したいの?」

 

 

「……まぁ、おかしなこと言ってる自覚はある。けど、したいって思ったんだからしょうがない」

 

 

 お前のウマドルと同じだと、続けても良かったが、朝だからか紡げる言葉には限りがあるらしい。ファル子と同じくいつまでも雨を降らせてそうな暗い雲を見つめる。

 

 

「もう、辞めちゃうの? ファル子の次のライブ、応援してくれないの?」

 

 

「嫁ができるまでは応援出来ると思うぜ」

 

 

 なんなら結婚した後でも行っちゃうわ。なんと言っても俺はファル子が認めたファン第1号なのだ。1号ってのは万物万象、全ての原初だ。仮面ライダーしかり初号機しかり、ロボット系の1号機しかり。始まりがなければ後に続くものは無いんだ。だから、1番初めにファル子を応援した俺が行かなくてどうするってハナシ。名誉終身スマートファルコン応援団長の座は譲る気は無い。

 

 

「……そっか、じゃあトレーナーさんが結婚できないように願ってないとね」

 

 

「それはちょいと酷くない? ファンを幸せにするのがアイドルの仕事では?」

 

 

「結婚出来なくてもファル子がライブで幸せにしてあげるから問題ないよ!」

 

 

 それは魅力的な提案だ。結婚出来なかったらファル子追っかけの厄介ヲタクにジョブチェンジしようかしら。貢ぐお金はファル子に稼がせてもらったわけだし。

 

 

「だから、待っててね。私も待ってるから」

 

 

 差し出された小指へと俺は指をかける。嘘ついたら針千本飲ますとは言われなかったが、もし約束を破ったら何をさせられるのやら。ライブで飛ばす用のテープ作りとかは勘弁して欲しいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ファル子視点はなし。ごめんね……眠くって……。

最後のファル子の一人称が「私」になってるのは仕様です。言ってねぇよ! って言うやつはうまよん見ろ!

ランキング見て思ったこと→トレーナーって入ってるタイトル多いね

トレーナーが幼児退行した後の話にしようかと思ったけど、ファル子の話が書きたかった……! 俺が幕間を書かなかったのはファル子や時間のせいじゃなくて、俺が悪いんだよ。俺が持続力と集中力を持っていないのも俺のせいだ!! もう……嫌なんだ、自分が。うまぴょい、うまぴょい……うーだっち……。


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⑤友達の定義から教えてくれないかしら

担当はあと2人です。そして主人公に友達はいません。
短めだけどキリが良かったので。


 

 ファル子との会話を終えた俺はケータイをチェックする。読みもしないメールマガジンの通知や、おすすめ商品の宣伝、ウマッターからの興味はありませんかというメッセージと大して重要性はないものばかりだと思っていたが、下の方にたづなさんを通して理事長からメッセージが来ていた。

 堅苦しい文言ばかりが並んでいたが、要するに午後の3時頃に理事長室に来て欲しいというものだ。話すことは話したし、出すものは出したんだが。辞表に不備があったのなら書き直すが、理由が不当だとか言われたら俺は断固戦わざるを得ない。たとえどんな理由だとしても、退職する自由はあるはずだ。しかも、結婚するから辞めるという言葉のどこに不当性があるのだろうか。相手がいないから? それを見つけるために辞めるんだよ!!

 まぁ、相手もいないのに辞めてどうするんだよとは全くもって同感だ。反論のしようも無い。けれども、結婚するのに相手は必要だが、退職するのに相手は必要ないのだ。何を言ってるのか分からないって? 俺にも分からない。

 いつものように1人自問自答を繰り返しながら、仮眠室の扉を開ける。雨は止んでおり、雲は流れて青い空で太陽がギンギラギンにさりげなく光っている。

 

 

 さて、せっかくの土曜日だと言うのに、15時に予定ができてしまった。トレーナーに休日などあってないようなものと聞いたことがある。基本的に放任主義の俺は毎日が日曜日だったので、勝ち組、I'm winner.と働き者の他のトレーナー達を嘲笑っていたが、担当が増えるにつれて毎日が平日へと化していた。ウマの勝ち。俺は無価値。休み無し。それ悲しい話。たかが休み。それでも働く、毎日真剣とビートを刻みながら横断幕や応援旗を作った記憶が懐かしい。ああいうのは有志で作るもんだと思うんですけど、どうして俺は1人で作ってたんですかね?

 答えは簡単、俺は友達が少ない。友達の定義から教えてくれないかしらと、友達がいない人の発言ができるくらいには少ない。少なすぎて"達"じゃなくて、"人"ってつけるのが適切なレベルだ。

 今の世の中では、顔も本名も知らないような相手を友達と呼称することが可能らしい。加えて、バトルの後はみんな友達という名言もある。それらを踏まえれば俺の担当たちで倒してきたウマ娘とトレーナーはみんな友達ってことになるな! また1つ、世界の真理を解き明かしたところでトレセン学園のグラウンドへとたどり着く。

 見れば顔は知ってるけど名前はよく覚えていないウマ娘がトレーナーの指示を受けてわんさかいやがる。授業もなく、土曜日だというのに精が出るものだなと感心しながら、自分の担当の中で直接報告出来ていない者を探す。しかし、今日は屋外練習ではないのか、あるいは休日にしているのか、俺の担当ウマ娘は見られない。

 

 

「あら、アナタはエアグルーヴさんのトレーナーじゃない。珍しい」

 

 

 探していると、見たことはあるがこれまた名前がよく分からないウマ娘に声をかけられた。いかにもお嬢様って感じの毅然とした振る舞いに、メジロ家っぽくは無い毛並み。そう名前は確か……

 

 

「キングテイオー」

 

 

「キングヘイローよ!!!」

 

 

 あぁ、そうだったキングヘイローだ。あれ? じゃあテイオーはなんだ? でも、テイオーは白い毛があった気がするしヘイローで合ってるのか。ちぃ、覚えた。彼女の名前を復唱していると、こちらへと近づいてくる人影がひとつ。

 

 

「我が王の名前を間違えないで欲しいな、結婚するから辞めるトレーナーくん」

 

 

 キングヘイローのトレーナーは俺に意趣返しどころか倍返しで名前すら呼ばずにそう言うと、彼女の隣に立つ。

 

 

「悪い、自分の担当以外は覚えられなくてな」

 

 

「それってトレーナーとしてどうなの?」

 

 

「本当のトレーナーなら結婚したいから辞めたいなどというくだらない理由では辞めないよ我が王」

 

 

 キングヘイローに訊かれて嫌味たらしく肩を竦めた。

 

 

「結婚がくだらないだと? それ結婚したくても結婚できないやつにも言えんの?」

 

 

 もしくはお前が結婚したいと思った時に言われて何とも思わないの?

 

 

「趣旨を履き違えないでくれたまえ。くだらないのは結婚ではなく、それを理由に逃げる君さ」

 

 

「逃げる……?」

 

 

「あぁ、そうだとも」

 

 

 確かに俺は逃げまくりの人生だが、中央のトレセンでトレーナーができるように努力を積み重ねたし、運と慧眼で優秀なウマ娘を引き入れて、GIレースで優勝していただいた男だぞ。逃げるは恥だが役に立つという、どっかの国のことわざをご存知ではない? 

 

 

「我が王は完璧だった。短距離、マイルレース共に。これ以上にない仕上がりだった。そう、君のウマ娘さえいなければ」

 

 

 どこの国のことわざだっけと思案していると、キングのトレーナーは1人でぶつくさ喋っていた。確かハから始まる国だった気がする。

 

 

「恨んでいるんじゃない。むしろ感謝したいくらいだ。おかげで、今の王はより高みへと至ることが出来た」

 

 

 は、は、はから始まる国……ハイチ共和国とあとなんだっけな。

 

 

「だから勝ち逃げは許さない。次は私と我が王が、君と君のウマ娘よりも上だということを証明」

 

 

「なぁ、ハで始まる国ってハイチ共和国以外に何があったっけ?」

 

 

「えっ? ……バやパを抜くなら、あとはハンガリーくらいだと思うが」

 

 

 あぁ、そうだハンガリーだ! ハンガリーのことわざだった!

 

 

「おう、サンキューな!」

 

 

 俺の悩みも解決したし、ここには俺の担当はいないみたいだし、室内練習場でも探してみるか。俺は感謝の言葉を口にすると、その場から立ち去る。

 

 

「大丈夫?」

 

 

「……あぁ、心配ご無用だ我が王」

 

 

 耳にそんな声が届いたが、ウマ娘に心配かけるトレーナーが俺以外にもいるとは。やはり、俺だけがダメな訳では無いようだ。

 




友達ではなく、トレーナー枠。主人公のライバル的な存在だが名前は覚えられていない。担当はキングヘイローのみ。
主人公の友人は出ることが出来るのか……?


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⑥俺は次男だから

来週くらいまで投稿ないです


 ウマ娘専門の育成機関の中でも、中央だとか、最高峰だとかともてはやされるトレセン学園の規模は伊達ではなく、屋内練習場に、体育館、トレーニングジムに屋内温水プール……ってこの辺は前も言った気がするな。これらに加えてライブの練習をするためのステージもあったりと、トレセン学園は伊達じゃない……! と力強く言いたくなるような設備だ。

 これだけ練習場が多いと担当ウマ娘のスケジュールを把握していないトレーナーが彼女たちの1人を見つけるのにも一苦労である。よく良く考えれば今日はグラウンドではなく、ジムとプールを抑えるように言われていたのでそのどちらかだろう。

 ジムはジャージ、もしくは薄手のトレーニングウェアを着て、プールでは当然だが学園指定の水着を着用することが義務付けられている。どちらも眼福なのだが、如何せんウチの指定服は制服以外可愛げがない。まぁ、俺の担当たちは可愛いからクソダサジャージや世間一般的なスクール水着すら着こなしてしまうんですけどね。しかし、1人だけ目の毒になる奴がいる。あれはダメだ次元が違いすぎる。エアグルーヴよりも大きいよ絶対……と初めて見た彼女の乳揺れを思い出していると噂をしていないのにそいつはやって来た。

 

 

「WOW! トレーナーさん! グッモーニング!」

 

 

 先程のトーカイヘイローを短距離レースで3バ身差を付けて快勝したスピードクイーン、パワフルウマ娘の異名を持つ、俺の担当ウマ娘、その名をタイキシャトル。

 アメリカからやって来た元気っ子で、異名の通りのパワフルな性格とダイナマイトボディが特徴的なマイルの女王だ。

 

 

「おぉ……お、おはよう。……今日もその、元気、そう、だな」

 

 

「ハーイ! ワタシはいつも元気ネー!」

 

 

 あぁ、今日も元気に揺れ……ちがっ、違う! 己のウマ娘をそんな下卑た目で……想像するのは自分のお母さん、お母さん……よし、落ち着いた。にしても、ホントに高校生とは思えない身体だ。勝負服もThe Americanって感じがして、初めは目のやり場に困ったし、タイキシャトルにいやらしい目線を向ける奴らにはレーザー光線を当てなければならなかった。俺は担当だから邪な視線を向けたりとか、変な気を起こしたりはしない。心はそう……修行僧だ。

 

 

「ハウディ? トレーナーはどうデスか?」

 

 

「無論、元気で候」

 

 

 元気すぎて言葉遣いがやや古風になるくらい元気。だって土曜日なんだもん。

 

 

「That's nice! それでどうしてここにいるデスか?」

 

 

 あ、いちゃいけませぬか? 否、そうは言われておらぬで候。

 

 

「貴殿を探していた」

 

 

「貴殿? ワタシのことデスか?」

 

 

「肯定」

 

 

 俺が頷くと、タイキシャトルは首を傾げた。

 

 

「……どうして理事長と同じ話し方デスか?」

 

 

「否定。そんなつもりは」

 

 

「そんなことナイ? ノー! ワタシの目はノット・ゴマカセ!」

 

 

 腕を組みながら胡乱な眼差しを向けてくるタイキシャトル。なんだそのハイブリッドランゲージは。まぁ、いつもの事か。

 

 

「ふっ、流石タイキシャトル。みんなの目は誤魔化せてもお前の目はノット・ゴマカセだったな」

 

 

「イエース! Exactly!」

 

 

 ふふんと得意気になってしまい、修行僧の人格が離れてしまう。元からそんな人格はないんだけどね。……って、いかんいかん、このままでは本題に入ることが出来ない。

 

 

「で、タイキシャトルを探してた理由なんだが」

 

 

 どう話したものかと顎に手を添える。超元気印の健康優良児だが、心はそうでも無い。些細なことで落ち込むし、意外とさみしがり屋で、一人でいることを嫌うほどだ。今日は1人であることを見るに、こいつも俺を探していたのかもしれない。そんな女の子にどう伝えるか悩んだ結果。

 

 

「俺、トレーナー辞めるんだ」

 

 

 悩んでも仕方ねぇ! 猪突猛進ゴー、ストレート! 俺ちゃん、トレーナー辞めるってよと言うと、タイキシャトルはぱちくりと瞬きを繰り返す。

 

 

「What? どういう意味デスか?」

 

 

 ありゃ、伝わらないか。まぁやめるって言葉の意味は日本も外国も複数あるもんだしな。仕事を辞めるって英語でどういうんだっけか。それっぽいのはstopだけど、止めるって意味の方が強そうだ。続けていたことを辞めるからdiscontinueでも通じるか。さっきのやつに聞いとけばよかったな。なんか賢そうだったし。

 だが、俺には俺なりの言葉がある。高校以降触れていない言葉を無理に引き出すよりは、回りくどくてもしっかりと伝えるべきだ。

 

 

「もうお前の面倒を……いや、見てないな。あー、傍に……大していなかったな。あとは、そうだな……」

 

 

「ノー! そんなことないデス!」

 

 

 思った以上に彼女を放置していたことが浮き彫りとなり、言葉に詰まってしまう。しかし、こんな男にでも優しく笑顔を見せてくれるのがタイキシャトルという女の子だ。優しすぎてウマ息子になったわね……ヒヒン。それならいいんだがと仕切り直して、俺は伝えるべき言葉を述べる。

 

 

「俺、結婚するんだ」

 

 

「それは絶対ないデース! トレーナーさんはダメデース! 戦争の権化デース!」

 

 

「えぇ……」

 

 

 結婚出来ないって言われるのはまだしもダメとか、戦争を誘発する存在になるとまで言われるのは心外なのだが。具体的に何がダメなのでしょうかと下手に出て尋ねてみる。

 

 

「そういうところデス」

 

 

「What!? Why!?」

 

 

「エアグルーヴも言ってマシタ! トレーナーさんはノー! ガールフレンド作れません!」

 

 

 わぁ、言いそう。作らないとかできなさそうとかじゃなくて作れないって断言してる辺り。けど、俺は作れないんじゃなくて、作らないんだ。だが、そんな反論を許さないかのようにタイキシャトルは口を開いた。

 

 

「だから、トレーナーさんは、ココにいるべきデスっ!」

 

 

 いやしかしここにいると結婚出来ないしな。どこにいても結婚できない気はしてるんですけど。それも俺の本性が剥き出しになっていればという話。俺の鍛え上げた演技力なら、交際中くらいは猫を被るのも容易いこと。その後に本性がバレて離婚ってなっても、法に触れないようにあらゆる手を使って阻止してやると将来の嫁に束縛宣言をしていると、タイキシャトルの肩が震え出した。

 

 

「だ、だから、いて、くだサイ……トレーナー……」

 

 

「お、お……」

 

 

 どんなに強がってもこの子はまだ子供だ。10年前の俺よりも脆く弱い女の子。人より脚が速くても、身体が強くても、心は年頃の女の子なのだ。頼りなくても、クズを絵に描いたような性格をしている俺でも、3年も一緒にいれば愛着のようなものが湧いて、寂しいって気持ちが芽生えてくるんだろう。

 

 

「悪い。でも、もう決めたことなんだ」

 

 

 この決断は取り下げることは出来ない。辞表も出したし、言葉にもした。辞めることも、結婚することも。

 相談したらきっと止められると思ったから。この子は止めてくると俺は分かっていたから。言うのも最後が良かった。でも、止めてくれなかったら……っと、俺まで暗くなるのは良くねぇわ。

 

 

「そんなぁ……」

 

 

「気休めになるかは分からないけど、心はずっと一緒だ」

 

 

「……ココロ?」

 

 

「あぁ、ハート。気持ちってやつ」

 

 

 一緒に傍にいなくても、同じ空の下にいれば心は通じ合えるし、今はインターネット社会なんだ。ケータイ1つあればいつだって連絡が取れるし、SNSを使えば近況を知ることも出来る。だから、俺がトレーナーをやめてトレセン学園から居なくなっても、心はずっとタイキシャトルと共にある。

 

 

「トレーナーさんと気持ちがトゥギャザー……?」

 

 

 涙を溜めながら首を傾げるタイキシャトルに俺が力強く頷くと、彼女の顔が一転して笑顔へと変わる。俺の気持ちが伝わったと安心すると、彼女は俺へと飛びついてくる。

 

 

「うぉっ!? って、どうした急に」

 

 

「親愛のハグですっ!」

 

 

 タイキシャトルは仲のいいやつにハグと称してタックルしたりすることがあったが、俺にしたことは1度もなかった。てっきり、嫌われてるか、良くてそこまで好きじゃないからだと思っていたが。なんだよ……結構可愛いじゃねぇか……ふへっ。

 しかし、タイキシャトルの身長は172cm。俺と7センチしか差がない。髪の毛から漂うシャンプーの香りに、女の子特有の柔肌……これが女の子……ッ! 圧倒的リラクゼーションッ! だが、俺はトレーナー。彼女の保護者。監督責任者。犯罪者になるわけにはいかない。いでよ、マイマザー! ……よし、落ち着いた。俺は次男だけど耐えられた! 

 

 

「トレーナーさん、さっきの言葉、約束デス!」

 

 

 そう言いながら彼女は小指を差し出してくる。ファル子辺りが教えたのだろうか。この子には、嘘をついたら何をさせられるのだろうか。

 

 

「指切りげんまんウソついたらハリセンボン飲ますデス!」

 

 

「はは、そいつは怖ぇ」

 

 

 出来れば痩せてる方がいいな。角野……なんだっけ。クレアおばさんでもないや。まぁ、似てるのが多すぎる方は御遠慮だ。そして、針千本もハリセンボンも飲みたくはない。だから、どんなに遠く離れていても俺の心だけは彼女の傍にいれるように努力しよう。この答えがたとえ詭弁だとしても。互いに後悔はしないように。

 

 

 




タイキシャトルの話し方難しいっすね。ルー大柴とは一味違う

デスがですだったりするのはストーリー読んでもこんな感じだったので
ひらがな+デス カタカナ+です っていう風にしてます。

次で最後の担当ウマ娘やって3話くらいで決着着けばいいな〜(着くかしら)


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⑦レクイエムには早すぎる

評価1付けられまくっても仕方の無いミスをしたので再投稿です。俺は何度間違えれば気が済むんですかね。


 15時に理事長と会うまで暇だったし、腹も減ったのでタイキシャトルとビックマックを食べた。ウマ娘の食欲は尋常ではなく、俺の財布が空になるくらい食うやつがほとんどだったので、初めの頃は外食は避けるようにしていたのだが、私腹を肥やし自分の財布よりも店の在庫を心配できるくらいの余裕がある俺に怖いものはない。

 俺は恐怖を克服することは生きることだと思う。真に頂点に立つものはほんのちっぽけな恐怖をも持たないやつのことだ。つまり、エアグルーヴにほんのちっぽけな、ほんの、ほんのだ。これくらいの恐怖心を持つ俺はまだ生きているとは言えない。まぁあいつ顔がいいからな。変な性癖に目覚めそうになるから、目覚める前に防衛機制が働いちゃうんだろうなぁ……。やめたらSMクラブとか風俗とか、キャバクラとか行ってみたかったけど行けなかったとことか、やりたかったこともやってみよう。

 しかし、そうやって、したかった事やっててもウマ娘のこととかが脳裏にチラつくんだろうなと、タイキシャトルの食べ顔を見ていたら思ってしまった。結婚した後にトレーナー職に復帰するのは、アリなのだろうか。ライセンスは持ってるわけだし可能だとは思うが。

 だが、またここに来るというのは難しいだろう。ただでさえ俺はいい感情を抱かれていないというのに。しかも結婚相手もいないのに、結婚を理由に辞めるのだから救えない。オマケに出戻りする時に結婚出来てなかったら冷ややかな眼差しを向けられることは確実。想像しただけでゾクゾクしますわ。

 

 

 そんな冗談は置いておいて、報告できていないウマ娘はあと1人。最後の1人だからか気が引き締まるような、予定していたタイキシャトルでは無いから、楽な気もする。そいつは担当の中では一番奇行に走りがちだが、大人びているし、話せば分かってくれるだろう。

 いや、話せば分かるだなんてのは強者の考えだ。なんで言わなかったとか、言葉で通じ合えるなんてのはまやかしだ。俺が今まで彼女たちに弄してきた言葉も嘘偽りがなくても、ちゃんと通じているかは別の話だ。俺は弱者だから、言葉で伝わないなら行動で示すしかない。それでも分かって貰えないならその時に考えればいいと思っているが、果たしてちゃんと伝えられるだろうかと不安になる。

 でも、伝えようとする気持ちがあれば、伝えようとすることを諦めなければ、気持ちは届くと俺は信じている。エアグルーヴは納得はしてなさそうだったから、また会わないとな。

 

 

「空は晴れやかだというのに、キミの心はそうではなさそうだね」

 

 

 そう考えていると、一迅の風が舞う。風と共に現れた存在が起こしたかのように。

 大仰に、荘厳に、腹のそこに響くかのような重音はオペラ歌手や歌劇団の役者を思わせる。そして、古代ギリシャで造られた彫刻像にも似た美しい容姿を持つ。アメジストのような瞳に、明るい栗毛のショートカットは快活かつ、気品を漂わせ、左耳にはイエロー、右耳にはグリーンの飾りをつけ、更に覇王を名乗る者としての矜恃かピンクの王冠を被っている。世界ひろしといえどこんなウマ娘は世界にたった1人。その名をテイエムオペラオー。

 

 

「やぁ、3日ぶりだね、トレーナー」

 

 

 座れよとは言われなかったが、彼女は俺へと伸ばした手を下げると、腰へと当てた。自称・最強、最速にして、最高の美貌を持つ天才ウマ娘。それだけ豪語できる自信を持ち合わせたスーパーナルシストであり、生粋のボクっ娘だ。属性過多にもほどがある。

 最強の座に君臨し、挑んでくる者をさらに上回る「覇王」となることを目指す彼女は俺のどの担当より好戦的ではあるが、自身こそ最強という確固たる自信ゆえに敵の存在を肯定するからか、彼女を嫌う者は少ない。

 

 

「話したいことがあるのだろう? この前、ボクの趣味に付き合ってもらったお礼だ。聞くだけ聞こうじゃないか」

 

 

「珍しいな、お前から俺の話を聞きたいだなんて」

 

 

「失敬だな。ボクはキミと違って誰の話でも聞くよ」

 

 

 それでは俺が人の話をまともに聞いてないみたいじゃないか。間違ってはいないがな。俺がちゃんと話を聞くのは、家族とたった1人の友人、担当と上司だけだ。それ以外の話は妬みや宣戦布告だとか、聞いてもどうしようもないやつばっかりだしな。人を成長させ、団結させるのは明確な敵の存在だとは言え、俺を敵に見据えるだなんてどうかしてるぜまったく。

 オペラオーの提案に甘えて、俺はこれからのことを話した。結婚するためにトレーナーを辞めること。相手は決まってないけど。

 

 

「決まっていない? それはおかしいな 」

 

 

 やっぱり、オペラオーもそう思う? 俺ちゃんの名誉だとか、嫉妬やらは全部が全部ウマ娘のおかげなんだけど、トレーナーになれたのは俺自身の力だから、そこだけは認めて欲しい。それにトレーナーということを抜きにしてもマネーはあるし、男としての責任は果たせるくらいには成長したんだ。だから、1人くらいはなびいてくれてもええんやで。

 しかし、オペラオーの言いたいことはそうでは無いらしい。

 

 

「キミにはボクがいるじゃないか」

 

 

「……?」

 

 

 はて、なんの話だ。

 

 

「忘れたのかい? あの日共に語ったオースを」

 

 

「Oath?」

 

 

 マジでなんの事かわからない……というわけでもない。テイエムオペラオーとは、共に味わった雪辱がある。彼女はいくつものレースで勝ってきた。天皇賞に、宝塚記念、有記念。だが、勝てなかったレースが一つだけある。日本ダービーだ。

デビューレースから連戦連勝で絶好調だったオペラオーがまさかの4着。流石のオペラオーもこの結果には来るものがあったのか、珍しく涙を流していた。

そこからオペラオーは変わった。良い意味で。練習に見合った自信と、自信に値する勝利を得てきた。勝ち方にこだわりのあったオペラオーはより高みへと至った。ただ勝つだけではない。誰もが、オペラオーが勝って当然だと思わせるような、そんなレースをし始めた。

 

 

「悪い。けど、トレーナーが変わってもレースには出られる」

 

 

「レース……? 確かにキミがいなくても、出られる。でも、ボクはキミと駆けたい」

 

 

「客席にいるってのじゃ、ダメか」

 

 

「論外だね」

 

 

 トレーナーもレースが始まれば終わるまで客席での応援になる。それはトレーナーでなくても変わらない。ただのお客さんでも、応援する時は客席からだ。立場が変わっても、トレーナーじゃなくなっても、応援する場所は変わらない。

 けど、これこそが詭弁だ。トレーナーとは本来、レースまでウマ娘のそばに居て支えてやるものだ。時に励まして、勇気づけて、転んだら手を差し伸べる。ただ応援するだけじゃない。共に傷つきあってでも、立ち上がる。何度でも進み続けるパートナー、それがウマ娘とトレーナーのあるべき姿。

 

 

「でも、俺は」

 

 

「ボクはキミに、隣にいる以上のことは望んではいない」

 

 

「……いや、オペラとか作詞作曲だとかやらせたじゃん」

 

 

「……」

 

 

 スっと目を逸らされた。いい感じに話して俺を引き止める気だったのか。オペラオーはわざとらしく咳払いをすると、手を開き肘を曲げる。その様はパラパラと言うよりはDaisukeだ。

 

 

「ある人は言った! 女は男にとって太陽だと。それはつまり、太陽であるボクはキミの太陽であることを表している! わかるね?」

 

 

「全然わからん」

 

 

「ふっ、やはりボクという輝きが強すぎるみたいだ」

 

 

 急に自分に酔いしれるのやめてもらっていいですか? 一体誰に似たんだか。こいつは元からだったわ。

 

 

「お前は俺じゃなくても、勝てると思うぞ」

 

 

 なんなら俺じゃない方が勝てるまである。俺より真面目なやつにトレーニングメニュー組んでもらって、四六時中レースに向き合ってれば勝てる確率は上がるはずだ。

 だが、もし俺と共に勝ちたいと言ってくれているのなら、辞めるのは次の重賞レースが終わるまで待つって手もある。しかし、他のみんなにはもう辞めると伝えている手前、オペラオーだけ特別扱いってのは難しい。

 

 

「……あぁ、そうさ。ボクはキミがいなくても勝てるよ。あの時はキミがいても、ボクは勝てなかったんだから」

 

 

「だったら」

 

 

「でも、キミが居なくなった後にボクが勝ち続けても、キミが……!」

 

 

 オペラオーは言って、しまったという表情を浮かべると言葉を飲み込んだ。なるほど、こいつはダメでどうしようもないトレーナーがいなくなった後に勝ってしまうことが申し訳ないらしい。殊勝なことだ。

 

 

「そんなこと気にしなくていい。お前の物語だ。俺みたいな脇役の事は放っておけよ」

 

 

 むしろ、ヒールとして貶してくれて構わない。天才、テイエムオペラオーの足を引っ張った男として。あ、いや、それはやめてもらおう。そのせいで女の子が寄ってこなくなったら、困るしな。

 

 

「どんな脇役でもボクを盛り立ててくれるなら、見捨てるわけにはいかないさ」

 

 

 おぉご立派。そういえば、こいつこんな物言いのくせに後輩からは結構慕われるんだよなぁ。今どきのウマ娘はこういうのが好きなのかしらねぇと近所のおばさんが噂でもしてそうだ。

 

 

「それにキミは脇役なんかじゃないよ」

 

 

「え? そうなの?」

 

 

 知らなかったわそんなこと……。だとしたらどの辺りなのかしら。監督テイエムオペラオー。脚本テイエムオペラオー。演出テイエムオペラオー。主役テイエムオペラオーの物語のどこに俺が入り込む余地があるのか。あぁ、音楽か。役者ですらなかった……と衝撃の事実に気づいているとオペラオーは口を開く。

 

 

「だから、行かないでくれ。レクイエムには……早すぎる」

 

 

 鎮魂歌か。まぁ、トレーナーでなくなるわけだし、表現に誇張はあれど否定する程ではない。

 これまでの話でオペラオーも含めて、他の担当の話を統合すると、やはり相談もなしに辞めるというのは早計だったのかもしれない。辞めるにしても具体的な時期や、最後に何をするかとか、その辺を決めてからの方がみんな納得出来ただろう。

 でも、カレンやファル子、タイキシャトルは完全に納得したというわけではなそうだが、俺のことを送り出してもいいという感じだった。エアグルーヴはちょっと怖くて、最後まで言えていないが。そして、オペラオーがここまでごねるというのはやや予想外だった。

 

 

「分かった」

 

 

 この後、理事長との話し合いがある。辞表を拒否することは出来ないはずだから、俺が辞めることは既定路線になっていたとしても、どの時期に辞めるかまでは決まっていないはずだ。おそらく、早くて受理した日になるだろうが、俺の担当は数が多いし後任を決めるためにも、学園側としても日にちは欲しいはずだ。だったら、そこを交渉材料にしつつ、全員のどのレースで俺が契約解除をするかを決めれば、皆平等に見届けることが出来るかもしれない。

 

 

「……本当か?」

 

 

「あぁ」

 

 

 あくまで可能性だが、その可能性が1%だとしてもやれることはやるべきだ。やらずに後悔するよりは、やって後悔しよう。無理なら無理で手は考えよう。せめて、最後くらいは男らしく行こうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 




最近は評価バーに色ついてから気にしてなかったけど、異様に1が多くてめちゃくちゃ気にしてますねぇ!!
一応これで全員ウマ娘は出揃いました。やったぜ。次は理事長室、再びです。部屋の片付けが終わるまで投稿できません。よしなに。

勘違い一覧
主人公→カレンのトレーナーをやめる=お兄ちゃんではなくなる。
ファル子のファンは結婚してもしなくても続ける。
タイキのトレーナーでなくても心は同じ(そばに居る)
テイエムオペラオーと卒業するまで勝ち続けるという約束があるので、その事だと思っている。

カレン→主人公がお兄ちゃんでなくなる=主人公の夫になる(今は勘違いではないかと考えているが、勘違いだと恥ずかしいので黙っている)
ファル子→ウマドル事務所的に結婚できる年齢まで主人公が待ってくれると思っている。
タイキシャトル→心がおなじ=タイキと主人公は両思いだと思っている。
テイエムオペラオー→勘違いの内容は不明。だが、約束の内容は主人公と勝ち続けたいというものではない。


エアグルーヴ→勘違いが発生していない。




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⑧俺の意思はダイヤモンドより硬い

みんな、こんな俺を、応援してくれて、ありがとうッ!!


シリアス「よぉ」


 

 正直にいえば、他のやり方もあったのではないかと、心の根底で燻っている気持ちがあった。簡単かつシンプルに終わらせようと、策を弄することなく、後腐れもなくここから去ろうと直線的に考えた結果が彼女の涙であるのならば、俺は考えを改める必要がある。しかし、後腐れもなく誰も嫌な気持ちにならないお別れの方法を俺は知らない。何故ならば、俺がちゃんと誰かとお別れするのはこれが初めてなのだから。

 学校では五教科に加えて副教科と人生で使い続けられる知識はひと握りのことしか教えてくれなくて、困ったことに自動車免許の取り方とか国民年金がいつやって来るとか、友達や恋人の作り方は教えてくれない。

 悪いのは俺ではなく社会だと謳って来たが、今回ばかりは俺が悪いと言わざるを得ない。言葉や行動一つで変えられるものがあったはずなのに、考えることも無く自分の気持ちを優先した結果が女の子の涙となれば、結婚なんてできるはずがない。

 

 

「どうぞ」

 

 

 理事長室の扉前まで来てノックをすると、ドアの向こうからたづなさんの声がかえってくる。その言葉を合図に俺は戸を引くと共に口を開く。

 

 

「失礼します」

 

 

 扉を開いて入った先には、理事長がおり、その隣にはたづなさんが立っている。これはいつも通りのことだ。違うのは他にも居合わせている人間がいる点だ。

 理事長の机の前には何故か会長とエアグルーヴがいる。生徒会会長と副会長という立場にいるにしても、たった1人のトレーナーのこれからを決める場に参加するものだろうか。まぁ、エアグルーヴは分かるにしても、さも平然と言う顔で立っている会長がよく分からない。

 そして、その逆側にはカレンにファル子、タイキシャトルと、テイエムオペラオー以外の担当ウマ娘が揃っていた。全員が何か言いたげな目でこちらを見てくるが、俺からはただ一つ。オペラオーも呼んであげて? 

 

 

「わぁ、こんな大勢に見られるなんて興奮しちゃうわね」

 

 

「……真面目にやれ」

 

 

 個室で女の子複数に視姦された経験が無いため、自分の雰囲気に持ち込もうとするがエアグルーヴママによってそれも却下される。この様子を見守っていた理事長は苦々しげに深いため息を吐いてから、いつもの口調で話を切り出した。

 

 

「報告ッ! 君の退職志願についてだ!」

 

 

 手には封を切られた辞表届の中身がある。もう既に目は通したようだが、肝心の承認印のようなものが押されていないように思える。まずは良かったと思いつつも、それが悟られないように努めて平静を装う。

 

 

「確認ッ! 気持ちは、変わらないか?」

 

 

「……そっすね、結婚するために辞めるって意思はダイヤモンドより硬い自負があります」

 

 

 ダイヤモンドってハンマーで割れるんじゃなかったっけというカレンの囁き声を拾うよりも先にたづなさんが口を開いた。

 

 

「そう、ですか。であれば、貴方の辞表を受理しましょう。でも、すぐにお辞めになることは、叶いません」

 

 

「どういうことですか?」

 

 

「まず、貴方の担当ウマ娘の引き受け先が決まっていません。皆さんは現担当のウマ娘の方々と練習に励んでいる時に、急に貴方のウマ娘を引き受けるのは難しいからです」

 

 

 でしょうねとその言葉に俺は首肯して、話の続きを促す。

 

 

「次に貴方の退職金の精査に、手続きに必要な書類の準備もあります。そして最後に……」

 

 

 たづなさんは躊躇うように1度、言葉を区切って、俺から視線を外し、エアグルーヴとカレンたちの方を見た。

 

 

「……貴方の担当ウマ娘が納得されていません」

 

 

 おかしいなエアグルーヴ以外は納得してくれたように感じていたのだが。それはまぁいい。全ての話を聞いて、それを消化するように俺はゆっくりと頷いた。

 

 

「懇願ッ! 諸々の話が解決するまで、もう少しいてくれないだろうか?」

 

 

 理事長の言葉に俺は違和感を持つ。勝手に辞める側の俺にこうも気を遣わないといけないくらいトレーナー不足は深刻なのだろうか。

 

 

「顔をあげてください。それは俺が勝手に相談せずに辞めると言ったことが原因ですからお2人は悪くありません」

 

 

 それに本来謝ったりお願いするのは俺であるはずだと気付き、俺は2人に顔を上げてもらうように言ってから、不躾かつ無礼と分かっていながらもこちらから話を持ち出す。

 

 

「担当たちのことについては俺も考えていました。色々と厄介なことをしておきながら、俺から1つお願いがあります」

 

 

「ほう」

 

 

 先に興味を示したのは会長だ。その後に理事長とたづなさんが視線を合わせて頷くと俺へとその目が向けられる。無言は言っても構わないというサインと取る。

 

 

「ここにいないオペラオーも含めて、担当全員を重賞で優勝してもらってから辞めようと考えているのですが、どうでしょうか?」

 

 

「それは……」

 

 

 たづなさんが理事長へと視線をやる。その理事長は扇子と共に瞼を閉じて、何やら考えているようだった。

 

 

「……キミは結婚相手を探すために、辞めると言っていたな?」

 

 

「ええ」

 

 

「結婚は諦めたのか?」

 

 

 どうしてそうなるのかと思いつつも、俺は理事長の質問に首を振って答えた。

 

 

「むぅ、そうか……」

 

 

 答えを聞いた理事長はとても悩ましげに腕を組む。学園を束ねる理事長だけあって、学園に関わる事は全て彼女の決定に委ねられる。そのため、俺を含めてこの部屋の誰もが理事長の言葉を待っている。

 

 

「再確認ッ! キミは結婚するために辞める。結婚は諦めていないッ!」

 

 

「はい、その通りです」

 

 

 それがどうかしたのかと軽く頷くと、理事長は閉じた扇子を俺へと向けるとこう言い放った。

 

 

「………………な、ならッ! わ、私とっ、け、けっ、結婚しろッ!!!」

 

 

 ───────? 

 

 

「り、理事長?」

 

 

「えっ、えっ?」

 

 

 言葉の理解が及ばない俺に、理事長の言葉の意図が汲み取れていないたづなさんが声を上げ、カレンが理事長と俺を交互に見遣りながら声を出す。そして、僅かに遅れてエアグルーヴが口を開いた。

 

 

「ちょっと待ってください! 一体それはどういうことですか!」

 

 

「説明ッ! 彼は結婚するために辞めると言った! ならば、結婚すれば辞める必要がなくなる!」

 

 

 あぁ、なるほどそういうことか。理事長頭いいじゃんと納得していると、俺へと冷たい視線が3つ突き刺さる。

 

 

「Wait! トレーナーさん、どういうことですかぁ!?」

 

 

「ファル子との約束は!?」

 

 

「お兄ちゃん、理事長と結婚しちゃうの!?」

 

 

 唐突な質問攻めに俺は目を瞬かせて誤魔化そうとするも、そう簡単に3人とも逃してくれはしない。

 

 

「トレーナーさん、ファル子が事務所からOK貰えるまで待ってくれるって言ったじゃん!」

 

 

 言ってない。

 

 

「お兄ちゃん! 私と結婚してお兄ちゃんから夫になるって!」

 

 

 言ってない。

 

 

「ワタシと心は同じで、ダイスキって言いマシタ!」

 

 

 言ってない。

 全部言ってない。ずっとファンでいるとは言ったけど、ファル子と結婚するとは言ってないし、カレンのお兄ちゃんでなくなるのはトレーナーを辞めるからだと思ってたし、心は同じってのは離れていてもそばにいるよ的なニュアンスだったんだが。

 

 

「キサマ……」

 

 

「いや、違うんだよエアグルーヴ」

 

 

 なんで浮気がバレた夫みたいなことになってんの? 浮気や不倫にしても数が多すぎるよ? てか、誰一人として付き合ってないから冤罪だろこれ。俺は無実だ、弁護士を呼べ弁護士を! 

 

 

「トレーナーさん、貴方……」

 

 

「すごいな君」

 

 

 たづなさんは驚愕し、会長はただただ感心していた。ちょっとは助けろや。

 

 

「婚姻! これにキミの判子を押せば終わりだ!」

 

 

「理事長ッ!?」

 

 

 えぇ……もう婚姻届まであるの? ご丁寧に俺が書く欄全部埋まってるし。でも、これに判子を押せば俺も妻持ちにジョブチェンジってマジ? オマケに相手は日本有数のウマ娘育成学園の理事長。玉の輿じゃんと身体中のポケットを漁り判子がないか確認していると「だめぇーっ!」と3人のウマ娘から組み伏せられる。

 

 

「アダダダダダダダッッッ!!!?」

 

 

「お兄ちゃんダメだよ!」

 

 

「ファル子との約束はどうなるの!?」

 

 

「ノー! こんなサギに騙されてはいけマセーン!」

 

 

 痛いッ痛いッ死んじゃう〜ッ! あ、でも仄かにいい匂いと柔らかな膨らみが……ッ! と本日二度目の幸福を味わっていると、パンツが見えそうなくらいの位置にエアグルーヴが立つ。

 

 

「3人ともやめろ、ここは理事長室だぞ」

 

 

 エアグルーヴぅ……! 彼女に言われては流石の3人も俺から離れて、シュンと1歩離れる。良かったようなもう少し味わいたかったようなと立ち上がる。

 

 

「ありがとうエアグルーヴ」

 

 

「キサマのためではない。会長の前で見苦しい姿を見せるな」

 

 

「それよりエアグルーヴって結構可愛いパンツ履いてるんだな」

 

 

 まぁ、前から知ってたけど。と付け足す前に尋常じゃない指圧が俺の首に加わる。

 

 

「キサマ、死にたいのか……?」

 

 

「ごっ、ごめ"ん"、ぎ、ギブっ" ぎ"ぶ"ぅ"!」

 

 

 3人に組み伏せられてる方がマシだった。ウマ娘のパワーで首絞めはアカンて……片手だし本気じゃなかったにしてもアカンて……。まぁ、これでセクハラと殺人未遂だし、俺の罪はかなり軽くなった方だ。訴えられても3日くらい反省したら済む話だぞ。頑張れ俺! 

 

 

「それで理事長先程の話は本気なのですか?」

 

 

「無論ッ! 冗談でこのようなことを言う乙女がいるか!?」

 

 

 乙女だったのか……。てっきり話し方がアレだから、そっちよりだと思ってたわ。よく思い出したら初めに結婚って口にする時、めちゃくちゃ恥ずかしそうにしてたわ。わー、顔を真っ赤にして可愛い。よし、結婚すっか! チャンスは前髪しかない。だから掴んで離すなって聞いたことある! 判子もない今、親指を切って拇印で同意しようとすると、突然理事長の扉が大きく開かれた。

 

 

「話は聞かせてもらったよ!」

 

 

 現れたのは話がめんどくさくなるからとこの場に呼ばれていなかったであろうテイエムオペラオーで、エアグルーヴは来てしまったかとあからさまに嫌そうな顔をした。

 

 

「トレーナーくんを辞めさせない方法についてはボクもシンキングを繰り返していた! ボクという太陽の輝きの虜にすれば、キミも考え直すのではないかと思っていた……。だがッ! ボクは自分の美しさに自惚れて簡単に考えていたようだ!」

 

 

 なんの前触れも無く始まった寸劇に、慣れている俺以外は困り果てて眉尻を下げていた。

 

 

「キミの心を溶かすのは太陽じゃない! 心を溶かせるのは心だけ! そう心だ! 心が必要なのさ!」

 

 

「……そうなの?」

 

 

「いや、知らん」

 

 

 カレンに訊かれて俺は即座にそう言い返した。

 

 

「つまり、どういうことだ」

 

 

 説明しろと暗に言うエアグルーヴにテイエムオペラオーは肩にかかるほどでもない長さの髪を払うと、毅然とした態度で不敵に笑うとこういうことさとカレンやタイキシャトルの間を通り抜けて、俺の前へとやってくる。

 

 

「キミたちは白雪姫という話を知っているかな?」

 

 

 この世だかこの街だか、良くは知らないが鏡に対して、美しい女性を聞いたら飛び出してきた名前のお姫様だ。その名を聞いて、自分より美しい存在が許せない魔女が毒林檎を食わせて白雪姫を眠らせるのだが、眠った白雪姫を起こしたのは王子様のキスで、あとはハッピーエンドだったように思う。毒林檎の毒がキスで解呪されるのも変な話だが、毒林檎を食べて眠った女によくキスをしようと思ったなと考えたこともあったが、あれは何故なんだろうか。

 実際に読んだことのない話なのでかなりざっくりしているが、こんなものだろうか。それがどうしたのかと首を傾げていると、首元の襟を掴まれる。

 

 

「あ、まさか」

 

 

「そのまさかさ」

 

 

 やるなら役が逆ではないだろうかと思いながらも、主演が彼女で台本・演出も彼女の舞台に俺が口を出す術はなく、なんならこれから塞がれてしまうのだから余計に無理だと諦めた時、唇に想像していたような温かい感触はなかった。

 おかしいなと目を開ければ、オペラオーに掴みかかるエアグルーヴの姿があった。

 

 

「キサマ、何をふざけたことをッ!」

 

 

「離したまえ! これはボクの劇だぞ!」

 

 

「訳の分からないことを言うなッ!!」

 

 

 あらあらエアグルーヴさんたら会長が見てる前ではしたないこと……。そういや、残りの3人は止めないかと思っているとそれぞれが唇を抑えて赤い顔をしていて色々と察した。ピュアで助かった。ハグは良くてもキスはまだノーでよかった。

 

 

「……理事長なんでこいつら呼んだんすか?」

 

 

「否定ッ! 呼んでない! 呼んでないのに……来たんだもん!」

 

 

 そっか、それは……仕方なかったってやつだなと俺は1人納得して喧嘩している2人の足元で踏んづけられてボロボロになっていく婚姻届を見て天井を仰いだ。

 

 

 俺、結局どうなるの? 

 

 

 

 

 

 




シリアス「じゃあの」

1人結婚の約束も誤解もなかった副会長「キサマ……」
あと4話書いたら終わり、あと4話書いたら終わり……


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EX トレーナールームと有象無象

理事長室でなんやかんややってる時のトレーナー室。
他トレーナー出していいって言ったし……主人公の扱いはこんな感じだよってやつ。


 我が王との練習が終わり、私は今日の練習の成果をまとめるためにトレーナー室へと戻った。トレセン学園のトレーナー、全員分の机と椅子が用意されているこの部屋には、当然だがトレーナーしかいない。トレセン学園歴代最強ウマ娘と言わしめるシンボリルドルフのトレーナーや、その後を追いかけるトウカイテイオーのトレーナーに、地方からの刺客・オグリキャップのトレーナーと、互いに顔や名前、担当ウマ娘を見知った者同士だ。

 しかし、全てのトレーナーがここに集うことは非常に稀になる。例えば、ミホノブルボンのトレーナーは自宅の方が作業がしやすいからとこちらへやってくることは少ない。ヤエノムテキくんやサクラチヨノオーくんのトレーナーもここよりは宿舎の自室が落ち着くからと滅多に来ない。他にはトレーナーではなくモルモットになって薬物実験に付き合っているアグネスタキオンくんのトレーナーも最近見ていない。昨日虹色に発光していたので生きてはいるだろう。あとは、我が王の強敵・タイキシャトルのトレーナーも、机や椅子は使われた形跡がない。にも関わらず、彼の机が汚れているのは、彼を快く思わない者がこの部屋には多くいるからだろう。

 

 

「よぉ、キングの従者さん、今日もおつかれさん!」

 

 

「あぁ、君こそ」

 

 

 彼の机を眺めていると馴れ馴れしく肩を組んできたのは一昨年やってきたばかりでマーベラスサンデーに着いたトレーナーくんだ。入ったばかりの頃に何をすればいいのか困り果てていた彼に声をかけてから、私はこうして彼に懐かれている。キングの従者さんというのは、我が王のことを我が王と呼ぶからつけたあだ名のようなものだそうだ。私は気に入っているのだが、我が王はあまり快く思っていないらしい。我が王曰く、臣下にしてもらいなさいとの事だ。

 

 

「そういや、あの人トレーナー辞めるらしいっすね」

 

 

「結婚するから、だそうだ」

 

 

 相手も居ないのによく言えたものだと思うが、トレーナーをやめても無駄遣いしなければ食いっぱぐれないほどには稼いでいるはずだ。彼としては問題ないのだろうが、トレセン学園側からしたら迷惑な話だろう。急に言われては後任も決めなければならないというのに。おまけにその後任決めも彼のせいで余計に手間がかかるというのに。

 

 

「結婚っすか! いいっすね! 相手は誰なんすか?」

 

 

「……それはキミが直接聞きたまえ」

 

 

「あー、いや、俺、あの人と話すのはマーベラスと勝ってからって決めてるんで!」

 

 

 若手なら彼に対して嫌悪感や対抗心を持っている者は少ないか。まぁ、話せばその印象は多少変わるだろうが、この様子だとマーベラスくんのトレーナーは悪い方向にはならないだろう。問題は、若手ではなく彼と同期かそれ以上の年齢のトレーナーか。

 

 

「やめとけよ若造。あんなウマ娘におんぶにだっこされてるようなトレーナーと話しても何の意味もねぇぜ」

 

 

「そうよ。アレは彼がすごいんじゃなくて、彼が担当しているウマ娘たちがすごいの」

 

 

「担当しているってよりは"されてる"と言った方が正しいけどな」

 

 

 私たちの話を聞いて、やってきたのは彼を嫌うトレーナー連中だ。全員が全員、彼とそのウマ娘たちによって幾度も勝利を阻まれている。軽薄な表情と下卑た笑いで彼を愚弄するトレーナー達に口を挟む気にもなれなかった私は椅子に座り、ノートを広げると我が王の成長を記録していく。

 

 

「結婚するって言ってもあんなのと結婚したいって思うやつがいるのかよ」

 

 

「私は無理だわ。あんな万年仮眠室に引きこもってるような男」

 

 

「夏合宿じゃいやらしい目で女を追いかけるようなやつだ。そんな奴が結婚できるわけねぇよ」

 

 

「ほんと、ウマ娘たちが可哀想よ。カレンチャンとか、彼と一緒にいて不愉快にならないのかしら?」

 

 

「ぼ、僕も、タイキシャトルやスマートファルコンがまともに練習見てもらえてなくて可哀想だと思います」

 

 

「それなー! てか、あいつが練習場に顔出してるの見たことねぇよ」

 

 

 出さなくてもいいけどと付け足された言葉に集まった有象無象たちが一斉に笑い声をあげる。我が王のことに集中していても、外野の耳障りな声というのは届いてしまうものだ。

 

 

「従者さん……」

 

 

「放っておきたまえ」

 

 

 先輩方に色々と吹き込まれてそうなんすかと尋ねてきた彼に私はそれだけ言ってやる。

 所詮は負け犬の遠吠えだ。あの中に彼のウマ娘に勝てたことのあるウマ娘を担当しているトレーナーは誰一人としていない。彼らは遠回しにこう言っているのだ。自分たちは練習を真面目に見ているというのに、ろくに見てもいないトレーナーに負けたのだと。それに関して腹立たしい気持ちは分かるが、彼はなんだかんだ言ってもウマ娘のことを好いている。

 寂しがり屋のタイキシャトルくんの練習を共にするウマ娘がいなければ木陰の下から見守っているし、目立ちたがり屋のスマートファルコンくんの練習時には人集りができる時間を選ぶように指示している。カレンくんの練習に邪な気持ちを持って群がるファンには自ら野犬となって吠えていたりもした。エアグルーヴくんにはスムーズに練習ができるようにと練習場の予約は5日前からしており、神出鬼没にして気まぐれなテイエムオペラオーくんにはいつ気が向いてもいいようにしていた。

 何故私がここまで知っているかと聞かれれば、敵を知るために必要だったからというのもあるが、全ては彼のたった1人の友人という者に聞いた話だ。確証はなかったが、見に行ってみれば事実だったのだから認めざるを得ない。

 彼は決してトレーナーとして落ちぶれてはいない。そのことはウマ娘たちが証明してくれている。しかし人は愚かだから、見えない部分ではなく見える部分にしか目がいかなくなる。その部分が自分より劣っていると感じれば叩くのは当然だろう。しかも、本人がいない場所となれば尚更なのかもしれない。私も何も知らなければあの場に混ざっていたのかもしれないと考えていると、まだ話は続いていたらしく、再び不快な笑い声がトレーナー室に響く。その後に気分も盛り上がったところで飲みにでも行かないかという話になっていた。

 

 

「はぁ」

 

 

 ここでは作業が出来ないな。それにこのまま残っていると、あの何の生産性もない飲み会に招待されてしまいそうだ。仕方ないから部屋を出ようと立ち上がると同時に、皇帝のトレーナーも私と同じように立ち上がった。

 

 

「あ、これから飲みに行くんだがアンタもどうだい?」

 

 

 それに気づいたのか、集団の1人が彼へと声をかける。すると、彼は即座に首を振った。

 

 

「いや、遠慮しておこう」

 

 

 言うと彼は足早に部屋から出ていった。

 

 

「なんだよノリ悪ぃな」

 

 

「まぁ仕方ないわよ。常勝シンボリルドルフのトレーナーとなればやることも多いでしょ」

 

 

「マルゼンスキーも担当してるんだからすごいですよね」

 

 

 しかし、彼が断っても文句を言う者は少なく、言っても人格否定にまでは繋がらない。彼もまた、あの男と同じくややコミュニケーションに難があるというのに。奴が大事なことは言わないのに余計なことを言う人間なら、彼は大事なことしか言わない男だ。故に必要なこと以外は口にしない。それであの2人を常勝とまで言わしめるほどにまで育て上げたのだから感服するしかないのだが。

 さて、私もやんわりと断って出ようと席から離れて扉まで来ると、唐突にそのドアが横へとスライドする。

 

 

「お、悪ぃなヘイローの」

 

 

「いえ」

 

 

 珍しいなと思いながら僕は入ってきた男へと道を譲る。入ってきたのは自宅作業が多いミホノブルボンくんのトレーナーだ。彼女から"マスター"と呼ばれている影響か、トレーナー間でもその呼び名が当たり前になっている。

 

 

「お、マスター珍しいな!」

 

 

「ちょっと必要なものがあってな」

 

 

 彼はそう言うと自分の引き出しを開けて、取りに来たものをポケットにしまい込むとすぐさま部屋から出ようとするも、その背中に彼らが声をかけた。

 

 

「ちょいちょいマスター、今から飲みに行くんだけど、どうすっか?」

 

 

「すまんがブルボンに禁酒するように言われててな」

 

 

 どうやらミホノブルボンくんに食事制限するように言い渡したところ、彼もまた好きなお酒を制限するようにと迫られたらしい。トレーナーとウマ娘の関係は様々だが、彼とミホノブルボンくんの関係は父娘のようだとつい微笑ましくなってしまう。

 

 

「こんなに集まってるのは飲み会のためか」

 

 

「そうなんすよ。マスターも禁酒じゃなければ来て欲しかったんすけどね」

 

 

 就業時間を過ぎているにしては、多くトレーナーが残っていることに納得し、出ていこうとした彼は私の横に立つと、彼らには届かないような声で囁いた。

 

 

「大方、ろくでもない集まりだろ」

 

 

「……えぇ」

 

 

 首肯すると、彼はくだらないという表情で部屋から立ち去っていく。今度こそ、私も出ようとしたところで、後輩くんに見つかってしまったようだ。

 

 

「あ、従者さん! どこ行くんすか!」

 

 

 相変わらず空気が読めないなキミは。彼の声に反応して、有象無象の目がこちらへと集まる。

 

 

「おいおい、従者さんよ、どこ行くんだよ」

 

 

「お前も来るだろ飲み会。アイツに対して言いたいこともあるだろうしな」

 

 

 いや、特にないが。あったとしても、私は彼に直接言うようにしている。聞いているのかは分からないので、無駄な気もするがこの方が陰口を叩くよりはスッキリできる。

 

 

「私も遠慮させてもらおう。我が王の成長を記録しないといけないのでね」

 

 

 そう言って部屋を出ようとしたところで、1人が口を開いた。

 

 

「そういえば、キングヘイローもあいつのウマ娘に負けてたよね」

 

 

「……それがどうかしたかね?」

 

 

「別に。なんとなく思い出したから言っただけなんだけど」

 

 

 何か気に障ったかと首を傾げるその女に、私の頭に血が上る。しかし、ここで怒っては我が王の従者は大したことないと罵られるかもしれない。我が王に汚名や下世話な噂を流させるわけにはいかないとドアの凹みに手をかける。

 

 

「ちっ、なんでアイツに勝てねぇんだろうな」

 

 

 反応するな。

 

 

「もしかしてさ、アイツのウマ娘みんなドーピングでもしてるんじゃないの?」

 

 

 耳を傾けるな。

 

 

「そ、そうですよ! トレーナーが全然練習を見てもいないのに、おかしいですよ!」

 

 

 早く行け。足を動かせ。

 

 

「あんなトレーナーに従うってことは、何かあるんだぜきっと!」

 

 

 何も無いに決まっているだろう……! 彼らは純粋な努力で、勝利を掴み取っているんだ。ドーピングに我が王が負けただと? ふざけるな。そんな紛い物の勝利に手を出していたら、彼はとっくの昔にトレーナーをやめている。何より、彼らのウマ娘はみんな純粋だ。そして、正々堂々と勝負を挑む、アスリートだ。そんな彼女たちを馬鹿にするのは、この場にいない彼に代わって私が許さないと振り向いた時、大きな音を立て椅子を弾き飛ばして声を上げるものがいた。

 

 

「他人を妬んで、恨み節や何の証拠もないガセネタしか吐けないようなやつが勝てるわけがないだろう!」

 

 

 メジロマックイーンくんのトレーナーは鬼気迫る顔でそう言うと、押し黙った彼らへと近づいた。

 

 

「汚い言葉を吐き、他者を愚弄し、そんなことでしか自分たちを慰められないのならお前がトレーナーを辞めてしまえ!! お前たちのようなクズに、ウマ娘たちを指導する資格はない!!」

 

 

 一番声を張り上げて彼を罵倒していた男を見据え、彼を嘲笑った女性トレーナーを睨みつけ、ここぞとばかりに便乗して彼を貶した青年を視線で射る。

 

 

「羨んで妬んで、怨嗟の言葉を囁いても俺たちが負けたという事実は覆らない!! 何の価値もない食事会をしている暇があるのなら、少しは勝てるようにと対策を練るくらいしたらどうだ!?」

 

 

 普段は大声を出さないトレーナーのド正論に、先程まで水を得た魚のように口を開いていた彼らは顔を下へと向ける。

 

 

「……それと、あの机を汚したやつはすぐに片付けろ。じゃないと、お前たちが今まで彼にした行いや、言った罵詈雑言を証拠も添えて全部ぶちまけるぞ!!」

 

 

 最後に剣幕な表情でそう言った彼は立ちすくんだ彼らを軽蔑するような目で見ると、そのまま荷物を持ってこの部屋から出ていく。私もそれに続こうとすると、先程の空気に嫌気が差していた者たちが続々と席から立ち上がる。どうやら全員が全員、彼を嫌っているというわけではないらしい。まぁ、敵意は向けられているようだが。それは仕方の無いことだ。勝って逃げるなんて許さないと、彼に雪辱を果たそうと闘志を燃やしているのだから。

 




キングヘイローのトレーナー→あだ名 従者(キングヘイローを我が王と呼んでいるため) くん付するウマ娘は気まぐれ。
シンボリルドルフ・マルゼンスキーのトレーナー→あだ名 皇帝(皇帝のトレーナーは皇帝だろうとのこと) 口下手なので必要最低限しか喋らないようにしている。
ミホノブルボンのトレーナー→あだ名 マスター(ミホノブルボンから呼ばれているため)47歳で担当ウマ娘に禁酒を言い渡されており、律儀に守っている。
メジロマックイーンのトレーナー→あだ名 メジロ家専属トレーナー(多くのメジロ家のウマ娘を担当しているため) 32歳。嫌いなものいじめ。陰口。なお、今期はライアンもいたので、そちらは別のトレーナーが面倒を見ている。
マーベラスサンデーのトレーナー→あだ名 キャプテン(自称) 呼んでもらったことはない。

桐生院出そうと思ったけど、出せなかったぴょん……。

いじめはものによっては名誉毀損、傷害罪、器物損壊罪とかになるからやめようね。トレーナーさんとの約束だぞ!

ちなみに主人公の友人はトレーナーでは無い。
明日に兄と兄嫁が来るので、明日は多分投稿しません。


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⑨バカなりの意地

EXは本編とは関係ないのでカウントしません。



 理事長室での話し合いは暴走したテイエムオペラオーとそれを止めるエアグルーヴによってお開きとなり、後日再び集まるということで落ち着いた。たづなさんが理事長と会長、俺以外を連れ出して、また改めて連絡するという運びになった。

 理事長とはメールのやり取りしかなかったがこの度、メッセージアプリのアカウントを交換した。さすがにメッセージでもあのような話し方ではなく、シンプルなメッセージばかりだ。ちなみにやよいという名前は今初めて知った。ずっと理事長って呼んでたからな。これからはやよいって呼んだ方がいいのかしら。

 アカウントの交換と今後についての簡単な打ち合わせのみを済ませて理事長室を出ると、すっかり日は暮れており、校舎を出て、もはや俺専用と化した仮眠室へと向かう。

 しかし、まさか理事長から結婚の申し出があるとは、かなり動揺してしまって後先考えずにサインするところだった。そのせいでカレンたちに4の字固めを喰らい、さらにはエアグルーヴから首に指圧を加えられて本格的に身体がボロボロだ。

 それでも、どうにかこうにか歩いて仮眠室のある小さな建物が視認できるところまでやってくる。やったぁ、あと少しだぁと足取りが軽くなった気がする。その時だ。仮眠室の前に会長と共に生徒会室へと戻ったはずのエアグルーヴの姿を見つけてしまった。

 立ち止まって、木の後ろへと隠れると、彼女は前髪を弄っては躊躇うように、その場を行きつ帰りつしながらウロウロとしていた。ウロウロとウホウホってなんか似てるよね。今のエアグルーヴは面倒見がよい、普段の颯爽とした姿とはだいぶ乖離して見える。

 5分くらい見てても、エアグルーヴは同じ場所を行ったり来たりしており、中々離れる気配がない。誰かを待っているのだとしたら、それは仮眠室を利用するものだけなのだが、ココ最近の利用者は俺1人だけだ。オマケにエアグルーヴは俺の担当ウマ娘。つまり、自然と答えは導き出される。

 

 

「何してんのお前」

 

 

「……やっと来たか」

 

 

 無視して何かしら可愛い反応を引き出すのも面白そうだったが、昨日の今日で彼女も心労が溜まっているだろうと気が引けて、俺はいつものように声をかけた。エアグルーヴは俺が来たことに声で気づくと低めのトーンで答えた。

 

 

「キサマなんなのだ? たわけか? あぁ、たわけだったな」

 

 

 先程のことを言っているのかエアグルーヴの口からは文句しか出ない。というか、俺の話になるとコイツはいつも文句ばかりだ。しかし、俺に対する悪口は愛情の裏返しってな。俺は詳しいんだ。

 

 

「キサマ、いつの間に彼女たちに手を出していた? 互いに合意があったとしても犯罪だぞ。それで私には手を出していないというのはどういう了見だ」

 

 

「落ち着け落ち着け。誰にも出してないから」

 

 

「本当か? キサマの事だ、口八丁で純粋なカレンたちを騙して……!」

 

 

 俺って信用ないのん……? そこまで言うなら俺が誰にも手を出してないことを証明してやるぜとパンツを脱いでもいいのだが、残念ながら何の証明にもならないし、正式にトレーナーを辞める前に社会人を辞めることになる。

 

 

「まぁ、キサマにそんな度胸はないだろうが」

 

 

「分かってるならこれ以上責めないでね」

 

 

 エアグルーヴが呆れたようにして大きくため息を吐く。それに俺は苦笑すると、親指で仮眠室を指さした。立ち話もなんだから中に入らないかと暗に伝えると、その意思は伝わったのか彼女は首肯する。

 

 

「相変わらず、ろくなものがないな」

 

 

「まぁ寝て起きて歯を磨くだけのとこだからな」

 

 

 仮眠室の中をぐるりと見渡して、以前来た時と変わっていない様子にエアグルーヴは乱れたシーツやらを正してから簡易ベッドに腰を下ろした。

 

 

「それで、どうするんだ? まさか理事長からの申し出を受ける気じゃないだろうな」

 

 

「……ダメ?」

 

 

 可愛いらしくきゃるるん☆とカレンやファル子が俺に物や飯をねだる時にやる顔をして見ると、エアグルーヴはポケットからスマホを取り出して1を2回、0を1回押してこちらに向けた。

 

 

「そうか、ならこれでお別れだな」

 

 

「アァッ!? チョットマッテ!! 冗談! やだなーもー! エアちゃん空気読んでよ〜っ!」

 

 

 俺が焦って捲し立てると彼女は舌打ちして、スマホをポケットにしまった。あの、できたら電話画面消してからしまって欲しいんですけど。しかし、そんなお願いは通じないのかエアグルーヴは肩を竦めた。

 

 

「……アレは理事長が言い出したことだ。キサマが本当にアレでいいのなら、私に止める義理はない」

 

 

 その口ぶりはエアグルーヴ本人は納得していないといった様子だった。

 

 

「エアグルーヴはどうなんだ。俺が辞めるのと、辞めないの、どっちがいい?」

 

 

 聞いてなかったよなと確認すると、彼女は躊躇するような薄いため息の後にポツリと呟いた。

 

 

「……そうだな、私としてはキサマに辞められると些か困る」

 

 

 俯きがちなせいで、表情はよく伺えなかったが、それでも消え入りそうな声には哀しげな響きがあった。

 

 

「新しいトレーナーが決まるまでレースには出られないし、決まったとしても以前のように私のやりたいことに異を唱える奴につかれるのは面倒だ。……そういう意味では、キサマに居てもらった方が、私は助かる」

 

 

 俺の前に付いていたエアグルーヴのトレーナーは彼女が行う生徒会活動や後輩育成を無駄なものとして切り捨てた。それがエアグルーヴの逆鱗に触れて解雇されたと聞いた。1人ではなく、3人ほど続いたとたまたまその場にいたアマゾンに聞き、それなら放任主義の俺であれば合うのではないかと交渉を持ちかけた。その時にトレーナーとしての実力を見ると色々と難題をふっかけられたが、優秀なウマ娘に稼いでもらうためだからと全てこなすと、彼女は俺をトレーナーとして認めて、俺たちは契約を結んだ。

 

 

「……キサマは、どうなんだ」

 

 

 昔のことを思い出していると、彼女が唇を浅く噛むのが見えた。

 

 

「あそこまでして口説いた私を、結婚したいからという理由で、見捨てるのか?」

 

 

 声音は責めるように震えて、眼差しは俺だけを捉えていた。きっと、誰かに言われるのだろうとは思っていた。その相手がエアグルーヴだというのも。

 

 

「確かに俺はお前が必要だと言った。お前がレースに出て勝つためなら、望むもの全てを用意してやると」

 

 

 それも賞金のため特別賞与のため。俺は彼女たちの知らないところで、彼女たちを利用してきた。純粋無垢で、健気に努力する彼女たちを金稼ぎの道具のように。そのためならやれることは全部やったし、どんなに嫌なことでも勝つためならとやってきた。そうするうちに、彼女たちに愛着というか、何がなんでも勝ってほしいとか、ずっと笑顔でいて欲しいとか、そんな気持ちが湧いてきた。これがトレーナーの心と理解するのにそう時間はかからなかった。

 しかし、いずれ別れる日が来ると思うと怖くなった。俺たちはずっと一緒にいられるわけではない。時が来れば、彼女たちは学園から出て、まだ見ぬ強敵と足で競い合うかもしれない。ファル子のように競走バとは別の道を目指すやつもいるだろう。そうなった時に俺は彼女たちの傍には居られない。だから、そうなる前に俺は逃げようとしたのかもしれない。

 

 

「でも、トレセンにいて、色んな人やウマを見ていて思った。それは俺じゃなくてもできるって」

 

 

 これは逃げだ。彼女たちを傷つけないためにという建前で、俺が傷つかないように逃げようとしている。

 上手く出てきた言い訳に、エアグルーヴは不可解そうな眼差しを俺に向け、今にも掴みかかってきそうな勢いで立ち上がる。

 

 

「キサマ……ッ!」

 

 

 あぁ、これは殴られるなと俺は目を閉じた。幸い、ここには監視カメラとか別の人やウマの目はないから、俺が多少怪我を負ったところでエアグルーヴに非はない。顔の腫れくらい積み上げていた優勝トロフィーが倒れてきただけと言えば済む話だろう。

 しかし、想定していた痛みは来ず、代わりに胸倉にストンと拳が入った。

 

 

「……どうして、どうして、そんな簡単に、嘘がつける……ッ! わ、私は……っ、キサマが……っ、貴方が……ッ!」

 

 

 距離を詰めて俺の胸へと額を付けたエアグルーヴは肩を震わせて、何度も、何度も、何度も、何度も、胸元をか弱い力で叩いてくる。まったく痛くないのに、骨の内側にある心臓にはどうにも痛みが来て、俺はあやす様にエアグルーヴの頭を撫でた。バカ、バカと普段口にされてもなんでもない言葉が、今日はやけに身に染みた。

 

 

「……確かにバカ野郎かもな」

 

 

 今ならジャスティスを自爆されても文句は言えまい。このバカ野郎ってな。

 しかし、俺はまだ終われない。結婚もしてないし、こいつらの花道もまだ用意できていないのだ。

 バカにはバカなりの意地ってやつがあるのだ。持ってても、誰かにあげてもなんの価値も無いくだらない意地だが、こういうのを男たちはこう言うのだ。男の意地ってな。

 

 

 




もうこれ(誰がヒロインか)わかんねぇなぁ?

タイトル没案→「ジャスティスを仮眠室で自爆させる」


書けたら投稿するようにしてるので、明日の投稿は書く時間があったらありますよ


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⑩その選択を悔やまないために。

イベントの回収物が一通り済んだので初投稿です。


 はてさて、男の意地とは言ってみたものの具体的に何をすればいいのか分からない。僕には26通りの解決方法があると思ったけど実はそんなこと無かったぜって感じだ。どんな感じだよ。

 セルフボケとセルフツッコミを合わせても、男の意地ってものの証明にはならない。なっていいはずがない。やよいさんの覚悟にエアグルーヴの涙を見て、どうするべきか分からなくなる。こんなんだから障害者予備軍だとか、なんだかんだ言い訳して逃げてるだけのチキンだとか陰口を言われてしまうのだ。陰口は本人の聞こえないところで言おうね!

 現状を確認するため、そして冷静になるために学園内にある自販機の前に立つ。コインを入れて、何の変哲もないただの水を買う。考える時に糖分が必要だと聞いたことがある。しかし、思考をクリアにするにはやはり水だ。二日酔いの時とか、夜寝れない時とかいつも俺を救ってくれたのはいつもこいつだった。

 買ったばかりで冷たく無味無臭の水を体内に取り込みながら、俺は昼間のことを思い出す。

 

 

 ###

 

 

 3度目のやよいさんとの話し合いは、以前のようなゴタゴタや乱入を防ぐためにウマ娘たちが授業をしている間に行われた。

 まず、初めに前回取り乱して冷静ではないことをしてしまったとやよいさんが謝罪したところから話は始まった。あの話は俺にとっては渡りに船だったが、家の問題などが絡んでくるからと白紙にされてしまった。些か残念に思ったが、あのままトントン拍子で結婚が決まるとも思えないし、いざ決まったとなっても理事長とトレーナーという間柄でしか互いのことは知らないため、結婚生活中に不和が生じる可能性も否定できない。

 続いて本題へと入った。俺が結婚したいから辞めるというのであれば、結婚相手は学園側で用意するという話だった。大変異例の措置だったとやよいさんは語っていたが、トレーナーの中に本当に結婚するから辞めるという者はいたが、したいからという理由は俺が初めてだったから仕方ないことだと彼女は優しく語っていた。

 申し訳ないと思いつつも、学園側で相手を用意してくれるのなら、俺の辞める理由は自然と消滅する。相手は全てURA関係者で、俺の職業柄の問題にも理解を示してくれるだろう。俺の懸念事項はほぼ全て解消される。

 問題は顔とか性格の合う合わないと、俺が家事全般をする代わりに外では働かないことを了承してくれるかだ。これが合致すれば問題ないのだが、たづなさんはどうやら問題ありのようだった。

 

 

「辞めさせないために結婚相手を紹介するのに、結局辞められたら意味ないじゃないですか!?」

 

 

「いや、でも働きたくないですし……」

 

 

「はぁ!? 人生舐めてるんですか!?」

 

 

 めちゃくちゃ怒られた。そりゃそうだ。しかし、人生は舐めてない。むしろ、6年働いてお金のありがたみを理解したところだ。俺が湯水の如く使っていた生活費を親父や母ちゃんは俺よりも悪い労働環境で稼いでたんだと考えると、給料の1割を仕送りに出さずにはいられなくなった。しかし、働くのを辞めるとそれも出来なくなるのが大変お辛いところだ。そこは孫の顔を見せるというお金には変えられないもので親孝行しようと岡山の両親の顔を思い出していると、やけに静かなやよいさんへとたづなさんが声を荒らげた。

 

 

「理事長も何か言ってください!」

 

 

「……質問。トレーナーを辞めて、結婚してどうするのだ?」

 

 

「働く妻のために家庭の細々とした家事からご近所付き合いまでこなすつもりです」

 

 

「それ、結局働いていないか?」

 

 

 へ? やよいさんに言われて俺はピシリと固まった。

 

 

「働くとは何も金銭が発生することだけを言うのではない。家庭で家事をする専業主婦も立派な職業だ。家庭や近所という社会で人と付き合っていくのだからな」

 

 

 確かに言われてみればと俺は逡巡した。家事を代わりにするっていう家事代行って職業があるくらいだし。家事も仕事とするならば、俺は結局働くことになってしまうのだ。

 

 

「通告ッ! 君の辞表はまだ受理していないッ! あとは君の自由意志だ!」

 

 

「自由、意志?」

 

 

「そうだ! 君が本当に辞めて、働きたくないと言うのならそれも結構ッ! 君の人生だ! もう止めはしないッ! だが、もし! これからもウマ娘たちを支えたい! ウマ娘のファン達を熱狂させたい! 彼らと喜びを分かち合いたいのならッ! その時はこの辞表は破棄しようッ!」

 

 

 あとは俺が決めろと理事長は1週間待つと言った。それまでに決めろと。決まらないのなら、当初通り辞めて好きにすればいいとの事だった。要は彼女は1週間あっても決められないのならば、辞めてしまえとそう言うわけだ。

 

 

「私は引き止めた! ウマ娘たちも君に気持ちを吐露したはずだ! それでもここに留まる理由が見つからないのならば! 私からもう言うことは無いッ!」

 

 

 その言葉を最後に理事長室をあとにした俺はこうして自販機の水で頭を冷やしつつ、昨日のエアグルーヴのこと、それより前にカレンやファル子、タイキにオペラオーが俺に言ったことを振り返る。

 全員が全員、俺を必要としていたように思う。それがトレーナーとしてなのか、1人の男としてなのかは計り知れない。理事長やたづなさんが俺を引き留めたのも単純な好意か、あるいは他の要因かもしれない。それでも必要とされているのなら俺は残るべきなのだろう。

 俺に出来ることは限られている。誰かを幸せにしたりもできないし、人生全てを捧げられる価値もない男だ。そんな男が取る選択肢は限られてくる。

 

 

「どうやら悩み事のようだね」

 

 

 深いため息と共にやってきたのは、キングヘイローのトレーナーだった。やけに爽やかで涼し気な顔をしたその女は、座る俺を見下ろすようにして口を開いた。

 

 

「理事長と何やら揉めたそうだね。君を嫌う野次馬たちが噂をしていたよ」

 

 

「ははっ。アンタも俺の事嫌ってそうだけどな」

 

 

 話が早いなと思うと同時に、余計な一言まで添えてきたそいつに思わず辛口になってしまう。だが、女は俺の言葉に表情を変えずに言った。

 

 

「そうだね。このまま逃げ出すというのなら、私は君のことを心底軽蔑するだろうね」

 

 

 ということは、まだ嫌いじゃないってことか? いや、軽蔑するだけで嫌いとは言ってないな。しかし、こうしてわざわざ話しかけてくるあたり実は俺の事好きなのでは? 彼氏とか募集してないかしら。

 

 

「軽蔑してくれて結構。他人の期待を裏切るのには慣れてるからな」

 

 

「だろうね。けど、君を慕う者の期待は裏切らないことだ」

 

 

 彼女は呆れたようにふすっと短い溜息をつくと、一転して嫌な顔を向けてくる。

 

 

「今誰とも向き合わずに逃げたら君は一生後悔するよ」

 

 

 言われて俺の顔から薄い笑顔が消えたのが自分で理解出来た。しかし、それでも反論を口にするのは悪い癖だろう。

 

 

「……後悔しない選択なんてないだろ」

 

 

「いやあるよ。実際、私は我が王のトレーナーになれて本当に良かったと思っている」

 

 

 今度は反論すら許さない上に、適当な返事すらできなかった。

 

 

「確かに彼女は重賞での勝利に恵まれていない。それは彼女のせいではない。トレーナーとして私が不甲斐ないからだ。私の力不足を呪ったことはあれど、私は彼女を選んだことは後悔していないよ」

 

 

 彼女の言葉に俺は持っていたペットボトルを落としそうになる。しかし、中に入った水が零れる前に再び手に取り顔を上げると、肩を竦める彼女の姿が目に入った。

 

 

「私は言いたいことは言った。あとは君が決めたまえ」

 

 

 またそれかと俺は言いそうになったが、唇をキュッと噛んで言葉を押し殺した。多分アイツの言ったことは俺をライバル視しているトレーナーたちの総意だ。勝ち逃げなんて許さないと、俺を敵視するトレーナーの中に紛れて、俺のウマ娘を1位から引きずり下ろそうとするやつらが居るのはオペラオーやエアグルーヴから聞いていた。

 会長のトレーナーも、マスターも、メジロ家専属トレーナーも、言葉は交わさなくてもその目が俺に告げていたのだ。俺はそれを見ないようにしてきた。けれど、そうもしてられないと気付いてしまった。

 

 きっと、この空の下で誰もが弱さを抱えている。

 カレンのみんなによく見られたいというのは、自己満足のためだけでは無い。俺と同じで誰かに必要とされたい。誰かの笑顔になりたいという思いから来る承認欲求だ。

 ファル子のウマドルになりたいという夢はカレンと通ずるものがある。ウマドルの活動を通して、ファンのみんなを幸せにしたい、笑顔にしたい。しかし、芝ではなく砂の上を走る自分には出来ないと悩んでいた時期もあった。

 エアグルーヴも清く正しく美しくあろうとするのは、弱い自分を隠すためだ。母親想いで優しい彼女でも、傷つくことはあるし、泣く時は泣くのだ。

 タイキシャトルは外国から来た故に人の温もりに飢えている。いつも元気でハツラツとしているが、ひとりぼっちになるのを恐れる寂しがり屋だ。

 そして、オペラオーも心のどこかに影がある。自身を最高と評しながらも練習をこなすのは最高であるためだろう。その努力は弱さでは無い。自信に見合った練習をこなすのは大切なことだ。だが、最高を目指すのは彼女にも恐れる何かがあるからでは無いかと俺は思う。

 

 

 人とウマ娘の間に絆が生まれた時、科学や理論では証明できない力が生じるのは、俺たちが1人で生きていかないためなのだろうと考えたやつがいた。それは人間も同じことで、大なり小なり悩みを抱えているのは、共に助け合い支え合うためだからだとも言っていた。

 

 

「俺のしたいこと。本当の俺の願い」

 

 

 自分にも分からないし、他人では尚更な疑問だ。答えのない問題ほど厄介なものは無い。明確な答えが存在する学校の5教科テストの方が遥かにマシに見えてくる。

 楽して生きたいとか面倒なことからは逃れたいと言いつつも6年もトレーナーをやってきたのは何故だ。

 

 俺はその答えを求めて、俺が唯一、心の底から頼ることができる友のもとへと歩き出した。

 

 




近未来的ハッピーエンドを模索したけど……ダメだったよ
(要約:全員を幸せにするのは難しいということで、個別ルートor誰も選ばないルートに入るよ)



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⑪これは俺が始めた物語

 こんな俺にも友人と呼んでも差支えのない人物がいる。友達の定義は分からないが、互いに友人と認め合えていることから、俺と彼の関係は友人と呼んでも問題ないだろう。ないよね? いちいち確認とってないけど。一緒に遊びに行ったし、ご飯も食べたし、ワンナイトカーニバル(お泊まり会)もしたし。こんなのただの知り合いとはできないよね。俺はできない。

 そんな彼に出会うのは、1ヶ月ぶりくらいだろうか。彼と出会ったのはそう、まだトレーナーという働かなくても収入があるという話を信じていた無垢な頃。桜は散り始めてもなお、美しく咲き誇っていた頃の話。

 などと大仰に語り始めてみたが、その実大した出会いではない。むしろ、実に些細で些末で些事そのものなだ。俺と同期で、他が女性ばかりの中、唯一俺と同性だった。だから、そいつと知り合うのにも仲良くなるのにも然程、時間はかからなかった。

 しかし、そいつは3年前にトレーナーをやめてしまった。そして、そいつは今。

 

 

「あ〜ら〜、いらっしゃ〜い」

 

 

 オネエになって夜のバーの店長になっていた。

 

 

「……いつもの」

 

 

「は〜い! チェリーサワーね!」

 

 

 いちいち言わなくてよろしいと思いながらも声に出さずに俺は無言で席につく。店内を見渡しながら待っていると、コースターの上に頼んだチェリーサワーが入ったグラスが置かれる。

 

 

「で、今日はどうしたの? 女の娘に振られちゃった?」

 

 

「告ってないから振られねぇよ」

 

 

 たまに告ってもないのに振ってくるやついるけどね。俺の愛バにそんな男心を抉りとるやつはいない。……まぁ、全員しそうだけどね!

 

 

「まぁ、ちょっと相談が……」

 

 

「ん、聞いてあげる」

 

 

 頬に手をつけながら聞く姿勢をとった友人に俺は今抱えている悩みを打ち明ける。結婚したいからトレーナーを辞めるということ。だが、その相手をトレセン学園が用意してくれること。またウマ娘達は辞めて欲しくないということ。あとは、結婚相手が決まっても働きたくはないこととか。通りいっぺんの話をすると、そいつは話を整理するために何回か頷いた。

 

 

「知らないわよそんなの」

 

 

「えぇ……」

 

 

「だって私は結婚願望ないし、辞めたことに後悔はないんだもの」

 

 

 もちろん、トレセン上層部との拗れもないとそいつは言ってのける。確かにこいつが辞める時に誰かと揉めたとか聞いたことねぇな。担当してたウマ娘も少なかったし。多い俺が異常なのかもしれないが、トレーナーの中にはチームを率いてるやつもいるから千差万別なんだろう。

 

 

「親父さんの店だっけ」

 

 

「正確にはおじいちゃんね」

 

 

 こいつがトレーナーを辞めた理由はこの店を継ぐためってのが表向きだが、実際の理由は俺も知らない。店の話は噂で聞いた程度で、後から招待されたから間違いでは無いのだろう。でも、他にも理由がありそうだとは思う。けど、理事長とも揉めず、担当ウマ娘とも後腐れがなかったのなら何も言うことはない。

 しかし、辞めた後にまさかオネエになっているとは誰も思うまい。そういう店でもないのにどうして……。だが、話し方が変わっても本質は昔のままだ。知らないと言いつつも彼は言葉を紡いでくれる。

 

 

「辞めたいなら好きにしなさいよ。でも、まだそのバッジを付けてるのは心のどこかで辞めたくないって思ってるからじゃないの?」

 

 

 言われて俺は襟元につけたバッジに触れる。そういえばここについてたんだっけかと、服と共に洗濯されて些か輝きを失い、錆びてしまったバッジはまるで俺のようだと思わざるを得ない。

 

 

「分からない。けど、俺が辞めるとあいつらが悲しんだりするなら……その、辞めるべきじゃないとは、思う」

 

 

 多分、他の人には言えないし、言わない。自分の内面を晒すことは弱味を見せることだ。己の弱さを晒すことは俺には耐えられない。臆病な自尊心がそうさせるのではなく、尊大な羞恥心が言葉や行動という鎧で俺の弱さを隠すのだ。

 けれど、対等で、俺の敵にはならないこいつになら話すことが出来る。なぜなら、こいつは俺が見せた涙も、弱音も全部知っているからだ。それは俺も同じことだ。こいつの弱さを俺は知っている。互いに弱味を他人に突きつけないし、脅しにも使わない。弄りはしても、それは2人きりの時だけだ。だからこそ信頼できるし、信用もできる。

 

 

「そう。案外、あの娘たちのことにいれ込んでるのね。私と一緒!」

 

 

 急につついてきては、俺が身を引くと頬を膨らませるのはあまり好ましくないが、別にいいだろう。

 

 

「貴方は誰かのために頑張れるすごい人よ。自信は……持つとバカになるから、心の中で誇りに思いなさい」

 

 

「お、おう」

 

 

「今まで頑張れたのも、あの娘たちがいたからでしょ? だったら、これからも頑張れるんじゃないの?」

 

 

「いや……」

 

 

 それもあと数年だ。彼女達は学生だ。学生には卒業というものが待っている。学校という小さな社会から飛び出して、自分とは違う人間やウマ娘が多くいる大きな社会へと飛び出していく。最初に担当したウマ娘はとっくに巣立って行ったが、彼女が居なくなってから心に空いた穴は大きかった。

 

 

「貴方は本当に可哀想ね」

 

 

 知らないうちに胸を抑えていると、それを見兼ねた彼は哀れなものを見るような目でため息をついた。視線で何がだと問えば、彼は答えてくれた。

 

 

「自分の中に答えはあるのに、それを出す方法が分からない。だから、近いものを他人に委ねては、そこにあてはめようとしてるだけなんじゃないの?」

 

 

 言われて腑に落ちる。結婚したいと望んだのは何故だ。働きたくないという真理が先か。彼女たちが巣立つのを見る前に逃げるためか。あるいは彼女たちが他のウマ娘たちに負けて悔しがる姿を見たくないからか。

 口では働きたくないから結婚して家庭に入ると言ったのは、明確な理由と行動指針を口にしていれば、誰もが納得してくれると思ったからではないか。自分も含めて。無理やり納得させるために、大多数が望むであろう結婚というゴールを掲げて逃げようとしていただけではないだろうか。まぁ、結局はこの稚拙な逃げも、優秀な頭脳を持つもの達には見破られてしまったわけだが。

 

 

「やり方は一つじゃないわ。トレーナーを辞めて結婚するのもいいと思うわ。相手が見つかるかは別問題として」

 

 

 言いながら、彼はカウンターに置いてあったメモにペンで書き付け始める。

 

 

「このままトレーナーを続けるのもいいわね。それだと貴方以外は納得するし喜ぶわ。いっそ、みんなと結婚しちゃうのも手ね」

 

 

「それはちょっと……」

 

 

 貯蓄的に1人か2人くらいならなんとかなるかもしれないが、さすがに全員となると難しいと声を出すも、彼は聞いていないのか、言葉を更に書き記していく。

 

 

「この中に貴方も他のみんなも後悔しない選択肢がないとしたら、作ればいいのよ」

 

 

「それが出来たら、苦労してねぇよ……」

 

 

「そう? 方法はいくらでもあると思うけど」

 

 

 1人を選ぶのもよし、誰も選ばないのも手だと彼は書いていく。そして、メモは一面に様々な方法が書かれるも、それをくしゃくしゃと丸めると俺の前に落とした。

 

 

「やよいの言う通り、決めるのは貴方よ。だから、今私がやったことは、貴方がやるべきなのよ」

 

 

 開けた視界の先にはたった1人の友人が俺を見据えていた。

 

 

「じゃないと、カレンやファル子ちゃん、オペラちゃんにタイキちゃん、グルーヴちゃんは納得できない。なにより、他の誰でもない貴方が納得しないでしょ」

 

 

「俺、が……」

 

 

 脱力して呟くと、彼は俺のチェリーサワーを奪い取って飲み干すとふっと笑った。

 

 

「だから、やりたいようにやりなさい。しない後悔より、やって後悔、でしょうが」

 

 

「……あぁ、そうだな」

 

 

 その笑みに俺の強ばりも解かれて、緩い笑みなら浮かべることが出来た。

 

 

「やりたいようにやってみるわ。それが理解されるかは別として」

 

 

「大丈夫よ。貴方、昔から理解も共感もされてないもの」

 

 

「ひでえなおい。反論できないあたり俺も酷いな」

 

 

「そうそう。だから気負わずにね」

 

 

 どんなに無様で気持ち悪くて惨めで愚かしくて嘆かわしくても、最低最悪かつどうしようもなく情けなくても、俺自身で答えを見つけなければならない。答えは得てない。けれど、その答えに辿り着くための灯りは照らしてもらった。

 大仰で誰にでも思いつきそうな普遍的な終わり方でもいい、惨たらしく目が当てられない終わり方でもいい、取り返しがつかないくらいにふざけた結末でも構わない。

 俺が始めた物語を終わらせるのは───────俺しかいない。

 

 




オネエの店長(元トレーナー)という過剰属性の友人。身長は195くらいある黒髪の中肉の男性です。トレーナー歴は3年弱で、担当していたウマ娘は特に決めていません。ご想像にお任せします。
ちなみに最後にセリフを入れるはずでしたが、キリのいいところで終わらせるために削りました。
「私、みんなが幸せになるハッピーエンドが大好きなの」
おれもー! 誰かが幸せになると不幸になるなら、全員ひっくるめて幸せにすれば不幸にはならないよね! てことで、次回ラストです。アンケートもぶっちぎりで全員だったので、全員と幸せになる話が出来たらなと思います。


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⑫トレーナー辞めて結婚できましたか?

同じ過ちを繰り返す男(投稿ミスった)


多重関係という言葉がある。専門家と、とある目的以外の明確・意図的な役割を持っている状況、つまりは妻がいるのに会社の後輩と肉体的だとか恋愛的な関係ってのがわかりやすいだろうか。

 トレーナーにとって、ウマ娘っていうのは言うなれば教え子だ。彼女たちを勝利に導くために俺たちはいるのであって、彼女たちと恋人になったりだとか、結婚したいという願望があってやっているやつも、探せばいるのだろうが、倫理的にはNGだ。

 そもそも、彼女たちは学生でトレーナーは社会的にも肉体的にも立派な大人だ。日本の法律では人間だろうがウマ娘だろうが、親権者及び本人の同意なく恋人関係になることはご法度とされている。

 じゃあ、親や世間に文句が言えない年齢になって、互いの合意もあって、法律的に許されれば問題ないのだろうと言ったのは誰だったか。そう、テレビの向こう側で今日も元気にオペラ歌手並みの美声を出しながら劇を進める舞台女優となったテイエムオペラオーだ。

 

 

「ワォ! 今日もオペラは劇団オーデスね!」

 

 

 俺の太ももの上に現役を退いてもなおハリのあるおしりを置いては、訳の分からない日本語を口にしているのは、左手の薬指に銀色に輝く指輪をはめたタイキシャトルだ。

 

 

「でも、今は私の時間デース!」

 

 

 寂しがり屋な女の子は、涙を見せなくはなったがその分過激なスキンシップが多く、ここが日本だということをよく忘れているように思う。俺は長男だから耐えられるけど次男だったら耐えられないダイナマイトボディが俺の身体へと密着する。

 

 

「ええい、こんな昼間から何をしているこのたわけ共」

 

 

 人間の力でウマ娘に勝てるわけが無いのでされるがまま、この身は全て時の流れに任せようと諦観していると、タイキシャトルの身体が引き剥がされる。妙にエプロン姿が板についてきたエアグルーヴは腕を組みながら呆れたようにして息を吐いた。

 

 

「タイキ、じゃれ合うのはいいが時間と場所を考えろとあれほど言っているだろう」

 

 

「うぅ、ソーリ〜。オペラオーにシットしてしまいマシタ……」

 

 

 学園の頃からエアグルーヴには頭の上がらないタイキシャトルはしょぼんとした表情と共に耳としっぽを垂らす。まだイントネーションにやや違和感はあれど、多くの日本語を使えるようになったタイキに感心していると、エアグルーヴの睨みがこちらへと向けられた。

 

 

「貴様も貴様だこのたわけ! 何をだらしなく鼻の下を伸ばしているのだ!」

 

 

「俺はだらしなくはあるが、鼻の下は伸ばしてないぞ!」

 

 

「開き直るな!」

 

 

 エアグルーヴの叱責を受けてやる気を落としていると、騒ぎを聞いてか2階から降りてきたカレンが欠伸をしながらこちらへと歩いてくる。

 

 

「もう、昼間から何騒いでるの……?」

 

 

「カレンこそこんな時間まで居眠りとは。たるんでいるぞ」

 

 

 カレンは昨日はファッション誌の取材があって帰りも遅かったし多少は大目に見てあげて欲しい。ウマスタグラマーとして、そして短距離の女王として名を馳せたカレンチャンは、現役でスプリンターを続けながら、ゴールドシチーのようにモデルとしても人気を博している。ちなみにトレーナー兼マネージャーは俺であり、不埒な下心を抱く不届き者に対してはレーザーポインターを浴びせる毎日だ。おかげで今日も俺の目はカラカラである。

 

 

「もうみんな喧嘩しないの! 今日も笑顔で頑張っていこ〜!」

 

 

 エアグルーヴとカレンの一触即発の雰囲気にキラキラスマイルが飛び込んだ。ウマドルとして磨かれた芸術点高めの笑顔とコールをするスマートファルコンに俺のヲタ声が木霊する。

 

 

「イェーイ!」

 

 

「イェーイ!」

 

 

 俺に合わせてタイキもまたレスポンスを返すと、ファル子が「ありがとう〜!」と椅子の上に立って手を振ってくれる。

 

 

「ねぇ、今カレンと目が合ったよ!」

 

 

「いや、今のは俺だ。間違いないね」

 

 

「ノー! 2人じゃないデス!」

 

 

 椅子の上に乗るなという注意と、ファル子のノリに合わせる俺たちのどちらから口に出せばいいかと額に手を当てるエアグルーヴに次なる災難が降りかかる。

 

 

「おいおいみんな、今はボクの劇を見る時間だろう?」

 

 

 机の上に立ち、天上天下唯我独尊といった風に微笑むテイエムオペラオーにエアグルーヴははぁとため息をついた。

 

 

「全く、どうして貴様の担当はこう問題児ばかりなのだ……」

 

 

 その中にてめーも加えてやろうって言うんだよ! みんながみんな、問題児になれば問題なんて何も無いよね! と言ってみたものの、エアグルーヴの問題点といえばギャグセンスがないが故にギャグを理解できないところだろうか。端的に言えば笑いのセンスというのが欠けているのだ。だから、俺の見えないところで皇帝さんにテンションを下げられてしまうのだ。

 

 

 

「エアグルーヴが真面目すぎるんだよ」

 

 

「もっとソフトになりまショウ!」

 

 

「ファル子もそう思うー!」

 

 

「うっ……!」

 

 

 あ、またエアグルーヴのテンションが。しかし、ここはみんなの王子様を自負するウマ娘、テイエムオペラオー。すかさず、机から降り立つと落ち込む淑女の肩に手を添えた。

 

 

「美しい顔が台無しだよ、エアグルーヴ」

 

 

「オペラオー……」

 

 

「まぁボクの顔の方が煌めいていて、一層美しいがね!」

 

 

 ハーハッハッハッと上機嫌に、余計な一言を添えて笑う王子様なんてオラ嫌だ。ロンドン行くよ。

 

 

「はぁ、落ち込むのもアホらしくなってきた」

 

 

 肩を落とすエアグルーヴに、カレンやタイキが寄ると励ますようにして言葉を紡ぐ。その間にも自我の強いオペラオーとファル子は劇団ひとりとゲリラライブを敢行するのだが、この景色が見られることを俺は嬉しく思う。

 トレーナーを辞めるか続けるかという選択を強いられた時、俺は理事長に向けてこう言った。

 

 

「こいつらが引退するまではトレーナーを続けます」

 

 

 つまりはトレセン学園にエアグルーヴ、タイキシャトル、カレンチャン、テイエムオペラオー、スマートファルコンがいる限りはトレーナーをやり、新年度になっても新しいウマ娘を担当することはなく、彼女たちが卒業すると同時に俺もトレーナーという職から離れるという決断を下した。

 きっかけはエアグルーヴの言葉から始まり、オペラオーの待っていろという発言があってからだが、全て自分が決めたことだと俺は胸を張って、誕生日会のお誘いの手紙の入った封筒を破いたようなスッキリとした顔で己の書いた辞表をその場で破り捨てた。

 そして、現在カレンが卒業してから2年。俺が貯めたお金で土地を買い、家を建て、5人のウマ娘たちと共に同じ屋根の下で暮らしている。法律上結婚はできないため、彼女たちと家族になることはできないと思っていたのだが、妙に弁舌に優れた御仁からの助言で、法制度を上手く利用して養子という形ではあるが家族になることができている。彼女達の指にはそれぞれ色もついた宝石も異なる指輪が輝いている。

 人の身である俺よりも身体能力や容姿に優れた彼女たちにはいつも振り回されており、当初の目的であった仕事をせずに暮らすという俺の野望は砕け散ったものの、今の生活に不満はない。唯一、あげるとするならば、

 

 

「何を笑っている」

 

 

「ふふ、そうか、君も楽しいよね」

 

 

「今日はみんなでレッツエンジョーイ!」

 

 

「ファル子もー!」

 

 

「じゃあ、ウマスタに投稿しよー!」

 

 

 俺の愛バが尊くて生きるしかない。ってところだろうか。

 死にたいと思ったことはないが、生きねばと思ったのはこいつらがいたからだ。だから、毎日彼女たちには言わねばならない言葉がある。

 

 

「ありがとう」

 

 

 -fin-




理事長『私は!?』
ごめんなさい。理事長。

これにて完結です。
色々ありましたが最後まで書ききれて良かったです。
前作のリメイクということで書きましたが、想定とは違った結果になりましたが、完結できたのでOKです!


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