もし百合ヶ丘の売店に「よく困ったことに巻き込まれる店員」がいたら (ぽけー)
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もし、百合ヶ丘の売店に「よく困ったことに巻き込まれる店員」がいたら
01 もし百合ヶ丘の売店に「よく困ったことに巻き込まれる店員」がいたら。


お風呂入ってる時になんとなく思いついたのを書いて、どうせなら投稿もするか…となったので初投稿です。

後半地の文多め。


「…百合ヶ丘の売店にはなんでもあると聞いていたのですが…どうにかなりませんこと?」

「あー困りますっ!お客様困ります!『運命の相手と同室になれなかったからせめて何を話しているのか聞きたいですわ!』と言われても盗聴器は売れないですしそもそも取り扱ってないですから首を揺さぶるのやめてあーっ!」

 

 

「そうですか…取り扱いはないんですね…」

「あー困りますっ!お客様困ります!いくらシルトの大好物なラムネがないからって店内でルナトラ発動は困りますお客様あーっ!」

 

 

「…むぅ」

「あー困りますっ!お客様困りますっ!姉妹関係を進めたいからって言われても当店に媚薬の取り扱いはありません壱盤隊の皆様総出で頼まれてもどうにもなりませんファンタズム使われても入荷予定ないですから離しあーっ!」

 

 

「うふふ…」

「いえあのお客様…困ります…同室の方とのシュッツエンゲル契約ができないかを私に相談されても困ります…笑顔で圧かけてもダメですよ生徒会に言うか役所で婚姻届もらってくださいよ…」

「なら夜に役立つグッズはありませんか?」

「ですから当店では扱っていませんので鎌倉市街で探してください…めんどくさい人ですね困りますんでやめてください…」

 

 

「ないんですか?」

「あーっお客様困ります!そんなガン飛ばされても困りますっ!ですから猫缶はあくまで猫用なんですあるわけないじゃないですか人間用の猫缶って普通にお弁当売ってるんですからそれ食べてくださいよ!」

「開発費は…私の給料から引いてもらっていいですから…!」

「ちゃんと人用のごはん食べてくださいよリリィが不調だと私も困るんですよ!」

 

 

「店員さん!開店時間早めてもらえませんか!?」

「それかなんとか取りおいてもらったりとか…!?」

「お願い!ずっと楽しみにしてたの!」

「あー困りますっ!お客様方困りますっ!いくら今日発売のワールドリリィグラフィックの特集が天葉さんと聖さんだからって大挙して押し寄せるのはやめてくださいちゃんと並んでくださいあーっ!」

「「…買占めってできますか?」」

「お二方も静かに殺意出さないでください愛しのお姉さまを独り占めしたいのは分かりますけどだからって実力行使の用意するのはやめてくださいあーっ!」

 

 

「どうせ…どうせ日羽梨はぁ…!」

「あのーお客様困りますーシルトにしたい子がいるのに自分の過去と性格のせいでうまく接することができなくて辛いからって閉店後の店内に居座って愚痴を聞かされるのは困りますー」

「二水は…っ、二水はあんなにいい子なのに、日羽梨はぁ…!」

(録音しておきましょうか…たまに取材に来ますし…)

 

 

「育児書って取り扱いあります?」

「…え?いやあのお客様―梨璃ちゃん?え?子どもできたの?え?はいあまり専門的じゃありませんが取り扱いありますけどえ?子どもできたの?私より10も年下なのに?」

「へ?いえ、違うと思うんですけど…」

「りり、お母さん?」

「結梨ちゃん!?」

「お客様ぁ…ぐす、困ります…行き遅れが見えそうな年の女にかわいい娘を見せびらかしにくるなんて困りますひっく…」

「店員さん!?」

 

 

「あー困りますっ!お客様困ります!コスプレ部門優勝者のブロマイドコーナーを破壊されては困ります!」

「離してください。猫耳雨嘉さんは私だけが独占しますので」

「ですからCHARMまで持ち出されるのは困りますいえ生身で破壊されるのも困りますけどお客様あーっ!前も思いましたけどほんとめんどくさいですね同室なんだからお願いすればいつでも見せてもらえるじゃないですかちょっとあーっお客様っ!?」

 

 

 

「…つまり、私みたいに外で動ける百合ヶ丘の職員も捕縛任務に参加、と?」

「頼まれてくれるかね?」

「いやぁ、私売店の仕事ありますし困りますねぇ。捕縛対象、うちのいい常連候補だったんであんまり気乗りもしませんし」

「だが、やらねば人とリリィの対立は深刻化し、百合ヶ丘の存立ひいてはここで保護しているリリィたちの今後にも関わるだろう」

「…ほんと、こんな世界にはお互い心底困ってしまいますねぇ、代行先生」

「全くだ」

 

 

 

 

 

 

(わたしは、百合ヶ丘のリリィだから…)

「―やったよ!梨璃!夢結!」

「結梨ちゃ―」

「ダメだ、ヒュージの誘爆に巻き込まれるゾ!?」

「間に合わ、ない…!?」

 

 

「―あー困ります困ってしまいますねぇ!」

「店員?」

「売店の店員さん!?」

「常連客さんの娘さん(既成事実)なんていう将来の優良顧客をこんなところで失うわけにはいかないじゃないですかー困ってしまいますねぇ」

「…店員、リリィ?」

「まっさかぁ、ちょっと普通の人間より足が速かったり力が強かったりするだけのただの『百合ヶ丘の職員』ですよ?」

 

 

 

「あー困りますっお客様困りますっ!一柳隊総出&生徒会執行部でそんなお礼されても困りますっ!普通に感謝の言葉だけで十二分なんで感謝の売店買占めなんて考えなくていいですお給料ちゃんともらってますから!ほら顔上げてくださいあーっ!梨璃ちゃんもほら土下座とかしてないで顔上げて!いいですから!あと祀ちゃんシュッツエンゲル契約届*1買い占めようとしないで!結梨ちゃんをシルトにしたいの知ってますから!誰にも先に申し込まれたくないのわかりましたから!というか普通の契約届生徒会から貰えるんだから意味ないですよ!『しまったそこ止めなきゃ』なんて顔しないでくださいあーっ!」

 

このあとヤケクソになって将来夢結梨璃の結婚式に呼んでもらうことで決着がついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一柳結梨の生存は、G.E.H.E.N.Aとそのバックにいる者たちにとって非常に不愉快なものであった。

 もちろんグランギニョル社をはじめ、純粋に自分たちの娘が、妹が命を落とす危険を排除するべく実験に参加し、当のリリィらからブチギレられ正気を取り戻している面々も多い。その代表格がグランギニョル社社長であり、珍しく全ギレした愛娘に秒で降伏した父親であることは語るべくもない。

 

 ―しかし、単純な知的好奇心の暴走や利権を貪るため実験を推し進めた者たちもいたわけで。

 そういった者たちに限り、『非常に人道的な兵器』たる人造リリィを邪魔ばかりする百合ヶ丘に奪われ、挙句の果てに人として認めさせられ皮肉をぶつけられ続けたことをこれでもかと根に持つのだ。己の普段の所業が、人道的どころか非人道的という言葉すら生ぬるい地獄を数多のリリィに与えていることなど知ったことかと言わんばかりに身勝手で都合の良い正義を振り回すのだ。

 

 新月の夜、鎌倉府近郊の山中を完全武装で進むこの一団は、そういった人間たちの私兵であった。

 リリィたちに兵士としての存在価値を奪われたと逆恨みし、施設で悲鳴や助けを求めるリリィたちをあざ笑い、『多くのリリィを犠牲にすることで』人類自らがヒュージに対抗する技術を開発するために協力を惜しまず、なぜか人認定された兵器を連れ戻し、実験することで、いずれ自分たちが対ヒュージ戦争の主役となることを願う。そんな『正義』を掲げた集団であった。

 

 そう、『あった』。

 

 

 

「なん、なんなんだお前、なんなんだよぉ!?」

 

 行軍は順調であった。百合ヶ丘と『リリィに味方する裏切り者』である防衛軍の警戒ラインを日頃の訓練の成果を発揮することで易々と突破し、百合ヶ丘の校舎や寮が視界に入るほどには接近できた。

 直後、音も残さず数名の兵士の首が胴体から永遠に泣き別れるまでは。

 

「いやー困ります『お客様』―。ガーデンへの無許可侵入どころか完全武装での不法侵入とか本当に困っちゃいますよ『お客様』―」

「リリィ…リリィなのか!?」

「そんなバカな、リリィは人間に対し武器を向けないように幼少期から刷り込まれているハズだ!それが、ためらいもなく首を一撃で…!?」

「いや私、あの子たちみたいにいい子でもリリィでもないですからね?むかーしあなたたちにいじられてちょっと人より速く動けて力が出せるようになっただけのしがない売店店員ですからね?そこらへん間違えられると困っちゃいますねぇ」

 

 消音機で抑制された発砲音が全周から響くも、その女性を捉えるには至らない。

 それでいて、時間を重ねるごとに片手に担いだ太刀で一人また一人と首をはねていく。CHARMの廃材から無理を言って作りだしてもらったその太刀は、時に銃弾をはじく盾としての強靭性まで見せた。

 

 

 

「ふむふむ?」

 

 接触からわずか数分、一帯には首のない兵士たちが転がるのみとなっていた。

 

「あーぁ、回収ポイントまでご丁寧に地図に書き込んじゃって…こういう類いは頭まで潰さないと性懲りもなくまた来ますからねぇ残業確定ですねぇ生ゴミ処分も楽じゃないってのに」

 

 ダウナーなぼやきと共に隊長格らしき男の遺体から使えそうなものを漁り終え、とりあえず雑草処理と同様根のほうまで『処分』することを決めつつ、星空を見上げる。

 

「―本当に、困っちゃいますねぇ」

 

*1
(記念用豪華版。有料。婚姻届としても利用可)




・百合ヶ丘女学院購買部
 校舎の一角に存在し、豊富な品揃えが特徴。
 リリィ引退後の参考になるよう、また療養期間中の経済的支援も兼ね学生バイトを少数ではあるが雇用している。
 メガネにショートボブの店員が彼女ら学生バイトを取りまとめると共に購買部の職員として各種事務作業やリリィからの相談受付、案内を行っている。
 最近の学生バイトリリィたちの悩みは軽率にルナティックトランサーを発動させる二年生及びその対応に毎度悲鳴を上げつつ生身の人間でありながらそれを抑え込み、けろっとした顔で業務に戻るメガネの店員の存在。


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02 もし百合ヶ丘の日常に「毎度毎度困っている売店店員」がいたら。

ちょっとした解説を追加するだけなのに投稿まで異常に時間がかかったので初投稿です。
前回より後半の地の文多め。

評価、お気に入り登録して頂いた皆様方ありがとうございます。
リアルの方が多忙になり始めたのでかなり不定期になりますが、3話も少しずつ書き重ねていますので気が向いたらまた覗きに来ていただければ幸いです。


 

「ふふ…どうせ私はシュッツエンゲル失格…」

「あー困りますっ!困りますお客様!家族三人の団らんのために調達しようとしたラムネが自販機でも店頭でも売り切れてたからって店内でルナトラ発動は困りますあーっ!」

 

 

「いやー資金源が欲しくてねー。アーセナルって大変だわー」

「あー困りますっ!お客様困ります!理由は分かりますがヒュージの生態標本をフリマコーナーに出そうとしないでください困ります!」

「えーだって自作のものを売るスペースなんでしょー?」

「主な利用者はそうさくクラブ、商品は手芸品なんですけどね!ですから売店の空気をぶち壊す生態標本を置こうなんてしないでくださいあーっ!困ります!ちょっとミリアムちゃん来て先輩が暴走してますよあーっ!」

 

 

「一部くださーいっ!」

「すみません、私にも一部…」

「さすがは二水さん、週刊リリィ新聞主筆は伊達じゃない…」

「鼻血出てるわよー」

「あーお客様方困ります!困りますお客様方!今週の週刊リリィ新聞が『劇録!アールブヘイム主将の日常~写真増補版~』だからって個人用保存版(有料。貼りだしているものとほぼ同じ内容だが写真の量が多い。収益は取材費用や備品購入に使われる。生徒会公認)をお買い求めに殺到されては困りますあーっ!密です密ですから!足りなくなれば追加で刷ってもらうんで落ち着いて並んでお買い求めになってあーっ!」

「…」スンッ

「視線で姉を独り占めできない不満を示されても困りますお客様あーっ!」

 

 

「へぇ…手芸の材料も取り扱いがありますのね」

「おやお客様、手芸コーナーを覗くとは珍しい。普段は梨璃ちゃんにひっついてラムネ買うか梨璃ちゃんをとうさ…撮影するための消耗品を買うくらいですのに」

「遺憾ですわ、わたくしだってたまにはこういうところを覗いたりもしますわよ」

「ちなみに何を作るおつもりで?盗聴器かカメラ仕込むんですよね?何度も言いますが本店には取り扱いありませんよ?」

「風評被害はやめてくださいまし!」

(ヘアゴムと緑色の素材もろもろ…なるほどそういうことでしたか)

 

 

「飲ませっ…飲ませろぉ!」

「はっはっは買占めじゃああああああああああああ!」

「あー困ります!困ります教導官の皆様方!あーっ困ります!昼間っから生徒の目の前でお酒大量購入は風紀的に困ります!」

「3徹!3徹だぞ!?ゲヘ公どものせいで事後処理に3徹した後の明日の休日だぞ!?飲み明かして何が悪い!」

「開き直られても困ります皆様方!ただでさえ購買にお酒置くのどうなのって生徒会から言われてるのにこんなことされては困ります!」

「良いではないか良いではないかー。あ、メガネちゃんも参加する?参加するっしょ?参加するよねほらほら行こっかー」

「あーっ困ります!勤務時間中に連れ出されては困ります!ちょっと離して先輩方せめて閉店まで待って聞きますから!愚痴聞きますから!だから離してあーっ!」

 

 

「何が…何が道徳よぉ…うぅ」

「あのーお客様?お客様困りますー唐突にイートインコーナーで号泣されては困りますー。あとなんでラムネにおつまみセットなんてチョイスなんです?花のJKが昼に選んでいい組み合わせじゃないですよね」

「だって…ひぐ、『百合ヶ丘の道徳への挑戦』が夜の密会への隠語に使われてるって話を聞いて」

「…あー。はい。そうですね。はい。こないだ店番中にそんな会話聞きましたねはい」

「私の…私のキメ台詞が…ぐすっ」

「キメ台詞にしてる自覚あったんですねぇ…とりあえず泣き止んでもらっても」

「飲み明かしてやるわ…」

「へ?」

「ラムネだって信じればお酒になるって聞いたわ!酔っぱらって忘れてやります!」

「えっちょラムネに酔う要素はないっていうかあのお客様?ですからお徳用スルメを貪らないであのヴァールさん?あのえっと道徳勉強会主宰がこんなところで醜態さらすのは本店としてもちょっと困りま―あーほらラムネをラッパ飲みしないでください!あー困りますお客様!ちょっと道徳勉強会の方誰か来て止めてあーっ!」

 

 

「こんにちはーっ」

「はいいらっしゃいませお客さ、あのーすみません困りますー何度言われてもフリマコーナーにヒュージの生態標本は置けませんので困りますー」

「あら、普通に買い物ですよ?」

「壊物!?」

「字が違うわねぇ…」

「んんっ、冗談はここまでとして…何をお探しですか?盗聴器と盗撮用カメラ以外なら肌着から工具まで幅広く取り扱いがありますよー」

「あ、じゃあ豪華版の方のシュッツエンゲル契約届で」

「…すみません、ちょっとそういう試薬や工具は本店に取り扱いないですね」

「試薬でも工具でもないですよ?」

「え?マジの契約届ですか?」

「マジの契約届ですよー。こないだ買占め騒ぎがあったらしいですけど、まだ在庫ありますか?」

「え?はいこないだ祀ちゃんから防衛しきったのがありますけど何に使うんですか?新手の実験ですか?変なドッキリに使うとこっちにまで文句が流れてきて困るのでやめてくださいね?あ、お会計こちらです」

「どーもー。普通にシュッツエンゲルの契りに使いますよ。それじゃ!」

「はい、それじゃ。え?」

 

「…あの変人真島百由が、シュッツエンゲルに?」

 

 明日はヒュージでも降ってくるかもしれない。店員は雨具と太刀を用意しておくことにした。

 

 

 

 

 

 

 鎌倉府一帯の防衛を受けもつ百合ヶ丘女学院。国外からも優秀なリリィが集まり、名門ガーデンとして知られるここにも、普通の学校と変わらず購買部―通称、売店が設置されている。

 とは言っても基本全寮制のガーデンにおいて、さらにいつヒュージ襲来による出動や外征要請が来るか分からないなか、日常の品をふらっと鎌倉市街まで買いにいくことなどできないわけで。

 『年頃の少女であるリリィ達に命のやり取りを押し付けるしかないのならば、せめて快適な環境を用意して償うべきだ』との学院側の理念もあり、そんじょそこらの学校の購買部どころかスーパーを上回る品揃えとなっている。具体的にはノート、筆記具からある程度の生鮮食品に調理器具、さらには消耗の激しい肌着の類に手芸用品をはじめとする趣味のものやアーセナルのための簡単な工具や試薬類、同じく学園内の寮に住む教導官など職員のための酒類まで。

『百合ヶ丘の売店でなら大体のものは揃う』とは多少ガーデン事情に興味のある人間なら聞いたことがある話であり、百合ヶ丘の生徒にとっては常識であった。

 

「…おや?」

 

 そんな売店の一角、授業時間中のため人のいない、静かな―訂正、射撃訓練の音がかすかに響くレジ兼相談カウンターに気の抜けた疑問符が響く。

 

「そういえば、今日から自由活動が許可されたんでしたか。隠れなくてもいいのでどうぞこちらへ。立ちっぱなしは疲れるでしょう?」

「…気づかれるとは思わなかった」

「多少気配を隠せてはいましたが、さすがに物陰から延々と見られたら気づきますよー」

 

 どーぞどーぞーと、レジ裏から追加のパイプ椅子を引き出してくるメガネにショートボブの店員に招かれるまま、藤色の髪の少女―メディカルチェックや身柄の扱いに関するゴタゴタが落ち着くまで医務室に軟禁もとい保護されていた結梨はカウンターに近づいた。

 

「いやはやお勤めご苦労様でしたー。あぁいやこれ梨璃ちゃんに言うべきか。もーゲヘカスはともかく政府とそのぶら下がりも何考えてるんですかねぇほんと。確かに命令違反ではありましたがもし従っていれば『人をヒュージと勘違いしたままいじくりまわす』ハメになっていましたし。んで公然と人体実験なんてやったら国民感情も黙ってないでしょうねぇ。ただでさえ人権団体やら環境団体もどきやらに突き上げ食らってるのにほんとお上は何を考えてるんだか」

 

 丁寧な、それでいて結梨への気遣いと先日の下手人連中への皮肉をこれでもかと詰め込んだ言葉を垂れ流しつつ、メガネの店員はカウンターの一角にてきぱきと椅子や紅茶を用意していく。

 

「ここまでしなくてもいいのに」

「この時間ワンマンだしお客様来ないし暇なんですよ」

「だからって商品棚からお菓子持ってくるのはどうなの?」

「売店店員の特権です。秘密ですよー」

 

 メガネを光らせ、店員はそっと人差し指をたてた。夢結と梨璃には言っちゃだめ?もっと駄目です教育に悪いって叱られちゃいますよ、とのやり取りの間にカップに手早く紅茶を注ぐ。学生たちに引かれるくらい手順をすっ飛ばした淹れ方ではあるが、彼女がやるとそれなりのモノになるのは学園七不思議のひとつとして以前二水に取材されていたことも結梨は思い出す。

 

「はいはーい完成です。どうぞーお客様」

「ありがと」

「いえいえ。それで、今日は何の御用で?」

「お礼と、質問」

「ふむ?」

 

 カウンターをテーブルに、椅子はパイプ椅子でお茶請けは割引が始まっていたクラッカーという奇妙なお茶会の始まり、店員は結梨の解答に首をかしげた。

 お礼なら例の砲撃型撃破を手伝った後に一柳隊と生徒会からこれでもかと受け取っているものの、結梨本人から改めて、となれば特に気にする必要もない。

 気になったのは、後半の質問とやらで。

 

「まずは、店員、あの時助けてくれてありがとう」

「人助けは基本ですし、結梨ちゃんは将来の優良顧客になりそうでしたからねぇ。当然のことをしたまでですよ」

「ん。それで、質問。店員はリリィ?それとも違う何かなの?」

 

 ジャブも前置きもなく本題に入る結梨に店員は苦笑する。行動の突飛さは幼い子どものそれだが、こちらを見やる目には隠し事すら見通す何かを感じた。

 

「ふーむ。じゃあ答える条件に二つ、いいですか?」

「どんなのかによる」

「1、なぜそう思ったのか。2、なぜそれを聞こうと思ったのか。この二つを聞いてから答えるか決めます」

「ん、すこし待って」

 

 正直に答えてくださいねー建前じゃなくて本音が聞きたいので。そう付け加え、紅茶を一口。こちこちと、壁掛け時計の秒針だけが響くこと数分。

 

「―お待たせ。いい?」

「はいどーぞー」

「まずは一つ目なんだけど、やっぱり普通の人間だと、あの時わたしを助けるなんて絶対無理だから」

「そうでしょうか?」

「普通の人間は海を走らないし、あんな大ジャンプをしない」

「まぁ確かに」

「だから店員は元リリィなのかなって思ったけど…店員は違うって言った」

 

 藤色の目がこちらをまっすぐ見やるのを、メガネ越しに受け止める。

 

「だから、普通の人じゃないのは確かとしてリリィなのを隠してるのか、全く違う何かなのかなって」

「ほうほう…では、二つ目は?」

「ヒュージをやっつけた後から、きょうみ?として気になってはいたよ。でも医務室でいろいろ質問に答えて検査してもらってるうちに、参考にしたいって思うようになったから」

「参考?」

「わたしが本当は何者なのかなって」

 

 幼さを多分に残した瞳が、されどまっすぐにこちらを見据える。

 

「梨璃も、夢結も、百合ヶ丘の皆はわたしを人として受け入れてくれた。それはとっても嬉しい。けどね」

 

 紅茶を一口。

 

「やっぱり、わたしは普通のリリィじゃないから。レアスキルを何個も使って、生まれてから半年くらいしか経ってないのに高等部に編入できてる、そんな『普通』のリリィはいないから。…ちょっと、分からなくなった」

「『普通』という言葉そのものも永遠不変のものではありませんし、そこまで気にするものでもないとは思うのですがねぇ」

「だから、店員のことを教えてほしい。わたしと同じ、普通のリリィと違うのに、普通のヒトよりもすごい力を持っているあなたのことを参考にしたい」

 

 …目の前の少女は。

 百合ヶ丘の生徒たちとの交流の中でやっとの思いで築きあげたリリィとして、人としての自己認識を壊されたばかりだ。

 幸い姉代わり、母代わりの生徒が防衛軍からの逃避行に付き合い、レギオンメンバーや百合ヶ丘の生徒の大多数が好意的に彼女を見ていたことも手伝いそこまで大きな問題とはなっていない。が、もし逃走を促し、それに命がけで付き合う存在がいなければ。もし帰るべき学院に居場所がなければ。人としてのアイデンティティを保てただろうか?

 店員には想像しかできない。しかし近しい状況に居た者のことは都合2人ほど思い出すことができた。

 

「―」

 

 ならば。

 

「昔」

「む?」

「昔、十数年ほど前でしたか。リリィに頼らない対ヒュージ戦力開発の一環として、身体能力だけでも再現できないかという研究がぶち上がりまして」

「…」

「マギが足らないなら外付けのマギバッテリー経由で体に流し込めばいい、体にまとわせるだけならスキラー数値が低くても容易だし近接戦闘ならばヒュージに有効打を与えられるかもしれない―そんな理論を組み立てて、じゃあ実験台はそこらへんの孤児でいいよね、年代も幅広く取っておこう、とまぁそんなことを実行にまで移したバカがいたんですよ」

「実験、どうなったの?」

「いやー大失敗でしたよ?そもそもスキラー数値が足りなくてマギを操り切れない人間に外部から強引にマギ入れたところで体弾けて終わりますし。耐えた何人かも実地試験だーって言ってヒュージ相手に放り出されたはいいですけど当時のマギバッテリーはゴミみたいな性能だったんで即ガス欠からの大体が戦死…戦死なのかな、まぁ殺されました」

 

 平静を感じさせる声は流れるように続けられる。ただ奥底に黒くそれでいて燃えるような感情の匂いがすることに結梨は気づいていた。

 

「じゃあ、店員は」

「そのゲヘカスの一部門がやった実験の被験者、まぁ私は改造人間ってかっこつけて言ってるんですけど、その生き残りですね」

 

 ふぃ、とそこまで言い切りメガネの店員は紅茶に口をつける。

 

「あまり大っぴらにはしないでくださいね?隠し通すつもりはありませんが、言いふらされるのも嫌なので」

「わかった」

「即答ですか…やはり梨璃ちゃんの娘、素直な子ですなぁ…」

 

 とうの昔に自分から失われた素直さを羨みながら、店員は結梨の頭に手をのばし、撫でる。

 心地よさそうな、無防備な顔を見て頬を緩ませ、しかして疑問の表情へと変わった結梨に首を傾げた。

 

「―店員」

「はい」

「血の匂い、する」

「…あぁ」

 

 ぱっと手を放す。鼻が利くとは聞いていたが、数日前のアレの匂いすらかぎ分けるとは。

 

「話したほうがいいですかねぇ…こっちは本当に内緒ですよ?じゃないと色んなところが困ってしまいます」

「ううん、なんとなく想像はつくからいい」

「そうですか?」

「血の匂いがするって言ってから、店員から怒りや憎しみの匂いがしたから。祀からも、こないだ妹候補の人の話を聞いた時に同じ匂いがしたから」

 

 だからきっと、ヒュージか人かだけでおんなじかなって。

 そう続けられた言葉に、店員は改めて眼前の少女の異質さを感じるとともに、どうかこの少女の行く末が平穏であることを祈った。

 光ではなく闇に染まった自分の道に来ないように。百合ヶ丘の陰に潜み、大義名分とともに復讐と八つ当たりを行う自分と同じにならないように。

 言葉を続けようと、閉じた瞳を開けようとして。

 

「―光?」

「ネストの方から、ですね。ミサイル?でもあの距離から撃ってくるとか今までなかったはずですし。こっちに向かってくる様子もないですしあんな空高く上げて何がしたいんだか」

「ネストの種みたいなのを打ち上げてる?」

「ネストの拡散にしては急ですし、3つ同時?って何がしたいんでしょ。マギの消費もバカにならないだろうに」

 

 湾を望む学校から、沖合に鎮座するネストからの発光体の発射はよく見えた。

 ちょうど売店の出入り口も湾の方向を向いていたから、二人は最初にそれを認識した人々のうちの一部となった。

 

 百合ヶ丘女学院放棄まで、あと1時間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あー」

「おお、めちゃくちゃだ」

「うん、あー、うん。困りますねお客様。うん、宇宙空間から不法侵入して学院滅茶苦茶にするとかほんと困りますねお客様。いやいいんですよ生徒の皆さんがきっちり〆てくれましたから。すごかったですね全校生徒ノインヴェルト」

「店員?」

「はは、やべーな学内バイトの子とかレギオン関係の後片付けで誰も来れないんですか教導官も同じだから先輩たち呼べないんですかというかこの後結梨ちゃんも呼び出しかかってるって言ってましたね」

「言われてるね」

「…………………この散らかりまくった売店、私一人で片づけるんですか?」

「頑張って、店員」

「救いは…救いはないんですか…緊急の伝令で走りまわされたんですよ私…困ります…困りますよ皆様…」

 

 このあと滅茶苦茶ヒュージに悪態つきながら頑張って片づけた。

 




・真島百由
 店員の頭痛の原因その2。1は店内でのみルナトラ発動頻度が異常に高いあの人。

 アーセナルが普段のCHARM整備や各種調整、実験に使う機材や工具・消耗品のうち、ある程度共通して使われるものは購買部でまとめて発注、売店の一角で販売し各自購入する形を取っている。しかし彼女はその才能もといマッドさもあってか物品の消耗が早いため、定期的に工具や試薬コーナーの商品を買い占めており、一時他のアーセナルより店員へ苦情が相次いでいた。
 現在では彼女がよく使う物品を割り増しで仕入れることで一応の解決を見ている。

 なお、頭痛の最大の原因は定期的にフリマコーナーにヒュージの生態標本を出品しようとすること。一部アーセナルにのみ需要があったため当初隔離して販売を認める案があったが、協議中にひっそりとぬいぐるみに偽装させた標本を他人を経由し販売するという麻薬売買みたいなことをした挙句、何も知らない1年生の手に渡り軽度のトラウマを植え付けたため『生態標本販売禁止』令が生徒会により制定された。
 現在、真正面から禁止令を突破しようとする百由v.s.ルナトラ対応後の店員が定期的に見られるようになっている。


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番外編:夏、アイス、じゃんけん、疾走

8月27日実施のアサリ版ワンドロ(?)でのブツです。
店員たちと夏の一幕のお話。

渋には既に投稿していましたが、そろそろ3話も投稿できそう、ということで。
改めてこちらにも掲載させて頂きます。


 対ヒュージの拠点であるガーデン、その一つである百合ヶ丘女学院にも、通常の学校同様購買部というものが存在する。

 その品揃えは気楽に街中へと繰り出せないリリィたちへの配慮として、中々豊富だ。

 当然食料品やお菓子の類いなども売られているが、特に夏場は冷凍ケースに収められたアイスなど氷菓子系がよく売れる。ヒュージ出現により気候が乱されて久しいが、それでもうら若き乙女たちが日本の蒸し暑い夏を乗り切るにはアイスの力が必須なのだ。

 当然購買側もこのニーズを把握しており、夏場は特にアイス売り場を広げ甘味に目がないリリィたちの需要に応えている。

 

 …ところでこの購買部、屋根付きとはいえ、空調のない室外を通らなければ入店できない構造となっている。

 どれほど甘美な冷を求めようとも、その道中に灼熱の道があってはどんなに元気溢れるリリィたちもさすがに二の足を踏むものだ。しかし踏み出さねば体を内側から冷やすアイスは手に入らず、日々の講義で熱せられた頭も過酷な訓練で火照った体も冷やせないというもの。この大問題は夏場の百合ヶ丘生共通のものであった。

 

 この大問題の解決を、リリィたちは戦いに求めた。もちろん模擬戦などという余計に汗をかく行為もとい不必要にリリィ相手に刃を向ける行為などではなく、由緒正しいじゃんけんによってである。

 教室で、寮のご近所さん同士の集まりで、レギオン控室で、練習場で。

 誰かの「あつーい」や「アイス食べたーい」という声が開戦の合図。

 今日も今日とて、『比較的冷房の効いた室内で買い出し班がアイスを買ってくるのを待つ』という特権を手に入れるべく、じゃーんけーんぽんと声が響く。

 

 ちなみに負けると灼熱の中を購買部まで歩き、人数分のアイスを調達したら溶けないうちに持ち帰るため全力疾走するという地獄を見るハメになる。戦わなければ生き残れない、とは同級生全員分のアイスをパシらr…買い出しの名誉を賜った誰かの言葉だったか。

 

 ついでに言うとこのじゃんけん、広めたのは購買部の主であるメガネの店員である。大義名分は『娯楽に飢えるリリィたちに一時の楽しみを提供したい』。同じく娯楽に飢える防衛軍での自衛隊時代からの伝統を参考にしたそれは、面白いほどよく広まり購買の売り上げ上昇に貢献したらしい。多々買ってもらわなきゃ生き残れない、とは悪い笑みを浮かべた誰かさんの弁だ。

 

 そんな些細な利権や夏の暑さやちょっとしたリリィ同士のガス抜きを兼ねた戦いの犠牲者が、今日もまた購買部を訪れた。

 

「いらっしゃいま―おや、アイスじゃんけんですか?」

「えぇ…また負けてしまったわ」

「一昨日と続いて二連続ですか。やーい敗北者」

「ハァ…ハァ…敗北者…?」

「なんでそのネタ知ってるんですか。梅さんならともかくお客様あんまりマンガ読まないじゃないですか」

「梨璃と二水さんに教えてもらいました。最初は結梨が興味を示して、その関係で」

「台詞が完全に親のそれなんですよね…」

 

 百合ヶ丘生え抜きの彼女とメガネの店員はそれなりに長い付き合いだ。軽くやり取りを交わし、ついでにオススメを紹介しておく。

 

「今日はラムネジェラートっていうのを入荷してみましたよー。梨璃ちゃんと結梨ちゃんにいかがです?」

「えぇ、そうさせてもらいます。二水さんは大福で…梅のなんでもいいが一番悩むのよね」

 

 どうやら今日はレギオンメンバーの分の買い出しらしい。口では色々言いつつ、冷凍ショーケースを覗く目は少し楽しげだ。

 途中迷いながらも10個ほど選んだそれをレジへと持ってくる。店員が手早く会計を済ませて支払いを確認し、袋へ入れて差し出してやれば全力疾走の構え。

 

「…広めといてなんですけど、皆さんレジの前からそんなに走る必要あります?」

「少しでも冷えている方がいいですし、元より走って帰ってくる条件でしたので」

「訓練かな?」

「買い出しです」

 

 それでは!との声だけを置き土産に、そのリリィは店を飛び出した。店員の脳裏に一瞬某約束を果たすために走りぬいた男の古典が浮かんだが、たぶんあまり関係はないだろう。

 酷暑の昼下がり、当分新しい客は来ない。静寂の戻った購買部の中、店員は少女が飛び出していった出入り口を眺め、少しだけ苦笑いしてみせた。

 




全身全霊でじゃんけんするリリィたち見たい…見たくない?


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03 もし、百合ヶ丘に「相変わらず悲鳴を上げる売店店員」がいたら。

(渋への)最初の投稿が5か月前でうっそだろお前wwってなったので初投稿です。
アニメ終了後あたりの百合ヶ丘のお話。後半地の文段々長くなってない?



就活が思ったより忙しく、今後さらに投稿ペースが不安定となります。
ただ、店員と、購買に訪れる人々の話はまだまだ掘り下げたいことばかりで。
なにより、名のないモブとしてではなく、あの世界に生きる人間としての彼女を新たに書きたくて。
どこまで筆が続くか、皆様に楽しんでいただけるモノを作れるのか未知数ですが。
どうか生暖かい目で頂ければ、望外の幸せです。


「えぇっ…それもございませんの…?」

「でーすーかーらー!当店には靴に仕込むタイプのカメラの取り扱いはございませんお客様!何度聞かれてもそういう類いの物品は取り扱っておりません!ですから肩を掴まれてもそっと賄賂を握らせようとしても困りますお客様!業務に戻りたいので放してください困りますあーっ!」

 

 

「ふふ…やっぱり私はシュッツエンゲル失格…」

「あーもう!あーっ!困りますお客様!ルナトラは戦場か訓練場で発動してもらわなきゃ困ります!店内での発動はお控えくださいお客様!今度は何をやったんですか愚痴くらいなら聞きますから落ち着いてあーっ!」

「また梨璃と結梨の分のラムネを開けるのを失敗したわ…一人でなら普通に開けられるのに…ふふ…」

「姉としての威厳を示せなかったのは分かりますがより一層威厳を示せない行為をやろうとしていることに気づいてくださいお客様!」

 

 

「お会計頼むのじゃー…」

「はいはーい。おや、野菜にお肉にお米…それもたくさん。キャンプでもなさるんですかお客様?いえたくさんお買い上げ頂けるのは嬉しいんですが」

「いや、百由様が論文に没頭してしまっての…ろくに食事も取らんからせめて何か口にしろと言うたら『じゃあぐろっぴの手料理がいいわ!』と言われての。まぁわしのお手製を食べてくれるのは嬉しいのじゃがシルト使いが荒くはないかのぅ?」

「ぼやく割には嬉しそうな顔してますねお客様?」

「どうしたのじゃ早口になりおって」

「…困りますねぇお客様。新婚ほやほや姉妹のぼやきに見せかけたおのろけをしがない売店店員に聞かされても困りますねぇお客様!」

「何を怒っとるんじゃおぬし!?」

 

「じー」

「…えっと、お客様?」

「じー」

「あのーお客様、困ります、無言で仕事風景を見つめられるのはちょっと照れくさいので困ります」

「じー」

「ですので、えっと、結梨ちゃん?」

「…ん、ごめん、勉強中。店員、あの時すっごく早かったから。どうすれば早く動けるか勉強中」

「そ、そうですかー」

 

(…いや私ただカウンターに座って事務処理してるだけなんですけど…参考になりますかねぇ)

 

 

 

「本質的な挨拶に必要なんですけど、取り寄せできますかぁ?」

「お客様、困りますお客様。いくらうちが肌着扱ってるからってこんなキワドイのを注文されても困ります」

「あらぁ残念…そろそろ新調したかったのに。そんな真顔で言わなくてもいいじゃありませんか。…あ、そこの貴女、今夜空いてる?とってもヨくしてあげるわよ?」

「店内でのナンパもやめてくださいお客様」

 

 

「いやー、うちの亜羅椰が毎度すみません…」

「毎度毎度引き取り&食品お買い上げありがとうございますお客様ー。まぁ個人間のことですし、力づくでどうこうしようとしているわけでもないのであまり気にしませんが…」

「これでも主将なので…私が代表して対応しなきゃ、なんで」

「本来『こういうこと』に対処する道徳勉強会主宰も…」

 

『なにが道徳への挑戦よぉ…皆好き勝手してぇ…ヒック…』

 

「あのようにラムネで泥酔してますし…」

「…樟美吸いたいなぁ…」

「シルトをタバコか麻薬みたいに言うのはどうかと思いますよお客様…」

「めっちゃくちゃ元気出ますからね、シルト吸い」

「ですからそんな危ないオクスリみたいな言い回しされても困ります、お客様ー」

 

 

「たっのもーう!」

「はいいらっしゃいま、すみません、お引き取りください」

「えー、論文書き終わったから息抜きに来ただけですよー?」

「あなたの場合息抜きと称して問題残していくじゃないですか困りますよ…ただでさえ今日もルナトラ鎮圧したのに…」

「いやいやー、さすがに今日は何もしませんってー。ただ単に遊びに来ただけですよ」

「…ところで、フードの中には何か入れてますか?」

「ナニモイレテマセンヨ」

「ちょっとしつれ─やっぱりヒュージ標本入ってるじゃないですか!?何度も言いましたけど購買には置けませんからね!?」

「ちっ、今回もダメか…でも次はもっと隠し場所を工夫して…」

「毎度疑わなきゃならないこっちの身にもなってください困ります!あーっ困りますおとなしく普通の買い物のためだけに来てください!」

 

 

「リリィトピックスの最新刊って入荷してますか?」

「ひゃ、はい、今ご案内しますね…!」

 

「刺繍をしたくて、この色の糸を探しているんですが…」

「手芸コーナーに、えと、取り扱いがあるか見ますので少し待っててくださいね…!」

 

「すみませーん、お会計お願いしますー」

「はい、全部で700円になります…袋、お付けしましょうか…?」

 

「雨嘉ちゃん。お疲れ様ですー」

「店員さん…」

「バイトにもだいぶ慣れてきましたねー。最初急に雇ってほしいって言ってきたのには驚きましたが」

「その節は…ごめんなさい」

「いえいえいいんですよ。『いつかリリィを引退した後に働くビジョンを持ってもらう』っていうのもここの学生バイトの趣旨ですし。『もっと自分に自信を持ちたい』っていう理由も感心こそすれ責めたりしませんよ」

「ありがとう、ございます!」

「いえいえー。こちらも優秀なバイトさんが入ってくれてうれしいです。ささ、退勤時間ですし今日は上がって休んでくださいな」

「…はい!ではまた次回も!」

「はい、『また今度』」

 

「―さて」

「ふーみんさん、写真の方はどうですか?」

「えっへっへ…ばっちりです。エプロン姿の店員雨嘉さんの写真がこんなにも…!」

「応対に慌てる雨嘉さん、無事案内を終えて感謝に頬を赤くする雨嘉さん…あぁ、売店でのアルバイトを紹介して正解でした…!」

「あのーお客様方?困りますー雨嘉ちゃんのシフト開始からずっと物陰に隠れて写真撮影と録音されるのは困りますー」

「いいじゃありませんか。こんなに健気な雨嘉さんが見れるんですよ?」

「来週の週刊リリィ新聞のテーマはこれで決まりですぅ!」

「いやほんと困りますんでやめてくださいね?今日は見逃しますが次回からはつまみ出しますよ?」

「ふふっ、そんな脅しに私たちが屈するとでも?」

「じゃあ雨嘉ちゃんにあることないこと吹き込みます。具体的には神琳ちゃんが夜な夜な雨嘉ちゃんをネタに(自主規制)してるとか二水ちゃんが実はこっそり日羽梨ちゃんと契ってるとか」

「「―!?」」

 

 

 

 

 

 鎌倉の一角、この地域の守護の要である百合ヶ丘女学院は放課後を迎えていた。

 ある者は自主練にはげみ、ある者は勉学で湯だった頭を冷やすため町に繰り出し、またある者は趣味に没頭する。

 そんな少女たちを横目に、今日も購買部は営業していた。

 

「―ふふ」

「店員さん?」

「おっと、別にさぼっているわけではないですよ雨嘉ちゃん。これは『シュッツエンゲル契約式のセッティングと撮影』という購買部にとって重要な業務を不備なくこなせたか確認する大事なお仕事なのです」

「私何も言ってない…」

 

 訂正、ほぼ開店休業状態だった。

 というのも、客は来ているが今日はまばらであり、また全校ノインヴェルト戦術によるCHARMの一斉メンテが終わっていない関係から、普段購買部が請け負っている外征レギオンへの消耗品や食料品の用意といった業務もないためだ。優秀な部下も増え業務も分担できるようになり、これ幸いと店員は数日前に執り行われたシュッツエンゲル契約式の写真を見返していた。

 

「これがミリアムちゃんと百由ちゃんの、これが…皆、いい笑顔ですねぇ」

「ミリアムは意外…だった。仲良いのは知ってたけど、そんな素振り、全然なかったから…」

「あの真島百由が契ったっていうことに驚きが隠せないんですよね…」

「契約した人、とっても多かったって…」

「マジであの時豪華版契約届死守できてよかった…」

 

 数週間前、某生徒会役員との決死のデュエルを制したことを思い出しつつ、写真を見返す。

 見つめあい、そっと微笑みあう者、顔の赤さを隠せずちらりちらりと相手を伺う者、互いを尊敬し、誇りと共にカメラへ視線を向ける者…シュッツエンゲル契約式の写真一つとっても、誰一人として同じ表情の者はいない。人の数だけ、想い合う姉妹の数だけシュッツエンゲルには違いがあるのだ。

 

「由比ヶ浜ネストも撃破できて、心理的な余裕ができたのも大きいんでしょうねぇ」

「『危機に陥った時、人は初めて大切な人の存在を知る』…神琳がそう言ってました。だからきっと、百合ヶ丘から避難する時に決心した人も多いかも、です」

「そうやって自覚したり腹括った結果が契約数大幅増のはずなんですけどね。なーんか何人かヘタれてる人いますよね。ねぇ日羽梨さん?」

 

 ひばっ!?とはたまたま購買前を通りかかった某毒舌司令塔の悲鳴である。開けたままの購買の入り口をジト目で見る店員に普段の毒舌も吹っ飛んでいた。

 

「ひ、日羽梨は別にそんなんじゃ…」

「契約届もらいに来たってしばらく前に生徒会からタレコミありましたが。ちょっと雨嘉ちゃんこっちに引き込んできてください取り調べのお時間です」

「わかりました」

 

 むん!と気合を入れた雨嘉に背中をぐいぐいと押されて日羽梨はカウンター前へと連れてこられた。普段なら得意の毒舌を飛ばしてひるませるか、隙をついて逃げ出すくらいはしているが、隠していた(と思っている)件について触れられたためか動揺して頭が回らないらしい。

 

「さぁ日羽梨さんそこに座って。あと雨嘉ちゃんそこのアイスコーナーからストロベリーチーズケーキ味取ってきてくださいカツ丼代わりにします」

「カツ丼…?」

「ちょっと日羽梨は別に何も、」

「定期的にここに来ては、自分は二水ちゃんのシュッツエンゲルにふさわしくないってグチグチ言ってるのに?」

「ふーみん以外、皆気づいてて、いつ契るんだろって話題にされてるのに…?」

「べべべ別に日羽梨はそんなんじゃ!?」

 

 じっとーと、店員と雨嘉からの視線が厳しくなる。

 もちろんシュッツエンゲル契約解消という大事件の当事者であることは二人とも知っているし、店員に至っては双方のメンタルケアや仲裁を経てなお完全な和解に導けなかった苦い記憶もある。

 が、それはそれ、これはこれ。放っておいたら本当にいつ契るのか分からない二人など煽って煽って煽り続けてとっととくっついてもらうのに限るのだ。

 

「いいんですかぁ?戦術理解の深さでけっこう二水ちゃん有名なんですよ?」

「フリーだったらうちのレギオンに入れたいって話…何度か聞いた…」

「うぐっ」

「ついでに言うとビジュアル的にも小動物みたいーって結構人気です」

「シルトに欲しいって人、いつ出てきてもおかしくない…!」

「う、」

「ついでに言うと同級生にも目をかけられてたりしますが、その筆頭が楓さんと亜羅椰さんです」

「は?」

 

 思わず日羽梨は素に戻った。当然である。

 前者はまぁ過剰なスキンシップなど問題行動はあるが、一人に対してのみ。それも一線は絶対に踏み越えようとはしていないからまぁそれなりに安心できる。

 問題は後者だ。かわいい女の子に目がなく、声をかけては部屋に連れ込み『そういうこと』をしている問題児。一応同意の上でしか手は出さないようだが、その毒牙にかかったリリィは数知れず。そんな話は学内の交友関係から距離を取っている日羽梨の耳にも容赦なく入っていた。

 そんな相手が、臆病で力不足ながらも、必死に戦術を学びリリィとして戦おうと頑張る二水に手を出そうとしている?

 

「─ふざけないでよ」

「…やる気になりました?」

「とりあえず天葉経由で釘刺してくるわ」

「契った方が早いんじゃ…」

「べべべ別に日羽梨は」

「ウッソでしょここでヘタレますか」

「ふーみん…早くふーみんから自覚してアタックしなきゃ…」

 

 最初こそ眼光鋭く覚悟を感じさせたが、やはりこの毒舌リリィはダメダメらしい。

 果たして契約式の写真が増えるのはいつごろか、店員と雨嘉はそろってため息を吐きつつ、新しく入店してきた客に注意を向けた。

 

「お邪魔する─なんダ?」

「いらっしゃいませー。日羽梨さんがヘタレてるだけですからお気になさらずー」

「お前…まだそんなこと言ってるのカ…バッレバレなのに。さすがの梅もびっくりダ」

「はぁ!?べべべ別に日羽梨は二水をどうこうとか」

「梅が言えた話じゃないけどさすがにそろそろ向きあってあげてほしいゾ…」

 

 日羽梨のヘタレ具合は極々一部を除き同級生内に広まっているからか、げんなりとした顔をする梅。店員も雨嘉もその言葉に黙って頷く。屋根裏で愚痴るのを親友に禁じられたからと言って、店内でうじうじ言っているのを聞くのもいい加減飽きてきたからだ。そろそろシルトおのろけくらい挟んでほしい。そればっかりになっても困るというのも共通認識ではあるが。

 

「あぁそうだ、店員さん」

「ほい?」

「これ、鎌倉市街の花屋さんから預かりものだゾ」

 

 そんな言葉と共に、梅はカウンターにトートバッグを載せる。店員がのぞき込めば、中には紫色を基調とした花束が。今年も無事届いた、と店員は安堵の息をもらす。

 

「間に合ってよかったです。梅さんも毎年すみませんね、昼間は受け取りに行けないので」

「気にすんなっテ!任務で行ったついでだからナ!」

 

 にかっ!と梅は笑みを浮かべる。実際に市街への哨戒任務のついでではあったが、それも店員の事情を知った数年前からずっととなるとやはり感謝しかない。とりあえずお礼にどうぞ、とバックヤードから取りおいていたポテトチップスの袋を持ってくる。

 別にいいんだけどナーという声に、せめてもの気持ちです、と押し付けておく。返せる恩は返せるときに返すのが店員のモットーであった。

 

「…んー、ピーク時間は過ぎてる、お客もいない、そろそろいいですかねぇ…」

「店員さん?」

「ちょっと、日羽梨はお客カウントされないのかしら」

「日羽梨様は早くふーみんとの契りどうするか考えてください」

「ひばっ」

「アハハ、わんわんもお手柔らかにナ!」

 

 店員の独り言に日羽梨が反応し、即座に後輩にばっさりと切られる。それにクスと笑みをこぼしつつ、店員は席を立った。

 

「雨嘉ちゃん」

「はい?」

「申し訳ないのですが、私は今日用事があるので早上がりします。もうピーク時間も過ぎていますし、大丈夫だとは思いますが、次のシフトの子たちが来るまで店番を頼めますか?」

「…はいっ!」

 

 頑張ります!と言わんばかりに両の手に握りこぶしを作る雨嘉に、目を細めて感謝を伝える。

 半年ほど前、びくびくオドオドと校舎内を歩き回っていた姿とは見違えるようで。

 今もまた、毒舌で有名なはずの上級生を、レギオンメイトでもあるもう一人の上級生と言いくるめている。契約届が新しく提出されるのも時間の問題か。そんなことを、臙脂色のエプロンを畳みつつ店員は考える。

 

(…なぜでしょう。どのみちヘタレる未来しか見えませんね…)

 

 訂正、ことシュッツエンゲル問題について日羽梨に信用はなかった。




・豪華な方のシュッツエンゲル契約届

 通常の契約届(アニメ2話参照)が事務的な作りであるのに対し、こちらの方は防水・難燃紙を使った上で金糸などにより装飾されているという違いがある。
 事務手続きの書類というよりは、記念品としての側面が強い。このため売店にて有料で販売している。安易な契約を防ぐためにそれなりの値段はするが、これによって契った姉妹は強い絆を有するとされ、学院内でも羨望と冷やかしの的になる。
 なお、10年ほど前の同性婚合法化に伴い、この契約届は婚姻届けとして使えるようになっている。当初売店側の軽い冗談であったが、『明日をも知れない身であるのだから、せめてお互いを強く想っていることを形にして残しておきたい』との多数のシュッツエンゲルたちの希望を受け鎌倉府との協議の末、現在の形となっている。


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番外:もし、百合ヶ丘女学院購買部に2月14日が来たら

こちらに投稿し忘れていたので初投稿です
ハーメルンの投稿方法に慣れていないせいで更新が…


時系列を少し飛ばして、バレンタインな百合ヶ丘のお話


「ぐっふっふ…アクリル板で型枠を作ればよかったことに気付くなんて…我ながら素晴らし頭脳をしていますわ!」

「あー困ります!お客様困ります!アクリル板を組み合わせてプールにするのはともかくそれで自分の型を取ってチョコ作るのはなんかこう色々と困りますやめてください!」

 

 

「私みたいなシュッツエンゲルに…あの子はチョコをくれるのかしら…」

「お客様!あーっ!お客様!シルトと過ごす始めてのバレンタインにちゃんとチョコを貰えるか不安だからって店内ルナトラは勘弁してください備品壊そうとしないで困ります!」

 

 

「天葉様!どうか受け取ってください!」

「天葉様!私のも!」

「えぇっ、こんなに貰っていいのー!ありがとう!」

 

「……………」スンッ

「あの、お客様困ります。そんな無言であの人たち追い払ってみたいに伝えられましても何もできませんよ困ります」

「…」

「あのそんな首ぐりんってこっち向かれても困りますというか怖いです」

 

 

「と、いう訳でメイド服を4人分発注しておいたので、受け取りお願いしますね」

「何が『と、いう訳で』なのか分かりませんがバレンタインとメイド服関係あります?」

「もちろん!あ、それとなんですけど…ネコミミメイド服、確か購買部に置いてありますよね…?」

「何でしょう、波乱の予感が」

 

 

「号外!号外でーす!店員さん、メイド1年生5人組の限定ブロマイドをフリマコーナーに置かせて貰いますね!」

「構いませんけど…あれ、この流れ去年もありましたよね」

 

 

「でーすーかーらー!お客様困ります!あーっ困りますお客様!フリマコーナー破壊しようとしないでくださいCHARMもしまって!」

「離してください。朋友のネコミミメイド姿はルームメイトでもある私だけが独占できるものなので」

「あーもー相変わらず面倒ですね去年に続いて暴れないでください困ります!」

 

 

「…こそこそ」

「はいそこーっ!百由さん!そのチョコ絶対溶かしてミリアムちゃん向けのなんかやばい試薬入れますよねこそこそしてないで教導官立ち合いの下で料理してくださいね!」

「えー」

「えーじゃありません去年16万8千色に光るチョコ作ってたの忘れてませんからね!」

 

 

「…」

「あのー、お客様、チョココーナーの前でそんな真剣に悩む必要ないというか、周りの子怯えちゃってます。困ります」

「…チョコ味の猫缶がないの、なんでだろ…」

「あったらびっくりしますね…というか今ファンタズム使いましたよね入荷予定ないんだから無駄ですよ困ります…」

「いや、説得材料を」

「私に作れって言うんですか…?チョコ味猫缶…」

 

 

「で、いつになったら渡しに行くんですか?」

「べっ、別にこれはたまたま気が向いて買ったやつで別に日羽梨はだれかに渡す予定ないっていうかえっと」

「往生際が悪いぞ。とっとと渡してついでに契ってこい」

「今特大ブーメラン帰って来たの分かってます?」

 

 

「おー、あんだけあったチョコの山がなくなってるのは壮観だナ!」

「まだありますから、遠慮せずに買って行ってくださいね。というかそうしないと売れ残りが出てその…経営的に困るというか…」

「ナハハ、でももう粗方渡し終わっちゃったしナー」

「…本命も、ですか?」

「…仮に本命が居たとしても、梅からのは待っていないサ」

 

 

 

 

 

「んんっ!なんとか売り切れましたね…直販体制今年も敷けてよかった…」

「店員」

「おや、いらっしゃい。初めてのバレンタインはいかがでした?」

「とっても楽しくて、美味しかった。あと今日は夢結の部屋には行かない方がいいと思う。そんな匂いがしたから」

「娘にそっち系の情報筒抜けなの怖いですね…」

「二人は仲いいから」

「まぁ悪いよりはいいですけどね。あぁそれと、メイド服、似合っていましたよ」

「ふふん。チョコ作りも頑張った」

「それは良かった」

「だから、これ」

「…チョコレート」

「もしかして、食べ飽きてた?」

「いえ、まさか渡されるとは思っていなかったので」

「たぶん味は大丈夫…だと思う。一柳隊の皆の保障つき。店員、いつもありがとね」

「いえいえ。私の仕事ですから」

「ううん。だとしても、私は助けられたから。…じゃあ大泣きしてる楓慰めてくるね」

「あの人大泣きしてるんですか…?とりあえず、夜道にはお気をつけてー」

「うん。じゃあまた明日ね、店員」

 

 

 

 

 バレンタインの夜、静けさに包まれる百合ヶ丘女学院購買部にはまだ明かりが灯っていた。

 レジに座るのは20代後半の女性。そんな彼女は、藤色の髪の少女が視界から消えた後、おもむろに手元から貰ったばかりの黒い固形物を口に放り込んだ。

 

「…甘い」

 

 どうか同じ光景を、誰一人欠けることなく、来年も。そう思いながら、彼女は静かな店内で一人バレンタインを満喫していた。

 



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13年前の昔話 もしくは、少女が店員になるまでのお話
間章:13年目のアッセンブル


─ in front of the Tombstone ─


昔話の前の、お墓参りのお話


 私立百合ヶ丘女学院は、世界トップクラスのガーデンである。

 所属するリリィは日本国内のみならず世界中からトップレベルの者が集められ、またそれをバックアップする工廠科やガーデンとしての機能も一級だ。

 ─しかし、どれほど精鋭を集めようとも、どれほどバックアップ体制を万全にしようとも、うら若き少女たちが立つのは常に死の危険がある戦場で。

 故に、百合ヶ丘の中心部から少し離れた岬、相模湾を一望するそこには、古いものから新しいものまで、ずらりと墓石が並んでいた。

 

 

 

 

 さく、さく、と芝生を踏みながら、岬を1人の女性が歩く。

 年は20代後半といったところか。えんじ色のシャツに灰色のスラックス、特徴となる赤いふちのメガネを身にまとう彼女の手には紫を基調とした花束があった。

年に一度、『彼』の命日に合わせた、二人分の墓参りの日。毎年、できるだけ同じ組み合わせとなるよう鎌倉市街の花屋に頼んでいるそれをお供に、女性は目当ての墓へと進む。

 入口から入ったばかりだから、左右に並ぶ墓石はまだ新しいものばかりだ。

 その中には、つい最近まで購買を良く利用していた生徒もいて。ここに来るたびに、リリィたちの日常が死と隣り合わせだということを嫌というほど理解する。

 

(…まぁ、でも)

 

 視線を横から上へ。雲一つない、澄み切った空が夕暮れの赤に染められていた。

 霧にも、雲にも遮られていない─由比ヶ浜ネストにより長年見ることができなかった空を、ここで眠る少女たちに見せることができたことに、なんともいえない感慨を覚えた。

 死者は何も語らない。どこにいるのかも分からない。だから、この無機質な石の下にすらもういないかもしれない。

 それでも、百合ヶ丘でまことしやかに語られる怪談話のように、また死線をさまよい生還したリリィたちが語るように、遺してきた戦友や姉や妹を見守るため、未だこの残酷な世界に留まっている者も多いのかもしれない。

 そんな彼女たちに、澄み切ったこの空がせめてもの手向けになればと、ぼんやりとした思考で思う。

 

「─到着、と」

 

 墓地の奥まったところにある、目的地の墓へとたどり着き我に返る。

 定期的に古なじみの用務員が散歩も兼ねて掃除してくれているから、少し古さを感じさせる墓石とその周りには雑草もない。それでも、『数が多くて…細かいところまでは綺麗にしきれないんです。ごめんなさい』との後輩職員の言葉通り、隅や名前を彫った穴が少し苔むしていた。こちらは手早く持ち込んだブラシで綺麗にする。

 己に課した縛りのとおり、基本的にここには年に一回しか来ない。

 その分の供養も、出来ているだろうか?

 二人分の名前をブラシでなぞり、手を合わせ、そんなことを思う。

 不意に、背後に人の気配。

 

「─うむ、やっぱり一番乗りはお前か」

「…虎春先輩」

 

 私も一番乗りを目指していたのだがなぁ、と一つ年上の教導官が右手を振る。

 高川虎春。長身に一つに纏めた黒髪、口調も精神性も武士に寄っている古なじみに軽く会釈した。

 しゃがんで墓に手を合わせる姿は、それだけでサマになっていた。おそらく学院にこっそりと存在するファンクラブに写真を売りつければ、ひと財産になるだろう。

 

「…なんだ?」

「いえ」

「…胸か?昔から言っているが邪魔だぞ?これ」

「無意識に煽るのやめてくださいよ…困ります…」

 

 教導官の制服を大きく押し上げる胸を抑えつつ、心底不思議そうな顔をする虎春。対してこちらはシャツの上から控え目な平面を抑えつつ、ため息を吐く。

 購買部に勤めるようになってから個性的なリリィたちに振り回されたせいで、この言葉もずいぶんと口癖として染みついてしまった。内心を察したのか、横で虎春がくく、と笑う気配。

 

「まぁ、なんだ。元気そうで何よりだ」

「ついこないだも家飲みに強引に着き合わせた人が何言ってるんですかね」

「仕方ないだろう?事後処理で徹夜続きだったのだから」

 

 げんなりと、虎春は弁明にならない弁明をする。

 人造ヒト型ヒュージとして生み出された少女を人間であると証明し、リリィとして迎え入れるよう手続きをしたのはまぁいい。問題はその後、百合ヶ丘に来襲した武装集団の方である。

 襲撃者自身の高い練度に、砲撃型ヒュージによる警戒設備への被害と、少女─結梨を巡る防衛軍との一時的な緊迫状態。その間隙を突かれた形となり、警備職員が異常を察知したのはリリィたちのアジールたる学院と寮に、一団があと10分といったところまで迫った時であった。

 武装集団そのものは裏の顔をしたメガネの女性が即座に展開し、殲滅。その後は警備レベルも高められ、大ごとにならずに済んだ。

 一方で、武装集団の後ろ盾や指示役、その他関係先の洗い出しと『しかるべき手段』の実行に教導官、裏方含めそれなりに忙殺されていたのだ。

 さらには追い打ちをかけるかのように由比ヶ浜ネストからのヒュージ飛来に備え学園を放棄したと思ったら、次の日には由比ヶ浜ネストのアルトラ級の討伐である。

 

「なんというか…お前と出会ってからしばらくのことを思い出したよ。あの時も忙しかった…」

「まぁ、その、その件は大変なご迷惑を…」

「もういい。13年も前の話だ。思い出話にこそすれ責めることなどないさ」

 

 疲れたように笑う虎春。実際、今と同じくらい忙しい時期であったのだ。

 

「…懐かしいな」

「そうですね」

「まだ私も、詠美も、美穂も、凪も現役のリリィで、お前がまだ店員じゃなかった」

「あの時の自分に今のことを話しても、絶対信じないでしょうね」

「間違いない」

 

 今度は二人、墓前で顔を見合わせ笑う。

 最初に出会ったとき、こうやって穏やかに笑い合える関係になるとは思わなかった、とメガネの位置を戻し女性は墓に刻まれた二人分の名前を見やる。

 

「…そうだ、他の皆さんたちは?」

「凪は美穂を迎えに行って、そのままこっちに来るとさ」

「臨月ですもんね…凪は少し、心配性な気もしますが」

「凪は相変わらず美穂にベタ惚れだからな。そんな奥さんが身重となって、一層過保護になっているのだろう」

「それこないだ店で美穂から半分愚痴半分ノロケとして聞きましたよ…」

「に、似た者夫婦だな…いや婦婦か。ん?どう呼ぶのが正しいんだったか?」

 

 10年ほど前に正式にこの国で同性婚が認められて以降、定期的に話題になるテーマに虎春は首をかしげる。

 

「どっちでもいいんじゃないですか?戸籍上は今でも夫と妻らしいですし」

「あぁ…それはそれで揉めていたやつだな…」

「どっちの主張も極端に振れると面倒ですよねぇ…」

「私も今朝憂国の志士とやらから届いた手紙の確認と処理したばっかりだぞ…加藤さんを見習ってくれ…」

「あのレベルをそこらの一般人に望むのはちょっと無理がありませんかねぇ?」

 

 二人そろって思い浮かべるのは、自らとも、そして墓石に名前が刻まれた青年とも関わりの深い現役の軍人の姿。軍組織においてまだ若手と呼べる年の彼は想像の中で謙遜して見せた。

 

「…そういえば加藤さんは?詠美先輩もですが」

「なんとか時間が取れたらしくてな。保育園に寄ってから、一家三人で来てくれるらしい」

「それは…にぎやかに、なりますね」

「ふむ、この人たちはにぎやかなのは嫌いだったか?だとすれば悪いことをしてしまうな…」

「いえ、二人とも喜ぶと思います。あちらは退屈でしょうから」

「お前を空から見ていて、腹抱えて笑い転げているかもしれんぞ?」

「むしろ心配させるなって怒ってそうです」

 

 ふふ、と笑みをこぼす。視線はもう一度、墓石に刻まれた二人の名前へ。

 刻まれた名前の輪郭すら、愛おしく、悲しく感じられてしまうのは、13年前からずっと抱えたまま振り切ることも飲み込むこともできない感情のせいか。

 

「…なぁ」

「はい?」

「まだ、一人ではここには来れそうにないか?」

「…そうですねぇ…困った話ですが。一人で来たら…ここから、動けなくなります」

「そうか」

 

 年に一度、この日にしかここには来ない。

 そう戒めなければ、そして自分を呼ぶ誰かが傍にいなければ、自分は墓前から動けなくなるだろうから、と。それがこの女性が13年前に建てた誓いだ。

 虎春とて、何も失わなかったわけではない。ただ、そっと刻まれた名前をなぞる彼女ほど、この世へと自らを繋ぎとめるものが少なくなかっただけ。だから、もし少しナニカが違えば、墓前でうずくまっていたのは自分自身であっただろうから。

 

「…難儀なものだなぁ」

「ご迷惑、おかけします」

「私にも分からない感傷というわけでもない。むしろ痛いほど分かる。理解できる。なおさら迷惑とは思わんさ」

「…敵いませんね」

 

 人一倍強い心を持つ一方で、こうして弱い心にも気を配ることができるのが、この色々と規格外な先輩の長所のひとつだと、苦笑いを浮かべながら思う。

 それはそれとして。

 

「虎春先輩。入学から半年経ちましたけど、今年の新入生はどうだったんですか?」

「む、高等部編入組のことか?例年通り個性派揃いだ。指導が楽しいよ」

「いえそうではなく」

「む?」

「初めてなんですよね?昔助けた子が自分を追ってリリィになったの。最初相当ぎこちなかったですけど」

「…うん、話題を変えようか」

「逃げないでください。たまには弱みげふん普段と違ったところも見ておきたいんです」

「もう少し本音を取り繕えなかったのか?」

 

 苦笑し、こちらを向く虎春。実際、入学直後に虎春へと駆け寄り話しかけるくだんの新米リリィの姿は、生徒(とファンクラブ)のみならず学生時代からタラシな彼女を知る職員同期組の間でも話題となっていた。

 ここですわ事案か生徒と教師の禁断のあれそれかとならないあたり、周囲の虎春への信頼も透けて見えたり見えなかったりしている。

 

「…まぁその、なんだ。私もただの人間だと再認識することがあった、とだけは言えるな」

「強化リリィでもないのにマギ抜きで斬撃飛ばす人がただの人間…?」

「いや、鍛えれば誰でもできるが」

「それ先輩のご実家周辺だけですよ」

 

 むー?と首を傾げる規格外にそっとため息。

 ちなみにこの先輩の故郷には、リリィでもないのに斬撃を飛ばしてミドル級までなら仕留められる老人がいたりする。魔境かなにかだろうか。

 

「助けて常識人…」

「し、心外だな。まるで私が常識知らずみたいじゃないか」

「─虎春先生はもう少し常識人のラインを知ってください」

「あはは…うん、常識って、何だろうね…」

「開口一番ひどくないか!?というか遠回しに常識知らずと言っていないか!?」

 

 す、と会話に女性が二人加わる。

 この墓石に関係がある古なじみのうち、比較的常識人と常識人の二人が来てくれたらしい。それなりにショックを受けた虎春のリアクションに笑いをこらえつつ。メガネの女性は振り向いた。

 

「いらっしゃい、凪、美穂」

「えぇ。あなたもお疲れ様。体の調子はどうかしら」

「体調、特に足の痛みとかは大丈夫?何かあったらまた保健室に来てね?」

「夫婦そろって心配性すぎませんか…?そこまで変な動きしてないし大丈夫ですよ」

「大丈夫って言ってダメだった事例を良く知ってるから…ね」

「…あ、これ私だけに言われた言葉じゃないですね。ねぇ凪」

「その件は…ほんとに、ごめんなさい」

 

 脚に相当無茶をした誰かさんの話から過去の自分に飛び火し、教導官制服に身を包んだ方─丹村凪がそう気まずそうに返した。横の白衣の妊婦が分かってるよ、と優しく答える。

 彼女たちの今も、この墓の主たちがきっかけだったことを思い出し、メガネの女性もくつ、と笑った。

 虎春が立ち上がり、そのまま二人と立ち話を始める。視線を遠くにやれば、教導官制服に身を包んだ母親と、濃緑の防衛軍制服に身を包んだ父親の手をぐいぐいと引きながら保育園帰りの少年がこちらにやってくるのが見えた。ししょー!と、可愛らしい声までこちらに届いてきて、立ち話組3人が表情を緩ませる。

 

「…心が洗われるな」

「ししょー…ふふふっ!かわいいなぁ…わたしたちの子どもは、どんな子になるんだろう」

「私たちの子どもだもの。美穂に良く似たいい子になるわ」

「独身の前でいちゃつくのはやめてくれ、回復したメンタルが削られる…少し、迎えに行ってくるぞ」

「えぇ。私はまだここにいますから」

 

 

 虎春ら教導官組3人がこちらに来る三人家族へと歩き出すのを見て、ひとり墓前に残ったメガネの女性は視線を墓石に戻す。

 13年。もう13年だ。

 弔ったあの日から、大勢を殺し、見送り、何人かは救い出した。それでもなお、自分の中の感情を腑に落としきれていない。

 

「…ままならないものね」

 

 ヒトへの憎悪と、諦念と、失望を見た。

 人の希望と、願いと、未来を見た。

 13年など、あっという間であり…ひどく長い道のりとも感じられて、思わず、かつての口調のまま刻まれた名前に語り掛けた。

 

「ねぇ」

「私、もうそろそろ30歳のおばちゃんになっちゃうわ」

「それでもまだ、何も振り切れていないの」

「二人なら…なんて言うかな。なんて言ってくれるかな」

 

 墓石に刻まれた名前は、何も答えない。噂のように名前を呼ぶことも、姿を現すこともない。

 それでもいいや、と静かに頭を振った。彼女らに見せられるほど高潔な生き方などできていないのだから。自分にできるのは、ただ約束を守り続けることくらいなのだから。

 

「戦争は、まだ続いているわ」

「GEHENNAも、13年前と変わらない…むしろ、もっと悪い方向に振れているかも」

「それでも、いい出会いも、いいこともあったわ」

 

 指先が花束を撫でる。シオンに、カンパニュラに、エキザカムに、ゼラニウムに、キク。

 時期と花言葉が決め手の、13年間変わらない花束。

 

「…腑に落とせるなんて、まだまだ思えないけれど」

「こうやって昔の自分を出せる場所なんて、ここくらいしかないけれど」

「…来年はもっと、いい報告を持ってこれるようにするから」

 

 背後から、自分を呼ぶ声がする。一人では失くしたものから離れられない自分を、引き留めて引っ張ってくれる仲間たちの声。

 もう行かないと、と女性は立ち上がる。かつて墓の主と共に過ごした少女から、常に敬語の店員へと戻ろうとする。

 その前の、儀式をする。

 

「ねぇ、あっちゃん、ふーにぃ」

 

 風が髪を撫でる。

 傾いた夕暮れが頬を照らす。

 

「私は─」

 

 あの瞬間を思い出す。

 共に過ごした愛おしさを思い出す。

 凍るような心を思い出す。

 共に歩む仲間たちを思い出す。

 忘れられない怒りと憎しみは思い出すまでもなく。

 忘れられない愛と約束を、もう一度刻み付けて。

 空の果てのあの人たちに届くように、静かに大地に刻み付けるように。

 

 

「藤見布由は、生きてるわ」

 

 

 そう言って。

 藤見布由は、悲しげに笑った。

 



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1. 引き金を引く もしくは空より出会う

半年くらい経ってしまったので初投稿です。
原作時間より13年前、西暦2039年春から始まる、少女たちの物語。
ゆっくり更新ですが、ご覧いただければ幸いです。



「ふー、ちゃん」

 

「へへ…ごめんね?あたしはここまでみたい」

 

「ほら、もう表面まで出てきてるし…長くは、持たないよ」

 

「ふーちゃ、ん。あのね」

 

「約束、と、ふーにぃの、こと、お願いできる?」

 

「…ありが、とう」

 

「もう、そんな顔、しないで?大丈夫。ちゃんと、分かってる、から」

 

「けほ、んん、ごめんね、最後、まで。お願いばっかり…」

 

「最後は、さ。嘘でもいいから、笑顔で」

 

「…やっぱり、ふーちゃんは笑顔が似合うよ」

 

「ありがとう。ふーちゃん。あたしと一緒に居てくれて」

 

「大好き、だよっ!」

 

 

 廃墟の街並みの中で、乾いた破裂音と。

 少女の絶叫が、響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 32日前/鎌倉市周辺、鉄路上

 

 

 今から30年くらい前。

 それまでこの星で繁栄を謳歌していた人類に、突如として天敵が現れました。

 マギという正体不明の力を振るい、ただ人類を襲い続ける異形。

 その存在は、ヒュージと名付けられました。

 

 最初のころは、小さいもの─今風に言えばスモール級─ばかりだったヒュージは次第に大型化。

 個人携行火器どころか戦車砲やミサイルすら効き目が薄くなり、ラージ級と呼称されるサイズになれば、もはや周囲一帯を焼き払って時間稼ぎをするのが精いっぱいになるほど、人類は追い詰められていきました。

 そこで人類は団結し、ヒュージ出現と共にもたらされた神秘、『マギ』を解析。ヒュージに対抗できる決戦兵器、『CHARM』を開発しました。

 

 10代の若い女性とシンクロしやすい巨大な武器を手に、異形に立ち向かう、儚くも美しい戦士たちのことを、人は─

 

 ─リリィと、呼ぶのでした。

 そして、わたしも。

 

「─お姉ちゃん、リリィなの!?」

「…はっ!?えっ、うん、何!?」

 

 小さな女の子の声に、一気に現実に引き戻されました。どうやらわたしは、電車の車内でうたた寝してしまったようです。緊張から昨日はあまりよく眠れなかったので、それが良くなかったのでしょうか…。

 視線を横に向ければ、幼稚園くらいの子でしょうか。どうもこちらと反対側の座席に座っていた子が駆け寄ってきたようです。その子の後ろ、若いお母さんもまたびっくりしつつこちらに駆け寄ってきて、目線で謝ってきます。

 

「ゆりがおかのせーふくだよね!」

「あ、うん。今日から百合ヶ丘に入るんだ。まだまだ駆け出しのよわよわリリィなんだけどね」

 

 すっごーい!という女の子の声がなんともこそばゆいです。今身を包んでいる黒を基調としたシックな制服にもなんだか慣れません。

 

 ─そう、リリィ。わたしは幸運にも百合ヶ丘女学院の補欠合格者になり、今日からリリィとして生活することになっているのです。

 …なんというか、未だに実感が持てません。鎌倉周辺の防衛を一手に担う百合ヶ丘は国内でもトップレベルのリリィ養成校(ガーデン)で、その入学難易度は非常に高いのです。勉学はもちろん、リリィとしての素質や技術、果てには精神面までもが入試では厳しくチェックされます。補欠合格とはいえ、本当にわたしみたいな駆け出しが入学してもいいのでしょうか…?

 

「リリィ…すっごい…おねーさん…すっごい…!」

 

 うっ…純真な目線がとても痛いです。さすがにきちんと誤解を解いておかないと、良心の呵責で戦場に立つ前に死んでしまいます…!

 

「え、えっとね、確かにお姉ちゃんは百合ヶ丘にこれから入学するんだけどね?補欠合格って言って、本来は合格してないんだけど合格になる制度で入学になるから、そんなにすごくないって言うか…」

「…?」

「あっこれ上手く説明できてない!?え、えっとね、えっと…」

 

 あわあわと言葉が詰まってしまいます。昔、おばあちゃんの仕事を手伝っていた時はこんなことなかったのに…。

 

「…うふふっ」

 

 あぁ!お母さんにまで笑われてしまいました!恥ずかしい…。

 

「ふふ、ごめんなさいね、リリィさん。そんなにあたふたしているのがちょっとおかしくって」

「でででですよねごめんなさい!」

「あぁいえ、むしろ謝るのはこっちの方よ。寝ているところをこの子が起こしてしまってごめんなさい。この子、昔からリリィが大好きで…」

「だって皆かわいくてかっこいいもん!」

「…っていう具合で…」

 

 苦笑いしながらも、お子さんの頭を愛おしそうに撫でるお母さん。慌てていたのも忘れて、ちょっとほっこりしちゃいます。

 

「あはは…それこそ気にしなくて大丈夫です!景色とか、じっくり見たかったので。むしろ起こしてくれてありがたいっていうか」

「わたし、リリィさんの役に立てたの?」

「うん。起こしてくれてありがとうね。乗り過ごす心配もなくなったし」

 

 やったー!と女の子はガッツポーズを見せてくれました。本当に微笑ましくて、思わずわたしの顔まで緩んでしまいます。反面お母さんは全くこの子は…と困り顔。でも、その子の気持ちはわたしにもとても分かるものなので、あまり叱らないであげてください…。

 

「ね!ね!お姉ちゃん!おりるまでまだ時間あるの?」

「う、うん」

「じゃあじゃあ!それまでリリィのこと、お姉ちゃんからたくさん聞きたい!ねむけざまし?の手伝いしてあげる!」

「ちょっと!リリィさんに失礼でしょ?」

「だ、大丈夫です!もう寝れないのは確かですし、あまりたくさんのことは知りませんけど、いろいろ話せると思うので!」

 

 これもきっと一期一会。『その場の縁を大事になさい』とは、大好きなおばあちゃんから出発前に贈られた言葉です。

 入寮前の緊張をほぐしてくれた、この子の恩に報いるのもきっと縁。

 何から話そうかな、と口にして、

 

 ギギギィッ、と。

 電車が急ブレーキをかけました。

 

「きゃぁっ!」

「な、なにっ!?」

 

 体が慣性に従って放り出されそうになるのを、お母さんと一緒に女の子を抱きしめつつ堪えます。

 そうこうするうちに電車は完全に止まりました。周りに何人かいた他のお客さんの顔も、それまでの日常から打って変わって一様に硬くなっています。

 なぜなら、この時代において何の前触れもなしに電車が止まる時というのは、大抵─

 

『お客様へ申し上げます。先ほど、沿線周辺でヒュージが出現し、これに伴い警戒警報が発令されました。この電車は、─ガ浜まで引き返し…』

 

 ヒュージの、出現。

 わたしが住んでいたところにもまれに襲来することはありましたし、なんならはぐれたスモール級一体のみとはいえ実戦も経験しています。それでも、体が小刻みに震えるような感覚がしました。

 

「お姉ちゃん…」

 

 抱きとめていた腕の中で女の子が不安げな声をあげています。いけない。わたしだってまだ入学前とはいえ百合ヶ丘のリリィ、ヒュージから人々を守るヒーロー。弱気なんて、見せるわけにはいきません。

 

「…、ぁ、うん、大丈夫だよ。無事なところまで引き返すって、車掌さんも言ってるから。ですよね?」

「え、えぇ…」

 

 最後にそうお母さんに確認を取ります。このあたりの地理に明るくないので、残念ながらどこに引き返すのかまでは聞き取れませんでしたが、だとすればわたしがすることはひとつ。

 

「お姉ちゃん?」

「大丈夫、お母さんの言うことをちゃんと聞いててね。わたしも、頑張るから」

「…うん」

「よし、いい子いい子」

 

 そう言って女の子の頭を撫でてから、手を体に立て掛けていた黒いケースに伸ばします。

 

「落ち着いて─いつも通り─」

 

 ジッパーを引き下ろし、取り出したのは機関部に水晶のようなマギクリスタルコアがついた単発式ライフル。怪異に抗うために生み出された、現代の魔法の杖。

 

「…それ、お姉ちゃんのCHARMなの?」

「うん。借り物なんだけどね」

 

 種類を正確に表すのならば中距離射撃型第一世代CHARM。その大量量産型です。安価で、扱いやすく、身近な機体でもあります。反面威力と連射能力は控え目ですが、癖もなく、初心者が扱うにはちょうどいいくらいでしょう。街角に配備されているCHARMポッド内にも必ず一機以上は備え付けられています。

 かくいうこの子も、故郷の町のポッドに配備されていた機体です。リリィ適正が分かった後に初めて渡され、以降半ばわたしの相棒となっていました。

 本来ならば百合ヶ丘で新しいCHARMを受領しますから、この子は所有者である町に返還する予定でした。そこを町の人たちが心配して、せめて百合ヶ丘に着くまでは、と持たせてくれたのです。

 

「…ありがとう」

 

 声援と共に送り出してくれた町の人たちの顔が思い浮かびます。いくら大量生産されている機種といっても、CHARMはほいほいと渡していいほど安価なものではありません。そんな大切なものを信じ、預けてくれたからこそ…今、わたしはこうして勇気を振り絞ることができています。

 

「それじゃあ、車掌さんとお話してくるから!お母さんや周りの人のことを良く聞いて、待っててね?」

「…うん」

「ん、えらいえらい。じゃあ、行ってくるね」

「気を付けて、おねーちゃん!」

「が、頑張ってくださいね!」

「はい!」

 

 親子二人の声援に背中を押され…わたしは、車掌さんのいる車両後方まで駆けて行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ごとんごとん、と隣から走行音が響きます。

 逆側を見れば、美しい鎌倉の海を一望できますが、残念ながらそちらを注視する余裕はありません。

 

「…いまのところ異常、なし」

「リリィさん!本当に乗らなくていいんですか!?」

「大丈夫です!ゆっくり進まなきゃいけないなら、外に出た方が対応しやすいので!」

 

 心配げに電車から身を乗り出して聞いてくる車掌さんに、そう答えます。

 今、私は一人徒歩で徐行する電車の護衛に当たっています。

 これが一般の人ならば全力疾走で護衛どころではないでしょうが、わたしだってリリィ、マギによる身体強化の恩恵をフルに受けて電車からつかず離れずの距離をキープしています。

 

「リリィさん!この先の直線も大丈夫そうです!少し速度を上げますよ!」

「はい!」

 

 カーブを曲がり切って、直線に出れば線路に異常がないかを確認し、少し加速。これを繰り返して、着実に避難先の駅へと近づいていきます。

 

「車掌さん!あとどれくらいかかりますか!」

「このペースだと20分ほどです、ただ途中ヒュージの目撃エリアの近くを通ることになります!」

「っ…、わ、分かりました!もう少し一緒に頑張りましょう!」

 

 20分。普段ならばちょっと休むだけで済む時間が、こんなにも長く感じたのは初めてです。

 返事こそ強がって返しましたが、そもそもわたしはまだまだ新米リリィ。スモール級数体程度ならなんとかしてみせますが、果たしてそれだけで済むのか…

 

「…だめだめ、しっかりしなきゃ」

 

 ぱしぱし、と頬をはたいて気合を入れなおします。

 もう一度CHARMの様子をざっと確認。ふと視線を横に向ければ、窓越しにこちらを見る心配そうなお客さんたちに、そっとこちらへ手を振ってくれる女の子が。こちらからも軽く振りかえします。

 …不意に、空気がざわめくような気配。

 

『キュ#、ァア!/?!』

「リリィさんっ!」

「スモール級3体…行けるっ!」

 

 線路脇のやぶを超えて出てきたのは、ヒュージの中では最小クラスとなるスモール級。自動小銃などの個人携行火器でも倒せる相手ですが、それでも丸腰の人間を殺すのには十分な力を持っています。今の互いのスピードなら、電車が攻撃範囲に入るまであと10秒といったところでしょうか。

 …最も、そんなことは絶対にわたしがさせませんが!

 

「セーフティ解除よし、脇を締めて、重心を下げて、最後まで的を見て─」

 

 引き金を、引く。

 

「ピ#ぎィ‘ァ」

「まず一体!」

 

 地元で最低限の訓練を積んだおかげか、弾丸は綺麗にスモール級の丸い体に吸い込まれていき、見事にヒュージを爆散させました。

 そのまま狙いを左右にずらし、続けて数発残りのスモール級にお見舞いします。

 

「ぴィィイィ#!」

「…よし!」

 

 多少慌てたため、何発かは命中しませんでしたが、無事に3体のスモール級は倒せました。流れ弾による被害もなさそうです。新米としてはちょっぴり誇ってもいいのではないでしょうか?

 とはいえ、ここで喜んでいる暇はありません。周囲にヒュージがいないうちに一分でも早く安全圏に逃げなければ。

 

「車掌さん!運転士さん!速度を!」

「えぇ!少し早めます!」

「いや、待ってくれ、あれは!」

 

 車掌さんがその意を汲み取ろうとして、前方を注視していた運転士さんが悲鳴に近い声を上げました。

 そのままわたしも前方に目を向ければ…

 

「…え」

 

 片方は崖、もう片方は藪。逃げ道のない線路沿いに、両手でも数えられないくらいのスモール級が集まりだしていました。

 

 

 

かつての大戦で使われた半自動式の小銃をモデルとしたCHARMから、キーンという特徴的な金属音とともに装填クリップがはじき出されます。

 

「いい加減に…してっ!」

 

 多少手間取りながら装填しつつ、周囲をさっと見回します。

 発砲音が呼び寄せたのか、それともわたしが発したマギに引き寄せられたのか…ともかく、スモール級ばかりとはいえ、わたし一人でこの数を相手するのはかなり…無理があります。

 なんとかヒュージの触腕の射程内に電車が入る前に撃破できていますが、それでもじりじりと距離は詰められていますし、緊張と疲労からわたしの射撃が外れる回数も増えてきています。

 

「運転士さん!速度は!」

「レールが一部変形しているせいで、これ以上速くは無理です!脱線します!」

 

 運転士さんの悲鳴のような声が聞こえます。視線を進路上に向ければ、ヒュージが踏み荒らしたせいでしょうか、なるほど確かにレールが歪んでいるのが見て取れます。むしろこれ以上速く移動するのが無理なだけで、通過することはできると言外に伝えてくる運転手さんに少し驚くくらいです。

 などと現実逃避をする間にも、じりじりとヒュージは近づいてきます。装填数も連射能力も低いわたしのCHARMではこれ以上電車に近づけないようにするので精一杯です。

 

「このっ…あっち行け!」

「ォきゅィ^カ」

 

 距離を詰め、飛びかかって来た虫のようなヒュージには、ストック部分での殴打をお見舞いし、距離を離します。あぁ、ブレードタイプのCHARMの機能がこの機体についていれば、今の一体も倒せたでしょうに!

 

「リリィさん!いいニュースと悪いニュース、どっちから聞きますか!?」

 

 そうして悪戦苦闘していると、不意に車掌さんから声がかかりました。一瞬ちらりと電車を見れば、備え付けの受話器を耳に当てた車掌さんの姿が。確かこういう時は、

 

「いいニュースからで、お願いします!」

「いいニュースは百合ヶ丘から救援が来てくれるとのこと、悪いニュースは到着まであと15分ほどかかるとのこと!」

「じゅっ…!?わかり、ました!」

 

 15分。安全圏へ逃げ込むよりかは多少早いと思いますが、それでも長すぎる時間です。疲労はともかく、一体たりとも通してはならないというプレッシャーがごりごりと心を削ってきます。弾薬ポーチを指で探る時間も少しずつ長くなってきていて、余計に射撃時の焦りに繋がっている、と頭の中のかろうじて冷静な部分が教えてくれましたが、どうしようもありません。

 

「はぁ、は、あっ…!」

 

 追いすがるように後方から迫るヒュージ二体に各3発。待ち伏せのつもりだったのか、線路脇から飛び出したヒュージ1体に2発外して計4発。それぞれ打ち込んだ後にキーンと装填クリップがはじき出されて、再装填。その間にも前方を塞ぐようにヒュージが迫り、呼吸が早くなります。わたしの反対側、進行方向向かって右手が崖で、ヒュージの動きを制限できているのが不幸中の幸いです。

 

「来る、なっ…!」

「はギィ“屡」

「ひ─!」

 

 運転席にかなり近づいていたヒュージをなんとか撃ち抜き迎撃。崩れ落ちたヒュージはそのまま電車にはね飛ばされていきましたが、跳ね飛ばした運転手さんの顔はかなり引きつっていました。無理もありません、わたしだって今どんな顔をしているのやら…。

 ふるふる、と頭を振って雑念を追い払います。改めて視線を電車に向ければ、先ほどわたしと話してくれた親子が心配そうにこちらを見ていました。他のお客さんたちも姿勢を低くしながら、目だけ窓の位置に出して不安げな表情を浮かべています。

 

「けほ、んんっ、大丈夫、です!」

 

 にこりと笑って、ピースサインを作ります。女の子がはにかみながら同じくピースサインで返してくれたのにもう一度笑顔で答えて、ヒュージたちに向き直りました。

 …今戦えるのはわたしだけ。弱音など、見せるわけにはいきません。

 なにより、あれほどリリィに憧れ尊敬の目を向けてくれた女の子が背後にいます。情けない姿など見せられません。

 海側を見据えれば、ヒュージの群れがどんどんと集まり始めています。その中には一回り大きいミドル級の姿もありました。通常兵器なら戦車砲か対戦車火器が必要な、CHARMを持ったリリィでも手こずる相手です。

 

「…負けるもんか」

 

 残弾も、残りの体力も、そもそものリリィとしてのスキルも何もかも心もとない状況ですが。

 それでも、心配や不安を抱えながら送り出してくれた家族や町の皆に応えるために!

 

「かかって、こい。ヒュージ!」

 

 背後の今は戦えない人たちを、守るために!

 

淡観美穂(あわみみほ)が、あなたたちの相手よ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒュージ出現以前から、鎌倉周辺は緑豊かな土地であった。

 ヒュージ化やそれを恐れた人類側の駆除により、自然に住まう生命はかつてより数を大きく減らしたものの、その緑は未だ健在。むしろ海から襲来するヒュージに備え人類が内陸部に疎開した今となっては、いっそうその緑は春を祝うかのように青々としていた。

 そんな青の中を駆け抜ける少女が、二人。

 

「─ふむ。エミ、ここから救援要請のあったところまで後どのくらいだ?」

「今のペースだと…あと7、8分くらい?ちっくしょー多いのよヒュージども」

 

 口調は軽く、されど油断はなく。黒を基調とした百合ヶ丘の制服が翻ったかと思えば、海岸への進路を塞ぐように緑に潜んでいたスモール級が数体まとめて切り刻まれていた。気づかれたと察知し、これ以上の潜伏は無意味と判断したのだろう。息を潜めていた他の数体が、斬撃の主である黒い髪をポニーテールに纏めたリリィに襲い掛かろうと飛び掛かるが、横合いから銃弾の猛射を叩きつけられたちまち地面に沈んでいった。

 

「ナイスアシストだ、エミ」

「どーもー。こはっちゃんこそ相変わらず訳わかんない戦い方してるねぇ…」

「いや、だからしっかり鍛錬を積めば斬撃くらい皆飛ばせるようになるのだが…」

「身体補助にしかマギ使わないで斬撃飛ばせるリリィなんて1人で十分だにゃぁ」

 

 ふむ?といまいち分かっていないまま、黒髪のリリィは得物の刀─これもCHARMの一種だ─をかちりと鞘に納める。

 周囲を見渡し、脳内に焼き付けた周辺地形と予想されるヒュージの動向、さらには百合ヶ丘の作戦指揮所に詰める要員からの無線連絡にも耳を傾けて、一言。

 

「うむ、面倒な流れだな」

「その割には涼しい顔してるねぇ…」

「なに、エミも私もいるからな」

 

 へいへい、と全幅の信頼を寄せられたもう一方は、うんざりとした声を上げながら手を振って応えた。もちろん黒髪の少女が本心から相棒の自分を信頼してこその言葉と知っているが、これをまともに受け取っていては色々と持たないことをよく知っての反応であった。

 さて、と手を振っていたもう一人のリリィが戦況を整理する。軽く読み取れる範囲で百合ヶ丘周辺にケイヴが複数。海岸沿いからはネストより生み出されたヒュージが上陸し、新鎌倉市街地の方面へ侵攻。そして今自分たちがいる森には身を隠しながら浸透するヒュージがそれなりに。さらに悪いのは、自分たちが先ほど救援要請があった電車まで最も近いリリィということであった。

 

「…んー、人はともかく時間が足りないにゃあ…救援要請のあった電車、守ってるのはうちの新入生って聞いてるけど」

「うむ、補欠合格で今日入寮予定だったらしい。まったく災難なことだ、早く助けてやりたいが…」

 

 まだまだ経験の浅いリリィ1人で、複数のヒュージの撃破も避難民の保護も対応しているらしい、とは最初の至急電で彼女らも認識していた。

 かといって、途中ショートカットのために踏み込んだ森に潜むヒュージを放置すれば、市街地どころか避難区域にまで到達する危険もある。おまけに鎌倉全域に薄く広くヒュージが出現したため、他の方面から増援を呼ぶことも困難。

 だからと一度森のヒュージを掃討してからでは、海岸まで移動が間に合わないどころか、例え群がるヒュージを全て無視したとしても、妨害によって早期の到着は不可能。

 ならば。

 

「…エミ」

「ほいほい、今度はどんな無茶振り?」

「む、意外と嫌がらないのだな」

「いや嫌がられることするつもりだったんかい。…んまぁ、助けたいのは一緒だからさ」

 

 日に焼け、金に近くなった茶髪を搔きながら半分諦め、半分信頼の表情を見せる相棒に、黒髪のリリィは満足気な笑みを浮かべた。

 そして続ける。

 

「ではエミ、ちょっとCHARM構えてくれ」

「ほ?」

「そうそう刃を水平にして、ちょっと私を乗せられるくらいに…そう、それくらい」

「ごめんこはっちゃん、今さらっととんでもないこと聞こえたんだけど」

「うむ、くだんの電車までなら、私のスキル構成も踏まえれば間に合うな」

「こはっちゃん?おーい」

「さてエミ、人間砲弾って知ってるか?」

「…この森のヒュージ、残り全部アタシ1人で相手する感じ?」

「信じているぞ、相棒」

 

 にかり、と黒髪の少女は帯刀したまま笑顔を相棒へと向けた。あまりにもまぶしく、この笑顔の写真を出版社に持ち込めば、ファッション雑誌の特集でも作れてしまいそうだ…とは出会った時『コレ』に良くも悪くも騙されかけた茶髪のリリィの感想だ。

 …ただ、その実力は良く理解しているし。

 そんな親友に後を任されるほど自らの実力に信頼を寄せてもらっていることに、想うところもないわけではないので。

 

「…はいはい分かった分かりましたよ。詠美さんのリリィとしての実力見せつけてやりますから」

「うむ、それでこそ私の相棒だ!」

「へーへー…とにかく方向はあっちでいいカンジだよね?乗って、こはっちゃん」

「うむ。盛大にかっ飛ばしてくれ!」

 

 茶髪のリリィが根本にベルトリンク式の弾倉を取り付けた大剣を構え、そこに黒髪のリリィが飛び乗る。

 そして。

 

「いぃって…こぉおおおい!!」

 

 マギの補助を得ながら大剣は思いっきり振られ、刃の上に飛び乗っていた黒髪のリリィは穏やかな春の空へと飛び出していった。

 森の木陰に遮られつつも、相棒のマギの発光らしき光が見えるあたり、無事飛び出したらしい、と茶髪のリリィは息をつく。

 

「…さーてと」

 

 そんな感傷は一旦置いて、残された少女はあたりを見回す。

 最大の脅威が去ったと考えたのだろうか、木々の合間から少しずつスモール級やミドル級ヒュージが姿を現し、ひとり取り残された哀れな少女を屠ろうと迫ってきていた。

 対して、ゆるく目を閉じながら全周を『視た』茶髪の少女は口元を緩めながら語る。

 

「へいへい、女の子1人にその数はどーかと思うよ?まぁでも」

 

 右手に収まる大剣─とにかく火力の継続性と一撃の重さを重視した、既存の軽機関銃型CHARMと大剣を組み合わせた第1.5世代CHARM─をくるりと回し、うごめくヒュージにさらに挑発を続けた。

 

「─いっぴきオオカミで有名だった原沢詠美(はらさわえいみ)サンには、ちょーっと少ないかも、ね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜ…はっ」

 

 キン、と装填クリップが地面に落ちる音が響きます。

 ヒュージの圧力に耐えられなくなり、電車を捨ててはや5分。山側に通じる道があったためそちらに乗客の皆さんを誘導しつつ、せめて数を減らそうとスモール級を中心に引き撃ちを心掛けていましたが、未だミドル級を中心に何体もヒュージは健在です。一方でわたしの方はCHARMの弾丸があとクリップ二つのみ。極度の緊張と、今まで一度も足を止めていないことから疲労も体を蝕んでいます。

 

「は…ひゅっ、この!」

 

 ダン、ダンと間隔を開けてさらに発砲、撃破を諦め行動を制限するよう脚部を狙った射撃でミドル級を数分封じます。

 後ろを振り返れば、少し離れて乗客の皆さんが運転手さんたちの誘導で走る姿が見えました。周囲の地理に詳しいお二人が、付近の山中に放棄されたシェルターがあることを知っていたのは不幸中の幸いです。そこまでの道は狭くやや険しいのですが、逆にヒュージが全周から押し寄せるのを防いでくれるという恩恵もわたしに与えてくれました。

 

「リリィさん!あともう少しです!救援もまもなく到着すると!」

「わかりました。少し下がります、車掌さんたちは誘導を!」

「任せてください、このためにここらの地図を読み込んでたんだ!」

「お嬢さんだけにいい顔はさせませんよ!」

 

 こわばり汗だくになりながらも、笑顔を向けてくれる運転手さんたちに頼もしさを感じつつ、避難ルートを駆け上ります。

 少しずつ視界が開け、春の日差しに照らされた海がきらりと光るのが見えました。鎌倉の見どころの一つとして、出立前に町の人たちや家族に海の写真をねだられているのを思い出しました。確かにこれは…写真を送る甲斐がありそうです。

 そんな風に、ちょっぴりよそ見をしていることに気付いたのでしょうか、横でおじいさんの背中を押していた車掌さんがふふと笑いながらこう言ってくれました。

 

「きれいでしょう?鎌倉の海は」

「へ?…あっ、はい!」

「あぁ、別にリリィさんを責めているわけではなくて…その、私たちも運行中によく海を眺めるので。確かリリィさんは鎌倉の外から来たんですよね?」

「はい。地元の近くに海はないので、わたしも数えるくらいしか海を見たことなくて…」

「そうでしたか」

 

 うんうんと満足げに頷く車掌さん。背中を押されていたおじいさんも会話に混ざってきます。

 

「ならお嬢さん、今日は運がいい…いや、ヒュージに追われている時点で不運かもしれんが、今日は陸の天気がいい。普段はネストの霧に阻まれてここまで海が輝かないんよ」

「ネスト…沖の霧が全部そうなんですか?」

「詳しい位置は分かっていないらしいんですけどね」

「若いころ…ヒュージが現れる前は年中サーファーでにぎわっていたし、夏は海水浴を楽しむ人が溢れる活気のある海じゃったよ。…今は面影もないがの」

「へぇ…」

 

 再度視線を海へと向けます。

 確かに海上の天気は不気味な霧と雲に覆われ、そこに世界七大アルトラ級ヒュージのうち一体が鎮座しているのだと、漠然と感じられました。

 …ヒュージを生む母船のような存在、体長だけで数百メートルとも数千メートルとも言われる規格外、そんな敵が眼前にいるのだと、今更ながら震えを感じました。

 

「ま、今は百合ヶ丘の嬢ちゃんたちがいるお陰でわしらもなんとか平和に暮らせておる。軍も頑張っているらしいしの」

「そうそう、ヒュージが出てきたころなんて毎日毎日明日生きてられるか不安でご飯も口を通らなくて…!」

「いや、お前割とばくばく食ってただろ。いつ死んでもいいようにーって」

「お黙りアンタ!」

「い゛っってぇ!?」

 

 そんな未熟な私を察してくれたのでしょうか。おじいさんがそう話題を変えれば、先行して避難していた中年夫婦が合わせてくれて、思わず周りの人たちに笑いが漏れます。

 そうしている間にも、狭い道を小柄なスモール級が登ってきていますが、足止めがうまく行ったからかまだまだ距離はあります。一度過度な緊張を抜いたおかげで、もう少しだけ頑張れそうです。よし、ともう一度気合を入れなおし、追いすがるスモール級を丁寧に、かつ道を塞ぐように撃ち始めました。運転手さんたちも避難の誘導を再開し、視界の隅では先に上へと上がっていた女の子が頑張って!と声をかけてくれるのが見えました。

 まだなんとか持ちこたえられる、そう思えました。でも。

 

『ァき#ヴァd!!!』

「─え」

 

 やけに遠くの方から狂ったような叫びが聞こえると同時に、ゴバッ、と、空が青白く染められました。いえ、これは、爆風を置き去りに飛んで行った閃光は。

 

「うそ、砲撃型のラージ級…!?」

 

 のそり、と廃墟やミドル級までのヒュージを阻んでいた地形を乗り越えて現れたのは、通常兵器が通用しないラージ級のヒュージでした。しかも、多くを占める近接戦型ではなく、熱線による長距離攻撃が可能な砲撃型です。精度こそ甘いですが、その威力は着弾地点の木々を丸ごと焦がすほど強く、例えリリィでも直撃すればタダでは済まないと容易に察せられました。

 

「─っ、皆さん急いでシェルターへ!わたしだと出来て足止めくらいです、姿勢を低くして少しでも安全な場所へ!」

「は、はい、皆さん急ぎましょう!余裕がある人は、ご高齢の方や小さいお子様に手を─」

「リリィさんも、早く、」

「いえ」

 

 再度動きが慌ただしくなった人々を見ながら、車掌さんの言葉にゆるりと首を振ります。

 

「わたし、もうすぐ弾切れなんです。ここで撃ち切るだけ撃ち切ってから、皆さんに追いつきます」

「ですが、」

「大丈夫です!こういう時のためのリリィのマギ防壁ですから。無事に皆さんのところにまで帰ってきます」

 

 嘘です。

 初心者リリィの防壁なんてたかが知れていますし、たとえベテランであってもあの威力を相殺するのは不可能に近いでしょう。

 それでも、マギに引き寄せられるというヒュージの習性からして、リリィであるわたしと乗客の皆さんは離れた方がこの状況では吉。…もとより、人々を守るためにリリィに志願したのです。二度目の戦いとはいえ、最後までせめてかっこつけさせてください。

 

「…本当に、帰ってきてくださいますね?」

「…はい」

「…自分たちの娘と近い歳の子どもを死なせて生き残っては一生自分を許せません。どうか、生きて」

「もちろん、です」

 

 できるだけ普段通りにした笑顔で誤魔化せているでしょうか?しっかりと頷いてから、来た道を駆け下りました。

 ただでさえ残弾が心もとないので、道を塞ごうとしたスモール級はCHARMのストックを振りぬいて下へと殴り飛ばし、時には蹴り落としながら進みます。

 狙うはじりじりと迫るラージ級、その砲口部分です。残弾全て叩き込んでも撃破は不可能ですが、砲撃を妨害して少しでも時間を稼ぎ、今向かっているという救援に引き継げれば目標達成です。

 その後は、なんとか廃墟や細い路地を活用し、逃げて逃げて逃げ切れば、たぶん、わたしも助かってハッピーエンド。

 か細い希望でこそありますが、けして命を捨てる特攻ではないと─車掌さんや故郷の人々、家族を裏切る無謀な行為ではないと言い聞かせ、とにかく少しでも避難する人たちからヒュージを引き離せるよう動きます。

 …ヒュージをいくつ殴りとばし、蹴り飛ばし、反撃にといくつ細かな傷を作ったところでしょうか。

 細い路地を抜けた先、ラージ級の砲口を直線で狙える空き地に出ることができました。

 

「こ、こで!」

 

 ヒュージを殴り飛ばしたせいでストックが青く染まったCHARMを構えます。残弾は装填済みの5発に最後のクリップの10発のみ。距離はかなり近く、巨体の威圧感から生まれる震えを、唇を噛んでこらえました。

 ラージ級もCHARMを構えたことによるマギの励起に気付いたのでしょうか。のそりと虫でも見るようにこちらを見ました。でももう、何かするには遅い!

 

「は、は、は、すーっ…っ!」

 

 タン、とまず一発。これほどの巨体です。外すなんてことはありません。

 目標の砲口からは多少ずれましたが、薄く体表で火花が散りました。

 

「っ、っ、っ!」

 

 セミオートがもたらす速射に身を任せ、5発を撃ち切ります。宙を舞う空のクリップ越しに見えた火花のいくつかは、砲口部分から生まれていました。

 

『ァギゅガ‘ァ!』

「はっ、はっ、はっ…」

 

 悲鳴と怒りの混ざった、生物離れした叫びにさらに呼吸を荒くしつつ、それでもしっかりと腰のポーチに入った最後の10発入りクリップを掴みました。

 泣いても笑っても、これが最後の弾薬です。CHARMに差し込んでボルトを操作、しっかりと装填して改めてラージ級へと向けます。

 多少砲口部分にダメージのあったらしいラージ級は隠していた触腕を出し、振り回しながらこちらへと距離を詰めているようです。乗客の皆さんから引き離せているので万々歳ですが、至近距離で巨体が移動するため地響きが心を揺さぶり照準をずらしてきます。

 深呼吸…深呼吸…。これが、最後の射撃。今ここで、時間を稼がねばなりません。

 その時の私は、恐怖に押しつぶされそうなわたしは、一体どんな顔をしていたのでしょうか?

 

「は─っ」

 

 ダンダンダンダンダンっ!と響くは最後の10連射。巨体に、海棲生物のそれに似た触腕に、そして最大の目標である砲口に弾丸は吸い込まれて行きました。

 最後に、からんと、装填クリップがはじき出されて地面に落ちました。

 

「…ぁ」

『ィ#ィイ“ギ*ガァ─!!!!』

 

 文字通りの残弾、ゼロ。もはやわたしの手中に収まるのは、持つ分には軽い鈍器に他なりません。

 反面、ラージ級は激しく体を暴れさせ、廃墟の街並みに青い体液を塗りたくってこそいますが未だ健在。時間稼ぎができたのでわたしなりの拙い作戦は成功しているのですが、厳しい中で射撃をやり遂げたという達成感からの緊張のゆるみと、巨体がわたしに殺意を向けながら暴れ狂っているという光景からの恐怖が最悪の状況で噛み合い、体が地面に縫い留められたように動きませんでした。

 

『ゴ%ぶラギ|ィィイ!!』

 

 そんなわたしを格好の標的と捉えたのでしょうか。自らを固定するかのように、あたりにいたスモール級やミドル級を弾き飛ばしながら触腕を地面に突き立てたラージ級は、ところどころ壊れた砲口を青白く輝かせ始めました。

 マギを一点に集め放つ、その準備が眼前で進むのを見せられながらも、わたしの体は微塵も動かず、口からはほとんど空気のような声しか漏れません。

 …もしかしたら、生き物としての本能が、この距離ならばどこに逃げても助からないと、冷酷に冷静に伝えていたのかもしれません。

 思い出すのは、目いっぱいの声援と共に送り出してくれた町の人たち。最後に何も言わず、強く抱きしめてくれたお父さん。黙って頭を撫でるおじいちゃん。複雑な顔で、とにかくわたしの無事と健康を祈る言葉をかけ続けるお母さん。

 そして。

 

『ミホちゃん』

『自分の気持ちに、正直にね』

『あきらめちゃダメだよ?諦めなければ、手が届く命だってあるんだ』

『優しいミホちゃんを、ずっと信じていますよ』

 

「─にたくない」

 

 優しくて、物知りで、諦めが悪くて、誰よりも尊敬している、わたしのおばあちゃん。

 

「死にたく、ないっ!」

 

 やっとまともに動いた口をあざ笑うように、ラージ級の放つ光は強まるばかりで。

 無茶苦茶になりそうな頭で、できる範囲でマギ障壁の出力を上げるのが、その時のわたしの精一杯でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「─ふむ、あそこか」

「その声、その言葉、しかと耳にしたぞ。─安心するといい」

「私が来た」

 

「『ヘリオスフィア』」

 

 

 

 

 

 

 

 熱線に焼かれるのはどんな感覚なのでしょうか、と身構えた体からは、あたりを吹き荒れる風の感触しか帰ってきませんでした。

 

「…へ?」

 

 恐る恐る、目を開いてみれば、目の前には薄緑の壁のようなものが浮いていました。

 薄いながら太い熱線を弾き散らすその壁に混乱している間に閃光と暴風は止み、今度は土煙の向こうからヒュージの絶叫と、同年代くらいの女の子の声が聞こえてきます。

 

『ァアァ#ギ‘ガアァア!?!?』

「叫ぶのならもう少し品のある叫び方をしたまえよ。…そこの君!聞こえているな!?」

「へっ?は、はい!」

「うむ!元気そうで何より。疲れたろう、私が下手人どもを片付けるまで、少々そこで休んでいたまえ」

 

 よく通る、ハリのある声でした。それ以上に、不思議と安心感を与えてくれる声です。

 まだまだ状況を飲み込めないでいると、今度は土煙の向こうから、何か巨大なものが倒れるずぅん、という音が。そこまで聞いて、やっと山の方にいる皆さんのことを伝えねばと思えました。

 

「ま、待って!あの、山のほうに、列車から避難してきた人たちがいるんです!わたしのことはいいので、その人たちを!」

「安心したまえ。知っているし見えている」

「でも、追い散らせたとはいえまだまだ周りにヒュージが!」

「そちらも承知している。落ち着きたまえ、これでも腕には自信がある方なんだ」

 

 土煙が少しずつ薄まる中、まだまだ混乱したままのわたしとは裏腹に、その人の声はまるで、風一つない湖のように凪いだものでした。しかしその言葉の裏には、何にだって負けないような力強さもまた、感じたのでした。

 

「とりあえず軽く安全を確保して戻ってくる。少し待っていてくれ」

「えっと─」

 

 次の瞬間、土煙を破って、山の方へと人影が飛び出していきました。そのまま山の方を見やれば、先ほどわたしを守った薄緑の壁がいくつも展開され、その上を蹴って人影が縦横無尽に駆け抜ける姿が見えます。合間合間に青いヒュージの体液や、時にはヒュージそのものが宙に舞い上がっては、それすらも次の瞬間には何かに斬られるように千々に分かたれていました。

 強い、ただそれだけが素人ながらひしひしと感じられます。今も目の前に展開し続けるこの板も、よくよく考えればリリィの持つ特殊能力、『レアスキル』の一種なのでしょう。未だどのスキルにも覚醒していない身としては実力差を感じるばかりです。

 そんな風に視線をあちらこちらへと向けていると、不意に後ろから空気を震わせるようなうめき声が聞こえてきました。

 後ろにいて、こんな声を上げる存在なんてひとつしかありません。

 

「まだ、生きてる、っ」

『ア“ガ;リぎぃジ!』

 

 体の中心を大きくへこませ、さらに大きな切り傷を二つも作りながら、それでも立ち上がろうともがくラージ級の姿がそこにはありました。

 砂煙に隠れていたため気づきませんでしたが、思ったよりもヒュージは近くに倒れ込んでいたようです。相手もわたしに気付いたのか、渾身の力で触腕を持ち上げ叩きつけようとして。

 

「ふむ、想っていたよりしぶとかったか…解析に回せればしたかったが仕方ない」

『ピィぎ』

「去ね」

 

 いつの間に戻ってきていたのか、黒髪をポニーテールにした、先ほどのリリィさんが空を駆けるようにラージ級に迫っては触腕二つを瞬く間に切り飛ばし、最後は胴体を下から右上へと切り捨てていました。

 

「す…ごい」

「さて…うむ、これでよし。すまない君、待たせたな」

「あっ、い、いえ!」

 

 思わず呆けたわたしに、かちりと鞘に刀─これもきっとCHARMなのでしょう─を納めたリリィさんが歩み寄ってきます。

 落ち着いて見てみれば、その制服は黒を基調とした、わたしが今着ているものと全く同じもの。違いを上げるとすれば、すらりと伸びながらも女性らしさを感じさせる体に合わせて、細かい丈が異なっていることくらいでしょうか。

 すなわち、わたしと同じ、百合ヶ丘のリリィ。

 

「こっ、こちらこそ、助けて頂きありがとうございます!」

「リリィはみな助け合いだ。気にする必要はない。それに、謝るならこちらの方だ。いかにヒュージが多かったとはいえ、到着に時間がかかってしまった。申し訳ない」

 

 ぺこりと感謝を伝えれば、リリィさんはそう言ってゆるく頭を下げてきました。ぶんぶんと両手を振ってそんなことはない、と伝えれば、リリィさんは少しきょとんとして、そのあとふ、と笑みをこぼしました。

 

「…あの?」

「…あぁいや、実に謙虚だなと思ってな。山にいる人たちに少し話を聞いたが、みな君のことを案じていた。この状況でなら逃げだしても誰も文句を言えんが、君は最後まで逃げず立ち向かい、誰一人として死なせなかった。そこにさらに君は入学前で戦闘経験も浅いと来た。問答無用の賞賛に値する。もっと胸を張っていい」

「あ、あんまり褒めないでください…!恥ずかしい…」

「何、ただ事実を述べているのみだ」

「だとしてもです…!」

「ふむ?」

 

 わたしがやったことと言えば、せいぜいスモール級を散らしてミドル級とラージ級を足止めしたくらい。なんとか時間を稼いで、後は今こてりと首を傾げたリリィさんに全て始末してもらったのです。ここで結果だけを見て誇るのは時期尚早でしょう。

 とにかく今は山に逃げた皆さんに合流しなければ。もしかしたら、ねんざや切り傷を作っている方もいるかもしれません。そう考えているのが伝わったのか、山へと足を向けたわたしの横に、リリィさんが並んでついてきてくれました。

 

「とりあえず先ほど見た限りでは数名ねんざや切り傷を作る程度のけが人がいた。迎えが来るまではとりあえず周囲警戒と応急処置に専念しようと思う。それでいいかね?」

「はい!あの」

「む?」

「そういえば、お名前…」

 

 頭の中では今しがた聞いた症状への対処方法を考えつつ、せっかく並んで歩いてくれたのだからと、お名前を聞くことにしました。いつまでもリリィさんリリィさんと心の中で呼ぶわけにはいきません。

 そうして問うと、青空のような目を丸く見開いて、失念していた、とつぶやきながらこちらを見据えてくれました。

 

「申し遅れてすまない。私は高川虎春(たかがわこはる)、百合ヶ丘女学院二年のリリィだ。君のひとつ上にあたる。─ようこそ、鎌倉へ。歓迎するよ、新たなリリィ」

 

 

 時間にして、もう30分と経っていませんが…。

 わたしの人生が大きく動き始めた、そんな気が確かにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでえと、虎春…先輩?は、その、先ほどはどうやってここに?どこかに道があるんですか?」

「む?あぁ、少し空を飛んでな」

「…空?」

「うむ、親友に少し投げてもらって」

「投げてもらって…?」

 

 あと、ついでにですが。

 とってもキャラクターの濃い先輩と、お会いすることにもなりました。

 




・CM-1 チャームドガーランド
中距離射撃型第一世代CHARM。第二次世界大戦においてアメリカで使用されたM1ガーランド半自動小銃をCHARMに改造したもの。
装弾数10発(クリップ装填方式)。
 既存銃器をCHARM化することで安価に対ヒュージ戦力を確保しよう、という目的のもと、2031年より開発が開始され、2034年に各国でCHARMとしての正式認定を受けた。
 実際には装填数の少なさや、イチからCHARMとして設計された他の第一世代機よりも最大発揮出力が劣っており、使用弾薬に威力が大きく依存する等、欠点も多く、以降銃器転用CHARMはほとんど開発されなくなった。
 しかし、改造元が『傑作だろうと駄作だろうと、とにかくたくさん兵器を作って余ったら外国に押し付けるか砂漠で保存する』が習慣付けられたアメリカであったこと、例に漏れずガーランド小銃も二次大戦時に大量に生産され、良好な保存状態で大量に保管されていたこともあり、結局CM-1も交換品含め大量生産された。
もとより射撃性能自体は良く、重い本体も反動を吸収し、一方でCHARM化により運用中はリリィへの重量負担は小さいなど、10代の少女たちが安定して射撃できるというメリットもあり、ヒュージへの恐怖心が拭いきれない初心者向けとして、また量産効果により抜群のコストパフォーマンスを誇ったため、非常用のCHARMポッド備え付け機として、2040年代半ばごろまで使用されていた。

 現在では性能の陳腐化やヒュージ自体の凶暴化もあり、ほぼ退役している。
 例外として、一部のガーデンでは儀仗、もしくは式典でのドリルパフォーマンスに使用する儀礼用CHARMとして、運用が続けられている。


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2. 斬り飛ばす もしくは腰が抜ける

半年経ってしまったので初投稿です。なんか前回も同じ事言ってたな。
おそらく次回もゆっくり更新ですし、中々主人公が出てきませんが、まったりお付き合いして頂ければ幸いです。
次回はたぶん皆さんが忘れたころに出ます。


 大量殺戮に特化したはずの現代兵器を大きく無効化し、さらには無限とも思えるほどの物量を有するヒュージの出現は、人類に生存圏の大幅な後退を余儀なくさせた。

 ヒュージが基本的には海から襲来することもあり、沿岸部では特に生存圏後退が顕著で、近隣に強力なガーデンが存在している地域─例えば御台場や横須賀周辺など─を除いて、日本の沿岸部の多くはよくてゴーストタウン、悪ければ戦火にも巻き込まれ廃墟へとその姿を変えていた。

 そのため、これら廃墟化した海沿いの地域には人も滅多に近寄らない。一方で、ヒュージにいつ襲われるか分からないという点にさえ目をつむり、また防衛軍が定期的に行う哨戒からも隠れられるのならば、沿岸部の廃墟群は人1人が身を隠すには格好の場所であったりもした。

 よって、青い服─実験部隊の赤とはまるで真逆のそれに身を包んだ、人間を相手取ることに特化したその一団が逃亡者を追ってこの街に来たのは、至極当然のことであった。

 

 

「ほんとーにいんのかね。ガキが二人、しかも孤立無援らしいって話だろ?ヒュージに襲われたら一発だ。死体の捜索に切り替えた方がいいんじゃねーの?」

「上からの指示は実験施設から逃走した被験者の捜索と拘束だ。死体を探せとは言われていないし、この話は今朝もしただろう?」

「だってさァ…」

 

 一団の中ほどに位置する二人の少女のうち、少し口調の悪い方が周囲を見回す。

 

「アタシらリリィだけでアンタと合わせて二人、ンでマディックが四人におっさんら普通の兵士が二人の大所帯だろ?そンで捕縛対象はリリィどころかマディックでもねぇ小娘と来た。いつから上は過剰戦力がお好きになったんだァ?」

「おっさん言わないで欲しいっす…」

「よせ、みっともないぞ」

「先輩…」

「この子たちから見れば、20代前半はもうおじさんだ」

「先輩!?」

 

 リリィの言葉が流れ弾として兵士に突き刺さり、わずかにマディック達は年頃の少女らしい笑いをこぼす。

 尖った口調のリリィが不平不満を垂らし、理論派のリリィがそれを慰め、経験豊富な兵士がそれを笑いに転換し、マディックがチームの空気を入れ替える。それは、今まで任務の中で幾度と繰り返してきたある意味『日常』の光景であった。そして、これも。

 

「…ンまぁ?こんな風に流れ弾が刺さったのも?元をただせばワガママにも逃げ出したクソ女どものせいだし?とっとととっつかませて、適当にいたぶってから依頼ラボに突き出そうぜ」

「人類を救う、そのために必要な犠牲の尊さを知らない、哀れな被検体…」

「オレは兵士にしかなれなかったっすけど、被検体になれるなんて光栄なことなのに…なんで逃げ出すんすかね?」

「必要な犠牲…恨むなら自らの運命を呪うといいさ」

 

 四者四様の、逃亡者への死刑宣告。話を聞くだけであったマディック達が浮かべる表情もまた、哀れな少女が供物として弄ばれることを良しとするものか、己がその不運に見舞われなかった幸運を誇るものであった。

 

「…ハっ、とりあえずここらへんはゆっくりいたぶりながら聞こうぜ。GEHENAから逃げ出した低能の言い分なんざ、さ」

「そうですか。とりあえずお話するつもりはありませんが」

 

 さて。

 青い装束に身を包んだ彼女彼らは、脱走した被検体の捕縛や、わざわざ死地に首を突っ込んだ活動家、『奇妙な』正義感に駆られたジャーナリストの『処理』を担当する、対人戦闘専門のチームだ。特にリリィとマディックは通常の対ヒュージ戦闘と共に、対人戦闘に関しても訓練を積んでいる。

 一方で、実戦において彼女たちは常に強者であった。マギによる防御結界は拳銃弾程度なら余裕を持って防ぎ、逆に彼女らが振るうCHARMは薄い鉄板やコンクリートブロック程度なら、その向こうの人体ごと破壊できるほどの威力を持っていた。

 裏を返せば、任務中─特に対人任務中に、自らの命を脅かすほどの強者など存在しなかったがゆえに、周囲警戒はおざなりになることが多かった。唯一警戒の対象となるヒュージはその巨体から視界に入る前に音が存在を教えてくれる以上、仕方ないことではあったが。

 

「は─?」

「あぁ、やっぱり人相手だと普通に斬れるんですね、これ」

 

 だからこそ、会話に挟まって来た聞き覚えのない声に振り向いた際には、すでに後方を警戒していたマディック二人の首が宙へと浮いていた。

 

「なンっ…」

「─、ほ、呆けてる場合じゃない!アイツが捕縛対象だ!」

「CHARM…GEHENA所属のリリィですか」

「撃て!」

 

 リリィのうち、理知的そうな見た目の少女の発破により、各々のCHARMや小銃から火線が伸びる。咄嗟に応戦の指示を出せただけ、普段から一般人のみを相手にしていた部隊としてはよい反応であった。もっとも、上層部から出された指示が対象の『捕縛』であるのに対し、発砲しているのは実弾であるところから、彼らの隙と動揺の大きさが伺えたが。

 とはいえ普段から相手にしている普通の人間相手であれば、またこの場所が射撃戦に適した開けた土地であれば、ここから下手人を始末するなり拘束するなりが可能な程度には、青い服の一団は優秀であった。

 相手が普通の人間ではなく、今立っている場所が、見通しが悪く入り組んだ廃墟群であったことが、彼女らの最大の不幸であった。

 

「ぎゃ」

「3人目」

「当たらない…っ!?」

「4人目」

 

 弾幕の中を白い実験服の少女が駆け抜け、時に瓦礫を遮蔽にし、時に事前に把握していた廃墟の構造を活かして奇襲を仕掛け、ひとつふたつと首が宙を舞っていく。

 舞った首が5つ目を数えたあたりで、捕縛部隊は白い少女の異常な速さに気付いた。一般人ならありえない、リリィであっても、レアスキル─それも速度特化の縮地─を持たねば到底発揮できない速度。

 ただの一般人、弱い脱走者という認識のもと、獲物を集団で追い詰めていたつもりだった追跡者たちには、無感情に致死の一撃を狙う姿も相まって、死の恐怖を煽るには十分だった。

 

「この─ばけものっ」

「それは、どうも」

 

 唯一口に出た悪態も、何ら響かず流されて。

 少女の右腕に括りつけられた箱、そこから伸びる片刃のナイフのようなソレが、首へと迫った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

33日前/鎌倉府 沿線部

 

 

「─洗浄はよし…おじさん、吐き気や視界がぼやけたりはしていませんか?」

「んー…いや、そういうのはないな。どうしても切れたところが痛いが…」

「だいぶ痛みますか?」

「いや、これくらいなら我慢できる範疇だよ」

「なんて言っちゃってぇ。あんた、顔に力入ってるよ。痛いのが苦手なのにお嬢さんにカッコつけようなんてしないの」

「おまっ、お前そりゃここじゃあ秘密にしてくれよぉ!」

「なーに言ってんの、さっきまるであたしが大食いみたいに言った仕返しだよ!」

「そりゃねぇだろぉ!?」

 

 砲撃型による攻撃の余波で発生した飛散物で頭を切ったらしいおじさんに処置を行いつつ、途中入った奥さんのツッコミに思わず笑顔が浮かびます。

 ほんの10分前までは、全員生きるか死ぬかの状況でしたが、そこは百合ヶ丘から増援として、一目動きを見ただけで歴戦と分かるようなリリィが来てくれたことで、皆リラックスしているようです。開けていて、ヒュージの接近に気付きやすい線路上に戻ろうとの提案にはもう少し反発されるかと思いましたが、むしろ乗客の方たちはわたしの体の心配ばかりしていました。

 

「…はい、包帯巻き終わりましたよ。傷は浅そうでしたが、ケガした場所が場所なので、後でちゃんと病院で検査受けてくださいね?」

「ん?あー、まぁ、これくらいの怪我なら…」

「ありがとね!この人はちゃーんとあたしが縄くくってでも連れてくからさ!」

「えっちょ」

 

 …なんというか、力関係が分かるというか。おじさんの方は病院が苦手なのか、なんだかんだと理由を付けて受診しない可能性があったので、そこはひと安心なのですが。

 そんなことを考えていると、す、と横に気配が。

 

「…ふむ、手際がいいんだな…私も包帯は使うが、ここまでするするとは巻けないぞ」

「虎春先輩…じゃなくて、えと、虎春、様!巡回、大丈夫でしたか?」

「うむ、周囲一帯のヒュージは殲滅できたはずだ。隠れている可能性がない訳でもないから、要警戒だがな」

 

 はっは、と笑う姿は頼もしさを感じます。それでいて、ポニーテールに纏められた艶やかな黒髪は、同性の私でもきれいと思えるほどで。百合ヶ丘の精鋭リリィともなると、戦いだけではなく、私生活や立ち姿一つ取っても洗練されているのかなぁと、ぼんやり思いました。

 

「怪我人の方はどうだ?もし急いで搬送する必要があるならば、私から百合ヶ丘経由で救難機を呼ぶが…」

「わひゃ、すみません。ちょっとぼーっとしてました。えと、怪我した人たちですね…」

 

 声を掛けられ、我に返ります。

 

「トリアージタグがないので、印はつけられてませんが、基本的には皆さん軽傷です。切り傷ができた人には、簡単に止血だけしてます。他は避難中の捻挫が数名です。搬送は…うーん…」

「?言葉だけ聞くなら、急いで運ぶ必要もなさそうだが」

「足を捻挫した人が二人いて、あんまり歩かせたくないんですよね…あと、頭に切り傷作った人もいるので。飛来物にやられたと思うんですけど、念のため設備の整ったところで頭部に異常ないか確認しておきたいんです。変に脳に損傷あると、自覚症状も出にくいですし…」

「…詳しいな。まるで本職の医師みたいだ」

 

 ほぉ、と声を漏らしながらこちらを見る先輩に、少しだけむずがゆさを感じます。

 

「あはは…戦時特例で準看護師の資格持ってるんです。研修も受けてて。あとは両親と祖母が医療関係者で…処置の時の話し方とかは無意識にかっこつけて、親のマネをしているだけです」

「なるほど、それで補欠合格か…なるほど」

 

 顎に手を当て、どこか意味深に納得する虎春先輩に少し首を傾げつつ、話を続けます。

 

「急いで搬送する必要があるか、って言われると、今の私だと判断できません。ただ、後で医師の診察を受けて欲しい、とは言えます。なので、できれば車両か何かで安全地帯まで連れていけたらいいなーって思ってるんですけど…」

「ふーむ…分かった。少し問い合わせてみよう。美穂、すまないが周囲の警戒を頼む。何かあればすぐに知らせてくれ」

「はい」

 

 片手を立てて、『頼むぞ』とジェスチャーを送りながら、虎春先輩は離れていきます。通話を一般の人に聞かせたくなかったのでしょう。

 それを、頭を下げながら見送って、ふと振り返ろうとして、たしたしと軽い足音が背後からします。

 

「リリィのおねーちゃん!」

「わっ!もう、走ったら危ないよ?」

 

 振り返ると、電車でお話した女の子が飛び込んできました。そっと受け止めて、少しだけ注意をしておきます。このあたりはほぼ平地ですが、線路の砂利に足を取られないとも限りませんから。

 

「えへへっ、でも、おねーちゃんが受け止めてくれるからだいじょうぶ!」

「もう…」

 

 満面の笑顔で抱き着いてこられては、こちらも何も言い返せません。甘い、と言われればそれまでですが、この笑顔を守れたのだと思うと、とてもこれ以上怒る気にはなれませんでした。少し離れたところでは、この子のお母さんが申し訳なさそうな顔をしていましたので、少し手を振って気にしないでと伝えておきます。

 

「あのねっ、おねーちゃん」

「ん?なぁに?」

「守ってくれて、ありがとっ!」

 

 呼びかけに視線を下げれば、小さな女の子はそう言って、さらに弾けそうな笑顔を見せてくれました。

 まっすぐな言葉に、少しだけ心に影が差します。頬や服のところどころには、お母さんが拭ってくれたのだろう泥や土の痕がついていました。

 

「…うぅん。わたしは時間稼ぎをしただけ。本当に助けてくれたのはあの虎春先輩だから。だから、お礼はあの人に言った方がいいよ」

 

 注意を引くことしかできなかったラージ級を二撃で沈め、跋扈していたスモール級やミドル級を数分で壊滅せしめた虎春先輩を思い浮かべながら、笑みを浮かべます。

 百合ヶ丘のリリィと名乗りながら、結局わたしにできたのは時間稼ぎだけで、それもラージ級の出現でお客さんたちに怪我まで負わせるような有様では、とても胸は張れません。

 そんな胸中を察してか、それとも知らずにか、女の子はふるふると首を振って続けてくれました。

 

「お姉ちゃん、あんなにたくさんヒュージ来てたのに、全然逃げようとしてなかった!」

「え?」

「あたしだったら、逃げてたかも。だけど、お姉ちゃん、あたしたちを守ろうって、必死にがんばってた!」

 

 だから、ありがとう!と、もう一度頭を下げてその子はお母さんの方へと戻っていきました。

 

「あの子の言う通りだ」

「虎春せんぱ、」

「敵と戦う強さもそうだが、逃げない強さも得難いものだ。それを君は持っていて、あの場で見事に発揮した。そうだろう?」

 

 通信を終え、戻って来た虎春先輩の言葉に、考え込みます。

 わたしが目指す道は、逃げないだけで済むような道ではないと…思います。最前線でエースとなるつもりも素質もありませんが、今日のような戦いを満足に捌き切れない現状のわたしのままでいいのか、どうしても考えてしまいます。

 

「これから君も強くなる。その素質は、必ず役に立つ。私が保障しよう。だから─む、意外と早かったな」

 

 柔らかく笑みを浮かべる虎春先輩の声に、バタバタと、空気を叩く音が混ざり始めました。

 空を見上げれば、青に混じるように緑色の迷彩を施されたヘリがこちらへと向かっているのが見えました。

 

「先輩、もしかして」

「うむ。物資輸送の帰りのヘリがちょうど空いていてな。要請をかけたらそれを回してくれると防衛軍から返答が来たんだ。もう少し到着に時間がかかるかと思ったが…うむ、今日は運がいいな」

 

 段々と近づいてくるヘリコプターはかなり大きめのもので、横で虎春先輩がチヌークか、当たりだな、とつぶやいていました。なんでも、今ここに居る人は全員乗れそうなんだとか。

 音に気付いた一般人の人たちもこちらに集まってきていて、車掌さんたちが一か所にまとめようと誘導していました。先ほどの女の子も、お母さんに手を引かれて車掌さんたちの方へと歩き始めています。

 

「うむ、私たちもこのまま安全地帯まで行こう。確か百合ヶ丘近くに一時避難場所が用意されているはずだ」

「は、はい!じゃあ、わたしはちょっと怪我した人たちのお手伝いしてきますので!」

「む、私も手伝おう。防衛軍の機体ならば、こちらで着陸誘導はしなくてもいいだろうし…避難場所まで着いたら、そのまま私が百合ヶ丘まで案内しよう」

「本当ですか?ありがとうございます!」

 

 気にするな、状況も粗方落ち着いたようだしな、と笑顔と共に話す虎春先輩に改めて感謝を覚えつつ、近くにいた足を捻挫した人のそばに行こうとして、

 

「…む、そういえば忘れていたな」

「どうかしましたか?」

「君の名前」

「…?」

「聞いていなかったな、と。いやすまない、私だけ名乗って終わったつもりになっていた」

 

 たはは、と、先ほどまでの凛々しい笑顔から打って変わった照れ笑いと共に、そう虎春先輩は問いかけてきました。

 …わたしも、出会った時の衝撃が強すぎて、今の今まで名乗りを忘れていたのを、今やっと思い出しました。

 この先輩、インパクトが強すぎると思うのです。色々と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数十分前/鎌倉周辺部森林内

 

「だぁしつっこい!モテないよーしつこいのは!」

「ピごヅ」

「そぉら次!沈めゴラァ!」

「グぅンッ」

 

 中距離のスモール級に機関銃ならではの連射性能を活かして猛射を加え沈め、その隙を狙おうと突進してきたミドル級は大剣ならではの質量をもって潰し斬る。

 一人の小柄な少女が相対するには過大がすぎる、と思われたヒュージ群は着実に青い体液へと変貌していった。避けようと木を盾にするものもいたが、大木ならまだしも細い木を盾にしたヒュージは、その幹ごと両断されるなりハチの巣にされていた。

 一方の少女はというと、これといった傷は見当たらず、大剣にベルトリンク弾倉と銃身をつけたような─実際、設計思想としては大剣と機関銃を足して割ったものである─、見るからに重い自らの愛機を振り回しては青い染みを量産している。それでも潜伏していたヒュージの数は相当だったのか、相方を空にフライアウェイしてしばらく経つにも関わらず戦闘は続いていた。

 

「あー司令部―!一応優先度低めでいいって言ったけど、念のため誰かリリィの手が空いてたら送って欲しいなー!?」

『ちょっと待って…今一人、新高等部一年の子なんだけどそっちに向かわせてる。それまで耐えて』

「うーん不安っ!」

「ぶギ#ャ」

 

 大剣はまぁマギが続く限り運用できるとして、そろそろ弾薬の方が不安になった詠美の要請に返ってきたのは、一般的には経験がまだ浅いとされる新1年生を送るとの連絡。

 軽く愚痴のように会話を返しつつ、不用意に近づいてきたスモール級を両断した。

 

「まーミドル級までしかいないからまだなんとかなるけどさっ!」

『…エミ、それってフラグってやつなんじゃ』

「ふふーんそんなもん踏み倒してやん」

「ゴァアア“リヴァ」

「oh…」

 

 ついでにと強がりを電波に乗せてみたところ、木々を押しのけながらのそりとラージ級が覗いて思わず口から英語が飛び出す。無線の先の同級生もどこか呆れた気配だ。…ここで即身を案じないあたり、メガネの少女への信頼も感じられるが。

 

『Heyエミ、一応聞くけど大丈夫そう?』

「あー…や、近接型っぽい?まだ小物も残ってるから増援は急いで欲しいけど、砲撃型じゃなければそこまで…かな?」

『分かった。今行ってる子にはこっちから伝えて─その必要ないかも』

「ん?」

 

 おそらく増援の少女の位置を確認したのだろう、司令部に詰めている友人の声に疑問符を返して、次いで近づいてくる風切り音に目を細める。

 

「─シッ」

「メいィ」

「わぁお…」

 

 詠美の視界に映ったのは、同じ百合ヶ丘の制服を纏う一人の少女。聞いた話が正しいならば、詠美の一つ下だ。

 マギによる跳躍補助を水平方向に振り、鋭い一閃をヒュージに与えていたのが先ほどの風切り音の正体であったらしい。

 

「遅れました。増援に来た者です」

「や、むしろ早くて助かったわ。…大物と小物、狩るならどっちがいい?」

 

 挨拶もそこそこに、どこか空気の堅い後輩に冗談がてら話を振る。もちろん大物とは出て来たばかりのラージ級、小物はそれ以外の残存ヒュージのことだ。

 果たして、血をそのまま映し出したかのような赤い目は一瞬疑問に細められた。

 

「…えっと。私はどちらでも構いませんが」

「ほうほう…」

「…?」

 

 返答に笑みを深める。既に彼女も目視しているであろうラージ級でも、まだ数の残っているスモール級などの群れでも、どちらでも倒せるという自信を当たり前のように持っていなければ、今の淡々とした返答はできないだろう。

 それに、と視線を後輩の手元に落とす。諸刃の剣を模した第一世代CHARM…のように見えて、ところどころ謎の可動パーツらしきものが見える。新型であろうそれの実力を、後輩のそれ共々見てみたいという欲求が詠美の中に頭を出してきた。

 

「─よっし決めた。きみ自信ありそうだしラージ級任せてもおけ?」

「了解です。となりますと、先輩は他をお願いしても?」

「もっちのろん!役割分担できるなら頼みたかったしね。むしろ引き受けてくれて助かるわ」

 

 大剣をぶるん!と振るい、気合を入れなおす。後輩の方は未だ表情に疑問符を残しているが、それはそれとして戦士の顔つきに戻し、じわりと近づくラージ級と正対した。

 

「んじゃまぁ…とっとと終わらせて帰ろっか!頼むよ後輩!」

「微力を尽くします」

 

 片や獰猛な笑みを、片や怜悧な目を、互いの敵へと向けて。

 少女二人は、強く地面を蹴った。

 

 

 

 

「いい動きするじゃん」

「ギ#ァ」

「ヒュージは呼んでないし相槌してとも言ってないんだわ。おら沈め!」

「グぷ」

 

 後輩の露払いも先輩の仕事、と言わんばかりに小粒のヒュージの注目をこちらに集めて数分。

 詠美から少し離れた場所で繰り広げられるラージ級との戦闘は、後輩たる少女の技量をしっかりと伝えていた。

 時に距離を取り、冷静に攻撃を見極め、隙を見つけて切り結ぶ。

 時に一気に距離を詰め、大型ヒュージ周辺の高いマギインテンシティ─マギ濃度のこと─の恩恵を目いっぱいに受け、出力を増大させたCHARMを乱舞させる。

 真面目そうな性格から、もう少し教本通りの堅い戦い方をするかと思っていたが、多少のリスクを許容して大胆な一撃を叩き込むのは意外だった。もっとも、ラージ級の攻撃に対してはかなり安全マージンを取って避けているあたり、慎重な側面もあるのかもしれないが。

 小物の掃討を、その分析の間に終わらせ、本格的に観察へと移る─その時に、ラージ級の動きに変化があった。

 

「ぃ、ィィイイ“*がヅ」

「っ」

「危ない!」

 

 再度接近し重い一撃を加えようと近づいたタイミングで、体内に格納されていた追加の触腕をヒュージが振り回す。眼前の少女はその動き自体には対応し、回避行動を取れているが、観察がてら使っていた詠美の『視点』からは、さらに回避地点にちょうど届くように振りかぶられた別の触腕が見えた。

 即座に警告を発し、自前のCHARMを構え、引き金を引く。ベルトリンクに収まった実体弾が大剣の峰を兼ねた機関部に吸い込まれては銃口から吐き出され、弾幕でもって第二の触腕を消し飛ばした。

 

「今!後輩ちゃん行って!」

「っ!」

 

 ラージ級ゆえの巨体に切り札を隠しての一撃という、初見殺しのようなコンボを封殺されたヒュージの動きは一瞬固まっていた。それを見逃すほど百合ヶ丘のリリィは甘くはない。

 詠美の声が届くのと、諸刃の剣を携えた少女が踏み込むのはほぼ同時。射撃型と比べマギを込めやすく、威力の上がる近接型CHARMは、存分に大気中のマギを吸った上でラージ級を奇麗に二分割した。

 

「…は」

「ふぃー…ラージ級一体撃破を確認、と。後輩ちゃんナイスプレー」

 

 息をつく後輩に対し、ぐっじょぶ!と親指を向ける。赤目の後輩は、少し呆けたようにこちらを見て、ゆるく頭を下げようとして─警告が飛んだ。

 

「先輩、後ろ!」

「んあ?─やっべ」

 

 性質上、あまり効率のよくない『視点』を切ったのが良くなかったらしい。後ろを振り向けば、ちょうど飛び出してきたスモール級、それも射撃型が、体内に隠していた銃口をこちらへと向けていた。

 即座に体を振り向けて引き金を引き、がちん!という大きな金属音に血の気が引く。

 

「こんな時に!?」

 

 排莢口に目をやれば、排出されかかった空薬莢が引っかかっていた。まれに起こる装填不良で、空薬莢を外せば元通りに射撃できるが、今のこのタイミングではその時間すら取れない。おまけに、ヒュージとの距離があるせいで大剣部分での攻撃も届かず、射撃体勢を取ったために今から回避を選択する時間的余裕もない。

 

(意外と油断してたかも─っ!)

 

 こんなくだらない死に方では死ねないと、幅広の刀身を盾にするように跳ね上げる。こちらの防御が壊れるのが先か、あちらの攻撃が途切れるかの我慢比べとなることを覚悟した。

 しかし、我慢比べはもう一つの銃声により、早くも決着した。

 

「…およ?」

 

 視界には、弾き飛ばされ爆散するヒュージが。銃声の元へと視線を向ければ、後輩の少女が持つCHARMの刃が真っ二つに割れ、硝煙をたなびかせる銃口が覗いていた。

 ふぅ、と息を入れる声がこちらまで聞こえる。次の瞬間、ガシャガシャという音を立てて銃口が格納され、少女のCHARMは元の両刃剣へと戻った。

 

「よかった、ちゃんと動いてくれた…」

「うおーすっごいねそれ!可変型!?噂の第二世代ってやつ!?」

「なっ」

 

 ばびゅん!と駆け寄って問いかける。もちろん『視界』を再度使って今度こそ周囲の安全化は確認済みだが、いきなり近くに寄られて後輩の少女は面喰っていた。

 

「あ、いやごめん。それよりありがと。助かったわ」

「いえ、別に…それが任務ですので」

「そうだった、元々救援じゃん君。じゃあ二重にお礼言わないと」

「はぁ」

「救援に来てくれたお礼と、さっき助太刀してくれたお礼!あ、あとラージ級の処理頼んだこととか…大丈夫?まだギリギリ中等部生っしょ?怖くなかった?」

「そんな子どもみたいな…」

 

 少し背伸びして撫でようとした手は、綺麗に避けられた。よく見てるじゃん、と詠美は目を細める。たたき上げか、中等部編入組か、確かな実力を持っていることは、先ほどの戦闘からもよく理解できた。

 

「あ、そうだ、アタシ新高等部二年の原沢詠美。さっき相方ぶん投げたところ。君はー?」

「ぶ、ぶん投げた?」

 

 人慣れしていないのか、どこか距離を感じる話し方にはっきりと困惑の色が混じる。実際話していて自分でも首を傾げそうになったが、詠美にとってこれくらいは日常茶飯事なので気にしないことにした。

 気にするとハゲるとは、件の人間砲弾少女に関わる仲間内での定説である。

 対する後輩は、赤目を一瞬疑問に埋めつつ、答えた。

 

丹村凪(にむらなぎ)、新高等部1年生で、詠美様の一年下になります。…これで、よろしいですか?」

 

 あらかた戦闘も終わったようですし、と無線を聞きながら帰る方向に足を向ける凪に、詠美が追加で声をかける。

 

「ちょいまち、ヘイ凪さんよ。ちなみにレギオンとか予備隊ってもう入ってる?」

「ずっとソロのつもりなので、入ってないです」

 

 今日会ってから、一番の声の硬さを感じて。ついでに先ほどまでの戦闘や、新型であろうCHARMを支給されているという事実を勘案して。

 詠美はもう一歩、踏み込んだ。

 

「じゃあさ、ウチ来ない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─さて、美穂。改めて、ようこそ百合ヶ丘へ」

「は、はい!」

 

 防衛軍のヘリが降りた臨時避難場所で、電車で出会った皆さんと別れてから歩いて数分。

 入学パンフレットで何度も見た正門の前で虎春先輩にそう言われ、体にしゃきりと力が入りました。

 そんな私を見て、虎春先輩はくつりと綺麗な笑みを浮かべています。

 

「え、えっと」

「いや、そういう初々しい新入生は久々に見たからな。なんとも微笑ましくて、つい」

「そんなにですか…?」

「うむ。緊張しすぎの肩に力入りすぎだ。おまけに今日は大立ち回りと来た。早めにどこかで気を抜かないと、体が持たないぞ?」

 

 とにもかくにも良く頑張った、と、虎春先輩は子どもにするように頭を撫でてくださいました。

 普段ならばびっくりするところですが、短時間とはいえ虎春先輩の頼れる面や尊敬できるところを多く知ったからか、不思議と嫌な気持ちはしません。…でもこの人、仲間に投げられて空から降ってきたんですよね。そんな考えがどうしても胸中にちらつきます。なんというか、そこも魅力なのでしょうけど、どことなく残念、というか。奇想天外、というか。

 

「話は変わってしまうが美穂、今日は何か予定はあるか?」

「へ?一応、今日が入寮予定の日なので、寮監さんや寮の代表の方から色々とお話があるとか…あとは荷物の整理ですね」

「ふむ…そうか。かなり忙しそうだな」

「すみません…」

「あぁいや、それはこちらの台詞だ。いやしかしうーむ…」

 

 話を切り替えた虎春先輩は、何かを悩んでいるようです。こちらも首を傾げていると、虎春先輩の中で整理がついたようで、もう一度こちらに話しかけてくれました。

 

「…うむ、ならば今日は仕方ないな。ここらで解散としよう。一応、戦闘報告等はこちらでやっておくが、時間ができたら美穂の視点からも誤りがないか確認しておいてくれ。百合ヶ丘のルールに慣れるいい機会にもなるだろうし」

「はい!ありがとうございます」

「それと、もう一つ」

「はい?」

「とりあえず私の連絡先もろもろを渡しておくが…どうしても君を誘いたい場所、というか話がある。受ける受けないは別にして構わないが、余裕ができたらぜひ連絡するか、この工房にこの時間帯に来てくれ」

「はぁ…?」

「その時間帯なら、出撃が入らない限りは私や私の仲間たちがいる。私がいない時は、高川虎春から紹介を受けた誰それだ、と言えば分かるようにもしておこう」

 

 端末の番号や部屋番号を書いたメモを渡され、受け取ります。訪問を楽しみにしているぞ、と澄んだ青の瞳を細めながら、虎春先輩とは一旦そこでお別れになりました。

 

「なんだかよく分かんないな…」

 

 CHARMケースを背負ったまま、ぼんやりと呟きます。…とにかく気を取り直して寮に向かわなければ。

 そうやって一歩踏み出そうとした私を、遠くから、なんだか顔を赤くして見ていた方が複数いらっしゃったようですが…。

 当時の私は、そんな視線にも全く気付くことなく、できるだけ背筋を伸ばしながら校門をくぐりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、こはっちゃんお疲れー」

「エミ」

 

 戦闘報告を終え、廊下を歩く虎春に声がかけられる。視線の先には、ひらりと気安く手を振る相棒の姿があった。

 

「報告もう終わった感じ?アタシはこれからなんだけど。どうだったー救援先」

「うむ、軽い怪我こそしてしまっていたが、全員無傷と言ってもいいところだろう。警護についていた新入生が大立ち回りしてくれていたみたいだな」

「うわ、リトルこはっちゃんじゃん。今年の一年生も苦労するなぁ」

「ふむ?」

 

 りとる…?と首を傾げるのは放っておいて、話を続ける。レギオンこそ組んでいないものの、虎春と詠美は基本的にコンビとして戦闘に参加している。ゆえに、互いがどう戦っていたか、そしてその戦闘で何に気付いたかの共有は、日々変化する互いの癖を知ためにも、雑談の種とするためにも重要であった。

 

「それはそれとしてさ、例の話、進展ありそう?こっちは空振りだったけど」

「む、エミが空ぶるとは…レギオン参加者か?それとも私たちのような決まった相手で動くタイプか」

「いやーありゃ完全ソロだね。見たら分かるよ。昔のアタシみたいだった」

「ほう…」

 

 腕は確かそうだし面白いモン持ってたんだけどねー振られちゃったーと、多少疲労を感じる体を伸ばしながら詠美は続ける。昔の、というところに、相棒の未だ複雑な思いが見て取れた。

 

「…放っておけないな、それは」

「言うと思った、このお人よし武士め。まぁアタシら的にも欲しい人材だと思うよ?スピードも反応力もいいし」

「なら、迷惑になりすぎない範囲で声をかけ続けてみようか。エミもそれでいいか?」

「『迷惑になりすぎない』であって、『迷惑をかけない』って言わないところ、こはっちゃんらしいね…いいよ。報告ついでに、聞き出せる範囲でその子のこと司令部から聞いてくる」

「頼んだ」

 

 こつこつと、廊下にローファーの音が響く。

 大規模な迎撃後とはいえ、3年生が引退した校舎はずいぶんと静かだった。寮の方からも喧噪が聞こえないあたり、新一年生となる後輩たちもほとんど迎撃に出払っているようだった。

 

「あ、そーだそーだこはっちゃんの方どうだったの?ほらさっきのリトルこはっちゃんとかさ」

「リトルこはっちゃんが何を指すかはよくわからんが、新入生の子だな」

 

 静寂に押しつぶされそうなのを嫌って、詠美が話を続ける。色々と規格外なこの相棒が、新入生でありながら目をつけた相手だ。詠美の脳内では件の新入生がぶっ飛んでいるのは確定として扱われているが、そのことを虎春は知らない。

 

「私の見立てが正しければ、かなり特殊な役割を任せられるリリィに成長するだろう。私たちとしても欲しいところだ。『レギオン』に取られる前に、こちらに引き入れたいところだが」

「お、やっぱりやばそうじゃん」

「何がやばいかは知らんが、そうだな…私が見たのは、彼女の心意気や戦闘面以外の能力程度だ。実際の戦闘の場面は、彼女が弾切れだったのもあって見ていない」

「あれ、予想と違う」

「だが、苦難を前に逃げず攻めの一手を選ぶ心意気は生来の、得難いものと感じた。直接戦闘を担当しなくとも、大きな役割を果たすことになるだろう─」

 

 言葉にしながら、虎春は笑みを深める。数年といえどリリィとして戦い培った経験も、彼女はよい戦友になると告げていた。

 

「すんごい高評価じゃん…んでんで、勧誘の結果は?さすがに今年は動かさないとまずいっしょ」

「うむ…まだ詳しく話していない」

「えっそりゃなんで…」

「彼女、補欠合格の高等部編入らしくてな」

「あー…今日入寮と概要説明するんだっけ。広報見たわ」

 

 興味津々といった様子で投げた疑問の答えに、詠美は少し気落ちした。リリィとしてうんぬん以前に、学生として寮の構造や規則を把握する必要がある以上、しばらく新1年生は慌ただしいままだろう。中等部以前から在学している生え抜きならともかく、高等部編入組は慣れるのにより時間はかかるだろうし、何より同室との挨拶もある。すぐには落ち着いた時間は取れないはずだ。

 

「とりあえず連絡先と工房のことは伝えておいた。私はこのまま工房に行って、もしかしたら訪ね人が来るかもしれないと伝えておくよ」

「あ、アタシも後で合流するわ。お茶菓子も購買で買っていくからティーブレイクしようぜこはっちゃん」

「エミの見立てた菓子か。楽しみだな」

 

 おっ任せー!とテンションの高い相方に別れを告げて、工房へと虎春は歩を進める。

 今日の出会いがよい結果をもたらすことを、静かに願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同刻/百合ヶ丘女学院学生寮(2号棟)

 

 

『─凪さん、なんかあったん?』

『いつもの無表情が、ちょっぴり崩れとるんよ』

『…なるほどねぇ。勧誘、受けたらよかったんとちゃう?もちろん、その人たちがどんな人かは、うちは知らんから無責任には言えんけど…』

『…そっか。そうやね。怖いもんね』

『ええんよ。ええ。またなんかあったら、医務室でも工房でも、凪さんの事情把握してくれとるとこに連絡してくれて構わんから』

『職員さんたちも、うちら事情知っとる生徒も、味方やから、な?』

 

「…そんなに心配しなくても、いいのに」

 

 そう呟いてから、人気が少ないとはいえ迂闊だと思い、できるだけ受けるように言われている検診を担当してくれた、京都弁訛りの先輩の声を頭から一旦追い出す。

 2、3年生の住む1号棟と同じく、1年生向けの2号棟も相当に歴史が古い。小声のつぶやきは誰に聞かれるでもなく、品の良い古さを感じさせる木製の壁へと吸い込まれていった。

 

「…誰もいないのね」

 

 エントランスで靴を脱いで、廊下の奥を覗く。1年生とはいえ、多くは中等部から引き続き百合ヶ丘に在学する生え抜きか、数としては少ないが腕に覚えのある者が大半の高等部編入組ばかりなのが百合ヶ丘女学院高等部だ。おおよそ、薄く広く出現したヒュージ迎撃のために駆り出されてまだ戻っていないのだろう。荷物の移動や新学期の準備でちらほら見かけるはずの人影はどこにも見当たらなかった。

 話しかけられるのを好む性分ではないから、今の寮は彼女にとって好ましかった。もっとも、2階にある彼女の部屋が、去年までと異なり部屋割りの都合から二人部屋になることを除けばだが。

 

「…あぁ、もう」

 

 申し訳なさそうに伝える職員の言葉を思い出す。特別寮にも行かず、一般寮に居るのは自分のわがままだし、同室となるのがそのあたりの事情に疎そうな新米リリィとなるのもだいぶ考慮されていると感じる。それでも、どこか心がざわめくのに顔をしかめた。

 だからと言って、自室は自室だし、荷物も少ないとはいえ運び込んでいる以上、今更他の場所に帰る訳にもいかない。大人しく部屋で横にでもなろうか、と階段を上がって、

 

「ぐ…この…立て…ない…!?」

「………えっと」

 

 廊下にへたり込む少女と目が合った。

 黒を基調とした制服は真新しさを感じさせながら、ところどころに埃や煤を付けて矛盾した印象を与える。背負っているライフルケースタイプのCHARMケースは一転して奇麗なままだが、他人ながら重そうに見えた。そうこうしているうちに、へたり込んだこげ茶の髪の少女が、おずおずと口を開く。

 

「…えと」

「…」

「…すみません、今日入寮する者なんですけど、その」

「…」

「…腰、抜けちゃって、えと、ここって…邪魔に、なりますよね?あ、あはは…すみませんちょっと引っ張って横に避けておいてもらえれば治るまでここにいるので…」

「…はぁ…」

 

 無視して帰るべきだ、元から他人とは関わらない方だったじゃないか、と冷めた目で語る声に頷いて、通り抜けようとして…少女の傍にしゃがみこむ。

 

「…あの」

「部屋」

「はい?」

「部屋番号、教えてください。おぶりますから」

 

 ぱぁ、と表情を明るくさせる少女に、自分とは正反対の何かを感じて、心に隙間風が吹く。

 感謝と謝罪を続ける、どこかふわりとした、それでいて何か芯を感じる少女を無言で背負って、部屋番号を聞いた。

 

 とても聞き覚えのある、部屋番号だった。

 

「…同級生なのね」

「へっあっそうなの!?じゃあ今年からよろしく!」

「…お互い敬語外れるんだ…変なの」

 

 一歩を踏み出して、ぎしりと廊下が軋んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

33日後/某所 沿岸部

 

 

 ざしゅ、と肉を切る鈍い音がした。

 白い実験服は既に返り血か自らの出血でところどころが緋色に染まっている。少女が馬乗りにしていた青い服のリリィはと言えば、雑多な傷を作ったまま血の海に沈んでいた。専門的な教育を受けていない少女なりに、情報を聞き出そうとした果てであった。

 

「…当分、追撃は、なし、ね。─げほ」

 

 ふらりと立ち上がった少女は、そのままげほがほとせき込んだ。頭も多少重い。その理由が無茶であることを少女は知っていたが、同時にその無茶が避けられないものであることも良く知っていた。

 

「く、そ、マギバッテリーも残り一本しかも半分…」

 

 たどり着けるのか?と弱音が口から滑りかける。距離どころか具体的なことは何一つ知らない。唯一知るのは、それが彼女に残された、約束を果たすための唯一の手段だということのみ。

 

「ぶっし、集めないと…水と食料、持てるだけ……あぁ全然持ってないじゃない…!」

 

 がさりと、周囲に転がる遺体を漁る。出てきたのはエナジーバーや飴玉程度。いくつか有用そうな道具も手に入れたが、ここ数日満足に食べられていない身としては落胆の方が大きかった。

 だが、うなだれて止まる訳にもいかない。時間は彼女の敵で、彼女の敵全ての味方であったから。

 

「準備、よし。…行かないと」

 

 奪ったリュックに、これまた奪ったわずかばかりの食料と水を詰め、さらに奪った道具を厳選して詰めて背負う。

 一瞬、振り返って、右手が腰のホルスターを撫でる。

 それもふるふると振り払って、呟きと共に、一歩を踏み出した。

 

「約束のために、ユリガオカへ」

 

 




Tips:百合ヶ丘女学院 学生寮

 13年前時点では、高等部校舎の近くにほぼ同規模の1号棟及び2号棟が存在し、1号棟を2・3年生が、2号棟を1年生が利用している。どちらも改修を重ねているものの、特に共用部に良い意味で歴史を感じさせるつくりとなっており、最初のうちは慣れないと言う新入生もいる。
 基本的には2人一部屋であり、同居できるのは同級生のみ。基本的な内装は共通で、シングルベッドとテーブルが各1セットずつ、その他収納やCHARMラックがある程度のシンプルなもの。
 シンプルな部屋を自分流に染めるのは、百合ヶ丘生の日々の楽しみの一つである。

 なお、2号棟がほぼ満室であるのに対し、1号棟は特に年度末に空室が目立つことがある。
 これは、加齢によるスキラー数値の減少に伴う引退・卒業か、戦死が主な要因である。
 どちらにせよ、年度末の1号棟は、引退・戦死による居住者現象により寂しい場所となる場合が多い。


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