黒と銀の巡る道 (茉莉亜)
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第1章 因縁の幕開け
1.東の王者


 

 

 

 

 

 

 

 今年の四月、俺は高校生になった。

 

 

 推薦も使ってないし、受験勉強に追い込みをかけたのは冬からだったから合格は奇跡みたいなもの……つーか本当に奇跡だった。もしダメでも一年遅れるくらい構わないからと、好きなようにさせてくれた爺ちゃんには頭が上がらない。

 この受験で一生分の頭脳労働をした自信があるから、入って授業についてけるかは分からない。けど受かりさえすればこっちのものだ。後はどうにでもなるだろう。

 

 入学式は昨日終わったが、今日も年間予定の説明や部活動紹介なんかを延々と聞かされる退屈な授業ばっかりで他に予定は無い。爺ちゃんは当分の間帰宅が遅くなると言っていたし、俺も放課後の時間は部活に充てようと思っていた。

 

 俺はそのまま真っ直ぐに体育館に向かっていた。

 さすがに伝統校らしく、体育館はでかくて分かりやすい。しかし校舎を見た時も思ったが歴史を感じるというか、もっと言えば古臭い建物だった。中を覗けばバスケ部がオールコートで練習を行っていた。三年のレギュラーらしき人が、ディフェンスを交わしてシュートを決めている様子が遠目に見える。熱気と掛け声で、館内はかなり蒸し暑かった。成程、建物はボロくても部活はまともらしい。

 仮入部希望者は俺以外にも大勢居て、上級生同士の激しい練習を眺めながら、いちいち感動したような声を上げている。出遅れて到着した俺に、何人かが視線を向け、目を見張ったが、気まずそうに逸らしていった。まあ、その反応が普通だろうな。

 婆ちゃんか曾婆ちゃんがロシア人の血を引いていたらしく、その遺伝で俺の髪は生まれつき色が薄い。薄いを通り越して、白い。見ようによっては銀髪にも見える。

 たまに道端でチンピラみたいな連中が紫とかオレンジとかもっとすごい色に染めてたりするから、今じゃありふれた色かもしれない。こういうちゃんとした学校じゃ悪目立ちが凄いけど。

 

 俺も一年生の中にちゃっかり混ざって練習を眺めていると、上級生の一人が俺達に更衣室の場所を教え、さっさと練習着に着替えるよう命じた。

 いつまでも群れていて邪魔だったのだろう。

 

「おらおら、一年共うるせーぞ!! ボサッとしてねーで一列に並んで名前と希望ポジションだけ言いやがれ! ちんたらしてっと轢くぞ!!」

 

 制服から手早く着替え、体育館から戻った矢先に、上級生の一人が怒鳴った。あんまり迫力のある一喝だったので、俺の左隣にいた一年が震えた様子が見える。

 おいおい、今の高校バスケ部ってこういう感じの熱血なのかよ。

 上下関係があるのは分かっているが、先輩風を吹かして怒鳴り散らしてるような連中がいるんだったらうんざりした。レギュラーに混ざってない所を見ると、二年生か? 茶髪の二年は一年生を横に整列させると、端から順番に名前を聞き取り、手にしたクリップボードに手際よく書き取っていった。改めて並ぶと新入生の数は多く、優に三十人は超えている。これが何人残るのかと、どこか他人事のように考えた。

 

「一年の川崎、SG(シューティングガード)希望、と。おら、次! って……裕也?」

「よう兄貴、朝ぶりだな。自己紹介するまでもねえけど、一年の宮地。希望はSF(スモールフォワード)だ」

「ははは、ここでは俺が先輩だぞコラ。敬わねーと撲殺するからな」

 

 俺の右隣にいた茶髪の新入生は、どうやらこの二年と兄弟らしい。ぼんやりと思っていたら、名前を呼ばれたのに反応が遅れた。茶髪の二年がいつの間にか目の前に居て、俺よりもやや高い位置から見下ろしている。

 あんなに口汚い癖に、近くで見た顔が幼くてちょっと戸惑った。俺の異質な髪色を見ても怯んだ様子は無い。

 

「よし、お前。名前とポジション」

「一年の雪野 瑛(ゆきの あきら)です。ポジションは別に……」

 

 特に希望は無かった。昔は固定したポジションについていたが、どこに割り振られてもこなせる自信はある。

 その瞬間、目の前に星が舞った。

 

「っ痛い!?」

「んだ、そのやる気のねー態度は!! おい、他の奴らも聞いとけ! 一年だろーが何だろーが、ここでは容赦は一切しねー! 舐めた態度取ってる奴から締め上げるからな!!」

 

 脳天を貫いた痛みに、思わずうずくまりかけた。茶髪の二年が、持っていたクリープボードで思い切り頭を引っぱたいたのだ。しかも角を使ったぞ、こいつ。めちゃくちゃ痛い。

 

「おいおい宮地、相手は一年なんだ。その辺にしとけよ」

「ああ? 甘い事言ってんじゃねーよ。こういう事は最初が肝心なんだ」

 

 もう一人やってきた坊主頭の二年が、茶髪の二年をなだめている。

 

「お前大丈夫かよ。もうあんな態度取るんじゃねーぞ、兄貴はやる気ねー奴には手加減しねーからな」

 

 と、隣の茶髪の同級生が呆れたように言った。

 忠告だとしたら、もう二分くらい前に頂きたかったものだ。運動部の縦社会の洗礼は、ブランクから復帰した身には刺激が強すぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広々した体育館には、暫くの間上級生の掛け声とドリブルの音、バッシュのスキール音が反響した。ウォーミングアップを終えた俺達は休憩もそこそこに、フットワークに移っている。アップの時点で体力切れを起こした新入生が、入り口の辺りで涼んでいたがすぐどやされた。出る杭にはなりたくないので、俺はさっさと次のメニューに加わっている。

 

「おら一年! 声出てねーぞ!! ほら、そこ! 床に足ついてねーぞ! ちゃんと走れ!!」

 

 先程、俺達の名前を聞いていた茶髪の先輩──宮地清志というらしい──の掛け声が一番大きかった。ほとんど怒鳴り声に近いものだったので、一年は萎縮してしまっている。

 

「っ痛!?」

「休むんなら水分取れ! ここでぶっ倒れんじゃねーぞ」

 

 また視界に星が舞った。

 おいコラ、指示を出すなら口で言えよ口で。

 

 十回目のシャトルランを終えた所で、気を抜いて立ち止まってしまった時だった。宮地兄は口より先に手も足も出る奴らしく、俺は初日から目を付けられていた。ここまで好き勝手に殴られると軽めに殺意が芽生えるが、相手は先輩。俺は忍耐を総動員して殊勝に振る舞っていた。

 

 隣で走っていた、同じ一年部員が気の毒そうにこちらを見ている。おい、止めろ。その哀れみの眼差しは。

 バスケの強豪校というだけあって、入部希望者は全員が経験者であり、練習メニューの運びにも慣れていた。情報に疎い俺は他の入部者までは流石に分からなかったが、入部早々、先輩に怒鳴りつけられて、不満そうな顔をしている奴らが居る事は分かった。

この様子では明日にも、人数は半数くらいに減っているかもしれない。体は疲労が溜まっているのに頭は冷めていて、そんな予想をしていた。

 

 その後ステップのフットワークを数種類やり終え、10分間の休憩に入った。一年生の過半数はぐったりしていて、汗を拭いたり、水分を補給しながら疲れた手足を投げ出している。茶髪の同級生、宮地弟が膝を落としながら息を整えているのが見えたので、飲み物を渡してやった。

 

「大丈夫? 飲んだ方がいいよ」

「お、おう。サンキュー」

 

 俺の髪色を見て一瞬戸惑ったようだが、飲み物は受け取った。すると宮地弟は、感心したように言ってきた。

 

「お前、すげーな。あんなに走ったのにへばってねーのかよ」

「え? あ、いや僕は顔に出ないだけだよ。ついてくのがやっとだって」

 

 中学の時に蓄えた体力が残っていただけなので、謙遜でも無い。

 新入部員のほとんどは体育館の冷たい床に体を投げ出して、熱と疲れを回復させようとしていた。立っているのは片手で数えるくらいだけだったが、俺はそんなに平気な顔をしているように見えたらしい。

 

「宮地君だっけ? あの先輩がお兄さんなの?」

「は? 何で知ってんだよ」

「いや、さっき自己紹介の時に隣で言ってるのが聞こえて」

「え、あー! あれか……」

 

 この同級生は目つきがキツい癖に、話してみれば気さくな奴だった。

 一学年上の兄がバスケ部に入っていて、その繋がりで自分もバスケ部入部を決めていたことや、「東の王者」と言われる強豪校である以上、練習の厳しさも覚悟の上である事を、ポツポツと話していった。

 

「雪野も中学じゃバスケやってたのか?」

「あー、うん。早めに引退したから、結構ブランクあるけどね」

 

 俺がはっきりしない答えを言った時、休憩終了の声が響いた。

 あまり追及されたくない話に進みかけていたので、正直ほっとした。

 休憩明けにはボール練になった。とはいえ、新入部員の人数の都合上、全員が一斉にという訳にはいかない。レギュラーと上級生があくまでも優先であるし、交代でドリブルとパス練習を行っていく。

 ボール捌きには澱みが無いものの、ほぼ初対面同士のパス練習になると拙さはあった。俺はそれよりも中三以来のバスケットボールの感覚が懐かしくなった。あれだけ時間を置いても体が無意識に覚えているから、慣れとは恐ろしい。

 

「調子はどうかな」

「うわあっ!?」

 

 ふと、いきなり人の気配が現れた。

 やや間延びした喋り方。熱気のこもった体育館には不似合いのスーツを着た男性。

 秀徳バスケ部の監督だった。

 

「……驚かせないで下さい。誰かと思いました」

「やあ、すまないね。様子を見に来たかったものだから」

 

 くたびれたような印象がある癖に、どこか掴めなくて、前に会った時も苦手だった。

 本当にただ新入部員の様子を見に来ただけらしく、俺だけでなく、他の一年の様子も眺めていた。

 

「ようこそ、と言いたいけどうちは厳しいからね。これから頑張りなさい」

 

 分かったから早く行ってくれ。

 俺の願いが通じた訳じゃないだろうが、監督は肩だけ軽く叩いてレギュラー陣の方に歩いていった。練習中である事を気遣ってくれたのだろうが、あまり注目されたくもないから、わざわざ声をかけないでほしい。宮地弟が、そのやり取りを怪訝そうに見ているのが分かったが、俺は気付かない振りをした。

 

 頑張れ、と言われたものの、心の中で肩を竦めた。

 ここで俺は、下っ端の下っ端、底辺からのスタートなのだ。いや、中学の部活の規模を比べれば寧ろマイナスだろう。部員の絶対数が段違いだし、ここから5つしかないスタメンの奪い合いなんて気が遠くなる。普通に、平和にバスケしていられたら、今は何も望む事なんて無い。

 

 そう、思っていた筈だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◆◆◇◆◆◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通学路で、毎日蝉の鳴き声をやかましく聞くようになってきた時期だった。

 

 夏、秀徳はインターハイ予選を順調に勝ち進んでいた。

 順調過ぎて、些か面白味に欠けるくらいだ。元々、激戦区である東京は出場校数が多いが、上位は常に三大王者が独占してしまっているらしい。

 大会には一年も応援として勿論集まったが、今回は数名がベンチ入りする事になった。メンバーには下級生では一番背の高い室田、体格のいい金城、……そして何故か俺も呼ばれていた。本当に訳分からん。

 現状は、レギュラーの三年と二年で初戦からほとんどダブルスコアで対戦校を下している。特にこっちでセンターを務めている二年の大坪の働きが大きかった。ベンチから見ても、ゴール下であの先輩に競り勝てる奴は居ないだろう。俺もあんなゴリゴリの筋肉に当たれって言われたら、頼まれたって拒否したいな。

 室田は好戦的な性格なので出場を期待していたようだが、この様子じゃ俺達に出番は無いだろう。そもそも一年なのだ。俺は試合を終えた先輩方へ氷嚢やタオルを渡したり、裏方作業に黙々と励んでいた。強豪校である癖にマネージャーがいないので、こんな時は地味に不便だ。

 

 異変が起きたのは、予選決勝リーグでの第一戦目の出来事だった。

 決勝リーグには秀徳も含めて東京三大王者と言われる高校が出揃っており、正にそうそうたる面子でのリーグ戦が始まろうとしていた。秀徳の一戦目は、その三大王者の名前の列に霞むようにして存在していた無名の高校との対戦だった。

 

「つーか、あそこってどこの学校だよ? お前、知ってる?」

「去年出来た新設校だよ。ほら、ミーティングで監督が話してたでしょ」

 

 ふーん、と室田が興味なさそうに言った。

 監督が言うには対戦校は去年出来たばかりの新設校で、選手も全員一年生だけだ。こっちからすればレギュラーの調整に使ってやっても釣りが出るくらいの格差だろう。

 そんな奴らがよく決勝リーグまで残れたもんだなと思うけど、本当に強いのか、只のマグレ勝ちか。

 

「監督は、あの学校の事知ってるんですか?」

「ああ、うん。ちょっと気になる選手が向こうのチームにいてね。確かセンターをやってる筈なんだが……」

 

 監督が相手チームのメンバーを確認した時、僅かに訝しんだような顔になった。

 俺も人の事を言えないが、あまり表情を変えない監督の様子が少々気にかかる。だが、目の前で始まった試合にいやでも意識は集中する事になった。

 

 試合はやはり、こちらがリードする形で進んでいた。

 が、敵も雑魚って事は無かった。点を取られても取り返し、逆転、は無理でも善戦しているように見える。最初に思ったみたいなワンサイドゲームにはならなかったのが意外だった。

 こっちのメンバーは二、三年ばかりで地力の差が明らかなのは敵も分かっている筈なのに、しぶとく食らいついてる。

 けど、試合らしい試合になっていたのも中盤までだった。第2Qも半分を切った所で、こちらとの点差はじわじわと開き始めた。敵チームにはまともなスコアラーがいないのか? 後半から3Pなんてろくに入ってない。ベンチでは勝利確定の緩い雰囲気が流れているせいで、俺も呑気に敵チームの観察を始めていた。

 

 コート内で異変が起きたのは、その時だった。

 突然響いた鈍い悲鳴が、スキール音とドリブルの音を掻き消した。

 ゴール下に秀徳側のPFが足首を抑えながらうずくまっている姿と、突然の出来事に固まっている敵チームの姿が見える。

 監督がレフェリータイムを取り、異変を訴えたレギュラーが急いで回収されていく。

 担架で人が運ばれていく光景に、一瞬嫌な出来事を思い出して、俺は息を止めていた。監督の説明が耳に届いて、はたと我に返る。

 話によれば、PFである三年の先輩は足首の筋を痛めているらしく、一旦試合から下げるとの事だった。元々オーバーワーク気味であったそうだが、ゴール下に残っていた汗で着地に失敗した事も重なったらしい。

 降って湧いたアクシデントだがベンチのレギュラー陣にそれ程慌てた様子は無いのは流石だと思った。タオルを手渡しながら感心する。ほとんど消化試合に近い内容なのだ、万全のメンバーで無くても勝つ自信はあるのだろう。

 三年の主将が汗を拭いながら、冷静に訊ねた。

 

「しかし監督、牧村の代わりとなると誰にしますか? 体格で言えばやはり太田を入れますか」

「うむ、そうだねえ……」

 

 顎に手を添えながら、監督は何か思案するように黙った。

 不意に、その視線がベンチの隅でぼさっと成り行きを眺めている俺を捉えた。背筋を冷たいものが這うような感覚を感じる。

 

「雪野、お前が出ろ。マークはそのままだ」

「は!?」

 

 声が裏返った。

 レギュラー陣の先輩方は更に驚いたようで、主将が監督に問い直している。

 当たり前だ。いきなりの人選に、ベンチには疑問と困惑が広がっていたが、しばらくして主将は納得してしまった。最初から格下相手の試合であるし、一年を一人くらい投入しても構わない──と判断したのだ。

 いやいやいや、もう少し熟考してほしかった所だ。しかし丁度その時、無情にもタイムアウト終了のブザーが鳴り響いた。

 

「いきなりだが、落ち着いていけ。4番マーク頼んだぞ」

「……はい」

 

 俺を気遣うように、主将が軽く背を叩いた。この状況で俺の意志なんて無いも同然である。出るしかない。緊張なんてしないが、こんな形で出場したくはなかった。

 敵チームの4番マークにつくと、相手からの怪訝そうな視線を感じた。俺もこの状況は予想外そのものなので、密かに失笑が漏れた。

 

「……おい、お前もしかして一年か?」

「そうだけど」

「……ハッ、格下相手には本気出すまでもねえって事かよ」

 

 その4番は、眼鏡をかけた穏和そうな人だったが、随分荒っぽい言葉を使うので驚いた。確かに相手からすれば、馬鹿にされていると思うか。

 

「そんなつもりはないよ。まあ、お手柔らかにね」

「……っなめやがって……!」

 

 今のは余計な一言だっただろうか、と思ったが試合に集中する事にした。

 後半開始のブザーが鳴った。次はこちらが攻撃する番だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インターハイ決勝リーグ、秀徳高校対誠凛高校の試合は161対45の結果で幕を終えた。

 秀徳の予選試合中では、これが最高記録のスコアであったらしい。

 

 俺にとっては、この日の試合が高校で初めての公式試合となった。

 そして近い内に、代理ではなく正式なレギュラーとしてコートに立つ日が来る事を、この時はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 



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2.期待の新人

 

 

 

 

 

 中学デビューとか、高校デビューとかあるだろう。

 

 人によっちゃそれが成功する奴もいるだろうけど、大体の奴は無理して後で黒歴史になる。例えば高校に入っていきなり似合わねー金髪に染めたりとか、似非ヤンキーぶったりとか。

 ……まあ、今時そんなベタな事する奴はいないか。いたら笑っちまいそうだけど。

 

 かくいう俺は、というと。

 

 ある意味高校デビューを果たしていた。

 いや別に髪染めたりピアス開けたりはしていない。んなバカな事今更やらねーし、そもそも地毛が真っ白だから染めなくたって同級生の視線がうるさい。しかも髪の事で初日に五人連続して同じ事聞いてくるし。こっちは忍耐力鍛えに学校来てんじゃねーぞ。別に他人が白髪だろうが金髪だろうがどうでもいいだろ。渋谷とか行って来い、もっとすげー頭の連中がうろうろしてるぞ。

 

 高校生活は今度こそ平和的に、穏やかに過ごすと決めている俺にとっては、無駄に注目なんてされたくなかった。

 

 只でさえ面倒事に巻き込まれてる真っ最中だってのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 秀徳バスケ部に入ってから、俺はなるべく慎ましく一年目を過ごそうとしていた。

 三大王者だの東の王者だの、大層な名前で呼ばれてるここも、結局WC(ウィンターカップ)じゃベスト8で敗れた。

 

 呆気ないもんだ。王者とか言っても勝てない時は勝てない。

 三年の主将達にとっては高校最後の大会だ。一体どんな反応をするかと不謹慎に思っていたら、意外にも涙一つ見せず、何とも爽やかに引退していった。引退式では俺達一年と二年にそれぞれ激励の言葉まで贈っていったくらいだ。

 口煩かった二年の連中も涙をすすり、一年までもらい泣きして、今生の別れみたいな雰囲気になった事が記憶に新しい。あの湿っぽい空間が耐えられず、俺は途中で脱け出していたんだけれど。

 元主将も俺に対して、「お前がこれからは秀徳の中心になれ。頑張れよ」なんて妙に輝いた目で言ってくるから俺は曖昧に笑うしか出来なかった。

 

 一年の時のIH(インターハイ)予選の日から俺は正式にレギュラーになり、試合に出されていた。あの試合だけの例外かと思ったのに、負傷した三年の怪我が思ったより重傷だったようで、復帰させる訳にもいかずなし崩し的に俺がそのポジションに収まった。

 同級生の宮地弟なんかは「監督もお前に期待してるんじゃねーの? 何ビビッてんだよ、ったく先越されちまったぜ」と暑苦しく言って、背中をバシバシ叩いてきた。

 誰も彼も俺の意志を無視するな。

 唯一の一年レギュラーなんて妬みがあるに決まってるし、他の上級生からすればパシリと変わらねーし、良い事なんて一つも無い。WCで負けた時、他のレギュラーから何も責任を押し付けられなかつたのはちょっと驚いたけど。

 

 三年が居なくなってからはすぐ追試と期末試験という名の新しい地獄を見る事になったり、やっぱり赤点の連続で血を吐く事になったり色々あって、苦労の果てに俺は高校二年目の春を迎えている。

 

「そういえば雪野。今年はバスケ部すごい事になるんじゃねーの? 

 聞いたけど、あのキセキの世代が入るんだろ?」

「ああ、よく知らないけど、そうみたいだね」

「いや、お前は知ってなきゃダメな事だろ! 

 ……え、つーかマジで知らねーの!? 今週の月バスに特集載ってるぜ? 貸すか?」

 

 HR前の数分、教室で俺に話しかけていた同級生は強引に一冊の雑誌を押し付けてきた。月間バスケの今月号である。

 

「月バス……?」

「今月の奴マジで面白えーから! ほら青峰(あおみね)桐皇(とうおう)行っただろ? 

 あ、青峰は流石に分かるよな? それで他の学校とのパワーバランスがどうなるかってのを書いててすっげー面白いぜ!」

 

 俺としては、確かアーチェリー部だとか言ってたこいつが何でそんなにバスケ界に詳しいのかも気になった。え、何、俺がそんなに世間知らずなの? 

 

 バスケ選手、特に中高生の学生層を中心にして構成されているから、部内でも情報源の一つとして何冊かまとめて置かれている。俺はぶっちゃけ、他の学校の事まで気にしていられない状況だったから、この雑誌の存在自体を忘れていた。入学してから数カ月の間は、バスケの勘を取り戻す事と、クラスでまともに人間関係を築く事に必死だった。

 わざわざ渡してくれた同級生には礼を言い、俺はその月バスを一旦預かる事にした。その号の見出しは『「俺に勝てるのは俺だけだ」──コートを蹂躙する漆黒の野獣。青峰に迫る!』

 ……バスケの雑誌、だよな? これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 勝っても負けても部の練習がオフになる事は無い。

 ぶっちゃけ週に四回くらいは朝練さぼりてーと思っているけれど、そんな事したら宮地兄による校内轢き回しの刑に処される事は確実なので想像するのみだ。まっ、入部初日にここの空気とか雰囲気をいやって程学んでからは、上級生の機嫌の取り方を何となく掴んでいった。

 ちなみに本日の二年、つまり現三年は全体的にイラついているように見えた。空気がピリピリしている。特に宮地兄が苛立っているように見えた。だからって後輩に当たらないでほしいもんだ。

 

「……宮地さんも主将も、何だかイライラしてる?」

「呑気だなお前は。今日、あの新入部員が来るだろ。だからイラついてんじゃね」

 

 同じ二年部員の室田が言った。その時決めたシュートがリングに弾かれて、チッと舌打ちが聞こえる。

 同時期に入部したのに、俺が先にレギュラーになったせいか、沸点の低いこいつはたまに嫌味を言ってきて鬱陶しい。文句なら監督に言えっての。

 

 今年のバスケ部入部希望者が、ぞろぞろ体育館に入ってきたのはそれから数分後の事だった。右も左も勝手が分からない一年坊主達が、恐る恐る体育館に入っていく様子は過去の自分を思い出すが、ここまで頼りない感じじゃなかった……筈だ。

 三年の先輩方は練習を続けているから、新入生の受付や仕切りは俺達の仕事だ。一年の時も雑用ばっかで面倒臭かったけど、今年も今年でストレスが溜まりそうだ。一年の人数は相変わらず多い。俺達の代と変わらないか、それより少し多めなくらいか。これがまた半分以上減っていくのかと思うと、この受付作業も虚しさしか無い。

 

 で、ずらりと並ぶ一年坊主達の列の中に──―「噂の新人」とやらは居た。

 監督から事前に、上級生とレギュラーのみを集めたミーティングで知らされていたが、実物を見るのは初めてだ。それにしても分かりやすい見た目だから、一目でそいつだと分かった。

 

 黒髪の一年坊主共の群れの中に、一人だけ鮮やかな緑色の髪が際立っていた。その上、やたらでかい奴で頭一つくらいひょっこり飛び出ている。

 俺だって180㎝と少しはあるから男子の平均以上だ。なのに、その一年は俺の10㎝は軽く目線が上にあった。緑色の髪に、しかも緑の目ときた。

 こいつ本当に日本人かと言いたくなるカラーリングだが、それ以外はお手本みたいにきっちりした見た目の奴だ。バスケよりも部屋の中でPCとかいじってる方が似合いそうな気がする。

 

 その新人をちらりと見ながら、俺は目の前の一年から名前を聞いた。

 

「じゃあ名前と希望のポジション言って」

「うぃっス! 高尾和成(たかおかずなり)PG(ポイントガード)希望です。よろしくお願いします!」

 

 丁度、俺の前にいた一年は俺よりも背が低い奴で、元気よく挨拶した。うんうん、この辺りが普通の身長なんだよ。この部は宮地兄や現主将も含めて平均身長がちょっとおかしい。

 そしてすぐ、緑頭の番になった。

 間近で見ると、そいつは何だか生白い顔をしていて、監督から聞いていなければ評判の選手だなんてとても思えなかっただろう。確かにでかいけど、どっちかと言うと細長い印象の体格だし。

 噂を限りなく疑わしく思いながら、俺はそいつの名前を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

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 この春、新体制の元でバスケ部が始まる前、新三年生とレギュラーを集めたミーティングが行われた。そこで監督が告げた言葉は、特に三年にとっては残酷な一言だった。

 

「もう知っている者も居ると思うが、帝光中の緑間真太郎(みどりましんたろう)君が来年度から秀徳に来る事が決まった。これから、ゲームメイクやチームの中心は緑間になる。大坪、そしてお前達もそのつもりでやっていてくれ」

 

 新しく主将になった大坪は、神妙な顔をしてその言葉を聞き入っていた。

 そして他の三年の宮地兄や木村達は何も言わなかったが、皆これから部活で起きる波乱は予感しているんだろう。

 全中三連覇を果たした天才集団「キセキの世代」

 その内の一人が、ここに来るらしい。

 上級生達は言葉こそ発していないが、誰もがこれから起きるポジション争いとレギュラー落ちの予感を察している。その緊張が空気を刺々しくしていた。

 

 俺だけが唯一お気楽な表情をしていたから、宮地兄に怒鳴られるのも尤もな事だった。「キセキ」だとか一体誰のネーミングセンスなのか考え込んでいたからな。

 

「おい、雪野。お前もぼけっとしてんじゃねーぞ。うかうかしてたらレギュラーなんてすぐ取り換えになるんだからな」

「すいません、それは分かってます。あの、緑間真太郎ってどんな選手なんですか?」

「ああ!?」

 

 宮地兄は笑顔だが、目は相変わらず笑っていないから器用なもんだ。

 それでも自分の知ってる事を教えてくれる辺り、この人も言ってる事とやってる事が結構あべこべだ。

 

 宮地兄が言うには、緑間真太郎は「キセキの世代」でも№1のシューターで、特に3Pは百発百中と太鼓判が押されている選手らしい。実物を見た事もなく、月バスで記事を斜め読みくらいしかしてない俺には、説明されてもどっかの物語を聞かされているような気分だったが。

 いやだって、3Pが百発百中って何のギャグだよ。笑えねーよ。

 プロの世界だって3Pの確率は5割切ってるんだぜ、ビッグマウス過ぎる。

「キセキの世代」とか大袈裟な名前付けられてるけど、どうせ月バスの編集部が売上目的であんな馬鹿げた見出しとネーミングを付けて、その評判が独り歩きしてるんだろ──と。

 

 この時の俺はまだ笑っていられた。

 バスケの常識をぶっ壊すような化物の事を、知らないでいられた時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 練習が始まって二十分もすれば、俺の中にあったあらゆる価値観とか常識は叩き壊される事になった。

 

 緑頭の一年生、緑間真太郎は本当に「天才」だった。

 一年の実力を計る為に行われたシュート練で、こいつはバスケ部全員の度肝を抜いた。

 自分に注目が集まっている事を自覚しているのか、緑間はわざわざ3Pシュートをやってみせたが、評判通り只の一度もシュートを落とさなかった。二連続、三連続とゴールを決めた時には感心するぐらいだった体育館内の目線が、五連続あたりから不審に代わり、十本連続で決めた時には周囲は静まり返っていた。ついでに言うと、体育館中の視線を涼しい顔して無視し、次のメニューに取り掛かった緑間には何かムカついた。

 二年の俺達でさえ、未だにバテているウォームアップと基礎練習の地獄の組み合わせをこなして息一つ乱していない。汗は掻いていたから疲れはあるんだろうけど、一人だけケロッとしやがって。

 

 とにかく初日の数分で、「キセキ」の天才様はバスケ部全員の注目を集めて、恐らく全員の敵意も集めていた。

 俺も言葉が出てこなかったが、同時に、何かめんどくせー奴、と思う。

 才能があるのは充分分かったけど、わざわざ自分から敵を作りにいかなくてもいいだろう。まだ一年だってのに、上級生から反感買ってどうするんだっての。それとも天才様は誰でもこれくらい面倒臭いものなのか。

 

 そう思った矢先に、早速揉め事は起きた。

 

 

「は? 何言ってんだお前、コートはレギュラーが使ってんだろーが」

「では一つ使わせてもらえませんか。俺はシュート練がしたいです」

「んだと、てめっ……」

「おい、そこ! 何くっちゃべってんだ!」

 

 

 下級生はパス練習を移るという時、緑間はシュート練習を続けたいだの言い出した。室田があと少しで手を上げそうだったので止めるのに苦労した。やり取りを聞きつけた宮地兄が加わって、結局二人共叱られたけど。

 聞き入れてもらえなかった緑間は、いかにも不満たらたらという様子で一年の練習に戻っていった。いや、当たり前だろ! と心の中で、そのデカい図体に叫ぶ。何であんな頼み方で大丈夫だと思ったんだよ。せめて頭を下げるとか言い方とか……こう、もう少しやり方があるだろ! 

 

「……何っなんだよあの一年! キセキの世代だか何だかしらねーけど調子乗りすぎだろ! 

 こっちは先輩だぞ!? あの態度! 自分が一番偉いとでも思ってんのかよ!」

「ちょっと落ち着きなよ、室田君……」

 

 怒り狂っている同級生をなだめたが、俺もまあその辺は同意見だ。

「天才」が何を考えてるかなんて知らないが、やっぱり能力のある奴は高慢ちきっていうテンプレなのか。

 宮地兄に怒鳴られても眉一つ動かしてなかった、あのロボットみたいな表情からは何も読み取れなかった。

 

 あんなとんでもない人材を入れたって事は、監督は今年こそ全国制覇を視野に入れてチームを編成しようとしているんだろう。

 それはいいとしても、初日からこの調子でこの先大丈夫なのか。

 当の本人はこっちの騒ぎなんて知らぬ存ぜぬっていう顔でパス練をしている。黒髪の一年が相手をしていたけど、パスの相手くらいはいた事にちょっと驚いた。

 天才は天才でもちょっと変わった奴みたいだし、これから三年の先輩達と板挟みで、苦労するのはどう考えても二年の俺達だ。憂鬱過ぎる。

 

「……ん? 何これ」

 

 体育館の壁に、タオルと共に立て掛けるようにして置いてあったのは皿だった。

 食い物とかを乗せる、あの皿だ。

 しかも結構な大皿で、種類は知らないが高級品なんじゃないか? 何でいきなりこんなものがあるのか知らないが、危ないだけだ。

 

「それは俺のです」

「は?」

 

 俺が皿を片付けようとした時、緑頭の長身が立ち塞がった。

 いつの間にやって来たのか、緑間真太郎君である。目の前に立たれて見下ろされると、一年らしくない威圧感があった。一体何を食ったらこんなデカく育つんだよ。

 

「え? 緑間君の? ……何でこんなもの部活に持ってきてるの?」

「おは朝のラッキーアイテムだからです。

 かに座は今日10位。ラッキーアイテムの大皿を片時も手放す訳にはいきません」

「………………へー」

 

 大皿を渡してやると、緑間は丁重な手つきで受け取ってから、また自分のタオルと共に置いた。これでよし、と言わんばかりの様子で練習に戻っていく。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 前言撤回。

 とんでもなく変わってる一年の面倒を見なければならなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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3.黄瀬涼太

 

 

 

 

 

 ある休日、爺ちゃんがこんな事を言い出したのが始まりだった。

 

 

「ねぇ(あきら)君。お使い頼まれてくれませんか?」

「は? 急に何」

「ほら、今日海常にキセリョが来てるでしょ? サインもらいに行って下さいよ」

「?? キセ、リョ? 何それ」

 

 起き抜けに意味不明の単語を言われて固まったが、爺ちゃんは鼻で笑って、俺の疑問符を吹き飛ばした。明らかに今、小馬鹿にしただろ。

 

 色気もそっけもない俺の白髪頭と違って、染めた爺ちゃんのプラチナブロンドはお手本のようにいつもキラキラ煌めている。年はとっくに50代も半ばの筈なのに、元々童顔で、小柄な体格であるせいか、いつ見ても年齢不詳の外見だ。

 俺も爺ちゃんと暮らし始めてやっと二年と少しになるけれど、見た目どころか未だにその実態は謎に包まれていた。分かっている事と言えば、ひたすら自由な人、って事くらい。

 

「瑛君……いくらテレビ見ないからって、キセリョも知らないなんてダメですよ? 

 世間の流れっていうのは毎日毎日、進んでいるものなんですから」

「いや……別に俺だけ知らないなんて事はねーだろ」

「瑛君達の世代じゃ常識の人ですよ。いい機会なんですし、会いに行ってみればいいじゃないですか」

 

 今日は二年に進級してからずっと続いていたバスケ部の練習が、久しぶりに休みになった貴重な安息日だ。一日中だらだらして過ごすと決めていた俺にとっては、非常に面倒な申し出だった。

 

「そんなに言うなら爺ちゃんが行けばいいだろ」

「だって私はこれからサーシャを迎えに行かないといけませんし」

「またいい歳して、どこの女引っ掛けてるんだよ……」

「人聞きが悪いですねー皆、私の大切な友人でありガールフレンドなんですから。

 そういう瑛君こそ、彼女の一人や二人いないんですか? 高校に入ってから、友達とだって遊ばれてないじゃないですか」

 

 余計なお世話だ。別に普段バスケ部が忙しいだけで、友人を作る暇が無いだけだっての。それに彼女は二人も何人も作るもんじゃない。交友関係が異常に広い爺ちゃんの基準と一緒にしないでもらいたい。

 

「外に出ないから何も出会いが生まれないんですよ。ほら、キセリョはモデルですよ? とっても綺麗な子だって聞くし……お近づきになりたいとか、思いません?」

「お近づきねえ……」

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 という経緯で、俺は折角の休日であるのに愛車を走らせ、「キセリョ」を拝みに目的地に向かっていた。日曜の午前中なんて寝るかゲームする以外に何もしていたくない。まあ小遣いはもらえたし、もっと言えば爺ちゃんが言ってた「キセリョ」の情報にちょっとだけ釣られた。

 仕方がないだろう。俺だって健全な男子高校生、しかもこの頃毎日放課後は、暑苦しい先輩方と面倒な後輩に挟まれての部活部活の日々だ。モデルでも何でもいいけれど、可愛い女子でも眺めて目の保養にしたい気分も少しはあった。

 

 日曜の午前中でも、そこそこ空いている道路を問題無く通過していた時だった。

 俺の視界に、最近とても見覚えのある緑色がちらついた。

 

 

「…………え、緑間、君……?」

「はい?」

 

 

 歩道をてくてくと、一人でマイペースに歩いていた大男が反応した。

 予想通り、我が秀徳バスケ部の一年坊主。入部初日から全上級生の反感を買いまくった問題児、緑間真太郎である。

 完全に私服である俺とは対照的に、緑間は休日なのに制服を着て、襟のボタンまでしっかり留めている。何かの式典の帰りか、とでも言うような隙の無い姿には少し威圧された。こいつと話すのは未だに慣れない。話す度にこっちの目を真正面から見てくるもんだから調子が狂う。

 

 このまま気付かない振りをすればよかったのに、と思ったが、こうなれば会話を続けるしかない。何せ俺はバスケ部では「温厚で優しい先輩」として通っているのだ。

 

「どうしたの? こんな所に一人で」

「…………雪野さんこそ。……それは一体?」

 

 俺の名前を覚えている事にちょっと感動したが、緑間の顔には分かりやすく不審感が浮かんでいた。まあ、今の俺を見たら誰でもそう思うか。

 

「僕、バイクの免許取ってるんだよ。遠出する時には結構乗るんだ」

「…………秀徳では校則違反なのでは?」

「許可をもらえれば一応大丈夫だよ。まあ、先生達も薦めてはいないから、皆もほとんど乗ってないけどね」

 

 嘘は言ってない。秀徳ではやむを得ない事情がある場合に限り、バイクに乗る事も許可されている。けどそれは事情がある時の例外的なもので、通学時は禁止だし、休日に乗り回してるのを見つかったらぶっちゃけ退学に関わる問題だ。

 俺だって自分からそんな危ない橋に首を突っ込んだりはしない。今日わざわざ乗ってきたのも、ここが秀徳の通学圏内から離れているから使っただけだ。まあ後は、電車とかよりこっちの方が、単純に気分が良いってのもあるけど。

 

 その説明では、緑間はあっさり納得しないようだった。

 いかにも優等生な見た目だし、ルールにうるさいタイプなのかもしれない。こいつが持ち込んでくるおかしなアイテムの方がよっぽどルール違反だと言いたいけどな。

 

「緑間君もどっかに用事?」

「この先でやっている、海常と誠凛の練習試合を見に行く所です」

「えっ?」

「え?」

 

 そこは俺の目的地だった。

 

「……すごい偶然だね。僕もそこに行く途中なんだ」

「……そうですか」

「よかったら、乗ってく?」

 

 いっつも取り澄ましてる緑間の顔が、その時ポカンと間抜け面になったのは面白かった。こういうのを鳩が豆鉄砲を食ったような顔と言うんだろうな。

 

「……いえ、結構です。自分で歩いて行きます」

「でも、もうとっくに始まってる時間でしょ。今から歩いていったら試合もほとんど終わっちゃうんじゃないの? これで行った方が早いよ」

「……ですが」

「校則が気になる? でもそんな事気にして用事に間に合わなかったら後悔するのは自分なんじゃない? 緊急事態なんだし、もしバレても大丈夫だよ」

 

 かなり強引な理屈だったが、手渡した予備のヘルメットを緑間は受け取った。

 試合に間に合わないかも、という点がこいつの背を押したらしい。俺も心の中で安堵する。

 本心から気遣った訳じゃない。これで緑間も共犯にしておけば、こいつの口からバイクの事が告げ口される心配は無いという、半分は打算だ。

 

「じゃあそれ被って、ここ乗って。僕に捕まっててね。運転中は絶対に動かず、体を離さないように。…………ていうか、それは何?」

「今日のかに座のラッキーアイテム、カエルのおもちゃです」

「ああ、そう……」

 

 緑間の左手に乗せられているカエルのおもちゃの円らな瞳と目が合う。目眩がしそうだったが、気をしっかり持った。

 ここ数週間の部活で、もうこいつのゲン担ぎへの異常なこだわりは分かっていた。それはもう嫌になるくらいに。

 名前はケロ助です、と緑間の律儀な解説に、俺は生返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 緑間を後ろに乗せ、ややスピードを上げながら目的地に向かう。道は混雑していなかったので、数分後には海常高校の門扉が見えてきた。駐輪場にバイクを停めると、緑間に降りるように促して、俺も愛車から降りる。

 緑間は俺の言葉に従って長身を大人しく丸めてしがみついていたので、乗せて走る事は苦じゃなかった。

 

「……ありがとうございました」

「どういたしまして」

 

 ヘルメットを返しながら緑間が言った。言葉の割に表情は固いが、こういう所は律儀な奴だ。

 だが到着するなり、さっさとどこかへ向けて歩き出してしまった。あまりにも足取りに迷いが無いから道順を知っているのかと思ったが、何となく気になって、その後ろ姿に声をかけた。

 

「ねえ、緑間君。えーと、試合の会場は分かるの?」

「ここの第一体育館だと聞いています」

「いや、そうじゃなくて。行き道とか、さ」

「問題ありません」

 

 それだけですか? と緑間は無言で問うと、俺が何も言ってこない事を見て取って、さっさと行ってしまった。いきなり友好的になるとは思ってないが、ものの数秒で分厚いシャッターを下ろされてしまった。大坪主将や、宮地兄があいつに対して協調性やチームワークの事を懇々と諭していた意味が少しだけ分かった気がした。

 まあ、俺も人の事をあれこれ言えた義理じゃねーか。自分に対して苦笑して、俺は緑間の後を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 歓声は外にまで響き渡っていた。

 海常なんて俺も来るのは初めてだったが、第一体育館の場所はすぐに分かった。バスケットボールの音とバッシュのスキール音、何よりも女子の黄色い声援が外にまで漏れているから何事かと思う程だ。

 試合もとっくに始まっている時間だろうし、扉も締め切られているんじゃないかと思っていたが、正面の硝子通しの玄関は解放されたままだった。俺達と同じように試合を観戦しに来ている学生が、一人、また一人と体育館に飛び込んでいる。ほぼ女子だけど。

 

「緑間君、そんなにこの試合が気になるの?」

「……いえ、別に。昔のチームメイトが出ているから見に来ただけです」

 

 気になるって事じゃねーか。

 俺としては、目的は「キセリョ」とかいうモデルを探す事だから、この練習試合に興味は全く無い。こんな事言ったら宮地兄あたりに、レギュラーの自覚がねーぞ、とか怒鳴られそうだ。普段から部活で扱き上げられてるってのに、たまの休みくらいバスケを忘れてたって罰は当たらないだろう。

 

「……なら、もうちょっと中に入って観れば?」

「ここで充分です」

 

 下足場でお行儀良く靴を脱いでスリッパに履き替えていた緑間は、体育館の中が見えるか見えないかというギリギリの位置で佇んだ。

 まあ、それ以上進もうと思ったら、正面扉の前でたむろして試合観戦している女子の群れをかき分けなければいけないから、こいつにとってはこれが英断なのかもしれない。

 つーか本当、何なんだよこの女子の集団。どっちかのチームの応援に来てるのか知らねーけど、女子の割合多すぎねえ? 

 俺も緑間のやや後ろくらいに位置取り、試合のスコアが見えないか中を伺った。

 すると、緑間が訝しむように俺を見やった。

 

「雪野さんは、他に用があったのでは?」

「いや、そんな急ぎの用じゃないからいいよ。ちょっとだけ見て行こうかと思って」

 

 というか、こいつと会話が成立している事に驚いた。

 練習じゃほとんど一匹狼だし、自分以外興味ねーぜ、みたいな顔してるんだもんな、この緑頭。

 

 成り行きで試合を見る事になってしまったが、コートの中は練習試合とは思えないくらいに白熱していた。

 青いユニフォームと白いユニフォームはどちらも譲らずにボールを奪い合い、鍔迫り合いのようにゴールを往復する。いつまで経っても他校のチームと名前を覚えるのは苦手だったから、俺はどちらの高校が格上なのか知らない。けど予備知識無しで見ても、二つの高校はほとんど互角に思えた。

 ふと、頭の片隅で何か引っかかるようなものを感じる。

 青いユニが海常高校だろう。そして相手校の白いユニのチーム。どこかであの柄を見たような気がしたけど……気のせいか? 

 

 そんな事をちょっと思っている間に、試合はいつの間にかダンクの打ち合いになった。

 海常の7番がダンクを決める度に、女子から黄色い歓声がきゃーきゃー上がる。あの金髪目当てで皆来てるのか。俺は一気に白ユニのチームを応援したくなった。

 にしても、何の意地だっていうくらいに、両チームはダンクを打って打って打ちまくっている。いや、ちゃんと点数になってるからいいんだろうけど、何でそんなダンクにこだわる必要があるんだよ? ちらっと横を見ると、緑間も面白く無さそうな表情で……元々こいつはつまんなそうな顔か、うん。

 

 3P決めるとかフェイント仕掛けるとか、他の方法だってあるだろうに。

 どうも俺は突き放した目線で見てしまうから、周りの観客から盛り上がった声援が出ていても、テンションは低いままだった。そうこうしている間に試合の残り時間も2分を切った。二つのチームは追い抜き、追い付きを繰り返している。点差はほとんど無いように見えたが、海常の方が少し優勢か? 白ユニのチームもよく食らい付いてるもんだ。

 あんなに形振り構わずやれるのは感心する。中学の時なら俺もそうだったかもしれないけれど、試合であんな風に必死になった事がいつだったか、もう忘れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 直前まで点数の変動は続いたが、最後は白ユニチーム側の10番がブザービーターを決めた事が決定的となり、その試合は白ユニのチーム──誠凛高校と言うらしい──の勝利で終わった。練習試合とはいえ、海常側が負けた事がよっぽど衝撃だったのか、さっきまで騒いでいた女子達にも別の意味でざわめきが生まれている。

 

「……そうだ」

「どうかしたのですか?」

 

 俺の呟きを、意外にも緑間が拾った。

 

「いや、大した事じゃないんだけどね……キセリョのサインもらって来てって言われてたんだった」

 

 試合の展開に思いがけず見入っていて、綺麗さっぱり忘れてた。というか、そのモデルが海常のどこに居るかも聞いてないのに、どうやって探そう。早くも面倒臭さが生まれてきた。

 

「…………黄瀬のサインが欲しいのですか?」

「キセ? あ、あーキセリョね……僕は別に興味ないけど、ちょっと家族に頼まれて。……ここで撮影とかしてる筈なんだけど、どこに居るのか緑間君は知ってる?」

「居るじゃないですか」

「は?」

「ですから、あそこに」

 

 こいつの端的に話す癖は何とか改善出来ないのか。

 そう思いながら、緑間が指し示す方向に目を向ける。体育館の中で、練習試合を終えた誠凛と海常のチームがそれぞれ集まり、労い合っている光景が見える。

 その中で、海常から一人、金髪の7番が脱け出して外に歩いて行く姿があった。

 と、周りで歓声を上げていた女子達の声が、今になってはっきり情報として耳に聞こえてくる。

 

「黄瀬君かわいそう~途中まで勝ってたのに~」

「ていうか、絶対何かの間違いだって! 最後もう試合終わってたじゃん!」

「今度また差し入れ持って行こうよ! 黄瀬君、きっと落ち込んでるよ~」

 

 俺は思わず、呟いた。

 

「え……キセリョって、男…………?」

 

 隣の緑間が、呆れ返った顔で眼鏡の位置を直していた。

 

 

 

 

 

 

 体育館裏にあった水道場に一人、キセリョこと黄瀬涼太は居た。蛇口から水をシャワーのようにぶちまけて、頭から冷水を被っている。頭を冷やしてるつもりなのか、あれは。

 そして緑間はそのでかい図体を全く隠そうともせず、堂々と黄瀬に近づいていった。おい、最初から会うつもりだったんなら、こそこそしなくてよかったじゃねーか、と言葉が出かかる。

 人の気配に気付いたのか、黄瀬が顔を上げた。

 金髪に長い睫毛。間近で見ると、あの女の子達が騒ぐのも納得するぐらいの整った顔立ちのイケメンだった。今の状態は文字通りに水も滴る何とやら、って奴だろう。本当に男だ……という落胆も感じたが、こいつと緑間が並んでいる空間だけまるで別世界のような雰囲気があった。事実、こいつらの視界に俺は入っていないらしい。

 

「見に来てたんすね、緑間っち」

「……まあ、どちらが勝っても不快な試合だったがな。

 猿でも出来るダンクの応酬。運命に選ばれるはずもない」

「中学以来っすねー。お久しぶりっス」

 

 察するに、この二人は同中のようだ。緑間の口調が気安いのもそのせいか。

 ダンクでも何でも入ればいいじゃん、という事を黄瀬が口を尖らせて抗議している。その意見は俺も同感だった。

 

「近くからは入れて当然。シュートは遠くから決めてこそ価値があるのだ。人事を尽くして天命を待つ、という言葉を習わなかったのか? 

 まず最善の努力。そこから初めて、運命に選ばれる資格を得るのだよ」

 

 言って、用意のいい事に黄瀬にタオルを放ってやる。

 

「俺は人事を尽くしている。そしておは朝占いのラッキーアイテムは必ず身に付けている。

 ちなみに今日はカエルのおもちゃだ。だから俺のシュートは落ちん」

 

 おい、この緑間すげー喋るぞ。

「シュート練がしたいです」か「占いの順位が悪い」くらいしか主張せず、それ以外は部活中でも失礼なくらい沈黙している緑間がベラベラ喋っているのはちょっと不気味だった。

 それとも、こっちがこの後輩の素顔なのか。

 何にしても、変人ぶりは振り切れている。黄瀬も形の良い眉をはの字にして、「意味分かんない」って顔してる。俺も理解不能だし。

 

「俺より、黒子っちに会っていかなくていいんスか」

「必要ない。B型の俺とA型のあいつは、相性が最悪なのだよ」

 

 どこの女子だよ! 

 百歩譲ってラッキーアイテムはいいとして、血液型ってこだわる意味は絶対無いだろ。

 

「確かにあいつのスタイルは認めているし、むしろ尊敬すらしている。

 だが誠凛などという無名の新設校に行ったのはいただけない。地区予選で当たるから来てみたが、正直話にならないな」

 

 この後輩に「尊敬」なんて感情があった事が俺は驚きだ。

 いや、この天才様に対しては、もういちいち疑問を持つ事を諦めたいいのかもしれない。

 

「……つーか、誰っスか? その人」

「バスケ部の先輩なのだよ。お前のサインが欲しいというから一緒に来た」

 

 と、緑間の背に隠れるようにして佇んでいた俺に、黄瀬が視線を向けた。

 今やっと気づいたみたいな顔してるけど、最初から居たからな俺は。

 一年後輩とはいえ初対面の相手なので、俺は精一杯にこやかに微笑んで見せた。

 

「急にごめんね、初めまして。秀徳二年の雪野です」

「はあ、どうも。で? サインとかなら書くっスけど」

「ああ……うん。ちょっと家族に頼まれてて、これにお願いしてもいい?」

 

 爺ちゃんに持たされた手帳とペンを黄瀬に渡すと、10秒とかからずにサインを書いて俺に返してくれた。いかにも芸能人らしいちょっと崩れた筆跡のサインが紙に踊っている。書き慣れているんだろう。

 あっさり書いてくれたのは助かるが、何か鼻について感じるのは、俺の心が狭いからなのか。

 

「フン、相変わらず訳の分からん字を書くのだよ」

「ちょっ、訳分かんないって酷くないっスか!? 

 これでも事務所の方に書き方色々ダメ出しされて、それで決ま、って……──」

 

 ふと、黄瀬の言葉が途切れ、睫毛に縁取られた瞳が緑間や俺の更に後ろを見つめた。

 俺達も自然と、その目線の先を振り返る。

 

 その方向には、海常の体育館からぞろぞろと列をなして出て行く、白いユニフォームの一団がいた。

 誠凛高校だ。

 黄瀬と競ってダンクを決めていた長身の10番の姿もある。先頭にいる女子はマネージャーか何かか。

 

 

「……あ」

 

 

 先頭をいく、眼鏡をかけた男の横顔が見えた時、俺の記憶の蓋が唐突に開いた。

 

「……雪野さん?」

「ああ、いや、別に」

 

 そうだ、そうだった。今やっと思い出した。

 去年のIHの予選決勝リーグ。あの高校と戦った試合が、秀徳での俺の初の公式試合だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緑間ぁ! 勝手に行くんじゃねーよ! 渋滞に捕まって、こっちはすげー恥ずかしかったんだからな!」

 

 黄瀬と別れた直後、校門から聞こえた叫びに、俺はまた驚かされた。

 秀徳の制服を着た黒髪の男が自転車を漕いで──―いや、何故か自転車にリヤカーをくっつけてやって来た。

 

「って、あれ? 雪野さん? こんちわーっス! うわーすっげー偶然っスね! この試合見に来てたんですか? 俺も緑間が見に行きたいのだよ~って頼んでくるから連れてきてやったのに、こいつ途中で人の事置き去りにしちゃうんですよー!」

「頼んでないのだよ」

 

 この四月、緑間と同時に入部してきた、一年の高尾だ。

 上級生も監督も持て余している緑間に初日から絡んでいき、今じゃすっかり緑間とセット扱いの後輩だった。この扱いにくい奴と一緒にいて、ずっとテンションを維持できる所は俺も尊敬する。

 

「うん、高尾君もすごい偶然だね。……あの、そのリヤカーはどうしたの? 何かの罰ゲーム?」

「へ? 罰ゲーム? ぶっ……あははははっ!! 

 い……いや、これは……あ~まあある意味そうかもしれないっスね~」

 

 何故か大爆笑した高尾は、よっぽどツボに入ったのか涙まで拭っている。

 緑間は知らん顔でそっぽを向いていた。おい、絶対にお前も関係ある事だろう。

 

「試合の日に、じゃんけんで負けた方がリヤカーで引っ張って連れて行く、って決めてたんスよ。それで俺が真ちゃんに負けて、途中までこれで連れてきたって訳です」

「ああ、そう……」

 

 どういう反応を返せってんだ。

 じゃあ俺がたまたま拾うまで、この鉄仮面がリヤカーに乗って道路を縦断するなんてアホみたいな事やってたのか。

 

「そーだ、雪野さん! 折角だから雪野さんも一緒にじゃんけんやりましょうよ!」

「え?」

「いやあ、真ちゃんには全然勝てなかったんですけど、雪野さんも入れたらもしかしたら勝てるかなーなんて?」

 

 本当にこの一年は緑間の十倍は喋る奴だ。けど上級生にも同級にも分け隔てなく、もっと言えば遠慮なしに接しているから、こいつは入部してからもすぐに部で打ち解けているんだろうな。一年以上経つのに、交友関係で進歩が遅い俺には耳が痛い事だ。

 

「あーごめん。僕も自分の奴で来てたから、それで帰らせてもらうよ」

「へーじゃあここまでチャリで来たんですか?」

「ああ、うーん、まあそんな感じかな」

 

 曖昧に言った俺に何か察したのか、高尾はそれ以上聞いて来なかった。

 一方で緑間がじっとりした視線を向けてきたが、咄嗟に微笑を返して黙らせる。お前だって一緒に乗ってきたんだから、非難される筋合いなんて無い。

 

 そのままにこやかな表情を崩さずに後輩コンビと別れ、俺もまた帰路に着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道は行きと違って渋滞していて、愛車をかっ飛ばしても家に帰り着いた時には夕方になっていた。玄関に座り込んで一息吐く。ただモデルのサインをもらいに行っただけだってのに、あの一年に出会ったおかげか異様な疲労感に襲われた。

 何より「良い先輩」らしく振る舞っているのは非常に疲れる。

 

「お~帰ったのか?」

「ああ、やっと帰れた……って、え?」

 

 と、聞き覚えの無い声に、振り返る。

 すると居間からひょっこり現れたのは、金髪に青い目を持った外国人らしき風貌の女だった。黄瀬よりも更に鮮やかな色合いの金髪が目に眩しい。その謎の女は陽気な笑顔を見せながら俺に近付いてきた。────パンツ一枚で。

 

「お前がアキラか~! 会いたかったぞ、聞いてた通りかわいい奴じゃないか~」

「い、いやいやいや待った待った!! あんた誰!?」

「ん~?」

 

 謎の女はほとんど全裸の恰好のまま、恥じらいもなく体を寄せてきた。いや、絡みついてきた。つーかこの人、酒臭い。よく見れば頬も少し赤らんでいるし、もしかして酔ってる? だとしてもこんな刺激の塊の前で、俺は何を試されているんだ。

 その時、救いの手とも呼べる人間がやっと登場した。

 

「あらら、瑛君。お帰りなさい」

「爺ちゃん!! おい、この人誰だよ! まさか連れ込んだんじゃねーだろうな!? つーか見てねーで何とかしろ!!」

「そんなに慌てないで下さいよ。あ、キセリョのサインもらえましたか?」

「ああ、それはもらった。……ってそんな事より! この人を早く何とかしろって言ってんだよ!!」

「だからちょっと落ち着いて下さいってば。サインだって友人に頼まれてるんですから、もらえませんでした~じゃダメなんですよ。それに、ちょっと飲み会してただけですってば」

 

 この狸爺はグラス片手に、同じく酒臭い息を撒き散らしながら登場した。

 謎の女は既に酔いつぶれて寝てしまっていて、体重が伸し掛かってきて重い。

 

「……おいっ!どうしたんだよ!この人は!」

「どうもこうも、私のガールフレンドですよ。今は日本に遊びに来てるんです」

「はあ!?」

「サーシャが家に来るって、言ったでしょう」

 

 それだけで分かるか。まるで俺の理解力が不足してるみたいに失笑している爺ちゃんに腹が立つ。緑間といいこの爺といい、俺の周りの人間はこんなのばっかりだ。

 

「アレクサンドラ=ガルシアさん。だからサーシャ。

 元WNBAの選手ですよ~すごいじゃないですか、瑛君も色々指導してもらえるチャンスですよ~」

「そんな事より、さっさとどかせ―――っ!!!」

 

 後輩のお守りから解放されたのも束の間、半裸の女と、酔っ払いの爺を前にして、俺は心から叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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4.スタメン決定

 

 

 

 

 

 

「昨日は悪かったな、日本に来たのが久しぶりだったもんだから、つい羽目を外してしまった」

「いや……別にそんな気にしてませんから」

 

 どういう経緯でこうなったのか、俺は爺ちゃんのガールフレンドというアレクサンドラ=ガルシアさん──通称サーシャ──と一緒に、通学路を歩いていた。

 夜が明けたとはいえ、早朝だと人手も少なく、町全体が眠っているような雰囲気が漂っている。

 朝練があるから早く起きたのだが、昨晩酔いつぶれてたはずのサーシャが更に早く起きてコーヒーを飲んでいた時は、俺の目がいかれたのかと思った。二日酔いしてる気配が微塵も見当たらないし、あの大量に消費された酒はどこへ消えたんだよ。

 

「アキラは本当にいい子だし、かわいいな~。じゃあ、昨日のお詫びだ」

「へ?」

 

 サーシャがいきなり俺の後頭部を掴んで、自分の方に振り向かせた。そしてその明るい美貌が真正面、どころじゃなく、ほとんど距離が無くなる。

 この人は俺と身長ほとんど変わらないし、背高いな──なんてどうでもいい事を考えたが、すぐ我に返った。サーシャを突き飛ばして試合中の時のように身構えたが、本人はきょとんとしている。

 

「……っ!!? っなに! 何すんだ!?」

 

 早朝で、ほとんど人がいない時間帯で良かったと心から思う。

 つーかこのアメリカ女、何考えてんだ!? 

 

「んん? かわいい子にはキスしたくなるもんだろう? お、アキラの目って少し青いんだな」

「どうでもいいんだよ!! つか、普通はそんな事しねぇから!」

「……思ったより乱暴な言葉使うんだな」

 

 冷静な指摘に、俺は思わず口を噤んだ。

 いや、でも往来でこんな真似されたら言葉遣いもキャラ作りも崩れるだろう。

 

「安心しろ。私がキスしたくなるのはかわいい女子供限定だ。

 そんな誰にも構わずしてる訳じゃないぞ」

「何も安心出来ないんですけど……」

 

 黄瀬涼太と並んでも見劣りしないレベルの金髪美人、しかもスタイル抜群の女にここまでされたら男としては喜ぶべきなんだろう。あんまりオープンだから、有難みを感じないけれど。自由奔放な爺ちゃんと何で友達やってるのか理由は分かった気がした。

 

「アレクサンドラ、さん? 別に爺ちゃんに言われたからって僕についてこなくてもいいんですよ? 朝練の後は授業になっちゃいますし」

「ああ、サーシャでいいぞ。アレックスって呼ぶ奴も多いけどな。

 私の事なら気にしないでくれ。用事は昨日済んでいるし、ダイスケの所に寄ったらすぐ向こうへ帰るつもりだったんだ」

 

 お前とも話したかったしな、とサーシャはいたずらっぽく笑った。

 実年齢は上だろうが、気取らない笑顔は学生のようにも見える。

 

「……あの、サーシャ、は爺ちゃんとどういう縁で……?」

 

 あの祖父の交友関係は謎に包まれているから、外国人の一人や二人いても驚かない。

 けどこの人がバスケの元女子プロと聞くと、一体どんな縁で知り合ったのかと疑問だった。確か爺ちゃんの仕事は病理系の研究だし、接点が分からない。

 するとサーシャのエメラルドグリーンの瞳が、過去を懐かしむように細められた。

 

「昔、長い事世話になっていたんだよ。私もバスケをやってて、一時はプロを名乗ってたんだが、視力を突然落としてな。その時親身に診察してくれたのがダイスケだったんだ」

「そうだったんですか……」

「日本に来る時は遊びに行こうと思っていたんだが、驚いたぞ。こんなにかわいい孫が出来てるんだからなー!」

 

 肩を組んでこようとするサーシャをさっと躱すと、少し不満そうな顔をされた。

 いくら何でもこのスキンシップはどうなんだよ。文化の違いか、そうなのか。

 

「えーと、じゃあ僕はもう行きますね。そろそろ急がないと遅刻しますから」

「お、朝練か。そういえば日本のバスケ選手をまだよく見れてないからな、後で見学に行ってもいいか?」

「折角ですけど遠慮します。日本のバスケなんて本場のアメリカに比べたらレベルが低すぎてつまらないんじゃないですか?」

 

 自嘲のつもりで言った。東京三大王者って言っても、アメリカの元プロに耐えうるレベルかは怪しい所だろう。しかしサーシャは動じずに答えた。

 

「うーん確かにな、日本のバスケを少々舐めてる所はある。

 だからこそ色々見ておきたいんだ。何せ私の愛弟子がいる国でもあるからな」

「弟子?」

「ああ。タイガというんだが、知らないか? 今年の四月からこっちの高校に入学してる筈だ。背が高くて赤髪だから、分かりやすいと思うぞ」

「さあ……高校っていっても、都内だけでたくさんありますから」

 

 それに秀徳に入ってから、練習試合と公式だけで何十戦とやっていちいち他校の事なんて覚えてられない。

 朝練についていきたがるサーシャを何とか追い返し、俺は見慣れた道を早足で急いだ。

 つーかそろそろ時間がやばい、宮地兄に殺される! 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 ギリギリの所で朝練開始には間に合い、俺は二年組の練習に加わった。

 入部当初から人数は減ったものの、一年生の数もさすがに安定している。その中でも真っ先に緑頭の長身が目に入った。全くあらゆる意味で目立つ後輩だ。けどまあ、その鉄仮面ぶりは何も変わってなく、いつも通りに黙々とシュート練習をしていた。

 昨日、一緒に海常の試合を観戦した事や、あいつをバイクに乗せてやった事が全部夢だったように思える。黄瀬の前では楽し気に話していたように見えたが、練習中のあいつはいつも通り無口で無表情だった。

 

「……何だか、人数減ってる?」

 

 パス練習をしながら思わず呟くと、室田がすぐさま反応した。

 

「減ってるどころじゃねーよ。三年生が三人も辞めていったんだと」

「三年が?」

「そりゃ辞めたくもなるだろ。ずっと練習し続けてきて、ポッと出の一年にレギュラー取られるんだからさ」

 

 途中から室田の声は明らかに聞こえるような声量だった。

 いつもより空気が殺伐として感じるのは、IH(インターハイ)予選が近いから、という訳じゃないらしい。

 けれど、対象にされている緑間はどこ吹く風という様子でシュート練を続けている。本っ当に周りの事なんか一切視界に入れてねえな……。何となく緑間を見ていると、高尾がいきなり爆笑しながら話しかけているのが見えた。体育館の隅に置かれた小さなトースターを指差して爆笑し、それに緑間が怒鳴っている。

 

「……また何か、緑間君持ってきてるんだね。ラッキーアイテムだっけ?」

「ふざけてんじゃねーっての。キセキだか何だか知らねーけど、あの一年頭おかしいんじゃねーか!? 普通、あんなの練習にいちいち持ってくるかよ。許す監督も監督だしよ」

 

 そういえば室田は入部した時、SG志望だと言っていた。それで余計に緑間に対抗意識というか、苛立ちが強くなるんだろうか。だからって俺に吐き出されたって困るけど。

 

 三年が何で退部届をこの時期に出したのかは、何となく分かった。

 インハイ予選まであと数日。それはつまりスタメン発表の時でもある。その内一つが緑間で確定である事は、秀徳バスケ部内では暗黙の了解だ。三年からしてみれば、自分達が必死で積み重ねた努力と実績が、一人の天才に劣る事を証明される瞬間なのだから逃げたくなって当然だろう。

 室田は随分カリカリしているが、俺はそこまで緑間に噛み付く気は起きなかった。

 退部という選択をしたのは上級生自身なんだし、辞めるのがそんなに悪い事か? とも思う。

 もう何もかも嫌になって耐えられなくなった時に、それでもバスケって続ける程の事なのか。

 

「おい室田。さっきからうるせーぞ、今は練習中だろ」

「あ? 何だよ。じゃあお前は何とも思わねーのかよ、三年が引退前にこんなに辞めるなんて相当だぞ」

「俺達がうだうだ言ってどーするんだよ、退部してく人を引き留められねーだろ」

 

 室田の苛立ちに対して、穏やかじゃない声をかけてきたのは弟の方の宮地だった。

 うわ、と俺は一気に面倒臭さが倍増した気配を感じる。部内の二年組の中でもトップ2を誇る沸点低い二人だ。

 

「何落ち着いてんだよてめーは! 悔しくねーのかよ。一年坊主にこんな好き勝手されてよ! おかげで俺達が試合出るチャンスがどんどん無くなってんだぞ」

「だからそんな事言ってたって仕方ねーだろ! 俺達の力が足りねーってんなら、練習するしかねーんだろうが!」

「ハッ! それでがんばって練習して、結局はキセキ様が何もかも優先されるのかよ!?」

 

 どっちも血の気が多い性格のせいか、只の注意が口論になっている。いや、室田が煽るもんだから宮地弟も止まらなくなっている。こんな場所で喧嘩なんか勘弁してくれよ、と思いつつ二人を伺ったが、どっちも周りが見えなくなっていた。

 おいおい、一年の視線が段々向いてきてるのに気付かねーのかよ。

 

「練習中に何してんだてめーらあっ!! すり潰されてぇのか!!」

 

 体育館中に響き渡った怒声に、その場が水を打ったように静まり返った。

 いつもなら鬼にしか見えないこの三年が、今なら救いの神のように見えた。

 

「朝練中に喧嘩とは随分余裕だなあ、お前ら。そんな体力が余ってんなら外周でも行って来いよ」

「い、いや違うんです。宮地さん、さっきの話は……」

「ああ?」

 

 室田が抗議しかけたが、宮地兄に威圧されるとさすがに押し黙った。

 そして宮地弟と共に外周に向かい、嵐が過ぎ去った気配に、体育館内には誰ともなく溜息が漏れた。

 

「おい、雪野」

「は、はい」

「何があったか知らねーけど、黙ってねーでお前もちょっとは仲裁しろよ。特に室田か? 同級生だろ、確か」

「すいません……」

 

 俺まで怒られんのか、と理不尽さを感じるが、さっきは助かったので素直に謝った。

 宮地兄は顔に似合わず体育会系なスパルタ上級生で、一年の頃からそりゃもう扱かれてきたが、俺達二年にも弟の裕也にも、天才として特別扱いが公認される緑間にも平等に怒鳴る所は嫌いじゃない。

 宮地兄と一緒に練習にやって来たのは、大坪主将を始めとした三年の主要レギュラー陣だった。一軍で見慣れた顔はほとんど変わらないが、確かに人数が減っている。

 

「で? 何だったんだよ、さっきの原因は」

「いや、三年の先輩達が辞めたって聞いて、室田君が緑間君のせいだって言い始めたんです。それで裕也君と口喧嘩になって……」

 

 説明し終わる前に、宮地兄は恐ろしく機嫌が悪そうに舌打ちした。

 という事は、やはり噂でなく事実か。

 

「……あの、やっぱり本当なんですか? 三人辞めたっていうのは」

「ああ? んな訳ねーだろ。五人だよ、五人」

 

 いいから練習しとけ轢くぞ、と宮地兄は人の頭をはたいていった。だから地味に痛いから止めろっての! 

 俺は内心で、サーシャを追い返しておいて本当に良かったと思った。こんな歪でギスギスした状態の練習なんて、恥ずかしくて見せられねえよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怒涛のような勢いで朝練が終わり、俺達は息つく暇も無く教室に駆け込んでいく。

 放課後の部活に比べれば朝練は時間の制約もあってまだ軽いが、この疲労の後に頭を使うと思うとしんどかった。

 四限の英文法は前にやった小テストが返って来たが、予想通りというか悲惨な数値だった。……うわ、このままサボっていいかな俺。

 

 このクラスには俺も含めてバスケ部が四人いる。その内の一人である室田は斜め前の席に座っていた。今日の朝練で宮地兄に絞られてから大人しいもんだ。

 と、ここで鐘が鳴り、クラス全員が待ちに待った昼休みの開始となった。中谷監督が間延びしたような、おっとりしたような掛け声で日直に合図をさせる。部活の監督がやる授業だと落ち着かねえ。それに、この人は何だかんだ掴みどころがないからやりづらかった。

 

「おい、雪野」

「は?」

 

 いきなり話しかけられてビビったが、室田がいつの間にか傍に立っていた。

 朝の苛立ちを引きずっているのか、眉間に皺が寄っている。

 

「お前、あの後宮地さんから何か聞いたりしたか?」

「いや別に……何も」

「ふうん」

 

 室田が疑わしそうに俺を見下ろす。

 三年の退部者について実は色々聞けたが、今こいつに話すとうるさそうだ。何より俺を巻き込むなよ、頼むから。

 初日から予感はしていたけど、「キセキの世代」が入部してからバスケ部の雰囲気は日を追うごとに荒れている。主にレギュラーから外れた二軍を中心に。室田は短気な奴だけど、言ってる事が的を外してる訳じゃない。だから二軍の中にはこいつに同調する奴も多いようだった。まっ、同じ短気でもすぐ冷めるタイプの宮地弟とは相性が悪いみてーだけど。俺としては、中学でも高校でもおかしな派閥争いはあるのか、とげんなりする。

 

「雪野―ちょっと来い」

「! はい」

 

 俺は運とかラッキーとかあんまり感じない質だけど、今日ばかりはツイてる日だと思った。

 本日二回目の天の助け。中谷監督の呼び声に、俺は立ち上がった。まだ何か言いたげだった室田には軽く謝り、俺は監督を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……監督、何か用ですか?」

 

 呼び出されてみれば職員室にまで来ていた。

 中谷監督は「あーうん、ちょっと待ってなさい」などブツブツ独り言を言いながらデスク周りの書類を探っている。

 

「雪野。何で呼んだか理由は分かるか?」

「……来週のインハイ予選の事、ですか?」

「うん、違うね。今日返した小テストの点の事なんだが」

 

 そっちかよ! 俺は今すぐにこの場から逃げたくなった。

 救いの声と思って着いて来た先は、まさか更に地獄が待っていた。監督は怒ってるんだか呆れてるんだか分からない表情で、クラス全員の点数が記録されているリストを見ている。

 

「あまり良くない点が続いているようだけど、バスケ部との両立が辛いのか?」

「いやいやいや、そんな事は無いです。

 ちょっと今回は点を落としちゃったんですけど、次はがんばりますよ」

「ふむ、そうか」

 

 と、それだけで納得してくれたらしい。

 拍子抜けしたのは俺の方だ。この流れだと補習の一つは覚悟していたのに。

 

 今でもだけど、最初に会った時からこの監督は調子が狂う。

 上級生が全員あんな感じの割には、熱血監督って風にも見えないし。部活中に指示出しをする時も最小限で、いつも何か考え込んでいる時の方が多い。

 いい機会だ。こうなったら、俺は思い切ってみる事にした。

 

「あの、監督」

「何だね」

「……今度の試合では、僕はスタメンから外してくれませんか?」

「何だ、もう自分がスタメンに選ばれた気でいるのか? 珍しく自信家だな」

 

 はぐらかされて苛立ったので、遠回しな言い方はここで止めた。

 

「いや、そうじゃなくて。監督だって薄々分かってるんじゃないですか? 今の部の事。

 三年が辞めたって聞きましたし、僕までスタメンのままでいたらまずいですよ」

「お前は試合に出たくはないのか?」

「僕は二年ですよ? 先輩を押しのけてまで出ようとは思いませんし、部の空気が悪くなるだけです」

 

 あの緑間みたいに、自分への陰口の中でシュート打ち続ける鋼メンタルなんか持ってやしない。とばっちりで俺にまで当たりが強くなったら最悪だ。出来るだけ自分に向く矛先は躱しておきたいと思うのが普通だろう。

 が、監督は常と変わらず、眠たそうな目つきで俺を見つめると。

 

「うん、その言い分も分かるけどね。私としても、やる気がないって言うんなら、今居る三年もそうだが、お前が試合に出た事でスタメンを諦めざるを得なかった部員にその枠を与えてやりたいとも思う」

 

 随分露骨な言い方をされて、俺は少し戸惑った。

 あんたが有無を言わさず試合に出したんだろーが、と言いたくなるが、責められている訳ではないらしい。

 

「だがね、雪野」

 

 のんびりした口調は変わらない。けど頭ごなしに怒鳴られるより、いつの間にか聞き入ってしまうのだ。

 

「スタメンを選ぶ時に、意味の無い人選はしていないつもりだ。お前を去年のIHで試合に出した時も、お前の力が必要だと思ったから出したまでだよ」

「……」

「部の事を考えてくれるのはいい事だけどね。チームにとって本当に自分が何をすべきなのか、もう少し考えてから結論は出しなさい。あと、こういう形でスタメンを譲られても、特に三年は喜ばないと思うよ」

 

 最後の一言は、こちらの軽率さを咎めたような言い方だった。

 俺が口を噤むと監督は、話は終わった、と言わんばかりに自分のデスクに向き直った。そうなると俺も帰るしかないので、一礼だけして職員室を出た。

 二年前にこの人に話しかけられた時の事が頭をよぎる。

 

 

 ──―ちょっと君、もしかして京華中の雪野君かな? 

 ──―よかったら考え直して、秀徳に来てみる気はないかい。全国を目指す為に、君の力が必要だと私は思っている。

 

 

 あんな社交辞令を真に受けた訳じゃないが、本気で言っていたとは思わなかった。後輩も変人ばかりだが、この監督も大概だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◆◆◇◆◆◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新入部員が入って一カ月もすれば、すぐにIH地区予選の時期になった。

 この間にサーシャが帰国したり、帰国記念と称して爺ちゃんがまた酒盛りを始めたり色々あったが、俺は二度と思い出したくない。もう来るなと叫んで見送ったもんだ。

 

 段々夏場の空気が近づくにつれて、部の緊張感も全国に標準を合わせて高まっていく。バスケ部でも上級生組は流石に動じていないが、一年生の中では初めての大会経験者もいるらしく、浮足立っている奴もいた。言うまでも無く緑間はポーカーフェイスのままで、初戦の相手校を聞かされても眉一つ動かしやしなかった。それ以前に、こいつが顔色変える時ってあるのか? 

 

 俺も去年はそもそも高校の全国大会の仕組みがさっぱり分からずに参加してたから、後輩に偉そうにどーこー言える立場じゃねえけど。その時はマジギレされた宮地兄にトーナメントの進み方を解説してもらったりした。

 

 そして試合当日、大坪主将を先頭に俺達は予選会場に向かっている。

 たかが運動部っても、スタメン、一軍、二軍がほぼ全員そろって試合に向かうもんだから結構な大所帯だ。すれ違う人からチラチラと見られてる気がする。

 ……いや、絶対このジャージのせいだよな!? 

 秀徳バスケ部のジャージはオレンジだ。そう、あのオレンジ色。薄黄色とかそんなものじゃなく、曇りなきオレンジ。最初に渡された時は、発案者のセンスを疑った。

 そりゃ俺も服にそんなこだわりはねーけどさ、でもせめて黒とか紺とか……オレンジって……無いだろ。俺の場合、只でさえ頭が白髪なのに、これ以上変なカラーリングにしないでほしい。

 

「あれ、雪野さん元気無いっスね? もしかして疲れてます?」

「あ、いや大丈夫……。ありがとう高尾君」

「あははーどういたしまして! つーか聞いて下さいよ、真ちゃんてば、今日のおは朝で9位だったもんだからずっと元気無くしちゃってるんですよー。試合行く前だって「今日は運気が悪いから外出は控えたいのだよ」とか言っちゃって」

「真似をするな高尾」

 

 と、いつの間にか隣にいた高尾が、少し低い目線から話しかけてくる。

 間髪入れずに後ろにいた緑間が訂正したが、こいつは全く気にしていないようだった。

 カラーリングについては緑間の方が酷いか。はっきり言ってこいつの緑頭とオレンジジャージが組み合わせるとニンジンを連想して仕方がない。

 

 というか、前から聞きたかった事があった。

 

「……高尾君も仲良いね。真ちゃん、って?」

「ああ、それっスか? 緑間真太郎、だから真ちゃん、って事で! 堅物なエース様がちょっーとでも親しみやすくなれるようにっていう心遣いですよ~! ねー真ちゃん!」

「だから馴れ馴れしく呼ぶな」

 

 ……傍から見れば全く親しみやすくはなってないんだが。

 悉く拒絶されてる割には、ずっとお気楽に話し続けている高尾のコミュ力とメンタルには感心する。俺だったら最初の会話で匙投げてるぞ。

 

「お前らさっきからうるせーぞ! 特に高尾! あんま騒いでると殴んぞ」

「ちょ、宮地さん。もう手出てます、出てますから!」

 

 余程うるさかったのか、最前列を歩いていた宮地兄が言うより早く高尾の頭に拳を振るう。それで何で俺まで!? 完全にとばっちりだろ! 

 

「ったく、試合前だってのに気ぃ緩み過ぎじゃねーのかお前ら。

 おい緑間。てめーも占いだか何だか知らねーが、それでヘマしたら轢くからな」

「いえ、俺は試合には出ません」

「は?」

 

 そしてこの天才様は、いきなり爆弾を落とした。

 

「今日のかに座は行動し過ぎると不運を招く、とありましたので、試合にも出たくありません」

「はあっ!? 何言ってやがんだてめえは!!」

 

 最前列にいた宮地兄が怒鳴ったもんだから、後方の下級生が何事かと怯えている。

 宮地兄の隣にいた木村が、なだめるように声をかけた。

 

「おい宮地、落ち着け。ほら、一年がビビってるぞ」

「落ち着いていられるかよ! こいつがまたふざけた事ぬかしやがって……」

「監督からは了承を得ています。今日はまだワガママを使っていませんので」

 

 しれっとした顔で緑間が言い返すと、宮地兄は整った眉を更に引き攣らせたように見えた。試合前だってのに早速揉め事が発生しているレギュラー陣を、俺達も二軍も伺うように遠巻きに見守った。つーかあの中に関わりたくねえよ、絶対。

 

 ふと隣にいた高尾と目が合った。仲裁をするという事もなく、面白半分呆れ半分みたいな顔をして緑間と宮地兄の口喧嘩を眺めている。意外といい性格してるな、こいつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緑間の爆弾発言が宮地兄の怒りに着火し、試合前にどうなるかと思われたが大坪主将のとりなしがあって何とかその場は収まった。まあ、主将も思い切り不本意そうだったけど。

 そのおかげで試合会場に着いた時は、到着時間を十分近く過ぎていた。

 尤も、秀徳が都内三大王者の強豪校だって事は高校バスケ界じゃ常識らしいから、多少の遅刻でも気にはされなかった。強者の余裕、みたいに都合よく解釈してくれたらしい。実際は身内のゴタゴタがあっただけなんだが。

 

 会場に入ると、分かりやすく周囲がざわついた。先頭の主将や、他の三年生なんかは涼しい顔をしているが、俺は何度経験してもこの雰囲気は好きになれない。

 ギャラリー席には応援として二軍が上がり、「不撓不屈」の垂れ幕が掲げられた。

 はっきり言って今日の試合相手は格下だし、緑間が出ない所で問題は無い。それは大坪主将も他の皆も分かっているんだろう。けど、どんな試合だろうと全力を持って応じ、叩き潰すのが王者の流儀──―らしい。

 

「おい、雪野」

「! はい」

「ちょっと緑間を連れ戻して来い。何か面倒が起きたら事だ」

 

 と、大坪主将は言って、顎でコートの中央辺りを示した。

 見れば、いつの間にか輪から離れた緑間がそこで他校の誰かと話している。前の試合をやっていた他校生がまだ残っていたようだ。

 

「……高尾君も居るし、放っておいてもいいんじゃないですか?」

「高尾に任せていたらかえって騒ぎが大きくなるだろう。

 試合の前に連れ戻して来い」

 

 何とも正論だ。

 面倒に思いながら、俺はコートの中央に向かう。

 

 

 

「普通に名乗っても、いかにも覚えてないとか言いそうな面してるからな、お前。

 先輩達のリベンジの相手には、きっちり覚えてもらわねーと」

 

 

 

 柄の悪さと力強さが混ざった声が聞こえてきたのは、その時だった。

 他校生が、緑間に対して何か宣戦布告している。

 

「フン、リベンジ? 随分と無謀な事を言うのだな」

「あぁ?」

 

 それを受けて立つどころか、反撃している緑間。

 だからお前は誰彼構わず喧嘩売らなきゃ気がすまねーのか! 俺は咳払いをすると、精一杯和やかな笑みを作って話しかけた。

 

「あー緑間君、高尾君も。話してる所にごめんね。そろそろ戻ろう?」

「誠凛さんでしょ。ってか、先輩から何も聞いてねーの? 誠凛は去年、決勝リーグで三大王者全てにトリプルスコアでズタズタにされたんだぜ? 

 確か雪野さんの時のスコアが、予選で最高記録だったんですよね?」

 

 高尾、お前もか。そして俺を巻き込むな。

 緑間と話していた他校生の目が見開かれ、俺にその視線が注がれる。

 

 よくよく見れば、そいつは誠凛高校の10番だった。俺からすれば、あまり久しぶりじゃない出会いに、少しだけ驚いた。まあ前は、海常の試合を遠目に見ていただけで、こいつの名前も知らないけど。

 緑間とほとんど変わらない長身に、深い色の赤髪が目立った。

 こいつも一年なのか? だとしたら今年の下級生は髪色がカラフル過ぎる。

 

 と、壁際のベンチに座っている誠凛生、恐らく上級生からの射すような視線を感じた。

 今なら改めて思い出せる。去年、あの眼鏡の4番のマークについて3Pを防ぎまくった事が懐かしい。あんなスコアで終わったから、向こうからは恨まれてもおかしくないだろうが。

 

「息巻くのは勝手だが、彼我の差は圧倒的なのだよ。

 仮に決勝で当たったとしても、歴史は繰り返されるだけだ」

「緑間君」

 

 思ったより硬い声が出て、今度は緑間達の視線まで俺に集まってしまった。

 いや、そんな大した事言うつもりじゃねーっての。ただこれ以上喧嘩を売るなって言いたいだけで。

 

「あー……、そんなさ、勝負なんて決めつけられないものでしょう? 

 もしかして、次は僕達が負けるかもしれないし」

 

 おちゃらけて言ったつもりだったが、これは失敗だった。どこか空気が凍り付いたような気配を感じる。緑間と、高尾まで驚いたように目を見開いてパチパチと瞬かせている。

 え、そんなにまずい事言ったか? 

 

「その通りですよ、緑間君」

 

 と、どこからかフォローの声がかかってくれて、安堵する。

 ん? けど、ここには四人しか集まってないのに、一体誰が? 

 

「過去の結果で出来るのは、予想までです。

 勝負はやってみなければ分からないと思います」

「うわぁっ!?」

 

 誠凛の10番の隣に、いきなり人が現れた。

 比喩じゃなく、本当に今まで居なかった筈なのに──―いや、居ると分かっても見逃しそうになる。それくらい影の薄い奴だった。10番が存在感の塊みたいな奴な分、並ぶと掻き消されてしまうように見える。

 

「……誰?」

「黒子テツヤ。帝光中の元チームメイトで、幻の六人目(シックスマン)と呼ばれていた男です」

 

 思わず訊ねると、緑間は端的に答えた。

 六人目って……キセキの世代だけじゃなくて、そんなのも居るのかよ。高尾よりも身長は低く小柄で、何だか全体的にぼんやりした印象の奴だった。それにしても何なんだこの影の薄さ。コートに入っても見失うぞこんな奴。

 黒子とかいう奴が割って入った事で調子が戻ったのか、緑間はまた高飛車に言った。

 

「相変わらずお前は気に食わん。何を考えているのか分からん。目が特にな」

 

 お前が言うな、と俺は内心で思う。

 

「言いたい事は山程あるが、ここで言っても虚しいだけだ。まずは決勝まで来い」

 

 言い方は凄まじく上から目線だけど、もしかして緑間なりの激励なのか? 

 まあ一ヶ月近くこいつの性格と付き合い続けて、慣れただけかもしれないが。すると高尾は、まるで十年来の友人に会った時のように、黒子の肩に腕を回して話しかけ始めた。こいつはこいつで肝が据わり過ぎている。

 

「いや~言うね。君、真ちゃんの同中っしょ? 気にすんなよ、あいつツンデレだからさ。

 本当は超注目してんだぜー何たって予選の一回戦まで見に行って」

「いつも余計な事を言うな、高尾」

 

 俺は高尾の言うツンデレの定義を問い詰めたくなった。

 こいつはあれだろ、ツンデレっつーより電波だ、電波。

 

 そうこうしていたらベンチの大坪主将から怒声が飛んできた。まずい、これは代表で俺が説教を受けるパターンだ。緑間と高尾の首根っこを掴んで、俺は慌ててベンチに二人を引っ張った。去り際に、黒子という誠凛の11番と目が合った気がしたが、多分気のせいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベンチに戻るなり、緑間は本日二回目の騒ぎを起こした。

 

「スタートから出る? 占いが悪いから出たくないって言ってなかったか」

「旧友に会ってテンション上がっちゃったんだろ~?」

「調子を確かめたくなっただけだ」

 

 なら最初から出ろよ! と高尾以外の全員の意見が恐らく一つになったに違いない。

 この場でも空気を読まずに緑間を茶化す高尾の笑い声が響く。

 大坪主将も、緑間がシュートを決めさえすれば文句は無いそうだが、好き勝手ごねられる事には静かに腹を立てていた。……というか緑間も、ビビるくらいなら最初から素直に従ってろよ! 

 中谷監督は緑間限定で、「一日三回」でワガママを使う事を認めてるらしいが、この調子だとこいつ絶対フル活用してくるぞ。

 

「あのさ緑間君、あまり主将達に喧嘩腰にならない方がいいと思うけど?」

「俺はいつも事実を言っているだけです。喧嘩を売った覚えはありません」

「まあそうかもしれないけど……」

「それに俺のシュートは落ちませんから、試合では何も問題は無い筈です」

 

 緑間の返答はにべもない。左手に几帳面に巻かれたテーピングを慎重に外している。

 

「それ程、気にするような事ですか?」

「え?」

「先輩方の機嫌を伺って、周囲に諂う事が勝つ事よりも大切ですか?」

 

 緑間の翡翠の双眸が、じっと俺を見据えた。

 けど、その眼光に嫌悪の色が浮かんでいるのをはっきりと感じた。

 

「俺は試合に出るからには、人事を尽くします。

 雪野さんは負けてもいいと思っているのかもしれませんが」

「……」

 

 咄嗟に言葉を失うと、緑間は立ち上がってコートに向かっていった。後には、ベンチにくまのぬいぐるみだけが残されている。もう誰も指摘しないが、緑間の今日のラッキーアイテムだ。

 

「あー雪野さん、気にしないで下さいね、緑間の奴、さっきは同中の前だったからカッコつけたかったんだと思いますよ? だからほら、雪野さんが誠凛の味方したような気がして拗ねてるんですって」

「ああ、うん……。ありがとう」

 

 高尾が気遣うように声をかけてきた。さっき誠凛の一年の前で言った事なら、あの場を収めたくてほとんど適当に言っただけの事だ。それの何が緑間の癪に障ったか知らないが、また厄介事が増えた、と感じる。

 ただ―――緑間のあの目線に見据えられると、隠し事や誤魔化しが許されないような気分になるのだ。自分の本音を見抜かれるようでドキリとする。

 

 対戦校のスタメンも揃い、俺達もまたコートに整列した。

 誠凛は既に体育館のギャラリーに登り、この試合を観戦するつもりらしい。成程、緑間が突然張り切ったのもこれが原因か。

 

 

 初戦の対戦校は錦佳高校。

 今、試合開始だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────

 

 

 

 秀徳高校スターティングメンバー

 

 大坪泰介(三年) C  198㎝

 宮地清志(三年) SF 191㎝

 雪野瑛 (二年) PF 183㎝

 緑間真太郎(一年)SG 195㎝

 高尾和成 (一年)PG 176㎝

 

 

 

 

 

 

 



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5.予選開幕

 

 

 

 

 

 

 40分あった筈の試合は、終わってみるとその半分も無かったように思えた。

 

 結果は秀徳の圧勝、トリプルスコア。

 いやまあ、秀徳っつーよりも緑間の圧勝っていうのが正しい。何かと理由をつけてはフル出場しない天才様がやる気……いや殺る気に満ちていたおかげでとんでもないワンサイドゲームになった。後半は寧ろ、犠牲になった相手校に同情が湧いたくらいだ。

 

 大坪主将もリバウンド取るし、宮地兄もシュート決めたし、俺もそこそこ働いたけど、緑間の3Pがそれはもうえげつない得点率を叩き出した。あいつだけで90点は余裕で決めてる。回されるパスを次から次へ3Pシュートで決めて、相手チームの精神力もバッキバキに、完膚なきまでに叩き折った。ちょっとは加減してやれよ……。

 緑間の3Pはまるでレーザービームの如き命中精度でゴールを貫いたが、当の本人はビーチバレーでもしてんのかっていう優雅さだ。キセキの世代の身体能力は正にミラクルというかミステリーで、もう俺の頭なんかで理解しようとすんのは無理だ。こいつらはこう、次元の違う種族くらいに思っておこう。

 

 俺はアウトサイドのシュートは苦手だし、あんまりやらないけど、シュートに性格って出るよな。大坪主将なんかは期待を裏切らずにパワー炸裂のダンクするけど、緑間の場合は杓子定規、四角四面、精密機械、針の穴でも通すみたいな繊細な作業、という感じだった。そうか、あいつが毎日変なアイテム(今日:くまのぬいぐるみ、昨日:オーブントースター以下略)を持ち込むのもそういう事情……いや絶対これは関係ないと思うんだよなあ。

 3Pってのは、ゴールから遠い距離で打って難易度が上がるから点が高いわけであって。こんなポンポン入るようなもんじゃねーんだけど、普通は! フォームは無駄に教科書通りな癖に、そこから先があらゆる手本をガン無視してるから笑えてくる。あの細身のどこに、あの異常なループを飛ばせる筋力があるのか。そりゃボールの滞空時間が長い方が戻りやすくなるけど、別にバスケって長い時間飛ばした方が勝ちとか、そういうゲームじゃねーよ!? 

 

 後半はもう緑間の独壇場に近い試合だったから、大坪主将や宮地兄は面白くないような雰囲気だった。高尾は……うん、欠伸してるわ。

 

「緑間君、整列だよ」

 

 やっと試合終了のブザーが鳴った時、また単独行動をしていたエースに呼びかける。

 緑間は観客席と化していた二階のギャラリーを見上げて、棒立ちになっていた。こんにゃろ、返事くらいしろっての。こいつ試合中だと輪をかけて無口になるよな。

 

 ギャラリーでは観戦している誠凛生の集団の姿が見えた。

 緑間達と話していた赤髪の10番と、元チームメイトだっていう奴、名前が……えーと……とにかく、そいつも一緒にいる筈だ。

 けど俺もさっさと帰りたい。試合は神経を使うから疲れて仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 強豪だろうと弱小だろうと、試合をやって終わるまでの流れは変わらない。予選の試合を終えて軽くミーティングをすれば、その日はもう解散になった。

 

 つっても、予選の段階じゃあミーティングで話す事なんてあってないようなもんだ。

 去年もそうだったけど、秀徳が予選で落ちる事はまずないだろうと、大坪主将も監督も思っている。確かに、今日対戦した錦佳レベルの高校だったら現三年だけで圧勝出来るだろうし、何しろ「キセキの世代」が加わった。

 緑間の3Pをいう絶対の得点源がある以上、この先の試合で引き分けはあっても負ける事は俺もイメージが出来なかった。ま、緑間が試合で好きにやる分だけ、主将や宮地兄の機嫌が悪くなるんだろーけど。ああ、面倒臭ぇ。

 

 一応勝った俺達の方が、負けた相手よりギスギスした空気になってるから変な話だ。元凶である緑間はしらっとした顔で荷物を確認しているから、何か俺まで腹が立ってきた。まあいい、早く帰っちまおう。

 一軍・二軍もそれぞれでばらけ、俺も主将に軽く挨拶している間に、緑間と高尾がまたギャンギャン何かを騒いでいるような声が聞こえた。けど逃げるが勝ちだ、迷わず帰路に着いた。何であいつら試合終わったばっかりであんなにテンション高いんだ……。特に高尾とか、高尾とか。こっちは帰って一眠りくらいしたい気分だってのに。

 けれどこの日の俺は厄日だったらしく、そう簡単には逃げられなかった。

 

 

「…………室田君?」

「……ああ、よう。雪野じゃん」

 

 

 ぶらぶらといつもの帰り道を歩いて、左手前に、朝も通り過ぎているストバスのコートが見えた時、そこにいたのは暗い表情の室田だった。室田は同時期に入部して、俺とは一応クラスメイトでもある。更に言えば、部内一のアンチ緑間と言ってもいいくらい緑間嫌いな奴である。何となくまずいタイミングに出くわしたように感じたが、とりあえず話しかけた。

 

「えーと……お疲れ様。帰らないの?」

「ハッ……スタメンのお前の方が疲れてるだろ? いいんだよ、どうせ俺はベンチだったし、適当に体動かして帰るつもりだったから」

 

 これはまたストレートに嫌味がきた。

 そういえば室田は今日の試合ではベンチだったが、緑間がフル出場しなかったらSG(シューティングガード)として試合に出ていたかもしれないのだ。その落胆が聞こえてくるような気がした。

 室田は地面を蹴りつけると、苛立ちを隠そうともせずに言った。

 

「ったく、キセキ様ってのは嫌になるよな。試合に出るのも自由! 出ないのも自由! バスケ部の事も試合の事も、自分の玩具か何かだと勘違いしてんだぜ? あれ」

「…………」

「こんなふざけたものベンチに持ち込みやがってよ。……本っ当消えてほしいぜ、あいつ」

 

 言葉に一瞬詰まった。室田が汚れ物でも触るように摘み上げていたのは、掌サイズのくまのぬいぐるみだった。今日の試合で緑間が持ち込んできたラッキーアイテム。

 

「室田君、それって」

「は? 雪野お前見なかったのかよ。さっきの緑間の反応! これが無いって分かった時顔色変えててマジで笑えたぜ?」

「じゃあさっきの騒ぎってこれだったの……」

 

 室田は心底意地の悪い笑みを浮かべているが、苛立ちが吹き飛んだというように晴れ晴れした様子に見えた。そういえば室田だけじゃなくて、緑間をよく思ってない二軍の連中も、さっき騒いでいた緑間達を面白そうに見ていたっけ。何つーか……緑間の人望が無いのか、他の連中の底意地が悪いだけなのか。いやまあ、俺も言える程いい性格してねーけど。

 

「何が天才だよ。あんなムカつくガキのシュートなんて、二度と入らなきゃいーんだよ」

 

 もしも緑間本人がここにいたら唾でも吐きつけそうな勢いで室田は言って、持っていたぬいぐるみを雑に投げ捨てた。本当にストバスをやるつもりだったらしく、一人コートの中に入っていく。

 俺だったら試合の後にまでわざわざバスケやろーなんて思わねーのに、よくやるもんだ。ものすごい短気な奴だけど、努力家な所は感心する時もある。だから余計に緑間みたいなタイプが癪に障るんだろうな。

 

「…………」

 

 繁みの中で、忘れられたように転がっているぬいぐるみが目に入る。

 ……別に俺が捨てた訳じゃないし、もしかして誰かが見つけてくれるかもしれないし。巻き込まれんのはごめんだ。

 そう自分を納得させて、俺もまた帰りを急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……で、結局、俺の手には今、小さなくまのぬいぐるみが収まっている。よっぽど雑に持ち出されたのか、あちこち擦り切れたり薄汚れているのが分かった。いや、勢いで拾ったはいいけど、どうするんだよこれ。

 明日の部活の時にこっそり緑間のロッカーに入れるか? いやそれか、部室の目立つ所に置いとけばいいか? そしたら流石に緑間の奴も気付くだろうし、あいつじゃなくても高尾とかは目敏いから発見しそうだ。よし、そうしよう。

 

「あ──! 雪野さん、それっ!!」

 

 後ろから叫ばれた声に、俺はめちゃくちゃビビらされた。

 何しろ丁度頭に浮かんでいた後輩の声だったのだから。

 

「…………高尾君」

「よかった! 気付いてくれて! 雪野さん、それどこで拾いました!? 緑間がラッキーアイテム無くしたって言って、試合終わった後からずっと探し回ってたんですよ!」

 

 振り返ると、大慌てでこっちに駆けつけた高尾が、呼吸を整えながら訴えていた。

 試合前でも試合後でもテンションの高さは変わらない。つーかこいつ、いきなり出てきたけど一体どこから俺の事見つけたんだよ。普通にビビったぞ。

 

「いやー本当によかったですよ、見つかって! 本っ当にありがとうございます!」

「ああ、いや別に……。じゃあ緑間君に渡しておいてね」

「会場にもあの近くにもどこにも無いから、真ちゃん機嫌悪くなるわ落ち込むわで大変だったんスよ~」

「それはお疲れ様……」

 

 俺が盗んだとか、その辺りを問い詰めてこない辺り、もしかしてこいつも色々察してるのかもしれない。まあ、普段から緑間と一緒にいるみたいだし、上級生からどれだけやっかまれてるかは知ってるか。

 それに一年でスタメンって点で、一部から妬まれてるのは高尾も同じだ。こっちは性格とかコミュ力が緑間と対極にも程があるから、標的にはなりにくいんだろうけど。

 

「じゃっ、俺はこれ真ちゃんに届けてきますね!」

「え? 緑間君も近くにいるの?」

「あーほら、あそこの自販機でのんびりくつろいでるでしょ? あれっスよ! ったく、いきなりお汁粉飲んでいきたいとか言い出しちゃって」

 

 高尾が指差す方向を見れば、確かに少し離れた位置に自販機と、その傍らで偉そうに突っ立っている緑間の姿が見える。すげーな、緑間の身長って自販機とほとんど変わらないのか。

 

「そしたら雪野さんがチラッて見えて、見覚えのあるぬいぐるみ持ってたもんだから、慌てて走ってきちゃって訳です」

「よく分かったね、あんな所から……」

「そりゃあ、これでも鷹の目(ホークアイ)なんて言われてますからー!」

 

「キセキの世代」でもなく、スタメンの中では一番小柄である高尾がPG(ポイントガード)に抜擢された理由とも言える。俺も試合でプレイしてみて初めて実感したが、こいつはパス回しと試合中の状況判断が上手い。三年も含めた中でずば抜けてる。

 宮地兄や木村の会話から聞いたけど、何でもこいつは視野が異常に広く、コートが平面じゃなくて上から俯瞰するように立体で見えているらしい。だから鷹の目。

 正直、緑間にパシリ扱いされてるだけかと思ったのに、こいつも充分人間離れしてたって事だ。

 

「つーか雪野さん一人ですか? なら俺達と一緒に帰りましょうよ」

「え? いやいや、いいよ」

「えーそんな事言わずに! 今日の試合の事とか、これからに向けてアドバイス聞きたいな~なんて! 緑間の奴だって何にも言わねーっスけど、先輩と親睦深めたいって思ってるんですよー」

「いや、それは無いんじゃないかな……」

 

 一年が仲良くしてる所に、仮にも先輩の俺が混ざったら気を遣わせるだけだろ、とか。緑間とは試合前にほんの少し気まずい空気になったから、あんまり顔を合わせたくねーんだけど! とか。主張したい事は山のようにあったけど、高尾の勢いに流された。

 つーかこいつも! 緑間とは別の意味で人の話を聞け! さっきから会話に間が空かなくて困るんだよ! 

 

 高尾に引きずられるようにしていくと、自販機の傍にいる緑頭とオレンジ色のシルエットが見えてきた。うーん、遠目に見てもやっぱりオレンジは無ぇよな、うちのジャージ……。

 

「高尾。どこへ行っていた、早くくま吉を探しに行くのだよ」

「だーいじょうぶだって真ちゃん。ほら、ラッキーアイテム見つかったからさ」

「何っ!!?」

 

 高尾がくまのぬいぐるみを見せると、緑間はポーカーフェイスをものすごい形相に変えて駆けつけた。おい、さっきの試合の時よりいい反応してるんじゃねーよ。

 

「ちゃんとお礼言えよ? 雪野さんが見つけてくれたんだぜ」

「……ありがとうございます」

「あ、ああ。いいよ別に、そんな」

 

 軽く頭を下げてまで礼を言ってくるもんだから、戸惑った。

 いや、たかがぬいぐるみだろ。命を救った訳でもあるまいし、そこまで礼を言われるとちょっと怖い。

 

「今日の運勢は悪いものでしたので、ラッキーアイテムで補正しておかないと心許なかったのです。見つけて下さって感謝します」

「まあ、役に立ったなら良かったよ」

「……よろしければ、これをどうぞ」

「え?」

 

 緑間が一缶のジュースを手渡してきたので、反射的に受け取る。何だ、こいつもちゃんと礼が出来るんじゃねーか──―と思いながらジュースを見ると、その名称は「おしるこ~夏季限定冷たい~」。要らねえ……。

 

「ぶっ……ぎゃははははっ! ちょ、この暑い日でもおしるこ!? 真ちゃんマジぶれねー!」

「何がおかしい高尾! 暑いのだから、ちゃんと冷た~いに決まっているだろう!」

「そ、そういう問題じゃねえって……ぎゃははっ!」

 

 お前ら二人共うるせえよ。つーか、こんなもん渡してきて何の嫌がらせだ。

 俺はきっと部活で作っている愛想笑いが引き攣っていただろう。すると高尾が、まだ笑いを耐えきれてないという表情のまま、俺に話しかけた。

 

「あ~いや、雪野さん。誤解しないで下さいね? 感謝の気持ちなんですよーそれ。ほら、真ちゃんツンデレだって言ったでしょ?」

「黙れ高尾!」

 

 いやだから、ツンデレってそういう使い方するんだったか? 

 それにしても、いっつも取り澄ましてる印象しかない緑間が、こんな風に怒鳴ったり大声を出してるのを見るのは新鮮だった。前に黄瀬と話していた時も、バスケ部の上級生と話すより気さくには見えたが、妙にかっこつけてる風だったのにな。

 その後もけたたましく騒ぐ(主に高尾が)一年コンビを何とか振り切って、俺はやっと自分の帰路に着く事が出来た。試合帰りだっていうのに余計疲れた。とりあえず緑間が絡むと面倒事がもっと面倒になる事は学習してきたぞ。もう必要以上に近付くまい。

 

 ところが、すぐ後に、この出来事なんて吹っ飛ばすような大事件が起きる。

 

 

 帰ったら、家がなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ爺ちゃん、これどういう事だよ」

「どういうって、メールしたでしょう? 友達がブラジルから遊びに来てるって」

「うん、それは分かってる。俺が聞きてーのは別の事なんだよ。

 何で俺の家がそいつらに占領されてんだ?」

「コラコラ(あきら)君、あの家の名義は私だから瑛君のものじゃないよ~」

「どーでもいいんだよそんな事はよ!!」

 

 庭に転がっていた積石でこの狸爺をぶん殴らなかった俺の理性は称賛されるべきじゃないか? 狸爺もといクソ爺は、呑気なツラして缶のココアを堪能しているが、それどころじゃねーんだよこっちは! 

 

 やっとの事で家に帰ってみれば、何故か爺ちゃんが外に出て俺を待ち構えていた。しかもスーツケースやらバッグやらどこの旅支度かと言わんばかりの荷物と一緒にだ。家の中では、ブラジルから来日したとかいう爺ちゃんの友人の集団が宴会騒ぎを始めている。この時点で嫌な予感はしたが、それは的中した。そして試合後の疲労も吹っ飛ぶレベルの特大級だった。

 

「だから何っっでどこの誰とも知らねー奴らが勝手に家を使ってて、俺達が外に放り出されなきゃならねーんだ!? 意味分かんねーんだけど!!」

「ちょっと落ち着いてってば、瑛君。近所迷惑ですよ?」

 

 あんたの行動の方がよっぽど迷惑だ。主に俺に対して。

 

「皆、ブラジルにいる私の友達なんですから大目に見て下さいよ。大会が近くてしばらく日本にいなくちゃならないのに、宿泊先がなくて困っているんですから」

「…………しばらく?」

「はい」

「それっていつまでだ?」

「うーん、大体12月くらいまでですかね」

 

 身内に対しても殺意って湧くんだな、と実感した。

 いや、この祖父に対しては例外なんて無いが。

 

「そんな怖い顔しないで下さいよ。まさか瑛君に外で寝泊まりしろなんて言う訳無いじゃないですか~。ちゃんと代わりの下宿先くらい見つけてありますよ」

「俺が追い出されるのは納得いかねーけど、百歩譲ってその事を早く言ってほしかったもんだな……」

「瑛君がせっかちなんですもん。年寄りの話は最後まで聞くものですよ?」

 

 コテン、と首を傾げて言ってみせたが、そんな仕草が似合うのは女子だけだぞ、おい。けどまるで中学生くらいに幼い見た目のこの祖父は妙に違和感が少ない。何か得体の知れない薬でも摂ってんのかと思える。

 

「で? どこだよ、その下宿先って。疲れたから早く行きてーんだけど」

「ああ、住所はここです。気をつけて下さいね」

「は?」

 

 掌に収まるくらいのメモを渡すと同時に、俺達の目の前に一台のタクシーが到着した。爺ちゃんは何の迷いも無くスーツケースを乗せ、自分も乗り込んでいく。

 面食らった俺だが、慌ててその小さな姿に叫んだ。

 

「おい! どこ行くんだよ爺ちゃん!」

「本当にすみませんね。ちょっと仕事の都合で、これから私もロスに行かなくちゃならないんですよ。お土産は買ってきますから楽しみにしてて下さいね」

「いや絶対観光目当てだろ!? この状態の家を放っぽってく気かよ!」

「だーいじょうぶですって。この下宿の方には瑛君が行く事を説明してますから、きっと楽しく過ごせますよ」

 

 大会は見に行けるようにしますからね、という言葉を最後にタクシーは発車した。

 後に取り残されたのは、オレンジジャージ姿のくたびれた俺と、荷物。そして掌の中のメモが一つだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この住所間違ってねーだろうな。

 疲れた体を引きずって電車を乗り継ぎ、メモの住所を目指すと、とんでもない区画に辿り着いた。周りに建ち並んでいる家は洒落たものばかりで、いつの間にかいわゆる高級住宅街とやらに紛れ込んでしまっていた。こんなジャージ姿でうろうろしていると疎外感がものすごい。

 それもこれもあの自由な……いや自己中な爺のせいだ、クソ。もう年寄り相手だろうが爺だろうが知った事か、帰ってきたら一発殴ると心に誓った。

 

 スーツケースをゴロゴロ引いてやっと辿り着いた目的地は、駅の近くにあるマンションだった。しかも玄関がオートロック……。渡されていた鍵で何とか入る事は出来たけど、もう腰が引けてきた。一体いくらだよここ。今更帰る事も出来ないのでエレベーターに乗り、メモに書かれている部屋番号──904号室を目指す。

 爺ちゃんと住んでた時も、振り回されてばっかでろくな事はなかったが、いきなり他人の家に仮住まいとなるとストレスが増える気しかない。まあ日中は学校と部活だし、ほとんど帰らなきゃいい話か。

 両肩が重くなる気配を感じながら、深呼吸して、俺は904号室のインターホンを押した。

 

 

「……………………。はいー!」

 

 

 ややあって、部屋の中から応じる声。そして乱暴に駆け出してくる音。

 ほんの数秒のタイムラグで玄関が開いたものだから、危うく反応が遅れかけた。

 

「っと……。すいません、雪野大輔(だいすけ)の孫の瑛と言いますけど、祖父から話を……」

「……はっ!? あんた……秀徳のPF(パワーフォワード)!?」

「え?」

 

 

 掌の中のメモがひらりと落ちたが、気にする余裕は無かった。

 

 緑間に劣らない高身長に、燃えるように真っ赤な髪。

 コート上ではギラギラと好戦的に輝いていた両目が、今は間抜けな形になっている。

 

 いや、間抜けな顔は俺もだ。

 部屋から出てきたのは、誠凛高校の名も知らぬ10番だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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6.火神大我

 

 

 

 

 

「……ドーゾ」

「あ、ありがとう……」

 

 目の前に置かれたのは、ホカホカと熱い湯気を立てている炒飯だ。海老やら卵やらが彩り豊かに混ざっていて、食欲をそそる。いきなり飯にがっつくのは抵抗があったが、胃袋が負けた。

 

「…………すごい美味しいね」

「お、おお。サンキュ」

「これ、火神君が自分で作ったの?」

「まあ一応。親父がずっと仕事でいねーから、料理とかは自然に出来るようになってたっつーか、です」

 

 火神はとってつけたように畏まって言った。

 どういう敬語だよ、それは。でも身近にはもっと変な語尾を使う奴がいたから、大して気にならなかった。そんな事より、この飯が美味い。何でいかにも脳筋そうな癖にちゃっかり料理出来るんだよ。むしろお前は卵とか割ろうとして握り潰すタイプだろ。

 コート上では鋭く吊り上がっていた眉尻も今は下げて、火神は俺の対面にゆるく座っている。よく見ると眉の先が二股に分かれていた。……あれって自前なのか? 

 

「……泊まるなら、親父の部屋が余ってるからそこ使ってくれていいぜ、です。俺も部活とかで寝に帰るくらいだし」

「あー平気平気。どうせうちの爺さんがまた勝手な事言っただけでしょ? ご馳走にもなったし、僕はもう行くから」

「……行くったって、冬まであんたの所の家って使えねーんだろ?」

「まあそうなんだけど……」

 

 とある事情のおかげで冬まで家が使えなくなってしまった俺は、爺ちゃんから教えられた仮宿に辿り着いていた。驚くべき事にそこは誠凛高校の10番──―火神大我の家だったが。

 お互いに状況が全く呑み込めなかったし、俺は俺で、即刻爺ちゃんの言い分を聞かないと気が収まらなかった。そしてこのややこしい現場を作った元凶と話が出来たのは、十三回目の電話をかけた時だった。

 

「……もしもし、爺ちゃん? おい、誠凛の奴の家なんて聞いてねーぞ」

『あ、(あきら)君! 良かった~ちゃんと着けたんですね』

「おい、耳聞こえてんのか。な・ん・で、誠凛の奴の所にしたんだよ」

『……何でって、大我君はサーシャのお弟子さんですよ? だったら瑛君にとっても家族みたいなものじゃないですか』

 

 ──―ああ、タイガというんだが、知らないか? 

 ──―背が高くて赤髪だから分かりやすいと思うぞ。

 

 タイガ。大我。

 サーシャとの会話の一端が蘇り、点と点が繋がる。偶然で片づけるにはあんまりにも出来過ぎた状況に目眩がしてきた。マジかよ……。

 

「つまりこいつも爺ちゃんの迷惑な知り合いになるのかよ……」

『人聞きが悪いですね……。私の友人に迷惑な方なんていませんよ?』

「迷惑かけてんのはあんた……いや、それはいい。とにかく俺はここに泊まる気はねーからな。どこかでホテルでも借りるから、金だけは送ってくれよ」

『んーでも、子供がホテル住まいなんて危ないですし……そのマンションはセキュリティもしっかりしてますから、やっぱりそこに泊まって下さいな』

 

 今になって思い出したみたいに常識的な事を言うんじゃねーよ。

 が、結局のらりくらりと躱されて、元凶である爺ちゃんとの会話は終わった。

 そして俺の様子を不審そうに見つめていた火神と目が合う。一瞬、互いの出方を伺うような沈黙が降りた。今日の錦佳戦の前に顔は会わせたが、喋っていたのはほとんど緑間と高尾だったからこいつと二人になると距離感が分からねえ……。

 

 改めて見るとでかい奴だった。バスケ部も190㎝超えの奴がゴロゴロ居るから感覚が麻痺してたけど、こいつもそれぐらいありそうだ。緑間相手にも強気に絡んでたし、こういう喧嘩っ早そうなタイプとあんまり関わりたくねぇなーとか思っていたら、腹から盛大に音が鳴った。

 

「…………何か食ってく、ですか?」

「…………。……迷惑じゃなかったら」

 

 渋々、と言った感じの火神の提案を受けて、今に至る。

 恥も外聞も言ってられるか! 空腹には勝てないんだよ! 

 

「何か……本当にごめんね。うちの爺さん、突然思い付いて行動する所ある人だから……」

「いや……気にしてねえっスよ。ガキの頃もそうだったけど、ダイスケさんって自由な人だったし」

「そうなんだよ! いつも迷惑かけられるのは僕……。え、爺さんと会った事あるの?」

 

 火神は冷蔵庫からお茶を持ってくると、律儀に俺にも注ぎながら言った。

 

「ガキの頃にちょっとだけ。バスケ始めた時はアメリカに居たんスけど、俺にバスケ教えてくれた師匠の知り合いだって言って、何度か会って」

「ああ、サーシャ……アレクサンドラさんの弟子なんだっけ? 火神君は」

「! アレックスを知ってんのか? ……です」

「会ったのはこの前が初めてだけどね。自分の弟子が日本に居るから知らないか、とか言ってたし、会ってないの?」

 

 火神は、初耳だ、と言うように目を瞬かせていた。何だよ日本に来てたなら一言くらい言えよ……、とサーシャへの不満なのかブツクサ呟いている。

 けど俺にしたって、爺ちゃんがこの一年坊主と昔の知り合いだったって事にも驚いている。世間は狭い。つーか爺ちゃんのネットワークがおかしな所でおかしな人間に繋がり過ぎてる。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて少しお世話になるけど、この事は部のチームメイトとかには、特に知られないようにしようね」

「え? ……何で?」

「だって今はIH(インターハイ)予選の最中だよ? もしかして対戦するかもしれないのに、他校のレギュラーが同じ家っていうのは印象が悪いでしょう。誠凛の人達も良くは思わないよ」

「あぁ……まあ」

 

 釈然としない様子ではあったが、火神は納得したように了解した。

 まあこれも、火神の事を気遣ってっつーより、ほとんど俺の保身だ。

 只でさえ、緑間の加入で秀徳バスケ部の二軍や、一部のレギュラーは気が立っているのに、これ以上波乱を作る要素になりたくない。

 

 夕飯の礼を言ってから、俺は自分のエナメルバッグを担いで立ち上がった。

 すると火神が俺のスーツケースを片手で持ちながら、「こっちスよ」と空室の部屋に案内する。ちょっとホッとした。爺ちゃんの迷惑な思い付きだったけど、少なくとも緑間よりは話が分かりそうな奴みたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◆◆◇◆◆◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年度のIH予選、秀徳はAブロックに振り分けられた。

 普通ならこっから地道に試合をこなさなきゃならねーけど、前年度の成績の甲斐あってシード枠だ。だからこの前の錦佳戦を入れても、決勝まではあと三回しか試合が無い。サクサク進んでくれんのは楽でいい。

 

 ……何て思ったのは甘かった。その代わりに練習では、決勝での対策を本格的に取り入れるようになったから、ハードさは何も変わらない。それどころか予定より増していた。

 理由は簡単だ。トーナメント表を配られた時に俺もちょっと驚いたけど、今年は同じAブロックに正邦も入っていた。去年は秀徳と並んで決勝リーグに進んだ強豪校。

 監督も上級生も、決勝までの残りの練習時間を対正邦の対策に割く予定らしい。そう言われて基礎練をサラリと三倍にさせられた日は、汗とか涙とか体中の水分が干からびるかと思ったけどな。宮地(兄)なんかは、サボってる奴を扱く理由が出来て、後半は逆に生き生きしてるようにすら見えた。気のせいだと思いたい。

 

 空に夕陽が差し掛かり始めたある日の放課後、俺が図書室の机で一人、三角関数に白旗を上げそうになっている時だった。

 目の前にふっと影が落ちた。

 

「ああ、雪野。ちょうどよかった、こんな所にいたのか」

「……監督、どうしたんですか? 今日部活は休みでは?」

 

 近頃の地獄のロードワークから解放されると思って、心の中で万歳三唱をしたから間違いない筈だ。まあ、それなのに課題忘れで捕まってんだから、プラマイはゼロだ。

 

「うん、まあ部活に関係ある事ではあるんだがね。

 今課題をやってる最中だろう? だったら他の奴に頼むから──―」

「ああー! 終わりました終わりました! 丁度今終わった所です! いやー秀徳生なら文武両道でなくっちゃいけませんね! それで? 部活の事ってなんですか?」

 

 大慌てで残りの問題に書き込みをしてプリントを片付けたが、監督は非常に疑わしそうだった。一応全部終わったのは本当だからな。正解してるかは知らねーけど、うん。

 俺の満面の微笑みが成功したかは分からないが、監督は一枚のDVDを差し出した。

 

「……何ですか? これ」

「撮影班がスカウティングしてきた正邦と北和田の試合だ。三年のレギュラーは全員見たようだから、緑間と高尾にも声をかけておけ。正邦のDFは独特だから、映像はよく見ておくように」

「はあ……」

 

 いつまでも他校への関心が薄い俺には、正邦の事も曖昧なままだった。

 東京三大王者の一つ、という知識として記憶しているだけの存在だ。

 

「そういえば新しい家は慣れたのかい?」

「ああ、まあ何とか……えっ?」

 

 うっかり手でまとめたプリントを取り落としかけた。

 動きがぎこちなく固まる俺を他所に、監督は世間話でもするような気軽さで話してくる。

 

「それならいいが、まあ悩みがあればすぐ言いなさい。環境が変わると、誰でも最初はストレスを感じるものだからね」

「……あの、ちょっと待って下さい監督。僕、引っ越したとかそんな事一言も言った覚えが無いんですが……」

「この間君のお爺さんに説明されたよ、メールで」

 

 あの爺!! という罵倒は心の中に留めたが、手にしていたシャーペンの芯を折っていた。

 

 あれから突然の下宿生活が始まっていたが、他人との生活の割には何とか上手く回っていた。とりあえず火神が食事担当、俺が掃除や洗濯担当って事で今は分担を決めた。まあ仮にも先輩だし、下宿させてもらってる身だから家事くらいは色々引き受けるつもりだった。(つーか俺は料理がさっぱりだった事もある)けど火神も俺に気を遣ってんのか、ゴミ出しとか雑用は自分から色々やってくれている。

 

 第一印象こそ喧嘩っ早くて不良じみてたが、あの同居人は思ってたよりずっと素直で礼儀のある奴だった。何でもこの前までアメリカにいたらしく、日本語が慣れないからおかしな敬語を使ってしまうらしい。……ちゃんとした敬語を使ってる緑間は何で反感買いまくってるんだろうな。やっぱり不遜さとか滲み出てんのか、うん。

 

 けどそれはそれとして、監督には口止めしとかねーとマズい。

 

「あ~あのですね、監督……。僕から言うのが遅れてしまったんですが、うちの祖父が急遽アメリカに出張する事になって、その間仮住まいする事になった先がたまたま誠凛生の家で、その……」

「ああ、うん。事情は分かってるからそんな気にする事はないよ。部の奴らも知らないから安心しなさい。それに、他校生の家だからってお前自身がそこまで神経質になる事はないから、気楽にしてた方がいい」

「はあ……」

 

 合宿している、くらいの気持ちがいいのかもな。と監督は思い付いたように言って、図書室から去っていった。

 妙に俺を労わるような言い方が気になったが、まあ変に言いふらさないなら良かった。手元に残った一枚のDVDを眺め。ややあって俺もまた立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 図書室から出て、一年のクラス棟に行ってみると、探していた内の一人はすぐ見つかった。

 俺よりも小柄なその姿が、都合のいいタイミングで真正面から歩いている。

 

「あー雪野さん! お疲れ様でっス! ……もしかして部活で何かありました?」

「正解。良かったよ、高尾君がまだ残ってくれてて」

「いや~オフだとやる事がなくって。そしたら委員会の仕事押し付けられちゃいました」

 

 高尾は人好きのする表情で笑って言った。要は雑用をやらされてたのだろうが、こんな風に笑い飛ばせる辺り、こいつはクラスでも上手く立ち回っているんだなと思わせる。

 

「じゃあこれ、正邦の試合の記録なんだけど、緑間君と見てもらっていい? 決勝に備えて研究するようにって、監督から」

「正邦の……分かりました。緑間もまだ帰ってない筈っスから、呼んできます」

 

 と、試合の事を持ち出した時、高尾の特徴的な吊り目に、一瞬猛禽類のような鋭さが走ったように見えた。多分気のせいじゃあない。強豪校のレギュラーを獲得しているような連中は、誰も彼も表には出さないだけで好戦的だ。室田なんかは表に出し過ぎだけど。

 

 さてこれで用は済んだ、と思っていたが、またしてもそう簡単に引き上げる事は出来なかった。

 

「あれ、雪野さんはもう見たんですか?」

「いや、まだだけど……高尾君達が見てからでいいよ」

「じゃあ一緒に見ましょうよ! 俺達が見終わるまで待つ方が手間じゃないですか? 今日時間あるなら、このまま部室で!」

「いや、僕は……」

 

 何かこの展開前にもあったな!? 

 高尾はそのまま俺の背を押して強引に部室へ向かわせる。そして廊下を少し進んだ所で、一人、窓の外を眺めている人物に出くわした。

 と言っても、緑髪の長身なんてこの学校には一人しか居ない。

 緑間が無表情のままこっちに目線をやったが、俺の存在に気付くと、少し眉を寄せたように見えた。悪かったな、俺が居て。

 

「よっ、お待たせ真ちゃん。雪野さんが正邦の試合のDVD持ってきてくれたんだってよ。

 一緒に見ようぜ」

「興味ないのだよ」

 

 高尾が掲げたDVDを一瞥するなり、切って捨てる。

 そこまで全身全霊で無関心オーラを出さなくてもいーだろ。

 

 爺ちゃんも監督も、俺が火神の家に下宿する事を心配してたけど、俺としてはこの後輩との会話の方がずっと神経を使う。何が地雷で何に食いついてくるのか、未だに分からないから警戒して言葉を選んでしまう。今振り返ると、こいつをバイクに乗せて試合観戦したなんて奇跡的な出来事だったように思えてきた。

 

「黒子や火神がいないからってそういう事言うなよー! 決勝はむしろ、こっちが本命なんだからな。今日オフだし、帰っても暇だろ?」

「いや……」

「決まり!」

「おい!」

 

 ……とか考えていたら、いつの間にか高尾が話を進めていた。

 高尾は心臓に毛でも生えてるのかっていう図太さで緑間の冷たい視線を受け流し、部室棟に向かっていく。図太過ぎるっつーか逞し過ぎる。

 そして緑間も不機嫌そうな表情は変わらないが、肩で溜息を吐きながら後に続いた。結構押しに弱いな、こいつも。

 

「そういえば、緑間君。今日はあれ、無いんだね。ラッキーアイテム」

「……いえ、持っています。今日のかに座のラッキーアイテムは「数珠」です」

 

 分からない事だらけだが、とりあえずおは朝について聞けば緑間は勝手に喋る。これだけは確実な事だった。

 にしてもラッキーアイテムってのは毎日趣向を変えてくるよな。数珠って葬式じゃあるまいし。緑間がズボンのポケットから取り出したのは、何とも霊験あらたかそうな数珠だった。……え、これ玩具とかじゃなくて本物だよな? 珠とかすごく綺麗だし。

 

「いくらするの、これ……」

「確か大体八万くらいだったと思いますが」

「八万!?」

 

 何てもん学校に持ち込んでんだよこいつは!! つーか金のかけ方! 

 前にいた高尾も流石に爆笑せず、失笑している。うん、やっぱりこいつの思考回路は訳分かんねーよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オフの日の部室は、空気が死んだように静まり返っている。

 その静寂を遠慮なく破った俺達は、適当にパイプ椅子を引いて、部屋にある小さなテレビ台の前に各々座った。俺に遠慮してるのか、高尾はやや後ろに陣取ると、パイプ椅子の後ろ向きにして背もたれに両肘を乗せた。緑間は……なんか座ってても偉そうだ。

 

「そういえばこのテレビって動くんですっけ? 何か前に木村さんが壊れたとか言ってませんでした?」

「多分大丈夫だと思うけど……」

 

 そういやこのテレビ最後に動かしたのっていつだっけ。

 デッキはちゃんと接続されてるから動くんだろうけど、どうも不吉な予感がする。何しろ秀徳はボロっちい……もとい歴史ある高校なだけに、あちこちの備品に気が付いたらガタが来てましたなんて事はよくある話だ。

 幸い、デッキにDVDを入れたら画面に映像が映ったので、まだ寿命は先らしい。

 俺達は自然と会話を中断して、三つの視線が試合映像に注がれた。

 

 正邦と北和田の試合は、最初から正邦が優勢で進んでいた。

 ボールを持った選手に即マークしてDF(ディフェンス)、トリプルチームかけるのも当たり前。ガチガチのDFで攻めてくる防御重視のチーム。画面の中で、北和田の選手が正邦の坊主頭の選手にしつっこくDFされた末、タイムオーバーで笛を鳴らされていた。いや、ここまでへばり付かれたらうざいな、普通に。

 

「……何だかこのチーム、変わった動き方するね」

「忘れちゃったんですけど、ここは何か練習が特殊らしいですよ。他と比べても、機動力がやけに高いし」

「ああ、それで……」

 

 高尾の補足に、そういえば前に宮地(兄)が正邦の事について話していたのを思い出した。

 DFだけなら東京最強。本気でかからないとあの鉄壁は崩せねーんだお前も手ぇ抜いたら刺すぞコラ、と黒い笑顔を向けられた事も記憶に新しい。

 あの三年は会話を進める為にいちいち脅してくるから困る。

 

「正直、俺もあまりやりたくないな。彼とは」

「緑間君、この10番の人知り合い?」

「中学時代に一度だけ対戦した事があります。試合自体は勝ちましたが、終始黄瀬がマークにつかれて攻撃を封じられていました」

 

 金髪を鬱陶しいくらい煌めかせたイケメン一年の顔が思い浮かぶ。

 女子にやたら騒がれていたあいつが凹まされたのかと知ると、男としてはちょっと気分が良かったりする。

 

「けど相手するとしたら緑間だぜ? ってか、お前でも止められかねねー」

 

 高尾が揶揄するように言ったが、緑間は反論せず黙って画面の試合状況を見つめたままだった。

 高尾の言ってる事はそう的外れでもない。映像では、正邦の10番がまたしつっこくDFをかけている。相手の選手なんかもう疲れ果ててんじゃねーかよ、見てられねえ……とか思ってたらチラリと10番の顔が画面に映った。

 ……何かすごいキラキラした笑顔をしていた。近所の子供が虫取りで駆け回ってるみたいな、そんな雰囲気が被って見える。相手してる選手は真逆のテンションだけど。

 こいつは俺もやりたくねーわ、と心の中で思った。

 その時丁度映像の中でも、試合が終わる。勝敗は正邦がダブルスコアで北和田を下し、圧勝だった。結末を見届けて、高尾が口を開く。

 

「誠凛じゃこの鉄壁は崩せねーでしょ。やっぱり、決勝の相手はこっちですかね」

「どうだろうね。始まってみないと分からないけど」

「またまた~雪野さんだって誠凛には勝ってるじゃないっスかー」

 

 だからその話を持ち出すなっての。

 それに試合なんてのは本当に何が起こるか分からないもんだ。予想出来てたら、去年の誠凛との試合でこっちに怪我人も出なかったし、俺が急遽スタメンになる事もなかっただろう。

 個人的には正邦に勝ってもらいたいけどな。決勝の相手が誠凛で、それで勝ちでもしたら、気まずくて火神の家に居られなくなる。俺はどっかの爺ほど面の皮が厚く出来ていないんだ。

 

「おーい、真ちゃん。対策ちゃんと考えとけよ」

「分かっているのだよ」

 

 微動だにせずに映像を見続けていた緑間を横目で見ながら、俺はDVDを停止させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 正邦の試合研究を手短に終えると、もう下校時間が迫って来た事もあって俺達は帰宅した。

 って言っても、この前から帰り道が変わったから途中であの凸凹一年コンビとは別れたけど。「あれ? 雪野さんってそっちの方向でしたっけ?」とか高尾が聞いてきた時は、声がひっくり返りかけた。何であいつは妙な所で目敏いんだ……その辺は緑間の無関心っぷりと足して二で割ってくれと思う。

 

 まあ、前に比べると確かに学校までの行きの時間は十五分くらい短くなったから、そこだけは爺ちゃんの目の付け所に感謝してもいい。そこだけは、な。

 にしても正邦の対策に普段の基礎練習と、あと夏の初まりの暑さが加わってるこの時期は体が怠くて死にかける。宮地の物騒な脅し文句が比喩に感じられなくなってくる季節だ。特に今日は妙に空気がじめじめして暑苦しい。涼が欲しくて、俺はふと駅前のコンビニに足を伸ばした。

 

 そう思った時、自動ドアの前でいきなり見えない何かに阻まれた。

 つーか、突然何かにぶつかった。は? 何? ここにガラスの壁でもあるのかよ。

 

「あの、すいません。ここです」

「うおっ!?」

 

 随分下の位置から声が聞こえたかと思うと、目の前に先客が立っていた。

 水色がかったつむじが先に見えたが、そいつが顔を上げると、空のように透明感のある両目に俺が映った。

 

「……確か君、誠凛のバスケ部、だよね……?」

「黒子テツヤです。秀徳の雪野さんですよね? 緑間君と同じチームの」

 

 淡々と名乗られてやっと顔と記憶が繋がった。

 誠凛の11番で、緑間の元チームメイト。錦佳戦の前に初めて顔を合わせたけど、俺は直接喋ってなかったし、何より緑間や火神の存在感があり過ぎてこいつの事なんてすっかり抜け落ちていた。

 黒子は夏の陽炎のように薄ぼんやりした印象で佇んでいたが、静かな口調で言った。

 

「すみません、ちょっと進んでもらってもいいですか?」

「え? いや……コンビニ、入らないの?」

「入りたいんですけど、ドアが開いてくれないんです」

「……嘘でしょう?」

 

 思わず苦笑したが、黒子は至って真顔だった。

 確かに黒子が突っ立っている癖に、コンビニの自動ドアは何故か固く閉ざされたままだし、店員も気付く気配が無い。ドアの故障か何かか? 

 仕方なく俺が黒子の前に割って入ると、その途端にドアが開き、来店を歓迎するメロディが聞こえる。ええ……マジかよ。

 何て感想を言っていいのか分からず、隣にいる小さな一年坊主を見ようとしたら姿が消えていた。──―かと思ったら、さっさとコンビニに入ってやがった。っておい! この距離で見失うって何だよ! 迷子になるガキか! 

 

 黒子は俺に小さく頭を下げると、どこまでも温度の無い声で言う。

 

「ありがとうございます。お陰で助かりました」

「いや大した事してないから……。……というか黒子、君? もしかして気配を消したりとか、そういう事が出来るの?」

「いえ、そんな事出来ません。僕は元々影が薄いので、店員の方に気付かれなかったり、ドアに認識されなかったりっていう事はよくあるんです」

 

 よくあっていいのか、それ!? 

 そもそも機械に認識されない程存在感無いってあり得るのかよ……。感情の乗らない喋り方といい、神出鬼没さといい、まるで幽霊みたいな奴だと思う。

 黒子はそのまま雑誌売り場のコーナーに向かって、本を物色し始めた。何となく、俺もそこに向かう。涼みに入ったようなものだから、元々大した用事は無い。

 

 黒子は一冊の文庫本を立ち読みし始めたが、そうしてるととてもバスケ部のレギュラーには見えない。秀徳のバスケ部にもそりゃ小柄な奴はいるけど、こいつ本当にモヤシ……いや貧弱だよな。

 

「あの、僕に何か用ですか?」

「え?」

 

 無意識に見てしまっていたらしい。水晶玉みたいに透明な黒子の目が、また俺を見つめた。

 

「ああ、気を悪くさせたならごめん。……黒子君って緑間君と同じ中学だったんだよね?」

「はい、そうですけど」

「緑間君って昔からあんな感じだったの? その……占いとか」

「そうですね。僕が彼と知り合ったのは中学一年の頃でしたけど、その時からラッキーアイテムとかは持ってました。……僕も緑間君は苦手なので、あまり詳しくは知りませんけど」

 

 無表情は全然変えない癖に、サラリと毒を吐いたぞ、こいつ。それに確か高尾が、「緑間が黒子を気にするから誠凛の予選一回戦も付き合わされた」とか言ってたような。

 それなのに苦手に思われてるのかよ。……まあ、チームメイトだからって仲が良いとは限らねーか。

 

「そう言えば、雪野さんは火神君の家に住んでるらしいですね」

「ああ、うん。……って、え!? ちょ、何で知って」

「この前練習が遅れた時に火神君が「同居人に連絡する」と言った事があって、気になって聞いてみたら、白状しました」

 

 火神ぃ──!? 

 ダメだ、どんなに俺の方で黙秘してても他の連中が頼んでもいないのに広めていく。

 つーかこの一年も、大人しそうな顔してちゃっかりしてるな!? 

 

「あー黒子君。確かにちょっとした事情で火神君の家に住まわせてもらってるけど、変な勘繰りは止してね? 別に僕は、誠凛の事とか探るつもりはないし、試合とは無関係だと思ってもらえれば」

「はい、それは分かってます。試合とは別問題ですし、火神君の事情になりますから」

 

 と、黒子はあっさり引き下がった。

 一言二言は文句でも言われるんじゃないかと思ったから、少し意外だ。

 

「……まあ、僕も不本意なんだけどね。お互い予選を控えているのに、モチベーションに影響しかねないし」

 

 俺のモチベーションなんて、実際は有るか無いか分からねーくらいだけど。

 

「そうですね。でも、試合で当たる事になったら、お互い全力を出す事が一番だと思います。どんな事情があるにせよ、悔いを残さない事です」

「……全力ねえ」

 

 随分優等生的な事を言ってきたが、こいつは、今の秀徳の全力を受け止める気でいるんだろうか。正直俺が相手校だったら、緑間みたいな次元の違う奴が敵にいるだけでやる気を失くしてる。それとも元チームメイトだから、秘策とか対策とか考えてるのか。

 

「それじゃあ、僕はこれで失礼します」

「あ、ああ。じゃあね」

 

 黒子は文庫本を一冊だけ買うと、俺に軽く会釈だけしてコンビニから出て行った。

 

 その小さい姿が店から出て、通りの人混みに紛れるとものの数秒で見失う。背景に溶け込んでしまったように姿が消えた。俺は狐につままれたような気分になりながら、立ち寄ったついでに適当な雑誌を物色する。

 

 影が薄いって言う割に、ズケズケものを言う奴だった。

 どっちにしても俺には分からない話だけどな。

 

 バスケなんて平和に楽しくやれれば、それでいい。全力でやる、なんて、今の俺には更に高いハードルに思えてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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7.勝てば官軍

 

 

 

 

 

 

 ゆるゆると意識が浮上した時、部屋の中はまだ真っ暗で、早朝ですらない事が分かった。

 

 一瞬、見覚えの無い壁や本棚が周りにあって混乱したが、すぐに思い出す。そうだそうだ、俺はあの狸爺の突然の思い付きのせいで、火神大我の自宅に下宿させてもらっていたのだと。早二週間くらい経ったが、朝起きる度に未だに戸惑う。いやだってなあ……海外に出張中だっていう火神の父さんの部屋を使わせてもらってるけど、落ち着かねえ。

 飾り程度に置いてある家具とかラックは何か豪華だし、壊しそうで怖い。このマンション来た時も思ったけど、あいつもしかしてお坊ちゃんか? 

 

 時計を見ると時刻は午前四時。

 どうりでアラームも聞こえない訳だが、かといって今更二度寝する気にもなれない。完全に目が冴えた。顔でも洗いに行こうと思って部屋から出ると、誰もいないはずのリビングにでかい人影があったからすげービビった! いや……おい、ちょっと「うわっ」とか言いかけたぞ。

 

「……あれ、もう起きたんスか?」

「火神君……起きてるんなら電気くらい点けなよ、すごいびっくりしたから」

 

 小さく抗議してやると、火神は「すんません」と素直に言って電気を点けた。視界が一瞬で鮮明に切り替わり、火神の赤毛が目に眩しい。

 もう起きたんスか? じゃ、ねーよ! 心臓止まるかと思ったわ! そりゃ俺以外に、こいつしかいる訳ねーんだろうけど。

 つーか、こんな朝っぱらから何してたんだ。

 

 食事担当、掃除担当くらいにざっくりした家事の分担はしているが、基本的にお互いのスケジュールには干渉しないようにしている。それはもう、ここに下宿する事になった日から、何となく暗黙の了解で決まっていた。

 まあ、そりゃ適当に話はするけど、世間話なんて言えないうっすいやり取りだ。

 

「何かニュースでも見てたの? ……DVD?」

「別に見てたって程じゃねえっスよ。うちのカントクから借りたんスけど、目が覚めちまったから暇つぶしに見てただけだ、です」

 

 ローテーブルの上に空のDVDケースが転がっている。

 そしてテレビの画面には、俺にとってはかなり見覚えのある映像が映っていた。

 

「……これって正邦の試合? 何でこんなの見てるの?」

「何って、次の対戦相手だからに決まってんだろ。……です」

「……あー」

 

 火神が少し機嫌を損ねたように言い返してから、俺もやっと思い出した。

 この前監督から準決勝の対戦校を聞いた時、反対ブロック側の試合がどうなっているかも聞いたんだった。正邦なのは予想通りだったけど、その対戦相手が誠凛っていう事に、スタメンどころか上級生全員が意外そうにしていた。大坪主将や他の三年にとっても、誠凛は高尾が前に言ってたように「去年トリプルスコアで降した対戦校」の認識でしかないから、驚きもでかいんだろう。

 その誠凛のレギュラーと一つ屋根の下で話してるんだから、自分の立ち位置がよく分からなくなるけどな。

 

 液晶からは、試合の音声と歓声がそれぞれ聞こえてくる。火神は選手の動き一つ一つと、点の流れを食い入るように見つめていた。……最初に会った時もそうだったけど、こいつはバスケが絡むと時々、獲物をぶら下げられた野生動物みたいな目になる。

 俺の周りの一年共は、どいつもこいつも殺気立ってておっかない。殺し合いじゃねーんだから、もっと平和的に振る舞えないのかよ、せめて。

 

「まあ、試合も明後日なんだし程々にね。僕はもうちょっと寝直すから」

「そっちは随分余裕じゃねーっスか。言っとくけど、俺達は正邦にも、秀徳にも負ける気はサラサラ無えーよ、です。何なら緑間の野郎にも言っといて下さいよ」

「いや、言えないから。僕が火神君の伝言を知ってるなんておかしいでしょ……そういえばこの間、誠凛の11番の子と話したけど」

「は? 黒子と?」

 

 火神の視線が液晶から俺に移る。さっきまで分かりやすくギラついていた目が、炎が鎮火したみたいに穏やかになった。

 まあ俺も、今さっき思い出したんだけどな。本当あの11番、話してる時はそこそこ自己主張してくる癖に、いなくなった途端印象に残らなくなるんだもんな。幽霊みたいっていう比喩がシャレにならねえ。

 

「そうそう、その黒子君? 僕が火神君の家に下宿してる事知ってたから驚いたよ。面倒な事になるから言わないようにって言ったのに……」

「あ、いや、その……スンマセン。 俺もわざわざ話す気はなかった、ですけど、黒子の奴って何つーか……妙なとこで気がつく奴で、何かいつの間にかバレてて……」

 

 それは黒子が鋭いんじゃなくて、お前が分かりやすいだけなんじゃねーのか。

 言ってやりたくなったが、頭を掻いて殊勝にしている様子を見ていると、何だか毒気が抜けた。俺がサーシャと(こいつはアレックスって呼んでたか)知り合いだって分かったせいなのか、日常生活では本当に警戒されなくなったなと思う。

 素直だし、ある意味高尾と同じで、上級生から可愛がられそうなタイプだ。

 

「まあいいけどさ……あんまり広めるような事は止めてね。

 うちの部の人達の耳には入れたくないから」

「……別にバレたって何か問題あるんスか?」

「あるに決まってるでしょう?」

 

 つい大きな声が出た。でも素を出さなかったんだから、自分を褒めてやりたい。

 

「そりゃあ火神君の所は新設だし、人数も少ないから仲良く出来てるんだろうけど。

 こっちは上級生とか同期とかでも、色々グループとか派閥みたいなものがあるっていうか……あんまり刺激したくないんだって」

「……??」

「あー、えーっと。まあ気にしないで」

 

 相変わらず個性がある眉を思いっきり顰めているから、多分分かってない。

 帰国子女である弊害か、普段の会話でもたまにコミュニケーションが取れない時があった。言語の壁ってのは大きいもんだ。

 まあ分かってもらわない方がよかったかもしれない。他校のこいつに、わざわざ秀徳の部内事情なんて言う必要もないだろう。

 

「よく分かんねーけど、何かめんどくせーな、です」

「うん。本当、そうなんだよね」

 

 よく分からない割には痛い所をついてくれる同居人だ。

 俺は苦笑しながら、とりあえず通学の時間まで、もうちょっと惰眠を貪る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 IH(インターハイ)予選は五月から六月の時期に行われる。

 大会っていうのはどうしてこう、本選までの期間がムダに長いのか。予選が始まってから最近、ずっと部内の空気が重苦しいというか、妙に殺伐としていて参る。まあ、原因の七割は大会に向けての緊張とか気合だろうけど、残り三割は天才一年の緑間への妬み嫉みとか、大分私怨が入ってくると思う。いや、やっぱり六:四くらいか……? 

 いよいよ明後日は予選Aブロックの準決勝だった。当日の内に決勝もやるっていう鬼スケジュールを組まされてるから実質一日で全ての試合は終わる。終わった後は絶対骨も残ってねーぞ俺。

 大坪主将を始めとして三年は全員日ごとに暑苦しいくらい気合が入ってる。去年のIHはベスト16で終わってたから、確かにリベンジしたい気持ちが強いんだろう。あの時の宮地兄なんかは、控えだった癖にすげー大泣きしてたし。試合に出てたのに涙一つ出てこない俺がすげー薄情みたいで落ち着かなかった。盛り上がってる中で自分一人だけ浮いてるって流石に感じたもんだ。

 

 まあ、どこかの誰かさんに比べたら去年の俺なんてマシなもんだって思えるけどな。

 天才一年坊主、緑間真太郎は入部から二ヶ月経った今でも話題に事欠かず、主将や三年から白い目で見られても何のその、やりたい放題やっていた。

 まあ、やりたい放題っていうとちょっと誤解があるかもしれないが。意味不明なアイテムは持ち込むし、ワガママ3回ルールなんてもんが出来て明らかに特別扱いはされている。でもきっちり練習には来てるし、(おは朝占いって奴の結果が悪い時は別)、上級生には一応従ってるし(説教された時に不満がすげー滲み出てるけど)。

 宮地兄なんかはしょっちゅう緑間にキレているけど、あいつに空気読んだり気を遣ったりとか、期待するのは間違ってますよと言いたくなる。

 秀徳バスケ部はそこそこ歴史がある分、多分他の学校より年功序列にうるさい。俺も去年は、その洗礼をよーく味わった。だから緑間みたいな出る杭が打たれるのは当たり前っちゃ当たり前だ。あいつの場合は自分から棘を撒き散らしてるって気がするが。

 

「──―銀望はインサイドの守備に力を入れているが、普段通りの力で挑めば問題は無いだろう。スタメンは変わらずにいく。明後日に備えて、各自体を休めておくように」

 

 中谷監督の、間延びしたような独特な語り口が耳に入って、俺は我に返った。

 言っとくが居眠りしてた訳じゃない。ちょっと気が抜けてただけだ。

 

「……あの、監督。緑間の奴がいないんスけど?」

「ああ、連絡は来ているよ。緑間は今日休みだ」

 

 監督の答えに、宮地兄のこめかみにビシッと青筋が浮かぶ。

 触らぬ宮地に祟り無しだ。俺は黙って距離を取った。

 

 明後日にいよいよ準決勝・決勝の二試合があるって事で、今日の練習は普段よりずっと軽い。一通り練習が終わった後に監督が号令をかけ、俺達は軽いミーティングを行っていたのだった。

 ちなみにスタメンの一人であり、ポイントゲッターである所の緑間君は何と欠席である。

 部活を休んだとかじゃなく、学校自体来てないっつーんだから、俺も一瞬何事かと思ったが。

 

「あー宮地さん。仕方なかったんですよ、怒らないで下さいって」

「ああ゛っ? どうせまた、占いがどーとか言ってワガママぬかしたんだろーが! 試合前だってのに、分かってんのかよあのバカ!」

「いや、ギリギリまでラッキーアイテム探してたみたいなんですけど、どうしても手に入らなかったみたいで」

「今日は何のラッキーアイテムだったんだ?」

「それが『カラフルなステンドグラス』で」

「見つかる訳ねーだろそんなの!!」

 

 苦笑いしながら説明している高尾に、宮地兄と木村がツッコミを入れて俄かに騒がしくなる。俺も宮地兄の意見に思い切り同意したい。どんな占いを見てんだ、あの後輩は。

 

「順位も最下位だったみたいで、学校行かないのかって聞いたら『こういう日は無理に行っても禄な事が無い。明後日に備えて休んでおくのだよ』って言ってました」

「無駄に上手く声真似してんじゃねーよコラ、潰すぞ、キュッと」

「痛っ! いたたたたっ! 宮地さん、痛いっス! 本当に潰れます! 縮んじゃいますからっ!」

 

 宮地兄に両側のこめかみを拳で押し潰されて高尾は悲鳴を上げるが、俺は巻き添えになりたくないので見捨て……いや、そっと見守る事にした。

 宮地兄が代表してキレているから分からないけれど、他の上級生や二軍のメンバーも白けた顔をしている。そりゃそうだろう。試合も迫ってるのにふざけた理由でスタメン、それも一年が休んでいるんだから、これを許せる先輩がいたらよっぽどの菩薩かお人好しかだ。

 つーか緑間も、試合の事を考えてんならもっと上手い言い訳にしとけよ…。

 何でこう、わざわざ波風を立てるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元々そこまで伝達事項が無かったせいか、ミーティングはすぐ終わって解散になった。

 後は各自、練習メニューをこなし、なるべく自主練はせずに切り上げろというお達しだ。この頃は対正邦戦に向けて扱かれまくって、もう汗一滴も出ねえって状態だったから、俺はもう帰宅時間になるとスキップして上がっていった。

 いつもなら宮地兄あたりから小言をもらいそうだけど、今日は緑間の一件もあるし、試合も控えてるから特に文句は無い。

 つくづく、何でこんな思いまでしてバスケ続けてんだろうなあ、俺は。

 

 

「……緑間の奴さ、マジふざけてるよな……」

「ムカつく……試合出るんじゃねーよ……」

「あの高尾もさ、何で一年の癖に……」

 

 

 と、部室のドアを開きかけた時だった。

 俺は毎度毎度、まずいタイミングに出くわす才能にでも恵まれてんのか? 

 ドア越しに漏れ聞こえてきたのは、多分二軍の奴らの──普段、俺もあんまり話さない奴らの──声だった。きっかけは知らないが、扉の向こうで盛大な愚痴大会か悪口合戦が始まってるのは明らかだ。

 まあ沸点の低い宮地弟の方じゃなくて俺でよかったのか? あいつだったら、今頃部室に怒鳴り込んでもっとややこしい事態になってそうだ。

 

 すると後ろから、ジャージが引っ張られるような感覚があった。

 振り向くと、いつの間にいたのか、高尾が背後からニコッーと人好きのする笑顔を見せていた。咄嗟に名前を呼びそうになったが、口に人差し指を当てたジェスチャーをされて慌てて黙る。

 

「いや~よかった、間に合って。しばらく時間潰さねーと、部室入れないっスかねー」

 

 部室棟から離れて体育館にまた舞い戻ると、高尾は一息吐いて、殊更明るく言ったように見えた。今日は上級生も早めに上がっているから、居残りしている人間はほとんどいない。静かな放課後ってのも久しぶりだった。

 

「……高尾君、大丈夫?」

「へ? いきなりどうしたんスか、雪野さん? そりゃあ相変わらず練習じゃボロボロになってますけど、この通り元気ですって!」

「いや、そうじゃなくてさ」

 

 言っていいもんなのか、これは。

 俺が脳内で一人葛藤していると、高尾の方から切り出してきた。

 

「あー気遣ってもらわなくても大丈夫っすよ、本当。俺、気にしてねーっスから」

「……何かごめんね。室田君も金城君も、悪い奴じゃないんだけど、ちょっと今はピリピリしてるみたいで。だから高尾君達に当たっちゃうんだと思う」

「まあIHも近いですからねー。それに緑間はああだし!」

 

 自分で言って、緑間の奇行を思い出したのか高尾は思い切り噴き出した。笑いのツボが分かんねー奴だ。

 さっき部室から聞こえていた陰口は、俺の同学年の連中もいたから、何だか非常に心苦しい。

 こういう身内同士の足の引っ張り合いとか、レギュラー争いの泥沼にはうんざりする。室田達の言い分も理解は出来るけど、共感は出来ない。緑間みたいな才能の塊に好き勝手やられるのは屈辱だろうけど、裏でコソコソ言うのは何か違うだろう。

 

「高尾君も、よく緑間君とそこまで仲良く出来るよね。大変じゃないの?」

「ぶはっ! ちょ、何で木村さんも雪野さんも同じ事聞いてくるんすか!? 俺、そんなにコキ使われてるよーに見えます?」

「あのリヤカー引いてて気にしないのは難しいでしょ……」

 

 登校途中でたまに見かけるけど、こいつらはあの自転車にひっつけたリヤカーで学校に来ているらしい。しかもほとんど高尾が漕いでるし。うん、意味が分からん。

 

「ああ、あのリヤカーっすか? 俺、まだ一回も緑間に勝ててねーんですよ。あいつジャンケンまでデタラメに強くって」

「へえ……」

「でもそろそろ勝てそうな気がするんですよねー。そしたら雪野さんも一緒に乗ります?」

「いや、遠慮しとく」

 

 色々と余計な心配だったみたいだ。

 高尾も一年レギュラーって事で、二軍の連中がよく陰口の対象にしてるのを聞くけど、それは緑間とニコイチみたいにやってるとばっちりな所が大きい。「キセキに媚売ってる」だの「腰巾着」だの、何でそういう語彙ばっかポンポン生み出すんだろーな。

 けど本人が全く気負ってないようなら、少し安心した。まあ、こいつは周りの言葉や視線で潰れるような柔な神経はしていないんだろう。

 

 その後に少し喋って時間を潰して、部室にいる連中が引き上げた頃を見計らって俺達も体育館を後にした。

 この時に高尾から、緑間がおは朝で最下位の時にいかに不幸体質になるかという事を体験談混じりに力説されたが、どうにもピンと来なかった。だって所詮占いだろ? 

 俺の内心を察したのか、高尾が珍しく真顔で「一緒にいればマジで実感します。最下位の時は面白いけどヤバいんですって」というもんだから、その迫力にはちょっと気圧されたけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 

 

 

『柔軟材がきれてました。悪いけど買っておいて下さい』

 

 火神からのメールに気付いたのは、高尾と別れて帰宅の途に着いた時だった。

 おい、「剤」の字が違うぞ。俺でも分かる。最初の頃はこのやり取りに、主婦か! とツッコみを入れてたが、もう慣れた。一人暮らし歴が長い分、あいつはあんないかにも不良な見た目で家事スキルが高い。そんなギャップはいらねえとしみじみ思う。

 

 だがまあ居候の身だ。了解の旨を返信で伝える。

 ……明後日の試合、行きたくないなあと心から思った。

 何やかんやで共同生活を送ってしまったし、火神には一宿一飯どころじゃない恩がある。明後日、誠凛が負けた後で顔を合わせる事の気まずさを思うと、ものすごく憂鬱だった。

 考えたくはないが、最悪のパターンが誠凛が正邦に勝って、決勝で対決する事だ。そこで俺達が勝ったら、その後どの面下げて火神の家に戻れっつーんだよ。気まずすぎる。けどこの真夏に路上生活は嫌だ……。ああくそ、それもこれも爺ちゃんがおかしな事を言い出してアメリカなんかに逃げたせいだ。

 

 あのクソ爺への呪詛を呟きながら、駅前のドラッグストアに立ち寄ろうと足を向けた時だった。

 

「あれ? 雪野やん」

「え?」

 

 反射的に振り返ったのが間違いだった。

 ものすごく聞き覚えのある声の主が、満面の笑みでそこに立っていた。

 そもそもこんな喋り方する知り合いは、俺の狭い交友関係の中で一人しかいない。

 

「なーんや偶然やな。自分、この近くに住んどったっけ? 

 髪白くなっとるから、一瞬誰か分からんかったわ」

「……ていうか、そっちの方こそ何でこんな所にいるんですか」

「そら、偵察帰りに決まっとるやろ」

 

 主将は忙しいんやでー、と全く疲れてないように見えるのに肩を竦めてみせる。

 只でさえ胡散臭いのに非常にわざとらしい。

 

「自分今、何か失礼な事考えたやろ。あかんで、先輩にはちゃんと礼儀守らんと」

「あんたみたいな先輩はそうそういないから大丈夫です」

「ぶふっ!」

 

 すると何故かいきなり噴き出した。

 どこの高尾だよ。

 

「…い、いや…すまんな…。雪野、随分大人しゅうなったなあ。何や高校デビューか?」

「放っといて下さい!!」

 

 だから昔の知り合いには会いたくなかったんだ。

 笑いを噛み殺してる風なのがまた腹立つ。爆笑されたらされたで倍ムカつくけど。

 

「あーすまんすまん、そう拗ねんで。なあ、どうせ暇やろ? 折角会うたんやからどっかで落ち着いて話そうや。そんな、さっさと帰れとか思わんで」

「分かってんならさっさと帰らせてくれません!?」

 

 今日の占い最下位は緑間じゃなくて俺だったんじゃねーのか。

 かつての先輩に連行されながら、いるか分からない神に祈りたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中学時代の一つ上の先輩──別名心を読むサトリ──今吉翔一に連行されて、俺は駅前のマジバに来る羽目になっていた。

 何でこの人がこんな所にいるんだよ……確か都内でも別の地区に進学してた筈だろ。

 絶望している俺の内心なんてお見通しなのか、真正面の今吉さんはニコニコ笑っている。いや、擬音をつけるならニヤニヤ、か? 相変わらず胡散臭い。元々大人びてる人だったから、制服着ててもどっかのインテリヤクザじみて見てる。

 

「何や、食べへんの? ワシの奢りやのに」

「食欲出る訳ねーだろ……ていうか、俺マジバはそんな好きじゃねーし」

「お、やっと猫被るの止めたんやな。ま、そっちの方が雪野らしいで」

 

 そりゃ、あんたの前で猫何匹被ってても意味ねーからな。疲れるだけだし。

 今吉さんは腹が減っていたのか、チーズバーガーを齧りながら訊ねてきた。

 

「で? どうなん、そっちは」

「……は? どうって、何が」

「せやから、高校で。ちゃんとやれとるんか? 

 卒業してからずっ──と音沙汰無かったから、これでも心配しとったんやでー」

「あんたは俺の何なんだよ」

 

 ポテトを摘みながら俺も答える。うん、これならまあ食える。

 ハンバーガーの類は脂っこくて嫌いだ。

 

「そら、昔の先輩として気になるやろ? 

 後輩はたくさんおったけど、雪野が一番危なっかしかったからなあ。

 あーほら、ちゃんと友達とか出来たか?」

「だからあんたは何様だよ! つーか、友達くらい出来たから!」

「ほんまか? お前の事やから、喧嘩を止めようとしていつの間にか巻き込まれてたり、知らん所で恨み勝ってたり、まーたそんな事があったりするんやないの?」

「……ねーよ」

 

 最近の秀徳バスケ部のゴタゴタを振り返ると、思い当たる所が無い訳じゃないが、否定したかった。ていうか、この人は何で見てきたみたいに言うんだ、千里眼でもマジで持ってるのか。

 眼鏡の奥にある今吉さんの目は閉じたように細められたままで、何を考えてるのかさっぱり分からない。

 

「まさかそんな事聞く為にわざわざ呼び止めた訳じゃねーだろ? 何の目的だよ」

「えー、ワシそんな信用無いん? たまには後輩とお喋りしたくなるもんやん」

「違和感があって気持ち悪い」

 

 確かにこの人は面倒見がいい人だったけど、それも全てはチームの為、勝つ為に必要だからやってただけだ。徹底的に合理主義。だからこの人の行動には何か裏がないとすげー違和感がある。

 丁度今吉さんもチーズバーガーを食べ終えた所だった。微かに笑っているが、昔、試合前に見せていたような悪そうな顔に似ていた。前置きはこれで終わり、という事か。

 

「雪野、その制服って事は自分、秀徳高校なんやろ?」

「そうだけど」

「まだバスケやっとるんか?」

 

 一瞬、答えに迷った。

 

「やってる。一応」

「へえ、そりゃ良かったわ。ならそっちにも入ってきたやろ? 「キセキの世代」」

 

 それ絡みか。

 ん? 今、そっちも、って言わなかったか? 

 

「……今吉さんの所にも来たのかよ」

「せやで。どーにか口説き落としてな、青峰が入部したで」

「青峰……」

 

 聞いた事のある名前だ。

 ああ、そうだ。前にクラスメートから借りた月バスで見た名前だった。何だったか、キセキの世代のエースだの、最強の点取り屋だの、やたら盛ったキャッチコピーで溢れてた気がする。

 

「月バスでも書いてあったけど、青峰ってそんなに強えーの?」

「ああ、強いで。才能がある分ちょっと複雑な奴やけどな、まあ、その辺も自分に比べたら可愛いもんやでー」

「おい」

 

 俺ばっかりが面倒な奴みたいに言うんじゃねーよ。

 にしても、この人がはっきり強いって評価する事には驚いた。人を煙に巻く事も多いが、バスケに関する評価だけは公平でシビアだった。

 

「……なあ今吉さん。その青峰は、他の部員とか先輩とかとちゃんと仲良くやってんのか?」

「ん? そんな訳ないやん。練習は来んし、たまに試合出ても適当にするだけやから若松……ああ、うちの二年な、とかは毎回キレとるし。他の部員も怯えててあんま近寄らんしなあ」

「ってダメじゃねーか!! 何であんたそれをほったらかしにしてんだよ! 主将だろ!」

「雪野……お前がまさか部の上下関係とか考えられるようになったなんてなあ。感慨深過ぎて泣けてしまうわ」

「俺の事はどうでもいいんだよ!」

 

 泣き真似なんかすんな、何か腹立つ! 

 大体、練習にすら来てないって何だよ。緑間のワガママ3回だってぶっ飛んだルールだと思ったけど上には上がいた。俺様何様キセキ様ってか。もし宮地兄が知ったら轢くどころじゃすまねーぞ。

 

「まあまあ、元々青峰は練習には出ないけど試合には出るって条件で勧誘したしな」

「ええ……そんな特別扱い許していいのかよ」

「別にええんちゃう? 実際、試合にあいつが出たら確実に勝てる。それなら青峰の人間性なんてどうでもええしな」

「………………」

 

 そうだった、この人はこういう人だった……。

 まあ、そうじゃなかったら俺も中学でバスケはやれなかっただろうけど。

 

「こっちもそれぐらい割り切った方が上手くいくって事か……?」

「確か秀徳には緑間君が行ったんやろ。そんなに大変なん?」

「いや、大変っつーか、ちょっと二軍との間でゴタゴタしてるだけ」

 

 それだけでこのサトリ先輩は色々察してくれたらしい。心を読んでくるのは心臓に悪いけど、最小限の言葉で通じる時もあるから便利っちゃ便利だ。

 

「放っておけばええんやない? 試合に勝ちさえすれば誰も文句なんて言わへんやろ」

「それはちょっと極端過ぎじゃねーか……?」

「極端でもそれが事実や。勝てば官軍、負ければ賊軍って言うやろ。官軍になればええんよ」

 

 確かに緑間が試合で点取って、それで勝っていけば、その内部の不満なんて消えるかもしれない。俺もその方が楽だ。室田も二軍の奴らも、結果を出してるなら何も言えないだろう。

 

「まっ、IHではお互いがんばろや」

 

 じゃあそろそろ行くわ、と言ってひらひら手を振りながら今吉さんは席を立った。

 IHではって……全国出場は確定かよ。どんだけ自信があるんだ。

 嫌味なのかエールを送られたのか分かんねーけど、全国行ったとしてもあの人のチームとは当たりたくねーと思う。

 

 コーラで再び喉を潤そうとした時、俺はハッと柔軟剤を買い忘れていた事に気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◆◆◆◇◆◆◆◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ごくごく普通にIH予選の最終日はやって来た。

 直前に台風が直撃して会場がなくなる事もなく、雨が降る訳でも槍が降る訳でもなく、カラッと気持ちいいくらいに晴れて試合当日を迎える事になった。

 

 前の錦佳戦と違って、観客も収容出来る総合体育館が今回の会場だ。

 予想通りにギャラリーもしっかり揃っていて、これからの試合に全ての目線が注目している。でも多過ぎだろ……たかが高校生の大会予選だぞ? もっと減ってくれよ、頼むから。

 

 俺も観念した気分で、試合前のウォームアップに励んでいた。二日ぶりに姿を見せた緑間も、黙々とアップに打ち込んでいる。宮地兄には初っ端から怒鳴られていたけど。

 ふと、今吉さんが言っていた言葉を思い出す。

 俺がグルグル考えている部の中の揉め事とか問題も、勝ちさえすれば全部解決するんだろうか。

 

 

「あっれー? あんたも選手?」

 

 

 と、振り返ると、目をやたらキラキラさせた坊主頭が指を差していた。

 隣のコートでアップをしていた選手──つまり正邦の選手だった。DVDで見た映像と目の前の人間の顔が一致する。

 

「うわっ、髪白っ! どっかの監督の爺さんなのかと思った」

「は?」

 

 こんな清々しく喧嘩を売られたのは始めてだ。

 折角作っていた「温厚な先輩」キャラが崩れかけたが、その直後、誰かがその坊主頭を殴りつけた。

 

「すまん、こいつは空気が読めん奴でな。俺からちゃんと言っておく」

「いえ……気にしてないんで……」

 

 先輩らしき大柄な選手が坊主頭の襟首を掴むと、そのまま引きずるように去っていった。

 俺とそこまで身長差がないのに、随分ゴツい奴だった。

 正邦の対面のコートでは、誠凛のスタメンがアップをしているのが見える。その中には、今朝ぶりに出会う火神もいた。赤髪にあの身長なだけあって目立つ奴だ。他の連中の中から頭が飛び抜けてる。

 何でこっち見てんだ?と思ったら、その視線は隣のコートにいる緑間に強く向いていた。見る、っていうより睨んでる。もっと本音隠せよ…敵意が分かりやす過ぎてうるさい。

 そんな事思ってたら、誠凛の先輩らしき奴が後ろから火神の顔の方向を無理やりずらした。……何か首が曲がっちゃいけない方向に曲がっている気がしたが、見なかった事にした。

 

「おい、お前達! 集合だ!」

 

 と、こっちでも大坪主将の声がかかった。

 ウォームアップの時間が終わり、会場に集まった4つのチームが各自ばらけていく。

 

 俺も俺で、色々気にしてても仕方ない。

 試合の事、決勝の事、俺は下宿先を失わずにいられるのかとか、まさか野宿生活なんて事にはならねーだろうなとか、半分くらいは試合に関係無い心配ばっかり浮かんできたが。

 

 とりあえず、頭の中を強引に切り替えた。

 準決勝の対戦相手、銀望高校。

 

 

 

 

 

 試合開始を知らせるアナウンスが、やけに明るく会場に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 秀徳高校スターティングメンバー

 

 大坪泰介(三年) C 198㎝

 宮地清志(三年) SF191㎝

 雪野瑛 (二年) PF 183㎝

 緑間真太郎(一年)SG 195㎝

 高尾和成 (一年)PG 176㎝

 

 

 

 

 

 銀望高校スターティングメンバー

 

 榊圭一 (三年)  C 190㎝

 石川康大(三年)  SF 188㎝

 小野雄平 (二年) PF 185㎝

 土屋俊介(二年)  SG 183㎝

 斎藤直哉 (三年) PG 179㎝

 

 

 



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8.眠れる獅子

 

 

 

 

 

 緑間がシュートを放った。

 銀望の5番が直前でブロックを仕掛けたが、その手は空を切った。そりゃ2m近い高さからシュート打たれたらな。本当に色々と反則だ。

 

 ボールは変わらない軌道を描いてゴールに決まる。

 相変わらずお手本みたいに綺麗なフォームだった。三本連続の3Pにギャラリーから歓声が上がる。

 

主将(キャプテン)

「あ? もういいのか」

「はい。感触は確かめられました」

 

 が、当の本人は、ノルマ終了、とでも言うような軽さで大坪主将に報告している。

 まあ……うん、こいつからすればウォーミングアップ代わりなんだろうな、本当に。練習中にも結局、緑間が3P外した所なんて見た事ねーし。

 

 緑間はすぐベンチに下がり、控えていた12番と交代した。ちなみに、秀徳バスケ部ではもう数少ない三年だ。誰が来てもいいけど、同じく控えにいた二年の室田がすげー緑間を睨んでる。もうちょっと敵意隠せ、と思った。

 

 まだ第1Qも終わってねーけど、コート上では既に勝負はついたような弛んだ空気が出ていた。点差は(銀望)2対18(秀徳)。完全に秀徳の流れって奴だ。

 そうなると、少し気になるのはもう一つの試合だった。隣では正邦と誠凛が、俺達と同時進行で試合をやっている。俺の個人的な事情としても下馬評通り正邦に勝ってほしい所だが──

 

「オラ雪野! ボケッとすんな、DF(ディフェンス)だ!」

「っ、はい!」

 

 宮地(兄)にシバかれる前に、俺の思考回路は再び銀望との試合に戻った。

 

 

 

 

 

 

 そして40分後、俺の予想と期待は一番嫌なパターンに当たる事になった。

 

「38対120で、秀徳高校の勝利!」

 

 審判の宣言の後、両校の選手の礼が爽やかに響く。こっちの試合自体は圧勝だった。

 緑間だけでなく俺も高尾も第2Qで交代したから、実際には大坪主将や三年の上級生が中心にボコボコにした訳だが。緑間も緑間だけど、この部は上級生も含めて普通に全員が容赦ねえ。

 王者の貫禄を漂わせて帰ってきた大坪主将以下先輩方に礼をして、俺達も休憩に入る。

 って、話はそこじゃない。

 ベンチでぼんやり試合経過を眺めていたら、気付けば隣のコートでとんでもない番狂わせが起きた。

 誠凛が正邦に勝っていた。

 かなり僅差だったようで、タイムアップと共に誠凛のスタメンがコート内で集まり、歓声をげているのが見えた。いや、まだ準決勝だろ。何だよ、あの決勝みたいな盛り上がりは。

 

 そして最悪な展開になってしまった。

 これで決勝の相手は火神だ。やりづらい。家主と居候という意味で。

 

「あれ? 雪野さん、何か疲れてます?」

「あーうん……いや、さすがに連続で試合は少しね」

「ぶはっ! そうっスね! 俺達どんだけバスケ好きなんだっつーの」

 

 左隣にいた高尾が、また訳も分からず噴き出した。いいよなこいつは、何も悩みが無さそうで。

 高尾の更に左隣に座っていた緑間は、何を考えているか分からない顔で、誠凛のいるコートを見つめていた。その口元がちょっと笑ったような気がしたのは、俺の目の錯覚だろうか。

 

 

 

 

 

 

 大会運営ってのはとことん機械的で淡々と進むものだから、敗者がいようと誰がいようと関係無い。勝者側の俺達もとっととコートを追い出されて、決勝開始時間まで控室に一旦戻った。

 さっき試合に出ていた三年がストレッチをしたり、エネルギーを補給したり、各々疲労回復に充てる。

 俺もそこまで動いていなかったから身体的な疲労は問題無い。問題なのは……とりあえず今は精神面の方がしんどかった。

 

「すいません、ちょっとトイレに行ってきます」

「あっ、じゃあ俺も!」

 

 何でだよ。

 一人になりたい気分だったのに、何故か高尾もついてきた。お前は緑間とセットじゃなかったのか。

 その緑間はベンチに腰掛けたまま、自分の左手の指を見つめている。意味分からん。

 

「……けどびっくりでしたねー。マジで誠凛が来るなんて」

「本当にね」

 

 手を洗いながら、高尾の言葉には心から同意した。

 正直誠凛が勝てるなんて思ってなかったから、最初はあのスコアが間違ってんのかと思った。こればっかりは大坪主将や、他の三年も同じ意見だろう。

 

「まっ、俺としては決勝で当たる方がいいスけどね。

 これであいつともちゃんとやり合えるし」

「……あいつ? 誰か知り合いでもいるの?」

「ほら、真ちゃんと同中の……よっ」

 

 最後の声は、俺に向けられたものじゃ無かった。

 つーか、誰に言ってんだ? 

 その時丁度、同じようにトイレにきたらしい他校生の姿が鏡越しに見えた。というかジャージからして誠凛生だ。けど俺と同い年くらいに見えるし、まさかこいつに言った訳じゃないだろう。

 

「って……うわっ!? ……何だ、黒子君か。そうならそうと言ってよ……」

「ぶはっ! い、いやすんません。雪野さんがそんなビビるなんて思わなくて」

 

 宮地じゃねーけど、高尾の爆笑に殺意が沸いたのは初めてだ。

 猫のような口の誠凛生と一緒にいたのは黒子テツヤ、緑間とは同中で元チームメイトの一年だった。そして影が薄過ぎて自動ドアに阻まれるなんて、コントみてーな事をやらかした奴。

 

 黒子も高尾と一瞬目が合ったようだが、意表をつかれたのか、特に返答はしてこなかった。

 水晶みたいに透き通った目が、ちらっと俺の事も見る。

 それにしてもいつ会っても仏頂面っつーか、表情が無い奴だ。

 

「あれ? 先輩達も連れションっすか~? 次の試合、よろしくでっス!」

 

 テンションが高いんだか挑発してるんだか分からない台詞を残して、高尾は出た。

「あ、ああ」と二年らしき誠凛生が戸惑っている。

 

「それじゃ、またね」

 

 幽霊少年にも別れを告げて、俺もさっさとその場を去った。

 出来る事なら、もうこいつらと再会したくないものだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 決勝開始時間、数分前。

 体育会系は円陣を組んで気合を入れるのが恒例だけど、秀徳もその辺りは例外じゃない。

 入部してから今まで何回とやらされてきたが、こういうノリは永遠に慣れねえ。つーか緑間もしっかり加わってるのがすげー絵面に違和感がある。こいつ、こういう事は意外とちゃんとやるんだな。

 

 「正直…ここまで誠凛が勝ち上がって来ると予想していた者は少ないだろう。北の王者の敗退は番狂わせという他無い。

 …だがそれだけの事だ。秀徳(ウチ)にとっては何も変わらん。

 相手が虎であろうと兎であろうと、獅子のする事はただ一つ。

 全力で叩き潰すのみだ!いつも通り、勝つのみ!」

 「おう!!」

 

 大坪主将の一声を皮切りにして、スタメンもそれぞれコートに向かう。

 決勝戦だからもう会場には俺達と相手校の二校しか揃っていない。準決勝の時よりも少しコートが広く感じられた。観客もざわつきを潜めているようで、試合前の無音が余計に際立っている。

 

 誠凛のスタメン側に、やはりというか火神がいるのを発見した。

 あーやっぱり俺この試合ベンチにしてくれねーかな……とか思っていたら、火神とは何故か目も合わなかった。てっきりまた、緑間に喧嘩でも売りにくるのかと予想していたのに、しおらしいくらいに落ち着いている。

 え? 流石に決勝だから緊張してるのか? 

 

「まさか本当に勝ち上がってくるとは思わなかったのだよ。

 だがここまでだ。どんな弱小校や無名校でも、皆で力を合わせれば戦える。そんなものは幻想なのだよ」

「ちょっと、緑間君」

 

 そしたら今度は、緑間が黒子相手に喧嘩を売っていた。

 あーもう! 何で今の一年はどいつもこいつも喧嘩っ早いんだよ! 

 

「来い。お前の選択がいかに愚かか教えてやろう」

「……人生の選択で何が正しいかなんて誰にも分かりませんし、

 そんな理由で選んだ訳ではありません」

 

 緑間がどこぞの悪役じみた台詞を叩きつけた所で、黒子は静かに反論した。

 

「それに一つ反論させてもらえば、誠凛は決して弱くはありません。

 負けません。絶対に」

「…………」

 

 すげーな、あの緑間に真正面から睨み返してる。

 いや、黒子は別に睨んでないのか。こんな時でも目つきどころか表情にも全く変化は無かった。緑間はきまり悪そうに黙り込むと、踵を返して秀徳の列に戻っていった。

 

 人生の選択、ね。

 あんまり聞きたくない言葉だ。ゲームみたいに最初から選択肢と結末が分かってるなら、間違える事も無いんだろうけどな。

 

 そうこうしている内に、試合開始時間になった。

 秀徳、誠凛の2チームが整列して、決勝開始の号令が鳴る。

 

 ──泣いても笑っても、40分後には全てが決まってしまう訳だ。

 IH(インターハイ)予選の勝者も、あとは俺の今後の住処も。

 後者の方が俺としては切実なんだが、ここまで来たら腹を括るしかない。もう、なるようになれだ。

 

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 

 ティップ・オフ

 開始はまず誠凛ボールに渡った。

 そしてどういう因果か、俺はいきなり黒子のマークについている。あんまり会いたくないって思った傍からこれかよ……。何考えてるか分かんねーし、小さいし影薄いし、マークしづらくて仕方ない……って居ない!? 

 

 すぐ背後にいた筈の黒子は、いつの間にか姿が消えていた。

 すると誠凛のPG(ポイントガード)が黒子にパスを回し、黒子がその軌道を切り替えて一瞬で火神にボールを繋ぐ。

 火神はそのままボールの勢いを殺さず、ゴールに叩きこみにいく。アリウープだ。

 でかい図体の癖に、よく跳ぶ奴だ。

 

「やったー! 先取……」

 

 誠凛のベンチから歓声が起こった──―が、それはすぐ驚愕の声に変わった。

 素早く回り込んだ緑間が、火神のシュートを阻んだのだ。

 

「全く……心外なのだよ。その程度で出し抜いたつもりか?」

 

 失望したような緑間の言葉に対して、火神が屈辱に呻く声が聞こえる。

 (センター)やっててもおかしくない長身なんだから、あのシュート止めるくらい訳無いだろう。まあ、それを差し引いても緑間のバスケセンスが3P以外もデタラメなんだけどな。「キセキの世代」は色々反則過ぎると思う。

 

 ボールはそのまま高尾が受け取り、即座にペネトレイトに入る。

 が、誠凛のPGにディフェンスされる。すると慌てるどころか、口元に楽しんでるような笑みを浮かべた。なーんか企んでるな、あの顔は。

 予想通り、高尾は背中越しにノールックで俺にパスを寄越してきた。

 そのパス捌きに、誠凛のPGが一瞬驚いたように見えた。

 

 今、自陣はフリーだ。邪魔も無い。軽く跳んでシュートモーションに入る。

 

「させっかよ!」

 

 と、あの距離から追い付いてきたらしい。誠凛の4番がシュートを防ごうとする。

 咄嗟に滞空中にボールを持ち変えてディフェンスを躱し、放った。一拍遅れて、ネットが揺れる音がする。

 

「決まった──!」

「先制点は秀徳だー!」

 

 ギャラリーの大袈裟な騒ぎとは対照的に、コート内はまだ静かな緊張感が張りつめていた。

 先取点を取られた誠凛が、一本取り返して流れを掴もうとOF(オフェンス)に勢いが増し、秀徳は逆にそれを阻もうとする。

 

 均衡状態に入りかけたが、やっぱり地力の強さで比べれば秀徳が上だ。

 誠凛の4番であり、SG(シューティングガード)が投げたシュートはリングに当たって外れた。

 間髪入れず、大坪主将がリバウンドを取る。

 

「速攻!!」

 

 受け取った高尾が目の前の4番を阻みつつ進み、再びノールックで左後方にパスを出す。

 鷹の目(ホークアイ)ってのは便利なもんだな。後ろにもう一つ目があるんじゃねーのか。

 ボールは緑間の手に渡った。そして何の躊躇いも無く3Pを打つ。

 

 予定調和のようにシュートはゴールをくぐった。

 緑間は打った途中から、もう自陣に戻り出している。ゴール下に居なきゃならない俺達の身にもなれよ。

(誠凜)0対5(秀徳)。

 バスケに流れってものがあるとするなら、それは確実に秀徳にきていた。

 

 ──―コートの端から端を、高速のパスが縦断したのは次の瞬間だった。

 

 緑間の顔のすぐ真横を突風がすり抜けた。

 それがパスだと分かったのは、緑間の更に後方、ゴール下で受け取った火神が、そのままシュートを決めたからだ。

 

「すいません。そう簡単に第1Qを獲られると、困ります」

 

 緑間の3Pへの意趣返しのように言ったのは黒子だった。

 って、え!? 

 今の訳分かんねー剛速球をこいつが打ったのか? こんな箸より重いもの持てないようなひょろっこい奴が!? 

 大坪主将も高尾達も、流石に今の超長距離パスには驚きを隠せないでいる。つーか普通はあんなパス思い付いても誰もやらねえ。さらっと受け止める火神も何者だよ。

 

 緑間の同中、いや「キセキの世代」のお仲間は訳の分からない奴ばっかりだ。

 ……しかも、こいつ大人しそうな顔して結構ちゃっかりしてるな。

 あんな超速攻をカウンターでやられたら、これからシュートを打つ時にトラウマもんだ。緑間みたいな滞空時間が長いシュートは余計にいい餌食だろう。

 まあ俺達も自陣に戻ってディフェンスすれば解決する問題なんだけど……それは無理だからな、うん。

 

 緑間もあのパスを見て攻めあぐねたのか、ボールを持っても今度はシュートを打たなかった。その辺の見切りは冷静な奴だ。

 歯がゆそうな緑間とは逆に、パスを受けた高尾はあくまで余裕のままだ。

 今までの対戦校でダブルチームを仕掛けたりアウトサイドを捨てたりして、緑間対策をやってきた連中もいたけど、確かにこのパターンは始めてだ。だからって慌てる話でもないが。

 

 高尾は鷹の目をフルに活かしてディフェンスを躱し、大坪主将にパスを出す。ダンクが決まり、2点加算。緑間がダメでも他に回せば済む話だから、PGの高尾に選択肢は残っている。

 問題は相変わらず黒子だった。

 俺もマークについてはいたが、こいつが本当に何をどうしても見失う。

 気が付くと居なくなっていて、どこからともなく現れて誠凛側のパスの中継役になっていた。そしてそれが絶妙なタイミングのアシストなもんだから、誠凜の攻撃に勢いをかけている。

 成程、こういう事か。

 あんな貧弱そうな体格でどうやって試合でやってくつもりだよ、と思っていたけど、パス特化の選手って訳か。影の薄さを武器にしてくるのは予想の斜め上過ぎるけど。

 それにしても……パスに能力を全振りし過ぎだろ。透明人間か幽霊を相手にしてるみたいな気分になってきた。

 

 その時、天の助けならぬ監督の一声が掛かった。

 

「おーい。雪野、高尾、マーク交代。高尾、11番につけ」

 

 その采配に感謝して、高尾と代わる。俺にこいつはミスマッチだ。

 高尾は何故か黒子に対抗意識を燃やしていたようだから、釣り目が好戦的に輝いていた。

 俺からすれば、共通点がパサーって所くらいで、他は対極もいいとこだと思うんだが。

 

 高尾に黒子。

 緑間に火神。

 偶然なのか必然なのか、結局は一年同士で対決する事になるのか。

 

「……黒子はそう簡単に封じられるような奴じゃねーぞ? 何考えてんだ」

「さあね、僕には何とも。その内分かるんじゃない?」

 

 敵にべらべら言うのも何なので、空とぼけてみせる。

 すると誠凛の4番の眉間に青筋が浮かんだような気がしたが、気のせいだと思っておいた。

 この4番からも、去年の決勝リーグ以来すごい敵意向けられてる気がするんだよなあ。トリプルスコアの恨みは根深いのか知らねーけど、俺以外にもスタメンはいるんだから、そっちに矛先を向けてほしい。

 

 試合が進む中、高尾がマークについた効果はすぐ発揮された。

 ゴール下、黒子が4番に繋ぎかけたボールを、直前で高尾がブロックしたのだ。

 誠凛側に一瞬の驚愕と動揺が走る。

 こぼれたボールは宮地が拾い、そのままシュートを決めた。誠凛側がすぐさまタイムアウトを取ったのは、秀徳にも予想出来る流れだった。

 

 

 

 

 

 タイムアウト中、俺達は各々疲労回復に努めていた。

 一方で、誠凛側のベンチには困惑が広がっているのが遠目にも分かる。

 そりゃそうだ。俺だって、いや多分秀徳のスタメンは高尾以外黒子の姿を捉えられてない。この時に限って言えば、高尾は緑間より異常な存在に見えるだろう。

 

「あーらら、誠凛困っちゃったね~」

「気を抜くな。奴はこれで終わるような男ではない」

「大丈夫だって! 影の薄さ取ったら只の雑魚っしょ?」

 

 軽く言う高尾に対して、緑間は諫めるように告げた。

 

「……俺が黒子の事を何故気にくわないか分かるか? 

 それは黒子の事を…………認めているからだ」

 

 聞くともなしに聞こえた二人の会話に、少し驚かされた。

 

「身体能力で優れている所は一つも無い。一人では何も出来ない。

 にもかかわらず帝光で俺達と同じユニフォームを着て、チームを勝利に導いた。

 あいつの強さは俺達とは全く違う、異質の強さなのだよ」

 

 緑間が他人を褒めている……? 

 あの、唯我独尊で我が道を行って、3Pとおは朝しか興味の無い緑間が。

 

「……何ですか、雪野さん」

「……いや、てっきり緑間君、黒子君の事嫌いなのかと思ってたから、ちょっと驚いて」

「別に好きではありません。ただ気にくわないだけです。

 俺の認めた男が力を活かしきれないチームで望んで埋もれようとしているのですから」

 

 つまり嫌いじゃないって事だよな。

 緑間語はひねくれ過ぎてて俺には理解出来ない。

 

「だが俺も負ける訳にはいきません。タイムアウト後からは本気でいきます」

 

 

 

 

 

 

 タイムアウト後、誠凛がどう出てくるかと思ったが、マークに変わりは無かった。

 緑間に火神、高尾に黒子。

 俺は誠凛の小柄なPGについている。ふと思ったが、こいつも高尾程じゃねーけどパスの捌き方が上手い。あんな影の薄い奴を見失わずにパス出せてるんだから大した話だ。

 もしかしてこいつも、高尾と同じ系統の視野を持ってるのかもしれない。

 

 けどやっぱり、鷹の目の視野の広さの方が優っていた。

 高尾が黒子のパスを巧みにスティールし、中継を断ち切るおかげで、誠凛側の連携プレーは沈黙している。

 誠凛の攻撃の要が黒子のパスなら、これでもう手段が潰れたも同然だ。

 

「くそっ……」

「何をぼっーとしているのだよ。ここからは本気で行く、もっと必死に守れよ」

 

 冷徹に宣言しながら、緑間はボールを保ちつつ下がった。

 3Pラインの更に外側―――センターラインまで。

 

 その位置に、火神の顔色が変わる。

 

 

「俺のシュート範囲(レンジ)は、そんな手前ではないのだよ」

 

 

 緑間がシュートを放った。

 コートの半面から放たれた軌道は美しい弧を描いて、やはり全くぶれずにゴールに入った。

 会場中がそのシュートに沸く。

 ハーフコートから平然と3P打つ奴なんて居ないだろうからな……。

 

 その滞空の合間に、緑間はゴール下に戻っていた。こいつも隙が無い奴だ。

 いくら火神達が得点しても秀徳は緑間が3点必ず入れる。2点と3点。まあアホみたいな理屈だけど、シンプルな理論だ。単純に差は開いてくる。

 

 すると火神が3Pを打った。は? 

 けど俺から見ても明らかに外れそうな軌道だ。自棄になってるのか知らねーけどなんのつもりだ。

 が、リバウンドを取る事は叶わなかった。

 既に走っていた火神がアリウープを仕掛け、こぼれたボールをリングに叩きこんだのだ。

 最初っから外れる事は計算済かよ。けど力技過ぎ……っていうか派手過ぎる。

 

「動きが派手なだけだ! オタオタするな!!」

 

 大坪主将が俺達に一喝し、2点返した。

 これで11対18。秀徳がまだ7点リード。

 

 残り13秒足らず。誠凛側からすれば、あと1本取ってゴール差を縮めてこようとする筈だ。

 

 ボールを手にしたのは誠凛の4番だった。

 そして全く臆さずに3Pを決めた。プレッシャーがかかるこの局面で、よく入れるもんだ。何か打つ寸前に妙な言葉を叫んでた気がするけど。

 柄にもなく素直に感心していたが、次に緑間にボールが渡った事で、俺は誠凛に同情した。

 

「いいシュートなのだよ、人事を尽くしているのがよく分かった。

 だが……すまないな」

 

 緑間がシュートモーションに入る。

 

 コートの最も端──―エンドラインから。

 

 一瞬の静寂の後、緑間はシュートを放った。

 この試合中、恐らく最も高い弾道を描いて放たれたシュートは、やはり一寸の狂いも無い精度でゴールに入る。

 火神も黒子も、誠凛側の人間は全員が言葉を失って、微かに揺れるネットを呆然と見つめている。

 

 

「そんな手前では無いと言ったのだよ。俺のシュート範囲は、コート全てだ」

 

 

 第1Q終了のブザーが、同時に鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 インターバルの最中、俺達と誠凛は全く違う種類の沈黙に包まれていた。

 俺達は単に体力維持の為に口数を減らしていたが、片や誠凛は、まるでお通夜みたいな暗さだ。

 あんなシュート見せられたらそうなるよな。

 

 緑間がエンドラインからの超長距離シュートを俺達に見せたのは、練習試合で一度だけだ。

 あの時は相手校以上に、俺達の方が何が起きてるのか分からなかった。高尾だけは前に知っていたのか、試合後に爆笑して緑間を茶化していたけど。

 思わず緑間に「何であんな所から打ったの……?」と訊ねて「より遠くから打った方が止められないからです」って大真面目に答えられたのが懐かしい。

 確かにコートの端から打たれたらディフェンスしようがないけど……バスケってそんなスポーツだったか? 緑間のプレイを見ていると俺の中にあったバスケの常識が粉々になっていく。

 

 でも慣れって怖えーな。

 そんなデタラメシュートでも3点得点出来て、かつ敵チームのメンタルもへし折ってんだから、これで勝ちは決まったって思ってる自分が怖い。

 誠凛側のベンチに、落ち込んでる様子の赤毛が見える。

 ……ごめんな火神。俺が勝っても家から追い出さないでくれるとありがたい。

 

「まあー多分ねー、あちらさんは何とか緑間止めにくるよねー。

 いくつかパターンはあるけど、どうしようかねー」

「監督、第2Q俺に全部ボール下さい」

 

 と、また緑間が空気の読めない発言をした。

 ピシリッ、とその場に亀裂が入ったような音がする。

 

「監督ー、こいつ轢いてもいい?」

「……宮地、軽トラなら貸すぞ?」

 

 宮地が黒い笑顔で訊ね、俺達にタオルを持ってきていた木村が気遣うように言った。

 

「ギャハハッ!! どんだけ唯我独尊だよ! マジ好き! そーいうの!」

 

 この状況を笑い飛ばせる高尾のそういう所は嫌いじゃない。

 ツボに入ったのか面白がって緑間の背中を叩いている。本当すごいなお前、怖いもん無しか。

 

「どんな手で来ようが……全て俺が叩き潰す」

「うーん……」

「……いいんじゃないですか? 監督。緑間君に任せてみましょうよ」

 

 別に何か考えがあった訳じゃない。

 何となく言ってみたら、監督と大坪主将の目線が俺に集中した。ついでに言うと緑間まで驚いたように俺を見た。いや大した事言ってねーから、そんなに見るな。

 

「……ふむ、どうして雪野はそう思うんだ?」

「いや、えっーと、誠凛は何だか勢いに乗らせると怖そうですし、緑間君の3Pで確実に得点出来る内に引き離していた方がいいと思うんですけど?」

「成程」

 

 何でここで俺の意見なんか求めるんだよ。ますます先輩方の機嫌が悪くなるだけだろう。

 が、監督は何を思ったのか、最終的には判断した。

 

「よし、緑間の今日のワガママ1回目で手を打とう」

「マジすか監督!?」

 

 宮地はやはり不満そうだった。

 大坪主将も緑間に対して、鼓舞なのか脅しなのか分からない言葉をかけている。つーか緑間、毎回ビビるくらいならあんな喧嘩売るような言い方すんなよ……。

 

 ミーティングかどうか曖昧な時間が終わり、俺達はコートに戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第2Qは、やはり誠凛側から仕掛けてきた。

 ボールを持った緑間の前に立ちはだかったのは、何と黒子だ。

 

「……え?」

 

 こいつ、ディフェンスも出来るのか? 

 ずっとサポートに回ってるからパス特化の選手かと思っていたけど。

 それでも緑間と黒子じゃ体格差からして勝負にならない。

 

「その程度の奇策で怯むと思うか!」

 

 緑間は構わず黒子を左から抜く。強引な奴だ。

 ──―高尾がスクリーンをかけて黒子を止めたのは、それと同時だった。

 そのタイミングで防がなければ、緑間がバックチップを仕掛けられてボールを獲られていたかもしれない。

 

 ったく、見逃すつもりはなかったのに、気付いたら黒子がまた視界から消えてる。どういう原理なんだよ。

 

 続いて緑間に対峙したのは火神だ。けれど緑間はドライブで切り込む、と見せかけてシュート。そのチェンジの速さに火神は追い付いていない。

 

 今度は誠凛の8番から火神にボールが渡った。

 当然だろうな。攻撃の要になってんのは黒子のパスだろうけど、得点源(スコアラー)は火神だ。

 緑間がディフェンスにかかったが、火神はあらぬ方向にパスを出した。

 その先にいたのは黒子だ。──―けどボールは渡らなかった。黒子と火神の間に入り込んだ高尾が、ボールの軌道を変えたのだ。

 バシィッ! という音と共にボールがバウンドし、緑間が即座にそれをリリースする。

 

「おおお来た!! 緑間2連続!」

「マジで落ちねえ! どうなってんだあのシュート!」

「秀徳! 秀徳! 秀徳! 秀徳!」

 

 観客の歓声と共に、秀徳側のベンチから応援の声が混ざる。

 点差はこれで14対26。

 

 今までの対戦校だったら、第2Q辺りから戦意喪失するタイミングだけど、誠凛は随分辛抱強いチームだ。ついさっきエンドラインシュートなんて見せられといて、まだ諦めてる様子は見えない。

 

「伊月! あいつらにばっか頼ってねーで俺らも攻めるぞ!」

 

 誠凛の4番がPGに発破をかけた。

 そういえば、今更思い出してきた。

 去年の決勝リーグでこいつらと対戦した時も、もっと絶望的な点差になったのにこの4番もPGも最後まで必死に食らい付いてきたんだっけな。

 

 俺がマークについているPG──伊月とか呼ばれていたか──は、やっぱり高尾と同じ系統の「目」があるらしい。

 パスを出す前に、視線の動きや予備動作が無い。どこまで見えてるか知らねーけど、俺より視野が広い事は確かだ。

 まあ、それでも今の状況だと関係無いけどな。

 伊月がノールックで右前方に出したパスをカットし、そのままペネトレイトする。

 

「なっ!?」

 

 カットされると思ってなかったのか、驚く声が聞こえた。

 いや、多分普通なら俺も取れなかっただろうけどな。

 誠凛が1点でも点を取り返したいこの状況なら、SGの4番に回すしかねーから、最初から構えてただけだ。半分くらいは勘だけど。

 

 火神が即座に反応してきたが、あいにくお前とやり合う気はねーよ。

 ボールは左にいた緑間にパスしてやった。

 

「どう足掻こうと無駄なのだよ。

 何をしようと、俺のシュートは止められない」

 

 緑間がシュートモーションに入ると同時に火神も跳んだ。

 けどブロックするには高さが足りていない。いくら跳んだ所で、元々の打点が高い緑間に届くのは無理だ。

 ……それでも、今の一瞬、火神の指先がボールに触れるんじゃないかと思った。

 いや、いくらなんでも、まさかな。

 

 三連続得点。

 これで点は14対29。観客が沸く様子とは裏腹に、誠凛側のベンチには不穏な空気が漂っていく。

 

「すげーすげー!」

「はははっ、やっぱ終わったらあいつ轢くわ。木村に軽トラ借りてぜってー轢く」

 

 そしてこっちも、無邪気に称賛してる高尾とは逆に、宮地の緑間への殺意も濃厚になっている。俺にとばっちりが来なきゃいいけど。

 

 勝負は見えたか、と思い始めていた。

 黒子のパスは高尾のおかげで完封しているし、緑間のシュートは誠凛で一番馬力のありそうな火神でも止められない。他の面子は、去年俺や大坪主将達がボコボコにした連中ばかりだ。

 いくら試合は何が起こるか分からないっつっても、限度がある。後はもう、秀徳が一方的に点を取る流れだろう。

 

 ふと、コートの中央で棒立ちになっている火神が目に入った。

 緑間のデタラメシュートに落ち込んでいるのか、それとも自分を責めてるのか、その後ろ姿からは分からない。

 予想はしていたけどこんな展開になってしまった。試合が終わった後でどう顔を合わせりゃいいんだよ…。何か恨み言とか言われても嫌だな。

 すると、俺の視線に気づいた訳じゃないだろうが、いきなり火神が振り返った。

 

 

 俺の予想は全て外れていた。

 振り返った火神は、落ち込んでも悲しんでもいなかった。

 

 野生の獣のように、獰猛に、荒々しく、笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――

 

 

 

 秀徳高校スターティングメンバー

 

 大坪泰介(三年) C 198㎝

 宮地清志(三年) SF191㎝

 雪野瑛 (二年) PF 183㎝

 緑間真太郎(一年)SG 195㎝

 高尾和成 (一年)PG 176㎝

 

 

 

 

 

 誠凛高校スターティングメンバー

 

 水戸部凛之助(二年) C 186㎝

 黒子テツヤ(一年) ?? 168㎝

 火神大我 (一年) PF 190㎝

 日向順平(二年)SG 178㎝

 伊月俊 (二年)PG 174㎝

 

 

 

 

 

 

 

 



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9.『おは朝占い、本日の1位は蟹座のあなた』

 

 

 

 

 日本に来てからしばらく、一人住まいだった俺の家がにぎやかになったのは、ある電話がきっかけだった。

 

 IH(インターハイ)予選の4・5回戦を勝ち抜いて、手足はくたくた、体力は空って状態で家に帰った。エネルギーを欲して腹の虫が大きく鳴っている。冷蔵庫には残り物しかなかったはずだけど、炒飯くらいなら作れるかな。

 携帯がいきなり鳴ったのはその時だ。

 

『あ! もしもし大我君? 久しぶり~元気にしてました? 聞きましたよーもう高校生なんですってねー大きくなりましたねーサーシャが話してましたよ』

「えっと……」

 

 電話越しにハイテンションでまくしたてられて、一瞬誰だか分かんなかった。

 普通にどっかのセールスかと思ったけど、何か、この声は聞き覚えがあった。

 

「…………もしかして、ダイスケ、さん? です、か?」

『そう! よく分かりましたね! 嬉しいです!』

 

 忘れるわけねーよ、あんたみたいな人は。

 マジで俺の知ってる「ダイスケさん」なんだとしたら、最後に会ったのはガキの頃、十年くらい前だ。アメリカでタツヤと一緒に毎日毎日飽きもせずアレックスにバスケを教わりに行っていた時、アレックスの主治医だーとか言っていつの間にかちゃっかりコートに加わっていたプラチナブロンドを思い出す。

 医者なんだか研究者なんだか、今でもあの人が何やってんのか分かんねーけど、とにかくすげー人だった。

 結構爺さんらしいのにバスケはすげー上手いし、物知りだし。

 

『実はサーシャの愛弟子と見込んで頼みがあるんですよ~私の家が冬までちょっと使えなくなってしまって、大我君の所で孫を預かってくれませんか?』

「What’s!?」

 

 あと、めちゃくちゃな人だった。

 

「おい、いきなりどういう事だよ! ですか!」

『大丈夫ですよ。歳は大我君と近いし、ちょっと引っ込み思案ですけど良い子だから、仲良くしてあげてくださいね~』

 

 それじゃ、と数年ぶりだっつーのに要件を言うだけ言って電話を切られた。

 やっぱりとんでもないセールスだった。

 

 と同時に、玄関のチャイムが鳴った。

 

 

「……すいません、雪野大輔の孫の(アキラ)といいます。祖父から話を……って、え?」

 

 

 俺よりもちょっと目線の低い位置で、真っ白な髪が挨拶してる。

 今日見たばっかのオレンジのジャージ。緑間のチームメイトが立っていた。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 あの後、ダイスケさんから改めて連絡がきて、色々上手い事丸め込まれたよーな気がするけど、結局冬までこの「アキラさん」とかいう人をうちに泊める事になった。

 元々、親父と二人で住むつもりだったから余裕はあるし、今は一人暮らしみてーなもんだから、一人増えるくらい困る事はあんまり無い。……困るとしたら、俺達の事情だ。

 

 雪野瑛、さん。

 秀徳のPF(パワーフォワード)、二年だから一応先輩。雪みたいな真っ白な髪の毛に(キタコレ! って言葉が頭に浮かんだけどスルーした)、青っぽい目の色をした人だった。人種も何もかもごちゃまぜでアメリカでは色んな人間を見てきたけど、日本じゃほとんど黒髪黒目の奴ばっかりだったから、少し新鮮だった。(黒子とか緑間とか、まあ例外はいるけど)

 ダイスケさんにそっくりだったけど、何か雰囲気はタツヤにちょっと似てるかもしれねえ。coolそうな所とか? 

 

 アキラさん……雪野さんも(呼び方で困ってたら「呼びやすい方でいいよ」って言われた)俺の家に住んでる事はバスケ部には知られたくねーみたいで、誰にも話さないよう念を押された。ちょっとカジョーじゃないかってくらいに。

 俺だって緑間と同じチームの奴と住むなんて、すげー複雑な気分だったけど、ダイスケさんの頼みってなら仕方ない。あの人言い出したらそもそも聞かねーし。ちょっと自分中心に世界回ってるみたいに思ってるし。いや、良い人なのも知ってるけど! 

 

 変な共同生活が始まったわけだが、そんな面倒な事は起こらなかった。お互い、学校行って部活もやってると帰って来る時間はバラバラだし、さすがに飯は俺が出来るもので作ってるけど(雪野さんはそもそも包丁の使い方から知らなかった)、雪野さんが俺に対してすげー遠慮してくるっつーか、何かオーバーなくらい丁寧に接してくるもんだから、とりあえず喧嘩になるような事はなかった。

 緑間の先輩っていう割には、タイプが全然ちがうもんだ。先輩なんだし、もっと偉そうにしてくると思ってたのに。

 

 ギャップと言えば、この人が試合に出てた時の事もよく覚えてない。あんまり目立ってなかったし。

 緑間の3P以外で言えば、C(センター)のリバウンドの方が印象に残っていた。けど、カントクや主将(キャプテン)は話してた事を思い出す。

 

「大坪主将ね……また一段と力強くなってるわ」

「去年はあいつに雪野もいて、インサイドは丸っきり歯が立たなかったのにな……。今年は緑間までか」

 

 秀徳の選手から聞かされたけど、去年の決勝リーグで先輩達は三大王者にトリプルスコアでボコボコに負けたらしい。先輩達だって弱くはねえ。それは入部してから一緒にプレイしたり試合してきて、ちゃんと分かった事だ。

 雪野さんもそんなに強い相手なら、尚更燃えてきた。緑間の奴に好き勝手言われた分の借りを、俺だって返してない。先輩達のお返しなんて言うつもりはねーけど、全部まとめてぶっ潰してやるぜ。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 IH予選最終日。

 準決勝、正邦との試合は勝った。つーか、俺は4F(ファール)もらっちまったから第2Qからベンチに下げられていた。言っておくけど、もらいたくてファール取ったわけじゃねえ。津川とかいう坊主頭がわざとやって……いや、言っても仕方ねえか。

 とにかく、俺と黒子は途中から温存ていう形になって、先輩達に試合は任せる事になった。

 これ言ったらキレられそうだけど、全く不安が無かったわけじゃない。

 温存とか備えとか言ったって、この試合に負けたら終わりなんだ。だったら、一番点取れる俺が強引にでも出た方が良いだろうと思っていた。

 俺の考えなんてお見通しなのか、黒子は試合を見守りながら俺の事もじっと目線で制してきた。あんまり睨むなよ。表情は変わらねー癖に、こいつ、目力? は結構迫力がある。

 

 そして俺が心配したような事にはならなかった。

 主将も伊月先輩も水戸部先輩もそれぞれ正邦に去年の借りを返して、きっちり勝利を持ち帰って来た。(トラブルがあって途中から黒子は試合に入ったけど。結局待たされたの俺だけじゃねーか!)

 試合が終わった時、カントクの目がちょっと潤んでるように見えた。俺達は全員が勝利の興奮に浸りながら控室に戻ったけど、俺は部屋に入ると同時に爆睡した。

 次の試合は秀徳だ。

 そういえば緑間だけじゃなくて雪野さんもいんのか。寝付きながら、そんな事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決勝開始時間、数分前。

 俺達が円陣を組むと、中心にいた主将は気の抜けるような溜息を吐いた。

 

「いや~~~~~疲れた!」

 

 試合前にどんな掛け声だって話だけど、俺達は何も言わずに聞いている。

 

「今日はもう朝から憂鬱でさ~~二試合連続だし、王者だし、正邦とやってる時も倒してもあともう一試合あるとか考えるし……。

 ……けどあと一試合、もう次だの温存だのまどろっこしい事はもういんねー、

 気分スッキリ、やる事は一つだけだ!」

 

 きっと全員が分かっている事だった。

 そんで、俺もずっと溜め込んできた。

 

「ぶっ倒れるまで全部出しきれ!!」

「おう!!」

 

 主将の声を合図に、俺達はコートにそれぞれ入っていく。

 そこには相手になる秀徳のスタメンが揃っていた。

 早速緑間の野郎が黒子に何か話しかけている。相変わらず黒子以外は敵じゃねえってか。黄瀬の時もそうだったけど、「キセキの世代」ってのはとことん周りを認めねーのな。認めた奴以外のその他大勢はどうでもいいって態度が分かりやすい。

 その隣で雪野さんが不安そうに様子を伺ってるのが見える。流石にお互いのチームの話をした事はなかったけど、たまに聞く秀徳の様子から、緑間の扱いに相当困ってるのは知っていた。

 

「あれ? 挨拶は黒子君だけでいーのかよ? 火神は……」

「必要ない。あんな情けない試合をする奴と話す事など無いのだよ。

 もし言いたい事があるようならプレイで示せ」

 

 高尾とかいった秀徳のPG(ポイントガード)が訊くと、緑間は振り向きもせずに言った。

 言ってくれるぜ。

 

「同感だね……。思い出す度、自分に腹が立ってしょーがねー。

 フラストレーション溜まりまくりだよ。

 だから……早くやろうぜ、全部闘争心に変えてテメーを倒すために溜めてたんだ。

 もうこれ以上抑えらんねーよ」

「……何だと」

 

 ベラベラ言葉で語るのは俺もまどろっこしくて好きじゃねー。

 そっちがその気なら、お望み通り全力でぶっ潰してやる。

 

 緑間は微かに眉間に皺を寄せて、澄ました顔が不機嫌そうになった。雪野さんが一瞬こっちを見たような気がしたけど、気にしてはいられなかった。体中の全神経が、次の瞬間に始まる試合に集中していく。

 

 

 ティップ・オフ。

 ジャンプボールでは俺が競り勝ち、ボールは水戸部先輩に渡った。

 

 その瞬間、秀徳側もそれぞれDF(ディフェンス)について隙がない。水戸部先輩から伊月先輩にボールは周り、そして黒子に渡った。

 試合が始まると、どのタイミングで速攻をかけるか一本を取るかは打ち合わせなくても勘で判断出来る。特に黒子は点に繋がる最高のタイミングでパスをするから、俺も迷わずに動き出せた。

 

 黒子がボールを宙に飛ばし、俺がその勢いに乗せてアリウープする。

 ──けどゴールに叩きこむ直前、間に入った緑間がボールを思い切り弾いた。

 

「全く……心外なのだよ。その程度で出し抜いたつもりか?」

 

 こぼれたボールが秀徳側に渡る。緑間の蔑むような声が耳に届いて、悔しさが残った。

 驚いて一瞬、戻りの対応が遅れる。

 

 黄瀬とやった時の経験があったから、まさかブロックされるとは思ってなかった。

 こいつ、3Pだけじゃなくてディフェンスの反応も一流かよ。

 

 ボールは高尾から雪野さんに渡っていた。もう敵のゴール下に近い。

 主将がブロックしようとしたけれど、ダブルクラッチで躱されて2点の得点が入る。

 先制点を取られた。

 観客の騒ぎのせいで、その事実が俺達の胸にもひしひし刻まれていく。

 

「落ち着け! 取り返すぞ!」

 

 動揺しかけた俺達に対して主将が叫び、仕切り直す。

 また伊月先輩から今度は主将にボールが渡った。3Pが入れば流れは拮抗する。けど、打つ瞬間、秀徳の8番のディフェンスに防がれた。主将は強引に打ったけど、軌道が逸らされたのかボールはリングに当たって弾かれる。

 

 リバウンドを取ったのは、秀徳のCだ。(確か大坪って言っていた)

 そこから高尾にパスが回り、速攻をかけられる。俺達もすぐディフェンスに戻ったが、次にボールを手にしたのは緑間だった。

 緑間はそのまま顔色一つ変えずに、平然と3Pを打った。シュートが入る瞬間を見届ける事もなく、ディフェンスに戻ってやがる。くそっ、入るのは当然って事か。

 これで(誠凛)0対5(秀徳)。

 始まってから2分も経ってねーのに、最悪な流れだ。

 

「走ってて下さい」

 

 その時、耳元で通り抜けるような声が聞こえた。

 普段から黒子と連携をしてなきゃ、うっかり聞き逃してたかもしれねえ。

 

 けど、ここでその手を使うのか。

 自陣に戻っていた緑間の、更に後ろにまで俺は回り込むと、その瞬間に黒子から超長距離パスが飛び込んできた。そこそこ強いパスなのに、全然躊躇いがなくて気持ちいいくらいだ。

 今度こそ何も障害がないゴールに向かって、ダンクで決める。

 これで(誠凛)2対5(秀徳)。

 勝負はこれからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 黒子必殺の超長距離パスの効果は早速出ていた。

 次も秀徳は緑間にボールを回してきたが、さっきと違い、すぐに3Pを打たなかった。カントクが言ってた通り、あのパスを使ったカウンターを警戒している。

 

 どうやって緑間を封じるか、それが俺達がさんざん話し合った事の一つだった。

 そんなもん俺が正面からぶっ倒してやるって思ってたけど、カントクに「それだけで勝てたら苦労は無いのよ、バ火神!」って言われた。何で怒鳴られたんだ。

 

 黒子には雪野さんがマークについていた。けど、やっぱり見失ってるらしく、黒子はまた伊月先輩から水戸部先輩へパスを繋げている。そりゃあな、俺だって未だに黒子を見失ってばっかいるんだ。そんじょそこらのマークであいつは捉えられない事は実感してる。

 すると、秀徳がマークを変えた。

 黒子に雪野さんから、高尾にマークが交代する。

 今更何だってんだ? 見失うほど存在感ねーんだぞ、誰がついても同じだろ。

 

「どーゆーつもりだ? 高尾がいくら速ぇからって、そーゆー問題じゃねえぞ黒子は」

「黒子の力など百も承知だ。……すぐに分かるのだよ」

 

 教える気はねーってか。

 本っ当に癪に障る奴だな。

 

 緑間が3Pを打てない今の内に、点を取り返してやりたい。膠着状態に入りかけた時、ゴール下に近い位置で主将がフリーになった。

 しかし、バチィッ! という音と共に、弾かれたボールがコートに転がった。

 次の瞬間、黒子が主将に繋げようとしたパスが、高尾に防がれたのだと気が付く。

 

「黒子のパスが……!?」

 

 嘘だろ。

 きっと俺達もカントクも、全員が同じ思いになっていた。そしてその一瞬の隙をつかれて、また秀徳に得点を許してしまった。

 すぐにカントクがT・О(タイムアウト)を申請して、俺達は全員ベンチに戻った。この緊急事態を整理しないと、とても試合は続行出来ない。

 俺達全員の疑問に対して、真っ先に答えたのは伊月先輩だった。

 

「さっきの黒子のパスは失敗じゃない。

 多分、高尾も持っているんだ。俺の鷲の目(イーグル・アイ)と同じ……いや、視野の広さは俺より上の鷹の目(ホーク・アイ)を」

「なっ……!」

「黒子の持つミスディレクションは、黒子を見ようとする人間の視線を逸らす。

 けど鷹の目はコート全体を見る能力だ。黒子一人を見ようとはしていない。……つまり高尾には黒子のミスディレクションは効かない」

「おい、マジかよ」

「とんだ天敵がいたもんね」

 

 小金井先輩が顔色を変え、カントクが考え込むように顎に手を当てた。

 緑間が妙に余裕ぶってたのはこういう事か。隣に座ってる黒子も黙ったままだ。こいつは只でさえ影が薄いのに、黙ってられると居るんだか居ないんだかもっと分かんなくなる。こう見えて図太い奴だから、落ち込んじゃいねーと思うけど。

 

「おいまさか、お前このままやられっぱじゃねーだろーな」

「まあ……やっぱちょっと嫌です」

「ハッ、じゃーひとまず高尾は任せた」

 

 薄水色の頭をぐしゃぐしゃにしてやると、前髪の間から黒子と目が合った。

 考えてる事は同じみてーで安心したぜ。

 

「カントク、残り時間このまま行かせてくれませんか」

「えっ……火神君はともかく、高尾君にはミスディレクションは効かないのよ? 大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないです。困りました」

「うん、そう……って、おい!」

 

 すっとぼけるみたいに言った黒子に、カントクもツッコむ。けど黒子はふざけてない、真面目に言っている。この状況でそんな事言えんだから、やっぱり図太いなお前。

 結局、黒子の謎の勢いに負けたのか、第1Qはそのまま出す事になった。

 黒子にばっかり頼ってられねえ、俺の方もまだアイサツしてねーんだ。折角ある新技も試してやりたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 タイムアウト後、黒子は高尾に、俺は緑間に変わらずついた。

 ボールマンの伊月先輩の正面には雪野さんがいる。伊月先輩から黒子を中継してパスが渡った。──―けど、主将に回る寸前で高尾にスティールされた。

 

 やっぱり見えてるのか。

 しかもさっきのディフェンス、俺から見てても雪野さんは全然防ぐ気が無かった。高尾にスティールさせる為に、わざと伊月先輩にパスを出させたって言うのかよ。

 

「何をぼーっとしているのだよ。ここからは本気でいく、もっと必死で守れよ」

 

 ボールは瞬く間に高尾から緑間に移る。

 緑間はセンターラインで足を止めると、シュートモーションに入った。

 

「俺のシュート範囲(レンジ)は、そんな手前ではないのだよ」

「なにっ……!?」

 

 何の躊躇いもなく打たれた3Pは、吸い込まれるようにゴールに命中した。

 ハーフコートから打ちやがった! 

 この距離から入るってどんだけデタラメなんだ、こいつは。

 

 俺達がその長距離シュートに目を奪われていた隙に、緑間はゴール下にまで戻っていた。

 あそこまで戻られたら、黒子のパスで後ろを取る事も出来ない。

 緑間はもう俺達の負けを決めつけるように言ってみせた。こいつのシュートは3点。俺達がカウンターを返しても2点。どれだけがんばっても差は埋まらない。

 ──―それでもごちゃごちゃ細かい事なんて、考えてられるか! 

 シュート範囲がどれだけ広くても、こいつが3点取るなら、それ以上に取り返してやるだけだ。

 

 次は俺にボールが回ってきた。正面には緑間がディフェンスを仕掛けてくる。

 その位置からノーフェイクで3Pを打った。

 緑間も、他の秀徳のスタメンも驚いた顔をしている。それだけでこの新技をやった甲斐はあった。

 

「そのまま入りゃそれでいーし、外れたら……自分でぶち込むからな!!」

 

 予想通りシュートはリングに引っかかって外れた。

 でも、寸前で受け止めて、アリウープに繋げる。バックボードが揺れて、勢いよくボールがネットをくぐった。

 

「ナイスです」

「…………」

「ナイスじゃないっスか!」

「伊月ほんとそれ、もー止めて、イラつくから」

 

 黒子と先輩達が思い思いに声をかけてくる。一部すごく気が抜ける言葉もあったけど。

 

 その後、主将が3Pを決めて差が詰まった。

 何か変な事叫んでたのは気のせいか? とにかくこれで第1Qは何とか巻き返せる。

 俺達のその安心は、次に緑間が打ったシュートでどん底まで落とされる事になった。

 

 緑間が次に3Pを決めたのはコートの端、エンドラインからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 第1、第2Qの20分なんてあっという間に終わり、俺達は控室に戻った。

 インターバルの間、控室ではカントクも先輩達も皆黙っていて、口を開こうとしていない。

 

 前半は秀徳に、というか緑間に一方的にやられる展開になったからだ。

 俺も頭の中では、さっきまでの緑間との接戦を思い出してばかりだった。

 只でさえ打点が高いのに、シュートモーションに入られたら止める隙が無い。どれだけ高く跳んでも、指先一つボールにはかすらなかった。

 俺達の遥か上空を飛んで、次々にゴールに入っては得点していくあのシュートが何度も蘇る。

 

「黒子、何してんの?」

「前半ビデオとっていてくれたそうなので。高尾君を」

「何か勝算あるの?」

「さあ」

 

 ビデオを見つめていた黒子に、伊月先輩が声をかける。

 けど黒子の反応は薄かった。振り向きもせずに、ビデオの映像をじっと眺めている。

 

「「勝ちたい」とは考えます。けど、「勝てるかどうか」とは考えた事は無いです」

 

 黒子は感情のこもってない声で淡々と言った。

 

「てゆーかもし100点差で負けてたとしても、残り1秒で隕石が相手ベンチに直撃するかもしれないじゃないですか。だから試合終了のブザーが鳴るまでは、とにかく自分の出来る事を全てやりたいです」

「いや!! 落ちねえよ!」

「隕石は落ちない! てかすごいな! その発想!」

 

 全員が色んな方向からツッコんだり、黒子の意見に乗ったり、控室はいきなり騒がしくなった。

 

 俺はその騒ぎに混ざる気分になれなかった。

 さっきの前半で緑間のシュートに手も足も出なかった事が引っかかっている。

 隕石がどうこうはともかく、黒子の言ってる事はこいつらしいと思った。確かにこいつなら、どんな絶望的な点差の試合になっても、途中で投げたり、自棄になったりしないだろう。

 けど、全力を尽くしたから満足しました、なんて終わり方はごめんだ。

 勝負するなら俺は勝ちたい。負けても満足するなんて、そんな事あり得ねえよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 後半は開始早々、また緑間にボールが渡った。

 シュートモーションに入られる。それと同時に、俺も跳んだ。

 ダメだ、高さが足りない。ボールには触れられず、3点が入る。このシュートを止めるにはもっと高く跳ばなくちゃならねえ。もっと、更に高く。

 

 小金井先輩がミドルシュートを打つ。2点返した。

 間を空けずに、高尾から緑間にパスが渡った。

 

 ────こんなに胸がざわつくようなワクワクするような奴等と戦うのは、日本に来てからだ。ずっと強ぇ奴とやらなきゃ物足りなかった。血が沸騰してるみてーに体中が熱い。

 けど試合やればそれで満足、負けてもがんばりました、で済むわけあるか。

 

 緑間にボールを渡したら終わりだ。こいつは必ず得点してくる。

 全身のバネを使って宙に跳んだ。

 それでもボールは指先に掠っただけで、シュートを許した。ボールはゴールリングをごろごろと転がり、数秒後、俺達が見守る中でネットをくぐった。

 

「……お前、星座は?」

 

 後ろにいた緑間が、いきなり訳分かんねー事を聞いてきた。

 

「? ……獅子座だよ」

「……全く、本当によく当たる占いなのだよ」

 

 何言ってるか分かんねーけど、おかげでちょっと見えてきたぜ。

 こいつのシュート、無敵ってわけじゃない。その隙を突ければ止められる。

 

 主将も3Pを入れたが、俺達の緊張は続いていた。

 点差は前半から開いたままだ、それなのに時間は砂が落ちるみてーになくなっていく。流れを変えるには緑間を止めるしかない。

 

 目の前にいる緑間の動作一つも見逃さねーように全神経を集中させて、壁になるように立ちはだかった。

 ギャラリーの声とか応援がやけに遠く聞こえる。先輩達がどのポジションについてるのかも今は頭から抜けていた。

 

「はっ、止められるかよ! 今は2対1だぜ!?」

「それでも止める! さんざ見せられたおかげで一つ見つけたぜ! テメーの弱点!!」

 

 高尾が割って入り、スクリーンして緑間へのマークを外してきた。

 その僅かな隙に緑間がシュート体勢に入る。──―打たせねえ! そう感じた瞬間、手足が勝手に動いていた。

 絶対に外れない緑間の無敵の3Pシュート。

 何度も目の前で打たれたおかげで気付いた。打つ前に、どうしたって余分なタメの時間が出る。それもゴールまでの距離が長けりゃ長い程に! 

 

 俺がボールに手を伸ばした時と、緑間がシュートを打ちかけた時はほとんど同時だった。

 今度こそはっきり、指先がボールの表面に触れた。

 ボールは宙に放たれて、ゴールに向かって緩やかな軌道を描く。でも、それはリングに当たって弾かれた。

 ベンチで一瞬の歓声が上がる。

 やっと止めたか、と思ったのに、Cの大坪が強引にボールを押し込んだ事で得点になった。

 けど今ので、ブロックのタイミングは完璧に掴んだ。次はもう、打たせない。

 

 伊月先輩から小金井先輩にパスが回る。

 しかしそれは大坪がカットして、高尾に渡った。

 さっきのリバウンドを見てから、大坪には小金井先輩達がダブルチームでついている。高尾は少し考えた風にすると、緑間にボールを渡した。

 ──―だからもう、打たせてたまるか! 

 タメは短かったが、タイミングを掴んだ分さっきよりも簡単にブロック出来た。両足のバネを使って思い切り跳び、緑間が手にしたボールを力任せに叩き落とす。

 ボールが落ちた後、緑間の澄ました顔がビビったみてーに固まってたのが見えた。この試合で始めて見た顔だと思った。

 

 こぼれたボールは伊月先輩が拾い、2点返す。

 これで(誠凛)34対50(秀徳)。

 

「うわああ! 今のすげえブロックだぞ!」

「誠凛、勢いに乗るか……!」

 

 今まで一方的に点を取られていたから、緑間を止めた事でギャラリーが騒ぐ。

 

「高尾、よこせ!」

「へ? でも、大坪さんにはダブルが!」

「構わん!」

 

 次に、ダブルチームしていた筈の大坪にパスを回された。

 体格だけなら緑間以上の東京屈指のC。

 大坪が水戸部先輩達の上から打とうとしたダンクを、更に跳んでその上からボールを弾いた。ファウルを一つ取られたが、ゴールを防げるんならどうでもよかった。緑間も他の奴等にも、正面から相手に出来るのは俺しかいない。

 

 さっきのブロックを警戒してんのか、緑間も3Pを打たずにディフェンスに回っていた。

 最大のチャンスがきた。

 ボールが回って来ればディフェンス出来ないくらい高く跳び、ゴールをぶっ壊す勢いでシュートした。俺の高さなら緑間も、秀徳の他のスタメンもブロック出来ない。

 ボールを取って、跳んで、シュート。ひたすら繰り返した。

 秀徳も点を取り返してきたけど、それ以上に点を取り返す。

 

「すげーな、ナイス火神!」

「もっとガンガンボールくんねーですか」

「え?」

 

 明るく褒めてくる小金井先輩の声が、今はやけにイライラして聞こえた。

 今は得点する事に集中したかった。

 

 秀徳の8番にボールが渡る。緑間のマークについていた俺とは距離があった。

 考えてる暇は無い。走り出して、シュートモーションに入ったボールを後ろから弾いた。

 主将がボールを拾い、俺に回す。──―が、ボールはその手に届かなかった。

 

 ボールをカットしたのは雪野さんだった。

 スティールする隙なんて無かったはずなのに、一体いつ!? 

 

 雪野さんはすぐさま体勢を立て直して、ジャンプシュートのモーションに入りかける。

 俺もすぐ左後ろに回り込み、ほとんど反射的にボールを叩き落とそうと手を伸ばしたけど、空振りになった。俺の反応を見るや、雪野さんはボールを下げて瞬時に8番にパスを渡していた。そして秀徳から2点が入る。

 単純なフェイクに引っかかった自分に対して、舌打ちが出る。

 

「……ねえ、火神君」

「あ?」

「余計な事かもしれないけど、あんまり無茶するのは止めた方がいいよ。そろそろ休んだら?」

 

 雪野さんの青い目が、気の毒そうに俺を見た。

(誠凛)45対58(秀徳)のスコアボードが視界の端に映る。その一言にすげーイラついた。

 

「何だそりゃ、諦めろって意味かよ。これくらいの点、俺一人でひっくり返してやれるぜ」

「いや、そーじゃなくて……だから僕が言いたいのはね」

 

 ごちゃごちゃ言ってきたけど、無視して試合に集中した。

 何だってんだ。散々、一緒に住んでる事は黙ってろだの、秘密にしとけだと口うるさく言っといて自分から話しかけてきてんじゃねーか。

 

 試合は続いていく。

 主将はすぐ俺にパスを寄越した。さっきの2点を取り返す為にも、俺は最大の力を振り絞って跳んだ。

 

「──―なっ!?」

「嘘だろ!?」

 

 そのシュートはまたゴールに届かなかった。

 俺と同じ──いやそれ以上の高さに跳んだ雪野さんが、シュート直前にボールを叩き落とした。雪野さんは音も無く着地して、白い髪がふわっと舞ったのが変にきれいだった。

 

 こぼれたボールを手にしたのは緑間だ。

 すぐにディフェンスに向かう。自分の息切れさえ今は鬱陶しかった。

 

「折角の忠告も聞かんとはバカな奴だ」

「何だと!?」

「……お前の力は認める。だが、ここまでと言う事だ」

 

 緑間がシュートモーションに入った。

 まだ3Pを打つつもりなんだろーが、やらせるものか。何度だって跳んで止めてやる。

 ──―けどその時、力を入れようとした両足が、コートに縫い止められたみたいに動かなくなった。

 

 跳ぶ事も、ブロックする事も出来ずにその場で固まっちまう。

 フリーになった緑間は容赦なく3Pを打った。すぐに秀徳に3点得点。眼鏡越しに、機械みてーな冷めた目が俺を見下ろした。

 

「悪いが……これが現実だ」

 

 両足の関節がハンマーで叩かれてるみたいに痛ぇ。体が重い。息が上がる。

 意識した瞬間に、ずっと考えないようにしてきた「現実」が体中を襲ってきた。

 体力の限界、俺の限界。

 その裏側にある一番見たくない現実を知りたくなくて、俺は体の痛みなんか無視して走り出した。

 

「うるせーよ!! この程度で負けてたまるか!!」

「火神待て!!」

 

 ボールを手にした瞬間、ゴールに向かって突っ込んだ。

 けど、ゴールめがけて跳んだ矢先にボールは叩き落とされる。

 

 ブロックしたのは、また雪野さんだった。

 何で……どうしてこの人は俺がシュートする位置が分かるみてーにブロック出来んだ。

 

 ボールは秀徳の8番に渡り、カウンターで得点された。

 第3Q終了のブザーが鳴る。

(誠凛)45対63(秀徳)。俺達は点差以上に疲れ切って、ベンチに戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「火神、熱くなり過ぎだ。もっと周り見ろよ」

「そうだ、それにさっきのは行く所じゃねーだろ! 一度戻して……」

「戻してパス回してどうすんだよ?」

「あ?」

 

 ベンチに戻るなり、主将達が色々言ってきたけど、今はそれが全部やかましかった。

 

「現状、秀徳と渡り合えるのは俺だけだろ。

 今、必要なのはチームプレーじゃねー。俺が点を取る事だ」

「おい、何だそれ! それと自己中は違うだろ!」

「大体、これからお前一人でどうやってやる気だよ。秀徳は緑間だけじゃないんだ、さっきも雪野に思い切り読まれてただろ」

 

 右から左から騒がれる。

 けど、俺が点取らなきゃ誰がやれるっつーんだ。

 

「うるせえな。俺がやんねーと他に誰が出来るんだよ。何でもいいから俺にボール回して

 ──―黒子?」

 

 と、いつの間にか目の前に立ってたのは、後半から交代してた黒子だった。

 もう結構慣れたけど、ビビるから急に出てくんなよ……。

 

 

 

 次の瞬間、俺は黒子に殴られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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10.人事と天命

 

 

 

 

 

 最終Q前の休憩(インターバル)中。俺達は各自が、終盤に向けての最後の調整を行っていた。

 あと10分で試合も終わる。このしんどさと暑苦しさも少しの辛抱……。

 そう思っていたら、ふと、誠凛側のベンチが視界に入った。

 

 その時、火神が黒子に殴られた。

 

「はっ!?」

 

 見間違いかと思って身を乗り出してしまった。

 が、一瞬吹っ飛ばされた火神はすぐ立ち上がると、もの凄い剣幕で黒子に掴みかかる。あの体格差だ、黒子はあっさり胸倉を掴まれて宙吊りに近い状態になった。

 いやいや何やってんだよあいつら! 

 しかも今度は火神が黒子を殴った。おい、放っておいていいのか。

 

「どうした雪野?」

「どうしたじゃないですよ、ほら、あれ!  止めないと!」

「……あ? 何だ、揉めてんのかよあいつら」

「……確かにあまり良くない雰囲気ではあるな。向こうの監督はどうしたんだ」

 

 第3Qの疲労が勝っていたのか、思ったより先輩方の反応は薄い。宮地(兄)は苛立ったように眉をしかめ、こういった揉め事には手厳しい大坪主将も、誠凛側の様子を伺うのみだ。

 高尾は乱闘がしっかりと視野に入っていたのか、「うわー黒子の奴やるー」と引いたような感想を漏らしていた。緑間は何も言わない。

 ……百歩譲って主将や高尾がこういう反応になるのは分かるけど、緑間、お前はもうちょっと関心持てよ。元チームメイトが殴られてんだぞ。

 

「落ち着きなさい。あちらさんの事はあちらさんに任せておこう。

 試合はまだ終わってない、さっきの10番の勢いには大分追い込まれた。気を引き締めてかかるぞ」

 

 ざわつき出した俺達を鎮めるように、監督が言った。

 いつも通りの気の抜けた口調だが、その言葉で弛みかけた緊張感がまた張りつめた。

 

 今のスコアは(誠凛)45対63(秀徳)。

 秀徳の18点リードで残すは第4Qのみ。

 一見して何も問題無い展開に思えるが、主将も監督も手放しで喜んでいない。

 原因は火神だ。

 第3Qは誠凛じゃなく、火神一人に対して俺達全員が追い詰められかけた。

 もしかして緑間がずっと口利いてねーのも、ブロックされたショックが抜けてないからか。

 

「確かにさっきはやられたけど、向こうもそろそろ限界なんじゃねーの?

 あれだけでたらめに動いて持つのかよ」

「……そうだと思います。緑間君をブロックしようとした時、一度跳びかけて失敗していましたし」

 

 宮地が投げかけた疑問に対して答えた。

 第3Qが終わる直前、火神は跳躍しようとして明らかに不自然な動きで固まっていた。

 

 誠凛側のベンチの様子を伺うと、未だに揉めているのか騒がしい。

 こんだけ騒ぎになってるのにあっちの監督は何してんだよ。

 まともな大人が監督だったら、火神にこれ以上無茶な走り方させる事はあり得ない。

 誠凛はパスワークの要だった黒子を、何でか途中でベンチに下げてるし、4番の3Pも結構入ってたけど緑間の命中率とじゃ比較にならない。後はただ、最終時間を消化するだけだ。

 

「そうだろうね、彼は無茶し過ぎだ。これ以上差が詰まる事は無い。

 ……向こうが何か手を打つとしたら、やはり11番を投入してくるだろう」

「黒子は必ず出ます。あいつは、ここで大人しくしているような男ではないのだよ」

 

 今まで黙っていた緑間がいつになく断言した。

 本当にこいつは黒子の事は素直に褒めるよな……。確かにあの手品みたいに出たり消えたりするパスはすげーけど、その一欠けらくらいの評価を火神にも向けてやれよ、とも思う。

 俺が知る限り、緑間はシュートを外すどころか、シュートモーションに入ってから止めた奴なんて一人もいなかったんだから。

 

「まっ、あいつが出てきたって逃がさねースよ。俺の鷹の目(ホークアイ)からは」

「うん、高尾は11番のマーク、雪野は10番につけ。大坪も宮地も積極的に攻めろ、決め手には緑間で行く」

「えっ!!?」

「あ? 何だよ、いきなり」

 

 首筋をタオルで冷やしていたら、とんでもない采配が降って来た。

 熱くなっていた頭が一気に冷める。右隣の宮地が俺の反応を胡乱げに見ているのが分かったけど、気にしていられなかった。

 

「え、監督、その……僕が10番につくんですか……? 緑間君じゃなくて?」

「緑間をフリーにする為だよ。

 最終Qだから向こうも勝負をかけて挑んでくるかもしれない。10番の跳躍とバネは恐るべきものがあるが、お前なら防げるだろう」

 

 マジかよ。

 やんわりと言い渡された宣告に脳内が拒否反応を起こしていた所で、右からどつかれた。

 

「何嫌そうな顔してんだ。言っとくけど次やる気出さなかったら刺すからな」

 

 と、宮地が黒い笑顔を隠さずに脅してくる。

 脅迫しなきゃ喋れねーのか、この人は。

 

「別に嫌とは言ってないですけど……」

「だったらグダグダ言ってんじゃねーよコラ。あの一年坊主くらいお前だって跳べんだから、DF(ディフェンス)だって出来んだろ。何出し惜しみしてんだ」

「宮地、落ち着け。とにかく任せたぞ」

 

 主将がやんわりと宥めてくれたおかげで、宮地の物騒な気配もしぶしぶ収まった。

 別に出し惜しみしてるとかいう訳じゃねーけど、火神くらい高く跳ぶのは普通に疲れるし、後々で足に響くから試合ではそう使いたくなかった。

 体格とか筋肉の差とかもあるんだろうが、10分であれだけ何度も飛び回れる火神が異常なんだよ。

 

「不要です。今の火神程度、俺一人で充分です」

「あぁ?」

 

 と、話がまとまりかけていた所に、大人しくしていたエース様が乱入した。

 宮地のこめかみに青筋が浮かぶ。

 

「おい木村、後で軽トラ貸せ。こいつ今日中に絶対轢くから」

「いいけど壊すなよ」

「あいつの体力はとっくに空に近い筈。ならば残り時間、俺の3Pでねじ伏せてやるまでです」

「それが無理だったからこういう話になってんだろーが!! んな事言って、てめえ万一ブロックされたらどうする気だ? あ?」

「そんな事はあり得ません」

 

 頼むから俺を挟んで口喧嘩すんのは止めてくんねーか? 

 宮地の怒声は頭の芯まで響くから、耳元で叫ばれると普通に怖い。なのに緑間は機械みてーに同じトーンで返してるもんだから煽ってるように聞こえてくる。

 おい、監督も見守ってねーで仲裁してくれよ。

 

「ぶはっ! さっすがエース様! 頼もし過ぎっしょ」

「うるさいぞ、高尾」

「……じゃあ緑間君、10番が仕掛けてきたら僕がフォローするから。それでいい?」

 

 毎度ながら高尾がツボに入って脱線しかけたので、流石に言った。話が進まねーよ。

 緑間が分かりやすく眉間に皺を寄せる。どんだけ人の手借りるのが嫌なんだよ……。

 

「不要だと言った筈ですが」

「念の為だよ。念の為。ボールは回すから……それに緑間君だって、中途半端な対策でやるなんて嫌じゃないの?」

「………………」

 

 おい、沈黙は止めろ。

 隣にいる短気な先輩を刺激したくねーんだから、何か言えって。

 宮地からの圧力というか、視線が痛い。

 

「……緑間君?」

「あー雪野さん。一応、納得したみたいなんで大丈夫っスよ。ほら、こいつツンデレっすから」

 

 どうしたらそんな好意的な解釈が出来るんだ。

 そのツンデレ(?)本人は射殺しそうな目つきでお前の事睨んでるけど!? 

 こんな反応されて笑っていられる高尾が菩薩か何かに見えてきた。

 

「うん、話はまとまったようだね。残り10分だ、押し切れ」

 

 俺達の心情がまとまったのかは非常に疑問だったが、その時、最後の対戦を知らせるビーブ音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最終Q。

 予想通り、誠凛側は黒子を出してきた。……火神に殴られたらしい左頬の跡が妙に気になる。

 火神含めて他のメンバーの様子にもあんまり変化は無い。何があったか知らねーけど、さっきの揉め事は解決したらしい。

 確かに(誠凛)45対63(秀徳)の点差、切り札を出し渋ってる状況じゃない。

 まあ、あいつは高尾に任せておけばいい。俺がやんなきゃならねーのはこっちだ。

 

 最初に、誠凛の眼鏡をかけた4番から火神にボールが渡った。

 しかし火神は、突っ走らずにC(センター)の8番にパスを通す。即座に2点が誠凛から入った。

 ついさっきとは180度変わった火神のプレースタイルの方に驚かされて、ゴール下にいる主将も一瞬手出しが遅れた。

 ほんの数分前まで、ボール取らなきゃ死ぬ動物みたいな感じになってたのに、別人みたいに落ち着いてる。……黒子に殴られたおかげで、目が醒めたって事か? 

 まあ、火神の顔は黒子と違って、もう殴られた跡なんて消えてたけど。どんだけ非力なんだよ、あいつ……。

 

 それでも、火神と真正面から対峙すると、こいつが疲れている様子は分かった。

 疲れは俺達だって同じだけど、こいつに限っては脂汗が滝のように流れていて、前半ではあんなにギラギラ野蛮な光を放っていた目も陰っている。思わず溜息が出た。

 

「……だから無理するなって言ったのに」

「ああ?」

「その足、無理してるんでしょ? 意地張らないで交代しないと、二度とバスケ出来なくなるよ」

 

 何でここまで体の限界を超えて頑張ろうとするのか。

 自分がダメになったら何もかも終わりだろ。

 

「そんなもん知らねーよ。言っただろ、あんたにも緑間にも、勝つってよ」

 

 火神は少し、笑って言った。不敵、と言えるような笑い方だった。

 

 その底知れない空気に呑まれたのかもしれない。

 火神は俺に出来た一瞬の隙をついて走り抜けた。

 第3Qの様子から考えても足はとっくに限界──―そう思っていた為の、一瞬の遅れだった。

 

 火神の狙いなんて最初から一つだ。

 高尾からパスを渡され、緑間は既にシュートモーションに入っていた。あれを防ぐなら、さっき見せたような超跳躍(スーパージャンプ)しか方法は無い。こいつは、限界なんて無視して跳ぶ気だ。

 

 けど火神みたいな単純な奴は、頭に血が上ると同じ動きしかしない。だから先も読みやすい。

 すぐさま火神の正面に先回りして、行く手を阻む。これで緑間が決めれば勝ちだ。

 

 その時、突然見えない壁にでもぶつかったように、動けなくなった。

 一瞬の躊躇を火神は見逃さなかった。獣みたいな俊敏さで俺の隣を駆け抜けていく。

 すぐ背後に薄水色の頭が見える。いつの間にか現れてスクリーンをかけた黒子だった。

 

「緑間君!」

 

 咄嗟に叫んだ時と、緑間がシュートを放った瞬間は同時だった。

 火神が跳躍し、打ち上げられかけたシュートを吹っ飛ばす。

 3Pは天を飛ぶ事なく、コートに叩き落とされた。

 

 誠凛のPG、伊月がこぼれたボールを瞬時にリリースする。

 ボールはネットをくぐり、誠凛側に2点加算。観客から歓声が上がった。

 

「…………高尾君」

 

 思わず背後を振り返ると、高尾と目が合った。

 高尾もまた、あり得ないものを見たかのように硬直していた。

 

 どうして黒子があんな所にいた? 

 高尾が見失った? いや、鷹の目の視野から外れるなんて出来る訳がない。

 

「……高尾君、何があった?」

「分からないです。……いつの間にか、黒子が俺の視界から消えてました」

 

 高尾の傍に行って訊ねたが、呆然とした様子で首を振った。

 

 しかし疑問が解決する間もなく、試合は進んだ。

 再び伊月がパスを回す前に、火神に目線をやった。この状態の火神にパスなんて何考えてる。

 相手が分かるなら先回りして止めればいい。すると高尾もパスコースを見抜いたのか、こちらへ駆けた。

 その時、ふとコート上に現れたのは薄水色の頭。

 

 黒子は火神に回されたパスを、滞空中に思い切りぶん殴った。

 

 超加速されたボールは高尾の掌を弾き、俺のすぐ横を切り裂くように通り抜けた。

 ボールは火神の手の中に。

 ゴールまでディフェンスはいない。

 

「絶対に行かせん!!」

 

 ゴール前に立ちはだかったのは緑間だ。

 火神は飛び上がると、ゴールめがけて思い切り振りかぶった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 監督がT・O(タイムアウト)を申請したのは、それから間もなくの事だった。

 先程、火神が緑間を吹っ飛ばしてダンクシュートを決めてから、黒子の見えないパスと4番の3Pの合わせ技で誠凛は乗りに乗り、急激に点を詰めてきた。

 16点差あったスコアが、今じゃ(誠凛)74対78(秀徳)の2ゴール差だ。残り時間は2分強。逆転の射程圏内だ。

 つまり俺達は優勢から、一気に崖っぷちに立たされる事になった訳だ。

 主将も宮地兄も、誰も口を開かない。息遣いを整える声がするばかりで、具体的な事は誰も切り出さなかった。

 8分足らずで第3Qから戦況はひっくり返された。控えにいた同期の室田も金城も、補給を差し出す手が止まっている。

 

 いつも騒音の8割くらいの大元になってる高尾が黙っているからか。やけに沈黙が重苦しい。見ると、本人は俯いていて様子は分からなかった。

 

「一体どうなってんだよ……なあ高尾、お前なら11番見失わないんじゃなかったのかよ」

「……すんません」

 

 訊ねたのは室田だった。

 気の強いこいつも、控えにいる時は滅多に口を挟んでこない。けど、この展開には黙っていられなかったらしい。高尾が、似合わない謝罪を口にする。

 

「室田君、落ち着いて。それを言っても仕方ないでしょう」

「そりゃそうだけどな、んな悠長な事言って……」

「──―恐らく11番は、高尾の「目」の特性を逆に利用して封じたんだろうね」

 

 熱くなりかけた室田を抑えるように監督が言った。

 その言葉に、高尾が顔を上げる。

 

「あの11番は、高尾がコート全体を見渡して自分を捉えている事を分かったんだろう。だからこそ、視線を避けるんじゃなく、あえて自分に引き付ける事で視野を狭めさせたか……」

 

 成程、と俺はその分析に納得していた。

 俺も他の全員も、高尾が黒子を捕捉している事に安心しきっていたけれど、それを逆手に取られたか。

 

「……けど、11番が動き回れるようになったんなら俺達じゃ止めようがねーぞ。

 それに何なんだよ、さっきのふざけたパスは! おい緑間! お前知ってただろ!」

「あれは帝光中時代に、黒子が使っていた特殊なパスです。

 普通なら「キセキの世代」しか取れないものですが」

 

 苛立ちをこめて怒鳴った宮地に、緑間が機械的に説明した。

 そういう事は早く言えよ。多分宮地も、他の上級生も思っただろうが、それを怒鳴る元気は無かった。

 

 黒子のパスもふざけてるけど、それ以上に火神だ。

 とっくに足は限界なんて超えてガタガタの筈。それなのにどうして引っ込まねーんだよ。

 

「流れは今、誠凛にある。気を抜けば、こちらがやられる状態だ」

 

 監督の静かな声が耳に届いて、我に返った。

 

「残り2分、向こうは11番を中心にパスを回して攻めてくる。だが彼にばかり気を取られるな、10番があの状態である以上、得点源(スコアラー)は限られてくる。特に4番には打たせるな」

 

 監督の視線を受けて、主将が僅かに首肯した。

 火神の状態が最悪には変わらない。なら誠凛に残った手段は4番の3Pだけだ。そして同じ3Pなら、分があるのはこっちだ。

 

「こちらの攻撃は全て緑間で行く、3Pでねじ伏せろ」

 

 最後のタイムアウト終了のビーブ音が鳴る。俺達は無言のままに、コートに散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僅差に追い込まれたこの状況、誠凛のペースに乗せられずに平静を保って、緑間の3Pで突き放せ、という事だ。

 分かりやすい作戦で何よりだけど、気にかかる事があった。

 

 宮地から緑間にボールが渡る。

 すると緑間に渡る寸前で、突然ボールがカットされた。

 

「なっ!?」

 

 手品のようにいきなり緑間の真横に現れたのは黒子だった。

 宮地が驚いた声を上げる。

 

 スティールされたボールは伊月に渡り、誠凛の4番、SG(シューティングガード)の手に回される。

 けど、そんな易々とシュートされる訳にはいかない。

 4番に渡る直前で、今度はこっちからスティールしてやった。

 誠凛の4番が、眼鏡越しに俺を見たような気がした。

 

「緑間君!」

 

 呼びつけて緑間にパスを渡す。

 誠凛が一瞬の硬直に入った隙をつけた。そのまま緑間はシュート体制に入り、放った。秀徳に3点追加。

 誠凛のベンチ側から落胆の声が聞こえる。

 

 高尾の「鷹の目」が黒子を捉えきれなくなった以上、残り時間、あの見えない選手からどこまで守り切れるかが難題だ。確かにあの緑間が評価しているだけはある。少し気を抜くとスティールを仕掛けてくるから、下手にボールを維持できない。

 

 けど、試合中ずっと接触していて分かってきた事もあった。

 あいつはパスを中継してばかりで、自分からは決して得点しにいかない。自分が打った方がいいような位置でさえ、パスを回していた。緑間の3Pみたいに、パス専門! みたいな変なこだわりでもあるのか? 

 とにかく、それさえ分かれば、パスコースを見極めればいいんだから対処法はある。

 

 試合は進む。

 緑間が得点し、(誠凛)74対81(秀徳)になってからスコアは凍り付いた。

 

 残り時間1分を切った状況で7点差。さっきの緑間の3Pは誠凛にとっては痛恨の失点だった。

 それが分かるからこそ、俺達も誠凛のペースには乗らず慎重にボールを回す。こうなったら後は時間を稼いで終わらせてしまえばいい。

 

「伊月、くれっ!!」

 

 誠凛の4番が叫んだ。

 そんなあからさまで、ディフェンスしてくれって言ってるようなもんだろ。

 

 だが俺はまた見えない壁に阻まれた。黒子が音も無くスクリーンを仕掛けてきた為に足は止まり、ボールは4番の手に渡る。そのまま3Pが入った。観客から歓声。

 低い目線に薄水色のつむじが見える。存在感どころか生気も薄い癖に、絶妙に嫌なタイミングで壁になってくる。

 すると顔を上げた黒子の首筋には、汗が流れていた。やっぱり幽霊じゃなくてちゃんと生きてんだな、なんて事を感じた。

 

「そう簡単には行かせません」

「……あっ、そう」

 

 妙にイラついた。

 得点された事も、こいつに俺の動き方を読まれた事も含めて。

(誠凛)77対81(秀徳)。 あと30秒弱。

 

 主将が宮地に声をかけ、マークを代わる。

 誠凛の4番に直接主将がマークについた。これで3P得点の芽は消えた。

 

 伊月が手にしたボールを、今度は高尾が後方からカットした。

 それをゴール下についていた宮地が受け取ったが、黒子がまたしてもスティールする。

 誠凛のCが受け止め、そのままシュート体勢に入った。

 だが火神程の跳躍じゃない、これなら取れる。

 俺も跳びあがり、そのCの遥か上からスティールをしかけた時、ボールは強引にゴールに押し込まれた。

 

「っ!?」

 

 体勢を崩しかけて、咄嗟にバランスを取って着地する。

 目の前には、汗をびっしょりかいて、荒く息を吐く火神がいた。

 

 カットする寸前だったボールを、突然現れたこいつが得点させたのだ。

 俺は言葉が出なかった。

 あの人間離れした超跳躍をもう二回もやって、どこにこんな体力が残ってんだ。

 

「何無茶してんだ!!」

 

 伊月が叫ぶと、本人は「大丈夫っス」と小さく返事をする。

(誠凛)79対81(秀徳)。

 あと20秒弱。

 

 8番から伊月にボールが渡った。

 4番のマークについていた大坪主将の背後に、いつの間にか陣取ったのは火神だ。スクリーンをかけて4番をマークから外す。

 4番が駆け抜けたのは3Pラインから遥かに手前。フリーだ。

 

「────こっちだって、打たれちゃ困るよ」

 

 4番の真正面に向き合ってディフェンスする。

 このSGに絶対ボールは集めてくるから、反応する事は簡単だった。

 ──―そう言えば、去年もこうやって決勝リーグで対戦したんだっけ、とこんな時に記憶の断片を思い出した。

 

「これ以上借りはいらねーんだよ」

 

 雰囲気に似合わず、4番が荒い言葉を返す。

 

 4番が僅かに右に動いた。

 ボールを持っているのは伊月。ディフェンスに徹すれば勝てる。

 

 だが4番はいきなり大きく左に動いた。

 3Pラインから更に離れてどうする気だ。

 

 バシィッ! という音と共に、正面に掲げた両手に、次の瞬間にはボールが収まっていた。

 振り向くと、薄水色の影がちらつく。

 黒子が伊月からのパスルートを、掌底で変えたのだ。

 

「決めろ日向ぁ!!」

 

 4番の3P。

 

 ボールがネットをくぐる。一拍置いて、歓声が爆発した。

 

「……逆転!!?」

「マジだぜ、誠凛の逆転勝ちだ!!」

「うわああ信じらんねえ!! 残り数秒で誠凛が勝ったああ!!」

 

 ギャラリーの大き過ぎる歓声が、何か遠いもののように聞こえた。

 だからゴール下で高尾がボールを受け取った事も背景みたいに見えて、一瞬頭が追い付かなかった。

 

「勝ってねーよ、まだ!!」

 

 高尾がロングパスを放った。

 受け止めた相手は────緑間だ。

 

 誠凛の奴等も、俺や主将達でさえ全員が虚をつかれた瞬間だった。

 

 

 残り時間3秒足らず。

(誠凛)82対81(秀徳)。

 

 緑間が、シュートモーションに入った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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11.予選閉幕

 

 

 

 

 

 

 

 緑間がシュートモーションに入った。

 まともに反応出来ているのは、足を壊している火神だけ。これならいける、そう確信した。

 

 

「……嘘、だろ」

 

 

 次の瞬間、信じられないものを見ていた。

 ゴールめがけて高く上げられたボールに向かって、火神は再び跳んだのだ。俺も含めて、秀徳のスタメンは全員驚愕しただろう。

 あの跳躍の勢いなら、緑間のシュートはまたブロックされてしまう。

 

 ──―しかし、そのシュートは打たれなかった。

 

 火神のブロックは空振りに終わった。緑間が土壇場でフェイクを入れ、一度ボールを下げたのだ。コンマ数秒を争うこの状況で駆け引きを入れる精神力には、改めて感服する。

 そして間違いなく、今度こそフリーだ。

 体勢を崩されない限り、絶対に外さない3P。

 

「決めろ緑間ぁ!!」

 

 高尾も、主将達も、皆が叫んだ。

 最後のシュートが放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 試合終了を告げるブザーが鳴った。

 審判だけが高らかに合図をかける。

 観客からは歓声がまた爆発して、会場内が興奮と熱気に包まれた。

 

 誠凛のベンチの奴等が、お互い抱き合ったり叫んだりしてもみくちゃになっている様子が見える。マネージャーらしき女子生徒も、目元を拭っていた。

 

 俺はやけに頭が冷えたままで、周りの状況を眺めていた。

 主将も、宮地も、真っ先に何か騒ぐ高尾さえコートの上で何も言わず棒立ちになっている。緑間を見ると、その目は閉じられていて、いつも分かりにくい表情が尚更分からなかった。

 

 土壇場でフェイクまで仕込んだ緑間のシュートは、入らなかった。

 緑間の背後から現れた黒子が、シュート寸前でボールをカットした為だ。

 

 その黒子は、向こうの4番やスタメン達に頭を撫でられたり、背中を叩かれたりして乱暴な称賛を受けている。試合が終わった今になって、あの見えない五人目の選手は、コートの中央にはっきりと存在が見えていた。今更姿が見えていたって、もう遅い。

 俺達は整列の為に、重くなった足を引きずって並ぶ。

 

 

「82対81で、誠凛高校の勝ち!!」

 

 

 秀徳は負けた。

 つまりIH(インターハイ)への挑戦権──―この夏への大会もまた、ここで終わった。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 決勝戦も終わり、予選リーグが正式に閉幕になった後、俺達はといえば散々だった。

 控室に引き上げてからも無言のままで、ベンチに入っていた同期の室田はスタメンの俺達より落ち込んでいるし、金城は涙声を抑えきれないでいるし、宮地(弟)の方が怒鳴るように慰めていたりで、全員の感情がバラバラになっているような雰囲気だった。

 

「……金城君、そんなに泣かれても困るから」

「うるせえなあ、泣いてねえよ…………」

 

 泣いてるだろ、どう見ても。

 頼むからこれ以上暗くするなよ。二年生が涙なんて流してたら、下級生にまで湿っぽさが伝染する。いつもなら、この辺りで宮地(兄)が真っ先に怒鳴っている筈なんだけど、口を引き結んだままで何も言ってこなかった。主将もだ。

 葬式みたいに暗い雰囲気になっていた所を、ぶった切るように一声放ったのは、やっぱりこいつだった。

 

「少し外に出てきます」

「おい!」

 

 室田が呼び止めたけど、緑間は無視して会場の外に行ってしまう。

 

「はんっ! 負けたってのに冷めたもんだぜ」

「……まさか。何も感じて無い筈ねえっスよ」

 

 心底忌々しそうに言った室田へ、静かに言ったのは高尾だった。

 でもその声は小さなものだったので、多分隣にいた俺しか拾えなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場の外に出ると、台風が来たみてーな大雨になっていた。

 行きは快晴だったってのに、どこか遠くでは雷まで鳴っている。何だか、俺達の試合結果への嫌味のように思える天気だった。

 

 つーか、緑間はこの雨の中どこに行ったんだよ。

 監督も放ったらかしにしてるし、探しに来るこっちの身にもなってほしい。

 

 こんな天気になると思ってなかったから、傘なんて持っちゃいない。

 玄関口の傘立てに置き忘れてあったらしいビニール傘を適当に借りて、外に出た。思った以上に雨脚は強く、大量の雨粒がすぐに傘を濡らした。

 

 ……マジで緑間の奴、どこに行った!? 

 外に出てくるったって、その辺に居るだろうって思っていたけど、あの緑頭が全く見つからない。曇り空で視界が悪いから余計にだ。

 大体、こういうのは高尾の役回りなのに何やってんだよあいつも。

 

「…………あ」

 

 その時、見つけた。

 

 会場の正門の陰に隠れていたから、あのでかい図体が見えなかったらしい。

 しかも傘も差さずに銅像みたいに突っ立って延々と雨に打たれている。何がしたいんだあいつ。

 色々言いたい事はあったけど、とりあえず呼びに近付いた。

 

「緑間く──―」

 

 声は、最後までかけられなかった。

 

 見えたのは、涙だった。

 緑間が、泣いていた。

 

 いや──雨の滴が顔を流れただけかもしれない。

 でも、一瞬垣間見えた表情はそう思えた。

 あのいつも無表情で、無感情で、機械みたいに3Pを打つ事しか考えてない緑間が。

 

 こいつが今の自分を見られたくなくてこんな所に居たんだったら、尚更俺は行き場が無かった。

 中途半端に距離を空けて、緑間の後ろに佇む。

 すると視線で気付かれたのか、濡れ鼠になった緑間がゆっくり振り向いた。最初は死んだような無表情だったが、俺の存在を認識し始めると、みるみる目が見開かれていく。意外と考えてる事が顔に出るんだな、こいつも。

 

「……雪野さん、いつからそこに?」

「ほんの数分前からだけど……」

「………………」

 

 気まずい。

 ものすごい気まずい。

 

 流石に見てはいけない場面を見てしまった自覚はあるから、俺も藪蛇になるような事は言わない。……でも完全に墓穴掘ったよな。緑間がほとんど睨んできてるし。

 何も無かった事にして逃げてしまおうかと思った矢先に、どこからか携帯の電子音が鳴った。俺のは鞄に入れっぱなしだから違う。

 すると緑間の携帯だったらしく、ポケットから出して通話を押した。

 

『あ──―ミドリンひっさりぶり────―!! 

 ど──だった試合──―!? 勝った──―!? 負けた──―!? 

 あのね────こっちは』

 

 ブツッ、と間髪入れずに通話は途切れた。

 

 今の、何だよ。

 すげーテンション高い女の声がしたぞ。

 

 ぼんやり眺めていたら、また緑間の携帯が鳴り、続けて誰かと会話をし始めた。

 ここで聞いてていいものかと思ったけど、こいつを放ったらかしにしてく訳にもいかねーし、まあ内容なんてほとんど聞こえてねーしいいか。

 

「……そうだ、せいぜい決勝リーグでは気を付けるのだよ。青峰」

「ん?」

 

 数分にも満たない会話だったが、最近耳に入った名前が聞こえた。

 

「……アオミネって、もしかして桐皇の青峰?」

「そうですが、それが何か?」

「いや何も」

 

 声に棘があるような気がする。別に、覗き見するつもりはなかったんだけどな。

 青峰って言えば確か、今吉さんが言っていた、スカウトしたっていう「キセキの世代」だ。

 試合の後にわざわざ電話なんてかけてきたのか。

 どんな連中なのか俺も全然調べてねーけど、天才は天才同士のコミュニティみたいなものがあるのかもしれない。

 

「……とりあえず戻ろうよ。ここに居たままじゃ風邪引くし、先輩達も心配してたよ」

「俺の事は放っておいて下さい。戻るなら先に雪野さんだけでどうぞ」

「いや、そういう訳にもいかないから」

 

 滝行でもする気かよ。

 普段より五割増しはぶっきら棒に言い捨てられたが、この土砂降りの中に置き去りに出来る訳ない。

 こいつは放っておいてほしいのかもしれねーけど。

 

 緑間はまだ、自分に罰でも与えているように雨に打たれ続けている。

 主将や宮地(兄)に怒鳴られても何言われても、いつも澄ました顔していたこいつが落ち込んでいた。

 ……負けはチームの責任だから、緑間君のせいじゃないよ。

 次に勝てばいいでしょ、元気出しなよ。

 慰めの言葉なんて、いくらでも適当に浮かんできたけど、どれも陳腐な言い様に思えたし、そんな事じゃこの面倒なエース様は復活しなさそうだった。

 それに、俺のそんな偉そうな事言える資格があるのか? 

 

「……とにかく、ほら。戻るよ」

 

 会場の玄関口から拝借してきたビニール傘を緑間の頭上に掲げてやると、やっとこっちに視線を向けてきた。疲れの滲んだ緑色の双眸が俺を捉える。

 雨粒で髪が崩れているせいか、疲労が出ているせいか、何だか緑間の様子がいつもより後輩らしく見えた。練習も試合も隙を見せない奴だから、たまに年下って事を忘れる。

 

 やがて会場で待っていたらしい高尾がやって来て、先輩方が俺達を置き去りにさっさと引き上げてしまった事を伝えてくるまで数分後。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

「あーあ、参っちゃいましたねー。天気は崩れるし主将達に置いてかれるし」

「……高尾君、まさか今日会場にもこれで来た訳?」

「そりゃそうっスよ。いや、俺は試合前に漕ぐの疲れるから止めとこうぜって言ったんスけどね? 緑間が気に入っちゃっててごねるもんだから」

「ごねてないのだよ」

 

 緑間がいつものように異を唱えたが、声には何となく覇気が無かった。

 IH予選決勝を敗戦という形で終えて、俺は今、緑間と高尾の一年コンビを引き連れて帰路に着いている。何でこうなったかと言えば、ちょっと控室から離れていた間に主将や上級生達は他の二軍を連れて引き上げてしまっていたからだった。しかも監督までである。マジふざけんな。

 よく見たら一応携帯に主将からの連絡は来ていたけど、俺に押し付けようとすんなよ! 試合後で疲れてんのに、こいつらのお守りなんてうんざりした。

 

 高尾は何かまたリヤカー付きの自転車引いてきてるし。

 さっきまで降っていた雨で濡れているから、流石に緑間も乗ろうとはしていない。まあ、乗り始めたら俺は全力で距離を取るけどな。

 

「真ちゃんもいつまで拗ねてんだよ。おは朝だって偶には外れるって言っただろ」

「うるさい」

 

 宥めるように高尾が言ったが、緑間は容赦ない。

 その反応に対して、高尾が僅かに肩を竦めると、俺に向けて耳打ちするように言った。

 

「今日、おは朝でかに座が一位だったんですよ。だから絶対負ける訳ないって試合の前に言ってて」

「それであんな狸まで持ってきたの……」

 

 振り向くと、リヤカーの荷台で揺られる狸の設楽焼の円らな瞳と目が合った。

 よくまあ、こんなもん持ち込んできたな。

 

「雪野さん雪野さん、折角だしどっかで飯でも食べて行きましょうよ~。逆転負けされた上に雨に打たれて、もう身も心も寒々しいですよー」

「……別にいいけど、程々な所で頼むよ」

「さっすが雪野さん太っ腹ぁ!」

 

 頼むから程々な所を選んでくれよ!? 

 呑気に渡米してる爺ちゃんから生活費は一応送られてるけど、必要以上には送ってこないから何やかんやで俺の懐も寂しいんだ。あんまり堂々とたかるな。

 

「でもこの辺って店なんて無いでしょう? 入るならマジバとかになるよ」

「えー試合終わった後なんですし、どうせならいつもと違う所に行きません?」

 

 相方の緑間はさっきからずっと黙り込んでいるのに、高尾は相変わらず喋りづめだった。沈黙に耐えられないとでも言うみたいに、どーでもいい事まで拾ってくる。

 もしかしてこいつもこいつで、無理にテンションを上げているのかもしれない。

 まあこれが緑間と二人きりだったら、耐えられないどころか空気が重過ぎて潰されてる所だから、こいつの明るさが今は有り難かった。

 

「なーんかガッツリしたもん食いたいっスね。あー焼肉とか!」

「高尾君、少しは僕の財布を思いやって」

「ぶほっ! 切実っスね! そんな先輩にたかったりしませんよ~」

 

 意外と抜け目ない高尾の事だから、ちゃっかりねだられても困るので釘は差す。そもそも焼肉は好きじゃねーから入られても困る。

 しばらくの間、三人組の足音とリヤカーの車輪が転がる音が夜道に響いていく。

 今頃になって体が疲労感を訴え始めてきたから、足腰が重い。焼肉は論外としても、どっか店に入って一休みはしたい気分になってきた。

 

「あっ! あそこなんか良くないっスか?」

「え?」

 

 三人揃って無言で歩いていた時、高尾が暖簾を掲げた一軒の店を指差した。

 垂れ幕の名前と、漏れ聞こえてくる鉄板の音からして、お好み焼き屋らしい。ここなら値段もリーズナブルそうだ。後ろの緑間も特に異論は無さそうだったので、俺達はこの店で一息入れる事にした。

 リヤカーは一旦店先に止める事になったけど……まあ、ダメならダメで店から何か言ってくるだろう。

 

「すまっせーん。おっちゃん、三人。空いて……」

「ん?」

 

 引き戸を開けて、店に入る。

 そして次の瞬間、硬直した。

 

 店内のテーブルと座敷席をほぼ占領していた他校の集団が、今正に乾杯の音頭を取ろうとしている所だった。もっと言えば、その集団はついさっきまで俺達がコートで対面していた奴等──―誠凛高校だった。

 何っでお前らが居るんだよ。

 

「何でお前らがここに!? つか他は!?」

 

 とか思ってたら、誠凛の方から同時にツッコまれた。

 

「いやー真ちゃんが泣き崩れてる間に主将達とはぐれちゃってー。

 ついでに飯でも、みたいなー」

「おい!」

「……二人共、とにかく店を変えよう」

「同感です。高尾、さっさと行くぞ」

「あっ、ちょっと」

 

 店の引き戸を開けて、俺と緑間が同時に外に出る。

 その瞬間、横殴りの雨と風が狙いすましたかのようなタイミングで俺達に叩きつけられた。

 ……って、ふざけんな、嫌がらせかよ。

 ジャージも一瞬で濡れ鼠になって気持ち悪い。俺達は無言のまま、大人しく店内に引き返した。緑間がすげー渋い顔になっているのが見えたが、今ならこいつの気持ちが分かりそうだった。

 

「あれっ? もしかして海常の笠松さん!?」

「何で知ってんだ?」

「月バスで見たんで! 全国でも好PG(ポイントガード)として有名人じゃないっスか!」

 

 と、その間に高尾はさらりと店内にいた客とコミュニケーションを始めていた。

 お前はどれだけ適応力が高いんだ。

 つーかよく見ると店にいたのは誠凛だけじゃない。黒子と火神のテーブルで、ヘラを弄んでいる金髪──―黄瀬涼太が居た。何で誠凛に混ざっているのか知らねーけど、ジャージの集団の中に制服でいるもんだから余計に目立って見えた。緑間とは別のベクトルで存在感がある奴だ。

 

「ちょっ……うお──!! 同じポジションとして話聞きてーなあ! 

 ちょっと混ざってもいいっスか!?」

「高尾君! 止めなって……」

 

 何さらっと話進めてんだ!? 明らかにこれ、誠凛が祝勝会やってるムードだろーが。

 

「誠凛が打ち上げやってるんだから、僕達がいたって気まずいだけでしょ」

「えーもう試合終わったんだし、そんな細かい事いいじゃないっスか。

 どうせ雨なんだし、俺達も混ざらせてもらいましょうよ」

「いや、そんな気軽にね……」

「……別にいーんじゃーねーの? ですか。一緒に食おうぜ」

 

 高尾との問答が止みそうになかった所で、誰かの声が割って入った。

 大ジョッキに入った烏龍茶を、ビールみたいにグビグビ飲んでいた火神だった。……家でも俺の三倍は胃がでけーんじゃねえのかと思ってたけど、飲み物にも例外無しか。

 

「火神君まで何言ってるの……」

「そっちこそ何遠慮してんだ、です。どうせ帰りは同じなんだし、雨止むまでいりゃいーじゃないスか」

「まあ……そうだけど」

「え? どういう事? 雪野さんって火神と知り合い??」

 

 ……ミスった。

 最近、火神と話す事が生活の一部になってたから普通に受け答えしていた。

 高尾が釣り目を瞬かせ、緑間が訝しむような視線を向けているのが分かる。ど、どうする……? どうやり過ごすのが正解なんだ。

 

「知り合いというか、火神君は雪野さんとルームシェアをしているんですよ」

「黒子君っ!?」

 

 思いもよらぬ伏兵が居た。

 コートの外でも存在感の薄いこの一年は、読めない表情のままで言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「びっくりしたー。雪野さん、火神の家に下宿なんてしてたなら教えて下さいよ! めちゃくちゃ面白そうじゃないっスか」

「いや、全然面白くないから。うちの爺……お爺さんが勝手に決めて、仕方なくだから」

「じゃあ火神が最近、部活終わって妙に時間気にしてたり、携帯いじってたのって雪野……君への連絡だったのか?」

「俺てっきりもう彼女とか作ってんのかと思って、すげー気になってたのに!」

「ぶっふぁっ!! 雪野さんが、火神の彼、女……っ!!」

 

 誠凛の奴等が思い思いの感想を述べた所に、高尾がおかしな部分だけ拾って吹き出した。

 その笑いがムカついたので、高尾の手前にある鉄板にはお好み焼きの焦げた面を押し付けてやる。

 

 黒子によるカミングアウトのせいで、他の誠凛の連中まで一瞬騒ぎ出しかけたが、その時奥の座敷が丁度空席になったのが始まりだった。

「あ! そこも空いたし、詰めれば奥の席で全員座れるんじゃないスか? ほらほら真ちゃんも雪野さんも! はーい笠松さんはこっちで! で、黒子と火神はここね!」あれよあれよと高尾が反論もさせずに席を取り決めてしまい、結局俺達は、黄瀬とその先輩、そして誠凛も含めたメンバーと共に全員で鉄板を囲み、お好み焼きをつついている。

 ……どんな状況なんだ、これ。

 

「同情するのだよ。こんな騒がしそうな奴と住むなど、俺なら考えられん」

「んだと!? 喧嘩売ってんのかてめぇ!」

「あーもう緑間っちも何でそういう事言うっスか。ほら、何か頼んで。俺はさっきもんじゃ食ったし、結構いっぱいだから」

「よくそんなゲロのようなものが食えるのだよ」

「だからそういう事言わないでってば!?」

 

 右隅のテーブルが早速さわがしくなってきた。

 一番右のテーブルには、奥から順に火神・黒子・黄瀬・緑間の四人が顔を揃えている。「キセキの世代」揃いぶみ……いや約1名違うけど。高尾の奴、ちゃっかり狙ってやったな。

 緑間一人だけでも目立つのに、赤と黄色が加わってあのテーブルだけ異様に派手だ。

 

「ちょっと、何だかワクワクするわね、あの席!」

「喧嘩にならなきゃいいけどね……」

 

 ウキウキと弾んだ声に対して、俺は思わず呆れ気味に返す。

 緑間も大人しそうな顔して歯に衣着せねーし、火神は見た目通りに単純だし、騒ぎになんなきゃいーけど。

 高尾も高尾で、笠松とかいう人と話せてそんなに嬉しいのか、すっかり緑間の事放ったらかしにしてるし。頼むから騒ぐにしても程々にしてくれよ、面倒見切れねえ。

 そんな風にしてぎこちなくも、各自のテーブルでお好み焼きがひっくり返り、もんじゃが焼かれ、奇妙な面子で打ち上げが始まろうとしていた。

 

 ん? 何か普通に答えちゃってたけど、今のって誰だ。

 周りを見る間もなく席を決められたので、俺の左隣を改めて見たら、誠凛の女子生徒らしき女の子が座っていた。栗色のショートカットがいかにも運動部らしく、勝気そうな目と視線が合った。

 

「えーと、誠凛のマネージャー、さん?」

「ううん、違うわよ。私は誠凛バスケ部の監督」

「へー監督……監督!?」

 

 一瞬理解が遅れた。

 監督っていうのは、あれだ。秀徳でいうなら中谷監督と同じポジションっていう事だ。

 って事は、ついさっきまでの試合の指示出しやゲームメイクなんかは、この子がやってたって事か!? 

 

「え……嘘でしょ? 女子が監督って……」

「失礼ねー。本当よ」

「去年も対戦していた癖に、まさかうちのカントクを知らねーとは思わなかったけどな」

 

 と、刺すような口振りで言ったのは、誠凛の4番──あのSG(シューティングガード)だった。正面の席にいるもんだから、とりあえず俺は烏龍茶を飲んで気まずさを誤魔化す。

「おい、日向」と、そいつの左隣にいた切れ長の目をした奴がたしなめるように声をかけた。

 誠凛のスタメンの中に放り込まれてんじゃねーかよ……高尾、何でこの席順にした。

 

「いや、その……失礼な事言ったならごめんね。僕、他校の人の顔とか名前覚えるの苦手で」

「なっ!? 覚えてねーのか? 去年の予選の事も!?」

「あー……誠凛の試合したのは覚えてるけど、流石に名前までは、ちょっと……」

 

 正直に白状したら、その眼鏡君は驚いた後に段々肩の力が抜けていって、がっくり脱力したようなポーズになった。……俺、そんなに変な事言っちまったのか? 

 けど覚えてないもんは仕方ない。入部してから公式非公式含めて試合は山ほどあったけど、出場するだけで神経使うのに対戦相手の事にまで気を回してたら頭がパンクする。

 

「覚えてねえって……何だったんだよ、俺の去年からの執念は……」

「まあまあ、そんなガッカリする事ないだろ日向。リベンジは果たせたんだからいいじゃないか。ハッ! 便所でリベンジを果たす! キタコレ!」

「伊月黙れ。永遠に黙れ」

 

 ……何か訳の分からない掛け合いが始まってるし。

 眼鏡君──日向というらしい──のバッサリ切り捨てて言う様は、少し宮地(兄)に似ていた。どの学校もこういうタイプがいるもんなのか。

 

「えーと……?」

「ああ、うちはいつもの事だから気にしないで。それより、今日はお互いお疲れ様」

「……あ、うん。お疲れ様」

「あ、これとかもう焼けてるから。どうぞ?」

 

 と、誠凛の監督(未だに信じられねーけど)が、鉄板の上のお好み焼きをヘラで皿によそってきた。別に俺はそんなに食いたい訳じゃないから譲るのに、気を遣ってくれたのか。

 

「ねえ、ちょっと聞いてもいい?」

「え? 何か……?」

「火神君、家でもちゃんとしたもの食べてる? あと、体とか無理に動かしたりしてない?」

 

 口喧嘩だか何かをまだ言い合っている火神達のテーブルを横目で見ながら、小声で言った。

 そういう女監督さんの表情は真剣そのもので、茶化せるような空気は無い。

 何となく、本当にこの人は誠凛の監督なんだと思った。

 

「はい、それは。まあ、僕も火神君も時間が合う訳じゃないけど、火神君の方が料理作ってくれてるから、食事は僕の方が助かってるくらいだし」

「えっ? 火神、料理なんて出来たのか?」

「得意なんじゃないかな。炒飯とか野菜炒めとか。この前はミートローフとか作ってたし」

「マジかよ!?」

 

 何故か日向がダメージを受けている。何でだ。

 まあ、最初の内は俺もあのギャップにはビビらされたもんだけどな。今じゃすっかり慣れたもんだ。

 考えてみたら、俺も自分の家だと飯なんて適当に済ませてるから、その意味では火神と一緒に住んだのは得になった。

 

「何だか変な話ね、うちのエースと秀徳のエースが同じ家って」

「本当にな。っていうか、まさか火神からうちの情報取ろうとか、そんな事思ってねーだろうな?」

 

 そうそう、俺が期待していた……っていうか、予想してたのはこういう反応なんだよ。全く無いのも何だか物足りないし、変に安心した。日向がガンを飛ばすように威嚇しているが、妙な落ち着きを感じる。

 

「……え? エースって誰の事?」

「誰って、雪野、君の事だけど」

「……いやいやいや、秀徳のエースは緑間君だから。その誤解は直してほしいな!?」

「……はあ? 去年、俺達に散々やってくれた奴が嫌味かよ」

 

 別に嫌味のつもりはないんだけれども。そんな必要以上に高評価されても困る。

 とりあえず、俺がこれ以上何言っても火に油を注ぎそうだ。

 

「あーほら、これとか焼けてるから、どうぞ」

「お、おお。悪いな。…………って、何でお前、そんな平然としてんだよ」

「……え? あー、やっぱり僕達が誠凛の席に混ざったらまずかった?」

「いやそうじゃなくて……何で試合負けたのに冷めてるっつーか……もっとこう、何かねーのかよ!?」

 

 多分、俺はポカン、とした顔をしていたと思う。

 こいつが何を言いたいのかよく分からなかったし、実際、言葉が足りてない自覚はあるらしい。頭をガシガシ掻き回して悩んでいる。

 すると、隣にいた切れ長の目をした奴──伊月、とか言われてたPG──が、見かねて声をかけた。

 

「あのな、去年の決勝リーグで、俺達が秀徳にトリプルスコアでやられたのは覚えてるだろ? その時の試合から、日向は、雪野君にリベンジする事を目標にしてきたんだよ」

「おい、伊月! 余計な事言うんじゃねえよ」

「別にいいだろ。でないと話が進まないよ」

 

 そこまで言われて、俺もやっと納得した。

 つまり、こいつらからすれば念願の雪辱戦を果たしたのに、肝心の相手である俺のリアクションが薄いから不満なんだろう。そうは言っても、これ以上どうしようもねえけど。

 

「何か……ごめんね」

「謝るなよ……もう気にしちゃいねーし、俺が一方的に思ってた事だしな」

「いや、何か……こういう時にどう思っていいのか分からなくって」

「は?」

 

 試合に負けた。それも予選で。

 主将も宮地も木村も、二軍の連中も全員が黙り込んで悲しんでいた。緑間でさえ。

 

 俺はといえば、いきなり終わってしまったような虚しい感覚があるだけで、どう言っていいのか分からなかった。はっきり言って負けるなんて予想してなかった。

 去年は圧倒的な点差で予選は突破したし、いくら火神の馬力がすごくても、緑間のでたらめぶりなら誰も相手にならないって思っていた。

 

 すると女監督と伊月、日向は鉄板越しに顔を見合わせて、変なものを見るような目で俺を見ていた。

 

「……負けた事無いから、どういう気分なのか分からない、って事?」

「はあ──―贅沢な悩みだな、おい!」

「何もそこまで言わないよ。……久しぶりの事だから、自分でもどう思ってるのか、ちょっと分からないだけで」

「負けたら悔しいに決まってんだろ。だから俺達だって、死ぬ気でお前らや正邦と戦ったんだよ」

 

 不満そうな顔をしている日向と目が合った。

 しかしすぐ、自分の言葉が照れ臭くなったように視線を逸らされる。……なら言わなきゃいいのに。

 

 その時だった。

 隣のテーブルでお好み焼きを作成していた高尾が、ひっくり返した。けど勢いがつき過ぎたそれは、生焼けのまま空中を舞った。

 

「あ──っ! 雪野さん避けて!」

「え?」

 

 その声が無かったら、きっと反応は出来なかった。

 俺は咄嗟に、空いていた皿でお好み焼きを受け止めると、勢いを殺さず高尾に向かってお好み焼きを投げ返した。──―筈だったんだけどなあ……。

 視界が煙で悪かったせいか、お好み焼きは高尾を超えてその端に……緑間の頭上に命中した。

 

 緑頭のてっぺんに、生地がくずれたお好み焼きが冠のようにのっている。

 一瞬、俺達の席全体が無言に包まれた。

 

「……高尾、ちょっと来い」

「え!? 俺!? いや、それ投げたのは雪野さ……ちょっと待っ……だギャ──―!!」

 

 抵抗虚しく、高尾の襟首を掴んで緑間は外に連行していった。お好み焼きを被ったままで。

 ……とりあえず心の中で、高尾に合掌しておいた。

 その光景を眺めていると、日向が遠い目をしながら呟いた。

 

「……秀徳も一年に苦労してそうだな」

「分かってくれる!? そうなんだよ、先輩とは毎日揉め事起こすし、コミュニケーションはろくに取らないし変なアイテムは持ち込むし、どうやって取り扱えばいいのか分からなくって」

「急に生き生きし始めたね、雪野君……」

 

 伊月がやや引いたように俺を見た。

 だって言いたくもなるわ。主将も宮地も、最近じゃ何だか俺に緑間の面倒を押し付けてるような感じがあるし。

 

「そんなもん、一発しっかりシバいたらいいじゃねーか。先輩後輩のケジメはちゃんとしねーと舐められるぞ」

 

 言ったのは、黄瀬と一緒にいた海常の人──確か高尾が、笠松とか言っていた──だった。見た目は小柄そうだけど、声質は強くて、喋っていると背筋がシャンと伸びるような感覚があった。

 

「え、シバくってどういう事ですか……?」

「んなもん、生意気言ったら蹴るか殴るかすればいいだろ」

「笠松さん、意外と過激なんスね」

「まあうちも練習真面目にやらないような奴は叩き出してるから、似たようなものではあるかもね」

「カントクも容赦無いからな……」

 

 怖ぇよ! 

 宮地といい、何っで体育会系の奴等ってすぐ実力行使に訴えるんだ。そしてその会話が聞こえたのか、何故か黄瀬が隅のテーブルで震えていた。……何でだ? 

 

「もっと平和的にいきましょうよ……部活なんだから」

「真剣にやらねーような奴はそんぐらいで丁度いいだろ。……つかお前、俺とどっかで会った事あるか?」

「はい?」

 

 笠松の視線が、探るように俺を見た。冷や汗が頬を流れたのが分かったが、これは鉄板の暑さのせいじゃないだろう。

 

「……月バスとか、その辺の雑誌じゃないですか? 秀徳なら、載った事はあるだろうし」

「あー確かに雑誌だった気がするんだけど、最近じゃなかったような気がすんだよなー。

 何だったかなー……」

 

 頼むからそのまま記憶の蓋を開けないでくれ。

 俺の祈りが通じたのか、隣にいた女監督さんが別の話題を出してくれた。

 

「あら、もうお好み焼き無くなってるじゃない。しょうがないわね、じゃあ次は私が作るわ」

「っ!? い、いやいやカントク! 試合終わったばっかで疲れてるんだし、いいって! そんなの俺達がやるって!」

「遠慮しないでいいわよ。疲れてるのは皆同じでしょ、じゃんじゃん食べて体力付けてちょうだい!」

 

 と、女監督さんが笑顔でお好み焼きの追加を頼むと、日向達だけじゃなく、他のテーブルにいた誠凛のメンバーも何故か慌て始めた。

 何だってんだ? そんなに料理作らせると危なっかしいのか、この子。傍にいた伊月の肩をたたいて、こっそり訊ねた。

 

「あの、この子そんなに料理が上手くないの?」

「いや上手くないっていうか……。……止めないと、俺達は死ぬかもしれない」

「え」

 

 そう、覚えてないなんて言った罰が当たったのかもしれない。

 数分後、俺は身を持って誠凛の恐ろしさを知る事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さん、雪野さん」

 

 次に目が覚めた時、視界には緑色が広がっていた。

 若葉のような緑色の瞳に、間抜けな顔をした俺が映っている。

 

「あれ……? 緑間君……? 何でうちにいるの……?」

「寝惚けないで下さい。もう解散する所なのだよ」

「解散……」

 

 頭がぼんやり霞みがかった状態のまま起き上がると、俺が座っていたテーブルの面子は全員ぶっ倒れて屍が積みあがったような有様と化していた。女監督さんが、まだ目覚めていない日向と起こそうとしている。

 マジで何が起きたんだ……。

 ダメだ、思い出せない。確か女監督さんが焼いてくれたお好み焼きを勧められた所までは覚えてるけど……。

 

「ダメだ、思い出そうとすると頭が痛い……」

「……? 本当に大丈夫ですか? 雪野さん」

「あー大丈夫、平気だから。何か目眩がするけど」

 

 雨も止んでるみたいだし、確かにもう切り上げ時だ。これ以上、この後輩共を連れ回してる訳にもいかない。

 持っていたバッグやら身支度を軽く整えていると、隅で相撲取りのように腹を大きくさせていた火神が見えた。

 

「……火神君、どれだけ食べたの……」

「こいつだけで五人前は平らげていました。思い出しただけで胸焼けしそうなのだよ」

「緑間てめぇ……憎まれ口しか言えねーのかよ。雪野さん、悪いけど先帰っててくれ、ださい」

「胃薬でも用意しておくよ……」

 

 呆れ気味に答えてから、俺は自分が言った事に気が付いた。

 誠凛と試合を始める前まで、こいつの家に住み続けられるかどうか、すげー悩んでいたっていうのに、何当たり前みたいに帰る事前提に話してんだ? 

 試合が終わってからも火神が全然態度を変えてねーから、いつの間にか普段のやり取りをしていた。

 

「雪野さん、どうかしましたか?」

「……ああ、いや? 別に。あ、これ、俺の分置いときます」

 

 誠凛の連中を介抱していた女監督さんに声をかけて、俺の分の飯代を渡す。

 そんなに食ったつもりはねーし、二千円もあれば足りるだろう。

 

「ありがとう! じゃあ、清算しておくわね」

「悪いね。ご馳走様でした」

「いーえ。そんな事より、うちの選手の顔と名前、もうきっちり覚えてくれたかしら?」

 

 にこにこと微笑む女監督さんはパッと見可愛い感じなんだが、目は笑ってない。

 てゆーか、やっぱり根に持ってたんじゃねーか。

 

「……覚えたよ。しっかりとね、監督さんの事も」

「それなら良かった! またいつでも試合はやりましょうね、雪野君」

「ソウデスネ……」

 

 何かこの女監督、ちょっと怖い。俺は早めに逃げたくなって、バッグを肩に引っ掛けると店の出口に急いだ。

 

「……火神。一つ忠告してやるのだよ。東京にいる「キセキの世代」は二人。

 俺ともう一人は青峰大輝という男だ。決勝リーグで当たるだろう。そして、奴はお前と同種の選手(プレーヤー)だ」

 

 と、店を出る直前で、緑間も火神に何事か話していた。

 

「……はあ? よく分かんねーけど、とりあえずそいつも相当強ぇんだろ?」

「……強いです。……ただあの人のバスケは……好きじゃないです」

 

 火神の問いかけに対して、答えたのは黒子だった。

 その顔つきは、変わらない無表情だったけどどことなく暗い。黄瀬も黙って言葉を発さない。

「まあせいぜいがんばるのだよ」と、またしても緑間が喧嘩を売るような事を言った後、その背に黒子が声をかけた。

 

「……緑間君。また、やりましょう」

「……当たり前だ。次は、勝つ」

 

 緑間の後に続いて、俺も店の外に向かう。

 打ち上げ騒ぎをしている間に、あの土砂降りもすっかり止んでいた。

 

「何か、意外だね」

「……何がです?」

「さっきのアドバイス? わざわざ教えてあげるなんて優しいんだね」

「アドバイスなんていうものではありません。第一、今の火神では青峰の相手にならない。警告してやっただけの話です」

 

 それをアドバイスって言うんじゃねーのか? とも思うが、緑間の基準では違うらしい。

 それに引っかかったのが、その青峰って奴が火神でも相手にならないって言い切る事だ。

 気になったけど、緑間はそこを説明しようとはしなかった。

 

 店を出ると、そこには自転車に乗った高尾が、待っていたようなタイミングで居た。

 

「……今日はじゃんけん無しでもいーぜ?」

「……フン。しても漕ぐのはいつも高尾だろう」

「にゃにおう!?」

 

 あ、やっぱりこれを漕いでいくのか……。

 ラッキーアイテムもそうだけど、こいつのこのリヤカーへの執念も何なんだよ。これに乗らねーと死ぬの? 

 

「ほらほら、雨が降ってこねー内に乗れって。

 そういや雪野さんは方向どっちですっけ?」

「いいよ、僕が漕ぐから。高尾君、代わって」

「……えっ!? マジっスか!?」

 

 高尾だけじゃなく緑間まで驚いている。

 俺だって好きで漕ぐ訳じゃねーけど、流石にあんな試合の後で、後輩を労わる気持ちくらいは残ってる。

 

「二人共、疲れてるでしょ? いいよ、送るから。ほら、乗って乗って」

「え、えぇ──? ありがとうございます雪野さん! さっすが! 超尊敬します!」

「……しかし大丈夫ですか?」

「? 平気だよ。普段の自転車と同じ要領で漕げばいいんでしょ──―」

 

 高尾と緑間がリヤカーに乗り込んだ所を確認し、自転車に乗ってさあ進もうとサドルを押した──―が。

 超重てぇ。

 え、何だこれ。リヤカー引くってこんな辛かったのか? 確かに緑間達の重さがあるとは言っても、全然思う通りに進んでくれねーんだけど!? 

 何とか夜の車道をぎこちなく進み始めたが、早くも俺の脳内は安請け合いした事を後悔し始めていた。

 

「雪野さーん! がんばって下さーい! ほら、ちゃんと進んでますよー!」

「少しふらついていませんか? もっと安定させた方がいいと思いますが」

「……二人共、ちょっと黙ってくれない……?」

 

 特に緑間、お前は運ばれといてどんだけ上目線なんだよ。叩き落とすぞ!! 

 っていうか、この重さは明らかに余計なものが乗っかってるせいだろ。

 

「その狸、次はどうにかならないの……?」

「抜かりはありません。次は、もっと大きい設楽焼を揃えてみせます」

「いや、ぜってーサイズの事言ってんじゃねーと思うよ!?」

 

 

 

 自転車にリヤカーなんてバカバカしいものを引きながら、俺達は雨上がりの夜道を帰っていった。

 敗退した事もバスケ部のごたごたも、全部忘れてしまったみたいに好きに騒ぎながら。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 



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12.青峰大輝

 

 

 

 

 

 IH(インターハイ)予選リーグ終了後、秀徳バスケ部は期末テスト期間と重なった事もあり、二週間近く部活を休止する事になった。

 タイミングとしては丁度良かったんだろう。どうしたって気持ちを切り替える期間が必要だったし、俺だってあれだけ手痛く逆転勝ちされた後でいきなり練習する気分にはなれなかった。

 去年もそうだったけど、負け試合の後の部活は死ぬほど空気が澱んでいる。前は、まだIH本戦に出場した上で負けたからまだしも、今年は予選敗退だから次元が違う。去年も今までも、本選出場を前提にしたスケジュールを組んでいたのにそれが全部白紙になったんだ。反省会も兼ねたミーティングはやったものの、監督も主将(キャプテン)も、今後の方向性が一気に狂った事について頭を悩ませていた。テスト明けにまた主将や宮地(兄)達、他の二軍の奴等と顔を合わせるのが非常に気まずいし、気が重い。

 

 そして、それはそれとして俺個人には別の問題が降りかかっていた。

 

「……雪野さん、何スか? このプリント」

「話しかけないで。覚えた公式飛ぶから」

 

 リビングのテーブルを占領して、教科書とプリントの束を散乱させている俺の様子を、火神が遠巻きに伺う。

 朝っぱらから、不等式だの三角関数だのこんな暗号文の解読みたいな作業したくなかったけど仕方ない。ついこの間行われた学年別の期末学力テストで、俺は見事なまでに赤点を叩き出してしまっていた。

 担任でもある中谷監督からの呼び出し、教科担当からの説教のダブルパンチを受け、危うく保護者への連絡にまで話が飛びかけたがギリギリの所で止められたのが幸運だった。

 今週末の補習で合格点を出したら問題無しって救済措置を出してくれたけど、このままじゃ真面目に留年の危機だ。補修や課題出されるくらいは別に苦じゃねーけど、流石にダブリは勘弁したい。そこで俺は、受験から休眠していた脳味噌をフル回転させて補習対策に励んでいた。正直、範囲覚えんのもきっついけどな! 

 

「……うっわ、全然分かんね……」

「当たり前だよ、高二の範囲なんだから。そういえば火神君は試験大丈夫だったの?」

「あー……一応な。です」

 

 どうも歯切れの悪い返事だったが、何故か目を泳がせて火神は言った。

 誠凛も同時期にテスト期間だったらしいのだが、火神は予想を裏切らず赤点候補組だったようで、つい先週まであの女監督さんの家に泊まり込みで勉強合宿をしに行っていた。

 仮にも女子の家に泊まり込みとかいいのか? とも思ったけど、まあ他校には他校のルールがあると思うので深く首は突っ込まないでおく。その間の自分の食事をどう賄っていくかという方が大問題だった。

 

「じゃあ、俺はちょっと出てくんで。戸締りはお願いします」

「はいはい、いってらっしゃい」

 

 あんまり喋らせるな。一声出すだけで単語が頭から抜けそうだから、俺は教科書から顔を上げずに火神に向かって手を振る。本当あいつ、どんだけバスケ馬鹿なんだよ……。

 バッグにバスケットボールだけ入れた身軽な姿で、家主が出掛ける音が聞こえた。

 

 それにしても試合で負かされた奴と、何で俺は普通に会話して、しかもまだ一緒に暮らしているのか。

 つくづく変な状況になったもんだけど、もう深く考える事は止めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 数学なんて生きてて不要な勉強のベスト3くらいに入るんじゃねーのか。

 少なくとも俺の中のランキングでは常にトップを独走してる。サインとかコサインとか何だよ、絶対俺のこの先の人生で二度と使わねー自信があるぞ。だったら勉強しても無駄じゃね? 

 何て事を考えていたが、実際問題これを乗り越えねーとダブリの危機だ。文武両道を謳うだけあって、秀徳のシステムはその辺りの落第生には厳しい。何でこの学校選んだのか、と過去の自分を定期的に恨みたくなる。俺は参考書を音読しながら受験生に戻ったような気持ちで大通りを歩いていた。

 天気は快晴。世間は休日。補修なんて悲しい名目で学校に向かっているのは俺くらいなもんだ。虚しさを感じなくもねーけど、家にいてもこれからの部活の事とか考えて滅入ってくる。……にしても、全く頭に入った気がしねえ。これで大丈夫か? 考えたくはねーけど、万が一の時は本気でダブリも覚悟しとかねーとやばいかもしれない。

 参考書を片手に早足で進んでいたその時、この陽気な日に似合わねー柄の悪い声が聞こえた。

 

「ねえねえ、いーじゃん。俺達も二人で男女丁度いいしさ。俺面白い所知ってるんだよね~」

「あの、すいません。私達急いでますから」

「君達高校生? めっちゃ可愛いよね。何の用事? 送ってあげようか?」

 

 立ち止まるんじゃなかった、と直感的に思った。

 

 駅前にあった小さなカフェの前で、男二人が制服姿の女子二人を取り囲むようにして絡んでいた。どう見ても質の悪いナンパだ。まあ詳しい状況は知らねーけど、女子の方は明らかに嫌そうにしてるし、男の方は俺と同級か少し上くらいに見えるが、随分しつこく迫ってる。休日っつってもまだ午前中だし、他の通行人も揉め事を察しつつも、面倒に巻き込まれたくないのかその集団から遠ざかっている。

 すると女子の一人が、男の態度に腹を立てたのか更に強い口調で言った。

 

「あの! 迷惑だって言ってるんですけど!」

「わー、怒った? かーわいいー」

 

 男は気にした様子もなく、かえって楽しんでいる。

 

「その制服見た事あるけど、桐皇学園っしょ? あそこの女子レベル高いねー。

 そっちの子はもしかしてさ」

「……あー、ごめんごめん! 待った!?」

 

 ……本当、何で俺は毎回毎回こんな面倒な場面に出くわすんだろうな。

 運勢とかがもしあるなら、自分の巡りの悪さが嫌になるし、首突っ込んでる事にも呆れる。

 

 俺は大声で呼びかけながらその集団に割って入ると、一瞬ポカンと呆けたナンパ野郎共を掻き分けて、女子二人の手を取った。

 珍しい桃色の髪をした女の子が、いきなり現れた俺に目を丸くしている。そりゃそうだろうな。

 

「悪いね、待たせて。さあー行こう行こう……って、……」

「………………アキちゃん?」

 

 桃色の髪の女子と一緒にいた、もう一人の女子を見た途端、言葉が出てこなかった。

 その子もまた俺と同じ心境のようで、首を傾げて俺の顔を見つめている。

 けど、呑気にお互いを検分するには時と場合を考えるべきだった。

 

「おい、コラてめー。いきなり入ってきてなんだ? この子達は今から俺らと遊びに行くんですけどお?」

「……いや、さっきから見てたけど嫌がってるでしょ。てゆうか、どう見てもフラれてるじゃん。諦めて出直せば?」

「んだと!?」

 

 すっかり忘れていたナンパ野郎共の一人が突っかかって来た。というか、まだ居たのかこいつら。その根性にはちょっと感心しなくも無い。

 俺の右側に居た奴が怒鳴りながら胸倉を掴んできた。桃色の髪の子が、小さく悲鳴を上げる。

 

 こんな所で暴力沙汰とか勘弁してくれよ。

 胸倉を掴んでいる腕を咄嗟にひねって外すと、痛みに呻いた男の隙だらけの足元を思い切り払ってやった。それでバランスを崩したのか、男はそのまま後ろへ豪快にすっ転んだ。

 もう一人の男が、「お、おい!?」と叫ぶ。

 

「ほら、今の内に早く!」

「う、うん!」

 

 転倒して目を回した男を見やりながらも、桃色の髪の女子は答えて走り出した。

 もう一人の女子もまた、何も言わずに俺の手を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一目散に逃げ出した俺達は、あの場からやや離れた場所にあった公園のベンチで一息を吐いていた。女子二人をとりあえずベンチに座らせて、俺もいきなり逃走する羽目になったので乱れた息を整える。

 普段の部活での扱きに比べたらこのくらいの助走は何でも無い。息が上がったのはもっと別の事だ。

 

「…………何してんだよ、みちる」

「久しぶりねー、アキちゃん。髪の毛染めてるから分からなかったわよ? どうしたの、その髪、真っ白じゃないの」

「違ぇーよ、俺はこっちが地毛だ。お前こそ何してんだよ」

「何ってお買い物よ。そしたら変に絡まれちゃって、困ってたから助かったわ」

 

 上品に微笑みながら頭を少し下げられると、ウェーブがかった長めの黒髪が風に揺れた。

 俺の記憶よりも伸びてるかもしれない。中学時代のマネージャー、芽王寺(めのうじ)みちるは相変わらず華奢で、どこか影のある雰囲気も変わっていなかった。確かこいついいとこのお嬢様だしな……バスケ部っていう響きが今も似合わない。

 

「……ていうか体はいいのかよ」

「それならもう大丈夫よ。落ち着いたし、今年の春には退院出来たもの」

「そっか…………」

 

 俺が適当な反応しか返せないでいると、微妙な沈黙がまた流れた。

 すると、みちるの隣に座っていた子が何かを察したように口を開いた。

 

「雪野さんですよね? 本当にありがとうございます。ああいうナンパって、私達だけだと振り切れなくって困ってたんですよ」

「あ、ああ。うん……えっーと?」

「桃井さつきちゃん。桐皇学園のマネージャーをしている子よ」

 

 やばい、この子が居るって事忘れてた。

 猫被って話してなかったけど、特に気にされていないのが幸いだ。みちるが短く紹介すると、桃井と言ったその子はにっこりと可愛らしく微笑んだ。俺より年下っぽいのに、妙に艶のある笑顔だった。

 そして改めて声を聴いて思い出した。この声、誠凛との試合の後で、緑間に電話をかけてきた女の声だ。

 ……ていうか、でかいな。

 何がって、あれだ。パーカー着ているから分かりにくいけど相当胸でかいぞ。

 

「アキちゃん、一体どこ見てるの? いやらしー」

「うるさいな! 別に何も見てねーよ!」

 

 何かみちるが軽蔑したような目をしてやがる。おい、そのドン引きしたような冷たい目線は止めろ。

 この桃井とかいう子はよく見ると普通に可愛い子だった。あの時電話越しで聞いたハイテンションの女と同一人物なんて想像出来ない。桃色の長い髪はサラッサラで、人形みたいに大きな目と白い肌。実は雑誌のモデルですって言われても信じそうだ。この子とみちるが並んで歩いてたら、そりゃあナンパしてくれって言ってるようなもんだろう。

 

「……桐皇学園って事は今吉さんの所の?」

「そうですよ~! うちのバスケ部の主将が今吉さんで、確か雪野さんは、今吉さんと中学が同じなんですよね」

「…………。え? ちょっと待った。俺、君に名前教えたっけ? それに中学の事とか」

「ふふ、知ってますよー。雪野(あきら)さん、秀徳バスケ部二年、身長183cm体重69㎏、ジャンプ力と先読みを活かした技巧派PF(パワーフォワード)、レギュラー抜擢は一年の時で」

「待った待った、待って」

 

 プライバシーって何だっけ!? 

 歌でも歌うように紡がれていく個人情報に慌てて待ったをかける。みちる、お前も笑ってんじゃねーよ。

 

「凄いでしょう? さつきちゃんは情報収集のスペシャリストで、選手のデータの分析にかけては一流なんだから」

「ええ~みちるさん。そんなに褒めないで下さいよー」

「限度ってあるでしょ……」

「それに秀徳にはミドリンも行ってますから、データ集めは尚更がんばんなきゃって思って」

「ミドリン?」

「あっ、緑間君です。緑間真太郎君。私、帝光中のバスケ部でもマネージャーをやってたんですよ」

 

 帝光中……って事は、緑間とか、「キセキの世代」がいた中学か。

 あの機械仕掛けみたいな緑間がこの美少女と選手とマネージャーの関係だった事がいまいち想像出来ないんだが。ていうか、ミドリンって。どっかの栄養素か。

 するといきなり、腕時計の時間を見るなり桃井さんが弾かれたようにベンチから立ち上がった。

 

「いっけなーい! 早くしないと、テツ君達の練習が終わっちゃう!」

「あっ、さつきちゃん。それなら急いでいかないと。私はここでいいから」

「みちるさん、本当にごめんなさい! 後でお詫びしますね! 雪野さん、突然すみません、私はこれで失礼しますね!」

「あ、ああ……」

 

 何があったのか知らないがよっぽど急用だったらしく、桃色の髪はあっという間に走り去って消えていった。

 

「それじゃアキちゃん、私達も行こっか」

「…………え? 行くってどこに」

「桐皇学園に」

 

 みちるは何故か俺の手を取りながら、にこやかに微笑んで言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何で俺まで付き合わなきゃならねーんだよ……」

「久しぶりに会えたんだからいいじゃないのー。それにアキちゃんが一緒だと心強いんだもん。声をかけられたのも、さっきの人達で三回目だったし」

「どんだけ引き寄せてんだ」

 

 まあ、こいつは一人でフラフラしてても目立つからな。その意味だと放っておくのも気が引ける。

 大人しそうに見えて変な所で押しが強いこいつにグイグイ引っ張られるまま、電車を乗り継ぎ、大通りを歩き、どういう訳か俺は桐皇学園までの付き添いを任されていた。

 

「……何だよ、さっきからジロジロ見て」

「ううん、そっちの髪色の方が何だか明るくて綺麗だし、アキちゃんらしいなって思っただけ。あ、でも黒髪の時も私は好きよ?」

「そりゃ、どーも。……そういや、あの子はどこ行ったんだよ」

「さつきちゃんなら誠凛高校の練習を見に行ったの。あそこのバスケ部にも、さつきちゃんと同じ中学だった人がいるみたいだから」

「…………ああ、もしかして黒子の事?」

「そうそう、確か黒子テツヤ君って言ってたわ」

 

 気を抜くと姿を見失う、あの影のうっすい水色頭を思い出す。……あいつと桃井さんが並んだら、黒子の存在感が一気に喰われそうな気がするけど。帝光中は緑間といい黄瀬といい、黒子以外の連中がどいつもこいつも派手過ぎる。

 

「けど、アキちゃんがバスケやっててくれて嬉しい! (まこと)君が聞いたら喜ぶわよ」

「………………どうかな」

 

 多分八割くらい俺に気を遣って言ってくれてんのが分かるから、苦笑した。

 ちらっと横目で、みちるが着ている制服の校章を見てみる。

 

「あいつと同じとこに行ったんだな」

「うん。アキちゃんは秀徳って聞いたけど、凄いわね。東京の三大王者だなんて」

「IHじゃ予選落ちしたけどな」

 

 思わず自虐が漏れた。自嘲した俺を、みちるが隣で戸惑ったように眺めているのが分かる。

 

「部活が上手くいってないの?」

「まあ上手くいってないっつーか……予選で負けたし、これからゴタゴタしそうで、ちょっとうんざりしてんだよ」

「あら、何だか楽しそうね」

「楽しくねーよ!」

 

 お前何聞いてたの!? 

 問い詰めたくなったが、時と場所を考えて自重した。こんな大通りで女子相手に、しかも見るからにお嬢様然とした女に怒鳴ったりしたら今度は俺が悪役だ。

 

 そんな適当な話をしながら20分ばかし歩いている内に、目的地に辿り着いた。

 通りに沿ってひたすら歩き、バス停を通り過ぎた所で乳白色の建物が見えてきた。こうして他校の校舎を見る度に、秀徳の校舎のボロ……由緒正しさを感じてならない。あっちも改築なり新築なりすりゃいいのにって思うんだが、何でも工事の振動に建物が耐えられないらしく、ずっと未定のままらしい。悲しい話だ。

 

「他校なのにそんなホイホイ行っていいのか?」

「大丈夫よー。さつきちゃんとはお友達だもの。たまに練習も見学させてもらってるし」

「ええ……よく許してくれんな」

「マネージャーの仕事上手くなりたいーって悩んでたら、今吉さんが、たまになら見に来てええよーって」

 

 似てねーよ、その関西弁は。

 みちるは結構休みがちだったから、確かにマネージャー業も不慣れな面の方が多い。それで勉強に来てるのか……まあ、こいつの性格だと半分遊びだろうけど。今吉さんもそれが分かってるから許してんだろう。

 

 正門からそう遠くない場所で、ダッシュする掛け声やらドリブルの音やら、バスケ部らしき騒がしさが耳に届いた。あれが体育館らしい。それにしても、秀徳と比べると敷地全体が広々してるし建物のデザインは妙にお洒落だし、高校っていうより大学みたいな所だ。

 こっちはいかにも古臭い……いや古き良き学校を維持したままなのにこの差は何だ。

 

「じゃ、俺はこれで行くから」

「え、折角ここまで来たんだから練習見て行きましょうよ」

 

 面倒な事になるのが目に見えてるじゃねーか。

 俺の心境を分かってないのか、分かって無視しているのか、みちるは腕を取ってしつこく引っ張った。……密かに面白がってるよな、こいつ。

 気持ちは大分面倒臭さの方に傾いていたんだけど、ここでさっさと逃亡しとかなかったのが俺の要領の悪さなんだと思う。

 

「……あれ? 何や懐かしい顔が集まっとるやん」

「あ、今吉さん」

「うわ」

「何やそのリアクション」

 

 ケタケタ愉快そうに笑って現れたのは、俺達のかつての先輩だった。

 だから突然現れんなよ。何でこう神出鬼没なんだ。

 

「別にさっきからこの辺にいたで? やっと進路相談が終わってん」

「だから人の心読むなって」

「こんにちはー今吉さん。遊びに来たんですけど、練習見て行ってもいいですか?」

「おお、ええよ。もう始めとけっていうとるしな」

「ちょっと!?」

 

 だから人の話聞いてんのか!? 

 みちるは今吉さんといつの間にか談笑し始めてさっさと体育館に向かってしまう。このまま二人の後ろ姿から遠ざかって逃げ出す手もありなんだろうが、その場合、後々でしつこく言われるに決まっている。

 俺は半分諦めて、元先輩に先導されるままに桐皇学園バスケ部に邪魔する事になった。

 

 中庭に直通の扉を開け放しているせいで、体育館からは掛け声やらバッシュの音やら、馴染みのある騒々しさがうるさいくらい聞こえてきた。

 もうバッシュにまで履き替えてる為か、今吉さんは部室に回り込むでもなく、開け放しの扉から直接体育館に上がっていった。

 

「ウィース」

「ウィース!!」

「すまんのー、進路相談長引いてしもーた。すぐストレッチして入るわ」

 

 今吉さんが軽く声をかけると、中で走り込みをしていた部員が立ち止まって一斉に挨拶を返した。そういや、この人主将だとか言ってたっけ。あんまり体育会系っぽくないから、そんなイメージが沸かねーけど。

 にしてもどの部でも暑苦しさは似たり寄ったりらしい。挨拶はそりゃ大事なんだろうけどちょっとビビったぞ。

 俺達はとりあえず今吉さんの後をついて中に入っていたが、部員の奴等からは不審そうな目で見られていた。練習を優先してるのか、今吉さんに遠慮して聞いてないのか知らないが、ものすごい怪しく見られてる気がする。

 何でお前はそんなケロッとしてられるんだよ、と、練習風景を面白そうに眺めているみちるに言いたくなった。

 

「……あら? 青峰は?」

「勝手にどっか行きました! てか、またサボリっすよ」

「全く、しょうがないっやっちゃな」

「あっ、すいません! 自分クラス一緒だから止めたんですけど……ダメでその、ほんとすいません。生きてて」

「いや、えーよ。別にそーゆー……生きてて!?」

 

 館内を見回した今吉さんの疑問に、ボールを持ったスポーツ刈りの奴が不満げに言い、茶髪で小柄な男が何故かへこへこ頭を下げながら言った。

「キセキの世代」の青峰は練習に来ていないらしいが、今吉さんも慣れた事のように溜息を吐いた。

 ……本当にサボってんのかよ。うちにも手のかかる一年はいるが、そいつは練習だけは引くほどクソ真面目にやっているから色々信じられなかった。ていうか、秀徳でそんな事してたら間違いなく宮地(兄)の制裁が下っている。

 

「つーか主将。芽王寺はいいとして……誰スか、そいつ」

「おん、こいつは雪野。中学の時の後輩なんやけど、見学したいっちゅーから連れてきてん」

 

 スポーツ刈りの男が、不審感を丸出しにして俺を睨んでくる。早くもここから逃げたくなってきた。

 

「……あのっ、もしかして秀徳の雪野さんですか?」

「は?」

「すいません! 前の月バスに載ってたのみました。聞いてしまってすいません!」

「いや、別に謝らなくていいけど……」

 

 こっちを遠巻きに伺っていた茶髪の男が、掛け声なみの勢いで謝りながらまくし立ててきた。小柄に見えるけど、大体高尾と変わらないくらいか。けどあんまり卑屈に謝るもんだから実物よりもっと縮こまって見える。

 

「せやでー桜井。あの「東の王者」でPFやっとる雪野瑛。実力は折り紙付きや」

「は!? 主将! 他校のレギュラーなんか何で連れてきてんですか!?」

「まーまー、ええやないの。見られて困るもんもなし」

「でも秀徳の人にうちの情報知られるのはまずいんじゃないかと思います……すいません!」

 

 まあ、こういう反応になるよな。

 秀徳は一足先に脱落したけど、他は決勝リーグ前で神経質になってんだ。ひょっこり見学に来ていい時期じゃねえのは俺でも分かる。あと、この茶色頭は何でいちいち謝らなきゃ喋れねーんだ? 

 

「何だか揉めてるわね」

「だから嫌だったんだよ……やっぱり俺帰るからな」

「あ、それならアキちゃんも一緒に練習すればいいんじゃないの?」

「は!?」

「おー、成程。それは有りやな」

 

 今吉さんが閃いたとばかりに頷いてるけど、何が有りなんだよ。

 

「え、ていうか俺制服だし、バッシュも無いんですけど……」

「そんなん適当に貸したるよ。見てるだけも暇やろうし、ちょっと混ざるくらいええやん。

 丁度青峰おらんから一人足りん所やったり、いやー良かった良かった」

「おいコラ」

 

 絶対分かってて丸無視してんだろ。

 文句の一つや二つが喉元まで出かかったけど、バッシュとシャツを渡されてしまった時にはもう抵抗なんて諦めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果的には、「ちょっと混ざっていく」なんてレベルの練習にはならなかった。

 アップだとかで走り込みやらされるわ、その後に5対5のチーム戦に参加させられるわ、昼休憩になって区切りがついたから良かったものの、根こそぎ体力と気力を搾り取られた気分だ。

 ちょっと練習覗きに来た程度で、何でこんな目に遭わなきゃならねーんだ……。

 

「アキちゃん大丈夫? すごい苦しそう」

「これが楽そうに見えんのかよ……」

 

 ステージに背を預けるようにして座り込んで俯く俺に、みちるの呑気な声がかかった。顔を上げんのもだるいと思っていたら、スポドリを手渡してくれた。体が水分を欲しているから普通に有り難い。

 桐皇は午前練が終わるとそのまま各自で昼食になるらしく、部員は昼飯を持ち寄ってステージの方に集まっていた。いい加減に俺達もこの辺が去り際だと思っていたら、みちるは突然ビニール袋を突き出した。

 

「…………え、何?」

「何って、ご飯。さっき近くのコンビニで買ってきたの。アキちゃんはお握りで良かったでしょ?」

「そこじゃねーよ。別に俺はここで食べてくつもりなかったのに」

「いいじゃない。皆で食べたほうが面白いし」

 

 ステージにいる桐皇の連中に声をかけると、みちるは勝手知ったような様子で上がってい

 った。部員の何人かが顔を赤くしながらスペースを空けている。

 仕方なく俺も後に続くと、弁当を広げていた今吉さんが労うように声をかけてきた。

 

「おー雪野、お疲れさん。助かったで、お前が入ってくれて」

「そうですか……僕は何だかすごい疲れましたけどね」

「ぶっ……やっぱり猫被んやな」

 

 笑いを噛み殺しているのが非常に腹立たしいが、俺は黙殺して鮭握りの包装を開いた。

 

「つーかお前、何が程々だよ。涼しい顔しやがって」

「いやいや、誤解だよ。ここの練習も大変だからついてくのがやっとだったし」

「その割にキレは相変わらずやん。あの跳躍(ジャンプ)とか、懐かしいわ」

 

 館内に来た時から俺を睨んでいたようなスポーツ刈りの奴──若松とかいって、俺と同年らしい──は、目つきもあるが人相がやたら悪い。本人の姿はでかい焼きそばパンを貪るよ

 うに平らげているから、怖さもへったくれもねーんだけど。何だかこの血の気の多い感じが室田を思い出した。

 練習中でやったミニゲームはこいつと敵チームになった。若松も桐皇じゃスタメンで、C(センター)のポジションを獲得しているらしい。リバウンドの度に大声出すからすげー鬱陶しかったけど。

 

「……けどさっきのジャンプもだけど、こっちの出方が読まれてるみたいだったのには驚いたな」

「先読みは雪野の得意技やからなー。いやあ心読まれとるみたいでほんま怖いわ」

「あんたが言うんですか……」

 

 そっちこそ、よっぽど人の心が見えてんじゃねーかと思ってんのに。

 すると左隣ではみちるが、あの謝ってばっかりの茶髪と何故か盛り上がっていた。

 

「かわいいー! これって桜井君のお母さんが?」

「え? いや……自分で作ってきたんです、すいません!」

「自分で? すごーい! このクマとかどうやって作ったの?」

「何の騒ぎ? さっきから」

「桜井君のお弁当。これ自分で作ってるんですって」

「へえ、手作りなんて偉いね……って、随分かわいいな!?」

「はい、よく作るんです! すいません!」

 

 やたら謝る茶髪──桜井というらしい──の弁当を見せてもらうと、タコさんウインナーに彩りよく串刺しになったカット野菜とチーズ、極め付けは桜でんぶで白飯にクマの顔を描いていた。「妹の奴とかと間違えたんじゃねーのかよ……」と若松が呟いたのが聞こえた。

 その辺の雑誌で弁当特集とかで載っててもおかしくねーくらいの完成度である。普通に美味そう。

 謝ってばっかだから、変になよなよしてる印象の奴だったけど、女子顔負けのスキルを持つような奴だった。少なくともみちるは負けてる。

 

「あ……良かったら何か食べますか?」

「あら、いいの? じゃあ私のフルーツあげる」

 

 と、桜井が弁当箱を差し出すと、みちるも自分が買ってきていたカットフルーツの詰め合わせを出した。この空間だけ女子会みてーになってるぞ。

 

「じゃあ、そのタコの……」

「おっ、うまそーじゃん」

「あっ」

「えっ」

 

 唐突に、桜井の背後から伸びた腕が弁当箱からタコ型ウインナーを一つさらっていった。

 花が舞ってるみたいにほのぼのしていた空気が一瞬固まったのが分かる。

 鼓膜を突き破るんじゃねーかってくらいの若松の怒声が、硬直を破った。

 

「青峰!! どこ行ってたんだよお前!!」

「ん──―……テスト?」

「嘘吐け!! そんなんねーだろ今日!!」

 

 桜井の背後で眠たそうな目つきをした男は、言いながら弁当をつまんでいる。ちなみに人の弁当だ。

 

「おはよう、青峰君」

「よお、みちるサンじゃん。何、来てたの?」

「ええ。さつきちゃんも一緒だったんだけど、誠凛に行くっていうから」

「あーだからあんな所にいたのかよ……」

 

 月バスで見た事はあっても実物は始めてだった。

 こいつが青峰大輝。

 浅黒い肌に、短めの青みがかった黒髪。雑誌の通りの見た目だったけど、何というか、実物はすげーふてぶてしかった。緑間と同中なら一年の筈なのに、優等生のテンプレみたいなあいつとは印象が真逆だ。似てるのは自分中心みたいなオーラだけか。

 と、あんまりにも普通に話しているから、こっそりみちるに訊ねた。

 

「……おい、みちる。お前いつから青峰とそんな仲良くなってたんだよ」

「別に仲良いって訳じゃないわよ。この前一緒に蝉取りに行って」

「また何してんだよ!? 倒れても知らねーぞ!?」

「大丈夫よ。それに、珍しい場所があったから行きたかったんだもの」

 

 しれっと知らされた事実をちょっと問い詰めたくなった。すると俺の存在にやっと気づいたように青峰が言った。

 

「あれ? つーか、お前誰?」

「ああ、彼は雪野瑛君。アキちゃんって呼んであげてね」

「いや、呼ばなくていいからね」

「他校のスタメンくらい知っときいや、青峰……」

「おい青峰! そんな事より午後の練習は真面目に出んだろーなあ!?」

 

 話が脱線しかけていた所に、若松がまた青峰へ一喝した。

 何かこの怒鳴り方が宮地を思い出すから、俺の心臓にも悪い。けど肝心の青峰は右から左に……いやほぼ無視している。

 

「っせーなあ、嘘だの出ろだの……ちゃんとした理由がありゃいいのか? 休んで」

 

 その時眠たそうだった青峰の目つきに、凶悪な光が灯ったように見えた。

 俺は反射的に身構えたけれど。

 

「堀北マイちゃんの写真集取りに来ただけだよ。んで、部室まで行ったら体力尽きちゃった。だから帰るわ」

 

 手元から印籠か何かのように取り出したのはグラビア雑誌。思わずずっこけそうになった。

 それにどっちかつーと堀内マコ派だ……って何を言ってんだ俺は。

 

「んじゃお疲れー。あ、次から俺の弁当も作ってこいよ」

「えっ……」

「デコはマイちゃんで」

「分かりました、すいません!」

「待てよ青峰!!」

 

 青峰はステージを降りると悠々とコートを歩いて行く。若松は完全に頭に血を上らせて後を追うと、青峰の胸倉を掴んで怒鳴った。壇上にいた桐皇バスケ部全体に流石にざわめきが走る。

 ……おい、止めなくていいのか。ちらっと今吉さんを見ると、いつもと変わらない糸目のままで騒ぎを眺めている。

 

 

 館内中に響くようだった若松の怒声は途切れた。

 青峰がいきなり膝蹴りをくらわして、若松はその場に蹲るように倒れ込む。思わず俺もステージから降りて、二人の傍に駆けつけた。

 

「おいっ!? お前、何して……」

「いや、ちゃんと言ったし。放せって」

 

 そういう問題じゃねーよ。

 腹を抱えている若松に声をかけると、「大した事ねぇよ」と言葉が返ってきた。……結構容赦なく鳩尾に入ってたから相当痛いと思うのに、タフな奴だ。

 

「練習しろ練習しろ、笑わせんなよ。良ー俺前の試合何点取ったっけ?」

「えっ、あの……82点です」

 

 桜井が怯えながら答えた。つーか何? キセキの世代ってのは80点がアベレージみたいなもんなのか? でたらめ過ぎだろ……。

 青峰はグラビアを床に置くと、その辺に転がっていたボールを持ってドリブルを始めた。

 

「練習ってのは本番の為にやんじゃねーの? 本番で結果出てるのに何すりゃいーんだよ? 

 そーゆー事はせめて、試合で俺より結果出してから……」

 

 そのまま軽い助走をつけて踏み込む。

 ボールを叩きつけるようにゴールにぶち込んで、豪快な切れ味のダンクが決まった。

 ──―と同時に、シュート以外の何かがひしゃげるような不協和音が聞こえる。

 

 ゴールリングが青峰のシュートに耐え切れず、付け根から引き千切られていた。

 

「あり? またやったー」

 

 本人はリングを輪投げか何かのようにぶらぶらさせると、絶句しているバスケ部の連中に向けて嘲笑うように言った。

 そんなほいほいぶっ壊すもんでもねーぞ、ゴールって。

 

 

「えーと……何言おうとしてたんだっけ? ……ああ。俺より結果出してから、言えよ。あり得ねーけど」

 

 

 投げ捨てられたリングがゴミのように転がった。

 こっちを一瞥もせずにコートを歩いて行く青峰は、まるで野生の獣がのし歩いているように見えた。実際、桐皇バスケ部の連中も放し飼いにされた豹でも見るような目線で遠巻きにしている。恐れずに噛み付こうとしてるのは若松だけだ。

「キセキの世代」でもこんなに違いがあるのかよ、と思ったら無意識に口に出していた。

 

「緑間君は練習してるのに……」

 

 と、コートを縦断しかけていた青峰の足が止まる。

 俺は自分の失言を察したが、遅かった。

 本当にただの独り言だったけど、体育館が静まり返っていたもんだから予想外にその言葉は響いてしまった。

 

「……あ? 緑間が何?」

「あーいや、何でもないよ。気にしないで」

「雪野は秀徳のスタメンやで、緑間君が行った所やろ」

 

 話を逸らしたかったのに、何故か今吉さんが補足してきた。

 青峰は品定めするような視線を向けてきたが、退屈そうな表情に特に変わりはなかった。

 

「へー、あんた緑間のセンパイ?」

「まあ一応……。……僕が口出す事じゃないけど、練習くらい出たら?」

「クハッ、緑間みてーに口うるせーな。つーか秀徳って事はテツに負けた奴だろ? 

 試合で負けてる癖に偉そうに言ってんじゃねーよ」

「青峰!」

 

 隣で怒鳴ったのは若松だ。さっきまで蹲っていたのに回復の早い奴だ。

 

「確かに負けたけど……火神君達は強かったからね」

「火神が強い? 冗談だろ。あんなヌルいのに負けてるとか、テツだけじゃなくて緑間も衰えてんのかよ。あ~あ……悲しくなるぜ」

「……あのさ、その言い方は」

「あ──はいはい、そこまでにしとき」

 

 俺と青峰の間の空気を掃うように手を打ち鳴らしたのは今吉さんだった。

 止めるのが遅ぇーよ、と思わなくも無いが助かった。こんな所で他校と揉め事起こす訳にいかない。すると今吉さんは俺達を見て、一瞬口元に笑みを浮かべたように見えた。背筋に嫌な寒気を感じる。

 

「なあ青峰。体力有り余っとんなら、雪野と1対1(ワンオンワン)でもやってみたらどうや?」

「え……はっ!!?」

「あー? んだよ、面倒臭ぇ。今特にガッツ無くしてんだけど」

「喧嘩するよりマシやん。それにこいつは強いで、試してみ」

 

 勝手に話を進めるな。でも俺の抗議なんてお見通しっていうように、今吉さんは傍に来ると囁くように言った。

 

「まあまあ、雪野もあんなコケに言われて悔しいやろ? ここは一つ、ガツーンと先輩としてやったり」

「いや、あんたの所のエースだろ。そんな扱いでいいのかよ……」

「ここで喧嘩される方が困るんやて。ほら、ゴールならあそこ使えばええし。……予選落ちしてストレス溜まっとんのとちゃう? ここで発散しとき」

 

 そんな分かりやすい挑発に乗るかよ。

 でもここまで言ってくるなら、もう俺は引き受けるしか選択肢は無いのでしぶしぶコート内に進む。後方から「おー雪野、やっちまえ!」という若松の声と、「ユキちゃんがんばってー」というみちるの声が聞こえた。応援なんだか脅迫なんだか。

 

 ボールを器用にも指先で回していた青峰は、俺を一瞥すると乱暴にボールを投げ渡した。

 

「あんたから好きに攻めろよ。タラタラやんのダリーから、それで一本でも取れたら勝ちでいーぜ」

「…………あっ、そう」

 

 ここまで嘗められてるとかえって清々しいもんだ。

 揉め事起こす気はなかったけど、こいつの鼻をあかしてやりたい気持ちもちょっと芽生えてきた。

 

 館内が静まり返る。

 ドリブルの音だけがコート上で響いた。

 

 ……考えてみれば、「キセキの世代」だとか言われてる一年とサシでやるのは始めてだ。

 緑間とは練習中のミニゲームでも当たらなかったし、黒子はパス特化の選手だったし。

 目の前の青峰は何ら力を入れる事なく、自然体でいる。もっと言えば隙だらけだ。

 俺がどう行こうと止める自信があるんだろう。

 

 なら余裕見せてる内にやってしまうか。

 青峰の左サイドを狙って一気に駆けた。けど、俺が接近した瞬間に青峰は反応している。カットされる事を直感し、咄嗟にボールを青峰の目の前を横切るようにしてコートに叩きつけた。

 力いっぱい叩きつけたボールがバウンドして空中に昇る。

 不意をつかれた青峰が、唖然とした表情でそれを眺めていた隙に回り込み、ジャンプして滞空中のボールを取った。目と鼻の先にはゴール。

 

 このままアリウープでいける。

 ――――かに見えたが、ゴールに入れる直前、ボールは勢いよくカットされた。

 

 青峰は俺からボールを奪ったかと思うと、ほとんど宙に浮いた体勢だっていうのにそのままボールをリングに投げ込んだ。

 あんな不安定な姿勢でどうして入るんだよ。

 その光景に目を疑っていると、俺はコートに落下していた。すっかり体勢を崩していたから、思い切り腰を打った。すげー痛い。

 

 ……1本勝負の決着は一瞬で終わった。

 観戦してた桐皇バスケ部の奴等もみちるも、皆黙り込んでるから居たたまれない。

 気まずい雰囲気を感じていると、ふと、体育館にあった時計が目に入った。昼を回っていて時刻は丁度午後1時を過ぎたあたりだ。

 

 ……1時? 

 その時、俺は全身の血が一気に引いたように思った。

 

「……今吉さん。俺、帰ります」

「は? いきなりどないしてん」

「……俺、今日補習なんですよ!! 行かないと留年になるんです!!」

「ええ……雪野、お前また赤点取ったんかい……」

「しかも補習って……何で忘れてるのよ」

「原因が言うんじゃねーよ!!」

 

 焦りとパニックに襲われた俺は、バッシュとシャツを借りたまま体育館から外に飛び出した。

 一気に思い出した現実的危機のせいで、ゴールの下で突っ立っていた青峰の事なんて、外に出た時にはきれいに忘れ去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――キセキの世代のエース、青峰大輝。

 

 最強の点取り屋であり、最大の敵になる男と本当の意味で対決する事になるのは、また別の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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13.探し人

 

 

 

 

 

 あの緑間が負けたってのは眠気覚ましにくらいにはなるニュースだったけど、話してみりゃ、本人が分かりやすく落ち込んでたから笑えた。

 

「んだよ暗ぇなーさてはアレっしょ!? 負けちゃった!?」

『……青峰か』

 

 いつも妙にエラそーにしてた緑間はどこいったんだよ。

 電話越しでも辛気臭さが伝わってきた。

 

『……そうだ、せいぜい決勝リーグでは気を付けるのだよ』

「はーいー!? 何言ってんだよ! キモいって! ……俺を倒せる奴なんざ俺しかいねーよ」

 

 帝光の時にさんざん分かっている筈なのに、的外れ過ぎだろ。

 あとこいつが素直になってるのは普通にキモい。落ち着かねー。

 

『相変わらずだな青峰。分かっているのか? つまり決勝リーグで黒子と戦うという事なのだよ』

 

 さつきでさえ滅多に出さない名前を、わざわざ出してくる所は相変わらずだった。こういう遠慮が無い所は割と嫌いじゃない。空気が読めないとも言うけど。

 まあ別に、突かれてどーとも思わねーし。中三以来、話すどころか顔もろくに会わせず別れた水色頭を思い出す。

 

「……何かカン違いしてるぜ、緑間。昔がどうでも関係ねぇだろ、今は敵だ。

 じゃな、切るぜ」

『ああ』

「ミドリーン! 落ち込んでる時にごめんね──!! 元気出し」

「うるせーよ!!」

 

 さつきが横からキャンキャン叫んでくんのがやかましくて、さっさと通話を切る。考えてみりゃ高校に入ってから中学の面子と話すのは始めてだったが何とも思わない。昔は同じチームでやってようが、今は敵だ。緑間も、テツも。

 

「んもー、勝手に切らないでよ青峰君! 私だって久しぶりにミドリンと話したかったのに!」

「うっせーなあ。ついこの間まで同中だったのに話す事なんかねーだろ」

「色々あるの! 今日の試合の事も聞きたかったし、テツ君の様子だって気になってたのにー」

 

 起きてても寝ててもこの幼馴染はうるさい。

 大体、こいつがその気になりゃ緑間の負け試合だって簡単に調べられる癖して、本人とわざわざ話したがる理由が分かんねー。あのプライドの鬼みてーな緑間が負け試合をベラベラ話す訳ねーし、テツの事が半分以上本音だろうな。

 

 午後いっぱい昼寝していたから体が痛ぇ。いい加減体を動かしたくなってきた。

 体育館の外に出ようとすると、後ろからさつきの声がやかましく響いた。

 

「明日練習ある事忘れないでよ? たまには出ないと、青峰君だってレギュラーなんだから」

 

 俺が行く訳ねーって薄々分かってるなら、無駄な事言うんじゃねーよ。

 入部から二ヶ月近く経ったが、練習に顔を出した回数なんて片手で数えられる。桐皇は全国から優秀な奴を引き抜いてるーとか説明されたけど、最初の練習でレベルを知っちまってやる気は失せた。

 外はいつの間にか、嵐みてーな大雨が降っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

「青峰君は本当に虫を見つけるのが上手ねー」

「そっかあ? 大体、木とか登ればどっかにいるだろ」

「私が木登りなんてしたら途中で倒れるわよ」

「どんだけ体力無ぇーんだ、あんた……」

 

 中庭にあるそこそこでかい木によじ登っていた俺を、下から黒髪の小さな顔が見上げている。芽王寺(めのうじ)みちるサンとかいうこの人は、今吉サンの中学の後輩らしくて、よくバスケ部に来ていた。練習どころか部室にすら行ってねーから、初めて会った時は新しいマネージャーなのかと思った。

 そしたらさつきに、他校の先輩なんだから失礼の無いようにねとかすげーうるさく言われた。俺はガキかよ。そもそも、いつの間に知り合いになってたんだお前。

 キレーだけど胸があんまり無ぇーからタイプでもねえ。C……いやDくらいか? あ、目元とかちょっと似てっかも。この前マイちゃんと一緒に表紙に載ってた松山ユリに。

 

「ねえねえ、何かいたの?」

「あー……ここはあんまいねーかも。お、こいつはいたか」

 

 黒光りする甲羅をわし掴んで、座っていた枝からそのまま地面に飛び降りた。

 ちょっと高さはあったけど、木登りなんてガキの頃からやってたから今更ビビる事なんて無い。

 地上で待っていたみちるサンの前に獲物を見せてやると、黒目がちの目が吸い寄せられるように見た。

 

「すごい! これカブトムシ?」

「じゃねーの? これくらいの奴ならまだその辺にいるだろ」

「やっぱりクワガタと違って角が一本だと何だか逞しいわねえ。あ、ほら籠に入れて」

「あんたここに虫捕りに来たのかよ」

「違うわよー。マネージャーの勉強の為。こっちはただの趣味」

 

 俺の知ってる女子はカブトムシ摘まんだりミミズ見ても笑ってたりしねー筈なんだけどな。

 虫も殺せなさそーな見た目だからギャップがすげえ。

 いや、あの腹黒眼鏡の知り合いってんだから普通の奴の筈ねえか。

 

「そういえば青峰君は練習行かなくてよかったの? 確か桐皇って決勝リーグも近いんでしょう」

「いーんだよ、俺は試合だけ出るって事でここに来てやったんだから」

「今吉さんも大変そうねえ」

 

 虫カゴに入れた戦利品を眺めながら、みちるサンは微かに笑った。ちょっと小馬鹿にしたような笑い方だったが、俺に向けている訳じゃない事は分かった。

 

「でもそんな事してたらバスケ部で孤立しちゃわないかしら。試合だけ出るのも寂しい気がするけど」

「別にどう思われたって知らねーよ。今更弱い奴等と足並み揃えて練習したって何になるってんだ。……つーかこの話続けるなら帰ってくんね?」

「ごめんなさい、私の知り合いとちょっと似てたから気になっちゃって」

 

 籠の中のカブトムシを眺めながら、別の何かを見ているような言い方だった。

 

「ねえ青峰君、男の子って一度喧嘩したら仲直りって出来ないものなの?」

「んだよ、いきなり」

「やっぱり選手同士にしか分からない事ってあるのかしら。友達だったんだから、また元通りになるって思うんだけど」

 

 結構この人もマイペースだった。

 

「知らねーよ。大体、テツと今更話す事なんかねーんだよ」

「テツ?」

「……何でもねえよ」

 

 元に戻る事なんて何も無い。

 あいつにはどうしたって俺の事なんて理解出来ねーし、俺だってそうだった。誰一人俺にはついてこれない。テツだってそうだ。

 まあ、試合になったらせいぜい手加減せずに相手してやるけど。あいつは一人じゃ何も出来ねー癖に手抜きすると怒る。多分そこは変わってねーんだろう。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 緑間がテツに負けたっつー事を聞いた時は、あの変人が落ち込んでるなんてレアなもんに注目してたからすっかり気付かなかった。

 テツが進学した誠凛とかいう高校に興味が出てきた。つっても、ほんのちょっとな。

 さつきは練習に行け行けうるせーし、マイちゃんの写真集は部室に忘れるし腹は減るしで、何か退屈してた。

 興味が沸いたのは、誠凛つーより、そこの選手だ。

 

 火神大我。

 さつきのノートに書いてあった誠凛のエース。テツの新しい相棒って所に興味が出た。

 緑間に勝ったってのがマジなら、久々に面白そうな奴を見つけられるかもしれない。少しだけそう思っていた。

 

 スポーツジムの傍にあるストバスのコートに行くと、俺とそう背の変わらない野郎が一人でシュートを打っていた。すげーな、マジでいる。さつきの情報網ってどうなってんだ。

 

「火神大我……だろ? 相手しろ、試してやるから」

「……あ? 誰だテメー」

 

 警戒バリバリっていう目で睨んできたから、めんどくせーけど名乗ってやった。

 予想してた通りに顔色が変わる。いつの間にかバスケやってる奴には必ず知られるようになってたから、こっちは何もしてねーのに相手が勝手に戦意喪失しちまう事が多い。けど、とりあえずこいつはやる気になってる分だけマシみてーだ。

 

 ……ま、結果的には、わざわざこんな場所まで探しに来たのは無駄だった。

 ほんの五分くらいだったが、火神は結局俺から一度もボールなんて取れやしなかった。それどころかこっちの動きについてくんのがやっとだ。もうへばってやがる。

 届きもしねー癖に必死になって俺からボールを取ろうとしてる様子は無様だったが、元相棒の影がちらついて余計に期待外れだと思った。

 

 

 ────青峰君より強い人なんて、すぐに現れますよ。

 

 

 そんな事言っていた癖に、テツの目も随分曇ったもんだ。

 DF(ディフェンス)する火神をほとんど無視して通り抜け、ゴールにボールを投げ入れた。シュートする時にいちいちゴールに入れようとかいう意識は無い。入れようと思えばいつだって入れられる。それがどこだろうと、誰が敵だろうと関係無かった。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 コートから出た時には腹の虫が鳴っていた。

 多分そろそろ昼だろう。テンションは上がらねーし、むしろ気分は萎えたくらいだし、このまま家に帰っちまおうか。

 確か今日は練習日だとさつきがガミガミうるさく言ってたから、学校には行かねー方がいいかもしれねえ。あ、でも練習日なら良も来てるだろうから弁当にはありつけるな。さて、どうするか。

 

「ちょっと! 今日練習でしょ!?」

「あー火神ってのと会ってきた」

「行くなって散々言ったじゃん! それにまだ彼の足は多分……」

「っせーなー、わってるよ。つか悲しいのは俺の方だぜ? これから少しは楽しめるかと思ったのにガッツ萎えたぜ。このまま練習フケる」

 

 ぶらぶら歩いていたら見慣れた髪色と出くわした。

 緑間との試合で火神が足を痛めた事はさつきからちらっと聞いていた。それにしたって、あれはねーだろ。こっちの気も知らずに説教してくる幼馴染は置いていった。

 

 

 

 

 

 このまま帰ってもよかったが、途中でマイちゃんの写真集を部室に忘れてた事に気が付いた。こういう退屈した日はマイちゃんを見て癒されねえとやってらんねえ。

 休みにわざわざ学校に行って、部室に寄ったらそれだけで体力が尽きた。体育館の方ではきっと練習してるんだろーが、またご苦労なこった。

 

 ちょっと覗いていくと、ステージの方に部員が全員集まって何か騒いでいた。

 昼飯中だったなら丁度いいや。

 

「お、うまそーじゃん」

「あっ」

「えっ」

 

 良の茶色頭が見えたので後ろから覗き込むと、やっぱり今日もうまそーな弁当を持ってきていた。適当にウインナーを摘まんで空腹を満たす。

 

「青峰!! どこ行ってたんだよお前!!」

「ん──―……テスト?」

「嘘吐け、そんなんねーだろ今日!!」

 

 若松に怒鳴られた所で怖くも何ともない。主将の今吉サンは放っておいてくれんだから、こいつもそーしてりゃいいのにと思う。

 

「おはよう、青峰君」

「……よお、みちるサンじゃん。何、来てたの?」

 

 この人も他校なのにほいほい来るよな。まあ別にいいけど。虫捕りの話は合うし、部員の連中やさつきよりうるさい事言わねーから。

 練習終わりで汗臭い連中が集まってる中で、マネージャーっていうよりどっかのお嬢様みたいな雰囲気のみちるサンは結構目立つ。それに、その隣にも見た事ねー奴が混ざっていた。

 

「あれ? つーか、お前誰?」

「ああ、彼は雪野(あきら)君。ユキちゃんって呼んであげてね」

「いや、呼ばなくていいからね」

「他校のスタメンくらい知っときいや、青峰……」

 

 弁当を広げていた今吉サンが呆れたように言った。

 んな事言われても、他所の連中なんてどうせ雑魚だし、いちいち覚えてらんねーよ。

 

「おい青峰! そん事より午後からはちゃんと練習出んだろーなあ!?」

「はっはー、まっさかー。てかうめーなコレ、全部よこせ」

「えっ、いやこれは……スイマセン! どうぞっ」

「やってんじゃねーよ桜井!!」

 

 良の弁当のおかずをほとんど全部食ってると、聞いちゃいねーのに若松がうるさい。

 だから練習に来るのは面倒なんだよ。ちゃんと参加しろ、ちゃんとやれ、バカの一つ覚えみてーに同じ事しか言ってこない。

 まともに返事するのもだるくて、マイちゃんの写真集を取りに来た事を話したらもっとキレた。そりゃそうか。

 

「じゃ、お疲れー。がんばって。あ、次から俺の弁当も作って来いよ」

「えっ……」

「デコはマイちゃんで」

「分かりました、スイマセン!」

 

 俺にしては珍しく気の利いた事言ったと思うけどな。特に邪魔してねーし、練習してる奴等に応援までしてるし。それでもこのセンパイにはお気に召さなかったらしい。

 

「待てよ青峰!! いー加減にしろよお前、練習出ろっつってんだろ!」

 

 こいつ何聞いてたんだ? 写真集取って来たし、体力もう無ぇーから帰るって言ってんだろ。

 ステージから降りて出て行こうとした所で、若松に胸倉を掴まれて止められた。

 

「今特にガッツ無くしててよ、だから一度許してやる。離せ」

「なんっ……」

 

 若松の鳩尾めがけて思い切り膝を入れてやると、あっさり拘束は解けた。

 様子を見るだけだった今吉サンや他の部員の奴等が慌てたようにステージから降りてくる。

 真っ先に反応した白髪頭の他校生が、うずくまる若松に駆け寄って心配そうに声をかけていた。

 いや、離せってちゃんと言ったし。俺悪くねーだろ。

 

「練習しろ練習しろ、笑わせんなよ。良―俺前の試合何点取ったっけ?」

「えっあの……82……点です」

 

 写真集をコートの脇に置いて、その辺に転がっていたボールを手に取った。

 アップなんてしなくても、ドリブルなんて目を瞑っても出来る。その後の動きにしたってそうだ。

 試合で俺より結果出してる奴なんかいねーのに、何で練習に出ないくらいで文句を言われなきゃいけないのか。第一、いくら練習した所でここにいるバスケ部の連中全員かかっても俺には勝てねーじゃねえか。

 

 適当に助走をつけて跳び、ゴールリングめがけてボールを叩きつけた。

 むしゃくしゃしてきたから、シュートしたっていうより叩きつけたって方だな。そしたらゴールの瞬間、掌に妙な感覚が伝わった。

 

「あり? またやったー……」

 

 リングが接着部分から剥がれて、ゴールから取れちまっていた。

 手の中には輪投げみたいな只の輪っかが収まっている。入部してからこれで三回目くらいだった気がするけど、ちょっと勢いつけただけで壊れるんだから仕方ねーだろ。

 いつの間にか体育館は静まり返っていて、部員の奴等が無言で俺を見つめていた。

 みちるサンはのんびりステージで昼飯食ったままだけど。

 

「こうなったら今日の練習とか中止でよくね? えーと……何言おうとしてたんだっけ……

 ああ! 俺より結果出してから、言えよ。あり得ねーけど」

 

 只のゴミになったリングを捨てると、金属音が虚しく反響した。

 ぼそりと呟くような一言が聞こえたのはその時だった。

 

 

「緑間君は練習してるのに…………」

 

 

 つい足が止まっちまったのは、知り合いの名前が出てきたからだろう。

 そうでなきゃ、こんな退屈な場所に用なんて無い。

 

「……あ? 緑間が何?」

「あーいや、何でもないよ。気にしないで」

「雪野は秀徳のスタメンやで。緑間君が行った所やろ」

 

 今吉サンが妙にニヤニヤした笑い方で言った。

 只でさえ胡散臭いのに、そういう笑い方するとますます何か企んでそうに見えんぞ。

 

 秀徳のスタメン、と聞いて改めて目の前の白髪頭に視線を移す。

 爺さんみてーに白い髪に、よく見りゃ青っぽい目。

 背はそこそこあるけど俺よりか小せーし、ついさっき火神とやったばっかだから比べると貧弱に見える。

 年上っぽいけど先輩か? 勘だけど。

 でも目が合いそーになったら何故か怯えたみてーに逸らされた。何だよ、もうビビってんのか。その反応だけでガッカリしたが、退屈しのぎにからかってやりたくなった。

 

「へー、あんた緑間のセンパイ?」

「まあ一応……。……僕が口出す事じゃないけど、練習くらい出たら?」

「クハッ、緑間みてーに口うるせーな。つーか秀徳って事はテツに負けた奴だろ? 

 試合で負けてる癖に偉そうに言ってんじゃねーよ」

 

 白髪のセンパイの目元がちょっと動いたような気がしたが、表情は変わらない。何だ、怒らねーのか。

 緑間がテツに負けたってのが口に出しても信じられねーけど、他の連中に足でも引っ張られたのか? 毎日毎日、バカみてーに3Pを打ちまくってたチームメイトを思い出す。帝光の時もクソ真面目で変人だったけど、あいつ高校でも変わってねーのかな。あの占いのアイテムとか。

 

「確かに負けたけど……火神君達は強かったからね」

「火神が強い? 冗談だろ。あんなヌルいのは負けてるとか、テツだけじゃなくて緑間も衰えてのかよ。あ~あ…………悲しくなるぜ」

「…………あのさ、その言い方は」

 

 がっかりで、悲し過ぎて、笑っちまいそうになった。

 珍しく期待して行ってみたら、その火神は俺の相手にもならねーし、緑間はこんなボケッとした奴とつるんでテツに負けてる。

 昔だって拍子抜けする相手しかいなかったけど、高校でもこれなんて思わなかったぜ。

 

「あ──―はいはい、そこまでにしとき」

 

 パンパン、と。

 俺達の間に割って入った今吉サンが、現実に引き戻すみてーに手を叩いた。何でか、俺と白髪のこいつを見比べている。

 

「なあ青峰、体力有り余っとンなら、雪野と1on1(ワンオンワン)でもやってみたらどうや?」

「え……はっ!!?」

「あー? んだよ、面倒臭ぇ。今特にガッツ無くしてんだけど」

「喧嘩するよりマシやん。それにこいつは強いで。試してみ」

 

 この人がこんな持って回った言い方する時は、大体何か企んでる。

 入部してから数えるくらいしか部活も来てねーけど、この人が性格悪い事は薄々分かっていた。

 まっ、一回相手する程度ならいいけど。

 雪野は今吉サンに何か耳元で言われたみたいで、あからさまに嫌そーな顔をしながらコートに来た。逃げ出さなかったのは意外だった。

 

「あんたから好きに攻めろよ。タラタラやんのダリ―から、それで一本でも取れたら勝ちでいーぜ」

 

 それだけ言ってボールを投げると、ぼけっとした割にはすぐ受け止めた。反応は良い。

 どの程度のもんか知らねーけど、とりあえず退屈がまぎれるくらいの相手であってくれよ。

 

 体育館が静まり返った。

 雪野がドリブルする音だけが響いている。

 

 俺は特に何も構えずにただゴール下に突っ立って、その様子を眺めていた。練習だろうと試合だろうと、他の奴等の動きは遅すぎて、真面目に構えてたら疲れるだけだって学んだ。

 こうして目でボールを追ってるだけで、追い付くには余裕過ぎる。

 

 雪野は俺の左サイドを狙って走り出した。

 速さはそこそこ。けど反応出来るレベルだ。ボールをカットしようと雑に手を伸ばした。

 が、その時。

 雪野がいきなりドリブルを止め、ボールを俺の目の前で投げた。コートに叩きつけられたボールがバウンドして、あらぬ方向に飛ぶ。

 訳が分かんねー行動をされて一瞬だけ俺も動きが止まった。

 

 その一瞬の内に、雪野は跳躍すると宙に浮いたボールを掴んでシュート体勢に入っていた。

 目が覚めたみてーに硬直が解ける。

 咄嗟に飛びあがり、ゴール寸前だったボールを奪い取った。着地する前に空中で体勢を変えてゴールへ投げ込むようにシュートを決める。ボールは何の苦も無くネットをくぐった。

 

 ドダッ、という音がして振り向くと、雪野がコートに尻もちをついていた。あれだけでかくジャンプした癖に、着地に失敗してんのかよ。ますます訳が分からなくて呆れていると、今度はいきなり顔色を変えて立ち上がった。

 

「……今吉さん、俺、帰ります」

「は? いきなりどないしてん」

「……俺、今日補習なんですよ!! 行かないと留年になるんです!!」

「ええ……雪野、お前また赤点取ったんかい……」

 

 バッシュと練習着の恰好のまま、泡を食ったように体育館から飛び出していく。

 

「しかも補習って……何で忘れてるのよ」

「原因が言うんじゃねーよ!!」

 

 呆れ返った風に言ったみちるサンに一声だけ怒鳴って、緑間のセンパイは消えた。

 勝負に勝ったのは俺の筈なのに、一方的に置き去りにされたみてーで、何か面白くねえ。

 コートの隅を転がっていたボールを拾ったのは、ステージから降りてきたみちるサンだった。

 

「今の勝負って引き分け?」

「あ? 決めたのは俺なんだから、俺の勝ちだろ」

「でも青峰君、さっきはちょっと危なそうに見えたわよ?」

 

 無邪気に笑って言うもんだから、俺も腹を立てる事を忘れた。

 

「芽王寺もからかうのはその辺にしとき。何や中途半端になってしもたけど、やっぱ雪野も青峰には勝てへんかー」

「なあ、あの白髪って今吉サンの知り合い?」

「おん、中学一緒やねん。まあ随分長く会うてへんかったけどな。……何や、お前が興味持つなんて珍しいな」

「…………別に。俺より弱ぇーし、どーでもいい」

 

 何言われようが、結局あいつも火神と同じだ。俺を止められやしなかった。

 俺より強い相手なんてテツは言ってたけど、そんなもんは存在しないし、どーやって会えばいいってんだ。

 

 

 俺に勝てるのは俺だけだ。それが変わる事なんてあり得ねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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14.エースの資質

 

 

 

 

 

 

 

 >大我君とちゃんと仲良く出来ていますか? 喧嘩してません? 

 >ところで(あきら)君はドナルドとデイジーどっちが好きです? 

 

 渡米中の爺ちゃんからそんな意味不明のメールが届いたのは、午後の授業もようやく終わって、放課後を知らせる鐘が鳴り始めた頃だった。

 内容も意味が分かんなかったので無視してもよかったけど、添付に画像のファイルがあったのでそれを見たら疑問は解けた。

 暗闇の中で燦々と光り輝くイルミネーションを模したパレードの行列と、カメラに向けて笑顔を向けている爺ちゃん。頭には猫耳ならぬネズミの耳のカチューシャがついている。まさかとは思ったけど本場のネズミの王国だろう。両脇にはまた知らない女がいた。

 俺は衝動的に一文だけ返信をした。

 

 >どっちでもいいから帰ってくんな

 

 あの爺の事だから遊んでるんだろうとは思ったが、見せつけられるとすげームカついてきた。自分のじゃなかったら携帯を思い切り投げ捨ててやりたい。

 こっちは初対面の家に下宿させられるわ、試合には負けるわで色々あってばっかりだってのに、何であいつは呑気にしてんだよ。

 

 遥か海の向こうにいる爺にイライラしても仕方ない。かといって今からの事を思うと欝々としてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 期末テストも終わり、バスケ部も今日から活動再開って知らせが届いた。

 俺はと言えば、直前までの補習をパス出来るかどうか進級出来るかどうかの瀬戸際だったから、正直部活の事を忘れてた。

 ちなみに補習については前の休みに、桐皇の練習に行ったりしたせいで完全に遅刻してしまったが、そこは担任のお情けで猶予をもらった。そして何とか合格して今に至る。

(担任と部活の監督が同じってのは勘弁してほしいって思ってたけど、そのせいで大目に見てもらったならちょっとだけ感謝したい)

 

 こうしてストレスを一つ消したが、また新たに悩みは生まれる訳で。

 試合で負けた後の練習は上級生はピリピリしてるし、同期も暗い顔してるばっかだし、良い思い出が無い。

 去年、IH(インターハイ)本選で負けた時もそりゃ酷かった。まあ、あの時は主将(キャプテン)を始め三年の方が早く吹っ切っていたから、下の俺達のあんまり引きずらずに練習を始めたけど。

 

 少しだけ昔の事を振り返っていたら、部室の扉の前に着いた時、その大声にビビらされた。

 

 

「……っいい加減にしろよてめぇ!!」

 

 

 鼓膜を破るような怒鳴り声がドアを突き抜けて聞こえてきた。

 うわ、またこのパターンかよ。

 部室で何が起きてるのかしらねーけど、よくない状況になってそうなのは確かだ。二年組で一、二を争う短気の室田の声だし。もうちょっと間を空けてから入るか? なんて思っていたら、室内の口論が漏れ聞こえてきた。

 

「……それは俺に対してでしょうか?」

「ああ、そうだよ。お前以外に誰がいるってんだよ。予選落ちしてIHにも行けなかったってのに、よく涼しい顔してられるよな。何が「キセキの世代」だ? 迷惑かけるだけで疫病神じゃねえかよ!!」

「……試合の事は確かに俺の人事の尽くし方が足りなかったです。しかし部活を辞めた覚えはありません。練習に来る事に何の問題があるんでしょうか?」

「何だと!!」

 

 何かもう、声だけで部屋の様子が見えてくるようだった。

 ほぼ予想はしていたけど、やっぱり原因は緑間か。

 口喧嘩って割には不穏過ぎる空気に、思わずドアノブを回してしまった。作りの古い部室の扉は、ちょっと力を入れるだけで簡単に開いてしまう。

 いきなり部屋に入った俺の姿に、口論中の室田と緑間も含めて室内の視線が一気に集中した。

 

「……あー遅刻してなかったみたいでよかったー。皆どうしたの? 練習行かないの?」

 

 精一杯とぼけて愛想笑いを浮かべてみせたが、効果はなかった。

 初夏なのに部室の空気は冷え切っていて、俺の呼びかけも誰も応えず虚しく消える。

 

 部室にいたのは、室田と、最初に比べて数も減った二年生が数人。ほとんど二軍だが。

 そして一年生は緑間と高尾。普段はバカみてーに笑いまくってる高尾が珍しく真顔で、ちょっと新鮮だった。

 

「……大体、お前もお前だろ」

「え?」

「分かってんのか? もう俺達は今年のIHには出られねーんだぞ。俺達だけじゃねー、主将や三年の先輩達はこれが最後の機会だったんだ。それがつぶれたっていうのに何でそんな平気な顔していられるんだよ」

「……別に、僕だって平気な訳じゃないけど」

「聞いたぜ? お前桐皇の練習に行ったんだってな。うちじゃやる気が起きねーから、他所でやるってのかよ」

 

 何でそんな事知られてんだ。

 桐皇のバスケ部員の中に、室田の知り合いでもいたのか? だとしたら高校バスケ界の世界の狭さを思い知る。

 桐皇、の言葉に緑間が少し反応したような気がしたが、それに構う暇は無かった。

 

「いや、それはたまたま知り合いに引っ張り込まれて無理やり……」

「どうだかな。お前、練習の時だってやる気があるんだか無いんだか分からねーし、本当はこのバスケ部にうんざりしてるんじゃねーの? これからずっと「キセキの世代」に振り回される事が決まってるんだしよ」

 

 流石にこの発言は聞き逃せなかったのか、高尾が何か言いたそうな素振りを見せた。

 が、緑間が目線で制して押し留める。緑間にしては良い判断だ。この状況で室田に何とか言えるとしたら俺しかいない。

 

「室田君、予選の事なら僕だって悔しいと思ってるよ。でも誰も責められる事じゃないし、一年に当たっても仕方ないでしょう」

「確かに八つ当たりに聞こえるだろうな。けど、俺だけがそう思ってると思うか? 他の二年や、先輩達にも聞いてみろよ。誰のせいで負けたのかなんて、きっと同じ事言うぜ」

「……あのさあ、そんな犯人探しみたいな事して何になるの。わざわざ喧嘩でもしに部活に来た訳?」

「俺が言ってるのは、いつまでこいつを最優先しなきゃならない状態が続くのかって事だよ」

 

 室田は目も合わせたくないと言うように、顎で緑間を指した。

 指名された本人は、表情一つ変えず静かに俺達のやり取りを見ている。

 

「「キセキの世代」だからって監督は無条件に出したけど、こいつを出し続ける事だけが正解か? 他にもレギュラーを望んでて、こいつよりずっとチームと協調してやっていける奴

 なんている。あれだけ好き勝手にワガママ言われて、結局勝てませんでしたって言うなら、レギュラーから降りてもらうのが筋じゃねーのか」

 

 しん、と部室に怖いくらいの沈黙が落ちた。

 他の二年生も口こそ挟まないが、それはほとんど肯定してるようなもんだろう。

 

 室田はSG(シューティングガード)志望でここに入部していた。沸点は低いが、こいつがスタメン入りする為にどれだけ練習してきたかは知っている。

 そして緑間がその枠を取っている以上、この先室田の試合での出番はまず無い。

 

「……その言い方はあんまりじゃない? 大体、誠凛との試合で、緑間君がいなかったらもっと点差つけられて負けてたよ」

「好き勝手しといて勝てねーような天才様ならいらねーよ。お前だって木村先輩押しのけてスタメン取ってんだから、もうちょっと結果にこだわったらどうだよ。勝てなきゃ何の意味もねーんだから」

「………………」

 

 俺はバスケやってて、結果にこだわった事なんて無かった。

 自分が楽しくやれてればそれでいいって思っていたし、それで充分だった。

 去年のIH本選で、優勝には届かず負けて、前の主将や上級生が苦い顔をしていたのを思い出す。あの時には6番のユニフォームをもらってコートに立っていたが、宮地(兄)や木村はベンチだった。

 試合に出た俺よりずっとずっと悔しそうな顔をしていたけど。

 俺が黙り込んでしまったその時、部室のドアが壊れるんじゃねーかって勢いで開かれた。

 

「おい、お前ら! もうとっくに練習始まってんだぞ! チンタラしてんじゃねえ!」

「宮地、ドアが壊れるぞ……」

 

 いつもの怒声と共に現れたのは宮地(兄)と、それを控えめに止める木村だった。

 普段なら怒らせた宮地なんて避けたい限りだが、この息苦しい空間には救世主が来たように見えた。

 そして向かい合っている俺と室田、それを遠巻きに見ている緑間や他の二年達という状況に、只ならぬ事態を察してくれたらしい。

 

「…………練習にも来ねーで何揉めてんだ。予選が終わったからって、気ぃ抜いてんじゃねーぞ」

「すいません、宮地さん。大した事じゃないんです、すぐに……」

「先輩、お願いがあります」

 

 俺の言葉を押しやって、室田が宮地と木村の正面に向き合った。

 

「俺に緑間と試合させて下さい。スタメンの座を賭けて」

「は!? 何言ってんだお前」

「室田君!?」

「負けたら俺はバスケ部を辞めます。その代わり勝ったら、これからの試合では俺を使ってください」

 

 続いての宣言に、いよいよ部室中にどよめきが走った。

 いや、本当何言ってんの!? まさか意地になってんじゃねーだろうな。

 宮地も一瞬言葉を失って、木村と顔を見合わせている。が、考え込むように蜂蜜色の髪をガシガシと掻き回すと、諭すように言った。

 

「──―そういう事やりたいんなら、まず大坪に言え。それで監督が構わねーっていうなら、好きにしろよ」

「分かりました。主将に話します」

 

 室田は三年コンビに一礼すると、さっさと部室を出て行った。とんでもない爆弾発言を残していくんじゃねーよ。緑間の事、散々自己中だの何だ言ってたけどお前も大概だぞ。

 ともあれ胸がつぶれそうな重苦しい空気がなくなったから良かった。そう思っていたら、いきなり脳天を引っ叩かれた。

 

「っ痛!?」

「おい雪野、一体どういう事だ。何があったんだ、さっさと吐け。でないと潰す」

「落ち着けって宮地。……何であんな事いきなり言い出したんだ? 何か喧嘩でもしてたのか?」

 

 この上級生は第一印象と内面が真逆過ぎるだろうと思う。

 

「いや喧嘩と言うか……試合の事でちょっと」

「室田さんは俺がスタメンにいる事が不満だと言っていました」

 

 緑間、お前はもう黙ってろ。

 宮地の目線が俺に移る。言い訳を許さねーようなこの目線は正直苦手だ。

 

「おい、そうなのか?」

「……はい、まあ。いや、でも室田君が一方的に言ってるようなもんでしたから、緑間君に原因は無いですよ。僕が少し煽るような事を言ってしまって」

「……とりあえずお前ら、全員さっさと着替えて練習に来い。これ以上のろのろしてんじゃねーぞ」

 

 どうするべきか顔色を窺っていた二年生にも言い捨てると、宮地も部室から出て行った。

 何を思われたのか、宮地が去った後に木村が小さく話しかけてきた。

 

「これ以上宮地の機嫌損ねない方がいいぞ。あと、あんまり心配するなよ」

「……はい、すみません」

 

 善意で声をかけてくれた木村に、少し罪悪感を覚えた。

 俺が心配してるのが室田の事なのか、自分の部内での立ち位置なのか、分からなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして練習着に着替えて体育館に着いた時、監督から、俺のあらゆる予想を上回る発表をされる事になった。

 

「今日は基礎練の後に、一年対二年のミニゲームを行う。一年には緑間・高尾・遠藤・伊豆倉・吉野、二年には室田・金城・雪野・宮地・笹川が入れ」

 

 サラッと組み分けが発表されたが、俺は心の中で軽くパニックになっていた。

 え、一年と二年のチーム戦はまだしも、俺と室田が同じで緑間が敵? え、え!? 

 まさか本当に室田が主将と監督に直訴したのか? とうの監督はいつも通り、のほほんとした様子で突っ立っていて、俺の無言の訴えなんて気づきやしねえ。

 大坪主将他、三年達も何故か見学ムードになっているし、今更中断なんて言えない雰囲気だ。

 

「……ねえ室田君、監督に何言ったの?」

「だから、緑間と試合させて勝ったらあいつを退部させろって言ったんだよ。……なのにチーム戦とか何だよ、くそっ……」

 

 小声で訊ねると、短気な同級生は舌打ちと共に返した。

 やっぱりお前が原因かよ……舌打ちしたいのは俺の方だ。そんな大事に巻き込まれるのは御免だし、只のミニゲームなのに色々な意味で難易度が跳ね上がる。

 俺達が勝ったら緑間がスタメン落ちする事になるし、負けても室田の今後に関わる。そんな重い判断を試合に絡めないでほしい。

 

「おい室田、雪野。モタモタしてんじゃねーよ、一年相手だからって気ぃ緩めんなよ」

「うるせーな、お前に偉そうに言われなくても分かってんだよ。そっちこそ足引っ張んなよ」

「んだと!?」

 

 ……それに、このチーム分けは深刻な人選ミスを感じるんだが。

 室田と宮地(弟)が早速険悪になり始めている。これじゃあ一年チームの方がまだまとまって……いる訳でもないか。隣のチームを見ると、緑間がベンチに巨大なウサギのぬいぐるみを腰掛けようと四苦八苦していた。

 そのぬいぐるみが洒落にならないデカさなもんだから、俺も二度見したね。どーやって持ってきたんだ、あんなもん。高尾はまた腹抱えて爆笑してるし。

 

 

 

 秀徳二年チーム

 

 金城孝(二年)   C 188㎝

 宮地裕也 (二年) SF 192㎝

 雪野瑛 (二年) PF 183㎝

 室田晃一(二年) SG 193㎝

 笹川佑人 (二年)PG 179㎝

 

 

 秀徳一年チーム

 

 吉田秀樹(一年) C 186㎝

 伊豆倉遼(一年) SF 181㎝

 遠藤光 (一年) PF 183㎝

 緑間真太郎(一年)SG 195㎝

 高尾和成 (一年)PG 176㎝

 

 

 

 試合っつってもあくまでミニゲーム。時間は10分の1Q。

 一年側もスタメンは緑間と高尾だけで、あとの三人は試合経験が無い後輩達だ。

 パッと見では、身長や体格の面でも二年側が有利だった。つーか改めて見ると緑間がでか過ぎる。スタメンの中だと埋もれてて分かりにくいけど、一年の中にいると頭一つ飛び抜けてる。

 

 ティップ・オフ。

 最初のジャンプボールは金城が先取し、そのままPGの笹川に回された。

 ──ように見えたが、背後から瞬時にボールをスティールしたのは高尾だった。

 カットされたボールを手にしたのは緑間だ。

 緑間はボールを手にするや否や、シュートモーションに入り、放った。

 そして3点が得点される。

 

「いきなりかよ……」

 

 宮地(弟)が呟いたのが聞こえる。

 俺も同感だった。ちなみに今のシュート位置はセンターラインからだ。もうとっくに分かりきってたつもりだったけど、この後輩の辞書に遠慮とかいう文字は無いらしい。

 先制点を取られて、二年陣がいきなり殺気立ったのが分かった。

 得点した本人はいつもながら涼しい顔してる。ついさっきまでの室田とのやり取りなんて記憶から消してるみてーだ。

 

 

 どこまでもブレねー緑間の様子に感心するが、3分も経つと呑気に構えてられなくなってきた。

 何しろ、緑間にパスが渡ったらその時点で得点されたようなもんだからプレッシャーがやばい。敵に回してしみじみ実感したけど、こいつ本当何で出来てんの? オールコートで3P入るってのが化物だし、仮にも先輩相手のゲームで容赦なく披露しちゃうのがこいつだよなあ。

 

 点差は15対6。一年チームが優勢だった。

 

「……おい、笹川! 俺にボール寄越せ」

「え? あ、ああ……」

 

 室田がこちらのPG(ポイントガード)に指示する。

 笹川は素直に室田へパスした。あまり話した事はないが、確か二軍でよく室田とつるんでいた奴だ。

 3Pラインよりやや外側から、室田がシュートした。ボールはリングに乱暴に引っかかりながらもゴールする。

 

 何となく危なっかしさを感じていると、宮地(弟)が小声で話しかけてきた。

 

「……おい、雪野。室田の奴、何かあったのか?」

「……。いや、別に何も?」

「ならいいけどな。妙に力入ってるぜ、あいつ」

 

 そういう機微には疎そうな宮地(弟)ですら気付いてんだから余程だ。

 けど、このゲームは室田に任せないと収まらないんだろう。何より本人が納得しそうにない。

 

 笹川もだが、俺もボールを持った時にはなるべく室田にパスを回した。

 一年チームは当然ながら緑間を中心に攻撃してくるから、ミニゲームと言いつつ、流れは完全に一年と二年のSG対決と化していた。

 緑間が絵に描いたように綺麗なフォームでシュートするのとは逆に、室田の場合はダンクするかってくらいの勢いで打っている。おかげでゴールが壊れそうだ。

 

 けど、そんな大味な展開がいつまでも続く筈が無い。

 時間と共に点差も少しずつ開いてきた。

 緑間は百発必中で決めているが、室田はそうじゃないからだ。そしてボールがリングから弾かれる度に、室田の顔つきは険しくなっていた。

 点差は、27対15。残り時間も2分足らず。

 

 緑間がまたボールを持った。シュートモーションに入ろうとしている。

 ────俺はマークを振り切って、緑間のシュートを阻むようにジャンプした。緑間が目を僅かに見開く。

 思い切り腕を伸ばしたら、指先がボールをかすめた。いや、やっぱりタイミングが間に合わない。ボールはリングの円周を回転したが、数秒かかってゴールした。

 

 着地してから、足首を回して負荷を逃がす。

 ……よくこんな高さを火神はポンポン跳べたな。一回やっただけで相当疲れたぞ。

 

「余計な事すんな!」

「いや、一応ミニゲームだから……僕達の事忘れないでよ」

 

 アシストしようとしてやったのに室田の反応は冷たい。

 緑間を叩きのめしたいんだろーけど、こいつとシュート対決なんて無謀過ぎる。

 

 引き続き高尾にボールが渡ったが、宮地(弟)と笹川にダブルチームについてもらった。

 一年チームは試合運びに慣れているのが緑間と高尾だけだから、自然とこの二人にボールが集中している。ならマークする相手も楽だ。

 

 高尾が二人のマークから強引にパスした。あの状況でパスする隙間を見つけられた事に驚いたけど、一年側のSF(スモールフォワード)に回ったボールは俺がスティールする。

 何だか試合中で久々にボールに触った気分だった。

 そのままジャンプシュートを決めようとしたが──―すんでの所で、緑間に防がれた。

 俺も平均より大分高いんだが、こいつとの身長差が恨めしい……っていうか、こいつもう(センター)とかやれよ! この高さでSGとか反則だろ! 

 

 その後もボールが飛び交い、SG同士の打ち合いが始まり、試合は続いたが──―所詮ミニゲームだ。決着はすぐに着いた。

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 試合結果は30対24。二年チームの負けだった。

 

 チームの面子がそれぞれ汗を拭ったり、無言で体を休め始める。一年に負けたってのもあるけど、緑間一人に完封されたようなもんだから酷い空気だった。

 こういう時真っ先に口喧嘩を始めている宮地(弟)と室田が揃ってだんまりなのが不気味過ぎる。

 すると室田は、こっちに顔も見せないままでいきなり体育館から飛び出していった。

 

「! 室田君!?」

 

 思わず追おうとした俺を呼び止めたのは主将だった。

 

「雪野、止せ。放っておいてやれ」

「…………」

 

 試合経過を観戦していた大坪主将や、数少ない三年陣も苦虫を噛んだような微妙な表情を並べている。

 一年チームもその様子を察したのか、勝ったのに嬉しがってはいなかった。まあ結局緑間の一人勝ちみたいなもんだったし無理もないが。

 

 ……けど、何か居心地が悪い。

 勝った側も負けた側もバツの悪そうなこの状況が耐えきれなくて、気が付くと俺は主将の声も無視して体育館から脱け出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然飛び出していった同期の姿はすぐに見つかった。

 体育館からそう離れていない、グラウンドに近い水道で水浸しになっていた。

 汗を流しているつもりか知らないが、噴水みてーに水道水を撒き散らしているから何事かと思った。

 

 声をかけようか迷っていると、先に室田の方から話し始めた。

 

「……何、来てんだよ雪野。言われなくても俺、部活は辞めるから」

「え…………」

「んだよ、その顔」

 

 水道の水を止めると、室田はタオルで顔を拭き始めた。

 俺はよっぽど間抜けな顔をしてたらしーけど、室田が今どんな顔してるのかも分からなかった。悔しいのか、悲しんでいるのか。

 

「いや……何も辞める事無いんじゃない? そんな意地にならなくてもさ……」

「……お前はいいよな。本当、羨ましいよ」

「は?」

 

 背丈だけ見れば俺より高くて、体格もいい筈の室田がすごく小さく見えた。

 タオルから離したこいつの顔は、何だか泣きそうに見えたからだ。

 

「……お前は一年の時からスタメン入りしちまうし、緑間相手に試合したって立ち回れるじゃねーかよ。本当、どうしたらそんなに上手くなれんのか教えてほしいぜ」

「…………」

「俺だって努力してきたつもりなんだぜ? けど緑間にはどうやったって敵わねーし、やる気が無ぇお前の方がバスケ出来るんなら、もう俺が部に居る意味なんてねーだろ」

 

 グラウンドにいるはずの野球部の練習が遠いものに聞こえた。

 室田と目が合う。今まで見た事が無い縋るような目だった。

 

「なあ、何でそんなにいっつも他人事なんだよ。スタメンがどうでもいいなら譲ってくれよ何でお前はバスケやってんだよ」

 

 それだけ言い捨てて、室田は背を向けて去っていった。

 そしてその日を境にして、この同期は本当にバスケ部には現れなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 体育館に戻ると、とっくに後半のパスワークが始まっている時間だった。

 宮地(弟)も他の二年も普段の練習に戻っていたが、緑間は例によってワガママを使ったのか、一人でゴールを占領してシュート練習をやっている。毎度の事だからもう見慣れたけど、心臓が鉄で出来てんのかあいつは。

 そして巨大なウサギのぬいぐるみはベンチに守り神のように鎮座している。……ラッキーアイテムが何かしらある事にも慣れてしまったから、俺も大分毒されている。

 

 まあ、勝手に練習脱け出してちゃっかり戻ってきてる俺もどうかと思うが。

 一番隅の扉からこっそり入って、気付かれないように練習に混ざろうと思ったけど、そう上手くはいかなかった。

 

「ゆ~き~の~。てめー勝手に脱け出しといて無言で戻ってくるたあいい度胸じゃねえか!」

「痛っ!?」

 

 宮地(兄)の鉄拳が脳天に落ちた。

 見逃しちゃくれないだろとは思ってたけど、もうちょっと手加減してくれないか!? 

 只でさえ赤点をさまよってるのに、これ以上脳細胞を死滅されたら学生生活に関わる。

 

「すいません……でも殴らないでください……」

「室田の事見に行ってたのか?」

「……はい、まあ」

「下手に慰めるなんて止めとけ。それより自分の事考えろ」

 

 宮地の咎めるような視線が突き刺さる。

 実際、俺はありきたりな事しか言えないから、本当に落ち込んでる奴を慰めたりなんて出来っこない。

 

「来週は練習試合が入ってんだからな、さっさと切り替えねーと絞めるぞ」

「……えっ? 練習試合? この時期にやるんですか?」

「この時期だからこそだろ。さっきお前が出て行った時に、監督が知らせたんだ。部室に日程貼っとくから確認しとけ」

 

 少し驚いたが、IH予選が終了したこのタイミング。

 本選出場を逃した強豪だったら、冬へのリベンジに向けて対策を取ってる時期だろう。

 それなら練習試合を組まされるのも納得だった。

 

 

「あの……相手はどこの高校ですか?」

「海常だ。「キセキの世代」相手にすんのは面倒くせーけどな」

 

 

 反射的に、俺は緑間の姿を見た。

 秀徳の「キセキの世代」は何も変わらず、黙々とシュートを打ち続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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15.青の精鋭

 

 

 

 

 

 

 周りの人間が何を言ってようと気にした事は無かったし、興味も無かった。

 だから一年上の先輩がいきなり部室のロッカーを殴って怒鳴り散らした時も、俺に言ってるんだと気づくまで時間がかかった。

 

『いい加減にしろよ!! お前みたいなふざけた奴が、何でバスケ部に居るんだよ!!』

 

 そう言って、口を利くどころか名前すら覚えていない上級生は部室を飛び出してしまった。

 出て行く寸前の上級生の声がちょっと涙声になっていたような気もしたけど、向こうが勝手にヒステリーを起こしただけだ。

 それより練習時間に遅れる方が面倒だったから、すぐその先輩の事は忘れた。

 

 午前のメニューを終えて休憩に入った時、飯の種にその出来事を話したら、予想外に面白がられた。

 

『ふはっ、面倒なの引き寄せてんな』

『うるせーよ。あれ何だったんだ、意味分かんねーし』

 

 隣を見ると、口の端を吊り上げるように笑っていた。

 こいつは愉快な事があると、よくこういう笑い方をした。

 

『お前が練習中も試合もボケッとしてんのが癪に障ったんだろ』

『俺はちゃんとやってるぜ』

『だから分かってねえんだよ。ああいう手合いは実際がどうかじゃなく、自分からどう見えるかが全てなんだよ。お前がただ気に食わねーだけだ』

『……もしかして、俺が来て試合出られなくなった人か?』

 

 聞くと、チームメイトはスポドリを飲みながら頷いた。

 部の仕組みもメンバーもまるっきり分かってねーけど、俺がレギュラー入りした為に以前のメンバーが外されたって事くらいは薄々分かっていた。

 

『分かんねーな、何で八つ当たりすんだ?俺が決めた訳じゃねーのに』

『そこまで冷静に考えられる頭ならとっくに黙って辞めてるだろ』

『そりゃそーだけど。つーか、何でレギュラー入るとこんな喧嘩売られなきゃならねーの?』

『お前が一年だからだよ』

 

 一般常識のようにさらっと言われるが、全く腑に落ちた気がしない。

 俺の知っている常識とバスケ部の常識は、どうも違うらしい。

 

『面倒くせーな、バスケ部って』

『今だけだ。もうちょっと我慢しとけ、直にやりやすくなる』

『ふーん』

『そんな事よりてめーもっと体力付けろ。ゲームの後半へばってただろ』

『え、もっとやんの?』

 

 何を考えてるのか気になったけど、どうせ教えちゃくれないだろうし深くは聞かなかった。

 ただ、明日からの練習量が倍になった事は確実だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇

 

 

 

 

 

 ……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は寝覚めが悪かった。

 

 目を覚ますと背中にべっとり寝汗をかいていて気持ち悪ぃ。広いベッドに薄暗い部屋、カチカチ時間を進める時計を見てやっと頭が回ってきた。

 そうだ、ここは下宿してる火神の家の部屋で、俺はもう高校生だ。中学なんて二年も前に卒業してんじゃねーか。

 ……って、やばい。呑気にしている場合じゃねえ! 

 

 今日は海常との練習試合がある日だった。

 火神も早くに家を出ていて、もう住み慣れてきたマンションには俺しか居なかった。昨夜アラームも付け忘れた状況だってのに、遅刻寸前の時間に目覚められたのはラッキーだった。あと十五分遅かったらやばかった。

 まだ六時前なのにいつ出ていったんだよ、あいつは。

 自分の事で手一杯だから気に留めてる余裕がなかったけど、この所、火神もいつにもまして気合が入っている……というか、思い詰めていた。たまに話しかけても上の空だし、夕飯当番なのにすっかり忘れてるし。火神がちゃんとしてねーと、俺の生活にも深刻な危機が出るから早い所元に戻ってもらいたい。

 誠凛は順当にいきゃ決勝リーグが目前だろうから思い詰めるのも分かるけど、それとはまた毛色が違うような気もするんだよなあ。

 

 けどそれはそれとして、今日の試合だ。

 溜息を吐きながら、悪目立ちするオレンジのジャージに袖を通す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校に集合した後、俺達バスケ部はぞろぞろと大所帯で隣県の神奈川に向かっていた。

 東京でバスケの強豪校っていうと、秀徳・正邦・泉神館の三大王者の名前が大体挙がってくるんだが、隣の神奈川では海常がほとんど一強状態でその座を守っているらしい。

 らしい、って言うのも、まあ宮地(兄)からの入れ知恵だからだ。

(海常の名前聞いてもポカンとしてたら強烈な鉄拳が降ってきた。俺の成績が下降してる原因の一つじゃねーかと最近思う)

 一昨年も去年もIH(インターハイ)WC(ウィンターカップ)に出場してる常連だから強豪なのは確かだろう。俺も直接対戦してねーから分かんねーけど、大坪主将(キャプテン)達の話によれば去年のIHじゃ初戦で負けてるらしい。どうりで名前が初耳だと思った。ランク的には、秀徳とどっこいどっこいなのか? 

 俺としては「黄瀬涼太がいる学校」くらいの認識から情報が更新されていない。緑間と偶然一緒に試合観戦した以来だ。

 

 スタメンと二軍が勢ぞろいしたオレンジ色の集団は移動中にもチラチラ周りの目を惹いているような気がする。あー、現地集合にしてくれればこっそりバイクに乗って行ってもよかったのに。

 

「……雪野、お前大丈夫か?」

「え? 何が」

「何がって、自覚無ぇーのかよ! さっきから何度話しかけたと思ってんだ!」

 

 やや高い目線から宮地(弟)が怒鳴る。目つきも悪く顔立ちも強面だから、兄の方に比べるとこいつの方が迫力があって見える。

 

「室田の事引きずってんなら、そろそろ切り替えろよ。今日の相手は海常なんだぜ」

「……ああ大丈夫。ちょっとぼんやりしてただけだから」

「大丈夫かよ本当に……」

 

 室田が退部した件で、俺が落ち込んでいるとでも思われたらしい。

 ……そりゃ、何とも思わない訳じゃねーけど。

 宮地(弟)も普段大して仲良い訳でもないのに気を遣ってくれてんなら面倒見の良い事だ。口は乱暴だけど、誰彼構わず喧嘩売る訳じゃねーからバスケ部の同期でも中心になってる事が多い。

 部活の連絡事項以外で、同期との会話がほぼ皆無な俺からすれば何とも眩しい奴だ。

 

「そんなに身構えなくてもいいんじゃない? IH前の時期にやるんだから、お互いの調整が目的だと思うし」

「お前な……。そりゃそうかもしんねーけど」

 

 随分緊張してそうだから言ってやったら、何故か少し呆れたような顔をされた。

 

「……いやいや、調整でも練習試合でも勝ちましょーよ? この前誠凛に負けたばっかなのに、また負けたりしたら真ちゃん泣いちゃいますって」

「おい、勝手な事を言うな」

 

 と、後ろにいた高尾が茶化し半分に言って、緑間が不愉快そうに訂正した。

 その右手はやかん大くらいの金魚鉢を抱えており、その中では一匹の赤い金魚がひれを揺らして優雅に泳いでいる。今朝、集合時にどれだけもめたかこの魚は知りもしない。

 

「……緑間君、生き物を持ってくるのはどうにかならなかったの?」

「無理です。本日のかに座は10位。最下位ではありませんが悪い順位である事は確かです。このラッキーアイテムを置いていく訳にはいきません」

「限度があるだろ、限度が!!」

 

 耐え切れず叫んだのは宮地(弟)だった。

 気持ちは分かる。生き物指定にする鬼畜ぶりもだけど、占う側もそれを100%実行する人間がいるとは思うまい。

 散々宮地(兄)の方に怒鳴られ尽くしたせいか、緑間は今更何を言われてもケロッとしている。……今なら室田の気持ちに共感出来るかもしれない。

 

「まあまあ、真ちゃんもこれでテンション上がってるんスよ」

「……僕には全く変化が分からないんだけど」

 

 何、鷹の目ってそんな所まで見通せんの? 

 すると高尾は声を潜めた。

 

「ほら、海常って黄瀬がいるじゃないスか。同中と試合出来るって知ってから、やっぱ燃えてるみたいで」

「何だか高尾君も楽しそうだね」

「そりゃあ! 笠松さんとは一度試合したいねーって思ってましたし、こんな早く実現したんだから嬉しいスよ」

 

 高尾のテンションが高いのは毎度の事だけど、今日は輪をかけて浮足立ってるように見える。笠松、と言われてすぐに顔と名前が一致しなかった。この前お好み焼き屋で黄瀬と一緒にいたあの人か。そう言えば高尾がやたら懐いて話を聞きたがってたっけ。

 

 宮地(弟)に怒鳴られているが、右から左に聞き流している緑間を見る。

 大男が揉めてると目立ってしょうがねーんだから止めてくれ、本当。

 到着もしてねーのに、早くも疲労感を感じてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝から出発して、すれ違う人の注目を大いに惹きながらようやく俺達は海常高校に到着した。

 何つーか、でかい。いや、広い。

 秀徳も伝統校だから校舎自体はでかいけど、狭い敷地に建物が集まってるような印象だから何となく窮屈だ。それに比べると海常の広さにびびる。神奈川ってこんなに土地余ってたか? 桐皇といい、何で他校はこんなに恵まれてんのにうちだけあんなボロいままなんだ。試合前から見えない格差を感じた。

 

 中谷監督の先導の元、体育館に向かうとそこには青のジャージを着たスタメンらしき奴等がアップを始めていた。体育館もでかいな、おい。

 ていうかチラッと見えたけど、隣の建物では他の運動部が練習している。まさかここバスケ部専用のコートか? 

 主将を始め、他のメンバーも海常に来る事は初めてなのか物珍しそうに周りを見ている。

 すると、向こうの監督らしい中年のおっさんがこっちに歩いてきた。ポロシャツにジーンズで、いかにも体育教師って雰囲気だ。こっちの監督に比べたらちょっと、いやかなり太めな体型だけど。

 

「何だ中谷、もう着いたのか。早かったな」

「相変わらず時間にルーズだなお前は。それよりロッカーはどこだ? 選手達を案内したいんだが」

「ああ、一年に案内させる。だが試合の始まりは遅れるかもしれんぞ」

「? どういう事だ」

 

 海常の監督は持っていたクリップボードで太い首筋を叩くと、溜息を吐いた。

 

「モデルの仕事が長引いてるらしくてな、黄瀬がまだ来ていない。30分くらいで着くという報告だが、どうする」

「うーん……」

 

 両監督の話は普通に聞こえてくるので、「黄瀬がいない」って情報は俺達の間にもすぐ伝播

 した。どうりであのキラキラ目立つ頭が見当たらないと思った。

 後ろの緑間の様子を伺うと、眉一つ動かさずに監督の話の終わりを待っている。

 

「……黄瀬君がいないらしいけど、緑間君意外と平気そうだね」

「……いやあ、俺の勘だとあの顔は「黄瀬と試合出来ると思ったのに残念なのだよ。でも仕事なら仕方ないか」っていう感じっスね」

「……まさか高尾君もサトリじゃないよね?」

「はい?」

 

 時々、この後輩が末恐ろしく感じる。

 そうこうしている間に監督同士の調整は済んだらしく、海常の監督が案内役の一年生を呼ぶ声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 監督の話によれば、試合は時間通りに行う事になったらしい。

 向こうのエースが不在っていう事だけど、海常側も大会前にスタメンがどこまで仕上がっているか見たいようだ。

 

「うちの監督って向こうの監督と知り合いなのか?」

「そうらしいぜ。確か二人とも昔、全日本の選手だったって話聞いた」

「へー……。元全日本っていう割には、向こうの監督って何か、イメージと違うな」

 

 宮地(兄)と木村の会話が聞こえてきたのか、高尾が隣で盛大に噴き出した。

 オブラートに包んでいるけど言いたい事は分かるので、俺もちょっと同意する。

 

 海常の一年に案内されながら俺達は客用のロッカールームに向かっていた。ちゃんと専用のロッカーがある辺りも秀徳とは規模が違っている。同じバスケ部なのにこっちは何でこんな優遇されてんだ。

 

 体育館と校舎をつなぐ通路を渡っていると、休日練習に来ているサッカー部の部員や外周している他の運動部の姿が目に入った。随分まあ活気、というか熱気に溢れたことだ。

 ────と、外にチラッと見えた人影に対して、自分の目を疑う。

 けど頬をつねっても痛いし、夢からは覚めてるし、頭を打った訳でも無い。無意識に立ち止まってしまったのか、宮地(弟)が声をかけてきた。

 

「……おい雪野? どうしたんだよ」

「あーごめん、ちょっとトイレに行ってきても?」

「あ、ああ。……気分でも悪ぃのか? 大丈夫かよ」

「平気平気。ほら、先に行ってて」

 

 明らかに不審そうにしている宮地(弟)の視線を流して、一人来た道を逆走する。

 勿論、行先はトイレなんかじゃ無い。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 体育館から少し離れ、人目を気にしつつグラウンドの方に向かうと、制服姿の男が一人で野球部の練習を眺めていた。遠目に見えただけだからまさかと思ったけど、やっぱり見間違いじゃなかったようで両肩から力が抜ける。

 

「何してんだよあんた……」

「おー雪野、この間ぶりやな。……って、もう試合始まるんやないの? こんな所で遊んでたらあかんで」

 

 とぼけた顔で注意してくる今吉さんに言い返す気力が無い。

 どこまで神出鬼没なんだ、この人は。

 

「何でこんな所にいんのかって聞いてんだよ。何、主将って暇なの?」

「ちゃうちゃう。秀徳と海常が練習試合って聞いたから偵察に来たに決まってるやん。「キセキの世代」同士の対戦カードやからな」

「……どっから仕入れたんだよ、その情報」

「うちには優秀なマネージャーがおるからなあ。それに、知っとる所は知っとるんちゃう? 随分観客も来とるみたいやし」

 

 あの桃色の髪をしたマネージャーの姿が脳裏によぎる。

 中谷監督がいきなり決めてきた試合で、スタメンの俺達ですらこの間告知されたばっかの事だぞ? ええ、あの子怖っ…。

 確かに海常に着いた時も選手以外にギャラリーがやたらあちこちに居た。他校からすれば大会前に少しでも「キセキの世代」の情報を集めとこうって腹なのか。

 

「IHも迫っとるし、この時期はどの学校もピリピリしとるやろ。それで海常に練習試合取り付けられるんやから流石やけどな」

「……悪かったな、予選落ちしてて」

「嫌味とちゃうで!? 何や、またそっちの部で何かあったんか? 随分ご機嫌斜めやん」

 

 何も言ってねーのに思考を読んでくるのに、妙に挑発するような事も言うんだから質が悪い。

 

「あーもしかして遂に留年決まったんか? こないだ言うてた補習があかんかったとか。……まあ気にすんなや、人生は長いんやし一回や二回の留年で落ち込まんでも」

「違ぇーよ!! 留年はしてねーし補習はちゃんとパスした!!」

「じゃあやっぱりバスケ部の事なんやな」

 

 黙ってしまったら正解って言ってるようなもんだった。

 この妖怪相手に隠し事出来た試しは無い。

 

「緑間君が何か揉め事起こしたんか? あ、雪野の方か? それとも他の部員が短気起こして辞めたとか、そういう感じか?」

「……割と全部、かも」

「そら災難やな」

 

 全く大変そうに思ってるように見えない笑みを浮かべながら言う。せめて心配そうな顔くらい作れよ、と思った。

 

「何か失礼な事考えてるやろ。これでも感動してんで? 雪野がこんなに周りに気を遣える子になったのかと思うと……」

「いや、馬鹿にしてんだろ」

「まあそう拗ねるなや。なあ雪野、お前うちに来ん?」

「は? うちってどこに」

「せやから桐皇に」

 

 言葉の意味を呑み込むのに数秒くらいかかった。

 遠くで、野球部が掛け声とボールが弾かれる音が聞こえる。

 

「……? 今吉さん、その冗談すごいつまんねえ」

「ちゃうて! 偵察もやけど、真面目な話これが話したくてここに来たんや。知っとるか? うちの運動部は全国から有能な選手を引き抜いて作っとるんよ。学期途中の編入生も珍しくないんやで。スポーツ特待制度も充実しとるから、雪野の成績でも心配あらへんし」

「最後のは余計なんだよ!!」

「で、どうや?」

 

 今吉さんと目線が合う。いっつも開いてんのか閉じてんのか分かんねー糸目が眼鏡越しに見えた。

 

「……何でそんな、いきなり」

「別にいきなりでも無いで。有望な選手は何人おってもええし、監督もその辺は分かっとるからな。それにお前、何やしんどそうやから」

「え?」

「この前も今日も、会う度に暗い顔しとるやん。「キセキの世代」が入ってそんなにゴタゴタしとんのかと思っとったけど、何もお前がそないに悩む必要無いんとちゃう? しんどいっちゅーなら、いっそ環境変えるのも有りやと思うで。うちはバスケの実力さえあればそれ以外は好きにしてええ方針やし、気楽に過ごせんで」

「………………」

「別にバスケやるのも、道が一つしか無い訳やないやろ」

 

 俺はそんな言われる程暗い顔してたのか。

 同時に、桐皇に転入するなんて考えてもみなかった手段を提案されて、正直どう言っていいか分からなかった。

 

 秀徳バスケ部で二年目を迎えて、二軍と一軍のいざこざはあるし、緑間は協調性無いし、室田は好き勝手言って辞めていくし、はっきり言えば疲れる事ばかりだった。

 ―――環境を変える。

 あのバスケ部を、秀徳を辞めて他に行く? 

 

 

「……まっ、突然の事やからな。ちょっと考えてみてや。あーほら、そろそろ戻らんと本当に試合に間に合わへんで?」

 

 

 と、引き留めていた張本人の言葉に促されて、俺は大慌てで体育館に戻る羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 試合開始時間ギリギリに海常の客用ロッカーに戻った為、案の定俺は強烈な怒声をいただく事になった。宮地兄弟そろって勘弁してほしい。190越えに二人して睨まれて普通にビビる。

 

 慌ただしく準備を整え、試合会場に向かう。緑間はやっぱりその金魚鉢を持ってくのかよ……。ボールが当たって割れても知らねーぞ。

 体育館に行くと、海常のスタメンと監督は準備バッチリという状況で、何か試合前のミーティングをしていた。そしてやっぱり妙にギャラリーが多い。単なる練習試合なのにこんなわらわら人が集まるって、「キセキの世代」のネームバリューってすげーな。

 

「ひゃー、何かすげー人集まってますねー。大会より人来てんじゃないスか?」

「キョロキョロすんな高尾。黄瀬って確かモデルなんだろ? それ目当ての観客じゃねーの?」

「「キセキの世代」でその上モデルとかムカつく奴だな……」

 

 先輩方も思い思いの感想を言う。

 俺も大体同意見だけど。黄瀬とは一、二回会った程度の縁しかねーけど、派手な顔の癖に冷めた目線を向けられた事を覚えている。

 緑間は無言のままで、左手のテーピングを壊れ物のように慎重に外している。

 さて試合直前という時になって、監督がとんでもない指示を出した。

 

「この試合だが、前半は緑間を出さずに行く。あちらがエースを出さないのにこっちが見せる必要はないからね。SG(シューティングガード)は時田が出ろ。OF(オフェンス)では宮地と雪野とで攻めていくように」

「…………」

 

 内心で、マジかよ、と言いたくなった。

 まあキセキの世代同士の対決がこの試合で目的にしている事だろうから、それが出来ないならこの采配になるのか。…とりあえず宮地(兄)に中心で動いてもらおう、そうこっそり決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コートに並ぶと、秀徳のオレンジもだが海常の青いユニフォームも結構目立っている。

 先頭には、ついこの前お好み焼き屋で黄瀬と一緒にいた「笠松さん」とかいう人が居た。何だ、あの人4番だったのかよ。ふと、視線に気づかれたのか笠松さんが俺に顔を向けた時、試合前とは思えない明るい声が割って入った。

 

「この間ぶりです笠松さん! こんなに早く対戦出来るなんて思わなかったっスよ! 今日は色々とよろしくお願いしまっす!」

「おう、よろしくな。加減はしないぜ」

 

 高尾のコミュ力は場所を問わず発揮されるらしい。緑間にちょっと分けてやれその力。

 PG(ポイントガード)同士が和やかに挨拶している横で、笠松さんの隣にいた5番が何故かキョロキョロ落ち着かずに周りを見回していた。……何してんだ? この人。俺の正面に居るから余計に気になる。

 

「……あの、何か気になる事でも?」

「ん? いや、あの正面扉の脇にいる女の子の視線をさっきから感じてさ。今日の練習試合では、あの子の為にシュートを決めようと思っていた所なんだよ」

「は? 女の子?」

「ほら、見えるだろ! あそこに居るミニスカートの超可愛い子だって!」

「いい加減にしろ森山てめぇ!!」

 

 と、笠松さんが怒鳴ったと同時に、森山とかいう5番は頭を叩かれていた。

 

「悪ぃな、このバカが意味わかんねー事言って。気にしないでくれ」

「い、いや……別に」

 

 よく分かんねーけど、どの学校も結構やばい。

 無意識に体が半歩下がっていると、笠松さんは5番を引きずるようにしてポジションに連れて行った。見かけによらず方針が宮地(兄)に似ている。

 そのやり取りを眺めていたら、何を思われたのか大坪主将が話しかけてきた。

 

「……雪野、あまり雰囲気に呑まれるなよ?練習試合だろうと全力を尽くせ」

「分かっています、大丈夫ですよ」

 

 そう返すと主将も無言でポジションに戻ったので、納得はしてくれたんだろう。

 

 ……とりあえず今吉さんが言ってきた事は一旦忘れよう。あんな事突然言われたってすぐに結論なんて出せっこない。仮にも試合前の選手に何つー事言ってくれんだと思ったけど、そういえばあの人はそういう人だった。

 とにかくこの試合をさっさと片づける事が優先だ。こっちも緑間抜きだけど、向こうもエース抜きなら意外に早く決着は着けられるかもしれない。

 

 大坪主将がセンターラインに立ち、ジャンプボールの為に構える。

 向こうの選手も結構背丈があるけど、体格としてはこっちの方が上だ。

 

 審判がボールを掲げる。

 試合開始の笛が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────────────────────────

 

 

 

 

 秀徳高校スターティングメンバー

 

 大坪泰介(三年) C 198㎝

 宮地清志(三年) SF191㎝

 雪野瑛 (二年) PF 183㎝

 時田庄司(三年)SG 181㎝

 高尾和成 (一年)PG 176㎝

 

 

 

 

 海常高校スターティングメンバー

 

 小堀浩志(三年) C 192㎝

 中村真也(二年) SF 181㎝

 早川充洋 (二年) PF 185㎝

 森山由孝(三年)SG 181㎝

 笠松幸男 (三年)PG 178㎝

 

 

 

 

 

 



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16.シーソーゲーム

 

 

 

 

 海常高校との練習試合が決まった直後の時だった。

 

「海常と試合するのは初めてですねー……」

 

 練習着から制服のシャツに着替えていたら、ぼんやり独り言がこぼれていた。するとそれを聞きつけたのか、後ろにいた宮地(兄)にいきなり頭を引っぱたかれた。

 この人、後輩はとりあえず殴っとけばいいぐらいに思ってるよな。

 

「聞いた事あるような、じゃねーよ! 何、初めて聞いたみたいな顔してんだ。去年のIH(インターハイ)でも同じブロックだったろうが」

「……そういえばそうでした」

「分かってねーだろ、おい。

 っとに、いつになったら他校の事に関心持つんだよお前は。鳥頭なのはテストだけにしとけ、焼くぞ」

「すいません、他校の事覚えるのは苦手で……」

 

 薄い色素の目が疑わしそうに俺を睨めつける。只でさえ練習後の運動部がぞろぞろ集まってサウナじみて蒸し暑いのに勘弁してくれ。

空調の一つも入れてほしいくらいなのに、悲しいかな、費用の問題で未だに実現されていない。

 

「あ、雪野さーん。なら良いもんありますよ?」

 

 助け船とも言わんばかりのタイミングで話しかけてきたのは高尾だった。

 その手には1冊の雑誌を見開きにして示している。

 

「……? 良いもんて、それ?」

「反応薄っ!! 今月の月バスですって! ほら、海常とか全国のPG(ポイントガード)特集で笠松さんも載ってますよー」

 

 俺より高尾の方が楽しそうに見ているのは気のせいか。

 

 月バスの見開きのページには、確かに「全国強豪バスケ部・注目PG」と大きい見出し共に東京都から始まって各校の選手が細かく紹介されている。

そういえば去年も大会直前の時期には、こんな特集記事が出てたな。引退した三年生達がそろって眺めていたのを思い出す。

 そして高尾が示したページには、試合中にチームメイトに指示を出している様子の、青いユニフォームを着たスポーツ刈りの選手が載っていた。

 

 写真の顔を改めて見ると、色々と記憶が蘇ってきた。

 IH予選の帰りの雨と、お好み焼き屋。そこで誠凛と一緒に、黄瀬涼太と居たPGの三年生。

 

「高尾君って、このカサマツさんのファンなの?」

「えーそりゃあ、レベル高い選手なら誰でも注目しないっスか? 俺とはポジション同じだし、参考に出来るとこ多いんですよねー」

「ふーん」

「……んだよ、この記事。PGの特集なのに秀徳は全然載ってねーじゃねーか、燃やすぞ」

「宮地さん、一応俺の私物なんで止めてください」

 

 宮地の物騒な予告を高尾がやんわり止める。

 

 海常高校の記事には、「神奈川随一の強豪校。主将の笠松君はドライブに長け、優れたキャプテンシーでチームをまとめている」と、よくある紹介文がつらつら書かれていた。

と、カサマツさんが真正面から相手を睨みつけたような写真があり、何だかその視線から逃げたくなって思わずページを閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして今、俺はあの時の記事に載っていた人間と対峙している。

 

 笠松さんとかいうPGで、海常の主将。

 …何かさっきから見られているような気がするけど、気のせいか?太めの眉の効果もあって視線の圧力を感じる。

 

 ジャンプボールは主将が制し、ボールは高尾に渡った。

 

 バスケ部全体で見てもあいつは一番パス回しが上手い。先制のボールは高尾が持つ事が多い。

 一瞬全体を見た後、すぐ高尾から宮地(兄)にボールは渡った。

 高尾のマークについているのは笠松だ。

 身長で言えば高尾とそう変わらないのに気迫の違いを感じるのは、流石4番って所だ。

 

 宮地が張り付いているマークを振り切ってドリブルで突っ込む。

 シュートした直後、海常のPF(パワーフォワード)も同時に跳んだ。

 

「ッバーン!!」

 

 ……俺の近くにいた海常のPFが何か叫びながらジャンプした。

 もうシュートしてんのに飛んでどうすんだよ。うるさいし。試合中じゃなかったら耳を塞ぎたい。

 

(秀徳)2対0(海常)。

 とにかく、こちらが先制をもらって、周りに大勢いたギャラリーから失望したような声が聞こえた。

 

「何だ何だ、露骨に海常贔屓しやがって、焼くぞ」

「煽らないでください宮地さん……」

 

 宮地が元ヤンもかくやという笑顔で呟いている。

 気持ちは分からなくもないけど、発言がFギリギリだから焦る。

 ギャラリーにイラついたのか、続いて宮地の特攻でまた得点が入った。この先輩も結構熱くなるタイプだ。というか、緑間が抜けている分日頃の鬱憤を晴らしているのかもしれない。

 

 海常ボールでリスタート。

 海常は笠松から6番にボールを渡した。場所は3ポイントラインの僅かに外。

 そのままシュートする。……フォームが、変だけど。

 

 くるくる回転のかかったおかしな投げ方をされたボールは、それでもネットをくぐった。

 最近は緑間のお手本通りのフォームをいっつも見てるから、こんな変化球バージョンの3Pは久しぶりに見た。つーかよく入るなあれで。

 まっ、3点取られたなら3点取り返せば済む話だ。

 

 俺にボールが回る。笠松さんがまたしてもディフェンスしてきたけど、バウンドパスで時田に渡した。時田が3ポイントシュートを決める。

 時田は今や数少ない三年生のSG(シューティングガード)。緑間みてーな化物命中率はないけど、シュートの正確さなら負けてない。

 点差は(秀徳)5対3(海常)。

 

「よしっ!! このまま行くぞ!」

 

 ゴール下の大坪主将の号令で、攻撃のペースは決まった。

 

 こっちの攻撃は宮地中心で進めていた。

 高尾も緑間不在の試合運びは心得ているから、宮地の方にパスを回している。

 このメンバーなら特攻に向いているのはドリブルが得意な宮地だし、高さもある。…あとはまあ、俺もあんまりゴール下から動いてないのもあるが。

 

 エースがいないのは海常も同じ。自力はほとんど変わらない条件になると、ダラダラ試合を進める理由はない。最初から点の取り合いになった。

 海常側が速攻でパスを回し、それを追いかける。

 大坪主将がリバウンドで取って、カウンター。またコートを縦断する。

 第1Qから相当ハイペースに点が重なり、時間が経つ。

 

 宮地が続けざまにペネトレイトを仕掛けようとしたが、海常の眼鏡のSFに阻まれて止まる。

 傍にいた時田にパスを出し、また3Pが打たれた。

 しかし勢いをつけ過ぎたのか、シュートはリングに当たって弾かれる。

 

「リッ……バ──ン!!」

 

 だからうるせぇ!! 

 真後ろで叫ばれて集中が狂った。空中を舞っていたボールは、海常のPFが両手でキャッチする。

 ──すぐ傍には大坪主将もいたのにリバウンドで競り勝った事にはちょっと驚いた。

 

「よし早川!!」

 

 海常のC(センター)が叫ぶ。早川とかいうPFがパスをしようとした時、後ろから俺が強引にボールを突いて叩き出した。ボールはコート外へ転がり、審判の笛が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第1Qが終わった時、点数は(秀徳)16対14(海常)。

 様子見で終わるかと思っていたが、予想以上に海常側も攻めてくるから最初からハイペースな展開になった。

 T・O(タイムアウト)が取られ、ベンチへ引き上げるなり俺達は水分補給に入った。

 向こうもエース不在だからもっと慎重に来るのかと思ったがとんでもない。遠慮なしに攻撃を仕掛けてきたから驚いた。

 

 初っ端から息を荒げている俺達を見回して、監督が言った。

 

「うーん。思っていたより向こうの勢いに押されてるねえ。点数ではこちらが上回っているが、リードしているとは言えない状態だ」

 

 主将達も神妙な面持ちで聞いている。

 俺とは違って、上級生なんかは海常の事をよっぽど知っているから舐めてかかってる筈がない。誠凛の時は格下相手の油断があったかもしれないけど、今度は明らかに対等かそれ以上の相手だ。言い訳が出来ないような張り詰めた空気があった。

 

「高尾は引き続き笠松のマークに。大坪はリバウンドを取られるな。ゴール下の陣営についてはうちの方が有利だ。それから──」

「監督、次から俺を出して下さい」

 

 遮るように言ったのは、今まで黙り込んでいた緑間だった。

 

「……おい、監督の話聞いてなかったのかよ。お前の出番は後半からだろ」

「このままでは後半までに点差を付けられかねません。黄瀬が来る前に、俺が入った方がいいです」

「んだと!?」

 

 宮地が危うくキレかけたが、後ろにいた木村が押しとどめるように肩を抑えた。

 ……いつもの物騒な暴言が出てこない辺り、今のは本気でキレかけたのかもしれない。確かに緑間がこんな言い方したんじゃ、代わりに出てる時田の立場がない。

 隣にいる時田は平然とそれを聞いてるけど俺が居たたまれないわ。

 

「なーに、真ちゃん。黄瀬が居ないのにやる気満々じゃん! もしかして笠松さん達見てて燃えてきちゃった?」

「関係無い。誰がいようと俺は人事を尽くすだけだ」

 

 三年陣(主に宮地)の機嫌が全力で下降していってるのが見えねーのか。

 

「ダメだ。黄瀬が出ていない以上、こっちも切り札を見せる必要はないよ」

「本日のワガママ3回分を行使します」

「うーん……そうだねえ」

 

 監督が考える素振りを見せる。俺達も思わず注目した。

 

「でもダメだ」

「何故ですか!?」

 

 緑間に割と甘い監督がここまで突っぱねるのも珍しい。やっぱり練習試合にエースをわざわざ出す気はないのか。

 緑間の顔には分かりやすく納得出来ないって書いてあるけどな。

 

「少し落ち着きなよ、緑間君。負けるって決まった訳じゃないんだし、それにこれは練習試合なんだから」

「………………」

「緑間君?」

 

 練習試合くらい先輩を立ててやれよって含みで言ったら、緑間にものすごい目線で睨まれた。いや睨んだ……っていうより、呆れたような素振りをされた気がした。

でも謎を解決する間もなく、試合は始まる訳だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第2Q開始早々に、仕掛けてきたのは海常の方だった。

 笠松が自分からドライブで突っ込み、特攻してきた。

 

 マークについていた高尾をあっさりと抜いて、一気にゴール下にまで持ち込んでいく。

 俺が正面からディフェンスに向かうと、笠松は不意に足を止めた。

 

 ボールはSGの6番にパスされる。

 まさかPGが直接来るとは思ってなかったから一瞬反応が遅れた。

 森山とかいったSGが、またおかしなフォームでシュートを決める。

(秀徳)16対17(海常)。

 

 宮地(兄)がスコアボードを見て小さく舌打ちした。沸点の低い人だ。

 そしてポジションにすぐさま戻ろうとした時、すれ違った笠松と視線が交錯した。

 

「──―黄瀬がいないからって楽に抜かせられると思うなよ」

「別に舐めてませんけど……意地悪してるのはそっちじゃないですか?」

「やられたら倍返しは基本だろ」

 

 カマかけ半分で言ったら、笠松が少し笑ったように見えた。

 

 第1Qでは欠片もそんな気見せなかった癖に、第2Qになっていきなり陣形変えといてよく言うぜ。

 笠松がマンツーマンで他はゾーンディフェンス。しかもマンツーの相手は高尾だ。

 狙い撃ちにしてんのが見え見えだ。確かにスタメンで一番高さが劣るのは高尾だし、鷹の目(ホークアイ)で捉えられても、あんだけ速いと高尾じゃ追いつけない。

 ……だとしても練習試合でここまで露骨な事するか? 狙ってやってんならあの4番見かけによらず性格悪いぞ。今吉さんじゃあるまいし。

 

 今度は高尾がボールを手にしたが、パスする直前に笠松がマークにつき、続いて眼鏡のSF(スモールフォワード)もつく。

 それでも鷹の目で死角を見抜いたのか、高尾が時田にノールックでパスを出した。

 ──成程、そういう事か。

 

 時田がパスを受け取りシュートモーションに入る瞬間、既にマークについていた森山にカットされた。森山が逆サイドに進み、今度は敵のSGがシュートモーションに入る。

 

 ──―動きが停止したその隙に、今度は俺が森山からボールをカットした。

 後方にいた宮地(兄)にワンバウンドしてからパスを送り、今度こそシュートにつながる。

 

 ゴール下は俺、大坪主将、海常のPF、Cの争いになる。勢いはほとんど拮抗しているけど、海常はパスの起点になる高尾を潰す戦略できている。

 高尾のパスコースを限定させて、ボールを拾いやすくする作戦らしい。

 

「雪野、ナイス」

 

 時田が控えめに声をかけてきたので、軽く頷く。

 

「ちょっと押されてきたな、ここから返してこうぜ」

「はい」

 

 そうは言っても、この展開はちょっと俺も不安だった。

海常側がゴールした事で、ギャラリーからまた歓声が聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 第2Qが瞬く間に終わり、お互いに10分間のインターバルに入った。

正規の試合では無いから、海常も秀徳もベンチ周りで簡単に休息を取っている。そして俺達は、監督が口を開くまで全員が沈黙していた。

 

 点数は(秀徳)32対40(海常)。海常にリードされ始めていた。

 

「ふむ、さすが神奈川の強豪なだけあって手強いね」

 

 こんな時でも監督は随分呑気な声である。この人もこの人で、焦るって事がないのか。

まあ、練習試合だから監督にとっても「強豪との調整」か「緑間抜きでの試合運び練習」くらいにしか捉えてないかもしれない。

 

 ふと見ると、右隣の宮地が苛立ちを抑え込んだようなすごい顔で水分を取っていた。

笑ってるのか怒ってるのか分からないけど器用なもんだ。

 

「あ~~~くそっ! チマッチマしたやり方しやがってよー! 轢こう、もう轢いていいよな? 木村ぁ、後で軽トラ貸せ」

「法に触れない範囲で使ってくれよ……」

「まあ相手の隙をつくのは戦略として常道だからね。向こうの4番はその辺りを分かっているよ」

 

 監督が感心したような様子で呟く。

 

 俺もそれは同感だった。海常側が予想外の戦略を立ててきたから俺も主将達も戸惑っていた。

強豪って言うからには力押しでガンガン攻めるだけかと思っていたし、第1Qは攻撃中心だった。

それが第2Qでいきなり攻め方を変えられたから混乱する。緑間が出ていない間に3Pを多用してくるのもその一つだろう。そりゃ緑間とSG対決するくらいなら他の三年と張り合った方が勝率はあるだろうけど。

 体育館周りのギャラリーも海常贔屓の奴等が多いし、普段よりやりにくかった。

 

 左隣にいた高尾はというと、さっきから汗を拭きながら無言だった。

 いつも勝手にベラベラ喋ってる分、ちょっと黙ってるだけで変な感じだ。

 

「……高尾君、大丈夫?」

「……へっ? 何がっスか?」

「いや落ち込んでるのかと思って……」

「え? ええ? まっさか! そりゃ、ちょっとやられたなーって思いましたけど、もう俺も抜かれねーっスよ。いやあ流石笠松さんって感じっすねー」

 

 思ったより元気そうなので、少し安心した。

 集中してマークされたりダブルチームされたり、さっきは散々だったからなこいつ…。

 

 

 

 

「あ──―っ! 緑間っち! 良かったー! 間に合ったー!」

 

 

 

 

 場違いに明るい声が体育館に響いたのはその時だった。

 その瞬間、体育館中のギャラリーが一気に湧いた。主に女子生徒の黄色い声で。

 

 体育館の入り口から女子の視線を独占しながら現れたのは、海常側のエース、「キセキの世代」の黄瀬涼太だった。

 

 金髪が青いジャージに映えて目にチカチカするように見えた。

 遅れてきた登場なのに、まるで出番を待っていた主役みたいに様になっていた。

実際、海常側からすれば待ちに待った人間の到着だから、似たようなもんだろうか。

 

「よかったー試合間に合って! あ、今休憩中っスよね? 俺も着いたばっかなんですぐに準備するから──」

「黄瀬ぇ!! てめえ遅刻しといて何油売ってんだ!!」

 

 海常側のベンチから笠松が一喝すると、ほぼ同時に黄瀬に跳び蹴りを入れていた。……跳び蹴り?

 

 けど海常の他のスタメンは、慣れたように何も言わずそれを見ている。

「キセキの世代」でエースなんだよな?こういう扱いされていいのか……?

ふと桐皇の青峰が思い浮かんだけど、いや、本当なら後輩相手にはこんな感じの対応が普通なのか。

 

「モデルとは聞いていたが……何というか流石だな」

「妙にチャラチャラしてんな。轢きたくなるぜ」

「宮地に言われたくないと思うけど…あ、いや深い意味はねーって。怒るなよ。

 一年はあんなのばっかりだろ。うちだって高尾とか泉も似たような感じだし」

「ちょっ、俺も同列ですか!?」

 

 黄瀬涼太は現れるなり、体育館にいたギャラリーの声援(ほぼ女子)をさらって爽やかに海常側のベンチに戻っていった。ついでに秀徳の負のパラメーターも上げていった。宮地の笑顔までますます黒くなっている。

 

「緑間君、何か話さなくていいの? 呼ばれてたけど」

「別に話す事などありません」

 

 こいつらが友達なのか、同中の縁があるだけなのか分かんねーけど、あんな親しげに呼び掛けてくれた相手をガン無視ってのはどうかと思うぞ。

 

 緑間は黙ってバッシュの紐の結び具合を確認していた。…ああ、話すのは試合の中でって事。ベンチにずっと置いていた金魚鉢の位置が気に入らないのか調整している。

 ラッキーアイテムだか知らないけど、こいつの奇行にもかなり慣れてきた自分に何とも言えなくなった。

 

 とにかくこれで、後半から向こうも黄瀬を出す事は確実だろう。

 そうなるとこっちもエースとして緑間を出すしかない。戦力は互角になる。

 

 

 監督の眠たげな目が、緑間をちらりと見た。

 

 そうだよな、キセキ同士、ここは緑間に──―

 

 

 

 

「────よし、後半からは緑間も出ろ。時田と交代だ。

 黄瀬のマークには雪野、お前がつけ」

 

 

 

 

 

 って、え? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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17.才器

 

 

 

 

 

 折角の試合だって言うのに、マネージャーが余計な撮影入れたから着くのが遅れた。

 そりゃ練習試合程度なら俺が出なくったっていいんじゃ、とも思わなくもないけど(むしろ監督が出してくれないだろうし)、今回は相手が相手だ。何を言われても絶対出てやろーって決めてた。

 

 だって緑間っちの高校との試合だ。

 最初に笠松センパイに知らされた時はすげー驚いたし、そのせいで余計にシバかれた。

 中学の時は青峰っちと1on1してばっかだったから、緑間っちと本気で対戦した事は無い。

 この前の黒子っちの試合は負けたけど、もうそんなのはごめんだし。

 

 撮影が終わってそのまま学校に送ってもらい、慌てて体育館に駆けこむ。

 もうとっくに試合は始まってる時間だろうから、服は向こうのスタジオで着替えてきていた。

 

 うちの学校は体育館が3つくらいあるけど、どこで試合してるかはすぐ分かった。出入口にすごい数のギャラリーが群がっている。まっ、キセキ同士の対決ってなったら練習試合でも騒ぎになるか。帝光中の頃の事を何となく思い出した。

 

「あっ、ごめんごめん。ちょっと通して~」

 

 俺が出たら余計騒がしくなる事は分かってるけど、行かない訳にはいかない。

 試合に遅れるのも困るけど、笠松先輩にシバかれるのも困る。

 まとわりついてくる女子をやんわり振り払いながら、何とか体育館に入る事が出来た。

 

 海常の青いユニフォームと、コートの反対にはオレンジのユニフォームが見える。

 見間違えない緑色の頭も居た。何だか久しぶりに会った気がしないけど。

 

「あ──―! 緑間っち! 良かったー間に合ったー!」

 

 思わず呼んでみたけど、緑間っちはチラッと見ただけで一言も返してくれない。

 その無反応っぷりはいつもの事だ。

 

「黄瀬ぇ! てめえ遅刻してきた癖に油売ってんじゃねえ!」

「すんません──!!」

 

 笠松センパイの跳び蹴りが綺麗に俺の背中に決まる。

 入部してから日に日にキレが増してるように思えるんスけど、気のせいスか? 

 

 とにかく休憩(インターバル)中に着けたのは丁度良かった。

 荷物を置いて軽く体をほぐす。スコアボードを見ると前半終わってうちがリードしている展開だった。

 

「あれ、うちが勝ってるっスね」

「お前がいなくて向こうも緑間を出さなかったからな。今の所五分五分だ」

 

 水を飲みながら小堀先輩が言う。そりゃそっか、やっぱりどこも「キセキの世代」は出し惜しみされるんスねー。

 

「油断するんじゃねーぞ、黄瀬」

「分かってるっスよ! 緑間っちが相手なら気は抜けないっスからね」

「いや緑間もだが、あっちのPF(パワーフォワード)にも注意しとけ」

「PF? 何かすごい人居ましたっけ?」

「あの白い髪の奴だよ、二年の雪野。前に話しただろうが!」

 

 腹を微塵の容赦もなくこづかれて、変な声が出た。鳩尾に思い切り入ったっス……。

 

 秀徳側のベンチをもう一度見ると、緑間っちの緑頭と並んで白い頭の人もいた。

 そういや前にお好み焼き屋でバッタリ会った時、あんな人もいたっけ。

 ふと、IH(インターハイ)より前に黒子っちの高校と練習試合をした時の事を思い出した。考えてみればあの時も緑間っちと一緒に見に来ていた。

 

「あー思い出したっス。あのユキノさん? って人に、俺、前にサイン書いてあげたんスよね」

「は? 何だそりゃ、あいつ黄瀬のファンなのか?」

「いやー確か家族に頼まれたとか言ってたような」

「……もしやお姉様か妹さんがいて、どちらかに頼まれたのかもしれないな。いくつくらいなんだろうか。よし笠松、この試合が終わったら早速聞きに行くぞ」

「森山ぁ……お前は試合しに来てんのかナンパしに来てんのかどっちだ……」

 

 輝くような笑顔を浮かべて食いついてきた森山センパイに、鬼のような顔で笠松センパイが唸っている。いつも女子の事ばっか言ってるセンパイだけど、どこでスイッチが入んのか未だに分かんない。

 ミーティングとも言えない雑談をしていた俺達だったけれど、何か考え込むようにしていた監督がポツリと言った。

 

「うむ……確かにうちがリードしているが、向こうも本気を出していない。後半からは緑間が入るだろう。黄瀬、恐らく緑間と雪野の二人がかりでお前をマークしてくる。動きを封じられないように気をつけろ」

「そんなにあの雪野サンって凄いんスか?」

「去年のIHでも、秀徳のインサイドは雪野と、主将の大坪が要となっていた。大坪はパワー重視のC(センター)だが雪野はまた毛色が違う相手だ。十分に警戒しろ。あとは……ああ、いやこれは関係ないか……」

 

 監督はそれで話を打ち切ると、後半の展開について指示を飛ばした。

 何か監督も笠松センパイもはっきりしない言い方なのが珍しい。特にセンパイなんか、対策がいる相手の事ならいつもめちゃくちゃ詳しく話すのに。

 

 緑間っち以外全然気にしてなかったけど、そこまで言う相手なのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第3Q開始の笛が鳴る。

 俺は中村センパイと交代してコートに入った。正面扉の前に集まっていた女子の応援が聞こえたけど、流石に今はファンサービスする余裕はない。

 

 そして秀徳では緑間っちも出てきた。

 深緑色の目が一瞬こっちを見る。こんなに早くキセキの世代同士で戦えるなんて思ってなかった。

 予選リーグで初めて見た新技、エンドラインからの超長距離シュート。あの3Pを何度も決められたら勝ち目は無い。例えば火神っち程のジャンプ力は俺にはないけど、それでもどうにかして止めてやる。

 

 何て事を考えていたら、いつの間にか視界に真っ白い綿毛みたいのが現れた。

 

「…………えーと、確か雪野サンっスよね? 予選リーグの後に会ったけど」

「え? あ、あー……覚えててくれたんだ。どーも」

 

 目が合ったと思ったら逸らされた。対戦相手だからかもしんないけど、みんな不愛想過ぎないっスか? つーかこの人だけで俺のマーク!? 

 

 絶対緑間っちをぶつけてくると思ったからびっくりした。まあ、背は俺よりちょっと低いくらいだけど、そんな体格がよくも見えないし、何つーか……迫力がない? 

 今までの練習試合でも、俺をマークしようって選手は大体が気張り過ぎってくらいに肩に力が入っていて、こっちの動きを一瞬でも見逃すもんか! って感じに緊張してる奴ばっかりだった。

 この人はマークについてる割には、そんな気迫が全然無いし、ぼんやりして見える。

 

 小堀センパイがスローインして試合再開。最初に笠松センパイにボールが渡り、すぐ俺に回された。

 目の前の雪野サンと向かい合う。

 確かにDF(ディフェンス)は隙が無いけど、抜けないようなレベルじゃない。

 左サイドの空間を狙って一気に抜けた。

 

 拍子抜けするくらいあっさりだ。

 ──―けど、ゴールに進む事は出来なかった。

 

「プッシング! 白7番!」

 

 右からの衝撃に一瞬体勢が崩れる。

 雪野サンが強引にDFしてきたせいだった。──―完全に振り切ったと思ったのに、追いつかれた? 

 

 ちょっと驚いたけど、気にしてる暇は無い。

 この人もだけど、何より緑間っちにボールを持たせる訳にはいかない。

 切り替えて、レイアップで点を入れる。点数は(秀徳)32対42(海常)。

 

「……黄瀬、何か気になるのか?」

「え? ……いや、何も」

「ならいい。流れはうちだ。このまま突っ切るぞ!」

「ウス!」

 

 確かに緑間っち相手に10点差つけてるなら良い調子だ。でもリードしてる気はあまりしなかった。

 まだ直接緑間っちと対戦していないせいかもしれない。

 それに、気になる事がもう一つ。

 

 突っ切るって宣言通りに、笠松センパイはまた俺にボールを回してくれた。

 とにかく俺を中心に使ってくって試合前に言われたけど、その通りでちょっと嬉しい。

 

 そしてまた、雪野サンがマークしてくる。

 この人が何ていうか……やりにくい。

 

 DFを振り切るのにこんな手こずったのはいつ以来だろう。そーいや中学の時も一度だけ、試合ですげーしつこくDFされた時があったっけ。確か正邦との試合。

 この人は正邦ほどしつっこくDFしてくる訳じゃない。それなのに動きが読めない。

 

 進むかパスか、一瞬判断が迷ったその時だった。

 俺の左後ろから誰かがボールを突いてカットする。秀徳のPGだ。―――しまった、この人に気を取られ過ぎた。

 こぼれたボールは雪野サンが拾ってパスにつなげた。

 

 パスの先にいたのは緑間っち。

 やばい、と頭の中で警告が鳴る。ハーフラインから一m近く下がった位置だ。でも緑間っちは涼しい表情でボールを放った。

 相変わらずお手本通りのきれいなシュートだった。

 ボールは少し宙を舞って、当然みたいにゴールへ入る。(秀徳)35対42(海常)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間の針が進んでいく。後半から入ると試合の展開があっという間だ。

 

 秀徳にボールが渡れば必ず緑間っちが3Pで点を入れる。

 敵に回すとほんっと厄介っスね。センターラインよりずっと後ろなのにどんどん入れてくる。

 俺も点は取っているけど、このままのペースじゃ直に追いつかれる。

 

 相変わらず俺にはこの白髪のセンパイがマークについていた。

 

 秀徳のSF(スモールフォワード)の人の動きをそっくり真似てドライブで突っ切ったら、相手から驚いたような気配を感じた。インターバルに入る前にコート外でチラッと見ただけの動きだけど、一度見たらどうすればそういう動きが出来るかは分かる。

 

 次の瞬間、ボールは俺の手からこぼれた。

 雪野サンが追いついてボールをカットされたらしい。

 ──―やっぱり偶然なんかじゃない。

 この人は、俺の動きを見切って先回りしている。そうでないとこの反応の速さは説明がつかない。

 けど、後半始まって数分くらいで、こんなピッタリ先読みされるもんなんスか。

 

 雪野サンはボールを奪うと緑間っちにパスを出した。そしてきれいな軌道を描いてシュートが放たれる。秀徳に3点加算。

 

 緑間っちがシュートを決めた後に、向こうのPGが褒めた声が聞こえたけど無視されていた。

 雪野サンも得点に繋げた筈なのにリアクションが薄い。

 ……他校の事だから別にいいけど、テンション低過ぎないっスか!? 

 この試合結構楽しみにしてたのに! 緑間っちももっと喜んで……いやそれはちょっと想像つかないけど! 

 

 とにかく、取られたなら取り返すまでっスよ!

 

 ゴール下の早川センパイから森山センパイにボールが回る。

 森山センパイは一瞬3Pの構えに入ったけど、俺と目が合うとすぐにパスに切り替えた。

 ここまで俺中心の攻撃にしてくれて、決められなきゃ嘘っスね。

 

 秀徳のSFを笠松センパイのドライブで抜いて、一気にゴール下まで詰める。

 傍にはまた雪野サンがリバウンドに待機してるのが見えた。

 ………動きを先読み出来るっていうなら、これは防げるっスか?

 

 右足を軸にターンして雪野サンや、秀徳のCのマークをかわし、ジャンプすればゴールはすぐ目の前。

 

「っ!!?」

 

 ボールはあっさりゴールには入らなかった。

 リングに当たり、空中にバウンドする。……でもしばらくリング周りをぐるぐる回った後、何とかネットをくぐった。

 

 完全に振り切ったと思ったのに、俺と同じくジャンプした雪野サンの指先が、少しボールに掠っていた。

 今のは火神っちが使っていた動きを再現した。速さも火神っちのそれよりずっと速くなっている筈なのに。

 

 ポジションにつこうと、さっさと背中を見せて行ってしまった雪野サンを無意識に目が追う。

 

「黄瀬! 試合中にボケっとすんな!」

「痛っ! 笠松センパーイ、いきなりシバくのは止めてほしいっス」

「……手強いか? あいつ」

「無視スか。……もうちょっと任せてもらっていいっスか? 何か向こうの考えが分かってきたような気がするんス」

「なら任せる。緑間は俺達が抑えるからお前は雪野をブチ抜け」

 

 サラッとそういう事言ってくれるからかっこいいんスよねーセンパイは。

 緑間っちは今の所、小堀センパイと森山センパイで抑えてくれてるけどやっぱり厳しいだろう。

 

 次は秀徳ボール。

 秀徳のCの人からパスが回る。流石にダブルチームついてる緑間っちには回さず、ボールを取ったのは雪野サンだった。

 パスを回す寸前に、今度は俺が雪野サンからボールを奪う。

 

 雪野サンがDFにかかったけど、俺はターンアラウンドでそれを躱した。

 咄嗟に再現したのは笠松センパイの動きだった。今の俺が一番見ているのは海常のセンパイ達の技だから、無意識の時にやっちゃう事は多い。

 

 けど、軽い衝撃と一緒にボールは奪われたのが分かった。

 抜いたのは雪野サンだった。今度は秀徳のSFにパスが回って、ボールがゴール下まで一気に運ばれる。

 

「リッ……バーン!!」

 

 早川センパイがリバウンドに跳ぶ。

 俺も切り返しけど一歩遅く、更に相手に2点加算。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2分のインターバルに入ってベンチに座ると、第3Q分の疲れが汗になってドッと流れてきた。

 たった10分間の事なのに殴り合いした後みてーに体が重い。

 緑間っちの3Pを全力で抑えてカウンターのチャンスを狙って速攻して、試合っていうか乱暴な点の取り合いだ。

 

 前半から出ているセンパイ達は俺よりしんどそうで、疲労を隠すように無言だった。

 点差は(秀徳)62対60(海常)。

 時間ギリギリで追い抜かれた。体力だけじゃなく気持ちの面でもしんどい。

 

 楽な試合になるなんて思ってなかったけど、予想外の事が多過ぎる。

 センパイ達の忠告は間違ってなかったんスね、なんて考えてたら監督の声が頭上に降った。

 

「……どうした黄瀬、キレが欠けているぞ」

「すんません」

 

 割と短気な監督が、説教じゃなくて心配しているのにちょっと苦笑する。

 それもそうか、多分ここに来ているギャラリーもセンパイ達も、俺だって緑間っちとの対決になるって思い込んでたのに、「キセキの世代」でもないノーマークの相手に苦戦してんだから。

 

「あの雪野って奴、そんなにキツいのか?」

「あー……キツいっていうか、何かやりにくいんスよね」

「やりにくい?」

「DFしてくる割には、俺の事を止めようって感じが全然しないし。それで突っ切ってみたら不意打ちしてボール持ってこうとするし。何か掴みどころがない相手っスよ」

 

 隣の森山センパイからの疑問に答えようとしたけど、俺も俺で何を言いたいのかまとまらない。

 俺の足りない言葉でどうにか伝わったのか、笠松センパイが言った。

 

「掴みどころがねーって、誠凛の透明少年みたいなもんか?」

「うーん……それとはまた違う感じなんスよねー」

 

 確かにプレイスタイルは黒子っちと似たものを思わせるけど、あれとは違う。

 視線誘導(ミスディレクション)は文字通りに視線を逸らして、黒子っちの存在を敵に認識させない方法だ。雪野サンの場合は黒子っちみたいな影の薄さがある訳じゃないし、目の前にいる事はちゃんと分かる。なのに動きが読めない。

 

「雪野もだけど今は緑間だな。あの3Pを打たれ続けたらすぐに追い抜かれる」

「俺と小堀がマークについたとして、止めるのはやっとだぞ」

 

 センパイ達の言う通り、緑間っちも放っておけない。

 

 小堀センパイと森山センパイがダブルチームで緑間っちについて、俺をフリーにしようとしてくれている。

 けど緑間っちに人数を割けば他が空くのは当然だ。

 三大王者とか言われてるだけあって、秀徳は他のメンバーもセンパイ達と張るぐらいに強い。

 

 俺が緑間っちを防ぐのが一番いいのに、それを出来てないから気持ちが焦っていた。

 監督が皆の様子を見ながら、重く言った。

 

「相手はだんだん勢いを付けてきている。だが相手の得点の決め手は緑間だ。まずは緑間を抑える事を最優先に、これ以上点は取らせるな。黄瀬、お前は雪野を抜けるか?」

「大丈夫っス。………色々やられたけど、そんな簡単に負けねーっスよ」

「……あいつ、もしかしてお前の模倣(コピー)が通じないのか?」

 

 隣の森山センパイがちょっと遠慮したように聞いてきた。

 

「いや多分、思うんスけど、技が通じてないっつーよりも見抜かれてる感じっスね」

「どういう事だ?」

「あいつは相手の動きの先を読む事がずば抜けてるらしい。黄瀬が使ってる技もそれで先回りされてるって事か」

 

 笠松センパイの言葉に同意する。汗が水を浴びた後みたいに頬を流れてきた。

 

「そーっス。俺が向こうのSFの動き使って抜こうとした時、あっちは迷わず左サイドから狙ってボールを取ろうとした。あの反応は、ドライブした時にサイドに隙が出来る事を読んでなきゃ出来ない」

「緑間だけでも一苦労だってのに、また厄介な相手が出てきたな」

「そーでもないっス。確証はないっスけど、向こうにも弱点はある」

「弱点?」

 

 つっても黒子っちの時とは違って、ほぼ俺の勘なんスけどね、とは言わない。

 

 弱点があろうが無かろうが、緑間っちにも誰にも、負ける気は無いっスよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最終Qが開始する。

 今の所、点は向こうが2点リード。

 シュート2本でひっくり返せる差だけど、緑間っちの3Pがあるんじゃ呑気にしてられない。

 

 何度か試して、雪野サンのパターンは分かってきた。

 海常ボールで始まり、小堀センパイから俺にパスされる。

 雪野サンとまた向かい合う形になるけど、俺は何も攻めなかった。隙だらけなのを見越したのか、ボールはあっさり取られる。

 

 雪野サンがドリブルで逆サイドに走るけど、すぐに止まって、ボールの音だけがコートに響く。

 攻めあぐねてる、って様子じゃない。

 

 俺は雪野サンのDFじゃなくて秀徳のSFのマークについていた。つまり、雪野サンはフリーの状況だ。

 

 さっきから思っていたけど、この人は自分から攻めたりシュートする事をしようとしてない。

 俺からボールを取ってもすぐに緑間っちかSFに回してる。

 そりゃ、緑間っちにボール渡せば確実なのは分かるけど。

 だから逆にこの人を自由にさせて、他のパスコース先を全部潰してしまえばどうだ。これならこっちの先を読むも何もないだろう。

 

 予想通りに雪野サンはすぐには仕掛けてこなかった。

 パス出来る相手は緑間っちにはダブルチームがついてるし、他もセンパイ達が塞いでいる。

 

 ボールを持つ雪野サンを中心にして、皆がお互いの出方を伺うみたいに、コート内が沈黙した。

 

 

 その時、先に動いたのは雪野サンの方だった。

 

 

 ドライブ? いや、この踏み込みは違う。

 咄嗟に俺は正面から阻むようにDFしたけど、一歩出遅れた。

 

 次の瞬間、雪野サンの体は宙にあった。

 すぐに俺も続いて、踏み込んでジャンプし、ボールに手を伸ばす。

 

 

 ──何か、前にも味わった事があるような感覚だった。

 

 俺の方が後から飛んでいるのに、雪野サンより先に落ち始めている。

 あり得ない滞空時間と跳躍力。ゴールに思い切りダンクシュートが決まったのはその直後だった。

 

 得点が加算されて、俺が着地したすぐ後に雪野サンも落ちる。

 言わずにはいられなかった。

 

「…………びっくりっスよ。まさか火神っち以外にそんなジャンプが出来る人がいるなんて」

 

 ついこの前、試合をした赤髪の相手を思い出す。

 しかもさっきの踏み込み位置は、見間違えじゃなければフリースローラインからだ。

 こんな切り札持ってるのに自分から攻撃してこないなんて、この人、実はいい性格してるっスね。

 

 遠ざかりかけた白髪がこっちを振り向く。

 初めて雪野サンと目が合った。少し青みがかった瞳だった。

 

「別に大した事じゃないよ、ただのダンクだし。──―それに、黄瀬君は一度見たら同じ事が出来るんでしょ?いいよ、真似しても」

「………………」

 

 柔らかく言ってるつもりだろうけど、挑発が隠せてないっスよ。

 

 ―――でもそんなに言われちゃ、俺もお返ししなきゃ収まらないっスね。

 

 

 

 本当に、高校に入ってから驚く事ばっかり。

 火神っちに会ったばっかで、こんなに早く、新しい敵と会えるなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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18.完美無欠

 

 

 

 

 

 

 

「──―よし、後半からは緑間も出ろ。時田と交代だ。

 黄瀬のマークには雪野、お前がつけ」

 

 ん? んん? 

 

「監督」

「何だ」

「意味が分からないです。黄瀬君の相手なら緑間君が適任ですよ」

 

 思わず真顔で聞いてしまった。

 いや、でも、これは意味分かんねーよ!? 

 海常リードで前半終了。そしてたった今、黄瀬が遅れた登場をしてきて、じゃあ後半からはキセキ同士の激突か、なんて空気になってるのに。

 

「……監督、雪野を見くびる訳ではないですが、確かに黄瀬には緑間をあてた方がいいのでは?」

 

 大坪主将も加勢する。うん、そのまま押し切ってくれ。

 

「だからこそだよ。あちらさんも確実に、うちが黄瀬に緑間をつけてくると予想する筈。ならそれを逆手に取って雪野で黄瀬を抑え、緑間をフリーにする」

「……いや、それでも俺一人じゃ荷が重いですよ。キセキ相手なら宮地さんとダブルチームとかした方が」

「おい雪野、いつまでもグズグズ言ってんじゃねえ。リードされてんだから死ぬ気で止めろよ。縫うぞ、大坪の編み棒で」

「宮地さん……」

 

 宮地(兄)が全く目が笑ってない笑顔で急かしてくる。

 ていうか編み棒って何だよ、編み棒って。

 

 緑間が出てくれるなら、点取りを任せて俺は脇に徹していたい。

「キセキの世代」の相手なんて面倒になる事は目に見えてるし、わざわざ疲れる役目をやりたくない。

 

「……緑間君。緑間君だって折角なんだし、黄瀬君と直接やりたいよね?」

「いえ、お任せします」

「緑間君!?」

 

 いつものワガママはどうしたんだよ。まだ確か二回は余ってるぞ? 

 まさかこの後輩が遂に人に遠慮する事を覚えたのか。進化の瞬間を垣間見たような気分でいると、緑間は眼鏡のブリッジを上げた。

 

「今日のかに座は、双子座とは相性最悪なのだよ。ですから、俺はなるべく黄瀬から離れてアウトサイドの得点に集中したいです」

「あ、そういう理由……」

 

 高尾が爆笑しながら緑間の背中を叩いているのが見える。

 今日のラッキーアイテムだとか言ってた金魚鉢の中で、金魚だけが優雅に泳いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後半開始。

 結局上手く逃げられず、俺が黄瀬のマークにつく事になった。あーもういい、こうなったからにはやってやるよ。

 

 センターサークル付近で突っ立っていた黄瀬の正面に立つ。

 変わらねーと思ってたけど、俺よりちょっと背は高かった。切れ長の目がこっちを見る。……睫毛長過ぎねえ? 

 何か直視出来なくて目を逸らす。間近で見るとイケメンっぷりが眩しい。キラキラとかシャララッとかいう効果音がつきそうだ。

 

「………………えーと、確か雪野サンっスよね? 予選リーグの後に会ったけど」

「え? あ、あー……覚えててくれたんだ。どーも」

 

 突然話しかけてきたから、まさか黄瀬が俺に言ってるって思わなかった。

 確かに予選リーグの後にお好み焼き屋で会ったけど、文字通り「会っただけ」で、こいつは緑間や火神と話し込んで俺とは一言も会話してない。俺の存在なんて認識されてねーと思ってた。

 

 意外な事に驚きつつも、試合は始まる。

 まずは海常の(センター)――確か小堀とか呼ばれてた――からスローイン。笠松にボールが周り、すぐさま黄瀬に回された。

 

 当然だろうな。後半は間違いなく黄瀬中心でくる。こっちが緑間を火力に使ってるのと同じで、海常の得点源(スコアラー)は黄瀬だ。

 

 ボールを手にした黄瀬と向かい合う。

 数秒の膠着。

 先に仕掛けたのは黄瀬だった。──―左への踏み込み。

 

「プッシング! 白7番!」

 

 中断させたのは審判の声だ。

 ぶつかった衝撃で少しよろけた黄瀬。強引に当たった俺にF(ファール)の判定が下る。

 

 でも今のは止めようとしたらファールもらうしかなかった。

 方向は読めても速さが追いつかなきゃ意味が無い。

 再開し、黄瀬がまたボールを持つと、俺やゴール下の大坪主将をあっさり躱してレイアップシュートを決めた。緑間の教科書フォームとは違うけど、これまた絵になるくらい綺麗なシュートだ。周りのギャラリーから歓声が上がる。主に女子の。

 

 そしてまたボールは黄瀬に回った。

 いくらエースったって、試合をここまで黄瀬中心にするのはすげーな。こっちだって緑間中心にはしてるけど、大坪主将や宮地さんだってそこそこ決めるのに。

 前半であれだけ自分から攻めてた笠松が、黄瀬が来た途端に何の迷いもなくボールを回してる事は素直に驚いた。

 

 で、黄瀬にボールが回るって事は俺が防がなきゃならねー訳で。

 

 誠凛戦で黒子を相手にした時とは違って、こいつはうるさいくらい存在感があるからむしろマークはしやすい。

 黄瀬も単調に攻める気はないのか、考えるように体が止まった。

 

 ──その時出来た一瞬の隙を見つけて、後方から高尾がボールを突いてカットする。

 前半で笠松に集中攻撃されてた反動なのか、高尾のフォローが手早い。

 

 こぼれたボールを拾い、緑間につなげる。

 

 そして秀徳側にも三点が確約された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後半始まって三回目の緑間の3Pが決まる。

 あっちが黄瀬でガンガン来る気なら、こっちは緑間だ。黄瀬を抑えつつ、ボールが手に入ったらとにかく緑間に渡す事に専念した。

 

 緑間のシュート精度をしみじみとありがたく思う。ボールを渡すイコールで3点獲得なのはアドバンテージなんてもんじゃねえ。

 DF(ディフェンス)で黄瀬を抑えていると、OF(オフェンス)まで手が回らない。今は緑間頼りだ。

 

 けど黄瀬と何度も追いつ追われつを繰り返している内に、あいつのスピードと反射の加減は分かってきた。

 ある意味、前に桐皇で青峰とちょっとだけ1対1(ワンオンワン)したおかげかもしれない。あの野生の猛獣みたいな反応速度に比べたら優しく思える。

 こうなると気になってくるのは、緑間が言ってた黄瀬の能力だ。

 このままこっちが逆転する流れになればいいけど、やっぱりそう都合良くはいかなかった。

 

 再びボールを持った黄瀬が、数秒ためらった後、ドライブで突っ込んできた。

 

 さっきより数段速い。

 ────それにこの動き方は見覚えがあった。

 

「なっ!? あれは……」

 

 宮地の声が遠くに聞こえる。

 

 隙の出来た左サイドからボールをカットして、止める事は出来た。

 こぼれたボールを拾い、緑間にパスする。ボールは全くぶれない軌道を描いてゴールに入った。

 

 これで点差は(秀徳)47対50(海常)。

 緑間のシュート一本で追いつける差が、縮まりそうで縮まらない。

 

 

 横目で後方をチラッと伺うと、呼吸を整えている様子の黄瀬が見えた。

 こいつの力っていうのは、こういう事か。

 今のドライブの動きは、宮地のそれとまるっきり同じだった。いや正確には、動きは全く同じだったのにずっとキレがある。……前半では確かに宮地がOFをやってたけど、インターバル前にでも見てたのか? 

 

「雪野さん、ナイスパスッ! ……って、何か顔暗いっスよ?」

「……ああ、いや、何でもないよ」

 

 暗いのは元々だ、おい。

 高尾の茶々は聞き流して、黄瀬の方に集中する。

 

 ゴール下の小堀から、森山とかいったSG(シューティングガード)へパスが渡った。森山は一瞬3Pをするような素振りを見せたけど、いきなり切り替えてパスを出した。

 ──―3P決められる状況だったのにここでも黄瀬? 強気を通り越してめちゃくちゃだろ。

 

 黄瀬はパスを予想していたのか、ボールを取るなり宮地をドライブで抜いて、一気にゴール下まで詰めてきた。ここで止めねーと点を取られる。

 

 だが黄瀬は真正面にまで来たかと思うと、右足を軸にターンして俺をかわした。

 あの加速状態から体勢を変えられるのかよ。

 

 黄瀬がジャンプした瞬間、反射的に俺もコートを蹴り上げて跳んでいた。

 ──―けど、ダメだ。

 反応がワンテンポ遅い。指先がボールを掠めたが、軌道の勢いは殺せていない。

 黄瀬が放り投げたボールはリングに当たったが、バウンドして空中に跳ね、リング周りをぐるぐると回った後に点を入れた。

 

 どこか既視感のある動き。俺や秀徳のスタメンのものじゃない。

 記憶を探ろうとした時、閃きのように思い当たった。あのワンハンドダンクのやり方は火神のそれだ。

 

 後半開始前、緑間が言っていた事が頭に浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねえ、緑間君って黄瀬君と中学同じだったんだよね?」

「そうですが」

「何か弱点とか知らないの?」

 

 軽く聞いただけなのに、緑間は意外にも思い出すような素振りをしてくれた。

 

「あいつは頭が悪いです」

「緑間君、黄瀬君の事嫌いなの?」

 

 隣の高尾が爆笑を堪えているが、背中が震えているのが隠せてない。

 そして何を曇りない眼で言ってるんだよお前は。俺も黄瀬の事なんてモデル兼キセキの世代くらいしか知らないけど、可哀そうだろ……。

 

 海常側のベンチにいる黄瀬に少し視線を向けたように見えたが、緑間は静かに続けた。

 

「奴はどんなプレイでも一度見たら自分のものにして、完璧に再現出来る力を持っています。オールラウンダーとしては間違いなく右に出る者はいませんが、何でも出来る性質である故に、何も出来ない」

「はあ? 何だそりゃ」

 

 宮地が眉間に皺を作る。

 緑間は構わず、淡々と説明した。

 

「奴だけの武器が無いという事です。黄瀬が使う技の多くは過去の対戦相手との経験から見取ったもの。けれど無数の技術を使いこなす事は出来ても、黄瀬はそれで満足してしまっている節がある。自分独自のオリジナルを極めようとはしていない」

 

 3P(ポイント)に特化した緑間とは真逆のタイプの選手って事か。色んな意味で。

 それにしてもキセキの事になると普段の倍くらい喋るな、こいつ。

 

「けどさ、どんな技でも使えるってやばくね? 真ちゃんの3P真似されたら止めらんねーよ?」

「それはあり得ん。奴は出来る技しか出来ないからな」

「お前もうちょっと分かりやすく話せよ、禅問答じゃねーんだぞ。スイカぶつけんぞ」

「宮地、うちのスイカの入荷はまだ先だ」

 

 宮地(兄)と木村の漫才じみたやり取りはこの際流して、俺から訊ねた。

 

「……自分の限界を超える技は出来ないって事?」

「その通りです」

 

 サラッと自分は限界超えてますみたいに言うな。……まあ、こいつの3Pは真似しろって言われても無理か。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 第3Qの終了時、点差は(秀徳)62対60(海常)。

 最終に入る手前で何とかギリギリ逆転出来た。

 全く、緑間が口癖みてーに言ってる「2点より3点の方が大きい」理論を実感する。あいつみたいに3P一筋になろうとは思わないけど。普段はそれ言う度に宮地(兄)に怒鳴られてるし。

 

 黄瀬の模倣技はすごい。

 他人の技をあそこまで正確に、しかも今日初めて見たはずの宮地のドライブさえ、完成度を上げて再現してる。

 しみじみと「キセキの世代」の才能っぷりを見せつけられてる気分だ。

 

 でも言っちゃわるいけど、所詮は他人の技だ。

 宮地のドライブも火神のシュートも、最初は驚いたけど慣れてしまえばどうって事はない。

 後半始まってから笠松の動きも何度か再現していたが、海常のスタメンの動き方なら前半で俺も見ている。

 もしかして技のストックそのものは黄瀬の中にたくさんあるのかもしれねーけど、見る限り、あいつは新しく覚えた技から使っている。だったら俺も知っている技は多い筈。先は読みやすい。

 

 最終Qは海常ボールで始まった。

 小堀から、やはりというか黄瀬にパスされる。

 

 黄瀬と再び向き合う形になったが、今度はどういうつもりか、隙だらけだった。

 ……こっちの攻撃を誘ってんのか? 

 

 黄瀬のボールをカットして俺が直進する。

 よし、さっさと緑間にパス出して──―とはならなかった。

 緑間には小堀と森山のダブルチーム、宮地には黄瀬、高尾には笠松、大坪主将には早川とかいったPF(パワーフォワード)がついている。パスコースを封じられた。

 

 思わず黄瀬を見ると、視線が合った。

 整った顔に不敵な笑みが乗っている。

 もしかして、俺が自分からは仕掛けてこない事を見越したのか。 

 そう推測したなら間違ってはいない。あんまり自分から攻撃したくないのは本当だし、出来るなら緑間や宮地に任せてDFに徹していたい。

 

 ……けど、まあ、こっちの技を真似されたままなのも癪だな。

 ちょっと黄瀬に一泡吹かせてやりたい気持ちが芽生えてきた。

 

 全員にマンツーマンでDFがついているけど俺はフリー。位置はフリースローラインより少し手前、ここからならゴール下まで一跳びでいける。

 確信した直後、すぐに体が動いた。軽く助走をつけてコートから踏み切る。

 察知した黄瀬も同じようにジャンプしたが、このタイミングは間に合わない。数秒の浮遊感を感じた後、黄瀬から先に落下していくのがスローモーションのように見える。邪魔者がいないゴールにボールを思い切り叩き込んだ。

 

 久しぶりのレーンアップで、着地後、少し衝撃でよろける。

 周りのギャラリーからの声が、何故か固まったように止んでいた。―――が、その直後、時が動き出したようにして歓声が沸いた。

 うわ……やっぱりこんな派手な事するもんじゃなかったかもしれない。ちょっと後悔気味でいると、黄瀬が苦々しく呟く声が聞こえた。

 

 

「──―びっくりっスよ。まさか火神っち以外に、そんなジャンプが出来る人がいるなんて」

 

 

 そういえば火神もよく跳んでたな。やたら超跳躍(スーパージャンプ)する癖に、足の負担を全く考えずに連発してるから敵ながら見ててハラハラした。

 

「別に大した事じゃないよ。ただのダンクだし。──―それに黄瀬君は一度見たら同じ事が出来るんでしょ? いいよ、真似しても」

「………………」

 

 少し挑発じみた言い方になったけど、本心だ。

 中学の時だって、レーンアップが出来た選手は俺以外に会った事が無かった。この跳び方が滅多に出来るもんじゃないって事くらい自覚はある。

 やれるもんならやってみろってんだ。

 

「痛っ!」

 

 なんて思っていたら、いきなり後ろから頭をはたかれた。

 

「………え、宮地さん?」

 

 振り返ると、そこに居たのは宮地だ。けど殴られる理由が分からない。後輩の癖に目立ったから怒ってるのか。

 

「……俺なんか悪い事しました?」

「雪野、お前……あんな事出来るんならさっさとやっとけよなー! ったく、勿体ぶりやがって。いきなりレーンアップとかビビったぞコラ」

「え?」

 

 ……怒っている、訳ではなさそうだった。

 言い方は荒っぽいけど、いつもみたいに怒りを抑えたような感じはない。あの、頭をグリグリしないでください。普通に痛い。

 

 戸惑う俺に構わず、宮地はシバいてんのか誉めてんのか分かんない調子でポジションに戻っていった。呆然とした俺の隣に、大坪主将が近づいて小声で言う。

 

「あいつなりに褒めてるんだ、もっと喜んでいいんだぞ」

「褒めてる……? え、何でですか?」

「何だ、気付かなかったのか? お前が自分から攻めて得点するなんて滅多に無かっただろう、だからだよ。―――それに、自分のドライブがあっさり模倣されたから、やり返せて嬉しいんだろ」

 

 大坪は裏表無しに言ってるんだろうが、その言葉にはギクリとするものがあった。

 秀徳のチームは層も厚いし、何より緑間が加入したから俺がわざわざ頑張らなくてもいいだろうって思ってはいたけど。

 

 大坪は続いて、俺達全員に聞かせるように声を張り上げた。

 

「よし! このまま一気に決めてくぞ!」

 

 試合の空気とか熱気とかが、秀徳側に傾いているのが分かる。

 前半ではほとんど海常贔屓だったギャラリーの声に、だんだんとこっちを応援する声も混ざるのが聞こえる。

 良い流れって言うのか?こういうのは。

 

 黄瀬の様子を伺うと、笠松が近づいて何事かを耳打ちしていた。緑間の人間離れした3Pを何本も決められて逆転された状況なのに、全然怯んだように見えない。……やっぱりあと一波乱くらいはありそうだな。

 

 残り時間は8分を切った。

 大坪主将の掛け声を合図に、俺達は一気に攻める姿勢に出た。ここで守りに入る意味はない。

 高尾のパスから緑間が受け取り、3点を加算する。

 

 と、その時緑間についていたダブルチームから一人外れた。

 海常のSG、森山だ。

 すると今度は小堀がパスを投げ、海常側の速攻がかかる。

 

 ボールを受け取ったのは森山。あの変てこなフォームでまた投げる。それなのに不思議とゴールに入った。海常にも3点追加。

 黄瀬一人で攻める事を止めたのか? 確かに残り時間を考えたら黄瀬に回すより、3Pを狙った方が勝率は上がる。

 

 けど緑間のダブルチームを止めたのはミスにも感じる。

 これであいつも3P打ち放題だ。

 

 海常が3点取ればこっちも緑間で3点取り返す。

 同じ点数なら勝負が決まるのはシューターの精度だ。着実に差が広がりつつある所に、俺は黄瀬のマークを続けていた。

 黄瀬に攻撃の様子は無い。……まさか諦めた? って事はないと思うけど、第3Qでの勢いが無くなっている。

 

 何か違和感がある。

 あのレーンアップがそんなに衝撃だったのか。それにしては目に力が入ったままだ。

 予選リーグの時の火神の事を何故か思い出す。どんな状況でもチャンスを探して逆転を狙っている目だ。

 

 その時、森山から笠松にパスが回り、笠松から黄瀬にボールが流れた。

 ボールを持ったまま動きを止めた黄瀬と、また向かい合う。

 さあ、次はどんな手でくる。

 宮地のドライブか、海常のスタメンの動きか、それとも本当に俺のジャンプを真似してみせるのか。

 どちらにしろ、切るカードが限られているなら予測は出来る。

 

 黄瀬の挙動に集中する。

 ──―と、そのままの体勢で、黄瀬は流れるように3歩後ろに下がった。

 

 コートのラインが示すその位置。そして黄瀬の視線の先。

 まさか、と思い至った瞬間、黄瀬はボールを放った。

 

 

 

 

 センターラインからの3Pシュート。

 

 緑間と、同じシュートを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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19.模倣、創造、拮抗

 

 

 

 

 

 

 

 お手本のように美しい弧を描くシュート。

 俺達にとっては春から見慣れていたそれは、たっぷり時間をかけて宙を舞ってゴールを射抜いた。

 

 同時に海常側から歓声が上がる。

 逆に秀徳側は、ベンチも含めて火が消えたような沈黙が落ちた。

 

「位置に戻れ! DF (ディフェンス)だ!」

 

 大坪主将(キャプテン)の掛け声で硬直が解け、コートを走る。

 

 自分の目を疑った。

 今のシュートは、ハーフラインからとはいえ緑間の3Pシュート。

 

 ──―まさかあいつ、他のキセキの世代の技も出来るのか? 

 

 けどそれを考えている余裕は無い。

 大坪主将からのスローインでボールが回ったが、宮地の手に入る前に黄瀬がスティールする。また打たれたのは3Pシュート。

 緑間と同じ、綺麗な放物線を描いてリングをくぐる。

 

 点差が(秀徳)64対69(海常)。

 最終Qになってとんだ番狂わせが起きたもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 監督がT・O(タイムアウト)を入れてくれたのは俺達全員にとって助かる事だった。

 予想していなかった展開に、大坪主将も宮地も高尾も、緑間さえいつもの鉄仮面が揺らいでいるように見える。

 いっそ感心したような風に監督が呟いた。

 

「驚いたな。まさか緑間のシュートまで打ってくるとは」

 

 全く、その通りだと思った。

 

 味方側なら半分笑ってみていられた緑間のシュートが、この状況じゃ全然笑えねえ。

 隣にいる当の本人は一言も喋らないけれど、目つきはどことなく険しかった。やっぱり自分の技をそっくり真似されたら、穏やかじゃいられないのか。

 

「緑間君、黄瀬君のあれ、知ってた?」

「いえ、俺が知る限りであいつが「キセキの世代」の技を模倣(コピー)した事はありません。……それに、さっきのシュートも完全に俺のシュートを模倣している訳ではないのだよ」

「どういう事?」

 

 緑間は静かに続けた。

 こめかみから流れた汗をタオルで拭う。

 

「フォームは確かに俺のシュートと同様でしたが、打つ時のタメが僅かに長いです。恐らく黄瀬は自分の飛距離の短さを、俺よりもタメを長くする事でカバーして再現しています」

「再現って……んな簡単に真似してくれてんじゃねーっての」

 

 宮地(兄)が毒づくように呟いたが、いつもの勢いが無い。

 

 気持ちは何となく分かる。

 緑間のでたらめなシュートは味方にあれば無敵だけど、それを敵として攻略しなくちゃいけない展開が全員の脳裏に浮かんでいる。

 

「……ふっ……ぶはっ」

「……高尾君? え、大丈夫?」

 

 と、緑間を挟んで隣にいた高尾がいきなり噴き出した。

 いやいや、この空気でどこに笑う要素があったんだ。ちょっと真面目にこいつの頭が心配になる。

 

「い、いやすんません。何か、真ちゃんのシュートをあっちもこっちも使ってんのかと思ったら何か笑えません?」

「笑えない」

「笑えねーのだよ」

 

 まさか緑間と意見が一致するとは思わなかった。高尾はようやく笑いを収めたけど、それでもやけに浮足立ったような声で言った。

 

「でも緑間の3Pシュートを相手にするなんて機会、そんなに無いっスよ! 俺、ちょっと燃えてきましたし」

「前向きだね、高尾君……」

「こういうのはお気楽っつーんだよ、雪野」

 

 宮地さん、それ誉めてます? 誉めてねーよ。というひと悶着が更にあったが、暗くなりかけていた雰囲気が少し緩やかになった気がした。大坪主将が溜息を吐いて、切り替えるように言う。

 

「監督、たとえ向こうが緑間と同じ技を使ってきても、条件はこちらも同じです」

「その通りだ。相手も必死になっている事に変わりはない。

 マークはこのまま変わらずにいく。雪野は黄瀬についてボールを持たせないように。ダブルチームを外した以上、あちらさんも3Pを多用していくと考えた方がいいだろう。緑間中心で攻めろ。宮地は向こうの6番につけ。最後まで気を抜くなよ」

 

 T・O終了のブザーが鳴る。

 試合終了まで残り、7分と10秒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再開早々、海常は黄瀬にパスを出してリスタートした。

 しかもまた位置はセンターライン。その目は真っ直ぐにゴールを向いている。

 

 ──―これを打たせたら一気に流れが海常に傾く。

 黄瀬が3Pシュートを打ったと同時に俺も跳び、放物線上を狙って手を伸ばした。

 手の平にボールが当たる感覚。そして審判の笛も鳴った。

 

「アウトオブバウンズ! 黒ボール!」

 

 ゴールラインからボールが転がっていく。

 確かに緑間が言った通り、こいつの3Pは緑間のそれよりタメが長い。たとえ長距離を狙われてもその時間差を狙えばブロックする事は出来る。

 

 跳躍の反動で少し屈み込んでいると、真上に視線を感じて顔を上げる。すると黄瀬と視線がかち合った。

 

「やっぱ一筋縄じゃいかないっスね。緑間っちのコピーなら止められないと思ったんスけど」

「お手軽に言わないでほしいよ……。「キセキの世代」っていうのはびっくりさせる事が好きだよね」

 

 緑間が入部してきた4月の頃を思い出す。

 あの百発百中3Pを始めて見た時も度肝を抜かれたもんだけど、それを再現出来る奴がいたなんて思わねーよ。

 

「隠してた訳じゃねーっスよ。ただ俺も、もう負けたくねーんで」

 

 黄瀬が少し挑発するように微笑んだ。

 予選リーグの時の火神を思い出すような、獰猛さが見える微笑みだった。モデルの癖にそんな顔も出来たのか。

 

 所詮は非公式、たかが練習試合なのにすげー執念だ。

 でもここで俺達が負けたら、今度こそ部の雰囲気がどん底に落ち込むのは予想出来る。それは嫌だ。大坪主将も宮地も木村も機嫌が悪くなるだろうし、高尾は健気なくらい明るく振舞うだろうし。緑間はきっと表情一つ変えねーんだろうけど…………また一人でどっかに引っ込むのか、IH(インターハイ)予選の時みたいに。

 

 負けたくない、とまでは思ってねーけど。

 あの時みたいな光景は、あんまり見たくなかった。

 

 海常は黄瀬の3Pで完全に突き放すつもりなのか、アウトサイドからの攻撃中心でやってきた。けど黄瀬が3Pを決めれば、こっちも緑間にパスを出して3Pで同じだけ取り返す。

 お互いのスコアに3点ずつ追加されて時間が過ぎていく。

 

(秀徳)76対88(海常)。残り時間4分。

 

 けど黄瀬から3Pを仕掛けられたのが痛かった。点差が開いたまま埋まらずに、緊張の糸だけがどんどん張り詰めている。

 

「緑間っ!」

 

 宮地が緑間にパスを鋭く投げた。

 けど黄瀬が間に切り込んでスティール。

 

 黄瀬がボールを持ってすぐにシュート体勢に入った瞬間、俺もブロックするべく跳んだ。

 

「──―打たせないよっ!」

「っ!!」

 

 それでも黄瀬は強引にシュートを放ち、ボールが宙を舞う。

 このタイミングなら届く──―と思った矢先に、ボールは指先に掠めただけで届かなかった。

 

 ボールは大きな弧を描いてゴールにまで流れたが、完璧な軌道に乗ったように見えたそれは、リングに当たって弾かれる。

 

「ボール生きてるぞ!」

 

 海常側の誰かが叫んだ。

 大坪主将と森山、早川、ゴール下で密集地帯になっている状況にボールがワンバウンドして落ちる。混乱の中でボールを手にしたのは大坪主将だった。

 

「速攻!!」

 

 主将のロングパスがコートを縦断し、俺の手元にボールが渡された。

 

 そのまま切り返し、ゴールに向かってペネトレイトしたが、正面に立ちはだかったのは笠松だった。

 黄瀬がシュートを入れた時から自陣にいたのか。

 右サイドの死角を狙って駆け出し、DFを辛うじて抜ける。高尾にバックパスを投げると、ボールは緑間につながった。

 

 緑間がシュートモーションに入る。ボールが投げられ、秀徳に3点追加。

 ポジションに戻る時、傍にいた宮地に小さく耳打ちする。

 

「宮地さん、気をつけて下さい。黄瀬の3P、だんだん精度が上がっています」

「は? ……さっきまで未完成だったってのかよ」

 

 察してくれた宮地に、俺は頷く。

 

「最初は俺が飛んで完全にブロック出来る高さで打っていました。でも、さっきの弾道は最初よりループの高さが上がっています」

 

 だから指先しか掠める事が出来なかった。

 ループの高さを上げている、つまり、オリジナルの緑間のシュートに少しずつ近付いている。

 のんびり時間を浪費する事は出来ないって事だ。

 

 それに──―他に気になる事も出てきた。

 

 海常のスローインで、C(センター)の小堀から笠松にボールがパスされた。

 

「笠松! くれっ!」

 

 海常のSG(シューティングガード)、森山が呼びかける。

 笠松が鋭くパスを投げた所で、それをスティールしたのは高尾だった。前半のように笠松のマンツーマンがなくなったおかげで鷹の目をフル活用している。

 

「雪野さんっ!」

 

 高尾から俺にパスが渡された。

 ドリブルで敵陣まで進むが、キラキラと眩しい金髪が立ちはだかる。黄瀬だ。

 

 コピー能力とかいうふざけた力もある癖に、DFも並じゃねーのはずるいだろ。左には緑間、右には宮地がいる。緑間に森山がマークについているが、ダブルじゃなければあいつが抜けるのは難しくないだろう。

 緑間にパスを渡そうとして────直前で宮地に変えた。切り替えして黄瀬の視界から抜け、隙をついて宮地にボールを渡す。

 そして宮地のレイアップが決まった。

 

(秀徳)81対88(海常)。逆転の射程圏内だ。残り時間は2分足らず。

 すると緑間が仏頂面なままで、こっちに無言で近付いてきた。

 

「……ボールは俺に下さい。必ず得点出来ます」

「いや、緑間君を信用してない訳じゃなくてさ」

 

 そんなあからさまに不満顔されても。

 俺が気になったのは緑間のシュート力じゃなくて、もっと別の事だ。

 監督から再びタイムアウト申請がくだったのは、その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベンチに戻った俺達を一度見回した後、監督は緑頭の一年生に訊ねた。

 

「緑間、最後までシュートは打てそうか?」

 

 俺が報告するより早く、監督は率直に訊ねた。

 大坪主将や宮地達に、驚いたような空気が広がるのが分かる。でも、このタイミングでわざわざタイムアウトを入れるのはそんな理由しか無い。

 

「……質問の意味が分かりませんが。試合が終わるまで打てます」

「我慢しなくてもいいよ。……足首、どっちか悪いんじゃないの?」

 

 下手な誤魔化し方をする緑間が見ていられなくて口を挟むと、無言で睨み返された。おい、俺も一応先輩だぞ。

 

 こいつ、多分あの長距離シュートのせいでどっちかの足首に負荷がきてる。

 普段なら見逃していたかもしれないけど、黄瀬の模倣技を相手にしてたせいか違和感に気づけた。緑間もシュートを打つ前に、いつもより「タメ」が長くなっている。

 今日は後半から出場だから普段より弾数は少ないはずなのに、タメが伸びてるって事は、体のどっかに負担が出てるんだろう。

 

「おい、真ちゃん。それってマジかよ」

「うるさいのだよ。……調子が悪ければそもそも試合に出ていない。違和感を少し感じるだけだ」

 

 バツが悪そうに言う緑間に、ちょっと呆れる。違和感があったなら言えっての。 

 

「監督、緑間を外して時田を入れますか?」

「うーん、そうだねえ」

「この程度は負担になっていません。残りのワガママを行使しますから俺を出してください」

 

 その言いぶりに流石の大坪主将もムッとしたような空気を感じた。

 

「緑間、いい加減にしろ。練習試合で体を壊したら意味が無いだろう」

「そうだぜ真ちゃん。体調管理も人事の内なんじゃねーの?」

 

 軽い言い方ながら高尾も加勢する。

 これは明らかに主将達の言ってる事が正論なのに、何をこいつはゴネてるんだ。足首どころか、指の怪我さえいっつも神経質なくらい気を遣ってるのに。

 そんなに黄瀬に負けるのが嫌なのか? 隣のベンチで休息を取っている、青いユニフォームの一団を見やる。

 

「あ―……監督。ちょっといいですか?」

「何だ」

「提案って訳じゃないですけど、ちょっと考えてみた事があるんですけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タイムアウトはもう使い切った。だからこれが、本当の最終戦だ。

 

 秀徳が逆転するか、海常がこのまま逃げ切るか。

 どちらにしても、決め手が3Pにある事は全員が分かっていた。

 

 秀徳側からのボールでリスタート。

 大坪主将から俺にボールが回り、ドライブでそのまま中に切り込む。笠松が素早くディフェンスをしてきたが、俺は左後方にやってきた高尾にボールを手渡しした。

 そして高尾から緑間に──―ではなく、時田にパスが回る。

 

 3Pラインの僅かに外側から、時田のシュートが打たれる。

 バックボードに若干当たったが、得点には成功した。(秀徳)84対88(海常)。

 海常側から一瞬驚いたような反応があったが、反撃は早かった。

 

「止まるな、行けっ!」

 

 笠松の掛け声と同時に、黄瀬にパスが回る。

 

「──―行かせんっ!」

「……緑間っち!」

 

 黄瀬を正面からのディフェンスで阻んだのは緑間。

 この試合が始まってから初の、キセキとキセキのぶつかり合い。

 

 ──―黄瀬とゴールとの距離は3Pラインの外側付近。

 この距離なら3Pは十分に狙えるけど、黄瀬の選択は恐らく違う。

 

 黄瀬は緑間の右サイドを狙い、バックターンで振り切ろうとする。

 あの大ぶりな動き方は火神のそれだ。緑間もまた恐ろしい反応速度で止めにかかるが、僅かの差で黄瀬が早い。その時、バシッ! と何かを弾くような音が響いた。

 

「雪野さん!」

 

 黄瀬の死角になる位置から、間一髪でカットに成功した高尾が、俺に鋭くパスを渡す。

 攻守逆転。今度は俺の方から敵陣に切り込む。前には笠松、森山、そして黄瀬が後ろからすぐに追いついてくるのが分かる。

 それなら取るべき手段は一つしかない。

 

 大きくフロアを蹴る。慣れた浮遊感を感じると共に、目の前に来たリングにボールを叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

「提案って訳じゃないですけど、ちょっと考えてみた事があるんですけど」

「……ふむ、じゃあ聞こうか」

「緑間君を中心で攻めるのを止めて、宮地さんと時田さんを交代させたらいいんじゃないですか?」

 

 言った瞬間、両隣からすごい勢いで非難と反論が起こった。

 

「は?? 雪野、お前何サラッと意味分かんねー事言ってんだ。交代させんならこのワガママ野郎一択だろうが」

「ですから俺は出来るとさっきから言っていますが」

「てめーも黙ってろ緑間! 二人とも舌引っこ抜くぞ」

 

 海常側のベンチに聞こえるから暴言はその辺で勘弁してほしい。

 二人が落ち着いたのを見計らって、慎重に切り出した。

 

「ここで緑間君を引っ込めたら、攻撃の切り札が無くなりますよ。海常に勢いがつくだけです」

 

 あっちの主将は隙を逃がさなそうなタイプみたいだし。弱味を見せたらダメだと俺の勘が告げている。

 

「それで時田を入れてシューターを増やし、残り時間の緑間の負担を補おうという事か」

「まあ、そんな感じです」

「だが、それで3Pの打ち合いにもつれこむのは危険だぞ。あっちは黄瀬と、もう一人のSGが打ってくるだろうが、黄瀬がインサイドで攻めてきた時に守りが薄くなる」

「向こうも前半は強気に攻めてきたしな。こっからは総攻撃で来るぜ」

 

 大坪主将と宮地がそれぞれ神妙に言う。

 その通りだ。残り時間と点差を考えると、敵も最大火力で攻めてくる事は間違いない。

 黄瀬の体力がどの程度の状態か分からねーけど、正直賭けに近い。

 

「黄瀬君は緑間君に止めてもらって、俺が代わりに得点すればいいですよ。緑間君だってDFくらい出来るでしょ?」

「は?」

 

 あ、やべ。

 ……今のは口が滑った。緑間が怖いくらいの目つきで俺を見る。

 

 蛇に睨まれたみてーな気分で黙っていたら、やがて緑間の方から口を開いた。

 

「…………。いいでしょう、黄瀬程度に俺が抜かれる訳がないのだよ」

「ぶっふぉっ! 真ちゃん、チョロ過ぎっしょ!」

「黙れ高尾」

 

 納得してもらえて何よりだよ。しぶしぶ、って感じが隠せてないけど。

 それにしても、ちょっとだけこの後輩の扱い方が分かったよーな気がした。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 考えてみたらレーンアップなんて中学卒業以来、試合でやったのは初めてだ。

 それも一試合に二回もやったから、久しぶりで少し体がついていかない。

 

 けど予想が当たってとりあえずホッとする。

 何度か黄瀬の3Pシュートをブロックしたから分かった事だけど、精度を上げてきているって事は、裏を返せばまだ緑間のシュートを微調整している段階って事だ。完全に習得は出来てない。

 俺が正面にいても、黄瀬の目線は逐一緑間のシュートモーションを追っていた。

 

 そして予想通り、緑間相手に3Pシュートを使うのは避けた。

 俺より背丈のある緑間だとブロックされるリスクがあるし、本物の使い手相手に調整中の技は出さないはず。

 

(秀徳)86対88(海常)。

 時間も遂に1分を切った。──―3P一つで逆転出来る点差だ。

 

「──―まだだ! 返すぞ!!」

 

 それでも笠松の声に怯んだ様子は全く無い。

 森山にパスが回り、海常からの3Pが決まる。(秀徳)86対91(海常)、また離された。

 

 間髪入れずに、大坪主将からのロングパスが投げられる。高尾が受け取り、カットされる寸前で左後方にノールックでパスを出した。

 

 そこにいたのは時田。

 3Pを打つが、シュート間際に笠松がブロックして防いだせいで、軌道がぶれる。

 放たれたボールは、リングの端に当たり宙に浮いた。

 

「ッバ──ーン!!」

 

 海常のPF(パワーフォワード)がやかましい。

 俺も追いかけるように跳び上がり、取られる寸前にボールをゴールへと押し込んだ。

 

 考えるより先に体が動く。

 小堀から森山にパスが回った。黄瀬は緑間が抑えている、それなら森山から3Pを狙うのか。

 けど森山から出たのは、あの変てこなシュートではなくバックパスだった。──―先にいるのは笠松。

 

 しかも位置は3Pライン。

 ここで3Pを決められたら逆転の目が無くなる。

 

「──―このっ!!」

 

 直前で笠松のシュートをブロックし、ボールを奪う。

 そのままドライブで切り込み、投げるようにジャンプシュートを放った。

 

(秀徳)91対91(海常)。これで同点。

 

 残り時間は30秒も無い。

 

「走れ!!」

 

 ゴール下の小堀が叫び、海常全員が一斉にコートを走る。

 

 山なりにパスが投げられた。黄瀬が受け取り、シュートを決める──―事はなかった。

 フェイクだ。

 緑間の目を掻いくぐり、寸前で後方の笠松にパスを回す。

 

 笠松のミドルシュートが決まる。(秀徳)91対93(海常)。

 ギャラリーから海常に対する歓声が聞こえた。

 

「雪野!」

 

 しかし間髪入れず、大坪主将からのパスが回った。

 その時俺の前に、瞬間移動でもしたみたいに立ちはだかったのは、やはり黄瀬だ。

 

「行かせないっス!!」

「──―じゃあ、行くのは止めるよ」

 

 正面の黄瀬を視界に入れつつ、咄嗟にボールを明後日の方向へ投げつけた。

 

 時計は既に10秒を切っていた。こいつと争っている暇は無い。

 

 コートにワンバウンドしてボールが舞う。

 誰もいない所にぶん投げて、黄瀬が一瞬ぽかんとした顔になった。けど、その一瞬で十分だ。

 

「雪野さん、ナイス!!」

 

 誰よりも先に反応して、ボールを奪い取ったのは高尾だった。

 鷹の目(ホークアイ)なら気付いてくれると思っていた。そして黄瀬がここにいるという事は、あいつはフリーだ。

 

 

「真ちゃん!」

 

 

 高尾から緑間に鋭くパスが投げられる。

 

 

 

 

 

 残り3秒足らず。

(秀徳)91対93(海常)。

 

 緑間が、シュートモーションに入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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20.嵐の前の静けさに

 

 

 

 

 

 

 

 緑間がシュートモーションに入った。

 不意をついた3Pに、海常側で反応出来た選手はいない。

 

 

「……っ!?」

 

 

 だが次の瞬間、見えたのは光る金髪。

 黄瀬が緑間のシュートをブロックするべく、大きく跳躍していた。

 

「させねえっスよ!!」

 

 あの一瞬で緑間へのパスに反応したってのか。

 ──―だが、ブロックされるかに見えた所で、緑間はシュート寸前のボールを下げた。

 残り数秒の間際でフェイク。

 

 いや──あれは緑間も分かっていたのか。黄瀬なら必ず追いついて、止めにくるって事が。

 

 緑間の手から、ボールが放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 審判の笛が鳴った。

 大坪主将も高尾も、ベンチにいる宮地も木村も、誰も何も言わず呆然としている。

 海常側も固まったように動かなかった。リングをくぐったボールだけがコロコロと転がっている。

 

 緑間はシュートを打たなかった。

 

 ゴールネットが揺れている。

 3Pシュートを決めたのは緑間ではなく、時田だった。緑間からのパスを受けて、時田がその場から咄嗟に打ったのだ。

 

 パスを出した。あの緑間が。

 

「……よく気付いたっスね。緑間っち」

 

 海常も秀徳も、誰もが言葉を失っている中で、黄瀬の震えるような声はよく聞こえた。

 黄瀬のその言葉に応えるように、緑間の影からいきなり人が出てきたから驚いた。

 

 いつの間にか、緑間のすぐ右サイドに控えていた笠松だった。──―まさか、黄瀬がブロックに飛んだ事は囮だったのか。

 緑間があのまま自分で3Pシュートを打つ事を選んでいれば、笠松にカットされていた可能性があったか──―どちらにしろ100%成功はしていなかっただろう。

 

「気付いた訳ではない。……お前の目には確かな勝算があった。

 あれは、力任せに攻めてくる者の目では無かったのだよ」

「…………そっスか」

 

 緑間の素っ気ない返答に、それ以上黄瀬は何も言わなかった。

 

 そして整列の号令がかかり、コート上のメンバーが歩き出す。止まっていた時が動き出したように、ギャラリーからパチパチと控えめな拍手が始まって、やがて体育館全体を震わせるような喝采に変わっていった。

 

 

「94対93で、秀徳高校の勝ち!!」

 

 

 俺達が、秀徳が勝った。

 ようやくその事を実感した時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか全国前に、こんな借りをもらうとは思わなかったぜ。IH(インターハイ)で返せないのが残念だな」

「構わんさ。冬に本当の決着をつければいい」

 

 試合が終わると、今までの殺伐とした空気がやっと無くなったように思えた。

 何だか現実感が湧かねーけど、スコアボードを見る限りこっちが勝ったのは間違いないんだろう。しみじみ実感すると、予選リーグの時よりもドッと疲れを感じてきた。大坪主将は笠松と主将(キャプテン)同士で、激励なんだか牽制なんだか分からない事してるし。

 

 試合終わった後で、よくあんな駆け引きじみた事やる気力があるな。

 笠松が律儀に高尾にも話しかけている隣で、黄瀬がゆっくりと緑間に近づいていく。

 

「悔しーけど俺の負けっスわ。……あーあ、黒子っちにもまだリベンジ出来てないのに」

「フン、人のシュートをコピーしておいてよく言うのだよ」

「って言っても、結局完全にコピーするには時間が足らなかったっスけどね。つーか、ほんと驚いたっス。緑間っちがパス出すとか。どんな変化っスか?」

 

 それは俺もものすごく同意したい。

 けど本人は眼鏡のブリッジを上げただけで何とも答えない。その反応に黄瀬が苦笑気味になるが、俺の視線に気が付いたのか、こっちに顔を向けた。

 

「雪野さん、っスよね。ほんと手強かったっス。……でも、次当たる時は同じようにはいかねーっスよ」

「……ああ、どーも」

 

 そして手を差し出す黄瀬。

 爽やかに笑顔を浮かべる黄瀬と、差し出された手を見て、一瞬思考が固まる。…え、何がこいつの琴線に触れたの? 

 俺なんか眼中にも入ってなかったと思うのに、妙に好意的というか、親しげになった気がするんだが。とりあえずこの場は握手しとけばいいんだろうか。

 

 試合が終わると、体育館に集まっていたギャラリーもだんだん散り始めている。(黄瀬目当ての女子の群れはまだまだ残っていたけど)俺達もすぐに引き上げって事で、借りていたロッカーへぞろぞろと向かい始めた。

 と、体育館と校舎をつなぐ渡り廊下を歩いていた所で、足を止めた俺に宮地(弟)が声をかけた。

 

「おい、どうしたんだよ雪野」

「……ちょっとすいません。忘れ物してきたので、先に行っててください」

「いや忘れ物って、お前何も持ってってねーだろ」

 

 思い切り不審がられたけどそれには答えず、俺だけ秀徳の列から外れて体育館に戻る。

 帰り始める前に、気になる用件があった事を思い出した。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 体育館に一度戻ってから、裏側の出口を目指して隠れるように中を通り抜ける。

 コート内にはまだ海常のスタメン達が残っていたから、SG(シューティングガード)の森山がちょっと振り返って、一人だけ戻ってきた俺を不思議そうに見た。……さっさと戻ろう。

 

 体育館裏に出ると生徒用の水飲み場があり、さすがにそこには見物のギャラリーも残っていなかった。……そーいや、前に誠凛との練習試合見た時は、黄瀬と初めてここで会ったんだっけか。

 あの時は黄瀬が頭から水浸しで突っ立ってたからビビったけど。

 

 代わりにいるのは、イケメンのモデルじゃなくて胡散臭い元先輩だし。

 

「お、雪野~。何やわざわざ来たんか?」

「いや、あんなチラチラ意味有り気に見られたらそりゃ来るだろ」

 

 試合中は意識しないようにはしてたけど、隠れもせずに堂々と観戦してるからすげー鬱陶しかったんだぞ! 

 中学時代の知人に高校での試合を見られるのは、恥ずかしさと居たたまれなさが同時に襲うから勘弁してほしい。俺のそんな心理なんてお見通しなのか、今吉さんは狐みてーに笑った。

 

「まっ、おめでとさん。海常に勝つなんて大金星やん」

「所詮練習試合ですけどね」

「何でそういちいち卑屈なん……。お前も随分やる気出しとった癖に」

 

 からかうように笑みを深めて言う。

 試合見終わったんなら帰ってくんねーかな。

 

「さっさと帰れとか酷ない? 折角やしお前に伝えとこ思て待っとったのに」

「は? 話すって何を」

「ほらほら、これ見てみ」

 

 と、今吉さんは鞄から一枚の紙切れを取り出して俺に渡した。

 

「……何これ」

「いやその反応は無いやろ! 来週に始まる決勝リーグの対戦表やで」

 

 その言葉でやっとピンと来た。そういや、去年も見せられた事あったな。

 Aブロックには誠凛の名前がある。Dブロックには泉真館。へえ、今年は三大王者の中で一つだけ上がる形になったのか。Cブロックには鳴成ってあるが、聞いた事あるような無いようなって名前だ。

 

「Bブロックに桐皇。……って事は」

「せや、初戦はうちと誠凛さんの試合になるで。まっ、お前の仇も取ったるから安心し」

「別に頼んでねーし。……それに誠凛は強いよ」

 

 今吉さんが開けてるんだか閉じてるんだか分からねー目を向けてくる。

 おい、その視線は止めろ。無言でリーグ表を突っ返す。

 

「意外やなーお前がそんな素直に褒めるなんて」

「実際俺達は負けてんだから、何言っても仕方ねーだろ」

「そか? 確かに雪野が負けるとは思わなかったけどな。うちには青峰がおる」

「青峰ねえ……」

 

 緑間、黄瀬に並ぶ「キセキの世代」を思い出す。

 桐皇にお邪魔した時に一度だけ1on1(ワンオンワン)したきりだけど、確かにあいつの反応速度と敏捷性は獣じみていた。あれを抑えるとしたら、誠凛じゃ火神しかいねーだろう。どっちが上になるかは正直分からない。全体的には青峰が上に感じたけど、火神は土壇場になって爆発するタイプみてーだし。

 

「雪野も決勝リーグは見に来るんやろ? スカウトの話も、試合見ながらよーく考えとってな」

「……え、あれマジだったの?」

「だからそう言うとるやん! 何でそこまで疑うんや!」

「いやだって、あんた真面目な顔して嘘吐くだろ」

 

 それに今更、俺を自分のチームに入れたいとか本当に思ってんのか? 

 するとかつての先輩は、目元を両手で覆って嘘臭く泣き真似をしてみせた。

 

「後輩からの信頼が薄くて悲しいわー……。ワシは強い奴は好きなんやで。お前もチームに欲しいて、本気で思うとるよ?」

「………ふーん」

「おい」

 

 と、背後からいきなり声がして、思わず肩が跳ねた。

 振り返ると、そこには眉間に少し皺を寄せて笠松が立っていた。

 

「………雪野、秀徳の奴等はいいのか? 多分正門あたりで待ってるぞ」

「っ!? うわ……すいません。じゃ、今吉さん。僕はこれで」

 

 すっかり他の連中の事を忘れていたので、背筋に冷や汗が伝う。

 うわ……これは宮地(兄)に鉄拳もらうだけじゃすまねーわ。俺が慌てて猫を被って挨拶すると、今吉さんがちょっと吹き出したように見えたので睨んでおく。

 

 すると、他校の今吉さんに気付いたのか笠松が怪訝そうな顔をするのが分かった。体育館の裏口の段差に立っている分、笠松の方が目線は高いが、臆した様子もなく、今吉さんがニッコリと笑う。

 

「あー! どうもどうも、海常の主将さんやろ? ワシ、桐皇学園のバスケ部で主将やらしてもらってます、今吉翔一言います。どうぞよろしゅう」

「は? 桐皇って……青峰が行った所じゃねーか」

「お、ご存知で嬉しいわー。そちらさんは確かIH出場決まったんやろ? おめでとさん。対戦する時には、お手柔らかにお願いしますわ」

 

 丁寧な言葉遣ってるのに、いつもの2割増しくらいで胡散臭いってどういう事なんだ。

 突然現れた他校の主将に笠松も鋭い目つきをしていたが、静かに言った。

 

「ここに居るのは偵察(スカウティング)か? つーか桐皇の主将が、秀徳のレギュラーと何の話だよ」

「別に? ただの世間話やで。ワシと雪野、中学が同じやねん。元先輩としては、後輩がちゃんとやれてるかっちゅーのが気になるやん」

 

 今吉さんがしれっと言うと、二人の主将の間に沈黙が落ちた。

 ………え、何。この探り合うみたいな空気。主将同士はどいつもこいつも、こんな水面下で戦ってんのかよ、平和にやれよ。

 俺の声なき叫びが通じた訳じゃないだろーけど、先に折れたのは今吉さんの方だった。

 

「ほなワシも失礼するわ。じゃな、雪野。笠松君も、今度は試合で会いましょ」

 

 クルリと背を向けて、飄々とした足取りで今吉さんは去っていった。

 今の内に俺もこっそり逃げてしまおうと、忍び足で笠松の横を通り抜けようとしたら、そう簡単にはいかなかった。

 

「おい、雪野」

「へ!?」

「……いや、何だよその反応」

 

 だって呼び止められるなんて思ってなかったし。

 試合の感想とか言いたければ、高尾あたり捕まえれば俺の10倍は喋ってくれるぜ?なんて思ってたら、ある意味今吉さん以上の爆弾を落としてくれた。

 

「今日の試合、正直驚いたぜ。てっきり、もっと荒っぽいプレーで来るのかと思ってたからな」

「…………。どういう意味です?」

「いや、お前の事どっかで見たなって思ってたんだけどよ。この前やっと思い出したんだよ。部室に置いてあった昔の月バスで、お前の事が載ってたから」

 

 試合終了後だってのに、体中の血の気が一気に引いたのを感じた。

 笠松はうんうんと、自分の記憶がつながった事に納得しているけど、俺は地雷原を歩いて行くような心境で聞いた。

 

「え…………? 昔、って事はもしかして……中学の?」

「ああ。京華(けいか)中と祇ヶ崎(しがさき)中の試合が載ってる奴だったぜ」

 

 アウトだった。

 ばっちり俺がスタメンやってる時の試合だ。

 

「……おい、どうしたんだよ。どっか怪我でもしてんのか?」

「いえ……あんまり昔の試合は知られたくないんで」

 

 いきなり落ち込んだ俺に笠松が戸惑っているのが分かる。

 ちょっと今はあんまり優しくしないでほしい、別の意味で心が傷むから。

 

「まあ、その……中学の時は、ちょっと荒れてた時があったんですけど。今はそういうのは止めたっていうか、もうやらないって決めたんで…………いや、そのすいません……」

 

 何に対して謝ってんだ俺は。

 自分でもめちゃくちゃ要領を得ない言い方をしているのは分かっているけど、何か弁解しないと居たたまれない。ああ……何で月バスなんて刊行されてんだ。全部燃やしてしまいたい……。みちるとかに頼んだら全部買収出来ねーかな…。

 

 と、目の前の笠松を見れば、不思議そうな表情で、太目の眉を寄せて首を傾げていた。

 この人、高尾と同じくらいの身長なのに妙に迫力あるから、正面から話すと緊張する。

 

「謝る事なんて無いだろ。今日だって、お前は正々堂々と試合してたじゃねえか」

「…………」

「そりゃ、最初はどんな手で来るのか警戒してたし、黄瀬にも注意はしたけどな。でもお前は真っ向から黄瀬と勝負して、そして俺達に勝った。だったらそんなグズグズするんじゃねえよ。堂々としてろ。それが勝った奴の礼儀ってもんだろ」

 

 それだけ言い切ると、「ほら、もう行かねえと置いてかれるぞ」と笠松は俺の肩を叩いて促した。え、この人、中学の事で俺に言いたい事があるとかそんなんじゃねーの?

 

「何だよ、そんな顔して」

「いえ……てっきり、何か言われるのかと思ってましたから」

「お前の直接の先輩でもねーのに、俺があれこれ説教なんか出来ねーよ。まして昔の話なんだから。お前のチームメイトは何も知らねえのか?」

「そりゃ、言ってないですし」

 

 言えって言われても無理だろ。

 顔に出ていたのか、笠松は呆れたような溜息を吐いた。

 

 

「まあ、外野がどうこう言う事じゃねえけどよ…。チームなんだから、そんなビビらずに信じてみたっていいんじゃねーの?」

 

 

 ほら早く行けって、と再び俺の肩を小突いて促す。

 ……って、やばい!本当に置いていかれるじゃねーか!

 

 笠松に軽く一礼だけして、俺は海常高校を後にした。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 正門に慌てて行くと、秀徳のオレンジジャージの集団が待機しているのが遠目にも分かった。やっぱり俺のせいで待たせていたらしく、合流するなり、宮地(兄)の鉄拳が降り注いだ事は言うまでもない。

 

 ともあれ、予選リーグの時とは違って今度は白星での帰路だ。

 主将や先輩達の機嫌も、どことなく良い感じに見えるので俺も気が軽い。(宮地の鉄拳制裁も心なしか、比較的軽めに感じたし)

 

 監督の先導で、行きと同じようにオレンジ色の集団がぞろぞろと進んでいく。

 ……マジでこのジャージの色どうにかならねえのかな。

 どっかに遠征しに行く度に注目が集まってんだけど。今年は大坪主将とか宮地とか緑間とか、図体がでかい奴等ばっかりいるから余計に悪目立ちするんだろう。

 

「おーい、雪野」

「……え、……はい?」

「雪野さん、監督が呼んでますよ」

 

 と、斜め後ろの高尾も言ってきたので、俺は列の真ん中程度の位置から少し進み、最前列に移動した。

 こんな帰り道で一体何なんだよ。

 前列は大坪主将や、三年組が固まってるからあんまり近寄りたくないのに。こっそりと中谷監督のすぐ後ろに近付くと、俺が来たのが分かったのか、静かに話しかけてきた。

 

「忘れ物があったそうだが、見つかったか?」

「え? あ、ああ……大丈夫です。それは」

「そうか」

 

 口から出任せだったから、適当に話を合わせる。

 ……え、まさか集合に遅刻した事を説教されんの? わざわざここで? だとしたら面倒臭いなと思っていたら、予想外な事を言われた。

 

「今日の試合、黄瀬と対戦してみてどうだった」

「え……」

 

 どう、と言われても。

 

「……天才だな、とは思いました。元々の速さや技術もですけど、あの数分で緑間のシュートを模倣出来るセンスとか、才能が違う」

「ふむ、成程」

 

 何を言わせたいんだ、この監督は。

 緑間といい、黄瀬といい、「キセキの世代」が天才集団な事は今更な話じゃねーか。

 

「だがまあ、安心したよ。お前が勇気を持って「キセキの世代」と対戦してくれたおかげで、勝機が開けた」

「え?」

「前に言った事を覚えているか? スタメンを選ぶ上で、意味の無い人選はしていないと」

 

 そりゃあ覚えている。

 上級生押しのけてまでスタメン取りたくねーのに、監督が有無を言わさず指名してきたからな。

 

「これからの秀徳には、緑間とチームメイトが協力していく事が必要になるだろう。逆に雪野、お前は、自分から戦う事を恐れない事が必要になる。今日の試合は良いきっかけになった。自分の中で消化して、よく落とし込んでおきなさい」

 

 IH直前に組まれたこの強行スケジュールの練習試合。てっきり、緑間の為のものかと思っていたけど。

 ────―もしかして俺の為の試合だったのか? 

 隣にいる監督を見ると、普段から考えが読み取りにくい顔に、ちょっと笑みが浮かんでいるように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隣県の神奈川からの遠征を経て、やっと東京に戻った所で本日は解散となった。練習試合っつっても、強豪相手、しかも他県への遠征だったから疲労感もすごい。大坪主将も宮地達も、二軍の連中も流石に疲れているのか、それぞれ別れて帰路についている。

 

 俺もさっさと帰って横になりたい、と思ってた矢先に、後ろからの声に捕まった。

 

「雪野さーん! 帰りっスか? 良かったら一緒に帰りましょー!」

「え……緑間君はいいの?」

 

 試合後でもいつでも無駄に元気だな、こいつ。

 でも、最近じゃ高尾とワンセットで行動している緑頭の長身が見当たらない。

 

「あ、真ちゃんは監督の付き添いで病院に寄るらしいんです。俺も行くっつったんスけど、邪魔だって追い返されちゃいました」

「邪魔って……」

 

 何で誰に対しても、こう心閉ざしてるんだよ、緑間は。

 ていうか、そこまで言われて笑ってられる高尾がすげー。ここで俺が追い返すのも可哀そうなので、高尾と連れ立って帰り道を歩く事になった。

 

「病院か……。緑間君の足も、大した事無いといいけどね」

「ほんとっスよねー。真ちゃん、そういう大事な事全然言ってくんないんだから参っちゃいますよ。つーか、雪野さんよく気付けましたね? 真ちゃんが足首傷めてるって。何で分かったんですか?」

「ん、んー? まあ、何ていうか……。勘だよ勘」

 

 緑間の場合、シュートのタメが伸びてたのもあるけど。

 足を傷めてる奴って、そこを庇って歩くから歩き方が分かりやすくなるんだよな。詳しく言うと墓穴掘りそうだから曖昧に言っておく。

 

「でも、やったっスね! 海常に勝利! これが公式戦じゃ無いのがめちゃめちゃ残念スよ~。

 この調子でいけば、もしかして冬には大逆転出来る感じじゃないスか? 俺達」

「明るいね、高尾君」

 

 宮地がお気楽って言ってたのがちょっと分かる。

 

 夏のIHが終われば、すぐ冬にはWC(ウィンターカップ)がやってくる。

 それが実質、三年組にも最後の大会になるだろうけど、逆転ったって、課題がまだ山積みだろ。

 

「冬に逆転って言っても、それまでが大変でしょう。先輩達はピリピリするだろうし、緑間君は……あんな感じだし」

「えーでも、真ちゃんもあれで大分変わってきてるんスよ?」

「そうなの?」

 

 思わず真顔で聞いてしまった。

 

「そうっスよ。今日の試合だって、緑間から時田さんに最後パスを出したじゃないっスか。あれ、びっくりしましたもん」

「まあ、確かにあれは驚いたけど……」

 

 ていうか、多分秀徳バスケ部全員が驚いたぞ、あれ。

 残り時間3秒で、自分がボールを持っている状況。緑間なら確実に自分でブザービーターを決めていた。それがパスなんて選択をした事が、今でも信じられねえ。

 

 予選リーグで誠凛に負けて、緑間も思う所があったんだろうか。

 あの鉄仮面の下で何を考えてんのか、試合中でも試合外でも、俺にはさっぱりだ。

 

 唯一、その変化が分かるらしい高尾は、更に面白そうな声で言った。

 

「それにほら、今日のラッキーアイテムとか」

「ああ、あの金魚ね……」

 

 集合時に宮地の怒りに火を着けた、赤い金魚を思い出す。

 

「聞いたんスけど、あれって、かに座のアイテムは『大きめの金魚鉢』らしいんです」

「? どういう事?」

「『赤い金魚』の方は、今日の蠍座のラッキーアイテムなんです。あ、スタメンだと俺と宮地さんが蠍座なんスけどね。何か真ちゃんが言うには、「蠍座は本日最下位、練習試合の日に不吉なのだよ。だから不運をカバー出来るように両方のアイテムを用意した」って事らしいっス」

「…………努力する所、そこなの?」

「ぶっふぉ! そうっスよね! 真ちゃん、マジ面白過ぎで!」

 

 あと高尾の物真似が妙にクオリティ高いのが何かムカつく。

 ……緑間の言うラッキーアイテムにしても、それがかえってトラブル生んでんだろーが!! って言いたくてならないけれど。

 

「まっ、最下位ってのは言われてみると納得っスけどねー。今日の試合で、前半とか、俺全然役に立たなかったし」

「それは言い過ぎだと思うけど……」

「いや、流石に俺も分かってるっスよ。スタメンの中じゃ、俺が一番身長も無いし、笠松さん相手にしたら歯が立たねーなって実感しました」

 

 何て言ってやったらいいのか分からなくて、高尾の言葉を黙って聞く。

 最終的に勝ちはしたけど、今日の試合の前半、海常側は高尾を集中的に狙って攻めていた。本人に暗い様子は見えないけど、もしかして落ち込んでるのか。

 

 高尾がわざわざ俺に話しかけてきた理由って、まさか誰かに話したかったのか? こいつは。大坪主将や宮地達に言うにはハードルが高過ぎるし、俺くらいが丁度よい相手なのかもしれない。

 

「……高尾君」

「はい?」

「何かおごろうか?」

「ぶっ!」

 

 何でここで吹き出す。

 

「あ、すんません。ぶふっ……いやだって、すげー真面目な顔して言うから何かと思って構えてたのに」

「じゃあ、僕はここで」

「ちょ──っと雪野さん! 待った待った! 怒んないで下さいよ! そうだマジバ! マジバ行きませんか? 今なら季節限定の照り焼き売ってますよ!」

「いや、僕マジバあんまり好きじゃないから……」

「え!? マジバ嫌いな人っているんスか!?」

 

 

 と、話が別方向に脱線しつつ、俺達は何やかんやで二人でささやかな祝勝会をする事になった。

 ……結局、気が乗らねーマジバをおごらされる派目になったけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして俺の長い長い一日は終わった。

 ──―そして翌週。6月24日。

 

 

 

 

 IH東京都予選、決勝リーグが始まる。

 

 初戦は、誠凛高校 対 桐皇学園高校。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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21.新鋭の暴君

 

 

 

 

 

 ドンガラガシャン!! 

 

 

 と、何か金属が落下したような鈍い物音が、その日の俺の目覚まし代わりになった。

 

「ふあっ!?」

 

 一瞬で睡魔が覚めて、ベッドの上で起き上がる。

 きょろきょろ周りを見回してみても、特に部屋の何かが落ちたような様子は無かった。そもそも、本来は火神の親父の部屋である筈のここは、私物がびっくりする程無い。たまに、高そうなインテリアを置いてあるだけで、雰囲気はどっかのモデルルームみたいなシンプルさだ。

 だからこそ、俺が突然下宿するなんて事が出来たんだが。

 

 時計を見たら午前六時少し前。何だ、まだまだ寝れたな。

 そういえばアメリカに仕事に行ってる(遊びに行ってるともいう)爺ちゃんから全然連絡ねーけど、いつ帰ってくる気だよあのジジイ。まさかずっと火神の家に住まわせとく気じゃないだろーな。

 

 欠伸をしながらリビングに向かうと、そこにはキッチンでボールやら皿やらを仕舞っている家主がいた。

 

「何やってるの火神君」

「いや、何か食っておこーと思って皿出そうとしたら、うっかり他の奴も落としちまって」

 

 ああ、さっきのはそれが落ちる音だったのか。

 床に散乱している皿や調理器具を見る。プラスチックのものばっかなのが幸運って言うべきか。

 

 何だか危なっかしいので、俺も仕舞うのを手伝ってやる。

 ……と、火神の傍に、ショルダーバックに無造作に入ったバスケットボールがあるのが見えた。

 よく見たら火神も制服に着替え済みだし、これから出かける寸前って雰囲気だ。

 

「…………火神君。もしかして、バスケしてから試合行くつもり?」

「え?」

「…………」

「い、いや何だよその目は! ……です! 試合まで時間ねーんだからちょっとでも動きを確かめときてーんだよ……」

 

 別に俺相手に弁解しなくてもいいのに、分かりやすく声が小さくなる火神。

 今日の夕方に開幕するIH(インターハイ)都予選の決勝リーグ。全国への切符を賭けて、この暑苦しい家主も一段と気合が入っている訳だ。

 って言っても、俺は誠凛に負けた身だし、こいつを応援する義理も無い。ただ、ここ最近ずっと左足を気にしながらうろつかれていたから、ちょっと忠告はしたくなった。

 

「足の怪我だよね?治ってないなら試合なんて止めておいた方がいいんじゃないの?」

「だからもう平気だ! です! それに出ないなんてあり得ねーよ。……黒子と約束したからな、青峰をブッ飛ばしてやるって」

 

 まだ始まってすらいないのに、火神の目は殺気じみた気迫を放っている。

 ……これは俺が何言っても無駄だな、そう思った。

 けどブッ飛ばすって、おい。あの影の薄い11番を思い出す。あいつこそ青峰にブッ飛ばされるどころか、飛んで無くなりそうなんだが。

 

 落ちていた皿を片付け終わってから、俺は床にあったショルダーバッグを拾って、火神に手渡した。

 

「まあ、がんばってね」

「……おう!」

 

 火神は子供みてーに笑うと、一秒でも惜しいって感じで玄関から飛び出て行った。

 あの図体だから火神は高校生離れしてるけど、たまにアホっぽく…いや無邪気に笑う感じは年下らしい。

 

 他校生のあいつの家に、いつまでも下宿なんかしてていーのかって考えた時もあったけど、当の本人が、ちっとも気に留めてねーって感じだから、いつの間にか俺も気にしなくなっていた。誠凛に負けてからも、結局生活に大した変わりは無かったし。

 まあ気にするだけ無駄だ。多分火神は何も考えてない。

 休日ですら暇さえあればストバスコートに行ってる奴ようなバスケバカだ。それ以外の細かい事は考えるように出来てないんだろう。ある意味、一緒に生活してて楽な奴ではある。

 

 あいつが青峰相手にどこまでやれるか。それが今日の試合の肝だ。

 それに桐皇には今吉さんもいる。火神みてーな単純な奴は一番相性が悪く思えるが、その辺は他の連中がカバーするんだろうか。

 

 何てぼんやりと思っていたら、突然、リビングに置いてあったままの携帯が鳴り出した。

 こんな朝っぱらから誰だよ。

 充電器から携帯を取り外すと、ディスプレイに着信相手が表示された。

 

『緑間 真太郎』

 

 これが今朝二度目の、眠気が吹っ飛ぶ出来事になった。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

「……あのさ、緑間君」

「何でしょうか」

「それ、何?」

 

 俺が短く訊ねると、視線で分かったのか、緑間は何故かドヤ顔をして解説し始めた。

 

「サングラスです。広い会場とはいえ、知り合いにでもあったら面倒な事になりますから」

「へー」

 

 何でその目立つ緑頭を隠そうって発想にならないのか。

 もうツッコミは諦めて、隣を歩く後輩を遠い目で見る。というか、ここに来るまでの道中で何かもうエネルギーを使い果たした。

 

 ……とりあえず、足の方は問題無さそうだな。チラッ、と緑間の足元を見てそう思う。

 中谷監督も、疲労が溜まっただけとか言ってたし、出歩いて問題無いなら良かった。

 

 学校終わりの夕方となってから、俺は緑間と肩を並べて決勝リーグの会場に向かっていた。

 もちろん試合を観戦する為なんだが、何でわざわざこいつと仲良く連れ立って行く事になったのか。

 今朝いきなりかかってきた電話が始まりだった。

 

『……もしもし?』

『緑間です』

『いやそれは分かるけど……何か用?』

『雪野さん、今日一日俺と一緒に過ごしていただけませんか』

『は?』

 

 この切り出しで始まって、何とか要点を理解出来た俺は誉められていいと思う。

 

 聞いてみると、今日はおは朝でかに座が11位とワースト2位。加えて、その内容も『今日のかに座は11位! 何か予想もしなかった出来事に遭遇するかもしれないドキドキの日! ラッキーアイテムとラッキーパーソンで準備を万端に!』らしい。

 そのラッキーパーソンが、「名前に天気が入っている年上の人、クラスもしくは部活動が同じなら更に良し」らしい。

 そんな奴居るか! ……って、居たよ。俺だよ。

 

 明らかに個人特定してるレベルなんだが。何者なんだよ、おは朝。

 全国のかに座に対して難易度が鬼畜過ぎるとも思うけど、大真面目に実行しているかに座は、全国的にも隣の後輩だけだろう。

 

「緑間君、僕っていつまで一緒に居ればいいの? 試合終わるまで?」

「いえ、家に帰るまで油断は出来ません」

 

 家まで送れって事か! 最近慣れてきたと思ったけど、やっぱこいつワガママだ! 

 

「別にそこまでしなくても……僕達が試合する訳でも無いんだしさ」

「人事というのは、特別な日にだけ尽くしても意味はありません。毎日最上の結果を積み重ねてこそ、天命はやってくるものです。運命を逃さない為にも、俺は日々の人事は欠かさないようにしています」

 

 滔々と運命論を説いているが、俺まで変な宗教に引き込むなよ。

 割と良い事言ってる風だけど、占いに命握られるのは何かおかしいからな!? 

 

 試合会場に近付くにつれて、俺達と同じように観戦目的なのか、他校生らしき制服の集団や、バスケファンらしき私服の一団やら、色々と人が賑わってくる。

 まあこの辺の注目度は、この前の予選リーグとは比べられないか。

 去年は俺達も決勝リーグに出場している立場だったのに、今年は観戦する側になったから変な気分だ。

 

「けど高尾君も誘わなくてよかったの?」

「何故高尾が出てくるのですか」

「……いや、だって仲良いんでしょ?」

「……あいつは下僕のようなものです。居たらうるさいだけなのだよ」

 

 言い方! 何か高尾への同情心が湧いてきた。

 

 大坪主将の号令で決勝リーグはスタメン全員で観戦しに行く事になってはいたんだが、こいつは例のワガママで突っぱねたらしい。

 でも結局見に行ってんだから、矛盾しまくりじゃねーかとは言いたい。高尾に言わせるとツンデレって奴らしいけど、何でもそれで解決するなっての。

 

「…………雪野さんは、良かったのですか」

「? 何が」

「いえ、主将達が一緒に観戦しに行くと言っていましたから」

「え、緑間君、やっぱり一緒に観たかったの?」

「そうではありません」

 

 会話をシャットアウトするように緑間が言い切ると、それきり話題は無くなった。

 もうこいつと二人きりだと言葉のキャッチボールっていうより、お互いボールを投げ飛ばしてるようにしかならねーよ……。改めて高尾の有難みが分かる。

 

 今日の部活終わりに、主将は律儀に俺にも声をかけて観戦に行こうと言ってきたが、風邪気味だとか適当に言って断ってしまった。

 試合を見に行くのは別にいい。

 ただ今日の対戦カードを考えると、あんまり大勢で揃って観たくねーなってのが本音だった。実際に見た時に、自分がどういう反応を取ってしまうのか分からない。

 緑間は高尾と違ってバスケ以外のアンテナは鈍そうだし、並んで観戦してても大丈夫そうだなって事で、現在の状況になっている。

 

 と、緑間が最初からずっと持っている小箱が、不意に気になった。

 

「緑間君、この箱、何?」

「今日のラッキーアイテムです」

 

 言った瞬間、箱の蓋が開いて中からバネ仕掛けの玉が飛び出した。

 偶然傍を通りかかった通行人が、その仕掛けに肩をビクッとさせる。……やっぱり、ちょっとは他のアンテナの精度も上げろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あと数分で試合開始って所で、ギリギリに会場の中に入れたので、客席はほとんど満員状態だった。仕方ないので一番後方の通路から立ち見で観戦する。

 俺も緑間も平均以上のデカさだし、わざわざ前列に行って悪目立ちしようとは思わない。だだっ広い作りにしてある会場のおかげで、この位置からでもコートの様子は結構よく分かった。

 

 A・Bブロックに誠凛と桐皇、C・Dブロックで泉真館と鳴成の試合。

 確かC・Dブロックは泉真館でほとんど決まりとかいう噂は聞いた。会場の客が、誠凛と桐皇のコートの方に偏ってる気がするのもそのせいか。

 

「おお──! 出てきた!!」

「誠凛と桐皇学園!!」

 

 コートに現れた白と黒の集団に、観客が一気に熱狂し始める。

 真っ黒のユニが桐皇で、白い方が誠凛か。分かりやすくて何よりだ。

 

 桐皇の方の4番が今吉さんか。

 そして誠凛の白ユニの中に、目立つ赤毛を発見する。火神の奴、本当に足は大丈夫なのか? 何か意地張ってそうだし、妙に引っかかっていた。他のスタメンは変わりないらしく、日向とかいった誠凛の主将もいる。黒子もいるはずだけど……うん、見つからねえ。

 ……つーか、一応先輩だし今吉さんの方を応援するべきなんだろうか。でも火神には日頃の生活で文字通りに世話になってる訳だしな……。

 

「……ん?」

「どうしました?」

「いや、桐皇に青峰君が見当たらないから」

「奴の事だから、寝過ごして遅刻でもしているんでしょう」

「は!? え、試合だよ!?」

 

 サラリと緑間は言うと、どこか共感するような溜息を吐いて続けた。

 

「青峰にやる気が無いのはいつもの事です。中学の時も、奴は途中から練習すらほとんど出ていませんでしたから」

「ええ……」

 

 どうなんだよ、それ。

 まあ今吉さんは随分青峰を買ってるみたいだったし、そういう事も大目に見てるのかもしれない。

 

 時間になると場内にアナウンスが響いた。

 決勝リーグの開幕だ。そして、誠凛と桐皇の試合も始まる。

 

 火神の奴、あれだけ分かりやすく打倒青峰! って調子だったのに、本人が不在ってなると怒ってそうだな。いや、キレてるかも。

 けど敵チームのエースが居ないんなら、ある意味チャンスだ。

 居ない間に点差を離してしまって、エース不在の間に決着出来たら更に良い。

 

 きっと誠凛もそのつもりで、始めっからガンガン攻めていくんだろう──―なんて予想しながら試合を眺めていたんだが。

 

 開始から4分も経てば、少しずつ押されてきたのは誠凛だった。

(桐皇)10対4(誠凛)で、点差はまだそれほど無いけど、傍目には桐皇の勢いに負けてるように見える。……いや、桐皇の方が個々で攻撃してるから、そう見えるのか? 

 桐皇の攻め方はパスを最低限回す程度で、あとはOF(オフェンス)DF(ディフェンス)もほとんど自力でこなしている。パスワークの連携重視な誠凛とは真逆だ。今吉さんらしいっちゃ、らしいチームだけど。

 

 その個人技重視の攻め方に、誠凛側が戸惑っているように思える。

 予選リーグの時もそうだったけど、あの学校で本当にチームワーク重視って雰囲気だしな。

 

 と、日向が3Pシュートを投げた。俺から見ても軌道にブレは無い。シュートが入る。

 それに応戦するように、今吉さんが速攻でロングパスを投げた。

 取りに行くのは桐皇の6番……って、あれってC(センター)だろ? 本当に何でも有りだな。

 

 誠凛側に反応出来ている選手は居ない──―かに見えたけど、一人居た。

 つーか今やっと発見出来た。

 他の連中に混ざってると、一段と小さく見える薄水色の影。黒子もロングパスに反応してコートを駆けている。本当に今までどこに居たんだよ、あいつ。

 

 と、黒子が空中のボールをカットするべくジャンプする。

 

「……いや、低っっっ!!!」

 

 思わず声が出た。隣の緑間がちょっとビクッてしたのが分かる。

 いやだってお前、あれジャンプって言わねーよ。全っっ然跳べてねーしボールは遥か上空にあるままだし、何がしたいんだ、あいつ。

 

 心の中で総ツッコミを投げていると、コートでは黒子に代わって火神が勢いよく跳び上がり、難なくボールをカットした。黒子の倍くらいの高さを軽く跳んでいるけど、正解例をちゃんと見せてくれたようでスッキリする。そうそう、ボール取るならあんな感じに跳ぶんだよ。

 

 

「……緑間っち!? と……雪野さん!?」

 

 

 最近聞いたような声が聞こえてきて、俺達はそろって振り返った。

 

 制服姿の学校帰りらしい雰囲気で歩いてきたのは、「キセキの世代」の一人、黄瀬涼太。

 一瞬驚いたけど、考えたら桐皇にも「キセキの世代」がいるんだし、こいつらが集合してくるのは当たり前か。

 観客も試合に夢中になっているから、こいつに気が付いて騒ぐ女子も居ない。

 

「黄瀬っ!? 何故気付いたのだよ!?」

「何で気付かれないと思うんだよ」

「そーっスよ、そんなバレバレで! つかサングラスとかアホっスか! 恥ずかしいからソッコー外してほしいっス!」

「なにぃ!?」

 

 ありがとう黄瀬。俺が言いたかった事全部言ってくれて。

 

「あれスか? 見たくないとか周りには言ってたけど結局来ちゃったんスか?」

「適当な事を言うな! 近くを通っただけなのだよ!」

「嘘嘘。見る気満々だったよね、緑間君」

 

 この期に及んでまだ言うか、お前。

 見かねて俺が口を挟むと、黄瀬が少し近寄ってきて俺と緑間を交互に見比べた。

 

「……けど、二人で見に来てたんスか? 緑間っちが先輩誘うとか、そんな事有るんスねー」

「いや一緒に来たっていうか、そうせざる得なかったというか」

「雪野さんは今日のかに座のラッキーパーソンなのだよ。だから俺は今日一日、傍を離れる訳にはいかん」

 

 緑間の宣言に対して、黄瀬の顔に分かりやすく、うわぁ……と書かれた。

 

「……何かすいません。緑間っちって、中学の時からこんな感じなんスよ」

「別に気にしてないよ。……程々にしてほしいとは思うけど」

「ですよねー。俺も双子座と相性悪い時は、近付くな!とか言われたから分かるっスよ」

 

 もっと別世界に住んでるようなモデル様かと思っていたけど、何か一気に親近感が沸いた。……こいつも中学で苦労してきたんだろうな。今度キセリョが出てる雑誌とか見てみようかな。

 

「それで、どースか? 試合は」

「…………。どうもこうも無い、話にならないのだよ。青峰が居ないようだが……それでもついていくのでやっとだ」

「青峰っち、居ないんスか!?」

 

 そりゃ驚くよな。

 黄瀬は誠凛贔屓らしいのか、コートの様子を見て言った。

 

「まあ今、あの二人が決めたじゃないスか。これからっスよ」

「忘れたのか、黄瀬。桐皇には桃井も居るのだよ。

 あいつはただのマネージャーでは無いだろう、中学時代、何度も助けられたのだよ。……つまり逆に、敵になるとこの上無く厄介だ」

 

 緑間がこんなベタ褒めするなんて珍しいな。

 桐皇側のベンチを見ると、桃色の髪をした女子が、監督の隣に小さく座っていた。

 確か名前は桃井さつき。みちるの友達で、あと胸がでかい子だった…。いや、あの大きさは見ちゃうだろ。

 

「そんなにすごいんだ、あの子」

「あ、そーいえば雪野さん知らないっスかね。桃っちは俺等が中学の時にマネージャーだったんスよ。そんで、青峰っちとは幼馴染っス!」

「へー……」

 

 黄瀬が親切にも説明を入れてくれる。

 この辺は緑間と同じだな。こいつらって、昔の仲間の事はすごく楽しそうに話す。

 

 青峰と幼馴染、って事はもしかして、あの子って青峰の彼女か何かか。

 

「あと桃っちって、昔から黒子っちの事が好きなんスよ。

 だからもしかして、今日本気出せねーんじゃないかと思うんスよねー」

「え、黒子君の方なの?」

「そうだったのか?」

「……いや緑間っちがその反応はおかしいでしょ!? まさか気付いてなかったんスか!? バレバレっつーか、むしろ毎日アタックしまくりだったじゃないスか!! 

 あれ見て気付かないとか、猿スか!!」

「何ぃ!! 猿とは何なのだよ!!」

 

 緑間が猿ってのはちょっと同意出来なくも無いけど、俺は桃井と黒子の組み合わせが想像出来なくて混乱した。

 だってあんな美少女が、あの影がうっすい……モヤシみたいな11番にアタック……? 

 こいつらの中学では一体何が起きていたんだろうか。

 

「……まあいい、だったら尚更なのだよ。黒子が試合で手を抜かれる事を望むはずが無いのだよ」

 

 サングラスを外していつもの眼鏡をかけなおし、緑間はコートを見つめる。

 

「そもそも形が違えど、あいつのバスケに対する姿勢は選手と遜色無い。

 試合でわざと負けるような、そんなタマでは無いだろう」

 

 試合は誠凛が桐皇を追いかける形で進んでいた。

 火神が3Pを大ぶりに投げる。──―いや、あれは最初から入れる気が無い。

 アリウープ狙いか、と思った所で、桐皇の7番に進路を防がれて火神は止められた。ボールは外れ、リバウンドが桐皇側に渡る。

 

 続いて誠凛の8番がフックシュートを打とうとしたが、再度止められる。

 誠凛側の攻撃が、出す前から完全に見抜かれていた。

 すると隣の緑間が、恐らく俺に対して説明をしてきた。

 

「桃井はマネージャーとして偵察(スカウティング)を主な業務にしていましたが、その情報収集力はズバ抜けていました。誠凛の選手のOFは、間違いなくあいつに研究されています」

「成程ね……」

 

 研究した、とは簡単に言うけど、あそこまで対応を先読みしてるのは驚きを超えて感心する。

 動きの先読みに関しちゃ、俺も得意だ何だって言われてきたけど、それは実戦で相手の動きや技を体感しているからだ。目の前の相手にひたすら集中していれば、どう動いてくるかは何となく分かってくる。

 

 けど、試合を外から見るしか出来ないマネージャーの立場で、あんなに正確な分析が出来るものなのか。「キセキの世代」はマネージャーでさえ只者じゃないらしい。

 

「……でも、集めた情報(データ)を使ってるなら対策は出来るんじゃない? 新しい動きをすればいいんだから」

「いえ、それをやっても無意味です」

 

 俺の疑問の答えは、コートですぐ明らかになった。

 

 日向が3Pのモーションに入る。

 しかしフェイクだ。ギリギリまで引き付けてからボールを下げる。──しかしそれでも、桐皇のDFは振り切れなかった。

 

「情報に無い手できた場合、普通なら対応出来ません。

 しかし桃井は集めた情報を分析して、その後相手がどう成長するかまで読み取ります」

 

 そんなの有りかよ。

 ……いや、「キセキの世代」に常識を期待しちゃいけないか。

 現に、誠凛は手を変え品を変え攻めてはいるが、成功する事は無く完封されている。

 青峰の事ばっかり自慢してたけど、今吉さん、とんでもないマネージャー引き入れてんじゃねーか。

 

 第1Qも残り少ない。

 このままじゃ何も出来ずに終わったら、その後の士気に関わる所だ。

 

 ──―その時、桐皇のDFを、誠凛の突然現れた選手がスクリーンをかけて止めた。

 黒子だ。

 あの突然現れるスクリーン、ビビるんだよな……。予選リーグの時の試合を少し思い出した。

 コートの選手がもっと驚いたらしく、火神にボールがつながるのを許してしまう。

 

「よしっ! 流石黒子っち!」

「……黄瀬君は誠凛を応援してるの?」

「そりゃ、うちに勝ったんだからあっさり負けてほしくはないっスよ。それに火神っちもいるし、どうなるか分からないじゃねーっスか」

 

 丁度その時、第1Qが終了。

 得点は(桐皇)25対21(誠凛)。差っていう程の差はついてねーけど、青峰が居ない状況でこれは後々厳しくなるぞ。 

 

 それは誠凛の女カントクさんもよく分かってるらしく、強く選手を鼓舞してコートに送り出した。

 スタメンは第1から変わらずに続行だ。

 

 第2Qからは、火神がいつになく暴れ回った。

 走り回り、遠慮なくジャンプして、ダンクを決める。……まあ、ダンクばっかりだから単調だけど、あいつの跳躍力に桐皇側も届いていない。誠凛側のベンチが盛り上がる。

 けどあんなに無茶苦茶な跳び方してると、見てるこっちもハラハラしてきた。

 

 俺の思考が伝わった訳じゃねーだろうけど、カントクさんはいきなりメンバーチェンジを申し出た。火神を指名し、代わりに誠凛の6番が出る。

 

「あいつ交代!? あり得ねーだろー」

「何考えてんだ、誠凛」

「やっぱちゃんとした監督居ない所はダメだなー」

 

 突然の交代に、観客席から好き勝手な野次が飛んでいる。

 水差された気分なんだろうが、分かってねーのはお前らの方だよ。

 

「……やっぱり火神君、完治してなかったんじゃ……」

「え? 火神っち、まさかどっか怪我してるんスか?」

「利き足をちょっと傷めてるって聞いたよ。本人はもうすっかり治ったとか言ってたけど」

「フン、体調管理を怠るとは、人事を尽くしていないのだよ」

 

 いやお前が言うなよ!? 

 お前だってこの前の海常との試合で、足首の事隠してただろ! 

 じっとりと隣の緑間に視線を向けるが、本人は「何か?」と涼しい顔して返してきた。こいつに火神の素直さを一欠片でも分けてほしい。

 

 コートでは火神が抜けて二年生4人プラス黒子のメンバーで続けているけど、能力的にも身長的にも火神がいないと押されるばかりだ。

 桐皇のインサイドは、多分190超えはしてそうな図体だし、今の誠凛の面子じゃ抑えるには弱過ぎる。こういう所も隙が無ぇな今吉さん。

 

「残りの二年生4人は桃井のせいで動きが読まれている。やはり火神の抜けた穴は大きい」

「いずれにせよ、まずいっスよ。点差が開き始めた……!」

 

 第2Qが始まり、(桐皇)38対29(誠凛)。

 このまま二桁差がついたら、巻き返しは更に難しくなる。

 誠凛側のベンチで、カントクさんにテーピングをしてもらっているのか座っている火神が見える。何か話をしているようにも見えたが、立ち上がった火神に、カントクさんが発破をかけたようだ。

 

 ……そうだな、怪我してるからって大人しく引っ込んでる奴じゃない。

 予選リーグの時の試合でも、足の限界を超えて止めにくるような奴だ。

 

「……いや、火神君はまだ折れてないよ。それに、ここから逆転するのが誠凛じゃない?」

「……そうっスね! そう言われたら弱いっス」

 

 海常も誠凛相手に負けた事があるんだったな。

 黄瀬も思い当たる節があるのか、ちょっと苦笑気味に微笑んだ。緑間は無言のまま、コートを見つめている。

 

 誠凛側が、再びメンバーチェンジを申し出た。

 気合を入れ直した様子で、火神がコートに一歩踏み出す。

 

 ――――その時、見知らぬ人影が火神の隣に立った。

 

 火神が驚いたように振り向いた事で、コート内にその姿が顕わになる。

 

 

 

 

 

 

 前半終了まで残り1分。

 

「キセキの世代」のエース、青峰大輝は急ぐ事もなく、まるで王様みてーな足取りで登場した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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22.DF不可能の点取り屋

 

 

 

 

 

 

『桐皇学園、メンバーチェンジです』

 

 

 交代のアナウンスが流れる。

 遅い登場をした桐皇のエースは、ジャージを桃井に押し付けると悠々とコートに出てきた。

 

「キセキの世代」エース、青峰大輝。

 前半丸々すっぽかした癖に、悪びれた様子は微塵も無い。コート内の選手全員の注目が、自然とそいつに集まっていた。観戦している俺も、隣の緑間や黄瀬も、黙って様子を見つめている。

 

 今の状況は誠凛にとって最悪だ。

 点差は10点ビハインド、エースである火神の足も万全じゃない。しかもここで青峰が来てしまった。

 ……ここから、あいつらが盛り返せるのかどうか。

 

 青峰はコートに出ると、黒子と何か言葉を交わしたように見えた。

 同中だから何かと話はあるんだろう、って思うけど、それにしちゃ雰囲気が悪いな。

 

 前半も残り僅かだが、青峰が加入してリスタートする。

 桐皇ボールで始まり、数度のパスの後、すぐ青峰にボールが渡った。

 

 ──―そして青峰と正面切って向かい合ったのは、火神だ。

 

「アイソレーション……!」

「使う時の理由はいくつかあるが、この場合は見たままなのだよ」

 

 緑間の言う通りだ。

 青峰と火神の付近だけスペースを空けて、他のメンバーは片側に寄っている。

 目的は両チームのエースの1対1(ワンオンワン)。この勝敗が、試合の勝敗そのものに関わってくる。

 

 動いたのは青峰だ。

 レッグスルーからクロスオーバー。その動作だけであっさり火神を置いていく。

 日向がヘルプに入ったが、まるで動きを止めずに抜き去る。

 そして青峰のダンクが決まる直前──―後方から跳んだ火神が、ボールを弾き飛ばした。

 

 さっき抜かれた一瞬で追いついて、止めたのか。

 その動き方は足の不調なんて感じさせない。すぐに誠凛の速攻が始まった。

 けど桃井に動きを読まれている分、桐皇側のDF(ディフェンス)も早い。

 

 その時、コートを貫通するようなロングパスがいきなり放たれた。

 また黒子だ。俺達の試合の時でも見せた、あの超長距離パス。ゴール下に戻った火神がそれを受け取り、ダンクシュートを決めにかかる。

 ──―が、戻りに入った青峰によって、それも防がれた。

 

 そのタイミングで、前半終了のブザーが鳴る。

 

「すげぇ……あれが青峰……」

「めちゃくちゃ速くね!? 素人目にも半端ねーよ」

 

 突然現れた青峰の暴れっぷりに、観客は分かりやすく騒いでいた。

 その反応は分かる。確かに速いけど……何か、違和感がある。気のせいか? 

 以前、桐皇の練習で、少しだけ青峰と1対1をした時の事を思い出す。中途半端に終わってしまったけど、あの時はもうちょっと反応が速かった気がしたんだが……。

 

「青峰っち……」

「全く、気に食わん奴なのだよ。ノロ過ぎる、まるでやる気が無かったのだよ」

 

 両隣の「キセキの世代」が、答えを出してくれた。

 やっぱり手抜きしてたのか、あれ。

 

 後半開始まで休憩(インターバル)のアナウンスが放送され、誠凛も桐皇もそれぞれ選手が控室に引き上げていく。青峰は他のスタメンに何か怒鳴られていたけど、本人は笑って聞き流していた。

 

「……青峰君って、昔何かあったの?」

 

 手すりに寄りかかりながら聞くと、緑間と黄瀬が一瞬、戸惑ったような気配をした。

 まあ、いきなり過ぎる聞き方だったな。

 

「いや深い意味は無いけどさ……。「キセキの世代」とか呼ばれてるのに、何だかあんまりバスケやりたそうに見えないから」

 

 俺も人の事は言えねーけど。

 ただ、今吉さんが最強って太鼓判を押してる割には、試合に対して目に見えてやる気が無いし、シュートを決め損なっても大して悔しそうにしてないし。

 

 俺の疑問を察したように、緑間が静かに口火を切った。

 

「……いえ、あいつは寧ろ、俺達の中では誰よりもバスケが好きで、一番打ち込んでいた人間でした。変わったと言えば、あいつの才能が開花した頃です」

「……才能?」

 

 これはまた、嫌な話になりそうだ。

 

「中学の頃から、青峰のバスケは周りより抜けていました。それでも最初は、頭一つ程度のレベルです。ある時期を境にして才能が開花した事で、奴は強くなり過ぎました。―――周りと比べると圧倒的に」

 

 まるで自分に言い聞かせているみたいな口調だけど、緑間も黄瀬も、そのせいで色々あったんだろうか。

 

「……じゃあ、それで周りと差が開き過ぎて孤立しちゃったって事?」

「……あいつが何よりも求めているのは、自分と対等に戦える好敵手(ライバル)です。青峰が失望したのは、それが見つからないと分かったからでしょう」

 

 それ以上は緑間も話したくないのか、俺も詳しくは聞かなかった。

 

 対等に戦える好敵手、ね。

 そんな真っ直ぐなものを求めていた分、あんなにやさぐれちゃった訳か。

 ……でもその孤独感は、少しだけ分かるような気がする。

 

 インターバルはあっという間に終わり、誠凛と桐皇がまたそれぞれ登場した。そしてただ一人だけ、チームの輪から外れて到着した選手。

 

 ──前半とはまるっきり雰囲気を別にした青峰が、頭にかけていたタオルを取った。

 到着した時の緩さが完全に消えている。前に1対1をした時に見せたような、野生の豹みたいな剥き出しの気迫。コートにいる誠凛も呑まれたように沈黙している。

 

 けど火神の闘争心は、まだ消えていないようだった。

 ……あいつならもしかして、青峰が言う好敵手になるんじゃないだろうか。なんて、俺が考えても仕方ない事か。

 

 そして後半、第3Qが始まった。前半とは変わって静かな立ち上がりだ。

 と、誠凛側はメンバーを変えて、黒子をベンチに下げている。

 

「あれ? 黒子君はベンチなんだ」

「あっ、黒子っちの視線誘導(ミスディレクション)は40分フルには使えないんスよ」

「え、そうなの?」

 

 妙なタイミングで下げるかと思ったら、そんな弱点があるのよ。しかも致命的じゃねーか。

 

「ミスディレクションは黒子の影の薄さがあってこそ発揮されるものです。ですが長時間試合に出る程、「慣れ」が生じて効きにくくなります。ここで下げないと、第4Qまで持たないでしょう」

「……でも第4どころか、この10分が持つのかって思うけどね」

 

 ただでさえ火神は本調子じゃない。しかもスタメンの二年は相手に研究済。黒子の見えないパスワークがないと、点差を縮めるには厳しい気がする。

 緑間も同意見だと言うように、黙ってコートを見つめている。

 

「……そうっスね。確かに青峰っち相手に黒子っち抜きは厳しすぎる。けど俺は、あの成長スピードを考えると何か起きそうな気がするんス」

「…………」

 

 火神を信じてる、というよりも、対戦した相手だからこその信頼を感じる言葉だった。

 そう、あいつの諦めの悪さと爆発力は俺だって実感している。このまま終わらないって思いたいけど…………この嫌な感覚は何なんだ。

 

 後半は開始早々、青峰にボールが渡った。

 確実にこれからのOF(オフェンス)は青峰で来る。火神が止められねーと、誠凛に打つ手が無くなるぞ。

 青峰はドライブでいきなり真正面から火神に切り込んだ。

 フェイクもかけてない。それでも火神は全くついていけていなかった。

 速さと反応なら火神も青峰に負けてねー筈なのに、あそこまであっさり抜くもんなのかよ。

 

 そのまま加速して青峰は特攻するが、前には素早く誠凛側のヘルプが二人入った。

 しかし青峰は急停止すると、その位置からフェイダウェイでシュートを放った。

 正面でブロックする二人の事なんて、気にも留めちゃいない。

 

「……あの速さからよく止まれるね」

 

 思わず、間抜けな感想が漏れた。

 

「運動において、速さとは最高速だけではありません」

「……加速と減速の事言ってるの?」

「その通りです。0→MAXへの加速力と、MAX→0への減速力。すなわち敏捷性(アジリティ)。青峰のそれは、俺達の中でもズバ抜けています」

 

 緑間の説明に納得しつつも、コートから目を離せない。

 

 青峰がシュートを放った時、追いついた火神が後方から僅かにボールに触れた。

 けどかすめただけだ。一瞬危ない軌道になったが、ボールはリングをくぐってしまう。

 

 直後、日向がロングパスを放って速攻をかけた。

 火神がすぐさま反応し、ボールを受け取ってゴール下まで駆け抜ける。

 けどシュートする直前、青峰によってボールが弾かれる。……あの一瞬で反対のゴール下から火神に追いついたのか。いよいよ速さが化物じみてる。

 

 ……ていうか、うん? 

 見間違いじゃなければ、今の火神の踏切位置ってフリースローラインからじゃなかったか? 

 確かに火神の跳躍力なら出来るかもしれないけど、あいつ、自分の足の状態分かってるのか。レーンアップなんて、万全の時でも膝に負担がかかるんだぞ。今の所、青峰が優勢だけど火神との勝負は五分五分。決着をつける前に足壊したら意味がねーんだ。

 

 また青峰からのボールでリスタート。

 すると、さっきまでとは急に攻め方が変わった。

 ユラ……と流れるように青峰の体が傾いだかと思うと、ボールを火神のすぐ背後に放ってしまう。そして次の瞬間には、火神の背後に回り込むと一瞬でボールを奪い取り、ただのドリブルで火神のDFをあっさり躱した。

 

 いや、さっきまでとはフォームが全然違う。変則の動き。それなのに更に速い。

 その奔放な動き方に対応出来ず、バランスを崩した火神がコートに尻もちをついた。

 

 壁をなぎ倒した青峰は、ドライブでゴール下まで止まらない。

 けどシュート前に、誠凛の日向、そして8番と9番が同時にブロックに跳んだ。三人がかりだ。突き抜けるスペースも無い。

 しかし青峰は最初から無視して突き進んでしまう。シュートフォームに入った所で、位置はもうゴールの裏側。

 

 ──―青峰はそこで、ゴールの裏側からリングに向けてボールを放った。

 

 ボールが裏側からゴールを乗り越え、始めから決まっていたみたいにネットをくぐる。

 一瞬の静寂。

 そして観客席から、歓声と興奮が沸き起こった。

 

「すげ──!! ゴールの裏から決めた!!」

「何であれが入るんだ? これが「キセキの世代」のエースか!!」

 

 観客の声がBGMのように耳に流れていく。

 ………メチャクチャ過ぎるだろ、おい。

 

 コート内では観戦している俺以上に動揺しているのが分かった。

 それでも誠凛側は動きを止めず、また青峰がボールを持った時、火神も止めにかかる。

 けど、青峰の動きに火神は全くついていけてない。すっかりペースを乱されている。

 

 と、青峰はシュート体勢に入りながら、ゴールとは全く違う方向に跳んだ。

 あんな位置からシュートする気か? 

 そう思った矢先に、青峰はボールをゴールのバックボードに叩きつけるように投げた。ボールはバックボードに跳ね返ってからリングに当たり、ネットをくぐる。

 

 シュートどころか、ただボールをぶん投げてるようにしか見えねーよ!? 

 何であんなやり方で入るんだよ。

 俺の心中を察した訳じゃないだろうけど、緑間がまた淡々と話し始めた。

 

「バスケットに限らずどんなスポーツでも、その歴史の中で洗練されてきた基本の動きがあり、理想の型があります」

「……そうだね。確かに緑間君は理想のフォームで投げてるし」

 

 バスケの入門書でもあそこまで正確には描いてないってレベルの、緑間のシュートモーションを思い出す。

 今見ている青峰のそれは対極の極致だ。フォームを崩しているどころか、そもそも型なんて考えちゃいない。

 

「洗練され、無駄が無くなったからこそ、選択肢は限られ逆に予測も成り立つ。そこにOF・DFの駆け引きも生まれる。それが試合です。……雪野さんならよく分かる事だと思いますが」

 

 その言い方だと褒めてるのか嫌味なのか分からねーよ。

 俺は黙って、目線で続きを促した。

 

「青峰は物心つく前からバスケットボールに触れ、大人に混じり、路上(ストリート)でずっとプレイをしてきました。もはや体の一部と化したボールハンドリングと、天性の速さ。自由奔放なバスケットスタイル。ドリブルもシュートも、青峰の動きに型はありません」

 

 コートの中で、まるでストバスでもやってるみたいに誠凛側を翻弄している青峰を見る。

 

「その動きは無限……故に、『DF不可能の点取り屋(アンストッパブルスコアラー)』。

 それが「キセキの世代」のエース、青峰大輝です」

 

 スコアはいつの間にか(桐皇)55対39(誠凛)。

 じわじわと広げられて16点差になっている。

 青峰の前に日向がDFについたが、青峰はいきなり脱力してボールを手放すと、日向がボールに気を取られた隙に急加速し、サイドを抜けた。変則のチェンジオブペース。

 

 シュート体勢に入った青峰の前に、火神が勢いをつけて跳躍し、ブロックする。

 

「今までより一段と高い!」

「──―いや、あれじゃダメだ」

 

 黄瀬の反応に、思わず返す。

 確かに今までよりずっと高い。けど、高さを意識し過ぎたせいで隙だらけだ。

 

 青峰は中空にいたまま、上体をほとんど寝かせながらシュートを打った。

 まるで火神を嘲笑うように、ボールはゴールリングに吸い込まれる。

 

 ……普段見ている緑間のシュートが何で落ちないかは分かる。あいつは絶対に落ちないように、フォームもループの高さも常に一定で打つからだ。

 逆に青峰はシュート体勢はでたらめ、ループの高さもバラバラで不規則。それなのに全く落ちない。

 

 コート内の誠凛側の混乱は、観戦している俺の比じゃないだろう。

 続いて火神にボールが渡り、すぐさま跳び上がってシュートに移ろうとしたが──―正面の青峰にボールをカットされて奪われた。それはもう、ごく簡単な様子で。

 

 ドリブルして突き進む青峰の背を、追う火神。どちらも速い──―けど。

 

「……え、追いつけない!?」

 

 火神が走っても走っても、青峰との差が縮まるどころか逆に開いている。

 速さが勝っているとしても、ドリブルしている状態で火神を突き放すのか。

 

 距離の差が開いても、火神に諦めた気配は無かった。

 ギリギリまで近づいてから、シュート体勢に入りかけた青峰の背後に跳び上がる。それが命取りになった。

 力任せに跳躍した火神の体が、青峰の背中にぶつかる。同時に鳴る審判のF(ファール)の笛。

 

 青峰は後ろを振り返る事もなく、ファールを取りながら背中越しにボールを放った。

 手を伸ばした火神の上空を舞って、ネットをくぐるボール。

 

「バスケットカウント、ワンスロー!」

 

 放心状態になっている誠凛を横目に、審判が宣言する。

 青峰はフリースローも片手間のように決めた。これでスコアは20点差。

 

 すると青峰は、青ざめている様子の誠凛側のベンチに近寄って、何事か話しかけている。

 ──―相手は黒子か? 

 ベンチにいても影が薄いから、客席からだともっと分かりにくい。

 

『誠凛高校、メンバーチェンジです』

 

 その時、選手交代のアナウンスが流れた。

 薄水色の小さな人影が、ゆっくりと現れてコートに入る。

 

「キセキの世代」幻の六人目(シックスマン)。そして誠凛の最後の切り札。

 こいつを加えた状態で逆転出来なきゃ、もう誠凛に勝ちの芽は無い。桐皇側もそれを分かってるのか、点数は圧倒的に有利なのに油断した様子が無い。

 

 一体どうする気だ、誠凛。

 

 試合が再開するなり、黒子の超長距離パスがコートをいきなり縦断した。

 ゴール付近の火神がそれを受け取る。……けど、青峰もすぐに追いついて後方に詰めている。

 

 またカットされるか、と思った所で、火神は日向に対してバックパスを放った。

 それを受けて日向が3Pを打つ。後半開始で初の誠凛の得点。 

 

 青峰との1対1の勝負を捨てて、当初からの連携で点を取っていく気か。

 正しい選択だと思った。頼みの綱の火神があそこまで手も足も出ないなら、わざわざ正面から勝負していくのはリスキー過ぎる。避けられるなら避けた方がいい相手だ。

 

 続いて桐皇の攻撃。桐皇の7番が今吉さんにパスをする。

 それは、いつの間にかその中間に現れた黒子にスティールされた。黒子から伊月にボールがつながり、更に2得点。観客から歓声も上がった。

 

 俺達と試合した時と同じ、手品みてーな読めないアシストだ。

 黒子が加わった事で、一気に流れが誠凛側に傾きつつある。

 

「……この調子なら、もしかして」

「……いえ、このままでは恐らく黒子は勝てません」

 

 俺の独り言が聞こえたのか、隣の緑間が冷静に告げてきた。

 誠凛や黒子をバカにしている言い方じゃない。ただ事実を述べているような淡々とした口振りが気になった。

 

「……何でそう思うの?」

「中学時代、俺達の中でも青峰と黒子は一番お互いの息が合っているコンビでした。黒子が最もパスを出していたのは青峰でしょう」

 

 コート内では、伊月から黒子にパスが渡った。

 黒子がまた長距離パスを出す──―いや、今度のパスは加速もついて更に速い。

 

 緑間の声が、同時に耳に届いた。

 

「青峰に黒子のパスは通じません。誰よりもそのパスを取ってきたのは──あいつなのだから」

 

 青峰は加速付きのパスを、片手間のように右手で受け止めてしまった。

 

 そして正面の伊月を抜け、日向を躱し、C(センター)の8番も反応が出来ない。

 三人抜きだ。一人でシュートまで持ち込むつもりなのか。

 ゴール下に先回りしていた火神と黒子が、青峰のシュートをブロックするべく同時に跳ぶ。

 

 青峰はそんな妨害を無視して、ゴールにボールを叩き込んだ。

 吹っ飛ばされた火神と黒子が、コートに半ば落下してへたり込む。

 

 誠凛のスタメン五人抜き。

 あまりの圧倒さに、女カントクさんもベンチの奴等も言葉を失っている。

 ──―黒子と火神を見下ろす青峰の視線は、ぞっとする程冷たかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最終Qが始まる頃には、客席からの歓声や応援の声も少しずつ減り、ただ呆然と試合経過を眺めていた。コート内で見せつけられるのは青峰の圧倒的な実力と、虫でも散らすみたいに相手にもされていない誠凛。

 スコアは既に(桐皇)82対51(誠凛)。

 

 予選リーグで俺達を散々困らせてくれた黒子のパスが、青峰には全く通じていなかった。

 味方に回しても、フェイントで長距離パスを仕掛けても、全て手に入る前にカットされる。

 

 また青峰が黒子のパスをカットし、ドリブルに持ち込んだ。

 火神がDFにつくが、青峰は背を向けて半回転してみせると、ロール中にボールを打った。

 

 フォームもバランスも何もあったもんじゃない。

 青峰はただ、ゴールへ向けてボールを投げてるだけ。火神や誠凛の連中がDFしても、半分遊んでいるようなもんだ。

 それでも一瞬の隙をつこうと食らいついている火神の根性には、尊敬すら感じた。

 

『誠凛、メンバーチェンジです』

 

 その時、選手交代がかかる。

 女カントクさんが指名したのは火神だ。──―まさか、足の限界が来たのか?

 

 当然火神が引くはずなく、何事か反論していたけれど、女カントクさんが一喝して黙らせた。

 只事じゃない雰囲気だ。この状況で引っ込めざる得ない程、悪化したってのか。

 火神は黙ってベンチに座る。タオルをかけられているから、表情は伺えない。

 

 火神が抜けた事は、今の誠凛にとって最後の攻撃手段を失ったと同然だ。

 DFじゃ青峰を誰も止める事が出来ない。その上、スタメンのほとんどは桃井に研究されているからOFも通じない。

 

 差を縮める手段も見つからずに、時間だけが流れていく。

 最終Qが5分経過してから、もうスコアは(桐皇)93対53(誠凛)。

 逆転を考えるには、もう絶望的過ぎる。

 

「……終わったな……」

「さっきからもう一方的じゃん。見てらんねーわ」

 

 ポツポツと、試合が終わっていないのに席を立ち始める観客も出てきた。

 それはそうだ。バスケに一発逆転は無い。逆転不可能な大差がついた時点で、つまらない消化試合にしかならない。……俺だって見てられねーよ。

 

 黒子はコートの中で、青峰と向かい合っていた。

 ミスディレクションの時間が遂に切れたのか、黒子の姿は試合開始の時よりずっと鮮明に捉えられた。……でもそれ抜きにしたって、黒子と青峰じゃ体格からして差があり過ぎる。火神みたいに、正面から止めるなんて無理だ。

 

 それに黒子自身も、もうヘロヘロじゃねーか。

 他のスタメンよりバテてるように見える。これじゃ火神だけじゃなくて、黒子も交代させた方がいいんじゃないか。

 

 誰がどう見ても、桐皇の、青峰の勝ちは決まった。

 

 ────それなのに、黒子はまだ諦めようとしていなかった。

 

 火神も居ない状況で、追いつくはずもねーのに青峰を追いかけて、パスを回そうとボールに手を伸ばす。

 その時、日向がベンチに向かって叫んだ。

 

「コラ、ベンチお通夜か! もっと声出せ!!」

 

 その叱咤をきっかけにして、沈み込んでいたベンチから掛け声が再び上がる。

 日向は全員に告げるように、更に叫んだ。

 

「1点でも多く縮めるぞ! 走れよ、最後まで!!」

 

 その言葉に応じるようにして、他のスタメンも再び動きが活気づく。

 ベンチからは火神も応援するように声を出していた。

 

 ………何であいつら、そんなに諦めないでいられるんだ。

 この試合を観ている誰一人も、ここから誠凛が勝てるなんて思ってねーのに。もう誰も逆転の期待なんかしちゃいないのに。

 

 誠凛の振り絞るような掛け声が、コートの中で一段と大きく響いていた。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

「―――112対55で、桐皇学園高校の勝ち!!」

 

 永遠に続くように思えた最後の5分間が終わって、決着はついた。

 

 両チームが整列して礼をする。日向も黒子も、誠凛は一人も諦める事なくラスト1分までプレイをし続けた。

 でも奇跡の逆転劇なんてのは、起こらなかった。

 誠凛の負け、桐皇の勝ち。しかも結果はダブルスコア。

 

「……行きましょう、雪野さん」

「え? あ、ああ……うん」

「早っ! ちょっとはショックとか無いんスかー? この結果に」

 

 感想の一言も無く去ろうとした緑間に、黄瀬がツッコむ。

 それは俺も聞きたい所だった。緑間は黄瀬に背を向けたまま語る。

 

「俺の心配をするぐらいなら、黒子の心配をした方がいいのだよ」

「え?」

「スコア以上に……青峰に黒子のバスケは全く通用しなかった。精神的にも相当なダメージだろう」

 

 まあ、こんな負け方して心が折れねー奴はいないと思う。

 

「しかも誠凛はまだ若いチームだ。この修正を一晩でするのは容易ではないのだよ。

 ……残り2試合に影響が出なければいいがな」

 

 それだけ言うと、「じゃあな黄瀬」とだけ挨拶を残して、緑間はさっさと会場を出てしまった。おい、今日のラッキーパーソンとか言ってた癖に俺を置いていくな。

 俺も黄瀬に簡単な挨拶だけして、自由過ぎる後輩の後を追う。

 

 会場の出入口を抜けて一般客用の通路に出ると、コート内の声援や観客の声が一気に無くなって、周りが静まり返ってしまったように感じた。

 

 緑間は無言で俺の少し前を歩いていた。

 ……マジでさっき黄瀬に言った事で感想は終わりか。俺も今はベラベラ喋る気分じゃないから、緑間が黙っていてくれるのは少し有難いけど。

 

 こいつの言ってた事は当たっている。

 決勝リーグの試合は全部で三試合。初戦からこんなボロ負けを体感してしまったら、残りの試合までに切り替えるのは難しくなる。

 その辺はあの女カントクさんと、主将の日向に懸かってるのかもしれないけど、果たして大丈夫なんだろうか。

 

「……って、痛! ……いきなりどうしたの?」

「すみません。ちょっとお汁粉を買ってきます」

「はあ? お汁粉って、こんな暑いのに?」

「冷たーい、が売っている時期です。少し飲みたくなったのだよ」

 

 緑間が急に止まったから、そのでかい図体に思い切り激突した。鼻が痛ぇ。

 どんな時でもマイペースだな、こいつは……。緑間からすれば、チームメイト同士の試合だったんだろうに、感想は無くても、もうちょっと感情は出せよ。

 

 と、通路を少し進んだ所で会場用の自販機があるのが見えた。

 丁度いいけど、お汁粉なんてマイナーな商品売ってるのか? 思いつつも、緑間の後を追うように進む。

 自販機の前には先客がいて、買った商品を取ろうと屈み込んでいる。

 先客が立ち上がり、振り返った事で、俺達と偶然目が合った。その時──――息が、止まった。

 

「雪野さん?」

 

 突然立ち止まった俺に、緑間が怪訝そうに訊ねる。

 

 後輩の声も耳に入らず、俺は金縛りに遭ったように動けなくなった。

 自販機の先客も一瞬驚いたような気配を出したけど、すぐに調子を戻して、口を開いた。

 

 

 

 

「よう、(あきら)。久しぶり。

 …………会えて死ぬ程、嬉しいよ」

 

 

 

 

 中学時代のチームメイト、花宮真はそう言って、昔のように、笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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23.今と昔と

 

 

 

 

 

 

 さっき買ったらしい缶コーヒーを手元で遊ばせながら、花宮はニッコリと笑った。

 非の打ち所が無いくらいの完璧な笑顔だ。

 

 俺が咄嗟に言葉を出せないでいると、薄墨色の目が、俺から隣の緑間に視線を泳がせた。

 

「あれ? もしかして君は「キセキの世代」の緑間真太郎君かな?」

「…………何故貴様がここにいる、花宮真」

「天才シューター様に名前を覚えてもらっているなんて光栄だなあ。勿論、決勝リーグの試合観戦だよ。悪い?」

 

 地を這うような、とでも言える声で警戒する緑間を、花宮はからかうように流す。

 静かに戦争でも始まりそうな空気になって、やっと俺も頭が回ってきた。

 

「あー……緑間君、悪いけど先に行っててくれない?」

「雪野さん?」

「ちょっと用事が出来たから」

「………………」

「あっ、お汁粉なら僕が買っといてあげるからさ」

「そういう意味では無いのですが…………」

 

 俺が軽く背を押すと、納得しきってはいない様子ではあったけど緑間は会場の出口に歩いて行った。去り際に、花宮に対して敵意丸出しの視線を残していくのも忘れない。……いやお前、一応相手は一年先輩なんだから、もうちょっと本音隠せよ。

 

 緑間のでかい後ろ姿が見えなくなると、場に沈黙が落ちた。

 ……おい、無言は止めろ。胃が痛くなる。

 何か喋れよこいつ、と思って横目で様子を伺うと―――花宮が笑いを嚙み殺していた。

 

「……お前……「僕」って、おい……ふはっ」

「爆笑してんじゃねーよ」

 

 今吉さんの倍は笑い転げてんのがムカつく。

 

「何、お前高校デビューでもやったの? グレた不良キャラから今度は真面目ないい子ちゃんって?」

「誰が高校デビューだ! 猫被ってる奴に言われたくねーよ」

「俺は優等生してる方が何かと都合いいからやってんだよ、お前のはただキモいだけだろ。それに、何だよその白髪」

「いいだろ別に、こっちのが地毛なんだから……」

 

 ニヤニヤとおかしそうに笑う花宮はスルーして、その背後にある自販機へと進んだ。お汁粉は流石に無いだろうけど……って、ある!? 

 知らない間にお汁粉ってそんなメジャーな商品になってたのか。

 緑間の強運を思うべきか、自分の世間知らずさを思うべきか迷ったけど、とりあえず汁粉を1本買ってやる。俺も喉が渇いてきたから炭酸を1本。

 

 …そして思ったよりずっと、こいつと普通に話せている事にホッとしている自分が居た。

 中学の卒業から、もう再会する事なんて無いだろうって思ってた奴だ。実際に会ったら、何て言えばいいかなんて考えてなかった。

 

 すると花宮は突然笑みを消して、冷めた声で言った。

 

「「キセキの世代」と随分仲良くやってんじゃねえか。オトモダチが出来て良かったね?」

「どう見たらそんな風に見えんだよ。めんどくさいだけの後輩だからな」

「めんどくせーのはお前だろ。バスケなんて止めてると思ってたのに、三大王者なんて選んで何がしたいんだよ」

 

 突き放すような冷たい響きが、喉元に突き立てられた気がした。

 買った炭酸のプルタブを開けて、言葉も一緒に流すように呑み込む。干からびかけた喉が潤っていく。

 花宮の追及するような視線に耐えられなくなって、話題を強引に変えた。

 

「……今吉さんの試合観に来てたんだろ。お前こそバスケ続けてんの?」

 

 制服姿である所を見るに、学校帰りにわざわざ試合観戦に来たんだろう。

 

 ……聞いてはいたけど、マジで霧崎第一に行ったのか、こいつ。

 都内じゃ有数の進学校と、花宮のイメージが少し結びつかない。

 

「は? 違ぇーよ。みちるに連れて来させられたんだよ。あいつ、人連れ回しといてすぐ居なくなりやがって……」

「え、みちるも来てたのか? 居ないって大変じゃねーか」

「そんな大袈裟な話じゃねーよ。試合も終わってんだし、その内ひょっこり出てくるだろ。お前には関係ねーよ」

 

 俺は言葉に詰まって、その場に立ち竦んだ。

 言い方は軽いけど、はっきりした拒絶の意思を感じる。

 

 花宮は無表情のまま、つまらなそうに視線をやって会場の方へ歩き出した。

 

「そういえば秀徳は今年のIH(インターハイ)出ないんだな。いやあ、新設校相手に残念だね。ご愁傷様」

「……悪かったな、予選落ちで」

「いやいや、俺達もIHには出ないからお仲間だよ」

 

 やけに芝居がかった言い回しで、花宮はすれ違い様に言った。

 ……ん? 俺達、という言葉が引っかかる。

 

 

「まあ冬には良い試合をしようね。──―お互いに、さ」

 

 

 去り際に見えた、おかしそうに歪んだ口元。

 昔とちっとも変わらない、そう思った。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 とんだ所で、とんだ奴と出くわしてしまった。

 予想すらしていなかったから本当にビビったけど、花宮と別れた後で、グルグルと頭に浮かんでは消えるものがある。普通に話せていたんだろうか。

 

 考えながら、会場の出口に向かう。

 もう時間は六時を回っていたけど、夏だからか陽はまだ高い。空も少し薄暗いだけで夕方とは思えないくらいだ。

 さて、緑間を結構待たせてしまった。

 まあ2m近い男子高校生を放っておいても何も心配はいらねーだろうけど、あんまり放置しておくと、あの偏屈な後輩がもっとめんどうくさくなりそうだ。

 

 速足で出口まで着いて、会場の外に出る。

 しかしそこに、探している緑頭の長身はいなかった。……え? まさかあいつさっさと一人で帰ったのか? だとしたら、すげー腹が立ってきた。人の事をラッキーパーソンとかいって呼びつけておいて、こいつ。

 

「…………ん?」

 

 外の薄暗がりに目が慣れてきた頃、路上の植え込みで何かがガサゴソと揺れていた。

 猫か何かか? ……と思ったら、違った。

 

 

「…………えっ……み、緑間っ!!?」

 

 

 よく見りゃ制服。茂みに頭から突っ込んで、両足をバタバタと揺らしていた不審者は、探していた後輩だった。いや顔は見えないけど、分かる。足の長さとか、あとは何か……雰囲気的に。

 え……えええええっ!? 何がどうなってそんな事になってんの!? 

 

「緑間? おーい、緑間君だよね?」

「っ! …………雪野さん、ですか?」

「うん。ねえ、何やってんの?」

「……………………」

 

 慌てて茂みに近寄って謎の塊に声をかけると、聞き覚えのある低い声が返ってきた。

 うわ、マジで緑間なのか……。出来れば人違いであってほしかった。

 

「…………まさかそこから抜けなくなったの?」

「……………………」

 

 緑間は無言を貫いているけど、そうだって言ってるようなもんだからな。

 何があったらちょっと人を待っている隙に茂みに頭からダイブするような展開が起きるんだよ。

 けどこのまま放っておく訳にはいかない。何か見てて可哀想になってきたし。

 とりあえず、茂みから出ている無駄に長い両足を掴んで、思い切り引っ張った。「痛っ!」という声が聞こえたような気がしたけど、我慢しろそれくらい。

 

 やがて弾みをつけて緑間の上半身が茂みから飛び出して、俺も反動で思い切り尻もちをつく。

 

「痛っ! ……あ~もう……緑間君、大丈夫?」

「…………問題ありません」

 

 いや問題大有りだったろ! 

 何も無かったみたいな顔で眼鏡をかけ直してんじゃねーよ。宮地(兄)がこいつを引っ叩きたくなる気持ちがちょっーと分かる気がしたけど、暴力はダメだ。

 どうどうと自分を理性で宥めて、緑間に訊ねる。

 

「それで、何であんな所に頭突っ込む事になってたの? 新しい遊び? おは朝がまた何か言ってたの?」

「…………猫が」

「猫?」

「雪野さんを出口の近くで待っていたら、猫が寄って来たのだよ」

 

 悪い、全く話が分からん。

 

「……その野良猫から逃げていたら、いきなり突風が吹いてきて」

「うん」

「飛んできたビニールシートのせいで周りが見えなくなってしまった所に、躓いて茂みに入ってしまいました。……やはり11位では、ラッキーアイテムだけでは補正しきれなかったのだよ……」

 

 え……ええええ……? 

 そんなピタゴラスイッチみたいな不運の連鎖で、あんなバカな状態になってたって事か? 

 よく見りゃ、茂みの近くにあった木に、ピクニックで使うようなでかいビニールシートが引っかかってバサバサはためている。どっから吹っ飛んできたんだよ、あんなもん。

 

 で、飛んできたあのシートが緑間の頭に思い切り被さって、パニックになってすっ転んだと。

 ラッキーアイテムに持っていた小型のびっくり箱は、転んだ拍子に落としたのか、ひしゃげた形で緑間の足元に転がっていた。

 ……何か緑間から、静かに責めてくるような雰囲気を感じるんだが。

 え? 俺のせいなの!? いやだって、ほんの数分離れたくらいでこんな事が起きるなんて誰も思わねーよ!? おは朝やべえな……。

 

「ま、まあ、ほら。ついてない事が続く時ってあるから、そんな落ち込まないで。ほら、お汁粉」

「落ち込んでなどいません。それにラッキーパーソンの雪野さんが居ますから、もうこれで安心です」

「そんな信頼向けられても困るんだけど……」

 

 何か、こいつを家まで送り届ける事が難易度S級のミッションじみて感じてきた。

 俺、今日無事に家まで帰れんのかな……。そしてこんな状況でもしっかりとお汁粉は飲むんだな。よくこんな夏場に甘ったるいもんが飲めるなと思うけど。

 

 立ち上がって颯爽と歩き出した緑間に続いて、俺も慌てて帰り道を歩く。さっきまであんな間抜けな姿だったのに、すっかり切り替えているようだった。高尾がこの場にいたら笑い過ぎて呼吸困難起こしてるぞ。

 

 試合が終わった会場からも、そろそろ他の観客達も出てきている頃だった。誰もいなかった歩道にポツリ、ポツリと人が増え始める。

 まだ試合の興奮冷めやらないって雰囲気で騒いでいる集団からは、試合の感想がいやでも聞こえてきた。誰もが青峰のスーパープレイと、強烈な得点力を褒めちぎっている。まあ、あんなの全国予選の試合でやるには刺激が強過ぎだよな……。

 敗者の誠凛の事を話している奴なんて、誰もいやしない。

 

「……雪野さん」

「え?」

「花宮真と、何かあったのですか?」

 

 一瞬、足が止まりかけた。

 すぐ前方を歩く緑間が不審に思わない内に、何とか歩き出す。唐突に爆弾をぶん投げてきた後輩といえば、こっちを見てもいないので表情は分からない。

 

「いや、別にただの中学の同級生だよ。卒業以来会ってなかったから驚いたけどね。緑間君こそ、花宮と知り合いだったの?」

「中学の頃、何度か対戦しただけです。知り合いという程の縁はありません」

「ふーん……」

 

 何度か対戦した、って言葉に冷や汗が背筋を流れる。けど、この口振りじゃ多分俺が居ない時だ。そりゃそうだな、こんな個性が強過ぎる奴と試合なんかしてたら流石に覚えてる。

 

 花宮と対戦した事があるんなら、あいつのプレイスタイルとか色々知ってんだろうな。それならさっき、あれだけ威嚇してた理由も分かる。いかにも潔癖そうな性格してるし。

 前方をさっさと歩く緑間のでかい図体を眺めながら思う。

 

「……そういえば、黄瀬君も言ってたけど、黒子君に何か言ってあげなくていいの?」

「何故ですか?」

「何故って……あんな負け方しちゃったんだから」

 

 観客席から見ても分かるくらい、誠凛の連中は暗いオーラを漂わせていた。

 緑間はしばし無言だったが、やがて静かに口を開いた。

 

「あいつを慰めてやる義理はありません。確かに昔は同じチームでしたが、今は敵です」

「………………」

 

 お前らって一体何があったんだよ……。

 緑間が後ろ姿だけでも、それ以上聞いてくるなオーラを出しているから、俺も藪を突いて蛇を出したくはない。

 

 それからは会話も無くなり、お互いに無言で帰路を歩いた。口喧嘩した訳でもねーのに、やけに気まずさを孕んだ沈黙が落ちている。

 陽は完全に沈み、夕暮れの空が橙色から黒色に変化しつつあった。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 結局、緑間の家まで付き添って送る派目になったらか俺の帰り道からは随分遠回りになった。しかも何だあいつ、送ってやったのに会釈するだけでさっさと家に入って一言の礼も無かった。今日くらい礼を言われてもいいだろ、俺も。

 

 もやもやした気分を抱えながら、俺の家(というか下宿中の火神のマンション)に一人寂しく歩く。今日一日、後輩には振り回されるし、花宮にはいきなり再会するし、ろくな事が無い。

 誠凛もあんな惨敗したから、今頃火神の奴、家でどんだけ落ち込んでるんだろうな……。それを思うともっと気が滅入ってきた。

 

 もう人影もほとんど見えなくなった大通りを歩き続けて、いつもの見慣れた風景に差し掛かろうとした時、右隣の道路を挟んだ向かい側に公園があるのが見えた。

 公園というか、半分は児童用の公園だけど、一部がストバスのコートになっている。こんな時間じゃ他に人は誰もいない。

 

 ――――俺は方向を変え、そのまま道路を横断してストバスのコートに入った。小さなコートだけど、それなりにしっかりした作りだ。

 

 けどボールが無いんじゃ意味無いか。

 と思っていたら、目の前にコロコロとバスケットボールが転がって来た。

 ……誰かが置き忘れてたのか? 何か都合よく感じるけど、まあ丁度いいか。拾い上げて、片手でドリブルして感触を試してみる。

 

「すいません。それ、僕のです」

「へ? ……って、うわあぁっ!!?」

 

 聞き覚えのある声に顔を上げる。──―いきなり、目の前に人が現れた。

 

 心臓止まるんじゃねーかってくらい驚いた……。よくよく見れば、コートにたった一人で佇んでいたのは幽霊でも悪霊でもなく、つい最近見た顔だった。

 黒子テツヤ。誠凛のスタメンにして、「キセキの世代」幻の六人目(シックスマン)

 只でさえ影が薄いっつーのに、周りが薄暗いからこいつが景色に同化して消えかかっている。薄水色の髪が暗闇に浮かび上がってるみたいに見えるから余計に怪談じみていた。

 

 ……本っっ当にビビった。怨霊か何かがついに現れたのかと思った。

 

「お、お前……。……黒子、君? いきなり出てこないでよ、びっくりするから」

「最初から居ましたけど」

「だったらもう少し主張して……いや、いいわ」

 

 この存在感の薄さは、もう周りが慣れていくしかねーんだろう。

 こんな消えたり出たりするような奴相手に、誠凛の奴等はよく上手くチームなんて作れてるよな。ちょっと感心してきた。

 

 にしても、試合が終わったばっかりなのにこいつは何してたんだ? もうとっくに夜も更けた時間帯だ。ジャージの恰好のままだし、試合終わってからまだ家にも帰ってねーみたいだけど。

 

「こんな所で何やってるの? 試合終わったんだし、早く休まないと次に響くよ」

「…………いえ、ちょっと。……帰る気になれなくて」

 

 黒子はいつもと変わらず人形のように無表情だが、目から明らかに覇気が消えている。

 緑間みたいな鉄仮面と話してたせいか、こいつの表情も少しは読み取れるようになったかもしれない。

 

「……ねえ、黒子君。時間あるなら、ちょっと僕と1対1(ワンオンワン)してくれない?」

「え?」

「いや、僕も何か動きたい気分だからさ」

 

 今日は一度に色んな事が起きて、頭の中が全然落ち着かない。

 とりあえず何でもいいから動いて、気分を紛らわしたかった。

 

「僕は構いませんけど…………後悔しますよ?」

「うん?」

 

 黒子が言う事の意味がいまいち呑み込めないが、とりあえずボールを持ってコートのセンターサークルまで歩く。黒子はバッシュ履いてるのに対して、俺は革靴だったけど、まあ相手は後輩だし良いハンデになるだろ。

 時間も時間って事で、先にシュートを五本取った方が勝ち、というルールで始めてみた。

 

 ────何て思っていたのが、間違いだった。

 

 時間なんて5分も必要なかった。

 勝負は俺の圧勝。……つーか、黒子が予想を超えて弱かった。弱過ぎた。

 ドリブルすればのろいし自分で蹴っ飛ばす始末だし、対面すると隙だらけだし、何よりシュートが全く入らない。ふざけてんのかって思うレベルで掠りもしねえ。

 

 確かに緑間が前に、「一人では何も出来ない」って言ってはいたけどなあ……まさかここまでとは思わねーだろ!? 緑間みたいな化物と比べたら、って話かと思うだろ……。

 平均的な基準に照らしても、本当に何も出来ない奴だった。

 

「だから言ったじゃないですか、後悔するって」

「後悔ってそういう意味!?」

 

 ちょっとキリッとして言ってんじゃねーよ。

 こいつがパス特化の選手になった理由がよく分かった。パスしかやらないんじゃなくて、それしか出来ないからだ。

 

「僕と雪野さんじゃ勝負になりません。僕は影です。……僕だけじゃ、何も出来ません」

 

 汗を拭いながら、どこか自虐的に呟く黒子。

 ……その沈んだ様子が見ていられなくて、思わず口を出した。

 

「…………今日の試合、残念だったね」

 

 月並みな慰めしか浮かばなかった。黒子の表情はタオルに隠れて見えない。

 

「でも、決勝リーグはまだ二試合あるでしょ? それに勝てたらIHは出られるんだし、そんな落ち込む事じゃないよ」

「…………そうですね」

 

 思ったより傷口が深いらしく、かえって気まずい空気が広がるだけだった。

 青峰のプレイは残酷なくらい才能を見せつけてくれるもんだったけど。

 

「……そんなに青峰君に負けた事がショックなの?」

「………………」

「気持ちは分かるけど、いつまでも引きずってたら勝てる試合も勝てなくなるよ」

 

 俺にしては珍しく、先輩らしい忠告をしたと思う。

 実際、試合の敗北なんて引きずってたってろくな事にならない。さっさと忘れて、切り替えるのが一番だ。

 

 って、そろそろ俺もこいつもいい加減に帰らないとやばいか。

 大会前に補導なんてされたら笑えねーぞ。

 

「青峰君が強い事は知っていました。けど…………それでも、僕は勝ちたかった。僕だけじゃなくて、火神君も一緒なら勝てると信じていました」

 

 と、普段は小さな黒子の声が、今だけはよく通って聞こえた。

 

「緑間君から、少し話聞いたよ。青峰君と黒子君って、バスケじゃ一番噛み合ってたんだってね」

「……そうですね。青峰君とは、バスケでは本当に気が合いました。でも、僕はもう青峰君に信頼されていないと思います」

「は?」

 

 暗い目をして、淡々と黒子は話す。

 

「僕の役目は六人目(シックスマン)として、皆にパスを回す事でした。でも残り数秒の大事な場面があれば、「キセキの世代(彼ら)」は絶対にパスを出しません。自分で得点を決めます」

 

 黒子が手に持っていたボールを、ワンバウンドさせて俺にパスした。

 本当にパスだけはまともに出来るんだな。予選リーグで見せた魔法か手品みたいなパスを思い出す。

 

「だから僕は、だんだんコートで信頼されなくなっていったんです。青峰君にも、「キセキの世代」にも」

「………………」

「青峰君にも……昔みたいに、笑ってバスケをするようになってほしかった。

 でも本当は、僕のバスケを認めさせたかっただけなのかもしれません」

 

 その結果がこれで、落ち込んでるって訳か。

 青峰のあり得ないフォームレスシュート。黄瀬の模倣技。緑間の必中の3Pシュート。

 こいつらが同じ中学、しかも同じチームに居たってんなら、そりゃもう鬼か悪魔みたいな強さになるだろう。そして天才様だったら、どんなピンチも自力でどうにかしてしまう。

 ──―その時、つい最近の練習試合の一幕が脳裏をよぎった。

 

「…………この前、うちと海常高校で練習試合やったんだ。それで黄瀬君とも会ったよ」

「……ああ、はい。そういえばカントクが偵察(スカウティング)に行っていました」

 

 え、あの女カントクさん来てたの? 

 確かに観客はわんさか居たから誰が誰やら分かんなかったけど、抜け目ないな、あの子も。

 

「じゃあ結課知ってる?」

「はい、秀徳が勝ったと聞きました」

「残り3秒くらいだったかな、最後の最後で緑間君がシュートじゃなくてパスを出したんだよ」

 

 黒子がタオルから顔を離して、その表情が見えた。

 

「僕達も驚いたけど……多分、予選リーグで負けた事がきっかけだよ。あの状況で、緑間君だったら絶対に自分で決めると思ったから」

「………………」

「だから、まあ…………あの緑間君でさえ変わったんだから、青峰君だってきっと何とかなるよ」

 

 言い方がまとまらないけど、あの偏屈なエースに変化が起きたんだから、青峰に無理って事は無いんじゃないか。

 

「ほら、緑間君より青峰君の方が単純そうだし」

「それは同感ですけど…………緑間君も頭いい癖に意外とアホですよ」

「うん、ちょっと分かる」

 

 天才とアホは紙一重っていう言葉を、緑間を見てるとしみじみ実感するからな。

 ……ていうか、こいつも意外と言うな。

 

 黒子はベンチに置いていたショルダーバッグを持ち直すと、俺に向かい合っていきなり頭を下げた。え、どうした? 

 

「ありがとうございます、雪野さん。……少し目が醒めました」

「あ、あぁ……。……僕はいいけど、火神君ともちゃんと話しときなよ? 足もそうだし、大分落ち込んでたでしょ」

「はい。…………火神君には、近い内にちゃんと話そうと思っています」

「うん、それがいいよ」

 

 話せる内にしっかり話し合っといた方がいい。

 それすら出来なくなったら辛いからな。

 

 黒子は礼儀正しく頭を下げてから、コートを出て去っていった。

 仮にも他校のスタメンに余計な事言い過ぎたか?とも思ったけど、何か見ていて放っておけなかった。

 俺もちょっと感傷的になってるのかもしれない。黒子の言ってた事は、正直俺にも刺さってくる話だったから。

 

 

 残りの試合までに、誠凛が立ち直ってくれればいいけど。

 

 黒子や火神の為か、それとも自分の為か、どっちへの願いか分からなかったけど

 楽観的に祈りながら、俺もコートを後にした。少し冷たい風が吹き始めていた夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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24.秘密主義

 

 

 

 

 

 

 IH(インターハイ)予選決勝リーグ、初戦。

 俺は主将や宮地さん達と一緒に観戦に来ていた。さすが決勝リーグともなると人の数が違う。もう会場前には、人、人、人。どこを見ても観客の山だ。

 

「高尾、ウロチョロするな」

「へーい」

「あれ、緑間は?」

「来たねーらしぃっス」

 

 メールで誘ってみたら「嫌なのだよ」とだけ返ってきた。

 まあ素直に来るとは思っちゃいなかったけど、もうちょっとオブラートに包もうぜ真ちゃん。

 宮地さんが笑顔で青筋を立てるっていう器用な真似をしている。

 

 今日は蟹座11位だったし、真ちゃんも家で大人しくしてんのかね。けどラッキーパーソンが「名前に天気が入った年上の人」っていうのは、朝見た時に爆笑した。いやそれ、雪野さんしかいねーじゃん! やばい、おは朝に真ちゃんの個人情報が握られてる……! 

 

 雪野さんも誘ったけど、風邪気味らしくて断られた。緑間の奴が雪野さんに変に絡んでなきゃいーけど。運気の補正の為なら手段選ばねーからな、あいつ。

 

「まあ今日は、観る試合は主に片方だけだからな。

 C・Dブロックの泉真館対鳴成は正直、まず間違いなく泉真館だろう。

 鳴成もいいチームだが、王者との差はまだ大きい。決勝リーグの行方を左右するのは、まず誠凛対桐皇学園だ」

 

 大坪主将が神妙な顔で言う。

 今年の決勝リーグに進出したのは、誠凛・桐皇学園・泉真館・鳴成の4校。俺としちゃ、今日の試合は気になっていたから観に来られてよかった。

 

 人混みに混ざりながら、先輩達と一緒に会場に向かう。

 その時、俺の左斜め前を歩いていた女の子が、いきなり倒れかけた。多分気付けたのは俺だけだったから、咄嗟に左腕でその人をギリギリ受け止める。

 

「おっ、と……。大丈夫っスか?」

「あ……ごめんなさい」

 

 危ない危ない。

 少しウェーブがかった長めの黒髪が揺れて、その子が顔を上げた。

 

 正直言って、めちゃくちゃ可愛い子だったからビビった。

 恰好は白いワンピースでいかにもお嬢様って感じだけど、こういう子もバスケの試合とか観に来たりするんだなあと思っていたら、薄墨色の瞳がすげー俺を見詰めている。

 え? まっさか一目惚れされちゃったー? いやー参っちゃうなー。

 なーんて冗談で考えてみるけど、何かこの視線はそういうんじゃない気がする。

 

「あなた……もしかして高尾和成君?」

「へ? あっ、はい。高尾君です!」

「高尾! 何ナンパしてんだ、置いてくぞ!」

「ナンパじゃねーっスよ宮地さん! この子が転びそうになってたから……」

 

 宮地さん、口より先に手を出すのやめて! 

 それにつられて、大坪主将や木村さんもゾロゾロ集まって来た。するとその子は、大坪さん達の姿を見て、更に納得したように言った。

 

「あ! やっぱり……もしかして秀徳の人達?」

「え? えーと……」

 

 確かに今でこそ「キセキの世代」の真ちゃんばっかり注目されてるけど、秀徳も三大王者って事で、大坪さんなんかは特に知られてる選手だろう。

 けど流石に俺も、自分がそこまで知名度高い選手じゃないって自覚はある。

 もしかしてこの子、予選リーグの試合でも観に来てたのかな? 

 

「あれ? でもアキちゃんはいないの?」

「アキ……ちゃん? って、誰の事っスか? うちの選手?」

「雪野(あきら)君。知らない?」

 

 雪野さんの知り合いか。いや、でも……アキちゃんって……。随分可愛く呼ばれていて吹き出しかけた。

 

「何だ、雪野の知り合いかよ。悪いけどあいつは今日いねーぞ」

「えー残念ね。会えるかと思ってたのに」

「もしかして、雪野さんと同中だったりします?」

「そうよ! 同じ中学で、アキちゃんとは付き合ってたの」

 

 と、試合観戦前から、俺達秀徳レギュラーはとんでもない驚きに見舞われた。

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 雪野さんと同じ中学で、元カノで、更にバスケ部ではマネージャーをしていたっていう芽王寺(めのうじ)みちるさんに偶然出会い、そのまま俺達は一緒に会場に入った。芽王寺さんも試合の観戦に来たらしいんだけど、一緒に来ていた人とはぐれてしまって、探すのも手間だからこのまま観に行くって言っていた。

 大坪主将も最初は怪訝そうな顔をしてたけど、雪野さんの知り合いって事で、大目に見てくれた。俺も全然構わない。それに雪野さんの昔の知り合いって聞いて、ちょっと興味が出てきたのもある。

 

 試合はまだ始まってない。誠凛と桐皇の選手がそれぞれ出てきてアップをしている段階だ。

 けど会場に、今噂の青峰大輝の姿は見えない。

 

「あれ、青峰居ないっスね」

「まさか温存してるとか無いよな?」

「決勝リーグだぞ、ここで「キセキの世代」を出さないなんて事は無いだろう」

「あ、多分青峰君なら遅刻してくるんじゃないですか? 寝坊でもしてるのかも」

 

 青峰不在に困惑していた俺達に、のんびりと言ったのは芽王寺さん。

 何だかバスケ部のマネージャーって響きが似合わない人だと思った。俺の隣の通路側の席に座っているけど、妙な品があるっていうか。

 

「芽王寺さんって、青峰と知り合いなんスか?」

「あ、みちるでいいわよ? 苗字呼びってあんまり好きじゃないの。えーと、桐皇の主将(キャプテン)の今吉さんっていう人が、中学の先輩なの。それで色々と会う機会があって」

「へー。……え、っていう事は雪野さんとも同中なんですか?」

「そうよー。今吉さんが主将の時に、アキちゃんや私が同じチームだったの」

 

 桐皇の主将が元先輩って、初耳っスよ、雪野さん。

 いや、そりゃ中学の事なんてわざわざ話す事でもねーだろうけども。俺だって中学の時の事、機会が無かったら真ちゃんに絶対話してなかっただろうし。

 

 雪野さんって言えば、先輩達の中じゃいっつも大人しいイメージだけど、試合の時には真ちゃんと同じくらいすげー動きをする先輩だ。相手の動きの先読みなんてズバ抜けてるし、レーンアップなんか決めるくらいのジャンプ力もある。

 

 中学でもバスケやってたんなら、俺も知っててよさそうだけど、その当時には雪野さんの名前なんて聞いた事が無かった。まあ、中学時代は途中から選手の噂なんて「キセキの世代」一色になっちまったけど。

 

「もしかしてアキちゃんて、中学の事とか何も話してないの?」

「あ、はい。雪野さん試合の時以外じゃあんまり話してくんないですし……何かあったんスか?」

「高尾、その辺にしておけ」

 

 と、やんわりと止めたのは大坪主将だ。

 あれ、俺何かまずい事聞いちゃった感じ? 

 

 詳しく聞く間もないまま、誠凛と桐皇の試合が始まってそっちに意識は釘付けになった。

 真ちゃんと同じ「キセキの世代」青峰大輝も気になるけど、俺としては黒子がどう攻めるかの方が注目だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合の展開は、俺を始め多くの観客の予想を裏切る事になった。

 何しろダブルスコアで誠凛のボロ負け。

 途中で誠凛のエースの火神が離脱するトラブルがあったとはいえ、青峰一人にここまでやられるもんなのかよ。

 

 肝心の青峰は、第2Qが終わる寸前の、遅刻もいい所でのんびり登場して、美味しい場面を全部かっさらっていった。

 このスコアで、俺の中に芽生えたのは危機感だ。うちが負けた誠凛がこんな大差でボロ負けしたってんなら、桐皇相手には歯が立たねーんじゃないかって思う。

 

 そんな事を思わず口に出したら、隣の宮地さんにブン殴られた。

 

「痛! 何するんスか、宮地さん!」

「あんま騒いでんじゃねーよ、木村の軽トラに引っ付けて都内引き摺るぞ」

「何かランクが上がってる!!」

「……確かに凄まじいな、「キセキの世代」は。しかし緑間にとって火神は最悪の相性だった、このスコアが単純に戦力差とも言い切れんだろう」

 

 物騒に脅す宮地さんをスルーして、大坪主将はひたすら冷静に分析している。

 そりゃ確かに、相性の問題もあるだろうけど、桐皇とぶつかった時にうちがどこまでやれんのかって思ったら臆病風も吹きますよ。

 

「やっぱり青峰君は強いわねー。一人でバスケしてるって感じ」

「確かにそうっスね」

 

 ポツリと言ったみちるさんの感想に同意する。

 後半からは、他の四人のスタメンを無視して青峰一人がボールを持って得点していた。真ちゃんもスタンドプレーは強い方だけど、あそこまで極端に一人で何もかもやる事は無い。

「キセキの世代」っていうのは、どの学校でもそんなもんなのかね。

 何となく、中学時代の苦い記憶が蘇ってきて胸の奥が痛くなった。

 

 

「────てめぇ、こんな所にいやがったのか」

 

 

 唐突に、酷く機嫌を損ねたような声が聞こえて振り返った。

 すると、観客席の通路に腕を組んで立っている制服姿の高校生が一人。その容姿にピンと来るものを感じて、思わず口に出していた。

 

「! …………『無冠』の花宮、さん?」

 

 ついこの前、月バスの特集で見た『無冠の五将』。

 その中に載っていた一人って事で、忘れてはいなかった。時代が違えば「キセキの世代」になっていたかもしれない五人。

 

 花宮さんは特徴的な眉毛を寄せながら、俺達の方を見るとにこやかに笑った。

 

「……ああ、秀徳の。大坪さんですよね、どうも初めまして。霧崎第一の花宮です」

「名前は知っている。……一人で観戦か?」

「いえ、一応マネージャーと来ていたんですけど、途中で居なくなったので探していたんですよ。ご迷惑おかけしました」

 

 俺と一瞬目が合ったように感じたけど、それを飛び越えて大坪主将と話をする花宮さん。

 言いながら、花宮さんは客席に座っていたみちるさんの右腕を乱暴に掴み上げた。女の子相手なのに、結構雑な動作だったのでちょっと驚く。

 でもみちるさんは大して気にしていないようだから、この二人はこれが通常なのかな? 

 

「えー、(まこと)君。もう帰るの?」

「試合は終わってんだろ、いつまで遊んでる気だよ」

「はーい。……それじゃあね、秀徳の皆さん」

 

 みちるさんは素直に立ち上がると、俺達に向かって軽く手を振ってくれた。つい、俺も反射的に手を振り返す。

 その後みちるさんは花宮さんの右腕に自分の腕を絡ませると、二人して仲良く連れ立って会場から出て行った。

 

「……何だ、あの二人ってそういう関係なのか?」

「ったく、女連れで観戦なんか来てんじゃねーよ、轢くぞ」

「宮地さん怖いっス。え、でもみちるさんって雪野さんの元カノとか言ってませんでした?」

「三角関係って事か?」

 

 今日の試合結果以上の混乱が、ある意味俺達の中に渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 初戦から二日後。

 決勝リーグの試合も全て終わって、結果としては桐皇・泉真館・鳴成の三校がIH出場決定になった。リーグ戦で落ちたのは誠凛だ。予選で俺達に勝っといて、結局負けてんだから、拍子抜けなんだか残念なんだか分かんねえ。

 

 とにかく俺達は俺達で、冬のWCに備えてもうすぐ地獄の夏合宿が始まろうとしている。

 この数ヶ月で体力はついてきたと思うけど、監督は割と容赦ねーし、生きてられんのかな俺……。

 

 放課後の練習中、借りていたDVDを戻そうと部室に立ち寄った時、昔の月バスが何冊か置いてあるのが見えた。

 去年、いや一昨年くらいから残してるみたいだ。何も考えずにその内の一冊を手に取って中を見ると、他校の選手への賞賛がキャッチコピー付きで色々と載っていた。

 

「…………これって…………」

 

 その内に二冊を持って、皆がいる体育館に戻る。

 

 普段の自主練習は、専ら真ちゃんと俺が残る事が多いけど、この日は大坪主将と雪野さんも一緒になって残っていた。正直、雪野さんが自主練習するのは珍しいと思っていたけど、多分誠凛に負けてからやり始めているような気がする。

 

「大坪っさーん。誠凛の7番て誰なんスか?」

「7番?」

「部室にDVD戻しに行ったら、去年の月バスに誠凛の記事見つけて……」

 

 シュート練をしていた大坪さんの背中に声をかける。

 持ってきた去年の月バスを見せると、主将は納得したような顔をした。……体育館の空気が固くなったような気がしたのは気のせいかな? 

 

 去年の誠凛が特集されている記事。

 そこには、薄茶色の髪をした見慣れない7番がゴールを決める写真が使われている。

 

「……あいつか。去年誠凛のC(センター)だった奴だ。

 以前誠凛は、4番と7番の中外二枚看板のチームだった。何故か決勝リーグにいなかったが……もしいたら、トリプルスコアの大敗など無かっただろう。

 いや、うちの負けもあったかもしれん」

「………………」

 

 はあ? 去年って言えば、誠凛バスケ部が出来たばっかで、黒子も火神も居ない時じゃねーか。

 こっちのインサイドには大坪主将に雪野さんが居たはず。

 それなのに主将がここまで言い切るって、どんだけの奴だよ。

 

「またまた~~どんだけ買ってんスか。なー真ちゃん! って知る訳ねーか」

「……知っているのだよ」

「え!?」

「一度だけ対戦したが、覚えている」

 

 我関せずにやり続けていたシュート練を中断して、真ちゃんがこっちを向いてくれた。

 対戦した、って事は帝光中の時の話か? 

 

「桐皇対誠凛の時と似ている。圧倒的な差を前にしても、黒子と同じように最後まで諦めなかった」

「…………ちょっと、待てよ。それ……おかしくねーか?」

 

 その言葉に、俺はもっと重大な事実に気が付いてしまった。

 

「結局観に行ってんじゃねーか、決勝リーグ!! 何が「見たくないのだよ」だよ!!」

「……っ家が近かっただけなのだよ」

「遠いだろ! ってか逆だろ、知ってんだぞ!!」

「最後まで観戦しといて何言ってんのさ……」

 

 と、雪野さんの呆れたような呟きに、俺の更なる面白センサーが反応した。

 

「え! まさか雪野さん、真ちゃんと一緒に観に行ってたんスか!?」

「当たり。蟹座のラッキーパーソンとか言われてね」

「雪野さん!」

 

 真ちゃんはバラされたくなかったのか、ちょっと怒ったように言うけど雪野さんは気にもしてない。つーか、やっぱり蟹座のラッキーパーソンって事で真ちゃんに引っ付かれたのか! その面白映像めちゃくちゃ見たかった……! 

 

「えーそんな面白い事してるんだったら俺も一緒に居たかったっス」

「何も面白くないよ……疲れただけだから……」

 

 その時の記憶を思い出すのか、雪野さんの顔色がげっそりしている。

 こりゃよっぽど色々あったんだろうなあ。

 

「雪野さん雪野さん」

「何?」

「……実は俺達、観戦してる時に会ったんスよ。雪野さんの元カノとかいう人と」

「ぶっ!!?」

 

 周りに気を遣って小声で言ったら、雪野さんが飲んでいたドリンクを吹き出しかけた。

 おおう、いつもクールな雪野さんがこんな慌ててんの見るの初めてかも……。

 

 そして雪野さんの青い目が真っ直ぐ俺を見て、ぎこちなく微笑んだ。でも目が笑ってないから視線がひたすら怖ぇ。

 

「…………元カノ、って何の事かな? 全然覚えが無いけど」

「いや、みちるさんって人ですけど、雪野さんの中学時代のマネージャーだって言ってましたよ? あ、桐皇の主将とも同中なんだって」

「高尾君…………」

 

 すると雪野さんが手招きして隅の方に呼んだので、俺も素直に従う。

 真ちゃんや大坪主将が後ろから不可思議そうに見ているのが分かるけど、ただのじゃれ合いって思ったのか自主練習に戻っていった。

 

「高尾君、あのね。僕と同中とかいう奴には絶対関わっちゃダメ。もう話もしちゃダメ。分かった?」

「え、何でスか?」

「先輩命令」

 

 それはズルいっスよ雪野さん。

 中学から染みついた体育会系の性で、先輩後輩の序列には弱い。

 

 けど、そういやこの一個上の先輩はいつもこんな感じだ。

 俺達一年にも優しくしてくれるし、穏やかだけど、本当の所は絶対に見せようとしない。

 むしろ真ちゃんの方が、最初はツンケンしてるけど根気よく接していれば本音を見せてくれる。この先輩はいつまでも本心を見せようとはしない。

 

「そーいや雪野さん。みちるさんって、花宮さんと付き合ってるんスかね?」

 

 気になった事を言ってみたら、雪野さんが思い切りシュートを外してずっこけた。

 ええ!? どーしちゃったんスか、雪野さん! 

 

「ちょっと待て!! 花宮と会っ……たの? 高尾君」

「何か一瞬すごい勢いになりましたけど」

「大丈夫、気にしないで。で、詳しく聞かせてよ」

 

 雪野さん、さっきから目が全然笑ってないっス。

 その剣幕に押されるようにして、俺はみちるさんを迎えに花宮さんが来た事と、二人が仲良さげに帰っていった事を掻い摘んで話した。それを聞いて雪野さんの顔色がどんどん恐くなっているけど、怖いもの見たさっていうか、好奇心は止められないのだよ。

 

「……で、そうやって仲良く帰っていったから、恋人か何かか? って俺達も思って」

「あー成程ね……。ったく……いや、とりあえずあの二人がそういう仲になるのはあり得ないから」

「そうなんスか?」

「兄妹なんだよ、あいつらは」

 

 え!? 

 ……予想もしてなかった答えに俺も詰まる。え、キョーダイって家族のキョーダイだよね? 

 言われてみれば、目の色とかが似ていたような気がしたけど……でも苗字が違うのは? 

 

「ちょっと色々複雑なの。だからあんま詮索しないでやってね」

「はあ……」

 

 俺の疑問を先読みしたように、雪野さんが釘を刺す。

 そりゃ俺だって、人のデリケートな事情を知りたいとは思わないからいいけどさ。

 

 にしても、そんな事まで知ってるって事は、雪野さんと花宮さんも、もしかして知り合いなのかな? でもこの様子だと、とてもそこまで教えてくれそーにないや。あんまり知られたくなさそーみたいだし。

 部室から持ってきた、もう一冊の一昨年の月バスをパラリとめくる。

 そこには見覚えのある顔の選手が、DF(ディフェンス)を躱してシュートを決めている写真が載っている。

 

『「キセキの世代」の台頭に隠れた逸材、無冠の『六人目(シックスマン)』、表舞台に返り咲く事なく引退か!?』

 

 記者の煽り文句には、そんな風に好き勝手書いてある。

 その写真と、目の前の雪野さんを見比べると──―写真は黒髪だけど、間違いなく同じ人だった。

 俺が知らない何かが、雪野さんの昔にもあったって事だろうか。

 

「高尾、いつまで休んでんだ! 練習しないなら帰れ!」

「すんません! すぐ戻ります!」

 

 大坪主将の怒声はいっつも背筋が伸びる。

 俺は持ってきた月バスをステージの隅に置くと、慌てて練習に戻った。まっ、先輩の昔の事なんて考えても仕方ないか。そりゃ気にはなるけど、その内話してくれんだろ。

 

「雪野―! 客が来てるぞー!」

 

 と、俺達がそれぞれ自主練習に励んでいた時、二年生の先輩の一人が、体育館の入り口から声を上げた。

 

「客?」

「お前の元カノー」

 

 その瞬間、雪野さんが持っていたボールが手から滑り落ちる。

 体育館の入り口でにこやかに手を振っていたのは、ついこの間会ったばかりの、ウェーブの黒髪が可愛らしい女の子だった。

 

 

 

 あんまりのタイミングに、俺の腹筋がやばい事になっている。

 本当、このバスケ部って退屈しねえわー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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25.それぞれの課題

 

 

 

 

 

 

「雪野―客が来てるぞー」

「客?」

「お前の元カノー」

 

 体の血の気が引くっていうのはこういう感覚の事をいうんだろうなぁ、と俺は他人事のように思った。

 

 何で居るんだよ。

 何で普通に来てんだよ、手とか振ってんじゃねーよ頼むから。

 

 つい数年前まで同じ中学、どころか同じバスケ部にいたマネージャーの芽王寺(めのうじ)みちるは変わらない華奢な雰囲気で体育館の入り口に立っていた。

 とりあえず一刻も早く追い返さなくてはいけない。

 

「……すいません、ちょっと抜けてきます」

「おーおー、彼女が迎えに来るとか良い身分だなあコラ。撲殺すんぞ」

 

 宮地(兄)に酷い勘違いをされている気がする。

 静かに練習を抜け出して、入り口に立っているみちるの傍に近付いた。

 

「……おい、ちょっとあっちに行くぞ」

「何怒ってるの?」

「ったりめーだろ!!」

 

 キョトンとしてんじゃねーよ腹立つ! 招かれざる客を引きずるようにして外に連れ出した。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

「そんな怒らないでよーちょっと遊びに来ただけなのにー」

「そうかじゃあ気は済んだな。帰れ」

「ひどーい。じゃあ買い物付き合って」

「じゃあって何だよ。俺だって忙しいんだよ。一人で行けよ」

「だって男の子のほしいものなんて分からないもの。原君の誕生日プレゼントなんだけど」

 

 誰だよ原って。

 こいつのチームメイトなのか知らねーけど、だとしたらますます付き合う義理はねーよ。

 それなのにみちるは俺の腕を引いてそのまま進んでいってしまう。おい、無視すんな。

 

「お前マネージャーなんじゃねーのかよ。こんな油売ってて花宮に怒られるぞ」

「いいのよ。(まこと)君、私にあんまり仕事させてくれないもの」

 

 拗ねたように言うみちる。

 そういや昔からあいつ、仕事は全部自分で独占してたっけな。

 

「それにこうやって、他校の偵察(スカウティング)に行くのだって立派なマネージャーの仕事だもの」

「偵察になってんのか、これ……」

 

 ただ遊びに来てるだけだろ、としか思えねーけど。

 連れられるままに、俺が辿り着いたのは高校の近くにあった小さなスポーツ用品店だった。買い出しついでに俺達もたまに利用する店だ。

 こうなったら最後まで付き合ってやらねーと、こいつは帰らねーからな。俺は観念して店の自動扉をくぐった。

 

「うーん、でも何がいいかしらねー」

「さあな」

 

 俺としては限りなくどうでもいい買い物でしかないから、その辺のボールとかを適当に物色していた。

 

「あ、バッシュあげたら喜んでくれるかな」

「いや、それは止めとけ!?」

 

 店の一番手前に並べられていた最新モデルのバッシュを眺めての一言に、流石に止める。

 そりゃ、喜ばない奴は居ないと思うけどな!? 

 

「え、ダメなの? 何で?」

「ダメっていうかな……もうちょっと安めのにしとけ。マジバでもおごれば十分だろ」

「ふーん」

 

 どうにか納得したようで安心する。こいつの金銭感覚が狂ってたの忘れてた……。

 ついでだし、俺も部活用に何か備品を買っていこうか。完全に私用で練習を抜けちまったから、そうでもして宮地の機嫌を取っとかねーとまずい気がする。

 うちは今吉さんの所とかと違って、マネージャーがいないからこういう時に不便だよなあと思った。

 

 

「……ちょっと大ちゃん! 探したんだからね! 勝手にフラフラしないでよ!」

「うっせーな。見るくらい良いじゃねーか」

 

 

 ……ん? 

 何か、ものすごく聞き覚えがあるんだが。

 

「……ああっ! さつきちゃん! 青峰君も! どうしたの?」

「え? あ、ああーっ! みちるさん! 雪野さんまでっ! えっ、ええ──!! どうしてっ!? きゃー! すっごい偶然!!」

 

 と、俺達が気付くより早く先に声を上げたのは女子達の方だった。

 品物の前で仲睦まじく喧嘩していた桐皇のマネージャー桃井さつきと、「キセキの世代」エース青峰大輝。ピンク色の髪を振り乱しながら、何とも華やかな笑顔を見せて桃井さんがみちるとハイタッチを交わしている。眩しい。後ろの青峰なんか指名手配犯みたいな面してんぞ。

 

「二人ともどうしたの? 買い出し?」

「そうなんです! 青峰君が備品壊しちゃってーそれでちょっと買い出しに」

「だからワザとじゃねーって言ってんだろ!折角練習出てやったんだからよ!」

 

 桃井さんは制服だし、青峰もTシャツ姿で部活を抜けてきたって感じの恰好だ。

 

「みちるさん達はどうしたんですか? あ! まさかデートとか?」

「違う違う。ちょっと買い物に付き合ってもらってただけよ。あーそれじゃ、さつきちゃん。買い出しなら一緒に行くわよ? ほら、青峰君はアキちゃんに任せればいいし」

「は?」

「は?」

 

 サラリと言ったみちるの提案に、俺と青峰の声が重なる。

 いや、ちょっと待て。何でいつの間にかこいつらと一緒に行動する事になってんだよ。

 

「ちょっと待てコラ。何で俺がこいつのお守りしなきゃならねーんだよ」

「いいじゃない。先輩なんだから、一年の面倒見るのは当たり前でしょ?」

「こいつは俺の後輩じゃねーよ」

「まあまあ、今吉さんの後輩なんだからアキちゃんの後輩みたいなものじゃないの」

 

 意味分かんねーよ。

 話を勝手にまとめてしまったのか、みちるは桃井さんの手を引いてさっさと店の奥に行ってしまった。後には俺と、不機嫌そうな顔をした一年坊主が取り残される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 面倒を見ておいて、と言われても、俺と青峰の間で盛り上がる話がある訳もない。シーン、と気まずい沈黙が降りていたが、こいつも他に行く所が無いのか、退屈そうにしながら律儀に俺の後をついてきた。犬か。

 ……試合の時は随分凶悪そうに見えたけど、黙っている分には普通だな。

 

 みちるも桃井さんも、いつになったら買い物終わらせる気だよ。つーか俺も、これ帰っていいかな。しみじみと、自分が何やってんだろうって思えてきた。

 

「…………何か、腹鳴ってるけど」

「あー。腹減ってんだよなー何かおごって」

「あのね…………」

 

 図々しいなこいつ。

 後ろから聞こえた腹の虫は、誰かと思えばやっぱり青峰。今吉さん、どういう指導してんだよ。

 

「ていうか、別に律儀に僕についてこなくてもいいんだよ」

「だってさつきが帰ってこねーじゃん」

「……探しに行けば?」

「面倒くせえ」

 

 あはは、こいつ……。

 緑間がマシに思えてきた。

 

 IH(インターハイ)決勝リーグも終わって、結局勝ち残ったのは桐皇・泉真館・鳴成の三校。誠凛が勝ち上がる事は出来ず、脱落してしまった。

 桐皇戦で足を傷めてから、火神も自分の部屋にずっと引きこもったままで出てこない。

 

 丁度目の前に展示してあったバスケットボールを手に取ると、いい具合にドリブルが出来た。青峰が怪訝そうに見ているのを感じるが、そのまま叩きつけるようにパスしてやる。かなり勢いをつけて放ってやったのに、青峰は堪えた風もなく受け止めた。

 

「……んだよ」

「じゃあ、暇ならバスケでもする?」

「は?」

1対1(ワンオンワン)くらいなら付き合ってあげるよ」

 

 ちょっとこいつの鼻っ柱を折ってやりたい気分になってきた。確か近くにストバスのコートくらいならあった筈だ。

 青峰はボールを片手で転がして、ちょっと考え込むようにしていたけど、やがて凶悪な顔で笑った。試合中に見せたような野生の獣みたいな顔だった。

 

「ハッ、お前が? 相手になんのかよ」

「……まあ「キセキの世代」には退屈かもしれないけどね。

 黒子君と火神君には負けちゃったし」

 

 と、一瞬青峰の片眉が反応したように動いた。

 するとそのまま、無言で店の出口へと向かっていった。ついて来いって事か? 

 だったら一言くらい声かけろって言いたいけどな……。

 

 青峰を追って店を出て、少し歩くと幸いすぐ近くにストバスのコートと公園があった。元々、店の商品がすぐ使えるように近い場所にあったらしい。他に人はいない。広々としたコートに風が吹き抜けて、誰かが使っていたのかボールが二つほど転がっていた。

 その内の一つを、青峰が手にして軽くドリブルする。

 

「やんならあんたからでいーぜ。ほら」

 

 ボールが無造作にパスされた。

 気を遣われたっつーより、舐められてんな、これは。欠伸までしてるし。

 

「えーと、じゃあ5本先取した方が勝ちって事で……」

「はあ? それじゃいつに終わるか分かんねーし、あんたは1本でいーぜ。取れたらな」

 

 ものすごく舐められてた……。

 お互いに練習着で、靴もバッシュ。状況は同じ。前に桐皇で1対1した時みてーに、差はつかない筈だ。

 

「あっ、そう……。それじゃ遠慮なく、そのハンデもらうよ」

 

 次の瞬間、ドライブで青峰の左サイドをめがけて切り込んだ。

 

 青峰が油断しきっているその瞬間、その一瞬をつく事が優先だ。

 ──だが、間違いなく不意をついた筈だったのに、青峰は恐るべき反応速度で追いついてきた。

 

 このままじゃカットされて終わる。

 咄嗟にボールを明後日の方向に放り投げた。ボールがコートに叩きつけられてバウンドする。適当に投げ飛ばしたから俺でも方向が読めない。これでアリウープの流れに持っていければ決められる。

 

「ハッ、同じ手に引っかかるかよ!」

「っ!」

 

 めちゃくちゃな軌道に放った筈のボールは、しかし青峰にスティールされた。

 今度は青峰がドリブルで、対面のゴールへと駆けていく。

 

 俺もその後を追う。

 ──―分かっちゃいたけど、こいつ速い。

 あの火神でさえ追いつけなかった事には驚いたけど、こうして体感すると本当に速い。黄瀬や緑間、他の「キセキの世代」とは速度の格が違う。

 

「──―待て、って言ってんだろ!!」

 

 青峰がダンクシュートを決める寸前に、ギリギリで間に合い、ボールをカットする。

 弾き飛ばしたボールが、コートから転がった。

 

「──へえ、意外とやるじゃん」

「そりゃどうも」

 

 全然褒められてる気がしねーんだけど。

 俺が言えた義理じゃねーけど、「キセキの世代」ってのは何でどいつもこいつもこう人を舐め腐った連中ばっかなんだよ!? 俺達の下の代で一体何があった!? 

 

 その後、俺からのドライブでまた仕掛けた。

 けど―――ダメだ。どんなに速く攻めても、フェイクで引っ掛けようとしても、こいつを破れない。

 動きの先を読んでる筈なのに、その上の速さで駆けていく。

 

 お互いに攻めて、守り、攻めて、それを繰り返して、気が付いたら結果は青峰に4本ゴールを決められた状態になっていた。

 って、チェックがかかってるじゃねーか。息が切れ始めた。顎の下に流れた汗を手の甲で拭う。

 勝負としては勝ちになりそうだっていうのに、青峰本人は嬉しいよりも、失望したような顔色をしていた。

 

「……結局、こんなもんかよ。緑間の先輩とか言ったって」

 

 

『―――あいつが何よりも求めているのは、自分と対等に戦える好敵手(ライバル)です』

 

 

 ふと、前に緑間から聞いた事が頭に浮かんだ。

 ああ、成程。それじゃもしかして、俺は期待外れでがっかりされている感じなのか。

 

「……贅沢な悩み」

「あ?」

「緑間君から聞いたよ? 青峰君、一人だけ強くなり過ぎちゃって、それで孤立しちゃったんだって?」

 

 と、青峰の機嫌が分かりやすく悪くなったのが分かった。

 毛を逆立ててる猫みてーだな。俺は歩きながら、転がっていたボールを手に取った。

 

「まあ、気持ちは分からなくも無いよ。チームメイトとギクシャクすると辛いよね。僕も昔、色々あったからさ」

「おい、喧嘩売ってんのか」

「まさか。ただ、友達と喧嘩してるなら、早めに仲直りした方がいいよーって思うだけ」

 

 喋りながら、コート上のラインに立つ。

 距離感を見計らって、ボールを思い切り投げた。ボールはやや不器量な軌道を描きながらも、ゴールのバックボードに当たって、ネットをくぐる。

 

 振り返って青峰を見てから、思わず笑みがこぼれた。

 

「……この勝負、これで僕の勝ちだよね?」

 

 意味する所を理解したのか、さっきまでの憂鬱そうな顔をどこにやったのか、青峰が喚いた。

 

「は……はぁっ!? ふざけんな!! あんなのカウントされっかよ! まともに1対1してなかったじゃねえか! もう一回だ、もう一回!!」

「えーでも、実際の試合だって乱戦なのは同じだし、余所見する方がこの場合悪いんじゃないのかな?」

「てんめぇ……!!」

「ぶはっ! 確かに青峰、これはお前がやられたな」

 

 と、その時。

 俺達以外の笑い声がコートに響いて目線を走らせると、そこに居たのは──本当に何でいたのか──俺達の共通の先輩だった。

 

「何で居るんだよ、今吉サン」

「お前を探しに来たに決まってるやん。桃井から連絡あったんやでーお前が買い出し中にいなくなったから探してるて。普段から迷惑かけてるんやし、あんま苦労かけたらあかんで」

「あーはいはい……」

 

 気まずそうに頭を掻く青峰。今吉さんは練習着だし、部活を抜けてきたんだろうか。

 

 コート上の熱気が急速に冷えていくのが分かる。青峰も熱が冷めたのか、そのままコートから出て行ってしまった。今吉さんの言葉に従うなら、スポーツ用品店に戻って桃井さんと合流するんだろう。

 去り際に、一瞬だけ目が合ったような気がしたけれど気のせいか。

 

「……じゃ、俺もこれで」

「ちょー待ち。雪野」

 

 うげ。

 

「いや、うげ、は無いやろ。何やそのリアクション」

 

 そーやって心読んでくるから嫌なんだよ。

 青峰と入れ替わりで何故かやって来た今吉さんだったけど、まあ俺が逃げられる筈も無かったよな! 

 

「びっくりしたでー。桃井から、雪野と芽王寺と偶然会ったって聞いて、そんで雪野が青峰と一緒にいる言うし」

「あの子が情報源だったのかよ……。つーか俺帰っていいよな? 一応、練習中の所抜けてきたんだから」

「いやいや。ワシかてお前に聞いときたい事あったから、わざわざ練習抜けてきたんやで? そんで雪野、桐皇に来る話考えてくれたん?」

 

 ニコニコ、と相変わらず読めない笑顔で訊ねてくる今吉さん。

 風がコートの中を、一段と強く吹き抜けていく。

 

「決勝リーグ終わってから音沙汰ないし、ワシら全勝したんやで? おめでとうの一言あっても良かないの~?」

「あーはいはい。おめでとうございます」

「棒読み! 何や、もしかして誠凛さん贔屓だったんか? そんなら悪い事したなあ」

「別に贔屓とかそんなんじゃねーよ。…………ただ」

「ただ?」

 

 決勝リーグの試合結果に同情とかはしていない。

 試合なんだから、勝ち上がるチームがいれば負けるチームがいるのは当然だ。

 

「……もし桐皇に入ったとしても、俺は、あんたが望んでるようなエースにはなれねーよ」

 

 桐皇のスタイルは超攻撃型。

 対戦相手を徹底的に叩き潰すのがやり方なら、俺が加入した所で──―多分、力にはなれない。決勝リーグの誠凛戦だって、途中から見ていられなくなったんだから。

 

「……ほんなら、雪野は秀徳さんでやってくって事か?」

「……ああ。まあ」

「ふーん」

 

 何だよその煮え切らない返事は。

 この人がこういう態度取ってると、ロクな事言わないから嫌なんだよな。

 

「けどなあ、雪野」

「何だよ」

「お前、秀徳の人達に話しとんのか? 昔の事」

 

 ほら見ろ、やっぱりロクな話じゃない。今吉さんが呆れたように溜息を吐いたのが分かった。

 

「やっぱり何も言ってないんやろ。これは先輩としての忠告やけど、お前がスタメンとして試合に出る以上、いつかバレるんやで」

「…………いや、でももう何年も前の話だし。お互いに見た目だって変わってるだろうし」

「アホ。そういうのは、やられた方はいつまでだって覚えてるもんなんやで。仮にや、揉め事になったとしても、桐皇やったらワシがどうにかフォローする事が出来る。

 でも秀徳で同じ事が起きてみ? 

 お前の先輩や、チームの皆は、その時全く変わらずにお前に接してくれると思うんか?」

 

 いきなり心臓を掴まれたような気分になった。

 実際、それは一番考えたくなかった事だし、起きてほしくない事だった。

 つい最近だって、海常の笠松にも月バスの記事が見つかっていたり、危ない場面は結構あったんだ。

 大坪主将に宮地を始めとして、秀徳の面子はいかにも潔癖な連中が多いから、俺の昔の事なんか知ったらどれだけ軽蔑してくるかって思う。……緑間なんか特に嫌いそうだもんな、口が裂けても言えねーわ。

 

「…………だから、その辺は……その内考える」

「……ああ、そか。お前が分かっとんならええけど。ほんまに秀徳さんでやってく気なら、その辺の事はちゃんとせーよ? 分かったなー」

 

 だからあんたは俺の何なんだよ。

 言うだけ言って気が済んだのか、今度こそ今吉さんもコートから去っていった。主将業っていうのは暇なのか。

 

 つーか俺も帰ろう。

 ちょっと出かけるだけだったのに、思ったより時間食った。そしてコートから出た時、見覚えのある人影が待ち伏せしているのを見つけて声をかけた。

 

「みちる。全然隠れられてねーぞ」

「あ、見つかっちゃった? テヘッ」

「可愛くねーから」

 

 いつから居たんだ、こいつ。

 聞いてみると、俺と今吉さんの話が始まった辺りから居たらしい。おい、だったら割り込んであの気まずい空気をぶっ壊せよ。

 

「大事な話してるみたいだったから気を遣ったのよ」

「全く大事な話じゃねーから」

「……ねえアキちゃん。私思うんだけど、アキちゃんのチームの皆だって色々話してくれた方が嬉しいんじゃないかしら」

「どーかな……」

 

 そりゃ、こいつのお気楽な頭で考えたらそうなるんだろうけどさ。

 

「私だって真君に試合の事とか色々相談してほしいのに、全然話してくれないんだもの」

「まあ、あいつはそうだろ……」

「お返しにダンゴムシ筆箱に詰めたら、怒るし」

「それは怒るだろ!?」

 

 かつてのチームメイトに、ちょっとだけ同情する気持ちが沸いた。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 適当な所でみちると別れ、学校に戻ったら、まだ体育館には自主練習でバスケ部の面子が残っていた。つーか増えている。さっきは居なかったのに宮地(弟)と木村もいた。

 今日は委員会とか言ってなかったか。

 

「あれ、雪野? さっき彼女が来たとか言ってなかったか?」

「一体どんな噂になってるのさ……彼女じゃないし。そこで別れてきたよ」

「え、もう別れたのか?」

「スピード破局って奴か」

 

 どこのゴシップ誌だ、この部は。何か一気に噂がざわめいている。

 俺がフラれたみたいな言い方されてんのはムカつくけど、訂正するのも面倒くさいから聞き流しておいた。

 

「雪野さん……あの、フラれても次があるっスから、そんな落ち込まないで!」

「高尾君。ちょーっとパス練に付き合ってくれないっか、なっ!」

「っ痛ぁ──!! いや、すんません冗談っスよ冗―談!」

 

 けどまあ、斜め下からにこやかな笑顔で励まされると絶妙に腹が立ったので、力の限りパスをぶん投げてやる。だから別にフラれてねーし!! 

 それでもどうにかボールを受け止めてんのは流石鷹の目の性能だけど、今は舌打ちしたい気分になった。

 

 みちるはああ言うけど、わざわざイメージダウンする事を白状して、溝を作る気にはならねーよ。高校入学してからバスケ部に入って一年強、キャラ作りしてまで苦労してバスケ部での立場を作ってきたってのに。

 にしてもこんな騒がしい状況でも緑間は相変わらず黙々とシュート練をしている。我関せずって感じだ。本当すげーな、あそこまで我を通せるのは逆に尊敬する。

 ……あ、高尾が茶々入れに行った。あれにちょっかい入れられる高尾も高尾だと思う。

 

「おー、皆熱心だねえ」

 

 妙に間延びした口調で割って入ったのは監督だった。

 騒がしい空気が少し静まり返り、自然と監督に視線が集まる。

 

「監督! 何かミーティングの確認でも……」

「あー違うんだよ。ちょっとした伝達でね。明日改めて言う事でもあるから良いんだけど、来週から夏休みが始まるだろう? 今年の合宿について話すから、明日のミーティングは予定しておくようにね」

 

 ……そうだ、そうだった。

 IHの事で頭がいっぱいになって、すっかり忘れていた。

 

 

 去年の今頃、味わった苦しみが蘇る。

 あの地獄の──―夏合宿。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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26.再び巡り合う

 

 

 

 

 

 

「雪野さん、俺明後日から合宿行ってくるわ」

「え、そっちも?」

「え?」

 

 夕飯の最中、火神が思い出したように呟いた言葉に箸が止まる。

 

 誠凛も秀徳もほぼ同時期に夏休みに突入していたようで、その日の晩、俺達はそろって飯を食っていた。最近は火神も帰りが随分遅くなっていたから久々にまともに会話した気がする。

 ちなみに今日のメニューは素麺だ。今日は、っつーか今日も、だけど。

 ダイソンかって吸引力でざっと五人前は素麺を頬張りながら、年下の家主は続けた。

 

「この間カントクから説明されたんスよ。何か、夏休みには海と山で合宿するみたいで」

「二回やるんだ……すごいね……」

「そっちもあるんスね」

「毎年一軍が海で合宿するのが伝統みたいでね」

 

 去年の地獄の夏休みを思い出す。

 あのサビれた宿と鬼のような練習量。まして俺も下っ端の一年だったから扱きのレベルが半端じゃなかった。またあの鬼畜トレーニングを味わう事になると思うと、早くも食欲がなくなってくる。

 

「あれ、雪野さんもう食べないんスか?」

「ああ、何か食欲なくて……。…………ていうか、胃もたれして……」

「ふーん、じゃあもらうっスよ」

 

 俺のザルから麺を取って軽く一口、二口でモリモリと平らげていく。

 こいつの胃にはブラックホールでも内臓されてんのか……。見てるだけで胸焼けしてきた。

 

 まあ、食欲があるならいいけど。

 IH(インターハイ)決勝リーグで負けてからしばらくの間、ずっと自分の部屋に引きこもって出てこねーし、普段から人の三倍は食べる癖に晩飯も食ってる気配がねーから、死んでるんじゃねーかって不安になった。

 

 誠凛の方で何があったか知らねーけど、あの主将か女カントクさんか、それか黒子と話でもしたのか。どっちにせよ、立ち直ってくれたんなら良い事だ。

 

「………………」

「? ……どしたんスか」

「いや、別に」

 

 何枚平らげる気なんだ、こいつは。

 椀子そばの如く積み重なっていく素麺の皿を眺めていた時、携帯電話の着信音が聞こえてきた。俺のものにメールか何かが来たようなので、開いてみる。

 そして、絶句した。

 

「………………」

「?? 雪野さん? どうかしたんスか?」

「ううん、ちょっと目眩がね……」

「え、本当に大丈夫スか?」

 

 突然受けた知らせに現実逃避したくなったが、秀徳バスケ部も夏合宿までカウントダウンが始まっている。今からでも不参加に出来ねーかな……と叶わない願いを抱いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 暑い。

 

 今年の夏は例年に無い猛暑だとかニュースで言ってたけど、マジで暑い。洒落にならないレベルで暑い。

 世間一般じゃどいつもこいつも夏休みに羽を伸ばてる真っ最中だっていうのに、俺はといえば、炎天下の朝っぱらから荷物を抱えて秀徳バスケ部の連中とむさ苦しく集まっていた。

 夏休みだろうが冬休みだろうが練習が変わらない(むしろ普段より鬼になる)のはどの強豪でも変わりないが、秀徳も例に漏れない。夏の合宿は毎年決まった場所を利用しているが、今年もそこで特訓という名の地獄を過ごす事になる。

 

 ただ合宿に関しては、参加メンバーは一軍だけだから普段よりずっと少ない面子だ。いつものスタメンのメンバーに、三年では時田、二年では宮地(弟)や金城も来ていた。…それでも合わせて十人ちょいくらいか? 改めて見ると随分人数が減ったと思う。

 春にごっそり三年の退部騒動があったり、予選リーグの時に室田が辞めたりしたせいで、天下の秀徳も寂しくなったもんだ。一年なんか緑間と高尾くらいしかいないんじゃねーか? 

 

 そして今は合宿施設に向かうべくバス待ちの状態な訳だが、監督がなかなか来ねえ。

 何やってんだあのおっさんは。まさかこうして夏の空の下に立たせておく事がトレーニングとか言わねえよな。

 

「おい緑間、何だよその荷物」

「何がですか?」

「何がですか、じゃねーよ。合宿にどんだけ荷物持ってく気だよ、観光気分か」

 

 緑間の手前にあるキャリーケースを指さしながら、イライラを隠し切れずに宮地(兄)が言う。いや……うん、気持ちは分かる。

 だってすげーでかい。Lサイズって奴か?爺ちゃんが海外に出張行く時に使うような特大サイズのケースが緑間の足元に置かれている。しかも当の本人は別にショルダーバックを持っているし、一人だけ何泊する気なんだって装備だ。

 

「宮地さん怒んないで下さいって! これには真ちゃんのラッキーアイテムが入ってるんですから手放せないんですよ!」

「はぁ!? 合宿でこんなに必要になる訳ねーだろ!!何日泊まる気だよ!」

「ラッキーアイテムの候補も入っているから必要です。おは朝はその日にならないとアイテムが分からないので」

 

 このクソ暑い中でも緑間は元気に電波を受信している。

 宮地もこの熱気で余計にイライラしてるみたいなのに、緑間が油を注ぐような事ばっかりするから騒ぎが収まらない。

 

「しかも何だよそのカイロ!このクソ暑い日に!」

「これは今日の蟹座のラッキーアイテムです」

「全身にカイロ貼り付けて焼くぞ、マジで」

 

 この真夏日にカイロ指定って嫌がらせだろ!!今日確か最高気温30℃超えって言ってたぞ!?

 緑間、もうおは朝信じるの止めろよ…。

 

 やいやいと騒ぎ出した俺達の所に、中谷監督がのんびりと現れたのはその時だった。

 

「──よし、皆揃っているね」

「監督、一軍は全員集合していますが、連絡事項とは何ですか?」

 

 大坪主将が監督に訊ねる。

 俺は若干距離を取って、監督から隠れるような位置に佇んだ。

 

「ああ。急な話なんだが今年の合宿には、私の他にもう一人付き添いでトレーナーの方が加わる事になった。……ついこの前まで海外に出張されていて、日程が合うか分からなくてな。合宿前に皆に紹介しておきたくて時間を取ったんだ」

「トレーナー…ですか?」

「うちにはマネージャーもいないし、私以外の視点からの意見も聞く良い機会だからね。スポーツ医療の知識もある方だから信頼していいよ」

 

 聞き慣れない言葉に、大坪主将も、他のメンバーも少し困惑しているのが分かる。

 そりゃそうだろう。秀徳は人数が多い割には、今までマネージャーも無しに自分達の事は自分達で回してきて、責任者も中谷監督だけだったから、新しい参加者なんて珍しい。

 

 監督が促すと、ガラガラとキャリーケースを引くような音と小気味良い靴音が聞こえてきた。少しして現れたのは、監督よりも、どころか俺達よりも大分小柄でつばの広い帽子を被った人物だった。

 その人はサングラスを颯爽と外すと、俺達全員の顔を見回してにこやかに微笑んだ。プラチナブロンドの髪が日差しに煌めいて眩しい。水色のスラックスにワイシャツで涼し気だけど、色合いのせいで儚げにさえ見える。むさ苦しい男集団の中に、いきなり年齢不詳の人物が現れたもんだから、主将を始め周りの皆も、いつも騒がしい高尾まで啞然としていた。

 

 ……俺も別の意味で言葉にならない。

 

「秀徳バスケ部の皆、初めまして。臨時のトレーナーとして合宿に参加する事になりました、雪野大輔と言います。あ、(あきら)君! 久しぶり~何でそんな隅っこに居るんですか? いやあ、孫の瑛がいつもお世話になってます」

 

 その一言で、シン、としていた沈黙が弾けるように解けた。

 同時に俺は爺ちゃんの視線から逃げ出したけど。

 

「え、ええっ!? 雪野さんの、お爺……さん!?」

「マ……マジか? え……お父さんとか叔父さんの間違いじゃねーよな……?」

「いや、さっき確かに孫って言ったぞ。孫って」

 

 今ものすごく穴があったら入りたい……。

 何を光り輝く笑顔で手を振ってんだよ、あのクソ爺は。何でいきなり帰ってきて、しかもうちの合宿に加わってんだよ。

 

 爺ちゃんの発言でバスケ部全体がものすごいざわついているが、注目されたくなくて俺は緑間の背後に隠れるように移動していた。……おい、いいだろ別に。緑間が不審そうに見てきたけど、こいつ無駄にでかいんだからバリケード代わりになれよ。

 

「も~瑛君ったら、ちょっと見ない間にますますシャイになってしまって……。ああ、君が主将の大坪君ですか? どうも、祖父の大輔です。瑛君がお世話になっています」

「あ、ああ。これはどうも、ご丁寧に……」

「このバスケ部の子達は皆大きいんですね~。向こうでも通用しそうですよ」

 

 おい、主将と雑談始めるな。

 今の今までアメリカに出張していた祖父との二ヶ月ぶりの再会は、やっぱり普通にはならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺達はガタゴトと乗り心地が微妙なバスに揺られながら合宿所に向かっている。

 席順は元々考えていなかった事もあって、何故か俺が爺ちゃんの隣に座らされてしまった。

 

 火神が誠凛の夏合宿に出発する前、俺の携帯に届いていた爺ちゃんからのメールを思い出す。

 

『瑛君、私も瑛君と一緒に合宿行きますからね~』

 

 その一文だけだ。

 まさか、いやまさかとは思った。突然の思い付きと行動力の化身みたいな爺ちゃんではあるが、いくら何でもアメリカに出張していて、いきなり秀徳の合宿に参加出来る訳ねーよな。

 

 何て甘く見ていたら、文字通りの結果になった訳だ。

 窓の外には町やら森やら、綺麗な風景が流れているけど俺は何も感動出来ずに眺めていた。

 

「もう嫌だ……合宿に爺ちゃんが来るとか何の拷問だよ……」

「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないですか。私はトレーナーとして様子を見に来ているだけですよ?」

「仕事はどうしたんだよ、仕事は。それに! 帰って来てたんなら先に家の方を何とかしとけ! ずっと居座ってるよく分かんねー連中を追い出せよ!」

 

 監督や他のメンバーの手前、堂々と怒鳴れないのが苛立たしい。

 ひそひそと小声で話すと、祖父は相変わらず年老いて見えない顔をきょとんとさせていた。

 

 俺と爺ちゃんの元々の自宅はと言えば、約二ヶ月くらい前に、爺ちゃんが勝手に呼びつけた友人だか知人だかを泊まらせてしまって、住人の俺が追い出されるってバカバカしい事態になっていた。

 そのせいで火神の家に下宿する事になっているんだ。原因のクソ爺は海外なんかに行ってるし。合宿なんかに遊びに来てるより、それを早く解決してもらわなきゃ困る。

 

「えー……でも、私もしばらく出張が続きますから瑛君を一人にしておくのはちょっと不安なんですよね。別に、大我君の所にいればいいじゃないですか」

「そういう問題じゃねーだろ」

「折角友達が出来るようにしてあげたのに……何でそう一人になりたがるんですか、瑛君は。そうだ、今度辰也君とサーシャも呼ぼうかと思ってるんですよ。皆でパーティーとかやりません?」

「だから話を聞けって……いや、もういい」

 

 ダメだ、話が通じねえ。

 ちょっと日本を離れてたせいで日本語を忘れちまってんのかもしれない。この爺は自分が楽しければ本当に何でもいいんだった。どんどん暗くなっていく俺の心情とは真逆に空は快晴で景色は美しい。何か泣けてきた。

 

 俺は声を潜めて、隣のクソ爺に言った。

 

「部活覗くなら、もうこれで最後にしろよ。監督に何吹き込んだのか知らねーけど、大会前なのに爺ちゃんの面倒まで見切れねーんだからな」

「分かってますよ。皆さんの迷惑にはならないって説明してマー君にも了解してもらいましたし、高校生の子達の試合なんて久しぶりに見ますからね~何だか若返った気分ですよ」

 

 あんたは普段から若作りしてんだろーが。

 あとマー君って誰だよ。

 

「マー君はマー君ですよ。ほら、瑛君達の監督の」

「は? 監督?」

「自分達の監督の名前も知らないんですか? 中谷仁亮(まさあき)、だからマー君。ねー、マー君」

 

 前の席の監督に向けて呼びかけたが、「その呼び方止めてくれませんか」とかなり冷めた言葉が帰ってきた。隣の爺ちゃんは全く懲りずにヘラヘラしているけれど。

 

「つーか、いつの間に監督と繋がってたのかよ」

「いつの間にも何も、マー君が現役の時からの付き合いですよ。本当、昔トラ君とあんなにやんちゃしていたマー君が、今じゃこんなにたくさんの子供達の面倒を見るようになってるなんてね~」

「大輔さん、言っておきますが暴れていたのはいつもトラの奴だけです」

「そうでしたっけ? 二人供いつも仲良しだったように思えるんですが……」

 

 監督が座席からやや身を乗り出して爺ちゃんの発言を訂正する。よっぽど聞き逃せない事だったのか、目が試合の時より真剣だった。

 

 爺ちゃんのとんでもないネットワークを舐めていた。還暦に片足突っ込んでる癖にいつまでも青春してるテンションでいるこの人は、、あらゆる所で人脈を張ってるんだった。

 だとしても監督と知り合いって勘弁してくれよ……。この先部活で何か起きたら、情報が全部爺ちゃんに筒抜けになるって事じゃねーか。

 

「瑛君、どうしたんですか。暗い顔して。これから合宿なんですからもっと楽しそうにしていかなきゃダメじゃないですか」

「いいんだよ、頼むからちょっと静かにしてくれ……」

 

 何で行く前から精神的に疲れてんだろうか。

 もう3分の1くらいメンタルのライフが削られた気がしたけど、隣でうるさく構ってくる爺を無視して、俺は到着まで仮眠を取る事にした。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 バスに揺られて数時間、約1名余計な部外者も加えて、俺達は今季の合宿施設に到着した。

 

 去年と同じ海沿いの民宿。遠目に見えるのは真っ青に波打つ海と白い砂浜。風に乗ってくる磯の匂い。いかにも夏の観光地って感じの場所だけど、この民宿は運動部の合宿施設としては、色んな高校に使われているらしく、少し離れた所には専用の体育館もちゃんとあったりする。

 夏らしい海岸近くで合宿、しかも料金は格安。大所帯で泊まるには言う事無しなんだが。

 

 この宿、ボロい。すげーボロい。

 

 大きさはよくある普通の民宿って感じなんだが、ちょっと近付いてみると壁には若干ヒビが入っているし屋根の塗装はハゲてるし、何か全体的に寂れている。

 つーか去年よりオンボロになってねえ? 

 料金格安の理由が察される外観だけど、色々と大丈夫かこの宿。

 

「げえっ、ボッロー」

「高尾、うるさいぞ」

 

 いや、その感想は正しいと思うぞ。

 バスから降りるなり、素直に呟いた高尾に共感する。けど隣の緑間は、意外にも何も感じてないように無表情のままだった。たまにすげー値段の張る小物を持ち歩いてるし、坊ちゃん育ちなのかと思ってたけど、そんなに嫌がってはないのか。

 

 全員が荷物を抱えながら歩き出すと、爺ちゃんも子供みたいに周りを見回し始めた。

 民宿なんて珍しくもない場所だろうに、何が楽しいんだか。

 

「へえ、風情のある所ですね」

「はっきりボロいって言えよ」

「分かってないですねえ、瑛君。一流ホテルが必ず最高だとでも思ってるんですか?」

「あんなはっきりオンボロな場所は誰でも嫌だろ……」

 

 やれやれ、みたいな顔をして首を振る爺ちゃんに妙にイラついた。

 観光に来てんじゃなくて、俺達は合宿に来てるんだよ。

 これから丸4日間、練習と試合で地獄のハードスケジュールになるんだから、寝る場所くらいは良い所がいい。

 

 監督の指示で、部屋に荷物を置いたら裏手の専用体育館に集合って事になった。

 初日からいきなり練習かよ……とも思うけど、もうここまで来たら仕方ない。各自が荷物をそれぞれ担いで民宿に向かう。緑間もラッキーアイテムを詰め込んだキャリーケースを引いて歩いていった。意地でも持っていくんだな、それ。

 

 民宿の中に入ると、外の直射日光が遮られて少し涼しく感じた。

 でもクーラーなんて気の利いたものがある訳無いらしく、たまに窓から風が通り抜けていくぐらいだ。去年と変わらない小ぢんまりした宿。

 挨拶に出てきてくれた仲居さんに監督が代表で挨拶してから、俺達もゾロゾロと宿に入った。

 

「そういえば部屋ってどうなってるんです? 私も瑛君の所で寝かせてもらいましょうかねえ」

「ぜってー嫌だからどっか行っててくれ」

 

 呑気に呟いてくる爺ちゃんを追い返す。

 この爺を主将達と一緒にしといたら余計な事を言いそうで怖い。

 

 幸い、すぐ引き下がってくれた爺ちゃんは今度は監督と何か話し込み始めた。大人は大人で固まって話しててくれ、と思う。

 

「宮地君、僕達の部屋ってどこだっけ?」

「ほら、一番奥だってよ」

 

 宮地(弟)に訊ねると、廊下の向かい側を指差して歩いていった。俺も慌てて後を追う。

 部屋割りって言っても、今回参加したメンバーを三年・二年で学年別に分けただけのものだ。ちなみに緑間・高尾の一年コンビは俺達二年と同室。

 宮地(兄)が嫌がったから押し付けられただけとも言えるけど。

 

「は~マジでボロい所だったんだなー。兄貴達が大袈裟に言ってるのかと思ってたぜ」

「うん、まあね……」

 

 二年になってから一軍になった宮地(弟)は今年初めての合宿参加だ。その素直な言い方にちょっと笑う。

 

 と、部屋に行く道すがら、流し場で誰かが顔を洗っているのが見えた。他の宿泊客か? 

 まあ普通の観光客が泊まっててもおかしくはない事だ。随分大柄な奴だったけど、特に気にせずその背後を通り過ぎる。

 

 

 

「────―あれ、雪野?」

 

 

 

 後ろから呼ばれて、反射的に振り返った。

 ──―けど、その瞬間に後悔した。

 

 手に持っていた荷物が廊下に落ちる。宮地(弟)が隣にいるのに、その場から動けなくなった。

 頭の中から、遠い過去の記憶が唐突に蘇る。

 

『どーも、雪野です。今日はまあ、よろしく』

『こっちこそよろしく。ああ、俺の名前は──―』

 

 のんびりとタオルで顔を拭いている目の前の男が、昔と全く変わらず穏やかに笑ってるもんだから、俺も間抜けな声が出た。

 

「…………………な、何で、お前が居るんだよ。木吉……」

「何でって、合宿に来てるからに決まってるだろ? それより久しぶりだなー。元気にしてたか? こんな所で会えるなんてすごい偶然だな!」

 

 あはは、とおかしそうに笑う木吉。

 同時に、どこかから緑間の叫び声が聞こえてきた。

 

「何故ここにいるのだよっっ!?」

「こっちのセリフだよ!!」

「秀徳は昔からここで一軍の調整合宿するのが伝統なんだとー」

「それがお前らはバカンスとは良い身分なのだよ……!!」

「バカンスじゃねーよっ!!」

 

 やっぱり帰りたい。

 宿に到着して3分で、心からそう思った。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 民宿の裏手には体育館がある。

 宿のボロさに比べると、この体育館は驚くくらいまともな造りと広さをしているから不思議だ。

 そして今、その体育館には俺達秀徳バスケ部と──―誠凛バスケ部が顔を突き合わせて集合していた。何でだ。

 

「……ああ、火神君。久しぶり」

「……いや、本当久しぶりっスね」

 

 ついこの間見送った筈の同居人と半日ぶりの再会をしたが、お互い顔が引きつっていた。

 

 同じ民宿に、誠凛高校バスケ部も合宿に来ている事が分かって、一時はお互いに大騒ぎになった。(特に緑間と火神達が、あの後謎の叫び声を上げたから大混乱になりかけた。)

 

 本当、偶然ってあるもんだなー。

 ……って、他校のバスケ部で、しかも予選で試合した高校で合宿場所が被るとか、そんな事普通あり得るか!? 都内にはもっと良い施設なんて山ほどあるんだから、何もこんなボロ民宿を選ばなくてもさあ…。その気持ちは誠凛側も同じらしく、向こうのメンバーも複雑そうな顔をしていた。

 それに酷い偶然は、これだけで終わってなかった。

 

「あれ? 雪野と火神って知り合いだったのか? 世の中狭いなあ」

「…………木吉君、ちょっと来て」

「ん?」

 

 二つのバスケ部がぎこちない雰囲気を出している中で、一人だけのほほんと話しかけてきた長身を引き寄せる。

 木吉は何の疑いも無い様子で俺に近付いてきた。……つーか、中学の時と髪の色も違うのに、何でこいつ全く迷い無く俺だって分かんの? 今吉さんでさえ一瞬戸惑ってたんだぞ? 本当何なのこいつ。

 

「…………木吉君、いつから誠凛になんて入ってたの」

「え? 最初からだぞ?」

「は? ……だって去年の決勝リーグで……あ、そうか誠凛の7番って……」

 

 あの時はほとんど聞き流していたけど、前に高尾が大坪主将に聞いていた誠凛の7番の事が、頭に浮かんだ。「去年は出ていなかったけど、もし居たら秀徳が負けていたかもしれない」。主将がそう評価した相手。―――そうだ、今頃になってやっと線が一本に繋がった。

 

 …………自分の鈍さが死ぬ程恨めしい。

 何で誠凛と同じ合宿地になってしまったんだ。木吉が誠凛に居るって事にもっと早く気付いてたら、何て言われようと絶対合宿なんて来なかったのに。

 見えない悪意が俺に働きかけているような気さえしてきた。

 

「どうしたんだ、雪野。顔色悪いぞ? 黒飴なら持ってるけど、食べるか?」

「…………元気そうだね、木吉君は」

「おお、久しぶりのバスケだからな。楽しみで仕方ないさ」

 

 純粋無垢そのものみたいな顔で笑う木吉。

 何て言ったらいいか分からなくて、思わず目を逸らした。

 

「ほらほら! そこの二人、練習始めるんだからお喋りは後でね!」

 

 と、誠凛の女カントクさんの一声で、俺は木吉から離れて秀徳の中に戻った。

 誠凛はやっぱり合宿でもあのカントクさんが仕切ってるらしく、大人の監督さながらの迫力で全員に指示を出していく。

 

「今日から体育館練習は予定変更で、秀徳高校と合同練習よ! まずはチーム戦を交互にやっていくから、指名した人から順に試合ね!」

「えええ!? マジで!?」

 

 って、誠凛の連中にも説明してなかったのかよ。あと俺も初耳なんですけど!! 

 あちこちから驚きの声が上がっている中で、こっちでも監督が俺達に事の経緯を説明し始めた。

 

「まあ、という訳だ。合宿の日程もほぼ重なっている事だし、あちらの提案を呑んで、これから合同で練習を行っていくからそのつもりでいるように」

「けど、いいんですか? 監督」

「むしろ有難い話だ。お互いの手の内を晒す事になるが、こちらのメリットの方が大きい。

 情報の価値が違う。王者と呼ばれる秀徳は昔から周りに研究されている。……が、誠凛は新設で情報が圧倒的に少ない。どんな思惑があるかは知らんが、冬にリベンジすべき相手の方からわざわざ晒してくれるんだ。──―遠慮なく、乗らせてもらおう」

 

 確かにその通りではある。

 俺も本格的に試合に出始めたのは今年からだけど、大坪主将なんかは有名だから隠しても意味が無いし、緑間は言わずもがなだし。

 

 でも合同って……今日からずっと、あの連中と一緒に練習するって事か?

 誠凛の集団の中で、火神と並んで頭一つ飛び出している長身を見詰める。

 ……目眩どころか胃が痛くなるように感じてきて、腹の辺りをさすった。

 

 すると隣で爺ちゃんがニヤニヤしながら誠凛のメンバーを眺めているもんだから、ちょっと呆れて見えないように背中を叩いた。少し八つ当たりも入っている。

 

「……おい、頼むから大人しくしててくれよ?」

「心配性ですねえ、瑛君は。皆の事はちゃんと見てますって。それにしてもトラ君の娘さんまで監督をやってるなんて驚きましたよ、ミコちゃんにそっくりで可愛い子です」

「は? 誠凛のカントクの事? ……爺ちゃん、女子高生はいくら何でも犯罪だろ」

「ちょっと、私を何だと思ってるんですか。友人の娘さんだから、私にとっても子供みたいに思えるだけですよ」

 

 その理屈で言うと世界中にあんたの子供や孫がいる事になるんだが。

 

「……けど、合同合宿だなんて、誠凛さんも思い切った事をしますね。瑛君、分かりますか? 賭けですよ、これは」

「賭け?」

「さっきマー君が言ったように、これは、瑛君達にとっては有難い話であっても誠凛さんにとっては大したメリットは無い練習なんですよ。それでも大会前にあえてそんな事を持ちかける理由。きっとあちらも選手の育成に煮詰まっていて、それを壊すキッカケに使おうとしているんでしょうね。なかなか思い切った良い提案だと思いますよ」

「ふーん……」

 

 成程、あの女カントクさんはやっぱり考えがあったのか。

 そう思う反面、意外にも爺ちゃんが色々と観察していた事の方にびっくりした。仕事にかこつけていつも遊び歩いてるだけの爺かと思っていたのに。

 

「よし、じゃあ始めるぞ! まずスタメンから全員コートに集合!」

 

 大坪主将の号令で、宮地(兄)を始めとしていつものスタメンが集合する。

 誠凛も同じようにメンバーが集まっていたが、火神だけが女カントクさんに呼ばれて──―何故か体育館から追い出されていた。……何で? 

 

 理由はよく分からないけど、何かの買い出しでもさせられたんだろうか。

 他の一年生にでも行かせればいいのに。この炎天下に気の毒な事だ。うちの監督と爺ちゃん、誠凛のカントクさんはコート外に出て、試合をよく眺められるような位置に佇む。

 両チームがそれぞれコートの中央に集まり出した時に、青いビブスを付けた木吉が目の前に颯爽と現れた。

 

「よっ、そう言えばこうして試合するのは中学以来だな」

「はは……そうだね」

「まあ、楽しんでいこーぜ」

 

 俺はちっとも楽しくない。

 その気持ちを込めて苦笑いしたけど、全然伝わってないらしい。木吉の笑顔は仏のように変わらない。

 

 

 

 審判役の木村がボールを投げる。

 

 あらゆる意味で地獄になりそうな予感と共に、こうして俺の二度目の夏は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 秀徳高校スターティングメンバー

 

 大坪泰介(三年) C 198㎝

 宮地清志(三年) SF191㎝

 雪野瑛 (二年) PF 183㎝

 緑間真太郎(一年)SG 195㎝

 高尾和成 (一年)PG 176㎝

 

 

 

 

 誠凛高校スターティングメンバー

 

 木吉鉄平(二年) C 193㎝

 黒子テツヤ(一年) ?? 168㎝

 土田聡史 (二年) PF 176㎝

 日向順平(二年)SG 178㎝

 伊月俊 (二年)PG 174㎝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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27.夏の夜と過去

 

 

 

 

 

 

『俺は木吉鉄平。この~木何の木気になる木~の「木」に、大吉の「吉」、鉄アレイの「鉄」に平社員の「平」な』

『あ……ああ、うん……』

『? この~木何の木気になる木~の「木」に』

『いや、もうそれは分かったから。俺は雪野(あきら)

 …………蛍の光~窓の雪~の「雪」に、野原の「野」。……えーと、王国の「王」と英語の「英」を足して「(あきら)」って読ませて』

 

 頭をひねりながら俺が説明していた時、後ろから思い切り襟首を掴まれて引っ張られた。

 喉が詰まって変な声が出たけど、背後には不機嫌を顔に描いた花宮が立っている。

 

『おい、いつまで遊んでんだ。とっとと集合しろ』

『へいへい。……何怒ってんだ?』

『あ?』

 

 怒ってんだろ。

 普段は二重人格レベルで猫を被ってる癖に、機嫌悪い時と良い時の差が激しい奴だ。

 それにしても練習試合でこんなピリピリしてんのは珍しい。

 

『ちゃんと分かってんだろうな。指示通りに動けよ』

『分かってるって。……けど向こうの木吉って一年だろ? 4番って結構すげーんじゃねーの?』

『おい』

 

 4番って確か、主将(キャプテン)とかがもらう番号だって聞いた気がする。

 相手のチームの中で薄茶色の頭が一つだけ飛び出ている。木吉とか言った対戦相手は、試合前だってのに緊張した様子もなくヘラヘラ笑っていた。

 

『聞いた話じゃ一年でいきなりスタメン抜擢。照栄の期待のエースとかいう触れ込みだ。さぞ実力のある事なんだろーよ』

『……お前、あいつの事嫌いなの?』

『じゃあ、お前は?』

 

 質問に質問で返すな。

 でも、ガヤガヤと和やかに騒いでいる相手チームの集団を眺めて、俺から出た感想は一つだった。

 

『……まあ、好きにはなれねーな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………

 

 

 ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誠凛との合同練習初日。

 ミニゲームでは、最初のボールは誠凛から始まった。

 

 PG(ポイントガード)の伊月から、火神の代わりに加わったPF(パワーフォワード)にボールが渡る。

 土田とか呼ばれたPFはジャンプシュートを放ったが、リングに弾かれた。

 

 リバウンド。

 俺と大坪主将、そして木吉の三人が同時に跳び上がる。タッチの差で木吉がボールを獲得し、そのままゴールに捻じ込んだ。誠凛に2点が入る。

 

「………………」

「ん? どうかしたか? 雪野」

「…………いや」

 

 裏表無い笑顔で訊ねてくる木吉。

 何か調子が狂う。

 

 一年ぶりくらいの試合になるけど、こいつは衰えてはいないようだった。

 リバウンドへのタイミングも隙が無いし、大坪主将にも全く力負けしてない。……ゴール下の俺としてはやりにくくて仕方ない。

 

 続いてまた誠凛のボール。

 今度は伊月からのパスで黒子にボールが渡る。──―え? 黒子? 

 

 黒子のDF(ディフェンス)に緑間がついた。え?? 

 あいつってパス特化の選手なんじゃないのか? それを抜きにしても、緑間と黒子じゃ身長差があり過ぎてミスマッチもいいとこだ。と思っていたら、緑間にあっさりボールをカットされた。何がしたいんだ、あいつ。

 そして今度は緑間が3Pシュートを決める。

 1mmもぶれない弧を描いてゴールを射抜く。あの百発百中シュートもすっかり見慣れたもんになってたけど、誠凛の選手は少し見惚れたように固まっていた。うん、あの反応が普通なんだよな。

 

 お互いにボールが回り、秀徳のターンが来る。

 高尾からパスが渡され、俺の目の前には日向がDFについている。

 緑間、宮地(兄)にはそれぞれマークがついてるけどパスが回せない程じゃない。

 

 その時、ふと試したい事が心に浮かんだ。

 反動をつけて軽くジャンプする。日向がブロックを仕掛けてきたが──それを無視して、いや、本来のシュートフォームを丸っきり無視して、ゴールに向かってボールを投げた。

 

「……なっ!?」

 

 日向か、誰かが驚いたような声が聞こえた。

 

 ほとんどゴールのバックボードに叩きつけるように投げつけたボールは、リングに当たったのが奇跡的だった。

 リングに当たり、一瞬空中に浮かんだが、やがてバランスを崩してゴール側では無い空間に落下していく。

 

 ──―それを強引にリバウンドで入れ込んだのは大坪主将だった。

 秀徳側に2点追加。

 危ない所で失点にならずに済んで、俺も思わずホッとする。

 

「おーい、雪野。ふざけてんのか?」

「えっ? 宮地さ……って痛い痛い痛いです!」

「試合中に何がしてーんだコラ。次真面目にやんなかったら砂浜に埋めんぞ」

 

 それは本当に死ぬので勘弁してほしい。

 宮地(兄)にグリグリ押されたこめかみをさする。まあ、今のはふざけてるように思われたよな。俺も半分くらい遊ぶ気持ちがあったし。

 

 この前の試合で見た青峰のフォームレスシュート。

 見様見真似ならやれんじゃねーかと思ったけど、そう単純な話でも無いらしい。あいつのシュートは客席からだと、ただ投げつけてるようにしか見えなかった。でも同じようにやった所で、得点につながる訳じゃないみたいだ。

 

 その時、背後から視線を感じて振り返ると、黒子と目が合った。

 最初から試合に出ているせいなのか、黒子の姿がはっきりと見える。全体の雰囲気が幽霊みたいにぼんやりして感じるのは、こいつが元々持ってる素質なのか。

 

 透明な瞳の奥から、まるで観察されているような視線を感じて、俺は目を逸らした。

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 

「だっは──―疲れた~~」

「高尾、うるさいぞ」

 

 大坪主将が軽く注意したが、高尾はテーブルに突っ伏して今にも眠り込みそうな体勢だ。

 つーかマジで寝てないよな? 

 すると隣に座っていた緑間が高尾の横腹に肘を入れて叩き起こした。もうちょっと容赦してやれよ。

 

 初日の練習メニューを終えて夕飯の時間になり、俺達は食堂のテーブルについていた。安っぽい蛍光灯が俺達の頭上でチカチカと点灯している。皆適当に座っている中で、俺も席に着くと、目の前には高尾と緑間の一年コンビが居た。高尾は流石にバテているけど、緑間はロボットのように平然としたままだ。こいつって疲れる事とかあるのか?

 

 ……とりあえず、疲れた。

 いや、もういきなり体力と気力を根こそぎ絞られたから、こうして座ってるだけでも天国みたいだ。主将も注意はしているけど、ここにいる全員が高尾と同じ事思ってんだろ。

 

 誠凛とのミニゲームを通しで3試合やって、その後にパス練ドリブル練シュート練、砂浜での外周……我ながらよく倒れもせずにやり切ったと思う。絶対去年の3倍くらい量盛ってるだろ、あの監督。

 別のテーブルで爺ちゃんと談笑している中谷監督を恨めしく見る。

 おい、あのクソ爺も特別トレーナーとか言って来たんなら何か働けよ。何かされても困るけど、ああやって遊ばれてても腹立つ! 

 

「もう早く風呂に入って寝たい~ていうか、俺ここで寝れるかも……」

「高尾君がんばって。ほら、夕飯食べなきゃダメだよ」

 

 俺だって出来るなら今すぐ爆睡してーんだよ! 

 今日は爺ちゃんが来るわ誠凛と合同合宿になるわ木吉に会うわで、ストレスは溜まるし、ミニゲームの事で結局宮地(兄)にはまた怒られるし、良い事が無かったんだから。

 腹も減ったし、さっさと飯を食いたい。

 

「って、え……夕飯ってトンカツ?」

「え? 雪野さん、トンカツ嫌いなんスか?」

 

 この民宿は素泊まりか食事付きを選ぶ事が出来るので、合宿の時は専ら食事有りを選んでいる。何しろマネージャーが居ないもんだから、鬼の練習と並行して自炊までするのは俺達のキャパを超える。そもそもこのメンバーで料理が出来るかは疑問だ。

 

 宿はボロくても飯は意外と美味いんだけど、この日の夕飯はあんまり喜べなかった。

 

「あ……うん……トンカツって言うか、こういう油っぽい奴はちょっと。……あれ、緑間君もどうしたの?」

「……何故なのだよ。何故ラッキーアイテムで補正した筈なのに、こんなものが食卓に出てくるのだよ」

「ぶはっ!! 真ちゃん、すげー顔になってる! どしたの!? もしかして納豆ダメとか?」

 

 親の仇でも見るような目で小鉢に入った納豆を睨みつけている緑間。

 その時、ピコーンと俺の頭に閃きが走った。

 

「緑間君、その納豆食べてあげるから、代わりに僕のトンカツもらってくれない?」

「……有難いですが、雪野さん。俺もそんなに食べられないのだよ」

「そんじゃあさ、雪野さんのトンカツを俺がもらって、真ちゃんの納豆は雪野さんに。真ちゃんは俺のシラス干しもらってくんね? 苦手なんだよね、これ」

「それだ! 高尾」

「高尾君、君天才だよ」

「いいから自分の分は自分で食えやてめーら!! まとめて埋めんぞ!!」

 

 俺なりに知恵と工夫を働かせただけなのに、頭の上でまた星が舞ったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 

 

 

 各自で風呂に入ると、その後は就寝時間になる。

 部屋に行ってみたら、そこでは文字通りに死屍累々って感じで宮地(弟)や金城が布団の上で転がっていた。緑間と高尾は風呂に行ってるらしくて姿は無い。

 

「よー雪野、お前すげーな」

「え? 何が」

「だってミニゲームでもぶっ通しで入ってたのにピンピンしてんじゃねーか。体力あんだな」

 

 宮地(弟)が柔軟をしながら感心したように言ってきた。

 いやいや、全然元気じゃないから。むしろ精神的にはマイナスなくらいになってるから。

 

「宮地君だって元気じゃん」

「俺だってへばってるよ。誠凛の奴等も、一・二年しか居ねーってのによくあれだけついてくるよな」

「つーか向こうに木吉居なかったか? 俺ちょっとびびったぜ」

「木吉? 木吉ってあの背のでかい奴?」

「知らねーのかよ。“鉄心”の木吉だぜ」

 

 金城が木吉の名前を出した事で、話題がそっちに移っていった。何だかんだ言って、ぶっ通しの練習後なのに元気なのは皆もそうだ。いや、練習が終わった解放感のせいか?合宿効果で妙なテンションになってるのかもしれない。

 この話に巻き込まれても嫌なので、俺はそっと部屋を出る。

 

 風呂に行ってもよかったけど、外の空気を吸いたい気分になって宿を出た。

 確か駐車場の辺りに、自由に使えるゴールが一個二個置いてあったはずだ。

 部屋の隅に置いてあったバスケットボールを持って外に出ると、夜風が冷たく感じた。シャツは汗でベトベトになってるし、昼間に比べたら寒いくらいだ。

 

 しばらく歩いていくと、駐車場の近くに忘れられたように置いてあるゴールを発見した。

 泊まっている学生用に置いてあるのか知らねーけど、体育館といい、ゴールといい、こういう設備は他所の合宿所よりちゃんとしている宿だと思う。

 何でその気配りが宿全体の外観にも振り分けられないのかは謎だ。

 

「………………」

 

 適当にドリブルして、ゴールに向かって投げる。

 今度は普通のシュートフォームで打ったから、問題無くゴールには入った。ネットをくぐってボールが落ちた。

 

「…………あ? ……あれ?」

「え?」

 

 人の気配を感じて振り返ると、そこには誠凛の主将こと日向がポカンとした顔で立っていた。

 場が凍る、ってのはこういう状況を言うんだろうか。

 

「…………よ、よう。お前も自主練?」

「いや、まあ……暇だし」

「暇つぶしかよ!!」

 

 すごい勢いで噛みつかれて、一瞬びっくりした。

 このメガネ君、見た目は穏やかそうなのに意外と言うよな。ボールを持っている所を見るに、自主練習に来たんだろう。誠凛だって相当ハードな練習していたのに大したもんだ。そこに俺が邪魔しちゃったんなら、悪い事したと思った。

 

「お邪魔しちゃってごめんね。僕はもう戻るから、ゴール使っていいよ。それじゃあ」

「……いや、おい! ちょっと待てって!!」

「ん?」

「…………どうせ暇って言うなら、ちょっと練習に付き合ってけよ」

 

 はい? 

 

「え、えー? 僕?」

「他に誰が居るんだよ。別に減るもんじゃねえし、いいだろ。1対1(ワンオンワン)で五本先取とかどうだよ」

「……いやそれじゃ勝負にならないし、そっちは一本でいいよ」

「ほー?」

 

 あ、まずい。

 今のは完全に失言だったけど、もう取り消せない。日向の目が笑ってるのに笑ってねーもん。

 

 ………やるしかないか。

 

 1対1って言っても、この場にゴールは一つしか無い。だから自然と、どちらが先に点を入れるかの勝負になるし、動きも少なくなる。

 

 ──―まずは日向からのボールで始めた。

 こいつはSG(シューティングガード)。ボールを取るなり、いきなりフェイント無しで3Pのフォームに入った。この距離だし、そうしない方がおかしいか。

 確かに反応は速いけど、十分にブロック出来るレベルだ。最近、緑間の高弾道3Pばかり見てきたから、こういう普通の3Pシュートを久々に見た気がする。

 

 ボールを叩き落として俺がもらう。すぐにジャンプシュートしてゴールに入った。

 日向から軽く舌打ちするような音が聞こえた。いや舌打ちって。

 

 今度は俺からのボールで始める。日向は当然DFにかかるけど、少しジャンプしてシュートを入れたらブロックされても問題にならない。俺の2点目。

 

 誠凛のチームっていうのは、主将含めて皆こういう感じなのか。

 冷静に見て、こいつ相手に何本やっても負ける気はしなかった。日向だってその事はよく分かっている筈。けど、DFする時もシュートを決めようとする時も、必死になって食らいついてきた。決勝リーグで桐皇とやっていた時を思わせるように。

 何でそんなに、何度も挑戦出来るんだ。

 

 ……気が付いたら五本どころか、何本打ったか分からないくらいに勝負を繰り返していた。

 鬼の練習メニューをやっと終わったってのに、俺もよくこんなに動けたよな。

 監督に見つかったら「ふむ、そんなに動けるんならメニュー追加だな」とか言われそうで笑えない。

 

「……あ? おい、何笑ってんだよ」

「え? あ、ああごめん。折角練習終わったばっかりなのに、僕もよくやるなーと思って」

「何だそりゃ……」

 

 日向が呆れたように溜息を吐いて、小休止になった。というか、お互いにやっと体力が尽きたっていう事が大きい。

 風呂も入ってねーのに、また余計な汗をかいてしまった。同じく日向も息を切らしている。誠凛は新設校で三年がいないって話だし、こいつも二年生で主将なんてよくやれてるよな。

 

「……すごいね、日向君」

「何だよそれ、嫌味か?」

「違う違う、そういうんじゃなくて。……誠凛って三年居ないのに、二年からよく主将なんてやれるなって事」

「あー……そっちか。俺だって自分から主将やるって言った訳じゃねーよ。木吉に押し付けられたみたいなもんだしな」

 

 頭の中に、あのヘラヘラした顔が浮かんで消える。

 木吉も主将に向いてるような気がするけど、そのポジションは避けたのか。良い人そうな雰囲気しといて、読めない奴だ。

 

「それに、すごいってんならお前の方だろ。何でそんなに卑屈になってんのか、俺には分かんねーけどな」

「……あの、日向君。前も聞いたかもしれないけど、僕、何かしたっけ?」

「は?」

「いや、僕の気のせいならいいんだけどね? ……何か妙に突っかかってくるというか、確かに他校だけど、敵意を感じるというか……」

 

 予想外の合同練習になって微妙な顔をしていたのは誠凛のメンバー全員同じだったけど、日向からは妙に敵対心というか、それ以上の視線を感じる時があった。

 去年の予選リーグで誠凛と対戦した事はあるけど、そんな前の試合の事なんて詳しく覚えていないし。そこまで行儀の悪いプレーしてたか? 少なくとも秀徳に入ってからは、ルールとマナーを守ってやってきた筈なんだが。

 

 すると日向は、拍子抜けしたような、気が抜けたような表情になって大きく溜息を吐いた。

 え、何その顔。

 

「……お前、マジで覚えてねーんだな」

 

 がっかりした、というような言い方じゃなかった。半分予想していたみたいな口振りだ。

 

「去年のIH(インターハイ)予選の決勝リーグで、うちと秀徳が対戦しただろ」

「あ、ああ。そうだね」

「……で、その時、俺のマークについてたのがお前だったんだよ。雪野」

 

 ……マジ? 

 頭をフル回転させて去年の記憶まで探ってみたけど、やっぱり細かく思い出せなかった。

 去年は去年で、久しぶりに始めたバスケと、秀徳の環境に馴染むのに必死で夏冬の大会もあっという間に過ぎて行った感覚しかない。

 

 日向は遠くを見るような顔をして、真上の夜空を眺めていた。

 

「あの時は試合に負けたのも悔しかったけど、それ以上に、お前相手に歯が立たなかった事が悔しかったんだよ。同じ一年なのに、こんなに実力に開きがある奴がいるのかって実感したからな」

「………………」

「三大王者にボコボコにされて、またバスケやるのが嫌になりかけた。……けど、負けっぱなしで終わりたくなかった。それに、お前には絶対もう一度リベンジしてやるって決めてたんだよ」

「…………何か、ごめん」

「いや何で謝んだよ!!」

 

 そんな真っ直ぐな気持ちで挑んでたんだったら、悪い事したのかと思った。

 俺も去年は自分の事で精一杯だったし、対戦相手の事にまで気を回せなかった。それに中学の頃から、そういう事は別の奴が担当していたし。

 

「……去年は僕も余裕が無くて、誠凛との試合の事も、正直よく覚えてないんだよ」

 

 まあ、それを抜きにしても、俺は人の顔と名前覚えるのは苦手なんだが。

 

「……別に昔の話だし、俺だってもう何とも思ってねーよ。そんな事より、冬の試合だろ。言っておくけど負ける気なんてねーからな」

「………………」

 

 日向の力強い視線が俺を真っ直ぐに見る。

 こういう時に変に迫力があるのは、どこの学校の主将も変わらない。

 

 この夏が終われば、冬。WC(ウィンターカップ)

 IHを勝ち抜いた強豪校がぶつかり合う最後の大会。

 順調に勝ち進めば秀徳も──―誠凛と対戦する機会は必ず来る。そう遠くない内に。

 

「…………こっちだって、負ける気は無いよ」

 

 負けた後がどれだけ悲惨になるか。

 あの暗くて、息苦しくて、絶望的な空気を味わうのはもうごめんだ。

 

「次は秀徳がリベンジする番だから」

「……ハッ、それなら楽しみにしてるぜ」

「あれ? 日向に……雪野? 二人共こんな所で何してるんだ? 何か遊んでるのか?」

 

 肌に刺さるような夜風の中に、気が抜けるような呑気な声が混ざったのは空耳じゃないだろう。

 

 薄暗闇からひょっこりと姿を見せたのは、ビニール袋を手に持った木吉だった。

 でかい図体でうろうろしていると、高校生なのに、まるで徘徊中の爺さんみたいに見える。

 するといち早く、日向が木吉の頭を引っぱたいた。

 

「ダァホ! 遊んでる訳ねえだろ、練習だ練習。お前こそ何やってんだこんな時間に。それと何だよその袋」

「あーこれか? 何か甘いもんが欲しくなってさ、そしたら宿のおばちゃんにどら焼きもらったんだ。日向も食べるか? うまいぞー」

「要るか!! 何でそう呑気なんだよお前は!」

 

 誠凛のコンビが漫才を繰り広げている所で、俺はそっとその場を離れようとしていた。

 木吉が居ると何を言われるか分からねーし、とりあえずこいつとは出来る限り距離を取っておきたい。

 

「雪野―、お前も食べないか?」

「……いや、いいよ。甘い物嫌いだし」

「どら焼きがダメなら、羊羹もあるぞ」

「ねえ人の話聞いてた?」

「諦めろ雪野、こいつはこんな奴だ」

 

 疲れたように言う日向。

 木吉ってこんなにとぼけた奴だったっけ? ……ああ、こんな感じだったか。うん。

 

「つーか、お前らって知り合いだったのか?」

「おう、中学の時に何度か試合してるからな。なっ、雪野」

「……うん、まあね」

 

 そんな爽やかに同意求めんじゃねーよ。

 話がそっちに流れる前に、今度こそ俺はその場から退散した。ほとんど逃げ出した、って言ってもいい速さになったけど、これ以上ここには居たくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 

 

 

 逃げるように走り出して、夜道を適当に進んでいったらよく分からない道に出た。

 あれ? まさか迷った? 

 一瞬焦りが出たけど、この距離だし、民宿は視界に見えてんだからそっちに向かって歩いていけば辿り着くだろう。どんだけパニクってんだ俺は。

 

 本当、何で木吉がここに来てんだよ。

 

 今日だけで何十回繰り返したか分からない疑問を思う。

 ……そもそも俺の自業自得の話だってのは分かっている。だとしても、あいつがこれから誠凛に加わって、試合する度に顔を合わせるのかと考えたら、色々な意味で気が重かった。

 

「……雪野さん? どうしたんスか?」

「…………高尾君」

 

 と、後ろからかかった明るい呼び声は、後輩コンビの片割れだった。

 コンビニ帰りらしいビニール袋を手に持ちながら、小走りで俺の所に寄ってくる。いつもセットでいる緑頭の姿は傍に無かった。

 

「そっちこそ何してるの」

「俺はちょっとコンビニ行ってて」

「……ああ、緑間君のお使いか何か?」

「いやいや! 何で緑間のパシリしてる前提なんスか!」

「だって高尾君の用事って大体そんな感じじゃない?」

「否定できねえ!」

 

 さっきまで寝落ちしかけてたのに回復が早い奴だ。

 まあ、こいつらも別行動する時くらいあるか。この一年コンビはセットでいるのが当たり前の光景になってたから、別々だと変な感じがするな。

 

「それで雪野さんはどうしたんスか? 買い物とか?」

「いや僕は……ちょっと練習してて」

「え、すごいっスね! 俺なんかもう横になったらすぐ寝る自信あるのに。初日からこんだけ厳しいって、監督も鬼っスよね~」

 

 そのまま自然と二人並んで道を歩く。

 丁度いい、高尾が道を分かってんなら一緒にいけば宿には辿り着くだろう。鷹の目(ホークアイ)の性能なのか、こいつが道に迷った所は見た事が無い。

 

「にしても誠凛と合宿先が被るとかビビりましたよね~。火神と鉢合わせした時の真ちゃんの顔とかすごかったっスよ? ちょー不機嫌で」

「緑間君はいつも不機嫌でしょ……」

「ぶはっ! それは確かに!」

 

 試合のいざこざを除いても、緑間は火神じゃ相性悪そうだしな。

 あの後輩と相性が良い人間なんているんだろうか、とも思うけど。

 

「それに雪野さんのお爺さんが来たのもびっくりしましたよー。つーか、すっごい若い? っスよね。監督と知り合いみたいっスけど、昔選手だったとか?」

「さあね。僕もその辺りは知らないから」

 

 爺ちゃんがバスケ関係で昔色々やってたのは知ってるけど、その辺を詳しく聞いた事は無かった。興味も無かったし。

 

「そういや雪野さん」

「何?」

「月バスで前に見たんスけど、『無冠の六人目(シックスマン)』って本当なんスか?」

 

 いつもの雑談と全く変わらない調子で聞かれたもんだから、俺も一瞬、何の事か分からなかった。

 

 さっきまでの賑やかさが消し飛んだみたいな沈黙。

 隣の高尾に視線を動かす。意外にも気まずそうな顔をしていたから、こいつもただ聞いてみただけなのかもしれない。

 

「……いきなりどうしたの?」

「いや、ただの興味っスよ。……雪野さんってすげー上手いのに、中学でやってたとかも聞いた事無いし。そしたら昔の月バスに載ってたの見たんで」

「………………」

「あーすいません、突然変な事聞いちゃって。ってか、明日の合宿もこんな感じになるんスかね。もー俺なんか初日でへばりそうなのに」

 

 そんなあからさまに話逸らされると、かえって気まずい。

 けどまあ、高尾が空気の読める後輩だった事に感謝しておいた。

 

 部室に何冊か昔の月バスが残ってたけど、やっぱり内緒で処分しておくべきだったか。

 まさか数年前のものが今更見られるなんて思わなかったし。

 けど海常の笠松といい、何でどいつもこいつも、そんな大昔の事を掘り返してくるんだよ。あんな記事を残した月バスの記者も腹立たしいけど、それを発見する奴等にもイライラする。

 

『──―そういうのは、やられた方はいつまでだって覚えてるもんなんやで』

 

 ふと、元主将から言われた言葉が浮かんできた。

 ──―結局、あんたが言った事が正しいって事かよ、今吉さん。

 自分でやってきた事が自分の首を絞めてるんだとしたら、誰のせいでもなく俺のせいだ。それで今でも、危なさを感じる度に逃げ回ってるんだから、何も変わってねーよな、俺も。

 

「…………ねえ、高尾君」

「はい?」

「…………例えばね、いや、例えばの話で聞いてね? もしもだよ、友達が……そう、緑間君が昔悪い事してたとか聞かされたら、高尾君ならどうする?」

「は?」

 

 こいつの真顔ってのも珍しいな、と思った。

 猫みたいな釣り目をパチパチと瞬かせた後、俺の言ってる事が分かったのか、高尾はいきなり吹き出した。……何で笑う。

 

「えっ!? え? 何スか、その質問? 真ちゃん、また何かやらかしちゃったんスか? つーか、今でも真ちゃん完全に良い子ではねーでしょ! ワガママ3回とか入れちゃってるエース様っスよ?」

「だから例え話だってば! あと緑間君が良い後輩だとは僕も思ってない」

「ふぁっ──―! 雪野さんからもお墨付き!」

 

 聞き方が悪かったか。

 ツボにはまり出した高尾とは会話にならない。腹を抑えてうずくまりかけている高尾を眺めながら、笑いが収まるのを待つ。どんだけ爆笑してんだ、こいつ。

 やがて落ち着き始めたのか、目元を拭いながら起き上がった。

 

「えーでも雪野さん、それ例え話になりませんって」

「何で?」

「いやだって、俺の中の緑間ってそんな感じでしたもん。あ、俺、中学の時にあいつと対戦してボロ負けしてるんスけどね、その時なんかはマジであいつが悪役に見えたし」

 

 サラリと語られた話に、俺はさっきとは別の意味で驚かされた。

 

「え? ……え!? 緑間君と試合した事あるの? ……しかも負けて!?」

「あー、はい。そりゃもうあの3Pシュート決められまくってボコボコにされて。本人は全然覚えてねーみたいですけど」

「ええっ!?」

 

 再び驚くが──―いや、緑間の事をとやかく言えねえ……。

 対戦相手の事、しかも負かした相手をいちいち覚えてないのは同じ事だ。緑間の中学は超強豪だって聞くし、何十校と対戦してるだろうから記憶だって薄まる。

 

 つーか、そんな出来事があって何でこいつはバスケ続けて…いや、緑間の隣で平然としてられるんだよ。

 俺が気が付いた時、春先にはもうすっかりこいつら仲良く行動してた覚えがあるんだけど!? 

 

「それでよく緑間君と仲良くなれたね……」

「そりゃー最初はめっちゃ驚きましたよ? 打倒緑間! くらいの気持ちで秀徳に入ったのに、本人が居るんですもん。でもまあ、同じチームになったなら仕方ないし、だったらあいつに俺の事認めさせてやるかーって感じで」

「…………強いね、高尾君は」

 

 よくまあ、そこまで大きな切り替えが出来たもんだ。この後輩に対して、改めて感心した。

 ……俺なんてずっと引きずってばかりだってのに。

 

「ええ? そうっスか? ……でもほら、雪野さん」

「ん?」

「真ちゃんってめちゃくちゃ面白いじゃないっスか! ラッキーアイテムとか、こだわり方とか、あれ見てると、何か色々どうでもよくなってくるって言うか」

「ああ、あれね……」

 

 まあ、見ていて面白いタイプの人間ではある。あんまりその中心に巻き込んでほしくはないけど。

 

「俺、人生は楽しんだもん勝ちだって思うんスよね。だから今が面白ければいいって思いますし、真ちゃんが昔どうでも、もう気にはなんねーっスかね」

「…………そっか」

 

 高尾が屈託なく笑ってみせたので、俺も少しつられて笑った。

 

 

 民宿が間近にまで見えてきた。

 その後、俺はまだ風呂に入ってなかった事を思い出して、大慌てで大浴場に駆け込む派目になる。更にそこで火神と出くわして、ひと騒動あったのは別の話だ。

 

 

 空は雲一つ無く、満天の星が煌めている夏の夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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28.身体能力×技術力×精神力

 

 

 

 

 

「────雪野さんっ!」

 

 高尾からのパスを受ける。

 前でDF(ディフェンス)をするのは日向、左には宮地、右には緑間がいるがそれぞれマンツーマンでマーク。躊躇ったが、そのまま強引に左サイドの空間を狙って突っ切った。

 

 すぐさま木吉がカバーに入ってくる。

 隙が無いDF。これ以上向き合っていたら逆効果になる事を感じて、強引にシュートを放った。ボールは木吉のブロックからギリギリで掠めて、ゴールに入る。

 秀徳に2点追加。

 

 ──今日で四日目、合同合宿で誠凛とミニゲームを行うのも、軽く10試合目を超えた。

 俺達は宮地(弟)や時田、金城といった、他の一軍とメンバーを入れ替えながら試合を行っていたが、誠凛の方はほとんど面子を変えてないのによくついてこれるもんだ。

 ただし火神は不在だ。相変わらず、女カントクさんの命令でずっとコンビニまでパシリに行かされている。何を考えてるのか知らねーけど、あんな徹底して一人だけ隔離されてるとちょっと可哀そうになってきた。

 

 その女カントクさんと言えば、コートの外で腕を組みながら俺達の試合を見詰めている。

 見た目は細っこい女子なのに目線の鋭さは中谷監督に負けてない。

 

「……っと」

 

 木吉のスローインで再開し、ボールが土田に渡る。

 寸前で俺がスティールに成功し、そのまま傍にいた宮地に手渡した。

 

 が、その瞬間にボールが弾かれる。

 誠凛側のPG(ポイントガード)、伊月が宮地の死角をついてボールをカットしたのだ。伊月はノールックで左前方にパスを出し、そのパスが見えない加速器をつけたように途中で方向を変える。

 ────黒子だ。

 俺達の意識から外れていた黒子がパスの軌道を変え、ボールは誠凛側のシューターの手に渡る。日向の手から3Pシュートが決められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────試合終了!! 82対96で秀徳の勝ち!!」

 

 審判役の金城の掛け声と共に、両チームがコートの中央に集まり、礼をする。

 

 4試合ぶっ通しはさすがに疲れた。

 誠凛も同じだろう、ゲーム終了後はそれぞれ散って水分補給したりアイシングを始めたり、自然と休憩時間になった。

 …………って、冷っ!? 

 

「ほらほら、(あきら)君も皆さんも、ちゃんと冷やさなければいけませんよ」

「いや、何か言えって!?」

「さっきから呼んでましたのに、瑛君たらボ──ッとされてるんですもの。ああ、ほら皆さんも試合後のアイシングは念入りにしてくださいね。特に膝は大切にしなくちゃダメですよー?」

 

 監督の横でゲームを眺めていた爺ちゃんが、いきなり足にアイシングを貼り付けてきたから体が縮み上がった。爺ちゃんが軽く声をかけて、試合に参加していたスタメン陣もクールダウンに入る。

 

 ずっと試合を黙って見ていた監督が、腕を組みながら神妙に呟いたのが聞こえた。

 

「合宿中、練習試合を行って今の所全勝か……フム……」

「マー君のチームも良い育て方してるじゃないですか。見ていてとても楽しめましたよ」

「……大輔さんから見てどう思いましたか、今回の試合の結果を」

「そうですねえ、チーム全体のバランスで言えば秀徳さんの方が優れていますけど……。主将の君、リバウンドは頼もしくて何よりですけど攻め方が少し単調ですね。あと8番の君、ドリブルが得意でもこだわり過ぎは毒ですよ? 状況を見てパスも出してあげてくださいね」

 

 と、いきなりダメ出しされた大坪主将と宮地(兄)が面食らってるけど、思い当たる事だったのか、納得したように頷いている。

 

 その後、途中で交代した組だった木村や宮地(弟)、金城にもそれぞれアドバイスなんだかダメ出しなんだか分からない言葉を送っていった。

 ……爺ちゃんがマジでトレーナーみたいな事してやがる。

 気まぐれで人を置き去りにして渡米するような爺さんが、今この瞬間だけは、すげーまともな指導者に見えてきた。

 

「雪野さんのお爺さん、すげーっスね。あんな俺達の事よく見てて」

「……それは当然だ。あの人は現役時代には日本人でNBA選手の候補に上がった事もある。私達の世代では伝説の人だからな」

「えっ!?」

「……え?」

「…………。雪野、まさかお前知らなかったのか?」

 

 いや、そんな事今まで聞いた事もねーよ。監督の説明に、俺と高尾で二人そろって仰天する。

 爺ちゃんが現役時代にバスケ選手で、しかもNBA? すぐ傍で宮地(弟)にドリブルについてアドバイスしている祖父を見る。身長が170㎝ちょいくらいしかねーこの人が、どんなに想像力逞しくしてもバスケのプロ選手に見えないんだが。

 すると爺ちゃんがいきなり振り返ったからビビったけど、俺じゃなく、今度は高尾の方にのんびりと歩み寄って来た。

 

「君がPGですよね。司令塔なんだからもっと自信もってパスしていいんですよ? 折角いい目をお持ちなんですし」

「……ハイ!」

「まあまあ、皆元気で。瑛君も見習ってほしいものです」

 

 俺にまで飛び火させんな。

 これで終わりかと思いきや、祖父の視線がゆっくりと、ずっと沈黙していたエース様に動いた。ゲーム終了時からずっと黙っていた緑間と、爺ちゃんの視線が静かにかち合う。

 

「……えっ、爺ちゃ……お爺さん。緑間君にまで何かあるの?」

「う~ん……。少しね……」

 

 マジかよ。

 普段から緑間は(態度はともかくとして)実力に関しちゃ先輩どころか、監督だって文句のつけようがないんだ。一体何を指摘されるのかと、俺だけじゃなく、高尾や主将達までどこか興味津々とした目で見守っていると。

 

 ────爺ちゃんはツカツカと緑間のすぐ真正面にまで近寄って、その無表情な頬を思い切り引っ張った。

 

「ちょっとお顔がね、固すぎる気がするんですよね~」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

「折角のゲームなんですから、もっとほら、笑って笑って」

「おい、爺ちゃん」

 

 何してんだこのクソ爺は……。

 慌てて爺ちゃんを緑間から引っぺがす。高尾も爆笑してないで助けてやれよ。

 ……と思ったら、宮地や他の奴等までちょっと笑いを堪えていた。おい。

 

「けどマー君、結構面白い子達が揃ってるのに夏の大会は負けちゃったって聞きましたよ?」

「ええ、予選では誠凛にやられましたね」

「でも今日の試合があれなら、予選の時もマグレ的な感じじゃないスか?」

 

 ちょっと世間話に混ざります、みたいなノリで高尾が口を挟む。

 お前、怖いものは無いのか。

 

「負けた理由をマグレで片づけるのは感心せんなー。高尾走ってこい、外10周くらい」

「ぎゃすっ!?」

 

 監督も冗談で言ってるんだろうが、このタイミングで言われると笑えない。いや冗談……冗談だよな? 

 隣の緑間が無表情ながら、少し鼻で笑ったように見えた。何、さっきの仕返しか? 

 

「それに、やったお前らが一番分かっているはずだ。

 誠凛に負けた予選の時より、勝った今回の試合の方が手強かった」

 

 監督の口調はいつもと同じように淡々としていたが、その事実は静かに俺達に響いていた。

 

 結果こそ全試合全勝していたけど、誠凛は、あいつらは確かに強くなっていた。

 予選の時は全員がガムシャラって感じで、勢いはあっても所々に隙があったり不安定な攻め方をしていた。それが合宿中に試合していた時には、全員が自力を底上げしてきたような、そんな手応えを感じるようになった。

 この短期間の合宿で、よくまあ急成長させる事なんて出来たもんだ。うちも相当激しい練習をしていると思ってたけど、あの女カントクさんはどんな指導をしてるんだ。

 

 しかも結局、全てのゲームに火神は不参加、木吉も後半からは別のC(センター)と交代して見学に徹していた。それであの点差だ。

 手放しで喜んでいい状況じゃないのは明らかだろう。

 

「確かに誠凛さんの方が勢いや爆発力があって私は好きですねー。大我君が試合に参加しなくて残念でしたけど、他にもなかなか面白い子達がいるみたいですし。そうだ瑛君、誠凛の11番って名前は何て言うんですか? ああいう選手、初めて見るタイプですよ」

「あんたはどっちを応援しに来たんだよ……。11番は黒子テツヤ。俺もよく知らないから、あんまり聞くなよ。あともうちょっと黙れ」

 

 と、ミーハーなバスケファンみたいな調子で騒ぎ出した爺ちゃんに、小声で釘を刺す。

 今の真面目な空気をちょっとくらい読み取ってくれ、頼むから。

 すると爺ちゃんは何かに合点がいったような表情になって、一人で頷き始めた。

 

「黒子テツヤ……あ~~成程。じゃあ、あれが耕造君が言ってた『幻の六人目(シックスマン)』。へ~~あんな小さい子がね……」

「……何、知ってるの?」

「いーえ、全然。耕造君から面白い選手が入って来たって前に聞いた事があっただけですよ。瑛君と少しプレイスタイルが似ていますし、お話してこないんですか?」

「どこが似てんだよ」

 

 誠凛の集団の中に居るはずなんだが、黒子の姿はもう見失ってどっかに行ってしまった。忍者か何かか、あいつは。

 

「うーん、私が教えるのは簡単ですけど……こういうのは自分で気が付いた方がいいって言いますしね。合宿の課題と思って考えてみて下さいな」

 

 にこやかに微笑みながら、励ますように俺の肩を叩く爺ちゃん。

 ……課題って言われても、他の課題が俺には山積みになってる気がしてならないんだが。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 合宿も四日目になると、皆夜には死んだように布団に転がっている。

 俺も疲れ切った脚を引きずって何とか廊下を歩いていた。監督も容赦ねーけど、誠凛のカントクさんも普通に鬼だ。合同練習にかこつけて、ここぞとばかりに俺達に試合をさせてきた。

 確かに実りはあったんだろうが、何か色々と搾り取られた気分だ……。

 

 ゲームそのものでは誠凛に全勝してるけど、それで他の奴等が気を緩めてるような雰囲気は無い。緊張感で言えば合宿初日の時より増しているように感じる。

 大坪主将も宮地も木村も、高尾も緑間も、それぞれ課題をはっきりさせたような目をして練習していた。

 

 爺ちゃんから言われた言葉が、まだ頭に残っている。

 

 黒子のプレイスタイルと似ている、なんて言われてもピンと来ねーし、どうせアドバイスするならもっと分かりやすい事言ってほしい。何で俺だけこんなアバウトなんだよ。

 

「────あら、雪野君?」

「えっ?」

 

 床板の軋みがなかなか怖い廊下を歩いていたら、横の階段から下りてきたのは誠凛の女カントクさんだった。

 ノースリーブにミニスカートのラフな格好で、これから外に行くような様子である。

 一瞬気まずい沈黙が下りたけど、カントクさんの方から明るく切り出してくれた。

 

「こんな時間から自主練? 熱心ね」

「ああ……まあ」

 

 昼の練習中だと監督以外にも爺ちゃんが見てるから、思うように動けないんだよな。はっきり言って気が散る。飯の後に練習なんてくたびれるだけだけど、そうでもしとかないと、何か一日動き損なってる気がするし。

 

 カントクさんは俺の隣に並ぶと、自然と二人で並んで歩く形になった。

 …………え、これどーすんだ。

 みちる以外の女子と話す機会が久しぶり過ぎて、距離感が分かんねーんだけど。

 

「それにしてもびっくりしたわよ、大輔さんと雪野君が家族だったなんて」

「は? あ、あーそれね……僕もびっくりしたけどね、突然合宿に参加してたから。……カントクさんはお爺さんとは知り合いなの?」

「うーん、私がっていうよりは私のパパの知り合いなのよ。私が小さい時に、うちに何度か遊びに来てた事があって、まあよく覚えてないんだけどね。ああ、私の所スポーツジムをやってるのよ」

「へー……」

 

 聞いてねーぞ、爺ちゃん。いや、俺も興味持った事無かったけどさ。

 この合宿が始まってからどんどん未知の情報が更新されてって、俺もちょっと頭がついていけない。

 

 のほほんと呑気にミニゲームを眺めていた爺の顔を思い出して、頭の中でツッコミを入れてやりたくなった。

 と、隣からの視線を感じてチラッと見ると、カントクさんが何故か俺の事を真顔で見詰めていた。え、俺何かした? 

 

「……あのー? …………何か?」

「………………」

「カントクさん?」

「ちょっと服脱いで」

「は?」

 

 頭から爪先まで食い入るように見詰めてきたかと思ったら、いきなり意味不明な事を言われた。しかも呆気に取られている内に、カントクさんの手が俺のシャツを今にも捲り上げようとしている! ちょっと待て! 本当に何!? 

 

「いやいやいや!! ちょっと待とう!? いきなり何!?」

「いいから脱いで! その方がよく見えるから……」

「あれ? 二人とも何やってんだ?」

 

 俺とカントクさんが廊下のど真ん中で揉めている中に、割って入ってきたのはこれまた聞きたくない声だった。

 風呂上りらしく肩にバスタオルをかけながら、のっそりと木吉が歩いてきた。

 よりによってこんな面倒臭いタイミングで登場してくんじゃねーよ!空気読め!

 

「ちょうど良かった。鉄平、手伝って! 彼の事抑えてて」

「は!?」

「え? あ、うーん。こうか?」

「えっ!? ちょ、待った待った!! ストッ──プ!」

 

 木吉、やっぱりお前は好きにはなれない。心からそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで良し。余計なお世話かもしれないけど、スタメンなら自分の身体はちゃんと管理しておかないとダメよ」

「はあ……」

 

 やや強めに背中に湿布を貼られながら、俺は生返事をした。

 

 俺の背中辺りに打ち身の痣が出来ていたらしく(練習中にボールか何かにぶつけたんだろうが)、カントクさんと木吉に担ぎ込まれて二階の部屋で簡単に手当てしてもらっていた。

 木吉がニコニコ見守ってる事に居心地悪さを感じながら、俺はやっとシャツを着直した。

 

 こんな事がよく分かったな。しかも背中なのに。

 何でもカントクさんは、選手の身体の状態が分かる特殊な目を持ってるらしく、怪我なんてしたら一発で見抜かれるらしい。だとしても、廊下のど真ん中で服を脱がす事はねーだろ…。

 

「あ、じゃあ私は火神君探さなくちゃならないから、ちょっと外出てくわね。鉄平、後よろしく」

「おう、気をつけてな」

 

 は? 

 

 用が済んだとばかりに、身軽に腰を上げて部屋を出て行ってしまうカントクさん。

 ちょっと待て! 行くならこいつも回収していけ! 

 

「どうしたんだよ雪野、変な顔して。背中の痣、そんなに痛むのか? 大丈夫か?」

「…………そうじゃないよ。ていうか、僕ももう行くから」

「まあまあ。ほら、宿のおばちゃんに今日はみかんもらったんだよ。美味いぞー」

 

 こいつ人の話全っっ然聞いてねえな。

 朗らかに笑いながら、木吉は部屋の窓近くの丸机に置いてあったみかんを2個持ってきた。まあ、みかんを選ぶ辺り、俺が甘いもの嫌いって言ったのを考えてんのか? 

 

 と、どこから持ってきたのか湯飲みと茶まで出してきて、俺にも茶を淹れる。

 え、何でこんなくつろぐ雰囲気になってんだ。

 仕方ないから一杯茶を飲むと、部屋に妙にまったりした空気が流れ出した。

 

「……で? 何の話だよ」

「話?」

「わざわざ引き留めたんだから、俺に何か言いたい事があんだろ。さっさと言えよ」

「……やっぱり雪野、リコ達の前では猫被ってたんだな」

「放っとけよ!!」

 

 一人で納得しているこいつの頭を引っ叩きたい。

 

「別に大した話なんてないよ。中学の時に試合して以来だし、雪野があれからどうしたのかって思ってたから、ちょっと話したくなってさ」

「本当に人が良いよな、お前も……。俺の事恨んでねーのかよ」

「え? そりゃあまあ、秀徳にいるって知った時は、まだバスケやってたのかって思ったけどさ」

 

 木吉が気軽に言った一言が思い切り刺さってきた。

 こ、こいつ……能天気そうな顔して傷口に塩塗り込むみたいな事を……。

 

「けど、続けてたんなら嬉しいよ。雪野もやっぱりバスケが好きなんだな!」

「……別に好きとかじゃねーけどさ」

 

 好きとか嫌いとかはあんまり考えた事はなかった。

 俺は勉強はダメだし、せいぜいスポーツがちょっと出来るくらいしか取柄が無かったけど、一番向いてたのがバスケだったって話だ。

 こいつは本当にバスケが好きでやってるって感じだけどな。

 

 本当なら、木吉が言うように中学の時に辞めてたっておかしくなかったのに、それが高校に入って今もしぶとく続けてんだから、分からないもんだと思う。

 

「それにしても合同練習は色々と刺激になったよ。うちは部員が少ないから、秀徳みたいな強い所と試合出来るといい経験になる」

「誠凛だって強いだろ。公式戦じゃこっちが負けてるし、厄介な一年もいるし」

「黒子と火神の事か?」

「「キセキの世代」だって驚いてんのに、あんなでたらめに成長する奴もいて、俺達の下の代は一体どうなってんだか」

 

 半分は愚痴に近かったけど、木吉はちょっと苦笑いして茶を飲んだように見えた。

 

「そういえば火神は練習中ほとんど居なかったな」

「ああ、リコから言われて砂浜をずっと走ってたみたいだぞ」

「砂浜……」

 

 それは単純な筋力の底上げの為か、あのカントクさんの事だから狙いは別だろうけど。

 

「多分、火神の跳躍(ジャンプ)力の制御の為に走らしているんだろうけどな」

「……確かにな、あいつも本当の利き足で跳んだら負荷がいつもの比じゃねーだろうし」

「! 雪野、知ってたのか? 火神の利き足の事」

「そりゃ試合したんだから分かるだろ。ここ一番の時には右足で跳んでるよな、あいつは。けど跳べばいいって思ってるみてーだし、その後の自分の負荷をちゃんと考えるように言っておけよ」

 

 IH(インターハイ)予選で試合した時も、後先考えずにポンポン跳んでたから、あいつは自分の足にかかる負担なんか全く考えちゃいないんだろう。

 きっちり足腰鍛えておかねーと、決勝リーグで脱落した時の二の舞になりかねない。

 

 ……と、目の前の木吉の能天気な顔がいつにも増して緩んでいた。

 その微笑ましいようなものを見る目はなんだよ。

 

「何だよ、その顔」

「え? いやーだって、火神の事気遣ってくれてんだろ? 雪野って優しいな、大分雰囲気も変わったし。昔はもっと冷たい感じだったのに」

 

 危なく飲んでいた茶を吹き出しかけた。

 ゲホゴホと咽る俺に、「大丈夫か?」と木吉が呑気な声をかける。

 

 ……よく、俺にそんな事言えるもんだと思う。

 結局、俺の優しさなんて毎日を平和に過ごしたい為の上っ面だし、それを言うなら木吉の方がよっぽど優しい。というか、心が広過ぎてちょっと怖い。流石“鉄心”って言うべきなんだろうか。

 

「……じゃあ、俺はもう行くから」

「おう。引き留めて悪かったな。あ、これも持ってけって」

 

 立ち上がった俺に、土産のつもりなのか、みかんを3・4個くらい押し付けてきた。この辺が、ちょっと親戚のおっさんぽいよな、こいつ。

 

 みかんを手に抱えながら部屋を出て、俺は二階の階段を降りて行った。

 すると、今度は逆に、目の前から階段を昇ってくる人影が見える。

 

「あれ? 雪野か? ……何だよ、そのみかん」

「日向君か……いや、木吉君にちょっともらって」

「何してんだあのバカは……」

 

 今日は誠凛の面子によく鉢合わせる日だ。

 日向は木吉の天然ぶりを思い浮かべたのか、がっくり溜息を吐いた。

 

「木吉に何か用でもあったのか?」

「いや別に……世間話だよ。じゃあね」

 

 すれ違いざまに、日向にもみかんを1個押し付けてそのまま階段を降りた。

 大した事無い世間話だったけど、合宿の初日より足取りは軽くなったように感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 予定外の事で時間を取ってしまった。

 今からじゃせいぜい砂浜を走ってくるくらいしか出来ねーか……と思っていたら、玄関から人が帰ってきたような音が聞こえた。

 

「あ~疲れた~……」

「やっぱり練習後はきついな……早く風呂に入ろうぜ」

 

 玄関に行ってみれば、シャツを汗だくにして立っていたのは木村と時田の上級生二人組だった。今まさにランニングから帰って来たらしい雰囲気だ。

 木村はいつも宮地(兄)の方と一緒にいる事が多かったから、この二人組は珍しい。

 

「あれ、雪野。…………どうした、そのみかん」

「ああ、いえ……ちょっともらって。よかったらどうぞ」

「お、おう」

 

 木村が抵抗なく受け取ってくれたので、ついでに時田にも押し付ける。

 よかった、これで全部処理出来た……。みかんは好きだけど、一度に3個も4個も食べらんねーよ。

 

「……二人共、走って来てたんですか?」

「ああ、そうだぜ。宮地も一緒だったんだけど、もう一周してくるって言ってな」

「宮地さんも?」

「宮地も色々必死なんだよ。緑間がやっとチームに協力してくれそうだしね」

 

 ちょっと微笑んで言ったのは時田だ。

 その言葉に、ついこの間の海常との練習試合が頭によぎった。

 

「……この前の練習試合で、緑間君がパスを出した事言ってるんですか?」

「そうそう。俺もびっくりしたけどな、SG(シューティングガード)って言ってもほとんど緑間の控えみたいなもんだから、試合で出番なんて来ないと思ってたし」

「………………」

 

 何て言えば正解なのか分からなくて、俺は沈黙してしまった。

 そういう話で言えば、俺はPF(パワーフォワード)のポジションを三年の木村から奪ってしまった形になる。一年の時にスタメン起用された時は、本当なら木村がなる筈だったのにとかいう噂をちらちら聞いた。

 

 木村は持っていたタオルで汗を拭きながら時田に言った。

 

「あの緑間も流石にチームプレーを考え始めたって事じゃないか? 誠凛に負けたしな」

「そうだったら嬉しいけどねー。冬は今度こそ勝ちたいし、緑間の力は俺達にも必要だよ」

「だな。雪野、お前もよろしく頼むぞ」

「え?」

 

 いきなり話が振られた。

 

「え? じゃねーだろ。大丈夫か? 雪野だってうちのエースの一人なんだし、火神の跳躍力に張り合えたのはお前だけだったじゃねーか。頼りにしてんだぜ、一応」

「…………」

 

 咄嗟の事でぼんやりしてしまったけど、何とか「はい」くらいは返事が出来た。

 木村も時田も言いたい事はそれで終わったのか、宿に上がって奥の方に歩いていった。多分風呂にでも行くんだろう。

 俺はしばらく玄関先に佇んでいたけど、すぐにまた、外への引き戸を開ける事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の季節は夜も薄暗闇がかっているだけで外は明るく感じる。

 俺は一人、砂浜を走っていた。

 ボールをいじる気分にはなれなかったし、とにかく体を動かしていたかった。昼間の疲れを忘れてしまったように足が動いて、今はがむしゃらに砂浜を駆けていた。

 

 合宿も四日目、つまり明日が最終日だ。

 この数日で普段の三倍、いや五倍はみっちり練習させられたって断言出来る。あの監督、俺達を殺す気かって途中で思ったからな……高尾なんか一、二度は吐いてたし。

 

 基礎的な面は確かに向上した。

 予想外に誠凛と合同練習なんかする事になって、スタメンの連中も予選の時の事思い出したみたいにギラギラしてるし。宮地(兄)の雷が毎回俺か緑間に落ちて大変だったけど。

 

 無心で砂浜をひたすら走っていた、その時だった。

 

 ドガッ、と見えない何かにぶつかって、その弾みでバランスを崩しかける。

 

「わっ!? ……っと」

「すいません、雪野さん」

「え? …………って、うわっ!? 黒子!?」

「はい」

 

 すぐ隣で黒子が砂の上に尻もちをついていた。

 

 毎回毎回、心臓に悪い登場すんなよ……。この薄暗い中で黒子を発見すんのは、ちょっとしたホラーだぞ。肝試しやってんじゃないんだから。

 多分俺が突き飛ばしてしまったらしい黒子に手を貸すと、黒子は素直に手を取って立ち上がった。

 

「あー……ごめんね、気付かなくて」

「いえ、構いません。いつもの事ですから」

「ああ、そう……」

 

 こいつの役割からすればそれでいいんだろうが、そこまで割り切っていいのか? とも思う。

 

「黒子君もランニング?」

「はい、それと火神君を追っていたんですけど、速すぎて追いていかれちゃいました」

 

 まあ、火神と黒子じゃ歩幅も何もかも違い過ぎるだろうしな……。

 目の前の、男子としちゃ平均的だろうけど、バスケ部員としては小柄過ぎる体格の一年を見る。

 

「……でも、会えてよかったです。僕から雪野さんにお礼を言いたかったんです」

「礼? 何で僕に?」

「IHの決勝リーグの後の時の事です。……悩んでいた僕に、声をかけてくれました。リーグ戦では負けてしまいましたが、火神君とはきちんと話す事が出来たんです」

 

 そういえば、決勝リーグの後にストバスのコートで偶然こいつと会ったな。

 その時は、黒子の落ち込みっぷりがあんまりにも酷かったから、他校生なのに随分お節介な事を言ったと思う。

 

「いや、そんなお礼言われる程の事言ってないよ?」

「いえ、雪野さんに話を聞いてもらったおかげです。……青峰君や、他の「キセキの世代」を倒す為には、僕も変わらなきゃいけないって気付いたんです。だから火神君とも、ちゃんとこれからの事を話し合えました。……ありがとうございます」

 

 と、黒子は丁寧に頭まで下げてきた。律儀な奴だな。

 けど、それで決勝リーグの後で火神が急に元気になった理由が分かった。黒子と腹を割って話す事が出来たんだろう。それで桐皇との惨敗も吹っ切れたって事か。

 

 そうやってチームメイトと信頼関係を築けていけてるんだから、黒子も火神も恵まれてる。

 

「それなら良かったよ。まあ、次はWC(ウィンターカップ)で会う事になるだろうけどね」

「はい。僕達も負ける気はありません。それまでに、新しい技を習得するつもりです」

「新しい技?」

「はい」

 

 流石にそれ以上は言うつもりは無いらしい。

 新しい技っていうと、またあの弾丸パスみたいな、とんでもないパス回しをしてくる気か。

 透き通るような黒子の目には、はっきりした決意を感じる。……体は俺よりずっと小さいのに、意志の強さはずっと上だ。

 

「……雪野さん?」

 

 黙り込んでしまった俺に、黒子が心配そうに声をかけた。

 

「……ああ、ごめん。大丈夫。ちょっとね、僕も考えちゃって」

 

 IH予選での敗戦から、この合宿で、皆がそれぞれ変わろうとしている。

 大坪主将を始めとして一軍のメンバーも、宮地も木村も高尾も、緑間だってそうだ。

 火神もこれからの試合の為に、きっと跳躍力の課題を見つける筈だ。

 

 それなら、俺は? 

 

 俺は今まで、何か出来たんだろうか。

 結局昔も今も悩んでばかりで、何一つ変われてないんじゃないかと思うと、砂浜でも走らずにはいられなかった。

 

「……何か悩みでもあるんですか?」

「大した事じゃないよ。ただ、皆は前に進んでいるけど、僕だけ何も変わってないなと思ってさ」

 

 海からは涼しい風に混ざって潮の匂いが流れてきた。

 沈黙が落ちて、代わりに波音が聞こえてくる。

 

 ……まずい。何で愚痴なんか言ってんだ、俺は。しかも他所の学校の一年相手に。

 

「ああ、ごめんごめん。聞き流しておいて、それより走ろうか」

「変われますよ」

「え?」

 

 静かだけれど、波音に混ざってもよく聞こえる声で、黒子は言った。

 

「……雪野さんが何に悩んでいるのか、僕は知りません。だから無責任な事を言うかもしれませんが、変われない人なんか居ないと思います」

 

 その言葉が俺に対してよりも、黒子自身が普段から言い聞かせてる事みたいに思えた。

 確かこいつは、チームメイトの青峰にまた昔みたいにバスケをしてほしい、そう願って試合をしていた筈だ。

 

 だから信じ続けているのか、変われるって事を。

 

 

「火神君も、誠凛に来たばっかりの時は自分勝手でこう見ずで、チームプレイなんか一切考えられないそれは酷い有様だったんですよ。それが今じゃ、先輩にも何とか敬語を使って話すようになりましたから、人の変化はすごいものだと思いました」

「いやそこまで言うのは可哀想じゃない!?」

 

 

 それからまた、黒子とランニングを再開し、しばらくして火神に追いついた。

 そして火神の口から、緑間が遠回しに火神にアドバイスをしてきたって話を聞いて、あの後輩の変化に更に驚かされる事になる。

 

 

 海からの潮風が俺達の熱気を包み込むように、穏やかに流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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29.大舞台

 

 

 

 

 

 合宿所にある体育館は練習が終われば施錠されるが、自主練習をしたい場合は鍵を自分で取りに行って使っていい事になっている。勿論、使用後の片付けはちゃんとしろって決まり付きだけど。

 

 早朝、俺はこっそり宿から出て体育館に向かっていた。

 見に行ったら鍵は無かった。となると、誰かが既に自主練で来てるって事だが。

 

「…………あ」

 

 だだっ広い体育館で、一人練習していたのは緑間だった。

 

 目が合い、でかい緑頭が会釈してくる。こういう礼儀だけはきっちりしてる奴だ。

 つーか早いな!? 今だって5時回ったばっかりだぞ!? 

 こいつ一体何時起きしてんだよ……そういえば起きた時に、あの個性的過ぎるナイトキャップがいないと思ったけどさ。(緑間はこの暑い中、何故かナイトキャップ持参で就寝していた。こいつのこだわりは理解不能な事ばっかりだ)

 

「早いね、緑間君……いつからやってたの」

「30分程前からです。大して早くはありません」

 

 いや大した違いだろ。

 この後輩は人の皮を被ったサイボーグか何かなんじゃねーか。

 

 他に誰もいない体育館で、しばらくの間、ボールのドリブル音とゴールネットをくぐった音だけが規則的に反響した。

 俺がレイアップを5回くらい決めた時に、ふと隣を見ると、緑間の手からいつものように寸分の狂いもない3Pシュートが打たれた。かごに溜まっているボールを一つ一つ取って、次々にシュートを打っていく。

 こいつのシュートが外れないのは、もう今更驚く事じゃないけど、よくあんな黙々と続けられるもんだと思った。外れないんだから、打ってる側からすれば飽きが来たっておかしくねーのに。緑間は顔色一つ変えず、ノルマをこなすみたいに打ち続けている。

 

 思わず口を出していた。

 

「努力家だよね、緑間君て」

「は?」

「そんなに練習しなくたって、緑間君の実力ならもう充分なんじゃないの?」

 

 ちょっと嫌味っぽい言い方になったか。

 すると緑間は、分かりにくい無表情を少しだけ顰めたように見えた。全然笑わない癖に、嫌な感情だけははっきり出してくる。

 

「何を言いたいのか分かりませんが、俺は俺がやるべき事をやっているだけです。充分かどうかは、自分で決めます」

 

 ピシャリと撥ねつけるように言葉を投げられた。

 正論で言い返してくるとは思ってたけど、口調がいつになく刺々しい。

 

「やるべき事ねえ……」

 

 チラリとゴール下を眺めると、壁際にもたれかかるようにして立ててあったのは大きめの白い傘だった。ああ、今日のラッキーアイテムか、とすぐ察してしまう自分が物悲しい。

 

 普段は上級生にも遠慮なく物を言うし空気は読まないし電波だし、ついていけねーこだわりの方が多いけど、同時に、緑間は驚く程ストイックだ。周りの奴等にも無茶を要求するけど、多分、自分に対して一番妥協していない。

 宮地(兄)が色々と叱ってはきても、本気でキレた事が無いのはそれも影響してるんだろう。

 この合宿でこいつの練習量を改めて見て、そう思った。

 

 緑間が俺に背を向けて、再び3Pシュートを打つ。決して外れる事がない軌道を描いて、ボールがゴールに命中した。またコロコロと床にボールがたまる。

 …………いや、いくらなんでも打ち過ぎじゃね? 

 

「……緑間君、あの、それ何本目なの? あんまり朝からやり過ぎても体壊すよ」

「これで101本目です。今日のラッキーナンバーは「2」ですから、222本まで打たなければ終われません」

「ああ、そう……」

 

 高尾、頼むから来てくれ。

 この場に居ない後輩の有難みを実感しながら、俺はちょっと遠い目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 最終日は朝食を取ったら午前中の内に宿を引き上げる予定になっている。

 このボロ宿とも、ここ四日間で食わされ続けた特盛献立からも解放されると思うと、重石を取ったみたいに体が軽くなってきた。本当色々あり過ぎたからな、今年の合宿は……。

 

「……緑間君、それ何」

「白玉小豆です」

「いや、それは分かるけどさ」

 

 何っで朝からそんなもん食ってんだよ。

 正面の席では、後輩が真面目そのものの顔でプラスチックの器に入った白玉を食べていた。

 そしてもうお決まりのように、隣にいる高尾が補足をする。

 

「お汁粉がなかったもんだから、仕方なく白玉買ってきてんですよー。わざわざコンビニまで行って」

「よく朝から食べられるよね……」

「真ちゃんは小豆食べないと死んじゃう体質なんですよ!」

「死なないのだよ!」

 

 本人はそう言うけど、言われてみれば緑間は合宿中でも隙あらばお汁粉を飲んでいた。2本くらい平気で。少しはセーブしとかないと将来的に本当に死ぬぞ。

 

「あれ、誠凛の女カントク来てんじゃん」

「監督に用でもあるんだろ」

 

 と、宮地(兄)と木村の会話から聞こえた単語に、咄嗟に後ろを振り返った。

 

 食堂の入り口近くの場所に、確かに誠凛のカントクさんの小柄な姿が見える。その後ろには木吉がでかい図体で付き添っているもんだから余計に小さく見える。中谷監督と何か話しているみたいだけど、合同練習の礼でも言っているのか。

 俺達と同じく誠凛も今日が合宿の最終日らしいが、奴等は一足先にもう宿を出ていた。

 今朝、誠凛の一年生らしき面子が大慌てで荷造りをして廊下を走っていた光景を思い出す。

 

 何も考えずに両監督のやり取りを眺めていたが、すると、うちの監督は何故か木吉に話しかけ始めた。カントクさんとの挨拶は終わったらしく、今度は監督と木吉で、場所を変えてどこかに行ってしまう。

 

「雪野さん? どうしたんスか? ボーッとして」

「いや……。……ちょっとごめん、顔洗ってくる」

 

 まだ三分の一くらいしか食ってない朝飯を置いて、俺は席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かとてつもなく胸騒ぎがする。

 食堂をそっと出た俺は、木吉と監督の後をこっそり着けた。幸い、すぐに宿の玄関前から二人の声が聞こえてきたので、更に抜き足忍び足で近付いていく。

 

「────やはり、もう一度聞きたい」

 

 監督の声に耳を澄ます。

 思ったより深刻そうな雰囲気だけど、木吉に一体何の用なんだ。

 

 

 

秀徳(うち)に来ないかね?」

「えっ!?」

 

 

 

 予想を遥かに超える内容に、体が勝手に動いていた。

 突然出てきた俺の姿に、木吉と監督の驚いたような目が揃って俺を見る。いや驚いたのはこっちの方だぞ!? 

 

「何だ雪野、そこに居たのか」

「いや居たのか、じゃないですよ! ……何言ってんですか、監督」

 

 俺の言いたい事は察しているだろうに、監督は特に動揺した気配も無い。

 ……食えない性格したおっさんだと思ってたけど、俺の昔の事知ってる癖に、木吉をスカウトするって正気か!? 本当に何考えてんだ。

 

「無茶なのは承知だよ……。だが彼はお前と同様、帝光の無敵時代に「キセキの世代」と渡り合った数少ない選手の一人だ。そういう意味では、「キセキの世代」以上に評価している面すらある」

「そんな事言われても……」

 

 それに俺は「キセキの世代」と渡り合った覚えはねーよ。

 木吉を評価するのはいいけど、俺の精神衛生的な面も考慮してくれませんかね。

 

「…………いいお話ですが」

 

 と、当事者の木吉が、言葉を選ぶようにして口を開く。

 

「雪野との事なら私も分かっている。それでも考えられないか?」

「いや、そうじゃないんです。雪野と同じチームになるのは面白そうだと思いますけど」

 

 木吉の色素の薄い瞳が、申し訳なさそうな視線を俺に向けた。

 俺も監督以上の緊張で木吉の言葉を待つ。

 

「俺は誠凛(あいつら)と頂点を目指すって約束してるんです。だから……すいません」

「……そうか」

 

 その答えを聞いて監督は残念そうだけど、俺は心から安心した。

 だよな! いくら頭のネジが緩そうなこいつでも、秀徳に来るなんて事は無いだろう。誠凛の奴等との約束が理由っていうのが、木吉らしいって思うけど。

 

 監督もダメ元の勧誘だったのか、それ以上しつこくせず挨拶だけして、先に食堂の方へ戻っていった。爺ちゃんを呼んで来た事といい、あんまり俺の心臓に悪い事をしないでほしい。

 

「…………雪野、俺も行くな。日向達が待ってるし」

「あ? ああ……じゃあな」

 

 出来ればもう二度と会いたくない。

 けど誠凛にいるなら、これから試合でいやでも会うんだろうなあという諦めに似た気持ちが出てきた。

 

「そういえば背中の怪我はもう大丈夫なのか? 結構大きい痣だったし」

「平気だよ、あれくらい。ほとんど治った」

「そっか、よかったな! ……次の試合じゃ、お互い頑張ろうぜ」

「………………」

「どうした? 雪野」

 

 しみじみ呆れてるんだよ、色んな意味で。

 木吉のこの能天気オーラを浴びてると、合宿中にあれこれ考え込んでた俺がバカみたいに思えてくる。 こっちは地獄の練習で体がボコボコにされて、その上精神的にもボコボコにされてた気分だったのに。何だよこいつのこの笑顔。何でこんな純度100%の爽やかスマイルを向けられるんだよ。

 

「お前っていい性格してるよな……」

「ははっ、よく言われる」

 

 よく言われんの? 

 

「……頑張ろうとか気楽に言ってるけど、いいのか? 試合になったら、どっちかが負ける事になるのに」

「そりゃそうだな」

「…………随分自信あるんだな。俺とまた試合しても、不安とかねえの?」

「不安なんて無いよ。だって雪野はもう、昔とは違うんだろ?」

 

 木吉の表情は相変わらず、凪いだ海みたいに穏やかそのものの笑顔だった。

 その優しい言い方がむず痒くて、視線を逸らす。

 

「……さっさと行けよ。他の奴等に置いてかれるぞ」

「あっ! そうだな、ありがとう。じゃあな! 雪野」

 

 二年ぶりに会った無冠の五将“鉄心”は、最後までマイペースなままで去っていった。

 次に会う時はWC(ウィンターカップ)を懸けた試合の時になる事は、俺達だけじゃなく、チームの全員が分かっているだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戻ってみると、食堂が何だか騒がしくなっていた。

 大坪主将に宮地(兄)に木村、他のメンバーも何故か椅子から立ち上がって、何かを取り囲むように輪を作っている。

 

「あ! (あきら)君~丁度よかった。私もそろそろ行きますから、後は皆さんと仲良くしてくださいね」

「はあ……っていうか、これ何の騒ぎ?」

 

 輪の中から目立つプラチナブロンドが出たかと思えば、居たのは爺ちゃんだった。

 俺達のほとんどが練習着のシャツを着てる中で、黒のスーツにグレーのネクタイまで締めてガチガチのビジネススタイルにしている服装は浮いてるなんてレベルじゃない。場違い過ぎる。

 足元にはキャリーケースが転がってるし、今度はどこに行く気なんだ。

 

「瑛君、この子の事をよろしくお願いしますね」

「この子?」

「ほら、この子ですよ」

 

 と、爺ちゃんに続いて主将達の輪の中から現れたのは────白い毛玉だった。

 

 は? 毛玉? 

 いや、でも動いてるし目も耳もあるし、よく見れば髭も生えてるし、何かニャーって鳴いてるし……と、そこまで見てやっと俺の頭も覚醒し始め、それが子猫だって認識した。

 

「え!? ……何で猫?」

「雪野さん、この猫、雪野さんのお爺さんがさっき連れてきてたんスよ」

「さっき宿の前で、大我君にお別れを言ってた時に見つけましてね~捨てられてたんですよ。そういう事だから、瑛君達で面倒見てあげてくださいな」

「はあ!?」

 

 待て、前後の文章が全くつながってねーよ!? 

 流石にこのメチャクチャな申し出には、大坪主将からも否の声が出た。

 

「あの大輔さん……流石に生き物はちょっと。学校側に許可を取らなくてはいけませんし、バスケ部全体で面倒を見る事にも無理がありますから。大輔さんが引き取る訳にはいきませんか?」

「私はこれからスイスに行かなきゃならないから無理ですよ。だいじょーぶ、マー君には言い含めてありますから何とかしてくれますって。それにほ~ら、この子こんなに人懐っこいし可愛いし、ここってマネージャーもいませんし、華やかになるじゃないですか」

 

 木村が恐る恐る白猫の頭を撫でてみると、猫はじゃれるようにその手に頭をすり寄せてきた。その様子を見ていた宮地(兄)まで、今度は猫の喉を撫でる。すると嬉しそうに喉を鳴らした。

 ……おい、いつもの迫力はどこいった。まずい、部員が早くもメロメロにされてる空気が漂っている。

 

「あれ? 宮地さん意外と猫好きっスか?」

「別に普通だよ普通。こいつが人懐っこいだけだろ」

「確かに人に慣れてるよなー。宮地くらいでかい奴が近付いても逃げないし」

「お前らもほとんど似たような身長だろうが潰すぞ」

「……何かこの猫、雪野さんに似てますよねー」

 

 高尾の静かな呟きに、場の和やかな空気が一瞬止まる。

 そして上級生陣+高尾の視線が俺に向き、猫に向き、そしてまた俺を見た。

 

「確かに似てる! この白い毛並みとか」

「いやこのやる気のなさそーな顔つきもそっくりだぜ、人間だったら轢きたくなるな」

「世の中には似た人が三人居るって聞くが、猫にも通用するんだな……」

「ぶっふぉ!! 雪野さんって猫だとこんな感じ……!」

 

 いや、白いって事だけだろ!! 

 酷い言いがかりをつけられた。

 

「良かった良かった、皆さんすっかり打ち解けてしまったみたいで。これで安心して任せていけますね」

「何も安心出来ねーよ……」

 

 監督にまで話通してるなら、もう絶対引き受けるしかねーだろ。この爺は一度言い出したら何が何でも実行させるんだよ、もう分かってるんだよ。まあ確かに、人懐っこい猫みたいだし、猫嫌いな奴も居ないみたいだし、唯一それが良かったのか……? 

 そう言えばさっきから緑間の姿が見えない。あいつの事だから、我関せずって感じで飯でも食ってるかもしれないけど。

 

「……緑間君はいいの? 混ざらなくて」

「あんなむさ苦しい中に入りたくないのだよ」

 

 一理無くもない。

 

 予想通り、緑間は一人だけテーブルに座ったままで黙々と朝飯を食っていた。

 他の連中は、爺ちゃんが連れてきた意外な客に夢中になってるのに反応も冷めたもんだ。大坪主将を始めとして、ごつい体格ぞろいのバスケ部の面子が猫と戯れている光景は確かにむさ苦しい。

 女子成分が無いとここまで癒しに飢えるもんなのか……。ここ数日は朝から晩まで軍隊じみたノリと勢いで練習地獄をくぐってきたから、小動物一匹にも凄まじく和むのかもしれない。

 

「んな事言ってー真ちゃんもほら、触ってみ? 大人しいから」

「近寄るな」

 

 と、高尾が猫を抱きかかえて緑間に近付いたその瞬間、緑間は恐るべき反射速度で後ずさった。……え? 何、今の反応。

 思わず俺と高尾で顔を見合わせ、お互いの頭に浮かんだ疑問が共有される。

 

「……緑間君、ひょっとして猫が怖いの?」

「違います。好きでは無いだけです」

「つまり嫌いなんだね」

「え? え? マジ? こんなに可愛いのに……」

「近付くな!!」

 

 高尾の腕から猫がストンと軽やかに飛び降り、緑間に近付いていく。つぶらな瞳で緑間を見上げる白猫が一歩進む度に、猫に比べれば巨人って言ってもいい緑間が後ずさりしていく。

 なかなかシュールな光景だった。

 

「ぶっふぉ!! ぎゃはははっ!! マジでビビってる! あの真ちゃんが! やべーあの猫すげー!!」

「緑間にこんな弱点があったとはな」

「ぶはっ! いい気味! よーし猫、そのままやっちまえ!」

「やってる事が小学生だぞ宮地……」

 

 朝から一段と騒がしくなり始めた食堂を眺めながら、隣の爺ちゃんがニコニコと呟くのが聞こえた。

 

「うんうん、楽しそうで何よりです。これで安心ですね」

「いや、全く安心出来ねーよ……」

 

 あと、約1名は絶対楽しそうじゃないと思うぞ。

 

「それじゃ私は行きますね。瑛君、エリザヴェータの事はお願いしますよ」

「エリ……?」

「あの猫の名前です」

 

 何でそんなゴテゴテの名前にしたんだよ、とか言いたい事は他にも色々あったけど、もう朝からこれ以上叫ぶ気力が無い。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 そうこうあって、俺達は四泊五日を過ごした民宿を後にした。

 帰るってなると、あんなボロ民宿でも名残惜しく感じる──事は無かった。体育館の設備は立派だけど、次回来る時にはもうちょっとだけ宿も立派にしてもらいたい。特に、寝る時に蚊があちこちからたかってくるのは参った。

 

「何か合宿も終わっちゃうとあっという間っスよねー」

「ほー高尾、そんな事言う元気があるんだったら、お前だけもう一周特訓メニューやっとくか?」

「宮地さん、それマジで死んじゃうメニューです!!」

 

 帰りのバスの中でも、高尾はやかましく軽口を叩いては宮地に怒鳴られてるし、他の奴等も仮眠していたり談笑していたり様々だ。夏の合宿って山場を越えて、張り詰めていた緊張が程々に抜けた感じが丁度いい。

 

 俺も本当なら眠りたい気分だった。────隣の席で座り込んでいる、猫の存在がなければ。

 

 結局、爺ちゃんから押し付けられた白猫はバスケ部全体で飼う事になり、監督もしぶしぶって形で了解してしまった。(どんだけ無茶振りしたんだ、あの爺は)

 猫嫌いらしい緑間が、珍しく絶望的な表情をしていたのを思い出す。何でも、昔引っかかれた事があるから嫌いらしい。この猫には懐かれているような感じだったけど。

 押し付けた本人の爺ちゃんは荷物をまとめて、一人だけまたどっかに旅立ってしまったし。

 

「…………」

 

 エリザヴェータとかいう派手な名前を付けられた白猫は、女王様みたいにふてぶてしく席で眠っている。人の気も知らないでこいつは……。俺に似ているとか言ってたけど、俺はこんな小憎らしい顔つきはしてないと思うぞ。

 

 何となく、眠っているその猫の頭に手を伸ばして撫でてみた。

 

「にゃあっ!」

「痛っ!?」

 

 が、その瞬間、猫が目覚めたかと思うと威嚇するように俺の手を引っ搔いてきた。

 何っっで、俺にだけこんな態度悪いんだよこのドラ猫は! 

 他の連中には、口が悪い宮地や鉄仮面の緑間にでさえ愛想振りまいてたのに、何で俺相手にはこんなだよ。爪立ててきたぞ。

 

「お前達、あんまり気を緩め過ぎるなよ。あと30分程で会場に着くから、そのつもりでいるように」

 

 と、俺の前の席に座っていた監督が穏やかに注意してきたが、会場、という言葉に引っかかった。

 え、このまま学校に帰っているルートじゃねーの? 

 

「……あの、監督。会場って……?」

「ミーティングの時に何聞いてたんだよお前は。最終日はこのまま、IH(インターハイ)の準々決勝見に行くって事になってただろうが」

 

 通路を挟んだ隣の席に座っていた宮地が、呆れ半分怒り半分で説明してきた。その言葉で、俺も昨日のミーティングで監督から言われた事を思い出す。

 

『――合宿の最終日は、宿を引き上げた後にそのままIHの準々決勝を観戦に行く。会場もそれほど遠くないし、今年の対戦カードは注目すべきものだ。冬に備えて、よく見ておくように』

 

 バスは澱みないスピードで会場に近付いていく。

 隣の白猫は日光にまどろみながら、にゃあ、と呑気な鳴き声を出していた。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 全国大会。

 去年も秀徳バスケ部として出場した経験はあるけど、結果は頂点を掴めず、ベスト16で終わった。当時の主将からは、リベンジしてくれと散々言われて、今年はこうして観戦する立場になってしまってんのは皮肉な話だ。

 

 でも観客だろうと選手の立場だろうと、この独特の熱気は変わらないなと思った。

 

 会場に到着すると、そこは既に観客で埋まっていた。

 予選とは比較にならない規模の熱気と歓声が、中央の試合が進む度に渦巻いている。丁度、準々決勝の第1試合が終わった所らしく、幕間のインターバルに入っていた。

 

「すっげー! 流石は全国大会。迫力ありますなー」

 

 高尾が素直に感想を述べる。

 到着が遅れたから席はほとんど埋まっていたけど、後方あたりに空席があったらしく、監督も含めた全員でぞろぞろとそこに腰を落ち着けた。

 ちなみに白猫はバスに置いていこうとしたんだが、降りた時に着いてきてしまったので、今は高尾のショルダーバッグに押し込んでいる。

 

「そういや雪野さん、桐皇の主将(キャプテン)ってどんな感じなんスか?」

「は?」

「だって同中なんでしょ? やっぱ強いんスか?」

 

 ここでその話題を出すんじゃねーよ。

 こいつに妙な事を吹き込んだみちるが恨めしい。

 

 それに、そういう話をするなら今は俺よりも適任がいるだろう。

 

「僕の話なんかより、緑間君の方が参考になるよ」

 

 高尾の左隣に座っている緑間に話を振る。

 

 何しろ、今年の準々決勝の対戦カードは海常高校と桐皇学園高校。

 つまり、黄瀬涼太対青峰大輝────「キセキの世代」有する学校の対決だ。

 海常とは俺達も試合した事はあるけど、所詮は練習試合。公式戦のこれとは注目度が違う。

 

 その両校のエースを二人共知っている筈の秀徳のエースは、会場に来てから無言のままだったが、やがて重い口を開いた。

 

「……勝敗がどうなるかは分かりません。中学の時は、「キセキの世代」のスタメン同士が戦う事は禁じられていましたから」

 

 何だよそのルール。

 こいつらの中学って、毎日殺し合いでもしてたの?

 

「ただ、経験値(キャリア)で言えば黄瀬は俺達の中でも短いです。あいつがバスケを始めたのは中二の時でした」

「は?中二で初めてあれなの……?」

「マジで「キセキの世代」って化物っスよねー」

「黄瀬は青峰のプレイを見て憧れてバスケを始めました。よく1対1(ワンオンワン)の勝負を青峰に挑んでいる姿を見たものです。ただ──黄瀬が勝てた事は、一度もありません」

 

 緑間の視線の先には、コートの中央に二つのチームが集まっているのが見える。

 

 一つは海常の白地に青のユニフォーム。

 もう一つは桐皇学園の黒いユニフォーム。白と黒のコントラストが、そのままチームの特色を表しているようだ。

 

 予選リーグの時とは違い、今度は青峰も最初から姿があった。同じ「キセキの世代」相手だったら、舐めてかからないって事なんだろうか。

 その青峰が、遠目にもキラキラした金髪──黄瀬と話している様子が見える。

 そして他のメンバーも挨拶を交わしていた。海常側では、主将の笠松が今吉さんと握手をしている。

 

 試合開始前の、緊張を孕んだ静けさ。

 観客も自然と息を呑んだように両チームの整列を見守っていると、その時、会場にアナウンスが響き渡った。

 

 

 

 

 

『それでは準々決勝第二試合、海常高校 対 桐皇学園高校の試合を始めます』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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30.終わりと始まり

 

 

 

 

 

 

 海常対桐皇。

 黄瀬と青峰、二人の天才のプレイは多少知っているつもりだった。純粋な身体能力で言えば青峰の方が上だけど、黄瀬の模倣(コピー)技はその差すら埋めてしまいそうな可能性がある。この前の練習試合で緑間のシュートをコピーしかけたのがいい例だ。

 

 だから今回の試合も、桐皇を海常が追うような形の展開になるんじゃないかと思いながら見ていたが────試合は予想外の方向に流れつつあった。

 

「うおおっ! すっげー! 海常の反撃!」

「第1Qは完全に海常だ!!」

 

 第1Q終了のブザーと共に、観客から歓声が上がる。

 点差は(海常)18対13(桐皇)。予想に反して、リードしていたのは海常だった。

 エース同士の1対1(ワンオンワン)でも黄瀬は青峰と充分渡り合っていた。あの型の無いシュート(フォームレスシュート)が止められたのは驚きだ。

 それに何より、海常は笠松を始めとして他のスタメンの勢いがある。失敗も恐れずにエースの黄瀬にとことん託している姿勢には感心する。ある意味、あの主将って今吉さんと方針は似ているのかもしれない。

 

「海常がリードか。少し驚いたな」

「相手があの桐皇だから余計にな」

 

 俺の一段下の客席に座る大坪主将と宮地(兄)の呟きが聞こえる。この前の予選決勝リーグでの桐皇の印象が強過ぎた分、その感想には同感だ。

 二つ左隣に座っている後輩は黙りっぱなしだったので、こっちから水を向けた。

 

「…………緑間君はどう思ってるの? 今の展開」

「どう、とは」

 

 愛想が無いにも程がある返しに、吹き出したのは真ん中の高尾だった。

 

「ぶはっ! 真ちゃん反応薄っ! ほら折角雪野さんが話振ってくれてんだから」

「うるさいぞ高尾。……強いて言うなら、青峰は試合では尻上がりに調子を上げていく傾向にあります。恐らく、奴は次で仕掛けてくるでしょう」

 

 それだけ言い捨てると、緑間はおもむろに立ち上がった。

 いきなり起立した後輩に大坪主将達の目線も一瞬つられたが、緑間は完全に無視して席から離れて行ってしまう。

 

「おい緑間! 勝手にどこ行ってんだ」

「外の空気を少し吸いにいくだけです」

 

 宮地の怒鳴り声を背に受けながら、さっさと会場から離れてしまう緑間。おい、頼むから空気の一欠けらくらい読んでくれ。宮地の笑顔に殺意が浮かび始めている。

 

「あーきっとこれっスよ、ほら」

「え?」

 

 上級生陣とは逆に、呑気な声で高尾が俺に自分のショルダーバッグを開けて見せた。その中から、小ぶりな白猫の頭がにょきっと顔を出す。

 爺ちゃんが合宿終わりに置き土産のように押し付けていった野良猫だ。試しにその真っ白な頭に向けて手を伸ばすと、また「にゃあ!」と威嚇するように叫ばれた。

 だから何っっで俺にだけこんな懐かねーの!? 

 

「この子が怖くて逃げちゃったんスよ、真ちゃん。ほら、合宿でもすげービビってたし」

「そんなに猫嫌いなんだ……」

「相当苦手みたいっスよ? 部で飼うって決まった時も、めちゃくちゃ青くなってたし」

 

 だとしても、あの無愛想な緑間に懐いて俺に懐かねーって事実は納得いかないんだが。

 

「はいはーい、試合終わるまで大人しくしててなーエリちゃん」

「エリちゃん……?」

「この猫っスよ。エリザヴェータって呼びにくいでしょ」

 

 言っとくけどあの爺の趣味だからな、その名前。

 高尾が小さな白い頭を撫でていると、猫は満足したようにそっとバッグの中に身を丸めた。こいつの社交力は動物にまで及ぶのか……。

 

 俺達がそんな無駄話をしている間に休憩(インターバル)は終わり、第2Qが始まっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第2Q。

 先制点は桐皇が2点を入れてスタートした。今吉さんからゴール下のC(センター)にパスを出されてシュート。至って堅実なやり方だ。リードされてるのは桐皇なのに、中の選手に焦りは見られない。

 

 焦らず1本ずつ決めてこう! ……なんて真面目な方法、あの人がやる訳ねーよな。眼下に見えるコートの中で、笠松と対峙している昔の先輩の姿を見る。

 今吉さんも見かけに寄らず負けず嫌いな所あるし、絶対何か仕掛けてくる。そんな確信があった。

 

 コート内では、笠松から黄瀬にボールが渡る。

 海常は清々しいくらいに、黄瀬で行く気だ。そして────その正面に青峰が対峙する。

 

 こうして外野から見ていると、まるで野生動物が人間を目の前にして舌なめずりしているような光景にさえ見える。それぐらいの威圧感を放って、次の瞬間には青峰は黄瀬からボールを奪っていた。

 走り抜ける青峰にすぐ黄瀬も追いすがったが、切り返して黄瀬のDF(ディフェンス)を躱してしまう。

 駆け引きではほとんど互角に思えたが、青峰の反応速度が僅かに黄瀬を上回っていた。

 

 エースの黄瀬さえ抜いてしまえば、海常に青峰を止められる戦力は居ない。

 瞬きの間にゴール下まで辿り着いた青峰は、海常のCからバスケットカウントなんておまけまで頂いて華麗にシュートを決めてみせた。

 

 どれだけ青峰が超人じみたプレイをしても、海常がとことん黄瀬でいく方針は変わらない。

 でも黄瀬がどんな模倣技を繰り出そうと、徹底的に青峰に叩き潰されてしまう。

 点差は18対18で同点だったが、少しずつ嫌な気配がコートに漂っているような気がしてきた。IH(インターハイ)予選決勝の時の、誠凛と桐皇戦の時のような不穏な空気。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局第2Qは黄瀬が青峰に圧倒されたまま、桐皇にリードされる形で終わってしまった。

 点差は(海常)34対43(桐皇)。差はギリギリで10点差以内に抑えてるけど、コートから引き上げる時の海常陣営は客席からでもお通夜みたいな暗いムードが漂っていた。

 そりゃそうだ。頼みの綱のエースは青峰に歯が立たず、しかも第2Qの終わりは相手からのブザービーター。ちなみに決めたのは今吉さんだ。

 笠松達が悔し気に睨みつけているのも、楽しそうに流してコートから去ってしまう。喧嘩売るにしても、そこまでやるか。

 

「改めて見るとムカつくやり方してくんなー桐皇の主将は」

「まあ戦略としては間違ってないがな……。あそこまで露骨なのは中々無いだろうが」

「でも、完全に桐皇の流れっスねー。黄瀬君じゃあ勝てないんスかね」

 

 前半の展開に対して、宮地や大坪主将、高尾が思い思いに感想を零している。

 確かに、このままじゃ黄瀬に勝ち目はない。以前海常と練習試合をやった時も、黄瀬の模倣技には驚かされたが、その多彩な技の全てが青峰相手には通じていなかった。

 

 青峰の獣じみた身体能力は少しは知っているつもりだけど、「キセキの世代」同士でここまで歯が立たないもんなのかよ。

 

「雪野さんはどう思います? 後半から」

「さあね……。ただ」

「ただ?」

「黄瀬君も笠松さん達も、あれは勝負を投げたような動きには見えなかったよ。もしかして何か策があるんじゃないかな」

 

 後半も黄瀬でいくのは間違いないだろうが、それじゃ結果が繰り返しになる事は目に見えてる。第2Qでの黄瀬と海常の奴等の動き方は、勝算の無い行動をしているようには思えなかった。

 けど、作戦を立てるとしたら何をする気だってんだ。

 相手の青峰には、敵や味方のどんな技を模倣したって通用しないのに。

 

「…………え、何? 高尾君」

「いや、雪野さんは海常を応援してるんだなって……それに、よく見てるんスね!」

「は?」

 

 高尾は何でもないように笑って言ったが、戸惑ったのはこっちだ。

 同中の奴が居る訳でも何でも無いんだから、海常を応援する義理なんて無い。むしろ応援するなら桐皇の方だろう。

 何でこんな海常贔屓な事言ってんだ、俺は。

 

「……おい高尾、そういえばエリは大丈夫か? 何か静かだけど」

「え? …………ああっ! 居ないっ! 何でっ!?」

「カバンの中が熱くなって逃げちまったんじゃねーか?」

 

 と、隣の席でまた騒がしくなる。

 どうやらあの白猫がバッグの中から居なくなってるらしい。もうそのまま放っておいていいじゃねーか?猫は猫だし、俺達で強引に飼わなくてもこれで野生に帰ってしぶとく生きるだろ。

 ぶっちゃけ、爺ちゃんの思いつきにこれ以上巻き込まれたくない。

 

「猫が居なくなったのかい?」

「そうみたいですよ、監督」

 

 レギュラーがガヤガヤと騒がしくしている様子に、俺達の一段上の客席に座っていた中谷監督が口を挟んだ。

 

「それはいかんね。雪野、客席の辺りを探してきなさい。多分まだこの辺にいるだろうから」

「は!? 何で俺……僕が!?」

「お前のお爺さんが元々預けていった猫だろう」

 

 だからって俺に責任を被せんな。

 脳内であはははと笑っては消える爺さんの幻影が浮かんだような気がして、俺は軽い目眩に襲われた。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 そして猫探しなんて雑用を押し付けられた俺は、インターバルの合間に会場周りを歩き回る派目になった。大体、こういう事は一年の仕事だろ! ちゃっかり逃げてる高尾に腹が立ってきた。緑間は緑間でどこに行ったのかも分かんねーし! 

 

 客席の近くに白い毛玉の姿は見かけなかったから、もしかして、という気持ちで俺は会場から一度出て外のバルコニーまで足を伸ばしていた。ここは会場から出ると、通路がバルコニーに直結しているので外の景色がすぐ一望出来る。まさかこんな所にまで潜り込んでいってるとは思わねーけど……。

 

「…………って、居たよ」

 

 思ったよりも早く、探し物はみつかった。

 バルコニー側に設置された自動販売機の隅に白い毛玉が丸まっている。しばらく見つめていると、人の気も知らず、青っぽい目が俺を見詰め返してきた。

 

「こんな所で何がしてーんだお前は……ほら、行くぞ」

「んにゃっ!」

 

 痛っ!! 

 だから何で俺ばっかり引っ掻く!? 

 

「こんのドラ猫……いいから来いっての!」

 

 白猫を引っ張り上げようとするが、こいつは縫い付けられたみたいに動こうとしない。

 あーもう! 何っっでこんな野良猫相手に苦労させられなきゃならねーんだよ! 何か重いし! 

 

「こいつ……! いい加減にしねーと置いてくぞ!」

「……雪野さん?」

 

 と、後ろから聞こえた声に振り返る。

 けど声が聞こえたはずなのに誰も居ない。空耳か? 

 

「ここです」

「うわぁっ!? 黒子!」

 

 いきなり背後に現れたのは、数時間前に別れたと思ったばかりの他校の下級生だった。

 

 何度も会ってる筈なのに未だに見失うって、こいつの存在感どーなってんの!? 

 ただでさえ透けるような薄水色の髪の毛が、晴天の下だと背景に溶け込んでしまっている。

 

「びっっくりした……黒子君何してんのさ、こんな所で……」

「誠凛の皆と試合観戦に来ていたんです」

「ああ、そっちもなんだ……」

 

 って事は何か、合宿所で別れた後で、結局俺達は誠凛と同じ目的地に来てたって事かよ。

 まあIH予選で敗退したもの同士だから、本選を見に来るのも当たり前なんだろうが。

 

「雪野さん達も観戦ですか?」

「まあね……。……ていうか、その犬何?」

 

 と、黒子が両腕で丁寧に抱えている生物を指差す。

 舌を半端に垂らしながら、暑苦しい息遣いで俺を見つめてくる生物。

 

「彼は2号です」

「……はい??」

「テツヤ2号。この犬の名前です」

 

 テツヤ2号。

 そう言って黒子が両手で抱え上げたのは、黒い毛並みの耳とつぶらな両目が特徴的な子犬だった。よく見ればその丸い目元は誰かに──―黒子に似ている。

 

「何でどこもかしこもペット連れなんだよ……」

「……その猫はもしかして、雪野さんの飼い猫ですか?」

「違う!! …………ああごめん、違うから。ちょっと色々あって僕のお爺さんが拾ってきたんだけど、バスケ部で飼う事になったんだよ」

 

 溜息を吐きながら説明してやると、床に糊付けされたみたいに動かなかった白猫が、いつの間にか俺の脇を通り抜けて黒子の足元にすり寄っていた。

 こいつ、俺相手にはピクリとも動かなかった癖に……! 

 

「あれ? この猫、雪野さんにちょっと似て……」

「似てないから!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白猫は何が気に入ったのか黒子からなかなか離れなかったので、仕方なく俺と黒子はそのまま連れ立ってバルコニーを歩いていた。足元に纏わりついている白猫を、嫌がる素振りも見せず黒子は時々頭を撫でたりしながら歩いている。面倒見のいい奴だ。

 まだ真夏に入る前だからか、風が程よく吹き込んで気持ちいい陽気だった。そして自然と、話題は今の試合の事に移っていた。

 

「そういえば、黒子君は海常を応援してるの?」

「いえ、別に」

「あっ、そうなんだ……」

 

 薄々思ってたけど、こいつ意外とはっきり言うな。

 

 こいつら誠凛が、決勝リーグで桐皇にズタボロに負かされたのはまだ記憶に新しい。

 それを踏まえると、感情的には海常を応援したくなるようなもんだけど。

 

「……青峰君と黄瀬君と、どちらが勝つのかは分かりません。どちらが勝っても、おかしくないと思ってます」

「………………」

 

 黒子は相変わらず静かで感情が読めない目をしていたが、その声は何かを信じるような強さがあった。昔の仲間同士で、分かる何かがあるんだろうか。

 

「……あ、黄瀬君」

「え?」

 

 と、黒子の呟きに釣られて正面を見る。

 すると数m先で、バルコニーの手すりにもたれ掛かって青空をぼんやりと眺めている長身の人影があった。金色がかった髪が日の光でキラキラと輝いて、本人は怠そうにしてるのに、いかにも女子が歓声を上げそうな絵面になってるのが妙にムカつく。

 

 現在試合中の海常高校エース、黄瀬涼太がそこに居たのだった。

 

 俺達の気配に気が付いたのか、黄瀬は不意にこっちへ視線を向けると、モデルらしい整った顔が一瞬で驚きに崩れた。

 

「黒子っち!!? それに……雪野さん!? え!? 何で二人がここに!?」

「二号を探していたらはぐれました」

「まあ、僕も似たような感じ……」

 

 何故か自信満々に言い切る黒子と、俺はちょっと投げやりに付け加えた。

「二号って誰っスか!」「この子です。こっちはエリザヴェータさん。秀徳の子です」「猫まで!?」という漫才が続いた後、黄瀬はしみじみと言った。

 

「まさか見に来てるとは思わなかったっス。雪野さんが居るって事は、緑間っちも来てるんスか?」

「まあ、一応ね」

 

 観戦中にどっかに消えたって事は流石に言わないでおいた。

 

「僕達も誠凛も、昨日まで近くで合宿してたから」

「ちぇー、うちの応援しに来てくれたんじゃないんスか?」

「違いますよ」

「ヒドッ!!」

 

 黒子、お前も少しは歯に衣着せろ。

 だが冷たく言われた割には黄瀬は堪えた風もなく、こんな事を聞いてきた。

 

「……じゃあ、ちなみに。青峰っちと俺、勝つとしたら、どっちだと思うんスか?」

 

 一瞬、辺りが更に静かになったような錯覚を感じた。

 多分、これは俺達にというより黒子に対して答えを聞きたい事なんだろう。俺が黙っていると、黒子は静かに言った。

 

「分かりません」

「え──―……」

「ただ勝負は諦めなければ何が起こるか分からないし、二人とも諦める事は無いと思います。……だから、どちらが勝ってもおかしくないと思います」

 

 試合直前の相手なのに、半端に励ましたりしないで本音を言うのがバカ正直な奴だ。

 黄瀬も激励される事を期待してはいなかったのか、どこか笑みを浮かべて黒子の意見を聞いている。

 

「ふ──―ん……。……雪野さんもそう思うっスか?」

「え……」

 

 何で俺? 

 

 黄瀬の挑発するような言い方がちょっと引っかかったけど、とりあえず答えてやった。

 

「……まあ、黒子君の言う通りじゃない?」

「へえ」

「諦めてるようには見えないよ。黄瀬君も、笠松さん達も」

 

 すると黄瀬が少し笑ったように見えた。

 確かに海常が劣勢な事に間違いないはないが、それでもコートから引き上げる様子に諦めの雰囲気は見えなかった。

 俺達の答えに満足したかどうかは知らないが、黄瀬はクルッと踵を返すと、会場の方へ歩き出した。そろそろ戻らないと短い休息時間も終わる。

 

「…………」

「……黒子っち? なんスか?」

「いえ、てっきり……「絶対勝つっス」とかいうと思ってました」

「なんスかそれ!?」

 

 もうちょっとだけ優しい言い方してやれよ、とも思うが、黒子は平然としたままだ。

 試合前の選手に対してドライにも程があるだろ。それとも同中だから遠慮が無いだけなのか? 

 黄瀬は慣れているのか気にした風もない。

 

「……そりゃもちろんそのつもりなんスけど……正直、自分でも分かんないス。中学の

 時は勝つ試合が当たり前だったけど──―勝てるかどうか分からない今の方が、気持ちイイんス」

 

 前半の試合で散々追い詰められていたとも思えないくらいに、穏やかで綺麗な笑みを浮かべて、黄瀬は言った。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 後半開始のブザーが会場に響き渡る。

 黒子は誠凛の奴等がいる観客席に戻って行ったが、俺は何となく元の席に戻りにくくて、客席の最後尾で突っ立って試合を眺めていた。

 ちなみに白猫はやっぱり俺相手だと大人しくしなかったので、持ってきたショルダーバッグに強引に押し込んでいる。

 

 第3Qが始まり、試合は14点差と12点差を繰り返しながら両チームが綱を引き合う形で進んでいた。

 とはいえ、追われる側が桐皇で追う側が海常っていう図式は変わらない。

 青峰と黄瀬、二人のエースの力関係もだ。

 

 そして第3Q開始から6分強が経過した、その時。

 何度目になるか分からない青峰と黄瀬が対峙した瞬間、均衡は崩れた。

 

「なっ……ついに黄瀬が、エースの青峰を抜いたあっ!!」

 

 客席のどこからか歓声が聞こえる。

 

 黄瀬が1対1で青峰を抜いた。

 しかもあの動き、まるで青峰みたいな──―いや、青峰そのものって言える動き方。

 

 硬直したように見えた青峰が、瞬時に反応して黄瀬を追う。

 次の瞬間にはゴール下で立ち並ぶエースの二人。

 黄瀬は既に跳躍してシュートを決めにかかろうとしていたが、青峰の方が僅かに速い。あのままじゃ、またブロックされて失敗に終わる。

 

 だが、次にコートで放心した顔をさらしたのは、黄瀬じゃなく青峰だった。

 

 コート中に響く審判の笛と警告。

 それが青峰に対するものだと理解された時、会場中が別の興奮に沸いた。

 

「青峰ファウル4つ目──―!?」

「桐皇エースまさかのファウルトラブルだ──!!」

 

 桐皇の控え席では、マネージャーの桃井さんも血相を変えて立ち上がっている。

 ファウルは5つで退場。4つ目は事実上の戦力外扱いも同然だ。

 

 コートの中で、今吉さんと笠松が何か話している。

 ……ただ攻撃するだけの熱血主将じゃないとは思ってたけど、海常が密かに仕組んできた戦略に寒気を感じた。

 

 つまり黄瀬がやった事は、今までみたいに味方や敵の技術の模倣(コピー)じゃなく、青峰のバスケスタイルそのものの模倣(コピー)だ。

 

 確かに小手先の技じゃ青峰には通じない。

 けどだからって、プレイそのものを丸ごと真似るなんて出来るもんなのか。

 俺の目がおかしくなってなけりゃ、さっきの黄瀬のシュートは青峰のそれに似てるなんて次元の話じゃなく、青峰そのものだった。

 しかも黄瀬に模倣させるだけじゃなく、青峰にファウル取らせて戦力削らせるおまけ付きだ。前半に笠松が青峰からファウル取ったのは、この為の布石だったって訳か。いたずらに青峰に黄瀬をぶつけてるだけかと思ったらとんでもない。あの海常の主将、腹黒さじゃ今吉さんといい勝負出来るぞ。

 

 会場の大歓声の中、バスケットカウントで獲得したフリースローを黄瀬が決める。

 これで点差は(海常)51対60(桐皇)。9点差。

 第4Qを残した状況でこの差なら、十分過ぎるくらい逆転可能の範囲だ。

 客席の盛り上がりとは真逆に緊張が張り詰めてるだろうコートの中では、今吉さんがボールを回す。相手は青峰だが──それは取られなかった。

 

「うわああ! 海常カウンター!」

「青峰がファンブルしたぞ!」

 

 ……嘘だろ? 

 思わず、試合の展開が呑み込めなかった。

 

 青峰がファンブルしたボールを黄瀬がさらい、海常がカウンターを仕掛ける。

 前半のキレがまるで失せたみたいに、青峰の動きが鈍い。──まさか4ファウルもらって、いくら天才でも怖気づいたのか? 

 

 逆に黄瀬の動きは、コートにもう一人の青峰が現れたように鋭く速い。

 特攻する黄瀬の目の前に、桐皇の9番が立ち塞がったが、黄瀬は不意に動きを止めたかと思うと次の瞬間には超加速で9番をあっさり抜いていった。

 速さまで青峰と全く同じ────いや、少しだけ違うのか。

 青峰の速さの要は、誠凛戦でも見せた敏捷性(アジリティ)。青峰は加速と減速の緩急の差を自由自在に出来るからこそ、敵をあんなに翻弄している。その速さを模倣するなら──そう、たとえ黄瀬の最高速が青峰より遅くたって、最低速を青峰より下げてしまえば同じ速度差は再現出来る。

 

 そりゃ確かに仕組みとしては出来るが──この短時間で、それを実践出来るもんなのか。

 

 ゴール下で、海常の「キセキの世代」がシュートを決めるべく跳躍する。

 選手と観客からの歓声。声援。

 

 けど予想外の事が起きたのは、更にここからだった。

 

 

 ゴールと黄瀬の狭間にいきなり現れた青峰が、力任せにボールを叩き飛ばしたのだ。

 ほとんど殴られるように投げ飛ばされたボールが、客席にまで飛んでいく。

 

 

 ……あいつ、4ファウルもらってるんだよな? 

 

 ついさっきまでの試合経過を頭の中でなぞってしまった。

 黄瀬ごとボールを殴り飛ばしかねない乱暴な動作に、コート内の選手も熱が引いたように全員固まっていた。

 

 と、コートに膝をついた黄瀬に青峰が何か言っている。

 ここからじゃ何言ってるか分かんねーけど……黄瀬に対して、怒っているように見えた。

 

 勝負は何が起きるか分からない、って黒子は言っていたけど、あの言葉は的中した。

 黄瀬も青峰も、二つのチームはどっちも譲る気なんて無い。

 会場に観客の歓声と熱気が渦巻く中で、第3Q終了のブザーが鳴る。

 駆け引き無しの最後の対決が、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

「────98対110で、桐皇学園高校の勝ち!!」

 

 

 最終Qの濃密な10分間の果てに、遂に決着はついた。

 白と黒、両チームが中央に揃って礼をする。

 

 どっちにも傾きかけた勝利の天秤を、最後にものにしたのは桐皇だった。

 接戦だった事は間違いない。

 コートから引き上げていくチームに対して、客席からは静かに拍手が贈られ始めていた。負けた側の海常に対してのものだろう。

 

 黄瀬は笠松に肩を借りながら、どうにか歩いてコートを後にしていた。試合が終わった瞬間、おかしな転び方をしていたけど足は大丈夫なのか? もしかして青峰の模倣は、黄瀬にとってはオーバーワークの動きだったんじゃないだろうか。

 

 一方、勝者側である筈の桐皇も、盛り上がる事もなく静かな退場をしていった。

 ついさっきまで黄瀬と、文字通りの激闘を繰り広げていた青峰も、試合が終わった途端に突き放したように黄瀬から目を背けてしまっている。

 まあ、元チームメイト同士の話だろうから俺がどうこう言える事じゃないが。

 

 主将の今吉さんを筆頭にして引き上げていく桐皇のチーム。

 俺からすれば、かつての先輩の勝利を喜んでおくべきなんだろうけど、黄瀬のさっきまでの必死な様子を見ていると、手放しに祝福出来ない自分がいて驚いた。

 

 ────とにかく、IHの注目カードはこれで決着した。

 

 あっ、そーいえばいい加減に席に戻らないとやばいな。

 今更ながら、自分が秀徳バスケ部の中から抜けてきた状態だった事を思い出した。

 まずい、これじゃ宮地(兄)の雷が落ちるぞ。もうこうなったら黙ってこっそり戻ればバレねーんじゃないかな……? 

 

 なんて、打算しながら会場外の通路をウロウロしていたら、視界の隅に緑色の影がちらついた。──ちょっと待て見逃さねーぞ、その頭は! 

 

「緑間君ちょっと待ったあっ!!!」

 

 逃がすものかって勢いでそいつを呼び留めたら、思った通り、会場に来た時からいつの間にか姿を消していた後輩だった。

 秀徳の「キセキの世代」は何かうんざりしたような顔で振り返ると、かけていたサングラスを少し上げる。……何でサングラス? 

 

「雪野さん、何の用ですか」

「何の用ですか、じゃないよ。どこに行ってたのさ」

「ですから外の空気を吸いに行ってました」

「ふうん。それで、そのまま帰るように見えるけど見間違いかな?」

「………………」

 

 図星かよ。

 けどまあ丁度いい。こいつも一緒に連れて帰れば宮地の怒りの矛先も分散されるだろうから、俺一人にどうこう言われる事も無いだろう。むしろこいつに押し付けたい。

 

 引き上げる観客と選手達のせいで通路の辺りも大分ざわつき始めてきた。

 桐皇と海常っていう注目試合を目当てにしてた客も多かったんだろう。通り道の中央に突っ立って話している俺と緑間を、通り過ぎていく奴等がたまにチラチラ見ていく。こんな大男が立ち止まってたら通行の邪魔だよな、うん……。

 

「ほら、さっさと戻ろう。早くしないと宮地さんの雷が落ちるよ」

「俺はいいです。今は一人で帰りたいので」

「…………何? またおは朝?」

「いえ、ただの気分です」

 

 気分かよ!! 

 バッグの中で眠っている白猫を押し付けて、このポーカーフェイスを崩してやろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「──もう、あんたは~一体どこ放っつき歩いてたのよ、試合が始まるわよ?」

「ごめんって玲央姉! でもどうせ雑魚ばっかりなんだし、そんな真面目に見る必要あんの?」

「バカね、あんたはそうでも一年にも少しは勉強させとかなきゃダメでしょ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………雪野さん? どうかしたのですか?」

「い、いや…………」

 

 咄嗟に通路の脇道に身を隠した俺に、緑間が思い切り不審そうな視線を向けるのが分かった。つい緑間の腕も引いて一緒に引きずり込んだから、余計に困惑している。

 

 真正面から歩いてきた二人組の話し声と足音が完全に遠ざかった頃を見計らって、俺は恐る恐る通路に出た。恐れていた人影はもう居ない。思わずホッと息を吐いた。

 もう花宮や木吉と鉢合わせた時みたいなパターンを繰り返してたまるものか。

 

「誰か知り合いでも居たのですか?」

「まあ、少しね……」

 

 確か風の噂じゃ、あいつらは京都の高校に行ったとか聞いた。

 それが何でこんな場所に────と思って、「全国」大会なんだからこんな最悪な偶然は有り得る事なんだと思い立った。最悪だ……。

 

「雪野さん?」

「……緑間君はさあ、怖くないの?」

「は?」

「「キセキの世代」って昔、色々あったんでしょ。これから大会で試合する事になったらまたお互い顔は合わせるだろうし、面倒な事になるかもしれないし」

 

 ポツポツ、と半分愚痴めいた事を緑間に投げる。

 

 本音を言えば、緑間の事よりも俺自身の事だ。

 冬の大会が始まれば、試合をやり続ければいつか誤魔化せない場面は必ず来る。その時になって、俺は逃げずにいられるのか。

 要領を得ない俺の言葉に、それでも緑間は何か察してくれたのか、少し黙ってから口を開いた。

 

「勝ち進めば、いずれあいつらとも戦う事は当然です。何も恐れてなどいません」

「あっさりしてるよね……。さっきの試合だって、青峰君も黄瀬君もあんな化物じみてたのに」

「化物ならあなたの目の前にも居ますよ」

 

 と、顔を上げれば、そこにはどこか誇らしげに言い切る後輩がいた。

 いや、何なんだよそのドヤ顔は。

 

「ああ、うん……もういいや。あとそのサングラスいい加減取って、恥ずかしいから」

「なっ!? 恥ずかしいとは何ですか!」

「そのまんまだよ!!」

 

 

 中座していた俺達を探しに来た高尾と宮地(兄)に見つかって、ほとんど引きずられるように連れ戻されるのはこの数分後の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてこの日────IH準々決勝8試合が消化され、桐皇も含めたベスト4が残った。

 

 けど夏の大会で取りこぼされたチームは、ほとんどが冬に標準を定める事になる。

 WC(ウィンターカップ)開幕まで、あと5ヶ月。

 

 次の戦争が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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番外編
30.5.秀徳高校バスケ部


 

 

 

 

 

 俺が二年に進級した春、小生意気な後輩が一人バスケ部に入部してきた。

 

 

「雪野(あきら)です。ポジションは別に……」

 

 

 第一印象は、お前舐めてんのか、だった。

 

 例年通り、わんさかと集まった入部希望者の中でその真っ白な髪は目立っていた。

 周りの一年も不審そうに見ていたけど、髪色なんて染めてようと何だろうとどうでもいい。俺も地毛が薄茶色なのに、中学の時からしょっちゅう教師に注意を受けたから同じような真似はしたくなかった。真正面から見ると、目の色が少し青い。もしかしてハーフとかかもな。

 

 何て事をぼんやり思っていたら、第一声があれだ。

 確かに秀徳バスケ部はそもそも部員の母数が多いし、スタメン争いは厳しい。元の希望通りのポジションにつける方が少ない。けどだからってこの言い方はねーだろうが。やる気あんのか。

 あと全体的に覇気もねえ。

 髪と目の色で目立って見えるけど、周りで緊張しながら整列してる一年と比べたら、何かぼんやりしているし。

 

 とりあえず持ってたクリップボードで反射的に頭を叩いてやったら、驚いた顔をされた。

 何だコラ、舐めた真似する気なら轢くぞ。

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

「っとに、今年の一年はムカつくよなー! なあ、そう思うだろ木村!」

「落ち着けって」

 

 昼休み。

 俺は教室で木村と顔を突き合わせて飯を食っていた。(と言っても購買で買った総菜パンを並べただけの昼飯だが)大坪はレギュラーの緊急ミーティングが入ったとかで席を外している。

 

 そして高校に入ってからの友人兼部活仲間に愚痴をこぼしていたら、木村は強面に似合わずなだめるように声をかけてきた。

 

「ムカつくって、もしかして雪野の事か?」

「そうだよ。他に誰が居んだ」

「いや、けどあいつって何かやったか? 一年の中じゃ大人しい方だし、室田とかの方が結構他の奴等に噛みついてる感じだろ」

「ああ、室田な……けど俺が気に入らねーのは雪野の方だよ。あいつは何もしてねえ、むしろ何もしようとしてねー所がムカつく」

 

 我ながらまとまりの無い言い方だったけど、他に言い様も無かった。

 新たに一年部員が入部してきて一ヶ月強、毎日の練習に追われながら、俺はあの白い髪の後輩が悪い意味で気になっていた。

 

 結論から言えば、雪野瑛は入部した一年勢の中では一番バスケが上手い奴だった。

 都内中のバスケ部でも一、二を争うレベルできつい練習量だと自負しているのに、大して疲れた様子も見せないし、外周の時は必ず先頭近くを維持している。何よりミニゲームの一環で二年との混合試合をやった時にも、自分でゴールこそ決めなかったが、俺達二年に引けを取らない動きで試合を回していたのは驚かされた。

 いや、引けを取らないなんてのは嘘だ。

 俺だって伊達にずっとバスケをやってきた訳じゃない。あいつは俺達二年より……もしかしたら三年より上手い。直感でそう感じた。

 

「何もしようとしてない?」

「ほら、この前ミニゲームやっただろ。あれの前半が終わる時に雪野がボール持っていい位置にいやがったのに、あいつわざわざ金城に回しただろ」

「あー、あったな。でも確かその時ってお前が雪野の事マークしてたろ? 抜けないと思ったから味方にパスしたんじゃないのか?」

「いーや、あれは自分でも抜けられた癖にさっさと諦めたやがったんだよ」

 

 直接コートの中で対戦していると、相手が持っている気迫だの殺気だのそういうのを感じるっていうが、そりゃ当たっていると思う。

 公式戦どころか、やっとベンチ入りさせてもらった俺には、まだそこまで殺伐とした試合は経験した事が無い。でも向かい合ってる相手がやる気あんのか無いのかくらい察せない程バカじゃねえ。

 

 チームワークっていや聞こえはいいが、あいつがやってる事はただ味方に任せきりにしているようにしか見えなかった。

 

 俺の苛立ちにはすっかり慣れているのか、木村は苦笑しながら話題を変えた。

 

「そういや大坪から聞いたんだけどな、何でも元々雪野は監督がスカウトして来たらしいぜ」

「は? あいつ推薦で入ってたのかよ」

「いや、普通に一般で入学してるらしい。けど監督が誘ったから秀徳に入ったとかいう噂を聞いた」

「…………」

 

 俺は少し自分の記憶を掘り起こしていた。

 俺達の下の代で「キセキの世代」だの「無冠の五将」だのいう才能溢れる奴等が出揃っている事は高校に入ってから月バスや試合で散々知っていた。

 けどその中に、雪野なんて名前見た事あったか? 

 監督がスカウトしてたくらいの奴なら、中学で有名でもおかしくねーだろうに。

 

 ますます分かんねー奴だと、その時はそう思っていた。

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 練習に試合にと追われてると時が経つのが目まぐるしい。

 今年のIH(インターハイ)に向けて秀徳バスケ部は順調に予選を勝ち進み、決勝リーグに駒を進めた。

 

 決勝リーグ参加の4校は、東京三大王者と評されている秀徳・正邦・泉真館の3校。そして4校目が誠凛。

 王者の3校が決勝リーグを独占しているのは例年通りの内容だったが、誠凛なんていう聞いた事がない高校が加わったから俺達は少しだけ騒いだ。けど調べてみれば今年出来たばかりの新設校、しかもバスケ部まで創部一年目って話だから二重の驚きだ。

 そんなに弱小規模でいきなり決勝リーグまで進んでるからには、とんでもなく凄腕の選手でも入ってんのか? 

 

 謎が多いままで決勝リーグの試合は進み、うちはというと、第一試合目からいきなりその誠凛とぶち当たった。

 

 俺はまだ控え選手でしかなかったから、この時もベンチで応援に徹していた。

 うちのスタメンには富田主将(キャプテン)を始めとして三年の先輩が四人、唯一の二年として大坪がC(センター)に抜擢されて試合に臨んだ。大坪は三年を含めたバスケ部員の中じゃ一番体格が良くて力がある。ゴール下に置けばあいつ以上に頼りになる奴はいない。俺もその事はよく分かっていたが、正直羨ましくもあった。

 俺も昔から身長は平均以上にあるが、長身ぞろいのバスケ部の中じゃそれも埋もれてしまう程度のものだし、俺には自分だけの武器が無かった。だからどれだけ自主練習を早朝と放課後に積み重ねてもスタメンの座は遠いままだった。

 

 そして誠凛との試合だが、予想したような苦戦はなかった。

 むしろ秀徳の方がリードして突き放し、前半だけでもう20点差をつけている。どんなチームなのかって気を揉んじゃいたけど、考え過ぎだったのか? 

 コートに立っているスタメンには知っているような有名選手の顔はなかったし、何より贔屓目無しにうちのスタメンの方が地力で圧倒している。勝ち上がったのもただのマグレだったって事か。

 

 そう思い始めた矢先に、トラブルは起きた。

 

「っおい!? 大丈夫か!!」

「担架持ってこい! 医務室だ!」

 

 コートの中から主将が叫ぶ。その足元にはうずくまっている牧村先輩の姿。

 ジャンプから着地した時、汗で滑ったのか足首を思い切りひねる形で傷めてしまったのだ。

 試合は一時中断され、すぐにやってきた担架で先輩は医務室に運ばれていく。

 

 レギュラーと控え選手、監督を交えて緊急会議が始まった。

 幸い、うちは大所帯なだけあって控え選手の層も厚い。牧村先輩のポジションはPF(パワーフォワード)だが、代わりになる人間は十分揃っている。監督は顎に手を当てて何か思案しているように見えた。

 

「監督どうします? 牧村の代わりとなると太田を入れますか」

「いや……雪野、いけるか?」

 

 監督の指名に、驚いたのは本人よりも周りにいた俺達や三年の先輩達の方だ。

 

 てっきり、三年でPF控えの太田先輩か、もしくは足が一番早い青島先輩あたりが抜擢されるんだろうと予想していた。

 いくら何でも一年に代わりをやらせるなんて本気かよ。

 この監督は良くも悪くも感情的にならない人だが、今日ばっかりは何を考えてるのか本当に分からなくなった。

 

 俺達の反応を流石に気遣ってんのか、雪野も二つ返事で引き受けはしなかった。

 でも監督が半ば強引に決めてしまって、しぶしぶといった感じでコートに出て行く白い髪の姿。

 

 本当に大丈夫かよ、あいつは。

 普段の練習での調子を思い出しながら、俺はどうにも安心しきれない気持ちで試合を眺める事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 対誠凛戦ではその後、161対45っつーえげつないスコアを叩き出して初戦から華々しい勝利を飾った。

 この点数に一番貢献したのが、途中から交代した一年部員だってんだから、もう驚くしかねえ。雪野は自分からシュートする回数こそ少なかったが、誠凛のシューターを的確にDF(ディフェンス)して3Pを防いだり、パスコースを読み切ってボールを奪い取ったりと、文句のつけようがないアシスト振りを披露してくれた。

 何より、ベンチで見ていた俺等も度肝を抜かれたのが、あいつの異常な跳躍(ジャンプ)力だ。

 ワイヤーで吊ってんのかってくらいの高さまで跳び上がって、どんなボールも軽々止めちまう。

 それに大坪のパワー重視の鉄壁みたいなDFも加わって、インサイドは文字通りに無双状態だった。

 

 そしてあの試合がきっかけになって、雪野は控えから本格的にレギュラー入りする事になった。

 

 牧村先輩の足の怪我が思ったより重傷だった事も重なったが、この秀徳バスケ部で一年からいきなりスタメン入りなんてあり得ない事だ。

 

「なー裕也、お前って確か雪野と同じクラスだったよな?」

「あ? ああ、そうだけど」

「あいつって普段どんな感じなんだよ」

 

 風呂上りでソファにだらっと寝そべりながら一日の疲れを感じていると、キッチンの方に裕也がうろついているのが見えたので何となく聞いてみた。

 冷蔵庫から牛乳を出して飲んでいたらしい。俺もこいつも十分長身に入る部類なんだが、まだ背伸ばし足りないのか。

 

「どうって言われてもなー……。クラスじゃほとんど喋らねーし、あいつも何か近寄りがたい所あるし」

「ふうん」

「何か気になる事とかあんの?」

「いや別に。まっ、どうせそんな事だろうと思ったぜ。あいつ、愛想無ぇーからな」

「まあ……人見知りとかじゃねえ?」

 

 この弟は意外にも、雪野に対してそんなに悪印象は無いらしい。印象が悪くなるほどあいつが他の一年と絡んでないせいもあるんだろうが。

 一年でいきなりスタメン抜擢なんて、周りからやっかまれるいい標的だ。

 俺も納得しきれなかったが、あいつが実力あるのは間違いねーし、主将や先輩の指示にも比較的従うなら改めて注意する点がねえ。

 

 ただ、それからも雪野が妙に一歩引いた態度で試合に臨む事は変わらなかった。

 そこだけは未だにムカついてしょうがない。(だから何かときっかけを見つけては怒鳴ったり叩いて喝を入れてやった)

 折角俺達や三年の先輩まですっ飛ばしてスタメンの座をもらったってのに、何でいつも暗い顔してんだ、あいつは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………

 ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 更に一年後。

 俺は雪野に対して抱いていた不満がどれだけ甘いものだったかを思い知る事になった。

 

 バスケ部に、更なる問題児が入部してきたからだ。

 

 名前は緑間真太郎。

 十年に一人の天才と言われる「キセキの世代」の一人。

 やはり監督が直々にスカウトしてきた逸材らしく、こいつの入部前にはレギュラーと上級生全員が集められて今後のチームの方針を伝えられた。

 

 緑間は自分の才能を披露する事に、一欠けらの迷いも躊躇いも無い奴だった。

 同じ天才でも雪野とは性質が真逆だ。

 シュート練習をしたいからゴールを一人だけ独占する。監督にワガママ三回なんてふざけたルールを適用させてもらって無理を通す。先輩の言う事なんて聞きやしねえ。

 こだわりの一つか何か知らねーが、毎回練習に変なものを持ち込んできた時は、最初はあの眼鏡を叩き壊してやろうかと思った。皆が皆、必死に血反吐はいて練習している中で、遊び半分で参加されてるように感じた。オーブントースターとか持ち込んできた時は勿論怒鳴りつけたが、本人は謝るどころか涼しい顔して聞き流してるのが余計に腹立つ。

 

 そして緑間は当たり前のようにスタメンの一つを獲得し、試合に出る権利を得た。

 

 緑間の入部が決まってから、毎年大量に出ていた退部者の数が激増した。

 特にSG(シューティングガード)を希望していた三年・二年の部員は根こそぎ消えた。あいつがいる以上、公式で使われる機会はほぼ無くなるからだ。

 只でさえ雪野がスタメン入りして自信を失くしかけてた奴らが、緑間の登場で完全にトドメを刺されたと思った。

 

 ちなみに、緑間と一緒にスタメン入りした一年は他にもいた。

 高尾和成。体格はバスケ部の中じゃ小柄だけど、視力と空間認識の能力がズバ抜けている奴だ。何でもちょっと人より良い「目」を持ってるとか聞いた。

 とにかくやかましい奴で、緑間が喋らねーのを補うみてーに喋る喋る。緑間に比べりゃ百倍は扱いやすい奴だったが、それでも一年がいきなり二人もスタメン入り。有り得ないも極まりだ。

 

 その時は三年の中で、まともに会話が弾んだような記憶が無え。

 皆が皆、言葉に出す事を怖がっていた。

 自分達の今までの努力が分かりやすく否定された事を、誰も認めたく無かった。

 

 同じ年、主将に就任した大坪とこんな話をした事がある。

 

「なー大坪」

「何だ」

「今年は何人残るんだろうな」

「さあな。元々うちの練習は厳しい事で有名だからな」

「下村達は辞めるんだってな」

「…………「もうこれ以上がんばれない」って、確かそう言ってたな」

「………………」

「宮地、お前は」

「は?」

「いや……何でも無い。気にしないでくれ」

「辞めねーよ。絶対に」

 

 一年の時に入部して、今までずっと一緒に進んできたと思っていた同期の奴等が、次から次へと才能っていう現実に絶望して去っていく。

 木村だって最初はPFとしてスタメン入りが有望視されていたのに、雪野にその立場を取られてからは控えに徹する事になった。

 

 だから尚更、辞めてたまるかって思った。

 後輩から逃げるみてーにして辞めるなんて冗談じゃねえ。それがムカつく後輩なら余計にだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう思いながらしがみ付いて、何とか三年の夏にスタメン入りを果たした。

 入部してからやっと、自分の努力が望む形で報われたと思った。

 

 けど本格的な試合を経験する前に、俺にとって最後のIHは呆気ない幕切れを迎えた。

 

 予選の最終試合であたった対戦校は、何の縁なのか誠凛だった。

 去年の事を考えると、向こうにとったら因縁めいてるんだろうが、俺達にしてみればトリプルスコアで下した弱小校でしかない。最初から眼中にはなかった。

 

 それなのに、今度は俺達が、その弱小校に叩き潰される事になった。

 

 誠凛には緑間と同中の知り合いが入っていて、他にも手強い一年が加わっていた。

 雪野以外にも、あんな超人じみたジャンプが出来る奴がいるなんて思ってもいなかった。

 俺達は必死で戦った。雪野も緑間も高尾も、後輩共も揃って最善を尽くしていた。

 

 でも負けた。

 一点差だろうが二点差だろうが負けは負け。

 俺達三年の夏は、そこで終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩、お願いがあります。俺に緑間と試合させてください。スタメンの座を賭けて」

「室田君!?」

 

 IH予選で敗北した後、更に俺の頭を痛くするような事を二年の後輩が言ってきた。

 

 室田は二軍の中じゃ、それなりに実力がある奴だが、その代わり何でもはっきり言いやがる。

 別に悪い事だとは思ってねえ。俺だって口も手も出る男とかしょっちゅう言われる。

 けどまさか部員のほとんどが遠巻きにしてる緑間相手に、こんな話持ちかけるなんて思わねえだろ。

 

 大坪と監督に事情を話して、一年と二年で変則のチーム戦をやらせる事にした。

 俺としては、退部するより真正面から緑間に挑もうとしてる室田にちょっと共感する思いがあったからだ。雪野は二年生が揉め事起こすのを嫌がっているのか、ずっと慌てていたけど。

 

 そして結果は言うまでもまく、緑間率いる一年チームの勝利。

 室田は何も言わず、黙って部を去った。

 今まで辞めていった奴等もあれくらい自分の気持ちを言えていたら何か変わったんだろうか、漠然と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部の空気が最悪のままで、時間は流れた。

 

 三年の退部者は更に出るわ、試合に出てない控えからの不平不満がボロボロ出るわ。

 あれだけ優遇して「キセキの世代」を試合に出しておいて、結果が出なかったんだからどうにもならない気持ちが溜まっているのが分かる。

 

 俺だって同じだ。

 最後、これが最後の夏の大会だったんだ。

 今までの努力が線と線をつなげるようにやっと実を結んで、ユニフォームをもらって、公式戦で堂々とプレイ出来る直前だったってのに。

 

 負けた後でも全く様子が変わらない緑間にも、相変わらずやる気が無い雪野にも、イライラしていた。

 

 朝の練習で、あいつらと鉢合わせるまでは。

 

「…………宮地さん」

「……お前、いつから来てたんだよ」

「いや、ちょっと前からですけど……」

 

 嘘吐け、明らかにずっと前から居ただろ。あちこちにボールが転がってんぞ。

 日課の早朝練習で、白い髪の後輩と出くわしたのはある日の事だった。

 

 正直驚いた。雪野は確かに普段の練習こそ真面目にやってたが、それも何つーかマニュアル通りにこなしてるだけで本気で身を入れているようには見えねーし、まして自主的に練習してる所なんて一度だって見た事がなかった。

 

 その雪野が、あの予選の後からほんの少しだけ、変わってきているように見えた。

 

 こいつは緑間に負けず劣らずで愛想が足りねーし、ほんの小さな事かもしれねーけど。

 それでもボールを持つ目線に、今までとは違う何かを感じた。

 

「……おい、何逃げようとしてんだ。自主練してたんなら最後までやってけ。轢くぞ」

「朝っぱらから轢くのは勘弁してください……」

 

 俺が来てやりにくいとでも思ったのか、さりげなく体育館から去ろうとしてる雪野を呼び止める。こういう変な所で遠慮する所は変わらねーのな。

 

 その後に緑間や高尾も練習に来て、朝っぱらから騒々しい練習になった。

 ……どんなにムカついても、緑間に対して見限る気になれないのは、このせいだ。

 入部した時から誰よりも早く来て練習を始めてる所なんてみたら、日頃のワガママに何も言えなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、いきなり組み込まれた海常高校との練習試合で、俺達は勝った。

 非公式の試合だ。いくら圧勝しようと、この勝利のおかげで全国大会に行ける事なんてないし、俺達が誠凛に負けた事実も変わらない。

 けれどこのメンバーでやってきた試合で、始めて一番勝利の実感を得られた試合になった。

 

 あのいつも消極的なプレイばっかしてた雪野が、レーンアップなんて大技でゴールを決めた。

 あの我が強くて、自分の事しか考えてねー緑間が、最後の瞬間にパスなんて出した。

 

 あっちこっち好き勝手な方向に動き続けてた後輩共と、やっと同じ方向を向いてバスケをやれたような気がした。

 

 帰り道、いつもより浮足立った気分で歩きながら、隣にいる友人に話しかけた。

 

「なあ、木村」

「ん?」

「冬、勝とうな」

「どうしたんだよ、いきなり」

「うるせー! 何か言いたくなったんだよ」

 

 指摘されると急に恥ずかしくなってきて、木村の背中を叩いた。

 背は俺より低くても体格はごつい。スタメンになれなくても、ずっとこいつが筋トレと体力作りを欠かしてなかったのは知っている。

 

「そうだな、勝とうぜ。俺も三年になったのに全国見れないまま卒業したくねーよ」

「同感だな。このままじゃ終われねーよ」

 

 そうだ、終われない。

 下村も八木も徳田も、一緒に切磋琢磨してたはずの奴等が皆消えていって、それで俺達まで諦めたら、一体この三年は何だったんだ。

 俺達の積み重ねた努力が、歳月が、全部が無駄なんて事あってたまるか。

 

 他校にも「キセキの世代」とかいうクソ生意気な一年が散らばってるけど、生意気な後輩の相手なんてもうこっちは飽きるほど経験済なんだよ。

 

 

 キセキだろうが何だろうが、次は勝つ。

 勝って勝ち抜いて、こいつらと頂点に立ってやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第2章 激突
31.アメリカから来た男


 

 

 

 

 

 

 道を歩いていれば蝉の声の大合唱が毎日聞こえるような季節になった。

 今年の夏も例に漏れず暑苦しくなりそうだ。

 

 ――――IH(インターハイ)の準々決勝を観戦してから、俺はといえばいつも通りの日々を送っていた。

 

 来る日も来る日も家と(つっても、下宿している火神の家だけど)学校の往復。夏休みだから日常はほぼ部活一色になって、毎日飽きもせず練習にどっぷり浸かっている。

 それが今更不満な訳じゃねーけど、もっとこう……海とか花火とか、青春っぽい何かはねーのかよと思わなくも無い。たまーに道で同い年っぽいカップルを見かけてしまうと、何で俺はこうも汗とむさ苦しさにまみれた生活をしてんだと思う……。

 

 冬の予選に向けて監督も大坪主将も怖いくらい気合が入っている。

 そのせいでちょっとでも気を緩めると宮地(兄)から鉄拳が飛んでくるから、ぼんやり出来ねえ。

 

 WC(ウィンターカップ)。二度目の全国大会。

 その舞台を思い描きながら、俺は見慣れた通り道を一人で歩いていた。

 ちなみに今日は非常に珍しく部活も休息日である。よっしゃ休める! と思ったのはよかったが、部活以外だと大してやる事がねーから結局暇をつぶすのに苦労する事になった。

(高尾から、何か緑間のラッキーアイテム探しに付き合ってくれみたいなメールが来ていたけど、丁重に断りを入れておいた。つーか、ラッキーアイテムが「笹」って何だよ。「笹」って)

 

 とりあえず、自宅に置きっぱなしだった着替えでも取ってこようかと思って、長らく留守にしていた我が家に向かっている。

 あの爺の突然の思い付きで始まった事だったけど、火神と一緒の生活にすっかり慣れていた。まあ、あいつ料理は何故か上手いし、胃袋掴まれたっていうのか? こういうのは。今日は火神の所もオフらしいけど、集まりがあるとかで朝から出かけていた。

 

 

「……ん?」

 

 

 やっと本来の俺の住まいが視界に見えてきた。

 二、三か月空けてただけなのに、何かすげー懐かしく感じる。

 

 ただ異変を感じたのは、誰も居ないはずのその玄関の前に、人影を発見したからだ。

 

「………………あの? うちに何か用が?」

「ん? あっ、すいません。雪野大輔さんのご自宅はこちらですか?」

 

 振り返って訊ねてきたその姿に、一瞬言葉に詰まった。

 

 玄関前に、モデルもかくやっていうくらいの美形が突っ立っていた。

 前髪を左側だけ目を隠すように伸ばしてる変な髪形だったけど、そんな事問題にもならねーくらいに顔立ちが整っている。俺と同い年くらいに思えるけど、右目の下にある泣きぼくろの効果なのか、こいつ自身の雰囲気のせいなのか、妙な色気をまとってさえ見えた。

 え、まさか本当にモデルか芸能方面の爺ちゃんの知り合いか? 

 黄瀬の例もあるし、そんな連想が働いてしまう。

 

「爺ちゃ……祖父なら留守ですけど」

「祖父……ああ、もしかして! 君がアキラ君かい?」

「は?」

 

 すると謎の客人は、いきなり納得したように明るい声を出した。

 え? 何? 俺の事知ってるみたいだけど、全然覚えが無い。

 

「俺は氷室辰也。ダイスケさんから色々聞いていたんだ、会えて嬉しいよ」

「氷室…さん?」

「タメ口でいいよ。俺も高二だから」

 

 高二!?嘘だろ!?

 あんまり落ち着いた話し方をしてるから、もうちょっと年上かと思った。

 

 氷室は俺の様子がおかしかったのか微笑すると、玄関から離れてこっちに歩み寄って来た。

 

「もう10年くらい前の事になるかな。俺は子供の時にアメリカに住んでいたんだけど、トレーナーとして活動していたダイスケさんには色々教えてもらって、お世話になったんだ。体を傷めないようにする試合での動き方とかね」

 

 そして戸惑う俺をなだめるように、柔らかく説明し始める。

 

 爺ちゃんがガールフレンドとか言って女を連れ込んでくるのはしょっちゅうある事だけど、男の客なんて珍しい。

 まあ火神とも知り合いなくらいだし、あの爺さんの交友関係の広さなんて今更か。

 

「折角また話したいと思っていたのに残念だな。またどこかに出張されてるのかい?」

「あー……うん。確かスイスとか言ってたけど」

「相変わらず忙しい人なんだね」

 

 うんうん、と頷く氷室。

 言っとくけど、あの爺さんは只の遊び人なだけでそんな大した人じゃねーぞ。

 言葉の端々に爺ちゃんへの敬意を滲ませているので、思わずツッコミたくなった。

 

「俺と同い年くらいの孫がいるってよく聞かされてたから、すぐに分かったよ。ダイスケさんにそっくりだしね」

「いや似てないから……」

 

 一体あちこちで何を話してんだ、あのクソ爺。

 あと絶対俺はあんな自己中爺さんに似てない。

 

 肝心の爺ちゃんが留守って事で、この客人はあっさり帰るかと思いきや、「良かったらちょっと話さないかい?」なんて言い出してきた。……家にちょっと立ち寄ってすぐ戻るはずだったのに、何故か初対面の野郎と肩を並べて仲良く大通りを歩く派目になっている。どうしてこうなった。

 あんまりにもスムーズに誘ってきたから、つい言われるがままになってしまった。手慣れてんのか、おい。これだからイケメンは。

 

「ダイスケさんにはまた俺の試合を見てほしかったんだけど、ちょっと難しいかな」

「試合?」

「バスケの試合だよ。俺は今年編入した関係でIHには出られなかったからね、WCが今から楽しみだよ」

「え、バスケ!?」

 

 サラッと言われた事実に、思考が一瞬固まる。

 俺が動揺したのがおかしいのか、氷室は美しく微笑した。

 

「そんなに驚かれるとは思わなかったな。確かアキラは秀徳だろう? お互い、大会ではベストを尽くそう」

「いや、いやいやちょっと待って。爺ちゃんが君に教えてた事ってバスケなの!?」

「うーん、まあ正確には俺のバスケの師匠は別にいるんだけど、ダイスケさんには体の上手な使い方とか効果が上がるストレッチとか、その方面をね」

 

 よく観察すれば、こいつが肩にかけているエナメルバッグには校章と「陽泉」という学校名がプリントされていた。

 シャツにジーンズっていうラフな格好ではあるけど、部活帰りの学生って言えばそう見える。

 

「「ようせん」高校、って所なの?」

「あれ、結構知られてる学校だと思ってたんだけどな」

「あーごめん、他所の学校の事とかあんま覚えられなくて……都内? それとも神奈川とか?」

「いや、秋田だよ」

「秋田!?」

 

 また予想外に遠い場所が出てきてびっくりした。

 そんな所からわざわざ東京にまで来たのかよ。

 

「ダイスケさんに会いたかった事もあるけど、久しぶりの日本だから色々見物したくてね。そうだ、アキラはこの後時間あるかい?」

「え? いや……まあ……」

「じゃあちょっと付き合ってくれないか? 行きたい場所があるんだ」

 

 何だか今日一日がオフじゃなくなりそうな予感がする。

 隣のイケメン帰国子女を見ながら、俺は自分の巡り合わせの悪さを呪った。

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 電車を乗り継いで40分くらい時間をかけながら、氷室に連れられて着いた先は大勢の人がごった返して祭りでもやってんのかってくらい騒がしい所だった。

 しかも夏休み中だってのに、たむろしている奴等がほとんど俺達と同年代に見える。何だ何だ、何が起ころうとしてんだよ。

 

「……ストバスの大会?」

「そう。バスケ部の仲間と一緒に東京に来てたんだけど、ここを待ち合わせ場所にしていてね。面白そうだから見ておきたくて」

 

 近くにはスポーツセンターらしい建物がある。この広場は元々イベント用に開放されている敷地みたいだけど、入り口の所には「ストリートバスケットボール大会」って看板があった。バスケットゴールまでちゃんと整備されてるし、結構規模のでかい大会らしい。

 

 つーかこいつ、休日までバスケする気なのかよ。

 何だか火神を思い出した。あいつも誠凛の練習がオフの日なのに、暇さえあれば俺を誘ってバスケしようとしてくるバスケ馬鹿だ。オフの意味が分かってんのかと思う。

 

 あちこちでバスケ部らしい集団や、社会人チームっぽい集団がボールを持って賑やかにしている光景を眺めて、氷室は呟いた。

 

「こういう所はアメリカと変わらないな。アキラ、俺達も参加してみないか?」

「いや無理だろ、いきなり。人数も足りないし」

「そっか、残念だな……」

 

 意外にもあっさり引き下がる氷室。

 そりゃ確かに今日は予定もないけど、わざわざバスケする気分じゃねーよ。

 

 すると氷室は少し考えるような素振りを見せた後で、近くに大会参加者らしい集団を見つけると突然歩いて行ってしまった。え、知り合い? 何を話してんのか知らねーけど、置いてけぼりにされた俺はぼんやりとその光景を見つめる。

 しばらくして、氷室は何か楽し気な顔をして戻って来た。

 

「アキラ! あそこのチームが丁度二人欠員が出て困ってるらしいんだ。事情を話したら俺達が助っ人になる事を快くOKしてくれたよ。さあ、行こう!」

「はい!?」

 

 待て待て待て。

 いきなり話が三段くらい飛んでてついていけない。

 

「あの、僕一言も参加するなんて言ってないけど?」

「でもアキラは秀徳じゃレギュラーなんだろう? 一度君のプレイを見てみたいな。いいじゃないか、こういう大会も新鮮で面白いよ」

「…………ていうか、誰かと待ち合わせてるとか言ってなかった? 大会なんか出ていいの?」

「まあ、アツシなら大丈夫さ。ちょっとくらい許してくれるだろ」

 

 そのアツシとかいう奴に少し同情した。

 こいつもこいつで、最初から俺に拒否権求めてないだろ! 何か聞き方に見えない圧力を感じるんだよ! 

 

 氷室が、花が咲くような、っていう表現が似合いそうな微笑みを向けて数秒が経過する。その笑顔に、俺は白旗を上げた。

 

「分かったよ。出れば文句無いんだね?」

「決まりだ! じゃあ早速作戦を立てよう、もう試合はすぐらしいよ」

 

 こいつ、ちょっと苦手かもしれない。

 待ちきれない様子で俺の腕を引っ張っていく氷室を見て、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺達が急遽助っ人として加わったチームは、同じ高校生の集団だった。試合前に軽く聞いてみたら、メンバーは全員バスケ部で、しかも三年らしい。

 受験の合間の息抜きで参加しようとしたら、メンバーの内、一人が急用、一人が体調不良で来られなくなり、困っていた所に氷室が声をかけたんだそうだ。

 

「いや~助っ人してくれるなんて助かるよ。このまま棄権しようかって話してたからな」

「君達、バスケは経験有りかな?」

「俺も彼も、バスケ部員ですよ。自信はありますから、頼ってくれて構いません」

 

 おい、勝手にハードル上げんな! 

 自信満々に言い切っている氷室に対して、心の中でツッコむ。

 

 非公式のストバス大会って割には、バスケコートは思ったより広く、ちゃんとしている場所だった。

 やっぱりそこそこ大きい大会なのか、コートの周りを囲むようにして観客が群がっている。

 即席チームである俺達は、コートの中央で軽い自己紹介をしながら、対戦相手の登場を待っていた。

 

 ふと気になる事を思いついて、隣の氷室に小声で話しかける。

 

「……そういえば氷室君ってポジションはどこ?」

「俺かい? SG(シューティングガード)だよ」

「へー」

 

 秀徳(うち)の変人SGが頭に浮かんできた。

 こいつも百発百中の3Pとか打ってきたら笑えるな。有り得ないけど。

 

 丁度その時相手チームもぞろぞろとコートに現れ始めて、同時に広場にアナウンスが流れた。

 

『さあ始まりましたストリートバスケットボール大会! 初戦は何と両チームとも高校生! 「チームいずみたに」対「チームせいほう」! 勝利を手にするのはどちらかな!!』

 

 んん? 

 ノリノリで盛り上げ始める実況の中に、何だか聞き覚えのある単語が混じったような。

 バカでかい声が耳を貫いてきたのは、その時だ。

 

「あっ……あ────!!! あんた、秀徳のレギュラーじゃん!! 何でいんの!?」

「は?」

 

 大声の方向に顔を向けたら、対戦チームの中で坊主頭の選手が口をあんぐり開けて俺達を指差していた。隣に立っていた大柄な選手が、坊主頭を思い切り叩いている。

 そのやり取りに、俺の中の記憶がやっと繋がった。

 

「……もしかして、正邦の?」

「お前、秀徳の雪野だろう。予選以来か、まさか参加しているなんて思わなかったぞ」

 

 大柄な選手は、坊主頭の襟首を掴んで猫みたいにぶら下げながら話してきた。

 思い出した、確かこいつ主将だった奴だ。顎ヒゲのせいか背丈のせいか、高校生には見えないくらい貫禄がある。

 

 対戦相手として登場したのは、東京三大王者の一つ、正邦高校のバスケ部の面子だった。

 IH予選じゃ直接対戦しなかったから俺もぼんやりとしか覚えてねーけど、あの坊主頭にはムカつく事を言われたから印象深い。

 

「はあ、まあ色々成り行きで……」

「秀徳とは対戦が叶わなかったからな。有難い機会だ、手加減はしないぞ」

「お手柔らかにお願いします……」

 

 主将って生き物は何で誰も彼も、こんな無駄に迫力あんだろうな。変に緊張するから1対1であんまり話したくない。

 ……まあ、今吉さんみたいな例外のタイプもいるけど。

 

「お前バスケ部って秀徳だったのか!? 超強豪じゃん! すげー!」

「なあ、しかもレギュラーって聞こえたけどマジかよ!」

 

 と、俺達の会話が聞こえたのか、盛り上がり始めるチームの面子に上手く返せず、とりあえず苦笑いする。「もう優勝はいただきだな!」なんて言い始めてるし。おい待て、だからハードルを上げるなっての。

 

「どうしたんだい、困った顔をして」

「そりゃ困るよ……。勝手に期待されたってさ」

 

 それに公式戦ならまだしも、こんな草試合で目立って注目されたくない。

 でも正邦相手なら手抜きは出来ないだろうし、どうしたもんか。

 

「ははっ、それなら俺が点を取るから安心しなよ。アキラはサポートに回ってくれ」

 

 と、ボールを両手でクルクル器用に回しながら、氷室が爽やかに言った。

 

「え……。……あの対戦チーム、強いよ?」

「うん、分かるよ。でも大丈夫、俺も強いからね」

 

 虫も殺さねーみたいな綺麗な笑顔で言い切る氷室。

 それと同時に、試合開始の笛が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺のマークには正邦の坊主頭(津川とか呼ばれていた)がついている。

 火神が苦戦してた覚えがあるけど、確かにやりにくい。抜こうとしてもべったり貼りついているみたいにDF(ディフェンス)が崩れない。

 

 ──けど、いくら古武術って言っても全く読めない動きをする訳じゃない。

 津川がDFしようとしてくるタイミングを見計らってフェイントをかけて、マークを抜いた。慌てて津川が追いすがってくるけど、正直こいつの相手はもう面倒だ。

 

 後は別の奴に決めてもらおう、そういう思いで斜め前方にいた氷室にパスを出す。

 

 氷室は難なくパスを受け止めると、そのまま流れるような動作でジャンプシュートを放った。正邦のマークをあっさり抜けて、そのシュートがゴールをくぐる。

 

「ナイスパス、アキラ!」

「あ、ああ」

 

 キラキラした笑顔を送ってくる氷室に、一瞬遅れて反応する。

 

 強い、っていう言葉はハッタリじゃなかった。

 即席もいいとこのチームだからどうなるかと思ったけど、始まって5分も経たない間に氷室が文字通り活躍をみせてくれた。

 俺はマークに津川がついた事もあって完全にサポートに回っていたけど、氷室一人でほとんどOF(オフェンス)をこなせてしまっている。流れるような動きでDFをかいくぐり、パスを出せば、これまた絵になるような美しいシュートで点を取ってしまう。

 

 SGはどいつもこいつも綺麗なシュートを打つ取り決めでもあんのか? 

 緑間の1mmの誤差も許さない精密シュートとはまた毛色の違う打ち方だった。イケメンが打つとシュートまで綺麗に見えるもんなのかよ。

 

「くっそ! もうぜってー抜かせねえ!!」

 

 と、津川が分かりやすく怒りながらDFを仕掛けてきた。

 そんな頭に血上らせてたら、動きがバレバレになるぞ。

 

 俺は津川からやや距離を取りながら様子を伺った。

 その時、味方の一人が正邦のDFを抜けなかったのか、カットされる直前で何とか俺にパスを出した。ボールを受け取って、一瞬考えを巡らす。

 ──このまま強引に突っ切るより、ここはあいつに任せよう。

 

 津川のしつこい妨害を躱して、後方から駆けてきた氷室にバックパスを出す。

 氷室の動きに迷いは無い。

 そのまま正邦のDFを一人避け、二人避け、見惚れるくらいの滑らかな動きでレイアップを決めた。同時に目の前にいた津川が、両膝を地面につく。

 

『これは凄い凄い!! あまりの優雅なシュートに思わず実況も沈黙! チームいずみたにの圧勝だ──!!』

 

 今まで黙り込んでいた実況が興奮してまくしたてていた。

 固まっていた空気が弾けたみたいに、周囲で眺めていた観客からも歓声が上がった。というより、ほとんど氷室のプレイに対する黄色い声援だけど。

 

 試合終了のブザーが響く。非公式の大会って事で試合時間も通常の半分と短い。前後半でそれぞれ10分間だけの勝負は目まぐるしい速さで終わった。

 

 点差は(正邦)32対65(泉谷)。

 即席チームである俺達が圧勝。味方の一人が興奮を隠せない様子で俺の肩を叩いた。

 

「やったな! お前らマジですげー強いんだな! 助っ人頼んで良かったぜ!」

「ああ~……凄いのは氷室君だよ」

 

 実際、後半からは勢いがついた氷室がほとんど一人で点を取ってるようなもんだった。

 苦笑する俺に、隣からまた爽やかな声がかかる。

 

「何言ってるんだ、アキラ。君がDFを引き付けてくれていたおかげだよ」

「はは、それなら良かったけど……」

 

 ほぼ一人でOFこなしたんだろうに、氷室はあんまり疲れた様子を見せていない。何かもう、どう驚いていいのか分かんなくて俺は引きつった笑いを返した。

 

 本当、何者なんだよこいつ。

 火神といい、帰国子女ってのは皆バスケが上手くなるもんなのか。ひょっとして緑間ともいい勝負するかもしれない。それくらいの底力をこいつのプレイからは感じた。

 

 一方で、相手チームの正邦はこの大差の敗北に全員が言葉を失っていた。

 まあ、そうだろうな。秀徳のレギュラーって事で最初は俺を警戒してきたけど、あいつらにしたらノーマークだった氷室が大暴れしてきたんだから、騙し討ちされたみたいなもんだろう。少し心の中で申し訳なさを覚えた。

 

 

 

 

「氷室……辰也…………!!」

 

 

 

 

 と、試合結果に騒がしくなっている観客の中から、聞き覚えのある声が投げられた。

 人混みをかき分けて現れたその姿に、俺はまたしても驚かされる。

 

「え? 火神君? ……何で?」

「ええっ!! 雪野さんまで!? な、何でタツヤと一緒にいるんだ!? ですか!?」

 

 驚いても敬語をつけるのを忘れねーのか。礼儀正しいって言うべきなのか、相変わらず何か間違ってるけど。

 

 観客の中から現れたのは、頭一つ飛びぬけた長身と赤毛。

 俺の同居人であり家主であり、バスケ部に関して言えば敵校同士になる男──火神大我だった。

 

「あれ、雪野じゃないか。こんな所で何やってるんだ?」

「っ!!? ……木吉!? 君、も居たんだ……」

 

 そして火神の隣からひょっこり出てきた顔に、心臓が飛び出るかと思った。

 何やってるかって……そりゃこっちの台詞だろ!! 何で居るんだよ、お前が!! 

 

 よく見れば火神の傍には木吉の他にも、誠凛のベンチで見かけたような顔が2人くらい揃っている。え、まさかこいつらもこの大会に参加してたの? 

 

「アキラ、タイガと知り合いだったのか?」

「いや知り合いっていうか、ちょっと色々あってこいつの家に住まわせてもらってて……ていうか、氷室君こそ何!? どういう繋がり!?」

「うーん……」

 

 火神と氷室を見比べながら小声で訊ねると、氷室はちょっと考えた後、とんでもない爆弾発言を落としてくれた。

 

 

 

 

「一言で説明するのは難しいな。……強いて言えば、兄貴かな」

 

 

 

 

 やっぱり俺にオフの日なんてのは永遠に来ないのかもしれない。

 遠くで、青空が仄かに薄曇りになりつつあるのを見ながら、ぼんやり思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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32.紫原敦

 

 

 

 

 

「I never expected to see you here. What a surprise !」

「You don’t look surprised at all. Still wearing a poker face?」

「I‘m not trying to hide my feelings. I’m just expressing them in my way」

 

 俺の目の前で流暢な英語が飛び交っている。

 え、ここ日本だよな? 

 

 爺ちゃんの知り合いだとか言って、わざわざ秋田の高校からやって来た氷室辰也という男。

 そいつに連れられて俺は、オフの日なのにストバスの大会に参加する派目になっていた。

 初戦の相手チームは偶然にも東京三大王者の一つ正邦だったり、氷室が予想よりも数倍バスケが上手くて、あっさり正邦に勝利してしまったりと色々あった中で────火神を含めた誠凛の連中と出くわした。重なり過ぎだろ、偶然。

 

 しかも、氷室は火神の「兄貴」らしい。兄、って。

 それにお前ら二人共こんな英語ペラペラなの?

 

 誠凛でテストやら課題が出る度に家に持ち帰っては苦しんでいた、あの火神が、本場のように鮮やかな英語を駆使している。何だこの敗北感……。

 

「Is it Mr.Himuro? Kagami’s friend?」

「ああ、日本語で大丈夫。向こうにいたのが長くてまだ慣れないだけだから」

「あ、そう? よかった、助かるわ」

 

 と、呆気に取られる俺達の中から氷室に話しかけた勇者は木吉だ。

 氷室は柔らかく笑うと、誠凛メンバーにも聞こえるように告げた。

 

「友達とは違うよ。強いて言えば、兄貴かな」

「ああ……」

 

 対する火神の顔には、何故か陰りが差している。

 

 

 何でも、二人が出会ったのは火神がアメリカにいた小3の頃。

 親の転勤っていう、ありふれた理由での引っ越しだったらしい。

 

 けどアメリカと日本の文化の違いで、なかなか友達が出来ずに悩んでいた所に話しかけてくれたのが氷室だった。

 そこから氷室に誘われて火神はバスケを始めるに至り、二人はお互いに切磋琢磨して、何度も何度も勝負を繰り返しては競い合って、腕を磨いていったんだと──

 

 

 

「このリングを身に着けたのもその頃だよ。これは俺達にとって兄弟の証なんだ」

「へー……」

 

 氷室が首に下げているシルバーのリングに触る。

 言われてみれば、火神の首元にも似たようなリングがいつも光っていた。

 

 何だ、兄貴って言っても本当の兄貴じゃねーのか。花宮とみちるみたいに、顔が似てない兄弟なのかと思った。

 ……でも兄弟の証持ってるくらい縁が深いんだったら、何で再会してこんな気まずい雰囲気になってんだ? 

 

 俺の疑問に答えるように、氷室は声を硬くして言った。

 

「──けど、その絆もここまでだろうな。……アメリカで別れる前、俺は次に勝負する時は、タイガにこの思い出(リング)を賭けろと言ったんだ」

「え……? 何でまた??」

「兄と名乗る以上は負けたくないし、負けたとしたら名乗りたくない」

 

 と、氷室が向けた鋭い視線に、苦い顔をしている火神。

 

「以前、ロスで50勝目を賭けた勝負をした時、俺が本調子でなかった事に気を遣ってタイガは手を抜いたんだ。結果として、その試合は俺がいたチームが勝った。……試合で情けをかけられるなんて屈辱だし、今後もそういう事が繰り返されるくらいなら、思い出なんて無い方がいい」

「タツヤ……!!」

「何だ?」

「俺は、もうお前とは……!」

 

 いつもの単純な…いや明るい火神とは信じられないくらい弱々しい声だった。

 火神は本当に感情が顔に出る奴だから、氷室の突き放すような言い方にしょぼくれてんのが丸分かりだ。でかい図体が二回りくらい縮こまって見える。

 

 こいつも火神の兄貴って言うんなら少しは容赦した言い方してやれよ……と思う。その絶縁宣言に、聞いているこっちまで居たたまれなない。

 アメリカ育ちなせいか知らねーけど、氷室の奴、行動も言動もストレート過ぎるだろ。 

 

 と、その時だった。

 

「いって……2号────!?」

「火神君にウジウジされると鬱陶しいです」

 

 いきなり火神の隣に登場した黒い子犬が、頬に肉球で軽くパンチを入れた。

 ──いや、登場したのは犬じゃなくて、人だ。

 

「……って、黒子君!?」

「こんにちは、雪野さん」

 

 お前も居たのかよ! 

 

 黒い子犬──テツヤ2号を抱えた黒子が、相変わらず表情筋が死んでいる顔を向けて小さく会釈した。もう飽きたぞ、このくだり。

 

「話は大体分かりました。その上で、僕が思った事を言ってもいいですか? 

 とりあえず……最後に手を抜いた火神君が悪いと思います」

 

 すると火神に向かい合って、バッサリ言い切る黒子。

 

「それは……もしあそこで勝ってたら……」

「氷室さんを兄とは呼べなくなるし、そもそも本調子でない時に勝つ事は不本意だったかもしれません。けどやっぱり大好きなもので、手を抜かれて嬉しい人はいないと思います」

 

 兄弟分じゃなかったとしても、二人の仲が別人に変わってしまう訳じゃないでしょう? 

 ────と、聞き分けのない子供を諭すように黒子は言う。

 

 いやいやお前もIH(インターハイ)の決勝リーグで桐皇にボロ負けした後は、すげーウジウジしてただろ。

 と、心の中で思ったが、流石に空気を読んで黙ってやった。

 そりゃ黒子の言ってる事は正論だけど、そんな風に言われて火神もあっさり受け入れられんのか?

 

 そう思ったけど、俺は火神の切替の速さというかメンタルの強さをまだ見くびっていた。

 

「……そうだな、そもそも俺がバスケを好きな理由は、強い奴を戦うのが楽しいからだ。

 それはやっぱり、タツヤが相手でもそうだ。だから……サンキュ、黒子。

 腹は決めた! もし戦う事になったら何があっても全力でやるよ、タツヤ」

「……ああ」

 

 火神はすっかり吹っ切れたような、いつもの目つきになって氷室に力強く宣言した。

 

 ……そういや、青峰にボコボコにされた後も、結局何だかんだで立ち直って今元気にやってる訳だしな。性根が逞しいっつーか、どこまでも前向きなんだろう。

 少し眩しいものを眺めるような気持ちになってくる。

 

「今日当たるのを楽しみにしているよ。……ところで、キミ。ごめん、誰だっけ?」

「今気づいたのかよ……」

 

 と、目の前の黒子を今更認識したのか、氷室がすまなそうに言った。

 まあ、俺も未だに発見出来てないけどな。

 

 黒子本人は慣れているのか、気分を害した風もなく自己紹介する。

 

「黒子テツヤです。初めまして」

「そうか、君が……。面白い仲間を見つけたな、タイガ」

「? 氷室君、黒子君の事知ってるの?」

「ああ、ちょっとね。俺がいるチームにも面白い奴が一人居るんだ。さっき言っただろう? ここで待ち合わせている奴だから、会ったら紹介するよ」

 

 それだけ言うと、戸惑っている誠凛メンバーを置いて氷室はコートから下がってしまった。

 おい、俺を置いてくな。よく分かんねーけど、試合が終わった以上は俺もぼんやりしていられない。今日だけのチームメンバーを追いかけて俺もコートから退散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予想通り、火神と黒子達もオフの日を利用してこのストバス大会に参加してきたらしい。

(何で一年の面子の中に木吉が紛れているのかは疑問でしょうがない)

 

 そこそこ参加チームの多い大会ではあるけど、あれやこれやで試合は進み、いつの間にか決勝戦にまで進行していた。上位2チームにまで進出したのはもちろん、俺と氷室が助っ人として加わった即席チームと、火神達の誠凛チームだ。

 ……こんな場外乱闘みたいな形で火神達と試合していいのか? 

 うん、まあ別に監督から草試合禁止とかは言われてねーし、ダメな事は無いと思うけど。

 

『さあ、この大会も遂に決勝戦! 勝ち残ったのは両チームとも高校生! 勝つのはどちらかな!?』

「あれ? アキラ、何だか元気が無いね」

「そりゃあ、元気な訳無いでしょ……」

 

 ただでさえ会いたくないと思ってたのに、何でオフの日に木吉と試合する事になってんだ。あ、何か目が合った。人の気も知らず木吉は能天気に微笑みかけてくる。……やっぱり今からでも言い訳つけて抜けようかな。

 

「……ねぇ氷室君。ちょっと僕、抜けてもいい?」

「え? いきなりどうしたんだい?」

「いや、その……あ~少しお腹が痛いような気がして……」

「Oh! それは大変だね。……じゃあ、アキラは動かなくて大丈夫だよ」

「へ?」

「今の俺なら一人で十分勝負になるから」

 

 ……すげー自信。

 

 氷室が強い事はさっきまでの試合で分かったけど、そうだとしてもここまで言い切るか。

 相手の誠凛チームは火神に黒子、木吉だ。あとの二人はベンチで見かけた顔ぶれで一年っぽいけど、火神と木吉がいるんじゃ点取るのは相当手強くなるぞ。氷室は木吉の実力を知らねーだろうし、大丈夫なのか? 

 

 氷室は落ち着いた様子のままで、自分からさっさとジャンプボールに行ってしまった。

 そんな自信満々ならいいけど。誠凛からは火神がジャンプボールに立つ。

 

『さぁ……両チーム、位置について……今!! ティップオフ!!!』

 

 広場にアナウンスが響き渡る。

 ふわりと浮かんだボールを目指して、跳躍する氷室と火神。

 

 試合開始の火蓋が切って落とされた────正に、その瞬間だった。

 

 

 

 

 

「ゴメ~~~ン。ちょおおっと、待ってくんない」

 

 

 

 

 

 浮かんだバスケットボールの真上に、何か飛来物が落ちてきた。

 ────かと思ったら、いきなり乱入してきた人物がボールを横からさらってしまった。

 

 試合真っ最中のコートに現れた乱入者に、観客も俺達も一斉に注目する。

 唯一、何でもないように話し始めたのは氷室だった。

 

「遅いぞ、アツシ」

「悪い悪い。迷っちゃって」

 

 アツシ? 

 ──って確か、氷室が言っていた、ここで待ち合わせていた奴の事じゃなかったか。

 

 コートに現れた謎の人物は、190……いや、2mは超すんじゃねーかってくらいの大男だった。

 木吉や火神の目線すら超えている。でけえー……。もしかして大坪主将より高いかもしれない。

 けど威圧的な長身の割には、漂わせる雰囲気が妙にほわほわしていて緩い。長めの紫色の髪で目元が隠れていて表情はよく見えなかった。……それに、片手にぶら下がっている大量のビニール袋からはみ出たポテトチップスの袋は何なんだ。

 

 試合もストップして訳が分からなくなっている時、続いて口を開いたのは黒子だった。

 

「……お久しぶりです。紫原君」

「アラ……!? 黒ちんじゃん、何で? つか相変わらず……真面目な眼だねえ……真面目過ぎて……ひねりつぶしたくなる」

 

 紫バラ、紫原? 

 そう呼ばれた乱入者は、のんびりした動作で長い腕を伸ばすと──黒子の頭をわしゃわしゃと撫で回した。

 え、何なの。物騒な台詞言って何をするのかと思ったら、まるで子供をあやすみたいに黒子を撫でている。……こいつと黒子が並ぶと、本当に大人と子供みたいな体格差だ。

 

 黒子もムカついたのか、「やめてください」と紫原の手を雑に振り払った。

 紫原は間延びした声で「ごめ~ん」と愉快そうに謝っている。

 

「えっと、氷室君……この人は……」

「さっき言った「面白い奴」だよ。名前は紫原敦。俺が入っているバスケ部の後輩で──「キセキの世代」のC(センター)って言った方が分かりやすいかな」

 

 こいつも「キセキの世代」。

 もう今更どんな奴が一年に出てきたって驚かないと思ってたけど、こんな巨人じみた奴まで居んのか。

 

「来ないかと思ったよ」

「つーか急に会う場所変える方が悪―し!日本帰って来て東京見物したいってゆーから来たのに……何か結局バスケとかしてるし、さ…………」

「アツシ?」

 

 と、氷室に対して文句を言っていた紫原が、急に固まった。

 気のせいじゃなければ――氷室の隣に居た俺と目が合った途端にだ。ポテチを摘まんでいた手も停止している。

 

「……何で、あんたがここにいる訳?」

「え?」

「? アキラ、アツシと知り合いだったのかい?」

「い、いや全然!!」

 

 初対面に決まってんだろ!! こんなでかい奴、一度会ったら忘れねーよ!! 

 それなのに目の前の紫原は、まるで親の仇でも見るみたいな凶悪な目つきで俺を睨んでいる。どれだけ前向きに捉えても友好の「ゆ」の字も浮かんでない。

 

 只ならぬ気配が俺達の間に流れかけた時、笛の音が空気を切り裂いた。

 

「ちょっと君! 困るよ! 試合中に入られたら!」

「え~?」

 

 硬直していた空気に割って入ったのは、大会の審判だった。

 助かった。こいつが何に怒ってんのか知らねーけど、ここは第三者に入ってもらった方がいい。

 水を差されて紫原も頭が冷えたのか、きょろきょろと辺りを見回して状況を把握したようだった。

 

「あっそーだ、室ちん。陽泉(うち)、確か草試合とか禁止ね。それ言いに来たんだ」

「えっ、そうなのか? 参ったな」

「だからほら! 行くよー」

 

 と、氷室の背をグイグイ押してコートの外に出て行こうとする。

 って、待て待て。今、完全に俺を無視しただろ。

 

 さり気なく俺を押しのけて氷室を連れて行こうとする紫原を、その時、止める声がかかった。

 

「ちょっと待てよ! いきなり乱入してそれはねーだろ。ちょっとまざってけよ」

「……それより、その眉毛どーなってんの? 2本?」

 

 去ろうとする紫原の肩を掴んで止めたのは火神だったが、紫原は全く意に介さず、少し屈むと火神の眉毛をブチッと抜いてしまった。

「ってぇー!!」と火神の叫び声が上がる。そりゃ痛いわ。

 何つーか……予想に漏れず「キセキの世代」は誰も彼もマイペースなのか。いや、緑間も天然入ってる感じはあるけどここまでネジが緩くはないか。

 

 火神は紫原に試合を持ちかけようとしてるけど、相手のやる気はゼロらしく、そもそも会話が成り立ってねえ。……何でもいいけど、この試合どうなんの? 中断されてからコートのど真ん中でグダグダ揉め始めて、周りの観客からの視線が痛い。

 

「なーんだガッカリだわ、全く。そんなビビりだとは知らなかったぜ。逃げるとかダッセー」

 

 と、火神が小馬鹿にするような顔で紫原に言った。

 挑発のレベル低っ!! こんなの誰も乗らねーだろ……

 

「はあ? 逃げてねーしっ」

 

 乗るのかよ!! 

 火神の挑発を聞きつけた紫原が、あからさまに機嫌を悪くして立ち止まった。

「オイオイ無理すんなよ? ビビッてたじゃん」「無理じゃねーしっ、てゆーかビビッてねーし」お前ら小学生か。二人のやり取りに誠凛の面子までげんなりしている。

 

「そっち入れて―」

「えっ!?」

 

 でかい図体が目の前に現れたかと思ったら、紫原が俺達のチーム側に一歩近づいていた。

 審判が何か注意してきているのが聞こえるけど、氷室は考えたように微笑むと小声で話しかけてきた。

 

「……それなら丁度いいや。アキラ、体調が良くなかったんだよね。アツシと交替してもらっていいかい?」

「え? あ、ああ……僕は別に」

「えー俺、こいつの代わりなのー?」

「こら、アツシ」

 

 紫原の不満そうな声が頭上から降ってきた。

 見上げると、髪と同じ紫色の双眸が蔑むような目線を向けている。それも「ような」どころじゃなく、本気の嫌悪を感じる。

 

 ……まさか、中学の時の俺が試合した奴等の関係者、か? 

 だとしたらどこだ? 祇ヶ崎(しがさき)中か? 照栄中か?――いや照栄中なら木吉だって何か反応がある筈……他の中学だとしたらどこだ。

 

 この炎天下の中で冷や汗を流しながら俺が頭をフル回転させていると、氷室は他のチームメンバーに紫原の事を説明したり「適当に口裏合わせて」とか言って外堀を埋めにかかっていた。行動が早い奴だ。 

 

「ほら、あんた邪魔~」

「痛っ」

 

 と、紫原に乱暴に背を押されて、俺はコートから閉め出されるように追いやられた。ほとんど突き飛ばされたぞ、おい。

 ……マジ、どこで買った恨みだ? 今更ながら、心当たりがあり過ぎる自分に悲しくなってきた。

 

 そうこうしている内に、コートの中では仕切り直して決勝戦の試合が始まった。

 ボールはチーム誠凛から。黒子がゴール下の木吉に向けて、コートを縦断するようにパスを飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けどこの試合の結末は、誰も予想していなかった終わり方を迎えることになった。

 

 試合も盛り上がり始めた時、ポツッ、と水滴が鼻についた。

 やっぱりそれは気のせいじゃなかったらしく、水滴が空から落ちてくる間隔はどんどん短くなり、ふと見たらいつの間にか曇り空に変わっていた上空からシャワーでも流したみたいな大雨が降り注いできた。

 

『雨────!? 中断!! 一時中断にします! 選手及び審判もテントに入ってください!!』

 

 慌てたアナウンスが響く。

 さっきまで試合を眺めていた観客達も、いきなりの大雨にそれどころじゃなくなったのか我先にと屋内へ逃げて行った。

 本当に突然すげー降ってきたな……。コートに残っているのはもう俺と氷室、紫原。あと誠凛の奴等だけだった。さっきまでチームを組んでいた他校の奴等も、もう試合が中止だと判断したのかどこかに行ってしまった。まっ、これじゃ試合は無理だな。

 

「……フゥ、参ったな。残念だけど勝負はお預けだな」

 

 氷室が雨に濡れながら、心底惜しむように言った。

 いちいち妙に艶のある表情をするなっての。

 

 これから試合も本番、ってタイミングで雨に降られたから興醒めもいいとこだ。

 火神は不完全燃焼なのか、氷室に食い下がった。

 

「待てよ、タツヤ!」

「俺も続けたいのは山々だが、この雨だと直に中止のアナウンスが出るだろう」

「そうだよ、火神君。滑る地面でバスケなんて危ないよ。このままじゃ風邪引くし、さっさと帰ろう」

「雪野さん、でも……」

「タイガ。先輩が古傷を再び傷めたらコトだろう?」

 

 ……こいつ、木吉の膝の事気付いたのか? さっきの試合の一瞬で? 

 チラッと木吉に目をやると、同じことを思ったのか視線が交わった。

 

「とはいえ、せっかくの再会だ。これで終わりじゃ味気ないな。

 ──土産を置いていくよ。タイガの知らない技だ」

 

 好きに守っていいぞ、と氷室は唐突にボールを持つとシュートフォームに入った。

 火神が反射的に手を伸ばしてブロックの体勢を取る。只のジャンプシュートだ、それで十分ボールは止められると俺も思ったが────ボールは火神の手をすり抜け、背後のゴールネットをくぐってしまった。

 

 ――今のは、何だ。フェイクのシュートか?

 横で見ていた俺にも、シュートがブロックをすり抜けたようにしか見えなかった。

 

 実際にブロックしていた火神も、信じられないものを見たように目を見開いている。

 これが氷室の必殺技みたいなものか。

 だとしたら、わざわざ大会前に披露していくなんて気前がいいというか――いや、氷室からの宣戦布告なのか。

 

『本日、大会はここで中止とします。つきましては……』

 

 やっぱり大会は中止になったのか、今後の日程についてアナウンスが改めて流れ始めた。

 俺達も戻らないといい加減にまずいぞ。本格的に振り出してきた。もう頭からずぶ濡れ状態だから雨から逃げる意味も無いけど。

 

「じゃあな。次会うとしたら、冬だな」

 

 雨粒に打たれながらいやにカッコつけて氷室が弟分の火神に言い放った。イケメンはどんな状況でも様になるものらしい。火神もその言葉の意味を噛み締めるように、黙って聞いている。

 すると氷室は俺に近付いてくると、少し雰囲気を柔らかくして言った。

 

「じゃあね、アキラ。今日はありがとう、楽しかったよ」

「……それは良かった」

「ダイスケさんによろしく言っておいてくれ。──今度は、試合で会おう」

 

 オーラのキラキラっぷりは黄瀬を彷彿とさせるけど、こいつは見た目によらず好戦的だ。最後の言葉には、負けない意志をはっきり感じた。

 

「室ちん~何やってんのさ~。さっさと行こうー」

「ああ、ごめんごめん」

 

 と、紫原が焦れたように氷室の隣にやって来た。

 さっきまで黒子達と何か話していたみたいだったけど終わったのか。

 

「何だ、まだ居たんだ。あんた」

「アツシ」

 

 氷室の咎める声に、紫原は僅かに殺気立った気配を収めたように思えた。

 ……たとえ氷室が仲裁に入ろうとしてくれても、俺自身さえ、紫原がこんなに敵意を向けてくる原因をまだ分かってねーんだからどうにもならない。

 

 この激しい雨音が、少し気まずさを紛らわせてくれた。俺が言葉を見つけられずに沈黙していると、呆れたような溜息が聞こえてきた。

 

「…………まさか覚えてない訳? 信じらんねーんだけど」

「いや、その……」

 

 俺の煮え切らない反応に苛立ったように、紫原が舌打ちする。

 

「緑ちんがこんなのと同じチームって意味分かんねーし……」

 

 けど意外にも、それ以上紫原は何も追及せず、背を向けて雨音の中を歩いていってしまった。

 氷室もその後を追って、二人の陽泉高生はコートから去っていった。

 

 

 

 雨はますます激しさを増して、何もかも洗い流すように降り注いでいた。

 後ろから火神が呼ぶ声が聞こえたけど、俺はもう少しだけ、雨に打たれていたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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33.エースの真価

 

 

 

 

 

 突然振り出した大雨のせいで、俺達はストバス会場から大慌てで雨宿り出来る場所まで避難する事になった。近場の駅に辿り着いて、やっと雨がしのげるようになると、頭から靴底まで全身ずぶ濡れになっているのを実感する。うわーどしゃ降り。

 

「雪野さん、ほら、タオル」

「あー、ありがとう」

 

 後ろにいた火神が俺にタオルを投げ渡してきたので、ありがたく使わせてもらう。

 

 成り行きとはいえ、誠凛の集団と一緒にここまで来てしまった。

 黒子達が何やら話しているのが聞こえる中で、俺は一人居心地の悪さを感じる。早く電車来ねーかな。なかなか来ない電車に焦れていたら、隣から能天気な声がかけられた。

 

「ははっ、雪野。お互い災難だったなーいきなり降られて」

「……そうだね」

「けどびっくりしたぞ? 正邦だけじゃなくて雪野まで大会に出てたなんてな。偶然って怖いよなー」

「本当にね」

 

 俺が素っ気無くしてても、木吉は怯む事なく次々に話しかけてくる。中学の事を抜きにしても、こいつのこういう所がやりにくい。

 つーか、あんま火神や他の連中がいる前で話しかけんな。

 

「……そういえば雪野、紫原と何話してたんだ?」

「は? 別に何も。……向こうが勝手に突っかかってきただけだよ」

「そうか? ならいいんだが」

 

 ……何が言いたいんだよ、こいつも。

 心配そうな雰囲気を出している辺り、昔の事を遠回しに嫌味で言ってる訳じゃないんだろうが。

 それを言うなら、俺も少し気になる事はあった。

 

「木吉君だって、紫原君と親しげじゃなかったっけ? 知り合い?」

「ははっ、そう見えたか? ……知り合いっていうか、中学の時に一度だけ試合した事があってな。まあ、あいつには全然覚えられてなかったみたいだけど」

 

 それに俺はどう反応したらいいんだよ……。一緒に笑ってやればいいの? 

 でも木吉の目には落ち込んだような色は無い。むしろ静かに燃えているような気迫さえ漂っていた。──そうだな、“鉄心”がそんな事で落ち込んでたりする訳無いか。叩いても壊しても絶対にこいつは折れない、昔から。

 

 その時ようやく、ホームに待ち望んでいた電車が来た。

 誠凛の奴等は何か連絡でも受けたのか、固まって話し込んでいて電車の到着に気付いていない。火神から借りていたタオルを木吉に預けて、俺は邪魔しないようにこっそり帰路についた。

 去り際に木吉が笑顔で手を振ってきた。

 ────本当に、気楽な奴。そう思いながら、小さく手を振り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 電車から降りてやっと家の最寄りの駅に戻って来たけど、大雨はまだまだ降り続けていた。まあ、走って帰れなくはないけど……めんどくせーな。

 何だかドッと疲れが出てきて、駅の改札前にぼんやり立ち止まって外を眺めた。

 

 ──それにしても、忙しい一日になった。

 結局、全然オフの日になってねーし。

 

 今日一日で起きた事が目まぐるしくて、頭の中で浮かんでは消えていく。

 火神の兄貴には会うし、木吉には会うし、「キセキの世代」は出てくるし。本っ当、何だったんだ、あの紫原とかいう奴は。

 ……恨まれるような事があるとすれば、中学の時しか心当たりがないけど。全然記憶に浮かんでこねえ。昔の事なんてそもそも思い出したくないし。

 

 いつの間にか陽が傾きかけて辺りが暗くなりつつある。

 折角の休日なのに、腹の奥が重たいような嫌な気分が残っていた。20cm以上頭上から俺を見下ろしてきた、あの冷めた目が頭から消えない。

 

 ……色々考えだしたら頭痛くなってきた。

 何であれ、俺がしでかした事が原因だったなら、はっきり受け入れようと思ってた。

 思ってた──筈なのに。

 あんな一年坊主に、ちょっと何か言われた程度で怯む自分も弱いもんだ。まあ、一年っていうには規格外過ぎる奴だったけど。

 

『────秀徳で同じ事が起きてみ? お前の先輩や、チームの皆は、その時全く変わらずにお前に接してくれると思うんか?』

 

 かつての先輩の言葉がまた頭をよぎる。

 言われなくたってそんな事分かっている。だからとっくに覚悟もしてた。

 

 秋になればWC(ウィンターカップ)の予選が始まる。

 氷室の口振りだと陽泉も出場するみたいだから、そしたらまた紫原と顔を合わせる事になるかも……いや、なるだろうな。木吉も、今度の試合にはきっと復帰するんだろうし……考えれば考える程、嫌になる。

 

「……雪野さん?」

「え?」

 

 人の気配。

 振り返ったら、背後にいた奴にぎょっとした。

 

 バスケ部の後輩、緑間真太郎が大量の笹の束を抱えて突っ立っていた。緑間の髪の毛が笹の葉の緑に同化している。七夕の時期に見かけたなあと思ったけど、今飾るには季節外れだ。……まさかそれで電車乗ってきたのか、お前。よく乗れたな……つーか、よく乗ったな!? 

 

「緑間君。…………どうしたの、それ」

「今日のかに座のラッキーアイテムです」

「だよね……」

 

 秀徳バスケ部の間では常識になりつつある事だった。

 

「……高尾君から聞いたけど、本当にそれ取りに行ってたんだ」

「当然です。今日のかに座は10位。運気の補正は欠かせませんから」

「……その割には雨降ってるけど」

「……やはり、この数では量が足りなかったかもしれません」

 

 だからそれ関係あんの!? 

 前にIH(インターハイ)の予選で持ってきてた狸の信楽焼もだったけど、この後輩はインテリっぽい見た目の癖に考え方が脳筋っつーか、単純だ。

 

 笹の束を持ったままで緑間は動かないけど、こいつも雨宿りする気なのか。他に誰もいない駅の改札で、雨の音だけが止まずに降り続いている。

 ………………会話が無ぇ。

 横目で隣を伺ったけど、緑間は鉄仮面の表情のままで外のどしゃ降りを見つめている。普段はセットになってる高尾が勝手に喋ってくれたから気にしないけど、こいつって本当に自分から喋らねーよな。

 俺も愛想が無いとかやる気が無いとか、よく言われたもんだったけど、緑間はそれ以前に感情や人間味を全部削ぎ落とした生き物なんじゃないかと思う時がある。

 

「……そう言えば、緑間君と同中? の子に会ったよ」

「帝光の? 誰ですか」

「すごい背の高い子だよ。紫原君って言ってたけど」

「紫原!? ……東京に来ていたんですか」

「あー何か、観光みたいだったけどね」

 

 あ、今ちょっと驚いたな。

 やっぱり「キセキの世代」なんて大層な名前で呼ばれてるだけあって、何だかんだ言っても仲は良いのか。バラバラの学校になっても、こいつらはいつでもお互いを意識してる。

 すると緑間は眼鏡を少し上げて、何故か探るみたいな目つきを向けてきた。こんなオフの日でも、その左手は一分の隙もなくテーピングが巻かれている。

 

「…………。それで、紫原は何か言っていたんですか?」

「え? …………いや、別に何も」

「……そうですか」

 

 何だよ、その間は。

 妙に引っかかったけど、こいつのマイペースさはいつもの事か。

 

 紫原の言っていた事について、緑間に聞いてみればはっきり分かるかもしれない。一瞬そう思ったけど、やっぱり止めた。下手に喋って、自分から墓穴掘りたくねーし。まあ、宮地(兄)とか高尾みたいに目敏くなさそーだし、大丈夫かもしれないけど。

 

「けど緑間君達の中学って本当すごいんだね。主将より背が高い子なんて初めて見たよ」

「紫原は中学の時もバスケ部では一番背が高かったです。あいつ自身、背が高くて向いてそうだからバスケを始めたんだと聞きました」

「へー……」

 

 中学からデカかったのかよ! 

 確かにあれだけ大きければ周りはバスケを薦めるか……。今日のストバスの大会で、中止になったとはいえ、ゴール下で一歩も動かなかった癖に火神や木吉達を圧倒していたあの姿を思う。

 

「……緑間君は何でバスケやってるの?」

「は?」

「いや、ちょっと気になって。あーやっぱりあれだ、プロとか目指してるの?」

 

 こいつの化物じみた実力なら、本気でNBAとか目指しててもおかしくない。いつもいつも遅くまで残って練習してて、先輩達に何言われても我を通してる所とか、それなら納得出来る。

 しかし隣の後輩は、訝しそうな顔で答えた。

 

「プロになるかどうかなど、考えた事もありませんが」

「えっ!?」

「WCが控えていますし、目の前の大会に集中する事が優先だと思っています。確かに将来に向けてある程度の準備はしますが、今考えるべきは直前の大会ではないのですか?」

「えっ? ええっ──……いやまあ……そうだけどさ……」

 

 まるで俺が非常識な事を言ってしまったみたいな物言いである。

 いや、そりゃあこいつの言う事は正論なんだけど、でも、あの実力で「プロを考えた事もない」なんて予想外過ぎる。 

 

「雪野さんはなるんですか?」

「はい?」

「ですから、プロになるつもりなんですか?」

「はあっ!?」

 

 待て待て、前後の文脈が全く繋がってねーぞ。

 

「いやいや、無い無い!! 有り得ないから! 何でそうなるのさ緑間君!」

「……ですが、雪野さんのお爺様はNBAの候補になった程の方なんでしょう」

「え? あー爺ちゃん? うん、まあ……」

 

 というか爺ちゃんにそんな経歴がある事自体、俺は合宿で初めて知ったんだが。何度言われても信じられない。それに、あの爺が何だろうと俺には関係無い話だ。

 

「爺さんがどうか知らないけど、僕の力でプロなんて通用しないよ。今みたいに、部活とかで皆と気楽にやってるのが性に合うって」

「…………」

 

 珍しく突っかかってくるな、こいつ。

 笹の葉よりも少し深い緑をした緑間の目が、何か言いたげに俺を見ていた。……何だよ。その目は。

 

「……え、どうしたの? 緑間君」

「いえ。ただ、自分の実力がどうであれ、試合に全力を尽くさないのはスタメンとしてどうかと思っただけです」

「は?」

 

 天気が雨とはいえ夏なのに、この場の温度が少し下がったように感じた。

 

「…………いきなり何? 別に僕、試合で手抜きした覚えなんか無いけど」

「気楽にやる、という事は、そういう意味ではないのですか?」

「いや、それは言葉のあやで……。……緑間君には僕が手抜きしてるように見えるの?」

 

 緑間の口調に棘を感じて、つい応酬するように言葉を返す。

 

「手抜きとは言っていません。全力を尽くしていない……人事を尽くしていないように見えた、と言っただけです」

「はあ!? これでも精一杯やったつもりだけど。……ああ、もしかして、IHの予選で誠凛に負けた事が僕のせいだっていいたいの?」

「違います。 俺はただ、雪野さんがどうしてそこまでバスケに真剣になろうとしないのかが分からないだけです。雪野さんは火神と対等にやり合う程の実力があるのに、一体何を恐れているんですか」

 

 緑間の目が、今度こそ真っ直ぐ俺を見据えた。

 俺よりも背がある位置から見下ろしてくる視線には、分かりやすく感情が顕れていた。レアだな、なんて他人事みたいに心のどっかで思ってしまう。

 

 珍しく熱くなっている緑間とは逆に、俺の頭は白けたように冷えていた。

 どうしてって、そんなのお前に分かる訳がねーよ。

 

「……そりゃあ、緑間君は怖い者無しでしょ。何しろ「キセキの世代」なんだからさ」

「…………」

「僕がやる気無さそうに見えたんならごめんね。まあ、確かに緑間君の基準で見れば練習も足りないかもね」

 

 誰よりも自分の力を信じられて、真っ直ぐ歪みなく努力して進んでいく緑間からすれば、俺がイライラして見えんのかもしれない。――そりゃ、そうだろうな。このサイボーグじみた天才には、悩んだり恐れたりする事なんてある訳無い。

 

 話題をさっさと終わらせたくて突き放すように言ったら、緑間も口を閉じた。

 俺の答えに対して、「不満です」みたいなのが顔に描いてあるから納得はしてないんだろうが。

 その時丁度雨が降り止んだのは幸運だった。

 緑間は笹の束を抱えたまま、「失礼します」と一言だけ言って足早に去って行った。緑頭の長身が遠ざかっていく。その姿からは目を逸らして、俺も帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 昨日の荒れ模様がまるで嘘みたいに空は晴れ渡っていた。それこそ、ストバスでもやるなら絶好の日和だ。

 

 俺は俺で、今日は通常の練習日だから学校に行かなきゃならない。夏休みだっていうのに寝坊も出来ないのが辛い所だけど、今日はそれ以上に気が重くなっていた。

 

「は~……」

「……? 雪野さん、どうしたんスか。元気ないっスね」

「ちょっとね……」

 

 朝飯を食いながら思わず出た溜息に、正面に座る火神から声がかかった。

 火神は朝っぱらからベーコンエッグを山盛りにしてトーストに挟んで平らげていた。よくそんだけ起き抜けに食えるよな……。

 何も考えずに朝食をモリモリ食っているこの家主を見ていると良くも悪くも気が抜ける。昨日「兄貴分」とのいざこざが遭った事なんて、すっかり忘れてるんじゃねーかって思えるくらいの能天気な顔だ。

 

「朝からよく食べれるよね、火神君は」

「……つーか、雪野さんそんだけしか食わないんスか?」

「いや、これが普通だから」

 

 恐らく10枚近いトーストを完食した所で、火神は元気よく立ち上がった。

 今日は誠凛も練習日らしく、俺が起きた時からこいつはやる気にメラメラ燃えていた。氷室との再会がこいつの闘争心に更に火を点けたんだろうか。

 

「じゃっ、俺もう行くっスよ!雪野さんも今日は練習なんスよね?」

「ああ、まあ……。……がんばってね」

「っス!!」

 

 こいつの前向きさと単純さを羨ましく感じながら、俺も席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休み中の練習は、ある意味普段のそれより地獄を見る。

 WC予選まで、あと3ヶ月足らず。

 大坪主将や宮地(兄)の怒号なのか掛け声なのか分かんねー声が体育館中に飛んでいる。走り回っているとあっという間に汗だくになった。基礎練もこれ、絶対いつもの1.5倍くらいになってんだろ。呼吸を一息吐きたくなって、壁際にちょっと寄りかかった。

 

「おい雪野、大丈夫かよ」

「ああ、うん。ありがとう……」

 

 金城が差し出してくれたドリンクを取って水分補給する。

 俺がバスケ部に入部した時の、数少ない同期の一人だ。他の二年生で残っている奴といえば、宮地(弟)を始めとして数える程だ。室田を含む二軍の連中が多く去ってしまったから、もうほとんど残ってない。ふと、そんな事を思った。

 

「本当、今日は監督すげー気合入ってるよな。やっぱ、予選が近いからピリピリしてんのかな」

「だろうね。夏の結果がああだったし」

「でも次は何かいけそうな気がしないか? ほら、緑間だって段々俺達にも協力するようになってきたしさ」

「……そうだね」

 

 ゴールの一つでシュート練習をしている緑頭を眺める。

 

 去年も宮地(兄)に散々説明されたから、WCの予選の流れはいやってほど理解している。

 冬の予選は夏の大会で好成績を残した学校しか出られない。つまり、WCの枠を勝ち取るにはIHの時より更に強豪が相手になってくる。

 もし誠凛と対戦する事になれば……次は火神に加えて、木吉も居る。

 あいつの実力はよく知っている。秀徳だって大坪主将も居るけど……緑間の力は絶対に必要だ。

 

 ……今朝、気が重かったのはそれだ。

 昨日から、緑間とは妙に気まずいままだった。

 

 いや、まあ、気まずくなるほど元々仲良しでもねーけど。

 それでもIHの時辺りまでは、顔合わせたらちょっとは喋る程度には普通の距離感だったのに。朝に部室で鉢合わせした時なんか、明らかに空気がちょっと凍った。緑間と一緒に来ていた高尾も何かを察したのか、いつも以上にハイテンションで喋ってくれたし。

 

 昨日のあれが、そんなに緑間を怒らせたんだろうか。

 練習の様子を見ている限りでは普段通りの様子に思えた。でも、意識すると何かいつもより二割増しくらいで仏頂面な気もする……。だったら何でもいいから謝っておいた方がいいのか、流石にスタメン同士で雰囲気を悪くさせてたら先輩達に何言われるか分かんねーし……。でも何を謝れってんだか……。

 

 俺が一人悶々と考え込んでいると、館内に大坪主将の号令が響いた。

 突然の集合命令に部員が一斉に駆けつける。

 すると集まった部員を見渡しながら、監督が次なる練習メニューを宣言した。

 

「──よし、じゃあ今から一年と二年でミニゲームを行う。三年は休憩。メンバーは一年が吉田・伊豆倉・緑間・高尾・遠藤。二年が雪野・宮地・金城・笹川・渡部だ。審判は宮本がやれ」

「えっ……」

 

 幸いなのか、俺の呟きは周りのざわめきに掻き消されて聞こえなかった。

 

 でも、マジかよ。

 別にミニゲームする事自体は珍しくない。その面子が俺の中では受け入れ難かった。数ヶ月前、同期の室田が緑間に勝負を挑んで強引に取り付けた時と、ほとんど同じ面子だ。

 あんまり良い思い出が無いし、それにこのタイミングで緑間と勝負したくない。

 

「おい、チンタラしてんじゃねーぞ。さっさと準備しろ」

 

 すると宮地(兄)から頭をはたかれ、有無を言わさずコートに急かされる。

 コートの中央には早くも一年チームと二年チームが集まっていて、俺もそこに慌てて並んだ。

 

 隣にいた宮地(弟)が、小声で呟いた。

 

「丁度いいじゃねーか。前の勝負の借りを返してやろうぜ」

「あー……そうだね」

 

 やっぱり宮地(弟)もこの面子での対戦には思う所があるのか。目つきが兄の方よりも好戦的に燃えていた。しかもこの前は一年チームに負けてたしな、俺達。室田の代わりに今回は渡部が入っているけど、一体どうなるのか。

 真正面に佇む緑間をチラリと見る。ニコリともしない鉄仮面ぶりは変わらない。……それどころか、睨まれているようにすら思えた。

 

 けど俺が何を思おうと、試合は始まっていく。

 こっちからは宮地が、一年チームからは吉田がジャンプボールに出た。

 

 ティップ・オフの合図と共に、ボールが投げられる。

 空中を制したのはタッチの差で吉田だった。ボールは吉田から高尾に回る。このタイミングで高尾がパスする相手なら決まっている。────高尾のバックパスを受けた緑間。間髪入れずにシュートモーションに入った時、俺も跳んだ。

 

 指先がボールに僅かに触った。でも、止めるには弱い。

 教科書を写し取ったような綺麗な放物線を描いて、ボールはゴールに飛んでいった。

 数秒が経過した後、ボールはゴールリングをくぐっていく。

 

(一年チーム)3対0(二年チーム)。

 先制点を取られた。

 ……ただのミニゲームでも容赦ねーな。最近忘れがちだったけど、こいつを敵に回した時の恐ろしさをこういう時に実感する。と、隣で涼しい顔をして佇む緑間と目が合った。

 

「……何ですか?」

「いや、別に。……すごいシュートだと思っただけ」

「当然です。俺は人事を尽くしています。──やる気の無い方とは違いますから」

「…………」

 

 言うだけ言って、さっさと行ってしまう緑間。

 入れ替わりに、宮地から声がかかった。

 

「おい、雪野! 早く戻って…………雪野?」

「……ごめん、宮地君。ちょっと僕にもボール回してもらっていい?」

「えっ……うん?? そりゃいいけど……どうした?」

「うん、ちょっとねー」

 

 ……あーそうか、そうかよ。そっちがそういう態度で来るのかよ。

 何にそんな怒らせたか知らねーけど、そこまで言ってくれるんならお望み通りやってやろうじゃねーか。

 

 どうやって謝るべきか、あれこれ考えてた事が一気にバカバカしくなってきた。

 何だ、あの見下したような目つき。

 遠ざかる緑頭に対して、今更ムカムカした気持ちが芽生えてくる。流石にここまで後輩に言われて黙っているほど大人しい性格じゃない。

 

 

「雪野……? 何か笑顔がちょっと引きつってるけど本当に大丈夫か?」

「あはは、何言ってるのさ宮地君。ほら、行くよ」

 

 

 味方からボールを受け取り、俺は駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 秀徳二年チーム

 

 金城孝(二年)   C 188㎝

 宮地裕也 (二年) SF 192㎝

 雪野瑛 (二年)  PF 183㎝

 渡部正平(二年)  SG 182㎝

 笹川佑人 (二年) PG 180㎝

 

 

 

 秀徳一年チーム

 

 吉田秀樹(一年) C 186㎝

 伊豆倉遼(一年) SF 181㎝

 遠藤光 (一年) PF 183㎝

 緑間真太郎(一年)SG 195㎝

 高尾和成 (一年)PG 176㎝

 

 

 

 

 

 

 

 



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34.才能と本能

 

 

 

 

 

 

 ドリブルで敵陣地に突っ込む。

 一年側の反応は意外と早く、遠藤(一年・PF(パワーフォワード))と吉田(一年・C(センター))がDF(ディフェンス)を仕掛けてきた。右の死角をついて二人を躱し、レイアップを決める。

 

(一年チーム)3対2(二年チーム)。

 試合って言っても、時間は1ピリオドのミニゲームでしかない。あれこれ考えてたら緑間の3Pで決められて終わりだ。敵に回すと、日頃からあいつが口癖にしていた「二点より三点の方が強い」って言葉が重みを感じてくる。

 

「ナイス、雪野」

「あ、ああ……」

 

 金城(二年・C(センター))が俺に軽く言葉をかけてきた。

 いきなり単独で動いちまったけど、良かったのかな。

 

 続いて吉田から高尾(一年・PG(ポイントガード))にボールが渡った。

 高尾のマッチアップについたのは渡部(二年・SG(シューティングガード))だ。身長差や体格じゃ渡部の方が勝っているけど──高尾がノールックで放ったパスが、後方の緑間の手に入る。

 

 ボールを手にした直後、シュートモーションに入る緑間(一年・SG(シューティングガード))。3点決められる事に二年側が身構えた。

 ──でも、こいつのやり方だって何度も見てきたから分かってる。

 

 緑間がシュートを放ったと同時に、俺も勢いをつけて跳んだ。

 指先のボールが掠める。

 リーチの差であと数㎝足りない。ボールは決まりきった軌道を描いてゴールネットに吸い込まれた。目の前の緑髪の後輩は、シュートの瞬間を見もせず自陣に戻り始めている。

 

 ……本っ当、敵に回すと腹立つ奴だな。

 

「ったく、緑間相手にしてるとめんどくせーな」

「……宮地君、ちょっとマーク代わってもらいたいんだけど」

「は? 緑間のマークって事かよ」

「違う違う。あっちだよ」

 

 俺が目線で差した方向で察してくれたのか、宮地(弟)(二年・SF(スモールフォワード))はポジションを代わった。

 血の気が多いのは兄の方と同じだけど、まだ話が分かるから助かる。

 

 続いてボールは俺に回って来た。

 一年側のSFやPFを躱していけばゴールは間近だ。視野の広さで厄介な高尾には宮地がマークについてもらっている。それですんなり得点出来ればいいんだけど──

 

 ──ゴール付近に戻っていた緑間が道を阻む。

 ちょっと攻めあぐねていたらボールはあっさり叩き落されて奪われた。

 瞬く間に3Pシュートで3点追加。

 

「……ごめん、金城君。ちょっとパス出してもらっていい?」

「え? あ、ああ」

 

 金城に声をかけてボールをもらう。

 一年チームが緑間で来る事なんて分かりきっていた。そんなに本気だって言うなら、こっちだってやってやる。

 

 再びドリブルで駆ける。するとまたすぐに緑間が立ち塞がってきた。

 普段はひょろっとしてて見えるくらい細身なのに、こうして相対するとそれなりに威圧感を感じるのは流石「キセキの世代」なのか。

 DFにも隙が無い。他の一年組と比べれば差がよく分かる。このまま何も仕掛けず時間切れになるのは癪だ。この小生意気な後輩にやり返してやりたい、そんな気持ちが芽生えた。

 

 集中する。

 周囲の雑音が掻き消えて、目の前の緑間だけが鮮明に捉えられる感覚。

 こいつの死角──利き手側でない右を狙ってドライブした。

 

 緑間をすり抜けてゴール下まで一気に到達する。

 このままレイアップを決め──ようとした所で、シュート体勢に入っていたボールは、その上から伸びてきた腕によって叩き落された。視界にちらついたのは、間髪入れずに追いついてきた緑間の姿だった。

 ……どんだけ反応速ぇーんだ。

 

 アウトボールになった事で攻守交替。高尾から一年側のCに向けてパスが出された。

 そのボールを宮地が素早くスティール。

 

「雪野!」

 

 そして直後に俺にボールが回る。

 こんな素直にボールを渡してくれていいのか、と思いつつ受け取った。

 

 迷っている時間は無い。すぐにゴール下めがけて駆けた。

 

「──そう簡単に行かせないのだよ」

 

 だろうと思ったよ。一年チームの中で誰よりも早く反応して戻っていた緑間がまた壁になる。普段と変わらない鉄仮面、の筈なのに、普段より険しさを感じたのは気のせいか。

 俺の何が気に入らねーのか知らないけど、そんな不機嫌まき散らしてんじゃねーよ。

 

 緑間に距離が近付く前に、助走をつけて跳び上がる。

 フリースローラインを目印にして高く跳んだ。緑間が驚いたような気配を出したけど、これならDFされようと関係ない。空中に敵はいない。

 

 久しぶりの宙を浮く感覚。

 邪魔者のいない空間。周りの奴等が一瞬遠ざかる。

 そしてすぐ目の前に見えたゴールリングに、今度こそボールを叩き込んだ。

 シュート後、少しリングにぶら下がって衝撃を落ち着かせて、着地する。そこそこ年季の入ったゴールだからが、シュート直後にリングが少し軋んでいた。……壊れねーよな? これ。

 

「……って、え?」

 

 ふと周りを見ると、一年も二年も、特に遠藤や吉田みたいな二軍のメンバーが沈黙していた。

 呆然としたような表情で俺を見ている。

 

 審判の宮本(二年)が得点を知らせた事で、やっと時間が動いた気がした。

 え? 何でこんな注目されてんの? 

 

「すげー! 雪野、レーンアップなんて出来たのかよ!」

「え、ああ……まあ……」

「つーか高校生でやれる奴なんて初めて見たぜ!? え、でも大丈夫かよ? あんな思いっきりジャンプして足とか痛めたんじゃ……」

「いや、とりあえず平気。大丈夫だから。ありがとうね」

 

 渡部が興奮してまくしたててきた。

 そういえば海常との練習試合でやったきりで、普段の部活じゃこんな事やる場面がないから驚く奴は驚くか。まあ好意的に受け取られてるみたいだから良かった。

 

「このまま逆転して緑間に一泡吹かせてやろーぜ。一年に負けてられるかってんだ」

 

 そういや、こいつも室田と同じで緑間にムカついていた組の一人だったな。声が明らかに生き生きしている。

 つっても、点差は(一年チーム)9対4(二年チーム)。

 残り時間は8分を切った。素直に負けてやる気がないのは俺も同感だけど。

 

 続いて一年チームのオフェンス。

 伊豆倉(一年・SF)がドリブルで進む。思ったよりスピードは速く、笹川(二年・PG)からのDFを躱しつつ、上手いことボールを運んでいく。

 緑間一人の攻撃で来るかと思ってたけど、他の一年もそれなりに攻める気持ちはあるらしい。

 

 伊豆倉から緑間にボールが渡った。

 ──あくまで3Pで押してくるっていうなら、打たせないだけだ。

 緑間がシュートモーションに入った所で、思い切り助走をつけて跳び上がる。

 手に伝わる衝撃。今度こそやった。叩き落されたボールは一拍空けてコートにバウンドする。

 

 いち早くボールを捕えたのは宮地だった。宮地はすぐさまドライブで切り込み、ハイポストまで駆け上がる。ジャンプシュートが放たれて、2点得点。

(一年チーム)9対6(二年チーム)。あと3P一つで追いつく点差。二年側のメンバーの勢いが上がってくる。

 

 それでも一年側は懲りずに緑間へボールを回した。

 確かにこいつが得点源になるのは間違いないけど――そう何度も同じ手に引っかからねーよ。 

 

 緑間がシュートモーションに入った瞬間を見計らって跳び上がり、ボールを叩き落した。今度はコートから出てアウトボールになってしまったので、一時試合の流れが止まる。

 二度連続で決め技を妨害されたってのに、緑間本人は眉一つ動かしてないのが気になった。

 ……3P一つ止められたくらいで何ともない、とか言いたいのか? 

 それならそれで、こっちは攻めるのみだ。一年側が回したボールを、伊豆倉に渡る寸前でスティールしてレイアップを決める。2点得点。

 

 けど俺が感じていた違和感は、やはり正しかったらしい。

 一年側が戦法を変えてきたのはここからだった。

 

 伊豆倉がドリブルで突っ込み、DFをかけられたタイミングでバックパスする。

 それを受け取ったのは、やはり緑間だ。

 シュート体勢に入り、3Pが打たれようとしている。すぐさま俺もブロックにかかろうとした時に──ボールはいきなり軌道を変えて、緑間の手を離れた。

 

「は!?」

「緑間がパス!?」

 

 外野でミニゲームを観戦していた三年陣から声が上がる。

 

 ボールは緑間から、隣に現れた高尾にパスされた。

 俺が跳び上がったタイミングと同時だ。すんでの差で追いつけない。高尾は素早くドリブルすると、その特殊な目でDFの隙間を掻いくぐってボールを回した。

 ハイポストに控えていた遠藤がボールを受け取る。完全に虚を突かれた二年チームの面子は、僅かだけど反応が遅れた。遠藤のジャンプシュートで2点追加。

 

(一年チーム)11対8(二年チーム)。

 外野のざわつきも雑音とばかりに聞き流している可愛げのない後輩に、思わず言った。

 

「…………へえ、パスとかやるようになったんだね」

「…………」

 

 無視かよ。

 緑間は何も返さず、視線だけ投げてポジションに戻って行った。

 

「マジかよ……緑間がパスとか初めてみた」

「あーでも、海常との試合じゃ確かやってたぜ。一回だけ」

「あれはマグレっつーか、負けそうで仕方なくだろ? こんなゲーム中にやってくるなんてな」

 

 二年チームの面々も、今見たものが信じられないように話していた。驚きより困惑の方が強いんだろう。確かに練習試合で一度だけあいつはパスやったけど、あれはあの試合だけのレアな出来事だと思っていた。

 驚きに浸ってる間は無い。金城が残り時間を気にしつつ、隣で呟いた。

 

「パスまで加えてくるなんてな……緑間の奴、本当にどうしちゃったんだ?」

「……さあ。とにかく、もうのんびりしてられないって事だね」

 

 残り時間はあと4分強。

 うだうだと悩んだり考えている余裕は無い。

 

 まるで緑間のパスが引き金になったように、二年チームと一年チームのぶつかり合いは激しくなった。

 

 俺が中からシュートを決めたら、緑間が3Pで外から打ち返す。

 緑間がフェイントで味方にパスして翻弄させてきたら、俺がブロックしてシュートを止める。

 お互いのチームのスコアは時間と共に上がっていった。けど同時に攻守が入れ替わる度、点数の優位も入れ替わってキリが無い。

 ただの3Pなら俺が跳んで防ぐ事は出来る。そこへ攻撃一辺倒だった緑間がパスやフェイクを織り交ぜてきたおかげで、試合経過が単純に進まなくなってきた。

 実力では緑間が飛び抜けているけどチームの総合力で言えば二年側が有利だ。でも一年側のメンバーもスタメンの緑間、そして高尾の動きに刺激されたのか粘り強い。そのせいで点の取り合いは途中から完全に拮抗し、やがてスコアは動かなくなった。

 

 とうとう残り時間は30秒に迫り、秒読み間近だ。

 スコアは(一年チーム)31対29(二年チーム)で硬直したままだった。

 

 一年側からの攻撃、ボールを持ったのは伊豆倉。

 この局面でパスを出す相手なんて決まっている。伊豆倉から緑間へのパスをスティールし、そのまま俺がドライブで突っ込んでシュートする。

 

(一年チーム)31対32(二年チーム)。

 

 滑り込みで、やっと差が上回った。

 

「おしっ!!」

「────違う、まだだよ!」

 

 残り時間が砂粒程度になったタイミングで逆転。

 思わず喜びかけた吉田に叫ぶ。目線をコート内に動かした。焦る頭でボールを発見した時、それは既に一年エースの手の中にあった。

 

 残り時間10秒。

 緑間がシュートモーションに入り、ボールを高く掲げる。

 

 二年チームが一斉に駆け出す。そして緑間の手からボールが離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────(一年チーム)31点、(二年チーム)32点で、二年チームの勝ち!」

 

 審判の宮本が高らかに宣言した瞬間、一年チームの連中は緑間以外がたちまち崩れ落ちた。

 

 いや、力尽きたって言うべきなのか? 特に吉田と伊豆倉みたいな、試合に出る事が少ない一年連中は打ち上げられた魚みたいにコートに転がっていた。ミニゲームでいきなり上級生相手にして、しかも本試合並みに緊張感のあるゲームになったから無理ないかもしれない。……ちょっとだけ、申し訳なくなった。

 

「おっしゃっ──―!! 勝ち!!」

「宮地君、声でかい……それに一年相手の事じゃん」

「勝ちは勝ちだろ! ……緑間にもこの前の借り、返せてやれたしな」

 

 隣の宮地が満面の笑顔で俺の背中を叩く。痛い。

 力尽きた一年とは逆に、二年側のテンションは爆上げになっていた。前に室田が辞めた時のミニゲームでは一年に負けたから、嬉しさも倍って奴か。

 ……まあ、俺も嬉しくない訳じゃ無い。

 試合が終わった時の、緑間の唖然としたあの顔を見た時はちょっとスカッとした。

 

「けどすげーよ雪野! お前が見抜かなかったら負けてたって!」

「うんうん、本当にな。よく分かったよな、緑間がパスするって」

「あー……あれね」

 

 試合終了間際の、10秒足らず。

 シュートモーションに入りかけた緑間に、二年チームの面子が即座に飛び掛かっていった、あの瞬間。

 ──実際に、緑間が決めた選択はシュートじゃなくパスだった。

 二年チームの奴等を引き付けておいて、隣に控えていた高尾にボールを投げたのだ。

 

 俺がやった事は、その高尾へのパスをスティールして、緑間の反撃を止めたこと。

 やがて時間切れになり、結果としては俺達が勝った。

 

 宮地を始めとして他のメンバー全員が読み切れなかった為なのか、皆して俺の事をしきりに褒めてくる。……どうにも落ち着かなくて、とりあえず笑っておいた。

 

「まあ……何か勘だよ、勘」

 

 その時、監督の指示が下ってミニゲームをやっていた面子は休憩に入った。

 次はメンバーを変えて見学していた三年と他の二年で試合をするらしい。……うわ、それを思うと先にゲームやっといて良かったかも。宮地(弟)はまだしも、宮地(兄)(三年・SF)の敵チームでやるのは色々と怖い。

 

 ゲームに参加していた奴等がそれぞれ小休止に入っている中で、俺はこっそり体育館を出た。

 たった1Qのゲームなのにすげー体動かした気がする。思い出したみたいに流れてくる汗が鬱陶しくて、体育館裏の水道場に向かった。蛇口を上向きにして思い切り水を開放する。今日はちょっと涼しい日だから頭から水を被ると少し寒さを感じた。

 

 俺が文字通りに頭を冷やしていたその時、そいつは音も無く現れた。

 

「雪野さん」

「っ!!?」

 

 完全に気を抜いていたから思わず蛇口に額をぶつけた。

 

「……み、緑間君? 何……?」

「…………」

 

 俺が額を摩りながら振り返ると、そこにはさっきまで試合をしていた後輩が突っ立っていた。……おい、その憐れみ含むような目は止めろ。お前のせいだからな! 

 

 蛇口を締めて水を止めると、その場に沈黙が落ちた。

 ……え、本当に何? 

 呼びかけた癖に、口を閉じたままの緑間。何の用だよ。まさか負けたからって恨み言とか言いにきた訳じゃないだろう。たかが練習中のミニゲームだし、いくら機嫌が悪いからってそんな事で八つ当たりするような奴じゃ……無い、と思う。

 

 こいつが入部して、紆余曲折あって半年くらいの付き合いにはなるけど、未だにその行動には理解が追いつかない事の方が多い。他の部員の奴等も同じ答えだろう。高尾に関しては、あいつは緑間に限らず対人能力が強過ぎる。

 

 緑間の視線と視線が合う。でもお互いに言葉は出てこない。

 ……もう適当に引き上げていいかな、これ。この気まずい沈黙に耐えられなくて俺が逃げ道を考え始めた時だった。

 

「すいませんでした」

「はいはい。じゃあ僕は戻るから……。…………え?」

 

 遂に幻聴が聞こえたのかと思った。

 

 自分の耳を軽く叩いたけど、特に変わった様子は無い。グラウンドで走る野球部の掛け声だってしっかり聞こえてくる。

 

 だとしても、え? 

 この小生意気な後輩から飛び出た言葉を頭が信じられなかった。

 

「ごめん緑間君、今なんて……?」

「ですから、昨日は失礼な事を言ってすいませんでした」

「…………」

 

 とうとう幻覚まで……あーいや、現実だ。

 陸上部が遠くでタイム取ってる音も聞こえてくる。

 

 主将にも三年の奴等にも意見を言ってばかりで監督にも口答えする緑間が、あの緑間真太郎が、俺に謝っていた。

 

「いや、昨日はまあ……僕も気にしてないし、そんな謝らなくてもいいよ。律儀だね、緑間君……」

「俺は最初、雪野さんはスタメンの枠を取ってる癖に試合には真摯に取り組もうとしない、適当な方なのかと思っていました」

 

 謝るのか喧嘩売るのかどっちなんだよ。

 静まりかけたイラつきが復活しそうになったが、緑間の言葉は続いた。

 

「ですが……間違っていました。貴方は確かに人事を尽くしてプレイしていた。さっきのゲームでよく分かりました」

「…………」

「それが分かったから、謝りに来たんです」

 

 いつになく殊勝な様子で、軽く頭を下げる緑間。

 

 そんなに評価してくれるのは有難いけど、俺としてはひたすら複雑な思いだった。

 確かにさっきのミニゲームは結果としては俺達二年が勝ったけど、緑間の俺に対する「適当な人」って認識は、的外れでもない。

 

 昨日の緑間の言葉にあんなにイラついたのだって、こいつの指摘が何一つ間違ってないからだ。

 俺が目を逸らしていた事を、あんまりにも真っ直ぐぶつけてきたから。

 

「だから、緑間君が謝る必要なんて無いよ。さっきのゲームだって僕達が勝ったけど、途中はどうなるか分からなかったし」

「……それでも、あの最後のパスが止められたのは予想していませんでした。何故雪野さんには、あの数秒で看破出来たのですか?」

 

 あれ、もしかしてこいつちょっと凹んでるのか。心なしか声が弱々しい緑間を見て思う。

 緑間からすれば時間切れのギリギリの隙をついたフェイクだったろうし、あのパスが通っていれば一年チームが逆転してた可能性もある。

 

「うーん……見破ったとかそんな大袈裟な話じゃないけど。単にボール持ってる緑間君を集中して見てただけだし」

「集中?」

「昔からなんだけど、試合中にちょっと相手をよく見るようにしてると、段々集中して相手の動きがよく分かるようになるんだよ」

 

 言葉に出して説明するのは難しかった。

 大体、少し集中して見てれば相手がどう動くかなんて分かってくるもんじゃないのか。

 

「……試合中に、雪野さんの動きが読みにくくなっていたのも、そのせいなんですか?」

「え? あー……多分そうなんじゃない?」

 

 自分の事だけどよく把握していない。集中し過ぎていると周りがよく見えなくなるのも昔からだ。

 つーか随分質問してくるな。パスを止められた事がそんなに珍しい事だったのか?

 すると緑間は、納得していないように続けた。 

 

「あんな事が出来るのだったら、試合中にもっと使えばいいじゃないですか」

「別に出し惜しみしてた訳じゃないよ。わざわざ僕が出しゃばる時が無かっただけで……」

 

 去年は大坪主将がいたし、今年のIH予選だって緑間がいた。戦力的には十分なんだから、わざわざ目立ちたくなかった。

 

「……緑間君が昨日言ってた事、間違ってないんだよ。手を抜いてたつもりはないけど、今までの試合で全力を出してきたかって言われたら、頷けないから」

「…………」

「多分、怖かったんだよ、試合が」

「……何故ですか?」

 

 緑間が穏やかに訊ねる。

 その問いで、俺は危うく口が滑りかけていた事に気付けた。

 

「……ちょっと昔ね、対戦したチームとゴタゴタがあって大変だった事があって。すっかり吹っ切れたかと思ったんだけど、まだ引き摺ってたみたい。ごめんね、緑間君達にまで気遣わせて」

 

 俺の話の切り上げ方が唐突だったのか、緑間は眉を寄せて不可解そうな表情をした。

 ……危ねえ。うっかり話しちゃまずい事までベラベラ話す所だ。思ったより疲れてたのかもしれない。

 でも緑間も、それ以上突っ込まないから何か察してくれたらしい。その程度の機微を読む力はあったのか……それとも、さっきの試合が良い方向に働いたのか。

 

 こいつの気分の良し悪しはまだ掴めなかったけど、とりあえず機嫌を直してくれたなら安心だ。部活中の気まずさに耐えるのも限界だったし。と、試合終わりの緩んだ空気が流れかけたのも束の間。

 

「……おーい、二人共。いつまでサボってるんだ、戻ってこい。雪野、お前またゲーム参加だぞ」

「えっ!? ……僕、さっきもやりましたよ?」

「他の二年もローテーションで入るんだ、早くしないと宮地がキレるぞ」

 

 と、俺と緑間を探しに来たらしい時田(三年・SG)がサラリと死刑宣告をしてきた。

 ……おい緑間、今ちょっとほくそ笑んだだろ。しっかり見たからな!? 

 

 

 

 体育館に戻ると、予想通りに宮地(兄)の怒号が降り注ぎ、俺はまたしても鬼のようなペースで試合に参加する派目になった。

 

 どうも、俺にあれこれ悩んだり考えたりしている暇は無いらしい。

 今度は三年陣との試合に挑むべく、またコートに踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◆◆◇◆◆◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──そして時は流れ、3ヶ月後。

 11月7日土曜日、正午。

 

 

 

 WC(ウィンターカップ)予選────開幕。

 

 

 

 

 

 

 

 



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