真実の終点 (夏野 雪)
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始発点

 列車の心地よい揺れと走行音が響く中で、その人は大きな車窓から外を眺めていた。
車窓から何かを見ているのではなく、流れていく景色をただ眺めていた。
私が声を掛けるとゆっくりとこちらを振り向いた。
その表情はとても穏やかなものだった。
私の来訪やその理由さえも見透かしているかのようなまっすぐな眼で
しっかりと私を見つめていた


 それは全く持って身に覚えのない内容の手紙だった。

何とも座り心地が良さそうな黒革のロッキングチェアに腰掛けながら、神田はパソコンに届いた

一通のメールに目を通していた。

 

神田 笑一( かんだ しょういち)

 

 

この度、今週末に高級寝台列車でのミステリーオフ企画にご参加頂きたくご連絡致しました。

内容に関しては「犯人当てゲーム」とだけしかお教え出来ないのですが、宜しければ

ご参加頂ければ幸いです。』

 

普段あまりこういう企画には参加しないようにしていて、今回も断ろうかと考えていたのだが、

神田にとってどうしても素通りできない文字。それが最後に刻まれていた企画者の名前だった。

 

草賀(くさが)ティアリス』

 

そこに書かれていたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

これは悪質な悪ふざけなのだろうか?

それとも今回の「犯人当てゲーム」の一環なのだろうか?

どういう理由だったとしても、この企画を無視することができなくなってしまったようだ。

神田はパソコンの傍に置いてあった手帳を開き、今週末の予定の確認を始めた。

 

 

 

 寝台特急『千歳(ちとせ)

シェリンの目の前には「走るホテル」の異名を持つ立派な十両編成の列車が優雅に停車していた。

名前ぐらいはシェリンも聞いたことがあったのだが、まさか自分がこの列車に乗れる日が来るとは

夢にも思っていなかった。

シェリン・バーガンディ。

彼は何時になく心を弾ませていた。

それは彼が何故駅に立っているのか。ということに大きく関わっていた。

彼が駅に立っている訳は旅行に行くわけでもなければ、誰かの見送りに来たわけでもない。

その理由は仕事だった。

今回彼はこの豪華寝台列車内で行われる「ミステリーゲーム」の探偵役に指名されたのだ。

夢にまで見た探偵としての仕事。しかも、こんな理想的なシチュエーション。

興奮するなという方が無理なのであった。

「やっぱりネットの画像と本物じゃ迫力が違うなー。」

「そりゃそうや。」

シェリンが華麗な列車に見惚れて独り言を呟いていると聞き慣れた声が突然と

背後から襲ってきた。

「うわっ!? 」

驚きの余り勢い良く振り返ったシェリンの背後に立っていたのは同期の早瀬 走(はやせ そう)だった。

「なんだー...らんねぇちゃんか。驚かさないでくださいよ。」

「なんやねん。可愛らしい同期が話しかけただけやないか。」

早瀬は少し頬を膨らましながら、不満気な表情でシェリンを見つめていた。

「それはそうなんですがね。でも、いきなり...。」

「おー! これか。うちらが乗れるっちゅう寝台特急ってのは! 」

シェリンの言葉は最後まで聞くことなく、早瀬は目を輝かせながら列車へと近付いていった。

自分自身もついさっきまで見惚れていたシェリンには無邪気な同期を咎める術はなかった。

「せや! シェリンは今回の「ミステリーゲーム」ちゅうやつで何か役割もらってるん? 」

早瀬はシェリンの存在を思い出したように、くるりとシェリンの方へと振り返った。

「ええ...私は勿論『探偵』役ですよ。」

シェリンは得意げな顔で愛用のモノクルをくいっと人差し指で押し上げて見せた。

「ほんまか! それならやり易くて助かるわー。」

「『()()()()』とは? 」

「実はな。私の役割は『探偵の助手』なんよ。せやから一緒に頑張ろうな! ()()()。」

そう言うと早瀬はシェリンに向かって、ウィンクを送った。

これは何とも力強い味方が出来たものだ。

正直に言ってしまえば、慣れない探偵役というポジションに緊張していたのだが、

気心知れた同期が傍に居てくれるとなれば何故か自信が湧いてくるのだから不思議なものだ。

というのも今回の「ミステリーゲーム」では『何らかの犯人当てゲーム』が行われることと

『舞台が寝台特急千歳』であること、そして『自分の役割』以外は全てが謎に包まれていた。

誰が主催なのか、自分以外に誰が現れるのか、ゲームの進行方法や最終目標。

全てがわからないままなのだった。

「あー! そこに居る二人は...。」

二人が声のした方向へと同時に顔を向けると、改札からホームへと続いている階段を

降りきったところに仲良く並んで立っているリゼアンの二人組と目が合った。

「やっぱりシェリンさんと早瀬さんだ。」

ニッコリと微笑みながらリゼが二人に向かって手を振っていた。

「お二人も今回の企画に参加されるんですね。」

「そうなんですよー。ちょっと怖かったんですけど、リゼに相談したら同じものが

リゼにも届いてて一緒に行こーってなったんですよ。」

シェリンの問いに身振り手振りを交えながらアンジュが足早に答えた。

「やっぱ同じなんやなー。他に誰が来るんやろ? 怖いような楽しみなような...。」

早瀬はブルブルと大袈裟に体を震わせていた。

怖いなんて内心思ってもいないよね。と口から出かかった言葉をシェリンは慌てて飲み込んだ。

「本当ですね。ところで、シェリンさんたちは主催とか企画者の方にはもう会いました? 」

「いいえ。らんねぇちゃんとお二人としか会ってませんね。」

「せやな。私もそうや。っていうか誰が主催かも知らんしな。()()()()()()()()()()()()()。」

リゼの問いかけにシェリンと早瀬は顔を見合わせ、お互いに相槌を返しながら答えていた。

「えっ? 」

短く、そして小さく呟いたのはリゼだった。

「それじゃあ...二人は()。」

アンジュが何かを口にしようとしたところで、慌ててリゼがアンジュの服の袖を引っ張った。

「『二人は』って? 」

「あ...え...その...。」

シェリンの素朴な疑問に対してアンジュは何故か必要以上に狼狽していた。

その理由はシェリンにも早瀬にも全く見当がつかなかった。

慌ただしい駅の喧騒の中で奇妙な静寂が四人を包み込んでいった。

シェリンはこの静寂の示す意味をこの時はまだ知る由もなかった。

 

 



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発車 18:05

 「あ! あれって! 」

重苦しい静寂を一掃したのはリゼの声だった。

その声は心なしか普段より大きく語気が強くなっているように聞こえていた。

リゼが声をあげて視線を送ったのはシェリンと早瀬の後方だったので、

二人がそちらの方へ振り返ると、そこには三人の人物がこちらに向かって

歩いてきている所だった。

「おっ? 誰かと思えばシェリンさんとらんねーちゃんじゃないですか。」

手を挙げてニッコリと微笑んでいたのは三人の中で真ん中を歩いていた神田笑一だ。

「本当だ。その後ろにいるのは...リゼアンのお二人かな? 」

神田の右側、列車側を歩きながらシェリンたちの後ろを覗き込もうとしていたのは

剣持 刀也(けんもち とうや)だった。

「やっほー」と神田の左側で満面の笑みで手を振っていたのは勇気(ゆうき)ちひろであった。

自分以外の女性の姿を見つけて、少し安心したのか、四人を認識した瞬間にちひろの表情が

明るくなったかのようにも見えた。

「お三方も今回の企画に企画に参加されたんですね。」

シェリンの言葉に反応して、ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべたのは剣持だった。

「今回の企画ってミステリー企画なんですよね。まさか、シェリンさんが探偵になるなんてことは

ないですよね? 」

それを聞いたシェリンは先ほどと同じようにモノクルに指を当てた

「ええ。もちろん今回難事件を解決する名探偵こと、シェリン・バーガンディとは

私のことですよ。」

「うわー...こりゃ迷宮入りだわ。」

ちひろの真顔でのツッコミが炸裂し、先ほどまでの重苦しかった空気が幻だったかのように

明るい雰囲気が七人を包んでいった。

その雰囲気によって少なくともシェリンと早瀬はアンジュが何かを言いかけていた事を

もう忘れかけてしまっていた。

話を聞くとシェリンと早瀬と剣持以外の四人は『乗客』という役割を担っていたのだが、

剣持だけは一風変わった役職だった

「『鉄道会社のオーナー』? 」

「ええ。そうなんですよ。何をするのか見当もつかないんですけどねー。」

「せやな。自分以外の役職に何が有るかなんて知らんしね。ぶっちゃけ嘘の役職言われても

私らはわからんもんなー。」

早瀬と剣持がそんな会話をしていると再び一団に向かって話しかけてくる声が聞こえてきた。

「先生じゃないっすか! 」

ひと際大きな声で元気よく飛び込んで来たのは三枝 明那(さえぐさ あきな)であった。

「三枝先輩。急に走り出してどうしたんですかー。」

息を切らしながら三枝を追いかけてきた星川(ほしかわ) サラと本間(ほんま) ひまわりの二人も姿を現した。

「星川ちゃんにひまちゃんだ。二人も参加だったんだね。」

嬉しそうに二人に近づいて行ったのはリゼだった。

「お? リゼちゃんじゃん! にしても、思ってたんより人数多いなー。」

ひまわりも星川と共に嬉しそうにリゼと言葉を交わすと駅構内に突如として出現した一団を

ぐるりと見渡した。

見慣れた顔ぶれにしても、ここまでの人数が一堂に会するということも

中々珍しい出来事であった。

普段とは違う状況による戸惑いと期待が皆の心に渦巻いて行く中で列車の発車時刻が

近づいてきていた。

「そう言えば、この後ってどうするんですかー? 」

最初に口にしたのは星川だった。

「せやね。なんも言われてへんけど、乗っちゃってええんかな。誰か何か聞いとる人おらん? 」

ひまわりの言葉に互いに顔を見合わせる面々だったが、答えようとする者は出てこなかった。

「剣持さん。オーナー役ってなんか聞いてたりしないんですか? 」

神田が隣に居た剣持に尋ねた。

「いや。何も聞いてないですね。」

すかさず反応した剣持は首を横に振った。

「恐らく誰も知らないんじゃないかな? 俺も役割『車掌』って書いてあったけど、特別に

何か聞かされたりしていないからね。」

剣持の答えに補足を付け加えたのは三枝だった。

どうやら三枝も『乗客』以外の役割を担っていたようだ。

皆が時計とお互いの顔を見合いながら、列車に乗るべきか否かを決めあぐねていた。

「皆さん。お揃いですね。」

突然、一団の外から声が飛び込んできた。声は改札へ続いている階段の方から聞こえてきた。

ほとんど一斉に皆が声のする方へと振り返った。

皆が見つめる先、階段をゆっくりと下って来ていたのはグウェル・オス・ガールだった。

「お待たせして申し訳ございません。今回ミステリー企画の進行兼雑用を担当致します。

まだ力不足ではあると思いますが、精一杯務めさせていただきますのでよろしくお願いします。」

図っていたのかどうかはわからないが、グウェルは喋り終わるのと同じタイミングで

階段を下り切って見せると、全員に向かい微笑みを向けた。

「タモさんが引率なん? なんか一気に不安になったわー。」

ひまわりの冗談なのか本気なのかわからない鋭いツッコミが入った。

その言葉を聞き吹き出すような笑い声も聞こえてきたが、グウェル自身は何ら気にする

様子もなく変わらぬ笑顔でそれをスルリと躱すと言葉を続けた。

「さぁ! 皆さんミステリーツアーのスタートです。皆様に企画者から事前に預かっていた切符を

お渡しします。そこにお部屋のある車両番号と部屋番号が書かれてます。」

グウェルが上着の内ポケットから映画のチケットのような切符の束を取り出すと、

書かれている番号を確認しながら慎重に一人一人へと手渡していった。

「ほんまや。切符に書いてあんな。私は二号車の一号室やって。シェリンは? 」

早瀬からの質問にシェリンは受け取った切符を見つめた。

切符には大きな文字で『東京↔福岡』と書かれ、すぐ下には発着予定時刻である

『18:05発 9:58着』の文字もあった。

部屋番号は更にその下。『チトセ号』の文字の横にしっかりと記載されていた。

「えっと...私は一号室の一号室ですね。」

シェリンと早瀬以外のメンバーも隣同士で車両番号の確認などをしているようで、

その声を聞いている限りでは一号車と二号車に部屋は集中しているようだった。

「皆様は乗り込んだ後、十八時半になりましたら食堂車である三号車に集合してください。

そこで夕食と今後の説明をさせて頂きます。それまでは自由時間となります。

では、ミステリーツアーに参りましょう! 」

 

 




 グウェルは列車の傍で全員が乗り込むのを確認していた。
滞りなく乗り込みが続く中で一人の人物がグウェルの前で立ち止まった。
それはひまわりだった。
「どうなさいましたか? ひまわり殿。」
「タモさんさぁ...企画者の人に直接会ったん? 」
「いいえ。全てメールで指示を受けていたので、お会いしてませんね。
何でしたっけ...くさ...。」
「あ! ありがとう! 」
グウェルが何かを口にしようとした瞬間、ひまわりは慌てた様子でグウェルの
言葉を制止すると足早に列車へ乗り込んで行った。


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食堂車 18:30

 「なんでなーん! 」

広い客室に早瀬の声が響いた。

客室内で最初に早瀬の目を惹いたのは大きな車窓だった。

天井近くから湾曲した大きなガラスは室内の車体側の大部分を担っていた。

その大きな車窓では夜の帳が下り、煌びやかな多彩な街に灯る光が流星のように流れていた。

窓際のソファに座りながら景色を眺めていると、思わず自分がジョバンニにでもなったかのような

気分になってしまいそうだ。

窓の傍にはブルーの二人掛けのソファが向かい合っており、その間には小さなローテーブルも

置かれており、そのt上には数種類のウェルカムドリンクとスナックがきちんと並べられていた。

室内には列車の揺れの中でも寝心地が良さそうな大きなベッドにしっかりとした照明付きの

化粧台までが用意されていたのだ。

「走るホテル」の異名は伊達ではなかった。

これがシェリンに割り与えられた寝台特急千歳ご自慢の一号車にあるロイヤルルームであった。

一号車には一号室から七号室があり、その全てがロイヤルルームと呼ばれており、

鉄道ファンのみならず人気の予約困難な客室として有名なのであった。

一方、その優雅で快適な室内の中で高らかに不満を嘆いている早瀬は二号車の一号室である

デラックスルームに宿泊することになっていた。

このデラックスルームというのもランクは一つ落ちるものの人気の客室であった。

二号車も一号室から七号室までがあり、その全てがデラックスルームとなっていた。

ロイヤルルームよりもベッドのサイズが小さく、車窓の縦横の幅も狭い。

ソファも一つしかなければ化粧台もなく、その代わりに小さな木製の事務机が用意されていた。

「何で私もロイヤルじゃないんよー。私もこっちの車両がよかったわ。」

自分の荷物の整理が終わったようで、先ほどシェリンの客室に入ってからはこの台詞ばかりを

何かの呪文のように唱え続けていた。

「僕が決めたわけじゃないんだから仕方ないでしょ。そっちだって別に良い部屋じゃないの。」

「せやかて...こっち見てもーたら羨ましくなるんが人情ってもんやろー。」

そんな思いをしてまで早瀬がシェリンの客室を訪れたのには、それなりの理由があった。

勿論、噂に聞くロイヤルルームを見てみたいという気持ちが全くなかったと言えば嘘になるが、

本当の目的は別にあった。

「それにしても...こんなものを用意してくれるなんて...。僕より探偵してるじゃないですか。」

そう呟くシェリンの手には一枚のメモが握られていた。

「名探偵の陰には優秀な助手ありってね。」

シェリンに褒められて満更でもない様子で、早瀬はようやく笑顔を見せた。

探偵の優秀な助手が最初の成果として持ってきたものは全員の部屋割りだった。

 

『1号車1号室/シェリン(探偵)、2号室/笑一くん(乗客)、3号室/リゼちゃん(乗客)、

4号室/アンジュちゃん(乗客)、5号室/ちーちゃん(乗客)、6号室/ひまちゃん(乗客)、

7号室/持さん(オーナー)

2号車1号室/早瀬(助手)、2号室/星川(乗客)、3号室/アッキーナ(車掌)、4号室/グウェル』

 

メモには手書きで丁寧にそれぞれの部屋番号と役割が書かれていた。

早くに自室を出て一部屋一部屋確認してくれていたようだ。

シェリンは思いの外に豪華な客室にテンションが上がってしまい、はしゃいでいた自分が

少しだけ恥ずかしくなっていた。

「お。もうすぐ六時半やんか! 食堂車に行こか! 」

そんな嫌味なことなんて微塵も思っていないであろう早瀬が屈託のない笑顔をシェリンへと

向けていた。

彼女自身は今この時を思いっ切り楽しんでいるだけなのだろう。

同期としてと言うよりも一人の人間として見習わなければいけない点だなと感じていた。

「そうですね。行きましょうか。」

二人は居心地の良い部屋を後にして、三号車へと向かった

 

 

 シェリンと早瀬が食堂車に着いたのは十八時二十五分頃のことだった。

すでに食堂車には何名かのメンバーが集まっていた。

食堂車には四人掛けのテーブルが車両の左右に五卓ずつ並んでおり、

その一角に皆が集まっているのがすぐに分かった。

二号車側の入り口から見て左列の一番奥の一卓と右列の一番奥から二卓分が確保されていた。

分かっていたことだが、客観的に見てみると待ち合わせのランドマークには

困らないメンバーたちだなとシェリンは思っていた。

テーブルの上には皴一つ無い純白のテーブルクロスが敷かれており、綺麗に磨かれた食器一式が

きちんとセットされていた。

各テーブルの車体側にはしっかりと車窓がついており、食事をしながらも景色が楽しめるように

なっていた。

椅子には座らずにテーブルの傍に立っていたグウェルは二人を見つけると変わらぬ笑顔で

声を掛けてきた。

「シェリン殿、早瀬殿。お疲れ様です。空いている好きな席に座っちゃって下さい。」

二人が空いている席を確認してみると、左ではリゼアンの二人が座っており、

右の一卓には神田、三枝、剣持が座っていて、もう一卓にはちひろが一人で座っていた。

二人は自分たちから一番近かったということもあり、ちひろが一人で座っていたテーブルに

並んで腰かけた。

「ちーさん。失礼しますね。」

早瀬が笑顔でちひろに声を掛けると、窓からどこか遠くを見つめていたちひろも我に返り、

可愛らしい笑顔を二人へと向けた。

「おー! どうぞどうぞ! 」

シェリンはちひろの表情の変化に少し違和感を覚えていた。

しかし、今までコラボなどでそれほど強い接点が合ったわけではないので、

こういう人なのかも知れないなと思う程度にシェリンの心の中で留まっていた。

「あとは...ひまわり殿と星川殿ですかね? 」

グウェルがキョロキョロと各テーブルを見渡しながら人数を確認していた。

「すいませーん! ちょっと部屋を見てたら遅くなっちゃいましたー! 」

グウェルの言葉の直後に勢い良く食堂車に現れたのは星川だった。

星川のすぐ後ろにはひまわりの姿も見えていた。

時間は丁度十八時時半だったので、別に遅刻したわけではないのだが、二人は先に着席していた

メンバーに軽く謝罪をしながら、リゼとアンジュが座っていた左側のテーブルに揃って着席した。

「これで全員揃いましたね。ではまずは食事を楽しみましょう。」

そう言うとグウェルは食堂車のスタッフに食事を始めたい旨を伝えると、間もなくして

各テーブルに順々に料理が運ばれてきたのだった。

 

 

 食事はフランス料理のコースだった。

高級海鮮がふんだんに使われたサラダ仕立ての前菜に始まり、自家製クリームスープ、

そしてはひと際大きな歓声が上がったメインの牛フィレ肉。

最後は季節のフルーツと自家製アイスクリームのデザート。まさに至れり尽くせりだ。

共に出された焼きたてのパンも漏れなく美味しいのだから言うことはなかった。

今は食後のコーヒー、紅茶を飲みながら全員が夢のような時間の余韻に浸っていた。

「食事はお楽しみいただけましたでしょうか。」

まるで自分が作ったかのような言い回しで席を立ったのはグウェルだ。

「もー...最高やね。」

なんとも感情の込もった声で感想を述べていたのはひまわりだった。

声だけでなく、その表情からも幸福度と満足度の高さが伺えた。

「食べるだけでも少し緊張しちゃいましたよー。」

その横でアンジュもそう言いながらティーカップを口に運んでいた。

「では、ここからが本題です。これから明日の朝にかけて『ある事件』が車内で起こります。

皆様にはその謎を解いて頂きます。その謎の重要な『()()()()()』を今からお配りします。」

グウェルはテーブルの上に置いてあった茶色のA3サイズの大型封筒を手にすると、

各テーブルに向かって順々に見せていった。

どうやら封筒の口はしっかりと糊付けされていた様でグウェルはそれを全員の前で

丁寧に剥がし始めた。

皆がそこから何が出てくるのかを固唾を呑んで見守っている姿は、

まるでミステリードラマなんかでよく見かける大金持ちの遺産相続の発表場面のようだった。

もしくは『ハンドパワー』を駆使しているマジシャンの姿にも見えなくもなかった。

封筒が開封されるとグウェルはその中へ手を入れた。

皆が注目する中で、その中から取り出されたものは白い便箋だった。

「まさか新手のマトリョーシカだったとは驚いたね。」

ほとんどの人物がキョトンとしている中で、剣持が嫌味たっぷりの台詞を吐いた。

「残念ながら新作マトリョーシカのお披露目会ではありません。良くご覧ください。

便箋の表には割り振られた役職名が書かれています。」

そう語るグウェルの手の中にある便箋の表には確かに『乗客1』と書かれていた。

「『乗客1』って...私ですね。」

少し考えて名乗りを上げたのは神田だった。

それを聞いたグウェルは持っていた便箋を神田へと手渡した。

「これは全員分ございます。中身は指示がない限りは他言無用でお願い致します。

部屋に戻ってから各自で内容の確認して下さい。」

 

 

 



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一号車 22:00

 シェリンに与えられた任務は実に単純明快なものであった。

 

今夜、寝台特急千歳内で起こる事件の真相を解明せよ。

 

客室に戻ったシェリンはベッドに寝ころびながら『探偵』と書かれていた

便箋の中に入っていた紙を眺めていた。

ふっとスマホの画面に目をやると、『21:05』となっていた。

食堂車から客室に戻ってきてから一時間半ぐらいが経っていたが、

今のところ何かが起こりそうな気配すら感じられなかった。

このまま横になっていると列車の奏でるメロディが子守歌となってこのまま夢の中へと

誘われてしまいそうだと危機感を感じたシェリンは徐に起き上がり、

スマホと早瀬のメモを手に取ると化粧台の前に向かった。

少し乱れた身だしなみを整えると、列車内の探索をするために部屋を出ようとドアノブに

手を掛けた時だった。

シェリンの部屋のドアを誰かが外からノックしてきたのだ。

「えっ? またらんねーちゃんか? 」

短い返事とともに扉を開けてみると、そこに立っていたのは剣持だった。

「おや。剣持さんじゃないですか。どうしました? 」

「実はシェリンさん...いや、()()()()に話しておかなければいけないことがあるんです。」

 

 

 剣持とシェリンは再び食堂車を訪れていた。

男女二人っきりでワイングラスを傾けるには打って付けの雰囲気となっていたのだが、

今利用しているのは男同士である上に、二人の目の前にあるのはお洒落なワイングラスではなく、

可愛げな彩り豊かな特製デザートプレートセットなのだった。

「それで...『()()()()()()()()()()()()()()()』とは一体? 」

プレートの上のケーキなどを半分ほど食べたところでシェリンが一度フォークを置いた。

それを見ていた剣持も一度セットドリンクのレモンティーを一口飲んでから、

ゆっくりと話し始めた。

「『()()() ()()()()()()』...。」

「えっ? 」

「『草賀 ティアリス』という名前に聞き覚えはありますか? 」

その名前はシェリンにとって、全く聞き覚えのないものだった。

名前と言われなければ、人名だと判断することすら出来なかっただろう。

「いや...すいません。会ったこともなければ、聞いたこともない名前ですね。

有名人とかですか? 」

シェリンが素直にそう答えると、剣持は少しだけ目を見開き驚いたような素振りを見せた。

「それは本当ですか? 文章の一部とかでも見たことありませんか? 」

「...ええ。ないと思うんですが...。その...クサガさんがどうなされたんですか? 」

剣持があまりにも意外そうに聞いてくるもので、シェリンは今一度自身の記憶の中を

検索してみたが、やはり『クサガ ティアリス』なる人物がヒットすることはなかった。

「...僕がシェリンさんに伝えなくてはいけない事は()()()()()()()()()()()()()()()()

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

「事件の背景? 剣持さん。『クサガ ティアリス』って一体誰なんです? 」

剣持は車窓から外を見つけたまま、何も答えようとはしなかった。

窓の外に流れる景色から気が付けば街の光は消え、その代わりに今まで見えていなかった

星の光が空に輝いていた。

そのまましばしの沈黙が流れた後で剣持は静かに立ち上がった。

「僕が伝えなければ...いや、伝えることが出来るのはここまでなんです。」

剣持は笑顔で「失礼します。」と頭を下げると二号車の方へ向かって行ってしまった。

シェリンは剣持を引き留めようと立ち上がったが、そんな思いに反して言葉が出てこない。

何を聞くべきなのかも分からないままでは、去り行く剣持の背中を見送ることしか出来なかった。

 

 

 三枝とグウェルは一号車の廊下の端に用意された椅子の前に立っていた。

椅子は背もたれや肘置きもしっかりと備わっており、座り心地自体は悪くなさそうに見えた。

「マジでやるの? 」

三枝が少し引き攣った笑顔をグウェルへ向けていた。

「ええ。もちろん。ご安心ください、わたくしもしっかりとサポート致しますから。」

一方のグウェルは変わらぬ笑顔で自分の胸をポンッと軽く叩いていた。

「いやー...それは有難いんだけどね。そういう意味じゃ...。」

この豪華な寝台列車のロイヤルルームには一つ弱点があった。

それは内線が備わっていない事だった。

そのため何か不具合があったり、ルームサービスのようなものを頼みたいと思った場合には、

自分たちで伝えに行かなくてはいけなかった。

なので、通常は車両の廊下の端に車掌がスタンバイしており、客室を出ればすぐに依頼が

伝えられるということになっていた。

今回はこの一号車が実質的にミステリー企画一行の貸切状態だったため、

そのポジションを時間を定めてメンバーの一人が担えるように取り計らってもらっていた。

時間は比較的需要頻度が低いと思われる時間帯である夜十時から翌朝六時までの八時間の間だ。

その時間はこの椅子にメンバーの誰かが座り、一号車での実務をこなすと言う訳だった。

そして、その大役を命じられたのが『車掌』である三枝なのであった。

しかしながら、三枝一人では余りにも不憫だと言うことでグウェルが名乗りを上げた。

その結果、最初の四時間を三枝。後半の四時間をグウェル。という具合に二人で分担することと

なったのだった。

「では、そろそろ時間ですね。何かあったらスマホにメッセージ下さいね。」

グウェルが腕時計を確認してみると、時計の針は間もなく二十二時を示そうとしていた。

「そろそろですね。では何かありましたら、わたしのスマホまでメッセージを送ってください。」

励ましの言葉を三枝に伝えると、グウェルは自分の客室がある二号車の方へと去って行った。

「まぁ...やるっきゃないか。」

小さな溜息を一つつくと、三枝は用意された椅子に大人しく腰を落ち着かせたのだった。

 

 

 シェリンは『クサガ』の件で何か事前に情報を得ようと考えていた。

まず彼の頭の中に浮かんだのは同期の顔だった。

「とりあえず、有能な助手にでも聞いてみるか...。」

時計を見ると二十二時近くになっていた。

いくら同期と言えどもあまり遅い時間に女性の部屋を訪ねるというのも失礼だろう。

シェリンは早瀬の居るであろう二号車に急いで向かおうと立ち上がった。

それとほぼ時を同じくして、二号車へと続いている食堂車の扉から神田が姿を表した。

「ああ。シェリンさん。実は貴方を探していたんですよ。」

「えっ? 僕をですか? 」

急にやってきたモテ期に少し困惑していると、神田は足早にシェリンに近づいてきた。

これもミステリー企画の一つの仕掛けなのかもとシェリンは内心疑っていた。

「ええ。そうなんですよ。探偵さんって...『死神』から私の命を守ることって出来ますか? 」

「...はい? 今『()()()()』って言いましたか? 」

自分の聞き間違えなのだろうか、神田は今確かに『()()()()』と言ったように聞こえた。

「そうです。『死神』です。」

自分は揶揄われているのだろうか?

普段からあまり表情からは気持ちの読み取りづらいタイプの人ではあったのだが、

神田は何時になく真剣で真っすぐな表情でシェリンの顔を見つめていた。

「ごめんなさい。ちょっと神田さんが言っている意味が...。」

()()()()()()()()。」

「消えない? 」

「呪文を唱えようとも...手を二回叩こうとも...消えないんですよ。」

そう言うと神田は目の前でパンパンと手を二回叩いた。

その音はすぐに列車の走行音にかき消され、後には沈黙だけが残っていた。

シェリンは表情一つ崩すことなく真顔で話し続ける神田に言い知れぬ恐怖を感じていた。

真顔でシェリンをしばらく見つめていた神田だったのだが、言葉が出ずに狼狽えるばかりの

シェリンの姿を見ていた所為なのか神田の口角が微かに上がった。

その時、神田は確かに笑っていた。

しかし、そこからは『喜び』や『楽しさ』と言うものは感じとれなかった。

神田の笑みから滲みだしていたのは『自嘲』や『諦め』のようにシェリンには感じられた。

「いや...すいません。忘れて下さい。」

神田はシェリンに向かい軽く頭を下げると、自分の客室がある一号車の方へと向かい歩き始めた。

「あ! 神田さん! 『クサガ ティアリス』という名前に心当たりはありませんか? 」

それは咄嗟に出た言葉だった。

その何の気なしの言葉は神田の歩みを止めることにどういうわけか成功していた。

歩みを止めた神田は振り返ることなく、立ち止まったまま動かなかった。

「...()()()()()()()()。」

「えっ? 」

神田はシェリンの方を振り向くことなく一言そう呟くと、そのまま何時かの誰かのように

扉の向こうへと消えていった。

 

 

 



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二号車 22:30

 シェリンの頭の中はパンク寸前だった。

聞いたこともない人名。思わぜぶりな剣持の態度、『消えない死神』に怯える神田。

何もかもがわからない中で、一つだけ確かなことがあった。

それは気が付かぬ内にミステリートレインは走り出していたということだ。

発車を知らせるベルを聞き逃してしまっていたようだが、幸か不幸か乗り遅れてはいないようだ。

分からないことを深く考えても仕方ない。とシェリンは何とか頭を切り替えると、

当初の予定通りに早瀬に会うためにシェリンは二号車まで戻ってきていた。

一号室のドアをノックして、しばらく待っていると中から早瀬が出て来た。

「はーい。ってシェリンやんか。どないしたん? 」

部屋から出てきた早瀬の髪は若干濡れているように見えた。

「あ。ごめん。こんな時間に。ちょっと聞きたいことがあってさ。」

シェリンが自分の髪を見たのが分かったのか、早瀬は一度自分の髪を軽く撫でるような

仕草を見せると笑顔で話を続けた。

「あー。これね。気にせんでええよ。で、聞きたいことって? 」

「『クサガ ティアリス』ってどこかで聞いたことあるかな? 」

「『くさがてぃありす』? 」

例の単語を聞いた早瀬は目を瞑り首を傾げるような仕草を見せた。

「いやー...聞いた覚えはないかな? ティアリスかアリスか分からへんけど誰かの名前なん? 」

同じ言葉を聞いた前の二人とは明らかに反応が違っていた。

知らない振りをしている可能性もあるにはあったのだが、デヴューから彼女を近くで見ていた

同期の一人として彼女の表情や反応に偽りはないようにシェリンには思えた。

「そう...ですか。いや、こんな時間に本当にすいません。実は...。」

シェリンはこの数時間の間に自分に起きた出来事を簡単にだが説明した。

剣持が訪ねてきたこと。草賀ティアリスという謎の人物。神田と死神と赤いロングコートの話。

無理もないことだが不思議そうな顔でシェリンの話を聞いていた早瀬が神田の話になった時、

初めて手ごたえのありそうな反応を示した。

「それって...『死神』やんな。」

「んん? どういう事ですか? 」

シェリンの言葉を聞いた早瀬は急に床に屈みこんだと思ったら、その場で正座をしだした。

何をするのかと不思議そうに見つめるシェリンの前で早瀬はそのまま深々と頭を下げた。

「ら、らんねぇーちゃん。何を? 」

慌てて頭を上げさせようとするシェリンの動作に合わせるようにゆっくりと早瀬は頭をあげた。

「もー。鈍いなー。()()()()。『死神』ちゅう落語の演目の一つがそんな話やったよ。」

「落語...ですか? 」

「そう! 私も詳しいわけじゃない。確かー...ある男の前に死神が現れて他人の生死を

見分ける方法を教えてもらうんやけど、その方法の中に呪文を唱えたり手を叩いたりってのが

あったはずだよ。」

シェリンにとって落語という全く想定していなかったジャンルから答えが出てきた。

まだまだ全体像は見えていなのだが、パズルのピースが繋がる音が聞こえた気がした。

「それって具体的にどんなお話なんですか? 」

シェリンの声のトーンとボリュームがワンランク上がっているようだ。

それを察した早瀬も「よいしょ」と言いながら立ち上がり、先ほどの様に少し何かを考えるように

目を瞑った。

「えーっとな。確か...自殺しようとしているダメ男の前に死神と名乗る老人が現れてな

他人の生死を見分ける方法を教えてくれるのよ。で、それを使ってダメ男は医者として

成功するんだけど、有名になってから金に目が眩んで死神を騙して生死を胡麻化すっていう

ズルをしちゃうのよ。それに怒った最初の死神が男を洞窟に連れて行くとな、

その洞窟の中には何本もの火のともった蝋燭があるの。そこで死神が目の前の蝋燭の火は

全てこの世の人間の寿命を表していると死神が教えてくれる。そんで、その中の今にも

火の消えそうな蝋燭を指して、あれが男の蝋燭だ。つまり寿命だってね。

ズルをしたから極端に短くなってしまったと。助けを請う男に死神は新しい蝋燭を渡して

こう言うの『燃え尽きる前に火を移すことが出来れば助かる』とね。

男は急いで火を移そうとするんやけど、緊張と焦りで手が震えてしまい...。」

そこで早瀬は自分の口の前に両手の掌を持ってきた。

両方の掌はちょうど水を掬う時のような形になっており、その何も無い掌の中に向かい誕生日の

蝋燭を消すかのように短くフッと息を吹きかけた。

「...死んじゃったってことですか? 」

「私の知っている話ではね。なんや色んなパターンのオチがあるって聞いたけどね。」

「えっと...その話に『クサガ ティアリス』とか『赤いロングコート』なんて出ませんよね。」

真面目な顔で突拍子もないことを言い出したシェリンに早瀬は思わずプッと吹き出してしまった。

「『死神』は古典落語。アレンジとかはあるだろうけど、基本的にコートだのティアリスだのは

出てこーへんと思うよ。」

 

話を聞かせてくれたお礼とお休みを伝えて、シェリンは早瀬の部屋の扉を閉めた。

早瀬から得られた情報は少なかったのだが、何かとても重要なヒントを貰えた気がしていた。

シェリンが時計を確認してみると二十二時半となっていた。

早瀬の部屋に長居し過ぎてしまった事を再度反省しつつ、部屋に戻ることにした。

シェリンの頭の中では今まで出てきた単語たちがメリーゴーランドの木馬のようにぐるぐると

同じところを回り続けていた。

「うわっ! すいません! ってシェリンさんか。」

シェリンが一号車へと続くスライドドアを開けのとほぼ同じタイミングでドアを開けようとした

人物がいたことに考え事をしていたシェリンは気が付かなかった。

相手も考え事をしていたのだろうかシェリンの存在に気付かず驚いている様子だった。

「おおっと! なんだ星川さんじゃないですか。」

一号車側に立っていたのは星川だった。

「あれ? 星川さんの部屋は二号車ですよね。こんな所で何を? 」

「ええ? んー...ちょっとねー。」

正直な事を言ってしまえば、シェリンは星川が一号車で何をしていたかということに

さほど興味や疑念を持っていたわけではなかったのだが、星川の受け答えの覚束無さが

薄ぼんやりとしていたはずの不審さに実体を持たせていった。

「じゃ! お休みー。」

シェリンの心も透けて見えていたのか、シェリンが口を開こうとしたのを見た星川は逃げるように

シェリンの脇を足早に通り過ぎ二号車へと向かって行った。

「あ! 星川さん。『クサガ ティアリス』という言葉に聞き覚えはありませんか? 」

「...えっ? ()()()? 」

ほんの一瞬だった。本当に一瞬だけ星川は立ち止まった。

シェリンの方を振り返らずに返事をしていたので、星川の表情を確認することは出来なかった。

「いえ。ご存じないなら大丈夫です。」

「そっか。なんか役に立てずにごめんねー。」

最後まで星川は振り返ることなく、そのまま二号車へと戻って行った。

シェリンはしばらく二号車の方を見つめたまま、さっきまでの早瀬との会話を思い出していた。

「『()()()』...か。」

 

 

 



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一号車 23:20

ある程度は覚悟していたつもりであったのだが、やはり辛い任務だ。

三枝は素晴らしい景観が真っ黒に塗りつぶされてしまった車窓をぼんやりと眺めていた。

そこから幾ら眺めても、黒い硝子には反射した自分の姿が映っているだけなのだった。

静寂に包まれた車内で三枝は暇を持て余していた。

スマホでネットサーフィンをしてみたり、目の前を通り過ぎて行く何人かのメンバーと

軽い会話をしたり、挨拶をしたりということを繰り返していた。

さっき通り過ぎた剣持も憐みの言葉を残して満面の笑みを残して部屋に戻っていったし、

どこかの部屋から出てきた星川も笑いながら二号車へ帰っていった姿を思い出していた。

シェリンが少し話し相手になってくれたのは嬉しかったのだが、まさか彼の口から()()()()

出てくるとは三枝にとっても蓄積しだしていた眠気も吹き飛ぶほどの出来事だった。

そう言えば、二号車の方から戻ってきた神田も様子がおかしかった。

死神がどうのこうのと独り言を呟きながら部屋に戻って行ったが、あの話題と何か...。

そこで三枝は考えることを止めた。

これ以上考えたところで、どうにかなる事でのないのだから。そう自分にあの時のように

言い聞かせていた。

「えーと...あ。いたいた。アッキーナ。」

真っ黒になった車窓に映る自分と対話していた三枝を現実世界に引き戻したのは神田の声だった。

三枝の座っていた場所は一号車の客室の前を真っすぐに伸びる廊下の二号車側の突き当たりだ。

声がしたのはその廊下の先。奥から二番目の部屋から神田は顔を覗かせていた。

「どうしました。神田さん。」

噂をすれば影とはよく言ったもので自分の思考との奇妙なシンクロに少し不気味さを抱きつつも、

三枝は神田の居る二号室へと向かった。

ふっと目に入ったスマホの時刻表示は『22:40』となっていた。

三枝が二号室へ向かうのとほぼ同じタイミングで二号車の方からひまわりが姿を見せた。

部屋に戻るかと思われたひまわりは何故か七号室の前で立ち止まった。

七号室は剣持が使用している部屋だった。

何か用事でもあるのだろうかと気になったのだが、今は神田の元へ向かうのが先決だ。

三枝がひまわりの存在に気を取られていると、目の前の扉が開いて中から慌てた様子の

アンジュが飛び出してきた。

「おっと! ごめんなさい! 」

「うわっ! あっと、私こそいきなりごめんなさい。」

アンジュも申し訳なさそうに何度も頭を下げると、二号車の方へ慌てた様子のまま二号車の方へ

去って行ってしまった。

彼女が出てきた部屋は四号室だった。それは間違いなく彼女が使用している客室だ。

彼女の後ろ姿を見送っている時もひまわりはまだ七号室の前に立ったままだった。

「何かあったんですかね? 」

アンジュの様子を見ていた神田も不思議そうな顔で彼女が消えた廊下の先を見つめていた。

「なんでしょうね。って神田さんはどうしたんですか? 」

「ああ。そうだそうだ。ちょっと部屋に入ってみてくれない? 」

そう言うと神田は部屋の扉を大きく開けて、三枝を室内へ誘導した。

三枝も不思議に思いながらも「失礼します。」と言いながら言われるがままに二号室へと

足を踏み入れた。

「うわー...良い部屋っすねー。」

二号車の自分の客室よりもワンランク上の豪華な内装に思わず心の声が口から出てしまった。

「まぁ。それは置いておいて、何か変な音が聞こえてこない? 」

「えっ? 音ですか? 」

三枝は自分たち以外誰もいない部屋の中を見渡した後で目を閉じて耳に神経を集中させた。

 

『...』

 

確かに何かが聞こえてくる。

漸く耳に馴染んできた列車の走行音に混じって、微かに何かが聞こえてきていた。

規則正しく刻まれるその音の正体は三枝にも直ぐに。

「これは時計ですか? 」

「ですよね! 良かったー。私だけが聞こえている幻聴なんじゃないかって

不安だったんですよ。」

「そうだったんですか。ちなみに備え付けの時計の音とかじゃないんですよね。」

そう言いながら三枝は再び部屋を見渡してみたのだが、壁には時計らしき物は

掛かっていなかった。

目に付く時計らしきものと言えば大きなベッドの横にあるサイドテーブルの上に置いてあった

アラーム付きの薄型デジタル時計だった。

黒い液晶部分に白い大きなデジタル数字で『22:45』と表示されており、そのすぐ横には

日付と英語表記の曜日も表示されていたが全て正確で狂いはなかった。

「デジタルじゃ秒針の音なんて鳴りませんもんね...ちょっと部屋の中を見て回っても

大丈夫ですか? 」

「ええ。構わないよ。むしろ、原因を見つけてくれたら嬉しいぐらいだよ。」

神田の許可を得た三枝はチクタクという音を頼りに部屋の中をゆっくりと歩いて行った。

耳を澄まして部屋の中を進んでみると、車窓の方へ近づくに連れて音が

大きくなっていくのがはっきりと分かった。

そして、その音が窓際に置かれている青色のソファから聞こえているということも。

三枝がソファの座面と背もたれの間の隙間に手を突っ込んでみると、手が何か金属のような

ものに触れた感触があった。

そのまま三枝は手を隙間から引っ張り出してみると、そこから出てきたものは()()()()だった。

シルバーの縁に真っ白な文字盤の良く言えばシンプルな、悪く言えばどこにでもありそうな

デザインの懐中時計が出てきた。

「これが原因だったみたいですね。神田さんのですか? 」

三枝は救出した懐中時計を掌に乗せて神田の前に差し出した。

「いいや。私のじゃないな。前の利用客の忘れ物かな? 」

神田はそれを手に取ってみたりする事なく一目見ただけで判断していた。

そもそも懐中時計を元より所持していなければ、細部を確認するまでもないのも当然ではあった。

「それアッキーナが預かっててよ。忘れ物を『()()()()』に渡すのは自然な流れだよね。」

それを言われてしまえば、三枝に選択の余地は残されてはいなかった。

取り敢えず、懐中時計をポケットに入れた三枝は笑顔の神田に見送られながら二号室を後にした。

誰もいない廊下を指定席に戻るために歩いている途中、三枝は時計をポケットから取り出した。

時計は相変わらずにチクタクチクタクと正確な時を刻んでいた。

時計の針は『22:50』を示していた。

三枝には時計を見つけた時から()()()()()()()()()()()()()()()()

その答えが気になってしまい、時計を見つめていたのだ。

しかし、幾ら時計を見つめようとも懐中時計からは時を刻む音しか返ってこなかった。

「はぁー...良かった。」

その声が聞こえてきたのは時計からではなく、三枝が向かっている先から聞こえてきた。

三枝の座っていた椅子のすぐ近くにある二号車側の入り口から姿を現したのは、

先ほどとは打って変わって落ち着いた表情をしたアンジュだった。

「何か良いことでもあったんですか? 」

「うわっ! さ、三枝さん驚かさないで下さいよー。」

「ごめんごめん。驚かすつもりじゃなかったのよ。さっき焦って部屋を飛び出してたから

気になっちゃってさ。」

三枝の言葉を聞いたアンジュの顔は何故か真っ赤になってしまっていた。

「えっと...その...まぁ良いじゃないですか! ね! じゃ、おやすみなさい! 」

そのままアンジュは四号室の中へと姿を消した。

 

 

何故なのだろうか。

三枝は指定席に座りながら考えていた。

何故忙しい時間はドミノ倒しの如く、立て続けに何かが起こるのに、

何も起きない時間は本当に何も起きないのだ。

うまい具合に分散して起こればいいのに図ったかのように同時に何かが起きるのには

何か科学的な根拠があるのだろうか。

そんなどうでも良い事を考えながら三枝は交代の時間を只管に待っていた。

スマホの時刻表示は『23:20』となっていた。

三枝の希望とは裏腹に交代までは、まだたっぷりと時間は残されていたのだった。

「三枝さーん...。」

「んっ? リゼ様? 」

微かに聞こえてきたのはリゼの声だった。

三枝は声が聞こえてきた時に、そのあまりの小さな声に空耳ではと疑ってしまった。

リゼは廊下の奥の方の部屋からひょっこりと顔を覗かぜていた。

暗くてはっきりとは判断出来かねたのだが、随分と顔色が悪い様に三枝には見えた。

急いでリゼのいる三号室へと三枝が向かった。

「どうしたんですか。顔色が悪そうだけど...。」

リゼは三枝に余計な心配をさせまいと、今出来る限りの精一杯の笑顔を三枝へ向けた。

「あはは...大丈夫なんですけど...ちょっと偏頭痛が酷くって...。

本来なら自分で取りに行かなきゃいけないんですが、もし良かったらミネラルウォーターを

持ってきてもらえたりしないかなーって...。」

「そんなのお安い御用ですよ。ちょっと待ってて下さい。」

「本当にありがとう。」と深く頭を下げながらリゼは三号室の扉を閉めた。

その時だ。三号室の扉と連動しているかのように隣の客室の扉が開いたのだ。

隣は二号室。つまり神田の利用している部屋だった。

しかし、部屋の中から出てきたのは神田ではなかった。

正確に言えば、神田ではなさそうな人物だった。

その人物は車内だと言うのに赤いフード付きのロングコートを着込んでいた。

それに付属のフードを目深に被っていたために顔も見えなければ、性別さえも判断できなかった。

赤フードは部屋を出ると不思議そうに見つめる三枝の横を何も言わずに足早に通り過ぎていった。

その赤フードが五号室の前に差し掛かった時に五号室の扉が開き中からちひろが出てきた。

ちひろも驚いた様子でフードの人物を見上げていたが、赤フードは構うことなく進んで行き、

そのまま二号車へと姿を消したのだった。

 

 



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二号室(一号車) 23:30

 さて、どうやって死のうかと考えているうちにいつの間にかに橋の真ん中。
ふと、橋の欄干から川を眺めて見る。
「身を投げるのは嫌だな。七つん時に井戸に落っこった事があるんだ。
あんな苦しい思いをするくらいなら生きてたほうがいいや。」
と思い直してとぼとぼ歩いていると、目の前に樹齢数百年は経とうかという大きな木が
立っている。
「お、こりゃぁ大きな木だね。そうだ、首を括って死のう。だけど...これまで
首括った事なんかねぇしな。どうやりゃいいもんか。」
「教えてやろう。」
「え!? 」
不意に木の陰からひょっと出てきた男を見ると、歳は八十以上にもなろうかという老人。
頭に薄い白い毛がぽやっと生え鼠の着物の前をはだけて、浮き出た肋骨は
一本一本数えられる様な痩せこけて藁草履を履き、竹の杖を突くじいさん。
「教えてやろう。」
「なんだいきなり、お前さん誰だい。」
「死神だよ。」
「ひゃっ! あー嫌だ。それまで死のうなんて思ったこともないのに、
急に死にたくなったんだ。さては手前の仕業だな? あっちいけ! 」
「へっへっへ、まぁそう邪険にするな。お前ぇにはまだまだ寿命が残ってる。
そう言う奴は死のうたって死ねねえようになってんだ。それより色々相談もあるから
こっちへ来い。」
「やだよ! 死神と相談することなんぞねぇや。」
その場から立ち去ろうとするのを死神は慌てる風でもなく言います。
「おいおい待ちな、逃げたって無駄だ。お前ぇは二本の足で走るが、俺は風に乗って飛ぶ。
あっという間に追いついちまうぞ。まぁ、色々話もあるからこっちへ来いよ。」
「何言っていやがんだ、死神に相談なんぞしたってしょうがねぇじゃねぇか。」
「死神死神と邪険に言うなよ。お前ぇと俺とは深い因縁があるんだ。そんな事は
言ったってお前ぇに分かりゃしねぇから言わねえが、随分困っているようじゃねえか。
だから俺がいい事を教えてやろう。」
「いいことって? 死神の下請けでもさせようってんだろ。」
「何を言ってやがる。死神の下請けなんて商売があるか。」
と呆れ顔の死神、唐突に「お前医者になんな。」と言います。

-古典落語『死神』より-


 「今のって...誰ですか。」

「えっ? 」

赤フードを目で追っていた三枝の後ろから声を掛けてきたのはシェリンであった。

シェリンは両手にスナック菓子と飲み物を抱えて、三枝やちひろのように立ち尽くしていた。

一号車の前方には菓子や軽食、飲み物を販売している自動販売機が設置されていたのだが、

どうやらシェリンはそこに行っていたようだ。

「あ...シェリンさん。さっきの人は二号室から出てきたんで、神田さんだと思うんですけどね。」

三枝の言葉を聞いたシェリンは両腕の中にお菓子などを抱え込んだままで二号室の扉を器用に

何度かノックしてみせたが、やはり中から返事が返ってくることはなかった。

「やっぱり神田さんだったみたいですね。」

「ですね。」

そう返事をする三枝の横をちひろが何も言わずに通り過ぎて行った。

どうやらシェリンと同様に自動販売機で何かを買おうと思って部屋を出たようだ。

三枝も本来自分がやろうとしていたことを思い出し、シェリンとの会話を切り上げてから

二号車の後ろにある食堂車へ向かおうと歩き出したが、すぐにある事に気が付いた。

『自分がこの場を離れて良いのだろうか? 』

自分の役割を考えれば離れるべきではないのは明らかだったが、ミネラルウォーターは

食堂車まで行かなければ手に入らない。

どうしたものか。三枝は薄暗い廊下の真ん中で立ち止まり考えた。

「...そうか。その手があるか。」

三枝はその場でスマホを取り出すと、ある人物へ向けてメッセージを送ってみることにした。

「起きてっかなぁ...。」

その人物からの返信は思っていた以上に早く帰ってきた。

「おっ? 流石! 」

誰も居ない廊下で三枝は思わず小さくガッツポーズをしてしまった。

三枝がメッセージを送った相手。それはグウェルだった。

彼は三枝の期待通りに起きており、ミネラルウォーターを一号車まで届けてくれるということだ。

いざという時には頼りになる男だ。と三枝が彼を再評価していたのだが、その二、三分後に

グウェルが水の入った瓶を目の前で落としてしまい、盛大に瓶の割れる音が一号車に響き渡った

ことで彼の評価は帳消しとなってしまった。

グウェル劇場の突然の開演でリゼの元にミネラルウォーターの瓶が届けられたのは三枝が

最初に三号室を訪れてから五分ほどが経ってしまった頃だった。

それでもリゼは丁寧に三枝へと感謝を伝えると、ミネラルウォーター入りの瓶を受け取った。

無事にリゼへの届け物そ済ませ、席に戻ろうとしていた三枝の目に入ってきたものは

一番端にある七号室の開いた扉だった。

この列車の一号車以外の客室はスライド式の扉になっていたのだが、一号車のロイヤルルームに

限っては左勝手の外開きの扉になっていた。

そのため、扉が開いたままになると三枝が立つ先頭車両側からだと開いた扉が壁のようになり、

一時的に廊下の向こう側が見えなくなってしまうのだ。

部屋の扉が閉められ目隠しが取れた先に立っていたのは剣持だった。

丁度リゼが扉を閉めるのと同じようなタイミングで彼は自室から出てきたようだ。

シェリンの姿を見つけると笑顔を浮かべて何か話しかけようとしたのか彼の口が少し開いた。

 

パンッ...パンッ...

 

乾いた大きな音が二回続けて一号車内に響いた。

その音は何かが破裂するような、若しくは手を思いっきり叩いたような音にも聞こえた。

その音はもちろん剣持の口から発せられた音ではなかった。

「何ですか...今の音? 神田さんの部屋の辺りから聞こえてきませんでした? 」

剣持の言葉を聞いた三枝が振り返ると、一号室から顔を出しキョロキョロと辺りを見渡している

シェリンとお菓子と飲み物を抱えたちひろが一号車の入り口のところに立っているのが見えた。

「何の音ですか? 」

続いて、そう言いながら部屋から顔を出したのはアンジュだった。

「神田さんの部屋から聞こえてきたっぽいんですけど...。」

アンジュの問いかけに答えた三枝の言葉を聞いた後、その場に居合わせた五人の足は自然と

二号室の前へと向かっていた。

その間も二号室には動きはなく、謎の音以降は中からは物音一つ聞こえてくることなかった。

「神田さーん? いらっしゃいますか? 」

三枝が二号室の扉をノックしながら呼び掛けてみるも返事は無かった。

扉を叩く手と呼びかける声が自然と強く、大きくなっていった。

「ん? どないしたん? 」

流石にその音を聞いて部屋から出てきたのか、気が付けばひまわりも皆の後方に立っており、

二号室の扉を見つめていた。

「...ちょっと何時だと思ってるんです...って、皆さんどうしたんですか? 」

辛そうな表情で部屋から顔を出したのはリゼだった。

誰かが廊下でふざけあって騒いでいると思ったのだろうリゼは苦情を言おうと部屋から

出てきたようだった。

リゼの言葉を聞いたシェリンが腕時計を確認すると時刻は『23:30』となっていた。

リゼは直ぐに廊下の異様な様子を察して、ひまわりの近くまで駆け寄ると

そのまま一緒になってこちらの様子を伺っていた。

「神田さーん...ってあれ? 開いてる...。」

試しにドアノブを握ってみた三枝は予想外の手ごたえがあったことに少し驚いていた。

そのまま扉を開けようとしている三枝を止めようとするものは現れなかった。

そこには些細な好奇心があったのか、それとも何かの思惑があったのかはわからないが

それぞれの思いと視線が交差する中で二号室の扉はゆっくりと開かれた。

部屋の中を見た全員の目に最初に留まったのは神田の存在だろう。

神田は窓際の青いソファに座っていた。

外を眺めるようにして座っていたため、扉側からは彼の後頭部しか確認できなかった。

「神田さん? 」

シェリンが声を掛けてみたものの、神田からの返事は無かった。

よく見れば彼の頭部はやや俯いていた。もしかしたら座ったまま眠ってしまったのかもしれない。

そんなことを考えながらシェリンと三枝を先頭にして皆が神田の座っているソファへと

近づいて行った。

ロイヤルルームご自慢の大きな車窓から見える夜景も今はただの壁紙に成り下がっていた。

全員の視線が神田に注がれる中で、ソファとの距離が縮まるに連れて彼の表情も見えてきた。

整った顔立ちは崩れることなく、特徴的な細い目は閉じており、口は少し開いていた。

安らかに眠っているのかのようにも見えるのだが、彼の口角からは不自然な一本の赤黒い細い筋が

顎のあたりまで出来ていた。

その筋は顎の先まで行ったところで、まるで蛇口から漏れ出る水のようにポツポツと赤黒い

水滴となって床に滴り、同じ色の小さな水溜まりを作っていた。

そこまで見えたところで、先頭の三枝とシェリンの二人には神田が眠っているのではないことが

はっきりと分かった。

そして、同時に口から滴っているものが()()()()であるということが分かったのだ。

なぜなら、彼の左胸には一本のナイフが突き立てられていたからだ。

 

 




 「え? 」
「俺がやり方を教えてやる。いいか、長患いをしている病人には枕元か足元、
どっちかに死神が憑く。足元に座ってんのは何とか脈がある。逆に頭の方に死神が
座ってるのはもうダメだ。寿命がねぇんだから手をつけちゃならねぇ。
そこにお前が行って、もし枕元に死神が座ってたら、これは寿命だから諦めろと言え。
逆に死神が足元にいたら呪文を唱えて死神が離れれば病人は嘘のようにケロッと治る。
どうだ、そうすりゃお前は立派な医者だろ? 」
「呪文てのはなんだ。」と聞くと、死神は慌てんなと言って声を潜める。
「いいか、決して人に言うなよ。『アジャラカモクレン、セキグンハ、テケレッツノ、パ』と
唱えてパンパンと二つ手を叩く。そうすると、どうしても死神は離れなきゃならねぇ
決まりになってるんだ。やってみな。」
「へえ...『アジャラカモクレン、セキグンハ、テケレッツノ、パ』で、手を
パンパンでいいのかい? あれ...死神さん? あぁ...そうか。呪文を唱えたから
帰っちゃったんだ。へー...こりゃ良い事を教わった。」

-古典落語『死神』より-


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一号車 24:00

「お電話有難う御座います。ミズタリゾートライン株式会社です。」
「寝台特急『千歳』の運営会社で間違いないですか? 」
電話の向こうの人物の声は機械で変えられているような不気味な声だった。
「はい。左様で御座います。」
電話を取った事務員の女性は臆することなく冷静に対応していた。
「では、列車運行の責任者に変わって下さい。とても重要な伝言があります。」
「申し訳御座いません。責任者の方が席を外しておりまして、代わりにわたくしが
お伺いいたします。」
と言ったものの責任者はデスクで仕事をしているのだが、電話対応の社内ルールに則り、
事務員は対応を続けていた。
「...貴女は人命に対する責任が取れますか? 」
「はい? 」
「貴女は列車の乗客の命の責任を取れますか? もし、取れるというならお話します。」
予想外の言葉に流石の事務員も次の言葉が出て来なかった。
機械で変えられた声に突拍子もない会話。
これ以上は自分の範疇では無いと判断し、彼女は電話を保留にすると上長へと相談した。
そして、彼女は最後まで自分の仕事を全うしたところで舞台から姿を消した。




 三枝とシェリンは神田の安否を確認するべく急いで駆け寄った。

「どないしたん? 二人とも。」

まだ神田の現状を把握できない位置に立っていたひまわりが不思議そうな顔で

ソファへと近付いて来た。

「ダメだ! ひまちゃん! 」

異様な空気に包まれた二号室内に三枝の叫びにも似た声が響いた。

その突然の声に女性陣のみならず、剣持も驚いたような顔で三枝を見つめていた。

「な、何かあったんですか...三枝さん。」

リゼのか細い腕をしっかりと握りしめながら、リゼに身を寄せているアンジュの声は

少し震えていた。

「断言はできませんが...神田さんが亡くなっています。」

「嘘...でしょ...。」

思ってもみなかったシェリンの言葉にリゼはそう返すのがやっとだった。

「急に大きな声出しちゃって申し訳なかったけど、女性陣は見ない方が良いと思う。

だから、剣持さん以外は一旦部屋の外に出てもらって、列車の関係者の方と二号車のメンバーを

呼んできてもらえると助かります。」

「わかった。行こ。」そう一言呟くように答えたのはひまわりだった。

ひまわりはリゼとアンジュ、それにちひろを残して先に部屋を出て行った。

その後を追随するようにちひろも何も言わずに部屋の外へと向かって歩き出した。

少し遅れてリゼも部屋を出ようとアンジュに小声で呼びかけていたのだが、

アンジュはソファ付近のどこか一点を見つめたまま固まっており、

リゼの言葉も彼女の耳には届いていないようだった。

「アンジュ? 」

少し声のボリュームを上げつつ、リゼはアンジュの服の袖を引っ張っていた。

「えっ。あっ。ごめん...行こっか。」

心配そうに顔を覗き込んでいるリゼの存在に気が付いたようで、アンジュは扉に向かって一歩を

踏み出そうとした。

しかし、急に動き出したからなのか、歩き出してすぐにふらりとよろめくと崩れるようにして

床に座り込んでしまった。

「大丈夫!? 」

一番近くで見ていたリゼが手を貸そうと近付いたのだが、アンジュはすぐに自力で立ち上がった。

「ごめんごめん。ちょっとくらっと来ただけだから平気平気。」

突然仲間を失ったのだから、人一倍優しさを持ち合わせていた彼女がショックを受けるのも

無理はないだろう。

心配そうに見つめる四人の方を振り返ると彼女はニッコリと微笑んで見せた。

彼女の微笑みは誰に向けられたものだったのかは分からなかったが、シェリンには微笑んでいる

彼女の表情が、なぜだか悲しんでいるかのようにも見えていた。

四人が完全に部屋を出たのを確認してから、シェリンと三枝は神田の呼吸の有無や手や首で

脈を確認してみたが、やはりと言うべきか神田は既に死んでいた。

「二人とも...それ。」

ソファから少し離れた場所で二人の様子を見ていた剣持が何かを見つけたようで、

神田の体を調べていたシェリンと三枝に声を掛けた。

「どうしました? 」

「ソファの前にあるテーブルの上...。」

剣持が指差したのはソファの前に置かれているローテーブルだった。

そのテーブルに上には飲みかけの何かが入ったグラスと一枚の紙が置いてあった。

テーブルの上にある物には触れないようにしながら、三人は上からそれを覗き込んでみた。

 

手を叩こうとも、呪文を唱えようとも、私は消せぬ。列車より先に彷徨える魂と真実を

終点まで導け。 草賀ティアリス

 

A4の真っ白な紙には横書きの赤い文字でハッキリとそう書かれていた。

 

 

 必要上のものは触らぬようにして、三人は部屋を出た。

神田の生死を確認出来れば、素人である自分たちが現場を荒らすわけにはいかなかった。

勿論テーブルの上にあった例の紙もそのまま置きっぱなしにしてあった。

ただ、剣持からの助言もあってシェリンのスマホで文面などは撮影済みだった。

外に出てみると二号車に居たであろう残りのメンバーと制服を着た男が部屋の前に立っていた。

「あ。お三方。お疲れ様です。神田さんの件は...。」

最初に部屋から出てきた三人に話しかけてきたのはグウェルだった。

「ええ。残念ながら亡くなっています。」

「ほ、本当で御座いますか? 」

後ろで待機していたメンバーよりも早く、そして大きな声を上げたのは制服の男だった。

「あ。こちらはこの列車の運行責任者の方です。」

グウェルが紹介すると、男は被っていた制服の帽子を取ると三人に向かって一礼をした。

「これは失礼しました。わたくし責任者の中尾(なかお)と申します。」

中尾名乗ったその人物は四十代程の男性だった。

身長は185センチあるグウェルと並んでも変わらない程の大柄で顔も角ばっており、

一見すると堅気ではないにではと思ってしまいそうな迫力の持ち主であった。

「こんなことになってしまい大変申し訳ないのですが、二号室の中で我々の仲間の一人が

亡くなっています。断定は出来ませんが殺人の可能性もありますので、列車を最寄りの駅で

止めて警察を呼んで頂けないでしょうか。」

シェリンがスマホで撮影した写真を数枚見せながら中尾へと状況の説明をし始めた。

すぐ近くに立っていたグウェルもスマホを覗き込むようにして写真をさり気なく確認していた。

「かしこまりました。ですが、わたくしの一存では決めることはできませんので、

一度本部に確認を取ってまいります。こちらで少々お待ち下さい。」

中尾は再び一礼すると、足早に先頭車両の方へと姿を消した。

 

中尾が姿を消してから五分ほどが経っただろうか。

何を話し出していいのか分からずにただただ沈黙の時間が流れていたのだが、

一人の男が沈黙を打ち破った。それはグウェルであった。

「シェリンさん。神田さんが殺されたとして、わたくしたちと関係があるんでしょうか?

もしかしたら、通り魔的な犯行かもしれないじゃないですか。」

「そうだと良いんだけどな...。」

剣持の言葉に首を傾げるグウェルにシェリンが中尾には伏せていた写真を見せた。

それはあの紙の写真だった。

写真を見たグウェルは何も言わずにサングラスのブリッジ部分を指で持ち上げながら、

短い溜息を漏らした。

「なるほどですね...これは疑いの余地ナシというやつですかね。」

「はい...残念ながら。ですよね。剣持さん。」

シェリンはいつかの食堂車での剣持の言葉を思い出していた。

真面目な顔で問いかけるシェリンに剣持は何も言わずにただ笑顔を返すだけなのだった。

「あのー...。」

申し訳なさそうに言葉をかけてきたのは中尾であった。

体の大きさの割には存在感が薄いのか、戻って来ていたことに気付かなかった。

「あ...お疲れ様です。警察はどれくらいで到着しそうですか? 」

グウェルの何でもない質問に対して、なぜだが中尾は頗る困惑していた。

「あのですね...警察は...来ません。」

「は? 」

予想外の答えに三枝から素の声が漏れ出した。

「列車も停車致しません。」

「ど、どういう事なんですか? 」

比較的いつも冷静なグウェルの顔色からも焦燥の色が滲み出ているようだった。

「先ほど本部に連絡を取りましたら、どうやら本部宛に脅迫電話があったようでして...

それが原因でお客様の安全を考慮して列車を止めてはならないと指示が出ております。

その脅迫の件もあって終点の福岡駅には警察が待機してくれているそうなのですが...。」

「それでは...あと約十時間は列車に誰かが入ることも、出ることも出来ないと。」

シェリンの言葉を聞いた中尾はハンカチで額の汗を拭ってから話を続けた。

「仰る通りです。停車出来ない理由はお客様の安全と混乱を防止するために言えないのですが、

『千歳』はこのまま福岡までノンストップで運行致します。ですので、二号室は福岡まで

立入禁止にして、皆様に於きましてもご利用中の客室内で待機して頂くことになります。」

中尾のその言葉に否が応でもメンバーの緊張と不安は高まっていった。

ガタンゴトンという列車の走行音だけは動じること無く一定のリズムを刻み続けていた。

どうやら知らず知らずの内に全員が死神が周到に準備していた寄席の中に

囚われてしまっていたようだ。

 

 




「お待たせしまして申し訳御座いません。お電話変わりました。」
「貴方が責任者の方ですか。」
「左様で御座います。お話をお伺いしたのですが、『千歳』の乗客の人命に関わる
ことだとかで...。」
上司の男も相手の声に違和感を抱いたのだが、相手を余計に刺激しないように
冷静に対応していた。
「先ほど東京を出発した福岡行きの列車。18:05発で9:58着の便です。
その列車内に爆弾を仕掛けました。万が一、途中の駅や線路上などで停車した場合は
爆弾を起爆させます。それを防ぎたければ終点の福岡までノンストップで走り続けて下さい。
そうすれば爆破はしません。乗客の人命を守りたければ、何があっても列車を終点まで
止めないで下さい。」
そこで電話は切れてしまった。
責任者の男はどうせ性質の悪い悪戯だろうと思い、何もせずに仕事に戻ろうとした時だった。
大きな爆発音がオフィスに響いた。
オフィス内に悲鳴と騒めきが充満して行く中で、再び電話が鳴り始めた。
責任者の男は慌てて受話器を取った。
「今のはデモンストレーションです。御社の近くで小型の同じ形態の爆弾を起爆させました。
列車に仕掛けたものは今の数倍大きなものですのでお忘れなく。」
「お前...本気なのか? 何が目的なんだ。」
「もう一度だけ言います。乗客と会社を守りたければ『千歳』を終点まで絶対に
止めないで下さい。」



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三枝明那・本間ひまわりの証言

 中尾の言葉を聞いた一同は大人しく部屋へと戻ることに決めた。

列車が停止もしなければ、警察も来られないとなってしまっては成す術もなかった。

皆が大人しく部屋へと戻っていく中で、シェリンは迷っていた。

彼にはどうしても引っかかっていることがあった。

それは神田の部屋に残されていた紙だった。

 

『列車より先に彷徨える魂と真実を終点まで導け。』

 

()()()()()()

 

つまり、列車が終点福岡に着くまでに事件の真実を見つけたれなければ、

何か悪い事が起こるのではないか。

シェリンにはどうしてもそう思えてならなかった。

この事件は行き当たりばったりの衝動的な事件なのではなく、入念な下準備と絶対の自信の上に

成り立っている計画てなものだ。

しかし、その絶対の自信に反するように、所々からこの事件を解決して欲しいという犯人側からの

メッセージが出されているようにも思えていた。

これは『挑戦状』なのか、をれとも『メーデー』なのか。

「難しい顔しちゃって...どないしたん? 」

皆が部屋に戻っていく中で、一人立ち止まりシェリンの顔を優しい笑顔で見つめながら

話しかけてきたのは早瀬であった。

「あ。なんかすいません。ちょっと事件のことを考えてまして。」

「流石同期! なら話が早いな。私も全力で手伝うから一緒に犯人を見つけてやろうや。」

「ええ!? 」

「だって悔しいやん。私ら嵌められたようなもんやん。それに笑一君の仇も取ってあげたいし。」

シェリンは早瀬の決意に些か驚いている反面である意味では仲間想いで優しい彼女らしい

決意なのかもしれないとも思っていた。

「ありがとう...。」

「えっ? 」

その言葉は無意識にシェリンの口から自然に発せられたものだった

「いえ。私も迷っていたのですが、らんねぇちゃんのお陰で決心がつきました。

二人で神田さんの仇をとってやりましょう! 」

シェリンの何時になく力強く、頼もしい言葉を聞いた早瀬は嬉しそうに笑っていた。

「決まりやね。ならまず何から始めようか? 」

「そうですね...。神田さんの部屋に犯人が何時入ったのか。そして、何処へ消えたのか...。

それを確かめるのに一番重要になりそうな人の話を聞きに行ってみましょうか。」

「一番重要そうな人? 」

 

 

 シェリンと早瀬は二号車の三号室の前に立っていた。

それは三枝の使用している部屋だった。

ノックをしてしばらくすると、少し眠そうな顔をした三枝が部屋から出てきた。

「あら。先生にらんねぇちゃん。こんな時間にどうしたの? 」

時刻は24:15となっていた。本来なら一号車の椅子に座っている予定の三枝だったのだが、

ミステリー企画どころでは無くなってしまったため、その任を解かれていた。

「お疲れのところすいません。実は...。」

シェリンは自分たちが事件の謎を解こうとしていることを三枝に伝えた。

三枝は「そっか。」と一言だけの感想を述べると二人を快く部屋の中へと招いた。

シェリンはもう少し高いテンションで三枝からリアクションが返ってくると思っていたので、

三枝の淡白な反応が少し気になっていた。

三枝は自分が一号車の椅子に着席してから事件発生までの人の出入りを何とか思い出しながら、

二人へと伝えてくれた。

三枝が全てを話し終えて、シェリンたちが三号室を後にした時には時計の針は

間もなく深夜一時になろうかと言うところまで進んでいた。

「アッキーナも意外って言うとあれやけど、しっかり覚えてたんやね。」

「ええ。これでこの後の調査が大分楽になりそうですね。」

早瀬の手には三枝の証言がしっかりと記録されていたのだが、

そのメモを凝視しながら眉間に皴を寄せながら唸っていた。

「うーん...アッキーナが言うには22:40から22:50まで笑一くんと一緒に二号室内に一緒にいて、

二号室に入る時にひまちゃんとアンジュちゃんが見てたって言ってたから二人の内のどっちかに

話聞いてみる? 」

そのメモは黄色い皮のカバーが特徴的なB6サイズの手帳だった。

早瀬が収録スケジュールを書き込んだりしている普段使い用の手帳だった。

「そうですね...ほんひまさんのところに行ってみますか。」

 

シェリンたちは二号車から一号車へと移動すると手前から二つ目の部屋のドアをノックした。

六号室のドアは元気の良い返事と共にすぐに開けられた。

「お? シェリンやん。あら。走ちゃんも居るやん。」

「夜分遅くにすいません。実は神田さんの件で少しお聞きしたいことがありまして...。」

『神田』という言葉を聞いた瞬間、ひまわりの顔から笑顔が消えた。

「...そっか。まぁ入ってよ。」

ひまわりは二人を部屋の中へと向かい入れると、そのまま車窓の前のソファへ座った。

「二人も座んなよ。」

笑顔を取り戻したひまわりの言葉に甘えて、シェリンたちもひまわりの向かいのソファへと

並んで座ることにした。

「で...神田の件で聞きたい事って? 」

二人が座るのを見届けてからひまわりが先に切り出した。

「ええ。まずこれを見てほしいんです。」

そう言いながらソファの間に置かれていたローテーブルの上に自分のスマホを置いた。

その画面には神田の部屋に残されていた例の文章の写真が表示されていた。

ひまわりは最初は不思議そうな顔でスマホの画面を覗き込んだのだが、

そこに表示されているものを確認すると手で口を覆い固まってしまった。

「ひまちゃん? 大丈夫? 」

明らかに様子のおかしくなったひまわりを見た早瀬が心配そうに声を掛けた。

しかし、ひまわりには聞こえていないようで、未だにシェリンのスマホを見つめたまま

動かなかった。

結局ひまわりが早瀬の声に反応したのは、それから早瀬が同じ様に二度ほど呼び掛けた後だった。

「あ。ごめん。大丈夫よ。」

「ひまわりさん。この文章について何か知っていることはありませんか? 」

先ほどの反応を見れば何かを知っているという事は明白であった。

それなのに本人に敢えてこのような質問を投げかけるのは酷な事とは分かっていたのだが、

シェリンは今回の事件を調べると決めた時から、このような場面が何時かは来るだろうと

覚悟はしていた。

顔を上げたひまわりはじっとシェリンの目を見つめていた。

「...シェリン。ごめんやけど、ひまには何の事だかさっぱりや。」

それは早瀬から見ても違和感のある返答だった。

「そうですか。」

勿論シェリンも同じ気持ちだっただろう。

だが、ここで無理に追及したところでひまわりが何かを話してくれるとは思えなかった。

なぜなら彼女の優しさ、仲間を想う気持ちの強さというものを今まで見てきていたからだ。

それにシェリンにはひまわりにまだ聞きたいことが残っていた。

ここで関係性が崩壊して聞けなくなることを恐れていた。

「あともう一つ聞きたいことがあるんですけど、22:40くらいに神田さんと三枝さん姿を

見ませんでしたか? 」

「22:40? ああ。神田は見てないけどアッキーナなら廊下で一号室の方に向かって行くのは

見たかもなー。」

ひまわりの声と表情から緊張が少し和らいでいるのが感じられた。

「三枝さんが言ってたんですけど、その時ひまわりさんが七号室。剣持さんの部屋ですね。

そのドアの前で立ち止まっていたと言ってたんですけど、何をされてたんでしょうか。」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

ひまわりは笑顔を浮かべたまま即答した。

「えっ...でもアッキーナが。」

「見間違えたんちゃう? 廊下も薄暗かったし。」

早瀬の言葉に被せたひまわりは念を押すかのように、その笑顔に反する強い口調で

そう断言しのだった。

 

 

 



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アンジュ・カトリーナ,シェリン・バーガンディ,勇気ちひろの証言

 二人はアンジュが利用している四号室に向かっていた。

「なんでひまちゃんは止まってないって言ったんやろう...。」

小さな声でそう言った早瀬は握り締めた愛用の手帳を見つめていた。

「うーん...もしかしたら三枝さんが嘘をついているという可能性もまだ残されてます。

兎に角、今はみんなの話を聞いてみましょう。」

ひまわりの部屋の二つ隣の四号室には直ぐに辿り着いた。

先ほどと同様に部屋のドアをノックすると、返事はなかったがドアは間もなく開けられた。

開いたドアの隙間からアンジュが不安そうに顔を覗かせた。

「あ...お二人共。何かあったんですか? 」

「夜分遅くに申し訳ありません。」

もはや決まり文句となった台詞で会話を始めた。

神田の事件を調べていることを伝えると、不安そうな表情を見せたものの

自分にも協力できることがあればと言い、二人を部屋の中へと入れてくれた。

ソファに座った二人の前にミネラルウォーターの入ったコップが置かれた。

「水しか無いんですけど良かったら。」

「ありがとうーアンジュちゃん。」

早瀬は満面の笑みをアンジュに向けると、早速コップに手を伸ばし喉を潤した。

シェリンも一口飲んだ後でスマホをアンジュへと見せた。

例の文を見たアンジュの顔は見る見る内に真っ青になっていくのが分かった。

「...()()()...。」

確かにアンジュはそう呟いた。

それは本当に小さい声だった。目の前にいる二人に向けた言葉ではないように思えた。

「『()()()』? 」

早瀬は微かに聞こえてきたアンジュの言葉に首を傾げていた。

「あっ! 何でもないんです。気にしないで下さい。」

アンジュは顔の前で手をバタつかせながら、その場を何とか取り繕うとしていた。

「そ、そう言えば22:40ぐらいだったかな。部屋を出た時に三枝さんと会いましたよ。」

「あ。それアッキーナも言ってたわ。なんや慌てて出てきたって。」

早瀬が自分の話題に乗ってくれて安心したのかアンジュの声は少し大きくなった気がした。

「そーなんですよ。直前まで食堂車で一人でデザートプレートを食べてたんですけど、

席にスマホを置き忘れちゃって慌てて戻ったんですよ。」

「そう言うことだったんですか。ちなみに廊下に飛び出して三枝さんと会った時に

神田さんの姿は見ましたか? 」

シェリンの質問にアンジュは、しばし考え込むように左上の虚空を眺めていた。

「いやー...見てないかな? 私も慌ててたから、ちゃんとは見てないんですけど

神田さんは見てませんね。」

「スマホは無事やったん? 」

「はい。自分が座ってた席に置いてありました。部屋に戻ったのは十分後ぐらいだったかな?

部屋に入る前に三枝さんと少し話したのは覚えてる。」

「自分が座っていた席にスマホを取りに行っただけにしては時間がかかりましたね。」

「それは二号車の廊下の車窓から景色が綺麗だったからぼーっと眺めてたからかな。」

慌てたり胡麻化すような素振りも見せず、アンジュはただ照れくさそうに笑っていた。

 

 

 アンジュにお礼を述べてから部屋を出た二人は廊下で次の行き先について話し合っていた。

「次はどないしよっか。」

「そうですね。気になることと言えば『赤いロングコート』ですよね。」

「ああ。シェリンも見たんやろ? 」

そう。あれは23:20ぐらいのことだった。

一号車と先頭車両の間にある自動販売機にお菓子などを買いに行った帰りのことだった。

丁度自分の部屋の前辺りで三枝が廊下の先を見つめながら固まっていた。

その三枝の視線の先にいたのが問題の人物『赤いロングコート』だ。

シェリンが目撃した時にはその人物の傍にはちひろの姿も確認出来た。

ロングコートは何事も無かったかのように二号車の方へと姿を消した。

「ええ。ですが本当に見たってだけなんですよね。フードを被っていましたし、

男か女なのかも分からなかったですね。」

そんな話をしていると近くの部屋のドアが開き、中からちひろが出てきた。

「うお。何してんの二人とも。」

ちひろは驚いた顔で二人を見上げていた。

「あら。ちひろさんナイスタイミングですね。」

「ん? なにがー? お菓子補充しに行きたいから手短にねー。」

どうやらお菓子の『()()()()』を買うために部屋を出たところだったようだ。

シェリンは『草賀』の事も聞いてみたかったのだが、今までの人の反応を考慮すると

何か新しい情報が得られるという可能性が低いことは明白だった。

あまり長く話を聞けるような雰囲気でもなさそうだったので、今回は敢えて話題を

一本に絞ることにしてみた。

「実は聞きたいことがあるんです。23:20ぐたいだったと思うんですが、

その時間に部屋の前で赤いロングコートを着た人間を見ませんでしたか? 」

「あー。見た見た。あのあからさまに怪しいヤカラね。確かガンディとアッキーナも

居なかったっけ? 」

「そうです。私も居たんですけど私たち側からだと、そいつの背中しか見えなくて...。

もしかしたら真横に立ってたちひろさんなら顔が見えたんじゃないかって思いましてね。」

ちひろは「うーん」と唸りながら顎に手を当て、やや右上の廊下の天井を見上げていた

「フードを被ってたし、廊下も暗かったからちひろも見えなかったかな。立ち止まらずに

すたすた歩いて行っちゃったしさ。えっ? もしかして、あの赤い奴が犯人なのー!? 」

最初は自信無さ気な小さな声で話していたちひろだったが、最後の「犯人なのー」の辺りでは

興奮からなのか結構なボリュームの声量になっていた。

「いやいや。まだわかりません。三枝さんの話が本当なら赤いロングコートが神田さんと

最後に会った人物の可能性が高いというだけですよ。」

「それってもう超絶怪しい容疑者じゃんか。」

「それな。」

ちひろに同調した早瀬の言葉を聞き、二人は何故だか楽しそうに笑い合っていた。

「まぁ。程々に頑張ってよ。ちひろは一旦お菓子を買いに行って参りますので。」

そう言うと、ちひろは二人に向かいペコリとお辞儀をすると自動販売機の方へと向かっていった。

「あの紙が無ければ赤いロングコートが犯人で決まりなんやろうけどなー。」

そう。早瀬の言う通りだ。

三枝の証言と状況から考えれば、犯人確定とまでは行かないまでも赤いロングコートは

第一容疑者であることは間違いなかった。

だが、メンバーしか知らないであろう名前の書かれた例の紙の存在が状況を複雑にしているのは

間違いなかった。

「まぁ...でもよく考えたら赤いロングコートの行方も重要だもんな。中尾さんに言って

列車関係者の人で見た人が居ないか確認してもらうか...。」

「そやね。それがええと思う。それなら私が中尾さんとこ行ってくるわ。

シェリンはこのまま続けといて! 」

早瀬は満面の笑みでシェリンに手を振ると、シェリンの返事を待つこと無く

そのまま先頭車両の方へと走って行ってしまった。

 

 



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剣持刀也,グウェル・オス・ガールの証言

 早瀬の後ろ姿を見送ったシェリンは証言確認の続きを始めることにした。

取り敢えず一号車内で残っていたのは三号室のリゼと七号室の剣持だった。

シェリンにはどうしても気になっている事があり、先に剣持の元へと向かうことに決めた。

七号室のドアをノックすると「はい」と短い返事と共に中から剣持が出てきた。

「誰かと思えばシェリンさんじゃないですか。どうしましたか? 」

「実は少しお伺いしたいことがありまして。」

それ以上のことは何も聞かずに剣持はシェリンを室内へと招き入れたのだった。

他のメンバーの時と同じ様に窓際のソファへと二人は座っていた。

今までと違ったことと言えば、シェリンの隣に座っていた相棒(はやせ)が不在のために

ソファが幾分広く感じるということだけだった。

「それで睡眠時間を割いてまで聞きたい事ってのは何でしょう? 」

「実は二点ほどありまして、まずは私と食堂車で別れた後の事をお聞きしたいんですよ。」

少し皮肉の効いた剣持の言葉を受け流したシェリンは笑顔で尋ねた。

「もしかしてアリバイってやつですか? ちょっとワクワクしちゃいますね。

僕はそうだな...シェリンさんと食堂車で別れた後はそのまま部屋に戻りましたよ。

三枝くんが見ていたと思うけどね。部屋に戻ってからは、ずっと部屋の中で

本を読んでいたかな? 」

「ずっとですか? 一度も部屋を出ずに? 」

「ああ。ずっとだね。23:30ぐらいだったかな。飲み物を買いに行こうと思って部屋を出た時に

三枝くんとまた目が合った直後に手を叩くような大きな音が二回聞こえて来たって感じかな? 」

「部屋で本を読んでいる間に何か変わった声や物音とか聞こえてきませんでしたか? 」

シェリンの質問に剣持は真上の天井を見上げながら記憶を振り返っているようだった。

「んー...静かな夜だったと思うよ。読書中に聞こえてきた音を強いてあげるなら、

ようやく耳に馴染んできた列車の走行音ぐらいかなー。」

「なるほど。ではもう一つ。剣持さんには聞いておかなければならないことがあります。」

剣持は何も言わずにシェリンの次の一言をじっと待っていた。

「草賀ティアリスについてです。」

シェリンの口から出てきた言葉を聞いても剣持は動揺したり、驚いたりということはなかった。

どうやら剣持にはシェリンが自分を訪ねてきた時点で、ある程度の予測が出来ていたようだ。

「神田さんの事件が起こる前に貴方は僕を呼び出してまで、その名前を教えてくれた。

そして、本当に事件に関係性があった。何故、僕に事前に教えてくれたのか。

草賀ティアリスとは何者なのか。僕はそれが知りたいんです。」

剣持がシェリンから視線を外し、車窓へと目を向けた。

相も変わらず真っ暗な車窓には室内の様子が反射しており、二人が向かい合って座っている姿が

映っていた。

剣持はそのまま無言だったが徐に立ち上がり、化粧台の上に放置されていた一枚の封筒を

手に取った。

それは紛れもなくグウェルからメンバーに配られた封筒だった。

剣持はソファへと戻ってくると、封筒の中から一枚の紙を取り出し二人の間にあった

ローテーブルの上に置いた。

 

21:00になったらシェリンと食堂車に行き、「草賀ティアリス」が事件に関係していると

彼に伝えること。出来れば二人っきりの状態で伝えるように

 

「と言う訳です。僕も()()()()()()()()思ったけど、指示通りには動かないといけないと思って、

シェリンさんに伝えたと言うまでのことですよ。それ以上でもそれ以下でもありません。」

シェリンはテーブルに置かれた紙を手に取った。

確かに自分が貰ったものと紙質だったり、パソコンで印刷されたであろう文字の字体や

サイズだったりを比較すると同じものであることは間違いなさそうだった。

「僕は存じ上げない方なんですが、皆さんこの名前を聞くと揃って口を噤んでしまいます。

一体この人物は何者なんですか? 」

再び剣持は列車の外へと目を向けていた。

やはり、今回も今まで同様に草賀についての新たな情報は得られないのだろうか。

シェリンが半ば諦めかけた時だった。

剣持はテーブルの上に置いてあったスマホを手に取ると、何度かフリック操作をした後で

再びテーブルの上に置いた。

剣持のスマホに映し出されていたのは笑顔を浮かべる少女の写真だった。

薄く細い眉毛の下には背景に広がる空のように青い大きな瞳が印象的だ。

十代前半ぐらいだろうか。真っ白いワンピースからは洋服に負けない程に白い肌が露出していた。

風に靡くプラチナブロンドのロングヘアーが太陽の日差しを反射してキラキラと輝いている。

とても愛くるしく、写真からでも人を惹き付ける不思議な雰囲気のある少女だったが、

シェリンには全く見覚えのない人物なのだった。

「彼女が『草賀ティアリス』です。僕たちにとって()使()でもあり、()()でもある少女。」

 

 

 赤いロングコートは二人の人物によって目撃されていた。

まず一人目の人物は二号車に常駐していた黒髪で眼鏡をかけた二十代後半ほどの男性乗務員だ。

彼も二号車の食堂車側の廊下の端の椅子に常駐して、二号車の利用客からの仕事を受けていた。

この寝台特急『千歳』では、一号車と二号車でのみサービスとして特別に配置されていた。

その二号車を担当していた乗務員の証言よれば、23:20過ぎぐらいに一号車側から姿を現した

その人物は途中で立ち止まることなく一直線に食堂車へと消えて行ったという。

乗務員もインパクトのある恰好だったために印象に強く残っていたのだが、

顔までは確認できなかったということだ。

二人目は食堂車で配膳を担当していたポニーテールの二十代前半ほどの女性乗務員だ。

彼女がは同じく23:25ぐらいに二号車側から現れた人物を目撃していた。

二号車の時と同様に食堂車を利用することなく、テーブルの間を突っ切って三号車へと

姿を消したという。

普通、食堂車に現れる客というと自分がやって来た側に戻ることがほとんどだった。

つまり、二号車から来た客は食事を済ませると二号車へと帰る。

殆どの客がその流れだったので、食堂車を利用せずに突っ切る客というとのが

珍しく彼女も覚えていたようだった。

しかし、それより先の三号車では常駐している乗務員も居らず、ぱったりと目撃証言は

ここで途絶えていた。

早瀬の要望を聞いた中尾が乗務員から情報を集めてくれた結果だったのだが、

赤いロングコートの正体や行方は掴めなかった。

先頭車両の乗務員室で話を聞いていた早瀬が少し肩を落としながら一号車へ戻っている途中、

一号車の廊下をこちらに向かって歩いて来るグウェルと出会った。

「お? グウェルやん。こんなとこで何してるん? 」

「これはこれは早瀬殿じゃないですか。お恥ずかしながら寝れなくなってしまい、

散歩がてらに車内の見学をしてまして。」

「と言いながら、実はグウェルが犯人だったりして。」

それを聞いたグウェルは両手を広げながらニッコリと微笑んだ。

「残念ながら、わたくしは神田殿が発見される直前に三枝殿に頼まれてミネラルウォーターを

食堂車から運んでますから、神殿の部屋に入る事なんて出来ませんよ。

しかも、三枝殿に頼み事をされたのも()()()()()です。わたくしにそれを予期して行動するなんて

出来ませんよ。」

確かにグウェルの言う通りだった。リゼがミネラルウォーターを頼んだことも、

その依頼をグウェルに投げたことも偶然そうなっただけのことだった。

「それもそうやな。アッキーナもグウェルが瓶を落として大変だったって言ってたわ。」

「それは...是非とも内密にお願いします。」

犯人と疑われても全く動じなかったグウェルだったが、己の密かな失態を言及されて狼狽える姿に

早瀬は込み上げて来る笑いを堪える事が出来なかった。

 

 



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剣持刀也,早瀬走の証言

 「草賀ティアリスは僕たちと同じくライバーとしてデビューするはずだった少女なんです。」

何も見えない窓の外を眺めながら剣持がゆっくりと語り始めた。

「昔テレビ番組で新人発掘オーディションみたいなものってよくあったじゃないですか。

それを企画でやってみようってことになったんです。選ばれたメンバーは全部で八人。

司会進行役として僕とリゼさん。審査員役として三枝くん、アンジュさん、ちーちゃん、

星川さん、ひまちゃん、そして神田くん。」

「そのメンバーって...。」

驚きの余りに声を詰まらせるシェリンに対して、剣持は冷静な表情と口調で話を続けた。

「ええ。そうなんです。この列車に乗り合わせてるメンバーと同じなんですよ。

加えて、この企画の最終選考まで残った人物。それが草賀ティアリスだったって訳なんです。」

「僕の勉強不足だと思うんですが、そんな企画があったなんて知りませんでしたし、

草賀ティアリスという名前にも聞き覚えが無かったです。もしかして名前を変えて今も

活動されてたりするんですか? 」

「彼女の明るく素直な性格や華のある容姿は僕たちの心を確かに掴んで行きました。

そして、デビュー決定まであと一歩というところで彼女は突然辞退してしまったんです。

彼女以外に候補者は残っておらず、結果として彼女からの希望もあって企画はお蔵入りとなり、

彼女や企画について知る人物はごく一部に限られたって訳です。シェリンさんが知らないのも

無理もないことなんですよ。」

「そんな事があったなんて...。」

これが寝耳に水と言う状態なのだろう。噂レベルでも聞いたことがない企画だった。

だが、シェリンにはまだわからないことが残っていた。

「でも、なぜ皆が一斉に口を噤んでしまうんでしょう。もしかして...彼女は『()退()』では

なかったのではないですか? 」

彼らが口を噤んでしまう理由と神田の部屋に残された文面を考えてみれば、

自然と導き出された結論だった。

「シェリンさん。配信者にとって必要不可欠な能力って何だと思います? 」

真っすぐにシェリンを見つめている剣持の声のトーンが一段階低くなった気がした。

「えーと...なんでしょう。エンタメ性とか人を魅了する力とかですかね。」

急な話題の転換に深く考えられず、シェリンは取り敢えず頭の中に浮かんできた言葉たちを

思い付くままに並べてみた。

「確かに。でも彼が彼女に伝えた言葉は違いました。()()()()()()()()()()()()()()()()

どれだけの力で殴られようとも、どれだけの人数に何度殴られようとも、自分の立場を守りながら

立ち続けなくてはいけない。彼はそう彼女に面と向かって言ったんです。」

「彼とは? 」

「それが神田くんだったんですよ。素直だった彼女は先輩のその言葉に悩み、考え抜いた末に

配信者としてデビューする事を諦めて、そのまま表舞台から姿を消してしまいましたとさ。」

神田が見ていたであろう『死神』の本当の姿、皆が口を噤む理由、部屋に残されていた手紙。

剣持の証言によって、シェリンの頭の中でバラバラだった点が繋がっていき、ぼんやりとだが

草賀ティアリスと言う人物を描き出していた。

「その後、彼女はどうなったのですか? 」

滑らかな口調で喋り続けていた剣持の口の動きがここで一旦止まった。

しばらくテーブルの上のスマホの中に居る『彼女』の笑顔を黙って見つめていた。

「...()()()()()()()()()()。彼女。」

「えっ? 」

聞き間違えたのかと思い、気が付けばシェリンは無意識に聞き返していた。

「皮肉なことですよね。結局神田くんの言葉は正しかったってことですね。きっと彼女は自分が

辞退した決断は正しかったのかって最後まで一人で悩んで、悩んだ末にビルの屋上から

飛び降りて亡くなりました。」

「そうだったんですか...だから皆さん彼女の名前を聞くと。」

「神田くんは包み隠さず皆に彼女との会話の内容を伝えていましたからね。それでも自殺の本当の

原因は遺書も無かったようなので分かりませんけどね。だから、僕たちにとって天使でもあり

死神でもあるんですよ。彼女は...。」

シェリンがスマホの中の彼女をふと見ると、画面の中で彼女は静かに笑っているだけだった。

「他に何か知りたいことはあるかな? 名探偵? 」

「いえ。大丈夫です。貴重なお話をありがとうございました。」

シェリンは椅子から立ち上がると、剣持に向かって一礼をした。

「いえいえ。僕も神田くんのためなら出来ることはさせてもらいますよ。

ところで、皆にこうやって話を聞いて周ってるんですか?」

「そうですね。あと少しで聞き終わりそうです。」

「もしリゼさんにまだ会いに行ってないなら、明日の朝以降をおススメしますよ。

何だか体調が悪くて寝込んでいるみたいだから。」

 

 

 シェリンは別れ際に再度お礼を剣持に伝え、彼の部屋を後にした。

これで一号車内で残る人物はリゼだけとなったのだが、剣持の情報によれば体調を崩している

ということなので彼の言う通りに話を聞くのは夜が明けてからにすることにした。

この列車が終点へ到着するのは明日の昼だ。

今まで集まっている情報と到着までの残り時間を考えた時に決して余裕綽々とはいかないが、

剣持から草賀ティアリスについての収穫もあったことだし絶望的な状況でもないと考えていた。

「おーい。起きてますかー。」

聞き覚えのある声に辺りを見渡すと、すぐ傍にいつの間にかに早瀬が立っていた。

考え込んでいて気付かなかったが、どうやら何度も話し掛けられていたようだ。

「ああ。すいません。考え事をしていまして...。」

「折角私が沢山情報を集めてきてあげたのになー。」

グウェルとの会話を終えた後、早瀬はシェリンの部屋の前で彼が帰って来るのを

待っていたようだ。

健気に待っていたのに無視された事で機嫌を損ねてしまった早瀬に謝りつつも、

お互いが集めてきた情報交換を簡潔に済ませた。

早瀬が手に入れてくれた情報の中で赤いロングコートについては想定内の目撃情報だったが、

貴重な情報であることには間違いなかった。

それよりもシェリンが気になったのは偶々遭遇したグウェルとの会話だった。

その話を聞いている時に()()()()()()()()()()()()()()()()

その正体が何なのかはハッキリとは分からなかったのだが、今までの証言の中にその答えが

あるような気がしていた。

「色々とありがとうございました。今日はもう遅いので休みましょう。

明日もよろしくお願いしますね。」

「せやね。ほな明日ね。」

早瀬はシェリンに手を振ると二号車の方へと帰って行った。

 

 

 




 「あ。そうだ。らんねーちゃん。」
早瀬の姿が完全に見えなくなる寸前でシェリンは早瀬を呼び止めた。
「ん? 何? 」
一号車の廊下の突き当りで早瀬はシェリンの方へと振り返った。
「僕が二十二時過ぎぐらいに『死神』の話を聞きに部屋に行ったのを覚えてますか? 」
「うん。それがどうしたん? 」
「その後って、僕が帰ってからはずっと部屋に? 」
「そやね。と言うかシェリンが帰ってから、直ぐに眠っちゃって皆に起こされるまで、
夢の中やったわ。」
早瀬は笑いながらそう言った?
「そうですか。急に呼び止めちゃってごめんなさい。おやすみなさい。」
「気にせんといて。じゃ、おやすみー。」
そして、今度こそ早瀬の姿は二号車の中へと消えて行った。




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リゼ・ヘルエスタ,星川サラの証言

 「それがお前だよ。」
死神は一本の蝋燭を指しながらそう言った。
「え? 」
「お前の寿命だよ。」
「だ、だってこれ、今にも消えそうじゃないか。」
その蝋燭は随分と短くなっており、今すぐにでも消えてしまいそうだった。
「消えそうだな。消えた途端に命はない。もうじき死ぬよ。」
「お、脅そうたってダメだよ。だってお前さん初めて会った時にお前には
まだ寿命があるって、そう言ったじゃないか。」
「俺は嘘はつかねぇ。」
「だってほら、い、今にも消えそうだよ。」
頼りない蝋燭の灯は二人の会話の吐息ですら消えてしまいそうに、
ゆらりゆらりと男を弄ぶように揺らめいていた。
「お前の本来の寿命はこっちにある。この半分より長く威勢良く燃えているのが
お前の寿命だ。それなのに、お前は金に目が眩んで寿命を取っ替えたんだ。」
そう言いながら死神が目を細める。
「フフフ。可哀想に。お前もうじき死ぬよ。」
「そ、そんな事知らなかったんだよ。なぁ、金は全部お前さんに上げるからさ、
寿命を元に戻しとくれよ。」
死神は楽しそうに笑っている。
「もうダメだ。」
「そんな事言わねえでさ、なぁ頼むよ死神さん。死神様。しーさん。」
「何がしーさんだ。いっぺん取り替えちまったものは二度と元には戻せねえ。死にな。」


-古典落語『死神』より-


 それぞれの証言をまとめてみたり、情報の再整理をしていたシェリンが深い眠りに

つけるはずもなく、彼が目が覚ましたのは朝五時過ぎのことだった。

ベッドに入り目を瞑ってから、まだ三時間程しか経っていなかった。

大きな車窓を覆うロールカーテンを上げてみると、そこには何とも爽やかな景色が広がっていた。

列車は山間を通過している途中のようで、朝の光に照らされた山々の緑たちがシェリンの目を

悪戯に刺激していた。

朝食の予定時刻は八時だったはずだ。まだ三時間ぐらいは間があったのだが、もう一度眠ろうにも

直ぐに寝付ける自信も無かったシェリンは、気分をリセットするために顔を洗うことにした。

幾分か気分も思考もスッキリしたシェリンは何の気なしに部屋を出てみた。

廊下に出てみると、そこにはある人物が車窓からぼんやりと外を眺めるようにして佇んでいた。

それはリゼだった。

リゼはシェリンが部屋から出てきた事には、まだ気付いていないようだ。

「おはようございます。随分と早起きなんですね。」

シェリンは優しく声を駆けたつもりだったのだが、それで彼女は驚いたようで肩がビクンと大きく

跳ねたのが分かった。

「うわっ! ってシェリンさんか...ビックリしたー。」

「す、すいません。驚かすつもりは無かったんです。」

狼狽えるシェリンの姿にリゼの驚きの表情は、忽ち笑顔へと変わっていった。

「私こそすいません。まさか起きてる人が居るなんて思わなくて。」

「僕もですよ。昨日はゆっくり休めました? 体調を崩されてたらしいですね。」

「ええ。少し頭痛が酷くて...。昨日の夜は何だか外が騒がしくて中々眠れなくて

大変でしたよー。話し声が聞こえてきたり、瓶の割れるような音だったり...。」

昨晩の喧騒思い出してなのか、それとも神田の事を思い出してなのかは分からなかったが、

リゼば目頭を指で押さえながら短くため息をついていた。

「それで三枝さんに水を頼んだんですね。」

「知ってたんですね。個人的にはあんまり薬には頼りたくなかったんだけど、痛みに耐えかねて

薬を飲もうとしたら水を切らしちゃってることに気が付いて...。自分で取りに行こうととも

思ったんですけど、結局辛くて最後は三枝さんに甘えちゃいました。」

「三枝さんから伺ってました。覚えてたらでいいんですけど、三枝さんに水の件を頼んだのって

何時くらいのことだったか覚えてますか? 」

リゼは目を瞑り首を傾げながら昨日の事を思い出していた。

「うーん。正直正確な時間は覚えてないんですけど、二十三時過ぎだったかな。うん。

それぐらいだったはず。ミネラルウォーターが届いた直後に神田さんが見つかったから。

そう言えば...三枝さんが部屋に来る直前に()()()()()()()()()()()()()()()()()

聞こえてきた気がします。」

「えっ? それは本当ですか! 会話の内容とか相手って分ったりしますか。」

突然思っても見ないところから重要な証言が飛び込んできた。

リゼの部屋に三枝がミネラルウォーターを届けたのが二十三時三十分頃のことだったはずだ。

その時間に神田が生きていたとなると、あの手を叩くような音がしたタイミングで

神田は亡くなっている事になる。

しかも、リゼが誰かと話しているような声を聞いているとなれば、部屋の中には()()()()()()

居たということになる。

「ごめんなさい。その時はあんまり気にしてもいなかったし、無理に内容を聞こうとも

思っていたなかったから相手や内容までは...。」

リゼの言っていることも当然である。この数分後に相手が亡くなることが分かってでも

いなければ隣人の会話に態々聞き耳を立てようとは思わないだろう。

「ですよね。病み上がりなのに長々とすいませんでした。大変参考になりました。」

「もう元気になったんで大丈夫ですよ。じゃあ。また朝食の時に。」

窓から差し込む光の中でニッコリと微笑んで会釈をすると、彼女は三号室の中へと戻って行った。

「あー。シェリンさーん。おはよー。」

まるで、どこかで待機していたかのようにタイミング良く現れたのは星川だった。

星川は笑顔で二号車側からシェリンの元へと向かって来ていた。

「おや、星川さんじゃないですか。勝手なイメージですが、夜型のタイプだと思っていました。」

「いつもは夜型なんだけど、流石に眠れなくてさー。」

そういう所も意外だな。とも思ったのだが、シェリンは慌ててその言葉を飲み込んだ。

ともあれ、この遭遇はシェリンにとっては喜ばしい出来事だった。

昨日リゼ以外に話を聞けていなかった星川にも話を聞いておきたいと思っていたところだった。

「いきなりこんな事を聞いて申し訳ないんですが、昨日の事を少し聞かせて頂きたいんです。」

「昨日? 」

「ええ。僕と二号車で出会った時に星川さんは一号車からやって来たと思うんですけど、

どこに行っていたのかなと思いまして。」

「ああ。あの時のことですか? あれは本間先輩の部屋に遊びに行ってたんですよ。

一号車のロイヤルルームも見てみたかったんですよー。」

星川は何かを隠すような素振りの見せずに少し照れくさそうに笑っていた。

「なるほど。それからはずっと部屋の中に? その間に何か聞いたり見たりしました? 」

「うん。部屋の中でスマホいじったりしてたかな。聞いたり見たりって言われたら、

なんか途中で瓶が割れるような音が聞こえたかな。部屋から出れなかったから顔だけ廊下に

出して見たら、急いで食堂車の方に走って行くグウェルっぽい人は見たよ。」

星川のその証言は三枝などが先に証言していた内容とも合致していて、

実際に部屋からグウェルの姿を見たというのは間違いなさそうだった。

「じゃあ。私は自販機に行くから。また後でねー。」

そう言うと星川は笑顔で手を振りながら去って行った。

シェリンも「ええ。また。」と彼女の背中に返事をした。

彼女が見えなくなってから、部屋に戻ったシェリンは大の字になって大きなベッドに飛び込んだ。

これで一応は全員の証言を得ることが出来た。

昨晩も考えてみたのだが、全員の証言がしっかり噛み合っていて隙がなかった。

だが、リゼの証言で一つ分かったことがあった。

それは赤いロングコートなる謎の人物が草賀ティアリスの亡霊でもなければ、死神でもなく

犯人が用意したであろう()()()であろうということだ。

リゼが『神田と誰かが話す声』を聞いたのは赤いロングコートが神田の部屋から出てきたのを

目撃された後のことだった。

つまり、赤いロングコートが部屋を出た時には『()()()()()()()()』と言うことになる。

そうなれば赤いロングコートが舞台に現れた理由で考えられることは多くはなかった。

『目撃されたかった』或いは『草賀ティアリスかもしれないと思って欲しかった』と

言ったところだろうか。

だから車内でコートを羽織り、しかも赤と言う目立つ色を選んだのだろう。

 

草賀ティアリスという人物

 

事件前の神田の不可解な言動

 

赤いロングコートを偽装出来た人物

 

それぞれの証言内容

 

全てを踏まえると、ある一つの可能性がシェリンの頭の中に浮かんで来ていた。

「まさか...そんな事ってあり得るのだろうか...。」

それを確認するためにもシェリンは、もう一度神田の部屋である二号室に入る必要があった。

シェリンが時計を確認すると時刻は間もなく六時になろうかと言うところだった。

まだ朝食の時間までは余裕があった。

シェリンは意を決してベッドから飛ぶ起きると中尾へ会うべく部屋を飛び出した。

 

 



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食堂車 8:00

 シェリンと中尾は一号車の二号室の前に立っていた。

「本当にありがとうございます。」

シェリンは改めて中尾に一礼をした。

「会社からは列車を止めるなとしか言われてませんから。」

そう言いながら中尾は持って来た鍵を使い、二号室の扉を開けた。

室内は最後に見た時と変わっておらず、神田もしっかりとそこに居た。

シェリンがこの部屋を再び訪れた理由は『()()()』を探すためだった。

とは言っても、そのある物に関しては具体的なビジョンが頭の中に浮かんでいるのではなく、

自分の考えている可能性を満たせるであろう物を探しに来たといったところだろうか。

自前の白い手袋をしっかりと嵌めるとシェリンは手始めにクローゼットを開けてみた。

そこまで大きくないクローゼットには何も入っておらず、神田も手を付けていないようだ。

次にベッドの周りを調べ始めたシェリンは直ぐに何かに気がついた。

それはベッドの下から顔を覗かせていた洋服の袖のようなものだった。

乱雑に押し込まれていたソレをシェリンはゆっくりと慎重に引っ張り出した。

ベッドの下からシェリンが取り出したものは、どこか見覚えのある制服だった。

「な、なんでそれがここに? 」

後ろからシェリンの様子を見ていた中尾から思わず驚きの声が漏れ出てきた。

それのしのはずだ。シェリンがベッドの下から見つけ出した制服はこの列車の乗務員と

同じものだったのだ。

制服は無理矢理に押し込まれたようで皺くちゃになっていたが、間違いなく中尾らが

着ているものと同じ制服が上下共にしっかりと揃っていた。

「これはこの列車の乗務員さんたちの制服で間違いありませんか? 」

ぐしゃぐしゃになっていた制服を手で少し確認し易いように広げながら中尾に見せた。

中尾は眉間に皴を寄せながら、制服を凝視していた。

「はい...間違いなく我々の制服のようです。」

思いもしないものが人が亡くなった現場から発見されて明らかに動揺している中尾を尻目に

シェリンは制服に何か遺留品はないかと制服を丁寧に調べ始めた。

皴を伸ばしてみたり、ポケットの中を確認してみたりしたものの、そこから何かを

見つけることは出来なかった。

「あれ? 」

後ろからシェリンと一緒にその様子を見ていた中尾が制服のある異変に気付き声を漏らした。

「どうしました? 」

「いや。あの上着のボタンが一つ無くなってますね。ほら。これ見て下さい。」

そういって自分の上着の前面をシェリンの方に向けた。

中尾の制服は上は紺色のジャケットに白いワイシャツ。ネクタイは赤となっていた。

下はジャケットと同じ色のパンツを履いていた。

ジャケットの前面には金色の丸いボタンが縦に三つ並んでいた。

しかし、シェリンが見つけたジャケットには金色のボタンが二つしか付いていなかった。

よくよく見比べてみると三つの内の真ん中の一つが確かに外れて無くなっていた。

「どう見ても当社の制服ですから、どこかで外れて落ちてしまったのかもしれませんね。」

中尾のその言葉を聞いたシェリンはスマホのライトでベッドの下を照らし覗き込んでみた。

綺麗に掃除されているベッドの下の床を隅々まで確認してみたのだが、ベッドの下には問題の

金色のボタンは落ちていなかった。

この制服があればシェリンが推理した通りの犯行が、あの人物には出来るはずであった。

無くなっている金色のボタンの行方も、とある人物の行動を思い出してみれば見当はつくのだが、

そうだとしたら一つの大きな疑問が残ってしまうことになる。

 

何故嘘をついたのか?

 

その答えはこの部屋の中を幾ら探そうとも見つかることはなかった。

 

 

 朝食の時刻の八時を過ぎると続々と食堂車にメンバーが集まって来た。

八時十分を過ぎた頃には全員がテーブルへと着席していた。

前日の夕食のようなテンションとは行かないものの、各々がメニューを乗務員へと伝えていった。

朝食は和食セット、洋食セット、パン単品など数種類の中から好きなものを選ぶことが出来た。

シェリンと早瀬は同じテーブルについて、和食セットを堪能していた。

白米に味噌汁に焼き魚に卵焼き、それに小鉢も付いていた。

有り触れたメニューではあったのだが、味は申し分の無いものだった。

「昨日の夕食も美味しかったけど朝もええ感じやね。」

目の前に座っている早瀬が満足気に微笑んでいた。

シェリンも「ええ。」と笑顔で返事をしたものの、頭の中では事件のことを考えていた。

早瀬に合わせて美味しいとは言ったが、実際のところは朝食を味わう余裕はなかった。

終点の福岡までは残り三時間となっていたが、シェリンは一つの答えを既に出していた。

あとは神田の部屋にあった文章に従って真実を白日の下に晒すだけだったのだが、

シェリンは二の足を踏んでいた。

それは嘘の理由と証言の中にあった違和感の正体が分からないままだったからだ。

無心で目の前にある焼き魚の骨を一本一本抜いてみたり、味噌汁をかき回してみたりと

明らかに心ここに非ずといった感じであった。

そんなシェリンの姿を見かねた早瀬が何か話しかけようとした時だった。

食堂車内に硝子の割れる激しい音と女性の短い悲鳴が響いた。

全員の目線が音のした方へと向けられた。

その数多の視線の先に居た人物は星川だった。

星川の座っているテーブルの下には粉々になった透明な硝子の欠片と透明な液体が広がっていた。

「ごめんなさい! コップを落としちゃって。」

どうやらミネラルウォーターが入っていたグラスを手を滑らせて落としてしまったようだ。

「お怪我はありませんか? 」と心配そうな顔した乗務員が直ぐに駆け付けると、

慣れた手つきで床の清掃と替えのコップの用意の指示をしていた。

昨日の今日で何かが起こったのではと過敏になっていたこともあってか、

この些細なハプニングに胸を撫で下ろしているような素振りを見せる者もいた。

そんな中でシェリンは床に散らばった硝子の欠片をジッと見つめていた。

()()()()()...。」

「ん? 何? 」

小さなシェリンの呟きは目の前の早瀬にも届かなかったようだったが、

それを聞き返そうと尋ねた早瀬の言葉もまたシェリンの耳には届かなかったようだ。

シェリンは言葉を返すことなく、ただ硝子の欠片を。

「だから嘘を...だからあの時...。」

シェリンの頭の中の線路ではポイントが切り替わり、進路を変えた真実は終点へと走り出した。

 

 



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名探偵、皆を集めてさてと言い 9:00

 朝食が終わった食堂車にはシェリンが一人残っていた。
テーブルの上には食後に出された紅茶が半分ほど入ったカップが残っていた。
車窓から眺める景色は自然豊かなものから高い建物が目立つようになってきた。
シェリンは迷っていた。
全ての事実を見つけた上で、自分はどうするべきなのか。
誰の想いに応えて、誰を救えば良いのだろう。
そんなシェリンの迷いなんかに構うことなく、ただただ『千歳』は目的地に向かって
走り続けていた。



 朝食が終わり、散り散りに部屋へと戻ったメンバーだったのだが、

シェリンと早瀬の招集によって食堂車へと再度集められていた。

食堂車内は中尾にお願いして貸切状態とさせてもらっていたので、今この場に居るのは

一号車との二号車にいた人物。つまり、見知ったメンバーだけとなっていた。

「何事ですか? 」

不思議そうに訪ねてきたのはリゼだった。

車両の中央付近にある窓際の席に座っていたリゼと同じ四人掛けのテーブルには彼女の他に

向かいにはアンジュ、リゼの隣にはひまわりが座っていた。

「探偵が物語終盤に全員を招集するってことは...。」

意味ありげな笑みを浮かべながら剣持が言った。

剣持はリゼたちの座るテーブルとは中央に走る通路を挟んだ反対にあるテーブルに座っていた。

彼も窓際の席に座っていて、向かいの窓際の席にはちひろ、その隣には星川が居た。

「『()()()()()()()()()()()()()()』ってやつですね。」

グウェルも剣持の言葉に楽しそうに便乗していた。

彼が座っていたのは剣持たちの隣のテーブルの通路側だった。そのはす向かいの窓際の席には

三枝が座っていた。

「ええ。神田さんの事件の真相がわかりましたので、皆さんにお伝えしたいと思います。」

そう自信満々に話したシェリンはテーブルの間の通路に立ちながら、皆を見渡していた。

彼の近くでは少し不安そうな表情の早瀬が立っていた。

早瀬もまたテーブルに座っている他のメンバー同様に真相を知らされていなかった。

ある程度の予測は出来ていたのかも知れないが、実際にシェリンの口から出てきた言葉を

聞いたメンバーの間にも否応なしに不安と緊張、それと僅かばかりの好奇心が広がっていった。

「では、まずは皆さんの証言を元に順番に振り返ってみましょう。そうすれば自ずと

答えが出てくるはずですから。」

シェリンは早瀬から借りた黄色い手帳を開いた。

「まずは二十二時頃に僕の部屋に剣持さんが訪ねてきて、一緒に食堂車に向かうことに

なりました。そこで、剣持さんが僕に教えてくれたのが草賀ティアリスさんのことです。」

その名前の効力は衰えていない様で、皆が剣持に視線を向けた。

「そうでしたね。」

即答した剣持は自分に次々と向けられている視線など気にも留めていない様子だった。

「しかし、それは自主的に僕に話してくれたものではなく、ミステリー企画の一環として

僕に話してくれたものでした。」

「ええ。だからシェリンさんに聞かれた時に『悪趣味な企画だなと思った』って言ったんです。」

話し終えた剣持は机の上にグウェルから配られた封筒と指示書を置いた。

それはシェリンが話を聞きに行った時に見たものと確かに同じものだった。

「この封筒は皆さんもお持ちですよね。因みに僕の指示書はこれです。」

シェリンは『真相を解明せよ』と書かれた指示書を剣持の指示書の隣に置いた。

「まあ...言われたから持ってきたけど...。」

リゼが困惑気味に取り出した自分宛の封筒を開けると中には何も入っていなかった。

「グウェルさんから貰った時から空だったんです。」

「あー。ひまもカラだったな。」

「私もです。」

リゼに合わせるようにひまわりとアンジュ、それに別のテーブルではちひろと星川も

空の封筒をテーブルの上に置いた。

「私も同じく。」

シェリンの傍に居た早瀬も空の封筒を剣持たちのテーブルの上に置いた。

それぞれの封筒は間違いなく最初に配られたものと同じ封筒で表にはしっかりとそれぞれの

役職も書かれていた。

「俺のは剣持さんと同じく紙が入っていたよ。ほら。」

三枝が取り出した封筒には『一号車の車掌として二十二時から翌六時まで車掌として

常駐すること』と書かれていた。

「無茶苦茶な指示だったから困っちゃって、グウェルさんに相談したんだよね。」

「ええ。わたくしと三枝殿で四時間ずつ分担することにしたんです。ちなみに、わたくしは

封筒を受け取ってはおりません。」

三枝の呼び掛けに相槌を打ちながらグウェルが説明を補足した。

あのまま事件が起きなければ、あの席にはグウェルが座ることになっていたようだ。

「皆さんもご覧頂いたように殆どのメンバーは空の封筒を受け取っています。実際に指示書が

入っていたのは僕と三枝さんと剣持さんの三人だけだったんです。」

「それがどうしたと言うのですか? 」

シェリンの言葉にグウェルが不思議そうに首を傾げた。

「今回の偽りの企画も、この指示書も神田さんを殺害した人物が仕組んだものでしょう。

つまり、全ての事に意味があるはずなんです。」

「俺があそこに座らされたのにも意味があるってこと? 」

眠い中でも頑張っていた自分の行動が少し報われた気がしたのか三枝は少し嬉しそうだった。

「そうです。犯人にとって三枝さんは全てを目撃するために居て欲しかったんだす。

そうすれば、余計な容疑者を増やさなくて済むから。」

「普通...逆やないの? 容疑者が増えることは犯人にとってプラスになるんじゃ...。」

それは何時になく真剣な面持ちの早瀬の口から出た言葉だった。

「その通りです。でも、今回の犯人はそうしなかった。その人物は自分の部屋の中に自分以外は

誰も居ないと思わせるために部屋の中に第三者を呼び込んだ。そして、自分の発言で作り上げた

存在である『赤色のロングコート』を容疑者にするために部屋から登場させた。」

「ち、ちょっと待ってよ。」

リゼはシェリンの言わんとしていることを誰よりも早く察したようだった。

困惑するリゼの言葉を躱しながらシェリンは話を続けた。

「『赤色のロングコート』を登場させた理由も他の誰かに容疑が向かないようにするため。

そして、頃合いを見計らい自分で用意した手を叩くような音を再生した後で自分の胸にナイフを。」

シェリンの余りにも意外な言葉に全員が言葉を失っていた。

やっとの思いで一言呟いたのはグウェルだった。

「それじゃあ...。」

その呟きに答えるようにして、シェリンは決定的な言葉を最後に口にした。

「ええ。皆さんを列車に呼び、指示を出して犯行に及んだ一連の事件の『犯人』の正体は

神田笑一自身だったんです。」

 

 



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正しい嘘 9:45

 食堂車内は異様なまでに静まり返っていた。

「えっ...自殺ってことですか? 」

若干気まずそうに声を上げたのはアンジュだった。

「そうです。今回の一件は全て神田さんの自作自演だったのです。三枝さんは二十二時から

事件発生までの間、神田さんの部屋に誰も入っていないことを見ていた。そして、リゼさんが

直前に神田さんの声を聞いていた。それにそもそも『赤いロングコート』という単語を

初めに言い出したのも神田さんでした。」

「それなら俺たちが見た赤いロングコートは神田さんだったってこと? 」

「いえ。三枝さんや僕が見た二号室から出てきたあの人物は神田さんが用意していた第三者。

三枝さんを適当な理由をつけて部屋に招き入れたのも『室内に誰もいない』と思わせるためです。

実際はベッドの下かどこかに隠れていたのでしょう。」

「そっか。ずっと気になってたんだよ。神田さんが何で俺を呼んだのか。誰が聞いても時計の

音だって分かるし、音がしている場所だって分かり易かったから不思議だったんだよな。」

三枝は自分が所持していたことすら忘れてしまいそうになっていた時計を取り出した。

その銀色の懐中時計は変わらずチクタクと時を刻み続けていた。

「神田さんは三枝さんの証言が欲しかった。その時間に『一人で』部屋に居たという証言が。

そして、誰も居るはずのない部屋から謎の人物が出てくる。そうやって神田さんは『死神』を

作り出したかったんだと思います。」

「し、『死神』? 」

何時ものハキハキとした喋りではなく、星川のその声は微かに震えていた。

「神田さんは『死神』についても僕に話していました。遺書などは残っていないので

あくまで僕の想像ですが、落語の死神と言う話の中では男がズルをして助けた相手と

寿命が入れ替わってしまい、男自身が死の淵に立たされるということになっています。

神田さんは自分が生きている『今』は草賀さんが生きるはずだった『今』なのかもしれない。

そんな風に一人悩んでいた神田さんは『死神』に自分の命を奪ってもらおうと考え、

このような事を思い付いたのかもしれません。」

「でも、変じゃない? 」

シェリンの推理と過去の出来事が重なり、誰もが何を口にして良いのか分からなくなっていた。

そんな中で一人声を上げたのはちひろだった。

「シェリンの言う様に笑ちゃんが後悔してたとしてさ。何でちひろたちを集めたの?

言い方は良くないかも知れないんだけど、一人で死んだ方が楽なんじゃないの? 」

ちひろの意見は全くその通りであった。こんな大仕掛けをしてまでするような事ではなかった。

「恐らくですが、神田さんは皆さんに自分の苦しさを伝えたかったんだと思います。

自分で弱音や後悔を口にすることは性格上出来なかった。でも、自分の思いをあの時のメンバーに

感じて欲しい。償いたい。を伝えるのが不器用でエンタメを愛していた彼なりの

最後の舞台だったんだと思います。彼は自分が自殺であることが敢えて分かるように

舞台設定をした。誰にも容疑が向かないように役を配置した。彼の望みは皆さんへの

復讐でもなければ、八つ当たりでもありません。ただ自分の苦しみを分かって欲しかった。

本当にそれだけだったんだと思います。」

探偵の推理が終わった。

それを聞いて涙を流す者、何も言わずに唇を噛み締める者、車窓から空を見つめる者。

食堂車内に様々な感情が綯い交ぜになっていたが、それ以上何かを口にする者は現れなかった。

 

 

 食堂車に残っていたメンバーは各々の部屋へと戻って行った。

残っていたのは早瀬とシェリンの二人だけだった。

シェリンは少し疲れた様子で先程まで剣持が座っていた椅子に座り、窓の外を無言で眺めていた。

早瀬もその向かいに腰掛け、今まで自分がメモしてきた黄色い手帳を無言で見つめていた。

早瀬自身この結末に驚いているのは事実であったが、それ以上に気になる点が残っていたのだ。

「なぁ...シェリン。ちょっとおかしない? 」

早瀬が手帳からシェリンに視線を移してみたが、彼は微動だにせずに何も答えなかった。

それでも構わずに早瀬は続けた。

「いくら何でも大掛かり過ぎるし、赤いロングコートの行方も分からず終い。

それに乗務員さんの制服の件に全く触れてへんし。無くなってるボタンも。」

早瀬がそこまで言うとシェリンはゆっくりと立ち上がった。

「どないしたん? 」

「正しい嘘ってあると思いますか? 」

「えっ? 」

窓の外を眺めたままでそれだけ言うと、シェリンは早瀬の答えを待たずにそのまま二号車の方へと

姿を消してしまった。

一人残された早瀬は、再び自分の手帳へと視線を落とした。

「正しい嘘? 」

早瀬にはシェリンの言葉の意味は分からなかったけれど、シェリンが迷っていることだけは

伝わって来ていた。

 

 

 



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終着駅 9:58

 シェリンはとある客室の扉をノックした。

「どうぞ。」と中から返事かあったことを確認してから、ゆっくりと扉を開けた。

中に入るとその人は窓際のソファに腰掛け、外の景色を眺めていた。

完全に都市部へと到達していた車窓からは家々や商業ビルなど生活感溢れる見慣れた風景が流れていた。

「見事な推理でしたね。流石名探偵。」

シェリンの方を向かずに外の方を眺めたままでその人は話していた。

まるで、シェリンの来訪を予期していたかのようにも見えたが、実際は窓ガラスに反射したシェリンの姿を確認しただけのようだ。

「まぁ。こちらへどうぞ。」

その人はようやく顔をシェリンの方へ向けると、右手を対面のソファに向かって差し出した。

「ありがとうございます。」

シェリンは一礼すると、その人の対面にあるソファへと腰を下ろした。

「それで...事件も解決したというのにどう言ったご用件でここへ? 」

「実は、まだ皆さんに打ち明けてないことがあるんです。それは『』についてです。」

「『』? 」

その人はシェリンの言葉に動揺する様子もなく、まっすぐシェリンを見つめたままだった。

「ええ。今回の事件の証言の中で全員が何かしらの嘘をついています。それは示し合わせたものではなく、ある人物を守ろうと全員が咄嗟に嘘をついたんです。見事な無言の連携プレーでした。これが犯罪に関わることでなければ実に美しいものだったでしょう。そこまでして皆さんが守ろうとした人物。それがあなただった。」

シェリンの言葉に一切のリアクションを示すことなく、その人は微笑を浮かべていた。

その様子を見たシェリンは自分の言葉を続けることにした。

「まずは勇気ちひろさん。彼女は二十三時二十分頃に僕と三枝さんと共に神田さんの部屋から出てきた赤いロングコートの人物を目撃していた。あの時、ちひろさんは少し驚いた様子で固まっていました。後に話を聞いた時に彼女は『ロングコートの人物の顔はフードで見えなかった』と証言していましたが、実際は身長の低い彼女にはフードの中がしっかりと見えていた。」

「何故嘘だと思ったんですか? 」

「僕が話を証言を聞いた時にちひろさんはやや右上を見上げながら話していました。不思議だったんです。心理的に過去を思い出す場合には左上を見上げる傾向にあります。右上の場合は未来のことを考えていることが多い。あの時、ちひろさんは顔を思い出していたんじゃなくて、既に未来の展開を考えていたんだと後になって気が付きました。」

「なるほどね。」

「次はアンジュさんです。彼女は最初に神田さんの部屋に入った時に眩暈を起こして床に蹲ってしまいました。体調が悪かったリゼさんではなかったこともあって、この行動も不自然に思えました。あれは床に落ちていた『あるもの』を拾うために蹲ったんです。」

シェリンの目の前の人物は何も言わずにシェリンの言葉に耳を傾けていた。

「皆さんには言っていませんでしたが、神田さんの部屋に乗務員の制服が隠されていました。その制服からボタンが一つ無くなっていました。恐らくアンジュさんが拾ったのは制服のボタンだったんでしょう。」

アンジュは慣れない演技をしてまでボタンを拾ったのは一つの勘違いからだった。

アンジュは床に落ちているボタンを見つけた時に思った。

そのボタンが犯人が何時も着ている服から取れたものではないのかと思ってしまったのだ。

実際は犯人が制服を見つけさせるため、わざと現場に残していたものだったとも知らずに。

「そして、星川さんはあなたが部屋を訪れていたのにそれを隠した。星川さんは瓶が割れた音を聞いた時に『部屋から出れなかった』と証言していた。あれは嘘ではなかった。部屋から出れなかった理由。それがあなただった。」

「じゃあ。星川さんも共犯だと? 」

「いいえ。違います。あなたは三枝さんがあの席に車掌として座るより以前に神田さんの部屋にいた。その時に万が一、誰かに見られたとしても問題無いように乗務員の制服を着て神田さんの部屋を訪ねたんでしょう。それから三枝さんに時計を見つけさせるために呼んだ。理由は先ほども言った通り『部屋に誰もいない』と言うことを印象付けるためでした。ただし、その時部屋に隠れていたのはあなただった。三枝さんが部屋を去ってから神田さんを殺害し、制服をベッドの下に隠して用意していた赤いロングコートを羽織り部屋を出た。そのまま三号車の方まで突っ切ってから誰もいない場所でコートを脱いで何食わぬ顔で自分の部屋へ戻ろうとしたが、ここでトラブルが起きた。」

「トラブル? 」

二人の会話を遮るように列車の車内アナウンスが終着駅への到着予定時刻を告げた。

二人の視線は自然と時計へと向けられた。

もう間もなく、約束に時間。終着駅へと到着することになりそうだ。

シェリンは気を取り直して、再び話し始めた。

「それがグウェルさんです。あなたは部屋に戻るまで誰の目にも触れられたくなかったが、偶然にもその時間にグウェルさんが車両を往復していた。困ったあなたは二号車の星川さんの部屋へ適当な理由をつけて逃げ込んだ。」

「どうしてそんな事が分かるんですか? 」

「あなたの証言です。そもそもグウェルさんが何度か車両を往復する羽目になった原因である瓶です。グウェルさんは瓶を落としてしまい割ってしまった。その音はほとんどのメンバーが聞いたと証言しています。でも、あなたはその音について証言しなかった。いや、正確には()()()()()()()()。」

彼はシェリンの推理に反論してこなかった。

「なぜなら、貴方が瓶を割れる音を聞いたのは星川さんの部屋に居た時だったからです。貴方にはその音が自分の部屋がある一号車でも聞こえた音なのかが判断できなかった。もし、二号車だけに聞こえていた音だとしたら、自分が聞いたと言えば一号車に居なかったことが露見してしまう。そう思った貴方は音についての証言をしなかったんです。僕が貴方に『物音や声を聞かなかったか』と聞いた時に『列車の走行音ぐらいしか聞いていない』と証言したんです。」

「なるほど...一号車でも聞こえてたんだ。」

彼は自嘲的な笑いを浮かべるながら呟いていた。

「三枝さんは貴方の姿なんか見てないのに部屋に戻っていたと証言し、ほんひまさんは貴方部屋を訪ねて返事がなかったのにそれを隠した。そして、リゼさんは直前まで神田さんが生きていたかのような証言をした。この全てが貴方を守ろうとしたからなんですよ。剣持刀也さん。」

 

 



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福岡駅 10:05

 『千歳』は終点の福岡に到着していた。

駅のホームには大勢の警察官が待機しており、列車が停車すると同時に何人かの警官が車内に入ってきた。

警官たちは冷静かつ迅速に乗客たちを車外へと誘導して行った。

中尾が言っていたように列車に仕掛けられている可能性がある爆弾を捜索するためだ。

シェリンたちもホームへと誘導されたのだが、神田の事件もあったのでホームでの待機を命じられていた。

シェリンと剣持は他のメンバーから少し離れた所でホームを行き交う人や『千歳』の車体を眺めながら話の続きを始めた。

「僕が剣持さんが怪しいと思ったのには瓶の音以外にも理由がありました。それは三枝さんの証言でした。神田さんが発見される直前に手を叩くような大きな音がなりました。その時、貴方は三枝さんに『神田さんの部屋の辺りから聞こえた。』と仰ったそうですね。でも、本当は剣持さんの部屋から発せられた音だったのでは? 確かに大きな音だったが、部屋が連なっていたあの場所で神田さんの部屋を即座に名指ししたのはかなり不自然でした。あれはさり気無く皆を誘導したのではないかって思ったんです。」

「良い考えだったでしょ。」

剣持はもう諦めたのか反論することなく、ただ笑っているだけだった。

「そう考えれば、音が鳴る直前に剣持さんが部屋から出てきたと言う三枝さんの証言も違う捉え方が出来てきます。この廊下の場合一号車の端にある剣持さんの部屋の扉が開いた場合、向こう側が見えなくなります。つまり、部屋の扉の向こうの剣持さんは部屋から出るところじゃなくて、入るところだったということです。星川さんの部屋に隠れていた貴方は外が静かになったタイミングで一号車に戻った。三枝さんはリゼさんに水を届けており、席に居なかった。ここだと思った貴方は部屋の扉を開けたが、そのタイミングで三枝さんも廊下に出てきた。その気配を感じた貴方は咄嗟に部屋から出てきたところを装ったという訳ですね。」

「シェリンさん...そこまで分かってて、どうして皆の前で嘘の推理をしたんですか。」

「気持ちが知りたかったんです。」

「『気持ち』? 」

「ええ。三枝さんも、星川さんも、ちひろさんも皆が嘘をついた。決して許されるべき行為ではありませんが、それは誰かを傷つけたり、貶めるためじゃなくて、誰かを守ろうとして嘘をついた。どんな気持ちで嘘をついて、どんな気持ちになるのだろう。それが知りたかったんです。」

「...どうでした? 」

剣持はチラリとシェリンに視線を向けた。シェリンはまっすぐ前を向いたままだった。

「なんてことはありませんでした。嘘は嘘。それが正しいのか、卑劣なのかなんて関係ありませんでした。結局苦しいだけでしたよ。嘘なんてつくもんじゃない。そう思いました。」

「シェリンさん。貴方は一つ勘違いしてますよ。」

「『勘違い』? 」

今度は逆にシェリンが剣持に視線を向けると剣持も前を向いたまま答えた。

「みんな僕のために嘘をついたんじゃない。僕の背後に見えたティアリスのために嘘をついたんです。どこかで謝りたい、聞いて欲しいって思ってたんでしょうね。本当に嬉しいことでもあり、悲しいことでもありますけどね。犯行に関してはシェリンさんの仰られた通りですよ。皆がおかしな事ばっかり言うから驚いちゃいましたよ。」

剣持は力なく笑っていた。

「僕があの場で真実を話さなかったのには、実はもう一つ理由がありました。それが剣持さんです。神田さんが死神の話題を出したりしたのは指示があったからです。それなのに神田さんの部屋を調べた時に指示書が見つからなかった。貴方が回収したんでしょう。そして、それはまだ捨てられてないと思っています。」

シェリンの推理を聞いた剣持は自分の旅行鞄から一通の封筒を取り出した。それは紛れもなく神田に宛てられた指示書だった。

「貴方の目的は神田さんの殺害と無言を貫いた仲間の記憶に草賀ティアリスを刻み込むため。他の誰かに罪を被せたいわけじゃなかった。もしもの時は自首するつもりだったんじゃないですか? 乗務員の制服のボタンを残したのも...。」

シェリンが話している途中だったが、剣持は神田に宛てた封筒をシェリンに手渡した。

「僕はティアリスとは以前から知り合いでした。僕も彼女にデビューを進めてたんですけど内気な彼女は決断できずにいました。そんな時に例の企画が始まった。僕の見立て通りに彼女の魅力は皆に伝わりました。あと一歩で一緒のステージに立てたのに...。」

気が付けば剣持の拳が力一杯握られていた。シェリンはそれを黙って見守っていた。

「神田くんの言葉の意味も分かります。彼女の自殺も彼女自身が選んだことなので神田くんを責めるのも筋違いなのも分かります。それでも許せなかった。それに僕の苦しみを他のメンバーにも感じて欲しかった。だから、皆を呼んでまでこんなことをしたというのに...。何にも分かってなかったのは僕だけだったみたいですね。」

剣持は「あーあ! 」と叫ぶと思いっきり背伸びをした。

「結構寝ずに計画練ったんだけどなー。死神の話も行けると思ったんだけど、結果的に皆に速攻バレてるし、センスないですね。僕。」

「犯罪のセンスなんて無い方が身のためですよ。」

その時、二人の背後から警官が声を掛けてきた。

どうやら殺人事件の事情聴取が始まるようだ。

二人から少し離れたホームの一角には既にメンバーが集めれていた。

皆が二人の様子を心配そうな表情で見つめていた。

「蝋燭の火を移すかどうかは、貴方にお任せします。」

そう言うとシェリンは先ほど剣持が渡してきた封筒を彼へと返すと皆の元へ向かった。

死神に蝋燭を渡された男のように剣持の手は微かに震えていた。

 

「ほら消えた」

 

様々な人が行き交うプラットホームのどこからか聞き覚えのない声が聞こえてきた気がした。

 

 




以上で「真実の終点」完結となります。
最後まで読んで頂いて有難う御座いました。

原作の完成度が高いので、それを踏まえながら自分なりの色を出せればと思いました。
そんな中でももう少しシンプルに出来ればよかったかもと思う部分もあったりなかったり...。
難しい部分が多々あったのですが、私が大好きなミステリー作品ということもあって、自分自身は楽しく創作出来ました。

ちなみに草賀ティアリスは、ある人名のアナグラムで作成した架空のライバーさんでございます。(バレバレだと思いますが笑)

改めまして、最後まで読んでいただきまして有難う御座いました、



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