脅され彼女~可愛い女子の弱みを握ったので脅して彼女にしてみたが、健気すぎて幸せにしたいと思った~ (みずがめ)
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1.たとえば、こんな告白と、雨の日の出会い【挿絵あり】
俺の目の前には身を縮こまらせた美少女がいる。
亜麻色の髪をツインテールにしており、年齢よりもちょっとだけ幼さを感じさせる。
だが薄く色づいている唇からは、ちょっとだけ色気を感じてもいる。
子供っぽくあるが、大人っぽくもある危ういお年頃。見覚えのある端正な顔はこっちを恐々とうかがっている。
「今の状況、自分がどんな立場にいるのかわかってるな?」
「……はい」
高圧的な言葉をかければ、彼女はさらに身を小さくした。
口元が緩まずにはいられない。顔面に力を入れて笑ってしまいたい衝動を抑えた。
真面目ぶった顔を作ったからって、次の言葉が変わることはないのだが。
「なんでもするって、言ったよな?」
「い、言いましたけど……」
「けど?」
「……いえ、なんでもないです」
どうやら抵抗はないようだ。
俺に抵抗できない美少女。そんな状況になったとしたら? そりゃあやることは決まっている。
服越しでもわかる均整の取れたスレンダーな体。露わになっている脚は美しい。
彼女はメイド服を着ていた。清楚で可愛らしく、とても似合っている。
俺は怪しい笑いを零し、勢いよく頭を下げた。
「俺の彼女になってください!」
◇◇◇
受験生だってのに、今回のテストでは見事な赤点を取ってしまった。
おかげで放課後になってまで担任からお叱りの言葉をいただいてしまった。一言でまとめれば「受験生としての自覚はあるのか」ってこと。
担任の慈悲により、追試を受けることが決まった。あー、とても嬉しいですぅ……。
「はぁ~……」
くそでかため息は誰にも聞かれなかった。
とっくに部活動が始まっており、帰宅部は真面目に帰っているであろう時間帯。
廊下を歩くのは俺一人だけだ。しかも外は雨模様。なんだか俺の心を表しているかのようだ。我ながらどんだけ落ち込んでんだよ。
下駄箱にたどり着いたころには雨の勢いが増していた。まさにバケツをひっくり返したような、と言ってみたくなるほどだ。
だが天気予報のチェックをかかさない俺に死角はなかった。持ってきた傘を差す。
「はぁ~……」
横からくそでかため息が聞こえた。
目を向ければ、亜麻色の髪をツインテールにした少女が立ち尽くしていた。後輩だろうと予想する。
周りに誰もいないと思って油断したのだろう。乙女にしてはでかすぎるため息だった。これ恥ずかしいやつだろうな。
後輩少女(仮)は外をにらんでいるようだ。どうやら傘を忘れたらしい。にらんでも雨は止まない。
昇降口には俺と後輩少女の二人だけ。部活をしているらしき声は聞こえるが、こっちに近づいてくる様子はなかった。
雨が地面を激しく叩く。それを眺めて、俺はうんと頷いた。
「これ、使えよ」
「え?」
後輩少女に傘を差し出す。急に声をかけたからかビクリと肩を跳ねさせていた。ごめんね、影が薄くて。
なかなか受け取ろうとしないので、半ば押しつける形となった。後輩少女は大きな目をパチクリさせる。
「あ、あの……受け取れません」
どうやら慎ましい心の持ち主のようだ。
「俺さ」
「はい?」
俺は最高のキメ顔でこう言った。
「今、雨に打たれたい気分なんだよね」
後輩少女が止めるのも聞かず、俺は走り出した。
外は雨。もちろん濡れた。思った以上の大雨で、すぐに全身びしょ濡れとなってしまった。
男には、無駄に格好つけたいときがある。
それは俺にも当てはまったようだ。言い訳をさせてもらえば「体が勝手に動いた」ってやつである。悲しいことに正義の心ではなかったが。
「やんなきゃよかったやんなきゃよかったやんなきゃよかった……!」
だが、我に返って恥ずかしくなるのもお約束である。
たぶん自分に酔ってたんだろうな。間を置いて客観視すれば、自分がどれだけ恥ずかしいことをしたのかを突きつけられる。なんだよあのキメ顔。絶対キモいやつじゃん。
後輩少女に傘を渡すシーンをリピートされたら何度死ねるかわかったもんじゃない。本当にギャラリーがいなくてよかった。危うく学園中の笑い者になるところだった。
激しい後悔に苛まれながら、家まで走り切った。羞恥心は持久力を凌駕するらしい。
雨の日、後輩少女とベタな出会いをした。
それが俺と
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2.学園のアイドル……
後輩に傘を渡す。イケメンポイント五〇ポイントくらいか。スマートにできたらって話だけどな。
昨日は後輩少女に格好つけるという恥ずかしい言動をしてしまった。ベッドでのたうち回ること三時間。奇跡的に立ち直れた。
立ち直ったとはいえ、後悔が消えるわけじゃない。あの後輩少女からすれば不審者みたいなもんだ。……通報されてないよね?
困ってる女の子がいたら助けたくなるのが男の性ってもんである。それが俺の気の迷いの理由だ。
だけど、それだってスマートにできなきゃ意味がない。
「はぁ~……」
昨日と変わらないため息。変わったことはため息の理由くらいなものか。
それでも世界は回っている。学校にだって行かなきゃならない。学生はつらいよ。
いつも通り登校し、静かに教室に到着した。
誰も俺に注目しない。そりゃそうだ。誰も見てないところで恥をかいたって、そんなこと誰も知るはずがない。昨日は本当に後輩少女と二人だけでよかった。俺の恥を知っているのは彼女だけだ。
「おはよう会田くん」
「うぇっ!? あ、えっと、お、おはよう藤咲さんっ」
油断した。
着席したところで隣の席からあいさつが飛んできた。突然の可憐な声に自分でも気持ち悪い返事となってしまった。圧倒的後悔。
隣の席の女子は静謐な空気をかもし出していた。クラスで一人だけ存在感が違う。
大きくくっきりとした可愛らしい目は見つめられるだけで恋に落ちてしまいそうだ。それほどの魔眼の持ち主である。実際に犠牲者となった男子は多い。
鼻筋はすっと通っていて、魅惑の唇はいけないことを考えてしまいそうなほど。
彼女の長い黒髪はキューティクルを極めたのかってくらい艶やかだ。対照的に肌は雪のように白く透き通っている。どちらも互いを生かし合っている白と黒。
スタイルは制服越しでもわかるほど抜群のものをお持ちである。思わず男の本能のまま見つめてしまうが、それを見つかれば女の敵認定である。なんというハードモード。
そんな彼女の名前は
せっかく藤咲さんに話しかけられたってのにまともに返事できなかった。悔やんでも悔やみきれない。
どもる俺に呆れてしまったのか、藤咲さんは興味を失ったみたいに視線を外した。
チャンスはピンチってか。昨日に続き、今日もついてない。
改めて席に着く。一瞬頭がピンク色になったが、すぐにブルーに逆戻り。上げて落とすってのは残酷だと思うんだ。
「あのー、ここに会田祐二先輩はいますか?」
教室の入り口から俺を呼ぶ声が聞こえた。
俺に用事とは珍しい。ていうか初では? 顔を向けてみれば最近見覚えのある亜麻色のツインテールが目に入った。
いや、最近っつーか昨日会った後輩少女だな。
なんの用だろうか。という疑問は彼女が手にしている傘が教えてくれた。どうやら律儀に返しにきてくれたらしい。
「呼ばれているわよ会田くん。早く行ってあげて」
「あ、うん、そうだな」
またもや藤咲さんから声をかけてくれたってのにチャンスを無駄にしてしまった。まあ俺と藤咲さんとの間にチャンスが生まれる隙なんてないんだろうが。
さっと立ち上がり後輩少女のもとへと向かう。心なしかクラスの視線が突き刺さっている気がした。
「あっ、昨日はどうも」
「いえこちらこそ」
でも納得。この後輩少女はなかなかの可愛さだ。男なら目にしたら五秒くらいは釘付けになってもおかしくない。
「てか、よく俺の名前わかったね。名乗ったっけ?」
「あの、傘に『会田』って書いてましたよ」
おお、小学生のころからの癖がこんなところで役に立つとは。物に名前書くとか知られるのは恥ずかしいけど、こうやって可愛い女子が会いにきてくれるのならよかったと思っておこう。
「いや……俺のことフルネームで呼んでたよね?」
貸した傘にはそこまで書いていなかったはずだ。それに学年やクラスを書いた覚えもない。
「それはその……。あたし、お姉ちゃんがいまして……会田先輩と同じクラスだったから覚えがあるって教えてくれたんです」
「お姉ちゃん? それって誰なんだ?」
ちょっとだけ言いづらそうにしてから、後輩少女は教えてくれた。
「……藤咲彩音、です」
藤咲彩音……。えっ、マジか!?
振り返って藤咲さんを見る。彼女はこっちを向くことなく涼しい顔をしていた。
後輩少女へと顔を戻す。言われてみれば似ている気がする。藤咲さんを少し幼くしてツインテールにしたら。そこまで想像すると、なるほど姉妹だと納得できた。
「そっか。妹さんだったんだな」
「本当に知らなかったんですか?」
そこ疑われても困るんだけどな。そもそも藤咲さんに妹がいることすら今知ったし。彼女のすべてを知るほどストーカーではないつもりだ。
「あたしがお姉ちゃんの妹だから、優しくしたとかじゃないんですか?」
妹だからって、そこにどんな意味があるのだろうか。藤咲さんへのアピール? どんな遠回りアピールだよ。
「俺、言ったよな。雨に打たれたかっただけだって。本当にそれだけだよ。あの時たまたま君がいただけで、藤咲さんの妹とか、全然関係ない」
つーかそこを掘り返してほしくない。また今晩もベッドでのたうち回りたくはないね。
そんな心のせいか、言い方がぶっきら棒になってしまったのだろう。後輩少女改め藤咲妹はしゅんと頭を垂れる。
「あ、ごめんなさい。先輩は親切で傘を貸してくれたのに……ごめんなさい」
ごめんなさいって二回言ってるから。そんなに大事なことじゃないよ。
それと頭を下げないでほしい。俺が後輩少女をいじめてるみたいに見えるから。背中にクラスメートの視線が突き刺さってる気がするから。
とにかく傘を受け取ってさっさと自分のクラスへと戻ってもらおう。そろそろチャイムが鳴る時間だしな。
「わざわざ傘もってきてくれてありがとう。じゃあ気をつけて教室に戻るんだぞ」
「は、はいっ。会田先輩っ、この度は本当にありがとうございました!」
声が大きいってば。まあ後輩っぽくて悪い気はしないけどな。
傘を受け取って、藤咲妹は踵を返した。
これで彼女との縁もなくなってしまった。そう思うとけっこうもったいないことした気分。可愛かったし。
「あっ、名前聞くの忘れた」
別にこれから関わるとは考えていない。でも名前くらいは聞けばよかったとは思う。
学園のアイドル、藤咲彩音の妹。後輩少女のことで俺が知ったことはそれだけだった。
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3.初めてのメイドカフェ
突然だが俺には一人だけ友達と呼べる存在がいる。
友達が一人とか少なすぎね? とか、友達は量より質だとか、友達の定義はどこから? だとか、そんな話は置いておく。悲しいし不毛だからな。
そいつと日曜日に遊びに行く予定があった。どこにでもある普通のこと。友人との約束だ。
「それをドタキャンとかあり得ねえ……」
しかも現地集合だったため怒りも倍増である。せめて家を出る前に連絡してくれていれば……。いや、それでも怒るが。百回謝るまで怒るが。
そんなわけで、現在地は最寄り駅から何駅も離れた駅前。視界に広がるのはいくつものビル群。
買い物がしたいってことで、俺の尻ポケットの中にある財布には軍資金がたんまりあった。もちろんその友人におごるつもりは一かけらもなかった。
「このまま引き返すのもなぁ……」
時間厳守の俺。時刻は午前十時を過ぎたところ。帰宅するにはあまりにも早すぎた。
それに、このまま帰るのもなんだか悔しい。本当に時間を無駄にしたのだと認めるようなものだ。
恨み言はまた後日、本人にぶつけるとして。せっかくなのでぶらり一人旅でもしようかと気持ちを切り替える。
ゲームや漫画を物色するというルートを辿る。趣味全開の店を回るというのは楽しい。
一人でも楽しめる男。これもある種のエコではなかろうか。
それでも、できればワイワイ騒いでいたかったものだ。それは一人ではできないことで。今日はこんな日になるはずじゃなかった。
「メイドカフェ……」
そんな単語が目に入り足を止めた。
メイドカフェじゃなくても、普通の喫茶店にすら入ったことがない。優雅にコーヒーブレイクする金があったら漫画の一冊でも買いたい。男子高校生の切実な叫びだ。
まあそんな叫びは友人がいればこそ。俺はそこそこ持ってる男だ。甘やかしてくれる親万歳。
誰かに合わせて「金がない」と口にする必要はない。ここは一人でしかできないことをやってみようではないか。
「おかえりなさいませ、ご主人様!」
可愛いメイドさんに笑顔でお出迎えされて、圧倒されてしまった。
想像の三割増しくらいメイド服がフリフリしていた。スカートの丈は短めで、ニーハイソックスにより絶対領域を生み出していた。極めつけに猫耳カチューシャ。完璧な装備である。
しかもメイドさん一人一人のレベルが高い。可愛い娘ばかりで緊張してしまう。男心は純情なのだ。
メイドさんに席へと案内される。白を基調としながらもパステルカラーが散りばめられた店内は、まるで夢の世界のようだと思わせた。
ふわふわした気分で着席する。案内してくれたメイドさんが何やら説明してくれる。店のルールや禁則事項っぽいが、緊張のしすぎか左から右へと素通りしてしまう。
ニッコリ笑顔のメイドさんに何かを渡される。どうやらメニュー表のようだ。気づいた時にはメイドさんがいなくなっていた。いや、俺がぼーっとしてただけだ。
「ふぅ……」
息を吐いて緊張をほぐす。
友人に裏切られ荒んだ心。その心を癒やすため全身全霊を込めてメイドさんに甘えるつもりだった。
はじめてのメイドカフェ。ただ席に案内されただけで意識を刈り取られた。なんたる破壊力か。
「メイドっていいなぁ……」
鼻の下が伸びていたことに気づき、慌てて表情を引き締める。ご主人様らしくあらねば。そう、ご主人様らしく!
「おかえりなさいませ、ご主人様……か。なんて良い響きなのだろう……」
表情を引き締めたところで、頭の中が切り替わったわけじゃない。
非現実的な空間に、非現実的なメイドさん。ご主人様と呼ばれ笑顔を向けられる。それだけでどれほど幸せになれることか。
正直、これほどの破壊力があるとは思っていなかった。右ストレートをもろにもらった気分。ノックアウトされるのって気持ちいいね。
メニュー表に視線を走らせる。なんだかファンシーなネーミングセンスのものが並んでいる。それがしっくりくるのだから素晴らしい空間である。
軽く食事でも……おっ、メイドさんとゲームができるのか。ふむふむ、写真をツーショットでとか……テレるなぁ。
ニヤけ顔を引っ込めて手を挙げる。
「すいませーん」
これで合ってる? 心配にしていたが、ツインテールのメイドさんがこっちに気づいてくれた。よかったー。
「はーい、お呼びですかご主人さ……ま?」
不自然に言葉が区切られた。
なぜかと思って顔を向ける。恥ずかしさを我慢し、メイドさんの顔をまじまじと見つめた。
「あ」
声が漏れる。意外な人物を前にして、あごがパカリと開いてしまったのだ。
「あ……あ、あの……」
亜麻色のツインテール。それとやや吊り目。猫耳がよく似合うメイドさんだ。
見覚えがある女の子。そりゃそうだ。彼女とは最近会ったばかりなのだから。
藤咲さんの妹。もう関わりがないだろうと思っていた後輩少女が、目の前でメイドをやっていた。
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4.オムライスに一言書いてもらった
「あの……その……えっと、ですね……」
「……」
藤咲妹は何か言おうと口を開いては閉じるを繰り返す。
俺はそれをただ黙って見つめていた。いや、余裕があるとかじゃなくて、こんなところで再会するとは思ってなかったから言葉が何も思いつかないだけだ。
「あれ、琴音ちゃんどうしたの?」
別のメイドさんが藤咲妹の様子に気づいた。俺と彼女を交互に見て、怪訝な表情を浮かべる。
ん、あれ、これはやばいんでないの?
困りすぎて藤咲妹の目じりには涙が。目の前にいるのは俺だけ。つまり俺が彼女をいじめているように見えるのではと思い至る。
「こ、これ、オムライス注文しますっ。メイドさんのお絵描きがどうのってやつ!」
「は、はいっ。かしこまりましたご主人様!」
慌ててメニューを注文する。藤咲妹はツインテールを揺らしながら大きく頷いてくれた。
藤咲妹が奥へと引っ込んで、メイドさんも怪訝な表情を引っ込ませてくれた。
これで一安心。背もたれへと体重を預ける。
藤咲妹が取り乱したのには理由がある。俺は伝染したみたいに慌てただけなのでとくにやましいところはない。メイドカフェに一人で来店したところを目撃されたが、まったくやましくない!
我が学園はアルバイトを校則で禁止しているのだ。見つかればどんな罰則があることやら。一発で退学にはならないだろうが、それなりに重たいものだったと思う。特別な事情でもなければ許可されないだろう。
それなのに、同じ学園の生徒に目撃されてしまった。
顔見知りにならなければ学年も違うし気づかずにいられただろうが、運悪く藤咲妹は俺と関わりを持ってしまった。
ただ傘を貸し借りした関係。それ以上でも以下でもない。なかったことにして無視してもいい事実だ。
だが藤咲妹は俺を無視しなかった。俺の顔を見て、ちゃんと誰だかわかってしまったようだ。
「お、お待たせしました……にゃん」
取ってつけた「にゃん」だった。
顔を上げれば注文したオムライスをテーブルに置く藤咲妹。笑顔がぎこちないのは俺のせいだろう。来店しちゃってごめんね。
「あの……オムライスに何を書いてほしいですか?」
藤咲妹がぎこちなく尋ねてくる。そういえばメイドさんにお絵描きしてもらえるんだっけか。
「なんでもいいの?」
「は、はい。あたしが書けるものなら」
少しだけ考えてみる。文字でも絵でもいいみたい。もちろんエッチなことを書かせるのはアウトだろう。奥から屈強な男の人が出てこられても困るし。そんな人がメイドカフェにいるのかは知らんけど。
「じゃあ……大好きって書いて」
「え」
後輩少女メイドは固まった。
「そういうのはダメだった?」
「い、いえ……がんばりますっ」
ケチャップを持つ手が震えている。とんでもない注文だったようだ。
「では、いきます!」
ものすごい気迫だ。顔を真っ赤にし、どころか耳まで真っ赤だった。気持ちは充分伝わった。
藤咲妹は前かがみになってオムライスにケチャップで文字を書いていく。「大好き」と思ったよりも綺麗な文字で書いてくれた。俺が授業のノートを写す字よりも綺麗だ。
「ど、どうですか!」
「うん。いいんじゃない」
「ありがとうございます!」
無茶ぶりだったかもしれないのに、彼女は嬉しそうに笑ってくれた。
満足そうに席から離れようとした藤咲妹は、はっとして振り向いた。そして俺に顔を寄せてくる。
何事!? と内心の焦りを顔に出さないでいるのに必死でいると、耳元で優しくささやかれた。
「会田先輩……お話があります。この後、少しだけお時間よろしいでしょうか?」
吐息が耳に触れてゾクゾクした。その拍子にこくんと頷いていた。
「ありがとうございます。あと三十分で休憩に入りますので、お話はその時に」
そう言って彼女はこの場を後にした。美味しくなる魔法はかけてくれなかった。
お話ってなんだろなー? ドキドキしちゃう……。って、ときめくような話ではないだろうな。
ここでバイトしていることを学園に言わないでくれという口止め。それが彼女のお話ってやつだろう。そもそも俺と後輩少女にそれ以外の話なんてないからな。
わざわざお話しなければならないほど信用がないらしい。まあこの間に会ったばかりでしかない関係だからな。だからこそ無視してくれるなら何もしようとは思わなかったのだが。
「……」
大きな文字で「大好き」と書かれたオムライスにスプーンを突き立てる。
もったいないとは思うが、料理は食べてこそである。どうやって作ったかは知らないが「大好き」と書かれたオムライスは前にファミレスで食べたものよりも美味しかった。
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5.ひどい告白
オムライスを食べ終わってメイドさんとゲームをして遊んでいると、三十分が経過していた。藤咲妹が休憩に入る時間である。
「いってらっしゃいませご主人様!」
滞在時間は四十分ほど。もうちょっと楽しみたかったのが本音だ。俺にとってはファミレスよりも時間が潰せそうな場所である。初めてのメイドカフェの感想はこんなもんだ。
メイドカフェを後にして藤咲妹との待ち合わせ場所へと向かう。
メニューには他にもメイドさんと遊べるゲームや、ライブなんかもあったな。ツーショットで写真を撮らせてくれるみたいであったし、お値段も思ったよりお手頃だ。うーん、興味深い。
そんな考え事をしながら待ち合わせ場所へと到着した。
ビルの裏手には従業員用の出入り口があった。そこが藤咲妹が指定した待ち合わせ場所である。たどり着くと、ちょうどそこから出てくる女の子がいた。
「あっ、先輩……。お待たせしちゃいましたか?」
「ううん、今来たとこだよ」
ちょっと言ってみたかったセリフである。非モテ男子として言ってみたいセリフの上位に食い込むだろう。ソースは俺のみ。
そんな男心を知らない藤咲妹は「よかったー」と呑気なものだった。これから話すことを思えばそう呑気にはいられないと思うんだけどな。
「で、俺に何か用?」
大方予想はついている。だが、ここはとぼけた態度で様子を見る。
藤咲妹は少し言いづらそうにもごもごと口を動かす。
そんなことをするものだから視線が彼女の唇へと吸い寄せられた。薄く色づいた綺麗な唇だ。
「あの、会田先輩」
不安そうな表情を隠すように、彼女は頭を下げた。
「あたしがここでバイトしていることは誰にも言わないでください。お願いします」
藤咲妹は頭を下げたまま動かない。自分のお願いが通るまでは頭を上げないという意思を感じる。
「……」
まあ大方予想はついていたお話だ。
だが実際にこうして人から頭を下げられるってのは……なんというか落ち着かないものがある。
頭を下げられて、店以外でこれほどまで本気が伝わってくるとは。いや、店員の対応と比べるものでもない。正直言えば言葉を失った。
俺のイエスかノーで藤咲妹の今後が決まってしまう。少なくとも彼女自身はそう考えているはずだ。じゃなきゃこれほど真剣に頭を下げられはしない。
「……」
「……なんでも」
「ん?」
俺が何も言わずにいると、藤咲妹の方から何かを口にする。
「あ、あたしにできることなら、なんでもしますから……。お願いします」
え、今なんでもするって言った?
彼女は確かに震える声で言った。聞き違えないほどの声量だった。
「顔を上げてくれ」
藤咲妹は俺の言う通りにする。だが不安は隠しきれていないといった態度だ。
身を縮こまらせているメイド少女。この状況だけでいけないことをしている気分。じめじめした場所だから余計に雰囲気が出ていた。
「……なんでもするって、本当か?」
「え? ま、まあ、あたしにできることであれば、ですけど……」
よし、言質は取った。
目の前の少女に無遠慮な視線を向ける。上から下まで眺めて、その視線を往復させる。
学園のアイドルの妹ということもあり、なかなか可愛らしい見た目をしている。綺麗な亜麻色の髪をツインテールにしているのはちょっと子供っぽいが、薄く色づいた唇からは色気を感じさせる。
「今の状況、自分がどんな立場にいるのかわかってるな?」
「……はい」
改めて上下関係を確認する。彼女は恐れを感じているかのように震えながらうなずいた。
「なんでもするって、言ったよな?」
「い、言いましたけど……」
「けど?」
「……いえ、なんでもないです」
俺の雰囲気から不穏なものを感じ取ったのだろう。それでも、彼女に抵抗する手段はない。と、彼女は考えている。
藤咲妹はメイド服を身に着けている。メイドカフェのものらしくレースやフリルといった装飾がある。けれど可愛らしいだけじゃなく清楚さがあった。
うん、とても似合っている。
ならば申し分ないだろう。口元が勝手に笑みを作った。
「俺の彼女になってください!」
勢いよく頭を下げた。数秒の空白の時間が生まれる。
「……へ?」
呆けたような声だった。もちろん声の主は藤咲妹である。
驚くのも無理はない。そんな要求をしたのだから。
俺は顔を上げる。ゲスな表情にならないよう顔に力を入れる。
「夏休み前まででいい。俺の彼女になってくれないか? そうしてくれたら、バイトしていることを絶対に他言しないと誓おう」
我ながらひどい提案である。
だが待ってほしい。生まれてこの方恋人なんぞできたことがないのだ。自分のスペックを考えれば未来は明るいとも言い切れない。
それならこのチャンスをものにしなくてどうするのか。すぐに受験勉強で交際をどうこう考える暇もなくなるだろう。
まずは実績を作る。彼女いない歴=年齢からの脱却。それができれば未来が明るいとは言えずとも、過去の栄光で胸を張れる。
そんな自分勝手な理由で脅してしまった。
さすがに俺も鬼じゃない。本気で嫌がられたら引き下がろう。そんな程度の思いで口にしたのだが。
「……わかりました」
「え?」
「あたし、会田先輩の彼女になります」
藤咲妹は俺と目を合わせて、はっきりと言ったのだ。彼女になる、と。
「マジで?」
「マジです。そうすればここでバイトしていること、誰にも言わないんですよね?」
「あ、ああ。もちろんだ」
自分で言うのもなんだが、思い切った決断をしたな。
「あっ、そろそろ休憩時間なくなっちゃいます」
「お、おう。戻らなきゃだな」
「じゃあその……明日から先輩の彼女ってことで、いいですか?」
恐る恐る尋ねられる。さっきまでと態度があまり変わらないし、ちょっと我慢しているのかもしれない。
まあでも本人から嫌だとはっきり言われたわけでもないし? とりあえずそういうことで、い、いいよな?
「あ、ああ。明日からよろしく頼む……。その、夏休み前まででいいので……」
藤咲妹はビルの中に戻ろうとして、くるりとツインテールを揺らして振り返った。
「わっかりました! では明日からよろしくお願いしますね、先輩っ」
にっこにこの笑顔を見せて、彼女はビルの中へと消えた。
嫌がる表情どころかあの笑顔。やはり接客業をやってるからか。営業スマイルってやつだろう。いくら俺でも脅して彼女にした相手が良い感情を抱かないと察せられる。
脅してだろうが期間限定だろうが関係ない。この瞬間、俺は彼女いない歴=年齢から解放されたのだ。
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6.夢じゃなかった関係
「どうしたんだい祐二? 顔が気持ち悪いぞ」
登校中、昨日の出来事を振り返って幸せになっていると、不意に横から言葉の刃が飛んできた。
相手は俺の友達。名は
「ぐはっ!?」
井出にラリアットを食らわせる。言葉の刃には暴力で対抗する。それが俺の流儀だ。そう今決めた。
「い、痛いじゃないか!」
すぐに復活する井出は見かけによらずタフである。
「昨日ドタキャンしたのを俺は忘れねえ」
「うっ……。だからそれは謝ったじゃないか。急に用事ができたんだよ」
「わかった。だからこれでチャラだ」
男は物理でわかり合うものだ。これもまた井出とのコミュニケーションである。
さて、井出にどうやって自慢したものか。何をって? もちろん昨日の出来事である。
昨日俺に彼女ができた。
相手は藤咲妹。とっても可愛らしい後輩少女である。
期間限定とはいえ俺の彼女になってくれたのだ。これから楽しい日々になるだろう。なんたって可愛い女子だからな!
「……あれ?」
そういえば俺、藤咲妹の連絡先を知らないぞ。
昨日はすぐバイトに戻っていったからな。俺も舞い上がってばかりで気づかなかった。あの後そのまま帰っちゃったし。
ど、どうしよう……。井出に自慢するどころじゃないぞ。連絡先すら知らないって、それ彼女って言えんのか?
それどころか俺の彼女になるって話もなかったことにされたら……。いやまあ拒否されてもおかしくない告白だったがな。
「祐二先輩っ」
脳内であわあわと慌てていると、俺を呼ぶ声がした。
明らかに女子の声。俺に気安く声をかける女子に心当たりがない。女友達がいない的な意味で。
顔を向ければ藤咲妹がこっちに小さく手を振っていた。ちょっとだけ恥じらいを感じる表情だ。
「お、おはようございます」
ぎこちないあいさつ。俺と彼女の関係を思えば不思議ではない。それでも声をかけてくれただけでほっとした。
「おはよう」
さっきまでの不安なんてなかったかのようにあいさつを返す。
井出を置き去りにして彼女の隣に並んだ。なんたって彼女だからな。
「え? え?」
一人で戸惑っているのは井出だけだ。
悪いな。これからはモテない同盟には付き合えない。
俺は手をひらひらと振って呆然と立ち尽くす井出を置いていった。
「あの、お友達ですよね? いいんですか」
「男には、やられたらやり返さなきゃならない時があるんだよ」
「は、はぁ……?」
まあこれで本当に昨日のドタキャンの件を許してやろう。ふふ、可愛い女子をはべらせる俺を羨ましがるがよい。
「それでその……祐二先輩とあたし、付き合うことになったじゃないですか」
「うん、まずは覚えていてくれて安心したぞ」
「そんなにすぐ忘れちゃうくらいバカに見えます?」
おっと、そういう意図はなかったんだが。俺の夢ってオチじゃなかったってことに安心しただけだ。
藤咲妹も別に怒るつもりもなかったらしい。顔を寄せてきて、ぼそぼそと言う。
「なので……お弁当作ってきたんですけど……。もしかして祐二先輩もお弁当持ってきてたりしますか? よく考えたら連絡先交換してなかったですし、確認できなくて……。でも作っちゃったのでどうしようかと……」
え、弁当?
まさかの彼女手作り弁当である。いきなりそんなの想定してないよ。いや、嬉しいんだけどね。なんかこう……勘違いしそうな展開だ。
彼女になったとはいえ、ぶっちゃけ脅したようなものだ。手作り弁当は希望ではあったが、こんな関係ではお願いするだけむなしくなると思っていた。
それを自分からとは……。もしかしてこの子、俺のこと好きなんじゃね? と勘違いしても仕方ないのではなかろうか。
「いつも購買でパン買うだけだから。ありがたくいただこうかな」
沸騰しそうになる頭を無理やりクールダウンさせる。冷静な俺はまともな返答ができたはずだ。
「それと、ですね……」
ま、まだ何かあるというのか?
藤咲妹はチラチラとこっちをうかがう。だからそういう態度が勘違いさせて犠牲者を生むんだって。男子は女子が思っている以上に繊細なんだぞ。
「あたしと連絡先を交換してくれませんか?」
緊張しているのか声が震えていた。俺の身体もぶるりと震えた。
一応彼氏彼女なんだからそれくらい当然だ。だから心臓よ暴れるんじゃない。きっと、こういうのは普通のことなんだから。
緊張を表に出さないよう、俺は力いっぱいの笑顔で了承した。勘違いしないよう自分に言い聞かせるのが大変だった。
※ ※ ※
「会田くん、私の妹……琴音とどういう関係なのかしら?」
朝から嬉しいことがあったせいなのか。なぜか険しい顔をした藤咲さんに問い詰められていた。
美人が怒ると怖いって本当だね。乾いた笑いすら出てこなかった。
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7.姉に問い詰められた
藤咲琴音。俺の彼女になってくれた後輩少女の名前である。ちなみに学年は一年だった。
彼女になってくれた、とはいっても学園で禁止されているバイトの件を口止めする対価だ。残念ながらラブコメ漫画みたいな甘酸っぱい理由ではない。
悪いことをしているのは琴音ちゃんだ。だがそれにつけこんだ俺はそれ以上に悪いことをしている自覚はある。まあ自覚しているだけだがな。
琴音ちゃんとの彼氏彼女関係も夏休みに入る前までの話だ。期間限定という良心的な俺。そんな俺の優しさをわかってくれたからこそ、琴音ちゃんはあんなお願いを聞いてくれたに違いない。約束はちゃんと守るつもりだし。
そういった事情があるからこそ、他人には詳細を話せないと思っていた。
「会田くん、私の妹……琴音とどういう関係なのかしら?」
なのになぜ藤咲さんにばれているのでしょう?
琴音ちゃんと連絡先を交換し、気分が高揚したまま教室に入ってすぐのことだった。
俺が席に着くと、隣の席にいた藤咲姉がおもむろに立ち上がったのだ。
あまりに美しすぎて存在感のある彼女である。俺の視線が吸い寄せられるのは当然といえた。
しかし自分に用事があるとも思っていなかった。どこへ向かうのだろうとぽけーと眺めていたら、こっちに身体ごと向けてきたではないか。
腕を組み、仁王立ちといった様子。威圧感を放ちながら言ったのが先ほどのセリフであった。
「黙っていないで答えてちょうだい」
鋭い声。学園のアイドルらしからない怒気が含まれている。
とりあえず俺と琴音ちゃんが付き合っているという情報を耳にしたのであろうことは察せられた。
しかしどこからの情報だ?
俺と琴音ちゃんが恋人……、理由はどうあれそういう関係になるという話になったのは昨日のこと。そう考えると情報源の最有力候補は琴音ちゃんということになるが……。
打ち明けるなら秘密にしているバイトの件も話さなければならないはずだ。いや、家族なら知っていてもおかしくないか? その場合、藤咲彩音も同罪になると思うのだが。
そうなると打ち明けたのは昨晩。わかっていたら琴音ちゃんが俺の弁当を作ることなんてないんじゃないか? こうやって藤咲さんが出てくるだけで俺という存在はプチッと潰されてしまう。
「な、なんのことかな?」
考えた結果、とぼけることにした。
本当に琴音ちゃんが暴露したという確証が持てない。下手なことを口にする方が危ういと感じたのだ。
藤咲さんは厳しい目をしたままではあったが、幾分か落ち着いた声色で言った。
「……琴音が会田くんに脅されて、お弁当を作らされたって聞いたの」
これ本当に暴露されたんじゃないの?
い、いや落ち着け。脅して彼女になってはもらったが、別に弁当を作ってくれと言った覚えはない。あくまで琴音ちゃんの独断である。ここに俺の罪はない、はずだ。
「だ、誰がそんなことを……?」
なんとか表情に笑みを作ってとぼけた態度を続ける。
藤咲さんは視線を俺から外して答えた。
「井出くんよ」
い、井出ぇぇぇぇぇぇーーっ!?
彼女の視線を追えば、席に着いて放心した井出の姿があった。俺が琴音ちゃんと連絡先を交換している間に、先に教室に着いていたようだ。
井出は放心した顔で何やら呟いていた。
「あり得ないあり得ない……。祐二が藤咲さんの妹にお弁当を作ってきてもらってるなんて……。これは何かの間違い……、祐二が藤咲さんの妹を脅して作らせたに違いない……じゃなきゃあんな恋人みたいに振る舞えやしない……」
などと聞こえてきた。しかもエンドレスリピートしてやがる。小声ならまだいいが、耳をそばだてなくても聞こえる声量である。
なるほど。藤咲さんはあの呟きを聞いて信じちゃったというわけか。井出には後で言い聞かせてやらなきゃならないようだ。もちろん物理で誤解を解こう。
「井出の言ってることが本当なわけないじゃないか」
「嘘だっていうのね?」
「ああ」
「でも私、琴音が朝お弁当を余分に一つ用意しているのを見たわ」
しまった、同じ家に住む姉妹なんだから目撃されてもおかしくなかった。
「不思議には思っていたの。理由を聞いても琴音は答えないし。でも、井出くんの言葉を聞いたら納得したわ」
いやいや納得しないで! あんな明らかに放心した男子の言葉を鵜呑みにしないでくれ!
「で、琴音からお弁当を受け取ったのかしら?」
「うっ……」
そこは事実だから否定できない。
だからってうんと頷けば「やっぱり脅したのね!」と怒らせる結果になりかねない。それだけ疑われている気がする。無罪だ! ……とは言えないのだが。
何か言い訳はないか。頭を働かせ、俺の口が動いた。
「お、お礼だよ」
「お礼?」
首をかしげる藤咲さんに頷きを返す。
「ほら、この前琴音ちゃんに俺の傘を貸しただろ? 助かったからって、そのお礼だよ……うん」
藤咲さんは形が整ったあごに指を当てる。何か考えているのかしばらく黙っていた。その間、俺は背中に冷や汗をだらだら流していた。
「……そう。疑ってごめんなさい。私、会田くんに失礼なことを言ってしまったわ」
「き、気にしないでくれ。もともと接点がなかったんだし、疑われても仕方がないって」
俺の弁明を信じてくれたようだ。藤咲さんはもう一度謝罪を口にして席に着いた。
ふぅ、なんとか切り抜けたぞ。
後で口裏を合わせられるよう琴音ちゃんにメッセージを送らないとな。さっそく連絡先を聞いていて役に立った。
それにしても井出の奴め。すぐにでも黙らせないといけないようだ。それなりに付き合いがあるせいか半ば正解を口にしているってのが性質が悪い。
井出のところに行こうと立ち上がった瞬間にチャイムが鳴った。同時に担任が教室へと入ってくる。俺は腰を下ろした。ついでに井出も放心状態から戻ってきた。
井出だけなら思う存分自慢できるかと思っていたが、どこで真実がばれるかわかったもんじゃないな。一般的な普通の恋人ってわけじゃないし、不用意な言動は避けた方がいいか。
「琴音ちゃん、ね……」
何か聞こえた気がして藤咲さんの方を向く。彼女は前を向いていた。先生が連絡事項を言っている。俺も前を向いた。
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8.お弁当タイム
「つまり、藤咲さんの妹さんとはいかがわしい関係ではないと?」
「そうだよ、さっきからずっとそう言ってるだろ」
井出の説得は昼休みになるまでかかった。おかげで午前中の休み時間が丸々潰れてしまった。
友達として、井出にだけは俺が満足するまで自慢してやろうと思っていたのだが、思った以上にこいつの口は信用できなかった。あることないこと……どっちを広められてもまずいな。
やはりまともな恋人でなければ後ろめたいものである。ちょっと勉強になった。
とにかく、この話はここまでだ。
「とりあえず飯食おうぜ」
そう言って取り出したのは、今朝琴音ちゃんから受け取った弁当箱だ。井出には藤咲さんと同じ説明をしてある。羨ましそうな視線が心地よいね。
彼女からの手作り弁当である。控え目に言って超楽しみだ。
井出と机をくっつけて昼食タイム。せっかくの手作り弁当だってのに相手が井出だとちょっと嬉しさが減少してしまう。
「あのー……」
横から声がした。反射的に顔を向ける。
そこにいたのは亜麻色の髪をツインテールにした後輩少女。琴音ちゃんが頬を赤くしながら俺を見つめていた。
「え、あれ、琴音ちゃん? どうしてここに?」
「えっと、教室に入っていいって言われました……お姉ちゃんに」
同じく教室で友達グループと昼食をとっている藤咲さん。チラリとこっちを確認するかのような視線を向けてくる。その視線はすぐに戻された。
「それで、ですね……」
もじもじしている。そんな姿がまるで恋する乙女に見えてしまう。俺、告白されんのかな?
「ゆ、祐二先輩とお昼ご飯をいっしょにと、思いまして……」
そう言って掲げられたのは彼女手作りのお弁当であった。俺がもらったものと同じやつだ。
彼氏彼女がいっしょにお昼ご飯、というのは普通のことなのだろう。実際クラスメートにもそういう連中がいる。見せつけている奴らは爆発しろと冗談抜きで思う。
だが俺と琴音ちゃんにその普通は当てはまらない。俺から行くのならわかるが、琴音ちゃんの方からくるのは意外だった。
いいのか? しかしここで断るのは男が廃る。
「悪いな井出。先約を忘れてたわ」
形だけ井出に謝っておく。奴は琴音ちゃんが現れてから驚きのせいかずっと口を半開きにしていた。
「行こうか琴音ちゃん」
「はい、祐二先輩」
俺は琴音ちゃんを伴って教室を後にした。人からの視線が心地よく感じたのは久しぶりだった。
※ ※ ※
中庭のベンチに琴音ちゃんといっしょに座って、彼女手作りの弁当を開けた。
「あ、あの、突然教室に行っちゃって大丈夫でしたか?」
「何も問題なんてないさ」
キラリと白い歯を光らせる。毎日しっかり歯を磨いていてよかった。
でもまた調子に乗ってキメ顔になってしまった。我ながらキモい。引かれたらどうしよう。
「それならよかったー」
琴音ちゃんはほぅと息を吐いた。あれ、俺キモがられてない? 大丈夫?
表情から嫌悪感は見られない。純粋に安堵しているように、見える。
「じゃあ弁当開けていいかな?」
「は、はい。どうぞ……」
緊張した面持ち。俺が弁当を開けるのを今か今かと見つめている。
……なんかこっちまで緊張してくるな。
「……」
「……」
少しだけためらう。その間も琴音ちゃんの目は俺の手元、弁当箱を持つ手に注がれていた。
ふっと息を吐いて弁当を開けた。
「おおっ……お?」
喜びの声を上げようとして、その前に首をひねっていた。
おかずは二種類あった。
「ブロッコリー?」
「はい。ちゃんとゆでてあります」
「ささみ?」
「はい。低脂質高たんぱくですよ」
以上、おかずはこれだけである。まあ量はあるんだが。この二種類のおかずだけで右半分がぎっしりだ。左半分は玄米である。
琴音ちゃんは俺をどうしようというのだろうか。そんなに太ってはないつもりなんだけどな。なんだかおかずがダイエット食に見えてしまう。
もっとこう、卵焼きとかハンバーグを想像していたよ。タコさんウインナーとか可愛いよね、とかさ。
彼女から初めての手作り弁当である。文句は言うまい。もちろん完食した。
「琴音ちゃんはいつもこういうお昼ご飯なの?」
自販機で飲み物を買って食後の一服。ぽかぽか陽気が気持ちいい。
琴音ちゃんも俺と同じ弁当だった。いつもこんなストイックなメニューなのかと気になって尋ねてみた。
「いいえ、いつもはお母さんが作ってくれますよ」
だから、と彼女は続ける。
「あたし、誰かのためにお弁当を作ったの初めてなんですよ……」
琴音ちゃんは恥じらいの表情を浮かべる。瞬きすることすら可愛く感じるね。
「へえー、それは嬉しいな。もしかしてお母さんかお姉さんに作り方教えてもらったりしたの?」
何気なく口にしたことだった。
「……お姉ちゃん?」
琴音ちゃんの恥じらっていた表情がすっと消えた。
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9.妹に問い詰められた
初々しく恥じらっていた琴音ちゃんがとても可愛い。心の底からそう思う。
「……」
なのに、さっきまでの恥じらいはどこへやら。表情が抜け落ちてしまったかのようだ。
ちょっと信じられないくらいの変わりっぷり。目をごしごししても真顔の琴音ちゃんがそこにいた。
状況が把握しきれないのは俺が悪いのか? 対人経験が希薄な俺ではあるが、あからさまなミスはなかったつもりである。
「お弁当はお母さんも……お姉ちゃんも、関係ないですよ。あたしが考えて、あたしが作りました。全部……です」
だが、何か地雷を踏んでしまった感触はしている。それが何かはわからないのが問題だ。
「そっか。俺のためにがんばってくれたんだな」
「そうですよ祐二先輩のために早起きしてがんばったんですっ」
琴音ちゃんは怒ったような顔をする。それでも何もない表情よりは安心させられる。喜怒哀楽の大切さを知った。
「ありがとな。正直手作り弁当を食べられるとは思ってなかったから感動した」
「感動って……大げさじゃないですか?」
「大げさ、だと?」
わかってない。琴音ちゃんは何もわかってない! 彼女の手作り弁当が男子の夢だということを!
非モテ男子ならなおのこと。感動したっていいじゃないか。俺は表情の出し惜しみはしないぞ。
「琴音ちゃんにはちゃんと教えてやらないといけないようだ。君に男の夢がなんたるかを叩き込んでやろう」
「え? え? ゆ、祐二先輩?」
困惑する彼女を見てひとまず安心した。無表情はどこかに行ってしまったってね。だからって手を抜く気はないがな。
俺は彼女手作り弁当が男子にとってどれだけのパワーになるか、こんこんと説明した。げんなりする琴音ちゃんを無視して言い切ってやった。
説明が終わるころには昼休みもあとわずかになっていた。語りすぎた……。
「さて、と。そろそろ教室に戻ろうか」
「あ、あのっ」
ベンチから立ち上がると、琴音ちゃんの声に止められた。
何かを言いたそうに口をパクパクさせている。見下ろしながら待っていると、ようやく言葉となってくれた。
「あたしと祐二先輩が付き合っていること……誰にも言わない方がいいんですか?」
「え、誰か言いたい人がいるの?」
「え?」
「え?」
……ん?
なんだか噛み合ってない気がする。ちょっと整理させてほしいぞ。
俺と琴音ちゃんは彼氏彼女の付き合いを始めた。学校で禁止されているバイトをしていた彼女の弱みを握った形ではあるが、恋人関係を了承してもらった。
しかし琴音ちゃんの姉である藤咲さんからは怪しまれていた。主に井出のせいではあるが、あまり良い関係とは思われていなかった。まあ実際そうなのだが。その事実が広まると俺にとってとても不都合だ。
だから琴音ちゃんに、藤咲さんには傘を貸したお礼として弁当を作ったということにしてくれ、とメッセージを送ったのだ。
「藤咲さんに嘘をつくのが心苦しいってことか?」
だからって本当のことを言われたら困る。さすがに妹が脅されて恋人にさせられたと知ったら姉は怒るだろう。彼女だけの怒りで済むならマシだがな。
「嘘……というか、あたしと祐二先輩が付き合ったことですよ。もちろんバイトしていることを言われるのは困りますので、そこは伏せてほしいんですけど」
「俺の彼女になったって、公表したいのか?」
「公表ってそんな大げさな……」
琴音ちゃんは困惑する。
そんな彼女には悪いが、そもそも付き合い始めたって誰かに言わなきゃならないもんなのか?
もともと井出には自慢するために言おうとは思っていたけども……。まあおかしな風に藤咲さんに伝わりそうになったからそれも諦めざるをえなかった。
でもわざわざ琴音ちゃんと付き合ったと明かそうと思ったのは井出くらいなものである。他にわざわざ明かすような奴がいないってのもあるが、それがなんの得になるのかわからない。
考え込む俺を見て、琴音ちゃんはため息らしきものを吐いた。
「わかりました。誰かに言う言わないについてはこれから話し合っていきましょう。でも、祐二先輩の彼女としての行動には文句はないですよね?」
「文句……はないです」
なんだか有無を言わせない圧力があった。主導権を取られている気がするのは気のせいかな?
「それと」
さらに続ける琴音ちゃん。お互いそろそろ教室に戻らなきゃまずいと思うんだが。
「祐二先輩は……あたしのお姉ちゃんのこと、好きなんですか?」
「は?」
いきなりの直接攻撃に面食らった。ていうか脈絡とかなかったよね?
あたしのお姉ちゃん。琴音ちゃんの姉ということは、つまりは藤咲彩音のことである。
俺のクラスメートであり、学園のアイドルと呼ばれる存在。全校生徒の支持率は男女ともにトップであろう。それほどまでに圧倒的な美少女として知られている。
そんな藤咲さんのことが好きになってしまう男子は多い。恋バナをすれば一番名前が挙げられる女子のはずだ。あまり人と関わらない俺の耳に入るくらいなのだから間違いない。
しかし今そんなことを聞かれる意味がわからない。わかるのは琴音ちゃんが真剣に聞いてきたということだけだ。
「別に好きじゃないぞ」
だから嘘偽りなく答えた。
「……」
だってのに信じてない顔されるのは心外だ。
それでも真剣な俺の顔を見たからなのだろう。
「……本当、ですか?」
「本当だって。好きの意味がラブで合ってるなら、藤咲さんに対してそんな感情はない」
しばらく俺の顔を見つめていた琴音ちゃんは、信じてくれたのかうんとうなずいた。
「もうお昼休み終わっちゃいますね。早く教室に戻らないと次の授業に遅れちゃいますよ」
「誰のせいで急がないといけなくなっちゃったのかな?」
「てへっ」
琴音ちゃんは悪戯っ子のように舌を出す。可愛いから許した。
俺達は別れて別々の教室へと向かう。
──藤咲さんのことが好きかと聞かれて、今は好きじゃないってのは嘘じゃない。
しかし、俺が藤咲さんに告白したことがあるというのは、あえて隠した事実であった。
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10.藤咲姉妹
藤咲彩音。学園のアイドルと称されるほどの美貌を持つクラスメートである。
彼女の良い点は容姿端麗だけじゃない。文武両道で試験は常に上位の成績を残しているし、体育では運動部相手でも無双しているのだとか。さらには人当たりも良く、男子どころか女子の友達も多いらしい。
それを知った時、そんな超人本当にいるんだと感心したものだ。目の前で見せられれば信じざるを得ない。入学した頃から同じクラスだったしな。
俺が通う学園は中高一貫校であり、藤咲さんは中等部の頃からそういった意味で注目されていたのだそうだ。
俺は高等部からの外部生なので、いきなり学園のアイドルという単語を聞いた時は面食らったものだ。
でもここではそれが当たり前。順調に成長した藤咲さんは高等部になってからもより一層その美貌を増していったとか。初めて目にした時から完璧美少女と思っていた。なのにまだレベルが上がっていて、上限はないってずるいよな。
清楚な黒髪ロングの超絶美少女。そんな女子が同じ学校にいれば、男として手を伸ばしたくもなるだろう。
当然のように藤咲さんはたくさんの男子連中から告白を受けた。
だが、告白した男子全員が藤咲さんに振られるという結末を辿った。サッカー部のイケメン先輩も、彼女がいなかったことがねえとかのたまうイケメン先輩も、クールで知的なのを売りにしていた同級生も。彼女は自信満々であったであろう連中の鼻をへし折ってきたのだ。
そうして、難攻不落の藤咲彩音と呼ばれるようになった。誰のものにもならなかったからこそ、学園のアイドルという肩書がより強固なものとなった。美少女すぎて釣り合う男子がいなかったともいう。イケメンざまあ。
それは三年になった今でも変わらない。さっそく顔が取り柄の新入生の何人かは撃沈したらしい。ざまあ。
そんなわけで、藤咲さんは学園の女子の中で一番モテる。全校男子の半数以上から告白されたとも聞く。生きた伝説といっても過言じゃないだろう。
「好きです、付き合ってください」
「ごめんなさい」
このビッグウェーブに乗らなきゃならねえ! そんな強迫観念じみたことを感じたわけではなかったが、俺も藤咲さんに告白していた。高校一年が終わろうかとする頃のことであった。
結果は見事な玉砕。逡巡の間すらなく切って捨てられた。
自分の容姿がそれほど優れたものではないとわかっていたし、とくに誇れる何かがあるわけでもない。もともと勝ち目などなかった告白ではあるが、告白するまでの時間は期待という夢を見られたのも確かだった。
彼女にとってのモブの一部にはなれただろうか。一応は名前を憶えられていた。まあなんの因果か三年間同じクラスになったというのがあるのだが。
その因果がどう転んでしまったのか。今は藤咲さんの妹と付き合っている。というか付き合わせている、という方が正確か。
藤咲琴音。学園のアイドル、藤咲彩音の妹である。
姉妹だけあって容姿は藤咲さんと似ているところが多々見られる。
だってのに、琴音ちゃんの知名度はそれほど高くない。少なくとも最近まで俺は知らなかった。今思うとちょっと不思議だ。
「まっいいけどね」
琴音ちゃんが藤咲さんの妹だろうがなんだろうが関係ない。
可愛くて健気な後輩女子。そんな子が俺の彼女になってくれた。重要なのはそこだ。
「よし、さっそく放課後デートしようそうしよう」
思い立ったらなんとやら。放課後を迎えた俺は鼻息荒く席から立ち上がった。琴音ちゃんにメッセージを送ろうとスマホを手に取る。
「そういえば祐二、追試は大丈夫なのかい?」
「あ」
思いついたかのような井出の言葉に、俺は現実に引き戻された。
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11.勉強しにきた
追試……。なんて不吉な単語なんだ。できれば一生聞きたくなかったよ。
「追試は今週の……いつだっけ? 進学以前に追試をがんばらないと卒業すら厳しくなるよ。追試に向けて勉強をだね」
井出は不吉な単語を何度も繰り返す。呪いをかけられている気分だ。自分は赤点取らなかったからって……。
まあ逆恨みはここまでにしておこう。
追試をクリアするために勉強しなければならない。ちなみに追試は二日後。遊んでいる暇なんかない。……なかったんだった!
優等生ではない俺だけれど、勉強なんか知らねー、と口にするような不良でもない。今回は赤点を取ったが、俺は基本真面目な生徒なのだ。少なくとも俺はそう思っている。
「なんなら僕が勉強を見てあげようか?」
「うるせー眼鏡洗って出直してこい」
「眼鏡は関係ないよね!?」
眼鏡は関係ないな。俺が悪かった。ごめんな眼鏡。
真面目な話、井出の学力は俺とそう変わらない。つまり奴の成績は赤点ギリギリなのである。それでよく教えようかなどと言えたもんだ。
「俺は一人でがんばるよ。つーかそっちの方が集中できるし」
友達と勉強する、という連中の思考はわからない。それ絶対おしゃべりしちゃうやつだろ。勉強に集中できるとは到底思えない。
「そうか。陰ながら応援しているよ」
「ありがとよ」
井出と別れてから、どこで勉強しようかと考える。
家だと誘惑が多いからな。その前に琴音ちゃんにメッセージを送っておこう。また今度デートしてもらえるようにお願いしときたいし。
今日は大人しく勉強します、と。追試があることは恥ずかしいから伏せておく。また放課後デートしようぜ、という一文も忘れない。
それほど時間を空けず、琴音ちゃんから返信がきた。
『今日はあたしもバイトがあるからちょうどよかったです。また今度デートしましょうね』
デートという単語をさらりと受け止められているのにびっくり。追試が終わったら好きなだけデートしていいってことですかね?
そう考えるとモチベ爆上がりである。これだけやる気があれば勉強なんて余裕でやってやれる気がしてきた。
「そうだ」
どこで勉強しようか迷っていたが、今思いついた。
※ ※ ※
「お帰りなさいませご主人様!」
メイドさんに出迎えられて、俺はぺこりと会釈した。この対応はご主人様っぽくなかったなと反省する。
やってきたのはメイドカフェ。もちろん琴音ちゃんが働いている場所の、である。
「あれ、祐二……様?」
席に着くとメイド服姿の琴音ちゃんが来てくれた。
「祐二先輩」と呼ぼうとして慌てて「ご主人様」と言い直そうとしたのだろう。全然言い直せてないけど、俺的には嬉しい呼び方だ。なんだかいけない感じがするね。
「今日もフリルつきのヘッドドレスが可愛いね」
「それあたし褒められてなくないですか?」
なくないですよ。メイド姿だとツインテールがさらに可愛さを増している。琴音ちゃんは全身可愛いし、毎日褒めるところを一つずつ挙げていこうという俺の作戦である。
「もしかして……わざわざあたしに会いに来たんですか?」
フリルつきエプロンをいじりながら尋ねてくる。あざとい。だがやっぱり可愛い。
「それもある」
「それも?」
テーブルの上に教科書とノートを置いた。
「勉強しにきた。席代は払うから問題ないよね?」
琴音ちゃんはパチクリと瞬きをする。
「わざわざメイドカフェに来られて勉強するご主人様を初めて見ました」
だろうな。せっかくメイドさんがいるってのに勉強しているだなんて、俺自身もったいないと思う。
しかし、物は考えようだ。
彼女が働いているのを眺めながら勉強する。しかもメイド姿なので目の保養にはバッチリだ。
同じ空間にいる。それだけで放課後デートと言っても過言ではないのではなかろうか。あまり強調すると変な意味に勘違いされそうなのでこのへんにしておこう。
「飲み物と軽く食事を注文しようかな。琴音ちゃんにお任せとかってできるの?」
「え、あたしが選ぶんですか?」
「できればお願いしたいな」
琴音ちゃんの好みとかわかるかもだし。
メニュー表を広げる。前かがみになって顔を寄せてくる琴音ちゃん。ふわりと女の子のにおいがした。
「そうですねぇ……」
悩ましい声がすぐ近くから聞こえる。亜麻色のツインテールが俺の頬をくすぐってきた。ムズムズとドキドキが同時に襲ってくる。
「よし、決めましたっ」
すっと琴音ちゃんの頭が離れていく。ドキドキした気持ちはすぐに離れてはくれなかった。
琴音ちゃんが選んだのはカフェオレとサンドイッチだった。メニュー表では擬音とか入ってもっと長い一文だった気がするが、覚えるのが大変だしいいだろう。
「祐二……様。勉強がんばってくださいね」
俺を萌えさせる魔法はかけられた。これでがんばらないわけにはいかないだろう。
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12.初デートは爆発だ
苦手な勉強だってがんばれる。それが彼女のためなら普段の力以上ってやつを出してやる。
メイドカフェでの勉強がはかどったのか、無事に追試を乗り切った。
「これが最初からできていればなぁ……」
俺に答案用紙を渡しながらの先生のお言葉である。
それは俺のセリフでもある。最初からできるなら苦労なんかない。
追試の問題は前回のテストの内容そのまんまだった。できない方がおかしいってもんだ。これでできていなかったら本当に勉強する気がないのかと思われても文句は言えない。
とにかく追試は終わった。晴れて自由の身になったのだ!
「そんなわけだからデートしようぜ」
晴れ晴れした気持ちで琴音ちゃんをデートに誘える。ちなみに「そんなわけだから」の説明はしていない。追試があっただなんて恥ずかしくて言えやしないよ。
「は、はい。デート……、いいです、よ」
恥ずかしそうにしながらも頷いてくれた。初デートが決定された記念すべき瞬間であった。
次の休みの日まで待とうかと思ったが、待ちきれなかった。琴音ちゃんも本日はバイトがないらしい。ちなみにバイトは週四で入っているようだ。
「デデ、デートって、どこに行くんですか?」
「ふむ」
デート……デートか。初めてのデートってどこに行けばいいんだ?
デートの定番といえば遊園地とか? さすがに放課後に行くのは難しい。遠いし。
それなりに近くてお手頃な場所。思いついたところを口に出してみる。
「映画とかどうよ?」
「いいですね、賛成です」
案外普通に乗ってきてくれた。
映画館は最寄りの駅近くにある。近いし、お値段も……俺が払えばいいか。持ってる男ってのを見せてやろう。
※ ※ ※
そんなわけで放課後。約束通り琴音ちゃんと映画デートをすることになった。
「えへへ、なんだか緊張しますね」
はにかむ琴音ちゃん。顔面が痛くなるほど力の入った笑みを見せてあげる。
「べ、別に? 普通だし」
嘘だ。めちゃんこ緊張してます。
いざ映画館の前まで来るとドキドキしてきた。よくよく考えたら密室でないにしろ暗闇で隣り合っちゃうんだぜ? 肩が触れたりとか手を握ったりとかやりたい放題なのでは? いいのか映画館!
平日の夕方。行列になるほどではないが、それなりに人がいた。少数だがカップルらしき二人組もちらほら見られる。
「何を観ますか?」
ざっと眺めてみてもジャンルは豊富だ。恋愛にアクション、ホラーやアニメと揃っている。
でも最新のってよくわかんないんだよなぁ。映画なんてレンタル店で借りるタイプだし。わざわざ映画館に行くこと自体があまりなかった。
最先端から置いて行かれてばかりだった俺。そろそろここらで追いついてやってもいいんじゃないかって、思ってみたりもする。
「琴音ちゃんは何か観たい映画ある? できれば選んでほしいな」
これは俺が優柔不断というわけではない。琴音ちゃんの好みを知ろうとする、彼氏としての当然のリサーチである。
まあ、ちょっとは考えた。
恋人との映画。ムードを考えれば恋愛ものがいいのかな、なんて。
ラブシーンにドキドキしながらも釘付けになる俺達。ふと手が重なり、俺と琴音ちゃんは見つめ合う。自然と距離が縮まり、つまりはハッピーエンドである。
だが自分から恋愛ものが観たいだなんて口にするのは恥ずかしい。男は黙っていたい生き物なのだ。
それに俺から提案すると、口が滑って無難にアクションものがいいと言ってしまいそうだ。それはそれで面白そうなのだが、今ではない。
「あたしが選んでいいんですか?」
「もちろん」
「そうですねぇ……」
琴音ちゃんは「うーん」と唸りながらパンフレットを手に取り悩む。
女子なら恋愛ものがいいのだろう。と、考えるのは短絡的かもしれない。
琴音ちゃんは迷っている様子だ。即決できるほどの決め手がないのか。わりとどんなジャンルでもいけるのか?
だがやはり女子。恋愛ものに目が留まる。心の中で彼女の背中を押した。
「こ、これにしましょう!」
「うん」
俺は平静を保った。
彼女が選んだのはアクションものだった。文句はない。ほら、琴音ちゃんの好きなジャンルを知れたのは収穫だしな。
観るものが決まったのでチケットを購入する。琴音ちゃんの分まで買おうとしたら断られた。
「あたしバイトしてますし、自分で払えます」
そうピシャリと断られたら引き下がるしかない。誰だよ女の子におごってあげたら無条件で好感度上がるとか言った奴。責任を取ってほしい。
王道のポップコーンとコーラを買って列へと並ぶ。これもおごらせてはくれなかった。実はワリカンの方が好感度上がるのかな?
「ちなみに、なんでアクション映画を選んだの? 好きな俳優でも出演するのか」
アクションものじゃあドキドキ展開にならないじゃんか。などという不満を押し殺して尋ねてみた。
「い、いえ……その……」
歯切れ悪く口ごもりながらも、彼女は理由を教えてくれた。
「と、友達がこの映画の爆発シーンがすごかったって言っていたんですよ……。あ、あたし爆発好きなんですよね!」
と、目を逸らしながらも教えてくれた。
「そっかー。琴音ちゃんは爆発好きなんだねー」
恋愛は爆発に負けたのか……。
女子って意外と爆発好きなのね。過激なのがいいってことなのかな。勉強になった。
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13.家に帰るまでがデート
「映画面白かったですね」
「今年一番の名作だったかもしれないな!」
琴音ちゃんが選んでくれた映画は最高に面白かった。そんな一言ではまとめられないほどの出来だ。とくに爆発シーンは今でもまぶたの裏に残っているほど衝撃的で大迫力だった。
笑いあり涙ありの超大作だった。涙ぐんでしまったのは内緒にしたい。でも語りたい、この感動を!
「あのスパイが裏切るなんて驚いちゃいましたよ」
「だよな! それでいて男らしい最期……。くぅ~、しびれたぜ」
「祐二先輩泣いてましたもんね」
「はっ!? いや泣いてないしっ」
ていうかこっち見てたのかよ。泣き声は出して……ないよな?
とくにロマンチックな展開にはならなかったが楽しめたのでよしとする。
外に出れば日が暮れていた。大人のデートならこれからディナーでも、と誘う場面かもしれないが、残念ながら学生の俺達はここでおひらきである。
「琴音ちゃんの家はここから近いの?」
「駅からは近いですよ。こことは別の駅ですけど」
電車通学をしているのか。暗くなる時間まで付き合わせて悪かったかな。
「暗くなったし送るよ」
「え、いいですよ。バイトしてたら帰りが遅い時間になるのはいつもですし」
と、言われてもだなぁ。
「知っているかい琴音ちゃん」
「はい?」
「彼女を家に送り届けるまでがデートなんだぜ」
俺はキメ顔でそう言った。キラリと歯が光ったに違いない。
……またやっちまった。
格好つけたくなるのって俺の悪い癖だ。むしろ病気? あー……、男はみんな格好つけたいもんだろ? 俺が特別そうじゃないと信じたい。
後悔するならやるなって話だが、それを判断するよりも先に口から出るんだからどうしようもない。
「ふ、ふふ……」
きょとんとしていた琴音ちゃんだったけど、俺の言動にツボったのか小さく肩を震わせる。
我慢しようとはしてくれたが、耐えきれなくなったのか口を開けて笑う。自分の顔に熱が集まってくるのが感じられてしまう。
「なら、お言葉に甘えて祐二先輩に家まで送り届けられちゃいますね。よろしくお願いします」
琴音ちゃんは笑いがおさまってからぺこりと頭を下げる。
「お、おう。任せろ」
可愛い彼女からのお願いであれば、胸を叩いてうなずくのが彼氏ってもんだ。
電車に乗って琴音ちゃんの家へと向かう。それほど遠くはない。電車ならそれほど時間はかからなさそうだった。
話題は先ほど観た映画のことばかりだった。語る時間が足りないと思っていたし、家まで送るのはそういった意味でも良い判断だったと確信する。
映画ってとてもいいデートスポットじゃね? 電車の中、琴音ちゃんと語り合っていると本当にそう思えた。
「あっ、ここで降りますよ」
彼女としゃべっていたらすぐに目的の駅に到着した。
時間を忘れそうだったね。我ながら充実しちゃっている。これがリア充か……。
駅から琴音ちゃんの家までは十分ほどらしい。
街灯に照らされた夜道を進む。すぐに住宅地へと入った。
「ここまででいいです」
琴音ちゃんがぴたりと足を止める。
「あたしの家、そこの曲がり角の先なので。ここまでで大丈夫です。祐二先輩、送ってくれてありがとうございました!」
それからお礼とともに頭を下げられた。
なんて礼儀正しい子なのだろう。親の顔が見てみたいね。
「そっか。じゃあここでお別れか」
琴音ちゃんの親はあの曲がり角の先にある家にいるのだろうか。
別に本当に親の顔が見たいわけじゃないし、琴音ちゃんだって俺を親とは会わせたくはないだろう。だからここまででいいって言っているんだろうし。
俺は琴音ちゃんの恋人だ。でも、それは脅した結果の関係でもある。
今のところ、琴音ちゃんに嫌悪感が見られないのは感情を隠すのが上手いからなのか。それか俺の存在が心を揺さぶるほど大きくはなかったか。期間限定だと笑顔で耐えるつもりなのか。それとも……。
「今日は本当に楽しかったですっ。祐二先輩、またデートしましょうね」
天真爛漫な笑顔が、俺の心に晴れ間をのぞかせてくれた。
「ああ、またデートしような」
俺も笑顔で答える。これぞ彼氏彼女って感じじゃないか。思わずにやける。
「何をしているんだ琴音?」
男の声だった。
背中から聞こえた声。振り返ればスーツ姿の中年男性がいた。
身長は高め。背筋が伸びておりバイタリティに溢れてそうなイメージを抱かせる。整った顔は自信に満ち溢れていた。
パリッとしたスーツは高級そうだ。男の全身からエリートなオーラを感じられる。そう感じ取れるのは俺だからか。
外見と琴音ちゃんを呼んだ時の声。判断材料は充分だ。
この人、琴音ちゃんのお父様だ!?
覚悟も何もしてない場面でのご対面。俺は何を言うべきなのか、何も出ねえってっ。まずい、頭が真っ白になりそう……。
「お、お父さん……」
やはりお父様か!
琴音ちゃんの言葉で確信を得られた。えっと……ご、ごあいさつでもした方がいいのか?
「ほ、本日はお日柄もよく──」
「まったく、こんなところで遊んでいるからお前はいつまで経っても彩音のようにはなれないんだ」
藤咲父は俺を素通りして琴音ちゃんの前に立った。
「早く帰りなさい」
いや、琴音ちゃんの前で立ち止まることもなく歩いて行った。曲がり角を曲がって藤咲父の姿が見えなくなる。
……え、何あれ?
娘の彼氏に一言もなかったぞ。俺が琴音ちゃんの彼氏だって認められてない説はあるが、それならそれで「貴様は娘とどういう関係なんだ!」とブチ切れるところじゃないの? もしかして漫画の見過ぎだった?
「ゆ、祐二先輩っ」
琴音ちゃんに呼ばれて意識が戻る。いきなり彼女の父親が出現して動揺していたみたい。
「あたし帰りますので……、今日は本当にありがとうございました!」
「ああ。気をつけてな」
「すぐそこなのに気をつけるも何もないですよー」
あはは、と琴音ちゃんは笑いながら帰っていく。
しかしその笑顔は、さっきまでのものとは種類が違っていたように見えた。
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14.うっとうしい雨
衣替えの時期がきた。ついでに梅雨の時期になった。
女子が夏服になる。男子にとっては重要なイベントである。異論は認めない。
「やはり、藤咲彩音のスタイルは暴力的だ。僕は藤咲さんのクラスメートでいられるのが誇りだよ」
眼鏡を光らせる井出が、かつてないほどの真面目顔で言った。とんでもねえ発言してるのわかってんのかな。
視線の先には教室の中心で談笑している藤咲さんグループ。キラッキラしてまぶしく感じる。あれがスクールカーストの頂点の輝きか。
もちろんみんな夏服の制服に袖を通している。井出ではないが、中でも藤咲さんのスタイルは圧倒的だった。主に出ている部分に視線が吸い寄せられそうになる。
「そういえば祐二」
「なんだよ?」
井出が藤咲さんグループに目を向けたまま言う。俺も同じところを見ながら返した。
「最近、藤咲さんの妹さんといっしょにいること多いよね」
ギクリ、とはしなかった。昼休みや放課後、彼女といっしょにいるのを特別隠したりしなかったからな。
「さんさんって続けて言われると変な感じだな」
井出の顔がこっちを向く。冗談抜きで真面目な顔をしていた。
「本気だったりする?」
「まさか」
俺は顔の向きを変えずに即答した。
井出に前みたいな動揺はない。そりゃそうだ。俺の友達なんだから。
「ちょっとだけ仲良くなった。だからちょっとだけ夢を見たい。そんだけだ」
「わかってるなら、安心したよ」
ほっ、と息を吐く井出。
俺に彼女ができる。そんなことを不安に思ったり妬んだりしない。井出の心配は別にある。
藤咲さんのグループは輝いている。他の連中だって大小様々ではあるが輝きが見える。
だが、俺達はそうではない。そのことを俺達は経験から知っていた。
あの時、藤咲父から認識すらされなかったみたいな態度をされた。
実際にそうなのかもしれない。取るに足らない存在だと思われたのかもしれない。
事実、俺は脇役だ。モブと言われても反論できない。影響力なんて無に等しい。
それを、改めて思い出した。
「それでさ、藤咲さんの妹さんについての情報なんだけどさ」
「ん?」
井出の気色が変わる。なんか気持ち悪い色になったぞ。
「彼女、中等部の時は新体操部だったんだってさ」
新体操……。レオタードと身体柔らかいイメージだ。どんなことをするのか、よくわかってはいない。
「中等部の時はって、今は違うのか?」
「高等部になってからは部活してないんだって。せっかくならレオタード姿見たかったなぁ……」
俺は井出から距離を取った。その恍惚顔やめろ。俺が女子に変な目を向けられたらどうしてくれる。
それにしても、琴音ちゃん前は部活してたんだ。なんでやめたんだろう。
部活やめてまでバイトしたかったとか? これは俺だけが知っている情報なので明かすつもりはないがな。
「実力がなくてやめたんじゃないのか?」
「それはないよ。さすがは藤咲彩音の妹、って褒められていたみたいだからね」
「ふぅん」
学園のアイドル、藤咲彩音の身体能力は高い。下手な運動部では歯が立たないほどに優秀だ。
「だからって、藤咲さんとは関係ないだろ」
姉が優秀だからって、妹もそうだとは限らない。
でも、それは悪い意味ではないのだ。悪いことなんかじゃないと、俺は思いたい。
「そうだね。祐二の言う通りだよ」
井出はこっくりとうなずく。視線は藤咲さんとは違う別のところを向いていた。
誰かと比べられるのはしんどい。比べられて、勝ち続けられるならそうは思わないのかもしれない。
輪の中心で藤咲さんが笑った。場が華やぐ。それだけの影響力が彼女にはあった。
あの時に見た、琴音ちゃんの笑顔とは大違いだった。
※ ※ ※
「琴音ちゃんの夏服を見られるなんて! この素晴らしい日に乾杯!」
「さすがに恥ずかしいのでやめてください」
「……はい」
全力で褒めたのにガチトーンで拒否られた。あれ、俺ってズレてる?
放課後、しとしと雨模様。天気予報通りなので傘を差して並んで帰る。
本日はバイトがないからと普通に帰ることにした。毎日遊べるほど学生という身分は楽ではないのだ。これでも一応受験生だし。
「今日は家まで送ろうか?」
「いえ……祐二先輩に悪いのでいいですよ」
琴音ちゃんはやんわりと断る。
結局、彼女を家まで送り届けたのは一度きりになっている。ちょっと強引に送ろうとしたらガチトーンで拒否られた。それからは大人しく引き下がることにしている。
琴音ちゃんといるのは楽しい。だけど壁を感じてもいる。
そんなのは当然だ。始まりからして間違っているのだから。壁を作らない方がどうかしている。
楽しく雑談をしていたらすぐに駅にたどり着いた。
「じゃあここで……。祐二先輩、ありがとうございました」
「ああ、またな」
琴音ちゃんが改札を通る。その姿は人混みに紛れてすぐに見えなくなった。
彼女を見送ってから俺も帰路につく。
「……」
外はやっぱり雨で、俺は傘を差した。
しとしとと降る雨。憂鬱ぶってみたい気分になる。
もやもやした気持ち。その正体もわからず、傘で自分を守りながら歩いた。
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15.髪は大切にしてあげて
「お帰りなさいませご主人様! ……って祐二様だ。おーい琴音ちゃーん、祐二様来たよー!」
琴音ちゃんがバイトをする日を狙ってメイドカフェへと遊びに行く。そんなことを続けていたら他のメイドさんに顔を覚えられてしまった。
「あっ、祐二様。お帰りなさいませ」
他のメイドさんが俺のことを「祐二様」と呼ぶもんだから、琴音ちゃんもその呼び方に慣れてきたみたいだ。まあ最初は琴音ちゃんが呼んでいたのを他のメイドさんがマネしたからなんだけどね。
学校では「先輩」、メイドカフェでは「ご主人様」。どちらも扱われ方として申し分ない。むしろ二度おいしいのでもっとやってくれ!
俺の専属メイドとして扱われている琴音ちゃんが席へと案内してくれる。
俺とは知り合いと説明しているようで、手が空いている時は琴音ちゃんが接客してくれる。メイドさん公認とか、この特別扱いは嬉しいね。
「最近雨ばっかりで嫌になるよねー」
会話の定番、天気の話。天気デッキは最強です。
「梅雨なんですからしょうがないですよ。でも湿度が高いのは確かに嫌ですね。髪がまとまらないですし」
琴音ちゃんは自分のツインテールを撫でる。いつも通りのバッチリツインテール。苦労知らずのサラサラヘアーに見えるのは、彼女がそれだけ努力しているという証なのか。
「お姉ちゃんはそんなことないんですけどね。いつも髪の毛サラサラで惚れ惚れしちゃいますよ」
それブーメランでは? 彼女のサラサラヘアーに俺が惚れ惚れしちゃってるよ。
「ふぅん。サラサラツインテールの琴音ちゃんがそんなこと言いますか。もっさり頭の俺への宣戦布告と見た」
「え、い、いえ祐二様の髪のことは別に……」
とか言いつつ視線が俺の頭へと注がれる。
小爆発したみたいな惨状。これでもおしゃれに気を遣ってワックスつけてみたんだぜ? なのにどうしてこうなった……。
「……祐二様の髪、ちょっと伸びてます?」
「ん? まあ、そろそろ切らなきゃかな」
前髪を摘まんでみると眉毛にかかるくらいの長さになっていた。後ろはもっと伸びてるように感じる。そろそろ切り時か。
おしゃれさんはこまめに美容院に行くのかね。俺の場合は伸びたと思ったら行く、って感じ。そう感じるのに二、三か月はかかる。
「あたし、切りましょうか?」
「え?」
「祐二様の髪、整える程度でよければですけど」
彼女から髪をカットしようかと提案された。
髪は長い友という。もしくは女の命とも。とにかく人にとって髪は大切な部分である。
それを彼女から触れるという。大事なところを触られるだなんて……ドキドキするね。
「じゃあ、お願いしようかな……」
「はい! ではまた予定を話し合いましょうね」
笑顔でビシッと敬礼された。なぜに? そんなツッコミは野暮なのでしないけどな。
敬礼から流れるように奥へと引っ込んでいく琴音ちゃん。だがすぐに戻ってきた。
「も、申し訳ありません! ご注文を聞くのを忘れていました……」
うん、ここはメイドカフェだもんね。琴音ちゃんのためにも売上に貢献しようか。それで今のうっかりをなかったことにしておくれ。
※ ※ ※
突然だが、俺は父親と一軒家で二人暮らしをしている。
母親は俺が幼少の頃に他界している。父親はいっしょに住んでいるとはいっても、仕事が忙しくて顔を合わせるのが珍しいほどだ。
実質一人暮らししているのとさほど変わらない。ちょっと学園もののラノベ主人公っぽくてテンション上がってた時期があったが、美少女と同居するという未来が微塵も見えないので平静を保てるようになった。
な・の・に・だ!
「お、お邪魔しますっ!」
琴音ちゃんが俺の家にやってきた。夢でも幻でもない。これは真実である。紛うことなき現実なのだ。
俺の髪を切ってくれると、琴音ちゃんは言ってくれた。
ドキドキしながらお願いしたはいいものの、問題は場所だ。
さすがに琴音ちゃんの家にお邪魔するわけにはいかない。路上でカットするのは変なパフォーマンスに思われそうだし何より恥ずかしい。公園も同じく。というか外はやめてくださいと言われてしまった。
で、俺の家という話になった。
彼氏彼女とはいえ、家である。抵抗されるかと思って口にしたってのに、琴音ちゃんは名案です、と言わんばかりの笑顔で了承した。了承してしまったのである。
この子警戒心とかちゃんと働いてんのかな? そんな心配をしながらも、本日彼女を家に招き入れてしまった。
当然のように父親は仕事で留守だ。つまり二人きり……。若い男女が二人きりなのである!
もってくれよ俺の理性。自分のことだってのに願わずにはいられない。神頼みしたくなるほどに、自分が信用できなかった。
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16.彼女がサービスしてくれる日
「お待たせしました! 祐二先輩、いえ……祐二様!」
琴音ちゃんが家にやってきた。
ドキドキしながら迎え入れて開口一番「着替えてもいいですか?」と上目遣いされたのだ。全力の首振りをせずにはいられなかった。もちろん縦に、である。
そうして適当な部屋を案内してリビングで待っていると、メイド服姿になった琴音ちゃんが出てきたのである。
メイドカフェで働く姿からも思っていたが、琴音ちゃんはメイド服がよく似合う。元気で健気な新人メイドって感じ。
「そのメイド服……。バイトで着てるのとは別のものなのか?」
「そうなんですよ。この間これ売ってるの見ちゃって、自分でも欲しくなって買っちゃいました。よく気づきましたね」
そりゃあね。色は同じだが、フリルやレースといった装飾は抑えめだったし、形状も多少違いが見られる。ダテにメイドカフェ通いをしていないのだ。
琴音ちゃんのメイド姿が見られて嬉しい。嬉しいんだけど……。
「琴音ちゃん琴音ちゃん」
「なんですか祐二様?」
「なんでメイド服に着替えたの?」
ナチュラルに謎なんだけど。ナチュラルに様付けで呼ばれてるんだけど。
尋ねられた琴音ちゃんは「ふっふっふー」と不敵な笑みを見せる。
「今日はですねー、祐二様の髪を切りに来ただけじゃないんですよ」
「な、なんだってぇ!?」
一応驚いてみた。俺のリアクションがお気に召したのか、琴音ちゃんがにんまり笑顔になる。
ゴトンと重そうな音を立ててテーブルに置かれたのは琴音ちゃんの鞄。お買い物に使いそうなエコバッグだ。
「祐二様に手料理を振る舞おうと思いまして。食材は用意したのでお昼楽しみにしていてくださいねっ」
「おおーっ!!」
手料理マジか! マジか手料理!? 脳が瞬時に沸騰して語彙力が死んだ。
すげえ嬉しい! ……嬉しいんだけど、またあまり味付けされてないささみやブロッコリーばかりってことないよね?
思い出すのは手作りお弁当の中身。あれからもちょくちょくは作ってくれてはいるが、似たようなダイエットメニューであった。たまには味の濃いものが食べたい。
でもやっぱり嬉しい! やはり彼女の手料理の破壊力は凄まじいのだ。手作り弁当とは違った嬉しさがある。オール生野菜でも美味しく食べられる自信がある。それだけ彼女の手料理というスパイスは絶品に違いないのだ。
「ありがとうな琴音ちゃん。これで俺、あと十年は生きていけるよ」
「ちょっとよくわかんないですけど、喜んでもらえたならよかったです」
優しいええ子やわぁ……。
「……で、それがなんでメイド服につながるの?」
なんだか流されそうになったが、その答えは聞けていない気がする。聞いてないよね? 自信ありげな琴音ちゃんの顔を見てたら俺の自信がなくなってきたよ。
「もうっ、わからないんですか」
「ごめん、わかんない」
料理作るんだからエプロンはわかるんだけど、メイド服にまで着替える必要があったのか。俺にはわからなかった。
「だから、ですね……」
琴音ちゃんは少しだけ顔を伏せながら言った。
「今日は彼氏に尽くしたいっていう、彼女からのサービスですよ」
頬を朱に染めての言葉。恥ずかしいのを我慢して言ってくれたことがわかる。それがひしひしと伝わってくる表情だったから。
「……」
彼女がここまで言ってくれたってのに、俺は気の利いた返事ができなかった。
いや正直なんて返せばいいもんなの? 学校の先生にはこういうことを教えてもらいたかったよ。
とにかく、メイド服に着替えたこと含めて、俺へのサービスってことらしい。素晴らしいなサービスデイ。
こほんと咳払いする琴音ちゃん。その顔は真っ赤になっていた。ごめんな、俺が何も返せなかったから恥ずかしいばっかりになっちゃったよな。
「とにかく、先に髪の毛切っちゃいましょうか」
「お、おう。お願いします!」
というわけなので髪を切る準備に取りかかる。
フローリングに新聞紙を敷く。その上に椅子を置いて、その前に姿見を置いてみた。なんだかそれっぽい感じ。
「祐二様、これしちゃうんで座ってください」
これってのはヘアーエプロンのことである。切った髪が服についたら面倒だもんね。通ってる理容室でしか見ないもんだからまじまじと見つめてしまう。持ってる人いるんだー。
椅子に座ると首にタオルを巻いてからヘアーエプロンをつけてくれた。テルテル坊主みたいになる俺。ちなみに今日は晴れている。
「こんなのも持ってるんだ」
「自分のを切る時は邪魔になるんで使わないですけど、お姉ちゃんにする時は使ってますからね。どうです? お姉ちゃんのにおいとかしますか?」
「俺そんなに変態じゃないからね」
でもちょっとドキッてしたのは内緒だ。本当にちょっとだけなんだからねっ。このヘアーエプロンは藤咲さんの身体を包んでいたとか……か、考えてないぞっ。
鏡越しに琴音ちゃんがはさみを取り出したのが見えた。
美容院で使われてそうなはさみだ。詳しくは知らないが、道具は良いものをそろえているのだろう。
「お客様、本日はどのようにいたしましょうか?」
メイドモードから美容師モードへと切り替わる。なんだか楽しそう。
「お、お任せで」
こんな時、なんて言えばいいのかわからないの……。いやほんとに髪型を口で説明するって難しくない? 格好いい写真でも用意しとけばよかったか。
「はい、お任せされました」
困る様子を見せずに笑ってくれる。ありがてえ。
「まあ、形を整える程度しかできませんけどね」
そう言いながら俺の髪にくしを通してくれる。自分でするのとは違った、気持ちいい感覚。
「では、いきますよ……」
「お、おう。いつでもこい……」
はさみを構える琴音ちゃん。表情を険しくして身構える俺。全部鏡に映っていた。
数秒の沈黙。浅く息を吐き出した音がはっきりと耳に届いた。
「えいっ」
ジョキンッ、と。俺の髪を断ち切る音が鮮明に聞こえた。
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17.夢のような光景
結果から告げよう。琴音ちゃんの散髪技術は高いレベルにあった。
左を向く。それから右を向く。もう一度左を向いて確認した。横断歩道を渡ろうとしているわけじゃないのであしからず。
「いつもより俺が格好よく見える!?」
琴音ちゃんに髪を切ってもらい、鏡で確認した俺の感想である。
「祐二様はいつも格好いいですよー」
「棒読みの誉め言葉ありがとうな!」
いや、しかしこれは冗談抜きに格好いい。
もさもさしていた俺の髪。それがなんということでしょう! 琴音ちゃんに切ってもらうとあらスッキリ。いい感じのスポーツマンヘアーになった。
サッカー部とかにいそうだ。うちのサッカー部の連中がどんな髪型しているのか知らんけど。
髪型が変わると気分が変わるってのを初めて実感した。いつもただ短くするだけだったからな。そこにおしゃれは存在しなかった。
「気に入ってもらえたのならよかったです」
鏡で何度も確認している俺を見て、琴音ちゃんが満足そうに息をつく。
俺の髪を切る琴音ちゃんは真剣そのものだったからな。鏡越しでもわかる。あれは本気で俺の髪型を考えてくれていた目だ。
形を整えるだけだなんてとんでもない。ちょっとやそっとでは身につかない技術だと、素人の俺は思う。
「切った髪の毛ついちゃってるでしょうし、シャワー浴びてくださいね。あたしはその間にお昼ご飯作りますよ」
「男にシャワー浴びろだなんて……琴音ちゃん大胆じゃない?」
「そ、そんなこと言ってないじゃないですかっ!」
そんなことってなんだろうなー? 俺まだ未成年だからわかんなーい。
まあお言葉に甘えさせてもらおう。触った感じ、切り残しはなさそうだが、切られた髪の毛が頭についてるみたいだしな。
浴室でシャワーを浴びる。頭を洗うとさらにスッキリする。
彼女がいる家で、裸でシャワーを浴びる俺……。
冗談めかして言ってみたが、けっこう緊張するシチュエーションだ。さっきまで頭触られたり顔が近づけられたりしてたし……。女子への免疫力のない男子には心臓に悪すぎる。
ま、まあ俺が変なことをするわけがないか。信用してるぞ俺の理性!
ざっと頭が綺麗になったことを確認した。よし、こんなもんだろ。
リビングに戻ると片付けが終わっていた。床に落ちていた髪の毛は一本たりとも見当たらないし、椅子や姿見など用意したものは元の位置に戻されていた。
「あっ、祐二様お帰りなさい。今お台所借りちゃってます」
琴音ちゃんは奥のキッチンにいた。メイドモードで料理中のようだ。
「まだ時間がかかりますから、テレビでも観て待っててくださいね」
これは、手伝う方が失礼になるのだろうか?
自分の家で人が料理してるってのは落ち着かない。テレビの前のソファーに座ってはみたが、やっぱり落ち着かない。
食欲をそそるいいにおい。つられて腹の虫が鳴った。
時計に目を向ければもうすぐ正午だった。道理で腹が減ってるわけだ。
「……」
黙って待っているだけだと余計に落ち着かない。とりあえずテレビをつけてみた。昼のテレビなんて面白そうなのはやってないか。
ソファーに身体を預けて適当にテレビを眺める俺。キッチンからは琴音ちゃんが料理している音が聞こえる。
まったりとしながら思う。この状況、新婚っぽくね?
可愛い彼女ができた。それだけでも夢のシチュエーションだってのに、家で昼食を作ってくれている。ちょっと前までは考えもしなかった状況だ。
「祐二様、もうすぐ出来ますからね」
「ああ」
夢。まさにこれは夢だ。
夢ならいつかは覚めてしまうわけで。その期限は刻々と迫っていた。その期限を決めたのは俺自身である。
食卓に並べられたのはオムライスと野菜スープだった。とくにオムライスは特大とも呼べるほど大きい。あれ、いつものダイエットメニューは?
見ているだけでふわふわの食感がわかる黄色。まさに黄金の輝きである。
「では祐二様、何か書いてほしいものはありますか?」
ニッコニコのメイドな琴音ちゃん。その手にはケチャップがあった。
なんだかデジャヴ。オムライスにメイド服……。俺が初めてメイドカフェに行った時に見た光景だ。
あの時よりも自然な表情で、彼女は俺を見つめる。
なんでこう、健気というか……優しい子なんだろうね。
「じゃあ──」
口を開いて要望を伝えた。
琴音ちゃんは目を丸くして、それから恥ずかしそうにうなずいた。
「では、いきます!」
気迫のこもった声。彼女の顔は真っ赤になっていた。
オムライスにケチャップの赤い文字が書かれる。やっぱり綺麗な字だ。
「ど、どうですか!」
「うん。いいんじゃない」
「ありがとうございます!」
前よりも自然になった笑顔を俺に向けてくれる。感謝するのは俺の方だっての。
オムライスには「大好き」と大きな文字で書いてもらった。
脅迫から始まった関係なだけに彼女の口から言わせるのは忍びない。せめて冗談っぽく文字で。これくらいは許してほしい。
「いただきます」
前よりも、このオムライスの形を崩したくないと思った。
だが琴音ちゃんが見ているしそういうわけにもいかない。
覚悟を決めてスプーンを持った。琴音ちゃんが作ってくれたオムライスは、前にメイドカフェで食べたものより何倍も美味しかった。
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18.汗ばむほど熱くなること
琴音ちゃんが作ってくれた昼飯を完食した。あの特大オムライスを全部食べられたことは我ながら快挙である。久しぶりに自分を褒めてやりたいと思ったね。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「えへへ、お姉ちゃんにも褒められたことがあるから自信あったんですよ」
腹をなでなでしながら食休みしていた時である。琴音ちゃんはこう宣言した。
「食器を片付けたら、次は掃除をしたいと思います!」
と。
念のため言っておく。俺は琴音ちゃんに掃除をしてくれ、なんて頼んだ覚えはない。
彼氏にサービスしたいとは言っていたが、これは方向性が違うのではないか? メイド服を着ているもんだから家事をしなければ落ち着かなくなっているのかもしれない。服に着られているとはこのことか。うん、違うね。
俺はおもむろに席を立つ。
「祐二様?」
不思議そうにする琴音ちゃんの背後に回る。ここまで接近しても彼女は逃げる素振りすら見せない。
やはり警戒心が足りていないようだな。
「きゃうっ!?」
琴音ちゃんの両肩に手を置いた。驚いた声を漏らして身体が跳ねる。彼氏だからセクハラじゃないもん。
メイドプレイは楽しい。敬われるのは正直気に入っている。
しかし、彼女は本物のメイドではないのだ。彼女は彼女で、今日は髪を切るという名目で、家デートの日なのだ。
「後片付けは俺がやります。それから家の掃除はしなくていいよ」
「で、でもっ」
彼女の肩に置いている手に力を込める。立ち上がろうとした琴音ちゃんは諦めて力を抜いた。
「洗い物終わるまでテレビでも観て待っててよ。な?」
「……はい」
キッチンで洗い物をする俺。ソファーに座ってテレビに目を向けている琴音ちゃん。さっきとポジションが逆になった。
「……」
「……」
さっきとポジションが逆になっただけ。なのに無言でいるのが気まずいと感じるのはなんでだろう。
テレビで流れているのは再放送の番組のようで、芸人達が面白いことを言っている。それを見ている琴音ちゃんに反応はない。ここからじゃあどんな顔をしているかもわからない。
「琴音ちゃん琴音ちゃん」
「なんですか?」
洗い物が終わったので声をかける。振り向いた琴音ちゃんの表情はにこやかだった。
「ゲームで遊ぼうぜ」
※ ※ ※
ゲームは基本一人でやるものだ。
わざわざ友達を招いてやるものでもない。今はオンラインで遊べる時代である。つながった人達を友達カウントしてもいいのかな? 俺めっちゃ友達多くなるよ。
唯一の友達である井出を招いたことがある。だが格ゲーで俺をボコボコにしたので出禁にした。ゲームは友情を試される。いや違うな、ゲームに友情を持ち込んではならないのだ。
「何がいいかな?」
「か、簡単なのでお願いしますね」
自信なさそうな反応。あまり経験がないと見た。
女子だもんな。ガチゲーマーでなければゲームで険悪になることはないだろう。ゲームの本質は楽しむことなんだからね。
さて、何にしようか?
持ってるのは一人用のものが多いからな。格ゲーは論外。ゲームとはいえ恋人と殴り合うとかどんなコミュニケーションすればいいかわからなくなる。
「おっ、これとかどう?」
「あっ、それならやったことありますよ」
手に取ったのは世界一有名なゲームキャラがレーシングカートで遊ぶゲームだ。操作はシンプルだし、プレイしたことがあるならとっつきやすいだろう。
琴音ちゃんと並んでコントローラーを握る。
おおっ、これものすごく恋人っぽくない? 和やかにゲームを楽しむ男女。幸せオーラを放てそうだ。
ゲームスタート。俺は赤い帽子のおじさん。琴音ちゃんはキノコ頭のキャラを選んでレース開始だ。
各キャラが一斉にスタートする。
ロケットスタートできずに真ん中あたりでうろうろする俺。琴音ちゃんは俺のすぐ後ろだ。
「アイテム取りました! えーっと、使うボタンは確かこれでしたよね」
言いながらポチポチ指を動かす琴音ちゃん。彼女のキャラが走っている画面で不穏なものが見えた。
「あ」
琴音ちゃんのキャラが緑こうらを出した。しかも三個。
その緑こうらが間を置かず全弾発射される。射線上にいたのは俺だった。よけることができずすべて命中した。
俺の横を琴音ちゃんのキャラが悠々と走り抜ける。
「えっと……ご、ごめんなさいっ」
「あ、あはは……。いいよいいよゲームだからね。よーし、負けないぞー!」
申し訳なさそうに頭を下げる琴音ちゃん。そうしながらもコースアウトせずに走っている。
別にこんなことで怒ったりしない。だってこれそういうゲームだしね。アイテム使って相手を蹴落とすのは常識なのだ。
気にしてはいないが順位を落としてしまった。逆転を目指してアイテムを取りにいく。
ゲットしたのは赤こうら。すぐに次のアイテムが取れそうなので全弾発射した。
「あ」
俺が放った赤こうらはキノコ頭に着弾した。思ったよりも琴音ちゃんとの差が広がってなかったみたい。
「ご、ごめんな……。わざとじゃないんだよ」
「あ、あはは……。ゲームですから気にしてないですよ……あはは……」
また順位が入れ替わる。ちょっと手が汗ばんできた。
気にせずトップを狙おう。レースゲームだが琴音ちゃんと争いたいわけじゃない。
しかし、俺と琴音ちゃんがアイテムを使えば使うほど、お互いを傷つけ合うという不毛な展開が続いた。逃れられない運命なのかってくらい何度も続いた。
「……」
「……」
結果、無言でレースに集中する俺達がいた。空気はとっくに張りつめている。
もうただのゲームではない。ゲームではあるが遊びではないのだ。これは真剣勝負である。
最終ラップ。
「スターゲットです!」
「それはやめて!」
ゴール直前。無敵モードになった琴音ちゃんが追い上げてくる。バナナの皮を持っているが、無敵となった彼女には無意味だ。
「いっけええええぇぇぇぇぇぇーーっ!!」
「くるなああああぁぁぁぁぁぁーーっ!!」
ゴールを目前にして、俺は宙を舞った。
「……」
「……」
静寂。ゲームのBGMが聞こえるが、今この時は静寂に感じられた。それはきっと琴音ちゃんも同じだろう。
しばらくお互いに無言になっていた。でも、気まずくも張りつめてもいない。
俺達は充実感で満たされていた。このやり切った感、超気持ちいい……。
「琴音ちゃん」
「祐二先輩」
俺と琴音ちゃんは見つめ合う。メイドモードが崩れるほど本気を出し切ったのだろう。俺はそんな彼女をたたえたい。
「ありがとう。いいレースだった」
「こちらこそありがとうございます」
俺と琴音ちゃんは握手を交わした。手の熱と汗がすべてを物語っていた。
ちなみに総合順位は俺が四位、琴音ちゃんが三位であった。コンピューターって強いよね。
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19.彼女は犠牲になったのだ
空が茜色に染まる時刻。
ゲームでひとしきり盛り上がった俺と琴音ちゃんはのんびりお茶をしていた。
まったりタイムは憩いの時間。時間をただ無為に消費する贅沢を味わっていた。
「それでその子は実験の日だって忘れていてですね。あたし達は準備がまったくできていなくて大ピンチだったんですよ。先生に気づかれる前に他の子から協力してもらってですね」
無為に、じゃないな。琴音ちゃんが楽しそうに雑談をしてくれていた。
話すのは学校のこと友達のこと。特別なことなんてない普通の日々ばかりだ。オチを期待してはいけない。
相槌を打つ。楽しそうに話す姿を見ているだけでこっちまで楽しくなる。内輪ネタばかりなのでそれしか楽しむ方法はない。
「でも、そんなピンチもお姉ちゃんならあっという間に解決するんでしょうね。祐二様ならわかりますよね? お姉ちゃんと同じクラスですもん」
俺は相槌のうなずきを返すかどうか迷った。
姉を持ち上げる妹。それが普通かは知らない。俺には兄妹とかいないし。もしいるのなら褒めて称えて敬ってほしいものだ。
でも、知らなくても違和感を覚える。
「琴音ちゃんってさ」
「はい?」
「お姉さんのこと好きだよね」
「はいっ。自慢の姉ですから」
心からの笑顔。嘘には思えない。
でもなぁ。どうしても前に問い詰められた時のことを思い出してしまう。
琴音ちゃんに「あたしのお姉ちゃんのこと、好きなんですか?」と尋ねられたことがある。
その時は否定したし、彼女も信じてくれたようだった。
でも琴音ちゃんにとって姉の存在は地雷なのだろう。そう俺には見えたし、彼女もあまり姉の話題は出してこなかった。
けれど、最近になって「お姉ちゃん」と口にする回数が増えた。
これ見よがしな釣り針に思えた。だからあえて反応してこなかった。
だがここまでくると、釣り針は釣り針でも、俺が考えていたものではなかったのかもしれない。
「俺は藤咲さんよりも琴音ちゃんの方が好きだ。前にも言ったけど藤咲さんにラブの感情はないからな」
「え?」
いきなりの宣言に琴音ちゃんが目を丸くする。こういうこと言うの思った以上に恥ずいわ。
自分から口にすることだ。嘘はない。本当だ信じてくれ! と必死になればなるほど怪しまれる気がする。信じてもらうためにも、常に冷静さは必要だ。
「今日は楽しかった。髪を切ってもらって琴音ちゃんには美容師の才能があると思ったし。料理は美味しかったし、いっしょにゲームができて楽しかった」
クラスメートだとしても、藤咲さんとはこんな風に楽しめなかっただろう。そもそも遊んだことないし。
琴音ちゃんが俺の彼女になってくれたから知ることができた。琴音ちゃんと遊ぶのは楽しい。そんなちょっとしたことがわかって嬉しかったのだ。
「……でも、お姉ちゃんだったらもっと楽しかったかもしれませんよ?」
おずおずとうかがってくる。その目は今までの琴音ちゃんになかった目だった。
やっぱりか……。
お姉ちゃんのことが好き。琴音ちゃんの言葉に嘘はない。
でも、他人に向ける感情が一つとは限らない。
「それ、俺が否定しても信じないやつだろ?」
「そ、そんなことは……」
そんなことあるんだよなぁ。今の琴音ちゃんを見ていれば俺にだってわかる。
彼女は姉という存在に屈服してしまっている。それも心から。生半可な傷じゃない。
琴音ちゃんはいい子だ。そして明るい子だ。
そんな彼女がこれほどまでコンプレックスを抱いているのは、周りに原因がある。親とか友達とか、適当で近い人達だ。
彼女がいい子だからこそ、周囲の声に耳を塞ぐなんて真似ができなかったのだろう。
まあその辺の詳しい話はしてくれないだろう。恋人っていっても脅してできた偽物の関係だ。しかも期間限定。
……そういや、その期限もあと一か月なんだよな。
「そうだ!」
ぽんと手を叩く。琴音ちゃんがビクッて身体を震わせた。ごめんね、驚かせちゃった。
あと一か月で俺と琴音ちゃんは彼氏彼女の関係を終える。
可愛い女子とお付き合いするだなんてこれっきりになるだろう。なら思いっきり傷痕残しちゃってもいいんじゃないかって、無責任な男子は思ってしまうのだ。
「琴音ちゃんにわからせてやろうじゃないか」
「な、何をですか?」
怪しげな笑いを零す俺に琴音ちゃんは引き気味だ。その反応地味にショック。
だが負けずに右手を天に向ける。人差し指を突き出すのも忘れない。
「琴音ちゃんが天下無敵のお姉ちゃんだと思い込んでる藤咲さんを、俺がぎゃふんって言わせてやる!」
学園のアイドル藤咲彩音。俺の彼女のため……犠牲になってくれ。
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20.水泳って楽しいよね
プール開きの日がやってきた。
我が学園は屋内プールである。雨の日でも快適に泳げるのがどれほどの強みか。中学まで屋外プールを経験してきただけにありがたみがわかる。
てなわけで水泳の授業は予定通り行われる。別に面倒だとは思ってないよ。泳げないわけじゃないからな。得意でもないがな。
「ふ、藤咲さんの……水着姿……」
「おお……藤咲さんと同じクラスになれてよかった……本当に、よかった……」
「こ、こんな最高の時間をくれるなんて……、プール最高だぜ」
一応言っとくが、今のは俺のセリフじゃないぞ。一つたりとも俺ではない。
クラスの男子どもが鼻の下を伸ばしている。その中には井出も含まれる。俺はそいつらを眺めて「残念な面してんなぁ」と感想を漏らすだけだ。
奴らの視線の先にいるのは女子の集団。さらに言えば藤咲さんに釘付けだった。
水泳の授業は男女ともに同じプールで行われる。
体育はいつも男女別で違うことをしている。体操服ですらなかなか近くでお目にかかれるものではないのだ。
それが水泳となれば同じ場所だ。一応の線引きはされているものの、同じプールならすぐ近くにいることに変わりない。
学校指定のスクール水着。だが藤咲さんの暴力的なスタイルの前には無力だ。身体のラインがものすごいことになっている。もう一度言おう。ものすごいことになっている!
「おーい、準備体操するから集まれー」
男性教諭の声。男子が固まりになって移動する。多数の視線が藤咲さんに向けられたままだったが。
こういうのって女子は敏感に気づいてるっていうけどな。藤咲さんはといえば、凛とした佇まいは変わらない、ように見える。
俺は先生に目線を固定して準備体操する。真面目な生徒ってことで点数上げてくれてもいいのよ?
こないだ琴音ちゃんメイドと遊べたからな。男として大切なものの充電はできている。
それができていなければ、俺もクラスの男子どもと同じく藤咲さんにエロい目を向けていたかもしれない。ふー、危なかったぜ。
「まずは軽くクロールで泳いでみろ」
準備体操を終えて、先生の言う通りに泳いでいく。
軽くって言うけどさ、クロールって疲れない? 二十五メートル泳ぐころにはけっこう息切れしちゃうんだけど。
まあ軽くできる奴らは余裕そうだ。どんぐらい余裕かといえば、視線が女子がいる方に固定されたまま泳ぎ切ってしまうくらいには。
水泳の授業は水難事故を防ぐためという目的があるのだとか。
なのに下心を膨らませて泳ぐのは何事か。女子の皆さん、こいつらを軽蔑してやってください!
「じゃあ次は平泳ぎな」
そんな奴らに気づきもせず、先生は授業を続ける。体育の先生って運動できる奴に甘いところがあるように感じるのは俺だけか?
俺の番が回ってきたので平泳ぎで二十五メートルを泳ぐ。
スタミナ消費を抑えるためには平泳ぎがいいって聞いたことがある。でも俺には合ってないのか、クロールよりもかなり疲れてしまう。まあ呼吸するのは確かに楽ではあるんだけどな。
先生の指導を挟みながら時間は過ぎていく。それは女子も同じこと。
「ではここからは自由時間とする。わかっていると思うがくれぐれも危ないことはしないように」
男女ともに同時にそう宣言された。プール開きの日は自由時間がちょっと長めだ。
高三とはいえ自由時間はテンションが上がる。いや高三だからこそ、今年で高校最後になるであろう学校のプールではしゃぎたいのだ。
しかも、その最後の年に学園のアイドルである藤咲彩音といっしょのクラスになれた。男子にとってこれほどの幸運はなかなかない。
中には「藤咲さんと同じ水に浸かれるだなんて……」と歓喜に身を震わせている男子がいたりする。つーか井出だった。見なかったことにしよう。
「おーい藤咲さん」
俺は藤咲さんに声をかけた。振り向いた表情は怪訝なものであった。
「何かしら会田くん?」
声色もなんか警戒心がにじみ出ている。まあ彼女に向けられていた視線を考えれば納得するしかないか。
水に濡れた藤咲さんは美少女だった。いや、濡れてなくても美少女だから関係ないわ。とにかく近くで藤咲さんの水着姿が見られて眼福だ。
と、見惚れている場合じゃない。さっさと用件を伝える。
「俺と勝負しようぜ」
※ ※ ※
琴音ちゃんは藤咲彩音を完璧超人だと思っている節がある。
それは外見だけの話じゃない。文武両道だったり性格面も含まれる。
もしかしたら琴音ちゃんは姉の勝ったところしか見たことがないのかもしれない。小さい頃から敵なしな場面を見せ続けられたとしたら? あんな風に姉を特別視してもおかしくないのかもな。
「先に二十五メートル泳ぎ切った方の勝ち。泳ぎ方は自由。それでいいか?」
「ええ、いいわよ」
案外あっさりと俺の勝負に乗ってくれた。
藤咲さんが何かするってことで、クラス全員協力してくれてコースが空けられた。それどころかみんな観戦モードである。居心地悪い視線が俺にも向けられる。
「なんであいつ藤咲さんと話してんの?」
「つーか勝負ってなんだよ?」
「彩音ちゃん仲いい男子いたんだー」
男子から柄の悪そうな「あ?」とか「お?」の声が聞こえてくる。威嚇はやめてもらいたい。
まあほとんどは興味本位の視線だ。男子だってほとんどは藤咲さんの泳ぐ姿が見られてラッキー! という感情がうかがえる。
俺と藤咲さんは位置につく。うちの学校のプールは飛び込み禁止なのでプールに入ってのスタートだ。
「で、私に勝ったらどんな要求をするつもりなのかしら?」
いつでもスタートできる体勢の藤咲さんに尋ねられる。
「要求?」
「何かあるのでしょう? 勝負の前に聞いておかないと不公平よ」
これ勝った方は負けた方になんでも命令できちゃうの?
俺はただ、琴音ちゃんに敗北で涙に濡れる藤咲さんを見せつけたいだけだ。ん? これ俺悪者っぽくないか。
「別に。何もないぞ。勝負っていってもただの遊びだ」
欲しいのは結果だけだ。
いくら藤咲さんが運動できるっていっても男子には勝てまい。体格の差を思い知るがいい。卑怯? 勝てばよかろうなのだ!
「そんなわけ──」
「よーい、スタート!」
藤咲さんの言葉を塞ぐ形で勝負開始を告げられた。空気読めないスタート宣言したのは井出だった。狙ってないだろうがグッジョブ!
「お先ー」
「あ」
この隙をついて俺はロケットスタートを決める。慌てて藤咲さんが追いかけてきた。
スタートの差は、俺がリードする形ではっきりと表れた。
フハハハ! この勝負、俺の勝利だ!
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21.大事なのは君の評価
「祐二先輩、今日のプールの時間にお姉ちゃんと勝負したそうですね?」
「……はい」
水泳の授業が終わって昼休み。
日常化しつつある琴音ちゃんとのお弁当タイム。ほのぼのした時間になるはずだったのに、問い詰められるような声色で冒頭のセリフが飛んできた。
つーかなんで知ってんの? 別のクラスどころか別の学年なのにさ。
「なんでまたそんなことしたんですか?」
「つい、出来心で……」
「もしかして、ここ怒るところです?」
「怒らないで。むしろ甘やかしてほしいな」
「甘やかす……」
琴音ちゃんは考える仕草の後、俺の頭をなでなでしてくれた。あれ、これ甘やかされてるの?
やべえ、なんか照れる。
「あの、もういいですよ……」
「そうですか? あたし先輩のこと上手く甘やかせていましたか?」
「うん」
これはうなずくしかない。甘やかされているというか、ただただ甘かったです。
「それで、なんでお姉ちゃんと勝負したんですか?」
話がループしてしまいましたね。絶対に「はい」しか選べない選択肢に違いない。
仕方がない。諦めて息を吐いた。
「学園のアイドルに勝てば周りの女子が俺にメロメロになるだろうとね」
「その結果はいかに?」
あ、ツッコミなしですか。
「……見事な敗北でした」
そう、結局藤咲さんとの水泳勝負は、俺の負けで幕を閉じた。
よく考えなくても俺そんなに運動得意じゃなかった。二十五メートルのタイムはひどいものだったし。対する藤咲さんは水泳部からスカウトされてそうなタイムだった。
「……わざわざクラスの人達がいる前で勝負なんてしなければよかったのに。メッセージがきた時、あたし自分の目を疑いましたよ」
「メッセージって、藤咲さんから?」
「いえ、別の人からですけど」
どうやら琴音ちゃんのコミュニティはけっこう広いらしい。そのメッセージの内容までは知りたくないが。
「あたしの顔が広いというより、ほとんどお姉ちゃん絡みですけどね」
俺が何か言う前に、琴音ちゃんが笑った。
彼女が笑いながら何かを言う前に、今度は俺が先を取る。
「俺が負けたのは藤咲さんがすごかったからじゃない。俺がダメだったからだ! 実は俺、水泳は苦手なんだよ!」
「は、え?」
胸を張って言い切った。負けた時こそ胸を張れ精神である。
「次は俺の得意分野で勝つ。それがダメなら藤咲さんの苦手分野で勝つ」
「それ、格好いいと思いますか?」
「格好いいとか悪いとかは考えてない。何をして勝とうが負けようが、俺の評価は変わらないからな」
相手は学園のアイドルだ。負ければ周りから笑い者にされるし、勝っても良い感情は向けられないだろう。他人からの言葉だが、容易く想像できる。
今、評価を気にするべき相手は目の前の女の子だけだ。
琴音ちゃんの姉は超人ではない。たとえそうだとしても、引きずり下ろしてでも凡人にして、琴音ちゃんに自分だって負けてないと思ってほしい。何もかもを負けているだなんて思ってほしくない。
だって琴音ちゃん、いい子なんだもん。
そんないい子が自分のためだけの勝負なんかするわけがない。なら凡人代表の俺が藤咲さんを叩きのめしてやれば、琴音ちゃんも「お姉ちゃん大したことなーい」と鼻で笑ってくれるに違いない。……性格的にあり得ないな。
「祐二先輩が何を考えているかわからないですけど、悪目立ちはしないでくださいね?」
「おう」
「本当にわかってるのかなぁ」
わかってるって。陰キャだからすぐに忘れられる存在。つまりコンテニューはすぐできるだろう。
しかしどうしよう。運動で勝てる気がしない。男女の差でなんとかなると思ってたんだが、自分の能力の低さを舐めていたようだ。
俺でも完璧超人の藤咲彩音に勝てる。それさえ証明できれば勝負方法はなんでもいい。
勉強はダメだ。学年トップクラスの藤咲さんに、追試を言い渡されるレベルの俺じゃあ勝負にもならない。ハンデがあっても勝てる気がしない。
だったらどうするか。うーん……。
「まあいいです。それよりお弁当食べましょうか。早くしないとお昼休み終わっちゃいますよ」
「だな」
この間オムライス作ってもらえたし、と。ダイエットメニューからの脱却を期待しながらオープン!
「今日は身体のために野菜多めにしてみましたっ」
野菜多めというか、野菜オンリーだった。色鮮やかといえばなんだかいい感じに聞こえる不思議。
「琴音ちゃん……お米は?」
「あっ、忘れちゃいました」
「あっ」じゃねえよ! こんなドジっ子はいらねえよ! 「てへっ」っておま……可愛いなあオイ!
食物繊維たっぷり(炭水化物抜き)の弁当を完食した。なんだか日に日に身体がスリムになっている気がする。油物が恋しくなった。
※ ※ ※
俺が藤咲さんに勝負を挑んだのがどう作用したのだろうか。
「会田くん、放課後……少し付き合ってほしいのだけれど……いいかしら?」
と、藤咲さんにアプローチされてしまった。運命の歪みが怖いよ。
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22.学園のアイドルと放課後デート(嘘)
「会田くん、放課後……少し付き合ってほしいのだけれど……いいかしら?」
放課後になってすぐ、隣の藤咲さんからそんなことを言われてしまった。
いや意味わからんし。突然のお誘いに脳がフリーズする。
頭を整理する。
俺と藤咲さんは友達ではない。放課後二人でどこかへお出かけしたこともない。そもそも彼女のプライベートを何一つ知らないのだ。
「えっと、『みんな』でどこかに遊びに行くお誘いかな?」
「いいえ。私と会田くん、『二人』だけで、よ……」
なあにこの状況?
意味深だと感じるのは俺の自意識過剰か。今までになかったことだ。何かあるに違いないが、あり得ない状況すぎて考えがまとまらない。
「な、なぜ藤咲さんがあんな奴なんかに……っ」
「彼氏を作るどころか男子を遊びに誘うことすらなかったはずなのに……」
「もしかして勝負して友情が芽生えちゃった的な? あははー……、んなバカな!」
俺の戸惑い以上に教室中がパニックを起こしていた。
ざわざわどころではない騒ぎである。学園のアイドルという立場はこんなことでも注目されてしまうらしい。
「いいよ。とにかく教室から出よう」
「そうね。昇降口まで急ぎましょう」
小声で素早くやり取りする。面倒になりそう、という気持ちは一致したらしい。
とりあえず話を聞いてから判断しよう。今日は琴音ちゃんはバイトだ。時間はある。
昇降口へと向かいながら、藤咲さんが俺に何の用があるのかと考える。
実は俺にほのかな恋心を……。なんて思春期男子みたいな勘違いは起こさない。一回振られてるし。
思いつくのは本日の水泳勝負。なぜ勝負を仕掛けてきたのかと気になったとか? いやいや、気にはなるかもだけどそんなことで貴重な放課後の時間を潰したりしないだろう。
昇降口へとたどり着く。俺は藤咲さんに向かって口を開いた。
「俺に用があるんだろ? 早く言ってくれよ」
それがわからないとドキドキしてしょうがない。このドキドキは甘酸っぱい意味ではなく、わけわからん状況の恐怖からである。
藤咲さんは辺りを見回す。放課後になってすぐとはいえ、下校しようとする生徒がそれなりの人数いた。
「静かに話ができる場所に行きたいわ」
これ勘違い狙ってんのかな? だが耐性を持っている俺には通用しない。華麗に無効化する。
靴を履き替えた藤咲さんが「ついてきて」というものだから素直に後を追う。我ながら従順だな。
「どこまで行くんだ?」
「駅前の喫茶店でどうかしら?」
さらっと喫茶店が選択肢に出てくるんだ。女子は喫茶店でおしゃべりするものなのだろうか? 俺はメイドカフェ以外の喫茶店には行ったことがない。
スタスタと歩いて目的地へと向かう。競歩かな?
藤咲さんが俺という男子と二人で歩いているってのに校内ではあまり注目されなかった。
まあ俺は距離を取ってましたからね。隣り合って歩くとか、藤咲さん相手に無理だって。
そんなわけで、学園の敷地から出ても一定の距離を保っていた。後ろからだと流れる黒髪が綺麗ですね。美少女はどんな角度からでも綺麗って得だよ。
「会田くん? そんなに離れているとはぐれてしまうわ」
藤咲さんが振り返る。滑らかな動きで黒髪が舞った。男を虜にする美貌が向けられる。
彼女は本当に得だなと思う。
でもそれは間違った印象なんだとも感じた。たぶん、琴音ちゃんと比べてしまったからだ。
「子供じゃないんだからはぐれたりしないよ」
まあそれを装って逃げてもいいかなと思ったのは事実なんだけども。
藤咲さんが案内してくれた喫茶店は、前に俺と琴音ちゃんが映画を観に行ったところからすぐ近くだった。
本来なら映画を観て、喫茶店でお茶をしながら感想を言い合うって感じの場所なのだろうか。あの時は遅い時間になってしまったが、次の機会があるのならデートプランに組み込んでみよう。
喫茶店に入る。落ち着いた暖色と静かで心地のいい音色が出迎えてくれた。パステルカラーとキュンキュンするBGMに慣れていただけに、想像以上の大人っぽさに圧倒される。
藤咲さんは慣れたように目立たない端っこの席に座った。俺もその向かいに座る。
おおっ! まるであの学園のアイドルとデートしているみたいだ! やべえよすげえよ!
……と、普段の俺ならとりあえずはしゃいでしまう状況ではあるのだが、目の前の藤咲さんからピリピリとした緊張感が伝わってくる。余計なことをせず黙っておく。
「突然こんなところまで付き合わせてごめんなさい」
そう言って彼女は頭を下げた。
カースト上位者が殊勝な態度を見せると、俺のような者は恐縮してしまうものである。
「大丈夫。大丈夫だから頭を上げてくれ。まず用件を聞かなきゃ反応に困る」
「大丈夫」の連呼に俺焦ってんだなと感じた。言ってることは間違ってないはずだし、問題ないよな、うん。
藤咲さんは「そうよね」と顔を上げた。
俺の目の前で小さく深呼吸。それで意を決したようで、真剣な眼差しで俺を射抜いてきた。
「琴音のことで、話があるの」
ここでギクリとした俺は悪くない。
俺と琴音ちゃんが付き合っているとは知らないはずだ。彼女とも公言しない方がいんじゃね、とすでに話し合った。藤咲さんには弁明だってした。
なのに俺に琴音ちゃんの話? 嫌な予感しかしない。
「まずはこれを見てちょうだい」
怯む俺なんぞ知らないとばかりに、藤咲さんは話を先へと進める。
彼女は鞄から何かを取り出した。
透明な保存バッグ? 密封された中身を見て、思わず目を見開く。
テーブルの上に置かれたそれは、紛れもなくメイド服だったのだから。
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23.尋ねたいこと
俺がメイド服と関わってきた期間は、琴音ちゃんと関わるようになった期間と一致する。
おかげでメイドさんが好きになりました。メイドカフェにも定期的に通っているという毒されっぷり。もう琴音ちゃんのメイド姿を目にしなければ生きられないかもしれない。
ごめん、さすがにそれは言いすぎた。
「まずはこれを見てちょうだい」
そう言って藤咲さんが見せてきたのは、袋に密封されたメイド服だった。
中身がメイド服であるとわかった瞬間、そのメイド服が前に俺の家で琴音ちゃんが着てくれたものだと理解する。
「これは?」
感情を悟られてはならない。表情を固定して尋ねる。
「これはメイド服よ」
うん、それは知ってる。
知りたいのは、なぜ俺にそれを見せたのかということだ。
心当たりがないわけじゃない。ていうか琴音ちゃんのことと絡めれば、琴音ちゃんがバイトしていることがばれたか、俺が彼女を脅して恋人関係を迫ったくらいしかないだろう。
どっちにしても知られてはならない情報。まずは藤咲さんが何を知っているのかを聞き出さなければならない。それから態度を決めよう。
「……」
とはいえ、どうやって聞けばいいんだ? 陰キャに交渉術なんてものを期待してはいけない。自分の身で思い知ったね。
喫茶店の優しいBGMが、無言の時間を優しいものに変えてくれる。お願いだから変えてくれ!
「えっと……。とても、言いづらいのだけれど……」
どう切り出そうかと迷っていたのは藤咲さんも同じだったらしい。
学園では凛とした姿しか見たことなかったからな。らしくないと思えるような面を見られてちょっと安心する。
「ご注文は?」
思い出したかのようなタイミングで、店主らしきおじいちゃんが注文を取りにきた。
「私はアイスコーヒーをお願いします。会田くんは? 私から誘ったのだし、おごるわよ」
「えっ、いやおごりとかいいし……。えー……俺も同じアイスコーヒーで」
「かしこまりました」
店主が奥へと引っ込む。急かされていないのに焦ってしまった。メイドカフェならメニュー選びも余裕でできるようになったのにな。
つーか女子からおごってやるなんて言われる日がくるとは思わなかった。むしろおごってもらえるのが当然、とか思うのが普通の女子なんだと考えていた。偏見でしたね。
それか藤咲さんだからなのか? 琴音ちゃんもあまりおごってもらいたいという感じでもないし、姉妹の共通点なのかもしれない。
「これ、琴音のものだと思うの」
藤咲さんは目線でメイド服を示した。
「なんでそう思うんだ?」
話が戻ってしまった。平常心を意識しながら聞いてみた。
「……琴音が洗濯に出していたのを見たのよ」
「それって、こっそり?」
「普通に出していたわね」
琴音ちゃん、脇が甘いよ……。
とにかく、俺のためにと用意してくれたメイド服が藤咲さんに押さえられている。それが琴音ちゃんのものだとばれている。わかった状況はそこまでだ。
なら安心かな。俺にとって害はなさそうだ。
「会田くんは、琴音と仲いいわよね?」
「え? は、え、えーっと……」
「だって、お昼ご飯をよく二人で食べているらしいじゃない」
別に隠れているわけじゃないからな。それくらいのことなら知られていてもおかしくないか。
「そ、そうだな。料理の腕を磨きたいのかな? 琴音ちゃんにはよく弁当を作ってもらっているよ」
「琴音ちゃん……」
藤咲さんが押し黙る。何か呟いたようにも見えたが、声が小さすぎて聞こえなかった。
「会田くんと関わるようになってからかしらね。琴音、少し変わった気がするわ」
「へ?」
「お弁当のことだってそうよ。あの子は自分からお弁当を作ろうとはしてこなかったもの。傘を借りたお礼だからとは言っていたけれど、まだ続いているのよね……」
段々とヒートアップしていく藤咲さん。この流れはなんだかまずい。
「会田くんもそうよ。いつも無気力で人の目もあまり見ようともしてこなかったのに。今は私の目を見ても逸らしたりしないわ」
「人と話す時は相手の目を見るって……、普通のことじゃないか?」
「会田くんはその普通のことすらできなかったのよ」
それひどくないか? いや、でも、心当たりがあるような……。本当にできてなかった?
藤咲さんの目つきが険しくなっていく。なのに美少女は陰らない。それどころか怖い顔も可愛い。何をしても得にしかならないとか……、男の俺でもずるいと思ってしまう。
「会田くん、あなた……」
彼女はバンッ! とテーブルを叩いて立ち上がった。
「琴音と付き合っているんでしょ!」
ここにきてようやく理解した。
わざわざ藤咲さんが俺と二人きりになった理由。それは、俺を問い詰めるためだったのだ。
「お待たせしました。アイスコーヒーです」
そして、空気を読まない店主のおじいちゃんに感謝した。
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24.メイド服の理由
「……」
「……」
ちびちびとアイスコーヒーを飲む藤咲さんの顔は赤い。赤面ってやつだ。
それにしてもここの喫茶店のアイスコーヒー美味いな。普段からコーヒー飲まないし、最近口にしたといえばメイドカフェのものだが、それでも良いものなのだろうとわかる。
コーヒーを楽しむ俺。優雅な時間を過ごすのもいいが、そろそろ何かしゃべってくれないだろうか。こちとら友達少ない陰キャなんだから気を利かせてほしいものだ。
「……」
内心を読まれたわけではないだろうが、アイスコーヒーに口をつけたままの藤咲さんに睨まれた。赤面したままだから怖くないけどな。
別に注意されたわけじゃないけど、藤咲さんが大声を出したタイミングで店主のおじいちゃんが来たからな。優等生の彼女にとってはそんなことでも痛恨の極みだったのかもしれない。相手が気にしてないんだから気にしなくてもいいのにね。
さて、少しだけ余裕を取り戻したものの、依然ピンチなのは変わらない。
藤咲のお姉さんに妹との交際を詰問されている。
姉だからなんだってんだ! と、強気に出られたらよかったんだけど、残念ながら付き合った理由を問い詰められたら終わりだ。妹さん脅しちゃいましたー、なんて言ってみろ。俺の身がただでは済まない。
「あの、さ」
表情を引き締めて口を開く。
藤咲さんは恥じらいがまだ抜けていない。よく考えればこれはチャンスだ。
あのままの勢いで厳しく追及し続けられたら何を口走ってしまうかわかったもんじゃなかった。焦ってあることないこと言ってしまうのが俺だ。そこんとこは自分が一番よく知っている。
だから先手を打つ。
「俺、琴音ちゃんのこと好きなんだ。本当に本気で好きなんだよ」
声がちょっと震える。でも、なんとか言い切れた。
藤咲さんに琴音ちゃんと付き合っていること自体を隠すことはできないだろう。それを誤魔化す方がかえって不信感を増幅させてしまう。
ならば交際している事実は明かす。できるだけ気持ちを込めて言い切ってやればいい。
一番知られてはならない事実から目を逸らせるために。この場合は俺が琴音ちゃんを脅したこと。つまり琴音ちゃんがバイトしていることも隠さなければならない。
藤咲さんの口ぶりから、たぶんそれは知らないと思う。クラスでも陰キャグループに属している俺と可愛い妹が付き合う。気に食わないのはきっとそれだ。
「俺が琴音ちゃんと釣り合わないのはわかってる。それでも好きになった。彼女に好きになってもらおうとがんばって……今、琴音ちゃんの厚意で彼女になってもらってる」
どれだけ言ったところで、今の関係を引き裂かれてしまうかもしれない。
「琴音ちゃんにチャンスをもらったんだ。夏休みが始まる前まで。それまでの期間まで俺と付き合って、判断してほしいって」
だが、ここで足掻かなくてどうするというのだ。
「頼む。姉として怒る気持ちはわかる。それでも、約束した期間まで何も言わず待ってくれないか? ……お願いします」
そう言って、頭を下げた。
「……」
藤咲さんは黙っていた。頭を下げたままだからその顔はうかがえない。
できるだけ気持ちを込めて言えたはずだ。なんか恥ずかしいこと言った気がするが、それこそ気にしたら負けだ。
「じゃあ」
ついに藤咲さんが口を開いた。椅子に座ってるのに、緊張で膝が震える。
「このメイド服はどういった理由で琴音に着せたのかしら?」
それな。
いや、メイド服に関しては俺は無関係である。つーか琴音ちゃんが勝手に身につけたのだ。
頭を上げる。藤咲さんの目は冷ややかだった。さっきまで恥ずかしそうに顔を赤くしてたってのにね。そっちの方がよかったなぁ。
「それは……」
琴音ちゃんが持ってきて自分で着たんだよ! と、本当のことを話して信じてもらえるだろうか?
あの冷ややかな目は、俺が無理やり琴音ちゃんにメイド服を着せたのだと疑っていない。俺が「無実だ!」と叫んだところで、嘘だと断じるだろう。
それに、琴音ちゃんがメイド服を着てご奉仕するのが趣味ってことは、さすがに姉には知られたくないと思う。けっこう琴音ちゃんの趣味盛っちゃってるけどさ、メイド服を所持していることは秘密のはずだ。
ふぅ、とこれ見よがしに息を吐く。藤咲さんの眉尻が上がったのが見えた。
「……わかった。白状するよ」
「何を白状するのかしら?」
嘘や誤魔化しは許さないといった眼差しを向けられる。まあこれから口にすることは嘘や誤魔化しなんだけどな。
「そのメイド服……。俺が琴音ちゃんにプレゼントしたものなんだよ」
「は?」
うん、あのメイド服は俺が琴音ちゃんにプレゼントしたもの。そう自分に言い聞かせる。
「俺、メイドさんが好きなんだ。だからメイド服を琴音ちゃんにプレゼントした。ああ、でも安心してほしい。彼女は受け取っただけで着てはいないから。ただ俺の気持ちを持ってくれていただけなんだ」
我ながらやべえ奴になってしまった。
メイド好きと言って彼女にメイド服をプレゼント。こんな押しつけ、すぐにでも破局案件である。
だが、これで琴音ちゃんとメイドというキーワードは一致しなくなった。むしろ俺とメイドの関係が強固なものになっちゃったけどな。
「なら、なぜ琴音はこのメイド服を洗濯に出したのよ。新品で着る気もないのならそんなことしなくてもいいでしょ?」
ごもっとも。
琴音ちゃんも洗濯するのならこっそりしてくれたらよかったのに。
おかげで、俺は一線を越えてしまうはめになったよ。
「実はそれ、新品じゃないんだ」
「え、どういうこと?」
ゴクリと喉を鳴らす。男は度胸だ!
「そのメイド服、俺のお古なんだよ!」
藤咲さんがフリーズした。他人が固まったの初めて見た。
「俺はメイドさんが好きすぎてメイド服を買ってしまった。それだけじゃあ満足できなくて……その、着ちゃった」
精いっぱいの可愛さを込めて言い切った。
その瞬間、藤咲さんがガタガタと音を立てて椅子ごと後ずさる。その反応、かなりショック。
口をパクパクさせる藤咲さん。金魚のマネかな?
彼女の色白の肌が青くなったり赤くなったりと忙しい。感情が激しく行き交っているのが見ているだけでわかった。
「あ、あああ、あなたって人はっ!」
「まあまあ、お姉ちゃん落ち着いてよ」
またテーブルを叩こうとした藤咲さんの手を、誰かの手が止めた。
亜麻色の髪がツインテールでサラリと流れている。その人物は藤咲さんに似た顔立ちをしていて、でも違っていた。
いきなり現れたのは話の当人。ニッコリ笑顔の琴音ちゃんだった。
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25.姉妹って難しそうだ
琴音ちゃんの登場で場がしんと静まり返る。
喫茶店に流れるBGMだけが時の流れを教えてくれる。店主のおじいちゃんは穏やかな表情で俺達を眺めていた。いやそんなに見つめないでくれよ。
「こ、琴音? なぜここにいるの?」
なんとか再起動を果たした藤咲さんが疑問を口にする。それ俺も気になる。バイトはどうしたよ?
「お姉ちゃんと祐二先輩がいっしょにいるところを見ちゃったからかな。お姉ちゃんこそ、先輩と二人っきりで……どういうつもり?」
琴音ちゃんはニッコリ笑顔だ。表情は何も変わっていない。
なのにどうしてだろう? 空気が張り詰めた感じがするぞ。
「あまり他人に聞かれたくない話だったからよ。琴音が考えているような心配は一欠片もないわ」
「あたしの考えって何? あたし、お姉ちゃんに祐二先輩の話をそれほどしていないと思うんだけど」
「それでもわかるわよ。私は琴音の姉なんだから」
「あたしはお姉ちゃんの妹だけど、お姉ちゃんの考えまではわからないよ。あたしと祐二先輩が付き合ってるってわかっていて、どうして二人きりになるの?」
お互い声を荒らげているわけじゃない。声の大きさだけなら静かなものだ。
なのにヒートアップしていくのはなんでだろうね?
「あのさ」
声をかけたら姉妹同時にばっと俺を見た。ちょっと怖かった。
「藤咲さんが問題にしてるのは俺自身だろ? 妹と付き合ってる男として認められない、みたいな」
「そこまでは、言っていないわ……」
でも態度がそう語っているんだよなぁ。
まあ可愛い妹がどこの馬の骨ともわからん奴を彼氏にしたとなれば気にはなるか。俺、藤咲さんと三年間同じクラスなんですけどねー。
「私はただ……、琴音も会田くんも変わってきたと思った。それは良い意味でね。楽しそうにお弁当を作っている琴音を見られて、私嬉しかったもの」
「お姉ちゃん……」
ケンカでもしそうな雰囲気だったが、どうやら持ち直したようだ。
なんて、考えたからいけなかったんだろうね。
「でもね」と、藤咲さんはまたまた眉尻を吊り上げた。
「メイド服はダメよ。しかも自分で着たものを琴音にプレゼント? あり得ないわ!」
ごもっとも。これは言い訳できないな。
琴音ちゃんとメイドの関係を引き剥がすためとはいえ、我ながら変な設定をつけてしまった。確かに俺だって可愛い妹がいたとしたら、自分が着用したメイド服をプレゼントするような相手には任せられない。
「メイド服? プレゼント?」
こてんと首をかしげる琴音ちゃん。
しまった。琴音ちゃんはさっきの話聞いてなかったんだ。せっかく俺の身を犠牲にしたってのに、余計なことを口にされては無駄になってしまう。
俺は琴音ちゃんにアイコンタクトを送る。俺に合わせろ、と目力を込めて送信した。
「ふうん」
琴音ちゃんの視線が、テーブルの上に置いてあるメイド服に向けられた。
「ねえお姉ちゃん。あたしの大事なものを勝手に持ち出して。誰も怒らないって思った?」
「え?」
あれ、また空気が張り詰めてきたぞ?
ゆっくりとした動作で、琴音ちゃんは藤咲さんに向き直った。いつの間にか、彼女から笑顔が消えていた。
「お姉ちゃんがあり得ないって思うものでもね、あたしにとっては大事なものなの。しかも勝手にあたしの彼氏に何か吹き込もうとして……。あたしが本当に怒らないとでも思った?」
「それは……」
琴音ちゃんすげえ。あの藤咲さんを圧倒してやがる。
琴音ちゃんに腕を掴まれ引っ張られる。立てばいいのか? 立ちますけど力強くないか?
よっこらせと椅子から立ち上がると、彼女に腕を組まれた。大胆な行動にドキドキが止まらない。
目の前の藤咲さんはドキドキどころか、心臓の鼓動を止めたのかってくらい完全に停止してしまった。なんだか恋人を寝取った気分。いや、二人は実の姉妹なんだけどな。
「祐二先輩はあたしの彼氏だよ。あたし達のことはお姉ちゃんには関係ないの。口出しする権利なんてどこにもない」
腕を組まれたまま引っ張られる。うん、今度は歩けばいいんだね。
「自分のことは自分で決められる。それくらいのこと、あたしにだってできるの。いつまでも手のかかる妹じゃないんだから」
藤咲さんは黙ったまま妹の言葉を聞いていた。その表情は悲しそうで、寂しそうだった。
「……祐二先輩はね、みんなが何をやっても敵わないって思っているお姉ちゃんにだって勝負を挑んじゃうんだからね。そこまでしてあたしの味方でいてくれる人なんて、お姉ちゃんが思うほど、いないよ」
その言葉を最後に、俺は琴音ちゃんに引っ張られるまま店を出た。
残された藤咲さんのことが気になるのもそうだが、アイスコーヒーの代金を払っていなかったことがそれ以上に気になった。
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26.彼女の話
琴音ちゃんに引っ張られるまま歩いた。
なんだか声をかけづらい。割と力が強いもんだから下手に抵抗すると転んでしまいそうだ。俺が貧弱ってわけではないのは言うまでもない。
駅を通り過ぎて、あまり足を向けないような場所へと進む。
そこにあったのは公園だった。それなりに遊具があって、屋根つきのベンチがある。だが人っ子一人いやしない。外で遊ぶ子供がいないってのも寂しいものだ。
「ぷっ……ふふっ……あはっ、もうダメ我慢できない……」
公園に入ったかと思えば、琴音ちゃんが震え出した。どうしたどうした?
彼女は俺から手を離すと、腹を抱えて笑い声を上げた。何かおかしなことでもあったのか、笑いが止まらないといった様子だ。
「何か面白いことでもあったか?」
むしろ笑い事じゃないことがあった気がするんだが。俺の感性がずれているだけかな?
「あはは、ふっ、だ、だって祐二先輩が……」
俺? 笑われるようなことした覚えがないぞ。
「祐二先輩が、あたしのメイド服……自分で着たって……しかもそれをあたしにプレゼントしたなんて言うからですよ……ぷぷっ」
それかよ!
せっかく琴音ちゃんのためだと思って、俺の身を犠牲にしてまで嘘をついたってのに。それ笑うのか。当人が笑うっていうのかあ!
「こんにゃろ。笑うんじゃねえ! つーかいつからあの喫茶店にいたんだよ!」
「きゃあっ! 痛いですよぅ」
彼女の脳天にグーチョップ。痛いとか言いながらも笑いを引っ込めない。もう一発ほしいようだな?
「あたし言ったじゃないですか。祐二先輩とお姉ちゃんがいっしょにあのお店に入るのを見たって。それからすぐにこっそりと入店したのです。お店の人にはボディランゲージで説明したら事情をわかってくれました」
「今一番びっくりしたのがボディランゲージで説明したってあたりなんだけど」
あのおじいちゃん店主にボディランゲージが通じたんだな。すごいってより、もうどっちもおかしいや。
琴音ちゃんは息を整えて涙を拭う。
「ありがとうございます。祐二先輩はあたしのために嘘をついてくれたんですよね。本当に嬉しかったです」
彼女は頭を下げた。本気の感謝が伝わってくる。
そこまでされると逆に居心地悪い。こういうのは適当に流してくれればいいのだ。
「……今日バイトだったんじゃないのか?」
「そうなんですけど……、今日はもうサボっちゃおうかなと」
そう言って可愛く笑う琴音ちゃん。
でも、その笑顔はすぐに曇った。
「……あまり休みたくはないんですけどね。お店に迷惑かけちゃうし、働くの好きですし、やりがいもありますし」
勤労少女はここにいた。俺なんか働いたことないけど、絶対に仕事が好きだって言えない系社会人になると思う。
「でも、ですね」
琴音ちゃんに見つめられる。何かを訴えるような目。俺は勘違いはしない。
「今……、祐二先輩とお話したいんです。あたしに時間をくれませんか?」
彼女からのお誘い。彼氏は黙ってうなずくのみだ。
※ ※ ※
琴音ちゃんがバイトを休む連絡をした後、俺達はブランコに乗った。
久しぶりのブランコにテンション爆上がり! なんてことにはならず、キーコキーコと錆びついた音を立てながら座り漕ぎしていた。
「あたしの初恋って小四だったんですよね」
いきなりの恋バナである。
「でもその人はお姉ちゃんのことが好きだったんですよ」
そしていきなりの失恋。こんな時なんて言っていいかわからないの。
「異性を好きになるってことに目覚めたのはその時からだったと思います。それで周りの男子をそういう目で見てみるとですね、気づいたんですよ」
「気づいたって何を?」
「みんな、お姉ちゃんのことが好きってことにです」
すげえな藤咲さん。小学生の頃から年下相手だろうが魅了しちゃってたのかよ。藤咲さん相手に性に目覚めた男子がどれだけいたことか。
「その時は『さすがお姉ちゃん!』ってはしゃいでました。だって大好きなお姉ちゃんが人気者だったから。妹のあたしも嬉しかったんです」
「そっか」
ブランコに揺られる俺。琴音ちゃんも一定のペースで漕いでいた。漕ぎながら話し続ける。
「中学生になってからです。あたし、男子から告白されるようになりました」
「モテモテだった?」
「ええ、そりゃもうたくさんの男子に迫られましたよ」
琴音ちゃんの表情に変わりはない。誇らしそうでもなければ、恥ずかしそうでもない。ただ淡々と語られるだけだ。
「あたしに告白する男子って、みんなお姉ちゃん目当てだったんです。あたしと接点なんかないのに、お姉ちゃんに近づきたいだけの理由で、あたしに迫ってくるんです」
琴音ちゃんが笑った。下手くそな笑い方だった。
「あたしってチョロそうに見えるらしいですよ。そりゃあお姉ちゃんみたいに完璧じゃないですからね。勉強も、運動も、人付き合いだってそれほど得意じゃありません」
チョロそう、か。たぶん頭悪そうな男子どもの会話を偶然聞いちゃったんだろうなと予想する。
「そんな自分を変えたくて。何かがんばろうって、何か一つくらいは得意なことを作ろうって決めました。それで部活に入ったんです。新体操部でがんばったんです」
新体操部。そういや井出からの情報であったな。
藤咲琴音は中等部まで新体操部だった。だが、高等部では続けなかった、てさ。
「がんばろうって。がんばって誰かから認めてもらおうって思ってました。お姉ちゃんとは関係なく、あたし自身の成果を見てほしかった」
「うん」
「そうやってがんばって、良い成績を残せたんです。これで、胸を張って誇れる自分になれたつもりでした」
「うん」
「でも違ってた。最初に耳に入ってきた言葉はこうでした。『さすがは藤咲彩音の妹だ』って」
俺は相槌を打たなかった。
「これだけがんばってもダメなんだから、新体操を続けてたって意味ないかなって。あたし、ダメですよね……」
「なんで?」
「なんでって……」
琴音ちゃんの動きが止まる。ブランコが段々減速していく。
「ここで諦めたら勿体ないって、努力が無駄になるって……」
「そう言われたんだ。勝手な奴らだなー」
俺はブランコに揺られる。琴音ちゃんも俺と同じようにブランコに揺られる。スカートがめくれて中が見えちゃうハプニングは発生しなかった。
琴音ちゃんの話は終わっていない。全部聞いてからにしようと思ったが、俺もおしゃべりしないと会話ってやつにならないだろう。
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27.俺の話
姉へのコンプレックス。常に自分よりも上にいる姉を見続けてきた。周りから意識させられ続けてきた。
それがどんなに苦しいことか。一人っ子の俺にはわからない。
ただ、自分という個人をないがしろにされることは、やっぱりつらいよなって思う。
「でも他人って勝手な奴ばっかだよ。そりゃそうだ、こっちの気持ちなんか考えないんだから」
琴音ちゃんの気持ちは複雑だ。まだ話してもらってない気持ちもある。あれが全部じゃないって感じている。
でも一気に吐き出すのはとてもしんどいことだ。振り返りたくもない過去を見つめ直さなきゃならない。
自分が悪い。そう思っている琴音ちゃんには本当にしんどいことだろう。吐き出すのが楽だというけれど、それは相手によるんじゃないだろうか。
自分が悪くて、誰かに話すような悩みじゃない。そんな風に思っているのだとしたら。もっとくだらねえ話をして、全然大丈夫だってことを伝えたい。
「祐二先輩?」
「ちょっと脱線するんだが、俺のくだらねえ話を聞いてくれるか?」
琴音ちゃんが小さく頷いたのを確認して、俺は話し始めた。
「……俺が小二の頃のことなんだけど。学校行事で劇をやらなきゃならなくなったんだ」
思い返すのは小さかった俺のこと。まだ無邪気にブランコに乗ってはしゃいでいられたお年頃のことだ。
「演目は『ももたろう』だった。最初は役を決めなきゃならないってことで、やりたい役を立候補していったんだ」
黙っているが、琴音ちゃんは耳を傾けてくれている。それを確認して、話を続けた。
「子供だからってみんなが主役をやりたいわけじゃない。むしろ立候補しない奴だってけっこういたよ。そんな中で俺はイヌの役をやろうと思った」
「犬、ですか?」
「そうイヌ。ももたろうのお供になろうと、きびだんごをくれくれって言う役ね」
「それだけ言われると食いしん坊のわんちゃんですね」
そりゃまた可愛いことで。
当時の俺から見てもイヌ役に可愛げを感じていたのだろう。サルやキジに比べて身近に感じる動物だったってのもある。
「まあ立候補したのは俺だけじゃなかった。確か俺含めて三人くらいだったと思う」
「じゃあ仲良く三人で役を分け合ったんですか?」
「いいや。その場でイヌのセリフを言って、みんなからの投票で選ぶことになったんだ」
いきなりみんなの前でセリフを発する。まだ小さい俺には難しいことだったらしい。普通に間違えた思い出が蘇る。
「もちろん俺とは別の奴が選ばれた。選ばれなかった俺達は先生にこう言われたんだ。『努力が足りなかったね。次はもっとがんばろうね』ってさ。いきなりやらせといて努力も何もないだろって思ったよ」
その時は本当に謎だったね。じゃあいつからの努力が評価されるんだって、全然わからなかった。
「結局、俺の役はセリフが一言二言の脇役になった。一度も立候補しなかった連中と同じ役になったんだ」
「……」
「本当にくだらねえ話なんだけどさ。これが始まりだったって思ってる。次の年も、その次の年も、俺は劇をやる度にそれなりの役を立候補した。いろんな役をしたって大丈夫なように演じる練習だってしてた。先生の言った通りに努力をしたつもりだった」
今思えばなんであんなにもムキになっていたのかわからない。別に主役になりたかったわけじゃないし、脇役が不服だったわけでもない。
「でも結果は変わらなかった。誰からも選ばれないのが当然で、立候補したことが格好悪いって思い知るまでに時間がかかった」
主役は大抵同じ奴で、脇役もそうは変わらない。
子供には無限の可能性がなんちゃらとかいうけれど、子供の頃の経験を持って大人になっていくのだ。子供の頃のことは、今でも覚えている。
残念ながら、向上心の塊だった俺はもういない。子供の頃から見せられた「できる人」と「できない人」の境界線をどうやって超えたらいいのか見当もつかなかったから。
「小六まで似たような感じで、立候補はしたけど選ばれなかった。小学校最後の劇だったのに、先生が俺に言ったことはなんだったと思う? 『努力が足りなかったね。次はもっとがんばろうね』だってさ。素晴らしい定型文だよな」
ここまできて、ようやく頭の悪い俺にもわかった。
「それからは中学、高校とそこそこでやってきた。みんなの前に出ても出なくても変わらない。劇だけの話じゃない。どこまでいってもがんばりが足りないって評価も変わらなかった」
呆れるほどくだらねえ話。
努力が足りない? そうなんだろうよ。みんな俺が知らないところでがんばっているのだろう。俺が何かをしたいって、手を挙げる度に「空気読めよ」という呆れの視線を向けるくらいには、さぞ俺よりも上等な連中なんだろう。
その視線が、態度が、俺が悪いとわかっていても気に入らなかったがな。絶対に友達になれないタイプってやつだ。
そんなわけで、友達ってのを選びに選んでいたら、井出しか残らなかった。あいつは品のない男子ではあるが、悪い意味でのレッテル貼りはしないからな。
「まあこんなくだらねえ話があってだな……ん、琴音ちゃん?」
静かに聞いてくれてんなーと思っていたら、琴音ちゃんがうつむいていた。
「ひ、ひっく……ゆ、祐二先輩が……ううっ、ぐすっ……」
というか泣いていた。ずびずびって鼻をすする音が聞こえてきちゃう。
「……なんで琴音ちゃんが泣いてんの?」
「ぐすっ……祐二先輩が……なんでもないみたいに話すからですよぅ……」
ずびびーって鼻をすする琴音ちゃん。それは乙女としてどうなのか。
「……」
だが彼氏として、彼女が泣いているのを放置できない。
だから手を伸ばして、琴音ちゃんの頭を撫でた。彼女が泣き止むまで撫で続けた。それくらいの役得は、あってもいいと思うのだ。
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28.健気な彼女には幸せになってほしい
あー……、またやっちまった……。
冷静になれば自分のしでかしたことを自覚してしまう。頭なでなではイケメンにのみ許された技である。そんな技を、俺は琴音ちゃんに対して使ってしまった。
この技に名をつけるのなら、ナデポがぴったりであろう。効果は女の子の頭を撫でるだけで好感度がぐんぐん上がっていくというもの。何それバグってんじゃないの?
もう一度言うが、イケメンにのみ許された技である。残念ながら俺には適用されない。もしそんなことをやらかせば、あとで女子のネットワークに流されるだろう。勘違いキモ野郎として、ブラックリスト入り確実である。
「祐二先輩もう大丈夫です。ずっと頭を撫でてくれてありがとうございました」
と思っていたのだが、泣き止んだ琴音ちゃんからはお礼を言われてしまった。
無駄に格好つけてしまう俺の悪癖。それすら受け入れてくれる琴音ちゃんは本当に健気だ。
だからまあ、幸せになってほしいって、そう思っちゃったんだよなぁ。
※ ※ ※
琴音ちゃんの中でくすぶっていたこと。
言語化しづらいそれを、彼女はつっかえながらも話してくれた。
琴音ちゃん自身、誰かに話せるような上等な悩みだとは考えていなかったようだ。俺のくだらねえ話レベルに考えていたようだった。全然そんなことなかったけどな。
誰かから攻撃されたわけじゃない。ただ優劣をつけられて、自分がダメだって言われただけのこと。そう思ってしまっただけのこと。
ダメなのが自分なのだとしたら、変えなきゃいけないのは自分自身。自分よりも優れていた相手に文句を口にするだなんてお門違いにもほどがある。
本気で文句を言おうものならバッシングの嵐だろう。それは決して大げさな表現なんかじゃない。一致団結した人達ってのは強いのだ。よく言うだろ? ワンフォーオール……みたいなさ。
「そろそろ日が暮れてきたし、帰ろうか」
「そうですね」
琴音ちゃんの話を聞き終わる頃にはけっこういい時間になっていた。
「家まで送るぞ。彼氏だからな」
「……はい。よろしくお願いします」
今日は断られなかった。
ニッコリ笑う琴音ちゃん。そこにはもう下手くそだなんて口にできないほど可愛らしい笑顔があった。
公園を出る。茜色に染まる道を歩く。さっきまで違う世界にいたんじゃないかって思うくらい外は賑やかだった。
駅に行けばもっと賑やかで、仕事帰りの大人が大勢いた。将来は外出しなくてもいい仕事に就きたいものである。
電車に乗る。琴音ちゃんとおしゃべりして、無言になって、またおしゃべりした。他愛のない話ばかりをしていた。
気まずくならないおしゃべり。無言の時間ですら気まずさを感じない。なんだか自然に時間を過ごせていてちょっと驚く。
「ここで降りますよ」
そう琴音ちゃんが教えてくれる。初めてじゃないんだから覚えている。でも彼女を送るのは二回目だし、言葉にしてくれるのは琴音ちゃんの優しさだ。
駅から琴音ちゃんの家までは十分ほどだ。道だってちゃんと覚えている。
「……」
「……」
あと一つ曲がり角を曲がれば琴音ちゃんの家。そこまでたどり着いて、琴音ちゃんは足を止めなかった。
前に見送ることができたのはここまでだった。最後まで送らせてくれるってことか……。この変化はちょっと嬉しい。
「ここがあたしの家です」
琴音ちゃんに示されたのは普通の一軒家だった。
特別さは感じない。住宅地の中に溶け込んでいる。普通の家族が住んでいそうな、どこにでもありそうな家だ。
「えっと、家まで送ってくれてありがとうございました」
「おう。どういたしまして」
彼女を家まで送る。何事もなく完遂できてほっとした。
とか思った瞬間に、琴音ちゃん家の玄関が開いた。
「あらあら琴音。お帰りなさい」
現れたのは、ほんわか空気を視認できそうなくらいかもし出している美女だった。
なんだかものすごい色気……。抜群のプロポーションは藤咲さん以上のボリュームに見える。
どことなく顔立ちが琴音ちゃんと似ている。姉だろうか? 藤咲家が三姉妹だったとか聞いてないぞ。
「お母さんただいま」
琴音ちゃんが発した単語が俺の脳に浸透するまでけっこう時間がかかった。体感的には数秒どころではなかった。
今、「お母さん」と申されましたか?
目の前の美女が子持ちにはとても見えない。どんなに上に見積もっても二十代後半くらいだろう。
だが、琴音ちゃんの接し方が母親なのだと納得させられる。現代の神秘を目にした気分だ。
「それで、あなたは琴音のお友達かしら?」
ほんわかとした口調で尋ねられた。
相手はお母様である。ここはビシッと決めねばならないだろう。
背筋を伸ばして深呼吸。いざ! と口を開きかけた時だった。
「家の前で何をしているんだ?」
声は俺の後ろから聞こえた。
振り返らなくてもわかる。一度しか会ったことはないが、忘れるわけがない。
それに、目の前の琴音ちゃんの顔が強張った。
どうやら藤咲父が帰ってきたタイミングにピッタリ合ってしまったようだ。一〇〇%の遭遇率とか、お父様とは相性バッチリなのかもな。……嬉しくないけど。
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29.脅され彼女が好き
前門に彼女の母親、後門に彼女の父親。
つまり詰んだってことかもしれん。この状況に耐えられる彼氏くんがどれだけいるだろうか? いやいない。
目の前のお母様は美人であり、上品に微笑んでいらっしゃる。そこに「テメーが娘の彼氏だなんて認めるか、あーん?」などという物騒な意思はなさそうに見える。
この雰囲気を信じるのであれば、問題はお父様だけのはず……。
「夜分遅くにすみません。俺……いや、僕は会田祐二と申します。えっとー……あ、怪しい者ではありませんよ」
そう言って振り返れば、やっぱり藤咲父の姿がそこにあった。
スーツ姿の中年男性。帰宅したばかりだってのにくたびれた感じは全然していない。俺よりも背筋が伸びているほどだ。
彼は俺をチラリと見ただけで、すぐに視線を切った。
「何をしているんだ。早く家に入りなさい」
オイコラ無視してんじゃねえぞ!
顔を合わせたのはこれで二回目だぞ。しかも今回はあいさつまでしてんだよ。いくらなんでもスルーすんのはひどすぎるだろ!
内心とても憤慨しました! 頭に血が上ったせいでもう一人の俺が目覚めそうだ。俺の隠された闇人格を見せてやろうか。あーん?
「お父さん、祐二先輩を無視しないでよ」
俺の心の声が言葉になるよりも早く、琴音ちゃんが口を開いた。
「なんだと? 琴音、お前は俺に口答えするのか?」
そして琴音ちゃんのお父様は俺よりも短気だった。声色にイラ立ちを乗せるんじゃないよ。琴音ちゃんが震えてしまったじゃないか。
子供にとって父親は大きな存在だ。
俺も身体だけはそれなりに大きくなったつもりだが、やはりまだまだ子供だと思い知らされる。父さんがお小遣いをくれるからメイドカフェ通いができていたわけだしな。父親には感謝ばかりである。
だからといって、俺の父親と琴音ちゃんの父親は違う。違う存在で、まったく別人なのだ。
だから思い描いた父親像なんてものがあったとして、たぶん当てはまる人ばかりじゃない。実際に俺は藤咲父を父親らしくは思えなかった。まあすれ違った程度の接点しかない俺が何言ってんだって感じだがな。
「琴音ちゃんの言う通りですよ。人のあいさつを無視するなんて、いい大人なのに常識を疑われてしまいますよ」
「……あ?」
うん、ちょっと怖いね。
藤咲父に睨まれる。ここでようやくお父様と目が合った。もうこの人をお父様とか呼びたくないなぁ。
琴音ちゃんから少しだけ父親のことを聞いていた。たくさんの人から姉と比較されていたけれど、それを一番していたのはこいつだ。
父親という一番近くて信じられる存在のはずなのに、彼は琴音ちゃんに劣等感を与え続けた。
なぜこんなこともできない? 彩音は簡単にできていたぞ。お前は失敗作だ。どこで育て方を間違えたんだ。こんな結果しか出せないのか? もう琴音に期待するのはやめだ。せめて彩音の足を引っ張るのだけはやめてくれ……。
この父親が琴音ちゃんにどれだけの言葉を浴びせてきたのだろうか。彼女から聞けたのはほんの一部で……。それだけでも俺はドン引きした。
一言でまとめるなら「ないわー」である。
言葉を浴びせてきただなんてものじゃない。これはもう脅しである。
琴音ちゃんを脅して委縮させてきた。今いる場所を苦しくさせて、どこか遠くへ行きたいと思わせた。
娘を守る守らないって話ですらない。それは俺の抱いている父親像とは大きくかけ離れていた。
「初めまして。……いや、初めましてではないですが、とにかくもう一度ごあいさつしますね」
藤咲父から目を逸らさない。睨みつけられたって関係ない。
息を大きく吸う。倒れてしまわないように、腹に力を入れて言った。
「俺の名前は会田祐二! あんたの娘、藤咲琴音の彼氏だ!」
聞き違いなんて許さない。無視できない声量で言ってやった。
背後から息を呑む気配。それと嬉しそうな「あらあらまあまあ」という声が聞こえた。お母様はちょっと黙っていてくれないだろうか。
「……琴音、本当か?」
藤咲父は俺ではなく琴音ちゃんに顔を向ける。
「……うん、本当だよ。祐二先輩はあたしの……か、彼氏、だよ」
恥ずかしそうに、でもちゃんと言葉にしてくれた。やばい、感動してしまった。お母様の嬉しそうな「きゃー!」で台無しになりそうだったけどな。ほんとに口塞いでいてくれませんかね?
「君は何か得意なことでもあるのか?」
こっちに顔を戻してくれたと思ったら、そんな質問をされた。
何それ面接? 自己PRは自慢じゃないが苦手分野だぜ。
「いえ、得意と言えるものはないですね」
素直にそう答えると同時にバカにしたように鼻で笑われた。
「やっぱりな。第一印象からパッとしない男だと思っていたさ。顔も二流以下。こんな奴と付き合おうだなんて、琴音は男を見る目もなかったか」
バカにしたような、じゃなかったわ。ここまではっきりバカにされると清々しささえ感じるね。
ムカつきはないと言ったら嘘になるが、琴音ちゃんでさえ平気で罵倒する父親である。むしろこれで済んでいるのは他人だから加減しているのかと思ってみる。知らんけど。
「どんだけアンタ様が偉いのか知らねえですが、少なくとも俺の方が琴音ちゃんを好きだし、守ってやれるし、大事にできるね! その一点に関しちゃ、父親のあなたよりも俺の方が上だ!」
ずいっと一歩前に出て言い放った。
やっぱり滅茶苦茶イラついてたわ。反射的に口に出しちゃった。出したもんはしょうがないし、胸でも張っておこう。
時差でもあったのか、何秒か経ってから藤咲父の顔がみるみる赤くなった。
「貴様っ!」
「貴方」
藤咲父の怒号が響いてすぐに、優し気な呼びかけがそれを止めた。
声の主は琴音ちゃんの母親だ。本当に優し気な声で、声を張ったわけでもないのに怒った藤咲父を簡単に止めてしまった。
「これ以上はご近所に迷惑をかけてしまうわ。外では静かに、ね?」
なんだかお母様はしゃべるだけでも色気がすごいな。
その色気にやられてしまったのか、藤咲父はフンッと鼻を鳴らして俺の横を通り過ぎた。
「……」
そのまま琴音ちゃんとお母様を横切って、家の中へと入っていった。
結局、話し合いどころかあいさつもまともにできなかった。ていうか印象最悪すぎて前途多難どころの話じゃなくなった気がするんだけども……。
呆然と立ち尽くす俺に、琴音ちゃんが体当たりしてきた。格好つけたい俺の魂が意地でも倒れまいと踏ん張った。
「ゆ、祐二先輩っ」
「お、おう?」
うるうる目の琴音ちゃん。え、泣かないよね?
「あたし、祐二先輩の彼女です!」
何を言うかと思いきや、ただの事実確認だった。
ここは気の利いたセリフが求められているのか? いや、普通でいこう。事実確認されたのだから、俺が述べるのは事実だけでいい。
「ああ。俺は琴音ちゃんの彼氏だ」
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30.人は一面だけじゃ収まらない
夜。抱き合う男女。これだけのキーワードで期待が膨らみます。
まあ琴音ちゃんが俺に抱きついているだけなのだが。俺は彼女を抱きしめてはいないよ? だって、すぐそこでお母様が見ているんだもん。
「琴音、そろそろ家に入りなさい」
「えー」
唇を尖らせる琴音ちゃん。言われたことは父親と変わらないのに、態度が全然違っていた。
「あー、俺も帰らなきゃだから。琴音ちゃんも早く帰って勉強しなさい」
「なんで親みたいなこと言ったんですか!?」
いや、なんとなく。琴音ちゃんが子供っぽい一面を見せたのが悪いよ。
「もしなんかあったらすぐに連絡するんだぞ。すっ飛んできてやるからな」
「……うん。あたしには祐二先輩がついているもんね」
琴音ちゃんはニコニコというか、にまにました表情で家の中へと入っていった。
今すぐなんとかなる問題ではない。人様の家庭の問題だからな。琴音ちゃんの気持ちがすぐに変わるなんてことはないだろう。
でも俺は彼女の両親に、琴音ちゃんの彼氏だと伝えた。つまり味方ってことだ。もし家庭内暴力にでも訴えてみろ。それをネタに脅してやろう。俺には脅迫の前科があるからな。
「会田、祐二くん……。祐二くんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「よ、よろしいです!」
もう好きに呼んじゃってください! なんなら「ご主人様」でも可! ……我ながらメイドカフェに染まってんなぁ。
自分で自分の脳内発言に呆れていたら少し緊張がほぐれた。
目の前の美女は、今でもちょっと信じられないが琴音ちゃんの母親である。格好悪いところは見せられない。
さっきの父親とは別種の緊張感。穏やかに微笑んでいらっしゃるのに、嘘や誤魔化しは許されない雰囲気がある。
しばしお母様と見つめ合う。
たぶん、言葉を探しているんじゃないだろうか。そう思って待つことにした。俺から口を開く度胸がなかったわけじゃないのは知っての通りだ。
「琴音の、彼氏さんでよろしいでしょうか?」
そう確認された。
さっき俺が言ったことをこの人は聞いていたはずだ。なのに確認してきたのはなぜだ?
「はい。琴音ちゃん……いえ、僕が琴音さんの彼氏です」
はっきりと言葉にする。嘘は言っていない。期間限定の関係ではあるけどな。
ふっと、空気が緩んだ気がした。
「夫はああ言いましたが、琴音は私達にとって大事な娘です。祐二くんもあの子を大事に想ってくれるのなら……」
お母様は流れるような美しい動作で頭を下げた。
「これからも、琴音のことをよろしくお願いしますね」
返事をするのが一拍遅れてしまった。それだけ藤咲母の行動に意表を突かれた。
「はい、もちろんです」
でも、藤咲母の姿を見て、俺は安心したのだ。
俺が琴音ちゃんの恋人として認められたからじゃない。いや、それもあるけどそれだけじゃない。
琴音ちゃんは大事に想われていた。その事実を知ることができて、ちょっぴり安心できたのだ。
※ ※ ※
後日。
「これ、アイスコーヒー代です。お納めください」
「そんなの気にしなくてもいいのに……」
藤咲さんを呼び出して、払い忘れていた喫茶店でのアイスコーヒーの代金を差し出した。
彼女はおごってくれるつもりだったらしい。相手が井出なら気にすることでもないが、学園のアイドルとなれば話が別だ。誰かの耳にでも入ってみろ。吊し上げられるのは俺だ。
「それに、会田くんにはお礼を言いたいわ」
「なんで?」
いや本当になんでだよ。藤咲さんに何かした覚えはないぞ。
俺の疑問に構わず、彼女は言った。
「琴音の味方でいてくれてありがとう。お父さんの前でも変わらず味方でいてくれて、本当にありがとう」
「……まあ、彼氏なので」
真っすぐ感謝されるってのはなんだかくすぐったい。純粋な目で、恥ずかしげもなく言うんだからこっちが恥ずかしいっての。
琴音ちゃんから聞いた話。姉である藤咲さんはことあるごとに姉妹を比較する父親に対して「やめて」と言い続けていたのだそうだ。ずっと琴音ちゃんを身近で守ってきたのは藤咲さんである。
ただ、守られるだけで何もできない自分が嫌になった。姉に対して劣等感を抱いてしまう自分が嫌になった。だから姉は悪くないのだと、普段は仲良し姉妹で、憧れの姉なのだと言った。まあ今回は行き過ぎたところがあったのも事実なんだけどね、と笑ってもいた。
ちなみに、メイド服は無事に琴音ちゃんへと返却されたらしい。所持していた理由を問わないと約束もしてくれた。俺の性癖も不問ってことですかね? そこんとこの誤解は解かれているのだと信じたい。
「って、お父さんの前でもって……琴音ちゃんから聞いたのか?」
もしくはお母様から? どっちからにしてもあまり言いふらさないでほしいのだが。
「いえその……、家の前だったから、自分の部屋にいたのだけど聞こえてきたのよ。だって、あんなにも大きな声だったのだから仕方ないじゃないっ」
どうやらリアルタイムで聞かれていたようだ。同級生に、しかも彼女の姉に聞かれるとか、もう黒歴史確定じゃないかよ……。
「……あれだけの気持ちをぶつけられて、ちょっと羨ましかったわ」
「え、今なんか言った?」
「ううん、何も言っていないわ」
藤咲さんが笑った。その笑みは琴音ちゃんとよく似ていた。
やっぱり姉妹だなぁ。ほのぼのと眺めていたら、これはチャンスだと神の啓示が降りてきた。
「藤咲さん藤咲さん」
「何かしら?」
「俺とジャンケンをしよう」
「……はい?」
きょとんとする藤咲さん。油断しすぎである。
「じゃーんけーん」
「えっ、ちょっ、いきなり──」
「ぽんっ」
慌てて出された藤咲さんの手はグー。俺はパーだった。
「俺の、勝ちだ」
「か、勝ったからどうだっていうのよ?」
動揺している彼女に笑顔を向けてやる。藤咲姉妹とは似ても似つかない、ゲスの笑いってやつだ。
「琴音ちゃんに自慢するんだよ。君の彼氏はお姉ちゃんに勝った、てね」
「こんなことを?」
こんなことでいいんだよ。ちょっとの勝ち負けで一喜一憂できたら。それだけでちょっと楽しくなる。
「さて、勝負にも勝ったことだし、琴音ちゃんに報告を──」
「待ちなさい。今のはずるかったわ」
「ずるかったって……」
「だから、もう一度勝負よ」
藤咲さんの目は本気だった。遊びの目ではなかった。数多くの男子を魅了した目が、負けず嫌いの炎を燃やしていた。
「えー……」
こんなお姉ちゃんだったら確かに妹は苦労するよな。
学園のアイドル、藤咲彩音は思った以上に負けず嫌いだった。知ってよかった一面もあれば、知りたくなかった一面もある。そういうことを知って、俺は少しだけ大人になったのであった。
一区切りついたのでそろそろ終わりますね(予告完結)
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31.見られているとがんばりたくなる
ちょうど日付が変わった時間。小腹がすいたので、夜食を用意しようとキッチンへと向かう。
「おう祐二。こんな遅くまで勉強してたのか?」
「もちろんだよ父さん」
父さんとエンカウントしてしまった。いつ帰ってきたんだろう。気づかなかったってのは内緒にしておこう。
反射的にいい子の答えを口にしてしまった。明日は休みだと思って自室でゲーム三昧に明け暮れていただけだ。これでも受験生なのよね。
「父さんはこれからリフレッシュタイムですか」
父さんが手に持っている缶ビールとおつまみの数々。これからお楽しみの時間が始まるのだろう。ふっ、簡単な推理さ。
「おうよ。付き合うか?」
ニカッと笑う父。お世辞にも顔がいいとは言えないが、愛嬌を感じさせる笑顔が似合うおじさんである。
たまには父さんの相手でもしてやるか。俺ってば親子のコミュニケーションを大事にする息子の鑑だよな。
※ ※ ※
俺の父は某保険会社に勤めている。
仕事ではあっちへこっちへ駆けずり回って大変らしい。おかげで顔を合わせること自体が少なかったりする。
男手一つで俺を育ててくれた。とても感謝している。おかげでメイドカフェ通いができるほどお小遣いをもらっている。とても感謝している。
「父さんってさ、俺に期待していることとかってある?」
缶ビールをちびちび飲んでいる父さんに尋ねてみた。俺はおつまみに手をつける。バタピ美味しいです。
「なんだ急に?」
「親って子供に何か期待してんのかなって。そういう、友達の話を聞いたんだよ」
「ほーん……」
恋人の話だが、友達のことにしてしまった。さすがに親に紹介するのはまだ早い。
「俺の息子だからな。勉強だとかスポーツだとか、そういう学生の本分ってやつにはわざわざ期待なんかしてないから安心しろ。のびのび元気に育ってほしい。祐二に期待していることっていえばそんなもんだ」
「そっか」
「まあテストでいい点取ったら褒めてやるぞ。一〇〇点取ったら小遣い増やしてやろうか?」
「取れないと思って適当言いやがって。もし満点だったら今の倍にしてもらうからな」
がははと笑う父。おい、ちゃんと頷けよな。
正しい親がどんなのかは知らんけど、俺の父親が父さんでよかった。と、けっこう本気で思っている。
「まあ俺は勉強を見てやれんが、祐二の目標に近づく進路を選べばいいと思ってるよ」
「進路……」
あんまり勉強してないし、そもそも勉強するのが苦手だし。進路をまともに考えていない受験生ではあるけれど、もう少し安心させられるくらいはがんばろうかな。
「俺、勉強するよ」
「おう、がんばれよ息子。ほどほどにな」
「おうよ。父さんもほどほどにして早く寝ろよな」
自室へと戻る。つけっぱなしのゲームを切って、机に向かった。
俺のがんばりを見てくれる人は少ない。だが父さんはもちろん、琴音ちゃんだって見てくれるだろう。ならもうちょっとがんばろう。
「そのためにも、今度また琴音ちゃんがいる時にメイドカフェで勉強しようっと」
そう脳内スケジュールに書き込んだ。そして勉強している俺を彼女に褒めてもらうのだ。
※ ※ ※
琴音ちゃんとは毎日メッセージのやり取りをしている。
彼女の父親にけっこうな無礼を働いた自覚はしていただけに心配だったが、想像と違って家庭内は穏やかなものらしい。
別に父親と仲良くなったわけではないが、琴音ちゃんへの暴言が格段に減ったのだとか。家に居づらくなった、という状況にならなくて安心する。
だが、新たな問題が浮き彫りになり始めていた。
それは七月に入って、そろそろ期末試験を意識する時期のこと。
「なあ祐二。藤咲さんの妹と付き合っている君に、言わなきゃならないことがあるんだ」
井出が恨みがましい声でそんなことを言ったのが始まりだった。説明口調からは他意を感じる。
さすがにあれだけ琴音ちゃんに関わっていたら、周りから恋人認定されてもおかしくない。
なんとか俺に彼女ができたことを受け入れられた井出ではあったが、現実を受け入れることと腹が立つのは別のこと。俺だって、井出が可愛い彼女ができたとか言い出していたらグーパンチの一つも喰らわせてやりたくなっていただろう。
「今度僕にも彼女が作れるよう協力してくれよ!」と懇願された時には広い心で了承した。彼女ができると心にゆとりが生まれるのだ。友人として、井出にもそれを理解してほしいね。
「言わなきゃならないことって?」
脳内で井出相手にマウントを取って上機嫌になる俺。
そういうことを考えていたから罰が当たったのかもしれない。
井出は声を潜めて、俺にしか聞こえないように注意しながら言った。
「藤咲琴音がバイトしている。と、うわさが流れているんだ」
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32.たくましくなった彼女
俺達が通う学園はバイト禁止である。
この校則があったからこそ、俺はメイドカフェでバイトしている琴音ちゃんを彼女になるようにと脅せたのだ。
だが、本当にばれてしまえば大変なことになる。だからこそ脅しに使えるネタだった。だからこそ、ばれてはならない事実だった。
「あー、あたしのクラスでもうわさになってましたね」
「マジで!?」
井出から聞いた情報。琴音ちゃんがバイトしていることがうわさになっていると教えたが、当の本人はあっけらかんとしたものだった。
「まあ、うわさを流した張本人はわかっているんですけどねー」
「マジで!?」
それは俺にとって新事実だった。
「だ、誰なんだよ? そもそもなんでこんなうわさを流したんだ」
そして、けっこうやばい事実を暴露されている当人はなんで焦っていないんだ?
「えーと、一から説明しますね」
苦笑いしながら琴音ちゃんが事の顛末を語ってくれた。
そう、この問題はすでに終わっていることである。
つい先日、琴音ちゃんがバイトしているメイドカフェに一人の男子がやってきた。
その男子は同じ学園の生徒だった。さらに言えばクラスは違うものの、琴音ちゃんとは同学年だった。
「その人とは選択授業が同じでして、顔見知りだったのですぐにあたしだってばれちゃったんですよね」
エンカウントした瞬間に大ピンチである。
「それから声をかけられてしまいまして。『話があるから少し時間をくれ』、と」
「で、ついて行ったのか?」
「ええまあ……、行きましたね」
だから琴音ちゃん! 君は脇が甘いんだよ!
美少女の弱みを握った男なんて簡単に野獣と化すんだからな。まったく、男なんざロクな奴がいねえよ。
「それで話を切り出されたんですが、『バイトしていることをばらされたくなければ俺のいいなり奴隷になれ』と言われまして」
「マジでロクな奴じゃなかった!?」
何そいつ鬼畜じゃんか。さすがの俺もびっくりだよ。きっと生まれた世界を間違えてしまったのだろう。
せめて「俺の彼女になってください!」くらいならまだ可愛げがあったよ。そのくらいなら笑顔で右ストレートを叩き込むくらいで許してやれたってのにな。
「えーっと……それで、琴音ちゃんはなんて返したの?」
「とりあえず店長に報告しました」
「報告したんだ!?」
いやまあ、相手の鬼畜さを考えると一人で対峙するのは悪手か。
でも弱みを握られたのは確かだ。それなのに、よくすぐに助けを求められたものだ。
「店長がその人と話し合いをしてくれてですね、すぐに帰ってくれたんですよ。店長も『しっかり話し合いができましたからね。もう大丈夫ですよ』って言ってくれたから安心しちゃってました」
店長さんも従業員をかばってくれるところまではいいが、詰めが甘いな。なんとなく汗っかきでにやけ顔をした中年男だと予想する。
「あたしが拒否したからでしょうね。その人は何人かにあたしがバイトしていることを言いました」
「本格的にまずいな」
「なのでお姉ちゃんを使いました」
「ん?」
琴音ちゃんによれば、藤咲彩音の名前を使ったとのことだ。
学園のアイドルの影響力は凄まじいという言葉すら生ぬるい。この学園では藤咲さんが白と言えば、たとえ黒いものでも白となるだろう。まあ本人はそんな横暴なことしたことないだろうが。
「そんなわけで、あたしを陥れようとしている悪い人。その人の評価はガクンと落ちちゃいましたね」
しかも生活指導の先生にこってり絞られたのだとか。周囲から責められ続けた彼の牙はぽっきり折れてしまったらしい。
琴音ちゃんに向けられた毒牙がなくなったのは一安心だ。だが琴音ちゃんがけっこうな悪女ムーブをしてた気がする。お願いだからゲス顔を浮かべるのだけはやめておくれ。
「でも弱みを握られているのは変わらないだろ? 仕事先までばれているんだから、また何しでかすかわかんないぞ」
「それなら大丈夫ですよ」
自信満々な琴音ちゃん。何か秘策でもあるのだろうか?
「その人と会った日が、あたしがバイトする最後の日でしたからね」
……ん?
「琴音ちゃん琴音ちゃん」
「なんですか祐二先輩?」
「今さ、琴音ちゃんがバイト最後って言った気がするんだけども」
「そうですよ。あたし、バイト辞めました」
「え、何それ聞いてない」
「言ってませんからね」
え、いや、あれ、え……?
戸惑う俺。対する琴音ちゃんは頬を朱に染めた。なぜだ。
「だって、もうバイトする必要ないですし」
琴音ちゃんが校則で禁止されているバイトをしていた理由。それは彼女の口から聞いていた。
家に居づらかった。友達の輪に入りづらかった。それから、早く自立してどこかへ行ってしまいたかった。
琴音ちゃんは自分を浅はかだと笑った。行動の理由は全部姉へのコンプレックスからで、それから逃れられる術は大人になっても理解できる保証はない。
「そっか」
だから、バイトを辞めたというのなら、琴音ちゃんの中で何かが変わったのだろう。
無理も無茶もしなくていいのだと、自分に言ってあげられるようになったのだろう。
「それにしてもすげえな。脅してくる相手によく一人で対処できたもんだ」
井出からの情報は遅れてたってことか。一応その残りカスとなったうわさも井出が対処してくれていたりする。初めて友達の能力に感謝した。
あれ、今回本当に俺って何もしてないぞ。というか井出の方が役に立ったと言ってもいい。自分の存在意義を見失いそうだ。
「ふふっ、だって脅されたのは初めてじゃないですしね。それに、あたしには心強い後ろ盾がありますから」
「んー、後ろ盾って藤咲さんのこと?」
「違いますよ。祐二先輩のことです」
真っすぐ見つめてくる瞳。そこには俺の顔が映し出されていた。
「それは……、薄っぺらい盾じゃないか?」
「あたしにとっては大きくて、硬くて、分厚くて、丈夫で、立派な……素敵な盾ですよ」
大きな信頼だ。初めて人から向けられた信頼。心を預けられるというのは、こんなにも気恥ずかしいものなのだと初めて知った。
強い気持ちに顔を逸らしてしまいそうになる。それ以上に、彼女を見つめていたかった。
そのためには、言わなければならないことがある。
「あのさ、話があるんだけど……」
琴音ちゃんは俺を見つめている。喉を鳴らし、続きを口にした。
「俺の彼女になってくれ。最初にそう言った時に、期間限定って言ったよな。夏休み前まででいいって……」
もう七月だ。
期末試験が終われば夏休みまですぐだ。それどころか、琴音ちゃんはメイドカフェでのバイトを辞めてしまっている。俺が彼女を脅せるネタは、もうないってことだ。
だとしても、伝えたいことがある。
「その、期間限定じゃなくて……えっと……俺の彼女になってくれる件だけど、無期限にしてくれないかな?」
自分でも情けないほど声が震えていた。
でも、一度は諦めた誰かに選ばれたいという気持ち。それがまた芽生えたのだからしょうがない。いや、名前のない誰かなんかじゃなく、琴音ちゃんに選ばれたいと、本気で思ったのだ。
だから口にせずにはいられなかった。図々しいと自覚しながらも、彼女を求めてしまったのだ。
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33.心から彼女に脅されたい(終)
サラサラの亜麻色の長い髪をツインテールにした後輩。健気で可愛くて、とても繊細でたくましい、俺の彼女。
それが藤咲琴音である。
最初は、美少女と付き合う思い出が作れたらいい、そんな程度の軽い気持ちだった。わりとゲスな考えである。
だが、実際に付き合ってみたら楽しくて、彼女との日々を捨て去るのが惜しくなってしまった。なるほど、恋人を作ってリア充になりたがる奴が多いのも納得だ。
「……」
黙って琴音ちゃんの返事を待つ。
たぶん十秒も経っていないってのに、もう心が焦ってしょうがない。
男は忍耐が大切だ。焦る男はみっともない。明鏡止水の精神だ!
そんな内心が読まれたのか、琴音ちゃんがくすりと笑う。
「……メイドカフェでバイトして気づいたんですけど、あたしって人が喜んでくれることが好きなんですよ」
メイドとして働いた琴音ちゃん。
彼女の接客に心がこもっていることは知っている。何度も通って見てきたからな。他の客の要望に笑顔で応えていたのを見てもいた。ちょっと嫉妬心が芽生えてしまってもいた。
琴音ちゃんのご奉仕精神は本物だ。きっとバイトしている時はわだかまりとか何もかもを忘れていたに違いない。そう思わせてくれる笑顔だったから。
「でも今は、誰も彼もじゃなくて、祐二先輩が喜んでくれるのが一番です」
「えっと……」
「だから、ですね……」
少しだけ言い淀み、でも次の瞬間にははっきりと言ってくれた。
「こちらこそ……これからも恋人として、よろしくお願いしますね」
琴音ちゃんが満面の笑顔になった。彼女自身、とても嬉しそうだ。
「い、いいのか?」
「はい?」
琴音ちゃんはとてもいい子だ。俺には勿体なさすぎるほどに。
そう考えると今さらながら不安が押し寄せてきた。
「正直俺は琴音ちゃんに釣り合わないと思う……。顔がいいわけじゃないし、得意なことだってない……。琴音ちゃんならもっと、脅しなんかもちろんしないすげえいい男が言い寄ってくるだろうし──」
「なんでそこで自信なさげなんですか!?」
いや、だってさ……。わかるだろ? いやわかんねえか。俺だって繊細だってことだ。
本当にいいのかなって。脅迫から始まった関係だし。間違った関係からは正しい答えは出ない気がしてきたんだよ。
「祐二先輩はいつも通りでいいんですよ。当たり前の顔をして変なことを言う。普通に恥ずかしがられるとこっちまで恥ずかしくなるじゃないですか」
「は、恥ずかしがってなんかないわっ」
恥ずかしがってはいない……が、複雑な男心をわかってほしいものだ。
琴音ちゃんはじーっと俺を見つめて、ぽん、と手を叩いた。
「そっか。祐二先輩には脅しが必要なんですね」
「え、何言って──」
琴音ちゃんは元運動部である。つまり身体能力が高いのだ。
純粋培養の帰宅部である俺に勝ち目なんぞなかった。もう反射速度が全然違っていたね。
「ていっ」
そのかけ声と同時に終わっていた。
琴音ちゃんは素早く俺に接近した。そして、かけ声とともに唇にふにゅんと柔らかい感触が広がった。
さらにはパシャリッとシャッター音。琴音ちゃんの手にはスマホがあり、写真を撮られたのだと理解する。
「……え?」
琴音ちゃんの顔が離れていく。……顔?
接近していた琴音ちゃんの顔。唇に当たった柔らかい感触。そしてシャッター音。この三つのヒントで謎はすべて解けた!
「俺……キスされちゃいました?」
「……しちゃいました」
真っ赤な顔の琴音ちゃん。彼女の初々しい反応が事実だと教えてくれた。
「証拠もバッチリです!」
見せられたスマホの画面には、俺が琴音ちゃんにキスをされた瞬間がくっきり映し出されていた。
油断しきった俺の顔。そして真っ赤な顔で目をつむっている琴音ちゃんの顔。なんともまあ、締まらないファーストキスである。
「こ、これを誰かに見せられたくなければですね……ああ、あたしの彼氏になってください!」
まさかの脅迫だった。
よく考えなくても脅しにはなっていない。この写真に俺にとっての不都合は何もない。
なんとも脅し下手な彼女だ。まあ、そういうところも好きなんだけどな。
「ああ、これからもよろしくな。俺の彼女」
彼女の手を取って、満面の笑みを浮かべて言ってやった。もう笑顔が止まらなかったね。
琴音ちゃんは真っ赤な顔のままで、恥ずかしそうに、でも嬉しそうにしてくれた。
「はいっ。祐二先輩……大好きです!」
本当に可愛くて健気で繊細でたくましい女の子だ。
彼女が琴音ちゃんだったから、俺はこの幸せを大切にしたいと心から思ったのだ。
純愛ルート(?)に突入しましたので、ここで完結となります!
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34.おまけ編 彼女持ちとなった俺、初めての夏休みを迎える
夏休み。彼女ができて初めての長期休みを迎えた。
学生最大の長期休暇である。遊園地に映画館、動物園に水族館、海や山もいいよな。もちろん夏祭りは欠かせない。夏はデートスポットが目白押しだ。どこへ行こうかと迷ってしまう。嬉しい悲鳴ってやつだね。
「は? 祐二先輩、何言っているんですか?」
「え?」
夏休みのデートプランを話し合おうと、正真正銘俺の彼女である琴音ちゃんに切り出してみた。
しかし返ってきたのは冷ややかな目。あれ、恋人に向ける目じゃないですよ?
「祐二先輩はわかってないようですね。むしろ危機感なさすぎてあたし心配ですよ」
「え、何が?」
マジでわからん。俺ってば何かやっちゃった?
疑問が顔に出たからなのか、琴音ちゃんは頭を抱えた。頭痛だろうか。夏風邪はバカが引くと聞くし、琴音ちゃんには健康でいてもらいたいものだ。
「祐二先輩には受験勉強があるでしょ!」
な、なんだってぇーーっ!?
よく考えなくても俺は高校三年生。大学受験を控えた受験生であった。
「でもせっかくの夏休みだし……琴音ちゃんと遊びたいし……初めて彼女ができてからの夏だし……」
「そ、そんな顔しないでくださいよ。あたしも勉強見てあげますから」
後輩にこんなことを言われてしまうとは……。先輩としてのプライドがない俺に恥ずかしく思う心はなかった。彼女といっしょに勉強ってのもいいシチュエーションだよな。
そんなわけで俺が考えたデートプランはことごとく却下された。悲しい。
※ ※ ※
夏休み初日から俺の家で勉強することになった。
琴音ちゃんも俺の家に来て自分の課題を片付けている。
「それはいいんだけどさ」
「なんですか?」
「なんでまたメイド服?」
琴音ちゃんは俺の家に来てすぐにメイド服へと着替えてしまった。しかも髪型をツインテールから三つ編みを混ぜたサイドテールに変えてきた。けっこう印象が変わるなぁ。
「祐二先輩が……」
琴音ちゃんがはっとして、咳払いをしてから言い直した。
「祐二様がやる気を出してくれるかなと思いまして」
メイドモードになった琴音ちゃん。いくら俺がメイド好きだからって単純に考えられたものだ。
まったく、俺だってそこまで単純な奴じゃないっての。
「ふふっ、やる気になってくれているようで嬉しいです」
「そ、そんなことねえしっ」
気がついたら課題が一つ終わっていた。あれ、あんなにも問題数があったはずなのにな?
さすがに一年の琴音ちゃんが三年の俺に教えられるはずもなく、それぞれ自分の勉強に集中していた。
何気に、誰かと勉強会なんかするのは初めてだ。
こういうのって友達グループとおしゃべりしながら勉強しているイメージだった。いやいや、しゃべりながらとか勉強できないだろ、と思ったものである。
「……」
「……」
俺達は雑談もせず、ただただ黙々と勉強に集中していた。
勉強するだけなら間違ってないんだろう。でもさ、わざわざ恋人とするようなことでもない気がするのは俺だけだろうか?
せっかくだしイチャイチャしたいね。家で彼女と二人きりなんだからさ。
勉強しながら、メイド姿の琴音ちゃんを眺めてはリフレッシュする。それを繰り返していると、なぜだか勉強が捗った。
「そろそろ休憩しましょう。お茶でも飲みますか?」
二時間後。ようやく休憩時間となった。
琴音ちゃんが麦茶を持ってきてくれた。俺の家だってのにもう慣れたものである。さすがはメイドだ。
「ぷっはー! 頭使った後に飲む茶はうめーぜ!」
冷蔵庫で冷やされた飲み物って最高だね。疲れた身体に染み渡るぜ。
「祐二様祐二様」
「どうしたの琴音ちゃん」
琴音ちゃんは正座して自分の太ももをぽんぽんと叩いた。
「休憩されますか?」
その仕草で彼女が意図することが伝わった。
つまり、膝枕である!
い、いいのか!? そんなリア充イベントやっちゃっていいんですか!?
と、考えてから自分が彼女持ちのリア充状態だと思い出した。素晴らしいステータス異常である。
「休憩するー」
ゴロンと横になる。頭は琴音ちゃんの膝の上。後頭部に当たる感触が心地いい。
勉強で溜まった脳の疲労が抜けていくようだ。あ~、極楽~。
「今日の祐二様は勉強がんばりましたねー」
そう言って琴音ちゃんが頭を撫でてくれる。
何この子、超甘やかしてくれるんだけど!
後輩なのに先輩を甘やかしてくれるとは……。これもメイドカフェで鍛えられたご奉仕精神からなのかもしれない。
「なんかさ、俺って勉強嫌いなんだけど、琴音ちゃんといっしょに勉強しているとすごく捗ったよ」
「あたしもです。一人でやるよりも二人の方が捗りますね。大発見してしまいました」
俺達は笑い合った。こんな俺だけど、琴音ちゃんとは不思議と波長が合う。
「気になってたんだけどさ」
「なんですか?」
「今日はなんで髪型変えてたの?」
亜麻色の髪が結ばれてサイドテールになっている。触ってみれば、見た目通りのサラサラな手触りだった。
「髪型を変えたら祐二先輩に『可愛い』と言ってもらえると思いまして……」
え、そんな狙いがあったのか!?
やべーよ。俺「可愛い」どころか今の今まで髪型変わったって突っ込みすら入れてねえよ。なんでだろう? とは思ってたんだよ。口にしなかっただけでさ。
「か、可愛いぜ琴音ちゃん……」
「はいっ、褒めてくれてありがとうございます!」
今さらな褒め言葉だってのに、琴音ちゃんは満面の笑顔になってくれた。
やっぱり琴音ちゃんは健気で可愛い。こんな子に膝枕されてイチャイチャしているだなんて……俺ってば幸せすぎて大変なことになったりしないかな?
「祐二様も、勉強している姿が格好よかったですよ」
「そ、そうかな?」
もうちょっと勉強したくなってきた。琴音ちゃんの前なら苦手な勉強だってしたくなるものらしい。
「それに、この時間が祐二様の将来に関わっていると思うと、なんだか嬉しいんです」
俺の将来。どこの大学に進学するかで俺の将来は変わってくるだろう。
それを琴音ちゃんは気にしてくれている。
「ありがとな琴音ちゃん……」
自分を気にしてくれている人がいる。それってけっこう幸せなことなのかもしれない。
照れ笑いを浮かべる琴音ちゃん。それはとても優しい表情だ。
「……」
次第に甘い空気が流れていく。
いろんな意味でやばい体勢で、俺と琴音ちゃんは見つめ合う。
俺を見下ろす琴音ちゃんの目はとても優しい。視線だけでくすぐったくなるレベル。
「……」
言葉を交わさずに意思疎通ができたのか。琴音ちゃんの顔が徐々に迫ってくる。
メイドに膝枕されている俺はただ寝転がっているだけ。琴音ちゃんの行為をただ待ち望んでいた。
「……っ」
互いの息が触れ合う距離まで近づいた。
胸がドキドキする。つーか胸が苦しい。声には出さないが、ゆっくりと近づく琴音ちゃんの動きがじれったかった。
こ、ここは俺も動いた方がいいのか? いやでも膝枕されてるし……。年上として余裕を持っていた方がいいんじゃないだろうか?
「ただいまー」
「「っ!?」」
俺と琴音ちゃんは同時に飛び上がった。
父さんが帰宅したのである。いつも遅い時間に帰ってくるってのに、今日に限って早いお帰りだった。
「や、やべっ! 父さん帰ってきちゃったよっ」
「あ、あたしメイド服なんですけど! どどど、どうしましょう!?」
二人揃ってあたふたしてしまう。その間にも父さんの足音が近づいてきていた。
初彼女を父親に紹介するというイベントまで、あと五秒。三、二、一…………。
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35.おまけ編 触れ合いですらないきっかけ
あたしが高等部に上がってすぐのこと。
球技大会が行われることになった。新しいクラスの人達との親睦を深める目的があるのだとか。楽しそうに騒いでいる男子達はもう仲が良さそう。
でも球技大会は一年生だけじゃなくて、二年生や三年生の上級生も参加する。年下のあたし達が簡単に勝てるものではなかった。
「負けちゃったー」
「あとちょっとだったのにねー」
「惜しかったねー」
クラスのみんなで慰め合う。まあこんなもんだよねー……。
早くも試合に負けたあたし達は他の競技の応援に行くことにした。男子も女子もいくつかの球技に分かれている。
「ねえねえっ、男子の応援に行こうよ!」
友達の一人がそう提案した。
とくに観に行きたい試合があるわけでもなかったので考えもなく頷いた。
女子グループで固まって体育館に移動する。試合には負けたけど、友達と仲良くなれたからいいかな。
様々な球技が行われている。今あたし達が向かっている体育館では男子がバスケをしていた。
「バスケは
その情報にみんなが色めき立つ。
深沢くんはクラスで一番格好いいとうわさされている男子だ。背が高くて運動もできるらしい。あたしが知っているのはそれくらいかな。
「深沢くんが出てるなら早く行かなきゃね。みんな急ごうよ」
みんなの雰囲気に乗ってそんなことを言ってみる。言葉は間違えなかったみたいで、あたし達は小走りで目的の体育館へと急いだ。
体育館にたどり着くと盛り上がっている声が聞こえてきた。観客は思ったよりも多い。
「やばっ。あの人も格好いい」
「背が高くて運動できる男子っていいよねー」
「あの先輩彼氏にしたーい」
二階の観客席から試合に出ている男子を見ては黄色い声を上げる。あたしはそれに笑顔で対応する。
スポーツって活躍している人がとてもキラキラ輝いている。それに魅了されるのは自然な感情だ。
それはプレーしている人達ほど感じられるのかもしれない。
一般的な体育のレベルで、バスケのような球技だと点を入れる人が限られてくる。それはもちろんキラキラ輝ける人。そんな人にボールが集まるからさらに注目を集めていく。
パスを出した人、ディフェンスをがんばった人。様々なことでチームに貢献したとしても、一番輝いた人ばかりが評価される。
「きゃー! あの先輩またシュート決めたわ!」
これが当たり前の評価。そうして決められた人ばかりが喝采を浴びるようにできている。
みんなが盛り上がっている中、あたしは一歩退く。
「琴音?」
「……お姉ちゃん?」
気づけば隣にお姉ちゃんがいた。
「え、藤咲先輩?」
「マジ? ものすっごい美人なんですけど……」
「髪長くて超綺麗……肌きめ細やかすぎ……」
お姉ちゃんの存在に気づかれただけでこの騒ぎ。周囲の注目が当然のように集まる。
藤咲彩音。みんなが憧れる女の子。それがあたしのお姉ちゃんだ。
観客席にいる人だけじゃなく、試合中の男子達ですらお姉ちゃんの方を向いている。こんな光景を、あたしは見慣れてしまっていた。
「お姉ちゃんはどうしてここへ?」
「クラスメートの応援に来たのよ」
ほら、とコートを指差す。お姉ちゃんに見られているとわかってか、男子が今までよりも張り切ってプレーする。
体育館が異様な雰囲気へと変わった。それがたった一人の女の子の存在からって、見慣れたとはいえ変な感じは変わらない。
お姉ちゃんのクラスの人達は順調に勝ち進んだ。みんなが騒いでいた先輩男子はお姉ちゃんのクラスの人だと知った。
背が高くて運動ができて顔も格好いい先輩。それでもお姉ちゃんと並べばかすんでしまうだろう。
「ね、ねえ、琴音ちゃんは藤咲先輩の妹だったよね?」
そんなキラキラ輝いている姉と比べられ続けるのは、けっこうしんどい……。
「ほら、みんなが応援しなかったから深沢くん負けちゃったよ」
「あっ、あー……残念」
「でも深沢くん一年だけど先輩相手にもがんばったよね」
「そうそう、惜しかったって」
あたし達のクラスの男子は深沢くんばかりの応援だった。声には出せなかったけれど、ちゃんと他の人もがんばっていた。
そうこうしていると、お姉ちゃんのクラスの試合が始まった。
「あ、あのっ、……あの先輩のお名前を教えてもらってもいいですか?」
友達の一人がお姉ちゃんに話しかけた。他の子は緊張した面持ちで見つめている。
あの先輩……。お姉ちゃんのクラスの男子で、格好良くて一番シュートを決めている人だ。みんながそう言っていた。
「あれは
「へ、へぇー……藤咲先輩は岡田先輩と仲良かったり?」
お姉ちゃんに見つめられるだけで彼女の緊張が強まった。
「いいえ、特別仲が良いというわけではないわね」
「そ、そうなんですねっ」
声が裏返りながらもこっそりガッツポーズしていた。もしお姉ちゃんがライバルだったら簡単に諦めていたのかもしれない。
「「「岡田先輩! がんばってぇーー!!」」」
友達は声をそろえて声援を送る。その岡田先輩は慣れたように手を挙げて応えた。
「琴音のクラスは負けてしまったようだけれど、他の球技の応援には行かないの?」
「うん。みんなバスケの試合が観たいからね」
「そう……」
みんな応援に夢中だし、あたしが休憩していても気にしないだろう。
応援に混じらずぼーっと試合に目を向ける。上級生同士の試合だからか迫力が違っていた。
「……」
彼の存在に気づけたのは奇跡的だったのかもしれない。
相変わらずシュートを決められる人ばかりが目立っていて、岡田先輩なんかはその中でも一番活躍しているように観られているだろう。
チームの誰もが岡田先輩にパスを出していて、どんなにマークがつけられようとも変わらない。強引にパスしても決められる力が先輩にはあったから。
でも、あたしは岡田先輩とは別の人に目が離せないでいた。
決して目立っているわけじゃない。だけど、みんなが面倒で諦めてしまうこぼれ球を確実に取ってチームに貢献している人がいた。
その人は背が高いわけでもなく、運動ができるって感じでもない。失礼ながら華やかさとは無縁の外見だと思った。
「ヘイパス!」
岡田先輩がパスを求める。先輩にはすでに二人もマークがついていた。
彼はそれを気にしたのか。他の男子にパスを出した。ノーマークだったから簡単にパスが通った。
普通の状況なら何もおかしなプレーではない。でも、ずっと岡田先輩にばかりパスが集中していたことを思えば異常だった。
この空気に逆らったプレーをできる人が、この場にどれだけいるのだろうか? 素人には難しい。あたしはそう感じた。
彼はその後も岡田先輩にパスを出さなかった。
そのおかげか岡田先輩へのマークが緩んでいった。得点源が抑え込まれることなく、お姉ちゃんのクラスは勝利した。
「やばいやばいやばい! 岡田先輩格好良すぎ!」
「岡田先輩のおかげで勝ったようなもんだもんね!」
こういった評価が当たり前で、誰もがキラキラ輝いている人からは目を逸らせない。
だから、そんな注目されている岡田先輩を一切気にせず、自分の仕事をこなした彼が本当にすごいと思った。
「お姉ちゃん……あの人……」
横を向けばお姉ちゃんの姿はなかった。勝った男子を褒めてあげに行ったのかもしれない。
「……あの人の名前、聞きそびれちゃったな」
キラキラ輝いたりしない彼の小さな貢献は、あたしの中で確かな存在となっていた。
さっきはどんな気持ちでプレーしてたのか。どんな考えがあったのか。彼の口から聞いてみたかった。
あの先輩と話してみたい。ただの興味かもしれないけれど、彼と接してみたいと思ったんだ。
それがまさか、その彼があたしを脅して彼女になってくれと言うだなんて、この時のあたしは思ってもみなかったんだ。
他キャラ視点はおまけですねー(すっとぼけ)
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36.おまけ編 彩音の変化【挿絵あり】
難攻不落の藤咲彩音。自分がそう呼ばれていることを彩音は知っていた。
その呼び名の由来は異性からの告白をすべて断ってきたからだ。相手の容姿が優れていようが、高い能力を持っていようが関係ない。どんな人気者であろうとも彩音が首を縦に振ることはなかった。
別に男に興味がないということではない。彩音だって人並みに異性に興味はある。
「だよねー。だって夜な夜なお姉ちゃんはあんなことして──もがっ」
妹の発言は関係ない。事実に反した情報を発しようとする口を強引に閉じさせる。
それはともかくとして、彩音が告白された数は数え切れないほどだ。それだけの人数がいれば「ちょっと付き合ってもいいかな?」と興味を持つ男子がいたこともあった。
それでも彩音は告白を受けることはなかった。ただ一人として受けたことはない。
学園のアイドル藤咲彩音は、見事に彼氏いない歴=年齢の少女であり続けた。
「彩音、お前はその辺の連中とは違う。俺の娘らしく優秀だ。だから結婚相手は俺が優秀な男を連れてきてやる」
父の命令に、彩音は首肯した。
父に可愛がられている。彩音にはそんな実感はなかった。本人はそのつもりなのかもしれないが、これで可愛がられていると言ったら愛情という概念を疑わなければならない。
優秀な娘という肩書。大事なのは他人に誇れる存在。偉い人の目を引ければそれでいい。
求められているのはそれだけだ。父親は自分を利用しようとしているだけだ。幼い頃から彩音は父親に対してそんな認識をしていた。
それは妹の琴音との格差からでもわかる。娘だから愛されている。そんな風に考えろという方が無理な話だった。
それでも父には逆らえなかった。
もし自分が断ってしまったら? 代わりに琴音が利用されてしまうかもしれない。姉として、そんなことは看過できなかった。
「彩音……もちろん琴音も、二人には自由で幸せになってほしいわ。二人とも私の大切な娘ですもの」
母は優しく抱きしめてくれた。とても優しく、愛おしさが伝わるほどに。
それは母も自由がほしかったからかもしれない。許嫁を決められ、そこに自由意志はなかったのだろう。
恋をしたかった。きっと母もそんな願望があったのだ。
いつまでも難攻不落でいたいわけじゃない。でも、やはり父の命令に逆らえるだけの心がなかった。
「藤咲さんの理想の男ってどんなのだよ?」
「私の理想……?」
同じクラスの男子、会田祐二にそんなことを何気なく尋ねられた。
妹の琴音と付き合っている男子。彩音に告白したことのある男子の一人ではあるが、自然体で接するようになっていた。
琴音のことで情報交換していたら、いつの間にか一番話せる異性になっていた。もちろん恋愛感情はない。琴音のことがある以上に、彩音にとって祐二は理想の男性像にかすりもしないからだ。
「誰とも付き合わないし、どんな王子様を待っているのかと思うだろ」
「私そんな夢見がちじゃないわよ」
むしろ現実主義だからこそ誰とも付き合えないでいる。少なくとも彩音はそう思っていた。
でも、父の命令なんて関係なく、もし自分の理想だけを求められたら……。
「そうね……強引な人がいいかも……」
「強引? なんか意外な答えだな」
「そうかもしれないわね」
自由で幸せになれるように。そんなところへ強引に連れ出してもらいたい。彩音は理想の光景を思い描いた。
※ ※ ※
「お姉ちゃんが思ってるほどお父さんに強制力なんかないよ」
琴音は彩音の考えをバッサリと叩き切った。
「婚約者を連れてくる? 今時そんなの流行んないし」
「う、うん……まあね」
「それに、お姉ちゃんが断ったからってあたしは代わりにはならないよ」
琴音は頬を染めながら、胸を張って言った。
「あたしには祐二先輩という彼氏がいるんだからね!」
琴音は自分に自信が持てない女の子だった。
それが恋をしてここまで変わるのか。彩音は妹の態度に羨ましくなった。
「だからお姉ちゃんも気にしなくていいんだよ。お父さんに、あたしに気を遣っているせいで恋愛をしないってのは、なんかあたしも嫌だよ……」
「……うん」
琴音は本当に強くなった。姉が支える必要なんてないほどに。
少し寂しくはある。それでも彩音は琴音の変化に喜びを感じていた。
「私、がんばってみるわ。自分の気持ちに正直になれるように、がんばってみる」
今まで気持ちを抑えつけられてきた。琴音みたいに恋をできるかは、まだわからない。
それでも理想の未来はあるのだ。妹のように変わりたい。彩音の初恋はきっとくるだろう。
遅くなったけれど、ちゃんと前を向けたのだから。
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37.おまけ編 妄想する妹と興味津々な姉
夏休みは自由時間が多い。そのため自分を律するのが大変だ。
課題を終わらせるのは当たり前のことで、それ以上の勉強があたしには必要だった。お姉ちゃんほど頭の出来が良いわけじゃないし、一日でもサボったら他の子にだってすぐ置いていかれてしまいそうで不安だったから。
「うふふ……うへへ……うきゃー!」
でも、時には休憩が必要なわけで……。
夜。お風呂を済ませて寝る準備も終えたあたしは、ベッドに寝転がりながらスマホを眺めていた。
画面に映るのはあたしと祐二先輩。それもファーストキスの瞬間だ。
永久保存したい最高の思い出。だって、あたしと祐二先輩が本当の意味で恋人になった証拠なんだから。
彼はあたしに「好き」をちゃんと伝えてくれた。あたしをしっかりと見て言ってくれた。だからあたしも素直な気持ちを口にできた。
「はふ~……」
写真を見ると、自然とあの時の気持ちを思い出せた。
夏休みに入って、祐二先輩と何度かキスをした。意外と言ってはなんだけれど、彼のキスはとても優しいものだった。
とても嬉しくて、胸が温かくなる。満足しているのに、その先を期待している自分がいるわけで。
「いつかは大人のキスも……うっきゃー!」
ベッドの上でごろごろ。胸の中から湧き上がる恥ずかしさと期待が、あたしをじっとさせることを許してくれない。
「また明日、祐二先輩に会わなきゃ」
彼は受験生だというのに、自分を律することができない人だ。
放っていたら勉強そっちのけでゲームでもしているだろう。あたしがやる気スイッチを入れてあげなきゃ集中できない人なのだ。
そう、たとえばご褒美に大人のキスをしてあげるとか……。
「んふぅ……。まったく、しょうがないんだからなぁ……」
「何がしょうがないのかしら?」
「うっきゃあっ!?」
意識の外からかけられた声に驚く。そのせいでベッドから転げ落ちてしまう。
「ちょっと大丈夫なの琴音っ。何をしているのよ」
「お姉ちゃんが急に声をかけるからだよ! ていうか部屋に入る前にちゃんとノックしてよね!」
「ノックしたわよ。返事がないから心配したんじゃない。琴音が上の空で私に気づかなかっただけよ」
「そ、そうなの?」
も、もしかしてスマホを眺めながらベッドでごろごろしてるとこまで見てた?
恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをする。よし、大丈夫だよね。
「で、こんな夜遅くにお姉ちゃんはあたしに何か用?」
「こんな夜遅くに奇声が聞こえたから、何があったのか心配になって琴音の部屋に来たの」
「……大声上げてごめんなさい」
けっこう声に出してたみたい……。あ、あたし変なこと口にしてないよね?
「やっぱり、初めて彼氏ができると浮ついてしまうものなのね」
わかった風に言うお姉ちゃん。当たっているから反論に困る。
「お、お姉ちゃんも彼氏ができるとわかるよ」
目を逸らしながらそんなことを言ってしまう。
お姉ちゃんが彼氏を作らない原因はわかっているつもりだったのに。悪気はなかったけれど、あたしが口にしてはいけないことだった。恐る恐るお姉ちゃんの方を見る。
姉妹でもうっとりしてしまうほどの美しい容姿。黒髪清楚系を極めるとこんな感じになるんだろうなって思う。
美しい顔は不快感で歪むこともなく、お姉ちゃんの目はどういうことなのか光っていた。
「つまり、琴音は私の知らないことをたくさん知っているのね?」
「え、えぇ?」
「もうキスしたの?」
まさかの質問だった。あの生真面目なお姉ちゃんがこんなことをあたしに聞くだなんて考えもしてなかった。
お姉ちゃんはやや前のめりになってあたしへと迫る。好奇心が隠しきれていないっていうか、隠すつもりもなさそう。
その迫力に負けて、あたしは頷いていた。
「そ、そっか……そうなのね……。思ったよりも早いものなのね……」
自分から聞いたくせに、お姉ちゃんは赤面していた。恥ずかしくなるなら聞かなければいいのに。
でも、そんなお姉ちゃんを見ていたら悪戯心が芽生えてきた。
「ねえねえ、あたしと祐二先輩がどんなキスしたのか聞きたい?」
「べ、別にそこまではいいわよ……」
「お、大人のキスとか……聞きたくない?」
「お、大人のキス……!?」
目を逸らそうとしながらも、お姉ちゃんはあたしをチラチラと見てくる。やっぱり興味があるみたい。
お姉ちゃんって真面目そうに見えるけど、ちょっとエッチなことに興味あるよねぇ。内心でしたり顔をしてみたり。
「大人のキスどころか、もっと先のことをしちゃうかもね」
「そ、その先って……」
ごくりと、お姉ちゃんの喉が鳴ったのがわかった。
あたしのお姉ちゃんであり、みんなが憧れる藤咲彩音。こんなところを誰かが見たら、どう思うんだろう。
「えへへ、これ以上は秘密だよ」
「え、えぇ?」
あたしが舌を出すと、お姉ちゃんは目を白黒させた。
期待してくれていたみたいだけど、ごめんね。あたしだってまだキス以上のことはしていないの。
それに、いくらお姉ちゃんでもここから先は秘密にしたい。あたしと祐二先輩だけの秘密にしたいのだ。
「はいはーい。あたしもう寝るからお姉ちゃんは部屋に戻ってよ。早起きできなかったらお姉ちゃんのせいなんだからね」
「ちょっ、琴音──」
お姉ちゃんの背中を押して部屋から追い出す。
「……うふふ」
夏休みは長い。それも恋人になりたての男女の夏。何も起こらない方がおかしいよね。
もう一度スマホの画面を見る。彼への脅迫材料であり、あたしなりの愛の証が映っている。
「今日も会ったのに……。またすぐに会いたくなっちゃうよ……祐二先輩」
いつも置いて行かれてばかりだったけれど、今度ばかりはお姉ちゃんよりも早く、様々なことを経験できるかもしれない。
お姉ちゃんに対する優越感。祐二先輩に対する期待。いろんなことが胸の中で混ざり合って、あたしを嬉しくさせてくれた。
ベッドに潜り込む。明日も祐二先輩に会える。早く眠りに就いて、早く彼と会いたかった。
そして、祐二先輩といつか……。なんて妄想をしていたせいか、今夜はいやらしい夢を見てしまったのだった。
この作品の同人誌を作ったでござる(R18)
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38.おまけ編 自分以外に彼女が作れるものならやってみろ、と恋人に煽られたので学園のアイドルとデートしてみた話
俺は決して顔がいいわけではない。
広く言えばフツメンである。イケメンかブサイクかの極端な二択となれば、残念ながらブサイクと認めねばならない。
そんな俺にも彼女がいる。しかも大抵の奴が美少女と認めるほどの女子だ。
こんな俺に美少女の彼女ができるだなんて奇跡だ。そう考えていたのは過去の話。
「もうっ! 信じられませんよ祐二先輩!」
「それはこっちのセリフだ! 琴音ちゃんがこんなにもわからず屋だなんて思わなかった!」
現在、その彼女と壮絶なケンカを繰り広げていた。
「ひどいですよ! 祐二先輩は自分が何をしたのかわかっているんですかっ。いいえ、わかっていないんでしょうね。だからこんなことを平気でできるんですよ!」
ぷりぷり怒っているのは
大きな猫っぽい目が珍しく俺を睨んでいる。亜麻色のツインテールなんか逆立ちそうな気配を漂わせる。とにかく見た感じからでも怒っているのが伝わってくるだろう。
「まさか……勝手に唐揚げにレモンをかけるだなんてっ!」
そう、琴音ちゃんが怒っている理由は、俺が唐揚げにレモンをかけたからである。
経緯はこうだ。
俺と琴音ちゃんはデートでカラオケ店に来た。ちょうど小腹が空く時間帯だったので唐揚げとフライドポテトを注文した。ここでのフライドポテトは置いておくことにする。
注文の品が届いた時、琴音ちゃんは歌っていた。俺は気を利かせて唐揚げにレモンをかけた。それに気づいた琴音ちゃんが激怒したというわけだ。
まったく、やれやれ。こんなことくらいで怒ることないだろうにね?
「ひどいですよ! レモンかけちゃったら唐揚げのサクサク感が損なわれるじゃないですかっ。祐二先輩はそんなこともわからないんですか!」
「いいや、わかってないのは琴音ちゃんの方だ! 唐揚げにレモンをかけるからこそ酸味があって美味しさを増すんじゃないか。そんなこともわからないだなんて、琴音ちゃんもまだまだお子様だね」
「誰がお子様ですか! 祐二先輩こそ唐揚げ本来の味がわかってないんじゃないですか! このわからず屋!」
「なにおう! わからず屋はそっちだろ!」
バチバチバチ! 俺と琴音ちゃんは火花を散らせる。
この後の俺達は険悪な雰囲気のまま、歌って食べて帰った。
「そんなに唐揚げにレモンをかけたかったら別の子と行けばいいじゃないですか! あたし以外に彼女を作れるものならやってみてくださいよ。まあ祐二先輩にそんないい人ができるとは思えないですけど! 絶っ対に、思えないんですけど!」
帰り際、琴音ちゃんは俺を煽るようにそんなことを言いやがった。
「言ったな! だったら浮気してやんよ! 俺が琴音ちゃん以上の美少女といいことしても、そうなってから後悔したって遅いんだからな!」
「はー! やれるものならやってみてくださいよ! あたしがいないと祐二先輩ってば何もしないくせにっ。受験生なんだからもっと真面目に勉強に取り組んでくださいよ! あたしが見てないとちゃんとしないんですから! そんな人を簡単に好きになる女の子がいるとは思えないですよ!」
「別に琴音ちゃんがいなくたって勉強くらいしっかりやってやらぁ! 琴音ちゃんこそ、俺が他の女子に夢中になってから後悔したって今さらもう遅いんだからな! そこんとこちゃんとわかってんだろうな! わかってるよね? 本当に浮気するからな! 俺だって声をかければ一人や二人、簡単にデートに誘えちゃえるんだからね!」
売り言葉に買い言葉。気づけば俺はそんなことを吐き捨てるように言っていた。
俺と琴音ちゃんは睨み合った。それから互いにそっぽを向く。
初めての彼女と、初めてのケンカをした。俺はといえば、勢いで浮気宣言までしてしまっていた。
※ ※ ※
「まさかそんなくだらないことでケンカするだなんて……」
「くだらなくないぞ! 全っ然! くだらなくなんかないんだからな!」
次の日。教室で琴音ちゃんとケンカしたことを話すと、目の前の美しい黒髪の乙女に呆れた顔を向けられた。
彼女は
琴音ちゃんの姉ということもあり、藤咲さんは美少女だ。どれくらい美少女かっていうと、全校生徒から学園のアイドルと認識されているくらい美少女だ。
俺にとっては雲の上の存在であるはずの彼女だけど、恋人のお姉さんというつながりで相談に乗ってもらっていた。
「はいはい。わかったから興奮しないの」
そして話した結果、見てわかるほどに呆れられている。そんな顔しないでよお姉様!
「それで? 会田くんは私に何をしてほしいのよ」
「べ、別に何かしてほしいから話したわけじゃ……」
「そういうのいいから。会田くんがわざわざ愚痴を言うためだけに私に話しかけるわけないじゃない」
お姉様は鋭かった。さすがは学園のアイドル。今それ関係ないか。
「……藤咲さんに、俺の浮気相手のフリをしてほしいなー、って」
「はい? なんでそういう発想になるの?」
「そりゃあもちろん、琴音ちゃんに俺だって浮気ができる甲斐性があるってところを見せつけるためだ」
互いに熱くなった末に発した言葉だったけど、俺だってモテるってことを琴音ちゃんに見せつけてやりたい。
きっと俺なんかが誰にも相手にされないだろうと高をくくっていたに違いない。その予想を裏切って、他の女子と仲良くできると証明してやりたい。
そうすれば琴音ちゃんだって俺をもっと大切にしてくれるに違いないのだ。やはり危機感ってやつは必要なんだよ。
「はぁ……。会田くん、どうせくだらないことを考えているのでしょうね……。いいえ、くだらないことなのはもうわかっていることなのだけれど」
これ見よがしにため息をつく藤咲さん。そ、そんなに呆れなくてもいいじゃないかよ。こっちは本気なんだよ。
「頼むよ藤咲さん。この学校に琴音ちゃん以上の美少女は藤咲さんしかいないんだよ」
「……私しかいないの?」
「そうだ。めちゃくちゃ可愛い琴音ちゃんも、藤咲さんの可愛さの前では素直に負けを認めてくれるよ」
「そ、そう。会田くんはそう思っているのね……」
少しだけ考える仕草をする藤咲さんだったが、俺に向かって指を一本立てながら口を開いた。
「わかったわ。でも一回だけよ。一回だけ、デートに付き合ってあげる」
「本当か!?」
「ええ。だから早く琴音と仲直りしなさい」
「恩に着るぜ藤咲さん」
そんなわけで琴音ちゃんに俺が浮気できると証明するために、彼女の姉とデートすることが決まった。
何気に琴音ちゃん以外の女子とデートするのは初めてである。その相手が恋人の姉っていうのが、俺の人間関係の狭さが強調されてしまった気がするけれども、全校男子が羨む美少女なので気にしないことにした。
※ ※ ※
放課後。俺は学園のアイドルと並んで歩いていた。
藤咲さんはさすがの注目度で、ちょっと隣を歩いているだけなのに、校門を出るまで周囲の視線が突き刺さりまくっていた。
「こんなに注目されるとか……藤咲さんの彼氏は大変そうだな……」
「別に関係ないわよ。私に彼氏はいないから」
あっさりそんなことを言う藤咲さんは気にした様子ではなかった。
彼女なら、彼氏を作ろうと思えば選り取り見取りだろう。でも実際は恋人がいないどころか、告白してくる男を全員振っているのだとか。
そこまで男子を毛嫌いしている印象もないんだけど、藤咲さんなりに男に対して何か思うところがあるのかもしれない。俺が琴音ちゃんと付き合うのも心配しているようだったし、実は男を野獣とでも思っているのかもしれないな。
「俺、これでもけっこう無害な男だからね」
「は? なんの話をしているのよ。早く行きましょう」
「あっはい」
そんなわけで浮気デート開始である。
彼女がいるのに他の女子とデートをする。これはもう立派な浮気であろう。相手が姉と知られれば、裏があるのだろうとすぐ看破されるんだろうけどな。
「そうそう。琴音には会田くんと放課後デートするって伝えてあるから」
「えっ、それ言っちゃったの?」
「むしろ秘密にしても意味ないでしょ」
「いや、スマホで写真でも撮って、謎の美少女とデートしたって見せつけてやろうかと思ったんだけど」
「下手なことしてこじれたらどうするのよ。本当に琴音から嫌われるわよ」
それは困る。
琴音ちゃんには、俺にだってデートに誘える女子がいるんだぞってところを見せつけたいだけで、本気で仲たがいしたいわけではないのだ。
ちょっとでも彼女が危機感を持ってくれれば、あんなこと言われないだろうと考えた。ただそれだけのことである。
「でも、藤咲さんが相手ってわかってたら、琴音ちゃんは嘘のデートってわかるんじゃないか?」
なんたって俺達の関係を知っているお姉様である。琴音ちゃん自身、姉に恋愛相談していたっておかしくない。
「そんなことないかもしれないわよ。ほら、あそこ」
「ん?」
藤咲さんは目線だけで「あっちを見ろ」と示す。俺も最小限の目の動きでその方向を見た。
「あれって……琴音ちゃんでは?」
物陰からこちらをうかがう亜麻色のツインテールが確認できた。明らかに琴音ちゃんである。
「あなたが私とデートをするって思ったらいてもたってもいられなかったのでしょうね。ほら、ちゃんと心配されてるじゃない。よかったわね」
「うん……」
「それじゃあ琴音も見ているようだし、早速行きましょうか。浮気デートよ」
藤咲さんに腕を組まれた。密着したせいで豊満な弾力を感じられた。ここは姉の方が成長が早いようだ。
琴音ちゃんに見せつけるためにしてくれているのだろうが、藤咲さんは俺との距離が近かった。わかっていてもドキドキさせられる。
俺達を追って、亜麻色のツインテールがぴょこぴょこついてくる。わかりやすくて可愛いじゃねえか。
「この服いいわね。会田くん、ちょっと試着してみせてよ」
「俺が着るの? それ誰得だよ。ここは普通藤咲さんが試着に行くところだろ」
「嫌よ。面倒じゃない」
「思った以上に大したことない理由で断られた!?」
近場の商業施設でいろいろな店を見て回る。
「会田くんって帽子が似合わないわ……。なぜかしら。髪型の問題?」
「頭の形が悪いのかもな。むしろ藤咲さんが被ればいいじゃん。この帽子とか似合いそう」
「あっ、コラ。勝手に被せないで」
「おー、似合う似合う」
「どうせならもっと心を込めなさいよ」
「藤咲さん超似合う! 超可愛い!」
「……やっぱりいいわ。恥ずかしい」
冷やかしばかりでロクに買い物もしない。でも、金のない高校生のデートってこんなもんだろうとも思う。
そう、まるで本当の彼氏彼女に見えるだろう。いろんな店を回っていたら、段々楽しくなってきた。
「アクセサリーをプレゼントするのって重いって思われるかな?」
「そんなことないと思うわよ。身につけるものって特別だから、好きな人にプレゼントしてもらえたらいいなって……」
「そっか。なら、ちょっと考えてみようかな」
藤咲さんに嘘のデートに付き合ってもらって、思っていた以上に楽しかった。
だからこそ、今隣にいるのが琴音ちゃんだったら……。もっと楽しいんだろうなって思ってしまった。
放課後から遊んでいると、すぐに日が暮れてしまう。
「藤咲さん、今日は付き合ってくれてありがとうな。家まで送ろうか?」
「別にいいわよ。それに、会田くんがいっしょにいたい子はあっちでしょ」
藤咲さんが示した先には琴音ちゃんの姿があった。もう隠れる気もないらしい。てか、ずっと尾行してたんだな。
「それじゃあがんばってね」
それだけ言って、藤咲さんはこの場を後にした。当分頭が上がりそうにないな。
「あ、あの、祐二先輩……」
「嫉妬した?」
「え?」
「俺が藤咲さんとデートして、嫉妬した?」
「……はい」
琴音ちゃんは涙目になっていた。
普通、俺なんかが藤咲さんといっしょにいたら、嘘や冗談だと思うだろう。デートしているだなんてあり得ない。それが一般的な連中の感想だろう。
でも、琴音ちゃんはこんな俺のことを格好いいと思ってくれているのだ。
俺は決して顔がいいわけではない。
広く言えばフツメンである。イケメンかブサイクかの極端な二択となれば、残念ながらブサイクと認めねばならない。
それでも彼女は俺のことを好きになってくれた。格好いいと思ってくれた。
人は外見よりも中身だ。なんて、そんなことは言えない。俺は中身もそんなによくないって思っているからな。
ケンカして、煽られて。見返してやろうって思ったけど、やっぱり俺は琴音ちゃんが好きなんだ。藤咲さんに嘘デートしてもらって、そのことを実感としてわかった。
「ごめんな。全部琴音ちゃんに嫉妬してほしくてやったことなんだ。藤咲さんに嘘つかせて、ようやく頭が冷えたよ。不安にさせて本当にごめん」
琴音ちゃんが俺の彼女になってくれた。その奇跡を、俺こそが大切にしなくちゃいけなかった。
「祐二先輩……」
「これ、仲直りの印のプレゼント」
琴音ちゃんに似合いそうなアクセサリーを考えた。藤咲さんにも選ぶのを手伝ってもらった。
彼女に気に入ってもらえたら嬉しい。こういう気持ちが恋人の特権ってやつなのだろう。
「あ、ありがとうございます……」
琴音ちゃんは涙混じりに感謝を述べる。受け取ったプレゼントを、大事そうにぎゅっと胸に抱え込んだ。
「あ……」
俺はそんな彼女を抱きしめた。だって可愛いんだもん。
ケンカをするし、不安にだってさせてしまう。それでも、自分のダメなところを一つずつ潰して、琴音ちゃんに相応しい男になりたいと強く思った。
「んっ……」
唇を重ねる。何度も、何度も、触れていたい。
未熟な俺達だけれど、お互い好き合っているのなら、これからもなんとかなる気がした。
※ ※ ※
後日。仲直り会として琴音ちゃんの家に招待された。
「出来ました! 祐二先輩、たくさん食べてくださいねっ」
琴音ちゃんが俺のために料理を振る舞ってくれた。とても嬉しいことだ。
ただ、その料理の中に唐揚げがあった。俺達をケンカさせた原因である。
「唐揚げ美味しそうだね」
「自信作ですから! それじゃあ唐揚げにレモンかけますね」
「あっ、いいよいいよ。唐揚げ本来の味を楽しもうじゃないか」
「でも、レモンの酸味も加わると美味しいですよ?」
「いやいや、唐揚げのサクサク感を損なうわけにはいかないって」
「でもでも」
「いやいや」
俺と琴音ちゃんは互いを尊重するあまり話が平行線になってしまった。
これではせっかくの唐揚げが冷めてしまう。どうしたものかと悩んでいると、第三者が話に加わった。
「いつまでやっているのよ。せっかくの料理が冷めてしまうわ」
藤咲さんの登場である。
そりゃあ琴音ちゃんの家なんだから、姉である藤咲さんがいたって不思議じゃない。しかし、いきなりの登場に俺と琴音ちゃんは一瞬固まってしまった。
その一瞬の硬直が、悲劇の始まりだった。
「あなた達はわかっていないようだけれど、唐揚げを一番美味しく食べるにはこうすればいいのよ」
藤咲さんは流れるような動きでマヨネーズを取り出し、唐揚げにかけてしまった。あまりの淀みのない華麗な動きに、すべての唐揚げがマヨネーズに染められるまで身動き一つできなかった。
「なななななな、なんてことするんだよぉぉぉぉぉーーっ!!」
「マヨネーズはカロリー高くなるから嫌だっていつも言ってるのにっ。お姉ちゃんのバカァーーッ!! うわあぁぁぁぁぁん!!」
「え? 美味しいわよ?」
せっかくの仲直り会を台無しにしたお姉様は、悪気もなく唐揚げを頬張っていた。
こうして、第二次唐揚げ戦争が勃発したのであった。この戦いでは俺と琴音ちゃんは共闘して藤咲さんを倒すことでさらに仲を深めるのであるが、それはまた別の話である。
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39.おまけ編 彼女の魅力に気づかない無能共に感謝!
一時間目の授業が終わった後の休み時間。藤咲彩音が究極の美少女オーラを振りまきながら、俺の席へと接近してきた。
あんまりにも唐突な襲来だった。藤咲さんは自然な調子で俺の机の上にコトリと何かを置いた。
「会田くん。はい、お弁当を持ってきたわ」
「は……!?」
「「「はあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」」」
教室がクラスメイト共の絶叫に震える。怒りや悲しみといった負の感情が俺へと突き刺さる。室内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化しているであろう。
学園で一番の美少女、なのに彼氏不在。そんな藤咲彩音が特定の男子に手作り弁当を渡した。これは学園を揺るがす大ニュースである。
「な、な、な、なんでですか?」
気が動転して敬語になってしまう。視線が勝手にきょろきょろと忙しなく動く。脇の下から変な汗が出てきた。
これは何かがおかしい。モブ男子の俺が学園のアイドルに手作り弁当を渡されるというイベントが起こるなんておかしすぎる……っ。催眠というか、洗脳でもしなけりゃこんなシチュエーションが起こるはずがない! いつの間に藤咲さんが俺の言いなりメイドになったんだって話だ。やべっ、妄想が溢れた。
「琴音がお弁当作りに時間を取られて遅刻ギリギリだったのよ。お昼休みも用事があるって言っていたから、代わりに渡すようお願いされたの」
「ああ、なるほどね」
なるほど納得。教室中から安堵の息が聞こえてくる。学園の敵になるのは回避できたようだ。
……クラスの男子、その半数から憎しみをふんだんに込めた視線が突き刺さっているような気がするが、あえてスルーさせてもらった。だって琴音ちゃんは俺の彼女だもんよ。
※ ※ ※
「お姉ちゃんは相変わらずの人気ですね~」
放課後。俺は琴音ちゃんと仲良く並んで帰り道を歩いていた。つまり放課後デートである。
夕暮れに染まった亜麻色の髪がなんだか輝いて見える。俺の彼女が眩しすぎて直視できないんだが。可愛い彼女最高です!
「まあ藤咲さんが本当に彼氏ができて、嬉しそうな顔して手作り弁当持ってきたら全校生徒がどうなるかわかったもんじゃないな。最悪、暴動が起こるかもしれん……」
「それは大げさですよ~」
のほほんと返す琴音ちゃんだったが、次第に表情が真剣なものへと変わっていく。
学園のアイドルの人気は尋常じゃない。それは妹である琴音ちゃんが一番よくわかっているだろう。
「……お姉ちゃんには悪いですけど、あまり想像したくないですね」
「……だな」
俺は深く頷いた。あの阿鼻叫喚の地獄絵図が、学園中に広がる光景を考えたくない。ていうか、みんな藤咲さんのこと好きすぎでしょ!
「祐二先輩は」
「ん?」
「お姉ちゃんにお弁当を作ってもらいたいですか?」
琴音ちゃんはチラチラと俺をうかがってくる。ちょっとした不安を読み取れなくはない顔だ。
そして、期待するような眼差しでもあった。
「美少女の手作り弁当はもう間に合ってるな。しかも、その最高の美少女は俺の彼女! 最高すぎて腹どころか胸も幸せでいっぱいになるぜ!」
そう言うと琴音ちゃんはくすくすと笑った。とても嬉しそうで、本当に胸がいっぱいになった。
「じゃあ、また美味しいお弁当を作らなきゃですね。ふふっ、あたしも作り甲斐がありますよ」
はにかむ琴音ちゃんに見惚れてしまう。夕焼けに染まっても隠せない茜色に気づき、可愛すぎて悶えそうになった。
姉妹だからこそ似ているところがあるが、琴音ちゃんは学園のアイドルじゃない。それでも、俺の中ではナンバーワンの女子だ。
琴音ちゃんの魅力に気づかない無能共に感謝する。おかげで最高の彼女が、こうやって俺の隣にいてくれるんだからな。
2023.5.21(日)に文学フリマ東京にサークル参加します! 詳細は活動報告にて(宣伝)
通販もやっていますので、もし興味がある方はTwitterからよろしくお願いします!
みずがめツイッターリンク
https://twitter.com/mizugame218
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40.おまけ編 解放感に身を任せたデート①
春。俺は大学生になる。
受験勉強をこれでもかとがんばった。俺があそこまで勉強することは、たぶんもう一生ないことだろう。
「合格おめでとうございます! 祐二先輩はできる人だって、あたし信じてました!」
大学に合格が決まった時、琴音ちゃんは心から喜んでくれた。そしてたくさん褒めてくれた。
今までの苦労を思い出して、彼女の言葉で一気に涙が溢れてきた。俺……本当にがんばったよなぁ。
遊びたいのを我慢して、つらい勉強に力を振り絞って、せっかくできた彼女とイチャイチャするのを強靭な精神力で抑え込んできた。
「でも……もう全部終わったんだ! 受験戦争から解放されたんだ! 俺は自由になったんだ!!」
大声を上げずにはいられない。それだけ俺の欲望は抑圧されてきたのだ。
「そんなわけで琴音ちゃん。思う存分遊び尽くそうぜ」
「はい♪」
春休み。すべての呪縛から解放されたこの時期に遊ばずしてどうしろってんだ。
やっと彼女とイチャイチャできる。その事実が俺を高ぶらせた。灰色の学園生活はもう終わったんだ!
※ ※ ※
亜麻色の長い髪をツインテールにした少女。可愛らしい猫目にその辺の女子が可哀そうになるくらいの小顔。体つきはスレンダーで美しさを感じさせる。
俺には勿体ないくらいの美少女だ。だけど、それが俺の彼女、藤咲琴音なのである。それがたった一つの真実だった。
「お待たせしました祐二先輩」
「別に待ってないぞ。俺も今来たところだ」
春らしいコーデに身を包んだ琴音ちゃん。いや、俺におしゃれのなんたるかを語れるほどの知識はないんだけどね。
重要なのは琴音ちゃんがとっても可愛いってこと。俺の後輩ではあるが、おしゃれに関してはレベルが違いすぎた。
「今日はどこに行くんですか?」
琴音ちゃんが小首をかしげながら尋ねてくる。ツインテールがさらりと揺れた。髪の毛サラサラだなぁ。
「どこって決まってるわけじゃないけど、とりあえずこの辺店が多いからぶらぶら歩いてみようよ」
「つまりノープランってことですか?」
「気張らない自然体。それが彼氏ってもんでしょうよ」
「なるほど。祐二先輩の自然な姿って格好いいですもんね」
普通に納得されてしまった。しかも当たり前のように褒められた。この娘は俺を上機嫌にさせてどうしようってんだろうね?
琴音ちゃんのパッチリした目が俺を見つめる。な、何かな?
「手、繋ぎますか? それとも腕を組んでみます?」
「お……。まるでカップルのような提案」
「あたし的にはベストカップルのつもりですけどね」
琴音ちゃんの提案に、しばらく固まってしまう。それを適当なことを言って誤魔化した。
仲睦まじい男女が手を繋いだり腕を組んだりする。そういう恋人の仕草をテレビなり漫画なりで見てきた。
でも、見覚えがあるからって、実際にできるかどうかは別問題だ。
恥ずかしい。しかし興味はある。これが恋人を持つ者の苦悩ってやつか……。
「じゃあ、う、腕とか組んでみちゃう?」
苦悩した結果、俺は恥ずかしさに勝った。顔が熱いけどな。
「組んでみちゃいましょう。ふふっ、嬉しいです」
可愛らしい笑顔を向けられて浄化されそうになってしまう。琴音ちゃんは聖属性だったのか……。
腕を差し出してみる。琴音ちゃんは飛びつくようにして俺と腕を組んでくれた。
おおっ、後輩美少女に密着されちゃったぞ。恥ずかしいのを我慢して欲望を口にしてよかった。本当によかった!
二人で歩き始める。歩幅は同じで、心地良いペースで歩くことができた。
「うおっ!? すげえ美少女……っ」
「あの娘可愛いー」
「むっ……私のアンテナが反応しているだと? あの少女をスカウトするべきだと訴えておるわ……!」
……なんか、あちらこちらから視線を感じる。
横目で周囲をうかがってみる。なんだか老若男女問わずいろんな人から見られているようだった。
耳を澄ませてみれば、どうやら琴音ちゃんがあまりにも美少女だから騒いでいるようだな。
ほほう。自分の彼女が褒められるってのは気分が良いもんだな。彼氏の俺も鼻が高いぜ。
俺は胸を張って琴音ちゃんをアピールするように歩いた。ほら、みんなが注目している美少女は俺の彼女なんだぜ!
「なんであんな美少女があの程度の男と腕を組んでいるんだ……!」
「美女と野獣……。ううん、美少女とモブね。全然釣り合ってないわ」
「家族か? それにしては顔が違いすぎるか……。恋人だとしたらセンスが疑わしいな」
……なんか、俺ってディスられてない?
いやまあ、俺と琴音ちゃんは見た目釣り合わないと思うけどさ。けどさぁー……そういうこと言わなくてもいいじゃないかよ……。
少なからずショックを受けてしまう。背筋を伸ばす力すら湧いてこない。
「祐二先輩」
「ん?」
琴音ちゃんの瞳が俺の顔を映す。真っすぐな視線が、俺を捉えていた。
「あたし、祐二先輩が大好きですよ」
そう言って、琴音ちゃんは大胆にも俺に唇を重ねたのだ。
俺達に注目していた周囲の連中が唖然としたのがわかった。
唇が離れる。琴音ちゃんの真剣な表情が、真っすぐ俺に向けられていた。
「祐二先輩はどうですか? あたしのこと、どう思ってます?」
嘘を許さないとばかりの真っすぐの言葉に、俺は自然と頭を縦に振っていた。
「俺も……琴音ちゃんが大好き」
「よしっ! それでいいんですよ!」
満足そうに笑う琴音ちゃん。さっぱりとした彼女の笑顔はとにかく可愛かった。
いつの間にか俺の背筋は伸びていた。琴音ちゃんが傍にいてくれるだけで自信が湧いてくる。
もう周りの言葉は気にならなくなっていた。俺が気にしていたいのは琴音ちゃんだけなんだからな。
さて、俺達のデートは始まったばかりだ! 再び二人で歩き始めるのであった。
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41.おまけ編 解放感に身を任せたデート②
目の前に広がるはこの世のパラダイス。そう言っても過言じゃないくらいの光景がそこにはあった。
「ニャー」
「にゃー♪」
初めて猫カフェに入ってみたものだが、なかなか良いじゃねえか! 種類豊富な猫ちゃん達に迎えられて心が吹っ飛んで行ってしまいそうだ。
「みんな人懐っこくて可愛いですね。わっ、この子もすりすりしてくる……。にゃー♪」
琴音ちゃんもご満悦である。
彼女も猫っぽいところがあるしな。主に目とか。猫耳とかつけたら似合うと思う。
「琴音ちゃんは猫カフェに来たことあるの?」
「これが初めてですよー。興味はあったんですけど実際に行くとなるとタイミングがなかったと言いますか」
「俺も似たようなもんだよ。なんかイマイチ何するところかイメージ持ててなかったし」
とにかく猫ちゃんを愛でればいいってのはわかった。おやつを持っていれば寄ってくるのもチョロくて可愛い。
近づいてきた猫ちゃんを撫でてみる。身だしなみに気を遣っているのか、毛並みがサラサラしていて撫で心地が最高だった。
「ニャー」
「ほうほう。おやつが欲しいのか? よしよし、ほーらお食べ」
手のひらにおやつをのせて差し出してみれば、遠慮なく食べてくれた。
猫ちゃんの口が当たって手のひらがくすぐったい。だがそれこそが良い感触だった。くぅ~、可愛さが染みる~。これは飛ぶぜ!
「祐二先輩ってけっこう猫好きだったんですねー」
琴音ちゃんがニヤニヤしながら俺を眺めていた。
別に面白いもんでもないでしょうに。ただ猫ちゃんと戯れる男の図にしかなってないと思うのだが。……あんまり見てられない絵面かもしれん。
「まあ普通だろ。人類のほとんどは猫好きだろうからな」
「祐二先輩にとっての猫ちゃんの存在が大きすぎませんか」
「いや、だから普通だって。むしろ猫嫌いな奴の方が希少だろ」
「猫アレルギーの人とかいるじゃないですか」
「アレルギーがあるからって嫌いとは限らないだろうが」
「祐二先輩がこれほどの猫派だったなんて……。そこまで猫ちゃんが好きだったなんて思いませんでした」
別に、だからちょっと猫っぽい琴音ちゃんが好きになっただなんて、そんな理由じゃないんだからね! と、心の中だけでツンデレってみる。
琴音ちゃんとの会話中でも猫ちゃんを撫で続けていた。はぁ~、癖になるんじゃ~。
「ニャッ」
そんな俺だからこそ気づいた。撫でていた猫ちゃんが何かに反応して顔を上げたことに。
それは一匹だけじゃなかった。周りにいる猫ちゃんも反応を見せていた。ゴロニャンと寝転んでいた猫ちゃんでさえも慌てたように顔を上げていた。
「さあ猫達よ。この高級おやつが欲しければ、私に思う存分もふらせなさい」
「「「ニャー!」」」
突如現れた少女の一声で、猫カフェにいるほとんどの猫ちゃんが彼女にひれ伏し、もふらせる体勢になったのだ。
少女が掲げているのは、この猫カフェで一番の高級おやつだった。しかも複数個。お財布ポイントが高くなければあんなことできやしない。
安物のカリカリおやつしか買っていない俺に勝ち目はなかった。気づけば俺に甘えていた猫ちゃんでさえもあの少女の足元でもふらせるポーズになっていた。
さすがは高級おやつ。あんなものを見せられては、猫ちゃんはメロメロにならざるを得ない。俺の完全敗北だ。
「あらら、猫ちゃん行っちゃいましたね」
「くっ、こんな悔しい思いは初めてだ……。ぐきぃーーっ! 悔しいぃーーっ!!」
「本当に悔しそうですねー」
ハンカチがあったら噛みちぎりたい気分だ。くっ、金持ちなんか大っ嫌いだ!
「どうします? 猫ちゃんいなくなっちゃいましたし、何か飲みながら休憩しますか?」
「ぐぬぬ……。そ、そうだな。せっかくドリンク飲み放題だしな」
このやるせない思いを発散するべくドリンクバーへと向かう。
せっかくなのでいろいろ混ぜてみたら、俺の悔しさを映したかのような混沌色の飲み物を作ってしまった。琴音ちゃん、お願いだから引かないで。
手ごろな席に座って心を落ち着ける。おっ、色はあれだけどけっこう美味いぞ。琴音ちゃんも一口どう? あ、いらないっすか……。
「あたしこんなにもたくさん猫ちゃん触ったことありませんでしたよ。こんなにも癒やされるものなんですね」
「毛並みもいいし、人懐っこいし、さすがは猫カフェの猫ちゃんだぜ。お客様への接し方をよくわかってたしな」
「……こんなにも楽しそうな祐二先輩を見られて本当に癒やされます」
「ん、何か言ったか?」
「いいえ。休憩が終わったらもう少し猫ちゃんと遊びますか?」
「いや、これ飲んだらそろそろ出ようか。今日は他にも行きたいところがあるしな」
別に、大勢の猫ちゃんを片っ端からもふりまくっている少女を見るのが悔しいってわけじゃない。猫カフェ以外にも行くところはたくさんあるからな。本当に悔しいわけじゃないぞ!
「本当にいいんですか?」
ちょっと疑わし気な琴音ちゃん。もしかして俺が猫ちゃんから離れがたいとでも思っているんじゃないだろうな。
「今日は充分堪能したからいいの。それに、今日は琴音ちゃんとデートに来たんだからな。久しぶりだしいろいろ行ってみたいじゃんか」
「そ、そうですね。えへへ……」
琴音ちゃんのはにかみ顔を目にしてドキリとする。可愛いってのも心臓に悪いよな。
俺が一番愛でたいのは、やっぱり彼女だからな。猫カフェでたくさんの可愛いと触れ合って、それを再確認できた。
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42.おまけ編 解放感に身を任せたデート③
あの後も琴音ちゃんと映画館に行ったり、服屋で着せ替えショーを楽しんだり、ゲーセンでプリクラを撮ったりと満喫した。
「俺、なんか普通に女の子とデートしてる!?」
「そうですよー。祐二先輩は今日あたしとデートしているんですよー」
琴音ちゃんが事実を口にする。
はっ、そうだった。琴音ちゃんは俺の彼女で、彼女とデートするのは当たり前のことだった。
頭じゃ理解していたつもりなのに、受験勉強で認識までなまったのか琴音ちゃんが新鮮に見える。うん、おかしなこと言ってる自覚はあるんだよ。自覚は。
俺と琴音ちゃんの付き合いは一年にも満たない。でも、恋人になってから半年以上の付き合いになる。
なのに琴音ちゃんが俺の彼女だってのが、未だに夢みたいに考えてしまうことがある。こんな可愛い娘、ラブコメじゃなかったら絶対に俺になびかないだろってくらいには信じがたいことなのだ。あれ、つまりここはラブコメ世界なのか?
受験勉強のせいで琴音ちゃんと今日みたいな時間をあまり作れなかったからな。俺がそう考えるのも仕方がないだろう。
「もう真っ暗ですね」
遊び尽くして外に出れば、もう夜になっていた。
楽しいことをしていると時間が過ぎるのが早い。そんな当たり前のことを、久しぶりに実感した。
「今日は楽しかったです祐二先輩。じゃあ……帰りましょうか」
琴音ちゃんが俺の一歩前を行く。
そんな彼女の手を、無意識に掴んでいた。
「祐二先輩?」
琴音ちゃんの足が止まる。振り返った彼女が不思議そうに小首をかしげていた。
「その、だな……。今日、俺の家に親がいないんだよね」
「はあ」
心臓がバクバク鳴っている。太鼓でも叩いてるみたいな衝撃が俺の体を揺らしていた。それが俺の指先を震わせる。
こういう時、どんな顔で誘えばいいかわからない。彼女いるのが当然ってレベルのリア充はどうやっているんだ? ぜひご教授願いたい!
「良かったら……今から俺ん家に来ない?」
やばい。声が裏返った。脇から変な汗が出てるしっ。
俺の全身全霊での「家来る?」発言に、琴音ちゃんは大きな目をパチクリさせて応えた。
「……」
いや、返事になってなかったわ。フリーズしたみたいに彼女の口が動かない。
親が不在の彼氏の家。そこに飛び込むことがどういう意味を伴っているのか、琴音ちゃんは正しく理解しているのだろう。
だからこそすぐに返答できない。この後の展開が予想できるからこそ、軽はずみな答えが出せないのだろう。
もちろん俺だって軽い気持ちで言ったわけじゃない。
受験が終わって、勉強と試験から解放された。もっと開放感のあることをしたいってのは、ずっと我慢してきたからこその欲望だろう。それを発散せずして真に受験が終わったとは言えないのではないだろうか?
……まあそれは半分くらい冗談として。欲望を解放したいとか、半分くらいしか思ってない。
受験が終わった。卒業もした。進学も決まった。
それは良いことで、俺ががんばってきたことでもあって、目標を達成したと胸を張れることだ。
でも、同時に琴音ちゃんと離れてしまうことも意味していた。
高校の先輩後輩という間柄。そこに恋人という関係があるとしても、一つの繋がりを失ってしまうことに変わりはない。
だからこそ深い繋がりが欲しいと思った。
わかりやすいほど深い関係を。俺の大学生活が始まってしまう前に、これからも琴音ちゃんといっしょにいられるという自信が欲しかった。
「その……祐二、先輩……」
「う、うん……」
緊張している。俺だけじゃなく、琴音ちゃんもだ。
それがわかっていても、互いに声が震えるのを抑えられなかった。
「ふ、不束者ですが……よ、よろしくお願いします!」
「ま、任せろ!」
互いにガチガチに緊張していて、でもそれが俺達らしくもあり、二人で「ぷっ」と噴き出した。
「あははっ。じゃあ家までエスコートしてくださいね」
「ふっ。お任せあれ」
自然に手を繋いだ。琴音ちゃんと二人きりで歩き始める。
心が落ち着くような関係。俺達は二人でいるのがしっくりくる。
だから、学び舎が違ってもこの手はそう簡単に離れたりはしないだろう。琴音ちゃんがいるだけで、そう安心していられるのだった。
『脅され彼女』はこれにておまけ編も完結となります。本当の本当に最後までお付き合いいただきありがとうございました!
そして、2023年9月10日(日)に開催される文学フリマ大阪に参加します(唐突)
脅され彼女の同人誌も出品させていただきます。書きおろしや表紙イラストもあって本当に本って感じになっていますよ!(厚みに感動した)
同人誌は通販や電子書籍もやっています。興味のある方はTwitter……Xにて(まだ慣れぬ…)
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