強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。 (エビフライ定食980円)
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第1話 モブウマ娘『サンデーライフ』

 とにかく楽をして生きたい。

 

 ウマ娘らしからぬ願いを持って中央トレセン学園に入学した私は、その深層意識が反映されたかのように『サンデーライフ』という名を背負っていた。

 

 無名の競走馬か、はたまた架空馬か……そんな名前から分かることは『日曜日のような毎日を過ごす人生を謳歌したい』という魂の叫びだけではなく、多分『サンデー』って付いているからにはサンデーサイレンス産駒なんだろうなということを妄想させるものであった。まあ、マーベラスサンデーと似たようなネーミングではある。冠名ではないはず。

 

 とにかく私が何者であったとしてもウマ娘である以上は、トゥインクル・シリーズを走るアスリートとしての生命はそう長くはないだろう。

 競走馬を基準にして考えるのであれば、2歳や3歳からスタートして概ね2,3年が平均的な現役期間といったところか。時折8歳を超えても走るタフな者も居るもののそれですら6年間しか走れない。

 

 逆に人間のアスリートを基準に考えたとしても、小中学生からプロで活躍できる例外的なスポーツはいくつかあれど、基本的には10代の半ばから後半辺りからプロ選手となって、これまたスポーツによってまちまちではあるが『走る』ことに基幹を置くスポーツだと概ね30代には現役から退くことになることが多いと思う。その場合だと現役期間は10年と少しといったところかな。

 勿論、40歳・50歳になっても第一線で活躍するプロスポーツ選手が居るのは間違いない。が、その域まで来るとウマ娘で言うところのシンボリルドルフ級のレジェンド格の化け物だったりするので、やっぱり特異点としか言いようがないだろう。

 

 このトレセン学園において、生徒としてはともかく競技者としていつまで走れるのかはあまり分からない。けれどもレースで好成績を残して賞金を稼げる期間というのは適性もあるだろうが、人生というスケールで見た場合にはあまりにも短いだろう。

 

 

 だからこそ、私はメイクデビュー前からシミュレートをする。それはレースのイメージトレーニングではなく、引退後のキャリアも含めた人生設計に関するものだ。

 とはいえ『人生設計』という言葉が指し示すほどの仰々しいことはやっていない。ネットという便利なツールがあるから、それを使っただけだ。

 

 ――その電子の海から収穫してきた数字の1つとして、『3億円』というものがある。

 

 この数字は、1世帯が一生涯で支出する平均の金額だ。勿論胡散臭い数字であることには間違いない。実際には子供が何人居るのかとか、都市や地方のどちらに住むのか、などで大きく変わる数字ではあるだろう。けれども、大雑把な指標としてみればこれでも私にとっては充分だ。

 

 『楽をして生きる』……仮に字義通りのことを成し遂げようとするならば、この『3億円』をトレセン学園に居る間に稼いでしまえば、引退後は何も仕事をしなくても家庭を持つことすらできる。学生時代の自分のヒモになって残りの人生を謳歌出来るのだ。

 学園やらトレーナーやらに支払う諸々の諸経費もあるのでレースで獲得した賞金が全額そっくりそのまま自分の手元に残るということは無いだろうし、そもそもトレセン学園の学費・入学金の奨学金支払いもある。だから実際には4億、5億円くらい稼げば、将来の家族設計まで踏まえて尚、一生安泰である。

 

 と、そこまで考えた私はここで挫折する。

 例えば超高速の粒子・アグネスタキオン号。かの競走馬が稼いだ賞金総額は2億と幾ばくか。どんなに圧倒的であってもGⅠ勝利を挙げようとも、レース数が少なくてはこの目標金額には達成しない。

 

 例えば怪鳥・エルコンドルパサー号。ここまできてようやくおおよそ4.5億円。もっともフランスの重賞賞金は日本と比較すると遥かに少ないというせいでもある。お金のことだけを考えるのであれば国内外問わずGⅠばかりを狙えば良いという訳ではない。

 

 例えば帝王・トウカイテイオー号が6億円である一方でナイスネイチャ号もほぼ同額。

 ここから見えるのは圧倒的な実力が無くても、現役期間が長く重賞レースで好成績を残し続けられるのであれば、レジェンドクラスを超えるお金を稼ぐことが出来るということだ。

 そもそも重賞で好成績を残し続けてGⅠですら高順位を複数年マークし続けていたナイスネイチャも充分に狂っているという点に目を瞑れば、という話だけどね。

 

 そして、こうしたお金の動きは此処、トレセン学園でもファン数という指標に隠れながらもほぼ同様に動いている存在である。だからこそ私は『自分の手元に3億円』という数値に届くためには、ここ一番の大舞台であるGⅠレースの複数勝利、ないしはGⅠで好成績を収められる実力を有しながら自身の肉体的なアスリート生命の限界点まで徹底的に怪我をせずに長期的に出続けることが必須……って、無理でしょ、これ。そもそも後者であっても実力が届いていない。

 

 というところで、私の実力に立ち返ると、一言で言ってしまえば。

 

 ――モブよりは強いが、ネームドには負ける。

 

 そんな感じである。アプリ的に言うのであればバ場・距離・脚質適性がCなのである。どちらかと言えばむしろ私もモブ要員、完全にハッピーミークの下位互換なのだ。

 だからこそ基本はステータスのごり押しで勝つしかないけれども、史実ネームドにステータスごり押し作戦が効くとは思えない。

 

 

 ……いや、実際に試してみないと分からないだろうって?

 

 うん、実にその通りだ。そしてここまでは前座でしかない。

 

 

 

 *

 

「――1着、スーパークリーク!! 後続とは8バ身差で勝利! メイクデビューで実力の差を見せつけましたっ!

 2着、サンデーライフ。3着は――」

 

 

 つまり、こういうことである。芝・2000mの中距離戦で、8バ身差という惨敗ではあるものの、全く収穫が無かったわけではない。

 2着に入った私は、一応それ以降の後続とは4バ身の差があったのだ。つまりスーパークリークという史実ネームドさえ居なければ快勝出来ていたレースである。

 

 だからこそ先の『モブよりは強いが、ネームドには負ける』に通じるわけである。

 

 そしてもう1つ収穫があった。それはスーパークリークの存在そのものだ。とりあえず今の世代が分かったのは収穫だ。ということは同期にいずれやってくるはずのオグリキャップの存在もあるために絶望感も大きいが、一方でレースローテが読みやすくなった。

 

 モブに勝てるというのならば、狙うべきは……ダート。

 路線的にはオグリキャップと競合するおそれがあるが、まだオグリは笠松のはず。こっちから地方に転校しない限りはぶつからないはずだ。言ってて悲しくなってくる話だが。

 

 まあ、万が一メイクデビュー戦代わりに未勝利戦に出張ってくるリスクを考えて史実オグリのメイクデビューの800mは避けておこう。ってか中央に800mダートのレース場とか無い気がするが。

 あ、あと。オグリキャップと同期ということは、地方ダートにはダイコウガルダンが居るかもしれない。後に東京大賞典などのダートGⅠの覇者となる存在だ。

 

 ウマ娘に実装されていなくても強力なモブという形で登場してくることはあるかもしれない。ほら、デジたんの育成シナリオ中にNHKマイルカップの勝者としてクロフネっぽいモブが出てきたこともあったし。

 ……確かダイコウガルダンの所属は宇都宮だったはずだけど、宇都宮レース場って多分この世界には無いから下手したら中央所属になっているかもしれない。そんなダイコウガルダンの未勝利戦は1400mだったと思うので、そこは避けようか。

 

 

 ということで、私は次のレースを『京都レース場のダート1800m未勝利戦』に定めたわけだが……そこで事件は起こった。

 

 

 

 *

 

「――テイエムオペラオー、テイエムオペラオー圧勝っ! 2着は5バ身差でサンデーライフ!」

 

 

 ……あれ? この世代ってオグリキャップ世代じゃないんですかー……って!!

 

 

 もしかして、此処って――アプリ時空かっ!?

 

 

 

 ――現在の獲得賞金440万円。

 




獲得賞金には本賞金だけを含むこととして、出走奨励金などの別途手当については計算外とします。
また賞金計算には参考にしたレースの賞金金額をベースにしたりするため、しばしば現行制度と異なる場合もありますがご了承ください。


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第2話 未来のタイムリミット

 この世界がアプリ時空。

 

 つまり何がヤバいかと言えば、世代無関係のバトルロイヤルになるということである。

 例えばトウカイテイオーの育成シナリオ中に何食わぬ顔してシンボリルドルフが出走登録してきたり、メジロマックイーンの宝塚記念で何故かゴールドシップが居たりと、そういうことが起こる世界線なのである。

 

 それをモブ視点からみた場合、自分が出走するレースに全ネームドウマ娘が出てくる可能性があることになる。最早どこの世代だとか言ってられない事態だ。多分、誰の育成シナリオというわけでもないのだろう。だからこそオグリキャップ世代がメインと決め打ちするとか、あるいは世紀末覇王に合わせる意味は無くなってしまう。

 下手すると芝のスマートファルコンとか、有記念に最適化されたハルウララとか、ステイヤーのサクラバクシンオーすらも紛れているかもしれない。そんな世界に降り立ってしまったのである。

 

 そして全世代バトルということは、クロフネみたいな未実装ウマ娘もこの世界に溢れているということだ。フランスにはブロワイエが居るかもしれないし、下手したらアメリカでサンデーサイレンスが現役で走っているかもしれない。

 というか地方に逃げようと思っても、オグリキャップやイナリワンはもちろんのこと、盛岡にはメイセイオペラやトウケイニセイ、大井にはアブクマポーロ、船橋のフリオーソに宇都宮のカネユタカオーなど錚々たる面子が揃っているのか。オグリ関連で笠松がある以上は大井しか出てきていない地方のレースもこの世界にあるとは思うけど……うん。

 

 もっとも私自身が中央のウマ娘である以上は、地方で出走する場合は交流レースになるから、中央から刺客がやってくるかもしれないことには結局変わりがない。

 

 

 とはいえ、そんな魔境であっても2連続で2着を取ったことで、私の賞金はとりあえず440万円となった。ネームドに勝てずとも2着が取れるならこのまま未勝利戦で高順位を重ねて賞金荒稼ぎするのも1つの手ではあるが、そこまで脳死でこの競走社会を乗り越えることは難しい。

 そもそも、来年の夏ごろには未勝利戦自体が無くなる。それまでに勝利できないウマ娘に用意される道は主に4つ。

 

 分かりやすいのは、引退しトレセン学園を中退。1度も勝てないウマ娘と聞いて最もピンと来るルートは多分これの気がする。とはいえ、それ以外の選択肢もある。

 第2の選択としてあり得るのが、地方のトレセン学園に転校するという手段。地方の場合は未勝利戦が来年夏以降も設置されているので、1度も勝てなくとも現役を続行できる。というか、そうじゃなきゃ史実ハルウララ号が存在出来ないし。

 

 3つ目の選択肢として障害競走レースへの転向という手段がある。障害レースには未勝利戦とオープン戦という区分しかないため、こちらも未勝利戦が継続して設置されているためだ。とはいえ競技性が全く異なる上に、レース数自体も少なくGⅠレースも年に2回。加えて短くても2800m前後からで、重賞レースともなれば4000m超えもあり得るステイヤー路線のウマ娘ですら顔負けの超長距離コースばかりであるとなれば、適性が見えるウマ娘はごくごく限られてしまうだろう。

 

 そして最後の選択肢。見落としがちだが、無勝のまま中央トレセンに所属し続けて、ずっと格上挑戦を行い続けるということも出来る。ただし、これを行うウマ娘は極めて少ない。勿論格上の中にぽつんと取り残され続ける精神的ストレスも無視はできないものの、それ以上に致命的なのが出走したいレースに希望者が殺到したときの抽選の際に格下挑戦者はまず真っ先に除外されるという点だ。

 未勝利戦がなくなった後に残るレースにはPre-OPという格のレースがあるものの、これを更に細分化すると1勝、2勝、3勝と区分される。

 ぶっちゃけ未勝利であっても理論上はPre-OPの上のOP戦はおろか一部の重賞レースにすら出走登録だけは出来る。ただ定員を超えた場合に真っ先に除外される。同様に3勝のレースに未勝利や1,2勝のウマ娘が出走登録を行っても全く問題はない。……問題ないが、こうしたPre-OP戦は人気というか需要が高い状況なので規定の水準を満たしていたとしても抽選で除外されることは度々発生する。だから、未勝利で中央トレセンに留まろうとしても、そもそも除外ばかりでレースに出走することすら出来ない、という状況に陥りがちなのだ。であれば、現役続行するにしても出走機会のある地方へと転校するのが無難となってしまう。

 

 

 ということで競走精神豊かなウマソウルを有するウマ娘たちは、未勝利のままであってもいつか再び中央に復帰するための臥薪嘗胆の折とみて、地方へと埋伏するのであった……とはならずに引退を決断するウマ娘もそこそこに居る。

 まず単純な時期的な問題だ。未勝利戦が終わるのはクラシック級の夏である。ということは早熟なウマ娘だと既に全盛期だったりするのだ。未勝利状態から成長が見込めないともなれば見切りを付けざるを得ない。アオハル杯の自チームウマ娘たちも能力限界があったアレが未勝利モブだともっと低い能力値で訪れることもあるということである。

 

 

 そして、それ以上に深刻で逼迫した問題がある。

 

 

 ――それこそが、金銭問題なのだ。

 

 

 

 *

 

 中央トレセン学園こと日本ウマ娘トレーニングセンター学園。最大規模・最新鋭のトレーニング施設を備えており、一般の中等教育機関としての機能の上に2つの寮、更にはアスリートを全面バックアップするだけのスタッフと、更にはウイニングライブのトレーニングのための声楽やダンスの専門家すら雇用し在籍する本学園は、必然ではあるがその運営・維持に莫大な費用がかかる。

 URA管轄の学校だから国公立なのか私立なのか良く分からないけれども、普通の中学・高校レベルではあり得ない設備投資が行われている以上は、いくら国からの助成金で負担しようとも限度というのはあるだろう。

 

 なので学費があり得ないくらいに高騰する。具体的な数字を出すと、1ヶ月で70万円である。たった1ヶ月トレセン学園に通うだけで大学の1年分の授業料くらいはかかっているのだ。言ってしまえば、名門ボーディングスクール相当ということで。当然こんな法外な学費を支払える訳もないので、ほぼ全生徒が奨学金制度を利用している。

 そして肝になるのが、この奨学金制度だ。ウマ娘のレースとは国民的イベントであると同時に最大規模の興行であることから、貧富の格差でウマ娘が進学を断念しないように多彩な補助がなされている。だから奨学金と一口に言っても多種多様だ。

 

 URA独自の奨学金制度ではレースへの出走の奨励も兼ねて、1人辺り『700万円』までを限度として無利子で奨学金を借りることが出来る。それ以上借りる場合は余程経済状況が困窮していない限りは有利子となるが、利率自体は民間の奨学金制度とほぼ同等で暴利を貪っているわけではない。

 

 

 ――そして、この『700万円』の無利子奨学金。

 なんと、メイクデビュー戦もしくは未勝利戦で勝利することで事実上『全額免除』となるのだ。

 

 まあ、理屈としては単純でメイクデビュー戦の1位賞金が『700万円』、未勝利戦だと『500万円』程度で自ら勝ち取った賞金で肩代わりしているだけと言えばそうなのだが、1勝することでURAから「この子は走れる」と評価されるわけだ。

 

 未勝利戦なら200万円ほど得をするわけだが、実際のところ賞金が全額競走ウマ娘の懐に入るわけではないのでメイクデビュー戦勝利であってもウマ娘側が得をする制度であり、それは同時にURAが彼女らの学費の一部なりとも自腹を切っているということになる。

 

 未勝利戦が途切れるクラシック級の夏までは、最短でも入学からおおよそ1年半。単純計算でその時点までに学費だけで1260万円に膨れ上がっている。

 いくら5位までに賞金が割り振られるとは言っても、1ヶ月の学費70万円をレース1回で稼ぐのには毎月掲示板入りする必要があり、しかも先に述べた抽選の『除外』もあることを鑑みれば、ここまでに勝利していないウマ娘が中央に残り続けるのがいかに難しいのかが分かると思う。

 しかも、この時期まで未勝利だと『700万円』の全額免除措置が消失するのだから猶更だ。どのような手段をもってしてでもメイクデビューか未勝利戦に勝たなくてはいけない。

 

 ……そしてすべてのウマ娘が全員1勝出来るわけではない。多分、これがレース以外で社会生活を営むウマ娘が耳を隠す理由なのだろう。

 たとえ掲示板入り時の賞金や他の補助制度などで負担が軽減されているにしても、社会で生活するウマ娘の多くはそうした奨学金の返済が待ち受けているのだから。

 

 

 と、ここまで考えれば、私が2戦連続2着で獲得した賞金440万円がいかに足りないかが分かるだろう。最低限でも無利子奨学金免除の未勝利戦勝利を飾る必要はある。そして、その為には私の実力では史実ネームドウマ娘の居ない戦場を選択しなければならない。

 

 

 ……ということで。

 今度は、函館レース場のダート1700m未勝利戦を選択。

 

 

 

 *

 

「1着はメジロマックイーン! 2着はメジロマーシャス! メジロ家の2人がワンツーフィニッシュを決めたっ! サンデーライフ、僅かに3着か――」

 

 

 ……百歩譲ってメジロマーシャスは仕方ないとしようか。一応史実のメジロマーシャス号は重賞勝利を飾っているし、秋の天皇賞で8着を取っているから非実装ではあれど、モブよりは強い。

 でも。

 

「……なんでマックイーンさんが、未勝利のダートのマイル戦に出てくるんですか!?」

 

 まさかのダート魔改造マックイーンの登場である。確かにダート適性元々Eあったけどさ、マイル適性なんてFじゃん。

 ……史実メイクデビューで同じ距離のダートで勝っていることには目を瞑る。

 

「……メイクデビューでヤエノムテキさんに負けまして」

 

 

 いや、本来そのメイクデビューでヤエノムテキにダートで負けたのって2着だったメジロマーシャスの方だったはずなんだけど……。

 世代無関係バトルになった結果、メイクデビューから史実ネームドの競合が起こるとか怖すぎるでしょう。

 

 

 ――現在の獲得賞金、550万円。



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第3話 未勝利の壁

 まさかのマックイーンとの対決を通じて分かったことは、未勝利戦レベルの動向だと殆ど史実が参考にならないということ。そしてメジロマーシャスクラスの未来の重賞ウマ娘相手だと今の私は苦戦するということだ。

 

 メジロマックイーンの本命ではないダート、しかもマイルという場において、オールC適性の私が負けたということはマックイーンが因子魔改造の分もあるだろう。とりあえずダート魔改造マックイーンに踏み切ったトレーナーの顔は一度殴らせてほしい。

 一方でメジロマーシャスもまた本来の適性で言えば芝中距離といったところだろうか。だから、こっちも適性外でのレースであったはずだが、それでも私は彼女に負けた。

 

 ただメジロマーシャスとは結構僅差ではあったために、ダートでレースを繰り返せば展開次第では勝てる気はする。マックイーンは正直無理。

 

 それを踏まえつつもちょっと考え方を変えてレース選定をしてみる。

 というわけで、選んだレースは新潟レース場の芝・1000m。GⅢのアイビスサマーダッシュで使われているコースであり……トゥインクル・シリーズが開催されるレース場においては唯一直線のみで構成されている競走だ。

 

 直線のみ、ということでコーナー専用のスキルが全部死にスキルとなる。そして現時点でスキルガン積みで来るのはネームドくらいだろう。多分固有スキルに『最終コーナー』みたいな記載があるやつもこの新潟の直線レースでなら死にスキルになるはず。

 そして短距離も短距離だから適性不一致組が来たときにどれだけ勝負になるか確認したい。

 

 

 

 *

 

「――1着はゴールドシチー! 2着は6バ身差でサンデーライフ!」

 

 うん、ゴールドシチーが来た時点で知ってた。そして短距離F相手でも、小手先戦術が全く通用しない。

 でも、何故ゴールドシチーが新潟に? 史実ゴールドシチー号もメイクデビューを負けてから未勝利戦を転々とすることになるのは知っていたが、確か勝ったのは札幌のダート1200mのレースのはず。

 マックイーンは良く分からない感じでヤエノムテキと競合していたけれど、ゴールドシチーも何かあったのだろうか……あ。

 

 そうか、ゴールドシチー号の史実競走は札幌競馬場の改修前だった。このウマ娘世界の『札幌レース場』にはダート1200mのコースがそもそも無い。そういうタイプの改変も起こるのかあ。弱ったな、ますます読めなくなってきたぞ。

 

 

 うーん、ちょっと見直そう。

 スーパークリークと対戦したのが阪神レース場の芝・2000m。

 テイエムオペラオーとは京都レース場のダート・1800mでぶつかって。

 次に当たったのがメジロマックイーン。その時は函館のダート・1700m。

 そしてゴールドシチーと新潟の芝・1000mで激突。

 

 私の適性がオールCだから色々試せてはいる。これは明確なメリットだ。それでいて2着3回、3着1回なのだから悪くは無い。けれど勝ちきれない。

 阪神で会ったクリークは明確に差しであったのに対して私は逃げを選択していた。結果、最終直線の坂で致命的な差がついた。坂が無くても負けていたとは思うがあそこまでは離されなかっただろう。

 

 オペラオーと対戦した京都のダートは一転して平坦なコース。レース展開が高速化してペースが乱されてしまっていた。純粋な速度勝負ならネームドが優位かも。

 

 マックイーンとの函館ダートは、小回りが厳しくコーナーリング技術が要求される難しいコースな上に最終直線が短く先行策を取っているウマ娘に有利だ。そういう意味では長距離ではないがマックイーン向きと言えるかもしれない。

 

 そしてゴールドシチーとの直線コース対決。1000mしかないからハイペースなレース展開になるのは間違いなく、それでバテた先行組を中団から差すのには最適であり、そうした技術がゴールドシチーは早くから完成していたと見れば、確かにこのレースに出走するだけの合理性はあった。

 

 即ち、後から分析すれば1位になったウマ娘には1位になるだけの理由がある。翻って私はあらゆる場所であらゆる作戦が取れるフリーハンド性をまるで生かせずにずるずると負け越しているのだ。

 

 4レースのうち最初の阪神を除く3レースは、平坦なコースばかり選択していた。つまり、よりスピードの要素が顕著に出るコースである。

 

 絶対的な速度で勝てない以上は、極力荒れたレース展開になりやすい場所を選択して、意表をついてレース自体を壊す必要がある。そういう意味では平坦なコースを選んでいること自体は間違っていない……あれ? 振り出しじゃない。

 でもスピードだけで決まらずにより複合的な要素が勝敗に関わるレース展開も試す必要があるかもしれない。

 

 となると……中山か。中山レース場の芝・2000m、行ってみましょうか。

 

 

 

 *

 

「――サンデーライフ、6着! これまで好走を続けてきて2番人気であったサンデーライフ、何と着外に沈みましたっ!

 1着はリトルココン――」

 

 リトルココンも居るんかい! そりゃ中距離の技術力で負けるよ。

 

 しかし分かったことがある。技巧的なレース技術が求められる場所では私はむしろ弱くなる。つまり今の私はパワー・根性・賢さみたいな諸々のステータスは他の一般ウマ娘の平均かそれ以下であるということ。むしろスピード勝負に持ち込んだ方が遥かに勝機があるということ。それが分かっただけでもここの6着は無駄ではない。

 

 ただ、それ以外にも。どうしても知りたいことがあった。

 

「ねえ、リトルココン……さん!」

 

「……なに? アタシこれからウイニングライブの準備しなきゃなんだけど」

 

 案の定というか、むしろ無視されなかっただけマシと思った方が良い反応が返ってくる。そりゃあ、全く会話したことないウマ娘がレース直後に話しかけてくるとか、逆の立場だったら怖すぎる。

 

「あなたはどうして、このレースを選んだのか教えてくれませんか?」

 

「……なに? アタシが居なければ良かった、という類の嫌味?」

 

「え、いや。そうじゃなくて……ですね。

 ――中山に、特別な思い入れでもあったりするのかなって……」

 

「……? 別に、何もないけど。

 近場でタイミングが合ったのが、このレースだっただけ」

 

 

 中山レース場は千葉県船橋市にある。東京レース場がトレセン学園のすぐそばにあるのを除けば、その次に近いトゥインクル・シリーズの開催地が中山なのである。え、大井? あそこはローカル・シリーズだし……。

 

 そしてこのリトルココンの発言は、重大な示唆を含んでいる。というのも、普通のウマ娘は一々レース場の適性まで見据えてレースの選定を行わないということだ。今までナチュラルに私は遠征を繰り返していたが、効率を考えればトレセン学園の近場のレースで済ませてしまった方が良い。特に実力差があるのであれば。

 もう少し真面目に考えるにしても、同じレース場で芝の状態やコースの形状などを何度も身体に覚えさせる方が有利なのは明らかだし、その為にはやっぱりトレセン学園から近いレース場の方が良い。

 

 勿論、最終直線が長ければ差し・追込が有利で、短く平坦なら逃げ・先行が有利みたいな相性もある。その相性と自身の適性からレース場を選択する子も居るとは思う。でも、今までに出会ってきたネームドウマ娘たちは、もっと深いところまで見据えてレース場を選定していた。その両者の差は一体何か?

 

 私が考えるに。

 

 ――トレーナーの有無である。

 

 トレーナーがどのような判断基準でレース場を選んでいるかは想像で補うしかないが、メイクデビューや未勝利戦のようなある程度戦うフィールドを選べるレースにおいては、脚質による相性の差みたいな漠然とした水準ではなく、もっと個々のウマ娘の性質や気質を見て横断的に出走レースを決定している……かもしれない。

 だったらダート魔改造マックイーンなんてやらないで、と思うけれども、それも踏まえた上での判断なのだろう。あるいはこの世界はアプリ時空に似ているが、トレーナーが各ウマ娘の情報を数値的情報で理解するところまで『ゲーム的』ではないということかもしれないが。

 

 そのマックイーントレーナーにしたって小回りが得意であることを見抜き、函館を選択しているのだからただの考えなしというわけではない。

 

 一方で、リトルココンや私にはそうしたアプリトレーナーともいうべきような……専属トレーナーの存在が無い。レース出走の事務手続きや練習やトレーニングを全体監督してくれる人は居るけれども、個々のウマ娘に対してきめ細やかな癖まで見抜くのにはやっぱり専属トレーナーは不可欠だ。

 

 でも、いくら最先端の設備が整うトレセン学園であっても、ウマ娘1人に対して専属トレーナーを全員に置くことなんて物理的に不可能だ。リギルやスピカみたいなチームも無さそうだし、アオハル杯復活とかも起きていない以上、チームトレーナーという概念は多分無い。

 となればネームドウマ娘との差はやはり大きい。だが一方でモブの子らはトレセン学園から近いレース場、あるいは自身の脚質と単純に照らし合わせたレース場を選択する傾向にある。

 ……近場がハイレベルになるなら、中山や東京レース場よりも遠方のレース場を主戦場にした方が戦績は良くなるだろう。

 

 そして一般ウマ娘の脚質選択傾向があるならば。試したいことが生まれた。

 

 

 目指すは――福島レース場・芝1800m。

 

 

 

 *

 

 福島レース場を選択した理由はいくつかある。まず最終コーナーがスパイラルカーブという入りが緩やかだが出口がキツいカーブになっている。これで外に膨らみやすい一方で速度を落とさずに最終直線に入ることが出来る。

 そして最終直線の距離そのものも比較的短い。それらが意味することは……逃げ・先行が有利なのである。

 

 更に第2レースを選択。福島レース場は後のレースになるほどインコースの損傷が激しいと聞いていたのでなるべく芝が荒れていないレースを選択した。

 

 またコースの高低差はそれほどでもないが、上り坂と下り坂が細かく存在している。最終直線も上り坂となっている。

 パワー不足気味の私にとって本来不利に働く要因であるはずだが、私の特性的に最大の武器がある。

 

 それは。

 全距離適性を可能とするスタミナである。

 

 逃げ有利であることを踏まえれば私が何をしようとしているか、分かるだろう。

 

 ――大逃げによる超高速展開に持ち込み、泥沼のスタミナ消耗戦を強要するのだ。

 

 逃げ・先行が有利ということは他のウマ娘も承知のことであるので、差しを選択するウマ娘の姿は少なく、追込に至っては存在しない。

 単純なスピード対決にもつれ込めば史実ネームドに勝てないのであれば、逃げ・先行を全部巻き込んでの消耗戦に勝機を見出すしかない。

 

 

 そして、そんな計略を練っていたこの場に現れたネームドウマ娘は――逃げを得意とするアイネスフウジンであった。

 芝・マイルであることを考えれば、今までのネームドのなかでも適性が合致しているのは間違いなく、中距離に対応出来る彼女のスタミナを削りきるのは至難の業であろう。

 

 

「――1番人気はアイネスフウジン。人気は圧倒的ですよ」

 

「そうですね。メイクデビューで2着、前走でも同じく2着でしたがしかし僅かにクビ差でした。今度こそは、と逆に自信を深めているかもしれませんね、この中では頭1つ抜けたウマ娘です」

 

 実況と解説が話すように人気はアイネスフウジンが圧倒的だ。ちなみに私は前走6着が影響して3番人気となった。

 

「――3番人気は、伏兵・サンデーライフ。果たして今日の彼女の走りはどうなるでしょうか」

 

「距離はおろか、芝・ダート不問で活躍するオールマイティーな珍しいウマ娘ですね。能力的には綺麗にまとまっているとは思いますが、今のところ相手に苦しめられている、といった印象です」

 

「自在な適性は作戦か、はたまた器用であるが故の迷いなのか。その真贋はレースを見れば明らかになることでしょう」

 

 

 ……少なくとも、今回の選択は作戦だ。そう思いつつも、意識をレースへと向ける。

 

 全員がゲートイン。そこからスタートまでは短い。

 

「各バ一斉にスタートを……おっと、サンデーライフ素晴らしいスタートを切りました! そのまま先頭を譲らない! 今日の彼女は逃げを選択した模様です」

 

「レースが始まるまでどういう走りをするのかが読めないというのが彼女の強みですからね。……おや、逃げにしても速くないですか?」

 

「おおっと! スタート直後にも関わらず先頭サンデーライフと2番手の差は何バ身も広がっていく! これは逃げでもただの逃げではないっ! 掛かっているのか、はたまた大逃げという大博打を選択したのか!?」

 

 

 

 ――現在の獲得賞金、710万円。



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第4話 ジュニア級未勝利の連戦

 トップスピード勝負になった場合、アイネスフウジン相手に勝ち目は無い。だからこそスタミナ消耗戦に持ち込む必要があるのだが、これが難しい。

 

 大逃げと一口に言っても、己のフルパワーを使ってリードを作りすぎれば「こいつは後で垂れる」と思われて足を溜められてしまう。そして終盤で垂れること自体は全く正しいために、末脚の類が全く伸びない状態であっても逃げ切れるように、ある程度のリードは必須なのである。

 

 言わばハッタリだ。

 相手に「もしかしたらこいつは逃げ切ってしまうかもしれない」と思わせることである程度追従させる。しかし終盤のためにセーフティーリードは保っておかないといけない。

 それで初めてスタミナ消耗戦の土俵に上げることが出来る。

 

 幸い逃げ・先行が多いレースだ。引っかかる相手は居るはず。ただ、問題はこれがアイネスフウジンにどこまで通用するのかという点に尽きる。

 

 ちらりと後ろを窺う。

 私が大逃げだと分かった時点で、逃げウマ娘は私から少し距離を置き始めているが、それでもかなり早いレース展開に己のペースを見失っていてただ私との距離にてペースを推し量っているようにも思える。

 

 実はペースを上げたり落としていたりするのだが、2着との間にある差は縮んでいない。ちなみにペースを上げているのは私が坂を上り切った直後だ。距離を一定に保とうとするのであれば、後続は坂道での加速を余儀なくされる、という算段である。

 最初私が大逃げだと判断出来るまでのホームストレッチでの坂でも加速を強要しているので、仕掛けは合わせて2回。……これをマイル戦で出来るからこそ福島を選んだのである。

 

 第3コーナーから第4コーナーにかけては勾配は無い。後は最終直線に入って緩やかな下り坂の後にラスト1ハロンで登って終わる。

 

 最後の上り坂で私は間違いなく失速する。で、あれば仕掛けは早い方が良い。

 ただ大逃げをとっている私にとって今更ロングスパートも何も無い。ここからは如何に速度を落とさないか、それが大事となる。

 

 残り3ハロン。

 まだ第3コーナーの中ほどだ。後続との差は詰まらず、一定距離が保たれている。

 

 そのまま残り2ハロン。

 この辺りで第4コーナーが終わりへと差し掛かる。福島の直線は中山よりも18m短い。だからこそこのコーナーから後続はスパートをかけてくる。

 

 残り何バ身の余裕があるか、私にはもう分からない。後ろを振り向く余裕はとうに無くなっていた。ただ足音が近づいてくる感覚がある。それが実際の音なのか心理的圧迫感が生み出す幻聴なのかすらも分からない。

 

 

 そして、最後のハロン棒。

 と、同時にここから上り坂である。

 

 坂を上る。まだ後続は来ない。

 坂を上る。足音はずっと耳にこびりついている。

 この坂の高低差は1.2メートル。勾配も特筆するほどではない。

 

 わずか数秒で上りきる距離。にも関わらず、今の私には随分と長く感じた。

 

 ようやく坂を上りきる。残り50メートル。

 後続は来ている。が、まだ私が先頭であった。

 

 勝利が眼前に迫り、ようやく手が届くところまでやってきた。

 

 

 ……はずだった。

 

 

 

 *

 

「サンデーライフ逃げ切るか! いや、後続の脚色も良い! アイネスフウジン更に加速する! サンデーライフ、アイネスフウジン同時にゴール板を駆け抜ける! ……僅かにアイネスフウジンが体勢有利のようにこちらからは見えましたが……」

 

 

 ……ゴールの目前で、私は風神の暴風を確かに感じた。

 

 ゴールした私はその場に倒れこみ、電光掲示板へと視線を向ける。

 

 

 ――確定。

 

 サンデーライフ――クビ差で2着。

 

 

 

 ……現在の獲得賞金に180万円が加算され890万円となった瞬間であった。

 

 

 

 *

 

「……嘘、でしょう。アイネスフウジンさんのラップタイム、私の大逃げでも全然崩れていないじゃない……」

 

 あの福島でのレースの後、アイネスフウジンから「最後まで追い付けないと思ってヒヤってしたの!」と言われ、そのまま連絡先を交換することとなった。それ自体はとても良いことだったのだけれども、トレセン学園に帰還した後にレース映像を分析し直してみれば、アイネスフウジンが私の大逃げに全くかかることなくほぼ正確にタイムを刻んでいたことが判明。厳密に言えば第1,2ハロンで僅かに乱れが見られるものの、第3ハロン以降のラップタイムはすべて0.5秒以内に収まっている。

 確かに言われてみれば、最終直線まで彼女の姿を視認することは無かったけれども、掛からずに自分のペースを刻むことが出来ているのはとんでもないことである。

 

 ただし彼女が掛かっていなかったということは逆に考えれば、私が最終直線で思ったよりも失速していないことを示しているとも言える。

 ただしタイム自体はそこまで速いわけでもない。そこを切り取ればアイネスフウジンが思うようにラストスパートで速度を出せていなかったと取ることも出来て、その場合では私の作戦は効果があったのかもしれない。

 

 専属トレーナーが居ないから、全部憶測の話にしかならないところがつらいところだ。

 

 それでも私なりに結論付けるのであれば、大逃げは有効、だけど決定打にするにはもうひと手間要る……といったところだろうか。

 しかも一度手札を見せてしまった以上は、奇襲効果は次走以後では半減する。

 

 

 ただ……次のレースが事実上ジュニア級最後のレースになるだろう。休養を挟み12月の後半に登録する次の予定レースで勝っても負けても、その更に次走はクラシック級のレースとなる。

 クラシック級の未勝利戦になれば、強いウマ娘達は先に1勝を上げているから段々とレベルが低くなる……ということは残念ながら無い。アプリ育成だと一律ジュニア級6月でメイクデビューを飾るものの、実際にはそちらの方が日程的にはかなりハードスケジュールだからだ。私も何も考えずに6月メイクデビューにしちゃったけどさ。

 

 なのでジュニア級の間にしっかりと実力を付けたいウマ娘や、実際に出走してみてのレース勘などよりもトレーニングを重視する子などは早期のデビューを見送ることもある。ただレースに出ても出なくても、月70万円の学費は発生し続けるし、メイクデビュー・未勝利戦の終了はクラシック級の夏であることは変わりない。

 経済的な余裕と長期的な計画立案能力、更には短い未勝利戦期間中に勝利を挙げられると判断出来るだけの潜在能力が無い限りはその決断は出来ない。だからこそ、ここまでデビューを遅らせてきたウマ娘の実力は決して先んじてデビューした者らに劣ることは無く、それはメイクデビューに敗れて未勝利戦にやってきたウマ娘であっても同様だ。

 あるいは脚部不安などの身体上の不安要素がある場合も、調整期間を長くとってデビューを遅らせる可能性はあるけどね。

 

 ……本来それら前者の要素を全て兼ね備えるはずの大器晩成タイプのメジロマックイーンがダートで早期デビューを果たしている以上は、ネームドのウマ娘がジュニア級時点で才能が開花しきっていない訳でも無さそうなのが怖い。

 『一番速いウマ娘が勝つ』と言われる皐月賞――この『速さ』には速度の意味も勿論含まれるが、同時に『早熟性』という成長スピードの速さも勝敗を決定しうる要素となる。けれど、この世界がネームドウマ娘たちにアプリのごとく専属トレーナーが付いている以上は、大器晩成型のウマ娘であっても皐月賞までに仕上げてくることもあると考えるべきだろう。ジュニア級年末で未勝利の私は皐月賞などというGⅠレースを語ることの出来る場所には立っていないけどね。その頃までには1勝出来たらいいなあ……と思うくらいである。

 

 

 

 *

 

 さて、ジュニア級12月と言えば、最初のGⅠが執り行われるタイミングである。ホープフルステークスは本当に年の末であるために、まだ行われていないが、私の出走レースが来る前にそれ以外のジュニア級GⅠレースの結果が出たようだ。

 とはいえ結果だけ見れば順当と言えば順当だ。

 

 阪神ジュベナイルフィリーズの勝者がゴールドシチー。そして朝日杯フューチュリティステークスはアイネスフウジン。どちらも未勝利戦でぶつかり敗北した相手である。

 

 一応着目すべき点としては阪神ジュベナイルフィリーズの方にニシノフラワー、ウオッカ、ヒシアマゾン、メジロドーベルなどといった名前が出ておらず、朝日杯フューチュリティステークスにもマルゼンスキー、ナリタブライアン、ミホノブルボン、グラスワンダーなどの名前が無い。

 確定ではないがこれらのウマ娘は同期ではないのかもしれない。

 

 ただ朝日杯の方には2着ハナ差でフジキセキ、3着サクラチヨノオー、5着ヴァイスストーンなどといった錚々たる面々が名を連ねていた。栗東の寮長も同期だし、割とあっさり無敗神話が崩されている辺り、無慈悲に結果が変わるのだと驚愕。

 

 このガチ面子の中で勝ったアイネスフウジンは、多分勝利後でウイニングライブをする前のタイミングで私にメッセージが送られてきていた。

 いや、凄く嬉しいしすぐに返信したけど、アイネスフウジンにとって高々未勝利戦で戦った私のことってそんな大事なタイミングでメッセージする相手になっているのは意外と言えば意外である。

 

 

 それと、5着のヴァイスストーンってアニメ準拠のホワイトストーン号のことだったような気がするが……。節々から感じていたことではあったが、この世界を完全にアプリ時空と同一と考えるのは時期尚早かもしれない。全世代バトルロイヤルなことくらいにとどめておいた方が良いかも。

 

 

 なお、メジロマックイーンは12月中旬に川崎レース場で実施された地方で開かれるトゥインクル・シリーズとの交流重賞レースである『全日本ジュニア優駿』に勝利していた。

 いや、レース格付けJpn1で日本国内ではGⅠ勝利と同等の意義を持っているから上述の2人に並ぶ栄誉ではあるんだけどさ、うん。

 『全日本ジュニア優駿』ってダート1600mなんだよね……。本格的にダート路線進んでいるけど、正規の春天連覇ルートに戻ってこれるのかなこのマックイーン。

 

 

 

 *

 

 さて。肝心なのはGⅠレースではなく、自分のレースだ。

 12月の寒空の中で、私が選択した今年最後の舞台は――函館レース場。前に一度マックイーンとメジロマーシャスの2人と戦ったレース場である。

 

 しかし、今回は芝の1200mを選択。もちろん理由はある。函館の芝は他の多くの国内レース場と芝質が決定的に異なり、ヨーロッパのレース場に近しい。理由としてはそんなに難しい話ではなく北海道の生育環境では日本の芝は寒すぎて不向きだからだ。なので同様の理由で札幌レース場にもヨーロッパ由来の芝が利用されている。

 芝質の違いは、ウマ娘にとって決定的な勝敗を左右する要因になりかねない。もちろん函館や札幌の芝にマッチングする子もいるだろうが、中央トレセン学園に通うウマ娘にとっては未知の芝質に近い。ぶっちゃけ私も初挑戦だ。

 一般的な傾向としてはそもそも使用されている芝が違うことから植物としての性質が全く異なるために、根の張り方が異なる。それがレースにおいてはバ場の柔らかさへと繋がり、脚が持っていかれやすく良いタイムが出にくい。

 

 坂などは少ないものの、短距離でもパワーとスタミナを要求されるコースだということだ。そしてかつて負けた中山のように難しいアップダウンは無くほぼ平坦であることから、技術云々よりもスタミナごり押し戦術が有効だと私は考えた。

 そして仕込みのもう1つが実況席からもたらされる。

 

「――雪の降る函館レース場。バ場状態は『重』と発表されております」

 

「今朝から降り続いていますからねえ、遠目からですが芝の状態は水分を多く含んでいるようにも見えますね」

 

 この悪天候こそ、狙っていた。雪の重バ場。函館の12月の雪日数が過去30年平均でおよそ25日。つまり1ヶ月のうちほとんどは雪が降っている。実際レース中に雪が降るか否かについては運の要素も多分に含まれていたが、これで更にスタミナを必要とする環境を用意することが出来た。バ場状態だけではなく出走までに身体を冷やして体力を消耗する子もいるだろうし、体温低下を嫌って念入りにアップを行って日ごろと違うコンディションで望むことで調子を崩す子も出てくるかもしれない。

 そのリスクは当然私にも降り注ぐが、しかしメイクデビューから数えて7戦目である私にとってそれくらいのハプニングは織り込み済みのものであった。

 

 ……いや、うん。今更だけど冬の北海道レースとかよくやるよ。確かにアプリのルームマッチで雪降らして遊んだりしていたけど、本当にこの時期に興行するんかい。

 

 

 そしてもう1つ。

 最終直線は福島よりも更に短い。ということは先行型が有利。

 

 スタミナが必要で逃げ・先行が有利な舞台。そして前走で大逃げでGⅠ勝利ウマ娘に迫ったとなれば、誰しもが再びの大逃げ戦術を取る……と考えるだろう。

 

 そう思っているところを――差す。先行集団の後方に位置付けてカーブから加速してロングスパートをかけて、勝つ。

 そのために、これだけ高速化しないような舞台を選択したのだから。

 

 

「……さあ、本日の5番人気。サンデーライフの登場です」

 

 

 ――え? 5番人気?

 

 

 

 *

 

「――確定いたしました。

 1着にマックスビューティ、2着はメジロモントレー、3着ダイナガリバー、4着メジロパーマー……ここまでが大混戦の模様でした。

 そして5着にサンデーライフ」

 

 

 未勝利戦で、重賞レース並みの豪華メンバーが揃うのは駄目でしょ!! 策を練って勝てる次元を超えてるじゃん!

 

 

 ――現在の獲得賞金、958万円。



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第5話 中山の桜吹雪

 ここまで未勝利戦に出続けていて今更言うのもあれなのだけれども、この世界の未勝利戦は一律9人で行われる。だから、そこに重賞クラスのウマ娘が4人押し寄せたのは流石に想定外だ。

 

 史実のマックスビューティ号は、桜花賞とオークス勝利でティアラ路線で2冠を成し遂げた上に8連勝という記録も立てた『究極の美女』という綽名を有する女王。

 メジロモントレー号はオークス5着で重賞3勝。

 ダイナガリバー号は日本ダービーと有馬記念を取っている年度代表馬、まかり間違っても今の私が勝てる相手じゃない。

 そしてメジロパーマー号については最早説明不要と言って良いくらいの春秋グランプリ覇者。

 

 GⅠレースで相まみえても全くおかしくない面々なのに、どうして未勝利戦で激突するんだ……。というか百歩譲ってレースの格は目を瞑るとしても、芝1200mの短距離レースでぶつかる面子でも無いでしょう、これ。全世代バトルロイヤルがどれだけ魔境であるかを如実に表している。

 

 パーマーが逃げ適性なのは言うまでもないことだが、マックスビューティやダイナガリバーも逃げ・先行タイプである。しかしメジロモントレー号ってイメージとしては差し勝つ印象があったけど、今回のレースでは普通にマックスビューティの後ろを2番手で追走していた。

 つまりは、レース場の性質に合わせて作戦を変えてきている、ないしは得意戦術で挑める場所を選定しているように思える。というか、この世界線のメジロ家はどうして同家対決をこんなにしたがるのか、これが分からない。

 

 私が負けた4人のウマ娘が専属トレーナー持ちかどうかは不明だ。でも逃げに有利な場所では逃げを選択する子が多いといった戦術傾向はこれで確実と言って良いだろう。

 さて、それを踏まえて次期レースは……と思っていたら、スマホにメッセージが届いた。

 

 アイネスフウジンからで、内容としては『同室のメジロライアンが帰省して寂しいから一緒に動画配信で有見ない?』といった趣旨のお誘いであった。私の同室の子も既に帰省してしまっていたので快諾する。

 

 

 

 *

 

「サンデーライフちゃんが居て本当に良かったの! ほら、ライアンちゃんには友達連れ込むこと言ってあるから遠慮しないで、上がって上がって!」

 

「う、うん……、あっ! メッセージでは送ったけど改めて。

 朝日杯フューチュリティステークスでの1着、本当におめでとう!」

 

「えへへ、ありがとね、サンデーライフちゃん!」

 

 アイネスフウジンの部屋に来るまでにざっとアイネスフウジンとメジロライアンの2人の出走レースを見直していた。

 ライアンはどうやらPre-OP戦である1勝クラスを勝利したところで今年が終わったみたい。翌年からオープン戦に戦場を移して本格化していく予定……そんなことをインタビューで専属トレーナーとともに答えている姿が動画サイトに上がっていた。

 

 一方で朝日杯フューチュリティステークスの覇者となったアイネスフウジンは、どうやら私と激突した福島での未勝利戦の後に、そのまま朝日杯へ直行したみたい。それでGⅠを獲っちゃうのだから凄いよなあ。

 

 ちなみに、このアイネスフウジンが勝利した朝日杯フューチュリティステークスの1位賞金でも7000万円だ。私が目指す『楽をして生きる』ための『自分の手元に3億円』という目標は、このアイネスフウジンクラスのウマ娘になったとしてもまだまだ道半ばでしかない。

 当面の私の中期目標は、学費分を自弁することと、後は早々に未勝利戦で1勝を挙げて無利子奨学金の免除措置を獲得することだ。

 

 しかし、そんな未勝利ウマ娘の私が、アイネスフウジンと何故か仲良くなるなんて。何が起こるのか分からないとは、まさしくこのことである。

 

「でもサンデーライフちゃんが寮に残ってて本当に良かったの!」

 

「あー……まあ、最近レースに行っちゃったからね、クールダウンのためにもトレセン学園に居る方が楽ですし」

 

「えっと……函館だったよね? 凄いメンバーが揃ってたって話題だったのー」

 

 アイネスフウジンに把握されててびっくり。でもトレセン学園で話題になってたかー。

 

「あはは……、あ! ほらほら、もうそろそろホープフルステークス始まりますよ、アイネスさん!」

 

「わわわっ、本当なの……」

 

 

 ホープフルステークス。年末最後のジュニア級GⅠであり、アプリ的にはマックEーンことランクEのマックイーンが大量生産されることで有名なレースである。なお、このホープフルステークス、厳密ではないが概ね12月28日に開催されるため、12月の第4日曜日開催である本来の『有馬記念』よりも後に開催されることもしばしばあったはずだが、何の因果かこの世界線ではホープフルステークスと『有記念』は中山での同日開催という狂気を孕んだ日程組みがなされている。

 いや、そのスケジューリングはホープフルはホープフルでもオープン戦特別競走だったかつて存在した同名の別レースなんだよね。

 国際GⅠの同日開催とかURAは正気なのか? ……まあ、国外に目を向ければアメリカのBCとか、凱旋門ウイークエンド、香港特別競走にドバイワールドカップナイトとかあるけどさ。

 

 そりゃファン目線で見れば同日にデカいレースが2個もあれば嬉しい……いや? 嬉しいのか? ウマ娘レースが国民的行事となっているこの世界でなら有だけでも異次元の混雑になるのに、そこにホープフルステークスも重なるとなれば中山に入場出来ないファンが大量発生するだけなんじゃ……って、そっか。

 中山レース場の周辺地域への迷惑を少しでも減らすための措置なのかもしれない。どうせホープフルステークスだけでも大人気なのだから年末に2日間も公共交通機関の混乱などを招くなら同時にやってしまえ、という強硬策なのだろう。

 

 付け加えればこれらのGⅠを『レース』としてではなく『ライブイベント』として見るならば、ジュニア級中距離の王者と有の覇者のウイニングライブが同じ日に見られるとかチートセトリすぎる。

 

 

 *

 

「――アグネスタキオンが、ここは悠々とゴールインしてレコード! ジュニア級ながらも日本レコードに0.1秒まで迫りましたコースレコード。アグネスタキオンが勝ちました――」

 

 ホープフルステークスはアグネスタキオンのレコード勝利だった。そこの世代も同期ということはマンハッタンカフェも後々競合してくるかもしれないなー……。

 

「やっぱりタキオンさんってすごいのー……」

 

 あ、そういえばアグネスタキオンってトレセン学園自体にはずっと所属しているけれども、生徒である以前に研究者だ。生徒会には問題児として認識されて保護者としてマンハッタンカフェが付けられているけれども、彼女の資質自体はメイクデビュー以前から隔絶したものである……確か、マンハッタンカフェの育成シナリオの文脈に沿えばそんな感じだった気がする。

 だからアイネスフウジンがタキオンのことを認識していてもおかしくない。……良くも悪くも有名人だろうし、タキオン。

 

 そして、この学費が莫大なトレセン学園で己のデビュー時期を大きく遅らせているというのは既に研究者として名声を得ているタキオンならではのことだろう。実際の競走馬であれば中央におけるデビュー時期というのは年齢によって定められてしまうが、そもそも一切のレースに出ないという判断をするのであれば別の年に出走することも可能なのだろう。その判断が出来るのはお金に困っていないからという側面はあるだろうが、そうでないとクラシック級において中等部生と高等部生の対決などという狂気の沙汰は発生しないからね。高等部からの入学も大いにあるとは思うが、人間で考えたらインターミドルとインターハイを同じ土壌で戦わせているのだから中々にURAはヤバいことをしている。ま、その辺りはウマ娘個々人の成熟性が人間よりもムラがある部分なのだろう。

 

 それこそタキオンがアプリの中で言っていた『ウマ娘は、存在自体が深淵』であることに繋がる一要素とも言い替えることが出来る。

 

 

 閑話休題。

 そんなタキオンの走りに魅了されたように呆然としているアイネスフウジンが私に語り掛けてくる。

 

「ね、サンデーライフちゃんは、来年はクラシック路線を目指すの? それともティアラ路線?」

 

「いや、私まだ未勝利ウマ娘なんですけど……」

 

「あたしが自分で言うのもあれだけど、朝日杯フューチュリティステークスの勝者にクビ差まで迫ったサンデーライフちゃん、滅茶苦茶注目されているからねっ!」

 

 

 え……マジですか。

 改めて客観視して考えてみる。

 朝日杯フューチュリティステークスの勝者アイネスフウジンにはクビ差2着。

 阪神ジュベナイルフィリーズの勝者ゴールドシチーにもボロ負けしているがそこでも2着で、ついでに全日本ジュニア優駿に勝ったジュニア級ダートの覇者メジロマックイーンとも対戦経験があるわけで……あれ?

 

 タキオン以外のジュニアGⅠ勝者と競走経験があるじゃん私! そりゃ注目もされるよね。だからアイネスフウジンは私がクラシック級で春の重賞戦線に躍り出ることを微塵も疑っていない。

 

 そして加えて言うのであれば。重賞レースは基本的に出走登録を行うのに1勝することが必要要件となることが多いが、クラシック級春のGⅠレース5種――皐月賞、日本ダービー、桜花賞、オークス、NHKマイルカップ――に対して優先出走権が与えられるトライアル競走に関して言えば、実は1勝すらも必要なく登録自体は可能である……はずだ。定員を超えれば真っ先に除外されると思うがそれらGⅡ、GⅢレースは合計で8レース存在する。

 もっともアプリの育成システム的には無理だから、確実なことはこの世界における細則を洗い直す必要があるが。

 

「……でも。私、今のところ格上挑戦するつもりは無いからね」

 

「ええー、勿体ないの! それじゃあ、オープン戦に出れるまでに2勝しなきゃじゃん! 皐月賞までにギリギリになっちゃうの!」

 

「……いや、だから出るつもりないって……」

 

 もし未勝利戦に勝利できた場合、格上のレースを狙わないのであればPre-OP戦が待っているが、これはクラシック級の春までは1勝クラスしか実は存在せず、その上はもうオープン戦が待ち受けている。

 その一方で夏以降は2勝、3勝クラスが出来るからオープン戦までの緩衝材が増える。……まあ、夏のPre-OP戦からはシニア級のウマ娘の子たちとの混成レースになるから、痛し痒しである。

 

 とはいえ皐月賞は4月。この際事務手続きの問題は度外視するとして、格上挑戦せずに出るのであれば未勝利戦・1勝クラスと勝ち上がり、更には皐月賞トライアル競走にも出走しておきたい。こう考えると連勝でも最低3レースは皐月賞までにこなす必要がある。アイネスフウジンが言うようにやるなら相当ギリギリなスケジュールだ。

 私にとってはクラシック級GⅠ出走よりも、賞金の方が遥かに大事。いかにGⅠレースであっても出ても6着以下なら賞金は出ない。であれば無理して格上挑戦はせず、着実に賞金を稼いでいきたい。

 

「……というか、アイネスさんは……その、どちらに進むつもりなんです?」

 

 言葉を濁してしまったが、牝馬限定戦という概念の無いウマ娘世界においてはティアラ路線も射程圏内となる。史実アイネスフウジン号は日本ダービーを最後にして引退している。その実力は指折りであったものの、同じく隔絶しているタキオンが居る以上はクラシック路線で楽勝とはいかないだろう。……まあ、この目の前のアイネスフウジンはフジキセキに勝っているからタキオン相手にも決して分の悪い勝負にはならないとは思う。

 

 が、しかし……。アイネスフウジンは私の質問に対して表情を曇らせてこう答えた。

 

「……迷っているの。トレーナーさんとも相談はしているけど、やっぱりクラシック路線だと不安要素が――」

 

「――菊花賞ですか」

 

 無言で頷くアイネスフウジン。

 京都レース場・芝3000m。正直、私の知識としてのアイネスフウジンが長距離を走れるかについては全くの未知数である。アプリでも長距離適性はFだった。

 それを考えれば、最長でもオークス2400mのティアラ路線の方が安全策のように思えるのは確かだ。

 

 ただ菊花賞は秋だからまだまだ先。現時点で長距離が厳しいからと言っても、実際にどうなるかはその時まで分からない。マックイーンがジュニアダートの覇者として君臨しているのだから、適性云々の話は度外視してもトレーナーの魔改造によって何とかなるかもしれない訳で。

 

「それに、レコードのタキオンさんまで居るとなったら、トレーナーにまた相談しなきゃ……」

 

 色々と考えて気付く。多分、アイネスフウジンは私に背を押して欲しかったのではないのかな、と。

 『皐月賞でアイネスさんとバトルだ!』みたいなテンションで私が宣言してしまえば、アイネスフウジンもそれに応じる形できっと、王道路線への挑戦を決心していただろう。

 

 

「……というか、私。アイネスさんとは、もう2度と戦うつもりないですからね」

 

「えー!? そんなの絶対、嫌なの! またサンデーライフちゃんと走るのずっと楽しみにしてるのにー!」

 

「まともに戦って勝負になるわけないじゃないですか……」

 

 これはまごうことなき本心だ。レース場と完全初見の大逃げという奇策。これだけ私に有利な土俵を整えた上で敗北しているのだ。もし次にアイネスフウジンと戦うとなったらその舞台は重賞レース、最低でもオープン戦なのだから未勝利戦のように自分に有利なレース場を選ぶのは難しい。

 そしてこれらのやり取りは、言外に『お前がどのレースを選択するとしても私は絶対出ないぞ』という意図が込められている発言なわけで、逆説的にアイネスフウジンがどういったローテーションを選択しようとも私とは戦えない……つまり、アイネスフウジンのレース選択に『サンデーライフとの再戦』という要素が排除されることとなる。

 

「むむむー! サンデーライフちゃん、ずるいのー! 私に勝ち逃げさせる気なのー!?」

 

「いや、勝ち逃げ出来るんだから良いんじゃないかな、アイネスフウジンさん……って、クッション投げな……ぐへぇ!」

 

 

 へ、変な声出た……。

 

 

 

 *

 

「――では改めて今年の有記念を振り返ってみましょう。

 6着セイウンスカイ。5着キンイロリョテイ。セイウンスカイとキンイロリョテイの間はクビ差……その差が掲示板入りの是非を分けましたね。その前に居ました、4着メジロブライト。

 そして3着にエルコンドルパサー、惜しくも2着はグラスワンダーでした」

 

「いずれの5名も、十分に1着を獲れる資質はあったと思いましたが……今年の有には、彼女が居りました」

 

「……ええ、この結果を予想出来た者はそれほど多くなかったことでしょう。

 1着――ハルウララ! 今年最後のトゥインクル・シリーズGⅠレースを勝利で飾ったのは、JBCスプリントの覇者であるハルウララですっ!

 暮れの中山に桜吹雪を吹かせました――」

 



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第6話 クラシック級2月後半・未勝利戦(京都・ダ1200m)

 有記念の勝者となったハルウララは非常に澄んだ目をしていた。当然のことながら年度代表ウマ娘に選出されていた。

 ……って、このハルウララ、JBCスプリントも1着ってことは育成シナリオに準拠はしているのね。

 

 ということはダートの短距離と芝の長距離のGⅠ両取りということになるが、ある意味シンボリルドルフ以上の偉業でしょこれ。ウララトレーナーの執念が怖いわ。確かにアプリの魔境さのモノの喩えとして有覇者ウララの存在に私は言及していたけれども、まさか本当に成し遂げるとは思わないじゃん。

 面子的にはエルコンドルパサーが何故か出ているとはいえ、ほとんど黄金世代クラシックの時期の有だと考えて間違いない。

 

 黄金世代を相手取って芝で勝つハルウララ、マジですか。私のやっていることってハッピーミークの下位互換どころか、ハルウララの三番煎じということになる。

 

 1つ気になったことは、ハルウララの世代。あまり目立たない話ではあるが確かテイエムオペラオーと同世代だったはず。しかしオペラオーは私の2戦目で激突した相手だ。オペラオーは来年からクラシック級なのに対して、ハルウララは今年有に出た。つまりネームドウマ娘を1人確認したからといって、その世代全員が同じタイミングで走っているとは限らないのだ。

 

 ……とはいえ。当面は関係のないことだろう。未勝利戦の動向レベルだと既に経験しているように流動的な部分も多い。あまりその手の出走レースメタ読みが参考にならない気がする。

 

 

 アイネスフウジンは、有の配信が終わった後も「ウイニングライブを見るまでは」と引き留め、それが終わったらもう遅いから泊っていきなよ、と提案してきたが、流石に事前申請なしで寮の門限を守らないのはまずいので自室に帰宅することにした。

 

 私は栗東寮所属だったからである。

 

 

 

 *

 

 アイネスフウジンと年末を過ごした関係上、その流れで年が明けての初詣は彼女と一緒に行くことになった。

 彼女が私にここまで仲良くしてくれるのは、福島での未勝利戦の一件もそうだが、アイネスフウジン自身が同室であるメジロライアンに対してややコンプレックスを有しており、友達でかつライバルでありながらもやや自身を自虐的に表現する性質に起因するものもあるのだろう。

 

 だって私はメジロ家にボロ負けウマ娘でもあるわけだし。シンパシーを感じなくない要素を含有しているとも言える。

 

 ただ流石に初詣は外出であったので、GⅠウマ娘であるアイネスフウジンにはトレーナーさんも一緒に付いてきた。女の人だった。

 ウマ娘に危害を加えるどうこうは、多分トレーナーさんが何とか出来るものでもないだろうが、ファン対応とかの面では付いてきてくれるのは確かに助かるのかもしれない。

 

 普通に公共交通機関で遠征していても何とかなってる私にはまだまだ縁遠い話ですねえ、これ。

 

 

 そして。そんなアイネスフウジンのトレーナーから私の次走についての探りが入れられた。え、もしかしてアイネスフウジン本人だけではなく、トレーナーさんも私を気にしてるってやつ?

 

 既に出走登録自体は済ませているので、特段隠す必要もないし……アイネスフウジンが人の出走予定を吹聴して回るような子ではないから、という考えで私の次走をアイネスフウジンのトレーナーに伝えた。

 

 

 次の私の舞台は。

 ――京都レース場、ダート1200m。

 

 

 

 *

 

 京都レース場のダートはVSテイエムオペラオー戦で一度走ったことがある。

 一般に言われることは京都レース場のダートの砂質は軽めだということ。つまり高速化しやすい下地がある。

 更に、坂はあるものの第3コーナー付近で終盤の展開に影響はほぼ無い上に、ダートコースだから直線も長くない。福島とか函館よりかは長いけれども、それでも全体的な性質としては逃げ・先行そのまま逃げ切りがやりやすいスピード勝負の舞台である。

 

 実際にオペラオーとの対戦においても速い展開になってしまって、そのまま速度差で負けてしまっている。加えてあの時は1800mだったが、今回は短距離だ。更に高速化は顕著なものとなるだろう。

 

 

 ではスピードバトルを私が追い求めているかと問われれば、実は必ずしもそういう訳でもないと判断させる要素もある。

 

 確かに前に京都ダートは走った。それは間違いない。

 ――ただし、それは夏のことである。

 

 夏と冬で何が違うかと問われれば、当たり前のことであるが気温が違うことは誰でも分かるだろう。

 それと、もう1つ。

 

 冬場は乾燥しており湿度が低い。

 ……いや、湿度が低いという言い方はあまり正確ではないかもしれない。天気予報などでパーセント表示で出てくる『湿度』的には夏も冬も大して違いは無い。そのパーセント表示で表される湿度ではなく、そもそも空気中に何gの水分が含まれているのかという、絶対的な水分量が冬場はその上限値が減っているからこそ乾燥するのである。

 その上限値こそ『飽和水蒸気量』というやつであり、これが気温に相関して指数関数的に変化するからこそ、冬季の乾燥現象が発生する。

 

 ちなみにレースのためにこの辺のロジックを理科の先生に連日突撃して聞いた結果、化学と数学の最近の小テストの成績が上向くという思わぬ影響も生まれたからやっぱりレース様様なのである。

 

 

 今は私の学業成績のことなんてこの際どうでもいいか。

 ともかく話を戻せば、雨の日の方がダートでは好タイムが出やすいという話はよく聞くだろう。あれは土が水分によって固まることで走りやすくなるからなのだが、雨天と晴天のような歴然とした差ではないにせよ、空気中に含まれる絶対的な水分量によっても走りやすさというのは変わってくる。

 

 土埃が舞うようなレースだと、その土埃を動かすために使っている分はそっくりそのままエネルギーロスなのだから、乾燥とはタイムを遅くする要因となるのである。そして今日は晴天で良バ場。天候という運ゲーにはまず勝った。

 

 ……本音を言えば、凍結防止剤を散布してくれれば更に走りにくくなるのだけれども、それは高望みか。あれ、本当に寒いときくらいにしかやらないらしいし。

 

 もっとも冬場のダートコースは晴れていれば、全国どこのレース場でも基本乾燥しているので、ダートを主戦とする子たちからすれば結局京都が相対的に走りやすいコースのままである。

 

 しかし、ここで私が『芝・ダート』兼用であることが効いてくるのだ。

 真に私がスピード勝負を望むのであれば芝の平坦なコースを選べば良いだけなのである。それこそ新潟の直線1000mとかね。

 

 ダートとしてみれば速度勝負の舞台。

 しかし、それを芝も走れる私が選択するということで、私の意図がぼやける。

 

 アイネスフウジンですら私に一目を置いている状態だから、出走するウマ娘たちももう私については警戒していることを踏まえての作戦である。

 

 

 そして、更に私はもう1つ手を打っていた。

 

 

「――サンデーライフ、1番人気です。前走では5着であったはずなのに今回は1番人気となりましたね」

 

「ファンも目先の成績だけではなく見るべきところを見ているということですね。前走とは風格が違いますよ。クラシック級に入ってより鍛え上げてきたように見えます、良いトモです」

 

「ええと、手元の資料ですと体重の増加が確認されていますね――」

 

 

 なかなか迷ったが、体重を増やす方向に踏み切った。

 勿論、ただ食べて太ったというわけではない。除脂肪体重の増加、即ち筋肉の増強に踏み切ったのである。

 

 太り気味ではスピードが出なくなるが、パワーを上げるには筋力が必要不可欠。勿論これまでもトレーニングの中でパワーの強化はやってはいたが、それも身体バランスを保ちながらの話である。

 今回、私は体重が変化するほどに筋力の増強を重点的に行ってきた。最大筋力が上がれば、パワーの必要なダートでも走りやすくなり、相対的にスピードの増強にも繋がる。ただ闇雲に筋肉だけを増やしても酸素摂取効率や容量が大きくなるわけではないので体重増で燃費が悪化して持久力の低下に繋がる恐れがある。つまりスタミナの減りが早くなる危険性があるのだ。

 

 しかし、それでも私は体重を増やした。適性・スタミナ的にも長距離を走れるのだから、スプリンターのウマ娘と比較したときに元々のスタミナ量が違うので然したるデメリットにはならないだろうという判断である。

 そのせいで、1月中は調整のため出走が出来ず。ようやくの出走は前走から丸々2ヶ月が経過した2月下旬であった。

 

 しかし2ヶ月間の成果はファンや解説の目にも、はっきりと分かる差異に映ったようで、今回私は初めての一番人気と相成った訳である。……というか解説の人が私の脚を褒めていたけど、もしかしてこの人気って『がっちりとした脚好き』のマニアによる組織票とかだったりしないよね、大丈夫だよね?

 

 

 ただし。

 私が1番人気ということは有力ウマ娘が居ないことを意味してはいない。

 

「――4番人気を紹介しましょう、マヤノトップガン。前走のメイクデビュー戦における追込ウマ娘・ワンダーパヒュームに対する手痛い敗戦から人気を落としております」

 

「前走では好位を追走しておりましたが、末脚が伸びきっておりませんでした。ですが、潜在的な実力……そして何よりレースへのセンスは他のウマ娘を隔絶しております、決して人気だけで推し量ってはいけないウマ娘ですよ」

 

 脚質自在のマヤノトップガン。彼女が居た。

 解説の言う通り4番人気であることが可笑しいほどのウマ娘だ。マヤノトップガンがどのような戦術を取ってくるのかは分からない。

 今まではその対応策を相手に強要出来ていた私も、今回ばかりはマヤノトップガンへの対策はレースが始まってから彼女の戦術を臨機応変に見極めなければならない。

 

 

 ――けれど。

 

 残念ながら、今日の私はマヤノトップガンに合わせて自らの戦術を切り替える余裕は無い。

 

 

「さあ、ゲートが開きました。1番人気のサンデーライフ素晴らしいスタートです。悠々と先頭に付きました……おや、これはもしかして――」

 

「朝日杯フューチュリティステークスの勝ちウマ娘、アイネスフウジンにクビ差まで迫った前々走と同じ――大逃げですね、これは」

 

「芝のGⅠウマ娘に通用した戦術をダートに持ち込んできたっ! これはサンデーライフがレースを作りそうです」

 

 

 2回目の大逃げ炸裂の瞬間であった。

 

 

 

 *

 

 さて、前回のアイネスフウジン戦で思い知ったが、大逃げは実際の所後続との位置関係が重要になる。だからただの逃げのときにはあまりやらない後ろをちらりと確認する必要がある。

 

 また、ネームドウマ娘のアイネスフウジンに対しては殆ど無意味であった。そのアイネスフウジンに比肩する存在であるマヤノトップガンに今更一度見せた大逃げが刺さるとまで、私は楽観視していない。

 

 しかし。そのアイネスフウジンですら最初の2ハロンはタイムにムラが生じていた。1800m……9ハロンのうちの2ハロンで立て直されたが、今回は1200m……6ハロンしかない。確実にその初手の乱れが終盤にまで波及する確率は高い。

 

 他のウマ娘たちも京都レース場という性質上高速展開自体は想定していただろうが、それでも私が大逃げを選択することに絶対の自信は無かったはず。その僅かな意表は確実にこの乾燥したダートの土とともにスタミナを奪い、パワーを消費させる。

 

 まあ、とにもかくにも2番手との距離感の調節だ。

 それを確認するために私は後ろを横目で見やる。

 

 

「サンデーライフ、2番手から2バ身ほど離して第3コーナーへと入っていきます。やはり短距離ですから大逃げといえども中々振り切れませんね」

 

「ええ。この高速展開自体を予想していた子は多いでしょう……おや? マヤノトップガンが最後方に付けていますね……」

 

「4番人気マヤノトップガン。この高速のレース展開を見誤ったか、現在最後方に位置付けております――」

 

 

 思ったよりも、後続との距離は離れていない、が。

 それよりも気になるのは、マヤノトップガンが私の目には映らなかったことだ。見落としていなければ先頭集団には居ない。

 

 ということは差しか、それとも追込か……って、追込!?

 

「いえ。マヤノトップガンのこの位置は作戦やも知れませんよ。

 この超ハイペース展開では、後ろでギリギリまで脚を溜めるというのはアリです。彼女のレースセンスがあれば狙ってやっているかもしれないですね」

 

 

 大逃げに対するカウンターは、追込。

 ハイペースで推移したレース展開に対して終盤に鈍化した先行集団を全て斬り捨てるには、追込という選択肢は有効である。

 

 それにマヤノトップガンというネームドウマ娘の中でもきっての天才肌が相手となれば、私が大逃げを敢行することを看破して最初から追込を狙ってきている、そう考えた方が自然だろう。

 私からは目視で姿が捉え切れていないだけなので確定ではないが、判断を保留にするだけの猶予は無いのでマヤノトップガンは追込と決め打ちをする。

 

 しかし、これは私に不利になることばかりではない。

 ここ京都のダートは直線距離が短く、先行している方が有利であることには違いないのだ。追込という選択は正しくとも、同時に博打でもある。

 

 かくなる上は、そのまま逃げ切る。後続集団への嫌がらせも兼ねて、内から抜かれないように少しだけカーブで膨らみ、逃げ・先行のウマ娘たちを外に開いてもらうように仕向ける。

 

「各バ、第4コーナーを周り最終直線に入っていきます! 相変わらずサンデーライフが先頭! しかし、後続の脚色も衰えていない……衰えていないが、最後方に居たはずのマヤノトップガン! いつの間にか5番手に付けておりますっ!」

 

 

 ――残り約1.5ハロンの平坦直線の攻防が待っている。



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第7話 クラシック級2月後半・未勝利戦(京都・ダ1200m)顛末

 最終直線の1.5ハロン。

 

 大逃げを選択した今回の私が、無策で戦わなければいけない魔の区間だ。

 

 事ここに至っては、最早事前の仕掛けがどれだけ成就するかに祈りながら自身の気力と体力の限り走り続けるしかない。

 

 私は福島でアイネスフウジンと対戦したときと同じように大逃げを選択した。

 しかし福島とは違って、今回はダートである。

 

 福島のときと同じように、後方から足音が聞こえる。

 福島のときとは違って、その足音が幻聴ではなく実際に後方に2番手のウマ娘が居ることを私はしっかりと認識している。

 

 福島のときと同じように、後ろを向く余裕はもう無い。

 福島のときとは違って、もうこの先1ハロンに――坂は無い。

 

 福島のホームストレッチ高低差1.2mのなだらかな坂は、あのときのスタートの際には私に追走するウマ娘のスタミナを削る役割を果たしてくれて、ゴール直前の私のスタミナを削る結果を招いた。

 

 京都には、その序盤のバフも終盤のデバフも存在しない。

 

 

 ――福島のときと同じように。

 そう。福島のときと同じように――アイネスフウジンに負けたときと同じように、勝利が再び私の手の届くところにやってきたのである。

 

 

 ……そして、最終直線は砂埃にまみれていく。

 

 

 

 *

 

「マヤノトップガン、驚異的な末脚で更に2人抜く! あと、2人! サンデーライフ苦しいが粘っている! マヤノトップガン、更にもう1人射程に入れたが、これはどうか……いや、間に合わない! マヤノトップガン間に合わない! サンデーライフ1着! サンデーライフがそのまま逃げ切った――」

 

 

 確定。

 サンデーライフ――1着。

 

 マヤノトップガン、1200mダートにて最後方から6人抜きを成し遂げ――3着。

 2着とはクビ差、1着の私とは1/2バ身の差があった。

 

 

 

 *

 

 勝った。

 

 勝てた。

 

 マヤノトップガンのダート適性がEで短距離はDだとか、史実マヤノトップガン号がデビュー前は骨瘤持ちで、しばらくはソエに悩まされ続けていたこととか、勝ってしまってから色々と考えてしまうが、それでも――1勝は1勝である。

 

 その辺りはマックイーンをダート魔改造仕様にしたトレーナーよろしく、マヤのトレーナーさんが何とかしてほしい。いや、割と切実に。

 

 そういった諸要素を勘案しても。これが元々勝てたレースとは、私は断じて言えない。史実・マヤノトップガン号の2戦目の未勝利戦も確かに3着だ……だが、1着とは2バ身の差があったはず。それが1/2バ身ということは、後少しでも『何か』が起これば少女・マヤノトップガンが勝利していたことだって普通にあり得た。

 

 

 ――この世界に生きるウマ娘の未来のレース結果は、まだ誰にもわからない。

 

 そう。私にとっての史実は、既に仮想のものとなったのだから。

 

 

 ……格好つけてみたものの、有をハルウララが獲ったのだから、今更な話である。

 

「……サンデーライフちゃん!」

 

「は、はい!」

 

 勝利の実感なく詮無きことを考えていたら、マヤノトップガンが私に話しかけてきた。なおこれがマヤノトップガンとの初会話である。前にリトルココン相手にレース直後初対面会話を仕掛けたことはあったけど、勝った側でこれを受けると一体何を言われるのか全く分からなくて滅茶苦茶怖い。マヤが悪口を言う子じゃないって分かっていてもね。

 

「……く」

 

「く?」

 

「くーやーしーいー!! マヤ、サンデーライフちゃんに負けてすっごく悔しいっ! 絶対、リベンジするからね!」

 

「え。次は絶対負けるから戦いたくないかも……」

 

 

 ……やべ。本音が口から滑った。

 

「むむむー! どうしてそんなこと言うのー!? マヤとはもう一緒に走りたくないってことなの……?」

 

 まあレースでまた争いたいかと言われたら、嫌なのは間違いない。でも、いくらさっき口を滑らせたとはいえ、そのまま伝えることなんて出来ないしな。

 だって史実・マヤノトップガン号はGⅠ4勝してるし、すっごい人懐っこい良い子なのは分かっているけど、史実戦績はラスボスとか主人公クラスの領域入っちゃってるからねえ。

 

 だからこそ、話を逸らしてみる。

 

「私なんかより、アイネスさん辺りをライバルにした方が良いと思うけども」

 

「え? アイネスちゃん?」

 

 多分、面識は無かったはず……だと思う。でも、マヤの交友関係ってすっごく広そうだしなあ。知り合いであっても不思議じゃない。

 でも、実際マヤノトップガンにとっては1勝クラスになりたての私よりも、朝日杯フューチュリティステークスに勝って、クラシック路線かティアラ路線のいずれかに進むことが確実視されているアイネスフウジンのが余程ライバルとして相応しいとは思う。

 

 そして、この言葉の真意は――

 

「……あっ! マヤ、分かっちゃったかも! サンデーライフちゃん、ちょっと付いてきてっ!」

 

 そう言われながら手を引かれて連れて行かれたのはマヤの控え室である。まあ、本人に連れて来られているから入っちゃっていっか……と思いながら入ると、中にはマヤノトップガンのトレーナーさんが既に居た。若めの男性のトレーナーである。

 

「トレーナーちゃん、トレーナーちゃん! マヤ、次のレースね、『芝』のレースに出たい! 距離は長めのやつっ!」

 

 アイネスフウジンをライバルにした方が良いという私の言葉。

 その言外に含まれていた『芝転向した方が良いんじゃないか?』という私の考えをマヤノトップガンは見抜いていた。

 

 そしてトレーナーも即答する。

 

「そうだな。クールダウン期間も踏まえて直近だと来月末の中山・2200mが一番長いが、それで良いかマヤ?」

 

「うん、ありがとっ! トレーナーちゃん!」

 

 

 ……いや。このトレーナー、未勝利戦の日程を諳んじられるほど把握しているのか。

 今のマヤノトップガンはダートの短距離路線だったから、芝の未勝利戦なんて本来の構想には無かったはず。構想外の未勝利レースを一発で選べるのは、やはり専属トレーナーという生き物は只者ではない……。

 

「でも、良いんですか? こんなに簡単に路線変更決めてしまって……」

 

「良いの、良いの☆ だって、今までのレースはマヤが京都に行きたいっ! って言ったらトレーナーちゃんが組んでくれたレースだし?」

 

 つまり、今までもマヤノトップガンの主導でレースが決まっていたというわけね。まあ、それなら良いのか。トレーナーさんも優秀そうだし、何だかんだで手綱を握るべきところは握っているのだろう。

 というか今の質問はマヤのトレーナーさんに聞いたはずだったんだけど。

 

 

「ねえ、ねえ? それよりも、サンデーライフちゃんも今日はお泊りだよね?」

 

「あ、うん。そうだけど……」

 

「ホテルは皆と一緒のとこ?」

 

 私は頷く。これは少し説明が必要かもしれない。

 

 そもそもウマ娘のレースは原則的には1日に12レースを行うのが基本だ。まあ日程組みの都合で多少変わったりすることもあるみたいだけど、普通はそれくらいある。

 第1レースが大体朝の11時頃から始まって、夕方の5時くらいまでには全部終わる。で、その後にウイニングライブが行われるわけだけど、最終の第12レースを走っていたウマ娘にすぐライブをやらせるわけにもいかないのと、ファンの移動やら設営された会場の最終チェックやらでウイニングライブ自体のスタートは夜の7時くらい。レース結果が出るまでダンスや歌唱パートのポジションが決まらないのだから、一応全パートの練習をしている私達ウマ娘よりも、会場設営スタッフ側の心労がえげつないことになるのはお察しである。これがこの世界では普通なのだからトレーナーだけではなくライブスタッフ関係者も大概化け物揃いである。

 

 それでアンコールとかは基本無いのでレース数と同じ12曲で大体ライブも終わり、これくらいの曲数だと2時間はかからない。スムーズにいけば1時間半くらいで終わる。

 だから午後8時半くらいには上手くすれば終わる。このあたりのスケジュールは確か法律で未成年労働者は夜の10時以降は働けないというのも影響していると思う。私達競走ウマ娘が『労働者』なのかはちょっと微妙なところだけども、うん。

 

 それくらいの時間に終わるならば、京都レース場から頑張ればトレセン学園に戻ることも可能だ。もっともレースにライブをやった満身創痍の身体でそんな強行軍をやりたいか、と問われれば絶対嫌だけど。

 

 だから遠征は泊りがけが基本である。ついでに言えば、私達のレースは11時前のスタートだったので前日入りだ。

 新幹線の乗り疲れで1着逃したとかなったら目も当てられないので、近場のレース場でない限りは午後のレースであっても前日入りは絶対するけどね私は。

 

 だからホテルに連泊することになるわけだが、学生を1人で泊まらせるというのは、体裁的にはあまりよろしくない。だから基本的にはその日のレースに出走するウマ娘の宿をトレセン学園の方でまとめて手配してくれる。ただ、強制ではない。集団行動でパフォーマンスを大きく落とす子とかも居れば、近くに実家があったりしてホテルを借りる必要のない子とかも居るからね。

 私も悲しいことに遠征については慣れるくらいには未勝利戦に出走しているので、1回自分で宿を取ろうかなと興味本位で申請を出そうとしたが、あれは駄目だ。事務手続きが煩雑すぎる。宿代の上限があるのは勿論のこと、申請事由書の提出とトレーナーによる推薦状が必要で、当日の行動計画から利用交通機関の届け出をしたうえで、当該の宿がURAと提携しているか否か、食事メニューがレース規定に違反する物質を含んでいないか、など事細かに調べられたうえで可否が決まるというものだ。こんなの事務処理でバッドステータスが付くよ。

 

 まあそんなこともあって、結局は長い物には巻かれる形でトレセン学園が用意してくれているホテルに皆と一緒に宿泊している。

 

「良かった~、じゃあマヤと一緒だねっ! ねえねえ、後で部屋番号教えて? サンデーライフちゃんの部屋に行くから!」

 

 

 結局、マヤノトップガンの控え室に私はずっと入り浸ってしまい、荷物を持ってきてウイニングライブへの準備もマヤと一緒にやることになり。ホテルに戻ってもマヤが私の部屋に突撃してきて、挙句の果てにはマヤノトップガンのトレーナーさんも一緒に、翌日は京都観光をすることになるのであった。

 

 

 ――現在の獲得賞金、1458万円。

 

 

 

 *

 

 初の勝利から数日経った、2月下旬のある日の朝。

 私は登校している最中、校門でいつも挨拶をしている駿川たづなさんから話しかけられた。

 

「おはようございます――あっ! サンデーライフさん! 少しよろしいですか?」

 

「おはようございます……って、え、私?」

 

「はい! 放課後なのですけれども、特に予定はございませんか?」

 

「えっと……トレーニングしか無いですけれども。あの、何かありましたか?」

 

「実はですね、お時間が空いていればで構わないのですが、理事長がサンデーライフさんとお話したいと――」

 

 

 えっ!? まさかの理事長呼び出し!?

 心当たりが全然無いのだけれど、一体なんだろう……。



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第8話 1勝の重さ

「感謝ッ! トレーニングの時間を割いてくれて申し訳ない!」

 

「あ、いえ……理事長にそう言われると私も恐縮です……」

 

「ふふっ、サンデーライフさん。そんなに畏まらないでも大丈夫ですよ」

 

 

 今、私は理事長室にて応接用のソファーに座って理事長とたづなさんに面会していた。ソファーはすごくふかふかで心地よく沈むけれども、私の心中はガチガチに緊張していた。

 はたから見てもそれは明らかであったのか、たづなさんからリラックスするように言われるものの、だって目の前に居るのって理事長じゃん。緊張しない方が無理だって。

 

 秋川やよい理事長。アプリでは先代から職位を譲られたばかりの新米理事長とされている。……されているはずだが、彼女は『URAファイナルズ』というレースを新設する発起人としてアプリ内では登場する。超序盤のイベントだし、慣れてきた頃にはスキップするから忘れがちだけれども、彼女にはレースを新設する権限があるのだ。

 

 では、レースの制定権限、あるいはレース名の決定権限を有するのはと問われれば、実際にその権限があるのはURA競走部の番組企画室であって、教育事業とはまるで畑違いの場所にある。

 そもそも学園の理事長というのは、学校法人の理事会を束ねる者だ。ただし『トレセン学園』はURAの管轄下にある学園であり『学校法人』格を有しているのかは不透明なところはあるけれども、理事長というのは生徒に対しての教育者の代表ではなく、学校運営・経営の長であり学園長や校長といった役職とは明確に異なる地位である。

 URA教育事業を統括する人間が、全く別の事業部の管轄事項であるレース開催の可否まで介入できる……と考えれば、この秋川やよいという理事長が『政治力』という側面で評価するとしても断じて並ではない才覚を有していることとなるのだ。……ついでに言えば、レース場張替工事用の芝を育成できるだけの大農園を所有したという面でも。

 

 生徒に対しても気安く接しやすい態度で居るからこそ勘違いしそうになるが、トレセン学園という組織のトップ、そしておそらくはURA全体であっても上層である可能性すらある彼女は、まかり間違っても高々1勝クラスのウマ娘が会えて良い人物ではないのだ。

 

 ただ。URAファイナルズの開催可否についての話は、この世界では聞き及びが無いことから、やっぱりアプリ時空と完全に同一というわけでは無さそうである。

 

「沈着ッ! そうとも。たづなが言うように、萎縮させるために呼んだのではない!

 ――サンデーライフ! 未勝利戦での勝利、実に素晴らしいものであった! おめでとう!!」

 

「おめでとうございます、サンデーライフさん」

 

 

「……え。もしかして、その為にわざわざ理事長は私のために時間を空けて下さったので?」

 

「同意ッ! だが卑下する必要は無いぞ! そして、君だけを特別視しているわけではないからな!」

 

「……メイクデビュー戦か未勝利戦を勝利した皆さんには、幾つかの事務的な伝達事項があります。理事長は、それを名目にして皆さんに会いたがっているだけですよ。サンデーライフさんどうかお気になさらずに」

 

 

 いや……。気にしなくて良いと言われても……それは無理な相談だ。

 だってさ。

 

 

 ――メイクデビュー戦と未勝利戦って全部足し上げると、年間1500戦程度ある。

 

 理事長はその勝者全員にこうして時間を作っているということになる。他に仕事を抱えていながらも、それだけの時間を捻出出来る彼女に私は敬愛の念を抱かざるを得なかった。

 

 私は深々と2人に頭を下げる。

 

「含羞ッ! それよりも、君の目標レースを聞きたい!」

 

「……あ、えっと。これは私から少し補足いたしますね。

 実はサンデーライフさん相手に何社か取材の依頼が舞い込んでいるのですが、正式なトレーナーが居ないことを理由に断っているのです。

 ですが『せめて目標レースくらいは知りたい』という声が挙がっていまして、差し支えなければお教え頂ければ、と……」

 

「あぁー……。確かに私の出走レースは滅茶苦茶ですもんねー……」

 

 芝・短距離が2回、マイルが1回、中距離が1回。

 そしてダートの短距離が1回に、マイルが2回である。

 

 これでは確かに出走予想もへったくれも無いだろう。1勝クラスという実態に比して過大評価されている節は色々とあるので、多分私の想像よりはファンも居て、そのファン達も「こいつは一体どこを目指しているんだ」と疑問に思っているに違いない。

 

「嘉賞ッ! 自在なサンデーライフの動向には誰しもが注視しておる。

 無論、わたしもな!」

 

「とはいえ、無理に教えていただきたいわけではありません。目標レースを教えることで不利になる、とサンデーライフさんがお考えなのであれば、先方にも私どもからお断りは入れておきます」

 

 

 私に対して配慮してもらっていて申し訳なさが半端ない。というか、そんなに注目度高いのか。てっきり『適性自在って銘打ってる割には、こいつ大逃げしか有効打無いじゃねえか』とか『展開が荒れやすいレースにしか出てこないフロック狙いウマ娘』くらいに思われていると思ってた。

 とはいえ、目標レースと言ってもなあ……。正直、どのレースに出るかよりも如何に強敵を避けて賞金を稼ぐかに注力している以上、自らの意志で狙うレースってそんなに無い。

 

 かといって、ありきたりな感じで適当に『日本ダービー』とか答えたら、アイネスフウジンから「やっとサンデーライフちゃんが決心したの!」とか思われてしまう。

 

 少し真面目に考えよう。今の私は1勝。クラシック級2月後半でここまで来れた。

 普通に考えたら春の重賞路線は無理だ。余程のことが無ければ格上挑戦をするつもりはないので夏以降は拡大されるPre-OP戦の出走を狙う。となれば最短の仕上がりは秋……というかシニア級以降と考えるのが無難だろう。

 クラシック級の夏以降は、トゥインクル・シリーズは一部夏季重賞並びに、菊花賞・秋華賞とそのトライアル競走でなければシニア級との混戦となる。

 

 シニア級との混戦の重賞に私が挑むのは正直、秋の段階でも時期尚早だとは思うが、しかし裏を返せば私がシニア級になったときの目標レースとして処理することも出来る。1回限りのクラシック級重賞よりかは手が届きやすいだろう。

 

 そして。史実準拠のウマ娘達相手であったり、あるいは実装ウマ娘のネームドクラス相手にしたときに、明らかに狙い目である場所がある。

 

 更に諸々の条件を勘案すると、今この場で公言出来るレース名は1つだった。

 

 

「――名古屋グランプリ、になりますかね」

 

 名古屋(・・・)レース場のダート2500mのJpnⅡ、国内ではGⅡレベルと比肩するローカル・シリーズのレースである。そう、地方レースだ。

 ただ地方レースであってもトゥインクル・シリーズとの交流重賞指定がなされているので中央トレセンからでも出走は可能だ。

 

 何より。ダート重賞では最長のレースである。

 

 勿論、長距離路線のダート有力ウマ娘は居る。オグリキャップもそうだし、魔改造マックイーンも居る。けれどこの『名古屋グランプリ』の開催時期は12月である。

 芝なら11月末のジャパンカップに年末の有記念と中長距離はより取り見取り、ダートだって同月にチャンピオンズカップと東京大賞典という2つのGⅠレースが控えているからこそ、このタイミングのJpnⅡクラスのレースをそれらGⅠに勝てるレベルのウマ娘が回避してまで狙ってくるというのは少ないだろう。

 

「驚愕ッ! よもや、ローカル・シリーズの交流重賞の名を挙げるとは思わなかった!」

 

「……すみません。URA管轄のトレセン学園のウマ娘でありながらURA関連のレース名を挙げることができなくて……」

 

「いいえ、サンデーライフさんがそこまでお考えにならなくても大丈夫ですよ。確かに日本最長のダート重賞ですから、意図は明確ですしね」

 

 地方レースなので、当然その地方のレース組合がレースの日程も管理している。名古屋グランプリの場合は愛知県のレース組合所属のレースだ。だから厳密なことを言えば、中央所属のウマ娘的にはあまり好ましくない回答である。

 ただ、そんなことは気にするな、といった面持ちで理事長とたづなさんは快く私の目標レースのことを認めてくれた。

 

 

 ……そして、多分。この2人は、そんな私の目標レースがファンへのリップサービスの域を出ない、いつでも反故にするつもりの紙切れレベルの目標であることには気が付いているだろうな、流石に。

 

 

 

 *

 

 それから、たづなさんからいくつか連絡事項を聞いた。

 これからスタートするPre-OP戦の出走登録の方法とか、後は例の無利子奨学金の返還免除措置の話も混ざっていた。

 奨学金については何も言わなければ自動で返還免除になるらしい。どうしても自分でお金を払いたいという場合にだけ書類手続きが必要になる。……ってそんな変態居るのかな。

 

 多分居ないと思うが、もし仮にURAという組織そのものを推すオタクが居たとしても700万円貢ぐのはちょっと愛が重すぎる。

 

「慰労ッ! では最後に、わたし達に何か要望があれば遠慮なく言ってくれないか。一生徒と腰を据えて話す機会は中々限られているから、不満や気になることは言ってくれると助かる!」

 

「実際にその要望を聞き届けられるかは別になってしまいますけどね。……度々、専属のトレーナーさんが欲しいと言われますが、流石に急にトレーナーさんを増やすことは出来ませんので……」

 

「あはは……」

 

 この面談がメイクデビュー戦・未勝利戦の勝者1500名前後に対して全員行っていることを考えれば、その全員に専属トレーナーを付けるなどということは不可能に近い。……オープン戦の数で大体150戦くらいだから、せめてオープン勝利が見込まれるレベルまで行かないと専属トレーナーというのは現実味を帯びて来ない。トレーナーの人数的な意味で。

 

 じゃあ今の私がオープン戦を勝利できるようなウマ娘だとトレーナーらから見られていない……ことと等価にはならない。

 

 本来のスカウト期間はメイクデビュー以前、ジュニア級がスタートする前段階の頃で、その時点で突出した才能を有するウマ娘には既に専属トレーナーが付いている。途中から育成するとなるとウマ娘側のハードルも上がるし、トレーナー側の力量も実際最初から育成するよりも必要になるだろうから、どうしても巡り合わせというのは減っていくのだ。

 ……専属トレーナーが要らないってわけじゃないけど、1勝の今の段階では高望みというのも確か。如何に私が注目されていると言っても限度はあるのだ。

 

 

 じゃあ、望むものなんてあるかな……。

 そう考えを巡らせたときに思い至った内容が1つだけあった。

 

 

「……あ! でしたら1つお願いしたいことが!

 このトレセン学園で保管されている『レースの興行規則』に関する資料って……閲覧できますかね?」

 

「快諾ッ! うむ、それなら資料室にあるはずだ! 管理は生徒会が行っていたはずだから、わたしから一声かけておこう」

 

 

 

 *

 

 結論から言えば、理事長の口添えの効果は大きく私の資料室利用許可はあっさりと出た。

 

 ただし。

 

 

 ――生徒会辞令。

 

 以下の者を『URA等関連資料室生徒管理者』に任ずる。

 

 ・サンデーライフ

 

 以上

 

 

 

 えぇ……。そんなことが書かれた1枚の張り紙が校舎内の掲示板に掲載されていた。

 思ったよりも大ごとになった上に、資料室の管理権限ごと貰えたけど、どうしようこれ……。



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第9話 勝利とは(1)

 何故か私が管理することになった『URA等関連資料室』。

 

 ここにあるのはかつてのウマ娘の素晴らしい偉業の数々――みたいなタイプの資料ではない。

 

 例えばレースという興行を開催するにあたっての決まり事。ご丁寧に最初のページには用語定義の章から始まるという有様だ。

 それ以外にもレース場の施工や改修に関する資料、あるいはそれらURAが発布する諸規定の基盤となっている法令や施行規則までまとまっていた。

 

 そして資料室名に『URA』と付いているものの、多分置き場に困ったのであろう、地方のレース組合の規則や一部の海外レースの興行などの、URA管轄外レースに関するものもあった。もっとも、海外のものは英語であればまだ良い方で、基本は現地公用語での記載らしく何語かすら分からず全く読めないものまである。

 

 しかもそれらの資料が年度別に放り投げられているという具合。何と最新のデータだけではなく古い規則もしっかりと資料として残されていた。

 

 明らかに学生向けではない書類の数々に流石に私も気後れしたものの、見つけた資料の中に『出走ウマ娘の決定方法』などという条項を発見してしまい、そこにPre-OP戦で出走希望者がレース定員を超過した際の抽選を行う際に、どういった優先順位で行われるかが事細かに記載されていたことで、この部屋の価値について私は再認識し、居室として使えるように本気で掃除に取り組んだ。

 

 すると未管理の書類が多い部屋にありがちな、埃っぽさとカビ臭さも徐々に無くなっていき、掃除が終わったころには、私はアグネスタキオンの研究室兼マンハッタンカフェのグッズ置き場の部屋のような個室を獲得することとなる……あまり広くない部屋だけどね。

 まあ、グッズの置き場を求めたマンハッタンカフェが空き教室を貰えたと思ったら、突如アグネスタキオンの保護者ポジションを押し付けられて部屋も折半になったことに比べれば、私に舞い降りた事象はそのレベルの珍事とは呼べないかも。

 

 

 なおPre-OP戦の1勝クラスにおいては、1勝していること――正確には収得賞金という賞金総額とはまた異なるパラメータ――が最優先の指標となるものの、抽選において次点で有利となるウマ娘は『前走で入着したウマ娘』である。

 つまりそれさえ満たしていれば1勝クラスで負け越していても、抽選除外になる可能性は同条件のウマ娘が揃わない限りは無い。

 

 そしてもう私には関係の無いことだが、未勝利ウマ娘よりも未出走ウマ娘――つまりメイクデビュー戦には出ずに直接Pre-OPに殴りこんできたウマ娘の方が抽選では優遇されるみたいな規則を洗いざらい見直さなければ分からないこともあった。

 

 

 また、抽選以外にも大事なことがもう1個。シニア級ウマ娘の期間がアプリ準拠の1年間ではなく、競馬における古馬ベースであることも発覚。つまりアプリのように現役期間が3年間で終了とはならず、シニア級を繰り返す形で現役を続行できることが発覚した。

 ……よし。これは普通に嬉しい。だって3年間で3億円は絶対無理だし。というか現時点で獲得賞金1458万円だから、何年走れたとしても3億に届く気が全くしないのは見て見ないふりをしよう。

 

 

 すると外から扉をノックされる音がした。

 

「はいー、空いてますよー?」

 

「――サンデーライフ、会長がお呼びだ。至急、生徒会室まで同行を求める」

 

「……エ、エアグルーヴ副生徒会長!?」

 

 

 ひえぇ……日常生活でのネームドエンカウント率がインフレしてきてる……。

 

 

 

 *

 

 エアグルーヴ。このトレセン学園の生徒会副会長。

 そんな大人物に連れられて生徒会室まで廊下を歩くのは、畏れ多いと言うかむしろ罪人として連行されているような心持ちになる。行き交う他の生徒にめっちゃ見られるけれども、誰も話しかけてこないし。

 

 先のシニア級を現役中は繰り返すことが出来る制度の都合上、生徒会という長い視野で生徒組織を運営する役員メンバーもみな、シニア級ウマ娘である。つまり日本ダービーに突如出てくる生徒会長はこの世界線では居ないんだ……世界の安寧が保たれた。

 

 だから本当の意味での全世代バトルロイヤルになるのはシニア級との混合戦以降になるが、一応私達の後輩という未デビュー組も居るので、クリフジVSコントレイルみたいな事態には多分ならないとは思う。流石に意味わからんし、それ。

 まあ、シラオキが神格化している以上はクリフジも神々の世界の住人であろう。……もしかしたら、競走ウマ娘引退後の進路に『神』という就職先があるかもしれない。

 

 そんな神々とは異なり生徒会は現役のウマ娘だ。ただシニア級に出れるからと言って毎年GⅠを荒稼ぎされても困るし、だからといってそれ以外の重賞やOP戦などで格下狩りに勤しまれても困る。

 ということで、明確に『どのタイミングで』という基準は無いものの、明らかに戦績が優れたウマ娘はキャリアが長引くにつれて出走レースを年間1,2回程度まで絞る傾向にあるようだ。ただ成文化されたルールでは見つけられなかったので、あくまで暗黙の了解みたいなものらしい。

 

 という訳で目の前のエアグルーヴ副会長も、その例に漏れず昨年は1回しかレースに出ていない。まあ出たレースは香港GⅠのクイーンエリザベス2世カップで、しかも1着取っているという有様なんだけどね。

 史実エアグルーヴ号には無い完全なIF出走レースではあるけれども、だからといって史実古馬ローテを延々と回されて毎年蹂躙されることに比べたら遥かにマシである。

 

「……着いたぞ。中で会長が待っている」

 

 そんなことを考えていたらいつの間にか生徒会室の前であった。ノックをすると入室を許可する声が返ってきたので、一言添えて生徒会室の扉を開く。

 

「やあ、呼び出してすまなかったねサンデーライフ。

 とりあえず、そこに掛けてくれ」

 

「はい、失礼します」

 

 

 実は。エアグルーヴの戦歴を調べたときに、同じくシンボリルドルフの前走も私は調べていた。彼女の昨年の出走は『アーリントンミリオンステークス』という米国の約2000mのGⅠレースだ。

 結果は4着。とはいえ1着がマニラな上に、ゴールデンフェザント、スターオブコジーンという強者を相手していることを踏まえれば十分に偉業である。しかも生徒会業務の合間を縫った短期遠征での結果なのだから……絶対、シンボリルドルフ本人はそう思っていなさそうだけどね。

 

 しかしそんな生徒会長が私に用となると……十中八九資料室のことだろう。

 

「さて、サンデーライフ。秋川理事長から打診があったから君に資料室を貸し与えているが……どうかね? 何か、収穫はあったかい?」

 

 表面上の優しい言葉の裏から威厳というか威圧感すら感じてしまう。けれども、多分意図的に私を威圧しようとしているんじゃないんだよね、会長は。

 でも私が何をしているのかは気になってこう呼び出したということは、変な受け答えをしてしまえば管理者権限の剥奪はあり得るかもしれない。理事長の口添えがあるとはいえ、この件の最終決定権を有するのは生徒会みたいだし。

 

「はい、会長。

 そうですね……例えば私が面白いと思ったのは『平地競走』と『障害競走』の賞金体系が別であること、とかですかね」

 

「――ふむ」

 

 いわゆる『レース』と呼んでいるものを言葉として区分したものが平地競走という。どちらも入着すれば賞金が入るのは一緒だし、自分の手元に入ってきたお金、という意味で言うのであれば特に違いがあるわけではない。

 

 しかし、それぞれの賞金体系が別だということは。

 

「つまり『平地競走』のレースでGⅠを何度も獲っている方であっても、『障害競走』に未出走であれば未勝利戦から出場できます。

 平地競走ウマ娘にとって障害転向とは、ただ未勝利ウマ娘に残された岐路の1つとしてだけではなく。その頂に上り詰めた者の再出発地点としても機能しうるのです」

 

「っ!」

 

 これには目の前のシンボリルドルフはおろか、さり気なく部屋の隅で会長の邪魔にならないように控えているエアグルーヴも驚きの反応を見せていたように感じた。

 もうシンボリルドルフもエアグルーヴも王座に君臨してしまったウマ娘だ。自らが『挑戦者』となる舞台には、きっと飢えていることだろう……と、挑戦者ながらも推察する。

 

「私もこれまで色々な方と話してきた自負はあったけど、流石に障害転向を勧められたのは初めてだよ」

 

「いや、別に私は勧めているわけじゃ……」

 

 私の言葉に割り込むようにしてエアグルーヴも話し出す。

 

「……あの、会長。流石に『障害競走』であっても『シンボリルドルフ』が未勝利戦に出るなんてことは――」

 

「ああ、エアグルーヴ。分かっているさ。

 でもサンデーライフが面白いことを考えていることは分かったであろう?」

 

「……それは、まあ……」

 

 シンボリルドルフに振り回されるエアグルーヴというウマ娘にとっての必須栄養素のダシにされた感は少なからず感じたものの、とりあえず私が無為にあの資料室を使っている訳ではないということがエアグルーヴにも伝わったようである。

 

 

「――実は、このエアグルーヴは君に資料室を任せることを心配していてね。

 ああ、別に資料の盗難などを気にしていた訳では無いよ……そもそも、あそこにある資料は特に機密でも何でもない、インターネットで検索すれば誰にでも公開されているようなものしかない」

 

 事実であった。興行に関する規則も、レースの関連法規も全て調べれば出てくること。……流石に、過去のデータを遡るのは骨が折れると思うが。そうした書類が紙媒体で保管されていてかつトレセン学園のお墨付きということでネットで調べる際に生じるような誤情報のノイズを避けられるというメリットはあるものの、逆に言えばあの資料室の価値はそれだけだ。大事な書類はもっとちゃんと保管されているということだ。

 機密でも学外に秘する類のものではない。だからこそ一介の生徒でしかない私に管理権限が付与されたという側面もある。……多分、使っている雰囲気が全くなく掃除もおざなりになっていた部屋だから、私の申し出にこれ幸いと押し付けられた感は感じているが、私自身も部屋を私物化する気満々なので正直お互い様である。

 

 

「――では、何故? エアグルーヴ副会長は?」

 

 質問を部屋の隅に居るエアグルーヴへと向けた。彼女は苦々しい表情を浮かべながらこう語った。

 

「……貴様、目標レースが『名古屋グランプリ』なのだろう? ……勘違いするではないか」

 

 

 ……? ……ああっ!

 普通、1勝クラスのウマ娘が目標レースに地方レースの名を挙げれば『中央から地方に転校する意志がある』って思われるのかっ!

 加えて言えば、このJpnⅡの名古屋グランプリには、愛知トレセンと笠松トレセンの2つの地方トレセン学園からの出走枠があり、このトライアル競走である『東海菊花賞』は他の地方からでも出走可能な『地方全国交流競走』であれど中央ウマ娘は出走不可能だ。

 

 このトライアルの利用まで視野に入れていたとしたら、それは中央への所属意志が無いのと同義となる。

 

 ……そりゃあ、エアグルーヴも反対するわけで。たとえどんなに重要ではない資料しかない部屋だと言っても、いずれ中央を去ろうとしているウマ娘に管理を任せるなんてのは変な話だ。

 

 でも、今の私に中央を去る気は更々ない。

 その辺りの意志確認こそがこの呼び出しの本義だったと言うべきかな。

 

 

「データで戦うウマ娘というのは少なからず居る。トレーナーにもなれば、データの扱いというのは不可欠な技能とも言えるだろう。

 しかし『興行規則』に目を付けたウマ娘は、私が知る限りは君が初めてだ」

 

「……恐縮です」

 

「いや、畏まらなくても構わない。

 しかし、どうしても興味本位で君に聞いてみたいことが生まれた――」

 

 

 このシンボリルドルフの言葉が、これまでの問いかけの中で、最も重要な代物になることを私は直感的に理解した。

 

 

 

 *

 

「サンデーライフ。

 君なら、もしこの私――シンボリルドルフと戦うことになったとして、どうやって勝利を掴む?」

 

 

 その目は生徒会長としてのものでも『皇帝』としてのものでも『無敗の三冠ウマ娘達成者』でもなく。

 ――獅子の目をしていた。



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第10話 唯一抜きん出て並ぶ者なし

 私がシンボリルドルフと戦って、勝利する方法。

 

「まだ未勝利戦のレースしか勝利していない私が、シンボリルドルフ会長に勝つことなんて出来るわけないじゃないですか……」

 

 常識論をぶつけてみる。

 その言葉を受けたシンボリルドルフは表情や姿勢こそ全く変わらなかったが、僅かに目の光に落胆が映ったように私には見えた。

 

 多分、ここで求められていた回答は、突拍子もないものであったのだろう。

 

 

 少しだけ逡巡する。

 あまり他のウマ娘に警戒はされたくないから目立ちたくはないというのが本音。

 

 ――しかし。

 今年のクラシック級の本命のうちの1人であるアイネスフウジンから注目をうけていて。

 『URA等関連資料室生徒管理者』などという肩書きを生徒会から拝命されていて。

 

 しかも、そんな私の目標レースは『名古屋グランプリ』という地方重賞。

 

 

 あ、もう充分目立ってるじゃん。

 だったら今更な話か……と割り切って、こうシンボリルドルフに更に言葉を紡いだ。

 

 

「――ですのでレースではなく。

 『ポロ』で戦います」

 

 

 

 *

 

 ――ポロ。私の知る『ポロ』とは馬術球技である。

 馬に乗ってやる以上は乗馬競技でありながら、ゲーム性はサッカーやアメフトに近く、そして『マレット』と呼ばれるスティックで球を打つ辺りはゴルフやゲートボールを想起させる。

 統合すれば乗馬しながらゴルフのパターみたいな感じで球を転がしてサッカーをする……正確ではないがかなり乱暴に言えばそんな感じだ。なお本来この競技用ユニフォームとして開発されたものが『ポロシャツ』である。

 

 これをウマ娘ナイズするとウマ娘達がコート上を縦横無尽に走り回って、マレットでボールを転がし合い敵陣後方まで持っていくゲームになる。で、ポロのコートの広さは270m×150m、国際試合サッカーのコートが大まかには約100m×約70mであることを考えれば、その段違いの広さが分かるであろう。

 なお競技時間はサッカーだと前後半、バスケットボールだとクオーターみたいな区切りとしてポロではチャッカという単位を採用しており1チャッカはおおよそ7分から7分半程度、1試合6チャッカで勝敗を決する。

 

 史実キタサンブラック号の春の天皇賞レコードが3:12.5である以上、7分走り続けるということは単純計算だと倍以上の運動量が必要となる。

 しかも球技なので、急ブレーキや方向転換などのレースではあまり使わない技術も多用することとなる。トップスピードよりも瞬発力のが比重的に大事になってくるということだ。

 そして言うまでも無くその状態でボールを取り合って、マレットを振り回すのだからレースとはまた異なる形の怪我のリスクはある。

 

 

 ……と、大体こんな感じのことをシンボリルドルフとエアグルーヴ相手に説明した。

 シンボリルドルフの表情は変わらない。

 

「――つまりだね、サンデーライフ。

 君は、私が知らない競技の土壌なら勝てる……そう言いたいのかい?」

 

 この反応自体は、正直想定はしていたが、しかし言外に含まれているニュアンスが確定できない。

 レースという舞台を選択しなかったことへの憤りか。

 それともシンボリルドルフが未経験であろうスポーツを選択する安直さに対する批難か。

 

 

 そう。

 本当にそれだけの理由でなら『ポロ』である必要は無い。テーブルゲームでもカードゲームでも、極端な話、フードファイティングとかでも良いのだ。……いやフードファイティングは意外と会長強いかもしれん……おっと話がそれた。

 

 ともかく。

 私が『ポロ』を選択したのは、この競技がマイナーだからではない。

 

 

「――いえ。ウマ娘でなくては出来ないスポーツでありながら、同時に『ポロ』は――チーム競技となります。

 つまり私はシンボリルドルフ会長と『共に』戦って、『2人とも』含めたチームとして勝利することが出来るのですよ」

 

 

 ポロはフィールド選手は4名。

 そして国際試合などでは1試合に各フィールドプレイヤーごとに4回の交代が認められる。

 

 まとめよう。

 私が『ポロ』などというスポーツを言い出したのは、新規性からというよりも。

 

 まず、ウマ娘が競技母体となるということでレースに等しいから。それは『駿大祭』において執り行われる奉納儀式――流鏑のように、ウマ娘である私達だからこそ意義のあるものとなる。

 まあ、流鏑の方はウマ娘の習い事として人気が根強い弓道として定着はしている一方で、『ポロ』については全然ではあったりするのだが、レースの本場である『イギリス』においてはその限りではない……と、これも資料室に置いてあったものからの情報である。

 

 

 ――そして。

 そのようなウマ娘の伝統的なスポーツという側面を持ちながら『ポロ』は。

 レースのように勝者が1人に絞られない団体競技なのだ。

 

 

 皇帝・シンボリルドルフには私は勝てない。だったら、彼女を自陣営にしてしまえば良いのである。

 

 

「――くくっ。勝てないなら、チームメイトにしてしまえば良い……か。

 『共に戦い、共に勝つ』……そんなこと私は考えもしなかったよ。貴重な意見であったが、レースでは勝ち目が無いと判断してのことだね?」

 

 ここに来てシンボリルドルフの表情が破顔していることに気付く。ここは正直に自分の気持ちを吐露しつつも若干の洒落っ気は残す。

 

「……いにしえの4マイル・ヒートレースなどを含めても、さっぱりです――」

 

 ヒートレースとは、ずっと昔に行われていたレースの形態であり今のように1回の勝負で勝者を決めるのではなく、同じ日に同じ距離を何度も走って、最初に2勝ないしは3勝したウマ娘をそのレース全体の勝者とするものである。

 そして4マイル戦は距離にすればおおよそ6400m。春の天皇賞2個分のコースを1日に何回も走って雌雄を決するというものだ。ただヒートレースが流行っていた頃の4マイル戦は今でいうクラシックディスタンスのような距離であり、6マイルとかそれ以上のヒート戦もあったようだ。

 

 で、私がそんな形骸化したレース形態を何故、今更口にしたかと言えば――。

 

 

 私も、シンボリルドルフも、エアグルーヴも。

 生徒会室のただ一点だけを同じく見つめていた。

 

 

 それは――本校、トレセン学園が掲げるスクールモットー。

 

 

 Eclipse first, the rest nowhere.

 

 

「――唯一抜きん出て並ぶ者なし……」

 

 その呟きが誰の口から出されたものかは分からない……否、もしかすれば全員の口から無意識に零れたものかもしれなかった。

 

 Eclipse……エクリプス。

 18戦18勝。そのあまりの決定的な強さに8戦においては一切の対抗が出ずにただ単走を行った伝説の競走馬。

 

 そしてヘロド、マッチェムと共に『三大基礎種牡馬』としてサラブレッドの確立に大いに影響を与えた種牡馬でもある。

 

 そんな王者が君臨していたのは18世紀……そう。ヒートレースの隆盛真っただ中の時期である。

 

 

 ウマ娘においては、ただこのスクールモットーにのみ登場する存在であるが。月刊トゥインクルの乙名史記者の雑誌記事にて、次のような記述があったことを私は記憶していた。

 

『太古の昔よりその存在が信じられてきた――三女神。ウマ娘の始祖との一説があるこの三柱の女神たちは、それぞれ【王冠】【太陽】【海】などのモチーフとともに絵画などに描かれてきた――』

 

 

 そして、Eclipseという名が意味するのは『日食』である。

 『三大基礎種牡馬』と『三女神』。果たして、それらの関係は――。

 

 

 

 なお、この話のオチというか顛末としては。

 よくよく考え直してみれば、エアグルーヴによる生徒会室呼び出しからこのスクールモットーという流れはアニメで既視感のある流れであり。

 つまりは私はようやく転校したてで未デビュー時のスペシャルウィーク相応になったということである。いや、やっぱりスペちゃんって凄い。

 

 あと、もう1つ。本当に無粋なことを付け加えるのであれば。

 史実・シンボリルドルフ号の血統はエクリプスではなく。古代ユダヤ王国の『国王』の名を意味するヘロドだったりするという……。

 

 

 

 *

 

 さて。トレセン学園内でのハプニングと言うか、私の身の回りの変化に振り回されていたが、次のレースを決めないといけない。

 

 未勝利クラスを抜けたので、次はPre-OP戦の1勝クラスだ。しかも昇格したてだから抽選になっても『前走1着』という肩書きがあるおかげで除外される可能性は極めて低い。

 入着さえすればその抽選優遇は継続する。だから勝てなくても確実に入着出来るレースを狙っていきたい。賞金的な意味でも同様だ。

 

 そして未勝利戦と『興行規則』的に違うことがある。

 それは『なんか名前のあるレース』が出てくるのだ。今まで私が走ってきたレースはメイクデビュー戦だったり未勝利戦という呼称しかなかったが、Pre-OP戦からは名前付きレースが出てくることとなる。

 この名前があるレースのことを特別競走と呼び、競馬においては馬主が特別登録料を支払わないと出走できない。まあPre-OPクラスなら登録料自体は1~2万円なのだけど。

 

 なお特別競走の中でもとりわけ特別っぽい感じのする3歳クラシック・ティアラ路線のGⅠについては3段階の登録が必要となる。史実・オグリキャップ号が日本ダービーに出走できなかったのも大体この辺の制度周りの問題で、以降は改善されて前々週までなら事前登録していなくても追加登録料を支払うことで出走できるようになる……テイエムオペラオー号がその追加登録制度利用馬だ。

 

 まあ、この追加登録料って確か200万円くらいはかかるけれども、そこはトレセン学園様である。こういう登録料については生徒の自腹ではない。……学費を考えればそれくらい出すのは当然という見方もあるだろうと思うけどね。

 

 お金の問題が無いのだとすれば『名前付きレース』に出走する際に気を付けないといけないのが何かと言うと『出走登録』の時期の方だ。

 今まで出てきたレースの出走登録はレース開始の前々日までに登録すれば良かったが、特別競走の場合原則1週間前までに登録しないといけない。

 なおGⅠだと、概ね最初の募集は2週間前に締切が設定されている。クラシック・ティアラ路線だと更に早く独自の登録が必要だ。まあGⅠ専用のウイニングライブの楽曲とかあるし、その準備期間も兼ねて出走意志のある者はその時点で出走条件を満たしていなくても希望は出しておいて欲しい、ということなのだろう。また初GⅠなら衣装の準備も必要だ。

 

 

 GⅠはともかくとして、特別競走は1週間前に登録締切が来る。それから抽選が行われるわけだが、それが何を意味するか。

 

 ――1週間前の段階で誰が出てくるのか大まかには分かるのだ。

 

 としたときの懸念点は、その1週間でネームドウマ娘が私の対策を講じる場合である。確かに勝ちはしたが、マヤノトップガンとの対戦となった前走においては私が大逃げすることが完全にマヤに読まれていて追込を選択された。

 

 レースにこそ勝ったが、戦術的には完全に見切られていたのである。

 もし、あの時のマヤノトップガンが1週間前から私への対策を行っていたら果たして結果はどうなっていただろうか。

 

 だがデメリットばかりという訳でもない。

 逆に私がネームドに合わせて戦術を構築することも出来るのだから。特別競走はリスクもあるがリターンも大きい。

 

 

 正直、昇格初戦でリスクを背負う必要は無い。だからこそ、私はこれまで通りの一般競走を選択した。

 

 それは――阪神レース場、ダート・1200m。

 3月末の宝塚に、16人のウマ娘が集結する。

 

 

 

 *

 

「――1番人気を紹介しましょうバンブーメモリー」

 

「未勝利戦で勝ち星を挙げて以降、1勝クラスにおいては2着、3着、2着と好走を続けているウマ娘ですね。好位を維持しつつペースを掴むレース展開をこれまで見せております」

 

 昇格しても状況は変わらず、ネームドウマ娘が居ることについてはもう半ば諦めの境地だ。

 史実・バンブーメモリー号は短距離・マイル路線の名手だ。GⅠレースでは安田記念とスプリンターズステークスを勝っている。

 

 ダート適性はDなものの短距離は圧巻のA。そりゃそうだ。しかし気になるのは実況の言葉の通り、直近レースの動向を見るにバンブーメモリーは逃げ・先行型としてダート戦線を歩んでいるということ。

 アオハル杯での脚質適性になぞれば先行でもE、逃げだとGの彼女。一見すると不利な条件で戦っているようにも見える。

 

 ただダート短距離というのは、基本的に逃げや先行が有利な舞台だ。極端なことを言ってしまえばペースを気にせず大逃げしたとしても、後続の仕掛け次第では彼等の脚が残ってそのまま逃げていたウマ娘がジャイアントキリングすることすらあり得る。当然、レースのレベルが上がっていけばそういう事態も徐々に減っていくけどね。

 

「サンデーライフ、4番人気です。今回がPre-OPへの昇格初戦になりますね」

 

「その昇格を決めた未勝利戦では気持ちいい大逃げを見せてくれましたね。その前走と同じ距離ともなれば、今日も見られるかもしれませんよ」

 

 そしてそんな舞台を選択した理由は解説の言葉に集約されている。

 大逃げで未勝利戦を勝ったのだから、その成功体験を糧にしてまた仕出かすのでは? その可能性を私をマークしているウマ娘であれば考えざるを得ない。それに昇格初戦で16人中の4番人気だ。ノーマークということは流石に無いだろう。

 

 

 ――だからこそ私は差しを狙う。中団後方から一気にまくり上げて勝利を掴み取る。

 逃げ・先行が有利なのだから私やバンブーメモリーなどが狙わなくても前に前に付こうとするウマ娘が出てくるのは必定で、展開の高速化は免れない。距離が短いので難易度は高いものの差しが有効なのは間違いない。

 

 そして阪神レース場の大きな特徴として最終直線に大きな坂がある。ここで失速したところを捕捉できればベストだ。しかしそれまで緩やかな下りが連続するコースなので、中盤までの展開でスタミナを損耗する場面に乏しく想定よりも坂での失速は期待出来ない。

 だから追込の位置にまで付けてしまうと、間に合わない可能性を鑑みての『差し』である。

 

 なお前走で増やした体重は減らしていないので持久力デバフとパワーバフは付きっぱなしだ。3月末で気温も春模様になってしまったが、晴れの良バ場発表ということで雨よりかは、いくらかパワーが要るはずだ。

 

 

 まあ、どちらにせよ。このレースの本命はバンブーメモリー。

 彼女がどのような戦術を取ってくるのか中団に付けてしっかりと見極めていこう。

 

「さあ、ゲートイン完了、出走の準備が整いました。

 ……スタート! 11番ユグドラバレー素晴らしい好スタートを切り、頭1つ抜けています! そのままぐんぐんと加速して後続を引き離しつつ内枠へ!」

 

「最初から飛ばしていますね。素晴らしい逃げっぷりです」

 

「1番人気のバンブーメモリー、2番手に付けますがその差はぐんぐんと開いていきます」

 

 

 これは高速化しそうだ。当初考えていたようにやはり中団に付けて正解かもしれない。

 最初の直線。今のところすべて予想通りに進んでいる――。

 

「――サンデーライフ、前から数えて10番目、この位置に付けております。

 さて、先頭の11番ユグドラバレーに戻ります。既に400mを通過して、この区間200mのラップタイムは11秒3」

 

「……少々ハイペースかもしれませんね。2番手バンブーメモリーとの差は既にかなり開いています」

 

「11番ユグドラバレー失策か? あるいは――」

 

 

 ちょっと、ちょっと! いくら何でもペース早すぎないかな、これ!?

 カーブに入り先団を視認したときには、バンブーメモリーの遥か前方で爆走する見覚えのないウマ娘が居た。

 

 

 えっと……これは。もしかして、今まで私がやってきた『大逃げ』戦法。

 今、やり返されてる……?



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第11話 クラシック級3月後半1勝クラス(阪神・ダ1200m)顛末

 『大逃げ』しているかのように見える先頭ウマ娘の存在。

 

 確かにハイペースなレース展開になることは想定していたが、『大逃げ』ウマ娘によって形成されている今の状況はおそらく『ハイペース』では済まされないほどの超高速の代物だろう。

 

 ただし展開が早くなればなるほど、前は垂れる可能性が高まっていく。ペースがぶっ壊れればぶっ壊れる程、今の私には有利に働く。

 

 だから焦る必要は無い。第3コーナーでは仕掛けなくて良い。

 第4コーナーが終わる頃に、この中団を抜けるかどうかで大丈夫。

 

 前走でマヤノトップガンが差し切れなかった京都ダートの直線が329.1m。

 一方、今走っている阪神ダートでは、352.7m。

 20m以上長さが異なる。しかも、上り坂が待っている。

 

 絶対に前に出られる。それを確信させるだけのデータと……出走経験が今の私にはあった。

 

「まもなく第4コーナーの終わり依然先頭は11番ユグドラバレー。ここでのラップタイムは……出ました11秒6」

 

「多少落ちてきましたが……まだハイペースですね。最終直線で大きくペースが落ちることが予想されます。後ろの娘たちにもまだチャンスがありますよ」

 

「さて、最終直線に入ったが11番ユグドラバレー、早くも失速。もう厳しいか!? ずるずると後退してあっさりと先頭をバンブーメモリーに譲るっ! しかし後続の脚色も素晴らしいものがあります! バンブーメモリーとの差を着実に縮めていきます!」

 

 

 私の前には――あと5人。

 私と同じような位置に付けていた差しの子たちは大外を選択。後ろの様子は分からないしもう振り返る余裕も無い。前だけを見据える。

 

 そして先行集団のウマ娘の子たちは末脚が伸びることなく、坂を待たずして既に後退の兆しが見え隠れしていた。本来『大逃げ』のペースに合わせるということは、そういうことである。

 

 その先行集団の子たちは最終コーナーでのカーブで僅かに膨らんでいた。

 

 

 それなら、遠慮なく。

 

 ――行ってやりましょうか、内枠ぶち抜きっ!

 

 

「おおっと、垂れてきた先行集団が僅かに開けてしまっていた最内から一気にサンデーライフ! サンデーライフが坂をものともせずに上がってきたっ! 1人、2人とあっという間に抜き去っていく!」

 

 坂を超えた先に、待つ背中は。

 既にもう1つだけになっていた。

 

 

 

 *

 

「残り50m! 粘るバンブーメモリー、迫るサンデーライフ! 勝利を掴むはこの2人のいずれかでしょう!

 サンデーライフ、未だ加速しております、ですがもう距離が無い! 逃げるバンブーメモリー、先頭! 先頭、そのままゴール板を駆け抜けるっ! これは文句無しっ! バンブーメモリー1着です!」

 

 

 1着、バンブーメモリー。2着、サンデーライフで確定。

 

 

 ――現在の獲得賞金、1688万円。

 

 

 

 *

 

「……」

 

 掲示板を見上げる。そこに書かれていたバンブーメモリーとの距離は『3/4』。

 この成績の捉え方は人によるだろう。

 

 勿論、悔しい。悔しいけどさ……これが1着を獲れたレースかと言われると正直に言って微妙なところだ。

 

 私とバンブーメモリー以外の第三者による『大逃げ』。

 先行集団がバンブーメモリー以外を除いて全部垂れるくらいの、ハイペースどころの話ではない超高速の中盤展開。

 そして最終直線でのインコースに出来たスペース。

 

 その全てが、2番手を追走していたバンブーメモリーには無意味もしくは不利に、中団後方に控えていた私にとっては有利に働く要素である。

 正直、同じメンバーで何度レースを行ったとしても、これ以上の結果を得るには中々難しいと思うほどには、上振れのレース展開であった。

 

 

 ただ。

 その『3/4』と書かれた数字の1つ下。2着と3着の着差には『4』という数字が映し出されている。

 つまり私は3着とは4バ身差で圧倒していた。これだけの差というのは、上振れのレース展開でなくとも覆せない明瞭な着差である。

 

 昇格初戦の戦績であれば期待以上。1勝クラスのウマ娘を相手取っても充分に勝負が出来るという確信が持てるレースであった。

 その意味では2着というのは、まず間違いなく大いに意義のある順位だ。

 

 分かっている。それは分かっているけれども。

 

「……やっぱり、悔しいものは悔しいっ!」

 

 

 無意識に出た音は決して大きな声では無かったけれども、その声はウマ娘の聴力には十分に捉えられるものであったらしい。

 

「――その悔しさが、ウマ娘の更なる成長を産み出すっスよ! サンデーライフさん……って呼びにくいっすね、呼び捨てで良いっスか?」

 

「あ、うん。それは別に良いですけれど……私のこと知っていたんですね、バンブーメモリーさん」

 

「モチロンっス! 難敵はアタシのトレーナーさんが話してくれるし、何よりシチーからサンデーライフのことは聞いていたっスからっ!」

 

 

 そう言えば完全に忘れていたけど、ゴールドシチーとバンブーメモリーは同室だったっけ。

 

 

 

 *

 

 バンブーメモリーがセンターのウイニングライブが終わって阪神レース場近くのホテルの居室に戻ってのんびりシャワーを浴びていたら、客室のドアをノックされた音が聞こえた。なので慌ててバスタオルだけ巻いて、誰が来たのかドアスコープから覗いたら、まるで旧来の友人かのように当たり前のようにバンブーメモリーがやってきた。

 

 特に断る理由も無いので、そのまま扉を開けると開口一番にバンブーメモリーは私の姿を見て指摘する。

 

「あ、シャワー中だったっスか? タイミング悪かったっスね」

 

 とは言いながらも、私が部屋の中に招けば嬉々として中に入ってきて、真っ先にリモコンでテレビを付けてチャンネルを変更する。

 

「――おっ、ちゃんと見られるっスね! どうもアタシの部屋、電波が届きにくいみたいで……、いつも見てる学園ドラマがもう始まるから、ここで見て良いっスか?」

 

「あー……別に構わないですけど……。あ、でも私続きのシャワー浴びちゃうけど良いですか? 音うるさかったら後にしますけど」

 

「いやいや、勝手に押しかけてそこまで気を遣わせてしまっては申し訳が立たないっスよ!」

 

 別に断るつもりは全く無かったけれども、内心では今日初対面なのによくここまで距離感詰められるなあー……とは思いながら、部屋のユニットバスへと戻る。私だったらどんなに見たいテレビ番組があっても、自分のホテルの部屋で見れないってなったら諦めちゃうな。精々スマートフォンで試すくらい。

 

 こういうところもネームドウマ娘との違い……ってこれは考えすぎか。さーて、シャワーシャワー……って。

 

 

 お風呂出た後のドライヤー。絶対うるさいよね、どうしよっか。

 

 

 

 *

 

 結論から言えばドライヤーの音の心配に関しては完全に杞憂となった。

 

 ウマ娘の聴力が良いことは周知のとおりだと思うが、耳を自由に動かせることから指向性にも優れている。バンブーメモリーはテレビに対して、徹底マークを発動させながら耳をそちらに傾けていたために大きな問題とならなかったようである。

 ……所持スキルって日常生活でも使えるんだ、知らなかった。

 

 まあスキル発動が可視化されていたわけではなく、そのテレビへの食いつき具合から浮かんだ私の妄想だけどね。

 

 

 で、『ドラマが終わったんで解散』というのはどうもお互い淡泊に感じていたようで、私も折角部屋に上げているのだから、そのままの流れで緩ーく駄弁ってたり、メッセージアプリの連絡先の交換したりした。

 

 そんな最中でバンブーメモリーがポロっと零した一言。

 

「そう言えばサンデーライフは、ウマッターやってないんスか? アタシ的にはそっちのが気楽にやり取り出来るっスけど」

 

「……始めるタイミングが無くてですね」

 

 あー……ウマッター。そんなのもありましたねー。

 何だか仮にアカウント作成してもうまく運用できる自信が無かったから、ウマスタなどと含めていまいち手が伸びなかったやつだ。実名でやるのってちょっと抵抗感がある。

 

 というかバンブーメモリーがウマッターとは意外と言えば意外……って、他ならぬウマッターのインフルエンサーの1人、サクラバクシンオーと繋がりがあったっけ。

 バンブーメモリーが風紀委員で、バクシンオーが自称委員長というコンビだ。

 

「じゃ、折角なんで作るっスよ!」

 

 半ばバンブーメモリーに流される形で私のスマホにてどんどんとアカウントが整備されていった。

 

「IDは名前で良いっスよね? ……ああー、ダメっスね。sundaylifeも、ハイフン入りのsunday_lifeも使われてるっス」

 

 これは別に私のなりきりアカウントが居るとかそういう訳ではなく、サンデーもライフも超普通の一般名詞な上に、安直に合わせやすいことから私という存在に無関係なところでたまたま重複が起こっているっぽい。

 そういう場合は誕生日を入れたり、何か別のワードを含ませるのが一般的だと言われたが、いまいちしっくりこなくてバンブーメモリーと相談した結果、暫定的に私のアカウントIDは『sundaylife_honmono』と『本物』を後ろに付けることになった。

 

「……いつでもIDは変えられるっスから、良いのが浮かべばそのときまた直せば良いっスよ!」

 

 後はプロフィール欄にトレセン学園所属とか当たり障りのないことを書いて、プロフィール用の画像も適当にぺたりとして完成。

 

 そうしたら、バンブーメモリーがフォロー申請を手伝ってくれると言ってくれたので、とりあえずメッセージアプリの連絡先を交換している面々でウマッターをやっている人は入れてもらうことに。

 

「それとシチーのアカウントもフォローしておくっスね。多分スルーすると怒りそうっスから」

 

「あ、うん……」

 

 そう言えばバンブーメモリーが私のことを知っていたのって対戦するからもあるけど、それ以前にゴールドシチーから話を聞いていたってのもあるって言っていたね。そこを踏まえれば確かに、フォローしておいた方が良いかも。

 

「じゃ、私のアカウントでサンデーライフがウマッター始めたって呟いておくんで、よろしくっス!」

 

 

 

 ――翌朝。

 起きたときにスマホの通知のバイブレーションが延々と鳴り続けていて、もしかして壊れたのかな、と思い起動してみれば。

 

 一夜のうちに、私のウマッターのフォロワーは2000人を超えていて今なお増え続けていた。

 

「ひえぇ……」

 

 その数字はリアルタイムで1人また1人と増えていて、いつの間にやら知名度が上がってきていた嬉しさだとかそんなものよりも、未知なるものを見てしまったという恐怖心がただただ先行した。

 

 それでも、とにかく通知だけは切らなきゃスマホが鳴りっぱなしになっちゃう、ということで勇気を振り絞って、通知を切るためにスマートフォン相手に奮闘した。

 

 けれども完全にテンパっていて震える指の描く軌跡は全く覚束なかったために、何故そうなったのか全く分からないが、私は通知をOFFに出来た代償として、初めての呟きが『かにみそ』という一言になってしまった。

 

 で、その全く脈絡の無いはずの一言がどういう訳か、昨日バンブーメモリーに教えてもらった『ウマいね』と『リウマート数』という数値が急上昇しているのを見て、心のキャパシティが超えたために衝動的にアプリをシャットダウンして、それ以降は怖くてウマッターを開いていない。

 

 

 なお、それから数十分してバンブーメモリーが私の部屋にやってきて、彼女のトレーナーさんと一緒に、何故か流れでカニ料理をお昼に食べに行くことになってしまった。なおトレーナーは男性である。

 

 

 ――凄い美味しかったけど、あれ結局幾らしたのだろう。メニューに値段書いてなかったし、バンブーメモリーのトレーナーさんが全額支払っていたから詳しいことは何も分からない。

 

 

 


 

 ゴールドシチー㋹ @goldcity0416・8分前 ︙

  ウケる

 132 リウマート 5 引用リウマート 1,021 ウマいね

 

 

  ゴールドシチーさんがリウマートしました

 バンブーメモリー @Bamboo_Memory_ssu・4時間前 ︙

  昨日戦ったサンデーライフがカニ食べたかったみたいなんで、一緒に行ったっス!!!

  (バンブーメモリー&ぎこちない笑顔のサンデーライフとともに大量の蟹が写った写真)

 3,411 リウマート 108 引用リウマート 9,312 ウマいね

 

 

  ゴールドシチーさんがリウマートしました

 サンデーライフ @sundaylife_honmono・9時間前 ︙

  かにみそ

 1,095 リウマート 76 引用リウマート 5,144 ウマいね



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第12話 4月の来訪者

 なんというか、あのバンブーメモリー戦以降、トレセン学園に戻ってからは周囲の私への見る目が変わった気がする。

 

 敵意とか嫌な感じでは全然無くて、むしろ逆。というか、単純に挨拶されたり話しかけられることも増えた。

 

 そして私が生徒管理者となった『URA等関連資料室』に知り合いが顔を出すように。アイネスフウジンとかマヤノトップガンなどといったレースで関わった面々や、普通にクラスメイトとかも来るように。まあ、今の私がレース後のクールダウン期間なため、特にトレーニングに参加せずに身体を休めるのも兼ねてここに引き籠っているからというのが大きい。

 とは言っても、他の皆も練習とかあるから休憩の合間だったり、空き時間だったりを使って遊びに来ているだけなので、そんなに長い時間駄弁っているわけでもない。

 

 なお肝心の置いてある資料は、ほとんど見向きもされない。辛うじて各レース場の寸法とかならばわずかに興味を持ってくれる。ただ白黒の図面とか設計図みたいな感じの資料なので、それもちらりと一瞥する程度だ。

 

 というのも、これよりも遥かに分かりやすいカラー図解のものが、教科書や資料集に掲載されているし、ネームドの子たちは更に自身の特性に応じて最適化したものが専属トレーナーから多分用意されている。

 挙句の果てにはネットに上がっているファンメイドのやつですらも侮れないクオリティを有していることから、実際情報量としては真新しいことは書かれていないのは事実であり、その意味では私もこれらの資料についてはそこまで重きを置いていない。

 

 ここに置いてある資料のすべては機密でも何でもない。ネットに転がってすらいるデータの紙媒体版というだけだ。そのシンボリルドルフの言葉は疑いようも無く真実である。

 

 だから、これらの資料には何の価値も無いのである。

 ――少なくとも、資料整理や読解・休憩などの用途で座る際にずっと硬いパイプ椅子を利用するのはあんまり身体に良くないなーと思って、生徒会とも相談の上で実費で購入した、良い感じの反発力のソファーの方が今の私には遥かに価値を有するものだ。

 

 ソファーの搬入に業者のサポートが必要なく、軽々資料室の中に設置出来るからウマ娘ってやっぱり凄い。ウマ娘であるという実感が一番湧くのはこういう生活の中の1シーンだったりする。

 

 

 

 *

 

 4月。

 私もクールダウン期間を終えて、特に身体上の変化なども無かったためにトレーニングを再開し始める。次のレースは4月の末ごろに入れようかな、と考え再開したトレーニングと併行して次走も決定しなきゃな……とぼちぼち考えている時期だが、世間一般的には桜花賞・皐月賞がある王道路線開幕の月という認識が大勢を占めるだろう。

 

 特にクラシック路線は大混戦の模様となっており、既にGⅠウマ娘となっているアイネスフウジン、アグネスタキオン、ゴールドシチーといった面々が最有力とみられる一方で、若葉ステークスでトライアル競走を勝利して優先出走権を獲得したオグリキャップを始めとして毎日杯勝者・テイエムオペラオー、弥生賞勝者・サクラチヨノオーなどなど挙げるとキリが無いレベルの錚々たる面々が揃っていた。ほとんどネームドしか居ないから有力ウマ娘を挙げようとすると、ほぼ全員挙げなきゃならなくなってしまうので割愛する。

 そして――そうだよね。この世界にはクラシックGⅠへの追加登録制度があるからオグリキャップが皐月賞に出走登録できる。となれば、地方からの転入なために賞金額に不安があるオグリが史実ローテの毎日杯ではなく優先出走権を得られて抽選を経ずに確定で出られるルートを狙うよね。

 

 

 ただ、私はそうした俄かに高まる熱量とは無縁で、中庭を散歩していた。

 

 ――三女神像。

 私はこの三柱の神々の正体が、『三大基礎種牡馬』であると睨んでいるが……。実際のところ、ダーレーアラビアン、バイアリーターク、ゴドルフィンアラビアンの『三大始祖』という考え方も十二分にあり得るだろう。

 

 ただ、やっぱり私は乙名史記者の意味深な記事に何らかの意図が含まれていると信じている。

 

 とはいっても、この神々の正体がどちらの三大なのかは究極的には、それほど重要にならないと思う。

 三大始祖の血統を然りと引き継いでいるのが三大基礎種牡馬なのだからという血に基づいた理由と、そして今私が狙っている――因子継承に三女神の神々が直接関与して下賜するわけではないからだ。

 

 

 ――ん? でも、ちょっと待って。

 

 そもそも、私って。

 

 一体誰から、因子を継承すれば良いのだ……ろう……?

 

 

 ……その疑問に答えが出る前に、私の意識は途絶えることとなる。

 

 

 

 *

 

 次に意識が目覚めたときにはどこか浮遊感があるような、地に足が付いていないような感覚があった。

 意識を失っていたはずの私は目覚めても尚、立っていて。しかも、周囲の空間は明らかに学園の中庭では無くなっていた。

 

 桃色というのか紫色というのか、とにかく形容しがたい色彩だけが飾る一切の物体が存在しない異常な空間。地面とそれ以外の識別すら叶わないほどに同一化しているのに、何故か私はこの場に立てている。試しに手を足元に持っていったら床の感覚は一切感じずに、足元よりも下の空間に手を伸ばすことが出来た。

 

 ……じゃあ、今の私ってどうやって立っているのだろう。

 

 座ったらどうなるのかなという好奇心も湧いてきたが、取り返しの付かないことになる可能性も考えられたので、とにかく立ちっぱなしで待機する。最初に意識を取り戻したときにビビッて思いっきり足を動かしてしまったが、それくらいは問題無かった。けれど、あまり色々とは試さない方が良いだろう。

 

「一応、因子継承の空間に呼び出された……ってことで、良いんだよね……」

 

 それを声として発した瞬間――私の背中が強く殴られたように感じた。何かに押されたというか叩かれたかのような痛みを伴うものだ。

 

「痛っ……、一体何が……」

 

 後ろを振り向き私は絶句した。

 ――そこには何もなく。ただ黒く。黒く――ひたすら黒く。

 

 静謐さを体現したかのような黒い靄のような、それでいて生きているようにも見えるような、そんな存在があった。

 

 

 

 *

 

 名もなき影は、声なき声をあげる。

 

 その声なき声の意味するものは私には分からなかったが……しかして、魂に呼びかける……。

 

 ……呼びかける……?

 

 

 黒い靄はそうした霊障的表現を早々と飽きたのか、長方形のプラカードみたいなものを取り出して、何やら書き始めた。

 

 

「――いや、筆記で意思疎通できるのですかっ、あなた!?」

 

 色々と台無しであったが、そうはあっても謎空間。

 黒い靄状の『ナニか』がプラカードに文字を書き終えると、そのプラカードはピンク色に変化して発光しながら、しかも私の周囲に漂うようにして浮き始めた。

 

 しかもちらりと星型のマークが付いていることも目視できた私は、あーこれは因子継承のアレだと分かった。しかもピンク色だということは適性関係の因子である。

 

 単純に芝とかダートの適性が一番良いなあと思いつつ、そのプラカードに何が書かれているか確認する。

 

 

 

 ・障害適性 ★★☆

 

 

 えぇ……。さり気なく実装されていない因子を渡されてもなあ……。いや、くれるって言うなら貰うけど……。

 

 そんなことを思っているうちに、更にもう1つピンク色の因子のプラカードが提示された。

 

 ・ポロ適性 ★☆☆

 

 

 ……これ、もしかして今までの私の言動が因子に影響してる? 不用意な障害競走トークとかポロトークをしたせいで因子が勝手に生えたってことなのかな。

 

「あのー……もうちょっと役に立つ適性なり、スキルなりが欲しいのですがー……」

 

 

 私がそう話しかけたら、黒い靄は突如として次のプラカードを書いていた手を止めて、私を威圧するかのような感覚を析出してきた。

 圧迫するような水中に居るときのような息苦しさ。それらを感じていた次の瞬間、これまでふよふよとその場に浮いていた障害適性とポロ適性のプラカードが靄状のナニかによって叩き落とされた。

 

 

 その後、私に対しても何らかの物理的な報復があるかと思って咄嗟に目を瞑ってしまったが、特に何も起こらずに、また再びプラカードに文字を書く音が聞こえたので恐る恐る目を開けば、黒い靄は何事も無かったかのように元の作業に戻っていた。

 

 ……ちょっと、私の因子継承なんでこんなにホラーテイストなの!?

 

 

 

 *

 

 もう余程変なものを寄越されない限りは黙って受け取ろうと思って大人しく待つことにする。よく考えたらデバフとかでもないし、貰い得なんだから感謝しないと失礼なんじゃないかと段々とこの場に順応してきたかのような考えも生じてきた。

 

 次のプラカードは、白色のままだった。

 ということは、スキル系のヒントだね。

 

 

 ・サンタアニタパークレース場〇 ★★☆

 

 ……いや、使い辛すぎっ! アメリカ西海岸のロサンゼルス近郊にあるレース場である。一応アメリカにおいては主要のレース場にはなるものの、私が米国遠征しない限りは絶対死にスキルになるやつだ。しかもアメリカやヨーロッパって超有名レースでもない限りは賞金額が低いので、私には米国遠征のメリットがほぼ皆無である。

 

 まあ、さっきのアレがあった手前、貰うけどさ……。絶対活かせないよ、これ。

 

 

 そしてペンが乗ってきたのか、心なしか名状しがたい黒色物体は、ペン以外の音も無いのに何故かテンションが上がっているように感じる。

 出てきた次のプラカードも白色。

 

 今度こそは良いものを頼むよ――

 

 

 ・気性難 ★★★

 

「……。要らないよっ!?」

 

 今度は私がプラカードを叩きつける番だった。

 

 

 

 *

 

 黒い影は、私がいきなり大声を出したことに理解できない感じで、叩き落とされた気性難因子を拾ってそれをまじまじと眺めているように見える。

 しばらく、それを続けていたかと思うと、そのプラカードに上書きするかのように修正を施していった。

 

 

 ・気性難〇 ★★★

 

「あの……別にウマ娘のスキル名っぽくしてなかったから怒った訳じゃなくて……。というか、その表記方法ならむしろ気性×でしょう、それ……」

 

 

 今度は叩き落とさずに、靄にプラカードを押し返すと、再び靄のようなナニかは、再度書き直す。

 すると、プラカードは緑色に変化していった。そして再々度手渡されたプラカードにはこう書かれていた。

 

 ・気性の難しさは譲らない…! ★★★

 

 

 

 *

 

「――固有スキルじゃないから拒んでいたわけじゃないよ!? だから要らないから、それ!」

 

 

 目を開けると、そこは元の中庭だった。

 幸い、他に人は居なかったらしく、私の叫び声は誰にも届いていなかったらしい。

 

 とりあえず考えないようにはしていたけども、あの変なのサンデーサイレンスだよね。ということは、最初の予想通りやっぱり私はサンデーサイレンス産駒なのか。

 サンデーサイレンス産駒に一応、ウインマーベラス号という障害重賞4勝、J.GⅠの中山大障害で2着の競走馬は居るから障害因子すら持っているというのはあり得そうだけど、流石にポロ因子は謎である。サンデーサイレンスなりのギャグだった気もするが。もしマンハッタンカフェの『お友だち』と同一存在ならば、彼女のシナリオでトレーナーの背中バンバン叩くし。

 

 結局、何を貰えたのか良く分からなかったが、その後計測したタイムはほのかにではあったものの、芝・ダートともに多少良化していたことから、恩恵自体はあったらしい。

 

 

 そして。私が黒い靄のような『ナニか』と漫才をしていた翌日。

 トレセン学園内――あるいは、日本全国に衝撃をもたらすニュースが流れた。

 

 

 『アグネスタキオン、皐月賞への第3回出走登録せず。次走は、NHKマイルカップへと変更する模様』



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第13話 クラシック級4月後半・三条特別【1勝クラス】(新潟・ダ1200m)

 アグネスタキオンの皐月賞回避。

 何かが発生しているとしか思えない声明である。史実・アグネスタキオン号はこの皐月賞出走後に屈腱炎を発症、そのまま引退している。つまり非史実的な動きだ。

 

 そしてアプリのシナリオにおいてもアグネスタキオンはいくつかの分岐をする。しかし、その分水嶺となるのはやはり皐月賞だ。

 確かにアグネスタキオン育成シナリオにおいてNHKマイルカップが選択されることがあるが、それは皐月賞出走時の『やる気』で分岐が発生する。その文脈を素直に読み解くのであれば、今のタキオンの『やる気』が低いとも考えられるが……。ただ一方でタキオンがNHKマイルカップを選択する真意は、脚の脆さに起因しており、育成シナリオにおいてはクラシック級での夏合宿でそれが強化されるまではずっと脚部不安を抱え続けていたと彼女は語る。

 

 また、それとは別にマンハッタンカフェシナリオに登場するアグネスタキオンの場合は、皐月賞出走後に無期限休止に入り、以後長らくはカフェの育成に付きっきりとなる。タキオンの言葉を借りれば『プランB』というやつである。

 

 これらを統合すれば、やはり皐月賞が鍵なのだが、そもそも出走しないというのは不思議な話だ。

 

 

 そしてアグネスタキオンが育成中に明確に出走を取りやめたレースが1つ存在する――月桂杯というウマ娘オリジナルレースだ。と言っても、存在が語られるだけでURAファイナルズのように出走は出来ないが。

 これはシンボリルドルフが夏季のレースを盛り上げるために発表した祭典でかつエキシビションレースであり、エキシビションではありながらも模擬レースのようなものではなくGⅠに比肩するような実力者を集めて競わせる、という類の催し事だ。

 

 そんな大掛かりなものを新設するくらいなら、いっそ札幌記念をGⅠ昇格する方が手っ取り早いような……いや、それが難しいのは分かってるけどさ。

 

 で、この月桂杯に招待されたアグネスタキオンは出走を決心するも、後に取り止める。ウマ娘におけるタキオンの『出走取り止め』と言われて想起するのが、この月桂杯の一件である。

 

 出走を決心した理由が『プランA』を断念し、『プランB』へ移行するためのデータ取りのため。そして出走を取り止めた理由が再度『プランA』を続行する可能性に賭けたため。

 

 

 脚部不安――それがトリガーになっていることには違いないだろうが、そうであっても、『皐月賞出走取り止め』についてはあまりネガティブな理由ではない気がする。

 だって、この世界の皐月賞。タキオンが『プランB』に移行する場合の最後に自身の出走データを取るのには十分すぎる程の強敵が揃っている。この世界の皐月賞がアプリにおいての『月桂杯』の役割をも担っているのであれば、出走の変更は『タキオンの現役続行』の意志表明とも受け取れるからだ。

 

 

 だから『皐月賞出走取り止め』は決してアグネスタキオンが勝負を逃げたということではない。……何より。

 

 

「ということは5月のNHKマイルカップ。有力ウマ娘は、話題沸騰中のアグネスタキオン……それを迎え撃つクロフネ、そして――アキツテイオーという三強という構図になるでしょう!」

 

 史実クロフネ号はGⅠ2勝、レコード勝利4回。

 そしてアキツテイオーは――『マイルの帝王』ニッポーテイオー号。GⅠ3勝に、15戦連続馬券内という脅威の好成績をマークしたマイルのスペシャリスト。

 

 ――GⅠレースに逃げ場所など存在しないのである。

 

 

 

 *

 

 とは言っても、ぶっちゃけ今の私にGⅠレースの結果はあまり関係ない。

 そのまま4月の後半に突入して桜花賞も皐月賞も終わった。というかそろそろ私も再びレースに出走するつもりである。

 

 まあ、それでも気になるとは思うから軽く触れると、桜花賞はマックスビューティで、皐月賞はテイエムオペラオーが獲った。なおクラシック路線に確定させたアイネスフウジンは2着で、3着がゴールドシチー。やっぱオペラオーって強いね。

 

 加えて言えば王道GⅠ戦線の上の方の面子と大体対戦経験があってちょっと震えてきている。無理な願いではあるが私の警戒度を上げないでくれ、みんな。

 

 泣き言を言っても次走は変わらない……というかレースに出なければ出ないで、私の過去の対戦相手がどんどん実績残して何故か私の評価が相対的に向上していくパターンに入りそうな気がするから、考えることをやめてはいけない。

 

 直近のレースを見直すと、実はダート短距離ばかりに出走している。

 前々走、初勝利を飾ることのできたマヤノトップガン戦は京都ダートの1200m、そして前走バンブーメモリー戦は阪神ダートの1200m。

 

 この路線で好走している以上は、次も同様のダート短距離にしようかと考えている。距離感に慣れるとか、はたまた同じ距離で願掛けみたいな意味合い以外にも理由はある。

 

 1つはマヤノトップガン戦の前に体重を増やして以降、そのまま増減なしで推移させていること。パワーに比重を置いたままなのである。もっとも何ヶ月も体型据え置きしてきたために、もうこの筋肉量であってもステイヤー路線でも問題は無いとは思うが、細かいことを気にするならダート短距離向けに作った身体なのだからその路線を選ぶことに間違いはあまり無いのである。

 

 第2に、これはPre-OP戦や未勝利戦などでの話だが、基本的にダートの短距離はオープン以上のレースと比較すると実は競技者人気が高い。

 一般にダートの方が芝よりも脚に負荷はかかりにくいとされている。ただ競走馬として考えるのであれば、それは『反手前』の脚――つまり前脚のうち走っている際に後ろに来る方――にかかる負荷が馬の脚部にとって最も負担のかかる脚で、そこに入る衝撃は芝のが確かに高いが、反対の前脚である『手前』の脚においては高速化していくにつれてダートのが実は負荷が高かったりするので一概には言えないところもある。

 正直、二足歩行でダートコースを走行する場合の負荷については良く分からないところもあるが、人間スポーツにおいては土のグラウンドよりも芝のグラウンドのが故障率が低くなるという話はあったりするので、ウマ娘がどこに基幹を置くのかは未知数だ。

 

 ただ脚に負荷がかかりにくいとしても、その一方でダートの方がパワーが必要である。なので速度が出ない。

 芝でスピード勝負になって太刀打ち出来ない子がダートでなら何とかなるのは全体速度が下がることで速度以外の要素による比率が高まるからスピード以外のパラメータの重要度が増す……すると、ステータス次第では結果が変わるかもしれないのだ。

 

 そして長距離よりも短距離のが人気。適性距離という考え方もあるものの、やっぱり短い距離の方が疲れないのである。

 未勝利戦のように開催時期にタイムリミットがあったり、いつでもやっているからこそ強敵に当たらないための試行回数も重要になってくるPre-OP戦の世界においては、比較的疲労度の少ない短距離でレース出走回数を増やしてステップアップを狙うという考え方もある。

 

 それらの理由が合わさって若干ではあるが、ダートの短距離はPre-OP戦辺りだと人気が出やすい。とはいえ単純な距離適性で考えれば、マイル・中距離辺りが一番総数としては多く、距離適性を合わせて戦うとする子はそちらに流れるので、あくまでも『オープン戦以上と比べた際の人気』という注釈は付くが。

 

 ただ大事なのは適正外で走っている子も居るという点。つまり人気がある割に勝ちやすい。そしてダートコースは、基本芝よりも直線距離が短いことが多いので、逃げ・先行がそのまま走り切って勝つ、というレース展開も比率的には多い。その辺りも紛れで勝てるかもしれないという人気を高める要因の1つだ。

 

 

 で。人気が高いということは当然抽選になりやすく、除外が起こりやすい。しかし前に抽選ルールについては興行規則で確認済みなように、前走で入着していれば抽選でかなり有利となる。

 だから前走2着であった私は、今のうちにダート短距離に出ておきたいのだ。

 

 

 それと、もう1つ。出走登録の届け出が1週間前までに必要となる特別競走レースへの出走も試したい。抽選前の出走登録者がこの受付終了後に掲示されるために、誰が出てくるのか読みやすいのが特別競走レースの特徴だ。

 1週間の間に出走予定者に合わせて傾向・対策を重点的に叩き込んでレースに臨む。一度それを試してみたい。そして、データの比較という意味合いでも直近2回と同じ距離のレースを選択する意義がある。

 

 だからこそ、次走。私はダート1200mをもう一度走ろうと思っている。

 

 6月以降のPre-OP戦はシニア級との混成になるので、出来れば今のうちにもう1勝あげておくのがベストであるが、今はまだ4月なのでもう1戦くらいはチャンスはある。気楽に行くくらいの心持ちのが良いだろう。

 

 

 ――と、いうことで。

 私が出走登録したのはクラシック級1勝クラスの『三条特別』。

 新潟レース場のダート1200mコース。抽選を通過すれば、初めての名前付きレースへの出走となる。

 

 

 

 *

 

 三条特別の1週間前になって出走登録者が掲示された。

 フルゲートで15名。予約しているのが18名で、その全員を調べたけれども、私の出走自体はほぼ確定と言って良いだろう。

 

 その中で気になる名前は――2名。

 

 1人はエルノヴァ。史実・エルノヴァ号はエリザベス女王杯で3着、ゼンノロブロイが勝利したジャパンカップにも出走している他、重賞戦線での活躍がある。が、一方でオープン戦昇格以降は好走するものの勝利が掴めなかった。

 

 そしてもう1人がダイサンゲン。こちらはアニメにも登場している元ネタはダイユウサク号のウマ娘。ダイユウサク号の勝鞍と言えば誰に聞いたとしてもまず『有馬記念』だろう。というかほとんどの場合それしか知らないと思う。

 究極至高の一発屋。競馬に絶対は無いが、まさかその一発を有馬で、しかもメジロマックイーンが相手に居る中で、更にはレコード勝利という、あまりにも鮮烈な花火を打ち上げた競走馬である。

 ……地味にダイユウサク号は3億7000万円程度稼いでいることから、もしかすると私が最も参考にすべき馬は、このダイユウサク号なのかもしれない、と密かに思っている程だ。

 

 しかし、両名以外に私が気になったウマ娘は居なかった。確かにダイサンゲンはアニメに出ていたけれども、明確な実装キャラが1人も居ないレースは初である。

 

 

 ということは、もしかしてだけど今回のレース、狙い目?

 

 

 ……。

 史実の有馬記念勝者が居るレースが、今までで一番勝てそうな気がするって、一体どういうことなの……。




三条特別は何度か距離が変更され2014年からは芝に移行した上、2020年以降は設置されておりませんが、本作では当該レース設置初期のダ1200mで設定しています。ただフルゲート自体は現行規則に基づかせて頂きます。
時空の歪みが生じておりますがご了承ください。


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第14話 クラシック級4月後半・三条特別【1勝クラス】(新潟・ダ1200m)顛末

 エルノヴァは、史実を踏まえると芝の中距離から長距離に適性があるとみられ正直今回のレースと適性はほぼ真逆を行っている。ただし史実クラシック期に勝利を挙げていないのに既に1勝クラスに居ることは懸念点だ。一応少女・エルノヴァのこれまでのレース結果を見直してみたが、芝1400mでメイクデビューを行い大敗。以降ダートと芝を両方試しつつ、ダートの方で初勝利を飾って1勝クラスに駒を進めてきていることから、確かに彼女がダートで出走すること自体に違和感は無い戦績となっていた。

 脚質は主に差しだが、先行も追込もあり得る。短距離だから少しでも有利な先行を選ぶだろうか。それとも高速展開を狙って差しや追込で来るだろうか。

 

 

 そしてダイサンゲン。確かにダイユウサク号は有馬に勝っているもののその前走ではオープン戦のマイル戦に勝利している。というか、どちらも12月のレースだから中々に狂ったローテを史実でやっているが、距離適性はちょっと見えてこない。

 で、脚質は差しと見ていい。前に付けているとき結構垂れてたイメージがある。

 

 ダイサンゲンの戦績として見れば、つい前走にてここ新潟で初勝利を挙げての1勝クラス戦だ。なおその勝利をあげたのはなんと三条特別の出走予定者が公示された週、つまりは連闘だ。距離は違うものの同じ新潟レース場のダートで日程を連続で入れて来ていた。

 格上挑戦が出来るとはいえ、負けたら除外もありえただろうに随分強気な出走登録である。それだけ新潟のダートに自信を持っているということなのかな。

 

 

 そして新潟レース場ダート1200mの特徴として。

 まずは何といってもゲートが芝に置かれ、芝からダートコースに入るという点が大きい。基本、芝の方が良いタイムが出る。しかも芝とダートの境界は進行方向に対して垂直では無く斜めに入るため、芝の距離が少しだけ長くなる外枠が有利となる。

 

 まあ、枠が決まるのは前日なのでこれは完全に神頼みだ。が、どの枠であっても一定距離は芝がある。ということはダート専門の子よりも私は優位に立てるのだ。……残念ながらエルノヴァもダイサンゲンも適性は芝の方が強いと思うから本末転倒になったが。

 

 

 後は、最終直線がダートでは長めの353.9mある。前走・阪神レース場ダートコースも随分長い最終直線であるはずだが、その阪神が352.7mで更に1m少し延伸した形となる。ただその一方でコースにはほぼ坂が無く平坦だ。全体で見ても起伏は1mにも届かないはず。

 

 新潟レース場自体は一度芝の直線コースを走ったことがある。ゴールドシチーに負けたときの未勝利戦だ。ただしその日本でも随一に特異的な芝直線コースとは異なり、ダートコースは他のレース場と同じようなスペックでまとまっている。

 

 だから基本は一緒だ。ダートの短距離は逃げ・先行が有利。ただし同時に掛かりやすく、高速化する恐れがあるのでそれで前方のウマ娘がバテたりすると後方からの直線一気が刺さる。

 

 だから『差し』でも良いんだけど、他の有力ウマ娘2人がやや差しよりの適性をしているように思えて、私も前走で『差し』で2着を取った以上は、それ以外のウマ娘は確実に差しを警戒しているはずである。差しウマ娘に対して先行している場合に最も有効な選択は、レースペースを遅くして自身の体力を保持すること。これは状況次第では先行集団と中団・後方集団の団子状態を形成することもあり、そうなれば位置取りや走行ルートの選択に失敗した後方ウマ娘は順位を上げることが極めて難しくなる副次的効果も踏まえた上で、である。

 

 だとすると、私がすべき選択は――基本は先行。ただし展開が超ハイペースになるようだったら、差しまで下がる。これならば、スローペースであったときにはバ群に埋もれずに好位を維持することが出来る。

 

 そして、それを実現するために残り1週間で私がやるべきトレーニングは、と言えば。

 

 ……ゲートかな。取り得る戦術を踏まえた際にスタートで躓いた場合に影響が大きすぎるから、出遅れるわけにはいかない。

 

 

 

 *

 

「――さて、1番人気を紹介しましょう。エルノヴァ。7枠13番からの出走ですね」

 

「未勝利戦ではダート1700mを素晴らしい差し脚で勝利したウマ娘です。1勝クラスに入ってからもその差し脚を使って入着を繰り返しており、人気と実力を兼ね備えたウマ娘と言えるでしょう」

 

 フルゲート15名なので、この新潟1200mダートで最も有利となる大外は8枠の15番。それを踏まえると1番人気のエルノヴァが外枠を取得したのは、厳しい戦いを予期させるものであった。

 ……というか7枠で思い出したけど『ラッキーセブン』とか持って無いよね、大丈夫だよね?

 

「……3枠4番、ダイサンゲン。前走では9番人気でありながら前評判を覆し見事1着を掴み取り、1勝クラスへと歩みを進めてきたウマ娘です。しかし同じ新潟でのレースですのに人気は5番人気とやや伸び悩んでおりますが、これは……」

 

「大方、ファンが連闘の影響を危惧してのことかと思われます。それに昇格初戦ですからね、不安要素があるのは確かでしょう。ですがどのような人気であっても勝利を掴み取れることは、他ならぬこのウマ娘自身が未勝利戦で体現しております。

 今日のレースでどのような走りをするのか今から楽しみなウマ娘の1人です」

 

 ダイユウサク号のことが頭にちらつくと、どうしても人気が伸び悩む状態のダイサンゲンというのはむしろ怖いと思ってしまう。エルノヴァが1番人気だと言うのであれば、順当に2番人気とかに彼女が収まっている方が正直幾分安心感があるレベルだ。

 

 

 そして。

 

「4枠7番から出走します、サンデーライフは2番人気。この娘は芝・ダート不問な万能性と自在な距離適性に定評がありますが、近ごろはダート1200mを主戦にしているようですね」

 

「それで結果を出しておりますから無理に距離を変える必要は無いという判断なのでしょう。……しかしこれまでの戦績はいつ見ても凄いですね……彼女の対戦相手からGⅠクラスのウマ娘が既に5名出ております」

 

 改めて数字にして言われるととんでもないことだよねえ……。ネームドにぶつかるのは仕方ないとしても、しっかりGⅠ勝利を獲っていくのだもの。

 

 

 また4枠7番というほぼど真ん中。外枠有利でド中央とか、いやー我ながら持ってないなあ。

 加えて言えば。

 

「――足元悪い雨の中、新潟レース場ダート1200m。

 1勝クラスのPre-OP戦――三条特別に15人のウマ娘が挑みます」

 

 雨天ということもあり、ダートにおいては更なる高速展開になる恐れもある。……ペースが速すぎたら中盤まで順位は落としても良い。

 

「ゲートイン完了……スタート! ……おっと8番・スプリングハッピーやや出遅れた! 他の娘たちは素晴らしいスタートです」

 

 

 ……うわっ、隣の子が明らかに出遅れていたんだけど。あれが自分だったら今頃頭が真っ白になるよ。ゲート練習していて本当に良かった。

 

「各ウマ娘、芝からダートのコースへと入っていきます」

 

 芝からスタートするとは言ってもダートレースなのだから、芝の走行区間は僅かだ。しかし僅かであっても、それは外枠有利に寄与する。

 高速展開になったら順位を落とす予定ではあるけれども、さりとて先行集団で団子になってしまうのは好ましくない。とりあえず前目には付けておこう、と逃げの娘を先に行かせつつも好位をキープすることとする。

 

 幸い外から無理やり先行集団の前方を確保しようとする外枠の相手は居なかったので私はすんなりと最初の先行争いで優位に立つことが出来た。

 

 前を見据える。

 

「さあ、先頭から見ていきましょう。1番先頭は9番・インディゴシュシュ、ハナを進む。2番手争いを制したのはサンデーライフ、2バ身から3バ身の差――」

 

 私の前には1人だけ。

 ……ってことは、逃げ作戦を取ったのが1人、ということか。そしてそれは同時に後ろに13人居るということ。多分、先行と差しばっかりだ!

 

 ダート短距離、そして雨。これらの要素から大方高速化すると見込んでいたが、これだけ逃げが少ないとスローペースで展開が推移することもあり得る。それ自体は想定済みではある。

 ただ危惧すべきは私が2番手で前の子も違うとなるとダイサンゲンもエルノヴァも後方に控えている可能性が高いということ。少なくとも私から視認出来る真後ろ辺りには両名は居なかったので、かなりの確率で差し。仮に先行集団であったとしてもその後ろの方に付けているはず。

 

 とはいえ、エルノヴァもダイサンゲンも得意戦術は差し。そして私も前走が差しであったことを考えれば、高速展開に持ち込んで利するのは私達だということを他のウマ娘たちも分析してやってきたということか。

 加えて言えば、万が一の私の『大逃げ』戦法を使ってくる可能性に対する保険の意味合いもあっただろう。他の子も決して無策でレースに挑んできているわけではないからこその遅めのペース展開が生じたのである。

 

「第3コーナーに入りましても順位に変動はありません。そして折り返しの3ハロンのタイムは35秒9。1ハロン辺り12秒ペースを僅かに下回っています」

 

「おおよそ平均ペースですが、ダートの短距離、それも雨ということを踏まえますと各ウマ娘はかなり抑えめに走っているように思えます。これは一瞬の瞬発力が勝敗を決する展開になるかもしれませんよ」

 

 私の前を行く逃げの子も含めて全員脚を溜めている展開だ。仕掛けどころが難しいが、コーナーでスパートをかける必要は無い。新潟ダートの直線距離は353.9m。

 

 直線勝負に出られるだけの十分な長さはある!

 

「さあ、最終コーナーも間もなく終わるといったところですが、まだ誰も仕掛けません! 9番・インディゴシュシュそのまま逃げ切るのか!? はたまた、後方のウマ娘が彼女を一刀両断するのでしょうか!」

 

 

 

 *

 

「最終直線に入りまして、じわりじわりと上がってきたのは、エルノヴァとダイサンゲン! 前を行く9番・インディゴシュシュも決して脚色は悪くはありませんが、ちょっと苦しい! ここでハナをサンデーライフに譲りますっ!」

 

 前の子が失速してきたわけではない。が、サイレンススズカのような『逃げて差す』展開を繰り広げるだけのスタミナは残っていないようで、私が仕掛けてまもなく抜き去ることに成功した。

 

 先頭に立ってのラスト1ハロン。

 それは大逃げ以外では初めてのことだった。

 

 後方には、先ほど抜かした子のほかにエルノヴァもダイサンゲンも見えた。が、しかし私もまだトップスピードに乗ってはいないから加速は出来る。

 

 今まで無策での最終直線の先頭は何度かあったが。

 これだけ余力を残しての先頭というのは初めてだ。ただし、他の子もまだ充分に脚は残っているから決して私だけが優位であるということではない。

 

「サンデーライフ、抜け出している! が、後続もその差を詰めております! 残り100mで果たしてその差は埋まるのでしょうか!?」

 

 

 9戦1勝。それが私の戦績だ。

 そう。これが10戦目なのである。そして――。

 

 

 残り100mの最後の攻防で、2番手以降のウマ娘が差して勝利した展開は9戦中ただ1戦。

 それを私に魅せつけた少女の名は――アイネスフウジン。

 

 

 雨が降り重バ場の新潟レース場。

 今、この場に。

 

 ――風神は居ない。

 

 

 

 *

 

「サンデーライフ逃げ切るか! いや、後続集団も更に加速する! エルノヴァもダイサンゲンも迫る! 9番・インディゴシュシュもその後を何とか食らいついていますっ!

 残り50m! サンデーライフ逃げる! 逃げ切るか!? それとも、誰か伸びるかっ!? 並んだ! そのままもつれるようにしてゴールイン! ……これは、どうでしょう」

 

「そうですね。目視ではエルノヴァとサンデーライフが体勢有利のように見えましたが……結果が出るまで分かりませんよ」

 

 

 走り終わった私は、電光掲示板を確認する。

 

 

 ――1着、サンデーライフ。

 2着、エルノヴァ。

 3着、ダイサンゲン。

 4着、インディゴシュシュ。

 5着、キンダーシャッツ。

 

 

 私とエルノヴァの差は僅かに1/4バ身。接戦であった。でも何とか私がこの勝負を制することが出来た。

 そして電光掲示板の右上に灯りがともる。

 

 

 ――『審議』。

 

 

 ……えっ、審議……?

 

 

 

 *

 

 審議とは走行妨害などの違反行為や競走中止がレース中に発生してかつ、上位の順位がその影響によって変動する恐れがある際に生じる掲示である。

 

 つまり、私の1着は確定していないということだ。

 

 場内はどよめきに包まれる。

 まずゴールしたウマ娘の子たちを1人ずつ数え上げる……15人全員ゴールしている。競走を中止した者は誰も居ない。

 そして次に、私は今までのレース展開を思い返し、何かやらかしたか心当たりを探すが、勿論見つからない。そんな他者を妨害してやろうなんて余裕は無かったし、それに他の子の進路に侵入した可能性が全く無いかと断言できるかと言われれば、気付かずにやらかした可能性は否定できなかった。

 

 灯った『審議』掲示に対して、説明の全体アナウンスが入る。レース場は静けさに満ちて、そのアナウンスを神妙に聞くこととなる。

 

 

「――お知らせいたします。新潟第9レース・三条特別は、最後の直線コースで10番・キンダーシャッツさんの進路が狭くなったことについて審議をいたします」

 

 その名前は5着に入っていた子であった。5着の子の被害ということはそれより上の順位のウマ娘が妨害したことになるけれども、2番手をずっと追走していて最終直線で先頭に躍り出た私が5着の子を妨害する余地は多分、無いはず……。

 

 

 そして、次のアナウンスが、それほど間を置かずに入る。

 

 

「――お知らせいたします。新潟第9レース・三条特別は、引き続き審議しておりますが、第3位までに入線したウマ娘については審議の対象となっておりませんので、第3着までは到達順位の通り確定いたします――」

 

 

 この瞬間、私は腰の力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。

 

 全く想定していないことが起きて、すごく動揺している。今になって心臓がレース関係なく早く鼓動していることに気が付いたし、私の手は震えていた。

 

 

 何がともあれ、勝ったんだ。

 

 本当にびっくりしたんだから。勝てたことは嬉しいけれども、こういう形は本当に心臓に悪すぎるからやめてよね、もう。

 

 

 ――現在の獲得賞金、2558万円。



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第15話 同じオープンウマ娘

 『確定』ランプって本当に大事。心からそう思ったレースだった。

 

 結局、あのレースの最終直線で何が起こっていたのかと言えば、最終直線に入ってすぐで抜かした逃げの子が一旦は垂れそうになるも、何とか持ちこたえて4位に入着したその時の彼女のややふらついた動きが5着の子の進路妨害のように見えたということらしい。

 レースから20分くらい経ってから正確な審議結果が出て、降着や失格処分は無しということで最初に出た順位のまま確定することとなった。いや、本当に心臓に悪いよ、あれ。

 

 次レースの準備のためコースから出て行ったあと、審議の対象となった逃げの子は終始泣きそうな表情で動揺していた。当事者でない私ですらあれだけの驚きがあったのだから、彼女の精神的ショックは計り知れないものであろう。

 本当に何も無くて良かったし、審議中の間、真っ先にその被害ウマ娘とされていた子が逃げの子に駆け寄って慰めていたのはせめてもの救いだろう。私もエルノヴァもダイサンゲンも……というかレースに参加した全員で彼女が不安に思わないように傍に居たし、審議が終了して処分が無いと分かった時には皆で彼女を揉みくちゃにした。

 

 逃げの子――インディゴシュシュ。私が彼女の名前を『競走馬名』として把握していないということは、史実において彼女の戦績は特筆するべきで無かったのかもしれないし、あるいはそもそも『史実馬』ですら無い可能性もある。

 

 でも、そういうのはやっぱり……今だけは無粋だ。

 

 

 私はこのレースの勝者なのだから。勝者として彼女に一言だけ声を掛けておいた。

 

「――インディゴシュシュさん。次はオープン戦で会いましょうね」

 

 

 ……後日、この話をどこからか聞きつけたかのか、何人かの見知ったネームドウマ娘に詰め寄られたが、それはまた別の話。

 

 

 

 *

 

「サンデーライフちゃんも私と同じオープン戦ウマ娘になったから、日本ダービー、一緒に出るのっ!」

 

「……流石にジュニア級GⅠ1勝、皐月賞2着のアイネスさんと、つい先日1勝クラスを突破した私を『同格』として扱うのは無理があるような……」

 

 私の勝利後に詰め寄ってきたネームドウマ娘の1人が彼女、アイネスフウジンである。

 オープン戦ウマ娘。クラシック級の春までは1勝クラスで勝利すればそれより上のPre-OPレースが存在しないために、出られるレースはオープン戦以上となる。だから、その文脈に沿えば4月後半の三条特別に勝った私も5月の1ヶ月間だけはオープン戦ウマ娘という肩書きになるのは確かである。

 とはいえ、6月からの夏シーズンが始まると、Pre-OP戦が3勝クラスまで拡大することから、5月中にもし勝利しなければ私はそのまま『2勝クラス』ウマ娘にスライドする。

 逆に5月のオープン戦に出走して、もし万が一勝利した場合。これだと3勝クラスになるのではなく、もう永遠にオープン戦ウマ娘だ。この格付けには賞金金額をベースにしているものの、実賞金ではない『収得賞金』という別概念が関係してくるために詳しくは説明しないが、発想としては『どれだけ格の高いレースで1着を取れる能力があるか』という指標……とでもいえば良いだろうか。重賞レースでも収得賞金には2着までしか計上されないのだ。

 

 今の私の獲得賞金は2558万円だが、収得賞金換算だと、未勝利戦と1勝クラスの2勝利分の固定保証である900万円のみである。一方で目の前のアイネスフウジンの収得賞金は8000万円となっている。

 この状況で『同じオープンウマ娘』と言っているアイネスフウジンは、一体どれだけ私のことを過大評価しているのだろう。

 

 

 そして私の意志を仮に完全に無視するとしても、収得賞金900万円では『日本ダービー』に今から追加登録料をトレセン学園が肩代わりする形で無理やり出走登録しても18人分しかない枠に収まることはほぼ不可能だろう。

 

「でもでも! トレーナーは『理屈の上ではあの子が日本ダービーに出る道はある』って言ってたの!」

 

「……その言葉、私が絶対選択しないとか、そんな感じのまくら言葉が付いていましたよね?」

 

「……む、むむ、確かにトレーナーも言ってたの……けど! 絶対出られないってことじゃないってことなのっ!」

 

 

 この4月末に1勝クラスを勝ち上がった私が、たった1ヶ月の期間限定オープン戦ウマ娘の間に5月末の日本ダービーに出る方法……一応、無いわけではない。

 東京レース場にて5月前半に開催されるオープン戦のレースに『プリンシパルステークス』というものがある。これが日本ダービーへのトライアル競走なので賞金額に関係なくダービー優先出走権を獲得出来るチャンスである。

 

 ただしその権利を獲得できるのは1着のみ。

 

 ついでに言うと、この『プリンシパルステークス』だが史実サイレンススズカ号が出走し1着を取ったレースでもあったり。サイレンススズカ本人が来ないにしても、そのレベルを相手にして1位を取ると言うのはちょっと無理ゲーである。

 ダービーの出走ローテーションに乗っかるとは、つまりそういうことなのだ。

 

 

「重賞じゃないとはいえ、苦戦するレースに私が登録するわけないじゃないですか」

 

「サンデーライフちゃんらしい、と言えばらしいけど残念なのー……。じゃあ、サンデーライフちゃんは次のレースは何にするつもりなの?」

 

 次走か。

 確かに期間限定のオープンウマ娘であるうちに上のレベルを見ておくというのは考えていた。流石にアイネスフウジンの言うような『日本ダービー』であったりそのトライアル競走までの圧倒的高みを目指してはいなかったが、とはいえ、どうせ何もしなくても6月からはPre-OP戦に戻ることを踏まえれば、ここで一度レースに出ること自体はありなのである。

 

 そんな考えとともに、私は答える。

 

「まだ確定じゃないのですけども、多分私は次のレースは――」

 

 

 

 *

 

 別の日。脈絡も無く、突如私に割り当てられた資料室の扉が開いた。

 

「ねえ、今。平気?」

 

「ひゃっ! ……え、だれ……あ、ゴールドシチーさん。ええと前に対戦して以来ですね……。あの……何か御用ですか?」

 

 阪神ジュベナイルフィリーズの勝者で皐月賞でも3着だったゴールドシチー。新潟の直線1000mで行った未勝利戦でボロ負けした相手である。

 レースの後は特に関わりも無かったはずなのだけど……あ、バンブーメモリーとの関係の中で少し名前が出ていたくらいか。

 

 そして全く人が入ってくることなど想定していなかったから、今の私は持ち込みのソファーでだらけながら次走出走予定をまとめている最中であった。

 扉の前でずっと立たせっぱなしというのは申し訳ないので、部屋の中に入ってもらうと彼女は真っ先に私の座っているソファーの隣に座ってきたので、流石に物理的な距離感の詰め方にビビる。

 

 確かに、この部屋って他に座るところが折り畳み式の会議用テーブルのところに置かれているパイプ椅子くらいなので、座り心地が良いのはこの私物ソファーなのは間違いない。横顔がヤバい美人で正直見とれつつあったが、それを伝えるとゴールドシチーは多分機嫌を悪くすると思うので黙っておく。

 

「御用ってさ……。サンデーライフ、アンタさ、ウマッター全然開いてないでしょ?」

 

「え、あ……はい。アカウント作った後から見てないですけど……」

 

「はぁ……やっぱり。道理で全然DMに既読付かないと思った」

 

「あ……。本当にごめんなさい!」

 

「別に。どうせ大体そんなことだろうと思ったし」

 

 まさかゴールドシチーからメッセージを貰っていたとは。言われてみれば彼女のメッセージアプリでの連絡先は知らなかった。ウマッターの相互フォローだってバンブーメモリーにアカウント作ってもらうのを手伝ってもらった際の産物だし。

 とりあえず、ウマッターを1か月ぶりにちらりと開いてみると、私の『かにみそ』ウマートが3万ウマいねを超えているのを見てそっ閉じ。

 

 仕方が無いのでアカウントを見るのが怖い旨を素直にゴールドシチーに伝えて、私と連絡を取り合うのが不可能なコンテンツと化したウマッターの代替としてメッセージアプリの連絡先を交換した。

 

「……でも急ぎの用であれば、バンブーメモリーさん経由でお伝え頂ければ、わざわざ来てもらわなくても私の方から行きましたのに……」

 

「まあ……ね。……ってかバンブー先輩にバレるのはちょっとハズいし……」

 

 

 ウマ娘の聴力をもってしては難聴主人公になることは不可能なので、ガッツリとゴールドシチーの呟きを捕捉する。

 発言内容はとりあえず棚上げして、そういえばゴールドシチーはバンブーメモリーのことを先輩呼びするんだっけ。競走馬・ゴールドシチー号のことを言えば、バンブーメモリー号よりも年上だったと記憶しているが、割と先輩・後輩関係はウマ娘世界では流動的だ。

 ……私と同期組にすら1986年クラシック世代のダイナガリバーと2002年世代のエルノヴァの居るこの世界線においてはもう気にしちゃいけないことなのかもしれないけどさ。

 

 で、ゴールドシチーの同室であるところの『バンブーメモリー先輩』にバレるのが恥ずかしいこと。それが私に関連するとなると……。

 

「……?」

 

 なんということだ。難聴であることは免れたが、私は鈍感であることが発覚してしまった。……いや、心当たりマジで無いと思うけど、何か見落としてる?

 

「サンデーライフ……今日の夜、空いてる?」

 

「あ、はい。トレーニング軽くこなした後は空いてますが……」

 

「……良かった。じゃあさ。夕食、食べる前に校門の前集合で良い?」

 

 もしかしなくても、夕食食べに行く感じでしょこれ。

 特に断る理由も無いので快諾する。

 

「はい、分かりました。ちなみに、何を食べに行くのですか?」

 

「ふふっ、さあね……」

 

 いや、誤魔化し方下手か!

 

 

 

 *

 

 夕方……というかほぼ夜になりかけの時間。

 校門で集合した私達はトレセン学園の関係者駐車場に止めてあるゴールドシチーのトレーナーさんの車に同乗して街へと外出することとなる。

 運転は車の持ち主であるトレーナーさんで、外出する旨は既に寮長のフジキセキや各方々に伝えてあるとのこと。手際が良い。なお、女性のトレーナーでありゴールドシチーの隣に並んで映えるくらいの美人であった。それと童顔。

 

 で、車に揺られること15分程度。

 到着した建物には、門と堀。そして中には枯山水庭園が広がっている。

 

「え……なんですか、ここ……」

 

「アタシの都合に振り回しちゃってゴメン。……ほら、こういう場所じゃないとパパラッチが居たりするからさ……。その点、ここなら記者とも繋がってて、お互い困らないように情報を調節して流してくれるんだよね」

 

 ええと、それってつまりあれですよね。料亭だよね、これ?

 

 軽い気持ちで連れてこられた場所が、料亭だなんて予想できないよ……ひえぇ。

 

 

 門構えをくぐったときには私はもうほとんど涙目だったと思うが、ゴールドシチーも気を遣ってくれたのか、案内されたのは個室で、お店の人の出入りも最低限だったので、食事をいただくころには、少し落ち着いて食べることはできた。

 

 

 ……料理はすっごい美味しかったです、はい。特にカニがすごかった。あんなに口の中で広がるとは。それに薬味であれだけ味が変わるものなんだ……。

 料理の値段はおろか、伝票も会計も無かったから、必然的に奢ってもらったのが凄い申し訳ないのですけれども、実際マジで値段は分からない。1人何万円の世界だよきっとこれ……。

 

 

 


 アグネスデジタル@前走はQ/E/2/世/C㋹ @umamusumechan_moe・2分前 ︙

  特定同志、情報感謝でありますっ!!! ネット注文しました!!

 19 リウマート 2 引用リウマート 210 ウマいね

 

 

  アグネスデジタル@前走はQ/E/2/世/Cさんがリウマートしました

 ほうじ茶(趣味垢) @misosoup43hai・41分前 ︙

 返信先:@misosoup43hai さん

  (続き)

 この料亭は完全予約制の上、一見さんお断りなので多分一介のウマ娘オタクでは店に行くことすらできないので注意。なお通販で自宅で調理出来るセットは売っているとのこと。

 ってか、サンデーライフちゃん、いつも蟹ばっか食べてんな。

 #サンデーライフかにみそ暗号解読部

 7 リウマート 1 引用リウマート 13 ウマいね

 

 

 アグネスデジタル@前走はQ/E/2/世/C㋹ @umamusumechan_moe・2時間前 ︙

  ひょええええ!!!!!!ゴールドシチーさんの御ウマート!!!!!!!!???!!!!!!!!!??!!!! アァ……

 5,094 リウマート 226 引用リウマート 1.7万 ウマいね

 

 

  アグネスデジタル@前走はQ/E/2/世/Cさんがリウマートしました

 ゴールドシチー㋹ @goldcity0416・2時間前 ︙

  同期とカニ食べた、いい感じだった

  (ゴールドシチーと彼女のトレーナーに挟まれながらサンデーライフが写る写真)

  1.1万 リウマート 2,104 引用リウマート 5.1万 ウマいね



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第16話 魔境・オープン戦の片鱗

 5月の間にオープン戦に出走するとはいったが、実際のところ選択肢はそこまで多くは無い。

 

 まずオープン戦以降は『名前無しレース』であるところの一般競走は無く、全て特別競走なために登録は1週間前に済ませる必要がある。

 だから5月前半レースのうち、第1週に行われるレースは既に出走登録期限を超過しているために走ることは出来ない。

 同様にGⅠレースも2週間前に出走登録を行う必要がある関係上、第2週に執り行われるNHKマイルカップへの登録ももう不可能だ。全く選択の埒外ではあったけども。

 

 としたときに、そもそも出走登録が可能という区分で残されたレースは、実際のところトゥインクル・シリーズにおいては9レースしかない。

 

 その9レース以外に、ローカル・シリーズの指定交流重賞であるJpnⅢ・北海道スプリントカップという門別レース場で実施されるレースも一応選択肢には入るが、これはトゥインクル・シリーズ出走ウマ娘に開かれた枠は最大4名までなので、抽選にて除外される可能性を鑑みるとちょっと申し込むリスクがある。1200mダートだから、重賞レースということに目を瞑ればこれまでの短距離ダート路線にマッチングしたレースではあるけれどもね。

 

 という訳で、出たくないレース順に省いていこうと思う。

 まずアイネスフウジンと話したときに出てきた日本ダービーと、そのトライアル競走であるプリンシパルステークス。これは完全に出る気が無い。ついでに言えばオークスも出る気は無いので、一気に3つ消える。

 残り6つの中で一番格が高いGⅡ・京都新聞杯。日本ダービーの優先出走権が与えられるトライアル競走ではないものの、日本ダービーの叩き台として調整用に使われることが多いステップ競走だ。開催時期が違う時代も含めて史実覇者を見てもスペちゃん、ネイチャ、ブルボンにチケゾー、フクキタルにアヤベさんととんでもない名前が名を連ねている。これも無理です。

 後、重賞格のレースは葵ステークスが残っているが、こちらは史実・ダイタクヘリオス号の勝鞍。加えて言えば直近に芝のスプリント路線のクラシック級重賞レースがほぼ皆無なために、ここにNHKマイルカップに出走しなかった短距離路線の猛者が集結する恐れがある。というか、そもそもその用途のために葵ステークスは重賞レースに昇格したわけだし。なおこの世界もアプリ同様、未来先行で葵ステークスはGⅢ扱いである。

 

 ということで最初から分かっていたことではあったが重賞レースは魔境なのでオープン戦から選ぶことになる。それはそう。

 残り4つの中で明確に行ってはいけないレースがまず1つ。それは芝・1800mの白百合ステークスだ。このレースは日本ダービーの裏番組で行われるので一見狙い目に見えるが、距離の面で日本ダービー用に仕上げてきたウマ娘を配置転換出来なくもない感じなので『残念ダービー』とも言われるレースの1つであり、惜しくも日本ダービーの選考から落ちた強者が、とはいえダービーに向けて調整してきたこれまでのトレーニングを無駄にしたくないということで出走登録しがちなレースである。だから基本的に通常のオープン戦よりも有力ウマ娘が集まりやすい傾向にあるので排除。

 それで残ったレースは芝・1400mの橘ステークス、ダート1600mの青竜ステークス、ダート1800mの鳳雛ステークスの3つになる。

 

 本来こうなったときに競馬において馬主が出走する際に考えるべきは『負担重量』即ち斤量の条件である。騎手と馬具の重さなどを総合した競走馬の上にレース中に乗っかる積載量のようなもので、ざっくりとしたことを言えば1kg違うだけでマイル戦において1馬身分のハンデになると言われている。この制度を各競走馬にそれぞれ傾斜を付けたりすることで格下狩りを未然に防いでいるわけなのだが、残念ながらウマ娘にはそんなものはない。言わばすべてがGⅠレースで行われるような定量レース、そもそも重りも何も載せていないのだから定量に決まっている。

 だからアプリの育成ウマ娘がGⅡ、GⅢに出ると大差に近しい差を付けて勝利もするわけである。GⅠを何勝も出来る……というかトレーナーの気分次第でクラシック三冠を取れるような育成ウマ娘がハンデ無しに格下を相手取っているのだから、そりゃそうなるよ。

 

 なのでこの世界では一層、虎の尾を踏まないようにレースを吟味する必要があるのだけれども……。

 残念ながら橘ステークスはNHKマイルカップやクラシック級時代に安田記念に挑戦する場合の調整レースとしても使われるし、青竜ステークス・鳳雛ステークスはJpnⅠ・ジャパンダートダービー向けのステップ競走。

 ……あれ? 消去法で選ぼうと思ったら選択肢全部消えちゃった。詰んだじゃん!

 

 こうなってしまうと、もうどうしようもない。これがオープン戦の怖さである。取り得る選択肢のすべてが何らかの別の重賞レースにリンクしているということが往々にして起こり得るのがオープン戦の世界だ。

 そうなれば、もうどのレベルの子が出てくる恐れがあるか、という指標はまるで意味がなくなり他動的な理由でレースを決定することができない。

 

 だとすれば、どうする? ――他者がどうするかではなく。自分がどうしたいかで決めるしかない。

 

 そして、その選択であれば、答えは自ずと1つに定まった。

 

 

 そのレースは。

 鳳雛ステークス――京都レース場・ダート1800m。

 

 

 

 *

 

 鳳雛ステークスを選んだ理由は3つ。

 1つは、前述の消去法でとりあえず一番最後まで残ったレースだということ。少なくとも最後に残った3レースこそが相対的には狙い目になるはず。

 

 2つ目に、その3レースの中で鳳雛ステークスが最も開催時期が遅いということ。三条特別に出走したのが4月後半であるために、多少は期間を開けた方が良いだろうという自己判断だ。

 

 そして3つ目に。京都・ダート1800mは、実は私は1回走っているということ。メイクデビューに敗れてから挑んだ初めての未勝利戦、テイエムオペラオー戦において私は全く同じ距離を同じ京都で走っている。

 あの時が7月で今が5月だから、多少季節にずれはある。その上、ほぼ1年ぶりだから実際経験があることがどこまで私にとっての血肉になっているかは甚だしく疑問ではあるけれど、まあ何もないよりはマシだろう。

 

 そういう願掛け要素を付加するのであれば、マヤノトップガン戦で勝利したレース場も京都である。距離は違うけどね。

 

 

 なお多少の救いは因子魔改造のメジロマックイーンは5月の初戦に、園田で開かれるJpnⅡ・兵庫チャンピオンシップを選択していた。7月前半のジャパンダートダービーに向けてもう1戦挟むかどうかは微妙なところだが、少なくとも同月にあたる鳳雛ステークスに出走してくる危険性は大幅に下がった。

 ただ今までのようなネームドばかりにかまけていればいいと言う話でもないかもしれない。確かに私は『強めのモブウマ娘』と自己表現しているが、よくよく考えてみればオープン戦に出てくる時点で、他の子だってもう強めのウマ娘だ。だからこそマークを全員に広げる……なんてことをしてしまう訳にはいかない。全員をマークするというのはかえって効率が悪い。大まかなレース展開を予想できるだけの判断材料を得ることは大事だが、誰も彼もマークするということはピントがずれて個々のマークがぼやけることと同義だ。やはりこれまで通り、レース展開を明らかに形作るだろう相手に対して気を配る方が良い。

 

 

 そして。第1回の特別出走登録が終わり、鳳雛ステークスの出走予定者が掲示されたとき。

 そのレース展開を決めるであろう人物の名は刻まれていた。しかし、その名はトゥインクル・シリーズレースにおいて、あまりにも予想外なものであった。

 

 

 彼女――いや、彼女たちの名は。

 トウケイフリート。

 そして、トウケイニセイ。

 

 

 

 *

 

 鳳雛ステークス……というか、ジュニア級やクラシック級限定のオープン戦特別競走はすべて『特別指定』の交流競走となっている。

 ローカル・シリーズにおいてURAが指定した特定の競走に勝利した地方ウマ娘に様々な優遇措置が与えられるが、その中の1つとしてこの『特別指定』がなされたレースにおいて、地方所属のURA認定ウマ娘が2名まで出走できるという恩恵も与えられる。トウケイフリート、トウケイニセイの両名はまさしくそのたった2つしかない枠を掴み取り、なおかつ中央のウマ娘から収得賞金で除外されないだけの勝利数を挙げていた。

 

 競走馬・トウケイフリート号の生涯戦績は65戦21勝でその全てが岩手競馬での出走だ。その勝鞍数もさることながら安定して高順位につけつつもこれだけのレースに出ている点は圧巻の一言である。地方重賞であるが同一年に5連覇を成し遂げてもいる。

 

 このトウケイフリート号だけでも優駿なのだが、その半弟であるトウケイニセイ号は『岩手の魔王』と呼ばれる異名の通りの規格外の競走馬である。戦績は43戦39勝で負けた4戦も2着が3回と3着が1回のみと生涯戦績全てが馬券内。しかもその戦績の中には中央との交流競走である南部杯2連覇が紛れているというヤバさ。

 ……トウケイフリートも南部杯4着という成績を残しているけれども、トウケイニセイと並べると感覚がバグってしまう。

 

 そして少女・トウケイフリートと、少女・トウケイニセイ。両名は岩手トレセン学園の生徒であり、姉妹とのこと。トウケイフリートが高等部でトウケイニセイが中等部で同時期デビューになったらしい。それで姉妹揃って非史実の中央殴り込みを仕掛ける辺りは、彼女たちもまたローテぶっ壊れ組ということだ。

 というか百歩譲ってジャパンダートダービーの前哨戦という位置付けだったとしても、中央のわずか2枠しかない特別指定の地方枠を掴むのだったら他の南関東の『地方全国交流競走』に指定されているローカル・シリーズレースに出た方が良い気はしないでもないが……それを言うのは野暮ということなのだろう。

 

 

 

 *

 

「――1着、トウケイニセイ! そして5着にトウケイフリート。岩手の地方からやってきた姉妹は見事に、2人とも掲示板入りという快挙を成し遂げました! 中央のウマ娘たちはあと一歩が及ばず――」

 

 

 うん。まあこれはこうなるよね。正直マッチングしたのが事故だと思うしかない。

 そして勝利後のインタビューにてトウケイニセイが、

 

「ジャパンダートダービーでは、お姉ちゃんと一緒にワンツーフィニッシュして、メイセイオペラ会長に自慢しますっ!」

 

 と高らかに宣言していた。というか盛岡トレセンの生徒会長はメイセイオペラなのか。地方所属で歴代たった1人の中央GⅠ覇者だし納得の選出である。

 そしてトウケイ姉妹に敗れた中央の意地は、おそらく同レースに出走するであろうメジロマックイーンに是非とも仇を取ってもらいたいものである。いや、私達の世代のダート路線の最後の砦がマックイーンなのは、今になっても意味分からないけどさ。

 

 

 ……え? 私の順位?

 16人中11着です、はい。

 

 だから別にあのトウケイ姉妹が居なくても精々9着だった。だからちょっとオープン戦は時期尚早だった感が否めない。

 

 まあ6月からはPre-OP戦の2勝クラスに戻るから、そっちで2勝クラス、3勝クラスと勝ち上がって、改めてオープン戦に出よう。



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第17話 Pre-OP戦の脅威

 と、言うわけで。

 Pre-OP戦に戻ってきました。短いオープン戦ウマ娘の天下だった。

 

 リトルココン戦以来、初めての着外、それも2桁順位。

 なんというか負けて悔しいとか、不甲斐ない戦いをして恥ずかしいとか、そういう感想以前に、何だかんだ私ってこれまで強いレースしてたんだ、ということに気付く。

 

 だってさ、普通に考えれば11戦して入着9回というのは、よく考えてみれば全然悪くない、というか2勝しかないことに目を瞑ればそりゃ注目されて当然な戦績。オープン戦たる鳳雛ステークスでボロ負けしてしまったから未だオープンウマ娘としての実力には届いていないわけだけれども、メイクデビュー・未勝利戦で勝利を飾れるウマ娘が大体1500人なのに対して、オープン戦の総数は150程度。そこで1着を勝ち取れるのは、私があれだけ苦労した未勝利戦勝利をこなせる中の上位10%だけなのだから、流石に厳しい戦いが強いられてしまう。

 

 頭の悪い計算方法をするならば、マヤノトップガンと戦ったときの私の10倍の強さがあって初めて勝負になるみたいな感じなのだ。あ、これは別にアプリ版におけるステータス値を10倍にするという意味ではなく比喩表現ね。

 

 確かに私も成長しているとは思う。けれども、周りはそれ以上に成長……ってこの言い方は多分正しくない。私の成長速度と、オープン戦のレベルが見合ってないということだ。

 やっぱり段階を踏んでステップアップしていくのは大事だ。まあ勝てるレースを落としてまで現在のクラスに留まろうとは思っていないけれども、今の私は無理なチャレンジをする必要は無い。しっかり入着出来るレベルで賞金稼ぎをすることの方が、格式高いレースに出ることよりも大事なのだから。

 

 

 というわけで2勝クラスのレースを見繕う……といきたいところだが、流石にレースに出た直後なのでクール期間は置きたい。次走は6月末くらいかな。良い戦略が浮かんだレースがあれば1、2週間くらい早めても良いけど、とりあえず1ヶ月1レースペースで。

 

 

 

 *

 

 5月のクラシックGⅠ戦線を軽く振り返っておく。とは言っても、テレビや雑誌などで見聞きした情報なわけだけど。

 NHKマイルカップは皐月賞回避で話題となったアグネスタキオンが勝利。彼女の次走は現状公開されていないものの、有識者の予想としてはこのままマイラー路線を突っ切るために安田記念でシニア級に殴り込みをかけるとか、菊花賞を狙いに行くとか、あるいは夏季に一旦GⅡの札幌記念に出場して様子を見るかもしれない、など実質何も分からないからこそ自由な推測がなされていた。

 まあアグネスタキオン本人としては脚部不安の解消こそに力点が置かれていると思うからぶっちゃけ次走どころじゃなさそう。アプリトレーナーなら夏合宿でなんとかしてくれるはず。

 とはいえ皐月賞・日本ダービーともに回避しているものの、クラシック路線の第2回特別出走登録において菊花賞も同時申請しているから追加登録をしないでも菊花賞を射程に残しているあたりはちゃっかりしてる。

 

 

 で、オークスを勝利したのがなんとマヤノトップガン。いや2月にはまだ未勝利に居たのに5月後半のオークスに良く間に合わせたとしか。オークスのトライアル競走であるスイートピーステークスで勝利して優先出走権を得て強行突破したみたい。ウマ娘だから誰でもティアラ路線に行けることを十全に生かしてきた。

 

 またそのマヤノトップガンは芝転向してからは無敗らしく、最後に彼女を地に付けたのが私なせいでまた過大評価されていたが、ある意味鳳雛ステークスで大敗を喫したことで評価軸がリセットされるという副次作用もあったとのこと。何せオークスの翌週だったからね、あのレース。

 私のことは一旦置いておくとしてマヤノトップガンは完全に非史実ローテに突入してしまったが、それにしたって芝転向してGⅠをこの時期に狙えるとなったらまず日本ダービー行くだろうに、そこでオークスを選択するのは何というかやはりレースへの嗅覚がずば抜けているというか。

 

 

 そして最後に、その問題の日本ダービー。これは私もリアルタイムでテレビで見ていた。

 

「――アイネスフウジン、ゴールイン! 堂々逃げ切った! 見事アイネスフウジン、ダービー制覇! オグリキャップ2着、その後はどうでしょう――」

 

 アイネスフウジンの日本ダービー勝利。競り合う場面もあったものの、逃げで日本ダービーを掴み取った。なお入場者数世界記録更新のおまけも史実通り。まあアイネスフウジンに同室のライアンは勿論のこと、オグリもオペラオーもフジキセキもアヤベさんだって居てそれ以外にもネームドやら史実ダービー覇者のオンパレードだったから、それは入場者数もインフレするよって感じなんだけどさ。

 

 ただ、ちょっとひやっとしたのが全力を尽くしたのかゴールを駆け抜けた後に、惰性で少し走ってから減速してそのまま芝に寝転んだシーン。ウマ娘的にはよくあることなんだけど、流石にアイネスフウジンの日本ダービー直後という『情景』が私の肝を冷やさせるものであった。

 

「――左脚っ! 左脚、何ともなってないですよねっ!!」

 

 居ても立っても居られずに、私はまだテレビの画面にはターフ上にアイネスフウジンが映っているのにも関わらず彼女のスマホに電話を入れてしまう。控え室にいたアイネスフウジンのトレーナーさんが代わりに出てくれたのは奇跡的と言うべきか、厚意と言うべきか。

 

 それからのことは後日聞いたけれども、結果的には彼女の脚は別に特に何も異状はなかった。何なら、あの後普通にウイニングライブしていたし。

 けれど問題視するほどのことではなかったが、若干の筋肉疲労が左脚に見られたとのことで、それはクールダウンすれば然して問題の無いそれこそレース直後のウマ娘にはよく見られる一般的な現象でしかなかったが、アイネスフウジンは夏のレースの出走予定は取り止めて合宿に専念して足腰の強化に踏み切ることとなる……と私にまで教えてくれた。

 

「その……そんな細かいことまで、外に漏らしちゃっていいのですか? その……まだ6月なのに夏合宿の予定をバラすというのは……」

 

「サンデーライフちゃんにしか言っていないから大丈夫なのっ!」

 

 うーん、なんだろうこの高すぎる信頼感。いや、実際レース直後に電話してその通りの場所に疲労が溜まっていたのだから彼女の中で私の評価が急上昇するというのは、客観視すればそりゃそうなるって分かってはいる。それに競走馬・アイネスフウジン号はあの日本ダービーで負傷引退するから多分何度同じシチュエーションに出くわしても電話をかけたとは思うけどさ。

 

 これらの結果が、少女・アイネスフウジンの夏の予定を変えてしまったこと、そしてそのスケジュールを他ならぬアイネスフウジンのトレーナーが是としてしまった以上は、もう彼女のトレーナーは。

 多分、アイネスフウジンに大きく負荷をかけるトレーニングが出来ない……と思う。

 

 うん。それが良いことだとか悪いことだとかが問題なのではない。

 ただ問題は。少なくとも今の私はアイネスフウジン、『私達の世代のダービーウマ娘』のレースのローテーションに介入出来るくらい彼女の中には影響力があって。

 そして本来そうした外部の声を遮断すべき専門家である彼女のトレーナーですら、私に一目置いている。多分、それはアイネスフウジンの友人であることに加えて、私が自己管理でレース出走を組んでいてそれで怪我をしたことがないという健康面における信頼をいつの間にか勝ち取っていた。

 

 そのことに、私は無自覚であったことが問題だ。

 トレーナーの最終判断よりも優先されるべきものという破滅的なところまではいってはいないが、ただ今回の出来事でアイネスフウジンのトレーナーが最終判断をするための材料として私の言動を加味するということが起こり得る。

 

 アイネスフウジンが私のことを過大評価していることは、ずっと分かっていた。

 であれば、私はもう一歩踏み込んで。

 過大評価されている私の言葉は、アイネスフウジンの中で重きを置かれる――ということの意味をもう少し考えないといけない。

 

 そして、過大評価をしているのはアイネスフウジンのみに留まらないということにも向き合わないと。

 

 

 

 *

 

 このままアイネスフウジンの相談に乗り続けていると、いつの間にやらアイネスフウジン陣営の一員になってしまいそうなので、自身の次走レースを考える。

 

 2勝クラスは1勝クラスと制度的な面で異なる部分は殆どない。単純にレベルアップしたと思ってもらって差し支えない。たまに格上挑戦でやってくる子を除けば大体はメイクデビュー・未勝利戦で1勝、1勝クラスで2勝目をあげている子ばかりだ。

 

 ただ2勝クラスの開始する6月から最初の1、2ヶ月はレベルが高くなる傾向はどうしてもある。というのも本来オープン戦で入着出来るくらい優秀な子でも、オープン戦で勝てていない――制度上の厳密性を求めるならオープン戦なら1着、重賞なら2着以内に入っていない――ならばその子らも2勝クラスに区分されるからだ。勿論2勝クラスであってもオープン戦に格上挑戦しても良いが、目の前に勝てるレースが転がっているのだからその選択は少数派だ。ということで、本来上のクラスに居てもおかしくない実力のあるクラシック級ウマ娘が紛れているかもしれないのが今の時期の2勝クラスなのである。

 

 そしてもう1つ大きく変わるのは、夏シーズンに突入したからという意味合いが大きいからなのだが、これからのPre-OP戦はシニア級ウマ娘との混合になるという点。これは前にも話したことなので割愛。

 

 また、レースをいざ決定するにあたって懸念点となるのが――レース数。

 メイクデビュー・未勝利戦が年間1500戦程度で、1勝クラスは年間1000戦ほど存在する。一方で2勝クラスにおいてはそもそもレース数が年間500戦を切る。

 単純化して考えると毎年1勝クラスから1000人上がってくるけど、2勝クラスを突破出来るのは500レースしかないから半分はそのまま2勝クラスに残留する計算になる。……が、ちょっと待って欲しい。その残留した2勝クラス据え置きウマ娘は来年も2勝クラス。翌年はその残留500人と1勝クラス勝ち上がり1000人を合わせた1500人の中から500レースの王座を争うこととなる。じゃあ今度は据え置きが1000人になって……あれ、年を経るごとに突破が難しくなる?

 

 実際には年々難化するというのは多分無いと思うが、では先の単純化の何を間違えていたかと言うと2勝クラスのフィールドで相手になるのは今年1勝クラスから上がってきたばかりの約1000名のウマ娘だけではなく繰り越し組……つまりシニア級ウマ娘たちも居るから、実際には1000名よりも遥かに多い人数で500席程度しかない昇格の玉座を奪い合うことになるということだ。

 勿論、格上挑戦で2勝クラスのレースで勝つことなく上のレベルに行くことも出来るし、逆に引退や平地競走以外に戦いの場を見出すウマ娘も出るから、先の単純化の計算のようにこのクラスに所属するウマ娘が雪だるま式に膨らみ続けるわけではない。

 

 あと、ついでにレースの格式自体も1勝クラスのときよりも上がっているので『名前付きのレース』である特別競走の割合が増えてくる。

 まあともかくまずは前哨戦ということで、流れに身を任せる。選ぶレースは清里特別。6月末に開かれる東京レース場のダート1400mのレースだ。

 とりあえず、前走から1ヶ月の余裕を見た上で最も直近のダート短距離がこの清里特別だったので選んでみた。前々走の1勝クラスと、前走のオープン戦レースのレベルが段違いだったので、今回のレースは細かい作戦を組み立てる前のデータ取りのレースという意味合いが強い。

 つまり相手にはどれくらいのレベルのウマ娘が来て、私の実力はどの辺りにあるのかを知るためのレースだ。勝てるなら勝ちに行くけど、勝てなくても次走の組み立てに必要なデータが取れさえすれば目的は達成、といった感じの選定レースである。

 

 

 で、いつものように1週間前の特別登録1回目を済ませて、準備を整えていたレース前々日。

 出走登録を完了するために2回目の登録を行った私は……抽選対象になっていた。

 

 

 あ……、そっか。前走が11着だから、これまでの入着による出走投票の優位が消えているのか、私。

 

 トレセン学園内の出走投票室に掲示された一覧表……そのうちの『清里特別』の項目を見る。この一覧表に名前がある場合除外が確定するが、その一覧表を眺めていたら次のような記載があった。

 

 

 ――サンデーライフ、非当選。

 

 

 

 *

 

 失念していたが除外自体はあり得ることだったので、気を取り直して清里特別非当選の週に、今度は別のレースに特別登録1回目を済ませる。清里特別と同条件のダート1400mで場所が中京レース場に変わった香嵐渓(こうらんけい)特別。

 そして翌週の木曜日。出走投票室にて。

 

 ――香嵐渓(こうらんけい)特別。これもまた除外。

 

 

 2連続除外となった私は、流石に危機感を感じて専属トレーナーの居ないウマ娘のトレーニングを全体監督しているトレーナーに相談する。

 そこで貰ったアドバイスは『ダート短距離は人気』という、そう言えば私も前に全く同じことを考えていたことであった。その基本を思い出させてくれたこの全体トレーナーは『特別登録1回目のときに事前に時間ギリギリまで粘って定員割れしているレースに出せば良い』という反則みたいな裏技も教えてくれる。

 あー、そういうレースの出方をすれば確かに適性不一致で出走してくる子が出てくるのか。

 

 

 ということで出走投票室の掲示を眺めつつ、ギリギリまで粘っていたら確かにレースごとに人気・不人気というのは明瞭に分かれていた。そして私は、投票締切5分前になって芝・長距離のレースが狙い目だと最終判断し、登録用紙を窓口に申請――無事受理された。

 

 そして、私が入ってもそのレースは定員割れ。ということは出走確定である。

 

 

 いやー、めでたしめでたし。これでようやくレースに出ることが出来る。

 そう思って、私が今。出走完了したレースの詳細を見る。

 

 札幌レース場、芝・2600mで行われる2勝クラスの特別競走。

 

 そのレース名は。

 

 

 ――阿寒湖特別。

 

 

 ……ぎゃああああ、見えてた地雷じゃんこれ!!!



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第18話 阿寒湖に向けて

 『阿寒湖』というワードに既に身構えてしまったが、よくよく考えてみればあのハルウララの有記念のときに、5着にステイゴールド号ことキンイロリョテイが出走していたからもう阿寒湖総大将はPre-OP戦には出走できないはず。

 よし、世界に平和が訪れた!

 

 ほら、フルゲート14名のところ私を含めて12人しか居ない出走予定者の中にはどこにもキンイロリョテイの名前は無い……。

 

 

 ――マンハッタンカフェ。

 ――ファインモーション。

 ――ヒガシマジョルカ。

 

 

 ……。

 確かにキンイロリョテイの名前は無かったけれども、別のネームドが居るじゃん!! 十中八九こうなるって予想は付いていたけどさ!

 

 史実マンハッタンカフェ号は、この阿寒湖特別に出た年に菊花賞、有馬記念を制して古馬になってからは春の天皇賞も勝ち取った。

 一方、ファインモーション号は、阿寒湖特別から1戦挟んだ後に秋華賞・エリザベス女王杯と取っている。

 この中で唯一GⅠ馬でないヒガシマジョルカ号も、阿寒湖特別の次走で函館記念を走り重賞勝利をあげている。また今名前を挙げた中ではヒガシマジョルカだけがシニア級ウマ娘だった。

 

 このことを鑑みるに阿寒湖特別は、重賞やGⅠへのステップアップレースなのだ……ってそんなわけあるかい。

 

 正直、ヒガシマジョルカは史実レースを鑑みるに、どちらかと言えば芝のマイルから中距離辺りに適性がありそうな感じで長距離は恐らく適正外だから、まだ良い。

 だけどマンハッタンカフェは当たり前ではあるけれども芝A長距離A、ファインモーションも芝A長距離Cということを考えると、正直レース展開云々で勝てる相手じゃない気がする。どっちも史実を踏まえればクラシック級時点でシニア級GⅠウマ娘を蹂躙できるだけの実力は培われるのだし。

 しかもファインモーションが先行で、カフェが差しと2人の得意戦術が割れていることもあって対応が取りづらい。ヒガシマジョルカも先行・差しタイプだ。

 

 彼女らと同様に先行・差しを選べば純粋な地力勝負に持ち込まれるし、大逃げ・逃げではマンハッタンカフェから逃れられず、追込だと多分先を行くファインモーションに追いつけない可能性が高い。こりゃ定員割れもするよ。

 

 札幌レース場の芝はヨーロッパのものに近いという特性でフロックを狙おうとしても、それはそれで厳しい。史実マンハッタンカフェ号は大敗を喫したものの凱旋門賞に出走している点も鑑みれば芝質が不利に働くとは思えない。

 またファインモーション号に至っては札幌・函館の連対率100%という明らかに北海道に抜群の適性を有しているわけで。そりゃラーメン好きにもなる。

 

 そして札幌レース場自体は、意外にも私は初めての出走経験となる。

 レース場の適正から見た場合の取るべき戦術は、実はある。

 

 まず2600mのレースはバックストレッチ側からスタートして1周した後に再びスタンド前に戻る言わば1.5周のコースだ。即ちコーナーが6回あるという点が特異点となる。

 そしてこのコーナーは、スパイラルカーブというこれまでのレース場だと福島などで採用されていたものではなく普通のカーブ。……それどころか普通よりももっと緩やかで大きなカーブと言って良いだろう。しかもその上直線距離は短く最終直線は266.1m。こういうときに比較指標として出しやすいものとして、アプリで再三短いと言われ続けている中山の直線が310mなのだから、札幌の直線の短さが分かるというものだろう。

 

 カーブが長く緩やかで直線が短いという点で言えば、楕円形のコースを基本とするレース場の中でも札幌は極端に言えば『真円』寄りと称することも出来る。

 で、当たり前のことだけれども、ウマ娘。直線よりも曲がっているときの方が速度を出しにくい。そしてヨーロッパ寄りの芝質でタイムも遅くなる。

 これで直線が短いという要素まで重なって、挙句の果てには起伏がほぼ無いから最終直線で先行するウマ娘が速度を大きく落とす要素が無い。

 

 ――つまり、前が残りやすい。だから逃げ・先行ウマ娘が有利だし、大逃げをやる場合の自己スタミナ管理も、洋芝にかかるパワーとスタミナ消費を加味さえすれば展開がスローペースになりやすいので容易だったりする。

 で、反面最終直線が短いので、ロングスパートタイプの追込ならともかく、直線一気の追込は流石に不利になる。

 

 

 だからこそ、私が勝ちを狙いに行くのであれば『大逃げ』が最適解になる場面だ。マンハッタンカフェが脚を残したままゴールする可能性に祈り、それが成就すれば私の勝利も見えてくるだろう。ただ……阿寒湖特別はスタミナ消費の激しい洋芝な上、長距離。大逃げで逆噴射しないという保障は無い。

 失敗すれば順位は大きく落とすのは疑いようがない。『大逃げ』は無理やり勝利を掴み取る場合の数少ない勝ち筋になれど、同時に極めてハイリスクな選択にもなる。

 

 

 ……でも。別に私、この阿寒湖特別で無理に勝ちを狙いに行く必要は無いんだよね。面子的に勝利をもぎ取ろうとすると大敗のリスクのが大きい、分の悪い賭けにしかならないし、そもそも2勝クラスは初挑戦なのだからいっそ思い切って調整と考えてしまった方がいいかもしれない。

 だとすれば。先行と差しの間くらいの感じで、敢えて終盤まではバ群に埋もれつつスリップストリームを利用して前のウマ娘のすぐ後ろにつけて風の影響を抑えてスタミナを温存させる作戦で行こうか。

 

 ……しかし、スリップストリームの練習となると流石に併走相手が必要だ。

 ウマ娘的にはスキルでもあったから、そのスキルを持っている子に教えてもらえば楽かも。確か持っていたのは、スイープトウショウ、ダイタクヘリオス、ゴールドシチー、そしてアイネスフウジン。

 

 うん。前者2人は面識無いから除外するとして。流石にゴールドシチーには併走依頼は頼みにくい。だってそもそも彼女、モデルの仕事の合間で練習しているから、私のために時間を割いてもらうのは申し訳なさすぎる。

 となると、消去法でアイネスフウジンなんだけど……いや、アリか無しかで言えば全然アリだ。専属トレーナー込みで調整出来る相手となれば、確かにアイネスフウジンがベストであることは間違いないし、しかも今の彼女は負荷を下げての足腰の強化トレーニングで合宿中でとりあえず菊花賞までのレース出走予定は無い。

 負荷を下げているということは、多分彼女が全力で走ることはなく、足腰の強化ということで普段とは違うシューズや器具を使ってのトレーニングを施しているはず。となれば、私でもギリギリ併走できるくらいの速度で走っているかも。

 

 だから阿寒湖特別までの1週間、アイネスフウジンを頼るというのは先方が了承さえすれば私としてもほぼ最善の選択だし、なりふり構わずお願いする場面というのは重々承知なんだけどさ。

 

 ダービーウマ娘相手に併走お願いするって、常識的な尺度で見れば絶対ヤバいことだよね……。

 

 

 

 *

 

 いつの間にか私はアイネスフウジンのトレーナーさんとも連絡先を交換していたので、結論から言えば併走のアポイントは簡単に取り付けることが出来た。いつ交換したかと言われれば日本ダービー後なんだけどさ。

 

 しかし、その専属トレーナーさんから「あなたの状態も加味してトレーニングメニューを調整する必要があるし、1週間しか無いからすぐに来て。何なら今日中に準備して」みたいなことを言われる。

 専属トレーナーが居る子同士なら、メニューはトレーナー同士で話し合って決めれば良いし、居ない子同士だったら逆に併走なんてその日のノリで誘えるけれども、片方だけ居るという状況だとアイネスフウジンのトレーナーさんが作ったメニューに対して私が同意するか否かの判断プロセスが入るから、そりゃ1週間しか無ければすぐに来い、という話にもなるよね。

 外泊届や特休届などといった合宿に1週間だけ飛び入りするのに必要な事務手続き関係は、全てアイネスフウジンのトレーナーさんがやってくれると言ってくれた。というか、とにかく私が来ないと話が詰められないから、すぐに準備して欲しいようで、何なら『阿寒湖特別』の開催される札幌用の遠征の準備も合宿所まで持って来てとすら言われた。

 前日入りするギリギリまでの日程を使うつもりってことらしい。

 

 急に1週間分の旅行セットを整えろ、ということだから、事務の方とかは丸投げ対応するってことなのだろう。夜に車でトレセン学園まで迎えに行くとまで言われてしまったらそれを無下にすることも出来なかったし、私としても1日でも長くトレーニングの時間を設けること自体は賛成だ。

 それに、ぶっちゃけほぼ毎月ペースで遠征自体はしている……というか近場の中山レース場は1回しか行ったことないし、トレセン学園のすぐそばにあるはずの東京レース場なんて1度も走ったことないしなあ。

 もうレース出走=遠征がデフォルトになってきているから準備自体にそこまで時間はかからない。

 

 だから今日の自主トレーニングはやめて、何度かアイネスフウジンの専属トレーナーにも連絡を取って、足りないものの買い物を継ぎ足していく。

 

「……あ、何度もお電話してすみません。アイネスフウジンのトレーナーさん。

 滞在先に洗濯機ってあります? なければ最寄りのコインランドリーに行きますが、そこって洗剤が置いてあったか確認してますかね」

 

「――合宿中にウマ娘に洗濯なんて時間のかかることをさせるトレーナーは殆ど居ませんよ! 自分で洗濯したもの以外着れない子とか、特定の柔軟剤の香り以外受け付けない、とかそういう特殊事情があれば別ですが、基本は宿泊先のランドリーサービスを使っております――」

 

 

 あー……ウマ娘合宿ニワカがモロに出てしまった。ランドリーサービスというのは完全に盲点だった。よくよく考えてみれば今まで遠征は何回もやってきているけれども、結局あれって2泊3日だから普通の旅行感覚で寮に戻ってから全部洗ってたから泊った場所のサービスを利用するなんて考えは頭に無かった。

 

 でも……そっか。

 私、初めての合宿が、他の子の合宿に期間限定でお邪魔するとかいう物凄い変則的な参加になるんだね。

 

 

 

 *

 

「――サンデーライフちゃん。思ったこと言っていい?」

 

「はぁ……はぁ。あ、はい……アイネス、さん。……気になることは、どんどん言っていただければ……助かります……」

 

 

 アイネスフウジンの下に合流してトレーニングを始めてから2日。阿寒湖特別の特別登録1回目を済ませたその日の深夜にはアイネスフウジンの利用する合宿所にやってきた……山間部の別荘というかコテージみたいなところで、複数棟あるのにアイネスフウジン陣営で全部貸し切ってたんだけど。好きなログコテージを丸々一軒私に貸し出すとか言われたが、アイネスフウジンが一緒に泊まりたいと言ってきたので、私も彼女のトレーナーさんもそれを尊重することに。

 なお管理棟みたいな場所にレストランとか医務室とかも併設されていて、そこでランドリーサービスの受付もやってた。何というか、アニメのチーム・スピカの合宿所みたいなのを想像していただけにここまで至れり尽くせりの環境は予想外である。考えてみればアイネスフウジンはダービーウマ娘なのだからそれくらいの待遇は無償であっても全然おかしくないけれども……スピカトレーナーの謎は深まるばかりである。というか、この世界じゃ全然見かけないし。アプリ時空が基盤にあるから居ないってのも納得ではあるんだけどね。

 

 閑話休題。

 それよりもアイネスフウジンの言葉である。

 

 

「あの……ね。……すっごい言いにくいの……何というか、その……。

 サンデーライフちゃんって、私が思っていたよりも速くなくてびっくりなの……」

 

「だから、ずっと私は二度と戦いたくないって言ってたじゃないですかー! アイネスさんと比肩するくらいの実力があれば、私だって日本ダービー出てますよっ!」

 

 言葉尻だけ捉えると怒っているように聞こえてしまうかもしれないので、軽くアイネスフウジンの頬っぺたをつねりじゃれ合いであることをアピールしておく。実際多分それだけの実力があってもダービーという一生一度の大舞台で戦えることよりも、入着賞金の方を気にしてると思うし、私。

 その頬を私に触られた状態のままアイネスフウジンは言葉を紡ぐ。

 

「ご、ごめんなさいなの! ずっと福島の未勝利戦のイメージが抜けてなくて……あっ、勿論トレーナーさんからもサンデーライフちゃんがあの時何を仕掛けようとしたかは聞いてるのっ! でも、それを知っててもサンデーライフちゃんは追い付くのにギリギリだった印象が凄く強くて――」

 

 今の練習は、アイネスフウジンは全力を出していない上に、シューズも反発を和らげるタイプのものを使っていて普段使いのものではない。しかもウッドチップコースで練習している。

 芝でもダートでも、そして多分ウッドチップでも私の適性って平準化されているはずなので、その辺りって基本有利に働いているはず。なのにスリップストリームというただ後方を追いかけて風よけにするという私の併走トレーニングが結構ギリギリの状態になっていることを鑑みて出てきた発言なのだろうと思う。

 

 

 これがダービーウマ娘と2勝クラスウマ娘の格差と言ってしまえば、確かにそうなのだけども。

 

 無策のただの併走状態で走るまで、私の実力を誤認していたということは、アイネスフウジンが私の初の大逃げという当時のデータに無かった戦術を強要したという奇襲効果もあるにせよ。

 少なくとも、レースの上で仕掛けていたことがネームド相手であっても全くの無意味ではないことに気付かされる反応であった。

 

 ……でも、その大逃げに対してアイネスフウジンは、普通に自分のラップタイムは正確にぶれずに刻んでいたんだけどなあ。そこまで『私が速い』と印象付けるものでもなかったとずっと思っていたが、データだけからじゃ見えないものもある。



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第19話 クラシック級7月後半・阿寒湖特別【2勝クラス】(札幌・芝2600m)

 結局、1週間でスリップストリームはある程度形にすることが出来た。アプリ的に言えば、私ってレース出走回数だけは多いからスキルptが溜まっていたのかもしれない。まあ、多分そんなに単純な話でも無いだろうし、これからも習熟していった方が良いだろうが。

 

 でもアイネスフウジンにとって、私との併走は意味のあるものだったのだろうかという疑問はあった。けれども、彼女のトレーナー視点から見れば、ある程度アイネスフウジンが有していた私の幻影を取り払うことが出来たという面では成果なのだろう。その状態で日本ダービーを勝っている以上は然したる問題でない気もするが、だからといって相手の戦力の誤認をそのままおざなりにするのも良くないだろうし。

 

 実際に私も技術を得ている以上は、不満は無い。というかアイネスフウジンと戦う機会は多分無いから彼女がパワーアップしても別に関係ないと言えば関係ないからね。

 

 

 そして私はアイネスフウジンに別れを告げて彼女の専属トレーナーに最寄りの空港まで車に乗せてもらって、単身札幌へと飛ぶこととなる。

 

「――絶対、『阿寒湖特別』勝ってくるの! サンデーライフちゃん!」

 

「……いや2勝クラスでの試走行みたいなものですから、今回勝つつもりは無いって……」

 

 

 そんなことをアイネスフウジンと交わして空港へ行ったのであった。

 

 

 ――なお。

 飛行機に乗っているときに座席の機内モニターでニュースを見ていたら、ジャパンダートダービーにてメジロマックイーンがトウケイ姉妹を破り勝利していたとのこと。

 

 

 

 *

 

 さて。阿寒湖特別。当日である。

 

 フルゲート14名に比して出走者は第1回登録時から更に取消が1人出て11名。

 

「――1番人気をご紹介しましょう。5枠5番のファインモーション」

 

「ここまで出走回数が限られておりますがメイクデビュー、1勝クラスを無敗の2戦2勝で勝ち進んできたウマ娘ですね。……しかし身体のバランスは極めて整っています。これは期待出来ますよ」

 

「またご存知の方も多いと思いますが、GⅠ6勝ウマ娘でありかの女帝・エアグルーヴをジャパンカップで切り捨てた覇者・ピルサドスキーの妹――つまりはアイルランド王室ファミリーの一員ですね。これも人気に繋がっている一因の1つでしょう」

 

 そう言えば少女・ファインモーションはアイルランド王族なんだっけ。で、私の知る史実の方だとアイルランドに王家って無いらしいから、ウマ娘世界におけるアイルランドは大規模な歴史改変が発生しているみたいな説も聞いたことある。

 

 

「2番人気は3枠3番のマンハッタンカフェ。彼女は皐月賞前哨戦にあたる弥生賞にて入着という成績を残していますね」

 

「実力は十二分にあり、前走の1勝クラス・富良野特別においては後方から鋭い差し脚を魅せてくれました。ただ……以前から爪に違和感があるらしく、トレセン学園の公式発表におきましては『競走能力に支障が出るものではない』と説明されておりますが、そこが人気を譲った要因の1つなのかもしれません」

 

 確か霊障で爪がたまに割れるとかそういう話だった気がする。その霊障が『お友だち』を指しているのかは不明瞭ではあるものの、少なくともこの『阿寒湖特別』においてそれがマイナスに影響することはほぼ無いと言って良いと思う。育成シナリオでも結構長く続いた症状だったし、それでレースを落とすなんてことも無かったわけで。

 

 

「――ヒガシマジョルカは4番人気ですね。大外枠の8枠11番での出走です」

 

「シニア級ウマ娘ですね。ここ数戦は2勝クラスにおいてあと一歩及ばず敗れる場面が目立ってしまっていますね。本来1番人気であってもおかしくないのですが、本日はクラシック級の子たちに人気を譲ってしまっております」

 

 ここのところ2着が続いている彼女も要注意候補だ。先行のファインモーション、差しのマンハッタンカフェの両名が本命だが、その2人が本来の調子を出せなかったときに鍵となるのはこのヒガシマジョルカになる。

 

 で、私。

 

「7番人気、サンデーライフは2枠2番となっております」

 

「少々人気を落としておりますが、これは初勝利をあげて以降はずっとダート路線で走っていた影響と……前走・鳳雛ステークスでの敗退が響いておりますね。

 芝のレースは実に7ヶ月ぶりですが、芝の舞台でもかつてはダービーウマ娘であるアイネスフウジンとの鍔迫り合いを魅せております」

 

 言われてみれば芝のレースは久しぶりである。そりゃ人気も落ちるよね。そしてパドックでのお披露目の後に、ゲートへと向かうその僅かな時間で私の隣のゲートに入るはずのマンハッタンカフェが急いで客席の方に向かっていた。

 

 何しているのだろうと思ったが、どうやらその最前列に居るスーツ姿の男性と会話しているっぽい。流石に距離が遠いのと他のお客さんたちの喧騒さからその会話の内容まではウマ娘の聴力をもってしても聞き取ることは出来ない。

 そんなマンハッタンカフェの様子を眺めていると、あ。彼女と目が合った。

 

 うーん、もしかして私がサンデーサイレンス産駒であることを相談してる? 確か、マンハッタンカフェの育成シナリオ中にタキオンは勿論のこと、スペシャルウィーク、サイレンススズカ、ゼンノロブロイ辺りに惹きつけられていたし、私もその対象に入っているというのはありそう。

 

 ……というか、4月にあった因子継承の『アレ』がもしサンデーサイレンスだったら、私は直接会っていることになるから多分、マンハッタンカフェの感じる『お友だち』の気配は私から誰よりも強く発せられている可能性もあるじゃん!

 逆にもしかしたら私からも『お友だち』は見えるかもしれないが、今のところ特に何も感じないし見えない。ここに居ないだけかもしれないけどね。

 

 

 今日のレースの結果がどうであっても、多分レース後にマンハッタンカフェが私に絡んでくるのは既定路線と見た方がいいかもしれない。けど優先すべきは目先のレース――阿寒湖特別だ。

 

 マンハッタンカフェもターフ上へと戻ってきて、全員のゲートインが完了する。

 

 

「――各ウマ娘、スタートが……まずまず揃いました。11名先行争いに入っていきます」

 

 

 

 *

 

 11人。そして今日の私は先行と差しの中間みたいな位置取りをする予定だから、5番手、6番手辺りに付けられれば良い。2枠2番という内枠なのでスタート後は少しペースの上げ方を調節し無理に先行争いに参加せずに、逃げや速めの先行ウマ娘に先を譲る。

 

「――さあハナは2人の競り合いとなりました! この2人がペースを作っていくことでしょう! その先頭組から2バ身から3バ身開いて3番手にファインモーション。その後方に4番手、マンハッタンカフェ――」

 

 逃げが2人のまま最初のコーナーに入っていく。しかしそこから付かず離れずの位置をファインモーションがキープしており、そのすぐ後にマンハッタンカフェという流れだ。これはファインモーションが先行ながらも逃げに追いつくようにペースを上げているからというよりも、感覚的には逃げの2人が敢えてペースを落としてレースを推移させているからに思える。ファインモーションもそんな逃げの子たちを抜かすまではしないし、一定の距離感覚は保っている。

 うーん、スローペースということはある程度は前目に残っていないとまずいかも。だったらスリップストリームで風除けに使うのは4番手のマンハッタンカフェかな。彼女の後ろに付いて5番手で追走してみる。

 

 マンハッタンカフェの後方にぴったりとくっ付いた瞬間、風の抵抗は大きく減衰しそれまでと段違いに走りやすくなる。それと同時に私の気配を感じたのかマンハッタンカフェはちらりと後方を向き私が居ることを確認したらそのまま顔を前に戻した。

 

 もしかしたら、振り切られるかもと考えていたがホームストレッチに入っても特段変わった動きを見せることは無かった。まあまだ1周ちょっと残っているし、そんな序盤で仕掛けることもしないか。

 それと同時に後方の様子もちらりと確認したが、ヒガシマジョルカが中団後方に位置付けているのは確認。となると私が目を付けていた中でヒガシマジョルカだけが差しか。マンハッタンカフェが先行策を取ってくるのは少し意外だったけれども、スローペースっぽいし先行有利と見て前に出てきた……って感じかな。

 

 

「先頭から最後方までおよそ10バ身。団子状態と言っても良いでしょう。しかしスタートから大きな順位の変動はございません」

 

「各ウマ娘、ともにペースを保っているようですね。終盤まではこのまま力を溜め続けるかもしれませんよ」

 

 ここまで動きが無いと私も出来ることは少ない。マンハッタンカフェが形成するスリップストリームの中に身を隠しつつスタミナの消耗を抑えるくらいしか私もやれることはない。

 

「各ウマ娘2度目の第3コーナーを通過してここで2000m。残り600mを残してのタイムは2分1秒ジャスト」

 

「1ラップ平均が12秒1ですか。ほぼ例年並みの平均ペースと言って差し支えないでしょう。最前の2人は上手くペースを作れていた、ということになります」

 

 ラスト3ハロン。徐々にペースが上がってきたが、ここに来て動きが出てきた。

 私が風除けとして利用していたマンハッタンカフェが再び後ろを確認する。その時私としっかり目が合った直後、彼女はやや外側へと膨らみながら、そのまま減速していった。

 

「おっと、ここで先行組で動きがありました! 4番手を追走していたマンハッタンカフェが失速し、サンデーライフが4番手! マンハッタンカフェはずるずるっと後退して現在8番手です――」

 

 そのまま私は4番手で最終コーナーへと入る。マンハッタンカフェの後退によりスリップストリームは無くなってしまったが、更に前を行くファインモーションの背後に入るにはここからスパートを切らなければならない。かといってマンハッタンカフェのように後退して4番目を譲り後ろの子の背後に付くのは、残り距離も考えると厳しい。

 

 となれば、もうここからはスリップストリームの恩恵を受けずにいつも通り走った方が良い。……まさか、そこまで考えてマンハッタンカフェは後退を、とも考えたが、ちらりと後ろを見て確認できないくらい下がったようである。

 

 

 ――いや、本当にマンハッタンカフェが下がったのか?

 実は彼女こそが普通の速さで、徐々に上がっているペースが本来スローペースであったレース展開を既に知らず知らずのうちに全員がロングスパートをかけているがごとくのハイペースに転化しているのではないだろうか?

 

 しかし、ここでペースを落としてしまっては、先を行くファインモーションの背中を捉えられない。後方のウマ娘たちがこの最終コーナーの途中から一気に上がってくることを考慮すると、一息つけるよりもこのまま少しでも前に残っていた方が得策なはず。

 

「残り2ハロンの地点を通過してのラップタイムは……おっとこれまでの平均ペースと同じく12秒1ですね。これはどう見ますか?」

 

「前を行く2人もよくこれだけの脚色を残しておりますね。ただ……後方のウマ娘たちもこのペースに付いて行っております。ここから2ハロンは12秒台前半のペースを維持したままゴール板を通過した子が勝つと思われます。そうなると前の2人はスタミナが残っているか少々不安です」

 

 

 ――そして、266.1mの最後の直線。

 そこには、今まで通り上り坂も下り坂も何も無く。これまでのスタミナ消費の積み上げが勝敗に直結する区間となる。

 

 

 

 *

 

「さあ、最終直線! 中団に付けていたウマ娘たちが次々と順位を上げていきます! 中でもヒガシマジョルカの脚色が良い! 1つ前を行くサンデーライフ、懸命に粘っています! おっと更に前方ではファインモーションが2人抜かしてトップに躍り出る! それを追うヒガシマジョルカ! これは届くか、ヒガシマジョルカ!?」

 

 最終直線。

 展開が急激に変化していく。

 

 流石に小細工による誤魔化しが効かない区間だ。私の前にはヒガシマジョルカと更にその先のファインモーションしか居ない……が、もう真横に何人か付けている。横に居る子たちのが多分私よりもわずかに先を行っているかもしれない。

 

 が。

 

「おっと、サンデーライフ再加速する! 頭1つ抜きんでてヒガシマジョルカを追う! しかし、その前のヒガシマジョルカ、更にその前に居るファインモーションはハナを譲りません! ファインモーションかそれとも、その後ろで団子になっている集団から誰かがやってくるのでしょうか!」

 

 全距離適性があって、これまで短距離だけだったとはいえ芝よりもパワーの必要なダートを主戦にしてきて、道中スローペースでしかもスリップストリームまで使ってスタミナを温存してきた私が。

 たった(・・・)2600mのラスト1ハロンで失速するわけがない。

 

 ただの直線一気の追込では追い付けない。ならば『先行の位置から追込気味に仕掛ける』……切れ味は差しや本当の追込には劣るけれども、それを可能とするだけのレース展開は出来上がっていた。

 

 

 後は、前に追いつくだけで良い――

 

 

「――後方から脅威のペースで追い込んで来ているのはマンハッタンカフェ、マンハッタンカフェです! ラスト100mでマンハッタンカフェも先頭争いに絡んできましたっ!」

 

 『漆黒の幻影』は実像となって、私の前に立ち塞がった瞬間であった。

 

 

 

 *

 

「凄い末脚で追うマンハッタンカフェ! 逃げるファインモーション! さあ、決着はこの2人で決まるかっ! ファインモーションまだ粘りますっ! 後、50mも無い! 最後の攻防! ファインモーションか、それともマンハッタンカフェか!? 2人ともほぼ同時にゴールイン! ……私にはどちらが先か分かりませんでしたが」

 

「これは掲示板を見るまで分かりませんよ――」

 

 

 ――1着並びに2着は写真判定。

 

 3着にヒガシマジョルカ。

 

 

 ……私は5着でギリギリ入着していた。

 

 

 

 ――現在の獲得賞金、2703万円。



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第20話 ラーメン女子会

 写真判定の結果、1着がファインモーション。2着がマンハッタンカフェという結果になった。

 ……あのマンハッタンカフェの追い上げを、ファインモーションは何とか凌いだのか。ネームドというのは末恐ろしい。

 

 正直、このメンバーで5着ならば善戦したと言って良い……というか、この時期のこの面子相手に1着取れるなら普通に菊花賞・秋華賞で1位争い出来るレベルだし。先行で再加速する策も前には届かなかったが、団子状態の争いから入着を掴み取る意味では役立った。

 そしてその最後に追い込むスタミナは、アイネスフウジンとともに練習して会得したスリップストリームが役立っているのも間違いない。

 

 半年ほど前に体重を増やして手に入れた筋肉量でも長距離を難なく走ることも出来ている。その筋肉によるパワーも、これまでダートを走ってきたことでのパワーも、最終直線における加速力に繋がっている。

 

 ほぼ理想形の走りをした上で5着であれば……それはもうやはり相手が強かったというのが月並みだけれども結論となってしまう。ファインモーション号の史実阿寒湖では5バ身差勝利で最終直線で競り合いすら本来発生していないのだから。

 強いて懸念点を挙げるとすれば、4着にノーマークの子が入っていることかな。鳳雛ステークスでのときにトウケイ姉妹以外のネームドでない子を相手取ってもボロ負けしたように、ここでもネームド以外の子が私の前に居るというのは注意した方が良いかもしれない。

 

「あの……サンデーライフさん。……今、よろしいですか?」

 

「あ、マンハッタンカフェさん」

 

 

 そしてレースが終わったのならば、マンハッタンカフェも私に接触してくるよねえ……。

 

「どうして、貴方は――」

 

「――あら? もしかしてカフェの『視る力』のお話? だったら私も混ぜて!」

 

 更に目敏くこちらの会話を聞いていたかのように自然体で混ざるのはファインモーション。そう言えば、この2人って面識あるんだっけ。確かファインモーションがトレセン学園の生徒との交流のために開いているお茶会の参加メンバーとかそういう感じだったはず。

 

 で、都合よくファインモーションが起点を作ってくれたので私はそれに乗っかる。

 

「ファインモーションさん、その『視る力』というのは……?」

 

 マンハッタンカフェの身に起こる霊障については私はアプリ経由で知ってはいるものの、今の身代では本来知っているのはおかしいはずなので、これを奇貨として聞き出しておく。

 

「そっか、サンデーライフちゃんは知らないのでしたね! 実はね! カフェは妖精さんとか座敷童が見えたりするんだよ!」

 

「……いえ、そういう感じのヒトは、あまり見かけないですけど……」

 

「えっと……つまり、オカルト関連の何かが見えるってことで良いですか?」

 

 とりあえず超速理解を示すことで話を軌道修正しておく。というかファインモーションは私のこと『ちゃん』付けなのね。どことなくアイネスフウジンを想起するが……って。ファインモーションとアイネスフウジンも一緒にお買い物に行く仲だったな。想像以上にこの殿下様、交友関係が広い。

 

「……あっ! そうだ! カフェもサンデーライフちゃんとゆっくり話したいよね?」

 

「……それは、まあ……」

 

「だったら! 私の晩餐にご同伴あず……ううん、こうじゃないんだっけ。

 ええと……『おう者ども! メシにありつきたいか!?』……これでよろしくて?」

 

 

 ファインモーションは一体どんな創作物に影響されたんだ……。まあ申し出自体は願ったり叶ったりだったので私は了承する。マンハッタンカフェも悩む素振りを見せていたが、私が付いていくならばということでなし崩し的に同行が決定。

 

 ファインモーションの『晩餐』って絶対ラーメンだと思うけれども、そこまで厳密な食事管理をしているわけでも無いし、そもそもレース後だから私としては別に全然ラーメン自体は構わない。

 

 

 ……けどさ。

 流石にレース直後のターフの上で、1着と2着に同時に話しかけられている5着という絵面は少し考えてほしいかなっ!?

 

 

 

 *

 

「ここっ! 隠れ家的名店って書かれてたから札幌に来たらずっと来たいって思ってたの」

 

「……色々突っ込みたいところはあるけれども、良くこんな住宅街のど真ん中にある地元民向けのお店見つけましたね……」

 

 札幌レース場近くの宿泊ホテルからファインモーションのSPさんの車にマンハッタンカフェとともに同乗して、お店までは30分くらいかかった。

 だからぶっちゃけてしまうと、その車中にてマンハッタンカフェから『お友だち』に関することは概ねやり取りしきってしまって実はカフェの用事は到着する前に終わってしまっていたりする。

 

 まあ私から『お友だち』の気配を強く感じるって話だったし、私も因子継承の具体的な部分は隠蔽しつつも、三女神像の前でお祈りしてタイムが上がったことを話したらカフェもそれで納得していた。

 この『三女神像前でのお祈り』という行為そのものはトレセン学園内での伝統行事と言っても良いものらしいからね……乙名史記者が、例の三女神の記事でそんなことを書いていた。

 

 この『ラーメン遠征』にはファインモーション・マンハッタンカフェ両名のトレーナーは来ていない。これだけSPに囲まれているから問題は起きようがないと思うけれども、ウマ娘同士の友誼を深めることを重視したのか、あるいは何か他に目的があるのかは分からない。

 なお全員制服である。流石にSPに囲まれていることが確定している中で私服を着ていく度胸は無かった。多分マンハッタンカフェも同じことを考えたのだろうし、ファインモーションは私達の考えを先読みしての制服だと思う。

 

 

 なおレースが終わった後の夕方からウイニングライブまでの間に軽食は取っていたが、それはあくまでもウイニングライブまでの繋ぎの栄養補給といった趣きのもので、レース場の売店で売っているものをスタッフさんが仕入れてくれたものでしかない。ライブのときにお腹いっぱいで動けない、なんてことになってしまったらセンターを飾るファインモーションに重大な迷惑がかかるしね。

 

 だから正直お腹はぺこぺこだ。ライブが夜の8時半くらいに終わってその後撤収作業とかがあって、それから車で30分揺られているから今の時間は夜中の10時近い。『晩餐』の域を大きく超過している時間で、ラーメンを食べるにはやや恐怖を感じ始める時間でもあるが、その辺りはもう空腹が打ち勝った。

 

 お店の外観は、少し表現するのが難しいが『国道沿いの昔ながらのラーメン屋さん』といった感じだろうか。とはいえ住宅街にあるのだけれども。真夜中の街灯に照らされたそのお店は外から見たら随分とこじんまりとしている。ファインモーションの言う『隠れ家的』という言葉に想起されるようなオシャレさはない。

 

 そしてその入り口にひっそりと書かれた『営業時間20時まで』という文字列を発見してしまった。普通に店内に入ってしまったし、店主と思しき老夫婦の姿もあるけど今って営業時間外である。

 これ、大丈夫かな……と思ったが、その私の内面すらファインモーションは看破してまるで読心術でも使ったかのように私の疑問に答える。

 

「……大丈夫だよっ、サンデーライフちゃん! ちょっと『お願い』を聞いてもらっただけだから!」

 

 

 ……。

 せめてその『お願い』の相手が目の前の老夫婦であることを切に願う。

 

 外務省とか経由していないよね、大丈夫だよね!?

 

 

 

 *

 

 ファインモーション曰くオススメは『味噌ラーメン』ということで、じゃあそれにしようかなとメニューを見た手が止まる。

 味噌ラーメンが色別に分かれている。なんか赤・白・黒とあるらしい。

 

 え、味噌ラーメンってカラーリングがあるの? 知らなかった。

 

 赤って辛いのだろうか、それとも赤だしのお味噌汁みたいな感じかな。というか黒が未知数すぎる。

 ここでマンハッタンカフェが動く。

 

「……私達も3人……なので3種類選んでみても、いいんじゃないでしょうか……」

 

「カフェ! それ、名案だねっ!」

 

 

 ……私が想像しているよりもマンハッタンカフェはノリが良いのかも。でも彼女はそう言いながら最も無難そうな白色を先んじて選んでいた。

 逃げ(・・)ウマ娘じゃないのにめっちゃ安全そうな選択肢に逃げる(・・・)じゃん。まだ作っているかどうか知らないけど、あんなに勝負服真っ黒なのにここではちゃんと白選ぶのかい。

 

 じゃあ……辛いかもしれないけれども赤にして――

 

「へい、大将っ! 私は赤をお願いします!」

 

 あ。詰んだね、これ。

 

「……私は黒で」

 

 この瞬間、ちょっとだけマンハッタンカフェの口角が上がったように見えた。無表情に見える割に、さては今の状況滅茶苦茶楽しんでるな!?

 

 

 

 *

 

 待つこと数分。何となくお店の内装を眺めているとたくさんの色紙が飾られていた。へえ、思った以上に芸能人とかも来てるのねこのお店。ファインモーションがわざわざ札幌でここを選んだだけの理由もあるみたい……って、キンイロリョテイのサインがちゃんと置いてあるし。ついでにゴールドシップのもある。

 出来上がった私の黒味噌ラーメンを見やる。思っていたのよりも数倍黒い。

 もう漆黒じゃんこれ、サンデーサイレンスもびっくりだよ。

 

 私達3人のラーメンを同時に仕上がるようにお店の人がちゃんと調節していてくれていたみたいで、2人のラーメンも届いている。

 

 

 ということで3人で『いただきます』と発声してから、まずは一番未知数なスープをレンゲで掬って、吐息でふーふーとちょっとだけ冷まして飲む。

 

 飲んでみると、見た目に反して確かに味噌のスープだ。けれども旨味が凝縮されていると言えば良いのだろうか、すごく濃厚で……甘さすら感じる。でも、スープに少しだけ掛かっている一味唐辛子がピリッとアクセントになり、癖になる甘辛さだ。

 

 しかし濃厚ではあってもこってりとした感じは殆ど無く、後味はあっさりしているかも。

 そして改めてラーメン全体を見てみれば、刻みねぎとチャーシュー、メンマ、もやしというどちらかと言えば中華料理屋さんのラーメンのようなラインナップ。

 

 麺と少々のねぎやもやしを箸で取り、それを口へ入れる。

 

「あひゅっ……! あ、熱々だけどとっても美味しい……!」

 

 さっきスープを冷ましていたのを完全に忘れて口に入れたから熱かった。けど、甘辛なスープに上手く麺が絡んでいるというか、計算されつくされている。

 

 

 ふと、そこで自分だけの『領域』から立ち戻り2人の方にも意識を向ける。

 

 ファインモーションはほぼ無心で食べている。あのペースは替え玉する気でしょ。敢えて具を残しつつ麺を重点に攻めている。

 成程……これが『スピードスター』。あるいは『決意の直滑降』。

 

 そして、その一切の無駄が無い洗練としていて華麗さすら感じてしまうラーメンを食べる所作は、まるでこの世のものとは言えないような幻想性――Fairy tale(おとぎ話)のようであった。

 

「……?」

 

 ファインモーションはこちらを見やって、目が合うと微笑んできた。

 その一連の所作を中断させてしまった自身に罪悪感すら湧きつつ内心を収めつつ、彼女には目で一礼して敬意を示し、マンハッタンカフェの方も見てみる。

 

「……スープには段々とバターが溶けていくことで、一瞬であっても同じ味のタイミングはありません。中に入っているコーンが甘味をさらに引き立てていますね。……ええ、麺と絡めてもあっさりとした後味は素晴ら……あれ? 何ですか、サンデーライフさん?」

 

「いや、マンハッタンカフェさん……どうして食レポみたいなことを……?」

 

「私と一緒にここまでついて(・・・)きてくれたヒトたちは食べることが出来ませんから……せめて、どういう味なのかは伝えないと……」

 

「いや、多分……。そっちの方がむしろ生殺し感が増しているような気が……」

 

 『ついてきてくれたヒト』という表現を使った以上は、この場所……というか『阿寒湖特別』にも『お友だち』は来ていないのかもしれない。でも『付いてきた』のではなく『憑いてきた』面々であることは間違いないだろうが。

 そう言えば、史実・ファインモーション号の父・デインヒル号はサンデーサイレンスの同期だったね。主戦とする舞台も国も全然違うから対戦成績は皆無だけれども、種牡馬としての国際リーディングで覇を競い合うくらいの相手である。

 流石にそういう相手の子はサンデーサイレンスも避けているってことなのかな、これ。とはいえ『お友だち』がサンデーサイレンスであるかどうかは確定では無いけれども。

 

 

 結局、私は替え玉を2回、マンハッタンカフェは1回、ファインモーションはちょっと2桁には届かないと思うけれども数えられないくらいは替え玉を貰っていた。

 で、食べ終わった後に、お店で写真撮影。私達3人と店主の老夫婦が並んで、SPの方が撮影してくれた。その後にお店の人から言われて色紙にサインを残すことに。

 

「――って! せめて3人別々にしましょうよ!」

 

 ファインモーションとマンハッタンカフェとともに自身の名を刻む勇気は流石に無い……のだけれども、そんな私の心情を多分ファインモーションは見透かした上で意図的に無視した。しかも中央に『阿寒湖の絆』などという文言をマンハッタンカフェがさらっと付け加える始末。

 

「だってここに来たのは私達3人だから。別々で来たわけじゃないから――」

 

 そう言いながらファインモーションはSPの方をちらりと流し目で見る。

 王族・ファインモーション殿下としてではなく。トレセン学園生……あるいは競走者としての証を少しでも残したいということ、かな。実績でも充分に残せると思うけれども、こういうお店へのサインとかでも形にしたいというならそんな彼女の願いを私は拒めない。

 

 その『阿寒湖の絆』のサインは、お店の人の御厚意でキンイロリョテイのサインの隣に置かれることとなった。

 

「あ、カフェにサンデーライフちゃん! さっき撮った写真なんだけど……メディアにあげても良いかなっ?」

 

 ウマッターとかウマスタみたいなSNSにアップロードするってことかな。マンハッタンカフェは特に問題無いとの返事を返す。

 

「私も構わないですが……あ、でも。『何故サンデーライフが居るんだ』って思われないようにして下されば」

 

 だって1着、2着、5着という面子は違和感しか無いし、それまで学園で接点があったわけでもない。

 

「サンデーライフちゃんは心配性なんだから。でも分かりました。上手く誤魔化しておくね!」

 

 

 

 *

――外遊中のファインモーションさまのご動静 『CSE News 日本語版』――

 

 昨日、ファインモーションさまは『Akanko Tokubetu (2,600 méadar)』レースで堂々と1着でゴールを果たしました。これでファインモーションさまは3戦3勝の無敗で次のステージへと歩みを進めることになります。

 その日の深夜に、ファインモーションさまは日本食料理店にてご学友お二人とともにお食事なされました(写真左からファインモーションさま、料理店店主夫妻、サンデーライフさん、マンハッタンカフェさん)。頂いた食事は『味噌ラーメン』と呼ばれる現地の郷土料理。

 

 ご学友とは更なる上のグレードで再び対戦しようと暖かな激励の言葉をかける場面も。

 またサンデーライフさんは同レースで5着であったものの、ファインモーションさまが滞在しておられるトレセン学園にて資料室の管理を任されている生徒とのこと。ご公務を円滑化する一助とする目的があってのことだろうと、関係筋はご歓談に隠されたファインモーションさまの深いお考えを語った。

 

〈 アイルランド国営放送[CSE:Craoladh Stáit Éireann]

  オンライン版記事(原文:アイルランド語)の日本語訳 〉

 

 

 

 *

 

 なお、アイルランドの全国テレビや大手新聞などでラーメン屋さんでの写真がガッツリ掲載された事実を知るのはトレセン学園に戻った後のことである。



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第21話 勝利とは(2)

 ファインモーションのSNSにアップロードされると思っていた写真は、気が付いたらアイルランドの国営放送で放映されていたらしい。

 

 いや、確かに彼女は『メディア』って言ってたね……。それを『ソーシャルメディア』だと勝手に判断して詳しく聞かなかった私が悪いな。

 というか、アイルランド語のネット記事がご丁寧に日本語サイト版も用意してくれていたおかげでどんな報道をアイルランド国内でされていたのか薄々把握はした。

 

 

 ファインモーションの関係筋というのも、彼女が意図的に情報を流したものであり『公務の円滑化』という一見物凄い役割を私が担っているように見えて、その実は何もないという美辞麗句。外交上で『文化交流の更なる促進で合意した』みたいな発表があったときには『少なくとも現段階で公表できることは何もない』と言っているのと同義みたいな社交辞令的表現の一種であり、その辺りの機敏を理解していれば先のラーメン女子会が外交上何ら意味の無いものであったという婉曲表現でもある……って事後説明をファインモーションのSPの方から受けた。

 シンボリルドルフ会長、頼むからそうした外交的表現の理解に長けていてくれ……!

 

 もっともファインモーション自身は、それを理解して言葉を選ばせたと思うけれども、同時にそれが学園一般生徒やウマ娘レースファンに対して含蓄した意図まで把握してもらえるとは考えていないはずだ。というのも『私が何か凄い立場にある』と誤解させること自体が、阿寒湖特別レースで5着だった私がラーメン屋さんで同席した理由だ、と誤認させて『何故サンデーライフは5着だったのにこの場に居るんだ』という批判避けに直結するからだ。

 

 実際はアグネスタキオンやマンハッタンカフェみたいな個室持ちって意味合いなのにね。それが特例であることは認めるけれども、少なくとも生徒会関係者でも無いし、多分上層部の学校運営上での認識としては埃が被っていた部屋を適当に自主清掃してくれてるくらいの存在だと思う。

 

 だから一連のニュースは、私という存在を一般人に対しては「おお、だからサンデーライフはこの場に同席したのか……」と思わせるもの、そして外交に携わる者からすれば「こいつに何も意味は無いぞ。ただ一緒にご飯食べただけだぞ」と周知するものになっている訳である。いや、王族ってすごい。

 

 

 問題は私の周囲近傍には、その『外交に携わる者』ではない人しか基本的に居ないから、誤解された立場のまま固定化されかねないってことだけどね!

 

 URAがニュースを素朴にごくごく素直に受け取って、まかり間違って外務省に対して介入して現役引退後の私をアイルランド親善大使に付けようとか、そういう動きが出てこないことを切に願う。

 元競走ウマ娘の外交的置物ってのが宣伝広報の面では悪くないだろうけれども、私は引退したら何もせずに日々を謳歌するつもりなんだから。トレーナーにもURA職員にもならないよ!

 

 ……あ、でも。外交経験ゼロで競走ウマ娘として培養されてきた私なら、実務は全部外交官の人に丸投げして、適当にアイルランドでの生活を謳歌しているのを発信するっていう手はあるのか。それが親善大使の立場としてアリなのかは微妙なラインだけれども。

 

 いや、やっぱそれも無し。ファインモーションのお姉さんってピルサドスキーだ。元競走ウマ娘ってだけで絶対彼女と関わることになるし、レジェンドネームド兼王族を相手取るとかいう進路はしんどいからイヤ。楽したいだけだもん、私は。

 

 

 

 *

 

 アイネスフウジンの専属トレーナーから「阿寒湖特別終わったらまたこっちの合宿に合流しても良い」とは言われていたが、流石にそれは固辞した。あのまま夏の終わりまであそこで合宿していたら気が付かないうちにアイネスフウジンのサブトレーナーみたいになっていそうで怖いし。

 というか、そもそもPre-OP戦のウマ娘にとっては合宿での能力底上げをするよりも、レース試行回数を増やして何とか突破を狙った方が良い気がする。

 

 そして阿寒湖特別ではギリギリ5着とはいえ入着は入着だ。だから次走は抽選除外をあまり恐れずに選択することができる。前回2連続除外喰らったから、入着はやっぱり大事。賞金も手に入るし、自分に向いたレースを選ぶことも出来るしで好循環で回りやすくなる。

 

 まあ、ここで焦らずに自己研鑽に努めて基礎技術の習熟を図るという考え方があるのは充分理解してはいるけれども、さ。何を重点的に強化すれば良いのかというビジョンが全くと言っていいほど無いから、今までみたいにレースごとに集中強化の短期目標を定めていく方が性に合っているのよね。

 いやスピードを上げるべきって話なのだろうが、ただ単にターフを借りて早いペースで走るだけじゃ別にタイムって大して伸びないどころか疲労の積み重ねにしかならないのよね。フォームがあって筋肉の使い方があって、走法を逐次修正していってとかそういった諸々を総合して少しずつ変わるものだから分かりやすく変わるものではない。

 で、日々のトレーニングというのはそういうことをやっているわけだから、スピードを重視すると言っても、もうやっているんだよな……としかならない。私のビジョンが立たないというのは、フォームの連携を重視するのか、重心位置の取り方を安定化させることを重視するのか、筋肉や関節の使い方を重視するのか……みたいな話だ。勿論、全体のトレーナーさんとも相談はしているけれども、特定の運動を強化的にやるとかはしていない。

 

 閑話休題。

 前走・阿寒湖特別――芝の2600mレースを改めて振り返る。

 『先行しつつの追込』。それは本当に僅かなものであったけれど、長距離かつ洋芝というパワーの必要な舞台でありながらスリップストリームを併用することで、先行しつつもスタミナの温存に成功して仕掛けることに成功した。

 それは集団から完全に抜け出すためにはまだ及ばないもの。しかし入着するのには必要だった手立てであった。スキル的に言えば『末脚』を弱体化したものかもしれない。けれどもスタミナを温存してさえいれば任意のタイミングで繰り出すことが出来るもの、と考えれば汎用性は高い。

 

 ただそれは同時にこれまで以上に、序盤からずっとレース展開を注視し自身のスタミナ管理と適合させていく必要が生まれる。そしてその終盤のほんのわずかな加速のために、中盤までで勝敗が決定付くようなレースになってしまっては本末転倒だ。スタミナを温存しない(・・・)という選択も時には必要となるだろう。

 

 ファインモーションの走りはまさしく強いレース巧者の走りであった。序盤からずっと好位に付け、最後の最後まで速度を落とさずに駆け抜ける、それはまさしく王者のレースである。

 

 マンハッタンカフェはやや変則的な差しを魅せた。最後のカーブで一旦順位を落としながらも脚を溜め、最終直線でもう一度上がる。中々に複雑なことをしている。

 

 そしてヒガシマジョルカ、彼女は差しの王道を進んでいた。最終コーナーから徐々に加速して前を目指す走り。基本に忠実であれど、ラスト200mの最後の局面で4着以下が団子になっていたことを考えれば、僅かに先に出てバ群を逃れた彼女の仕掛けは適切なタイミングであったと言える。

 

 

 しかし先行での再加速についてだけでもやってみたいことはある。もう1回、長距離を走ってレース中のスタミナ分配について検討を重ねても良い。あるいはダートでも同じ再加速が出来るのか試してもみたい。はたまた最終直線に坂があっても加速出来るのか。

 色々とパターンは模索できる。しかも、その上でファインモーションやマンハッタンカフェ、ヒガシマジョルカの戦術をラーニングして試すということもアリだろう。

 

 

 しかし。

 そのとき――ふと。私は全く異なることに気付いた。

 

 アプリのレースの日程・開催場所は基本的には2020年の実際の競走日程を参考にして組まれている。ただし史実2020年には京都競馬場の改修工事が行われているために影響範囲にあるレースは2018年に開かれたものが参考にされているし、それ以外にも細かな変更が入っているから厳密な定義というわけではない。

 

 更にこの世界は明らかに2020年を参考にしていないものが散見された。

 例えば函館・冬の未勝利戦。本来、冬の北海道でレースは開催されない。

 例えば三条特別。これも2020年に存在しないレースである。

 例えば阿寒湖特別。2020年の本来の開催日程は8月だ。にも関わらず7月末の開催であった。

 

 有記念とホープフルステークスの同日開催なんてものもあったね。

 

 

 これらを統合すれば必ずしも史実2020年準拠ではないと結論付けることも出来る……が、一方でどうだろうか。未勝利戦はアプリに全て実装されているわけではないし、Pre-OP戦のレースもアプリには一部しか存在しない。まあ、そもそも普通は育成中に絶対行かないレースだし。

 有とホープフルだって1ヶ月を2ターンとするアプリでは実際に何月何日に開催されているかまでは読み取れない。

 

 また鳳雛ステークスを選定する際に、候補に上がったGⅢ・葵ステークス。これも2020年の段階ではGⅢではないが、アプリもこの世界も既に国際グレードが付いていた。ギリギリのところでアプリ準拠とも言えない部分を綱渡りしている。

 

 では。何が起きているか。

 函館の未勝利戦はともかくとして、三条特別も阿寒湖特別も出走しているウマ娘側に引き寄せられているようにも思える。三条特別ならば史実ダイユウサク号に。阿寒湖特別ならばファインモーション号とマンハッタンカフェ号、日程だけ見ればヒガシマジョルカ号かもしれない。

 そしてこれもまたアプリにおいて同様の引き寄せは発生している。ライスシャワーは……あの宝塚記念を京都レース場に引き寄せている……うん。

 またビワハヤヒデ・ナリタタイシンも春の天皇賞を阪神レース場に引き寄せている。

 

 ――としたときに。引き寄せが発生しないだろうレースにおいては、どのような因子が働くのか。

 

 正直に言えば、これだけならば大した話でも無かった。何故なら既に史実外ローテを行っているウマ娘はたくさん居るから、その子らと衝突するだけだろうと容易に予想できるからだ。

 

 しかし。

 その引き寄せが発生しないであろうレース――つまり『2020年にしか開催されていない』レースに該当する中に『紛れ』があるのを私は思い出してしまったのだ。

 

 知っている以上は、私の中でそれを避けるという選択肢は無かった。

 

 

 そのレースの名は――清津峡(きよつきょう)ステークス。

 芝・1200mの新潟で8月末に開催されるレースの名であった。

 

 

 そして。

 

「――ごめんなさい、アイネスさん。前に『格上挑戦はするつもりが無い』と言っていたけど、勝てるかもしれない以上はその言葉……嘘にします」

 

 この清津峡ステークスは3勝クラスのレース。

 格上挑戦であり。勝利の暁には、私はオープン戦ウマ娘になることができる。

 

 

 

 *

 

「――1着、サンデーライフ! 格上挑戦をものともしない圧倒的なレース展開で見事に勝利っ! 後続に3バ身の差を付け、悠々とオープン戦へと駒を進めました!」

 

 

 あはは……本当にあっさり勝った。

 

 ……勝っちゃった。……やってしまった。

 

 勝利は勝利だ。それは間違いない。獲得賞金も合計で4541万円となる。

 

 

 しかし、この勝利は実力によるものでもなければ、作戦勝ちでもない。

 

 

 私は。

 

 ――レースの『興行規則』で勝利したのである。

 

 

 

 *

 

 【URA公式通達】 新潟レース場で興行日程変更、3勝クラスを新設

 公示日:8月5日

 

 以下の番組を変更する。

 

8月4週(土曜日)の新潟レース

・第10レースに『清津峡ステークス』(3勝クラス)を新設。

・旧第12レース、1勝クラスを中止。

・旧第9レース、『湯沢特別』(3勝クラス)を第12レースに変更の上、一般競走として実施。

 

 なお清津峡ステークスの出走登録1回目は、通常の『特別競走』と同様に1週間前に行うこととする。

 

 以上

 

 

 

 *

 

 8月の第1週になって初めて明らかになった新設レースの登録期限は、その2週間後。

 今まで存在しなかったレースに向けて、急遽対応する期限が2週間。連闘も辞さないPre-OP戦とはいえ、例年の予定に存在しないレースである。流石に他のウマ娘が即応することは難しい……そこを私は狙った。

 

 結局このレースは比較的人気になるはずの『短距離』レースであったのにも関わらずフルゲート18名に対して、最終的な出走者は私を含めて8人――少しでもウマ娘を1勝クラスへ救い上げるために実施されるメイクデビュー・未勝利戦ですら9人であったことを考えれば、それが極端に少ないと分かるであろう。

 勿論、アプリ実装ウマ娘などがここに登録してくるはずもなく、私は戦術・先行でそのまま強いレースをして勝利を飾ったのである。

 

 格上相手の存在しないレース。それ自体は私も想定していたし『勝ちが狙えるなら勝つ』という自身の中での方針は定めていた。だから勝った。

 まさかここまで上手くハマってしまうとは思わなかったけれども、それ自体は構わない。今までも『大逃げ』による博打狙いだとか、展開が荒れやすいレースを狙って出走とかそういうことは散々してきたのだ。

 

 正攻法でない勝利自体への割り切りはもう付いていた。

 ……流石に『興行規則』を利用した勝利というのは覚悟している形とは違ったので私の中でも動揺があることは自覚しているが、でもその心理的動揺は新たに浮上した問題と比較してしまえば些細なものに過ぎない。

 

 

 であれば問題は何かと言えば。

 

 ――オープン戦を戦える実力を備えていない状態で、私はPre-OP戦を通過してオープンウマ娘になってしまったのである。



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第22話 ターニングポイント

 新潟遠征から戻ってきた私は、その日は休み、翌日の月曜日にトレセン学園へ登校して授業を受けた放課後になって生徒会室に脚を運んでいた。

 

 生徒会室の扉を開けようとした瞬間に、背後から声をかけられる。

 

「……何か用か?」

 

「あ……ナリタブライアン副会長。実は会長に話がありまして――」

 

「……だったら、扉を開けてくれないか」

 

 見るとナリタブライアンの両手は段ボール箱を持っているために塞がっていた。

 

「あ、はいっ!」

 

 人が居なかったら多分、脚で開けて、それをエアグルーヴに咎められていたりするんだろうなあ、と内心思いつつも生徒会室のドアを開ければ、そこには机上にて事務作業をするシンボリルドルフの姿があった。

 

「助かるよ、ブライアン……っと、サンデーライフ。君がここに来るとは珍しいね」

 

「まあ……はい。少々相談したいことがありまして。今がお忙しいようでしたら、空いている日時をお伝えいただければ改めて――」

 

「いや、その必要はないよサンデーライフ。ちょうど一段落ついたところだからね。そこのソファーで良いかい?」

 

「わかりました」

 

 なお、このやり取りをしている間にナリタブライアンは居なくなっていた。誰がどう見ても面倒ごとの類であるから話を聞いてしまう前に退散した、という側面と、外に話を漏らしたりすることは無いが会長に対して相談しに来ている私に配慮した、という二面性が共存する動きとみえる。

 

 そして5ヶ月ほど前……例の資料室の管理権限を頂いた後に、エアグルーヴに連れられて生徒会室を訪れたこともあったが、その時と同じく例のエクリプスのスクールモットーがよく見えるソファーに座った。

 

 シンボリルドルフが先手を切る。

 

「まずは、先におめでとうと言った方が良いかな。

 清津峡ステークスの勝利、実にお見事だった。百折不撓とはまさしくこのことと言ったところだろうか」

 

「あ、恐縮です……」

 

「これでサンデーライフ。いよいよ本格的にオープン戦へと挑戦するわけだが……。生徒会室に用事とは、一体どのようなことかな? いやはや、別に君が世間話をしたいと言うのであれば私も喜んでそれに応じようとも」

 

 私自身が普通よりも目立つ生徒である自覚はあるから、シンボリルドルフに私のオープン戦昇格自体が把握されているかもしれないとは思っていた。しかし、レース名まで認識していたというのは驚きも大きい。

 

 そして世間話云々は、そこそこシンボリルドルフの本心っぽい。『皇帝』クラスまでいってしまうと何の気兼ねなしに話せる相手は、それこそミスターシービーやマルゼンスキーくらいだろうし、そもそも彼女たちは生徒会室を訪ねる頻度は極めて少なそうである。カツラギエースとかビゼンニシキ辺りの会長同期組も生徒会室には来なさそう、イメージ的に。

 ……まあ。かくいう私も用があるときであってもここへ来るのはかなり畏れ多いので、そのシンボリルドルフの胸中を満たす存在にはなれない。

 

「……2点、お話があります。まず重要な方から。

 判断の可否はシンボリルドルフ会長にお任せいたしますが、もし会長、貴方自身も必要だと感じれば、私からの『URAへの抗議』を非公式という形でお伝えいただければ」

 

「抗議、とはおおよそ穏やかではない言葉が出てきたね。一体何があったのかい?」

 

 少なからず私の『抗議』という明瞭な言葉に対してシンボリルドルフは驚きの表情を見せていた。……もっとも、ある程度私が何に悩んでいるのか自体はおおよそ見当は付けていたけれども、まさか抗議までするとは、といった反応だと思われる。

 

「私が前走で出走した『清津峡ステークス』の興行日程の公示時期についてですね。レースを知ってから出走登録するまでに2週間しかない、というのは流石に短すぎるかと愚考いたします」

 

「……。正直、それについては私も思うところはあるけどね。

 しかし、良いのかい? ……敢えて無礼を承知で言うけれど君は『そのおかげ』で勝ったのだろう?」

 

 その会長の言葉は、乗せた声色や表現こそ厳しいものであったが、決して私のことを糾弾するつもりでないことも同時に察せられた。そして会長自身も、私が本来の実力ではオープン戦ウマ娘となるだけの能力を有していないと考えている何よりの証左であった。

 

 そこまで踏まえるとシンボリルドルフの意図としては『正気か?』ということなのだろう。この抗議によってURAの怒りを買って清津峡ステークスにおける私を失格処分にすることをちらつかせるかもしれない。

 そんな危険を冒してまでわざわざ抗議をするくらいならば、大人しく黙って今の勝利を受け取る方が賢明な判断であるのは一種の正解だ。ましてや、私に周囲を黙らせるだけの実力は無いのだから。

 

 

 ――ただし。

 

「……シンボリルドルフ会長のご心配は、恐らく私が失格処分になることだと思われますが。

 ですが――そこまでの処分を下して本当に困るのはURAの方では無いですか? 私とともに無理心中出来るほど小さな組織ではないでしょう?」

 

「……」

 

 シンボリルドルフは押し黙った。

 レース結果が確定した後に、当該ウマ娘を事後失格処分にする制度は確かに存在する。

 その対象となる違反行為は主に3点。1つ目はウマ娘自身がレースに全力を注がず手を抜いたことを公言した場合。これは競走精神とかスポーツマンシップの問題などというよりも、認めてしまうと八百長に直結するものだからである。

 2つ目がウマ娘の体内から使用の禁止されている物質が検出されたとき。まあドーピングである。

 そして最後に、不正協定の発覚。先の八百長にも関連する話であるが、もし現行制度で私を失格処分にするのであれば、この『不正協定』が適用される可能性が最も高い。

 

 けれども、もし私の行為が『不正』と認められたとして、『レースの興行日程の公示日が遅いのを利用した』ことを不正とするのであれば、その私の不正取引の相手先は他ならぬURAとなってしまう。

 それでは私を失格にすることでURA自身が大火傷を負いかねない。

 

「……見知った相手でもない者が『賢明』であることに期待するというのは、些か不用心にも思えるけれどもね。サンデーライフ、そこまで賢い君には黙することも出来たはずだが?」

 

「……それなのですけれども、シンボリルドルフ会長。

 この一件、小火で済むか大火災になるかは分かりかねますが、一切の問題にならないということはないかと思われます」

 

「……まあ、そうかもしれないね。時の風化がすべてを押し流してくれるとは思うが、君の活躍次第では『話題性』はあるだろう」

 

「この抗議は一種の自己保身であるとも捉えて貰えると。究極的に言えば、これで一切の事務手続きの遅滞が是正されるなど考えておりません。

 ……ただ。本件が『大火災』になったときに、こうして抗議を行い……そして非公式にでも『揉み消された』事実というのは、私に優位に働きます」

 

 私がレースを実力ではなく『興行規則』で勝利したことに対して糾弾がなされたとき。

 そうなったときに、勝利を事後失格制度で取消にされる覚悟ですぐにURAに抗議しようとして黙殺された事実の有無は、問題になってからこそ大きいと思う。

 言わば一種の保険でしかない。本件に関してURA側が対処を誤らなければ、今の私の行動は全部無意味だ。シンボリルドルフの言葉を借りるのであればURAが『賢明』で無かったときにはじめて効力を発揮するものである。

 

 シンボリルドルフはソファーの背もたれに寄りかかり、溜め息を吐きながら語る。

 

「……成程、総括すれば。

 最初から私か学園かURAのいずれかが揉み消す前提の抗議ということか。問題にならなければ万事解決、もし本件で炎上したときには今ここに居る事実そのものが君を守る傘となるわけ……か。

 それで抗議の中身自体は、私の意に沿う……サンデーライフ。今の君がクラシック級ウマ娘であることを今更ながら惜しく思うよ。

 競走ウマ娘として成長著しいこの時期でなければ、私は君のことを生徒会に欲していたところだ……いや、今からでも内定させてくれないかい?」

 

 

「――私が今だからこそ、この提案をしている……と言ったら。シンボリルドルフ会長は失望するでしょうか?」

 

 この言葉には今だから生徒会に会長が無理に誘わないという意味のほかに。

 私が前々走の『阿寒湖特別』の影響で、アイルランドの国営放送に名前が出た存在だということも加味されている。あのニュースが有名無実のものでしかないことを分かっていても、私を不本意な形で競走の場から無理やり引き摺り下ろそうとするのであれば、それがURAであってもシンボリルドルフであっても、国際的な批判を受ける恐れがあるという、本来あり得ないリスクを計上する必要がある。

 まあ、私とファインモーションの関係性はブラフでしかないが。でもその『虚構の関係』が私の競走ウマ娘としての人生を担保するものになるならば、私はそれを利用する。……まあファインモーションには後々全部バレそうだけどね。

 

「――まさか。そうだね……1つ聞かせてもらおうか。

 自己保身があるとはいえ現行の興行日程の公示の是正は、今後君の不利になるとしても実施されて欲しい……その考えも確かにあるね?」

 

「……っ」

 

 これに即答できなかった。あれだけ保身を全面に押し出していたのに……。

 そしてその時のシンボリルドルフの表情はしてやったりというものであった。

 

「――君の申し出が真に『自己保身』に依拠するものであれば、そこは何の躊躇いもなく肯定の意を示しただろうね。……正直、その反応で安心したよ。

 つまり少なからず、あの勝利の形に君は罪悪感も感じている――義侠心から来る行動でもあるわけだ」

 

「……どんな形でも勝利を掴み取ることと、それで何も感じないことは……別、ですよ……」

 

 

 結局、私は本心を吐露してしまった。

 『興行規則』による勝利。もし時を戻してやり直せるとしても私は何度だって同じ選択をする。

 

 覚悟もあるし、実力勝負だけでは頭打ちになるのも分かっていた。

 しかし様々なオブラートに包まれていたはずの『心理的動揺』を皇帝は看破していた。それは何故、と思っていたら、私の表情から内心の疑問を悟ったのかシンボリルドルフは語る。

 

「なに、単純な話だよ。『不本意な形の勝利』――それに私も心当たりがあるというだけさ」

 

 自身のレースのことか、それとも生徒会長として見てきたレースの中で思い至ったもののことだろうか。どう告げるか逡巡していると――

 

「おや、珍しく物分かりが悪いじゃないか。『皐月賞』と言えば……分かるかな? 『興行規則』に詳しい君なら言わんとすることは分かるはずだ」

 

「……あれは。斜行は、当時の規則(・・・・・)では降着などの処分は無いはずですし、何より罰則自体は受けているはず……」

 

 

 ――シンボリルドルフ号の皐月賞。最終直線にて2着を走っていたビゼンニシキ号の進行方向へと斜行し接触。それは走行妨害であり、騎手には実際に罰則も与えられている。

 ……が、その当時、走行妨害による降着制度自体が存在しなかった。それが制定されたのは1991年。シンボリルドルフ号のクラシック時代の7年後である。

 

 確かに現行制度では降着もあり得るものであったかもしれないが。しかし、当時の制度としては全く問題は無い。だから『無敗の三冠』という称号は決して風化しないはずであるが……当の本人がそれをどう感じるのかは、別の問題。

 

「……ああ、確かに私は2日間の自室謹慎処分は受けている。当時もそれで処分を受けたという認識だった。

 けれど。降着制度が出来て、実際に『審議』で降着する者が現れてからは……あの『勝利』が今でも本当に正しいものであったのか分からなくてね」

 

 

 降着制度がない時代の斜行勝利と、新設レースの公示日を利用した興行規則勝利。

 

 どちらも制度上の瑕疵は無い、あるいは無かった。

 でも――だからこそ、シンボリルドルフは私の勝利に己の皐月賞を見出したのであろう。

 

 ……私の心中の吐露まで求めたのも、影を重ねていたからこそ私が自身の『不服な勝利』をどう感じているのか知りたかった、ということなのかもしれない。

 いや、Pre-OP戦のレースとクラシック路線のGⅠ大舞台・皐月賞を同一視しないで欲しいけれども。私に寄り添っているようで微妙にずれている。

 

 というか、そもそも前提が異なるのだ。

 別にシンボリルドルフは、斜行しなければ勝てなかったわけじゃない。それに対して、私は『清津峡ステークス』でなければ今の時期にPre-OP戦を突破することは不可能だったと言って良い。

 

 

 だからこそ――私とシンボリルドルフは決定的に違う。

 

「シンボリルドルフ会長。……もう1つの用件をお伝えしてもよろしいでしょうか? 一応、関連はすることではあるのですが……」

 

「おっと、そうだった。君は『2つ』話があると言っていたね」

 

 

 一拍置く。実を言うとこれを会長に伝える必要は無いけれども、意思表示としては意義のあることだろうと思いたい。

 

「シンボリルドルフ会長もご理解している通り、今の私はオープン戦にて戦っていくだけの実力に不足していることは私自身痛感していることであります――」

 

「……っ! まさか、サンデーライフ。君は――」

 

 

「……改めて同じ言葉を別の意図で口にしましょうか。

 『平地競走ウマ娘にとって障害転向とは、ただ未勝利ウマ娘に残された岐路の1つとしてだけではない』……ええ、ご明察の通りです。

 

 ――私は障害転向を希望いたします」

 

 

 平地競走と障害競走の賞金体系は別。

 ということは、平地競走でオープンウマ娘となった私であっても、障害レースにおいてならば未勝利戦に出場することが出来る。

 

 

 

 *

 

「――まあ、君自身の進路だからね。

 生徒会としては把握のために一応障害転向をする場合には書類を提出することにしているが、それすら本当は必要のないものだ。私としては君の決断を止めるつもりなど毛頭無いとも」

 

 その雄弁に語る姿は威風堂々としているはずなのに、どこかしょんぼりとしていた。ションボリルドルフというやつだ。

 

「とりあえずは一時的措置のつもりです。障害未勝利戦に何度か挑戦してみて、手応えを掴めたら再び平地競走に戻ることも検討しております」

 

 ……まあ、これが結構異例なのは自分でも理解している。会長の表情は喜色を取り戻したように見えたが。

 なお障害競走で重賞を獲得した競走馬が、その後に平地競走に戻って平地の重賞を取った例は存在しない。いずれ出てくるかもしれないけれどもね。

 重賞ではない障害勝利後に、平地に出戻りした競走馬で最も著名なのはメジロパーマー号であろう。つまり私は、ひとまずはパーマー路線を目指すこととなる。

 

 

「承知した。君の障害転向の話も寝耳に水であったが、それは構わない。

 ……で、実は私からも君に1つ伝えたいことがあるのだけれども、今、伝えてしまっても構わないかい?」

 

「……えっ、あ、はい。別に構いませんが、一体……」

 

 そう言うや否や、シンボリルドルフは立ち上がり生徒会室を出ようとする。彼女は着いてくるように促したので私は会長の後を追うように足を進める。

 

「え、あの……どこへ向かっているのですか……?」

 

「それは黙秘させていただくよ……楽しみが半減してしまうからね」

 

 

 生徒会室で私からの話を聞いていたときよりも心なしか楽し気にしているように見える。

 

 

 そして到着した先は――トレーナー室。

 トレーナーは育成するウマ娘との作戦会議をしたり他のトレーナーに見られてはいけない作業をするために個室も分け与えられているが、ここはその個室ではなく共用スペースのトレーナー室であった、職員室みたいな感じ。

 

「……ええと」

 

 

「紹介しようか、彼女が――」

 

「あ、シンボリルドルフさん! ご厚意はありがたいのですが、最初の挨拶は自分でやらせてもらっても良いでしょうか!」

 

「ふふっ……すまないね」

 

「いえいえ、サンデーライフさんをここまで連れて来てくれただけで充分です! では、コホン。改めて――。

 初めまして、桐生院葵と申します! 今回、貴方のことをスカウト希望しております学園所属のトレーナーです」

 

 

 ……えっ。

 

 えええええええええっ!?



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第23話 一水四見

 桐生院トレーナーによる私のスカウト希望。

 色々な内面の動揺とは裏腹に、その日は顔合わせだけで終わった。

 

 で、そういう私の心の機敏を読み取ることにも長けていたのだろう、生徒会長・シンボリルドルフは、数日後に言伝で『何もないことになった』という一言だけを残した。それはつまり、私の『抗議』がどこまで伝達したかは不明だがとりあえず上層部へと『非公式』で伝わり、そして伝わっただけ(・・・・・・)という私の望んでいた形に落ち着いたことを指し示していた。

 本来ならばその会長の手腕に感嘆し、私の脳内で称賛の嵐を吹かせる類のビッグイベントであったはずなのに、私のキャパシティは完全に桐生院トレーナーのことでいっぱいいっぱいになっていた。

 ……もしかしたら、そういう状態にあることを見込んで、最も私の手を煩わせない形での終幕へとシンボリルドルフが誘導したのかもしれない。

 

 で、問題の桐生院トレーナーの件。

 最初、私はようやく専属トレーナーのスカウトが来てくれたやったー! って感じの勢いでスカウトではなく正式な契約を結ぼうとしたが、

 

「……サンデーライフさんが、私のことをどう思うのか現時点では分かりませんから、急ぐ必要は無いですよ。

 勢いで決めた後に『何か違う』となってしまえば、お互い不幸なことになってしまいかねないですから」

 

 と、そんな感じで優しく諭されてしまったし、言っていることには一理あったので私もひとまず仮という形で様子を見ることにした。でも、こういうことを言ってくる時点で、致命的に合わないってパターンは少ない気がするけど。

 

 ただ仮の身分であっても、『もし私がトレーナーにならないとしても細かいデータを蓄積しておくに越したことはない』と桐生院トレーナーから言われて、まず最初に求められたのが、私の身体上のデータ。

 勿論、トレセン学園の健康診断データくらいならばトレーナーは守秘義務の下で自由に閲覧可能であり、桐生院トレーナーもまた入手済であった。しかしもっと細かい様々な健康上の指標が欲しい、と言われて、それについては私も取っておくこと自体に意味はあると思って了承。

 確かに今まで色々と自己管理でやり繰りしてきたけれども、スポーツ医学的な専門の知見という観点は私には無かった。血液検査であったり、唾液などを使った遺伝子検査まで行うことになったが、この時の私は『清津峡ステークス』後のクールダウン期間で放課後のトレーニングなどは特にやっていないタイミングだったので心置きなく検査に専念できたのである。

 

 ……そう言えば。ファインモーションの育成シナリオ中にてエアシャカールが『遺伝子が適性距離に影響している』という研究があることを示唆していた。細かい内容は、専門領域に入ってしまうので私も詳しくは知らないが、確か競走馬であれば『ミオスタチン遺伝子』というのが勝利馬の走行距離と相関があるらしく、血統によって得意距離が左右されることもある現象については、これが1つの要因になっているのではないかという話があった。

 ただ、複合的な要因の1つにはなり得ても競走能力の決定因子になるわけではなく、サラブレッドの競走能力を左右する遺伝子がミオスタチンのみではないことと、更には後天的な育成環境やレース経験、あるいはレース当日の様々な条件などによって非常に大きく左右されるので単なる『競走馬の強さ』みたいな指標として扱えるものではない。

 

 というか遺伝子によって距離がすべて一意に定まるならば、私やハッピーミークのような全距離対応型のウマ娘というのは出てきてはいけないということになるし、因子魔改造組であるメジロマックイーンやハルウララに起きている現象の説明すらつかなくなってしまうから、あくまで参考の指標ではある。

 

 桐生院トレーナーも私に検診を受けてもらう説得材料として、ナチュラルに医学的な論文を私に手渡してきた。しかも英語のものを。

 

「あの……すみません。流石に技術的なものは前提の知見が無いと何も分からないので……」

 

「――あれ? あの資料室には確か海外のレースの興行規則の中に使用禁止物質に関する資料も置いてあったはず。てっきり医学的なものも読み解けるのかと――」

 

 

 あー……。ちゃんとあそこの部屋に何があるのか分かっている人から見れば、私ってそういう扱いになるんだ。そっちの方向性の過大評価は想定していなかった。なまじ同じ個室持ちにアグネスタキオンという本物の天才が居るから、誤解する気持ちは分からないでも無い。

 

 確かに、これは相互理解に少し時間を置いた方が良いかもしれないと思い直す出来事であった。私が桐生院トレーナーについて知る、というよりも桐生院トレーナーが私のことをどれだけヤバい奴だと評価しているのかを調べてちゃんと是正しなきゃ。

 

 

 

 *

 

 桐生院トレーナーから検査の行き帰りの往復の送迎でいくつか彼女に質問をしたりした。

 その中で一番重要そうなものは、彼女の本来の担当であるハッピーミークについてである。実はハッピーミークは現在シニア級2年目に突入しており、同時に桐生院トレーナーも学園の配属になってから4年目――ということでアプリの育成期間自体はそっくり終了している計算になるのだ。

 去年の年末の有記念にもハッピーミークはハルウララの勝利の裏で出走していたみたい。……ハルウララのインパクトがデカすぎて完全に見落としていた。

 

 それでハッピーミークは引退したわけではないものの、一応節目として大きなレースには出走したこともあってかシニア級の第一線でレースに出走し続ける形はやめて、年に1、2戦程度出走するというセーブ気味の出走予定にすることをハッピーミークと相談の上で桐生院トレーナーは決めたらしい。まあURAファイナルズ決勝という舞台が無い以上は、そういう動きになるのかもしれないね。

 だから彼女は、ハッピーミークの専属トレーナーではあり続けるものの、兼任という形で私の面倒も見るということを希望しているようだ。

 

 だからこそ。この桐生院トレーナーはアプリで知る桐生院トレーナーの最終形態のその先にあった。

 

「サンデーライフさん、週末の予定は空いていますか?」

 

「? はい、土日のどちらかでドラッグストアにでも行こうかなって思っていたくらいですけど……」

 

「――それでは! 私と一緒に遊びに行きましょう!」

 

「ええ、構いませんが……何処へ行きます?」

 

「特に希望が無ければ『水族館』を考えていますが……どうでしょうか?」

 

 

 この桐生院トレーナーは既に『桐生院家』の教えに固執せずに、ウマ娘と向き合う姿勢が全面に押し出されていて。

 いきなりカラオケに誘い出すような突飛な行動が減り。

 

 

 更には当日。

 

「……桐生院トレーナーって普段学園で着ている服以外に、私服持っていたんですね」

 

 桐生院トレーナーの服装はボウタイとリボンのベルトがアクセントになったシックなオリーブグリーンの色合いのチェックのワンピースであった。クラシカルな雰囲気で、いつもの動きやすそうなパンツルックからは全く違うように思える。普段と全然違う感じで、若干血色も良く見える……服の印象のせいだろうか。

 というかアプリトレーナーと外出に行く際であってもいつもの服であった彼女が、こういう私服を持っていること自体が驚きである。

 

「……なっ! そういうサンデーライフさんこそ、普段は制服とジャージくらいしか――」

 

「いや、桐生院トレーナーと付き添いで外出したのって血液検査とかなのですから、制服で済ませますって、一々着替えるの面倒ですし」

 

 一応私も私服である。制服で水族館に行けるハッピーミークってそう考えるとメンタルえげつない。私は桐生院トレーナーがいつもの服で来る想定だったからちょっとスポーティ寄りにしたくらいだ。ベージュ系のアウターに、チェックパンツでダッドスニーカー。

 うーん、まさか桐生院トレーナーに私服があるとは想定外。

 

「――それで、そう言えば今日は何故、水族館だったりするんですか?」

 

 ついでに、さっくりと危険球を通してみる。アプリにおけるハッピーミークとの外出先が主に水族館であったことを知っている私にとってはただの確認事項に過ぎない。

 でも、それを知らない桐生院トレーナーからすれば、結構答えに窮する感じもある。

 

「あはは……実のところサンデーライフさんの好みそうな場所、というのがあまり見当が付きませんでしたから。

 だったらいっそのこと私が案内できる場所に連れて行った方が、サンデーライフさんも多少は楽しめるかなーって……」

 

 何となくここまで来て薄々分かったことが1つある。桐生院トレーナー、彼女は私の前で恐らく意図的にハッピーミークの話を出さないようにしている。

 

 ハッピーミークがシニア級2年目という話も私から聞いたものであったし、今の質問だって『ハッピーミークと一緒に来たから』とかそういう言葉が返ってくることを想定していた。

 意識的なものなのか、無意識でやっていることなのかは分からないが、私をハッピーミークと同一視しないように気を付けているようにも思える。でなければ、私がハッピーミークの名前を出すと不機嫌になるかもしれないと危惧しているかのどちらかであろう。

 

 

 少なくとも、どちらであったとしても分かるのは、私に対してのえげつないレベルでの配慮である。

 

 傍証は他にもあった。

 

「サンデーライフさんは普段、水族館に行くことは?」

 

「そうですね……、あんまり無いかもしれません。結構出不精で、トレーニング以外は資料室に引き籠っていることが多いですし。

 オフの日とかで遊びに行くときも、基本受け身なんで自分からどこかへ行きたいっ! って感じで遊ぶことって少ないかもしれません」

 

「ふふっ、案外私達似ているかもしれません。私もこの水族館に来たのはトレーナー業を始めてからで、実際にこの仕事をやってみるまで趣味らしい趣味ってありませんでしたから……あ、でも! トレーニング方法を学ぶことはとっても楽しかったですよ!」

 

 彼女のそういう性質はアプリで知っていた。

 知らなかったのは、私から情報を引き出すだけではなく、自身の情報も共有するということ。これもトレーナーとしての3年間が桐生院トレーナーを変えた部分であるのだろう。

 

「あっ! サンデーライフさん、ちょうど、あそこのマンボウの水槽で飼育員の方が餌やりをするみたいです! 見てみませんか?」

 

「タイミングが良いですね……って、何でしょうあの餌……? お団子……?」

 

 

 それからまたいくつかの水槽を桐生院トレーナーと一緒に見て回った後に、今度は屋外水槽のコーナーへと繋がる通路で1つの掲示を発見する。

 

「見てくださいっ! あと5分でイルカショーがはじまるようです!」

 

「……へえ」

 

 ……段取りが完璧すぎる。そう思わざるを得なかった。水族館側が来館者に対して脅威のスケジューリング能力を発揮しているわけでも無ければ、こちらが意図して動かない限りは決してこれだけの展示以外の催し事にタイミング良く遭遇できるはずがない。

 マンボウの餌やりだって1日に2、3回くらいしかないし、イルカショーも2時間に1回程度。そして私は特に何も考えずに桐生院トレーナーの話に合わせながら、特に何も考えずに水槽とお魚さんを見ていただけ。

 

 ちょっと、仕掛けるか。

 

「……私、水しぶきを浴びる前の方の席で見たいのですが……良いですかね?」

 

 私のこの言葉に初めて桐生院トレーナーは難色を示した。

 

「……あー……いやー、その。合羽が借りられるとはいえ、びしょ濡れになるのはちょっと……」

 

「大丈夫ですよ、だったら後ろの席にしましょうか。

 ……それよりもちょっとお手洗いに行ってきても良いですかね? 私の分の席も取っておいてもらえると助かります、席はどこでも構いませんので」

 

「あ、勿論ですっ! お任せください!」

 

 

 そして、お手洗いへと向かった私。

 ちょっとだけ整理する時間が欲しかったための方便である。

 

 

 ――正直に言って異常であった。

 ショーとか餌やりが何時にやっているかを把握しているのが大前提として。それに間に合うように計算され尽くされている。しかも、どこの水槽で何分見る……みたいな形ではなく、私との会話の長さに合わせて流動的に組み替えられるタイプのスケジューリングが行われている。

 

 多分、このイルカショーの後も、更に言えば水族館を出た後の予定も、かなり計算されて組まれているであろうことが容易に想像が出来た。

 ――それが、全て『私のため』なのだから、ちょっと末恐ろしくすら思えてくる。恋人や家族のためであったとしてもここまではしないだろう。

 

 確かにトレーナーという種族にとって競走ウマ娘とは、身の回りの大事な人物を遥かに凌駕する相手なのかもしれない。その可能性は私も考えた。

 ましてや言い方は悪いが、私は彼女をトレーナーにするかどうかキープにして吟味している状態。最終決定権が私にある以上、私が優位であるという立場は揺るがない。しかし一方でトレーナーが付かなくて困るのは私の方。

 

 何かが、ある。

 そう判断するのには十二分すぎるほどの材料が転がっていた。

 

 

 しかしそれ以上に気になる違和感もあった。

 これだけの緻密に計算された遊びの計画。なのに誘われたのは今週の中ごろ。

 イルカショーで水を浴びるのを嫌がったこと。もっと辿れば、今日だけ不自然に感じた『血色が良い』印象を受けた彼女の雰囲気。

 

 1つ1つのピースが埋まるとともに、私の中で答えが導き出されていく。

 そして最後の鍵はアプリの中。彼女のサポートカードイベントで明かされた1つの事実が雄弁に語っていた。

 

 ――『実は私、どんなに夜更かししても隈が出にくい体質なんです!』

 

 

 桐生院トレーナーが建ててくれたこの計画はまず間違いなく私のためを思ってのもの。

 だからこそ、躊躇いもあったけれども――

 

 

 

 *

 

 イルカショーを見終わった。

 正直、飼育員さんも視認できつつ、イルカのジャンプなどを中央で捉えられるこれ以上の場所は無いと思うほどの席であった。……計算され尽くされた場所であった。

 

「……桐生院トレーナー。私、この後行きたい場所が出来ました」

 

「えっ、サンデーライフさんの申し出ならばどこへでも喜んでついていきます! それで、どちらに行こうと?」

 

「――あなたの家です」

 

 

「……ええええええっ!? 一人暮らしですし、面白いものは何も無いですよ!?」

 

 

 折角予定を立てて来てくれたものを崩すのは心苦しいけれども。

 ――全部、壊すね。



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第24話 盲亀の浮木

 桐生院トレーナーは流石に自身の自宅に招くことを渋りに渋ったが、私も断じてここは折れなかった。

 今、私が言っていることが狂気の沙汰であることは充分に理解していたし、現在進行形で彼女に迷惑をかけていることも分かっていたが、それであっても自身の推論が正しければ退けない理由があった。

 

 基本、ウマ娘ファーストな集団であるトレーナーという職業団体の中でも、筋金入りのウマ娘ファーストである桐生院葵だからこそ、最終的に私の意見を汲むという打算があったのは確かである。

 だからこそポロっと零した『1人暮らし』という言葉に着目し、『どうしてもダメというならば私の実費でタクシー呼んで桐生院の本邸まで連れて行く』という恫喝紛いの私のセリフで遂に折れた。

 

「……わ、分かりました……。流石に実家は色々と面倒なことになりかねないので、それであれば、私の住むマンションの方がまだマシです……」

 

 なお私達は車で来ていなかったので、やっぱりタクシーを急遽呼ぶことになって、支払いは、お互い全額支払おうとして揉めに揉めた上で結局折半になった。

 

 

 

 *

 

 そしてトレセン学園からそれなりに近いオートロックのマンション。トレセン学園にはトレーナーの寮も確か完備されていたはずであったが、そちらではなく自分でマンションを借りていたらしい。何というか桐生院本家の意向っぽさを感じる。

 

 で、部屋の前にて桐生院トレーナーは最後の抵抗を試みる。

 

「あの……サンデーライフさん。10分! いや5分で構いません! 部屋を掃除する間、待っていてくれませんか!?」

 

 多分、この申し出が桐生院トレーナーではなく、もっとズボラな人間の言葉であれば私は受け入れていた。

 しかし、桐生院葵という人物を私はアプリの中で知っていた。彼女は一種の完璧超人である。

 

 ウマ娘のトレーナーとして食事管理を行う必要から料理はマスターしていて、一度食べたスイーツバイキングのパフェのレシピをほぼパティシエ顔負けのクオリティで再現したりととにかく色々と規格外な人物なのである。

 

 だからこそ、彼女の部屋が掃除をしなければならないほど散らかっているのだと言うのであれば、必ず理由はある。

 そして。その理由は多分――私。

 

「……何を隠そうとしているのかは大体見当は付いていますが、それでも掃除をするというのであれば、私はきっと貴方に新しい玄関の鍵をプレゼントすることになるでしょうね……今のものが壊れた後でになりますが」

 

 ここまでやってしまった時点で、強硬策を取り下げるつもりは皆無である。そして桐生院トレーナーも大人しく私が引き下がるとは本心からは思っていなかったようで、項垂れながらも確かに玄関の鍵を解錠したのであった。

 

 

 ――部屋の中には、無数の散乱した資料が転がっていた。

 それは水族館のパンフレットや、その水族館の過去のイベントをまとめたもの。更には個人ブログの記事やウマスタでの感想などですら、あの水族館に関わるデータがご丁寧に印刷されファイリングされていた。

 テーブルに置かれたA3サイズの用紙に印刷された館内マップには何度も修正された形跡がある想定コースのシミュレーションが数十パターンも記載されていて、それ以外にも水族館の周辺のお店なども事細かに調べ尽くされているのが見て分かった。

 

 ……やっぱりか。

 

「桐生院トレーナー」

 

「……はい」

 

「取り敢えず、寝て下さい。貴方が起きてから話は聞きますから」

 

 誰がどう見てもオーバーワークの痕跡が、この家にはありありと残っていたのである。

 

 

 

 *

 

 桐生院トレーナーは、相当気が張っていたらしくほぼ気力と根性で頑張っていたようで、私に大体の絡繰りがバレたこともあり、ここまでの抵抗とは反面に存外あっさりとリビングの隣にあった寝室にて眠りについた。

 今の時間は昼の12時過ぎ。この時間にこれだけあっさり意識を手放せるということは身体的には疲労が積み重なっていたであろうことは容易に想像がつく。絶対、お昼寝とかしない性質の人だろうからなあ、桐生院トレーナー。

 

 ちらりと桐生院トレーナーの様子を窺うと首元がキツそうだったので、彼女の服のボウタイを外して腰のリボンも緩めておく。お出かけ用の服のまま寝かせちゃったけれども、部屋着か寝間着に着替えさせた方が良かったなあと今更ながら思ったりもするが、無理に起こしたときに二度寝する保証が全くないのでこのまま寝かしておく。

 

 で、何だかんだ一段落がついたので、ほっと息を撫で下ろした瞬間に『うわー……やってしまった……』という後悔が襲う。

 彼女が身体的に無理をしていると察しがついた段階で、正攻法で休むことを勧めても絶対大丈夫と言い張るだろうという確信と、無理に解散した場合逆に桐生院トレーナーのメンタルにダメージが入るのが明らかだったため強硬策に出てしまったが、起きた後にどうしようかという悩みも大きい。

 

 ただ、もうこうなっては後の祭りでしかない。それに、まだ何も解決していない。

 

 だってさ。ここまで緻密に計画を練ってくる以上は、私に何か伝えなきゃいけないことがあるってことでしょう。仲良くするだけだったらいくら桐生院トレーナーであってもここまですることは無いはず。

 でもこれだけ根を詰めていたのだから、それはきっと私にとって不都合な話なのだろう。うん……どんな話が出てくるのか分からないけれども、ここまでやった以上は覚悟が出来た。

 

 でも……まあ。桐生院トレーナーが起きるまでの間。私は何をしていようか。

 

 

 

 *

 

 やることも特になかった私は、散乱していた今日の遊びのスケジュールプラン資料の片付けをしていた。ちらっと寝室を見た限りでは、そちらには紙が放置されていたりはしなかったので、仕事の資料を寝室まで持ち込まないタイプなのだろう。……いや、今回の場合、一切寝室に立ち寄らずにここ数日リビングで過ごしていた可能性すらあるか。このリビングにノートパソコンやプリンター、寝られなくもない大きさのソファーと、ちょっとサイズの大きいひざ掛けも置いてあるし下手したら後者の可能性のが高いかもしれない。

 

 一応、他に部屋もあるかどうか確認したけれども、多分1LDKだ。でもキッチンがI型の広々としたキッチンでリビングも1人暮らしにしてはそこそこ広いと思う。バス・トイレ別で洗面台まで完備されていたから、ぶっちゃけ滅茶苦茶良いマンションだ。

 

 あ、お手洗いついでで洗面台を使ったときに歯ブラシは1個しか無かったから、多分ハッピーミークも泊まり込むことはほとんど無いのだろう。そんな場所に関わって1週間程度の私がずかずかと入り込んだのだから、ちょっと冷や汗が出てくるね。

 

 それと、本当のことを言えばドラッグストアに行って内服液とか買ってきたいところなんだけれども、このマンションってオートロックだったから出るに出られない。まあ恐らく寝不足なだけだろうとは思うけど、仮に体調不良があったとしても隠してくるだろうしなあ。

 ただ実際病気でも何でもなかったのに、私が病気を心配していたってバレるとそれはそれで責任感じて落ち込みそうなタイプでもある。起きたときに軽く聞くくらいで良いか。

 

 で、冷蔵庫を開けて食器棚からコップを取り出してジュースを開けておく。家主の許可を得ずにこういう場所を漁るのは良くないとは思うけど、だからといって私が飲まず食わずでいたらむしろそっちのが罪悪感を抱かせてしまいそうなので、多少は傍若無人に振る舞っておこう。飲み物とお菓子を少し摘まむくらいだけど。

 リビングの掃除、と言うか書類を片付けて部屋の隅に置いておく程度のことはものの数分で終わってしまって、やることが無くなってしまったので適当に本棚にある本でも読んで起きるのを待つことにした。

 ……全部、トレーニング関係の本じゃんこれ……。

 

 

 

 *

 

 ウマ娘の聴力は優れている。

 だから桐生院トレーナーが発した明らかに寝返りとは違う質の衣擦れの音を私の耳は感知する。時間潰しのために読んでいたトレーニング教本を脇に置き、寝室へと入る。

 

「……起きました? 身体がだるいとか、そういう感じは特に無いですか?」

 

「いえ……特には……って! サンデーライフさんっ!? ……え、あ、いや。そうでしたね……私は、まだ契約していないウマ娘を自分の部屋に招いてしまうなんて、トレーナー失格です……」

 

「うーん、流石に私の方から強引に詰め寄った自覚はありますので、桐生院トレーナーは別に悪くないとは思いますが……。あ、そうでした。勝手に冷蔵庫開けてしまって申し訳ありません。時間も時間ですし、起きたらすぐ食べられるものを作ってしまおうと思っていたのですけれども、食欲あります?」

 

「冷蔵庫は別に構いませんが……って! トレーナーたる者、ウマ娘に料理を作らせる訳にはいきません! というか、そもそもここ、私の家ですからお客人にもてなしをさせるなんて――」

 

 多分私が逆の立場でも同じようなことは言うと思う。いや『家に連れて行け』って脅迫された相手にこういう反応は出来ないかもしれないけど。

 私が厚意でやっていると伝えてもおそらく桐生院トレーナーは退かないので、強めの言葉を使う。

 

「……寝不足のまま一緒に遊びに来た人に、起きたばかりで火元を任せられると思います? 買い置きの乾麺のスパゲティがありましたから、それで良いですよね?

 あと、お化粧そのままで寝かせてしまったので、多分そちらを優先した方が良い気はしますが……お洋服についても部屋着か何かに着替えた方が良いかと」

 

 ぶっちゃけそこまで酷いことにはなっていないが、とりあえずなし崩し的に料理の時間を確保するための方便である。

 寝返りとかもあまり打っていなかったし、色移りとかはしていないはずだけれども、まあ本人からしてみれば鏡を見るまで分からないしね。案の定、そちらを直しに寝室のドレッサーと洗面台とを慌ただしく往復することとなっていた。

 

 

 

 *

 

 幸い桐生院トレーナーは料理をするタイプの人間の冷蔵庫の中身であったので、私も困らずに作ることが出来た。

 コンソメ味のスープスパゲティ。ベーコンと玉ねぎと冷凍食品のミックスベジタブルが具材のシンプルなもの。深皿にパスタを盛り付けて事前に作ったコンソメスープを注ぐだけという簡単なものだけれども、ミックスベジタブル効果で結構色鮮やかに見える料理だ。

 味は薄めにしておいた。桐生院トレーナーの味覚が全然分からないから濃い味が好きなら塩コショウで調節してもらえるように。あと、寝起きでガツンとした味はキツそうというのもある。

 

 

 時計は既に夕方の4時を回っていた。お昼ご飯というか、遅めのおやつのような時間である。桐生院トレーナーが寝ていたのは4時間弱くらいか。

 

 

「……サンデーライフさん。本当に、何から何まですみません……。部屋の片付けもしてもらったみたいで……って、凄いっ! 美味しそうですねっ! よくあれだけの短時間でここまで……」

 

 この人、自分の料理のスキルもかなりあるはずなのに、それを棚に上げて他者を褒めることが出来るのだから凄いと思う。自分でも出来ることで相手を評価するというのは意識してても中々難しいのに、それを容易くこなせるというだけでもトレーナーという職が天職なのだろうということがありありと伝わってくる。

 

 それで『冷めないうちに食べよう』なんて照れ隠しの定型句を私は口から出して。

 2人の『いただきます』という声が、1人では広すぎるリビングに響いた。

 

 ……食レポ? イヤだよ、自分が作った料理を自分で解説するなんて恥ずかしいし。

 

 

 

 *

 

「――それで、結局。今日の『本題』は一体何だったのですか、桐生院トレーナー?」

 

「……流石に気が付いていますか」

 

「ええ。ですが、何か私にとって不都合な事実を伝えるために用意された場であることまでは分かりましたが、内容までは分かりませんでした」

 

 最後の最後の詰めだけはしっかりと直球勝負の言葉をぶつける。あれだけの予定を立ててまで伝えたかった言葉が何か、というのが私は気になった。

 

 桐生院トレーナーは案の定沈黙した。が、それでも、

 

「そこまで分かっていらっしゃいますか……」

 

 という小声はしっかりとキャッチする。けれども、私から特にアクションはせずに、彼女が話すのを待った。

 

 ほんの数秒だったかもしれないし、もしかしたら1分以上の長い長考だったかもしれない。それだけの時間感覚を狂わせる緊張感がそこにあった。

 そして桐生院トレーナーは口を開く。

 

「――サンデーライフさん。

 貴方には『トレーナー不信』になりかねない要因が溢れかえっています。もし通常の育成方針を取った場合、きっとそのトレーナーと契約を解消することになるでしょう。……完全放任型のトレーナーでようやく不満を持ちながらも関係維持、といったところになると予想されています」

 

「……えっと? どういうことでしょうか。

 与えられたトレーニングを満足にこなすレベルにない、ということですか。それとも、現状の私の自主トレーニング手法が致命的に一般の指導方針と乖離しているということでしょうか」

 

「……ううん、そうじゃないのです。むしろ、逆、と言いますか――」

 

 そこで桐生院トレーナーは一旦言葉を区切って、ひと呼吸おいた。

 

 

「サンデーライフさんは、もし。

 『これ以上やったら危険』だとか『怪我をする』という自己判断がある身体状態で、もしトレーナーがトレーニング続行を要求した際に、その指導を遵守することが出来ますか?」

 

「……」

 

 私は答えに窮した。……多分、守れないだろうし、それをされた瞬間にそのトレーナーに対しての信頼度が下がるだろうと想像できたからである。

 

 

「トレーナーは全知全能の神ではなく、一切の過ちを犯さない上位存在などではありません……ただの人間なのです。

 だからこそ判断ミスをする場合もありますし、時には貴方の判断の方が上回ることだって起こり得ます。あるいは、それが危険であるという貴方の直感も正しい上で、多少のリスクを許容して負荷をかけるトレーニングを選択することだってあるでしょう。

 

 でも。いずれの理由であったとしても。

 サンデーライフさんの判断能力と異なった結論を出したトレーナー判断によって、万が一貴方が怪我をした場合、きっと二度と。貴方はトレーナーという存在を望まなくなるでしょう」

 

 

 その桐生院トレーナーの推察はかなり高い確率で事実だと言えるだろう。もし私が同じ状況に置かれたとしたら、きっと……ううん。絶対に『トレーナーなんて必要ない』って思ったはず。

 あるいは私が下した判断とトレーナー判断が同一だったとして、両者ともに誤っていた場合でも、きっと私はトレーナーに不信感を抱く。

 

 ――そう。先ほど桐生院トレーナーに対して使った表現だ。

 『自分が出来ることで相手を評価する』というのは難しい。

 

 今まで私が1人で出来ていたこと。それと同等のことをトレーナーと共に成し遂げたとしてもきっと私はそれを当然のことと捉えるし、自己判断よりも劣っていれば不要だと考える。自分の判断と完全に同一であったとしたら、有っても無くてもどちらでも良い存在にしかならない。

 

 

 だって。私にとってのトレーナー像というのは。

 ……アプリのトレーナーであり、生身の人間では無かったのだから。

 

 『目覚まし時計』という機械仕掛けの神(デウスエクスマキナ)を有する超越存在。トレーニングの危険度を数値で可視化出来る超常性。

 そして、そのアプリトレーナーですら、友情トレーニングなどのシチュエーション次第では怪我の可能性があるトレーニングに突っ込ませたりもする。

 

 にも関わらず。私の中でトレーナーとは『成功へと導いてくれる存在』といった願いを叶える神のような相手だと漠然と捉えていた節がある。そして、それがトレーナーに求める基準となっていて、中央のトレーナーならばそれなりの実力があれば出来ることだと無意識で考えてしまっていた。

 

 

 もしその認識のまま専属トレーナーが付いたら、きっと私は――大変なことになっていただろう。

 

 ……なるほど。確かに、この事実を私にどう伝えるかは悩むに決まっている。

 それは寝不足にもなる。

 

 

「……でも。むしろ、だったらどうして、そんな私のトレーナーになろうと……桐生院トレーナーは私をスカウトしようと考えたのですか――」

 

「そうですね……。理論立った言葉と、甘い言葉……今、どちらが欲しいですか?」

 

 ほんの少しの茶目っ気が乗せられた言葉。

 その2択であれば、私が選択するものは決まっていた。

 

 

「……甘い言葉で」

 

 

「えっ!? そちらを選ぶのですか!? ……でも私が言い出したことですしね、分かりました。

 

 ――サンデーライフさんの見ている夢を、私にもちょっとだけ見せて貰えたら嬉しいなって気持ちになったからですね。

 一応、形ばかりはトレーナーとしてスカウトはしましたが、別に私のことをトレーナーだとは思わなくて構いません。

 ……でも。

 貴方が夢を叶えるそのときにもし隣に誰かが居たら、もっと素敵なことだと思いませんか?」

 

 

 それは、確かに――うん。

 『日曜日のような毎日を過ごす人生を謳歌する』ことと同じくらい、素敵で楽しそうで……そしてそれ以上に甘い甘い夢のような話だった。

 

 

 

 *

 

「――さて! 甘い話の後にはお口直しが必要ですよね! サンデーライフさん、今日の夜はカニ尽くしですよ!

 遠方の料理屋さんを予約していますから、さぁ行きましょう!」

 

「カニ? ……え、どうしてですか?」

 

「えっ? 一番の好物なのでは?」

 

 

 どうも桐生院トレーナーは、バンブーメモリーやゴールドシチーとの一件で何か勘違いしているらしかった。

 あー……カニね。好きか嫌いかの2択だったら、まあ好きになるけどさ。

 でも一番って言える程、食べるものでもないよね、カニ……。

 



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第25話 指導は常に改良せよ

 カニの料理屋さん自体は予約していたって話だから結局行きました。でも、今更だけど水族館見に行ってからのカニというローテーションは本来だったら中々にえげつないものだと思う。多分その間に色々と仕込んで印象を薄くしていたとは思うけどさ。

 色々ぶっ壊したおかげで、完全に結果論だけど水族館に行ったことが今日の出来事とは思えないくらい濃密さがあって気にならないから全然良いけどね。

 

 最大の懸念点が伝え終わったこともあって、お互いにどこか肩の力を抜いて話すことができるようになったと言うか、それまで配慮という形で存在した、見えないけれども、しかし厚い障壁が1枚取り払われたかのような感覚があった。

 だからこそお互い話が尽きることは無かった……まあ、遠慮が薄れたということで8割くらいは私のことについての話なのだけど。

 

「……サンデーライフさんの最終目標って『とにかく楽をして生きる』ことだったのですね……。それで現役引退後遊んで暮らせるだけのお金を賞金で集めようと……。

 なるほど! だから、競走ウマ娘以外の道にあまり興味が無いご様子で!」

 

 聞けば、生徒同士では分からないが、トレーナー同士の間で私を認知しているものからすれば、色々有形無形の様々な進路を提示されつつあるのに、そのどれに対しても興味・関心が薄いことが気になっていたらしいとのこと。

 ただ多くの競走ウマ娘が、引退後のことは考えていなかったり、棚上げにしていたりするので私もそのタイプだと思われていたが、『自分自身のヒモになる』という引退後プランがあることで、それまでの態度に納得がいったみたい。いや、これをプランと言って良いのかは知らない。

 

 

 他にもウマッターが非稼働の理由を聞かれて、フォロワー増えすぎていて怖いって答えたら、

 

「ウマートは返信出来る人を限定したり出来ますし、もっと広い範囲で情報をシャットアウトしたいならば、携帯端末側のフィルタリング機能などに競技ウマ娘用のプランがありますね! 有料ですがトレセン学園経由で出せば補助金もあったはずです……確か、それくらいなら全体のトレーナーでも頼めばやってくれると思いますが……すみません、周知が行き届いてないかもしれませんね。

 専属のトレーナーが居る娘たちだと、トレーナーに管理を任せる人も居ますね。ミークは、自分で文面を考えて投稿前のチェックだけ私にお願いしていましたが……」

 

 いやあ、知らない情報がどんどん出てくる。まさかSNS対応についてもトレーナーに相談して全然問題ないとか、そんなの分からないよね。

 

 それと真面目な契約後の話もした。

 

「桐生院トレーナーのスカウトを私が受け入れた場合って、その後どんなトレーニングメニューを考えていましたか?」

 

「ああ、そのことなのですが。確かに制度上、私はサンデーライフさんのトレーナーという形にはなりますが、実際は……そうですね、サブトレーナーのようなものだと考えて頂ければ。

 色々と私の方からご提案はするかもしれませんが、それを取り入れるかどうかの判断はサンデーライフさん。貴方の自己判断に一切お任せいたします!

 貴方が競技者であり、同時に自身のトレーナーでもある……なるべくこれまで通りでありつつも、負担が大きくなりすぎないように出来れば! ……って思っています」

 

「……自分でこう言うのもアレですが、物凄い譲歩されているような……」

 

「いえ! トレーナーとウマ娘は一心同体ですから!

 不本意なことを押し付けては、成功するものも成功しませんよ!」

 

 

 改めて、こういうバックアップ体制を桐生院トレーナーに選択させている現状を省みると、私って実は因子継承でスキルを貰うまでも無く、とんでもなく気性難だったのかもしれない……という結論しか出てこなかった。

 

「その前提の下で、貴方のことをスカウトするまでは色々とご提案する内容を他のトレーナーさんにも話を伺って考えていたのですが……。正直、障害転向という選択肢は想定外でした――」

 

 障害転向は、本来であればもっと平地競走で負けが込んでから決定するものだ。だから、前走で曲がりなりにも勝利している私が選び取るものだとは普通考えない。なので度外視して考えた――というかそもそも発想の外側にあったものだろう。

 ということで障害転向ではなく、平地競走継続時に想定していたプランが発表される。

 

「……私達トレーナーの内々で考えられていたプランは主に3つです。

 1つは、恐らくこれがかなり一般的であり大多数のトレーナーが貴方を担当する場合に、課したであろうもので――長期間のトレーニング期間を設けるというものです。

 まあ、今日伺った話の限りですと、どうやらこれは最も悪手であったみたいですけどね……」

 

 オープン戦で戦える実力が付いていないという共通理解の下で、話を進めるならば『勝てないなら練習に専念しよう』という発想になること自体は、確かにあり得ると思う。

 しかも新規でトレーナーが付いた段階なのだから、お互いのスタンスを理解して徐々に擦り合わせていくという意味でも、腰を据えて二人三脚でやるという判断は納得のものだ。

 更に加えて、私がほぼ1ヶ月1レースペースでレースに出走していたことを鑑みれば、普通に考えれば身体に負荷がかかっている可能性も考えられ、トレーニングと並行しつつ休養も挟むことで、身体バランスを整えるという方針でもある。

 

 成程、客観視すれば、それがベストに見える。私の出走データと、そこから導き出される実力。それを両天秤にかければ、この結論を出す気もする。

 ――ただ、そこに私という個は存在しない。

 

 長期トレーニングを行った場合、レース出走経験の多さという私の強みが確実に損なわれる。基礎能力不足を実戦経験でも補っていた私にとって、その点で他の子と差異が無くなるというのはそこそこ致命的なことだと思うし。

 

 何より、このプラン。長期トレーニングで思った成果が上がらなければ、そのまま引退だ。トレーニングで実力が補えなければ実力不足・実戦不足のウマ娘が完成し、更には長期未出走でレース出走抽選で基準となる収得賞金の積み重ねも出来ていないから、出走選択肢が限られてしまう。

 私の現役期間中にとにかくお金を稼ぐ、という目標にこの方針は全く沿っていないのである。

 

「それと、サンデーライフさんの身体には、ほとんど疲労の蓄積は見られませんでした。だから身体を休める必要も――」

 

 付け加えられるように言われたこの言葉。……これを調べるために桐生院トレーナーは、最初に様々な検査とかをやったのか。

 レース頻度が高いのに疲労が蓄積していなかったのは、私が比較的健康体である事実以上に、レース後、1週間程度のクールダウン期間をしっかりと設けていたのが大きいようであった。数日の完全休養と、元のトレーニングに戻すのにしっかりと時間をかけていたが、実際、自己管理のウマ娘はその休養期間に焦れてどうしても疲れが取り切れないままトレーニングを再開する子が多かったり、あるいは専属トレーナー持ちでも自主トレーニングの量の多寡に左右されたりするようで。

 

 私の場合、闘争心自体が希薄だから、そういうライバルの成長とかの焦燥感みたいなものに無縁だったから多分のびのび休んでいただけだとは思うけども、これって結構なレアケースなようだ。

 

 

 そして次の仮想プランの説明に移る。

 

「2つ目は、ダートのスプリンター路線を主戦に切り替える、というものですね」

 

 これは戦績からだろう。どういう状況で勝利したのかを無視すれば、私が勝っているのは短距離戦のみ。であれば、そこを主戦にすれば良いという考え方だ。

 ただダートのスプリントというのが、この世界線における最強の一角となりつつあるハルウララの本来の戦場であり、ハルウララを回避しようとした他のウマ娘との競合があり得るというのが危惧要素である。

 

 実際、私に短距離路線が向いているかどうかというのは分からない。というか適性は平準化されているはずだから多分違いは無いと思うが。

 けれども、逆にトレーナー側の育成方針に向き・不向きという傾向もあるので、そこを踏まえるのであればトレーナー都合による路線の固定化という選択肢はあり得る。

 

 ……まあ私が短距離戦を多く選んでいたのって、短い距離のコースに前残りの傾向が強くて、出走ウマ娘自身の能力がそれほど高くない状況では、戦術の強弱が明瞭化されているから、それを基幹として作戦が練りやすいからという理由が多くを占める。

 だからオープン戦以降のハイレベルになったレースにおいては、これまであった逃げ・先行の優位性は低下していき、各々の脚質で対応してくるようになってくる。

 だからこの路線も別段、私にとって心を揺るがすものではない。悪くはないけどだったら現状維持の方が良いかなってレベルの話だ。

 

「3つ目は、アイネスフウジンさんのトレーナーがおっしゃっていたことになりますが……。

 『阿寒湖特別』で魅せた末脚が気になるから、もう一度同じ距離の札幌・芝2600mを試したい、という短期方針ですね。

 この場合、少々近いですが9月前半の『丹頂ステークス』に出走登録することになるでしょう。

 ――そして、私も本来はこの路線を提案するつもりでした。まあ、サンデーライフさんが、障害転向するということで今となってはあまり意味の無い話ですけれどもね……」

 

「いや、物凄い考えてきてくれていたのに申し訳ないですね……」

 

 

 この3つ目の提案は、多分。桐生院トレーナーが立候補しなければ、アイネスフウジンのトレーナーさんが私を引き受ける手はずになっていたことをも示しているだろう。とはいえ同期ウマ娘2人という負担は大きいから、きっと私の方は補助的な指導になったと思う。ダービーウマ娘云々を抜きにしてもメイクデビュー前からの付き合いだろうし、あの2人。

 確かに、スリップストリームによるスタミナ消費の軽減と、それによる最終直線での僅かな伸び脚については今後も実戦において試したいものであった。その辺りの意図をしっかりと汲んでいる辺りは、成程、確かに障害転向以外ならば、札幌レース場再挑戦というのもアリな選択肢である。

 

 これの問題点はあくまで短期目標なので、結局『丹頂ステークス』が終わるまで問題を先送りにしているだけという点。

 

 

「――でも。桐生院トレーナー。

 貴方はきっと。私が障害転向するという話を聞いて、たった1週間でそのプランについても検討しているのですよね?」

 

 多分、これも彼女が寝不足であった理由の1つ。

 

「……あはは。まだあくまでも私案に過ぎないものでよろしければ。

 障害競走初挑戦ということですので、最低でも2ヶ月程度はトレーニングに注力せざるを得ないでしょう」

 

 ――2ヶ月。

 まあ大体それくらいかなと目星は自分でも付けていた。ここまでは予想通り。

 

 

 しかし、次の発言は度肝を抜くものであった。

 

「……しかし、障害転向初戦の勝率は極めて低いです。

 ですので初戦は馴らしと割り切って捨てます。そして、翌週に同じコースでもう一度障害未勝利戦に挑戦しましょう!

 ……つまり、『連闘』ということですね」

 

 

 平地競走の長距離レベルが短めの距離となる障害競走においての連闘――2週連続レース日程の提案。

 

 それは、私の感覚からでは導き出すことのできない判断。

 それこそ、桐生院トレーナー自身が言っていた、私が危険だと自己判断する内容であった。

 

 

 

 *

 

 理由を求めるよりも早く、桐生院トレーナーはデータを出してきた。

 

 それは未勝利戦障害競走の5年間の累積データ。

 前走が平地競走であるウマ娘と障害競走であるウマ娘の勝率を比較すると後者の方が3倍高い。障害経験者の方が圧倒的有利になるのである。

 これは直感的にも分かる話だ。

 

 そして同じコース。これも別のコースを前走で走ったウマ娘よりもやや高く1.4倍程度。経験したレース場の方が有利となると思えば、それも納得のいく話である。

 

 ――最後に連闘。

 そこにはとんでもない数字が記載されていた。

 

「……連闘ウマ娘の連対率約25%……。これ、本当ですか?」

 

 桐生院トレーナーを疑うつもりは無かったものの、障害未勝利を連闘したウマ娘はおよそ4分の1の確率で2着以内を取る……という驚愕のデータがそこにはあった。

 

「あはは……でも一応裏付ける理由はちゃんとあるのですよ?

 まず何よりも出走判断をしている時点でそのウマ娘自身がタフであることの証明になっております。身体上の不安を抱えながらレースを強行する方も残念ながら存在するのが今の現状ですが、そういう健康に支障のある方は本人もトレーナーも含めて絶対に連闘の判断はしません。だから逆説的に連闘で出てきている時点で身体の調子は優れているのです。

 レースの開催日程から言えば連続した週になりますので同一コースになる可能性が高いですし、それと連闘が『可能』ということは未勝利戦の抽選を勝ち取っていることになりますので前走で入着している方が多いのですよ」

 

 健康面と興行日程上の優位性、そして更には抽選制度から見える前走好走率の高さ。それらが連闘ウマ娘の勝率に直結していた。

 

 ――何より。これらの判断の価値基準は疑いようも無く、私の思考プロセスに合わせたものであることが明らかだ。

 

 

 『指導は常に改良せよ』

 

 確かに桐生院葵という指導者は、その心得に忠実に従って、ハッピーミーク育成時とはまるで異なる育成プランを私に提案してきている。

 

 これ程のものを見せつけられてしまっては、彼女以外に私はトレーナーの選択肢は無く。

 

 翌日トレセン学園に戻った際に、日曜日でありながらトレーナー契約に必要な書類は全部書き上げて、翌々日の月曜日には書面上は正式なトレーナーにスカウトを受ける形で、私の専属トレーナーが生まれたのであった。

 

「――では、桐生院トレーナー。これからよろし――」

 

「うーん……、やめましょう! そのトレーナーと言うのは。

 私はあくまでも貴方のサポート役でサブトレーナーに過ぎません。例え形だけであっても『トレーナー』と呼び合うのは私達の間では不適切かもしれないです」

 

 

「……じゃあ、葵ちゃんで良いですか?」

 

「えっ!? ちゃん付けですか!? ……まあ、それが良いなら良いですけれども。

 ではサンデーライフさん……ううん、サンデーライフ。貴方のこともこれからはパートナーとして接します。

 

 あ、サンデーとか、ライフとか略して呼んだ方が良いですか?」

 

 

「あー……フルネームでお願いします。多分他だと呼ばれても対応できないので……」

 

 

 名前に『サンデー』が入る子も『ライフ』が入る子も結構いるからね、この学園。

 それ単体で呼ぶと何人も振り向くと思う。何より『ライフ』は、ライスシャワーの『ライス』と発音がかなり近いから聞き間違えてスルーする気がするし……。

 

 それを思うとマヤノトップガンの『マヤノ』呼びとか、サイレンススズカの『スズカさん』呼びで良く彼女たちは反応出来ていると思うよ。あれらは冠名だから、言うなれば『おはよう、メジロ!』って呼びかけているのと一緒なのに。

 



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第26話 育成目標:なし

 桐生院トレーナー、もとい葵ちゃんが正式な担当となったことで、私のトレーニング効率は劇的に改善され能力的に急成長を迎えた……なんてことには残念ながらならなかった。

 

 それは今までの私の方向性がそれなりに正しかったことの証明であり、同時に私が正しければ正しいほど、専属トレーナー有のトレーニング効率と大して変わらないことに繋がる。

 ただしそれはトレーナーを『トレーニング器材の延長線の存在』とだけ見ればの話。

 

 まず劇的に改善されたのは事務処理手続き。ぶっちゃけ今までの私は全体トレーナーを最終確認役程度にしか考えていなかったために、ほとんど自分でやっていた必要書類の申請が、ほぼ葵ちゃんに一元管理されることになって、この点においては飛躍的に私の作業量は低下した。

 アプリ的に言うのであれば、これは体力消費ダウンと失敗率ダウンと言ったところか。しかも私にとっての葵ちゃんは専属なので常時発動である。

 

 次いで、ファン対応関連。かつて1勝した際に理事長とたづなさんと面談したが、その際に私への取材依頼などは学園で一律で断っていたが、葵ちゃんが正式なトレーナーになったことでそれが解禁された。

 まあ私のメディア露出経験がアイルランドの国営放送とそれの転載くらいなのだから、最早意味分からないことになっていた。

 とはいえ、『清津峡ステークス』に、障害転向、そして専属トレーナー配属と話題まみれになってしまっている現状、直接応対の取材は悪影響になる可能性があるとみて、今のところは書面やアンケートでの回答に限定するという葵ちゃんの対応方針に同意し、その質問の選別作業も葵ちゃんがやってくれている。

 

 そうした大手メディアや雑誌記者関連以外のソーシャルメディア――SNSについては、まず『かにみそ』ウマートだけで完全休止していたウマッターの復活が最初の争点となった。

 というか、その『かにみそ』で既にやらかしていることもあって、私は自分自身で管理したくなかった。

 結果として新たにSNS用スマホを1つ契約して、それは葵ちゃんに持ってもらうことに。そして私の私用スマートフォンからは一切のSNSアプリを削除してもらって、アカウントの紐付けも解除してもらった。まあ自身の評判などを調べようと思えば調べることくらいは出来るらしいが、今までも大して自分のことなんて興味無かったし、しかも前述の話題性がある現状では全く調べる気すら起きない。

 

 ただ葵ちゃんがウマートを全部管理するのではなく、葵ちゃんと一緒にウマートをするって感じ。取り敢えず『ネタにはネタを重ねておく』精神で、2個目のウマートは葵ちゃんと一緒に行ったカニ料理屋さんの写真付きウマートになった。

 

「……これを投稿しないと『トレーナー不仲説』が流れますし、投稿したとしても、ここにミークが居ないから『ハッピーミーク不仲説』がネット上では流れると思いますけどね……」

 

 その葵ちゃんの独白を聞いて、ますます私のSNSへの関心は低下した。なお万が一ハッピーミークが同席していたとしても今度は『アイネスフウジン不仲説』とかになるらしい。良く分からない。

 

 

 ただ、そのハッピーミークについては、当面は私と付き合わせない判断となった。というのも。

 

「……万が一ですけれども。もしミークとサンデーライフの相性が悪かった場合にですね。

 貴方はミークに歩み寄ったり譲歩を求める前に、私とのトレーナー契約を解除するでしょう?」

 

 この葵ちゃんの読みには、私も『……確かに』と納得するしかなかった。

 ハッピーミークにとってトレーナーは必要不可欠な存在なのに対して、私にとっての葵ちゃんはあくまで補完役だ。これまで専属トレーナー無しでやってきたという意識が、ハッピーミークに無理やり譲歩を求めてまで葵ちゃんを手元に置くくらいなら、それが申し訳ないからゼロベースに戻す、という発想を多分私はする。

 

 現時点でのハッピーミークとの相性が未知数……というか性格的に全然違うことから無理に引き合わせる必要が無いというのが葵ちゃんの考え。そしてハッピーミーク自身も第一線で活躍することは止めて年に数回レースに出る感じの調整へと移行していて、トレーニング自体も葵ちゃんへの負担はさほどでもないから、彼女の方から『新しい担当を中心に見ろ』みたいな言葉もあったようである。

 ついでに言えば、私が障害転向の準備中であるために一緒にトレーニングするメリットがほぼ皆無。

 

 なので私とハッピーミークは、葵ちゃんを経由しての関係性に今はなっている。

 

 

「というか今更ではありますが、どうしてここまで私に入れ込んでいるのですか、葵ちゃんは?」

 

「サンデーライフの夢が気になったから……じゃ、ダメですか?」

 

「うーん……気になっているのは、そこに至るまでの経緯なんですよね」

 

「ああ、そちらでしたか! では――」

 

 そうして拍子抜けするほどにあっさり語られる。葵ちゃんこういうことは一切隠し立てしないのね。

 とはいえ全バ場、全距離、全脚質なんてウマ娘が目立たないわけなく、デビュー時は無名でも流石にあのアイネスフウジン戦辺りからトレーナーの内々で細々と話題にはなっていたらしく、アイネスフウジンが朝日杯に勝ってからは注目されるようになっていたようで。

 で、ハッピーミークという上位互換を育てていた葵ちゃんにも『条件不問の専門家』扱いで話は回っていたらしく、簡単に調べてもいたとのこと。

 

「じゃあ何故、あのタイミングで……」

 

「『清津峡ステークス』ですね。あのレースが全てを変えました。

 ……全く、勝って『やってしまった』という表情を浮かべる子なんて初めて見ましたよ」

 

 その言葉だけを切り抜くと八百長してるみたいだな……とも思ったが、あの瞬間に葵ちゃんには『この子は勝利でメンタルを崩すタイプ』と映ったようで、それまで何だかんだセルフプロデュースが出来ていた私に対しての優先順位が急上昇したということみたい。

 オープン戦で頭打ちになることも相まって今、誰かがトレーナーに付かなければ崩れかねない……けれどもなし崩し的にアイネスフウジンのトレーナーさんがサポートに入る以外のプランがトレーナー間に無かったことから居ても立っても居られず立候補した、とのことであった。

 

 ……うーん。聞いても『あなたの夢が気になった』と同じくあまり共感できない。欲しかった言葉ではあるのだけどさ。

 そんな面倒くさい相手に何故傾倒するのかが私としては聞きたい根幹部だったが、どうにも極度のお人好しという以上の結論が出にくい。誰もいかないなら自分が行く、って態度は中々にぶっ飛んでいる。

 まあハッピーミーク自体もアプリではメイクデビュー前は微妙な評価ではあったけど、そういう得意なものが見えてこない微妙っ子自体の育成適性があるのかもしれない。

 

 

 それと葵ちゃんの代名詞とも言える『トレーナー白書』。鋼の意志とかいう不人気スキルとともにアプリトレーナーに押し付けられる物品で、ハッピーミークに鋼の意志が備わっていない以上マニュアル式教育の弊害、みたいな散々な扱いがなされている桐生院家の秘伝である。

 案外『阿寒湖特別』のときのようなスリップストリームの使い手として動くのであれば、実質常に前が詰まっているようなものなので使えるものになるかもしれないけれども、ただ『鋼の意志』ってそもそも何に対する意志なんだろうという概念形成から入る必要がありそうなので、これについては保留。多分、永遠に保留になりそうな気もする。

 

 けれど『トレーナー白書』……というか桐生院家のノウハウ自体は、私にとってかなり役立つものであった。一般論だが未勝利のまま夏を迎え、それでも現役を続行したい場合、地方トレセンへ行くか障害転向かに大きくは分かれる。

 

 担当ウマ娘はトレーナー自身の慧眼によって将来性を見極める必要があることから、時として力量を見誤ったり潜在能力が優れていても大器晩成ですぐに頭角を現さないなどということは往々にしてあり得るわけで、そうした流れで未勝利ウマ娘を担当し続ける、ということも起こり得る。

 私自身が長らく専属トレーナーが居なかったから見逃しがちな事実だが、私とともに走った史実ネームドウマ娘だって未勝利やPre-OP戦のクラスで燻っていた。だからこそ専属トレーナーが居ても1勝も出来ないケースだって当然ある。

 

 だから桐生院家の教えにちゃんとある……『平地競走未勝利ウマ娘の障害転向時のノウハウ』が。

 マニュアル教育ではある。しかし、既にトレーニングメニューの骨組みが『トレーナー白書』の中で完成されているので、これを再構築することでトレーニングを決定することが出来るようになった。

 トレーニングそのものの効果が劇的には上がっていなくても、トレーニングメニューの作成にかける時間の飛躍的短縮に繋がっている。

 

 これに慣れてしまうと葵ちゃんの居ない時代にマジで戻れなくなるかもしれない。

 

 

 

 *

 

 もう1つ、これは指導ノウハウとしても分かれるところなので私自身に考えて欲しいという形で、葵ちゃんに切り出されたのが、闘争心というか『絶対に勝つ』というマインド形成に関すること。

 

「もし、サンデーライフがもっと『絶対に勝利する』という気持ちが強ければ、勝てていたかもしれないレースというのは結果論ですがいくつかあります。

 なのでその精神性を育むことが勝利への近道となるのは間違いないのですが……。ただ……それで得られる勝利の数倍だけ、同時に入着を逃していたのは確実です。勝利への執着が希薄だからこそ現在のサンデーライフのコンディションの安定性があり、そしてレース後のクールダウンを適切に行えていると思います。

 『勝利』を優先するのか、『長く走り続ける』ことを優先するのかで、精神的な部分をどう育むのかというのは変わってきます――」

 

 

 レースの勝ち負けは相手が居るからこそ成り立つもの。だからレースに絶対は無い。

 自己ベストを出したって相手が悪ければ負ける。極端なことを言えばセイウンスカイの菊花賞みたいにレコード勝ちなんてされたら誰だってお手上げだ。

 

 だからこそ『1着を取る』とか『何着以内に入る』といった目標は常に他者と比較が行われる相対的な目標だ。

 相対的であるからこそレースまでにどれだけ練習すれば良いというゴールが存在しない。しかし、レースで順位は明確に決定する。

 勝利を求める闘争心が己のパフォーマンスを全力以上に引き出すことがあるのは事実。……ただし、それは今までのコンディション安定性、故障率の低さ、レース出走頻度などとのトレードオフとなる。

 

 『絶対勝つ』と思って、自身の限界以上の力を引き出し『勝利』できれば、それはモチベーションアップに直結する。しかし、そこで負けた場合のメンタルのマネージメントは今までの比ではないレベルで厳しくなるだろう。否応なしにモチベーションの浮き沈みが激しくなるのだ。そんな不安定な精神性の中でトレーナーが核となって支えてくれるのだからトレーナーガチ恋勢のウマ娘が生まれるのも致し方のないことなのかもしれない。

 

 ただ……これは。強者の考え方だ。

 

「毎レース、毎レース『絶対勝つ』という意志でレースに臨んでいたとして……葵ちゃんは、私が今この場に残っていたと思いますか?」

 

 

 これに対しては葵ちゃんは、一切はぐらかそうとせずにちゃんと答えた。

 

「……おそらく。

 無理をして故障していたか……肉体よりも精神の方を先に壊していたことになるかと……」

 

 『勝利への渇望』は言わば、『競走寿命の前借り』だ。絶対に勝つというマインドセットで実力以上の実力を引き出して負けたとき、精神は確実に摩耗していく。

 負けたときのことを考えるな、ってことではあるが、本当に敗北する想定を一切しなければそれだけ精神への揺り戻しは大きい。

 

 そういう極限状態の中で競走寿命という名の『命』を削り、精神を追い込むことが、大きな飛躍へと繋がるのは確かだ。そして『命』を削っているからこそ、その過程も結果も全てが尊く――美しい。

 ウマ娘としての本質・本能としての在り方としては、正直それが正しい。

 

 

 ――けれども、それに私が耐えられるのかという問題は全く別の話だ。

 

 

 やってみなければ分からない。しかし、やって駄目だったら廃人だ。

 何より私自身の最終目標は『楽をして生きること』であって、『勝利』ではない。生き方や人生観、人としての在り方という私を形成する根本から捻じ曲げないと私が真に勝利のみを希求することは出来ないだろう。

 

 そして『楽をして生きるため』に必要なのが『賞金』であり。

 『賞金』を得るために必要なのは『入着』である。『勝利』は推奨条件であるが必須要件ではない。

 

 でも。その『賞金』だって別に今この瞬間のレースで絶対に手に入れなければいけない、というものでもない。

 私には絶対に勝たなければいけないレースなんて存在しないのだ。

 

 

 これは私の明確な弱点である。

 同時にあらゆるものが相対的に決定するレースの中で、自己形成をレースに依拠しないというのは強みにもなる。

 

 だからこそ私と葵ちゃんは決めた。弱点を克服するのではなく、それを強みとして活かすことに。

 ――私達は『順位』を目標にしてレースに出走することはしない、と。

 

 

 

 *

 

 それから2ヶ月が経過して、障害競走未勝利戦に登録する。

 選んだのは福島レース場の芝・2750m、アイネスフウジン戦以来1年ぶりの福島だ。

 久しぶりで忘れそうになったけれども未勝利戦だから出走人数はアプリ準拠の9名である。障害レースもアプリ準拠で良いのかな。

 

 福島を選んだ理由はいくつかあるものの、(たすき)コース以外の周回コースは、前にアイネスフウジンと走った芝のコースを共用で使っており、そこに設置型の障害物が置かれている。そして障害物の数が他のレース場よりは少なめで、走力勝負に持ち込むことが出来る。

 端的に言ってしまえば、障害競走初心者向けコースということだ。

 

 2750mのコースに設定されている障害は7つだが周回の都合上、1つの障害物だけ2度越える必要があるため、実質的には8個の障害だと考えて良い。

 

 それで障害競走においては、明らかに逃げ・先行が有利となる。理由は単純で障害物があるために速度が出せないから、前に居るウマ娘がそのまま残りやすいためだ。

 今回選択した福島レース場の例で言えば、前にアイネスフウジンと競った際、大逃げを選択した理由に最終直線の短さがあった。

 その短いはずの最終直線上に、実は障害物が設置されているわけで。だから、差しや追込で直線一気をしようと思っても、そこに障害物があるのだ。

 

 だから前の方につける先行策。ただ序盤から中盤は無理をせず先頭は譲っておく。初挑戦だし、そんな感じだろう。

 

 

 

 *

 

「1番人気は6枠6番、パンフレット。今年の6月より障害に転向してから実に9戦目のウマ娘です。そろそろ勝利が欲しいところですね」

 

「後方に付けてそのまま残ってしまうことが多い子です。しかし前走では素晴らしいロングスパートをみせるも惜しくも2着。今日もその末脚に期待が高まっておりますよ」

 

 流石にアプリ実装ウマ娘は居ないが、史実ネームド自体は居るよねえ。パンフレット号は、現行では障害のGⅠ格付けに相当するJ・GⅠの中山グランドジャンプの前身レースで勝利を勝ち取っているので、実質的には障害GⅠ馬相当の実力者。ただし少女・パンフレットは私と同期のクラシック級なので、それが為されるとしても2年後である。

 

 そして、もう1人。

 

「3番人気は、サイコーホーク。4枠4番からの出走となります」

 

「逃げウマ娘としては素晴らしい素質がありますね。序盤から先頭集団に付けていれば1着も充分にあり得ますよ」

 

 サイコーホーク号はJ・GⅡ京都ハイジャンプの前身レースでの勝鞍がある。ただこの子も私と同期なのでやっぱり本格化前。

 

 難敵ではあることに違いないが、ネームド相手に勝利した三条特別のときに感じたエルノヴァ&ダイサンゲンのときよりも勝てそうな気持ちは大きい。

 

「2番人気は、8枠8番サンデーライフ。夏季シーズンに平地競走でオープン戦に昇格しながらも障害転向を発表して話題となりました異端児です」

 

「平地で勝利を掴みながらも障害を志す、という子は極めて珍しいです。今日の対戦相手の中では平地競走成績で判断すれば隔絶しております。

 しかも彼女は芝・ダート、距離すら不問の適性自在のウマ娘。障害初挑戦ではありますが2番人気……というか1番人気であっても可笑しくないくらいです。

 しかも、この福島の平地では、あのダービーウマ娘・アイネスフウジンと熾烈な競り合いを見せたのですから、ファンの期待も一層でしょう」

 

 

 そんな実況と解説の言葉を聞き流しつつ、パドックでのお披露目後、すぐに葵ちゃんの下へ向かう。

 

「サンデーライフ、対戦相手をどう感じました?」

 

「……今日は勝てるかも、と」

 

 少し迷ったが正直に答える。2人だけの会話だし私の戦力評価を葵ちゃんに伝える意味でもこれは傲慢であっても必要なことだ。

 

「……うーん、ミークに対してならば絶対こんなことは言わないのですがサンデーライフですからね……。

 ええ。多分、貴方が求めている言葉は根拠なき激励では無くこちらでしょう。

 ――あくまで、今日の目的を忘れてはいけません」

 

「連闘に向けた調整レース、ということですね」

 

「はい。貴方は障害においては新参者です。

 勝てるならば勝ってしまっても良いですけれども、障害飛越はタイムが遅くなる覚悟で確実に避けていきましょう。福島には生垣障害は無いですからね」

 

 

 福島には生垣障害は無い。この言葉の意味は、障害物のうち生垣は多少身体にぶつかっても他の障害物と比べればまだあまり痛くない。けれども、他の障害物、ここ福島では竹柵と人工竹柵の2種でどちらも当たるとめちゃくちゃ痛い。というか、普通に突っ込んだら怪我をしかねないものだから極力確実に避けていく必要がある。

 

 勝利よりも完走。これが障害競走においての鉄則だ。まあ平地でも同じことは言える気もするけどさ。

 

 

「……でも、葵ちゃん。根拠なき激励も私、聞きたいです」

 

「もうっ! 緊張感が無いですね、サンデーライフは」

 

 そう言って、葵ちゃんは私に言葉は投げかけず、手を伸ばすように促してきた。観客席に居る葵ちゃんに届くように右手を伸ばせば、その私の手はそっと彼女の両手が添えられて、そのまま少し持ち上げられて、軽く頭を下げた葵ちゃんの額に当たる。

 ……祈りを捧げているみたいな感じ。

 

 ほんの数秒だったけれども、葵ちゃんは『これで、どうですか?』と目で訴えてきていたので、私は微笑み返してゲートへと向かった。

 

 

 この期に及んで、勝利を願う言葉を葵ちゃんが投げかけなかったのは、私の実力に不安があるとか、対戦相手が強敵だからとかではなく、私達の共通理解として『勝敗』を目標とすることを止めたからだ。

 

 

 そう。

 

 レースはあくまで相対的。絶対なんて無い。

 

 

「各ウマ娘ゲートイン完了しました……スタート! ちょっとバラっとしたスタートです。先行争いを制したのはサイコーホーク。彼女が先頭に立ちます」

 

「サイコーホークがレース展開を作りそうですが、これはほぼ予想通りといったところでしょう。戦術の予想が出来ないと言えば2番人気のサンデーライフですが……」

 

「そのサンデーライフ、4番手を追走。そのまま最初のハードル障害へ。踏み切ってジャンプ! ……各ウマ娘、無事飛越しました」

 

 

 少なくとも、このレースにおいて平地競走成績だけ見れば隔絶している私。そして様々な小手先の戦術をこれまで駆使してきた私は、この障害未勝利戦の場においてどう映るだろう。

 

 レースが相対的であるならば。絶対でないならば。

 その事実は。その事実だけは他のウマ娘に対しても、等しく降りかかるものではないだろうか。



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第27話 クラシック級11月前半・障害未勝利(福島・障芝2750m)1戦目顛末

 ホームストレッチの最初のハードル障害。

 ハードルと言っても陸上競技のアレではなく、竹柵のことで高さは130cm。ウマ娘の脚力だからこそ飛び越えられるものだ。

 

 これを超えた後は、平地競走でのコースを逆走する形で第4コーナー、第3コーナーへと入っていく。ここの2つのコーナーでは障害物は存在しない。

 

「……第3コーナーに入り左にカーブを切って、先頭4番サイコーホーク。おっと、2番手まで上がってきましたサンデーライフ」

 

「純粋な速力勝負ですと、この子に軍配が上がりそうですね……まあ、未勝利クラスのレースにオープンウマ娘が紛れていると考えれば当然かもしれませんが」

 

 先団に付くイメージで走っているが、そこまで速度を上げているわけではない。それでも順位が上がるということは、展開が少々スローペースなのかもしれない。

 

 おっと、前のサイコーホークが曲がった。コースは頭に叩き込んでいるけれども、障害のコース取りは平地と比べると遥かに複雑だ。常に頭で考えていないと進路を間違えそうになる。

 

「ダートを横切って(たすき)のコースへ入っていきます」

 

「……おっと。僅かに2番手のサンデーライフが外に膨らみましたね。順位に変動はありませんが、一瞬反応が遅れたようにも見えました」

 

 そして襷コースに入っての障害はグリーンウォール――人工竹柵。高さ120cmでしかも普通の竹柵よりも掻き分けることが難しい……つまり当たると痛いので確実に避ける必要がある。

 

「各ウマ娘グリーンウォールへ挑みます……踏み切ってジャンプ! ……サンデーライフはやや飛越が高いですね」

 

「恐らく不慣れなうちに無理はさせない判断なのかもしれませんが……高いジャンプでは速度は損なわれますよ」

 

「グリーンウォールを通過して1番手は引き続きサイコーホーク。2番人気サンデーライフは3番手に後退。1番人気パンフレット、無理せず5番手に付け虎視眈々と上位を狙っております」

 

 

 次の障害はバンケット。高さ2.76mある坂のようなものだ。僅か80mそこそこの区間で登って下る強烈なアップダウンはスタミナへの負荷が高い。

 

「――バンケットの頂上から下っていきます」

 

 このバンケットで私はまたもう1つ順位を落として4位になったが、ここからは再び芝のコースへと戻り、今度は第1コーナーへと向かう。第1コーナーと第2コーナーの間に竹柵のハードル障害があるが、そこまではしばらく障害はない。

 

 すると、やはりペースを大きく上げているわけではなく、元のスピードに戻しているだけでも順位はまた1つ回復する。

 ……やっぱり障害物の無いところでは基礎走力のゴリ押しが出来るくらいには差があるね、これ。

 

 まさか私がステの暴力で技術と経験不足を補うときが来るとはなあ、今までとは逆の構図である。

 

 だからこそコーナーの障害を越えて、バックストレッチにある3つの竹柵障害を連続で越えていったとき、順位を大きく落としたのは手痛いが仕方のないことだったのかもしれない。

 

「――依然、トップはサイコーホーク。2番手とは2バ身ほどの差を付けております。……おっとパンフレットは3番手、この位置まで上がってきました。

 注目のサンデーライフはハードルで大きく順位を落とし現在7番手――」

 

 

 ここから最終直線まで障害物は無い。

 ハードル障害で失速することを踏まえれば、ロングスパートがベストか。スタミナは残っているが、『阿寒湖』のときの伸び脚を使うにはちょっと心もとないか。……じゃあ伸び脚をやめよう、どうせハードル後の直線は大した距離じゃないからそこで少し伸びても前に届かない。

 

「サンデーライフ、コーナーで加速します! 前に詰まっていた中団を外から1人、また1人と躱していきます!」

 

「地力が違いますね、これは。障害の無い区間でなるべく差を埋めようという作戦なのでしょう」

 

 最終コーナーが終わる頃に2番手の子を抜いて、再びサイコーホークの後方、2番手まで付けることが出来たが、パンフレットが私のスパートに追走してきてすぐ後ろに付けている。

 

「各ウマ娘、第4コーナーをカーブして最終直線へ! 先頭サイコーホーク、リードは僅かですが、そのまま最後のハードル障害へ入っていきます!」

 

 

 

 

 *

 

「――さあ、先頭を行くサイコーホークとそれを追う3人のウマ娘、勝負はこの4名で決まりでしょう! ……踏み切ってジャンプ! ハードルを飛び越えて、脚色が衰えないのはパンフレット! パンフレットがそのまま速度を維持して残り200m! 混戦状態ですが抜け出したのはパンフレット! サイコーホークは追走するも差は離れていくばかり! 後方の2人も差を詰めますが、これはもう無理! 1着、パンフレット! 2着はサイコーホーク! ゴールインしました!」

 

 

 ――確定。

 私は、最終ハードルでの失速分が取り戻せなくて4位。

 最後の1着争いの中で高い飛越による速度減衰は、ラスト200mではどうすることもできなかった。

 

 

 ――現在の獲得賞金、4661万円。

 

 

 

 *

 

「……平地競走なら絶対勝ってました」

 

「それはそうですよ、サンデーライフ。パンフレットさんもサイコーホークさんも、平地においても未勝利だったのですから」

 

 自分が格上であるという形で実力差を明確に感じたのは初めてのことだった。そのまま控え室に戻って、録画のレース映像を見返しながら問題点を葵ちゃんと話し合う。

 

 敗因は明確であった。飛越で失速しすぎ。道中であればカバーできたが最終直線最後のハードルでの失速は、平地能力で圧倒していても取り返しがつかない。そこから加速し直してトップスピードに至るよりも先にゴール板があるからだ。

 こうなると多分例の因子継承のときに障害因子貰えていないかもしれない、叩きつけられていたし。

 さらに言えば福島レース場の最終直線は僅かではあるが坂になっている。……前にアイネスフウジン戦でも利用したあの高低差1.2mの坂。

 

 

 そこから見える対策案は明瞭だ。だが。

 

「――もっと障害物ギリギリでジャンプをしてスピードを残しましょう! ……って私が言ったとして、サンデーライフ。貴方はそれを受け入れますか?」

 

「……いや。ちょっと厳しいですかね」

 

 一朝一夕でどうにかなるものでもないし、というか飛越を低くすることは怪我率に直結する。だから葵ちゃんとも相談して高めに跳んでいるし、それでも脚は少し掠っているくらいなのだから。

 

「実際ですね。サンデーライフの飛越が高いと解説にも言われておりましたが、あれはジャンプの高さ……もありますが、それ以上に踏み切りの位置が障害に近すぎるからなんですよね」

 

「遠くから踏み切ってもっと長い距離を跳ぶようなイメージにするのがベストなのは理解していますが……。遠いと跳び方の目算が取りにくいので……」

 

 障害のハードルは、人間の陸上競技におけるハードルのように統一規格ではない。だから高さが実はまちまちだ。今日の福島の場合だって人工竹柵と、第1、第2コーナーに設置された竹柵の高さが120cmなのに対して、他のものは130cmとなっている。

 

「この際、本当のジャンプの高さを調節することは諦めるというのはどうでしょう? むしろ今日よりももっと上を跳ぶイメージで……ですね。それで踏み切り位置をなるべく遠くにするのです」

 

 この葵ちゃんの進言のデメリットは滑空時間が伸びるので速度の面ではやはりマイナスになるということ。ただ、今のように踏み切り位置が近いままだと着地したときの運動エネルギーを再度走ることに持っていく際のコストが高すぎる。

 

 ……まあ踏み切り位置が近い、って言っているけどそもそも障害競走のハードルの構造上、全体幅は1.5~2mくらいはあるから、人間陸上競技用ハードルで想像できるような目の前でもたついている感じでは無いけどね。

 

「後はですね、全体的なペースはもう少し遅めで良いですよ。平地競走における長距離のスローペースイメージで走っていたのはこちらからでも分かりましたが――」

 

 そう言いながら、葵ちゃんはトレーナー白書・障害競走verを見せてくれる。練習中にも見たものであるが、ラップタイムについて。

 13秒を普通に超えるというか、ラストスパートを切り取っても未勝利戦だと13秒台の前半から中ほどという有様だ。

 1つ例を出せば、私の出走した例の阿寒湖特別のラップタイムが1ハロン辺り12秒5程度だった。しかもあれはレース中盤までは平均ペースで推移していたもので極端に早いタイムでもない。

 1ハロン辺り0.5秒から1秒近く違う……と言うとあまりその速度差が実感できないかもしれないが、1バ身差とは大雑把に言えば0.2秒程度の差なので、1ハロン1秒差とは、2ハロン……たった400mで大差がつくレベルの速度差がある。

 

 だから道中のペースはもっと遅くしても問題なかった。むしろ加減速が激しくなったせいでスタミナ消費が激しくなったともいえる。障害競走の距離が長いからといって、単純なステイヤータイプのレースセンスが求められるというわけでもないのだ。

 ただそれを分かっていても平地での超スローペースに感覚を合わせるのは難しかった。

 

 そしてスタミナの温存が出来るならば、末脚を使うことも出来るかもしれない。まあ、最終直線距離に大きな不安があるけどさ。

 

 ……となると、やっぱりアレか。

 

 

「逆に展開がスローペースと言えども、前残りするなら『大逃げ』というのもアリなのではないですか、葵ちゃん?」

 

「それも良いですよ! 今日はコースやレースペースの確認という意味の調整でもありましたから。来週は、レースを壊すというのならばそれもまた面白いでしょう!」

 

 

 同じレース場・同じ距離の連闘って、こういうことを色々試せるのか。

 狂気の沙汰だと思っていたけど、確かにハマれば結構強い盤外戦術なのかもしれない。

 

 

 

 *

 

 まあ連闘なのでトレセン学園に戻ってもしばらくは完全休養、移動日も踏まえると軽いトレーニングを2、3日出来ればいい方だから、話していた内容のほとんどはぶっつけ本番でやることになる。だからその軽い調整の中でやれることは踏み切り位置の練習くらいだろう。

 

 

 というかレースが終わってちょっと時間が経ったからこそ、こっそり思っていたことを言うけど、障害競走って未勝利戦4着でも120万円入るって結構美味しいよね!?

 障害未勝利1着賞金が790万円。マヤノトップガンに勝った時の賞金が500万円だったことを鑑みれば、普通に平地競走よりも稼げるという。

 

 まあ未勝利の上がすぐオープン戦で、オープン戦より格が高いレースだと賞金は平地競走のが大きくなるし、重賞レースとかも全然少ないから不遇ではあるけどさ。

 

 なおレースの本場たるイギリスでは、実は障害競走のレースの方が人気があったりする。通称・イギリスダービーと呼ばれる日本ダービーのイギリス版に相当する『ダービーステークス』があるが、実は活況さにおいてはそのダービーすらも障害の伝統的なレースの方が上回るらしい。

 そのレース名は『グランドナショナル』――障害芝の6900mレースである。なお格付けはGⅢ。

 

 恐らく世界で最も人気な障害競走レースがGⅢってどういうことなの……?

 

 賞金は100万ポンドだから日本円にしたら1億数千万円ってところだけど……いや、私は行く気はない。だってこのレース、フルゲート40名だし。というかそもそもあまりにも辛すぎて出走登録を行った一流の障害競走ウマ娘であっても完走できないことも多い。

 

 まあ結論としては、未勝利戦勝利後はやっぱり平地競走に戻ることになるだろうということ。障害オープンウマ娘相手に、先のレースのような平地ステのゴリ押し作戦が効くとはあんまり思えないしさ。

 

 

 そんなことを考えたりしながら連闘の福島2戦目のレース2日前。

 事件が起きた。

 

 

 何かと言えば、出走登録にあった名前一覧の中に――メジロパーマーと書かれていたのである。

 

 

 ……。

 確かに実装ウマ娘の中で障害経験者はパーマーだけだけどさっ! 史実メジロパーマー号の障害転向は古馬に入ってからじゃん!

 ジュニア級のときに未勝利戦でパーマーとはぶつかっている。だから彼女は私と同期でクラシック級なのに、既に障害に来ているとは丸々1年タイムスケジュールが早い。つまり非史実ローテなんだけど、一体何が……あ。

 

 メジロパーマー号は函館記念出走後に骨折していたはずだけれども、少女・メジロパーマーが今出てきているということは、怪我そのものを多分していない。それで長期療養に入らなかったから障害転向が早まったのかもしれない。

 

 いや、問題の本質はそこではない。

 ヤバいのは2つ。次走も平地ステでゴリ押そうと思っていたのに、パーマーに全く同じことをされかねないということ。

 

 そして、私が前走の経験を生かして選択しようとしていた戦術は『大逃げ』。

 

 

 ……えっ、下手したらパーマー相手に障害で爆逃げ対決するの!?



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第28話 クラシック級11月前半・障害未勝利(福島・障芝2750m)連闘2戦目

「……葵ちゃんから見て、パーマーさんってどういう印象なんです?」

 

 メジロパーマーの出走が決定してから私は葵ちゃんとのブリーフィングタイムに突入した……外に漏れるとまずい話なのでトレーナー用に与えられた個室で。

 正直、現時点でのメジロパーマーの戦績自体は後々春秋グランプリ制覇をするとは思えないようなものである。ジュニア級時代にオープン戦で1勝上げているが、それ以外は未勝利戦の勝利のみだ。後はギリギリ着内に入れるか着外かというラインで推移している。

 

 皐月賞、日本ダービーと出走しているメジロライアンや、クラシック級のダートの名優となりつつあるメジロマックイーンと比較するとどうしても期待値が異なるとは思う。なにせ史実競走馬の異名が『遅れてきた逃亡者』なのだから、マックイーン以上の大器晩成タイプである。

 

「平地では前に付けている方が良い成績を残しているので逃げ・先行型で……一応、中距離中心でレースが組まれていますが……多分、私の印象としてはステイヤータイプかなという気がします。

 そういう子の障害転向初戦ということは、ハイペースなレース展開になるかもしれませんね」

 

 ほぼ、読みとしては私と一緒だ。

 でも確か史実メジロパーマー号の障害レースは2戦だけだったけれども、障害で爆逃げはしたこと無かったはず。なんだけど、1年ずれてるから何が起こるのかもう分からない。

 

 そんなことを考えていたら、葵ちゃんが私のことを見てにこにこしていた。

 

「……?」

 

 無言で首を傾げると、葵ちゃんは楽しそうに話す。

 

「トレーナーの方々と戦術論を交わすことはミークを育成しているときに何度かありましたが、まさか自分の担当とこういうところで深い話が出来るなんて夢にも思っていませんでした! とっても楽しいですっ!」

 

「……葵ちゃん、口開けてください」

 

 なんか気恥ずかしいことを言ってきたので、この個室に最近常備している飴を葵ちゃんの口に突っ込んだ。ちょっと減っているところをみると、多分ハッピーミークも私の知らない間にこの飴を舐めているっぽい。

 で、葵ちゃんは顔を少しだけ赤くするが、絶対に拒絶はしないので餌付けしているみたいな楽しさがある。

 

 改めて考え直す。ジュニア級時代だがメジロパーマーとは1戦しており着順では負けている。だから福島の短い障害飛越後の1ハロンの争いにしてしまうと不利なのは多分、私。

 逆に数少ない私の優位点は、連闘だからコースについての把握は私の方が上、ということ。他の障害ウマ娘については大きく秀でた者はおらず、パーマー以外をマークしようとするとかなりの人数に気を遣う感じになってしまうから、パーマーのことだけを考える。

 

 となると、やっぱりパーマーよりも先行する形で動くのがベストだ。やっぱり作戦は変えない方が良いかな。

 

「サンデーライフ」

 

「どうしましたか、葵ちゃん……むぐっ」

 

 私の口にも飴が入れられた。ここで私の思考を妨げてくるということは、あんまり1人で抱え込むなということだろうか。

 

「……私達は順位を目標にしていないのですから、もっと気楽にレースに臨みましょう! 折角の再戦なのですから、もっと楽しんだ方が良いですよっ!」

 

「……そうですね」

 

「でも、何も課題が無いというのもアレですので……。

 バ場状態が良バ場なら、前走よりも良い走りを出来るようにしてみる! ……というのはどうでしょうか?」

 

 うーん、漠然としているなあ、と思っていたら葵ちゃんも同様のことを考えていたらしく、視線が交差してお互い軽く笑い合ったりした。

 

 

 

 *

 

 ――と、そんなことを思い出しつつゲートインする。今回1番人気はメジロパーマーで、2番人気が私だった。ただし結構僅差。

 向こうが障害初挑戦という大きなビハインドを背負っているものの、私は一回直接対決で負けている上に、前走重賞7着のパーマーと、オープン戦戦績は鳳雛ステークスの11着しかない私では平地戦績では明らかに分が悪いからだ。

 障害では私のが有利とは言っても、実際今日が障害レース2回目だしね。

 

「……各ウマ娘、スタートしました! 9名のウマ娘がまず最初のハードル障害へと向かいます! 先頭はサンデーライフとメジロパーマー、この両名がぐんぐんと上がっていきますね。これはもしや……」

 

「平地でも活躍しておりました2人がレース展開を作る……となりますと、かなり早いペースで推移するかもしれません。注目です」

 

 パーマーがどこまで追ってくるのか分からないのでスタートから徐々にペースを上げて様子を見る。最初の飛越があるので、この時点では『大逃げ』と呼ぶべきペースにするつもりは無い……が。パーマーも動き出しが速い。

 

「さあ、最初のハードル障害。各ウマ娘、踏み切って飛越しまし――おっとメジロパーマー飛越がかなり低い! 殆ど引っかかっているように見えましたが、これは――」

 

「隣のサンデーライフはかなり高く飛越を行う子ですので、余計そう見えるというのもありますが……いえ。メジロパーマーやや失速していますね、これは竹柵を無理やり掻き分けたと見て良いでしょう」

 

 

 ――何か障害飛び越えるときに、ズガガガガって明らかにヤバい音が隣からしたんだけど!?

 

 流石に音にビビって隣を反射で見ちゃったけれども、パーマーが竹柵にほとんど突っ込んでいるみたいな有様で強引に突破した様子が見えた。

 視界の端に映った後方のウマ娘たちも、その音と様子にビビって完全に委縮してしまっている。私を含めてパーマー以外の子が『大丈夫なのこれ……?』という不安の表情で、レース中にも関わらず視線を交わしているという異常事態。

 

 私の飛越は高さはどうしようもないものの、踏み切り位置については大分改善されたはずなのに、そこに意識が向かないくらいは衝撃的なものだった。

 

 そう言えば史実のメジロパーマー号も飛越が下手だったっけ。それならそれで好都合だと、ここから一気にペースを上げる。

 

「さあ一番手のサンデーライフ。第4コーナーから第3コーナーに入りながら徐々に加速していきます。『逃げ』にしてもかなり早いペースですね。これは、もしかして――」

 

「ええ、彼女の『大逃げ』は久しぶりですね。ですが福島レース場での『大逃げ』は平地競走で一度見せております。ただ……1人追走しておりますね」

 

「メジロパーマー、大逃げするサンデーライフに追走しております! 速力勝負なら受けて立つ、といった心意気で前を行くサンデーライフに迫り……外から並走しております! 3番手とは5バ身、6バ身と刻一刻と差が開いていく!」

 

 ダートコースを横切り襷コースに入る際に後ろをちらりと見る。かなり縦長の展開になったな。このペースなら後方からの差し返しは気にしなくても良さそうだ。

 

「先頭2人の前方にはグリーンウォール。踏み切って飛越しました。――いや、ここもメジロパーマー、ひやりとする飛越でした」

 

 

 人工竹柵は、普通の竹柵ハードルよりももっとぶつかったら痛いのに、結構ギリギリな感じでメジロパーマーは突っ込んでいた。ちょっとちょっと、これ対戦相手のことながら怖いって! そういうタイプのデバフの掛け方があるとは。

 

 しかし、3番手以降に大きく差を付けている私達2人が、揃って障害ヘタクソと来た。片やメジロパーマーは単純にジャンプが下手で、片や私は障害物の目測が下手で飛越が高すぎ。

 

 こんな1番人気と2番人気で良いのかな……。

 

 

 

 *

 

「サンデーライフとメジロパーマーの2人が作る超ハイペースなレース展開に3番手以降との差は……飛越時に迫るもののその後の走りで再度突き放していく!」

 

「メジロパーマーは障害にぶつかっているので大きく速度低下をしながらも強引にペースを上げておりますし、サンデーライフも飛越が長いので踏み込みと着地でのロスが大きいですが、両名ともにそれを物ともせず先へ先へ進んでおりますね。

 これだけ後続と距離が空いてしまうと、最終直線で取り戻すのは余程この2人が失速しない限りは難しいかもしれません」

 

 とりあえず中盤まででレースの破壊には成功した。メジロパーマーが喰らいついてくること自体は想定通りであったが、まさか障害にぶつかりながら加減速を繰り返し私に追いすがるとまでは思っていなかった。

 私も私で結構、飛越時に速度をロスしながら走っているわけだが、それは大げさに回避しているからで障害物衝突によるエネルギー損失は無い。無意味に長い滑空と、着地時にかかるロスはあるが、それでも前走みたいな踏み切り位置が近すぎるときの急激なブレーキのような飛越から比べれば格段に滑らかだ。

 

 ……まあ、後方で数バ身突き放している子たちに比べればヘタクソもいいところなのだけれど。

 

 そして残りの障害は1つ――最終直線にあるハードル竹柵のみ。そしてこの第3カーブから第4カーブにおいて障害は存在しない。

 正直、私の走りもめちゃくちゃだが、それ以上にパーマーの方が障害掻き分けによる減速分が激しいからスタミナもパワーも消費を強要出来ているはず。

 

「メジロパーマーまだ加速していきます! 彼女のスタミナは無尽蔵なのか!? サンデーライフも懸命に追いすがり、しっかりとすぐ後方に付けておりますが僅かにメジロパーマーの方が前か!?」

 

「……しかし、レースの序盤にこのコーナーを反対側から通過した際の勢いは両名ともにありませんね。体力が削れているのは間違いないですが……しかしそんなペースが下がったはずの今でも、障害の無い区間では後方との差を広げておりますね。見事です。勝負の行く末はこの2人に委ねられたものと見て、ほぼ間違いないでしょう」

 

 

 ここでスリップストリームを利用してスタミナ消費を軽減する。

 パーマーのペースも依然ハイペースなものの、先行させて勝負が終わるようなペースではなくなったので、ここは一旦ハナを譲る。

 流石に最終直線での『伸び脚』は端から考慮外だ。あれは体力消費の多い『逃げ』では余程スローペースで推移させないと使用機会が無い。

 

 スリップストリームは最終直線での失速緩和のためのスタミナ温存として利用する。……まあ障害飛越時にパーマーの真後ろは怖すぎるからすぐに移動するけど。

 

「さて、最終直線に入り、メジロパーマーの外側に回り再び先頭に立とうとするサンデーライフ! しかし、両者競り合いのまま最後のハードル障害へ……踏み切って、飛越します! やはりメジロパーマーの飛越が低く竹柵に脚をとられて減速しますが、この間にサンデーライフ先行! 後は、何もない直線200mを残すのみ!」

 

 福島レース場。最後の200m。

 大逃げで1.2mの上り坂。

 

 そして後方から迫る逃げウマ娘。

 このレースは障害競走なのに、全ての条件があのときと――アイネスフウジンとの戦いとリンクした瞬間であった。

 

 全てはこの時のため。この時のためのスリップストリーム。

 あの時は枯渇したスタミナが今は残っていた。

 

 メジロパーマーとの差はそこまで大きくない。が、彼女は飛越で速度を私よりも大きく落としている。

 

 そう。あの感覚。

 ――勝利が手に届くところまでやってきたのである。

 

 

 

 *

 

「サンデーライフ先行していますが、その差は僅か! メジロパーマーも登り坂をものともせずに勢い任せで速度を戻していきますっ! これは素晴らしい二の脚です!

 残り50。ほぼサンデーライフとメジロパーマー並んだ! サンデーライフか、メジロパーマーか!? 両者ゴール板を同時に駆け抜けた!

 これは……どうでしょう? こちらからでは全くの同時にしか見えませんでしたが――」

 

「……私もここからでは、どちらが先か分かりませんでした――」

 

 

 ゴール板を駆け抜けた後、少し流して私もメジロパーマーも芝に倒れこむ。

 ……これは、どっちだ? 自分自身の感覚では勝ったのか負けたのか全然分からない。メジロパーマーも無言で掲示板のただ一点を見つめている。

 

 

 ――確定。

 

 サンデーライフ――アタマ差で2着。

 

 

 ……現在の獲得賞金、4981万円。

 

 

 

 *

 

「サンデーライフ! 君とは2度目のレースだったけど、こんなに楽しい逃げになるとは思わなかったあ! ……全力でぶつかってきてくれて、ありがとね」

 

 横に一緒に倒れていたメジロパーマーが私に握手を求めるように手を伸ばしてきた。私はその手を握り締めて話す。

 

「……まさかパーマーさんも障害に来るなんて、って思っていましたけど。

 私も楽しかったです」

 

 楽しかった……うん。その気持ちは本心だ。

 でも、悔しいよね、やっぱり。

 

「シチーから君のことはよく話を聞いていたしね。後はライアンも。直接面識は無いみたいだけど、同室のアイネスが良くライアンに君のことを話しているみたい」

 

 あー……それじゃあもうメジロ家面子には私の存在しっかり認識されているのね。ゴールドシチーもアイネスフウジンも、どっちも交友関係めちゃくちゃ広いなあ、ほんと。

 

「……あはは、次が無いことを祈りますが、もし当たったら今度は――って!

 パーマーさん、脚が傷だらけじゃないですかっ!? ちょっと血も滲んでますよ!!」

 

 脚だけではなく体操服にも何か引っかき傷みたいなのがあるし、靴なんてボロボロだ。

 よくよく考えてみれば、あれだけ障害にぶつかりながらレースしていたのだから当然と言えば当然である。

 

「いやー、こればっかりは逃げガッツで何とかならないからねえ。大丈夫、痛みはさほどではないから……っとと、サンデーライフ、君もレースが終わった後でしょ? 少し休憩すればすぐに回復するから、無理に私のことを運ぼうとしなくても――」

 

「こんな傷だらけの脚を見せられて平常心でいられるわけが無いでしょう! すぐに、お医者さんに見てもらいますよ、パーマーさん!!」

 

 流石に引っかき傷とはいえ、血の滲む脚を目の前にしてそのまま放置してターフを去る真似は私には出来なかった。

 だからメジロパーマーのことを両手に抱えて、早く医務室へ向かわなきゃ……の一心でターフを後にしたが、その時観客席から大きな歓声が沸いていたことには、いっぱいいっぱいだった私は気付かなかったのである。

 

 

 

 *

 

 メジロパーマーの脚の傷は見た目こそ派手に見えたが、実際のところ広い範囲でこすった傷ということで消毒をして軟膏を塗るくらいの処置で済んだ。多分ウイニングライブでもそんなに目立たないと思う。

 

 その場の流れでパーマーの治療に付き添ってしまったが、彼女が派手に障害物にぶつかっていたことは周知の事実だったので、一緒にレースを走った子たちも様子を見に来ていた。

 次いでURAの職員の方も来て、医師に異常が無いかどうかの確認を取っていた。まあ、私が抱えて退場しちゃったから、無事なら無事とファンに向けて放送を流さないと不味いか。

 

 で、処置も終わったので控え室に戻ることになるが、大丈夫と言われても不安だったので控え室まで付き添うことにした。まあ彼女のトレーナーも居たから余計なお世話だったかもしれないけどね。なお男性トレーナーで結構スーツでガッチリ決めているタイプだった。

 

 それから数分もしないうちに、アナウンスが流れてファンの喜びの声がこのパーマーの控え室まで届いた。

 

「パーマーさん、なんか大げさにしちゃってごめんなさい……」

 

「大丈夫。私のことを心配してくれたからでしょ、サンデーライフ?」

 

 パーマーとともに彼女のトレーナーも私に対して続けて感謝の言葉を告げた。そして、その控え室に申し訳なさそうに入ってきたのは葵ちゃんであった。

 

「……あー、すみません。葵ちゃん。貴方のことを放っておいてパーマーさんに付いていっちゃいました」

 

「いえ、それは良いのですが……。って人前でも『ちゃん』呼びなのですか……。

 あの多分、些細なことではあるのですけれども……一応サンデーライフと、それとメジロパーマーさんにもお伝えしておこうと思いまして……」

 

「え、私も?」

 

 レース後に葵ちゃんが私はともかくメジロパーマーにも用があるなんて珍しい。ハッピーミークと関わりあったっけ、パーマー? いや、多分無いよね。今のハッピーミークはシニア級2年目で2年離れてるし、今年はほとんどレース出ていないから接点が出来る気がしない。

 

 

 それで。葵ちゃんが言い出したことは、かなり予想外のことだった。

 

「あの……。

 『パーマー』『お姫様だっこ』『サンデーライフ』の3単語がウマッターでトレンド入りしていますが……この状況でどうします? 

 どういうウマートしますか?」

 

「――えっ、サンデーライフさんのトレーナーさん、本当に? このレースがバズったってことだよね? ちょっと、トレーナーさん私のスマホ取って……ありがと。

 ……わあお、本当じゃん。すごいね~!」

 

 

 ――結局、この件はこのままパーマーと彼女のトレーナーさんも交えて4人で相談することに。

 

 最終的に良い案が浮かばずに、メジロパーマー案で残った『逆構図の写真をウマッターとウマスタに上げよう!』という提案を鵜呑みすることで私がメジロパーマーにお姫様だっこされている写真を撮ることになったのであった。

 

 


 ゴールドシチー㋹ @goldcity0416・11分前 ︙

  ホント、話題性の塊ってカンジ

 186 リウマート 2 引用リウマート 2,328 ウマいね

 

 

  ゴールドシチーさんがリウマートしました

 トゥインクル!Web公式㋹ @twinkle_web_official・1時間前 ︙

  【福島・障害未勝利戦にて……】

  news.twinkle_web.co.jp/pickup/44773

  本日の福島レース場第5レース・障害未勝利戦にて1着になった、飛越時に脚に軽く足を擦りむいたメジロパーマーさんを、2着・サンデーライフさんが『お姫様だっこ』をする形で退場した。

 1,499 リウマート 441 引用リウマート 3.1万 ウマいね

 

 

  ゴールドシチーさんがリウマートしました

 サンデーライフ @sundaylife_honmono・4時間前 ︙

  本日のレースお疲れさまでした。福島レース場のファンの皆様もありがとうございます。

  パーマーさんを持ち上げたアレは無我夢中で衝動的だったと言いますか……でも改めて逆に自分がされる立場になったらすっごい恥ずかしいですね。反省です。

 2,016 リウマート 874 引用リウマート 2.4万 ウマいね

 

 

  ゴールドシチーさんがリウマートしました

 メジロパーマー @Mejiro_Palmer・4時間前 ︙

  おかえし!!

  (控え室にてメジロパーマーにお姫様だっこされるサンデーライフの写真)

 1.2万 リウマート 991 引用リウマート 9.7万 ウマいね



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第29話 生きし王子のためのパヴァーヌ

 流石に2週連続でレースに出たこともあって、休養は長めに取ることになった。次走は1ヶ月半くらい先の12月末ごろに入れようかな、って思っている。中5週から6週くらいになると思う。

 

 そんな週末。私はマヤノトップガンと遊び……もとい、彼女曰くデートに来ていた。

 

「サンデーライフちゃん! もっと寄って、それじゃあ写らないよっ!」

 

「あ、うん……」

 

 来ていたのは、トレセン学園から少し離れた都心のパンケーキ屋さん。オシャレというか、ともすればシックなイメージのお店。でもパンケーキなのでカップルとかが多いわけではなく、客層は私達と同じような学生のグループとか、大学生っぽい雰囲気の女子会とかが大多数だった。でも、男性客が居ないというわけではなく、明らかに女性向けなのにスーツを着た若めのサラリーマンっぽい人が1人パンケーキをウキウキで楽しんでいる姿などもあって、まあつまる所、甘いもの好きの楽園である。

 

 で私達が座った席は、壁側がソファーになっていてもう片方が椅子になっている場所で私が椅子の方に座っていた。2人用のテーブルとはいえ、そこそこゆったりとして広めである。

 だからパンケーキが届いてマヤノトップガンが私と一緒の写真を撮りたいと言って、写真を撮るために一旦マヤが座る反対側のソファーに一緒に座って今に至る。

 頬と頬がぶつかりかねないくらい近づくと、ようやくマヤは満足したのか、スマートフォンを虚空に掲げて、写真を撮る。

 

 撮れたものを見せてもらえば、私達2人と2人分のパンケーキがしっかりと画角に収まっている構図の写真が取れていた。私も自撮り出来るけどさ、少し距離の離れている4対象すべてをしっかりと全部入れるギリギリを攻めたこれは、圧巻というべき技量であり、ある意味では超絶技巧の類だ。

 自席に戻りながら感心していると、マヤノトップガンが私にこう話す。

 

「ねぇねぇ、サンデーライフちゃんっ! 今度は食べているのも撮りたいから、あーんってしてっ!」

 

 友達に食べさせて貰っている構図をSNSに上げるとかファンサービス凄いなあ、と思いながらも、別段断るものでもないので、彼女のパンケーキを切り分けてフォークに差す。

 なお、マヤノトップガンが注文したのは『ほうじ茶のパンケーキ』。生地にほうじ茶が練りこまれていてハチミツの代わりに黒糖と黒酢を混ぜ合わせたシロップがかかっているという、彼女の見た目に反して結構渋いものだ。

 

 そう言えば競走馬時代の好物ってウマ娘にまで反映されるのかな、って疑問がふと生じたが、目の前のマヤにそれを聞くことなく彼女の口元にパンケーキを運ぶ。

 史実マヤノトップガン号の好物は確か蓮根であったと記憶しているが、どうなんだろう。マヤも結構、和風っぽいものが好きなのだろうか。

 

 すると、写真がぱしゃり。構図のリテイクが2回挟まった後に、満足行く写真が撮れたことで、彼女は私が差しだしていたフォークをようやく口に入れたのであった。

 

「……で、どうして今日は私をこうして誘ったの?」

 

 オークスウマ娘であるマヤノトップガンは、正直に言って多忙である。特に今のマヤノトップガンは、ティアラ路線最後の冠である秋華賞に挑んだが、惜しくも入着という形で負けた後なのである。

 なお秋華賞で勝利を飾ったのはファインモーション。Pre-OP戦の阿寒湖特別から僅か2ヶ月でGⅠタイトルを獲得しているのだから凄まじい。それが史実準拠なのだけれども。

 もう1人の史実阿寒湖からのGⅠ勝者であるマンハッタンカフェは、あそこで阿寒湖特別で2着となったことで、菊花賞ローテに乗ることが出来ず、そもそも出走していない。つまりマンハッタンカフェは既に非史実ローテに突入していて阿寒湖特別の後に別の2勝クラスのレースに再挑戦してそこは悠々とレベルの違いを見せつけて突破していた。

 

 ちなみに菊花賞はスーパークリークが持って行った。アイネスフウジンも出走していたが着外。まあメジロデュレンとかナリタトップロード、そしてアグネスタキオンなども居る魔境だったから仕方ない気もするけどね。

 ということで五大クラシックに秋華賞をプラスしたクラシック王道路線&ティアラ路線の頂は、全部私が対戦したことのある相手になってしまった。いや、運悪すぎでしょ私。

 

 

 閑話休題。

 とにかくマヤノトップガンは遊んでいる暇が無い……とまでは言わないが、限られた息抜きの時間にわざわざ私を相手に選んだということは、ちょっと気になる。彼女は天才肌だから正直行動原理が掴めない。

 

 だからこそこうやって直接聞いてみたのだが、当のマヤノトップガンは一瞬目を丸くした後、溜め息を吐きながらこう話す。

 

「……サンデーライフちゃんって、自分のことになるとドンカン(・・・・)だよね……。

 本当に知らないの? 今のサンデーライフちゃん、後輩の子たちとかから『王子サマ』って呼ばれているんだよ?」

 

「……ふええっ!? え、何で王子……あ」

 

 

 いつの間にやら、フジキセキ寮長辺りがトレセン学園内で持っていそうな異名が何故か私に継承されていた。

 改めて、自分のやらかしたことを客観的に考え直してみる。

 

 まずは何といっても、先日の福島での障害レースにおけるメジロパーマーへのお姫様だっこ。レースで1着を取ったパーマーをお姫様だっこして一緒に退場、というシチュエーションは、ファンはおろか一部のウマ娘の趣味嗜好にぶっ刺さりそうだな……とは後から思った。しかもそれをトレーナーとか見に来ていた友達みたいな立場ではなく、2着という立場でやってしまったから騎士道精神溢れる私の虚像が流布されてしまっているのにも想像がついてしまう。

 ……まあ、何が悪いかと言えば。未勝利戦レースのくせして何故か凄腕の報道カメラマンが居たらしく、私がメジロパーマーを両手に乗せてターフを去る姿を実物以上にファインダーに捉えてしまっていること。しかも、あの時私はパーマーの容態を心配していたから、その表情が真剣でかつ憂いのあるものだったから余計にである。

 

 しかも、この上にガチのアイルランド王族であるファインモーションとの関係性が乗っかる。『公務の円滑化』という言葉を、裏に隠された社交辞令的文言を無視してそのまま鵜呑みにしてしまえば、それは私の『王子様』虚像を強化する補強材料になってしまう。

 

 更に、ここに資料室管理者とかいう個室持ちの特別感と、理知的なイメージが付加されることで、今の私の諸要素を統合すると『なんか学園モノの恋愛ゲームの攻略対象キャラ』っぽいイメージが外から見たときに張り付いていることに気付かされた。

 多分、例の『かにみそ』ウマートは無かったことになっているか、それ込みで上手いこと都合よく私の虚像の改竄処理が行われていると思う。

 

「……ちょっと待って。

 もしかして……今撮った自撮りって――」

 

 私がそう言えば、マヤノトップガンは『てへぺろ』って感じのポーズを見せながら、彼女のスマートフォンに表示されているウマスタの投稿を見せてくれた。

 

 そこには写真と無数のハッシュタグとともに『噂の王子サマとのデートっ♡』という彼女のコメントが記載されていた。

 

 つまり基本SNSにプライベートな情報をあまり出さない私でバズろうという魂胆と、今の外面の『王子様』像とマヤノトップガンだけが知る私のギャップを楽しもうということか。

 

 何かマヤに主導権を握られ続けるのもなあ……と思ったので、その後のマヤノトップガンとの遊び、いやデートは徹底的に彼女をお姫様扱いして王子様ロールプレイをすることにした。

 最初、セレクトショップで着せ替え人形にしてマヤに褒める言葉を囁きまくっていたときは楽しそうにしていたが、終盤には『何か思ってたサンデーライフちゃんと違う』と難しい顔をされて、最後にはマヤが根負けする形で折れて私は勝利した。

 結局、その日の『デート』の様子に関してはマヤノトップガンのSNSからは最初のパンケーキ屋さんでの出来事しか投稿されなかった。

 

 

 が。

 今、話題のウマ娘とオークスウマ娘が派手に『お姫様ごっこ』を街中でやっていたので、私の王子様イメージはかえって強化されることになってしまったのであった。

 

 マヤの興味を削ごうとちょっとふざけて遊んでいたら、私達が周りから知られているってことを完全に失念していた!

 

 

 

 *

 

 葵ちゃんとペアを組んでから2ヶ月以上が経過したが、ハッピーミークと会ってはいない。当初の方針通り、ハッピーミークと私が万が一に合わなかった場合に契約解除する可能性を排除するためだ。

 でも流石に同じ葵ちゃんの下に居るのに一切の関係が無いのもどうなのだろうか、ということを葵ちゃんに伝えたら、ハッピーミークとの文通が始まった。てっきりメッセージアプリの連絡先を渡されたりするのかと思っていたら、予想以上に古風な手法で驚いた。まあハッピーミークがそれでいいなら良いけどさ。

 

 その手紙のやり取りも含めて、ちょっと気になったことを葵ちゃんに聞く。

 

「……そういえば、どうしてハッピーミークさんをJBCスプリントに出走させたのですか?」

 

 福島障害の初戦の週にハッピーミークはJBCスプリントに出走していた。ローカル・シリーズのレースであり、特にJBCは11月3日固定でもし当該日が休日ならば前後の平日に移行される以上、休日に開催される中央レースと日程は基本的には重複しない。だから私の障害応援に来ていたからハッピーミークがおざなりになっていた……なんてことは無い。

 

 結果は、フルゲート12名の中で7着。まあGⅠレースだし結果についてはしょうがないと思うのだけれども、では勝者が誰かと言えば――ハルウララ。彼女が2連覇を成し遂げていた。

 つまり葵ちゃんはハッピーミークに対して彼女の世代最強のダートスプリンターと化したハルウララと競合することが分かっていたのにも関わらず、JBCスプリントの中央ウマ娘出走枠にねじ込んだ。私はその理由が気になったのである。

 

「そう言えばサンデーライフには言っておりませんでしたねっ! 実はハルウララさんのトレーナーさんとは同期……みたいな親近感を勝手に感じていてですね、それから彼女(・・)にはミークの育成に関しても色々と手助けしてもらっていたのですよ!

 その関係でミークもハルウララさんと仲良くなって……ミークが一緒のレースに出たいと言っていたので、確実に連覇を狙いに来るであろうJBCスプリントを選んだということです!」

 

 

 想定外に重大な情報が転がり込んだ。そうか、ハルウララのトレーナーが『アプリトレーナー』に一番近しい存在だったのか。……もっとも有獲っているから納得ではある。

 ただしそれは他のトレーナーを軽視して良いと言うわけでは無い。基本ネームドには規格外のトレーナーが揃っていたし。ローテ外未勝利戦すら完全把握していたマヤノトップガンのトレーナーに、ダート魔改造のマックイーントレーナー、そしてアイネスフウジンを育成する傍らの片手間で私の意図を概ね掴みつつあったアイネスさんのトレーナーと、手腕を薄々把握しているだけでもこれだけの敏腕揃いである。

 

 でも。

 ――ハルウララはその中でも特異点ということだ。少なくともハッピーミークの出走レースに影響が波及している以上、ハルウララを無視してはいけない。

 

 そんなハルウララの今年の出走レースを改めて確認する。

 まず3月にJpnⅢのダート1400m・黒船賞で1着。フェブラリーステークスを回避して地元の重賞に凱旋というのは随分と粋なことをしている。

 

 まあ、うん。ここまでは良かった。

 このレースだけは私も理解が出来る。ただ、問題は次走からJBCスプリントまでの出走レース。

 

 

「……5月、ヘンリー2世ステークス1着。

 6月、ゴールドカップ4着。7月、グッドウッドカップ7着。8月、ロンズデールカップ2着……。

 何でウェザビーズ・ハミルトン・ステイヤーズミリオンシリーズを狙っているのですか!? しかも結構成績悪くないですし!」

 

 この4走はすべてイギリスのレースであり。

 ヘンリー2世ステークスは芝3200mのGⅢ。

 ゴールドカップ、芝4000mのGⅠ。

 グッドウッドカップ、芝3200mのGⅠ。

 ロンズデールカップ、芝3200mのGⅡ。

 

 ウェザビーズ・ハミルトン・ステイヤーズミリオンシリーズは3月から5月までにヨーロッパから中東にかけてで開催されている対象のレースに勝利したウマ娘が、当該の3レースを全勝した場合に賞金が出る、というものだ。

 正気の沙汰ではない制度だが、史実では2017年に開始されてから既に2回完全制覇がなされている。しかも同一馬による2連覇という形で。

 

 でもさ。

 芝・長距離の有記念を獲ったからって、ダートのスプリンターに世界最高峰の芝の長距離シリーズに殴り込みをかけさせるトレーナーとか絶対まともじゃないな!?



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第30話 クラシック級12月後半・障害未勝利(阪神・障ダ2970m)

 JBCスプリント→有記念→黒船賞→ステイヤーズミリオン→JBCスプリントというあまりにも常軌を逸したローテーションで戦うハルウララ。彼女はもう間もなくシニア級3年目だというのに全く衰えが見られない。

 タフさは史実ハルウララ号を引き継いでいる時点でヤバいし、ステイヤー路線においては『ワクワククライマックス』の回復効果が刺さっていそうという位にはスタミナ切れをすることもない。スキルの発動とか可視化されていないから想像の産物でしかないけどね。

 

 この世界におけるハルウララはヤバいということを再確認したが、現状ダートのスプリント路線と芝のステイヤー路線両方に顔を出すということが分かっただけでも収穫だ。そしてハルウララの情報については葵ちゃんが仲の良い女性トレーナーということもあって手に入りやすいだろう。

 

 ……というか、葵ちゃんの例の同期(・・)トレーナーが女性か。URAファイナルズシナリオとかサポートカードイベントを女性トレーナーと完遂していると考えれば、たまに感じていた『妙な女性慣れ』感というか距離感の近さは、そこに要因があったということだろう。

 もっともメジロパーマーの一件以後は、私に対しての周囲の認識も距離感バグ勢なのだろうが。

 

 

 

 *

 

 12月も半ばくらいに入った。練習は既に本格的に再開している。

 普段、私はGⅠの動向はそこそこどうでも良いと思っているからスルーしていたのだけれども、流石に看過できない名前がジュニア級で見えていたので着目せざるを得なかった。

 

 レースは去年はアイネスフウジンが獲った朝日杯フューチュリティステークス。そこに在った名前は――トウカイテイオーであった。

 

 史実・トウカイテイオー号のデビュー時期は12月なため、この時期にGⅠを狙いに行くことは難しかった。つまり、早期デビューの影響で既にトウカイテイオーのローテが非史実の動きになっている。

 というか、私の後ろの世代でコウハイテイオー(・・・・・・・・)だったのか。道理で今まで名前を聞かなかった訳だ。となるとナイスネイチャとかツインターボも後輩かもしれない。

 

 ただ、非史実とは言っても勝利後のインタビューで次の一幕があった。

 

「トウカイテイオーさん、朝日杯フューチュリティステークスの勝利おめでとうございます。これで最優秀ジュニア級ウマ娘としてURA賞を獲得する最有力候補となったわけですが、ここはズバリ! トウカイテイオーさんの目標や次走の方針などをお聞かせいただければ――」

 

「――ボクはカイチョーみたいな無敗の三冠ウマ娘に絶対なるよっ!」

 

 

 ……取り敢えずこれで来年のクラシック王道路線の主役がトウカイテイオーであることは確定した。若駒ステークスや若葉ステークス辺りに出るかどうかは分からないが、皐月賞には確実に出てくる。既に朝日杯でGⅠも獲っているから収得賞金が足りずに抽選外ということもまず起こり得ない。

 しかし、そうなると。来年の秋以降はこのトウカイテイオーも芝の中・長距離路線に鎮座する可能性が高いということか。アイネスフウジンもアグネスタキオンも、クラシック秋においてまだまだ現役続行しているこの世界線では故障しないトウカイテイオー、即ち本当に『無敗クラシック三冠ウマ娘』のテイオーが見られるかもしれない。

 そしてそのままの勢いでジャパンカップや有記念に乗り込んでくるかもしれない訳で。うーん、来年のことは気が早いけれども、更なるGⅠ戦線の混沌が発生しかねないなあ、これは。

 

 まあ、取り敢えず言えることは。トウカイテイオーが出てきた以上は、マックイーンは早く芝転向してくれ。

 

 

 とはいえ、平地のGⅠよりも目先の自身のレースもそろそろ考えないといけない。葵ちゃんとともに個室のトレーナー室で作戦会議を開く。

 

「……とは言ってもサンデーライフ。この時期の障害未勝利戦の選択肢はあまり多くないですよ?」

 

 そう言って取り出された日程には、12月中の選択肢は2つ。

 中京レース場の芝・3000mの障害コースか、阪神レース場のダート・2970mの障害コースである。阪神の障害ダートは最終直線がダートであるだけで、障害専用コースは普通に芝が張ってあるけどね。

 一応年が明けるのを待てば1月には、中山と京都の障害レースも視野に入るものの正直そちらの方が遥かに難易度が高い。中山はコース取りが複雑な上に単純に障害物の難易度が最も高く、京都は障害物の数が多い。結局、メジロパーマーの登場によって苦戦となったが平地での競走能力ゴリ押しで解決するレース展開をやる予定だから、年明けレース組は考慮外となる。

 

「ちなみに葵ちゃんとしてはどちらをオススメします?」

 

「……正直に言えば悩ましいところです。

 中京レース場は福島と同じように平地競走用の芝コースに障害物を設置するタイプでハードルの規格もほとんど一緒ですが、一方で最終直線に障害が2つあります。

 逆に阪神レース場は最終コーナー手前のハードルが最後で、そこから平地競走ダートに出るので最終直線に一切の障害物がありません。しかしサンデーライフがまだ実戦で経験していない生垣と水濠(すいごう)障害があります。

 どちらもメリット・デメリットがありますから、私の意見でバイアスをかけるわけにはいきません」

 

 つまり福島での経験を応用できるが平地能力のゴリ押しが難しいコースか。

 実戦では初見となる障害が多いが、ゴリ押しには最適なコースか。

 

 ……そんなに面白いくらい綺麗にコースの差異が出ることってある?

 

 そして最終判断が私に依拠している以上、葵ちゃんは私に対して判断材料の提供はしてくれるが、どちらが良いという形での意見は提供しない。

 

 

 でも。葵ちゃんは私が理解しているとみて、話さなかったことが1つある。

 それは、阪神レース場のダート最終直線は、初めての1勝クラスの戦いであったバンブーメモリー戦において既に経験済みということだ。

 ダートコースとしてはかなり長い352.7mの最終直線と上り坂。ここだけ切り取れば差し・追込が優位となる戦場だ。ダートと障害レースという存在そのものが先行有利気味ではあるので相殺されている気がしないでもない。

 平地競走でも先行していたバンブーメモリーを差し切れなかったし。

 

 だから平地競走経験までひっくるめての総合的評価であれば、阪神の方が優位である。

 

「……阪神にしましょうか」

 

 12月の末、最後の週。

 阪神レース場、障害ダート・2970m。

 

 ――これが、私のクラシック級のラストのレースとなる。

 

 

 

 *

 

「1番人気は断トツでのサンデーライフ。彼女は障害競走3レース目ですが……、この人気はまず間違いなく前走の影響が絡んでおりますね?」

 

「ええ……本日は、中山レース場にて有記念並びにホープフルステークスが開催されているのにも関わらず、ここ阪神にも観客が集まっているのは『条件不問の王子様』とも称されている彼女を一目見ようとするファンの存在も少なからずあることでしょう。

 その異名の通り平地成績ではオープンクラスの彼女は、盤外での人気を排したとしても最も有力なウマ娘と言って差し支えないでしょう。飛越がやや高いのが難点ですが、それをねじ伏せるだけの実力はあります――」

 

 

 本日阪神レース場で発走するレースの中で最も格が高いレースは平地オープン戦のギャラクシーステークスで、後はPre-OP戦か未勝利戦かメイクデビュー戦しかない。勿論満員には程遠いが、それでも例年より多少観客動員数が多いという話を事前に伺った。

 何というか障害では未勝利なのに集客に貢献する、というのは明らかに実力ではないところで人気が出ているから申し訳なさを感じてしまう。

 

 だって『私のレース』ではなく、『王子様』を見に来ているファンだからねえ。実力ではなくパフォーマンスが期待されているとなってしまえば、勝利を絶対至上としておらず、自身の実力不足を痛感している私でも流石に思うところはある。

 ……って、この考え方はなんかゴールドシチーみたいな不満だ。虚像ではなく、競技者である私を見て欲しいって思うところまで、私もファンに『求める』ようになっていたのかと苦笑する。

 

 ただその想いを私はレースにぶつけることはしない。あくまで『勝てるなら勝つ』だ。

 

 ましてや、障害レースにおいては『勝利よりも完走』が鉄則なのだから。

 

 

 そして今日対峙する相手の中でマークすべきは彼女。

 

「2番人気、シニア級ウマ娘のビックフォルテ――」

 

「彼女が本来1番人気であってもおかしくないウマ娘です。今年の1月のレースで競走中止してから長らく療養していましたが10月より戦線に復帰、そこからは3着と2着が3回と後一歩で昇格を逃しております。障害ウマ娘としての完成度は素晴らしいですね」

 

 史実・ビックフォルテ号は障害重賞の京都ジャンプステークスの前身レースでの勝鞍がある。障害レースでこれまで出会ってきたネームドの中では脅威度は相対的に見れば低いかもしれない。が、パンフレットもサイコーホークもメジロパーマーも史実での本格化はもっと後であったのに対して、ビックフォルテについてはシニア級であることも踏まえれば本格化してきているのは疑いようがない。

 

 素直に戦ったら強敵であるのは間違いない。ゲートインしながらそんなことを考える。

 

 

 でもさ。

 私がそんな『教科書通り』の真っ向勝負をする訳……無いよね?

 

 

「各ウマ娘……スタートしました。……ほぼ、スタートは揃いましたね。好スタートを切ったのはビックフォルテでしょうか。向こう正面、最初の生垣障害をステップ――ジャンプしました! そのまま勢いを活かしてビックフォルテがハナを進みます」

 

「……これは、大方の予想を裏切るレース展開になりそうです。てっきり福島の舞台で派手な大逃げを魅せたサンデーライフがその自慢の快足を活かしてハイペースなレース展開に持ち込むかと思われましたが――」

 

 

 誰だってメジロパーマーとの障害爆逃げ対決を見せられた後では、私の大逃げを警戒する。勿論、平地競走時代に脚質滅茶苦茶で走っていることくらいは周知の事実であろうが、障害レースという盤面をぶち壊す破滅的ペースの展開こそ障害初心者である私が取り得る最善の策だと思うだろう。

 

 それは事実。けれども、やっぱり1人で大逃げするとリスクがあるわけで。後ろでどっしりと構えられて脅威の末脚で差されるみたいな展開はやっぱり避けたい。もう何度もそれを喰らっているから余計にね。

 

「第2、第1コーナーを回って正面スタンド前にでてきました。1着はビックフォルテ、そのすぐ外側に2番手サンデーライフが追走。そこから少し間が開いて3番手――」

 

 障害レースでスリップストリームは極力使わない。真後ろに付いて万が一前の子が飛越失敗したら確実に巻き込まれる。そして今日は後ろに付くことよりも横に付いて視界の隅に入ったり、足音が気になるような場所に居続けることを優先。

 常時、2番手で追走するという形の逃げ――これが私の今日の作戦だ。

 

 私が『大逃げ』ではないことは既に見切られているだろう。その上で最前を走るビックフォルテをマンマークすると彼女は一体どのような判断を下すだろう。掛かったり振り切ろうとして前に出るか、それとも私のペースに合わせないように下がるか、あるいはペースを維持するのか。

 

 そして今の私には戦略的自由度があった。

 そのどれを取られても対応が可能である。スローペースなら逃げ優位展開、ハイペースならばどんなに高速化したとしても私がパーマーと共に経験済みの『爆逃げ』展開の踏襲に過ぎず、ペースを維持ならばこのまま追走で負荷をかけ続ける。

 

 

「正面スタンド前、最初の飛越を――ジャンプ! おっと、ここでビックフォルテとサンデーライフの差が開きます」

 

「……サンデーライフの飛越はやはり大分高いですね。生垣障害なのに飛び越えてしまっていますね」

 

「さて、そしてすぐ次の水濠障害をステップして、ジャンプしました!

 今度はサンデーライフ着地点をやや誤ったか、着水! 大きな水しぶきを上げ、ややよろけながらも体勢を何とか戻します」

 

 

 ……作戦通りに推移しているから飛越があまり上手くないのは見なかったことにしてください。

 

 

 

 *

 

 そこからホームストレッチの最後の生垣を飛越して、第4・第3コーナー中間点の145cmの少し高めな生垣も越え、ビックフォルテに追走する形で(たすき)コースへと入っていき、グリーンウォールと竹柵障害をクリアしてから第2コーナーを今度は右回りになるように脱出してスタート直後に飛越した生垣を逆側から飛び、そこから少し走って更にバックストレッチ側の高めの生垣をジャンプ。

 

 ……改めて実際に通ってみると、コースが複雑過ぎる。これでもまだ未勝利戦だから障害レースにしては短い距離のレースだし、障害最難関の中山はもっと意味が分からないことになったりもする。

 

「先頭依然ビックフォルテ、そのすぐ外側を走るサンデーライフ。この2人が逃げて3番手との差は5バ身から6バ身といったところ」

 

「少々気になるのはビックフォルテのペースがやや上がってきているところでしょうか。掛かっているのか、それとも作戦なのかは判断し難いところですが……」

 

 ビックフォルテはかなり走り辛そうな印象をこちらからだと受ける。逃げウマ娘にとってペースを変えても常に他のウマ娘が視界にちらつくというのは相当なストレスであろう。

 後方との差が徐々に開きつつあり、目視で確認してもかなり縦長の展開になっていそう。この時点で最後方辺りが差し返せるかどうかは正直微妙なレベルで差がある。

 

 つまりビックフォルテは明らかにペースを上げている。ただし、それが全部が全部私の思惑に従ったものではないだろう。

 どうにも障害飛越直後に若干の加速を入れているっぽい。つまり追走する私に対しての加速を強要するなどの、小手先戦術も加味した上でのペースアップであった。

 

「前の2人が、平均よりやや早いペースを保ちながら3、4コーナー中間障害をジャンプ! ……ちょっとサンデーライフがふらついて、勢い削がれてビックフォルテとの差が開きました」

 

 ここで広がる差の分は、私の飛越が下手なだけではない。確実に少しずつペースを上げて私のスタミナ損耗を狙っていた。

 

「ビックフォルテ、1バ身あるかどうかの差をサンデーライフに付けながら、最後の障害を……ジャンプ! それを追うようにしてサンデーライフも飛越していきます」

 

 

 最後の障害を越えてビックフォルテとの差は、大きく見積もって2バ身に届くかどうか。

 ここから先は障害専用の芝コースからダートに入っての最終直線。

 

 ハイペースなレース展開であったが、パーマーとの『爆逃げ』対決を経た私にとっては、それは許容範囲内のペースであった。

 

 

 ――思えば、初めてかもしれなかった。

 ここまで、しっかりと自分の策がすべて上手く行ったのは。

 

 

 ……いや。もう多くの言葉は必要無いだろう。

 今、必要なのは、ただ1つ。

 

 勝利を――拾いに。

 

 

 

 *

 

「さあ最終直線に入って、先頭は完全にビックフォルテとサンデーライフとの争いだ! どちらがハナに出るか!? ビックフォルテか? ――しかしサンデーライフが、また加速しますっ! サンデーライフ先頭、サンデーライフ先頭です! リードを1バ身から1バ身半とすぐに広げる! その後ビックフォルテ、3番手は遥か後方、こちらはもう届きそうにありません!

 サンデーライフ、先頭です! 更にリードを4バ身、5バ身と増やして悠々とゴールイン! サンデーライフ圧勝! 格の違いを魅せ付けるレースとなりました――」

 

 

 確定。

 1着、サンデーライフ。

 2着、6バ身差でビックフォルテ。

 3着は更に7バ身後方、4着は3着から9バ身後方。

 

 

 誰が見ても文句無しの勝利で未勝利クラスを突破し、私は障害競走でもオープンウマ娘へと昇格したのである。

 

 ――現在の獲得賞金、5771万円。



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第31話 王子の帰還/英雄の発露

「やりましたね! サンデーライフ!」

 

 コースを後にした私を待ち構えていたのは葵ちゃんだった。終わってみれば最終直線での競り合いで圧倒した。

 

 実は絡繰りはあって。

 障害の未勝利戦で高速レースが出来る者は実はそれほど多くない。それが可能なら基本的に早い段階で未勝利戦を突破している。あるいは平地のトゥインクルレースで歯が立たないが速い子は地方トレセンへの転向を選択しているから。私やメジロパーマーみたいな存在の方が遥かにおかしいのだ。

 これは障害競走が平地よりもレベルがどうこうという話では無くて。単純に未勝利ウマ娘を相手取るならば私が格上になってきたというだけの話である。

 

 平地競走を合算してしまうとメイクデビューから数えて16戦。その中で4度目の勝利。公的記録においては平地13戦3勝、障害3戦1勝みたいな書き方になるだろうが、細かいことは取り敢えずおいておく。

 初勝利のマヤノトップガン相手には、こちらの戦術は完璧に読まれてしまっていたがレース場とコースに救われた。

 2勝利目の三条特別。こちらの差し戦術が読まれつつも概ね想定通りのレースが出来て接戦を掴み取った。けれども審議ランプの点灯により勝利の余韻を噛み締める時間は無かった。

 3勝目の清津峡ステークス。格上挑戦にも関わらずレース展開ではなく盤外の『興行日程』で勝った。

 

 そう。やっと。

 障害レースに来て、ようやく私は自身の描いていたレース展開をレースの中の戦略だけで再現することに成功した。

 

 そして、大事なのは。

 

「良かった……本当に……。これで葵ちゃんの隣に立つ資格が――」

 

 私の言葉は、葵ちゃんの左手の人差し指が私の唇に触れることで中断させられた。

 

「サンデーライフ、そういう言い方はあまり良くないですよ。

 ……確かに、サンデーライフと私が組んでから初めての勝利ですが、私が欲しい言葉がそういうものではないことは、賢い貴方なら分かっていますよね?」

 

 そんなことを言いながら葵ちゃんは私に目配せをする。

 何というか多分、状況に即した言葉なら何を言っても喜びそうだからかえって困ってしまう。

 おあつらえ向きに場を整えられてしまうと、その思惑に乗るものかって意識がどうしても生まれるのよね。

 

 ということで。

 

「葵ちゃん、ちょっと手を借りますね……」

 

 そう言って私は葵ちゃんの左手首に触れ、私の唇に置かれていた人差し指を両手で掴んでその指を離す。

 

 

 そして彼女の親指に持ち替えて、そのまま――唇で軽く触れる。

 

 

「ひゃっ!? ……サンデーライフ!? 急に私の親指を……びっくりするじゃないですか!」

 

 これが『びっくり』で済む辺り、葵ちゃんも大概だよなあ……と思いつつも、私は言葉で告げる。

 

「……古来より親指には、望みや意志を叶える力がある、と言われています。

 その中で左手の親指には『目標実現』のパワーが宿っているとのこと、らしいです。……これからもよろしくお願いしますね、葵ちゃん?」

 

 そう言われた葵ちゃんは満面の笑みで頷き返した。

 

 

「――あ、でもー。こういう古来からの言い伝えみたいなのって、きっと指輪を販売したいメーカーさんが言い出した作り話だと思うのですよねー」

 

「……そういうところで妙に現実的なところは、やっぱりサンデーライフって感じがしますね……」

 

 なお親指が願いを叶える云々は古代ローマまで遡れて、弓を射るときに親指を保護する『サムリング』が由来になっているらしいけれど、事実は知らない。

 

 

 

 *

 

 葵ちゃんと控え室に戻ると、改めて別の話を切り出された。

 

「……恐らくインタビューで質問されることですので、改めてサンデーライフの意志を聞いておきたいのですが。

 この後、障害のオープンに進むのか、それとも平地競走に戻るのか……どちらにするつもりだったりします?

 ……ああ、いえ! 現時点で決めていないのであれば、未定でも構いませんよ!」

 

 次のレース。即ち、シニア級になってからの路線をどうするのか。このまま障害競走に残るのか、平地競走に再転向するのか。

 

 前にシンボリルドルフに障害転向を伝えたときは『手応えを掴めたら平地競走に戻る』と私は話した。それを葵ちゃんが知っているか否かは別問題としても。確かに節目としては良いタイミングである。

 

 ただ大前提としてこれは聞かないといけない。

 

「私が障害転向をしたのは、実力不足からでしたが……どうです? 現在の私は平地のオープン戦で戦っていけるだけの実力がついてますかね?」

 

 葵ちゃんは即答した。

 

「概ねは。

 長い滑空の飛越を可能とする脚の踏み切りのために重点的に脚部強化をしましたので以前よりパワーは出せるようになっているかと思います。……と言ってもサンデーライフに楽観的な意見だけお伝えしても信用してくれないと思うので、懸念点も。

 強化した脚部に対してのフォームの最適化が完了していないので、速度については直ちに大きな上昇を見込むのは少々厳しいでしょう。レースに出走しながら平地用に戻していく必要もあるでしょう」

 

「今すぐの復帰戦だと勝利は難しい……ということですね?」

 

「基本的にはそうなりますが……。ですが冬季レースのタイミングで戻るメリットもありますよ!

 GⅠでタイトル争いをするウマ娘は、この期間はトレーニングやコンディション調整に使うことが多いですので、サンデーライフの調整レースとして出やすいですね。

 ……まあ、逆に言えば他のウマ娘にとっても調整目的で出してくることはあるのですが」

 

 つまり冬のレースは調整期間と割り切る。スピードの向上という目標に対しての実戦形式でのトレーニングとして出走してしまおうという考え方だ。

 

「……逆に、障害に残る場合はどうなります?」

 

「現状、基礎能力の違いで勝負をしていましたが、障害オープン路線だと流石に今の滑空飛越は改善する必要があります。

 以前は強く進言しませんでしたが、今後のレースレベルになると障害物ギリギリでのジャンプは不可欠な要素になるかなと――」

 

 それはそうかもしれない。高い打点での飛越の改善は必須事項となる。今日だってそれで着地でよろけたり、速度が損なわれるシーンがあった。

 今のレベルでは実力差で振り切ったが、オープン戦レベルとなるとJ・GⅠを獲得しているウマ娘も出走する。しかも障害重賞は平地に比べて遥かに少ないから有力ウマ娘と激突する危険性は相対的に高い。

 となれば、怪我のリスクを背負って障害物ギリギリでの飛越に挑戦しないと、恐らくこちらのルートは先が無い。

 

 まあ……後、考慮するとすれば賞金額かな。平地競走のオープン戦だと大体2000~2600万円程度が1着時の賞金なのに対して、障害競走だと1350~1650万円。重賞まで視野に入れれば稼ぎやすいのは平地競走だ。ただ、入着出来ないと賞金貰えないけれどもね。

 

 

 今すぐに決める必要は確かに無いが、練習メニューが大きく変わりそうだからなるべく早めに決めるに越したことは無い。

 

 でも――

 

「帰りましょうか――平地競走に」

 

 お金、練習、レース数……色々理由はあったけれども。

 今日のレースは間違いなく『手応え』はあった。そして葵ちゃんがすぐは無理でも『概ね戦える』と言ってくれるならば、私はそれを信じたい。

 

 葵ちゃんのために勝利を捧げる……なんて他者本位的な考えではなくて。勝利への渇望でもなくて。

 

 なんて言えば良いのかな……興味? 知的好奇心? と言うべきかな。まだまだ自分に伸びしろがあるというのならば、飛越よりもスピードを伸ばしてみたい、そんな気持ちになった……って感じ。

 ウマ娘なら、当たり前の感情なのかもしれないけれども、何というか自分の成長が楽しみに思えるようになってきた。

 

 そんなことを葵ちゃんに告げたら、こんな言葉が返ってきた。

 

「サンデーライフ、貴方はまだまだ成長できますよ! シニア級になると徐々に成長が頭打ちになる子も出てくるのですが、全くそんな兆候は見られません!

 ……成長速度はトップクラスの子と比較してしまえば少し遅いかもしれないですが、ここまでの記録を鑑みるに相当長い期間、現役でパフォーマンスを発揮し続けられるかと思いますよ」

 

 大器晩成型のウマ娘。恐らくそれに私も該当しているということなのかもしれない。上の層は厚いけれども、私だって停滞している訳ではないことが分かった。

 

 オープン戦ではまだ実力を伸ばす必要があるかもしれない。

 だけど。確実に歩みは進められている。現状、ネームドの成長速度には追い付かないかもしれないが、同時に私の成長ピークはまだまだ先。

 

 長い目で見れば展望が開けてきた瞬間であった。

 

 

 ――こうして、私のクラシック級の1年は終わった。

 

 

 

 *

 

 同日の中山レース場。

 

「――ホープフルステークスの勝利……おめでとうございます! 前年度のアグネスタキオンさんの勝利を彷彿とさせるかのような力強い走りでの素晴らしい快勝で、無敗でGⅠを制覇致しましたが、まずはその感想を一言お願いいたします!」

 

「……全ては私に走る環境を提供してくれた、家族とトレーナー、そして学園の関係者に感謝を。GⅠという晴れ舞台を手にしたことは光栄ですが、私は前を走るのみです」

 

「なるほど、まだまだ発展途上である、と。それではクラシック級での目標をお聞かせいただけますでしょうか?」

 

 

「――無論。

 『無敗の三冠』……まずは、これを掴み取ります」

 

「……おおっと! 奇しくも朝日杯フューチュリティステークスの勝利で同じくGⅠウマ娘となりました連勝中のトウカイテイオーさんと同じ目標が出てきましたね。

 最優秀ジュニア級ウマ娘の最有力候補と見られているトウカイテイオーさんにもし一言あれば、この場でお聞かせください」

 

「……私、トウカイテイオーさんと面識無い……まあ、いっか。

 ええと……じゃあ、皐月賞で会いましょう、トウカイテイオーさん」

 

「大胆不敵な宣戦布告を頂きました、ありがとうございます!

 ――『無敗の帝王』に対して、『無敗の英雄』が皐月賞でぶつかります!! これは来年のクラシック戦線も目が離せない展開になりそうですね!」

 

「……えっ? 私って『英雄』って呼ばれてるの? ……ただ走っているだけなのに、そんな異名付けられても、困る、かも……」

 

 

「いえいえ貴方の圧巻の走りは既に来年のクラシックの2枚看板として躍り出ること間違いなし、です! もっと自信を持ってください!

 

 ……そろそろインタビューの時間も終わりに近付いてきました。

 では、改めまして。

 本日のホープフルステークスの覇者――『ディープインパクト』さんでした! ありがとうございました!」

 

 

 ――そして、新たな年が始まる。



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第32話 シニア級1月前半・初詣

 初詣は葵ちゃんとではなく、去年に引き続きアイネスフウジンと彼女のトレーナーと一緒に行った。葵ちゃんと行かなかった理由は単純で私から「いや、流石にそこはハッピーミークと行きなよ」といった趣旨の話をして断ったためである。

 

 現状、ハッピーミークとの顔合わせをしていないために葵ちゃんは二者択一を迫られたというわけである。

 なお平地競走に戻ることになったから一緒に練習すればいいじゃん、という話があるが、そもそもハッピーミークはGⅠ出走ウマ娘であり、今の私と並走するメリットがまるで無い。また私自身も新年からはフォームの修正がメインで、それを走りながら直すことに主軸が置かれるために、誰かと一緒に走る必要性が薄い。

 そんなわけで私とハッピーミークの顔合わせは、まだ時間を置く判断になった。

 

 

「明けましておめでとう、なの! ライアンちゃんは今年も実家に戻っちゃうしで寂しかったの!」

 

 出会って早々とアイネスフウジンに抱き着かれる。なおアイネスフウジンは年末の有記念に出走したものの11着だった。

 とはいえ、1着から順番にオグリキャップ、グラスワンダー、スペシャルウィーク、マヤノトップガン、マンハッタンカフェが入着とかいう前年度以上の狂いの有だったからしょうがない。何年分濃縮されているんだ、これ。ちなみにアイネスフウジンと同室のライアンが8着だ。

 

 で、そのライアンと言えばメジロ家。メジロパーマーが私との障害戦の後、早々と平地復帰を目指すといって長期トレーニングに入って、結局この世界線のパーマーは障害競走1戦で平地再転向するというニュースもあったが、それ以上に大きなニュースはメジロマックイーンにあった。

 

 というのも、東京大賞典でマックイーンが、遂にダートGⅠの大舞台で勝利を逃したのである。結果は3位。ダート無双をしていたマックイーンであったがシニア級のしかも地方ウマ娘によって勝利を阻まれた。

 

 その東京大賞典の勝ちウマ娘は――カウンテスアップ。次いで2着にアブクマポーロ。

 ……いや、その面子相手に3着なら大健闘だよ。レジェンドクラスじゃん。

 

 ただ、この敗北からマックイーン陣営は、シニア級では芝もレース選定の視野に入れることを発表した。何とかギリギリのところで春の天皇賞ルートに戻ってきそうな感じが出て一安心。

 でもこれマックイーンがデジたん化するってことだよね。ダートマックイーン改め勇者マックイーンの爆誕である。

 

 

 そのような面子と私は激突する。何故ならもう私はオープンウマ娘だから今まで挙げた全員と衝突可能性があるのだ。

 ……やっぱり平地競走に戻ってきたのは早計だったかな、いや決めたからやるけどさ。

 

 

 そんな私達の世代もヤバいが、1年下の世代もまた大変なことになっている。いや、トウカイテイオーとディープインパクトの全面対決って最早バグか何かでしょ、それ。まあクラシック級ウマ娘とは当面は対決しないし、GⅠで暴れまわることだろうからすぐに影響があるわけではないけどね。

 

 

 そんなことを考えたり、アイネスフウジンと話していたりしているうちに参拝の順番が来た。

 

 二礼二拍手一礼。実際の拝礼作法がどうなっているのか分からないときにやる、とりあえず無難なやつだ。

 

 そしてその所作の最中、目を閉じて私は願い事を――

 

 

 その瞬間、網膜の裏に黒い靄がかかったかのように感じた。

 

 

 

 *

 

 かにみそを食べる!          

 

 偉大な名誉の殿堂ウマ娘を参考にする! 

 

 お姫様だっこを極める!        

 

 

 えぇー……。

 

 マジかー、これは流石に想定していなかったなー……。

 神社の初詣に介入できるんだ、暫定サンデーサイレンス……。君、アメリカウマ娘だから神社関係ないでしょうに。

 

 なお選択肢2つ目の『名誉の殿堂』とはアメリカの殿堂入り制度みたいなもの。一応史実サンデーサイレンス号も1996年に殿堂入りしているが、そもそもこの制度って引退後に与えられる称号なので、素直に考えればこちらの世界のサンデーサイレンスは引退済ということになる。

 ……そりゃそうか。こんなことをしてくるくらい暇なんだから、現役ではないよね……って一応この黒い靄がサンデーサイレンスかどうかは未確定だけど。

 

 それで、一応真面目にアプリの初詣イベントに照らし合わせると、上から順に体力回復、ステータス上昇、スキルpt付与だったはず。

 ただ年末の障害未勝利レースの後からクールダウン期間を置いているから、体力って結構回復している気はする。……いや、ある程度健康な状態のときの自分の身体の疲労蓄積の度合いなんて可視化できないから分からないのよ。それにここで回復を押してもし仮に体力全回復したところで、結局クールダウンを早めに切り上げるなんてことはしない。

 『初詣行ったら神様的な何かに疲労消してもらったから練習させろ』とは、流石に言えないし。

 

 となると、スキルptが有用な気がしてくるが……。

 でも、これ選ぶと私の今年の初詣のお願いが『お姫様だっこを極める』ことになるから、流石にそれはイヤなんだけど。頭お花畑すぎるでしょ、その願い事。

 

 もう選択肢で入る恩恵を全部無視して、単純に願い事として最も丸いのは真ん中の選択肢。偉大なのは説明不要なレベルで分かっているけどねえ、でもこの黒い靄を参考にするのかあ……。

 あっ! 選択肢には『名誉の殿堂ウマ娘』としか書いていないから別の『殿堂入り』を目標にしちゃえば良いのか、流石にボストンとかならもう現役引退してるでしょ、19世紀の競走馬だしウマ娘世界的には神にでもなってるかもしれん。8年間で45戦40勝のウマ娘、実に素晴らしい戦績だ。

 

 ……って、そんな邪なことを考えていたら、黒い靄は一旦私を包み込む。

 目を閉じている中で再度視界が真っ黒に染め上げられ、次の瞬間には何事もなく、元通りに――

 

 

 かにみそを食べる!          

 

 偉大な名誉の殿堂ウマ娘を参考にする! 

 

 お姫様だっこを極める!        

 

 気性難を磨こう!!!!!!!     

 

 

 ――第4の選択肢が増えてるじゃん!? しかも、また気性難かい!

 この黒い靄は気性難を、滅茶苦茶勢いでプッシュしてくるけれどもそれを選択したら一体何が起こる……いや、絶対選ばないけどさ。

 

 

 強制一択とかにさせられないうちに、早急に結論を出す。

 スキルpt目当てで『お姫様だっこを極める』なんて願い事を新年早々するのはイヤ。だから消去法で『偉大な名誉の殿堂ウマ娘を参考にする!』を選ぶしかないかな。

 

 

 

 *

 

「――サンデーライフちゃん! 願い事長かったね?」

 

「いや……まあ、そのアイネスさん。色々ありまして……」

 

 あれだけのことがあった割には、再び目を開けたときに数十秒程度しか経過していなかった。けど、そうは言っても参拝で数十秒黙祷しているのは、長めな方だろう。

 

「サンデーライフちゃんは何を願ったの?」

 

「……偉大な先達に少しでも追い付けるように、と」

 

 嘘は言ってない範疇だろうこれなら。『お姫様だっこを極める!』だったらここで詰んでた。

 

 それでアイネスフウジンにも何を願ったのかを聞く。

 

「え、あたし? ……実はライアンちゃんと約束したの――宝塚記念で戦うって」

 

 ……史実・アイネスフウジン号は日本ダービーを最後にして引退しているのは周知の通りだ。だから日本ダービーより先に彼女のウマソウルが指し示す道は無い。

 けれども。アイネスさんは、『ウマ娘』として次なる目標を見つけていた。

 

 宝塚記念。それは史実メジロライアン号が勝利したレース。そこに史実では引退しているアイネスフウジンが出走することがどれだけの価値のあることなのかは、私はきっと誰にも共有することはできない。

 

「……宝塚記念ですか」

 

「そうなのっ! でも、ライアンちゃんだけじゃなくて、もっと色々な子と戦いたいの! もちろん、サンデーライフちゃんともね!」

 

 ……いや、仮に戦うとしてもGⅠでぶつかることは無いと思うよ。

 

 

 

 *

 

 分かっていたことだが、アイネスフウジンも春シニア三冠にある程度意識を向けている。春の天皇賞は距離が長すぎて出るか微妙なところだが、それでも宝塚記念に調子のピークを持ってくるはずだ。

 

 となると、やっぱりこの冬の間のレースは狙い目である。なるべく早めに出たいということで葵ちゃんとも相談した結果、今まで通りの1ヶ月ローテでなら何とかという結論になった。ということで1月後半、ないしは2月の前半辺りにあるレースに狙いを定める。

 

「……葵ちゃんのオススメは白富士ステークス、ですか」

 

「はい! ……とは言っても、そこまで大した理由ではないですよ。

 サンデーライフは平地再転向の初戦に重賞レースを選ばないかと思いましたのでそれらを除外して、最も長い距離のレースを選んだだけです」

 

 流石に障害から平地競走への再転向はレアケースとなる。だから障害転向時よりは遥かにノウハウが乏しい。それでも3000m近い距離を障害物込みで走っているところからいきなりスプリント路線にするということを葵ちゃんは避けようとしたということだ。

 

 ……阿寒湖→清津峡のローテは2600mから1200mへの急激な距離変更ではあったけど。

 

 で、肝心の白富士ステークスは東京レース場の芝・2000m。中距離だ。

 

「私としてはダートの短距離がこの時期のオープン戦には豊富で分散しそうだから、こっちが良いかな、と思っていたのですが、葵ちゃんが中距離を選んだ理由は何でしょう?」

 

 すばる、大和、バレンタインの3つのステークスがダート短距離のオープン戦として固まっていて。何よりこの時期にはダート路線の本命であるJpnⅠの川崎記念が存在するからダートこそが空き巣しやすいと私は考えていた。

 川崎記念自体は短距離では無いが、ダートの有力ウマ娘は確実にそちらを狙うはずだし、ダートスプリンターであればGⅢ・根岸ステークスが視野に入る。

 

 だから葵ちゃんの視点は、レースの狙いやすさではないはず。

 

「『阿寒湖特別』や障害の未勝利戦で時折見せていたあの『最終直線での僅かな伸び脚』……あれが、もう少しモノに出来れば、と思っているのですよね。

 だからなるべく長めのレースで、どれだけラストスパートで加速出来るのか確認したい……というのがあります」

 

 あー……あわよくば入着を狙うスタンスではなく、確実に次に繋がる戦術の最終調整のための実戦という位置付けか。

 あの『伸び脚』が残りのスタミナに左右されているということは話している。もしかしてこれこそ固有スキルなんじゃないかって一瞬思ったが、でも私『領域』とか『ゾーン』とかまるで感じたこと無いし、多分これって通常の技術的な延長軸にあるものだと思う。

 

 確かに上手く使えれば、『逃げて差す』ことだって出来そうなものだ。葵ちゃんがこだわるのも分かる。

 

「あ、あと……これを言うと反則かなーって思っていたのですが……」

 

「……?」

 

「ハルウララさんの前走はJBCスプリントで昨年を終えていて次走が未確定です。

 国内にしろ国外にしろ、そろそろ調整のためにレースに出てもおかしくない頃合いかと」

 

「……白富士ステークスでお願いします」

 

 

 ハルウララが今の時期に出るとなったら一番可能性が高いのは根岸ステークスだ。ウララ回避勢がオープン戦のダートに集中するのであれば今までの私の話はまるで異なる。

 確かに、それは私にとって反則級の説得材料だった。

 

 

 *

 

 そして白富士ステークスの出走登録はつつがなく完了した……というかフルゲート18名に対して定員割れして17名の登録でそのまま確定。

 

 17名の中に私の知っている名はそこそこ居たけれども、特に気になってマークすべきだと思ったのは次の4名。

 

 

 ゴーイングスズカ。

 トウカイポイント。

 コイントス。

 

 ――そして、ヤマトダマシイ。

 

 

 いや、まさかその名をシニア級で聞くことになるとは夢にも思わなかった……。



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第33話 シニア級1月後半・白富士ステークス【OP】(東京・芝2000m)

 ゴーイングスズカ号。史実においてはサイレンススズカの1世代上でかつ同じ馬主が所有する僚馬。勝鞍はGⅡの目黒記念だが、宝塚記念で4着、UAEへの海外遠征となるドバイシーマクラシックでも入着するなどしている。

 トウカイポイント号。GⅠのマイルチャンピオンシップの覇者であり、海外遠征となるGⅠ・香港マイルでも3位。元々はオグリキャップやユキノビジンのように地方出身だが中央に転籍して実績を挙げている名マイラーなのである。

 コイントス号。生涯26戦4勝と勝鞍は伸びない一方で、2着・3着が実に12回。シルバーコレクター・ブロンズコレクターとしては歴代最高峰の実力を有する。なお重賞未勝利馬の中で馬券内着順回数は歴代1位タイの記録を持っていたり。

 

 

 ここまではアプリ実装キャラではないものの、中々の粒ぞろいの面々である。実装キャラとして見知った面々がいずれも超一流であることから、そこと比べてしまうと狙い目のように見えてしまうかもしれないが、この三者。

 いずれも私が目標としている賞金3億円を全員、史実では達成していると言えばその凄さが多少なりとも伝わるかもしれない。

 

 そう、ここまでは。

 

 問題なのはヤマトダマシイである。

 史実戦績は2戦のみでデビュー戦と1勝クラスだけ。しかも、その2戦目にして骨折し、そのまま予後不良となった競走馬である。確かにアイネスフウジンやアグネスタキオンが負傷引退することなくシニア級に入っても現役を続行している世界だから、こういうことがあるとは思っていた。それ自体は非常に喜ばしいことである。

 でも対戦相手としていざぶつかるとなると。史実戦績がたった2戦だから情報がまるでない。しかもデビュー戦で出遅れからの後方一気でマイル戦を3バ身圧倒勝利。

 

 脅威であることは間違いないが、遂に私の中にあるデータで全く想定が出来ない相手が出てきてしまった。

 

 ゴーイングスズカは中長距離の先行型。トウカイポイントがマイルが主戦の差しで、コイントスは幅広い距離適性と先行・差し気味のタイプ。

 競走馬としてもウマ娘としても、それはデータで分かる。だが。

 

「葵ちゃん、ヤマトダマシイさんのデータってあります?」

 

「あるには、ありますが……」

 

 そう言われて出されたデータに書かれていたのは、シニア級のこの時期なのにも関わらず『3戦3勝』というあまりにも少ない出走数。

 

「2戦目のPre-OP戦で勝利した際に負傷して、そのまま長期療養に入って丁度先月の12月に復帰したばかりです。

 そこでは2勝クラスの中距離戦で他の子を圧倒して勝利しております。だから3勝クラスを飛ばして格上挑戦を志すのは正しい戦略ですが、相手取るとなるとデータとして役立つものは殆ど無いですね」

 

 

 ウマ娘になった影響か何かでデビュー時期が若干早まっていて、2戦目での負傷から見るとほぼ1年は治療に充てていたと見える。そして1年のブランクをものともせずに2勝クラスを易々と突破か。戦術も1戦目が出遅れからの追込切り替え、2戦目が負傷しながらも差し勝利で、3戦目は先行、と来ている。

 もう予想も何も出来ないよ、そんなの。

 

 

 そしてアプリのメインストーリーにて『デビュー戦で圧巻の勝利をした後、期待されての2戦目――デビューしたばかりとは思えない絶好の手ごたえで最後の直線を駆け上がるも崩れ落ちるようにして転倒して競走中止』したウマ娘が居ることに言及されている。ヤマトダマシイ号は最終コーナーの時点で既に失速していたために一部該当しない部分もあるが、ここで言及されているウマ娘と近しい史実経歴を有している。

 と、いうことは。この世界はアプリのメインストーリー時空からもずれている……って、チーム・シリウス自体が存在しないから事実の再確認に過ぎないけれども。

 

 

 有力ウマ娘が先行から差しに多く集まっている以上は、通常のレース展開で私が高順位を記録することは難しい。もう、そういうレースしかない気もするけどさ。そして他の子だってネームドに引けを取らない水準の子たちが集まってきている。

 

「でも……白富士ステークスでは、『伸び脚』のチェックでしたよね? 葵ちゃん」

 

「はいっ! ……とはいえ、どうしてもレース展開に依存するかと思いますので、出せれば、で構いませんよ。無理ならば、それはそれでレースの推移とともにデータとして使えますので!」

 

 

 となると、作戦は先行だね。練習はフォーム調整を続けた方が良いから特にレース用に準備するとかはしないで突っ込もう。

 

 

 

 *

 

 東京レース場・芝2000m。天気は晴れで良バ場。

 オープン戦・白富士ステークスは第11レース――本日のメインレースとなる。

 

 去年出たオープン戦の鳳雛ステークスもメインレースではあったけれども、あれは第10レースだった。

 

 あの時は期間限定のオープンウマ娘というお情けのような形で出させてもらったと私は認識しているが、今回は正真正銘のオープンウマ娘としてのレースだ。

 そしてメインレースということは、今日東京レース場で出走しているあらゆるウマ娘の中で最も格式が高い面々が集結していると言っても過言ではない。

 

 アプリではGⅠレース以外は大したことない印象であったけれども、オープン戦というのは本来はかなりの上澄みなのだ。平地競走のオープン戦昇格割合は一説には中央所属のうち3%ととも言われている。もうずっと前から私はその上位3%に仲間入りしているのだ。

 

 フルゲート18名のうち出走するのは17人。

 

「7番人気は3枠6番サンデーライフ。……障害からの再転向、ということを踏まえるとこの人気は高いと見るべきでしょうか、低いと見るべきでしょうか」

 

「難しいところですね。彼女は話題性で人気が投じられることもあり得ますから。平地13戦、障害3戦ですが、まだまだ未知数な部分も多いです。好走に期待したいところですよ」

 

 人気は……まあ、実況・解説も言う通りあるのか無いのか良く分からない状態。それよりも大事なことは3枠ということでギリギリ内枠ということ。

 というのも、2000mの東京だとコーナー奥のポケットスタートになることから第2コーナーまでの距離が極めて短く、先行するなら内枠が圧倒的優位に立てるからだ。運ゲーには勝った。

 

 そしてトレセン学園からも程近い東京レース場だが、私は初めてここを走る。

 簡単に東京レース場を見ると、向こう正面と最終直線に2つ上り坂がある。坂が2個あるところは福島と一緒だが、問題は福島よりも起伏が激しく高低差2m前後あるという点。数あるレース場の中でもかなりハードである。

 

 これに加えて最終直線が圧巻の525.9m。新潟レース場外回りを除けば最長である。しかも新潟のようにカーブが急ではなく緩やかな上に、コースそのものの幅員も広々としている。加えてコースの使い分けで、夕方のレースにありがちな内枠側がボコボコみたいな影響も最小限に抑えられている。

 

 まとめると、純粋な素の実力がそのまま勝敗に直結しやすくジャイアントキリングが起きにくくなるような工夫がされている。

 つまり、私にとって好ましくないレース場ということだ。小手先戦術に対して実力でぶん殴れるタイプのコースだから相性は正直、絶望的である。

 

 そういう王道コースだから、目と鼻の先にトレセン学園があるのだろう。

 だから、こういうことが起こる。

 

 

「サンデーライフちゃん!! 頑張るのー!!」

 

「あの……なんで、アイネスさんが応援に来ているんですかね……」

 

「行きたいって思ったからなの! でもライアンちゃんを誘ったら大所帯になったの!」

 

「アイネスから話は伺っていましたよ、サンデーライフさん! あ、メジロライアンです……って何だか初対面って気がしませんね……?」

 

「そうですね……アイネスさん繋がりでライアンさんのことは私も聞いていましたからね……」

 

 

 土曜日の夕方のレースで学園すぐそばだから、今までと違って応援に来ようと思えば行ける距離なのだ。で、今日は白富士ステークスがメインレースだから重賞レースがある日ほどには混雑していない。

 ただアイネスフウジンの付き添いで同室のメジロライアンが来て。ライアンの付き添いでメジロ家で私と関わりが深いメジロパーマーも来て。パーマーの友達繋がりでゴールドシチーが予定を合わせて来て、ゴールドシチーと同室のバンブーメモリーが来るという始末。

 いや、応援に大物ばっかり来すぎでしょ。

 

 まあ百歩譲って友達の平地競走復帰レースが近場でやっていて、暇だから来たということはあり得る話だから認めよう。

 

 でも7番人気の下に来て良い応援組じゃないよ!?

 

 

 他のレース出ている子が明らかに、こちらをビビりながら見ているし……。

 

「……サンデーライフは今日のレースで誰が一番ヤバいと思っているっスか?」

 

「うーん、やっぱり情報が全然無いヤマトダマシイさんですね。

 5番人気ではありますし格上挑戦ですけれども、下手すればGⅠクラスの実力はあると思いますよ」

 

 そんなことを出走直前にバンブーメモリーと話していたら、ゴールドシチーにこう突っ込まれた。

 

「いや……レース直前で良くそこまで、いつも通りでいられるよねアンタ……」

 

 それに苦笑いしつつ、ゲート周りの職員さんたちが慌ただしくし始めたので、雑談も適当に切り上げてゲートへと向かうことにした。

 

 めっちゃ他の出走者に見られてるよ……そりゃ逆の立場なら絶対気になるけどさ。

 

 

 

 *

 

「ゲートイン完了……スタートします! ……ちょっと、ヤマトダマシイのスタートが良くなかった、他はまずまずのスタートです。

 しかしヤマトダマシイは強引に前へ行きまして、ハナを3名で争っています」

 

 17人居るから、8番手から9番手くらいが真ん中になる。先行策をとるとはいえハナを進む逃げ集団は考慮外。先団後方から差し集団の間くらいに潜り込んで、そこでスリップストリームの恩恵を受けるのがベストだが、最終直線の長い東京レース場では差し・追込が優位なのは確か。

 だから前の集団は少なめになると思う。ただ、早くも第2コーナーに差し掛かるので、向こう正面に入るまでは一旦判断を保留する。

 

「各ウマ娘、ポケットから向こう正面へと進んでいきます。先行組は4人が固まっている形で横一列に並んでおります。その後ろにコイントス、その外を行きますのはサンデーライフ」

 

 私の隣にいつの間にかいたコイントスを除くと、前には7人。そのうち1人はヤマトダマシイだが、どうやらゴーイングスズカは自身の得意戦術である先行ではなく差しか追込を選択した模様。で、トウカイポイントは前に居なそうなので恐らく差しだろう。

 

 うーん、コイントス相手にスリップストリームを使っても、それを嫌って躱してくるかもしれないので、前を走っている先行集団のすぐ後方に付こう。

 そう思って少しだけ加速したら、横並びだった4人の中からちょうど良く1人が垂れてきてくれたので、その子の背後にぴったりと付く。

 ひとまず、これで風除けは完成。多少前の子が垂れてコイントスに抜かされたとしても、このまま風除けとして活用するつもりだ。流石に差し集団の位置まで落ちるようなら考え直すけど。

 

 

「3ハロンを通過してのタイムは……36秒5。ほぼ平均ペースと言って差し支えないでしょう。この辺りから向こう正面の坂に入ります」

 

 ペースはやや早いかな。ただし大きな動きはない。現状維持で様子を見る。

 

 そのまま長いバックストレッチの直線では特に何も起きずに第3コーナーに入る。そのときコイントスがややペースを上げて先行集団前方の子たちに並ぼうとする……が、そのコイントスのペースに気付いたのか先行集団全体のペースが上がった。

 

「逃げ集団と先行集団先頭の間の差はおよそ2バ身まで縮まってきたところで第3コーナーの中ほど。先行集団は6人が混戦気味ですね」

 

 コイントスは一旦順位を上げていたが、先行集団のペースが上がったことで順位を下げる。その隙に私の後方で外側に回るのを足音で感じた。

 ただペースが上がっているのは見える範囲だと先行集団だけかな、逃げとの距離が縮まっているからレース全体でみればペースはそこまで上がっていないかも。コイントスがロングスパート準備の構えを見せてきたので私もちょっと考えるが、流石に最終直線500mオーバーで第4コーナーに入るかどうかという場所からスパートはかけられない。

 

 ちらりと後方も確認してみると、差しの中団も先行に迫ろうかという勢いでペースを上げていて、その中団先頭はゴーイングスズカだった。

 

 ……ってことは、先行以上に差し全体が掛かっている?

 ペースアップするタイミングが早い気がする。

 

「各ウマ娘、第4コーナーから最終直線に差し掛かろうとしておりますが、依然先頭は変わりません! 後方集団はペースを上げており、このコーナーで順位を3つ、4つと上げたのはトウカイポイント! 前を走るゴーイングスズカとサンデーライフを抜き去り9番手にまで上がってきました」

 

「これは早い仕掛けですね。平均ペースでのレース展開でしたので、恐らくどの子にもまだチャンスはあることでしょう。最終直線の攻防に期待です――」

 

 

 これから長い長い最終直線での競り合いが始まる。



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第34話 戦える材料

 東京レース場の最終直線には勾配2mのキツめの坂がある。それは2ハロン棒の手前から始まり、大体100mくらいは続く坂。

 福島では坂を上り切った後に50mも無いが、東京では坂の後にさらに約1ハロン半――300m近くある。

 

 長い直線。逃げの子たちは垂れてきている……訳ではないが、既に先行・差しのペースアップに飲まれつつある。まだ辛うじて先頭をキープしているものの、逃げから差しまでの集団はほぼひとかたまりになったと言って差し支えないだろう。

 で、トウカイポイントが早めのスパートをかけたことで、差しの全体ペースはもうスパートに近い状態になっている。

 

 追従しなければ、抜かれる。が、まだ500m以上残っているからスパートには早い。

 ……見送るか。私は加速も減速もせずにスリップストリームから脱した。

 

「おっと、先頭はヤマトダマシイが1足先に抜ける形となりました。他2人はバ群に沈んでいきます! ヤマトダマシイの後ろは一塊となって大きく横に広がっております」

 

「これは後方のウマ娘はこの前の集団を抜きにくいですね」

 

 ――差しの子たちが、1人、また1人とスパートをかけ私を抜かしていく。前が多いので後ろをもう一度確認すると後方には4人――だから13番手。

 横に大きく広がっているから、順位ほどには先頭のヤマトダマシイから離れているというわけでもない。6人くらい広がっている感じだねこれ。

 流石に内からは抜けないので、外に大きく膨らむしかない。幸い後ろのことはあまり気にせずに進路を変えられるから、ここで外へと開いていく。

 

 ラストスパートの掛けどころは――坂。

 そして『伸び脚』は、その坂の後、ギリギリまで取っておく。

 

 さあ……どこまで行けるだろうか。

 

 

「さあ、坂に入り順位は大きく揺れ動いていきます! 先頭は変わらずヤマトダマシイ! ですが、トウカイポイントとゴーイングスズカがすごい勢いで先頭集団を躱していく! その後ろからコイントスも上がってきた!

 そして更に大外の後方からは、サンデーライフ! 一度沈んだサンデーライフも坂で大きく順位を上げていきます!」

 

 すぐ前に居る子たちのペースが坂でもほとんど落ちない。とはいえペースアップしているわけでもないから、坂でスパートをかけ始めた私は1人、2人と抜くことが出来ている。

 が、もう先頭集団の失速は期待できないだろう。

 

 坂を越えても尚――10番手。前は遠い。

 

「ラスト1ハロンの攻防ですが、コイントスのペースが早い!? 前を行くトウカイポイントとゴーイングスズカの2人の間をすり抜けて3番手までやってきました! 先頭ヤマトダマシイも粘ります!」

 

 ラスト100m。

 ――ここで温存していた『伸び脚』を使う。

 

「トウカイポイントがゴーイングスズカを躱して前に出ましたが、そこから先が厳しいか!? 一方、コイントスはまだまだ上がっていきます! また1人抜かして遂に先頭のヤマトダマシイとの一騎打ちです!

 追うコイントスか!? それとも、逃げるヤマトダマシイか!? 並んだ、完全に並んだぞ! あと50mも無いが――いや! 抜き去る! コイントス抜き去ってそのままゴールイン!

 

 紙一重の勝負を制したのはコイントス! 見事、ターフの上で表裏をはっきりと示しました――」

 

 

 

 *

 

 1着がコイントスで、2着がヤマトダマシイ。

 4着にトウカイポイントが入り、5着ゴーイングスズカ。ここまでが入着組。

 

 私の順位は――8着だった。

 

 

 ――そう。17人中の8着だ。

 

 前のなんちゃってオープンウマ娘であったときの鳳雛ステークス、あの時は16人中の11着であったことを踏まえれば、クラシック級だった頃よりは戦えるようにはなってきている。

 

 応援しに来てくれたファンの方々は落胆の色を見せているのは分かったけれども、とりあえず一礼だけして。後は来てくれたアイネスフウジンたちにも軽く言葉を交わす。

 

「いやー、負けましたねえ。流石にまだまだ厳しいですねー……って難しい顔してどうしましたゴールドシチーさん?」

 

「……負けた直後でも普段通りとか大物だよ、アンタは」

 

「あー……えっと、普段はもうちょっと悔しくはありますけれども……流石に不利が重なっているとこれくらいが限度ですね、障害からのフォーム修正も終わっていませんし。それに着順こそ8番手ですが、結構混戦だったようで前との差は多分順位程には大きくないですよ――ほら」

 

 電光掲示板に出ている5着まででも2バ身以下の差しかない。ヤマトダマシイなんてコイントスにクビ差まで迫っている。

 

 そして、このタイミングで丁度良く葵ちゃんが合流する。

 

「……葵ちゃん、コイントスさんとの差はどのくらいですか?」

 

「えっ!? あ、はい。サンデーライフが他の子とのタイムの差を気にするのは珍しいですね。

 ……目分量ですが、こちらから見たときは4バ身を少し超えるくらいで5バ身に届かないかと。正確な数字は記録まで待ってもらいたいですが――」

 

 

 ――そう。4バ身差まで迫っていた。

 

 

「……覚えてます? ゴールドシチーさん。

 私は新潟であなたと未勝利戦で戦ったときに、たった1000mの直線で6バ身の差があったのですよ……スプリンターでも何でもないゴールドシチーさんに――」

 

「……っ! サンデーライフ、まさか――」

 

 

 一緒にレースに出ていないメジロライアン、それとアイネスフウジンを除いた、ゴールドシチー、バンブーメモリー、メジロパーマーは全員彼女らが本来主戦とする戦場の外で戦っていて。

 アイネスフウジンに関しては初見の大逃げを強要させた相手。

 

 しかし今日のレースはチャンピオンディスタンスの2000m。この距離を得意とするウマ娘はかなり多い中で、純粋に地力が出やすいレースで、奇策をほぼ使わずにネームドと4バ身差まで詰め寄った。

 

 

 4バ身の差は確かに1つのレースとしてみれば大きいかもしれない。

 けれど……ね?

 

 

 有力ウマ娘がひしめく芝・中距離での差と見れば――?

 

 そして私は中距離路線に固執する必要が全くないのだから、この数字の意味は大きく変わる。

 

 

 ……戦える材料は――揃ってきている。

 

 

 

 *

 

 2月に入った。

 2月と言えばアプリ的にも、というかウマ娘関係なくすべての女子にとって大事な一大イベントが待ち受けている。

 

 

 ――そう。

 

「サンデーライフちゃん! 鬼は外なのー! ……ほら、ファイン殿下も一緒に投げるの!」

 

「どうやって投げれば良いのでしょう……? 取り敢えず、やってみますね。サンデーライフちゃん、お覚悟っ! えいっ!」

 

「……ひぎゃっ! ちょっとちょっとファインさん……人に向けて良い弾速じゃないですって、それ!」

 

 それは、節分である――って違うよっ!

 ファインモーションが日本の文化交流名目でアイネスフウジンと私に節分体験を誘ってきて断ることでも無いので受け入れたら、何故か鬼役にされた。そりゃファインモーションにやらせるわけにはいかないから二者択一だったけどさ。

 で、ファインモーションは滅茶苦茶綺麗な投球フォームで私に向かって投げてきた。めっちゃ球速早くてビビった。大豆じゃなくてもっと大きい物体投げていたら、物理攻撃で鬼倒せるよ、あれ。

 

「はあ……はあ……、ひどい目に遭いました……」

 

「サンデーライフちゃん、ごめんなさいー。

 私、全力で投げないと『節分』の呪術的効果が無くなっちゃう、と思ったから……」

 

 うーん、どうなんだろうね、実際。鬼を払うなら全力投球した方が良さそうな気もするけれども、あんまり節分の『呪術効果』に期待することって無いから分からない。

 

 

 ……って! 節分も大事だけどっ!

 2月の乙女の行事と言えば、もっと別のものがあるでしょう!

 

 

 

 *

 

「――よーよなんぞうどの」

『よう』

「町を数え候、東の町に一万町、西、北、中――」

 

 

「あの……ファインさん、これは?」

 

「田遊びって日本の伝統行事なんでしょう? 節分と一緒に2月を代表する行事だって聞いていたから、楽しそう! って思って――」

 

 別の日に同じアイネスフウジンとファインモーションというメンバーでとある神社を夜に訪れていた。境内の中央には米俵や田んぼで使う農具などが積まれていて、それを和装をした人たちが囲み、言葉を唱えたり、踊りを奉納していた。

 私達以外にも結構見物のお客さんは居たけれどさ。

 

 ――これ、節分のときとは違ってガチの日本文化交流じゃん!!

 

 田遊びって行事、全然知らなかったよ私。どこからファインモーションはこれを仕入れてきたんだ……。

 

「……寒いの……。すっごく寒くて指がかじかむのー……」

 

 そして一緒に来ていたアイネスフウジンは行事をやっている中央から離れて隅の方にあった焚火? どんど焼き? とにかくその炎で暖を取っていた。

 

 見るとお客さんの半分くらいは行事よりも、そちらで暖を取っている。そりゃあ、2月の夜ですからね、寒いよ。

 

 

 ……まあ。これはこれで得難い経験ではあるんだけどさ。

 もう流石に突っ込んで良いよね?

 

 

 2月と言ったらバレンタインでしょ、普通!?

 

 

 

 *

 

 バレンタインデー。

 ウマ娘のアプリ的で言えば固有スキルレベルを上げてくれる日。以上。

 

 いや、人の心とか無いのかって話になってしまうが、一旦そこだけで考えたときに問題点が2つある。

 まず、そもそも私って固有スキルは多分無いよね。あの最終直線の『伸び脚』が疑わしいけど、まるでゾーンみたいなのに入っていないし。

 え? 推定サンデーサイレンスから貰っているかもしれない気性難の固有スキルっぽいやつ? ……あれは他人の固有スキルだから関係ないでしょ。仮に貰っているとしても、セイウンスカイの『アングリング×スキーミング』を他の逃げウマ娘に因子継承させているようなイメージだし。

 バレンタインで気性難上がるとかやだよ私。

 

 で、何が上がるにせよもう1つの問題がファン数。芝路線だと6万人でダート路線では4万人必要だったけれども、私のファン数ってこれを超えているのだろうか。

 何となく、あの『王子様』扱いの一件とかでいってる気もしないでもないのが怖い。でもレース分だけだと、そこまで届いていないとは思う。だからその辺りも未知数だ。

 

 足りてないなら足りてないでスキルptを貰えると考えれば、それはそれで良いかもしれない。いや、実際どこまでアプリの出来事を現実で発生すると信じて良いのかは分からないけどさ。

 

 ということで、いざチョコをつくろう! となっても早速問題が浮上した。

 

 

 作る場所が無い。

 

 いや、考えてみれば当たり前の話なのだけれども、このトレセン学園には数千人規模で生徒が在籍しているわけで。『バレンタイン』みたいな分かり切っている行事が目の前に差し掛かっていたのだから、既に食堂とか寮の共用キッチンとか家庭科室などは軒並み貸し出されていた。キャンセル待ちですら膨大に予約が入っている。

 

 まさか寮暮らしであることがこういうところでデバフとして降りかかるとは。もしかしてチョコ作るためだけに実家に帰ったりしているのだろうか、みんな。行動力の化身か。

 

 かくなる上は、大人げない手段を使う。

 

 

「……え? レンタルキッチンを借りて友達同士でお菓子作りをする、ですか?」

 

「はい、葵ちゃん。一応監督役の大人の方も確保しているので、学園提出用の説明書類に瑕疵が無いかをチェックして頂ければ」

 

 よくテレビ番組やYouTuberなどが撮影で使っているキッチンを私の名義で借りてしまおうというわけである。

 まあ内々での利用で売ったりするわけじゃないから、特に必要も無いのだけれども『菓子製造業許可』の認可が下りているスペースを使うことにした。この辺は、衛生面に関しての私の気持ちの問題である。それでも1時間5000円くらい。余裕を見て4、5時間くらいは取っておこうかな。

 当然、無駄遣いではあるし、こういう生活をしているようじゃ3億円貯めたってすぐに無くなってしまうという自覚はあるけどさ。でも現役で稼げるうちは、こういう散財をしても良いでしょ、多分。

 そもそも、あまりお金使ってないからね私。カニだって全部奢ってもらっていたわけだし。大きな買い物って資料室のソファーくらいだ。

 

「……サンデーライフ。別にそんなことをしなくても、言ってくれれば私の家のキッチンくらいなら貸しますし、スペースが足りないなら本家の厨房が使えるか掛け合いますよ?」

 

 そして、葵ちゃんならこういう反応するかもなあ、とも思っていた。

 

「主に私の『クラスメイト』のお友達などを誘う予定でしたが本当に大丈夫ですか? 彼女らに葵ちゃんを紹介すると多分、お菓子作りどころじゃなくなってしまいますが……」

 

「あー……すみません、それは私が軽率でしたね。

 ありがとうございます、サンデーライフ。そこは見逃していました……」

 

 レースで仲良くなった子たち以外にも、普通に私の友達は居る。だけど彼女たちのほとんどはPre-OP戦で四苦八苦している子たちだったり障害未勝利で燻っていたりする子だ。オープンウマ娘は基本少数派である。

 その状況で葵ちゃんと会わせてしまえば、逆スカウトを熱望する子が出ることだってあり得るわけで。だって『桐生院葵トレーナー』としてならば、ハッピーミークを見れば有記念やJBCスプリントといったGⅠ、JpnⅠへの出走をさせる手腕があって、私の障害転向にも付き合えて、しかも両者の全距離・全脚質適性に付き合えるだけのノウハウがあるのだから、そりゃ誰だって彼女に指導してもらいたくもなる。

 

 だけど、今のところ葵ちゃんが私とハッピーミーク以外を受け持つつもりは無いようで。というか、もしかしなくても私のサポートをすることの負担がデカすぎるからが最大の原因なんだけどさ。

 

 だからそんなことで不用意に友人関係に亀裂が走るくらいなら私費を投じるよ、それくらい。2万円、3万円をケチって友達失うとか無いでしょ。で、学生だけだと不安もあると思うので引率には私がずっとお世話になっていた全体監督のトレーナーさんのスケジュールを融通させていただいた。

 あの全体トレーナーさんも、注目度だけは異様に高い私のことを葵ちゃんが来るまでは管理していたことになるので、実は評価が上がっているらしい。だから休日出勤を強要するくらいは要求できる力関係にあった。

 

 そういう訳で、葵ちゃんに書類を見てもらって、多少の修正と『トレーナー』としての承認の印を貰って無事私はレンタルキッチンを借りることが出来た。

 

 

 つまり。

 バレンタインを戦えるだけの材料は――揃ってきている。



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第35話 シニア級2月前半・バレンタインデー

 バレンタインのお菓子作りのためにキッチンごとレンタルしました。

 家庭科室とかが借りられないから外部のキッチンを調達する、という考えのウマ娘は今まで中々居なかったようで、クラスの子たちに話したときには結構驚かれた。

 

 とはいえ、従来の事務手続き外のイレギュラーな申請書類の提出にトレーナー引率の確保というハードルの高さから、あまり後追いする子は出ない気がする。

 一応、申請書類のフォーマットは『合宿の申し込み』の転用だ。期間を日帰りにして、合宿の目的をレースの技術向上ではなく、料理スキルの習熟……もっとオブラートに包めば『勉強会合宿』としての方向性で強引に通した。だから公的には私のトレーナーとなっている葵ちゃんからの承認と全体トレーナーさんを引率で確保する必要があった。この時点で葵ちゃんにサプライズするとかは断念した。

 だから学園上層部には、『職能技能習熟のための1日合宿』くらいのお堅い文面で書類を通している。理事長もたづなさんやシンボリルドルフだって内心爆笑しながらその申請書類に目を通したに違いない。

 まさか合宿制度をバレンタインに悪用する生徒がいるなんて、想定していないと思うし。

 

 で、クラスの子たちや私のルームメイトも、キッチンの需要過多状態には困っていた子も多くて結局、いろいろあって十数人規模になった。結構広めの場所を借りたから多分何とかなるとは思う。それに1人で全部作業する子も居るけど、グループで役割を分担して作業するって子たちも居たので、全員バラバラで作ることにはならないから多分大丈夫だ。

 

 なおアイネスフウジンとかゴールドシチーにマヤノトップガンなどからも、いつの間にか私のレンタルキッチンの話を聞きつけて『一緒に作りたい!』って申し出はあったけれども、これは断った。

 いや私の感覚がバグっているだけで、普通の子はGⅠ級のウマ娘相手に気安く接せられないのよ。緊張でガチガチになって他の子がお菓子作りどころではなくなってしまったら本末転倒だと伝えたら、引き下がってくれた。

 

 ぶっちゃけ最近の私は知名度だけは伸びている。でもクラスメイトはメイクデビュー戦前からの付き合いだし、全距離・全脚質である点さえ除けば、能力的にもネームドよりかは手の届きそうな場所に私は居るしね。

 遊びのときの罰ゲームで壁ドンとかお姫様抱っこを私にだけ要求することが増えたことに目をつむれば、ほとんどメイクデビュー時と関係性に変化は無い。

 

 ……友達の中に私のガチファンだろうって子が居るのは、流石にバレバレだから分かるけどさ、それを私から突っ込むのは野暮ったいもん。

 

 

 そして大体はクラスメイトだけれども、別のクラスの子でも戦績がバグってなければ受け入れた、面識ない子は流石に遠慮してもらったけど。その中の1人にかつて審議ランプが灯った際に走行妨害の『加害ウマ娘』の疑いを向けられていたインディゴシュシュも一緒に来てくれた。

 

 と、いうことで。

 

「じゃあ、各々バレンタイン用のお菓子を作りましょー。まあ、何かあれば分かる範囲なら答えますので。

 あ、取り敢えず5時間貸切ですので、そこまでに作業を終わらせてくださいね」

 

 一応、後ろの予約が無いことと、もしかしたら延長するかもしれない旨はレンタルスペースの運営会社の事前連絡時に確認しているから実は大丈夫なのだけど、それは言わないでおく。あんまりだらだらやってもしょうがないしね。というか5時間もかなり余裕持っているはずだし。

 

 で、借りたキッチンは業務用でも使えるような場所で、キッチン以外にも簡単なダイニングスペースもあるから大人数でも大丈夫だ。当日になって欠席の連絡を入れた1人を除いて……13人か。何とかなるだろう。

 基本的な鍋とかフライパンとか、ボウルやバットなどは笑っちゃうくらいの量が備え付けで置いてあって、コンロやオーブン、レンジなども複数台設置されているから同時に全員使う! とかの事態さえ避けられれば問題は無いはず。

 オーブンシートやアルミホイルとか、竹串、割り箸みたいな消耗品は置いてないので事前に持ってくるように伝えているし、まあ……最悪足りなくなったとしても近くのスーパーとかに買いに行けば良い。貸しスペースだから立地条件は物凄くいい場所だしね。

 

 適当に駄弁りながら、皆が広げている材料を見ながら聞いていると作ろうとしているのが生チョコとか、ブラウニーとかオーソドックスなものからトリュフやアマンドショコラまで結構さまざま。というか、難易度高そうなのもあるけど大丈夫なのだろうか、知らないけど。

 

 で、私の材料。

 まず卵が2パック。そして無塩バターを3個。砂糖も袋ごとで後は薄力粉、ブラックの板チョコ6枚、ベーキングパウダー。そして何よりアーモンドプードル、これが一番大事。

 

「サンデーライフの量、業者みたいじゃん……そんな量、一体何を作るの?」

 

「ふふん……良くぞ聞いてくれました……これです!!」

 

 私はそう言って、取り出したのはシリコンの加工天板。既に四角形の型が10個縁どられている便利グッズ。これを3セット購入して持ってきた。

 

「もしかしてサンデーライフさん……フィナンシェ、ですか? でも、フィナンシェってそんなに材料使うものなのですか?」

 

「あー……えっと。90個作るつもりだから……うん」

 

 それを言ったらドン引きされた。しょうがないのよ、だって1人に2、3個入れて個包装して渡すとしても、私の交友関係考えたら20~30人分くらいは作らないとダメじゃん! それにオーブンの火加減のムラとかもあるから、ひび割れして見た目が悪いやつも出来ると思うので、その失敗作を味見用で振る舞うことも兼ねての量である。

 

 で、一応普通のフィナンシェとチョコ味のフィナンシェを半々で作ろうと思っている。普通のやつは実際のところお菓子作りの中でも大分簡単な方だと思う。生地が出来れば型に注ぎ込むだけだから、私個人としてはクッキーよりも楽だと感じている。

 大量生産を行う以上、手間なんてかけていられないし。でもその割には高級感が出るからお得なのよ、フィナンシェ。

 

 とりあえず私の最初の工程は焦がしバターの大量製造からスタートする。生地に使うやつだけど通常版とチョコ版のどっちでも必要になる上に、一度作っておけば放置ができるので。

 ただ、チョコの湯せん組とコンロが競合するから大丈夫かなと思ったら、皆が私にコンロの使用権を譲ってくれた。……まあ、個数を言ったらそりゃそうなるか。それに私が渡す相手のことまで考えが巡ったら譲りたくもなるよね。

 

「あはは……皆、ありがとうね。

 失敗作が出たら、食べさせてあげます」

 

 

 ――なお、私のガチファンと思しきお友達は、この発言をおすそ分けではなく『あーん』して食べさせてくれる権利と勘違いしていたらしく、実際におすそ分けする段階で自身の過ちに気付き露骨に狼狽えていたので、私も彼女が何を考えていたのか察して勘違いを現実にしたりしてふざけたりもしたが、それはまた別の話。

 

 

 

 *

 

「や、やっとできた……」

 

 お菓子作りと実験は計量が大事になるから似ている、というたとえ話がある。確かに普通の料理とお菓子作りで求められるセンスが違うのは確かだ。

 正しいレシピの再現をすれば料理もお菓子も美味しく作れるというのは一緒ではあるのだけれども、そのレシピからの僅かな誤差の許容点がお菓子はとんでもなく狭いのである。

 

 正直な話、料理であれば作り慣れてくれば醤油とか味噌とかをわざわざ計量せずに勘で何とかすることは出来るが、お菓子でその域までの難易度は段違いである……少なくとも私は無理。メジロ家に医療サポートチームに紛れてパティシエが居たのも、あれは全く誇張なく専門技術として抱え込むべき人材であることをこの上なく示している。

 例えばよくあるミスとして無塩バターの代わりに普通のバターを買う、みたいなのがあるけれども、あれをやるとお菓子が『塩でもぶち込んだのか!?』って思うほどしょっぱくなる。まあ塩クッキーとかそういう類のお菓子もあるからゴール地点次第では、これはこれでアリかもしれない、と偶然落ち着くこともあるけど稀だ。

 

 ……妙に詳しい? そりゃ、フィナンシェの大量生産を目論むやつがお菓子作り初経験なわけないでしょ。それなりに失敗を重ねてきて今ここに立っているってわけよ。

 

 実はフィナンシェ作りでも前にミスをしたことがあり、砂糖の計量を大きく間違えて作ってしまったことがあったが、そのときは何かドーナツの亜種のような食感のものが出来た。それは派手に間違えたときの例だけれども、ともかくレシピを遵守しないと同じ材料からでも全く別物が出来上がるというのがお菓子作り界隈なのである。

 

 後、お菓子作りに触れたことのある人間なら分かると思うけど、ぶっちゃけお菓子って砂糖の塊である。作る側に立つと、ドン引きするほど砂糖をぶち込むからある意味食欲が減退する。

 具体例を言えば、今日作った私の通常フィナンシェ。

 ――総重量の25%は砂糖だからね、これも。

 

 もしウマ娘の食欲で空腹から満腹になるまでスイーツだけを『パクパクですわ!』なんてしたら、太り気味どころか生命活動に支障が出るレベルだと思います、うん。

 

「うわあ……1kgの砂糖袋が半分以下になっているのを見ると――」

 

「サンデーライフ、それ以上口に出すのは犯罪だよ?」

 

 

 ちなみに、これは私の自作フィナンシェ分だけの話である。

 ここに居る全員の作った分の砂糖量は……いや、考えるのをやめよう。

 

 

 

 *

 

 ――そして、バレンタイン当日。

 私と一緒にレンタルキッチンでお菓子を作った子たちと引率の全体トレーナーさんには、当日はあげないことを言ってある。あれだけの量を作っていて足りない恐れがあることを伝えたら、可哀そうな目で見られたから同意は取れたと思っている。

 ちょっと全体監督のトレーナーさんには申し訳ないとは思ったが、一応あの日に失敗作の試食会には参加してもらったし、何より5時間の作業で量が足りるか瀬戸際のラインなんだこっちは。

 

 で、まずはそれ以外のクラスメイトの仲の良い子。事前に渡そうと考えていた子以外からチョコを受け取ってもその場で返すことはできないので、ホワイトデー組リストに書き加える。

 そして放課後は仲良くなったネームドウマ娘たちへのバラマキ攻勢。ひやりとしたのは渡しに行ったほぼ全員が私のためのお返しを事前準備していたということ。

 

 その中から一番ヤバそうなのを1つだけピックアップすると、ファインモーションからお返しで貰ったチョコは、青一色の箱には一切のブランド名が書かれておらず、裏側にハープの紋章だけが描かれていた。逆にブランド名が未記載でここまでのオーラを放つ箱というのも中々無い。

 

 そしてネームドを探している最中に、私に声を掛けてくる見知らぬウマ娘の子も数人居て、その子たちからもチョコを貰った。取り敢えず最低限名前だけは聞いて、後でこっそりメモしているが、たまに渡すだけ渡して逃げるように去っていく子も居る。

 自分自身が推されていることに関して現実逃避して考えれば、確かに推しと自分が会話するのが解釈違いってタイプの子も居るのは分かるからなあ……でも、受け取る側としては何も情報無いとお返しが渡せないのよ。

 

 その脚で、葵ちゃんの個室のトレーナー室を訪れる。

 

「随分とチョコを頂いているようですね、サンデーライフ?」

 

「あ、この紙袋の片方は自分のチョコを入れていた袋ですよ、葵ちゃん。

 そうそう、葵ちゃんにも渡しておきますね。ハッピーミークさんの分と2個渡しておくので渡しておいてくれますか?」

 

「はいっ、ありがとうございます! 私とミークからもサンデーライフにお返しを用意していますよっ!」

 

 そして渡されたのは1つの小包。というか連名なんだ。まあ、ハッピーミークからしたら私がどんな相手かさっぱりだし、逆にハッピーミークが何を選んでくるのかも全く読めないから、そこで不用意なすれ違いを葵ちゃんが避けた、ということなのだろう。

 

「……それで、あの。

 実はサンデーライフ宛に他の生徒から預かりものがありまして――」

 

「マジですか……」

 

 思った以上に外面『王子様』扱いの波及効果がヤバいな!?

 それと同時に思い至って、急いで私の管理する資料室に戻ってみれば、端によけてあった机の上にいくつか綺麗に梱包された箱が置いてあった。

 

 この資料室、大事なものが何もないから開けっ放しだったけれども、今日はとりあえず施錠しておこう。それとなく葵ちゃんのトレーナー室の方に誘導する張り紙付きで。

 

 結局、今日のトレーニングを終えて、寮の門限の時刻までに積み上げられたチョコの数は、一筋縄では食べ終わらない量になってしまった。私が渡した知り合い関係から貰ったのが30個くらいで、このほかにもう50個くらいあるのが初対面かほぼ面識の無い子から貰ったものだ。

 

「……どうしましょう、葵ちゃん」

 

「まあ学園の方からのは、一旦全部開けて、賞味期限の短そうなものから優先していくしか無いでしょうね。

 あと恐らくは本日の夜には、学園外から届いたプレゼントについての数の集計が終わると思いますので、そちらについてのSNSでの対応も後でお話しましょう」

 

「ごめんなさい……具体的な数は怖くて聞けないです、葵ちゃん……」

 

 そうだ。そりゃウイニングライブをやっている以上は、アイドル的な側面もあるもんね、ウマ娘。外部のプレゼントは本人の手の届くところまで来ることは防犯上の観点で無いものの、反応をするのが普通みたい。まあ去年はそもそもSNSやっていなかったからしょうがないと思ってくれ、古参ファンの皆さん。

 

 

 ……なお、外部から届いたバレンタインプレゼントの総数は結局聞かなかったが、集計に当初の想定よりも大幅に時間がかかって夜には終わらず一旦休憩を入れて15日の朝までかかったらしい――という話を聞いて、私は震えた。



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第36話 黄金の一片

 結局バレンタインは終わったけれども、実際固有スキルレベルの上昇とかスキルptの付与とかがあったのかは全く分からない。

 それで終わってみれば積み上げられたお菓子群。トレセン学園の生徒から貰った分だけでもかなりの量だ。一度に食べようとしたら『太り気味』どころか糖尿病まっしぐらである。外部からのプレゼントはトレセン学園の方針で生徒個人の手元には絶対に届かないので、そこはSNSで感謝のメッセージを告げてからは考慮外のこととなる。

 

 まず最初にやったのがデータ管理。一通り事務作業能力はある私だけど、ここは素直に葵ちゃんにも泣きついた。

 まず包装状態の写真と中のチョコやお菓子を撮影して、これを表計算ソフト上で生徒名との紐付けを行う。名前の分からない生徒から貰ったものに関しては、極力その生徒の特徴を覚えている範囲で書き出した。

 例えばウマ娘の耳飾りは結構特徴的で個性があるものだから、上手くすればそこから生徒を特定することも可能かもしれない。トレセン学園の生徒名簿は機密情報の塊なので私は見られないが、トレーナーである葵ちゃんには閲覧権限があるので特定作業に関しては葵ちゃんにお願いする。

 

 で、出来た名簿に対して実際に食べていき、味に関してプロファイルを行う。とはいえ『美味しい』『美味しくない』みたいな指標で評価を行うのではなく、甘さ・苦さや、食感の硬さ、口当たりや香りといった情報を残していき、特記事項があればそれも併記する……といったまとめ方だ。端的に言えば、食べ物のレビューではなく『食品の品質管理』のようなデータの残し方である。

 で、その最終的に品質管理名簿が大体出揃ってきたら、今度はその名簿に書かれている情報を私は暗記してインプットする予定。これで急に『私のあげたチョコは美味しかったですか?』と突然迫られたとしても対応できるようになる……うーん、友チョコ自体は貰う経験はあったけど、流石にこの量は想定外だし。

 

 加えて、食べる際の優先順位も付ける。最優先は仲の良い子から貰った方。あまりにも日持ちがしなさそうものについては、初対面の子から貰ったものを優先したりもしたが、それはごく僅かだったので、基本知らない子からの贈り物は後回しである。

 また後回し群で冷凍できそうなものは容赦なく冷凍保存を選択。こういうとき市販のものだと賞味期限が付いていて助かるけど、一方的に知っているという状態で渡されるチョコって本命……とまでは言わないが『憧れの人』に贈るみたいなパターンなので、かなりガチ目に手が込んであるものばかりで、ほぼ手作りである。市販であってももうブランド品だ。

 うーん、『王子様』への愛が重い。

 

「……すみません、葵ちゃん。ちょっと失礼なことお伺いします」

 

「どうしました、サンデーライフ?」

 

「ハッピーミークさんってここまでチョコを貰っていたりしました? ……それか、トレーナーの技能講習などでウマ娘のバレンタインチョコの対処方法とかって学んでいます?」

 

「あー……すみません。その、どちらも無いですね。

 桐生院家の教えでは、人気の高い担当ウマ娘への過剰な贈り物は『廃棄』となっていますが……」

 

 いや、桐生院の家訓でバレンタイン貰いすぎ系ウマ娘の対処法はあるんかい。

 無慈悲であるが合理性の塊でもある。実際トレーナー命令で捨てたとなればヘイトはトレーナーに集中するから、その方が担当ウマ娘の負担を軽減できてかつ生徒同士での諍いには発展しにくいのかもしれない。

 

 でも、流石に捨てるというのは忍びない。

 ――ということで。

 

 

「……え? 私がポニーちゃんたちの贈り物をどうしているか知りたいだって、サンデーライフ?」

 

「はい……今年から急に『王子様』と呼ばれるようになって、沢山貰ってしまってどうすれば良いのか悩んでいるのです……フジキセキ寮長」

 

 プロの『王子様』を頼ることにした。フジキセキとはレースでの対戦は無いものの、寮長なので係わりは希薄ながらもあった。

 

「勿論、全部頂いているよ。可愛いポニーちゃんの愛がこもっているものを無下にはできないだろう?」

 

 えっ……すご……。

 

「失礼な言い方にはなりますが、よくそれで……体型を維持できますね……」

 

「ああ、それには実は絡繰りがあるのさ、サンデーライフ。2月はトレーナーさんに頼んでトレーニングメニューや食事ごと変えているという……タネはそんなものだね」

 

 そう言いながら彼女は胸元からバラを出して私に手渡してくる。今、普通に私達は制服だけど、もしかしてこういう事態を想定してずっと仕込んでいたのだろうか。

 とはいえ、バレンタインのためにフジキセキのトレーナーさんは育成プランごと変えているというのは思い至らなかった。そしてそれを実施するフジキセキも隠された涙ぐましい努力である。

 

「……私も葵ちゃん、いえ自分のトレーナーと相談してみます」

 

「僅かばかりでも力になれたなら何よりだよ、サンデーライフ。しかし君は随分とトレーナーさんと仲が良いみたいだね、名前呼びかい?」

 

「あー……まあ、仲は悪くは無いと思います。でも名前で呼んでいるのは、親愛の情があるという理由以上に私達の関係性をトレーナーと担当という形に規定しないと決めたからですね」

 

「……その言い方は、何というか勘違いを生みかねないものな気がするよ」

 

 確かにこの言い回しだと、捉えようによっては、ただならぬ関係のようにも思えてしまうか。でも結構説明しにくいのよね、私と葵ちゃんの関係って。

 いや、一言でいえば私が自分自身のトレーナーで、葵ちゃんがサブトレーナーなんだけどさ。じゃあ、どうしてそうなったのかを説明すると長くなる。

 

 セルフプロデュースのサポートに正規の実績あるトレーナーを利用している時点で大分異質な関係性だからね、これ。

 

「……ちょっと一言で形容するのが難しい……ってこの言い方もまずいですよね? うーん、何と言えば良いんでしょう? 私をプロデュースする私というトレーナーと同期? ……ちょっとしっくりは来ないですけれども、そういう感じかもしれないです」

 

「何というか……そうだね。サンデーライフ。君が『王子様』と呼ばれる片鱗が私も少し分かったかもしれない。まあ、それはいいさ。

 あまりみだりに私の2月の特別メニューに関しては口外しないでくれると助かる。隠しているわけじゃないけれどもね」

 

 ……ファン目線からしたら自分のプレゼントで推しのスケジュールを変えてしまっていることを知るのは嫌だろう。先の言葉は、そういう悲しい気持ちを産み出させないようにフジキセキ寮長は頑張っている、ということでもあった。

 

 

 

 *

 

 一般的なアスリートのイメージとしてスイーツは天敵のように思える。糖分や脂質というのはいかにも身体に悪そうだからだ。

 実際、これでもかという程に砂糖をぶち込んでフィナンシェを作ったわけだし。フジキセキ寮長から伺った話を翌日の土曜日、葵ちゃんにぶつけてみたら、次のような答えが返ってきた。

 

「確かにお菓子に含まれる脂質量は注視する必要がありますが、砂糖自体は吸収の早さからエネルギー補給に優れてはいます。……だから食べ過ぎると肥満に直結するわけですが」

 

 おおよそトレーニングの1、2時間くらい前に糖分を補給することは悪くはないのである。タイミングとしてはその日の最後の授業が始まる直前の休み時間、そこでお菓子を食べる。するとトレーニング中のエネルギーとして上手く変換されやすい。

 ただし普通にご飯を食べていると、ただ食べる量が増えただけで意味は無い。

 

 

 ということで、食事メニューが大幅に変更となるものを葵ちゃんは提案してきた。

 

「食事を……そうですね、分かりやすく言えば1日5食にして、各食事量を減らして全体を調整します」

 

 食事回数を増やして1回に摂取する食事量を減らす。

 つまり朝昼夕の食事以外に、朝練1時間前と午後の最終授業直前にお菓子やチョコを食べる時間を設ける。

 ただチョコは特に脂肪分の塊でもあるので、その分通常の食事メニューから脂質と糖分を減らすことで調節を行う。カロリーなども全体のバランスを見て適宜減らしていく。

 

 正直ここまで来ると管理栄養士の仕事な気もするが、そこは前期トレーナーライセンス試験トップ合格者のエリートトレーナー・葵ちゃんである。アプリでハッピーミークへパフェ製作もしていたし、きっと栄養士資格に類する免許も持っているのだろう。バレンタインチョコを消費しきるまでは食事管理体制に移行することとなった。

 

「で、トレーニングメニューなのですが、折角エネルギー補給が十全に行われているタイミングで実施できるのでウッドチップコースでの『インターバル走』を試してみてもよろしいでしょうか?」

 

 『インターバル走』はハイペースとスローペースを一定距離ごとに交互に繰り返す反復トレーニングだ。一般的には坂路調教で用いられるトレーニング手法の一種ではあるが、葵ちゃんはどうやら坂路は使わないようである。もっとも坂路もウッドチップなのだけど、平地コースを使うみたい。

 狙いは心肺機能の強化と、速度変化時における走行フォームチェック。端的に言ってしまえば、メインはスピード・スタミナトレーニングである。とはいえ、単純なキツさもある点で見れば根性とも取れるし、走行ペースの変化の制御であればパワーや賢さの要素もある。これはインターバル走が様々なトレーニング包括する万能最強手法というわけではなく、ただ単にゲームのように簡略化されておらず、あらゆる練習は複合的に噛み合って成長に繋がることの証左であろう。

 

 

 ――ただし。

 

「……このタイミングで、心肺機能のトレーニングを推奨してくるということは……葵ちゃん、さては前走の白富士ステークスから仕組みましたね?」

 

「えっ!? えっと……あのー、白富士ステークスをサンデーライフが選ぶか否かは未知数でしたので……。それにバレンタインでのトレーニングメニュー変更なんて予想出来るわけ無いじゃないですか」

 

「確かに……そうですね、って。

 ――仕組んでいること自体は否定しませんでしたね?」

 

「……あっ」

 

 仕組んでいるという人聞きの悪い言い方をしたが、実際のところ葵ちゃんが何か悪さをしているわけではない。が、この抽象的な言い回しで心当たりがある時点で私の想像は的中していると言って良い。

 

 心肺機能の強化。これがどの能力向上に最も寄与するのかと言えば、結局スタミナである。

 そして白富士ステークス。これも葵ちゃんからの提案であった東京レース場・芝2000mのレース。

 

 その2つは別個で考えれば全く不自然なことは無いんだけど。

 

 

「……東京レース場・芝3400mの超長距離のダイヤモンドステークス。

 確か、これって丁度2月の末にありましたよね?」

 

 葵ちゃんは曖昧な笑みのまま頷いた。

 ダイヤモンドステークスに出走させるために、東京レース場を一度経験させる。その為に前走・白富士ステークスを進言してきた可能性が浮上する。

 確かに。有力ウマ娘の多い中距離路線で愚直に戦う必要は私には無い。しかも春の天皇賞すら凌駕する3400mという距離であれば適性が合致するウマ娘も激減する。一方で私は障害レースで3000m前後を障害有のコースで経験している以上、スタミナなどにはあまり不安が無い。

 

 条件的にはほぼ完璧である……ただ1点を除けば。

 ダイヤモンドステークス。このレースは、GⅢ――つまり重賞レースだ。

 

 となれば。まず間違いなく、この冬のレースにおいて葵ちゃんが主軸に据えようとしているレースがこれだ。

 

「……ここで、重賞挑戦ですか」

 

 確かに私達はレースの順位を目標にしていない。だから果敢に挑んでも別に構わないのだが。流石に重賞ともなればネームドの見逃しは効かなくなるだろう。今までも見逃されていた気は全くしないけれども……うん、正直に言おう。

 

 ――現時点で重賞に挑むところまでは覚悟していなかった。

 

 確かに、白富士ステークスで手応えがあったのは確かだ。けれども、まだ早いのではないかという疑念が私の中にある。もう1戦、2戦はオープン戦に専念して徐々にステップアップを図るべきではないかと考える自分が居る。

 

 自己の中の意見と違えている以上は、葵ちゃんの言葉を傾聴する。

 

「まず芝の長距離路線ですが、ハルウララさんとの競合は恐らく無いでしょう。

 ハルウララさんのトレーナーから伺った話ですが、どうやら先の予想とは異なり、3月末のドバイミーティングのレースに名指しで勧誘されていたらしく、そちらへの調整に専念するかと」

 

 いや、初っ端からヤバい話が出てきたね!? ステイヤーズミリオンの後はドバイかい。え、でもどれに出るんだ……ってそこは今は関係ないか。ともかくハルウララ路線との衝突は無い。これは助かる。なおドバイの話が無ければフェブラリーステークスに出走予定だったらしい。

 

「ただ……出ない子を類推することは出来ても、誰が出るかを予想することは難しいです。なので、そちらは一旦度外視しますね。

 とはいえ、このレースを選定した理由は単純です。芝の3000m超のオープンレースはサンデーライフもご存じかとは思いますが、ここを逃したら今年は阪神大賞典かステイヤーズステークス、あとは春の天皇賞しかありませんよ」

 

 ――事実であった。

 そして阪神大賞典もステイヤーズステークスもGⅡだ。

 ダイヤモンドステークスは確かに重賞ではある。されど芝・3000m以上のオープン戦レースは万葉ステークスただ1戦のみ。しかしその万葉ステークスは1月の初週に執り行われるので、既にチャンスは翌年まで先延ばしである。

 

 だからこそ、全距離適性のウマ娘にとって最も狙い目である超長距離路線を逃すな、というメッセージである。

 それこそ重賞挑戦を行ってまでするほどの価値があるという。

 

 私としてはフェブラリーステークスが直近にあるためやや空きが出やすいダートレースである総武ステークスとか、芝でも北九州短距離ステークスのようなスプリント路線を一考していたが。

 でもハナから選択肢から除外していた重賞を含めるのなら、ダイヤモンドステークスはアリかもしれない。

 

 

「……分かりました。私も覚悟を決めました。

 ダイヤモンドステークス……重賞の舞台へ行きましょう」

 

 

 そして抽選は無事通過して16名の出走メンバーの1人に私の名は刻まれることとなる。

 

 

 ――対戦相手の名簿が出て。やはり他にもいくつかネームドの名前は散見されたが、その中でも気を付けなければいけないのは次の3名に絞った。

 

 それは。

 まず私と同期からホッカイルソー。

 次に2年上の世代、シニア級3年目からは、キンイロリョテイ。

 

 

 そしてシニア級2年目である最後の1人は――セイウンスカイ。

 

 

 ま、まあ……もうこれくらいの面子は慣れっこだから……。

 

 

 

 *

 

「――ではセイウンスカイさん。ダイヤモンドステークス出走にあたって、一番警戒している相手はどなたでしょう?」

 

「うーん……やっぱり出走する子たちみんな怖いなーって思ってますよ? でも、そーですね。しいて言うなら……セイちゃん的には、サンデーライフちゃんですかねー?

 後輩ですけど、だからこそ未知数な部分があってイヤだなーって思いますねー」

 

 ……。

 セイウンスカイがインタビューにて名指しで私のことを警戒してるじゃん!?



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第37話 シニア級2月後半・ダイヤモンドステークス【GⅢ】(東京・芝3400m)

 次走、ダイヤモンドステークスの注視すべき出走メンバーの史実を再確認する。

 

 ホッカイルソー号。勝鞍は日経賞やオールカマーなど。中距離も走れるが、菊花賞・春の天皇賞にて3着と好走していることからステイヤータイプでもある。勝ちパターンは差し、次点で追込といったところか。

 

 そしてキンイロリョテイのモデルは毎度おなじみステイゴールド号。GⅠ勝利は香港ヴァーズのみでかつ、50戦7勝でありながら7億6000万円以上稼いだ化け物だ。脚質はそこそこ何でも出来るし距離も中長距離。

 

 少女・キンイロリョテイとしては、今まで一緒に走ったことも面識も無いはずなのにそこそこ一方的に印象が残っている相手だ。まあ大体『阿寒湖特別』に私が出走したせいなんだけどね。常勝ウマ娘であったり、1着か最下位かみたいな極端なタイプであったりした方が私は正直戦いやすいのだが、キンイロリョテイはどちらかと言えばむしろ私に近いタイプだからやりにくい。性格的な部分とかではなく戦績的な意味ね。

 ただシニア級3年目にしてダイヤモンドステークス発走は、史実外ローテである。史実なら大体京都記念とかの時期だっただろうか、でも少女・キンイロリョテイも現状は主な優勝歴の欄が『阿寒湖特別』のままだった。

 ……となると私は3勝クラスの『清津峡ステークス』が勝った中では一番高い格式のレースになるから2勝クラスの『阿寒湖特別』よりも地味に上なのか、うへえ。

 

 

 さて、その両名よりも問題のセイウンスカイである。

 黄金世代の一角でクラシック二冠の上で、菊花賞レコード勝ちというなんかもう笑うしかない経歴の持ち主である。そして史実セイウンスカイ号はこのシニア級2年目の時期は丸々屈腱炎の療養に費やしていたはずだが、ここに出てきているということは故障など露知らずの健康体であることを窺わせる。

 セイウンスカイ号は古馬になってから戦績がパっとしなくなったと言われるが、GⅡを2勝に、春秋の天皇賞はどちらも入着と『いやクラシック期が化け物だっただけで充分じゃん……』と思わせる成績はある。

 

 そしてそんなセイウンスカイが今回のレースでは私のことを名指しでマークしている宣言。否応なしに注目されるじゃん、それ。キンイロリョテイとはセイちゃんは対戦経験があるんだから、そっちに注視してくれれば良いのにわざわざ私を狙い撃ちするかな……。

 

 ただ少女・セイウンスカイが策謀を巡らし勝利を掴み取る『トリックスター』であることを踏まえれば、ターフの外での盤外戦術も使う私に対して同族でありながら異質の脅威を感じるというのは分からない話でもない。

 

 純粋な素質と能力の暴力で殴り掛かってくる相手にも私は弱いけど、一流ウマ娘でありながら策士、というセイウンスカイタイプも中々に相性が悪い。

 

「葵ちゃん、セイウンスカイさんが私に脅威を感じているのは一体どの辺りでしょうか?」

 

 私の視点には無い意見を持っているかの確認を込めて、葵ちゃんに対しても質問を重ねる。いつもの事前ブリーフィングである。

 

「私達がセイウンスカイさんの手の内が分からないように、向こうからすればサンデーライフが何を考えて出走したのかを完全には読み切れていない、という点が一番大きいと思いますよ?」

 

 状況証拠的に見れば超長距離レースに出走したいから選んだということは分かるはず。ただ一方でこのタイミングでの重賞挑戦は、私の考えでは思いつかなかったものだ。多分、私の思考プロセスをセイウンスカイがトレース出来ているのであれば、そこが疑問点となる。

 

 葵ちゃんの影響であることは間違いない。ただ『外から見たときの』ハッピーミークのトレーナーとしての葵ちゃんは、意図的にハルウララに競合するように出走させていたトレーナーにも見える。確かに全距離適性ウマ娘相手のトレーナーではあるけれども、ハッピーミーク育成時と私の育成時であまりにも行動原理が乖離しているから、外からそれを掴み取るのは容易ではないだろう。

 

 そして、セイウンスカイ視点でそこが見えてこない以上は『何らかの勝算があって』ダイヤモンドステークスに出走してきている可能性を捨てきれず、晴れて警戒対象入りという流れ……なのかもしれない。

 

 勿論、私を警戒するという話そのものがブラフであり本命が別であるとか、注目されている自分自身が敢えて告げることで他のウマ娘に私のことをマークさせてフロックを封じるのが狙いだとか、可能性の話をすればいくらでもあり得る。

 

 

 ただ……。私の懸念点を共有する。

 

「セイウンスカイさんの逃げに対して、私の今の実力では差せませんよね?」

 

「彼女にレースペースを握らせてしまうのは危険かもしれません。特に長丁場のレースですから、上手く息を抜いて最終直線でもそれほどペースを落とさずに完走することが予想できますね。

 東京レース場の最終直線が長いと言っても一昨年のダービーの舞台で出走していますし、対応策はあると思った方が良いでしょう」

 

 セイウンスカイに主導権を明け渡すことほど危険なことは無い。盤面を思いっきりかき乱さない限りは私にチャンスすら訪れない。

 

 でも、自分で主導権を掴むために私に取り得る方策は――『大逃げ』のみ。

 しかし私が『大逃げ』を選択した時点で、東京レース場の長い最終直線とそこにある坂、更には超長距離レースである事実自体が私に対して牙をむく。

 障害未勝利戦でビックフォルテ相手にやったような2番手につけての徹底マークをやったとして、セイウンスカイがそれで崩れるかと問われれば厳しい。というかビックフォルテも別にペースを大きく乱した様子は無かったしさ。

 

 うーん、着実に選択肢が摘まれていて取り得る方策そのものが減らされている感じがする。

 

 

「しかも。今のセイウンスカイさんには『これ(・・)』もあるのですよね……」

 

 そう私は言いながらタブレットで見ていた映像を再度再生する。

 それは、去年のGⅡ・札幌記念。このとき、セイウンスカイは逃げではなく『差し』を選択して勝利するという奇策を見せてきた。

 

「サンデーライフ、正直に言えば厳しい局面です。

 『大逃げ』を選択しないと逃げのセイウンスカイさん相手に主導権は握れませんが、一方で差しを彼女が選んだ場合には『大逃げ』はまず間違いなく悪手になるでしょう」

 

 ここまで考えると、改めてセイウンスカイが他の対戦相手に私のことを改めて印象付けたのが手痛いなあと思えてくる。

 脚質自在といえども、何だかんだ私は『大逃げ』でのフロック勝ちの印象は強いのだ。となれば『大逃げ』決め打ちの場合、順当に考えれば私を無視するのが定石だ。

 そして逃げウマ娘以外のスローペース展開は、セイウンスカイが逃げだったときには単純に先行有利の恩恵として享受できる。

 差しだったときにはセイウンスカイ自身もバ群に埋もれるリスクが生じるが、私が『大逃げ』だったらセイウンスカイは脚を溜めに来るだろうしそれが可能なレース場で、私が『大逃げ』以外なら策ではなく地力勝負の土俵へと持ち込まれかねない。

 

「……ぶっちゃけ、詰んでません?」

 

「相手はクラシック二冠ウマ娘ですからね、その上で『策士』と謳われる相手なのですから色々と謀略が巡らされてもいますよ」

 

 やっぱり、どう考えても戦略上の自由度はセイウンスカイのが高い。実力差もあるから策の講じやすさが段違いなのだ。

 勝ち筋が『大逃げ』だけ――って、この状況は前にもあったな。

 

「……もしかして、セイウンスカイさんは。

 私が『大逃げ』を選択しない(・・・・・)ように策を講じてきている……? そっちが正しいのでしょうか?」

 

 『大逃げ』か否かの選択を強要されるレースは『阿寒湖特別』がそうだった。あの時は札幌レース場のコース形状と格上相手からの勝利を希求する場合の最適解が大逃げであったが、私はそれを選ばなかった。

 そして、今回はセイウンスカイの策略から逃れて勝負をする場合の消去法の解が大逃げ。

 

 葵ちゃんは、小さく首を振る。

 もうここまで来ると、ただの考えすぎなのか、本当にそこまでセイウンスカイが考えているのかの判断がつかない。

 裏の裏を考え始めるとキリが無くなってくる。

 

 

 こういうときに何を信じれば良いか。

 

「――葵ちゃん」

 

「はい……サンデーライフ、何でしょう?」

 

 葵ちゃん、彼女の様子は終始楽しそうであった。……まあ、それはそうかも。こうやって担当ウマ娘とトレーナー目線を交えて戦術論を語らうことが出来るとは思わなかったって前に言っていたしね。

 そんな葵ちゃんに今一度私は尋ねる。

 

「……私達は『順位』を目標にしてレースに出走しない――それは今回も……ですよね?」

 

「はいっ! 勿論です、サンデーライフ。

 そこが私達の関係の原点の1つでもあるのですから――」

 

「……なら、取り得る作戦は自明です。

 ――『大逃げ』を。セイウンスカイさん相手に真っ向からレース展開の掌握……ひいては頭脳戦を挑みましょう」

 

 フロック狙いで紛れに期待する戦い方である。

 今までずっと味方に付けていたレース場やコース形状を敵に回す戦い方である。

 一見、セイウンスカイの術中にハマったような戦い方でもある。

 

 

 無理をして勝つ気概は私には全く無いけど……さ。

 『勝ちが狙えるなら勝つ』という私の基本方針は全くぶれてない。

 

 そして、私が『勝ちを狙える』ところまで策を巡らすのであれば、今回は戦術的不利を許容してでも大逃げをする必要がある――ただ、それだけのこと。

 

 

 

 *

 

 東京レース場の本日のメインレース。

 GⅢ・ダイヤモンドステークス。晴れの良バ場。

 バ場状態が荒れれば荒れる程私には有利に働くから、雨でも雪でもドンとこいという心構えであったが、流石に天候操作は出来ない。

 アプリトレーナーはてるてる坊主で自然現象すら操るから、やっぱりあれ神様か何かだよねえ。森羅万象を使役している。

 

 で、芝・3400mのレースともなると、もう内枠・外枠で有利不利がほぼ無くなる。長い距離を走るからどこからスタートしても大して変わらなくなってしまうのだ。

 1番人気はもちろんセイウンスカイ。2番人気がホッカイルソーで、3番人気にキンイロリョテイという順番になっている。

 

 私の同期でもあるホッカイルソーの方がキンイロリョテイよりも人気なのは少し意外に思ったが、ホッカイルソーの前走が中山金杯での入着であり、彼女も私と同じく前走東京レース場のウマ娘である。ちゃんとその辺りもファンが考慮するとは驚きだ。後、キンイロリョテイはパドックで調子の良しあしが全然分からないのもあると思う。

 ただセイウンスカイが圧倒的であり、キンイロリョテイとの差はほんのわずかな人気差だけどね。

 で、私は6番人気。出走人数16名であることを踏まえればそこそこ高い。まあいつもの『王子様』ブーストと、セイウンスカイ名指しボーナスが入っている気がするけどね。

 

 それと東京レース場なんで、また知り合いが応援に駆けつけてくれている。

 

「……サンデーライフさん、前よりも『お友だち』の気配が強くなっていますね……」

 

「ちょっと心当たりはないですねー……あはは……」

 

 まずマンハッタンカフェとファインモーションが日程を合わせて来てくれていた。ターフの上にはキンイロリョテイも居るからこの空間、滅茶苦茶『阿寒湖』の占有率が高いな。

 『お友だち』に関しては、うん。初詣で会っちゃってるからなあ。そりゃ気配も濃くなるよ。

 ファインモーションはそんな私とマンハッタンカフェの会話をニコニコとしながら眺めていた。曰く『カフェにしか見えないものがサンデーライフに強く出るって面白いことだね』とのこと。彼女は洞察力がずば抜けているから、ひやりとすることを言う。

 

「サンデーライフちゃん、頑張るのー!」

 

「むむっ、アイネスさんよりもマヤの方が応援しちゃうんだからっ!」

 

 それとアイネスフウジンとマヤノトップガンという謎のコンビが結成されていた。この2人面識あったっけ……? 分からないが、でも相性はかなり良い……というかアイネスフウジンがほぼマヤノトップガンを妹みたいに扱っているから、旧来からの間柄のように見えるくらい息ぴったりだ。2人とも距離感バグ勢の筆頭候補だし。

 

 というかアイネスフウジンは、前走・白富士ステークスに続き2連戦で見に来てくれている。どれだけ私に注目しているんだ、この子は。

 

 

 そして時間が迫りゲートの方に戻ると、私に話しかけてくる人影があった。

 

「おやおや……ダービー・オークス・秋華賞ウマ娘の応援団とは随分と豪華ですねー。セイちゃん怖くなってきましたよー」

 

「セイウンスカイさんですね、本日はよろしくお願いいたします。

 ……というか記者会見のときからずっと思っていたのですが、よく私のことをご存じでしたね?」

 

 ……まあ、突っ込みどころがあるとするならば。

 セイウンスカイ陣営は、黄金世代勢ぞろいで応援に駆けつけてきているので、向こうは向こうでとんでもない陣容である。アニメ1期時空のモブになった気分だ。しかも時系列的にエルコンドルパサーの凱旋門賞も、日本総大将・スペシャルウィークのジャパンカップも終わった後だし。

 

「まあまあ、可愛い後輩ちゃんですからねえ。

 それに『脚質自在の王子様』――なんて、乙女なセイちゃんにはドキドキしちゃう相手かも?」

 

 まあセイウンスカイの場合、ドキドキしているのはきっと『王子様』の方では無く『脚質自在』の方になのだろうが。

 

 ちょっと揺さぶりをかけてみるかな。

 

「今日は最終直線で、パパっとセイウンスカイさんのことを抜いて見せますよ?」

 

「……ふむふむー、となると戦術は追込ないしは差しということですねー。

 しかし、どうでしょう? この『逃げ』のセイちゃんを捉えられますかねー?」

 

 

 そんな会話を周囲にも聞こえるくらいの声量で交わした後にゲート入りをする。

 

 

「ファンファーレが終わりまして、東京レース場今日のメイン競走11レースはダイヤモンドステークス、GⅢ。芝の3400mの舞台にシニア級ウマ娘が16名揃いました。

 各ウマ娘ゲートイン完了……スタートしました!

 まず1周目、第3コーナーを目指して先行争いはホッカイルソーかサンデーライフ――間からサンデーライフが行きました。ホッカイルソーは一旦控えて2番手でサンデーライフを追走します。その間に先頭のサンデーライフ、その差を1バ身といったところでしょうか。これはもしかすると――」

 

「……どうでしょう。ペース配分次第ではありますが『大逃げ』を狙っているかもしれませんよ」

 

 

 ――全然前に来ないじゃん、セイウンスカイ!

 

 あー……これは間違いなく、差しのセイウンスカイだね。

 お互いレース開始直前で大嘘の会話をするとか、何というか徹底した嫌がらせすぎる……主に私達以外の出走者への。

 

 示し合わせているならまだしも、アレが初対面の会話だと言うのだから、何というかお互いのやり口がにじみ出ている。



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第38話 シニア級2月後半・ダイヤモンドステークス【GⅢ】(東京・芝3400m)顛末

 東京レース場・芝は最短コースならば全周2083.1mのコースである。つまり3400mのレースとは1.5~2周の間にあり、詰まる所バックストレッチからスタートして1周した後にもう一度ホームストレッチ側まで戻ってきてゴールとなる。

 

 そしてこれは前走からの確認にもなるが、坂はホームストレッチとバックストレッチ側の両方に1つずつ。しかも勾配2m程度あるかなり厳しい坂だ。

 3400mレースの場合、スタート直後に坂があることから、合計で4回の急峻な上り坂が待っていることになる。

 

 スキルでいえば『登山家』であったり、大逃げを打った今ならば『じゃじゃウマ娘』が刺さる環境だ。

 ただ、レースを17戦行っている今の私でもスキルという類のものを感じたことが無い。あるのは徹底してレース技術だけ。スリップストリームにしろ、例の『伸び脚』にしろ。

 

 実は大逃げと呼べるまでにはペースを上げていないが、今の私に追走してきているのはホッカイルソー。その後方には……セザンファイターが先頭の先行集団が見える。重点マークはしていないけれども、このセザンファイターも史実ネームドである。他にもネームドの子は出走しているが、もうマークする相手は絞らないとキリが無い。

 だが、そのマークしているネームドであるセイウンスカイとキンイロリョテイはここから捕捉することが出来ない。それが示す事実は中団よりも後方に付けているということ。

 

 まあ前向きに考えようか。少なくともセイウンスカイ相手に主導権争いをするよりは楽になった。ホッカイルソーも難敵ではあるが、策略家というわけではない。

 ひとまず最初の仕掛けは坂を上った後。コーナーで徐々にペースを上げたらホッカイルソーや後方のウマ娘はどう反応するかを見る。

 

「――各ウマ娘、第3コーナーから第4コーナーに入りまして、先頭はサンデーライフ、その差を広げて2バ身程度。2番手はホッカイルソー、ペースをキープ。そこからもう2バ身離れてセザンファイターが先頭の先行集団となっております」

 

「……これは、ややサンデーライフがペースを上げておりますか? それに勘付いたのでしょうかホッカイルソーは無理には追いませんね」

 

 ホッカイルソーは追ってこない。未だハイペースな逃げくらいのペースだが、ホッカイルソーは早々に私に追走することを断念した。追われない、となるとちょっとやりにくいのが『大逃げ』である。

 そして、カーブで加速した私と少しずつ距離が離れていることを鑑みるに、ほとんどホッカイルソーのラップタイムはずれていないはず。私との距離感ではなく、自分の感覚でペースを決めているとなると『大逃げ』する効果はどうしても半減してしまう。

 

 それでも視覚的情報から入ってくる私の姿による影響を完全に排することは難しいので一定の成果は見込めるが、集団全体を大きく掛からせるみたいなダイナミックな仕掛けはちょっと厳しくなる。

 

「第4コーナーの中ほど、前半3ハロンのタイムは36秒9。平均よりは早いペースで展開は推移しています」

 

「ハイペースではありますが『大逃げ』策も充分に取れるサンデーライフからすればまだ『逃げ』の範疇とも言えます。しかし既にホッカイルソーと3バ身以上の差をつけておりますので、後続はややスローペースで推移するかもしれませんよ」

 

 あまりペースを上げずに『大逃げ』と誤認してくれたのは基本的には私に有利になる一方で、同時にこの段階で誘いに乗って来ないということは私の小手先戦術に引っかからない可能性も高いということである。

 

「ホッカイルソーの後ろにはセザンファイター、その横にオーボエリズム。そのすぐ後ろの5番手に居ましたキンイロリョテイ。内にインテンスリマーク。

 ここから更に2バ身開いて中団に位置しておりますのがサムガーデンとアドマイヤバラード。そして1番人気、セイウンスカイはこの位置――」

 

 ホームストレッチの坂を登る。この坂を越えてもまだ1000mという序盤も序盤なので、無理にペースを維持せず速度を落として突き進む。そして坂を越えたらペースを戻す。

 この動きにホッカイルソー以下後続がどう対応するのかをチェックしよう。

 

 

「坂を越えて1000mのタイムは1分2秒から3秒といったペース。ホッカイルソーとの差は……少し縮まりましたでしょうか?」

 

「そうですね、サンデーライフが前半3ハロンを越えたときよりも若干ペースを落としているからでしょう。……おっと、サンデーライフが坂を越えたらペースが戻りましたが、ホッカイルソーはやはり追いませんね」

 

「サンデーライフは再び後続との差をつけて2バ身半――」

 

 

 うーん、流石に重賞レベルのウマ娘は中々引っかからない。こちらのペースは殆ど意に介していない様子だ。

 ……じゃあ、少し強引な手を使ってみますか。

 

 1400mを通過して第1コーナーに差し掛かるところで、私は本格的に動いた。

 

 

 

 *

 

「各ウマ娘、第1コーナーから第2コーナーに入りまして……先頭がサンデーライフからホッカイルソーに入れ替わりました! サンデーライフはペースをかなり落としてホッカイルソーにハナを譲ります!」

 

 ホッカイルソーに先頭の景色を譲る。

 ただし、私は常にホッカイルソーの視界に入り続ける。障害未勝利戦にてビックフォルテ相手に行った戦術に近いプレッシャーを与え続ける走法だ。

 しかも、あの時は相手にペースの主導権を渡したが、今回は後方にセイウンスカイが控えている以上は2番手で主導権を握り続ける。

 

「さて、向こう正面に入りまして依然先頭はホッカイルソーで、そのすぐ隣をサンデーライフが並走します。3番手以降とは大きく差が空いておりますが、これは一体……?」

 

「第9ハロンと第10ハロンのラップタイムが11秒9。先ほどまでとは一転してかなりハイペースになってきましたね」

 

「サンデーライフがハナを譲ったことでかえってペースを乱したか、ホッカイルソー! 後続を突き放していきます!」

 

 

 先頭を追うのと、並走されるのでは心理的な印象が全く変わる。

 前者では一定のペースが保てる子でも、後者ではペースを乱してしまう子も多い。何故か。

 

 ウマ娘の『闘争心』という本能に直接語りかけているからである。先頭を追う展開であれば、長期的な視野になって最終的な勝利を見据えることが出来ても、並走されてしまうと、今真横に居る子を突き放したいという欲求が一般にはどうしても生じるみたい。

 

 更にレースペースの主導権自体は私が掌握し続けていることで、障害戦のときとは段違いに相手にかかる負担は違う。

 

 そちらの本能の制御にリソースを少なからず割くので、結果的にペースを乱す策が決まりやすくなる。

 

 

 ホッカイルソー。あなたはネームドウマ娘だけどね。

 私と一緒に地獄の大逃げの旅路にご招待いたしましょう。『王子様』らしくエスコートをして……ね?

 

 

 

 *

 

 6番人気の私が単走するよりも、2番人気であるホッカイルソーが一緒に『大逃げ』に出るというのは、後方のウマ娘にとっても心理的な圧迫感が段違いである。

 正直、私だけだと『あいついつも大逃げしてるな』で終わってしまうが、ホッカイルソーはハナを進むタイプでは無い以上『何か急がなければいけない理由があるのでは』と邪推させる効果もあるはず。

 

 つまりホッカイルソーへの大逃げエスコートを起点として、全体へこの影響を波及させることを企図している。

 バックストレッチ2度目の坂ではペースは落とさず上げ続ける。ただしホッカイルソーに悟られないように少しずつだ。

 

「坂を越えての先頭はホッカイルソーとサンデーライフの2人。僅かにホッカイルソーが前に行く展開は変わりませんが、3番手オーボエリズムとの差は7バ身から8バ身といったところでしょうか。

 さてこの高速展開に後方はどう動く――おっと! 大外から一気にセイウンスカイが進出! 順位を大きく上げて5、6番手まで上がってきて、先行集団の前が見えてきた!」

 

「まだ1000m以上ありますよ。ロングスパートにしても、ここで動くのはあまりにも早計です。……セイウンスカイともあろうウマ娘がかかったとは考えにくいですが――」

 

「しかし、そのセイウンスカイに引き寄せられるように、先行から中団がペースを上げ一塊となっていきます!」

 

 

 ちらりと後方を確認したら、後方のかなり大外に居るセイウンスカイを視認できた。

 ……えっ。何で差しのセイウンスカイがこの位置からでも見えるの?

 

 スパート? いや、流石のセイウンスカイでもスタミナ切れを起こすはず。もし東京レース場でバックストレッチの直線からゴールまで加速し続けられるなら、黄金世代の中でも一強になれるだろう。

 

 

 ええと、じゃあ。ホッカイルソーの大逃げでセイウンスカイが焦ってペースを上げてきた? 私の狙っていた策が、上手くセイウンスカイにハマったのだろうか?

 

 ――いや、それは無い。

 『大逃げ』を見て焦るのは3番手、4番手辺りでホッカイルソーの変化を真っ先に視認出来るウマ娘のはず。私の狙いは先行集団が掛かり気味にして、それに引きずられる形で中団以降にも波及させること。後方に居たはずのセイウンスカイが真っ先に掛かるというのは理屈としておかしい。

 

 だったら、何故。

 もう一度セイウンスカイの位置を確認するために、後方を振り向く。すると彼女と完全に目が合った。距離があるので表情までは読み取れなかったが、まず間違いなくセイウンスカイは私に目を合わせてきた。

 

 

 ――まさか。

 後方から私の『大逃げ』の仕掛けを見切った……? そして私の策を看破した上で、潰すのではなく増幅させる(・・・・・)ためにわざとペースを上げたのだろうか。

 

 大逃げに対してのカウンターは追込。ハイペースで逃げれば逃げるほど最終的には垂れるので、序盤・中盤のペースの早さなんて無視して脚を溜めておくのが最適解であり常道である。

 だから本来セイウンスカイにとっての最適解は大逃げなんて無視すること。

 

 ここまでが基本的な考えだ。

 

 

 しかし脚を溜めると有利になるのは、セイウンスカイだけではなく『後方のウマ娘全員』だ。

 だったら、多少の不利は許容しても後方集団丸ごと掛からせて優位を消し去ってしまい。そしてハイペース化によって先行・差しを混在させることで、大きなバ群を形成して後方からの進出を阻害してしまえば。セイウンスカイは悠々と前の集団と勝負が出来る。

 

 自身の優位性を投げ捨ててまで、そして大逃げウマ娘に有利を譲渡してまで、最後の直線での競合相手を減らす方向にシフトしてきた……そう考えられないだろうか。

 

 

 ――私もセイウンスカイも策略によって戦うが、しかし明確に異なる点がある。

 私は弱者の策なのに対して。

 セイウンスカイは黄金世代不在のこの場では強者として策を繰り出せる。

 

 

 となると、あり得る可能性は。

 セイウンスカイの勝ち筋と、私の策略が完全に一致している……いや、一致させられた、のではないか。

 だからセイウンスカイが動けば動くほど私は有利になる。となるとセイウンスカイの策を止める理由が私には無い。

 

 

 ――それは策の共存という形で、セイウンスカイが主導権を握ることなく戦略的フリーハンドを獲得した瞬間であった。

 

 

 

 *

 

「大ケヤキを越えて第4コーナーへ。先頭のホッカイルソーはペースを落とすことなくそのまま最終直線へ突っ込んできそうです。その3バ身後方にサンデーライフ、そこから2バ身後ろにセザンファイター、インステリマークが率いる大きな集団があります」

 

「これだけ固まっていると紛れがありそうです。しかし、セイウンスカイは下がりましたね。ですが相変わらず大外につけています」

 

「さあ長い長い東京の最終直線は、まだまだ分かりません――」

 

 

 私に見えていた光景はホッカイルソーにも見えている。だからこそセイウンスカイの追い上げを見てホッカイルソーが更にペースを上げた。ここで、私は追走をせず2番手の位置で留まる選択をした。

 脚を溜めるならもっとペースを落とした方が良いんだけど、集団で固まっているから、その前には付いておきたい。

 

 でも『大逃げ』で単走するよりかは遥かに有利な形で最終直線に入った。

 セイウンスカイが野放しになったが、それでも彼女自身も仕掛けのために大外をずっと走っているので走行距離の面でも不利を背負っている。

 

 一方で、私は。

 この先行・差し集団が一塊になる現象には心当たりがあった。

 ――前走、白富士ステークスである。

 

 あの時と違い私の位置は2番手だが、白富士ステークスも同じ東京レース場。

 既視感のある形で最後の勝負に挑めるというのは途方もないアドバンテージだ。

 

 

 私にとって有利な条件が、これでもかと積み上げられた最終直線。

 上振れのレース展開が作り上げられていたのである。

 

 

 ――セイウンスカイによって。

 

 

 

 *

 

「先頭、ホッカイルソーは坂で苦しいながらもペースを落とさず粘っております! そのすぐ後ろをサンデーライフが追走、サンデーライフもペースを上げてきているが、後続集団の伸びも素晴らしい!

 おっと、団子状態からまず抜け出したのはキンイロリョテイ、キンイロリョテイが3番手! バ群を中からぶち抜いてキンイロリョテイが前を狙う! そのキンイロリョテイを追うのはセザンファイターにサムガーデン!」

 

 

 3400mのレース。大逃げによるハイペース展開。4度の坂。セイウンスカイによる全体ペース操作の援護。

 

 その全ての結実は、この坂を越えたラスト1ハロンのため。

 

 ――最後の私の仕掛けが発動する。

 

「坂を越えた最後の攻防ですが……おっと前を狙うインステリマーク、サムガーデン、いや他の娘も伸びない!? ホッカイルソーとサンデーライフ、ペースが落ちつつもまだ粘ります――」

 

 先行・差しのスタミナ切れ。流石に最後の最後のこの2mの急勾配の坂で明確にペースが崩れる子が続出した。

 

 となれば、有利なのは前に残った私とホッカイルソー。勝負は私達2人に絞られる……ことはなく。

 

 そこに参加資格があるのは――もう1つ。

 理を覆させるだけの力とスタミナを持つ者。

 

 

「……大外からセイウンスカイ! セイウンスカイが脅威の差し脚で上がってきています! そしてキンイロリョテイも脚色は衰えません! ホッカイルソーの先頭はここまで、キンイロリョテイとセイウンスカイが颯爽と抜き去ります!

 どちらも末脚が伸びる! 伸びております……が、セイウンスカイが僅かに先行! そのままゴール板を通過しますっ!

 セイウンスカイ1着! セイウンスカイがGⅢ・ダイヤモンドステークス、宝石の輝きを掴み取りました――」

 

 

 確定。

 1着、セイウンスカイ。

 2着、キンイロリョテイ。

 3着にホッカイルソー。

 

 

 そして。

 私の名前は4着にあった。

 

 ――現在の獲得賞金、6391万円。

 

 

 

 *

 

 3400mの超長距離レース。ゴールして流した後、私はターフに倒れこむようにして横になった。周りの子もほとんど同じかそれ以上の疲弊状況だ。

 

 

 ――GⅢで入着できた。

 間違いない。私のレース運びは重賞クラスでも通用する。自信が確信へと変わった瞬間であった。

 

 セイウンスカイに上手いように利用された感は否めない。彼女の手のひらの上であったことについては思うところがないわけではないけども。

 

 けれど、それは同時にあの『黄金世代』の中で戦ってきたセイウンスカイをもってしても、私の策が『重賞で通用する』と判断しているからこそ、彼女は私を利用したのだ。

 

 

 実力では圧倒的格上。策略家としても一枚上。

 そんなセイウンスカイに私は負けた。けど。

 

 他ならぬそのセイウンスカイによって、私の能力の裏付けがなされたレースだった。



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第39話 入着の意図を巡って

 差しセイウンスカイの策謀。

 ウイニングライブ後に、東京レース場からトレセン学園へと戻った私は、10分20分程度のミーティングを葵ちゃんと行った。

 

 お互いに気になった部分は、『私の力で入着した』のか、それとも『セイウンスカイによって入着させられた』のか。

 セイウンスカイが私の策に乗っかる形で謀略を展開して、相乗効果を産み出していたのがあのレースであることは間違いない。だからこそセイウンスカイが不在であった場合に、増幅分が無くても重賞入着を狙えるのかというのが大きな疑問として浮上したのである。

 

 セイウンスカイのやったことの根幹は、先行から差し集団全てをひっくるめてバ群にして埋もれさせつつスタミナ消耗を強いること。後方集団全体のペースが上がったことによる副次効果があるにせよ、相対的に影響が低かったのは大逃げを選択した私とホッカイルソーである。

 問題は、私が最も積極的に陥れようとしていたホッカイルソーに先着されているという点である。相対的にセイウンスカイの影響が低く、私の嫌がらせを全面に受けていたホッカイルソーはペースを落としながらも、最後まで明確に崩れることは無かった。

 この事実を悲観的に見れば、私の策は意味をなさないとも結論付けることもできるが……。

 

 

「……とは言ってもサンデーライフも本心から、そう考えているわけではないでしょう?」

 

「まあ……そうですね。ですが葵ちゃんから安心する言葉が聞きたいのも確かです。正直、今までが今までだったので本当に通用するのか半信半疑ですので」

 

 ホッカイルソーに圧力を最もかけていたのは事実だが、それは彼女に勝つためではなく、ホッカイルソーのペースアップによって集団全体の時計を乱すことのが中心にあった。勿論、彼女が終盤失速すればそれに越したことはなかったが、少なくとも当初の狙いはそれで達成している。

 

「――でしたら、見るべきところはここ、ですね!」

 

 そう言って葵ちゃんが指し示したのは5着――私の後ろに入った子であった。

 

 

「5着のインステリマークさんとサンデーライフの着差が4バ身あります。坂を越えたラスト1ハロンで彼女を含めた後続集団の前めに付けていた子たちが軒並み失速したことで蓋になったわけですが……。

 セイウンスカイさんが不在でも、ここまで効果的ではないにしろ同じ現象は起きたと思いますよ。それに全く起きなかったとしても、4バ身の着差が出ている以上はこれを覆すにはサンデーライフが失速するくらいしか無いですし」

 

 今回のレース展開においてセイウンスカイの有無で変わらないことがある。それは私のスタミナ消費だ。

 だからこそセイウンスカイが居なくても、私はタイムを大きく落とすことは恐らくない。影響を受けているのは周囲の子のタイムである。だとすれば4バ身差が5番手との間に付いているのだから、セイウンスカイの有無でその差が縮まることはあっても、順位変動を齎すものではない――つまり、私の策略だけでも十分に戦えるということを葵ちゃんは主張している。

 

 

「……それに。もしセイウンスカイさんが意図的にサンデーライフのことを本当に入着させたのであれば。むしろ、そっちの方が――」

 

 

 

 *

 

 『URA等関連資料室』。ダイヤモンドステークスがあった翌週はここで過ごすことが多かった。

 私の根城になって久しいこの部屋だが、実のところ葵ちゃんの個室トレーナー室が使えるようになった現状、居住空間としてはこの資料室は一段劣る。

 

 ここに保管されている資料は機密ではないものの、だからといってむやみやたらに汚していいということではないので、飲食は控えている。曲がりなりにも『生徒管理者』だから何かあったときに追及されるのは私、という側面もあるからね。

 水気を避けるために、雑巾がけなどで水拭きをするときもバケツは廊下に置いて清掃している。

 

 しかしトレーナー室の方は飲食自由だ。人によってはコーヒーメーカーとかも置いているらしい。葵ちゃんのところは飲み物はポットが置いてあって、ティーバッグと茶葉が常備されている。食べ物系なら飴は常備してあるし冷蔵庫も設置されている。今は私宛てのバレンタインの残りが保管されています。

 

 まあ、飴くらいなら資料室で舐めても別に構わないけど、飲み物の無い環境を長時間滞在する居住空間にするのはちょっと微妙である。

 

 更に置いてある資料は別に大事なものでもなんでもない。この資料室を受け持ってから『興行規則』を詳しく知れて、それで優位になっている面はあるものの、別にこの部屋にある資料が唯一無二って訳でもないんだよね。まあ絶対レースには使えないような変な雑学っぽい知識は集積されているんだけどさ。

 

 それに、規則を最も活かした『清津峡ステークス』での勝利だって、そのレース開催日程が掲示されたのは学内の掲示板だし。

 しかも今だと『賢さトレーニング』的なのは、葵ちゃんトレーナー室の資料の方が遥かに高いレベルのものが揃っているから、レースの勉強という意味でもこの部屋の価値はそんなに無い。

 

 だったら管理権限を返上してしまった方が良いかもしれないが、明確にトレーナー室より秀でている点がある。それは他の子が立ち寄っても問題ないので私の知り合いのたまり場的なスペースとして使い勝手が良い、ということ。

 ついでに言えばコンセントの差込口もある上に、元々この部屋で打ち棄てられていたタコ足配線もあるので、学園内における貴重な充電スペースとしての用途もある。教室じゃ充電はそんなに出来ないからねえ。

 

 トレーナー室は基本的に担当以外の子の立ち入りはあまり無い。制度的に入るのを禁ずる、となっている訳ではないが、レースの作戦に直結するような内密のミーティングをしていたりトレーニングメニューに関する資料などが散乱していたりもするので、用もないのに担当外の子がみだりに立ち寄っていると不自然だからだ。

 仮に入るにしても、最低限ノックと許可があるまでの入室は駄目みたいな暗黙の了解があり、しっかりしたトレーナーだと正式に担当になった子以外は絶対に入れないと徹底する者も居るくらいだ。とはいえ対ウマ娘用の防音だから外から声かけするなら扉を少しだけでも開けないといけないけど。

 

 他方資料室に1人でいるにしても、宿題をやったりとか借りてきた本を読むとか、授業用のタブレット端末で遊ぶとか、そういうことは出来る。

 地味に日当たりも良いし……いや、資料室としてそれはむしろ欠点な気もするけど。

 

 

 ということで管理室の扉がノックされても、私としては友人が来たとしか思わない訳で。

 

「……空いてますから、入ってきていいですよー」

 

 この時の私は来年度のローカル・シリーズ興行規則の置きスペースの選定をしていた。トゥインクル・シリーズの公示は1月だけど、地方は4月公示のところが多いから来年度資料の置き場所を作るためにちょっとだけ配置を変えるか、全体の部屋のレイアウトごといじるか考えていたところだった。

 まあ急ぎの作業ではないので、詰まるところ暇だったので資料室の見た目を変えようかなと思っていたくらいの話である。

 

 しかし、そんな脳内リフォーム計画はすぐに吹き飛んだ。

 

「どもどもー……ここがサンデーライフちゃんの秘密のお部屋ですかー。日当たりが良くてお昼寝スポットにはちょうど良さそうですねー」

 

「え……セイウンスカイさん!?」

 

「にゃはは、その通り! みんな大好きセイちゃんですよー」

 

 

 2冠ウマ娘だし、何より1つ上の世代の先輩なので急いで立ち上がってソファーを譲る。セイウンスカイは、その私の様子に一瞬首を傾げつつもソファーに座ってからこう言った。

 

「いやー、セイちゃん的にはそう畏まられちゃう方が落ち着かないねー。別にそういう先輩としての威厳? みたいなのを見せにきたわけじゃないんだから、サンデーライフちゃんももっとリラックスしてくれると助かるかなー?」

 

「は、はあ……」

 

 しかしここに来た目的が全く読めない。まあ先のダイヤモンドステークスでの関わりしか無いし、それ関連なのだろうとは思うが、でも終わったレースに対して何かあるとも思えない。

 

「まあまあ、座って座って。何なら、このセイちゃんのお隣にでも座るかい?」

 

「あー……じゃあ、失礼しますね」

 

「……おお。まさか本当に隣に一切の照れなく座るとは。

 これにはセイちゃん驚きです。『王子様』の異名は本物だねえ……」

 

 

「……あの。『お姫様』扱いをしてほしいなら、それなら精いっぱいロールプレイいたしますけど。

 それ目的で私に会いに来たわけでは無いでしょう?」

 

 何というか軽口で本題を迂回しようとしている雰囲気を感じたので、会話のペースを少しだけ手繰り寄せるとともに軽口に乗りながらも、話の軌道修正を図る。

 これでマジでセイウンスカイがお姫様扱いされたいって言ったらどうしようかなあ。いや言った以上はちゃんと相応の扱いはするけどさ、脇道に逸れ過ぎるのよね。

 

「にゃははー……こりゃ敵わないね、降参、降参。

 実はねー、あのレースの後にサンデーライフちゃんに声を掛けていないって言ったらキングに怒られちゃってねえ。

 なんでも――『後輩の戦術を利用して勝つやり口までは責めないわよ。でも、スカイさんの走りのせいでターフから去りかねないレベルで自信をへし折っているかもしれないから、せめてアフターフォローくらいはちゃんとやりなさいっ!』……だって。

 私はそんなに気にしていないだろうなあ、って思っていたからあまり突っ込むつもりは無かったけどさー、キングがそこまで言うからね」

 

「……セイウンスカイさんも、私のことを心配してくださったのですね。ありがとうございます」

 

「わお。……全く、言葉尻から意図まで読んでくる君はやりにくいよ」

 

 

 ……まあ。実力でも策略家としても、セイウンスカイがほぼ完封しているわけだから、もし私が『勝利を希求するならば』ここでメンタルが折れる可能性はあっただろう。1着にこだわるなら、弱者の兵法こそが唯一の心の拠り所となることもあったかもしれず、実際そのような危うい精神状態でダイヤモンドステークスの完封劇を魅せつけられたら……と思うと、ちょっと怖い。

 とはいえ、その前提の勝利を欲するメンタリズムを私はほぼ持っていないから、基本想像上の話にしかならないけれども。

 

 その視点に立てるキングヘイローは、素直に着眼点に優れている……というか、私に自己投影してるからこそ出た言葉か?

 キングヘイロー号のGⅠ勝利は、短距離の高松宮記念……これを黄金世代のクラシック期のタイミングと合わせると――ちょうど、今月末。

 

 それを踏まえると今のキングヘイローはGⅠ勝利を成し遂げていない可能性が高い。後で彼女の戦績が史実通りか見直す必要はあるが。

 そして目の前に居るセイウンスカイはクラシック2冠ウマ娘。他ならぬこのセイウンスカイにもキングヘイローはへし折られてきたのだろう……自信を、自負を、プライドを。そしてその度にそれを乗り越えてきた。

 だからこそ『同じことをされたとき後輩は耐えられるのか』という視野に立てたのかも。そして私とセイウンスカイは広く見れば同じ『策略家』タイプである。レースを根性とかセンスではなく頭脳戦で勝ちに行くスタイルという部分は一緒で、その方向性でも私が敗北を喫したのだから、下手すればキングヘイローは自分自身に降りかかったもの以上の喪失感を私が味わっているかもしれない、と推定したと考えることが出来る。

 

 で、あれば。『一流』の彼女が、私に手を差し伸べるように助言することは不思議ではなくなる。そしてキングヘイローの懸念に、ある一面では納得のいく部分もあったからこそセイウンスカイはこの場所――『資料室』に足を運んだ。

 彼女はこの部屋を『サンデーライフちゃんの秘密の部屋』と言った。つまりは私のホームグラウンドだと認識して尚、踏み込むだけの誠意がそこにあった。

 

 とはいえ、セイウンスカイもセイウンスカイでキングヘイローに言われるまでも無く、その危険性自体は考慮していたとは思う。

 ただ私のことをセイウンスカイはしっかりと研究してきていた。でなきゃ、あのベストタイミングでの加速による集団全体への掛かり誘発は出来ない。

 

 とすると、彼女はおそらく。私の本質である『勝利を希求していない』部分に薄々ながらも気付いている可能性があって。そして、私が自身の存在意義をレースという場所に依拠していないことに勘付いているからこそ、ターフの上で叩きのめしても私が潰れないと判断していた側面はあると思う。

 

 

「……あんまり、こういう手の内をセイちゃんもバラしたくはないんだけどねー。

 私がもし主導権を握るようなレースだったら、サンデーライフちゃんは絶対妨害しに来たでしょ?」

 

「それは……まあ、そうですね」

 

「サンデーライフちゃんは何だかんだミスが少ないことは分かっていたからさ。そこで、もし私がミスをしたら絶対突いてくるでしょ?

 だったら最初から好きなように走ってもらった方が私としても楽だったんだよね」

 

 

 セイウンスカイ視点で見れば、私に好きな走りをさせた方が、私の妨害をするよりも勝率が高くなったということである。

 勝利に固執はしないが、勝てるならば勝つ。これが私のスタンスだ。だからこそ、セイウンスカイを倒す方向にしか勝機を見いだせないのならば、私は必ず彼女を妨害することを選ぶ。

 

 でも先のダイヤモンドステークスのように、私に思う通りの走りをさせてくれるならば、セイウンスカイを妨害する必要はない。結果、セイウンスカイのマークが外れたのと同義になった。

 

 ……いや。それだけじゃない。

 

 この言葉の真意は。

 ――セイウンスカイがもし逃げを選択していたら。彼女は状況次第で敗北すらもあり得ることを考慮に入れていたからこそ、私に主導権を握らせたんだ。

 

 それで私が勝つかどうかは分からない。他の子が1着を持っていく可能性のが高いだろう。けれども、大逃げでのぶつかり合いをセイウンスカイが嫌うくらいには私のことを意識していた、ということになる。

 

 

 


 キンイロリョテイ @Stay_Gold_・3時間前 ︙

  前のレースでエゴサしてたら #阿寒湖の絆

  ってのが俺の名前と一緒に書かれていたけど、これ何だ?

  誰かにほだされた記憶なんて無いが

 1.8万 リウマート 1,008 引用リウマート 4.1万 ウマいね

 

 

 ゴールドシップ㋹ @MaI1pCtxprWGlwjm・3時間前 ︙

 返信先:@Stay_Gold_ さん

  ほれ、キンイロリョテイ老師よ…貢物じゃ。

  【外遊中のファインモーションさまのご動静】

  cse.co.ie/news_JP/clannríoga/144366

 2.8万 リウマート 1,532 引用リウマート 7.5万 ウマいね

 

 

 キンイロリョテイ @Stay_Gold_・3時間前 ︙

 返信先:@MaI1pCtxprWGlwjm さん

  はぁ? 俺関係ねえじゃねえか。

  ……確かに、あそこのラーメンは美味かったけどさあ

 8,196 リウマート 49 引用リウマート 1.7万 ウマいね

 

 

 ゴールドシップ㋹ @MaI1pCtxprWGlwjm・2時間前 ︙

 返信先:@Stay_Gold_ さん

  ヒント:ラーメン屋のサインが隣同士

  (2つのサイン色紙が写る角度で撮られた満面の笑みのゴールドシップと店主夫妻の写真)

 3.3万 リウマート 5,102 引用リウマート 8.1万 ウマいね

 

 

 キンイロリョテイ @Stay_Gold_・2時間前 ︙

 返信先:@MaI1pCtxprWGlwjm さん

  な、何でオメェはそのラーメン屋に居るんだよ……

 1,035 リウマート 9 引用リウマート 1.9万 ウマいね

 

 

 ゴールドシップ㋹ @MaI1pCtxprWGlwjm・2時間前 ︙

 返信先:@Stay_Gold_ さん

  ククク……サンデーライフは阿寒湖四天王の中でも最弱……

 3,121 リウマート 18 引用リウマート 2.2万 ウマいね

 

 

 キンイロリョテイ @Stay_Gold_・2時間前 ︙

 返信先:@MaI1pCtxprWGlwjm さん

  阿寒湖の絆は3人しか居ねーだろ!

  って俺か!? 俺を含めて4人だって言いてえのか!?

 5,773 リウマート 224 引用リウマート 2.4万 ウマいね



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第40話 シニア級3月前半・ホワイトデー

 セイウンスカイが開口一番に言っていた資料室をお昼寝スポットにしようと考えていたのはそこそこマジの話だったらしく、数回使用感を確認に来ていたものの『ちょっとここは人がたくさん来すぎですねー』と言ってお昼寝スポットとしての活用はやめたようだった。

 そう考えるとお昼寝スポットの選定って中々難しいんだなあって思ったが、でも何だかんだこの学園って使われていない部屋が結構ある。この資料室だって私が管理者になるまでは、ほぼ放置だったわけだしさ。いや、その時は埃まみれでとても寝られるような場所ではなかったけど。

 

 そしてこの3月の頭になって、ようやく1つ終わったことがある。

 

 バレンタインの贈り物を全部食べきることが出来た! ……いやー、長かったね。しかしホワイトデーがもう目前。

 

 今度は『王子様』の風評に乗っていただいた約50個の面識が無い子から貰ったチョコと、貰う想定ではなかったクラスメイトへのお返しを製造しなければならない。幸い葵ちゃんの人物特定作業のおかげで、ほとんどの子を特定することが出来ている。

 まあ渡す際に名乗った人物は全員捕捉して、名乗ってなくても8割程度は素性を調べ上げたのだからこれで勘弁してほしい。面識無く名乗らない子を全員見つけるのは無理なのよ。

 

 ……既製品を買って済ませても良いんだけど、面識の無い子からのチョコはかなりガチの本気で手の込んだものばかりだから、流石に100円、200円のチョコで返すわけにはいかない。仮に200円で失礼なお返しをしたとて50個で1万円はいくしなあ。

 

 幸いなのが、ここトレセン学園においてはホワイトデーはイベントとしては大分下火になっている、ということ。基本バレンタインって男性は男性で貰えないと苦痛を伴う一方で、沢山義理を貰うとホワイトデーの経済負担で死ぬという噂を耳にするくらいにはだけど、女子サイドも普通に負担がえげつない。

 トレセン学園の風習的にホワイトデーがバレンタインで一方的に貰った相手に返すのがメインの予備日程度の扱いになっているのも『流石に2ヶ月連続で2回もこんなイベントやってられるか』という思いが結実したものだろう。友チョコなんて、お返しの連続になると地獄の永久機関になりかねないし。

 

「……葵ちゃん、ホワイトデー用のお返し作るので、葵ちゃんの家のキッチンをお借りして良いですか? 今回は私1人なので」

 

「ええ、勿論構いませんが……。サンデーライフ、悲壮感がすごいですね」

 

 

 なお50人分プラスアルファのお返しはマドレーヌにすることにした。ただしフィナンシェのときとは異なり1人1個が基本で、クラスメイトなどの近しい人物は2個。

 ……まあ、それでも70個くらいマドレーヌを作ることになったんですけどね。葵ちゃんにも私の味をトレースしてもらう形で手伝ってもらったが、それでもやっぱり4時間以上かかった。

 

「来年は親しい子の分も含めて既製品にします。……経費で落とせないですかね、これ」

 

「……多分、正規でない用途で申請書類を書く知恵は、私よりもサンデーライフのが高いと思いますよ」

 

 うーん……。初対面とか接点が希薄な子に返すのは今年限りにしようかなあ……。今の人数でもかなりギリギリだから、もしこれ以上増えたら完全にオーバーフローになる。

 ここまで来ると、パティシエの期間限定雇用とかお菓子屋さんとの提携とかが私の脳裏に浮かんできているレベルなので。

 

 ともかく後は100円ショップで買ってきた透明な袋とマスキングテープを使ってラッピングするだけ。あんまりちゃんと梱包してしまうと逆に手作り感が損なわれるので、ハンドメイドの雰囲気を出すように。

 フィナンシェ同様マドレーヌもちゃんと包むと、買ってきたもの感がすごく出るところが難点だねえ。

 

「後は、夕ご飯を食べてからにしましょう」

 

「そうですね……いやあ、つかれました」

 

「あはは……私は楽しかったですけどねっ! サンデーライフと一緒にお菓子作りが出来て。

 それで、夕ご飯なんですが……家で食べます? それとも、どこかに食べに行きます?」

 

 マドレーヌ製造作業が長丁場になることは最初から分かっていたので外泊届は事前に出してある。だから今日は葵ちゃんのマンションに泊まるのは良いとして、夕食か。

 別に『葵ちゃんの料理が食べたい』って言っても良いし、多分彼女自身は喜ぶだろうけどさ。4時間も個人的なお菓子作りに付き合わせて、その直後に『夕飯作れ』はちょっとねえ……。

 

 かといって、葵ちゃんって部分部分で『アプリの桐生院トレーナー』らしさの片鱗も残しているから、彼女に外食の行き先まで全部委任すると、ちょっとどれくらいのグレードの所に行くのかが想定できない。『例の水族館の日』も結局カニの小料理屋さんの予約が入れてあったわけだし。

 2月後半で出走したから、まだ直近で出走予定も無くバレンタインチョコも全部食べ終わったから食事の管理体制も解除されている。だから、何を食べても問題は無いし、葵ちゃんが私の食事メニューを把握する分にはカロリーが高いものを選んでも別に構わないだろうが。

 

 でも洋食系は嫌かも。あれだけマドレーヌを焼きまくった後だから流石に気分転換したい。

 

「……回転寿司ってこの辺にありましたっけ?」

 

 こいついつも海産物食べてんな、と思われそうだが、でも葵ちゃんも私もマドレーヌの味確認のために試食しているから、葵ちゃんの今の満腹度合いが未知数なのだ。

 だからある程度食べられる量を自己判断で調節できるもの……って考えで思い至ったのがコレだった。

 

「あっ、私、回転寿司ってテレビで見たことありますっ!

 一度是非行ってみたかったのですよね! ええと、お店は……」

 

「……ちょっとノートパソコンお借りしますね」

 

 リビングに置いてあるノートパソコンで検索をかけてみると、一番最寄りが車で10分くらいのところにあった。ウマ娘的には全然走って行ける距離だけど、それをする意味が無いので普通に葵ちゃんの運転する車に同乗して行くことにした。

 

 ……というか意外かもしれないが、葵ちゃんは普通に運転が出来る。

 まあ障害レース出走時には福島や阪神レース場まで葵ちゃんの運転で行っていたから今更ではあるんだけどさ。

 

 流石に新幹線移動で現地入りするにはちょっと私の知名度が上がり過ぎた。

 いや、別に電車に乗っても話しかけられたり勝手にカメラ向けられて写真を撮られることはあんまり無いんだけどさ、ほら新幹線だと座席が隣同士になるかもしれないわけで。

 他の乗客にむしろプレッシャーがかかりかねないので、今は専ら葵ちゃんの運転での遠征になった。

 

 でもこの世界のファンの民度はとんでもなく高いから、普通に街を歩いているくらいじゃ特に話しかけられたりはされない。『あっ』って気付いて驚く人も居たりするが、それくらいだ。

 まあカレンチャンみたいなクラスのインフルエンサーになれば話は別だろうが。加えて言えば、私自身は仮に『人気』はあっても情報発信はほぼ最小限だから、あんまりファンと接点を持つのが得意ではない方だと思われている節もあるようだ。

 

 だから回転寿司みたいなチェーン店のお店にも行ける。

 

「あっ、電子パネルで席を取るのですね! やってみたいです!」

 

「葵ちゃん、何だか子供みたいですよ」

 

「ボックス席とカウンターってどちらを選べばいいですか!? カウンターならすぐに案内されるみたいですが――」

 

「ボックス席でお願いします……私はウマ娘ですので」

 

 ウマ娘は人間の何倍も食べるので、カウンター席だと食べたお皿がスペース的にかなり邪魔になってくる。

 多分、私も頑張れば50皿くらいは食べられるとは思うが、トレセン学園には200皿、300皿くらいは優に食べられそうなフードファイター顔負けの逸材が揃っているから、それに比べると私の全力も霞んでしまう。

 あと、私は満腹になるまで食べなくても満足出来るタイプなので、回転寿司も20皿くらいで実は何とかなったり。人間女子と比較してしまえばかなり多い方だが、ウマ娘でこの量はむしろ少食と言ってもいいくらいなのである。

 

 レースに出るとか、速く走るとか、そういうところよりも、こういうところで自分がウマ娘であることを実感する……って、前に似たようなことを思った気もする。ソファーを資料室に1人で搬入したときだっけ。

 

 そんなことを考えていると、少しだけ待った後に席に案内された。まあ、葵ちゃんにタッチパネルの使い方を教えつつも、初来店の人のための『ヘルプ』ボタンみたいなのがあったので、それに全部丸投げした。

 というか、タッチパネル内にちゃんとそういう対応できるボタンがあったとは。電子化されたマニュアル万々歳である。

 

「……ねえ、サンデーライフ。思ったことを言っても?」

 

「……? ええ、別に良いですけれど……」

 

「注文したお寿司が席に届くのは楽しそうですが……回転要素はどこに?」

 

 

 ……回転するレーンは犠牲になった。

 お寿司を回転させる必要は別にそんなに無いことに回転寿司店は気付いてしまったのだから。

 

 

 

 *

 

 回転しない回転寿司という哲学的命題を食した私達は帰路に着き、葵ちゃんハウスに戻ってきた後はマドレーヌの梱包作業に取り掛かっていた。

 葵ちゃんは5、6皿食べていた。数があやふやなのは、私とシェアして食べたものもあったからお互いの何皿食べたかが分からなくなったからである。カニは食べてない。

 

 

「葵ちゃん。お風呂あがりましたけど、バスタオルはどこに置いておけば……?」

 

「あ、洗濯機のそばのカゴに置いておいてください、黄色のやつです」

 

 洗面台のあるサニタリーには確かに空のカゴがあったから、多分これかなと思いそこにバスタオルを入れてリビングへと戻る。

 しかしリビングには葵ちゃんはおらず、どこに居るのか探してみると寝室にその姿はあった。

 

「……あっ! サンデーライフ来ましたね! お風呂上りのマッサージをするのでベッドに横になってください!」

 

 葵ちゃんのシングルベッドには足元側には大き目のバスタオルが敷かれていた。あー……脚のケアってことね。

 急と言えば急だけど、まあいっかと思って、特に抵抗もせずに葵ちゃんのベッドにうつ伏せで横になる。

 

 競走馬でも脚のケアにマイクロ波を照射するなど整骨院ばりのケアを日常的に行うこともある。怪我などをするとレーザー治療などもする。ブラシによるケアなどは初歩中の初歩だし、馬専門のマッサージセラピストなども居るくらいだ。

 しかも競走馬に対するマッサージ施術は、そこまで強い力をかけずとも目に見えてリラックスするそうで、競走成績にどこまで関わるかは微妙なところだが少なくとも乗馬には有意な差が出るらしい。

 

 で、ウマ娘はそんな競走馬よりも人間に近い整体施術を行うことが出来る。……人間のアスリート相手のマッサージだと『あん摩マッサージ指圧師』の資格が必要なはずで、これは国家資格だ。

 少なくとも葵ちゃんはその国家資格に準ずるものを有しているか、そもそも中央トレセン学園のトレーナー免許資格に内包される技能なのかもしれない。

 そりゃあ、人手も足りなくなるわ。トレーナーへの要求水準が高すぎる。

 

「サンデーライフ、その体勢のままでいいので聞いてください」

 

「はい、葵ちゃんなんでしょうか?」

 

 私は葵ちゃんの枕にうずめていた顔を横にして、彼女の方に耳を向ける。

 

「……本当はサプライズ的に紹介しようかと思いましたが、一応サンデーライフの意見も聞いておきたいので今話しますね。

 実はホワイトデー辺りのタイミングからミークと貴方を引き合わせようと思っていますが……どうです?」

 

 私がハッピーミークと未だに直接顔を合わせていないのは、もしハッピーミークと私の相性が悪ければ、私が遠慮する形でトレーナー契約を解除する恐れがあったから。

 だけど、ここに来てそれを翻してきた。

 

「……つまり。もう葵ちゃん無しでは私は生きていけないほど虜になっている……と、葵ちゃんはそう考えているわけですね?」

 

「……なっ! ……たまにサンデーライフは予想外の言い回しをしますよね。

 ですが、そこまで自惚れての意見じゃないですよ。

 私がトレーナーとして教示できることは大体貴方にお教えしたつもりですし……、今であれば貴方は1人立ちしてもやっていけると思います――」

 

 

 ……ここで、『私はもうあなた以外のトレーナーを考えられない』とか『嘘偽りなく葵ちゃんの虜になっている』みたいな甘い言葉を囁いてうやむやにすることは出来た。多分、トレーナーとウマ娘の関係として、そういうドロドロの共依存の在り方もあるとは思う。

 

 

 ――でも。違うよね、私と葵ちゃんの関係性は……そうじゃない。

 

 

「……はあ、葵ちゃん。何か大きな勘違いをしているようですが……。

 葵ちゃんのことを『桐生院トレーナー』と呼ばなくなった頃からですかね……別に葵ちゃんのことを『役立つトレーナー』だから付き従えていたわけではないんですよ。最初からそういう関係では無かったじゃないですか――『勝利を目指すウマ娘』と『それを教導し啓蒙するトレーナー』という関係図では。

 

 私にとって確かに葵ちゃんの存在は究極的には必要無いですし。それは逆に言えば、葵ちゃんが私というウマ娘だけに固執する理由もありませんよね?

 ……でも。精神的に深い部分での繋がりの有無だとか、利害関係だとか、そんなもので私は自分の交友関係を規定はしていませんよ……ね?」

 

 ――だって、友達ってそういうものじゃない?

 という言葉は飲み込む。多分私達の関係性を言葉として落とし込んだときに最も近いのは『友達』だと思う。違う言葉で規定することも勿論できるだろう。

 

 だが現実とは複合的なものだ。決して関係性というのは一意に決まるものではない。物事をカテゴライズするのに分かりやすくラベル付けをするための標本としてそれらの関係を決定付ける言葉があるだけだ。

 

 それでも私にとって彼女を『言葉』という形に落とし込めて、矮小化するしか無いのであれば、私は彼女のことを『葵ちゃん』と呼ぶ。

 ……その関係性を形容する語句を私は他に持たないから。

 

 

 

 *

 

 そしてホワイトデー当日。

 

「……ハッピーミークです。……よろしく、ぶい」

 

「サンデーライフです、よろしくお願いしますね。ええと、何とお呼びすれば……」

 

「……手紙みたいにミークって呼んで」

 

「じゃあ、ミークさんで」

 

「……駄目。トレーナーのこと『ちゃん』付けなんだから……呼び捨てか……せめて『ちゃん』にして」

 

「……。

 分かりましたよ、ミークちゃん! でもあなたのが先輩なんですよ、2年も!」

 

 

 ハッピーミークも距離感バグ勢かい!?



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第41話 性質の違い

 よくよく考えてみれば、この世界のハッピーミークは『ハルウララと一緒のレースに出たい』という行動原理の下、目標レースを選定している。

 その上でメイクデビュー前から葵ちゃんと共に切磋琢磨していた。で、ハッピーミークについては練習メニューから出走レースまでほとんど葵ちゃんに丸投げだ。

 手取り足取り二人三脚で育成する必要があるが方針自体にはあまり口を出さないハッピーミークと、育成メニューそのものは自己負担でもなんとかなるが方針についてはかなり口を出す私。よくもまあ、これだけ違う性質の2人を担当にしてると思う。

 

 ただハッピーミークの場合。最初から葵ちゃんの指導の下で競走ウマ娘としての経歴を歩んできていることから、私よりも葵ちゃんの影響力は段違いに大きいだろう。

 ――となると、葵ちゃんが距離感バグ勢だからこそ、ハッピーミークにそれが伝播したというのはあり得る。

 基本彼女が無口だからこそあまり周囲には気付かれてはいないのだろうが、一応同じトレーナーを仰ぐウマ娘である私に対して、文通があったとはいえ初対面でここまで距離を縮めてくるのは、葵ちゃんの影響によるものも大きいだろう。

 ついでに言えば葵ちゃんが仲良いトレーナーはハルウララ担当。だから、ハッピーミークと接点の多いウマ娘は人懐っこいハルウララである点もきっとそれを助長している。

 

 とはいえ私に不信感を持って警戒されるよりかは、これくらい近い方が問題も起きにくいか。予定外ではあったものの、ハッピーミークが私に近付こうという意志があるならば、私からそれを拒むことは余程のことを要求されない限りは多分無い。

 

 ……私も距離感近いって良く言われるけど、それは基本相手を拒まないスタイルと『王子様』ムーブによる影響が強くて、ある程度自覚的に意識的にやっていることだからね? 相手から詰め寄って来たり、それを望んでいたりしない限りは、私が自分から行くことはそんなに無い。

 でもこの天然コンビ2人は、多分無自覚で距離を詰めてきている雰囲気だから、不意に来る感じがすごい。

 

 

「……とはいえ、ミークとサンデーライフは多分同じ路線のレースには出ないと思うので、練習メニューもあんまりぶつからないと思うのですよね」

 

 その言葉を受けて無表情ながらも、若干しょんぼりとするハッピーミーク。

 

「えっと……葵ちゃん? もしかしてミークちゃんの次走って決まっていたりします?」

 

「ええ――香港チャンピオンズ&チャターカップを予定しております」

 

 なるほどね、海外遠征か。

 香港チャンピオンズ&チャターカップは5月末に行われる国際GⅠで香港三冠の最終レースである。日本のGⅠに規定されているような国外ウマ娘の参加上限はなかったと記憶しているが、開催される沙田(シャティン)レース場の国際競走のフルゲートは14名で、これを超過した場合には香港の選考委員会によって出走ウマ娘が決定されるはず。

 国内の重賞レースのように収得賞金で出られるというわけではないのが興味深いところだ。というか、オープン戦以上の出走者はPre-OP戦のときのように前走順位などは無関係に収得賞金によって決定する。

 

 香港の選考委員会での評価ポイントは主に(・・)4点。国際レースや香港国内レースでのパフォーマンス、そのウマ娘の国際的・香港内での評価・名声、直近のパフォーマンス、沙田(シャティン)レース場でのパフォーマンスなどが選考対象となるが、あくまで『主な』分類であって、これ以外の理由から選出されることもある。

 

 なお史実において香港チャンピオンズ&チャターカップに出走した日本調教馬は現状ただ1頭のみで、それは奇しくも名前がちょっとだけ似ている『ハッピーグリン』号である。ただ2019年に出走した地方馬なので、この世界において同名のウマ娘が既に出走済かどうかはちょっと分からない。今のところあまり時代が近い競走馬モデルのウマ娘は見かけないもんね。

 ハッピーミーク自体はシニア級1年目で有記念を走っているので国際GⅠレース出走経験はある上に、そもそもGⅢまでの中央重賞って全部『国際レース』のくくりに含まれるから多分問題ない気はする。なお去年のシニア級2年目のハッピーミークはJpnⅠのJBCスプリントにも出ていたが、こちらは国際競走ではないので香港の選考委員会の考慮対象外レースだと思う。

 

「……あれ? でも葵ちゃんに、ミークちゃん。良いんですか? 香港チャンピオンズ&チャターカップにハルウララさんは多分出てこないですよね?」

 

「ええ。ローテーションの関係で今月末にドバイシーマクラシックに出走するハルウララさんが香港に来る可能性は極めて低いと思いますが……。

 これは、ミークとも相談済みですっ!

 ハルウララさんだけに固執せずに、もっと大舞台を経験したいって申し出がミークからありましたので!」

 

「……ふふっ、お客さんいっぱい……楽しみ……」

 

 

 ……というか、ハルウララ陣営はドバイミーティングの中でドバイシーマを選んだのか。芝・2410mのレースだから、確かウマ娘アプリの用語集に則れば2401m以上のレースはギリギリ長距離に区分される。いや2400mから10mしか変わらないのに長距離に区分けして良いのかなあ……。

 でも2500mの有が長距離な以上は、あまり細かいことは考えない方が良いかも。ただ『差しセイウンスカイ』が普通に機能していたように、アプリでの挙動以外の動きもあり得る。

 ハルウララのドバイシーマ2410mが果たして『長距離』と認識できるかは、ある意味では重要な意義のあるレースかもしれない。

 

 

 でも。

 ハッピーミークの大舞台経験願望は、つくづくだけれども私とレースに向ける意欲の方向性が全然違うことを実感させられる。

 

「じゃあ、今後ミークちゃんと顔を合わせるのは練習以外で……ってことになるわけですか?」

 

「うーん……それはそれでちょっと悩みどころなのですよね。1週間に1度くらいの少ない頻度で併走トレーニングを行うということは考えていましたが、どう思います?」

 

 ハッピーミークはこの葵ちゃんの質問に対して首を傾げながらも、

 

「……トレーナーが決めたメニューなら……いつも通り……やるよ?」

 

 と答える。ああ、これが一般的なトレーナーとウマ娘の関係か。

 

 改めて自身の異質さをぶつけられた気持ちになるが、でも一考してしまう。

 併走トレーニング。競走馬的に言えば併せ馬調教。

 2頭併せだと、能力の高い競走馬を外枠に置き先行させ、劣る馬を追い付かせることで、前者は逃げ切りの粘れる根性を身に付けさせ後者は全体的な能力向上が期待できる。

 なお3頭以上で併せることも結構あって、これだと素人直感に反して一番遅い馬のペースで推移することが多いらしい。だから上位2頭はトップスピードへ至ることなくゴール板を踏むこともあるので、もうひと追いさせてゴール先のコーナーまで加速させることで距離の向上を図ったりすることもあるようだ。

 

 私とハッピーミークの併走トレーニングにはメリットがある。それは異なるバ場、距離においてもパフォーマンスが同程度であることから、あらゆるレース設定を想定しての併走においてわざわざその距離に合致した相手を選ばなくてもお互いで事足りるという点だ。

 

 ただし、私の方が実力が下位だから、このトレーニング手法でより恩恵を受けるのは私。ただし、本来は競走馬にしろウマ娘にしろ闘争本能を引き出すことで単走よりも速度を出し本番に近い環境でトレーニングを積むために企図されたトレーニング手法だが、残念ながらそもそものその闘争本能に欠けている私は、他のウマ娘と比較して単走時と併走時の走行にほぼ違いが無い。

 良いように解釈すれば、外的影響に捉われず安定したパフォーマンスを発揮できるということなのだけれども、相対的に言ってしまえば併走トレーニングの効果が薄いのである。

 

 だから私が自主的にトレーニング管理をした際に、まともに自分の練習メニューに併走を取り入れていたのは、アイネスフウジンとの併走くらいだった。あの時も明確に目的が『スリップストリームの習得・習熟』といった観点で行っていたものだから意義はあった……今になって思えば併走トレーニングというよりも単にアイネスフウジンの後ろを追っていただけなんだけどさ。

 

「……2点だけ良いですか、葵ちゃん?」

 

「もちろんですっ!」

 

 まあ、これから聞かれることくらいは想定しているだろうなあ、と思いつつも、一応ハッピーミークに対しての私達の関係性の再周知も兼ねて質問を重ねる。

 

「まず、私とミークちゃんの力量差がどうしてもありますから、ミークちゃんにとって不利な形のトレーニングとなっていませんか?

 あと……私の性格面もあって、私自身は併走トレーニングで通常よりも高いパフォーマンスを発揮することは無いと思うのですが……」

 

「あー……そうですね、ちょっと私の言葉が足りなかったかもしれませんね。

 併走トレーニングですが、狙いは『レース時のマンマーク技術』に関してです。

 ……ほら、ダイヤモンドステークスにて中盤までホッカイルソーさんに対してサンデーライフがやっていたものですよ!

 サンデーライフはレースの性質上1対1の駆け引き技術は結構使う機会が多いと思いますし、ミークも海外遠征先によってはミーク自身が格上として現地ウマ娘から徹底マークを受けることだってあり得ますから、その対策ですね!」

 

 

 言わば私にとっては『デバフ』スキルに近い技能を身に付けさせるということである。もっともアプリの『デバフ』系は脚質毎のエリア攻撃であったが、ホッカイルソーと併走して無理やり掛からせたり、障害戦においてビックフォルテ相手にプレッシャーを与え続けたような1対1テクニックを併走で磨くということである。

 バスケットボールやサッカーなどの球技においてマンツーマンの技術というのは聞き覚えがあったが、まさかレースにまで転用出来る概念だとは……と思うと同時に、1対1戦術をトレーニングに盛り込むという発想は私には出来なかった。だって競走馬にもアプリにも無いものだったし。

 効果的には対1人相手の『焦り・けん制・駆け引き・ためらい』のいずれかに準じた扱いになるだろう。他ならぬ私自身が逃げのホッカイルソーを無理やり『大逃げ』にさせた実績のあるやり口である以上、上手く使えば効果は大きいとは思う。

 

 いやー……葵ちゃんのトレーニング手法の幅が本当に広いよ。

 

 

 

 *

 

 ホワイトデーはそんなハッピーミークとの初顔合わせという濃密なイベントもあったが、それ以外にバレンタインチョコをくれた子のうち当日にお返しをあげていなかった子へのマドレーヌを渡すことも行った。

 渡す子のクラスを完全に把握出来てはいなかったので名簿と大量のマドレーヌを教室まで持って行ったら、案の定ではあるがクラスメイトにドン引きされた。

 

「サンデーライフを見ていると、『王子様』って遠目に眺めておくものなんだなって……」

 

 とはいえ、友達から他のクラスの移動授業のタイミングとかの情報を集めて休み時間や昼休みを駆使してほとんど、放課後も含めれば素性が割れた子の分は全部渡すことができた。残念ながら素性が割れなかった子は、取り敢えず友達にももし見つけたら直ちに私に連絡するように伝えているので、15日以降に拾い上げる努力はする。

 

 マドレーヌは手作りでも、冷凍保存をすれば1ヶ月程度は保管できるので。

 

 いや、でもホント大変だった。絶対お返しなんて貰えないだろうと思っていた子なんかは感極まって泣き出しちゃったりもしたし。いや、逆の立場だったらその気持ちは分からないでも無いけど、その対象が自分ってところはさ。もう私はそういう立場だって自覚もあるけど……まだむずがゆい部分もあるのよね。

 オープン戦に出走しているだけでウマ娘全体から見れば上位数%レベルのスーパーエリートだし、トレセン学園内に限定したとしてもかなりの上澄み層であることは確かなのだ。GⅠ出走ゼロでも人気が出ること自体はおかしくない……って分かっていてもねえ。やっぱり自分には過ぎた名声だよなあ、と思うことは多い。

 

 

 

 *

 

「――それで、サンデーライフは次走はどうします?」

 

 ホワイトデーも終えて何日か。2月の後半にダイヤモンドステークスに出走したが、日程的に見ればそろそろ次走を決定しても良い頃合いだ。

 

「うーん……、3月末のGⅢはダート1800mのマーチステークスだけですか……」

 

 上を見ればGⅠに大阪杯と高松宮記念という明らかにヤバそうな字面が並び。GⅡには阪神大賞典と日経賞という長距離レースがある。

 GⅠは論外としても、GⅡだってまだすぐ狙おうとは思えない。如何にダイヤモンドステークスで好走できたとはいえ、すぐにステップアップというのは、何か大きな理由が無ければ私は決断できないのだ。というか、別に無理に重賞にこだわる必要もないのよね。

 

 その辺りの日程表と睨めっこしながら考えていると、葵ちゃんが申し訳なさそうに口を挟んできた。

 

「あの、サンデーライフ。

 4月の初頭には『ファン感謝祭』もありますから、それをどうするのかも一応考えておいた方が良いと思いますよ。

 『ファン感謝祭』のせいでレースに影響が出ないように、という話になっていますが、3月末は準備期間で一番忙しい時期になるのは確かですし……。何より、今年のサンデーライフはGⅠウマ娘の次くらいで競い合えるくらいには人気がありますので、正直参加しない選択肢は無い、と思ってください」

 

 あー……そう言えばファン感謝祭は4月の頭か……。

 みんながファン感謝祭で忙しいからこそ実は時期的には狙い目であったりする。まあオープン戦以上のレースだし、レース優先にしてくれるのは間違いないけれども、その場合には事前準備がほぼ無い状態でのファンサ対応を求められることとなる。

 

 で、そんな事態になったら多分最も安直な想定としては、男装の執事喫茶辺りにぶち込まれるだろう、ファン需要的に。

 いや別に執事になることが嫌なわけではない。『王子様』扱い自体はもう今更な話だし。でも……私個人の『王子様』としての名声を切り売りするタイプの出し物ってさ。人気があればあるほど休憩時間が最低限になるよね、きっと。

 

 ただ各育成シナリオを見ると、かなりそのウマ娘の個性に合わせたこともやっているわけで。一応目玉のイベントとしてはスポーツの対抗戦ではあるが、例えばフジキセキ寮長はマジックショーをやっていたり、マンハッタンカフェはコーヒーショップを開き、ゴールドシチーは体育館を貸し切ってのファンミーティングをしたり、セイウンスカイはファンとともにお昼寝したりとそこそこやりたい放題やっている行事だ。

 

 だとすれば。私に求められるのは『執事喫茶』よりも、おそらく――

 

「――桐生院トレーナー、そしてサンデーライフ。在室でしょうか……生徒会のエアグルーヴです」

 

 ノックの後にしばらくしてから、僅かに扉が開かれて声がした。トレーナー室は完全防音だから、ドア開けないと外の声が聞こえないのか。

 

「……あ、はいっ! 私もサンデーライフも居りますよエアグルーヴさん!

 どうぞ中に入っていただいても――」

 

「いえ。部外者のトレーナー室への入室を、生徒会権限でやってしまっては問題になりかねないのでドア越しで口頭で伝言をお伝えします。

 ……サンデーライフ。会長が『ポロ』の件でお呼びだそうだ。いつでも生徒会室に来ても構わないと会長はおっしゃっていたが……すぐに来れるか?」

 

 

 ……だよなあ。シンボリルドルフにとって執事喫茶などよりも、そっちのが優先度が高い事項になるよねえ。

 

「すみません。次走の選定を行っておりましたので……そうですね。

 1時間後に私の方から生徒会室には伺わせていただきます」

 

 その言葉を聞くと、エアグルーヴは『邪魔をしてすまなかった』という言葉を残して去っていった。

 

 

「……あの。サンデーライフ、『ポロ』と言いますと……あのウマ娘球技の――」

 

「葵ちゃんも知っていましたか。……こういう形で自分の言葉がかえってくるとは思いませんでしたが……。

 ごめんなさい、葵ちゃん。全部が全部、生徒会の思惑通りに進める気は毛頭ないですが……ちょっと、ファン感謝祭への注力が必要かもしれません」

 

「いえ……サンデーライフがそれで良いのであれば、私は構いませんよ。

 ですが……そうなると、次走はどうします?」

 

「――ファン感謝祭の直後にします。トレーニングメニューなどは追々考えて欲しいですが……。ここで重賞レースに出るとなると実質一択でしょう」

 

「サンデーライフはGⅢしか行く気は無さそうですし、アンタレスステークスは地方含めて4月唯一の中距離ダート重賞レースで有力ウマ娘が集結しやすいことを鑑みれば……ダービー卿チャレンジトロフィーですね」

 

 

 ――4月第1週に開催中山レース場、芝・1600mで開催されるGⅢ・ダービー卿チャレンジトロフィー。除外されなければ、これが私の次走になる予定だ。

 

 そして、その前に『ファン感謝祭』をこなすこととなる。



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第42話 オルタナティブ・プラン

 エアグルーヴとやり取りをした1時間後、私は約束通り生徒会室へと足を運んでいた。

 

 何だかんだで、もうここを訪ねるのも3度目だ。昔は私には無縁の場所と考えていたけれども、先のことと言うのは全く分からないものである。

 本当に障害転向をすることになるとも思っていなかったし、自分自身が『王子様』なんて呼ばれ方をするなんて想定すらしていなかった。

 一寸先は闇であるとともに、眩しすぎて目を開けられないほどの強い光でもある。

 

 そして、そんな過去の置き土産であるところの『ポロ』すらもファン感謝祭を前にして起爆することとなる。

 かつてシンボリルドルフと勝負して勝つ方法として提示したポロ。『共に戦い、共に勝利』することを企図した4対4の団体戦であり、改めて簡単に説明するのであれば『マレット』と呼ばれるスティックを用いて球を打ち敵陣後方まで持っていくチームスポーツだ。

 

 で。生徒会室にはシンボリルドルフしか居なかった。なんか会長とは1対1で対面することが多い。いつものようにソファーへと案内される。

 

「サンデーライフ。紅茶とコーヒーのどちらが良いかな?」

 

「……紅茶でお願いいたします」

 

「そうか。エアグルーヴが『良い茶葉』が手に入ったと言って持って来てくれたものがあってね。私は専らコーヒー党だからエアグルーヴほど上手く淹れることは出来ないが――」

 

 そう言われてティーセットとお菓子が置かれる。今までここまで歓待されることは無かった。少しでも『ポロ』の件を私に押し通すための策か、それ以外に裏があるのかは分からないが。でも、取り敢えず出す言葉はこれになる。

 

「……紅茶はありがとうございます。ですがお菓子は……ちょっと、すみません。バレンタインの後にかなりの量を食べたから、しばらくは食指が全く動かなくてですね……」

 

「――おっと、これは失礼した。……そう言えばフジキセキもこの時期は『お菓子はちょっとね……』と口にしていたな……。いや、これは私の瑕疵だ……申し訳ない」

 

 菓子だけに瑕疵……。

 うん、このジョークには気付けたけれど、めちゃくちゃ言及しにくいタイミングでぶっこんできたね。

 

「……シンボリルドルフ会長は、バレンタインのチョコはどう処理しているのでしょうか? 『皇帝』相手ならば『華侈』な贈り物をする生徒もいるでしょうに」

 

「……!

 そこまで仰々しいものではないけれども、でもフジキセキやサンデーライフほどには貰っていないと思うよ」

 

 

 ……いや。アプリのシンボリルドルフのバレンタインだと段ボールが山積みになるくらいの量を生徒会室の前に置かれているって話があった。確か仕分けもしていたはずだが……と思って思い至る。

 生徒会室宛のバレンタインのプレゼントにはお菓子類以外に小物とかそういうものもあったな。目に見えて人気がある相手なのだから、逆に渡す側も大量に贈られることを理解して貰う側が大量に受け取っても困らないものを選定している、というのはあり得る。

 だったらフジキセキの方ももう少し考えてあげようよ……と思わないでもないが、あっちはガチのファンが多めだしねえ……。シンボリルドルフとは羨望されるにしても方向性が違うということであり、おそらく私もフジキセキサイドに近い憧れのされ方をされている。

 加えて言えば、私の場合は重賞を取っていないから気安さもあるし。

 

 

 そんなことを考えながら、紅茶を口元に持ってくると香りがかなり強い。ウマ娘の嗅覚だからというよりも、そもそもかなり強い香りを発する茶葉なのだろう。

 

 一口飲むと、感じるのはフレッシュさ。爽やかな印象を受ける感じで雑味をほとんど感じない。良い茶葉というのは本当なのだろう。ただ少々濃いというかコクがある感じ。

 後味に若干の苦みが残るものの、それは不快なものでは決してなく、紅茶を飲んだ満足感として転化されるものだ。

 

「……なんというか、ミルクティーに合いそうな茶葉ですね、これ。

 いえ、ストレートでも十分美味しいのですが……」

 

「おや、サンデーライフは紅茶にも知見があるのかい?」

 

「そういう訳では無いですが……。ちゃんとした茶葉の紅茶を飲んだのだって、それこそこの学園に来てからですし……」

 

 正確には、茶葉というものを意識して飲む機会が増えたのは、と言った方が良いかもしれない。ティーバッグやペットボトル飲料として紅茶を嗜むことの方が遥かに多かったが、紅茶をお店で頼んだこともある。

 けど、茶葉とか品種名まで気にして飲んだことは皆無と言ってよかった。セイロンとかアッサムみたいな名前は知っているけれども、名前だけって感じ。というかほとんどのお店で『紅茶』って名前で置かれている以上は気にしようがないし。

 

 でもトレセン学園って何だかんだで上流階級の子が多い。タマモクロスとかアイネスフウジンみたいな苦学生タイプは割と例外に位置する。

 

 

「エアグルーヴからの受け売りにはなるが、その茶葉は『ケニア』と言うらしい。名が体を表すようにそのまま原産国名だそうだ」

 

 アフリカで紅茶の茶葉生産ってやっていたんだ、知らなかった。私がケニアという国名で知っていることは、この国にもレース場があってレースが興行されていることくらいだ。これは、私の管理する資料室からの情報である。

 トレセン学園に入学するウマ娘が限られているようで、少数先鋭な上で南アフリカからの留学生も積極的に受け入れているらしい。レース場が国内に1か所しかないが、だからこそ一極集中で集客することが出来ていて盛り上がっているとのこと。ただ何分、こちらから関係がある訳でもないので、ごくごく基本的な情報に留まっていた。まあ英語資料だったから私の翻訳抜けもあるだろうけどね。

 

 ……でも、エアグルーヴは何で『ケニア』なんてメジャーどころからちょっと外れた茶葉を持っていたのだろう。あの副会長、そんなに紅茶にハマっているほどの愛好家だったっけ。

 

 

「……それで『ポロ』の件で、私に声を掛けたとエアグルーヴ副会長からは伺いましたが――」

 

「……そうだ。

 君も知っている通り、4月には『ファン感謝祭』がある。ウマ娘にとってレースは最重要事項だが、同時に私達のトレセン学園は国内最大のウマ娘の教育機関でもある。

 だからこそ文化を学ぶ機会を生徒とファンの双方に提供することも大事だ。伝統奉納儀式については『駿大祭』があるが、国外の文化発信には一段劣っていると生徒会長として考えている。

 ……そこで、サンデーライフに白羽の矢が立ったということだ。君から前に聞いた『ポロ』のことは今でも私の中に金言名句として残っている。

 どうかね? 是非、その『ポロ』の普及に力を貸してくれないだろうか?」

 

 

 放たれた言葉は概ね想定通りのものであった。

 

「……それは『強制』ということでしょうか?」

 

 これにもし肯定的な返答が返ってきたら、逆に全力で反抗できる。『ファン感謝祭』自体の参加はともかく、そこでやることの中身に関して生徒会はあまりファン交流に望ましくない物事に対する拒否権はあれど、誰が何をするかを決定する権限まではおそらく付与されていない。

 

「……いや。あくまで私個人の『お願い』に過ぎないよ。

 『ポロ』をやってみたいというのは、あくまで私の個人的な『願望』に過ぎないからね」

 

 生徒会としてではなくシンボリルドルフ個人の『願望』と来たか。実に嫌らしい言い回しである。

 個人的なお願いなのだから、断ったところで何ら問題はない。けれども断ることで私は『シンボリルドルフの願いを無下にしたウマ娘』という烙印を押される恐れがある。まあ会長がそうした風説の流布を行うとは全く思えないが、最悪の可能性でこうなるかもしれないね、という形の恫喝カードには使えるものにはなる。

 ついでに言えば『清津峡ステークス』の際に、『URA上層への非公式の抗議』という名の私の『お願い』をシンボリルドルフは既に叶えている。

 

 『王子様』名声を悪用して『皇帝』に盾突いてみる? いや、そこまでするほどのことでは無いし、何より私のことを慕ってくれている人の関係性を利用するにしても蛮勇に突っ込むのは違うだろう。

 

 

 ……ちょっと待った。

 

 『関係性を利用』……?

 

 『ポロ』の話をしたタイミングと今の私の交友関係の広さは全然違う。

 そして『ポロ』の国際大会はイギリスでも開かれていて、『欧州』においてはウマ娘の習い事の1つとして選ばれることもある球技だ。

 ということは。

 

「……正直、気乗りはしませんね。

 私がファインモーションさんと関係が出来たからの提案で。結局は、エアグルーヴ副会長の負担軽減のために私が利用されている、と分かってしまうと。

 何より……ファインモーションの『お姉上』を副会長が苦手にしているからこそ、私に投げた、ということなのでしょう?」

 

 シンボリルドルフは一旦は押し黙ったが、多分そういうことだ。

 ファインモーションの伝手を頼れば『ポロ』実施の障壁は大いに下がることは間違いない。そして会長自身が私ならその交渉を纏め上げることが出来ると確信していることまでは分かった。

 ただ、それは本来ファインモーションのルームメイトであるエアグルーヴに投げても良い話ではある。それをしない建前としてはファン感謝祭の準備の負担軽減のために役割を私に分散させること。しかし真意はピルサドスキーを苦手とするエアグルーヴへの配慮だ。

 

 美しい会長・副会長の主従愛である。が、それに巻き込まれる私としては流石に不快感程度は表明しておく必要があった。

 

「……まさか、そこまで読まれるとは思っていなかったよ、サンデーライフ」

 

「――加えて言えば『ポロ』は『マレット』を使用する球技であり、URAにノウハウがほとんど蓄積されておらず国内での実績は民間団体が細々と開催している程度です。

 ……ファン感謝祭までに習熟度という点において懸念点が残ります。まあそのためにアイルランドから技術団か何かを招聘する算段なのでしょうが。

 

 ただ、それでも素人の付け焼き刃であることは拭えません。である以上は、参加者の怪我のリスクが高いかと」

 

 

 気に入らないから嫌だ、と駄々をこねるだけではなく一応リスクには言及しておく。

 

「……では、サンデーライフ。君はファン感謝祭において、『ポロ』の実施には一切協力をしない、という立場でよろしいかな?」

 

 

 ……正直、ここで断ったとしても泥縄的だ。

 結局、私が『ファン感謝祭』で何をするかが白紙に戻るだけだし、そうなれば生徒会にとって都合の良い『余剰人員』であることには変わりない。

 『ポロ』自体の要請は予測の範疇であったが、これを断ると次に私に頼まれるものは予測不可能となる。何より、もしかすれば目の前の『皇帝』は既に次善の策を仕込んでいるかもしれない。

 

 

 そんなときにどうすれば閉塞した状況を打破できるか? ……今まで私が打破してきたか?

 答えは単純――奇策を用いる。

 

 ポロを告げたときと、僅かに言葉を入れ替えて。

 同じニュアンスの発言をする。

 

「ええ。ですのでポロではなく。

 ――『ウマ娘ボール』はどうでしょう?」

 

 

 

 *

 

 『ウマ娘ボール』もまた、元は馬術球技であり『ホースボール』と言う。『乗馬したラグビー』とでも呼ぶべき競技なのだが、実は端的に表せるイメージが近い競技が存在する。

 

 ――ハリーポッターの『クィディッチ』。

 あれを箒ではなく馬に乗って行うのが概ね『ホースボール』の大雑把な解説として適当であろう。まあ、シーカーは居ないんだけど。

 

 サッカーボールに皮の取っ手をいくつも巻き付けた球を投げ合い相手のゴールを狙う様は、一見するとバスケットボールにも近いかもしれない。

 これをウマ娘ナイズしたときには、ほとんど既存の球技体系に近付く。

 

 ただし、『ポロ』と同じくウマ娘を競技母体となる意味で会長が先に告げた『伝統性』や『国外文化発信』の用件は満たしている。

 ……この『ウマ娘ボール』の本場はアルゼンチンだからね。体系化したのはフランスのようであるが。

 

 というかホースボール自体は元を辿れば源流にポロが居る。競技性が全然違うが、その関係性を無理に既存のスポーツに当てはめるのであればサッカーからフットサルが派生したのに似ている。『ポロ』よりも『ウマ娘ボール』のが気楽に出来る競技なのだ。

 

 その上で、正直五十歩百歩ではあるが国内に『ポロ』よりは競技人口を有していて、しかもその主な競技者は『レースを引退したウマ娘』である。

 そして『ウマ娘ボール』の競技協会組織自体が最初からレース引退ウマ娘を支援する目的で誕生しているから、URAやトレセン学園からの連携が遥かに取りやすい。この辺は資料室情報である。

 

 

 何より『ウマ娘ボール』ならば『ポロ』のようにマレットを使用せずに素手でのボールの受け渡しとなる。既存の球技体系に近いことはそれだけ別のスポーツの経験を転化することが出来、同時に怪我のリスクの軽減に直結する。

 

 これらのことを一通りシンボリルドルフへ説明した。

 

「……ウマ娘ボールの競技協会への連絡、そしてトレセン学園側の参加希望者の選定に、審判団の招聘や競技スペースの設営などは、伝手の無い私がやるより生徒会でやった方が効率良いですよね?」

 

「……ふふっ、そうだねサンデーライフ。

 つまり君は競技者として『ウマ娘ボール』に参加する、ということだね?」

 

 

 代替案は提示した。だからそれを形にするのは生徒会でどうぞご自由に、ということである。

 アイルランドとの交渉という未知数な部分に頼るよりかは具体化しているとは思う。

 

 アイデアボックスとしての役割は果たしたのだから、これで手打ちにしろ、という私のサインをシンボリルドルフは正確に汲み取った。

 

 

 

 

 *

 

 なお後日談というか、その後の顛末。

 

「サンデーライフちゃん、会長さん! よろしくなのっ!」

 

「うむ、共に頑張ろう、アイネスフウジン。

 そして――ハルウララ」

 

「はい、カイチョーさん、よろしくねー!」

 

 

 『ウマ娘ボール』のフィールドプレイヤーの人数はポロと同じく――4名。

 

 

 ……え?

 マジでこのメンバーにプラス私?



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第43話 勝利とは(3)

 シンボリルドルフ・アイネスフウジン・ハルウララと私という面子で『ウマ娘ボール』のチームが組まれるらしい。

 

 一応正式なルールでは、更に交代選手2名を用意して、試合中は自由に交代が可能であるが、ファン感謝祭内での催し事ということで、飛び入りというか当日やってみたそうに見学している子が居たら積極的に参加させるという形にするようだ。

 相手チームは実際に『ウマ娘ボール』の経験者を出してくれるらしい。まあ、こっちが素人である以上はその方がありがたいかもねえ。

 

 まあ、それは別に良い。

 それよりも問題はこのメンバーである。

 

 シンボリルドルフは正直しょうがない。私の『ポロ』発言の延長線上にあるものだから、その実現に向けて動いていたからこうなる予感はあった。

 アイネスフウジンもまあ……うん。彼女とはそこそこ長い付き合いになってきたし、特にシニア級になってからは初詣に節分に田遊びなど行動を共にすることも増えて来ていた……ってなんだこの異色のラインナップ。

 

 ただ――ハルウララである。

 彼女とは初対面となるわけで。

 

「サンデーライフちゃん! よっろしくねえー!」

 

「あ、はい。よろしくお願いしますハルウララさん。……私の名前はどこで?」

 

「だって、ミークちゃんのトレーナーさんに教えてもらっているんでしょ? わたしのトレーナーさんも言ってたよー!」

 

 あー……そこで接続するのね。

 葵ちゃんとハルウララのトレーナーがどうも同期らしいからねえ。そこでハッピーミークとの交友関係が生まれて、その延長で私の名も出てきたって感じかな。

 

「……というか、ドバイシーマクラシックの出走を控えているのに、まだ出国しなくて大丈夫なんです?」

 

「……? 多分、大丈夫だよ!」

 

 後から葵ちゃんに聞いたけど、この初日顔合わせの後すぐ出国したようである。ドバイミーティングは3月末だから、ハルウララにとってファン感謝祭は帰国後すぐになってしまうので、少しでも顔を繋いでおきたかったとのことで。

 

 そして実際問題として、私もアイネスフウジンも会長もファン感謝祭の練習ばかりにかまけるわけにはいかないので、再びハルウララが帰国して当日を迎えるまでに集まったのは2、3回程度であった。

 

 

 

 *

 

 3月末のハルウララのドバイシーマクラシック。これは土曜日に行われたので葵ちゃんの部屋にお邪魔させてもらって見た。なお、ハッピーミークも一緒である。

 

「トレーナーの家……初めて……」

 

 やっべえ。でも隠し立てする方が不誠実なので2回来ている旨は告げる。そしたらハッピーミークが無表情になりむくれていじけてしまったので、リビングのソファーに座る際に、私の脚と脚の間にちょこんと座らせて私を背もたれにするようにした。

 葵ちゃんはこの姿を見て、ニコニコしかしていない。よくよく考えてみればこのミークと同期で付き合いの多いハルウララもスキンシップに関してはかなり多そうだから、これくらい近い距離感でも違和感ゼロなのかもしれない、この2人にとって。

 かくいう私もそれを是正するどころか、助長する側だから人のことは言えないんだけどさ。自覚無しに距離を詰める葵ちゃんとハッピーミークの2人には時折『指摘した方が良いのかなあ』と思ったりもする。

 

 ただ、そんな雰囲気を一変させるレース結果が、ノートパソコンの向こうから衛星中継でもたらされた。

 私は呟く。

 

「……ハルウララさん、16位……しかもぶっちぎりの最下位でしたね。

 タイムオーバーって海外競走では、どうなっていましたっけ葵ちゃん?」

 

「……いえ、競走体系が異なりますから、タイムオーバー制は適用されないかと。仮にURA規則に準じたとしても国際招待競走ですし、何より重賞競走ですから、この結果でハルウララさんに出走停止処分が科せられることは無いですが……」

 

 ――大差負け、とでも言えば良いのだろうか。ドバイシーマの舞台でハルウララはぶっちぎりの最下位でゴール板を駆け抜けていた。

 有記念の覇者、そしてステイヤーズミリオン挑戦ウマ娘としては、あまりにも想定外の走りであった。

 

「……でも、ウララさん……楽しそう……」

 

 ハッピーミークがポロっと零した一言に、モニターに写るハルウララの表情を注視すると確かに、圧倒的敗北を喫したのにも関わらずハルウララは楽しそうにしていた。

 

「葵ちゃん。怪我や不調の兆候は見えないですよね?」

 

「……モニター越しなので確実なことは言えませんが、この映像から分かる範囲では何も無さそうだと思います。何よりこの笑顔ですからね……それに、ハルウララさんのトレーナーならば国際GⅠでも不安要素があれば出走取消するでしょうし……」

 

 そして見たところ何らかの不調や故障による順位でも無さそうである。

 

 

「葵ちゃん、これまでのハルウララさんの戦績ってあります?」

 

「あ、はい。確かこちらにファイリングしたものが……」

 

 聞いた私もあれだけど、自宅に普通にデータあるんかい。それを見てみれば、出走歴にあったレース名は重賞クラスの名を挙げれば、根岸ステークスやエルムステークス、そしてGⅠのフェブラリーステークスの名もあった。

 ……有記念までの出走ローテーションは、完全にウマ娘アプリローテだ。

 

「……私も、……出たレースが、いっぱい……」

 

 そして脚の間に挟まっているハッピーミークも出走したということでフェブラリーステークスなどを指さしていた。地味に結構GⅠ競走出てるんだな、ハッピーミーク。

 

 で、出走レース名とその距離を1つ1つ確認していく。

 

 ――やっぱり。

 

 

「……ハルウララさん。芝でもダートでも、中距離でのレース経験が一度も無いですよ」

 

「えっ!? 本当ですか、サンデーライフ。少し見せて貰えますか……スプリントから超長距離まで出ていましたから、完全にジュニア級やクラシック前半辺りで出ていらっしゃると思っていました……」

 

 

 ……多分。これまでの徹底した中距離路線避けを見るに、ハルウララのトレーナーさんはハルウララが中距離を不得意とすることを知っていたはず。にも関わらずドバイシーマの芝2410mに出走させた。

 同日に開催されるドバイミーティングの国際重賞レースには、ステイヤー路線ならば芝3200mのGⅡ・ドバイゴールドカップがある。一方スプリント路線ならば、芝のアルクォズスプリント、ダートのドバイゴールデンシャヒーンどちらもあって、こちらはいずれもGⅠなのに。

 ダート1600mのゴドルフィンマイルという選択肢もあったはず。

 

 なのに、ハルウララのトレーナーさんはわざわざドバイシーマを選択した。賞金が高いとか知名度狙いであればドバイシーマの倍額の賞金が出るダート2000mのドバイワールドカップに出した方が良いから、それ目当てでもない。

 

 

 ……私はこのレースが、アプリ的な側面がどこまでこの世界に影響を与えているかという意味で意義があるレースだと考えていた。

 そしてその意味においては、ウマ娘アプリ的には2401m以上が長距離と区分されるという点においてはセオリーが崩されたが、一方でハルウララの中距離適性Gという部分はゲーム的に反映されているかもしれないという結果を得ることができた。

 

 ただ、それをどう解釈するのかは結構難しい。2410mなんて実質中距離だからアプリの適性って概念はやっぱり大事! と読み解くのか、それともアプリでは長距離のはずのレースで大きく落ちたのだから、そもそもアプリ的に考えない方が良いと捉えるべきなのか微妙なラインである。

 

 まあ実際の競走馬であれば『ステイヤーズミリオンとドバイシーマの間にJBCスプリントを挟むな』がおそらく正解なのだけど、その距離・バ場無視ローテは私が自分でやっていて特に何も感じていない以上は、私は完全に人のことを言えない立場である。

 

「……でもハルウララさんのトレーナーは何故、わざわざドバイシーマに出走させたのでしょうか? 中距離レースにこれまで出していなかった以上は何か理由がある気もしますが……」

 

 この疑問に対しては葵ちゃんは思い当たる節が無かったのか考え込んでしまう。しかし、ハッピーミークがぽつりとこう呟いた。

 

「……ウララさんが、出たかった……から……とか?」

 

 

 ……。

 あ、あり得そう……。ハッピーミークの抑揚のない言葉にはかなりの説得力があった。

 

 なお、この日も外泊届は出してあったのでハッピーミークと一緒に泊った。というか、地味に布団1セット増えてるね……。

 

 

 

 *

 

 ファン感謝祭当日。

 『ウマ娘ボール』の試合は夕方からだということで、午前中は自由時間ということになった。

 

 私が今どこに居るのかと言えば……体育館の関係者バックヤードである。最初から私がファン感謝祭で『ウマ娘ボール』をやること自体は周知されているが、じゃあ夕方まで暇だしどこかに居るだろうということもバレることとなる。

 血眼になって探すファンもいるかもしれないが、偶然でエンカウントしてしまえばバレるわけで。その辺りの対策に一番詳しい知り合いはフジキセキ寮長だが、彼女の場合は『フジキセキの会』というファン組織が統率を担っている現状がある。

 

 私のファンクラブも……多分、存在自体はするだろうなあと思いつつも、新興の団体であることには違いないので、指揮統率に関してはあまり期待しない方が良いだろう。おそらく葵ちゃんなら細かいことは把握しているだろうが、ぶっちゃけ私としてはそこまで興味が無い部分ではある。

 

 ということで、フジキセキの次にファン層の厚みが凄そうな知り合いはと考えて真っ先に思いついたのがゴールドシチーだった。まあ、現役モデルだしね彼女。

 

「……だったら、ファンミ用に取ってある体育館の舞台裏にでも居る? バンブー先輩がその辺りの管理はやってくれているし、サンデーライフなら多分大丈夫でしょ」

 

 その厚意に甘えることにしたものの、一応バンブーメモリーに対してもメッセージアプリを使って確認を取ったら『一応アタシからも言っておきますが、多分サンデーライフなら何も言わなくても顔パスでいけるっスよ』と返ってきた。

 ……そっかあ、一般生徒の認識だと私って感謝祭の実行委員くらいのポジションだと誤認されているのか。

 

 そんな感じで体育館の舞台裏に居たが、これが結構面白い。

 アプリ同様にゴールドシチーのファンミーティングではバンブーメモリーが引っ張り出されて対談っぽくなっていたし、ゴールドシチー以外の子の話も色々と聞けたりして普通に一観客として楽しめた。

 

「……あれ、サンデーライフちゃんだ! サンデーライフちゃんもファンの子とお話するのー?」

 

「いえ、私は暇つぶしみたいなものですよ、ハルウララさん。

 というか、ハルウララさんはファンミーティングをするってことで?」

 

「うんっ! ファンの子といっぱいおしゃべりするんだー!」

 

 『ウマ娘ボール』前に予想外にハルウララと遭遇した。まあドバイシーマで負けたとはいえ、現役ダートスプリンター&芝ステイヤーで最強説があるからねハルウララ。そりゃあ人気も出るよ。

 

 ……うーん。聞かないのも逆に気を遣っている感じになっちゃうし、聞いちゃうか。

 

「……ドバイは、どうでした?」

 

 この質問に対してハルウララの答えは即答だった。

 

「すっっごく楽しかったよっ! レースに出た子はみんな強かったし、同じ日にレースしていた子たちとも仲良くなって『帰ったらウマ娘ボールっていうのをやるんだー!』って言ったら、みんなも出来るみたいで一緒に遊んだりもしたんだよ!? そっちでも強くてびっくりしちゃったー!」

 

 

 ドバイミーティングに集まる面々を考えれば、そりゃあ国際色豊かなのも当然で、海外勢なら『ウマ娘ボール』を幼少期から習っていたりする子も居るかもしれない。そこで一足先に国際試合……もとい国際遊びをするというのは完全に盲点だった。

 それ以外にも短い時間を利用してラクダに乗ったりとか、観光用の食堂で『シャワルマ』っていう串焼き料理を食べたとか、遠征を楽しんでいる様子がありありと伝わってきた。まあシニア級3年目だし、海外渡航は2度目でダート路線で地方遠征も重ねてきているだろうから、流石にその辺りの息抜きの仕方はプロだなあと感じた。

 

 

 ただ、どうしても気になったことがある。私自身があまり共感をすることができない一般論だからこそ、このハルウララにもぶつけたかった。

 

 

「……レースに負けて悔しいとか、そういう感じでは無さそうですね」

 

「……? どういうこと?

 みんなと一緒に走るのってすっごく楽しいよ? 次は負けないぞーってなるけど、サンデーライフちゃんはレース楽しくないの?」

 

「……いえ。私もレースを楽しませてもらっていますよ。

 うん、とっても楽しいです」

 

「だよね、だよねー!」

 

 

 ……ああ。この子はハルウララだ。有に勝っても、イギリスの重賞を勝っても、あるいはドバイで負けても――どこまでもハルウララであった。

 

 そして。私以外にようやく出会った。

 『勝利』に全く執着していない子。少女・ハルウララにとっての目標はおそらく『たくさんのレースに出て、いろいろな子と楽しむ(・・・)こと』だ。

 

 

 勝利へのマインドセットを全く積み上げていないからこそ、派手に勝つこともあれば、派手に負けることもある。しかし勝敗に関係なくレースに出た時点で彼女の目標は達成されているのだ。

 

 

 ……今まで『勝利への渇望』で負けた相手は幾らでも居たけれど。

 

 ハルウララは『勝利に重きを置かない』ことで、ハルウララ(・・・・・)でありながら頂へと上り詰めていた。



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第44話 特異点

「じゃあ、トレーナーとサンデーライフちゃん! 行ってくるねっ!」

 

 あの後、ハルウララの話を聞いているうちに、いつの間やら結構時間は経っていたようで、気が付いたらハルウララの出番の時間がやってきていたようだ。

 そしてこの場には私とハルウララの女性トレーナーが残される。彼女は舞台上のハルウララから視線を外さないものの、無言で居るのもアレなので話しかける。

 

「……ハルウララさんのトレーナーさんですね。葵ちゃんがお世話になっているようで――」

 

「桐生院トレーナー……あの人はトレーナーとしては同期である私も尊敬できる部分はありますが……大分世間知らずな部分もあるでしょう? だから、どうにも放っておくことが出来なくて……それから仲良くして貰っています」

 

 何というか……ありありと想像が出来る光景である。そして推定アプリトレーナーにもっとも近い動きをしているハルウララのトレーナーさん、なのだけど。こうして話してみた印象はどうにも普通の社会人っぽさがある人だ。

 でも、この人が多分、葵ちゃんと一緒に温泉旅館泊まりに行っているんだよね。聞いてみたいけど、万が一行っていないパターンのときに上手い言い訳が出来ないのでやめておく。

 

「……そうですね。この前一緒に回転寿司に行ったときなどは『初めて来た』って言っておりましたし」

 

「……ふふっ、それでもハッピーミークさんを育成し始めた頃に比べたら、今はすっかり『頼れるトレーナー』みたいになっちゃって……。

 ……とにかく、サンデーライフさんのことも、桐生院トレーナーを始めとする様々な方からお話として伺っております。……ここで私に話しかけるってことは何か聞きたいことがあるということですね?」

 

 

 空気感が変わる。バレていたか。

 

「……先日のドバイシーマクラシックですが……負けると分かっていてハルウララさんを出走させましたね?」

 

「……同じことを桐生院トレーナーからも聞かれましたよ。ウララたっての希望でしたし、実は――」

 

 そう言われて語られたのは、全く想定すらしていなかったシナリオである。

 昨年。ハルウララはシニア級2年目、黄金世代がシニア級1年目だったときのジャパンカップにブロワイエが来日していた。私は完全に障害競走にシフトしていたときでほとんど平地競走から意識を離していたけれども、基本的な部分はアニメ1期に準じているようだ。

 

 ただ大きな相違点として、ブロワイエ自身がハルウララのことを知っていて、ハルウララ自身はジャパンカップに出走していないものの、ブロワイエはハルウララにわざわざ会いに来たとのこと。

 ……まあ、話としては分からなくもない。ブロワイエとしては自身がクラシック級のときに、急に極東からステイヤーズミリオンを狙ってきたウマ娘として映るのだから、印象がデカいに決まっている。しかも当該3レースのうち2回は入着しているのだから。

 

 だからアニメとの相違点として凱旋門賞の時点でエルコンドルパサーを普通に警戒していたみたいだし、そもそもこのエルコンドルパサー自身もレースでの対決経験こそ無いものの学園生活の上ではハルウララとそれなりに近しいところに居るわけで。キングヘイローと同室だしね、ウララ。

 

「――だからジャパンカップで勝利したスペシャルウィークさんやエルコンドルパサーさんらとともに、ブロワイエさんとウララも良くお話をしていたのですよ。

 そこで、そう言えば……という話で名前が出てきたのが――『ファンタスティックライト』さんでした」

 

 ――ブロワイエとエルコンドルパサーの凱旋門賞で11着だったはずのファンタスティックライト。まさかここで関係してくるのか。その名前は想定外であった。

 確かにブロワイエと同期ではあるが、凱旋門賞以前の戦線は国レベルで全然違うし、そもそも史実・ファンタスティックライト号の活躍は古馬になってからだ。

 

 一応ファンタスティックライト号は翌年のジャパンカップにてテイエムオペラオーとメイショウドトウとともにクビ、ハナ差3着という結果を残しているのでジャパンカップ繋がりでかつ凱旋門賞出走という関係性はあるから、ブロワイエとファンタスティックライトの間に繋がりがあるのは『言われてみれば確かにそうかも』って形ではあるんだけどさ。

 

 で、そのファンタスティックライトが『ドバイシーマクラシック』への出走を表明していて、丁度良く『ドバイミーティング』への招待が届いたから……という顛末らしい。

 

 ……日本総大将となったスペシャルウィークのジャパンカップ2着にひっそりと居たインディジェナスともし仲良くなっていれば、インディジェナスの次走はドバイワールドカップでそこに居合わせた『ドバイミレニアム』と激突というIFストーリーもあった訳だが、巡り合わせというのは分からないものである。

 

 というかハルウララがドバイで『ウマ娘ボール』を一緒にやった相手は自身の出走レースメンバーではなくその日(・・・)の出走ウマ娘って言っていたから、ドバイミレニアムと『ウマ娘ボール』をやってるかもしれないね。いや、それはそれでヤバい。

 

 

 

 *

 

 ハルウララのファンミーティング中に私は体育館のバックヤードから退出した。終わるまで待っていた方が良いかなと思ったけれども、少し考えをまとめるために外の風に当たりたかったし、ハルウララのトレーナーさんも私のことを止めることはしなかったので、正直に離席する旨とハルウララに申し訳ないと伝えてほしいと伝言だけ頼んで外に出た。

 

 体育館でイベントの真っ最中だから、その周囲にはあまり多くの人は居なかったものの、それでもファン感謝祭ということもあって、ちらほらとファンの人が行き来しているのが見える。

 そんな人の動きを尻目に見つつも、私はあてもなく歩きながら考えていた。

 

 ハルウララは勝利するためではなくレースを楽しむことに主眼が置かれていて、それでこの世界においては輝かしい成績を残してきている。

 結果的に大敗を喫したドバイシーマクラシックだって、ハルウララからすれば『ブロワイエから聞いたファンタスティックライトという子と一緒に走ってみたい』という精神性からの出走だ。勝ちたい(・・・・)ではなく一緒に走りたいというのは、彼女の精神性が他のウマ娘と一線を画す部分である。

 

 根本的な部分では勝利を希求していない、という一点においては私とハルウララは同一であると言えるかもしれない。

 けれど、将来楽をするための手段としてレースに出走する私と、一緒に走るという目的のためにレースに出走するハルウララ。ここが大きく違う。

 

 どういうことかと言えば、私は自己の存在意義をレースの中に全く見出していないが、ハルウララは自己の目的からしてレースの中にあらゆるものを見出している。しかし、それでいて順位などの『相対的要素』を完全に分離して『競走』ではなく『()走』に価値を見出していた。

 

 

 レースが『競走』であることをまるで忘却したかのような彼女の在り方は、恐らく最も自然であり、そしてウマ娘としては最も異質なものであろう。

 

 

 ――『勝利への渇望』は言わば『競走寿命の前借り』であるという私の持論は今でも変わらない。

 命を賭してレースをしている姿は、誰の目にも輝いて写り、美しく尊くかけがえのないものとして人々の感情を根底から揺さぶる。

 

 

 しかし、ハルウララはそのようなウマ娘としての在り方からは真っ向から刃向かっている。では勝利を希求しない彼女の姿は、くすんでいて、醜く卑しい塵芥に等しきものなのかと問われれば――断じて、否である。

 では何故、真逆なのに人々へ魅せる印象も反転しないのだろうか?

 

 その答えは、おそらく――。

 

 

 と、いったところでふと思考の海から意識を引き上げる。

 すると、私はいつの間にか中庭まで考え事をしながら歩いていたようだ。

 

 

 今はファン感謝祭の最中だけど、考えてみれば4月の前半。

 ……因子継承のタイミングでもあった。

 

 考え事をしながら歩いた先が中庭――三女神像の目の前というのは何かしらの因果を感じざるを得ない。

 そして中庭の噴水の周囲には、誰も居らず……いや、渡り廊下の周りには人だかりが出来ているから、考え事をしながら噴水に来た私を見て避けてくれたのかもしれない。

 

 うーん、ちょっとおあつらえ向きに状況が整いすぎているのが気がかりなんだけど……まあ、良いかな。

 

 ファンサービスも兼ねて、私は仰々しく三女神像に向けて片膝を地につけて祈りを捧げるポーズを取ったところで意識が暗転した。

 

 

 

 *

 

 次に意識が目覚めたとき。私の瞳には広い広い青空が見えていた。

 その吸い込まれるような空に心を奪われ空がどこまで続くのか顔を上げようとすると――

 

「……痛っ」

 

 後頭部と地面が激突した。それで気付いたが、私はどうやら仰向けに地面に寝そべっていたらしい。ただ長い時間そのような体勢を取っていたわけではないようで起き上がったときには、さきほどぶつけた頭以外に身体の痛む場所は無かった。

 

 空から降り注ぐ陽光が草原を照らしていて、私はどうやら舗装されていない道の上で寝そべっていたようである。

 太陽の位置から見て右側のずっと向こうに深い森のような情景が広がり、他の大部分は草原で、ただ1本の道が通っている。そして辺りを見回して唯一見える人工物と言えば、その道の片方の先に見える洋館のような塀のある建物のみであった。

 

 土の道にはタイヤ痕がなく、中央部が踏み固められたように硬くなっているのとその両隣に細い線のような轍がずっと伸びていた。自転車のタイヤくらいの幅だろうか、ともかく車が往来している気配は無かった。

 

 と、そこまで様子を窺ったところで思い出す。

 あれ? 私ってあのタイミングで意識を失ったから、多分今って因子継承の時間だよね?

 

 それにしては前みたいなピンク色とか紫色というかなんとも言えない色味をしていて奇妙な浮遊感のある謎空間ではない。

 今立っている道路を強く踏みしめてみても、しっかりと『地面』の感触と反発が返ってくる。道から外れて草原に恐る恐る脚を踏み入れてみても、しっかりと草を踏みしめた感触だ。

 

 今の私はトレセン学園の制服で、荷物は特に持っていない……あ、スマートフォンとか財布はポケットに入っている。

 一応、スマートフォンの画面を付ける。電池残量は充分に残っているが、こんな場所だ。電波などは通じていな……え、入ってるじゃん。

 何なら意味分からないが、すごい弱いけどWi-Fiスポットもあるみたい。ここ大草原の真っただ中よ。

 

 連絡が取れるなら取り敢えず、葵ちゃん辺りに電話をかけて現状把握をしようと思って電話をかけようとした瞬間、携帯電話が電源ごと落ちた。

 えっ、電源を付けなおそうとしてもダメなんだけど。……いや、不自然すぎでしょ。

 

 身に起きたのは怪奇現象であったが、何というか私ではない第三者のご都合主義感の強いスマートフォンの電源の落ち方だった。

 

 うーん……。取り敢えず悩むが、どう考えても一本道だし、あの見えている館に行けってことなんだろうなあ。館の反対側にも一応道は続いているので気持ち的には逆張りもしたくなるけど……。

 

 今、履いているシューズが結構履き慣らしたものだから、多分そんなに長い距離の走行には耐えられないと思う。

 200から300kmくらいなら大丈夫だけれども、500kmとか1000km走るとなったら耐久度に不安が残る。まあウマ娘のパフォーマンスで無理なく移動するとしても、靴の消耗まで考えた大移動は、きっと水分や食糧の問題の方が先にやってくるから度外視していいかも。

 

 

 そんなことを考えていたら、私の耳は上空からの飛翔音を拾う。

 え……上から何か降ってくる! と思うと避ける間もなく、私が立っていた場所から少し離れた草原に何かが落下してきて大きな衝撃音とともに土煙が舞う。

 

「――ひゃっ! ……一体なにが」

 

 待っていた土埃が拡散すると、見えたのは――杭の付いたプラカードが地面に深々と刺さっている様子であった。

 

「……えー」

 

 そして、そのプラカードには『←順路』とだけ書かれていた。その矢印が指し示す先には案の定というか(くだん)の館があった。

 

 あー……はい。これ完全にしびれを切らされましたね……。

 そして例の(・・)プラカードによく似た物体が空から落ちてきたということは、見た目も様子も違うが推定サンデーサイレンスの意志が関与できる空間らしい。となるとここもまた因子継承に関わる場所っぽいのは間違いないはず。

 

 

 ……でも。どうして、今回は異世界転生チックな演出なんだろう。



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第45話 4月の転生者

 ここが恐らく因子継承空間なのだろうとは予想が付いたが、しかしこの景色には何か元になったものがあるのだろうか……と頭を悩ませながら、私は半ば恫喝気味に勧められた洋館へと向かうことにした。

 

 頻度は高くないが定期的に私に何だかんだ構ってくる黒い靄のことを、ここに来てからは今のところ直接的に目視したわけではない。まあプラカードを空からぶっ刺してきた以上はどこかにはいる気がするけど、とはいえこの空間がその推定サンデーサイレンスのゆかりの地であったところで私にはそれを判別する手立てはない。

 

 20分から30分くらい歩いただろうか。如何せんレースのラップ刻みを把握するための体感的な時間で推し測ったものだから正確ではない。スマートフォンは電源が切れているから時計としても使えないし、レース用の時間感覚なんて精々2、3分しか使わない。その上そもそも私はラップ刻みで正確に時間を把握することについてはそこまで自信は無い。

 レースのときは全体の雰囲気からの感覚的な定性把握が主で、200mをコンマ何秒単位で走っているのかみたいな数値的な推測はあんまりレース中も考えていないしねえ。

 

 で、門前までたどり着いて改めて見ると大きな館である。窓の並びを鑑みるに3階建てだろうか? ただ建物の入り口までの間に庭園が広がっていることが外からでも分かる。

 正門に当たる部分は開かれており自由に入れるようになっている。

 塀は高い上に頑丈そうだ。障害競走で飛越をしてきた私も自分の背丈よりも高い壁を飛び越えようという気にはならないし、しかも上の方には有刺鉄線が張り巡らされていて痛そう。

 ただ異様なほどに分厚い塀には、ところどころ外壁がはがれかけていたり、ひび割れしている部分もあったり、あるいは小さな円状の溝が出来ていたりと、端的に言えば敵の襲撃を退けた後みたいなイメージである。

 

 

 ヤバいところの雰囲気が漂ってきたが、覚悟して入る。

 庭を見回してみると奥には池もあり、その池の手前には植木の剪定をしているらしい黒髪の壮年の女性の姿があった。尻尾とウマ耳があることから成人のウマ娘っぽい。

 

「すみませーん……」

 

「……」

 

 振り返った女性は黒いマスクを付けていた。距離は離れているものの、高枝を切るハサミのようなものをこちらに向けた状態で鋭い眼光で、話しかけてきた私のことを睨みつけてきた。……こわい。

 

 声をかけてしまった以上は何か会話を続けようと思うも、流石に異様な風格のある女性相手で、しかも地雷を避けないと危険な雰囲気がぷんぷんしているだけに一瞬の誤りが命取りになる危険性もある。

 辺りを見回して打開を試みようとすると、ふと畑のような土が耕されたスペースが目に入った。

 

「……ここでは、何か栽培しているのですか?」

 

「……」

 

 しかし、それに対しても返答が無かった……もしかして言葉が通じていない? いや、でもこちらのニュアンスは伝わっていそうだから無視されているだけ?

 

 どう意思疎通を取ろうか頭を悩ませていると、上空から鳥がさえずる鳴き声がした。ふと見上げれば空を飛ぶ鳥が――。

 

 

 ――次の瞬間、大きな炸裂音がする。

 慌てて音の発生源を探すと、それは私が話しかけていた女性から発せられたもの……いや。正確に言えば、その女性の両手にいつの間にか収まっている『猟銃』の発砲音であった。高枝バサミは無造作に地面に投げ捨てられていた。

 

 そして若干のタイムラグの後に、鳥の遺骸が私と黒髪の女性の間にぼとりと音を立てて地面に落ちる。それを一切表情を変えずに拾った女性は特に私にリアクションをするまでもなく、後ろの池の方に鳥を持って行きそのまま懐に仕込んでいたのだろう調理用ナイフで解体と血抜き作業を始めた。

 

 

 ……えぇ。

 

 何の警告も無しにいきなり銃が取り出されて、しかも躊躇いも無く発砲して流れ作業で鳥を水辺で解体とか……あまりにも現実離れした光景にリアクションが一切取れなかった。

 

 どうしようか色々と考えたが。下手に刺激するのは良くないなと思い、鳥の解体に夢中になっている隙に屋敷の中へ進むことにした。

 ……私だって庭先でこれを見せられて中に入りたくは無いんだけどさ、これが因子継承空間かもしれない以上は、多分先に進まないと帰れない気がしたので。

 というか、現状因子要素が全然無いけど、大丈夫なのかこれ。

 

 

 

 *

 

 屋敷の中に入ったら、眼前には荘厳なエントランスホールと豪奢な階段が広がっていた。しかし目に見える範囲においては人の姿を捉えることができない。

 ……しかし聴覚に意識を集中すれば。ほんの僅かに最上階から物音がするのが聴こえた。部屋は大量にありそうだが、音源はおそらく一ヶ所のみ。

 

 私は、その物音のする方向へ向かう。しかし、その間もなるべく情報収集を行うことは忘れない。

 まず、エントランスホールから圧倒されたのは、巨大な絵画や写真がいくつも飾られているという点だ。

 個々に共通点はまるでないが、全体として見ていくと政治、戦争、宇宙開発、飢餓、環境問題……そんなエッセンスが散りばめられた作品がエントランスにも、階段にも、そして最上階から音のする最奥の部屋に至る廊下にまで美観を損なわない程度に配置されていた。

 

 何か意図を感じさせる調度品の数々ではある。基本的に社会問題に関わるものばかりだ。人間の文明社会に対して関心の高い競走馬がモチーフ……って、そんなの居る? ちょっと心当たりがない。

 

 何だろう。でもこの先に待つ人物のヒントではあるはず。少し捻ったものだろうかと頭を悩ませる。

 どれも見極めるのには見識や教養が必要とか?

 あるいは、良心だとか良識に期待しないとそれらの問題を解決できないとか……あっ。

 

 

 ――そういうことかっ!?

 

 分かってしまえば、一気に繋がる。

 庭先で出会った壮年の黒髪ウマ娘。マスク……口に拘束具を付けていて、鳥と水辺……。

 そして推定サンデーサイレンスの放り投げた杭の付いたプラカード……つまり、この世界にサンデーサイレンスが介入できるという事実。

 

 ……でも。この推測が本当ならば、今から私が出会う人物は恐らく相応の覚悟が必要だ。気を引き締める必要……どころか、恐らく素では駄目かもしれない。

 ――『王子様』としての仮面。これを交渉用のポーカーフェイスとして利用するしかない。

 

 そんなことを考えて、私は最奥の部屋へとたどり着いた。

 今の私は『モブウマ娘』ではなく『王子様』。虚勢ではあるが、そうでもしなければ雰囲気に飲まれかねない。

 

 意を決してノックすれば、『入りなさい』と威厳ある声が響く。

 

「失礼します」

 

 私はそう前置きして部屋に入ると、そこにはウマ娘の老婦人が立っていた。部屋に置かれたアンティーク調の椅子を指差してそこに座るように言われる。

 その言葉に従いつつ、目の前の老婦人の様子を確認する。年老いている姿こそあるものの眼光は精彩を欠くことなく見る者すべてを射抜くような視線があり、ドレスから見え隠れする脚は現役を退いたウマ娘とは思えないほどに壮健でありながら、数え切れないほどの古傷が見え隠れする。

 老婦人ではあるが、正直、女海賊とかマフィアの長だと言われても納得してしまうだけの畏怖を与えるだけの威圧感があった。

 

 そして僅か数歩だけであったが、その老婦人の歩行フォームには僅かな重心のぶれが見えた。左脚をかばう……まではいかないがバランスの悪さを感じさせる動きに見えた。

 ……そして、その『左脚』の違和感こそが。私にとってはキーピースとなった。

 

 

 震える心を抑えつつ、私は芝居がかった口調と大袈裟な身振り手振りでこう伝える。

 

 

「――貴公の良識に敬意を(・・・・・・)表します」

 

「……そうだったねえ。お前さんは、そういう言い回しが出来る奴だったねえ。

 この屋敷には気性がおかしい阿呆共しか居ないから忘れていたよ」

 

 

 この老婦人の名は――ヘイルトゥリーズン。

 史実では日本の血統を根底から捻じ曲げ、競走の在り方から変えた……そんな競走馬がモチーフの御仁である。

 

 

 

 *

 

 ヘイルトゥリーズン系の家祖・ヘイルトゥリーズン。

 そしてヘイルトゥリーズンの産駒としては、ウマ娘実装キャラに関わる部分ではヘイローとロベルトの2頭だろう。

 

 ヘイローと言われると、脳死では『キングヘイロー』のことを想起するが、キングヘイローは母親がこのヘイローの子であるグッバイヘイローであることに由来している。母方からの接続なのでキングヘイローはヘイロー系ではない。

 ではヘイロー系に誰が属するのかと言えば――サンデーサイレンス。だからこそサンデーサイレンス産駒全員がこのヘイルトゥリーズンに収束する。そしてサンデーサイレンス以外にもヘイローはタイキシャトルの祖父である。

 

 そしてロベルト。ロベルト系に属する実装ウマ娘はナリタブライアン、マヤノトップガン、グラスワンダー、ウオッカ、そしてライスシャワーとこちらも錚々たる面子が並ぶ。

 

 

 加えて言えば、庭先であった黒髪の女性は多分……ヘイローだ。サンデーサイレンスもヘイルトゥリーズン自身も気性難であったが、このヘイローはその気性難一族家系の中でも群を抜いて気性が激しかったと言われている。

 

 

 あながちマフィアだとか女海賊だとかというヘイルトゥリーズンへの第一印象も間違っていないかもしれない。『系統』というファミリーの長であることには違いないのだから。

 

「私も回りくどいことは好きじゃ無いんでね。とっとと本題に入らさせてもらうよ。

 お前さんは三女神に祈りを捧げたら、こんなところまで飛ばされた……それで合っているかい?」

 

「はい……ご推察の通りですが……よく――」

 

 目当ては因子継承による能力やら適性アップだけど、それは胸中にとどめておく。

 

「……まあ、ウチの阿呆が散々迷惑をかけているらしいからね、その迷惑料分くらいは私も侘びを入れねばとは考えていたさ。

 ……それに、お前さんはどうやら『色々と知っている』――ようだしねえ」

 

「……恐れ入ります」

 

 

 実体として存在して会話が出来ている以上は同じウマ娘の延長線上で判断していたが、よくよく考えてみればサンデーサイレンスが怪奇現象のような姿形をしているのに、その2代上であるヘイルトゥリーズンがただの老婦人であるというのはちょっと矛盾が生じている。

 

 『シラオキ様』のような神格化パターンが既に示されている以上は、このヘイルトゥリーズンがそもそも上位存在的な立ち位置である可能性は充分にあり得る。というか世代と史実におけるリーディングを鑑みればそっちの方が自然だ。

 人ならざる存在であることを常に考慮せねばならない。ただし『会話』を行っている時点で意思疎通の意志があることと、読心までには至っていないことは留保しておこう。

 

 ついでに言えば『侘び』を入れることが目的だとするならば、ヘイルトゥリーズンの意志によって私はここに呼び出されたと見て良いだろう。

 

 

「で、だ。

 私とダート6ハロン半で勝負して勝ったら、どのようなことでも好きな質問を1つして良い。私が知っている限りのことを話そう。

 別に勝負しなくても構わないよ、ただしその場合はお前さんはそのまま何も得ず意識を覚醒するだろうがね」

 

 

 ……は、はいぃっ!?



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第46話 『サンデーライフ』の見た景色

 ヘイルトゥリーズンとダート6ハロン半――1300mでレースを行い……勝つ。

 現役であれば絶対に無理な条件だが、負傷引退した上に完治したとはいえ体幹のバランスは若干ではあるが崩れたまま。そして老婦人ともなれば負ける要素はほぼ無いようにも思える。

 まあヘイローも居たけど。それと『屋敷に気性難しか居ない』ってのもヒントだ。ヘイルトゥリーズン系のもう片割れのエースであるロベルトは気性は厳しくなかったことからロベルト関連のウマ娘はこの屋敷に居ない可能性がある。あるいは私がサンデーサイレンス産駒だとするとロベルト系は無関係だから、絡めないってことなのかもしれないが。

 

 しかし一方で、ヘイルトゥリーズンが上位存在である可能性も考慮しなければならない。

 

「……勝負して負けた場合は、どうなります?」

 

「別にどうもこうもしないよ。その時もただ目が覚めるだけさ」

 

 うーん……。条件だけ聞くと勝負を受けるメリットしかない。負けた時と勝負を放棄したときに何も得られないというのであれば、とりあえず受けといた方が得なようにしか思えない。

 

 加えてヘイルトゥリーズンに質問を出来るという見返りは大きい。この老婦人は先ほど私のことを『色々知っている』と言った。高確率で私に関して周囲には明かしていない情報も知っているとみて良いだろう。

 で、あれば、ある程度メタ的な問いに対しても回答を得られる可能性が高い。

 

 例えば、アプリ世界との違いに関わる根幹部分とか。

 因子継承ギミックであったり、適性の伸ばし方であったり、あるいはハルウララによって垣間見えた2410mの距離の処理方法など、気になる点はいくらでもある。

 そこについての新たな情報が入手できるのであれば、メタ的な視点という新たなリソースをレース戦略に組み込むことすらできるかもしれない。それだけのアドバンテージが作れるかもしれないという期待を内包している。

 

 あるいは、ハルウララの『勝利を希求しない』姿勢で強くなった理由。

 本人や彼女のトレーナーの立場から見えない視点からの情報があれば、もしかすればそれを私自身に転用できる可能性があり、パワーアップに繋がるかもしれない。

 

 

 成程、これは使い方次第では『私が今後楽をするため』に是非とも必要になりそうな情報が手に入るかも。どれを聞くかは取り敢えず一旦保留にするにしても、ともかく私はヘイルトゥリーズンが提示したレース勝負に挑み勝利する必要がある。

 

 

 ……んんっ?

 

 待って。

 今、私は……何て考えた?

 

 

 ――『レース勝負に挑み勝利する必要がある』……?

 

 それはつまり、私が勝たなければいけないレース……って! ヘイルトゥリーズン、まさか――。

 

 

 老婦人の目的は、この勝負の勝敗には無く。

 私に今まで存在しなかったウマ娘の生得的本能とも言える『勝利への渇望』を無理やりにでも引き出そうとしているんじゃない、これ!?

 

 

 

 *

 

 もう一度考え直す。

 ヘイルトゥリーズンの狙いが『私の闘争本能を引き出す』ことであった場合、この明らかに私に有利な申し出の意味がまるで変わる。

 

 私の最終目標は『楽して生きる』ことであって、レースはその目標を叶えるために『お金を集める』という手段の中の1つの手法でしかなかった。

 だからこそ私の根底の精神性とレースに勝利することが、ダイレクトに結びつくことは一度も無かった。

 

 けれど『勝利すればヘイルトゥリーズンに好きなことを質問出来る』という条件設定は、質問次第で今後の私のレースを楽にする(・・・・)可能性がある。

 つまり。

 ――今回に限れば私の根底的な在り方と、レースの勝利が結びつくのだ。

 

 それは今まで私の中で希薄であった『勝利への渇望』を発露させかねないレースとなり得る。

 

 一度『勝利への渇望』を引き出された場合、私はどうなるかは未知数だ。

 良い方向にも悪い方向にも転がる可能性を内包している。

 

 これはある側面で見ればチャンスでもある。

 だが……同時に。それを経験することで、二度と今の私の精神性や在り方に戻ってこれない恐れもある。

 

 

 そして。もう1つ考えないといけないのはヘイルトゥリーズンの目的だ。

 わざわざこんなことをして一体この老婦人に何のメリットがある、ということを考える。

 

 ヘイルトゥリーズンにとって。私は取るに足らない存在でしかない。私がサンデーサイレンスの直系であったとしても、まるで無数のように連なるヘイルトゥリーズン系の中の1人でしかない。

 にも関わらず因子継承を利用してヘイルトゥリーズンは私を呼び寄せた、となると。私に何らかの特異性を見出していることとなる。……まあ上位存在でヘイルトゥリーズン系全員とこういうやり取りを並列処理出来るレベルの化け物だったら、その推察は外れてしまうけど。

 

 でも、どちらにせよだけど。善意100%の申し出であると考える方が危険だよね。推定サンデーサイレンスが今までああいう形で介入してきている以上、ヘイルトゥリーズンも私を観測する何らかの手段が存在して、それを上位から享楽として眺めている立場……と構図が一番納得がいくかもしれない。

 ただレースがしたいだけならば『勝負をしなくても構わない』ということを普通、発言はしない。となると、レースそのものの勝敗よりも、この時点で私がどういう判断を下すのかに興味・関心があるということに繋がる。

 

「……ここまで私が長考していること自体が『狙い』ということですか?」

 

「……ほう? そう思うならば、そう考えて貰っても構わないがね。

 ただ『良い着眼点』だ、とだけ言っておこうかの」

 

 

 ここで考えて悩むこと自体の方向性は合っている、ということなのかもしれない。

 

 もう一度、最後に見つめなおす。

 私が、ここまで歩んでこれたのは『絶対に勝つ』という意志を持たなかったからこそだ。勿論、葵ちゃんのサポートや、他の友達との繋がりという要素も不可欠ではあったけれども、多分『絶対に勝つ』という意志でレースに挑んで敗北を繰り返し精神と身体を摩耗したケースの私に葵ちゃんがトレーナーに付く未来や、アイネスフウジンを始めとするウマ娘たちがここまで私の周囲に集まっていたかは未知数だ。

 

 どういった影響があるにせよ。勝利を目標にしてレースに挑んだ時点で、私の精神性はきっと少なからず変わる。これは、理論的ではないと自分でも思うし、理屈も無い。完全に感情論だ。

 色々なことをそこそこ器用にやれているという自覚はあるけどさ。今回の一件に関しては自分の深い部分に根差した問題というか、自己確立を揺さぶりかねない要素だから『今の1回だけは勝とうと思うけど、別のレースは所詮別物だし』みたいな割り切り方が自分の中で出来ないように感じている。

 根本的な自分の深層意識にまで関わる部分では、私って結構不器用でかつ頑固だと思う。

 

 だから。私の結論は――こうなる。

 

 

「……まことに申し訳ありませんが、お断りいたします」

 

 

 長い沈黙が場を支配する。

 メリットデメリットで考えれば、受けた方が良かったとは思う。

 何かが変われるチャンスがあるのであれば、それを掴み取っても良かった気もする。

 

 ……だけど、私の。自分の中の意志に従うのであれば、受ける選択肢は無かった。

 

「――くっくっくっ。お前さんは中々酔狂であるのう。

 よもや、ウマ娘としての本能よりも。あるいは己が目標に通ずるものであろうと、拒むことを選ぼうとはな」

 

「……折角のお申し出を断ってしまい――」

 

「よいよい。

 ……でも。そうさな。これくらいは良かろう。

 お前さんの理性に敬意を表そう――」

 

 

 そんなヘイルトゥリーズンの言葉とともに私の意識は暗転した。

 

 その暗転した意識の中で私は次のような文字列を目にした……ような気がした。

 

 

 

 *

 

 賢さが20上がった

 スキルptが20上がった

 「鋼の意志」ヒントLvが1上がった

 

 

 

 *

 

 ――再び目を開けたときには、トレセン学園の中庭、三女神像の噴水の前であった。

 そう言えば、群衆に遠巻きに見られながら少々オーバーに祈りを捧げていたところだったっけ。実時間としてどれくらいの時間私が祈っていたかは分からないが、立ち上がり、そのまま校舎内へと去る。

 ファンの子から話しかけられたりするかなとも思ったが、私が校舎の入り口へと向かえば、そこに居た人たちは、皆、私に道を譲ってくれた。

 

 そして、ひとまず自分の資料室に戻って、施錠してソファーにぶっ倒れながら頭を抱える。

 

 

 うん。

 

 ……あんなに大変な思いをしたのに、汎用イベの代替だったのかいっ!?

 

 確かにトレーナー白書のイベントは、葵ちゃんを自分のトレーナーに据えちゃったから起きないのは分かるけど!

 それに、ヘイルトゥリーズンの申し出を断ったのは確かに『鋼の意志』と言えるかもしれないけど……ねえ。納得いかない。

 

 なお先のことになるがファン感謝祭の翌日に、一応タイムを葵ちゃんに測ってもらったらほんの少しだけ良くなっていた。なので『鋼の意志』や賢さアップだけではなく、因子継承関連のステータスなどの底上げもあったようだけれども、どうも釈然としない気持ちだけが残った。

 

 

 

 *

 

 夕方。指定の時間の10分くらい前にグラウンドへと向かうと、既に多くの観客が集まっていた。65m×25mのダートコート……通常のダートコースは感謝祭のレースで使っているため、実は臨時新設である。よく作ったよ。

 

 グラウンドには既にシンボリルドルフ、アイネスフウジン、ハルウララの3名が集まっていた。

 

「私が最後でしたか、すみませんお待たせしたようで……。

 というか、すごいファンの数ですね……」

 

「まだ試合どころか準備運動もしていないから大丈夫なの!

 お客さんがいっぱいいるのは会長さんが参加するからだと思うの」

 

 そりゃ、シンボリルドルフがレース以外のことをするなら誰だって見たいか。私だって見たい。

 

「……それは光栄なことだがアイネスフウジン、ハルウララ、そしてサンデーライフ。

 君たちのことを見に来ているファンだって、沢山いるのは間違いないだろう?」

 

「えへへっー! みんなに良いとこ、見せよーねっ!」

 

 レースではないけれども、ハルウララは楽しそうである。そっか、一緒に走ることが目的なのだから、その舞台は特段レースに固執する必要はないもんね。

 

 

「……では、行きましょうか」

 

「はいなのっ!」

「行くよー!」

「では――率先励行といこうか」

 

 

 

 *

 

「……これは、中々勝手が違いますね……」

 

「そうだね……。レースじゃここまで身体をぶつけ合って競り合うことは無いから、つい避けちゃうの……」

 

 ゴールに向かって走ることはあっても、1個のボールに向かって走るのはどうしても勝手が違う。事前練習はしたけれども、ここまで強く当たってくるとは思わなかった。

 

「……ふっ、と。

 アイネスフウジン! サンデーライフ! 相手のが上手(うわて)なのだから、己の脚を活かせ! 相手が居ないところにボールを出せばいい!」

 

「はい、会長!」

「分かったのっ!」

 

 シンボリルドルフは早々と攻略の基点を見つけていた。『ウマ娘ボール』の技術力で相手が上なのは当然だ。であれば、自らの強みを活かすしかなく、それは競走者としての脚の早さと加速力。

 

 ――そして。

 

「ナイスパス、カイチョーさんっ! ……とりゃああっ!」

 

 ハルウララの放ったシュートがゴールに入る。曲がりなりにもダートコートである。ハルウララにとってはホームグラウンドであった。

 

 

 

 *

 

 試合時間4、5分が経過して、シンボリルドルフが動く。

 観客席の方に目を向けて、その最前線に居るウマ娘に向かってこう告げた。

 

「……テイオー。やってみたいと言っていただろう? 私と代わるか?」

 

「カイチョーとやりたいってボクは言ったのにー! ……でも、カイチョーがどうしてもって言うならボクが入ってあげても良いよ? にひひ、ちょっとやってみたかったしさ」

 

 

 ……うわあ。トウカイテイオーじゃん。

 そりゃ、確かに飛び入り参加で交代枠作るって話はしたけどさ。そのままコートの中に入ってきたので、無視するのはあまりにも非道すぎるので話しかける。

 

「ええと、トウカイテイオーさんですね? 今年の朝日杯フューチュリティステークスを優勝した……」

 

「おっ、先輩詳しいね?」

 

「あ、キミも朝日杯勝ったの? よろしくなのっ!」

 

 そういえばアイネスフウジンがテイオーの前の勝者だったね、ダービーの印象が強いがそっちも勝っていた。

 考えてみればハルウララが有の覇者だから、基本今のトウカイテイオーにとって私以外は格上ばっかりである。

 

 

 で、試合が再開してすぐ分かったが、やっぱりトウカイテイオーはトウカイテイオーである。運動センスが抜群に良い。アニメだとウイニングライブのダンス指導もしていたし、初見のスポーツなのに対応が早い。これが天才か。

 

 ただ、やっぱり体格差の問題はあるから、ステップでそれを回避する……みたいな動きが多い。

 

 そんなテイオーに対して、動きを読んでパスを出す方がちょっと難しい。だから周囲を見渡しながらプレイしていたら……ふと、観客席に映る小柄な長髪のウマ娘の姿が見えた。

 

 ――そして、私はその姿に見覚えがあった。

 まあ、気付いちゃったし……話しかけるか。私は観客席に近寄ってその目当ての子に話す。

 

 

「……もしかして貴方もやってみたいのでしたら変わります?」

 

「えっ!? ……わ、私ですか……? え、でも……」

 

「レースで走るのとは、また感覚が違いますしこれはこれで楽しいですよ?

 ……それに」

 

 私は、横目でトウカイテイオーを見やると、今話している目の前の少女は身体をびくっと動かした。

 その所作を認識しながら私は言葉を続ける。

 

「――あなたのご活躍は、テレビからですが見ていましたよ。

 ……トウカイテイオーさんとレースでぶつかる前に、ここで『一緒に』戦うというのも良いんじゃないですかね? まあ、無理に強要はしませんが」

 

「……ありがとうございます、ええと――」

 

「私はサンデーライフと言います――ディープインパクトさん?」

 

「……! はい、ありがとうございます!」

 

 

 ……ディープインパクトは駆けて行ってコートの中に入っていった。

 こんな小動物みたいな子が、日本の全てのレースを過去にするとは、ねえ。いや、まだ決まったわけじゃないけどさ。

 

 

「……おや? サンデーライフ。君も交代が早いね。

 こんなに早く飛び入りが出てくるなら、テイオーにお願いしなくても良かったかな」

 

「いえ。彼女はトウカイテイオーさんが居たからこそ、あの場所に立ったのだと思いますよ」

 

 シンボリルドルフが会話しつつ、私はコートの中を見る。

 

「……あ! ディープインパクト! ボクと同じ『無敗の三冠』を掲げる不届き者めっ!」

 

「……えっ!? あ、ごめんなさいそんなつもりじゃ」

 

「……あー、キミそういうタイプ? てっきりもっと好戦的な子だと思って、つい。

 分かってると思うけど、ボクはテイオー。キミを破ってカイチョーと同じ無敗の三冠ウマ娘になるのは、このボクだから!」

 

 

 ――皐月賞の2週間前にこの2人を引き合わせたことには意味がきっとあると思う。

 

「……サンデーライフ、1つ良いかな?」

 

「はい……シンボリルドルフ会長、一体なんです?」

 

「この『ウマ娘ボール』にしろ。君には色々と迷惑をかけている。

 生徒会長として1つ謝礼でもしたいと思っているのだが――」

 

「いえ」

 

 私は会長の言葉を遮る。

 

 シンボリルドルフも……この場に居る全ての人が今、目の前に広がる景色にどれほどの価値があるのか知らない。

 

 度重なる骨折から何度も何度も復活を成し遂げた『奇跡の名馬』――トウカイテイオー号。

 日本競馬史を文字通り一変させ、全てを過去にして現代競馬を新たに打ち立てた――ディープインパクト号。

 『競馬』という存在そのものを、ただ1度の勝利もなく社会現象を引き起こし『競馬ファン』の中にあった『競馬』を一般に広めた最大の功労馬――ハルウララ号。

 

 この3者から見れば、流石に知名度は劣るかもしれないがアイネスフウジン号は。史実では競馬場観客の世界記録保持者。

 

 

 だからこそ、その言葉は自然と出てきた。

 

「私には、この景色が見れただけで充分ですよ――」

 

 シンボリルドルフが言葉を飲むのを感じたが、私は気にせずコートへと目を戻した。

 

 

「あっ! オグリさんなの! どうせなら、オグリさんもやってみるのー!」

 

「わぁーっ、スペちゃん来てたんだっ!! ウララ、もうヘトヘトだから代わってー……」

 

 

 所詮、ファン感謝祭のお遊びでしかない。それは分かっている。

 けれど。歴史に名を残してきた数々の魂が、勝利という頂を目指して『全員が協力』する光景にどれだけの価値があるのか、それを――本当の意味で理解できるのが私だけなのだとしたら。

 

 この眼前に広がる情景が見れたということは、何事にも代えがたい価値があったのではないだろうか。



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第47話 シニア級4月前半・ダービー卿チャレンジトロフィー【GⅢ】(中山・芝1600m)

 なお『ウマ娘ボール』は前後半の合計20分の試合が終わったときに、普通に負けた。

 

 とはいえ経験者相手に、飛び入りの初心者で回していた私達が勝ったら、それはそれで『ウマ娘ボール』のレベルに関わる話でもある。

 それに多分大変だったのは相手チームの方だろうし。『ウマ娘ボール』の魅力をファンに伝えつつも、競走ウマ娘に見せ場は作ってあげて、その上で勝利して競技のレベルの高さを見せつける……これを、敵味方双方に負傷者が万が一にも出ないように配慮しつつやる、というのは相当神経質なプレーを要求されたことだろう。

 

 で、後は葵ちゃんから小耳に挟んだ程度だが、その『ウマ娘ボール』における競走ウマ娘チーム……つまり私達の敗戦が、そこそこSNSのトレンドに入ったらしい。最初はあくまでネタとして『敗北』が拡散されていたが、そのネットニュースを見た人が増えるにつれて、『ファン感謝祭』でのウマ娘ボールでのことを何故かレースと同一に捉える人が出てきて『トウカイテイオーとディープインパクトの無敗の三冠が消えた!』なんて話が拡散される事態になったらしい。

 詳しいことは私はSNSシャットアウトをしているので分からないが、最終的にはトレセン学園とURA広報部の双方で『ファン感謝祭でのイベントの勝ち負けは公式戦の戦績には影響しない』などという声明が出されていた。

 

 私としては、何というか大変だなあという感想しか出ない出来事であったが、騒動が終わってみれば、『ウマ娘ボール』という競技の名前の一般知名度の向上には貢献していたようである。怪我の功名ではあるが、ウマ娘のレースがエンターテインメントも背負っている以上はこういう形の延焼が起こるのかあ、とちょっとげんなりするものでもあった。

 

 とはいえ、私の人気は『王子様』人気であり。そういうルールや規則に詳しくないレース初心者層への求心力がそこそこ高い。学園内での私のファンもそこそこ居るけど、外部においては数と割合だけで見れば、普通の競走ウマ娘より私の場合は、レース愛好家層よりかはそういったトレンドウォッチャーなどからのライト層人気の比重が明らかに高いのである。

 

 競走ウマ娘やトレーナーなどのレース関係者といった層から見た私は『王子様』であるとともに『策略家』のイメージが先行する。実力不足にも関わらず格上を相手取っていることくらいはバレていると思うし。

 で、レースのことをほとんど知らない人たちからすれば、私のイメージはやっぱり障害戦におけるメジロパーマーのお姫様だっこのインパクトに尽きるのだろう。取材応対は相変わらず基本は拒絶で、書面やアンケート回答に限定している。

 

 そうすると、専門的なレースの話に関する質問の回答ってあまり出来ない。次のレースの戦術をどうするか? って聞かれたとしても、答えられないし実際レースをやってみてからの場当たり的対処も多い。

 あるいは恐らく最も欲しい情報であろう次走に関することも、私の場合は『隠しているわけではなく出走登録ギリギリになるまで決めてない』としか言えない。それが事実なので。

 

 一応話せなさそうなこと以外は、基本回答しているけれども、質問は圧倒的に『王子様』を欲する読者向けのものが多い。

 『好きな女の子のファッションは何ですか?』とか『3回目のデートで行く場所』とか、凄い所だと読者質問系企画の恋愛相談お便りをそのままこっちに投げつけてきた出版社すらあった。いや、全部書面送付の前に企画説明のアポイントはあって、私が承認した上でだけどさ。

 

 まあ、そんなこんなで巷に溢れている私のメディア情報ってそんな感じだ。

 それと、カメラの回っている現場であったり撮影系の話は基本断っているので、宣材用に撮った写真であったり、レースやライブの切り抜き写真であったり、あるいはずっとパーマーお姫様抱っこのときの1枚を使いまわし続けているところもある。

 この辺についてはモデルリリースはちゃんとトレセン学園が結んでいるので、あんまり問題になることは無いし、万が一問題になってもその利用許諾契約条項から即時対応を要求することが出来る。

 

 ついでに言えば、多分これからは『ファン感謝祭』の三女神像に祈りを捧げている写真が出回ると思う。身から出た錆な上、私としてもそれが拡散される分には別に構わない。

 

 

 だから、まあライト層向けの人気は悪くないと思っている。

 

 ただ問題は中堅層への働きかけがまるで無い。つまりレースをちゃんと見て応援する子が居るくらいのレベルのファン層辺りには、多分戦術論とかも軽くかじっているからこそ彼等からすれば「ミーハー層向けアピールの『王子様』キャラのやつが、『大逃げ』フロック勝ちで勝ち進んできた」と如何にも嫌われる要素に満ちている。

 素人に見栄えするものばかりで、そもそも適性不問などという理外のローテーションで来ているし。そういうそこそこレースを見て齧っているファンは、基本『こういう戦術が好き』とか『こういうレースが好き』みたいな自論を持っているので、その法則からあまりに逸脱している私に対してのアンチも多いとは思う。

 

 

 というか、そういう傾向があるだろうなとは最初期の頃から分かっていた。その辺は私のSNS関心が低い理由の一因であったりする。

 好いてくれる相手には好かれたいし悪印象を持たれないようにはしたいという気持ち程度はあるけれども、無理に嫌いな人に向けて働きかける気も、そもそも視界に入れる気も毛頭なかったので。……元々他者評価にそこまで興味が無い、というのもあるんだけどさ。

 

 でも私のアンチって結構大変だよなあ、とも思う。何だかんだ一流ウマ娘との関わりが否応なしにある訳だから、ファン目線だと誰かの推しになって詳しく調べているうちに私が出走したレースにぶつかることも多いと思うし。それに私が自己発信していないけれども、他の子のSNSから私が写った写真とかはよくアップロードされているなんてこともあるからね。

 

 

 

 *

 

 次走、GⅢ・ダービー卿チャレンジトロフィーはファン感謝祭の週の週末の第11レース。

 

 中山レース場1600mのこのレースは外回りコース……おにぎりみたいな形をしている。なので第1コーナー辺りからスタートして直線とも緩やかな第2カーブとも解釈のしようがあるところを進んでいく。ただし位置的には第2カーブであることには間違いなく、序盤・中盤に外を走らされやすい外枠が圧倒的不利となるコースである。

 

 ということでまずは枠番ガチャの時間は――7枠14番。16名フルゲートなので……外枠確定である。まあ運ゲーだし、これ。

 

 じゃあ、次のガチャ要素。

 現地に赴いての当日ガチャだが、天候とバ場状態は……晴れの、良。

 つまりはスピードが出やすい。これが良いことか悪いことかを考える。

 

 中山1600mはスタートからずっと下り坂で、最終直線の急勾配の坂以外は下り続ける。スタートから始まった下り坂は、第2コーナー・向こう正面と続き、何と第3コーナーの中ほどまでずっと続き、高低差5m程度を駆け降りることとなる。

 だから否応なしに高速化しやすい舞台と言える。

 

 中山の直線は短い、というフレーズ自体はアプリで有名なものであるが、その短い最終直線には先に述べたが急な坂がある以上は、それまでの高速化展開と相まって前を行くウマ娘が捕まりやすいという……短い直線に反して後方有利となる条件が重なっているイレギュラーなコース。

 

 スピードフロックではなく、総合的な技術力、ウマ娘としての全般的な強さが求められる中山は否応なしに高難易度コースである。一応、経験という意味では未勝利時代のリトルココン戦があるが、あれは芝2000m――つまり内回りだったので、最終直線を除き役立つことはあまり多くない。

 ほぼ初見と言って差し支えないだろうし、そもそもそのリトルココン戦ですら9人中6着という成績でこれは未勝利戦時代で最も悪かった戦績だ。……いや未勝利時代の入着逃しが1回だけというのは改めて考えれば充分普通に強いよね、私。

 

 そしてその16名の中には勿論何人かネームドが紛れているのは毎度恒例のことで。

 その中で今回マークすべきだと、葵ちゃんとともに選出したのは3人。とにもかくにも先に名前だけ挙げる。

 

 ダイタクヘリオス、ビコーペガサス、ここまでがアプリ実装組で。

 あともう1人がダイワメジャーである。

 

 

 ……うん。ダイタクヘリオスが居る以上、高速化はほぼ必定と言って良いかもしれない。結局、爆逃げコンビの両方と当たることになるのかいっ!

 

 

 まあ、取り敢えず1人ずつ見ていく。

 

「1番人気は3枠6番ダイタクヘリオス。前走中山記念では見事1着となって、同じマイル路線・同じ中山ですのでそのまま1番人気に躍り出ていますね」

 

 ダイタクヘリオス号は、マイルチャンピオンシップ2連覇にGⅡ・マイラーズカップも2連覇の上、その両レースともにレコード勝利を飾っているマイル路線においてはガチの脅威と言って差し支えない相手である。

 パーマーとの爆逃げコンビで失速している印象が強いが、それはあくまで中距離以上の路線での話であり。マイルの舞台においては、普通に逃げ切ってしまう強力な『爆逃げ』ウマ娘だ。そんな少女・ダイタクヘリオスは、私と同期のシニア級1年目。今まで目にしなかったのって未勝利戦を越えた後は、私って芝のスプリント・マイル路線で出走したレースってあの『清津峡ステークス』だけだし、これまで競合する余地が無かっただけだと思う。まず間違いなく難敵であることは疑いようが無いが、一方でセイウンスカイのように急に差しで来るみたいな戦略行動は考慮しなくて良いと思う。

 

 中山記念は確か史実出走歴は無かったはずだが、これは恐らく本来のダイタクヘリオスの前走である読売マイラーズカップが4月後半に移動しているためだ。

 だからその代替として同じ2月のマイルGⅡである中山記念がローテの代替になったと事前に推測していた。同じ中山の舞台ではあるものの、ただ中山記念の芝・1800mは内回りである。

 

 

「――2番人気に4枠7番のビコーペガサスが入っております。調子は悪くなさそうですが、前走は昨年度になりますから人気はダイタクヘリオスに一歩譲っておりますね」

 

 次にビコーペガサス号。勝鞍こそ重賞はGⅢ2勝のみだが、芝のスプリンター&マイラーとして常に高順位をマークし続けた競走馬である。しかも、ダートのフェブラリーステークスでも何故か4着を取っている。というか8歳まで出走しているからかなり息が長い。ついでに言えばGⅢ2勝で3億円オーバー勢でもある。

 

 少女・ビコーペガサスとしては、既に主流路線からは退いているらしく、ハッピーミークや生徒会組などがやっているような年間1、2戦程度の出走に偶然噛み合ったらしい。これは私の悪運……というか重賞レースはそれくらい日常茶飯事かも。

 

 

「3番人気、3枠5番のダイワメジャー。ビコーペガサスと同じく上の世代からの出走登録となっております」

 

「ほぼ1年ぶりのレースになりますので人気は他の子に譲っておりますね」

 

 最後にダイワメジャー号。ダイワスカーレットの兄で通算GⅠ勝利5勝のマイル・中距離路線の優駿である。元々は呼吸疾患持ちであったが手術で克服して以降は、活躍を続け最優秀短距離馬を2年連続で受賞しているなど、その戦績はアプリ実装ウマ娘と比較しても全く引けを取らない。

 ウマ娘となったダイワメジャーもまたビコーペガサス同様上の世代からの出走登録だ。全世代だから本当に世代が滅茶苦茶になってるね。ダイワメジャー世代もきっとクラシック時代は地獄絵図だっただろうなあ、ほぼ怪我を克服するウマ娘ばっかりのこの世界では特に。

 

 脚質としてはダイタクヘリオスは爆逃げで決め打ちして構わなく、ビコーペガサスは差しを中核として先行も追込も出来るバランス型、そしてダイワメジャーは序盤から最先頭に付けることはあまりなかったので先行と判断して良いだろう。

 

 ……この際大事になるのはダイタクヘリオスの『爆逃げ』である。

 前に障害レースでパーマー相手に『大逃げ』対決を挑んだときや、あるいは前走・ダイヤモンドステークスから続けてもう1回『大逃げ』をすることはしない。

 まあ、あれは相手がセイウンスカイという『トリックスター』相手だったから無理に主導権を握ることでしか勝ち筋が見えなかったのが原因だし。

 

 後方有利なレースなのだから無理に前に付ける理由が無ければ、普通に後ろに付く。ついでに言えばダイタクヘリオスが3枠6番で結構内寄りで、枠番的にも逃げで競り合うのがキツいというのもある。

 

 

 だから、今日の私が取り得る作戦は――『追込』。これなら外枠スタートでも内側を確保しやすい。

 

「4番人気、7枠14番サンデーライフ。前走ダイヤモンドステークスでは初の重賞挑戦で4着という成績を収めております」

 

「さあ、今日の彼女から再び『大逃げ』が炸裂するのか、それとも別の戦術でレースを進めるのかは注目です。3400mのレースの後に距離が半分以下のマイル戦に出走しているのは私としても驚きがありますが、彼女は阿寒湖特別から清津峡ステークスの2600mから1200mのローテーションで勝利を掴んでおりますからね」

 

 

 今日は中山レース場。千葉県船橋市であるために、流石に前走、前々走のように応援団が駆けつけることはない。東京レース場は学園から凄く近いけれども、流石に船橋はウマ娘の脚力でも行くのは骨が折れる距離だ。50kmくらいはあるし。

 でも、葵ちゃんとハッピーミークは来ていた。ハッピーミークは何か旗みたいのをぶんぶん振っている。

 

「……がんばれ」

 

「あはは……ミークちゃん、出来る限りのことはやってみます」

 

 旗を持っていない方の手を握る。というか、この旗なんなの? URAのマークが入っているだけだから、多分本来は私のための応援グッズとかじゃないよね。

 

「――で、葵ちゃんからは何かありますか?」

 

「……そうですね。結構サンデーライフへの激励って難しいのですが……おそらく分かって言ってますよね?」

 

「あー、バレちゃいますよねー葵ちゃんには」

 

 お互い軽口を叩きながらも、葵ちゃんは多分私の現在のコンディションを把握しつつかける言葉を見繕っていた。

 

「まあ緊張もしていないようなので、一言だけ――楽しんできてください」

 

 

「……。

 いやあ、やっぱり敵いませんね葵ちゃんには。私がハルウララさんのことを気にしていたのをここで出してきますか」

 

「ファン感謝祭の前後から、サンデーライフ、ちょっと雰囲気が変わりましたからね。

 良い変化だと私は考えていますし……レースが楽しめるに越したことはないと思いますよ!」

 

 

 ヘイルトゥリーズンのお屋敷訪問と、ファン感謝祭を経て私の心境がちょっとだけ変わったことを葵ちゃんは見逃していなかった。ちゃんとしっかり私のことを見てくれていて、それをこの場面で話題に出してくるのだからやっぱり素直に葵ちゃんって凄いと思う。

 

 それからは、ウインクだけして葵ちゃんとハッピーミークに微笑んでゲートへと向かい、そのままゲートインする。

 

 

「さあ、各ウマ娘出走の準備が整いました。

 まもなく発走です――」



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第48話 シニア級4月前半・ダービー卿チャレンジトロフィー【GⅢ】(中山・芝1600m)顛末

「さあ、スタート! 揃ったスタートか……んんっ? ちょっとサンデーライフが外の方でやや……出負けといった感じでしょうか。

 前に飛び出たのは勿論、この子――ダイタクヘリオスです」

 

「サンデーライフはどうでしょう、出遅れのようには見えませんでしたが……勝負を避けましたか? ダイタクヘリオスのペースに追いつけないと最初から見切りを付けているのかもしれませんね」

 

 当初の予定通りスタートしてから私は後方に付けつつ内に入っていく。差し集団の更に後方に入る……が、私よりも後ろを狙った子も居た。別に追込だからといって最後方に絶対ならなければいけないわけでもないので内に入ることを優先。後ろは……3人、ってことは16名フルゲートだったから13番手かな。取り敢えずこの位置をキープする。

 

「ダイタクヘリオスが先頭。ですが後ろとは1バ身も差はなく、レディアダマントが控えております。その外にアミサイクロン。そしてダイワメジャーはこの位置に居ます」

 

「200mから400m地点までのラップが……10秒8ですか。この区間は早くなりがちですがそれでも驚異的なペースです。しかし他の子も付いて行っておりますね。

 このペースでは持たないですからどこかで息を入れないとまずいですよ」

 

 後方からのレース展開なのに、あまり楽な感じは無い。前が速いのだろうか……きっと先頭がダイタクヘリオスだろうから多分そのせいかな。

 気になるのはそんな逃げや先行集団ではなく、目の前を走る中団・差しの子たちのペースだ。差し集団最後方には2人居て片方はビコーペガサスだ。でも差しの中で結構流動的に順位が変わっているからすぐ前に行くかもしれない。

 

 そして後方の追込組はそんな差しをあまり積極的に追わない。だから差しと追込の間にぽっかりとスペースが空いて、私はそこを走っている。

 ……少しペースを落として追込側に寄せるか。中途半端な位置に付けているのでスリップストリームの恩恵を受けることも出来ない。

 

 前走のダイヤモンドステークスでセイウンスカイが魅せたように、後方集団を巻き込んで全体が掛かるケースはある。私も自身で主導権を握っているときはそれを狙うのだから、逆に自分が後方になったときには全体ペースが狂っている可能性は考慮しないといけない。特に中山の1600mはハイペースになりやすい下り坂展開なのだから、余計にね。

 

「短い向こう正面から第3コーナーに入りまして緩やかな下り坂をダイタクヘリオス先頭で下っていきます。しかし外からじりじりとダイワメジャーが追走、そのすぐ後ろにアミサイクロン――」

 

「1ラップのペースは11秒5前後で推移しておりますね。依然ハイペースですが今日のレース展開を鑑みるに、このまま突っ切るかもしれないです」

 

 4ハロン、ちょうど半分が経過してようやく私はレースの展開がかなりのハイペースであると確信に至る。

 これ、前が垂れる可能性が高い。流石に追込で重賞レースであることを鑑みれば、バンブーメモリーと戦ったときのように最内をぶち抜くことはキツい。だから外に出るべきだが、この前の差し集団を迂回する以上、早めの仕掛けはそれだけ走行距離が伸びることになる。

 

 ダイタクヘリオスの爆逃げによって早いペースになるのは当初の想定通りであったが、カーブで前方を視認すれば既にそのダイタクヘリオスに後続が差し迫っているのが見て取れた。

 ダイタクヘリオスが逆噴射? いや、それだったら集団全体のペースも落ちるはず。ってことはダイタクヘリオスは遅くとも、通常の逃げくらいのペースは保っているはず。

 

 じゃあ、前方が既に仕掛けている? ……これでも無さそう。もしそうなら急激なペースの変化が中団にも波及したはずだ。しかし急に加速したみたいな感じは無かった。

 ……じゃあ、最初からダイタクヘリオスのペースに全体が影響していたってことか。そりゃあ、差しと追込の間に溝みたいにスペースが出来るわけだね。ただ私より後ろの追込集団にネームドウマ娘が居らず、おそらくは私と同じく先団垂れ狙いで一発を引き当てようとしている子たちでもある。誰がどこで仕掛けるのか、そして私はどこで仕掛けるかが難しい。

 

 

「第3、第4コーナー中間の残り600m標識を通過して、依然先頭はダイタクヘリオス。そのすぐ後ろにダイワメジャー。外に持ち出して盛り返すはレディアダマント――」

 

「中団も動きが早くなってきました。ビコーペガサスを筆頭にじわりじわりと先行集団を射程距離に収めて前を狙って上がっていきます」

 

 差しの子たちの中には既にスパートをかけている子たちも居た。ちらりと後方を見やる。まだ後ろはペースが上がっていない。動き出したのは前の子たちだけ。

 だったらまだ仕掛けない。中山の最後の直線――アプリで短い短いと再三言われ続けたあの310mの直線の勝負に全てを賭ける。

 

 ただ、すぐに抜け出せるように第4コーナーのカーブで膨らむようにして意識的に外へと位置取りを調節する。

 

 ――そして。

 第4コーナーが終わる頃には、私の眼前は誰も居ない大外の景色が広がっていた。

 

 

 

 *

 

「さあ早くも第4コーナーカーブから直線へ向いたところ! 中山の直線は短い、後ろの娘たちは間に合うか? 先頭は激戦になりそうだ――ダービー卿チャレンジトロフィー、さあダイタクヘリオスをダイワメジャーが躱して先頭に躍り出る!」

 

 ここからギアを一気に入れる。既に2人抜いて11番手。

 坂までは100m少しある。そこまでの平坦な部分で垂れるウマ娘はそれほど多くないだろう。

 

「ダイタクヘリオスはちょっと苦しい。ダイワメジャーが先頭! ですが後続の上がりも目を見張るものがあります! 内からビコーペガサス、ビコーペガサスが既に5番手……いや、レディアダマントを抜き去り4番手まで上がった!

 しかし、ここから坂――中山の急勾配の坂が各ウマ娘を襲います!」

 

 

 中山レース場の坂の高低差は2.2mを僅か110mで駆け上がる。

 この坂はトゥインクル・レース全平地レース場の中でも最大の勾配を有している。そして坂の後は僅か70mで勝負が決まる。

 

 ――坂での攻防はもう何度もやってきた。

 坂は私の味方になることもあったし、敵になることもあった。

 例えば直近ではダイヤモンドステークス。あの場では私とセイウンスカイで他のウマ娘のスタミナを散らした後だったので、坂は私に有利に働いた。

 そして最初期まで辿ればアイネスフウジンとの競り合いをした福島の未勝利戦だって坂があった。あの時の私の大逃げは未完成で。坂で僅かに失速した後に、最後の最後でアイネスフウジンに差し切られた。

 

 

 でもさ。

 

 私は障害レースを経験しているんだよね。

 福島の障害(たすき)コースのバンケット障害。あそこでは40m程度で高さ2.76mの坂を登ったのだから、それに比べてしまえば中山レース場の最終直線の坂ですらもう、私にとって障害物にはなりはしない所詮は平地の坂である。

 

 

 それに『伸び脚』も健在である。

 ――私は、どこまで届くのだろうか。

 

 

 

 *

 

「ダイワメジャーがハナを進む! その脚色は一歩一歩踏みしめる度に、後続を突き放していく! そして2番手はまだ何人か粘っているが、外からビコーペガサス、ビコーペガサスが上がってくる! あと50m。さあダイワメジャーはもうセーフティーリード! 2着はどうなる!? ……いや、大外からサンデーライフ! 大外からサンデーライフが飛び込んだっ! そのままゴールイン、2着接戦!

 ……1着、ダイワメジャーは快勝! 堂々とダイワメジャー、先行押し切り、そして突き放す、素晴らしいレースを見せてくれました――」

 

 

 1着はダイワメジャー。

 そして。

 

 

 ――2着、3着が番号灯らず写真判定で、4着ダイタクヘリオス。

 

 

 えっ。

 これ、もしかして。私の順位が写真判定……?

 

 

 

 *

 

 写真判定自体は、2勝クラスの阿寒湖特別のときに一度あった。

 ファインモーションとマンハッタンカフェのどちらが1着かという形で、私の着順には無関係なやつが。

 

 今回の2着はおそらく、私とビコーペガサスの争い。

 取り敢えず葵ちゃんの下に行く。

 

「……どうでしたかね?」

 

「……そうですね……ここからですとゴールから角度がありますので、私からは確定的なことは何も言えないですよ、サンデーライフ」

 

 ハッピーミークも横で頭を縦に動かして頷いている。

 

 ……あー、何となくだけど葵ちゃんはどっちが先着したか分かっている雰囲気だなこれ。ハッピーミークはどっちか分からん。

 とはいえそれは葵ちゃんの意見であって、決勝審判がどう下すのかとは別次元の問題だから、今この瞬間に葵ちゃんが教えてくれることは無いだろう。

 

 写真判定は僅差であれば僅差である程判定に時間を要する。

 あまり時間がかかるようであればバックヤードに退避して結果を待つ必要がある。それならこの観客席前からも動かなきゃいけないと思って、どうしようか迷っていたら、不意に私の左の手のひらに感触を覚えた――葵ちゃんの両手が重ねられていた。

 

「――サンデーライフ。……手が震えてますよ?」

 

 

 言われて初めて気が付いた。

 私の手は震えていた。

 

 

 するとハッピーミークが右手を出すように促してきて、それに素直に従うと右手はハッピーミークが握ってくれた。

 

「……ミークちゃんも」

 

「……ぶい」

 

 2人の暖かさを感じつつ、そのまま握られているといつの間にか私の手の震えは収まっていた。

 

 

 ……そっか。2着か3着かの写真判定。

 それはこのレースの勝ち負けを左右する判定ではもう無い。どちらに転んでもダイワメジャーが勝者なのは変わりない。

 にも関わらず、私は緊張していた。

 

 この感情はどういうことなんだろう。自覚すると確かに心臓の鼓動はレースを走った後とはいえ、ずっと治まっていない。

 たとえ2着と3着の違いであっても勝ちたいから? ……でも、そうじゃないと思うんだよね。もっとそういう『血を躍らせる』みたいなレースは私はたくさんしてきた。この場面でそういう気持ちが今更出てくるのも変な話だ。

 

 じゃあ2着と3着の賞金額の違い? まあ、これが理由なら確かに勝ちたいとは思う。2着と3着の賞金差はこのダービー卿チャレンジトロフィーだと600万円以上になる。コインの表裏を当てるみたいな『2択で当てたら600万円!』って言われたらそりゃ心臓もバクバクするし緊張もするけどさ。

 そういう想いも含まれているとは思うが、多分これは副次的要素だ。

 

 

「じゃあ、どうして……」

 

 その私の独白は葵ちゃんの言葉に遮られた。

 

「きっと、ですが。

 ……サンデーライフは、レースが好き――だからだと思いますよ。確かに貴方にとっての『競走』とは目的を満たすための数ある手段の中の1つでしかありませんが……。

 でも、レース前からこれだけ頭を悩ませて、そしてレース中も考えて臨んでいるサンデーライフは、少なからずレースという存在そのものに愛着を抱きつつある……ということではないでしょうか」

 

 

 ――それは、とても綺麗な言葉であった。

 まるでおとぎ話のお姫様がメルヘンな世界の中で紡ぐような話。

 

 でも、どうだろう。

 私はもしかしたらレースのこと好き……なのだろうか。

 

 

 ――その瞬間、葵ちゃんとハッピーミークの後ろの観客席から歓声が上がった。

 

 

 

 確定。

 2着、サンデーライフ。

 3着、アタマ差でビコーペガサス。

 

 

 そして。

 重賞2着ということは収得賞金というレース出走に関わる条件の積み重ねもできた。つまり以後のレースでは全員が上位層みたいな魔境レースに出ない限りは、今後は出走登録時に除外される可能性が大きく減るのである。そんな副次効果もこの――ダービー卿チャレンジトロフィーで私は手に入れることができたのであった。

 

 ――現在の獲得賞金、7991万円。



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第49話 ウマ娘のフェリスミーナ

 ダービー卿チャレンジトロフィーの2着。

 2着のレースはこれまでにも何回か存在したが、実装キャラを打ち破ったのは昨年2月のクラシック級未勝利戦でのマヤノトップガン戦以来であった。

 

 しかもあの時はダートの短距離というマヤノトップガンの本流では決してない路線であったけれども、ダイタクヘリオスもビコーペガサスも芝のマイル路線は得意とするところ。

 ダイワメジャーに届かなかったけれども、ダイタクヘリオスの爆逃げをマイルで差し切って、ビコーペガサスとも写真判定の末ギリギリで勝利したというのは、かなり大きな変化であると考えている。まあ史実ダイタクヘリオス号は『オッズを見る馬』と言われるくらい人気が高い時には馬券内に入らない競走馬であったけどさ。

 

 とはいえ勝負はあくまで相対的なもので、水物。今回のダービー卿チャレンジトロフィーで勝利したといえども、それが単純な強さ弱さの格付けに直結するわけでもない。まあ周囲からの評価ではそういう判断はされないことは自覚しているけれども、1回でも勝てば対等だとか上回っているって精神性は非常に危険なものだと思う。

 

 それに、確かに私から特に主導権を握るような仕掛けをしていないのは事実だが、ダイタクヘリオスの爆逃げに先行集団全部が無理やり付いていこうとしたこと自体は、そこそこの異常事態である。

 ダイワメジャーが地力で勝利をもぎ取ったが、逆に言えばそれ以外の先行集団は全部中山の坂で垂れた。ビコーペガサスだって仕掛けがかなり早かったから、差し脚の切れ味も若干伸び悩んだ側面もある。そういう要素込みでの2着だということは、肝に銘じなければならない。

 

 閑話休題。

 それで何だかんだで今年初となるウイニングライブをこなす。バックダンサーは毎レースでこなしてはいたけどもね。

 とはいえ平地のオープン戦クラスに挑戦し始めたのが今年からなのだから、4月の段階でここまで来れたというのは私の想定よりは全然早い。それに障害レースの方で12月末に自分がセンターのウイニングライブはやってるしね。

 ただこれまで私がバックダンサー以外で経験してきたライブと違うのは、ダービー卿チャレンジトロフィーは重賞であり、今日のメインレースであったということ。だからウイニングライブの中でも、今日の中山で一番の盛り上がりを魅せるライブの演者として私は出演することが叶ったのだ。

 

 ……まあ、正直な話をすれば。私の個人的な部分としてはライブをやる必要性ってあんまり感じていなかったりする。確かに色んなスポーツに勝利パフォーマンスがあると言えばあるけれども、流石にライブまでするのはかなり珍しいと思う。

 競馬だって元はウイニングランというパフォーマンスであったり興行合間のステージみたいな概念であって、別に騎手が歌って踊っていた訳じゃないし……いや騎手がCDリリースしている例はあるけどさ。

 確かモデルになったのは昭和の女子プロレスで、そこに着想を得たって話だったっけ。ウマ娘そのものの制作秘話的なものなので詳しいことは知らないが。でもそのモデルらしき女子プロレスこそ、そもそも異色のパフォーマンスである。

 

 

 ただ、これはあくまで私の個人的な意見であり、『競走』ウマ娘・サンデーライフとしての在り方――そして考え方で言えば180度変わって、ウイニングライブというのはやっぱり必要なものだとは思う。

 

 それは1つの側面としては『ファンサービス』という意味合い。私のここまでの道筋で決して少なくない数のファン、そして友人を得てきた。他者評価にほぼ依拠していない私はそれらのファンに支えられているという依存関係にはなっていないものの、それでも自身を好意的に見てくれている人達を無下にするまで割り切ることは出来ない。

 端的に言えば『感謝』を示したいということである。

 

 ただし。

 その『感謝』というのは『気持ち』や『誠意』で示すものではない。相手の文化的背景や社会通念・一般常識や価値観などに則った上で、相手が必要としているものを提供することこそが『感謝』の本質だと私は考えている。

 例えばいくら感謝されているといっても、いきなり『これは神への貢物に等しい』からと動物の生き血を渡されても困ってしまう。ある程度相手の価値観に寄り添わないとそういう齟齬が発生しかねないのだ。

 ……もっとも動物の生き血を欲する場面というのも、中にはあるかもしれないけどさ。でもその時だって、贈り物を貰う人がそういうサプライズをある一面では欲しているという価値観に則っている前提の下で、はじめて受け入れられる行動だとは思う。

 

 そうしたときに『ウイニングライブ』というのは、多くのファンが競走ウマ娘に望む一般的なファンサービスであり、同時に競走ウマ娘からすれば社会通念に則った最も普遍的なファンへの感謝の還元方法の1つと言えるだろう。勿論、ライブだけがファンへの感謝の返し方ということではなく方法は無数にあるけどね。

 単純に言えば、ファンが『ウイニングライブ』を望んでいて、私がファンに感謝を示したいというのであれば、結局ライブで示すのが最も丸く収まるということである。

 

 ただし。忘れてはいけないのは今日の『ウイニングライブ』はダイワメジャーのライブであるということ。私に私のファンが居るように、ダイワメジャーにもダイワメジャーのファンが居て、そして今日は彼女の舞台だ。

 そこの線引きはしっかりとしつつ、私のソロパートなどでファンサービスは限定して行う。その辺はこれまでと一緒だけども、今日のメインレースだしやっぱり熱量というのは段違いであった。

 

 

 そして。

 私が。競走ウマ娘として、ウイニングライブを必要と考えるもう1つの側面――それは。

 

 ステージが終わって、舞台からバックヤードに戻ってきたときの葵ちゃんの第一声からして、既に葵ちゃんは答えを知っていたようであった。

 

「……お疲れ様ですっ! サンデーライフ、どうでしたか?

 ――楽しかった、ですか?」

 

 私は告げられた質問に一瞬きょとんとしながらも、身体を巡るを歓喜を隠すことも出来ずに次の言葉を紡いだ。

 

「……はいっ! 楽しかったです!!」

 

 私は、その衝動的な感情に身を委ねたまま葵ちゃんに抱き着いたのであった。

 

 

 ……自分が楽しいっていう気持ちを、他の人とも共有したいから。私は競走ウマ娘としてレースと共にあるウイニングライブが必要だと考えている。

 

 

 

 *

 

 それから数日後。

 どうもバックヤードでの一部始終はファインダーに収められていたようで、郵送で私が葵ちゃんに抱き着いているシーンを切り抜いた写真のデータ用の時限式のクラウド共有URLが添付されたメールが届いた。曰く、この写真の掲載許可の可否を事前に問うてきた、ということらしい。

 こうした写真掲載に関する権利問題は、汎用のものはトレセン学園側で既に用意されており、私もテレビや新聞などといった大手報道機関とのモデルリリースについてはトレセン学園側のフォーマットを利用している。まあ基本的には一々チェックはしないがこっちから不満を出したときには即座に対応してね、みたいな契約条項が並んでいるやつだ。二次利用についても同様の契約を結んでいる報道機関の間であれば融通が利く感じ。CMなどの宣伝等で商用利用するとかになったらまた話は変わるのだけど。

 

 ただ私の場合、一般的な競走ウマ娘とは違って『王子様』というイメージ戦略による売り出しにメディアも乗っかっているので、その通常の競走者用の契約条項では収まらない付帯契約を求める出版社などもあって、そういうところとはいくつか別枠で契約を結んでいるところもある。

 トレセン学園には考え方次第ではあるが芸能事務所的な側面もあることはあるので、顧問弁護士が常駐しており、基本は葵ちゃんベースで常駐の弁護士さんと契約内容を相談しつつ、私も一応契約のチェックに混ぜてもらって特殊な契約を結んでいる企業もある。

 前に話した読者質問企画の恋愛相談を送りつけてきた雑誌のところも、そういう付帯契約を結んでいる出版社の1つだ。だから実のところ賞金以外でも私の収入はあったりはする。

 そうした別途副収入についてで他にあるのはグッズ販売。実はURA公式からは私のものは出ていない。まあ許諾を得てライセンス生産しているグッズショップは既に数社あるため、URAのオフィシャルショップには並んでいないが一部店頭の限定販売とかで私のグッズは既に売られている。この辺りの契約もちゃんと私のチェックが入るようにしてもらっている。事前に顧問弁護士の方と相談してどういう条件にするかの話し合いとかもやってはいるんだけどね。

 

 

 閑話休題。

 送られてきた写真、私が葵ちゃんへ抱き着くシーンが高解像度で収められた1枚。

 

「……これ、私こんなに満面の笑みをしていたんですね」

 

 それとウマ娘の抱き着きを真正面から受け止めている葵ちゃんの運動センスの良さにも改めて驚く。何枚か送られてきたいずれの写真の葵ちゃんも体幹がしっかりとして重心がぶれずに受け止めていた。運動神経は抜群だからなあ、葵ちゃん。

 

「だからこそ、この写真を撮影した出版社の方も確認を求めてきたのだと思います。捉え方によってはサンデーライフの『王子様』イメージを損なうものかもしれないですので」

 

 念のため葵ちゃんに当該の出版社と結んだモデルリリースの書類を出してもらってそちらも確認したが、本来であれば私やトレセン学園の許可なくこの写真を掲載しても問題ない立場であった。ただし出回ることでの影響範囲を気にして私……というか先方としては葵ちゃんに問うてきたわけである。

 律儀だとは思うが、私達が許可を出して掲載したとなれば、いざという時の批判避けも出来るという戦略込みでの提案なのだろう。解釈違いの写真を掲載してファンがブチギレても『これ公式からちゃんと許可貰っているんで』と言えればファンは矛を収めるしかない……もしそこで公式と対立した瞬間に私のアンチと同一になるので。

 

 ということで、私が満面の笑みで葵ちゃんに抱き着く写真。

 

「……自分が被写体の立場で言うのもアレなのですが。

 これ、滅茶苦茶良い写真ですよね?」

 

「はいっ! それはもう!」

 

 どう返信するかは別として葵ちゃんの業務用PCに落とされた写真データをUSBメモリに移してもらい、自分用にも入手する。ちなみにメール文にも「掲載不可であった場合でもそちらの写真ファイルはご自由に使用して頂いて結構です。商用利用の場合のみ撮影者を併記して頂ければ」と書かれていたので、相手先もこの写真に絶対の自信があるということだろう。

 

「……葵ちゃんの意見はどう思います?」

 

「私個人としては絶対に公開した方が良いと思いますっ! サンデーライフの魅力が詰まっている写真なのですから!」

 

「へえ……葵ちゃんは、私のことを『王子様』ではなく、こういう『少女』として捉えていたのですね……?」

 

「はいっ! どちらもサンデーライフの素敵な一面だと思っておりますけれども。

 でも、この写真は、それこそその『王子様』イメージを決定づけた例の『お姫様抱っこ』に比肩するほどの奇跡の写真ですよっ!」

 

 ……まあ、プロのカメラマンだからこそ引き出せるものなのは間違いない。今更ながらよくこれを捉えたよ。パーマーお姫様抱っことは別の会社だけども、どこでも凄いカメラマンが居るものだね。

 私としてはファンの間で『王子様』イメージが固定化すること自体は別に構わなかったけれども、逆に言えばそれに固執する必要もあんまり無い。まあ何だかんだ気質には合っているから、続けると思うけどさ。

 それに『トレーナーに満面の笑みで抱き着いている』写真で今までの印象が覆されたところで、悪影響というのはそれほど無いだろう。

 

「……葵ちゃん、この写真に掲載許可を出しましょう」

 

 

 ただこれだけの写真を撮る出版社が、これを使ってどんな記事を書くのか気になった。

 そして、この出版社は強気にも対面インタビューを要求してきた。これまで断固として私が断ってきたそれを敢えて進言してくるというのは、それだけ本気の姿勢が伺えて、同時に軽々しくこの写真を使わないことの意志表示でもあった。

 

 そして掲載予定誌の変更も同時に伝えてきた。

 その雑誌名は――『月刊トゥインクル増刊号』。

 

 どこかで聞いたことあるような……と思ったら、チャンピオンズミーティングの際に左上の雑誌アイコンを押すと見れたやつと同名だった。

 

 

「……サンデーライフ。対面の取材はこれまでずっと断っていましたが、今回もお断りします?」

 

「いえ――これは、受けましょう。

 先方が本気で私の記事を作る意志を見せた以上は、それに真摯に向き合いたいと思います――」

 

 

 それから月刊トゥインクルからは乙名史記者ではない別の人が取材応対に来て、私も質問に答える。

 そして更に後日。出来た記事案のタイトルとしてメールで送付されたものには『ウマ娘のフェリスミーナ』と記載されていた。

 

 

「フェリスミーナ? 葵ちゃん、分かります?」

 

「――確か、スペイン語で書かれたラテン地域のロマンス劇である『ダイアナの七冊の本』に出てくるヒロインの名前ですね。

 ほら、シェイクスピアの喜劇である『ヴェローナの二紳士』の題材となった作品ですよ」

 

 

 シェイクスピアの方の話は知っていた……とは言っても、トレセン学園の授業でだが。ここはお嬢様学園の側面もあるし、何よりウイニングライブをやる以上は、座学の講義としてそうした舞台史にも触れる機会がある。

 ……そして、本物の箱入りお嬢様である葵ちゃんはそんな私の付け焼き刃教養を遥かに上回っていく。

 

 その『ダイアナの七冊の本』に出てくるフェリスミーナとは葵ちゃんの話によれば、羊飼いの少年風の異性装をした戦乙女の名である。主人公のダイアナと直接関わることがほぼ無く、登場シーンもその七冊のうちの一部だったりするのだが、愛を誓った相手の不貞を知ったフェリスミーナは男装して自身の恋人の男性使用人として雇用されて不貞相手への使者として潜伏するという人物だ。最終的には不貞相手とも和解する上に、自分の恋人も愛を思い出して結婚するという話。

 ただ不貞相手の女性自身は男装していたフェリスミーナに恋をしてしまって、その悲しみを負ったまま死んでいく、という中々えげつないストーリーラインの話らしい。

 

 それを私の雑誌記事の表題にオマージュして付けるというのは、結構挑戦的なセンスである。

 つまりファンを『不貞相手』になぞらえて、私の『王子様』という男性イメージ的偶像に溺れたままだと解釈違いで死ぬ、という意味合いが暗喩されている。これを読み解けるファンがどこまで居るのかは果たして未知数だが、つまりは私の新しい魅力を知ってもらうのをロマンス劇になぞらえるという、それだけの凝った技巧をするほど力の入った力作の記事であった。

 

 

 中身の出来についてもチェックして、問題無いとゴーサインを出す。

 今月発売の『トゥインクル増刊号』の特集記事にはまとめられることが確定した。後は実際に発売される日を待つだけである。

 

 

 

 *

 

 それから、1週間後の週末の話。

 

「――一気にディープインパクトとトウカイテイオー! この2人があっという間に他の子を抜き去って先頭! 2人の独走! 無敗の帝王か!? それとも無敗の英雄か!? どちらが勝ってもいずれかの無敗の叙事詩は崩されます!

 さあ、どっちだ! ……いや、ディープインパクト僅かに抜け出した! ディープインパクト1着! 僅かに届かずトウカイテイオー2着でした!

 

 ……まずは1冠! ディープインパクトが無敗の帝王を討ち取って、クラシックの冠を1つ自らの手中に収めました!」

 

 

 皐月賞で勝利を飾ったのは……ディープインパクト。

 トウカイテイオーの三冠の夢も、無敗の夢も、同時に皐月賞で断たれることとなったのである。



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第50話 夢現

 今年の皐月賞は寮の共用スペースのテレビで見た。トウカイテイオーもディープインパクトも栗東寮の所属なので寮対抗という形では無かったが、大方の予想でもこの両名のどちらかが勝つだろうという見方が大勢を占めていたので、その2着までの着順はともかく並ぶ名前自体には大きな驚きの声は挙がらなかった。

 無敗の朝日杯フューチュリティステークス優勝ウマ娘、トウカイテイオーと。

 同じく無敗のホープフルステークス優勝ウマ娘、ディープインパクトの無敗同士の皐月賞一騎討ち。

 

 その結果は、ディープインパクトの勝利で幕を閉じた。皐月賞同着などという珍事が起きない限りはどちらかが敗退するのだから仕方ないと言えば仕方無かった。

 

 ディープインパクトとトウカイテイオーの差は1/4バ身差。しっかりとディープインパクトに肉薄できていたのはやはりテイオーだなと思う一方で、着差は出ている。

 アニメの2期が前提から全部崩れたので流石に思うことが全くないわけではない、けれども所詮は他人事――あるいは言い方を変えれば、これは『トウカイテイオーの物語』である。

 私としてはこの2人の勝負の行く末がどうなるとて、傍観するしかない。

 

 そもそもシニア級のGⅠだってほとんど気にせずレースに出てるしね。春の天皇賞はこの先で既にダートの名優・メジロマックイーンが出走表明したことで話題になっていたり、先月のGⅠの舞台では高松宮記念でキングヘイローが勝利していたり、あるいは大阪杯はテイエムオペラオーが皐月賞ぶりにGⅠ勝利を成し遂げるなど色々と上の方では動きがあるものの、そんなGⅠの魔境に自分から踏み入れるつもりは毛頭なかった。

 

 

 なお、そんな順当でもあり波乱でもあった皐月賞から大体1週間程度経過した後に、トウカイテイオー陣営が記者会見を開き『日本ダービーへの出走取り止めとオークスへの路線転換』を発表したことで世論もトレセン学園も騒然となる。

 『ディープインパクトから逃げた』などと心無いファンからの暴言も飛び出たが、記者会見の様子を見る限りトウカイテイオーはびっくりするほど落ち着いていて、破れかぶれの苦肉の策やただトレーナーに言われたからみたいな消極的な形で路線を変えたわけでは断じて無かった。

 むしろ、記者会見映像の画面越しでも分かるレベルでその目には闘志が宿っている。早すぎるトウカイテイオーの挫折は、このクラシック級の春の段階で彼女を確実に精神的な成熟へと導きつつあった。

 

 それはディープインパクトにも伝わっていたようで、レースの外では明らかに内向的っぽい性格をしていた彼女がテイオーの世論沸騰を受けて、わざわざ数日後に会見を開いた。

 

「トウカイテイオーさんは私から逃げたわけでは断じてありません。きっと再戦は挑戦ではなく、対等な形でと思ったのでしょう。

 彼女と共に走れないのは残念ですが、再び同じレースで相まみえる日を楽しみにしております」

 

 そのようなことを発表した結果、テイオーを巡る話題はようやく鎮静化した。

 ここまで来たことで、トウカイテイオーだけではなくてディープインパクトも強化される謎のIFルートか何かに入った感じがあったけれども……うん。ついでに言えばテイオーのオークス出走ってことは、コースこそ一緒ではあるが、地味にダービー骨折フラグすら消えたかもしれない。

 

 とはいえ。2個上にハルウララで、1個上には黄金世代、そして1個下がコレなのだから、結局どこ行っても魔境じゃないか……。

 

 

 

 *

 

 例の『トゥインクル増刊号』が発刊された後、私の葵ちゃんに抱き着く写真は瞬く間に出回った。あの雑誌、ゲームではチャンピオンズミーティング用の競馬新聞兼ウマ娘インタビュー記事みたいな媒体で出回っていたが、そもそもこの世界にはチャンミ自体が存在しないので、間口広めの競走ウマ娘雑誌になったようである。

 メインはレースに関することなので、皐月賞に関する話題も大々的に取り扱っていたが、私の独占インタビューが書かれた『ウマ娘のフェリスミーナ』が特集記事として6ページ分も割かれていた……いや、特集とはいえ比率おかしいでしょ。しかも見開きの左右2ページ分の限界ギリギリまで例の写真は引き伸ばす始末。そこまで扱いが良いのはなんかむしろ申し訳ない。

 後は過去の写真なんかもちゃっかり使い回ししていて、ほとんどそこだけ写真集みたいな感じになっていた。でもインタビュー内容もちゃんと載せている。

 

 ぶっちゃけ大したことは話してないんだよね。葵ちゃんとの関係については『頼りになるトレーナー』、目標は『名古屋グランプリへの出走』、後はファン感謝祭の『ウマ娘ボール』についての話やそこから付随して広がった『ポロ』の話とか。

 それ以外にはあの写真を効果的に使うために『等身大のサンデーライフ』を魅せるための質問がいくつかされたくらいだ。

 

 

 しかし、この雑誌発刊後に明らかに増えたことが1つある。……学園内で他のウマ娘に告白される回数が増えた。

 告白と言っても『応援しています!』とか『これからも頑張ってください!』みたいな感じの言葉で締められていて、私と本当に恋仲になりたいと言うよりも、ただ感情の発露先を求めたというか、記念でやっとくみたいな意味合いが強いものだった。私としても断るフィールドが用意されていたことには助かったけれどもさ。

 恋に恋しているのか、それとも本当に私に恋しているのかまでは読み取れなかったが、でも明確に向けられる矢印の強さが今まで以上になったことは明白であった。

 

 『王子様』イメージと、資料室の生徒管理者だったり生徒会やファインモーションとの関係性といった部分からの理知的な印象があったから憧れで収まっていた部分が、ウイニングライブの共通衣装を着て年相応の表情をしていたとなれば、一気に親近感みたいなものが湧いたという風にも考えられる。

 そしてその告白の場には、以前バレンタインチョコを貰った相手も……というか殆どはその子たちだった。

 

 

 ……あと、それと。同じクラスの友達に居たガチファン勢だった子にも告白されました、うん。あのチョコ作りイベントにて、私のフィナンシェをおすそ分けするときにあーんってした相手。

 ぶっちゃけバレバレだったけれども、それでも想いを言葉にして相手に伝えるというのは勇気の必要なことである……その気持ちは痛いほどに伝わってきたし、入学以来の友達でもあったから、これを断るのには正直、心苦しさもあった。

 

 流石にこれまで『王子様』ムーブを続けてきて、これだけ告白されると私の中の恋愛に対する倫理観や価値観も段々とぶち壊されてもいる。なので、一瞬マジで女の子同士ででもこの子となら付き合っても良いんじゃないか、というところまで魔が差したけれども、最終的にはそうしなかった。

 ――だって、私がそこまで考えていたのは友達という関係性を崩したくなかったからであって、彼女もそれを看破していたから。明らかに気持ちのズレがそこには存在していた。

 

 だから断った。だけど、今の気持ちは全部言葉にして伝えたつもりだ。……友達で居続けるために一瞬本気で告白を受けようとしたことまで。

 その後の彼女の言葉はこれだった。

 

「……だって。私やクラスの友達しか知らない『サンデーライフ』が……皆に、知られちゃうって思ったから……! そしたら居ても立っても居られなくて……」

 

 そっか。この子は、私が『王子様』になったから、友情から恋愛感情に変わったんじゃなかったんだ。もしかすれば行動にして分かりやすく出る前からずっと……。

 

 それを思うと決定的に拒むことは私には出来なかった。

 正直、場の雰囲気でそのまま抱きしめてしまいたかった。それをすれば全部曖昧に終わらせることも出来たけど……私が選び取った選択は、こうだった。

 

「……ね? 顔をあげて私の顔を見て?」

 

 そうして目が合った彼女の顔はくしゃくしゃであった。そんな彼女に向けて、私は本心からの満面の笑みを浮かべた。

 

「……確かにあの雑誌に載っていたのは良い写真だったけどさ。

 それくらいの表情なんて、いつでも見せてあげるから。そんなに焦らないで、ね?

 ……ううん、やっぱり焦ってもいいかも。そうやって気持ちが抑えられなくなったら、私にまたこうやって気持ちを伝えてくれても良いし、他の子に相談しても良いから。ずっと気持ちを溜め込むのは辛いから、今後はそうやって吐き出していこう? ……頑張ったね、ありがとう」

 

 

 そこまで告げたら、教室の扉の方からどたどたっと大きい音がした。

 見てみたら興味半分と心配半分って感じでひっそりと隠れて忍んでいたらしい私達の友達の姿が……ってめっちゃ居るじゃん! 10人近く居るじゃん!

 そしてその友達のほとんどが目に涙を浮かべていた。

 

 ……まあ、そりゃそうか。結果次第ではこれで友達関係が終わったかもしれなければ、そりゃ心配で見に来るよね。逆の立場なら私もそうすると思うし。

 それにこれだけの人数で潜んでいたら音で普通はすぐ気付けるものだが、私も告白してきた友達も、それどころじゃないくらいには切羽詰まっていたということで、ウマ娘聴力がある身としては、それはそれでこっちに非もある。

 

 最終的には、この出来事の以後で何も変わることは……いや、1個だけ変わったか。

 私のガチ恋の子が今までよりも軽率に向こうからスキンシップを取ってくるようになったり、私に向かって『好き』という言葉を多用するようになった。

 まあ風紀的にはあまり健全ではないかもしれないけれど、でも気持ちを溜め込むよりかはずっと良いと思う。

 

 

 

 *

 

 さて学校生活の話ばかりではなく、トレーニングについても触れておく。

 今やっているものは――プールトレーニング。

 それは競走馬の調教でも行われることも多いトレーニング手法の1つであり、狙う効果は調教師によってさまざまだ。怪我で負傷した競走馬が治りかけの段階で、まだコースを走らせられるまで回復には至っていないが、さりとてずっと動かないままだと筋肉やスタミナが衰えてしまうので、リハビリや体力維持の観点から行う場合が1つ。

 あるいは健康体であっても、心肺機能の強化のためというのが1つ。アプリだとスタミナトレーニングになっていたから一般的なアプリユーザー的には基本このイメージだろう。

 後は同じ調教ばかりを課しているとどうしても馬体のバランスが悪くなるが水中でのトレーニングは左右均等に関節を動かすので身体バランスの調節にも役立つし、馬の場合水辺を苦手とすることも多いので、そういう場合には人を頼ることで人馬の信頼関係を育むなんて副次効果もある。

 勿論、リフレッシュ効果を狙ってプールトレーニングを入れることだってある。

 

 

 翻って、ウマ娘の場合はどうであろうか。

 私とハッピーミークは、週に数回というペースでプールトレーニングを導入していた。しかしタイミングは週ごとに結構違う。連続する日で入ることもあるし、そうでないこともある。

 

 これは主としてはハッピーミークのトレーニングのためによるところが大きい。5月末に香港チャンピオンズ&チャターカップを控えているハッピーミークは5月の初旬くらいには現地入りして3週間程度の調整を行うつもりだ。だからこそ出国を前にしてハッピーミークの練習メニューは少しずつ負荷を落としながらやっている。だからこそプールなのだ。

 では、私はどうなのかと言うと、多分一番はリフレッシュ効果なんだろうなあ、とは思う。私自身の特性として、外的要因によってトレーニングのパフォーマンスが向上することはほぼ無い一方で、逆に低下することも少ない。だから理論的には徹底的に効率化して必要なトレーニングだけを取捨選択して集中することも出来ると言えば出来る。単調作業でも反復作業でも飽きたりとかで集中力が落ちることはそんなに無い。

 

 ただし、その一方で私には特に目標レースとかが無い。名目上『名古屋グランプリ』の名を挙げているがあれだって張りぼてだし。なので、集中的にトレーニングをすること自体がまず必要性が薄い。だったら多少遠回りでも色々なトレーニングを入れて気分転換をしつつ気持ちの切り替えもする、というのが葵ちゃんの方針みたい。私もそれを受け入れている。

 

 ……でも、多分。今の時期のプールトレーニングの気分転換とは、私のメンタル面のフォローもきっとあるのだろう。葵ちゃんも私に対しての告白が増えたことは当然掴んでいる。向こうが断りやすいスタンスで来てくれているとはいえ、やっぱり人の好意を無下にしていることには変わりない。だからこそ私が余計な神経を使わないようにとわざわざ貸切で利用申請を出していた。

 競走ウマ娘とはアスリートだから、プライベートをトレーニングに持ち込んではいけないのは事実だけれども、さりとてメンタル面は調子にダイレクトに影響する以上は、葵ちゃんも早期フォローを入れているという側面は確実にあるはずだ。

 水着を着て、全身から水を浴びれるのってそれなりに気持ちいいからね。

 

 で、ハッピーミークは負荷をかけないことが目的なので水中ウォーキングとビート板を持って仰向けでぷかぷか浮かんでいるのがほとんどで、そのビート板状態で背泳ぎみたいに泳いだりもする。傍から見たら『練習してるの、これ?』という光景だけれども、見ていると滅茶苦茶癒される。

 

 一方私も最初はハッピーミークと一緒に水中ウォーキングから始めるが、早々と泳ぐことに切り替える。基本自由に泳いでいるけれども、一番得意なのは平泳ぎ。スタミナを使わずに長く泳げるところが好き。

 平泳ぎは特に腰回りから臀部にかけてと脚の内側の筋肉アップが期待できる。キック動作だけを推進力とする都合上、脚の動きがメインとなるが上半身も肩の周辺を中心に水の抵抗を受けることとなる泳法だ。

 

 ぷかぷか浮かんでいるハッピーミークを尻目に平泳ぎで泳ぐ。負荷はそれほど高くないのでトレーニングが終わっても、それほど疲労感は無い。まあ人間アスリートでも1時間で2000~3000mくらいはトレーニングで泳ぐらしいし、心肺機能が段違いのウマ娘では思いっきり負荷をかけるか遠泳をしない限りは然程でもない。

 

「お疲れ様です、ミーク、サンデーライフ。

 ちょっと休憩にしましょう。20分ほど休んだら再開ですよっ!」

 

「……わかった、トレーナー」

 

「……はい、分かりました葵ちゃん。

 あ、そういえば――」

 

 私はふと思いついたことがあった。

 

「何ですか、サンデーライフ?」

 

「葵ちゃんも確か、泳げるのですよね?」

 

「……ええ、まあ。一応一通りのスポーツは経験しているつもりですので!

 ――って、サンデーライフまさか!?」

 

 葵ちゃんも察しが良くなった。

 

「休憩終わったら葵ちゃんも一緒に泳いでみませんか?」

 

「……! トレーナーも……一緒……楽しそう」

 

 よし、ハッピーミークの援護も入った。

 

 

「ええと……でも、自分用の水着なんて持ってきていないですよ?」

 

 そう葵ちゃんは言ってきたので、一旦葵ちゃん自身の身体を上から下まで見直す……多分、大丈夫だ。

 私達は更衣室まで赴き、私はその隅に置かれている段ボール箱を取り出した。

 

「トレセン学園の学園指定の水着――今、私やミークちゃんが着ている競泳用の水着ですが。

 これってトレーニング中に破れたりした際の新品の予備が保管されているはずで……うん、大丈夫です。結構新しめですし、インナーもちゃんとありますね。

 サイズも何種類かありますし、葵ちゃんも身体が細いので多分サイズが合わない、ってことは無いと思いますよ。こちらを使えば差し支えないかと」

 

「ええっ!? サンデーライフ、本気ですか!? それ、学生用の水着じゃないですか! それを、私に着せる、と……」

 

「……一応、水着はトレーニング用の備品扱いになりますので、ストップウォッチとかホワイトボード用の油性マーカーみたいにトレーナーが使用しても経費で落ちますよ?」

 

「……サンデーライフがそういうところに手抜かりが無いのは知っていますけどっ!

 はあ……。まさか大人になって学生用の水着を着るなんて――」

 

 

 そうは言いながらも断らない辺り、葵ちゃんの人の良さが出ている。

 まあハッピーミークが目を輝かせて一緒に泳ぎたそうにしているのが多分主要因だろうが。

 

 それで、着替える前に葵ちゃんが恥ずかしそうに、ハッピーミークに聞こえないように本当にか細い声で私に聞こえるようにぼそっと呟いた。

 

「……あの、サンデーライフ。化粧品、貸してもらえます?」

 

「……あー、良いですよ。ごめんなさい、そこ完全に失念していました」

 

 そりゃ幾らプールサイドでトレーニングを監督するとは言っても、ウォータープルーフの化粧品を常備はしてないか。この時期じゃそれほど汗もかかないしねえ。

 これは完全に私の過失なので素直に謝ってから、私の手荷物の中から化粧ポーチを取り出す。

 

 

 ……それから15分くらい後。

 そのまま更衣室に居ても邪魔になるだけだからとプールサイドに戻ってハッピーミークとともにじゃれ合っていたら、顔を真っ赤にして学園指定の水着を着た葵ちゃんがやってきた。

 

「……あの、これ。

 尻尾を通す穴が空いているから、背中に妙な違和感が……」

 

 

 ……あっ。

 

「……ちょっと葵ちゃん後ろ向いてください。

 これ、尻尾通した後に閉めることが出来るので、葵ちゃんならこのまま閉じてしまえば――」

 

 

 もうウマ娘としての完全にルーチンになっていて忘れていたけれども、この水着。

 尻尾を通す穴があったね……。確かに言われてみれば人間の水着には無い機構だった。




水着の尻尾の通し方については本作独自の設定です。


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第51話 唐衣

 前回のあらすじ。

 葵ちゃんに学園指定の水着を着せた。以上。

 

 尻尾を通すスペースは葵ちゃんの場合何もないから、一番キツく閉めてもちょっとだけ背中が見えちゃっていた。

 葵ちゃんも水着の構造自体は把握していても、流石に自分でウマ娘用の衣服を着る経験は無かっただろう、と思って私がその調節をしていたが、それを眺めていたハッピーミークが横からそのスペースに指を差し入れて背中に触れた。

 

「ひゃっ!? 今のサンデーライフですか、ミークですか? どっちですか!」

 

「……ぶい」

 

「ミークですねっ!! もう、私をからかわないでくださいよ!」

 

「……トレーナーの背中……クラゲみたいだった」

 

 

 うーん、私がとやかく言える立場では無いのは百も承知だけど、その腰とは呼べるがマジでギリギリのラインの部分の素肌を触る度胸は私にはちょっと無い。

 それを『からかう』で済ませる葵ちゃんも葵ちゃんである。

 

 

 ただ、ここまで来たら葵ちゃんも吹っ切れたようで、念入りに準備運動をしていた。私とハッピーミークも小休憩だったとはいえ休んだ後なので、一緒にストレッチからやり直すことにした。

 ……うん。こうして見ていると完全に葵ちゃんが生徒にしか見えない。でもこれを伝えたら、若く見えるって以上に普通に落ち込むと思ったので黙っておく。

 

 

 

 *

 

「おおー……トレーナー……上手……」

 

 ハッピーミークが感嘆していたが、実際のところ葵ちゃんの遊泳フォームは物凄く綺麗だった。

 

「……どうでしたっ!?」

 

 心なしか葵ちゃんも楽しそう。まあ、大人だし身分的にはトレーナーだから絶対口には出さないけども、やっぱり心の奥底では泳ぎたかったんだろうなあ、とは思う。これだけ立派なプールを目の前にして、こんなに泳げる人が目の前でずっとお預けを喰らっていたのだからそれもそうか。

 

「これだけ上手なら最初から見せてもらえばよかったかもしれません、葵ちゃん。

 ウマ娘と人間の身体構造が若干違うとは言っても、多分葵ちゃんの泳法はお手本としてはほぼ完璧だと思いますよ」

 

「本当ですかっ、サンデーライフ! ありがとうございます。

 ……なるほど。トレーナーが自分で泳ぎ方を見せる、というトレーニング法もあるのですね……」

 

 一応、こういうところは私もちゃんと話しておく。葵ちゃん自身の基礎的な運動スペックが高すぎるから、結構葵ちゃんの所作をそのまま真似るだけでも、実際トレーニング手法として充分通用すると思う。

 

 となると、今後の葵ちゃんとのプールトレーニングは、彼女も水着を着用しての練習になる可能性が高い。……でも、その方が実際効率的ではあるのか。着替えのことを考えればプールサイドの水がかからないところから眺めていることしか出来ないよりかは、状況次第ではこうして一緒に泳げる服装の方がより細やかな指導が出来る。

 

 とはいえ流石に学園指定の競泳水着を着用するのは今日だけだろうね。突然無理やり対応させたからであって、次からは絶対自分用の水着を持ってくるようになると思う。

 ……私の趣味で着させたって? ぶっちゃけ、制服とかを一度着せたら童顔だし同級生みたいに見えるだろうなあとは思っていたけれども、流石に水着についてはあれはその場の思い付きだ。備品関連の話も、バレンタインのときのレンタルキッチンのように何かインチキするために調べたものだしね。

 それに水着に限らずジャージなども、ウマ娘はアホみたいな運動量をこなすことが出来るので消耗が激しく、それ故にいざという時の応急手当的な代替品が学園に常備されていることは知っていた。これはむしろ私に葵ちゃんが付く前のトレーナーが居ない頃に、同じ境遇の子が使っているのを何度か見たからこそ知っているものだった。

 

 

 そして、そのまま今日のトレーニングの終わりまで葵ちゃんはずっとプールの中に居た。ずっと泳いでいたわけではない。というかちゃんとトレーニングとして練習メニューをこなしている私だって、100mとか200m泳いだら一旦小休止を入れるというインターバルを挟みつつやっているわけで。ずっと泳ぎっぱなしというのはあくまで競走ウマ娘のトレーニングの一環としてやるにしては負荷が高いと思う。まあアニメやアプリだと夏合宿のときに遠泳が盛り込まれていたけど、それは特殊なトレーニングメニューではあると思う。

 

 でも。

 確かに今日の練習の途中から無理やり葵ちゃんを参加させたから、トレーニング時間の大体半分くらいだけどさ。それに、泳いでいる距離だってちゃんとしたトレーニングメニューが組まれた私の半分程度ではあるけどさ。

 

「ミーク! サンデーライフ! お疲れさまでしたっ!

 後は、シャワーを浴びて着替えて解散です! ……って、今日は私も一緒にシャワー浴びないとですね……」

 

「……葵ちゃん、疲れていないのですね?」

 

「いえ! 久しぶりに泳げたのでとっても楽しかったですよっ!

 やっぱり、自分の担当ウマ娘と一緒に泳げると良いですね!」

 

 今日が初回のトレーニングで、競走ウマ娘というアスリートの私達のこなすメニューの半分程度の量をこなした上で、しかも葵ちゃんは人間だって言うのだから色々と規格外である。運動神経が良いのは分かっていたけど、現時点でも人間のセミプロくらいのレベルにあるんじゃない、これ。

 

「……ちょっと、葵ちゃん。脚、触りますよ」

 

「――へ? ……ひゃあっ!? サンデーライフ、ちょっと……くすぐったいです……」

 

「……少し熱は持っていますけれども、運動をこなした後の常識的な水準ですね。

 本当に疲労の蓄積がほとんど無い……」

 

 流石に、トレーナーや按摩師・鍼灸師レベルの知見は持ち合わせていないが、運動のし過ぎで血液の巡りが悪くなると筋肉が微妙に突っ張る感じがあったりする。

 あるいは激しい運動をすれば筋肉が熱量を持つので、それを早めに冷やした方が良いけれど、そうした酷使の形跡が葵ちゃんの脚からは見られない。

 

 まあ私が分かるのはここまでだ。異常がありそうな動きを見つけることは自分の経験則からある程度導くことは出来ても、異常が無さそうなものが抱えている隠れた不具合などを私の知見では発見することは不可能だ。

 

 所詮スポーツ科学や医学に関しては素人同然なので、怪我の現場でのごく基本的な応急処置くらいしか出来ない。

 そして応急手当自体はほぼ競走ウマ娘としての必須技能である。何なら今まで練習に影響が出るレベルの怪我ってしたことないから、予防に関する知見はともかくとして実際の処置スキル自体は多分並以下だ。

 

 私が触った後に、葵ちゃんも自分で触診をしてみて特に問題無さそうな様子だったので多分本当に疲労は溜まっていないのだろう。

 で、そんなやり取りをしている最中も何故かずっとビート板を抱えてプールでぷかぷかしていたハッピーミークを引きずり出して、3人でシャワーを浴びてから着替える。

 

 

 その更衣室の場で葵ちゃんから話しかけられた。

 

「……そう言えば、サンデーライフは次走はどうなさるつもりですか?」

 

「そうですね……来月のどこかで出たいなー、とは思っているのですが」

 

 5月にある重賞レースを列挙すると、まずGⅠのヴィクトリアマイル。

 GⅡなら芝1400mの京王杯スプリングカップか長距離2500mの目黒記念。

 そしてGⅢには芝中距離路線の新潟大賞典と、ダート1900mの平安ステークスの以上5レースがトゥインクル・シリーズにて実施されている。

 

 ただGⅢが結構走れる子の多い距離なのが気がかりだ。前走が芝のマイル戦であったことを踏まえれば。ヴィクトリアマイルを除けば重賞では京王杯スプリングカップが一番条件的には近いけれども、別に前走からの距離延長・短縮に関してはそこまで私はこだわっていない。

 だから目黒記念に行っても良い。が、2500mという距離もまたアプリでは長距離に区分されるとはいえ有記念と同じ距離。だからこの距離に照準を合わせられる子は多い。とはいえ有とはレース場は別だけどね。

 しかもどちらもGⅡである。

 

「うーん、正直あまり狙いたい重賞レースが無いのですよね。

 OP戦に一度戻ってみるのもアリかな、なんて思います。ほら5月の後半には新潟の直線コースで開催される『韋駄天ステークス』もありますし」

 

 未勝利戦のときに対ゴールドシチーで走った新潟の千直。トゥインクル・シリーズ唯一の直線コースだが、既に経験済な上に重賞で好走できている今ならば、色々と試せそうなコースでもある。

 

「あの……サンデーライフ、分かっていて避けていたのであれば申し訳ありませんが――」

 

「なんですか、葵ちゃん?」

 

「ダービー卿チャレンジトロフィーにて2着を取ったことにより収得賞金を積み上げましたから、恐らくローカル・シリーズの『交流重賞』も視野に入れて良いかと」

 

 

 あっ。完全に考慮外だった。

 

 ローカル・シリーズの中央出走枠は限られている。レースによってその数は4~7枠程度。だから中央から出走する場合には競合するリスクが高く、特に私は清津峡ステークスでの格上挑戦があるおかげで、2勝クラス1戦分だけ1着賞金が少ない。だから他の順当に勝ち上がってオープンウマ娘になった子たちよりも不利な抽選条件にあった。

 なので今までローカル・シリーズレースを度外視して考えていた。

 

 しかし、重賞2着以上の結果はこの収得賞金という概念に加算が可能で、これで晴れてオープン戦以上の格のレースでまだ勝利の無いウマ娘相手ならば、基本的に抽選で勝てるようになった。

 今の私よりも抽選で更に有利になるためにはオープン戦で勝つか、重賞で2着以上を取るしかない。しかしそれが出来るのはほんの一握りである。

 

 となれば、JpnⅠの人気レースなどを選ばない限りはおそらく出走枠を掴むことは出来るだろうと思う。そして5月の地方重賞のダートレースは。

 まずJpnⅠ・船橋のかしわ記念。

 そしてJpnⅢである名古屋のかきつばた記念の合計2走がさらに検討リストに加わることとなる。

 

 ただしJpnⅠのかしわ記念は出走枠を多分掴めないと思うので地方レースを選ぶとしたら実質1択。

 一応6月に入ればJpnⅢにもう1走、門別レース場で開催される北海道スプリントカップが選択肢に増えるが、これ夏季日程になるからクラシック級ウマ娘との混合重賞になるのよね。となると今のディープインパクト・トウカイテイオー世代のダートウマ娘の出走の恐れが生じて、カネヒキリとかヴァーミリアン、あるいはハシルショウグンとかラシアンゴールドのような世代のウマ娘が新たに出てくる危険性が生じる。史実同世代がこの世界でも同世代になるかは微妙な上に、北海道スプリントにやってくる可能性としては多分低いけどね。

 

 そうなるとほぼ1択であった。それにローカル・シリーズのレースも出てみたいとなれば、いつでも行けるオープン戦よりも優先する価値はあるはず。

 

「……葵ちゃん。かきつばた記念の出走登録をお願いいたします」

 

「はいっ!」

 

 かきつばた記念。原則5月3~4日いずれかの平日開催の名古屋レース場・ダート1400mのレース。

 フルゲート12名のうち、中央トレセン学園所属ウマ娘の枠が5名までで、名古屋・笠松トレセン以外の地方トレセン学園所属ウマ娘の枠が3名まで。それ以外は東海地方の名古屋・笠松トレセン所属のウマ娘が登録可能なレースとなる。

 

 さあ、初めての地方レースだ。

 そうして葵ちゃんとともに次のレースへの意欲を高めていたら、ハッピーミークの声が聞こえた。

 

「……ねえ、2人とも着替えないの?」

 

 

 その声の主であるハッピーミークを見れば彼女は既に学園の制服に着替え終わっていた。一方で私と葵ちゃんはまだ水着のまま。

 

 お互い顔を見合わせていると、ハッピーミークは溜め息を吐きつつ、先にプールから出て行って寮へ帰って行った。

 

「あっ、待ってくださいミーク! ……って、もう解散したので待たなくても良いですけどっ!

 というか、サンデーライフ、時間は大丈夫ですか!? この姿を他の方に見られる訳には――」

 

「……安心してください。葵ちゃんが生徒の水着を着ていたってバレても、私が誘って無理やり着せたって証言しますから」

 

「――それはそれで誤解しか招かないじゃないですか! ……って、サンデーライフ、完全に今のはふざけて言いましたよねっ!?」

 

 

 なお、幸いにも誰にもバレることが無かったことと、以後のプールトレーニングでは葵ちゃんは私物のトレーニング用の水着を持ってくるようになったことだけは補足しておこう。



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第52話 シニア級5月前半・かきつばた記念【JpnⅢ】(名古屋・ダ1400m)

 JpnⅢ・かきつばた記念の中央出走枠5名の中に私は無事滑り込むことができた。

 そして出走メンバーが発表された。

 

「……うわあ、マジですか」

 

 中央出走枠に書かれた名前は私を含めて4名。つまり中央からかきつばた記念に出走登録を行ったのはそれだけで、残り3人の名前がヤバかった。

 

 まずメイショウモトナリ。

 次にアグネスデジタル。

 ――最後に、スマートファルコン。

 

 

 これは久々に派手にやらかしたねえ。とりあえず1人ずつ戦績チェック。

 

 まず上に挙げた三者のうちメイショウモトナリとアグネスデジタルはシニア級3年目で2世代上。ハルウララとハッピーミークの同期の世代である……ってこの2つ上も地味にヤバいな。ダートの役者が滅茶苦茶揃っている。鳳雛ステークスで出会ったトウケイフリート・トウケイニセイ姉妹の所属する盛岡トレセンの生徒会長であるメイセイオペラもこの世代らしいし。

 

 で、史実メイショウモトナリ号は、地方交流重賞の勝ち星が4つにフェブラリーステークスでも2着に入着する実力馬。それに交流重賞ハンターとも言えるかも。ちなみに、こちらの世界線においてもクラシック級時代に北海道スプリントカップにてレコード勝利を飾っていることからダート短距離では要注意となるウマ娘だ。

 

 次に勇者・アグネスデジタル号は……説明要るのだろうか、デジたん。史実のGⅠは6勝なんだけどさ、この世界線においてはデジたん当時は全日本3歳優駿であったレースが『全日本ジュニア優駿』としてJpnⅠに昇格している都合上、史実戦績が完遂するとシンボリルドルフに比肩するGⅠ7勝というとんでもないことになりかねない。

 ……が、少女・デジたんとしては育成シナリオでも触れられていた『秋の天皇賞』にまだ出走していないし、安田記念も先の話なので、今のところGⅠ5勝……って充分化け物だよ。

 まあ、肝心のテイエムオペラオーが私と同期だから昨年の秋天に出走したところでメンバーが全然違ったからずれたというのもあるだろう。IFローテは日常茶飯事だし。

 

 そしてスマートファルコンは1世代上のシニア級2年目。ということは黄金世代同期に組み込まれている。黄金世代が芝で席巻している中でのダート路線ウマドルは相当キツいだろうに。

 史実スマートファルコン号についてはノーコメント。あれはダートのなろう主人公みたいなものである。東京大賞典レコードを良バ場で出した挙句、レースレコードでなら1.7秒、日本レコードとしても0.6秒更新というのは凄いを通り越してちょっとおかしい。

 少女・スマートファルコンとして見ればクラシック級の時に挑んだJBCスプリントではあの有の歳のハルウララと激突して2着。その前後辺りから地方巡業ウマドル公演がスタートして各地の交流重賞を次々と討ち取ってきたようで。同時に昨年のかきつばた記念の覇者でもあり、2連覇狙いでやってきたということだ。

 

 しかし、直近レースを見直せばセイウンスカイ、ダイタクヘリオスと来て今度はスマートファルコンか。何か『逃げ』のネームドとの激突率が高くない?

 

 

 そして。初の地方レース場なので、名古屋レース場のデータを確認する。

 まず基本的に地方レース場は坂などの起伏がほとんど無い。そして名古屋の最終直線はわずか194m。

 こういうときに比較対象に出しやすい中山の芝・直線が310m。

 あるいは最終直線の短さも含めて本来『大逃げ』が優位だと考えていた阿寒湖特別の札幌の直線だって269.1mだ。194mというのは正直、極端に短い。

 

 そして全長も1100mと結構小さ目なので、カーブもややキツめ。そこから導き出される結論は、脅威の前残り率の高さ。そしてダート短距離レースだから逃げ・先行型の子がほとんどというのも相まって1番人気が順当に勝ちやすい土壌が整っている。

 そりゃ、スマートファルコンが連覇を狙いに来るわけで。

 

 だから1着を狙う想定だとぶっちゃけこの『かきつばた記念』出走登録は正直悪手に限りなく近い。とはいえ同じのゴールデンウイーク開催日程の中にJpnⅠのかしわ記念もあるのだから、有力ウマ娘はそっちに行ってくれても良いじゃん、と思わなくもない。

 

 昨年のスマートファルコンが勝利した『かきつばた記念』の映像を葵ちゃんとともに確認する。そして私はこう結論付けた。

 

「あ、これ勝てませんね。同じことをされたら勝負になる以前の問題です」

 

「……サンデーライフでも勝ち筋を見出せませんか」

 

 ダート短距離レースでの5バ身差勝利の圧勝。1400mのレースでつけていい着差ではない。

 というか地方レースだし重賞競走だからタイムオーバー制度は存在しないけれども、もしトゥインクル・シリーズOP戦以下のレースで適用されるタイムオーバーをそのまま導入したら3人が引っかかりかねないという、とんでもない事態である。

 タイムオーバーというものがあまり聞きなれないと思うが、これは本義的にはあまりにも準備不足で出てきたウマ娘に対して『君は遅すぎるからトレーニングし直して出直してくるように』という勧告のための制度である。勿論、重賞では適用されないことは百も承知だが、スマートファルコン基準で考えてしまうと重賞出走ウマ娘ですら複数人をそのレベルまで落とし込んでしまうくらいには実力差があるということなのだ。しかも速度の出にくい良バ場でこれである。

 

 唯一の対抗策は『大逃げ』で無理やり並走すること。じゃないと『逃げて差す』をダートでやってのけるスマートファルコンの走りに介入してデバフをかけられる余地がマジで無い。ただ去年のレースでは重賞1着を獲れるような地方ウマ娘が無理に追走した結果、着外にまで大きく順位を落としている。

 つまりスマートファルコンには誰も追いつけない、もしくは逃げ並走に対しての更なるカウンター策が多段式で用意されている可能性が高いということ。

 

 後は、地味に厄介なのがダート転向後はトゥインクル・シリーズレースを徹底的に避けて走っているせいで、データのフォーマットが中央向けのものではない。手に入れたスマートファルコンの素記録データが、その地方ごとの独自の管理手法によって採用されているために地味に見づらい。勿論、中央のフォーマットに書き換えた葵ちゃん自作の統一データも用意してくれているが、地方ごとに計測しないデータなどがあって部分部分欠損が見られるので、比較検討がやりにくくなっている。

 ……地方レースだけに出走することで、データ崩しをしてくるなんて方法があったなんて。これは完全に盲点だった。

 

 

 だから結論を言えば対策不能である。余程スマートファルコンが調子を落としていたりしない限りは勝ち筋が見当たらない。

 

 ――でも。

 私は自身の考えを声に出す。

 

「逆に勝ち筋が無いなら無いで、かえって他の子よりは立ち回りがしやすくなりますよ。どうあってもレースのペースはスマートファルコンさんがぶっ壊してくれますので、私がやることは無理なく走って、最終直線に脚を残しておくことですね。

 それでスマートファルコンさんを何とかしようとして彼女のペースに合わせようとしていた子たちを抜き去る、というのが理想形でしょうか。ただ前残りもしやすいレース場ですので、やや逃げ気味に走ってようやく先行集団の真ん中くらいみたいな感じでしょうが」

 

 取り得る作戦としては、位置的には先行を狙う。それも『伸び脚』を活かせるような形で体力温存しつつの最終直線勝負。直線距離も足らなければ坂も無いから他の子が垂れるかどうかは微妙なところだけどね。

 

 ただメイショウモトナリもアグネスデジタルもきっと似たような先行策で来ることは容易に想像できる。もっとも彼女たちの場合はスマートファルコンに勝とうとしての先行策だろう。

 『逃げて差す』とはいえ、後半のタイムの方が遅くなるという部分はあるからだ。

 とはいえそれが弱点というわけではなく、ただ前半のタイムも早いからってだけだし、逆に前半に楽をさせてしまうと後半の伸びが増えてタイム差が逆転するというチート性能ではあるんだけどさ。

 だから前半には圧迫感は与えておく必要があるのと、基本スマートファルコンは垂れないので、前に付けていないと終盤で抜かそうとしたときに全く届かないから、結局は逃げか先行しか選択の余地はほぼ無い。

 

 ……まあ、それは脚質がある程度選べるウマ娘の意見であって、基本は自身の最も適性のある脚質で挑むことにはなるし、その上で実際に出走したらその場で調節もするけどね。

 

 あ、ダート魔改造マックイーンとかなら、また話は別だ。中長距離ダートでスマートファルコンを迎え撃ち、スタミナ勝負に持ち込むみたいな素能力の荒業が出来るので。

 

 

 

 *

 

「1番人気はもちろん、この子です――スマートファルコン、4枠4番からの出走です」

 

「前走・浦和記念からおよそ半年ぶりの復帰レースになります。その浦和記念では入着を逃してしまいましたが、ダート転向後12戦の内1着は実に9回! そして残りの3戦も全て2着という脅威の成績をマークしていたウマ娘です。人気はその頃から比べると流石に落ちてはいますが、それでもファンは1番人気に彼女を指名しました」

 

「半年間レースに出走しなかったのは、どういうことなのでしょうか?」

 

「トレセン学園等からの情報によれば怪我などによるものではない、とのことでしたので、昨年の浦和記念で最後の最後で失速してしまった点の対策を重点的に行ってきたと見るべきでしょうか、期待ですね」

 

 ファンの大歓声に包まれる中、パドックでお披露目をしているスマートファルコンの人気は流石に圧倒的だ。解説の言葉によればこれでも昨年の連勝街道の頃よりは人気が低迷しているというのだから末恐ろしい。……というか史実スマートファルコン号の例の東京大賞典2連覇&レコードは今年の冬から来年にかけてで、そこから判断すると、これでもまだまだスマートファルコンは全盛期ではないということになる。

 

 

「2番人気を紹介しましょう。7枠9番のサンデーライフ。ダートのレースは1年ぶり……でしょうか? それにも関わらずファンは2番人気にまで押し上げました」

 

「一応昨年末に障害レースにて阪神のダートコースを走っておりますし、ファン感謝祭においてもダート関係の競技を行っておりましたので支障は無いかと思われます。

 勿論、このところ上り調子というのもありますが……それ以上に彼女の人気が2番となったのは目標レースを『名古屋グランプリ』に設定しているところが大きいでしょう」

 

 そして2番人気には、最近ダートを走っていない私がマークしていた。何故かと言えば絡繰りは単純で解説が言っている通り、地元票が流れ込んできたから。別に私自身は出生なども東海地方に無関係だし、中央所属ではあるけれども、昨年からずっと一貫して目標レースを『名古屋グランプリ』にしていたことが、地元からの好評に繋がったようである。

 ……そりゃ中央のウマ娘でJpnⅡを目標にする子はほぼ居ないもんねえ。

 

 そういえば地元繋がりの話で1つ。ここは名古屋レース場なので、東海地区のウマ娘――つまりは笠松トレセンの子も同地方枠で参加できるレースだが、出走メンバーの中にシンデレラグレイ組は居なかった。

 ……まあ、このかきつばた記念。JpnⅢという国内限定ダートグレードの1番低い格付けではあるけれども、現時点においては地方重賞のSPⅠである東海ダービーよりも格式は高いレースだからなあ。

 東海ダービーも一時期は中央と地方の交流重賞指定されていてJpnⅡが与えられていたこともあったけれども、史実2020年をベースとするこの世界においては東海所属ウマ娘限定レース扱いである。

 ……とはいえ中央に門戸が開かれていたときには東海ダービーは史実・アグネスデジタル号が1着をかっさらったりしているんだけどさ。

 

 

「3番人気はメイショウモトナリ。3枠3番からの出走です」

 

「前走・阪神レース場での重賞・プロキオンステークスにおいては末脚が伸びず10着という結果でした。やや坂が苦手な傾向が見えるウマ娘ですが、ここ名古屋はフラットなコースですからファンも期待を込めての3番人気ということなのでしょう」

 

 このメイショウモトナリは史実競走馬としてはJpnⅢ・名古屋大賞典にも勝鞍があったはずだが、この世界においてはそこでスマートファルコンとの競合が発生し2着になっている。その後に浦和記念にてスマートファルコンと再戦があり、順位的にはスマートファルコンを上回ったものの3着。リベンジマッチとしては些か消化不良ともいえる結果だったので、満を持してここでスマートファルコンを破り1着を取りたいと考えているところなのだろう。

 

 

「4番人気にはGⅠ5勝、8枠10番アグネスデジタル――この評価はどうなのでしょう?」

 

「前走が香港でのクイーンエリザベス2世カップで2着でしたが、これは芝で1年前ですからね。大きな怪我ではなく『慢性的な疲労蓄積の解消のため』ということでしたが、長らく休養に充てていましてその復帰戦となります。

 流石に復帰初戦で当たる面子としては厳しいということで、人気もやや落ち込んでいるようです。それでも4番人気な辺りはこの娘が慕われている由縁でもありますよ!」

 

 アグネスデジタルは、前走のダイワメジャー・ビコーペガサスであったり、ハッピーミークや生徒会組のように、第一線から退いて年間レース数を減らしていたわけではないものの、しばらく長期離脱していたようである。

 まあ5ヶ月で香港→東京→ドバイ→香港というローテをしていればそりゃ疲れるとは思うけど。それでも1着、1着、6着、2着と好成績をGⅠの舞台で残し続けていたから、休養を入れる判断が非常に難しいのも理解できる。

 となるとアグネスデジタル陣営としてもここでのスマートファルコン衝突はあまり好ましくないかもしれない。せめて療養明けでもう1、2戦叩きあげてから万全の状態でぶつかりたかった相手だろう。

 いくらスマートファルコンが昨年優勝ウマ娘とはいえ半年間レース出ていないから復帰タイミングなんて分からないし、仮に今年のこのタイミングで出走するとしてもJpnⅠのかしわ記念に行くだろうって思うもん、仕方ないよね。

 

 

 さて、初めての地方レース。トゥインクル・シリーズ開催レース場と比較して真っ先に違うと感じるのが客席のキャパシティである。特に今日はスマートファルコンとアグネスデジタルの復帰戦が重なっていることもあり超満員に見えるが、元々の広さも相まってその熱気は圧巻の一言である。

 後は、私の初の名古屋ってのも一応集客に影響あるのかな。中京レース場でのレースすら一度も出走したこと無かったから、今まで本当に東海地域のレースに出てないからね。いや、偶然だけども。小倉も行ったことないし。

 

 なお今日はハッピーミークはお留守番で一緒に来たのは葵ちゃんだけである。流石に名古屋はちょっと見学だけでついてくるにはちょっと遠いし、それ以上にハッピーミークは香港遠征が控えている。

 数週間滞在の海外旅行の準備をしている最中に、急に2泊3日の旅行に行くぞ! って言われても、荷物ごちゃごちゃになるしね。

 

 なおトレーナーである葵ちゃんにはそういう泣き言は許されない。でも慣れているっぽいけどね。

 

 

 そんなことを考えながら、ゲートインをする。

 最初が直線から引き込んだ部分からの短めだがポケットからのスタートなので、スタートの直線が一番長くなる。だから枠番による有利不利は短距離戦であるがほぼ無きに等しい。12人中の9番だから良かった。

 

 天気は晴れで良バ場。そして勿論メインレース――

 

 

「……あ、あのっ! 王子様……じゃ、じゃなくて……サンデーライフしゃん!!」

 

「――えっと、私ですか? アグネスデジタルさん」

 

 隣の枠に入ろうとしていたアグネスデジタルが急に私に話しかけてきた。

 

 え、多分初対面だよね? このタイミングでデジたんが話しかけてくるというのはちょっと不自然だけど、何かあったのだろうか。

 

 

「……あのー、あたしがこんな大事な場面で声をお掛けするなんて、畏れ多くて断罪に値することなのですが――でも、すみません!

 ……もしかしたら王子様が気付いていないかもしれないので、一応! 一応言っておきますけれども――」



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第53話 シニア級5月前半・かきつばた記念【JpnⅢ】(名古屋・ダ1400m)顛末

「……もしかしたら王子様が気付いていないかもしれないので、一応! 一応言っておきますけれども!

 ――蹄鉄、落ちていますよ?」

 

 

「……ふぇっ!?」

 

 アグネスデジタルが指差した私の右の足先付近には、確かに蹄鉄が落ちていた。そして右脚の靴裏を見てみると、確かに蹄鉄が無かった。

 

 

 ――つまり、落鉄である。

 

 スタート前に落鉄に気付くことが出来た場合、蹄鉄の打ち直しが認められている。一応、蹄鉄があっても無くても競走能力に差が出ないというのがURAの公式見解ではあるが、私個人の感覚としては蹄鉄が無いとカーブで滑りやすいな、という印象だ。

 まあ普段のトレーニングから蹄鉄有りで練習しているために踏み込み方が若干変わるせいだと思う。

 

 で、アグネスデジタルが指摘して私が気付いた以上は、出走準備は一時中断して一旦全員ゲートから出される。

 

「サンデーライフさん、今のシューズに蹄鉄を嵌めなおしますか? それとも、当レース場の予備シューズと交換しますか?」

 

 職員の方が数名集まってきて私に質問する。

 ……レース直前のシューズ交換は、嫌だなあ。しかも名古屋レース場の予備ってことは初めて履く靴になるし。

 そう思い私は職員さんから工具を借りて自分で装蹄作業を隅で行うこととなった。

 

 確か、アニメでもメジロマックイーンの天皇賞でこんなシーンがあったなあ、ってことをぼんやりと思い出していたが、これが急いでやると中々上手く装蹄出来ない。

 

 ただ無為に時間が過ぎていこうとする中、遠くの観客席で歓声が上がっているのが聴こえた。……どうやらスマートファルコンが、私が装蹄している時間ファンが退屈しないように急遽マイクを借りてパフォーマンスをして盛り上げているようであった。うわあ、もの凄く申し訳ない。

 

 しかしその気持ちに反してやっぱり蹄鉄は上手く収まらない。

 見かねた職員が再度私に話しかけてきた。

 

「……あの、サンデーライフさん。先ほど貴方のトレーナーさんが予備のシューズを持って来て下さいました。

 当方としても事前に予備登録が済んでいるものと確認が取れましたので、こちらのシューズとも交換出来ますが、どうしましょう?」

 

 そう言う職員さんの手には、私の履き慣れたシューズが携えられていた。

 あ、そういえばシューズ予備登録なんてものもあったっけ。ウマ娘独自のものだから完全に頭から吹き飛んでいた。葵ちゃんと……興行規則に助けられた。

 

「……そのシューズと交換します」

 

 

 ――結局、発走開始予定時刻は私の落鉄により15分遅れることとなる。

 

 

 

 *

 

 シューズを履き替えた後、待ってくれた出走ウマ娘の皆に頭を下げる。そのすぐ後から順次ゲートインが再開して私も再度ゲートに入った。

 

 ……これまでのことで分かってはいたけれども、この世界って基本的に優しい子たちばかりだ。さっき頭を下げたときもみんな「気にしないで」とか声を掛けてくれたし、背中を叩いてくれた子も居た。

 それに、黙っていれば私は落鉄したままスタートしたかもしれないのに、わざわざ伝えてくれたアグネスデジタルも凄いよね。大事なレースを目の前にして、自分が有利になるわけでもないのにルーティンから外れた行動を取れるというのは尊敬に値する。

 

 後はやっぱりスマートファルコン。アクシデント発生でファンのことをすぐ気にするというのはウマドルである彼女ならではの行動であった。スタートがいつになるか分からない状況でファンにまで目を向けられる視野の広さは只者ではないよ、本当に。

 

 落鉄自体は稀に起こり得ることではある。けど、まさか自分に降りかかることになるとは全く考えていなかった。そのせいで頭が真っ白になっちゃったけど、気を取り直してこれから――

 

 

「――さあ、ゲートイン完了。……スタートしました! スマートファルコンやはり素晴らしいスタートですっ!

 ああっと、2番人気サンデーライフ、痛恨の出遅れ! これは作戦通りかレースに支障をきたすのでしょうか!?」

 

「……まあスタート前に落鉄していましたからね。そこで集中力が切れてしまうのは仕方がないことです。ここからの追い上げに期待ですよ――」

 

 

 

 短距離戦での出遅れは致命的。

 そしてスマートファルコン主導のレースで展開は超ハイペースで、名古屋レース場は後方ウマ娘が決定的に不利。

 

 それらの客観的事実が示すように。

 私は結局、その出遅れを取り戻すことは出来ずに、12人中10着でJpnⅢ・かきつばた記念を終えた。

 

 

 

 *

 

 レースが全部終わってようやく頭が冴えてきた。自分では平静を努めていたつもりだったけれども、改めて考え直してみればスタート直前にレースとは全然関係の無いことを考えていたのだから、その時点でレースに意識が入り込めていなかった。

 だから、盛大に出遅れをやらかしてしまった。いや、今までレースを走ってきて初めての経験だった。

 

 多分、落鉄直後からずっとパニック状態だった気がする。

 自分でも滅茶苦茶分かりにくいパニックの仕方をするな、とは思う。でも今までレース中に一度もパニックになんてならなかったから、こういう焦り方をするんだってことに全然気が付かなかった。

 

 不本意なレースをして落ち込んではいる。けれども、これを想定できたか? と言われると、想定できなかったよなあと思う自分も居て、事前にどうにかすることは多分無理だったんじゃないかなと考えもある。

 

 ともかく今、一番申し訳ないと思う相手はアグネスデジタルだ。

 いや、勇気を出して落鉄を伝えた相手が真横で出遅れ起こしたらビビるでしょ。多分動揺もあったのだろうアグネスデジタルは4着。彼女の力量を考えればもっと上の順位を狙えたかもしれないだけに私としても申し訳が立たない。

 しかもデジたんの性格的にも絶対負い目に感じているはずだから、まずはそれを払拭しておかないと。

 

「……アグネスデジタルさん、申し訳ありません。

 折角ご指摘いただいたのに『出遅れ』してしまって……」

 

「……そ、そ、そんな滅相もございません!! 非があるのは突然話しかけたあたし、デジたんにあって王子様のお気を煩わせたのが全部悪いのです!!

 もっとあたしが紳士的に話しかけられれば、王子様が出遅れすることも――」

 

 そんな感じでお互いに謝り倒していたら、本日の優勝ウマ娘がダートの土の上で謝罪合戦をしている私達に話しかけてきた。

 

「デジタルちゃんもサンデーライフちゃんも、そんなに悲しい顔しちゃダメだよ! もっとキラキラしないとねっ!」

 

「ヒョワァアアア~~!? 後光が見えるっ!! ハァハァ……。待って、ダメ、しんどい……」

 

 ……そのアグネスデジタルのセリフは一言一句同じものをアプリのホーム画面で聞いたことあるな、と思いつつも、私もスタート前の15分の間、場を繋いでくれたスマートファルコンに感謝の言葉を告げる。

 

 

「うーん、ファル子は気にしてないけど……あ、そうだっ。

 じゃあちょっとだけ! ファル子に協力してくれるかな、サンデーライフちゃん?」

 

「あ、はい。私に出来ることなら構いませんけど。一体何をすれば――」

 

 私が言い終わらないうちに、スマートファルコンはずんずんと近づいてきて、私の両膝裏を左腕で支えて、そのまま背中を右腕で支える形で持ち上げた――『お姫様抱っこ』である。

 

「え、ちょっとスマートファルコンさん!?」

 

「……サンデーライフちゃんが障害レースでこれやったときに、ファル子もやりたいっ! ってずっと考えてたの! ホントは抱っこされる側のが……なんだけどね。でも今日は抱っこする側でね☆」

 

「……いや、スマートファルコンさんがして欲しいのであればお姫様抱っこならしますけど」

 

 考えてみればあれで私の知名度も上がったが、障害競走の知名度も上がった。……確かに考えてみればダートのウマドルを目指す彼女にとって私は商売敵であると言っても差し支えなかった。

 でもそれならスマートファルコンをお姫様抱っこした方が良いんじゃないか、って思ったけれども。

 

「……駄目。サンデーライフちゃん、レースで使おうとしたのとは別のシューズで走ったでしょ?

 前を走っていたからファル子には分からないけど、トレーナーさんともきちんと相談した方が良いと思うよ」

 

「……ご配慮ありがとうございます」

 

「ううん、気にしないで」

 

 確かに履き慣れた靴に交換してもらった。ついでに言えば、元々使おうと思っていた靴と同じメーカーで同じ型番のものであり、蹄鉄すら同じである。

 だけど、当然落鉄した靴の方を優先したということはそれだけの理由があり、予備の靴は予備でしかない。つまり元の靴の方が走りやすかったのは確かで、直前に靴を変えるという行為そのものがそこそこ危険なことを理解しての発言であった。

 そこを突かれてしまうと私としても立つ瀬がない。……抱えられているから立っては無いが。大人しくスマートファルコンに抱きかかえられたまま、今度は私がお姫様抱っこで退場する番となった。

 

 当然、スマートファルコンのこの行為に観客席からは万雷の拍手と黄色い歓声が響き渡ったのは言うまでもない。

 ついでに言えば、自分がメジロパーマーにやったことがこうして返ってきた瞬間、これが想像以上に破壊力があることに気付き、顔に熱を感じていた。

 

 ……あ、コース上でデジたんが死んだ音がした。

 

 

 

 *

 

 スマートファルコンの助言通り、私はバックヤードに戻った後に葵ちゃんに相談すると、ウイニングライブでバックダンサーとして踊るのは取り止めて病院へ向かうこととなった。

 その前に葵ちゃんの見立てで触診もしたし、名古屋レース場の医務室にも行った。どちらも異常は無さそうとのことではあったが、大事を見ての判断。

 

 そして病院で精密検査を一通りして、すぐに結果が出るものだけならば特に異常はやはりみられないとのことであった。今日中に出ない検査結果については、後日郵送してくれる手筈となった。

 

 取り敢えず脚に異常は無い。自分としても違和は全く感じていなかったからそうだとは思っていたけれども、ひとまず安心した。

 

 

「……葵ちゃん、1つ良いですか?」

 

「なんです、サンデーライフ?」

 

「……今日、ホテルに戻ったら一緒に寝て下さい。

 多分、今日だけは1人にされるの……ちょっと無理です」

 

「もちろん構いませんが、ちょっと本当に大丈夫ですか、サンデーライフ?

 正直に言ってくれるのはありがたいですが、本当に辛いのでしたら心療内科のカウンセリングを用意しますが――」

 

「……。

 そこで具体的な臨床手法が出てくると、滅茶苦茶萎えますね……。

 葵ちゃん、気持ちは分からないでもないですが。今の言葉はトレーナーとしてかなり減点入ると思いますよ」

 

 苦言は呈すが、多分葵ちゃんも葵ちゃんで動揺があるということなのだろう。とはいえ、これまで全部自己管理出来ていたウマ娘が急に依存し始めたように見えたら流石にビビるか。

 

 でも、これは確かに自分のメンタルダメージ的に1人にされるのが嫌って気持ちもあるけど、この状況で葵ちゃんを1人にするのもそれはそれで思いつめそうという考えもあっての申し出だ。

 多分、今日葵ちゃんを放置したら絶対寝ないで対策を練る気がする。……となると、これも必要か。

 

 

「……あと。今日中に帰りの新幹線のチケットを取っておきましょう。

 今の葵ちゃんに名古屋からトレセン学園までの運転を任せることは出来ません」

 

「……なるほど、サンデーライフ自身の管理であると同時に、私のメンタル管理でもあるのですね……。

 そうでしたね……。最初の水族館の頃からしてサンデーライフはそうでした。

 少なくとも問題に直面した際のリフレッシュに関しては、私よりもサンデーライフにお任せした方が上手くいきますし――」

 

 ネガティブな発言が漏れ出している葵ちゃんの唇を私の人差し指をくっつけることで、言葉を中断させる。

 

「ほら、葵ちゃん……そんな後ろ向きな言葉が出ている時点で、今はあんまり考えちゃダメですよ?

 取り敢えず今日は、ちょっと豪華なものを食べて、一緒にお風呂入って、一緒に寝ましょう。

 それで明日は名古屋を観光してから、新幹線で帰りましょうね。車は代行でも他の職員にでも良いですので後で取りに行かせましょう。そういうのは後から意外と何とかなりますから」

 

「はい……。

 って、これ私とサンデーライフの立ち位置、普通逆じゃないですか?」

 

 

 ……。

 本当だ! 何で私が負けたのに、私が名目上トレーナーである葵ちゃんを励ます側に回っているんだ!?



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第54話 可能性と不変性

 サンデーライフ @sundaylife_honmono・数秒前 ︙

  ウイニングライブのバックダンサーをお休みして病院に向かいました。詳しい検査結果はまだですが、今のところ特に異常な点は見受けられないようです。正確な結果が返ってきたらまたお知らせいたします。

  ……それで、まだ一応名古屋に居るんですけど、ご飯って何があります?

 1 リウマート 0 引用リウマート 6 ウマいね


 

「これで良し……と。うわあ……凄い勢いで『ウマいね』が増えてる……」

 

 人によってはこの目まぐるしく変わる数字に一喜一憂して承認欲求が満たされるらしいけれども、私には不気味にしか見えない。ファンたちが通知が来る設定にしているとしても、こんな僅か数秒で大量にレスポンスが返ってくる世界は私にとって『暇なのか、こいつら……』って感想がどうしても先行してしまう。

 おおう……アグネスデジタルのリウマート早っ。もう私のウマートに反応してる。この時間、きっとライブの撤収作業中のはずなのによく反応するよ……いつの間にかフォローしていたらしいので、こっちからもフォロー返しておくか。

 ……うわっ、相互フォローされたことの喜びのウマートをもうしてる。反応速度すごいわ。

 

 アグネスデジタルと言えば。『落鉄』に関する事で今更ながらふと思い出したのだけど、デジたんに言われるまで全く気付かなかったのって名古屋レース場の砂質も影響しているのではないだろうか。

 というのも、トゥインクル・レースで使われる全レース場のダートコースの『砂』はURA砂質基準を満たすために全部、青森県六ケ所村――同じ産地の砂が利用されているのに対して、名古屋レース場は木曽川の砂を使用している。あとは砂厚調整の仕方とかも違うから、そういった『砂』の違いで蹄鉄の違和感に気付けなかったのかもしれない。もう完全に後の祭りだが。

 

 

 閑話休題。

 デジたんのSNS強者っぷりを目の当たりにした後、さっきウマートしたものの返信を確認していく。いつもは絶対見ないのだけども、ご飯の質問したしね。

 『かにみそ』、『かにみそ』、怪我に対しての安心したって返信、『かにみそ』、グルメレビューサイトのカニ料理・名古屋エリアの検索結果のURL……うーん、まあ薄々こうなる気はしていたけど案の定のカニ祭りである。

 お、なんか長文の返信も来てる。

 

『サンデーライフさん、10着残念でしたね! ですが気を落とさないでください! それでご飯なのですが、名古屋からはちょっと離れてしまいますが、前に僕が彼女と行ったイチオシのお店が岐阜にありますので、そちらはどうでしょう? 美味しい懐石料理のお店なのですが――』

 

 ……名古屋に居るのに別の場所を指定するんじゃない。しかも店舗住所が大垣市、いやまあ『岐阜市』とは確かにこの人のウマートにも書いていないけどさ……紹介するならもう少し配慮してくれ。そんな片道1時間以上かけてご飯を食べに行くテンションじゃないのよ。

 

『(前略)――名古屋と言えば、ご飯も勿論良いですが! 名城公園の桜が綺麗ですよ!!』

 

 あのさ……今、聞いているのはご飯なのよ。しかもゴールデンウィーク中だから桜ももう無いでしょ。せめて季節感くらいは合わせて。

 『かにみそ』とネタ系ウマートと後は怪我の報告への返答が大体8割くらいで、何かずれたご意見とか逆質問をしてくるのが1割そこそこ、後は真面目に探してくれている人が1割切るくらい。

 

 ……うん、SNSって多分こうやって使うものでは無いんだろうなあ。役に立つ意見を探し求めること自体が間違っていたのかも。大喜利会場と化したそれをそっと閉じてスマートフォンから目を離す。

 

 

「……それで、葵ちゃんは何か食べたいものとかあります?」

 

 一応もうホテルまで戻ってきていた。それで私の部屋の荷物も含めて全部葵ちゃんの部屋の中に突っ込んで私はベッドの上で寝転がりながら、葵ちゃんは客室の椅子に座っている。

 

「サンデーライフが食べたいものなら、何だって良いですよ?」

 

「それが1番困るんですよー、もう」

 

 葵ちゃんが妙に本調子ではない以上、美味しいものでも食べた方が良いかもしれないけれども、彼女、良いところのお嬢様だから逆に高級で美味しいものの味は基本知っているんだよね。だからこそ『何だって良い』って発言に繋がっているとは思うが。

 だからそれを逆手に突いて、ジャンクフードとか安い物の方がむしろ食べたことがないから嬉々とする可能性すらある。ほら、前の回転寿司のときみたいにね。

 

 あるいは折角の遠征なのだからご当地のものを食べた方が良いのだろうか。ぶっちゃけ今までそんなに気にしなかったけど。唯一あるとすれば阿寒湖特別のときに札幌でファインモーションがどうしても行きたかったラーメン屋さんくらいか、ご当地系って。

 

 そんなことに色々考えを巡らせてた結果、1つの結論に至った。

 

「……やっぱりホテルのインルームディナーにしましょうか」

 

「サンデーライフが良いなら構いませんけど、どうしてですか?」

 

「……やっぱり私も本調子では無いんですよね。今日、ちょっと空回りしている気がするので、無理に外に出ない方が良いかもしれないです」

 

「……本当に、らしくないですよ、サンデーライフ」

 

 

 考えを巡らせること自体はいつも通りなんだけど、今日――というかレース後か病院後辺りからかな? あんまりひらめきが良くない感じがする。レースが終わった直後は頭が冴えてきた感覚はあったんだけど、まだ普段のようには噛み合って来ない。

 だって、いつもの私だったらSNSを使って夕ご飯募集なんて考えは絶対しなかったし。葵ちゃんの調子もおかしいが、私も私で微妙に歯車が合わない感じを何となく認識している。

 そういう不安定な感情が渦巻いている中で、あんまり外部との接触を取らない方が良いかもなあ、って気持ちになった。

 

 そうと決まれば、客室の電話からフロントに向けてインルームディナーのお願いを葵ちゃんがした。私は和食の鶏御膳にして、葵ちゃんは伊勢海老のペスカトーレを注文……いや、葵ちゃんは手慣れていてさらって注文したけど、値段めちゃくちゃヤバかった。

 ホテルの情報自体は調べていたから存在は認知していたけども、ビビる値段するね、ルームサービスの食事って。それと値段が人間1人前とウマ娘1人前で倍以上違った。

 

 で、時間指定も出来るってことだったので、先にお風呂に入ってしまおうということに。

 いつもはレースとウイニングライブの後は面倒くささが限界まで達しているので、客室内のシャワーで済ませることも多かったが、流石に葵ちゃんと一緒にお風呂に入るって言った手前、そこでは狭すぎるので大浴場へ行くことにした。

 

 それで髪と身体を葵ちゃんに洗ってもらうように言ったり、逆に葵ちゃんの方は私が洗ったりした。まあ、私自身にも葵ちゃん自身にもあんまり1人で黙々と作業する時間を与えること自体が今の状況だと毒になりかねないので、なるべくどんなことも1人でやらないように意識しての私からの申し出だった。

 

 ……まあ、そのせいでいつも以上にお風呂に時間がかかってしまった。幸いまだお風呂にはお客さんが少なくて邪魔にならなくて良かった。

 そして改めて私達2人のシングル部屋に戻ったら既に机の上には料理が置かれていて、あと椅子が1脚追加されていた。うーん、配慮の鬼である。

 

「じゃ、食べましょうか葵ちゃん」

 

「そうですねー」

 

 地味に葵ちゃんがお風呂上りでテンションがほわほわした感じになっていて語尾が間延びしているのが面白いが、特にそれを指摘したりはせずに尻尾だけぶんぶん振らせて席に座る。まあ尻尾は別に抑えないでも良いでしょ、今のシチュエーションだと料理わくわくウマ娘にしか見えないし。

 

「いただきまーす……んむっ。

 ……あっ、うっま。……美味しいですよ! 葵ちゃん!」

 

 鶏のおこわご飯を一口食べた瞬間、一瞬敬語外れるくらい美味しかった。ホテルの食事だしなあ。しかもおこわご飯、何がすごいって『おひつ』で持って来られていて、茶碗に食べられる分だけよそって食べられるというウマ娘仕様にちゃんとなっているところだ。で『鶏御膳』ということでこのおこわご飯以外にも重箱に入った小鉢とかおかずがあるわけだが、重箱は2段になっていてそれぞれ全部メニューが違った。唐揚げとかバンバンジーのサラダとか、後は鶏御膳だけどお刺身盛り合わせもちょっと入っていたり。

 

 で、葵ちゃんの方を見てみると、伊勢海老が大きなパスタ皿の上に鎮座している。……実際には半身でひっくり返せば身をすぐに食べられるようにはなっているけれどもインパクトがすごい。その周囲にはムール貝とか大き目のアサリとか、ホタテなどの貝がバックダンサーのように伊勢海老を引き立てていてビジュアルだけでも圧倒してくるパスタであった。

 

「ん? サンデーライフも食べてみます?」

 

「あっ? 良いんですか? いやー悪いですね、葵ちゃん」

 

「なんか白々しいですけど、元々私はそのつもりでしたし。

 はい、どうぞ」

 

 葵ちゃんの手によって差し伸べられたフォークに絡みついたパスタを、私は頭を寄せつつ口から『はむっ』といく。

 

「……トマトの酸味と海鮮のダシがすごい効いていますね!」

 

「あ、あと。この伊勢海老の身もどうですか?」

 

「――んっ。すごいプリプリしていますねっ! 葵ちゃんのも美味しいです」

 

 

 ……そうして葵ちゃんが1人前の半分弱くらい私に譲っているのを見て、葵ちゃん自身がそこまで食欲が無かったことには流石に察しがついたけれども、それをこの場で敢えて指摘することはしなかった。

 多分、そういう部分で心配するよりも私が楽しそうにしているところを見せる方が、今の葵ちゃんの癒しになるだろうなって確信はあったし。……自分でそれを自覚しながら見せつけるのは流石の私でも恥ずかしいけどね。

 

 

 

 *

 

「葵ちゃーんー? そろそろ、あなたの中で抱えているものを教えてくれても良いんじゃないですか?」

 

 同じベッドに入って葵ちゃんと一緒に寝るのははじめての経験だ。葵ちゃんの家の寝室ではお布団敷いてたからね。シングルベッドに2人で寝るのはアホなのよ。

 その点、このホテルのシングル部屋のベッドはセミダブル。だから、安心! ……とはならない。当たり前である。セミダブルも広めの1人用ベッドだから、2人で寝たら流石に狭いのだ。なので今日の私達はアホである。

 

 それでも私達は距離感バグ勢だから、別に至近距離に葵ちゃんが居ることに全く苦を感じることはなかった。顔を向き合わせて葵ちゃんに話しかけている今は鼻先と鼻先とが触れ合うくらいには近いけれども、葵ちゃんもパーソナルスペースに私を入れることに全く拒否感を感じさせていない。

 

「……そう、ですよね。サンデーライフに隠せるはずが無いですもんね」

 

「私も本調子ではないのは間違いないですが、葵ちゃんの方がやっぱり今日は変ですもん」

 

 そう言いながら私は尻尾を葵ちゃんの左脚に絡ませる。そして目はまっすぐ葵ちゃんの目を見て『逃がさない』ことを行動でも意思表示する。

 

 その全ての所作を抵抗なく受け入れた葵ちゃんはぽつりぽつりと話し始めた。

 

「……サンデーライフがレースに負けても心が折れることが今まで無かったのは『勝利への渇望』を育まなかったから。そして、それがコンディションの安定性に繋がっている……ということは以前お話しましたよね?」

 

「そうですね。……それが、なにかありました?」

 

「……だからサンデーライフ。あなたはメンタルが強い(・・・・・・・)のではなく。敗北でダメージが入りにくいだけなのです。

 そして――おそらく。あなたは根本的にはメンタルがそこまで強くない方、だと私は考えていました。

 ただ、普通のウマ娘とは違ってダメージが入るシチュエーションが限定されている、と」

 

 葵ちゃんの言わんとすることは何となく分かった。

 もしメンタルへのダメージが可視化できるとしてそれがHPのようなものだと仮定すると、私はその元々のHPゲージがたくさんあるわけでも無ければ、守備力みたいなパラメータが高い訳でもない。言うなれば『物理無効』みたいな種族特徴でずっとメンタルダメージを跳ね返していただけなのだ。

 そういう状態の私がいざ『魔法攻撃』みたいなものを受けたら一気に大ダメージが入るように、私は『落鉄』によって瞬間的に自己でも認識できないほどのパニック状態に陥っていた……という考え方である。

 

 だから、私がパニックになったのは『落鉄』という行為そのもの。これで自身のレースの発走を15分遅らせて色々な人に迷惑をかけたその想定外の事態で頭が真っ白になったことが原因であり、逆にそれによって『出遅れ』が引き起こされて『レースそのものに敗北』したことに対してのダメージはそこまで無いのだ。

 10着を取ったことについての原因は逆に明らかなのだから、私が今も若干本調子ではないのは『落鉄によって一度パニック状態を引き出された』ことに対する引きずりに近い。

 

 と、すると……。葵ちゃんのパフォーマンスが崩れている理由は。

 

「……もしかして、予想外の事態が起きると私が危ういってこと――気付いてました? 葵ちゃん?」

 

 私も気付いていない私自身のことについて、葵ちゃんが理解が及びつつもそれを伝えられなかったことへの後悔。それに思い至った。

 

「……近い、ですけど少し違います。

 私はずっと。サンデーライフが調子を崩すのであれば――『勝利』した瞬間だろうと考えていました。

 ……ですが、今更になって考えてみれば。貴方の以前の『勝利』には想定外の事態がよくセットで付いてきておりましたよね――」

 

 

 ――葵ちゃんの目線から見たときに、私が明らかに『崩れた』と感じた出来事が2回だけあったようである。しかもどちらも契約前のことだ。

 

 1つは、1勝クラスでの勝利――『三条特別』。あの時、私は1着で入線した後に確定ランプが灯らず『審議』ランプが灯った。

 そのすぐ後のアナウンスで、私の着順に影響しない審議であることが分かったが、その際に私は腰の力が抜けてへたり込んでいた。葵ちゃんはそれを映像で知っていた。

 

 

 となれば2つ目はもう明らかだろう。3勝クラスの『清津峡ステークス』の勝利である。これについては葵ちゃんも既に言及していて、

 

 ――勝って『やってしまった』という表情を浮かべる子なんて初めて見ましたよ。

 

 と彼女はその時の私のことを評していた。特にこちらは、メンタルにダメージが入った後の影響範囲が広く、シンボリルドルフにURAへの非公式抗議の直談判するに至っている。……確かに精神的動揺が気付かぬうちに様々な面に波及していた事柄かもしれない。

 

 しかし、障害未勝利レースでの勝利のとき、私はそうした精神的動揺を見せなかった。

 

 

「――だから。私は『克服できた』と判断してしまいました。Pre-OP戦で様々なことを抱えて背負っていたものを肩代わり出来たと思っていました。

 が、そもそもサンデーライフの精神にダメージを与えていたのは『勝利』では無かった――」

 

 私は葵ちゃんを抱き寄せた。

 葵ちゃんがこの上なく動揺したのは――『判断ミス』。

 

 私が完全に想定外の事態に弱いということを、葵ちゃんは見抜くことが出来なかった。……私自身も見抜けていなかったことではあるんだけどさ。

 でも、言われてみれば前走・ダービー卿チャレンジトロフィーでもその片鱗を見せていた。

 

 本当に私に悪影響を及ぼすのが『勝利』なら。きっとあの日、2着か3着かを決める写真判定で私の手は震えなかった。

 私の手が震えて緊張を見せたのは『写真判定』という行為そのもの。あのタイミングで起こるとは考えていなかった――それは確かに想定外事態であったと言える。

 ただ写真判定ということがレースを走っているうちにいつかは起こるだろうという考え、そして自分自身のケースではないものの阿寒湖特別で既に経験していたということがあったからこそ、あの時は軽微で済んでいた。また何よりレース後の話だから、そこで動揺したところでもうレースに悪影響を与えようが無い。

 

 

 そして、繰り返すがこれを葵ちゃんは『判断ミス』と捉えている。

 

「もしかして……葵ちゃん? この件で私がトレーナー契約を解除するとか、あるいはトレーナー不信になる……って思っています?」

 

「いえ……いえ! そういう自己中心的な話じゃなくて!

 もっと正しい判断が出来ていれば、今日のことを未然に防ぐことだって――」

 

 抱き寄せた葵ちゃんの顔を私の胸に強くうずめさせて言葉を無理やり遮った。

 ……まあ。その言葉に嘘偽りは無いだろう。葵ちゃんの後悔の大部分は、今日の出来事を防げる断片的な情報を見落としていたことにある。

 

 確かに、葵ちゃんも私も本来、究極的にはお互いに依存した関係ではない。……今日の距離感には目をつむって欲しい。

 だからこそ葵ちゃんがトレーナー契約の継続を望むことについて、それが『自己中心的』だと言うのも理屈は分からなくない。

 

 

 ――でもさ。

 聞きたい言葉って、それじゃないんだよね。

 

「――葵ちゃん、分かっています今の状況? いくら人との距離感に疎い葵ちゃんでも分かりますよね? この距離感が許されるのは――恋人くらいですよ?」

 

「……はい」

 

 葵ちゃんは頷いた。本当に小さな声だったけれども確かに頷いた。

 確かにお互いの距離感はバグっている。そしてこれを言った後でも葵ちゃんは脚に絡められている私の尻尾を払おうとはしなかったし、私の胸に顔をうずめていたままだった。

 

 ――お互い確実に認識した上で、友情としての一線は既に越えていた。

 

 

 確かに私達はずっと共依存の関係ではなかった。そう――そういう関係性では『無かった』。

 しかし、今。

 

 

 ……その関係性を再定義することは――可能である。

 

 葵ちゃんは私に抱きしめられたまま顔を上げる。視線が交錯する。

 

 

 ――そして。

 

「あはははははっ! ……まさか、サンデーライフから本当に愛の言葉を囁かれるとは思いませんでしたっ!」

 

「そういう葵ちゃんこそ! くくっ……あなたはトレーナーで大人なのに、担当からそういうこと言われてどうして何も言わないんですか! そこはビシッと言わなきゃダメでしょう?」

 

「私はサンデーライフにとってトレーナーじゃないですからねっ!

 ただの『葵ちゃん』ですし!」

 

「あー、開き直りましたね、葵ちゃん! でも駄目です! 私のトレーナーじゃなくてもミークちゃんにとってはトレーナーなんですからねっ」

 

「うぐぐ……痛いところ突きますね。ですがサンデーライフにとってのミークも遅かれ早かれ似たような感じになると思いますよっ!」

 

「――それ、同級生に告白された私に言います!? 葵ちゃん、デリカシー無いですねー」

 

 

 改めてここで関係性を再定義する必要はなかった。

 現実とは複合的であって。決して関係性というのは一意に決まるものではない。……前に私が考えた自論は今なお一緒。

 

 もし言葉に落とし込んだときに最も近いのが『友達』から『恋人』に変化していたとしても。それはあくまで外から見たときの『他者評価』に過ぎず。

 

 私達にとって『サンデーライフ』と『葵ちゃん』の関係性を再定義する必要は無かった。

 

 ドロドロの共依存関係にも望めばなれる位置に居ることはお互い分かっていたけれども、それはお互いに望むものではなかった。

 ……どうしてかって? それはすごく単純なこと。

 

 ――だって。私達は『順位』を目標にしているわけじゃないのだから。

 

 

 ……これは、ガチ恋の私の友達に告白されたときと一緒で。

 私達はお互いの関係性を『崩さない』ためになら、恋仲になることすら選択肢に入るだけ。

 

 ただその考えを私も葵ちゃんも持ってしまっていたというだけのことに過ぎず、そこにあるのはただひたすらに恋愛感情とは別枠の、言葉にすると陳腐になってしまうものであった。

 

 

「……葵ちゃん。

 あなたの考えをお聞かせください。私の次走……もう、決めているのでしょう?」

 

「ええ、まあ……私案はありましたが突然ですね……。ですがちゃんとサンデーライフの中でも考えてから決めて下さいね?

 今日の件も含めてですが、大舞台での経験を積むというのは……ええと、つまりですね。

 次走は――『宝塚記念』……どうでしょうか、サンデーライフ?」



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第55話 新たな線引き

 夜が明ける。

 起きたときに真っ先に感じたのは人肌の暖かさであった。ぽかぽかしてて気持ちいいなー……と目も開けずに寝ぼけながら考えていたら、頭を撫でられる感触がした。

 

「……葵ちゃん。おはようございます。

 でも、朝から人の寝顔を見て楽しむなんて趣味が悪いですねー」

 

「――いえ、すみません。こんなに至近距離でまじまじとサンデーライフの顔を見る機会があまり無くてつい……。

 あっ、それとおはようございますっ!」

 

 

 どうやら葵ちゃんの調子はいつも通りに……というか、いつも以上になっているように見えた。普段なら動揺するだろうなあ、って言い回しの私の言葉に対して照れも臆面もなく『見たいから私の顔を見ていた』という趣旨の発言をすることは珍しかった。

 

 もっとも、これに関しては私が全面的に悪いか。関係性に関して言えば変化は無いとはいえ、お互い恋人と言って差し支えないほど近いパーソナルスペースに入ってきても問題が無いことを証明してしまったのだから。

 ただ葵ちゃんは多分ハッピーミークが同じ距離感にあっても普通に受け入れると思うし、逆に言えば私だって別に友達と昨日みたいな距離感で寝ることがあっても多分平気だ。というか去年にアイネスフウジンの夏合宿にお邪魔したときに、普通にアイネスフウジンの抱き枕と化していたからこのくらいの距離感は日常茶飯事ではないけれど、全くの未経験というわけでもない。

 

 ……あ、でも。葵ちゃんの恋人になれば『葵ちゃんのヒモ』という形で私の『楽して生きる』目標は達成できるのか。元担当のヒモ娘って最悪の響きだけど。

 けれど、実際にそうするつもりって実は私の中にほとんど皆無なんだよね。

 

「葵ちゃん、調子はどうですか?」

 

「一晩寝たらすっごい絶好調になりましたっ!」

 

「でしょうね、私から見てもそう見えます。

 ……だからこそ。ちょっと線引きを改めてしておきましょう」

 

「えっと……? サンデーライフそれはどういう……?」

 

 私は間髪入れずにこう告げた。

 

「多分、私は葵ちゃんのことが好きです。

 ですが、別に葵ちゃんのことを恋人にしたいとか結婚したいとか、そういう気持ちって全然無いんですよね」

 

「それは……そうですね……。私もサンデーライフのことは大好きですよ? だから、そういう感情を私に向けてくれているというのは嬉しいです。

 ……ただ、それでもサンデーライフが『最終的な一線』を本当に越えようと思っていたならば、私は拒まなければなりませんでした」

 

 

 ……うわあ。つまり基本的に私の葵ちゃんに向ける気持ちは大体バレていた。しかも本調子でない状態にも関わらず、昨日お互いを破滅に導くような共依存関係に至るような行動はしない、とそこまで私のことを信用していたのである。

 何というか、うん。『トレーナーとかどうでも良い! サンデーライフ、結婚しよう!』って言われるよりも重い感情を向けられている感がある。

 

「葵ちゃん……その信頼は、むしろ愛を語られる以上に重いですよ?」

 

「――ですが、サンデーライフが私に向けている感情も、同じくらい重たいですけどね?」

 

「いやー……まさか『お互いに依存しない』ことが、こういう感じになっちゃうとは思いませんでした」

 

 

 私と葵ちゃんは共依存の関係には無い。

 ……ここまでクソデカ感情を向けていて、それはおかしいだろう? と思うかもしれないが、本当に依存していないのだ。

 

 共依存とは『お互いの存在が無いと生きていけない』ということ。今の私と葵ちゃんが即座に切り離されても、別にお互い自立してやっていけるところまで来ている。

 勿論、事務手続き的な引継ぎとかは別途で考える必要があるが、それさえ除けばきっとここで別離したとしても大きな問題は生じないだろう。

 

 しかし、そういう精神性にも関わらず私達はずっと一緒にいた。それもかなり近い距離感で。

 『依存』による関係でもなく。

 『利害』による関係でもなく。

 『特別に深い精神的な結びつき』があったわけでもない。

 

 でも私達は『サンデーライフ』と『葵ちゃん』としてずっと一緒にやってきた。何故か?

 ――お互いにあり得ないほどに大きい信頼を相互にぶつけ合っていたから。依存も利害も無い相手と共に過ごすには、信頼関係が必要不可欠。

 私達はその相互の信頼の強さが、下手をすると並のカップルの依存や愛情を凌駕する域にまで到達していたことになる。

 

 現に今だって、私の中に『葵ちゃんのために勝利を』みたいな気持ちは微塵も無い。そういう対価が必要なくとも葵ちゃんは傍に居る確かな『信頼』があるから。

 

 例えるなら、魔王討伐に出た勇者が初期のメンバーと長らく旅の苦楽を共にして育んできた信頼関係。最終戦闘で無条件で背中を任せられるくらいの関係性が、私達は『魔王』のような外的要因無しで形成されていたことになる。

 まあ強いていえば全世代バトルロイヤルは魔王と言ってもいいかもしれないが。

 

「だから葵ちゃん。1つだけ線引きをさせてください。

 ……もう契約解除したくない気持ちを『自己中心的』だって言わないでください」

 

 いつでも好きに別離できる関係性だからこそ、『別離したくない』と思う気持ちが自分だけと葵ちゃんは無意識に示唆していた。

 ……そう、考えられるのはイヤだった。私だって、葵ちゃんと離れたい訳じゃないことくらい葵ちゃんは分かっていたはずなのに。そういう言い回しは聞きたくなかった。

 

「――分かりました。

 でも、サンデーライフ。それ普通は察せない機微ですよ? 本当に恋人が出来たときにそれを相手に望むのは酷ですからね?」

 

「マジで恋人相手だったら、もっと乱暴に怒ったことをアピールしてイチャイチャ要求しながら直接すぐに言うか、『王子様』ムーブで聞きたくない言葉を事前に教え込むくらいのことはするので大丈夫ですー」

 

「……なんといいますか、サンデーライフに恋愛感情を本気で向けられなかったことに安堵していますよ私は」

 

 うわ、ひっでえ。葵ちゃんも言うようになってきた。遠慮がないのは別に構わないけど、それならそれで私もカウンターに転じる。

 

「……別になんでも良いですけど。ただ葵ちゃん、朝食を食べに行く前にシャワーはちゃんと浴びておいてくださいね?

 いや、私は別に全然構いませんが、そんなに私の匂いを付けたまま外に出たら他のウマ娘に誤解されますよ?」

 

「そ、そういうことは早く言ってください! サンデーライフ!

 いや、あなたもシャワー浴びるのですよ!?」

 

 結局居室のユニットバスを交互に使ってから、ホテルのラウンジで遅めの朝食をとることになった。

 

 というかむしろ朝から2人してシャンプーやボディーソープの香りがしている方が色々と邪推を生みかねないという事実に葵ちゃんは全く気付いていないようで。

 

「あ、あ、あの……王子様……? えっとデジたんの誤解かもしれませんので、一応! 一応、お伺いしたいのですがっ……!」

 

「アグネスデジタルさん、おはようございます。

 もしかして朝お風呂に入ったことですか? あー……実は昨日の反省会と次走をどうするかを葵ちゃんと一緒に話していたら、そのまま寝ちゃったみたいで……。

 ここの大浴場って朝はやっていないじゃないですか? だからシャワーだけ浴びて来たのですけれど……」

 

 嘘は言ってない。ただ本来必要な情報が全部抜けているだけで。

 ……いや、この場に居る全ウマ娘が気になったであろうことを聞きに来たデジたんは『勇者』だよ、本当に。

 

 なお、デジたんは私の『葵ちゃん』呼びの時点で結局昇天することになった。

 元々私のトレーナーの呼び方が特殊なのは知っていたけど、私の肉声で改めて聞いて死んだでしょ、これ……。

 

 

 

 *

 

 新幹線でトレセン学園に帰宅した。ウマートは適当に調子の戻った葵ちゃんに任せたのでどうなったかは知らない。

 トレーナー室に戻るとそこには休憩してぽけーっとしていたハッピーミークが居た。なので名古屋の水族館で買ってきた大きなベルーガのぬいぐるみをお土産として手渡しつつ、ハッピーミークにも昨日から今日の出来事を殆どすべて話した。

 まあ、話さない方が不誠実でしょこれは。

 

「……トレーナー。香港のホテル……全部1部屋で取り直して」

 

 まあ、それはそう。

 ただ同時に渡航1週間前の段階で3週間に及ぶ宿泊予約を全部変更するのは、すぐには葵ちゃんが頷けないことも私には理解できる。

 

 一応ダメで元々という感じで葵ちゃんは香港の宿泊ホテルまで国際電話をかけて交渉して……案外さっくりシングル2部屋からダブル1部屋への変更自体は出来るとの回答を頂いた。

 

「どうにも、先方も1部屋でも多く空くならそれに越したことは無い、と。結構乗り気でしたので……」

 

 あとは学園に宿泊プランを変更した旨を届け出る事由を提出する必要があるが。

 申請事由書の欄を眺めながら私は話す。

 

「こっちの書類は、あんまり搦め手は使わずに素直に『競走者本人の希望により』みたいなので良いと思いますよ。詮索されてもミークちゃんがそうしたいって意志を伝えれば良いだけですし、本人希望を却下する方が逆に書類を精査する側も勇気がいりますので」

 

 で、実際そんな感じの理由で葵ちゃんは書類を出したらしい。

 ひとまずは一件落着かな。3週間に及ぶ葵ちゃんとハッピーミークの生活が、この2人の関係性を変質させる可能性は気になるけど。

 

 そんなことを考えていたらハッピーミークに制服の裾を摘ままれた。

 

「……どうしました、ミークちゃん?」

 

「……香港行く前に……お泊り、する……」

 

「そうですねっ! サンデーライフもミークにちゃんと私にしたことと同じことをしないとミークが怒ったままですよ?」

 

 その葵ちゃんの言葉にハッピーミークは頷いた。

 あー……そっか。ハッピーミークから私への好感度も高かったね。だから私もミークと一緒に寝なきゃダメかー。

 

 でも流石にお互いにルームメイトが居る寮でどうこう解決することは出来ないので、外泊届を出して葵ちゃんの家のお布団で一緒に寝ることになった。

 

「……ミークちゃんは髪さらさらですよねえ」

 

「……もっと、撫でて」

 

 うーん。多分、私達3人の中で一番力関係が強いのはハッピーミークな気がしてきた。この子、一切照れないから基本的にノーガードのぶつかり合いになって、必ず私や葵ちゃんが根負けする。

 

 

 

 *

 

 さて。

 それから数日経って、葵ちゃんとハッピーミークは香港へと旅立って行った。定期的にWeb会議アプリを使ってトレーニング状況などを報告することにはなっているものの、香港チャンピオンズ&チャターカップが終了するまでは基本的に自主練習に近い形になる。

 そんな今の私には1個、宿題が課せられていた。

 

 それは。

 ――宝塚記念への出走の可否。

 

 

 あの、かきつばた記念の夜に葵ちゃんが言い出したGⅠへの挑戦は、私に大舞台経験を付けさせることが主目的だとその後のやり取りで明かされている。

 ただしいつものように最終的なレースの決定権は私に帰属している。

 

 まずは本当に宝塚記念に出るかどうかを決めないといけない。



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第56話 宝塚への道(1)――策士・『サンデーライフ』

 GⅠグランプリレースの宝塚記念、まずは基本情報を整理しよう。

 通常のGⅠには全世代バトルロイヤルになってしまって闇鍋状態になっている都合上、ネームドウマ娘が大量に出走してくる。むしろ知らない子の方が少ない、あるいは全員知っているなんてことすらあり得る。

 

 だから収得賞金の積み上げも結構な金額になっている子が多い訳で、何も考えずに『GⅠに出るか』とやったとて普通に除外される可能性のが高い。私がGⅠを避けているのは大量のネームドと戦いたくないってのはもちろんあるけれど、この除外されてしまうという側面もあった。

 しかしそれを解決する手法が1つある。宝塚の名前が出ている時点でもったいぶるつもりはないが、グランプリ競走――つまりはファン投票上位のウマ娘が出走できる制度を利用するということだ。

 

 宝塚記念のフルゲートは18名。だからファン投票上位18位までが出られる……というわけではない。ファン投票の枠は10枠。それ以外の8枠は外国ウマ娘に優先出走権が与えられ、残った枠には中央・地方のウマ娘の出走登録者で通常GⅠと同様の収得賞金の特殊な条件で奪い合うこととなっている。

 

 そして残った枠の奪い合いで私が勝てる見込みは全くない。だからこそ出走するのであればファン投票で上位10位以内に入る必要がある。

 

 

 というところで、今度はファン投票についての説明。

 これについては私の知る競走馬の宝塚記念ファン投票と制度が大きく異なっていたので、この世界におけるものを説明する。

 まずファン投票システム自体は『現役』の全競走ウマ娘が対象となる。だから投票自体はシンボリルドルフから今年の6月初頭にメイクデビューを終えたジュニア級ウマ娘すら対象となる。

 ただし宝塚記念自体の出走要件としてクラシック級、シニア級ウマ娘であることが必須要件となるので、仮にジュニア級の子が投票で上位に入っても出走することは不可能だ。そもそもデビューしたばかりのウマ娘に大量に票が集まること自体無いのでほぼ杞憂だけど。

 

 それに合わせてもう1つ。出走できる『上位10名』の選定方法なのだが、これについては単純に得票数の上から10人ではなく『宝塚記念に第1回出走登録を行った』ウマ娘の中の上位10名である点は注意が必要だ。

 例えばシンボリルドルフが抜きんでて投票1位だったとする。けれども彼女が宝塚記念に出走登録を行わなければ、その票は全部死票扱いとなる。史実ローテ以上に現役に居座る世界だからこそそういう事態が発生するのだ。

 あくまで、出走登録したメンバーの中で順位を争うのだけれども……ここでまず1つ問題が浮上する。

 

 宝塚記念はGⅠレースなので第1回特別出走登録は、レースの2週間前の木曜日が締切。レースは6月の第4日曜日にあるから6月第2木曜日に出走登録が出揃うと思って良い。

 しかし、宝塚記念の人気投票自体は5月中旬からのスタートだ。2度の中間発表を挟み、投票が締め切られて最終結果発表の日は――6月第2木曜日、同じ日である。

 つまりファン側は誰が出走登録をするのか最後まで分からない状態でファン投票が行われる。

 

 ただしこれだとウマ娘側も、出走しないのに沢山投票されて全部死票になるのは申し訳ないし、出走する子は逆に票が伸び悩むかもしれない。ファンとしても折角なら走ってくれる子に出来れば投票したいという考えを持つ人も居る。またURA的にも最終的に公表する順位は第1回出走登録を済ませたウマ娘だけなので、出走しない子に票が分散してしまうと公表した際の票数のスケールが小さく見えてしまう。

 それらの諸問題を解決するために、宝塚記念の出走登録をする意志のあるウマ娘がなるべく早期から『出走の意向を表明』することが求められている。

 

 あくまで慣例であり強制力のあるものではない。けれども暗黙の了解でのルールなので、既に第一線でバリバリレースに出なくなった生徒会の面々のような年に1、2回しか出走していない層が、宝塚や有に出走する場合は、事前表明しないと人気や知名度ほどには票が集まらない可能性が生まれる。

 一応シニア級1年目とか2年目とかでレースに頻繁に出走している子であれば『この子はまだ出走の意思を見せていないけどワンチャンあるかも』って形で票が入ることもあるけれども、確実性を期すためには『宝塚記念に出たい』と思った段階で意思表示をするに越したことはないのである。

 

 何故なら意思表示の有無によらず、第1回出走登録をしなくてもペナルティがあるわけではない。

 もっと言えば、第1回出走登録を出した上で最終結果が公表されて順位が確定した後であっても、何らかの事情で第2回出走登録を出さないで出走回避することも可能だ。なおファン投票10位以内のウマ娘の中から出走回避者が出た場合11位以降のウマ娘が順次繰り上げ出走となる。

 だから仮にファン投票100位であっても自分より順位が高かったウマ娘90人が回避すれば出走は可能となるシステムなのだ。

 

 

 そして、これがきっと史実のグランプリレースとの最大の相違点なんだけど。

 

「――住民基本台帳と照合して、インターネット投票で打ち込まれた情報と比較して多重投票を防止する……。そこまでやりますか……」

 

 ウマ娘世界においてレース興行とは、国民的一大行事でもある。久しぶりに資料室に籠って投票システムについて興行規則を見直したら、普通に春秋グランプリが国家事業レベルのものになっていた。

 まさか住民基本台帳との連携までやるとは……。アイドルの総選挙イベントみたいに投票券付きグッズを売る、とかでも良かったはずなのに、それを行わなかったのは、財力で解決できないようにするためなのだろう。

 競走ウマ娘の実家って結構太いところが多いから『うちの娘の投票券1000億枚買い占め!』みたいなことを防ぐ意味合いもあるんだろうね、これ。私がGⅠにあまり出たがっていないからアレだけど、GⅠは本当は出走できるだけでも大変名誉なことではあるからねえ。それがお金で買えるのであれば、強行突破する家が出るというのはおかしな話でもない。

 

 後はお金で解決しないようにしているのは、曲がりなりにも学生アスリートであるという点も関わっているとは思う。まあ賞金は出ちゃっているんだけどさ。

 

 本来『競馬』の元締めは『農林水産省』である。一応馬産って畜産関係に位置付いているという解釈だから。でも、ウマ娘は基本的人権が認められた『ヒト』なので『農林水産省』がレースを管轄する理由が消失している。

 では、どこがURAを外郭団体に収めているのかと言えば――『文部科学省』なのだ。スポーツ振興を担うスポーツ庁が傘下にあったりとかオリンピック関連の委員会と連携するのもココだから納得ではある。

 

 そして『文部科学省』後援の下でレースを行っているからトゥインクル・シリーズとローカル・シリーズ双方のレースの出走条件に『トレセン学園』所属が必要要件となるのである。

 だからこそシンボリルドルフが生徒会長であって、社会人やプロスポーツ選手ではないところにまで結びつく話なのだ、これ。あくまで学生スポーツの拡大解釈でレースを興行しているのだ。

 

 ……まあ。そうは言っても、住民基本台帳の管轄省庁って総務省だからこの世界の春秋グランプリが省庁横断事業であることには変わりないんだけどさ。

 

 

 ちょっと話が逸れてきたので軌道修正。

 ともかく宝塚記念に出走するなら、今の時期から出走意志を表明した方が良いのは確かだ。来週からもう投票期間が開始されるのだから。

 

 ただし。

 絶対勝てない、入着も無理だろう。

 

 内々で宝塚記念への意志を聞いていたメンバーとしてまずアイネスフウジンとメジロライアンが居て。

 既に記者発表を行っているのが、まず天皇賞春で勝利を飾ったメジロマックイーン。映像見てたら春天に勝った勢いで言っている感があったけども。

 そして、テイエムオペラオー。オペラオーは春天をマックイーンに獲られての2着になりこの世界線ではグランドスラムの達成が不可能になっている……いや、流石に全世代居るし。

 他にもグラスワンダーとかアグネスタキオンなんてビッグネームも出揃っていて、最早お祭り状態だ。しかも、今後出走表明をするウマ娘はもっと増えるだろう。

 

 というか、そもそもまず人気投票で投票数を集められるかが問題だ。確かに私は月刊トゥインクル増刊号で特集記事を組まれたりしたけどさ、相手にするのは重賞勝利ウマ娘とかGⅠウマ娘ばっかり。

 

 だからこそ、葵ちゃんから言われた『大舞台経験』というのは、実際のレースにおける駆け引きだけではなくて、この人気投票における事前の盤外戦術も込みでの話。

 言うまでもないことだが、1ヶ月以上前に出走の意志表示をするということは、それからずっと私は『宝塚記念に出走するウマ娘』としてのプレッシャーを受け続けることとなる。学園内で応援されたりとか、『サンデーライフに票を入れる』と宣言されたりして、私はそういった声援と票の重みを背負うこととなるだろう。

 

 そういった状態でトレーニングや日々の生活を行うことで、メンタル面に負荷をかけることが葵ちゃんの狙いの1つなのだ。だから極論を言えば宝塚出走はできたら儲け物、程度の考えである。

 

 ただ、人気投票開始前に意思表示をするのであれば、ハッピーミークと葵ちゃんは香港遠征中であるため、葵ちゃんから受けられるサポートは限定的だ。

 記者会見などは中継を繋いで対応するにしても、細かい作業は自己対応になると思う。

 

 ……と。そんなところだろうか。

 勝てないレースは今に始まったことじゃない。でも、どういう面子になるにせよ善戦することすら極めて厳しいレースが待ち受けている。

 

 この宝塚記念に対して特別な思い入れも無い。……アイネスフウジンが初詣で一緒に走りたいと言っていたくらいかな。ある意味いつも通りだよね、私のレースとしては。

 

 ――いつも通りと言うのであれば。

 出走意志くらいは、見せてみようか――宝塚記念に。

 

 

 ……まさか、GⅠレースをメンタルトレーニングのために利用することになるとは思わなかったなあ。

 

 

 

 *

 

「――ということで、私は宝塚記念に出走いたします。

 私からは以上となります」

 

「サンデーライフさん、ありがとうございます。では記者の皆さんから質問がある方は挙手をお願いいたします」

 

 数日準備して記者会見を開いた。TVカメラも入れているが、生中継を行いたい報道機関は断った。あとは以前から関わりのあるところしか認めていない。

 かきつばた記念以降のクールダウンは、名古屋の病院での検査結果待ちなどもあってちょっと様子を見て長めにとっていたために、記者会見調整にがっつり時間を使うことが出来た。

 葵ちゃんもWeb会議システムの映像をモニターに繋いでの参加である。これを踏まえると近場の香港で本当に助かった。時差が1時間しか無いからね。

 

 で、1人の記者が当てられる。

 

「月刊Umateenです。前々走のダービー卿チャレンジトロフィーでトゥインクル増刊号さんが収めたウイニングライブ後の写真のグッズ化は検討されておりますか?」

 

 えー……。いきなり予想外の質問が来た。月刊Umateenって確かファッション誌だったよね、ウマ娘10代向けの。

 まあ私の懇意にしている出版社ってレース専門誌だけじゃないから、こういう質問も来るかあ。

 ……真面目に答えておこうか。

 

「……URA公式からの発売に関しての情報は特にございませんが、現在複数のグッズショップとライセンス生産の契約は締結済です。私の口から具体的な企業名は挙げられませんが、当該の企業コーポレートから情報を開示しているところもあるかと思いますので、具体的な生産時期等につきましてはそちらへ取材して頂けると助かります」

 

 

 その勢いで次の質問を受け付ける。

 

「週刊文芸の友です。先ほどの月刊Umateenさんの質問と関連するのですが、トゥインクル増刊号さんでの特集記事のタイトル『ウマ娘のフェリスミーナ』について、こちらはサンデーライフさんからの指定のタイトルでしょうか?」

 

 あれ? もしかして、これ宝塚記念に向けてのインタビューというよりかは、今までインタビューを謝絶していたから、聞きたいことを聞く場になってしまったか? という考えが一瞬頭をよぎる。

 今の質問者は文芸誌だし『ダイアナの七冊の本』についての教養が私にあるのかを聞きたいということだろう。

 

 悩んだが、これも素直に答える。

 

「タイトル自体は月刊トゥインクル増刊号さんの方から提案されたものですね。ですが私と桐生院トレーナーで事前に記事の内容は確認しておりました……タイトルも同様です。

 ただおそらくその題材の元になっております『ダイアナの七冊の本』については、お恥ずかしながら私は読んだことはなく、そちらの桐生院トレーナーからご教示いただきました」

 

 

 ……次の質問。

 

「――ファン感謝祭において、皇帝・シンボリルドルフとともに『ウマ娘ボール』を行っておりましたが。あれはどういった御存念だったのかお聞かせ願いますでしょうか?」

 

 ……なるほど。ようやく――分かった。

 今の質問者は雑誌名も出版社名も一切名乗っていない。こういう場で名乗らないのは本来無礼にあたるけれども……質問者を一瞬見やって確信に至る。

 この人物は私が混ぜたサクラ(・・・)の人員だ。本来は別の質問を適切なタイミングで投げさせるために記者の中にこっそりと入れていた……つまり、情報操作用の人員であったけど、その彼が独断専行を行ったということは今の流れが極めて好ましく、このまま継続した方が良いという合図であった。

 

 としたときに。先の質問を振り返ると、全然宝塚記念に関係は無いが、一方で私や葵ちゃんのイメージアップ戦略に使えるような受け答えばかりだ。実際書面でとはいえ私とやり取りしている記者なのだから、これくらいのことは聞かなくても分かっているはず。なのに敢えて聞いてきたということは『TVカメラの前にサンデーライフの別側面を映すこと』が狙いなのである。

 そもそも私が談合して集めた記者団である。その記者団同士で更に談合する可能性だってあるよね。

 

 

 ――としたときに記者らが映したい『サンデーライフ』のイメージは理知的なもの。……それがなまじ虚像ではない辺りに凄味を感じるよ。

 私としては本来狙っていた情報誘導の形とは異なるものの、これはこれで都合が良い。少なくとも、メディアが私を宝塚記念の舞台まで押し上げたいと考えてくれているのであれば、私はそのプロフェッショナルの宣伝戦略にただ乗りするだけで良くなった。

 

 

 ……であれば。

 

「『ウマ娘ボール』をシンボリルドルフ会長とともに執り行った意図として、まず会長の真意を先にお話しいたしますが――例年のファン感謝祭は盛況なれど国外文化発信という側面やウマ娘伝統の競技に関してやや脆弱性がある、と伝え聞いておりました。

 当該の競技は『ポロ』と呼ばれるヨーロッパにおける国民的ウマ娘球技から、アルゼンチンにおいて分化発展した独自のものです。まずはその要件を満たしていたとともに。

 『ウマ娘ボール』の競技組織はURAとも緊密に連携しておりまして引退した競走ウマ娘を積極的に受け入れております。そうしたセカンドキャリア支援の一助になれば、と思い新たに新設する運びとなりました。

 ……恐らく、この辺りは今年のファン感謝祭の記事を書いた記者さんの方が詳しいと思いますけどね?」

 

 

 ……そこで軽く笑いが起きて。先の報道機関側の逆スパイであったサクラ(・・・)の人員が、続けて質問を行う。

 

「……なるほど! そのように神算鬼謀の熟慮を有するサンデーライフさんが、初のGⅠ出走――ということは、何か狙いがあるのですね!?」

 

 

 ここは自信満々の即答が必要な場面。だから一切の迷いなく言葉を紡ぐ。

 

「勿論、非才ながら少しばかり宝塚記念に出走意向を示したことについて理由はあります。……ですが、その中身についてまではご勘弁ください。

 ご存じかとは思いますが、私はいまだオープン戦未勝利のウマ娘であるのです。アイネスフウジンさんやセイウンスカイさん、あるいはダートではスマートファルコンさんなどの海千山千の強敵を相手にしてきている以上、所詮は『弱者の兵法』に過ぎない私の考えをこの場で明かしては……勝負にすらならないので、ご理解頂ければと思います」

 

 この記者会見は翌日の情報番組にてしっかりと全国ネットで報道された上に、数分の枠をつかって私がこれまで出走したレースを『レースのご意見番』みたいなおじさんが解説してくれた。まあ殆ど的外れだったんだけど、それはそれ。

 私だって対戦相手の意図をよく読み外すし、葵ちゃんだって無理なのだからしょうがないことではある。

 

 大事なのは。

 今までレース関係者周辺にしか伝わっていなかった『策士・サンデーライフ』という偶像が、一般大衆に向けても新たに誕生した――ということである。



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第57話 宝塚への道(2)――票読み

 GⅠレースである宝塚記念に出走にあたって準備することとはなんだろう。

 

 勝負服のデザインを考える?

 あるいは、宝塚記念のウイニングライブ曲『Special Record!』のダンス練習?

 それとも、新たな秘策のための秘密特訓とか?

 

 うん、いずれも大切なことではあると思う。

 しかし、それらはすべて出走できないと全部水泡に帰す努力だ。

 

 最も肝要なのは、ファン投票10位以内を狙うこと。ないしは11位以下でもなるべく高順位に付けることで他ウマ娘の出走回避による繰り上げ出走を狙うことだ。

 

 だから優先順位としてはファン投票対策が上に来るのである。まあ葵ちゃんが帰ってきたら他のことも検討事項になるが。

 

 そして。やるからには私は本気で挑むことにした。

 だからこそ。私の次なる一手は自ずと決まっていた。

 

 それは。

 ――票読み、である。

 

 

 

 *

 

「……うっわ。サンデーライフ、マジでこれやる気? ちょっと、えぐいって……」

 

「――だから言ったでしょう。あんだけ守秘義務ガチガチに縛って、友達相手でもちゃんとお給料の支払いするって言ったんだから。

 ……どうしても、今は人手が必要なの、お願い!」

 

 まずクラスメイトを含めたお友達から10人くらい選抜して、ファン投票の私陣営のスタッフとして臨時雇用する。

 お手伝いではなくちゃんと雇用契約を交わしているためアルバイトとしての賃金がしっかり発生する。トレセン学園自体は許可さえ取ればアルバイトは可能だ。他ならぬアイネスフウジンがバイト勢だしね。

 だからこそ、学園提出書類から全部ひっくるめてこっちで負担する形で友達を雇った。最初はタダでお手伝いするよ、と言っていた友達も『守秘義務違反の場合は最悪法的措置に出る恐れがある』とか私が説明したら、そこにお金のやり取りを発生させるだけの必要性があることを薄々ながら察したようであった。私としても強制するつもりは無いし、今なら引き返せるって何度も説明した上でここに居る面々は残ってくれたから素直に助かる。私のガチ恋勢のお友達も残ってくれていた。

 

 そんな10数名のお友達を葵ちゃんのトレーナー室へと案内した矢先の感想が先の言葉だった。そもそもトレーナー室に他のウマ娘を入れるってこと自体が、かなりのイレギュラー事態ではあるが、そこに私が準備したものに驚いているようであった。

 

 まず壁掛けの大きなホワイトボードを埋め尽くすような巨大な日本地図。

 次に市町村別の人口データの冊子が47都道府県分。これは総務省や地方自治体が一般に公開しているやつ。

 そして過去5年分の宝塚・有のURA公式の投票データ。中間発表分も集めてきているが、しかし一方でこれは全体集計なので都道府県別の傾向などは分からない。

 

 だからこそ、最後に大手メディアの予想データと、同じく過去5年分のアンケート調査データを重ねる。アンケート対象者の母数こそ心許ないが複数社が独自調査でやっているようなので、重ねることでデータの傾向を掴む。

 

「こっちは、新聞とか紙媒体になっているデータを表計算ソフトに打ち込む仕事ね。既に雛型は作ってあるから、ただひたすらに数字をぶち込む単調作業なんだけど……。

 実は、もう1つあるんだよね。むしろそれの方が本命と言うか……」

 

 後ずさる音が聞こえたが気にせず続ける。

 

「ウマッターでもウマスタでも良いんだけど、SNSを見て特定の宝塚出走ウマ娘に関して呟いている人のデータを集めて欲しいんだよね――」

 

 例えば、出走しますと宣言した子が居たとして、その宣言後にどういう人がその話題に言及しているのかを調べ上げる。

 調べると言っても、そんなに難しいことはしない。アイコンを何にしているとか、bioを見たりとか、直近のウマートを漁って何となく印象を探る程度。ただしそれを1話題につき100人単位――それを最新順に適当に抜粋したものと、ウマいねやリウマートが多い求心力の高いアカウント別にしたものと、でまとめていく。

 勿論、分からないなら分からないで情報に入れる。そうすれば、この子のことをウマートする層は匿名性が高いとか、そういう方向性が掴める。

 

「それに合わせて1人、2人で良いんだけど、ただひたすらにネットニュースや動画サイトとかを巡回して宝塚記念関連の最新ニュースを拾い続けてSNS班にチェックする内容を伝達する係も欲しい……って感じかな?」

 

 それらのデータを集積していって出走表明したウマ娘陣営ごとに、どういった層、地域、年齢、性別等の受けが良いかをまとめていくことで『中間層』をあぶり出すのが目的だ。

 その傾向を見た上で、私は情報発信を既存のファンへの強化へ向けるのか、中間票狙い撃ちを企図するのか、あるいは他の支持層の妨害を狙うのか決定する。

 

 

 ……こんなことをしなくても『王子様』人気で何とかなるんじゃないか、って?

 

 うん。それは友達にも言われたが、実際にこの作業を始めてから彼女も意見を覆さざるを得なかったのだ。

 

「――サイレンススズカ先輩が、自身のオフィシャルサイトにて宝塚記念出走の意向を示したことが話題になってるよ! スズカ先輩のチェックする人員を追加して!」

 

「キンイロリョテイ先輩の出走表明で、北海道票に変動がありそうです!」

 

「……ちょっと! ゴールドシチーさんが、テレビ番組の番宣枠で宝塚記念への投票を促してトレンドに入ってる……!」

 

「オグリキャップさんも出走表明!? ……待って、それで去年の有がクローズアップされて、そこに出走していたウマ娘への注目度も上がってる……! オグリさん去年、有優勝したからなあ……上位に食い込むよね……」

 

 

 ――大なり小なり何らかの形で『宝塚記念』に出たいという意志を見せたウマ娘は、ファン投票開始日までに私達が集計できた中では132人。当然、この時点で意志を表明しなくても構わないし、出るか否かという意味での判断は実際の出走登録まで分からないが。

 

 ただこれでも限られているとはいえ132人全員をチェックするのは無理なので、その中でSNSにおけるバズり方やメディアでのクローズアップのされ方等で人気なウマ娘の情報収集にシフトした。

 そして私の最初の記者会見での出走表明よりも、大きな話題性を産み出した子は現時点で――19人。

 

 

 

 *

 

「いやー……こうして見てみると壮観だねえ。サンデーライフがやりたがった理由も今ならちょっと分かる気がするよ」

 

「あはは……、流石にこの作業は1人2人じゃ実現できなかったから、皆が居て本当に良かったですよ」

 

 とりあえず分かっていることを何点か。出走表明をしている子でクラシック級のウマ娘からは目ぼしい子は出てこない。だから、ここでのトウカイテイオーやディープインパクトとの競合はほぼ皆無と言って良い。それは素直に助かった、枠が減るし。

 

 まあ一応『宝塚記念に出たい!!』って言っている子の中に『ツインターボ』って名前のクラシック級ウマ娘が居たけれど、彼女はまだまだ大逃げウマ娘として大きくクローズアップされていないから知名度も高くはない。

 青葉賞でボロ負けした後にIFローテで白百合ステークスに出走登録していた上、宝塚の1週後のラジオNIKKEI賞にも出るつもりみたいな話も混ざっていたので、ローテーション的に宝塚には出てこないと思う。というかトレーナーが止めるでしょ、流石に。

 

 だから相手となるのはシニア級ウマ娘だが。これがもう錚々たる面々でしかない。他のウマ娘たちを上回る人気を見せているのが一昨年の覇者であるサイレンススズカ。

 昨シーズンより米国遠征をしていたサイレンススズカが久しぶりの日本レースの出走意向の表明を見せたことでお祭り騒ぎになっている。

 オフィシャルサイトの声明では『本人希望であるが、8月に米GⅠレースも控えているので、体調面などあらゆるリスクを考えて実際の出走は慎重に判断する』というかなり消極的な発表ではあったものの、やはりサイレンススズカ人気は圧倒的であった。

 

 

 そして圧巻と友達が言ったのは歴然とした地域格差である。まとまってきたデータを眺めて私が声に出す。

 

「分かってはいましたが、費用対効果を考えますと都市圏へ注力した方が良いですね……。票の重みを同じにしてしまったが故の明確な欠陥です」

 

 直接投票制一発勝負の最大の欠陥である死票の多さ。それが地域格差としてモロに出ていた。政治の方の選挙制度のように選挙区制とかで色々と是正しているそれが無い以上、1人1人の票が完全に平等である一方で、特定地域に宣伝広告を行うのであれば人口密度の高い地域を狙い撃ちするのが明らかに得となる。

 

 そしてインターネット投票である以上、SNSの寄与度は大きいが欠点も内包している。ソーシャルメディア利用勢の方がインターネットでの投票への抵抗感が薄いので『投票率』は高い一方で、大衆迎合するファンと固定のウマ娘一点型投票するファンとに二極化しているために、宣伝効果が大して見込めないのである。

 

 一応大衆迎合の層は浮動票にはなるんだけど、その殆どが話題性が段違いのサイレンススズカに持って行かれる……ないしはもっと知名度の高いところにぶち込んでそのまま無効票と化すかのどちらかであると予想される。そしてSNSは激戦区な上に、他のウマ娘の参入障壁もかなり低いために、主戦場とするのには心許ない。

 

 

 では、どこが狙い目か。

 これは私も全く予想外であったから本当に調べて良かったけれど、確かに言われてみればという盲点を突いた浮いている票があった。

 

 

 ――12歳以下の小学生以下の子どもの投票権。

 人口で言えば約1000万人居るこの世代が、今までのファン投票で目を付けられていなかった。

 

 

 どういうことかと言うと、この世代には『両親の投票先と全く同じ』ウマ娘に投票する傾向がみられた。正確に言うのであれば『同一世帯の投票先は年齢が低いほど年長者の投票先と重複』するということ。

 

 多分これが指し示す情報は、投票の手続きを親と一緒にやっているということ。ないしは親が「ウチは、家族全員スペシャルウィークに入れるけど良いよね?」みたいな形でウマ娘レースにそこまで興味の無い子どもの票をスポイルして投票に持ち込む可能性。特に赤ちゃんであっても1票は1票なのだから。

 

 翻って今の私の支持母体というのは最大規模のところが『10代女子』である。まあ『王子様』だしなあ……。それと『年下王子』という概念で20代以上の女子や主婦層に対しても一定度合いの人気を掴んでいるけれども、その主婦層支持を基幹として、ファミリー層人気まで押し上げる……これが私の取り得る宝塚ファン投票戦略であろう。

 

「――となると。私の知り合いで支持層が被らなそうなのは……アイネスさんか。ゴールドシチーさん辺りだと流石に芸能界人気で食われかねないし……その点、アイネスさんはお姉ちゃん属性だから私と方向性も全然違うから……いけるはず」

 

 

 やっぱり友達はドン引きしてしまっていたが、そういう戦略の下でアイネスフウジン陣営のところを訪ねると、

 

「サンデーライフちゃんが、やっと一緒に走ってくれるの!」

 

 と、喜び抱き着かれる。でも、言っておかなきゃならないことがあった。

 

「……でも、アイネスさんはともかく私は収得賞金では絶対通らないので、一緒に戦うにはどうしてもファン投票で上位にならないといけないのですよ……ね?」

 

 これを言った瞬間に、アイネスフウジンのトレーナーさんは溜め息を吐きつつ頭を抱えた。……まあ、明らかにアイネスフウジンを利用しようって魂胆を隠しもしていないからね。

 

「ひえーサンデーライフちゃんが怖いー……あたしに何をさせるつもりなのっ!?」

 

「ノリが良いですね……アイネスさん。

 ……実は清涼飲料水のCMのオファーが来てまして……アイネスさん、一緒にやりません?」

 

「――サンデーライフちゃんと一緒にCMデビューできるの!? やりたいやりたいっ!」

 

 メディア側の売り出したい戦略と私の思惑が現状完全一致しているため、この手のお仕事のオファーがびっくりするくらい簡単にやってきているのだ。ついでに言うと、私の人気が必要となるのは宝塚記念までの一過性のもので構わないので、短期間でかつ締切がギリギリのオファーの在庫処分も兼ねている点も踏まえると、やっぱり組織の力って凄いなあと思う。CM撮影なら長くても半日のスケジュールで何とかなるってのも大きい。

 

 アイネスフウジンのトレーナーさんも、私の方が明らかに見返りが大きいものの本人がやりたがっている点も鑑みて、トレーニングに支障が出ないレベルでなら、という形でしぶしぶ同意してくれた。

 

 

 ――そしてこのCMの撮影後には、私は朝の情報番組にゲストで呼ばれてCMの制作秘話をちょっと話して、宝塚記念への投票を呼び掛けたりして、メディア路線でのスタートダッシュを決めたのであった。



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第58話 宝塚への道(3)――勝利とは(4)

 今年の宝塚記念ファン投票の第1回中間発表は、投票開始から10日後。

 具体的に言えば5月第3月曜日からスタートして、その翌週の木曜日に第1回中間、更に月を跨いで6月第1週の木曜日に第2回中間発表と刻んでいき、第2木曜日に最終発表となる。

 

 そして最終結果発表と同時に、第1回特別出走登録の締切もやってくる。もっとも出走登録に関しては締切間際ではなく事前に出してしまうつもりだけどね。

 

 なお実際の宝塚記念のレースはその最終結果発表から更に2週間後というスケジュールになっている。

 

 そして細かいことになるが、中間発表時にはまだ出走登録が出揃っていないので、絶対出ないだろうなあってウマ娘たちの名前も入ったランキングが出てくる。公表されるのは上位100名まで。

 

 その第1回中間までに私が出来た行動は、先の記者会見による話題性と私のこれまでの出走レースの見直しが全国ネットのテレビ情報番組で放映されて、レースのご意見番みたいな人から批評を頂いたのが1つ。

 そしてアイネスフウジンと一緒に清涼飲料水のCMオファーを受けたこと。そのCMもこの第1回中間に間に合うように仕組まれているので既に放送されている。またその上で私は朝の情報番組にゲスト出演してCM制作秘話とともにちょっとだけPRの時間を頂けた。

 

 ここまで見ると大手メディアが完全に私のバックアップについているわけだが、これには当然理由がある。

 その理由とは、最も根源的なところまで辿れば私の主な優勝歴が3勝クラスの『清津峡ステークス』でありオープン戦以上の勝利が存在しないということ。

 だから『王子様のシンデレラストーリー』という筋書きを用意しやすく、しかもその裏には『等身大のサンデーライフ』であったりとか『策士』としての一面だとかを散りばめやすいというのが1つ。勿論オープン戦で優勝歴が無い宝塚出走希望ウマ娘は居るけれども、そうした同じ境遇の子の中では私の知名度は高いというのも話が作りやすい要因になるわけで。要はかける手間の費用対効果が良いウマ娘、ということである。

 

 しかし、それはあくまで手法を簡略化できるという副次的な理由に過ぎない。

 真の狙いは、私が重賞未勝利であることから『URA公式からグッズ展開されていない』という点――ここである。単純なレース戦績では実績不足なのに、本人知名度だけ先行している歪なこの状況そのものこそが肝要なのである。

 URAは良くも悪くも堅実だ。だからこそ単純な人気ではなく実績を鑑みてグッズ販売を行っている。

 基本はしっかりとしていてグッズ化に一定の戦績や収得賞金等の指標を設けて、ファンからの『どうして推しがグッズ化しないんですか!?』という不毛なお問い合わせに対応できるようにしている。

 

 と、同時にヘイトが一点に集中しないように、ライセンス生産を認めてグッズの外部委託制度自体は整えているため『公式から出なくてもどっかの企業がやってくれるなら契約さえしてくれれば良いよ』というスタンスも取る2段構えになっている。ここまでが前提。

 

 

 そして私も外部の民間企業からグッズ展開は既になされている。

 ……言い方を変えようか。私のグッズは民間企業からのライセンス生産品が100%である。だから私が活躍したり有名になることで儲かる企業の割合というのは、他の同程度の知名度を有するウマ娘と比較すると群を抜いて高いわけで、つまりは『私の人気』とは『利益率の高い商品』なのだ。

 だからこそ、本質としてはその辺りの仕組みを的確に把握しているであろう『広告代理店の意向』という側面は確実に介在する。そりゃ全面的に味方にもなるよ。

 

 それにこれは基本的には良いことである。まだ誰も私にまつわる利益で利確を行っていないので、現状においては下手なゴシップを報道機関側で差し止めることすら自動で行ってくれる。今この時点での醜聞はメディア側にも多大な不利益として降りかかるのだから。

 

 

 ……まあ私で稼げなくなったら、一気に話は変わるかもしれないけどさ。少なくとも現役期間中はその心配は薄いし、最終的には『劇的な引退』あるいは『結婚』みたいな形で『偶像』としてきちんとオチを付ければ、それ以上追及するとメディアの方が今度は大炎上するから逃げ切りは何とか出来ると思う。結婚の場合、相手はどうするんだって話はさておいて。

 

 

 閑話休題。

 ともかく、1週間はあっという間に経過した。その間、学園内では定期的に私のガチファン勢から応援の声援を頂いていて、ちょっとしたファンサービスを返したりもしたけども、これは別に大勢に影響は無い。あ、トレーニングもちゃんとやってるよ。ほぼ自主練だからあんまり負荷はかけてないけど。

 ともかく第1回中間発表の結果が公示された。

 

 

 結果は――48位。

 

 あんだけ色々やらかしているはずなのに想像以上に低い! って思うかもしれないが、これは『全現役競走ウマ娘』の名前が入ったランキングである。

 だからシンボリルドルフとかマルゼンスキー、ミスターシービーみたいなレジェンドクラスから、スマートファルコンのようなダートウマ娘、そしてローテ的に出てくる見込みの無いクラシック級のディープインパクトとかもランクインした上での48位だ。うわ、障害ウマ娘も居るし。

 

 なのでそうしたノイズとなるウマ娘を除いて、現時点で宝塚記念に出走を表明しているウマ娘だけで再集計を行ったときの順位を見れば――17位だった。

 

 正直、大健闘ではある。私より上には重賞ウマ娘しか居ない……というか主な優勝歴として挙がるレースがGⅡ、GⅢである子すら少数派だ。ほぼGⅠウマ娘ばかりが名を連ねているのだから。唯一の例外がキンイロリョテイってレベル。

 ただ10名分しか宝塚出走の枠が無いことを考えると、もっと上を狙っていかなければならない。

 

 

 そして改めてここまでの中間発表結果を分析すると。

 例年通りのことではあるが、やっぱり票の分散がすごい。これはこの投票を『好きなウマ娘に投票するイベント』と考えている層が一定数居て宝塚記念の出走枠のことなんて度外視してとにかく自分の推しに入れるぞ! ってムーブをしているファンが結構多いことを示している。それらの票は実際の出走枠確定の際には全部死票となるので、下位から上位を狙う分にはむしろ分散は望むところである。

 

 というのも宝塚に出てくる見込みが無いのにシンボリルドルフなどに入れるファンは、基本的につよつよウマ娘に票を入れたいという心理があるはず。だからそうした死票がもし有効票になるとしたらそれは出走意志表示組の中でも強いウマ娘に対しての票になり得る可能性が高いことを意味しており、おそらく私の票数増加にはあまり寄与しないためだ。だからそうした『潜在的敵性票』は極力死票になるところに集めておいた方が私には都合が良いのである。

 

 そして、全体でも1位に君臨しているのはサイレンススズカ。やっぱり『アメリカからの久しぶりの凱旋か!?』というネームバリューが大きすぎる。レジェンド組からも抜きんでた彼女に更なる票が集まることも私としては好ましい。

 10位以内を狙うことこそが肝要なのだから、1位が2位以下の票を吸うことについてはむしろ大歓迎なのである。それだけ下が混戦することになり、私にも一発のチャンスが訪れるので。

 

 

 

 *

 

 次なる一手も、これまたペアを組んだアイネスフウジンとともにであった。

 今度は平日のお仕事なので授業を休む形になるため、清涼飲料水CMのときのようにけしかけるのではなく、きちんとトレーナーとあと家族にも相談するように言ったが、最終的にアイネスフウジンも出演オファーを受けた。

 

「みんなー! よろしくなのー! ほら! サンデーライフちゃんも!」

 

「あ、よろしくお願いしますね」

 

 どこに来ていたかと言えば私立の小学校。小学生に競走ウマ娘の走りを見せつつ、遊びながらちょっとだけ走りを教えるみたいなもの。夕方のニュース番組の特集みたいなので10分20分くらいの時間を割いてくれるらしい。

 

 で、この小学校。ウマ娘も人間も混成の小学校である。今日はそのうちの1つの学年……確か5年生の2クラスの合同授業にお邪魔しているというわけだ。後、ついでに女性芸能人のリポーターさんが1人付いている、その人はウマ娘ではない。

 ――ぶっちゃけ、パッと見ただけで分かるくらい熱量に差がある。多分『総合』の授業時間を使った特別授業という扱いなのだけれども、ウマ娘レースに全員が全員興味があるわけではないのだ。いくら、この世界における国民的な一大イベントという位置づけでもね。それでも先生とTVカメラの手前大人しくしているところは賢い子たちだなあと思う。

 

 で、当たり前だけど私達がどういうウマ娘かってのは事前に教えていたらしく。小学生ウマ娘たちはほぼ例外なくアイネスフウジンの下へと集まっていった。彼女はダービーウマ娘だし、生涯一度のそれを制した実力は小学生から見ても明らかなものだ。憧れの存在であることには違いないだろう。

 

 その様子にアイネスフウジンもちょっと困り顔だ。それでもしっかり纏め上げようとしているところは、お姉ちゃん属性とアルバイト社会経験が垣間見える。

 ……ちょっと助け船は出そうか。このやる気が隔絶している空気感だとあまり上手く行きそうには無いし。

 

「――ねえ、アイネスさん? 軽く走ってみます?」

 

 

 その瞬間、アイネスフウジンの目に闘志が宿った。お姉ちゃんキャラのアイネスフウジンからダービーウマ娘・アイネスフウジンに一瞬で変貌した。

 

「サンデーライフちゃんから勝負に誘われるなんて初めてなのっ! 受けて立つの!」

 

「……あーじゃあ、校庭1周くらいでどうですか? 私達にはちょっと短いですけども、今日はそれがメインじゃないですし……」

 

 そう言うとアイネスフウジンは先んじて意気揚々と校庭のスタートラインに立ち、軽くストレッチをする所作を見せていた。その時点で元々モチベーションが高かった小学生ウマ娘集団からは歓声が上がり、低かった方も最低限こちらに関心を抱いたようである。

 

「……あの、サンデーライフさん? 大丈夫なのですか、相手はダービーウマ娘ですが……」

 

 リポーターさんから小声でそう言われたが、笑って返す。

 

「あはは……、まあ何も無策でこんな提案をしているわけではないですし……」

 

 そう言いながら私は校庭のトラックへと向かいアイネスフウジンの横に陣取る。……地味にアイネスフウジンが先に準備をしたことで内を取っている、ずるい。別に2人だしいいけどさ。

 

 実際、パっと思いついたようには言ったが、準備に関してはむしろ私の方が徹底しているはずだ、内緒だけど。

 まず校庭の寸法については事前に調査済み。1周約189.96mで、直線距離は40m程度。全周1ハロン以下のこの校庭は明らかにウマ娘にとっては狭い。しかもスタートとゴール地点はそんな直線のど真ん中。

 そして肝心なのは校庭は土なんだけども、ダートコースよりも遥かに硬い。一応、校庭の土にも文部科学省の基準値が設けられているけれども、使う土から粒形やシルト混合比率まで指定されているレース場のダートと比較してしまうと、流石に基準の厳格さは段違いと言わざるを得ない。

 で、位置に付いて。どうせなのでこの学校の先生にスタートの合図をお願いする。

 

「……よーい、どん!」

 

 私もアイネスフウジンもアホではないので、僅か20mの最初の直線でハナを奪おうなんてことは出来ない。そのまま並走する形で第1、第2コーナーに入る。コーナーの回り方が通常のコースよりも遥かに厳しいので必然アイネスフウジンの加速もいつもより弱まる。

 そして一瞬でバックストレッチの直線40mに到達。ここで私もアイネスフウジンもようやくまともな加速ができるとギアを一段階上げるが、上げた途端にはもう次の第3、第4コーナーが見え隠れしてくる。うん。走り辛いね、これ。

 でも、走り辛ければ走り辛いほど、私に有利になるわけで。

 

 そして。第3コーナーに入る瞬間。

 ここで私の『渾身の策』が芽吹く。アイネスフウジンは前を見て一瞬驚いたような表情を見せて加速をかなり緩めて、私にハナを譲った。

 

 そしてそのままカーブに突入。一瞬の差は、残り50mも無い状態では致命的な差となり、私はそのまま1着でゴールイン。……1/4バ身差といったところであろうか。アイネスフウジンの明らかな加速ミスがあったし。

 これなら小学生たちにも私が勝ったことは認識できるはずだ。とてもトップスピードではないし目視で追えたはず。

 

 この一部始終を見届けた小学生の中で、一番盛り上がっていたのはウマ娘たち――ではなく、最初はやる気の無かった小学生男子のグループだった。

 

「うおおっ! すげー!! おねーさんの方が『雑魚』って聞いていたのに、どうやって勝ったんだ!?」

 

 いや……雑魚って。アイネスフウジンと比較したら事実だけどさ。子供たちとともに、リポーターさんも周りにやってくるが、それより前にアイネスフウジンが私に話しかけた。

 

「……サンデーライフちゃん? 分かってたよね……ううん、サンデーライフちゃんが知らないわけないもん。全部仕組まれたの!」

 

 その言葉を受けてリポーターさんも私に尋ねる。

 

「……えっとアイネスフウジンさん、そしてサンデーライフさん。どういうことです?」

 

 私は黙って校庭の第3コーナーよりもちょっと内側を指差した。

 ここは校庭であって陸上トラックでもウマ娘用のレース場でもない。だから、あるんだ。

 ……野球のピッチャーマウンドが。

 

 それはほんの僅かではあるが、通常のレース場にもトレセン学園にも存在しない明確な『障害』だ。平地の坂とも感覚が違うから絶対やりにくいだろう。直径約5.4mの障害物だが、コースにぶつかるのは外縁部のみなので私ならば充分に『障害飛越』で避けられる範疇だ。別に高さのある障害でもないので、そんなにジャンプする必要もないから直後のカーブの方向転換だって分かっていれば大したことではない。

 

 つまりこの校庭は、全部アイネスフウジンの適性外である超短距離かつダートの亜種であり、同時に障害コースでもあったということ。

 私はリポーターさんとともに、ここに居る『生徒全員』に向けてこう宣言した。

 

「……こんな感じで条件さえ指定してしまえば、ダービーウマ娘であっても打ち破ることは出来たりします。まあレース条件は選手の立場では中々選べないので実戦でここまで上手く行くことの方が少ないですが……」

 

 こと、この場に至っては私の話を聞かない児童は居なかった。……小学生だしね、脚が速い人は無条件でモテるのである。

 

「なのでウマ娘の皆さんは、私のような小手先の戦術よりかは『王道』の強さを求めるのは間違っていないと思います。だからアイネスさんに教えてもらった方が、たった1日ですけれども意味があると思います」

 

「はいなのっ!」

 

「……で、他のウマ娘ではない人間の皆さんは私が受け持ちます。

 安心してくださいね、今日だけでも皆さんの足はちょっとだけですがきっと速くなりますよ?」

 

 大言壮語のようではあるが、実際何の訓練も受けていない小学生、ましてやウマ娘という上位互換すら存在するこの世界においては、人間が競走者として『正しい走り方』に触れる機会はあまりにも少ない。だから、その基礎を教えるだけでも存外速くなるものなのだ。

 

 これはピッチ走法だとかストライド走法だとかそれ以前の問題。

 

「……じゃあ、ちょっとスキップしてみてください」

 

 例えばスキップが上手な子というのは基本的に足が速い。進行方向に脚を向けること、そして跳ねるような動作、そしてかかとを使わずに前に進むという動き――これらは全て基礎フォームに共通する動きである。

 端的に言えば、彼らくらいの基礎的なレベルであれば、スキップが上手くなるだけでも足は速くなるのだ。そして、こんな陸上競技においては常識的な話ですら小学校レベルでは浸透していない。……下手したら一般にも普及していないかもしれないけど、うん。

 

「……サンデーライフさんは、よくご存じですね?」

 

 リポーターさんは私の方を中心に見ることに決めたらしい。まあTVカメラは複数台あるからね。ちゃんとアイネスフウジンの方も映しているから平気でしょ。

 

「結局走りというのは跳ね――ジャンプの動作に近いですから。私があんまり速くないのも極論で言えばそこに行きつきますよ。多分障害レースの過去の映像を見れば私が『跳ね』が下手なのは、見て分かるかと思います。

 ……逆に『跳ね方』が上手い子はすぐに伸びます。こっちの方が分かりやすいですね。今、クラシック戦線で無敗で連勝を重ねているディープインパクトさんがまさにそうです」

 

「あ、私も名前なら聞いたことがあります!」

 

「あはは、ありがとうございます。レースにあまり詳しくない方でもご存じのウマ娘というのは、基本的に相当脚が速いですよ?

 ……もっともディープインパクトさんの場合そもそも『大跳び』というやや特殊な走法ではありますが、でも基本は一緒です。彼女、華奢な身体からは考えられないくらい『跳ね』が上手です」

 

 そこで一息ついてから続けて話す。

 

「――で、『跳ね』が大事なのは人間もウマ娘もそんなに変わらないですよ。

 だから多分、走りが速い子っていうのはきっと『縄跳び』とか『跳び箱』とかも上手な場合が多いはずです。勿論、それ以外の動きも混ざっていますから例外はありますけどね。

 『運動神経』って言葉でよくひとくくりにされちゃいますけれども、少なくとも足の速さについては跳ねる動作と概ね相関します」

 

 ……そして、これは私の実体験でもあるわけで。障害転向をして明らかになった高すぎる飛越。私が走り方ではなく『跳び方』に関して意識を明確に向けたのはあの障害トレーニング時であったことは言うまでも無い。

 

 だからこそ障害飛越に関してへたくそであっても、それなりに障害レースのために練習したからこそ後に私はフォームの修正が必要になったのである。何故なら、走る際の『跳び方』が若干変わったから。

 そしてそのフォームの修正が完了していくとともに、オープン戦や重賞レースでそれなりに勝負になるくらいの実力を手に入れている。

 

「……何と言いますか、サンデーライフさんとお話しているとウマ娘の方々の印象が変わる感じがします。イメージだけで言えば……むしろトレーナーの方みたいなことを考えているような……」

 

「……まあ、実際気持ちよく走って、そのまま気持ちよく勝っちゃう方というのも居りますので、ウマ娘それぞれだとは思いますが――」

 

 そんな私達の会話は1人の少年によって遮られた。

 

「あの、すみません!!」

 

「……どうしました?」

 

 私が聞き返すと、その少年は次のように言った。

 そして。

 

 ――次の反応こそが、私が最も求めていたものであった。

 

 

「……あの、俺。どうしてもウマ娘相手に勝ちたいんです!! お願いします、どうしたら勝てますかっ!?」

 

 事前に弱いと言われて『雑魚』評価まで与えられていた私が、目の前でなんか強そうな称号を持っているダービーウマ娘に勝った。それは、小学生の少年にとっては文字通り今までの世界が崩壊するくらいの衝撃をもって受け止められていてもおかしくない。

 この少年の目に宿っていた闘志は本物だ。そしてその闘志が声にもみなぎっていた以上、アイネスフウジンが指導中のウマ娘小学生たちの耳が一斉にこっちに反応する。

 

 ――この少年は、確実に他のウマ娘の闘争本能に火を付けた。人間の身でありながら。だからこそまずは素直に敬意を表そう。だって、その『勝利への渇望』は間違いなく私には存在しないもの。

 それを小学生の子供がウマ娘相手に向けて、しかも相手の闘争心を引き出せるだけのエネルギーを持っているのだから、これに対して生半可な返答は許されない。

 

「……あのね、僕? このウマ娘のお姉さんに無理を言っちゃ駄目ですよ?

 だって人間はウマ娘に勝てる訳――」

 

 私はそのリポーターさんの言葉を遮った。

 

 

「――本当に、勝ちたいと……そう、思っているのですね?」

 

「うん!! だって誰に聞いても俺じゃクラスのあいつらに絶対勝てないって言うんだ! でもっ!! 俺だって――」

 

 

 そこで一旦私は少年の言葉を遮って、こちらに耳を傾けているウマ娘たちに向かって大声でこう伝えた。

 

「……ここまで純粋な勝負の提案を投げかけられて、『ウマ娘』としてまさか逃げませんよね?」

 

 私の中にはこれっぽちも存在しない闘争心。でも、私は対戦相手のそれを引き出し暴走させる術はレース技術として持っていた。これは、その転用。

 だからこそ、まだレースの機微も知らない彼女たちはあっさりと『掛かる』。最も勝気そうなウマ娘が私の明確な挑発にこう返した。

 

「――どんな条件でやっても人間相手のレースなんて、負ける気がしませんが?」

 

 私は一度だけ確認を取る。

 

「本当に……『どんな条件』でも。……そうですね?」

 

 この中でアイネスフウジンだけが集団全体を策に引っ掛けようとしていることを認識して苦笑いしていた。けれども、彼女自身も私の取り得る行動の行く末が気になっているようで止めまではしない。

 

「ええ! 私の言葉に二言はありません!」

 

 

 ……まっすぐだなあ。でも、今日だけはごめんなさい。その純粋なウマ娘としての気持ちを私は利用して。

 

 ――この世界に新たな歴史を作ります。

 

 

 再度、私は少年に向き直って、こう宣言した。

 

「普通にやっても勝てません」

 

「……そんな」

 

「――ですが。

 設定条件と、貴方の勇気と気持ち次第では――ヒトはウマ娘を超えることだって出来るかもしれませんよ?」

 

 

 ウマ娘に人間が勝てるわけがない。

 

 今日それを――覆す。



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第59話 宝塚への道(4)――『同着』

 人間がウマ娘を超える。

 

 その言葉に目を輝かせたのはたった1人の少年ではなかった。僕も、私も、と一気に子供たちが私の下に集まってくる。……しかも、その中には男子だけではなく女子の姿もあった。

 

「とりあえず、皆には『スタート』の練習をしてもらいます。先生が『よーいどん』って言ったらすぐに飛び出せるようにしてくださいね? 走るのは5歩くらいだけで構いません」

 

「はいっ!」

 

 そうすると子供たちはびっくりするくらい素直に、そして真剣に練習に取り組むようになった。そしてこの場にはレポーターさんと私が取り残される。

 

「……本当に安請け合いして大丈夫なのですか?」

 

 その声色には心配の要素も乗っていた。そりゃここまで期待させておいて裏切るわけにもいかないからね。

 少なくとも芸能人であるはずの彼女からカメラの前で仮面を拭ってしまうくらいには。だからこそ、私は敢えて自信満々でこう質問する。

 

「レポーターさんは、ウマ娘が具体的にはどれくらいの速さで走るのかご存じですか?」

 

 これが一見レポーターさんに投げかけているような質問には見えるが、その実はテレビの編集点となり得る場面として意識したものだと即座に気付いた彼女はすぐさま『職務上』求められている答えをした。

 

「ええと……すっごく速い! ってことは分かるんですけどー、実際にどれくらいのスピードかって言われるとちょっと……」

 

「公道にウマ娘専用レーンがあるのが分かりやすいでしょうか。つまりは車に比肩するくらいの速度は出るということで……そうですね。一概には言えませんがよく出される数値としては時速60kmといったところでしょう」

 

「あっ! たまに車を追い越すウマ娘の姿を見たことあります!」

 

 1時間で60km。60分60kmなので1分で1kmということになる。

 もう1回単位を変えると60秒で1000m……これを5で割ると12秒で200mという数値になる。

 

 200mとは1ハロンで、僅かに早い気もするが本当にざっくり言うなればレースの平均ペースがこれくらいだ。ここまで口頭で説明した上で一言。

 

「とはいえ、後先考えなければもうちょっと速いですよ? 私はGⅠウマ娘と比較してしまえばそこまで最高速度は速くはありませんが、それでも多分10秒台は出るかと思います。

 100mに換算すれば5秒とコンマ何秒かといったところですね」

 

「あのー……具体的な数字を聞くと、ますます人間が勝てるとは思えないのですけれども」

 

「まあ、普通にやったら勝ち目が無いのは確かですので、色々条件を付加するわけです。まず100m5秒そこそこというのはあくまでトップスピードに乗ったとき限定です。止まっている状態からスタートした際にはどうしても加速の分がありますから……大体、100m7秒台くらいになります」

 

 つまり距離が短くなれば短くなるほどウマ娘側が全力で走れる区間が減少ないしは消失し、相対的に人間との差が縮まっていく。

 とはいえ、だからと言って流石に『1m走』みたいな条件では子供たちが勝った気にはなれないだろう。

 あるいは全く逆の方向性でウマ娘側のスタミナ切れを狙うというのもあるが、そもそも中学生レベルでも体力テストで走る『持久走』って男子1500m、女子1000mであってウマ娘的には『短距離戦』区分の長さだ。

 小学5年生だから、それよりも短い距離に設定しなきゃそもそも完走が危ぶまれるし、このくらいの距離ではウマ娘の方が遥かに優位な距離設定になってしまう。

 だったら『1000km走』みたいなことをすれば全員完走できず同点に持ち込むことも出来るけど、それをやったところで……ねえ。

 

 だからこそ設定する距離は50m直線。ヒトにとって最も馴染みがある距離でありつつ、同時にウマ娘にとってはトップスピードに到達できない距離。……相手取るウマ娘が現役競走ウマ娘ではなくまだ小学生であること、そしてちらりとアイネスフウジンがトレーニングしている彼女たちの様子から見積もれば、50mでは4秒幾ばくかが標準タイムになるだろう。多分5秒に差し掛かることはない。

 

「――で、事前にこのクラスの体力テストの結果には目を通してあります。

 50m走は人間だけの競技ですが……大体男子で9秒フラット、女子だと9秒5くらいが平均といったところでしょうか。一番速い子でも7秒台後半が限界ですね」

 

「倍近い差があるじゃないですか!」

 

 

「ええ。……ですが不思議に思ったことはありませんか?

 私達ウマ娘と、あなた方人間で体格はそこまで変わりません。

 

 ――では、どういった動作をすれば倍のスピード差を付けられるのでしょうか?」

 

 

 

 *

 

 人間とウマ娘の身体構造に大きな差異は無い。だからこそ『地上最速』のチーターのように特異的な体幹や根本的な走行原理から異なるわけではない。

 

 あるいは確かにウマ娘の『跳ぶ』力は人間を上回っているものの、『歩幅』という観点で見た場合にこれも大きくは変わっていない。ディープインパクトのような『大跳び』という例外はあれど、それでも彼女だって障害飛越のような跳躍で常に走っているわけではなく、走行フォームとしての範疇に収まるレベルの『歩幅』ではあるのだ。

 

「人とウマ娘の差、とは一体……」

 

「――『歩数』……スピードに乗り始めたときの1秒あたりの歩数。

 これが明らかに人間とウマ娘では倍近く違います。

 つまり、人間とウマ娘の最も大きな差異は――『歩数』なのです」

 

 

 同時にウマ娘を攻略する鍵はこの『単位時間あたりの歩数』にある。そもそもこの同じ時間で繰り出せる歩数の上限値が違うことから、全く同じ走行フォームを取ったとしても人間は絶対に勝てない。

 裏を返せば、人間がピッチ走法で細かく刻んで走ってどれだけ歩数を稼いだとしても、ウマ娘の大跳びの歩数にすら届かないのだ。

 走法によって『単位時間あたりの歩数』には大きな差異があるとはいえ、人間とウマ娘とで比較してしまうとその走法うんぬんでは覆せない種族差が横たわっている。

 

 ただし、突破口が無いわけではない。ウマ娘はトップスピードに至るまでに距離が必要で、走行距離を短くすれば短くするほどウマ娘の優位は消えていく。ということは、裏を返せばスタート直後の歩数差というのはそこまで大きく異なるわけではない。

 

「――1秒でもウマ娘を走らせれば(・・・・・)人間は絶対に勝てません。

 であれば、人間がウマ娘に勝つ方法は単純です。50mの間で1秒たりとも走らせなければ良いので……これを使います」

 

 そう言いながら、私は『もしかしたら使うかも』ということで事前に開けさせてもらっていた校庭の隅の体育倉庫に行って目当てのものを取り出した。リポーターさんも見覚えがあるものであった。

 

「……ハードル、ですか」

 

 何の変哲もない人間の体育の授業で使うハードル。

 これを50mのコース上に配置する。普通の授業では基本5個くらいしか設置しないそれを、助走と最後の駆け抜け防止も兼ねて1コースに8個用意。ラストのハードル飛越後には3mくらいしか無い。

 そしてちらりとウマ娘たちの走りは見ているので、上手く走りが噛み合わないように、そして各ハードル間の距離もまちまちになるように設置する。走りを慣れさせないことが狙いである。ハードルの高さは……40cmで良いか。

 

 これで私の出来る仕込みは完了した。

 

「大体、普通のハードル走だと2秒から3秒くらいタイムが変わりますが……今日はたくさんハードルを置いてみたのでもっと遅くなります。なので目標タイムは13秒台ってところですかね。12秒が見えれば大したものですよ」

 

「でも、それじゃあウマ娘に勝てる訳――」

 

「それはやってみないと分かりませんから……ね?」

 

 

 直線50mにハードル8個で設置位置も一緒。隣り合ったレーンでハードルの高さも同じ。一見すると確かに条件設定は同じ。そこにウマ娘と普通の小学生を並走させる。

 

 トップバッターは勿論、最初に『ウマ娘に勝ちたい』と言ってくれた子。そして相手は私の挑発に乗った勝気なウマ娘。

 私はその男子小学生に小声でアドバイスを送る。

 

「私から出来ることはここまでです。ウマ娘が嫌がるものを極力詰め込んでおきました。後は貴方の頑張りですが……授業でハードル走はやったことありますよね?」

 

「はいっ!」

 

「なら、その要領でやってください。それで……勝ちましょう」

 

 自分のことではないので、安易に勝利を目指させる。そして最も重要なことは今の会話で引き出した。それは彼がハードル走経験が体育の授業とはいえあるということ。

 

 対して。

 ウマ娘にとって、50mという距離もハードルという存在もまるで未知数なのである。

 当然だ。ウマ娘は身体能力が隔絶しているのだから、そもそも体育の授業メニューからして異なるのだ。アニメではメジロパーマーがハードル走経験があることに言及されていたが、この世界では障害レースが然りと存在するのでハードル競走という興行がトゥインクル・シリーズに『存在しない』。

 

 だから。彼女たち小学生ウマ娘はハードル初挑戦になるのだ。未経験のハードルと未知の距離。それは確実に初見である小学生ウマ娘を混乱させる。

 先生が2人のスタートの合図をする。

 

「位置に付いて――」

 

 

 そして。私の策はそれだけにとどまらない。

 

「よーい……ドン!」

 

 

 ――その第一歩。最初の一歩は確かに少年が先行した。

 

 そう。勝負が確定した後に彼らに練習させたのは『スタート』の練習。この先生の合図のタイミングを叩きこませたからこそ一歩目は確実にウマ娘よりも早く動き出せる。

 その瞬間まで相手の勝気ウマ娘もきっと『ハードル』に意識を向けていたからこそ、この一番最初の動き出しについては完全に埒外であっただろう。

 

 更に、先行されたという意識は焦りを生む。当然だ。短距離において出遅れは致命的――それを体現しているのは私の前走・かきつばた記念なのだから、50mなどという全く試したことの無い超短距離において出遅れを自覚したウマ娘が掛からない訳が無いのだ。ましてやそれが小学生ならば、その遅れを取り戻すことに意識が傾くのは自然だ。

 

 でも。

 加速に意識を傾けようとした瞬間には――既に彼女の目の前にはハードルが迫っている。

 

 

 

 *

 

 加速して遅れ(・・)を取り戻そうとした矢先にハードルに気付き慌てて飛越体勢へと移行して踏み足を決める。それらを頭で処理しているときに身体はどういう動きをするかと言えば、ほぼ地団駄を踏んでいるようになるのだ。

 そして速度を落としてジャンプしてハードルを越えた瞬間。彼女の速度はほぼゼロスタートに戻っている。

 

 少年は当然ウマ娘の走りのペースよりも遥かに遅い。だが、ハードルの飛越はまずまずといったところだ。数歩前からどちらの足でジャンプをするかを身体で考えて歩幅を変えている……ハードル間隔が不規則であることを踏まえれば、いっそ彼の運動センスはかなり良いと言ってしまってもいいかもしれない。

 一方で、勝気な小学生ウマ娘にとってはこのハードルはやりにくいはず。初見だからハードルの正式な飛び方を知らないし、ちゃんと飛越するにはウマ娘には低すぎるしハードル間隔が近すぎる。でも普通に走るだけでは避けられない。しかも歩幅と全然合わない感じで置かれているので、走っていて噛み合わないだろう。

 

 だからこそ、8個目のハードルを先に越えて最後のほんのわずかな直線を先行したのは少年の方だった。最後に残った3mの直線は小学5年生男子の足ならおよそ0.5秒弱。

 

 

 ……この、残り0.5秒だけは私は試練として敢えて残した。

 それは、ここまで47mで培った先行分で人間がウマ娘と真っ向から勝負することが叶うと判断した時間。

 

 ギリギリの勝敗分岐点であるとともに、この0.5秒は私があの少年に与えた贈り物でもあった。

 

 

 このたった0.5秒だけは。

 あの少年は今――ウマ娘と同じフィールドに立っている。

 

 

 ――そしてゴールを2人の影が駆け抜けた。

 

 

 

 *

 

 同時にゴールラインを踏んだように見えた2人であったが、競走ウマ娘としてどちらが先にゴールしていたかというのは、はっきりと分かった。

 タイム差としては出ないだろうがアタマ差からクビ差くらいで……あの少年は――

 

「……同着なのっ! すごいの、2人とも良い勝負だったのっ!」

 

 私が口を開く前に、アイネスフウジンが『同着』を宣言した。いや、でも確かに着差はあったはず……とアイネスフウジンの顔をみれば、彼女は無言で私にウインクした。

 

 ……本当の結果を分かっていて、嘘をついたのねアイネスさん。

 

 

 アイネスフウジンが『結果』を告げると、ウマ娘の勝気な少女と勇気ある少年は互いにきょとんと顔を見合わせて……抱き合った。

 

「――絶対俺が勝ったと思ったのに、あそこから追い詰めてくるとかやっぱ凄いよお前は!」

 

「……バカね。ここで負けたらウマ娘失格でしょ。でも初めてアンタの走っている背中を見たけど……カッコよかったわ」

 

 

 あー……。この2人、そういう感じの関係だったのね。

 そしてこの少年がウマ娘に勝ちたいと言ってあれだけ闘志を剥き出しにしていたのは、この子に置いてけぼりにされたくなかったから……なんだろうな。

 

 で、アイネスフウジンはそこまで分かっていたからこそ、『同着』という顛末にした、と。いやはや、これは大したお姉ちゃんである。

 

 そして、その後も同級生ウマ娘に勝負を挑む小学生は後を絶たず、予定されていた時間いっぱいいっぱいまで使って勝ったり負けたりしていた。

 

 

 

 *

 

 5月末。オークスをトウカイテイオー、日本ダービーをディープインパクトが順当に取って、香港チャンピオンズ&チャターカップでハッピーミークが5着入着という戦績を掲げて帰国してきた頃に、先の小学校で『走り』を教えるものが映像化してニュース番組で流れて大きな反響を得た。

 

「……私とミークが居ない間に、随分派手なことをサンデーライフはやっていたようですね……」

 

「……お土産」

 

「あはは……、っとミークちゃん、ありがとうございます。

 ……これは、模型? ですか?」

 

「うん……香港の街並みの模型」

 

 80cm四方のケースに入った香港の町の一角がかたどられた精巧な模型を貰った。……いや、これどうすれば良いの。寮の部屋だと邪魔になるから資料室に置いておくしかないかな。

 

 そして葵ちゃんが『派手』と称したのは、先のニュースが大きくバズって私とアイネスフウジンのペアがクローズアップされていることと、合わせて今のトレーナー室が壁一面の日本地図を掲げたまま票読み作業を続行している点も含めてのことだろう。Web会議である程度状況は伝えていたけれども、実際に目にしたときのインパクトは大きいということなのかもしれない。

 半分くらい葵ちゃんは呆れていたというか『サンデーライフですから、今更そういう部分に才覚が突出している点にはとやかく言いませんが……』って諦めムードだった。葵ちゃん的には宝塚出走まで目指すつもりは多分無かったのだろう。まあレース出走の最終決定権は私に帰属しているので、これには葵ちゃんも苦笑いである。

 

「……それで、サンデーライフの次なる一手はもう決まっておいでで?」

 

「いやー、流石にこの反響がどのくらい票に出るのかを見たいので、第2回中間発表までは取り敢えず打ち止めですね。そこでの順位変動を基にどうするかは考えようと思います」

 

「でしたら今のうちにウイニングライブ曲の『Special Record!』の練習を集中的にやっておきましょうか」

 

 そうして、それから数日は特にメディア露出はしなかったものの、先の映像はニュース番組の特集の一枠だけに留まらず、別の番組でも転用したらしい。そして他のテレビ局にも映像を融通したようで、他局でもガンガン使っていた。

 やっぱりヒトとウマ娘が同着する映像の印象は大きかったようである。

 

 

 なお私がダンス練習メインになっていた頃に、知らないうちにハッピーミークが例のデカい日本地図の太平洋の余白部分に何故かタコのイラストを描き加えていた。デフォルメのタコさんは可愛かったけど、なんで?

 

 そして6月初頭の第2回中間発表。

 ――結果は30位。

 おお、18個も上がってる。やっぱりダイレクトマーケティング路線は間違っていない。

 

 そして宝塚記念に出走意欲を見せているウマ娘の中の順位では――13位。

 

 

 10位以内まであと順位は3つまで迫って、最終発表まで残り1週間となった。



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第60話 宝塚への道(5)――個性

 第1回中間発表が全体48位で出走希望組の中では17位。

 第2回中間発表が全体30位で、こちらは13位。

 

 残り1週間でファン投票は終わる。そして最終結果発表をもって順位が確定する。その際にはもう全体順位は出ず、第1回特別出走登録を行ったウマ娘の中での順位しか出ない。だから最後に出た順位がそのまま宝塚記念へ出られるか否かを左右するものになる。

 

 ただし。実際にメンバーが確定するのは第2回特別出走登録時点で、それはファン投票終了後の更に2週間後だ。そこで出走の回避判断も含めて最終判断が下される。……まあ、その後も出走取消は出来るけれども『回避』ではなく『取消』の場合は別のウマ娘がその枠に埋められることはなく、そのままメンバーを減らして実施されるので自らが取り消さない限りは、他のウマ娘に寄与しなくなる。

 

 大手メディアとの二人三脚で従来の『王子様』イメージを維持しつつも、レース関係者のみでしか知られていなかった『策士』としての私の印象を周知することは出来た。

 そして新たな支持層として狙った『12歳以下の子ども』に向けた人気も、あの小学校訪問の映像化を経て『人間がウマ娘に挑める舞台を作ったヒーロー』という偶像を手にすることで大きな反響を得た。

 ファンレターも私や葵ちゃんの前に厳重な検閲が学園で施された上で、そのチェックを抜けたものだけが私達の手元に渡る。それらは以前は『10代女子』が基幹で次点で20代以上の女子や主婦層であったものが、今では『小学生男子』を始めとする『ウマ娘と心の奥底では戦いたかった』層からも届くようになっていた。

 

 ……うん。ファン投票対策として当初から狙っていた目標は概ね完遂している。

 もっと伸びれば楽々に宝塚出走の安全圏に入れたがそこまで甘くはなかった。でも逆説的に言えば、私が狙った一過性のブームや感動物語では揺れ動かないだけのファンをしっかりと他のウマ娘は抱えていて、そして『宝塚記念』というGⅠレースそのものが、そうした多少の情報操作で格を下げることのない正統性の担保にもなっているわけで。

 その意味合いでは私は『レースの重さ』をちょっとだけ見誤っていたのかもなあ、と思い直す。メディア影響力を利用して足りない実力をマーケティング戦略でカバーするって手法、どう考えても世間一般には正統派ではないやり方だし。何なら『悪』って言う人も居るかも。

 でも、この世界のファンはそうした私の手法ですらも受け入れる懐の広さがあった。……まあ批判的な意見は私の視界に入らないように一切シャットアウトしているんですけどね!

 

 

 ただし……正直手詰まりである。いや、メディア利用の手が浮かばない訳ではないのだけれども……ただ、これ以上の属性付与はかえって印象が分散してぼやけて逆効果というか、節操ない感じになってしまうのを危惧している。

 打ち手が存在しないのではなく、あまり効果的にならない可能性を私は恐れているわけで。

 

「葵ちゃんなら、残りの1週間で私をどうプロデュースします?」

 

 ということで自分だけでアイデアが浮かばないなら他の人に丸投げ、これが多分最強だと思う。

 しかも、葵ちゃんはしっかりと答えを持っていた。

 

「もうサンデーライフの場合……『多くの人に知ってもらう』段階は越えたのではないでしょうか?

 ……そうなれば、次は『個性』を周知しても良い頃合いなのでは――」

 

 それは端的に言えば沼に落とすということ。私の言葉にするならば、今まで私から発信した情報をファンが摂取するという形であったのを、深みにハマってもらったファンによって『ファンからファン』へと宣教し教え広めるという二次創作、布教段階に進んでも良いのでは、という提案である。

 

「……でも、私の個性って端的に表せなくないですか?

 基本、他者の好意的な評価をラーニングしてそれの形状記憶で個性を形成しているので、抽象的というか個々人で私のキャラクターに対する受け取り方が大きく異なるというか……」

 

「……私は、サンデーライフの自己理解の仕方にびっくりですよ」

 

 葵ちゃんはそう言うけれど、自分でも結構難解な性格をしていると思う。基本方針は『楽をする』こと、『日曜日のような毎日を過ごす人生を謳歌する』ことが目標にはなるけれども、それはあくまで長期的視野に立ったときのことで、短期的なスパンだとそれに相反することを選択することもある。だから考え方の軸になっているそれが他者から見える枝葉まで反映されていないことも多い。

 

 あるいはヘイルトゥリーズンとの対話の際には、彼女とレースをすることが自身のレベルアップへのヒントを得て『楽をすること』にも通じていたはずだったのに、私は『勝利への渇望』を自身が手にすることを恐れて拒絶したこともあった。

 だから状況次第では自身の本質的な在り方や考え方を、理性で塗り替えることも出来る。そしてそれは決して私が作り上げた偶像や虚構というわけではなく、その仮面すらも私を形成する一要素であるわけで。

 

 ただ、ある一面性としては異常なほどに柔軟なように見えるけれども、その実、私は偏執的でかつ固執的な側面も確実にある。ここは表現が難しいが『柔軟的であるために譲れない一線がある』とでも言うのだろうか。

 一要素としては葵ちゃんとの関係性が例になるだろうか。私は葵ちゃん自身に対しての依存や執着はそこまで強くないけれども『葵ちゃんと自分自身を縛らないこと』に関しては結構偏執的だ。関係性を重要視するのではなく『関係性の自由度』を重視する感じ。

 

 けれど求めるのは『自由度』であって『自由』であることにはそこまで重きを置いていない。

 だから別に、私自身の行動を誰かが管理して束縛されたり縛られること自体がイヤという訳でもない。でも『縛るためのルールや規則』に対しては私は重きを置くけれど、そのルール上認められる部分については好き勝手動いて楽をするつもりではあるので、多分私を束縛しようとする側はきっと大変だと思う。

 

 なので論理でガチガチに固めるタイプ……ではあるけれども、別に感情的な側面で動くこともあるしねえ。論理側に傾いているものの、感情判断をしないという訳でもない。

 

 うっわ、面倒くせ……と思った人は多分正しい。私も全く同じことを思っているので。

 

 ――でも、きっと人って多かれ少なかれそういう相反する二面性を両立しているとは思っている。

 私のこの一見難儀そうに見える性格だって、これを性格診断とかにまとめてしまえば、論理的『寄り』で、自由人『気質』で、柔軟な『タイプ』であると一言でまとめてしまうことも出来るのだから。

 

 評価の方向性と相対化の指標を手に入れた瞬間に、人というのは極端に無個性になるのである。

 

 だからこそ葵ちゃんは、どのような『指標』でもって私の個性を決定してそれをファンへと伝えるつもりか聞いてみれば。

 

「……ふふっ。もう、サンデーライフったら難しく考えすぎですよ!

 ウマ娘の個性を規定するものが、今のあなたには決まっていないじゃないですか。

 

 ――『勝負服』のデザイン、です」

 

 

 あー……そこに繋がるのかー……。

 確かに、私が難しく考えすぎてただけじゃん、これ。

 

 

 

 *

 

 とはいえ、勝負服は勝負服で難しい。

 というのも、先の性格の話と全く同じ問題が内包している。どちらも『個性』の要素をどうやって可視化するのかという指標なのだから当然かもしれないけれども。

 

 別に私としては『王子様』でも『策略家』でも『ヒーロー』でも良いし、それ以外のイメージを基にして作ってもらっても構わない。でも。

 

「……私らしい『衣装』ってなんでしょうね?」

 

「それはサンデーライフが見つけるべきことですね」

 

 まあ、葵ちゃんならそう言うか。ここは有無を言わさずの即答で『トレーナー』としての矜持が垣間見えた一言だった。

 

「……ちょっと、外で考えてきますね」

 

 そう言って私はトレーナー室を後にした。葵ちゃんもそれについて何も言わずに私を送り出した。

 

 

 まず最初に向かうのは資料室。1勝してからずっとお世話になっている部屋だ。

 最初は埃まみれで掃除をしなければまともに使えもしない汚い倉庫みたいな部屋だったけれども、ソファーを買って、棚も新調して、資料のファイリングもちゃんとやって、友達の充電スポットと化して、現在では新たにハッピーミークが買ってきた謎の香港の街並みの模型が置かれているこの部屋は、既に私を形成する一要素となっていた。

 この資料室によって付加されたイメージは理知的なもの。その文脈に沿うならば、タキシードとかパンツルックのスーツみたいな方向性になりそうだが……。

 

 

 次にファン感謝祭のときに『ウマ娘ボール』の会場としてわざわざ新設されたダートコート。あの後何の使い道も無いだろうなあ、と思っていたが、ダートでのミニハードルやラダーを使った腿上げのトレーニングスペースなどとして利用されているようで。上手いこと考えたね。

 ファン感謝祭といえば結局やらなかったけども、最初は執事喫茶要員になるかもなあって思っていたこともあった。その文脈に沿えば執事服というのもアリかもしれないけれど……。

 

「あ、サンデーライフさん! お疲れ様ですっ!」

 

 声をかけてきたのは――インディゴシュシュである。1勝クラス・三条特別のときに審議判定ランプが灯った際に斜行の加害ウマ娘として容疑があがった子だ。あの一戦以来ちょくちょく私のお友達として接することも多い。バレンタインのレンタルキッチン組の中にも誘ったし。

 折角なので彼女にも私の勝負服について聞いてみる。

 

「……うーん。自分の勝負服もまだなのに、サンデーライフさんにアドバイスなんて出来るのかな……。私からすると、あの時に手を差し伸べてくれたことと、後は物静かな印象があるので、ちょっぴり教会のシスターみたいだなあ……って思ったりは――って、ごめんなさい!

 みんな『王子様』って言ってるのに――」

 

「いや、逆にその『王子様』イメージのまま勝負服を決めて良いのかな、って思っていたところですから、そういう視点は助かります」

 

 しかし、シスターか。それは本当に思いもよらなかった。確かに彼女と出会ったときはまだ王子でも何でもない頃だったし。そういう見方もあるんだね、これは意外。

 

 

 その次にやってきたのは、障害コースの練習施設。ここも今となっては私を形成する大きな要素になった。今の走りがあるのは間違いなく障害転向をしたおかげだ。ついでに言えば『王子様』要素が発現して、私の今のライト層人気の根幹となったのも障害レースから。最早、競走ウマ娘『サンデーライフ』を語るのに障害競走は必要不可欠なものとなっていた。

 

「……あれ、メジロパーマーさん? こんなところでお会いするなんて珍しいですね?」

 

 思わぬ先客が居た。ただ普通に練習している子たちも居るがそこには混ざらず私と同じように外から障害コースを眺めていた。

 

「お。久しぶりだね~、サンデーライフさん。

 たまーに、見たくなるんだよねえこのコース。君なら共感してもらえると思うけれども、やっぱり今の私ってコレ(・・)があってこそだから……さ。

 まあ、それはいっか。それよりも宝塚記念、出るんだってね。私も出走するつもりだからよろしくね」

 

 ……ぶっちゃけ知っていたし、何なら彼女が5月の重賞・新潟大賞典で勝利して万全の体制で臨んできていることも知っていた。新潟大賞典の距離は2200m……宝塚記念と同じ距離である。

 ただ、それはおくびも出さずに。

 

「ファン投票順位が結構ギリギリなんで出られるか微妙ですけどね私は。でももし出走できたら、今度は平地でもお手合わせということになりますね」

 

「おー、良いじゃん。また君の逃げパッションが見たいよー。

 ……でも、ちょっと悩んでいる感じだね?」

 

「あー、勝負服のデザインをちょっと考えていまして――」

 

「あれ、あんまり深く考えるとドツボにハマるからほどほどに『逃げ』て考えなよー」

 

「あはは、そうします」

 

 確かパーマーはブルゾンにミニスカートのへそ出しコーデだったっけ。というかウマ娘勝負服って結構へそ出し多いよね、アイネスフウジンもそうだし。

 

「ちなみに、パーマーさんから見た私の勝負服イメージって何かあります?」

 

「うーん……、まあお姫様抱っこされたって印象がやっぱり強いけどねえ。

 でも控え室で逆に私がやり返したよね? だから『お姫様』でもアリだと思うよ?」

 

 なるほど。メジロパーマー的にはそっちに行くんだね。確かに言われてみれば私って結構お姫様抱っこされる側に回ることも多かった。

 

 

 最後の終着場所は、教室だった。

 最初にメイクデビュー戦に出走してから2年が経過した。このトレセン学園に入学してからであればそれ以上。決して楽な道のりではなかった。

 メイクデビューに負け、未勝利で負け続け、Pre-OP戦では抽選除外され、障害転向もして、歩んできた道のりの先には今。GⅠレースが見えている。

 

 上位10名が出走できる条件での13位。あと3人というところまで手が届いた。ジュニア級の頃に1勝を掴めなかった私は2年の歳月を経て、実力不足であるとは理解しつつも、そこまで成長していた。

 

「あれ? ……サンデーライフちゃん? 珍しいね、この時間に教室に居るなんて」

 

 誰も居ないはずの教室。廊下から声を掛けられる。振り向けば、そこには私のお友達でありながら私にガチ恋をした子が居た。

 とてててっと駆け寄ってきて、そのまま私のことを抱きしめる。……まあ、告白を受けてからは、大体こんな感じなので私もそのまま流れ作業のように彼女の頭を撫でる。

 

「一応、あなたにも聞いておこうかな。

 宝塚記念に私出る予定だけどさ、勝負服……どんなのが良いかな?」

 

 さーて、この子は私のことをどう見ているんだろうか。王子様路線で男装させようとしてくるのか、それとも逆に女子っぽさを全面に出すようなものを提案してくるのか。何か近頃の彼女の積極性だとウエディング系統すら言ってきそうな気配があったけれども、彼女の答えは即答だった。

 

「うーん、サンデーライフちゃんって、何かあんまり『衣装』って感じのものを着なさそうというか……。むしろ空気抵抗とかそういう難しいこと考えて、すごい機能性に特化した感じのただのジャージとかを勝負服にしてそうなイメージが……」

 

 ……。

 やっべえ。そのイメージが今までで一番すんなり入ったよ、私も。

 

 

 

 *

 

 やっぱり、人それぞれ私に対するイメージは異なっていた。それに私も考えもしなかった印象を抱いている人も結構居て驚いた。

 また人だけではなく、想い出の中にも私を形成するイメージというものもあった。

 

 ……けれど。逆に色々な意見を聞いて自分の中でまとまってきた。『王子様』みたいな表層的な部分を拾い集めていくのも悪くは無かったけれども、やっぱりもっと深層に紐づいた根源的なものであった方が良い。

 

「葵ちゃん、勝負服の案が決まりました!」

 

 私はトレーナー室に戻って開口一番にそう声に出した。

 

「……迷いが無くなっているように見えますね! 私に教えてくれますか?」

 

「勿論です! ただちょっと説明が難しくてですね……」

 

 図示とかタブレットで検索して近いデザインのアイテムを見せたり、葵ちゃんのトレーナーとしての特殊技能で簡単なデザインも出来ることが思わぬ場面で発覚したりして、色々試行錯誤した結果、葵ちゃんにもぼんやりとした印象は伝わった。

 

「……何と言いますか、既視感を感じつつも全く新しいデザインですねっ!」

 

 

 後日、葵ちゃんが衣装案として纏めてくれたものに、修正を加えたりしつつ出来たデータをURAへと送ることとなる。そして、勝負服の図案が完成したことはウマートでも報告することにした。具体的な意匠をどうするかは一切言及せずに、期待感だけ煽るようなウマートである。

 

 ……その日の夕方には、テレビのニュースで私のウマートのことが報道されててちょっとびっくりしたが、ファン投票の最後の追込はそうした勝負服に関するお話で終えることとなった。

 

 

 

 *

 

 6月の第2木曜日――宝塚記念に向けたファン投票が終わった。同日に第1回出走登録も締め切られて、既に集計結果はインターネット上に掲示されていた。

 

 もうここから順位が変動することは無い。そして最終結果発表に関しては既に第1回出走登録を行っていないウマ娘は弾かれているため、ここに書かれた順位がそのまま宝塚記念の出走ファン投票枠となる。

 

 例年放課後には既に出ているようなので、ホームルームの後ダッシュでトレーナー室まで逃亡してきた。

 

「葵ちゃんは見ましたか!?」

 

「いえ、サンデーライフと一緒に見ようと思っていたので、見ていませんよ」

 

「じゃ、じゃあ、いっせーので見ましょう! 怖いのでっ!」

 

 明らかにメンタルがバグっていたけど、これはかきつばた記念の時みたいな予想外事態への動揺ではなく、ただの緊張だ。というか、普通この場面は誰でも情緒おかしくなるでしょ。

 

 そうしてURAホームページにアクセスしてファン投票結果ページを見る。

 

 

 シニア級1年目 サンデーライフ。

 獲得票数……32万4189票。

 

 

 ――12位。

 

 

 ……うわ。惜しい。

 でも。

 届かなかったか、そっか――。

 

 

 

 *

 

 結局、その日はトレーニングはオフということになって寮に早めに帰った。それで夕ご飯も食べてお風呂も入って寝ようかな、と思っていた矢先。

 

 私のスマートフォンに着信が入った。

 ……相手は、葵ちゃんだった。スピーカーをオンにして話す。

 

「どうしたんですかー、葵ちゃん。今日の昼間か明日でも良か――」

 

「――サンデーライフ!! テレビを今すぐ見れますかっ!?」

 

「……え? 今、寮の自室なんで手元にあるのはタブレットくらいですけど……」

 

「じゃ、じゃあ。それでネットニュースでも何でも良いので見て下さいっ!」

 

 葵ちゃんが取り乱していたから逆に何事だと私は冷静になった。そして、一体何を見れば良いんだろうとタブレット端末でブラウザを開けば葵ちゃんが何を言いたいのかははっきりと分かった。

 

 

――『宝塚人気投票1位サイレンススズカ、ローテーション調整の結果帰国を断念。アメリカ遠征継続の意向を固める』

 

――『宝塚記念への出走が内定したメジロマックイーンが第2回出走登録を行わない意志を表明。帝王賞ダート路線を優先する模様』

 

 

 私よりも上位2名の出走回避報道が既に出回っていた。

 ……ということは。

 

「……葵ちゃん、これって……」

 

「おめでとうございます、サンデーライフ。

 ――12位ですから、この時点で繰り上げ出走が確定です!

 宝塚記念、出られますよっ!」

 

 

 


 

 サンデーライフ @sundaylife_honmono・6月6日 ︙

  宝塚記念の最終結果発表まであと数日となりましたが、ファンの皆様に簡単なご報告がございます。

  この度、私の勝負服のデザイン案が決定し既に衣装の作製をURAへお願いしてきました。どんな衣装になるのかは、現時点ではお伝えできませんが、もし宝塚への出走が決定すればそこでお目見え出来るかと思います。

  今後ともサンデーライフをよろしくお願いいたしますね!

 4.2万 リウマート 7,998 引用リウマート 9.4万 ウマいね



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第61話 証明

 サイレンススズカの日本帰国断念は怪我や病気等によるものではなく、ローテーションを踏まえてのものだった。今年のサイレンススズカはアメリカのBCシリーズへの出走を目標として据えており、2000mのBCフィリー&メアターフか2400mのBCターフのいずれかを選択するであろうと囁かれている。というかフィリーもメアも牝馬を差す言葉だけど大丈夫なのかなって思ったけど、よくよく考えてみたら普通に国内でも『阪神ジュベナイルフィリーズ(・・・・・)』って使ってた。でもBCの『ブリーダーズカップ』の方の呼称はダメらしい。JBC系統もアプリ内実況などでは一律『ジェービーシー』読みだったし。

 で、そんなアメリカのBCシリーズは開催地が毎年変わるのだけど、今年はケンタッキー州のキーンランドレース場にて実施される。10月の最後の週だから、これだけなら確かに宝塚記念に出る余裕はあると言えばあるのだけど……どうもサイレンススズカ陣営はBCの前に、同じアメリカ中西部のイリノイ州にあるアーリントンパークレース場にて夏季興行中に1戦挟むつもりだったようだ。そうなると宝塚記念が確かにローテーションを逼迫しているのは確かであり、しかもキーンランドもアーリントンもサイレンススズカが得意な左回りコースなのに対して、宝塚記念の行われる阪神レース場だけ『右回り』。

 無理して帰国して宝塚記念に出るのが、サイレンススズカの帰省とファンお披露目以上の意義は私から見れば無いように思えた。まあ私も生でサイレンススズカを見たかったと言えば、それはそうなのだけれども。

 

 そもそも、考えてみれば出走意志発表時点からサイレンススズカ陣営はかなり消極的な声明で『行けたら行く』レベルだったし。とりあえず人気投票で枠だけ確保してから改めて判断するという考え方自体はレース管理の手法としてはむしろ納得のやり方だった。

 

 

 ……後はマックイーンなんだけどさ。同じ6月末のレースで帝王賞の方を優先するのはちょっと面白い。まあメジロ家全体で考えればパーマーもライアンも居たから、宝塚をメジロ運動会にしないためにもという意味合いはあると思うけれども、春天で1着を取っておいてダートの名優に戻るんかい。

 

 ちなみに第2回特別出走登録――つまりは、宝塚記念の週の木曜日までには私よりも人気投票が上位であった子から更に2名の出走回避者が出て、私の下でも1人回避が出て、結局15位までがギリギリで引っかかることになった。

 

 だから出走メンバーが決定したときには私の最終12位という順位は、案外普通に出られる範囲に収まっていたわけである。……史実中央競馬の宝塚記念・有馬記念の両グランプリがなんだかんだでファン投票上位層競走馬のうち半分くらいは回避することを考えれば、15位までで10枠埋まっているのは、こちらの世界のレースの人気さを再確認できる。

 

 

 ――そして、第2回特別出走登録を終えた1時間後にはすべての出走ウマ娘が確定し、その宝塚記念出走ウマ娘の中にしっかりと私の名前はあり。

 それとほぼ時を同じくして葵ちゃんのトレーナー室へ、私の勝負服が届いたのである。

 

 

 

 *

 

 勝負服はハンガーラックとともに搬入されていて、不織布のドレスカバーで厳重に保護されていた。

 私がトレーナー室に来たときはURA提携の専用の『勝負服を運搬するためだけ』の専属業者が、ハンガーラックごと緩衝材が入れられた箱から取り出されている最中であった。

 

 勝負服を複数着用できるウマ娘などGⅠを複数回勝利しているウマ娘でもほんの一握り。ましてや勝負服そのものが、GⅠに出走しなければ着ることが出来ないともなれば、ウエディングドレス以上の希少性があるのだから生半可な扱いはできない。

 

 だってトゥインクル・シリーズのGⅠレースは年間24レース。このほかにローカル・シリーズのGⅠ・東京大賞典、JpnⅠが10レース、そして障害競走J・GⅠの2レースで国内は全てだ。

 37レースとして考えると多いかもしれないけれど。中央・地方の1年間の合計レース数って具体的な数こそ数えたことはないけど、年間で1万8000程度はいくだろう。その中のたった37、しかもその中央や地方のトレセン学園に所属できないウマ娘も居るということも考えれば、私の目の前にある勝負服の価値というのは測り知れないものがある。

 

 改めて、凄いところまで来てしまったことを再確認する。

 そして業者の方が、緩衝材や運搬用ボックスなどを回収して撤収すると、そこには改めて存在感のあるドレスカバーが鎮座していた。

 私は葵ちゃんに一言だけかける。

 

「……開けますね」

 

 

 その返答には何も返ってこなかったけれども、そのままゆっくりと丁寧に私はドレスカバーのジッパーを開き、全て開け切ったところで、カバーごと外して勝負服を見やる。

 

 全貌が明らかになる。

 そこに存在したのは。

 

 

 ――近現代にかつて存在した女性用乗馬服。

 

 今では男性用の最上級の正装として知られるモーニングコートのスーツジャケットに、白色のジョッパーズのパンツ。その上にジャケットと同系統の黒色のオーバースカートを重ねて、ブリティッシュスタイル馬術で用いられるようなロングブーツで揃えた色彩にメリハリのある衣装。上着のモーニングコートの下には色味のアクセントとして淡い水色のスキッパーシャツをインナーにしている。

 

 個々のアイテム自体はこの世界にも当然存在しているが。

 それらを調和させ1つの『衣装』として一体化させたこの勝負服は、実にありふれたように思えて、細かく見れば見る程にこの世界には存在しない――『唯一無二の勝負服』なのである。

 

 

 

 *

 

 当たり前のことだが、この世界には『馬』が居ない。ただ『馬』がおらずともウシやロバや豚やラクダ、リャマなどといった多種多様の動物が、『馬』の家畜としての役割を担った。荷物を運ぶ荷役馬や馬車に繋がれる馬車馬の代わりには主にロバ、田畑を耕す農耕馬の代わりにはウシやスイギュウといったように。もちろん、その役割をウマ娘が補完することも多かった。

 

 だからこそ『馬』が居なくても社会は発展していったし、本来『馬』が居なければ登場し得ない『乗馬服』や『馬具』なども、一切この世界の歴史に名を見せぬまま、そこから発展したアパレル系のアイテムは別系統からの分岐で補完されていた。

 

 例えば、馬具は古くは上流階級にこそ親しまれて使われる商品であったために、それを取り扱うメーカーは細心の品質管理と注意が必要であった。他ならぬ高級ブランドメーカーである『HERMES』や『GUCCI』がそうした馬具の取扱いからその歴史の第一歩を歩み始めていることからも、本来ファッションと『馬』というのはそれなりに不可分なものだ。

 ……ただ、この世界ではその繋がりは絶たれていて、全てはウマ娘、ないしは他の動物関連のアイテムからの系統進化という形になっている。

 

 『乗馬服』も同様だ。先に挙げたモーニングスーツも乗馬服からの派生である。ブーツも乗馬用途から発展したものだった。あるいは『騎手の勝負服』だって上は識別用に色が割り振られたものの、下に履いているパンツが白色なのも、イギリスの伝統的な乗馬服のフォーマルスタイルからの派生。『勝負服』すら源流を辿れば乗馬服に行き着くのだ。

 けれども、この世界には乗馬服は存在しない……が。最早、私の知識としてしか存在しない競馬の歴史……ううん『馬の歴史』として見たときに乗馬服の歴史は存外古いのである。

 

 そして、その『女性用乗馬服』という存在も、古くはエリザベス1世の治世まで遡ることが可能だ。

 エリザベス1世は競馬を愛したが、その源流は父であるヘンリー8世の影響であるところが強い。このヘンリー8世時代に、現在も(・・・)レースを行う中では最古の競馬場たる『チェスター競馬場』が開設されたが、これが1539年。織田信長が生まれて何年かという頃である。

 そしてエリザベス1世の時代には、女王自ら競馬観戦に行く熱の入れようで17世紀には『競馬』が10数か所の競馬場で定期的に開催されるようになった。なおエリザベス1世(・・)は『エリザベス女王杯』のレース名の示す女王とはまた別人なのであしからず。

 

 閑話休題。

 だからこそ、このエリザベス1世を中心として宮廷の女性たちの間で『女性用乗馬服』の着用の流行が生まれた。それ以前から男性用衣服のレディース改造着用という文化はこのイングランドの貴族社会にはあったらしいけれど、『女性用乗馬服』という流行は宮廷から始まったことが記録にも残されている。

 そのスタイルは男性用の上着ジャケットに近い装束にスカートというアイテムの組み合わせが基本で、そこにフードや帽子、マントなどを合わせていくといったものが主であった。

 

 そしてその文化は20世紀に入っても残り続けたが、この頃に女性乗馬の転機が1つ訪れる。それまで女性が乗馬する場合は横乗りが基本であったが、今の『乗馬』のように跨いで馬に乗ることが徐々に男性から女性にも浸透し始めた。

 跨ぎ乗りする場合にはスカートはどうしても邪魔になる。だからこそ乗馬用途のオーバースカートというのは徐々に廃れて消失し、結果的には男性用と女性用の乗馬服の見た目はほぼ同一となって現代に至る。

 既に『女性用乗馬服』という概念そのものが、現代においてはサイズやデザイン性としての区分に過ぎないものだ。

 

 

 ……私の『勝負服』は、そんな男性と女性の乗馬手法の垣根が無くなる前の過渡期の衣装である。だからこそ『王子様』のような男性的な偶像のイメージと、私という存在の曖昧さを表現するのにこの上ない衣装であるというのがまず1つ。

 

 これまでずっと『競馬』としての知識をレースに応用し続けて、『ポロ』や『ホースボール』といった競馬外の乗馬競技すらも使い続けてきた私にとって、それらに共通する『乗馬』という概念そのものを形容する衣装であるというのがもう1つ。

 

 そして。

 この『乗馬服』や『女性用乗馬服』という存在が、この世界には存在しない概念だということ。

 ……ウマ娘。彼女たちが『ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前とともに生まれ、その魂を受け継いで走る』存在なのだとしたら。

 別世界の名前もなく、その魂が存在しない『サンデーライフ』が背負うものは――無いのである。

 けれど。そんな私が背負えるものがただ1つあるとすれば。

 

 それは、私の中に然りと記憶として残されている……『馬』という存在の『歴史そのもの』だ。

 『乗馬服』とは、その『馬』と『人間』が共に寄り添ってきた歴史の証明であり。

 『女性用乗馬服』とは、それが決して男性だけで紡がれてきた歴史ではないことの結実である。

 

 

「……ねえ、葵ちゃん。『勝負服』を着ても良いですか?」

 

「もちろんですっ! 是非、お願いします!」

 

 私の『勝負服』姿を見たいのか、それとも採寸とかの都合を確認したいのか……多分葵ちゃん的にはどっちも含めた上での言葉だったのだろうけれども、とりあえず何も言わずに更衣室にて着替える。

 びっくりするくらい簡単に着ることが出来た。私の身体にフィットするタイトな衣装ではあったけれども、着ることに時間はかからなかった。上着についてはほぼ実質スーツだしね、これ。ドレスや着物みたいに手間がかかるようなものじゃない。

 

 そして勝負服を着たまま私は姿見を見て。――気付いた。

 

「……そっか。本当にこの『勝負服』は――」

 

 

 全てがちぐはぐであった。

 

 男性的な上着に女性的なスカート。

 全体としては大人びた雰囲気を与えるのに、そのジョッパーズの上にオーバースカートという出で立ちは、どこかスカッツのようなキッズファッション的な印象も微かに残しており。

 モダン風の印象を与えつつも、歴史的にはクラシカルな衣装。

 ウマ娘であるはずの私が、『馬』に乗るために作られたはずの衣装を着ていること。

 そしてこの世界のファッションアイテムとしては全部バラバラの由来を持つアイテムを無理やりごった煮にしたようなもの。

 

 

「――綺麗で、カッコよくて、可愛いですよ? サンデーライフ」

 

「葵ちゃん……。そうですね……」

 

 姿見の後ろから葵ちゃんが私の肩に手をのせて顔をひょこっと見せるようにして話してきた。

 相反する性質を兼ね備え。曖昧なのにどこか調和もしていて。どうしようもなくこの『勝負服』は私を形容していた。

 

 だからこそ。私が着た瞬間に、まるでこの服は私が着るために生まれてきた……と、そこまで思えるくらいのもので。そしてその感覚は正しく、この『勝負服』は私が着る唯一無二のものとして、どこまでも相応しかった。

 

 ……心のどこかでやっぱり履き慣れたシューズ、そして運動に最適化された服装で走るのが一番速いんじゃ、と思う気持ちはずっと残っていたけれども。

 『勝負服』を着てみて感覚的に分かった。……ここに乗せられた気持ちは別格だ。

 

「葵ちゃん」

 

「なんでしょう、サンデーライフ?」

 

「……私、こんなに『走りたい』って気持ちになったのは初めてかもしれません」

 

 

 初めての勝負服。

 初めてのGⅠ。

 初めての気持ち。

 

 

 そして。それらを全て乗せた宝塚記念は。

 

 ――お互いに話すまでもなく、最も絶望的なレースであった。

 

 

 


6月第4日曜日 3回阪神8日 発走時刻:15時40分

第11R 宝塚記念 GⅠ

クラシック級以上 オープン(国際)(指定) コース:2200メートル(芝・右)

本賞金 1着:1億5000万円 2着:6000万円 3着:3800万円 4着:2300万円 5着:1500万円

 

1枠 1番 メジロライアン

1枠 2番 ゴールドシチー

2枠 3番 ダイタクヘリオス

2枠 4番 タマモクロス

3枠 5番 マチカネフクキタル

3枠 6番 オグリキャップ

4枠 7番 アグネスデジタル

4枠 8番 マーベラスサンデー

5枠 9番 マヤノトップガン

5枠10番 サンデーライフ

6枠11番 グラスワンダー

6枠12番 メジロパーマー

7枠13番 バンブーメモリー

7枠14番 メイショウドトウ

7枠15番 アグネスタキオン

8枠16番 キンイロリョテイ

8枠17番 アイネスフウジン

8枠18番 テイエムオペラオー

 

コースレコード 2:10.1 晴/芝:良 アーネストリー(シニア級3年目時)



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第62話 シニア級6月後半・宝塚記念【GⅠ】(阪神・芝2200m)

 発走1時間前。

 阪神レース場。天気は曇り。バ場状態はここまでずっと良バ場。

 

 私は控え室で既に自身の勝負服である『女性用乗馬服』を身に纏っていた。

 既に興行は本日阪神・第9レースの2勝クラスのPre-OP戦・舞子特別が終了して次走の準備をしているところだ。第10レースの花のみちステークスはダートレースなので、もう芝が使用されることはない。

 

 最後の確認といった面持ちで、何度も何度も繰り返すように見て、ここ阪神レース場までの移動中も、前日入りしたホテルでも片時も手放さなかった『出走表』を見やる。

 改めて見ても、どうしようもないメンバーだ。今まで私は最も脅威となるであろう数名をマークするという戦法でここまで進んできたけれど、これだけの面子が用意されてしまうと最早作戦うんぬんの水準でどうにかなるレベルを遥かに凌駕していた。

 

 前にはダイタクヘリオスとメジロパーマーの爆逃げコンビが居る以上、最早私の十八番となりつつある切り過ぎた切り札こと『大逃げ』すらもほぼ不可能と来ている。タマモクロスも居る以上は追込までしっかりとカバーされている。

 

 一応、阪神レース場についても振り返っておこうか。

 このレース場には何度かお世話になっているものの、ダートレースが2回、障害ダートが1回で、芝においてはメイクデビュー戦における対スーパークリークの2000mただ1回のみだ。

 それよりも200m長いが、良い点は2000mも2200mもどちらも内回りコースを利用することで、経験が生かせること。悪い点は、その経験はメイクデビューという本当に一番最初のレースでちゃんと事前に考えて走っていなかった頃だから、ほとんど何も参考にならないということ。……ダメじゃん!

 

 阪神・芝の特性を考え直すと、まず幅員が狭く、コース取りを変える余地が少ない……なので、バ場状態が良くても、内側の痛みは結構進行している。だから内がそこまで有利にはならないし、何なら最初のホームストレッチ側での直線スタートもかなり長めに余裕があることから外枠からスタートしても位置取りに関してはそこまで問題にならない。だから枠番による有利不利というのはほぼ無いと見て良い。

 

 コースとしては第3コーナー辺りから、第4コーナー、ホームストレッチ直線にかけてずっと下り坂が続いて、ゴールまであと200mという地点から100m程度で一気に高低差1.8mの坂を登るという構造。高低差自体はトゥインクル・レース開催レース場の中では物凄くキツい、というわけではないが短い距離で駆け上がるために勾配は結構ある。しかも、ホームストレッチ側からのスタートなので、この急勾配の坂は序盤と終盤に2回。

 

 なので、統合すると急坂2回と荒れたインコースということで、スタミナ消耗が激しくパワーを要するコースと言える。だから芝ウマ娘の中でも、ダートや障害を経験している私は条件としては相対的には有利にはなる。

 まあダートも走れるオグリキャップやアグネスデジタル、そして障害経験者ならメジロパーマーも居るから、私だけに有利に働く要因では無いんだけどね。

 

 レース場適性から見れば単純に強い脚質は差し。最終直線はやや短めだけれども、急勾配の坂でのスタミナ切れを狙えることから後方から差し返す展開が有利になりやすいことと、第3コーナーからの下り坂で一気にレース展開が加速することが予測されるので、私の追込だと逆に間に合わない可能性が生じるためだ。

 

 しかし、今日のメンバーを鑑みるに、同条件で『差し』で争ったとして勝てる見込みは無いし、その中団にバ群が形成されてしまえばそれから抜け出すのも容易ではない。ということで、今日の私は先行から差しの間での折衷策で行く。

 先行集団に追走しつつもかなり後ろ目に付いて、後方の差し集団には埋もれない位置に付くのが目標だ。これならスリップストリームの恩恵も受けられるはず。

 

 あとは、ダイタクヘリオスとメジロパーマーの爆逃げコンビがどれだけレース展開を荒らすのかにもかかってくる。……まあ、それら全てが上手く噛み合ったとて勝機は見えてこない勝ち筋が皆無のレースである。

 

「葵ちゃん、今日はパドックお披露目の後、葵ちゃんの居る観客席には行かずに、時間になったら直接ゲートへ向かいます。

 ……だから、何かあれば。今のうちに言葉を頂けると――」

 

 葵ちゃんはまず、私の両手を軽く掴んで、そのまま手のひらでくるんだ。

 そしてゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「……今、この場にこうして一緒に居ることこそが、サンデーライフ。あなたの尽力によるものです。その意味で言えば、本日のレースについては現時点で私達の目的は9割以上満たされていると言っても良いでしょう」

 

「……ふふっ、そうですね」

 

 そもそもこの宝塚記念。私達にとっての立ち位置は『メンタルトレーニング』の一環である。そしてこの文脈においては充分に成果を挙げていたと言っても良いだろう。

 だからこそ、レースの勝敗に関わらずもう私は目的の成就という意義は達成していた。……今から始まるのは、それの『ウイニングラン』に過ぎないのかもしれない。

 ファンや他の出走者は誰一人として、そんなことを考えているなどとは知る由も無いだろうが、ここから先に起こるレースの結果に関して、私と葵ちゃんはそこまで重きを置いていない。

 

「……こんなことを言うのはサンデーライフにだけですよ、全く。

 今日、あなたはここに集まったトップクラスのウマ娘たちを最も近くで見ることができる『聴衆』です。

 そして、同時にあなたに票を投じた32万4189人の『ファンの夢』を背負っているウマ娘でもあるのですよ……もちろん『私の夢』もずっと託してきたつもりです」

 

「この場面で、言われると重い言葉を的確に選んできますね……」

 

「――おや? サンデーライフには『ファンの夢』と『私の夢』……どちらが重く感じたのですか?」

 

「……どちらもですよ。本当にどっちも重い――」

 

 

 ――いつの間にか、私は色々なものを背負っていた。それを感じることは月日が経つごとにどんどん多くなっていっていたけれども、心のどこかでは今の私にかかるそういった期待感という名の重責が、羨望という名の重石が、どこか心地よくなってきている側面もあった。

 

 逆境の中で勝利を無理やり掴み取るメンタリティは私の中には無い。

 

 ファンの夢も葵ちゃんの夢も、私の走りで叶えてあげようという気持ちも無い。

 

 

 ただ私に出来ることを着々とこなすだけ。

 私が出来る力を無理なく自然に引き出して、行けるところまで行ってみる。

 

 ――たとえそれが、ただのトレーニングであろうと……春の三冠の最後を飾る、たった2つしかないグランプリの片割れ――GⅠ・宝塚記念であったとしても。

 

 ……私は全く同じパフォーマンスで走る。

 

 

 

 *

 

「――票に託されたファンの夢。思いを力に変えて走るグランプリ・宝塚記念!」

 

 全員有力ウマ娘。私以外なら誰が勝利を掴んでもおかしくないように思えるレース。けれどもファンによる人気というのは然りと存在している。

 

「1番人気はテイエムオペラオー。8枠18番、最も外枠からの出走となりますね」

 

「今年に入ってからの連対率は100%をマークしております。京都記念では1着、GⅠ・大阪杯でも1着、そして春の天皇賞におきましてはメジロマックイーンに僅かに届きませんでしたがそれでも2着でした。

 今年のシニア級戦線で最も勢いに乗っているウマ娘は間違いなくこの子でしょう」

 

 大阪杯がIFローテなので、春天を落としてグランドスラムは不可能になっているもののGⅠ勝利数は依然史実準拠をキープしているオペラオー。彼女を1番人気に指名したファンたちに『実はこれでも史実戦績と比べても悪いんですよ』って言ったらどんな顔するんだろうね、連対100%で6月の折り返しに来ているウマ娘の『戦績が悪い』なんて言い出したら気狂いにしか思われないと思う。

 

 

「2番人気を紹介しましょう。オグリキャップです。3枠6番からの出走となります」

 

「昨年の秋のグランプリ――有記念にて一度夢を掴んだウマ娘です。今年は春秋どちらの夢も掴む魂胆なのでしょう。葦毛のアイドルウマ娘――僅かに人気がテイエムオペラオーに届かなかったのは、今年の初めに疲労蓄積の療養を挟んでいたためでしょうか。前走・目黒記念におきましては堂々たる走りでその不安を一蹴していたかのように見えましたが、それでも人気は譲っております」

 

 史実・オグリキャップ号はこのシニア級1年目に相当する期間は繋靭帯炎を発症して、前半シーズンは全て休養に充てているが、それがこの世界線では存在しなかった。となると、史実オグリ陣営の当初想定プランである大阪杯→春天→安田→宝塚という鬼畜ローテに移行したのかなと考えていたが『疲労蓄積』という軽減した形で症状は出たようで、結局早めの温泉療養旅行をトレーナーと一緒に行っていたらしい。

 まあ、疲労ならまだ温泉で回復するのは理解できる。で、目黒記念を経由する仮想ローテで史実よりも早く復帰したということになる。

 

 

「3番人気はこの娘――7枠15番からGⅠ・2勝アグネスタキオン」

 

「昨年はNHKマイルカップを優勝して、直近ではヴィクトリアマイルでのフジキセキとの直接対決が見られました。惜しくもヴィクトリアマイルでは2着でしたがマイル戦線で活躍するウマ娘ですね。

 ですがジュニア級においてはホープフルステークスの日本レコードに迫る勝利もありました。中距離路線においても充分に通用するはずのウマ娘ですよ!」

 

 ついに来たね。完全仮想組。アイネスフウジンもそうだけれども、このアグネスタキオンだって史実なら既に引退済である。タキオンについてはもうアプリローテすらも逸脱していたが、このシニア級宝塚のタイミングでアプリローテに戻ってきた。

 既に無敗記録は破れているものの、それでも出走すればほぼ好走という脅威の安定性を有している。

 

 

 ――そして。

 

「16番人気、5枠10番サンデーライフ」

 

「実力と実績はまずまずですが、果たして『条件不問の王子様』はこのグランプリの舞台でどこまで通用するでしょうか。厳しい展開が予想されますが、しっかりと仕上げてきておりますね。格上相手にどこまで喰らいついていけるかに注目です」

 

 流石に周囲が全員ネームドであるこの舞台では人気もそれくらいになってしまうし、解説の言葉も厳しい。ただ、それでも人気は最下位ではなかった。ダントツの最下位人気などでは無いということだけでも充分だろう。

 

 

 そして、ゲートへと向かう。

 そこには見知った顔ばかりがあった。流石にレース前だから一言二言交わすだけだ。

 

 まずアグネスデジタルは流石に前走のことがあるから彼女から話しかけにくいだろうと思って私から。そこで、同室のよしみのタキオンからも『カフェから話を聞いている』みたいな一言を貰って。

 

 爆逃げコンビのメジロパーマーとダイタクヘリオスにも挨拶。一緒に逃げる? って聞かれたけれども、ここで策とかは弄さずに素直に断って。

 

 ゴールドシチーとバンブーメモリーの同室コンビにも話しかけられて。2人からは『やっとGⅠまで来た』みたいにからかわれて気合を入れてもらって。

 

 テイエムオペラオーは未勝利戦以来一切関わっておらず、しかも本当に初期の未勝利戦だったので印象に残る戦い方なんてしていなかったのに、私のことをしっかりと覚えていて。それを隣に居たメイショウドトウに自慢していて。

 

 マヤノトップガンからは、勝負服のデザインについて『もっとファンをノーサツできるような衣装じゃないと大人の魅力が引き出せない』って指摘を受けて。

 

 そして最後に、メジロライアンとアイネスフウジンのこれまた同室コンビに一言かけられた。ライアンとは前に白富士ステークスの応援団でアイネスフウジンの付き添いで来てもらったときが初対面。でもアイネスフウジンから再三話は聞いていたからこれが2度目という感じはあまり無いんだよね。でもアイネスフウジンもメジロライアンも闘志がみなぎっているのが気配だけでも分かった。

 

「アイネスさん……結局、初詣のときのお話を果たすことができましたね」

 

「えへへ、ライアンちゃんもサンデーライフちゃんもありがとうなのっ! 2人とも同時に一緒に走れる機会があるとは思わなかったの!」

 

 まあ、個別ならともかく私とメジロライアンの路線が競合することはほぼ無いだろうしねえ。本当に今回限りかもね。ただそれだけ言葉を交わしたら、1人ずつゲートに入っていく。

 

 

 ――そしてゲートイン完了。

 今から2分と少し後には、決着がつく。

 

 

「……さあ、ゲートが開きました。揃って飛び出した18人であります。

 今年もあなたの、そして私の夢が走ります。あなたの夢はオペラオーかオグリキャップか、タキオンか。

 私の夢は――」



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第63話 シニア級6月後半・宝塚記念【GⅠ】(阪神・芝2200m)顛末

 スタート直後にハナを獲ろうと先手を切ったのは、メジロパーマーとダイタクヘリオスの2人。そしてその2人を追いかけるように後に続いたのがアイネスフウジンとメイショウドトウであった。

 

 それだけ確認したら私は徐々に内へと入って先行集団後方のバ群に埋もれる。内はあまりバ場状態はよろしくないけれども、許容範囲内ではある。もっとも悪ければ悪い程、基本は私に有利な条件にはなるんだけどさ。イレギュラーで未知の状態になればなるほど、オールフラットで適応できる私が優位にはなれるがそこまで甘くは無い。

 

 

「5番手にマヤノトップガン、その外にアグネスタキオン。

 そのすぐ後ろにテイエムオペラオーとアグネスデジタルが7、8番手集団を形成しております。そのアグネスデジタルのすぐ後ろに控えているのがサンデーライフ――」

 

 とりあえず、この最初の直線においてはスリップストリームはアグネスデジタルの後方で恩恵を受けることにする。

 ……デジたん二度見してきてガッツリ目が合った。これで掛かれば楽だけど、そんなに簡単には行かないよなあ。

 

 前に8人居るから私は9番手。18人フルゲートだから、真ん中と言って差し支えない順位。とりあえず狙ったポジションに収まることが出来た。まあ、阪神2200mの最初の直線は長いから、位置取りについては結構狙い通りにやるのは簡単な方だけどね。

 それで、このレベルだと序盤にある坂などというものはもうものともしない。速度が落ちないどころか、それまでの下り坂の勢いのままに速度を保ちつつ……あるいは下手すれば加速局面を継続しているわけで。

 

 

「スタンド前を通過して第1コーナーのカーブに入ります。大歓声を背に、先頭を突き進むのはメジロパーマーで、リードが1バ身半から2バ身です! 単独でダイタクヘリオスが2番手を進みます」

 

「ここで600mを通過してのタイムが37秒1ですか。……思ったよりペースは速くないですよ。このままのペースで推移すると先頭の2人も含めてかなり余力を残したまま展開していきそうです」

 

 カーブを利用して最先頭を突き進むメジロパーマーの様子をチェックすると思ったよりもリードが無いし、2番手ダイタクヘリオスは、メイショウドトウやアイネスフウジンとほとんど差が無かった。爆逃げコンビであるはずの2人のペースが、多分そこまで速くなくて、通常の逃げの範疇に収まっているように思える。

 

 とすると、先行集団より後続ではスローペースの展開になっていると言ってもいいかもしれない。

 とはいえスローペースであれば前が有利。ど真ん中に付けている今のポジションはそこまで悪くない。仮にここからパーマーがペースを上げても対応が可能だから、ここは無理にポジションを変えずに維持で良いだろう。

 

 

「各ウマ娘、向こう正面に入って依然先頭はメジロパーマー。2番手にダイタクヘリオス、そこから少し離れてメイショウドトウとアイネスフウジン、ここまでは変わりません。

 5番手アグネスタキオンとマヤノトップガン、その隣に1番人気テイエムオペラオーも徐々に進出してきております。その3人の後方にアグネスデジタル、すぐ後ろにサンデーライフ。ここまでが先行集団です」

 

 アグネスデジタルと並走していたテイエムオペラオーが僅かに位置を調節したために、私の目の前はアグネスデジタルだけになった。これでデジたんに動きが生じるかもしれない。その動き次第によっては私もスリップストリームの恩恵を受け続けるためには移動する必要が生まれるわけだが、そこはアグネスデジタルの動き次第なのでまだ保留。

 そして後方をちらりと見る。

 

「――中団の先頭はメジロライアンとオグリキャップの2名で牽引しております。その後方にマチカネフクキタル、バンブーメモリー、マーベラスサンデーが団子状態の大混戦、その外を行くのが昨年優勝ウマ娘、グラスワンダーです。

 その後方にゴールドシチーがおりまして、更に後方にキンイロリョテイ。そして最後方にタマモクロスが虎視眈々と構えて、以上18名のレースでございます――」

 

 後ろはパッと見た感じ結構固まっている。5、6人の集団になっているように見えて、ちょっとここに埋もれてしまうと私の実力ではまずいかもしれない。

 

 

「さあ、バックストレッチでのハロンタイムは11秒8! 12秒を切ってきました! 着々とペースが上がっておりますが、どう見ますか?」

 

「そうですね、ここまで全体がやや緩いペースで推移していたので、もう大きく落ちることは無いでしょう。11秒台から12秒前半での激しい攻防になるかと思われます。……おっと、中団後方に動きがありますね」

 

 このバックストレッチ直線のタイミングで、後方に居たメジロライアンが私を抜き去った。それと、同時にバンブーメモリーとグラスワンダーも動き出す。……スパートでは無いが、早めに先頭との差を詰めておこうという魂胆なのだろう。そして、それと同時に逆の脚を溜める判断に切り替えたのがアグネスデジタル。そしてその前に行っていたテイエムオペラオーも下がってきた。

 

 かなり流動的な動きが発生して、先行集団と差し集団が完全に一体化してしまったが、私の判断はアグネスデジタルのスリップストリームから抜けて、この集団の中央辺りを維持することにした。

 大きく順位変動がある以上は、もう背後に付けることは難しい。もしかすると私がスリップストリームを多用することくらいは見極められているかもだから、後ろに付いたらペースを変えてくる可能性もある。

 

 すぐ真後ろに付くと確かに風の影響を最小限に抑えられるものの、逆に少し外れてしまうとかえって前を走るウマ娘によって不規則な風向に捻じ曲げられて自身に襲い掛かるので、スリップストリームへの妨害をされると後方に付けているのが逆効果となるのだ。だから、ここからはもうそうした体力温存の恩恵は受けられない。

 

 

「第3コーナー中ほどで1400mは1分25秒9、それほど早いタイムではありませんが、ここで先頭が入れ替わりメジロパーマーからダイタクヘリオスへ! しかし、そのすぐ後ろにはメイショウドトウもアイネスフウジンも付いてきて……おっと、そこに後方から上がってきたマヤノトップガンとメジロライアン、そして2番人気のオグリキャップも先頭を狙って来ております! 既にこの位置から先頭は混戦状態となっております――」

 

 あと800mを切った。そして前の方もぐちゃぐちゃになっているところを見るに、もう脚質はほぼ関係なく一塊に近い状態になってきていると見て良い。

 ここからは最終直線の最後の上り坂まではずっと下り続ける。だからペースが落ちることはもう無いと見て良い。

 

 となると、どこで仕掛けるか。もう既に逃げ集団が捕捉されている。となると現状で前に出ても、先行・差し集団のうち早めにロングスパートをかけた組とほぼ同条件にしかならない。だから今から前でリードを作ることは不可能。

 逆に足を溜めて今のままのペースを維持、ないしは落とす場合には確実に後方まで一気に下がる。だってここからもうレース全体のペースは上がっていく一方なのだから。そうすると、追込のように最後方からの捲りを、ここまで先行に付けていたスタミナでやることになってしまう。それはそれで不利。

 

 だから現状維持が最も安全な選択となるが、集団が一塊になってきている都合上、私の居る位置近辺がバ群として埋もれやすい場所に変貌した。今は大丈夫であっても将来的に、ここに留まり続けると前に進出できるスペースすら失う恐れがある。

 

 もう最良の選択肢が存在しない。手札に揃うあらゆる『悪手』の中から、その中で最も致命的ではない悪い手を選び取ることで、次に繋ぐことが最適解となる閉塞的な局面だ。

 で、あればここは現状維持。全体のペースアップに合わせて加速しつつも、順位を自分からは大きく変えることなくチャンスを待つ。

 だからもう、後ろから暴風雨のように駆け抜けていくウマ娘が居ても、それを気にしないし、逆に垂れてきた子が居れば容赦なく抜き去る。

 

 

「さあ、先頭は4人の鍔競り合いで第3コーナーから第4コーナーの中間点、僅かにアイネスフウジンが今度は先頭に躍り出たが、残り3人もその差は僅か! そのすぐ後方にはここまで出てきました、メジロライアン! そしてオグリキャップ、バンブーメモリーも上がってきているぞ!

 更に最後方からタマモクロスとキンイロリョテイ、どちらも一気に上がってきた! 既に集団の中団からやや前方も見えてきているでしょうか!? 先頭から後方まで順位がめまぐるしく変わっております!」

 

「ここ1ハロンのタイムが11秒7、もうずっと11秒台ですがどの子もよく追走しておりますね。しかし、これだけ密集状態ですと紛れがありそうです。まだスパートをかけていない子にも期待がかかりますよ!」

 

 残り500といったところ。今までにない順位が流動的に変わるレース。仕掛けどころが極めて難しい……どころか、もう既に正解があるかどうかすらも疑わしい。

 スパートをかけていないのにも関わらず、集団追走の時点でほぼスパートといった様相を示している。

 

 ……仕掛けるか。第4コーナーの終わりギリギリの400m地点。

 最終直線が356.5mと短いから、そのタイミングで仕掛けよう。これ以上スパートせずに追走しているだけでも体力消耗で身動きがとれなくなる恐れがある。

 『伸び脚』については割り切ろう。あれはスタミナ残量が残っていて繰り出せるもの。今日のレース展開では、多少私の行動を変えても『伸び脚』分までスタミナを残すのはかなり厳しかった。

 

 

「さあ第4コーナーを進んで直線へと向かう! 先頭はまた変わって今度はメジロライアン! しかしメイショウドトウ、メジロパーマーも並走! アイネスフウジンも懸命に粘っています!」

 

「勝負どころ、最後の直線へと駆けていきます!」

 

「後方のウマ娘たちも一気に上がってきております、特にマーベラスサンデーとテイエムオペラオーが素晴らしい! サンデーライフも後方から上がろうかというところ! 前は依然メジロライアン! しかしメイショウドトウ追いすがる! タマモクロスとオグリキャップ、キンイロリョテイにマヤノトップガンも来ています!」

 

 抜き去ってはいる。けれども、それ以上に抜き去られてもいる。

 前に進出している感はあるが、しかしその更に前方に横並びになっているような感覚だ。あと一歩、二歩、三歩……実際にはもっと大きな差があるけれど、やはりその目に見えている背中がどこまでも果てしなく遠い。

 

 そして――

 

「さあ、これから坂! 仁川の舞台にはこれから坂がある!」

 

 ダービー卿チャレンジトロフィーのときに、中山の急坂を私は障害に比べれば所詮はただの平地の坂だと考えた。

 中山の坂は110mで2.2mを登る。一方で、ここ阪神は100mほどで1.8m。

 

 だからこそ、やっぱり所詮はただの平地の坂なのは間違いない。

 スタミナを予定外に消耗している今であっても、私は失速をすることはない。

 

 

 けれど。

 今、前を走っているネームドウマ娘も、坂で大きく失速する子はもうほとんど残っていないのであった。

 

 

 

 *

 

「前はメイショウドトウとメジロライアン! 凄い勢いでタマモクロスが抜き去っていく! マヤノトップガンも来ているぞ! そしてようやくテイエムオペラオーが差を詰めてきた! そしてキンイロリョテイとマーベラスサンデーも来ているが、これはどうか!?

 おっとライアンが抜けた! やはりこのウマ娘はこの距離が強い! オペラオーが凄い勢いで差を詰めてくるぞ! ライアンかオペラオーか! それともメイショウドトウかマヤノトップガンか、タマモクロスもあり得るぞ!? ……いや、やはりライアンとオペラオーの一騎打ち!

 2人がハナを譲らずそのままもつれるようにしてゴールイン! そのすぐ後ろにマヤノトップガン、タマモクロスの2人がほぼ同時に入線――」

 

「前の4人はほとんど差がありませんでしたが、ですがメジロライアンが僅かに体勢有利だったようにこちらからは確認できますね、メジロライアン1着と見て差し支えないでしょう!」

 

「やはり2200m、この距離では負けられないメジロライアン! メジロライアン、快勝――」

 

 

 ――確定。

 1着、メジロライアン。

 2着、アタマ差でテイエムオペラオー。

 3着はタマモクロスが1/4バ身差。

 4着、クビ差のマヤノトップガン。

 5着に1/2バ身差でメイショウドトウまでが掲示板入り。

 

 

 ……私の順位は、14着。

 

 

 

 *

 

「お疲れ様です! サンデーライフ……どうしました?

 そんなに奇妙な顔をして……?」

 

「……葵ちゃん。一応順位的には大敗ですから神妙な顔を維持していたつもりだったのですけれど……。

 個人的には、全然『アリ』な順位で、むしろ喜びたいくらいなんですけど、良いですかね……? 流石に『14着』では周囲に目がある状態で嬉しがるのはマズいと思って控え室まで頑張って表情を消していたのですが……」

 

 18人中の14位。そう聞くとダメダメだったように思えるけどさ。

 初めてのGⅠレースで相手が全員ネームドという状態であることを踏まえれば大きな成長だと思うよ私は。

 

 だって、14位という数字を出すと負けの印象が強いけれども、逆に考えればネームドを4人破っているわけで。今までのありとあらゆるレースの中で最大の戦果なのだから。

 しかも、その破った相手もアグネスデジタル、マチカネフクキタル、ダイタクヘリオス、ゴールドシチーの4名。

 確かに相手の調子が悪かったかもしれないけれど。この4人を破ったレースという観点で考えれば、内容としても正直申し分無いと思う。

 

「……予想外のことが起きなければ、本当にメンタル面の問題が無いですよねサンデーライフは」

 

「ちょっと、その言い方傷付きましたー。少しは労わってくれても良いんじゃないですかねー?」

 

「……しょうがないですね、サンデーライフ。

 じゃあ、走った後ですし、ちょっと髪の方を整えちゃいましょうか」

 

 

 うーん……まあ確かに走った後だから、髪の毛のスタイリングをやってくれるのは助かる。

 

「あ、でも。一旦シャワー浴びた後で良いですよね、葵ちゃん?

 流石に、この汗はちょっと流さないと気持ち悪いです……」

 

 確か、実際の競馬場にもレース後の熱中症対策のために検量室の脇には競走馬用の冷水シャワー設備が併設されていることが多い。だから、私達ウマ娘にもレース後に汗を流せるシャワー施設は当然完備されているわけで、ついでにこっちは温水だ。まあ、それはそう。

 

 本音を言えば勝負服もウイニングライブ用で別途欲しいけれども、それは高望みか。これ作るのに、多分数百万円では済まない金額が動いているだろうし、匂いとか汗を吸わないようにする機能とかも盛り込まれているとは思うけどねえ……。

 ただ今日はバックダンサーだから勝負服ではなく共通衣装だ、上位陣はこういうところでも大変さがあるんだろうなあ。

 

 GⅡ以下のレースは体操着で走って、ウイニングライブは共通衣装だったから、思わぬGⅠ出走ウマ娘の苦労がひっそりと垣間見えた瞬間だった。

 

 

 そうして世間的には私の初のGⅠ挑戦はあえなく敗退、私としては十二分な収穫と当初のメンタルトレーニングという目的も同時に果たす最高の結果で、初のGⅠレース――宝塚記念への挑戦は終わったのであった。



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第64話 不可逆ゆえのリスクマネジメント

 結局のところ、宝塚記念にて私としては満足のいく結果を得られたが、アイネスフウジンにとってはそうでなかったみたい。

 初詣のときに言っていた『メジロライアンと戦う』という部分においては、ライアンの優勝という形で清々しいほどに負けたのだから、そちらは逆にすっきりしているだろう。

 

 しかしアイネスフウジンの順位は8位。確かに、私の14着よりも遥かに前で先着している訳だけども、アイネスフウジン的にはこの順位でもって『勝利!』って私に対して堂々宣言して喜べるものではなかったみたい。気持ちは分からないでもないが。

 ということで、宝塚記念は私との『勝負欲』という観点では恐らくアイネスフウジンにとって満足の行くものではなかったということだ。

 

 なので今後もアイネスフウジンに勝負をねだられることになると思う。でも仮にどちらかが1着取っても「リベンジしてなの!」か「リベンジするの!」ってなると思うから大した影響は無い気がする。

 

 

 だから、それはそれとして。

 いつものようにトレーナー室へと向かう。既にトレーナー室からは日本地図とか人口統計資料とかは片付けた。事前収集した紙媒体の資料系は地図も含めて大体は溶解処理での廃棄を依頼して、お友達アルバイトを使って出来た新資料については全部データで管理することにした。

 あ、でも日本地図の隅っこに書かれていたハッピーミーク作のデフォルメタコさんは切り取って今でもホワイトボード上に磁石でくっついている。かわいい。

 

 既に葵ちゃんと制服姿のハッピーミークが居て、私が来るや早々、葵ちゃんは高々に宣言した。

 

「ちょっと、最近ごたごたしていましたが、サンデーライフの宝塚記念も終わったことですし、慰労会をしようと思っています!」

 

「わー……ぱちぱちー……」

 

 まあ、タイミング的には今がベストなのかもしれない。それに私にとっての初のGⅠ出走ということもさることながら、ハッピーミークが香港チャンピオンズ&チャターカップで見事入着したことのお祝いも私のゴタゴタで1ヶ月出来ていなかった。

 むしろハッピーミークの初の海外遠征での入着を祝う機会をここまで先延ばしにしてしまったことの方が申し訳ない。

 

「分かりました、ミークちゃんの香港での入着もお祝いしないといけませんしね。

 それでいつその慰労会はやるのです?」

 

「……ふっふっふ、それはずばりですね! 今日で――」

 

「――駄目です。葵ちゃんはもう少しアポイントというものを考えて下さい」

 

 

 見ればハッピーミークが神妙な顔をして頷いていた。……思えば、このアポ無し当日ムーブは私が担当になってからは初だけれども、ハッピーミークとしてはずっと洗礼を浴びてきたものだったのだろう。いくら葵ちゃんのことを、個々人としてもトレーナーとしても全く不満を持っていなかったとしても、急に予定をぶち込まれるのはキツいのよ。暇だったとしてもね。

 

「えっ……そんな――」

 

「……せめて、今週末。それならどうです? ミークちゃんも葵ちゃんも空いていますか?」

 

「……大丈夫」

 

「今週末ですねっ! 私も問題ありません!」

 

 ぶっちゃけお店を予約するとなると3人であったとしても、いきなり週末だと予約出来るところはちょっと限られたりもするけど……ま、それはいっか。余程珍しい高級料理を食べようと思わない限りは大丈夫でしょ。

 

「……一応私とミークちゃんのお祝いということですが、ミークちゃんの香港での入着の方が偉業ですし、普通に着順で考えても上ですからね。

 ミークちゃんは何が食べたいですか?」

 

 ハッピーミークは、頭を悩ませてから次のように呟いた。

 

「……? ……!

 ……カニ、食べたい……」

 

 カニかあー……。別に嫌じゃないんだけど。

 でもさ、ハッピーミーク。……私の顔を見て今、思いついたよね?

 

 

 

 *

 

 葵ちゃんがヒトデで、私がカニということが決定して、ハッピーミークの脳内では水族館御一行になりつつある私達であったが、予約したカニ料理屋さんは高級店で個室ではあったけれども、ビルの1フロアにあるお店だった。

 だから前にゴールドシチーと行ったような料亭でも無ければ、葵ちゃんと会って間もない頃に行ったカニの料理屋さんみたいなグレードではない。……まあ、私が予約したんですが。

 

 ただ、一応事前にサンデーライフとハッピーミークという名前は伝えてある。とはいえ私達がお店に来ていることがバレても囲んでくる客層ではないと思うし、そもそもこの世界は多少知名度があってもチェーン店の回転寿司で普通に食事が出来るくらいにはファンが私達に配慮してくれる優しい世界なので、多分身バレしても問題になることはないと思うけど、突然来て困るのはお店だしね。

 普通に電話口で『あ、大丈夫ですよ』と流したところは、流石にプロというか単純にそこまで気にする知名度では無かったかのどっちか判断はつかなかったが、でも目立たないならそれに越したことはない。

 

 

 ということで、慰労会当日。

 個室に案内されて、用意されていた1つの鍋をみんなでつつく。ウマ娘が2人なので鍋のサイズはかなり大きい。

 なおメインのカニは、かにしゃぶで食べるコースにしたので、かなりの量のもう殻が剥いてあるカニ足が置いてある。これなら剥く作業は要らないしそこまで無言にならないでしょ。

 いただきます、と声を交わして以降、ハッピーミークは黙々とカニの身をしゃぶしゃぶし続けている。

 

「あの……ミーク。カニ以外も食べて下さいね?」

 

「……あとで」

 

 ずっとしゃぶしゃぶしている姿は可愛いし、カニ食べに来たのだからカニを食べるという姿勢は理解できるけれども、トレーナーの立場の葵ちゃんとしては偏食は苦言を呈さざるを得ないよねえ。

 ……そう思いつつ、私は水菜をカニ酢のタレに付けて一口。シャキシャキしてて美味しい。白米も注文しておいてよかった。次はしいたけが気になるねすっごい味が染みてて美味しそう。

 

「……サンデーライフは、もう少しカニに関心を……」

 

「……あ、ちょっと待ってくださいね。いや、カニが嫌いな訳では無いですが、他の具材も美味しいので――」

 

 

 いや、マジでカニが嫌いなわけじゃないよ? でも、このお野菜たちが私を魅了してやまないので……。

 しかもたれもカニ酢のほかに、柑橘系の味噌だれとか豆乳ごまだれとか色々あって味が無限に変えられるし。

 

 

 

 *

 

 ひと通りハッピーミークのお祝いとか香港での話とかを私は聞いて、大体1時間くらい経過してきてお腹も膨れてきた頃合いになると、流石に箸を鍋へと伸ばすペースも落ちてくる。

 ハッピーミークは会話で口を開くとき以外は依然、無心でかにしゃぶを続けているけれども、葵ちゃんが野菜をハッピーミーク用に取り分けてそれはもしゃもしゃと食べている。その大食っぷりを見るに、やっぱり私ってウマ娘としては小食な方かもしれない。

 

 そんなことを考えていたら、葵ちゃんが改まって私に話しかけてきた。

 

 

「……あの、サンデーライフ。ちょっとよろしいですか?」

 

「ええと、何ですか突然かしこまって」

 

「ひとまず春季日程が終わりましたので、一応簡単に今後についてお話をしようかと思いまして……」

 

 思えばそれに類する話をしたのって昨年末の障害未勝利戦の勝利後に平地再転向をしたときくらいだろうか。確かに認識合わせはしておく必要があるかもしれない。

 ハッピーミークも、その葵ちゃんの言葉を受けて、

 

「……三者面談」

 

 と、かにしゃぶをやっている手を止めてまで言ってきたから乗り気みたい。ふんすって顔していかにも『一緒に相談乗ってやるぜ!』って自信に満ち溢れた表情をしている。でも、多分葵ちゃん私相手だから一般学生に対しての面談以上のことを言ってくると思うけど大丈夫かな。

 

 

「……まず、最初に聞きたいのですが……。宝塚記念でかかった費用……あれ、赤字ですよね?」

 

 うぐっ。痛いところを突かれた。ファン投票対策に友達をアルバイトとして雇用したが、実はそれに付随して経理代行とか色々裏方サービスを利用していたりする。もっとも一番痛手だったのは、記者会見でのサクラの仕込みなどだったのだけども。

 最低限の監督業務だけで済むように細かい交渉はほぼ外注だったり相手先にお任せだったりしたので、TVやCMの出演費用とかもほぼ相手側の鵜呑み。それらを清算するとトータルでは確かにマイナスではある。けどまあ、持ち出しの費用についてはグッズのライセンス料とかから出していて賞金には手を付けていない。だから最悪赤字でも良いかって割り切りはあったけれども。

 

「……一応、今年の宝塚出走までのファン投票対策の『ノウハウ』か『生データ』を売却しようと考えていてそれで多分、トントンになるかなあ……って考えていたのですが。ノウハウならライターを一時雇用して解説本を書かせる形での書籍化、データならコンサル系の企業向けに売り出そうと考えていました。

 まあ、いずれも私が直轄でやったら時間があまりにも無いので、丸ごと外部へ委託して契約金を貰うような感じにはなると思いますけどね」

 

「あの……その件も恐らく含めた形になりますが。……どうでしょう、個人事務所を立ち上げるなり、どこかの事務所に所属して、学園の庇護下の外で事業を行った方が収益を確保できるかと思いますけれども」

 

 つまりそれは、ゴールドシチーのような体制を整えるということ。芸能人としての側面をより強化しつつ、競走ウマ娘としては学園所属という形の両属状態になるということ。レースの元締めが文部科学省だから競走者として『実業団』所属みたいなことは出来ない。

 そうすれば今のように臨時で雇った人員や、他の企業に全権の委任することなく事務所直轄で動けることとなる。それで私や葵ちゃんの負担が軽減されるのかと言われるとちょっと微妙なところではあるが――でも、葵ちゃんにとってこの話はあくまで前置きなのだろうと察したのでこう紡ぐ。

 

「葵ちゃん、ちょっと回りくどいです。本題をお願いします」

 

 そう言えば葵ちゃんは一瞬ひるむように黙ったが、それでも意を決したように言葉を紡いだ。

 

「……あんまりサンデーライフが、私からこういうことを言われたくないのはもう分かってはいますが、それでも私は『トレーナー』という職業である以上は、教え導く立場として言わなければなりません。まずはそれを理解してください」

 

「……ええ」

 

 思ったよりも仰々しい前置きが来て私もビビる。

 

「――サンデーライフの目標は『とにかく楽をして生きる』ために現役引退後に遊んで暮らせるだけのお金を賞金で集めようというお話でしたね?

 ……今のあなたのメディア注目度を鑑みれば、先の宝塚記念を引退レースに位置付けるか、もうあと1、2レース出走した後にそのまま芸能界入りしてしまえば……おそらく。お金に困る生活を送ることは無いかと思われます。

 

 ――つまり。ここで『競走ウマ娘』としてピリオドを打つこともできるのですよ? サンデーライフ」

 

 

「……本当に、聞きたくない言葉を言いましたね」

 

 現在の賞金金額は7991万円で、適当に設定していた3億円には全く届いていない。……が。

 このまま競走者から芸能人などにキャリアチェンジするのであれば、話は別ということだ。

 『お金を稼ぐ』という目標に沿うのであれば、今の知名度を現金化して切り売りする形で芸能人になるという方向性も客観的に見ればアリ……なのかもしれない。

 一応は私もGⅠ出走ウマ娘となったことで、『元アスリート』の肩書きを名乗るくらいのネームバリューとしては既に充分な実績を有している。楽観的に見ればレース解説者なども狙えるし、そうでなくてもニュースなどのコメンテーターとか、もっと普通にバラエティー番組に出演したって良い。

 

 しかし、その将来には――。

 

「……で、その私が芸能活動やら、グッズや書籍の販売などに注力したら。

 その隣にはもう葵ちゃんは居ないのでしょう?」

 

「……はい。……競走ウマ娘ではないサンデーライフの助けに、私はなることは出来ませんから」

 

 

 これを感情のままに一蹴することは私には出来なかった。

 あの――かきつばた記念の日の夜。あるいは翌日の朝。私は葵ちゃんが『私と契約解除』をしたくないという気持ちがあることを知っていて、その気持ちがお互いに共通するものであることを再確認した。

 だから葵ちゃんも私とまだ担当を続けたいことは間違いなく、そして私がそういうことを言いだして欲しくないことも理解していて……その上での、この物言いだ。

 しかもあれからまだ2ヶ月程度しか経過していない。ということは、言い出す覚悟は相当のもので、そして私が競走ウマ娘以外の道で大成することについては最早葵ちゃんは疑っていないということになる。

 

 葵ちゃんは私のキャリアプランが『自分自身のヒモになる』というどうしようもないものであることを既に知っている。つまり、今提示された競走ウマ娘引退の道は、葵ちゃんからすればその私のキャリアプランに向けての最適化された道であることと同義なのだ。

 

 ある意味では宝塚記念で私はやり過ぎた。少なくとも葵ちゃんをもってして私に向けて競走ウマ娘以外の道を薦めさせるくらいには、派手に動き過ぎてしまったのである。

 ……となると多分、決定的な話があるんだろうな。

 

「私が答えを出す前にもう1つお伺いします。

 ……そういうオファーが来ていますね? 既に私に向けて」

 

「ええ、その通りです。大手芸能事務所から数社。中堅のメディアや出版社からも何社か。他にもいくつかありますが……外資系のスポーツ関係のシンクタンク企業からのヘッドハンティングのオファーすら来ております」

 

 企業リストを葵ちゃんから受け取ってざっと流し見すると、芸能事務所や小規模なベンチャー企業が中心であったものの、確かに中堅どころや大手下請け、あるいは海外系列企業の名前もあった。

 

 葵ちゃんはこのうちのどれかを受けてしまった方が、私の将来のためになるという判断なんだよねえ。しかも、その将来とは『安定した収入』とか『社会人としてのステータス』みたいなものではなく、私の将来のヒモ構想に合致するものという意味合いで。

 

「いや、何と言うか……ごめんなさい。まさか就職エージェントの代わりまで葵ちゃんにさせてしまっていたとは……」

 

 もちろん、今の私の『知名度』目当ての企業も多いだろう。芸能事務所であれば、この宝塚記念後のタイミングでの引き抜きは確かに節目としては全く正しいし、そうでない一般企業であっても十二分に広告塔やマスコットとして利用するなら、多少高いお給料を支払ったところで、広告費の節約にすらなるという考え方なはず。

 

 そしてそういう『人気』を切り売りするならば、確かに今のタイミングで引退は間違っていない。

 

 つまり。

 葵ちゃんの提案は2つだ。

 

 まず、この企業オファーを受けて競走ウマ娘を引退、以後は芸能界なり一般企業なりで頑張るという流れ。すぐに引退、という形でなくても1、2戦レースに出てから辞めても良い。

 2つ目は、芸能事務所のオファーを受けるなり個人事務所を立てるなりして、競走ウマ娘と芸能人としての側面を両立させるという考え方。レース賞金よりもお金稼ぎが出来そうなものが転がっているのだから、私の目標的にそっちにも比重を傾けてはどうか、という話。

 

 こう並べてしまうと後者の選択肢ってデメリットがそんなに無いように思えてしまうが、もしこれを選択してしまうと以後宝塚記念向けにやっていたようなTV番組やCMへの出演といった『お仕事』を定期的に受けていくことになると思う。それは従来とは異なるメディア対応路線を敷き、宝塚に向けて行っていた『一時的措置』を恒常化させるということ。

 それならそれで良いじゃんと思うかもだが、葵ちゃんはむしろ引退させる道の方を薦めている理由は単純。……これ、オーバーワークだから。

 実際、私がTVの対応をしていたのってファン投票開始から中間発表が出ていた頃までの2週間くらいだし。出走前3週間くらいはメディア対応はほぼ皆無。

 で、投票結果が出た後はファン投票対策チームも解散させている。そっちの指揮についてはメインでやっていたのは、記者会見を除けばメディア対応前。そして記者会見準備についてはかきつばた記念のクールダウン期間を利用している。

 

 

 そう、オーバーワークしていた期間というのは周囲の想定よりも恐らくかなり短い。

 

 だから何とかなっていたが、もし走り続けつつも同じことをするのであれば、芸能人と競走ウマ娘のダブル路線は明らかに負荷になる。まあ当然ではあるんだけどさ。ゴールドシチーが両立出来ているとはいえ、あれって彼女自身の強い意志とトレーナーの脅威的なトレーニング管理能力があるからだし。少ない時間のトレーニングで短期集中型で密度厚く鍛えているからこそ出来る所業だ。

 トレーナー能力的にはきっと葵ちゃんにも出来ることだとは思うが、ここで私の『才能』が壁になる。ほら、私ってパフォーマンスが安定している代償として、練習メニューによって練習効率が大きく変わるってことがあまり起きないので。そもそもの『密度』を上げるのが難しいのだ。怪我忌避の考え方も強いので極端な負荷をかけるトレーニングもしていない。

 

 だから両立させるにはアスリートとしての何かを諦めないといけない。怪我のリスクを許容するか、今までのトレーニング効率の維持を捨ててレース成績を犠牲にするか。あるいは、密のあるトレーニングが出来るように『勝利への渇望』を見出す……とか。

 

 で、その条件を私が飲むとは葵ちゃんは考えていないからこその引退示唆である。

 葵ちゃんは私の将来を私個人の考えとかも含めた上で、考えてくれていた。

 

 

 ……だからこそ。

 答えはあっさりと言い放とう。

 

「――続けますよ、私は。『競走ウマ娘』として」

 

 その言葉を聞いたハッピーミークの表情こそ全く変わらなかったが尻尾がぶんぶん暴れまわっていた。というか、この席にハッピーミークが居て良いのだろうか。いや、多分ちゃんとこういう話をするってことは事前にハッピーミークに伝えているでしょ。お店の予約を取ったのも日程決めたのも私だけどさ。

 

 しかし、葵ちゃんは厳しい表情のままだった。

 

「……サンデーライフにとって、レースに依拠する理由は無いはずです。

 別の手段でもっと目的に近付けるのであれば、そちらを優先すべきかと思いますが……」

 

 ……それは意志でも感情的な意見でもなく、ロジカルな意見を求められているってことかな。

 だから最近になって『レースが楽しくなってきた』とか、『多少遠回りしても構わない』とかそういう言葉でもって葵ちゃんを納得させることは難しいかもしれない。

 でも、論理的な理由もちゃんとある。

 

「――ええ、確かに葵ちゃんの考えは間違っていませんよ。ですが。

 『競走ウマ娘』を辞める……という行為は不可逆なのですよ。今来ているオファーを優先して引退した後に、その道がしっくりこなかったとして『やっぱり会社を辞めます』とか『事務所を退所します』みたいなことは口に出せますが――『もう一度走ります』とだけは言えないじゃないですか」

 

 

 トレーニングを辞めた瞬間に私は『競走ウマ娘』としては死ぬ。

 一度脚を止めてしまえばもう二度と周囲のウマ娘と戦うことすら出来なくなる。トレーニング効率も碌に上げられない、元々の才覚ではネームドウマ娘に全く届かない私は、努力でも才能でも彼女たちに追いつくことは出来ない。

 それでも、今。何とか戦えているのはこれまでの蓄積という継続によるものと、レース出走経験の多さによる実戦での対応能力による部分にかなり依存している。

 

 走りながら駆け引きをしたり、ペース配分や相手の動きを考えるというのは、本来容易ではない。私だってそれが最初から出来ていたわけではなかった。

 他ならぬアイネスフウジン戦で『大逃げ』を試して、その感覚をずっと磨き続けてきたから今があるし、そしてそれが出来るまでに私はメイクデビューと未勝利戦を5戦積み上げが必要だった。

 

 一度、走るのを辞めるということは。それらの私の武器の大部分が失われることと同義だ。

 だからこそ。私は一旦辞めた瞬間にもう二度と私はターフで、ダートで、障害で、まともに走ることは不可能である。

 

 ……ともすれば今のハッピーミークのように年間に1、2戦だけ出走するみたいなスケジュール調整すらも私の戦略的に取れないかもしれない。

 

 私はそんな考えを口にした後にこう締めくくる。

 

「……そんなに難しい話でもないですよ。

 競走ウマ娘を続けている限りは、私は今のように『現役続行』と『引退』を天秤にかけられますが、やめた瞬間に前者の選択はできなくなります。

 リスクマネジメントとしても、だったら続ける方が無難、となりませんか?」

 

 

 レースを続ける理由が無いことは、レースを辞める理由にはならない。

 しかし、逆に。

 レースを辞める理由が無いことは、レースを続ける理由にはなる。

 

 

「……トレーナーは、気にしすぎ」

 

「ミークちゃんの言う通りですよ。葵ちゃんも本当に私がここで立ち止まるとは思っていないのに、そういうことを聞くのはずるいです。

 それにミークちゃんを仲間外れにしなかったことは良いことですけど、流石にこれを聞かされるミークちゃんの身にもなってください」

 

「……最初聞いた時……びっくりした」

 

 

 良かった。ハッピーミークには事前にこういう話をすることを伝えていたのか。……もしかしてかにしゃぶばっかり食べていたのって、そういう緊張が出ていたから? いや、素でもそういうことやりそうだな、この子。

 

 そんな風にハッピーミークと掛け合いしていたら、葵ちゃんは肩を震わせながら、こう語った。

 

「……良かった、です……っ! 私も、サンデーライフと一緒に、続けたかった、のでっ……」

 

「あー……、泣かないでください、葵ちゃん。

 ちょっと、ミークちゃん、ティッシュ取ってくれませんか……もう」

 

 

 この関係は永遠ではないけれど。

 ――終わらせるのは今じゃない。

 

 

 


 ハッピーミーク @happymik_hitode・48分前 ︙

  カニ。

(かにしゃぶの身を持つハッピーミークと春菊を食べるサンデーライフの2ショット)

 1.2万 リウマート 855 引用リウマート 3.3万 ウマいね

 



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第65話 小さな球体

 宝塚記念のゴタゴタで完全に話題に出し損なっていたけれども、ダートのJpnⅠである帝王賞の結果が出ていた。

 1着がフリオーソで2着がメジロマックイーン。スマートファルコンも出走していたが先手を取り損なった上に末脚も伸び悩んで着外だったとのこと。

 というか、宝塚回避したマックイーンは2着かい。いやフリオーソも強敵だけどさ、春天→帝王賞の流れは謎過ぎる。まあかきつばた記念→宝塚の私が言える立場ではないんですが。

 デジたんも似たようなローテをしているわけだが、彼女は間に安田記念を挟んだのでセーフ……ってデジたんのローテの方が私よりもヤバいじゃん! まあアグネスデジタルのかきつばた記念→安田→宝塚に関しては史実ローテである。

 ただその安田記念に関してはアグネスデジタルは落としていて、そこを優勝したのはバンブーメモリーで、彼女は宝塚記念前に実は初GⅠ制覇を成し遂げていたり。というか安田→宝塚ローテ勢結構多かったね、そう考えると。

 

 そう考えるとマックイーンの春天→帝王賞が段々と普通に思えてくるから不思議だ。しっかり休養も取っているし、うん。それにGⅠ1着→JpnⅠ2着なら戦績として充分すぎる。ひとまず来年の春天までに芝に帰ってくるならトウカイテイオーとの対決、それもマックイーンにとっては春天連覇をかけた対決が見られるようにはなったので不満は無い。

 あ、そのトウカイテイオーに関してなんだけどオークス出走後に怪我したとかいう話は一切聞かないので、完全に史実ともアプリとも違う『怪我をしないトウカイテイオー』という夢のようなルートに入ったようである。テイオートレーナーは一体どんな魔術を使ったんだ。

 

 

 まあ、それはともかくとして。

 7月に入った。だからこそ、夏合宿だ!!! ……とは残念ながらならない。

 

「まあ……サンデーライフ、あなたは夏合宿に行きませんよねえ……」

 

「当たり前じゃないですか、葵ちゃん!! ……去年はPre-OP戦で苦戦していたので見逃しましたが、皆が合宿に行っているこの時期のレースが一番狙い目なのですから。

 それにサマーシリーズだってありますし! まあ総合優勝は無理だと思いますが……」

 

 夏季のレース日程に出走するウマ娘はやっぱり合宿の都合上少ない。アプリプレイヤー視点でも合宿中にレース目標が入っていると『マジかー……』という気分になるように、やっぱり合宿するなら合宿に集中したいから、どうしても有力ウマ娘が夏のレースに出て来なくなる。あと単純に暑いから、体調管理の面でもどうしてもね。例外はGⅡの札幌記念くらいだろうか、あそこはGⅠレベルのウマ娘が集結するけども。

 

 ただそうなるとURA的には札幌記念以外の重賞レースがどうにも盛り上がりに欠けてしまう。ということで、設置されているのが『サマーシリーズ』という夏の間の指定されたレースに出走するとポイントが貯まっていき、シーズン終了時にポイントが一番高かったウマ娘にボーナスで報奨金が出るという制度だ。

 ポイントは着順によって決定し、GⅢレースなら1着10点、2着5点で以下3着4点、4着3点、5着2点と続き、着外は一律1点。GⅡなら1着が12点で2~5着はGⅢよりも1点多い。ただ着外はやっぱり1点になる。

 

 で、そのサマーシリーズは競馬では4種類。

 スプリンター路線を対象としたサマースプリントシリーズ、2000m重賞を集めたサマー2000シリーズ、1600mのリステッド・重賞レース対象のサマーマイルシリーズ、そしてそれらの3シリーズでの成績を騎手別で比較するサマージョッキーシリーズといったラインナップだ。

 もっともこの世界には『騎手』が存在しないのでサマージョッキーシリーズが消え失せて3シリーズしか存在しない。

 

 ウマ娘世界においては、アプリにてカレンチャンの育成シナリオでサマースプリントだけは言及がなされている。史実カレンチャン号が出走したサマースプリント対象レースのうち3レース全てで1着を獲るというアプリ的にはモブロックさえなければ達成しやすいものだが、真面目に考えればすごくキツい条件を要求される。

 というか史実はその3レースは同年に出ていないし、セントウルステークスに至っては勝利してないからさり気なく史実以上を要求されている。しかもカレンチャン号自体はサマースプリント制覇を逃しているしね。

 

 で、実際のところはサマーシリーズ制覇には3連勝などは必要なく、合計ポイント13点、サマーマイルは対象レースが少ないので12点以上でかついずれかのレースで1勝している中で最もポイントが高ければ制覇できる。

 それで報奨金も結構ガッツリ出る。サマースプリントとサマー2000が5000万円で、サマーマイルなら3000万円。

 重賞で勝てるのか? という点にさえ目をつむればこれ以上ない程にお得な金策なのである。もちろん、レース入着時のいつもの賞金を貰った上でのボーナスだからね。

 

「サンデーライフなら、サマーシリーズの間隙を縫って非対象レースを狙うかと思いましたが……」

 

「……非対象は、そもそもサマーシリーズと関わりの無いダートレースか、マイルから中距離の非根幹レースが中心じゃないですか。

 サマーシリーズを避けたところで競合相手が居る路線ですし……」

 

 一応、サマーシリーズ期間中の長距離レースは、重賞路線は存在せず、オープン戦に8月の札幌日経オープンと、9月頭の丹頂ステークスがある。……丹頂ステークスに関しては、障害転向しなかった場合の候補レースにも挙がったやつだし。

 いずれも阿寒湖特別と同じ距離。だから、そこを狙う選択肢もあるけれども。

 

「マイルと中距離を避ける……と言いますと。狙うのは――」

 

「はい。『サマースプリント』シリーズですね。

 ……宝塚記念に出走していなければ、サマーシリーズ唯一のオープン戦・米子ステークスのあるサマーマイルを狙ったと思いますが」

 

 サマースプリント。対象レースは6レース。

 6月中旬。既に終了しているGⅢ・函館スプリントステークス。

 7月第1週。これももう出走登録が間に合わないが、GⅢ・CBC賞。

 7月後半レースであるGⅢ・アイビスサマーダッシュ。

 8月下旬の興行であるGⅢ・北九州記念。

 8月最終週に開催されるGⅢ・キーンランドカップ。

 そして9月レースでかつサマースプリント唯一のGⅡ・セントウルステークス。

 

 この6つ。6レースというのはサマーシリーズの中でも最多である。

 サマースプリントを制覇したチャンピオンウマ娘は、大体20ポイント前後取っていることが多いが、状況次第では15ポイント前後でも制覇できることもある。

 

 私に残されたのは4レースだが、まあ出れて2レースかな。それ以上は私の心情的にローテが怖くなってくる出走間隔だ。月1ペースでレースに出るのだって普通よりも多いのだから。

 

 だからこそ、決める。

 

「今月後半の――アイビスサマーダッシュ。まずはそこに注力しようかと」

 

 新潟レース場。芝・1000m直線。

 未勝利戦でゴールドシチーに負けた舞台へ、私は再び挑戦する。

 

 

 

 *

 

 出走登録は葵ちゃんにお任せして、寮へ帰ろうかなと、とことこと学園の中庭を歩いていたとき急に視界が暗転して目の前が真っ暗になった。

 

 場所が場所だけに、また例の『黒い靄』のせいか!? と思ったが、物理的に平衡感覚を失う感じがあった。え、じゃあその場で意識を失ったのか、と問われればそれも違う。

 

「……えっほ、えっほ」

 

 なんか担がれてない、私!?

 

 ……。

 

 ……って、これはアプリのメインストーリー5章の『scenery』で見たやつだ。

 

 

「――というか、多分肩に背負って運んでいるんだと思いますが、これ体重がお腹に集中してめっちゃ痛いですって!」

 

「……おっと、すまないねえ。では君の専売特許のお姫様抱っこで運んであげよう――」

 

 そう言われて持ち方が変えられる。

 まあ……いっか。どうせ今の私、麻袋かなにかで頭をかぶせられているからこの姿を目撃されても情緒もへったくれも無いと思うし。

 姿勢が変わって明らかに楽になった。これなら別にいいや。

 

 

 ……普通に着いてくるように言われれば多分従ったと思うけれども、無理やり誘拐してきたこともあったので、それは黙っておこう。

 

 そして、目的地に着いたようで……。

 

「……ぁ、カフェ? ちょっと扉を開けてくれるかい? すまないね、彼女の要望に応えていたら両手が塞がってしまってね……」

 

「……全く。何をやっているんですか、アナタは」

 

 

 いや、段取り悪いな!? 私が持ち方を指摘したせいなのだろうけれども、もう色々と台無しじゃん!

 

「……よいしょ、と。サンデーライフ君はどこに置けばいいかい?」

 

「もう、私のソファーで構いませんから。とりあえずこの被せているのなんとかしましょう……」

 

「ふぅン……。おや、これはちょっと絡まって――」

 

「――ひゃっ!? ちょっと、くすぐったいです……って、痛いっ!」

 

「タキオンさん。……私がやりますからアナタはどいてください。

 ……すみません、サンデーライフさん。タキオンさんの悪い癖に巻き込まれてしまったようで」

 

 そう言われながら、麻袋をどけられると、目の前にはマンハッタンカフェと、ちょっとしょんぼりしたアグネスタキオンが居た。

 けれども、すぐに気を取り直してアグネスタキオンが話し出す。

 

 

「……宝塚記念での一瞥以来だね、サンデーライフ君。

 私は君と是非とも話がしたくて、ご同行願ったのだよ」

 

「は、はい……」

 

 うーん、色々と雰囲気がドタバタしていたけれども、アグネスタキオンは軌道修正を図るみたいだ。

 

「……ふぅン、つれない返事だねえ。私は君とこうして話せる日をずっと心待ちにしていた、というのに。

 ――私が調べた限り……君は『特異点』だ。……ほう、目つきが変わったね。つまり心当たりがある、ということかい?

 実に嬉しい反応を見せてくれるねえ……! ……それに。君の瞳はとても『澄んで(・・・)』いる――」

 

 私のことを『特異点』と称したアグネスタキオン。それがどこまでのレベルで私のことを見通しての発言か分からない以上は不用意に私から踏み入れることが出来ない。

 

 しかし――『澄んだ』瞳か。これは実際の私の目の色を褒めているわけではない。アグネスタキオンは育成シナリオにおいてモルモット君ことトレーナーの異常なまでに入れ込む熱意の籠った眼差しを『狂った』色と形容していた。そこから逆算すれば、私の瞳には……熱意が籠っていないということ。

 これも、どこまでの深さの理解度の発言かによって解釈の仕方がまるで変わる。だからこそ一旦しらばっくれる。

 

「……『特異点』とは、どういうことでしょうか?」

 

「感覚的なもので、説明しようとするとどうしても複合的なものになるが……そうだねえ。

 君も――『レースで勝利すること』を目的としていないはずだ。レースとはあくまで何かを希求するための代替手段……そうだろう?」

 

「……『君()』ということは、アグネスタキオンさんも?」

 

「ふぅン……もっと驚くかと思ったが話が早い。そうだとも!

 私は『ウマ娘がどこまで速くなれるのか』――その可能性の先を知りたいのさ!!」

 

 ここまでは私がアグネスタキオンについて知る情報と合致するものでしかない。言わば確認事項である。だからこそ続いた彼女の言葉にこそが重要だった。

 

「……しかし、君はどうにも私の一歩先を行っているように思えてならない。『速さ』という観点では、私の方が明らかに速いのにねえ……。

 君が為した映像は見せてもらったよ。

 我々ウマ娘がどこまで到達できるのか――ではなく『どこまで速度を貶められる』のか……なるほど、それは私も盲点だったよ!

 私もこの身体で君が行った『ハードル実験』の再現実験を行ったが、あれほどまでに走りにくい経験をしたのは久しぶりだった! 実に有意義なものだったよ――」

 

 何というかアグネスタキオンがせっせと不規則にハードルを設置して走りにくそうにハードル飛越を行っている絵面はちょっとシュールで見たい気もしたが、そこに着目したのか。

 

「……まあ、あれはウマ娘という『種族』がハードルに向いていないのではなく、教育上ウマ娘がハードル走を履修できていないからこそ初めて実現する対決であって、身体能力やスポーツ工学的な部分に応用できる話ではないとは思いますが……」

 

「君と私の『学際領域』が異なることは、充分に理解しているよ。

 ……だからこそ、なのだが。私はサンデーライフ君とカフェが『同じイマジナリーフレンド』を共有している現象が実に理解し難くてとても興味深いと思っているのさ――なあ、カフェ?」

 

 マンハッタンカフェは自分の分と私用のコーヒーを2杯だけ用意しつつアグネスタキオンの言葉に同調した。

 

 

「……タキオンさんの悪企みに乗るのはイヤですが……。でも、確かにサンデーライフさんが私の『お友だち』の気配を誰よりも濃く持っているのは気になります。

 前に『三女神像』へのお祈りが原因とおっしゃっていましたが……。ですが、今年はファン感謝祭以降『お友だち』とは違う……でもどこか『お友だち』とも似ているような別の雰囲気を感じます……。

 それについては確かにタキオンさんと同様、私も気になることです……」

 

 そっかー……、アグネスタキオンだけではなく、マンハッタンカフェも私に用があったのか。

 そしてヘイルトゥリーズンの雰囲気の残滓も認識できるんだ……。



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第66話 ゴルディアスの結び目

 ヘイルトゥリーズンやヘイローの気配も分かるとなると、どうしようか。

 三女神像前でのお祈りについてまでは既に話したことがある。あの阿寒湖特別の後のラーメン女子会道中にての出来事だ。

 

 だからこそ、その延長線上の話として語るのでいいはず。何があったのかまでは伝えなくても良い。

 

「……今年の『お祈り』はちょっと派手にやっていたからそのせいでしょうか……? ファン感謝祭中で、ファンや記者の皆様に見られながらのことでしたのでちょっと仰々しく祈りを捧げたのが原因かもしれません」

 

 あくまで表層、表層で拾っていく。そしてなるべく嘘はつかない。

 誠実であろうとするためではない。明らかな嘘は辻褄を合わすのに苦労するからだ。敢えて重要な点を抜かして話す分には、それがバレたとて伝達の不備や質問の意図の取り違えと言い張ることが出来るが、嘘についてはバレた際のリカバリーが効かない。

 嘘というのはここぞと言うタイミングで使うものなのだ……ダイヤモンドステークスの出走直前にセイウンスカイと交わした脚質に関する嘘みたいにね。

 

 だからヘイルトゥリーズンの屋敷のような場所に行ったことはマンハッタンカフェの出方を見るまで秘匿する。

 ここまで慎重になるのは、このアグネスタキオンとマンハッタンカフェというペアが恐らく最もウマ娘の深淵に近しい2人だからだ。アプリ内では現役競走馬の魂だとか、世界と世界の境界とかについて、かなり際どいところまで迫っている。

 

 私はアグネスタキオンやマンハッタンカフェの2人の探求する事象についての自分なりの回答を持ってしまっている。

 問題は。それは自己回答であり『普遍的な正解』である保証は無い。このウマ娘世界において、全部が全部競走馬としての知識が公正絶対の普遍的な原理・原則になるとは限らない。『ウマ娘』の立場に立ったときに同様に当てはめて良い問題かどうかは本来別なのだ。

 というかアグネスタキオンが皐月賞引退どころか出走すらしておらず、シニア級1年目で宝塚記念にまで出てきている時点で、私の中にある考えのままに話すということがどれだけの錯誤を生みかねないというのは分かるかなと思う。

 

 

 閑話休題。

 今話していることは、私に推定サンデーサイレンス以外の何らかの影響が見え隠れするということ。私とマンハッタンカフェの話を聞いていたアグネスタキオンが考え込むようにして呟く。

 

「……ふむ。カフェとサンデーライフ君の話を聞いていると思うことがあるのだがね。

 カフェにとっての『お友だち』は、サンデーライフ君にとっては信仰の対象……とまでは言わないが、だが神託を受ける相手のような存在だろう? 同じ形質の存在だと仮定したとして、何故ここまで観測のされ方が異なるのかい?」

 

「……ですが、タキオンさん。サンデーライフさんからは、他の子よりも強く『お友だち』の気配を感じます……」

 

「カフェの感覚を疑っているわけじゃない。しかしだカフェ。君は私や他のウマ娘に対しても『お友だち』の気配を感じると言っていたが、そのお友だちを間接的であっても観測できているのは、カフェとサンデーライフ君だけなのだよ」

 

 ……そのアグネスタキオンの言葉は私にも考えさせるものがあった。彼女が伝えたい核となる部分ではなかっただろうが、あの推定『サンデーサイレンス』をどういう形にせよ観測出来ているのが私とマンハッタンカフェだけという事実。

 今まで、ずっと適当に流してきたが。――そもそも、どうして私にあの『黒い靄』は見えるのだろうか? サンデーサイレンス産駒だからというのはよく考えてみれば理由になっていない。

 それこそアグネスタキオンや、他のサンデーサイレンス産駒の魂を引き継ぐウマ娘にも見えて良いもののはず。

 

 加えて言えばヘイルトゥリーズンからの呼び出しに至っては、あの老婦人と意思疎通が出来ていたし。というか、よく考えるとサンデーサイレンスだと思っている存在が靄だったのに、ヘイローやヘイルトゥリーズンであろう彼女らは普通にウマ娘であったというのも疑問だ。形を模倣した異形の神々という可能性もありそうだが。

 

 

「……いえ。あくまでマンハッタンカフェさんが観測の主体で、私は『三女神像への祈り』の影響が顕著に出ているだけ……という考え方も出来るのではないでしょうか?」

 

 若干、論点をずらす。私は現状、祈りを捧げたら自分が強くなっているという現象が発生していることと、そのタイミングが恐らくマンハッタンカフェに見える気配の増大と相関しているだろうことしか共有していない。

 実際に私は『黒い靄』という形でしか把握しておらず、与えた因子とかの『状況判断』でサンデーサイレンスと推定しているだけだ。……まあ普通に考えれば絶対サンデーサイレンスなんだけどさ。

 でも、その『靄』状態であることそのものが『私は目視で観測不可能』という事実に繋がる可能性もあり、声に出した言葉はあながち2人を誤認させるためだけのもの、というわけでもない。

 

「興味深い意見だがね、その場合君には何故カフェのイマジナリーフレンドの影響が強く出るのかという、新たな疑問が出るよ?

 ……それに。『お友だち』が三女神像に関係する神々なのであれば、カフェが気配を感じるウマ娘にしか恩恵が与えられていない、ということになりかねないが、それは些か残酷というか――」

 

「……『お友だち』は。ウマ娘全員に関わりを持ってはいません。だから『お友だち』が『三女神』というのは……違う気が……」

 

 ……うーん、『産駒』という、この世界においては『運命的な何か』の中の一要素として含有して呼称される概念を、どう落とし込めば良いのかが分からない。そしてサイアーラインで説明できない以上は『三女神像』に祈ると推定サンデーサイレンスが出てくる現象を素直に読み解いてしまえば、私に影響を与えている相手こそ『三女神』なのではという推論が導き出され、自動的にそれがマンハッタンカフェの『お友だち』の正体? という誤った方向性に話が進んでしまう。

 

 だが、アグネスタキオンの『サンデーライフにお友だちの影響が強く出る』現象については、説明がつくことがある。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。ひとまず三女神の『神権の適用範囲』については問題が別だと思いますので、そちらは切り分けましょう。

 もし私に『お友だち』の雰囲気が色濃く出ていることは、そこまで難しい話ではないと思います。それは私が弱いから――」

 

 私がクラシック級のときにはじめて『黒い靄』と漫才をしたあとに、私のタイムは有意に変わっていた。

 『三女神像へのお祈り』――すなわち因子継承で上がるステータスの幅がアプリ同様、因子と継承時のブレはあれど概ね値が決まっているとして、それが等しく全員に継承されていると仮定した場合、ステータスが低い子の方が劇的な変化として現れるはず。だからゲーム通りの因子継承が行われているとするならば、弱いウマ娘ほどその恩恵を自分自身の能力と比較して相対的に感じやすい。

 

 と、すれば他のサンデーサイレンス産駒ネームドと比較して、私はサンデーサイレンスの恩恵を『認識』しやすいという部分に説明がつく。そして、オカルト現象と一般的な考え方として、その『認識』による認知こそ、霊障の増幅に寄与するはずである。

 

「……弱い、から影響を認識しやすく、『認識』したからこそ影響が増幅される……かい?」

 

「一応、根拠はあります。『お祈りを捧げた直後』のデータは取ってあって、それが数日間の変化では説明できない有意なタイム差としてあらゆるバ場、距離で伸びを見せている……だからこそ私は数字としてこれを『認識』できています。

 再現性があるかは微妙かもしれませんが、少なくとも『お祈り』の効果については観測できる事項かと」

 

「……ハッハッハ! そうだったね、君は――理論派だった。『弱い』からこそ『オカルト』を数値として(・・・・・)観測出来る、か。

 なるほど、確かにそれなら私やカフェのデータでは、『お友だち』の影響で強くなっていることを『観測できない』のも頷ける。そうか! 完全に盲点だった!

 てっきり『強いウマ娘』に第三者の影響があるとばかり思っていたが、『弱いウマ娘』の方がデータの切り分けが容易ということか!

 

 ……しかし、どうして君は『4月』にだけお祈りをするのかい?」

 

 

 ……っ。痛いところ突かれた。

 『因子継承』は4月前半。しかしそれは完全にアプリ知識だ。そして何故4月なのかと言えばきっと、競走馬の繁殖シーズンが調節されていて競走馬誕生月が春に集中するため。1月、2月生まれの早生まれの方が競走成績は良いらしいがそれでも主流の幼駒誕生シーズンは4月から5月であろう。

 

 しかし、これは説明できない。だからこそ、ここで嘘を話す。

 

「『三女神像へのお祈り』について伝統的には『先輩ウマ娘が像に託した想いを受け取り力に変える』……という儀式のはずです。

 ……だとすれば。

 『先輩が想いを託した後』――つまりは卒業後の4月の頭こそが最も恩恵を受けられるのでは? と仮説を立てたからですね」

 

 嘘なのは『仮説を立てた』部分。そんなものは立てていない後付けの理由だ。しかし、この後付けの理由の根拠自体については乙名史記者のトゥインクルWeb記事からの引用情報なので真実である。

 然したる疑問を投げかけられることも無く、割とあっさりと話は進む。

 

「……ウマ娘は幾多の『想い』を背負い、走る生き物なのだとしたら。

 不特定多数に向けられた想いならば早い者勝ちで掴み取ることも出来るということ――その『先輩らの想い』の力で疑似的に力を引き出した、ということかねえ……?

 しかし、それではカフェの話と辻褄が合わないと思うが?」

 

 これに対しては、私も『真実』だと思っていることで答えられた。

 

「……それについてなんですが。多分『イタズラ』かなにかで、面白がってそれらの『想い』の中にマンハッタンカフェさんの『お友だち』が混ぜ物を仕込んでいて、それに私が引っかかっただけなんじゃないかなあ、と思いますね。

 それを、私が『認識』できてしまったからこそ、マンハッタンカフェさんから見たときに『お友だち』の影響が色濃く出ているのかなー……って」

 

 

「……えぇーっ! そんなのアリかい!? カフェ、君はどう思うのだい?」

 

「……『お友だち』なら、やりかねない。そう思いました。

 結構、お茶目だな……って思うところはいくつもありましたから、そういうイタズラをやっていても不思議じゃないです……」

 

 マンハッタンカフェと『お友だち』の認識が近くて助かった。

 

 

「……なんというか君たちは存外愉快なものに憑かれているようだね。私が持ち得ないものだからずっと羨ましく思っていたが、ちょっとその気持ちが……減退したよ。

 

 で、だ。これが最後の質問だ、サンデーライフ。

 君は先ほど自分自身のことを『弱い』と言った。……まあ気持ちは分からないでもない。私の見立てでも、私やそこのカフェよりも君は……速くない。

 にも関わらず、君は宝塚記念に出走して、カフェは出ていない。

 ――この現象についてどう考える?」

 

「……ちょっとタキオンさん。その言い方は――」

 

「……いえ、マンハッタンカフェさん分かっています。私の実力ではあなたに勝てないことくらいは。それにその格付けは昨年の阿寒湖特別で付いているはずです」

 

「そうとも! それにね、カフェ。これはカフェの為に言っている訳でも、サンデーライフ君を侮辱や糾弾するために言っているんじゃあ、ないよ。……そう聞こえてしまったのなら申し訳ない。

 それに人気投票を活用するといった手段の話でもない」

 

 

 考えてみればマンハッタンカフェはこの全世代バトルロイヤルの被害者的な立場である。阿寒湖特別でファインモーションに写真判定2着とはいえ敗戦した。その結果、Pre-OP戦2勝クラスの勝利がずれて菊花賞に間に合っていない。それでも有には出ていたけどね。

 なので代替のオープン戦や重賞をこなしつつ今年3月の日経賞で史実ローテに戻るもののそこでは着外。収得賞金的には問題なかったものの春の天皇賞を回避して重賞戦線に注力する結果となり、アプリIFローテで登場する宝塚記念にも出走しない運びとなった。

 その結果、凱旋門賞に関する話がそもそも挙がらず地味にフラグ回避が出来ている上に、アプリで『向こう側』を目にしたはずのIF宝塚記念に出ていないことでそちらの方面での進展も無いはず。もっとも、アプリのマンハッタンカフェ育成ルートだったらタキオンが無期限休止しているから、そこでも破綻はしているわけだが。

 

 ただ重賞勝利自体はあるので、私よりも条件は有利だし出走意志さえ見せていれば宝塚記念にも多分出られたかもしれない。だからこそ『何故お前の方が人気があって勝手にカフェの枠を奪って宝塚に出ているんだ?』という類の話では断じてない。というかタキオン自身もそう言っているし。

 

 恐らく彼女が言いたいことは、実力的には上の相手がGⅠ出走を必ずしも選択せず格下のウマ娘が出走する現象についての疑問を解消したいのだろう。特に今のマンハッタンカフェはレースに支障が出るほどの不調は無いはずなのに宝塚記念に出走意志すら見せなかった。

 これを個々人の問題だけではなく『ウマ娘』全体に関わる何らかの法則性があるのではないか、とアグネスタキオンは考えているようだ。

 

 

 私が宝塚記念に出走意志を見せたのは『メンタルトレーニング』のため、そしてどうせ出走意志を見せるなら本気でやれることはやろうと考えて、いろいろと対策というか暗躍した結果、宝塚記念に出走できた。

 ……しかしアグネスタキオンが問うてきているのは、そこからもう一歩進んだ話だ。

 

 ――じゃあ、何故は私は『本気』で出走のための準備をしようと思ったのか。その気持ちの切り替えの根源になる要因が何かについて着目している。

 

 

「……アグネスタキオンさん。発想が逆です。

 私は宝塚記念に出るためにファン投票に注力することに本気になったのではありません。

 常に出走したいと思ったレースには自身の力を無理しないレベルで出し切ろうと考えているだけで、宝塚の場合、その手段としてファン投票があっただけなのです」

 

 そして、その疑問に対しての答えは明瞭だった。

 そもそも私は別にGⅠレースであろうと他のレースであろうと、そこに注力する意識の差を設けていない。だから言ってしまえば『出るレースは全部本気』だっただけ。

 逆に言えば、なにか特別な思い入れがあって怪我のリスクを背負ってまでやることを『本気』だと規定するならば、私は宝塚記念を含めて全てのレースで本気ではない。

 

「……ふぅン? でも気持ちの差だというのならおかしくないかい? もっと無理をしてでも宝塚に出たいと思っている子は大勢いるはずだ。その『想い』を君の理性が上回ったということなのかな?」

 

「そこについては、もうレース外の『技量』の差でしかないですね。

 少なくとも、興行規則を逆手に利用するウマ娘を自分自身以外に見た記憶がありませんから――」

 

 興行規則勝利が『清津峡ステークス』なら。

 投票制度という興行規則を利用して出走したのが『宝塚記念』なのだから、他の子と相対化した際に私が際立つ部分と言えばもうそこが一番なはず。

 

「……君、『想い』の力をこれっぽっちも信じていないね?」

 

「……ええ、そうかもしれません」

 

「あれだけ熱心に『お祈り』を捧げる君が、まさか誰よりも『三女神像』を信仰していないとはねえ……。だからこそ私が気付けないことにも気付くことが出来るのかもしれないし、『特異点』なのかもしれないが……。

 ま、聞きたいことは大体聞けた。これからも親睦を深めてくれると私としても、それときっとカフェとしても嬉しい。……何せ、同じ『個室』持ちの身だからね、だろうカフェ!?」

 

「タキオンさん抜きでなら、いつでもお待ちしていますよ、サンデーライフさん」

 

「……ちょっとカフェー、つれないことを言わないでくれよー」

 

 

 うーん、何というか締まらないけれども、ともかくアグネスタキオンは私を誘拐して聞き出したいことは大方聞いたみたいだった。

 久しぶりに他の子に振り回されたけど、やっぱり葵ちゃんとかアイネスフウジンを振り回す方が楽だなあ。主導権って大事。



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第67話 U≠ma2

 アグネスタキオンによる誘拐の翌日、全く想定だにしなかったことが発生した。

 

 私が居城にしている資料室のドアが力なくノックされる。

 

「……はい? 空いていますよー」

 

 友達ならノック無しで入ってくるところを、わざわざノックをしたということは誰だろうか。そう思いドアから入ってくる人物に注目する。

 そこまで重たくないドアにも関わらず、ゆっくりと開いたその景色の先に居たのは――憔悴したアグネスタキオンであった。

 確かに『親睦を深める』という言葉はあったが、昨日の今日というのは流石にちょっと異常である。

 

「……1日でなにがあったのですか、アグネスタキオンさん……」

 

 それに意気揚々と誘拐して私から聞きたいことを聞いたあととは思えないくらいにやつれている。……徹夜、だけでは説明がつかないだろう。三徹くらいなら普通にこなせそうな彼女が1日でここまでの状態になるということは絶対に何かあった。

 しかも、私の下にやってくるとなると確実に昨日の出来事が影響している。

 

「……今朝。君に関する紙媒体の資料が……全部、突然燃えたのだよ……。昨日聞いたことをまとめようとしてあの後からずっと書き続けていたものも、ずっと前から集めていた君のメイクデビューからのデータであったり雑誌や新聞の記事などの切り抜きも全部含めて……さっぱり、さ……」

 

 ……うわあ。

 同情とか、驚きとか、そういう感情以前にまず真っ先に来たのはドン引きだった。絶対、推定サンデーサイレンスの仕業だろうがそこまでやったのか。

 

「原因は……まあ、『アレ』ですよね……」

 

「……十中八九私がサンデーライフ君に客観的に見れば不適切な発言をした、という点だね」

 

 

 思えば、タキオンの資料の突然発火についてはアプリでも先例があって、マンハッタンカフェの個室スペースを勝手にいじろうとした際に同様の資料発火現象が発生している。

 つまり『お友だち』の庇護下にある存在に対して『不快である』と感じた行動について制裁を下すプロセスが怪異として現出する。そしてその『不快』についての判断が問題だ。

 

「……このことって、マンハッタンカフェさんには伝えています?」

 

 『サンデーサイレンス』自身が不快に思うのか、それとも『マンハッタンカフェ』が不快に思うことかで問題をまず切り分ける必要がある。ぶっちゃけ後者であれば私にとってはほとんどどうでも良いことになる。

 というか『カフェの機嫌を損ねる言動をしたから制裁!』って思考回路を『お友だち』が行っているのであれば、私がどうこう言ってももう無駄で最終的な解決策はマンハッタンカフェが許してくれるか否かに依拠してしまうからだ。確かに、マンハッタンカフェはタキオンの話を一度止めようとしていたので、その可能性もあり得ると言えばそうなのだが……

 

「ああ、最初はその場に居たカフェにも泣きついたよ……! だがカフェは『私の意志はどうでも良いのでは……』って反応でねえ……」

 

 ――となると。マンハッタンカフェ自身の感情に依らず『お友だち』自身の感性をトリガーにして自動発動するということだろう。

 となると、厄介なのはこのサンデーサイレンスだろう相手が意外と常識的な感性を持ち合わせているという点である。マンハッタンカフェが自身のスペースを勝手にいじられたら嫌、というのはまあ本人の意思と合致しているだろうから、こっちはまあ完全にタキオンが悪いで片付く話、なんだけど。

 

 問題は今発生した私の資料焼失の方。

 こちらは私がアグネスタキオンの言葉についてどうも思っていないのにも関わらず発生した。私の意志とサンデーサイレンスの判断が乖離している。

 どういうことかと言えば、私が嫌だと思って居なくても『第三者判断』で不快っぽい言動について制裁が下されるということになる。

 また『脚が速くない』ことに言及されたのは実は初めてでは無く、前にアイネスフウジンの夏合宿にお邪魔したときも近いニュアンスの言葉は伝えられている。しかしアイネスフウジンに制裁が下された形跡は無い。

 

 この2現象の違いを、どう捉えるか。

 アイネスフウジンがサンデーサイレンス産駒ではないから手を下せないと考えても良いが、絶対サンデーサイレンス産駒じゃないマンハッタンカフェトレーナーに対して怪異が発現している以上は、産駒と関わりの強い人物相手なら行使範囲にありそうなのでこの可能性は低い。

 アイネスフウジンが口に出した直後に、私は彼女の頬をつねって『第三者目線』から見たときに明らかにじゃれ合いになるように落とし込んだから? 発言の内容ではなくシチュエーションにも重きが置かれるのだろうか。

 あるいは、アグネスタキオンの方が言葉のニュアンスは強めでより直接的であった。

 

 パっと思いつく感じではそんなところ。だからこのサンデーサイレンス判断はかなり抽象的な部分で恣意的に選別されている可能性が高いのである。私がどう思ったかが無関係で、しかもその実力行使の判断基準があまりに曖昧。

 

「……あとは。アグネスタキオンさんがマンハッタンカフェさんの『お友だち』のことを『お茶目』だと『認識』してしまったところも、あの時は想定すらしておりませんでしたが影響が増幅したのでしょうね」

 

「……あっ。自認識も現象増幅のスパイスになる、というのがサンデーライフ君の仮説だったねえ……。

 ――ともかく、こうけじめは付けておこう。改めてちゃんと――」

 

「あ、待って下さい! アグネスタキオンさん!!

 この現象を『謝罪』というプロセスで解決してしまっては、根本的には何の問題も解決されない可能性が高いです!」

 

 その私の焦った言葉にアグネスタキオンは首を傾げる。

 

 ……確かに、今発生している現象の解決方法は『不適切な発言をした』ことに対する謝罪、というのは合っている。合ってはいるんだけどさ。

 問題は『サンデーサイレンス』側の知覚方法である。少なくとも私とアグネスタキオンの間では、一種の合意がなされた会話だった。

 

 しかし、それが怪異の現出側には共有されていなかったことで発生した問題――言い方を変えれば、私の考え方にまでは寄り添っていないからこそ起きたことなのである。

 だからこそ、この問題を謝罪によって解決してしまうと今後全く同じことが起きかねない。そしてあの会話の際に私は黒い靄を全く知覚していなかった以上は、推定サンデーサイレンス側の知覚の影響範囲は謎だ。

 

 そして謎だからこそ、この資料焼失だけ見ればアグネスタキオンだけの問題であって、一見私には無関係に思えるものに対して、積極的に解決に尽力に協力する必要性が生まれてくる。

 

「ここで私の認識が『お友だち』さんとは違うということを示しておかないと、私が不快に思っていないことに対して片っ端から殴っていく暴力装置を私は内包する可能性があります。

 ……ある意味ではアグネスタキオンさんが人身御供になっている今のうちに、少なくとも『私が嫌がっていないかどうか』を制裁の判断基準に入れて貰わないと……私自身が『不幸を振り撒く』存在として周囲から誤認される恐れがあるので」

 

 だからこそ、ある意味ではオカルトに対してはマンハッタンカフェのことで一定の理解がある上に、絶対に私のせいにはしてこないアグネスタキオンの下で、こういった怪異を『観測』出来たのは不幸中の幸いであった。まあタキオンにとっては不幸でしかないが。

 

 そしてマンハッタンカフェにも話を通して彼女にも協力をしてもらう。

 もしかすると『お友だち』の認知能力がマンハッタンカフェの五感に現世世界では依存している可能性、というのも否定が出来ないからである。私の因子継承が仕掛けられたトラップだったかもしれないとすれば、アプリにおけるタキオン資料焼失の方もトラップという可能性もあり得、意外と知覚範囲が狭い恐れがあるためだ。

 

 更に『私がイヤって思っていない』ことに対してタキオンに制裁が下されたという点について『お友だちとサンデーライフの間で認識の齟齬がある』という部分を説明したらマンハッタンカフェも、事の重大さを改めたようである。

 そう。これから行おうとしているのはただのアグネスタキオンの解呪ではなく、『お友だち』が私の意志に反して行動を起こさないための説明会なのだから。そしてマンハッタンカフェと『お友だち』の両名が考えていることが完全に一致しているかどうかは確定できない以上は、これはマンハッタンカフェにとっても下手すれば死活問題となる話である。

 

 

 

 *

 

 翌日、今度はアグネスタキオンが私のレース映像を保管していたブルーレイディスクが発火したらしい。……とはいえこれはダミーでクラウド上に情報は退避させているという話であったが、それに気付かれてデータセンター火災という洒落にならない事態の発生を防ぐために今日中に問題を解決しよう。

 

 1日開けたのは、準備が必要だったからというか私が昨日まで完全休養のクールダウン期間であったためだ。今日からトレーニングを再開して少しずつ負荷を高めていく予定だったので、トレーニング代わりに実演を行おうということである。

 別に昨日やっても良かったと言えば良かったけれども、完全クールダウン期間に走るのはちょっとイヤだなあと私が難色を示した瞬間に、タキオンとマンハッタンカフェが全力で明日にしようと決めたからこうなった。

 イヤだと思っていないことに対してでこれだけ大騒ぎになっているのに、私がマジで不本意だと思っていることをやらせたら『お友だち』がどういう行動を取るのかまるで未知数だったからなのだろうね。

 

 

 そして体裁的には一応合同練習ということでタキカフェのトレーナー2人と葵ちゃんも同席している。事情説明は一番理解が早いであろうマンハッタンカフェのトレーナーだけにしていて他2人への説明は任せてある。で、ウマ娘サイドは全員ジャージでターフの上で軽くストレッチを行う。

 

 とはいえ、まず走るのは私だけ。

 

「とりあえず600m程度走りますね。アグネスタキオンさんは最後1ハロンのタイムを計測してみてください」

 

「うむ、任されたよ」

 

 

 で、まずは400m地点まで加速し続けてラスト1ハロンの直線は全力疾走で駆け抜ける。

 

 かつて……と言うほど昔の話でも無いが、小学校で『人間がウマ娘を超える』ためにハードル走を行ったが、その時私は自己のペースについて『後先考えなければ1ハロン10秒台でも走れる』と言った。

 

「……はあ、どうでしたタイムは?」

 

 レースでもやらないような全力疾走で走った直後なので若干息切れはするが疲労感は全く無い。

 

「10秒7だね。しかしこれが最高速というわけでもあるまい?」

 

「まあ、そうですね――」

 

 如何にコンディションに左右されないとはいっても、クールダウン期間開けでの最初の疾走だし、バ場状態などの外的条件も別に最高の状態でもない。だから自己ベストはもうコンマ何秒かは速い。とはいえ10秒台の半ばくらいだけどね。

 

「タキオンさんに、それにサンデーライフさんあなたもです……。

 ……別に、遅くもなんともないじゃないですか。これだけの速度が出せるなら――」

 

 そして、聞きたいことをしっかりとマンハッタンカフェが言ってくれた。

 そう。別に私の最高速度は遅くない。というかトップスピードに関して言うのであれば、その上限はネームドウマ娘を相手取ることが充分に出来るものを持っている。

 

「うむ、その通りだよカフェ! サンデーライフ君のトップスピードは中々良いものを持っている……」

 

「つまり、私とアグネスタキオンさんの共通理解で『速くない』と称しているもの(・・)は、最高速度のこと――ではありません。

 ですので……次はマンハッタンカフェさんにもお手伝いをお願いします」

 

 

 5分程度休憩を挟んでから、今度はマンハッタンカフェとともに走る。距離は2000mに設定。短い距離だとマンハッタンカフェの適性外だし。

 併走トレーニング等ではなく、実戦形式に近い形で、先行するなら着差を付けられるだけ付けても構わない。思えばこうしてマンハッタンカフェと走るのは阿寒湖特別以来である。

 

 そしてスタート。

 で、結果は先行していた私を最終直線であっさり抜かしてマンハッタンカフェが4、5バ身差で勝利。

 ……うん。再三自分でも言ってきたことではあるが私はこの手の完全に1対1の対決になると『速くない』。

 

 終わってみれば、マンハッタンカフェが無表情でありながら、確かに困惑していた。

 

「……ああ、私に気を遣ってくれてありがとうございますマンハッタンカフェさん。ですが、きっと同じようなトレーニングをすれば似たような感想を抱くと思いますよ? 現に私はアイネスさんにも阿寒湖のときよりも前ですが『速くない』って言われていますし」

 

 この2人で走るトレーニングで私が『速くない』理由はいくつかある。

 1つは普通のウマ娘なら闘争心によって引き出されるパフォーマンスの向上が私には一切無いということ。

 そして、レース場という生涯で同じコースは数回使えば良い方の場所ではない――慣れたトレーニング用のグラウンド、他のウマ娘という不確定要素の不在、観客の有無であったりレースの格式とかそういった重責感など諸々含めたプレッシャーなど、そういった多岐に渡る要素が存在しない。つまり私がレースのときに運用している主武装の殆どが使えない状態なので、どうしても着差が生まれてしまう。

 私が実力を発揮できていないのではなく、他のウマ娘のパフォーマンス向上に私が着いて行っていないという形で『速くない』のである。逆に言えばアイネスフウジンを小学校の校庭で戦わせたときのように、相手のパフォーマンスを急激に落とす工夫が出来れば勝てる。

 

「私は単走でのデータ上ではそれなりに悪くないですし、レースとしての結果で見ても重賞戦線でなら何とかなる程度の実力があると自負しています。

 ……ですが、それはそれとして。単にウマ娘を相手取るとなるとそこまで『速くない』のですよ。

 

 ――というか面識の無い状態で、よくここまで私のことを理解していましたね? アグネスタキオンさん」

 

「……え? それくらい走りとデータを見れば分かることだろう?

 それに宝塚記念の舞台で一緒に走りもしたのだから当然じゃないか」

 

「……タキオンさん。それ……普通は分からないですから……」

 

「ふぅン……。って! となるとアレかい?

 カフェの『イマジナリーフレンド』は、もしかしてこれを分かっていなかったのかい!? ああ……だとしたら、事情が変わるねえ……。

 そうしたら、私がただ失礼な言葉をぶつけているだけに見えているじゃないか!?」

 

 

 まあ元を辿れば、アグネスタキオンのウマ娘に対する把握能力が常人の域を遥かに凌駕していてトレーナーに比肩するものだということ、そしてそれを彼女自身が半ば他のウマ娘も同様の視点を有しているという前提が根底にあったことが原因ではある。

 だからこそ彼女はマンハッタンカフェに一度言い方に対して苦言を呈されても大きく問題視はしなかった。だってアグネスタキオンの中では今見せたことくらいは常識の範疇だったのだから。

 

 他者の走りを見てデータなどを利用して時には自身の脚でも実証実験をすることが当たり前となっている彼女にとって、他のウマ娘も自分ほどではなくても多少なりともそういうことをやっていると思ってしまうことは仕方のないことである。誰しも自分が出来ることというのは軽く見積もってしまう。

 ましてや今回アグネスタキオンが見誤ったのは他者のウマ娘の走行の把握能力という感覚的なものだ。自己の感覚的な要素を相対評価するのは中々に難しい。それに基本的に走行には無関係な部分なのでアグネスタキオンの興味の対象外でもある。

 

 ……こういう形の人の傷付け方については、他ならぬ私自身も見えていないだけで幾度となくやっているだろうからね。

 私が出来ること、やっていることで他のウマ娘が出来ないこと、やらないことというのは結構多いから、どうしてもそこの認識の齟齬というのは発生しやすい。

 

 

 閑話休題。

 私が単走タイムとレースでの走りは悪くないのに、併走ではパフォーマンスが上がらない。だからそこでは相対的に『速くない』。

 そしてそれらの前提に立つならば、『弱い』という言葉も、タキオンにとっては『過去における能力上昇の切り分けのしやすさ』の指標という観点を私が無意識的に定義付けしてしまっていたので、そこで一般的な用語としての意味から切り離されている。

 そして『能力上昇の切り分けがしやすい』ウマ娘のことを『弱い』というのであれば、『単走と並走でパフォーマンスの変化が低く、1対1のトレーニングを行った際に相対的に見て速くない』現象のことも『弱い』ということになる。だってパフォーマンスの変化がしていないので切り分けがしやすいし。

 

 

 ――だから、あの時奇妙な会話のすれ違いが起きたのだ。

 アグネスタキオンは『弱い』『速くない』をそうした一般的な意味合いから離れた会話中にて私が定義付けした新たな概念の言葉として運用しており。

 

 マンハッタンカフェはそれらの言葉を、一般的な意味のまま素直に受け取っていて。

 

 私自身は、『速くない』と思われることに対して、一般的な意味合いで全く忌避感が無くそれが正当な判断であると認識している。そして『速くない』ことや『弱い』という事実に対して、それは大前提としてその足りない実力でもってどう戦っていけば良いのか、勝ち筋を見つければいいのかということを常に考えていて、実際にそれで結果を出している。だからこそ必ずしも『速くない』ことが私にとってはネガティブな要素にはならないし、そこに既にポジティブな要素を見出している。

 

 その『ポジティブな要素』こそアグネスタキオンが話していた言葉に内包される要素なのだ。そこには三者三様の解釈が入り混じっていた。

 

 

 で、全体を俯瞰していたサンデーサイレンス的な『お友だち』は極めて常識的な規範意識と不必要な正義感から、言葉を字義通りに認識しアグネスタキオンに制裁を下すに至った。

 

 

「……うーん。言葉じゃ伝わらないことって多いですね……」

 

「言葉には魂が宿るとは言うけれど……まさかそれをこんな形で実感するとはねえ……」

 

「――というかタキオンさんもサンデーライフさんも。……もっと分かりやすく話してください。そうすれば『お友だち』だって誤解しなくなるはずですから……」

 

 

「……それはちょっと無理な相談ですかね」

 

「おや? サンデーライフ君もそう思うかい? 気が合うねえ。……ということだよ、カフェ?」

 

 

 言葉の意味を曖昧にして、取れる意味を増やすやり口は私の『策略家』としての初歩の手段であるし。

 言葉の意味を厳密に運用して、それが時に一般的なイメージやニュアンスとは乖離するのは『研究者』として往々にして起こり得ることである。

 

 ……それは、言葉を『魂』と捉えるオカルトにとっては絶望的に相性が悪いのである。

 

 

 ――この翌日。朝に起きたときに枕の下にでっかいプラカードが差し込まれていて、そこに荒々しい文字で『気性難』と書かれていたという怪奇現象に遭ったのち、この騒動は終焉を迎えたのであった。

 ……ついでに言うとタキオンにも同じようなプラカードが枕元に差し込まれていたらしいが、何が書いてあったか彼女は頑なに教えてくれなかった。



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第68話 シニア級7月後半・アイビスサマーダッシュ【GⅢ】(新潟・芝1000m)

 その後は、特に何事もなく日々は過ぎ去っていった。タキオンは私に関する資料を燃やされてはいたが、ほぼ同様のコレクション品を同室のデジたんが所持していたので、それらを片っ端からコピーすることでほぼ復元には成功した。

 オタクの蒐集品は時として研究者の資料に比肩するのである。やべえ。

 

 まあそれはともかくとして、サマースプリントシリーズ3戦目のアイビスサマーダッシュに出走登録することが出来た。

 

 ちなみにサマースプリントシリーズのそれぞれの優勝ウマ娘は、1戦目・函館スプリントステークスはカレンチャン、2戦目・CBC賞はアグネスワールドであった。

 

 カレンチャンは既に史実ローテ分は終了しているらしく、年間数戦の参戦組になっているらしい。それで函館スプリントを狙ってきているということはこのサマースプリント制覇を狙いに来ていると見て間違いない。だから勝利を目指しに行くなら避けるべきシリーズではあるんだけどさ。

 避けたとてマイルや中距離で他の有力ウマ娘を相手にすることにはなるからぶっちゃけそこまで変わらない気もする。長距離レースが乏しい以上は何でも走れる私のスプリント路線は間違っていないと思う、きっとそう。

 

 そしてアグネスワールドのCBC賞。シニア級2年目で1年先輩なので、史実ローテだったら本来はイギリスのニューマーケットに居たはずなんだけどな。マンハッタンカフェが凱旋門賞スルーになったように、アグネスワールドもローテにぶれが生じているらしい。史実アグネスワールド号もCBC賞勝鞍はあるものの、CBC賞の興行日程が違う時期の時代だったからウマ娘日程になった結果、ローテにも変化が生じたということなのだろう。年代ぐちゃぐちゃなのは今更だがアグネスワールドに関しては史実古馬1年目のローテが2年分に引き伸ばされて古馬2年目ローテがシニア級3年目に来る、みたいな変化なのかもしれない。

 

 

 ……というわけで。アイビスサマーダッシュの出走メンバーをどん。

 

 うん、全員ネームドじゃない。いやー、この有力ウマ娘数人体制になると安心感が違うね。つくづくGⅠというのは怖い場所だった。

 いや、でもだからといってこのアイビスサマーダッシュでぶつかる相手が楽なわけではない。

 

 注目すべきは3人。

 バンブーメモリー。

 タイキシャトル。

 そして、カルストンライトオ。

 

 

 いやー、絶対キツいはずなのに宝塚で感性がバグってしまったよ本当に。

 史実バンブーメモリー号はこの時期、高松宮記念の名称変更前のレースであるGⅡだった高松宮杯に出走していたが、ご存じの通り、このレースはウマ娘においては3月の短距離GⅠになってしまっているためにバンブーメモリーの史実ローテ先が消失してしまった。先ほど話したアグネスワールドと同じ現象である。

 だから暇になったのでアイビスサマーダッシュに出走してきたということである。でも高松宮杯時代の距離は2000mなのだから、代替レースにするならサマー2000シリーズの方のレースにすれば良いのにと思わなくもない上に、もうちょっと我慢すれば同じGⅡ・2000mの札幌記念もあるのにせっかちだなあって気もする。

 ……それはともかくとして彼女も宝塚からのアイビスサマーダッシュローテなので、私と一緒なんだけどさ。いや、その宝塚記念の前に安田記念1着があるからむしろ私よりも過密ローテで来ているが。

 

 そんなバンブーメモリーとは1勝クラス時代に阪神ダートの短距離にて対戦経験がある。まあ差しが届かなかったんだけど。バンブーメモリーも私にSNSを薦めたりと結構かかわりが深いしこれで対戦が3回目ということになる。彼女が居なければ『かにみそ』が無かったということを踏まえれば、割と私のキーパーソンのうちの1人なのかもしれない。いや、『かにみそ』でキーパーソン判断はちょっとアレだけど。

 

 

 次にタイキシャトル。サイレンススズカと同期なので今年シニア級3年目。史実馬ローテとしては終了しているのでIF出走である。ぶっちゃけフランスGⅠ勝利があるんだから、サイレンススズカのように海外ローテを組んでくれ……と思わなくもないし、せめてマイル路線で行ってくれとも思っているが、ぶつかってしまったものは仕方が無い。

 1000m経験も新潟経験も無い……が、その肝心のフランスGⅠであるジャック・ル・マロワ賞にてドーヴィルレース場の1600m直線を経験しているので、直線コースのレース経験があるところは要注意である。新潟以外で直線を走ったことあるウマ娘ってほぼ居ないでしょ。凄いレアケースにぶつかった感がある。

 

 

 最後にカルストンライトオ。シニア級1年目で同期である。

 現状、メイクデビュー、1勝クラス、そしてオープン戦の北九州短距離ステークスの3勝のみで、障害レースを含めてしまえば4勝の私とほぼ似たような戦績をしている彼女は、戦績だけ見ると一見警戒しなくても良いように思える。

 史実ではこれに足して、この世界では先取りGⅢになっている葵ステークスも勝利していたはずだが、そこはダイタクヘリオスに競り負けたみたい。

 じゃあ何で警戒しているのかと言えば……うん。

 史実カルストンライトオ号はこの1000mの日本レコード保持者なんだよね。しかも多分日程的に見ると、私達の次走がそのレコードを出すレースだ。

 

 知っているならそこは回避しなさい、おばか! と怒られそうな話だが、言い訳を聞いて欲しい。だってカルストンライトオ、今週にIFローテで福島テレビオープンに出走しているんだもん!

 しかも史実7月ローテは現在存在しないNSTオープンで、その次がウマ娘ローテでは8月末に開催されるが小倉日経オープンに出走。これは史実カルストンライトオ号現役時代は8月初旬に開催されている。そしてその次にようやく8月中旬になってアイビスサマーダッシュ、というローテーションになっていたからだ。

 全然関係ない福島テレビオープンを挟んだからIFローテ組って思うじゃん? そこに、連闘でアイビスサマーダッシュをぶち込んでくるなんて想定できないよ。

 

 

 とはいえ来ちゃったものはしょうがない。一応第2回特別出走登録を出さない形で出走回避することは出来るが、1着が取れないレースなんていつも通りだしねえ。……そんな話を私はかきつばた記念の頃からずっとしている気がするけど。

 

 それにちゃんとこのアイビスサマーダッシュを選んだ理由というのはある。1000m直線は未勝利戦時代にゴールドシチーとの対戦で使ったこともあるから地味に経験者だし、三条特別も清津峡ステークスもどっちも新潟レース場での勝ち星だ。

 ……どう考えても、私は新潟レース場〇なのである。それに直近の新潟重賞はサマーマイル対象の関屋記念しか無いんだから、そりゃその2択なら短距離のアイビスサマーダッシュを狙うのよ。

 

 で。一般的に直線レースは外枠有利と言われている。自分たちのレースだけ見ればそんなに変わらないんだけど、前にレースをやっていると内側ってボコボコになりやすいからね。普通なら楕円形のコースを回る都合上、内の方が距離が短いのでお釣りが来るのだけれども、直線に限ってならば外に居ても内に居ても距離が全く変わらない。だったらずっと芝が綺麗な外に居れる外枠のが有利じゃない? ということになる。

 競走馬の場合、これに加えてまっすぐ走らせるために埒に沿って走らせる調教を施している場合が多く、何もない中央を突っ切らせるように走るとどうしても曲がってしまうから、どっちかのラチに寄せなきゃいけなくなってだったら芝の綺麗な外に寄せようと騎手判断することもある。この場合だと最初から外ラチに近い大外枠が有利になるわけで。

 

 ただウマ娘は自分の判断で走れるので無理にラチに寄せて走る必要は無い。もちろん、目印がある方が真っすぐ走りやすいのは確かだけれども、競走馬ほど極端にヨレることは無い以上、コースのど真ん中を突っ切っても良いとは思う。

 

 アップダウンもわずかだ。最初の200m強で数十cm程度の坂を登って、次の200mで降りる。更にその次の200mではもっと緩やかな上り下りをして、ラスト1.5ハロン強は本当に平坦となる。なのでほぼスピード勝負と言って差し支えない。

 また芝もトゥインクルレース場唯一の完全100%野芝で固めなのでこの面でも速度は出やすい。

 

 1000mでスピード勝負という都合上、ガンガン飛ばしていくウマ娘が多いけれども、だからこそ一方で飛ばし過ぎというケースも発生して、終盤で垂れることもあり、そうなると後方からの差しが効いたりもする。距離が短いから飛ばしてりゃ勝てるって単純な話なら、長距離ステイヤーなら全距離制覇出来るってことになっちゃうしね、やっぱりペース配分の概念は1000mであっても然りとして存在する。

 

 とはいえ作戦は単純だ。いつもの『大逃げ』ペースの感じでようやく前目に付けるかってところなので、ただ前を狙う。細かい調整はレース中にするけれども、基本はそれだけだ。

 

 

 

 *

 

 第1回特別出走登録からアイビスサマーダッシュまでの1週間のトレーニングは、ヒップフレクションなどの姿勢矯正に関わるメニューと、同時にフォームの微調整を行った。

 こいついつもフォーム直しているな、と思われそうだけれども、なにかいじったら基本フォームに意識を向けた方が良いと思う。で、直前に姿勢矯正を行ったのは少しでも真っすぐ走れるようにするため。走るときに進行方向に足先を向けているときに最もスムーズに走ることが出来る。とはいえ、直前に大きな肉体改造を伴ってはかえって逆効果になりかねないので本当に微調整レベルの話だ。

 競走馬的には姿勢矯正はシャドーロールとかハミ受けとかでやるけれども、ウマ娘って身体構造はほぼ人間だしね、そりゃトレーニングメニューも変わる。

 

 

 

 *

 

 そして、新潟のホテルに前日入り。そして今回は新幹線で新潟駅まで行ってのレンタカー現地入りにした。よくよく考えて気付いたのだ。高速道路移動のがエリアによっては時間もかかる上に疲れるってことに。

 今まで『知名度が上がった』からという理由で葵ちゃんの運転する車移動で現地に入っていたが、知名度が上がったくらいで易々レース前日のウマ娘に話しかけてくるようなファンはこの世界にはあんまり居ないので、どちらかと言えば『私が不用意にファンの前に晒されて気疲れしないように』という葵ちゃんの配慮によるものだったのである。

 

 しかし宝塚記念とそれに付随する出走のアレコレを経て、これまで以上に私はファンの衆目の下に晒されることとなった。だから別にもうファンが周りに居ても気にならなくなった。これもある意味メンタルトレーニングの成果なのかなあ、とも思うが、再び新幹線での現地入りに戻った。

 もっとも、葵ちゃんとも相談して経理部直談判を経て、超過分を実費負担する形でグリーン車利用にグレードアップはしているけどね。

 

 新潟に最後に行ったのって葵ちゃんとの契約前だから車で行ったことは無かったし、調べたら4時間以上はかかるらしい。それが新幹線利用なら2時間前後だもん。

 でも長距離車移動の道中はずっと葵ちゃんと一緒で数時間ずっとおしゃべりして、途中のサービスエリアとかで息抜きしたりも出来るから、その旅行然とした雰囲気も好きではあるんだけど、ね?

 

 

 で、そんなこんなで当日。重賞なので最早当然のように第11レース。そしてフルゲート18人での発走。

 

 天気は晴れで良バ場。1000m直線コースはここまで一度も使用していないので大外のバ場は綺麗そのものである一方で、通常の内回りコースの最終直線内ラチ付近は結構ボコボコである。

 

 パドックでのお披露目を終えて、葵ちゃんの下へ向かう。今日の私は3番人気で、4枠7番。宝塚記念の敗戦があっても人気には大きく影響はしていない。……もしかしてファンからはスプリント路線が本命って思われてる? 障害以外の勝ち星短距離だけだもんなあ、あり得そう。本当は長距離も好んで選んでいるのに。

 

「葵ちゃん……」

 

「なんでしょう、サンデーライフ?」

 

 更に気が付いたことが1つあったので、葵ちゃんに話す。

 

「……今日、なんだか記者が多くないですか? 宝塚記念ほどではありませんが、新潟までよく遥々と――」

 

「……それは、あなたとバンブーメモリーさんが宝塚出走組の中では最も早い再対決ですからね。タイミング的に特集が組みやすいのでしょう」

 

 あー……なるほど。私が勝ってもバンブーメモリーが勝っても美味しい。それにタイキシャトルが勝ったらやっぱり『海外制覇ウマ娘は違う!』となるのでこれも特集になる。うん、ネタの宝庫だね。

 

 それにトゥインクルレース唯一の直線は映像映えするし。外ラチ並走カメラもあれば、空には空撮用の報道ヘリすら飛んでいる。あー、アプリでもあったね、アイビスサマーダッシュの空撮視点。

 ヘリなんか飛んでいたらウマ娘の聴覚にはうるさすぎるのでは? と思われるかもしれないが、大丈夫。観客席だけでも充分うるさいので。多少音が増えても大して変わらないのよ。

 

 そんなわけで葵ちゃんとはレース開始直前にはあるまじき日常会話みたいな言葉を交わしてそのままゲートへと向かう。

 

「……来ましたね、サンデーライフ! 宝塚での雪辱を晴らすっスよ!」

 

「あの……バンブーメモリーさんの方が順位は上だったじゃないですか……」

 

「関係ないっス! あの日、宝塚に出た相手は全員倒すっスから!」

 

 ……うーん、バンブーメモリーにデバフを入れるつもりは無いけれど、ちょっと毒は仕込んでおくか。彼女だけにではなく全員に聞こえるようにして。ただし毒を仕込む相手はただ1人狙い撃ち。

 

 

「……今日は、私やタイキシャトルさんよりも気を付けるべき相手が居るはずですよ?」

 

「……? え。誰のことっスか、トレーナーさんは他の相手なんて……。

 ……ふふふ、分かったっスよ、これがサンデーライフの『策略』とやらですね! その手には乗らないっス!」

 

 まあ、策は策である。

 本日5番人気でしかも大外8枠17番・カルストンライトオを警戒しろというサイン。いやー、本当に誰か私の意志を汲み取ってくれ。

 

 この言葉でカルストンライトオにぴしゃりと警戒を向けなくても良いからマジで頼むぞ。

 

 ……じゃないと、今日ここで日本レコードが出る羽目になりかねないのだから。

 

 

 そしてゲートイン。トゥインクル・レースの重賞で最も短いレースが始まる。

 

 

「快足自慢の18人の先鋭たちの戦いの舞台、直線1000m・アイビスサマーダッシュ――直線一気!

 ……スタートしました! 18名、大きな出遅れはありません、カルストンライトオ好ダッシュをみせました。夢の53秒台を目指してカルストンライトオ大外からハナを窺います。

 内ラチからはミニペロニー、内外大きく離れました。そのほかに中央からはサンデーライフなども上がってきております――」

 

 

 ――この時点で既に200m地点を通過して。残り800m。



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第69話 シニア級7月後半・アイビスサマーダッシュ【GⅢ】(新潟・芝1000m)顛末

 横いっぱいに広がったまま200m地点を通過してここからなだらかな下り坂へと入っていく。

 

 外ラチに寄せるのがセオリーだが、私はこのままド中央を突っ切っていく。そのための姿勢矯正だったわけだし。で、左右から足音が鳴り響くが、自分の順位については下位ではないことくらいしか分からない。

 でもそれは致し方無いことである。この1000m勝負において横を向いて周囲の状況を確認するということは、その顔を動かした分だけ体幹もぶれるということ。本来であれば、その程度のブレによるロスよりも状況確認の方が優先されるが、ここ1000m直線においては、その僅かなブレによるヨレすらも気になるレースである。だから敢えて状況確認をせずにそのまま突き進む。まあ変にぶれると斜行を取られる可能性すらあるからね。

 だからこそ最初に『横いっぱいに広がった』とは言ったが目で確認したわけでは無く、あくまでも足音による聴覚判断だ。確実ではないが、この200m地点で既にどちらかに寄るというのも中々考えにくいので多分合っているはず。

 

 ここから下り坂なので更に加速を強めていく。

 

「さあ、横一列の隊形が徐々に崩れてきました! バ場の中央からやや外寄りに寄っていきましてカルストンライトオが出た! それを追うのは欧州直線王者のタイキシャトルと、そしてサンデーライフ!

 ここで、600の標識を通過しての1ハロンタイムは9秒8……え、9秒?

 ――10秒を切っています! 最先頭のカルストンライトオなんと200mを10秒かからずに走り抜けている!?」

 

「……これは驚異的なペースですね。1000mの短距離勝負で下り坂だったとはいえ……異常な速さです。このままのペースで推移すればレコードを上回るペースであることは疑いようがありません。文字通り『最速』のウマ娘が誕生する瞬間が見られるかもしれません」

 

「1ハロン10秒以下! ウマ娘がいかに快足と言えども、先頭カルストンライトオのペースはまさしく異常の一言か! 観客席もどよめいております! 今、我々の眼前にはウマ娘の種族の限界を超えようとする少女の姿があります――」

 

 

 10秒台半ば。それが私の最高速度。

 もちろんレースの最中で、そんなペースで走る訳にはいかない。いかに1000mしか無いとはいえまだ半分も越えていない段階で最高速度を出したら潰れると思う。僅かな息苦しさとレース特有の高揚感、それを思考の隅におきつつ考える。

 だからこそ、もっと長い距離でやっていたような『大逃げ』のときのペース配分で進めようと考えていたものの……右目の視界の隅に捉えてしまった。

 

 ――カルストンライトオを。

 

 目視できたということは、それだけ先行しているということ。私自身のペースは既にかなりのハイペースだ。走りながらの高揚感を感じつつも同時にかすかに思考の間に視界が眩む……一種の酸素欠乏に近い症状が私の中にはじめて見えてきているのにも関わらずそれすら先んじているということは……うん。

 日本レコードペースであることは疑いようが無い。

 

 ……これは、追ってはいけない。直感と論理の双方が同じ結論を導き出した。カルストンライトオへデバフをかけるとかそういう次元の話を飛び越えてしまっていた。

 

 あのペースに追いつきデバフをかけようとすれば、今のカルストンライトオよりも速いペースで走らなければ到達できない。

 そして、それは既に私の最高速度を大きく上回る無理難題である。

 

 史実カルストンライトオ号の1000m日本レコードタイムは53秒7。1ハロン10秒で走ったら50秒なので、今が10秒フラットに近いペースだとすれば……必ずどこかで落ちる。

 そのペースの落ちたカルストンライトオを差す……というのは日本レコードを出されたら不可能。

 

 ――だが。このペースに追走しようとしたウマ娘を切り伏せるには充分な火力を持つはず。

 

 ……予定変更。『大逃げ』ペースの逃げ位置取りを取り止めて、ここで一息つこう。そしてラスト1ハロンに全てを繋ぐ。だからこそ、ここから400mは最短距離で走りつつ沈むが自身の最高速でどうにもできない差が生まれないようには調節して走る。

 

 

「――カルストンライトオが依然先頭だが、サンデーライフややペースが落ちてきていっぱいになったか!? サンデーライフは頑張った!

 内の方からはバンブーメモリーが徐々にペースを上げてきている! その前にはタイキシャトルで、タイキシャトルは現在2番手グループといったところで400の標識を通過。

 ……ここでのカルストンライトオのペースは1ハロン10秒2! 現在タイムは31秒9を記録しております!」

 

「……600mを走って32秒を切りましたか。ここから垂れなければ、とんでもないことですよ」

 

 全体が掛かったかのようなペースだが、私は内にも外にも寄らずに中央から俯瞰する。とはいえ、首を視界確保のために振ることはしないため真っすぐ前を見ながら視界に映るものだけを判断するにとどまるが。

 

 分かるのはカルストンライトオのペースが落ちていないこと。そして先にカルストンライトオに並走しようとしたウマ娘の中には既に垂れてきている子も居る。私もきっとそう映っているだろう。今、何番手かは分からないが、明らかに斜め後方から聞こえる足音もある。

 

 もう1ハロン。この200mだけは座視して状況を見守る。まさかたった1000mでこんな繊細なペース管理が必要になるとは思わなかったが、ここは雌伏の構え。

 

 

「外ラチいっぱいのファンに最も近いところをカルストンライトオが抜け出した! 内からタイキシャトルがそのまま追い続けるが、カルストンライトオが更に突き放していく!

 そして、ここで残り200の標識……400から200mのタイムは9秒6!? 更に速くなっていきます、他者の追随を許さない9秒台タイムを繰り出して突き進んでいきます!」

 

「……1ハロンタイムとしては、恐らくトゥインクル・シリーズ開催以来の数字が出たことでしょう。既にカルストンライトオは日本レコードを1つ塗り替えましたよ。

 後は、最後200mをどう走るかに全てがかかっていますね」

 

「既に1ハロンレコードは出したカルストンライトオ! 後は勝利と、1000m日本レコードを残すのみ!」

 

 ……さて。ネームドはともかく、他の子のペースは露骨に滅茶苦茶になってきた。まあ、日本レコードペースのレースなんて体験は早々あってたまるかという話ではある。

 

 

 ここからは、他のウマ娘との戦いではなく。自分との戦いだ。

 ラスト1ハロン。それは『後先考えずに』走って構わない区間。

 

 

 つまり。

 ――自己ベストタイムに対する挑戦への時間である。

 

 

 

 *

 

「――さて、先頭はカルストンライトオ! カルストンライトオが突っ切っていく! それを追うのはタイキシャトルと更に後方バンブーメモリー! 外ラチいっぱいのカルストンライトオ! タイキシャトルは追い付かない!

 後方からサンデーライフも来ているぞ! ここに来てサンデーライフも素晴らしい末脚だが、カルストンライトオは最早セーフティーリード! 2番手タイキシャトルを突き放したままそのままゴールイン!

 カルストンライトオが1着! そしてタイキシャトルが2番手に入線! そしてタイムにご注目ください――」

 

 

 ――確定。

 1着、カルストンライトオ。

 

 2着、タイキシャトルと3バ身突き放しての圧勝。

 その1000mタイムは53秒5――日本レコードタイムであった。

 

 

 ……ちょっと待って!? 史実よりも0.2秒早いじゃん!!

 

「――1000mの世界レコードはアルゼンチンのロコモティヴの53秒07ですが、ついにトゥインクル・シリーズにおいても、その世界の頂に堂々と殴り込める53秒台のタイムが出ました! 日本レコード更新! 記録を大きく塗り替えました――」

 

 

 その大盛り上がりの中。掲示板の一点を私は見つめる。

 ――3着、サンデーライフ。

 タイキシャトルとは6バ身差で、その後3/4バ身差4着にバンブーメモリー。

 

 カルストンライトオから9バ身と考えると、1000m全体の私のタイムはおおよそ55秒1くらいといったところか。

 いやそのタイムならメンバー次第では全然1着が狙えるタイムではあるんだよね。3着の私で9バ身差ってのがおかしいよ、1000mレースでついて良い差ではない。

 

 

 

 *

 

 いやー、目の前で日本レコードが出てしまっては笑うしかない。しかも私が知っている記録よりも更に0.2秒早い。

 タイキシャトルもバンブーメモリーも、共に走った他のウマ娘たちも皆、笑っていた。その渦中のカルストンライトオですら、唖然とした表情を見せつつも笑っていた。

 

 1000mの日本レコード更新と、1ハロンタイムの日本最速タイムの同時更新。

 

 特に後者の記録更新によって。

 私達は今。――新たな日本最速のウマ娘の誕生を見届けたこととなる。

 

 1ハロン9秒6。この記録は速度にすれば時速75km。これが最速のウマ娘の『速度』の新たな指標となる。

 

 その興奮冷めやらぬ観客席から見えるターフを後にして控え室に戻る。先に戻ってきていた葵ちゃんに迎え入れられた。

 

「……葵ちゃん、後でこのレースの結果が出たらで構わないのですが……」

 

「……サンデーライフ?」

 

「――私の最後の1ハロンのタイムについての正確な記録をまとめて貰えますか? 自己ベストを出すつもりで走ったので、もしかすると面白いタイムが出ているかもしれません」

 

 ただし、すぐのすぐでデータが出るわけでもないので、これについてはトレセン学園へ戻ってから、ということになる。

 

 

 3着入着だったのでウイニングライブはバックダンサーではなく歌唱パートを頂き、日本レコード誕生という大きな節目のウイニングライブに、私はタイキシャトルとともに相乗りさせてもらうことが出来た。

 メインレースだから今日一番のファンの歓声なのは当たり前だけれども、それにしても熱気はやっぱり段違いであり、その称賛を一心に浴びたカルストンライトオは、ラスサビで堪え切れずに号泣してしまって歌えなくなるシーンがあった。

 

 私とタイキシャトルは2人で目を見合わせて僅かにはにかんだ後に、そんなカルストンライトオの肩を組むようにして励まして。

 私とタイキシャトルの2人は共に自分のマイクを切って彼女のライブを邪魔しないように一緒に歌い、ファンにはそんなカルストンライトオの泣きながらも最後まで歌い上げた声が歌として届いたのであった。

 

 

 ――現在の獲得賞金、8971万円。

 

 

 *

 

 ホテルに戻った後、客室のドアが叩かれる。ドアスコープから外を見てみればバンブーメモリーがやってきていた。

 

「……今日は、シャワー浴びていなかったみたいっスね! また学園ドラマを見に来たっス!」

 

「えっ? このホテルもバンブーメモリーさんの部屋、電波悪いのですか?」

 

「そんなつれないこと言わなくたって良いじゃないっスかー、今日は普通に見れますけど前にサンデーライフと一緒に見たことを思い出して、部屋凸したっスよ!」

 

 あれは去年の3月だったっけ。阪神レース場での1勝クラスのPre-OP戦。そこが初対面だったけれども、この1年と4ヶ月はあっという間だったと言うか、長かったというかちょっと悩む。

 

「バンブーメモリーさん?」

 

「どうしたんスか、改まって」

 

「……今日、悔しかったですか?」

 

 1勝クラスのときは私が2着で、バンブーメモリーが1着。それで負けて悔しいという気持ちを発露したときに、その声が偶然彼女に届いてしまったところから私達の関係は始まった。

 

「――悔しいに決まっているじゃないっスか! ですが、この悔しさが、ウマ娘の更なる成長を産み出すっスよ!」

 

 彼女は、その時とほぼ同じ言葉を今度は自分自身に向けて放った。

 日本レコード敗北はどうしようもないけれど。それが私達にとって何も意味の無いレースだったかと言われればそうじゃない。こういうレースを積み重ねていくことで私はまだまだ成長していける。

 

 

「……あっ、シチーからウマッターでリプが来ているっス。

 ……うわあ。日本レコード出た試合で不甲斐ない負け方しているからお土産買ってくるように、って。

 わざわざアタシとサンデーライフを名指ししているっスよ」

 

「……え? 私も?」

 

「……アタシたちが落ち込んでいるって思って負けたことを考えないように、色々気を回した結果っスね、きっと。

 シチーは、なんというかこういうところの気遣いが下手くそっスから」

 

 あー……お土産を選べと有無を言わさず言うことで自分を悪者に仕立て上げつつ、今日のレースのことを考えて落ち込まないように、ってことなのね。

 少なくともゴールドシチーに何をお土産として買っていくかで頭を悩ませている間は、レースのことは考えなくなるという。

 ……すっごい不器用だけど、でもゴールドシチーっぽさはスゴい。しかも私達お互いにそこまで落ち込んではいないから、基本空回りという点も悲しすぎる。逆に申し訳なさが出てくるやつじゃん。

 

 するとバンブーメモリーが笑みを浮かべてこう私に囁いた。

 

「……でも、これだけ分かりやすい『ネタ振り』をされるとアタシとしても全力でふざけたくなるっスね!」

 

「……それはそうですね」

 

 とりあえず葵ちゃんとバンブーメモリーのトレーナーさんにも伝えて明日の予定は開けて貰って、お土産探しに行くことに。バンブーメモリーがドラマを見ている間に、適当に新潟の観光地とかを見繕っていたら『せんべいメーカーの工場見学』が予約とか無しで行けるみたいなので、それをドラマ終了後に伝えたら即決定した。

 

 

 翌日トレーナー陣も含めて4人で工場見学をした後に、ゴールドシチーへのお土産ネタを探していると、見つけてしまった。

 

「『ぱかうけ ウマ娘向けラージサイズ』……。90袋入りですって、これ」

 

「サイコーっスよ! サンデーライフ!」

 

 ふらっと私が取ったパッケージを味も確認せずにそのまま持って行ってしまった。そのままバンブーメモリーのトレーナーさんに写真撮ってもらっているけど何味だったんだろう、あれ。

 ……まあ、ゴールドシチーが食べるものだし気にしないで良いか。

 

 私も一応ハッピーミークとかに普通のサイズのやつを買っておこうか。そんなことを思いながら売り場の中をぶらぶらと散策していたら、そこには目を止めざるを得ないものがあった。

 

「……マジですか」

 

 

 そこにあったのは。

 ――『ぱかうけ ゴールドシップのからしマヨやきそば風味』とかいうやつ。

 

 

 なんか商品化されているんですけどー……。

 

 

 


 

 ゴールドシチー㋹ @goldcity0416・昨日 ︙

  アイビスサマーダッシュ見てた。日本レコード更新、普通に凄かった。

  ……バンブー先輩とサンデーライフは新潟でお土産買ってくるように。

 3.1万 リウマート 1,224 引用リウマート 11.8万 ウマいね

 

 

 バンブーメモリー㋹ @Bamboo_Memory_ssu・昨日 ︙

 返信先:@goldcity0416 さん

  ラジャったっス! サンデーライフと面白いもの買いに行くっス!!

 2,164 リウマート 105 引用リウマート 4.1万 ウマいね

 

 

 バンブーメモリー㋹ @Bamboo_Memory_ssu・6時間前 ︙

 返信先:@goldcity0416 さん

  シチー、このすっごいデカい『ぱかうけ』で良いっスか?

  (バンブーメモリーの肩幅くらいあって顔よりも遥かに大きい包装を満面の笑みで抱えるバンブーメモリー)

 2.2万 リウマート 1,554 引用リウマート 7.4万 ウマいね

 

 

 ゴールドシチー㋹ @goldcity0416・48分前 ︙

 返信先:@Bamboo_Memory_ssu さん

  バンブー先輩! え、マジ? ……マジなやつです、それ?

 1,016 リウマート 214 引用リウマート 2.3万 ウマいね

 

 

 バンブーメモリー㋹ @Bamboo_Memory_ssu・7分前 ︙

 返信先:@goldcity0416 さん

  もうとっくの前に買って、そろそろ学園に着くっスよ?

  あ、味はサンデーライフが選んでくれた『カニ味』っス!

 28 リウマート 3 引用リウマート 186 ウマいね



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第70話 hail to reason

 ハッピーミークへのお土産は『ぱかうけ』にした。正確にはトレーナー室に置く常備お菓子って扱いだけど。とりあえず普通のアソートセットのやつのほかに、生産工場限定品の『イカ七味マヨネーズ味』。とはいえゴールドシチー用のお土産に買ったような90袋入りパックのやつではなく、10袋入りの通常サイズだ。

 

 ……よくよく考えてみれば『ぱかうけ』って2個で1袋だから、ゴールドシチーに行ったやつって180枚入りなんだなあ、と他人事ながら考える。この世界、ウマ娘という規格外がいるから、食品に関しては謎の超巨大アイテムが結構巷に溢れている。

 

 翌日、その『イカ七味マヨネーズ味』をはむはむ食べているハッピーミークを目撃したので、そこそこ味は気に入ったようである。だったらもっと買ってきても良かったかもしれないが、こればかりは運ゲーだしなあ。

 

 

 

 *

 

 翌週の初めに、データをまとめた葵ちゃんにトレーナー室に呼ばれた。私はクールダウンのための完全休養期間で、ハッピーミークはトレーニング中だったのでトレーナー室には葵ちゃんと私だけ。その葵ちゃんも区切りの良いところでハッピーミークのトレーニングの監督に戻ると思う。

 

「あの……サンデーライフ。おっしゃっていたアイビスサマーダッシュでのハロンタイムが出ましたが……」

 

「どうしました? なんというか、歯切れが悪い物言いですが葵ちゃん……」

 

「いや……何と言いますか。サンデーライフにとってはきっと予想外な結果かもしれないです」

 

「……?」

 

 もしかして、ラスト1ハロンでの追い上げのタイムが別にさほどでもなかったのだろうか、と思ってそのタイムを見たら――1ハロン11秒ジャスト。

 

 

 ……うーん。実際かなり早い。が、後先考えない走りのタイムとして見るならば特段大したことはない。ってことは、あの最後の最後のタイミングで私はそこそこ消耗していたことになる。

 てっきり10秒台は出ていると思っていただけに、ちょっと予想外。

 

 ……ん? でも待って。最後の加速局面で200m11秒かかっているということは、そこを平均として見たときに1000mで55秒……私のゴールタイムとほぼ同等になってしまう。

 別に何もおかしくない? いや、だって私は中盤400m程度はペースを落として走っていたはず。だから帳尻が合わない。

 

 何か変だ……と、思って全ラップタイムを見渡したときに、見つけてしまった。

 

 

 200m地点から400m地点までの1ハロンタイム――ここが10秒2になっている。これは自己ベストのハロンタイムを更新していた。

 

「つまりですねサンデーライフは最後の1ハロンではなく、この序盤でのタイムで自己ベストを出していたのですよ」

 

「マジですか……。確かに下り坂ですけれども、全く気付いていませんでした」

 

 そりゃ最後で全力を出そうとしても出ない訳である。先に自己ベストのような後先考えない絶望ペースを繰り出していたのだから。

 って、この区間ってカルストンライトオを追えないって判断した場所じゃん! もし、あのまま追走判断をしていたら私は潰れていたということか……。怖すぎる。

 

 つまり全部が数段階ギアが入ってぶっ壊れた状態だった。

 最初『大逃げ』くらいのペースって言ってた頃が自己ベスト更新くらいの破滅必至の暴走をしていて。ギアを落として脚を溜めるとかやっていた区間でようやくいつもの『大逃げ』で何とかあり得るくらいのハイペースだったということ。

 そりゃあかつてダイヤモンドステークスで3400m走った私のスタミナも枯渇するわけである。全区間でペースの見誤りを起こしているのだから、逆にラスト1ハロンで良く再スパートをかけられたってレベルの話だ。そのまま沈んでいても全くおかしくないレースだった。

 

 

 ただし。その思いがけない自己ベスト更新タイムである1ハロン10秒2とは。

 ――時速換算にするとおおよそ70.6km/h。

 

 ……いつの間にか私のスピードは最速で70km/hの大台を超えるまでになっていた。

 

 

 

 *

 

 とはいえ、この1ハロン10秒2のタイムなんて1000m直線の平坦コースで芝がかなり良好な場所を走っての理想タイム。それでもなおガス欠ギリギリの走りなので、この速度を他のレース場で活かすのは極めて難しいだろう。むしろ、今回のように意図せず出したら着外すら余裕で起こり得る危険なペースだ。

 

 自己ベストの更新という観点で見れば喜ばしいことではあるものの、改めて私のペース配分が正確に体内時計で刻めるわけではなく、相対化の指標で考えていることがモロに欠点として出てしまった。

 いつもは徹底した周囲の確認をしていたからこそ、そのペースの変調に気付くことが出来ていたが、アイビスサマーダッシュにおいては体幹のブレを軽減するために首を動かしての状況確認を敢えてしなかった。

 

 判断ミスとまでは言えないと思う。実際に体幹のブレが生じていたらもっとタイムは落ちていたのは間違いないし。これより速くは走れないというところまでの走りは出来ていた。

 しかし、その代償として自身のペース配分を見誤った。正直、ケースバイケース過ぎる。

 

 ただし。葵ちゃんは状況を俯瞰しつつ恐る恐る私に次のように指摘した。

 

「あの……サンデーライフ。つかぬことをお伺いいたしますが……。

 ――あなた、先日のレースで日本レコードが出ることを……『分かって』いましたね?」

 

「……っ!」

 

 その問いはあまりに突然であったために、私は肯定も否定も返すことが出来ずに言葉を飲み込んでしまった。そしてその反応の時点で、葵ちゃんに概ね察せさせてしまった。

 

「……やっぱり、そうだったんですね」

 

 ここから誤魔化しても良かった。けれども、葵ちゃんがその結論に至った理由も気になった。

 

「……どうして……そう思ったのですか、葵ちゃん?」

 

「――1ハロン10秒2のタイムは……サンデーライフの身体能力で引き出せる限界を超えています。『勝利への渇望』をあなたがあのレースで剥き出しにしていたようにも思えませんので、その『実力以上の実力』が出せた理由を求めた際に……行き着く答えが私にはそれしか浮かばなかったからですね。

 ……『日本レコード記録を阻止』することにサンデーライフは勝機を見出していたのでしょう?」

 

 

 ……トレーナーとしての分析能力でそこまで分かるのか。

 葵ちゃん視点では10秒2というタイムは私の実力を凌駕したタイムということになる。レース中にウマ娘が本来の実力よりも上回るような力であったり、いつも見せていたものではない潜在能力を開花させるということは無いわけではない。

 具体例はセイウンスカイのレコード菊花賞とかかな。1着を充分に狙えるウマ娘であることは周知の事実であった彼女であれど、あの場でレコードを出すとは本人も含めて誰も思っていなかったはずだ。

 

 そうした能力限界を超越した走りというのは本来は『勝ちたい』という絶対の意志と切磋琢磨する強者のライバルなどの諸要因が重なって発現することもあるもの。だからこそ、そもそも『勝てるなら勝つ』レベルの私の意志では、そうしたマインドセットそのものを行っていないので『実力以上の実力』などというものは引き出せず、調子安定性の高さで常にレースに臨んでいた……はずだった。

 

 しかし、先のアイビスサマーダッシュでは、その前提が崩れたというのが葵ちゃんの評価である。確かに、普通に考えてしまえば私が70km/hオーバーで走行出来るのが『100%の実力の範疇』であると考える方がおかしいし、様々な超高速化の条件が重なっていたとはいえ、それでも私が通常のマインドセットで引き出せる走りの領域の外にある。

 

 『勝てるなら勝つ』――その勝ち筋を導く中で、いつの間にか私は『日本レコード阻止』というとんでもないものをセッティングしてしまっていた。勿論それは自分自身でレコードを塗り替えるということではなく、序盤のうちにカルストンライトオの意識や集中を削ぐようなデバフを上手いことやってかけて、それでペースをぶっ壊して沈ませるのが狙いだった。けれども、その作戦の根幹には最初はレコードペースの走りに『追走』するということが必須要件であった。

 

 そして本来の実力では『追走』は不可能。でも策の実行のためには不可能な領域が前提条件。……え、それで実力以上の力を無意識的にあの200~400m地点で私は引き出していた?

 

 

 私が続きを促すように目線を送ると、それに軽く頷いてそのまま葵ちゃんは言葉を続けた。

 

「……ただ、これがサンデーライフにとって良いことなのか悪いことなのかはちょっと私には判断できかねます。

 確かに全力以上の力を従来通りの精神性で引き出せる……ということはメリットのように思えますが……。

 ただ、サンデーライフ自身が200~400m区間にて最高速を出していたことに気付いていない以上、無自覚で起こり得るという点が1つ。

 そしてその区間で酸欠状態を引き起こしていたのにも関わらず、一種のランナーズハイに近い走っている際の多幸感によって、サンデーライフ最大の武器である『状況認識』に齟齬が生じているという点も懸念事項です」

 

「……」

 

 今、葵ちゃんが挙げた2つのデメリットは共に相関していることだ。つまり速く走ることで運動量、ひいては酸素消費量が激増して思考リソースを圧迫している。だからどうしてもレース最中の判断能力の低下に繋がってしまう。

 アイビスサマーダッシュで生じた認識の齟齬とは『自己ペースの誤認』。確かにミホノブルボンのように自身の感覚として正確なラップタイムが刻めるわけではない私はペース配分については定性的な面に頼っているところが多いが、それにしたって自己ベストを超えるペースを誤認していたのは、改めて葵ちゃんの意見を踏まえて考え直すと末恐ろしいものがある。

 

 つまり、あの時私は『カルストンライトオを追えない』という判断を最終的に下すことは出来ていたが、その理由付けについては全く正しい状況に即したものでは無かった。ヒヤリハット事例である。

 ――過程がめちゃくちゃな状態で、結論だけが合っていた。それが指し示すことはもう一度同じような状況に陥った際に正しい判断が出来るかどうかは運次第ということである。

 

 そしてその誤判断によって引き起こされるのがペース配分のミスによって終盤に大失速するとか、途中で走るのを断念するとかならまだマシであるが……怖いのは『酸欠』の程度をあのとき『認識していながらそれを軽視』していた。

 リスクを許容して攻めに転じたわけではない。『状況把握能力』の低下によって『今までレースで怪我なんてしたことないから多分大丈夫』と息苦しさに対して『正常性バイアス』が働き、完全に軽く見積もっていた。

 

 だから。

 あの自己ベストタイム200m10秒2とは『レースペースについて』後先考えない走りではない。

 ――『今後の選手生命について』後先考えない走りなのである。

 

 そう考えると、『全力以上の力』を引き出せるという一見メリットのようなこの現象の意味がまるで変わってくる。

 私は達成困難な作戦目標に固執しすぎると、これまで制御して統制していた安全マージンを『無意識』で捨て去る危険性が顕在化した。

 

 それを踏まえてでも、普通のウマ娘であれば『速く走れる』という多大なメリットに惹かれて、これを飼い馴らそうとする者も居るだろう。

 

「一応、お伺いいたしますが。

 この70km/hオーバーの速度って、脚に悪い影響があるものではないのですか?」

 

 

「……他ならぬサンデーライフですからお答えしますけど。

 例えばトレーニング中の『屈腱炎』の発症時の負荷ですが。患者全体の9割近くは1ハロン15秒より遅いペースでの走行時で発生しております。

 ですので、そもそもウマ娘の脚にとって。トレーニングレベルの負荷の時点で脚に多大な悪影響があるのですよ。

 

 だから1ハロン10秒台で走ったところで『屈腱炎』に関して言えば、さして発症リスクが変わるわけではありません。『繋靭帯炎』などは高速ペースで発生しやすいとは言われてはおりますが、さまざまな全体の怪我率を鑑みると恐らく速度上昇だけでは一般に考えられている程には急激にリスクが向上するということは無いでしょう。

 とはいえ、当然高速で走る方が脚に負荷はかけているわけですから、リスクが変わらないとまでは言いませんが……少なくとも速度上昇に対して1対1対応で比例相関するものではありません」

 

 史実ではBNW全員にブライアン、タキオンやフジキセキ、マヤノトップガンなどを引退に追い込んだ『屈腱炎』。それらは別に高速で走行することによる局所的な負荷ではなく、むしろ恒常的なトレーニング負荷の蓄積によって発生する現象である。

 この『後先考えない』ペースで走ることによる脚への悪影響は当然大きいけれども、そもそも普通にトレーニングするだけでも悪影響がかなりあるというわけで。……それは、伝えるウマ娘によっては自暴自棄になりかねない事実である。

 

 

 だからこそ自己ベストタイムで走ることによる脚のリスクよりも、考えるべきは『怪我のリスクを軽視する』判断能力の欠如によるリスクの方である。

 

「……無意識に限界を超える……とは言いますが、このアイビスサマーダッシュで初めて見られた現象ということは、余程無理な『策』を練らない限りは発生し得ないということですよね?」

 

「恐らくは。それにサンデーライフ自身が『策』の完遂に固執する傾向があることを自己把握しただけでも、発生について抑制できるかと思われます。

 裏を返せば、促進も可能ですが――」

 

 

 強くないウマ娘であれば。きっとこれが最後の希望と縋っただろう。

 強いウマ娘であれば。きっとこれが自身の能力を最大限に引き出すトリガーとしてリスクを許容しただろう。

 

 

 でも、私は。

 ――『強めのモブウマ娘』である。

 

「……認めましょう。アイビスサマーダッシュの私の作戦は……誤っていました。

 『勝てれば勝つ』という精神性から逸脱した『日本レコード阻止』という目標を設定して、破綻していることに気付けなかった。

 GⅠで優勝争いが出来るほど強くはなくて、でもこれに縋らなければいけない程追い詰められてもいない私にとっては、いずれにせよ『過ぎたる』モノです。

 

 ……使いませんよ、こんな『想定外事態』しか引き起こせない代物なんて」

 

 

 勝利を希求していない私に、こんな形の能力強化は必要ない。

 

 

 だって。私が真に優先すべきは。

 ウマ娘としての本能でもなければ。己の目標に通じるものでもない。

 ――『理性』なのだから。



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第71話 #サンデーライフ選手 #おバズりなさい #音ハメチャレンジ

 先のアイビスサマーダッシュについて私自身の身に起きたことについては振り返ったが、まだもう1つ考えなければいけないことがある。

 それは、少女・カルストンライトオが記録した53秒5という史実よりも0.2秒早いレコードタイムである。これは葵ちゃんにも相談することが出来ないので自分なりに考える。

 

 非史実的結果がレースで現れることについては今までも数回あった。だからこれもその延長と言えばそれはそうなのかもしれない。カルストンライトオはどこで0.2秒を縮めたのかと言えば、スタート時の最初の1ハロンで0.1秒、ゴール前の最後の前残りを敢行している際の速度減少で0.1秒抑えている。

 史実カルストンライトオ号のアイビスサマーダッシュレコード時とは色々状況が異なるのも事実。まず事前ローテーションが違って福島日経オープンからの連闘となっている。そして出走メンバーも全然違う。競走馬として名前に心当たりの無いウマ娘たちが他の出走メンバーを仮に補完しているとしても、タイキシャトル、バンブーメモリーの存在は確実にレース展開に影響を与えていると思う。

 

 そして3着に入線した私だが。史実のこのアイビスサマーダッシュに照らし合わせると、本来5着とか6着辺りのタイムだったり。いや、まあこの年さえ避ければ1着狙えるタイムではあるけれども、でも史実ではカルストンライトオ号の高速化レースに届かずとも付いていった競走馬はそこそこ居た。でもタイキシャトルを除けば完全に千切れてしまっていた。

 

 複合的な要因が積み重なっていると思うが、多分。スタート1ハロンでの0.1秒については私の影響も大きいんだろうなあ、これ。

 史実との最大の相違点は、私という競争者の1人が『今日日本レコードが出るかもしれない』ことを知っていて、それを阻止しようと考えていた事実。カルストンライトオにデバフを入れる方法を模索するために、そこに追走しようとした私の存在が、カルストンライトオの闘争心を刺激した可能性は考えられないだろうか。あの時の私は『レコード破壊』を念頭に置いた上で無意識で全力以上の実力を引き出してもいたとなると、それがカルストンライトオに波及するのはあり得るかも。

 

 ……ウマ娘が幾多の『想い』を背負い、走る生き物であるとはアグネスタキオンの言葉だ。

 

 他ならぬ私だって、ファンの想いや、葵ちゃんの想いを背負って走っている自負はある。『想い』を力に反映していないだけで、色々なものを背負っている感覚は確かにある。

 ただ本義的には、この想いを背負って走るという行為はウマ娘にとって誰かに背中を押されているような感覚すらもあるものなので、私が感じているものとはまた異なるかもしれないけど。

 

 

 しかし。『想い』とは別にターフの外からの声援だったり……あるいは『競走馬』としての魂、もしくはその異なる世界における輝かしい栄光の幻想を共有した第三者だけに留まらないのだとしたら。

 ターフの中――レースを走っている瞬間に、ターフを走っている他のライバルウマ娘たちの『想い』をも背負えるのだとしたら。

 

 私の『レコードを破壊』するという『想い』を乗せたカルストンライトオが、史実よりも更にとんでもないタイムを引き出した――ということはあり得ないだろうか?

 これまであまり考えて来なかったが、他ならぬ私自身によって他のウマ娘すらも更なる高みに引き出す可能性はあるのではないか。

 

 

 答えの出ない問いではあるが、そうなのだとしたら、それは――。

 

 内心湧き上がる高揚感を隠し切れないほどに口角が上がる。

 日本レコードを0.2秒塗り替えるのに僅かなりとも私の影響が紛れていたのだとしたら。それは、カルストンライトオの中に私の『想い』が無視できないレベルで介在しているということ。

 

 それは他ならぬカルストンライトオ自身が私のことを『策略家』として警戒していたことを示す何よりの証明であり。応用次第では、その影響を増幅させることでデバフに転化させることも出来たかもしれなかった突破口なのだから。

 ……まあ、私の方があの『破滅的な走り』を使えない以上は、やり方は変える必要があるが、最早ネームドの警戒と私への意識がついに『数字』に見える形で析出したのである。

 

 

 

 *

 

 トレーニング完全オフ期間は過ぎ去ったものの、まだまだクールダウンのために本格的な練習には戻っていないので、暇つぶしも兼ねて今日は『資料室』でそこそこだらけていた。なお昨日は気分転換も兼ねて家庭科室を借りてお菓子作りをしていた、まあバレンタインの時みたいな大量生産ではなく少量作っただけだけどね。

 

 それで友達の何人か、スマートフォンやタブレット端末を充電しつつぐでーってなっている。パイプ椅子に座って机に突っ伏している子も居れば、ソファーに座っている私を膝枕にしている子も居る。

 

「サンデーライフ、珍しいじゃんヘッドホンなんかして。なに聞いてるの?」

 

「えっ……なに?」

 

 私は膝枕しながらスマホをいじっていた子に何か言われながら揺すられた気がしたのでヘッドホンのイヤーパッド部分をひねって右耳から外して聞き直す。その子は多分、同じことをもう一度言ってくれた。

 ああ、そうだ。ヘッドホンと言ってもこれはウマ娘用のものなので、見た目的にはカチューシャみたいな感じ。それでウマミミ部分にイヤーパッドを当てるのだけれども、何だろう『ぱかライブTV』の扉絵でスペシャルウィークとトウカイテイオーが付けていたやつ……とでも言えば良いのだろうか。まあ、あれは業務用って感じの無骨な見た目なので、もう少しデザイン性に特化したやつではあるのだけど。

 

 私は別にオーディオ機器ガチ勢ではないし、別に高音質を必要とするものを常に聞くわけでも無ければ、そもそもあんまり使わないので適当に見た目で選んでいる。

 

 で、私が今聞いているやつだったっけ。

 

「あー……これね。ネットの動画サイトに転がっている私の音MADと人力ボカロの作品をちょっと見てて……」

 

「えぇ……。SNSとかのエゴサは全然興味ない癖に、そっちは見るってどういうことよ……」

 

 

 宝塚記念への出走とその前のアレコレの結果、ティーン女子ライト層以外にも私の知名度は広がって、なんか知らないけどそういう方向性の動画がアップロードされるようになったみたい。

 もちろん原則SNSシャットアウトをしている私がそれらの流行を捕捉できるはずもなく、最初に見つけて私に教えてくれたのはマヤノトップガン。彼女がウマトックに投稿されている私の二次創作動画を見てメッセージアプリでそれを送ってくれたのが知るきっかけである。

 

 で、調べてみればそれはウマトック発の流行というわけではなくて、どうにも動画サイトの方にもそれなりの数の動画がアップロードされていた。

 作品傾向としては基本的にはそこそこ真面目なもの……というかぶっちゃけてしまえばGⅠのウイニングライブ曲を合成音声で歌わせたものが一番古い投稿日を刻んでいた。正直、私の音源って数だけなら結構あるからなあ。3着以内で入線する機会も多かったので私のウイニングライブ曲だけをかき集めれば素材量としてはそれなりくらいになりそう。

 だけどそんな私は、最も一般知名度のあるウイニングライブ楽曲であるところのGⅠ曲を全く歌っていない。だから熱心なファンが『どうしてもGⅠ曲を歌っているサンデーライフが見たい!』と思ったのか、はたまた逆に適当に流行になっている玩具を見つけた手に技術のある人間が『取り敢えず適当に有名曲を歌わせておけば再生数稼げるだろ』という魂胆で始めたのかは知らないが、ともかくそういう人力ボカロ作品が出たという流れっぽい。

 

 で、次点がなんか10年以上昔の凄い古い曲を歌わせるみたいなやつ。私が微塵も知らない曲を、確かに私の声が勝手に歌声を紡いでいるのはあまりにもシュールで最初見たときは爆笑した。ただ後々考えてみればクオリティが高いからこそのそういう楽しみ方だよなあ、と思って当事者じゃなければ真剣に見られるものなのかな、と思い直したけどさ。

 

 ただ一番動画数が多いのは、なんか良く分からない音MAD。私の出ているニュース映像とかのどうでも良い環境音とかも何でもかんでも拾い集めて音声作品にしているやつ。ハードル走のときの映像のハードル設置音だとか、テレビの編集で追加されたSEだとかそういう音だけを使ったやつが爆発的に流行していた。

 最近はアイビスサマーダッシュの実況の人の声が『サンデーライフ』って言っている部分だけを使うソロパートを入れるのがレギュレーションらしい。

 

 

 まあ、勿論著作権・肖像権的には余裕でアウトである。動画サイトとのモデルリリース契約は一切結んでいないし、なんならテレビで放送された私の映像の二次利用も違法行為だ。

 だから私が間接的にでも文句を言えば、恐らくここのある全作品が一瞬で消えるそんな泡沫のような存在。別に私自身やトレセン学園名義で異議申し立てしなくても良い。映像悪用に関しての風説の流布への即時対処は充分モデルリリース契約の範疇なので消そうと思えば、本当にすぐに消えるだろう。

 

 私が権利者であり、私の声や仕草、言動の1つ1つを玩具にして遊んでいることを除けば、特段目くじらを立てるものでもないとは思う。別にこの界隈でこの手の創作者にとって私とは『マイナーで知ってて通ぶれるウマ娘』っていう付加価値もあるだろう。実際には宝塚ファン投票最終12位のウマ娘相手に『マイナー』なんて言ったら私のファンとか以前に、他のウマ娘から刺されかねないとは思うけれども、GⅠレースしか見ない層でかつテレビを見ない層にとっては……本当にそういう意識はあると考えている。

 

 これは別に良い悪いって問題じゃない。ただ界隈が違うというだけ。そして少なからず宝塚の影響で、本来の支持層とは異なる部分にこうして私のことが認知されるようになっただけである。

 だから音MADで私に注目した人の中には、ウマトックでの流行が二番煎じの転載同然のものだと考えていて実際に『サンデーライフ音MAD群』というコンテンツに関して言えば、その意見は一面としては正しいことも無くも無いということにはなるけれども。

 そもそも私の本来の支持層って逆にウマトックをやっている人も多い『ティーン女子のライト層』なので、『サンデーライフ』というコンテンツに関しての古参ファンは明らかにウマトック側に多いのだ。

 

 そうした潜在的な対立構造を認識する私としては、やっぱりこのネットの深淵なようで浅くもある流行は、多かれ少なかれ変な炎上の仕方をするリスクが極めて高いのでノータッチという方針にはなる。

 

「いや、でもこれ音MADはともかくとして人力ボカロの方は結構便利だけどね。私本人よりも歌が上手い作品とかもあって、それはそれで面白いけども……気に入った作品をこの前ボイストレーナーの先生に聴かせたらさ、歌の上達ペースがめっちゃ早くなったしねえ――」

 

 ウイニングライブでこういう表現方法をしたいって私の中にある正解に近いものが部分部分提示されている作品もあって、それをボイストレーナーさんに聴かせれば、私が『こういう表現をしたいです!』って百の言葉を紡ぐよりも意思伝達としては一発で伝わる。

 もちろんプロの先生だから、そこから私の意志を汲み取って機械音声的な部分の要素の排除を行ったうえで目指す方向性へのブラッシュアップはスムーズだし、一度その道筋を確保してしまえば他の曲にも転用できるわけで。

 

 

 そんな話をしたら、だったらその変わった歌声聞かせて、って感じでいつの間にかカラオケ行こうぜ! って話になった。

 

「あー……明日でも良い? 今日はちょっと先客あるんだよね」

 

「別に良いけどサンデーライフ、誰よ私達よりも優先する先客って……。あ、いや。やっぱ言わなくていいわ。心当たりが多すぎるし」

 

「……理事長だけど?」

 

「――言わなくて良いって言ったのに!? しかも、予想の斜め上すぎる人物が出てきたし!!」

 

 

 というわけで、今日は入学以来二度目の理事長室訪問である。

 いやー、まさかねー。呼び出しを喰らうとは思わなかった。



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第72話 問題解決をさせないために

「感謝ッ! 再び時間を割いてくれて助かる!」

 

 2度目の理事長室応接ソファーに腰掛けて、理事長とたづなさんと面会していた。1勝したときに事務連絡等で会った際――『URA等関連資料室生徒管理者』という役職? を拝命して個室持ちになる契機となった面談。あの時は、ガチガチに緊張していたものの、あれからおおよそ1年半が経過して周囲の様子を窺うくらいの余裕は生まれていた。

 恐らく学園設立当初の写真であろう白黒の校舎が写った写真が額に入れられて飾られていたり、様々な賞状やトロフィーがあったり、はたまた理事長の重厚な机の上にはパソコンのモニターが置かれていて、アンティーク調の机にパソコンって置いて良いんだ……って思ったり。

 

「……はい、事情が事情ですし。確認作業までして頂いたようで――」

 

「無論ッ! 君の『宝塚記念ファン投票』のデータ売却を差し止めたのはわたし達だ! 非はこちらにあるのだから、中身を精査するくらいは当然だろう!」

 

「……データの中身を見たのは私ですけどね、理事長?」

 

「う、うむッ! たづなには感謝しているッ!」

 

 どっか適当な企業に権利ごと委託して宝塚記念準備の際に赤字になった分を補填しようとしていた、私の友達をアルバイトさせて集めたデータ。

 

「……たづなさん。中身を見たなら分かったかもしれませんが……。

 データ自体にそれほど価値は無いですよ、それ。あるのは『付加価値』です」

 

 データの根幹は主に2つ。

 URA公式のグランプリ投票データと、大手メディア等の予想とアンケートデータをまとめたものが1つ。そして、出走意志表明者のSNS反応を集めてファン層の印象を集めたものがもう1つ。

 

 後者の方が真新しさはあるけれども、問題はこれ全部マンパワーで集めたということ。だからどうしても個々人の主観の要素が入っている。私がこれらのデータを扱う際に精度や厳密性というのはそこまで求めていなかったし、それよりも友達のその主観によるバイアスが入り込むことをむしろ歓迎していた。

 求めていたのはそのバイアスが入って尚、狙い目な中間層を発見することだったのだから。

 

 しかし私にとっては好ましいデータであっても、一般的にはマイナスの評価ポイントになるとは思う。所詮はプロの職業集団ではなく学生が指揮して学生が集めたデータである。それに今の時代ならSNS相手なら解析ツール等を利用ないしは開発するというのがスタンダードだろう。それを情報系の学生ではない私達トレセン学園生に求めるのは酷というものだ。

 しかし同時にそれはデータとしての価値は貶めていても、『付加価値』の増大には繋がる。

 

「……『付加価値』とは、学生であるサンデーライフさんが同じ学生のご学友を指揮して集めたデータということですよね?」

 

「ええ……というか、理事長が差し止めた理由もそこにあると邪推しております」

 

 データそのものの価値にあらず。真に価値があるのはトレセン学園生徒の身分でこれを実行したこと。

 逆に言えば、『商品』とするならば宝塚記念出走という私の実績とともに売り出す必要がある。全面的に『学生』同士の素人集団が集めたデータという触れ込みで売る以上は、ぶっちゃければプロからすればあんまり要らないものだ。

 データそのものではなく『過程』に価値を見出すタイプの商品なので、これ。だから販売委託をしようと思っていたのも、負担軽減ももちろんあるが、そもそも上手く売れる自信が無いから契約料だけせしめて利確したいだけだったり。

 

「思案ッ! 概ね正しいが君は、自身の為したことに対して些か過小評価が過ぎるようだ! もっと誇って良い!」

 

「……ありがとうございます」

 

 理事長の言葉は素直に受け取る。が、しかし同時にURAの思惑についても考える。二束三文でどっかの企業に売り払うよりかは広報用途として使いたいということなのだろう。

 まあ、それも良いかもしれない。変な情報商材になるくらいなら、URAという特殊法人の広告看板にしてしまった方が私としても気が楽ではある。

 

 ただ、問題が1つあるとすれば。

 

「……URA相手なら、それは無償で譲渡しますよ。

 というか競技者個人とURAでの金銭の授受は結構グレーゾーンですよね?」

 

 グッズ販売収益のように『商品』として売るならば多少抜け道もあるだろうが、URAは広告として使うはず。まあお金を貰う方法はあるとは思うけれども、競技協会から直接お金を貰うのはちょっと過敏に反応されかねないから私がイヤ。

 何もやましいことが無いのが余計にね。裏を探られてもマジで真っ白だし報道機関とは蜜月の関係を築いているから悪い書かれ方はされないだろうけれども、潔白過ぎるというのはそれでそれで逆に怪しむ世論を生みかねない。

 

 そう言えばたづなさんが懸念の声を挙げる。

 

「……しかし、それでは。サンデーライフさんが一方的に損をするだけなのではないでしょうか……。私達が差し止めなければ現金化できるものを、結果的に阻害してしまったことになってしまいますが――」

 

「賛同ッ! たづなの言う通りだ! これは学生から金品を巻き上げる所業に等しい! それはわたしとして断じて許容できるものではない!」

 

 ……まあ、理事長とたづなさんの立場なら難色を示すよなあ。一回は売ろうとしたものをURAが介入してきたから無償でURAに献上するとなれば、それはそれで邪推を生みかねないし、外聞が最悪である。客観視すれば金になるものを学生から取り上げたようにしか見えない。

 

 ただでURAに譲渡すれば問題。しかしそこに金銭授受を発生させるのも過敏な反応を生みかねない。

 だったら理事長もたづなさんもスルーすれば良いのに敢えて触れた、というのは私が為したことを二束三文で売り払うことを止めたかった、ということなのだろう。私のためではある。

 

「うーん……問題がある以上はセカンドプランは用意してあったりします?」

 

「ええ、まあ対案は私達でも用意はしておりますが……。

 今までのサンデーライフさんの手腕を考えれば、まずは貴方の主張を聞いてから判断すべき、という結論に至りました――」

 

「その通りッ! わたし達やURAのことなど矮小な問題だ! まずは、君がどうしたいか、それを聞いてから対応策を考えたいと思っている!」

 

 ……うーん、まあ色々やらかしていることはこの人たちの耳には入るよねえ。だからまずは私の意見と来たか。

 その流れはちょっと想定外ではあったけれども、うん。まあ確かに自分なりにどうしたいのか、という回答を用意してこの場に座っているのは事実であった。

 

 

 さて。

 Aという選択肢と、Bという選択肢。どちらを選んでも不都合なことが起こると分かっているときにどうすれば良いか?

 

 AとBを比較してどちらの方が不利益が小さく済むのかを考量しても良い。Cという新しい選択肢を産み出しても良い。

 

 でも、私の回答は。

 ――盤面ごと、ぶち壊す。

 

 

「理事長。では私は今回の問題とは無関係に1つ要求をいたします」

 

「……承知ッ! わたしが叶えられることであれば可能な限り尽力することを約束しよう!」

 

「――では。

 100円を、貸してもらえますか?」

 

「……へっ?」

 

 さあ。主導権を掌握しよう。

 

 

 

 *

 

 私の今日の切り札をポケットから取り出す。

 

「……実はですね。昨日家庭科室を借りて、フィナンシェを作っていました。

 これを理事長に100円で売りましょう、どうですか?」

 

 いきなり始まった即興劇に理事長もたづなさんも困惑しながらも、理事長はお財布から100円玉を取り出して私に渡して代わりに、私の作ったフィナンシェを受け取る。

 

「どうぞ。召し上がってください」

 

「う、うむ……? ……何だか良く分からないが君がそう言うなら頂くぞ……。

 ……! 美味ッ! たづなも食べてみると良い!」

 

「あら、理事長よろしいのですか? ……本当です、美味しいですねサンデーライフさん!」

 

「あはは……ありがとうございます」

 

 2人で食べたこともあったからか一瞬で完食してしまった。別にここまでは何も仕組んでいないし、フィナンシェの中に変なものを混ぜたわけでもない。

 

 

 そして。

 もう一度ポケットから2つ目のフィナンシェと、1枚の紙を取り出す。

 

「ここにあるフィナンシェは先ほど理事長が『ご購入』していただいたものと全く同じものです。そしてこちらの紙にはレシピも記載してあります。……一応、ネットのサイトやお料理本とかに載っているものではなく自作レシピですよ?

 

 ――さて。ここには新たに『トレセン学園』にて販売実績があって、学園のトップである『理事長』も愛好しているフィナンシェが生まれたわけですが。

 この『サンデーライフ自作フィナンシェレシピの権利売却』――これをトレセン学園かURAにて代行して相手先企業を見つけて頂けると、私はとても助かります。

 

 ……そうですねえ。対価として渡せるのは『宝塚記念出走のデータ』と、先ほど何故か臨時収入で手に入った100円――でしょうか?」

 

 

「……ッ!」

 

 

 よく言われる話であるが、問題や課題を解決する際に1つの大きな塊で考えるのではなく、細分化して細かく切り分けて1つずつの小さな問題としてコツコツと解決すると物事を上手く進めやすいという話がある。

 例えば夏休みの課題で、参考書1冊! みたいに言われると、こんなの絶対終わるわけないじゃん……って気持ちになるが、朝夕2回2ページずつを週3回やれば終わる――って形になれば多少手の付けやすさが変わる。総量は全く減っていないが、ただ1冊の参考書をじっと眺めているときよりかはその心理的障壁は変わると思う。イヤなのは変わりなくとも、終わりが見えている課題の方が人は取り組みやすい。

 

 それはすなわち、問題解決には大きな問題は1つ1つ解きほぐしていく方が良いということ。

 ――私が目指しているのはそれとは真逆のこと。

 

 つまり『他者』に問題解決をさせない――言い換えれば問題を顕在化させないためにはそれとは反対に、単一の事柄だけにせず『諸問題バリューセット』にしてあたかも本来連動していないものを無理やり紐づけて複雑化させることで、周囲からすれば『何か良く分からないことやってんなー』と思わせるのが目的である。

 

 私が『データ』を売ろうとしたのをURAがストップをかけて無償で譲らせた、というのは過程も結論も分かりやすい。だから問題になりやすい。

 であれば、私に付随する包括的なライセンスの売買契約の中に、グッズ販売に関するものもあれば、フィナンシェレシピ権利売却もあって、それらの尽力の中でURAに譲渡するものが浮上したとして、まず流し読みするだけなら目にすら入らないし、リストをしっかり見たとしても単体で見る時よりかは印象が全く異なる。

 とはいえ、今の100円を交えたやり取りを正直に書いてしまっては本末転倒なので多少の『装飾』は必要だが。

 

 更に、報道的にもフィナンシェレシピの方が大々的に取り上げる価値がある。

 だって、『王子様』として今年のバレンタインに配った私のフィナンシェは言わば、トレセン学園内部にしか無かったプレミア品だ。それが理事長も愛好しているとなれば、ファンの中には気になる人も居るだろう。

 そしてまだまだ私の『商品的価値』で稼ぎたい企業は数多と居るわけで、万が一これが隠れ蓑だと気付いても、大手報道機関からむやみやたらに暴くところが出てくるとはあまり考えにくい。メディアが味方であることはやっぱり追い風なのだ。

 

 そしてそもそも報道ベースに上がってこない情報をちゃんと見る層というのは中々出てこない。まあコーポレートサイトのニュースリリースにひっそりと乗っているくらいの情報を逐一確認していたら、時間なんて足りなくてキリが無いから当然ではある。その上、読み手の少なさはそれを見つけて情報発信する側の知識の偏りの確率に寄与しており、仮にバズったところで明らかな資料の読み違いを指摘されて鎮静化するのが常である。

 で、一度センセーショナルな読み違えを起こした資料に対して、他の人が仮に正しい解釈を解説したとしても、それは先のバズを見てしまった層からすれば新鮮味の無い二番煎じだし、どうしても『この話を蒸し返す奴は胡散臭い』という先入観が入り混じる。

 こうなれば大きな話題性を持つのは難しいから、そのままフィナンシェレシピ報道に押し流せるだろうという目論見である。

 

「……唖然ッ! だが、狙いは分かった! あとはわたし達に任せてくれッ!」

 

 そう言うと理事長は100円玉を自分のお財布にしまいつつ、もう1つのフィナンシェに手を伸ばそうとしたが、たづなさんにガッツリ手を掴まれてしまい、少々のにらみ合いの後、すごすごと手を引き下げた。

 

 

 ……なお、余談ではあるがこのフィナンシェレシピ権利については大手製菓メーカーが多少のアレンジを容認することを条件として手を挙げて、即金で60万円を積み上げるちょっと特殊な契約で妥結した。普通この手のライセンス生産はキャラクター使用料として数%を持って行く契約だから先にお金を積み上げるというのは珍しい。

 

 なお競走ウマ娘のグッズ化に際する使用料は大体6%前後が基準となる。だからフィナンシェを1個100円で売るなら60万円の契約料は最低個数でも10万単位で売るという心意気の現れでもあるわけで。

 そんなにどこで売るのかと言えば、どうにも年末のクリスマス商戦の新商品の1つとして使うらしい。しかも、それよりも売り上げが伸びたらライセンス料は別途支払うという超強気の交渉が締結されていた。

 

 ……ともかく、これで宝塚記念の赤字分に関しての問題は完全に解消が見込まれることとなったのであった。



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第73話 夏の目的地

 サマースプリントシリーズは残り3戦。

 小倉レース場のGⅢ・北九州記念、札幌レース場のGⅢ・キーンランドカップ、そして阪神レース場のGⅡ・セントウルステークス。

 

 最も日程が近い北九州記念でもアイビスサマーダッシュから中3週は取れるので、私のローテーション的にはどのレースも問題ない。

 

 けれども、一番無いなー……って選択肢は案の定だとは思うけれども、唯一GⅡを掲げているセントウルステークスである。ダービー卿チャレンジトロフィーの時に写真判定になってまで2着争いをしたビコーペガサスが出てくる可能性がある。そして。ここまでのサマースプリントシリーズの中で制覇の有力候補ウマ娘となっているカルストンライトオ、カレンチャンも出走してくると思われる。

 いやー……かつての強敵と日本レコード保持者と、カレンチャン。三者揃い踏みの舞台は流石にご遠慮願いたい。

 

 じゃあGⅢの2択になるわけだけれども……。正直、私にとってどちらも微妙と言えば微妙である。

 

 北九州記念の開催される小倉レース場……というか、私の知識にある『小倉競馬場』の方だけれども、あそこは極めて高速化しやすい。ただ他と比べて極端にバ場が柔らかかったり固かったりするわけではないから割と謎ではある。

 それでも強いて理由を挙げるとするのであれば『小倉競馬』の方の興行日程は冬と夏のみで春の期間が丸々芝の育成期間に充てられるから、極めて良い状態の芝でレースを行えている……というのはあるかもしれない。

 

 今までフロック狙いをやってきた私にとってはハイペース展開は割と望むところではあるが、小倉での1200mは再び日本レコードとぶつかりかねない訳で。しかし、小倉競馬場とは異なり、この世界のレース場の開催日程は微妙に異なることもあるから何とも言えない部分でもある。

 ほら、前に未勝利戦で本来あり得ない冬の函館レースとかいう苦行もやったし。だから改めて興行日程を見直してみると、この世界においては春の小倉においても未勝利・Pre-OP戦が開催されていたりする。

 芝の養生期間とかどうなっているんだ……って気持ちもあるが、トレーナーとかいう規格外の人間と、開始直前にならないとウイニングライブの歌唱パートが決まらないというデスマーチの中で毎週ライブを設営しているスタッフとかいう化け物が居るのだから、園芸方面においても異能力者が居るのだろう、きっと。

 

 なお、プリモダルクやファストフォースといったウマ娘の姿は現状私としては把握していないため芝1200mのレコードタイム保持者はアグネスワールドで昨年中に更新していた。よりにもよって今年のサマースプリントシリーズの中に日本レコード保持者が2人も潜んでいたとは。

 なお、そのアグネスワールドの1200m日本記録が打ち立てられたレースは『北九州短距離ステークス』……名前から薄々察せられるとは思うけれど小倉レース場のレースであった。というかこれ今年はカルストンライトオの勝利レースでもあったね。

 

 去年は1200m日本レコード更新でアグネスワールドが勝利して、今年は1000m日本レコードを打ち立てたカルストンライトオが勝ったレース……いや、どんな魔境だ小倉レース場。

 ……ついでに言えば。初の重賞挑戦であったダイヤモンドステークスのレース選定の際に私は『北九州短距離ステークス』の名前も有力な候補の1つとして挙げていた。マジで危なかったじゃん。

 

 

 では、もう1つの選択肢キーンランドカップはどうかと問われれば……うん。

 こっちはこっちでカレンチャンの出走が予想される。

 

 超ハイペース展開になりやすい小倉か、カレンチャンとの競合覚悟か。あるいはだったらサマースプリントシリーズ外のレースでも良いのでは、という感も出てくるが、そもそもアイビスサマーダッシュを選んだのはこのサマーシリーズの感覚を知るというのがある。

 どれだけの有力ウマ娘が出てくるのか。夏の暑い時期であっても重賞を月1ペースで私はこなせるのか。そういった諸々の要素を勘案して次のサマーシリーズに活かすのが目的であった。

 

 ……だったら、行こうか。

 ――『キーンランドカップ』。阿寒湖特別から1年ぶりに夏の札幌の舞台へ、今度は短距離レースを狙って。

 

 

 

 *

 

 次走をどうするかについて葵ちゃんに伝える。

 そしてつつがなく第1回特別出走登録が終了し、出走メンバーの推定が出来るようになる。今回も私の除外は無さそうで一安心。

 

 今回も見るべき相手は3人。

 カレンチャン。

 ヒシアケボノ。

 最後に、キングヘイロー。

 

 

 ……今回も中々にヤバい面子が揃ったね、うん。

 まあカレンチャンはもうしょうがない。最初から来るとは思っていたから割り切ろう。カレンチャン自身は既に年間数戦ローテでサマースプリントシリーズ狙い撃ちで来ている以上は史実ローテは既に終了済みで、別年度ではあるが春秋の二大スプリントの2つのGⅠを獲っている。

 

 そしてヒシアケボノは私の同期で実は去年のスプリンターズステークスでGⅠ1勝。今年キングヘイローが高松宮記念を獲ったことを踏まえて考えると、この3人。全員短距離GⅠの優勝ウマ娘である。

 GⅢで相まみえて良い面子じゃないのは、いつも通りだよね……。

 

 この中で誰が一番洋芝が得意かと言われたらやっぱりカレンチャンだろう。香港スプリントの出走経験もあるし、北海道の洋芝レース場ではこれまで4戦無敗、正直一頭地を抜いている。

 

 で、ついでに言えばキーンランドカップ自体は8月の最終週のレース。なので、サマースプリントシリーズにこれまで名前を見せて来なかったヒシアケボノやキングヘイローらは、どちらかと言えば夏合宿の最終テストみたいな感覚で来ることだろう。その点では安定感だけはトップレベルの私は有利となる要素のはず。まあ合宿で急成長を遂げていたりしたらその限りでは無いんだけどさ。

 

 

 後は、戦術。

 カレンチャンとヒシアケボノはおそらく逃げ・先行の前を行くスタイルが予想される。そしてキングヘイローは先行から差しの辺りの王道戦術。

 

 ただ阿寒湖特別のときにも言ったように、札幌レース場は形状と芝から前残りが多くなりやすい。それは短距離であっても変わらない……どころか、短距離だからこそ先行していてもスタミナが枯渇しきることなくそのままゴールしやすいのでより有利になる。

 だからこそ私が『大逃げ』するのに最適なんだけどさ。それくらい他陣営にも、もう想定されていると思うのよね。特にキングヘイローには、よりにもよってダイヤモンドステークスでの3400mの大逃げを直接見られているわけだし。

 仮に競走ウマ娘本人がそれを認識していなくても、トレーナーさんレベルまで行けば絶対気付く代物だ。

 

 そうでなくても前走・アイビスサマーダッシュにおいてはカルストンライトオの日本レコードペースには及ばなかったものの、それでも例年なら充分1着を狙えるタイムを出しているように外からは見える。

 私としてはあの走りを再度行うつもりは毛頭無いけれども、そんなことを知らない外部からすれば、きっと今後はあれを活用してくる、と思うだろう。

 

 後は発走前に『タイキシャトルよりも気を付けるべき相手が居る』と言い放ち、実際にレコードが出たことによる部分……これがどれだけ周囲に広まっているか、というのもあるけど……ネームドの交友関係的にはあんまり寄与しなさそう。こちらについては事前の情報収集段階でバレて心理的動揺を誘えれば一興というレベルの、策というよりかは嫌がらせに近い代物ではあるけど。

 

 改めて考えてみる。

 私が『逃げ』を選択するときの大きな理由はレースペースを握って主導権を確保するのが最大の目的。そして得た主導権でバ群全体を操作する……これが理想形。

 あるいはネームドウマ娘に主導権を握らせないための阻止行動として『大逃げ』というのもある。不発だったけれどもセイウンスカイ戦の当初の狙いがそのパターンだ。

 

 翻って前に付くであろうカレンチャンが最前で主導権を握る展開というのはあまり記憶に無いし、ヒシアケボノもPre-OP戦時代の映像ではそういうレースが散見されるが最近は逃げでは無く、先行集団に付くことが多い。

 キングヘイローの逃げ展開も黄金世代の日本ダービー以降は姿を見せていないし、私が特に警戒しているネームドらが主導権を握るレース展開になる可能性は低い。

 

 ……だからこそ、やっぱり私が最前を狙ってくるというのは易々と読まれるんだよねえ。レース場の傾向的にも、予想出走メンバー的にも、逃げないしは大逃げが読まれているとなれば、必然それに対する対策は万全に行ってくるはず。

 

 と、そこまで考えたところで、私が熟考しているために黙っていた葵ちゃんが口を開いた。

 

「……あの、すみませんサンデーライフ。ちょっとこれを――」

 

 葵ちゃんが作戦考えているときの私に声をかけるのは、珍しいなと思いながら葵ちゃんの机に椅子を持って来て真隣に座ると、彼女のノートパソコン上には動画が再生されていた。

 

 そして私が来たことで字幕で見ていたであろうその動画の音声をスピーカーに切り替えて音量を上げる。

 

 

「――では! キングヘイローさんがキーンランドカップにて注目しているウマ娘はいらっしゃるでしょうか!?」

 

「……誰が相手であろうと関係ない。キングは一流の走りをするだけよ! ……とは言っても、それじゃあ記者さんがお仕事にならないわよね。

 注目、と言われると違うかもしれないけれど、気になっている子はいるわ」

 

「おおっ! それは一体!?」

 

「……サンデーライフさん。スカイさんとの対決は直接見させてもらったわ。

 ええ、戦績だけで語るなら他の方も充分に脅威であることは、私も理解しているけれど……。スカイさんにはクラシック時代に何度も辛酸を舐めさせられてきたから、彼女が目をかけている後輩となると、どうしても意識はしてしまうわね。

 ――良い勝負が出来ることを期待しているわ」

 

 

 ……。

 もう。黄金世代はどうしてこんなに私に対しての評価が高いのか。セイウンスカイにしろキングヘイローにしろ。

 

 今更注目されないとはもう思っていないけれども、こんなことを言われちゃったら必要以上に注目が集まるし。

 

 それに、ほら。『キング』が『王子様』を目にかけた構図になっているわけで。謳い文句を作りやすすぎる。

 

「……葵ちゃん」

 

「何でしょう、サンデーライフ?」

 

「……キーンランドカップの戦術は――『追込』にしようかと」

 

 逃げや大逃げを大警戒されているからそれらは効果が薄いであろう、というのが1つ。

 注目されるならそれを利用して意表をつくことで心理的動揺を誘うこと、そして『私がレースペースを握る』前提で作戦を立ててきた他のウマ娘の考え自体をぶち壊すことを狙うのがもう1つと。

 

 ……追込は追込でも最終直線一気のタイプではなく、『捲り』型のようなロングスパート追込であれば充分に札幌レース場の形状を活かすことが出来る。

 

 他者が作ったレースペースにおいて、一瞬の駆け引きが左右するであろう戦術の選択。

 それはカレンチャン、ヒシアケボノ、そしてキングヘイローを相手にして理性的な勝ち筋をどこまで拾えるのかという――この夏最後の終着点でもあった。



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第74話 シニア級8月後半・キーンランドカップ【GⅢ】(札幌・芝1200m)

 キーンランドカップまでの最後1週間の練習は、ロングスパート追込のためのカーブでの走法の強化を行った。アプリ的に言えばコーナー加速〇とか仕掛け抜群とかそういう類のスキルで表されるようなものかもしれない。

 

 で、あまり知られていないことかもしれないが、葵ちゃんって実はコーナー育成に地味に定評がある。まあ、割と何でも出来るんだけどさ。

 アプリミークの積載スキルは4つでそのうち2つがコーナー巧者〇にコーナー回復〇な辺りは、ここを勝負どころと見極めていそう。ちなみに、残りのスキルが集中力と直線加速なので、朧気ながら葵ちゃんの戦術意識というのが見えてくる。

 スタートでミスをしないように注意して序盤・中盤は展開に任せて最終コーナーからギアを入れて最終直線にて加速をかけて勝つ……というのが恐らく理想形なはず。ハッピーミークの脚質適性が先行・差し型だからそういう構成なのかもしれないけどね。

 

 ただこの世界においては、スキルptを割り振っただけで強化できるなんてことは多分無い。というか回復スキルって割と意味分からないし。スタミナ消費を抑えるくらいなら走り方次第でまだ何とかなるかもしれないが、走りながら体力回復するなんてそれはもう永久機関なんだよね。

 

 そしてアイビスサマーダッシュにて私の処理能力の限界が見えてきたということもある。少しでもルーティン化出来る部分は、身体に染み付かせて思考しなくても身体が動くようにしてしまいたい。

 限界突破してまで無理をするつもりはなくても、それは効率化で出来る範囲を広げていく努力を怠る理由にはならない。

 

 自身が主導権を握らないコントロール外のレースにて、どこまで徹底的に制御出来るのか。強いてキーンランドカップでの目的を据えるとしたら、そこだろう。

 自己統制を前提として、レース展開に依らない流動的な柔軟性を確立すること――それは一見すると相反することのように思えるが、今までの私の走りを統合しただけの話だ。……悪く言えば、行き当たりばったりとも言う。策士なのにね。

 

 

 ――そして最終調整の1週間はすぐに過ぎて、前日に札幌入り。札幌のレースは2回目だが函館にも2回出走しているので、北海道は正味4回目となる……結構多い。

 でも北海道入りは流石に飛行機だ、うん。

 

 函館までなら新幹線が通っている。ただ札幌へ行くとなると函館からでも距離があるから時間的には飛行機一択だ。北海道新幹線が延伸されればもっと変わるかもしれないけど……レース日程と同じく電車のダイヤとかも基本は2020年準拠なのだろうか、この世界。いや、電車のことは全く分からないから確かめようが無いんだけどさ。

 でも仮に2020年の永久ループだと、いつまで経っても札幌まで新幹線通らないじゃん。

 

 

 

 *

 

 札幌レース場。本日の発走は15時台後半。天気は晴れ。そして芝は良バ場発表。

 

「――今週も絶好のレース日和となりました札幌レース場、サマースプリントシリーズ第5戦・キーンランドカップに今年もフルゲートの16名が出走してまいります。

 さあ、本レースの見どころはどういったところになるでしょうか?」

 

「そうですね。まずは何と言っても芝の短距離GⅠウマ娘3名が一堂に会した、ということでしょう。特にカレンチャンはサマースプリントシリーズ制覇もこの一戦にかかっておりますからね、絶対に落としたくないレースだろうと思われます。

 ……後は、サマースプリントシリーズの3戦目のアイビスサマーダッシュにて日本レコードが飛び出しましたが、そこで好走を見せたサンデーライフ。4番人気ではありますが彼女にも注目ですね」

 

 今日の私の人気は4番人気。とはいえ上の3人は同じ芝の1200mGⅠ勝者なのだから順当であるし、なによりGⅠウマ娘を除けば最も高い評価をされていると考えれば、期待されていると言っても過言ではないだろう。

 まあ、宝塚記念とかきつばた記念を見なかったことにすれば私の調子って確かに外から見ると良さそうに見えるし。確実に『王子様』効果だけで人気バフがかかっていたときとは違うファン層もしっかりと私のことを見てくれている。

 

 キングヘイローの事前会見の影響もあるだろう。

 でも。ここまで私が走ってきたこと、そしてレース外でやってきたことというのは決して無駄ではないと思えるような4番人気である。

 

 アイビスサマーダッシュのときが18人で3番人気だったことを考えれば、数字だけ見ると人気が落ちているかのように見えるけれども、そうじゃないと今の私は確信をもって言えた。

 

 

 パドックのお披露目が終わって観客席の葵ちゃんの元へ。珍しく葵ちゃんの方が先に声をかけてきてくれた。

 

「――サンデーライフっ! 今、すっごく良い顔していますよ!」

 

 そう話す葵ちゃんは満面の笑みであった。

 

「……ふふっ。じゃあ葵ちゃんは、私に惚れちゃいますね?」

 

 私がそんな軽口を叩くと、葵ちゃんは私の左手を両手で掬い取るようにして手を優しく掴む。

 そして腕から手のひら、そして私の人差し指を包み込むようにして両手で持ちながら、葵ちゃんはその私の人差し指に軽く……口付けをした。

 

 

「……懐かしいですね、これも。

 前は、私が葵ちゃんの親指にしてあげたことでしたね……」

 

 クラシック級時代の最後のレースであった3度目の障害未勝利戦の勝利後に、私から既にやっていた。これは、その逆構図。

 あの時私が葵ちゃんへ捧げたのは左手の親指。『目標実現』のパワーが宿っているとされる場所。

 

 しかし、8ヶ月越しの葵ちゃんからのお返しは『左手の人差し指』である。その意味は――

 

「――左手の人差し指には、精神力を高めて進むべき方向を指し示す力があるらしいですね、サンデーライフ?」

 

「……って、感じの指輪を売りたいメーカーさんの意向なんでしょうけどねー」

 

 前にも似たようなことを言ったけれど、人差し指の方の『インデックスリング』には、親指の『サムリング』のときのような古代ローマがなんたらみたいな歴史的なこじつけすらもしていない辺り開き直っている感がある。

 

 それでも葵ちゃんは私の左手をぎゅっと彼女の胸元に手繰り寄せて更にこう付け加えた。

 

「そうなのかもしれませんけれども。けれど、前のサンデーライフの気持ちはしっかりと受け取りましたから。今度は私から贈らせてもらっても……良いでしょう?」

 

「……まあ、その気持ちはありがたく受け取りますけれど。でも良いんですか、葵ちゃん? こんな衆人環視の中でこれだけ大層な『演出』をしてしまったら後戻りできなくなるかもしれませんよ?」

 

 ……一応、前に私が葵ちゃんの親指に願いを込めたときは関係者用通路で人の出入りが少ない場所だったのに。大観衆の目の前でそういうことしたら絶対勘違いされるでしょうよ。

 葵ちゃんは、時折こういうところが抜けているから困る。

 

 ……まあ、多少のフォローはしておくか。主に誇張して助長する方向性で。周辺に居る報道記者さんたちにも聞こえるくらいの声量で私は立ち回る。……って、ここぞとばかりにマイクを手渡されたので、その記者の企みに全力で乗る。

 

「最大の献身を施してくれた我がトレーナーに皆様、どうか賛辞を――。

 ……ありがとうございます。そして。

 最良の舞台でたった1分と少しの舞踏を共に舞うこととなる此度のライバルの方々へは……敬意と、そしてささやかながらの挑戦状とさせていただきましょう――」

 

 

 この後、実はひっそりと練習していた、なんか優雅っぽく見える感じの一礼をしてマイクを返してゲートへ向かう。服装が体操服なので外から見たときには微笑ましさもかなり残ってしまっている気がするけど、それはそれ。

 万雷の拍手を背にゲートへ向かうと、今のが策略なのか素なのか判断に悩んで困り顔をしている15人のウマ娘たちが出迎えてくれた。……いや、正確には14人だった。

 

 というのも、1人だけ全てを察したであろう物凄く良い笑顔のカレンチャンが居た。

 

「――初めまして、サンデーライフちゃん!

 とってもカワイイ照れ隠しだったよ♪」

 

 あれだけの立ち回りを見て『カワイイ』判定してくるのだから大したものである。バレてしまっている以上は、別に取り繕わなくても良いか。

 

「……いや、まさかあのタイミングで指にキスされるなんて思わないじゃないですか……。

 斜め上に吹っ飛ばして最初から仕込みがあったように見せておかないと――」

 

「でも、イヤじゃなかったんでしょう?」

 

「……自分のトレーナーがあそこまで自分のことに夢中になってくれていて、嬉しくないわけないじゃないですか」

 

 なお、この私の言葉にカレンチャンとヒシアケボノは全面的に賛同してくれたが、他の子の反応は賛否両論って感じだった。その後、ヒシアケボノやキングヘイロー……どころか他の出走ウマ娘からも全員一言ずつ揶揄われてからのゲートイン。

 

 一応1枠2番の内枠でのゲートインなのだけども。今日は追込だし、そもそも札幌芝1200mは最初のバックストレッチでの直線が長めに取られているので枠番での有利不利というのはあまり無い。

 

「さあゲートインが始まっております。1番人気は4枠8番のカレンチャン……現在サマースプリントシリーズのポイントランキングではカルストンライトオ、アグネスワールドと並んで1位タイとなっております。

 さあ、快速ウマ娘16名全員が揃いました、ゲートイン完了。……スタートを切りました! ややバラついたスタートです」

 

 ポケット地点からスタートして400mのバックストレッチ直線では速度を出さず極力後方に付く。

 私より後方に付いたのは1人だけなので、15位。まずはこの位置をしばらくキープする。

 

「先行争いですが、好スタートから中央を抜けましてマチカネライメイが先行して、2番手はカレンチャン、以降は固まっておりますね」

 

「4番人気のサンデーライフ、内枠で絶好の『大逃げ』条件が整っておりましたが、後ろに付けておりますね」

 

「ファンの間でも今日は『大逃げ』が見られるかも……と思われておりましたが不発なようです。しかしマチカネライメイが率いる先頭集団は崩れずそのまま5人、6人揃ったまま上がっていきます」

 

 後ろに付いたことで一目瞭然になったが、前のペースがちょっと早すぎる。洋芝なのでパワーを使っていることを考慮しても尚、アイビスサマーダッシュ以来再びのヤバいペースで推移しているような気がしてならない。

 

「先頭のマチカネライメイと追走する先行集団はかなりのペースで飛ばしているようですね」

 

 私のちょっと先には2人が並んでいて、その奥にキングヘイローを含めた3人の集団が見える。この5人がおそらく差しであろう。となると後ろの子と私とで追込は2人といったところか。後の9人は、ここからでは正確に数えられないのでざっくり逃げ・先行グループということで保留。

 でも前の方もちょっと見える。既に随分と横に広がっているみたい。

 

 そしてその差し後方2人と私との間は徐々に開いていく一方。この感覚には覚えがある。中山でのマイル戦、ダービー卿チャレンジトロフィーの際にダイタクヘリオスの爆逃げにみんなで追走していたときの感覚……ほぼあれに近い。

 ってことは差し集団までがハイペースの影響下ってことだろうか。1200mだから逃げ切られる可能性も十二分にあれど、このペースに追走して条件を等しくする必要はない。

 

 私はいつもよりもペースを抑え気味に走るような心構えで、多少前との差が開こうとも、コーナーでの仕掛けどころを待つこととする。

 

「依然6人が固まったまま最先頭集団、その後方にはヒシアケボノが率いる2番手集団が3人といったところでしょうか、外に外に広がっております」

 

「先行集団の2つの塊が大きく横に広がっているので、これを後ろから抜かそうというのは容易ではなさそうです」

 

 まだ直線だがそろそろ第3コーナーに入るところ。仕掛けるのは流石に早すぎる、が……ちょっと前の方が詰まっているようにも見える。まだ大分速いペースで推移しているから問題にはならないが、垂れてきたときにどうすれば良いのだろうか。

 

 はたまた、ロングスパートをかけるタイミングでも広がりっぱなしだったとするならば、どこから進出すれば良いだろうか。

 

「各ウマ娘400m地点を通過してここからカーブといったところで、ここでのハロンタイムは10秒3」

 

「――いくらなんでもちょっと早すぎですね。前残りがしやすいとはいえ、このハイペースであれば後ろの子たちにも充分にチャンスがありそうですが……。大分前が膨らんでおりますから、抜かすのであればかなり大外を迂回する必要がありそうです」

 

 

 レースペースは追込の私にとっては理想に近い暴走気味のぶっ壊れペース。

 しかしそのぶっ壊れに皆して追走しているがために、かなり前が広がっているという位置取りの不利も抱えている。

 

 ……さて。この難局をどうやって乗り越えていこうか。



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第75話 シニア級8月後半・キーンランドカップ【GⅢ】(札幌・芝1200m)顛末

 前方集団がカーブに入ったことでようやく前が視認できる。

 うーん、パッと見た限りは逃げと先行が全部固まっているように見えるね。全体16人で差しが5人で追込2人だったから……9名の団子状態の塊。

 

 直線で後ろから見ていた時点で横に広がっているなあとは思っていたけれど、まさか前はそんな大混戦になっていたとは。

 

 札幌レース場は直線は短いが、それに反してカーブの曲がり方は緩やかでしかも長い。だから大外を回るということは距離的なロスが大きくなるということ。だからなるべく内を突いていきたいというのが本音ではあるが、スパイラルカーブというわけでもないので、内側が空くということはあまり考えにくい。やっぱりかなり外を回るしかないのだろうか。

 

「――中団では2番人気・キングヘイローが虎視眈々と前を狙っている様子。そのすぐ横にウォーキートーキーとカラフルパステル。更に後方にはフリルドメロン、内にパワーチャージャーと来て、そこから1バ身空いてサンデーライフ、最後方にはセプテントリオンとなっております」

 

「後ろのウマ娘たちは難しいレース展開になりましたね。ペースから見れば彼女たちの方が有利には見えますが、しかしどこから抜かしていくのか。あるいはどこでスパートをかけるのか、見極めが難しいところです」

 

 あまりペースを上げたつもりは無いのに差し集団後方との差がやや詰まってきた。カーブに入って全体ペースが若干落ちているということだろうか。普通なら前の集団が一息ついているように判断するところだが、やっぱり前方は固まっているから、そういう駆け引きを集団全体で示し合わせてやっているとは思えない。

 直線で飛ばし過ぎたペースを曲がった際に維持出来ていないだけと見るのが自然かな。

 

 カーブで維持できない程の高速だったということは、前はスタミナ切れを終盤に起こす可能性がやっぱり高そう。全員が全員崩れるとは思えないけれども、それでも流動的な順位変動はする可能性が高い。

 

「……こうした隊形でほぼ固まりまして、各ウマ娘、第4コーナーの手前を通過していっております」

 

 

 ――仕掛けよう。ここからだとあと400mと少しくらい。それならロングスパート距離としては充分。

 そして内でずっと好走を続ける逃げ組と、それを抜かそうと外に回った先行組。……この一塊に見えた両者の間、わずかなド中央のスペースを私は見出した。

 

 一気に加速で、まずはまだ未スパートの差し後方の2人を躱す。

 そして。次はキングヘイローの居る差しの前集団3人を外から抜こうとした、その瞬間――。

 

「後ろからサンデーライフが早めのスパートをかけてきておりますが……、おっとここでキングヘイローも動きます! それに合わせて後方集団も一気に前方へ迫る動きを魅せていきますが、やはり先に動いたサンデーライフとキングヘイローの加速が一足早い! 前方の固まった集団に後方集団も乱入する模様です――」

 

「やや性急な仕掛けかもしれませんが……いえ、でも悪くないですよ。前残りにならないように早め早めの仕掛けの意識は大切です」

 

 キングヘイローが同じタイミングで動いた。するとどうしても差し集団全体がそれに引っ張られてしまう。やはり黄金世代の一角、ペースメーカーにするにはこれ以上ない逸材であることには違いないから彼女の仕掛けのタイミングに合わせるという他のウマ娘の考え方は正しい。

 

 とはいえ。同じタイミングで動くのであれば、一番後方で脚を溜めていた私が最も有利になる局面である。

 であれば、このまま差し集団を置き去りにするべく更にペースを上げて見つけた中央の僅かな『活路』を使って……。

 

 

 ……いや、ちょっと待った。

 そこで私は重大なことに気が付いた。

 

 今、私と一緒に加速したキングヘイローだけど。

 ――進路を、外にとって無くない? 彼女は、どこを通るつもりだろう?

 

 改めて前方集団を最内から大外まで見やる。やっぱり内から攻めるのは無理。僅かな隙間は元・逃げ組と、元・先行組の間だけ。

 ここをキングヘイローが見逃すか――いや、絶対見逃さないはず。

 

 ということは、私が使おうとしていた『活路』をキングヘイローも通ろうとしているということ。

 

 

 そうだとするならば。

 私は加速を緩めてキングヘイローに進路を譲る。一瞬彼女は私の方を見た気がしたけれども、そのまま先行してやっぱり私が狙っていた『活路』をそのまま突き進もうとしていた。

 

 それをキングヘイローの後ろにぴったりつく形で私は追走する。

 

「さあ残り400mの標識を通過して、さあ一番人気のカレンチャンが早くも先頭に躍り出るのかどうか。外からはヒシアケボノも来ているが、中を突いてキングヘイロー、そのすぐ後ろからはサンデーライフです!」

 

「大混戦のまま最終直線に入っていきそうです。どの子にもまだチャンスはありますよ!」

 

 

 キングヘイローの差し脚についていく。

 ……私にとっては2度目の札幌レース場。1度目の阿寒湖特別では、思えば同じコーナーにてマンハッタンカフェに私は前を譲られた。あの時は前を譲られた結果、スリップストリームが消えた。

 

 今回はその逆。

 キングヘイローに私は前を譲った。そして譲った結果、ロングスパートにも関わらずスリップストリームの恩恵を受けながら前を狙うことが出来ている。

 

 後ろについて分かったがキングヘイローは確かに一流のウマ娘だった。後ろに流れてくる風に乱れが無い。横にぶれることもほとんど無い。走行フォームが完成の域にあることがありありと分かった。

 それはこのパワーの必要な札幌の芝を、無駄な動きを極限まで絞って走ることが出来ているということ。

 

 ……しかし。無駄な動きの無い相手の後ろに付く方が、そうでない子に付くよりも難易度は下がる。この加速局面においてキングヘイローの加速に合わせるという技巧を同時並行で処理する私にとって、キングヘイローの『一流』であることの証明は間違いなく私の利益にもなっていた。

 

 恐らく前を行くキングヘイローにとってもそれは百も承知だっただろうが、しかし活路は一本道で横には逸れることが出来ず、加速を緩めたりして緩急を付けて妨害すればスパートの意味が無い。

 キングヘイローが勝つためにはこのまま自分の走りを貫いて前に出続けるしかない。

 

 

 ――キングヘイローの勝ち筋と、私の策略が完全に一致した瞬間。

 

 それはセイウンスカイのトリック。かつてダイヤモンドステークスにてセイウンスカイが魅せた、相手の作戦を潰すのではなく、全力で乗っかって策を共存させるという凶悪なテクニック。

 

 この土壇場で、セイウンスカイが魅せた技術を私は踏襲していた。

 

 

 

 *

 

「直線コースに抜けてまいりまして、先頭カレンチャン、カレンチャンが前を行く! 外からはヒシアケボノ! 間、間からはキングヘイロー、そしてサンデーライフも来ているぞ! 残り200m!」

 

 

 さあ。前には出れた。ここまではキングヘイローと共闘体制を取っていた……というか彼女のお零れを勝手に私が掠め取っていただけだが、ここからはキングヘイローを躱して前に出なければいけない。

 そのキングヘイローの外にはヒシアケボノが同じくらいの位置で、一番前にはカレンチャン。ということは私は今、4番手。

 

 抜くべきルートはキングヘイローとカレンチャンの間……中央を抜けてきたキングヘイローの内側から躱していくしかない。ヒシアケボノの外を回る余裕はもう無い。

 だから私は。ここでスリップストリームから抜け出して、内側に方向を変える。

 

 

 ……思えば、このスリップストリームの利用もアイネスフウジンの夏合宿にお邪魔して身に付けたものであった。

 

 札幌の涼やかな風は、走っている最中はまるで暴風かのように私に向かって吹きつける。しかしその()はカルストンライトオの、日本最速のウマ娘の速さには遠く及ばない。

 

 だからこそ。

 

「カレンチャン、粘る! それを3人が追う展開! サンデーライフ、内から伸びてきてキングヘイローとヒシアケボノに並ぶ! 優勝はこの4人のいずれかの手に渡ることでしょう! 残り100m、最後の攻防!」

 

 

 ここでキングヘイローとヒシアケボノには並んだ。前を行く背中はカレンチャンのみ。

 

 そして、私にはまだ策が残されていた。

 

 追込による後方からの展開。

 コーナーでのキングヘイローに譲るための加速の鈍化。

 スリップストリーム。

 

 その全てが私のスタミナ消耗の抑制に寄与する、ということは。

 

 ……『伸び脚』が使える。

 

 

 久しぶりだ……いや、重賞レースに挑んでからは始めてかもしれない。

 あの『感覚』。ついに、私はレース中に長らく眠り続けていた感覚を想起するに至った。

 

 

 そう。

 それは――勝利が手に届く眼前に迫った確かな実感、である。

 

 

 

 *

 

「外からはヒシアケボノ! おっと、ここで内からサンデーライフが更にペースが上がる! 末脚で抜け出して先頭のカレンチャンを狙う! 先頭は依然カレンチャン、カレンチャン! しかしキングヘイローもサンデーライフも迫る……いやサンデーライフのが速いぞ!? 残り50m!

 サンデーライフとカレンチャンの一騎打ち! まだカレンチャン先行! カレンチャンが先行しているが、その差をサンデーライフが確実に詰めている! 1着争いは2人だ! カレンチャン押し切れるか、サンデーライフ差せるか――そのままゴールイン!

 1、2着争いはサンデーライフとカレンチャン! そこから僅かに3着はキングヘイローで4着ヒシアケボノ――」

 

「……どうでしょう。カレンチャンが先行しておりましたが、入線時にはサンデーライフとの差が殆どなかったように思えますが……」

 

 

 確定。

 

 1着は――。

 

 

 ――カレンチャン。

 2着、アタマ差でサンデーライフ。

 3着クビ差でキングヘイロー、4着に3/4バ身差でヒシアケボノが入着。

 

 

 ――現在の獲得賞金、1億571万円。

 

 

 

 *

 

「……ついに、私は……。GⅢでも、手が届くところまで――」

 

 

 重賞レースの2着自体は、以前にダービー卿チャレンジトロフィーでも経験していた。しかし、あの時は1着のダイワメジャーにセーフティーリードを作られたままでの入線。ビコーペガサスとの写真判定で何とか2着争いを制したものの、1着には届くことのない2着であった。

 

 

 ――だが。今日の2着は、それとはまた違う。

 

 私は先行していたカレンチャンにアタマ差まで迫った。アタマ差のタイム差は……0。0.1秒以下までにカレンチャンに迫っての敗北だ。

 

 そして後ろから抜かす形であった私からすれば、あと100m……いや10mでも距離が長ければカレンチャンを差せていた。

 

 ……もう、ここで届かなかったのは既に実力の差では無かった。

 

 『札幌レース場は前残り(・・・)しやすい』というこの言説こそ。この札幌レース場の最終直線の短さ、平坦なコース、そうした要素がこの最後の最後でカレンチャンを勝利へ導いたように私には思えた。

 

 私としては、ほぼ理想的なレース展開。恐らく逃げなどを選んだら、ハイペースの中での選択を迫られていたであろう。高速展開で脚を残して、体力も温存しての『伸び脚』を可能としたのは、まさしく後ろに居たからこそ。

 前に居たらきっとカレンチャンにも届かなかっただろうしキングヘイロー、ヒシアケボノにも差されていただろう。

 

 そう。キングヘイローとヒシアケボノよりも先着出来ている。前走・アイビスサマーダッシュでもバンブーメモリーに先着できたが彼女は安田記念の覇者であり短距離戦でGⅠを獲ったわけじゃない。

 でもキングヘイローとヒシアケボノは、両名共に今の主戦は短距離のスプリンターである。その2人のGⅠスプリント覇者を相手取って根幹距離の1200mで前に出れた事実というのも大きいものがある。

 

 私は深々と観客席と……まだ肩で息をしているカレンチャン、そして他の競走者相手に一礼してゆっくりと歩きながら関係者用通路へと戻っていった。

 

 

 

 *

 

「……サンデーライフ!」

 

 その通路には既に葵ちゃんが居た。

 

「……葵ちゃん、私は勝敗にはこだわりませんが『勝てるなら勝つ』と常々言っていました。

 ……ついに、今日。見えましたよ……その『勝利』に対する確かな手ごたえが――」

 

 

 葵ちゃんは私の言葉に何も返さずに――ただ私のことを強く抱きしめてきた。その行動で私は葵ちゃんが全て理解していることを察してしまった。

 

「葵ちゃん? ……そっか。分かっちゃいますよね、もう短い付き合いじゃないですもんね……」

 

 

 この2着が、とっても大事な2着であることは分かり切っている。

 別にアイビスサマーダッシュのときのように、全力以上でやったわけではないと思う。それであわや追い越すかと言ったところでのアタマ差。同じアタマ差でも抜かされて2着のアタマ差とはデータの上では同じでも、全然違う。

 

 レースが終わったとき。カレンチャンは肩で息をしていたが、私のスタミナは配分通りぴったり使い切った感じ。スプリンターとオールラウンダーの違いと言えばそれまでかもしれない。

 でも。だからこそ、このキーンランドカップが1200mではなく同じ札幌でもう1段階長い1500mだったら……ということを考えてしまう。

 だからこそ今のレースが勝てるレースだったとは言わない。しかし、明確に『勝利への見通し』が見えたレースだ。

 

 うん、分かっているんだ。私はずっとそういう形でレースを次に活かしてきたし、今更『勝利への渇望』なんて無いんだけどさ。

 

 

 でも、ね。ギリギリだったからこそ。

 『絶対に勝つ』って思いが私の中に無いからと言って、このレースに何も感じない……悔しくなんて無い、ってことにはならない。

 

 

 『勝てるなら勝つ』というのは『勝ちたくない』ということでは無いのだから。

 勝利を希求していない、勝利に執着しないということは、『負けて悔しくない』ことと同義ではないのだから。

 

 いつも冷静に次回の糧に出来ていたからと言って、ここまで『勝利』に迫ったときに全く同じ対応が取れるか……と言われるとそうではない。

 

 

「サンデーライフ。大丈夫ですよ……あなたは確実に強くなっていますから――」

 

 『レースに絶対は無い』――だから。

 ……今、葵ちゃんの肩に顔を埋めて、泣いている私が居るレースがあるのだって――。



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第76話 歩んだ軌跡、紡いだ奇跡

 残暑が残る中での8月末のレースだったので汗が凄い。このまま控え室の冷房にあたったら身体を冷やしてしまうし、とにかくまずはシャワー。泣きはらしたせいでメイクは全部やり直しだけど、誰だってレースの後はシャワーを浴びるだろう。そこで全部一旦洗い流されてリセットされるので泣いていたのがバレにくいってのは、ちゃんと配慮されている。

 

 泣いても泣いてなくてもウイニングライブの準備にかかる時間が変わらないというのは良い。これが運営側の意図したものなのかは分からないが、多分私の知らないところで今までのレースでも数え切れないウマ娘たちがひっそりと涙を流していたことだろう。……そこに思いを馳せるのがシニア級の夏の終わりというのは些か機を逸している感は否めないけどさ。

 

 思いっ切り泣いちゃったけど、とはいえ予想外の事態が起きたわけでもないためメンタルへのダメージは多分ほとんどない。……ホントだよ? 変に溜め込むよりかは、全然スッキリしていると思うし、その後にシャワーを浴びたってのも結構気持ちの切り替えになった気がする。

 それに、もし万が一自分で調子を見抜けていなかったとしても、葵ちゃんが私のことをちゃんと見てくれているという安心感もあるから尚更だ。

 

 

 それでGⅢなのでライブ衣装は共通衣装である。もうこれにも何度袖を通したことか分からなくなってきた。もう慣れたけどさ、このバックダンサーとしても踏まえると一番着ることになる衣装の癖してへそ出しってのはどういうことなのよ。

 だから普段から長時間外でトレーニングしているけれども、日焼け対策もかなり本気だ。だってイヤだし、お腹は真っ白なのに腕とか顔が明らかに色違いになってたら。

 なら全部焼いちゃえば良いじゃんという考え方もあるけど、学園指定の水着でも隠れる部分がガッツリ焼けてたら、こいつどんな格好でトレーニングをやってんだって思われるし。ウイニングライブのために日サロに行くという発想を持てないファンや有識者も居るからね。

 

 だからこの共通衣装のせいで、かなりの苦労を強いられている。多分、これは私以外のウマ娘もね……もしかして、GⅠウマ娘の中にはそれもあって夏のレースを避けるって子も居るのかな。夏合宿でもケアは絶対怠らないとは思うけど、夏の間に共通衣装を着るとなったらやっぱりケアの熱量は全然変わるからねえ。

 それにGⅠが夏場は無いから絶対ライブは共通衣装だし。

 

 

 ……で。案外こういうところに気が配れるかどうかってレースの走りの上でも大事だったりする。残酷な話ではあるが、気付けないという情報だけでも、周囲に監督者が不在だったり、情報共有に不備があったりという部分でバックアップが不足しているか、分かっていてもそこにリソースを割けないくらいにトレーニング負荷をかけているか――みたいなことは分かってしまう。だから競走者目線で、ライブで見られる場所のケアが完璧ではない子を見てしまうと、どうしても『切羽詰まって余裕が無い』って印象を持ってしまうのだ。

 ファン目線は知らない。日焼け跡美味しいです、くらいにしか思っていないかもしれん。

 

 

 なお。ウイニングライブは本日のメインレースということもあり、カレンチャンが曲の雰囲気に合わせつつファンサを沢山織り込ませていた。そして目の当たりにしたキングヘイローが自身のソロパートで1着の名誉を損なわない範疇で対抗してきたことで、私もバランス調整のためにその流れに乗らざるを得なかった。

 なのでファンサまみれのウイニングライブとなった。

 

 ライブが終わった後、キングヘイローとは二言三言交わした。そんなに大事な話はしなかったけれども、私から彼女の勝ち筋に乗って戦ったことをわざわざ指摘するのも謝るのも違うし……。

 だけど別れ際に、

 

「……次は負けないわよサンデーライフさん」

 

 と闘志剥き出しの状態で言って、そのまま私の返事を待たずに去ってしまった。

 うーん……私としては『次』はもうあって欲しくないんだけどなあ。でもそれを言うためだけに追いかけるのもカッコ悪すぎだし……何より。

 2着と3着とはいえ着順が上になった者の責務として、たとえネームドであっても黄金世代の一柱であっても、ライバルだと見做されてそれを無下にするのは『一流』を名乗る彼女の相手に相応しくないかなと思って、特にそれ以上の言葉を投げかけることなくそのまま見送った。

 

 

 それに。

 舞台裏の待機場所に無造作に置かれた北海道のローカル新聞を見やる。

 

 サマースプリントシリーズは9月まで続くけれども、8月のレースはこれで終わり。だから夏の北海道重賞レースの総振り返りの記事が今日の夕刊には早くも出ていた。

 

 そこには7月のジュニア級重賞・函館ジュニアステークスの勝者として次の名前が刻まれていた。

 

 

 ――ニシノフラワー、と。

 

 まだまだスプリント路線の猛者たちが続々とデビューしてきている。

 だから――私との勝負じゃなくても楽しめるレースは今後もいっぱいあると思いますよ、キングヘイローさん?

 

 

 

 *

 

 一緒にライブを踊ったカレンチャンにも一言声を掛けておこうかなと思ったが、ヒシアケボノとお取込み中だったので、2人に軽く挨拶の言葉だけで交わす。そうしたら、カレンチャンに明日の予定を聞かれたので『空いている』と答えたら、もしよければ遊びに行こうって話になって、私も断る理由は無かったので、葵ちゃんに相談の上で、という注釈つきでOKという返事を出して、チェックアウトのときにホテルロビーで集合ということになった。

 

 それは取り敢えず明日のことなので、そのまま札幌レース場を後にして私は葵ちゃんとともにレンタカーが停めてある駐車場へ向かう。その時に、明日の予定が出来たことを話す。

 レース場で涙を流したから葵ちゃんに心配かけちゃったかな、と思ったが、私も葵ちゃんももう普段通りであった。

 

 ……そっか。もう葵ちゃんには涙を見せたとかそういう表に出てくる部分ではないところで私のメンタルがどういう状態にあるかを理解しているのか。確かに、今の私は一度泣いたのと、ウイニングライブでファンの声援を一身に浴びたこともあって、結構気持ち的には整理できていた。

 

 だから、もう葵ちゃんも何も言わない。ここまで理解されていると、嬉しさと共に恥ずかしさすら生まれてくる。

 

「……そう言えば、今日の夕ご飯はどうします?」

 

 レンタカーに乗ったときに葵ちゃんはそう話しかけてきた。確かにライブ前にちょっと軽食を入れただけだし、何か食べたさはある。

 

「……あ。ちょっと出発待ってもらえますか? 1ヶ所電話したいところが……」

 

 その時、ふと思い出したのはかつてファインモーションに連れられて行ったラーメン屋さん。『阿寒湖の絆』のサインが飾られている昔ながらのラーメン屋さんである。

 ただし、あのお店。閉店時間は20時だった。

 

 迷惑をかけるつもりは無い……はずなのだけれども、電話をかける時点でそもそもあわよくばという想いがあるのは確か。だから、本当に迷惑をかける気が無いなら電話すらしない場面ではあるので、確実に私情が入り混じっている。

 それでも私は電話をかけた……1コールで出た。

 

「あの……すみません。トレセン学園のサンデーライフという者なのですが――」

 

 私の第一声に対して、電話口の向こうからは――

 

「よかった、もしかしたらと思って準備していたスープが無駄にならなくて済みます。

 自惚れだと思っていたけれども万が一のことを考えてご用意していた甲斐がありました。何時でも構いませんのでお待ちしておりますよ」

 

 と、確かにそう返ってきた。

 感謝の言葉と、今からレース場を出る旨、そして葵ちゃんと2人で行く旨を若干涙声になりながらも告げて電話を切る。

 

「……ちょ、ちょっとサンデーライフ大丈夫ですか? どこに電話をして……」

 

 葵ちゃんから手渡されたポケットティッシュで鼻をかんだ後に、目的地を告げる。それだけで葵ちゃんは何があったか概ね察したようだった。

 

「サンデーライフ。良い巡り合わせをしたようですね?」

 

「……そうですね。競走ウマ娘を続けていると、予想外のことがいっぱい起こります。勿論、他の道を選んでも、それは同じなのかもしれないですけれど……でも。

 こうして私が歩んできた軌跡というのが、確かに他の方の胸中にも残っているのを目の当たりにすると……やっぱり感じ入るものはありますね」

 

 1年前にたった一度しか行ったことの無いラーメン屋さん。確かに競走ウマ娘という目立つ立場ではあったけれども、あの頃の私はまだメディア露出も、『王子様』も無かった時代。というかあれが最初のメディア取り上げのきっかけとも言えるのかな……アイルランドの国営放送だったけど。

 

 そんな私のことを覚えていた……というのは、あり得ることなのかもしれない。あれから1年で私は随分と有名になった。

 けどさ。何も言っていないのに、営業時間外なのに、無駄になるかもしれないのに……私のために準備をしていた、というのは流石に知名度だけでは推し量れない話である。

 

 それから葵ちゃんの運転で30分程度の時間の後に、件のラーメン屋さんに辿り着く。

 『国道沿いの昔ながらのラーメン屋さん』といった佇まいは、前に来た時から一切変化していなかった。

 

「サンデーライフっ! 私、こういうお店でご飯を食べるのにずっと憧れていましたっ! ハルウララさんのトレーナーにもお話したことはあっても『桐生院トレーナーにはまだ早い』っていつも言われていたので……」

 

「なんで葵ちゃんは同期のトレーナーさんに保護者をしてもらっているのですか……」

 

 そう言えば葵ちゃんが一番仲の良いトレーナーってウララトレだったっけ。女性のトレーナーさんだったね。もしサポカ編成していたらこの2人で温泉旅行に行っているはずである。この世界にサポカとかいう概念があるのかは知らないが。

 

 それで、レンタカーを駐車したあとに、灯りの付いている店内に入ればこのお店の店主夫妻が再び出迎えてくれた。そこから葵ちゃんと私でわざわざ営業時間を過ぎているのにお店を開けてくれたことに感謝の言葉を告げて、私は去年マンハッタンカフェに先手必勝されて頼めなかった味噌ラーメンの『白』を注文する。

 

 ここのお店のラーメンは白・赤・黒の三色があることから葵ちゃんはしばらく頭を悩ませていたが、私が前に食べたのが『黒』と知ったことで『赤』に決めたようだ。

 

「……だって、そうすれば、私の分を少し分けてあげればサンデーライフは三色全部食べたことになるでしょう?」

 

 もしかして葵ちゃんって私のことを妹か娘かなにかだと勘違いしてる? まあ、別に良いけどさ……。

 あれかな、私もカレンチャンみたいに葵ちゃんのことを『お姉ちゃん』って呼んだ方が良いのかな、なんて。もっともカレンチャンのトレーナーさんは男性だったから、呼び方は『お兄ちゃん』の方だったけど。

 

 

 そうして私はやっぱり2回替え玉をしたり、葵ちゃんの分もちょっぴりもらったりした。

 それで、食べ終わった後に、また店内を見渡してみれば1年間でいくつかサインが増えていた。

 

 ……なんか今年の2月ごろにゴールドシップが来ててサインが2個になっている。レースでも無いのに何をしに札幌まで来たんだ一体……。

 後は先月末にファインモーションも来ている。こっちはまあ分かる。GⅢ・クイーンステークスの開催があったからそれに出走したからなのだろう。

 

 あと、珍しいところで言えば今年の札幌のオープンレースのUHB賞に出走していたらしい『リンドシェーバー』というウマ娘の名前もあった。史実では結果的には弥生賞が最終レースで早すぎる引退をしたが、それまでの戦績は朝日杯フューチュリティステークス勝利を含む6戦4勝、2着2回の連対率100%というトウカイテイオーと同期の競走馬である。

 そんな弥生賞で引退していたはずの魂を持つウマ娘が8月のUHB賞に出走していたということは、今なお現役で走っているわけで。アイネスフウジンやアグネスタキオン、あるいはヤマトダマシイとかサイレンススズカもそうだけど、リンドシェーバーもまた現役続行組ということになる。

 そんな彼女のメイクデビューはまた何の因果か札幌であり、ある意味ではここにあるサインは史実では成し遂げられることの無かった札幌再凱旋の証明なのだ。……まあ流石に今のクラシック戦線は王道路線はディープインパクト、ティアラ路線をトウカイテイオーがタッグを組んで蹂躙しているかのような状態なのでリンドシェーバーでも流石に分が悪いが。

 

 閑話休題。

 私も何だかんだでGⅠ出走ウマ娘の端くれくらいにはなった。だから2枚目のサインを残したとして問題は無い……それどころか、来たのに置いていかない方が失礼になってしまうだろう。営業時間外にわざわざ開けてくれるという誠意を見せてくれた相手に代金だけしか払わない、というのは流石に、ね?

 

 そんな私の新たなサインは前にファインモーションとマンハッタンカフェとの共筆となった『阿寒湖の絆』の2つ隣――最新のファインモーションのサインの真隣に置かれることとなった。

 

 

 

 *

 

 翌朝。チェックアウト処理を済ませた私はロビーで待っているカレンチャンの姿を目にした。

 

「あ……すみません、カレンチャンさん? ……この呼び方で良いのですか?」

 

「サンデーライフちゃん、ちょっとそれはどうかなーって思うな。カレンって呼んで?」

 

「……じゃあ、カレンさんで」

 

 まあ冠名呼びだけど、こればっかりは仕方ない気がする。段々私も冠名で相手を呼ぶことに慣れてきたし。……自分が呼ばれるときはフルネームじゃないと反応できないし、ほとんどの相手はフルネームで呼んでいるけどねえ。

 というか私の名前って多分どっちも『冠名』では無いと思うけど一応ね。

 

「ちょっと距離を感じるけど、それは今日詰めれば良いよね? じゃあ、行こうかサンデーライフちゃん!」

 

「えっと……あの、カレンさん? ヒシアケボノさんとか他の子は待たなくても?」

 

「あれっ!? 言ってなかったっけ? ……今日はサンデーライフちゃんと2人だけのデート、だよ? お兄ちゃんとサンデーライフちゃんのトレーナーさんは一緒だけどねっ!」

 

「……ええと。ではデートプランについてはカレンさんにお任せしても?」

 

「もちろんっ! 今日はカレンのエスコートを楽しんでねっ……『王子様』?」

 

 

 ……何というか、女の子同士なのにデートって言われてあんまり動揺もなく順応できるようになっちゃったのは、良いことなのか良くないことなのか分からない。



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第77話 花いかだ

 カレンチャンエスコートのデート。

 

 まあ……うん。マヤノトップガンとのデートという名のお出かけを定期的にやっている私にとっては、今更そういう言い回しでドギマギするような性質じゃない。

 ただその対象がマヤからカレンチャンになるというのは微笑ましさから若干の背徳的なイメージが付加されるような気がしないでもないが。

 

 ただよく考えてみればそのマヤノトップガンとカレンチャンってネイルを貸し借りするような仲だったっけ。

 ついでに言えば、ウマドルのスマートファルコンともかきつばた記念でのお姫様抱っこされるのがあったし。更に言えば、結構私との関係が強いゴールドシチーとカレンチャンは『駿大祭』繋がりである。

 

 ……あれ? 私自身としては直接関わっていないけれどもカレンチャンの周囲の交友関係に重複する部分がそこそこあるね。

 

 で。加えて言えばソーシャルメディアが主戦場の彼女に対して、逆にSNSは最低限でマスメディア戦略が主体の私は、方向性こそ似ているものの競合しにくい路線を取っている相手でもある。

 

 そして私が『通常攻撃無効』型のメンタル構造をしているのに対してカレンチャンは正真正銘のメンタル強者。私が徹底的に遮断しているアンチの存在が、カレンチャンの育成シナリオでは描かれるもそれにはノーダメージ。

 元々ティアラ路線を狙っていたものの適性が無い、とばっさり告げられた後には、スプリンターとしてどうやってこの路線を盛り立てて行くのか思案するスイッチ切り替えの持ち主。……というか、この側面においては全距離適性なんてふざけたものを持っている私に対して並々ならぬ感情を抱いていそう。だけど、私の場合はGⅠ戦線に耐え得る実力は今ですら微妙なのにクラシック期では全く不足であったからどの道ティアラ路線には耐えられないが。

 

 

 しかし……おそらくカレンチャンが私をデートに誘った理由は、それだけじゃない。

 

 私がカレンチャンのトレーナーさんの運転で最初にエスコートされてやってきたのは、札幌の中心街から北に大きく外れた1つの公園。園内は色とりどりの花で綺麗に飾り付けられていて、そうした花々をゆっくり楽しむための園内周回の列車も走っていて、温室とかもある……そんな植物に囲まれた公園。

 いかにもフォトジェニックな場所である。……うん、カレンチャンは実際私に分かってもらおうとはしていないとは思う。事実、この場所に連れてきたのもウマスタ映えスポットだから選んだと思われていて構わないという意志で選定している感はひしひしと感じる。

 

 私に伝えようとはしていないカレンチャンの秘めた想い。実際に私の行動を踏まえれば確かに、それは分かりようの無い話だったのだけど。私はそれをアプリで知っていた。

 

 ……そして知っていたからこそ、伝えないのは不誠実だと感じた。

 

 カレンチャンと私が手を繋いで、8月から秋にかけて見ごろを迎えるダリアの花々が咲き誇る花畑を歩いていたとき。

 

 ――不意に『涼やかな風を肌に感じ』て、周囲に花びらが舞った。

 

 私は咄嗟に言葉が出た。

 

 

「……花びらや、浮かれ流れて――」

 

「――『滝へ落つ』……へえ、サンデーライフちゃん知っていたんだね……カレンのウマスタを――」

 

 

 予想外そうな顔を浮かべるカレンチャンと、ぎょっとした表情を見せるカレンチャンのトレーナー……『お兄ちゃん』と呼ばれる人。葵ちゃんはちょっと置いてけぼりになってきょとんとしているが。

 

 この和歌はカレンチャンのウマスタにおいて、かつて呟かれた一句。

 それは理事長の思い付きで発起した『プリティーグランプリ』なる催し事のときのこと。

 

 そのレースの最中にてカレンチャンは――『落鉄』していた。

 

 

 先の和歌はそうした落鉄の後に呟かれたもの。レース前落鉄であった私と、レース中の落鉄であったカレンチャンという違いはあるけれど。

 

 準備不足による『落鉄』、その自身の凋落を『花びら』にたとえて『和歌』にしたカレンチャンと。

 元は唐衣から始まる折句が使われた在原業平の有名な『和歌』によって、その花の美しさで彼の旅情を癒し慰めた――『かきつばた』の花。その花の名を冠したレースで『落鉄』をして出遅れをした私。

 

 

 そこには偶然とも奇妙とも取れる不可思議な類似が私達の間には存在していた。

 

 

 

 *

 

 どのタイミングでカレンチャンが私の存在を認知していたかは分からないが、少なくともかきつばた記念の前くらいまでには恐らく私の存在自体は知っていただろうと思う。多分メジロパーマーをお姫様抱っこした前後辺りまでくれば、カレンチャンともあろうインフルエンサーが見逃すとは思えない。

 で、その頃であれば競合しない商売敵の1人くらいの認識であっただろうが、『落鉄』によって決定的に私の印象が劇的に変化したのかもしれない。

 

 花びらが浮かれ流れたカレンチャンと、かきつばたが散った私。

 

 彼女から見れば芝とダートという違う舞台、あるいはソーシャルメディアとマスメディアという異なる戦場で戦っていた相手が『落鉄』によって符合していた。

 

 

 ……なるほど。そこに込められた想いや感情の程度を推し測れば、確かにこれは『デート』である。それだけの感情移入を私にしていたならば2人で出かけるという発想になるのも理解できる。

 

「そっかーバレちゃってたかー、それは予想外っ」

 

 私はカレンチャンと時折一緒に写真を撮ったり、あるいはカレンチャンが1人で自撮りをしたりするのを眺めつつ園内を移動する。

 その間に、昨日のキーンランドカップのことも含めてカレンチャンが私に向けていたものについて語ってくれた。

 

「……こういう言い方をするのは烏滸がましいかもしれないですが……。もしかしてカレンさんって私のファンってことに……?」

 

「もしかしなくても、そう言うことなんだけどなー。

 ……でもね。『ファン』だから今日サンデーライフちゃんをデートに誘ったわけではないの」

 

 そう言いながらカレンチャンは、庭園になっているエリアに入る。葵ちゃんとカレンチャンのトレーナーさんが私達の分のお金を支払っているのを見て『あっ、ここは有料エリアなんだ』と一人納得しつつカレンチャンの話の続きを促す。

 

「……と、言いますと?」

 

「だって、サンデーライフちゃんにもカレンの『カワイイ』を知ってもらって、カレンのファンになって貰わないとね!」

 

 このカレンチャンの『カワイイ』という概念も大概多義的なんだよねえ。勿論ストレートに可愛いことで受け取って正解ではあるんだけど、この言葉にカレンチャンがどれだけの意味を込めているのかという視点になると全く違うものが見えてくる。

 だからこそ、ちょっとだけカウンターを仕掛けてみる。入園料を支払っているトレーナー2人を尻目に私は小声で話す。

 

「……その想いは、私におすそ分けするものではなくて。カレンさんのトレーナーさんに向けるべきものなのではないでしょうか」

 

「ええっ、それも分かっちゃうのー、サンデーライフちゃんって怖いなー。

 ……『お兄ちゃん』のことは別格だから。サンデーライフちゃんにとってのトレーナーさんと、ちょっぴり似ているかもしれないね?」

 

 まあ、確かに葵ちゃんとの関係性のことを言われてしまえば一度閉口せざるを得ない。私と葵ちゃんの関係は簡単に言い表すことが難しい。……方向性は全く違えどカレンチャンとカレンチャンの『お兄ちゃん』もまたそれを端的に示せないのと同じように。

 

 私としては葵ちゃんとの間に相互に恋愛感情を載せているわけではないことを確信しているけれども、カレンチャンも実際のところ『お兄ちゃん』に抱いている感情を単純に恋愛感情って言ってしまって良いのかは私には判断がつかないし。

 

「……それに――サンデーライフちゃんって……『カワイイ』が好きでしょ?」

 

 

 ……これはどう受け取れば良いのだろうか。文脈判断するならカレンチャンにとって『お兄ちゃん』に相当するものが『カワイイ』であるということだろうか。……もしかして、私が『女の子』好きだってことを暗に言われてる?

 まあ友達だったり他のウマ娘の子からのボディタッチには慣れていると言えば慣れている面はあるし、『王子様』ロールをやり始めてから以降は私の中の恋愛に対する価値観・倫理観って色々とぶち壊されてきているから、別に可愛い女の子が嫌いかって言われたら決してそうじゃないし、何なら好きな部類には入るだろう。

 

 というか、外部の人間は基本シャットアウトで締めだして、向こうから積極的に来る人でない限りは基本私って関わりを持たないから、そりゃ交友関係は女性ばかりになるわけで。機会的に男性と接するタイミングが少ないって理由は大きいとは思う。一番接するトレーナーの席を葵ちゃんに明け渡した時点で、こうなる宿命だったのかもしれないが。

 

「……ええ、『カワイイ』は好きですよ」

 

 私のその返事にカレンチャンは何も言わずに微笑んで、カレンチャンに手を引かれて庭園の中を進んでいった。そして日本庭園のとある一角を見やると、そこへ私を誘う。

 

 水舞台……日本庭園にある池に突き出した木製のステージとでも言えば良いのだろうか。あるいは浮き舞台とも言うかもしれないそれは、きっと本来は能とか雅楽のためのステージだろう。それなりの広さはある。

 しかし、そこに競走ウマ娘の2人で脚を踏み入れれば、さながらライブのステージのような錯覚を覚えてしまう。特に昨日ウイニングライブをしたばかりだし。

 

 橋を渡り、そんな池に浮かぶ舞台の中で、ふとした拍子にカレンチャンは私にこう尋ねた。

 

「……ねえ、サンデーライフちゃん?

 私がここに来て最初にあなたに見せた『ダリア』の花の――花言葉って知ってる?」

 

「いえ……知らないですね……」

 

「サンデーライフちゃんでも知らないことってあるんだね♪

 ……『ダリア』の花の花言葉ってね色によっても違うんだけど『華憐』って意味もあるんだよ?」

 

 華憐……。

 その言葉を咀嚼する前に更にカレンチャンは続ける。

 

「他にもー。優雅とか気品とか、後は気まぐれなんて意味もあったり!」

 

 コツコツとカレンチャンは私に向かって一歩一歩近づいてくる。

 

「へえ、花言葉って色々な意味を内包しているのですね、カレンさん……?」

 

 カレンチャンはそのまま私のパーソナルスペースを侵すように更に近づいてきて、そのまま抱きしめるように私の腰に左腕を回してきた。

 そして私の耳元に囁くかのように更に言葉を続けた。

 

「……あ、もう1つ大事な意味があるのを伝え忘れてた。カレン、うっかりしちゃってたなあ……。

 ねえ、サンデーライフちゃん? ダリアの花言葉にはね――」

 

 

 この瞬間。

 私は、カレンチャンの『カワイイ』に釘付けになっていた。

 

 だからこそ次の一言一句を漏らすことなく聞き取る。

 

「――『裏切り』って意味があるの」

 

 

 カレンチャンは私のことを抱きしめたまま、そのまま重心を彼女の背中の方に逸らしていった。慌てて彼女の腰に私は手を回す。しかしそのままカレンチャンは私の腕に自身の体重の全てをまるで委ねるかのように力を抜いていく。

 

 ――それは、まるで。この水舞台の外の池に入水するかのように。

 

 

 浮かれ流れて……水へ落つように。

 

「……ちょ、ちょっとカレンさん!? 一体何を……!」

 

 

 ――かしゃり。

 

「……カレンに釘付けになったね、サンデーライフちゃん!」

 

 カレンチャンは私の腰に手を回していない反対の手に持っていたスマートフォンで私達の2ショットを撮影していた。

 撮った写真を私に見せてくる。お互い抱きしめた状態で池を背にして私もカレンチャンも真剣な横顔をしているもの。……言うまでもなく、新たな奇跡の1枚がスマホのカメラに絶妙に収められていた。

 

「……そりゃあ、釘付けにもなりますって……吊り橋効果じゃないですか、これ」

 

「そこまで私のことを心配してくれてカレン嬉しいっ! でも、サンデーライフちゃん、良く見て? 私達の立っている場所、このまま転んでも絶対水の中には入らないよ?」

 

 そう言われて足元を改めて見れば、確かに舞台中央からは多少外れていたが、隅までは3、4メートルくらいはあってどんなに派手にこけたとしても水に落ちる心配は無かった。

 にも関わらず、カレンチャンが入水する――と直感的に思ったのは、彼女の直前までの言葉での誘導と巧みな視線誘導。私に今の立ち位置を理解させないために……カレンチャンに釘付けにするための技法が仕込まれていたことに遅まきながらに気が付いた。

 雰囲気と場の掌握で、入水を演出したのである。

 

 

 『#LookatCurren』、『幻惑のかく乱』、『悩殺術』。

 

 ……それらの固有と金スキルの神髄を、レース外のこの場所で魅せられたようであった。

 

 まあ、スキル発動とかの概念が結局この世界に存在するのかは分からないけどねえ。

 

 

 

 *

 

「……お兄ちゃん、ごめんなさいっ……! 離れていたお兄ちゃんやサンデーライフちゃんのトレーナーさんまで釘付けにするとは思っていませんでしたー……」

 

 この話の顛末というか、オチとしては。

 急にカレンチャンが私に体重を預けてきたことでカレンチャンのトレーナーさんや葵ちゃんが心配して駆け寄ってきた。そしてそれがカレンチャンにとっては計算外で、カレンチャンがそこそこ本気で私にカレンチャンの『カワイイ』を理解してもらうための『お話』をしていたことを洗いざらい白状することになってしまったのであった。

 

 ……まあ、ぶっちゃけると。私も似たり寄ったりなことをパフォーマンスとして葵ちゃんだったり、ファンやガチ恋勢相手にやっている以上、あんまりこういう手口については人のことを言えない立場なので、地味に『お兄ちゃん』の心配の言葉は私にも間接ダメージが入る。

 

 そして、それの被害者として物凄く心当たりのある葵ちゃんは、私に視線を向けて苦笑しているという有様だった。

 

 

 カレンチャンの『お兄ちゃん』のお話が終わっても彼女は水舞台にぺたんと座り込んで項垂れていた。その様子を見て、悪戯心が出てきたので私はそんなカレンチャンに近付いて片膝をついてしゃがんで声を出す。

 

「カレンさん? 大丈夫ですか……」

 

 その私の言葉に対して返事をしようと顔を上げようとした瞬間に、私はカレンチャンのあごに優しく左手を当ててそのカレンチャンの顔を私が上げさせたようなポーズを取り、そのまま右手でそれをカメラに収めた。

 

「……あーっ!? サンデーライフちゃん、今写真撮った!?」

 

「ふふっ、お返しですよ、カレンさん」

 

 それを見れば、口角の上がった私の表情と、きょとんとした顔のままアゴクイされているカレンチャンが何とか画角に収まっていた。内心自撮りスキルの方で不安があったから何とか全部入ってて助かった。

 しかし、完全に隙を突いたはずなのに、きょとんとしたカレンチャンはそれはそれで『カワイイ』仕草になっていた。なのでこの写真は、彼女が誰かが見ている、見ていないに関わらず一挙手一投足の全てが『カワイイ』で構成されていることを改めて認識させるとんでもない代物となってしまった。

 

「……もー、撮ったからにはちゃんとサンデーライフちゃんのSNSでアップしてよねー!」

 

 アップロードしちゃダメとは言わないところが何というかカレンチャンらしいというか。

 それは別に構わないので、聞くべきことを聞いておく。

 

「……カレンさんは先ほどの写真。どのような文面であげようと思っているのです?」

 

 一応2人で内容を合わせた方が良いかもしれないと思ったので。そうすると、少し悩んだ後……カレンチャンは声に出した。

 

「――『花いかだ 浮きし流れる 水の上』」

 

 

 ……和歌で来たか。日本庭園だから和歌、というのは表層的な見方。だって『花いかだ』とは、桜の花びらが流れるさまを表した『春』の情景。

 8月末の庭園に居ながらにして、春を詠むカレンチャンの感性がとんでもない……って、これはあれか。サマースプリントシリーズが9月にももう1戦残していて、それがまだ終わっていないから敢えて夏でも秋でもない季語を用いているのかもしれない。夏が終わっていない、と捉えるなら夏の季語でも良い気はするが、ここで春を持ってきたのは、カレンチャンにとって意味があること。

 

 それを尊重するなら。

 

「では、私からは。

 『来る音すなり ウマに沓履け』――と」

 

 

「……源頼政ですか……。また随分と渋いところを返歌に選びますね、サンデーライフ」

 

「うるさいですよ、葵ちゃん」

 

 

 私の知る元の歌は。

 『花咲かば 告げよと云ひし 山守の 来る音すなり 馬に鞍おけ』

 

 ――桜の花が開花したときにはすぐさま知らせてくれと命令していた山を番する者が、やってきた音がしたから、すぐさま出立出来るように馬に鞍を置いて準備せよ、と命じるお花見一番乗りをしたがって『掛かっている』歌である。

 

 ただしこの世界では『馬』が居ないので和歌にも多少の変化が生まれ、供回りとして同行するウマ娘に(くつ)を履くように命じたという風に若干の変化が生じている。

 そんな和歌の下の句をそのまま借用したということである。更にカレンチャンが詠んだ桜の花が散り花いかだとなって流れる春の終わりから、時間をもっと巻き戻している。だって元の歌の意味を考えれば桜が開花した頃の歌なのだから春の始まりだ。

 

 

 ――カレンチャンは散った花に私達を形容している。それが彼女にとって『落鉄』の暗喩だからこそ。だからこそ花いかだというどんなに風流でカワイイそれであっても散った後のものに感情移入をしている。

 

 しかし私の返歌は春の到来。つまりカレンチャンとの出会いに対して、『春の到来』あるいは今まさに開花した桜という情景を隠喩させた。もしくは、単にその桜を見るために靴を履いたウマ娘の方が私達だと考えても良い。

 

 

 入水しようとした写真には花いかだで『春の終わり』。

 カレンチャンをアゴクイして上を向かせているように見える写真には『春の到来』。これが対になっている。

 

 まあ、カレンチャンにもそこまでの意図は話さないが、そもそも和歌をウマスタで駆使するくらいなのだから、これくらいのことは看破してくるかもしれないし……そもそも和歌解釈というのは広がりのあるものだ。私達の間で『これが正しい解釈』と決めつけてしまうのではなく、ファンの間で考察することも1つの楽しみの在り方である。

 

 

 ……というかそういうの無関係で、下の句だけで読み手を一瞬で判別してきた葵ちゃんの教養の高さがさり気なくヤバいことも示されている気もするけれど。

 

 

 この日から。

 私とカレンチャンは『和歌を送り合う仲』として、ファンに認知されることとなった。それこそが私たちにとっては重きが置かれることである。

 

 

 


 Curren               …

(カレンチャンとサンデーライフが抱き合って水の中に落ちていくかのように見える構図の写真)

 ウマいね! 返信 シェア   保存

 #花いかだ #浮きし流れる #水の上

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 22分前

 


 サンデーライフ @sundaylife_honmono・16分前 ︙

  来る音すなり ウマに沓履け

(カレンチャンをアゴクイするサンデーライフの写真)

 1,418 リウマート 39 引用リウマート 8,428 ウマいね

 



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第78話 広がった世界

 結局、その後のカレンチャンとのデートは一旦札幌市内に戻って赤レンガの古い庁舎? とか言われる場所で、植物に囲まれた公園とはまた異なる洋館然とした建物と前庭の中で、カレンチャンとびっくりするほど写真をこれまた撮った。

 こうしてえげつない枚数の写真を一緒に撮っているとSNSにアップロードする写真って本当に一握りの選ばれたものなんだなあ、とちょっと的外れなことを思ったり。

 

 とはいえ、公園のときとは異なり私に完全べったりではなく、ある程度はカレンチャンは彼女のトレーナーさんも構っていた。そうすると私も葵ちゃんにちょっかいを出す余裕が生まれる。……なんか大分変則的なダブルデートみたいになったりもした。

 

 で、最後に札幌市街が見渡せる山にロープウェイとケーブルカーを駆使して山頂の展望台まで登って景色を眺めたりもした。

 

 私とカレンチャンで、そこにあった鐘を鳴らす写真を1枚カレンチャンのトレーナーさんに撮ってもらった後に、カレンチャンがそのトレーナーさんと一緒に鐘を鳴らしていた。

 そうなると、私と葵ちゃんペアでやらないってのも変な話なので私達でも一応鳴らしておいた。

 

 ……なんか、この場所。しっかりと恋人たちの聖地って書かれている。カレンチャンはそこそこガチめのデートコースとしてエスコートしてたんだな……って思ったり。でもまあ考えてみればカレンチャンがこういうところで妥協するとも思えないし。

 

 

 

 *

 

 そんな感じで結構濃密だった札幌での2泊3日も終わって、学園に帰還しての翌日の火曜日。ちなみにカレンチャンデートはレース遠征移動日として公欠扱いになっていた月曜日である。

 

 案の定、クラスメイトから『カレンチャンと付き合ってるの?』って質問を大量に投げかけられる……ことは無かった。真っ先に学校に来ていた私のガチ恋勢の子が、私が教室に来るなり抱きしめてきて、椅子に座った後も授業開始までずっと膝の上に乗りっぱなしだったので。

 

 その子とは別の友達から、こんなことを言われたが。

 

「サンデーライフって、いつか誰かに包丁とかで刺されそうだよね」

 

「……うーん。私のことを刺してくるのは……せめて、現役引退後にして貰わないと困るなあ……」

 

「えっ……そういう問題……?」

 

 正直『王子様』ロールなんてしていると、そういう愛で溺れかねないことはひしひしと感じつつあるので、ある意味では覚悟していることでもある。近しい子であれば、今膝の上に居るこの子みたいにメンタルチェックは出来るけれども、面識の無いファン相手だと不確定だからどうしようもない部分はある。

 だからといってそれに怯えてファン対応を変えたりしたら、それはそれでまた別の刺される要因になりかねないので、求められているキャラクター像が変わるまでは私は今のやり方を変えるつもりは一切無いけどさ。

 

 取り敢えずガチ恋の子は1対1のデートをおねだりしてきたので、その予定は今週末に入れたりしていたら、一応クラスメイトの間ではカレンチャンとの関係が『あっ、サンデーライフがたまにGⅠウマ娘相手にやっているいつも通りのやつ』って認識にはなった。

 

 ただ面識があって関係が深いガチ恋ウマ娘はこの友達だけだけど、トレセン学園内には他にも私に告白してくる子たちは居る。

 その子らの一部からはカレンチャンとの関係について詰め寄られることにはなった……ただ、『お似合いなのでカレンチャンと付き合ってください!』みたいな謎の告白を受けることとなる、しかも結構少なくない数ね……。

 

 関係性オタクの観点からすれば、その気持ちは分からないでもない。それに実際問題として相性は悪くはないだろう。出会っているタイミング次第ではカレンチャンとの間でドロドロの共依存になるIFもあったのだろうか……と思いを馳せるも、すぐにそれは無いだろうな、と考え直す。カレンチャンには『お兄ちゃん』が存在する以上は、どんなに私が共感性を抱くウマ娘であってもそれを越えることはできない。

 

 ただ、そうしたカレンチャンのプライベートな情報まで漏らす必要は無いので「カレンさんはとても可愛らしい子でしたので、もしかすればそういうこともあるかもしれませんね」みたいな玉虫色の発言だけ残しておいた。

 

 

 後は私に対しての呼び出し関係は『大人気ウマスタグラマーのCurrenに色目を使わないで!』みたいなパターンもあったけれども、この手のタイプは私では対処できないので名簿に記録してそのままそっくりカレンチャンにお任せした。近い将来彼女たちは『カレンチャンカワイイ』状態になることだろう。当人たちもそれはそれで本望でしょ。

 

 私もそのカレンチャンの『お話』術を是非とも教えてもらいたいところではあるけれども、一朝一夕にはいきそうにない固有の秘伝っぽいのであんまり深くは触れないことにした。

 

 

 それから。

 バンブーメモリーが、私のことを呼び出して、そう言えばすっかり忘れていたけど彼女風紀委員だったなと思い出す一幕があったりとか、そのバンブーメモリーによる交友関係の事実確認の際に何故かゴールドシチーが同席していたり。

 マヤノトップガンが『オトナのデート』をしたいっ! って私に詰め寄ってきたときには、こちらも何故か同室のトウカイテイオーが一緒に付いてきていて「あっ、ウマ娘ボールでカイチョーと一緒に居たおねーさん!」って中途半端な覚え方をされていることが発覚したり。

 

 

 後は急にファインモーションのSP隊長さんがやってきて任意同行という形でファインモーションの御前にまで連れ出された後に、

 

「……サンデーライフちゃん? あのラーメン屋さんに1人で行ったね……?」

 

 って、まさかのカレンチャンデート前日のラーメン屋さん方面での、謎の嫉妬を受ける羽目になったり。……というか殿下は先月行ってたじゃん! とは言えない畏怖のオーラを放ちまくっている雰囲気だったので、ここは大人しく屈してクールダウン期間中の間に放課後ラーメン会が開催される運びとなったりして。

 

 

 *

 

「……いや、改めてサンデーライフの交友関係って随分と広いですよね?」

 

「まあ……確かにこの学園に居て大分広くはなりましたね。……私個人としてはカレンチャンの影響力の大きさを再認識しているところではあるのですが。

 でも、そうした関係の中に、葵ちゃんとそしてミークちゃんも居るのですから、ね?」

 

 トレーナー室で、ハッピーミークが私の脚と脚の間にちょこんと座る定位置に収まりながら、私と葵ちゃんは改めてここ1週間の怒涛の日々を振り返った。

 

「……あっ! そう言えばサマースプリントシリーズの最終戦――GⅡ・セントウルステークスの結果が出ましたよっ!」

 

 そう言いながら葵ちゃんは紙媒体資料を私に手渡してくる……ハッピーミークが私の間に座っていることを見越して印刷したんだろうなあ。

 で、見れば1着は――サンキンハヤテ。

 

 おおっと、これは想定外の名前。

 しかし、カレンチャンは3着入線だったために、総合すると。

 

 函館スプリントステークス1着で10ポイント。

 キーンランドカップ1着で10ポイント。

 セントウルステークス3着で5ポイント。

 

 合計25ポイントで、カレンチャンはサマースプリントシリーズの制覇を達成したのであった。

 

 ちなみに私はGⅢの3着、2着で合計9ポイント。サマースプリントシリーズ全体順位では6位タイであった。

 

「……実際、2レースの戦績としてならば決して悪くないですよね、葵ちゃん」

 

「6月のサマーシリーズ開始月に宝塚記念へ出走していることを踏まえれば大健闘ですよっ!」

 

 サマーシリーズの制覇条件を改めて確認する。

 獲得ポイントで1位になること。

 対象レースで1着を1度でも取ること。

 そして、合計ポイント数は13ポイント、サマーマイルのみ12ポイント以上であることの3点だ。

 

 もし6月からサマーシリーズに注力できるとするならば、3レースに出走することは可能だろう。そしてどの道1着を取らなければ制覇できないのであれば、ポイント数も、これに1着が加算されると楽観的に見れば全く問題はない。

 まあその1着を獲れるかってのが問題なんだけどさ。

 

 ただし。唯一サマーマイルの米子ステークスは重賞ではないオープン戦レースである。

 

 今年の戦績から得られた結果としては。重賞レースで入着は今の実力でも充分に可能。

 であれば、後は来年までにオープン戦で1着を獲れるようになりさえすれば、サマーマイルシリーズの制覇ならば理論上可能に見えてくる。

 

 その1着、というのが何よりも難しいのだけれども。しかし、この夏でその展望も大分開けてきた。

 アイビスサマーダッシュでは、実力以上の危険な走行をしていたものの、日本レコードの出ない例年のレースならば充分に1着を掴めるタイムではあった。だから上手く策を制御して自身の手の届く範囲で管理できるようになれば良いところまで来た。

 それに前走・キーンランドカップでも、カレンチャンにアタマ差まで肉薄した。最早、実力が足りないという状態は既に抜け出しており、このままパフォーマンスを維持していれば、勝利の女神もいつかは私に目をかけてくれるところまでは到達している。

 

 だからこそ、今年のサマーシリーズ挑戦は色々と私の可能性について広がった実りのあるものであったのだった。

 

 

 

 *

 

「……しかし、そうなると葵ちゃん。次走の選定が難しいですね」

 

 私は机に置いていたタブレット端末を駆使してレースの興行日程を再確認する。ハッピーミークは自主練ということで、しぶしぶ去っていった。

 ただ、レースの日程にはちょっと問題がある。

 まず前提としてキーンランドカップは8月末……本当に最後の週のレースだったことから9月末までは次走の期間は空けたい。

 

 その上でGⅢとなると、一応阪神レース場・ダート2000mのシリウスステークスがある。

 

「……それを逃すと次のGⅢは11月の初めまでありませんけどね、サンデーライフ」

 

 そう。葵ちゃんが言う通りこの秋日程のシニア級GⅢって9月前半に集中していて、実は狙っている出走時期には全然数が無いのである。だったらGⅡにすればと言う話だが、オールカマーとか、毎日王冠とか、京都大賞典とかGⅡでも錚々たる名前が並ぶのがこの時期である。

 その中でも比較的手薄そうなところを選ぶとするなら10月中旬開催の府中ウマ娘ステークス。ただし、ここですら史実メジロドーベル号の勝鞍なのでそのくらいのレベルはあると見て良い。

 

 ただ、いずれにせよ9月後半から10月前半のGⅡ路線は、全てマイルから中距離の多くのウマ娘が走れる距離だというのは忘れてはいけない。

 折角上り調子であるのに関わらず、GⅡに格上げした上で、しかも大多数のウマ娘と競合する路線……というのはちょっと考え物だ。せめて短距離か長距離が欲しいところである。

 

 まあ。

 芝・短距離路線なら一応重賞レースはあるけどね。

 

 ……そいつの名前は『スプリンターズステークス』って言うんですけど。

 

 

 いや、ここでGⅠはキツいな……。

 

 だからシリウスステークスが一番丸そうではあるが、逆にローカル・シリーズの交流重賞のダートレースまで狙えば、選択肢はかなり広がる。

 短めなら浦和レース場1400mのJpnⅢ・テレ玉杯オーバルスプリント、長めであれば金沢レース場2100mのJpnⅢ・白山大賞典がある。それに近場にJpnⅠの南部杯もあるからある程度分散もするだろうし狙い目と言えば狙い目である。

 ……まあ肝心のトゥインクル・シリーズのダート重賞がこの時期ほぼ枯渇しているから、地方に中央の雄がより集まりやすいってリスクを許容すればの話だけど。

 

「うーん……こうなると、やっぱり『アレ』ですかね?」

 

「……サンデーライフの指すものと同じかどうかは分かりかねますが……。

 ここで改めて『オープン戦を狙う』ということでしょうか?」

 

「おー、以心伝心ですよ葵ちゃん」

 

 

 私は今年の一番最初に走った白富士ステークス以降、ずっと重賞挑戦をしていたけれど、別に重賞レース自体にこだわる必要ってそんなに無いのである。強いて言えば賞金額と、後は出走条件に関連する『収得賞金』って概念の積み上げには重賞レースならば2着でも加算されるという辺りか。でも、それもキーンランドカップ2着のおかげで更に800万円――実際に貰った賞金の半額分が加算されている。

 それでも私は2勝クラスレースをすっ飛ばしてオープンウマ娘になってしまっていることから順当に勝ち上がってきたウマ娘の中でオープン戦以上を勝利、ないしは重賞で2着を出したウマ娘相手だとまだ抽選で負けてしまうが、それ以外の相手であれば抽選で負けることはほぼ無いと言って差し支えない。

 

 だから、もう収得賞金積み上げという理由で重賞レースにこだわることも別にそんなに無いのだ。GⅠに再び出走しようと思うなら話は別だけどね。

 

 更に、オープン戦を狙うのであれば、私向きなレースが実はある。

 それは――

 

 

 ……と、この瞬間。トレーナー室の扉が僅かに開けられて、ノック音とともに、外から聞きなれた声が響いてきた。この部屋、防音性が高すぎるから外から話しかけるときには先に扉を開けてから呼びかけるんだったね。

 

「……サンデーライフちゃん! それとサンデーライフちゃんのトレーナーさんっ! アイネスフウジンなのっ! ちょっとサンデーライフちゃんとお話があるんだけど、良いかな?」



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第79話 勝利とは(5)

 アイネスフウジンの突然の来訪。

 葵ちゃんと私はトレーナー室をぐるっと一通り見回して、隠さないといけないものがあるかどうかを確認する。……本棚などを漁られれば色々なデータをまとめた書類が出てきて、そこには戦術的に見られたくないものもあったりするものの、アイネスフウジンがいきなりそういう非常識な行動はするとは全く思えない。

 

 ……入れても大丈夫そう。

 

 一応手元で見ていたタブレット端末をロック状態にする。それと同時に葵ちゃんが示し合わせたようにドアの方へ行き、アイネスフウジンを招き入れた。

 

「……って、他のトレーナーさんの部屋に入っちゃっても良いの? 場所を変えた方が……」

 

「いえ、アイネスフウジンさんがよろしいのであれば、こちらで構いませんよ。

 私が居て困るようでしたら、サンデーライフだけ置いて席を外しますが?」

 

「ありがとうなのっ、サンデーライフちゃんのトレーナーさん! ……それと、席を外していただかなくても平気なの、というかむしろ一緒に聞いてもらった方が良いことかも――」

 

「あ、アイネスさん。紅茶入れておきますね?」

 

「サンデーライフちゃん、お構いなくなのー」

 

 アイネスフウジンは遠慮してきたけれども、結構腰を落ち着かせて話をする必要があるみたいな雰囲気。

 うちのトレーナー室はコーヒーメーカーが無いので、ホットドリンクは紅茶か緑茶がメイン。一応ハーブティーとかフレーバーティーとかも置いてはいるけどさ、客人にティーバッグを振る舞うってのはちょっと、ね。友達とはいえそこは妥協しない。

 

 給湯室は無いものの簡単な洗面台と電気ポットはあるので、まず先にティーポットと、ティーセットに白湯のまま注いで暖める。一旦お湯を切った後に、ティーポットに茶葉を入れて再びお湯を注ぐ。お湯の温度は95度。かなり熱めである。

 

 そのまま2分ほど蒸らす。なお入れた茶葉は『ケニア』という種類……前にシンボリルドルフに直接入れてもらったのと同じ茶葉。あの時は会長は『エアグルーヴが持ってきた』と言っていたが、私の入手経路はと言うとこの茶葉――ファインモーションから頂いた直近で行ったラーメン会の返礼品である。つまり生徒会室に置かれていた茶葉もまたアイルランドからの品だったようでピルサドスキーが女帝宛てに贈った代物らしい。

 

 どうにもアイルランドではこのフレッシュでありながらもコクと濃さが併存している茶葉が流行しているそうで、そのお裾分けといったところだ。

 なお私は紅茶についてはこの学園に来てからのニワカ教養しかないので分からなかったが、茶葉を頂いたときに葵ちゃんに銘柄など一切明かさずに淹れた際には、飲む前に香りを嗅いだ時点で無言でフリーズしていた。

 つまり桐生院家は紅茶の造詣にも深いようで、この茶葉の価値が青天井な代物だということを葵ちゃんは一言も口に出さずに所作で証明してみせた。『ケニア』という品種自体が高級なのではなくて、王家御用達の茶園かブランドかがヤバいってことみたい。

 

 私が紅茶を入れている間は、葵ちゃんがアイネスフウジンと他愛無い会話をしている。友達相手にも関わらず敢えて私が給仕に回ったのは、アイネスフウジンに私が淹れた紅茶を飲んでもらいたいという想いもあることながら、本命としてはアイネスフウジンが何しにここへ来たかを葵ちゃんに探りを入れて貰ってある程度応対の想定をすることにある。

 だからこそ、あまりにも高級な茶葉を敢えて使っているのも策謀のうちである。アイネスフウジンは葵ちゃんにも同席していて欲しいと言っていた。だからその内容はおそらくレースにまつわるものであること、もしくは私のトレーニング等に影響するものだろうという類推は立つ。

 

 であれば、ここでのやり取りがターフの上に直結する可能性があるため決して気を抜いてはいけない場面なのだ。

 ウマ娘聴力を活かして聞き耳を立てれば、葵ちゃんとアイネスフウジンは私のことを話していた。まあ、この2人の接点らしい接点は確かに私くらいだけどさ。……今はアイネスフウジンが私の抱きしめ心地の良さを力説してる。それだと私が口出しできる余地が無いから黙々と紅茶を淹れる作業を続行しなければならない。

 

 しかも葵ちゃんも葵ちゃんで、その感覚自体は共有できる概念なのよね。

 ついでに言えば、私の抱きしめ心地が良いのは、身体的な側面ではなく単に技巧的な要因じゃないかな。『王子様』ロールをはじめて以降は、抱きしめる機会も抱きしめられる機会も急増したし、『フェリスミーナ』の記事が出回ってからはガチ恋勢の子をほぼ日常的にぎゅってしているから物凄い勢いで習熟しているだけだと思う。

 

「……全く。2人して何を話しているのですか。紅茶淹れましたから」

 

「サンデーライフちゃん! ありがとうなのっー!」

 

 そして、まず2人のティーカップを供した後に、最後に自分の分とシュガーポットを持って行く。その間に一瞬紅茶の香りで固まった葵ちゃんが居たけれども、私は気にせずストレートで飲みながらアイネスフウジンにもすすめる。

 

「……とっても美味しい。サンデーライフちゃんの愛が籠っているの!」

 

「ふふっ、そういうことにでもしておきましょうか」

 

 ……その味の大部分は愛ではなく茶葉の良さだとは思うけれど。愛情が不純物になりかねないほどに、茶葉の方に途方もない価値があるわけで。

 

 付け焼き刃ではあるけれど、なんか優雅っぽい所作については密かに練習を重ねているので、澱みなく風格を保ったままもう一口紅茶に口を付けた後に私は言葉を続ける。

 

「……私としてはアイネスさんとこうして午後の黄昏に時間の流れに身を委ねる、というのも一興だとは思いますが。でもアイネスさんはご用件があって私を訪ねたのですよね? 伺いましょうか」

 

「おおーっ! 結構サマになっているねっ! ライアンちゃんがふとしたときに魅せる仕草に、似ていてびっくりしたの。結構練習したんでしょサンデーライフちゃん」

 

「あはは……まあ、一応世間体的には『王子様』ですからね、私」

 

 

 私は苦笑いしつつも納得する。そっか、アイネスフウジンの同室のメジロライアンって、筋肉少女かつ純情乙女という印象が強かったけれども、よくよく考えてみればメジロ家であることには違いないから日頃の所作から気品というか優雅さみたいなものがにじみ出ていて、それをアイネスフウジンは共に過ごす時間が長いから認識しているのね。

 で、そういう所作を練習していたのが一発で看破されたのは何というかものすごくカッコ悪い。けど、アイネスフウジンとはジュニア級からの付き合いだし、元々そういう気質では無かったことくらいは分かっているもんなあ。

 

「サンデーライフちゃんは、最初に会った頃から随分と変わったよね?」

 

 改めて振り返るとアイネスフウジンと福島で激突したのはジュニア級の11月の出来事だったっけ。その未勝利戦から考えてみればもう2年近くが経過していた。

 確かにその頃から考えれば色々なことが変わっていた。

 

「……そうですね。アイネスさんと出会った頃には、今の私がこうなっているなんて想像もつきませんでした」

 

 王子様も障害転向も宝塚出走も……全てが想像しなかった出来事の連続だった。未勝利戦で奮闘していた頃の私は、クラシック級の夏という未勝利戦終了のタイムリミットより先の未来を描くことは難しかった。

 シニア級の今頃は、Pre-OP戦に居たかもしれない。あるいはローカル・シリーズに活路を見出して中央から地方トレセン学園へ転校手続きをしていたかもしれない。

 

 あらゆる未来の中で、今の私が勝ち取った『これ』は確かに意味のあるものなのだろう。

 

「……サンデーライフちゃん?」

 

「はい、アイネスさん。何でしょう」

 

「……キミは色々変わったけど……今でも、あの『最初に過ごした年末』の時の言葉――変わらないの?」

 

「……」

 

 私はアイネスフウジンの言葉に閉口した。

 『最初に過ごした年末』――それは私達がジュニア級だった頃の有記念の日。暮れの中山にハルウララという桜吹雪が舞って、私とアイネスフウジンは一緒に画面越しにそれを見ていたときの話。

 

 あの時、私は。アイネスフウジンに対して『2度と戦うつもりはない』と言い放った。当時は隔絶とした実力差があった。朝日杯フューチュリティステークスでGⅠ勝利を飾った少女と、未勝利戦にて燻り続けていた私とでは明らかに届かない差があった。

 

 その差は今なお歴然として存在する――GⅠ2勝・ダービーウマ娘アイネスフウジンと、オープン戦未勝利ウマ娘サンデーライフとして。

 

 しかし。これを言葉として紡いだ以上は、アイネスフウジンが何のためにここに来たのかは察しがついた。

 

「……アイネスさん。それを言い出すということは――」

 

「うん……サンデーライフちゃん。

 私達はお互いに1勝1敗1引き分け――だから! レースの舞台で私達の決着を付けるのっ!」

 

 

「……アイネスさん、どういう勝敗計算すればそうなるんですか……」

 

 口には出したがアイネスフウジンの思考パターンはきっとこう。

 まず福島での未勝利戦はアイネスフウジンの勝利。うん、これは私も異論はない。

 次に宝塚記念。アイネスフウジンが8着で私が14着だから、普通に考えればアイネスフウジンの勝ちなのだけれど、これを彼女は『引き分け』と規定しているらしい。

 

 この時点で大分おかしいが、それを百歩譲ったとしてもう1戦が何故か増えている。

 それが何かと言えば。あの小学校校庭での1ハロン以下の模擬競走。テレビカメラの前で走ったとはいえ、公式戦でも何でもない『勝負』を彼女は戦績に計上している。

 

 いや、確かにあれは勝ったけどさ。トゥインクル・シリーズレースと同列で扱って良いものなのか。……釈然としない。

 

 

 とはいえ、今考えるべきはアイネスフウジンとの認識の相違ではなく、レースでの対決の申し出である。

 正直に言えば――『2度と戦うつもりはない』というジュニア級のときの言葉は、今なお私の気持ちを指し示したものとしては適切である。

 

 ……けれど。変わったこともある。

 もう、それを『勝負』を望む少女に向かって真っ向から言い放つことが出来なくなっていた。

 

 重賞入着を繰り返すようになった私はもう――誰かの夢をへし折る(・・・・・・・・・)側のウマ娘だ。サマースプリントシリーズを通して、勝利へのビジョンが鮮明となりつつある今……ううん、本当はもっと昔からずっとそういう立場だったことは分かっていた。未勝利戦の時点でも私は数多くの夢を潰してきた。

 

 ただ、あの時は自分のことで精一杯だっただけ。

 今の私は様々な人の想いを背負っている。だからこそアイネスフウジンの『想い』を私は否定することが……もうできない。

 

 

 アイネスフウジンと戦いたくない。これは私の本心であり。

 アイネスフウジンの『戦いたい』という気持ちを無下にしたくない。これもまた、私の本心なのだ。

 

 二律背反のような考えが私の中で交錯する。選べる答えはただ1つだけ。

 ――戦うか、それとも拒絶するか。

 

 しかし、その二者択一を私は選ぶことが出来なかった。

 

 

 だから。

 その沈黙を破ったのが、私でもアイネスフウジンでも無かったことは必然だったのかもしれない。

 

 

「……サンデーライフの次走の構想は。

 ……私といたしましては『信越ステークス』の予定です」

 

 

 ――その言葉は葵ちゃんから発せられた。

 

 

 

 *

 

 信越ステークス。10月前半に新潟レース場の芝・内回り1400mで執り行われる短距離のオープン戦。

 

 口には出していないものの、私が次走に選定しようとしていたレースである。

 主流であるマイル・中距離を避けつつ、同時に私が得意なように思える新潟レース場の舞台。1400mという距離は初めてながらも、内回りコースなので1200mとほぼ走る場所は重複する。その芝1200mの経験レースの名は、清津峡ステークス……私が勝っているレースだ。

 

 アイビスサマーダッシュとキーンランドカップを越えた私にとって、9月後半から10月前半レースとしては最も条件が良いレース。

 葵ちゃんは私の考えを完全に看破していたのである。

 

 そして。それを言葉に出してアイネスフウジンに伝えた。

 

「……サンデーライフちゃんのトレーナーさん。話しにくいことを伝えてくれて、ありがとうございますなの。

 あたしのトレーナーとも相談してみるのっ!」

 

「いえ、構いませんよアイネスフウジンさん。……あ、でもトレーナーさんにはお早めに伝えておいた方が良いかもしれませんよ。トレーニング予定などもあるかと思いますので」

 

「あっ、そっか! ご丁寧にどうもなの! じゃあ、サンデーライフちゃん、よろしくなのー!」

 

「あ、はい……」

 

 そう言ってアイネスフウジンは走り去ってしまった。……というか良いのかな、アイネスフウジンの構想外であろう短距離レースなのだけど。

 

 ――ただ。そんなアイネスフウジンのトレーナーさんのこれからの苦労に思いを馳せる余裕は、今の私には無かった。

 

「……あーおーいーちゃん? どうしてアイネスさんに私の次走をバラしたので――」

 

 その言葉は、葵ちゃんの差し出したタブレットによって遮られる。

 ……正確には、タブレット端末上に表示された1つのレース名によって。

 

「10月後半にはなりますが、新潟の芝1000m直線のオープン戦『ルミエールオータムダッシュ』がございます。ちょっと期間が空きますが……サンデーライフ。

 ――信越ステークスではなく、こちらのレースを選ぶ選択もありますよ?」

 

「……つまり。アイネスさんには信越ステークスに出走してもらって、私はそれを回避してルミエールオータムダッシュに出る、と。そういうことでしょうか?」

 

「悪い言い方をすればそうなりますが、ですがそれを決めるのは――サンデーライフ、あなたですよ?

 加えて言いますとアイネスフウジンさんのトレーナーが、信越ステークスというヒントがありながら『ルミエールオータムダッシュ』のことを見落とすとはとても思えません。

 逆読みして、彼女たちの陣営がルミエールオータムダッシュの方を選択する可能性だって当然あります」

 

 ……まあ、確かに葵ちゃんを除いた他のトレーナーの方々で最も私に対する理解度が高いのはアイネスフウジンのトレーナーさんだ。

 阿寒湖特別のあとの次走方針にて、障害転向ではない場合のルートとして『丹頂ステークス』一点読みをしてきたのがこのトレーナーである。その私の思考プロセスのノウハウの多くを葵ちゃんが正式に私の担当をする覚悟を持ったことで明け渡していたものの、本来の既定路線はアイネスフウジンのトレーナーさんこそ、掛け持ちで私のトレーナーになる可能性が高かったのだ。

 

 葵ちゃんの初期の私に対するメタ読みの高さは少なからず、このトレーナーの手腕の影響もあるわけで。更に自らの担当ウマ娘が特別視に近い眼差しを向けている相手なのだから、その頃以上に私のことは把握しているだろう。だから絶対ルミエールオータムダッシュを見落とすことはない。

 

「少し……考えさせてもらってもいいですか?」

 

「ええ、もちろん。出走登録までまだ1ヶ月近くありますから」

 

 

 ――しかし。私達の予想に反してアイネスフウジン陣営の動きは速かった。

 翌日のことである。

 

 

「あたし……アイネスフウジンは、次は『信越ステークス』に出走することに決めたのっ! 記者のみなさん、よろしくなの!」

 

 ……信越ステークスの一点賭け。そして記者会見を利用した出走意志表明で退路を断ってきた。

 

 一応報道向けの理由として、GⅠウマ娘である彼女がオープン戦を選んだのは『スプリント路線でどれだけ通用するかのチェック』という話が彼女のトレーナーさんから説明がなされたし、スプリンター転向を志している動機の部分さえ除けば確かに一定の説得力がある話であった……私達以外にとって。

 辛うじて記者会見で『戦いたい相手が居る』とか私の名が出たりすることは無かったものの、しかし私に対する暗黙の宣戦布告であるのは間違いなかった。

 

 恐らくルミエールオータムダッシュの存在を知ってそちらに私の逃げ道があることを踏まえて尚の出走意志表明だろう。

 

 

「……サンデーライフ。私はあなたが、どのような判断をしたとしても尊重いたします。それがどのような結果を生んだとしても、私は絶対にサンデーライフの味方であることを誓いましょう」

 

 

「……その誓いの言葉は何に(・・)対して、誓えますか?」

 

「無論。私の左手の親指と、あなたの左手の人差し指に対して――です」

 

 

 葵ちゃんの左手親指には私達の『目標実現』が捧げられている。

 そして私の左手人差し指には私達の『進むべき方向』が捧げられている。

 

 ――葵ちゃんは、これらに誓いを立てた。

 

 

 それは私達の関係性の中で最上級に等しい保障の確約であった。

 

「その上で……サンデーライフ。1つだけ質問をいたします」

 

「なんでしょう……葵ちゃん?」

 

 葵ちゃんは、私の問いかけに対してひと呼吸置いてから、こう話した。

 

 

「サンデーライフにとって――『勝利』とは、一体どのようなものなのでしょうか?」

 

 

 

 *

 

 ――『勝利への渇望』が無い私にとっての『勝利』とは?

 『勝利』とは私の最終目標ではない。ただ賞金を得るためだけの推奨条件でしかない。それが1つの側面であり、1つの答え。

 

 ……でも。今まで私が唯一無二の明瞭な答えや指針を掲げたことがあっただろうか。特に自身の根幹に影響を与える部分では私は常に曖昧で、相反する考えを持ち、時には矛盾すらも内包して、分かりにくいパーソナリティでもって――しかしその全てが調和した存在こそが『サンデーライフ』ではなかったか。

 

 

 そして、そんな私はこれまでずっと――『勝利』と対峙し続けてきた。

 

 

 

 ◇

 

 ――サンデーライフ。君なら、もしこの私――シンボリルドルフと戦うことになったとして、どうやって『勝利』を掴む?

 

 ◇

 

 ……私が資料室の管理者となって、初めて生徒会室でシンボリルドルフと対峙したときに放たれた言葉。

 あの時。絶対に勝てないシンボリルドルフ相手に私は『ポロ』でもって共に戦いチームとして『勝利』することを指し示した。

 

 

 既に、私にとってのアイネスフウジンは『絶対に勝てない』相手では無くなっていた。

 

 

 

 ◇

 

 ――この『勝利』は実力によるものでもなければ、作戦勝ちでもない。

 私は。レースの興行規則で『勝利』したのである。

 

 ◇

 

 ……これは、3勝クラスの清津峡ステークスで勝利した後に私自身が考えたこと。私は『正攻法ではない勝利』と形容した。当時は全く自覚が無かったが、後々――かきつばた記念の後の葵ちゃんとのお泊りで言及されたようにこの『想定外の勝利』は私にかなりのメンタルダメージを与えて、その後のURA非公式抗議の直談判といったレース外の行動面にまで波及した。

 

 アイネスフウジンを回避しての勝利。それ自体は実に冷静な判断だと思うし、レース選定はそうした強い相手が居るレースを避ける、といった意味合いでも極めて重要な作業である。

 ダービーウマ娘が出走を決めているレースがもしあるのならば、そのレースには出ない、という判断は至極当然のことだと思う。

 

 ……だけど、私と戦いたいがために彼女が一度も公式戦で走ったことの無い短距離レースで。そして本来彼女が出走する意味がまるでないオープン戦という格のレースまで照準を合わせてくれたアイネスフウジンの想いをかなぐり捨ててまでの勝利を、私はもう欲していなかった。

 

 

 

 ◇

 

 ……? どういうこと?

 みんなと一緒に走るのってすっごく楽しいよ? 次は負けないぞーってなるけど、サンデーライフちゃんはレース楽しくないの?

 

 ◇

 

 勝利に全く重きを置かない少女・ハルウララの言葉。有記念を勝利して頂に上り詰めた彼女は、その実ハルウララ(・・・・・)のままであった。

 

 『勝利への渇望』は言わば『競走寿命の前借り』。そして命を賭してレースをするからウマ娘は美しく、その一瞬の輝きは誰の目をも奪う。

 ……そういう在り方からは隔絶した少女こそハルウララ。しかしそんなハルウララの走りもまた、世界を魅了していた。

 

 そして私も、レースに……走ることに対する楽しさの気持ちは確かにあった。宝塚記念の後、葵ちゃんから引退を勧められたとき、理屈でもって説明したが『レースが楽しくなってきた』という精神的な理由も本心であった。

 私はターフで走るのが『楽しい』から、今この場所に立っている。

 

 

 

 ◇

 

 ……あの、俺。どうしてもウマ娘相手に勝ちたいんです!! お願いします、どうしたら勝てますかっ!?

 

 ◇

 

 私とアイネスフウジンが小学校で『走り方』を教えるというニュース番組の特集の出演を受けたときに、その小学校の男子生徒から告げられた慟哭に近しい言葉。

 あの日、確かに『人間がウマ娘に勝てない』ことを部分的にだが覆した。しかし、それはまさしくこの少年の言葉が無ければ成し遂げられない出来事であった。

 

 ……その言葉の裏には、1人のウマ娘の少女に置いてけぼりにされたくないという、少年の淡く純粋な想いが宿っていた。

 

 確かに50mハードル走という条件設定をしたのは私であったが、ラスト0.5秒の勝敗分岐点において、結果を『同着(・・)』にしたのはまさしくあの少年の力によるものだ。

 

 

 

 *

 

 ――私にとって『勝利』とは。

 

 

「……葵ちゃん。記者会見を開いたり、出走の意志を表明する必要はありませんが1つお願いごとを頼まれてくれないでしょうか?」

 

「ええ、何なりと」

 

「――第1回特別出走登録を期限ギリギリでお願いいたします。

 出走1週間前までこちらの動向は秘匿してアイネスさんをそわそわさせてやりましょう。なに、私と戦いたいとアイネスさんが言うのなら、これくらいの盤外戦術は私のやり口の中では可愛いものでしょう?」

 

「……っ! それで、サンデーライフ。

 出走するレース名について教えて頂けますか?」

 

 

「……くすくす。葵ちゃんも悪い子ですね、全部分かった上で聞いてくるんですもん。

 ――『信越ステークス』で、真っ向からあの風神を迎え撃ちますよ」

 

 

 アイネスフウジンの出走するレースに合わせるなど愚かでしかない。それを笑いたければ笑って構わない。批判の言葉はシャットアウトするが、批判が出ること自体は認めよう。

 

 けれど私にとって『勝利』とは……『無価値』であると同時に『かけがえのないもの』になっていた。

 

 私にとって勝利とは無価値である。何故なら、それは究極的には私は、レースにおいてそれを必要としていないのだから。

 私にとって勝利とはかけがえのないものである。何故ならアイネスフウジンの、親しき者の想いを無下にしてまで拾うほど――安いものではないから。勝利とはもっと尊く、輝かしいものだ。

 

 

 信越ステークスでアイネスフウジンに勝てるかどうかは分からない。

 けれど、勝利に価値が無く、同時にかけがえがないからこそ、私はその信越ステークスに出走登録をすることが出来る。

 

 ……そして、勝てるなら勝つ。

 全力で、しかし全力以上ではなく。徹底的に理性的に突き詰めて……ね?



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第80話 シニア級10月前半・信越ステークス【OP】(新潟・芝1400m内回り)

 それから私達としてはあっという間に、アイネスフウジンとしては一向に私が次走を明かさないので恐らく焦れた日々を過ごしていたかもしれないが、それでも時間は誰にでも等しく不平等に過ぎ去っていき、信越ステークスの第1回特別出走登録が終了した。

 

 新潟レース場、芝の内回り1400mのフルゲートは18名。しかし、まず最初に分かったことは定員割れを引き起こしていた。第1回特別出走登録の時点で登録者は14名。例年と比較してもかなり少ないことは明らかであった。……まあ、アイネスフウジンが出走意志を事前表明しているのだから回避するのは正しい戦略だと思うよ、うん。

 なお興行自体が開催されないラインとしてはこの第1回の登録時点で5人以上登録を行えば一応レースとしては成り立つ。

 清津峡ステークスですら発走時に8人は居たのだから、余程のことが無い限りは開催中止にはならないことが分かるだろう。もっともこれは第1回特別出走登録時点での話なので、その後第2回で登録を出さなかったり、あるいは直前で出走取消・競走除外となって4人以下になった場合には普通に開催されるので、実際にレースで走っている人数の話としてはまた少し異なる。

 

 とはいえアイネスフウジンが出ると分かっても全体で14人は集まった。それぞれの陣営で様々な思惑があることだろう。

 

 

 ただし。出走メンバーを確認しても、警戒するべきウマ娘はアイネスフウジン……ただ1人である。

 アプリ実装のウマ娘は彼女だけ。史実ネームドも居るけれど……GⅠウマ娘クラスはやっぱりアイネスフウジンだけで、警戒レベルの度合いがさすがに異なる。ある程度名の知れたウマ娘でアイネスフウジンと一緒に走りたい、と思うのはアイネスフウジンの関係者である場合が多いだろうし、そうなると私との関わりを承知しているから、下手するとあのアイネスフウジンの記者会見だけで私と戦いたいことを見抜いている可能性はあるわけで。

 その上、オープン戦なんて下手に出たらGⅠウマ娘は弱い者いじめだって言われちゃうし。競馬の方の信越ステークスはハンディキャップ競走なので、負担重量で強い競走馬に重たいハンデを強いることが出来るし、そんな重い状態でレースに出ること自体が馬にとって負担も大きいから格下のレースにあまり出ることは無いのだけれども、この世界ではそういう『ハンデ』の概念が無い。だから状況次第では本当に弱い者いじめになる可能性だってあり得るから、アイネスフウジンと同等クラスの実績のあるウマ娘は逆に出づらいというわけだ。

 

 まだアイネスフウジンは、短距離路線初挑戦というお題目があるから許される。もしこれがマイルや中距離のオープン戦であったら、何か別の理由が必要になったことだろう。

 

 で、そんなアイネスフウジンは十中八九『逃げ』で来るだろうと思う。先行も出来なくはないとは思うが、自身の得意でない距離に合わせて走るというだけでも負担なのに、作戦をいじるというのは考えにくい。アイネスフウジンには結果的に1ヶ月程度の時間を確かに与えた形にはなったものの、その時間を短距離への慣らしと新作戦開発の2つに費やしてしまったら、どうしてもトレーニング方針のピントがずれて効果が薄まりかねない。

 だから『逃げ』決め打ちで良い場面だと思う。というか、逃げを選択されることが私にとって一番不利になるので。

 

 その不利というのは、集団全体を操作するようなバ群操作では、逃げウマ娘を拘束できない点にある。ダイヤモンドステークス以降は主導権掌握による大掛かりなトリックはやっていないものの、ここ最近はハナを行くレース展開があまり無かったしねえ。

 

 ということでアイネスフウジンと前で競り合うのか、あるいは後ろから最後に差すのか。即ち私の作戦をどうするかだが、これが結構悩ましい。

 

 まず新潟の内回りコースの最終直線は、『内回り』という触れ込みの割にはかなり長く358.7mという長さを誇る。これは阪神や京都の内回りコースの最終直線よりも距離があり、トゥインクル・シリーズの開催レース場中の内回りコースでは最長である。外回りはもっとヤバいんだけど。

 加えてアイビスサマーダッシュのときが良い例だとは思うが、新潟の芝は極めて高速化しやすい。だから新潟内回りの全体傾向としては実は後方のウマ娘の差しが決まる展開がそれなりに多い。

 

 しかし、反面その内回りの中でも1400mに着目すると少し話が変わる。短距離戦にも関わらずスタート地点のポケットから最初のコーナーまでのバックストレッチ側での直線距離は600mを優に超える。1400mのうち1000m弱は全部直線なのだ。

 流石にここまで長いと序盤の競り合いをやって順位が概ね定まって一息ついた頃でもまだ直線が残っていたりする。キーンランドカップのように慌ただしいままカーブに入ってごちゃごちゃしたままスタミナをむやみやたらに消耗して失速、という形ではなく、先行しているウマ娘がきちんとレースペースを考えて速度を落とすことが1400mではやりやすい。だから、そちらの文脈で言えば最終直線でしっかりと脚を残したまま突入することもあり得る。そうなるとほぼ平坦な新潟の最終直線では、長いとはいえそのまま前残りの決着というケースも起こる。

 

 つまり基本的には後方有利だが、荒れやすく前が残る可能性もある。またコーナーもスパイラルカーブが採用されているためにコーナー加速も難しくは無いし、形状の都合で、内が空くこともしばしばあるから更に展開の荒れに拍車をかけている。

 

 まあ統合すれば、どの戦術を取ってもそれなりに勝機を掴む機会は出てくるかもしれないし、逆にその日の展開では全く合致しないということもあり得る。

 

 あと、ついでに言えば序盤の直線が長すぎるから枠番での有利・不利といった要素も存在しないし、新潟はトゥインクル・シリーズレース場の中でも1、2を争うほどに水はけが良いので、天候によってもあまり左右されない。

 

 ……うーん。こうして考えれば考える程に、何が起こるか分からない。そして何が起こるか分からないからこそ、咄嗟の戦術選択幅が広く適応しやすい私が得意とするコースであるとも言える。新潟レース場〇なのにはそれなりの理由がある、ということだ。

 

 だからこそ、清津峡ステークスのときは先行を選択して勝利したし、こっちは新潟ダートになるが1勝クラスの三条特別のときもまた先行と差しの両取りみたいなポジショニングで勝ちを掴んだ。……どちらもレース展開次第で戦術幅の取りやすい位置付けからの1着である。

 その文脈に沿えば、信越ステークスにおいても基本は先行ないしは差し、というのが鉄板にはなる。

 

「……ですが、それをやると下手すればアイネスさんに主導権を渡しかねないのですよね……」

 

 この私にとって最も安定の選択肢は、同時にアイネスフウジンを野放しにすることと同義になるわけで。彼女は策を巡らせて他のウマ娘を混乱に陥れるタイプではないものの、アイネスフウジンはジュニア級未勝利での福島での際に、私の大逃げに対してほぼ等間隔のラップを刻むという技巧を魅せ付けてきた。

 恐らくその辺りの技量は2年前と比べるまでも無く成長しているだろうし、少なくとも走行中のタイム把握能力に関してはアイネスフウジンの方が上。感覚的な理解でしかない私のそれを遥かに上回っている。だから野放しにしてのびのび走らせてしまえば、きっと中盤で一息つくことで最終局面で再加速する逃げウマ娘の最強戦術と名高い『逃げて差す』を実行してくる危険性が高い。

 

 だから私はアイネスフウジンに万全の走りをさせてはならない。となると、答えはやっぱり1つか。

 

「葵ちゃん。私がアイネスさんよりも早いペースでレース展開を推移させるのは、実力以上の力が必要でしょうか?」

 

 確認の意味も込めて、葵ちゃんに質問をする。

 これに対する葵ちゃんの回答は即答だった。

 

「いえ。実力通りのパフォーマンスでもやり繰りすれば充分に可能だと思いますよ。……なにより、サンデーライフはそれを前の未勝利戦では自身でやっていたではないですか」

 

「そうですね……ええ。やっぱり、そうなるかあ……。

 でも、まさか――アイネスさんのメタを取るには『大逃げ』で行くしかないというのは、なんと言いますか。皮肉なものですよね、同じ相手にまさか同じ戦術をぶつけることになるとはね……」

 

 

 最初にアイネスフウジンと戦ったとき、意表を突くために私は初めて大逃げを使った。

 今回は、意表を突くためではないが……それでも、同じ『大逃げ』をアイネスフウジン相手に繰り出す選択をすることになるとは思いもしなかったなあ……。

 

 

 

 *

 

 少しでも盤外戦術をしてやろうと、前日入りの新幹線をアイネスフウジンと一緒にしようと提案したら彼女は喜んでいた。彼女のトレーナーさんも許可を出して……それどころか、私とアイネスフウジンのホテルの宿泊部屋をダブルベッドで1部屋にまとめることまで同意してくれたので何だかなあって感じである。

 その方がアイネスフウジンのパフォーマンスに良い、って言われてしまえばそれまでなんだけど、葵ちゃんも特に止めなかったので私とアイネスフウジンは一緒のベッドで新潟の2泊を過ごすことが確定した。去年の夏合宿以来の抱き枕状態だろうなあ、これ。

 

 なお新幹線座席は私達2人で隣り合った席をグリーン車指定席で取ったが、お互いに途中から爆睡していたり、ホテルのチェックイン後も、いつもはシャワーか葵ちゃんを誘っての大浴場か半々な感じだったけれどもアイネスフウジンと一緒にお風呂に入ったり、一緒に髪と尻尾を乾かし合ったりして、明日の準備をしつつ話していたらあっという間に寝る時間になった。

 

「アイネスさん、灯りは全部消しちゃっても寝れましたっけ?」

 

「大丈夫なのっ! 目覚ましはあたしがセットしておくの」

 

 間接照明を切って、ベッドの中に潜り込めば、すぐさまアイネスフウジンに抱きしめられる。

 

「……じゃあ私もアイネスさんのことを抱き枕にしますからね」

 

「きゃー! サンデーライフちゃん手も繋ぐのっ!」

 

「良いですよ。というかライアンさんとも普段寮でこんな感じで寝ているんですか?」

 

「うーん、内緒なのっ!」

 

 ……仮に、やっているとしたら寮のベッドとベッドとの距離が離れているので、自動的に一緒のベッドで寝ていることになるが、それは流石に狭くない? 

 『うまよん』では、ゼンノロブロイとライスシャワーが一緒に寝ていたけどさ。

 

 そんな詮無きことを考えていると、アイネスフウジンの呼吸数が若干多いような気がしたので、手の握り方を変えて手首の方を触って脈拍をひっそり確認してみるとアイネスフウジンの脈拍数は確かに通常よりも早くなっていた。

 

 ……おや? ふーん、へえ……。

 うーん、もしかしたら想像以上にお泊りにしたのって効果があったのだろうか。でも、これがアイネスフウジンにとってバフになるのかデバフになるのか分からないなあ、なんかバフっぽい気もするけど……まあ、別に良いや。そこに敢えて言及はしないでおく。

 深掘りすればアイネスフウジンの調子が上がりそうな気がするし、これ。

 

 

 そんな詮無きことを考えていたら、アイネスフウジンは私の耳元に向かってこう囁いてきた。

 

「サンデーライフちゃん……明日は絶対あたしが勝つの」

 

 ここで改めて宣戦布告が飛んでくるかあ……。私はそれには答えない。

 そしてしばしの沈黙の後に、こう口を開いた。

 

 

「……アイネスさん。明日は一緒に楽しみましょう、ね?」

 

「……なのっ!」

 

 そしてその会話を最後にして私達はそのまま眠りについた。

 

 

 

 *

 

「――秋の柔らかな日差しを受けて心地よい陽気となっております新潟レース場、本日のメインレース――オープン戦・信越ステークス、芝1400mの内回り。

 それでは1番人気の子から紹介していきましょう。1番人気は6枠10番、サンデーライフ」

 

「やはり夏の間にかなり好走を見せていたことが1番人気に繋がりましたね。ここ新潟の地で新たな日本レコード記録が2つ飛び出ました今年のアイビスサマーダッシュでは3着、そして前走・キーンランドカップでは2着と芝のスプリント路線で素晴らしい戦績をマークしております。サマースプリントシリーズの全体順位も6位タイで、充分な実力を魅せつつあります。

 ……後は、彼女に必要なのはただ1つ――『勝利』です」

 

 天気は晴れ、そして良バ場。

 そのコンディションの中で私は1番人気に選ばれていた。アイネスフウジンが居るけれども、ファンは『ダービー』ウマ娘ではなく、直近の短距離戦績を見て私を選んだ。そして実況からも勝利を熱望されて内心苦笑する。

 ……これで、本人が一番勝利を二の次にしているんだからなあ。なりふり構わず勝利を掴むためなら、私はルミエールオータムダッシュの方に出ていたし。

 

 そして私が1番人気だと言うのであればもう。2番人気はこの子以外にあり得なかった。

 

「――そして2番人気。7枠11番のアイネスフウジン。短距離は初挑戦、と情報が上がってきておりますが……?」

 

「はい。おそらく今日のアイネスフウジンの狙いは短距離でも通用するかの試金石といった調整かと思われます。昨年のダービーウマ娘として名高いですが、ただ1ハロン長いマイル戦の舞台ではGⅠ・朝日杯フューチュリティステークスを取っていることもあります。何より出走を志したということで実力の程については改めて説明するまでもないでしょう。

 しかし、そんな彼女にサンデーライフが立ちはだかったというのは、不幸か、それとも調整レースで強敵とぶつかれる幸福か。いずれにせよ、今日のレースは彼女の短距離での仕上がり具合に大きく左右されることでしょう」

 

 ……まさかアイネスフウジンが私と戦うためだけに、短距離に出てきたとは思わないよなあ。

 やっぱり普通は、私の方からアイネスフウジンにぶつけてきたようにしか見えないわけで。……昨日一緒に泊まったことも踏まえると、なんか私がアイネスフウジン大好きなようにしか見えないね、これ。まあ好きなのは間違いないけど。

 

 

 今日は葵ちゃんの下には行かず、そのままゲートへ向かう。今更作戦会議する内容も無いし、葵ちゃんの方をちらりと見ても手をぶんぶん振っているだけ。何かあるなら来て欲しそうな素振りをもう少しするはずだ。私も軽く手を振り返したら、笑顔で頷いていたので大丈夫そう。

 ……それに、前回キーンランドカップでは派手にやらかしてくれたから、ちょっと葵ちゃんはこのタイミングで何をするのか分からない怖さも最近はあるわけで。

 いや、嬉しかったけどさ。あの調子で『左手の薬指』に祈りを捧げられたら、もう世間体的にはゴールインなのよ。

 

 

 この期に及んでは、アイネスフウジンとももう言葉を交わさない。むしろ他の出走ウマ娘に対して一言ずつ声を掛けていく。『策士』の名前も随分売れたから、話しかけると滅茶苦茶警戒されて、物凄いぎこちない返事しか返ってこない。とはいえ、実際警戒させるのも目的ではある。『アイネスフウジン以外の全員』という情報を与えられて彼女たちは果たしてそれをどう判断するのだろうか。

 ……アイビスサマーダッシュで私がこのゲート入り前の段階でGⅠウマ娘であるタイキシャトルやバンブーメモリーではなく、危険視すべき相手としてカルストンライトオの存在をほのめかしていたことが彼女たちの耳に入っていれば、私やアイネスフウジン以外のウマ娘に対して『一発』を警戒するかもしれない。

 

 ……そうすれば。私の『大逃げ』への警戒は少しでも薄まるかも。そんなブラフ程度の仕込みである。そのまま私は粛々とゲートへと入っていった。

 

 

「……さあ、ゲートイン完了です。 各ウマ娘一斉にスタート! スタートは全員綺麗に揃いましたね。まず先行争いは、中の10番サンデーライフが先頭に立ちました!」

 

「かなりスタートでギアを挙げてきましたね。……GⅠ2勝の『逃げ』が十八番のウマ娘であるアイネスフウジンとハナを競い合わずにそのまま前に出てきた……ということはサンデーライフが最初からかなり早いペースを企図しております。

 ――これは久しぶりに『大逃げ』が見られるかもしれませんね」

 

「サンデーライフ、アイネスフウジンとの3度目の対決に何とっ!

 最初の対峙と同じ『大逃げ』を選択! これは大胆な作戦だ!」

 

 

 ……さて。これにアイネスフウジンはどう出るだろうか。



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第81話 シニア級10月前半・信越ステークス【OP】(新潟・芝1400m内回り)顛末

 まだ加速局面であるがあまりにあっさりとハナを取れたことで、その加速が鈍くなるのを承知で後方を一度チェック。

 すぐ後ろに1人。アイネスフウジンは3番手で2番手の子から1バ身くらい引いている。つまり、この段階で私を追うことは考えていないようだ。

 

 知るべき情報は手に入ったので、そのまま顔を戻す……前に、一度ここから見えるギリギリの後方寄りの全然関係ない子に視線を強く合わせる――よし、ちょっと萎縮した。その結果に満足して今度こそ前を向く。

 1人に対して嫌がらせをしたのではない。しっかりと私をマークしている子であれば、今の行為が『終盤に伸びてくる』子に対して釘を打ったかのように見える。人気も大きく伸びている子ではなかったものの、他ならぬ『カルストンライトオの幻影』をもしこのレースに見出している子が居れば、マーク対象の私がチェックしている子……というのは充分に警戒すべき相手として映るだろう。

 で、そうやってマーク対象を1人ずつ増やしていけば、段々と注意は分散され相対的に『私を警戒していたにも関わらず、疎かになっていた』という状況が生まれる。

 走りながら考えることは難しいのに、何人も同時に行動を逐一チェックしていたら、それだけで破綻するからだ。私が今まで2、3人程度しか注意対象にピックアップしなかったのも、それ以上のマークはかえって逆効果になるからだし、今回もアイネスフウジンだけに集中しているのも、対戦相手同士の中で実力差のある状態で下手にマークを分散させるとアイネスフウジンを見落とすリスクが高まるためだ。

 

 とはいえアイネスフウジンへ圧力をかけるのは容易ではないので、まずは私自身の負担軽減策を優先する。

 

「最先頭はサンデーライフが突き進み、2番手にウインガニオン。そこから1、2バ身離れてアイネスフウジン、その後方に2人並んでおりまして、6番手グループが集団で団子状態となっております」

 

「400m地点を通過しての今のタイムは23秒2ですか。サンデーライフが『大逃げ』で先行しているように見えますが、例年よりもゆったりとしたレース展開ですね。これは上手くサンデーライフがレースを掌握した、と言っても良いかもしれません」

 

 1ハロン10秒半ばは私の最高速に近いペース。その展開に後先考えないペースからはやや落として制御可能な逃げを打つ。幸い適度に私を追走してくれる2番手の存在はありがたい。まあその2番手に位置付けている子の史実戦績は重賞勝利があるので油断して良い相手ではないけれども。

 とはいえ全力以上の力は無意識下で出すことになるから、究極的には私からは認識出来ない。でも、そんなに爆速ペースで走っている訳では無いと思うんだけどな。こういうときに体内時計で正確にラップが刻めないというのはもどかしい。

 

 だけど、新潟内回り1400mのバックストレッチはまだ1ハロン残している。セオリーではここで大きくペースを下げて脚を溜めて最終直線に備える。最悪2番手を追走してきている子に抜かれても良いか、くらいの考え方で構わないだろう。現行ペースのまま突っ込むと垂れるのは間違いないので。

 

 『大逃げ』で行くつもりではあったが、想定外に私の『大逃げ』警戒であっさりと先頭を頂いたので作戦変更。多分普通の『逃げ』くらいにはなっているはず。これでどこまで私のことを『大逃げ』だと誤認してくれるかのチェックも兼ねる。

 

「さてレースは澱みなく進行しております。先頭集団に大きな順位の変化は無さそうです。むしろ6番手集団での争いが最も激しさを見せております。これはどういうことでしょうか?」

 

「中団の位置取りで迷っている子が多いということでしょう。全体のペースが遅いと看破して序盤・中盤のうちに前に進出してしまおうと考えている子も居れば、逆に先行策の子も脚を溜めだして低めに位置取っているとも考えられます。あるいは両者の考えに引っ張られてどっちつかずになってしまっている子も居るかもしれません」

 

「なるほど。そして中団がやや混雑した隊列のまま各ウマ娘が第3コーナー、内回りのカーブに差し掛かろうとしております」

 

 

 ……ふむ。予想に反してここでは抜かされなかった。足音は右側のやや後方から聞こえてきているので追走しているのは間違いないが、私を抜かそうとまではしてきていない。『大逃げ』ではないことがバレたかはちょっと判断に悩むところだね。

 

 新潟レース場はスパイラルカーブを採用しているために、あまり速度を損なわずに曲がれる構造にはなっているものの、そもそも結構カーブがキツい。比較的短い距離でホームストレッチ側に回されることからどうしてもここで速度は落ちてしまう。

 それとスパイラルカーブで速度を落とさずに回ろうとすると、その特性上、内枠を開けてしまうことになりかねない。

 

 多少速度を損なったとしても内で小回りを利かせてなるべく外に広がらないようにして第3コーナーは回る。

 

「先頭、10番サンデーライフ、おおよそ0.5バ身ほどのリードを維持して逃げます。2番手は3番ウインガニオンがちょっと外に開いて追走、3番手は更に外から11番のアイネスフウジン――」

 

「ウインガニオンが外々に開いてしまって……いや、違いますね。サンデーライフがかなり内ラチギリギリを走っているから、錯覚でそう見えるだけでしょう。

 逆にアイネスフウジンとしては、サンデーライフとウインガニオンの間が空いているように見えますが、そこを突かず敢えて外から回るというのは好判断でしょう。無理に間を突こうとすれば難しい小回りの技術が要求されるところでした」

 

 ……アイネスフウジンは外から来るか。うーん、そう簡単に策には嵌ってくれない。ここで私とウインガニオンの間を選択してくれれば、慣れない短距離戦でのカーブのレースペースで繊細な技術の要求される小回りしながら細いルートを突くという罠を用意してあげていたのに、彼女はきちんとウインガニオンの外から回る判断を下した。スパイラルカーブだからね、外から仕掛ける方がやりやすいのは確かなのだ。

 

 ただし、一方でそれは単純に走行距離という観点で見れば迂回に他ならない。そして内を走っている私との最終的な走行距離の差は広がる。……まあ、一応どちらに転んでも私にとっては有利になる策として組んではいたけど、より私が優位になる方は避けられた、というわけだ。

 

 

 うーん、最終直線までに何かもう1つくらい仕掛けておきたいな、と思って改めてアイネスフウジンを視認するために外側後方を見やる……が、そこにアイネスフウジンの姿は無かった。

 

 ……あ。斜め後ろにいるウインガニオンに重なる場所につけて私の視界から映らない位置に移動したな、これ!? それはアイネスフウジンからも私の姿を確認できなくなることと同義であったが、見えないことによるビハインドは私の方がより多く降りかかる。だって、アイネスフウジンから私に何かを仕掛けることはあまりないが、私からアイネスフウジンに何かする際には、見えている位置に居た方が出来ることは増えるからだ。

 位置取り1つで私の選択肢を奪ってきた。やっぱり一筋縄ではいかないね。

 

「各ウマ娘、600m標識を通過して第3コーナーから第4コーナーカーブに入りまして、ここでのタイムは11秒6です」

 

「平均ペースといったところでしょう。いや、ハナは譲らずに……しかしレースペースは早めないサンデーライフのペース配分には目を見張るものがありますね」

 

 レースペースはそこまで速くない……というか今までの夏の短距離路線で経験してきたどのレースよりも中盤のペースとしては遅いと言って良いだろう。

 しかし短距離戦である以上、マイルと中距離路線中心の経験しか有していないアイネスフウジンにとっては、これでも彼女が経験してきたレースの中でもかなりの高速展開に見えるだろう。当然、短距離に照準を合わせてトレーニングは積んできているとは思う。しかし実戦経験という意味合いでは、今一緒に走る14人のウマ娘の中の誰よりもアイネスフウジンは経験が無い。

 だから最終的には彼女が取り得る戦略は実力差による力押しになることは間違いない。

 

 体力配分というのは存外難しい。『疲れ』を認識することは出来るかもしれないが、普段よりも『体力が余っている』ことを原因まで含めて瞬時に理解するというのは中々に難しいことである。

 アイネスフウジンには短距離戦における疲労度の基準が無い。トレーニングと本番レースで大してパフォーマンスが変わらない私ですら、トレーニング時の指標をそのままレース用に採用することをほとんどせずに実戦経験の積み重ねで対応しているのだから。アイネスフウジン――というか他のウマ娘はトレーニングベースの感覚をレースにそのまま転用することがどれだけ危険なのかは、その本人が一番良く分かっていることだろう。

 

 なので、アイネスフウジンの指標として存在するのは『あとどれくらいの距離が残っているから、これくらいで走れば良い』というマイル・中距離でのラストスパート経験だ。ゴールから逆算した残りの距離と体力との間の計算であれば、レース距離が変わってもそこまで大きくぶれることはない。

 

 ……だからこそ、今のアイネスフウジンには絶対打てない一手。それが私には出来る。

 

 

「――おっと第4コーナーの中ほどになりまして先頭が変わりましてウインガニオン! サンデーライフは1つ2つと順位を落としていきます! しかしウインガニオンのすぐ後方にはアイネスフウジンが控えております、ウインガニオンはこのままリードをキープ出来るでしょうか? ――いえ、アイネスフウジン、ここはすぐに抜き去って先頭に踊り出ますっ! アイネスフウジン先頭での最終直線の攻防となりそうです!」

 

「残り2ハロンでアイネスフウジンは仕掛けてきましたか。やや早いスパートですが、彼女の実力を鑑みれば、それでも充分に最後まで持つという判断なのでしょうね。生粋のスプリンターと比較すれば、スタミナもまた彼女に分があることでしょう」

 

 ……ちらりと横目でウインガニオンの様子をチェックする。結構、苦しそうだ。彼女はここからスパートはかけられないだろう。後は今まで走ってきた先行分の貯金で順位をどれだけ維持するかどうか。そしてこれは概ね想定通り。

 反して、アイネスフウジンは3番手・逃げのポジションから伸びた。『逃げて差す』――まるで本当にそれを体現したかのような、再加速をこの第4コーナーの後半から行った。

 

 そして私は先頭の景色を譲った。誰の目にも明らかな形で私は『失速』したのである。ロングスパートであれば、ここからでも仕掛けもあり得るような位置での失速。

 しかし、速度を落としつつも確実に2番手ないしは3番手をキープする。ウインガニオンとほぼ並走するかそれよりもちょっと後ろになるくらいの位置で、後方ウマ娘の蓋になるような形で、敢えてそのポジションを維持している。

 

 

 ……しかし、蓋としての役割はあくまで二次的な産物に過ぎない。本命はアイネスフウジン対策である。

 

 少なくとも今日のアイネスフウジンには、私と同じ走りは出来ない。……何故か? アイネスフウジンが現状、疲れていない(・・・)からである。今のアイネスフウジンの身体は、普段のマイル・中距離戦よりも遥かにハイペースで走っているのに、まだいつもより走っていないから疲れていない――そうした矛盾した状況を抱えながら走っている。

 

 何故、分かるか? ……いや、私が分からないわけ無いでしょう。クソローテという誹りを受けても『それはそう』としか言えないようなぐちゃぐちゃの距離変更ローテをずっとやってきたのだから。私はそうした毎レースごとの身体的な矛盾を、レース中の思考と理性によって解きほぐしながら走っていた――そういう側面もあるのだ。だから超長距離を走った次走でマイル戦、みたいなことをやっても大きく崩れなかった。

 

 なるほど、アプリ時空では確かに距離変更によるペナルティは存在しない――それは事実。実際にこの世界でもハルウララがステイヤーズミリオンの3000m超レース群からJBCスプリント直行という謎のローテをやってもいる。

 

 だけど。それは本当にこの世界で距離変更が何も影響しないことを示しているのだろうか。

 明らかに実力で優っていたはずの障害の未勝利戦において私がこの障害レースのペースに慣れて勝利を掴むまでに3戦かかった。

 そして障害競走から平地競走からの再転向時に、私はそれまでの走行フォームの修正が必要になっていた。

 

 レースごとに求められる走り方が異なる、というのも事実として存在する。それをもし、私が『経験』でカバーしていて、それだけではカバーしきれない障害と平地の差のときだけ、この問題が析出していたとしたら……どうだろう。

 

 

 今の『疲れていない』アイネスフウジンが、同じく『疲れていない』はずの私がペースを敢えて(・・・)落としたのを見て、どう思う? 一息ついて最終直線に備えているようにしか思えないだろうし、実際にその考えは見事に当たっている。

 しかし彼女自身の感覚としては『疲れていない』から、何故更に一息つくのが必要なのかが理解できない。だってこのまま走っても垂れることはないのに、わざわざここで速度を落とす理由が無いように見えるから。

 

 だから私と一緒になって速度を落とすという選択肢は、それにメリットがあるか分からない以上は取れない。そして自身の前に走るのは、一見するともういっぱいいっぱいになりそうなウマ娘。だったら変にヨレて進路を塞がれる前に、先に先頭に出てしまおうと加速するのも自然な話である。

 

 

 ――そう。アイネスフウジンは加速したのだ。

 最後358.7mという1ハロン半を残して。それは、一見スパートであるようにしか見えないが、確かに焦りの要素もはらんだ『掛かり』でもある。

 

「――600m地点から400mまでの1ハロンタイムは10秒6。一気に高速化してきました」

 

「それだけアイネスフウジンのスパートが強力ということですね」

 

 ……さて、今のペースは短距離戦ではあり得るレベルのハイペース。ただしアイネスフウジンにとっては未曽有の未知の速度。……それを3ハロンもの間、彼女が維持出来たら私の負けだ。

 

 しかし、いくら『疲れていない』とはいえ3ハロンもハイペースで走るのは至難の業である。

 だって、アイビスサマーダッシュのカルストンライトオも、キーンランドカップのカレンチャンも、最後1ハロンは確かに失速した。ハイペースのツケは必ずラスト1ハロンで返さなければならない。ましてやその『疲れていない』かのように見える身体上の矛盾は、きっと後半になればなるほど問題として析出する。

 

 

 それに……ねえ、アイネスさん?

 1400m……それはマイル戦から1ハロンだけ短い距離だったけれども。

 

 先ほど、あなたがスパートをかけたこの瞬間。このレースは。

 ――私とアイネスさんの2人だけの間でなら、疑似的に600mの超短距離レースになったんだよ?

 

 

 

 *

 

「アイネスフウジンがトップスピードのまま最終直線を駆け抜ける! 2番手は内ラチギリギリにサンデーライフ、そしてややペースについていけないかウインガニオン! 後方のウマ娘たちも更に大外を回ってやってきているが、アイネスフウジンがその差をじりじりと広げているようにも見えます!」

 

 最終直線に入っても尚、私はスパートをかけていない。ただ致命的になるだけの距離は空けないようにしてペース自体はあげつつあるがこの期に及んで尚、私は脚を溜めていた。

 ……全てを解放するのはラスト1ハロン。200mの勝負に賭ける。

 

 アイネスフウジンは流石にまだ落ちない。

 そしてアイネスフウジンは私と違って、走りながらタイムを把握できる。だから自身のペースがどれだけまずいか理解している。なので、もうペースを落とせない。

 再加速にはかなりのスタミナ消費を強いる以上は今、速度を落とした時点でアイネスフウジンの敗北が確定するのだから。せめてゴールの瞬間……そうでなくてもセーフティーリードを保った状態でないと。

 

 だから、ここでは絶対にアイネスフウジンは落ちてこないのだ。むしろトップスピードを維持して、あるいは更に加速して少しでも距離を空けることを選んだ。

 

 

 ――これも、私の策。

 今のアイネスフウジンの勝ち筋は、垂れても問題ないセーフティーリードを作ること。それをこの直線のスパートで新たに形成するのは一見無謀だが、しかしそれを出来るだけの実力があるウマ娘だ。

 

 そして私は、致命的な距離を空けさせはしないが、さりとてリード自体は作らせるためにまだスパートをかけていない。

 

 私の策略と、アイネスフウジンの勝ち筋はラスト1ハロンまでは一致している。

 セイウンスカイから学び、キングヘイロー相手にも使った戦術。それを今度はアイネスフウジンにも転用した。

 

 このままトップスピードをあくまで貫こうとするなら私の策略通り。速度を落とせばアイネスフウジンの敗北は決定。少しずつ少しずつ、私は袋小路に追い込んでいく。

 

 

「アイネスフウジン先頭! 2番手サンデーライフとは2、3バ身のリードか!? 後ろの子たちはもう届きそうにない! サンデーライフもアイネスフウジンを追いかけるので精一杯か!? 残り200m!」

 

 

 ……来た。最後のハロン棒。

 ずっとペースを上げ続けて何とか目測3バ身ほどの差で保った。この着差のタイム差はおよそ0.5秒。僅か200mで私はアイネスフウジンを0.5秒の差を翻さなくてはならない。

 

 そう、0.5秒なのだ。いくつかの策を講じて、そしてまだ策は残っている。けれども、ここに来て『0.5秒』という数字に内心笑ってしまう。

 

 

 だって、この数字は。

 ――人間とウマ娘すらも同じフィールドに立たせた数値。

 

 設定条件は全然違うけれども。

 だったらウマ娘同士である私が覆せない道理は……無い。

 

 

 福島レース場と違い、坂は無い。

 私は加速してアイネスフウジンを追う。

 

 思えば未勝利戦・福島でのアイネスフウジンとの初対戦では全くの逆構図だった。先頭を突き進む私を2番手のアイネスフウジンが差した。

 今日は最後の直線の先頭を進むのはアイネスフウジンである。

 

 私は加速する。アイネスフウジンはもうこれ以上速度は出ない。

 十秒足らず――わずか数秒の先にはゴールが見えている。にも関わらず、今の私には随分と長く感じた。

 

 残り50メートル。

 もうすぐのところまで私は来ている。が、まだアイネスフウジンが先頭であった。

 

 勝利が眼前から零れ落ち、すんでのところで手が届かない私の姿が何度もフラッシュバックする。そして、今回もまた――それは再現される。

 

 

 ……はずだった。

 

 

 ――ここに来て。私はまだ2つだけ策を残していた。

 1つは既に発動済の遅効性の毒。仕掛けたのは最終コーナーのとき。アイネスフウジンは最終コーナーで加速し始めた。そこは速度に乗りやすいスパイラルカーブ。だけど速度を維持できる代償として外に膨らみやすい。一方で私はずっと内ラチギリギリを攻めていた。だから私とアイネスフウジンの間には走行距離差がある。

 ……キーンランドカップでどうしてもカレンチャン相手に埋められなかった『あと10m』。それを無理やり私は創造した。

 

 そして2つ目の策。

 序盤から終盤まで私のペースは徹底したスローペースだった。だからスタミナの消費量は少ない。

 うん、『伸び脚』がまだ残っている。

 

 この私の『伸び脚』は、ちょっとだけ伸びるだけの技術。ただ、それだけのもの。

 なのにも関わらず幾度となくこの『伸び脚』に救われて順位を上げてきた。競り合っている場面でなら、これの影響は計り知れないからだ。

 そのきっかけがあったのは『阿寒湖特別』のとき。……他ならぬアイネスフウジンからスタミナ消費軽減のスリップストリームを教えてもらったからこそ、初めて生まれた私の武器である。

 

 

 そして。

 ――この『伸び脚』はあの福島未勝利戦での最初のアイネスフウジンの激突のときには、存在しなかった切り札。

 

 

 風神の暴風も、この新潟で体験した日本最速のウマ娘には……及ばない。

 だったら、その風を掴ませて貰おうか――アイネスフウジン!

 

 

 

 *

 

「――後ろからサンデーライフがすごい勢いで詰めてきます! アイネスフウジン逃げ切れるか!? サンデーライフはまだ伸びる! 並ぶか、並んだっ! そしてそのまま縺れるようにして2人同時にゴール板を駆け抜けます!」

 

「……後ろから追いすがるサンデーライフが僅かに体勢有利のように見えましたが――」

 

 

 ゴールした私とアイネスフウジンは少し流した後にターフへと倒れて、2人で電光掲示板の一点をただ見つめる。

 

 

 確定。

 

 1着は――。

 

 

 ――サンデーライフ。

 2着、クビ差でアイネスフウジン。

 

 

 ――現在の獲得賞金、1億3071万円。



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第82話 形あるもの

 1着……。

 掲示板の一番上に、差し示された番号は10番。

 

 そして私は自分の胸元に視線を下ろす。すると、ゼッケンに書かれている番号も同じく10番。

 

 そして2着に書かれた番号は11番で、その数字はアイネスフウジンの胸元に掲げられていた。

 

「……あれ? アイネスさん。お互いのゼッケンか体操服を交換しましたっけ?」

 

「――こんなお客さんがいっぱい見ているターフの上で脱ぐわけないのーっ! それにちゃんと名前が書いてあるの! あわわ、サンデーライフちゃんがオーバーフローして良く分からないこと口走ってるの!」

 

 その後も『目を覚ますの! ここは現実なのっ!』ってアイネスフウジンに身体をがくがく振られる。

 私はどこか他人事で周囲を見てみると、ターフのど真ん中で2人並んでぶっ倒れて漫才をしている私達を『こいつら、なにしてんだ……』という視線で見ている他の競走ウマ娘の姿があった。

 

「むむむ……サンデーライフちゃんの目の焦点が一向に合わない……。ごめんねっ、サンデーライフちゃん、目を覚まさせるためだから!」

 

 アイネスフウジンはどこか覚悟を決めたような声量で平手を私の頬にめがけてスイングする。……その風切り音をウマ娘聴力は聞き漏らさないので、私はほぼ反射でそのアイネスフウジンの振りかぶった右腕を掴んだ。

 

「……え?」

 

 掴まれたアイネスフウジンはきょとんとした顔をする。私は腕を掴んでいるが手持ち無沙汰だなーって感じたので、そのまま腕ごと、ぐいっとアイネスフウジンの身体を引き寄せた。

 

「……わわっ、ちょっとサンデーライフちゃん何をしているのっ!?」

 

 ぎゅっと密着する感触があり、昨日の夜のことを思い出して――私は我に返った。

 

 

「……あれ? アイネスさん、どうして抱き着いているのですか?」

 

「サンデーライフちゃんが急に引っ張ってきたからでしょ! 人のせいにしないで欲しいのーっ!」

 

 アイネスフウジンのぷくっと膨れた頬が面白かったので、それを指でつつくと口から空気がぷしゅーって出てきた。それとともに、徐々に自分自身が取り乱していたことを思い出す。

 ……あー、この感覚何か身に覚えがあると思ったら、あれだ。『かきつばた記念』での落鉄後のときに似ている。

 

 って、ことは私はアイネスフウジンに勝利したことを『予想外』と捉えてメンタルダメージが今、入っているのか……。うーん、自分のことながら勝って動揺するのは意味不明過ぎる。

 

「……って。サンデーライフちゃん、もしかして正気に戻った?」

 

「まあ、自分が正気であることを保証するのは恐らく心理学か精神鑑定の領域でしょうが……」

 

「あっ、これは多分元に戻ったの」

 

 チェック方法が独特すぎない? 良いけどさ。そして覆いかぶさっていた……というか私が無理やり覆いかぶさせていた(・・・・・・・・・)アイネスフウジンがどいて私と共に立ち上がる。

 

 すると観客席から歓声が上がった。そりゃずっと寝っぱなしだったし、私達。歓声を上げるタイミングが無かったもんね。

 

「……なんか、もうすっごいグダグダになっちゃったけど……サンデーライフちゃん! 1着、おめでとうなのっ!」

 

「――はい、ありがとうございます、アイネスさんっ!」

 

「でもやっぱり悔しい! ……今度はマイルか中距離でリベンジするのっ!」

 

 ……こう言われることは薄々分かっていた。さり気なく自分の有利な条件に持ち込もうとしているけれども、それは認められないのでこう返す。

 

「ダートなら、良いですよ?」

 

「それはサンデーライフちゃんに有利過ぎじゃないかな……って! あれ!? てっきり断ると思ったのに、断らないのっ!」

 

 アイネスフウジン本人に対して私の心境の変化は伝えていなかったから、そりゃそうなるよね。

 ただ、自分が勝った後にそれを伝えるというのも何というか上から目線っぽくなってしまう。なのでこういう言い方にした。

 

「……私から見れば福島未勝利と宝塚で2敗ですからまだ負け越しなので、もう1勝分くらいは有利な条件で戦わせて下さいって……」

 

 さらりと論点を私が勝負を受けるか否かではなく条件闘争の部分にすり替えて、話を戻す。

 そんなことを話しながら私達はターフを後にしたのであった。

 

 

 

 *

 

 葵ちゃんは控え室で待っていた。アイネスフウジンと共に移動しているのを見て、関係者用通路で待つのは止めたようである。配慮の鬼か。

 

「サンデーライフっ! ……また、微妙な顔で帰ってきましたね。どうしました?」

 

「いえ、どうにも勝ったと分かった瞬間、メンタルダメージが入ったみたいで……。ああ、そんなに心配しないで下さい。ただ『予想外』に動揺するやつです」

 

「……宝塚記念まわりでメンタルトレーニングをしたとは言っても。『勝利』に対してのトレーニングは出来ていませんでしたからね……。

 今回はその……大丈夫なのですか?」

 

「まあ、今日は幸いアイネスさんと同室ですし、葵ちゃんセラピーに頼ることは無いと思います。

 ……あっ。それとも頼って欲しかったですか、葵ちゃん?」

 

 この軽口は、心配している葵ちゃんを揶揄しているかのように捉えられるかもしれないが、自己判断としてはあんまり深刻に捉えるものではないってことを意思表示するものでもある。本気でヤバいときなら、こういう言い回しは出来ないからね。

 そこまで伝わると思って会話のボールを投げているから、葵ちゃんからもこういう返答が返ってくる。

 

「……大丈夫なら、素直にそう伝えてもらっても構わないのですよ?」

 

「あはは、ありがとうございます葵ちゃん。……まあ、ケアも大事なのですが。私が気になっていたのは前に葵ちゃんが『私は勝利で崩れる』って言っていたなーって思いまして」

 

「ある種あれも完全な『判断ミス』ではなかったということですか。どちらかと言えば副次的なものなのでしょうが……」

 

 『勝利』を『想定外』と捉えている間は、多分私は入線後に勝利が判明した際に似たようなことを繰り返すのだろうか? ……うーん、ちょっと違う気もするんだよね、これは。

 正直に言えば、今日のレースは『勝てるなら勝つ』という精神の下で本当に勝てると思ったレース展開ではあった。だから『信越ステークスに勝利した』こと自体はそんなに想定外ではない。

 

 ただ……『アイネスフウジンに勝利』できた、というのがそれとどうにも等号で繋がらない。いや理屈で考えればそれが同じことなのは分かるんだけど、これは感情的な面だ。

 史実・アイネスフウジン号と、そしてダービーウマ娘であるアイネスフウジンを短距離とは言えトゥインクル・シリーズレースで打ち破ったというのがどうにも現実感が無いのである。

 

 ただ、これについても1着ではないにしろウマ娘実装キャラを破ってきた経験はこれまでにもあったし、更に言えば競走馬の魂を宿したネームドから勝利をもぎ取った経験は、かつての勝利全てが同条件である。だからそこにある差異が分からず、地味にもやっとする。

 全てを伝えることはできないが断片的にこのことを葵ちゃんに話せば、少し考えた後に葵ちゃんはこう語った。

 

「……おそらくなのですが。サンデーライフの意識の中に『普通ではアイネスフウジンさんに勝てないのでは』というマインドがあるせいで、今日のレースでアイビスサマーダッシュのときのような『実力以上』の危険な走行を無意識下でしていたのではないか……って考えが燻っているのではないでしょうか?」

 

「あっ……」

 

 

 ――それは盲点だった。アイネスフウジンに勝利したことすらも間接的な結果に過ぎず、私が動揺している根幹は『自分の実力を信じ切れていない』ことなのかもしれないという話。そこを信じていないからこそ、アイネスフウジンに勝ったのが自分の実力ではない力が介在したのではないか、という判断が生じる。それは本来私が使うつもりが一切無い無意識下での選手生命に影響を与えかねない走行が生じた可能性に至った、と。

 で、これが私が動揺した原因……あり得そうな話である。言語化すると、そっちの方が自然に思える。

 

 そしてそんな私の無意識下の行動に対してジャッジメントが出来るのは……葵ちゃんだけ。

 

「……今日の私の走りは、どうでした?」

 

 なんか、言葉尻だけを捉えると褒めてもらうために聞いているみたいで内心くすぐったい気持ちになる質問だな、これ。

 ただ、葵ちゃんも私のことを分かっているので、ちゃんと意図を汲んで返して――

 

「――とってもカッコよかったですよ、サンデーライフ?」

 

「……葵ちゃん。分かってて今、やりましたね?」

 

「ふふっ、はいっ! いつもサンデーライフに言われっぱなしだったので、ちょっとやり返しちゃいました!」

 

 ……なんというか、多分私がそういう不意打ちの言葉も結構好きってことに気付いているんだろうなあ、葵ちゃん。最初期の頃から『甘い言葉』を要求していたこともあったし、傾向を取れば多分データとして褒められたがりな私という側面は見えてくると思う。

 もっともデータで褒めるのが最適解と出てきても、多分私は心無い言葉は一発で看破できると思うので、それが口先だけではない本心からのものだということくらいは分かる。だからこれまで与えられた言葉は本物であることには何も変わらない。

 

 ……とはいえそれは私がカウンターに出ないこととは無関係で。

 

「……葵ちゃんって、なんだか以前と比べてもより魅力的になってきたように思います」

 

「もしそうなら……サンデーライフのおかげでしょうね!」

 

「……私色に染め上がった……ということですか?」

 

「サンデーライフはその言い回しだけは、ずっと変わりませんよねー……」

 

 取り敢えず満足するまでやり取りはしたので本題に戻す。

 

「葵ちゃん向けの性分みたいなものなので、これ。

 ……それで、実際どうでした? 私の走りは『実力』の範疇に収まっていたものでしたか?」

 

「……そうですね……。正確なことはデータがきちんと出てから精査する必要はあるかと思いますが、あくまで見ていた限りではそうした危ういところは無かったように見えましたよ」

 

 もっとどっち付かずで判断がつかないレース運びをしていたならば、葵ちゃんはちゃんとデータが出るまで結論を急がないはず。だから曖昧なニュアンスを含有させてはいるものの、傾きとしては安全寄りであることには違いない。プロフェッショナルとして断定の言葉を避けるのは当然の振る舞いだし、私もその葵ちゃんの言葉を疑うことは一切無いが、意識としてはまだ保留状態であるという考えで置いておく。

 

 しかし、一定の結論が出た以上は安堵するのは事実で。その瞬間、確かに心が安らぐのは感じた。

 後はアイネスフウジン抱き枕の効果に期待である。

 

 ……というか、アイネスさんももしかすると私の見えないところで泣いている可能性っていうのはあるから、それはちゃんと肝に銘じておこう。

 ――本来、そういった負かした相手の想いを背負うことこそ、1着を取ったものの責務なのだから。

 

「……ああっ! サンデーライフがからかいながら真剣な話をするのですっかり忘れていましたっ! 何という失態でしょうか!」

 

「……どうしました、葵ちゃん?」

 

「サンデーライフっ! 初のオープン戦勝利おめでとうございます!

 とっても……素晴らしかったです――」

 

 

 ――オープン戦初勝利。葵ちゃんが付いてからの2勝利目、平地転向後で見ても初勝利。

 

 

 ……これが、私の10ヶ月ぶりの『勝利』の形であった。

 

 

 

 *

 

 センターのウイニングライブも10ヶ月ぶりだったけれども、多少記者やテレビカメラが多い程度で特筆すべきことは何もなかった……というか、久々の勝利とはいえ特別なことをしたら勝って浮かれているようにしか見えないので変に凝ったパフォーマンスとかは慎んだからである。

 まあ報道関係者が多いのは、ある意味普段通り。それにアイネスフウジンも居るしねえ。ウイニングライブに来た時もその後一緒に寝泊まりしたときもアイネスフウジンの様子は特段負けたことで何かを溜め込んでいるようには見えなかった……もしくはライブまでの待機中に実は泣きはらしていた、みたいな事実もあるかもしれないが、少なくとも私から見たときには何も分からなかった。

 

 で、新潟でアイネスフウジンと共にもう1泊して、翌日は特に遊びには行かずにそのまま新幹線でトレセン学園へ戻る。なお帰りの新幹線もアイネスフウジンとお互い爆睡していた。

 

 ハッピーミークへのお土産には、前に好評だったぱかうけの『イカ七味マヨネーズ味』を買っても良かったけれども、あれって生産工場限定品なので駅構内では売っていなかった。

 だからなんとなく見た目で選んだ、おはじきみたいな形と色合いの飴細工を買っていって、それをハッピーミークに渡す。

 

「……きらきら」

 

「おはじきのようですがちゃんと飴みたいですよミークちゃん。飴ストック置き場のところに置いておきますね?」

 

「……飴。飴……」

 

 まだ食べていないから味は良く分からないが、でもハッピーミークは飴に対する謎の執着を見せてきたので、多分お土産の方向性としては間違ってなかった気がする。

 

「……おおっ! これはミークの技が久しぶりに見れますか!?」

 

 何が始まるかは分からないが、ハッピーミークの顔はふんすっ! ってやる気に満ちた顔をしていた。

 そして、ハッピーミークの口から紡がれる。

 

 

「江戸の殿どのの喉にも浅田飴、水戸の殿どのの喉にも浅田飴、どの殿の喉にも浅田飴……っ! ……言えた」

 

「ミークの早口言葉です! すごい、よくつっかえずに言えますねっ!」

 

「……えへへ」

 

 

 そう言えばそんな特技もあったね、ハッピーミーク。あまりメジャーどころではない早口言葉を攻めたのでびっくり。

 でもこれ、浅田飴じゃないんですよ……。



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第83話 ティアラの帝王

 ハッピーミークは早口言葉の後に、思い出したかのように私の勝利を祝ってくれた。

 もちろん、ハッピーミークだけではない。信越ステークス終了直後からメッセージアプリには私がウマッターを碌に見ないことを分かっている友達から大量のお祝いの言葉が届いていて、ウマッターにはファンから応援の言葉がメンションで呼びかけられていたりもした。

 

 ただし『信越ステークス』の名がトレンドに入ったりはしていない。……まあ同日の京都レース場でGⅠの最後のティアラである『秋華賞』が執り行われていたからね。

 

 連対率100%、唯一の敗北は無敗のディープインパクト相手に皐月賞での2着のみ。

 そんなトウカイテイオーが優勝ウマ娘となり、オークスに引き続きティアラ2冠を達成した『戴冠式(・・・)』が古都にて行われていたとなれば、流石に知名度が上がってきた『王子様』とはいえ、この話題性をぶち破ることは出来ない。

 

 しかも、トウカイテイオーはメディアでは『ティアラの帝王』とかいう異名を授かっていた。史実の骨折時期にあたるにも関わらず、IFローテでもしっかり危なげなくGⅠを獲る辺りはやっぱり主人公だよなあ、トウカイテイオー。

 

 

 来週に菊花賞もあるからクラシック戦線の動向はその後に一旦まとめよう。今はとりあえず私の信越ステークスについての話に戻す。

 で、学校に戻ってきた後も、翌日登校しても、周囲は私の10ヶ月ぶりの勝利をまるで自分のことかのように喜んでくれた。……クラスメイトの子たちはPre-OP戦や障害レースで戦う子たちが主流なので、それだけ喜んでくれるのも分からなくは無かった。が、彼女たちだけに留まらず、普通にGⅠ勝利をしているネームドの面々も、同じような喜び方をしてくれる子もいたのはちょっと驚いた。

 

 そりゃ私にとってはすごく大事なレースだけれども、他者から見たらその日の新潟のメインレースとはいえ、全体で150戦程度存在するオープン戦レースを全部が全部逐一把握しているとは思えない。だから敢えて信越ステークスをピックアップしただけの理由があるはずなのだが……やっぱりアイネスフウジンを意識しているか、もしくは私のことを意識しているか、なんだろうねこれは。

 格上のレースにて勝利を収めている子から応援を貰った分だけ、それは多かれ少なかれライバル視されているということ。……まあ格上相手の対戦経験だけ見ればGⅠウマ娘と遜色ないからなあ、私。つまり、皆から『また戦え』って思われていると思うと、うへえって気持ちになる。

 そうした想いを否定せずに受け止めるように私は部分的には変わったとはいえ、内心でどう思うかについては別問題なのよ。『戦いたくない』ってのも紛れもない本心ではあるので。

 

 ……後は。何だかんだもう私はシニア級1年目の終盤に差し掛かっている。年が明けたら2年目になるわけだ。

 あまり考えたくないことではあるけれども、早熟な子はそろそろ成長限界すらも越える段階に入ってきているわけで。サクラチヨノオーの育成シナリオで彼女がシニア級の途中で一度ピークを越えてしまって思い悩むこともあった。史実サクラチヨノオー号が実際に早熟だったかどうかはもう答えの出ない問いではあるが、アプリではそのピークの壁を乗り越えることである種の『鍋底』的な成長を遂げることになってはいるが……実際にはそのピークを越えるウマ娘というのは、そうは多くないだろう。

 

 アイネスフウジンが、短距離という不利な舞台であったとしても、まるで『掛かった』かのように勝負を挑んできた事実。……彼女は決して語ることは無かったが、本来アイネスフウジン号は日本ダービー後の引退である。

 実際彼女の成長バランスがどのようになっているかまで窺い知ることはおそらく不可能だ。あるいは葵ちゃんなら何かを把握しているかもしれないが、それを私はアイネスフウジン本人以外の口から聞くつもりはない。

 ……まあ、ここまで負の可能性を言ったけれども、彼女の得意なマイル・中距離のターフの戦場には私がいつまで経っても上がってこないからしびれを切らしただけなのかもしれないけどさ。

 

 ただ、ここからは徐々に同期のウマ娘たちの中でも出走レース数を年間数レースの第一線から退いた形で、1年の多くを調整に使って特別なレースに向けてパフォーマンスを徐々に高めていく出走傾向に変わっていくウマ娘も増えていくことだろう。1年上の黄金世代はまだ全然走っているけれども、2年上のハッピーミークとハルウララの2人はかなりレース数をもう絞っているしね。

 だから即座に競走ウマ娘として引退、という話にはならないだろうけれども、年間で狙うレース数が少なくなれば私と走りたいって向こうが思っていても、そもそもマッチングしないということも増えてくると思う。

 

 一方で私は大器晩成タイプであるという葵ちゃんのお墨付きで、ゆっくりではあるけれどもまだ伸び続けることが出来る。いつかはGⅠレースでも戦える実力が身に付くのだろうか。でもきっと、その時に一緒に走る子たちは、そのGⅠレースを『特別』だと考えて出走登録してきた子を除けば、殆どがもう後輩なんだろうなあ。

 戦いたくはないが、さりとて引退して欲しいわけじゃない。ジレンマと言えばジレンマである。でも、この世界では年間数戦でも長く競走ウマ娘としての息を持たせることの出来る子がトップクラスにはたくさん居て、怪我や故障のリスクがアプリ育成のように小さくなっている現状、それよりも多くのものを求めてはいけないのかもしれない。

 

 そうした将来、未来のことを少し考えてしまった私のクールダウン期間が、ほぼ友達と遊びに行く日程で埋まってしまったのは仕方のないことなのかもしれない。オープンウマ娘として初勝利を収めた私の心情としては、ある意味ようやく一種のスタートラインに立てた心持ちだけれども、周りを見渡せば、そろそろ進退を考える節目になりつつある子も居るということで。

 

 

 ……私も当面は今のスタイルで差し支えはないとは思う。1つ先のレースを決めてそれに向けてのトレーニングという今までずっと上手くやってきた形。だから私の競走生活は1ヶ月から2ヶ月といった短期スパンでの区切りを作る、ある意味レースそのものが自身のトレーニングスパンのリズム調節も兼ねている代物であった。

 1年、2年はそのままやっても問題ないとは思うが、同時にゆくゆくはもっと長い目で見たレースと練習計画を見据えていく必要がある。

 

 ずっと私の最大の強みはレース出走経験とそれに起因する実戦での対応能力だということは言ってきたと思う。が、いつかは今のようにずっとレースに出続けることも出来なくなるだろう。その時までに私は代替案を模索し見つけておかないと、その時点で競走生活終了なんてことになりかねない。

 

 けれども先のことだ。不確定な未来のことを憂うより、今は目先の勝利を祝うことの方が必要だろう。さーて、今日からしばらくは遊び呆けるよ!

 

 

 

 *

 

 ……ウマ娘同士でカラオケに行って真面目に採点で高得点を取ろうとするとインフレバトルになる。採点フォーマットに合わせた歌い方をみんなするからね、ヤバい。

 全員が全員ウイニングライブのおかげで歌は上手いので、その前提で更に上澄みの特技持ちがいっぱいいる。

 あえて機械音声っぽく歌える子もいれば、音域がちょっとおかしいくらいに広くてキーの上げ下げを逆に難易度を上げる方向でやる子、あとは有名なオペラ楽曲とかもカラオケの端末には『クラシック音楽』みたいな物凄いざっくりしたジャンルの中にあるためノーマイクでオペラを歌う子とか、それとは逆の方向性でデュエット曲の間奏で何故か即興ラップバトルを始めるペアなんかもいた。

 

 だからウマ娘のカラオケってメンバー次第で全然違う集まりになる。トレセン学園生は良家の集まりなので楽器の演奏も出来る子が結構普通に多くて、下手すると声楽経験者などもちらほら居たりするからね。肺活量が必要という意味では競走ウマ娘と微妙にリンクする話とも言えなくもない。

 

 

 後は信越ステークスの正確なデータが出たのでこれも確認したりした。当日に葵ちゃんが言っていたように、やっぱり実力以上の力を出した形跡はタイムには見られなかったし、葵ちゃんも改めて問題が無かったことを念押ししてくれた。アイネスフウジンのラスト1ハロンは確かに失速していたからこそ勝てたものだったことが改めて再確認できた。

 

 そんな感じで翌週。既にトレーニングは負荷の少ないものから逐次再開しているが、まずは菊花賞の結果が出た。

 

 ――順当にディープインパクトが無敗三冠を達成した。

 

 世間的にはシンボリルドルフ以来の無敗の三冠ウマ娘誕生で、大きなムーブメントを形成していたが、私としては予想通りの話である。むしろ実際に人気は隔絶的であったことから見て世間の一定数も無敗三冠を達成する実力はあると分かってはいたと思うけどね。分かっていても本当に成し遂げたから盛り上がっているって感じかも。

 

 で、注目のディープインパクトの次走については菊花賞勝利後の記者会見にて、あっさりと『次は有記念』と言い放ち、2ヶ月も前のタイミングから秋のグランプリ、暮れの中山への出走意志表明を誰よりも早く行ったので、再びこれもまたひと騒動となった。

 

 まあ、無敗の三冠ウマ娘がファン投票で11位以下になるなんてことはまず無いだろうし、万が一そうなったとしても普通に残り6枠の収得賞金条件で出てこれるだけのGⅠ勝利はある。というかIFローテでホープフルステークスも勝っているから既にGⅠ4勝なんだよね、このディープインパクト。

 

 となると、今年の有の面子はどうなるのかと大騒ぎである。サイレンススズカはアメリカ遠征から帰国するのか、黄金世代面々からは誰が出るのか、あるいは既に第一線を退いた更に上からの電撃参戦があり得るのか、去年の有の覇者オグリキャップと、一昨年の覇者・ハルウララの動向はどうなっているか、今年のテイエムオペラオーならディープインパクトの無敗記録を打ち消せるのではないかとか、メジロマックイーンは有に来るのか東京大賞典リベンジを目指すのか、などとまだ10月なのにも関わらず年末の話題で持ち切りである。

 そんな中にはアイネスフウジンの名前も見え隠れするも、ダービーウマ娘の彼女ですら実力ウマ娘であれど『上位』勢とはみなされないような魔境だ。

 

 ……宝塚記念で出走しておいて良かった、マジで。あれも面子的にはぶっ壊れだったけれども、有はもっととんでもないことになるのは必定である。

 

 ただ。そんな『無敗の英雄』ディープインパクトの対抗ウマ娘として、盛んに名前が挙がっていたのはやはりというか『ティアラの帝王』――トウカイテイオーである。

 もう有記念の見出しも『無敗の英雄VSティアラの帝王』というものになるのだろうな、という感じがひしひしと伝わってくるくらいには世論が皐月賞以来の2人の激突を期待していた。

 

 

 そしてその注目のトウカイテイオーは、派手にリアルタイム記者会見で次走を宣言することをメディアに明かした。テレビの報道カメラから、動画サイトなどでも生配信がされるという注目度の高さのその会見映像を私は、栗東寮の共用スペースにあるテレビで見ることに。

 

 で、その11月初頭に行われた会見当日。

 既に寮の共用スペースにはそれなりの人数の生徒が集まっており、私は先にこの場に来ていたマヤノトップガンに目敏く発見されたため、そのマヤの隣に収まることとなる。そう言えば、テイオーの同室だったはずだけど、この場に居るってことはきっとマヤノトップガンにも言っていないんだろうなあ。ちょっとぷんすか怒り気味だったので私に寄りかかってくるマヤノトップガンの頭を撫でつつ、彼女の気を落ち着かせる。

 

 ちなみに、離れた席にはキングヘイローとハルウララのペアが居て、更にそこにはハルウララに引っ付いているような感じで自らの存在感を消そうとしているディープインパクトも居た。

 いや、無敗三冠ウマ娘が目立たないようにするのは、もう無理じゃないかな……。相変わらず性格はやや内向的っぽい子である。

 

 そうこうしているうちに、トウカイテイオーが会場に現れて、記者らのどよめく声が中継映像にも入る。

 そして中央に設置されていたマイクの束を取るや否や、開口一番にこう言い放った。

 

「……みんなが何のためにボクの会見に来てくれたかは分かってる。『有記念』にボクが出るつもりか、だよね? きっとこのカメラの向こうで見てくれているファンの子たちも、それが気になっていると思うんだ」

 

 おおう、最初からしっとりテイオーモードだ。やっぱり皐月賞での敗戦からの路線変更がトウカイテイオーの精神の成熟に確実に寄与している。

 

「――でもね。あの子は無敗の三冠で、ボクはティアラ二冠。もう無敗じゃないボクだと対等にはなれないかもしれないけれど、それでもせめて再び彼女にぶつかるときには、ボクは……対等でありたいんだ。

 

 だから、ボクは有記念の前に――『エリザベス女王杯』に出るよ」

 

 

 皐月賞への出走により桜花賞には出走していないトウカイテイオーはティアラ三冠は達成することが出来ない。しかし『エリザベス女王杯』は、史実においては秋華賞が設置される以前はクラシック限定の牝馬戦であり、牝馬三冠の対象レースであった。だから『牝馬三冠』にエリザベス女王杯を足して『牝馬四冠』なんて呼ばれたりもする。

 そのオークス、秋華賞、エリザベス女王杯という形でのGⅠ3勝は、史実カワカミプリンセス号が最後のエリザベス女王杯にて入線自体では1着だったものの斜行による降着にて成し遂げられなかったもの。トウカイテイオーは『エリザベス女王杯』を疑似的なティアラとして、厳密に言えば『変則三冠』ともいえない変則的なGⅠ3勝を引っ提げて有記念に挑戦するつもりだ。

 

 ――これがトウカイテイオーがティアラ路線に転換した本当の理由か。

 皐月賞で負けた瞬間に、ディープインパクトが三冠を獲ることを確信して、『シンボリルドルフ以来』――という最もトウカイテイオーが他者に獲られたくなかったであろう名誉を手に入れた相手に対して、それでも対等に向き合えるだけの客観的な成果をどう挙げるか、と考えたときのテイオーの答えが、ティアラ二冠にエリザベス女王杯を足す、という徹底したティアラ路線だったのだろう。

 

 ……良く考えたものである。それが出来れば世間は細かいことは気にせず、無敗の英雄とティアラの帝王との『三冠(・・)』ウマ娘同士の対決と大々的に喧伝するだろう。クラシック・シニア級対象GⅠレースをクラシック期に制覇したとしても『三冠』には組み込まれない、なんて用語定義の厳密性をライト層は気にしない。

 メディアがたとえ『今年のクラシック級にてGⅠ3勝したウマ娘』同士の対決って正しく書いても、この文字列を見た人の多くは『三冠』と脳が捉えてしまう。

 

 ――この辺の戦略性は多分トウカイテイオー本人のものではなさそう。テイオーのトレーナーさん辺りが考えたことだろうか。それにテイオーが乗った形というのが最も自然かなあ。

 

 

 ともかく、記者会見は後は『エリザベス女王杯』に向けた抱負とかそう言った言葉が綴られて終わる。

 

 

 ――その、2週間後。

 トウカイテイオーは確かに『エリザベス女王杯』も勝利して、改めて有記念に歩みを進めることを表明したのであった。



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第84話 百駿多幸

 『ティアラの帝王』がGⅠ3勝――朝日杯フューチュリティステークスも含めればGⅠ4勝だが――それを引っ提げて無敗三冠の英雄に立ち向かうという構図は、爆発的な浸透力をもってSNSとマスメディア双方から大々的にバックアップされる形で話題を形成し続けることとなる。

 菊花賞からずっとこんな調子であり、私の世代とそれより上も含めたシニア級で第一線で活躍しているウマ娘の中にはクラシック世代だけが話題をかっさらっていく現状に不満を持っている子はいるかもしれない。

 ただ、それでも無敗三冠と、ティアラ二冠にエリザベス女王杯という充分すぎる実績はそれらの反論意見を封殺するに値するもの。だから内心はどうであれGⅠウマ娘クラスともなれば、そういった想いを表に出すことは無い。

 これは良い子だとかスポーツマン精神に則っているという側面だけではなく、そのくらい高いレベルでパフォーマンスを発揮しているウマ娘であれば、不満やストレスを悪目立ちしない形で発散する方法に長けているということでもある。

 

 私がメンタルダメージを受けた際の対処方法が、基本お泊り会にあるように各自でそれぞれ自身の気質にあった手法を既に確立しているのだろう。

 

 とはいえ、今年の宝塚記念には出走したものの有に出る気は皆無な私には直接的には関係ない話である。こうした上位のウマ娘の余波で重賞戦線からオープン戦における出走状況が変化するかもしれないという二次災害みたいなことには注意しなければならないが……それでも、私に影響するのはそれくらいのはずだった。

 

 

 ――それなのに。

 

「やあ、サンデーライフ。ちょっと良いかい?」

 

「……えっ、あっはい。夕食までなら大丈夫ですが――シンボリルドルフ会長」

 

 今日は放課後にプールトレーニングをやって、当初の予定通り早めに切り上げている。だから夕ご飯まで時間がちょっと空いていて手持ち無沙汰で、かといって寮の自室か資料室に戻ってもベッドかソファーの上でだらだらするだけだしな……と、ふらふらーっとなんとなく学園内を歩き回って休憩がてら自販機で飲み物を買って屋外ベンチに座ってしばらくのんびりしていた。そうしたら、背にしていた自販機のあった方向からシンボリルドルフに話しかけられたのである。

 誰か来ていることは足音で分かったものの、てっきり普通に自販機を使う生徒だと思って振り返らずにいたから、声を聞いて初めて会長と分かって驚いた。多分、返事に違和感は無かっただろうと信じたい。

 

「ああ。それだけあれば充分だ……だったら、少し外に散歩に出るというのはどうかな?」

 

「は、はい……それは構いませんが……」

 

「よし。巧遅拙速とも言うからね、早速行こうではないか――」

 

 あっ、今からか。私はそれならと僅かな飲み物の残りを飲み干してごみ箱に捨ててシンボリルドルフに同行する。

 そのまま学校の敷地外に出て、歩道を歩く。公道上にはウマ娘専用レーンも存在するが、そちらを走ることなくあくまで歩道を歩くのみだ。

 

 そして、どこに行くわけでもなく私はシンボリルドルフについていく。どうにもその歩みに規則性がまるでなく、思い付きでルートを選んでいる感じからも、『散歩』と称してどこかへ連行するための方便などではなさそうで、本当にただの『散歩』こそが目的なのだろう。

 

「……あの、シンボリルドルフ会長はこのような『散歩』は結構なさっているのですか?」

 

「ああ、いや……恥ずかしい話だが、学園外に出歩くことは用事があるとき以外はあまり無くてね。つい先ほどにもブライアンに『少しはアンタも気分転換でもしてもらわないと、こっちの気が滅入る』と言われて生徒会室から追い出されたところさ。

 ……それで、ふと君に用があったことを思い出してね。休憩しながら探していたらちょうど見つけることができてまさしく天佑神助であったよ」

 

「……それって休憩でも気分転換でもなく、ただの人探しという仕事になっているような気がしますが……」

 

 

 うーん、実際どうなんだろう。シンボリルドルフが生徒会業務でストレスを溜めそうにない感じはあるけれども、それは本当にストレスが溜まらないのか、私の知らないストレス発散方法を持っているのか、はたまたダジャレ1つで実は物凄い発散されているのだろうか。イメージ的には走るか生徒会関連かの2択って印象は実際あるから、こうやって散歩をすること自体も妙な違和感があるくらいだ。

 

「……そうか。でも、実際にこうしてサンデーライフは見つかって、今は悠々自適に散歩に勤しむことが出来ている。これを気分転換と言わずして何と言おう?」

 

 ……まあ、他ならぬ本人が気分転換と認識しているのだったら別に良いか。他人から『正しい休憩の仕方』みたいなことを押し付けられることこそ最悪ではあるので、これは価値観の相違として受け止めておく。

 

 そう言いながらも、私達は時間をかけて歩く。駅前から商店街、初詣でも行った神社や、河川敷を歩く。走れば数分の距離を私達は何十分もかけて歩いていた。

 そんな中、印象に残ったシンボリルドルフの言葉がある。

 

「……あまり出歩くことはない、とは言ったが……ずっと思っていたことがある。

 この街は……美しいな」

 

「美しい……ですか?」

 

「――ああ。こうしてゆっくりと歩いたことは本当に久しぶりだ。走っていると見落としてしまうものが実に多い。何より、人とウマ娘が調和して暮らしている」

 

 大きな街路には必ずウマ娘専用レーンが存在する。河川敷もウマ娘が走って問題無いようにきれいに整備されており、道に大きな石が落ちている、なんてことも少ない。

 尻尾を通すための穴が腰のあたりに空いたウマ娘専用のセレクトショップもあれば、人間用の洋服にそうした穴を開けてくれるサービスを行っているお店もある。

 

 学園最寄りの商店街はウマ娘と接する機会も多いから、そうしたトレセン学園生徒向けのサービスをしているお店も多いし、神社も快くウマ娘を出迎えてくれる。

 

 もちろん他の地域がウマ娘を差別しているとか迫害しているとか、そういう話ではない。街の都市計画というハードの側面と、周辺住民の厚意というソフトの側面の双方からトレセン学園――ひいてはウマ娘が支えられているのがこの街だ。

 近場に東京レース場が存在するというのも大きいだろうけどね。

 

「街づくりからして学園の周辺であったり……後は、レース場の近くとかでしょうか。そういうところは景観からして違いますよね、やっぱり経済効果などを鑑みてなのでしょうか?」

 

 地方レース場は、地方の一部事務組合に属することからその上部には地方自治体が鎮座する関係上、地方財政に寄与する一方で、トゥインクル・シリーズのレース場は全部URAの管轄なので、レース場の中で出たグッズ販売とか飲食店等のテナント売上などはURAの下に集まる。その利益の多くはウイニングライブの開催費用やグッズの開発費等でファンに還元される形となるが、国営の事業であることから売上の1割程度は国庫にそのまま納付される、と資料室の書類には書かれていた。

 そうしたファン還元と国庫納付以外のお金でURAという団体は運営がなされていることから、否応なしにそのレースという興行全体での事業規模というものが大きいことが分かるだろう。

 しかしそれだけでは、例えば福島とか新潟にレース場があるのに、その収入は国庫に納められるだけで県や市に何も還元が無いか、と言えばそういうわけでもない。補助金があるかとかそれ以前に、地元のファン以外も当然ウマ娘の活躍を見にレース開催日には訪れるので、彼等の宿泊費用とかで地元経済の活性化には間違いなく繋がっている。また他ならぬ私がそうなのだけれども、競走ウマ娘自身もその地元で遊ぶという機会も提供できる。

 で、著名なウマ娘というのはインフルエンサーであることも多いから、そうやって訪れた場所をSNS上にあげれば、レース場以外の観光スポットの集客増にも繋がるという循環が生まれるのだ。

 

 ……だからこそ、レース場周辺というのは基本ウマ娘に配慮した街づくりがなされていることが多い。

 

 しかし、そうした社会行動的な『必要性』の観点とは違う視点をシンボリルドルフは有していた。

 

「……そうだね。サンデーライフの言うお金の面も、もちろんあるとは思うけれど……。例えばこの府中の市長は、ウマ娘なのは知っているかい?」

 

「そうなのですね、知りませんでした」

 

「私も話したことは数えるくらいしかないから、あまり詳しくは存じ上げないけれども、我が学園のことをよく考えてくれるとても良い御方だよ――」

 

 ……この話は完全に盲点であった。そもそも市長とかのレベルの地位にウマ娘が居るのね。そりゃ施政からウマ娘に寄り添った形になることもあり得るねえ。

 そして深く聞けば、地方自治体レベルであれば行政府の長にウマ娘が就任することも珍しいが全く無いことではないみたい。ウマ娘であることを隠したりするパターンも多いので実態は掴みにくいとのことだが。

 

 

 で。ここまでは前置きなのだろう。彼女は用があるから私を探したのに、まだそれに類する話が一切出てきていない。

 シンボリルドルフは一旦話を区切ってから、ゆっくりと話し出した。

 

「……4月のファン感謝祭で行った『ウマ娘ボール』のとき、サンデーライフは『この景色が見れただけで充分』と、そう言っただろう?」

 

「ええ、そうですね」

 

 河川敷を照らす夕陽の光が、逆光となってシンボリルドルフを照らす。

 

「……あの言葉。ずっとどういうことか考えていたのだが……。

 テイオーがティアラ二冠にエリザベス女王杯、ディープインパクトが無敗三冠を獲ったことで、ようやく朧気ながら分かってきたよ。

 ――サンデーライフ。君は今の結果を読んでいた、ということだろう?」

 

 言い逃れはいくらでも出来た。あの4月の場面でも既に『無敗ウマ娘』同士の衝突という形で大盛り上がりしていた。そしてテイオーがティアラ路線に転換したことは完全に私の想定外である。

 テイオーが実力者であることはシンボリルドルフであれば百も承知のことだろうし、少なくともそのテイオーがかなり意識していたという一点だけでもディープインパクトの異常性は事前知識ゼロだとしても分かることなはず。

 

 否定自体は出来た。が、それをシンボリルドルフが信じるかどうかは別の話なために私は曖昧に濁す。

 

「……さあ。どうでしょうね?」

 

「……そこでこちらに投げかけるということは、私が言う言葉も大体君は分かっていそうだね。でも、改めて聞こうか、サンデーライフ。

 以前――昨年の夏の終わりに君が障害転向とURAへの非公式の抗議を頼みにきたとき、私は君の生徒会への勧誘を『クラシック級ウマ娘』だから判断を保留とした」

 

「……ええ、覚えております。そして、今の私は『シニア級ウマ娘』……」

 

「そうとも! であれば、話は早い。

 サンデーライフ、是非とも我々の――」

 

 

 私はシンボリルドルフが全てを告げ終わらない内に、無理やり言葉を差し込んだ。

 

「――シンボリルドルフ会長。

 ……どうして、私……なのでしょうか?」

 

 私が規定した分水嶺はここである。

 即ち、この質問に対してのシンボリルドルフの答えこそ、私にとっては今後を左右する重大な代物であった。

 

 

 そしてシンボリルドルフは、これからの一連の会話全てが次の一言に集約されているということに――気付かなかった。

 

「――それは無論、サンデーライフ。君が優秀で、他のウマ娘には無い知見を有しているからだ。君の才覚を我が生徒会で是非とも生かして欲しいと私は願っている。

 ……百駿多幸、全てのウマ娘の幸せのために――我々に力を貸して貰えないだろうか?」

 

 

 ……。

 

 うん、シンボリルドルフに評価されていることは分かったし、それは本来とても光栄なことである。

 

 だけど――

 

「……シンボリルドルフ会長なら、私にいくつかの企業オファーが来ていることはご存じですよね?」

 

「それは、知っている。芸能事務所やメディア関係から……だったかな?

 だが生徒会役員はそれらと異なって、競走ウマ娘を続けながらでも問題ないはずだが……」

 

「いえ、そういう問題では無くて、ですね……。

 あれらの企業はですね……私の人気や知名度ではなく、単純に私のスキルを買ってくれたところもあったのですが――そういうところってほぼ例外なく小規模のベンチャー系だったのです。国内外問わずで、ですね。

 そしてそれらの企業群とシンボリルドルフ会長の申し出は、共通点がございます」

 

 宝塚記念の後で葵ちゃんから知らされた私に対する企業オファーの存在。多くは広告塔としての役割や、芸能界入りを企図したものばかりであったが、その中で能力を見て青田買いしようとしていたところもあるにはあった。

 そして私としては、前者の私の知名度目当ての企業よりも、能力を見てくれている相手の方が……受け入れがたい理由がある。

 

 自分のことを正当に評価してくれる可能性が高いのにも関わらず、それらを忌避する理由。会社の規模が小さいからではない……間接的にはそれも影響しているかもしれないが、その訳は――。

 

「私のことを『優秀』だと判断していて――その上で、私という人材を欲している、その構造自体に私は懸念点を抱いております」

 

「……どういうことだい、サンデーライフ?」

 

 おそらくシンボリルドルフは意識したものではないだろうけれども、威圧感が剥き出しとなる。私はそれを全く意に介さないという仮面を被ってこう答える。

 

「会長は『他のウマ娘には無い知見を有している』……とおっしゃいましたよね? それはつまり生徒会役員として『私にしか出来ない役割がある』――とお考えであることに相違ないでしょうか?」

 

「……そうだ。だからこそ――」

 

 

「いえ、そこが肝要なのです。……本当に全てのウマ娘のことを考えるのであれば未来の生徒会のためにも――『誰にでも出来る』業務だけで生徒会の仕事は回せる方が望ましいのではないか、と愚考いたします。

 会長……いえ『シンボリルドルフ』というウマ娘は、この先未来永劫に渡って永遠に『生徒会長』であり続けるおつもりですか?」



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第85話 未来へのファンファーレ

 

 シンボリルドルフの生徒会に存在する最大の欠陥点。それは欠員が許されないところにある。エアグルーヴなくしてあの生徒会は成り立たないし、ナリタブライアンが居なくても同様だ。そして何よりシンボリルドルフ本人が存在してこそ初めて成立しうる組織構造になっている。

 

 個々人の技量によって左右されるということは『次の生徒会長』になる度に、この生徒会が出来ることが変わっていくということ。それをシンボリルドルフ自身が是認するのであれば、私は一過性のお祭りのようなイベントを生徒会役員として盛り立てることは出来るだろう。

 

 しかし、この在り方は持続性が無い。『全てのウマ娘の幸せのため』にはならないのだ。あくまでそれは最大限度で見積もっても今現在(・・・)のトレセン学園に所属する生徒限定での尽力となる。

 

 トレセン学園生徒会も、私の能力を即戦力と見て青田買いしようとしている企業も大きく見れば一緒――今いるメンバーの誰かがいなくなったら破綻しかねないから、優秀な人材でしか回せない……だから私のことが欲しい、という発想根本に危険性が内包されている。

 

 特に生徒会の場合は、その会長自身の考えである『全てのウマ娘の幸せのため』の組織のはずなのに、シンボリルドルフ退任後の未来予想図が全く見えてこないというところに大きな矛盾がある。

 

「……」

 

 シンボリルドルフは厳かな雰囲気のまま思案する。

 彼女が一生、生徒会長で構わないとは思っていないはずだ。それは先の発言で『ウマ娘の市長』という存在に言及していることからも、少なからず政治の世界を意識しているのは確かだろう。

 

 その反面、一応理屈の上では生きている限り生徒会長を続けることだって出来るのだ。何故かと言えばこの世界ではレースは文部科学省直轄の『学生スポーツ』扱いであり『トレセン学園生』にしか出走資格が存在しない一方で、シニア級の複数年跨ぎは可能という点を制度的に両立しているから。だから、名義だけはトレセン学園高等部所属のまま高校卒業相当の資格を取得すれば、他大学の学士課程や大学院の修士・博士課程を履修・取得する修学支援制度は整えられている。あるいはゴールドシチーのモデル業や、アイネスフウジンのアルバイトとの並立が可能であることからも、他職業と学生身分を兼任しつつレースに出走するという在り方も制度上では可能なのだ。

 とはいえ万が一、一生涯生徒会長を続けても構わないとしても、結局じゃあ死後はどうするんだという話に帰結してしまう。

 

 ここで『ならば皇帝は不老不死となり未来永劫生徒会長であり続ける』くらいまで言ってくれれば、私も前言を翻すことになったかもしれない。

 

 

 しかし、シンボリルドルフからの反応が無いので私は話を続ける。

 

「……それに現行体制で次期候補が見つかったとしても、『皇帝』であるシンボリルドルフの後を継ぐという重責を背負う訳ですから、そのウマ娘は本人の戦績や資質に関係無しに偉大な傑物であることでしょう。そうした『名生徒会長』のリレーがいつまでも続くとは考えられません」

 

 これは私はその中継ぎ役にすらなるつもりは無いぞ、という暗喩でもある。

 そしてもう自明のことではあろうが、私がそうした『度を越えた優秀な者だけで回る組織』そのものを苦手としていることも伝わっただろう。

 他ならぬ『優秀なウマ娘だけが出れるトゥインクル・シリーズレース』に出ていて世間的には優秀であるトレセン学園生徒の身分で何を今更、という話ではあるが、生徒会は優秀さの純度が違う。

 

 今日からシンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアンと一緒に頑張ろう! って言われて果たして、それをプレッシャーに思わない子がどれだけ居るだろうか。私がそれをプレッシャーに感じるか否かではなくて、そういう雰囲気があるというだけで充分に度を越えている。

 彼女等3人のようなウマ娘は、そうポンポンと輩出されるわけではない。それに能力的には準ずるものを持っていたとしても、そうした者が生徒会を志すとは限らない。優秀さで回る組織というのは、存在するだけで脆弱だと私は思う。

 

 凡人だけでも回る……もっと突き詰めればやる気の無い素人集団だけで回せるような形が理想であると私は考えている。特に生徒会で、高度に専門的な知識や経験を要してはいけないと思うし。

 しかし、それは今の『シンボリルドルフが運営する生徒会』像からは真っ向から対立する。学校運営の長である理事長とも渡り合えて、教職員を飛び越えて理事と生徒会間で連携してスピーディーかつ広範な業務をこなす組織は、私の志向するものには間違いなく……ならない。

 

 ……そうなのだ。

 シンボリルドルフの最終的な目標である『全てのウマ娘の幸せのため』を成就させる前提に立ったとしても、私とシンボリルドルフの考えというのは大きく違うのだ。

 そして何より、私自身はその目標を掲げているわけではないし、シンボリルドルフの意志に共鳴しているわけでもない。

 

 だからこそシンボリルドルフもこう返答をする。

 

「――そうか。君は……私が描く未来の理想像と、私のやり方が乖離している、とそう言いたいのか……」

 

「……ええ。その場合は、私はシンボリルドルフ会長に従えば良いのか、それともシンボリルドルフ会長の『信念』に従えば良いのか、それだけでも取り得る対応が変わります――」

 

 もし、私が本気で『全てのウマ娘の幸せのため』に殉ずるのであれば、最初に取る行動はおそらくシンボリルドルフの生徒会長弾劾だろう。偉大すぎる指導者の長きにわたる君臨は間違いなく次世代の障害となる。誰しもがシンボリルドルフを『会長』として認めてしまっている現状こそ、『次』を考えたときにはあまり健全な状態で権力のスライドが行えるとは思えない。

 このまま『シンボリルドルフ会長』という実像が肥大化していってしまうと、下手するとトレセン学園は生徒会長職を空位にして永久欠番扱いしなければならない、という事態もあり得るかもしれない。すべてはIFの話である上に、私の想像でしかないけれど。

 

 しかし、それはあり得ない未来だ。

 理由の1つは、そもそも私が既存の生徒会を破壊してまで生徒会長の座に付く意志が更々ないということ。だから、そこまで大それたことをやる必要自体がそもそも存在しない。

 というかぶっちゃけ、シンボリルドルフは『全てのウマ娘の幸せ』を希求しているが、私は現行体制でそれなりに満足している。だから変革に関する原動力が無いのだ。

 

 ――そして。

 

「……サンデーライフの意見は拝聴に値するが、しかし……。申し訳ないが――私はそうは思わないな。

 このまま私のやり方を続けたとしても、『次の生徒会長』は必ず生まれると確信している。それが誰であるかはこの際問題ではない。

 私の使命は、この『会長』という役割を次に引き継ぐ者の指針となり得るだけの実績を整備して、そして願わくば『百駿多幸』の精神を継承してくれればと祈っている」

 

「……つまり、私にやって欲しいことは、そうした次世代への道筋の整備……ということでしょうか?」

 

「もちろん、それをやっても良いが……むしろ、君が為すべきことをしてくれて構わない。サンデーライフはきっと、生徒会の不利益になる行動は理由が無くばしないだろうからね」

 

 ……そりゃ、確かに不用意に生徒会の反感を買うことをするつもりは無いけどさ。けれど、ちょっとここで挑発をする。

 

「――では、私の『為すべきこと』というのが『シンボリルドルフ』の弾劾であったとしても?」

 

「ああ。それが本当に『何かの為になるのであれば』遠慮なくやってくれて構わないよ。……ただ、今の私がこの地位を引き摺り下ろされるにはまだ未練が多すぎる。全力で抵抗させてもらうがね」

 

 シンボリルドルフは『皇帝』でも『会長』でもなく『獅子』の目つきで笑う。……思えばこうやって、ナリタブライアンも生徒会に引き込んだのだったな、この会長。

 

「……私の『メリット』が見えてきませんが?」

 

「……色々考えたが、君にとって一番褒賞と思えるものは『生徒会役員である身分』そのものではないかな? 少なくともこれがあるだけでも、取り得る手立ては変わるだろう」

 

 私が重視している『自由度』の拡充という方向性をきちんとカバーしてきていた。実行に移すかどうかはともかくとして戦略的なフリーハンドが増えること、これを私はレースの内外問わず重視している。

 確かに、生徒会という立場を利用すれば選択肢が増えるのは疑いようもない。私の想像以上にシンボリルドルフは私の利益になる魅力として写るものをしっかりと考えてきていた。

 

 

 ――まずは認めよう。私とシンボリルドルフの考え方には、結構隔たりがある。

 立場も在り方もまるで違うからこそ、そういうことが起きる。

 

 私の立場としては集団に異物を入れる行為そのものがマイナスなようにしか見えていないが、一方でシンボリルドルフはそれを視点の多角化として肯定的に考えている。

 私は優秀な『生徒会長』が1代、2代先はともかくとしてその後も継続的に輩出され続けることなど全く信じていないが、一方でシンボリルドルフはそうした『崇高な意志』という血で繋がった偉大な生徒会長のサイアーラインが脈々と受け継がれていくことに疑いを持っていない。

 

 ……これを悲観論者と楽観論者の対立みたいな二項対立で捉えてしまったり、あるいは現実主義と理想主義みたいなイデオロギーで考えてしまうと重大な錯誤を生む。

 

 シンボリルドルフがそういう風に見えるのは、彼女がそのやり方で成果を収めており既に実績を挙げているからだ。

 対して私の視点とは、未経験者が勝手にネガティブに口出ししているということ、それはまず弁えないといけない。少なくともこの話が『生徒会』運営に関わる話である以上は、意見の重みは違うのだ。

 

 勿論、経験ないやつが口を出すな……というところまで飛躍するものではない。

 意見を出す自由度というのは、その意見を却下する自由も内包されて初めて生じる概念なのだから、シンボリルドルフが『私の視点』を求めることが『私の意見を全部鵜呑み』にすることと同一ではない部分はむしろ当然の立ち振る舞いともいえる。

 

 だからこうして、私とシンボリルドルフの意見が対立しているように見えること自体が、まず健全な状態なのだ。

 

 

 で、少なくとも私が先に言ったような大規模な生徒会の制度刷新に全く熱意が無いことくらいは、シンボリルドルフも看破しているだろう。提示されたメリットが生徒会に所属することで受けられる恩恵である以上は、私がむやみやたらに生徒会の機構を大規模にいじること自体がメリットの喪失に作用するので、ある意味では受けられる恩恵を活用して私に釘を刺してきたともいえる。

 このあたりの調整の緩急の使い方は流石に上手い。妥協して落としどころを探るのではなく、私にとってのメリットを維持することがそのまま組織の体制維持に寄与するという在り方は、興味深い手口である。

 

 ただ一方でデメリットもそれなりに大きい。まずは単純なダブルワークによる多忙化。芸能関係やそれ以外の業務を競走ウマ娘としてのトレーニングと並行して行うことは私も葵ちゃんも現行のままでは不可能という判断を既に下している。だからこその葵ちゃんからの引退示唆がかつてあったし、それを私は退けた以上は当面は競走ウマ娘として注力する方針を立てている。

 生徒会所属というのは、まずこの部分に真っ向から対立する。

 

 次に直近で勝利したとはいえ、それでも私はオープン戦勝利ウマ娘でしかない。勿論、競走ウマ娘全体という尺度で考えればかなりの上澄みまで到達はしているものの、一方でGⅠ複数勝利が当然の現行生徒会においては、それでもかなりの見劣りをする戦績であることには違いない。

 個室の貸与自体は、メイクデビュー以前からタキカフェコンビに行われていたので、私が今資料室の管理者を任されている現状についてはある意味先例が存在するものだったが、流石に生徒会所属となると話は変わる。

 確かに私には『王子様』人気があるのは事実。けれど、それだけでトレセン学園の全生徒を心服させているわけではないので、私に反感を持っている生徒だって当然居るだろう。幸い、お互いに棲み分けをきちんとしているからこそ顕在化しない問題であったが、生徒会となって全校生徒と関わるような形になるとそれはちょっと話が違ってくると思う。そうしたときに誰の目にも明らかな『戦績』という形の暴力で反論を封殺することが出来ないのは厳しい。

 

 何より……私とシンボリルドルフの目的地が違うのだ。

 私は別に何かを変革しなくても、今のままの体制が存続することで充分である。この『体制』とは生徒会組織のことではなく、もっとざっくり現在の『社会体制』……あるいはウマ娘と人間の関わり方とでも言うべき代物だろうか。

 シンボリルドルフの言葉を借りるのであれば、現状で私はそれなりに『幸せ』なのだ。だから現行体制を作り上げた人物の中に『シンボリルドルフ会長』が含まれている以上は、その恩恵を受けるものとして尊敬はするが、逆に言えば私は更なる変革をそこまで求めている訳ではないのだ。

 

 そして。ここのギャップが恐らく埋まることは無いだろう。

 

 

 ……うん、ハイリスクだ。だからやっぱり、このシンボリルドルフの提案を受けることは――出来ない。

 なので断る方向へシフトするが、しかし断り方もちょっと工夫を凝らす。

 

「……申し訳ございません、シンボリルドルフ会長。光栄ではありますが、この一件、お断りいたします」

 

「……そうか、残念だ。……後学のために、何故か聞いても良いだろうか?」

 

「――シンボリルドルフ会長が、この話の最初に切り出した内容がまさしく、でしょうか。ウマ娘ボールでの『景色』……あれが、会長ご自身の中でも『答え』に近しいでしょう?」

 

 抽象的な言い回しである。しかし、その意図をシンボリルドルフはしっかりと汲み取った。

 

「……テイオーを次期生徒会長に据える、ということか――」

 

「将来的な話であって、未来の可能性の1つにしか過ぎないことだとは思いますが……。他ならぬ『皇帝』が『ティアラの帝王』に禅譲を行うとなれば、困難であれど不可能とは言えないでしょう。競走成績の面では現時点でも申し分無いですし。

 その時に向けて必要なのは、きっと私ではなく――トウカイテイオーさんを支え得る人物ではないでしょうか?」

 

 

 『崇高な意志』という血で繋がった偉大な生徒会長のサイアーライン。これの適任者はまさしくトウカイテイオー以外には存在しないと言えよう。

 『生徒会の継続性』に主眼を置く考えはあくまでも、自分がその組織に身を置く前提にあってこそ生じるもの。シンボリルドルフがその点を譲らないというのであれば代替案は提示するし、生徒会内部に私が居ないという前提の下であれば別に組織体系がどうなっていようと構わないからこそ、こうした提案を行える。

 

 まだクラシック級ウマ娘であるトウカイテイオーの現役期間は史実と照らし合わせたとしても2年は存在する。しかも、この世界ではトウカイテイオーの負傷自体が発生していないから、もしかすればあるいはもっと長い現役生活を送ることになるかもしれないし、更にその後に年間数戦という形で細々と出走する調整も彼女なら出来ると確信している。

 だからこのテイオー会長案は、中長期的な視野に立った計画の話だ。

 

 

「……そのテイオーをも、君に支えて欲しいというのは、傲慢か?」

 

「傲慢ではないでしょうが、それはお節介が過ぎるというものですね。

 少なくとも、トウカイテイオーさんと並び立つ者は彼女自身が決めるべきことかと。……それではまるで、欲しいものを何でも買ってあげる駄目な『父親』みたいじゃないですか――」

 

 私から開示できるギリギリの情報を冗談の旋律に乗せて放つ。それを言われたシンボリルドルフは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、そして彼女が出していた威圧的なオーラが消える。

 そして、夕焼けすらもただの背景に貶めるような零れんばかりの笑みを隠そうとしているのに隠せない様子で語った。

 

「……くくっ。サンデーライフからしてみれば、私はトウカイテイオーの父親か! これは痛快無比だ! そうか、確かに親からあれこれ指図されるというのはテイオーも嫌がるかもしれないな――」

 

 トウカイテイオーにとっての私の認識は『ウマ娘ボールでカイチョーと一緒に居たおねーさん』である。トウカイテイオーにとって近しく未来を共有できるウマ娘とは誰だろうか。メジロマックイーンを始めとするアニメのスピカの面々、それとも同室のマヤノトップガン? あるいは、同期組のナイスネイチャやツインターボも該当しそうだし、はたまたテイオーを強く慕うキタサンブラックという線もあり得る。

 あるいはこの世界には史実シンボリルドルフ産駒である『ヤマトダマシイ』という現役ウマ娘の存在もある以上、私では全く予想だにしない関係性が構築されている可能性すらある。ディープインパクトをテイオー生徒会に招き入れるってことだってあるかもね。

 そうした者たちを集めて全く新しい生徒会が構築されるかもしれないし、あるいは生徒会長という肩書きを継承せずとも何かをやってのけそうな『期待』を抱かせるウマ娘こそ、トウカイテイオーなのだ。

 

 未来における可能性というのは大きく広がっている。それは決して無限大ではないにしろ、トウカイテイオー自身の裁量でいくらでも広げていけるものであり。

 そしてそこから先の話は私やシンボリルドルフの物語ではない――トウカイテイオーの物語だ。

 

 

「……私はどうにも大器晩成型のようですので、まだ数年は最前線を走り続けることを優先するかと思いますし、仮にその後だったとしてもシンボリルドルフ会長と『共に』あることは無いでしょう」

 

「……そういう意味でも『ウマ娘ボール』の景色の価値を……私は再認識するよ」

 

「そこまで言ってもらえると、私としても嬉しいです。……ですが、トウカイテイオーさんにトウカイテイオーさんの物語がありますように、私にも私なりの物語の形――というものはありますので」

 

「……そうだな」

 

 

 生徒会入りを断るだけならば、ここで話を終わらせても良かった。

 だから、ここから先は正真正銘のお節介。

 

 

「私もトウカイテイオーさんも……まだ何も物語は始まっておりません。

 ……そして。それはシンボリルドルフ会長――あなたも同様です」

 

「……私もか?」

 

「はい。セントライトやシンザンの名を冠したレースがGⅡ、GⅢ止まりであるのに対して、安田伊左衛門や有頼寧の名を冠したレースがGⅠなのは、何故でしょうか?

 ――あるいはこう言い換えても良いでしょう。URAという組織が『三冠』という偉大な戦績よりも重要視しているものが確実に存在していて、この国のこれまでのウマ娘はその『GⅠタイトル』そのものという称号を未だ誰も手にしておりません――」

 

「……っ、サンデーライフ――まさか君は」

 

 私は今日の話の中で初めて動揺をみせたシンボリルドルフを意図的に無視して話を続ける。

 

「――不思議ですよね? 洋を隔てた遥か彼方の島国ではウマ娘の名を冠したレースがGⅠとして登録されている例もありますのに……」

 

 サンダウンレース場にて開かれる芝の約2000m競走『エクリプスステークス』。これはイギリスのGⅠレースである。

 しかし、ウマ娘にて存在するセントライト記念はGⅡでシンザン記念はGⅢ。あるいは競走馬側の歴史においては、GⅡ・弥生賞にはディープインパクト号、GⅢ・共同通信杯にはトキノミノル号の名が副題として使われていたり、過去にはクモハタ号やカブトヤマ号の名を冠したレースもあったが、それらを含めてもやはりGⅠレースは存在しない。

 

 競走馬においては、概ね戦績とリーディング成績の両面を考慮して付けられていると推察できるが。

 

 一方でウマ娘の場合、人間と同じ生き方を選択出来ることから別の結論を見出すことが出来る。

 安田伊左衛門とは戦前からウマ娘レースの振興に努めた軍人であり、東京優駿大競走――今の日本ダービーを主としてレース興行を整備してクラシック級のGⅠレースの雛型を作った人物であり、URAの初代トップ。

 有頼寧は安田の後任のURAトップを務めあげていて、彼はウマ娘レースの門外漢であったがそれを逆手に利用して、ライト層への注目度を高める戦略でウマ娘レースを今日のような国民的なイベントでかつ最大規模のスポーツの祭典への地位に押し上げるきっかけを作った人物である。レースの実況放送であったり、あるいはファン投票による出走ウマ娘の選定といったトゥインクル・シリーズの『グランプリ』レースの祖でもある。

 

 これら2名の先人が、今日の『安田記念』と『有記念』という2つのレースを背負うのに値する人物であることは疑いようもない。

 ただし、それは同時に――

 

「URA……あるいは、トゥインクル・シリーズの興行そのものに大きな変革をもたらした『ウマ娘』は未だかつて存在しない、ということか……」

 

「……正確に言えば、URAの内部はそう考えているということになります。ウマ娘の身でありながらレース体系の根幹から変革を行う――いえ、レースという枠組みすら超越して『全てのウマ娘の幸せのため』に己の生涯を捧げる者が、もし居れば。その人物の名は、新たな意味での『GⅠウマ娘(・・・・・)』として未来永劫刻まれることになるでしょう。

 ――敢えて明言しましょうか。私は『シンボリルドルフ』というウマ娘を、高々1学園の生徒会長ごとき(・・・)で終わってしまう人物だと思いたくはありません」

 

 史実シンボリルドルフ号が『名馬メモリアル競走』や『追悼競走』としては名が挙がるもののレース名として組み込まれなかったのは、種牡馬としての競馬界への貢献度合いを鑑みてのことだろう。しかし、ウマ娘世界においてはその概念が存在しない以上は、彼女の名が『エクリプスステークス』になぞらえるように『シンボリルドルフステークス』みたいな形で重賞競走になる未来もあり得るし、それが生前に贈られる可能性だってあるのかもしれない。

 

 ……学生でなければ、トゥインクル・シリーズレースに出走できない? 確かにこの世界において『今現在』はそうだ。だが、興行規則を遵守する側ではなく制定する側に立てば、話は一変する。

 これまでのように年間数戦の出走を行うために学園に所属し続けることを必須要件としなくても良くなるのだ。勿論、あくまでも体裁的には学生スポーツであるウマ娘レースを、その枠から解き放つことは功罪両方の側面がある話であり学生の青春に思いを馳せる人たちからすれば受け入れがたいというのも事実。何が良くて何が悪いかなんて分からない。けれども、変えようとする意志を否定することは誰にだって出来ない。

 

 これは私の勝手な考えであり、お節介と同時に押し付けだ。けれども、そんな『シンボリルドルフにこうあって欲しい』という独善すらも内包してこの世界では次のように呼ぶのであろう。

 

 

 ――『想い』と。

 

 

「……まさかサンデーライフを生徒会に入れようとしたら、君からはURAや政界入りを薦められるとは思いもしなかったよ。

 だが……そうだね。サンデーライフ、君の『想い』はウマ娘・シンボリルドルフとして、しかと受け取った。遥か未来の話になることだろうが、それでも私の信奉する世界に少しでも近付くようにあらゆる手立てで尽力することは確約しよう――」

 

 

 この日のシンボリルドルフとの『散歩』が結局どのようなことに波及するかは知る由もない。

 ――この世界に生きるウマ娘の未来のレース(・・・)結果は、まだ誰にもわからないのだから。

 

 

 けれども1つだけ言えることがあるのならば。

 未来へのファンファーレは、この時に鳴り響いたのかもしれない。



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第86話 夢の『おわり』へ向けて

 シンボリルドルフとのお散歩は、結果的には本当にただのお散歩になった。だから、あれを経て今のところは何も変化はない。

 

 けれども表面的な変化が無いことは、停滞を意味するわけでは必ずしもない。とはいえ、表層から激変を繰り返している私が言ったところであまり説得力はないかもしれないけどさ。

 

 改めて言うことでもないとは思うが……何だかんだ私は最初の頃から変わったとは思っている。それがどういう変化かを端的に言うのはちょっと難しいが……『視野が広がった』とでも言えば良いのかな。あるいは、余裕が出来たとも言えるかも。

 

 

 前走・信越ステークスの勝利は、最初期の私では考えられない勝利であった。……いや、勝利以前にそもそも出走判断の時点から当時の私では考慮すらしなかっただろう。

 たくさんの人の『想い』を今の私は背負っている。その『想い』の力が私を強くする……とまでは言わない。それだけで勝てるなら一番人気の子がずっと勝ち続けてしまうのだから。『想い』の量や質に比例して強くなるものではない。

 

 でも。私が今でもこうしてトゥインクル・シリーズで走り続けている『事実』の方には、少なからず『想い』があったからこそなのだろう。

 アイネスフウジンの『想い』が無ければ私は信越ステークスに出走していなかったように。

 共に走るウマ娘たちとの『想い』が無ければ、きっと私は宝塚記念の後に引退していただろう。

 ファンの『想い』が無ければ、その宝塚記念に出走することも叶わなかった。

 そして、葵ちゃんの『想い』が無ければ、私はきっとGⅠに届く前に早々とトゥインクル・シリーズに見切りを付けていたと思う。

 

 

 まあ。何が言いたいかと言えば、レースってやっぱり楽しいってことかな!

 ……文脈が繋がってない? 楽しい時の人間の思考回路なんてそんなものでしょ。ロジックを巡らせて楽しいこともあるけれど、理由なんて無くても楽しいってことはあるし、それを下手に理屈で理解しようとするとかえってつまんなくなることすらある。

 

 そりゃ前にも言ったけれども、理屈でガチガチに固めるタイプな私だけどさ、感情的に動くことだってあるもん。

 

 

 ということで、そろそろ前走・信越ステークスから1ヶ月程度経つので葵ちゃんとともに次走の選定作業に入る。この作業をするとき、いつもハッピーミークは自主トレをしているけれども、これって葵ちゃんとハッピーミークが示し合わせてくれているのかな。そうだったら申し訳ない。

 

「どうでしょうか、葵ちゃん。直近ですと11月末のGⅢ・京阪杯がスプリント路線ですし、あるいは12月に入れば待望の長距離路線である3600mのステイヤーズステークスもありますが……」

 

 というか11月後半のレースはまた重賞供給不足の時期に突入しておりGⅠ以外のトゥインクル・シリーズ重賞レースの内、シニア級が出走可能なのは京阪杯のみである。

 え、GⅠ? マイルチャンピオンシップやジャパンカップに出ろ、と? ……ナイスジョーク。

 

 というか何ならステイヤーズステークスも、史実メジロブライト号の勝鞍だし、今までの対戦相手の中でもゴーイングスズカやエルノヴァなどと再戦となる可能性がある。まあ京阪杯も距離変更前の中距離時代には、イクノディクタス号が勝ったりしているからもう逃げ場がほぼ無きに等しいんだけどさ。

 

 しかし、葵ちゃんはにこにこしたまま私が次走に悩む姿を眺めている。

 

「……どうしました、楽しそうですね葵ちゃん? って、前にもこのレース選定の時間が好きって言っていましたっけ」

 

 確か担当ウマ娘とまるでトレーナー同士でするような話が出来るとは夢にも思わなかった、みたいなことを前に言っていた気がする。障害競走の連闘前のときだったっけ。

 

「あ、えっと、それもあるのですが……。

 12月の話をするのであれば、サンデーライフにぴったりのレースがあるじゃないですか! それをど忘れしてしまっているのが可愛いなあって……」

 

 ……この葵ちゃん、段々私の口先話術がうつってない? まあ付き合い長いから口調が少しずつ寄っていくことはあるかもしれないけれども、よりにもよって相手によっては人を誑かせているように見える私のそれが似るのは、ちょっと思うところがある。というか私は意識してやっているものを、無意識に出してくるから葵ちゃんもハッピーミークも底知れなさがあるのよね。

 

 でも、これはこれで面白いから私は指摘しない。私だけにそういう口調をして……みたいな独占欲まみれの言動もする気は無い。

 私の次の担当の子の恋愛観が実に心配になるけれど、実際しばらく私は引退するつもりが無いから、この調子でどんどんと感性がバグっていくだろう、きっと。

 

 ……まあ、そんな葵ちゃんに私が本気で恋に落ちる日が来たら。その時は……きっと再びの『関係性の再構築』を迫ることになるだろう。

 案外、担当ではなくなって私が卒業したとしても、普通に友達やっている感じもあるけど。

 

 あるいはそのまま疎遠になって思い出となってしまうこともあるかもしれない。それもまた人との関わり方の1つの形としてはあり得ることで……未来は不確定なのだから。

 

 どんな結末が訪れるとしても、あの時は楽しかったと言えるような……そして願わくば今日これまでに関わってきた人たちのことを死ぬまで忘れずに覚えていられるような鮮明で輝かしい日々を毎日刻んでいくことこそが、私に今できることである。

 

 

 ……と、まあ。ここまで良さそうなことを考えて思考放棄していたけれども、肝心の葵ちゃんの問いかけであるところの『私にぴったりのレース』というのがどうにも心当たりが無い。

 

「まさか、宝塚記念以来のグランプリレース――ファン投票を利用して再びのGⅠの舞台、有記念を狙えなんて言わないですよね?」

 

 今年の有記念は既にディープインパクトとトウカイテイオーの出走がほぼ確定している状態で、そこに私達の世代や更に上の世代がシニア級の本流路線として更に加味される状況……端的に言えば私が出走したときの宝塚記念の面々に先のクラシック級の2人が追加されるような盤面である。

 そして、宝塚のときのようなメンタルトレーニング、みたいな理由はもう無い。実力が伸びてきているとはいえ、あまりにも時期尚早だ。

 

 このカマかけに葵ちゃんは次のように答えた。

 

「いや、部分的には合っていますね。

 そう――『グランプリ』。サンデーライフ、もう一度よく自分のこれまでの行動を見つめ直してください。

 ……年末のグランプリ。有記念以外に心当たりが1つ……ありますよね?」

 

 

「……ああ、そういうことですね葵ちゃん。ふふっ、まさかここでこのレースの名が出るとは夢にも思いませんでした。

 

 ――『名古屋グランプリ』、ですか」

 

 

 そう言えば葵ちゃんは大きく頷いた。

 ローカル・シリーズの地方交流重賞で格付けはJpnⅡ、そして名古屋レース場のダート2500mのレース――それが名古屋グランプリ。

 

 かきつばた記念での落鉄という雪辱を果たすための再びの『名古屋』の舞台。

 

 ……何より。

 クラシック級2月のとき――実に2年近く前から一般向けには私の『目標レース』としてずっと周知されていたレースである。

 

 あの時、私は中央から出走可能なダート重賞の中で最長のレースという、私の適性を鑑みたときのそれっぽさだけで選んだレースでしか無かったが、ここに来て葵ちゃんはそのリップサービスの域を出ないはずだったレース名を、シニア級1年目の最後の総決算に位置付けてきた。

 

 ……でも。言われてみれば確かに。

 ジュニア級から始まった3年間の旅路を締めくくるレースとしてはこれ以上に私にとって相応しいものも無かった。

 

 勿論、これから先もレースに出続けるつもりではあるけれど。さりとて3年間というのはやっぱり1つの節目ではある。学生という意味合いでも『3年』を一区切りと捉えるのが一般的だろうし、あるいは何だかんだ言ってもアプリの育成期間が3年間という部分にも準拠する話でもあろう。

 

 だからこそ葵ちゃんからも。

 

「……『名古屋グランプリ』が終わったら、一度簡単に今後についてお話しましょう! 去年は阪神での障害レースの後に控え室でやってちょっと慌ただしくなっちゃったので、きちんと落ち着ける場所を取りましょうか」

 

「おおー、葵ちゃんも事前にアポイントを取ってくれるようになるとは成長しましたねえ。となると、『名古屋グランプリ』の具体的な日程はどうなるでしょうか……って、わお」

 

 

 タブレットに事前にダウンロードしてあるURAおよび全レース組合の日程情報のpdfファイルから、愛知県のレース組合のものを開いて今年の4月に公示された本年度の年間興行を見直す。

 ローカル・シリーズレースの交流重賞はトゥインクル・シリーズとの差別化のために平日もしくは土日以外の祝日に開催されることが多い。なので、日程の選択幅がそれなりにある。

 

 だからこそ、この『名古屋グランプリ』の日程は偶然か、あるいは必然か。

 

 

 そこに書かれていた日付は――12月24日。クリスマス・イヴであった。

 

 今年最後のレースが対外的には私の目標レースでクリスマス・イヴに実施される……いやー、流石に出来過ぎた話なんだけどさ。アプリの2020年ルールからは外れているけれど、あれって厳密な基準という訳でも無いからなあ。

 別の側面から見れば、実際のところ史実の名古屋グランプリも24日開催は何回かあったから、全くあり得ない話でもないわけで。

 

「……ということは、葵ちゃん? 面談は翌日のクリスマスの夜とかになりますかね? どうせ年末ですし冬休みに入っていますから、1泊は実費で泊まって名古屋で3泊しましょうか?」

 

 本来では23日現地入りで24日レースで、25日が移動日……なのだけれども。25日に慌ただしく新幹線で移動するくらいなら名古屋でもう1泊するのもありかもしれない。そこで腰を落ち着かせてゆっくり葵ちゃんとクリスマスのディナーを楽しみながらの今年の振り返りをする……どうだろうか。

 

「……良いですよ。なら26日は私も有休を取って完全に休みにしちゃいますね。それとサンデーライフの分の1泊分のホテル代は私がお支払いしま――」

 

「……ダメ、です葵ちゃん。でも……その代わり。

 素敵な聖夜を期待していますよ、ね?」

 

 今年のクリスマスは葵ちゃんを独占しちゃいます。どんなディナーを用意してくれるのだろうか。

 ……まあ、ハッピーミークに事前説明はするけどね。

 

 

 

 *

 

 12月24日の名古屋グランプリに向けて情報収集を行う。このレースの格付けはJpnⅡ――厳密には異なるが、大雑把に言ってしまえばGⅡ相当である。

 しかし、私はGⅡの出走経験は皆無。重賞レースの出走は唯一宝塚記念を除けば全てがGⅢ、ないしはJpnⅢのレースであった。

 

 だからレベルの高い相手が来るかもしれない。勿論、年末にはGⅠがひしめいているからかなり分散されると思うが、今回は出走登録を行う前に、既に動向を明らかにしているウマ娘も多いので、このダートの舞台に来そうな有力ウマ娘をチェックしていく。

 

 

 まず日本最長のダート重賞ということで、兎にも角にもこの世界で競合したら一番ヤバそうな雰囲気があるのは、メジロマックイーン。春の天皇賞だけかっさらってさっさとダートに舞い戻ってきたこの『ダートの名優』は、テイエムオペラオーが獲得した秋の盾には目もくれずに金沢の白山大賞典からJBCクラシックという地方ダートの中距離路線ローテを邁進していたので最も怖い相手である。まあJBCクラシックは落としていたが。

 そんなメジロマックイーンの次走予定は既に公表されていて――東京大賞典。

 ……セーフだけど、トウカイテイオー出走がほぼ確定している有に行かないんかい!

 

 更にダートの長めの距離でヤバい相手と言えば、スマートファルコン。メジロマックイーンとのJBCクラシックの激闘で1着を取った相手がこのウマ娘である。地味に私とぶつかったかきつばた記念の2レース後の帝王賞でもマックイーンと対戦経験があるんだよね。そこではフリオーソが勝利していたが。

 そのJBCの後にJpnⅡの浦和記念を直近で挟んだ後に12月に出るレースの予定は――東京大賞典。こっちもセーフ。

 

 で、名前が出てきたので連続して見ていくがマックイーン・スマートファルコンのダート界の2強……かと思いきやそれを破ったフリオーソもまた、次は東京大賞典の予定であり、神回避が連続する。

 

 そしてスマートファルコンが出たなら同じかきつばた記念出走組としてアグネスデジタルも忘れてはいけない。デジたんは宝塚記念でも一緒に走ったが、その後は日本テレビ盃でスマートファルコンとも再戦を果たしたり、JpnⅠのマイルチャンピオンシップ南部杯で私がかつて戦ったトウケイ姉妹を始めとする盛岡勢に揉みくちゃにされたり、秋の天皇賞では史実と1年ずれの完全体オペラオーと激突したために惜敗したりと、物凄いドラマを産み出していた。

 そんなデジたんの12月レースは――有記念。まあGⅠ行くよなあ。

 

 そしてデジたんが揉まれた盛岡の刺客であるトウケイフリート・トウケイニセイ姉妹。クラシック期に鳳雛ステークスで私がボコボコにされた相手である。あの頃は歯が立たなかったが、今なら……いやー厳しいねえ。そして地方所属ウマ娘は『地方他地区所属』枠で中央トレセンとは別枠で出走枠が確保できるのでかなりの怖さがあるが、そんな2人も運よく出走予定をSNSで出していた。

 曰く――地元の『桐花賞でメイセイオペラ会長に挑む』ということ。桐花賞とは盛岡トレセン所属ウマ娘限定のファン投票のグランプリレース。向こうの有みたいなやつである。良かった、地元でヤバい決戦をやってくれるならそれは助かる。

 

 また、デジたん繋がりでもう1人――クロフネ。実は私の同期で昨年のマイルチャンピオンシップの覇者である。……まあ昨年クラシック期に秋の天皇賞に出られなかったわけだが、私の同期の魔境に飲まれたために単純に収得賞金が足らなかった形である。ある意味、アグネスデジタル育成イベントと同じ形よね。

 ただしクラシック期に引退することなくそのまま現役を続行する形で今年の秋の天皇賞には無事出走できた。……まあアグネスデジタル共々、完全体オペラオーにボコボコされたわけだけど。

 で、そんなクロフネは――マイルチャンピオンシップの2連覇を狙うとのこと、セーフ。

 

 更にかきつばた記念組でもう1人、メイショウモトナリ。落鉄騒ぎで完全に結果が私の頭から飛んでしまっていたが、あの時スマートファルコンに続く2着であった実力者である。

 とはいえ彼女はどちらかと言えばダートのスプリント路線のウマ娘だから『名古屋グランプリ』では競合する恐れは薄いだろうと思いチェックしたら――名古屋グランプリの1日前に行われるJpnⅡのダート1400m・兵庫ゴールドトロフィーで距離は予想通りであったが、日程とグレードはかなりニアミスしていた、危ない。

 

 ダートが走れるという意味合いではアイビスサマーダッシュで出会ったタイキシャトルも長距離に来る懸念は少ないが、来たらヤバい相手ではある。しかし彼女は本年の出走予定をアイビスサマーダッシュ以降は公開していなかったし出走もしていない。……まあ史実ローテは終わっているから、年間数戦の調整をあそこに合わせてきていたのかもしれない。来年以降は海外の直線レースを再び狙いに行ったりするかもね。

 

 あるいは上の黄金世代でダートが走れる相手となると……エルコンドルパサーか。黄金世代は謎に私への評価が高めなので、万が一を鑑みてチェックするけど……やっぱり有記念だった。

 

 逆に私の同期で芝・ダート兼用ウマ娘なら、オグリキャップが居るけど彼女は去年の有覇者だから、今年も必然――よし、こちらも有記念。

 

 後は、路線変更があるかもだし昨年の東京大賞典組も一応見ておこう。確かマックイーンが3着だったはず。

 1着、カウンテスアップの12月の予定は公開……されている。彼女の次走は南関東所属ウマ娘限定の東京シンデレラマイル……って東京大賞典じゃないじゃん! 南関東のレースに行っていたから良かったけどさ、東京シンデレラマイルは12月30日開催だから日程的にはワンチャンこっちに来ることもあったことを鑑みると、首の皮一枚だ。

 それで2着はアブクマポーロか。……良し、こっちは普通に東京大賞典だった。

 

 ということは、今まで一緒に走ったことがあったり、あるいはその関係者近辺でダートで長距離走れそうな子は大方見繕った。

 他の子は、まだ予定の出てない子たちも多いけれども……これは決めて良いだろう。

 

「行きましょう。私達の『夢』――『名古屋グランプリ』へ」

 

 

 そして翌月――12月の半ば。

 クリスマス・イヴの『名古屋グランプリ』に出走申込をした中央所属のウマ娘が掲示された。地方ウマ娘も含めた全体メンバーを含めた出走の確定は直前に行われるので、そちらはギリギリまで窺い知ることは出来ない。

 

 その中には、関わりがよくあった見知った子の名がまず1人、インディゴシュシュ。

 私が勝利した1勝クラスのレースにて、加害ウマ娘として審議対象となった子。あの時、審議結果が出るまで出走した全員で彼女に寄り添っていたが、確かに私はあの子に励ます意味も込めて勝利した者の責務として、こう告げた。

 

 ――インディゴシュシュさん。次はオープン戦で会いましょうね。

 

 ……彼女はあれから1年以上かけて、本当に約束を履行しに来たのである。地方重賞だからオープン戦よりも格式は上だけど。

 

 

 うん、これ自体はとても良いことだ。

 ……問題はここから先。同じように中央からの枠を使おうとしているウマ娘の名前がもう2人。

 

 ヴァーミリアン。

 そして――ハルウララ。

 

 

 いやー……ヴァーミリアンも充分ヤバいんだけどさ。

 ここで来ちゃったか、ハルウララ……。

 私以上の特異点の存在。

 

 そうだよね、アイネスフウジンと私の間にある種の特別な関係があったようにさ。

 葵ちゃんには、ハルウララのトレーナーさんとの関係があったねえ。そしてハッピーミークは意図的にハルウララにぶつけていたのに一向に私は来ないとなれば、ハルウララも気にはするよなあ。

 しかも、同室のキングヘイローが私と走っているとなれば余計にだろう。

 

 

 でも。

 2年前、画面の向こう側で有を勝った相手――この世界で『相手が全世代だった』ことを真に知らしめたハルウララこそが、私のこれまでの旅路の総決算となるというのは、ある種必然なのかもしれない。



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第87話 シニア級12月後半・名古屋グランプリ【JpnⅡ】(名古屋・ダ2500m)

 名古屋グランプリへの中央からの出走予定メンバーが内定して私が最初に行ったのはインディゴシュシュに会うことだった。メッセージアプリで連絡を取って、彼女のトレーナーさんのトレーナー室で面会することとなる。……まあ、向こうのトレーナーさんは警戒するよねえ。

 

 思えば他者のトレーナー室に行くのは初めてかもしれない、そう思いながらちょっとドアを開いてからのノック。そうしないと音が響かないからね。

 とはいえ、事前に訪問する時間も伝えていたので既にお茶も用意されていて、部屋もきちんと整理されていた。

 

 一応、来る前に軽くインディゴシュシュの三条特別後の出走歴は確認している。見た感じIFローテ……というか、恐らく名前に聞き覚えの無い点も含めてやっぱり彼女は私の知る競走馬の魂を有するウマ娘ではない――いわゆる私と同じモブウマ娘というやつだろう。1勝クラスの突破にクラシック期の秋までかかり、2勝クラスはシニアの冬、3勝クラスで勝って晴れてオープンクラスになったのだって今年の夏であり、まだオープン戦を2戦程度しかこなしていなかったのにも関わらず、JpnⅡである名古屋グランプリへの出走を決めていた。なのでオープン戦での優勝歴も無い。

 

「……まさか、三条特別での『約束』がこのような形で叶うことになるとは思いませんでしたね」

 

 いくつか二言三言、話をしてから『名古屋グランプリ』への出走の真意を聞きだす。インディゴシュシュはあっさりと答えた。

 

「来年の名古屋グランプリには私はきっと出走できないからですよ。ですから今年のこのタイミングしかありませんでした」

 

「……え?」

 

 聞けばインディゴシュシュはほぼ成長のピークを迎えているようで、すぐに衰えることは無いものの、流石に来年の名古屋グランプリまでは待てないだろうということであった。

 外から見たときに私の出走予定を読み切るのは至難の業だし、しかもここのところずっと芝の短距離路線を走っていたからダート戦に出る予測すら立たなかっただろう。そんな中でダートウマ娘であるインディゴシュシュとしては一筋の光明であった『名古屋グランプリ』を選択せざるを得なかったということだ。

 

「……それに、サンデーライフさんとの約束を果たすためではなく自分のためでもありますよ? ……ここ(・・)で走れない実力になっても地方で走り続けるつもりですので、『名古屋』はその候補の1つ……ということでもありますから――」

 

 ああ……駄目だ。彼女の目は覚悟を決めた子のそれであった。オープン戦勝利を挙げられる貴重なピーク期間を――JpnⅡという彼女にとっては絶望的なレースを選択してまで出走表明していた。私との約束を履行するために。

 ――思えば、宝塚記念のとき。インディゴシュシュは私の勝負服イメージについて『教会のシスター』を挙げていた。

 

 私にとってもあの『審議』は大きな出来事の1つだったが、当事者であった彼女にはもっと大きなものであったのだろう。

 ……ああ、なんて重たい『想い』なのだろう。彼女にとって最早、勝利よりも私との再戦の方が重要なのである。最も自分が力を発揮できる一戦を私との対決のために、位置付けていた。

 

 ――私が。私が彼女のために出来ることは。

 かつての勝者として、彼女の『挑戦』を受け取ることのみ。

 

「……なるほど。分かりました。

 では、当日は――良い勝負にしましょう。インディゴシュシュさん」

 

「はい、よろしくお願いしますサンデーライフさん」

 

 

 そして。私はこれから先のレースでも、同様の経験を幾度となくすることだろう。

 でも……ううん。だからこそ、立ち止まれない。

 

 

 

 *

 

 インディゴシュシュの想いを理解した私は考える。

 

 

 まずヴァーミリアン。史実ではディープインパクトと同世代である彼女は芝での成績不振からダート転向を行い成功、そのままの勢いでクラシック級ウマ娘でありながら名古屋グランプリへの出走を志してきた。そんな史実ヴァーミリアン号は『ダート競走獲得賞金額』の史上最高額の記録を有している競走馬で生涯賞金は何と11億円オーバー。私の適当目標の3億円すら遥かに隔絶する相手。

 しかも名古屋グランプリの勝鞍があるという、史実から鑑みればどう見ても最有力候補だ。

 ただし、未知数な点が1つだけ。史実におけるヴァーミリアンのクラシック期名古屋グランプリは、出走表明こそしていたが降雪によって中止されている。だから結果が存在しないレースなのである。

 

 

 ただし、この世界における本命という意味では、ハルウララだろう。今年はドバイシーマクラシックの後の出走がなく、2連覇していたJBCスプリントすらもスルーして名古屋グランプリを急襲してきた。

 有ウララであり、昨年にはステイヤーズミリオン対象レースに出走したイギリス遠征歴すらもある彼女は、この世界においてはダートの最有力スプリンターであると同時に芝のステイヤーとしての名声も高い。

 名古屋グランプリの2500mという距離設定は紛れもなく、有記念と同じ距離。正直絶望感しか無いが、さりとて気になる点はある。トレーナー室に行ったタイミングで葵ちゃんにも確認を取る。

 

「ハルウララさんのダート出走歴で最長レースは、2年前のエルムステークスの1700mのマイル戦ですよね?」

 

「はいっ! 芝では4000mに出走していましたが、ダートではそれが一番長いです」

 

 ハルウララはダートでマイル戦以上の経験が無い。いやまあ、私もダート最長距離経験は未勝利戦のテイエムオペラオー戦の京都1800mのマイル戦が最長だけどさ。

 障害ダートを含んで良いなら阪神2970mなんてのもあるけれど、障害レースのダート区分ってぶっちゃけ最終直線だけがダートになっているって意味だしね。障害競走の走路は基本芝だからこれをダート経験に含めていいのかは微妙だ。

 

 だからあんまり大差無い……と思いきや、気になることはある。

 だって2410mのドバイシーマにおいてハルウララは最下位であった。たった10mとはいえ、それはウマ娘の距離区分で言えば『長距離』レースに分けられるはずだったのにも関わらず。長距離適性を有しているのは間違いなく、有やステイヤーズミリオンなどからもそれは明らかな一方で、明確な中距離レースには芝・ダート双方ともに一度も出走していない。

 何が言いたいのかと言えば、このハルウララはいまいち適性に関して言えばウマ娘アプリの額面通りに受け取りにくい相手でもあるのだ。徹底してダートではマイルまでしか走らなかった、あるいはトレーナーさんが走らせなかったことに、もしかしたら理由があるのかもしれない。望みがあるとすれば、その部分だ。

 

 脚質で見ればヴァーミリアンもハルウララも明確に差し傾向が強い。だからこそ逃げのインディゴシュシュがレース展開を担う可能性が高いだろう。

 で、名古屋レース場のスペックを確認すると、まず2500mの発走地点は実は1400m発走場所と同じホームストレッチのポケット。つまり、かきつばた記念とスタートの位置は一緒なのである。これは明確に私のアドバンテージとなる部分だ。

 何故そうなっているのかと言えば、名古屋レース場の1周がぴったり1100mだから。トゥインクル・シリーズ開催レース場と比較してしまえばかなりこじんまりとまとまったレース場である。そのためホームストレッチ側の直線は3回走る形でレース場を2周する。

 

 で、こじんまりとしている以上、カーブがかなりキツいし最終直線も改めて数字を出すが194mしかない。1ハロン以下だ。

 こうなれば基本的には前に居る方が圧倒的に有利になる。少なくとも最下位から追込でごぼう抜きなんてのは難しく、終盤に入るまでにある程度高めの順位に付けておかないと間に合わない。……考えれば考える程に、かきつばた記念で出遅れて取り返せなかったのが当然と思えてくる。

 

 ……うーん。これ、どう考えても『大逃げ』や『逃げ』は警戒されているよね。芝ではあるけれども3400mで大逃げしちゃっているし、距離が長いからって警戒を緩和はしてくれないだろう。意表を突くなら直前の発言と完全に矛盾する『追込』選択という候補もあるけど……ヴァーミリアンとハルウララとの差し脚勝負になるし、そもそもハルウララ同室のキングヘイロー相手に追込を見せているので、今回はちょっと考慮外かも。

 

 まあ無難ではあるけれども『先行』かな、うん。

 

 

 そんなことを考えていると。葵ちゃんが私に向かってとんでもないことを言ってきた。

 

「……サンデーライフ? 作戦ですが……考えなくても良いのではないでしょうか?」

 

「……へ? えっ、葵ちゃんそれジョークか何かの類です?」

 

 まさかのレースに作戦は不要とも取れる、トレーナーにあるまじき発言が飛び出た。流石に私もびっくりする。

 

「いえ――本気ですよ。だってサンデーライフは、もうレース中に展開と位置取りなどから適宜作戦を変更するじゃないですか。

 状況に即したレースをぶっつけ本番で出来るならば、多分のびのびと走った方が応用が効くと思いますよ?」

 

 初期の頃から、先行と差しの両取りポジショニングをして周囲の出方でどっちか決める……みたいなことはしていたが、最近はそうした作戦幅についても成長が見られていた。

 例えばアイビスサマーダッシュ。あの時の作戦はカルストンライトオのハナを取ることが最初の目的であったが、それが不可能と分かった途端に一旦大きく位置取りを下げて不完全ではあったもののラスト1ハロンで改めて差すという展開だった。

 あるいは前走・信越ステークスでは、レース前は大逃げをやる気でターフの上に立っていたのにも関わらず、周囲が私の大逃げ警戒でペースをゆったり取っていたことが分かるや否やスローペースの逃げに作戦変更を行っている。

 

 JpnⅡという大舞台で、様々な想いを背負っているのにも関わらず自由に走ることを、ここに来て葵ちゃんは提案してきた。

 

「……面白い、面白いですよっ葵ちゃん!」

 

 

 きっと誰よりも『勝利』に固執しておらず、絶対的に相対化され順位が付けられるレースの中で、私は自身の存在価値をレースの『相対化指標』の順位等にはまるで依拠していなかったけれども。

 私の走りそのものは、どうしようもなく他者を意識しての走りであり、他のウマ娘が居る前提の下でずっと組み上げられてきたものであった。

 

 1人で走っても、誰かと並走してもパフォーマンスが碌に変わらない私だけど。レースの中で常に私は誰かのことを考えて走っていたのである。

 

 

 自分の走りたいように自由に走る。

 そのときの私の走りは、きっと――。

 

 

 ……そして私は、葵ちゃんの発案で名古屋グランプリまでをコーナー練習に費やすこととなった。あー、確か葵ちゃんってコーナー育成に定評があったね。

 そう言えば、いつの間にかハッピーミークもコーナーにおける速度調節が前よりも飛躍的に上手くなっていたし、序盤・中盤で一息つく方法も心得ていた。……多分、弧線のプロフェッサーと鋼の意志だよね、それ。

 まあ私のコーナー技術は速度面というよりかは、位置取りとかの技巧っぽさはあるんだけど。

 

 

 

 *

 

「今年はクリスマス・イヴのメインレースとなりました、ダート2500mのJpnⅡ・名古屋グランプリ。今日は名古屋レース場から皆様へ『夢』をプレゼントいたします――」

 

 天気は曇り、バ場状態は稍重の発表。雨こそ降っていないが、天気予報で示されるパーセンテージの湿度は高め。12月で真冬もいいところなので『飽和水蒸気量』の観点から見れば空気中に含まれる絶対的な水分量はパーセンテージが指し示すほどには大きくなかったりするけれども、それでも、今日の名古屋レース場のダートには砂埃が舞わない程の『重さ』があった。

 

 この湿った環境下においては、タイムが高速化しやすい。

 

 そしてフルゲート12名の発走で、1番人気は8枠11番のハルウララ。2番人気が6枠7番で私。

 4枠4番ヴァーミリアンはクラシック級ウマ娘であることも考慮されての3番人気。

 

 インディゴシュシュは2枠2番で9番人気だった。後は、目ぼしいところで言えば笠松トレセン所属の地方ウマ娘・ミツアキサイレンスという名前が、大外8枠12番であったりした。

 ミツアキサイレンスは既にこの『名古屋グランプリ』を2年前に勝利したウマ娘……ではあるが、今年は6戦行っているもののその中での最高戦績は3着で、しかも夏からは調子を落としていて入着出来ないレースが続いている。そのためミツアキサイレンスの人気は優勝歴があるのにも関わらず7番人気まで低迷していた。……まあ、高知から中央に出て結果を出しているシンデレラストーリーの体現者・ハルウララと、ずっと名古屋グランプリを目標レースに掲げて謎の東海地方人気がある私の2人にファンの人気がスポイルされているというのもあるだろうが。

 

 ――けれども。今日の私は、誰が相手であっても問題無かった。

 パドックから観客席に居る葵ちゃんの下へ直行する。

 

「2度目の名古屋はどうですか、サンデーライフ?」

 

「……やっぱり、こうして踏みしめてみるとダートの印象ってトゥインクル・シリーズのレース場とは少し違いますね」

 

 URAと愛知県レース組合の砂質基準の違い、あるいは砂の産地の違い。それは、意識してみれば確かにある気がする。前回のかきつばた記念の時にはレース時には気付けなかったものだ。

 蹄鉄もチェックをしたし、仮に落鉄したとしても今度は速やかに予備シューズに履き替えることが出来るはず。同じハプニングはもう想定外じゃないので。

 

 そして今日は自由に走ると決めたので、最早ここで何か意気込みを改めたり、作戦について話し合う必要すらない。ただ自然体で会話していた。

 

「あっ! そう言えば今日のレースの観戦には愛知の県知事さんが来ているらしいですよ!」

 

「へぇー、そうなんですね葵ちゃん。でも『愛知県知事杯』って確かローカル・シリーズレースの東海ダービーや東海菊花賞の方でしたよね? 良いんですかね、名古屋グランプリに見に来てしまって……」

 

「見てはいけないって訳ではないとは思いますが……」

 

 なおこの会話は葵ちゃんと私の間で『名古屋グランプリ』が文部科学省が賞を提供する『文部科学大臣賞典』であることを前提としている。正式名称には、この文言がレース名の前に入るし。

 

 そして私はまるでコンビニに買い物へ行くような気軽さで葵ちゃんに言葉を紡ぐ。

 

「じゃあ、そろそろゲートに行ってきますね」

 

「あ、はい。楽しんで来て下さいねっ!」

 

「もちろん! 葵ちゃんも楽しんで見ててください――」

 

 

 そしてゲートに向かうけれども。

 少なくとも『レースを楽しむ』ことについては私よりもキャリアの長いプロフェッショナルが、今日の名古屋グランプリには居た。

 

「やっと一緒に走れるねえ、サンデーライフちゃん!」

 

「……そうですね。今日は楽しみましょう、ハルウララさん」

 

「うんっ、楽しもうっ!」

 

 ……色々と思うところはあるけれども、少なくともハルウララは私と『一緒に走りたい』という本当に言葉通りの意味で名古屋グランプリに競合してきただろう。

 ハッピーミークと何度も戦って楽しかったからこそ、同じトレーナーの下に付いている私のことが気になった……あるいは、キングヘイローの影響かもしれないけどさ。

 

 まあ、何というか言葉尻とは裏腹にハルウララからは澄んでいるかのような雰囲気というかGⅠウマ娘としての凄味も感じるけれども……今日は、そういうものは私には関係ない。

 

 で、他の子たちにも一言ずつ挨拶をする。前走・信越ステークスのときのそれは策略だったけれども、今回のは本当に何も無いただの挨拶だ。

 

 どう考えても策を講じているようにしか見えないから警戒はされるんだけどさ。ただ、ハルウララを除けばインディゴシュシュだけは自然体で私に返事を返してくれた。

 

 

 ――そしてゲートイン。

 何というか不思議な気持ちだ。

 

 リラックス……と言うわけでは無いが、物凄く清らかな平静さを感じる。

 高揚感、というほどの心の高まりを直に感じているわけでは無いけれども、これから始まるレースに向けての楽しさがひしひしと冷静な心の中にじんわりと伝っている。

 集中力が研ぎ澄まされている感覚も無い。けれど、私の五感は今日のレースを全身で楽しもうとこれから始まる2分40秒ほどの時間に向けて準備を整えているようなイメージ。

 

 

 今日はいつにも増して他のウマ娘がゲートインする所作や雑踏が全く気にならない。まだゲート入りを済ませていない子が数人というところで――私はふと、記憶が蘇る。

 

 

 

 ◇

 

 ――じゃあちょっとだけ! ファル子に協力してくれるかな、サンデーライフちゃん?

 

 ――もしかしたら王子様が気付いていないかもしれないので、一応! 一応言っておきますけれども!

 

 ――『花いかだ 浮きし流れる 水の上』

 

 ◇

 

 かきつばた記念を共に走ったスマートファルコンと、アグネスデジタル。そしてカレンチャンの和歌。

 何気なしに足元を私は見る。

 

 その瞬間――ほんの一瞬だけだったが、私の目には確かに右脚の蹄鉄が光っているように見えた。

 その柔らかな光はすぐに消えてまるで靴裏からの発光など錯覚だったかのように、元に戻る。

 

 両脚を踏みしめる。蹄鉄はしっかりと付いていた。

 

 

 ……今日は、大丈夫だ。

 根拠は無いが、何故か私にはそう思えた。

 

 

 そのまま私は前を向き、ホームストレッチの直線だけをただ見つめる。

 

 

「――お待たせをいたしました。名古屋レース場第11レース、文部科学大臣賞典・名古屋グランプリ、JpnⅡ。12人のウマ娘たちが駆けます。

 ほぼバ場を2周いたします、2500mの長距離戦。クリスマス・イヴのメインレースに記念すべき名古屋のグランプリを飾るのはどのウマ娘でしょうか――ゲートイン完了。

 

 ……スタートしました! 各ウマ娘、大きな出遅れはありません。注目の先行争いは、どのウマ娘が行くのでしょうか――」



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第88話 シニア級12月後半・名古屋グランプリ【JpnⅡ】(名古屋・ダ2500m)顛末

 ――思えば、メイクデビューでは。私はスーパークリーク相手に8バ身差を付けられての惨敗から始まった。

 

「まずは内からインディゴシュシュがハナを取ります! 続きまして、2番人気サンデーライフを含む3人の集団となっております」

 

 そこから始まった長い未勝利戦の旅路。最初はネームドに勝てる気すらしなかった。

 テイエムオペラオーとの戦いで私は『全世代バトルロイヤル』であることを知り。

 メジロマックイーンとの戦いでは、私の知る脚質や適性の通りに出走して来ない相手が居るのも知った。

 

 ……どちらも今、私から見て2バ身、3バ身後方に付けているハルウララ。彼女が芝の長距離で一度世代の頂点に君臨したことに繋がる話だ。

 

「――その後ろにはハルウララ、内にはミツアキサイレンス、更に後方にヴァーミリアンといった隊形になっております。どうでしょう、この展開?」

 

「各ウマ娘順当に自身の得意な脚質で勝負するようですね。『条件不問の王子様』という綽名を有するサンデーライフも今日は得意の大逃げではなく先行策、となれば終盤までは安定したレース展開が予想されるでしょう」

 

 

 そして長くお世話になることになる新潟の舞台が私の3戦目。あの時は『新潟の1000m直線ならコーナースキルが使えないでしょ』みたいな安易な考えで臨み……そこで、ゴールドシチー相手に1000mで5バ身差という大敗を喫した。

 そのときレースではゴールドシチーとは大きく関わらなかったが、レース外で彼女は何だかんだ友達として接する機会はあったし、モデルと競走ウマ娘で忙しいはずなのに東京レース場に観戦に来てくれたこともあったね。

 そんな直線レースをもう一度出走した――アイビスサマーダッシュでは、1着との着差が9バ身に広がったりもしたが、あれはカルストンライトオによって日本レコードが飛び出たレースで例年のアイビスサマーダッシュでなら1着に充分手が届くような自信を与える9バ身差だった。

 ……最初の頃のゴールドシチーとの5バ身差というのは、私はずっと遠いように感じていたし、けれども思っていたよりも早く届くことのできる長さだった。

 

 名古屋レース場の直線は短いが最初はポケットからのスタートなので、今日のレースで最も長い直線はこのスタートの直線である。

 

 

「各ウマ娘順位の変動はほぼ無いままに、1周目の第1コーナーへと差し掛かります」

 

 おそらく中央・地方どちらを含めたとしても、有数のキツい曲がりのカーブ。

 小回りという意味では函館のレース、技巧という意味では中山のレースが、未勝利時代の私の壁としては懐かしさのあるものだ。

 中山ではリトルココンに出会い、技術で負けてフロック勝利へのヒント――つまりは後に続く『大逃げ』への思考回路を手に入れた。あの頃の私は技術不足のウマ娘だったのだ。今の『策士』とか呼ばれている現状から鑑みると、多分今の私しか知らない人にそんな話をしても信じてもらえないだろう。……こうして考えると随分と成長したなあ、と感じる。

 

 一方で函館では、メジロパーマーを始めとする4人の重賞ウマ娘に競合するというとんでもない事態が起きたこともあった。今になって考えてみても、あの時のレースって重賞クラスの難易度があったよなあ、と内心苦笑い。

 とはいえ、私が走ってきたレースに簡単なレースは殆ど無かったと言っても良い。

 

 

 更に、コーナーを利用して後方をちらりと確認すると、差しにヴァーミリアンとハルウララの姿がある。

 後方のウマ娘に襲われる展開が幾度となくあったけれども、ダートの舞台での例を挙げるとするならば……マヤノトップガン相手の未勝利戦、私が初勝利を収めた京都レース場の1200m短距離レースかな。

 

 あの時。大逃げをしていた私は最後方に陣取っていたマヤノトップガンを視認することができなかった。けれども、天性のレース勘を有するマヤノトップガンは、大逃げのウィークポイントである『追込』を選択したと決め打ちした。

 重ね重ねあの頃の私は無策であった。今だったらマヤノトップガンが後方からの直線一気を狙うなら、それに合わせて自分自身のペースを大きく落として終盤に備えただろう。でも当時に出来ていたことといえば、内から抜かれないくらいに膨らんで抜かされるのを阻害するみたいな小手先の技……って、こういう小技は今でも使ってるか。

 

 今にしてみれば粗が目立つレース。しかし、それでも私の初めての勝利はあのレースであって。そして、マヤノトップガンはそれから急激に飛躍を遂げた。

 

 

「先頭はインディゴシュシュが悠々1人旅。そこから3バ身から4バ身離れてドラグーンスピア率いる先行集団となっていますね」

 

「この隊列のままレースは澱みなく進行していくでしょう」

 

 1人旅を後ろから眺めるレース展開は、阪神レース場での1勝クラス――バンブーメモリー戦のことを想起する。あの時は逃げのバンブーメモリーの更に先を行く『大逃げ』ウマ娘の存在があった短距離戦。だから今のインディゴシュシュの逃げ1人とは違う。けれども初めて『大逃げ』をされる側に立ったレースだった。

 ただあのときは差し選択で、明らかに後方有利の展開の上に、垂れてきた先行集団は内に空きスペースを作ったという全てが私にとっての追い風となった展開……それでもバンブーメモリーには届かなかった一戦。

 あれだけ偶発的な事象に恵まれても勝てなかった私は今。JpnⅡという大舞台のレースの2番人気として走っている。

 

 あるいは、前を走るインディゴシュシュというのは三条特別の展開そのままだ。そう言えばあの時もインディゴシュシュは逃げの単走で、私は先行だった。ダイサンゲンとエルノヴァが結局届かず私が前残りで勝利を掴んだ――今になって思えばPre-OP戦ならではのレース展開だった。

 そしてその三条特別は新潟レース。やっぱり私って新潟と名古屋の縁が深い。他には福島や札幌、あるいは阪神とか? 逆に小倉レース場などは一度も走っていないなあと今更ながらに考える。高速展開になるから未勝利やPre-OP戦のときにフロック狙いをしても良かったとは思うけどね。

 

 

「向こう正面に入りまして、1番人気ハルウララは中団後方からのレース、これをどう見ますか?」

 

「脚質に合ったレースが出来ているのではないでしょうか。ダート戦において長い距離を走るのは初めてではありますが、芝のステイヤーとしての経験をしっかりと活かせていると思いますよ」

 

 ……ハルウララ。

 彼女の名前は、恐らくあらゆる競走馬の中で最も知名度を有すると言って差し支えないだろう。ウマ娘世界においてはトゥインクル・シリーズを志すウマ娘の1人であるが、史実においては高知競馬の所属――地方競走馬である。この高知競馬場ごと高々1頭の競走馬が文字通り救うことになり、そしてそんな偉業を成し遂げた馬が0勝というのだからとんでもない話である。

 有記念を獲っても、イギリスやドバイと海外遠征を行う芝のステイヤーとダートスプリンター兼用という一流ウマ娘に変貌しようとも、そもそも史実の物語のインパクトを覆せないし――何より少女・ハルウララのその魂は確かにハルウララのままであった。

 

 この世界におけるローカル・シリーズレースが、決して中央の下位互換ではないことを証明するウマ娘達を私は知っていた。彼女たちの名はトウケイフリート、そしてトウケイニセイ。このトウケイ姉妹になす術もなく惨敗したのが鳳雛ステークス。……中央のレースである。

 盛岡の2人の姉妹は確かに中央に通用する実力があることをあのオープン戦で証明した。そして私も地方重賞という形ではあるが、そのローカル・シリーズレースの活気を現在進行形で享受している。

 

「各ウマ娘1周目の第3コーナーカーブへと入ります」

 

「ここまでのタイムは51秒6ですか。僅かにスローペースと言えるでしょうが、ほぼ例年通りの展開ですね」

 

 名古屋レースの直線は地方レース場の中でも最も短い。だから、走っていてもすぐに直線が途切れてしまう。

 同じように、直線が短くすぐにカーブに入るコースと言えば札幌レース場。とはいえ、札幌はカーブがかなり緩やかで長く相対的に真円に近い形をしているから全周ごと短い名古屋とは形状は全然違うけれども、短い直線に苦しめられたという点では既視感のあるものだ。

 そんな短い直線でかつ長距離の経験と言えば、何と言っても『阿寒湖特別』だ。芝・2600mの舞台にてファインモーションとマンハッタンカフェ――後に『阿寒湖の絆』という風にファインモーションが呼んでいる私達3人のレースは、正直あの時点では勝ち目の無いレースであった。

 

 ただし同時に得られるものも多かったレースだったと思う。

 先行で好位に付けてラストスパートのまま堂々勝利する王道のレース展開の強さをそのまま魅せたファインモーション。

 逆に、最終コーナーで一時的に順位を落としてからの直線一気での巻き返しという私の戦術の1つにもなっているこれを最初に使ったのはマンハッタンカフェで。

 また、同様にスリップストリームや、『伸び脚』の原型が生まれたレースもこの阿寒湖特別だ。

 5着ではあったが、きっと成長という意味で最も大事なレースは阿寒湖特別だっただろう。

 

 そんなことを考えつつ、私はキツいカーブで先行2人に前を一時的に譲って減速して、内に居る子の後ろに付く。……もちろん、これはスリップストリーム。

 

「……おっと、第4コーナー付近で先行集団に動きがありましたね。サンデーライフが順位を落としまして、後方の内側に入りました。……これは、どうでしょう?」

 

「カーブで減速した、というのもありますが、今は順位よりもしっかりと内を確保しようという意識の表れでしょう。コーナーでの走法にも定評がある子です、必ず狙って減速していると思われます!」

 

 

 ホームストレッチ側に戻ってきて観客席からの歓声が徐々に大きくなってくるが、今日のレースはもう1周ある。

 このファンの歓声を勝者として浴びた経験は私はあまり多くない。その数少ない経験の内の1つに、3勝クラス・『清津峡ステークス』もあった。

 あのレースも私の重大な転換点の1つ。……だって、あそこで勝ったからこそ――勝ってしまった(・・・・・・・)という表情を浮かべたからこそ、私は葵ちゃんと出会うことが出来たのだから。

 

 直線へと入り、私は葵ちゃんを一瞬だけ視認する。走っているから観客席に居る彼女の表情は読み取ることは出来なかったが、しかし――今の私達の意志疎通には表情すら不要であった。

 

 

「さあ既に2周目に入っておりまして、先頭のインディゴシュシュがゴール板の位置を通過、次いで2バ身から3バ身離れて先行集団と続いており、全体では20バ身程度でしょうか、縦長の展開となっております」

 

「後方のウマ娘が差し返せるのか気になる開きです」

 

 ファンの歓声を背負って私達は進む。そんなファンの在り方が私の中で変質したのが障害レースだろう。

 メジロパーマーと戦った福島での障害未勝利2戦目。あれが無ければ私は『王子様』と呼ばれていなかった。そしてそこに起因するティーン女子層などのライト層人気が無ければ、私はこの場に居ることは恐らく無かったのかもしれない。

 あまりSNSなどを通じてファンとの交流を行う私では無かったが、それでも宝塚記念出走を勝ち取ったのは紛れもなくファンの力によるものだ。多くを還元することは無かったけれども、そうしたファンに支えられてきたという側面も確かに私の中には根付きつつあった。

 そしてその3戦の障害転向こそ、私のシニア級での走りに多大な影響を与え、今の重賞戦線で勝負出来るだけの自力、そして障害3戦目でほぼ作戦通りの危なげない勝利を遂げたことで自分自身の実力に対する自負が生まれた。

 

 

「……おっと、中団後方のハルウララ、やや位置取りを上げています。そのハルウララから4バ身ほど切れる形でヴァーミリアン。この名古屋グランプリで優勝歴があります笠松の古豪・ミツアキサイレンスはこの位置に控えておりますね――」

 

 シニア級になっての初戦は白富士ステークス。芝・2000mというチャンピオンディスタンスで私は8着。しかし順位の割に混戦であったレースで、1着コイントスとは4バ身差。中距離の根幹距離で得意とするウマ娘が多い中での『オープン戦4バ身』は間違いなく、今までとは違う手応えを感じさせるものであった。

 

 

 ……後方をちらりと確認すると、ハルウララが差し集団から離れて先行組の一番底に控えていた私の後ろに迫ろうとしていた。

 

 ――流石にバレたかな。いや、それともレースセンスによるものか、あるいは無意識か。どれかは分からないが、ハルウララが動きを変えてきたのは確かであった。

 でも今日の私は何もせず、大人しく前を走る子のスリップストリームの恩恵に預かり控えているだけだ。最前を突き進むレースのように、色々と仕掛けてはいない。

 

 ……まあ『何もしない』ということが『無策』であることを意味しないけどね。

 

「――しかし、ここまでインディゴシュシュはかなり落ち着いたペースで走れていますね。逃げの単走ですからのびのびと走れるとは思いますが、それにしても上手くスローペースに持ち込んでレースを推移させております。前半は平均ペースに近い動きでしたので、縦長の展開になっているのも彼女に有利に作用しそうですよ」

 

 私が何もしないということは、インディゴシュシュが気兼ねなく走れるということ。今日のレース、有力ウマ娘は軒並み『差し』を選択しており、逃げの彼女に影響を与えられる高人気のウマ娘は2番人気の私だけ。

 そんな中で私は序盤から圧力はかけずに、中盤以降は先行2人に埋もれてスリップストリームに入った。だから中盤からだとインディゴシュシュは私のことをほぼ視認出来ていない。

 私との約束を果たすために出走をしてきた彼女ならば、私のスリップストリームを多用する癖くらいは把握しているに違いない。だから先行の位置に最初は居たのに今は見えないという情報から脚を溜めているという結論は容易に導けるはず。

 だとすれば、彼女は終盤を必ず警戒してペースを落とす――そして現に今は前半と比較して相対的にペースは落ちていた。

 

 レース展開がスローペースであればあるほど、前のウマ娘が疲れないので最終コーナー以降で再加速して前残りする可能性が高まる。前残りということは、私も先行集団の一員であるために恩恵は受けることとなる。

 現時点でインディゴシュシュの勝ち筋は、私にも有利に作用するのだ。

 

 策がバレても、それが相手にとっても勝ち筋である以上策を崩すのが極めて難しい。

 このやり口を私に見せてくれたのは、セイウンスカイで――ダイヤモンドステークスのときである。策がバレても崩せない前提で組み立てられた彼女のトリックには、私も乗るしか無かった。

 まあ私の場合は、セイウンスカイの謀略に組み込まれた時点で私の高順位自体は確約されたものだったから全力で乗った……という側面はあったのだけれども、実際のところ勝利を狙うウマ娘相手にこの手口はかなり有効に効いていると思う。

 

 間違いなくセイウンスカイのおかげで私の戦術の引き出しは増えた。元から色々考えてレースをする方ではあったけれども、明確に『策士』として本格化したのはダイヤモンドステークス以降からだと思う。

 

 

 そして。インディゴシュシュがペースを落としている以上、後ろに居る子が相対的に不利となる。……それを読んで、現時点でハルウララが位置取りを上げてきたなら大したものだ。でも、どうなんだろう。ハルウララって雰囲気だけで考えると感覚派っぽそうだから、そこまで計算したレース運びをしているとも思えない。

 となると、これが『王者』としてこれまでレースを楽しんできた『経験』が導き出したレース運びか。

 

 そして実際に名古屋レース場のサイズ感からしてバックストレッチからでもゴールまでは4ハロン程度しか無いので、長距離レースにおけるロングスパートの位置調整としてならば、全くあり得ない訳でもない位置取りの押し上げでもあった。

 

「――2周目の向こう正面に入りまして、ハルウララがぐんぐんとペースを上げて前を行くサンデーライフの2バ身後方辺りで待機します。それに連動して差し・追込の後方ウマ娘達も徐々に差を詰めてきました!」

 

 仕掛けるのにはまだ早い。しかし、このまま座して現状を維持したままだと、ハルウララの仕掛け方次第でどうにでもなってしまう局面だ。

 

 ……正直、入着を狙うのであれば、ここでハルウララにレースの舵取りを任せて、私はこの位置で脚を溜め続けるのが正解だ。上手くすればハルウララのおこぼれに預かって2着をもぎ取ることも出来るかもしれない。

 

 近いレース展開はダービー卿チャレンジトロフィーであった。爆逃げのダイタクヘリオスに集団で追走してペースがぶっ壊れたというマイル戦。その中で私は『追込』を選択して実際にビコーペガサス相手に写真判定の末2着をもぎ取った。

 あれは、直線一気だったからこそビコーペガサスに競り勝ったし、追込を選択したからこそ先行で強いレースを打ってきたダイワメジャーに順当に敗北した2着。もしダイワメジャーと同じような位置に居れば、彼女を下げる手立てもあったかもしれない。

 

 そしてそのIFを私は提示された。

 ここでハルウララを野放しにすれば、作戦幅が広く臨機応変な対応能力では一頭地を抜く私が有利になり、入着が安泰となるはず。

 しかし一方で、それは『ハルウララに勝利する』勝ち筋の喪失の危険をはらんでいる。

 

 この二者択一に対する答えは、私の場合はレースごとに変わることだろう。

 ただし、明確な判断基準はある。

 

 

 そのレースで、私の勝ち筋が残されていないなら入着の選択肢を選ぶ。

 しかし、勝ち筋が別にあるのであれば――私は勝利の可能性を突き詰める。

 

 だって『勝てるなら勝つ』というマインドなのだから。

 

 

 だからこそハルウララと私の間にまだ距離があり、ハルウララも内を走っているこのタイミングで、私は外へ大きく進路を変えてそのまま加速して前の先行2人と横並びになって壁を形成する。

 スリップストリームを脱するリスクはあるものの、後方のウマ娘がここを抜くのであれば私よりも更に大外を迂回する必要がある状況を作った。

 

 

 

 *

 

「さてここに来てレースの展開は水面下で徐々に変わりつつあります! インディゴシュシュは少しずつペースを上げてきており、それを上回る速さで後方のウマ娘は差を詰めつつあり、縦長だった隊列が一気に近付いてまいりました!」

 

 まだレースが3ハロン残しているように、私の旅路も終わらない。

 一般的な認知度を大きく上げて、世間的には私の転機だと思われているであろうGⅠグランプリレース――メジロライアンを筆頭とする光り輝く優駿たちが一堂に会した宝塚記念。

 14着というこれまでのレースで最低の戦績。しかし『アプリ実装ウマ娘』4人に先行したと考えれば、これは今の私の中で最高の戦績でもあった。

 

 同時に宝塚以前と以後で大きく変わったのは、私が背負っているものを本当の意味で自覚したということ。

 ハルウララ、ヴァーミリアン、ミツアキサイレンスとともにレースをしていること自体はいつの私だってあり得たかもしれないが。

 けれども、彼女らを相手にして『勝ち筋』を模索し続けるレースが出来るという自覚と同時に――それをする『責務』を背負うようになったのは間違いなく宝塚記念前後での一連の出来事があってこそだと思う。

 

 成長が『阿寒湖特別』で、転機が『清津峡ステークス』、自信が『障害競走』であれば。

 宝塚記念とはそこまでの歩み――私の歴史を『肯定』する代物だったのだろう。

 

 

「――さあ、ここから2周目の第3コーナーに入ります。この第3、第4コーナーを抜けたその先には、もう1ハロンに満たないたった194mの最終直線しか残されていないぞ!」

 

 ……だとすれば、アイビスサマーダッシュが私に与えてくれたものは自明だ――『理性』である。

 老婦人・ヘイルトゥリーズンとの出会いはその示唆だったのかもしれない。もしくはあの時、自分自身の『楽をしたい』という目標とウマ娘としての本能である『勝利の渇望』のどちらよりも私は『理性』を優先したあの瞬間に、今の私の方向性が確定したのかもしれない。

 私は『策士』としての立場から『勝利への渇望』を手にすることなく新たなステージへと登る限界突破の資格を手に入れていたが、それを『理性』にて投げ捨てた。

 

 あくまで私は、制御可能な実力でもって勝負を挑むこと――策よりも理性に重きを置くことに決めた。

 多分……あの実力以上の実力こそが『領域』――固有スキルだったのだろう、きっと。

 

 

 そして。その固有スキルを投げ捨てた今の私は、確かに。

 ――『強めのモブウマ娘』であった。

 

 カルストンライトオという日本最速のウマ娘に、タイキシャトルとともに追い付こうとする私が居ればそれはきっと、新たな『ウマ娘』になっていただろうし、それをしなかったからこそ、未勝利戦と宝塚記念で負けたバンブーメモリーに先着できたとも言える。

 

 

「粘るインディゴシュシュ! しかし、後続は既に第4コーナーのこの地点から既にスパートをかけてきている! サンデーライフが2番手に進出して、その更に大外からハルウララ、更に後方からはヴァーミリアンがペースを上げてきた!」

 

「インディゴシュシュはどこまで耐えられるか、あるいは後ろの子たちの誰が前で競り合うか、全ての決着は最終直線にもつれ込みそうです」

 

 改めて位置取りを再確認すると、私は外を回って既に前はインディゴシュシュのみ。彼女が最終直線まで先頭を維持することは出来ても、もうこれ以上加速するのは厳しいだろう。徐々に垂れるような兆候が見え隠れしている。

 そんな私の更に外……大外を迂回してハルウララがぴったりと後ろをついてきていて、ヴァーミリアンも既にかなり近いところまで来ていた。

 

 そして再び前のインディゴシュシュを見やる。そんな状況でも彼女はまだ全く諦めていないのがすぐ分かった。彼女は、ほんの少しだが明らかに意図して外に膨らんでカーブを回っていた。

 何故か? たとえそれが無意味であっても、無駄な抵抗であったとしても、彼女を抜かすためには更に外を回る必要があるから後続は僅かに抜きにくくなるからだ。……そして、そうした先頭で逃げる際のちょっとだけ外に膨らむテクニック――それはどうしようもなく私が多用していたものであった。

 

 目の前のウマ娘は、しっかりと私の技をラーニングした上で、このJpnⅡの舞台に臨んできていたのである。

 

 

 ……そして。それがずっと慣れ親しんだ『技』だったからこそ、私にはしっかりと見えたのだろう。

 

 ――この場における唯一の勝ち筋、『活路』が。

 インディゴシュシュの内側に切り開かれていることに。

 

 

 それは今日この瞬間の『名古屋グランプリ』でしかあり得ない経路だった。

 まず位置取り的に加速しながらインディゴシュシュの更に内を突けるポジションに居るのが私だけ。もし私とハルウララの位置が逆だったら、この道は絶対に使えなかった――『斜行』で審議を取られるほどの急激な進路変更を伴いハルウララの走行妨害となったから。

 

 そしてインディゴシュシュが『外に僅かに開いて妨害する』という戦術を取らなければ、その僅かな間隙は出来ていない。でも、それだけじゃない。

 

 ……名古屋レース場の形状。トゥインクル・シリーズのレース場と比較しても極めて急なカーブ。インディゴシュシュは中央のウマ娘であり、この名古屋の地方ウマ娘ではない。だからこそ、その戦術を初見の名古屋レース場で取るにはカーブがきつすぎてどうしても膨らんでしまうのだ。

 それでも彼女のコース取りスキルはかなりのもので、抜かすのをためらうギリギリのラインを突いていたが、それでもきっと第4コーナーから最終直線に入る瞬間――直線に切り替わったあの僅かなタイミングで内が空かざるを得ない。

 

 何故、分かるか? だって。葵ちゃんはコーナー育成に定評があって、私は最後の最後の練習で『コーナー』の走法についてトレーニングしていたのだから。

 ……葵ちゃんは、ここが中央ウマ娘のウィークポイントになることを――看破していた。

 

 そして、湿度高めの曇りの稍重。

 天気とバ場状態は、高速化しやすい下地が整っている。だからこそ少しでも前に残ろうとするインディゴシュシュは自分が想定しているよりも早く走っている。だから、ごく僅かだけど更に外に膨らむのだ。

 

 1つ1つの影響は本当に軽微なものだったかもしれない。

 しかし、葵ちゃんとの『トレーニング』が、名古屋レース場という『興行』が、湿度という『気象現象』が、そしてこれまでの『私のレース』が――全ての要素が合致したからこそ、切り開かれた『活路』であった。

 

 

 加えて。キーンランドカップのときみたく。

 キングヘイローのようにこの『活路』に競合する相手は、今日は居ない。

 ヒシアケボノのように、先行集団でここから脅威になりそうな子も居なかった。

 

 そして何より。この場には更に前で先行するカレンチャンが……居ない。インディゴシュシュさえ抜けば先頭に出ることが出来て、後は差しの有力ウマ娘たちとの勝負に移行する。

 

 

 そして最終コーナーが終わった瞬間。確かにインディゴシュシュと内ラチの柵の間には、競走に支障の無い充分な間隔が開かれた。

 

「――さあ、最後の追い比べ! 逃げるインディゴシュシュ! しかし、それを内からサンデーライフが抜く……え、内から? 見間違えではありません、外に僅かに膨らんだインディゴシュシュの内をサンデーライフは見逃さなかった!

 そのすぐ後ろからハルウララと、ヴァーミリアン! この3人の脚色が素晴らしいっ!」

 

「……いや、サンデーライフは良く内から抜こうと判断しましたね。スペース的には確かに抜けられるだけの幅はありましたが、コーナーで曲がりながらその内を攻めようというのは余程の確信が無ければ実行出来ませんよ」

 

「先頭入れ替わってサンデーライフ! しかし大きく外からハルウララとヴァーミリアンも共に来ている! 勝負はこの3人のデッドヒートに持ち込まれた!」

 

 

 

 *

 

 さて。長かったレース(・・・)も、この最後の直線で終わり。

 ……思えば、色々なことがあったけれど、その全部を一言にまとめるならば『楽しかった』に尽きるだろう。

 

 ――最終直線。

 そこで、どうしても届かないレースはたくさんあった。逆に追い抜かれるレースもたくさんあった。

 

 勝ったことは片手で数えられる程度しかなくて、負けた回数は……たくさん。

 でも、私は弱いわけじゃない。むしろかなり上澄みのレベルではある。だけど、弱くないだけじゃ勝つことは出来ない。

 

 それでも……。私は『信越ステークス』でアイネスフウジンを破って勝利した。

 

 勝利に意味など無い。だって、勝利とは『無価値』なのだから。

 勝利に意味はある。だって、勝利とは『かけがえのないもの』なのだから。

 

 どちらも私にとっては真。どうしようもなく矛盾しているけれども、それが私。

 

 

 うん。まだ『伸び脚』はある。これで勝負は決まらないが、私にとって有利になるもの。後は、僅かだけど先行もしている。

 

 それと。作戦ではないけれど……。単なる事実を1つ列挙しよう。

 私がアイネスフウジンに負けた福島の未勝利戦と、私がアイネスフウジンに勝利した新潟のオープン戦・信越ステークス。

 どちらも先行したウマ娘が最後に差し返されて負けている。だけど、私視点で考えれば、ね?

 

 福島では最終直線の僅かな坂によって負けた側面があった。

 そして新潟の最終直線には坂がなかったからこそ、ラスト1ハロンの加速が上手く刺さった。

 

 繰り返そう。私のアイネスフウジンとの対戦は。

 福島には坂があって負けた。新潟では坂が無くて勝った。

 

 

 この名古屋の舞台に――坂は無い。

 

 

 勿論、坂があったら作戦に組み込むくらいのことはするけれども、この期に及んではその事実だけでも良いだろう。

 

 今日の走りは私の自由に走った。それで満足だ。

 私の自由な走りとは――即ち、今までの軌跡の集積だ。アイネスフウジンを初めとする今まで競走をしてきた皆の『想い』が籠った走りこそ、私の走りであった。

 

 背負った『想い』の尊さに順位を付けることなんて出来ないけれど。

 残念ながらレースには無慈悲に順位が付いて相対化されてしまう。

 

 

 だけど。

 ――そんなこと知ったことか。

 

 私が皆の『想い』に対して出来ることは、レースを楽しんで走ること。究極的には、ただそれだけなのだから。

 

 

 後は、楽しむのみ。

 私は今まで走ってきた皆と、今日一緒に走っている皆と楽しく遊んでいるだけ。

 

 だから――。

 

 

 

 ……勝つよ。

 

 

 

 *

 

「――逃げるサンデーライフ! それを追うヴァーミリアンと、ハルウララ! その差は少しずつ縮まっています! サンデーライフ、逃げ切れるか!? ヴァーミリアンとハルウララですが……僅かにハルウララが先行して詰める!

 あと50m! ハルウララがここで更に加速して差を……いや、縮まらないっ! サンデーライフの末脚がここで伸びるっ! 最後の最後までサンデーライフが切り札を隠し持っていたっ! そのままゴール板を通過! これは文句無し!

 クリスマス・イヴの名古屋に夢を与えた少女の名は――『サンデーライフ』で間違いないでしょう!」

 

 

 ――確定。

 

 1着、サンデーライフ。

 2着、1/2バ身差でハルウララ。

 3着、アタマ差でヴァーミリアン。

 

 

 ――現在の獲得賞金、1億6271万円。



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第89話 ウイニングライブ

 勝ったことは明らかにゴールの瞬間にすぐ分かった。

 でも、それ以上に心の中で支配的だったのは『楽しかった時間が終わってしまった』ということ。

 

 レースはあらゆるものが相対的に決定される場。これを私はずっとネガティブな意味で捉えてきていたけれど。相手が居て初めて成り立つ……ということは、裏を返せば全てのレースは一期一会であって、同じメンバーを集めて同じ条件でやったとしても、同じレースは二度と起こらないということ。

 もちろん、やり直してもそれはそれで別の楽しさはあるだろうけどね。でも今日感じた楽しさは今日しか体験できないもの。だからこそゴールした瞬間に、もっと体感していたかったと思うのは当然のことなのかもしれない。

 

「楽しかったねぇー! サンデーライフちゃんっ!」

 

「……ええ、そうですね。ハルウララさん。

 ――そして、皆さん」

 

 ハルウララに声を掛けられて視線を掲示板から外せば、ハルウララが私に手を伸ばしていた。……いや、ハルウララだけじゃない。

 ヴァーミリアンが、ミツアキサイレンスが、あるいはインディゴシュシュも――共に走った11人のウマ娘達全員が、悔しさや涙を浮かべている子も居ながらも、楽しさを全力で享受していたことがありありと分かる表情をしていた。

 

 私はハルウララとハイタッチした後に、他の子にも握手をして――最後にインディゴシュシュ。彼女の最終的な順位は6着……着外であった。

 それでもインディゴシュシュは満足そうな顔をして私に一礼してきた。私もつられるようにして彼女に感謝の想いとともに頭を下げて、そのまま観客席にも一礼して一足先に控え室へと戻ることにした。

 

 観客席から拍手が鳴り止まない中で、私は思う。

 ――間違いなく今の私が出来る最大限のレースはした……だから。勝者としても、サンデーライフとしてもそれを誇りこそすれ、悔やんではいけない。

 

 

 

 *

 

 控え室には葵ちゃんが先に戻ってきていた。きっと、葵ちゃんとしても一段落しただろう。ハルウララのトレーナーさんと葵ちゃんの間にも物語は紡がれていたのだから。

 

 満面の笑みで待ち構えた葵ちゃんに向かって私は、言葉でのやり取りをする前に、葵ちゃんに抱き着いた。

 

「……サンデーライフ?」

 

「……こんな、気持ちは初めてかもしれないです。レースが『終わって欲しくなかった』って思うことなんて――」

 

 私が引退するわけでも、他の子が引退するわけでもない。

 けれども、このレースは明らかに節目のレースであった。私にとってはここまでの3年間の集大成、という意味で。ハルウララにとってはトレーナー同士の関係のひとまずの終着駅として。

 あるいはヴァーミリアンにとってはダート転向で本格化していく嚆矢としてだろう。

 

 そして。インディゴシュシュにとっては彼女の中央での生活の節目であった。

 

 

 私のその想いを察したのか、葵ちゃんは土でドロドロになっている私の髪の毛を気にせず撫でながらこう語る。

 

「サンデーライフはまだこれから何年も走り続けることが出来ます。それはきっと、今日のように――いえ、今日以上に悲しい気持ちになるレースもあることでしょう」

 

「……そうですね。長く走るということは、それだけ多くのウマ娘を見送る、ということ――」

 

「はい。ですが――今日の勝者は『サンデーライフ』、あなたなのですっ!

 であれば必要とされているのは、共感して悲しむことでは……ありませんね?」

 

 

 ――1勝というデータ上の数値の裏には、共に走った人数の分だけの夢をへし折り潰してきた『重み』がある。

 あるいは。そのレースへの出走希望者が定員を超えていれば抽選除外という形で出走できなかったウマ娘の『想い』も背負っている。

 

 しかも、それだけじゃない。

 

 1勝クラスなら1勝出来なかったウマ娘の分の夢。

 2勝クラスには1勝クラスを突破できなかったウマ娘の夢。

 3勝クラスにも、同様にそれだけの夢を潰した上で成り立っていて。

 

 ――オープンクラスとは、そうしたPre-OP戦のウマ娘の夢の上に君臨するものだ。

 

 JpnⅡ・名古屋グランプリ。GⅠレースこそ『ウマ娘のレース』だと見ているファンにとっては、このレースは高々GⅡレベルという格落ちのしかも地方風情のレースでしかない。

 そして、これはある意味では全く間違っていない。だって1年間にGⅠ、JpnⅠ、J・GⅠレースは合計で37レース()あるのだから。1年にそれだけのレースをちゃんと見てくれているだけでも、それは既にコアな『ウマ娘レース』のファンではあるのだ。ましてや日々の生活がある中で、平日開催のレースに着目出来る人がどれだけ居るのだろうという話ではある。

 

 ……でもね。それでも。

 今日、クリスマス・イヴという大事な日に名古屋レース場に足を運んでくれたファンが居て、今日の観客席は埋まっていたし……何より。

 JpnⅡというレースは、この東海地方の地方レースの中では最も格が高いんだ。今日、名古屋グランプリというレースに勝利した私は、名古屋トレセン学園と笠松トレセン学園のウマ娘達の夢を――中央の力で無慈悲に潰したのだ。

 

 そしてそれは程度の大小あれ、今までのレースもずっとそうだったし、これからも同様だ。私が歩んできた道筋は、そうした潰した夢の残滓で舗装されている。

 

 ――とはいえ。それらの『想い』は自身の行動を呪縛し、強制するものではない。途中で降りたって良いし、辞めたって構わない。『想い』を無視してやりたいようにやることも全く間違っていないと私は思う。

 大事なのは『自覚』することなのだろう、きっと。自分がどういう立ち位置にあるのか、そしてどれだけの夢を背負っているのかを『自覚』する。そして、その上で『やるべきこと』……じゃなくて、『やりたいこと』を選択することこそが私にとっては肝要なのだ。

 

 

 だからこそ。

 私はそうした踏みにじった『想い』と私への期待の『想い』、あるいは葵ちゃんの『想い』に選ばされる(・・・・・)のではなく、自らの意志で選び取る。

 

 

 ……多分、それは陳腐でありふれていて、当たり前の美辞麗句。

 

「……今日、応援してくれたファンの皆さんに。そしてこれまで私を支えてきてくれた人たちや友達に。何より今日のレースで共に走った仲間たちのために――『ウイニングライブ』でお返しをしましょう」

 

 それはこの世界で『ウマ娘』のレースを知っている者であれば、子供だって分かっているような常識であり、当然の帰結。

 こんなことを改めて言ったところで、大多数の人たちは『何を今更……?』って思うことだろうし、それだけウイニングライブという文化が浸透している証左なのだけれど。

 

 ダービー卿チャレンジトロフィーのときに私は『感謝』の返し方の概念と、『楽しさ』の共有という方向性からウイニングライブの必要性について考えを巡らせたことがあった。基本的にはあの時と一緒ではあるけれども、決定的に違うことが1つ増えた。

 今の私は、『楽しさ』を共有する手段や、ファンに感謝を還元する手段としてウイニングライブをやっていたわけだが、ここにきて。その社会規範に則った従属的な関係から打破されて、自らの自由意志でもってウイニングライブをお返しに自己規定したのである。

 

 

 当たり前のことを考えていたり、それを実行に移すときに、誰しもが頭の中で浅い考えをしている訳じゃない。

 そして葵ちゃんは、表層に出てきた言葉だけで、それを察して。私の泥だらけの髪に軽く口付けをするような素振りを見せて、次のように紡いだ。

 

「……その気持ち、大切にしていきましょうね、サンデーライフ?」

 

「ええ……もちろんですよ、葵ちゃん」

 

 そうして私はシャワーを浴びた後に共通衣装に着替える。何せウイニングライブまでの時間はあまり残されていない。だって、名古屋グランプリはメインレースで、興行は後、後ろの第12レースしか残っていないのだから。

 準備とかで最終レースから2時間くらいは余裕はあるけれども、地方レース場のウイニングライブのセンターは初めての経験だから、トゥインクル・シリーズと違いが無いかちゃんとチェックしておきたい。

 

 だから本日の最終レース・ブロッコリー賞がやっている間に身の回りの準備はある程度……って、レース名のネーミングセンス、一体どうした。なんでブロッコリーなんだ……。

 

 

 

 *

 

 ハルウララとヴァーミリアンと共に、歌唱したウイニングライブは私の感覚としては一瞬で終わった。(グランプリ)の延長線とも言うべきライブは、全身全霊は込めたものの、私にとっては伝えきれたかという不安も残ってしまう。

 

 舞台から退場したときに万雷の拍手で送り出されたから、ちゃんとパフォーマンスは出来たとは思うのだけれども。……レース側に乗せた想いが多すぎたのかもね、きっと。だからたった1曲のウイニングライブにて自分がレースに込めた心情を全て歌とダンスの形で出力することが叶わなかったようにも思える。

 

 舞台の裏方まで下がって葵ちゃんの下へ戻る。

 

「あ、葵ちゃん。……どうでした? 今日の――」

 

 私の声は全てが意味のある言葉として発する前に、とても大きな音によって打ち消されてしまう。

 何が起きたのかは音で一瞬で分かった。

 

 

『――アンコール! アンコール! アンコール!』

 

 

 ……ライブの客席が揺れていた。いや、もしかしたらその声の波で本当に会場ごと揺れているのではないか、と錯覚するくらいの声かけ。

 そして、その声はしばらく途切れない。周囲のスタッフも戸惑いの表情を見せている。

 その大きな音の中で葵ちゃんがぽろっと零した一言を拾う。

 

「……これは、驚きましたね」

 

「ええ、葵ちゃん。まさかアンコールの要求があるとは……」

 

 

 通例、ウイニングライブにアンコールは行われない。これまでの私が参加してきたどのレースにおいてもウイニングライブの追加演奏などというものは執り行われてこなかった。

 理由はいくつかあるが、最も大きいのは競走ウマ娘の負担軽減のためだろう。後は、夜の10時以降に未成年を働かせるのは違法なので、競走ウマ娘は労働者ではないにせよURA側が自粛するように指導しているのもある。ウイニングライブの演目はあまり間延びしないように配慮されているのだ。

 

 ……だから、本当にこのファンの合奏でアンコールが求められることは異例なのだ。あれだけの優駿が一堂に会した宝塚記念でも、今日と会場を同じくする地方巡業ウマドルのスマートファルコンのかきつばた記念でも、インフルエンサーであるカレンチャンのキーンランドカップだってこんな事態は発生し得なかった。

 

 

 厳しい言い方をすれば、これはファンのマナー違反である。しかし、それを引き起こした要因は間違いなく私のライブパフォーマンスに込めた『想い』にあった。

 演者である私自身が感じた物足りなさや不充分さをファンも共有し、その私の中の消化不良の想いを解消するべくファン達はこうして今なお声を挙げている……という考えは少々メルヘンに偏った考え方だろうか。

 

 

 とはいえ。まだウイニングライブを終えていないブロッコリー賞の子たちが居る。この熱狂は長引かせてはいけない。そしてそれを止められるのは、当事者である私くらいだろうと我に返り、急いで舞台上に戻ろうとする。

 

 

 ――が、それよりも早く動いた妙齢の女性の姿があった。その女性は来賓席から壇上にやってきた。外出用の外套を2トーンカラーのスーツの上から着て、ハット帽を被っている。

 全く無関係な人物のステージ上の登場に、ファン達はコールを止め、ひるんだように動揺の色をあらわにするが、いつの間にかマイクを手渡されたか自分で奪取したかは分からないがステージ上の女性はその一瞬の間隙を見逃さずにこう語った。

 

「――私はこの愛知のレース運営に携わる関係の者だ! 君たちファンの『サンデーライフ』君にかける想いの強さは伝わったっ! しかし、それを決めるのは彼女自身だ……故に! 愛知県レース組合としてはサンデーライフ君との協議の上、君たちの想いにどう答えるかの結論を出す!

 ……まだ1組、歌い終えていない子たちも居るのでな。気が逸る気持ちは分かるが、そこをどうか堪えて欲しい!」

 

 

 ――即興の割にすらすらと口上が出てくる辺り、只者ではない。レース組合職員にこんな人が居たとは驚いたけれども、そのステージ上の女性が一礼すると拍手が起きてひとまずファンは鎮静化した。

 その女性は、私が居る方とは反対側の幕の方へと去っていき、それから間もないうちに、別のスタッフから『私達の責任者から、直接サンデーライフさんとトレーナーの方にお話を伺いたい』と言う言伝を貰った。

 私と葵ちゃんは、そのスタッフに先導されて、ブロッコリー賞の出走ウマ娘の子たちが慌ただしく準備しているのを尻目に会場の応接室へと案内されたのであった。

 

 

 

 *

 

 応接室に居た女性は帽子を被っていたが、私のその視線に気づいたのかすぐさまこう告げた。

 

「……おっと、ご客人が来ているのに帽子を被ったままでは失礼でしたね」

 

 そう言って帽子を脱いだ頭上には、私と同じウマ娘としての耳が生えていた。

 

「あなたは……」

 

 

「――昔の話にはなるけれど『シュンサクオー』と呼ばれていた時代もあったかな。今は愛知県の県知事なんて大それたもので呼ばれているがね」

 

 

 なっ――!? ……どっちに驚けば良いんだ。

 

「……レース組合の責任者だと伺っておりましたが」

 

「いやなに……組合組織は愛知県と名古屋市と豊明市の連名でやっているし、県知事が管理者だからね。責任者であることには違いあるまいて」

 

 

 確かにそうではあった。組合規約か何かに載っていたはず。ちょっとうろ覚えなのは、今日のレースのためにわざわざチェックし直したことではなく、資料整理中に見たくらいのレベルの話だったから。

 いや、それでも県知事を『レース責任者』と言うのは、ちょっと無理があるでしょうよ。……一応、そう言えば事前にレースを見に来ているって話もあったね。

 

 しかし、この妙齢のウマ娘の名乗った名前も問題だ。

 シュンサクオー号。かつてダート1200m、芝1800m、芝2000mの3つの距離でレコードを持っていた競走馬。今の高松宮記念の前身である高松宮杯――その第1回で芝2000mの日本レコードを更新して勝利し、その高松宮杯を含む生涯4回の中京レース場でのレースでの戦績は、4戦3勝でただ1回の敗北は現役最後のレースで5着という『中京』での異常な強さを魅せた競走馬である。

 その中京レース場の所在地が先に少し名前が挙がった愛知県豊明市であり。確かに、この魂を有するウマ娘が愛知県の県知事として活動をしているというのは……正直、納得であった。

 

 そして時間も限られているので早々と本題を切り出される。

 

 

「……さて。ファンに異例のアンコールを望まれたサンデーライフ君? まずは先に結論を述べよう。愛知県レース組合としてはアンコールを認めるわけにはいかない」

 

「……それは、そうでしょうね」

 

「――だが! 愛知県レース組合としてではなく『愛知県知事』としてならば、それを後援することが出来る」

 

 そう言われて渡されたのは、名古屋市で管轄している観客席付きの総合体育館の利用予定表のコピー。赤いマーカーででかでかと丸が付けられた日の利用は、市の教育スポーツ委員会が主催するイベントで埋まっていた。その日付は――12月25日、クリスマス当日であり、明日だった。

 

「……これは、つまりどういうことでしょうか?」

 

「市とは既にやり取りが終わっている。そこの会場ならば1時間から2時間程度なら、抑えることができた。

 ……もちろん、君が望まなければ白紙にするが、ここに居るファンに向けての『追加演目』を明日行ってもらう準備はこちらで手配した。トレセン学園の秋川理事長も了承済だ。

 後は――君とトレーナー判断で、単独のライブ開催の可否は決まる」

 

 ……つまり、アンコールは許可出来ないが、本日の興行が終了して別日にライブイベントを開催するならそれは『アンコール』の範疇には含まれないのでセーフ、と。うわあ、凄いアクロバティックな政治的取引を見た。

 

 まず、その言葉を受けた葵ちゃんはすぐさま質問を重ねる。

 

「明日の午前中までにサンデーライフを病院へ連れて行き、医師の判断を仰いでも良いでしょうか? 私の見立てでは不安はありませんが、流石にレースの翌日に単独ライブというのはあまり前例のないことですので……」

 

「ええ、勿論構いませんよ。であれば、この後すぐにでも病院の方へ向かってくださってもよろしいですよ。スタッフには私どもからお伝えしておきましょう。

 ああ、それとトレセン学園に戻ってから何か言われた際には、私から病院に行くように勧めたとおっしゃられて構いませんよ、桐生院家の御令嬢さん」

 

「……では、後はサンデーライフの考え次第ですね」

 

 おそらくウイニングライブ後のアンコールや、レース翌日のライブ出演交渉なんて、桐生院家の教えにも一切存在しないだろう。トレーナー白書にも無い突発的な対応が葵ちゃんに襲い掛かっている現状、今のやり取りはそんな葵ちゃんの真価が垣間見えるものであった。

 

 だから私もシュンサクオーに向き合う。

 

「――どうしてここまでしてくれるのでしょう?」

 

 まず彼女自身の手でアンコールを止める必要も無かったし、こうして別日にライブを行うなどという判断も本来必要の無いことだ。葵ちゃんの言った医師の判断についても『シュンサクオーから言われた』というところまで私達に歩み寄る必要もないのだ。

 それは事務手続きなどで問題にならないようにするための配慮で、本来レース関連だけならば必要の無い病院の利用が、問題になれば愛知県知事でその責任を肩代わりするということ。ライブを開く者の責任としてならば当然のことなのかもしれないが、それを言うならそもそもこのシュンサクオーが『ライブを開く』必要性自体が無いのである。

 

 そして彼女は答えた。

 

「……君個人のためではなく、私の矜持の為とでも言えば良いだろうか。

 今日のアンコールはこの愛知県で発生したウマ娘に関する問題だ。……私の父も存外地元のレース愛が強かった御仁でね。遺命もあって、どうにも放っておけなかった。今日この場に居たのはただの偶然だが、その偶然の差配に感謝するばかりさ」

 

「失礼ですが、御父上の生前のご職業は……」

 

「トレーナーだったよ。もっとも、今の君が通っているトレセン学園が大きくなる前からやっていたらしいがね。中京レース場にも小さな分校ではあったが中央のトレセン学園があって、元々はそこで指導していたらしい。……だから、あんなに地元愛に溢れる人物だったのだろうが……。

 まあ、今は亡き父のことではなく、今を生きる君のことだ」

 

 

 ああ、トレーナー関係者だったからさっきの葵ちゃんへの対応も、知っているような反応だったのか。そしてその経歴の『父』とは――恐らく。

 

 ……いや、シュンサクオーの言う通りそれは今追及するものではない、か。

 

 

 これが私の物語と規定するのであれば、回答は定まっていた。

 

「……やりましょう」

 

 だって私は、まだ満足していない。折角降ってきた『アンコール』の機会なのだから私はそれを掴む。

 

 

 その返事を聞くや否や、この場は実務者を交えた設営の話に移行しシュンサクオーは退席する。今日の明日でライブを開こうというのだから土台無茶な話だ。……けれども、それすら可能とするのがこの世界のライブスタッフであった。多分、この世界で一番のチート主人公は彼等だろうね。

 

「……それで衣装はどうしましょう? 今日のライブで使用した共通衣装を使用しますか?」

 

 まあ、今すぐ使えるものってそれしか無いもんなあ。私が了承しようとすると葵ちゃんが慌てるようにして言った。

 

「……あ、あの。実は、名古屋まで。

 ――サンデーライフの勝負服、持って来ているんですよね……」

 

 え、なんで……。

 とはいえ、これはスタッフ関係者の前で追及することではないから、後回し。あるならあるで話を進める。

 

「セットリストはどうしましょう? 一応、これまでサンデーライフさんが入着以上の戦績で歌ってきた曲はリストアップさせていただきましたが……」

 

 おおう……一瞬で私の戦績確認して曲のピックアップも済ませてきているとは。それをざっと見て問題無さそうだったけれども。

 

「あ、それなら1曲だけ追加お願いします――」

 

 

 

 *

 

 ――そして。

 

「……本当に、どうして勝負服を持って来ていたのですか?」

 

 病院へと向かう車内で葵ちゃんに聞く。

 

「あー……内緒にしておきたかったのですが、こうなった以上は無理ですし……。

 明日のクリスマスに面談をするって話でしたよね?」

 

「そうですね。……確かに、ライブをする以上はトレセン学園に戻って落ち着いてからのが良いかもしれないですね。ああ、それと、折角葵ちゃんとの予定があったのにライブを入れてしまってごめんなさい……」

 

「いえ、それは構いませんが……」

 

「……でもそれと勝負服に何か関係が? ディナーを食べるドレスコードにしてはちょっと仰々しすぎますよ」

 

 

「……実は。もしかしたら、サンデーライフが消化不良を感じるかもと思いまして、小さいところですがライブハウスを予約していたのですよ。

 私も多少楽器の嗜みがありますので、そこで私達だけのライブを、と――」

 

 

 葵ちゃんは、私の予想を遥かに超えたクリスマスプレゼントを用意していた。

 そして、私がウイニングライブで想いが溢れてしまうことすら彼女は看破していて、それが前提のプレゼント。……流石に、その私の気持ちにファンが呼応して愛知県知事なんて大物が出てくる事態までは読み切れなかったようだけれども。

 

 ……ちょっと、ずるすぎるでしょ。そのサプライズは。

 

「――それ、別の機会で絶対やりましょうね」

 

「ええ、『王子様』のお誘いと言うのであれば、喜んで――」

 

 

「……やっぱり葵ちゃんの言い回しも大分キザになりましたよねー」

 

「なっ!? サンデーライフの影響に決まっているじゃないですか!」

 

 

 

 

 *

 

 翌日。

 ――本来存在しなかったウイニングライブのアンコール。

 

 それを単独公演という形で執り行うことは周知され。出演者たる私やスタッフ関係者一同すらも含めた何もかもが異例なゲリラライブが開催した。

 

 

 そのステージの上で私は話す。

 

「――まさか、この勝負服を今年。もう1度ファンの皆様の前で着ることになるとは夢にも思いませんでした」

 

 女性用乗馬服。

 全てがちぐはぐで曖昧な私にとって、自身の存在意義と証明を司るかのような衣装。

 

 この衣装に背負わされた『歴史』は、昨日の私の名古屋グランプリでの走りから垣間見えた私自身の歴史をも背負ってくれる。

 これからは前代未聞のレース翌日の追加公演ライブという『歴史』も。

 

 

 ただし『今日刻まれる歴史』は『ウイニングライブ』ではない別のものだけど――きっと。

 ゆくゆくは『ウイニングライブ』という『歴史』もこの衣装に刻まれることになるはずだ。私が走り続ける限りは……ね?

 

 そんな『いつか』の予行練習。だからこそ、私は、この舞台にて、この曲を選んだ。しかも最初に。

 

 

 いくつかの感謝の言葉と連絡事項を告げて、前口上が長くならない内に、1曲目へと入る。

 

「それでは皆さん。まず最初の曲を聴いてください。

 ――『Special Record!』……お願いいたします」

 

 

 そして、このライブをもって私の今年の全ての活動は――終了した。

 

 

 

 


 

 トゥインクル!Web公式㋹ @twinkle_web_official・1時間前 ︙

  【トウカイテイオー、奇跡の逆転劇!】

  news.twinkle_web.co.jp/pickup/46108

  本日26日に開催された中山第11レース・GⅠ有記念、優勝ウマ娘はトウカイテイオー。2着、ディープインパクトとは1/2バ身差。無敗の三冠ウマ娘の英雄の叙事詩を塗り替えたのは、皐月賞で英雄自ら下した『ティアラの帝王』だった。3着はテイエムオペラオー。

 1.8万 リウマート 2,998 引用リウマート 9.1万 ウマいね



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最終話 強めのモブウマ娘『サンデーライフ』

「……うっわ、完全に私が言えた義理ではないけれど、そこから抜き去っていくんですか。トウカイテイオーさんのフットワークの軽快さ、やば……」

 

「あれ? サンデーライフまた見ているんですか? ……今年の有記念の映像を」

 

 12月24日に名古屋グランプリ、翌25日のクリスマスに単独ライブをやった私は。26日にトレセン学園にゆっくり戻ってきた。

 その26日同日に暮れの中山では、有記念が執り行われていて。

 

 そこでトウカイテイオーが勝った。ほら、史実で唯一ディープインパクト号に土を付けたハーツクライなんだけどさ、ダイワメジャーと同期だから既に史実ローテは終えているんだよね。だからディープインパクトが勝つかもって思っていただけにびっくりした。クラシック有は完全にトウカイテイオー号では未知の領域だし。……ってこの帝王の3つのティアラ(・・・・・・・)からして未知のものか。

 

 スペちゃんは順当に日本総大将をやっていたのに、2期アニメ主人公のテイマクはどうしてこうなった。ティアラの帝王とダートの名優。

 

 そして既知の優駿と、未知のローテーションを勝ち上がってくるウマ娘は、まだまだ無数に居る。

 アイネスフウジン、トウカイテイオーととんでもない優勝ウマ娘を輩出し続けているジュニア級GⅠレース・朝日杯フューチュリティステークスだが、今年そこを新たに勝利したのはミホノブルボンで。有と同日開催のホープフルステークスではザッツザプレンティ……史実GⅠ勝利は唯一菊花賞のみという、ライスシャワーと共に菊花賞ハンターが2枚看板でミホノブルボンを襲うことが来年確定した。

 そして未知のローテウマ娘とはJpnⅠ・全日本ジュニア優駿にて優勝したマジックカーペット。……兵庫県の園田トレセンの地方ウマ娘、なんだけど。史実マジックカーペット号は園田の地にて8戦8勝の上、園田のクラシック三冠路線の1つ目の冠である『菊水賞』の優勝歴がある。

 

 ともかく来年以降のクラシック路線も混迷を極めるということだ。ぶっちゃけダートって相対的には芝よりかは安全策だと思っていたけれども、地方の実力者がIFローテで交流重賞や中央進出を狙ってくることを踏まえると実際楽でも何でもないね。

 

 

 で、私の話に戻す。ライブはかなりの反響があった。大手メディアは完全に私の味方なので見出しも『クリスマスの単独ゲリラライブ!』みたいな形での報道で、名古屋グランプリのアンコールに関することは大きく報されてはいない。

 それにしっかり愛知県知事名義で、ゲリラライブに対しての感謝のメッセージも報されている。だから、SNS等でアンコール騒動を知っている層の賛否両論は愛知県知事に差し向けられることとなった。

 まあ、この辺の話も葵ちゃんにSNSチェックしてもらっている中でポロっと聞いたことでしかないし、私の興味対象外の話だ。

 

 というかむしろライブの反響で私にとって大事なのは、開催されるって決まってからメッセージアプリに大量に友達から『何で教えてくれなかったの!』ってメッセージが殺到したことの方だ。ゴールドシチーとかマヤノトップガンとかのGⅠウマ娘もそこには多数含まれていた。

 またハッピーミークからはカニのスタンプが大量連投された、何でだ……。ちなみに同じように葵ちゃんの方にもスタンプ爆撃が行われていて、そちらはヒトデだった。

 

 特にガチ恋勢のクラスメイトお友達の子は、既に実家に帰省していたのに『絶対見に行く!』って譲らなくて、電話して『動画サイトで中継放送もちゃんとやるから無理して来なくても大丈夫だよ』と伝えたのに結局応援に名古屋まで駆けつけてくれた。そういうバイタリティーは私、結構好きかもしれん。

 

 とはいえそこまでの行動力を見せたのは彼女くらいだ。アイネスフウジンも、最初は行くとは言っていたけれど、しかしクリスマスに妹2人を置いて名古屋まで来る選択はどう考えても賢明じゃない。そちらはしっかり断って、それでも見たいなら動画サイトで見るように言いくるめた。

 

 

 まあ、トレセン学園に戻ってきたらアイネスフウジンはむくれていた上に、同室のライアンは既にメジロ家帰省済み。流石に不憫に思ってフジキセキ・ヒシアマゾンの両寮長に許可を取り、彼女の寮の自室に一泊することになった。

 

 

 そして、ひとまず一段落がついた今日。

 ようやく一息つけるということで、葵ちゃんとの年末のミーティングは結局トレーナー室でやることになった。

 ハッピーミークは居ない。……というかハッピーミークからしたら、今日のミーティングは『宝塚記念』の後の引退示唆の話の続きとしか思えないから、そりゃ空気を読むか。私ももし逆の立場で葵ちゃんとミークちゃんが引退に関わる話をしていたとしたら絶対参加したくない。

 

 まあ私もクールダウンの完全休養期間な上に冬休みだからぶっちゃけやることが無いのも事実。暇だからこそ、トウカイテイオーの有映像を反復して見ていたのもある。

 

「……では、改めてにはなりますが。名古屋グランプリ――おめでとうございます、サンデーライフ」

 

「ええ、ありがとうございます」

 

 そして、これまでの戦績を改めて確認する。

 現時点の総合戦績は25戦6勝。内訳は平地競走が22戦5勝で、障害競走が3戦1勝。ジュニア級では7戦、クラシック級・シニア級1年目においてはそれぞれ9戦。

 基本は月1回のペースでの出走だったので、結構な過密日程だった。

 

 トータルで見たときの戦績は実際全然悪くないどころか、普通に優秀だ。更に、2着が8回、3着から5着もそれぞれ2回ずつで、掲示板を外したことは5回。賞金に関わる5着までで考えると相当安定した成績をマークしている。

 というか全然実感は無いけれども、私の成績の半分以上は2着以上だったんだ。未勝利戦時代にレース数稼いでいたのと、後一歩で負ける場面はどのクラスに居る時でも何回もあったからなあ。

 

「正直、自分自身のことですが……今でも信じられないですね。JpnⅡ・名古屋グランプリを勝利したこともそうですけれど、これだけの成績を収められるとは……」

 

「やっぱりサンデーライフは何より安定感がありますからね!」

 

 正直、ここ2戦連続で1着であった信越ステークス・名古屋グランプリが無くとも結構ヤバい戦績ではある。23戦4勝の2着8回でも半分以上は上から2番目以内だったわけだし。サマースプリントシリーズの時点で一旦区切っても、対戦相手だったら絶対警戒する成績だ。

 

 ただし、秋の2戦を踏まえて大きく変わった要素がある。

 賞金額だ。

 

「……賞金の合計は、1億6271万円ですか。目標額の半分をようやく越えたって感じですね」

 

 信越ステークスの1着賞金が2500万円で、名古屋グランプリが3200万円なので、この2レースだけで他の全レースの賞金総額の半分くらいの値を出している。

 とはいえシニア級GⅡだと1着賞金は少なくとも5000万円は越えるから実際、地方交流重賞であるJpnⅡの名古屋グランプリって、お金だけで見ると実は中央GⅢ相当の賞金額だったりする。そこはやっぱりトゥインクル・シリーズとローカル・シリーズの資金力の格差が如実に現れる部分だよねえ。

 URAの上は文部科学省だけど、ローカル・シリーズ各地域のレース組合の上は地方自治体だもん。

 

「……ふふっ。サンデーライフの最終目標は『楽をして生きる』ことでしたものね」

 

「どうでしょう、葵ちゃん? 同じ金額を集めるのに私はどれだけの期間がかかるでしょう?」

 

 もう目安でしかない3億円という目標設定だが、これまで3年間の競走生活で半分、ということは、同額を加算するのにももう3年必要ということだろうか。

 その質問に対して葵ちゃんは答える。

 

「――いえ、今のサンデーライフなら、甘く見積もれば来年中に、それが無理でも再来年の間にはきっと達成出来るかと思いますよ!」

 

「その根拠を一応教えてもらってもよろしいですか?」

 

 私の中でも似たような考えはあったものの、葵ちゃんの意見も聞きたくて尋ねる。

 

「だって今年の賞金額だけで1億円をオーバーしているじゃないですか。それに来年以降にサンデーライフが挑戦する、とおっしゃっていたサマーマイルの優勝報奨金3000万円も更にそこに加算させれば、もう達成じゃないですかっ!」

 

 私はまだまだ実力は成長途上。当面は衰える恐れが無いからパフォーマンス自体は今年よりも来年の方が向上する。

 そう考えれば、今年1億円オーバーを稼ぐことが出来たのだから、もっと高順位をより高い格のレースでもマークし続けられると葵ちゃんが考えるのも間違っていないし、仮に現状維持だったとしても、サマーマイル総合優勝が達成出来ればそれでも来年中に3億円に到達するところまで来ているのだ。

 

 焦る必要は無い。ともすればサマーマイルシリーズ以外はオープン戦出走を積み重ねていくという手段だって良い。芝の短距離オープン戦と、ダートの日本最長重賞を連続で1着になった以上は、警戒も今まで以上のものとなるだろうが、余程のことが無い限りは、もう3億円の目標だって届かないものでは……無いのだ。

 まあ皮算用の類で、実際に出走したら全部着外ってこともあり得るかもしれないけどさ。そういう想定外の成長パターンについて論じるとキリが無いし。未来のローテーションのことを考える際に、明日怪我をしたらどうする? みたいなそんなIFを逐一考慮していたら予定なんて立てられない。

 

「そっか……。私はもう、自分の目標をどうやって達成するのか選べる……ってところまで詰められる立ち位置に居るのですね……」

 

 地方交流重賞ではあるが、私はもう重賞ウマ娘であることには変わりない。国内ではGⅡ勝者相当として扱われるし、仮に国外から見たとしてもオープン戦2勝と見られる。

 

 

 固有スキルを持たない――『強めのモブウマ娘』な私だけれども。

 芝・ダート兼用の全距離適性ウマ娘――ハッピーミークの後継者を名乗れるだけの実力は既に有していた。

 

 そして私はまだまだ成長途上なのである。だからこそ、今、色々なものに届かなくたって構わない。今年と似たようなローテーションを、宝塚記念とサマースプリントシリーズの部分をサマーマイルシリーズに入れ替えたようなものを繰り返して様子を見るのも、あるいはまったく別のレースにチャレンジするのも全ては私の思いのままであった。GⅠだって、今ならばグランプリレースに固執せずに出走を試みることだって出来ると思う。

 

 

 ――そう。GⅠへの出走資格すらも、最早届かないところにある話では無い。

 勝てるかどうかは別の話としても、勝負の舞台への切符はもう眼前に迫っていた。

 

 

 だからこそ。葵ちゃんからこういう話が切り出された。

 

「――宝塚記念の後に引退を一度は勧めた身で、こういうことを聞くべきではないのかもしれないですが……」

 

「もー、葵ちゃんは回りくどいですよー」

 

「……え、あっ、すみません。

 サンデーライフ――このままあなたの目標を優先して賞金を稼ぎ続ける出走をしても構いません。

 ですが、もう1つ別の選択肢もご用意できます。きっとサンデーライフの考慮外の選択でしょうが……。

 

 ――GⅠレースの勝利を狙うという選択も私は提供できますよ?」

 

 

 ……っ。

 GⅠに出る――ではなく、葵ちゃんはGⅠの勝利を狙うと確かに言った。似ているようで全く異なる。私はGⅠには勝利の見込みが無いと考えているのに対して、葵ちゃんはそれが現時点でも可能だと捉えている。

 

 

 その根拠を……いや。理屈を聞く前に一度考えよう。

 賞金のことが度外視出来る状況まで来た今。私はGⅠウマ娘に――なりたいのかどうか。

 

 必要性という観点であれば、GⅠウマ娘という肩書きを得る必要は無い。無理をするくらいなら、きっと私はそこに固執することはない。

 

 たった1つの特定のレースに勝利することよりも、私は今まで安定した成績を収めることに注力してきた。何故か? それは賞金のためである。

 2着賞金とは1着賞金の40%。つまり全く同じ賞金額のレースに3回出るみたいな思考シミュレーションをしたときに、着外・着外・1着という成績よりも、2着3回の方が賞金額は高い。これは極端な例だけどさ。

 それに加えて1つのレースに文字通りの全身全霊を注ぎ込んだとき次走間隔もあける必要が生じるから前者のローテーションで3戦している間に、後者のローテーションでは4戦、5戦とレース数を重ねることも出来るかもしれない。

 

 しかし賞金を稼ぐことが私の目的ではない。それはあくまでも『楽をして生きる』ための貯蓄を増やす手段の1つである。

 

 

 では、私の原初の欲求であり、同時に目標として打ち立てたアイデンティティ。

 

 ――『とにかく楽をして生きたい』とは。

 

 私にとって全てにおいて重きが置かれるものかと言えば……そうではない。

 『3億円』を稼ぐことよりも、あるいは怠惰に生きることよりも――大事なものが今の私にはある。

 それは感情と理性である。そしてそれこそが私がレースを続けている理由。

 

 感情とは、レースが楽しいということ。目的のための手段として開始した私のキャリアはいつしか手段と目的が逆転どころではなくて、そもそもレースそのものが楽しいという新たな感情を芽生えさせた。

 理性とは、自分が制御可能なままどこまでたどり着けるのかということ。そしてそれは手段も目的も、そして勝利に対する心構えすらも全て上書きしていった。

 

 

 そしてそのレースが楽しいという感情と、どこまで自分が行けるのかという理性の双方の側面を鑑みれば、答えは共通して自ずと1つの解を導き出す。

 

 

「GⅠ優勝……してみたいですね、私も」

 

 

 それが成し遂げられるとき、どれだけ私は楽しめるのだろう。

 

 あるいは。

 それが成し遂げられたとき、私はどれほどの高みに居るのだろう。

 

 

 そうした2つの考えは――私が自分自身に期待してこうあって欲しいという願い。それをこの世界でどう呼ぶかはもう、分かっている――『想い』だ。

 

 私は私自身の『想い』に身を任せて考えたとき。GⅠ勝利について純朴に向き合うことが出来ていた。

 

 

 そして、葵ちゃんはそんな私の答えに満足そうに頷いた後に、自信満々にこう宣言した。

 

「――では、サンデーライフっ! 来年からは行きましょうっ――アルゼンチンに!」

 

 

 ……へ? アルゼンチン……?

 

 あまりにも予想だにしなかった地域の名が出てきて私の思考は完全にフリーズする。

 そして、徐々にその言葉の意味を理解する。

 

 

「……え、えっと、あの……えぇぇーっ!? ちょっと、ちょっと、葵ちゃんっ! どうしてそこでいきなりアルゼンチンなのですか!? 意味分からないですよ!」

 

「実は、ですね。既に……来ているんですよね、アルゼンチンの中央トレセン学園より国際招待のお手紙が……一時的な留学と言いますか、ちょっと長めの海外遠征と言いますか、そのような感じのお話です。

 曰く『我が国のウマ娘ナショナルスポーツであるウマ娘ボールを広めてくれたサンデーライフ嬢に多大なる感謝と、そして私達の舞踏会への招待を』――とのことです。

 どうにも、アメリカ国内でアルゼンチンウマ娘のアメリカ遠征を支援する『モンパルナス財団』という組織が、アルゼンチンの中央トレセンに同様の理由で推薦を出していたみたいでして……」

 

「……あ」

 

 

 確かに『ウマ娘ボール』の本場はアルゼンチンだ。それはファン感謝祭のときにシンボリルドルフに対して『ポロ』の代替案として提示したときから分かっていたことではあった……。分かっていたけどさあ……。

 まさか、それがアルゼンチン遠征にまで波及する話だとは思わないじゃん!!

 

 いや、だってアルゼンチン関係者と私は今まで一切関わっていないはず。一番危ぶんでいたファインモーションから繋がるアイルランド方面のコネクションではなくて、どうしてアルゼンチン……?

 

 『ウマ娘ボール』だけの繋がりにしては……って、もう1個見つけた。

 カルストンライトオの1000m日本レコード更新のとき、1000mの世界レコード保持者のウマ娘の出身国は『アルゼンチン』では無かったか……?

 

 さっき葵ちゃんが言っていた『モンパルナス財団』なる聞き及びのない組織が、『ウマ娘ボール』の時点で既に着目していたとして。その後に1000m53秒台というアルゼンチンの有する世界レコード記録に挑める日本レコードを樹立したその場に私も居たのであれば。

 アルゼンチン関係者としてはカルストンライトオと共に、既に他方面でチェックしていた私の名前は、更に興味を引くようなものではないだろうか。

 

 

 いや、これも理由としては弱いね。もっと決定的な理由があるはず。というか、一体何なんだ『モンパルナス財団』って。どうにもこの謎の組織が引っかかる。

 アメリカにある組織だけど、アルゼンチンで……モンパルナス……?

 

 

 なにか……とんでもない見落としをしているような……あっ。

 

 

 ――ああああああぁっ!?

 

 サンデーサイレンス号の母母父!!!!! 母方のお祖母ちゃんの父親の名前がモンパルナスだ!!

 そしてモンパルナス号はアルゼンチン産駒!

 

 つまりサンデーサイレンスの血にはアルゼンチンの血統が、僅かかつ牝系方向からではあるが流れている。……これか!!

 

 

 ……。

 色々と物凄い繋がった気がするけども、それ以上に釈然としないよ!!!

 

 

 

 ◇

 

 『ウマ娘』。彼女たちは、走るために生まれてきた。

 ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る――それが、彼女たちの運命。

 

 この世界に生きるウマ娘の未来のレース結果は、まだ誰にもわからない。

 彼女たちは走り続ける。瞳の先にあるゴールだけを目指して――。

 

 

 

 ◇

 

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 

 シニア級2年目1月後半――アルゼンチン中東部のブエノスアイレス州、アルゼンチンウマ娘トレーニングセンター学園。

 そこはアルゼンチン国内レースの主要レース場であるサン・イシドロレース場のすぐ近く。国内の名レース場の近くで首都の郊外という立地は日本トレセン学園とほぼ同じ。

 

「いやー、南半球だから完全に夏真っ盛りですねえ……。幸い日本の夏と同じくらいの暑さ……らしいですが、流石に真冬から真夏に飛ばされると季節感バグりますね……。

 って、ミークちゃんわざわざ制服の上から何着ているんです? 暑くないですか、それ」

 

「……サムライ」

 

 アルゼンチン・トレセンへ行くまでの道のりは、国外運転免許を事前に手続きしていた葵ちゃんのレンタカーの運転で移動していたが、きっとその内こっちのトレセン学園から社用車のようなものが貸与されるだろう。

 で、ハッピーミークは駐車場に車が着いたとともに上に薄い水色の和風の羽織……っていうか色合い的に、これ完全に新選組だけど、それをわざわざ制服の上から着こんでいた。

 

 で、いつ買ったのかは知らないけれども木刀も帯刀している。全力でサムライイメージに寄せるのか……。まあ妙に似合ってはいるから良いか。

 

 そんなハッピーミークのことはさておくとしても。まずアルゼンチン・トレセン学園を見て一言。

 

「……でかくないですか? この学園」

 

「生徒寮が、サン・イシドロ、パレルモ、ラ・プラタの三大寮になっていますからね。芝のコースは日本よりも少ないですが、その分ダートコースはたくさんありますよ!」

 

 聞けば最大のサン・イシドロ寮は栗東寮や美浦寮くらいの生徒規模があるらしい。で、生徒数は南米最大とのこと。そりゃデカくもなるね。

 

「ええと、確認しますね!

 ミークは、アルゼンチンのBCレースに相当するエストレジャス大賞への出走を目指して6月までの半年間はこちらでトレーニングを重ねることになるかと思います! 芝かダートか、そして距離をどうするかは、芝質や砂質を走って理解してから決めましょうね」

 

「……分かった、トレーナー」

 

 ハッピーミークは新選組装束のまま、刀に手を当てつつ答える。

 

「で、サンデーライフなのですが……。

 ひとまず2月の中旬にGⅢのレースですがダート2400mのビセンテ・デュプイで一度調整しましょうか」

 

 流石に付け焼き刃であるがアルゼンチンの重賞も頭に入れてきてはいる。確かラ・プンタレース場の興行だっけ。となると、首都・ブエノスアイレスから離れるからいきなり遠征か。

 でもギリギリダート中距離に区分されるものの、これだけ長いダートレースはアルゼンチンでも早々存在しない。この国の主流がダートであるとはいえその多くは2000mまでに集中している。というかアメリカもそうだけど、世界的にはいくつかの例外を除いて、基本的にはスプリント戦の方が人気だし、ステイヤー向けの長距離路線の数はどうしても減る。

 その少ないダートの長めに照準を合わせたのは、きっと既に名古屋グランプリで実績あるからだろうね。

 

「良いんじゃないでしょうか。それで、その先のことも葵ちゃんには腹案があったりします?」

 

「……まあ、そうですね。3月の芝の一大レースであるラティーノ・アメリカーノか、4月のダートであるオノール大賞のどちらかで、GⅠに挑戦しても良いかなって思います。距離はどちらも2000mですね」

 

 日本であればダート2000mよりも芝2000mの方が難しい、と思うところであるが、アルゼンチンではその関係性は逆転し、むしろダートの方が難易度は高いだろう。もっとも、ラティーノ・アメリカーノもオノール大賞も、どっちもアルゼンチンレースの国際GⅠ格付けの中でも大舞台になるものだ。特にオノール大賞なんてシニア三大競走に位置付けられているくらいだし。

 

「……オノール行くなら、ヒルベルト・レレナ大賞の方が良くないですか?」

 

 ヒルベルト・レレナ大賞はシニア級ティアラ路線の芝2200mレースで多分オノール大賞よりは楽だと思う。楽とは言ってもジャパンカップとエリザベス女王杯くらいの差だろうが。

 

「最終判断はサンデーライフにお任せするのはこっちでも同じですので、あなたが思うままにレース選定はしてくださって構いませんよ? でも……サンデーライフがGⅠレースを出走予定に挙げるなんて、こんな日が来るとは思っていませんでしたっ!」

 

「……まあ、GⅠ獲るためにこっちに来たんですし」

 

「……ぶい」

 

 

 ……まさか、レースの為に地球の裏側まで来ることになるとは全く考えなかったし、史実の競走馬を踏まえても日本トレセン所属のままアルゼンチン遠征っておそらく史上初なんじゃないかな……って思うところもあるけれど。

 

 

 でも、ね?

 

 日曜日のような毎日を過ごしているわけではなくても。

 今の私が人生を謳歌している、というのは間違いなかった。

 

 

「――さあ、ミーク! サンデーライフ、行きましょう!

 アルゼンチンではこれからがある意味『メイクデビュー』なのですからっ!」

 

「……はいっ!」

 

「えいえいおー……」

 

 

 ――この夢の先が、どこに繋がっているのか。

 それはまだ……誰も知らないのだから。

 

 

 

 強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。

 

 了




物語といたしましてはここで完結とさせていただきます。
ご愛読いただき、ありがとうございました。


制作秘話的な作者語りを含むあとがきを活動報告にて投稿いたしました。興味があれば。


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