Memento Mori~希死念慮冒険者の死に場所探し~【最新話からイマドキのサバサバ冒険者に統合】 (埴輪庭)
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第1話:グレイウルフに殺されたい

死にたがり、と揶揄される、あるいは畏怖される冒険者がいる。

名前はクロウ。

 

中肉中背、ぼやっとした顔つきの平凡な見た目をした男。

20代半ばくらいだろうか、とにかく特徴がない男だ。

そんな彼はとにかく無謀な依頼ばかりこなす。

 

本来パーティで挑まなければいけないような難敵にたった一人で挑む。

 

明らかに罠とわかっているのに盛大に踏み抜く。

 

巻き込まれてはかなわんと彼と組みたがる冒険者はいない。

彼はいつでもひとりぼっちだ。

 

だが、彼にとってはとてもとても好都合であった。

なぜなら彼は1日も早く死んでしまいたいからだ。

普通の死ではない。

必要とされ、惜しまれる死だ。

死後、多くの人からあの人がなぜ、だとかまだ早すぎる、だとか、涙をもって語られるようなそんな死である。

 

そして人間関係は死から自分を遠ざける忌むべきものである。ゆえに、独りであることはむしろ喜ばしい事であった。

 

もちろん人間関係を深めていくことで、クロウの望む死に様へ近づけるのかもしれない。

誰かと親しくなることで、その彼、あるいは彼女はクロウの死に深い哀しみを覚えるだろう。

親しさの度合いによっては後追い自殺さえもしてしまうかもしれない。

 

クロウはさすがにそこまでは望んでいないのだ。

不特定多数のみんなが哀しみ、クロウについて問われれば「ああ、クロウ?彼は本当に立派だったね。おしい人をなくしたよね」としんみりしてくれる程度でいい。

 

自分の死によって傷つく人が欲しいのではない。

悼んでくれる人が欲しいのだ。

 

クロウという男は中々手が付けられないメンヘラではあるが、他人の気持ちなど一切どうでもいい大事なのは自分だけ、と開き直る程の屑でもなかった。

 

 

━━要は死に方だ

クロウは思う。

 

情けない死に方もしたくない。誰もが「彼は勇敢だった」と思うようなもので、なおかつ自分なりに頑張った結果で、しかし残念にも死んでしまう、というものがいい。

 

だからクロウは困難な依頼に好きこのんで飛び込んでしまう。

だが困難な依頼に飛び込み、それを達成してしまうことで彼自身の実力がぴかぴかと磨かれ、その事でクロウの望むような【ハッピーな死】から遠ざかってしまうことをクロウ自身はさっぱり分かっていない。

 

唾棄すべき死を遂げた前世。

生まれ変わった今世。

若い肉体を得て、気力体力の続くままに無茶無謀を通してきたクロウの実力は、本来の銀等級という区分を遥かに超える異常なものとなっていた。

 

 

その日、クロウはグレイウルフの群れに取り囲まれていた。

数は10か、20か。

 

グレイウルフは魔素を取り込みモンスターと化した狼だ。

雑な作りの剣ならばその牙で噛み砕くほどである。

たかが狼だと侮った冒険者が、ギルドタグだけになってギルドにかえってくるというようなことはよくある話だ。

 

クロウは血走る目で周囲を見渡していた。

背後には傷ついた男女。

冒険者…つまり同業者である。

森で彼らはグレイウルフの群れに襲われ、あわや無残に屍を晒すかとおもいきや、たまたま通りかかったクロウが救出にかけつけたのだ。

 

普通、こういう場合は見捨てるのが常道だ。

もちろん自分達の戦力によるだろうが、もし1人ならば絶対に助けられないしほぼ死ぬだけだから、すみやかに離脱してギルドへ報告する、というのが普通の対応なのだ。

 

だが【死にたがり】クロウは違っていた。

 

クロウは歓喜していた。ただでさえ厄介なグレイウルフだ。

 

━━俺にはわかる

━━恐らく、俺は今日ここで死ぬ

━━だが、ただでは死なない

━━彼らだけは助ける。俺という存在が彼らの命を救う為に使われるのならば本望だ

━━この世界に転生して何年たったか。短かったが思い残すことはない

 

生物は死に瀕したとき、本来かけられているリミッターが解除されることがある。

いわゆる火事場の馬鹿力だ。

異常に高まった集中力で視界に写るものがスローに見えることもあるという。

 

キマってしまったクロウはまさにそういう状態なのだ。

 

彼がそのランクに見合わぬ異常な実力を発揮できるのは、彼が毎回自分はまさに死に瀕している、いや死ぬ、ここで死ぬと思い込んでいるからである。

 

 

クロウはそっと腰を落とすと一気に駆け出した。

踏み込んだ足は地面を抉り、まるで彼の後背で爆発がおきたようですらあった。

 

当然群れの意識はクロウへと集中する。

そのままクロウは彼らとは反対方向に走り出し、森の中の少し開けた広場のような場所に出た。

 

傷ついた冒険者達から引き剥がすためである。

 

「さあァァ!俺を殺せ!お前らを殺す!俺の最後の戦いだ!ガアアアアア!!」

 

最後の戦い、無様は見せられぬと雄たけびをあげ、グレイウルフの群れへ突っ込むクロウ。

 

クロウの算盤は、雄雄しく何匹か斬り殺して、激高したグレイウルフたちに無残にも噛み殺される、しかしあの2人は命からがら逃げ延びる…冒険者クロウは冒険者の鑑、男の中の男だと賞賛される…とはじき出していた。

 

だがグレイウルフは魔物だといっても、元は狼である。

そして、狼というのは本来臆病で慎重な気質なのだ。

群れを成すのは彼らの気質の表れと言える。

 

そんな彼らにとって、クロウが全く恐れもせずに自分達を鏖殺せんと襲い掛かってくることは恐怖以外のなにものでもなかった。

 

クロウの気合いと魔力がこめられた雄たけびはグレイウルフの芯を激震させ、その四肢を一瞬大地へと縛り付ける。

そこへ振り下ろされる長剣一閃。

 

全力全開でたたき付けた剣は、一匹のグレイウルフを真っ二つにし、その内臓を派手に周囲へぶちまける。

グレイウルフの返り血を浴び、半身を血で染めたクロウはさながら悪鬼のようだ。

 

「どうしたァ!!俺に見せろ!!!俺の首はここだ!食いつけ!俺は死ぬかもしれないがお前らも皆殺しにしてやる!!」

 

狂奔したクロウの精神は、ここで人生を終わりにできるという歓喜でもはや正常ではない。

ギャアともガアともつかぬ雄たけびをあげながら2匹目のグレイウルフへ踊りかかる。

 

ここへきてグレイウルフたちは、自分達が触れてはならぬモノへ触れてしまったのではないかと心胆寒からぬ思いでいた。

そうなってしまうともう彼らの最大の武器である機動力は使い物にならない。

クロウはブチ切れ、悦び、笑いながらグレイウルフたちを切刻む。

 

 

クロウが我に返ったとき、そこには息絶えた狼たちの骸…いや、残骸が転がっていた。

血まみれの剣を握りしめたまま呆然と立ち尽くすクロウ。

 

━━なぜ、俺が生きている?

━━なぜ、やつらが死んでいる?

 

体の節々が痛む。当然だ、あれだけ激しく体を動かせば無理もでる。

 

クロウは思う。

 

『生きることは、生きることはただそれだけで苦痛だ』

 

『人は人であるかぎり、ただただ生きるだけではいられない』

 

『色々なしがらみに絡め取られ、やりたいこともやれなくなり、やがて感情すらすりへっていくのだ』

 

『自分が自分ではなくなっていく怖さ』

 

『よしんば自分が自分として生きていけたとしてもやがてはかならず死ぬのだ』

 

『絶対に死ぬ、幸せにいきればいきるほど、死への恐怖は肥大する』

 

『幸せにいきようとおもえば最後は必ず不幸になる』

 

『幸せをすて人形になろうとすればその過程が恐ろしい』

 

『だから、だから俺はもう御免なのだ。生きるとか死ぬとかもう御免なのだ』

 

『俺には不幸にも【2回目】があった。でも3回目はないかもしれない。だから頑張ったが、今回も』

 

「だめか」

 

ぐすり、とクロウは我知らず涙を流していた。

人生がまだ続いてしまうことへの哀しみに、体が応えたのだろう。

 

「そういえば」

彼らは無事であろうか。

その時、背後に人の気配をかんじた。

 

「こ、これは…あなたが…?」

恐る恐る訊ねてきたのは、助けた2人の女性のほうであった。

 

助けるときは良くみてなかったから分からなかったが、女性はどうやらスペルキャスターらしい。

少数で多数を制するにはうってつけの職業ではあるが…

 

━━あの距離じゃ厳しかったのかもしれないな

 

そう、あまりに距離が近かった。

あれではキャスティング中に襲われてしまうだろう。

数もおおかったから男のほうも彼女を護りきれなかったに違いない。

 

ふとみれば、男のほうはクロウをやや警戒しているようだ。あれだけの数のグレイウルフを皆殺しにするというのは並々ならぬ腕ではないが、なにより不穏なのはその殺し方である。

 

グレイウルフたちは軒並みその臓腑を撒き散らして無残に屍を晒していた。

頭が少しでもまともならこういう殺り方はしない。

 

「はい」

クロウは短く答えた。

 

彼は基本的には言葉が極端に少ない。

人間関係の基本は会話である。

会話をすればするほど人間関係というものは補強されていく(それが良いものであれ悪いものであれ)。

 

だからこそクロウは必要最小限でしか相手と話さない。

…というのはタテマエで、クロウのコミュニケーション能力がそのへんの野良犬以下というものがあげられる。

 

「そ、そうですか…あの、助けていただいてありがとうございました…もうだめかと…あ、わたくしはシルファと申します…そ、そうだ、応援を呼んだのですが…丁度森を散策中の一党に助力を頼んで…」

 

すると、女性の背後から数名の冒険者たちが駆け込んでくる、

 

「う!こ、これは……」

一党のリーダーと思われる男が絶句する。

「1人で殺ったのか?」

リーダーが問いかける。

 

その目は油断なくクロウの一挙手一投足を観察していた。

「はい」

クロウは短く答え、質問には十分に答えたと(勝手に)判断し、踵を返す。

 

「ま、待て!あ、アンタはあのクロウだろ?し、死にたがり、の…」

リーダーが呼び止めるものの、クロウにはすでに留まる気はなかった。

 

「いいえ、はい」

クロウは答え、去っていく。

 

「死にたがり…の、クロウ…?」

クロウの背を見送るシルファと名乗った女性がぽつりと呟いた。

 

なんとなく。

あくまでもなんとなくなのだが、シルファはクロウと再び関わるような…そんな気がしていた。



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第2話:赤角に殺されたい前編

商人も多く使う近くの街道に、最近山賊が出るらしい。

山賊団は黒屍(クロカバネ)と名乗り、街道をゆく人々を襲っているそうだ。

 

黒い布を体に巻きつけ、襲った人々を皆殺しにすることが名前の由来なのだとか。

 

危機を見るに敏であり、勝てないと見るや遁走するために被害はジワジワと拡大しているのだそうな。

 

馴染みの食堂の親父の情報を聞きながら、クロウは肉と野菜が雑にいためられたモノをモソモソと食べていた。

 

「お前はよう!もっと旨そうに食えないのか?」

親父がクロウにクレームをつける。

 

「はい」

クロウは短く答えた。

旨くはないので、旨そうに食うことはできないという意思を強くこめたつもりだ。

 

はあ、と親父はため息を1つついた。

「ところでよ、お前さんやらかしたらしいじゃねえか!」

 

━━何を?

 

クロウが訊ねる前に、親父が続けた。

「ロナリア家のご令嬢をよ!助けたらしいじゃねえかよ。すっかり噂になってるぜ!」

 

「いいえ」

クロウは短く答えた。

貴族の令嬢を助けた覚えなど……あれ?もしや…

「………」

 

クロウが否定のすぐあと黙り込むと、親父がきいてもいないのに教えてくれる。

 

「護衛1人つれていって森で何をするつもりだったのかね?お貴族様のやりたいことはわからねえなあ。それでグレイウルフの群れに襲われてあわやってときにクロウという人に助けられた…らしいなあ。運が良いお嬢さんだ。グレイウルフの群れをどうにかできる冒険者なんぞ限られてるからなぁ!!」

 

クロウとしては、ふうん、というところであった。

確かに助けたが、助けた後の話なんてどうでもいいからだ。

貴族になんて好き好んで関わるつもりはないし、そのご令嬢にしたってすぐ自分の事など忘れることだろう。

 

「あ!!お前はよォ!なんで青菜を残すんだ?しっかり食え!じゃねえともうつくってやんねえぞ!」

クロウは黙ってモソモソと青菜を食べた。

 

 

「あ!クロウさん!」

ギルドに入るなり、受付嬢のアシュリーが元気よく話しかけてきた。

クロウは礼儀正しくぺこりと頭を下げると、そのままカウンターを素通りして依頼ボードへ向かう。

 

「ちょっと!無視しないでくださいよう!」

アシュリーが訴えかけてくるので仕方なく話をきくことにする。

 

「クロウさん、ロナリア家という貴族家をご存知ですか?そちらのご令嬢がクロウさんにどうしてもお礼をしたいということで」いいえ」

 

アシュリーの言葉に被せていくクロウ。

同時に、手に持つ依頼票を手渡す。

 

「いえ、だから貴族家のお達しですから断わると面倒なことに」いいえ」

トントンと依頼票を指差すクロウにアシュリーはまるで公道上に転がる馬糞を見るような目を向けた。

 

はあ、とため息をつくアシュリーはクロウの持ってきた依頼票を見て目を剥いた。

 

【王都南西の荒地に出没するとされる、オーガ特異固体通称【赤角】の討伐、依頼達成報酬は金貨50枚。最低でも銀等級冒険者5名以上のパーティを推奨する】

 

というものだった。ネームドと呼ばれる特異固体はそれがどういうカタチであれ、想像を超えてくる。

通常種とは何もかもが違うのだ。

 

赤角は最近出現したオーガの特異固体である。

黒く硬質化した肌、頭部から伸びる巨大な真紅の一本角。

通常のオーガとは膂力も内包する魔力も文字通り桁が違う。

 

かのオーガの被害は大きい。

オーガ出没後、またたく間に荒地を住居とする原住民の部族がいくつも滅ぼされた。

荒地の部族は先祖伝来で受け継いできた豊富な薬学の知識を有しており、彼らからもたらされる薬はアリクス王国の王族を救ったこともある。

 

アリクス王国も部族に対し融和的な政策をとっており、両者は友好的な関係といっていいだろう。

 

そんな【友人】が次々滅ぼされることをアリクス王国はよしとせず、当然のごとく討伐隊をおくるがこれが悉く失敗に終わる。

 

赤角は知恵もまわるようで、多数の前には決して姿を見せないのだ。

 

優れたる剣技も、深甚なる魔導も、姿が見えねばどうにもならない。

 

ならば少人数での討伐隊を編成すればいいのかもしれないが、事はそう簡単ではない。

 

よくも悪くも、王国の戦士達は集団行動になれており、少人数での行動となると…ということだ。

結果、赤角の討伐は冒険者ギルドへ一任されることになった次第だ。

 

赤角討伐の褒章金である金貨50枚という額は、一般的な家庭であるなら20年は満足に生活できるような金額だ。それほどの報酬でさえ十分とはいえない。

 

艱難辛苦を舐め、経験を積んだ猛者でさえ足がすくむ相手である。

クロウは冒険者としては銀等級であった。

これはおおむね中堅所といったところだ。

普通なら、赤角に1人で挑むような真似をすれば、一矢報いることもなく無残な死を遂げることは必定である。

 

だが、先日クロウが相手取ったグレイウルフの群れ。

これもまた、依頼等級として考えれば赤角とそうかわらない。

クロウに一蹴されたように見えるが、あれはただの一頭でさえ金属製の武器を噛み砕くような魔狼なのだ。

普通なら防具に身を固めてようとも、全身を食いちぎられてお陀仏である。

 

しかしクロウは普通じゃないし、なんだったらお陀仏したかった。

 

そんなクロウは赤角の討伐依頼票を見たとき、まるで脳天に雷撃が落ちたかのような衝撃を受けた。

 

━━これだ

━━これなのだ。この依頼が俺の生涯最後の依頼になるだろう

 

クロウの豊富な戦闘経験が告げる。

お前はここで死ぬのだと。

お前にとっての死神は、この赤角なのだと。

大地を床とし、空を屋根とし、自然に寄り添うがごとき生活をしてきた無垢なる者たちを無残に食い散らした邪悪な悪鬼の話は聞いた事がある。

 

━━命を賭けても、なお届かない。それはわかる

━━だが、俺の命をもって、悪鬼に深手を、願わくば相打って見せよう

 

「ク、クロウさん………」

クロウの爛々と光る目を見たアシュリーはそれ以上の言葉を告げることができなかった。

 

踵を返し、ギルドを出て行くクロウの背を見るアシュリーは、クロウとはもう会うことができない、そんな思いを抱く。だが、後から「そういえばあの人って毎回あんな感じよね」と思うアシュリーであった。

 

クロウは困難そうな依頼を受けるときは毎回盛大に死の覚悟をキメてトリップ寸前になってしまうので、一部の受付嬢は彼の事を怖がっている者もいる。

 



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第3話:赤角に殺されたい中篇

荒地にたどり着いたクロウは、辺り一帯に広がる不穏な気配、殺気に気付いた。

 

━━見ているな

 

荒地のどこかで、赤角が自分を見ている。

クロウはゾクゾクとする悪寒を感じながら歩みを進める。

ザッザッという足音がやけに大きく聞こえた。

 

歩くこと暫し。

周囲に広がる不穏な気配が、殺気が、濃密さを増していくように感じる。

 

ごくりと飲み込む唾液が苦かった。

━━苦い。これが、死の味か。

にやり、と笑いながらクロウは殺気の中心へ向かって行く。

 

クロウという男は普段でこそ大人しく静か、でもややコミュニケーション能力に障害があるといった青年なのだが、死に瀕している(と思い込む)と脳内麻薬がドバドバと出てしまい、テンションが少しおかしくなってしまうきらいがある。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

そこには一匹のオーガがいた。

ただのオーガではない。

ゴツゴツした硬そうな肌、殺意を煮締めたかのような凶眼がギラついている。

頭部は天を突くかのような巨大な赤い一本角。

特異個体【赤角】がそこにいた。

 

対峙するクロウの眼もまともではない。

切れ長の目の奥の瞳は殺意と自殺意と期待と怒りと悦びと恐怖で爛々と輝いている。

 

思った通りの凶悪な姿に、クロウは強く自らの死を幻視した。

そして死の予感はクロウの肉体の枷を取り外す。

 

ぎりりりりと長剣を握る手に力がこもった。

パキ…パキ…

空気が殺意で軋む。

 

「バァッッッ!!!!!!」

殺し合いは唐突に始まった。

 

魁の音声(おんじょう)と同時に、硬い地面へ跡が残るほどに踏み込まれた勢いで、クロウは猛烈な速度で赤角へ突っ込み、大気を切り裂くかのような袈裟斬りを見舞う。

 

対する赤角はその剛腕から繰り出される一撃を、振り下ろされる斬撃の軌道をなぞるかのように薙ぎ払う。

 

酷く硬いもの同士がぶつかったような耳障りな音をたて、両者の攻撃がぶつかり合う。

 

クロウは即座に剣を引き、横っ飛びで距離をとる。

赤角は追撃せず、ゆっくりと身体を回し、クロウを正面に捉えた。

 

再び両者は向かい合った。

クロウは油断なく赤角を観察しつつ、先ほどの打ち合いについて考える。

 

あの時、クロウは渾身の力を込めて切りつけた。

だが、赤角の肉体には薄い切り傷が1つついているだけだ。

逆に赤角の攻撃は、当たれば即死必死の威力であった。

 

クロウは思う。

赤角の攻撃力は尋常ではない。

それは赤角の纏う魔力が関係しているのだろう。

 

赤角は魔導を使うようだ。

なんらかの魔導が赤角の防御力を高めているのかもしれない。

 

赤角は、クロウが考えている間もじっとクロウを見ていた。

クロウもまた、赤角を注視していた。

 

言語化できないなにかを1匹と1人は交感していた。

赤角の目線からはクロウの一挙手一投足をも見逃さぬという気迫を感じた。

 

実際、赤角としてはあのような力任せの一撃で薄くとはいえ傷を負ったことは驚愕に値することだったのだ。

もしこの身を纏う魔力の護りがなければ、あの一撃は極めて危険なものだったに違いない。

 

目の前のこのニンゲンは餌ではない。敵だ!戦士だ!

赤角の心構えが捕食者から戦士のそれへとスイッチする。

両者の間に静寂が流れる。

 

先に動いたのはクロウだった。

赤角は動かない。

それを見たクロウは、再度赤角へと突進し、今度は逆袈裟に見舞う。

 

赤角はやはり動かず、ただ、右腕を持ち上げた。

その時クロウは見た。

赤く濁った魔力が赤角の一本角から右腕に流れゆくのを。

━━なるほど。奴の魔力の源はあの角か。

━━あの角を破壊できれば、奴の魔導行使を阻害できるだろうが…

 

クロウにもそれが難しいことはわかった。

 

なぜなら、そもそも角から流れる魔力の護りでクロウの一撃を受け止めたのだ。

その魔力の源となれば、護りの堅牢さは推して知るべし。

クロウの本能が告げる。逃げろ!分が悪い!と。

だがクロウは逃げない。

だってとても嬉しかったからだ。

 

死への恐怖と期待がぐちゃぐちゃに混ざったナニカが心へ流れ込み、クロウの頭がどんどんおかしくなっていく。

 

いまやクロウは満面の笑みを浮かべ、血が流れるほどの強さで剣を握り締めていた。

 

━━今の自分の人生は、死にたいと願いながら渋々生きるような野良犬の下痢便にも劣るようなものじゃあない!

━━無残に散った者たちのあだ討ちという大儀のために命を燃やしている!

━━しかし相手は強い!強すぎる!だから俺は死ぬだろう!間違いない!

━━だが俺に深手を負わされたコイツは、早晩他の誰かに倒される!易々と癒せるような傷を負わせるつもりはない!

━━俺はやっと終わらせることができ、仇は討たれる!俺が命をかけたお陰で!俺は死んだあと、賞賛され、たたえられるだろう!俺の死は無駄じゃなかったとみんなが言うだろう!

━━何からも必要とされず、無意味に生きて無意味に死んだ前の人生のようなものじゃあなく!

 

 

ここで魔導と魔力について説明をしておく。

簡単にいえば、魔力とは魔導を機能させるための燃料である。

然るべき量の魔力を、然るべき構造の魔導へ流せば、然るべき結果が発現するのだ。

そして、魔導行使で大事なことは感情の制御である。

わずかな感情の、想いのブレが正確な魔導の発現を阻害する。

逆に、魔力発現で大事なのは感情の強さである。

喜怒哀楽なんでもよい、抱く感情が強ければ強いほどに魔力はその量を増大させる。

優れた魔法使いはリラックスしながら怒り狂うことができ、涙を流すほどの悲嘆にくれながら満面の笑顔を浮かべる事が出来るとされる。

要するに、狂人だ。

そして、クロウは…

 

 

クロウの体から膨大な魔力がどばどばと漏れ出している。

魔力が感情に呼応して急速に増大しているのだ。

 

魔力は大気に溶けることもなく、どろりと粘性を帯び、クロウの全身を覆っていく。

 

赤角は慄然とし、信じられぬものをみるような目でクロウを見ていた。

だがすぐさま怒りを浮かべ、一本角からさらに多くの魔力を引き出し全身を覆っていった。

 

「グ…ガァァァアアアアア!!!」

今度は赤角が雄たけびを上げつつクロウへ突貫した。

頭を低く下げ、その角でクロウをぶち抜かんとする。

 

だがクロウは左手一本で赤角の一本角を握り締め、突進を受け止めると、握った一本角を引き、体を引き寄せると猛烈な膝蹴りを見舞った。

 

クロウの膝が赤角の腹にめり込む。

「ゴボォッ」

赤角は口から胃液を吐き出す。

 

クロウはさらに追撃を加えようと、赤角の角から手を離し、右拳を振りかぶるが、赤角もやられっぱなしではない。

クロウの右手首をつかみ、そのまま背負い投げを敢行。

 

クロウの体は宙に浮かび、背中から地面に叩きつけられる。

「カハッ!」

肺の中の空気が強制的に排出される。一瞬息が出来なくなる。

 

赤角はそのままクロウの上に馬乗りになると、角の先端をクロウの心臓へと突き立てようとする。

だがクロウは赤角の右腕を掴むと、渾身の力を込め腕の肉を千切り飛ばした。

膨大な魔力を纏えば、か弱い人の身とて怪物の肉を千切るくらいは出来るのだ。

 

赤角の顔が苦痛に歪む。

それでもなお赤角はあきらめず、左腕でクロウの顔面を殴りつける。

クロウの鼻が潰れ、鮮血が飛び散る。

クロウは怯まず、空いた手で赤角の角を掴み、ギリリと握り、締め付ける。

 

理性的な判断ではない。

まだ正気の欠片が残っていたときは膨大な魔力で覆われた一本角は堅牢に過ぎる、と判断したはずだった。

だが今のクロウは頭がおかしくなっている。

クロウは全身全霊で死にたいと願い、全身全霊で殺したいと願っていた。

 

赤角の左手がクロウの喉を掴んだ。

クロウが赤角の一本角を握り圧し折ろうとするのと同様に、赤角もクロウの喉を握り潰そうとする。

 

喉を締め付ける赤角の膂力は凄まじい。

喉元とて魔力の護りはあるが、それでも次第に喉に赤角の指が食い込んでいく。

 

それでもクロウは一本角を握り締める力を欠片も緩めなかった。

彼には彼なりの算段があったのだ。

そこには、自分の死は当然の如く織り込まれている。

決着が、近付いていた。



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第4話:赤角に殺されたい後編

━━決着は近い

クロウは思う。

見れば赤角の目も、何がしかの決意で彩られていた。

気持ちは同じということなのだろう。

だが、両者の決着は思わぬ形で幕を閉じる事となる。

 

「ジ・カカグネィ・ゲルガ!刺穿冰矛(グラシアル・ペネトレート)!」

青褪めた一矢が赤角の右腕を穿った。

貫く事こそ出来なかったが、氷気を纏った一撃は赤角の腕に薄く氷をはわせ、その動きを阻害する。

 

 

クロウの喉元を締め付ける力が緩んだ。

同時に、バキッという音と共に真紅の一本角が圧し折れる。

クロウが握り潰したのだ。

声にならぬ悲鳴をあげ、赤角が頭を抱え蹲った。

 

クロウは落ちていた剣を拾い、剣を構え、一思いに袈裟に斬り捨てた。

魔力の纏わぬ肉の、なんと脆いことか。

 

クロウは暫し、色の失った眼で赤角の骸を眺めていた。

「クロウ様!ご無事ですか!?」

声のほうへ振り向けば、いつかのスペルキャスターの少女が杖を携え立っていた。

 

傍らには男女がそれぞれ1名ずつ。

男のほうはグレイウルフから助けたときのあの戦士だった。

女のほうは初めて見る顔だ。

 

「危ない所だったとお見受けし、失礼ながら手出しをさせて頂きました…申し訳御座いません」

スペルキャスターの少女がぺこりと頭を下げる。

傍らの男が続けて言う。

 

「グレイウルフの群れの時は世話になった。改めて礼を言わせて貰う。あなたが単身で特異個体討伐の依頼を受けたときき、お嬢さ…いや、シルファが慌ててし

まってね。押っ取り刀で駆けつけてきたというわけだ。どうやら…間に合ったようだな」

 

クロウはそれを聞き、もう1人の女のほうを見た。

 

「ああ。彼女は俺の同僚だ。いや、そうだな、シルファのパーティのメンバーだ、俺と同じように…」

男はどうやら腹芸がうまくない、というか素性が割れていることには気付いていないのだろうか。

 

クロウは男の言葉に頷き、軽く頭を下げた。

助けてくれてありがとう、という意味だ。

正直、助けてほしくはなかったが、彼らが善意から自分に手を貸してくれたことは理解している。

 

クロウは被害妄想気味で希死念慮に頭を焼かれているメンヘラではあるが、善性の行為を前に、それらに唾を吐きかけるような程度の低い悪性の人間ではなかった。

 

「申し遅れました…わたくしはシルファと言います。彼はグランツ、彼女のほうはアニー」

シルファの紹介をうけ、男と女は軽く頭を下げた。

 

シルファが術者、グランツが重戦士。アニーは見た所は軽戦士といったところか。バランスの良いパーティのようだ。

だがクロウの疑問は晴れない。

 

━━そもそもなぜ彼らがここに?

 

クロウの疑念の目を受け、シルファは慌てて答えた。

「い、いえ!あとをつけていたとかではないのです!あのグレイウルフの群れの一件以来、クロウ様へお礼がいいたくて…ギルドでクロウ様のことを尋ねると、特異個体討伐の依頼を受けたといわれて…しかも1人で!」

 

最後の言葉になにやら非難の念が籠もっているようにクロウには思えた。

 

「あの時は本当に助かりました……しかしいくらなんでもあんな無茶苦茶な依頼を請けるとは……あなたが死んだら元も子もないでしょう?」

それはまあ、道理だ。一般的には。

 

「ですから……こうして後を追いかけて来た次第です」

クロウは黙ったままだ。

自分が異常な行動をしていることは理解できる。

 

「……すみません。つい熱くなってしまいました。でもクロウさん、どうして1人で特異個体討伐など……」

グランツがシルファを遮り言った。

 

「シルファ。その辺にしておこう。クロウ殿にも事情があるんだろう。それより……クロウ殿、先程の戦いぶり見事だった。だがあなたも怪我をしているようだ、手当てをさせてはくれないか?喉の傷、かなり重傷だ。放っておけば障るだろう」

クロウはこくりと肯き、治療を承諾する。

 

「では、失礼して」

グランツは腰元から軟膏を取り出した。

軟膏入れは漆器で、蓋の表面に刻印がはいっている。

クロウもみたことのある刻印だ。確か…

「さすがに気付くか?ああ、カサノヴァ印の高級軟膏さ。重度の火傷だってなんだって治してしまう。さすがに欠損などは無理だがね…」

 

カサノヴァといえば王都でも指折りの薬師である。

その彼がてずから作成したポーションは、モノにもよるが最低でも金貨1枚はくだらない。

現代日本の感覚でいえば100万円といったところだろう。

せいぜいが銀等級(クロウ自身も銀等級だが)の冒険者がおさおさ所持できるものでもなかった。

 

「我等にも事情があります。お含みおきください」

クロウが疑問をつらつらと思い浮かべていると、それまでだまっていたアニーが口を開く。

 

「はい」

クロウは素直に返事をした。

 

「さて、これでいいかな?」

グランツはクロウの喉元の傷口に塗り薬を塗った。

塗布された瞬間、じんわりとした暖かさを感じる。

痛みも和らぎ、血流がよくなったかのように感じる。

 

「それでは王都へ戻りましょうか。それ…皆さんびっくりされますよ」

シルファはそういうと、クロウの持つ破損した一本角をみて呆れたように笑う。

 

シルファは内心で驚愕していた。

砕かれたとはいえ、角からは禍々しい邪気にも似た魔力がもれ出ている。

少なくとも自分であるなら、このような魔力をもつ魔物と単身で対峙するなどとてもではないが出来たものではない。

ギルドによれば彼もまた自分と同じ銀等級冒険者。

 

先だってのグレイウルフの殲滅といい、今回の赤角単独討伐といい、このクロウという青年は何者なのだろうか?

気付けばシルファは、クロウに命を救われた少女としてではなく、銀級冒険者としてでもなく、1人の貴族としての目でクロウを眺めていた。



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第5話:赤角に殺されたい終

ギルドでは驚愕と納得と呆れの入り混じった視線に出迎えられた。

 

銀等級複数を要する依頼に単独で向かうなどということは普通なら生存は絶望的である。そういう意味での驚愕。

 

だがクロウならやりかねないという納得。

 

無茶ばかりやってる、相変わらずの死にたがりだなという呆れ。

 

銀等級パーティのシルファたちが後を追ったことを踏まえてみても、やはり討伐はもとより、生存すらも危ういというのは堅実的な見方であった。まあ普通なら。

 

「よく、ご無事で…!」

アシュリーが感極まったようにクロウを迎える。

「はい」

クロウは返事とともに、赤い角の残骸をカウンターに置いた。

 

そして、ちらりと背後のシルファたちに目をむけ、アシュリーに対して軽く頷いた。

クロウとしては、彼らの力も借り討伐することができた、という意思表示である。

だがここまで簡略化されると、普通はクロウが何をいっているか分からない。

 

しかしアシュリーはさすがにクロウとそれなりに付き合いがあるだけあって、彼の言いたい事のおおよそを察した。

「シルファ様!グランツ様、アニー様、クロウ様の救援にむかってくださったことを感謝します」

 

「いえ、クロウ様には以前命を救われました。当然のことをしたまでです」

シルファはそう答えると、後ろの2人に目配せをする。

グランツとアニーは黙したまま肯く。

 

「クロウ様も本当にありがとうございます。達成された今だからいえますが、あの依頼は王都のギルドでも正直手に余るものでした…」

アシュリーが深々と頭を下げる。

 

「はい」

クロウは相変わらず一言で答えた。

だが、その表情はいつもよりもほんのすこし柔らかかった。

 

ギルドでのやりとりを終え、クロウ達は帰路につく。

宿は別だが、途中までは同道することになった。

 

「それにしても驚きです。まさかクロウ様が銀等級冒険者だったとは……いえ、それより低いとおもっていたわけではないのです。逆に、そこまでの実力がありながらもなぜ銀等級に留まっているのかということで…」

「はい」

 

クロウがいまだ銀等級なのはそのコミュニケーション能力の低さと、そもそも本来のクロウが銀等級に昇格したばかりというのもあった。

ギルドの規定で、昇格後は暫くその位置に留まることになっているのだ。これはその等級に本当に相応しいかギルドが見極めるための期間でもある。

 

「…しかし、グレイウルフの一件もありますが、クロウ様はもはや金等級でもおかしくないとおもいます」

「いいえ」

 

「……えっと…」

「はい」

「……はぁ」

シルファは溜息をつくと、前を歩くアニーとグランツに視線を向ける。

・・・・

(クロウ様はなんというか…変わった方ですね。というより、はいかいいえでしか話している所を見た事がないです…)

クロウはシルファの質問に対し、首を横に振るだけだった。

シルファとて彼と出会ってまだ日が浅いが、彼が受けてきた数々の依頼内容を鑑みれば、確かに金等級であってもおかしくない実力を持っていると思える。

 

しかしクロウは頑としてそれを認めようとしなかった。

金等級冒険者になるには、推薦なども必要だ。

クロウは見る限りでは人付き合いが上手とはいえない。

おそらくそのあたりの折衝がうまくいっていないのではないだろうか?

 

「まあ、クロウ様の事情もあるでしょうしね」

シルファはそう独り言ちると、ふと自分の足が止まっていることに気付く。

どうやら考え事をしていたせいで、いつの間にか立ち止まったままになっていたようだ。

 

「すみません、お待たせしました!」

シルファは慌ててクロウたちの後を追う。

 



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第6話:呪いの魔剣に殺されたい前編

━━そろそろ限界か

クロウが宿屋の自室で愛剣の手入れをしていると、無視できないほどの刃こぼれがあちらこちらに散見された。

 

赤角との一戦に限らず、これまでの激戦でボロボロになってしまったのだろう。

もはやいつぽきんと圧し折れてしまっても不思議ではないとさえ思われた。

 

刀身はすっかり曇り、切れ味は最早期待できそうもない。

だが、クロウは気にせず、そのまま研ぎ始めた。

 

砥石を使って丁寧に、丹念に、何度も同じ箇所を往復させる。

そして、再び磨きなおすと、そこには先程までの曇りが少しだけ薄れていた。

 

クロウはソロ冒険者であるから、依頼の報酬は全て自分のものだ。赤角の報酬についてはシルファたちに一部譲渡したが。ともあれ、そういうわけで金には困っていないので、武器をかえようとおもえば買い換えることは出来る。

 

しかしクロウはどうにもその気になれなかった。

磨り減ったら捨てて、新しいものへと変えられる。

それはまるで前世の自分のようではないか?

 

そうおもうと、このおんぼろロングソードはまるで自分の魂の一部かのような気がしてくるのだ。

 

━━明日、鍛冶屋にもっていこうか

専門家ならあるいはこのロングソードを廃棄せずに仕立て直してくれるかもしれない。

 

いずれにせよ、多少研ぎが出来るとはいえ鍛冶方面では門外漢である自分が判断するよりはマシなはずだ。

そんなことを考えながらクロウは眠りについた。

 

 

翌朝、クロウは朝早く起き、準備をすると早速鍛冶屋に向かった。

店内に入ると、カウンターの奥に座ったドワーフの老人が顔を上げる。

 

髭面のいかつい風貌をしており、一見すると近寄りがたい雰囲気があるが、意外とその表情は柔らかい。この店の主、ダガン=バドッカだ。

 

彼はかつて金等級冒険者だったと噂されている。

だが、今はこうして鍛冶屋を営む隠居の身だ。

その腕は確かで、彼の打ったものはどれも一級品だと評判だった。

 

クロウはカウンターまで歩いていく。

そして、手に持った愛剣を差し出した。

それを見た瞬間、ダガンの眉がピクリと動く。

クロウの愛剣を見て、何か思うところがあったのだろう。

しばらくじっと観察した後、やがて納得したように一つ肯くと、口を開いた。

 

その声音は低く、どこか哀愁が漂っていた。

「これは……もう駄目じゃな。剣としては死にかけておる」

「ハガネもボロボロじゃわい。毒に、魔に、血に、侵されておる。これじゃあ鋳潰して新しく仕立て直す事もできん」

「可哀想にの。儂には聞こえるわい。まだやれる、ここで終わりじゃない、主人のためにまだ斬れるとの」

 

クロウは黙ってそれを聞いていた。

ダガンの言うことは正しかった。

鍛冶には素人のクロウでさえ、この剣からは感じるものがあるのだ。

 

いまにも木っ端微塵になってしまいそうな崩壊の気配を、か細いなにかが押しとどめていた。

まるで前世の自分の様ではないか。

 

「……お前さんはよほどこの剣を愛したようじゃの。普通はここまで【声】を出さんわ。…じゃが…ふむ、まてよ…しかし…」

ダガンがなにやら苦悩めいた表情を浮かべ、思い悩んでいた。

 

━━どうにか出来るのだろうか?

愛剣を救ってやれるなら金は惜しまない。

クロウがそう思っていると、やがてダガンは口を開いた。

 

「…少し待っておれ」

ダガンが店の奥へ戻っていく。

待つ事暫し。ダガンは黒い鞘に入っている一振りの長剣を持ち出してきた。鞘には複雑な文様の帯が巻かれているが、その剣をみれば専門家でなくとも分かるだろう。

 

「お前さんも分かったようじゃな。そうじゃ、これは呪いの魔剣…む?わかっていてその目はちょっと、やはり、変わっておるのう…」

 

クロウの目は慈愛に満ち溢れていた。

まるで陽だまりの下、猫同士が戯れている光景を見ているお爺さんのような目だ。

 

呪いの魔剣!素晴らしいではないか。

恐らく一振りごとに命を削るとか、災厄を次から次へと招き寄せるとか…その手の呪いなのだろう。

 

とはいえ、魔剣は複雑な術式やら呪詛やらのせいで学術的価値はおしなべて非常に高い。

クロウの経済力といえどとても手が出るものではなかった。

元より買い換えるつもりはないが、まさか自分に勧めるつもりなのだろうか?

 

クロウがきょとんとしていると、ダガンは重々しい口調で言った。

「これはさっきも言ったように、呪いの魔剣じゃ。一度封印を解けば、あらゆる行動が所持者を危険へと導き、最終的に死に至らしめる。だが、呪いってもんは絶対のモノじゃねえ。相対する力をぶつければ呪いは弱まる」

 

フゥーっと息をつき、ダガンは続けた。

「そういう技術っていうかの、口伝というか、そういうものは昔からあるんじゃよ。もちろん、先人の夥しい犠牲があってこそのものじゃが…」

 

ダガンは苦々しい表情を浮かべた。

「この場合の力っていうのはの、害をなそうとする力に護ろうとする力をぶつけるわけじゃな…。難しいことじゃないが、危険なことではある」

 

「それこそわしなんぞよりずっと前の鍛冶屋はな、剣としては優れて居ても強力な呪詛のせいでまともに扱えないような魔剣を扱えるようにするために、色々頭を捻ったもんじゃ。結局考え付いたのが、火に水をかけるような力業じゃった。要するに、魔剣に抗するものを一緒くたにして鍛造しなおしちまえばいいってな」

 

クロウはあんまりな力業に苦笑してしまう。

 

「普通はそんなもん駄目だとおもうじゃろ?わしも思う。呪いとか守護の力ってのはそういうモンじゃないとおもうんだが…案外これがうまくいってしまったのよ」

 

ダガンの目線を追えば、それはクロウの愛剣に向けられていた。

 



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第7話:呪いの魔剣に殺されたい中篇

 

ダガンの説明をきいたクロウは自分なりにまとめてみた。

つまりはこういう事だ。

呪いの魔剣に、守護の力を帯びた愛剣をまとめて溶かして一本の剣にする。

 

すると、どうなるのか。

 

呪いと守護、その力がより強いほうが弱いほうを吸収するのだ。

 

━━吸収されてしまったほうの剣はどうなるのか

 

クロウが疑問におもっていると、ダガンは厳かに答えた。

 

「吸収されたほうの剣は、形も残さず崩れ去る。それじゃあ意味がない。だが、これが抗していればどうじゃ?2つの拮抗した力が交じり合うことで、新たな剣が生まれるじゃろうの」

 

「肝心なのはの、呪いの剣と守護の剣、両方が拮抗した力をもっていなければならんということだ。あまりに力に差がありすぎると、格は交じり合わずに強いほうの格のみが残る。呪いの剣はより強力な呪いを得るじゃろう。守護の剣も然りじゃな」

 

「もしお前さんがその愛剣を魔剣と食らい合わせるというのなら、結果がどうなるにせよその剣はくれてやる」

 

「わしがこの提案をしたのは…【声】が聞こえるほどに、そのボロボロになった剣がお前さんの為に働きたがっていたからじゃ」

 

「もしお前さんの愛剣が、魔剣の呪いに抗するものであるならば、呪いを糧とし新たな力を得、再び戦働きが出来るようになるじゃろう」

 

クロウが、もしこの話を断わればどうなるのか、と思っていると、ダガンがそれを察したかのように続けた。

 

「もちろん、断わってくれてかまわん。呪いを侮ってはならんという事に間違いはない。ただ、お前さんの愛剣は早晩、本当の意味で死ぬじゃろう」

 

クロウは思い悩むが、愛剣に触れたときに言葉に出来ぬなにかを感得した。

逡巡は短かった。愛剣はもし魔剣とやらに吸収されれば死んでしまうのかもしれないが、放っておいても死ぬ。

 

ならばワンチャンスにかけるほうが賢いのだろうとおもったからだ。

クロウが短くうなずくと、ダガンはクロウの剣を手に取り、カウンターにおいた魔剣の横へ並べて言った。

 

「……よかろう。やってみよう。暫く日にちをもらうぞ。まあ…7つ日が過ぎた頃にはすんどるじゃろ」

 

クロウは頷き、愛剣を一瞥して店を出て行った。

 

 

そして七日後。クロウが店へ赴くとダガンが一本の剣を差し出してきた。

 

その剣は黒い長剣であった。

漆黒の刀身を持ちながら光を反射することのない闇のような剣。

 

愛剣は魔剣を吸い込み、魔剣は愛剣を取り込み、そのふたつはひとつの剣格として生まれ変わった。

その剣をみてクロウは、自分の人生にぴったりだとおもった。

クロウはダガンに礼を言う。

 

ダガンは最後までクロウに同情するような表情をしていた。

 

(うーむ…はやまったかの…)

 

クロウを待っている間のあの剣の【声】ときたら!

 

だが普段できない良い仕事ができた、と鍛冶屋魂が満たされ気分自体は良いダガンであった。

 

 

愛剣は魔剣と融合したことにより新たな力を得たようだ。

魔剣の呪いの力を、愛剣は吸収したのである。

とはいえ、守護の力を持つ剣が災いを呼び込む魔剣の力を取り込めばいったいなにがどうかわるのだろうか?

 

個人的には、自己顕示欲を満たせるような死を賜ってくれれば良いとクロウは思った。

クロウはベッドに横になると、眠りについた。

翌朝、目が覚めた。

 

窓を開けると清々しい風が流れ込んできて、気分が晴れるような気がした。

朝食を食べて宿を出る。

 

ギルドへ向かうのだ。

ギルドに入るといつものように騒然としていた。掲示板の前に人だかりができていて、受付嬢たちは対応に追われているようだった。

 

クロウが掲示板を見ていると、肩を叩かれた。

振り向けば、そこにはシルファがいた。グランツとアニーはいない。

 

「こんにちは、クロウ様。依頼探しですか?」

「はい」

クロウは短く答えた。

ちらっとシルファを見ると、きょとんとした顔を浮かべ、すぐにああと察したようにつづける。

 

「グランツとアニーは買出しです。合同の討伐依頼が近々あるのです。私はギルドにお留守番ですね。合同依頼で一緒になる他の一党の人達もギルドにくるので、そういう人達とまあ顔つなぎの様な事をします。…あ!そうだ、クロウ様も」いいえ」

 

クロウが被せると、シルファは目をぱちくりさせながら残念そうに「そうですか…」と言った。

 

事はそのあと起きた。

背後から、クロウの肩を強く引っ張る者がいた。

 

「おい!こっち向け!なあ、お前がクロウだろ?死にたがりって言われてるらしいじゃねえか」

 

いかにもな風体をした荒くれものだ。

年の頃は30も半ばか。

ギルドタグは鈍い銅色。

銅級の冒険者である。

ガタイがよく、力には優れていそうだが、頭や人格の問題で昇級できないのだろう。

 

しかし王都ギルドではみたことがない。

とはいえ、ギルド所属の冒険者を全員見知っているわけではないのだが…

 

カタカタという音がする。

 

クロウが臆せずにじっと男の顔をみていると、男は虚仮にされているとおもったのかたちまち顔を赤くして怒鳴った。

「おい!何をみてやがるんだてめェ!」

 

その声に反応したのはシルファだった。

「ちょっとあなた、そんな言い方はないでしょう。この方は私たちの仲間です。」

シルファの声音は優しく穏やかだったが、怒りが含まれていた。シルファが怒っているところを見たことがなかったクロウだが、このときばかりは驚いた。

シルファの言葉に逆上した男は拳を振り上げた。

 

カタカタという音がする。

 

「何しやがる!!」

クロウは素早く動いて男の腕を掴んだ。

「なんなんだテメエ!!放せ!!」

 

クロウは無言だったが、掴む力は緩めなかった。

 

カタカタという音がする。

 

男から殴られても、正直にいってクロウはどうでもよかった。

だがいくつかの理由でクロウは動かざるを得なかったのだ。

1つはシルファに塁が及びそうであった事。

そしてこれが火急を要する事態だったのだが、己の愛剣が鞘の中でカタカタと音をたて、不穏な気配を振りまいていたことだ。

 

愛剣は呪いの魔剣を吸収したという。

男の暴力的な気配に反応したのならば、放っておけばろくなことにならないに違いない。

だが、あるいはもう遅いのかもしれない。

 

不穏な気配は急速に剣呑さを増していくように思える。

不快感が、不安が、徐々に形になっていくような錯覚を覚えた。

 

「おい!ふざけんなよクソガキが!」

鈍そうな男もその気配にはさすがに気付いた。

しかし得体の知れない恐怖にビビッていたら冒険者なんて出来ないと己を奮い立たせ、激昂してクロウに殴りかかってきた。

 

シルファや他の冒険者たちは息を吞んでみている。

男は気付かないのだろうか?先ほどから冷や汗が止まらない。

 

尋常ではない気配だ。

 

まるで、いまからこの場の全員が死にますと死神から言われているかのような気配だ。

 

クロウは男が空いた手を振りかぶると、その手が振り下ろされる前に、掴んだ腕を引き力任せに投げ飛ばした。

男が地面に叩きつけられると同時に、クロウは男の首にナイフの刃を当てた。

 

腰に差した鞘からは、もうカタカタではなくガタガタ、ガチャガチャと激しい音がもれていた。

クロウには聴こえる。理解できる。

 

愛剣の意思が、想いが、言葉にはならずとも理解出来るのだ。

━━━自分を使え、あなたを護る、こいつを殺す、敵を殺す、殺して護る

 

 

さすがにここで殺しはご法度だろうと、クロウはぽんぽんと鞘を叩く。

 

撫で回し、背中を叩くようにトントンといつくしんでやると、次第に鞘からの凶音は収まっていく。

 

「な……!なんなんだお前は!」

男は青ざめて震える声で言う。

一瞬で鎮圧する必要があった。

 

そうしなければ、クロウが何もしなくとも己の愛剣はその癇癪を破裂させていただろう。

そうなれば死人が出る。

 

男を死なせないため、被害を拡大させないための慈悲の暴力だ。

 

━━赤の他人のためにここまで気を遣わなければいけないとは

 

と内心辟易していた。

 

「そこまで!クロウ様!ギルド内での争い事はご法度です!それにあなたもこんな事をしてただで済むと思っていますか!?」

 

受付嬢のアシュリーの声が響く。

やっととめにきたか、とクロウはうんざりしつつ、男を放してやった。

さすがにこの乱暴な男も、ギルド職員の前では無体な真似はできないだろう。

 

「ちっ!」

 

男は舌打ちをしてクロウを睨みつけるとその場を去った。

「大丈夫ですか?」

「はい」

クロウが短く答えた。

 

大丈夫だったとも。俺じゃなく、あの男の命、そしてこの場の者の命が。

 

「あの方、王都の冒険者じゃありませんよね?見た事がありません。どこから来たんですか?あのような乱暴者がこの王都にいるなんて……」

 

シルファが不満げにいい、クロウと腰に差した剣を見ておそるおそる訊ねた。

 

「ところで、クロウさん、貴方は何者なのでしょうか?先ほどの動きといい、只者ではありませんよね。それに、その禍々しい剣は一体何なのですか?そのようなものは持っていなかったと思うのですが…」



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第8話:呪いの魔剣に殺されたい終

己が何者か、という質問にクロウは答えられないでいた。

自分は日本人鈴木四郎であり、冒険者クロウである。

だが彼女はそういう事を聞きたいのではないのだろうという事くらいはクロウにも分かっていた。

 

だが自分という存在が【何】なのかなど、誰がわかるのだろうか。

 

ところで…自分が何か、こういう一種哲学的な疑問を投げかけられると一部のメンヘラは深く悩みこけてしまう。

それはクロウも例外ではなく、シルファの質問などすっかりと忘れ、たちまちに自問自答の沼へとどっぷりとはまってしまった。

 

━━自分という存在を理解できれば、苦しみから解放されるのだろうか。仏教でそういう教えがあったはずだ…

だがそれ以前に、苦しみから解放されれば何もかも解決するのだろうか。苦しいことは辛いことだ。辛いことは嫌な事だ。だが、考えてもみてほしい。そうすれば分かるはずだ、欲望の充足が幸福であるとするならば、幸福の前には必ず苦しみがあることを。おなかがすいたから食事を取る。

眠いから寝る。欲求不満が溜まったからセックスをする。

満たされぬという不幸を経て、幸福へといたる。生きることは欲望を満たしていくことだ。つまり生きている限り、常に不幸が付きまとうことでもある。だが、自分という存在を本当の意味で知ることができたならば、苦しみから解き放たれるのだろうか?そもそも俺は死にたいのか?本当に?生きていれば必ず訪れる、死。どれだけ幸せにいきていようと、死はやってきてしまう。いつくるかわからないものならば、いっそ今掴んでしまえとヤケになっていないとどうして言える?もし自分が実際は死ぬことを恐れていたとしたら、大変なことだ。生にも死にも逃げ場所がないではないか。

 

クロウは眉を顰め懊悩する。

悩み、苦しみ、まるで独り深海に沈んでいくような不安を覚える。クロウという男は大体いつもこのような感じだ。

些細なことでもウンウン唸り、煩悶し、勝手に苦しんでいるのだ。

 

シルファが聞きたいことは、クロウの生きる意味だとかそんなことではなくて、得たいの知れぬ素性の、得たいの知れぬ輩がランクに見合わぬ実力を持っていたり、気付けばなにやらアブナそうな剣を持っていたりするのは何故だ、理由を説明しろ、ということだろう。

 

こんな質問は黙殺してしまうか、適当にでっちあげてしまえばいいことなのだが、クロウにはそれが出来ない。

 

適当という事が、適切という事がよく分からない。

 

【考えてもわからないし、まあいいや】

という良い意味での雑さが全く無いため、ちょっとしたことでも頭が故障してしまうのだ。

 

例えるなら壊れたパソコンだ。

なにがしかのエラーを吐いたとき、普通は動作自体が停止する。

 

クロウはエラーをはいても動き続ける。そしてCPUごと盛大に壊れてしまうのだ。

 

 

シルファはぎょっとした。

疑問をおもわず口に出してしまったことを後悔する。

何者なのか、という質問を発したら明らかにクロウの様子がおかしくなったからだ。

 

グゥと唸り、目はみるみる血走り、カリカリと爪を噛んでいる。よほど聞かれたくないことなのだろうか。

腰の鞘からは何かを引っかくような音も聞こえてくる。

 

「ク、クロウ様!!申し訳ありません、無理に聞き出そうということではないのです。クロウ様が言いたくないことは言わなくても良いのです」

 

まずいと思いシルファが慌ててクロウに声をかけると、なんとクロウは目の端にじんわりと涙さえ浮かべているではないか。これは悲しいからとかそういうことではなく、一種の感情の放熱のようなものである。

 

めちゃくちゃに悩み、心がぐしゃぐしゃになったとき、泣くというのは案外理にかなっているのだ。

涙というのはストレスを放散させる作用があるというのは現代日本でも知られていることである。

 

 

「大丈夫…大丈夫ですから…」

シルファは得も知れぬ心地となり、思わずクロウを抱き締めてしまった。

 

これが本当にグレイウルフの群れを鎧袖一触になぎ倒した男であろうか。

 

これが本当にあの赤角と呼ばれるオーガの特異個体と死闘を繰り広げていた男であろうか。

 

あの体格に優れるならずものの威嚇に少しも臆さず、腕一本で投げ飛ばした男なのだろうか。

 

気付けば受付嬢のアシュリーがそばにいて、憐れむような目でクロウを見て、囁くようにシルファに言う。

 

「クロウ様は…少し変わっているかもしれませんが、決して悪い人ではないのです。ですから…」

 

ええ、とシルファは頷いた。

余りにも極端な二面性を持つクロウという男に、シルファは強い興味を抱く。

 



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閑話:シルファ

「あいつの事を知りたいって?おいおい、冒険者の素性を陰で詮索するなんざ、本人に知られたらぶっ殺されたって文句はいえないんだぜ」

 

男は空になった木製のジョッキを手持ち無沙汰にいじりながら言った。

 

「…ん?ああ、悪いね。少し飲み足りなかったんだ。…そうだなあ、まあ少しだけだったら話してやってもいいか。調べればすぐわかることだろうけどな」

 

なみなみと注がれたエールをすすりながら、男は気分良さそうに話を続ける。

 

 

あいつはさ、5、6年前くらいかな。雪の日にギルドに来たんだよ。変な黒い服を着ていたなァ…妙に仕立てが良いなとおもったのを覚えてる。

 

でも一番は目だね。アンデッドかなにかかとおもったぜ、澱んでいるっていったらいいのかわからねえけどよ。昔、娼館にタチの悪い薬が出回ったことがあるんだが、重い中毒症状を患ったコに似てるな、あの目はさ。

 

その時はギルドマスターが丁度居てな、慌てた様子であいつを執務室へ引っ張り込んで、長い時間出てこなかったんだよ。

 

その翌日だったな、新しくギルドに所属する冒険者ってことで紹介されたんだ。普通はよ、紹介なんてしねえんだよ。

冒険者ってのは根無し草連中がほとんどだからな。

来る者拒まず、去る者追わずってなもんだ。

 

みんな妙だなとおもったんだろうけどよ、そこはギルドマスターのすることだからな。

はいわかりました、と素直に受け入れたもんだ。

 

変な奴だった。今でも変だけどな。

話しかけても無視…ってわけじゃねえけどよ、会話にならねーんだわ。いまはほら、なんとなくわかるだろ?分かりづらいけどな!ははは

 

はじめの頃は雑用ばっかりしてたぜ。

どぶ攫いとか草むしりとか荷物運びとかよ。

特に草むしりはお気に入りだったみたいでな。

ほっとくと何時間でもずっと草をむしってるんだよ。

飯も食わずによ。

 

まあ【そういう奴】だってことでな、ギルドの他の連中も、あいつについては黙殺っていうか、きにしないようにしてたんだよ。怪しいは怪しいけどよ、ギルドマスターのおすみつきってんならまあその辺はな。

 

でもな、妙なことになっちまったのはアレがきっかけだった。

 

 

話が途切れる。

男のジョッキがいつのまにか空になっている。

催促される前にお代わりを注文してやると、我意を得たりとばかりにニヤリと笑いながら、男は話を続けた。

 

 

悪いね、まあでもよ、これから先の話は少し酒でもはいってないと余り話したくないことなんだよ。

 

…イシュマルで内戦が起きたのは知ってるよな。

それで難民がアリクスへ結構流れてきたことも。

その難民共の一部が色々トラブルを起こしてくれたことも知ってるだろ?

 

ギルドっていうのはよ、そりゃ大した連中もいるけど、たいした事が無い連中、日銭にこまったチンピラ、賊まがいの連中…そんなどうしようもない奴らのほうが多いんだ、もちろんそんなことは知ってるだろうけどよ。

 

でも、大抵のやつはその日の飯さえどうにかなればそこまで悪さはしないもんだ。

ギルドはそういう最底辺の連中の最後の砦みたいな側面もある。

 

だからイシュマルからの難民だって、仕事をもとめてこられればギルドは受け入れたんだよ。

 

人が多くあつまれば、問題だって起きらぁな…

今でも覚えてるぜ。その日はよーっく晴れた日だった。

空はまっさおでよ、朝から気分もよかったんだ。

 

━━…朝だけはな

 

 

日々の糧を得るためにギルドに登録したイシュマル王国の難民であるバロは、鬱屈した気分を抱えながらその日もギルドに出向いた。

 

━━畜生、帝国の奴等のせいで

━━ふざけやがって、俺達がこんな思いをしてるってのに何でてめえらはそんなツラで笑ってる?

━━アリクス王国だぁ?難民を受け入れますってか、助けようとおもってたんなら援軍でもよこせばよかったんだ!

 

バロはなにもかもが気に食わなかった。

自分達が、いや、自分こそが世界で一番不幸なのだと確信していた。

 

━━てめえらじゃやりたがらない仕事を俺達にやらせて満足か?

━━面白いか?無様か?笑っちまうか?

━━クソッ!クソッ!クソがッ!!

 

どんどんと音をたててギルドのカウンターまでのしあるいていく。

 

カウンターには黒い髪の男がいた。

受付嬢から何か説明をうけているようだ。

 

鬱陶しかった。

黒い髪といえば糞ったれの帝国の皇帝も黒い髪だという。

ということは、この男も帝国の関係者か?

 

━━てめェらのせいか?

 

貧すれば鈍する、難民という立場に追いやられた男は、大分前に理性を手放してしまっている。

瞬時に激し、目の前の男の肩を掴むと、思い切り後ろに引き倒した。

 

「おい!!くそったれの帝国の豚がなんでこんなところに!」

ガッ!と男を蹴りつけた。

 

「いやがるんだよォッ!テメェ!イシュマルを!」

バロは蹲る男をがんがんと踏みつけるが、憎い帝国の人間をいたぶればいたぶるほどにバロの頭は狂熱にあぶられ、感情は熱した焼き栗のように破裂寸前だった。

 

「死ね!今死ね!イシュマルにわびて死ね!死なねぇなら!ここで殺してやる!!!」

バロは限界だった。

 

突如おこなわれた帝国の大規模侵攻はイシュマル王国という小さい国家を文字通り吹き飛ばした。

原因はわからない。

しかしイシュマルが悪いわけがない。

多くの人間が死んだ。

そこにはバロの妻や子供も含まれていた。

そう、バロは限界だったのだ。

限界だった所に、黒い髪の男が現れてしまった。帝国の皇帝の髪の色は黒、妻子の仇の髪の色は黒、この男の髪の色も、黒。

 

 

「ちょっと!!!やめなさい!ギルド内で暴力行為は禁止されています!大体彼は帝国民ではありません!」

受付嬢が怒声をあげ、制止しようとする。周囲のギルドメンバーも、急な暴行に唖然としていたがあわてて動き出した。

 

「まてまてまて!そいつは俺らの仲間だ!アリクスの人間だ!」

「落ち着け!おい!こいつを抑えろ!手伝え!」

 

激昂しているバロは抑えにきたギルドメンバーを振りほどき、地べたをはいずる帝国の豚へさらに蹴りをくれてやろうとした。

 

受付嬢のアシュリーはキッとまなじりを吊り上げ、首元のペンダントを引き千切り攻勢術式を起動しようとした。

 

受付嬢と侮る無かれ、ギルド受付嬢はその職務の性質上、ならずものを相手にする事が多い。したがって荒事への対処能力、特に戦闘能力はそのへんのならず者などよりはるかに高いのだ。

 

だが、バロの動きが急にとまり、アシュリーはいぶかしむ。

 

細い腕が伸びていた。

手が、バロの足首を掴んでいた。

 

「…あ?」

バロの理性が音をたてて削れて行く。

しかし、彼の理性の完全なる崩壊は、痛みによって食い止められた。

 

バギッ…

 

枯れ枝を一思いに圧し折るかのような音がギルドに響いた。

バロはポカンとした表情を浮かべ、数瞬後、絶叫をあげる。

 

「ガァァァアーーーッ!!」

バロの足首が、握り潰されている。

 

アシュリーも、他のギルドメンバー達も目を見開いて硬直していた。

バロの悲鳴が理由なのではない、彼らが動けない理由は━━・・

 

「お、お、お、おれェ」

ガッ!ガッ!!殴打の音が響く。

 

「俺を、ころすって」

グチャッ…硬いものを殴る音はやがて柔らかいものを叩く音へとかわった。

 

「あ、あり、ありがと」

グチャッ…グチャッ…

 

「ころして、ころしていいから」

グチャッ……

 

「ころしていいから、ころす」

顔面がグチャグチャに殴り潰されたバロの首を片手一本で締め付け、持ち上げている黒髪の男の姿があった。

 

膂力だけで体格に優れるイシュマル人の成人男性を持ち上げられるはずがない。

男の体は全身から水蒸気のように魔力が可視化され噴出していた。

 

「ク、クロウ様…」

アシュリーがおそるおそる呼びかけると、クロウはにっこりと笑顔を向け、嬉しそうに、饒舌に答えた。

 

「俺を殺してくれるらしいんだ、もう終わりでいいんだって」

 

「うれしいんだよ!本当に、やっと楽になれるんだよ!だから、だから」

 

クロウの五指がバロの首に深々と食い込み、ギルドの床はドス黒い血で汚れている。

あまりに余りな光景に、荒事になれているはずのアシュリーすらあっけに取られてしまう。

 

そういえば、クロウ様の笑顔を見るのは初めてだったかも、そんな益体もないことが頭に浮かぶ。

 

「だからァおれもこのひとを」

クロウがそこまで言ったとき、バァンという音をたててバロごとクロウが吹き飛んだ。

 

 

「そこまで!殺してしまえば後が面倒です」

 

 

本来広範囲に被害を与えるであろう空衝(エアショック)の術式をただの2人に限定し、力まかせに吹き飛ばした者は、王都アリクス冒険者ギルドのマスター、アリクス王国において伯爵位を賜る上級貴族でもあり、王国でも3名しかいないとされる黒金等級の冒険者でもあるルイゼ・シャルトル・フル・エボンその人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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閑話:シルファ2(終)

「…で、まあ結局最後はギルドマスターが〆たわけだ。イシュマル人もぎりぎりで死んではいなかったからな」

 

フーッと目の前の冒険者…オグマが息をついた。

 

「それからも色々あったけどな、基本的にあいつは人畜無害だよ。依頼は誠実に確実にこなすしな。頼まれれば大抵の事は嫌な顔1つせずにやってくれる」

 

「酔っ払いに殴られたって何も文句いわねえんだ。むしろ、介護してやってたこともあった」

 

根菜のサラダをちまちまとつまみ、オグマは続けた。

 

「でも、冗談でもアイツの前で殺すとか言うなよ。お嬢ちゃんがそんな事言うわけはないとおもっているけどな。その言葉だけには【反応】しちまう」

 

「よそから来た連中で、酔っ払ってアイツにぶっ殺すっていったやつらがいた」

うんざりした様子でオグマが言った。

 

「…その人は、どうなったんですか?」

私はおそるおそる尋ねた。

 

「生きてはいるよ。でも冒険者としてはもう使い物にならなくなった。今は地元で養鶏の仕事をしているそうだ。ギルドマスターがまたもみ消してたなァ、あの人も大変だよ」

 

私はほっとした。

しかしそれほど事件をおこして、クロウ様は大丈夫なのだろうか?

 

「お嬢ちゃんの疑問はなんとなくわかるぜ。ただ、まあ事情があるんだと。それに、どのトラブルもあいつは常に被害者だったからな。ただ、その…そうだな、やりすぎちまっただけで…」

オグマはさすがに少し無理があるかもという苦笑を浮かべながら話した。

 

「ただ、結局の所、あいつがどこからきてどんな素性があるのか、みたいなのはわからねえ。ギルドマスターが恐らくそのへん詳しいんだろうな。なにか事情があって、それは俺達が知る必要のないものか、知ってはいけないものなんだろう」

オグマがそういうと、目にやや警戒の色を浮かべ、私に忠告する。

 

「お嬢ちゃんも余り詮索しないことだ。ギルドマスターはあれで貴族だ。貴族っていうのはおっかねえんだ。それによ、言っちゃいけないことさえ言わなければあいつはいいやつだ。腕だってズバ抜けている」

 

私は首肯した。

貴族の怖さ、陰湿さ、闇はよくしっている。

オグマは私もまた貴族だとしればどんな顔をするのだろうか?

 

「ありがとうございます、色々と。クロウ様の事が少しだけ分かったような気がします」

私がそういうと、オグマはやるせなさそうに答えた。

 

「かわいそうな奴だよ、あいつは。どういう人生を歩めばあんな風になっちまうんだろうな。今は大分マシになってきてるけどよ、初めてみたときは、死体のほうがまだ生きているとおもえるような姿だったんだぜ。毎日拷問でもされてたのかね…やれやれ」

 

 

今は大分マシ。

あれで?

イシュマルの男の一件が脳裏に蘇る。

自分が何者かと問われるだけで泣き出してしまったあの人が、大分マシ?

 

 

オグマにはクロウ様の事が少しわかったと言った。

しかし、知ればしるほど分からなくなってしまった、というのが本音だった。

 

しかし、彼とは知り合ったばかりだ。

付き合いも短い。

今後、彼と親しくなっていければ、いつかは分かるときがくるのだろうか?



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閑話:愛剣

クロウの愛剣は奇態な変貌を遂げていた。

災いから所有者を守る守護の剣としての剣格と、災いを呼び込み所有者を害する呪いの剣としての剣格が奇妙に交じり合い、双方の性質を兼ね備えた異形の変貌。

 

ダガンが本来意図していたのはこのような変貌ではなく、もっとシンプルに守護の剣としての面が呪いを取り込み、さらに強力な守護の力を得る…というようなものだったのだろう。

 

鍛冶の技術には異種の金属を積層し鍛造し、極めて強固な金属を新たに生み出すという技術がある。

異なる概念的性質のモノを繋ぎ合わせ、積層させ、さらに強固な概念を生み出すというのもその手の技術の亜種のようなものだ。

事実、ダガンはこれまで何度かこういった類の事をしてきた。物質の【声】を聞き、【素材】となるモノの求めるところを把握し、相性の良いモノ同士を重ねて、織り交ぜることはダガンにとってはじめての事ではない。

 

だが結果はダガンが意図していたものとは少々違ってしまった。

 

クロウの愛剣はクロウに災いを呼び込む。しかし、呼び込んだ災いに、更なる災厄を与え、これを排する。

 

もしダガンがクロウの愛剣のこのような性質を知れば、血相を変えて愛剣を廃そうとするに違いなかった。

これは呪いの剣だとか守護の剣だとかではなく、邪剣である。呪いの剣にせよ守護の剣にせよ、主人の身を害する、護る、という目的がある。

これは目的がどうあれ、まずは主人あってこそなのだが、邪剣と呼ばれるそれらは違う。

剣の目的がまず第一。極めて利己的な存在なのだ。

目的のためなら手段を選ばないような、そんな存在はときに正も邪も飛び越えた極めて大きな被害を発生させる要因足りうる。

 

クロウの愛剣は自らの存在意義を主人の守護と定める。

 

クロウを守る、護る、何者にも害させはしない。

あらゆる災厄から彼を護る。

しかし災いが、災厄がなければ喚び込もう。

クロウに呪いを、災いを、災厄を与えよう。

そして改めてそれらから主人を護るのだ。

 

 

 

━━愛スル、アナタヲ、マモルタメ

━━アナタヲ、ノロウ

 

 

 

ところで、史上最悪の邪剣とまで忌み嫌われたクロウの長剣は、クロウの亡き後も数多くの使い手に渡ったものの、いずれも狂を発した。

時の法皇や高位の聖職者がそれは呪いゆえだと断じ、解呪を試みるも失敗。無残な屍を晒すに至る。当時の被害者は数百とも数千ともいわれている。

もはや人の身では扱いきれぬとばかりに冥府の女神ナスターシャを信仰する聖殿に奉じられると、剣はその不穏なナリを潜め、以後使い手が現れることなく眠りについたという。噂ではその聖殿には黒い髪のマレビトが葬られているとの事だが、教団は口をつぐみ、一切を語ろうとしなかったとのことだった。

 

・・・

・・

 

 

邪剣の使い手は発狂前、みな口をそろえて気がつけば声が聞こえてくるようになった、と言った。

 

声は色々な事を示唆し、なぜかその通りに行動しないといけないような気がして、しかし声の通りに行動すればかならずといっていいほど命を失いかねない危険が待ち構えていたらしい。その危険とは強力極まりない魔物であったり、あるいは国家権力であったり…

 

後世、クロウの剣は【喚び声の邪剣】と名づけられ、広く恐れられたということだ。



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閑話:草むしり

ウジウジと草むしりするだけです


【死にたがり】という不名誉な2つ名まであるクロウという冒険者は、実際の所つねにめちゃくちゃな討伐依頼ばかりをしているわけではない。

 

王都の冒険者ギルドとはいえ、生きるか死ぬかの修羅めいた依頼がしょっちゅうあるわけではないのだ。

適当な(いい感じで死ねそうな)依頼がなければ、他の依頼を受注することだってよくある。

 

手持ち無沙汰な時、クロウはギルドからすすめられた依頼を受けることが多かった。

 

王都ギルドにはそれこそ種々雑多、玉石混交といった依頼が集まってくるが、全ての依頼が速やかに処理されるわけではない。中には条件の悪さ、依頼の困難さなどから塩漬けになってしまうものだって少なくは無い。

 

そういう塩漬け依頼を、ギルドとしては手の空いている冒険者へ勧めることもままあるのだ。

こういった依頼は陰で【奉仕依頼】と呼ばれ、半ば罰ゲームのような扱いになってしまっている。

ギルド側もそういった現状は踏まえているため、報酬とは別に些細なおまけめいた特別報酬なるものを付与するもの、焼け石に水といったところだろう。

 

2ヶ月前に失踪した飼い猫の捜索やら、民家の家の前の清掃やら、いつのまにか、しかもどこで落としたかもわからない指輪の捜索やら、誰がやりたいとおもうのか?

 

失敗したところで罰則はないが、時間の浪費でしかない。

だが【死にたがり】のクロウという男は、そういった依頼も基本的には断らないのだ。

 

 

「クロウ様、ええ、そうなんです。急を要するような討伐依頼も今は入っていなくて…」

アシュリーが申し訳なさそうにクロウに告げた。

 

クロウはそういう事もあるだろうと軽く首肯する。

 

「ああ、そうだ、もし特に予定などがなければ雑用系の依頼を受けませんか?…まあ、その…奉仕依頼なのですが…」

 

そこでちらっとクロウをみると、その表情には特に嫌がっている様子もなかった。

アシュリーが思うに、クロウはこれまで一度も奉仕依頼を断わったことがない。

 

「はい」

クロウは短く答えた。

クロウに依頼を振れば、それがどんなものでも即座にハイと答え、確実に依頼を達成し、報酬についてもゴネたりしたことは一度もない。

ギルドとしてはクロウはとても使い易い冒険者であった。

もちろん、彼の取扱が良く分からなかった頃は【色々と】あったが。

 

「依頼内容なのですが、そろそろ夏、ですよね。だから、ええ、恒例のパルミア邸の草むしりとなります。報酬は銀貨2枚、期限は3日となりますが…」

アシュリーは、いつも申し訳ないな、との思いでクロウに告げる。

 

パルミア邸はパルミア男爵という下級貴族の別宅である。

パルミア男爵は王都には余り来訪せず、基本的には地元に引きこもっている。

王都の別宅は何かの用事でこちらへきたとき、宿泊用につかっているそうだ。

ただ、貴族の別宅といえば聞こえはいいのだが、パルミア男爵はひどく吝嗇、ズボラで使用人すらも本来適切とされるだけの数をそろえようとはしない。

 

必要最低限、【生活するのに必要な役割】の使用人をしぶしぶ雇うといった有様であった。

【生活するのに必要な役割】というのは要するに料理人とかそういう人々である。そこには庭師は含まれていない。

 

だからパルミア邸の庭はずっと放置されている。

邸宅の管理人ももう大分高齢で、草むしりはあれはあれで重労働であるため、毎日手入れをするのも難しい。

土の滋養が豊富なのか、少し手入れをしても草木が生い茂り、夏場ともなるとそのせいで虫が大量に発生する有様だ。

その事で近隣の貴族から文句を言われたこともある。

 

だがパルミア男爵はそれでも頑なに庭師を雇おうとはしなかった。もし庭師を雇えば継続的に人件費が発生するからであろう。ましてや普段過ごすわけでもない別宅の管理にお金を使うのは無駄だとすら考えているようだ。

そんなわけで、毎年夏前になると冒険者ギルドへ依頼を投げている、というのが現状だ。

 

報酬の銀貨2枚といえば日本円にして大体2万円程度だ。

それだけきくと悪くは無いように思えるが、パルミア邸は男爵の邸宅にしては広く、雑草木などもその分広範囲にひろがっているためとても1日ではおわらない。

1日8時間を作業に費やしたとしても3、4日はかかる。

そうなると報酬面ではうまみなど一切なかった。

 

さらに、下級とはいえ貴族相手の依頼だ。

ギルドとしてもそれなりに信用がおけるものでなければいけない。日銭に困る者はいくらでもいるとはいえ、そのへんのチンピラめいた冒険者では駄目なのだ。

問題は、日銭に困ってる冒険者の多くがチンピラめいていることである…。

 

 

だから実質、毎年のこの依頼はクロウの専属依頼といってもよかった。

 

 

否も応もなくクロウは依頼を受注した。

元よりクロウの中に依頼拒否などという言葉は存在しない。

振られた仕事に対しては全てYES。

出来る仕事は当然YESだし、出来ない仕事もYESだ。

頑張れば出来ないことでも出来るようになるかもしれない。

仕事に対しては全てYES。これ以外の回答は存在しない。

伊達に前世で死ぬまで労働していたわけではないのだ。

 

そういった社畜めいたメンタルは、2度目の人生でもなおクロウに根付いているが、それ以前に草むしりという作業が好きというのが、ノータイムの依頼受諾の理由の1つであろう。

 

草むしりは気付けば心が無心となっている。

草をむしるというのは単純ではあるが、地味で大変なものだ。

だがそれ故に達成したときの爽快感もある。

仕事をこなしたときの爽快感や達成感、こういうものは前世ではなかった。

前世では仕事をこなせばより多くの仕事が振られ、仕事の成果は減点方式で常に批判をされていた。

 

草むしりは綺麗にむしれば感謝され、何をどこまでやればゴールなのかが明確だ。

 

終わりが決まっていて、やれば感謝される。

なんと素晴らしい仕事なのだろうか。

 

・・・

・・

 

「では、明日の早朝からお願いしますね」

アシュリーが笑顔で言い、クロウは穏やかに首肯した。

 

 

 

パルミア邸の草むしり当日。

クロウはパルミア邸の門の前にいた。

朝早くに起床し、朝食をとり、パルミア邸へとやってきた。

パルミア邸は男爵邸としてはそれなりに大きい方である。

 

屋敷自体は古いものだが、庭には噴水や池もあり、庭園としては立派である。

庭には色とりどりの花々が咲き乱れている。

その花壇に生えている草を抜き、枯れ葉などを拾い集めていく。

 

一息つくと、額の汗を拭う。

初夏の陽気。

 

「……」

黙々と草をむしっていく。

だがやはり暑い。

クロウは、シャツの袖をまくり上げ、無心で草を引き抜いていった。草は根っこから引き抜かねばならない。

地上部にわずかな草しかはやさず、それでいて根が長い雑草はかなりの難敵だ。

時折、土中に隠れているミミズなどが驚いて飛び出してくるが、これは丁寧に別の場所へ移動してやる。

 

―――数時間後。

 

途中、休憩を挟みながらではあったが、かなりの広さの庭の草むしりを終えた。

草は籠一杯に詰まっている。

今日はこれだけやれば十分であろう。

何も一気にやる必要はないのだ。

少しずつやればいい。

期限はあと2日ある。

 

無心という快楽がクロウを慰撫する。

クロウは自分自身でも物事を深刻に捉えがちだということは理解していた。

何も考えずに過ごせれば楽なのだろうが、心の働きを意識して停滞させることなどはできない。

 

だから草むしりに専念することで、自分が無心となれる事を喜んでいた。

 

(無心ということは心が無いということだ)

 

(心がなければ存在しないことと同義だ)

 

(誰も傷つけず、痛みも伴わず、極めて平和的にこの世界から消える事が出来る)

 

(命のやり取りをしなくとも、寝ず食わずに草むしりを続けることが、あるいは己の目的を達成する1つの方策なのではないか…?)

 

 

草むしりが一段落したら即座に益体もないことで考え込むあたり、クロウは筋金入りだった。



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第9話:盗賊団に殺されたい前編

「クロウ様、護衛の合同依頼を受けませんか?」

 

アシュリーの提案にクロウは即断を下した。

「いいえ」

 

クロウは奉仕依頼のようなモノでさえもギルドの要請ならばそれを受ける。

しかし、誰かと組む類のものは全て断わっていた。

ギルドとしては無理強いはできない。

依頼は場合によっては命に関わることもあり、その辺のリスク計算は冒険者が個々人で行うことだからだ。

命を失ったり、身体を欠損したり、そういったときの責任を冒険者へ求める…という意味も大きい。

 

普段ならアシュリーもここで引いた。

しかし今回は少々毛色が違った。

 

「頼む、今回は戦力に不安がある。シルファは事情があって参加できない。お前の腕は信用出来るし、シルファもお前なら俺たちと組んでも問題ないといっている。それに今回の依頼はどうもな、キナ臭い」

 

声のほうへ振り向くとグランツがたっていた。

クロウは悩んだ。

【頼まれて】しまうと弱い。しかも知り合いにだ。

しかも、以前彼らは助力をしてくれたし、グランツなどとは個人的にも食事をしたりしている。

 

━━キナ臭い?

 

クロウが疑問に思いグランツをみやると、グランツは何となくクロウの言いたいことがわかったのか親切に説明してくれた。

 

「ああ、もともとな、この依頼はシルファが彼女の個人的なツテでもってきたものなんだ」

 

シルファの素性についてはすでに彼女からきいている。

グレイウルフの群れから救ったことで、シルファの家、ロナリア家からは礼がしたいと何度も打診がきていた。

クロウは自分自身でも自分が貴族家などにいって、礼儀正しくふるまえるなどとはおもってもいないので色々理由をつけて先延ばしにしてはいるが…。

そんな彼女の個人的なツテというと…

 

クロウは思案した。

 

━━普通の護衛依頼ではないのか

 

「その顔は察しがついてるようだな。そうだ。表向きは商隊の護衛だ。ロナリア家の御用商人なのだがな。少し臭い。どうにも、ロナリア家の実情や物資が横流しされているようなんだ」

 

━━横流し

 

クロウが「横領みたいなものか」とおもっていると、事実はそれよりもう少しバイオレンスなものだった、

 

「最近、ロナリア家の商隊への襲撃が急増している。巡視の連中に聞いても賊が増えている、というわけでもないんだ。この時点で匂うだろ?」

グランツは苛立ちをみせながらガリガリと頭を掻いた。

 

「何者かがロナリア家を狙い撃ちにしている。そうとしか思えない。だからお嬢様、ああ、シルファは狐を動かした。ロナリアの狐だ。名前くらいはきいたことあるんじゃないか?」

 

ロナリアの狐といえば、簡単にいえばロナリア家直属の諜報部隊だ。

上級とされる貴族家はなにがしかの諜報機関を自前でもっているのは周知の事実であった。

 

「狐の調査で、とある御用商人があぶりだされた。直接的、もしくは間接的にそいつが関わった商隊のおおよそ半数が賊の襲撃にあって物資を根こそぎ奪われているんだよ」

 

ここまで言われればクロウにもよくわかる。

要するに、その御用商人というのが裏で賊と繋がり、商隊の荷をかっぱらってるということなのだろう。シルファが参加できないというのは、彼女の面が割れている可能性が高いから、ということか。

 

「シルファは御用商人の尻尾をつかみたいと思ってるんだ。賊の襲撃があることを見越して動く。襲撃があれば、賊を1人は生かして捕らえたい。俺とアニーは何も知らない冒険者を装い、依頼を受けるんだが、お前もきてくれないか?」

一気に言い募ると、グランツは頼むよ、とばかりに眉をハの字型へゆがめた。

 

「ほかに参加する冒険者もいるんだがな、場合によっては商人の息がかかってるかもしれない。あまりに多勢に無勢、分が悪いようなら撤退も視野にいれているが、信用出来るのが俺とアニーだけでは心許無い。絶対に裏切りは無く、それでいて腕が立つ冒険者がいればだいぶ違うんだ。お前はギルドマスターのおすみつきというのもある、さすがに賊の一味ではないだろう」

 

グランツの話をきいて、クロウは思案する。

自分の欲望、願望とは全く反りのあわなそうな話だ。

そもそも貴族の問題に首を突っ込みたくは無い。

だが、自分を頼んで提案してきたという事には少し心が動かされた。

 

前世、散々部品扱いどころか、100円ライター以下の扱いをされてきたクロウは、クロウ自身を熱心に求められるということに弱かったのだ。

 

そういうわけでクロウは、ニコニコ顔のアシュリーが差し出す依頼票を渋々受取ったのだった。

 



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第10話:盗賊団に殺されたい中篇

翌日、事前にグランツと約束した待ち合わせまで出向く。

王都の外れ、街道馬車の停留所だ。そこにはすでにグランツとアニーが待っていた。二人にぺこりとお辞儀をして挨拶をする。

 

「よう、来てくれたか。助かるよ」

「お久しぶりね。元気だった?依頼を受けてくれてありがとう」

 

「はい」

と短く答え、柔らかく笑う。

目的の反りにはあわない、あわないが、仮初とはいえ仲間と何かをする、というのはなにか心が暖かくなるものを感じるクロウだった。

 

「他の連中ももうすぐ来るはずだ。4人だな。合計7人で護衛を請け負うことになってる。俺達が一番乗りだな」

グランツが言うと、アニーがやや不満そうに返した。

「1つの鐘がなったら集合って話じゃないの!もうとっくになってるわよ。護衛の打ち合わせや段取り!依頼主が来る前に話し合っておこうって話だったのに、ふざけてるのかしら。こんなことなら、前もって話しておくべきだったわね」

 

1つの鐘とは朝一番になる鐘のことだ。

日本で言う午前6時にあたり、1時間ごとに鐘が1つずつ増えていく。

 

話しているうちに怒りがわいてきたらしい。アニーはその凛としたかんばせをゆがめ吐き捨てた。

 

「やつらから当日でいいっていってきたんだもんなあ。冒険者ってやつは時間に緩い奴が多すぎる。…あ、クロウ、お前は別だぜ?」

グランツが苦笑する。

 

前世日本人である、しかも社畜であったクロウに遅刻という言葉は存在しない。とはいえ、鐘の回数で時間を計る生活というのは最初のうちは慣れなくて大変ではあった。

 

クロウがぼんやり過去を思っていると、やがて2つの鐘がなる。

結局他の冒険者達がきたのは3つの鐘がなってからのことであった。

 

その頃にはすでにアニーの怒りは激昂といってもいいほどのそれへ達しており、グランツですら眉を顰め苛立ちを隠そうはしていなかった。

 

クロウは思うところは特に何も無い。

時折愛剣から聴こえる囁き声や、透き通った声色の笑い声で心を慰撫されていたからだ。最近はとみにこの【声】が聞こえるようになってきた。

 

 

「おい!てめぇら!どういう料簡か教えてもらおうか!」

4人の冒険者達がやってくるなり、グランツが青筋をビキビキと浮かべ怒鳴りつけた。アニーの目も酷く冷たい。視線だけで人が殺せるのならば、もうすでに数人は死んでいるだろう。

 

「すまねえな、他の連中と今日のことで相談があってよ、その時酒がはいっちまってな、少しだけだぜ?」

悪びれる様子も無く1人の壮年の男が答えた。

 

「護衛依頼の前日に酒を飲んだですって!?ナメるのもいい加減にして頂戴!」

それをきき、アニーの堪忍袋が木っ端微塵に破裂したかのように見えた。

 

「おいおい、ナメるってよォ…ナメるのはアンタだろ?お嬢ちゃん、ガハハハ」

壮年の男がアニーに下品なジョークを飛ばすと、周囲の男達もそれにならって笑いだした。

 

「……死ね」

 

素早い動きだった。

アニーは電光石火の速さで背負ったショートボウを構えると、壮年の男の脳天を狙って矢を射掛けようとした。

止めたのはグランツだ。

 

「やめとけ。殺すなら依頼が終わってからだ」

 

にわかにその場の緊迫感が増していく。

冒険者は虚仮にされたら、謝罪させるか、二度と虚仮にできないようにわからせてやらなければ先はない、とされている。

 

侮辱されたまま許してしまっては、こいつは何をしても平気なのだ、と侮られ、搾取されるのだ。

グランツは止めたが、本来は殺し合いになってもおかしくのないやり取りだった。

 

「……後で覚えてなさい」

ペッと地面に唾をはきすて、アニーが後ろへ下がった。

 

この時、クロウは意外にも冷静だった。

 

クロウは妙な話ではあるが、世間体というか他人からどう見られるかというのを結構気にするほうだ。気にはしても、気にかけて行動できないあたりが彼の社会性の低さを表している。

とはいえ、社会性が低いとは言うものの、殺意を向けられればよろこんでそれを受け止めにいきたいとは思っているが、今回は自分一人ではなく知人も一緒であり、そういう時に暴れて迷惑をかけてはいけないとおもってる辺りはまだひとかけらの常識は残している事の証左であるのかもしれない。

 

剣呑さを伴った沈黙を破ったのは、遅れて到着した依頼主の商人であった。

「やあ皆さん!早いですね、今日は護衛を宜しくお願いしますよ」

パンパンと手を叩く音と共に現れたのは、痩せぎすで髪の毛をオールバックにしたなにやら気障たらしく、蛇のような印象の中年男性だ。

 

「んん?なにやら空気が変ですね。おい!ダッジ!何かやらかしたのか?」

商人はいきなり口調を変え、アニーともめていた壮年の冒険者へ怒鳴りつける。

 

「とんでもありやせん、カザカスの旦那!ちょっとあのアマが舐めた口叩くもんだから説教してやってたんです…」

ダッジと呼ばれた壮年の男が媚びた口調でアニーを指差す。

アニーはまるで、路上でひき潰された蛙の死骸を見るような目でダッジを見ていた。

 

するとカザカスと呼ばれた商人は「てめェ!ハナから揉めてるんじゃねえぞ!」と手にもった煙筒でダッジの横っ面を引っぱたく。そして、ぺこぺことアニーにむかって頭を下げた。

 

「すみませんね、コイツは駆け出しの頃から私が面倒をみてやってるんですが、どうにも礼儀を覚え無いハナったれでして…。報酬は上乗せさせてもらいますからご寛恕いただけませんか…?」

アニーが鷹揚にうなずくと、カザカスはにへらと笑い、ダッジもアニーをじろりとにらみつけながら頭を下げる。

 

 

(臭えなァ…)

グランツはその光景をみて思う。

どうにも芝居がかってるのだ。

ダッジの無礼が演技だった、とはいわない。

 

(あいつは多分、根っから無礼な男で生来のチンピラなんだろう)

 

(あのカザカスってやつは商人じゃねえ。堅気の匂いがしない。ヤクザ者だ。ダッジがすぐ挑発に乗るアホだから、形だけでも叱り飛ばしたというところか。すると…この四人も信用はできねえか)

 

そう、アニーは決して見かけほどには激昂してはいなかった。

探りのようなものだ、人は怒ったときこそ性根を見せる。

貴族家の御用商人の護衛が、チンピラであるはずがないのだ。

アニーをみれば、さきほどまでの怒りはナリをひそめ、温度の感じない透徹とした視線を注いでいた。

 

クロウはといえば…

 

興味なさげに商人たちをみている。あるいはグランツたちをも。

最初から茶番だと気付いていたのだろうか。

 

もちろんクロウは何かに気付いたというわけではなく、何もする事がないしいうべきこともないからぼーっとしていただけだ。

 

 

 

何はともあれ、一行は出発した。

どう考えても無事には終わりそうもない護衛依頼の始まりだ。

 

 



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第11話:盗賊団に殺されたい後編

 

グランツは護衛依頼は無事ではすみそうもない、と予想したがまさにその通りであった。

 

最初に気付いたのはアニーだ。

 

「ねえ、ちょっといい?この馬車、この街道を通る予定はないはずよ。さっきの二差路、本来は左に行くはずではなかったのかしら」

馬車の中で正面に座るカザカスへ問いかける。

 

「ええ。言い忘れました。少し予定を変更しようとおもいまして…本来の道順ですと、ちょっと予定していた到着の日に間に合わないのですよ…」

うっそりとカザカスが答えた。

 

「ふぅん…そう…」

アニーがさっと目をやると、ダッジともう1人の男の目線が爛々と輝いている。

残り2人は外で併走して馬車の護衛をしているはずだが、この調子だとまじめに護衛してるかどうかは疑わしい。

 

グランツとクロウは、といえばグランツもまた気配の剣呑さに気付いたか、警戒している様子をみせていた。

クロウはあの不気味なロングソードを抱え込んで目を閉じている。

息遣いから察するに、眠っているわけではなさそうだ。集中しているのだろうか。

 

 

事はそれからすぐ起こった。

 

ガタンという音。

振動。

 

「襲撃だ!」という男の声。

ダッジともう1人の男は馬車を飛び出した。

カザカスは足を組み、鷹揚に構えている。

危難にも動じない鉄の精神…という類の落ち着き方ではない。

それはどちらかというと…

 

(これから何が起こるか、知っているって面だな)

グランツは内心吐き捨てる。

 

「アニー!クロウ!俺達も出るぞ!」

すぐさまダッジたちに続いて馬車をおりると、周囲を賊とおぼしき連中が取り囲んでいた。黒い布切れで顔を隠し、防具は革鎧だ。この皮鎧も黒で染められている。

 

━━そういえば

 

以前、行きつけの定食屋の親父がいっていなかっただろうか?

最近、街道に黒屍を名乗る賊がでる、と

 

物事は色々繋がっているのだな、とクロウは呑気に考えていたがその間にも事態は推移していく。

 

 

 

馬車を複数の男とも女とも知れぬ徒党が取り囲んでいた。

一様に黒くなめした革鎧を纏い、頭部には黒い襤褸切れを巻きつけている。

布の隙間から見える目からは濃厚な暴の気配が漂っていた。

 

 

グランツは想定よりも不味い状況にやや焦りを感じていた。

十把ひとからげの賊程度なら物ともしないだけの能力がグランツやアニーにはある。そもそも彼らの本職は冒険者ではなく、シルファを守る護衛騎士だ。魔物に対するそれよりも、対人戦闘のほうでこそ真価を発揮できる。

しかも万が一に備えてクロウまで連れてきた。

あのオーガの特異個体と互いに急所を握り合い、にらみ合っていたクロウの事を思い出すとグランツの背筋はゾクゾクと薄ら寒くなる。

そんなクロウを仲間に引き入れたのだ、戦力面では相当な補強になったはずだとグランツは考えていた。

 

 

それでもなおグランツやアニーの目からみて、目の前の賊共は…

 

「思った以上に出来るぞこいつら」

グランツがうんざりと吐き捨てた。

アニーも言葉は発しないものの、その目は状況を打開できないか周囲を注視していた。

 

(しかし、なによりよくねえのは明らかに敵だと分かってるこいつらよりも、敵か味方かわからねえダッジ達だ。奴等の態度からみて黒だとおもうが、いつ仕掛けてくるかが問題だぜ)

 

 

ダッジ達は賊共とにらみ合っている。

にらみ合ってはいるのだが…やはり、対人戦闘というものの空気をよく知っている者から見て、この場に流れる空気にはやや違和感を感じざるを得なかった。

 

 

(これはもしかするともしかするかもね…)

アニーは最悪の展開を予想していた。

つまり、商人は黒でそれと繋がっているダッジも黒、目の前の賊達も同じように黒。味方はグランツとクロウだけで、敵は凡百の野党ではなく、訓練された傭兵部隊のようなもの。

 

本来もっと信頼できる戦力を連れてくるべきではあったが、すでにダッジたちが依頼を受けることは決まっていて、残り3人しか枠がなかったのだ。

 

そしてクロウはといえば…

 

 

最初は本当にただの義理だけで受けたような依頼だった。

自分が周囲から忌避されている事は理解している。

しかしシルファもグランツもアニーも、そんな自分によくしてくれてるし、気にかけてくれている。

 

この、気にかけてくれている、というのがいいのだ。

存在しないものとして無視されているわけでもなく、ひたすら頼られやがては自分のあずかり知らぬ所でどんどんと期待だけが肥大し、責任の取れない範囲のことまで任される、というのは苦痛でしかない。

 

彼らの気遣いは自分の心を慰撫する。近すぎず、離れすぎない、そんな距離感をしっかりたもってくれる人間関係は貴重だ。

前世では求め得なかったものだ。

 

だから気がすすまなくてもグランツたちの頼みをきいた。

だが、目の前の黒い格好をした賊たちを見ていると、少しだけ心が震え、奮える。

 

もしかしたら俺の死に場所は、ここではないのか?

見た所、賊徒達は危険な存在のようだ

グランツやアニーでも多勢に無勢なのでは?

彼らを守るために俺の命を使うべきだ

 

━━チリリリ

━━何かが震える音がする

 

よく見ろ、あの先の曲がった山刀を。

あの先端で喉を引き裂いて殺すのだろう。

あんな凶刃の前に彼らのような佳き知人を晒していいはずがない。

 

━━ヂヂヂヂ

━━金属が細かく震え、擦れ合っている音がする

 

もしも俺が彼らをこの状況から救ったらどうなる?

彼らにはシルファを守るという使命がある。だから今この場では死ねないはずだ。

俺が命をかけて彼らを救えば、彼らはきっと俺に感謝するだろう。

あの時、俺が居てくれてよかったとおもってくれるに違いない。

だから、今なのでは?

命の使いどころが来たんじゃないか?

 

━━チリン

涼やかな鈴のような音がする

 

クロウにはそれがまるで、愛剣が自分を引き抜けといっているような声に聴こえた。

 

 

ダッジが属している盗賊団【黒屍(くろかばね)】は単なる賊徒の集団ではない。

 

一言でいえば、ロナリア伯爵家と敵対しているとある貴族の荒事専門の実働部隊である。

 

彼らの主な任務は要人の殺害、誘拐、拷問など多岐にわたる。

今回彼らが受けていた任務はちょっとした通商破壊工作だ。

ロナリア家の商取引を妨害する、ただそれだけの事。

だが継続的に行うことで、商人達からのロナリア家の信用を失わせることが目的である。

 

カザカスは黒屍幹部構成員だ。格としてはダッジよりも上である。

 

彼は人の皮をつかった容姿改変の術を使える。王国によって禁術指定されており、学ぶだけでも極刑が課される代物だ。

これは文字通り、皮をかぶるようにその皮の主へ姿を変貌させるというものだ。裏稼業の人間にとっては垂涎の術…に思えるかもしれないが、習得にあたっては深い知識、高度な魔導、大きな魔力を要する。

さらにこれがもっとも忌避される理由だが、本来の容姿に戻れなくなるのだ。

したがってこの術の行使者は未来永劫他人の姿で生きることを余儀なくされる。

このような術はさしもの裏稼業の人間といえどおいそれと手を出せるものではなく、術者は非常に少ないというのが現実である。

 

つまるところ、本来のロナリア家の御用商人は既に亡き者となっており、随分と前からカザカスがなりかわっているというのが事の真相であった。

 

カザカスが直接的に、あるいは間接的に手配した商隊はその大部分が実働部隊に襲撃されるようになっている。

もちろんロナリアに関係する商隊だけではなく、無関係の商隊も襲うがこれはカモフラージュであった。

 

 

いつも通りの簡単な仕事だとおもった。

 

でかい男はやや厄介そうだが、いかにも鈍重だ。

矢でハリネズミにしてしまえばいい。

 

キツい女は目端がききそうだが非力なのが見てとれる。

弓は多勢に弱いし、距離を潰せば怖いことはない。

多数で力ずくで押さえ込んでしまえばいい。

こいつはすぐには殺さないでやろう。

楽しんでから殺す。

喉を引き裂きながら犯せば締まりがよくなる。

 

若い男は話にならない。ぼんやりして、注意力も散漫だ。

剣はもっているが満足に振れるのか?すっぽ抜けてしまいそうだ。いの一番に頭をカチ割ってやろう。仲間が頭の中身を垂れ流して死ねば、でかい男とキツい女も動きが鈍くなるだろう。

そうなれば仕事がしやすくなる。

 

 

ダッジは頭の中で段取りをしていく。

すべていつも通りだ。

まずは手下の3人を使って若い男から殺す。

それでビビらせたら、周りの連中に矢を射掛けさせてでかい男を殺す。

あとは流れでキツい女を拘束する。

 

━━いつやるか

━━いまだ、やれ!

 

ダッジが手下たちに合図をおくるなり、3人の冒険者が賊から反転し、クロウへと斬りかかった。

同時にクロウに近い位置にいた賊徒も数名、切り込んでくる。

冒険者というものが個としてどれほど精強であっても、多勢で攻め立てれば何のことはない。

これまで多くの護衛冒険者を多勢で殺してきた黒屍お得意の戦術だった。

ただ賊が多勢で襲うだけなら対応される可能性もあるが、味方だとおもっていた者に襲われたら腕のある冒険者といえども多少なり動揺をする。

ダッジは今回も【いつも通り】に事がすすむだろうとおもっていた。

 

                  しゃらん

 

透明な音とともに、クロウの長剣が引き抜かれる。その動きはゆっくりのようでいて、しかしそれは石火のように迅い。

 

                  ぎょるり

 

クロウの両の目が別々に目まぐるしく動き出す。

左の目が左横からの斬撃を捉えた。

右の目が右横からの刺突を捕らえた。

そして両の目の視界には正面から迫る刃をとらえていた。

クロウはそのすべてを一瞬のうちに把握していた。

そして身体を動かさずとも、そのすべてが回避可能だということを理解した。

 

 

―――キンッ 澄んだ音が響くと同時に、金属と金属が激しくぶつかり合うような衝撃音が響き渡る。

次の瞬間、冒険者の1人が地面に転がった。

「なっ!?」

ダッジは自分の部下が突然倒れたことに驚きの声をあげる。

だがそれも当然だ。なぜなら、いままで自分の指示に従って動いてきたはずの男がいきなり崩れ落ちたのだ。

一体何が起きたのか?ダッジはすぐに理解できなかった。

 

倒れた男の傍らに、切断されたロングソードが転がっていた。

 

(あの野郎、剣を剣で斬ったっていうのか…?)

 

しかし、そんな隙だらけのダッジに向かって、今度は別の方向から斬撃が襲いかかってくる。

グランツが斬りかかったのだ。

「くそ!」

慌てて盾を構えるも、完全に防ぎきることなどできず、ダッジの腕からは血が流れ落ちる。

ダッジが顔を上げると、そこにはグランツがダッジに厳しい視線を向けながら立っていた。

 

「てめぇ……」

ダッジは怒りの表情を浮かべる。

 

「貴様はもう終わりだ。諦めろ」

グランツは冷たく言い放つ。

 

「ふざけんな!俺が負けるわけねぇだろうがよぉ!!」

威勢よく吠えるダッジではあるが、内心は焦っていた。

(畜生!デカブツには矢を射掛けろって言っただろうが!なにしてやがる!)

 

ダッジが待ち望んでいる援護は来ない。

アニーが、そしてクロウが動き出していた。

 

「おい、お前らぁ!!早く矢を射掛けやがれ!!」

ダッジは怒鳴るが、彼らは動かない。

いや、動けなかった。

賊徒たちが矢を射掛けようとしたときには、クロウがすでに懐に飛び込んでいたからだ。

 

賊徒たちもただ黙ってみていたわけではない。

飛び道具が使えぬなら接近戦とばかりに四方八方から刃の雨を降らせる。

 

だがクロウはそれをすべて回避する。

まるで未来が見えているかのように、あるいは予知能力でも持っているように、すべての攻撃を回避してみせる。

ぎょろり、ぎょるりと目がグリグリと動き、どこから斬りかかっても全て弾き、かわし、いなすクロウ。

賊徒たちは、そのあまりにも人間離れした光景に恐怖すら覚え始めていた。

 

――なんだこいつ、バケモノじゃねえか

 

「ひぃっ!」

誰かが悲鳴をあげる。

 

「た、助けてくれ、命だけは…」

男が懇願するとクロウは目を瞑り剣を撫でていた。

血に塗れた剣をいとおしげに撫でて、なにやらブツブツと呟く様は正気のものには思えない。

 

ややあってクロウは男へ向き直り、答えた。

「いいえ」

 

ずぶり

 

クロウの剣が男の左目へ突き刺され、かき回される。

 

 

 

 

飛び道具をもった連中にはクロウが向かった。

そして裏切り者のダッジにはグランツが。

なら私は…

 

アニーは十分に敵が浮き足立っていると判断して自分も役割を果たそうと思っていた。

 

つまり、カザカスの確保である。

カザカスが白だとはもはや思えない。

彼が連れてきた冒険者たちが裏切ったのだ。

彼もまた賊と繋がっているとおもって間違いはない。

 

ならば、ここで確保しておくべきだ。

アニーは隙をうかがい、馬車へ駆け寄りその扉を開いた。

しかしそこにはカザカスの姿はなかった。

 

(逃げた…?)

 

事が露見したと思って遁走したのだろうか?

どうする、追跡するか?とアニーは悩むも、すぐさまグランツたちの援護に舵を切った。

多勢に無勢である事は間違いがないのだ。

それにしてもクロウを連れてきて正解だった。

本来数を恃みにひき潰されるところだったが、クロウが大暴れしているせいで賊徒たちも混乱に陥っている。

 

(放置しておくにはいかないけれど…)

 

カザカスの行方に眉を顰めるも、いまは時間がない。

仕方ないとばかりにふりきって、アニーはショートボウを構え賊へ矢を撃ち放った。

 

 

ダッジはグランツを鈍重だと評した。

なるほど、グランツは体が大きいし、身にまとう鎧はいかにも重そうで俊敏さは感じられない。

しかし、大きければ遅い、まではともかく、遅いから弱い、は間違いだ。

 

グランツのような戦士は受けに回る展開に慣れている。

自分が遅い事を、鈍重であることを理解しているのだ。

だからこそ怖い。

自分の強みと弱みを理解している、受止めている者ほど戦場で手強いものはない。

ダッジのように虚をつく戦法を得意とする者にとってグランツは酷くやり難い相手だ。

隙をつこうにもどっしり構え、こちらの挙動を見逃さない。

だからこそ、手下を使い、遠間から射殺すつもりだったが…あの若い男、クロウが暴れているせいでそれも叶わない。

 

ダッジはちっ、と舌打ちしてショートソードを握りなおす。

まるで巨大な樹木かなにかと向かい合っているようなプレッシャーを感じる。

だがあの若い男だっていつまでも動き続けてはいられないはずだ。

必ず援護はくる。

サシでさえなければ、あんなウスノロ、料理するのは簡単なことだ…っ

 

ドッとダッジが倒れた。

その額には一本の矢が突き刺さっていた。

 

「あら、グランツ。コレと何か話してたの?ごめんね。殺しちゃったわ」

 

アニーだ。眼の奥が魔力の残滓でほの明るく輝いている。

恐らく視力強化の魔導かなにかをつかったのだろう。

 

「おまえな…こいつは捕まえようと思ってたんだぞ」

グランツが呆れたようにいうと

 

「だめだめ!この手のタイプは生かしておくとろくなことにはならないわ。嘘だってこなれてるでしょうし」

 

確かにな、とグランツは思う。

 

「ところでクロウは?」

グランツが言うと、アニーは無言で前方を指差した。

 

「うわ、矢を素手で掴んでるぞ…ちょっとおかしいな」

大暴れ中のクロウを見て、グランツはあれが敵じゃなくて本当によかった、とおもった。

 

「おーい!!全員殺すなよ!何人かは捕まえるつもりなんだ!」

グランツが大声で叫ぶと、クロウはちらっとこちらを見てから今にも斬り殺す寸前だった所を止め、ブーツで思い切り賊の喉を蹴り飛ばした。

 

「あれ多分、剣で斬らなければ人は死なないっておもってそうね」

 

アニーが言うとグランツも首肯し、さすがに1人くらいは生きててくれよ、と柄にもなく神に祈った。

 

ともあれ、危機は乗り切ったのだ。



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第12話:盗賊団に殺されたい(終)

 ■

 ~ロナリア家の商隊襲撃事件はやはり御用商人が手引きしていたものだった。盗賊団黒屍も御用商人の配下だったのだ。商隊護衛の依頼は罠であり、その依頼を受けた冒険者達は殺され、商隊の荷は奪われるはずであった。しかしクロウ、グランツ、アニーはこの罠をはねのけ、黒屍を撃退することに成功する~

 

 グランツはダッジの死体を見下ろしながら考える。

(御用商人がなぜこんな事をする?何の得がある?いや、そもそも……あいつはロナリア家の御用商人だったのか?)

 考えれば考えるほどわからない。

 

 ともかく、今回の事はシルファに全て報告をする。

 そして賊の生き残りをロナリア家へ引き渡し、あとはどれだけ情報を引き出せるかだ。

 

 見ればクロウもこちらへ歩いてくる。

 うかない表情だ。怪我でもしたのか?

 

 

 ■

 

 クロウはがっかりしていた。

 賊は最初に見たときは精強そうで、厄介そうで、鍛え上げられていそうにみえた。

 こちらは3人しかいないし、いくらなんでも多勢に無勢だと思えた。

 命を差し出してなお守りきれないかもしれない、と思ったのだ。

 しかし蓋をあければどうか。

 

 数人斬り殺してやれば命乞いをしてくる始末ではないか。

 ここが死に場所だと確信していた自分の頭を引っぱたいてやりたい。

 いっそこの場で死んでやろうか。

 

 クロウは内心愚痴愚痴愚痴愚痴と文句をたれていた。

 しかし無理もないのだ。

 確かに黒屍の構成員達は精強ではあった。

 だが、両の目がてんでばらばらにぎょろぎょろ動いて、どこから攻撃しても全部さばかれて、挙句に血まみれの剣をなでながらぶつぶつ独り言をいっている奴が次から次へと仲間達を殺していったらどう思うか。

 怖いに決まってるのだ。

 恐怖は体をこわばらせ、殺し合いで体がこわばれば即ち死ぬ。

 これは当然の帰結ではあった。

 ましてや、指示するべきリーダー、カザカスやダッジはすでにその場にはいないのだ。

 カザカスは逃げ出し、ダッジはアニーに射殺された。

 

 とはいえ、状況としてはとりあえず及第点といったところだった。

 カザカスにこそ逃げられてしまったものの、グランツやアニーは生きている。

 賊を何人か生かして捕まえてあるため、尋問自体は出来るだろう。

 クロウの望んだ結果でこそなかったが、守りたかったものは守れた、そういうことにしておこう。

 

 クロウはハァとため息を1つついてグランツたちのところへ戻っていった。

 泣きながら命乞いをしてくる男の襟首を掴んで引きずりながら。

 

 ■

 

 ロナリア家の屋敷の応接室にて。

 グランツとアニーはシルファの前でかしこまっていた。

 

 ロナリア家は王国の四大貴族に数えられる名家で、かつ当主であるロナリア伯はシルファの父だ。

 シルファはロナリア家の令嬢であるため、この家では「冒険者としての関係」ではなく、貴族令嬢シルファとその護衛騎士という関係というわけなのだから、2人はかしこまらなくてはいけない。

 ちなみにクロウはこの場にはいない。

 確かにクロウはグランツ経由でロナリア家からの仕事をこなしたが、それはあくまでイチ冒険者としての立場で付き合っただけであり、貴族の問題には関知したくないというのがクロウの本音であった。

 

「なるほど。分かりました。御用商人がロナリア家を売った、利用した、ただ単にそういうことであるのならば、その御用商人を処理して終わる話ですが」

 シルファが貴族としての冷徹な顔を覗かせて続ける。

 

「事はそう単純ではなさそうです。まずは御用商人について調査をしてみましょう。当家と取引のある商家を皆洗います。……よいですね?」

 シルファが背後に声をなげると、そこにはいつのまにか1人の中年男が立っていた。

 

「御意に」

 男はそれだけを答えると不思議なことにスゥっと消えていく。

 いや、男は消えていないし、どこにも行っていない。

 ただただシルファを護衛しているに過ぎない。

 しかしその姿を、気配を限りなく薄れさせているのだ。

 

 グランツやアニーにしても、目の前にいるはずなのになぜどんどん気配を薄れさせることができるのか、その種が皆目検討もつかなかった。

 

(流石ね……)

 パーティでは斥候としての役割を担うアニーには、彼の隠行の程が多少は分かった。

 

「ところで……クロウ様についてなのですが……怪我などはされませんでしたか?」

 シルファがおそるおそるグランツへ問いかけた。

 

「はっ。驚くべきことに……。あの御仁は類稀なる眼を持っておりますね。まるで背後に眼でもついているかのような動きでございました」

 グランツが答える。

 そこにアニーも続く。

「私は見ておりましたが、彼の両の目がまるでそれぞれ違う方向を向き、それぞれから迫り来る刃を叩き落したのです」

 

「散眼でございますな」

 再び低く唸るような声が響く。

 

「さんがん……?」

 シルファが聞き返すと、男は答えた。

 

「は。鍛えることで両眼をそれぞれ自在に動かし、視界を広く使う術でございます。ほら、このように……」

 ぎょろりと男が左右の眼をあらぬほうへぐりぐりと動かすと、シルファは「ひっ」と軽く声をあげて驚いた。

 

「失礼しました、お嬢様……しかし、そのクロウという御仁は何者でしょうな。コレは【外】では余り広まっていない技術でございます。我々のように、影仕事をするものでさえも扱えるものはそうはおりますまい。難しい技術である、というよりも古い技術なのです。そもそもが知られていないはずですが……」

 男は顎に手をやり思案に暮れる。

 

 ■

 

 街につき、グランツたちと別れたあとクロウはギルドへ向かい、事の次第を話した。

 どうやらロナリア伯爵家から依頼については話がいっているようだった。

 依頼に関しては成功とはいえないが、失敗とは見なさず、また報酬については伯爵家から直接出される、との事だった。

 クロウに否やはない。

 今回の件はグランツ達がうまく処理してくれるといいが、と浮かない思いのクロウ。

 人付き合い自体がそこまで得意ではない上に、貴族間との揉め事に関わるのは出来ればごめん被りたいところであった。

 ただこれまでの経験上、この件にはいずれまた深くかかわることになるという予感がどうにも消えない。

 クロウは背をまるめて常宿への帰路に着く。

 

 ■

 

 脳裏に声が響く。

 自分自身の声だ。

 自問自答。

 

 いつもこうなのだ

 情が捨てきれず、1人になりたがるものの、独りにはなれないのだ

 今回のことも多分貴族と関わることになってしまっただろう

 それはトラブルに見舞われることを意味する

 トラブルは、問題は人間関係が起因だと分かっていたはずだ

 だからずっと独りでやってきた

 あの時、グランツとシルファを助けなければよかったのか?

 だがそうすれば彼らはグレイウルフに食い殺されていただろう

 でももう一度あのときにもどれるとしても、俺は彼らを助けてしまうだろう

 今回のことも、グランツやアニーを手伝わなければよかったのか?

 だがそうすれば彼らは賊に嬲り殺されていたかもしれない

 もう一度あのときにもどれるとしても、やはり俺は彼らを助けてしまうだろう

 では俺は、お前は、自分は、生きることに楽しみを感じているのか?もう死にたくない、この先も生きていたい、そして彼らとの人間関係を築いていきたい、そういうふうにおもっているのか?

 いや、俺は死にたいしおわりにしたい

 それは変わらない、変わらないが、手の貸せる範囲でなら俺は俺を慮ってくれる人達の手助けをしていいとおもってる……

 

 クロウは自分が何を望んでいるのか、この先どう生きればいいのかが何だかよく分からなくなってしまっていた。

 人生の指針がほしかった。生きる上での目標、指針が。

 

 ━━結局何もかも、自分の生き方でさえも自分自身で決断することができず、周囲の環境や人々の様子見をしながらせせこましく生きているんだな、こんなことでは前世の自分と同じではないか……自己嫌悪しながらも、死を自分で自分に与えることも出来ない

 ━━マトモに生きる事が出来ない奴は、マトモに死ぬこともできないのか

 

 クロウは思い悩む。

 

 だが、思い悩み、生きることや死ぬことに向かい合って生きていくということはクロウにとって決して悪い事ではないのかもしれない。

 彼にはそもそもが足りない物が多すぎた。得られなかったものが多すぎた。報われなかった事が多すぎた。

 それを第二の人生で悩みつつも少しずつ満たし満たしていけば、あるいはクロウの、シロウが焦がれているマトモというものが手に入るのかもしれない。



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閑話:続・愛剣

クロウは宿の自室で愛剣の手入れをしている。

何人もの人間を斬ったにもかかわらず、愛剣の黒々とした刃は自分の顔がうつるほどに美しかった。

 

愛剣の好きな所はまずよく斬れる所である。

剣が斬れるのは当たり前だ。

当たり前なのだが、この剣は斬り続けてもその切れ味が落ちない。

普通は脂だのなんだのですぐ切れ味が鈍くなるのに、愛剣は不思議となんでも斬れる。

次に、これは自分でもどうかと思うのだが、とにかく見た目が好きだ。

なんというか、禍々しい感じが良いのだ。

こんな禍々しさでは人はこの剣を忌避するだろう。

素晴らしい切れ味をもつ剣にもかかわらず、だ。

だが自分はこの剣が好きだ。元々もっていた愛剣が基礎となりうまれた剣である、というのもあるが、この剣のよさを自分だけが理解しているとおもうと独占欲が満たされるような気がする。

 

あとは、そう【声】である。

この剣からは声がきこえる。言葉として明瞭に聴こえるわけではないが、囁きのような、祈りのような、詠唱のような。

そんな声が聞こえてくる気がする。

クロウはその声を聴いていると、心のザラザラとした部分を舐めとられているかのような生々しい快感を覚えるのだった。

 

クロウはこの剣のことをもっと知りたかった。

だからこそ、こうして自ら死地に赴くような真似をしている…というわけでこそないが、もし自分が本懐を遂げるようなことがあるのならば、最期に自分を看取ってくれるのはこの愛剣なのだろうなと思う。

 

グズついていた心が、剣の手入れをしているうちに安らかになった事を感じたクロウは、鞘に納めた愛剣を掻き抱き眠りについた。

 

─チリン

 

鈴の音のようなものが聞こえたような気がした。

 

 

※愛剣

【閑話:愛剣】でも述べたが、クロウの愛剣はクロウに災いを呼び込む。

しかし、呼び込んだ災いに、更なる災厄を与えこれを排する。

だがこの背反した加護はクロウにだけしか適用されない。

当たり前だ、剣が愛するのは主であるクロウのみなのだから。

クロウをまもりたいと願う愛剣の極めて一方的な狂妄めいた妄執が、守るためにあえて災いを呼び込む。

まさにマッチポンプのような加護ではあるが、それでも加護は加護だ。

最終的にはクロウを守るために力を尽くすだろう。

だからクロウの死後、使い手が変わることでこの剣は正真正銘の呪いの剣と化した。

災いを、敵手を呼び込むだけ呼び込む。ただそれだけ。

クロウ以外の主をこの剣は決して認める事はなかった。

使い手が非業の死を遂げるまでひたすら災厄をまき散らし続けた。

クロウが眠る寝殿へ納められるまで。



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第13話:壊れたエルフを殺してあげたい①

挿絵はmidjouneyでぱぱっと。


 

シルファ・ロナリアは父であるロナリア伯とともに王都から離れた別宅へと向かっていた。

 

シルファの母親がいるのだ。

どうにも他家からの干渉があるようだとわかった時点で移動してもらった。

母は穏やかな気質で、政争などにはとても向いていない。

 

その間の移動中というのは暇なものだ。特に今回のような用事であれば尚更である。

退屈しのぎになにか面白い話でもないものかと周囲を見渡すも、見える景色はいつもと同じものばかりだ。

 

仕方なく目を閉じれば瞼の裏に焼き付いたようにあの黒髪の男が浮かんでくるのだった。

(あの人は一体何者なのだろう……)

 

よく貴族は庶民の気持ちなど分からない、と言われるがそれは一部の愚例を除き誤った見解だ。

貴族は庶民の気持ちはよくわかってる。

なぜなら庶民こそが貴族の糧であり、庶民をいかに【使う】かが貴族にとってもっとも大事な能力だからだ。

貴族が庶民をないがしろにするのは、気持ちがわかっててなおそれを取るに足りないと切り捨てているからである。

従って貴族には彼らの一般的な特性として、相手の人柄を、本質を見極めるという能力が備わっている。

 

シルファも貴族令嬢であるからには貴族教育は受けてきたわけで、人を見る目はあると自分でもおもってきたが、その目をもってしてクロウという人間の事はよくわからなかった。

 

 

まず第一印象としては恐ろしい男だと思った。

グレイウルフから助けられたときの事を思い出す。

あの魔狼はただの狼ではない。

金属製の得物を噛み砕くような恐ろしい牙を持っている。

そんな魔物を一方的に惨殺してしまった。

グレイウルフの返り血で染まったクロウはとても恐ろしく、えたいの知れない怪物にしかみえなかった。

 

次に底知れない男だと思った。

赤角から迸る魔力の凄まじさよ。

クロウを助けるために使用したグラシアル・ペネトレートは重厚なプレートアーマーだって貫く。

それなのに、赤角は腕に少し食い込んだだけだった。

 

あの時グランツとアニーがいたが、3人で立ち向かったとしても勝てる見込みはないと断言できる。

 

だがそんな赤角もかくやとおもわせるのはクロウの魔力のおぞましさであった。

魔力とは決まった形をもたない。

だから本人の気質に左右される。

強い魔力を行使するとき、その魔力は可視化され、本人の気質に応じた姿形を取るのだ。

 

シルファのそれは凄烈な蒼で厳しさと柔らかさが同居しているかのような水流の如き魔力色である。

赤角は淀んだ赤。その迸りは憤怒の色を容易に連想させた。

 

しかるに、クロウは…

 

禍々しい人物なのかとおもえばそれは違う。

普段のクロウはおとなしすぎるほど大人しい。

ああみえて案外情に厚い所もある。

そして非常に言葉数が少ない。

少ないというより、苦手としているのだろうか?

はい、いいえ、それ以外の言葉を聞いた事がない。

いや、聞いた事はあったか…。

あの時、クロウは殺してほしいといっていた。

心に深い傷を負っているのだろう。でなければあのような魔力色の説明がつかない。

 

浮かない表情を浮かべるアリシアを、父である伯爵は心配そうに見守っていた。

 

 

クロウは今日は依頼をうけなかった。さすがに少し疲れがたまっていたからだ。宿で剣を磨いたり、あとは眠ったりしていた。

 

クロウの数少ない趣味として睡眠があげられる。

とにかく眠るのが大好きなのだ。

理由はクロウ自身にもわからない。

現代日本であるならば、一種の睡眠障害だと診断されたかもしれない。

 

三大欲求の中でも、この睡眠欲というのはクロウにとって頭2つ3つは抜けている極めて強い欲求であった。

 

食欲は必要な分を食べるという感じであったし、性欲についてはないわけではないし、前世も童貞ではなかったが、この世界では行為にいたったことはなかった。

そのへんはクロウの特殊な性癖が関係しているが、ここでは割愛する。

 

 

クロウは夢をみていた。

クロウは街を見下ろしているが、空中にいるわけではない。

海中だ。

忘れ去られた海底都市だろうか。

人の営みの気配はない。

町の上空…上海?を大きな大きな鯨が遊泳している。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

クロウは夢を見ていた。

少女?が丘のような場所へたって空を見ている。

少女の視界の先にあるのは空中を航行する船のようなものだ。

飛行船とはまた違うようにも思える。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

ふわっとした心地でクロウは目が覚めた。

何となく覚えている。

びっくりするほどの綺麗な夢だった。

あんな場所がこの世界のどこかにあるのなら行って見たいなと思う。

 

木窓をあけてみると外はすっかり明るかった。

日の高さ的にはまだ午前中だろう。

 

━━ああ、もう少しあの夢を見ていたかった

 

特に海底都市は素敵だったとクロウはおもった。

もちろん2つ目の夢もいい。

 

━━ジ◎リの映画みたいな世界感だったな

 

グウ、と腹がなった。

クロウはギルドへいくか先に食事をするか少し悩み、ややあって宿屋を出た。行き先はいつもの定食屋だ。

 

 

 

「でな、聞いているか?エルフってのは色々な事をしっている。なんせ何百年と生きるような連中だからな」

 

親父が言うとクロウは恐れ戦いた。

只人の寿命を真っ当することすら自分には苦痛であるというのに、エルフというのはそら恐ろしいメンタリティを持っているのだなと。

 

「━━おう、野菜もくえよ…それでな、基本的に連中は森から出てこないんだ。なんたってエルフってのは古代語でよ、森に生きる民って意味だからなァ」

なぜ不味い定食屋の親父が古代語など知っているのだろうかとクロウはいぶかしむも、親父の話が興味ぶかかったので黙ってきいていた。

 

「魔法や剣術にも長ける。連中にはなんたって時間があるからな。何百年と剣の修行をしてきたエルフの剣士なんて、そらもう!バケモンよ。魔法だって同じようなもんだぁな。だから連中に教えを乞おうとする奴等だって結構いるんだぜ?」

 

随分と完成された生物のようだが、穴はあるんだろうな、とクロウは思う。

 

「だがな、連中はとにかく子供が出来づらいんだ。50年に1人ふえるかどうかっていう有様らしいぜ」

 

親父が焦げた根菜をドバドバと皿によそってきた。

この親父の話は毎回違っていて、面白いことは間違いないのだが料理が余りにひどいせいで客が少ない。

この焦げた根菜など、ただ油でいためただけで味付け1つしていないのだ。

脂ぎっていて、しかもこげている。

 

死にたい。満足出来る死を遂げたい。でも不味い料理で殺されるのは嫌だな、と思いながらクロウは根菜を口に運んだ。

親父は自分の料理を食べない人間とは一切会話をしないのだ。

 

「なあクロウ、連中が死ぬ原因ってなにかわかるか?」

 

親父が声を潜めてクロウに聞いた。

なんとなくはわかる。

だが、親父が話したそうな顔をしているので、首を横に振った。

 

「自殺、だよ。連中は個人個人の性能が余りに高い。だから外敵から殺されるってことは余りない。だから放っておけば生き続けるんだ、それこそ何十年どころじゃねえ、何百年、もしかしたら1千年だって。そんだけいきてらな、体が死ぬより心が先に死んじまうんだ。だから心が死にそうになったら奴らは自殺する。でもよ?心が死んだエルフがそのまま生き続けちまったらどうなるか、クロウ、お前に分かるか?」

 

グワっと目を見開いた親父が顔を近づけてくる。

手が自然と愛剣へ伸びるが、さすがにまずいとおもい反対の手で抑え付けた。

 

「そういうエルフはよ、【虚ろなる者】って呼ばれてるんだ。もしもよ、冒険中にそういう狂ったエルフにであっちまったら、なりふりかまわず逃げるこったな。みーんな、死んじまうからよ」

 



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閑話:ドラゴンロア

ドラゴンロアは銀級でもトップクラスのパーティだ。
実力も勿論あるが、リーダーのアーノルドの受けのよさというのも大きい。
貴族の三男坊という出のせいか、彼は貴種たちへの対応の仕方を心得ていた。
だから彼らには貴族から、王宮から指名依頼が振られることも珍しくはない。

そんな彼らにあるとき、アリクス地歴調査院から依頼がはいった。
依頼内容はアリクスの王都から北方、ニルの森である。
この森にはアリクス王国に友好的なエルフの一部族が暮らしている。
王国も彼らの存在は把握しており、極めてごくごく控えめな交流が行われてきた。アリクス王国は基本的に異民族などにたいしては融和的なのだ。

だがここ最近、ニルの森のエルフたちがめっきり見かけなくなったという報告が届いた。それだけではなく、森の野生動物すらも姿を消したと。
なにか異変がおこっていることは間違いなく、では調査をするにせよどういう類の異変なのかわからないままでは危険すぎる。
学者連中をおくって、危険な存在に皆殺しにされました、では困るのだ。
しかし、エルフ達との交流の可能性も考えると半端なものは送れない。
そこで選ばれたのはアーノルド率いるドラゴンロアであった。

だがニルの森のエルフ達の里でアーノルドが見たのは何かに襲われた痕跡。

アーノルドたちはこの話を王国へ持ち帰るか悩み、相談をしていた所に「それ」がきた。

エルフ、しかし、エルフではないナニカ。
アーノルド達に走る怖気は濃密な死を予感させるもので、歴戦のドラゴンロアが一当てすることもなく遁走を決断させるに足るものであった。


 

「…っ!くそ!追ってきてる!速いぞ!」

 

使い込まれた革鎧…ただの革鎧ではない、亜竜に分類されるワームの革をつかった鎧を纏った大柄の男が血相を変えて叫ぶ。重戦士ガデス。

 

「喋るな!前だけ向いて走れ!」

まだ歳若いが才気ばしった雰囲気の青年が叱咤した。剣士アーノルド。

 

彼らの後ろには弓を担いだ女、杖を担いだ女がそれぞれ無言で追随している。

黙って走ってはいるが、表情を歪め、顎が浮いていた。限界も近いのだろう。

 

杖を担いだ女、エメルダがついに音をあげた。

「も、もうだめ!これ以上は…」

 

大男と青年は後ろを振り返ると目配せを交わす。緊張が走り、弓使いの女…レンジャーのハルカは固唾を吞んだ。

 

エメルダは顔面を蒼白にしておそるおそるアーノルドへ問いかけた。

「わ、私を…見捨てるの…?」

 

その質問に、一瞬きょとんとしたアーノルドは苦笑交じりにエメルダを叱った。

「馬鹿!逃げられないなら迎え撃つんだよ」

 

「まぁなあ…糞ッ。エルフに恨まれる覚えはねえぞ!」

いらだたしげにガデスは盾を構えなおした。

 

悍ましい気配が近付いてくるのを感じる。

 

「…来るぞ!!エメルダ!ハルカ!下がれ!エメルダは詠唱準備!森で使うのはご法度だろうけど…知ったことか!火炎術式だ!俺が切り込む!魔法を使わせる暇は与えない!………ガデス!ハルカ!!」

 

ガサガサと草木が揺れる音がし、掻き分けてくる手の色はまるで蝋の如く真っ白だ。続いて顔が覗き込んできた。目は黒に染まっている…耳などをみれば確かにエルフであるというのに、まるで違う生物のようだ。

 

「合わせろォッ!」

 

アーノルドの突撃に先んじて、ハルカが一矢を放つ。

矢は空気を切り裂き、エルフもどきの顔面へ吸い込まれていく。

 

━━ガキンッ!

硬い音。

エルフもどきが顔をのけぞらせた。

 

顔を戻したエルフもどきの口には矢が咥えられていた。

飛来してくる一矢を歯で噛み受止めたのだ。

ハルカは顔を顰めるが、一先ず自分の仕事は出来たことにわずかな安堵を感じる。

 

ハルカは一瞬しか時間を稼げなかった。

しかし、一瞬稼げれば十分でもあった。

 

颶風を纏ったアーノルドの大上段がエルフもどきの眼前に叩きつけられる。

その強撃は大きな反発力を生み、その勢いをもって空中で一回転。回転と反発力で再度の大上段斬りを叩き込む。

 

竜断頭。竜の頭すら叩き割るといわれているアーノルドの回転斬りの軌跡は正確にエルフもどきの頭をとらえていたが、首をそらされてしまう。

 

それでもアーノルドの一撃はエルフもどきの肩口から胴体を深々と斬りさいた。見事という他ないが、アーノルドはそのてごたえに違和感を覚えていた。

 

(硬い…!高密度の魔力が練りこまれているのか!)

 

エルフもどきは生きている。

胴体の半ばまで切り裂かれながらも、悲鳴1つ上げずに真っ黒で丸い瞳をアーノルドに向け、ニタリと嗤った。

 

腐臭を発するかのごとき濃緑の魔力が瞬く。

なにがしかの魔導の起動だ。

何が発現するにせよ、ろくな結果にはならないだろう。

 

だが間に合った。

エメルダの攻勢術式が完成したのだ。

 

エメルダは黄色い炎の矢を放った。赤い炎ではなく、黄色い炎は赤のそれより温度が高い。3,500度にも達するその矢は、鉄ですらも容易に融解させぶち抜いてしまう。

 

狙いはエルフもどきの顔である。

エルフもどきはそれを避けようともしなかった。

いや、避けようとしたのかもしれない。

しかし間に合わなかったのか、あるいは避ける必要が無いと判断したのか、どちらにせよ結果として炎は直撃したのだからどちらでもよいだろう。

エルフもどきの口から悲鳴があがる。

悲鳴というより咆哮に近いものだ。

 

(咆哮…いや、詠唱!?)

 

エメルダの魔法が直撃したにもかかわらず、エルフもどきはすぐに反撃に転じた。

 

(━━相殺された…!奴の目線は…ハルカ!)

 

 

凄まじい勢いで跳躍すると、空中から弓を射ようとするハルカに襲い掛かったのだ。

だが、そこにガデスが割って入る。

ハンドアクスによる横薙ぎの一閃はエルフもどきの頭部をとらえた……かに見えたが、咄嗟に身を屈めたことで回避されてしまったようだ。

 

そのまま後方へ飛び退るエルフもどきを見て、ガデスは苦虫を嚙み潰したような顔をする。

アーノルドは技の反動で動きが鈍く、エメルダも同様。

ハルカも矢は射掛けるが、彼女の矢はもとより狙撃と牽制に特化している。強弓の類ではないのだ。

彼女が隙を強引に作り出し、アーノルドやエメルダが大技を当てる、これが彼らの必勝パターンであった。

 

 

「嘘だろ?ボウズのアレとエメルダ嬢ちゃんのアレで倒しきれねえのかよ」

 

それをきいていたハルカも同感であった。

「ひいたほうが良さそうですが、逃がしてくれなさそうですよね…」

 

エルフもどきからは先ほどまでのニタニタ笑いが引っ込んでいる。

 

「…けっ、これから本番ってやつか?糞。遺書かいてくればよかったぜ…」

ガデスがうんざりしたようにごちた。

 

 

エルフもどきがピッと指をガデスへ向けつぶやいた。

「د برښنا بنډل شوي تیرونه 」

ガデスには聞き取れなかったが、呪文であることはわかった。

瞬間、破裂するような音がきこえ、白い光のような何かが迸るのをガデスは知覚し、次の瞬間、彼の全身を激痛が襲いかかった。

「ぐああああ!」

針でザクザクと突き刺され続けているような痛みは、ガデスにも覚えがある。

 

「で、電撃…上級魔法だぜそりゃあ…指一本って…反則じゃねえのか糞…っ!」

痛みだけじゃなく、しびれも感じる。

 

 

これはまずいかもしれない。

そう考えつつ、なんとか立ち上がろうとするがうまくいかない。

(立て……立たなきゃ……殺されるぞ……っ!)

歯を食い縛り、力を込める。

体が悲鳴をあげているが無視した。

無様に這いつくばっている場合ではないからだ。

だが、それを許すほどエルフもどきは甘くはなかったらしい。

 

エルフもどきが再び指をガデスへむける。だが、横からアーノルドが斬りかかり、詠唱されることはなかった。

 

アーノルドは先ほどとは違い、細かい動きを織り交ぜてエルフもどきを牽制する。ハルカからの援護射撃もあった。アーノルドがどうしても隙を見せざるを得ないとき、的確にハルカからの一矢が飛んでくるのだ。

 

とはいえ、アーノルドたちにもこのままではジリ貧であるということがわかっていた。

先ほど加えた一撃の負傷はいつのまにかなおっているし、先ほどから細かい手傷はあたえてもすぐに再生してしまう。

 

(でも…あの時奴は頭を背けた。あれほどの再生力なら頭部にくらっても問題ないはずだ。やはり、頭部が弱点ということなのか?)

 

「د برښنا بنډل شوي تیرونه 」

「د برښنا بنډل شوي تیرونه 」

「د برښنا بنډل شوي تیرونه 」

 

 

エルフもどきはアーノルドを指差し、立て続けに魔法を使う。

確かに雷撃の魔法は脅威ではあるが、それでもアーノルドにとっては種が知れてしまえば直線的な攻撃をかわすことはさほど難しいことではなかった。

 

アーノルドは体力を消費しないように回避と牽制につとめている。

ハルカの援護もあって、なんとか場を持たせることができていた。

 

こりずにエルフもどきがアーノルドへ指をむける。

 

(またか。学習能力は余りないのか?)

アーノルドが回避の準備にはいると、エルフもどきがニタリとわらった。

 

「アーノルド!!だめ!!!!離れて!!!」

 

何かに気付いたエメルダの絶叫むなしく、エルフもどきは五指を伸ばし、掌をアーノルドへ向けた。

 

「څرخیدونکی اور 」

 

燃え盛り、うねる炎の奔流がアーノルドを包み込む。

アーノルドは絶叫をあげ、地面を転がりまわるも火はきえないどころか、アーノルドの全身をはいまわった。

肉が焼け、骨が焦げる匂いが立ち込めた。肉の焼けた臭いと血の臭いが入り混じり、思わず吐き気を催すほどの悪臭だ。それでも炎は消えない。

炎がようやく消えたときには、炭化した焼死体が転がっていただけだった。

あまりにも凄惨な光景に誰も言葉を発することができなかった。

 

エルフもどきだけが満足そうに嗤っていた。

 

リーダーであり、精神的支柱にして攻撃の要であるアーノルドが死んだ。

 

硬直したパーティの中で一番最初に動いたのはエメルダだった。

パーティの中でも一番直情的な彼女は、意外にも冷静そのものであり、しかしその目は爛々と殺意に輝いている。

 

「ガデス、ハルカをつれて逃げなさいな。そしてギルドへ伝えなさい。全員死ぬわけにはいかないわ。誰かがあいつのことを伝えないと。私がこいつを食い止めてあげる」

 

 

「ばかやろう!!おいていけるわけねえだろうが!!」

ガデスが猛然と反駁する。

当然だ、仲間を見捨てろって?

そんな事するくらいなら死んだほうがマシだ。

 

「1つ。私達3人じゃ悔しいけどアイツには勝てない」

「1つ。ハルカをみなさい。まともな説明できそうもないでしょ?あんたが護って街まで送ってくのよ」

「最後。私はアーノルドが好きだった。ガデス、あんたとハルカのことも私は実はしってるの……なら私の気持ちもわかるわね?行きなさい。逃げる時間くらいは稼いであげるわ」

 

絶句したガデスは鬼相を浮かべ、そしてうつむき、無言でハルカを抱え駆け出していった。

 

エルフもどきは真っ黒な穴のような目でだまってエメルダをみていた。

口元にはニタニタと不快な弧。

ガデスたちを追わなかったのは、目の前の小娘などすぐにくびり殺せるという自信ゆえだろうか?

しかし理由がどうであろうと、エメルダにはもはや関係がなかった。

 

「殺すわ」

 

 

魔導はより多くの魔力を流すことでより大きな現象を引き起こせる。

 

魔力はより大きい、強い感情を抱けば抱くほどにその振れ幅を大きくする。

 

しかし魔導行使において、正確に現象をひきおこすためには常に一定の感情をもってしなくてはならない。感情の揺れは魔導の正確な発現を阻害する。

 

 

エメルダの体を魔力が回り、巡っていく。彼女の抱く感情は真っ白にスパークし、もはや彼女自身もそれを抑えようとはしていない。

己の全身を魔力の生産工場とみなし、その命をすら薪とくべて魔力を生み出す。

多くの、より多くの魔力を生み出すために。このような真似は神経をズタズタにし、それこそ五感にさえ影響が出てしまうものだ。だが、当然そんなこともエメルダには関係がなかった。

 

エメルダはエルフもどきの顔をみながら、悠々と歩いていく。

 

 

エルフもどきの指から雷撃が飛び、エメルダの体を貫く。

だがエメルダの足はとまらない。

魔法使いという関係上、魔法への耐性は一般人より高いが、それ以上になによりも

 

「なにかした?悪いんだけど、もう何されたって痛くなんかないんだよね」

 

エメルダは急速に壊れつつあった。

 

 

エルフもどきまであと10歩。

石弾が頬を抉る。

 

エルフもどきまであと5歩。

風の刃が腕を切り飛ばした。

 

すでにエメルダが回し続けていた魔力は臨界に達していた。

 

「これ、で、あんらが、ひんだら…あの世れ、もういっかい、ころひてあえる…」

 

━━く・た・ば・れ

 

高めた魔力を殺意と怒りと哀しみのままに下級火炎術式へむりやり込め、解放。

器の小さい術式に無理矢理こめられた魔力は当然のごとく暴走し、強い感情を制御せずそのまま行使したことによる二次暴走は、周囲一体を嵐のごとき魔力暴走嵐へ巻き込み、大爆発を引き起こした。



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第14話:壊れたエルフを殺してあげたい②

ギルドへついたクロウは受付嬢のアシュリーに目礼をして依頼が張り出してある掲示板へと向かった。

 

危険なにおいのする依頼、死闘の気配がする依頼はないかと目を滑らせるが…今日は不思議とそこからなにかを選ぼうという気にはならない。

ポリシーというか、気持ちに変化があったわけではないとおもうが、とクロウはいぶかしむ。

 

そういえば剣が少し熱を持っているような気がする。気のせいだろうか?

 

 

「ようクロウ、調子はどうだ?」

クロウに話しかけたのは槍使いのランサックだ。

自慢話が好きな男で、こうして昼間から依頼も選ばずにクダをまいている。

 

話をきいてくれるものがいれば、延々としゃべくるために鼻つまみもの扱いされているが、クロウは彼が話しかけてきたら出来るかぎりは話をきくようにしている。

 

そのせいか、ギルドで避けられがちなクロウの数少ない知人のような存在であった。

 

「そういえば連中帰りが遅いなぁ。ん?ああ、ほら、ドラゴンロアの連中さ。この前王国から指名依頼を受けていたんだ。ただの調査依頼らしいけどな、報酬はきっと凄いんだろうぜ。なんたって王国からの指名依頼だからなあ。リーダーの育ちがいいからよ、あそこは。美味しい依頼を沢山まわされるんだぜ?貴族とかからな、羨ましいよなァ」

 

息継ぎもせずに一気にしゃべりきると満足したのか、手をひらひらと振りながら去っていってしまった。

 

なんだかんだで彼はクロウにとっては良い情報源だ。

なにより、コミュニケーションをとらないでも勝手に最近あったことを話してくれるのがいい。

 

━━ドラゴンロアか

 

クロウも名前だけはきいたことがあった。

なんといってもリーダーのアーノルドは竜殺しを成し遂げた傑物で、当時は王都中で彼の名前をきいたものだった。

 

━━竜と戦ったらさすがに死にそうだな

 

いつかは挑んでみたいものだ、とクロウ。とはいえ、竜自体滅多にいるものではないし、いたとしても人に仇なす悪竜の類というのはもっと少ない。

基本彼らは山奥だとか秘境だとか、人の少ない場所にいるものだからだ。

 

 

爆音。

震える空気。

 

それらを背に感じたガデスは、足に魔力を可能な限り回してひた走っていた。ハルカがはぐれないように手をひきつつ、さりげなく様子を伺う。

 

分かってはいたが、彼女の瞳の奥には諦念、絶望、悲嘆…そんな感情しか見えなかった。

 

ガデスはそんなハルカに無性に腹が立つ。

(糞!絶望したいのは俺だって同じだぜ…糞ッ…アーノルド、エメルダ…)

 

それ以上に腹が立つのは無力な自分。

ガデス、お前はパーティの盾としての何をしたのだ?そんな自問自答が気分が悪くなる。

 

だがなにより許せないのは…

(━━殺すッ…!あの糞エルフ野郎…よくも、よくも)

 

ガデスとて絶望したく、泣き叫びたく、悲嘆に暮れたい。

だがそれ以上に胸を焦がす憎悪と怒りが彼の足を動かしていた。

 

 

その日、クロウは結局依頼は選ばずに常宿へ戻った。

いくつかこれはとおもうものはあったのだが、選ぼうとすると頭痛がするのだ。

 

クロウは縁起を担ぐほうではないが、風向きがよくないなとおもったときはすんなり引き下がるようにしている。

この世界、運が悪いとあっさり死んでしまうゆえに。

 

坂の上から転がる大岩から身を挺して旅人を護り死ぬのはよいが、呑気に歩いているところを押しつぶされ死ぬのはごめんだとクロウは考えている。

 

クロウの目的というか願いはあくまで多くの人間から惜しまれ悼まれる死であって、路上に惨めに屍を晒す野良犬になりたいわけではないのだから。

 

肯定感は異様に低く、承認欲求は異常に高い。

それがこの男の浅ましき性なのであった。

 

仕方ないとばかりに踵を返し、宿に戻ろうとすると途端に頭痛は収まる。

愛剣がほのかに熱をもち、クロウはまるで【それでいいのだ】と囁かれている気分になった。

 

 

クロウが宿へ戻ったその日の夜、ギルドに困憊した2人の冒険者が駆け込んできた。

 

ドラゴンロアのメンバー、ガデスとハルカである。



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第15話:壊れたエルフを殺してあげたい③

「……それで、アーノルドは……死んじまった。エメルダが残って俺達を逃がした。多分、もう……」

 

 ガデスは血を吐くような声色で、受付嬢のアシュリーに説明をした。

 アシュリーは暫し目を閉じ、やがて哀しみ、怒り、やるせなさ。あらゆるネガティブな感情がミックスされたようなため息を1つ。

 

「……かしこまりました。依頼を出した王国の調査機関へは然るべき説明をしておきます。依頼自体は達成扱いとさせていただきます……。被害があったとはいえ、何があったか、原因と目されるそれを特定できたわけですから……」

 

「ああ……だがよ、俺は」なりません」

 

 アシュリーがガデスの言に被せて拒絶する。

 

「ドラゴンロアの皆様はギルドとしても非常に有望なパーティだと考えております。率直に申し上げれば金等級でもおかしくは無く、アーノルド様とエメルダ様の実力に関しても疑いようがありません」

 

「ガデス様、ハルカ様も同様に。そんなパーティが半壊の憂き目に遭ったのです。……敵討ちに向かおうとおもっているのでしょう? なりません」

 

「ニルの森のエルフの不在は、あるいはその狂ったエルフが関わっていると目されます。でしたら王国より討伐依頼が出るでしょう。それまでお待ち下さい。そのエルフが極めて危険な存在である以上は単独行動をギルドとして承認いたしません」

 

 ぎりぎりと歯を食いしばるような音が夜半のギルドに響きわたる。

 ガルドの隣に立つハルカはうつむき、表情もわからない。

 

「……今夜は、もう御休みください……明日ギルドまで来ていただければとおもいます。どうかはやまらないでくださいね。討伐依頼は必ず出るでしょう。ニルの森のエルフたちとアリクス王国は非常に友好的な関係です。友好的な他種族が害されたとき、この国は苛烈に対応をしてきたことはこれまでの歴史からお分かりになるでしょう」

 

 わかった、とガデスはハルカを支えてよろよろとギルドを出て行った。

 閉まったドアをみつめながら、少し私情を出しすぎたか、と反省する。

 原則として、自分の命の責任は自分で負うのが冒険者というものだ。

 ガデスが復讐に行きたいのなら、止める義務はなかった。

 

 だが、とアシュリーの目が細まり針のように刺々しい気持ちでごちる。

 

 ━━義務はなくとも義理はある

 ━━誠実に仕事をしてくれる限りは、ギルド員は家族も同然だ

 ━━家族に手を出すなら、討伐依頼が下りたならそのエルフを殺せるようにせいぜい手をまわすとしよう

 

 アシュリーの脳裏にはある日の情景が浮かんでいた。

 エメルダとは友人関係でもあった。

 ある日、彼女とお茶をのんでいたら、エメルダは顔を真っ赤にしながらアーノルドが好きなんだけどどう気持ちを伝えたらいいのか、なんて聞いてきたりして。

 

 ━嗚呼

 

 

 ■

 

 耳を擽る囁きは心地よいようなこそばゆいような。

 クロウは常宿の粗末なベッドの上で、鞘に仕舞った愛剣に耳を当てぼんやり横になっていた。

 

 寝ているのか起きているのか、現実と夢の境界線上でクロウは黒い洋服をきた少女を視る。

 

 黒い服の少女には瞳がない。

 そのあどけない顔立ちにぽっかり空いた真っ黒い2つの穴があいている。

 クロウがその少女をみていると、少女は淡く紅い唇を開き、言った。

 

 護ってあげる

 護ってあげる

 なにがあっても護ってあげる

 怖いものから護ってあげる

 全部殺して、護ってあげる

 

 暗転。

 

 ■

 

 クロウははっと目を覚ました。

 変な夢をみていたのか、寝汗が酷い。

 外では鳥の鳴き声がする。

 木窓をあけてみれば、すっかり朝だった。

 

 傍らに鞘におさまった愛剣が転がっている。

 

 ━抱き締めたまま寝ちゃったのか

 

 朝のけだるさに身を委ね、暫くぼーっとしているとガランという音がした。

 音のほうをみてみれば、剣が床に落ちている。

 

 なにか剣に急かされたような気がして、クロウは身支度をしてギルドへむかった。

 

 ■

 

 ギルドは騒がしかった。

 朝はいつも依頼の争奪などで騒がしいのだが、この騒がしさは少し違うような気がした。

 

 クロウはいぶかしく思いながらも依頼掲示板へ向かうが、そんなクロウを呼び止める声があった。

 

「おはよう! 調子はどうだ?」

 ランサックだ。朝だというのにすでに酒の匂いがしている。

 

「聞いたか? ドラゴンロアがやられたそうだぜ! パーティのうち半分を殺られ、もう半分は命からがらニルの森から逃げ帰ってきたらしい。殺ったのはエルフだって話だ。どういうことだろうな? しかもよ! そのエルフはほかのエルフたちも殺っちまったらしい! とんでもねえよ! 王国はカンカンだ! 当然だよな、ニルのエルフ共とアリクス王国は付き合いがながいからな! そんなわけで討伐依頼がおりてきたそうだぜ! 複数参加の大規模討伐だ! クロウ! お前も参加するだろ? ……ん? 俺? いや、俺は今回は見送るよ……実は最近調子が悪くてな。風邪をひいたのかもしれねえんだ……」

 

 いつものように語るだけ語ると、ランサックは手をひらひらふりながらギルドをでていった。

 

 彼はいつ依頼をこなしているんだろうか? 

 疑念が頭を過ぎるも、クロウは再び依頼掲示板へ向き直る……が、妙に視線を感じる。

 くるりとみまわしてみると、ギルドでも少なくない人数の冒険者がクロウをみていた。

 

 1人の冒険者と目線があうと、その冒険者は前に進み出てきてクロウに言う。レイピアを腰にさした細身の男……? だ。前衛にしてはあまりに細すぎる。女性の体格に見まごうほどで、流れるミディアムの髪は青みを帯びた美しい黒色をしていた。

 

「やあ。僕はセイ・クー。銀等級だ。3人パーティ【三日月】のリーダーをやってる。君はクロウだね。死にたがりのクロウ、角折りのクロウ……君の異名は色々あるけれど、大分印象が違うね」

 

 何のようか、という意味でクロウが首をかしげると、セイ・クーは続けた。

 

「君もさっきランサックさんから聞いてただろう。大規模討伐依頼がおりてきた。王国からだよ。参加するのかい?」

 

 はいともいいえとも答えず、クロウは暫し黙考し、張り出されている依頼票を見る。率直にいって悩んでいた。

 難敵、危険な敵というのはいい。

 だが大規模討伐ということは他の冒険者との協同になるわけだ、と思うと悩んでしまう。

 

「検討中というわけか……だが僕としては君に是非参加してほしいんだ。ここにいる、他のものたちもそうおもっている。特異個体【赤角】をほぼ単独でやぶったときいているよ。それが本当ならとんでもないことだ。赤角は金等級パーティですら退けたことがあるんだよ。メンバーの1人は深手をおって冒険者として復帰できないほどだったそうだ。そんな化け物を破ったという実績は非常に心強い」

 

 それにこれは私情になるが、とセイ・クーは続けた。

 

「死んだアーノルド、エメルダは僕の友人だった。僕はそのエルフとやらを許せない……だが、相手が危険なのはよく分かる。アーノルドとエメルダは凡庸な冒険者じゃなかった。生き残ったガデスやハルカにしたってそうだ。それなのにこんな結果になるのは、それだけ相手が危険なんだろう。だからこんな頼み方は物騒に過ぎるとおもうが、クロウ、僕に手を貸してくれないか?」

 

 命をかけることになる、というのは分かっているが……とセイ・クーは唇を噛む。

 

 クロウはだまって踵を返し、依頼票を剥ぎ取った。

 それをそのままカウンターへ持って行く。

 

 ━━友人のためか

 

 友人の為に命をかけて分が悪い依頼へ挑むというのはクロウにとって垂涎の理由だった。羨ましいといっても過言ではない。

 命の使いどころとしては非常に適切だ。

 

 そして、そんな分の悪い賭けをしようとしている者を手助けする、というのも悪くない。

 

 依頼受諾の手続きをすませる。

 普段とは違うアシュリーの表情。

 荒んだ瞳の色。

 クロウはぴんと来る。

 

 ━━復讐か。死んだ冒険者は彼女の知り合いでもあるのか? 

 

 なるほどな、と今になって納得した。

 昨日、依頼を受けようとして頭痛がおきたのは、これが原因かと。

 

 うまくはいえないが、この依頼を受ける……いや、受けなければならない流れのようなものを感じる。

 

 セイ・クーが歩いてくるのをみながら、戦いばかりで酷使して悪いがと鞘を一撫でしながら内心で剣に詫びると、

 

 

 ━チリン

 剣が、啼いたような気がした。



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第16話:壊れたエルフを殺してあげたい④

 

「…感謝するよ。僕らが3人。あとでメンバーを紹介するね。そして君、これで4人。そしてあともう1人いる。ガデスだ。合計5人だね。ハルカは参加しないらしい。いや、出来ないと言ったほうがいいのかな。不安定なんだ」

 

でも、とセイ・クーは続けた。

 

「ギルド側からは6人を推奨されている。それ以上になるとやっぱり連携がね…。特に今回の相手は魔法を使うそうだから、多ければ多いほど被害も広がる。10人20人いたって、連携もなにもなくバラバラなら、あっというまに瓦解して各個撃破されてしまうのがオチさ」

 

さもありなん、とクロウは思う。

エルフというのは大体が森で生活しているため、木々を盾にゲリラ戦のようなことをされてしまうと人数の利があるとは正直言いがたいものがある。

 

被害もなにも考えないでいいのだったら森ごと焼き払ってしまえばいいのにな、とクロウはおもうが、さすがにそれは許されないだろう。

 

もう1人誰か参加しないか、とばかりにセイ・クーが辺りを見回すと、冒険者たちは目をそらしたり申し訳なさそうに苦笑いを浮かべるのみであった。

彼らを臆病者と責め立てるには酷だろう。

実力は金等級と目されていたドラゴンロアが無残にも敗北を喫した相手がどれだけヤバいかなんていわずとも知れている。

 

そんな彼らをセイ・クーは目を細め鼻白んだ様子で見ていた。

 

だが、冒険者ならぬ傍観者をかきわけて一人の女性冒険者が近付いてくる。

それは君も見知る相手だった。

 

「あら、クロウ様。そしてクーさん、お久しぶり。まだ空いています?」

 

「やあ、シルファ嬢。もちろん。あなたが力を貸してくれるなら心強いよ」

 

 

 

「…かしこまりました。では銀等級パーティ【三日月】の皆様、銀等級クロウ様、銀等級シルファ様、銀等級ガデス様の計6名で本依頼を受諾となります」

 

受付嬢のアシュリーからそう告げられるとセイ・クーは頷き、振り返った。

 

「これでよし。だが準備もある、出発は明日にしよう。時間は8つの鐘…場所は馬車の待合所前にしようか。ガデスは今はハルカの面倒をみているけれど、ギルドから伝えてもらうようにする。彼は守りの堅い重戦士で、視野も広い。僕らは火力偏重気味な所があるから大分助けられるとおもうよ」

 

シルファ1人だけなのだろうか?護衛の2人は…とクロウがシルファをみていると、シルファはそれと察し事情を説明する。

 

「ああ、グランツとアニーは少し別の依頼を手がけていますの。ほら、商人の…」

 

ああ、とクロウは首肯した。

それもクロウが関わった依頼である。

貴族同士のいざこざには今後とも関わりたくは無かったが、頼まれてしまったら自分は毅然と断われるのだろうか?と些か心配になるのであった。

 

 

 

シルファがパーティに加入したことは偶然ではない。

元よりセイ・クーに話は通していた。

クロウが参加するタイミングを窺っていたのだ。

 

危険な依頼であることは当然理解していたが、いくつかの理由によりシルファは参加をきめた。

 

1つ。貴族の観点からして、シルファはクロウに対する借りが多すぎると感じていたから。特に命の借りだ。

 

1つ。王宮のメンツを潰した元凶へ対応すれば王宮がロナリア家に借りをつくったことになるから。それは他貴族からの悪意ある攻撃を受けているロナリア家にとっては大きな武器となりえる。

 

1つ。クロウとの距離を縮めるため。これは男女がどうこうという理由ではない。貴族的な理由からだ。

 

グランツとアニーは家の仕事をしているため使えないが、それでもリスクを負うだけの価値はあるとシルファは思っている。

 

シルファは周囲から思われているような令嬢然とした女性ではない。

打算塗れの極めて貴族的な貴族であった。

だが、自らの打算に命を賭ける矜持がある女性でもある。

 

 

その日の夜、クロウはいつにもまして愛剣を丁寧に磨いていた。

磨きながらドラゴンロアの事を考える。

セイ・クーが話してくれた彼らの話を反芻する。

 

アーノルド、エメルダ、ガデス、ハルカ。

 

アーノルドを除き、他の3人は同じ村の出身だそうだ。

アーノルドはその地を納める小領主の三男で、一応は貴族の出ではあるが立場的には家をでなくてはいけない。

だからといったらなんだが、アーノルドは放任にも等しい環境だったそうだ。

だから幼い頃からアーノルドは村へ視察と称して遊びにいってはエメルダ、ガデス、ハルカと遊んでいた。

 

4人に友情が芽生えるのはすぐだった。

 

ああ、それから何度も遊び、友情を育み、村を飛び出し冒険者となって、4人で力をあわせて危険を乗り越え、高名な銀等級のパーティへ至ったのだろう。友情で硬く結ばれた4人。男と女だ、恋の1つもあったのかもしれない。そんな4人の内、2人が殺される。冒険中に強敵と出会い、命を落とすなんてよくある話ではある。

 

だが、とクロウは思う。

よくある話だからといって、許していい話ではない…

よくある話だからといって、復讐を諦める理由にはならない…

 

彼らの友情を引き裂いた元凶を討つ。

クロウにはそれが中々ヒロイックなことのように思える。

金等級に足を踏み入れていたパーティを半壊させるくらいだから強大な相手なのだろう。

リーダーのアーノルドは優れた剣士だったと聞いた。

若くしてドラゴン・スレイを成し遂げた英雄。

それでもなお力及ばない相手が、今回の敵。

 

━━命の使いどころが来たのかもしれない

━━俺の愛剣…魔剣を喰った愛剣。呼び寄せたか、災厄を

━━この依頼を受けることになった経緯を思い返せば明らかだ。他の依頼を受けようとしたときの頭痛は恐らく…

━━つまり俺の愛剣は、魔剣はここで、この依頼で命をつかえといっているんだ

━━分かってるね君は

 

思えば、狼だのオーガだの野盗だのは死に場所ではなかった。

人の手に余る強大な術を使いこなし、人に仇為す存在を、この身を使い討つために今の今まで生きてきたというわけか。

 

最高の死に様を見せるときがきたな、とクロウはいつも以上に愛をこめて剣を磨く。

 

もし誰かがこの光景をみたら、クロウの瞳孔がカッと開いて完全にキマってしまっている様子にドン引きしてしまうだろう。

余りにも度し難い変態…とまでは言わないが、やはりこういう部分にクロウが他の冒険者たちから避けられてしまう原因がある。

 

戦闘の際の異常な興奮と、日常生活でのあまりにも低すぎるコミュニケーション能力は、他者とクロウとの間に溝を作っている。

その深さはクロウが冒険者にしては品行方正であるというだけでは覆しえぬほどの深さだった。

 

違う世界とはいえ彼は新しい人生を歩むことになったわけで、それなら前世を引きずったりせずに新たな生を謳歌すればいいとおもうのだが、クロウにはそれができない。

 

ブラック企業に勤めて精神的におかしくなってしまった人の中には、会社を辞めるという決断が出来ないものが多々居ると言う。

転職活動が不安だから、とか、経済的に困窮するから、という理由もあるのだろうが、冷静に考えればどうとでも出来る筈なのだ。

 

人は新しい環境、新しい心境へ切り替えるとき、多大なエネルギーを要する。ブラック企業に束縛されている人はそのエネルギーがない。だから切り替えが出来ないのである。

 

クロウも似たようなものだ。

前世での思いをずっと引きずっている。

まるで100円の使い捨てライターのごとく雑に酷使され、結局壊されてしまったときの心の在り様のままに今世を生きている。

 

彼の歪んだ自殺願望のようなものは前世の澱がこりかたまって出来ている。

 

コミュニケーション能力の低さだって前世のそれが深く尾を引いている。

はい、いいえ、謝罪の言葉。

それだけいえれば事足りる生活。

彼が前世で奴隷のように生きていた頃、彼は他人とのまともな会話というものを久しくしていなかった。

言葉を投げかけられるのは全て上司からの会社からの命令だ。

 

知っているだろうか?人はこういった生活が長く、ずっと長く続くと会話の仕方を忘れてしまうことを。

 

こういった人間が自分を変えるためには、手っ取り早いのは大切な誰かを作ることである。誰かがクロウを大切に思い、その気持ちがクロウに伝わり、クロウもまたその誰かを大切に思うような事があるならば

 

あるいは彼もまともになれるのかもしれないが…

 

 

顔がはっきりうつるほどに綺麗に磨き上げた黒剣を鞘におさめて、壁に立てかけておく。倒れたりしないかしっかりと確認をする。

この前はついうっかり掻き抱いて寝てしまって、朝になったら寝ぼけたか知らないが剣を床に落としてしまったからだ。

 

 

目が覚める。

ふと固いものが手に触れた気がして傍らをみてみると、昨晩壁に立てかけておいたはずの剣があった。

 

━━寝ぼけてひっぱりこんでしまったのだろうか?

 

 

翌朝。5人が定刻の少し前に待ち合わせ場所へ集合する。

 

三日月の3人。リーダーのセイ・クー。シャル・ア。ドゴラ。

ドラゴンロアのガデス。

シルファ。

クロウはまだだった。

 

「クロウは来てないかな?まだ少し早いからね」

セイ・クーがそういって軽く周囲をみまわすと、ゆっくり歩いてくる人影が見える。クロウだ。

 

「やあ、クロウ、おはよう。君はガデスや僕らとは面識がなかったよね。改めて紹介させてもらうね。僕はセイ・クー。三日月のリーダーをやっている。得物はこの前もいったけどこれさ」

そういいながら腰にさしたレイピアをぽんと叩く。

 

「魔法銀でね。頼りなく見えるかもしれないけれど板金鎧くらいなら引き裂いてしまうよ。下級の竜種とかの革だって、ね」

セイ・クーはにんまりとガデスに向かって言った。

 

「なんで俺に言うんだよ…」

ガデスの防具はワームの皮をつかった革鎧である。

 

セイ・クーの横に立っていた少女が前へ進み出てくる。

 

髪の毛を2つのお団子にして即頭部にしてまとめた黒髪の少女だ。

ゆったりとした濃紺の服をきている。

まだあどけなさを残す少女だが、その佇まいには隙がない少女然としながらも蟲惑的な雰囲気を感じさせるが、見た目通りの存在と侮れば痛い目を見そうだ。

 

「シャル・ア。シャルとお呼び下さい。斥候働きを佳く致しますわ」

 

「彼女とは同じ故郷の出なんだ。そのなじみでパーティを組んでてね。身軽さはぴか一さ。エルフの魔法はそもそも受けないことが前提だから、彼女の機動力は大きな武器になるはずだ」

 

セイ・クーがいうとシャルはにこりと笑った。

 

そしてドゴラ。

こちらは短槍をかついだ老人だった。いかにも歴戦の狩人といったいでたちで、伸ばし放題の口ひげのせいで口元が見えない。顔に深く刻まれた皺はことさら厳しい印象を与える。丸太のような二の腕はむき出しにされており、その腕には複雑な文様の刺青が彫られていた。

 

「……ドゴラだ。槍を使う」

 

「彼は精霊槍士っていってね、ラハブ族の勇士だ。ラハブ族はしっているかな?」

セイ・クーが誰ともなしに訊ねると、シルファがぽつんと呟く。

 

「森の戦士、ですわね」

 

「さすがに博識だね!そうだ、槍働きに優れ、精霊と対話し力を借り受けることができる。そして森の歩き方も僕らより詳しい。頼りになるはずだよ。ね、ドゴラ」

 

「…………」

ドゴラは黙ったままだ。

 

「おーい?」

セイ・クーが手をひらひらさせると、ドゴラが口を開いた。

 

「お前。ナニを憑けている?」

その目は鋭くクロウを見据えている。

 

 

不吉だ

不吉だ

不吉だ

 

ラハブ族の勇士ドゴラの目には、なぜほかのものが気付かないのか理解できなかった。

 

━━目の前に立つ男に纏わり憑くモノが見えないのか?

 

━━黒髪の少女がいるではないか

 

━━男の肩からこちらをのぞきこんでいる!瞳もないのに見られていると分かる!

 

およそ尋常なものではない。

善きものは善き姿をしているものだ。

あれは、あんなものが善きものであるはずがない。

 

こんなモノと共に仕事などできるわけがない、とドゴラが言おうとする。

そして総身に怖気が走った。

 

あの少女が、クロウという青年の肩口から覗いてた黒い少女がいない。

あわてて周囲を見渡すと、居た。

 

少女はドゴラの横にたって目玉のない真っ黒な穴をドゴラに向けていた。

言葉はなく、表情もない。

だが精霊と対話が出来るドゴラには分かる。分かってしまった。

その先を言うなら、という濃密な殺意に散りばめられた言葉にならぬ言葉を理解してしまった。

 

 

「むっ…いや…なんでもない。すまぬ。気のせいだ」

ドゴラは脂汗を浮かべ、口をつぐんだ。

 

そんな彼をセイ・クーがいぶかしげに見ると、続いてクロウに目をやる。

特におかしいところはない。

明らかにドゴラの様子がおかしくなった事は気になるが…。

 

 

セイ・クーは何か言おうと口を開きかけるが、そこへ蜂が飛んできた。

季節的にはいてもおかしくない。

 

だが、蜂はクロウの前を横切ろうとしたとき、ぽとりと地面に落ちた。

 

蜂は死んでいた。



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第17話:壊れたエルフを殺してあげたい⑤

 

「俺はガデスだ。知っているとおもうが銀等級パーティ、ドラゴンロアのメンバーだ。俺達は王国の地歴調査院から依頼をうけ、ニルの森のエルフ消失について調査にいった。だがニルの森のエルフの里は何かに襲われたような痕跡があった。それでその事を王国にすぐ持ち帰るか、もう少し調査を進めるかと話し合っていたらヤツが現れた…」

 

ガデスはつらつらと話を続ける。

逃げ切れないと悟り交戦したこと。

異様な風体のエルフであったということ。

どう戦い、どう敗れたか。

敵の手札。

そして仲間の死。

 

「ドラゴンロアにはもう1人仲間がいる。ハルカだ。弓を使う。だが、アイツはもう戦えねえ…当たり前だな、尊敬していたリーダーが目の前で黒こげになっちまったんだからよ」

 

ぎりぎりと歯を食いしばる音が離れていても一同の耳に聞こえていた。

 

「間違いなく虚(ウツロ)だ。厄介だぞ」

ドゴラが唸る。

 

森に生きる戦士であるドゴラはエルフにも詳しい。

心を喪くしたエルフの末路についても話だけは聞き及んでいた。

 

ドゴラの説明でシルファもセイ・クーも思案に暮れる。

 

「…ヤツは…アーノルドの一撃を受けてもぴんぴんしていたが、頭部への強撃は避けた。体を半分まで深くきられてもニヤニヤ笑ってたヤツが頭への一撃は避けたんだ。何かあるとおもわないか?」

ガデスが顔を顰めながら言う。

 

仲間を失い、到底勝ち目などなさそうな戦いでもタダでは転ばないあたりにガデスという戦士の練度が見える。

 

「じゃあ一先ず作戦と言えるほどでもないけれど、頭狙いだね。まあどんな生物だって頭をやられれば大抵死ぬとおもうんだけど…そのエルフに関しては急所がそこしかないとおもうくらいで良さそうだ」

 

「それぞれの役割はまあ得物をみれば分かるけど、シャル、君は余り突出せずにフォローに回っておくれよ。ま、いつも通りだね」

 

セイ・クーがまとめ、最後に「なにかほかにあるかい?」ときいた。

 

シルファがいいえ、と首を振り、他の者たちも同様のようだった。

 

「よし、じゃあそろそろ馬車がくる。ニルの森へ向かうとしようか」

 

 

 

馬車。

 

「それにしてもお久しぶりですね、クロウ様。先立っての一件では力をお貸しいただきありがとうございました」

 

シルファがクロウへ礼を述べた。

クロウはかぶりを振る。だが言葉はない。

別にクロウははいかいいえのみでしか会話が出来ない呪いにかかっているというわけではないのだが、前世由来のコミュニケーション能力の低さゆえに言葉を出すことができない。

 

例えば赤いリンゴを差し出されたとして、「このリンゴは赤いですか?」といわれればYESと答えるだろう。

なぜならそのリンゴは赤いからだ。

 

「このリンゴは美味しそうですか?」ときかれれば状態次第だろうが答えるのは容易い。なぜなら自分がそれをおいしそうとおもうか、まずそうとおもうかを自分の心でもって確認することは簡単だからだ。

 

だが、「このリンゴをみてどうおもいますか?」という質問には答えられないのだ。

なぜなら正解がないから。

 

だからクロウと面識の浅いものは、彼が無視をしている、取るに足りないものとしてこちらをみている、と思い、彼に馬鹿にされたと思って怒りを抱いたりする。

 

しかしその点シルファは貴族としての教育ゆえか、クロウのそんな気質、つたなさ、未熟さをこれまでの付き合いで何となく理解していた。

だから気にせず話を続ける。

 

「クロウ様が共に戦ってくださりとても心強いです。あの悪名高い盗賊団、黒屍の輩に囲まれたときも獅子奮迅のご活躍であったとか。それに特異個体【赤角】討伐の際の雄姿も忘れられませんわ」

 

シルファが微笑みながらクロウを賞賛する。

セイ・クーやガデスは興味深そうにその様子を見ていた。

 

シャル・アは自分の爪の手入れに余念がなさそうだったが、話自体はしっかりと聞いていた。

 

ドゴラは視界にクロウをいれたくないとばかりにそっぽを向いている。失礼だとしてもこれは仕方ない。

ドゴラの目には黒い少女がちらちら見えてしまっているのだから。セイ・クーはたしなめようか迷ったが、クロウが気にしている風でもなかったので放っておいた。

 

クロウは苦笑しながら、謙遜するかのようにかぶりをふった。余り褒められても気恥ずかしいものだ。

 

 

3日後、道中で村々に寄って休憩したりしたが、特にトラブルなどはなく一行はニルの森の入口へたどり着く。

 

鬱蒼とした木々を見つめ、シルファが呟いた。

 

「荒れに荒れ、千々に乱れた魔力の残滓を感じます。恐らくはエメルダさんの魔力ですね。そう遠くない地点で大きな魔術が行使されたのでしょう。ただ、あまりに雑な、力業の魔術。そうでなければここまで場の魔力は乱れません。エメルダさんは優れた術師です。優れた術師がこういう真似をする時は意図的に魔導を暴走させる時、つまり…」

 

シルファはその先を言えなかった。そして自分の少し見込みが甘かったかなと内心危惧する。

彼女ほどの術師が自爆しなければ足止めも出来ないような相手だとは思わなかった。

かつて見た赤角もあれはあれで化け物だったが、明らかにこちらのほうが格上だろう。

 

ガデスもまた魔力の乱れを感じる。

基本的にこの世界で戦を生業とするものであれば相応の魔力操作は身につけている。身体強化には魔力の操作が不可欠だからだ。

 

ガデスの脳裏にエメルダの姿が浮かぶ。

 

小生意気で気が強い女だった。

ハルカの姉気取りで、それでいて凡ミスも珍しくなく、なにかとハルカにフォローされていた。

 

アーノルドがやられた後、ガデスがハルカを連れて無様に遁走した際、最後にエメルダのほうを振り返ったときに、エメルダは笑っていなかったか?

 

ガデスはハンドアクスを握り締め、盾を抱えなおし、無言で森へと歩を進めていった。

セイ・クーとシルファは顔を見合わせ、ややあってガデスを追っていく。

他の者たちもそれに続いた。

 

 

━━誰かが死ぬ。そういう類の戦いになる

━━だけど、この戦いで死ぬ誰かは俺だ

━━俺が死に、皆を救う。すでに死んでいる人達の仇も討つ

━━これが最後の戦いか

 

森を進む内にクロウのテンションは静かに高まっていった。

濃密で芳しい死の気配がそこかしこから漂ってくるのだ。

これだけの森なのに、鳥一羽すら見当たらない異常。

 

クロウは少しでも手強そうな相手だとスグに死を想起し、急速に躁状態へと移行するが、彼の「誰かが死ぬ、そういう類の戦いになる予感」というのは決して間違ってはいない。

 

直接対峙したガデスは当然として、セイ・クーたち三日月の3人やシルファもこの異様な静寂、魔力の残滓、あたり一面に漂う不吉な気配から相手の危険度の高さを察している。

 

一行は言葉もかわさず、無言で森を進んでいく。

 

 

森の中を進んでいるはずなのに、まるでダンジョンの中にいるかのように感じる。

 

ガデスが不意に立ち止まった。

周囲を大きく見回している。

 

「さっきと同じ所だな。あの大樹の洞はみえるか?あの洞からニルのエルフの村落はそう離れていない。迷ったということもないはずだ。魔針通りにすすんでいるんだからな」

 

ガデスがそういって、手のひらにある小さなコンパスを見せる。

 

「私も斥候働きを得手としますので、早々方角を見失ったりはいたしませんが、さて。確かに私達は一定の方角へ真っ直ぐむかっていったはずなのですけどね」

 

シャル・アはうっそりとボヤいた。

 

「…魔域と化したか。つまりはそれほどの相手か」

ドゴラがぼそりというと、シルファは魔域?と首をかしげた。

 

「いわゆる迷宮化というやつさ。分かりやすくいうと滅茶苦茶ヤバイ相手が滅茶苦茶ヤバイ魔力で環境を汚染して、ダンジョンみたいになってるってことさ。さて、僕らは何人が生きて帰れるとおもう?」

 

セイ・クーが冗句交じりに言うが、誰も言葉を返さない。

それどころか、非難交じりの視線に射抜かれセイ・クーは肩をすくめた。

 

だがすぐにその目を見開き、後ずさる。

クロウが剣を抜き、ゆっくりと歩いてくるではないか。

 

「な、ちょ…クロウ!?単なる冗句だよ、そんな怒らなくても…ま、まてまてまて!こんなところで仲間割れは…」

 

シルファたちがあわてて凶行をとめようとするが、クロウは激しく足を地面へ打ちつけ走り出す。

 

━━斬られる

 

セイ・クーが仕方なしにレイピアを抜き、クロウを迎撃しようとするが、クロウはセイ・クーに目もくれずに彼の背後へ駆け出して、漆黒の長剣を一閃させた。

 

”バチン!”

 

クロウの剣はセイ・クーを背後から射抜こうとしていた雷の一矢を何かがはじけ飛ぶような音と共に受止める。

 

剣は強烈な電撃を受け、クロウの手のひらに伝導した。

 

空気が焼ける匂い

皮膚が焼ける匂い

肉が焦げる匂い

 

ガデスたちがあわてて展開を始める。

 

彼らの眼前に立つのは、1人のエルフ…のようなもの。

 

蝋のように真っ白な肌、尖った耳。端整な顔立ち。

だがその目は白目の部分も真っ黒に染まり、まるで穴のようで、ニタリと弧を描く口元から見える口内は血のように真っ赤だった。

 

魔力を感じられるものならばすぐにわかるだろう、全身を取り巻く濃緑の魔力は、自然のそれに連なる色ではなく腐敗した何かのそれに見える。

 

美しき森の民、エルフの成れの果て。

その狂相に、ガデスたちは一瞬気圧される。

 

 

 

そしてクロウもまた似たような狂相を浮かべていた。

 

 



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第18話:壊れたエルフを殺してあげたい⑥

 

「たすかったよ、クロウ…だが、なるほど、あれがアーノルド達を殺したのか」

セイ・クーは傍らのガデスと目配せを交わす。

 

そのガデスはエルフもどきを見た瞬間、血が沸騰したかの如き激昂を覚えたが、その憤怒を押し殺しどっしりと盾を構えた。

 

対魔法に優れた一品物である。

盾を構えつつ、じりじりと距離をつめていく。

“機”を窺うために。

 

先の戦いで見せた跳躍力から察するに、彼我の機動力の差は大きいとガデスは認識していたがそれでも距離をつめていくことに意味がないとはいえない。

 

未熟な重戦士は敵に先に動かれる。

優れた重戦士は敵を動かす。

そしてガデスは後者であった。

 

セイ・クーと極自然に目があい、同格の戦士として互いが互いのやりたい事を理解する。

 

ドゴラは攻めっ気を見せていない。

とはいえ臆しているのではなさそうだが。

彼の握る槍の先端が淡く緑色に光っている。

精霊の力を借り、何がしかの強化魔導を施しているのかもしれない。

 

シルファは少しずつ移動し、ガデスを盾とするような位置取りに。

 

シャル・アはいつのまにか姿を消していた。

だが彼女が逃げたわけではないことは言うまでもない。

 

エルフもどきはといえば、クロウに注意が向いている。

 

 

クロウは手に走る激痛を極めて俯瞰的に見ていた。

 

勿論痛いものは痛い。電撃に齎された痛みは彼に強く死を想起させる。

死への恐怖、傷の痛み。

 

こういうものは通常、戦闘力を減衰させる要素だ。

死をおそれることで体は強張り、痛みは肉体の十全な稼働を阻害する。

 

しかしクロウは違う。

死を強く意識すればするほどに、肉体はそれを拒もうと、死の運命を打開しようと肉体の制限を緩めていく。

 

このままでは死んでしまうと肉体が悲鳴をあげ、筋肉にエマージェンシーを出す。俗にいう火事場の馬鹿力である。

 

剣と魔法の世界で火事場の馬鹿力なんてたいしたものではないだろう、と思うものもいるかもしれないがそれは違う。

 

特に体を鍛えたわけでもない一般的な成人男性…魔法の力だとかそんなものがない、普通の人間さえ後先を考えずに正真正銘の全力をだせたならば、片手で約250kg、両手で約500kgの重量を持ち上げる事が可能なのだ。

 

体を鍛えたことのない主婦でさえ、子供のために車を持ち上げたという実例もある。

 

だが通常は体が壊れないように脳がリミッターをかけており、出しうる力は全力の20パーセントに過ぎない。

 

後先を考えず力を振り絞らないと死ぬ、そういう状況になってはじめて500パーセントもの身体能力向上率をたたき出せる。

 

まあそこまでしないと助からないような状況では、力を出す間もなく死んでしまうというケースが殆どだが。

 

対して、この世界の身体強化魔法はせいぜい何割か身体能力が向上するに過ぎない。よくて50パーセントかそこらだ。

これはもう比べ物にならない。

 

では冒険者として日常的に体を鍛え上げていたクロウが火事場の馬鹿力を発揮したときはどうなのか。

その身体能力の向上率は、実に900パーセントに達する。

 

その時クロウの纏う革鎧の中が透けて見えるものがいれば、彼の体を纏う筋肉の繊維の一本一本が針金で出来ているが如き肉の異形を幻視したであろう。

 

 

優れたパーティの条件とはなにか。

それは優れたメンバーで構成され、優れた連携が出来ることだ。

優れた連携とはなにか。一々相談しないでも、各々が自身のロールを忠実に全うし、それが全て噛み合うことである。

 

そう言う意味で彼らは優れたパーティと言える。

 

クロウが弾丸の様に飛び出すと同時に、ガデスが、セイ・クーが、シルファが、ドゴラが、シャル・アが一斉に動いた。

 

“殺(シャ)ァッ!”

 

殺気に満ちた雄たけびを伴い、破城槌の如き勢いでクロウの剣の切っ先がエルフもどきの顔面を貫かんとする。

 

 

エルフもどき、いや虚(ウツロ)の目が見開かれ、迫り来る切っ先に向かって五指を広げ

 

「מַחסוֹם」

 

行使された障壁の魔導が間に合い、クロウの突きは防がれる。

 

普通ならそのまま弾かれる。それが障壁というものだ。

 

しかし滅茶苦茶な膂力で突き抜かれる長剣の切っ先からはガリガリという音と共に障壁を抉り削る音が響き続け

 

それを見た虚はもう片方の手を差し向けようとするものの

 

「そちらの手は大人しくしてくださいまし」

虚の手に巻きつくのは糸。

 

大蜘蛛の魔物の糸を束ね、より合わされた特殊な拘束具に巻き取られ、虚の腕は動かせない。

 

姿を消していたシャル・アが背後から奇襲をかけたのだ。

 

━━ぐりん

 

虚の首が真後ろに曲がり、血のように真っ赤な口中をシャル・アの前に覗かせる。

 

(魔力が集中!?口から魔導…!?)

 

ぎょっとしたシャル・アは一瞬体が硬直してしまう。

だが、いまにも放たれようとした何かはシャル・アに当たることはなかった。

 

クロウやシャル・アに気をとられていた虚の間隙をつく形で、ガデスが盾を構えシャル・アの前に滑り込む。

 

同時に放たれる純魔力の砲撃は、仮にシャル・アに直撃していたならばその上半身を吹き飛ばすだけの威力はあったが、対魔力に特に優れるガデスの大盾が致死の一撃を受止めた。

 

青白い閃光。

 

魔力と抗魔力の盾のせめぎ合いは大盾の勝利に終わる。

だがガデスは全身のバネをつかい受止めた反動で体が動かない。

 

ニィっと不気味に笑う虚は再度口を開くが、何かに気付いたように首を傾け、そらす。

 

次の瞬間、虚の上から頭部めがけて槍を突き下ろしてきた。

木をつたってのトップアタックはおしくも外されるが、ドゴラの槍の切っ先は虚の肩に深く突き刺さる。

 

虚はやや苛立った様子でシャル・アの糸を振り払うと、肩部分に突き刺さったドゴラの槍を掴み、力任せに槍ごと投げ飛ばそうとするが

 

━━ドッ                       

 

とレイピアの先端が虚の甲を貫き、その隙にドゴラは虚を蹴り飛ばし、反動で槍ごと脱する。

 

憎憎しげな表情を向ける先は、セイ・クー。

 

「僕を見てる暇、あるのかい?」                           

皮肉気にセイ・クーは言い

 

「━━解呪!」

シルファの声が響き渡ると同時に、クロウの突きを防いでいた障壁が解け

 

唸りをあげるクロウの長剣の切っ先が

 

━━ぐちゅり

虚の左目へ突き立てられた。

 

“GiAAAAaaaAAa!!!!”

 

Oの字に開かれ、響き渡る苦痛の叫声。

 

そして

 

「━━お前の…悲鳴が聞きたかった、ぜぇ!」

 

その後頭部にハンドアクスの刃がたたき付けられる。

 

━━アーノルドを、エメルダを、お前は殺したのだ

━━なら、お前も死ね

 

しぶく血潮。

 

虚の背後で、ドラゴンロアの重戦士ガデスが壮絶な笑みを浮かべていた。

 



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第19話:黒く、輝く

 

血飛沫が舞う。

 

ガデスが振り下ろしたハンドアクスの刃は、確かに虚の後頭部に食い込んだ。

そして、握り締める手がゆるりと緩み、ガデスは後ろへ倒れこむ。

 

虚の髪の毛が硬質化し、束となって刃物のような形態と化し、それがガデスの腹を貫いたのだ。

硬質化した髪の毛は伸縮し、虚の周囲を無差別に攻撃する。

クロウにもその一撃は飛んでくるが、それは黒剣で受止めた。

だが勢いにおされ、多少距離をとられてしまう。

 

ガデスは死んではいないものの、その息は荒く、放っておけば死んでしまうだろう。

 

「他媽的!ドゴラ!!」

 

セイ・クーが何かを叫んだあと、ドゴラの名前を呼ぶ。

ガデスを助けろ、という意味だ。

距離的に近いのはシャル・アだが、彼女ではガデスの体を支えきれまいと考えてのことだった。

 

応、と叫ぶや、精霊力により脚力を強化し走り出すドゴラ。

虚の意識が一瞬ドゴラへ向かい、その瞬間にシャル・アの袖口から何本もの棒ナイフが飛び出す。

 

ナイフは一本残らず虚に突き刺さるが、どれもがせいぜい切っ先までの深さしか突き刺さっていない。

 

効いてはいない。

気をひいただけ。

だが、それで十分。

 

クロウが黒剣を構えなおし、強化された身体能力で地面を蹴り出し、猛烈な勢いで虚へ吶喊していく。

セイ・クーはシャル・アと並び背後から、クロウは前方から虚を挟み撃つ構えだ。

 

━━לנוע בכוחות עצמו

 

だが虚がまた何がしかの詠唱を口ずさむ。

 

するとナイフは虚が触れてもいないのにその体から引き抜かれ、切っ先が反転し、凄まじい勢いでセイ・クーたちへ襲い掛かった。

 

(念動!?ま、まずい!)

 

風切る勢いで迫るナイフは、たとえ一本たりとも受ければ命に届きかねない。セイ・クーとシャル・アは目を見開く。

その目に見えたのは死神の影だろうか。

 

いや、クロウだった。

 

風を切るナイフを、風を引き裂く勢いで追い抜いたクロウは黒剣を一閃、ニ閃…そして三閃。

半数以上を叩き落す。

だが、残りの半数はクロウの体に音を立て突き刺さった。

 

吐血

落膝

 

両膝を落とし、片手で剣を地面に突き刺し堪えるクロウに、虚が人差し指を向ける。

セイ・クーとシャル・アは驚愕から意識が立て直っていない。

 

そして

 

「ジ・カカネグィ・ウェパル…円渦氷輪斬!」

 

シルファからギャリリと回転する薄氷のチャクラムが乱れ飛ぶ。

飛来する十重二十重の斬撃は物理的な防御能力に高い耐性をもっていた虚の肉体を切刻んだ。

クロウへ意識を向け、攻勢術式を行使しようとしていたため体に練りこんでいた魔力の密度が一時的に低下していたのだ。

 

クロウに放たれようとしていた魔術は斬撃の衝撃で構成が崩壊し、霧散する。しかし虚はそれどころではなかった。

 

その視線の先には、クロウ。

 

 

全身に根元まで突き刺さったナイフの本数は9本。

肺を貫いたナイフもある。

重要臓器も無事ではない。

普通ならば死んでいる。

 

だが、クロウは、【死にたがり】のクロウは

死に瀕すれば瀕するほどに

死への恐怖、歓喜が入り混じり、乱れ

暴走する感情から迸る余りある魔力はまるで黒いダイヤモンドのように煌き

 

 

その魔力の波動は、死したる心の彼女をして瞠目せしめるものだった。

 

悍ましい、そして美しい魔力が黒髪の青年の持つ剣へと集束していく。

 

その黒い一撃を放たれたならば、己の繰る古代ルーン語からなる障壁魔法をもってしても打ち貫かれるだろう。

だから放たせてはならない。

 

ならば今この瞬間、魔力が集束する前に殺してしまえば良い。

 

全身を切刻む氷の斬撃を無視し、虚は両手を突き出し、己が持つ魔術でも必殺の威力を持つそれを放たんとした。

 

それは有形無形関係なく、ありとあらゆるものを【1つの粒】と化す大魔術。

 

1200年を生きた彼女がかつて賢者と呼ばれていた頃、荒野の魔王マルドゥークを滅ぼした大魔術。

 

他ならぬ彼女が生み出した固有魔術だ。

術式構築を誤ることはない。

たとえすでに彼女自身の心が死んでしまっていたとしても。

 

魔力は円環を描き、瞬く間にその式を構築し

 

そして綻び、霧散した。

 

 

愛する男を追ったエメルダは、文字通り己の全身と全霊をかけて虚の魔術の根源にわずかながらの傷をつけていたのだ。

わずかな傷。

しかし、大魔術の構築には深刻な支障が出る程度の傷。

 

ならば、と別の術式を撃とうとすると不意にその術式に乱れが生じる。

魔術行使にもっとも重要な頭部をガデスにより傷つけられ、わずかながら構築速度に乱れが生じたのだ。

 

しかし虚にとってはほんの些細な障害に過ぎない。

魔術式はすぐに形を取り戻し、力を集束しているクロウへと放たれようとしていた。

 

両の手に魔力が集束していく。

 

だが虚の指が

 

クロウに向けた両の手の指が

 

パキパキと折れていく。

 

指はまるでそれぞれ意識を持つようにうねり、あらぬ方向へ曲がっていく。

 

すでに痛みを感じる機能を失っているはずの虚は、その瞬間確かに痛みを感じた。

 

痛みという異物が魔術の発動を阻害する。

 

そして、見た。

 

虚の傍らにたたずみ、こちらを眺めている瞳のない黒い少女を。

 

 

━━A…gh…

 

虚の口から言葉が漏れる。

 

何かを言いたかったのかもしれない。

 

だがクロウの黒剣が、漆黒に煌く魔力を螺旋状に纏わせた突きが

 

虚の頭を跡形もなく吹き飛ばす。

 

彼女は最期に何を言うつもりだったのか?

 

彼女の遺言は誰も聞くことができなかった。

 



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第20話:壊れたエルフを殺してあげたい(終)

 

全身に突き刺さるナイフ。

流れる血、命。

肉体を補強する魔力は枯渇し、指一本動かせない。

痛いのか痛くないのか、そんな事でさえも分からない自らの状況に、クロウは歓喜していた。

 

なぜならこれは、この状況はクロウの求める所の一切を余さず満たしたものだからだ。

誰かを救い、死に至る。それも難敵を討ち果たした上で。

 

クロウも戦に身を置く者だから分かる。

この傷は最早どうもならないと。

シルファもガデスもセイ・クーもシャル・アもドゴラも、誰もクロウを助けられない。治癒の術を使えないというわけではない、傷が深すぎるのだ。

 

今クロウが生きているのは、その身で生み出した膨大な魔力の残滓が、かろうじて生命を繋ぎとめているからに過ぎない。

 

 

「ク、クロウ様……」

シルファは声を震わせて名前を呼び、突き刺さったナイフを引き抜こうとした。

 

「だめですよ。ナイフを抜いてしまうと出血がとまらなくなってしまいます…ただ、これは、もう…」

 

シャル・アが項垂れる。

彼女からしてみれば、間接的にクロウを殺したようなものだったからだ。

もちろん他のものはそうはおもってはいないが、ナイフは彼女のものであるため、自分でもいいようのない自責の念に囚われていた。

 

セイ・クーもドゴラも無言だった。

ガデスは腹を貫かれたとはいえ、重要臓器は奇跡的に無事だったため応急処置をされなんとか生きながらえている。

だが意識はなく、放っておけば危うい。

 

本来、あれほどの存在を相手に2名の犠牲で済んだことは僥倖なのだ。

だが、彼らにとってそんなおためごかしは何の慰めにもならない。

 

 

時は少し遡る。

 

ギルド受付嬢のアシュリーはクロウたちの依頼受領を認め、彼らが出発した後も淡々と準備をしていた。

 

エメルダとはギルド員と冒険者の枠組みを越えた友情があり、だからこそ彼女を殺した相手への薄暗い感情を引き起こした。

 

だがアシュリーはギルド員としての義務を除いても、ドラゴンロアを瓦解させたほどの相手を倒せる実力はない。

 

ならば、と彼女は彼女に出来ることをした。

彼女自身の信用、コネ、ツテをつかって後詰めの部隊編成をしたのだ。

 

私財を相当に吐き出したことは言うまでもない。

 

そして、彼女には分かっていた。

自らの信用をつかっての部隊編成、その部隊から死傷者が多数出ることにでもなれば、彼女自身のギルド員としてのキャリアも恐らく終わるであろうと。

あるいは危地へ故意に誘導したということで罪に問われるかもしれない。

だがアシュリーにとってそんなことはどうでもよかった。

()()()()()()()()()()()のだ。

本当はどうでもよくないはずなのに、()()()()()()()()()()()()のだ。

 

彼女が薄暗い復讐の念を抱いた時、それを瞳のない少女がじっと見ていたことが関係があるかどうかは誰にもわからない。

 

 

クロウの弱弱しい視線がガデスへ向かう。

クロウにとって気がかりは彼であった。

 

その視線を捉えたシルファはクロウの手を握りながら優しく言った。

「ガデスさんは大丈夫です、応急処置をして癒しの術をかけています…だからクロウ様…だから…」

 

クロウの呼吸は弱弱しい。

 

最後に、最期に何をいうべきか…クロウは色々考えるが、頭がぼうっとして思いつかない。

 

だからシルファの手を握り返し言った。

 

「あ…ありが、とう…」

 

 

最期の時は近いだろう、セイ・クーは瞑目し、沈鬱気に空を見上げた。

その時、耳がなにかが近付いてくる音を拾う。

 

「ん?なにかきこえないかい?シャル」

 

シャル・アは耳を澄ませる。

そして首肯した。

 

「複数…5人か6人。ヒト種の足音、ですね。近付いてきます」

 

 

「おいおいおいおいおいおい!クロウ!死に掛けてるじゃねえかよ!なんだこりゃあ!ナイフ?なんでこんなに刺さってるんだよ!深ッ!ハイハイハイハイハイ、危なかったなぁーまあ安心しろや、この上級回復薬をよ、こうしてな、こう!ほらぁ!吞め!イヤイヤじゃあねえんだよ、吞め!ほらほら、この傷にもこう!振りかけようね~」

 

物凄い勢いでかけよってきたのはランサック…ギルドの鼻つまみものとしてしられている槍使いだった。

後ろには彼が率いてきた一党が続いている。

 

ぽかんとする一同を尻目にランサックはガデスのところにもツカツカ歩いていった。

 

「おうおうおうおう!お前もか!ほらほら、おお、腹に穴あけちゃってなあ、ほらほら、痛いかもしれねえが我慢しろよ。どうだ、ははは!いてえか!笑える!なんだその面は、くしゃくしゃじゃねえかよ!まあ治って行ってる証拠だよ、我慢しようなァ~」

 

クロウとガデスを回復薬漬けにした後、ランサックはシルファたちに言った。

 

「お前らが依頼をうけて出発したあとアシュリー嬢ちゃんがな、別口で依頼を出したんだよ」

 

別口?とシルファが問うと、ランサックは深く頷いた。

 

「まあ後詰?別働隊?そういうかんじのやつだな。これはアシュリー嬢ちゃんの個人依頼だ。国は関係ねえ。まあよう、思う所があったんだろうな嬢ちゃんも。もしあんたらが死んでたら、俺らがそこのエルフもどきを殺ることになってた。俺らはよ、国の依頼じゃうごかん。()()()。でも個人の依頼なら動けるからなァ。しかしたいしたもんだよ!コレを始末するのは結構大変なんだ。特に…なかなかよい素体みたいだからな。キツかったろう?」

 

ランサックはバンバンとシルファの背を叩き、少し休んでから帰って来いよ、と手をヒラヒラさせて去っていった。

 

シルファはハッとクロウをみると、その傷は塞がりかけている。

上級回復薬?とんでもない…そんなものじゃない効果だった。

 

クロウは不機嫌そうだ。

傷が痛むのだろうか?

 

そういえば…とシルファが思いだす。

 

(クロウ様がはいといいえ以外のことを話すの、はじめてききましたね…)

 

 

 

 

 

 

 

 



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閑話:入院中

■入院中①シルファ

 

「クロウ様?どうしたのです…?傷が痛むのですか…?」

お見舞いにきていたシルファがクロウをあやしている。

 

クロウは治療所に入院していた。

そしてむっすーっとふくれあがっていた。

これでもう2日連続でふくれあがっている。

怒っているのだ。

 

シルファに苛立っているわけではない。

ランサックだ。

なにもかもランサックが悪いのだ。

 

クロウは最高の見せ場をうしなったショックで怒り狂っていた。

 

口元をうにうに動かして、言葉にできない怒りを表現しようとしていた。

だが、どうにもできないので諦めた。

 

━━なんであそこで助けるのか

━━ランサック、でばがめ、お節介

 

あわや惨死の仲間を身をもって救い、最後の一撃で難敵を倒し!

それで死んで終わりでいいではないか。

 

見舞いにきたランサックに「危ないところだったな」などと言われたときには、クロウは本当に剣を引き抜こうとした。だがなぜか剣は鞘にがっしりおさまって抜けなかったのだ。

ちなみにその剣はクロウのベッドの脇に立てかけてある。

離そうとするとガタガタ震えだすからだ。

 

だが待てよ?とクロウは思う。

もしかしたら自分にはもっと相応しい死に様があったのではないか?

良く考えてみたら、あのエルフ?との戦いは限られたものしか知らないはずだ。

 

恐らく、もっと強大な、そして邪悪ななにかとの戦いが待っているのでは…?

 

なるほどな、と納得する。

 

シルファはそんなクロウの様子に困惑するが、良く分からないけど機嫌がなおったしまあいいかとおもっていた。

 

■入院中②ガデス

 

「なあ、クロウ…」

 

隣のベッドで寝ていたガデスがクロウへ話しかける。

クロウは頭だけガデスのほうをむけた。

 

「仇うってくれてありがとよ」

 

「……俺だけの力じゃない」

 

「え!?」

 

「え?」

 

ガデスはクロウの事をてっきり言葉を話す事が出来ない病気かなにかだとおもっていたが、普通に返事がかえってきて驚いた。

 

そう、クロウはあの死闘の後少しだけ話せるようになったのだ。

命がけて共闘した彼ら相手限定の話になるが…。

 

■入院中③シャル・ア

 

「過日はかばっていただきありがとうございます」

シャル・アがクロウへ頭を下げた。

 

「…あ、ああ、いいんだ」

 

まとも?な返事が出来ることを自分でも驚くクロウ。

なるほど、これが成長かと感慨深い。

死線を潜り抜けたことで(くぐれずに死にたかったが)、人間として一皮剥けたらしいと自画自賛する。

 

「私のナイフで怪我をさせてしまったことで…なんというか…本当に申し訳なく…」

 

「…いいんだ、よい、ナイフだったとおもう。凄い威力だった」

 

「…?」

 

言うまでもなく、もう少しで死ねた位凄いナイフだったと褒めているつもりのクロウだが、当然かみ合わない

 

 

■入院中④ドゴラ

 

「ぬ……」

 

「………」

 

「……森の民として礼を言う」

 

「…こ、こちらこそ…」

 

「?」

 

■入院中⑤セイ・クー

 

「やあクロウ!怪我の具合はどうだい?」

 

「…大丈夫」

 

「そうかそうか!よかった!それにしてもあの時は助かったよ、ありがとう」

 

「…うん」

 

「ところで君、話せたんだね!?」

 

「ガデスにも驚かれたよ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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2章・第1話:商隊護衛依頼

ここから第2章です。
また、表紙の挿絵をさしかえました。

【挿絵表示】

これです。
この少女はクロウの愛剣ちゃんです。
midjouneyで出力しました。



 ■

 

「おお、大怪我してたんだって? あんまり無茶するなよ、ほら、新作だ。今度店に出すつもりなんだ。食え食え、何でも西方の料理らしいぜ。ん? 何の肉かって? 狼だよ!グレイウルフとはまた違うんだ。話を聞く限りだと荒野を根城にする狼が魔物化したものらしいな。グレイウルフは森に棲むだろ? 使う筋肉が違うんだよ。そうしたら味も変わる。そういうわけよ」

 

 クロウはフゥンと頷いた。

 先頃のエルフの話といい、彼は色々な事を知っている。

 そういえばランサックもそうだったなと命の怨人の事を思い出した。

 

「何か危ない話はないですか?」

 

 クロウの目的はそれだった。

 エルフの一件は本当に危なかった。

 後一歩で死ねた、素晴らしい死に方が出来た最高の……

 嗚呼……とクロウの脳をあの時の熱の名残りがじりじりと焼く。

 

 ドン、という音で我にかえった。

 クロウの目の前に木ジョッキが置かれている。

 親父が出してくれたのだろう。

 のぞき込むと中には並々と入った水、そして小さな人影。

 

 振り返るが誰もいない。

 リン……と涼やかな音が聞こえた。

 

 ■

 

 結局親父はクロウの求める情報を持っていなかった。

 種切れだよ、とぶっきらぼうに言われ、肉料理を残さずに食べてから店を出た。

 クロウは思う。知り合いは皆彼が話せた事に驚いていたが、親父だけは驚かなかった事を。

 

 考えても仕方のない事だ、と軽く頭を振り、次に足が向かう先はギルドだ。

 クロウは体の調子、心の調子を整えたかった。

 

 目的を達成する直前で叶わなかった事に悲しみは感じるが、クロウは前世とは違う心の活力の様なものが自らにみちみちている事を実感している。

 

 だからこそ、失敗してもすぐ次へ向かう事が出来る。

 クロウが向かう次とは当然次なる危地である。

 クロウはギルドで新たなる危地を、死地を探したいと思っていた。

 

 体と心の調子を整えるがために危地を死地を探すというのは随分狂った事のように思えるが、これはもう率直に言って狂っている。

 

 だがまともだ。

 最初はハイとイイエくらいしか話せなかったのに、死闘を共にした者達と軽い会話なら出来るようになり、退院時には見知らぬ他人であっても受け答え位なら普通にできるようになった。

 犯罪行為なんて犯した事も当然ない。

 この世界ではかなりまともだ。

 

 そんなクロウの正気と狂気は奇跡的なまでのバランスを保ち、0から一気に100へと持っていける感情の振れ幅は、彼により強い力を与えるだろう。

 この世界の人間は魔力を持って肉体を強化し戦う故に。

 そして魔力とは感情から生み出される物であるが故に。

 

 まあ、それがクロウにとって良い事か悪い事かは分からないが。

 クロウが強くなればなるほどに、クロウは死から遠ざかるのだから。

 

 ■

 

「こんにちは」

 

 クロウがアシュリーへ声をかけると、アシュリーはふにゃりと笑った。

 クロウが話せるようになって誰より喜んだのは彼女だった。

 

「こんにちは、クロウ様! 依頼探しですか?」

 

 うんと頷くと、ではこの辺りはどうでしょう、と何枚かの依頼票を見せてくる。クロウが目を通すがピンと来たものは無い。

 無いが、何かしらは受けるつもりだった。

 あくまで今回は調子を整える為である。

 

 どうにも力加減というのか、クロウは自身が根本的に底上げされたような気がしてならなかった。

 この違和感は、愛剣の気配を多く感じる様になってからの事だ。

 宿でも剣に向かって話しかけるも、当然だが剣は黙して何も語らない。

 

 語らないのか、語れないのか……

 

 ともあれ、とクロウはアシュリーが差し出した依頼票の中から、一枚を取り出す。

 

「ああ、その依頼ですね。これは記載の通り合同の商隊護衛依頼になります。受注パーティは最近銅級へあがったばかりの新米パーティです。本来彼らのような新米が護衛依頼を受ける事は出来ないのですけど、発注者とそのパーティは既知の様で。親戚だそうですよ。経験を積ませたいのだとか」

 

 ふうとため息をつくアシュリー。

 

「依頼発注をした商人はギルドへ多額の寄付金をしてくれている人なので、少し融通を効かせなければいけなかったんですが……しかし彼らだけでも不安があるから、銀級の冒険者を募集していたんです。報酬は通常より少し割り増しですが、受けますか?」

 

 クロウはここへ来てピンときた。

 

 ──まさか

 ──これか? 

 ──未熟な冒険者、護衛依頼……

 ──彼らに何か危険が迫っているという事か? 

 ──俺は彼等を護る為に、導かれた……? 

 

 クロウは腰に差した愛剣を見る。

 うんともすんとも言わない。

 

 なんだ、違うのかとガッカリはしたものの、依頼は受ける事にした。

 どうせ調整目的であることだし……。

 

「ではよろしくお願い致します。街道については特に不穏な知らせなどは届いておりませんし、巡視兵の皆さんも警戒の要無しと通達が来ております。依頼は2日後の鐘2つの時刻より。クロウ様の参加は伝えておきますね。場所に就きましては郊外の第2町馬車乗り場です。お間違えのないように……」

 

 クロウは頷き、依頼票をもってギルドを出ていった。

 

 




クロウの言う「命の怨人」というのは誤字ではありません。
でも別に恨んでるっていうわけでもありません。
受け取る善意については、善意は善意として有難く受け取るタイプの青年です。最初はお前ちょっとなにしてんねん、と怒りましたが今は怒ってないです。
それはそれとして死にたい、というだけです。


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2章・第2話:馬車で

 ■

 

 2日後、クロウは郊外の第2町馬車乗り場へ向かった。

 指定時間より少し前だったが、馬車の前には人影が幾つか。

 以前グランツ達の依頼を手伝った時、協働の冒険者達が遅刻をしてきた事を思い出す。

 

 人影はクロウに気付くと声をかけてきた。

 

「やあ、貴方がクロウさんですね。宜しくお願いします。私はガーラ商会所属のジャドといいます。そして彼等が銅等級冒険者のレイ、ジリアン、アタランテ。レイは私の甥っ子でしてね、個人的に非常に期待をしてるんです。ジリアンもアタランテも彼等が小さい頃から知っている息子、娘みたいなものでして! ははは……今回、余り危険じゃないルートを通るという事で、やはりなんといいますかね、経験を積んでもらいたくってね」

 

 やめてくれよおじさん! と叫ぶレイ。

 気まずそうなジリアン、アタランテ。

 

 クロウとしては特に思う事はなかった。

 危険がない依頼など余り興味はないのだが、今の自分がどれだけ動けるかは気になる。

 狼の1匹でも出てくれないかなとぼんやりジャドの話を聞いていた。

 

 ■

 

「なあ、クロウ、さん?」

 

 馬車でレイがクロウへ声を掛けた。

 ん? とクロウが顔を向けると、レイはやや言い出しにくそうに愛剣を指差す。

 

「そ、その剣だけどさ! すっげぇ綺麗だよな……黒くてさ、かっこいいよな……な、なあ! ちょっとだけでいいから持たせて……ッ!?」

 

 レイが返事を待たずにクロウの腰元へ手を伸ばした、その瞬間。

 

 レイには見えた。

 怒りに顔を歪める少女が。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 真っ黒な目がレイを睨みつける。

 そして何かを引っかくような不快な音が馬車にキリキリと響き渡った。

 

 ジリアンもアタランテもジャドも、それには気付いていない。

 クロウだけが顔を顰めて耳を抑えていた。

 

「触らせないよ、静かにしな」

 

 クロウが鞘をポンポンと叩くと、ひっかき音は止む。

 レイの目の前から怒りの表情を浮かべていた少女もまた消えていた。

 

 あれはなんだったのだろうか? 

 レイはクロウに訊ねようとするが……ふと手首を見ると青あざが出来ていた。

 小さな手の形の。

 余程の力できつく握り締められなければこんなものは出来ない。

 

 馬車を見回す。

 少女はどこにもいない。

 ああ、でも影が。

 ザワ、ザワ……と動いているように見えないか? 

 俺たちのほかに誰かいるような……

 考えちゃ駄目だ……

 

 ごくり。

 

 レイは生唾を飲み込み、その先を口に出すことをやめる。

 

 クロウはそんなレイを見てぽつんと言った。

「悪いね。少し、気難しい子なんだ」

 

 パン! 

 馬車の床木が叩かれる音がする。

 

「レイ、静かにしてよ、暴れないで頂戴!」

 アタランテが文句をいってくるが、反論する気力もない。

 

「次は、触ろうとしない方がいい。許してくれないかもしれないから」

 

 クロウがそういうと、レイはガクガクと何度も頷いた。



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2章・第3話:血泪のクロウ

 

馬車はゆっくり街道を進んで行く。

レイは結局あれから話しかけて来なかった。

ジリアンやアタランテはそんな彼を訝しげに思い、どうしたのか訊ねるもレイは口を開かない。

クロウの言葉が頭で何度も反響していた。

 

“次は許してくれないかもしれないから”

 

許してくれなかったらどうなるというのだろうか?

だがレイには最早それを問いただす気力など欠片も残っていなかった。

 

 

「皆さん。何か来そうだ。準備をした方がいい。ジャドさん、敵意のあるものが近付いています」

 

突然クロウがそんな事を言い出すと、ジャドは驚きクロウをまじまじと見る。そして馬車から顔を出し、周囲を見、御者へ怪しい人影はないか確認を取った。

 

御者はかぶりをふる。

 

「クロウさん、確かですか?」

ジャドがクロウへ確認すると、クロウは静かに頷いた。

 

だがジャドが見る限り、焦っている様子などは欠片もない。

銀等級の余裕と言う奴だろうか?

いずれにせよ、備えておく必要がある。

 

「レイ、ジリアン君、アタランテちゃん、危険が迫っているみたいだ。クロウさんの指示に従うように!」

 

3匹の雛鳥は緊張した面持ちで頷き、クロウの事をじっと見た。

 

「馬車は停めましょう。横転させられたら危ないし…。数は多そうだけど、余り死にたくならない。大した事なさそうです」

 

━━死にたくならない…?

 

3人揃って首を傾げる雛鳥達をみて、かわいい奴らだな、とクロウはほんの少しだけ笑顔を浮かべた。

 

 

 

クロウに敵感知の特殊な能力があるとかそういう訳ではない。

銀等級、中でも上澄みの者なら雑に殺気を撒き散らして近寄ってくる敵手の気配くらいは察知して当然というだけの話だ。

 

クロウの知人で言うなら、シャル・アあたりならクロウの倍以上の距離を、クロウよりずっと正確に察知できるだろう。

 

 

胸の昂ぶりはない。

きっと自分は何かが変わってしまったのだ、とクロウは思った。

だが、先ほどのヒヨコ達の様子を思うと、最低限彼等を守るくらいはしようと剣に力を込める。

 

停止した馬車に寄りかかり、風でサワサワとそよぐ街道沿いの木々を見る。

只でさえ穏やかな気持ちが、美しい自然の営みで更に穏やかになってしまった。

 

だが気配から察するにそろそろやってくるだろう。

何とか話し合いで解決は出来ないものか、そんな日和った考えすら頭に浮かぶ。

 

案の定やってきたのは薄汚い革鎧を身に纏った男達だった。

汚い歯を見せつけ、にやにやと薄笑いを浮かべている。

その数は多い。

最低でも20人は居るだろう。

かわいそうに、ヒヨコ達はすっかり震え上がってしまっている。

 

男達の中でも一際大柄な男が歩みでて大音声で叫び散らす。

男の名はヤマ。

元々はこの街道で乱暴狼藉を働いていたのだが、黒屍と呼ばれる者達に追い出される形で別の地域で活動していた山賊団だ。

目の上のたんこぶが居なくなった事を知ったヤマは、部下達を引きつれ古巣へ戻って来た事になる。

 

「2度は言わねえ、女と馬車を置いてけ。逆らったら全員ぶっ殺してやる!こっちは20人はいるぞ!反抗したって無駄だ!」

 

━━殺す!?

━━俺を殺す…

━━全員、殺す…

 

 

言われて見ればそうだった、とクロウの頭に血が逆流していく。

20人とはとんでもない数だ、多勢に無勢も良い所。

クロウだって全身を鋼鉄の皮膚で覆っているわけではないのだ。刺されれば痛いし、場合によっては…死ぬ!

 

━━そう、死ぬんだ

━━彼等は…俺を殺せる!

 

「あんた達は…俺を殺すのか?俺だけじゃなくて、そこの彼等も…殺すっていうのか?女の子を置いていかなければ…逆らえば皆殺しにするって言うのか…?」

 

クロウは俯いて震えていた。

それは恐ろしい事だった。

レイ、ジリアン、アタランテ、そしてジャド。

みんなみんな優しくていい人達だったのに、殺されてしまう。

アタランテは可愛らしい少女だ。

殺されるだけでは済まないだろう。

 

それなら守らねば。

命に代えてでも、守らねば。

 

 

「おいおい!コイツ震えてやがる!どうした?泣いてる…の…か…?あれ…?なんだ、こりゃあ…」

 

ぶるぶると。

身体の震えが止まらない。

周りを窺うと、震えているのは自分だけではなかった。

部下たち、そして目の前の若造の仲間達も震えていた。

 

「ジャドさん、レイさん、ジリアンさん、アタランテさん。短い間でしたが、世話になりました。貴方たちの事は命に代えても守ります。どうか逃げて下さい」

 

「ク、クロウさん!?」

 

ジャドは悟った。

クロウは死ぬ気だと。

会ったばかりの自分達の為に、命を投げ出そうとしている。

 

 

クロウは山賊たちへ語りかけた。

 

「待たせて済まない。別れの言葉を伝えるのを待ってくれていたのか。案外良い人達なんだな。でも殺す。その代わりに俺を殺せ。一緒に死のう」

 

ヤマはもう何がなんだかわからなかった。

目の前の若造はやばい。

それだけは分かる。

絶対に戦うなと本能が告げている。

 

というかあの身体はなんだ?

奴はあんな…身体だったか…?

 

 

クロウの肉体は一回り肥大化していた。

筋肉の隆起だ。

目の前に差し迫った(と思いこんでいる)死への恐怖に、普段は使われていない能力のリミッターが外れたのだ。

 

だが、これまでのクロウはこれ程の変貌を遂げる事はなかった。

なぜこうなってしまったのか?

それは虚ろなる者を黒剣で貫いた時、かの大エルフの魔力を黒剣が可能な限り吸収してしまったからである。

 

そして主人たるクロウへそれを回した…

魔力は身体能力を増加させる燃料でもある。

今のクロウはもはやかつてのクロウとは比較にならない。

 

もし今のクロウが、以前相対した赤角と再びまみえる事があったなら、勝負にすらならないだろう。

最初の10秒でクロウが赤角の首を引き千切って終わりだ。

 

これだけならただ単純にクロウが強くなってよかったね、で終わる話だ。

しかし彼の愛剣はクロウを危機から守りたいと思っている。

強くなったクロウでさえも命が危ぶまれる程の修羅場で、クロウを助けたいと思っている。

だからそんな修羅場を呼び寄せる、作り出そう…と考えている。

それが護剣であり魔剣である彼女の愛の形なのだ。

 

 

1人目は山賊団の頭目であるヤマだった。

クロウがフッと消えると、次の瞬間ヤマの頭からピュウピュウと赤黒い血が吹き出ていた。

いや…頭から、ではない。

首からだ。

 

胴体がゆっくりと倒れ込み、とごろんと頭が転がる。

その表情はぽかんとしたものだった。

唇がうにうにと動いている。

眼もぎょろぎょろと辺りを見回してる。

そしてすぐに動かなくなった。

 

ヤマは首を千切り飛ばされてもなお死んだ事に気付かなかったのだ。

 

クロウはヤマの頭を持って、胴体の方へゆっくり歩を進めた。

戦場は凍りついてしまっている。

誰も何も話そうとしないし、動こうともしない。

 

衆人環視の元、クロウは跪いてヤマの頭をそっと胴体の首の部分へ置いた。

 

吹き出る血の温かさに、クロウは命の尊さを知る。

そしてそっと手を合わせ、見知ったばかりの山賊の頭目の死を悼んだ。

 

それから眼を見開き硬直しているヤマの手下たちに向かって言った。

 

「さあ。続きだ。俺があんた達を殺したら、俺がその死を悼む。だからもしあんた達が俺を殺したら、俺の事を悼んでくれ」

 

クロウはもうかつてのように死が差し迫っても狂奔したりはしない。

 

精神的に一皮剥けたのだ。

剥けてしまったのだ。

 

山賊たちはもう助からない。

助かるためにはクロウを殺すしかないのだが、仮に殺せたとしても彼の愛剣が許してはくれないだろうから…

 

 

4半刻後。

 

そこには20体の死体と血を浴び、涙を流すクロウの姿があった。

 

クロウは泣いていた。

落としてしまった山賊の命を惜しんで。

そして落とせなかった自分の命を疎んで。

 

この日以降、クロウは彼にとって非常に不名誉な2つ名を授けられる事になる。

 

【血泪】のクロウ。

 

自分でぶっ殺しておきながらそれを哀しみ、自殺願望まであるという頭のおかしい狂人の異名である。

 



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2章・第4話:シルファの頼み

 ■

 

 結局、依頼は首尾良く終わった。

 ただし、馬車を目的地まで送り届けるまで一切会話はなかったし、アタランテにいたっては目が合うだけで泣いて謝罪してきた。レイやジリアンは涙を浮かべ、アタランテの前へ立ち唇をかみ締めながら覚悟を決めているし、ジャドは死体のように蒼白な顔色で幾ら差し上げれば宜しいのですかなどと聞いてくる。

 

 こういった状況を首尾良くと言っていいのかは甚だ疑問だが、兎にも角にも襲撃の類はそれ以上は無かったし、荷だってちゃんと過不足無く運べた。

 

 クロウは自分を恐れるジャド達を見ても苛立ちなどは覚えなかった。

 理解されない事には慣れているからだ。

 だが、これまでのクロウであるならそこで思考は止まってしまったかもしれない。

 

 しかし今のクロウは違う。

 一皮剥けたのだ。

 精神的に成長をした。

 死を乗り越える事は人を成長させる。

 

 だから0から、いや、マイナスの評価からでも目に見えない何かを積み重ねて行く事で、彼等と再び仲良くなれると信じていた。

 

 ただし……信じているだけで、じゃあ具体的に何かをしたかというとそういうわけではない。厭うているのではなく、何をすればいいのか分からないのだ。

 

 その領域に至るにはいま少し成長する必要がある。

 

 

 ■

 

「よう! クロウ! 随分元気そうじゃねえかよ、なんだよその目は? ははーんこの前の事を気にしてるのか? まあまあ、俺はランサック。寛容、それが俺の代名詞。ポーション代を請求なんてしないぜ、なんといったって俺は稼いでいるからな。ところで聞いたか? 王城にニルの森のエルフの生き残りがきているって話。なんでも礼をさせてくれとのことらしいぜ。全員殺されたわけじゃなかったんだな、よかったよかった! まあ俺は何もしていないわけだが! いや、クロウ、お前さんにポーションぶっかけたか! ははは、ああ? 鐘がなってるな、いけねえ! これから飲み会があるんだ、じゃあな」

 

 ランサックは手をひらひら振りながらギルドを出ていった。

 クロウは彼に密かにランサック新聞と名づけている。

 

 くすりという笑い声が聞こえ、振り返るとアシュリーが苦笑している。

 

「クロウ様、申し訳ありません。ランサック様も悪気があるわけでは……」

 

 クロウはアシュリーの謝罪を遮る。

 

「あの人には助けられましたから、それにランサックさんの話はタメになります。不思議な人ですよね」

 

 クロウがそういうと、アシュリーは頷いた。

「はい、ランサック様は少し特殊な立場なのです。ただ公言する事ではないので……」

 

 うん、とクロウは頷いた。

 それなりに強くなったクロウには分かる。

 ランサックと殺しあったとしたら、殺されるのは多分自分だろう。

 

 ああ、そうだ、とアシュリーが言い出した。

 その雰囲気に、クロウは何となく面倒事の気配を感じる。

 

「シルファさんがですね、3日後にお時間が取れないかと仰っていましたよ。クロウ様の宿へいきなり出向くのも失礼だからと先触れを頼まれたんです。どうでしょう?」

 

「わかりました」

 

 クロウの答えはYES。当然だ。

 クロウは確かに成長はした。

 精神的にはやや前向きになった。

 しかし、バラバラになったグラスの破片を慎重に元の形へ組み立てようとした所で使い物になるわけではない。

 1度メンブレ(メンタルブレイク)した精神はブレイクしたままなのだ。

 

 誰かに何かを頼まれたら、それが出来るものならばYES。

 出来ないものでもYES。

 まあ後数回死にかければ(成長すれば)そんな奴隷根性は多少改善するのかもしれないが……。



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2章・第5話:Calling

 ■

 

 3日後。

 クロウはギルドへ向かった。

 ギルドではシルファ、グランツ、アニーが待っていた。

 

「やあ」

 

 クロウははにかみながらそれだけ言う。

 会話は出来る様になったとはいっても、語彙力が足りないのでそれが精一杯なのだ。

 勿論シルファ達もそこは分かっているので、クロウの事を無愛想だなんて思ったりはしない。

 

「クロウ様、すっかり傷は良くなったみたいですね。安心しました。それで早速なのですが、お話したい事があります。お時間は宜しいでしょうか……?」

 

 クロウはうんと頷く。

 

「有難う御座います。用事とは単刀直入に申し上げますと、先の堕したエルフの討伐について、王国がこれを表彰するとの事です。恐らく後日ギルドから伝えられるとは思うのですが、あの死闘を共に潜り抜けた仲ですから……私の口からお伝えしたいと思いまして……」

 

 王国に功績を認められた……その事実にクロウは意外にも取り乱すことはなかった。

 

 あのエルフは生涯最期の相手として相応しい相手だったとクロウは今も思っている。

 

 最後の突き、愛剣の切っ先がエルフの頭部を吹き飛ばす直前、クロウは感謝の念にも似たあえかなる想いを感じ取った。

 クロウもあのエルフへ感謝にも似た何かを向けていた。

 

 感謝の念を向ける同士が互いに命を奪い合う。

 情交等足元にも及ばない濃密な時間があの瞬間に確かに流れていた……

 

 あの戦いをこのアリクス王国が評価するのは当然だし、あの場に居たものすべてが讃えられて当然だとクロウは思う。

 

 とクロウが妄想していると、急に腰の愛剣の重さが増したように感じられた。

 まるでいい加減しつこいと叱っているかのような愛剣の自己主張にクロウは反省をする。

 

 確かにそうだ。

 愛剣は恐らく、というか確実に自分を買ってくれている。

 あの相手でもまだ不足とばかりに評価してくれているのだろう。

 ならば過去の死闘に想いを向けるなど、愛剣への侮辱。浮気的な行為に他なるまい。

 

 ■

 

「クロウ様……? やはり気が進みませんか……?」

 

 シルファが不安げな様子で尋ねてくる。

 

「いいえ、光栄です。俺達のあの戦いを王国が認めてくれることは嬉しいですよ。それで……ええと、国王陛下が言葉を授けて下さるのでしたか? はい、当然参列させて頂きます」

 

 グランツとアニーが目をまんまるくしてクロウを見ている。

 なんですか、とクロウが聞くと

 

「いやあ……クロウが普通に話しているの、今も慣れなくてな、いや、悪い。悪気があっていったわけじゃないんだ。クロウが俺達とも普通に話してくれるのは嬉しいって思ってるぜ」

 

「うんうん。いままでずっとハイかイイエばかりだったからね」

 

 

 クロウは頷き、爽やかな笑顔で言った。

 

「こんな俺にも親切にしてくださった皆、そして、こいつのお陰ですよ」

 クロウがポンと腰の愛剣を叩く。

 

 愛剣はクロウの自らへの信頼を受け、歓喜の余りその剣身から余りあるほどの禍々しい邪気を発散した。

 

 これは先述したが、クロウの愛剣が護剣としての顔を見せるのはあくまで主人のクロウにだけであって、その他の全ての生物に対しては魔剣としての顔しか見せない。

 

 従って、発散された邪気もクロウにとってはなにか甘い感じの空気が漂ってるなくらいにか感じられないが、他の者にとっては死神が目の前で“お前をいますぐ殺す! ”と殺害宣言しているような邪悪な気配がいきなりたち込めてきたように感じられるのだ。

 

「う、うおおおおお……ッ……!」

 グランツが後ずさり、背中に背負った大盾を構えようとする。

 

 シルファは流石に慣れてきてはいるが、それでも冷や汗を浮かべながら言った。

 彼女はアリクス王国の貴族であるが、同時に優秀な術者でもある。

 その彼女には分かっていたのだ。

 クロウの得物は恐らくは意思を持つ特級の魔剣だと。

 で、あるならば取るべき策は1つ。

 

「ク、クロウ様……そういえばその剣の銘はなんですか?」

 

 そう、優れた剣には名前があって然るべきである。

 だがクロウは剣の名を口に出した事はない。

 そして、魔剣には意思がある……

 で、あるならば……

 

 シルファが質問をすると同時に、何かが自分の様子を窺っているような気配を感じた。

 視界の端に人影が映る。

 だが視線を合わせてはならない……まだ……。

 

 銘? と首を傾げるクロウに、シルファはたたみかけた。

 攻勢の時。

 

「はい、素晴らしい剣には皆名前があるものです。魔剣レイグラム、聖剣エルクス・キャリバーン、あとは初代アリクス国王が振るっていたという月割りの魔剣ディバイド・ルーナムなどが有名所でしょうか。クロウ様の持つ剣も恐らくは特別な……特級の剣に相違ありません。名づけがまだなら是非名前をつけてあげるべきでしょう」

 

 窺っていた気配から好意のような何かを感じる。

 

「なるほど……そうですね……名前か……コーリングとかはどうかなと思いました。この剣からたまに声が聞こえるんですよ。綺麗な声なんです。辛い時もその声に励まされた覚えがあります。コーリングは呼び声っていう意味があるんですよ」

 

 クロウの護剣、或いは魔剣には名前が付けられた。

 

 クロウの死後、後の使い手全てを無残な死へ至らしめ、剣魂の慰撫を試みた聖職者達を片っ端から呪殺した史上最悪の邪剣……「喚び声の邪剣コーリング」が今この瞬間誕生したのだ。

 

 だが、これは不思議な話なのだがロナリア家の者にはその呪いは及ばなかったといわれる。

 最終的にかの邪剣をクロウの眠る地へ運び、奉じたのはロナリア家の者だったそうだ。

 



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2章・第6話:開眼

 ■

 

 王宮に出向くにあたり、魔剣コーリングは置いていこうという話になった。

 持ち込んで何かあってからでは遅いし、持ち込めば絶対に何かあるからだ。

 貴族というのは全員が全員シルファの様な者ではないし、不躾に剣を取り上げようとする者もいるかもしれない。

 

 クロウの愛剣は見た目だけなら非常に美しく……いや、派手ではないのだが、機能美の様な潔い美を感じさせる。

 取り上げられないまでも勝手に触れられる事は十分ありえる。

 

 もしそんな事になれば下手をすれば死人が出てしまう。

 クロウは承認欲求&英雄願望に希死念慮をどっさり混ぜ込んだ様な男ではあるが、社会的破滅願望のようなものは持っていない。

 

 むしろ、社会のルールのようなものは出来る限り守ろうと思っている。

 だから王国貴族を大量殺戮して指名手配を食らう羽目になるのはまっぴら御免なのだ。

 

 魔剣の説得? にはクロウが当たったが非常に難儀した。

 

 というのも、ギルドでクロウが剣に向かって

 

 “王宮にいくことになったのだけれど、その間君の事を宿においていかなきゃいけないんだ、待っててくれるかい? ”

 

 と語りかけると、金属の板を金属の爪で引っ掻き回すような不協和音や、バンバンとギルドの壁が叩かれる音……要するにラップ音が盛大に鳴り響いたからだ。

 まあギルドの誰も負傷をしなかった辺りただ盛大に拗ねているだけなのだろうが、その場の者にとっては恐怖でしかない。

 

 グランツは大盾を掲げその陰で防御体勢を取っているし、アニーは手を組んで祈りを捧げていた。

 アシュリーは急用を思い出したらしく、職務放棄して裏へ引っ込んでしまう。

 

 結局クロウとシルファが延々とコーリングの納められている鞘を上から下からゴシゴシと撫で上げ、事態を収拾するに至ったわけだが、クロウは疑問に思う。はて……この剣はここまで自己主張が激しかっただろうか……? と。

 

 これには名づけが大いに影響しているのだが、この時点ではクロウ達は何も気付いていない。

 

 それからも打ち合わせは続き、シルファがクロウの礼服などを用意するなど大まかな話がまとまった。

 式典は二ヵ月後となっているので、時間には十分余裕がある。

 

「それで……クロウ様にはご不便をお掛けしてしまうのですが、式典までは危険な依頼などは受けないで欲しいのです。勿論それまでの生活に必要な費用は出しますので」

 

 その金はシルファのポケットマネーだった。

 シルファとしてはクロウを放っておくとまた危険な依頼を受けかねないと危惧していた。

 だから彼女個人の判断でクロウにストップを掛けたのだ。

 英断と言える。

 

(クロウ様の目が死んでいる……。釘をさして正解でした)

 

 すると、いつの間にか職場復帰したアシュリーが

 

「クロウ様、それでしたら奉仕依頼はいかがですか?」

 

 とにっこり勧めてきたので、クロウは笑顔で頷いた。

 そうだ、自分にはまだそれがあったと言わんばかりだ。

 危地に飛び込む依頼が良いのは間違いないのだが、どういう形であれクロウが必要とされるならばそれが例えドブ攫いであっても嬉しく思ってしまう。

 

「ある意味で王国の英雄とも呼べる偉業を為した人が奉仕依頼とは……」

 

 話には聞いていたが、彼はやはり変人だな、と思うシルファだった。

 

 ■

 

 という事でクロウは荷運びをしている。

 汗水垂らし顔を顰めながら。

 しかし弱音は吐かない。

 

 クロウが汗水垂らしているのは、流石の彼と言えども、荷運びに対して差し迫った死を感じる事が出来ない為だ。

 それでも常人の倍近く荷を運べているのは流石ではあるが、これは冒険者稼業で鍛えた素の力である。

 

「よう兄さん! 助かるよ、それにしても細く見えるってのに大したもんだなぁ!」

 

 親方がクロウを讃える。

 

「い、いえッ……どういたしまして……ッ」

 

 汗まみれで不敵に笑うクロウだが足腰はガクガクと笑っている。

 だがそんな苦境にあってクロウは充足感を覚えていた。

 クロウの体力は削れていくが、承認欲求は満たされていく。

 

 ■

 

 こんな調子でクロウは式典当日まで5勤2休で働き続けた。

 適度に休みを入れているのは、休む事もまた仕事であるというグランツやアニーのアドバイスに従ったからだ。

 シルファの護衛として、そして銀等級冒険者としてグランツ達は殆ど完璧に近い自己管理を徹底している。

 

 クロウも先輩に逆らうほど跳ね返ってはいないので、素直に従った。

 

 その間愛剣はウンともスンとも言わない。

 完全にぶんむくれている。

 だが、壁に立てかけておいた剣が翌朝傍らへ移動している辺り、放っておけば機嫌はなおるだろうとクロウは見ている。

 

 

 そして夢でも……。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 黒髪の少女がその目を開いてクロウを物問いたげな目で見ていた。無言の抗議かなと夢の中のクロウは思う。

 

(あれ……? そういえば彼女に瞳は……あったっけ……?)

 

 そう、無かった。

 これまでは。

 だが名を付けられた事により……。

 名付けと言うのは時として非常に重要な意味を持つ。

 名付けられたモノは力をより増大させたり、または削がれたりもするのだ。

 魔剣コーリングにとっては……言うまでもないだろう。



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2章・第7話:王宮喧噪

 ■

 

 クロウが奉仕依頼を続けている内になんだかんだで日にちが経ち、何だかんだで式典の日が来てしまった。

 

 魔剣コーリングは朝起きたら宿屋の壁に突き刺さっていた。

 クロウは壁代を弁償しなければいけない。

 

 ■

 

【挿絵表示】

 

「クロウ様、お待ちしておりました」

 

 待ち合わせはギルドだったので、ギルドへ向かうとシルファが待っていてくれた。クロウが挨拶をすると、馬車がそろそろ到着するという。

 勿論王宮へ着いてすぐ式典という事はない。

 お色直しやら作法の最終的な確認やら、色々やらなければいけないので時間には余裕を持っている。

 

 馬車は定刻通りに到着し、シルファと共に乗り込む。

 

「普段お使いの剣はちゃんと置いてきたのですね」

 シルファの問いかけにクロウは頷く。

 朝起きたら壁に突き刺さっていたことも。

 

「それは大変でしたね……」

 

 シルファとしてはそれ以外に言い様がない。

 もしクロウが他の剣に持ち替えるなんていったらどんな事になるんだろう、というおぞましい考えが浮かぶが慌てて打ち消す。

 ナンデモアリな剣なら、遠くからでも考えている事を読まれてもおかしくないからだ。

 そもそも剣が自己主張する事自体が……

 

(いえ、そう言った武器がないわけではないですが……)

 

 そう、ある。

 特殊な武器が自我を持つ事はある。

 あるが、その姿を投影するなど……

 

(クロウ様の剣は想像よりずっとずっと特別なものなのかもしれません)

 ならばそのつもりで対応しなければ、と思うシルファだった。

 

 とはいえその剣も持ってきてはいない。

 クロウ自身も控えめが過ぎるが、決して無礼な者ではなく、基礎的な教育は受けてきた様に見受けられる。

 

(とはいえ、そこが疑問なのですが)

 

 とシルファは思う。

 

 なぜならシルファが調べた限り、冒険者クロウという人物は銀等級に至る程度には才があったが出自は農村の出で、礼儀作法やらに触れる機会はなかったはずなのだ。

 

(冒険者となってから貴族との接触があったのでしょうか? ルイゼ様へ聞いてみてもいいかもしれませんね)

 

 ルイゼ・シャルトル・フル・エボンは黒金級という冒険者の最高階位にして、冒険者ギルドのギルドマスター……更には伯爵位をも賜っている女傑である。

 アリクス王国の出身ではないという話も有名だ。

 

 だが彼女を詮索しようとする者は今はもう()()()

 全て、絶えた。

 

(クロウ様の事は彼女が拾ってきたのだ、とランサック様が言っておりましたし)

 

 ──とはいえ

 

 クロウ様が王宮で問題を起こす心配は要らないでしょう。

 とシルファはぼんやり車窓から外を眺めてるクロウを見て思った。

 

 ■

 

 王宮。

 1人の伯爵嫡男がけたたましく糾弾した。

 

「貴様! 黒髪の貴族などいないはずだぞ! つまりは平民か! 平民風情が何故王宮に入り込んでいる! しかもロナリア伯爵令嬢に馴れ馴れしくしおって! ええい忌々しい! 黒髪といえば薄汚い帝国鼠の係累ではないか! 衛兵! 衛兵!」

 

 クロウは目をぱちくりさせ、シルファは手で顔を覆った。

 

 




薄汚い帝国鼠の下りと、ルイゼについては
閑話:シルファ①~②で触れています。


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2章・第8話:王宮妄想

 ■

 

 クロウは思った。

 これは変な誤解があるな、と。

 

「はじめまして、こんにちは。私はクロウと言います。冒険者ギルドで銀等級冒険者として働いています。宜しくお願いします!」

 

 ズイッと一歩進み出て、目の前の青年……オリアス・コイフ伯爵嫡男へ礼をする。頭をしっかりと下げ、腰もしっかり曲げた礼だ。

 これまでのクロウでは考えられない事だった。

 

 だが、精神が安定? し、一皮剥けたクロウに挨拶程度は容易い。

 そして基本的に彼は善性の人間であるので、初対面の相手に自己紹介をする事は前世の記憶も相まって当然だと考えている。

 

 貴族と思しき青年は一歩後ずさりした。

 余りにも堂々とした態度を見せられ、王宮に足を踏み入る名分があるのではないかと思ったからだ。

 後ろめたい事をしている者の態度ではない。

 そして思い至る、そういえば式典があったなと。

 

 彼個人の認識としてはそこそこ厄介な魔物が討伐され、その功労者を労う……くらいのものだったのだが、まさかこの男がその功労者だと? 

 そういえばロナリア伯爵令嬢は高名な術師でもある。

 冒険者仲間と言う奴か……? 

 ふと見るとロナリア伯爵令嬢の目線が非常に冷たい。

 貴族が障害の排除を考えている時ああいう目をする。

 青年は焦った。

 

「そ、そうか。ロナリア伯爵令嬢、失礼しました。彼は一体……?」

 

 青年が問うと、間の悪い事に先ほど呼んでしまった衛兵がバタバタとやってきた。

 

「どうされましたかコイフ公子! 何事か「なんでもありません。戻って宜しい」……は? ……ううッ!?」

 

 衛兵の言葉を遮ったのはシルファだった。

 いきなり呼びつけられ、そして戻って宜しいとはどういう事なのだろうかとシルファを見た衛兵は目を剥いた。

 彼女の身体からじわりと凄烈な蒼い魔力が漏れているではないか。

 

 衛兵も武を嗜む以上、魔力の扱いは心得ている。

 ああいう漏れ方をするという事は相当に感情を昂らせていると言う事だ……。

 このボンボンが何かやらかしたか、と衛兵は内心舌打ちをした。

 王宮で仕事を出来ている位なのだから彼は阿呆ではない。

 だから即座に次の行動を決める事が出来た。

 即時撤退だ。

 

「かしこまりました。それでは我々はこれで失礼致します」

 

 バタバタとやってきて、あっという間に去っていく彼らにクロウはややポカンとする。

 シルファの様子が刺々しく、目の前の青年は慌てていて、クロウは段々と状況が自分の手に余ってきている事を感じ取っていた。

 

 黙っておくべきか、それとも更に踏み込んで事情を説明すべきか、とクロウが悩んでいると、シルファが非常に冷たい声色で青年に話しかけた。

 

「オリアス様。クロウ様は平民ですが、此度のニルの森の異変……エルフ消失の原因となった存在を打倒し、その功績で式典へ呼ばれております。異常の要因となった存在は非常に強大な力を持っておりました。わたくしもクロウ様と同じ戦場に立っていたので保証いたします。あの存在が森から解き放たれたならばアリクス王国にとってもよろしからざる状況となっていたでしょう。これで誤解は解けましたね? ではわたくし達は式典の準備があるのです。もう行ってもよろしいでしょうか?」

 

 コイフ伯爵嫡男に向けられる魔力にはふんだんに敵意、そしてちょっぴりの

 殺意が乗せられており、ごくり、と彼は生唾を飲み込んだ。

 

「も、もちろんですとも。失礼いたしました。それでは私もこれで……」

 

 オリアスは目をまん丸く見開き、真顔でこちらを見つめてくるシルファから離れたくて仕方なかった。

 

 

 ■

 

 だが彼よりも焦っていたのはシルファその人である。

 ちらりと横顔でクロウの様子を見る。

 

(……大丈夫。怒ってはいなさそうです)

 

 彼女が見るに、このクロウという青年は普段は温和と言ってもいいのだが、敵意や殺意の様な物に対すると激発する性質がある様だった。

 過去3度クロウが戦う姿を目にしたシルファは、この青年は取り扱いを間違えると命取りになると判断している。

 勿論、そういった危険性を考慮に入れた上で、彼の人品……態度等も加味し、親しく付き合っていこうと決めたわけではあるが。

 

「あの、クロウ様……失礼いたしました。彼は、その……早とちり……しがちな事でやや問題視されており……」

 

 子供の言い訳でもあるまいし何を言っているんだ、とシルファは心中で顔を両手で覆い隠した。

 

 クロウは首を振る。

 どうでもよかった、とは思わない。

 いきなり薄汚いなんちゃら等と言われれば少し思う所はあるし、この世界でまで理不尽を甘受するなんて言うのは嫌だが、仮にあそこで突っ張って争いになってもどうあがいても誰も褒めたたえてくれなさそうだ。

 クロウの拗れた欲求は、彼が悪党となる事を望んではいなかった。

 

 でも、とクロウは思う。

 仮にあれがタチの悪い悪徳貴族の子息か何かで今回の事を恨みに思って、そして親へ告げ口なんかしたりして……、親の方もあれを口実にしてシルファに悪意を持って何かしらの策謀を仕掛けようとしてたとかなら……

 

 クロウはその煮えた脳で思考を進める。

 

 今回の事がきっかけで自分が貴族という得体の知れない存在へ立ち向かう……それも友人のために! 立ち向かう契機となったりしないかな……? 平民に舐められてたまるかとばかりに暗殺者が襲ってきたりして……

 

「それに、ロナリア家とコイフ家は以前から少し関係が悪いのですよ。暗闘、といえば響きが宜しくないのですが……。ですからわたくしもどうにもコイフ家の者にはキツく接してしまうと言いますか……」

 

 そんなシルファの言を聞いたクロウは、彼女の目をギラリと見据え「俺はいつでもシルファさんの味方です」等とたわごとを言う。

 シルファに媚びていると言えば媚びているし、媚びていないと言えば媚びていない誠心からの言葉だ。

 

 そう、言われずとも分かる事だが、クロウはシルファをトリガーとした貴族間の死闘を期待していた。

 

【挿絵表示】

 

「は、はい……ありがとうございます……」

 

 目障りな敵対貴族の令嬢を消そうと、裏の世界の住人が襲い来る。

 致命の刃がシルファの喉を掻き切ろうとしたその時、クロウが滑り込み、その刃を体で受け止め、愛剣が暗殺者の胸を刺し貫く……クロウの心眼はそんなワンシーンを幻視していた。

 




画像とかはあくまで、こんな感じの雰囲気なんだよーくらいの感覚です。表情とか…さほど厳密に選んでいるわけでもないのでご理解お願いいたしますぺこぺこ


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2章・第9話:不穏な勲章授与

 

クロウとシルファが客室兼控え室に入ると、死闘を共にした仲間達から笑顔で迎えられる。

栄誉を讃える式典には当然セイ・クー、シャル・ア、ガデス等もよばれていた。

 

彼らはクロウ達より一足早く王宮へ到着して客室で衣装直しなどをしている。ドゴラは来ていない。拒否したのだ。彼は森の民だからね、とセイ・クーが苦笑混じりに言う。

 

━━確かにこういうのは嫌いそうな人だったな

 

何となく納得するクロウの眼前を、すたたたと女性が早足で横切っていった。重心がぶれていない、見事な歩法。

それでいて独楽鼠の様にくるくると動き回る侍女達の足捌きに見とれていると

 

「やあクロウ。女性の脚が好きなのかい?君もそういう事を考えるんだね」

 

セイ・クーがニヤニヤしながら言ってきた。

 

「久しぶり、セイ・クー。いや、凄い動きだなって思ってさ。俺なら目を回しちゃうよ」

 

クロウが答えると、セイ・クーはうんうんと頷く。

彼女等はいざという時の盾でもあるからね、と言うセイ・クーの言葉に首を傾げるクロウ。

 

彼が言うには、侍女達は優れた護身の術を修め、いざという時には不逞な輩を貫くナイフとなり、またその凶刃から貴人を護る盾となるそうだ。

 

「ライバルってことか」

 

クロウが険しい目で侍女達を見ながら言うと、セイ・クーはきょとんとしていた。

 

「君は侍女になりたいのかい?ちなみにうちのシャル・アも似た様な仕事をしていたんだ」

 

フゥンとクロウがシャル・アを見つめると彼女は意味ありげに笑みを返した。

 

(セイ・クー。シャル・ア。同じ国出身なんだろうか?)

 

クロウの内心を読んだのか、まあその内話すよ、とセイ・クーが言った所で

 

『皆様方、式典のお時間です。どうぞこちらへ』

 

 

 

【挿絵表示】

 

『月冠付騎士聖銀円章を与える』

 

クロウ達には名誉のメダリオンが授けられた。

これは所謂勲章の様なものだ。

月はアリクス王国の聖なるモチーフである。

今回授与されたものは月のモチーフの勲章だが、この上位の物になると剣も追加される。

 

剣の由来は初代アリクス国王がまだ一介の剣士だった頃、遠い地にて月魔狼フェンリークと呼ばれる強大な魔物を討ち果たした際に振るっていた剣、月割りの魔剣ディバイド・ルーナム。

 

そして月はフェンリークである(フェンリークは月の出ている夜は不死とされていた)。

 

メダリオンは大きく、王国で多く流通している銅貨と比べても何倍も大きい。

 

1つ1つ手が掛けられて造られており、月冠付騎士聖銀円章は平民に手が届く勲章でも上から2番目に格が高い。

 

 

と言う事でなんだかんだで式典は無事に済んだ。

恭しく二言三言返事をするだけなのだから今のクロウには簡単な事だった。

 

王宮ではちょっとしたアクシデントはあったが、それも無事に乗り越えたし、未来への希望(死)の萌芽も見つけクロウとしては十分に満足のいく1日だったと言える。

 

━━俺達のした事が国の偉い人にも認められた

 

ガスが少ししかない100円ライターの様な扱いをされていた前世とは大違いではないか、とクロウは内心喜んでいた。

 

「こういうのなんだか嬉しいな」

クロウが無邪気に言うと、仲間達も微笑ましい気持ちになる。

 

「もっともっと、集めたくなってきちゃったな。この前のエルフは他の地域にはいないのかな?」

クロウが無邪気に言うと、仲間達は何だか嫌な予感を覚えた。



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2章・第10話:式典の後

 ■

 

 式典後。

 

「僕は案外何か起きるとおもって、不安と同じ位ワクワクしちゃってたんだけどね」

 

 セイ・クーがそんな事を言ってくる。

 シャル・アもうんうんと頷いている。

 

「前々から思っていたんだけど、セイ・クーとシャルはどういう関係なの? たまたま知り合ったパーティメンバーって言う感じがしないよね」

 

 クロウが言うと、セイ・クーはにやりと笑った。

 

「同郷なのは話したっけ? ……そうか、うん、まあそれでね。僕は国では結構お偉いさんなんだよ。シャルは専属侍女兼ボディガードみたいな感じかな」

 

 言われて見れば彼らからは何か気品? みたいなものを感じる。

 だが…となると

「ドゴラは違うんだ?」

 

「ああ、そうだね、彼はこっちに来てから知り合ったんだよ。前衛が欲しかったんだけど、その時丁度とある依頼をこなしてね。たまたま一緒に組んだ冒険者が彼だったんだ」

 

 との事だった。

 クロウはこれまでずっと独りだった。

 ゆえに、もう少し他のパーティの話を聞いてみたかったのだがやめた。

 

 なぜならガデスの姿が視界に入ったからだ。

 ガデスを見た瞬間、クロウの心が急激になえ萎んでいく。

 いや、それ所ではない。

 しぼんでしぼんで……圧縮乾燥中の布団みたいな有様になってしまった。

 

 彼はパーティメンバーを2人も失っている。

 この話題は彼の心を傷つけてしまうに違いない。

 こういった一方的な同情は、ともすれば相手を侮辱していると捉えられる危険がある事はクロウも理解している。

 

 しかし、ガデスの仲間……アーノルドとエメルダの事、そして残されたガデスとハルカという女性の事を考えると、クロウは胸に痛みを感じざるを得ない。

 彼自身でも過剰に反応しすぎだと理解しているようだが、心と言う目に見えない何かの端っこを目の粗い鑢でゴリゴリと削られるような痛み……その痛みの大きさはクロウの眼からぽろぽろと流れる液体が物語っていた。

 

 ━━これほどの胸の痛み、喪失感を感じながら生きていかなければいけないのならば

 ━━やっぱり俺はもう生きていたくない

 ━━自分の不幸も他人の不幸も嫌なんだ

 

 ひとたびダウン状態に入るとクロウの精神はどんどんどんどん落ちていき、希死念慮という自殺願望が鎌首をもたげて来る。

 

 それでも自らの首を搔っ切らないのは、彼が軽率に死ぬ事で悲しむ人々がいるという事くらいは理解しているからであり、また、彼自身の前世から由来する承認欲求も影響してたり……兎に角様々なメンタルヘルス要因が絡んでくるからであった。

 

 だからクロウはいつも考えている。

 周囲へ与える心の傷を最低限にし、自身へ与える体の傷(つまり、死!)を最大限にする方法を。

 

「ク、クロウ様!? どうされたのです? ええと、あー! ほら! 泣かないの! 男の子でしょう? 涙を拭きましょうね……ほら、こうして、はい、はい……」

 

 シルファにハンカチーフで涙を拭かれるクロウを見て、セイ・クーやシャル・ア、そして当のガデスもあっけに取られていた。

 

 なお、ガデスは仲間を失った事自体は悲しい事だと思っているが、もう大分立ち直っているし、先ほどクロウとセイ・クーがしていた会話もなんとも思っていない。

 彼とて熟練の冒険者であるし、冒険の過程で仲間を失う事くらいは覚悟していた。それに、仇討ちそのものも既に成されているのだ。

 彼の心は既に前へ向いていた。

 

 クロウの持つ極めて強烈な共感性は彼の精神を酷く不安定にさせている。

 だが、この不安定さこそ彼の膨大な魔力の根源でもある。

 もしクロウに魔術を扱える程自身を御する精神力があれば、恐らくは歴史に名を残す程の大魔術師となれたに違いない。

 

 だがクロウは火種すら構築できないほど精神がふよふよと不安定なので、その魔力を余さず肉体強化へ回している。

 

 その結果どうなるかは、目に写らないほどの速さで野盗の首を引き千切った事で既に示されている。

 小細工無しで真っ向勝負……つまり殺し合いをするのならば、既にクロウはその身体能力に限るならば、金等級の上澄みですらも及ばないものと成り果てていた。

 

 ■

 

「え!?!? そうだったのかよ、いや、まあ……お前さんがそうまで思ってくれたのは嬉しいけれどよ、俺もハルカも大丈夫だ。今は少し寂しい思いもあるけどよ、すぐに元通りだぜ。俺たちでアーノルド達の仇を討った。その事実が何よりの慰めになる。だから気にするな。ところで最後の一撃は俺も見ていたが凄かったな。クロウ、お前は銀等級なんかにいていい男じゃないぞ。もっともっと上を目指せる男だ」

 

 クロウは空を見上げた。

 

 ━━上か

 ━━もっともっと上に行けば、俺にも見えるのだろうか

 ━━俺の、逝く先が

 

 ■

 

 宿に帰り部屋の扉をあけると、黒剣がその切っ先をクロウの頭部へギラリと狙いを定め、凄まじい勢いで突っ込んできた。

 ぼーっと突っ立ってれば顔の真ん中を剣で貫かれて死ぬ事は間違いなかった。

 

 だがクロウは右拳の甲を顔の前へ翳し、突っ込んでくる剣の側面を甲で叩き横へ弾き飛ばす。

 がらんがらんと床に転がる剣を拾い上げると、埃がついていないかしっかり確認し、念のために綺麗に磨き上げた。

 

「やっぱり安い布じゃだめだ。磨いたはずなのに良く見ると小さい糸くずがついてしまっている。縫製が甘いのか、素材が悪いのか分からないけれど、今度シルファさんへ相談しよう」

 

 クロウは剣を丁寧に壁へ立てかけると眠りについた。

(明日はギルドへいこう。依頼を受けよう。勲章がもらえるような依頼がいいな……)

 

 ■

 

 クロウは夢を見た。

 ごめんねごめんねと纏わりついてくる黒い髪の毛の少女の夢だった。

 

 ■

 

 朝。

 目覚め、傍らに置かれている剣の柄を握るとクロウは宿を出て行った。



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2章・第11話:依頼受領

 ■

 

 ギルド。

 

 クロウは依頼掲示板を見ていた。

 緊急性のありそうな依頼はないが、調査関係の依頼が多い。

 出元は中央教会と呼ばれる大陸最大派閥の宗教団体だった。

 

 ━━前世で言うならキリスト教的なものだろうか? 

 

 考えを巡らせていると、唐突に肩に手が置かれる。

 クロウは全く背後の気配に気付く事が出来なかった。

 死線を幾度も潜り抜けた今のクロウの感覚をすり抜ける程の手練はアリクス広しと言えども少数だろう。

 ここまで自らの気配を殺す事が出来る者とは……

 

「ようクロウゥゥ、元気してるか? 俺は元気じゃない。聞いてくれよ、ちょっとした仕事があってな。そのせいで余り寝てないんだ。そんな俺に何か言うべき事はあるか?」

 

(気配を殺している……んじゃなくて気配が死んでいる……後、目も死んでいる)

 

 死んだ目のランサックであった。

 酒の匂いもする。

 普段は鬱陶しい程に陽気な彼が、疲れ果ててスキットルから酒を飲みながらクダを巻いていた。

 

 ━━何か言うべき事、か

 

「お仕事、お疲れ様でした」

 

 きちんと踵をつけ、頭を下げる。

 きっと大変な依頼の後なのだろう、ならばお疲れ様でした、以外の言葉はない。ランサックはクロウの先輩冒険者である事だし、前世経験も相まって彼はこの状況に完璧に対応してのけた。

 

「おう……お前は労ってくれるんだな……俺がしっかり役目を果たしている事を褒めてくれる奴は本当に少ない。お前はその内の1人だ。お前は本当にきちんとした男だぜ、クロウ! キチンとしてるのは態度だけじゃねぇ、ヤバい依頼に自分から何度も飛び込んで成功させてくる。冒険者の鑑ってやつだな。それに引き換え、あの小僧はなんだ? 一方的に選ばれた事には同情するが、拒否権もあったはずだろがィ! 話は受けて特権だけ散々っぱら味わっておいて、いざって時には尻尾巻いて逃げ出す!? だから俺に仕事が回ってくるんだろうが! 思いだしたらまた怒りが湧いてきたぜ……俺はランサック。俺の名前は怒りの代名詞だ。……あ、そうだ、ルイゼが言ってたぞ。……え? いや、ギルドマスターだけど……。え? 親しいのかって? ……うーん……そうだな、親しいというかこき使われているというか……それはともかく! ルイゼがお前を金等級に引き上げるってよ。その内話が下りて来るだろ。と言う事でじゃあな、俺はもう寝る。機会があったらあの小僧をぶっ殺しておいてくれ」

 

 圧倒的情報の暴力棒で頭を殴られたにも関わらず、クロウは些かもうろたえてはいなかった。

 泰然自若といった様子で何度か頷き、ランサックが去った後は何事もなかったかのように依頼掲示板とにらめっこをする。

 周囲の冒険者達も彼らのそんなワンシーンに“またいつものか”という表情を向けるだけであった。

 

 ランサックが延々としゃべくり散らし、クロウが黙ってそれを聞く。

 王都の冒険者ギルドでは既に日常茶飯事な情景となってしまっている。

 

 クロウもランサックの言葉を全て消化し、理解したわけではない。

 感覚としては新聞を読み流す感じだろうか。

 

 とはいえ、クロウにも気になる言葉の1つや2つはあった。

 

 金等級? 

 あの小僧? 

 

 クロウがその功績にも関わらず金等級へ上がらないのは、シロウではない本来のクロウが銀等級へ上がったばかりだったからという理由がある。

 だが、王から直接勲章を授けられるような功績を為したとあれば、昇級も不思議ではないということだ。

 

 どういう形で昇進……昇級するのだろうかと少しワクワクしていると、2階から誰かが降りてくる。

 同時に微かなそよ風が吹き、クロウの前髪を揺らした。

 

 現れたのはルイゼ・シャルトル・フル・エボン。

 アリクス冒険者ギルドのギルドマスターであった。

 

 

「ギルドマスターだぜ……」

 

「相変わらず美人だな」

 

「おい、変な目を向けるなよ。アリクス最強の術師だ。機嫌を損ねたら指一本でバラバラに引き裂かれちまうぞ!」

 

「アリクス最強? え、でも勇者ってのもいるんだろ?」

 

「だから術師の中ではって事だよ。でもその勇者……余りいい噂をきかないけどな」

 

 周囲の冒険者が好き勝手言っていると

 

「貴方達を此処でバラバラに引き裂いたら床が汚れてしまうでしょう。この建物は良い材木を使っているんです。血で腐ったらどうするのです? 引き裂くとしたら外で引き裂きますよ。さ、今日も頑張って仕事をしていらっしゃい。無事に戻るように」

 

 ルイゼはしっしと手を振って冒険者達を追い出した。

 そんなルイゼに冒険者達は特段恐れる様子もなく、ある者はニヤニヤ、あるものはデレデレとした笑みを浮かべながらギルドを出て行く。

 

 さて、とルイゼがクロウへ向き直った。

 

「クロウ。はいどうぞ」

 

 クロウの手を取ったルイゼが何かを手渡す。

 見てみると金色のコインだ。

 王国金貨ではなく、表面に複雑な文様が刻まれたコイン。

 金等級の証。

 

「ありがとうございます、マスター・ルイゼ」

 

 ぺこりとお辞儀するクロウの頭を撫で、がんばりなさい、と言ってルイゼは去っていく。

 ……とおもいきや、彼女は階段の前で立ち止まり振り向くことなくクロウへ告げた。

 

「クロウ、貴方は面白い成長の仕方をしています。これからも期待しています。そして、腰の子。余りオイタをしない様に。貴女を仕置きできる者は少ないですが、私はその少ない者の内の1人です。少なくとも、今の時点では」

 

 ルイゼが2階へ去っていった後、ふるりと腰の剣が震える。

 クロウが親指でよしよしと柄頭をさすっていると、次第に震えは収まった。

 

 ━━兎に角依頼を受けなきゃな

 

 依頼掲示板へ再々度向き直ると、アリクスから馬車で2日程の農村、その近くにある元は坑窟として使われていた穴倉に魔物化した熊が住み着いたらしい。その討伐……という依頼が目に入った。

 

 それだけ聞くと金等級が受ける依頼としては些かもの足りないものを感じるかもしれないが、その熊は既に銀等級の冒険者を2人葬っている。

 村の者も何人も犠牲になっており、周囲一体の森に不気味な雰囲気というか、殺気の様なもので満たされ、小動物はその数を激減させているという事だった。

 

 周辺環境に影響を与える魔物は、例外なく危険性が極めて高いと言っても過言ではない。

 

 依頼票を見ていると、ピクピクと瞼が痙攣する。

 体が恐れを感じているという事だ。

 心とは裏腹に、一部分とはいえ体は死を恐れている。

 つまり……

 

(それなりに、危険な依頼だ)

 

 クロウの体が危ない事はよせと瞼を痙攣させて合図している。

 それを無視したクロウはピッと依頼票を剥がし、忙しそうに事務処理をしているアシュリーの元へ持っていく。

 

 ■

 

「かしこまりました、クロウ様。こちらの依頼を……受ける……のです……ね」

 

 クロウの目を見たアシュリーは一瞬舌がまわらなくなってしまった。

 瞳孔が完全に開いた血走りの目を向けられれば誰でもそうなる。

 殺意の目、殺しの目だ。

 そこに絶妙な塩梅で混ぜられている希死念慮というスパイスのせいで、クロウの目は破滅的な凶兆を孕んでいるかのように見えてしまう。

 

 だがアシュリーも慣れたもの。

 ショックから一瞬で立ち直る。

 なぜなら、クロウは基本的にそんな感じで依頼に向かうからだ。

 

「はい。宜しくお願いします」

 

 むしろ、言葉少なめに返答してくるあたり、以前よりは落ち着いているといえる。

 

 アシュリーはさらさらと依頼票へサインをし、控えを取り、ご無事でお帰り下さいますように、という言葉と共にクロウへ手渡す。

 

 ギルドを去っていくクロウの背を見届けると、アシュリーは次の冒険者の依頼受領処理の仕事に戻った。

 



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2章・第12話:穢れし熊を殺してあげたい①

 

目指す坑窟はウラルという農村の近くにある。

クロウは宿に戻り、手早く旅支度を整えると乗り合い馬車の待合所へ向かった。

 

(直行便はないけど途中で降りれば大丈夫そうだ)

 

ギルドでこそやや昂ぶってしまったが、高揚した気持ちはすぐに収まってしまった。これは勿論良い事なのだが、クロウはある意味で脳内薬物中毒者の様なものなので、何とはなしに飽き足らなさを感じている。

 

だが、そんな飽き足らなさも馬車から眺める長閑な風景を見ていると次第に気にならなくなった。

変わり映えしない景色の何が良いのか、クロウ自身にも分からない。

ただ何となく眺めているだけだ。

 

夏が終わり秋に入ったばかりだからか、木々はまだ青々と茂っている。

木々の隙間から覗く空は高く澄んでおり、雲ひとつない快晴だった。

ふと視線を感じたのでそちらを見ると、向かいに座る男と目があった。お互いに軽く会釈をする。どうやらずっと見られていたようだ。

 

男は中年くらいだろうか?髭を生やしているものの、清潔感があり、身だしなみも整っていた。なにより人の良さそうな雰囲気がある。

そんな男が自分を見ていたということは何か用があるのかと思い、内心少し身構えるクロウ。

クロウは割りと人並みには話せる様になったが、それでも人見知りの気は拭えない。

 

「あ、いえね…そのお抱えになっている剣。きっと名剣なのでしょうが…不穏な気配がします。…が、どうやらその顔を見るとご存知だった様ですね」

 

クロウは頷いた。

まあ間違っても聖剣だとかの類じゃないんだろうなとはクロウも思っている。

 

 

男の名前はロナウダといった。

彼は商人であり、主に武器や防具を扱っているらしい。

ウラルの先、商業都市デヴレに向かう途中との事だった。

ロナウダは自分の商売について話しはじめた。

 

なんでも彼の扱う商品の中に魔剣があるのだとか。

彼が取り扱う武具や道具類の中には、古代遺跡から発掘されたものや、ダンジョンで発見されるものがあるのだが、そういったものに偶に“曰くつき”のものが含まれることがあるのだという。

クロウの持つ剣の雰囲気に気付いたのも彼の商売柄ゆえに、と言う事だ。

 

そしてロナウダが何かを閃いたかの様な表情を浮かべると、クロウは掌を向けてその先を言わせないようにした。

「もし俺に剣を売り込もうとか、この剣を売ってくれないか、みたいな話をしようとしていたらやめて下さい。機嫌を損ねると宥めるのが大変なんです」

クロウはちらりと抱え込んだ剣に目を向ける。

 

ロナウダはクロウの視線を追い、目を細め、じっと剣を見つめた。

やがて深く頷き、忠告に感謝します、と言った。

ロナウダの長年の武具商人としての経験がこれ以上は踏み込むな、助言を聞けと警鐘を鳴らしていたからだ。

 

その時、ぷうん、と虻が入り込んできた。

走行中の馬車とはいえ並足なので何かの拍子に入ってきてもおかしくはない。

 

鬱陶しそうに手を振るロナウダ。

 

クロウは彼に手を貸してやりたくなったので剣の鞘へ頬をつけ、頼むよ、と呟いた。

ロナウダは怪訝そうな目でクロウを見るが、すぐにぎょっとした様な表情を浮かべた。

 

虻が宙で静止したからだ。

羽だけが動かず、胴体はジタバタともがいている。

クロウはそんな虻を潰さないように掌で包み、外へ離してやった。

 

「…優しいのですね」

ロナウダが言うと、クロウは首を振る。

 

「来世に備えて徳を積んでるんです」

クロウの言葉にロナウダはきょとんとしていた。

 

 

それからも特に何事もなく、途中の宿場で休憩を挟み、やがてウラル村の近くまで来るとクロウは下車をした。

今度是非デヴレまでいらしてくださいというロナウダの言葉に笑顔で応える。

 

 

村の門番の男に金等級の冒険者証と依頼票を見せると、男は腰を抜かし戦いていた。

金等級なんて出張ってくるという事は、ウラル村は壊滅寸前どころか周辺地域まで危険な状態になっているのではないかと恐れた為だ。

 

クロウもクロウで口下手なものだから、危険な事には変わりはないけどナントカする…などという説得にもならない説得をしてしまい、一時ちょっとした騒ぎになってしまう。

 

結局村長が出てきて事態は収まったが、金等級としての最初の仕事がこれでは…とさすがのクロウもやや落ち込んでしまった。

 

 

クロウは村長から詳しい話を聞く。

何でも討伐対象の熊は元々は穏和な性質だったらしい。

だがある日突然凶暴化し村を襲うようになったのだとか。

村の金をかき集めてギルドに依頼を出すものの、2度失敗。

(アリクス王国の王都ギルドは依頼が2度失敗した位では危急の物と見做されない)

 

村長はまだ話をしたそうだったが、クロウは剣を握り締め村長の家を出て行った。

今日はもう暗いし、明日にしたらどうだという提案には、穏和なクロウとて呆れてしまった。

 

━━明日になればまた犠牲者が出ているかもしれない

━━1秒でも早く熊を倒さなければ

━━暗いって?

━━死んでしまった人達のお先より真っ暗なものなんてない

 

クロウは歩を進めていく。

 

 

━━ここか

 

今は放棄されている坑窟。

件の熊はこの中のどこかにいるはず。クロウが鼻をひくつかせると、微かに香るのは獣臭の残滓。

 

中に入っていくと、地面からは岩肌が露出している部分もあったりと歩きづらい。所々水溜りが出来ており、ぬかるんでいる箇所もある。

 

かつて使われていたのか、松明やランタンの残骸などが残っている。

それらは既に壊れてしまっているため使用出来ないだろう。

とはいえ、自前のランタンがあるのでそこは問題ないが。

 

奥へ進むにつれてどんどん気温が下がっていく。

それに伴い空気も重くなっていくように感じる。

 

【挿絵表示】

 

最奥と思われる場所へ到着すると、そこには巨大な黒い毛玉があった。いや、よく見るとそれが手足だと分かる。

四肢と胴体のバランスが崩れているのだ。

 

それはこちらに背を向けており、まだクロウに気付いていないようだ。

クロウは黒い巨体の後ろから回り込む様にして近付く。

クロウが真後ろに立ち、剣を構えるとようやく気付いたのか、それは緩慢な動きで振り向いた。

 

【挿絵表示】

 

熊と言われれば熊だと言えよう。

しかしよく観察すれば、耳は長く尖っており、鼻が赤い。そして同じように赤い牙を剥き出しにし、低い唸り声を上げていた。

そして、その熊らしき生物には目が無かった。

 

異形。

異様。

 

そんな化け物に対し、クロウは…

哀しみの余り、ぽろりと涙をこぼしたのだった。

 



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2章・第13話:穢れし熊を殺してあげたけれど

 ■

 

 ━━あんまりだ

 ━━酷すぎる

 ━━誰がこんな事を

 

 クロウとてこの世界で冒険者として生きてきた。

 魔物化した獣と戦った事も何度もある。

 だが、目の前のコレを魔物化した熊等といってもいいものか。

 

 ━━良い訳がない! 

 

 そう、こんなもの、誰かが手を加えなければこんな姿にはならないのだ。

 魔物化というのは別にその生物の姿形が異形化するというわけではない。

 魔力を扱う冒険者は異形化しているだろうか? 

 

 つまりそういうことだ。

 魔力を扱うようになり身体能力を向上させた獣を魔物という。

 グレイウルフが良い例だ。

 あれも魔物だが、決して異形と化した存在ではない。

 外見だけ見るなら狼の姿を崩してはいない。

 

 ましてや、穏和だったのに急にこんな化け物に変わるなんて……誰かが何か悪意ある真似をしなければこんな事にはならないのだ……

 

 ■

 

 熊が力任せに腕を横に薙いだ。

 クロウは前髪が風で揺れるのを感じながら、その一撃を体を反らす事で回避する。

 通常ではそこまで成長し得ない程に伸びた前腕の爪は、坑窟の岩壁をガリガリと抉った。

 

 力一杯に振るわれた腕が空振りしたのだ。

 相応の隙がそこには生まれる。

 だが、その隙を見てもクロウは剣を振るおうとはしなかった。

 正確に言えば出来なかったのだ。

 殺し合いの場では許されざる余計な事を考えてしまっていたから。

 

 それは、相手の身を慮ってしまう事。

 クロウはこの期に及んで悪意ある改ざんを加えられた熊をどうにか出来ないか、正気を取り戻させる事は出来ないのかと考えてしまっていた。

 

 これまでのクロウならばそんな事を考えたりはしなかっただろう。

 自分を殺しうる力を持つ存在に対して、自殺願望というエネルギーをボウボウと燃やしながら、馬鹿みたいな力を発揮して相手を八つ裂きにしてしまったに違いない。

 

 だがそういう対応は、クロウの心の余裕の無さを表している。

 然るに今のクロウは余裕が出来ている。

 出来てしまっている。

 

 ■

 

 いつもとは違う。

 燃える様な何かを感じない。

 死にたくならない。

 いつも感じるアレがないのだ。

 

 崖の下を覗き見れば真っ黒な炎が燃え盛っている……そこへ飛び込まんとする時のゾクゾクするようなアレが、今は無い。

 

 クロウは己の変調を自覚しながらも、その原因を特定出来ないでいた。

 

 あるいはそのままクロウが変調をきたしたままであれば、彼は望まない形での死を遂げる事が出来たかもしれない。

 しかし、クロウがそれを許したとしても……クロウを愛する魔剣コーリングがそんな事を許すはずもなかった。

 

 ■

 

「痛ッ!」

 

 クロウが剣を握る手から血が流れている。

 反射的に手を離そうとするも、手は柄から離れない。

 それどころか腕が勝手に動き、雑だが力強い一閃を熊に見舞う。

 愛剣の一閃は熊の鼻先から右眼を切裂き、血飛沫が舞った。

 

 返り血はクロウにもふりかかり……その血の温かさがクロウの注意を引く。

 そして一瞬の正気を取り戻したクロウは思わず熊の顔にまじまじと見入ってしまった。

 

(血だ。熊の眼窩から血が流れている。まるで涙の様に)

(熊は、泣いている)

(こんな姿になってしまった自分を儚んで泣いている)

(殺してくれと俺に懇願しているのか……?)

(分かった……それなら俺はお前に殺されてやるわけにはいかないね)

(俺は馬鹿だ。お前の嘆きに気付けなかった)

(殺そう! お前を助けたい。だから、殺そう! いま……)

 

 ━━すぐに

 

 ■

 

 異形化した熊はなるほど、確かに銀等級2人の冒険者を屠るに相応しい力があったのだろう。

 クロウが先にさらっとかわした前腕の一撃は、並大抵の使い手では視認すら出来ない速度で振るわれていた。

 だがそれでは全く足りていない。

 キマったクロウを殺すには全く足りていない。

 

 結果だけを言うなら、クロウは熊を一刀両断にして屠りさってしまった。

 熊には視認すら出来なかったに違いない。

 風がひゅるると剣が描いた軌跡に吸い込まれていった。

 

 もし吟遊詩人が今のクロウの一振りを見たのならば、空を斬っただの宙を斬っただの、風を斬っただのと謳われている【空斬り】レイネを連想しただろう。余りにも素早く、鋭く振るわれる剣撃は、形のあるものは元より形の無いものですら斬ったという。

 初代アリクス国王の愛人だったとかなんだとか……その手の話で今もよく唄われる人物だ。

 

 まあ、クロウの振るったそれが空斬りの一振りだったかは定かではないが、それほどに鋭い一閃だった事は間違い無い。

 

 ■

 

 クロウは討伐証明の証にその牙を圧し折り、ポーチへ入れた。

 そして熊の死骸に手を合わせ、死骸を坑窟の外へえっちらおっちらと引っ張っていく。

 せめて埋めてやらねばクロウの気がすまなかったのだ。

 偽善なんだろうなとは思ってはいたが、クロウはどうにも悲しくて仕方なく、自分でも分かっている偽善を止める事ができなかった。

 

 ■

 

「獣で試して上手くいけば、次は人間を使おうと思っていたのだけど。こんなの1匹に殺されちゃう様なら実験は失敗かな」

 

 熊の死骸を引っ張りながら坑窟を出たクロウを、一人の女が出迎えた。

 黒く長い髪は夜でもその艶が分かる程に美しい。

 顔立ちは切れ長すぎる目がやや気になるが、この世界の基準で言うなら整っていると言えるだろう。

 

 だがやはり特徴的なのはその肌の色だろうか。

 彼女の肌は青かった。

 クロウの知る限り、その様な肌色のヒト種は見た事がない。

 

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

 クロウが女の言った事を無視して質問をした。

 

「獣はそもそも相性が良くないのかしら。お前で試してみようかな。お前ももっと強くなりたいでしょ? 長生きしたいでしょ?」

 女もクロウの言った事を無視して質問をする。

 

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

 クロウがもう一度聞いた。

 

「お前、話聞いてる? 殺すよ?」

 女が少し苛立った様に威嚇する。

 するとクロウは屈みこみ、カッと目を見開いたまま死んでいる熊の死骸の目を閉じてやりながら再び口を開き、先ほどと同じ質問をした。

 

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

 

 女が黙っていると、クロウは何度も質問を繰り返した。

 

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」



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2章・第14話:命は尊い

 

「お前、本当に人間…?」

 

女魔族の目は只人よりも魔力と言うものがよく見える。

そんな彼女から見て、目の前の“虫けら”の纏う魔力は余りに凶兆を孕みすぎていた。

 

真っ黒でどろどろしている魔力が脈打ち、“虫けら”を覆っていた。

いいや、覆っているだけではない、

魔力が形を成している…様に見えた。

それは、まるで、頭蓋骨の様な…

 

“虫けら”はカクカクとした動きで立ち上がった。

奇妙な動きだった。

まるで人形のようにぎこちがない。

背を向けて立っている様子は隙だらけなのだが…彼女はその隙を突けなかった。理由は分からない。

しかし、下賎な人間を恐れる理由もないはずだ。

連中は下等生物で…弱くて…よわ、くて…

 

“虫けら”が振り返った時、女魔族はひえぇと声をあげそうになってしまった。

魔族たる自身よりも余程おぞましくドス黒い殺意が…それでいて、滝の下で長年削られ、真に硬い部分だけが残った石の様な硬質な殺意が“虫けら”の瞳に閃いていたからだ。

 

いや、もう虫けらではない。敵だ!

女魔族の中で何かが切り替わる。

 

 

女魔族は人差し指をクロウへ向ける。

 

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

もう何度目かになるこの質問。

 

「したとしたら…?」

女魔族が初めてクロウの質問に答えた。

同時に

 

━━מכת ברק

 

一条の雷撃を飛ばす。

魔法により編まれた雷撃だ。

受ければ痺れる程度では済まない。

ドラゴンロアのガデスはかつて虚ろと化したエルフの雷撃を受けて大きなダメージを負ったが、仮に女魔族のそれを受けたなら或いは死んで居てもおかしくはない。

 

だがクロウは剣を一振りしてそれを受けた。

手がやや痺れるがその程度だった。

あの時とはクロウの階梯がまるきり異なるゆえの仕儀である。

 

【挿絵表示】

 

「人間風情が…ッ…」

━━מכת ברק

━━מכת ברק

━━מכת ברק

 

雷撃の三連射。

 

クロウは先ほどと同じように剣を一振り、二振り、そして三つ目は空いている方の手の甲で弾き飛ばす。

 

(感じる魔力はאלוף משנה級……!人間にこんなのがいるなんて…)

 

אלוף משנה級の魔族は数少ない。

女魔族はそれより一段劣る。

もはや人間風情などと言っている余裕はなかった。

殺らねば…

 

━━殺られる!

 

「חרב קסם קרח」

 

女魔族は右手を掲げる。

そこに青白い凍気が集束していき、美しい剣が形作られた。

 

「我が名はカルミラ!この私に魔凍剣スカージを握らせるとはね。でも残念ね、私は魔族でも剣を扱わせれば右に出るものは…って!あんた!話を!聞きなさい!」

 

カルミラがダラダラと話している間に、クロウは既に懐に入り込んでいる。

そして彼女の喉元へ突きを見舞う。

 

喉を突くどころか、当たれば首から上が吹き飛びかねない勢いの突きをカルミラはかろうじてかわした。

(こ、この人間ッ!)

 

しかし彼女が体勢を立て直すよりも早く、クロウの蹴りが腹にめり込む。

肺の中の空気が押し出され、カルミラは悶絶した。

そこへ追い討ちをかけるようにクロウの剣の柄頭が顔面に叩き込まれ、鈍い音が響き渡る。

 

仰け反るカルミラだが、その目を殺意に滾らせたかとおもうと仰け反ったままの体勢で剣を横薙ぎに振り切った。

 

刃はどう見ても届かないはずだが、それでもクロウは素早くしゃがみこむ。

伸びた凍刃が頭の上を通りすぎていく。避けなければ首を落とされていただろう。

 

クロウは立ち上がる反動を利用して、後方へ下がった。

 

カルミラは追撃を諦めた。

息を大分切らせていたし、散々に殴られた体が痛むからだ。

「はァッ…ハァ……お、お前…人間じゃ、ない…って…なによ、その音…な、なんでおっきくなってんのよ…」

 

ゴキゴキゴキと言う音が鳴り響く。

クロウの筋肉が肥大していく。

といっても身長が倍になったとかそう言うことではない。

 

簡単に言えばパンプアップだ。

カルミラの一閃はクロウに死を想起させた。

それは彼の体に眠る鬼を呼び覚ましてしまう行為でもある。

 

しかし、死を想起させる事が出来るということは、うまくすればクロウを殺せるという事でもある。

 

カルミラの殺らねば殺られるという思考が、次第に逃げねば殺られるというそれへと傾きつつあった時、彼女はか細い声を聞いた。

 

――命は……

 

(なんだ…?何を言っている?)

カルミラが耳をすませる。

 

――尊い…

 

(命は、尊い?)

(いきなり何を言っているの!?)



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2章・第15話:死ぬ事、殺す事、生きる事

 

「生きる事は…生きる事は何も無い暗闇の荒野を彷徨う様なものなんだ。でも死という暖かい灯が先に見える事で、みんな安心して歩んでいけるんだ…あそこへたどり着けば辛い事も皆終わると信じて…」

 

クロウが何やら呟きながら肩からカルミラへ突っ込んでいく。

分厚い肩という盾は生半可な飛び道具等皆弾いてしまいそうで、カルミラは魔法を撃つことを躊躇ってしまった。

 

なにより先ほど、雷撃を素手で弾かれるという訳の分からぬ経験をしている。

 

ぎりっと歯を食いしばり、迎撃の様子を見せるカルミラだが、高速で突っ込んでくる何かやたら硬そうなクロウには何をしても対処されてしまいそうで…要するに魔族の剣士としてあってはならないことだが…ビビってしまっていた。

 

(ま、まずは距離を!距離を取る!遠距離から穴だらけにしてやるわ!)

だが風を喚び高速で移動する魔法を使おうとしたその瞬間

 

「動く”な”あ”あ”あ”あ”ァ”ァ”!!!!!」

 

魔力が込められたクロウの大咆哮がカルミラの集中力を叩き壊す。足元の小石がバキバキと粉砕される程の物理的な圧力を伴ったバインドボイスの影響下では魔法等はとても使えない。

 

(ギャピィィィィ!)

 

クロウが剣を大上段に振り上げ、カルミラに振り下ろす。

カルミラは必死で横に転げ、確死の一撃をかわした。

 

 

「人は、いや、生き物は望んで死なねばならない…寒くて暗い荒野を彷徨う様な生に、最期に残された救い…それが死でなくちゃいけない。そうでなければ余りに寂しいじゃないか…」

 

「人間!!!貴様!!余り調子に乗るなよ!להקפיא להב פיזור!」

 

カルミラが手に握る魔凍剣スカージの切っ先をクロウに向けて力を解放する。

すると驚くべき事に刃が枝分かれしていき、それはたちまち2本、4本、8本…と増え、クロウへ凍てつく牙を伸ばした。

 

この魔法はヒト種の言葉で直訳すると凍結分散刃という。

この牙は獲物が逃げようとも伸び続け、決して逃がす事はない。

そしてひとたび体に食い込んだら最後、体内で氷は枝分かれし続け内側で粉砕破裂し、深刻的な内部破壊を齎す恐ろしい魔法だ。

 

 

凍てつく死の牙が四方八方からクロウに襲いかかる。

その時、クロウの両眼がぎょるりとそれぞれ違う方向を向いた。

左眼と右眼がそれぞれ別の視界を捉え、氷の牙を捕捉する。

 

これは何かしらの武術の技ではなく、クロウの身体制御がつま先から頭のてっぺんまで十全に及んでいる為の仕儀である。

単純に、両眼で同じ部分を見るよりも、それぞれ別に動かしたほうが効率的だよねとクロウが思っているため、体がそれに応えたに過ぎないのだ。

 

クロウはそれぞれ別の方向から迫り来る氷を見るや、剣一本でそれらを迎撃する事は困難と判断した。

 

だから魔剣コーリングを空高く放り投げ、両の手に魔力を通す。

そしてその左手が下方から、右手が上方から真円の軌跡を描く。

空手の技術で言う回し受けだ。

本来は拳や蹴りを打ち払うものであって、断じて上下左右から襲いくる氷の刃を払うべき技ではない。

ちなみに、空へ放り投げたのは愛剣を地べたに置くのは嫌だったからである。

 

当然クロウは…本来の体の持ち主のクロウも、そしてシロウもこんな技を知っていた訳ではない。

様々な方向から襲ってくる攻撃を一息に払いのけるにはどうすればいいかという疑問に体が応えたに過ぎない。

 

カルミラの魔法がクロウの魔力で覆われた両手に粉砕されていく。

彼女はそれを眼をかっぴらいで凝視していた。

 

そして氷の牙を砕ききった後、放り投げた魔剣コーリングが落ちてくる。パシッという乾いた音…クロウが剣を握った音が、カルミラの耳にはやけに大きく聞こえた。

 

 

「殺されるっていうのは…死ぬ事とは違うと思う。でも今の俺には、それがどう違うのかがよく、分からない…心では何となく分かる。でも言葉に出来ないんだ。殺すことには尊敬がない、尊重がない…ああ、違う気がする…何といえばいいのか…とにかく」

 

クロウは言葉を切って、熊の死骸へ眼を向けて再び口を開いた。

 

「俺自身が殺されてみなければ、それは分からないのかもしれない。でも…笑ってくれ、俺は誰かが誰かを殺す事が嫌なんだ。みんな笑顔で自ら死んでほしい。俺自身も笑って死にたい。だから、殺しを増やすような人がいるなら、俺はその人を殺すんだ。おかしいだろ?俺はそんな俺がたまらなく嫌いなんだ…」

 

カルミラは目の前の敵の言葉を理解する事を諦めた。

何一つ理解出来ない妄言だ。

そしてもはや人間だとも思えなかった。

 

ひゅるると風が吹く。

黙り込んだクロウは動こうとはしない。

 

(“これ”は別の生き物だ。人間でもない、勿論魔族でもない…悍ましい)

 

――怪物め

 

 



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【クロウ挿絵アリ】2章・第16話:人が人を助けたいと思うことは

 ■

 

 クロウの精神状態は虚なる者を滅ぼした時に比べて良化した……筈だった。だが、実際は違った。

 悪化したのだ。

 

 生も死も、こんなものは考えたって仕方のない事なのだ。

 そこに特別な意味を見出そうとすると沼に嵌る。

 生は生、死は死。

 

 ただそこにある事実、ただそれだけ。

 それ以上考える事を放棄して、事実を事実としてだけ見れば良い。というか、そうしなければ頭がおかしくなってしまう。

 

 生なり死なりに何らかの答えを見出したいのならば、普遍的な真理ではなく、自分なりの何らかの納得を見出さなければならない。必要なのは答えではなく納得感なのだ。

 

 だがクロウは所謂真理の方を見出そうとしている。

 ただでさえ考え込む男なのだから、そんな事を考えていたら狂気を加速させてしまう。

 

 カルミラがクロウを“こいつ頭がおかしい……”と思うのは当然な事だった。

 

 ■

 

「俺は俺が嫌いだ。殺す事を正当化しようとしている。熊を弄んだ貴女への怒りで貴女を殺害する後ろめたさから少しでも楽になろうとしているんだ……卑怯だ……俺は屑なのだろうか? 貴女はどう思う? ところで貴女の名前はカルミラと言っていたね。俺はクロウだ。俺の名前を覚えてくれ。俺も貴女の名前を覚えよう」

 

 目の前の狂人がまた訳の分からぬ事を語りだした。

 話をころころ変えるな!!! 私もお前が嫌いだよ!!!! と思いながらも、これをチャンスとばかりにカルミラは“同族”へ交信を試みる。

 

 カルミラにとってはこれはとんでもない恥を晒す事に等しい。

 たかが人間に追い詰められて仲間へ助けを求めるなど、魔族にとっては自死にも値する恥だ。

 だがもうカルミラには目の前の狂人が人間だとは思えなかった。

 

 言ってる事は訳がわからないし、だが口調自体は落ち着いている。それでいて、全身から放たれる殺気は益々濃密になっていく。その様は正しく狂人だ。

 

「人間、貴様が何を言っているのか私には分からない。でもこのまま私が殺されると思うなよ! そうだ! 私はカルミラ! 魔氷姫カルミラだ!」

 

 クロウは頷いてしゃがみこんだ。

 クラウチング・スタートの構え。

 

「さようなら、カルミラ」

 

 次の瞬間、地面が捲れクロウの姿が掻き消えた。

 しかし人間を遥かに越える動体視力の彼女はクロウがとんでもない速度で突っ込んでくる姿をはっきりと見た。

 

 ──ああ、これは

 ──しんだ……

 

 カルミラは目を瞑った。

 どうあれ、真っ当に殺りあった結果だ。

 最期は誇り高く逝きたい、そう思っての覚悟の瞑目。

 

(こわああああああ!!!!!)

 

 ではなかった。

 単に、歯をむき出しにして飢えた野獣の如き狂相で襲い掛かってくるクロウが怖すぎたから目を瞑っただけだった。

 

 クロウの振りかざした剣がまさにカルミラの首を切断しようかというその瞬間、クロウは弾かれた様に後方へ飛んだ。

 

 ──כדור אש מתפרץ

 

 クロウの背後から直径150センチほどの大きな火球が飛んできたからだ。

 

 なぜ火球が背後から飛んできたのに火球に向かってさけようとするのか……カルミラは口をあんぐりあけてその様子を眺めていた。

 

 クロウは振り返り、火球に向けて渾身の力で剣を振り下ろす。

 そして見事火球を一刀両断に斬ってのけるが、火球は左右に断たれた後、大爆発を起こした。

 

 爆発に巻き込まれたクロウはカルミラの体に吹き飛んでいった。カルミラは良くわからないがとりあえずクロウの体を受止める。

 

「あ、あんた……私を……」

 

 ──助けてくれたの……? 

 と続けようとしたカルミラは、火球が飛んできた先をキッと睨みつけた。

 

「オルセン様!! なぜです! 私を巻き込もうとした理由を教えてください!」

 

 爆煙の先から現れたのはカルミラより頭2つは大きい巨漢だ。

 その肌は青く、クロウ達を見る目には嘲笑の意が多分に含まれている。だが、この男には巨漢特有の雄々しさだとか猛々しさだとかはない。

 むしろ、立ち居振る舞いにどうにも女のそれが混じっている様だった。

 

「クフフ……まさかそのゴミを庇うとは! フッ……ほほほほ! 堕ちましたねえ、カルミラ。勇者でもない人間に敗北するだけでなく、命まで救われるとは」

 

 男の名はオルセン。

 下将級とはいえ、そもそも将級自体が絶対実力者である。

 数もそう多くは無い。このオルセンは少なくともカルミラなどよりは二段は格上であった。

 

「縛鎖の緩み甚だしく。魔王様は既にお目覚めになられています。しかしいま少し、削っておく必要があるのです。魔王様の強大さゆえ、忌々しい縛鎖はより強く魔王様を束縛する……我々の役目は即ちその削りだという事を忘れましたか? 国を混乱させ、勇者、英雄を貶め、魔力流るる地脈を抑え! それだというのにカルミラァァァ、貴女はどうも遊んでいる様だ。殺されたくなければ役目を果たす事です。さあ、そこの人間は始末しました。行きますよ。人間を魔族化させる術など、実験は不要です。人間で実験すればいいではないですか。どうせ代わりはいくらでもいるのです」

 

 果ての大陸の封縛鎖は既に下将級の魔族を封じておく事すら出来なくなってしまっていた。

 縛鎖の弱体化は当代の勇者が原因なのだが……その事情を知るものは現時点では極少数だ。

 

 ■

 

 カルミラは歯噛みした。

 術はそれなりに消費が大きい。

 特に人間の様に複雑な生き物に行使するならば。

 その消費は全てこちら持ちではないか。

 自分の懐を痛ませず、部下に丸投げとはとんだ上官だ。

 

(とはいえ、逆らえないのも事実だしね……それにしてもこの人間はなぜ私をかばったのだろう)

 

(人間とは思えない奴だったけど、あの糞オルセンには敵わないか。悔しいけどオルセンは強い)

 

「じゃあね、人間……クロウ、だったかな。助けてくれてありがと」

 

 オルセンに聞こえないように呟き、オルセンの元へ向かおうとするが……

 当のオルセンは不機嫌そうな表情だ。

 まさか聞かれていたか? と焦るカルミラだが、次の瞬間焦りは驚愕へと変わった。

 

 胸から剣が生えていたからだ。

 カルミラの背後から誰かが彼女を剣で貫いたのだ。

 突き出された剣がグリッと捻られる。

 

「は……っ? あ……」

 

 カルミラは呻き、その場にばたりと倒れる。

 彼女に背後に立っていたのは、クロウ。

 

 クロウは所々火傷を負い、息を荒げていた。

 下将級の魔族の放った魔法をその身で受けたにも関わらずクロウはまだ生きていた。

 

 ■

 

「人間。お前はそこのゴミの命を救ったのではないのですか……」

 

 オルセンが訊ねる。

 彼の疑問も当然だ。

 確かにクロウは大火球の魔法から身を呈してカルミラを守った。

 

 クロウはオルセンの言葉を無視して、倒れたカルミラの傍にかがみこみ、その手を握ってやっていた。

 カルミラはまだ生きていた。

 目の端に涙を浮かべ、口をぱくぱくと動かしている。

 

「大丈夫。俺が最期まで貴女の手を握っているよ。平気だ……怖くなんて無い。みんな最期は同じ場所へ行く。カルミラ、いつか俺も同じ場所へ行くだろう。その時は熊の話をしよう」

 

 それを聞いたカルミラが何を思ったかは分からないが、やがて力尽き、事切れた。

 

 クロウは目を見開いたカルミラの瞳を閉じてやり、手を組ませた。そして、ゆっくりオルセンの方へ振り返る。

 

 ■

 

「俺はカルミラを助けた。あんたの攻撃から。俺があのままカルミラへ斬りかかっていたらあの火の球は彼女を巻き込んでしまっていただろう」

 

 ──じゃあ何故殺す!? 

 

 カルミラが殺された事自体は何とも思わない。

 しかしオルセンにとって、目の前の人間の思考回路は全くの理外の理であった。

 

「……ではなぜ彼女を殺すんですか?」

 余りにも意味不明なため、思わずオルセンは質問をしてしまった。

 

【挿絵表示】

 

「人が人を助けたいと思う事はそんなにおかしいか? あんたには……心がないのか? 俺は彼女が危ないとおもった。だから助けた。そして殺した。彼女を殺さなきゃ被害が増えてしまうからだ」

 

 その答えを聞いたオルセンはより一層混乱し、聞かなきゃよかったと後悔した。



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閑話:アリクス王国冒険者ザザの場合

なろうのほうで気晴らしに書いてるやつです。
アリクス王国の他の冒険者はどんなやつらなのかなくらいのかんじで。
ただ、やまもなければおちもないし、意味もないです。
ハーメルンは複数の作品を1つのシリーズとしてまとめられないのかな?っておもったから本編に書くことにしました。
ただ、なろうみたいに何話も書き連ねるのはアレなので、全部まとめます。


 ▼【ザザ】▼

 

 ■

 

【挿絵表示】

 

 

 アリクス王国王都冒険者ギルド所属の金等級冒険者であるザザは冒険者として、は分からないが、少なくともその戦闘能力という点では金等級に相応しい実力がある。

 

 村落1つを食いつぶすオーガでさえ、1対1であるならば容易く屠れるほどの剣の冴え。

 

 独自に編み出した秘剣の数々は多くの魔物を切り伏せてきた。

 

 ちなみにザザが冒険者のようなヤクザな仕事をやっている理由は、それが日銭を稼げるということ、仕事をある程度選べるということ、そして責任を負わないで済むという事、これらの理由で冒険者業をやっている。

 

 ■

 

 適当に薬草なりを採取して日銭を得る

 適当に魔物を殺し日銭を得る

 適当に賊を殺し日銭を得る

 その日銭で旨いものを食いつつ書物を買い集めたり、女を買ったりする。

 ザザはこれでいて書を良く読む。

 

 稼いだ金はすぐに使い切る。

 ザザは行き当たりばったりで生きている。

 ザザは正しくその日暮らしの冒険者なのだ。

 

 

 

 ▼【犬狩り】▼

 

 その日もザザは日銭を稼ぐために依頼をこなしていた。

 依頼内容は街道沿いのグレイウルフの討伐である。

 グレイウルフは野生の狼が魔素を吸収して変貌した狼の魔物だとされる。

 

 通常の野生の狼よりは2回りは大きい。

 獰猛だが馬鹿ではなく、群れで狩りを行う。

 グレイウルフを野生の狼程度と踏んで甘く見て、ギルドタグのみを残してギルドへ帰還する羽目になった冒険者は数多いる。

 

 そんな紛れもない怪物の群れがザザを取り囲んでいた。

 だがザザには取り乱すような様子はみられない。

 きらりと銀色の閃光が走る。

 ザザが投げたナイフは正確に一頭のグレイウルフの右目を貫く。

 

 それが戦いの火蓋を切った。

 

 グレイウルフたちが一斉に飛びかかってくる。

 ザザは冷静に飛びかかるグレイウルフたちを斬り捨てていく。

 同時に複数体のグレイウルフを相手どってもザザの動きは鈍らない。

 いや、むしろ普段よりも鋭さを増しているようにすらみえる。

 

 次々と襲いかかってくるグレイウルフを斬っていく。

 ザザの剣技は美しい。

 無駄がなく洗練されている。

 まるで舞踊のように舞い踊る。

 

 回避と同時に斬り付ける、これをザザは秘剣・舞踏剣と名付けている。

 そんな秘剣の名を知るものはザザ以外には居ないが。

 

 最後の一匹最後の一匹を斬り捨てると、ザザは一息ついた。

 

 ━━野良犬7匹

 ━━2、3日の間旨い飯、そこそこの酒、そして女も抱ける

 

 ザザは享楽主義者である。

 その日暮らしをよしとし、先の事は考えていない。

 だから少し稼いでその金で怠惰に過ごし、金がつきたらまた稼ぐ。そんな生活を続けている。

 

 

 ▼【エスタ】▼

 

 ギルドに足を踏み入れると、騒がしくしていた連中の視線が一瞬ザザに集まる。

 視線はすぐに逸れるが、1人の女冒険者がザザに歩み寄ってくる。

 

【挿絵表示】

 

 名前はエスタ。

 ハーフエルフの冒険者だ。

 エルフの血はやや濃い。

 冒険者としての格はザザより1つ下の銀等級。

 弓と魔法を得手とするが、いざとなれば刃物だって扱う。

 

「四つ足かしら?」エスタが問う。

 四つ足とはグレイウルフの別称だ。

 

「ああ」ザザが短く答えた。

 

「依頼は一人で受けたの?」エスタが問う。

 

「ああ」と、ザザ。

 

 ふうん、といった風な女は軽く頷き、背を見せて仲間と思しき集団のもとへ歩き去っていった。

 ザザと女は顔見知りだ。

 以前、とある事情で知己を得た。

 女はザザに恩がある。

 

 女の横にいる男へふと目をやると、ザザを険しい顔で睨み付けてきていた。

 男の名前はグエンという。

 彼はエスタのパーティメンバーである。

 ザザとも顔見知りだ。

 

 だが、ザザは彼に対して友情を感じてはいない。

 グエンもザザに対し友情など感じてはいまい

 

 グエンがザザをにらみつけるのは、彼がエスタへ懸想しているからであろう。

 ザザはエスタに異性としての情は抱いていないが、そんなことはグエンには関係ないのであろう。

 グエンはエスタが他の男と話す事そのものが気に食わないのだ。

 

 ━━くだらない

 

 心中で吐き捨て、ザザはカウンターへと向かった。

 カウンターにはいつものように受付嬢がいる。

 

「依頼の報告に来た」そういって討伐の証となるグレイウルフの牙を渡す。

 

「はい、確認しますね」受付嬢は笑顔で受けとり、慣れた手つきでチェックしていく。

 この世界のギルドは、基本的にどこの国にも属さない独立機関だ。

 ギルドに登録している者は、自分の所属する国以外のギルドでも依頼を受けることが可能となる。

 ただし、国のギルド支部でのみ受けることのできる特殊な依頼も存在する。

 

「はい、大丈夫です。報酬をお受け取りください」

 ザザはカウンターに載せられた報酬の入った袋を手に取る。

 

「ありがとうございます。ところで、お尋ねしたいのですが、何か変わったことはありませんでしたか?」

 ギルド職員の女性は微笑んだまま、ザザを真っ直ぐに見つめてきた。

 

「いや、特にないと思うが……」

 ザザが答える。

 

 女性の目が細められる。

 

「……なにもないならいいんです。最近、この辺りの森の奥地に棲むモンスターが活発になってきているようです。パーティも組まずに独りで森に入るのはあまり感心できませんよ? ザザさんは無理をなさらない方だとわかっておりますけど、念のため忠告しておきました」

 

 ザザは無言で小さくうなずいた。

 要するに、グレイウルフの群れに一人きりで挑むような真似はするなということだろう。

 グレイウルフ自体に格別異常はなかった気もするが、よくよく考えてみれば最近は魔物の出没が増えているような気がする。

 森で何かが起こっているのだろうか? 

 

「わかった。気をつけることにしよう」

 

 女職員に礼を告げ、ザザは踵を返した。

 背後から、クスリと笑う声が聞こえた気がしたが、ザザは振り返らなかった。

 

 ▼【リリス】▼

 

 宿屋に戻ると、ザザはすぐにベッドへ横になった。

 そして干し肉を齧りながら書物を読む。書物はとある冒険者の紀行物だ。

 

 作者は冒険王として知られているル・ブラン。

 ル・ブランの経歴が本当であれば、彼は冒険者の中の冒険者と言えるだろう。

 

 作中の空中都市やら海底神殿は、本当に存在するなら怠惰なザザとて一度は行って見たい場所だった。

 

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 ちなみに干し肉は上等な干し肉で、香辛料をふんだんにつかった贅沢なものだ。

 

 ザザはこういった時間がとても好きだった。

 旨いものを食いながら面白い書物を読み耽る。

 

 食も酒も女も書も、いずれも金がかかる。

 ザザはそれらを十分に堪能するために日々冒険者業に励んでいるといってもいい。

 

 ■

 

 夜になり、ザザは娼館へと赴いた。

 娼館の扉を開けると、カウンターにいた娼館の主人が顔を上げる。

 

「いらっしゃいませ。ザザ様。お待ちしておりました」

 

「いつもの部屋は空いているか?」

 

 主人は微笑みを浮かべたまま、頭を下げた。

「はい。もちろんでございます。どうぞこちらへ」

 

 案内された部屋はいつもと同じ個室だ。

「それでは、ごゆっくり」主人はそう言い残して退室した。

 

 部屋には天蓋付きの大きなベッドが置かれている。

 この世界の一般的な娼婦は、客にサービスを行う前に風呂に入る。

 そのため、ザザも入浴は済ませた。

 あとは娼婦が来るのを待つだけだ。

 

 ■

 

【挿絵表示】

 

 しばらくするとノック音が響いた。

「失礼します」ドアを開けて入ってきたのは、白い肌をした若い女だ。

 

 ゆるりとしたナイトドレスを着ているが、その下には豊満な肉体が隠されている事をザザは知っている。

 

「ようこそおいでくださいました。今晩もよろしくお願い致しますね」

 妖艶な笑みをうかべて、彼女はザザの隣に腰を下ろした。

 そして、ザザの手を握る。

 

「本日はどのようなことをしましょうか? 何でも仰って下さい。貴方のお望み通りに……」

 ザザは彼女の手を強く握り返した。

 

「いつでも美しいなリリス。まずはその服を脱いでくれ」

 リリスと呼ばれた女は一瞬キョトンとした表情を見せた後、口元に手を当ててクスリと笑う。

 

 ■

 

 娼館で一晩を過ごしたザザは太陽の光に顔を顰めながら宿屋へ戻っていく。

 

【挿絵表示】

 

「おはようございます。ザザさん」ザザは宿の受付の女性と目が合う。

 女性の名前は確かレーニャと言ったはずだ。

 

「ああ、おはよう。今日も良い天気だな。そうだ、朝食を頼むよ」

「はい。ただいまお持ちしますので少々お待ちくださいませ」

 ザザの言葉にレーニャは微笑みを浮かべる。

 

「どうぞ、こちらが本日のメニューです。それと、こちらはサービスになりますのでよろしければご賞味下さい」

 

 そう言って差し出された皿の上には、こんがり焼かれたベーコンとスクランブルエッグが乗せられていた。

 

「ありがとう。頂くとするよ。代金はこの前と同じでいいか?」

「はい! それでは、またのお越しをお待ちしております!」

 

 ザザは部屋に戻り、ベッドに腰掛けて食事を摂る。

 

 食事を終えたザザは荷物をまとめ、部屋を後にする。

 冒険者ギルドに到着したザザはそのまま依頼掲示板に向かい、自分に出来そうな仕事を探していく。

 

 ザザは掲示板の前で考え込む。

 

 そして一枚の依頼書を手に取り、カウンターへと向かった。

 

「依頼を頼みたいんだが、受けさせてもらえるかな?」

 ザザは受付嬢に声をかける。

 

「はい。こちらの依頼は……いつも通り討伐ですね。またお独りで向かうのですか?」

 

 受付嬢はザザの持つ依頼書を覗き込みながら答える。

 

「ああ」ザザは答えた。

 

 王都のギルドにおいて、討伐依頼とは複数人で組んで挑むものだ。

 単独で行動するのは自殺行為であるとされている。

 王都周辺の魔物どもは、手ごわい。

 

 それはザザも理解していた。

 

 だが、彼は敢えて単独で活動する道を選んだ。

 別に大層な理由があるわけではない。

 あえて理由をあげるとすれば、それは“面倒だから”に尽きる。

 

 ザザは思う。凡そこの世界の殆どのトラブルは人間関係が起因なのだ、と。

 男女混在のパーティなんて最悪だ。

 惚れた腫れたといった問題が必ず出てくる。

 これは男が男である以上、女が女である以上仕方のない事なのであろう。

 

 それでもザザは過去のトラブルの経験から、パーティを組んで活動する気にはなれなかった。

 

 もちろんソロ活動である以上危険は大きいだろう。

 だがそれはそれでいいではないか、とおもっている。

 ザザには別にまもるべきものなどはない。

 

 思わぬトラブルで自分が命を落とすのなら、所詮自分などはそれまでの存在だったのだろうと諦めるまでである。

 

 もちろん、いざ死のアギトが目の前に迫ってきたならば、斜に構えているザザとて泣き喚き、惨めに命乞いをするのかもしれないが……。

 

 結局の所、ザザは集団行動に伴う責任の発生を厭っているだけなのだ

 

 

 ▼【オーク】▼

 

 さて、今回の獲物はオークと呼ばれる豚頭の魔物だ。

 ゴブリンと同じく繁殖力が旺盛で、放っておくと際限なく増える。

 オークは通常は森の奥深くに巣を作る。

 王都から南へ徒歩3日程の距離にある、通称魔の森が今回の依頼の場所だ。

 

 ザザにとってはさほど困難でもない依頼である上、報酬もそれなりだ。

 

 そして何より、ザザにとってこの手の作業は慣れたものなので、特に苦にはならない。

 準備を整えたザザは魔の森へと向かう。

 

 森の中は薄暗く、不気味な雰囲気を醸し出していたが、ザザは特に気にすることなく足を進めていく。

 しばらく歩くと、開けた場所に出た。そこには既に数匹のオークの姿があった。

 

 オーク達はザザの姿を捉えると、雄叫びをあげて襲いかかってきた。

 しかし、ザザは慌てることもなく、落ち着いて対処する。

 

 迫り来るオークの棍棒を最小限の動きで回避すると、すれ違いざまにその首を切り落とす。

 

 更に襲い掛かってくる2匹目のオークの攻撃は、屈み転げることで避け、立ち上がる勢いで空中に跳ね上がり、頭部を切り飛ばした。

 これを秘剣・飛竜という。

 まあザザが勝手に名付けているだけだが。

 

 3匹目は仲間の死体を踏み越えて、ザザに掴みかかろうとしてきたが、ザザはその手を難無く避けると、逆に相手の腕を掴み、背負い投げの要領で地面に叩きつける。

 

 そして、相手が怯んだ隙を逃さず、喉元に剣を突き刺した。

 これぞ邪剣・穿ち鳥

 これもまたザザだけが知ってる秘剣だ。

 必殺剣なりなんなりの命名はザザの密かな趣味である。

 

 こうして、ザザはあっという間に4体のオークを仕留めてしまった。戦いが終わると、辺りは静寂に包まれる。

 ザザは死体の処理に取り掛かる。

 

 まずは討伐証明となる牙をへし折り、腰の袋へと入れる。

 そして匂い消しの粉をふりかけ、余計な魔物がよってきづらいようにする。

 

 作業を終えたザザは、空をみあげた。

 日はまだ高いが、森ではすぐ暗くなる。

 

「戻るか」

 ザザは帰路についた。

 

 

 ▼【オーガ】▼

 

 

 新しい金等級が誕生したらしい。

 金等級に上がったのはザザも顔だけは知っている男だ。

 アリクス王都冒険者ギルドでは良くも悪くも有名な男。

 

 ザザとしてはその男に何かを思う事はない。

 何と言っても交流がないのだから。

 王都ギルドには多くの冒険者が所属しているが、件の男と交流を持っている者といえば限られてくる。

 ザザはその限られた一人ではなかった。

 

 ■

 

 リリスを抱きに行く金がない。

 いや、正確にいえば、リリスを抱きに行けば宿代はおろか飯代すらも無くなる。

 オーク数匹ではその程度だ。

 リリスは高いのだ。

 

 ザザはため息をついた。

 仕事の気分じゃないが先立つものが無いなら仕方ないとザザはギルドへ向かう。

 

 依頼掲示板を見る。

 手頃な依頼があった。

 オーガだ。

 四つ足ともオークとも比較にもならない怪物。

 

 だが、ザザにとっては難しい相手ではない。

 依頼票を剥がし、受付へ持っていく。

 

「ザザ様、お一人ですか?」

 受付嬢が言う。

 あくまで確認……といった口調。

 ザザの実力を受付嬢は疑っては居ない。

 何と言ってもザザは金等級なのだ。

 

「ああ」

 

 ザザは短く答え、手続きを終えるとギルドを出て行った。

 

 ■

 

 ザザは荒地へ向かう。

 オーガと言えばそこだ。

 連中は乾燥地帯を好む。

 

 以前は荒地は極めて危険な場所だった。

 赤角と呼ばれる怪物が居たからだ。

 しかしザザなら殺せた。

 依頼を受けなかったのは、楽勝とは行かないだろうと思ったからだ。

 

 戦わざるを得ない強敵は戦って殺す。

 しかし、戦わなくていい強敵とは戦わない。

 ザザの数少ないポリシーだ。

 

 赤角は強敵だ。ザザから見ても。

 だが只のオーガなら強敵ではない。

 

 ……と、ザザは思っているが実際に戦えばザザの圧勝だろう。赤角はザザに触らせても貰えないはずだ。

 

 単に相性の問題である。

 ザザに力任せの攻撃は当たりづらい。

 

 

 ■

 

 ザザは首尾よくオーガを見つけた。

 オーガは鼻が利く。

 近寄ってくるザザをすぐに見つけてしまった。

 

 オーガとザザが向かい合う。

 

(コソコソとした奇襲はしない)

(正面から奇襲をする)

 

 ザザがゆらりと体を揺らす。

 体の揺れは大きくなり、やがてはどういった理屈かザザの体自体が分かれていった。

 

 ザザは2人に増え、3人に増えた。

 身体強化の細かなオンオフ。それにより生まれる緩急を利用した足運び。

 細かな身体制御と魔力制御が合一した時、その身はあたかも分身したかのように仮初のザザを敵手の目へ映し出す。

 

 オーガの視点はあちらへ行ったりこちらへ行ったり定まらない。

 当たり前だ、目の前の敵がいきなり増えたら誰だって混乱する。

 

 そして混乱したオーガの首をザザが切り裂いた。

 これこそが幻惑の秘剣・幻踏殺景

 

 勿論この秘剣の名を知るものはザザ1人だ。

 彼は自分で勝手に技名を付けて満足しているだけなのだから。

 

 ザザはオーガをあっさり殺した。

 報酬もそれなりにもらえるだろう。

 

 その金は女を抱き、酒を飲む事に使ってしまうだろうが。

 

 ▼【賞金首】▼

 

 ある日、ザザは賞金首2人と向かい合っていた。

 男と女、強盗殺人冒険者だ。

 

 ザザは左手と右手、両手に剣を握り構えた。

 2刀流だ。

 アリクス王国周辺では二刀流を修めるものは少ない。

 

 警戒する眼前の剣士は、次の瞬間度肝を抜かれる。

 なんとザザが片方の剣を分投げたのだ。

 剣士の怯みを見逃さず、ザザは低く走りこみ素早くスネ付近を切りつける。

 そして痛みでかがみ込んだ剣士の背へ深々と剣を突き刺した。

 

 これぞ外道剣・影斬

 およそ金等級冒険者、【百剣】の2つ名を戴いているものが振るう剣ではない。

 せこすぎる。

 だがザザは負ければ死ぬような戦いではどんな剣だって振るう。

 

 ザザはゆっくりと背後を振り向いた。

 そこには2人組みの賞金首の片割れ、女強盗殺人冒険者がいた。

 

 女はザザの絶対零度の視線を受けるなり、おもむろに上着を脱ぎだした。

 要するに体で許せということだ。

 ザザは深く頷く。

 女は安堵し、更に下に手をつけたところで血を吐く。

 ザザの放った剣が女の心の臓を貫いたのだ。

 

 ただ剣を放り投げただけではない。

 剣はドリルの如く回転し、女の胸に大きな穴をあけていた。

 剣に細い魔力の糸を巻きつけ、ベーゴマの如く回転させる妙技……

 これを秘剣・螺旋独楽という。

 

 別に必要以上に痛めつけようとしたわけではなく、たださしただけでは心臓を外して余計に苦しませる恐れがあったからだ。

 ザザはサディストではない。

 

 ちなみにザザに色仕掛けは通じない。

 娼婦のリリスにドはまりしている為だ。

 

 ■

 

 ギルドへ戻り、依頼結果を報告し終えると知り合いが絡んできた。ランサックだ。

 

「ようザザ! ん? 賞金首か? 時化た連中を狙ってるなぁ、もっと大物を狙ったらどうだ? いくつか心当たりが「ランサック。俺は忙しい」……左様け」

 

 ランサックはしょんぼりとしてさっていった。

 ランサックは幾人かのお気に入りの冒険者というものがいて、彼らにやたら絡んでいる。

 ザザもその1人だ。

 。

 だがザザはランサックが別に嫌いではないが、好きでもなかった。

 それに忙しいというのも本当だ。

 ザザはこれから賞金首のアレを換金し、娼館へいかねばならないのだ。

 

 ▼【金欠】▼

 

 その夜。

 リリスがザザの胸をなでている。

 ザザとリリスはお楽しみ後は2人でこうして余韻を楽しむことがほとんどだ。

 

「ザザ様は本当にお体に傷のあとがありませんね」

 

 リリスがそんな事をいった。

 ザザはリリスの手を撫でながら頷く。

 

「俺には見えるのさ、敵の次の瞬間の動きが……」

 

 ザザがそんな事を言う。

 嘘だ。

 ザザには未来視などは出来ない。

 ただ、めちゃくちゃに剣が上手いだけだ。

 ザザはもう30代後半だが、若い頃は聖剣エルクス・キャリバーンの担い手、剣聖カスパールの再来とまで言われたほどの剣達者である。

 

 しかし、好きな女に剣で斬り殺す事が上手なんです、などと自慢する馬鹿が何処にいるのだろうか。

 だからザザは見栄を張った。

 

 リリスは目をぱちくりさせて、“じゃあこれから私が何をするかわかりますか? ”などと言った。

 ザザは鼻の下を伸ばしながらリリスへ手を伸ばした。

 

 ■

 

 そんなこんなでザザは金がまた無い。

 ザザは金をかせぐとすぐ遣ってしまうので常に金欠だ。

 だが、悪さみたいなことは決してしない。

 

 なぜならリリスにそれを知られたら嫌われると思っているからだ。

 金にだらしないが、曲者揃いの金等級の中にあって、ザザはそこそこ善良だし、無愛想だが扱いやすい者であるので、ギルドも実入りがいい依頼をまわしたりはしている。

 しかしそれではいった金は片っ端から使うのであまり意味はない。

 

 ▼【指導依頼】▼

 

 ある日、ザザはとある依頼の為にギルドへ赴いていた。

 そんなザザに話しかけてくるのはランサックだった。

 

「ようザザ! なあ、魔族って知ってるか? 最近ちらほら見かけるらしいぜ。お前もきをつけろよ~、まあお前さんの事だから心配はいらねえとおもうけどな! ところであの子にまだご執心なのか? 高いだろ! ははーん、最近お前が金がないのは「ランサック、俺は忙しい。これから依頼だ」……左様け……」

 

 ランサックはいつもの様にザザへ絡み、そしてすげなくされてスゴスゴ去っていった。

 

(だがランサックは気になる事をいっていた)

(魔族か)

(俺は水を斬った事も火を斬った事も空気を斬った事もある)

(魔族とやらは斬れるのかな)

(それとも俺が斬られるのかな)

 

 どうあれザザとしては他人事だ。

 仮に、仮に自分が相対する様になれば逃げようと思っている。

 逃げられそうになければ戦うまでだ。

 

 どうせ家族もいないければ友人、恋人もいない。

 ああ、でもリリスに逢えなくなるのは嫌だな、リリスの乳は最高だなどと思いつつ、依頼をこなしに向かう。

 

 今回受けた依頼は血なまぐさいものではない。

 剣術指導である。

 

 時として、冒険者が同じ冒険者へ模擬戦という形で指導訓練を希望する場合がある。

 これが剣術家だとかそういう類なら剣筋を見せたくないだのそんな理由で断わるのかもしれないし、現に剣を主に扱う上級の冒険者の中にもそういった者は居る。

 

 しかしザザはこういった依頼を断わった事が無い。

 ザザは剣術家ではないし、なんだったら剣術とはなんぞや、というレベルの門外漢である。

 

 ただ、気付いた時には剣が上手かった、ただそれだけの男なのだ。

 

 ■

 

 この日ザザへ指導依頼を頼んだのはセイ・クーという若い男だった。

 というか、このセイ・クーは結構頻繁にザザへ指導訓練を依頼してくる。

 

「今日も宜しくお願いします、ザザさん」

 

 セイ・クーが頭を下げてくる。

 ザザは、ああ、と答え剣を構えた。

 構えは適当だ。

 最初はセイ・クーもザザの適当さに業前を疑ったものだが……

 

 ■

 

 先手はセイ・クーが取った。

 まあ毎回セイ・クーが先手を取るのだが。

 ザザは指導では自分から仕掛けることはない。

 当たり前だ、殺し合いではなく指導なのだから。

 

 セイ・クーが突剣を突き出す。

 1、2、3……神速の三段突きだ。

 

 だがザザには1度も当たらなかった。

 というよりも、セイ・クーがザザの体とは離れている場所を突いているのだ。

 それでは当たり様がない。

 

 とはいえ、これはセイ・クーが剣下手という訳ではなく、当然種がある。

 

 以前セイ・クーが聞いた所によれば、“剣が届く前に体が既に攻撃態勢に入っている。俺はお前が剣を突く前に既にかわしているのだ”などと訳のわからない事を言っていた。

 

 セイ・クーの突きをかわしたザザはひゅるりと剣を横へ薙いだ。その速度は神速……などではなく鈍速だ。

 だが絶対に受け太刀などはしてはならないとセイ・クーは身を以ってしっている。

 

 この横薙ぎは重剣・石衝というらしい。

 これを受け太刀してしまうと、下手をすれば剣が吹き飛ばされてしまう。

 それどころか剣を握る手が痺れしばらく握ることすらままならなくなる。

 

 術の類ではなく、体重移動と脱力からの力み……で為せる技らしい。ゆるりと振られた剣には、ザザの体重の何倍もの重みが乗っているのだ。

 

 セイ・クーは横に振られる剣をかなり余裕を持って、大袈裟なまでに距離を取りかわした。

 だが、大きく動くという事は大きく隙を作ると言う事でもある。

 

 ゆるゆると動いていたザザは急に切れ味鋭い踏み込みを見せ、あっという間にセイ・クーの懐に飛び込むと、彼の細首へ剣を当てた。

 

 ■

 

「参りました。ザザさん」

 

 セイ・クーが降参を告げると、ザザは頷いて剣を納めた。

 それからセイ・クーの動きのあれが悪いこれはよかった、振り方のここが気になる、これはこのままでいい、などと細かい指導が入る。

 

 普段からここまで細やかな指導をしていればザザの指導訓練はもっと依頼者が沢山いたのだろうが、ザザはセイ・クーくらいにしかこのような指導はしない。

 

 他の者がいても大抵は最初にやった様に、実力差を見せ付けて終わりだ。

 

 なぜセイ・クーを贔屓するのかといえば、彼がリリスとザザを引き合わせてくれた張本人だからである。

 セイ・クーも結構女遊びをするので……要するに風俗友達という奴だった。

 

「今日も行くんですか?」

 セイ・クーが悪そうな顔でザザへ聞くと、ザザはニヤリと笑った。

 



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2章・第17話:新たな力

 ■

 

 下将オルセンは眼前の人間の言葉を全く理解出来なかった。

 だが、たかが人間と侮る事もしない。

 

 人間の中には時折こういった異物が混じる事がある。

 力云々の話ではない、精神性の問題だ。

 

 人間の多くは木っ端の如き存在ではあるが、こういった異形の精神を持つものは往々にして厄介だとオルセンは思う。

 何故ならオルセンの知る強者は、彼の目から見ても皆狂っていたからだ。

 

 この場合、狂っているとは頭がおかしいという意味ではない。

 自身にしか理解できぬ条理で動く者を言う。

 

 異物はその異物さ故に早々に世界から排斥されてしまうが、それでも生き残る異物という者もいる。

 そういった者らは例外なく強者だ。

 

 例えば魔王、例えば上魔将達……人間で言うなら教会の上級戦力……そして勇者だ。

 

 優秀な戦士であるオルセンはその優秀さゆえに人間を見下す。

 しかし、その優秀さゆえに侮る事はしない。

 

 だから気付いてしまった。

 眼前の人間……これが、これこそが

 

「お前、勇者ですね? 当代勇者は法神の選別が失敗したと噂される程に愚物だと聞いていましたが欺瞞でしたか! 騙される所でしたよ! なるほど……さすがは勇者です……下級とは言え魔族を単騎で屠るとは見事! しかァし!! 見た所、お前はまだ勇者として覚醒してはいない! その手に握る剣が証拠です。聖剣を担える程には成長していないのでしょう、だから違う得物を振るっているのでしょうね。隠しても無駄です! お前の様な異常な精神性の人間は勇者以外にあり得な……!! 話を……聞け!! 聞きなさい!!!」

 

 クロウはちんたら喋っているオルセンに突っ込み、袈裟斬りを見舞おうとする。なお、当然の話だがクロウは勇者ではない。

 

 しかしオルセンもさるもの、眼前の地面へ爆発する火炎弾を放ち、爆風による目くらまし、そして若干の反動を利用して後方へ逃れた。

 ついでにクロウにもダメージを与えられればとも思っていたが……

 

 爆煙が晴れた先にはクロウが佇んでいた。

 あちらこちら傷は負っているが、どれも命に届く程ではなさそうだ。

 

(そこまでは高望みでしたか……しかし、奇襲とは中々天晴れ。そう、戦い等というものは勝てば良いのです……)

 

 だが、とオルセンは疑問に思う。

 

 ──確かに命に関わる傷ではないのでしょう。しかしそれでも傷は傷だ、怪我は怪我です。動きが少しは鈍ってもいいはずなのに……むしろ、キレが増している……? ただ……このオルセン、当代勇者の隙を見つけたり! 

 

 2度目になるが、クロウは勇者ではない。

 

 ■

 

 クロウはオルセンに痛めつけられた。

 それもそれなりに手酷く。

 オルセンの大火球をあと2、3発も受ければクロウは死ぬ。

 これは歴然とした事実だ。

 

 だが、痛めつければ痛めつけるほどクロウは強くなる。

 その命が尽きる瞬間まで強くなる。

 クロウを殺したいなら、意識外から一撃で殺すか、もしくは強くなっていくクロウを正面からねじ伏せ、その命の火を吹き消すしかない。

 

 ■

 

「お前は強いですが、工夫がありませんね」

 

 にたりと笑うオルセンに対し、クロウは追撃を仕掛けなかった。いや、仕掛けられない。

 クロウが足元を見ると、その足に炎で出来たトラバサミの様な物が食い込んでいる。

 

 いや、炎のトラバサミならば実体はないわけだからクロウの動きを妨げる事は出来ないだろう。

 だからつまりそれは……

 

(焼けた石……)

 

 クロウの左足には赤熱する石で造られたトラップが食い込んでいた。さながら石のトラバサミだ。

 クロウは腕に力を込め、トラバサミ目掛けて拳を振り下ろす。

 皮膚が焼ける匂いと破砕音と共に、トラバサミは砕け散るが……足のダメージは大きい。

 

「力任せの猪勇者、お前は確かに優れた身体能力を持っているのでしょうねえ。しかし! 足りないのですよ、ココがね」

 

 オルセンが自身の即頭部を人差し指でつつく。

 

 そう、クロウはなんと言うか……力任せに過ぎる。

(本能的な)技もあるし力もあるのだが、余り物を考えて戦わない。地頭が悪い訳では無いのだが、いざ戦闘となると感情に引っ張られすぎるのだ。

 

 その猪突猛進振りは機動力を担う足への大きいダメージというツケとなってクロウへ圧し掛かる……のだが……

 

 ■

 

「なぜ!?」

 

 オルセンがぎょっとする。

 足は石の牙で貫かれ、焼かれ、動かすだけでも激痛が襲うはずだ。

 なのに、目の前の人間の動きには陰りが見られない。

 トラップを破壊し、すっくと立ち上がる様は元気そのものだ。

 

 まさか効いていないのか? 

 あるいは痛覚がないのか? 

 オルセンはいぶかしみ、突進を警戒し回避行動を取る準備をしながらもクロウの表情を観察した。

 

 ──効いている! 苦悶の表情だ! だが笑っている!? 

 

 そう、クロウは痛みで苦しみ、顔をゆがめながら笑っていた。

 痛いものは痛い。

 苦しいものは苦しい。

 気持ち良いなんてことはない。

 

 だが、クロウは自身の身を蝕む激痛こそが肝要だと思っていた。

 

 殺しを正当化する卑怯で汚い自分なんてもっともっともっと苦しんでしまえばいい、そう思っているのだ。

 これまではクロウの強さの根源は希死念慮だけだった。

 だがここに自己嫌悪という新たな力が加わる。



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2章・第18話:下魔将オルセン

オルセン画像

【挿絵表示】



 ■

 

 自分を罰したいと言う思いはこれまで以上にクロウを深く苦しめる事となるだろう。

 だがクロウにとってはその苦しみでさえもが力の源となる。

 

 痛みに身悶えし、叫びを上げながらもクロウは剣を振るう。

 

 それはまるで、己の罪を償う為に己を痛めつけている様にも見えた。

 

 ■

 

 まさかこんな所で当代勇者とまみえるとは。

 

 不運。勇者は脅威でしかない。

 しかし幸運でもある。その言動は理解しがたいが、聖剣を担うほどには成熟していない。

 

 オルセンは己の内に湧き上がる複雑な感情をもてあましていた。

 

 彼ら魔族にとって勇者とは、恐ろしく忌まわしくそして理解しがたい存在だ。

 

 彼らは例外なく魔族を憎む。

 憎むだけではない。

 魔族への憎悪により際限なく強くなっていくのだ。

 

 なぜ憎むかも分からない。

 かつて先々代の魔王は勇者へ何故魔族をそこまで憎むのかと訊ねたという。

 

 勇者はこの様に答えた。

 そうあれかしと造られた、と。

 

「お前は愚かだが哀れな存在ですね。勇者などと偉ぶってはいても、やっていることは所詮殺し屋の真似事ですか。愚かしくも悲しい神の走狗よ! この下魔将オォルセンが! お前に永遠の安らぎを与えて差し上げましょう! כּוֹחַ!!」

 

 オルセンが腰を落とし、古代語を高らかに叫ぶ。

 だが炎は起こらず、氷は形を為さず、雷は奔らない。

 地も静かなものだ。

 

 だがオルセンの身に生じた変異は明らかであった。

 バキバキとオルセンの肉体が肥大していく。

 

 変異が終わった時、そこにはただ力があった。 

 

 ■

 

 盛り上がったオルセンの肉体は、そのサイズを2回りは大きくさせている。

 

「ふふふ……チンケな飛び道具で勇者を殺せるはずもなし。このオルセンの最強の武器……即ち、我が肉体をもって屠り……お前の首を魔王様へと捧げましょう!」

 

 肥大化した筋肉を見せびらかす様にポージングを取るオルセンに対して、クロウは一切動じていないように見える。

 

「死ねィ!!!!」

 

 裂帛の気合と共にオルセンが大地を蹴る。踏み込みだけで地面が大きく陥没した。

 そして次の瞬間にはクロウへ拳を振りかぶっていた。

 直撃すれば頭蓋など容易く粉砕するだろう一撃だった。

 ──しかし、クロウはその攻撃を剣で受け止めていた。

 

 だが、かろうじて、だ。

 

 オルセンの打撃は魔剣コーリングの剣腹を伝播し、クロウの腕まで伝わるとその破壊力を拡散させる。

 

 舞う血飛沫。

 クロウの両腕はオルセンの一撃でボロボロになっていた。

 力任せに腕を振るうだけではない。

 そこには確かな技があった。

 

「ふふふ。いかがです? 私の拳打の味は。自ら拳を振るうなど、と私を蔑む同族も多い……しかし私にそんな口を叩いた者はもう全員この世にいません。私を舐めた者は皆殺しにして差し上げました! そして! お前の様に私を舐めなかった者もまた、私は皆殺しにして来たのだ!!」

 

 オルセンの両の手が剣となり槍となり斧となり、様々な軌跡を描いてクロウへ襲いかかる。

 連打(ラッシュ)だ。

 

 勿論クロウとてただ棒立ちとなって受けているわけではない。

 傷ついた腕を振るい、弾き、そらし、守り……なんとかオルセンの連撃をしのぎ続けていた。

 

 ■

 

 魔族という種族にあって、自ら手を汚すような戦い方は基本的には下賎とされている。

 

 カルミラのように剣を使ったり、オルセンの様に己が四肢を武器とするなど、下等生物が如き在り様ではないか、と。

 

 ではどういう戦い方が魔族として相応しいかといえば、豊富な魔力に物を言わせた大規模魔法だ。

 しかしオルセンはそんな多くの魔族を内心で見下していた。

 

 魔法の力を軽く見るわけではない、しかし魔法を重んじる余りに己という最大の武器が錆び付いてはいやしないか? と。

 

 真に強敵と対峙した時、さびついた武器で果たして武勲をあげることが出来るのか? と。

 

 さびついた武器を使い続けた結果として、魔族は下等生物共に押し込められる羽目になったのではないか? と。

 

 そんな思いが彼の中には常にあった。

 だからこそ彼は自身を鍛え上げてきた。

 魔族の矜持を守る為に。

 自身の価値を証明する為に。

 

「ふ……ふふふ……さすがは勇者。見事です。ですが、そろそろ体は限界が近付いている様ですね」

 

 必殺の意を込めた連打を受けきったクロウを見て、満足そうに笑う。

 

 クロウの全身からは血が滴っている。

 しかしクロウの目は死んでいない。むしろ爛々と輝いているようにも見える。

 

 そんなクロウがゆっくりと口を開く。

 オルセンは勇者が何を言い出すのかと攻撃の手を止めた。

 

「あんたの……あなたの拳は俺の骨にまで響く。俺だって魔力で体を強化しているのに。一撃一撃がとても重い……鋭い。自分を厳しく律して、鍛えてきた男の拳だ」

 

 クロウの思わぬ賞賛の言葉に、オルセンは訝しげな表情を浮かべる。

 

「あなたは……長い年月鍛えてきたその技で俺を殺そうとしているんだな。俺は……あなたの努力に相応しい男だと認めてくれるってことか?」

 

 オルセンはクロウの言葉を聞いて、慨嘆した。

 

 クロウの余りにも低い自己評価。

 それでいて人並み以上に承認欲求もある様だ。

 

 そんなモノ、手駒としてはさぞ使い勝手が良いだろう。

 必要とされていると錯覚させ、気持ちなどという目に見えないもので死地へ飛び込ませる。

 なんと悍ましい事を! 

 

 オルセンは怒りのボルテージを上げていく。

 

「お前達はやはり我々が管理した方が良さそうです。そもそも、大陸の支配者たるは我々だったのですから。私達魔族などよりも、神のほうが、教会のほうがよほど残酷だとは恐れ入りますよ」

 

 オルセンの目から見てもクロウという勇者は強者である。

 

 死を恐れず敵へ立ち向かう胆力がある。

 つまり戦士だ。

 

 そんな戦士を操り人形が如き存在へつくりかえてしまった神、教会といった連中にオルセンは憤っていた。

 

 ■

 

 ちなみにだが、クロウとオルセンの会話はなんとなくキャッチボールできてる感じは出しているものの、実際は何一つかみ合っていないし、クロウは勇者でもなければ教会や神から洗脳じみた事をされた事もない。



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2章・第19話:calling.calling.calling.

 ■

 

(骨が折れている)

(筋肉もズタズタだ)

(ここまでか)

(これが、魔族……)

 

「……コーリング……」

 クロウが空を仰ぎ、ポツリと呟いた。

 

 オルセンは油断なくクロウを睨みつけている。

 勇者が相手であっても負ける気はしなかった。

 肉体の全身を魔力が巡り、爪の先まで力が漲っているのを感じる。

 

「……コーリング……俺の……」

 ──最期を、見守ってくれ

 

 掠れた声でクロウが呟いた時、それが顕れた。

 

「ぬ、ぬう!?」

 

 オルセンが後ずさる。

 全身が総毛立ち、彼の優れた感知能力は招かざる者……それもとびきり邪悪でおぞましい存在がこの場に顕れつつある事を感じ取った。

 

「き、貴様ァ! 何を喚んだ! 勇者ではないのか! その様なおぞましき者を喚びよせるとは……! なりふりかまわず勝ちに来ましたか! 退け邪悪! このオルセンの邪魔をするなァァ!!」

 

【挿絵表示】

 

 大容量の魔力が唸りをあげ、オルセンの右拳へ集中していく。魔力が青白いスパークを放ち、クロウを照らす。

 その時オルセンは何か違和感の様なモノを感じた。

 

(ええい! 違和感などと言い出せば、この者自体が違和感そのもの! 全て吹き飛ばしてお仕舞いです!)

 

 脚に力を込める。

 突っ込んで拳を振れば何もかもが終わる。

 だが時間がない、これ以上時間を与えてはならない。

 

 オルセンは自らの直感を信じ、勝負に出た。

 地を蹴り、クロウに突っ込むオルセン。

 

「ぐおおおぉぉぉぉおおお!!」

 轟く雄叫びと共に、魔力を右の拳へ収束させた一撃を見舞おうとする。

 全てを砕く破壊の鉄槌だ。

 

 クロウの眼前

 腕を振りかざす

 そして……

 振り切れ……なかった

 

 小さい指がオルセンの拳に触れている。

 小さい指がオルセンの拳を止めている。

 

(何!?)

 

 そしてオルセンは見た。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ■

 

 腕どころか脚も動かない。

 次第に呼吸すらも浅くなっていく。

 オルセンの肉体は一切の外傷を負わないままに急速に死に近づいていた。

 

 いや、実際はそうではないが、オルセンの感覚としてはそのようなものだ。

 

(眼が! 赤い眼が!)

(見るな! その眼で!)

 

 紅く歪んだ眼の少女がニタリと嗤う。

 冷や汗が全身から吹き出る。

 もしこんな状態で勇者に斬りかかられたら? 

 

(し、死ぬ……!?)

(この私がですか……!?)

 

 慌ててクロウの方を見ると、剣を握るのも限界な様子だった。

 

 一先ず安心……などはとてもできなかった。

 相手は勇者だ。

 剣を一振りするくらいならできるはずだ。

 

(し、しかし! しかし奴が! 奴がいる……)

 あの少女、あの眼が自身を縛り付ける。

 

 ──いや、まて、いない……? 

 

 気付いた時には少女は消えていた。

 体も動くようになっている。

 

「何を喚んだか知りませんが、どうやら失敗……お前……誰と話しているのですか……?」

 

 オルセンは険しい表情を浮かべ、クロウへ質問をした。

 だがその質問が届いたようには見えない。

 クロウは楽しそうに、オルセンには見えないだれかと会話をしていた。

 

「そうかい? コーリング……」

「不思議だ、君の声が聞こえる……」

「いつも俺をみていてくれたのか?」

「俺はまだまだやれるっていうのか?」

「でもコーリング、もう手も足も動かないんだ」

「え? この魔力は……あの女の人の?」

「プレゼント? うれしいなあうれしいなあ」

「うん? 髪の毛がボサボサ? 帰ったら櫛を通すよ……」

「うれしいなあ、君と話せてうれしいなあ」

「え? 彼が邪魔だって? そういえば戦っていたんだ、そうだ、忘れていた」

 

「俺は」

「彼を」

 

 

【挿絵表示】

 

「殺さなきゃ(コロサナキャ)」

 

 クロウの最後のセリフに、囁く様な少女の声が被さっていた。




拳とか難しいですね。奇形拳になっちゃう。


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閑話:後世

 ■

 

 希代の聖剣コーリングの担い手は、この天騎士アルファレドこそが相応しい。

 ……そう思っていたあの時の自分を捻り殺したい。

 

「だが、どの道私は死ぬのか」

 

 ハッという自嘲の笑みが毀れた。

 愛すべき国は腐海に沈み、護るべき民はみな動死体と化した。

 ルクセンを襲った腐れ病は爆発的な規模で広がってしまった。

 当然周辺諸国にも助けを求めたが、各国はみな強くこれを拒否した。

 拒否されて当然の事をしてしまったのだから仕方が無いのかもしれない。

 

 だが、あの一件に関係の無い国民達まで例外なく皆殺しとは……

 

「なにが聖剣だ……」

 

 アルファレドは窓の外に広がる腐った庭を見て呟く。

 視界の端には少女が佇んでいた。

 凄まじい形相だ。

 言葉を発することはないが、彼女の意思はわかる。

 

(俺だけは最後まで苦しめてやる、ってところか?)

 

 アルファレドはため息をついた。

 自害をしようにも、腕は2本とも腐って落ちている。

 

 ◇◇◇

 

 昔日のアリクス王国で勇名を馳せた冒険者がいた。

 死にこそ救いがあるなどとのたまい、それでいてアリクス王国に降りかかる幾多の危難を切り裂いた剣士。

 血泪のクロウ。

 

 死に親しみ、死が彼の肩を叩くと破顔一笑、剣を振るう力がいや増したという正真正銘の狂人だ。

 とはいえ、自殺志願者と嗤う事はできまい。

 

 アリクス王国だけでなく、世界が闇に覆われようとしたとき、彼は率先して死地……そう、果ての大陸へ赴いたのだ。

 

 それだけではない、他の勇士達と合力し、復活した魔王を討滅した第一人者でもある。

 本来の勇者ではない事に何の不都合があるだろうか? 

 勇者がなすべき事を他の者が為したならば、それは為した者こそが勇者と呼ばれるべきなのだ。

 

 アリクス王国は彼に勇者の称号を与えた。

 

 その傍らにはいつも黒い刃をもつロングソードがあった。

 それこそが聖剣コーリングだ。

 

 クロウを最後の最期まで護りぬいた誉れの剣。

 魔王討伐後、魔王の呪毒で即座に死ななかったのはこの聖剣の守護の権能ゆえだと言う。

 

 結局彼は剣を振るう力を失ってしまったものの、コーリングを携えている時は日常生活を送る程度は出来たとの事だ。

 

 しかしその権能も万能ではなかったらしく、少しずつ花が萎れるようにして勇者クロウは弱っていった。

 クロウを見舞う者も多かった。

 

 1年に1度は陰気な顔をした術師とその妻らしき剣士が訪れたという。

 他にもクロウの名目上の妻候補などという謎の主張をする貴族の術師やら、風俗狂いの上級冒険者や、極東の王族なども……

 

 彼らはみなかつての魔王討伐隊のメンバーであった。

 やせ衰えた勇者は年々元気を失ってはいったものの、それでも彼らとの会話を楽しんでいたという。

 

 魔王の最期の呪いは凄まじく、討伐隊のメンバー達は幾度もクロウにかけられた呪いの解呪を試みたが叶わなかった。

 

 だが、それでもなお15年という年月を生きたというのだから凄まじい。

 死に様も安らかなものだった。

 

 ある朝、クロウ付きのメイドが彼を起こしにいった時、彼は既に死んでいた。

 苦しむ事はなかったようだ、と医者も言っていたそうだ。

 勇者クロウの死をアリクス王国は悲しみ、悼んだ。

 

 死に寄り添い続けた勇者の眠る場所は冥府の女神の神殿こそが相応しいとされ、遺骸はそこへおさめられた。

 聖剣コーリングもまた彼の棺におさめられ、1人と一本は永遠に安らかに眠るはずだったのだ。

 

 だが愚か者がいた。

 アリクス王国の者ではない。

 遠い小国、ルクセンが下らぬ陰謀をめぐらせたのだ。

 

 魔王の呪いで弱りに弱った勇者を15年も生かし続けた強力な守護の権能があれば、小国だと侮られるどころか大陸に覇を唱える事も可能なのではないか、などという愚か極まる考えを実行に移した。

 移してしまった。

 

 クロウが没して5年後、ルクセンは間者をアリクスへ送り、クロウの棺を荒した。

 そして聖剣コーリングを盗み出した。

 アリクス王国の者は元より、周辺国家でこのような蛮行はたとえ犯罪組織であっても畏れ多い事であった。

 なにより、聖剣コーリングにまつわる逸話を皆知っている。

 

 聖剣を盗むなんて罰あたりというか命知らずな真似をする阿呆がいるなんて誰もおもっていなかったのだ。

 

 ──かの聖剣を主より離す事なかれ

 ──禁を破らば聖剣は魔剣と化し、災いを齎すであろう

 

 勇者の眠りを妨げてはならぬと警備の兵を最小限にしていた事もルクセンの蛮行を成功させる要因となってしまった。

 とはいえ、これは警備の不備を糾弾しづらい事情もある。

 

 聖剣の警告だろうか? 警備兵が多いとその分騒がしくなる事は仕方ないのだが、そういった時部隊全体を頭痛なり腹痛なりが襲うのだ。

 命に別状があったわけではないが、まるで誰かに叱責されているような心地であった、と当時の警備兵は言う。

 

 アリクス王国はこの件を軽く見ることはせず、少しずつ警備の兵を増減させたりして良い塩梅の配置を模索したりもしていた。

 結果として墓荒しを許してしまったというのは皮肉といえよう。

 

 ルクセンが中途半端にアリクスの遠国であったことがいけなかったのかもしれない。

 王が代わったばかりで、まだ王としての自覚が足りなかったことがいけなかったのかもしれない。

 ルクセンが過去には大国だったことがいけなかったのかもしれない。

 当時の王が過去の栄光を取り戻そうと考えてしまった事も……。

 

 だが盗掘は成功した。

 盗み出された聖剣コーリングは、ルクセン随一の騎士アルファレドに下賜され、勇者の剣を継承した次代勇者としてルクセンの威を知らしめる……はずだったのだ。

 

 ルクセンは現在では史上最も愚かな国だったとして知られている。

 

 なぜなら、この事件後亡国となったルクセンから更にコーリングを持ち出すものが現れ、当然の如く災いは各国へ広がり続け、最終的には魔族がヒト種を殺した総数の半数ほどの人命が犠牲になったからだ。

 

 アリクス王国とてコーリングの行方を追ったが、追う先から持ち出すものが現れたのでイタチごっこになってしまったというのも人死にが増えた原因だろう。

 

 後世の歴史家は、コーリングに備わる闇の側面のせいで、ひたすら災いが広がる方向へ権能が作用してしまったからだという。

 



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閑話:ザザ

 ◇◇◇

 

 ある夜ザザはリリスの胸に埋まりながら益体もない事を考えていた。

 

(俺は果たしてリリスの体を愛しているのだろうか、それとも心だろうか。あるいは両方なのだろうか)

 

 恋人は要らない

 家族は居ない

 友も不要だ

 

 そう思って生きてきたものの、ここ最近はどうにも独り寝が寂しくなっている様な気がする……独りで寝るのはまあいい、だが独りで死ぬのはどうだ? 

 

 俺がくたばっても皆すぐに俺のことなど忘れるのだろう。

 それは少し寂しいことだ。だがそういう生き方をしてきたのも事実だ……とはいえ、やはり少し寂しいものは寂しいのだ……

 

 秋の背が見えてきたせいか、夜になれば多少は冷える。

 夜の寒さが心を弱めているのだろう、とザザはリリスの●首を◆いながら考えていた。

 

 ◇

 

「ザザ様、先ほどは何を考えていたのですか? 他の女性の事……ではありませんわね、もっと……そうですね……どうでも良い事ですわね」

 

 ──どうでも良いということはないだろう

 

 ザザは苦笑する。

 

「ザザ様? 余計な事を考えず、楽しく、思うままに生きて下さいまし。仮にザザ様が道半ばで斃れたならば、少なくとも私だけはザザ様を想い泣きましょう」

 

 リリスの言葉を聞いたザザは決心した。

 

 明日もリリスを抱こう、と。

 そのためには金を稼がねばならない……

 

 ザザが駄目なのはこういう所なのだ。

 身請けをするとは言えない。

 

 金銭面でもあるまい、彼は金等級冒険者だ。死ぬ気で稼げば高級娼婦の1人や2人、どうにでもなろうだろう。まあリリスを身請けするとなれば1度の死ぬ気じゃだめで、数度の死ぬ気を求められるかもしれないが……。

 

 結局彼は最終的な責任を取るのが怖いのだ。

 魔狼でも鬼でも賊でも、なんだったら竜に挑むことさえ恐れないザザだが、失敗しても失われるのが自分の命1つであるなら大して怖くはないとおもっている。だが結婚などは別だ。

 下手を打てば愛する者の人生を失わせる羽目になる。

 

 まあそんな悩みも、リリスの●首を◆っている内に忘れてしまうのだが。

 

 ◇

 

 翌朝、ザザはギルドへ向かった。

 依頼探しといえば依頼探しだが、そうでないとも言える。“奴”なら良さそうな依頼に心当たりはあるかもしれない、そう思い立ったからだ。

 

 そして暫く待っていると“奴”がやってきた。

 

「よう! ザザ! 相変わらず辛気臭いツラしてるなぁ! む!? 女の匂いがするぜ……さてはまた娼館か!? だが金が「それだ。ランサック。稼げる依頼はないか? 単純なモノがいい。つまり討伐依頼だ」……討伐ねえ……」

 

 ランサックの長口上が始まる前にザザが被せて尋ねた。

 それをきいたランサックはしばし考える仕草を見せる。

 

「討伐依頼……ってわけじゃねえけど、俺個人の手伝いならあるぜ」

 

 いつもヘラヘラしているランサックの真面目面を見て、ろくでもない依頼なんだろうなと思いながらもザザはランサックに依頼の詳細を聞いた。

 

「なあザザ。討伐依頼なら何でもやるか? 俺の手伝いだけどよ、金貨を三百枚出す。俺個人の資産からじゃねえけどな。ルイゼが出す」

 

 ルイゼ・シャルトル・フル・エボン。

 我等がギルドマスター。

 

 ザザは顔を顰めた。

 複雑な心境だった。

 金貨三百枚というのは、リリスを30晩買える。しかし報酬に見合った危険さもあるのだろう。

 

 ルイゼ絡みの依頼など黒金等級のそれではないか。だがランサックが声をかけてきたということは、少なくとも自身の力が全く通用しないという事でもないのだろう。

 

 勝算があるのならば、金貨三百枚という額を諦めるには惜しすぎる。

 正しく命を賭けるに値する額だ。

 

(ちくしょう、こんな依頼は受けずにいままで通りチビチビ稼げばいいじゃないか。だが俺はリリスを抱きたい。もっと沢山抱きたい……沢山だ! 畜生! 毎日抱きたい!)

 

「話せ。何でも受けてやる。何を斬ればいいか言え。だが金を貸せ。出発は明日以降だ。やばい山なんだろう。俺は死ぬかもしれん。ならリリスを抱いて置かねばならん」

 

 ランサックはどこかうっそりと答えた。

「何でも斬るんだな?」

 

 ザザはチッと舌打ちして答える。

「ああ」

 

 ランサックはザザの目をみながら再び口を開く。

「魔族でも?」

 

 ザザは目を細め、頷いた。

「魔族でもだ」

 

 ランサックはにやりと笑い、ザザの手に金貨を握らせて言った。今晩リリスを抱くための金だ。

「出発は明日の晩。ギルドへ来い」

 

 ギルドから去っていくランサックの背を見送り、ザザはため息をついた。

 

 娼婦を抱く為に命を賭ける羽目になるとは俺はなんとアホなのだろう、と情けない想いを抱く。

 しかも強制されたわけではない。

 自分の意思で命を賭けているのだ。

 これを低脳と言わずして何を低脳といえばいい? 

 

 ──だが斬ると決めたなら斬る

 ──斬れなければ、死ぬだけだ



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2章・第20話:硬直

 

オルセンはクロウの様相に圧された。

クロウが纏う不吉な気配に確かに臆した。

 

だが、これでビビって殺されていたら下魔将になる前に100回以上は死んでいる。下魔将というのは実力主義の魔族社会においては上から警戒され、下からは下克上を狙われる非常に危うい立場なのであった。

 

魔族社会においては人間社会のそれとは違い、偉ければ偉いほどに強くなるのだ。そして下魔将と言うのはかなり偉い。

 

濃密な殺気を孕んだクロウの獣眼に一瞬ビビりかけたが、速やかに心の体勢を整える。成程、渾身の一撃は防がれた。

だがそれが何だと言うのか?

思い切り殴りつけて死なない相手など、これまでいくらでも相手をしてきた。

 

「先ほどの少女…なんとも凄まじい怨霊を使役していますね。勇者でありながらその様な力を扱うとは、手段を選ばぬその姿勢…先代勇者を思い出しますよ!さあぁぁ続きです!魔力を回し、剣を構えなさい!でないと…」

 

即ぶち殺してしまいますよ、と言うなりオルセンは飛び出す。

そして地面を抉り飛ばしながらクロウを蹴り上げた。

 

クロウは飛礫はあたるに任せ、蹴り上げそのものは半身となってかわす。

直撃すれば骨折じゃ済まない。

 

オルセンの蹴り上げはオルセン自身の視界を阻害すると見たクロウは、脇からまるで毒蛇のようにひっそりと忍び寄るが如き貫き手を放った。

 

コーリングを振るにはやや距離が近すぎる。

それに、オルセンの注意がコーリングに向いている事も分かっていた。

だからこその貫き手だ。

 

放たれた貫き手にオルセンの視線が向く。

だがオルセンは腹に力を込め、その一撃を受け止める事にした。

魔力で散々に強化されたクロウの指がずぶりとオルセンの脇腹へ突き刺さる。

 

だが傷は浅い。

いかにクロウがカルミラの魔力を取り込んだといっても、元々の含有魔力が違いすぎる。強化されたクロウの身体能力を以って突き込まれた手槍はしかし、その第一関節までしかオルセンの腹に突き刺さらない。

 

クロウが目を見開き、地面を踵で蹴りつけて側面へ転がる。

同時に振り下ろされたのはオルセンの踵だ。

下魔将たるオルセンの踵落としは当然ながらただの踵落としではない。

 

オルセンが踵を振り下ろすと同時に三日月型の魔力斬が放たれ、大地に深々と斬撃痕が穿たれる。

仮に受け太刀していたら不可視の魔力斬でクロウは真っ二つになっていただろう。

 

しかし、回避に成功したとはいえクロウも無傷ではない。

斬撃はクロウの腕を掠め、血が吹き出る。

 

クロウは溢れる血を掬い取り、オルセンの目に向かって飛ばした。

同時に射程を重視した突きを放った。狙うは腹。

頭部は狙わない。なぜなら血飛沫の目潰しで、オルセンの注意は頭部へと向かっているだろうからだ。

 

だがクロウの突きはオルセンの脇腹の端を軽く貫くに留まった。

クロウの仕掛けた稚拙な駆け引きなどは百戦錬磨のオルセンにとっては見慣れたものだ。だがそれでも

 

(ぐぬあああああ!い、痛い!なんですかこの痛みは…!)

 

クロウの一突きはオルセンに尋常ならぬ苦痛を与えた。

これこそがクロウの新たな力、自己嫌悪の産物である。

 

クロウが自己嫌悪で苦しめば苦しむほどに、その苦痛の呪いは実際の痛みとなり敵手を襲う。魔剣コーリングの与えるささやかな厄とも言える。

 

それなりに有用な能力ではあるが…

 

「でぇええすが!効かなぁいッ…!く、くくく。このオルセン!痛みには屈しません。痛みとはすなわち生きている証也!感じますよォ…我が身に生の力が溢れるのをねェ!!」

 

戦の血臭に狂しながらもオルセンが次々に放つ拳足は、極めて的確にクロウの命を削っていった。

対してクロウも己に大挙して迫る死に頬すら赤らめ、体内魔力を回し、活性化させ、オルセンの攻撃を捌き、剣撃を加え、戦況互角とまで言える程に競り合っていた。

 

だがこの死の舞踏独楽もいずれは止まる。

クロウが膝をついた。

カルミラから取り込んだ魔力が底をついたのだ。

 

それに対し、オルセンの方はまだまだ余裕がある様に見える。

結局の所、これが魔族と人間の差なのだ。

まして魔将に連なる魔族は、最下級と言えども単体で小国を容易に滅ぼす。

本来は人間ではまず勝利し得ない存在だ。

 

――だが、勝利は叶わずとも、時間を稼ぐ事くらいならば出来る…

 

◇◇◇

 

雷を纏った投槍がバリバリと音をたてながらオルセンの背を襲う。

ぬう、と唸りながらオルセンはひらりと宙へ飛びあがり投槍を避けた。

 

――秘剣・飛鳥堕し

 

飛び上がったオルセンの、更に上空から男が剣を振りかぶりながら落ちてきた。男は剣を一刀の下に振り下ろす。

 

オルセンは腕に魔力を込め、その振り下ろしを防いだ。

地に足を着けるオルセン、そして謎の男。

 

男の名はザザと言った。

アリクス王国金等級冒険者、百剣のザザである。

 

ザザは多くの秘剣を使う。

秘剣・飛鳥堕しは脚に魔力をこめ、思い切りジャンプして上段から切り落とす大技だ。普通に放てばその辺の犬にすらかわされるが、状況を選べばまあまあ使える。

 

◇◇◇

 

ザザはちらとクロウを見て、それからオルセンを見た。

そして、勝てぬ、と判じた。

傷ついてはいる様だが、だからなんだという話だ。

ちょっと魔力を込めただけで渾身の一撃を無傷で防がれてはかなわない。

 

ランサックが自身以上に“使える”として、果たして勝てるか?

厳しいだろう。

逃げたい。

逃げるだけなら出来そうだ。

だが逃げれば金貨はお預けどころか、いかにもヤバそうなこの青年とランサックが俺の命を取りにくる…かもしれない。

 

畜生、とザザは心中で毒づく。

 

だがそういう時こそカマすのだ。

死地でカマせるからこその金等級である。

 

「魔族を斬るのは初めてだ。お前は竜より強いのか?」

 

おいおいザザ…と押っ取り刀でやってきたランサックが苦笑する。

 

 

◇◇◇

 

おいおいザザ…こいつは魔将級か?そんなの相手によくそこまで吹けるな、とランサックはザザを尊敬した。

だが、このメンタルあればこそザザを引き込んだ、とランサックは思う。

 

ルイゼの天眼で事態を察してあわてて駆けつけたが、ランサックでも少々厳しい相手だと見る。

クロウはすっかり魔力がからっぽの様で、戦力として数えるのは難しいだろう。ザザと2人で魔将を斃すとなると…

 

ランサックは余裕そうな表情を崩さず、様々なパターンを考える。

 

◇◇◇

 

また人間だ、しかもそれなりの実力者が2人。オルセンはクロウ、ザザ、ランサックを見回す。

1人として容易い相手はいない事実に舌打ちをする。

1対1で負けるとは思えないが3対1で勝てるかどうかは分からない。

 

しかも空から切りかかってきた男は竜を斬ったという様な事を言っていた。

竜種は魔族からみても鬱陶しい存在だ。

人間が虫けらなら竜は犬コロといっていいだろう。

情けない事に竜に食われる魔族だっているくらいだ。

 

――戦況不利、ですか

 

オルセンが呟く。

人間は虫けらである、しかし強者もわずかながら存在する。

それらは決して侮っていい存在ではない。

そんなものが3人も揃って立ちふさがるとは。

 

勇者は殺しておきたいが、勇者の仲間とみられる連中を相手にしながら戦うのは難しい。

 

オルセンは悩む。

同時にランサックたちも悩んでいた。

 

どちらも仕掛けたくは無く、どちらも殺し合いになれば自身が戦況不利と見ている。更に言えば出来ればここで死ぬのは避けたいとも考えていた。

クロウでさえもこの戦いは自身の死を目的としたものではない…

 

ここで戦場に奇妙な硬直が生まれた。

 

 



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2章・第21話:再戦の誓い

◇◇◇

 

硬直を破ったのは意外にもザザだ。

というかこの魔族の首を持って行かないと風俗代が得られないんだから仕方が無い。

 

とりあえず自分がつっかけて、あとは他の2人がなんとかしてくれればいいくらいの軽いノリで死地へ踏み込んだ。

ザザは金等級のくせにその日暮らしをしているだけあって、余り深く物を考えないのだ。

 

ふらふらゆらゆらとザザが揺れる。

揺れるザザは2人、3人に増えていく。

 

身体能力を向上させたかと思えば切り、細かく繰り返す事に加えて重心を動かさずに密やかに移動をする事で相手を幻惑する。

 

秘剣・幻踏殺景。

 

アリクス広しと言えどもこんな曲芸はザザ以外には出来まい。

 

そのまま斬りかかるかと思えばザザは切りかからない。

 

行くか、という所で退く。

臆している様子はなく、なにやら不敵な笑みを浮かべている。

いかにも何か隠し種がありそうな風情だ。

 

これこそ隠し剣・泡沫(うたかた)。

 

実際は何も隠してないし、かなり窮している場面で少し時間を稼ぎたい時に便利なハッタリだ。

だがオルセンはザザの一刀を知っている。

勇者の仲間であるならただのハッタリではない、と予断を持ってしまっている。

 

ザザが時間を稼いでいる間にランサックはクロウへ駆け寄り、おうおうおうなどと言いながら怪しげなポーションを無理矢理飲ませていた。

かなりお高い魔力回復薬だ。

ルイゼ謹製のもので、糞不味いが効果は市販のそれの比ではない。

 

クロウは余りの不味さに死を感じながらも、その身に魔力の雫が滴っていくのを感じる。

 

 

オルセンはクロウの様子に気付くと盛大に舌打ちをした。

だが万全ではあるまい、と勇者…クロウに向かおうとすると、背にぴたりと剣の切っ先が当てられる。

 

「これでお前は1度死んだな。さあ、あと何回死ぬ?」

振り向けばザザが皮肉気に口角を上げて挑発した。

 

なぜ切っ先を当てるだけなのかといえば、全力で突き込んでも剣の方が圧し折れるからだ。つまりこれもハッタリである。

まあザザなら小指の第一関節分くらいは貫けるかもしれない。

 

オルセンは激昂し腕を振り回すが、ザザはスルスルと地面を滑るように距離を取ってかわしてしまった。

 

 

「なあ魔族さんよ、ここはお互い退かないか?あんたは強いよ、間違いない。だが俺達だって中々やるんだ。それはあんたにも分かるだろ?そこの男1人でもあんたとやりあえてるんだからな。あんたと俺達はそろって強者だ。だったらよ、雌雄を決する場ってのがあるとおもわねえか?」

 

ランサックは軽い口調でオルセンへ話しかけた。口調こそ軽いが、内心は必死である。

ランサックの見たところ、3人がかりでも先ず勝てないからだ。

重傷は負わせられるかもしれないが、そこまでだ。

 

だが、勝てないといっても今だけだ。

自分とザザはともかく、クロウにはまだ伸びしろがある。

勇者が糞ッたれな以上、クロウは魔王討伐の為の希望の1つである。

ここで死なせるわけには行かなかった。

 

「ランサックさん…俺は彼と、オルセンと戦います」

 

クロウが震えた声で言うが、ランサックは取り合わない。というかオルセンという名前に驚愕した。

魔族でオルセンと言えば第一次人魔大戦からずっと生き残っている化け物ではないか。

 

しかしオルセンは目を細めてクロウを見つめると、ふっと嗤った。いや、笑った。

 

「勇者よ。その意気や良し。しかし今のお前では私には勝てないでしょう。残りの2人と一緒でも同じです。ですがそこの虫けらの言う通り、それなりにやることは認めてあげましょう。このような森で雌雄を決するには勿体無いという言葉にも同感です。お前達の様な強者の死に場所はそれに相応しい場面というものがある…!ここは勝負を預けましょう。せいぜい研鑽を積むことです。次にまみえる時、私は今の私より遥かに強くなっているでしょう」

 

オルセンとしても使命というものがある。

覚醒をしていない勇者を斃せないなどというのは慚愧に堪えないが、ある程度実力はわかった。

得たいの知れない力を持っている様だが、やってやれないわけでもなさそうだ。

ならばここで仕切りなおす…というのでも良いのではないか?

 

オルセンは“大人の判断”を巡らせていたが、クロウがそんなものを斟酌するはずもない。

 

ぐっとコーリングを握り締め、オルセンの元へ向かおうとするクロウ。

だがその足はすぐに止まった。

 

ランサックが張り手を見舞ったのだ。

きょとんとしているクロウの胸倉を掴み、ランサックが怒鳴る。

 

「ばかやろう!勇者としてお前はまだ覚醒していない!そんな状態で魔王を斃せると思っているのかよ!お前がここで死んだらどれだけの無辜の民が死んでいくと思う!お前の死に時は今じゃねえ!魔王を斃すその時だ!」

 

ちなみにランサックはクロウが勇者じゃない事を知っている。

勇者には聖印が出るのだ。

クロウにはない。

それに聖剣だって持っている。

クロウがもっているのはどうみても魔剣だ。

 

しかしどうもオルセンは勘違いしているようだし、それに乗れば上手くしのげるのではないか…とランサックは思った。

思ったから実行したまでだ。

 

「俺が勇者…?そんなはずは…そういえばオルセンが俺を勇者だと何度もいっていた…。話を聞いていなかった…。だったら魔王を斃すことが俺の使命なのか…」

 

クロウはぶるりと震えた。

 

――魔王の手下でさえあの強さ

――ならば魔王はどれ程強いのか

――人々を護るためには今のままではだめだ

 

クロウはこれまで自分の強さにさしたる興味を持っていなかったが、オルセンとの戦いはクロウに1つの意識改革を齎し、更なる強さの種を植え付けた。

 

クロウに備わる多くの力の源の全ては人間の負の側面からなるものだったが、この時はじめて前向きなものが備わる。

それは向上心だ。

強くなりたいという向上心。

クロウはこの世界で生きてきて初めて向上心という前向きな気持ちを覚えた。

 

それを見ていたザザは、“茶番か”と内心呆れていた。

(やはりまだ覚醒をしていませんでしたか)

 

オルセンは深く頷き、クロウへ一瞥をくれ、今度こそ去って行く。

 

だが、オルセンはこの時の自分の判断を慙愧に堪えないなどという言葉では言い表せない程に後悔する事になる…。

 



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2章・第22話:祝勝

2本連続です。
1本目はこれ。2本目はザザフォーカスです


 ■

 

 酒場。

 

「俺はさ、元々教会の出なんだよ。でもよ、ある日愛に目覚めちまった。愛ってなんだか分かるか? ルイゼだ。愛とはルイゼを意味する。法神の為に槍を振るうより、ルイゼの為に槍を振るいたいわけだ。俺は愛の戦士なんだよ。ああ、これは教会にはいわないでくれよ? 信仰を捨てたことがばれると殺されちまう……」

 

 あれから3人でギルドへ戻って、事の次第を報告をした。

 魔族案件という爆弾は速やかにギルドマスターであるルイゼへ持ち込まれ、クロウ達は後日事情聴取されるらしい。

 

 ランサックは命からがら生き残ったということで、半ば強引にクロウとザザを酒場へ連行した。

 そこからのくだらない惚気である。

 

 ザザは黙れとかうるさいとかそれはもう聞いたとか冷たい言葉をランサックへぶつけるも、ランサックはいささかも堪えない。

 クロウはといえば別に何を思う事もなかった。

 むしろこういう場……邪魔だとか役立たずだとか、そういう自身への負の感情が満ちたような場所ではない、何と言うか“受け入れられている”という場に居られる事を心地よく感じていた。

 

「クロウ、お前さんはどうなんだ? 好きな女の一人や二人いないのか?」

 

 クロウは首をかしげた。

 さすがのクロウも、コーリングをこの場で抜いて彼女がかわいいです、などとやるのはイカれてると言う事くらいは分かっている。

 だが、少なくともこの世界でそういう惚れた腫れたといった関係の女性はいない。

 

「別に嫌われているっていうわけじゃないとおもいます。友達? といっていいのかわかりませんけど、シルファには良くしてもらっていますし、シャル・アなんかとはたまにご飯を食べますよ」

 

 で、どっちを抱きたいんだ? などとランサックが言うと、流石にクロウも答えを窮した。ランサックの話では彼は教会の上位戦力だそうだが本当なのだろうか? 中央教会ってふしだらなんだな……などと思うクロウである。

 

 なお余談ではあるが、魔剣コーリングは別に主たるクロウが生身の人間と付き合おうが結婚しようがその辺はどうでも良いと思っている。

 ただし、他の武器を使おうものならば守護の権能を災厄のそれが少しばかり上回ってしまうかもしれないが……。

 

 なのでクロウが金等級でありながらも浮いた話がないのは、魔剣がどうこうとかそういう話ではなく、ひとえに彼のコミュニケーション能力が濡れて飢えた鼠以下であるからに過ぎない。

 

 ランサックやザザもかなりモテるのだ。

 まあランサックはルイゼに首ったけだし、ザザは風俗狂いなので市井の娘と惚れた腫れたなどといったことはないが。

 

「それにしてもランサック。ああいうのが相手ならもっと手勢を引き連れるべきだな。金等級は何も俺だけではないだろう。淫乱やホモジジイあたりならいつでも王都にいるではないか。淫乱は相性は悪そうだが、ジジイは歴戦の武僧だぞ。城壁崩しの業前は魔族にも通用するんじゃないのか」

 

 ザザがそう言うと、ランサックは目をきっと吊り上げぎゃあぎゃあわめいた。

 

「正気でいってんのかザザ! あんなやつらは魔族より有害だぞ! 三年前、王都で紅毒が蔓延したのは誰のせいだとおもっている! ……ルイゼがギルドマスターになってからなんだよなぁ、腕はよくてもその他が最悪な奴等が金等級に上がりだしたのは……。目が良いんだか悪いんだかわからねえよ……っていうかよ、お前もそうだけどなんで下半身がそんな緩いんだ? クロウくらいだろう、金等級で下半身が締まってるのは」

 

 下半身が締まってるとか嫌な表現だな、とおもいつつクロウは卵焼きを食べていた。

 



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閑話:ザザ②

2本連続投稿の2本目。


 ■

 

「……と言う事があったんだ。それなりに業物なのに刃も欠けてしまった。魔族というのはどいつもこいつもあんな奴ばかりなのか」

 

 ザザはリリスの胸にすがりつきながら愚痴愚痴と文句を言っていた。

 魔族とて斬って斬れない筈はないと思っていた彼にとって、先日まみえた魔族との一戦はザザの自信を少なからず傷つけるものであった。

 

「でもザザ様がいなければその魔族と言うのも退くことはなかったのでしょう?」

 

 リリスの言葉に、もちろんだ、と答える。

 ハッタリが上手く決まっただけだというのはザザも分かってはいるが、その辺は言わない。なぜならリリスに失望されたくなかったからだ。

 

 魔将相手に無傷で時間を稼いだというのはもはや偉業といっても過言ではなく、ハッタリをカマしてそれを通すというのは勇者の業といってもいいほどなのだが、ザザの美意識はそれを誇ることを許さない。

 

 まあ娼婦の胸の谷間に鼻先を突っ込み、“俺は犬だ俺は犬だ”などとほざきながら胸の感触や匂いを味わっている男の美意識なんぞ……という向きもあるが……。きゃっきゃと甘い悲鳴をあげるリリスを見ていると、ザザの腰の剣はオリハルコンもかくやと思わせる程の……

 

 ■

 

 翌日、ザザは小鬼と向かい合っていた。

 

 ザザの剣が数度に渡り鋭く、そして激しく宙を掻き斬る。

 眼前の小鬼に刃は届いていない。

 ぎゃ? という疑問符めいた声をあげた小鬼だが、ザザが剣を納めると同時に小鬼の全身にぱっくりとした傷が浮かび、血が吹き出した。

 

 これこそ秘剣・凍風、殺し空

 

 小規模の旋風を剣撃にて引き起こし、瞬間的な真空を作り出す。

 そしてその真空に触れた敵手の皮膚を気化熱で急激に冷やしたのだ。

 急激に冷やされた皮膚は変性し、裂ける。

 つまりはカマイタチ……もっとしょうもない言い方をすればあかぎれを引き起こしたわけだが……魔力に頼らずに剣一本でこれを為す辺り、呆れるほどに剣が上手い。

 

 だが……

 

「つまらぬ秘剣を生み出してしまった……」

 

 ザザはぽつんと呟く。

 目の前の小鬼は傷だらけだが普通に生きている。

 まあ全身にあかぎれが出来て痛そうではあるが、それだけだ。

 

 ザザも先日の一戦で思う所があったのか、新たなる秘剣を考案していたのだが余り上手くはいかない。

 秘剣・凍風、殺し空は二度と振るわれないだろう。

 ザザの秘剣シリーズにはこういった技がいくつもある。

 

 まあどれもこれもがしょうもない技という訳ではなく、使い所を考えれば、あるいは少し技を造りかえれば化けるものも沢山あるのだが……

 



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3章・第1話:ルイゼ

こっから新章です


 ■

 

 ギルドへ魔族との戦いを報告したクロウは、祝勝会の翌日、昼過ぎにギルドマスターであるルイゼの前へ連れてこられた。ランサックとザザはすでに事情聴取済みらしい。

 

 ルイゼ・シャルトル・フル・エボンは連盟と呼ばれる魔術師団体と、協会と呼ばれる魔術団体の両方に所属し、しかもアリクス王国で爵位を戴きながら冒険者としての最高位、黒金級冒険者として名を馳せている、さらに! アリクス王国王都冒険者ギルドのギルドマスター……という訳の分からない存在だ。

 

 そして、クロウの体へ入り込んだシロウに冒険者として生きる術を与えた存在でもある。

 

 ■

 

【挿絵表示】

 

 ほっそりした肢体、腰まで伸びる濡れ鴉色の髪に真っ白い肌は確かに彼女の魅力的な部分と言えるのだが、何より神秘的なのはその瞳だった。

 

 瞳の奥に見えるのは何がしかの魔法陣だ。

 

 ルイゼはクロウの顎を掴んで持ち上げ、接吻するかの如く顔を近づけ目を細めた。

 

「面白いと思って拾った子犬ですが、益々面白く育って大変結構ですね。大きい犬や女狂いの犬を向かわせましたが、3人掛かりとはいえ下魔将オルセンを退けるとはお見事。アレはそれなりのタマです。生きて帰れたのは僥倖でしょう」

 

 クロウが犬? と訊ねると、ルイゼは“ランサックとザザの事です”とすまし顔で答えた。

 

「でもねえ、アレが出てくるほど結界が解れているとはね。中央教会は何をしているのだか。結界の管理は彼らの仕事でしょうに。第三次人魔大戦で結界の礎となった先代勇者の想いを今の教会は踏みにじっていますよ。いいえ、それだけではありません。王国も帝国も連盟も協会も、多くの者が魔族達を食い止めんと世界の礎となったというのに」

 

 クロウはぎょっとした。

 ルイゼの瞳の奥の魔法陣が回転をしている。

 それだけなら変わった眼ですね、で済むのだが、バチバチと放電までし始めては流石に止めなければならないとクロウも思う。

 

(でもどうやって?)

 まさか斬りかかるというわけにはいくまい。

 

「斬れるものならやってみなさい」

 

 クロウはまたまたぎょっとした。

 ルイゼはニヤニヤと笑っている。

 

「まあ貴方を視て大体の事は知れました。よくやりましたね。ご褒美をあげましょう。何が欲しいですか? ちなみにランサックは私を抱く事、ザザはお金を求めました。さてクロウ、私の子犬。貴方は何が欲しい?」

 

 クロウは考える。

 欲しいもの。

 

 それは決まっていた。

 

 ──力だ

 ──勇者として俺はもっと強くならなければならない

 

「力です。マスター・ルイゼ。俺は力が欲しい。借り物の力じゃありません、俺自身の力が欲しいのです。試練を与えて下さい。鍛錬を与えて下さい」

 

 ルイゼは面白そうにクロウを見て、そして笑った。

 

「力ですか。私の弟子……家族も初めて逢った時同じ事をいいましたよ。毎日半殺しにしてあげました。そして彼は強くなった。でも……困りましたね、貴方は剣士でしょう? 私とは畑が違いますからね。ただ貴方の力になる者達を紹介してあげましょう。そして、貴方がもう死にたいと願う程に厳しい試練も与えてあげましょう」

 

 そして“今後は私が貴方に依頼の斡旋をします”と言われ、クロウは部屋を追い出された。

 

 クロウは今もなお死にたいと思っている。

 だがその自殺願望……希死念慮はやや前向きなものとなった。

 魔王を倒してから死にたい。

 これだ、とクロウは感得する。

 なぜ最初からこれに気付かなかったのだろうか、とクロウは自身の愚かさを悔やむばかりだ。

 

 無理もない、以前のクロウは魔族の事など知らなかったのだから。

 だがクロウは知った。

 己の逝く先を。

 

 

 



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3章・第2話:師事

 ■

 

「獣の剣技だな。悪いとは言わないが……。まあ他に出来る事を増やして置いて損はない……とは限らないかもな」

 

 アリクス王国王都冒険者ギルド所属、金等級冒険者のザザはクロウの上段からの一刀を半身でかわし、拳でこつりとクロウの額を叩いた。

 

「力も速さも俺より上だが分かりやすすぎるな。とはいえ俺が簡単に捌けるのも、君に俺を殺す気がないからなのだろう。俺もまた君を殺すつもりなどはないから当然なのかもしれないが」

 

 フゥとため息をつき、ザザがクロウに言った。

 クロウも頷き、ザザに答える。

 

「そう言うこともあるのかも知れませんが、力と速さが上なのにまるで通用しないっていうのはびっくりします。でも出来る事を増やしておいて損がないとは限らないっていうのはどういう意味なんですか?」

 

 クロウの疑問にザザが答えた。

「下手に選択肢が多いと迷いを生む」

 

 ああ、とクロウは納得した。

 手札の少なさは迷いの少なさとイコールである。

 特にクロウのようにすぐ悩んでウジウジしだす男にとっては。

 

「君も自身に小細工が向かないという事は分かっている様だが、それならばなぜ俺に師事する?」

 

 ザザの疑問も最もだった。

 クロウの剣に鋭さはあれど技はない。

 フェイントなどというものはなく、そのすべてが必殺の意気にて振るわれる。

 対してザザの剣は多数の虚の中に1つの実があり、それをするりと通すような剣だ。

 クロウにザザの真似は出来ない。

 まあザザはクロウの真似をできるが。

 

 それに対するクロウの答えは、剣に愛された男であるザザをしてちょっとわけが分からないものであった。

 

「俺に出来ない事に真っ直ぐ向かい合うと、俺は俺の駄目さ……無能さを自覚します。頑張っても頑張っても出来ない自分を殺したくなります。自分では頑張ってるつもりでいるんです。でも皆にとってはそんな事はどうでもいいことなんだって、俺はあの時気づきました。俺が死ぬ前に気付いたのです。俺は役立たずだと、何の役にも立たない存在なんだと……」

 

 ブツブツと呟くクロウをぽかんと見ていたザザは、やがてクロウの周囲にドロドロとした何かが集束しているのを感じた。

 

 ザザは掌でくるくると柄を回す。

 繊細な魔力操作により、剣はザザの手に握られながらも回転を早めていく。

 

 一足飛びにザザはクロウの眼前に立つと、回転する剣を下から上に振り上げた。

 ザザの魔力を纏った回転する剣身はクロウに集まりつつあったどす黒い魔力を霧散させる。

 

 これぞ悲剣・散散華(さざんか)

 

 対霊体用に編み出したザザの“悲剣”である。

 回転する魔力の乱気流により霊体をかき乱し雲散霧消させる。

 死者が天に昇らず地に留まるのはそれ相応の理由があるのだが、そういった理由を一切斟酌せず有無を言わさず消し飛ばす(死者にとっての)悲しみの剣だ。

 

 ……とはいえ、この悲剣の名を知るものはザザ以外にはいない。ザザは自身の編み出した剣技を喧伝する事はないし、そもそも人付き合い自体も余りしない。

 

 技の名付けは自身の密かな趣味くらいに思っている為、ザザの剣技が広まることは今後もないだろう。

 

 ■

 

 ザザの剣が振るわれると、クロウも正気()に戻り、目をぱちぱちとさせていた。

 

 クロウの変容は彼が魔族との戦いで得た新たな力……自己嫌悪によるものだ。

 自身に至らぬ部分を必要以上に強く見つめ、死にたくなるほどの虚無感、そして自身を殺してやりたくなるほどの怒りを抱き、魔力の生産速度を飛躍的に高める技術。

 クロウが自己嫌悪の権能を起動するには、極めて強い劣等感を感じる必要がある。

 そういう意味でザザは適任の教師なのだ。

 クロウにビビらず、剣の腕でクロウに劣等感を抱かせる……。

 

 弱点はやや正気を失う事だが、クロウは戦闘時にまともだった試しはないから特に問題はない。

 

 ■

 

「魔族はなんだって君を勇者などと勘違いしていたんだろうな……」

 

 ザザはため息をつくと、下腹部に熱を感じていた。

 クロウと対峙して精神的に疲労をしたせいで、色々と元気になってしまったのだ。

 一刻も早くリリスに逢いに行かねばならないとザザは思った。

 なんといったって金はある! 

 

「すまんが今日はここで訓練を切り上げる。大事な用事があるんだ。また明日だ。じゃあな」

 

 ザザはそういい残し踵を返した。

 

 ■

 

 ちなみに、クロウとしては自らの力の扱い方に慣れるようにルイゼが手配したものだとおもっていたが、ルイゼとしては普通にクロウに剣術を学んでほしかっただけである。

 クロウの想像以上の不器用さはルイゼの眼を以ってしても見通すことはできなかった。

 



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閑話:ザザ③

 ◇◇◇

 

「……という事があったんだ。荒削りだが末恐ろしい若者だよ」

 

 ザザは仰向けになって寝ているリリスの胸の谷間の匂いを吸い込みながらボヤいた。ボヤきとは言うが別に不満があった訳では無い。

 ルイゼ曰く、剣を見せるだけでも構わないとのことだったからだ。そうする事で本人が勝手に学んでいくだろうと。金等級は大体そんなものだと。

 

「…そうなんですね、お疲れ様でしたザザ様」

 

 よしよしとザザの頭を撫でるリリス。

 

「ザザ様は魔族についてどう思いますか?」

 

 不意にリリスがそんな事を聞いてきた。

 ザザはぽやぽやした頭で考えるが、特に思う所はない。

 

「…そう言われてもな。ヒト種の天敵だとは言うが、同じ人間同士だって殺しあったり憎しみ合ったりしてるだろう。人種が違うだけじゃないのか、ああ、これは教会には言うなよ…」

 

 そう、ザザにとっては人間も魔族も同じだ。

 全て等しく価値が無い。

 対人関係における価値とはその相手との関係性がどういうものかによる。

 自分と関連の無い相手の価値など、人間も魔族も0だ。

 ザザはそう考えている。

 

「例えばリリス、君が魔族だとする。そして俺の知らんどこかの国の何処かの人間が、俺に対してリリスという女は魔族だから殺せ、と言ってきたとする。俺はどうすると思う?」

 

 どうするのですか、とリリスが問うと、ザザは鼻で笑った。

 

「その何処かの人間を斬り殺して仕舞いだ。君が俺に何か害を与えたか?与えていない。仮に過去、君が俺の知らない村1つなり滅ぼして、女子供も関係なく殺したとしよう。だが俺には関係ない話だ」

 

 ザザがそういうと、リリスはザザの耳たぶをつまみながら口を開いた。

 

「ではザザ様、もし私が魔族だったとして、ザザ様のご友人を殺めたとしたらどうしますか?私を斬りますか」

 

 ザザは再び鼻で笑った。

 なぜならザザに友人などはいないからだ。

 少なくともこの国には。

 

「今日はおかしな事ばかりを聞くなリリス。しかしその質問には答えられない。俺に友人が出来たら再び聞いてくれ…」

 

 あら、とリリスは困り顔で苦笑した。

 

「1度しか言わない。俺はな、佐々 次郎(サッサ ジロウ)という。極東の生まれさ。俺の生まれた国はもうない。魔族とやらではなく人間に滅ぼされたんだ。だから魔族が人間の天敵だとかいう言説は糞食らえだと思ってる。人間の敵は人間だ」

 

 そういうとザザは腕を伸ばし、リリスのあれを自分の頭を挟むように位置修正し、その谷間に鼻を突っ込んでフガフガともがいていた。



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3章・第3話:早く逢いたいな

 

シルファはクロウの右手を手当てしながら深刻そうな表情で告げた。

 

「クロウ様に術の才能ありません…皆無です…今後、どんな些細な術も使う事のない様にしてください…。そして、申し訳ありません、軽々しくあの様な事を言ってしまって…」

 

クロウの右手は焼け爛れ、非常に痛々しい。

彼がこんな怪我を負ってしまったには勿論訳があった。

 

 

クロウが様々な冒険者から訓練を受けてると聞いたシルファがクロウに申し出たのだ。

術を使ってみないかと。

 

シルファの目から見てクロウの魔力は頭抜けている。

激闘、死闘を厭わぬクロウの手札が増えるというのならそれは良い事であるし、その手助けが出来ると言うのなら非常に喜ばしい事だ…シルファはそう考えた。

 

だが結果はこれだ。

野営の役に立つだろうと教えた種火の術は、ドロドロとした粘着質かつ高温の黒い何かを生み出し、それがクロウの右手にへばりついて離れない。

 

シルファは大慌てで凝固氷結の術をつかったり、あるいはナイフをつかって慎重に剥がそうとしたりしたが……やはり離れない。

最終的にはクロウが左手を魔力でコーティングし、無理矢理剥がしたのだ。

 

剥がれ落ちた黒い火は地面をのた打ち回り、やがて消えた。

 

種火の術という単純な術がなぜこんな大失敗を晒してしまったか…と言われれば、一応の理由はある。

 

クロウは種火と言う便利なモノを生みたかったわけではない。

自らが種火となりたかったのだ。

自らの心に嘘はつけない。

クロウの意思は正しく術として発現し、彼が抱える負の情念を取り込んだ黒い炎(?)はクロウ自身を皆の役に立つ種火としようと作用したに過ぎない。

 

恐らくだが、クロウが行使する術でクロウに害を及ぼさない術は身体強化の術くらいだろう。

火も水も土もなにもかも、発現してしまえばクロウに牙を剥く自爆術式となりかねない。

 

 

シルファは俯いた。

 

「いいんです、シルファさん。出来ない事を知れた。これは成長です」

 

クロウは穏やかに言った。

その表情には僅かながら笑みさえも浮かんでいる。

この余裕っぷりには他意はない。

 

クロウという男はとにかく陰性の気が強く、自身の死だの不幸だの理不尽だのそう言うことばかりを考えている人間なのだが、周囲の者の不幸を望むといった人柄ではない。

むしろ周囲の人間には幸せになってほしいのだ。

今のシルファの様に目の前で落ち込んでいる者がいれば、出来る限り慰めようとする程度の良識はある。

 

「まぁ、俺にはコーリングが居ますから。俺の大切な相棒です。それにシルファさん達の様に、俺と一緒に戦ってくれたりする人達もいます。俺は恵まれている方だと思います。術の才能がないからって落ち込んでいたら、贅沢だとバチが当たってしまいます」

 

にこやかに話すクロウを見てシルファは安心と不安を同時に抱いた。

なぜなら、アリクス王国の貴族として人間の綺麗な部分も汚い部分も散々見てきたシルファの目からみて、クロウはどうにも危なっかしくて仕方が無かった。

 

例えて言うなら、「おはよう!今日は爽やかな朝ですね!じゃあ死にます、さよなら!」と朗らかに自殺しそうな人を見ているような感じだ。

 

「クロウ様は…雰囲気が大分変わりましたね。明るくなりました。ほら、以前私に抱きついて泣いていたでしょう?」

 

シルファが茶化すように言うと、クロウは目を伏せ恥ずかしそうに笑う。

そこに陰の気は感じない。

 

「昔の話じゃないですか…でも俺も成長したっていうことなんでしょうね…早く逢いたいな…」

 

あら、とシルファは思った。

恋人でも出来たのだろうか?と。

だが、その次の言葉でシルファの表情が曇る。

 

「魔王に…」

 



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3章・第4話:招待

 ■

 

 アリクス王国、コイフ伯爵家。

 当主サウザールの執務室で、オリアス・コイフ伯爵令息が父であるサウザールに対して跪いていた。

 その様子はまるで死刑執行前の罪人が如き様子だ。

 そんなオリアスを上から見下すサウザールの目からはまるで温度を感じない。

 

「ロナリア家は羨ましいものだ。術師としての才に溢れ、狂したエルフを討ち……陛下から叙勲された小娘が居てな。ところで貴様は何をしているのだ? オリアス。ロナリアの子狐に脅されすごすごと逃げてきたらしいではないか。しかも他の貴族もいる王宮で。貴様、本当に私の種なのかね? ジルを問いただす必要がある様だな、どこぞの平民を咥え込んでいないかとな」

 

 コイフ伯爵家当主であるサウザール・コイフ伯爵は、跪くオリアスの顎を蹴り飛ばした。

 

「ぐ……!」

 

 呻くオリアスはしかし、父であるサウザールへ口答え等はしなかった。

 一言でも反駁してしまえばサウザールは更に苛烈にオリアスを甚振るだろう事が分かっていたからだ。

 

「も、申し訳ありません父上……」

 

 まるでゴミでも見るような目をオリアスへ向けるサウザール。

 ロナリア家は狐に例えられ、コイフ家は狼に例えられる。

 これは両家の気質に拠るものだ。

 

「コイフ伯爵家が狼に例えられる事は貴様も知っていよう、オリアス。狼は狼でもただの狼ではないぞ。月魔狼フェンリークの眷属たる月狼よ。例え首だけになろうと、初代アリクス王国の腕に牙を立て続けた月狼の如き姿こそがコイフ伯爵家に相応しい。然るに貴様はなんだ? 貴様と子狐の間に力量差がある事は分かっておる。しかし貴様からふっかけた事ならば、例え命を落とそうとそのまま貫くべきであった。まあ嫡男だからと甘やかしすぎた私にも非はある。貴様の惰弱は我が罪。なれば我が手でその罪は濯ごう。動くなオリアス、私が自ら首を落としてやる」

 

 サウザールが左手を上へ掲げると、その手に青白い魔力が集束していく。

 その光はオリアスに自らの死を強く想起させた。

 

 これは単なる身体強化ではない。

 コイフ伯爵家の血統魔術だ。

 血統魔術とは貴族家に伝わる固有魔術の事である。

 基本的にはその貴族家に連なる者にしか使えない。

 

 コイフ伯爵家の血統魔術は“月光爪”と呼ばれる。

 己が五指を月狼の爪と見做す事で通常の身体強化を遥かに超える強度を指に宿す。

 

 コイフ家当主サウザールの放つそれは五重に重ねた魔法銀を切断する。

 人間の首などは熱したナイフでバターを切るより容易く切り落としてしまうだろう。

 

 跪くオリアスは全身から冷や汗を流し、目をきつく瞑る……事は無かった。

 父であるサウザールの左手から放たれる網膜を焼くが如き死光を真っ直ぐ見つめ、その死を受け入れた。

 

 盆暗オリアスと言えどもその身には野蛮なるアリクス貴族の血が受け継がれている。

 死を前にして、オリアスは覚醒したのだ。

 

 そこへひゅんと月爪の横薙ぎが……オリアスの首の皮一枚の所で止まる。

 

「ふん……。死に際にそんな表情が出来る癖に、なぜ無様に逃げ出す醜態を見せたのだ? だがまあいい、私も別に息子を殺す事を良しとしている訳ではない。この期に及んで逃げ出す様ならば迷うことなく貴様を殺していたが、土壇場でその面が出来るならまだ見込みはある。精進せよ」

 

 詫びと礼をいい、去っていくオリアスを見送ったサウザールは鼻を鳴らし、再び思考をロナリア家に向ける。

 

(小狐は冒険者を囲っていると言う。魔女が拾ってきた金等級冒険者。市井の話では大分“イカれて”いるらしいが、金等級の者達でまともなものなどは居ないから些細な事だ。靡かせられるか? ……無理だな。だが1度見てみたいものだ)

 

 ■

 

 その日、クロウは休日を言い渡されていた。

 ザザ曰く休む事もまた鍛錬……との事。

 超回復だのなんだの、クロウも前世記憶でその辺りは何となく知っていたが、あるいはザザは単純に風俗に行きたいだけなのではないか……とクロウは疑っていた。

 

「でも、休みと言われても何をしたらいいのだろう」

 

 クロウは休みというものが良くわからない。

 休みとは何か? 

 それは仕事の準備をする日である。

 クロウはそう考えて生きてきたし、第2の生を得てからもそんな意気で生活してきた。

 

 さらに三大欲求と言うものがかなり薄い。

 食欲、睡眠欲はともかく、性欲と言うものは皆無に等しい。

 

 この世界で意識を得て、暫くは性欲と言うものがあったのだが、見る見るうちに消えていってしまった。

 数々の死線を潜り抜ける事で神経が麻痺してしまったのだ。

 死に近付く事でクロウは快感にも似た何かを感じている。

 それは性交など比較にもならない程の快感であった。

 性欲より死欲である。

 クロウの脳は死に焼かれている。

 そんなクロウはもはや女の裸などではぴくりともしない。

 

 ■

 

 悩みに悩んだクロウはとりあえず王都を散歩でもするか、と出歩く事にした。

 天気は快晴で、空は青く風は爽やかだ。

 町行く人々の表情は明るい。

 魔族が蠢動している事など考えてもいないのだろう。

 平和な王都の町並みを見て、クロウは勇者としてこの光景を護らねばと改めて誓う。

 

 ■

 

「もし……。金等級冒険者のクロウ様でございますな」

 

 そんな声はクロウが王都郊外の墓地を散歩していた時に掛かった。

 クロウは声の方へと振り返る。

 その表情は余りにも明るい笑顔であった。

 

「何か、良いことでもありましたかな? ……ま、まあそれは宜しい。私はバルバリ。さる高貴なお方に仕えております。実は私の主人がクロウ様に1度会って見たい、と仰っているのです。ついて来て頂けますな?」

 

 クロウの返信はもちろんイエスだ。

 基本的に彼は断わるという事をしない。

 出来る事はイエス、出来ない事だってイエス。

 

「話が早くて助かります、クロウ様。ところで、なぜこの様な場所にいたのかお尋ねしても……? よもやどなたかお知り合いが……?」

 

 事前の調べでクロウの家族はアリクスにはいない事が分かっていた。

 交友関係も洗ったが、親しくしているものは居ても誰も死んだりはしていない。

 

「いえ、やっぱり良い石を使っているなと思ったんです。アリクス王国は死者に敬意を払っているんでしょうね。素敵な事だとおもいませんか? 俺は石について詳しくは無いけれど、見てください。このきめ細かい……滑らかな……そして、艶のある……なんといったらいいのでしょう、石質? を。俺もこんな立派な墓に入れる様な立派な人間になりたい。バルバリさん、あなたはどんなお墓に入りたいですか? 貴方のご主人様はどんなお墓が好きなのでしょうね」

 

 ひゅるると風が吹く。

 バルバリは思わず周囲を見渡した。

 空は青く、風は爽やかだ。

 時は昼過ぎ、暗くなるような時間帯ではない。

 

 それなのに何故かバルバリの背筋はぶるりと震えた。

 



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閑話:ザザ④

 ■

 

 ザザは自身に振るわれる上段からの剣撃を、左手の甲を激しく剣の腹に打ちつける事で逸らした。

 そしてその勢いでそのまま体を左回転に捻り、捻りの動きを右手に持った剣の刺突へと繋げる。

 

 秘剣・流打殺星(ながしうち・ころしぼし)

 

 空いた手で敵手の攻撃を弾き、不吉を象徴する彗星の如き刺突が命を抉る。

 普通ならばこれで勝負は決まっている。

 だが。

 

「心の臓を貫いた筈だがな。何故生きている?」

 

 そうボヤいたザザは、目の前の男の顔を覚えていた。

 数日前、冒険者ギルドでアシュリーに絡んでいた男。

 

 ──“俺が何故銀等級にあがれないんだ”……だったか? 

 

 ザザは僅かに口角を上げる。

 アシュリーはそんな男を見もせず、ギルド規定により……と突っぱねていた。

 それだけならともかく、激昂した男がアシュリーへ掴みかかろうとした時、彼女は伸ばされた手を掴み男の指関節を極めていた。

 あれは見物だったなとザザは内心で嗤う。

 

 銅等級くらい片手で捻り殺せなければギルド職員になんてなれないのだ。

 それがうら若き乙女であってもだ。

 

(まあそれは兎も角、コイツは何なんだろうな。人間か? それ以外か?)

 

 ■

 

 ルイゼからの指名依頼は最近王都近郊に現れると言う辻斬りを始末する、と言うものだった。

 金額もそれなりに積まれたということでザザはそれを受けた。

 先だってのランサックからの礼金で懐は暖かかったが、金というのは使えば無くなる。

 ましてやザザはリリスを毎日の様に指名し、とんでもない勢いでその懐を冷やしつつあった。

 

 件の辻斬りは王都近郊の荒地に現れると言う。

 赤角が討伐されてから荒地は良質な狩場として人気が出てきた所での辻斬り騒ぎだ。

 主に狙われるのは、荒地を狩り場と出来る程度に熟達した銀等級達だ。

 パーティを組めばオーガを倒せる様な連中が次々未帰還というのはただ事ではない。

 

 こういった依頼をルイゼがわざわざ指名依頼で解決を打診してきた、という所にザザは嫌な予感を感じたが金の為だと割り切って受けた。

 

 だがただのならず者を斬ってお仕舞いというわけでもないのだろうなともザザは感じていた。

 なぜならルイゼと言う女は冒険者の死をなんとも思っていないのだ、お気に入り以外は。

 

 だがザザはそれを冷淡などとは思わない。

 それはザザとて同じ事だからだ。

 自身の“お気に入り”以外が生きようが死のうがどうでも良いと思っている。

 

 ともあれ、そんなルイゼが、赤角が生きていた頃でさえ指名依頼などを出さなかったルイゼが動いたと言う事は相応のヤマであると覚悟していたザザではあったが……

 

 荒地で出会ったその男は人間とは言えないタフネスを備えていた。

 

 ■

 

「まぁ、良い。死なないなら、死ぬまで殺す」

 

 ザザが剣を持った方の腕をぐねぐねと動かしたかと思うと、猛烈な踏み込みで男の眼前に移動し、横薙ぎに剣を振った。

 男は剣を立ててそれを防ごうとした。

 

 剣と剣が打ち合わされる。

 だがザザの剣は、男の目にぐにゃりと曲がっているように見え……

 確かに防いだはずのザザの一振りは男の手を深々を切り裂いた。

 

 それからもザザが剣を振るたびに男は傷ついていく。

 男はザザの剣撃を防いでいるにも関わらずだ。

 

 これぞ秘剣・揺らめき

 

 スプーンの先を持って揺らしていくと、まるでスプーンそのものが曲がっているように見えないだろうか? 

 ザザはそれを剣でやっている。

 敵手の防御点を誤認させる幻惑の秘剣だ。

 

 しかし男には心臓を貫かれても死なないと言うタフネスある。

 体を斬られる位では強引に突破されてしまうのではないか……という心配は無い。

 なぜなら……

 

 ──お前が俺を殺そうと思う限り、お前は俺を殺せない

 

 男が斬りかかろうとすると、必ず機先を制す様にザザの剣が飛んでくる。

 しかも斬撃を防ぐ事はできない。

 歪曲する斬撃は男に防御を許さない。

 

 男が剣を振ろうとし、そこを斬りつけられ体勢を崩し……

 ひたすらにそれが繰り返された。

 何度も何度も。

 

 これこそが秘剣・気動殺(きどうさつ)

 

 敵手の殺気の出所を探り、敵手が動く前にそこを斬りつけ攻撃を封じる。

 気動殺を封じるには殺そうと思わない無意識の攻撃か、あるいはザザの攻撃を弾くだけの肉体的な強靭さが必要だ。

 

 ■

 

 全てが終わった時、ザザの目の前にはズタズタになった肉の塊、破片、切れはしがあった。

 だがそこまで切り裂かれても肉の欠片は蠢いている。

 断面図には白い線虫の様なモノ。

 

 ザザは顔を顰め、死体を燃やした。

 

(ルイゼは俺に何を殺らせた? 魔族絡みか……?)

 

 



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3章・第5話:説教

 

クロウの謎の発言にもバルバリは屈しなかった。

とりあえず曖昧に返事をして、クロウを送迎の馬車へと案内をする。

 

だが馬車の中で、バルバリの頭は混乱の極みにあった。

 

(どんな墓に入りたいか、だと?この男は一体何を…。ロナリア伯爵家に囲われているらしいが、まさかコイフ伯爵家に含むものが…いや、しかしそれにしては敵愾心の様なものは感じない…)

 

ロナリア伯爵令嬢からはコイフ家との確執は聞いているだろう。しかしクロウからはコイフ家へ思う所がある…という様な雰囲気は感じなかった。

 

だが、それはそれとして置いておいて、クロウとの会話はどうにも会話が出来そうでいて会話ができない。

主であるサウザールには金等級はいずれも癖が強いと言われていたが、ここまで会話にならないとは、とバルバリはクロウへの警戒を強める。

 

彼はその仕事柄多くの人間達を見てきた為、狂人と呼ばれる者達の厄介さというものは良く分かっていた。

だが問題はその危険性である。

目の前の青年は害を齎すタイプの狂人なのか、それとも無害な狂人なのかを見極めなければならないとバルバリは考えた。

 

「は、墓ですか…そうですな、私は自然が多い場所に葬ってほしいものですな」

 

こういう返しが出来る辺り、バルバリは出来る男であった。

 

「そうですか。自然…。そういえば、荒野に野晒しにして鳥に食わせる鳥葬という埋葬方法があるんです」

 

だが、クロウの言葉にバルバリはまたもや圧されてしまう。

 

「まぁ…お墓の話は置いておきまして…その、クロウ殿はロナリア伯爵令嬢と親しいとお聞きしましたが…?」

 

クロウはふと考えた。

親しいとは何をもって親しいと言うのだろうか?と。

顔をあわせれば挨拶はする、雑談もする事がある。

同じ依頼を共に受けた事がある。

命を救ったり、救われた事も。

だが、親しいとは?

様々な経験を共に積んだが、それは事実でしかない。

親しいというのは何が決め手になるのだろうか。

 

考え込んだクロウを見て、バルバリはおや?と思う。

案外にも割り込む余地があるのでは…?と。

 

「…なるほど、お察ししますよクロウ殿。ロナリア伯爵令嬢と何か確執があるのですな?内容如何では何か相談に乗れるかもしれません。こう見えても私は貴族様方の事情には通じているのです」

 

バルバリが低く、落ち着く様な声色でクロウに囁いた。

クロウはそんなバルバリを頼もしく感じた。

クロウがシロウであった頃、「いつも助かるよ、ところで明日の休みなんだけど会社にこれないかな?」などという雑な要請に笑顔でイエスと答えた男だ。

基本的にクロウは相手の言葉を疑うと言うことをしない。

 

「ありがとうございます。確執はありませんよ、でも何か人間関係で悩んだらお言葉に甘えて相談させて下さい」

 

クロウの言葉にバルバリはにこやかに頷いた。

(流石にまだそこまで信用はしてこないか…だが何か双方の関係に問題がある事は確か。サウザール様に報告しなくては)

 

 

やがて馬車はコイフ家の前に到着した。

コイフ伯爵家の屋敷は貴族のそれとしては一般的なものだ。屋敷の大きさも、庭の広さも。

 

ただし、この屋敷には一つだけ他の屋敷と違うところがある。それは、敷地内のあちこちに魔法が仕掛けられていることだ。それも、殺傷能力の高いものばかり。

 

バルバリがそれをクロウに説明し、決して勝手に歩き回ってはいけないことを伝えると、クロウは神妙な様子で頷いた。

 

(さすがの金等級冒険者も当家の物々しさに恐れをなしたか)

 

バルバリは思うが、それは違う。

クロウが神妙な様子なのは、彼の目にはコイフ家はまるで神社仏閣の様に神々しく見えたからだ。

 

ともあれバルバリはクロウと共に屋敷に入っていく。

二人は応接室へ向かうが、向かい側から金髪の女性が歩いてきた。

 

「おや、バルバリ殿。御用を済ませて来たのですか、ああ、そちらがクロウ殿ですね。お噂はかねがね…。わたくし、コイフ家の警備隊長を務めておりますキュウレと申します」

 

キュウレと名乗った女性は朗らかに自己紹介をした。

短く切りそろえた髪型はその長身と相まって凛々しく見える。

 

「キュウレ殿はかつて冒険者でもありまして、銀等級でも上位の剣士として辣腕を振るっておりました。当家がその力を見込んで声をかけた次第でございまして…」

 

なるほど、とクロウは改めてキュウレを見る。

にこやかに微笑んではいるが、その佇まいには隙が無い。

当主が招いた者とは言え本質的にはクロウは異物だ。

警戒をするのは当然…

 

(当然…なんだけれど、少し警戒心が強い気がする)

 

クロウは内心で首を傾げる。

 

◆◆◆

 

あの悪名高い血泪がやってくるとは!

キュウレは内心で盛大に顔を顰めていた。

血泪のクロウと言えば金等級でも一等の厄物である。

趣味は敵対者の首を引き千切り、血を浴びることだとか。

流れ落ちる血がまるで涙のように見えた事から血泪という異名がついたらしい。

 

キュウレは既に冒険者として活動こそしていなかったが、冒険者時代のツテで情報収集は怠っていない。

コイフ伯爵家は敵が多く、敵対貴族が冒険者を雇う事もままある為だ。

 

だが、とキュウレは疑問を覚える。

聞きしに勝る…どころではない。

むしろ、隙だらけに見える。

本当に金等級なのか?

実力の程は話では聞くが、実際はどうにも…冴えない様子だ。

 

(少し試してみましょうか)

 

キュウレはほんの少しの殺気をクロウに浴びせた。

その瞬間、目の前の冴えない青年の目がどろりと蕩けた。

 

 

殺気の鎖がキュウレを縛りつける。

クロウの意思を察したコーリングがチリリリリと震えだすと、クロウの足元から冷気が這い、屋敷の床に霜つかせていく。窓の外から見える木々の葉がざわめく。クロウの両の腕の筋肉が音を立てて膨張していく。

 

キュウレは見た。

クロウの背後に漂う何かを。

怒りに表情を歪ませた赤い鬼、細い人指し指を突きつけてくる白い衣を纏った女、青い剣を握った青い肌の女性、その他にも色々、色々と…。

 

その幻影のような何かはフッと消えるが、それでもキュウレは動けない。殺気の鎖が四肢を縛りつけているからだ。

いや、動こうと思えば動けるかもしれない。

彼女とて練達の剣士だ。殺気の1つや2つは浴び慣れてきている。

だが練達の剣士だからこそ、自身の命運がここで尽きた事を理解してしまった。

ゆえに動けない。

 

 

「何事だ!なぜ我が屋敷から魔域化の兆候が出るのだ!」

 

魔力をふんだんに含んだ一喝が殺気の縛鎖を砕いた。

声の主はこの屋敷の主、サウザール・コイフその人だ。

ギラギラと白く光る牙の様な魔力の波濤がクロウからドロドロと漏れる不穏な魔力をかき消していく。

 

サウザールはクロウに気付くと訝しげに目を細めた。

「君は……君が、クロウか」

 

 

「なるほど、キュウレが試しの積もりで殺気を当てたらクロウ殿が…」

 

はあ、とサウザールはため息をつきながら言った。

今にも消えてしまいたいという様な表情を浮かべているのはキュウレ、そしてクロウである。

 

応接室で二人はサウザールから説教を受けていた。

 

「良いかね、クロウ殿。君が戦意溢れる有能な金等級冒険者だと言うのは分かる。しかし、自身に向けられるモノの真贋を見極める目くらいは養ったほうが良い。君はあれかね?自身へ害意を向けるものすべてを殺しつくすつもりかね?今回の一件、いたずらに君へ殺気を向けた当家の者の失態だが、君の反応は過剰すぎる。当家へ宣戦布告をしたかったわけではあるまい?」

 

はい…とクロウは小さい声で答えた。

 

普段のクロウならばあんな殺気に過剰反応はしないのだが、どうにも魔族との戦いから心が猛ってしまっている。

魔族を1人殺害する事で力を増大させた弊害だ。

増した力を御する心が養われていないのである。

 

もっともクロウが心を御せた事などただの一度もないのだが…。

 

まあ今回の一件を例えるなら、町中でちょっとガンを飛ばされただけでナイフをもって追いかけまわすようなものなので、クロウが神妙にするのは当然である。

 

「君もだ、キュウレ。ぱっと見てそこまで強くなさそうだから試した、だと?金等級はかの魔女が選定している。すべて危険人物なのだと何故わからない?あれかね?馬鹿は死なないと分からないというやつかね?」

 

キュウレは目の端に涙を浮かべて平謝りである。



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3章・第6話:敵

 

酒場でちょっと絡まれたくらいで、報復として酒場を爆破したとして、それは正当な行為だと言えるだろうか?

いや、言えない。

 

街で肩を故意にぶつけられた事の報復として殺してしまったとして、それは正当な行為だと言えるだろうか?

いや、言えない。

 

軽い気当たりをされたからといって、魔域化に至る程の殺気交じりの魔力を垂れ流すと言うのはこれは過剰である。

 

仮に王都の、しかも貴族の屋敷を魔域化を許してしまえば、アリクス王国はクロウを討伐対象として首に懸賞金をかけねばならない。

その場合は金等級が複数、あるいはルイゼが動くだろう。

 

前者ならまだ逃げ延びることが出来るかもしれないが、後者ならどうにもならない。コーリングが全力で加護を授けたとしても、クロウは死ぬしコーリングは圧し折られる。少なくとも現時点では。

 

本人としてもそんな死に方は不本意だろうし、王都の者からしてもたまったものではない。

 

 

クロウは一応事情をサウザールへ説明をした。

話が魔族のそれに至った時には驚いた様だったが、アリクス王国の貴族で魔族の跳梁跋扈を知らない者、もしくは軽視する者は余程の楽観者である。

 

「実は君の事を少し調べたのだ。昔は大分暴れていたそうだが、最近は落ち着いてきたそうじゃないか。だが今の君を見る限り、落ち着いている様には見えぬ。これは君の器が増大する力を収め切れていない事の証左ではないかね。貴族にも君の様な者がいるよ。貴族とは元より大きな魔力を宿しやすいのだが、たまに出るのだ。身の丈に合わぬ力を持て余して狂を発した者がね」

 

そういう人はどうなるのか、とクロウが尋ねる事はなかった。そんなもの、殺されるに決まっているからだ。

 

「いいかね、クロウ殿。因果は釣り合っていなければならない。キュウレのやった事は愚かではあるが、それに対してアリクス王国全体から敵視される様な真似をするというのは馬鹿のする事だ。キュウレ、来なさい」

 

サウザールがキュウレの名を呼ぶと、キュウレはなにやら覚悟を決めたような表情でサウザールの前へ立った。

 

「私が招いた客への無礼…その実力を試そうとした傲慢さ」

 

サウザールがそう言うと同時に、パン、とキュウレの頬を叩いた。それは決して強い打擲ではないが、客や召使い達の前での打擲は、気位が高い者は恥だと感じるだろう。

 

「この様なものだ。何事もつりあっている必要がある。これは全てに通じる事だ。戦いにも、政治にも、だ」

 

クロウは神妙な顔をして頷いた。

そして同時に、この真っ当すぎる様に見える貴族が何故あの様な真似を…?と疑問に思った。

脳裏を過ぎるのは盗賊団黒屍の一件だ。

 

クロウは基本的に相手の力に、特に権力にビビると言う事は無いためストレートに訊ねた。

 

「コイフ伯爵は立派な貴族に思えるのですが、なぜ盗賊団を使い多くの人々を殺めていたのですか?」

 

それを聞いたバルバリ達使用人はぎょっとした表情を浮かべ、キュウレはバッとサウザールを見た。

当のサウザールは無表情だ。

 

「黒屍とか名乗っていた盗賊団の事かね?コイフ伯爵家は彼等とは関係ない。が、世間ではその不逞の者らがコイフ伯爵家の手の者だと思われている。勿論否定はしているがね。誰も信じない。良いか?仲が悪い事と敵対している事は別だ。確かにコイフ伯爵家はロナリア伯爵家とは不仲だ。ロナリア伯爵家の小賢しさは好かぬ。いや、嫌いだ。だが敵対しているわけではない。まあ我々が敵対していると思ってくれていた方が都合が良い面もあるがね……」

 

なるほど、とクロウは納得した。

要するにその敵対する家の手の者か、と。

クロウがそんな事を思っていると、サウザールは忌々しげに続けた。

 

「追っている者がいる。外法の術者だ。ロナリア家の御用商人カザカス……の皮を被っていた男。ここ最近、アリクス王国の貴族間の諍いが増えている。少しずつ少しずつ増えているのだ。深刻な諍いとなり、片方の貴族家が取り潰された事もある。これはその術者が糸を引いているのではないか、と私は考えている。問題はなぜそんな事をするかだ。今アリクスは周辺諸国との関係は良好だ。裏ではどうか分かったものではないが、少なくとも表向きは。仮に諸外国の手の者でないとすれば何処の手の者か……」

 




この回を持ってハメ版Mementoはハメ版サバサバと共にチラ裏へ移動させちゃいます。評価、感想欄は閉じました。
後はババババーっと完結までいっちゃいたいです。
年内完結を目指します。
ただサバサバの絡みもあるため、或いはこの作品もサバサバも完結終了させ、2作の合作と言う形で新しくチラ裏に作品を投稿し、そこで完結させるかもしれません。


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3章・第7話:芽

 ■

 

 クロウとサウザールはそれからも屋敷で会話を続けた。説教はそこそこに、後は他愛の無い話だ。

 クロウは貴族との会話にしてはいやにカジュアルだなといぶかしんだが、ともあれ話し易いに越した事は無いと割り切り聞かれたことにバンバンと特に何も考えずに答えていった。

 

 普通なら貴族がこういう姿勢を見せてきたならば何がしかの策謀かなどと疑うものなのだが、クロウはそんな事を夢にも思わない。貴族にしてはフランクだな、と思うのが精々だ。

 

 こういった人物は一般的には食い物にされて終りだが、クロウはロナリア家とルイゼが陰日向にと庇護をしていた為、貴族の策謀の餌とはならずに済んでいる。

 

 まあルイゼがクロウに便宜を図る為に何か直接的に動いたと言う事はないのだが、彼女が目をかけているという一点が周囲の者からは庇護に見えるという事だ。

 

「ああ、そうだ。バルバリ、オリアスを呼んで来なさい」

 

 サウザールとしては考えていたよりは多少マシだと分かった息子とクロウの関係を修復して置きたかった。

 とはいえ、クロウを見る限りでは両者の関係には然程亀裂ははしっていなさそうではあるが。

 とはいえ楽観視はしていない。

 

 仮にクロウの態度に僅かでも怒気の影が見えればすぐにでもオリアスを引っ込める積もりであった。

 出来が悪い息子ではあるが、1度はこの手で処断しようとしたほどに出来が悪い息子ではあるが、理不尽な死をくれてやりたいと思う程に親子の情が無い訳ではない。

 

 ■

 

「オリアス、参りました」

 

 やがてオリアスが応接室へやってきた。

 そしてクロウの事を見るなり、その目を大きく見開く。

 

「オリアス。彼はクロウ殿だ。金等級冒険者……であるのはお前も知っているな。彼に王宮の一件を詫びておけ。理由は分かるな?」

 

 サウザールの確認にオリアスは頷いた。

 そしてクロウの前に立ち、頭を下げた。

 アリクス王国において貴族は滅多に頭を下げない。

 プライドの問題……と言うのもあるが、アリクス王国では頭を下げると言うのは“いつでも貴方の意思で私の首を落としてください”という意味の所作であるからだ。

 翻っては、これは最大級の謝意を意味する。

 

「気にしていません、オリアス殿」

 

 クロウは言葉少なにそう告げるのみであった。

 これは不機嫌であるからと言う事ではなく、単純にこういったシーンで気が利いた事を言えないだけである。

 そんなクロウの性質をサウザールはこれまでの雑談で見抜き、謝罪は十分と判断した。

 

「クロウ殿、折角だから食事をしていったらどうだね。キュウレの不手際の侘びの意味もある」

 

 クロウは特に深く考えずにそれを了承した。

 サウザールは思っていたよりまともな貴族であったし、オリアスの侘びは僅かに残っていたわだかまりを解きほぐした。コーリングは静かにしている。ならば断わる理由は無かった。なるほど確かにロナリア家との確執はあるのかもしれない。だがそれはロナリア家とコイフ家の問題であって自身には関係の無い問題だ。

 

 クロウは本人の気質として恩のある個人の頼みは何でも感でもYESと答える悪癖があるが、それが組織となると本人にも気付かないうちにややとした冷淡さを滲ませる。

 

 それは前世における彼の経験がそうさせるのかもしれない。組織と組織の争い、この場合は貴族家と貴族家の争い、確執、諍い、このようなものにはクロウ本人の深層心理の更に奥深くで拒否反応が出るのだ。

 

 ともあれ、クロウが初めて面識を得た貴族の誘いに是と答えたのはこのような思考を経ての事であった。

 

 その日の夕食でクロウとオリアスはそれなりに会話を重ねた。クロウはオリアスがかつて王宮で会った時とは様変わりしている様子にやや驚きながらも、その変化を好ましいものとして受け入れた。

 

 オリアスが精神的に一皮剥けた理由は、やはり父であるサウザールから殺されかけた事が大きいだろう。

 人間性というものは容易くは変わらないのだ。

 例えば犯罪を犯したものがいて、懲役を務めたとする。

 その者は更正するだろうか? いや、しない。

 懲役程度では人は更正などはしない。

 

 人が真の意味で変わるには、刺激的で凄惨な切っ掛けが必要だ。例えば自身が死に瀕するか、あるいは家族や大切な相手が死ぬかである。

 オリアスはその前者の経験を経た事で運よく精神的良好さを保ったままに成長できた。

 

 勿論そういった経験を経てもゲスはゲスである、という場合も決して少なくは無い。

 その時はどうすればいいか。

 アリクス王国の善良な貴族の多くはその答えを知っている。

 

 “殺してしまえ”だ。

 

 ■

 

「じゃあな、クロウ。また来てくれよ」

 

 ああ、とクロウはオリアスへ手をあげ、送りの馬車に乗り込んだ。二人の青年の間に僅かながらの友情に似た何かが芽生えた瞬間である。

 

 サウザールは貴族的打算からそれを良しとしたが、同時に単純に親としての情からもそれを良しとした。

 

 この友情の芽はやがて戦乱の世という土壌で大きく育っていく。

 



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3章・第8話:王都の夜

 ■

 

 バルバリは闇夜に紛れ、ロナリア伯爵家へ向かっていた。

 懐にはだんびら…ではなく、密書を吞んでいる。

 サウザール・コイフからロナリア伯爵への密書だ。

 バルバリは歩を進めながらある光景を想起する。

 

 ◆

 

「バルバリ。これをロナリア伯に届けよ。ロナリア伯爵家ではない、ロナリア伯爵に届けるのだ」

 

 サウザールは書き上げた密書、そして懐から白い爪をピアスへ仕立てたものを取り出し、バルバリへ手渡した。

 

「これを見せれば余計な事は聞かれず、直接ロナリア伯に通されるはずだ」

 

 その時のサウザールの様子は無表情ながらも、バルバリには何やら敬愛する主の精神がささくれ立っているかのように感じた。

 

 ◆

 

 サウザールがバルバリへ託した密書の内容は、在る1つの懸念についての警鐘だ。

 

 彼は、サウザールは不気味な気配を感じていた。

 それは例えるならば、大きく立派で表面が滑らかで艶やかな石をひっくり返してみたら、毒虫が大量に群れを成していたのを見てしまった…という様なゾワゾワした不快感であった。

 

 アリクス王国に何か不穏なモノが入り込んでいる。

 これは多少なり能のある貴族ならば薄々感づいている事だ。

 不穏な何かは貴族間の連帯を傷つけ、仲違いさせ、いがみ合わせようとしている。これもまた多くの貴族が感じ、懸念している事である。

 

 だがサウザールが、いや、能ある貴族の多くが懸念しているのはここまで分かりやすく明らかに動かれて、全く尻尾をつかめないという事だ。

 

 いや、怪しい人物は何人かいる。

 しかし実際にそれらの人物を捕まえようとすると忽然と姿を消してしまうのだ。

 

 それらの人物の多くがコイフ伯爵家、そしてロナリア伯爵家の関係者であると言うのは……

 

 

 ◆◆◆

 

「成り代わり、ねぇ」

 

【挿絵表示】

 

 不機嫌そうに顔を背け、ジョアンナ・ゼイン・フォン・プピラ女公爵はボヤいた。

 

 くすんだ金色の髪の先をいじりながらジョアンナは虚空に目をやっている。何かを想い悩んでいるかの様な様子の主に侍女が目をやるが、やがてジョアンナはぱちぱちと激しく瞬き、大きくため息をつく。プピラ家当主ジョアンナは時折この様に虚空を見つめる奇癖があった。

 

 彼女が口にした成り代わりと言うのは、人魔大戦から何度も何度も使われてきた魔族側の常套撹乱戦術である。

 

 人魔大戦はヒト種と魔族の戦争だが、この戦争の形と言うのは回を重ねる毎にそれなりに洗練されてきている。

 洗練といっても良い意味ではない。

 

 魔族側が学習をしてきて、謀略の類を駆使しだしてきたという意味だ。このなり代わりと言うのも、第二次人魔大戦から使われてきた戦略である。これは文字通り、ヒト種に化けて人類を内部から瓦解させようとする類のものであった。

 こういった暗謀は人類間の戦争であっても似たような事は行われてきたのだが、魔族の使うそれはやや毛色が違った。

 

 “影の相貌”と呼ばれる魔族がいる。

 これは魔族にしては脆弱であり、少々腕に自身がある騎士ならば単身で切り伏せることが出来る程度の力しか持たないのだが、恐るべきはその特殊能力だ。

 

 簡単に言えば人に化ける。

 いいや、正確にいえば人格の乗っ取りだ。

 化ける対象を殺し、対象の記憶や経験、生来の癖などを全て乗っ取ってしまう。

 

 これの何が問題かといえば、見分ける術がないのだ。

 まあ救いが無いわけではない。

 自身の手で殺さないと乗っ取ることができないのだから、身辺警戒を厳にする事で乗っ取りを防ぐ事が出来る。

 ここがミソだ。

 自身の手で殺さなければ乗っ取りは出来ない。

 この辺りの制約を見るに、乗っ取りが種族由来の特殊な能力ではなく、自分で殺す事を起動条件とした術の類である…と唱える研究者もいる。

 

 現に、この乗っ取りを再現した外法の術も存在する。

 他者を殺し、その皮を被る事で身体を変容させる術だ。

 これはロナリア伯爵家の御用商人であったカザカスを殺し、その皮を被った術師が行使した。

 もっともこの術には非常に致命的な欠陥もあるのだが…

 

 ともかく身辺警戒で乗っ取りは防げる。

 しかし、ヒト種のすべての個体に対してそのような対策を打つことは出来ない。ここが不味い。

 従って、一般市民から末端の兵士、末端の兵士からその上役である兵士長…と乗っ取りが繰り返されると、その魔手はやがて貴族にすら及ぶだろう。

 

 当然その辺りはヒト種側も警戒をしているのだが、それでも犠牲は出る。よって、成り代わりはヒト種側にとっては使われることが分かっては居ても防ぎづらい非常に嫌な謀略なのだ。

 

 まあ魔族側はこの迂遠さを嫌って、強者であっても強制的に魔に染めてしまえと思う者もいる。

 そういった者らが降魔薬の開発に繋がったわけだが、その辺りの事情はヒト種は知らない。少なくとも今は。

 

 ◆◆◆

 

 ジョアンナを初め、アリクス王国の上級貴族はこの成り代わりがいかなるものかを知っている。

 知っているからこそ、それを喧伝しない。

 そもそも尋常な手段では見破ることが出来ないのだ。

 公開した所で混乱が広がるだけなのは目に見えている。

 

 ジョアンナは脳筋ばかりのアリクス貴族でも珍しく情報と言うものに重きを置いており、コイフ伯爵家とロナリア伯爵家の周辺が臭いという情報を既に掴んでいた。

 

(何も気付いていない様なら忠告をしなければ、とおもっていたけれど、自分達で動いてくれるみたいだし助かるわね。それにしても嫌ねえ、成り代わりが出てくる時はいよいよ戦争が近付いている、と言う事よねぇ)

 

 ほうっとため息をつくジョアンナは、この鬱々した気分を少し変えたいと思い、流し目で侍女をみやる。

 ジョアンナの視線を受けた侍女は頬を赤らめながらジョアンナへ近付いていく。



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3章・第9話:頑張る

 ■

 

 ある日、ギルドの修練場でクロウは剣を振っていた。

 朝から晩までだ。

 ここ最近毎日クロウは朝から晩まで剣を振っている。

 一振り一振りに魔力を込め、型を意識し、上段から振り下ろしていた。

 既にその手の掌からは血が滴っている。

 明らかなハードワークなのだが、誰もそれを止めようとはしなかった。

 ルイゼが“好きな様にやらせてみましょう”と言ったからだ。

 

 通常、クロウ程の魔力があるならば剣をいくら振った所で疲弊したりましてやマメが潰れて血が出るなどと言うことは無い。

 要するに今クロウは通常ではない振り方をしているのだった。

 

 イメージするのはあの下魔将オルセンである。

 ランサックとザザが駆けつけてこなかった場合、あの時死んでいたのはクロウであっただろう。

 魔剣の加護如何ではわからないが、少なくとも無事で済んだとは考え辛い。

 クロウも戦場に身を置く者である以上、それくらいはわかっていた。

 

(魔王はオルセンより強いんだろうな)

(勝てるのか)

(今のままではだめだ)

 

 クロウは考えに考え抜いた。

 そして1つの結論を出す。

 それは“頑張る事”である。

 

 頑張るとは何か。

 それはクロウの価値観では死ぬ寸前まで何か1つの事を継続する事を言う。

 命が損なわれないようなレベルの努力は“頑張る”とは言わない。

 仕事しすぎて死んだ、勉強しすぎて死んだ、要するにそういうレベルで何かに取り組んで初めて頑張ったと讃えられるべきなのだ。

 ……とクロウは考えている。

 

 だがこれまで本能のまま剣を振るってきたクロウには、何をどうすれば強くなれるのかがさっぱりわからなかった。

 だからこそザザやシルファに教えを乞うたのだが、どうにもクロウが異質すぎて彼等のやり方をこれっぽっちも理解出来ない。

 結局、自身に合ったやり方と言うのは自身で見出す必要がある。

 

 そう考えたクロウはただひたすら剣を振るという鍛錬法を思いついた。

 ただ愚直に振るわけではない。

 一振り一振りを人生最期の一撃と見做し、時には目を血走らせ、時には血が出るほどに唇をかみ締め、歯を食いしばり、この一撃で仮想の敵が切り伏せられなければ友人や知人が、シルファやランサック、ザザ、セイ・クー、シャル・ア、ドゴラ、アシュリー、とにかくみんなみんなみんな無残に殺されてしまうのだ、と妄想しつつ必死の思いで剣を振った。

 

 そして、当然仮想の敵なんかそもそも実在しないんだから斬り殺せるはずもないわけで、クロウの一振りは虚空を斬るだけに留まり、しかし妄想の中でクロウは仮想のオルセンの逆撃で殺されてしまう。

 

 これは単なるイメージトレーニングだろうと言う人もいるだろう。

 だがもはやクロウにとってはイメージトレーニングではなかった。

 クロウは正真正銘で目の前にいるはずもない仮想のオルセンを殺す事で実際のオルセンを殺そうとしたし、その妄想中での反撃でクロウは死に値するほどの衝撃を心身に受けていた。

 

 妄想失血により唇は青褪め、妄想打撃によりクロウの膝が落ちる。

 手が震え、体が震える。

 

 もうこうなるとわけがわからない。

 クロウの中で、現実と妄想の境界線が曖昧になっていく。

 

 やがて虚ろな意識で放った一振り。

 魔力のみならず精も根も、命まで込められた一撃はあらゆる剣理に照らしても無謬の一振りで、その純粋な想いは1つの術を為した。

 

 ■

 

「……ッな、なにィ!?」

 

 下魔将オルセンが自身の屋敷でくつろいでいた時に“それ”は起こった。

 突然左腕が引き裂かれたのだ。

 幸いにも傷は浅い。しかし高度な護りの魔法がかけられた自身の屋敷でこのような蛮行が起きるなど、オルセンには信じられなかった。すわ刺客かとあわてて周囲を見渡すも誰もいない。

 隠蔽看破の魔法をもってしても曲者らしき存在は居ない。

 散々に捜索をして、それでも下手人も原因もわからなかったため、結局オルセンは捜索を打ち切った。

 歴戦の戦士である下魔将オルセンといえども、まさかその一撃が空間を越えたクロウの呪詛めいた斬撃だとは思わなかったであろう。

 

 それは偶然の術式起動だ。

 切なる思いの前では大陸間の距離などは無いにも等しい。

 クロウの一撃は距離を無視して標的を断斬する呪いの斬撃術式となりオルセンを傷つけたのだ。

 

 とはいっても現在のクロウでは任意にこれを発動せしめることは出来ない。

 単純にそこまで高度な術を扱えるほどの実力がないのだ。

 先の一撃を放ったクロウは疲労困憊してしまい、その場に倒れ意識を失ってしまった。

 そういった術が起動した事自体もクロウは気づいていない。

 倒れたクロウをみたギルドの職員があわてて駆け寄り、担ぎだし、医務室へと連れて行く。

 凄まじいまでの心身の消耗にギルド専属の癒師は仰天したという。

 

 後にこの斬撃術こそがクロウを勇者足らしめる…かどうかはまだ誰も分からない。



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閑話:ザザ⑤

2本連続でいれてます。


 ■

 

 ザザはリリスの全身を余す所なく目に焼きつけているし、指も舌も触れていない場所などはない。

 唯一あるとすれば、その心である。

 だがそれでいいとザザは思う。

 

(心など、自身の心ですら掌握出来ないと言うのに他人のそれなど分かるわけはないのだ)

 

 結局の所、人は他人の心に触れる事など出来やしないのだろう。

 触れたと思っても所詮それはまやかしで、思い込みに毛の生えた様なモノだ。

 ザザはそんなヒネた考えを頭に浮かべるが、同時に真逆の事も考えてしまう。

 心に触れたい、近付きたいと思う事ことが尊いのであろう、という甘な考えだ。

 

 要は行動である。

 “私はあなたと親しくなりたい。だから理解できるように、また理解してもらえるように努力しますよ”という姿勢が大事なのだ。

 そういった姿勢は、行動は目で見て分かるものだ。

 他者には見えぬ心というわけのわからぬ何かを、行動する事で少しでも表に見せる、大切な相手に示す…それが所謂誠意というやつなのではないか…

 

 ………と、ザザはリリスの胸に埋まりながら考えていた。

 実に益体もない考えである。

 ばぶばぶという擬音すら聞こえてきそうな程にリリスの胸に甘え倒すザザの姿には、歴戦の金等級の威厳は欠片も無い。

 

 ザザと言う男は基本的に信じられるのは自分のみ、いや、自分でさえも肝心な時には裏切るのだ、などと斜に構えているどうにも処置のしようが無いペシミストなのだが、それでも根がどこか甘ったれているため、1人はいいけど独りは嫌だ、などと心の何処かで考えてしまっている。

 少なくとも支払った金の分だけは裏切られない…それが風俗通いに繋がっているのだ。

 

 そう!

 ザザは口では何をいってようが、要するに心の通い合う相手が欲しいとおもっているのである。本心では。

 それが叶わないのはひとえに彼の心の脆さが原因だ。

 

 剣の腕こそべらぼうなものだが、心はヨワヨワなのがザザである。

 しかし、そんな彼を好む女というのは案外に多い。

 見た目はかなりの男前だ。

 女に乱暴を働くこともなく、社会的にも高い立ち位置である金等級という地位を築いている。

 それでいてえばったりもしない。

 

 だがザザとて自身に向けられる目の質と言うものくらいは分かるが、それでも信じきる事が出来ないのだ。

 陳腐な言い草ではあるが、信じてもらうためにはまずは自分から信じなければ話にならない。

 そして人と人の関係の良い形というものが互いに信じ合うモノだとするならば、ザザが自身の心の保身をする限りは彼が本当に欲しがるモノは得られないであろう。

 

 ザザは本人は認めたがらないだろうが、実は怯えている。

 今はいい。

 たとえ孤独だろうがなんだろうが、自身の剣腕で如何なる障害も切り伏せられよう。力づくでどうにかなる事というのは世の中に沢山ある。

 だが、この先はどうだ?

 戦いで深手を負い、剣を握れなくなったら?

 あるいは老いて体が戦場に耐え切れなくなったら?

 今でこそ、そうなれば潔く死んでしまえばいい、と思っている。

 だが、この心の強さというものは体が弱ったときも同じように維持できるものなのだろうか。

 そもそも……

 

 ――そんな投げやりな気持ちが果たして“強さ”といえるのか?

 

 ザザはリリスのち◎びを舌で転がしながら自分のなにやら薄暗い靄で覆われた未来を想い嘆いた。

 

 ■

 

「ザザ様。色々考えすぎです。体に悪いものがたまっているから良くないことを考えてしまうのではないですか…?」

 

 リリスに後頭部をなでてもらいながらザザは“それもそうだな”と気を取り直し、盛大にばぶばぶしはじめた。

 



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3章・第10話:まとも

 ■

 

 クロウは剣の奥義の階へと足を掛けたものの、いまだそこには再現性はない。

 あくまで偶然の一振りであり、奇跡の産物だ。

 とはいえ、力任せ、魔力任せで他に取り柄がない彼が剣士として1つ成長した事には間違いはなかった。

 

 修練場で倒れたクロウを見つけたのは他の冒険者達だ。

 彼等は慌ててギルドの職員へクロウの事を告げると、ギルド専属の癒師が押取り刀で駆けつけてきた。

 

 

 ■

 

「いいかい。魔力と言うのは普通枯渇寸前まで使ったりはしないんだ。急性の魔力欠乏は死に至る場合もある。危険な事なんだ。これは銅等級のヒヨコでも知っている事だ。翻って君はなんだい。金等級であるというのに……」

 

 癒師の青年がクロウに説教をする。

 イカれてると評判のクロウに真正面から説教をかませる者というのは案外に少ない。

 

【挿絵表示】

 

 金色の髪の毛には独特の癖があり、所謂天然パーマのそれの様な髪型の青年であった。

 甘さ、純粋さ、凛々しさ、このあたりが絶妙に交じり合った中性的…というよりは見目だけに関しては少女的と言っても過言ではない。

 外聞的に余り宜しくない趣味の者からすれば垂涎の外見といえよう。

 

 碧空の様な蒼い瞳からは凍気を宿したかの様な冷たい視線が放たれ、それは真っ直ぐにクロウを射抜いていた。

 

 クロウも特に反論はない。

 癒師の青年、アレクサンドル・フォン・レーゲンは貴族の三男だが、いわゆるコネで冒険者ギルドの専属癒師として働いている。

 彼が貴族として振舞う日が来るとしたら、レーゲン男爵家の当主が死に、長男が死に、次男が死んだその後であろう。

 ちなみにアレクサンドルは癒しの法術を扱うが、東西両域に於ける最大規模を誇る中央教会所属の聖職者と言う訳では無い。

 彼は医神アリッサを奉じている。

 医神アリッサは元は人間であったが、生涯を医術の発展に捧げた偉人だ。

 この世界では卓越した功績を挙げた人間は神格化される。

 

 アレクサンドルは以前よりクロウとは面識があった。

 それはクロウがとにもかくにも滅茶苦茶な依頼を受けて満身創痍で帰還してくるからだ。

 アレクサンドルはクロウの同性の恋人でも何でもないというのに、クロウの体のそれこそ隅から隅までもを目にしている、そんな関係である。

 もちろんいかがわしい意味ではない。

 診察的な意味でである。

 

 癒術といってもその宗派により色々あるのだが、医神アリッサを奉じる癒師は実際に患者を触診する必要がある。この場合、法神教の癒術などは癒すというより逆行のそれで、本来の肉体の状態へと無理矢理“戻す”性質の術であるが、これは非常に消耗が大きい。

 

 未熟なものが扱えば中途半端にしか戻せず非常な激痛も伴う。

 

 医神アリッサの癒術の場合はどちらかといえば肉体の再生力を利用したものであり、術師の消耗はそこまで大きくは無い。

 一口に術といっても色々あるのだ。

 

 やがてアレクサンドルは厳しい表情をふっと緩め口を開いた。

 

「それにしても訓練で癒師の世話になるなんてこれまでなかったんじゃないか?というより君は訓練なんてしてこなかった気がするが…どんな風の吹き回しなんだい?」

 

「うん、力任せで戦うにはそろそろ限界が来た気がしてね。かといって俺にはザザさんみたいな剣士にはなれない。それを相談したら、素振りから始めろって言われたんだ」

 

 アレクサンドルの問いにクロウは答えた。

 これは正確ではない。

 ザザはあくまでも、素振りは基本ではあるが…とボカしていた。ザザほどの剣士であっても、効率的にクロウに剣術を仕込むにはどうすればいいか迷いがあったのだ。

 

 クロウはそれを拡大解釈したに過ぎない。

 とはいえ、何度も何度も素振りを繰り返すにつれてクロウの剣からは無駄がそぎ落とされていった事は間違いない。何事も継続は力なり、といった所なのだろう。

 

「まあ無理はしない事だよ。加減が大事なんだ、何事もね。例えば訓練にしたって、過度なものになれば体に疲れが溜まって行って普段より体が動かなくなるんだ。そうして訓練の効率が下がり、結果としてジワジワと鈍っていってしまう…と言うような事が起こるんだよ」

 

 クロウはそれを聞いてさもありなんと心中で頷いた。

(オーバートレーニングとかそういうものかな)

 

 そういえば、と“以前の世界”での事を思い出す。

 ボディビルダーの人というのは何がどういう理由だか分からないが、急死したりしてしまう事が結構あったのではなかったか?

 

「余り根を詰めるのも良くないのかな」

 

 クロウが我知らず呟くと、アレクサンドルはにこりと笑い…

 

「うん、そういうことだよ。君も少しは分かってきたみたいだね。殺したり殺される事だけ得意な蛮人かと思ってたよ。ちゃんと物を考える事も出来るみたいだね」

 

 アレクサンドルはそういいながら、クロウの頬へ手を当てた。クロウはアレクサンドルの冷たい指先から清涼な何かが頬を伝い流れ込んでくるのを感じる。

 

「…うん、少し疲れが溜まってるみたいだ。今日はもう帰って休むといいね」

 

 クロウはその言葉に特に逆らう事もなく、首肯する。

 少し前までのクロウならば、休めというのは要するに死ね、いますぐ自殺しろ、という意味であると捉えたであろうが、今のクロウはそんな誤解はしない。

 

 それはクロウがまともになった…と言うよりは、バグだらけのコードを走らせて見たところ、理由は分からないが正常に起動してしまった…と言うものに似ていた。

 



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閑話:ザザ⑥

 ■

 

 ザザがいつものようにリリスにバブバブした翌日、娼館を出るとなぜかエスタが居た。

 エスタは控えめに見ても機嫌が良いとは言えず、ザザを力の籠った目で睨みつけている。

 

 しかしザザはそんなエスタにちらりと目を向けたきり特に声をかけることもせずに去っていこうとした。

 

「待ちなさい、ザザ!」

 

 怒声が響く。

 周囲の者達が何事だとザザ達を見ていた。

 

「……なんだ、エスタ。用事か」

 

 ザザは気がない様子でエスタに答えた。

 別にザザはエスタを避けているわけでも嫌っているわけでもない。

 ただ、友人でもなければ体の関係にあるわけでもない相手などどうでも良いだけであった。

 

 確かに昔、エスタがエルフの里からかどわかされ、奴隷商人の馬車に乗せられていた時に助けたのはザザだ。

 しかし別にそれはエスタ個人を助けたわけではなく、とある筋からエルフ救出の依頼を受けたからでしかない。

 

 奴隷商人の護衛をバッタバッタと薙ぎ払うザザの姿に憧れたエスタは冒険者を目指す。

 そしてそれは成功といってよかった。

 エスタは弓と魔法の力で瞬く間に階梯を昇り、銀等級へと進んだのだ。

 

 なぜエスタが昇級を急ぐかといえばそれはザザの傍らで戦うためである。

 ザザ自身が言ったのだ、金等級になったらお前と組む事を考えてやってもいい、と。

 

 ザザは薄情なのでそんな事はすっかり忘れているが、エスタは忘れていない。

 ここまで言えば分かる事だが、エスタはザザに惚れていたのであった。

 

 ■

 

「ねえザザ!あなた最近ずっとしょ、しょ、娼館に通いっぱなしじゃないの。ちゃんと冒険者としての仕事はしてるの?お、女遊びで身を持ち崩した冒険者は少なくないわ。お節介かもしれないけど!あなたがそんな風にはなってほしくないのよ…」

 

 エスタは最初は勢い良く、そして最後は俯き加減にザザに訴えかけた。

 何の事はない、嫉妬しているだけである。

 彼女はザザの動向を常に調べている。

 最近は通いの娼婦に盛大に散財していると聞いた時のエスタは、心臓に雷衝でもぶち込まれたかの様な衝撃を受けた。

 

 そんなエスタをザザはまるで虫でも見るかの様な視線を向けていた。

 ザザとて朴念仁ではない。

 エスタが自身に男女の感情を向けている事くらいは分かっている。

 

 ――だからこそ面倒くさい

 

 ザザは金で女を抱くほうが楽だと思っている。

 決められた額の金を出し、一線を引いて関係を持つほうが楽だ。あとは金さえ出せばあとは勝手に気持ちよく楽しくなれるところも気に入っている。

 

「そうか、気遣ってもらって悪いな。まあ気をつけるとする。じゃあな」

 

 ザザにも色々と言いたい事はあったのだが、結局あたりさわりなくその場を収めようとした。

 それが不味かった。

 

「あなたはいつだって!!あなたはいつだって私の事なんてどうでも良いと思っているのね!」

 

 エスタが激昂した。

 いや、激昂どころの騒ぎではない。

 激昂し、しかも涙すら零しているではないか。

 女の最大の武器、それは涙。

 美人のエスタの涙ともなれば極めて凶悪な兵器になりえる。

 普通の男ならうろたえ、困惑し、女に主導権を握られてしまうだろう。

 

 だがザザは普通じゃなかった。

 

 つかつかとエスタに向かって歩み寄ると、おもむろに手を伸ばし、エスタの誰にも触れさせていない部分をわしづかみにして口を開いた。

 

「それ以上喚くなら引き千切ってやる。俺はうるさい女が嫌いなんだ。いいか、エスタ。お前は俺の家族でもなければ恋人でもない。友人ですらない。俺のやる事に口を出さないでくれ。もし俺のやる事に口を出したいのなら、そして俺にお前の言う事を考慮させたいのなら」

 

 ザザはエスタのそれを掴む力を強めると、もう片方の手でエスタの腰を掴み、引き寄せた。

 

「俺のモノになれ。俺に心も体も捧げろ。股を開けといったら従順に開け。俺が死ねといったらその場で首を掻き切れ。俺の為に生きて俺の為に死ね」

 

 ザザの目が荒々しい光を帯びる。

 それはまるで獰猛な肉食獣の様であった。

 

 ザザの全身から精気の様なものが吹き出るのをエスタは感じた。

 ザザは捕食者で、自分は餌にしか過ぎないのだと分からされてしまった。

 

「出来ないなら2度と俺の生き方や、やる事に口を出すな。俺より強くも無く、そして俺のモノでもなんでもない奴に偉そうな口を叩かれると叩き斬りたくなってしまう」

 

 どんとエスタを突き飛ばし、ザザは背を向け去っていった。

 エスタはそんなザザの背をぼうっと見つめているばかりであった。

 

 ■

 

 エスタは全身を突き刺す殺気の針に縫いとめられ、ぴくりとも体を動かすことができなかった。

 金等級と銀等級、たった一つの階級の違いは、万尋にも及ぶ広さの谷にも等しかった。

 

 同時に、エスタは自身でも理解しがたい不可思議な感覚に襲われる。

 それは正しく快楽、悦楽の類であった。

 

 美しく強いエルフ、凛々しく堂々とした姐御気質の彼女は多くの者達から慕われる。頼られる。

 弓に優れ、魔法に優れ、銀等級でも期待の星だ。

 であるからこそ、他者にこうも無下に扱われた事などはなかった。

 奴隷に身を落としかねなかった時の様に弱いならばいざしらず、今の自身は強いのだ。

 強いのに、何故。

 

 ――それは、ザザが私よりももっともっと強くて恐ろしい存在だから

 

 エスタの下腹部が熱くなる。

 何故。

 

 ――それは

 

 そう、エスタがドMだからである。

 彼女は強度の被虐体質だ。

 

 それは過去の奴隷に身を落としかねなかった出来事が影響している。

 とはいえ、酷い扱いをしてくれるならば誰でも良いわけではなかった。

 自身より強くなければならない。

 強いだけではなく、護ってくれなければならない。それでいて、自身を庇護しながらも苛んでくれる相手がいい。

 

 要するにザザである。

 

 愚かな奴隷商のせいで、そしてザザのせいでエスタは歪んでしまったのだ。

 

 ■

 

 エスタにセクハラとパワハラをした後、ザザは苦い思いをかみ締めながらギルドへ向かっていた。

 なぜ苦い思いをかみ締めているのか。

 それは金がないからである。

 エスタの事ではない。

 酷い男だ。

 

 連日の風俗通いは当初無限に思えたザザの銭袋を酷く痩せさせてしまった。

 入ってくる金もあるが、出て行く金のほうが遥かに多い。

 

(まとまった金が欲しいな…ランサックが居れば話を聞いてみるか)

 

 ザザの表情は渋い。

 ランサックと繋ぎがとれなければそれはそれで困るし、繋ぎがとれて仕事をやったとしてもそれは恐らくヤバい山だろう。報酬は多いが大体命掛けになってしまうのがランサック案件なのだ。

 

(俺の剣が通らない魔族…ああいうのは御免被るが、仮にあんなのがまた出てきた場合、アレを試すとするか)



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夜の訪れ①

 

コイフ伯爵家当主、サウザール・コイフはロナリア伯爵家へ使いを出した。

それはロナリア伯爵家への警告だ。

2家の関係に罅を入れようとする存在が居る事への。

 

ロナリア伯爵家の御用商人の皮を被り、ならず者をそそのかし。貴族間の繋がりに楔をいれようとする存在。

 

――恐らくは、“なりかわり”

 

サウザールは細めた目を窓にやった。

空から見える夕焼けは美しく、しかしどこか不吉を孕んでいる様に見える。

 

『なりかわり』

それをアリクス王国の貴族が知らないはずがない。

 

過去3度の人魔大戦で人類国家に多大な被害を与えてきた魔族だ。

なりかわりは一種の精神寄生体のような存在である。

人間に寄生し、宿主の心を食い荒らし…そして乗っ取る。

乗っ取られた者は白痴の様な有様と成り果てるが、なりかわりはその食い荒らした記憶を使い、人間社会へ溶け込んでしまう。

 

厄介なのはそれを判別する手立てを人間が持たないという事であった。

魔法的なアプローチでも心理学的なアプローチでも看破する事はできない。

 

なぜならなりかわりに乗っ取りを受けた者は、宿主の本来の記憶を保持し続けるからである。

内面を覗きこめる程に優れた術師でも看破はできない。

 

なぜなら、なりかわりは抽象的な説明になるが、魂というモノがあったとして、その上っ面は決して傷つけず、水が地にしみこむ様に浸透し、内部だけをくりぬいて乗っ取るからだ。

 

余程心が弱っていない限り、もしくは魔力が枯渇していない限り魔力の強い者を乗っ取る事はできないという弱点こそあるが、余り関係はない。なぜなら仮に魔力が強く心もまた強かったとしても、弱らせてしまえば乗っ取れるのだから。

簡単な話、苛烈な拷問なり強烈な精神的ショックでも与えてしまえばいいのだ。

 

魔族の恐ろしさは種族としての強さのみならず、劣っていると見下している人類に対しても、陰謀や謀略の類を平然と使う点にもある。

 

 

サウザールの命を受けたのはバルバリであった。

猜疑心の強いサウザールは手の者を余り持たない。バルバリはサウザールが信頼する数少ない従者だ。尚武の気風があるコイフ家の従者は性別関係なくそれなりに使う者が多く、バルバリが腰に佩いている無骨な長剣もお飾りではない。

王都で滅多な事はないはずだが、それでも重要な密書を運ぶ以上、警戒はしておくべきであった。

 

重大な密書ならば本来は複数名で運ぶべきなのだが、王都に潜んでいると思われるなりかわりの存在を加味すると、余り大勢で移動は出来ない。バルバリは2人の手下の者と共にロナリア家へ急いだ。

 

その足取りは性急だ。

 

アリクス王国は基本的に四季がはっきりしている。冬が近付くとその日の入りは驚く程に早いため、余りモタモタしていたらすっかり暗くなってしまう。

 

バルバリは懐の密書が持つ意味をしっていた。

それは不穏の証である。

アリクス王国に魔族がいる、しかも狡猾で鳴るあのなりかわりが。

 

(しかし、お館様とロナリア伯が連携を取るのならば問題ありますまい。なんといってもロナリア伯は時にお館様でさえ煙に巻く狐ですからな)

 

 

シルファ・ロナリアは暮れなずむ王都を駆けていた。目指すは冒険者ギルドだ。

その表情は必死そのもので、しきりに背後を気にしている。普段彼女の護衛にあたっているグランツとアニーは居ない。

彼等は、そう…まさに彼等本来の仕事をしていたのだ。

シルファを護るという護衛の仕事を。

シルファが逃げきるだけの、助けを呼びにいくだけの時間を稼がなくてはならない。

 

護る…何から?

まるで正気を失ってしまったかの様に見えるロナリア伯爵家の者達からである。

 

(クロウ様がいてくだされば良いのですが…っ!)

 

シルファの脳裏にあの時の光景が呼び起こされる。

 

 

◇◇◇

 

その日の朝、シルファは屋敷が妙に静まり返っているなといぶかしんだ。

とはいえ、そこまでだ。

元々ロナリア家当主オドネイは思索に耽る性質があり、静寂を好んでいた。

ロナリア家の者達は当主のそんな気質を理解して、屋敷内では必要以上に音を立てる事はない。

シルファもその辺の事情は知っていたため、それ以上に考えを進める事は無かった。

 

シルファはいつものように食事を取ろうとするが、家族が誰一人として居間に居ない。

 

「お父様?お母様?アネッタお姉様?どこにいらっしゃるのですか?ケイマン!ケイマンはどこです?」

 

誰もいない居間でシルファの声が大きく響いた。

流石に異常である、と彼女も思ったのだ。

 

応えはすぐに返って来た。

 

がたん

 

何かをぶつける音だ。

居間の奥には扉があり、そこは伯爵の書斎や寝室を始めとする各所へいく廊下へ繋がっている。

 

扉が開いた。

父だ。

 

「……お、父さ、ま?」

 

オドネイは娘の問いかけに笑顔でもって答えた。

 

【挿絵表示】

 

「ああ、シルファ、か。少し具合がわるくて、ね。寝ていたんだ。はやり、やまい、かもしれない。使用人は、帰した。うつっては、いけないからね」

 

シルファはオドネイの言葉に何も返せず、ただ頷くのみであった。

オドネイは静かな人だが口ではなく眼で語る人でもあった。

よって、その日の気分は眼をみればわかる…はずなのだが。

 

(……っ…)

 

シルファは一歩後ずさる。

普段は叡智が垣間見えるその眼には、いまや狂気に似た何かが充満していた。

 

「そ、そうですか…わたくしは…これから冒険者ギルドへいってこようとおもっていたのですが…お薬などは飲まれましたか?癒師を呼び「不要だよシルファ」…」

 

オドネイの拒絶が被される。

穏やかな口調ではあるが断定的な気配が強く漂う。反論は許さない、という意思の表れだろうか?

 

「そうですか…わかり、ました。お独りにしておくのは心配ですが…」

 

シルファがおずおずと言うと、オドネイは首を振った。

 

「いいんだ、ギルドへ、行って来なさい…ただし、夜になる前には戻って来るように…話が、あるんだ」

 

話とはなんだろうか?

だがシルファは頷き、どんな話だかも聞く事なしに素早くその場を後にした。

それ以上この場に居てはいけない、シルファの冒険者としての勘がそう告げていたからである。

 

 



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夜の訪れ②

 ◆

 

 不吉を孕んだ黒雲の如き疑念の靄がシルファの胸に広がっていく。しかしシルファの表情筋はその動揺、疑念を欠片たりとも外へ漏らす事はなかった。

 

「はい、分かりましたわ、お父様…」

 

 ◆

 

「グランツ、アニー。お父様の様子がおかしいのです」

 

 冒険者ギルドへ向かう道中、シルファは同行していたグランツとアニーに告げた。

 それは相談というよりは独り言の様であった。

 2人もそれは空気で察したか、黙ってシルファの話を聞いていた。

 

「何がどうおかしいかと聞かれれば…これと言い表す事は難しいのですけれど…気質が変わってしまったといいますか…」

 

まず、流行り病かもしれない、と自身で言及しているにも関わらず、薬は不要、癒師もまた不要というのが不審だ。

シルファの父であるオドネイは一言で言えば謀事に長けた人物である。

 

かといってオドネイが陰湿な気質であるというわけではなく、気質で言うならば寧ろ陽気に溢れている。

分かりやすく言うならば賢く、そして明るい。

その明るさは素直さにも通じ、体調が悪い様だから癒師にかかってはどうか、という娘の提案を拒絶するというのは彼らしからぬ事であった。

 

 更に言えば臆病だ。

 慎重とも言う。

 よって、少し調子が悪いくらいでも無理はせず、悪調が続くのであれば癒師を呼ぶなど、自身の体調を常に気遣っている。

 

「お館様から感じる魔力はどうだったのです?」

 

 アニーが尋ねた。

 魔力とはその者の魂の影である、と言った術師がいる。

 まさにその通りで、本人固有の魔力波動を偽る事は出来ない。

 

 だがシルファは否定の意を込めてゆっくり首を振った。

 感じた魔力は紛れもなく父のものであったからだ。

 そうですか、と何かを考え込む様に黙り込むアニー。

 その瞳には思案の波が揺れていた。

 

 グランツもまた考え込むが、その思考の矛先はシルファの父の様子についての懸念ではなく、仮に…そう、万が一“何か”が起こった場合の立ち回りに向いている。

 

 グランツとアニーはロナリア伯爵家に仕える護衛騎士であり、厳密に言えば2人の主はオドネイとなる。

 しかし、シルファが幼い頃からその友人として、長じてからは護衛として付き合ってきたという事実は、グランツとアニーの家族愛混じりの忠誠心をシルファただ1人に向ける一助となっていた。

 

 だから何かが、そう、有事があればグランツとアニーはロナリア伯爵家ではなくシルファにつくだろう。

 

 しかし、オドネイの様子が少しおかしいからといってグランツが“有事”を警戒するのは過剰に過ぎる反応ではないだろうか。

 だがその過剰な反応にも理由がある。

 そもそもここ最近、シルファの身辺では剣呑な事態が散発的に発生している。

 王都近隣の森でもそうだった。

 本来あの森にグレイウルフなどという魔獣は存在しないのだ。

 

 ――悪意を持つ誰かが誘引したに違いねえ

 

 グランツはそう判断している。

 あの時、黒髪の青年が、死にたがりの…血泪のクロウが現れなければグランツとシルファは殺されていただろう。

 

 ――あの時俺達は森の調査依頼を受けた。依頼主は中央教会の司教、ゼラ。そしてゼラとお館様は長年懇意にしている関係だ

 

 ◆

 

 やがて3人は冒険者ギルドへ到着した。

 時刻はまだ朝の時分で、ギルドのロビーには仕事を探す冒険者達が掲示板をみあげていたり、仲間達と何か相談をしていたりといった光景が広がる。

 

 何とはなしにシルファが周囲を見渡す。

 グランツやアニーもシルファが誰を探しているかにすぐ気付いた。

 

 だが黒髪の青年は見当たらない。

 

 グランツはクロウの不在を何となく心細く思った。

 なぜならこの陰鬱な謀略、ややこしい状況にクロウとあの禍々しい魔剣を巻き込めば、それこそ暴力でどうにかしてくれそうであったからだ。

 

 グランツは比較的モノを考えるタチではあったが、それでも根が単純であるため冒険者にありがちな暴力信仰に染まっている。

 

 彼の脳裏にはいまだにクロウの姿が焼け付いている。

 嗤いながらグレイウルフを虐殺していったクロウの姿。

 無表情のままに野盗達を嬲り殺していたクロウの姿。

 クロウとはグランツの中では暴力の化身であり、そして暴力に長ける冒険者とは彼の中では佳き冒険者なのだ。

 

 ◆

 

 シルファは条件の良い依頼を探す素振りをして、さりげなくギルド受付嬢のアシュリーにクロウの事を聞いた。

 なぜ率直に尋ねないのかといえば、それは彼女自身も自覚していない乙女心とやらに聞く必要があるだろう。

 

「クロウ様はここ暫くは依頼を受けておらず、修練場で訓練をしておりますね。今は銀等級のセイ・クー様と鍛錬しています」

 

 クロウとセイ・クーは以前難敵を相手に共闘した事があり、それからというもの共に鍛錬をする事がしばしばあった。更には両者共に金等級冒険者、『百剣』の異名を持つザザという男から剣を学ぶという共通点があり、それが2人の仲を深めていた。

 

 余談だがこの2人については胡乱な視線を投げかける者が少なくない。それはセイ・クーの容姿にある。

 セイ・クーは間違いなく男性なのだが、それはあくまで生物学的に男性と言うだけで、外見だけで判断するならば男性と断言するには彼は些か過ぎるほどに“麗し”過ぎるのだ。

 

 シルファ自身もセイ・クーとクロウの胡乱な噂を耳にした事がある。

 勿論彼女はそのような根拠もない噂に踊らされるほど愚かではないのだが、それでもやや落ち着かない気持ちになるのであった。

 

 ◆

 

 それはさながら死を齎す白銀の流星であった。

 虚空に煌く銀の点は瞬く間にクロウの眼前に迫り、細く、しかし鋭い牙がクロウの額を穿たんとする。

 

 目を大きく開いたクロウは素早く首を傾け白銀の死を免れた。星に見えたのは細剣の切っ先である。

 

 星が迫り、クロウがかわす。

 このやり取りが計3度続けて行われた。

 4度目は無かった。

 

 3度目の突きの後に細剣が引かれるのと同時に、クロウがすり足で迫り、セイ・クーの顎の下に短剣を突きつけた。

 愛剣は腰に佩いたままだ。

 

 セイ・クーは長い睫毛を着飾る美しい両眼を瞬かせ、やがて片手を上げた。

 降参の合図であった。

 

「殺す積もりで、と言われたからその積もりで突いたのだけどね。実力に差がついちゃったのかな」

 

 セイ・クーは首をかしげ、白皙の相貌に苦笑を浮かべながら言った。

 

「来ると分かっていればね。急にやられたらかわせなかったと思う」

 

 クロウが答える。

 しかし、実力の部分は否定しなかった。

 セイ・クーも当然それに気付くが、特に抗議はしない。

 剣の腕こそセイ・クーが上だが、殺し合いならクロウが輪をかけて上だ。その事は2人とも気付いている。

 

 だがクロウが今求めているのは体系立った戦闘技術であった。野生と生存本能、そして自己にすら矛先が向く殺戮の本能だけで勝利できる相手ばかりではない事にクロウは気付いた。だからこそより鋭い牙を求めている。

 

 強力な権能を持つ剣を持つのだから、それに頼ればいいのではないか、と思う者もいるかもしれない。

 

 確かにクロウは自身の愛剣が大きな力を持つ事を理解しているが、その力が有限のものである事も知っている。

 

 それは100の内30の力を行使したから残りは70…というような明白に分かるという事ではなく、もっと曖昧な領域での理解だ。

 

 例えば先の戦い…下魔将オルセンの乾坤一擲の雷拳を愛剣の権能で止めた時、同じ事は2度出来ない事をクロウは感得していた。

 死闘を超えれば超えるほどに愛剣が内包する力は肥大化するが、それでも現時点の話だけで言うならば無理を有理とする程に巨大な力かといえば疑問が残る。

 

 ――彼女は成長する剣なんだ

 ――それなら、俺も彼女を使うに相応しい剣士にならなければいけない

 

 クロウの心情として、“ヒモ”は真っ平御免であった。

 メンヘラといえども最低限の男の矜持というものがある。

 

 セイ・クーの洗練された剣術は参考になる部分も大きく、ここ最近のクロウは彼と鍛錬を共にしている。

 セイ・クーもクロウの頼みに快く応えた。

 彼としても今以上に成長したいと考えており、そのためには強者との手合わせが効率的である事くらいは分かっているからだ。

 

 ちなみにシャル・アはこの日は別件で鍛錬には参加していなかった。ドゴラは森だ。彼は用がないかぎりは王都近くの森で過ごしているという。

 

 ◆

 

 さてもう一戦、と2人が構えたところで、クロウとセイ・クーの視線が修練場の入口に向かった。

 

 そこには彼等の良く知る少女が立っていた。

 シルファ・ロナリア。

 グランツやアニーも一緒であった。

 

「なにかあったのかな?少し表情が暗いように見えるけれど」

 

 セイ・クーの言葉にクロウは同意した。

 

 ――お金か、人間関係の悩みかな

 

 クロウは内心思うが、基本的にネガティブな彼といえども、シルファがもってくる相談事があそこまで血に塗れたものになるとはこの時点では欠片も思っていなかった。



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閑話:ザザ~月翳る夜、二人の男が~

 ◆

 

 すっかり日が暮れ、夜気に満たされたアリクス王国の王都アレクシア、その郊外で二人の男が対峙していた。

 

 互いに得物を持っている。

 1人は片刃の長剣。

 もう1人は黒槍。

 

 2人の男は互いの得物の殺傷圏内に身を置いていた。

 

 片方の男、ザザが片刃の長剣を握り、腕をだらりと伸ばしている。

 ザザの眼は忘我の内にあるようにも見えたし、また、万象を見通しているかの様にも見えた。

 

 対峙しているのはランサックだ。

 中腰に黒い槍を構え、その表情は常になく険しい。

 

 ――秘眼・天眼通

 

 ザザは “二人”の男の姿を天より俯瞰していた。

 これは超常の現象ではなく、ザザの洞察の極致、その1つの形である。目の前の対象が存在するならば、上から、あるいは側面から、対象がどういう状態なのか、どう動くかを洞察力でカバーし、極めて高精度の“想像”をする。

 

 ランサックがカッと目を見開き、大気の層に穴を空けるかの如き鋭い刺突を放つ。

 

 銀閃。

 高く、硬質な音。

 

 だらりとたれたザザの腕から、まるでムチのようにしなる一撃がランサックの刺突を弾いた。

 

 ザザはその反動すらも利用し、返しの一撃をランサックに放つ。今度はランサックが石突の部分でザザの一撃を跳ね上げた。

 

 そして示し合わせたかの様に二人は距離を取る。

 

 一連の攻防に一切の甘さは無かった。

 互いが互いを本気で殺そうと得物を振るった。

 しかし二人ともが目の前の相手がそう簡単に殺せる相手ではない事を理解もしていた。

 

 ◆

 

「…お前さん、そこまでいれあげていたのか?あの女に。だが、あの女は人間じゃあない。分かっているのか?」

 

 ランサックがザザに問う。

 ザザはその質問を鼻で笑った。

 

「リリスは魔族なんだろう?ランサック。気の流れが人間のものじゃあないしな。だがそれはどうでもいい事だ。人間だとか、魔族だとか…そんな事はどうでもいいのだ。俺に何の関係がある?それにな、ランサック。俺はお前には世話になっている。だが、リリスにはもっと世話になっているんだ、ふ、ふ、ふ」

 

 ――シモの世話だろうがよ

 

 そう思いながら、ランサックはザザとこうなった経緯を思い出していた。

 

 ◆◆◆

 

「ランサック。旨みがある仕事はないか。多少厄介でもいいぞ」

 

 いつものように冒険者ギルドのロビーでクダをまいていたランサックは、仕事がないかきいてくる男…ザザを見遣った。

 

 ザザとランサックはそれなり以上に交友がある。

 実力もさることながらその生き様が似ていた。

 ランサックはルイゼの飼い犬だし、ザザはリリスの舐め犬だ。

 

 二人とも決して口に出す事はないが、互いが互いに対して友人に近しい感情めいたものを抱いていた。

 

 だからランサックはこれまでもいくつか友人のよしみで仕事を紹介してやっていたが、今抱えている案件は少しわけありであった。

 

 ランサックはつい先日、冒険者ギルドのマスターであるルイゼ・シャルトル・フル・エボンから1つの仕事を請けた。

 

 それは王都内に潜伏する魔族の暗殺だ。

 この魔族暗殺という任務がランサックとザザの殺し合いの直接原因であった。

 

 そもそもなぜそんな事をルイゼがランサックへ依頼したのか。

 これは国の事情による。

 

 ルイゼ、というよりアリクス王国は近く第四次人魔戦争が勃発する事を予見していた。

 そこで懸念されるのが “なりかわり” の存在である。

 

 寄生主の記憶、精神、肉体を食い散らし、敵対勢力の裏切りからの内部抗争を誘発する忌まわしき精神寄生体。

 

 人魔大戦は過去に3度行われてきたが、人類側に深刻な爪痕を刻んだ要因は、このなりかわりの暗躍に起因する。

 

 その厄介さは正体の看破の困難さにある。

 記憶を乗っ取るという事は普段の言動からの正体看破が難しく、魔力の波長による本人特定も、魔力が精神に紐づくものであるという関係上困難だ。

 

 なので、魔族暗殺といえば大義名分が通っているようには思えるが、その実は不審な者を片っ端から始末していくという非常に殺伐したものとなる。

 

 幸いにもなりかわりは貴族のように魔力が強い者には宿りづらいという欠点がある。

 挙動不審だが潔白な貴族をぶち殺してしまう心配というのは余り無かった。

 

 まあ魔族側もその欠点は見越しているので、降魔薬というモノを実践投入しているのだが。

 

 ともかくも、外患は兎も角として内憂はアリクス王国としても御免であった。

 ルイゼはアリクス王国上層部からの要請を受け、そしてランサックへとその仕事を投げた。

 

 勿論それは怠惰さゆえではなく、彼女にも彼女なりにやる事があったのだ。

 

 極めて優れたる術師に備わる霊感。

 彼女にも当然備わっている未来への確信染みた予見は、自身の、『四大の』ルイゼの実力を以ってしても死線を何度か潜らねばならないと思わせる不穏さがあった。

 

 故に刃を研ぎ澄まさねばならない。

 その時に備えて。

 ルイゼがここ最近表舞台へ姿を見せないのもそれが理由である。

 

 ランサックはそんなルイゼの良い手駒であった。

 いや、彼の望む報酬代わりに何度か体を許し、そのせいか多少の情も絡むようにはなったか。

 

 ◆◆◆

 

 王都アレクシアの色街で春をひさぐリリスという娼婦が魔族である…とまでは確信できなくとも、少なくとも人間ではない何かであるという事はランサックも何となく分かっていた。

 

 これは非常に漠然とした予感めいたものである。

 例えるならば春の匂い、夏の気配、秋の足音、冬の静けさ、そういうモノを感じたときに人が季節を実感するように、人ではない何かと対峙したとき、戦いに身を置くものが感得する何かというものが確かに存在する。

 

 とはいえ、ヒト種以外の存在みなすべてがヒトに害を齎すというわけでもない。

 ランサックもその辺の融通は利く男であったので見逃してはいた。

 監視はしていたが。

 監視の最中、魔族であるという疑惑は確信へと変わっていく。

 それでもランサックは傍観していた。

 別に悪事を為したわけでもなかったからだ。

 

 だがその監視が抹殺へと目的が変更された。

 これはルイゼの依頼が原因だ。

 

 ランサックはルイゼの依頼を受けたその夜更けにリリスの居る娼館へと赴き、急襲をかけた。

ザザをつれて。

ザザはランサックの依頼、リリス抹殺の依頼をきいて、無言で首肯した。

だがそれは偽りの首肯だ。

ランサックの槍がリリスの胴を穿たんと突き出された瞬間、ザザがその槍を弾き、ランサックと  向かい合った。

 

 「そうなるかよ」

 

 ランサックの呟きに、ザザは場所をかえようと提案した。

 月が翳り、空が雲に覆われた夜の事であった。

 



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閑話:ザザ~月翳る夜、二人の男が②~

 ◆

 

 ランサックは中央教会所属、2級異神討滅官である。

 この大陸…イム大陸の宗教はいくつもあるが、その最大勢力である中央教会には2種類の実戦部隊が存在する。

 

 1つは異端審問官。

 これは法神教の穏健派からなる。

 彼等は純粋に法神へ信仰を捧げており、良く言えば狂信者。悪く言えば狂人だ。

 

 今1つは異神討滅官だ。

 これは法神教の過激派からなる。

 彼等はいずれも亡国の係累や、その貴種、あるいはその子孫だったりする。宗教を隠れ蓑に勢力を伸ばし、やがては自身の祖国を再興させるという野望を抱く。

 

 この二つの派閥は常に争っており、血が流れる事も珍しくはない。

 勿論、これらの派閥にも属さぬ者達もおり、そういったものたちは市井の街教会なりで日々の聖務に励んだりしている。

 

 ランサックは過激派…それも異神討滅官という立場にあった。

 

 二等異神討滅官『黒鬼』ランサック

 

 雷を纏う黒槍を融通無碍に振るい、邪教徒だろうが魔獣だろうが、魔人の類だろうが貫き殺してきた。

 

 ただし元がつく。

 

 彼もまた亡国の血筋をひく貴種ではあるが、他の者達ほどには祖国興国には興味がない。

 

 とはいえ、彼を育てた者達に対してそれなりの恩義を感じていたから野望につきあっていただけである。

 

 だがある時、彼の人生を一変させる事件が起きた。

 それはある任務での話だ。

 

 若きランサックは邪教徒討伐の任を帯び、とある僻地へと赴いた。

 

 結論から言えば、邪教徒のアジトというのはその地の土地神を祭る小さい農村の事で、その神というのも獣が信仰をうけ、ちょっとした変異をしたにすぎないというものだった。

 

 獣とは巨大な鹿である。

 生来体躯に優れたその個体は、その体格の良さゆえにささやかな信仰を受けるに至った。

 

 勿論大きいだけで信仰を受け続けたわけではなく、村の者に明らかな利益を齎すからこそ信仰を受け続けた。

 巨大鹿の糞は非常に有用な堆肥となったのだ。

 本来芽を出すのに1ヶ月はかかる様な作物が、その鹿からひりだされる堆肥を使う事で1週間程度へ短縮される。

 

 兎も角も、村の者達の心身の何処にも邪悪の萌芽は無い。

 少なくともランサックはそう判じた。

 

 ◆◆◆

 

 だがランサックの同僚や上司はそうではなかった。

 これは法神教のトップ、教皇アンドロザギウスによる悪意のある錯乱術が原因ではあるのだが、ともあれランサックの同僚や上司は異常とも言える殺気、殺意をその小さな農村の民へ向けた。

 

 なぜランサックが錯乱術の影響を受けなかったかといえば、先にも述べた通り、その無気力さゆえである。

 

 ちょっとした義理で野望につきあってただけで、その無関心さというものは術への強固な抵抗力となっていた。

 

 術とは一般的には世界に存在する逸話・伝承…いってみれば多勢の共通認識を元として力を顕現させるものだが、逆にいえば誰もしらない伝承や逸話からは力を引き出しえない。

 

 要するに、鈍感なものは術に対しても強いのである。

 

 そんな鈍感ランサックは同僚や上司の凶行を止めようとし、そしてその全員を殺め、自身も重症を負う事になった。

 

 僻地の村の村民が異神討滅官を殲滅する事などは出来ないし、死体を始末して逃れたとてランサックの不在は直ぐにわかってしまうだろう。

 そうなれば彼の裏切りは明らかになるし、そうなれば場合によっては神敵認定だ。

 

 ランサックに十分な後ろ盾があれば別かもしれないが、彼の後ろ盾なんていうものは他ならぬ中央教会である。

 

 そこで都合よく現れたのがルイゼであった。

 彼女はこの村の聖獣に用事があったのだ。

 ルイゼは魔法薬の類も佳く取り扱う。

 

 材料の中には育成に面倒を要するモノあるのだが、この村の信仰対象の鹿の堆肥は、彼女の魔法薬精製にとって非常に有用なものであった。

 

 村を訪れたルイゼはランサックと出会い、事情を聞き、一拍思案したかとおもえば白魚の様な指で天を指した。

 

「欲望に濁った眼。中央教会の殺し屋に相応しい眼ですが、どうにも勝手が違うようですね。よくよく見れば野望や狂信に芯をゆがめられているのではなくて、単に性欲に眼が曇っている野猿の眼です。まあ、腕に覚えはありそうです。新しい犬も欲しい頃でした。貴方、猿ではなく犬になりなさい。この状況は私がどうにかしてあげましょう」

 

 ランサックは間抜け面を晒しつつ、その指の方…つまり、空を見る。

 

 閃光。

 

 轟音。

 

 ランサックはあんぐりと口をあけた。

 空はこんなにも真っ青だというのに、まるで天にまします法神が怒雷を地上を迸らせたかの如き巨大な落雷を見たからだ。

 

 落雷はランサックが手をかけた複数の遺体…異神討滅官の遺体を撃ち据える。

 

 かくの如き所業を為した元凶をランサックはまんじりとした様子で見つめた。

 

 女はルイゼと名乗った。

 

 アリクス王国の貴族にして冒険者ギルドマスター、さらには大陸最大規模の術師組織、魔導協会の上級術師にして、大陸最小規模でありながらも最も畏怖されている連盟所属。

 ついでにいえば大陸で3人しかいない黒金級の冒険者でもある彼女を知らない者などは居ない。

 

 ちなみにこの3人の黒金級冒険者とは

 

 数百年あるいは数千年を生きていると噂されている『禍剣』シド・デイン

 

 冒険王ル・ブランの直系、『旅行者』アンリ

 

 そして彼女、『四大の』ルイゼ

 

 上記の3名の事である。

 当然ランサックとてルイゼの事は知っていた。

 だがルイゼという女を飾る様々な肩書きなどよりなにより、ランサックの眼を曇らせ、濁らせたものがある。

 

(一体なぜ死体を…いや、そんな事はどうでもいい。とんでもないモノをもってやがるッ…!でかいだけじゃない、品がある…。あのふくらみをわしづかみに出来たなら、俺は、俺は法神様だって突き殺せるぜ。だが尻はどうだ?し、尻は…尻も肉置きが良さそうだ。顔もいい。造り物みたいな美しさなのに造り物めいた冷たさを感じない。じょ、条理に反していやがる。まさか、美と性の悪魔か…!嗚呼畜生ッ!あ、あの上等女陰を、俺の、俺の魔羅槍で散々に突きまわしてぇなあッ!)

 

【挿絵表示】

 

 そんな下賎なランサックを、ルイゼはまるで“性欲を抑えられずに野犬と性交をしてタチの悪い病を受けてその病原菌が脳にまで回り、狂い野たれ死んだ浮浪者を見る様な眼”で見つめながら、その蕾の様な唇を開いた。

 

「中央教会の殺し屋の皆さんは私が始末しました。なぜならば、私がこの地の聖獣の元へ出向こうとしたら異端だと襲いかかってきたからです。貴方はそれを見ていた。そうですね?」

 

 ランサックは黙って頷いた。

 ルイゼが何を言わんとするか、その察しがつかないほど彼も阿呆ではない。

 

 正当防衛だ。

 

 ルイゼほどのビッグネームともなれば、中央教会とて軽々に手を出せる存在ではない。

 

 責があるのがランサックの如き木っ端野良犬であればたちまちに潰されてしまうであろうが、ルイゼの如き巨龍であるならば潰されるのは先方である。

 

 ルイゼが喚んだ落雷は異神討滅官の面々の遺体を判別不可能なほどに損壊させてしまっていた。

 これならばランサックの槍の刺突痕などは分からないに違いない。

 

「それで、この後どうしますか?教会へ戻りますか?それとも私に飼われますか?私の犬になるならば、跪き私の靴へ接吻をなさい」

 

 考えるまでも無かった。

 育ての親たちに対する義理はこれまでの任務で既に果たしたし、大体こんな農村の村民を殺そうなど趣味が悪すぎる。

 

 彼等を殺すに値する理由があれば話は別だが、別に放って置いたところで何の問題もないではないか。

 

 自身が道具である事は否定する気はないが、せめてその使い手くらいは選びたかった。

 道具の安っぽい矜持である。

 

 ランサックは惨めでみすぼらしい野良犬の様に四つんばいとなり、ルイゼの美しい脚へと唇を捧げた。

 

 ――これが、ランサックとルイゼの関係の始まりであった。

 

 ◇◇◇

 

「ルイゼは言った。王都に潜む魔族共を狩り出せ、と。あの嬢ちゃんは魔族だ。だから殺すぜ」

 

 ランサックが言うとザザはシニカルな笑みを浮かべて応じた。

 

「ギルドマスターが元凶か。ならお前の次に斬るのはギルドマスターだな」

 

 こればかりは言ってはいけない言葉というものがある。

 

 言ってしまえば後は殺し合うしかないという決裂にして必殺の言葉だ。

 

 ザザもランサックも、それを自覚した上で “それ” を言った。

 

 ◇◇◇

 

 ザザはたかが娼婦の為に命を張るとはなんと馬鹿らしい、と思う。

 

 リリスという名は本名では無いだろう。

 ザザはリリスの内面的な事など何一つ知らないのだ。

 情は交わしても、それは金を積んだ結果でしかない。

 

 人間関係とは突き詰めれば時間を積むか金を積むかでしかまともな形にはならないが、金を積んで形にした人間関係というものは非常に脆い。

 だがザザという男には前者の時間を積むという事が出来ないのだ。

 

 何故出来ないのか?

 ビビっているからである。

 

 人体の様に、どこをどう斬れば殺せる、どこをどう斬らなければ殺さずに痛めつける事が出来る…そういう勘が人間関係では働かない。

 

 自身が好意をぶつけたにも関わらず、それがてんで見当違いであったら?それは恥だ。

 だが、それのみならず、嫌悪感を与えてしまったら?それは恥どころではすまない。

 

 恥……要するに、ザザは自分が傷つくのがとても怖いから人間関係という無明の闇に足を踏み出す事が出来ず、ある程度解答が保証されている金の関係に身を委ねるのだ。

 

 これは彼本人の気質もあるのだろうが、人種的な気質というモノもあるかもしれない。

 

 自己の内面を晒すことへの病的な恐怖、自身の気持ちを伝える事への保身的な恐怖。

 恥という概念への嫌悪にも似た忌避感。

 これらは彼の産まれた極東の民の国民的気質である。

 

 とかく、極東の民というのは恥に対しては敏感だ。

 

 ザザが依頼にあたって努めて無傷であろうとし、それを実行しているのは彼の内面を顕したものなのかもしれない。

 

 だがこの極東の民というのは平時はこのようにビビリで控え目なのだが、一旦腹を括ると自棄にも似た覚悟を決めるという性質も持ち合わせていた。

 

 確かに彼等極東の民は恥を恐れる。

 恐れるのだが、それが閾値を超えてしまうと、恥を恐れる自分を恥じてブチ切れてしまうのだ。

 

 故郷で自身より強大な剣士から逃げ出したという過去は、彼に本名である佐々次郎という名を捨てさせるほどの傷を与えていた。

 肉体への傷ではない、精神への傷である。

 

 更にちょっとイイなと思ってる女を、一緒に居て安らげる女を、好みの乳を持つ女を、国やら上司やらその飼い犬やらの脅しに屈して引き渡すくらいならば、そんな腰抜けはもうこの場で腹を斬ってくたばった方が良い――…ザザはそれくらい腹を括っていた。

 

 ザザの影が揺らいだと思えば、次の瞬間にはランサックの眼前に、いや、その上方へ飛び上がっていた。

 

 突撃と跳躍、そして斬撃。

 これらが同時に放たれる。

 跳躍中に手元でくるりと片刃の長剣を回し、峰の部分でランサックを強打した。

 

 いわゆる峰打ちだが、これは手加減の類で放った技ではない。

 

 斬撃より打撃が弱いと言うのは素人の考えだ。

 打撃でも十分人は殺害せしめる事は可能だ。

 

 ザザが宙より振り下ろした打撃は、緋金剛の原石をも打ち割る剛力が込められていた。

 正しくザザはランサックを撲殺しようとして剣を振り下ろしたのだ。

 

 勿論そんなものを棒立ちで受けるランサックではない。

 槍の柄の部分でそれを受けるも、凄まじい衝撃に腰がやや沈む。

 だが受けた。

 

 受けた瞬間、電撃が剣を伝ってザザの腕を焼き焦がした。

 ランサックはただ受けただけではない。

 雷の力を帯びた魔槍の力を起動していたのだ。

 

 ザザの、剣を握る手から力が抜ける。

 しかしザザにとってはさほどの問題ではなかった。

 

 なぜならこの秘剣は2度刺すからだ。

 

 力強い握力でなくとも、とりあえず剣を支えるだけの握力があれば良かった。

 

 一旦槍を引き、更なる追撃の刺突をと体勢を整えようとしたランサックは背にゾクリと寒気を覚える。

 

 死神が自身を見入っている。

 そんな悪寒だ。

 

 打ち下ろされた剣が下方へ滑っていく。

 滑り…そして、地へと切っ先が“着弾”し、大地の反動が剣に伝わる。

 その反動が極点に達したその瞬間。

 

 ザザが魔力を多分に込めた蹴りを自身の剣の峰へ放とうとした。

 

 跳躍の際に魔力を足に回し、天空より激しい峰打撃を繰り出し、大地に剣を叩き付ける。

 その反動は強烈な反発力を生み出し、さらにそれに乗する形で跳躍時に足に込めた魔力をもって峰を蹴り上げる。

 

 大地の力と魔力蹴撃の力という砥石は、下方より跳ね上がる斬撃を限りなく鋭く研ぎあげるはずだ。

 

 この技はかつてザザが佐々次郎であった時、当時ライバルだと目されていた大剣豪へ叩き付けるはずの技であった。両者は決闘を約したのだ。

 

 しかしザザは戦わずに逃げた。

 

 なぜなら戦えば死ぬ事を言葉にならぬ霊感にて感得したからである。

 

 いわばこの天地人の集約に等しい斬撃は恥の象徴とも言える技だ。

 過日のザザからすれば、このような恥の技を放つ位ならば死んだ方がマシと放言していたであろう。

 

 しかしザザは今、意地を恥より優先した。

 即ち、恥の技ではなく意地の技と相成ったのである。

 

 ――魔剣・燕返し

 

 




拙作はイム大陸の東域を舞台としています。
また、イマドキのサバサバ冒険者という作品では西域を舞台としています。
このほかにも極東だとか南域だとかなんか北のほうだとか。その辺の地域もあります。
ともかく、これら西域と東域の話は同じ世界観、ほぼほぼ同じ時間軸である事をご了承下さい。

なお、黒金級冒険者のシドというのはスピンオフ短編、曇らせ剣士シドの事です。
彼は非常に短いサイクルで輪廻を繰り返しており、歴史上の様々な場面で出現しますが、世界平和とかそういう事には興味がありません。
なお彼は亡国、アステール王国の系譜なので星術を使用できますが、興国の意思はありません。

イマドキのサバサバ冒険者は追ってないよ、アステールってなんだよって人はサバサバ冒険者の「蒼き星の姫君」って回あたりを読んで下さい。


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閑話:ザザ~月翳る夜、二人の男が③~

 ◇

 

 ランサックは体勢を崩している。

 このままザザが剣を跳ね上げれば、ランサックは股間部から頭頂にかけて一刀両断されるだろう。

 

 だがザザが友殺しを為す事は無かった。

 なぜならザザの手首、及び足を影が縛り付けたからだ。

 

 その拘束力は決して強くはない。

 それでもザザはその影の束縛を強引に解く気になれない。

 

 と言うのも、恐らく術者は自身のよく知る者であろうからだ。

 魔力と言うものが精神に紐付いていることはザザも知っている。

 そしてザザは自身を縛する影の鎖から立ち昇る魔力、その匂いを知っていた。

 

 さらにザザの豊富な戦闘経験からみて、この手の拘束術式は破縛されれば術師に反動が向かうタイプのものだ。

 

 例えば中央教会の高位聖職者が使う法術には、五光縛鎖と言う五指から伸びる魔力鎖で対象を束縛する術がある。

 

 これは鎖の一本一本が対象の首、そして四肢を拘束するのだが、束縛が破られると反動が指を襲う。爪が割れる程度で済めばいいが、運が悪いと指の骨が1本残らず木っ端微塵になったりもする。

 

 だからザザは無理矢理に引き千切る事が出来ない。破れば恐らくは術者であるリリスの肉体に反動が向かうだろう。

 

 この制止で頭が冷えたというのもザザが大人しくしている理由である。

 

 反動など無視してランサックを殺せばどうなるか。リリスは傷つくだろうが死にはするまい。

 だがザザにはその先どうなるかさっぱりわからない。恐らくはアリクス王国から追われることになるだろう。

 

 なぜならランサックの背後にはルイゼがいる。

 高名な術師である事もそうだが、何より彼女には権力がある。ランサックはその彼女の飼い犬だ。ペットを殺されれば飼い主は檄するであろう。

 

 ザザはランサックを斬殺し、そしてルイゼに追われれば可能なかぎり逃避し、不可能そうなら立ち向かうつもりでいた。

 リリスを連れて。

 

 自身でも笑ってしまうほど無計画で低脳な計画だとザザは自嘲する。

 

 それでも怯える野良犬の如く身を縮こまらせてリリスを殺されるよりはマシであった。

 

 そこへきて、今度はリリスが自ら姿を現し、危険へと身を投げようとしている。

 

 ザザは何をどうすればいいのかさっぱりわからなかった。

 

 往時の自分であったなら、立ちふさがる壁は全て剣一本で切り伏せ解決したであろうに。

 

 ――しがらみを得て、俺は弱くなったのだろうか

 

 故意に封じていた魔剣を取り出し、それに向き合い、ザザは何となく自身が一皮向けたような気がしていた。

 

 だがここに来てザザは再び自身への疑念に囚われる。

 

 ――糞、たかが商売女にそこまでいれあげたのか俺は。情1つで身動きできなくなるとは

 

 こんな事ならば、あの大剣豪との決闘を逃げたりせずに、男らしく立ち向かいくたばったほうがよかったのかもな、などとザザは益体も無い事を考えていた。

 

 ◇

 

「リリスか。何故ここに?」

 

 ザザが背後に向けて短く問う。

 

 はたして暗がりから密やかに歩みを進めてきたのは、ザザの良く知る黒髪の乙女であった。

 

「ザザ様。良いのです」

 

 何がだ、とザザは問わなかった。

 リリスが何を良しとするつもりで口を開いているのかはザザとて分かっていたからだ。

 

「ザザ様。良いのです。私は貴方に逢えて幸せでした…。人間、私をその槍で突き殺しなさい。お前の見立て通り、私は魔族です。かつて人に敵対し、人に恋をし、同胞に背を向けた裏切り者です。末路はこのようなものであろうと自分でも思っておりました」

 

 ランサックは用心深くリリスを見遣る。

 リリスの言う事を丸々信用したわけではないが、どうも自分の知識にある魔族とは勝手が違うような気がしたからだ。

 

 ランサックはリリスについては比較的害の無いものと考えていた。

 それはルイゼが速やかな抹殺を命じなかったことからも明らかだ。

 

 恐らくは魔族間での抗争なりなんなりから逃避し、劣等と蔑む人間をほどほどに餌にしながら暮らしているはぐれ魔族と言った所だろうと考えていた。

 

 彼女より遥かに悪辣な人間なんて幾らでもいる。

 危険を冒してまで排除する必要は今の所はない…そう考えていたのだ。

 

 しかしルイゼが今回王都に潜伏する魔族を可能な限り始末しろと命じてきた事で、その“今の所は”と言う猶予期間が終わったのだとランサックは受取った。

 

「…なぜ抵抗せずに殺されようとする」

 

 ランサックが低い声でリリスに問いかけた。

 

「お前に阿って殺されてあげるわけではありません。お前1人であるならどうにかなるかもしれませんが、あの魔女が私を殺すと決めたのならば、抗しえないでしょう。それでも私1人ならば逃げる事が出来たかもしれません。しかし…私にはあの可愛い人の命や居場所を無くしてまで、とは思いません」

 

 リリスの視線の先には顔色を蒼白にしたザザが居た。

 

 そう、ザザの顔色は蒼白だ。

 だがそれは己が足手まといになっていたと知った無様が故ではない。

 

 ――どいつもこいつも

 

 ザザの血の気が引いていたのは憤怒ゆえである。

 

 リリスはザザの力では事態を解決出来ないと考えこのような仕儀に及んだのであろう。

 

 ランサックやルイゼはザザを排除し得ると考えてこのような仕儀に及んだのであろう。

 

 何もかもがザザという男に対しての侮辱に他ならなかった。

 だが何より業腹なのが、ザザ自身も自身の力がいかなる形でも事態解決には及ばないと心のどこかで気付いているという点である。

 

 ――ならば見せてやる

 

 ザザは本日二度目の自棄的狂怒を発し、おもむろに懐に吞んでいた短刀で自身の脇腹を突き刺す。

 

 ――死剣・影腹

 

 ◇

 

「なっ!?お、おい!」

 

 つい先ほどまでザザを殺そうとしていたランサックはザザの奇行に思わず声をあげ、その次の瞬間口を閉じた。

 

 いや、閉じさせられた。

 

 下方より繰り出された掌撃に顎を強かに強打されたからだ。

 文字通りの神速はランサックの動体視力を完全に優越していた。

 

 リリスはザザの変貌に唖然とし、束縛をといてしまっていた。

 

 倒れ付すランサックの頭を踏みつけ、ザザは全身から生命力から成るオーラを迸らせ吠えた。

 

「ルイゼェェエ!どこかで見ているのだろう!犬をけしかければ俺がどうにかできるとでも思ったか!見ての通りだ!リリスを見逃せ!さもなければ貴様のお気に入りの犬をぶち殺してやる!その後は俺も死ぬ!アリクス王国から達人が二人も消えるんだ!魔族との戦争で不利になるんじゃないのか!」

 

 そして、くるりとリリスを見遣り、こうも言った。

 

「リリス!俺の命だとか居場所だとかについて勝手にべらべら抜かしてくれたな!俺が可愛いだと!?舐めるな!貴様は俺の命を惜しむがゆえに自分の命を差し出すくせに、俺の矜持はまるで無視か!だったら貴様を救ってくたばってやる!ハハハハー!ざまぁみやがれ!!」

 

 ザザのトチ狂った絶叫にリリスは唖然とし、意識が朦朧としているはずのランサックも呆れたような気配を醸し出している。

 

 ――ザザ、貴方は頭がおかしいのですか

 

 闇に呆れたような声が響く。

 同時にずっとそこに居たかのように…ルイゼ・シャルトル・フル・エボンの姿がザザの眼前に像を結んだ。

 

「…良く考えてみれば、金等級でまともな子はいませんでしたね。私が選んでいるので当然ですが」

 

 ルイゼは白くほっそりとした人差し指で宙空に斜線を引いた。

 

 途端、ザザは脇腹を押さえて転げて悶え苦しんだ。

 

「うっ…!ぐ、おおおお…」

 

 ゴロゴロ転がるザザにリリスがあわてて駆け寄り、怪我を見てアワアワとしている。

 ザザの脇腹に空いた穴はその傷を火で炙ったように焼け爛れていた。

 

「とりあえずの止血です」

 

 ルイゼはその様子を虫けらを見るような目で見ながら言い、倒れているランサックへやおら蹴りをくれた。

 

 鎧で身を固めているはずのランサックが一瞬宙に浮くほどの強烈な蹴りだ。

 

「仕事が雑です。ランサック。下調べくらいはしなさい。その上であの女魔族を始末するのならば、ザザが不在のうちに殺ればいいでしょう。なぜザザが女魔族と懇ろであることを知っていて彼を誘うのですか。この役立たず。私は確かに王都に潜伏する魔族を始末しろとは言いましたよ。でもこういうケースでは一言相談くらいあっても良いのではないですか?金等級冒険者は人魔大戦の際の有用な攻め札である、と私はいいましたよね。拙速に過ぎたのは何故です?ああ、功を焦ったのでしょうかね。仮に勘付かれていることを知った女魔族がアリクス王国から遁走すれば獲物がいなくなるわけですからね。私からの褒美に目が眩みましたか?いいですか、ランサック。有能な働き者、有能な怠け者、無能な働き者、無能な怠け者。私が嫌いなのはどれだとおもいますか?3番目です。無能な働き者ランサック、余り舐めた失態を犯すようならこの場で挽き肉にしますよ。もう一度言います。………殺すぞ、ランサック」

 

「ひ、ひぇ…す、すまねえ…でもよう、ザザだってあの女が魔族だってしったら目を覚まして手をかしてくれるんじゃねえかって、い、痛い!やめてくれ!」

 

 ◇

 

 ランサックは生きていた。

 とりあえずは、だが。

 

 ルイゼの暴虐にリリスは唖然とするばかりであった。

 だが逃げるわけにもいかない。

 逃げられないだろうし、なによりザザを置いて行くわけにもいかない。

 

 想像以上に頭がおかしいザザだが、そんなザザをリリスは好いていた。

 

 そしてルイゼは絶対零度の視線をリリスへむけて口を開く。

 

「女魔族。結論から先に言います。条件付きで見逃します。お前は我々に与しなさい。お前の知る限りの魔族についての情報を提供しなさい。そしてきたる人魔大戦ではお前も戦うのです。人の為に元同胞を殺しなさい。そうすれば命は永らえさせてあげましょう。王国を離れる必要もありません。戦後はザザと好きなだけイチャついていなさい」

 

 リリスには否応も無かった。

 

 ◇

 

「なるほど、既に大分入り込んでいるわけですね。特定は出来るのですか」

 

「ではお前を私の従者として連れまわします。匂う貴族を訪問します、その場で判別なさい」

 

「ロナリア家の?ロナリア伯爵令嬢が“そう”だと言うのですか?」

 

「ああ、残滓。すると親族ですかね。厄介な事です…ああ、そういえばそろそろあの子にも仕事をふらなければとおもっていました」

 

「ザザもランサックも…使えないかもしれませんね。少し痛みすぎてます。ザザの自傷は一種の呪いです。破術しなければ傷を塞いでも死にます。その破術は私がやりますが、今はともかくロナリア家が懸念となりますね。王国貴族である私が動けばそれは魔族の謀に乗る事になります。やはり、あの子に任せましょうか。あの剣もありますし、将級でもない魔族に遅れは取らないでしょう」

 



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夜の訪れ③

 ◆

 

 クロウが見た所、シルファはどうにも落ち込んでいる様に見えた。

 薄く笑みを浮かべてはいる。

 しかしその笑みの味は苦い。

 苦笑いと言う言葉があるが、基本的にその手の笑みを浮かべる者は諦念か、恥の隠蔽か…どちらかでもって心を打ちのめされている場合が多い。

 

 クロウはふと思った。

 これは前者の笑みである、と。

 ああいう笑みを浮かべた事が彼にもあったからだ。

 

「あの時俺は辛かった。物凄く。だから転職しようとしたんだ。そうしたら会社が業界に手を回していて、転職がうまくいかなかった。それを知った時、俺はこのままずっと今の仕事を続けて、やがて酸素の供給が絶えたロウソクの火みたいにふっと命の炎が消えてしまうのだろうと思った。深夜3時過ぎの話だ。その時俺は深夜3時だっていうのに笑っていたんだ。シルファの笑みはそういう笑みだ。分かるかい、クー?」

 

 クロウはセイ・クーには良くわからない事を長々と語り、理解を求めてきた。

 セイ・クーは首を横に振る。

 何の話だかさっぱり分からなかったからだ。

 あの時とはどの時なのだろうか。

 

「いや、ちょっと何の話だか分からないよクロウ。でも言いたい事は分かる。シルファさんに手を貸すのかい?」

 

 セイ・クーは理解のある青年なので、クロウが訳分からない事をいきなり言い出しても、それを奇矯に思い彼を避けるといった事はしない。

 

 クロウはセイ・クーの言葉を聞いて思案した。

 あくまで自分基準ではシルファは困って居そうに見える。ただ、人間関係とは、困っているからといってそれが助力が欲しいと言うことにはならないという事もありうるから複雑だ。

 

「…分からない。シルファが手を貸して欲しそうなら貸す。俺は彼女に色々と借りがある」

 

 クロウがそう言うとセイ・クーが少し悪戯めいた表情を浮かべて言った。

 

「借りと貸し、比べれば後者の方が大きいんじゃないのかな?少なくとも君が居なければエルフとの戦いでは生きては帰れなかったはずだよ」

 

 クロウはセイ・クーの言葉を一笑に付した。

 何と返そうかと少し悩むが、セイ・クーはごめんごめんと言い、クロウの背中をポンと叩いた。

 

 クロウはロナリア家の庇護下にある…わけではないのだが、そういった話は隠然と存在する。

 その為に事細かい厄介事から保護されている事はクロウにだって分かっている事だった。

 金等級冒険者が駒となれば貴族にとっては非常に都合がいい。

 

 まあクロウという駒を扱いきれるかどうかは別だが、駆け引き、謀略の類には疎いクロウにとってはシルファとの繋がりはメリットが大きい。

 

 ◆

 

「…悩み、と言うのは特に無いのですが…いえ、懸念している事はあります。でもそれがはっきりどういうものかと言う事が難しくて…」

 

 シルファは困ったような様子で言った。

 それを聞いたクロウはとりあえず頷く。

 ちらとセイ・クーを見れば、アニー、グランツらと話をしていた。

 

 その時“それ”に気づいたのは偶然だ。

 

 ――シルファから漂う何か黒い靄の様なものが出ている…?

 

 眼を凝らすが靄の様なものは消えない。

 クロウは眼を細め、シルファとの距離を縮める。

 

「あ、あの?」

 

 シルファが困惑の声をあげ、セイ・クーは面白そうなモノを見つけたという表情で、グランツとアニーは止めるかどうか迷っている様な表情でクロウを見つめていた。

 

「嫌な感じだ。この靄。どこかで見た事があるんだ…。待ってくれ…あれは、そう、あれは中都線のホームで…ああ!」

 

「きゃっ!」

 

 クロウが叫び、シルファも驚きで叫んだ。

 

 ――そうだ、あのおじさんも。電車に飛び込んだあのおじさんからも黒い靄が出ていた

 

 クロウは死に取り憑かれていた。

 今もなお取り憑かれている。

 

 現在は割とマトモそうに見えるが、それは魔王討伐を以て世界中に恩を着せ、惜しまれて死ぬという“勇者”としての使命がたまたま彼の精神に良い影響を与えているだけに過ぎない。

 

 要するに今なお希死念慮の徒なのだ。

 それも筋金入りの。

 

 そんなクロウだからこそ分かる。

 死の気配を。

 クロウには視えるのだ。

 死の色が。

 

 死は黒い。

 なぜならば様々な色が混じり合っているからだ。

 色とは生き様である。

 そして死とは生という過程の先に待つ結果だ。

 過程の長短難易は人それぞれである、それがゆえの万色の黒。

 

 それは奇しくもクロウの魔力の色そっくりなのだが、それは幸いにも誰にも気付かれなかった。

 そんな死がシルファの身近に迫ってきている。

 

 クロウは俯いた。

 胸に過ぎるのは悲しみだ。

 シルファがそこまで追い込まれていたとは。

 

「シルファ、自殺は駄目だ。自分で死ぬくらいなら俺に言って欲しい。君は友達だよ、君が俺をどう思っているかは分からないけれど、俺は君を友人だとおもっている。だから君には自殺なんてして欲しくない。だから頼って欲しいんだ。死にたいなら言ってくれ。痛くないように一撃で首を落としてあげるから」

 

 クロウの言葉を聞いたシルファは少しだけ口を開けた。意味が分からなさ過ぎて開口したのだ。

 

 クロウは少し誤解をしていた。




あと2話、30分間隔で連続投稿します


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夜の訪れ④

 ◆

 

 ぱこん、とセイ・クーがクロウの頭を叩いた。

 

「ク、クロウ様、冗談はおよしくださいませ…」

 

 シルファが引き攣った表情で言う。

 クロウとしては冗談ではなかったのだが、余り常識的な発言とは言えなかったかな、と少し反省をした。

 

 だが、少し怖がらせてしまった様なので説明はしなければならないと、先ほどの言の弁明をする。

 

「誤解があるみたいだけど。なんていうのかな。シルファ、君からはいい匂いがする」

 

 クロウはシルファに近付き、くんくんと匂いを嗅いだ。

 

「死期が近付いている人の匂いだ。病気とかの死じゃなくて、もっと突発的な死の匂いだ。俺は冒険者になってこういう匂いをよく嗅いできたから分かる」

 

 クロウの言葉に皆が沈黙した。

 シルファもセイ・クーもグランツもアニーも。

 それが与太話だと一蹴する事はできなかった。

 なぜなら彼等の中で一番死に接してきたのはクロウであるからだ。

 

 いつでもクロウは自分の命を掛け金としてきた。

 そんな人間が死の匂いを嗅ぎ分けられるというのなら、それはそうなのだろう。

 

「こんな事があった。危険な依頼を受けた冒険者がギルドから出て行こうとした。俺はその人が横を通りすぎた時、なにか甘くていい匂いがするなとおもってた。暫くたってもその人は帰還しなかった。死んだんだ」

 

「俺の故郷では自殺の名所っていう場所があった。生きる事に疲れた人達が不思議をそこを選んで自殺していく、そんな場所だ。俺は不思議だった。死のうと思えばどこでだって死ねるはずなんだ。だのに何故みんなそこで死ぬのだろう。俺はその場所へ行って見て納得した。そこからは甘い匂いがしたんだ。心が安らぐ匂い。この香りを胸いっぱいに吸い込んで、そのまま死ねるのならばきっと来世はもっとまともな人生が送れるだろう、そういう期待をさせてくれる匂いだ」

 

 ――そんな匂いが、君からする

 

 そう結んだクロウの両眼は爛々と輝いていた。

 シルファはクロウの視線をまともに受け、心に占めるクロウの部屋が少し多くなったように感じた。彼女は今後はより多くクロウの事を想うであろう。

 

 シルファはクロウの瞳の奥を覗き込む。

 何の変哲もない黒い瞳だ。

 しかし更によく見れば、その黒は様々な色が混じりあった色である事に気付く。

 

 クロウの瞳は極彩の暗黒色をしていた。

 これが意味する所は1つだ。

 自殺願望といっても色々あるという事である。

 

 単に死ねればよいというわけではない。

 クロウの場合は承認欲求が満たされた上で、更に惜しまれながら死にたいという、つまりは欲張り自殺願望…それだけの話に過ぎないのだが、シルファはクロウの瞳の色に神秘を見出した。

 

 神秘というと語弊があるかもしれない。

 

 シルファ自身にも言語化しえないその感情は、例えるならばSNSで死ぬ死ぬ辛い辛いを連呼している社会不適合者に惹かれる者が一定数いるが、そういった者達が抱くドロドロした感情にも似ている。

 

 まとめれば、クロウは前向きになったように見えるがやはり変わらずメンヘラで、シルファはそんな男に惹かれるダメンズ好き女だという事である。

 

「…っ、わ、わかりました。つまり、私の身に危険が迫ってるという事なんですね…?」

 

 シルファがおそるおそる言うと、クロウは曖昧に頷いた。

 

「周辺を厳重に警戒いたします。グランツやアニーもおりますし…王都とはいえ不逞な輩はおりますものね。ご忠告、感謝いたします」

 

 シルファはぺこりと頭を下げ、クロウはやはり曖昧に頷いた。

 クロウの曖昧さは彼自身にもシルファにどういう類の良からぬ事が迫っているのかがわからなかったからだ。

 

 確実性にもかける。

 

 シルファに良くない兆しが見えるだけに過ぎない。それも何となく。

 

 それから5人はちょっとした雑談をして、間もなくシルファ達3人は去っていった。

 

 クロウは去っていくシルファ達の背を見送り、ふうっとため息をつく。

 もっと明確に危機が迫っている事が分かれば助力を強く申し出る事も出来たのに、と。

 何となくあぶなそうだ、だけではどうにも口に出しづらかったのだ。

 

 この変な遠慮の仕方はクロウの前世であるシロウの、いや、日本人と言う民族が備えた奥ゆかしさ…悪癖のようなものなのかもしれない。

 

「いいのかい?クロウ。行かせてしまっても」

 

 セイ・クーが言うが、クロウは難しい事を考えているような渋い表情をして答えた。

 

「正直わからない。シルファが厄介事に巻き込まれている…ような気はする。けど確実じゃないんだ。何がどういう形で、どれくらいの脅威で差し迫っているのか。それが分からない」

 

 クロウはしょぼくれた様子で答えた。

 そして素振りをしながら言葉を続ける。

 

「友達なら助けるべきだと思われるかもしれないけれど、それも俺にはよく分からない。だって俺達は冒険者だ。俺もシルファも、皆子供じゃない。何でもかんでも手を貸すよ、助けるよ、と、そう言うのは簡単だろうけど、それをされたほうはどう思うだろうか。子供扱いしている事にならないだろうか」

 

 ――ごちゃごちゃ考えすぎだと思うんだけどなあ

 

 セイ・クーはそんなクロウを見ながら思う。

 そう、クロウはごちゃごちゃ考え過ぎなのだ。

 

 結局クロウは善意の押し付けだと思われる事を

 怖がっているようだが、善意なんてものは1度押し付けてから、反応をみて更に押すなり引っ込めるなりすれば良い。

 

 何も刃物を押し付けるわけじゃないのだから、相手にとって迷惑であったとしても然程深刻なことにはならないだろう。

 

「助けてほしいといわれれば喜んで助けるよ。でも本人がそういわないなら…いや、でも、どうなんだろうな。俺はだめだな、いつまでも成長出来ない。俺こそ子供みたいだ」

 

 クロウのいじけた言葉とは裏腹に、振られる剣は鋭さをいや増していく。

 

 ――こうして見ている分には普通なんだけどね

 

 セイ・クーの目にはクロウは極々普通の年齢相応の青年に見える。いや、やや幼いくらいか。

 しかし、セイ・クーは戦闘時に置けるクロウの狂乱の姿を知っている。

 どちらが本当の姿なのだろうか、と思うが、そんな事は詮無き考えであった。

 

「まあ、シルファ嬢だってクロウの、僕等の助力がほしければそう言うはずさ。何せ彼女は貴族令嬢だ。貴族っていうのはね、クロウ、人を使い慣れているんだ。だから頼るべきと感じた時には躊躇ったりしない。傲岸なほどに、助けてもらって当然と言う様な態度で助力を求めてくるはずだよ」

 

 セイ・クーの言葉にクロウはやや苦笑しながら答える。

 

「貴族ってなんだか嫌な人が多そうに聞こえるね」

 

 セイ・クーはおどけながら腰に手を当てて答えた。まるで男装の麗人に見える彼は、どんな振る舞いでもサマになる。

 

「おや、知らないのかい?貴族の中にも良い人は勿論居る。いるけれど、良い貴族なんてものはこの世界に存在しないんだ」

 

 どこかで聞いた話だな、とおもいつつクロウはセイ・クーに軽く笑みを向けた。

 

 

 

 

19時にもう一回更新します



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夜の訪れ⑤

 ◆

 

 コイフ家の筆頭侍従であるバルバリは、その日の夜、サウザール直筆の文を懐に吞んでロナリア家を訪った。

 

 バルバリは銀等級程度には“使える”し、貴族のマナーだの仕来りだのにも詳しい。

 更にロナリア伯もバルバリの顔は知っている為話が早い。

 

 文を出さずにバルバリに直接持たせたのは、何者かに握り潰される事を恐れてだ。

 

 コイフ家とロナリア家を相争わせようとする不逞に輩が暗躍している事は明らかで、その注意喚起、協力要請…それがバルバリの役目だが、文を飛ばす場合、途中で文自体が握り潰される恐れがある。

 

 何せ事は深刻だ。

 

 何者かが凶猛な野盗団を手引きし、街道の行商などを襲わせていた。

 

 ここで問題なのはその凶猛な野盗団というのがコイフ家の子飼いであると流布されていた点である。

 

 調べによればそれはロナリア家の御用商人であったと分かった。

 そしてそのロナリア家の御用商人自身が野盗団を手引きしていた…とあってはこれはロナリア家によるコイフ家への策謀だと多くの者が思うだろう。

 

 敵の策謀の最終的な狙いがどういうものであれ、このまま踊らされ続け、仮にロナリア伯爵家とコイフ伯爵家が王都で衝突する事にでもなろうものならば、アリクス王家は決してこれを傍観しないだろう。

 

 最悪の話、二家は降爵が良い所で、悪くすれば爵位の剥奪…奪爵もありうる。

 

 従ってバルバリに託されたお役目は重にして大であった。

 

 ◆

 

「ふむ、ではロナリア伯はお加減が優れぬと?」

 

 門番に対するバルバリの口調にやや苛立ちが混じる。と言うのも、ロナリア伯との面会をすげなく断わられたからである。

 

 ――お館様の…サウザール様の名を出してもこの対応か。いや、だがまて。この者の様子は何かおかしい

 

「ところで…体調でも優れないのですか?妙に顔色が悪い様ですが…」

 

 門番の男に話かけると、男はぶるりと震えた。

 それを見たバルバリは自身の背筋を冷たい水滴が伝うような感を覚える。

 

 男の震えは体調不良がどうこうだとか夜気が冷えるだとか、そういうものが原因ではなくもっと別の…そう、直接的なものが原因であるように見えたからだ。

 

 直接的な原因…それは、例えばだが体内に、いや、皮膚の下に無数の虫が這っていたとして、それらが蠕動したかの様な…

 

「イエ、問題あリませン…」

 

 答える男の声色もなにか妙だ。

 

 ――変事ありと見做してよさそうですな。問題はこれからです。今少し探るか、引くか。…引きます。杞憂ならば私がお館様に叱責を受ければ良いだけの事

 

 バルバリは現況に対し即断を下した。

 サウザールには見たままを報告し、感じたままに伝える。

 それからサウザールが何をどうするかはバルバリの考えの及ぶ所ではない。

 

 門番の言葉にバルバリは小さく頷き、そして去っていこうとすると後ろから声がかけられた。

 門番の声だ。

 

「…ご、当主様よリ、下知がございましテ、バルバり様を、お迎えしロと。どうぞ、こちラ、へ」

 

 バルバリは振り向き、鋭い視線を門番へ向けた。

 屋敷の外に居る門番が、恐らくは屋敷の中にいるであろうロナリア伯と、この僅かな時間で意思を疎通する事などは考えられないからだ。

 

「伝信、術、式でございイまス…」

 

 門番の言葉にバルバリは頷く。

 

 ――それならば説明はつきます。しかし

 

 バルバリは門の奥、夜の薄暗闇に佇むロナリア伯の屋敷へ目を向けた。

 彼の目には屋敷がなにやら得体の知れない化物と化しており、自身はその口の中にまんまと飛び込む獲物…そんな連想をしてしまう。

 

 バルバリは腰の得物に我知らず手を当て、硬質なその感触に僅かな安堵を得ると、門番の案内に従って歩を進めていった。

 

 ◆

 

 シルファはややうかない表情でグランツ、アニーに話しかけた。

 

「結局クロウ様に相談できませんでした…。今朝のお父様の様子、そして屋敷の気配。私は余り良くないものだと感じているのは事実で、ですけれど、お父様に限って万が一はない、とも思うのです。感じた魔力もお父様そのものでしたし。恐らくは本当に体調が悪かったのでしょう」

 

 そんなシルファを見ながら、嬢ちゃんらしくないな、とグランツは思う。

 情が理を塗りつぶしているのだろう。

 冒険者として磨かれてきた危機察知の本能というのは馬鹿にはならない。

 

 死線をいくつか越えてきたシルファならそんな事は分かっているはずで、それでいて自身の本能が告げる不穏の警鐘を後付けの理で誤魔化そうというのは、グランツにとってはいかにも危うそうに思えた。

 

 アニーを見れば彼女も同じ気持ちのようだ。

 

「ともあれ、屋敷へ急ぎましょう。お父様は夜には帰って来いと仰っておりましたわ。もう日が暮れてしまいました…叱られないといいのですけれど」

 

 シルファの言葉にグランツとアニーが頷いた。

 

 ◆

 

 修練場

 

「クロウ、今日はこの辺で切り上げようか」

 

 セイ・クーの言葉にクロウは頷く。

 

「結構動いたねえ、汗も大分かいたし。どうだい?浴場でもいくかい?」

 

 王都はインフラも大分整っており、公衆浴場みたいなものも存在する。

 技術自体は西域…レグナム西域帝国から輸入したものだ。アリクス王国と帝国は比較的友好を保っているため技術交流も度々あるのだ。

 

 クロウは少し考えて、宿で湯をもらって体を拭くと断わった。

 付き合いが悪いというより、セイ・クーと一緒に行く事に抵抗があったのだ。

 

 交流が出来た今でさえ、クロウにはたまにセイ・クーが男か女かよくわからなくなる事がある。

 というより、男でも女でもない、中性の存在に見えるのだ。

 

 以前1度浴場に行った際にはその背の余りの…

 

 ――いやいや、何を考えているんだ

 

 クロウは首を振った。

 

「そうかい?残念だね。僕は君の体が結構好きなんだけれど。細い様にみえて、脱げばまるで筋肉の糸が何百何千何万と合わさったかのような凄まじいものじゃないか。以前浴場へ行ったときは…」

 

 こいつさてはその気でもあるのか、とクロウは訝しげな目をセイ・クーへ向けていたが、ふいに視線を修練場の出口へ向けた。

 

 セイ・クーもそちらを凝視している。

 

 ややあって、修練場に入ってきたのは黒髪長髪、細かい刺繍の入ったローブを纏った妙齢の美女…ルイゼであった。

 

「ここにいましたか。クロウ。仕事です。ロナリア伯爵家へ向かいなさい。斬るべき者が居ます。人の人生を奪い、我が物とし、何食わぬ顔で邪を為す悪。勇者としての勤めを果たしなさい」

 

 ルイゼは結構適当にクロウを煽った。

 しかし、その煽りは覿面であった。

 

 クロウはルイゼから1通の手紙を受取り、修練場の出口へ向かう。

 手紙はルイゼの名において、ロナリア伯への取次ぎを要請する内容が書いてある。

 

 ――貴族絡み。ギルドマスター絡みか。僕がでしゃばる場面じゃないね

 

 セイ・クーはクロウを黙って見送った。

 心で無事を祈りながら。

 

「分を弁えていて結構ですね、セイ・クー。ですが次はあなたにも力を借りる事になるでしょう。中域への口ぞえを求めるならばその時働いてください。黄老師からも貴方の事は頼まれていますしね」

 

 ルイゼはそれだけ言うと去っていった。

 

 クロウとルイゼが去った修練場で、セイ・クーは迎えのシャル・アを待ちながら物思いに耽る。

 



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夜の訪れ⑥

 ◆

 

 あら?とシルファは声をあげた。

 本来居るべき者が居なかったからだ。

 グランツやアニーも当然それに気付く。

 

「ロッドがいませんね」

 

 シルファが呟く。

 

 ロッドはロナリア邸の門番だ。

 市井より登用した青年で、門番に採用される程度には真面目な筈だった。

 少なくとも、彼を登用して数年、ロッドが職務を放棄してサボったりした事はない。

 

 ふと横をみるとアニーが目を細めて屋敷の方角に顔を向けていた。

 

「アニー、どうしましたか?」

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「いえ…なんだか、お屋敷のほうで複数の気配を感じた気がするのです。…グランツ?貴方はどう?何か感じない?」

 

 アニーの言葉にグランツもやや険しい表情で屋敷を見遣るが、ややあって首を横にふった。

 

「すまないが……」

 

 気配の察知、危機への備え。そういった面では3人の中でアニーが最も長ける。

 

 と言うのもアニーは西域の大国、レグナム西域帝国の元斥候兵という経歴を持つからだ。

 彼女は優秀な斥候兵として功を挙げてきたが、ある時好色な貴族に見初められてしまう。

 

 その貴族はお世辞にも女癖が良いとは言えず、それでいて独占欲も人並み以上。

 困ったアニーは若い身空で貴族のカキタレとなるつもりはなかったので逃げてきたという寸法だった。

 

 逃げに逃げて東域はアリクス王国までたどり着いた彼女は冒険者稼業をしていた所、シルファにスカウトされて今に至る。

 

 彼女の実力ならば貴族の護衛などより実入りの良い仕事が選べたはずだが、同じく護衛のグランツと親しくなり、また、シルファ自身もアニーの雇い主兼女友達というような関係となったため現在の所は職を変えるつもりはないようだ。

 

 それは兎も角として、アニーの危機感知能力についてはシルファも信任が厚い所ではある。

 そんなアニーが違和感を覚えたのならばやはり油断は出来ない、とシルファは気を引き締めた。

 

「何があっても対応出来るように心構えをしておきましょう」

 

 シルファの言葉にグランツとアニーは頷いた。

 

 

 ――アニーの言葉のせいじゃないですが、確かに…屋敷がまるで…いや、考え過ぎでしょうか

 

 空気に吞まれたか、慣れ親しんできたロナリア邸が違うナニカの様に見える。シルファはそんな厭な想像を頭を振って打ち消した。

 

 ◆

 

「出迎えの者がいないのも妙だな」

 

 と、グランツ。

 アニーとシルファもそれに同意した。

 

 シルファ・ロナリアはロナリア家の三女であり、長女と次女は他家へと嫁いでいる。

 この二人の姉はある意味でロナリア家がロナリア家たる所以を体現している様な性格で、率直に言ってしまうと使用人達からは畏れられていた。

 

 だがシルファは二人の姉とは違い、少なくとも表面上は優しく、柔和であり、下の者に居丈高に出る事はなく…一言で言えば人気があった。

 

 まあ実の所、シルファのそういう人当たりの良い面というのはあくまでも一面に過ぎず、彼女もロナリア魂の様なモノを十全に継承してはいるのだが。

 

 ともあれそんな彼女であるからして、出迎え1つないというのは実に奇妙な話だった。

 

「お父様は具合が悪いと今朝仰っていて、使用人達は一時的に帰した…との事だったんですけれど…まさか1人残らず帰したのでしょうか?それに、帰したといっても遠方に実家がある者もおりますし…」

 

 シルファの言も最もだ。

 だが次のグランツの言葉で不審は急速に不穏へと舵を切った。

 

「あれは…血か?葡萄酒じゃなさそうだな」

 

 グランツの指差す方向を見ると、床には赤い液体が広がっていた。

 

 厭な話だがシルファもグランツもアニーも、血などは冒険者稼業をやっている内に見慣れてしまっている。

 血を赤いインクだとか葡萄酒だとかと間違える事はまずない。

 

「…血の痕はあちらへ続いています。あちらは…お父様の、書斎」

 

 この時点でシルファの脳裏には様々な変事のパターンがいくつも閃いていた。

 

 ――暗殺者でしょうか?

 

 だが、とシルファは思う。

 

(お父様を…オドネイ・ロナリア伯爵を殺害できる暗殺者など早々居るはずもありません。では、あの血は暗殺者のもの…?)

 

 オドネイ・ロナリア伯は謀に長けると言われるが、それは惰弱を意味しない。

 

 貴族はなぜ貴族足りうるかと言うと、それは血統が由緒正しいからだとか歴史のある家柄だとか、それもまた無視できない要素ではあるのだが、一番はやはり“強い”からなのだ。

 

 定期的に人類滅亡の危機に直面するこのイム大陸の人類国家で貴族業をやっていくにはとかく強くなければ勤まらない。

 

 ちなみにこのアリクス王国でもっとも強い貴族は当然当代のアリクス国王である。

 

 話は戻るが、ロナリア伯もまた伯爵位に相応しい実力を有している。

 

 分かりやすくいえばオドネイ・ロナリアが本気になれば、ロナリア伯爵邸などは30分以内に解体して更地に出来る程度には強い。

 

 従ってシルファはこの時点ではオドネイが暗殺者の凶刃にかかったなどとは全く思っていなかった。

 

 ◆

 

 オドネイの書斎は薄暗く、魔力灯はおろかランプもついていない。

 

 くちゃりくちゃりと音がする。

 

 窓から月光の青褪めた光だけが差し込んでいた。

 

 くちゃりくちゃりと音がする。

 

 オドネイと思しき人影が執務机に座っている。

 仕事をしているのだろうか?

 こんな暗い部屋で?

 

 くちゃりくちゃりと音がする。

 

 いや、机の上には書類らしきものはない。

 代わりに棒のようなものや、丸い球のようなものが置かれている。

 

 くちゃりくちゃりと音がする。

 

 ・

 ・

 ・

 

「お父様…?」

 

 シルファがおそるおそる尋ねるが、心のどこかでは“嗚呼、もはや取り返しが付かない変事が起きたのだ”と分かってはいた。

 

 グランツ、アニーは既に臨戦態勢に入っている。

 彼等の戦闘経験及び生存本能は肌を刺す殺気の質を敏感に感じ取り、この殺気の放射元が自身を殺めるに余りあるナニカであると察知していた。

 

「お父様、灯りをつけますよ…?暗い中では目を悪くしてしまいます…」

 

 シルファが入口近くに立ててある燭台に火を灯した。それなりに値がある燭台で、西域の魔導都市エル・カーラで工房を構える高名な魔導技師が作成したものである。

 

 魔力を流す事で触媒が加熱、そして光明術式が起動するが、ただ明るいだけではなく光の拡散度が重視されているため、多少広い部屋でも柔らかな光が部屋全体へ行き渡る。

 

 淡い魔術光が部屋へと広がり、シルファ達は見た。男の死体を貪るオドネイ・ロナリアの姿を。

 

 ◆

 

「かああ、かみ、が伸びるんだね、なぁぜって、えいよ、栄養がぁ豊富、で」

 

「あああああしるふあ、むすめ、ヴぉおおおくの」

 

「きぃみはどんな、あじが、するのか……」

 

 ――君はどんな味がするのかな

 

 顔をあげたオドネイの両の眼は、シルファが朝見た時と同じく黄色く濁っている。

 

 呆気にとられた3人を、黄色い両の眼が嘗め回すように見つめた。

 

(ま、まさか!)

 

 シルファはある事に思い至り、咄嗟に目を伏せた。

 

 そんなシルファをオドネイは粘着質な笑みを浮かべながら眺め、右手の中指に嵌った指輪の淡い青色の宝石に指を這わせた。

 

 ◆

 

 グランツの瞳が見開かれ、唖然とするシルファの首根っこを掴み、後ろへ引き寄せる。

 アニーは所持していた投げナイフをオドネイに投擲をした。

 

「逃げるぞ!」

 

 グランツは短く叫び、シルファの手を掴んで走り出した。

 アニーも後背に続き駆け出す。

 

 続く破砕音。

 乾燥した木を力任せに叩き壊す音だ。

 何かが激しく衝突した音。

 

 音の後にはたちまち冷たい空気が流れ込み、廊下の端々を凍てつかせた。

 

 閉鎖空間で氷術師とやりあうのは非常に不味い。

 冷気が拡散しない為だ。

 勿論考え無しに使えば術者本人にも累が及ぶが、その辺を考慮しないオドネイではないだろう。

 

 シルファは半ば茫然自失の状態だが、それでも脚は動いている。

 精神的にショックを受けてはいても命の危機とあらば身体は動くあたり、シルファの冒険者、いや、戦闘者としての才は決して凡庸なものではないと言える。

 

 長い廊下を3人は駆け、しかし彼等を追う足音は加速度的に近付いてきていた。

 

 身体能力向上に回す魔力の量が違う。

 このままならば数秒後には追いつかれるだろう。

 そうなれば……

 

 グランツはシルファとアニーを抱き寄せ

 

「窓を破る!飛び降りるぞ!つかまってろ!」

 

 二人を抱きかかえて、飛び降りた。

 3階程度の高さだが問題はない。

 

 夜の暗がりに紛れたいんだがな、とグランツは内心ごちる。

 月明かりが思った以上に明るかった為だ。

 

 グランツには夜空を飾る蒼白の宝石が、まるで自分達を監視する大きな目玉のように思えてならない。

 

 ◆

 

 修練場を出たクロウは大きく夜気を吸い込んだ。

 そして月をまぶしそうに見上げ、ロナリア伯の屋敷はどちらだったかなと少し悩むも

 

 腰に佩くコーリングがリンと鳴る。

 そして、ああ、と何かを感得したクロウは然程急いだ様子もなくその場を歩き去って行った。

 



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閑話:ばぶばぶザザ、その後

「ザザ様、お腹は痛みますか…?」

 

 清楚さと淫蕩さを等分に混ぜ合わせ、母性と言うトッピングをすれば恐らくはリリスと言う女性が出来上がるのだろう。

 

 そんな事を考えながらザザは痛む腹をおさえ、頷いた。

 

「ああ。痛い。だが本来ならば命と引き換えに剛力を得る死業だ。痛いで済んだというのは幸運だ」

 

 死剣・影腹は剣の業というよりはどちらかといえば呪術にあたる。

 澄み切った覚悟を以って為せばルイゼとて破れるものではないが、あの時ザザはただのヤケクソで、覚悟もクソもない状態でやらかしたので中途半端な掛かり方をし、ゆえに助かった。

 

 極東では王…主君に対して命掛けの諫言をする際にしばしば用いられている。

 

 基本的に極東地域は命の価値がイム大陸より遥かに安いため、命を触媒とした自己強化の術などは珍しくはない。

 

 そしてそういった価値観についていけなくなった者達が逃げ出す事もまた珍しくはない。

 

 ザザもまた極東脱出組である。

 そんなザザはリリスに仰向けになってもらい、自身はうつ伏せに、そして顔面を胸で挟んでもらうようにして死闘の疲れを癒していた。

 

 たとえ何が起ころうとも、ザザはこの場を動くつもりはなく、もし邪魔をするものがいれば問答無用で殺害する…それほどの覚悟でザザはおっぱいに挟まっているのだ。

 

「ザザ様、私が魔族であるという事を気になさらないのですか?」

 

 リリスがザザの後頭部をなでながら問いかけた。

 余りの愚問にザザはフンッと荒々しく鼻息を噴出す。くすぐったかったのか、リリスが少し身悶えする。

 

「この大陸の者は魔族がなんだと気にする者が多いが、忘れたのか?俺は極東の生まれだ」

 

 言われて見れば…とリリスは納得した。

 魔族の間でも極東というのはやや特別な地域として認識されているのだ。

 

 極東はとにかく神の類が多い。

 その数は八百万とも言われている。

 便所やらその辺の石ころにも神が宿っているのだから、実際の数はもっと多いのかもしれない。

 

 神というのはどれだけ木っ端であっても、それを廃そうとするならば相応に苦労するだろう。

 

 そんなものが八百万というのは魔族をして手に負えるものではない。

 

 ついでにいえば、極東の民と言うのは魔族がイム大陸で栄華を極めていた時代からもずっと極東にひきこもっていたし、外大陸から蛮人が攻め寄せてイム大陸の覇権を魔族から簒奪した時もずっと極東に引きこもっていた。

 

 極東の民は極東から出てこないのが常だったのだ。ここ最近では命を軽視する風潮に耐えかねて逃げてくる極東民も多いのだが。

 

 ともかくも魔族にとって極東の民というのは憎しみの対象ではなく、敵対してこないなら放って置いていいとすら思われている。

 

 となれば怨恨自体も発生しないのだから、ザザがリリスが魔族であることに何も思わないのも当然と言えば当然であった。

 

「それにしてもリリスは魔族だというが、いわれてもわからんな」

 

 ザザが言うと、リリスは少し悩むそぶりを見せた。

 

「この姿は仮初のものなんです。魔族としての姿は余り見せたくはありません…。少なくとも、人に恐怖を与えるような姿、とだけ申し上げて置きます…」

 

 なるほど、とザザは納得した。

 腕が4本あったり、目が3つあったりするのだろうか?

 はたまた獣のような姿になるのだろうか?

 

 ザザの極東の知り合いには化物の雌を手篭めにすることを趣味とする男がいる。

 というより極東時代の知り合いは頭のおかしい連中ばかりだった。

 

 それがザザの偏見の無さの所以なのかもしれないが、兎も角もいつかはその姿でも“ヤって”みたいなとおもうザザであった。

 

「あ、ザザ様…そろそろ…」

 

 リリスが口元に笑みを浮かべてザザに言う。

 ザザはリリスが言おうとしている事がわかっていた。答えも決まっている。

 

「ああ、延長だ」

 



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夜の訪れ⑦

1/30 0時
1/31 0時

それぞれ夜の訪れ⑧.⑨も予約投稿してます

ちなみにですが、イマドキのサバサバ冒険者&Mementoのスピンオフ的な作品で「曇らせ剣士シド」っていうのもアップしてます。
カジュアルな恋愛ものなので気軽にどうぞ!


 ◆

 

 シルファ、グランツ、アニーの3人はロナリア邸の3階部分から飛び降り、庭を突っ切って外門へと駆け出す。

 

 3人は黙って走り続けていたが、何かがおかしい。

 その違和感に最初に気付いたのはアニーだ。

 

「シルファ、グランツ。人の姿がない。左手前方、酒場よ。明りはついてる。でも気配がない」

 

 アニーは走っている最中と言う事もあり、端的に状況を伝えた。

 

 確かにそうだ。

 夜とはいえここは王都だ。

 だのに、何故人の姿が無いのか。

 

 その時シルファの脳神経に電流が走った。

 彼女には思い至る事があったのだ。

 

「止まって!」

 

 シルファが短く言うと、グランツとアニーは足を止めた。

 

「…私の考えが確かならば…逃げても無駄です。私達は恐らくどこへも行く事が出来ない…なぜならば私達が今居る場所は王都であって王都ではありません…“ここ”は…」

 

 背後から足音がした。

 

 弾かれるように振り向く3人の前に、随分距離を離したはずのオドネイ・ロナリア伯爵が立っている。

 

「…“ここ”はお父様の世界だから…」

 

 シルファの頬に冷たい汗が伝った。

 

 ◆

 

 月魔狼フェンリークには朋友が居たという。

 

 ――迷い火の月狐ケイラ

 

 人を惑わす妖狐だ。

 常にフェンリークに寄り添い、異種ながらまるで番のようであったという説もある。

 

 勿論ただの狐ではない。

 その双眼に宿る妖しい輝きを見てしまったものは、たちまちに不思議な世界へ囚われてしまったそうだ。

 

 月の出ている夜は決して死ぬ事はないというフェンリークの不死性とは確かに強力なものではあるのだが、日中などは不死性が発揮される事はない。要するに月が見えなければフェンリークは不死足りえないのだ。

 

 そのからくりを当時の西域の猛者たちが何1つ気付かないなどと言う事があるのだろうか?

 不死のからくりに気付けなかったといっても色々試すことは出来たはずだ。

 

 例えば襲撃は夜ばかりなのだから、フェンリークは夜行性だとみて昼間に強襲するなど…こんなものは新米の冒険者だって考え付く事だ。

 

 しかし結果として誰一人日中にフェンリークを見つける事は出来なかった。

 

 それはなぜか。

 月狐のケイラがフェンリークの姿を隠していたからだとされている。

 

 そして、アリクス王国の貴族家、ロナリア伯爵家に伝わる血統魔術とはまさにこのケイラにちなんだ惑乱の魔術であった。

 

 アリクス王国の古くからの貴族家には血統魔術という固有の魔術が伝わっている。

 

 基本的にはその貴族家に連なる者にしか使うことが出来ず、例えばコイフ家ならば己の五指を月魔狼の爪と見立てる月光爪と呼ばれる術が伝わっている。

 

 この辺りがコイフ家が狼に例えられる理由の1つでもあった。

 

 そしてロナリア家は狐へと例えられる。

 その狐の元というのがこの月狐のケイラなのだ。

 

 ロナリア家に伝わる血統魔術は双眼より発せられる“惑い火”であった。

 

 この術が直接的に敵対者の肉体や精神を損なう事はない。

 しかしある意味でそれ以上に悪辣な効果を持つ。

 

 それこそが“これ”だ。

 惑い火の光を見た者は現実世界に被せられた仮初の空間に囚われる。

 

 その空間内部の様子は現実のそれに準じており、時の流れも現実のそれと同一だ。

 だが、空間内には術者と術をかけられた者以外の存在は誰もいない。

 

 あえて言うならば心象世界の顕現に似ているだろうか。

 

 現実世界を自身の心象世界で塗りつぶす、高位の術者の切り札でよく見られる大魔術だ。

 

 だが、そういった心象世界の顕現はその多くが術をかけられる者に致命的な損害を与えるものばかりだが、惑い火はそういう直接的な損害は無い。

 

 しかし、術が解けない限りは決してその世界から逃げる事は出来ない。

 

 術を解く条件は1つ。

 言うまでもないが、術者の殺害である。



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夜の訪れ⑧

 ◆

 

 ――シィィ、る、ふぁ、だいじょう、ぶ、だ。おいで、なさい

 

 ――しぃぃ、るファ…

 

 オドネイの抑揚のない声がその場に響いた。

 情操というものが完全に欠如しているようにシルファには聞こえる。

 

 それがたまらなく辛い。

 なぜならシルファの知るオドネイは、例えちょっとした雑談にも深い知性を感じさせるような男であったからだ。

 

 かといって知に傾斜した無愛想な学者然とした男ということではなく、微笑ましい稚気のような、そんな雰囲気を常に纏っていた。

 

 だがシルファには父オドネイがその接しやすい気配を意図的に作り出し、周囲の者へ気を遣わせないように配慮していた事を知っている。

 

 シルファにとっては優しい父親だったのだ。

 

「お父様!どうされたのですか?なぜ私達を襲うのです!」

 

 シルファの叫びは、不思議と彼女自身にも覇気がないというか腰が据わっていない声だな、と思わざるを得ない薄っぺらいものだった。

 

 グランツとアニーはそんなシルファの様子を横目で見ながらも、既に臨戦態勢を整えている。

 

 ◆

 

 ――なんでぇ、なああああああんでぇ襲う?

 

 ――わぁぁからなァイイイイひっヒィヒヒヒ!

 

 オドネイが狂気染みた哄笑をあげると、上半身を捻り、まるで平手打ちをするように腕を振る。

 

 当然平手は空を切るが、オドネイは構わず何度も同じ動作をした。

 

「お、おい…あれ…」

 

 グランツがオドネイを指さし、アニーに顔を向けた。

 

 アニーは自身の精神世界に鎮座する警鐘がブルブルと震えだし、次の瞬間にもガンガンと鳴り響くのを予見する。

 

 予見は正しく、警鐘は最大音量で激しく鳴り出した。その勢いときたら、乾燥した枯れ草の山に火をつけたかのように激しいものであった。

 

「伏せて!」

 

 アニーが叫び、すかさずグランツはシルファの頭を押さえつけて屈んだ。

 

 次瞬、頭上を何かが凄い勢いで通りすぎていく。

 そして激しい衝突音、破砕音。

 建物が破砕されたのだ。

 

 この空間内における建築物の強度は現実のそれと等しい。

 勿論現実世界での建物は無事だ。

 しかしこの空間で殺されれば、現実での再生はありえない。

 

 通り過ぎた“モノ”はオドネイの腕であった。

 

 オドネイの腕はその腕回りを倍ほどへと肥大させ、まるで芋虫のような節が新しく形成されていた。

 

 皮膚の色は淡い灰色と化しており、所々皮膚が破れて赤い色がのぞいている。

 

 肉だ。

 

 人間の肉体を最低限の形状のみを残し、可能なかぎりおぞましく変容させようと試みても“こう”はなるまい。

 

 変わり果てた父の姿にシルファは

 

「あ、あは…お、お父様、なんですか、その姿は…」

 

 泣きながら笑っていた。

 

 ◆

 

「お嬢!しっかりしやがれ!」

 

 グランツが荒々しく吠えた。

 シルファが動転するのは仕方のない事だが、今この場でやられては…

 

 グランツはシルファを無理矢理立たせ、仕方ないと一発頬を引っぱたいた。

 

 アニーは眉をあげるが、注意などはしない。

 

 言葉で分からなければ平手で分からせ、それでも分からなければ拳で説得し、それでも分からなければ術か剣をちらつかせるというのは冒険者の一般常識であるからだ。

 

 グランツがやらなければアニーがやるつもりだった。だが…

 

(グランツに任せたのは失敗だったかも…)

 

 痛烈に引っぱたかれたシルファは、その顔のみならず体まで吹き飛びかけた。

 音も打擲音というよりは鞭術の達人が放つ渾身の一撃のような破裂音が響き、要するにやりすぎであった。

 

「ッい、痛い!痛いです!…い、痛い…本当に痛い…」

 

 シルファの目の端に涙が浮かんでいる。

 頬はまっかに染まっており、これは場合によっては内出血をしているかもしれない。

 

 グランツは魔力により全身を強化したままシルファをひっぱたいてしまったのだ。

 

「す、すまねえ…!魔力が、いや、しかし魔力を、まて、本当に俺は、すまない…」

 

 グランツを睨みつけるシルファの目線には殺意が混じっている。

 

 電光石火、腰に差したショートスタッフを抜き放ったシルファが術式を放つ。

 

 狙いは勿論グランツではない。

 掌を広げシルファ達の方へ腕を伸ばしてきているオドネイだ。

 

 掌を広げて、というが掌も不気味な変容を遂げていた。

 

 一言で言うなら直径1メルトル程度まで肥大化し、指の先には切れ込みがはいっている。

 そして切れ込みの奥には瞳が覗いていた。

 

 愛する父親のグロテスクに過ぎる変容に、シルファは唇をかみ締めスタッフを握る手に力を込める。

 

 ◆

 

 シルファがショートスタッフに魔力を込めると、柄の部分に刻まれていた文様が蒼く光輝いた。

 

 そして手元でまるでバトンのようにくるりと回す。

 

 必然、光る文言もまた円を描き、その軌跡の残光が魔陣を形成。

 

「ジ・カカネグイ・ラ・ゲルガ!刺穿冰槍陣!」

 

 術式の起動言と同時に魔法陣から何十本もの細い氷の槍が飛び出し、オドネイの全身に次々と突き刺さった。

 



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夜の訪れ⑨

 ◆

 

「やったか!?」

 

 グランツが喝采をあげるが、アニー、シルファの表情は険しい。

 

 氷の槍は余さず突き刺さり、オドネイの肉体を貫通しているものもある。

 

 アニーが知る所、人間の急所とは40数箇所存在する。氷の槍は致命的な箇所をいくつも貫いている。

 

 しかしこれまたアニーの知る所、アレは人間ではない。つまり…

 

 ウゾウゾと蠢く人の形をした肉の塊がくぐもった音を立てた。

 

 氷槍はオドネイの口中を貫き、氷槍の先端は後頭部にまで達していたが、その生命活動を止める事はなかったのだ。

 

「おいおいおいおい!あれはなんだってんだ!オドネイ伯爵はどうなっちまったんだ!?」

 

 アニーも“オイオイ”と言いたい気持ちだった。

 

 ともかく、こういう相手を観察し、そして弱点を看破し打倒に寄与するというのがアニーのこのパーティでの役割であるため、生理的な嫌悪感を押し殺しオドネイの身体を観察する。

 

 そしてアニーは1つの気色悪い事実に気付く事になった。

 

「ねえ、あのオドネイ伯爵の…腹部。大きな穴が空いているけれど、傷口回りに白い…なにかしら、紐…いえ、動いている。虫かしら。とにかくそんな何かが沢山いるみたい」

 

 グランツとシルファがアニーの指した部分をみると、確かに傷口まわりに白く長い虫が蠢いている。それも沢山。

 

「あれが…お父様をおかしくしてしまった…原因?」

 

 シルファが呟く。

 その呟きには何一つ根拠となるようなものはない。

 

 だがグランツ、アニーもシルファの呟きに同意をした。

 

 なぜならば、少なくとも異常な点であるには違いなく、彼等の拙い医学の知識に照らしてみても人間の肉体に白い長虫が蠢いているという事実はないように思えたからだ。

 

 ◆

 

 魔族は貴く、そして強い。だが数が少ない。

 ヒト種より圧倒的に少ない。

 

 過去3度の人魔大戦の敗北の原因はまさにそれに尽きる。

 

 ならば、ヒト種を減らし、魔族を増やせれば解決するのではないか、という試みの結果生まれたのが降魔薬と名付けられた術薬だ。

 

 この術薬以外にも、精神の乗っ取りを得意とする“成り代わり”とも“影の相貌”とも呼ばれる精神寄生体が魔族にはいるが、これは個体数がそこまでおおくなく、乗っ取りが成功しても寄生先のもつ力を超えた力は振るえないという欠点ももつ。

 

 その点降魔薬は寄生先の肉体を大きく変容させることもあり、単純に人類勢力を混乱させるならば成り代わりなどより効果が高かった。

 

 ではその薬はどういうものか、といえばとある寄生体を直接投与し、人間の肉体を乗っ取ってしまうというものである。

 

 寄生体は細い糸の様な見た目をしており、寄生した生物の胃を中心に根をはりめぐらせる。

 そしてそこから宿主の摂取する食物などをエネルギー源とし、爆発的に体内で増殖する。

 

 増殖した寄生体は最終的に宿主の脳を目指し、一定量以上の寄生体を脳に宿した宿主は完全に肉体と精神のコントロールを奪われる。

 

 コントロールを奪われた宿主はどうなるのかといえば、宿主の記憶を利用した寄生前の行動を取る。だがこれは擬態に等しい。

 

 擬態にて周囲を騙し、更に“増えようとする”ための。

 

 例えば近しい人間と体液を交換したり。寄生体を混ぜた食事などを食べさせようとしたり。そういった行動を取るようになる。

 

 そこに本人の意思はない。

 話しかければ応答し、対応もするだろうが、それは記憶から引き出した反応に過ぎない。

 

 ここまで侵食が進んだ個体は、既に本来の個体の性質、気質からはかけ離れたものとなってしまっているだろう。

 

 これは極めて恐ろしい寄生体に思えるが、これは一定以上の精神と肉体の強度を持つ生物にとっては全くの無害でしかなかった。

 

 そういった生物は大抵魔力を扱うわけだが、この魔力と言うものが寄生体にとっては致命的なものだったのだからだ。

 

 “成り代わり”または“影の相貌”とよばれる精神寄生体も魔力が強い個体には寄生させづらいのだが、糸のごとき寄生体の魔力への脆弱さは格別であった。

 

 しかし、同一の薬剤を一種の害虫へ使い続けるとやがて耐性を得てしまう、という現象がある様に、寄生体が死なない程度にわずかずつ…少しずつ魔力を流し、意図的に耐性を取得させればよい…とある魔族が考え、それを実行に移した所…それは効を奏した。

 

 魔力を流されても死なない寄生体を作り出す事に成功したのだ。

 

 つまりそれは、魔力に優れる人類貴族にも使えるということで…

 

 要するに、オドネイはこの薬を使われてしまったのだ。誰が彼に薬を盛ったのか?

 

 魔族だろうか?

 いや、違う。

 

 人類の敵は魔族だけではなく、同じ人間にもまた存在する。

 

 魔族と通じる人間…例えばかつてロナリア家の御用商人カザカスを殺害し、その皮を被って化けた外道術師のような存在もいるということである。

 

 ◆

 

 現実・ロナリア邸

 

 屋敷の主がいないこのロナリア邸に今、1人の男がいた。男はロナリア邸の金目の物を袋に詰め込んでいる。要するに窃盗である。

 

 小太りだが動きは細やかで機敏であった。

 短く刈り込まれた髪の毛には所々白いものがまじっている。

 目つきに油断はなく、だが瞳の奥には欲望の炎を轟々と燃やしていた。

 

 男の名前はドワイト。

 ドワイトはロナリア伯の侍従だった男だ。

 

 だがドワイトはドワイトではなく、その前の名をカザカスと言った。

 

 そう、かつてロナリア家御用商人カザカスを殺害し、その姿を奪い、不良冒険者や野盗をつかってアリクス貴族間の諍いを生みだそうとした男だ。

 

 外道術師。

 

 外道術師にはもはや元の姿もなければ名もない。

 他者を殺害し、その皮を被る事でその記憶や経験を強奪する術を行使した代償に、男はもう二度と自身の本来の姿、名前を思い出す事はない。

 

 人としての道を踏み外した男に怖いものはなにもなかった。

 

 ないはずであった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「それで、あなたは誰も居ないお屋敷で一体何をしているんですか」

 

 黒髪の青年が眼前の男…外道術師へ問いかける。

 外道術師は青年の姿に見覚えがあった。

 

「あなたはロナリア伯爵に仕える人ですか」

 

 青年が再び外道術師へと問いかける。

 外道術師はどう答えようか悩んだが、この身体はそもそもロナリア伯爵の侍従の肉体であるのだから、その身分を伝える事にすればいいだろうと口を開き

 

「魔力には色があり、匂いがある事を知っていますか。それらは人それぞれ異なる事を知っていますか」

 

 青年の質問が開きかけた口を再び閉じさせた。

 

「貴方の事、俺は知っています。俺は忘れないんです。色々な事を覚えているんです。お医者さんは俺のそう言う個性が俺を苦しめている側面もあるといっていました。俺は確かにそうだとおもった。なぜなら人は辛い事、苦しいことを忘れてしまうことで再び歩み出す事が出来るから。心、身体…それらに受けた痛みをずっとずっと覚えていたなら、それはとても苦しい事です。俺は記憶力がいいんです。ところでもう一度いいますが、俺は貴方の事をしっています。魔力の色、匂いに覚えがある。貴方は確か」

 

 ――俺の敵ですよね

 

 ギュウと青年の瞳が収縮した。

 

 外道術師の目には、青年の瞳がまるで獣のような、凶猛な肉食の獣のような瞳に見えた。

 



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メンヘラと外道術師①

19時にもう一回更新します


 ◆

 

 クロウと外道術師の視線がほんの僅かに交錯し、そして無言で振り切られたクロウの横薙ぎがロナリア邸の壁を撃砕…せずに壁際すれすれで止められた。

 

 それなりに重量のあるものを高速で振り回し、そして寸止めをすると言うのは壁を破壊する事より困難だ。

 

 クロウは新しい人生を歩む事が出来たというのに前世を未だに引きずっている哀れなメンヘラではあるが、他人の家を無許可で破壊してはならないという程度の常識は持ち合わせている。

 

 外道術師はクロウがノータイムで殺しに来た事に一切の驚きを見せる事はなかった。

 

 そればかりか怖気を奮う斬撃を余裕を以って回避した上に、クロウの急所へ蹴り上げを飛ばす。

 

 クロウはそれを半身になることでかわし、片足となって不安定な体勢となった外道術師に返しの横薙ぎを再び見舞うが、それはかがんで避けられた。

 

 屈んだ外道術師はそのまま身を低くしてクロウの足首を取ろうとするが、クロウは膝を放ち、魔力で強化された杭打ちのような膝が外道術師の鼻っぱしらを叩き潰す。

 

 血飛沫をあげ、扉を壊して吹き飛ばされる外道術師はしかし、視線は険しいものの立ち上がって折れた鼻を力ずくで直した。

 

 少なくとも一般的な銀等級…しかも術師という身でクロウとここまで接近戦がやれるものはアリクス王国には居ないだろう。

 

 種はある。

 

 外道術師の体術は彼本来のものではなく、被った皮の持ち主“達”のものだ。

 彼がこれまで奪って、捨ててきた“皮”は50をくだらない。

 

 その50名全てが類稀な戦闘センスを保有していた、と言う事ではないが、この世界では貴族や騎士、兵士、傭兵、あるいは冒険者でなくとも自衛の手段を持つ者は少なくは無い。

 

 外道術師はそういった者達の戦闘技術をかき集めて我流の戦闘術を編み出している。

 どのような分野であっても、その戦闘術を構成する1つ1つの技術、経験への深い理解がなければ新たな流派というものは生み出せない。

 

 これは妙な話ではあった。

 

 普通、こういう類の術で肉体と精神を奪っても結局当人のものではない以上十全に扱う事はできないからだ。

 

 体術にせよ魔術にせよ、肉体と精神に蓄積する記憶を簒奪すれば理論上は当人と同等に扱えるはずなのだが、僅かに威力が減衰したり、精度が悪くなったりする。

 

 この現象について、近年では生物には肉体と精神にくわえ、魂という第三の要素が原因だという説が有力だ。

 概念的な意味の魂ではなく、魂という不可視のモノが確かに存在し、それは生物を構成する重要な要素の1つである…

 

 ……か、どうかは定かではないが、歴史を紐解けば“成り代わり”、“闇の相貌”と忌み嫌われる魔族の精神寄生体でさえも、本来の当人ほどの業前を発揮出来ない事は歴然とした事実であった。

 

 しかし、外道術師は違う。

 

 自身のアイデンティティーを捨て去る事で、代わりに皮の持ち主の半生をそっくりそのまま奪い去る事が出来た。

 

 唯一無二の自分自身というモノを捨てさってでも他人になりすましたい、自身という存在を徹底的に忌み嫌っている者だからこそ為しうる一種の奇跡だ。

 

 だが魔術にはこのように当人の思い入れの強度により、本来あるべき閾値から大幅に上振れするということがままある。

 

 ◆

 

 僅かな攻防で両者は互いの力量の彼我を悟った。

 外道術師は息を荒げ、クロウを睨みつけながらも構えを解いた。

 

 クロウの様子は変わらない。

 だらんと剣をぶら提げ、外道術師の言葉を待っているようにも見える。

 

「…僕を見逃す気はあるか?十分な礼はするが」

 

 ややあって、外道術師は答えを半ば分かっていながらも一応とクロウに問いかけた。

 

 クロウは腰に剣を戻し、やはり腕をだらんと垂らしゆっくりと外道術師に歩み寄っていく。

 

「…言って見るものだね、率直に聞くが、いくら欲し…い…?なあ、これは一体なんの…」

 

 スッと伸ばされたクロウの腕。

 拳は柔らかく握られ、縦拳が形作られている。

 

 外道術師は緩やかに視界に広がっていくクロウの縦拳をただボウっと眺めていたが、その忘我にも似た表情が一瞬で歪められ、咄嗟に顔を逸らすと同時に左手でクロウの拳を払おうとする。

 

 外道術師の払い手がクロウの拳に触れたその瞬間、なにか柔らかいモノが弾け飛んだ音が部屋に響いた。

 

 ◆◆◆◆◆

 

「クロウ。受けてみろ」

 

 ザザが緩やかに剣を横に薙いだ。

 その速度は余りに遅く、死にかけた野良犬ですら十分な余裕をもってかわせるような一撃だ。

 

 クロウは首をかしげながらも剣を構え、ザザの横薙ぎを剣の腹で受け止めようとする。

 見物していたセイ・クーがニヤニヤしながらその光景を見つめていた。

 

 ザザの剣を自身の剣の腹で受けたクロウは、まるで車に轢かれたような衝撃を身体側面に受けて、真横に吹き飛ばされた。

 

「重剣・石衝という」

 

 倒れたクロウを無感情な眼でみながらザザは口を開いた。

 

「どんな事であっても極端が良い。例えば自分を舐めた奴を黙らせる時、もっとも良い方法はそいつを殺してしまう事だ。死ねば二度とそいつは舐めた口を叩けない」

 

 クロウは頷いた。

 ザザの理論には穴がない。

 

「例えばこちらを恐ろしい存在だと思わせたいとき、最初から威圧的でいるべきだろうか?俺はそうは思わない。なぜならそれでは威圧に無駄がでる。こいつは元々そういう奴なんだな、と逆に軽く見られるかもしれない」

 

「恐ろしい存在だと思わせたければ、最初は大人しく、静かでいる事だ。そして不意に激怒し、なんだったら大声をあげながら机を破壊してもよい。大人しかった奴がいきなりそんな事をするんだ、恐ろしくはないか?」

 

 確かにそれは恐ろしい、とクロウは納得した。

 だがそれが先ほどの現象とどう関係があるのだろう、とクロウは思う。

 

「暴力も同じだ。100の力で殴りつけたいのならば最初から100の力を込めるのではなく、例えば10の力で殴りかかり、触れた瞬間に100へ持っていく。中域の連中はそんな調子で殴ったり蹴ったりしてくるぞ、もし殺りあうような事があれば注意する事だ」

 

 ◆

 

 赤い肉片はまだそれ自体が生きているように、ヒクヒクと艶かしく蠢いている。

 

 クロウは外道術師の弾け飛んだ腕を見ながら、ザザの指導を思い返していた。

 ザザの訓練により、クロウもいくつか習得した技術がある。

 流石に脚捌きで分身なんて頭のおかしい真似は出来ないが、簡単な業ならいくつか扱えるようになっていた。

 

 “これ”もその産物だ。

 

 なお、クロウが剣を納めたのは先述したが余分な破壊を嫌ったためだ。それに…

 

(ギルドマスターからはロナリア邸に斬るべき者はいる、とは聞いていたけれど屋敷を壊せとは言われていない)

 

 これは生前からの悪癖…というかなんというか、クロウは“仕事”をするにあたり、言われていない事はやらない、言われた事はやる、という調子が抜けていない。

 

 臨機応変などという言葉はクロウのような者からは最も縁遠い言葉なのだ。

 

 そして、クロウには命乞いは通用しない。

 

 殺すと決めたからには男でも殺すし女でも殺す。成人してても殺すし、未成年でも殺す。

 老人だって殺すし、なんだって殺す。

 

 それは彼が残酷だからというわけではなく、融通が効かないためだ。

 全ての例に当てはまるわけではないが、“クロウのような人”は一度決めた事を変えてしまうことに酷く強いストレスを感じる。

 

 拘りが強いとか我が強いとか、そういった面もあるのかもしれないが、もっと簡単に説明した言葉がある。

 

 精神疾患である。



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メンヘラと外道術師②

 ◆

 

 外道術師は元の名をアルベルトと言う。

 アルベルト・フォン・クロイツェル。

 

 彼は貴族の嫡男だった。

 

 東域でもアリクス王国に次ぐ勢力を誇るテーゼル公国の貴族だ。

 

 国家元首であるテーゼル公爵…その五代前のテーゼル女公爵が当時の勃発した人魔大戦中、下位とはいえ魔将と相討った事による功績として、当時のアリクス国王から自治権を付与されている。

 

 クロイツェル家はそのテーゼル公国の貴族家であった。しかも伯爵家という上級貴族の嫡男だ。

 

 過去形なのは、彼がすでに廃嫡された身だからだ。

 

 彼自身が特段何かをしでかしたわけではない。

 敢えて言うならば、貴族らしからぬ容姿、そして生来内にこもりがちなその性格であろう。

 

 率直に言ってアルは容色優れるどころか、その正反対といっていい。

 

 ぎょろりとした大きな目、ふとぶとしいその体躯、かといって貫禄があるといったことではなく、要するに肥えていた。

 

 例えるなら人間の皮を被ったヒキガエルといったところか。

 

 それでも陽気な性格であるとかそういうモノがあればまた話は違ったであろう。

 

 しかしアルは陰気を通り越していっそ不気味ですらあった。

 

 そのぎょろりとした目でただただ見つめてくるのだ。

 

 見つめ、ぼそりぼそりと何かを呟き去っていく。

 

 害を為すわけではない、ただただ不気味な男。それが周囲が見るアルという男だった。

 

 それに対して、アルの家族は上級貴族としての格に相応しい態度、容色だった。

 

 アルの父母はアルをその不気味さゆえに愛することができなかった。

 

 無理もないだろう、アルは二人のどちらにも似ていない。

 

 もちろん、アルが二人に全く似ていないのは極めて…きわめて不幸な偶然にすぎないのだが。

 

 それでもアルが伯爵家でただ一人の跡継ぎであるなら後の不幸は起こらなかったに違いない。

 

 アルには弟と妹がいたのだ。弟は父に似て、妹は母に似ていた。そして弟妹達もまたアルを疎んでいた。

 

 ここまで語れば十分だろうが、結論から言えば誰からも愛されなかったアルは廃嫡された。

 

 ただ、廃嫡はそれ相応の瑕疵がなければ為されない。アルは不気味ではあったが、悪事を働くような事は決してなかった。

 

 だから伯爵夫妻は一計を案じた。

 

 侍女の強姦。

 やってもいない悪辣な犯罪を被せられ、アルは11年暮らしていた屋敷を追い出された。

 

 アルは反論しなかった。

 というより出来なかったのだ。

 

 会話がうまく出来ないから。

 アルは産まれてからずっと無視されてきた。話しかけても誰も彼に言葉を返す事はなかった。

 

 アルと会話することを伯爵夫妻が禁じたから侍女や下男たちもアルと関係を築くに至らない。

 いわゆるネグレクトである。

 

 誰もアルに話しかけなかった。

 だからアルは会話の仕方がわからない。

 だからアルはいつもボソボソ不気味な呟きを発する。

 だからアルは一層気味悪がられ、嫌悪されていく。

 

 アルは“それ”を自身の醜さゆえだと思った。

 

 ◆

 

 屋敷のとある下男は追放されるアルに激烈な暴行を加えた。

 

 彼は真実など知らない、しかし婦女暴行は憎むべき犯罪だ。

 それでもアルが貴族のままなら彼もそこまではしなかっただろう。

 

 だがアルはもはや貴族ではない。

 殴る蹴るの拷問まがいの暴行でアルの目は半分開かなくなってしまった。

 

 腫れあがったぼってりした瞼、全身に青あざを浮かべ、とぼとぼ屋敷を去っていくアルの姿を皆嘲笑した。

 

 アルは家族に嫌悪されていることを知っていた。

 アルはそれでも家族を愛していた。

 

 だが、愛とは不変なものだと誰が言ったのだろう。

 

 アルの愛はその日、憎しみに変わった。

 アルはこの時点では学のない少年にすぎなかった。

 

 だから自分が抱く感情に名前を付けることはできなかったが、後日アルはあの時自分が抱いた感情こそまさに憎しみであった、と気づくことになる。

 

 もしも去っていくアルの瞳をのぞき込む者がいればとても彼を嗤うことなどできなかったであろう。

 

 アルの憎悪に彩られた瞳は、まるで黒い炎のようであった。

 

 ◆

 

 アルは屋敷を去りこそしたが、街を去る事はなかった。理由は1つ、街を出ても何処にいけばいいか分からないからだ。

 

 街の裏路地の片隅に身を横たえ、そして残飯のほうがまだ上等といえるゴミを食い、そんな生活を続けても彼が生きていたのは、ひとえに彼にも貴族の血が、貴族由来の魔力が流れていたゆえであろう。

 平民と比べて、貴族というのは生物的に別種と言える程に強度に格差がある。

 

 ならばその力を使い、暴力で日々の糧を得ればいいだろうと人は言う。

 

 だがアルは暴力的な思考に染まってはいなかった。コミュニケーション能力に問題は抱えていたものの、それでもアルは本当の貴族たりうる気高さを失ってはいなかったのである。

 

 だがアルがいかに元貴族であるとは言え、日々の粗食、劣悪な生活環境は着実に彼の精神と肉体を蝕んでいく。

 

 ◆

 

 とある雨の日、アルは熱に浮かされながら“希求していた未来”を夢に見ていた。

 

 夢の中でアルは優しい父母に笑顔を向けられ、弟と妹はアルを慕い…

 

 そんな幸せな夢幻が蹴りの一撃で引き裂かれた。

 

 アルが顔を向けると、そこには複数の薄汚い浮浪者たちがいた。

 

「す、すまねえな。おまえさんの身体がよう、金にな、なるんだよ。かうっていってる人がいてな。何につかうかわかんねけどよう。目玉とかよ、内臓が高く売れるらしんだわ、へ、へへへ」

 

 浮浪者の1人の言葉にアルの感情に氷点下の霜がさした。怒りは一定以上まで高まると、熱さではなく冷たさを帯びるのだ。

 

 だがアルは浮浪者の言葉に怒りを覚えたのではない。幸せな夢幻を破られた事に怒りを覚えたのだ。

 

 アルの思考は高熱に蝕まれ、まとまらない。

 だがそれゆえに枷のない暴力が、半ば八つ当たり気味に浮浪者達へ叩きつけられた。

 

 貴族の子弟はたとえ子供であっても、大人の頭を握り潰すくらいの事は出来る。

 伯爵家の嫡男であったアルともなれば、熱発してようと身体が弱っていようと、浮浪者の数名を挽き肉にする事は蝶の手足を捥ぐ事よりも容易い。

 

 だが浮浪者達を殺したアルの狂気はそこで収まらなかった。

 

 なぜ自身がこんな目に遭うのか。

 家族と幸せと暮らすことを想い、憧れる事も許されないのか。

 何が悪いのか?

 

 そこで己の容姿こそが不幸の原因であると感得したアルは、己ではない他者になりたいと希求したのだ。

 

 アルは殺した浮浪者達の皮を剥いで、己の皮膚へと貼り付けはじめた。

 

 それは尋常の様子ではない。

 しかし狂気は熱と化学反応を起こし、それまで抑圧されていた名状し難いドロドロした感情がそこへ混じる事で、このような仕儀を彼に為さしめた。

 

 しかし、幸福にもというべきか、不幸にも、というべきか。

 

 愛が反転し憎悪と化したアルの願いはこの世界に“正しく”作用し、アルはその日、1つの術を得る事になる。

 

 それからアルは得た術を使い、様々な悪事を働くようになる。

 人殺しという本来の彼が考えていた最大の悪徳をしてしまったことで、心の枷が外れてしまったのだ。

 

 己を愛してくれない世界を大切にする必要はない。アルは次々と人を殺し、皮を奪い、金品を強奪し、欲を満たしていくようになる。

 

 全てが単純な事だった、とアルは思う。

 己の姿でさえなければ何も簡単なのだ、と。

 旨い飯を食うのも、柔らかい布団で眠る事もなにもかも。愛だって簡単に得られるだろう。

 

 そうして“本来の自分”を否定し続けたアルは、いつしか己が誰だったのか、名前すらもを忘れてしまった。

 

 かわりに彼の術は強まり、外法に手を染めつづける外道の術師が生まれた。

 

 ◆

 

 弾け飛んだ腕を見た外道術師は、それでもなお生きる事を諦めなかった。

 

 それは外道術師にこびりついたアルという男の残滓であったのかどうか。

 少なくともアルは貴族の身でありながら、ドブネズミのような生活をしながらも生きようとしていた。

 

 外道術師は残った手で懐にのんだ短刀の柄を握る。だがその手がベキベキという厭な音と共にひしゃげた。

 

 クロウが腕を伸ばし、力任せに外道術師の手ごと胸に腕を突き刺したのだ。

 そしてクロウの掌に己の心臓が握られたと思った瞬間、外道術師の視界は暗転し、意識は失われた。永遠に。

 

 ◆

 

 外道術師の胸から腕を引き抜いたクロウは、力を失った男の身体を横たえ、手を組ませた。

 

 クロウは一度も名前を聞かなかった。

 

 それは何故か。

 外道術師が他者の姿を奪い悪事を為す者であるなら、本来の姿への忌避感が根底にあったからと想像する事は難しくない。

 

 ならばアイデンティティの象徴たる名前を聞く事は余計な苦痛を与えてしまうことになりかねないだろうか。

 

 そうクロウが配慮したかどうかは定かではないが、兎も角も“仕事”はこれで終りだろうか?となにとはなしにクロウが窓から外を見ると、窓に黒髪の少女の姿が映っているではないか。

 

 クロウはハッと振り向くが、そこには誰も居ない。

 

 しかし窓には依然黒髪の少女が立っており、クロウが彼女を見ていると、その小さい指が一点を指差しはじめた。

 

 クロウはその方向へ目をやるが、何も見えない。

 だが、己の相棒である彼女がそこを指し示すというのなら黙って向かうべきだろうと窓を引き上げた。

 

 クロウは知る由もないが、その方向は奇しくもシルファ達が逃れた方向だ。

 

 そしてクロウの愛剣に名付けをしたのはシルファである。

 

 窓から身を乗り出したクロウの姿が闇に掻き消える。

 



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メンヘラと異形①

 ◆

 

 異形の腕が出鱈目に振り回される。

 腕だけではない、オドネイの肉体から何本もの触手の様なモノが皮膚を突き破り飛び出してきていた。

 

 触手に見えるそれらは、よくよく見れば白い長虫が寄り集まったものだと分かるだろう。

 不気味だとか気色が悪いだとか、そういう生半な表現ではこの悍ましさを表し切る事は出来ない。

 

 そんな薄気味悪い"白い鞭"が鋭い先端をシルファ達に向けていた。

 夜気を裂きながら伸び行く白槍には強い殺気が込められている。

 

 だが、一般人ならまだしもシルファ達は銀等級冒険者でも上澄みに近い。

 殺気に怯む事なく、正確に対処・迎撃・反撃を積み重ねていく。

 

 シルファの頭部を貫く軌道のそれを、グランツが盾でカチ上げ、そしてアニーが短刀でバラバラに引き裂いた。

 

 パーティの盾であるグランツはシルファとアニーの前に立ち、一撃一撃を瞬時に受けてはいけないもの、受けても構わないものに選別し、対処している。

 

 受けてはいけないが、どうしても対処の出来ないものはアニーが処理をする。

 

(どれもこれも喰らうわけにはいかない。達人の槍の一撃みたいな力が込められてやがる。それにしてもこれだけの攻撃を無傷で捌くとは…俺は思ったより凄いんじゃないのか?金等級…狙えるか…?)

 

 グランツは辟易しながらも自分の仕事を十全にこなしていた。

 雑念を交える余裕すらもまだあった。

 

 ◆

 

 アニーはグランツが余裕を残して受けている時は投げナイフをオドネイに投擲するなど、遊撃としての役目をこなしていた。

 

 シルファはと言えば当然火力役だ。

 氷槍が、氷刃が。

 十重二十重の氷術が乱れ飛ぶ。

 

 化物に変貌してしまっても、それでも父は父だ。

 シルファの端整な相貌は蒼白で、唇をかみ締めながら術を撃ち込んでいる。

 

 だがオドネイはそれらを受けても攻勢を弱める事がなかった。

 

 シルファ・ロナリアの術師としての業前は、魔導協会の区分に従えば三等と二等の間…準ニ等に届くか届かないかという辺りまで研ぎ澄まされているが、氷術というのは殺傷力には優れるが“破壊”力には欠ける。

 

 そして、今この場面で求められているのはまさにその破壊力なのだ。

 

 常識的に考えられる急所が急所足り得ないというのであれば、点の殺傷力という氷術が他の術に優越する部分が殺されてしまう。

 

 ◆

 

「やっぱり厳しいな」

 

 グランツがごちた。

 状況は拮抗してはいるが、今だけだろうということはグランツにも分かっていた。

 シルファは優れた術師だが、無限に術を打ち続けられるというわけではない。

 

「同感ね。そろそろ攻め方を変えましょうか。切っても刺しても堪えないって反則よね」

 

 アニーもそれに応じる。

 グランツもアニーもこの状況に冷静さを欠くどころか、まるで散歩中の会話さながらに平静な様子を見せていた。

 

 シルファの攻勢が緩めば、オドネイは勢いを強め、やがてはそのまま飲み込まれてしまうだろう。

 

 そしてシルファの攻勢はそれほど長くは続かない。それらを理解してなおグランツとアニーは平静だった。

 

 なぜならばまだまだ取れる手はあるからだ。

 

 例えば毒。

 

 例えば打撃には弱いと踏んで腹を括っての徒手格闘。

 

 例えば火で焼いてしまう事。

 

 試すべき手、取れる手はまだまだいくつもあり、その引き出しの多さはグランツとアニーの戦闘経験の豊富さを意味している。

 

 ◆

 

 ――に、にげぇぇぇ、なさいいいしるふああああァァッ

 

 偽りの王都、その一角に絶叫が轟いた。

 

『逃げなさい、シルファ』

 

 四肢の隅々、そして内臓どころか脳にまで白長虫を満たしながらも、オドネイ・ロナリアは自身を蝕む狂気に抵抗をしていたのだ。

 

 オドネイ・ロナリアの精神が完全に死滅していない事を寿ぐべきだろうか?

 そうかもしれない。

 だが少なくともこの場面では呪われるべき出来事であった。

 

 シルファの手が、術を紡ぐ唇が止まる。

 それは瞬きの数分の一にも満たないほどの短い時間であったが、死ぬには充分な間隙でもあった。

 

 オドネイとシルファ達の拮抗はシルファの火力投射とグランツ、アニーの防御によって成立していたが、シルファの火力投射が僅かに停止した事で状況は破滅的な勢いでオドネイの優勢に傾いた。

 

 グランツには処理しきれない、アニーでもフォローしようがない程の飽和的な攻撃が3人を襲う。

 

 一際太い白い触手が振り上げられた。

 それが中空で更にいくつもの束へ別れ、細く白い槍となってシルファ達3人に浴びせかけられたのだ。

 

 ◆

 

 アニーが地を蹴り、中空に飛び出した。

 彼女の目から見て、シルファにいくつかの致命的な攻撃が迫っているのを認めたからだ。

 

 アニーの役目はグランツの守りをフォローしたり、隙をついて攻撃の援護をするという遊撃的なものだ。そしてこれが肝心なのだが、“機動力のある肉盾”としての役目も遊撃に含まれている。

 

 白い槍が肉体の重要器官を庇うように両腕を十字に構えたアニーの腕に突き刺さる。

 

 いくつか幸運だった点がある。

 

 1つはシルファが傷つかなかった事。

 

 今1つは白槍が突き刺さったのはアニーの腕のみであった事。

 

 アニーの両眼がこれ以上無いほどに見開かれたかと思いきや、短刀で左腕に突き刺さった部分を抉り飛ばす。

 

 切り離された肉片には白く長い虫がウゾウゾと蠢いていた。

 

「グランツ!私の右腕を」

 

 アニーの言葉が最後まで発される事はなかった。

 グランツの重剣の鋭い振り下ろしがアニーの右腕の肘から下を切り落としたからだ。

 

「いィィッ…!?う、ぐ、ち、畜生…シルファ!傷口!凍らせて!」

 

 はっとシルファがスタッフをアニーに向け、術を使うとアニーの腕の切断面がたちまちに凍てついていく。

 

 荒く息をつくアニーにシルファは悲嘆に暮れた視線を向けた。

 

「ご、ごめんなさい…わた、わたし…」

 

 弱々しい声は、常のシルファからは想像もできないものだった。

 

 アニーはぽんとシルファの頭に残った左手を置き、仕事はしっかりやらなきゃね、とだけ言った。

 

 ――仕事はしっかりやるから

 

 ◆

 

 シルファは王都のギルドで柄の悪い冒険者達と揉めていたアニーの姿を思い出す。

 

 その時シルファは間に割りこんでその場を取り持った。

 

 なぜなら放置しておけばアニーは冒険者達をタダでは済ませないように見えたからだ。

 それはそれでいいが、冒険者達にも彼等なりのツテというものはあり、そのツテ次第ではアニーの身も危ういと考えた為である。

 

 シルファは本来、冒険者間のトラブルには介入しない。これはシルファだけのポリシーと言う事ではなく、多くの冒険者にとって共通の基本的なスタンスであった。

 

 冒険者間のトラブルで仮に死人が出たとしても、それは殺されたほうが悪いのである。

 

 とはいえ限度はあるが。

 悪意をもって他の冒険者を害したり殺めたりと言うような事があれば、ギルドは実戦部隊を駆り出してくるだろう。

 

 昔の話になるが、先代ギルドマスターの時代、とある金等級冒険者が人身売買に関わり、新米冒険者や時には銀等級冒険者も捕らえられ他国に売られたという事件があった。

 

 結局その金等級冒険者は、更に上の黒金級冒険者に殺されて事件は収束した。

 その黒金級冒険者…『禍剣』という者がギルドが抱える実戦部隊の1人であると噂されている。

 

 先代ギルドマスターはその責によりマスターの地位を退き、かわりにその座に収まったのがルイゼ・シャルトル・フル・エボンである。

 

 ◆

 

 しかし少なくとも喧嘩程度の事ではギルドも国も動いたりはしない。

 

 それでも介入したのは、当時のシルファは自身の私兵というか護衛が欲しいと考えていたからだ。

 

 上の二人の姉とシルファの関係は余りよくなく、それでも二番面の姉とはまだ交流があるのに対して、一番上の姉とシルファは険悪といっても良い関係であった。

 

 例えるならば、上の姉がゴロツキをつかって物理的にシルファを排除しようとしても不思議ではない…その程度には険悪だった。

 

 シルファも同様である。

 

 流石にごろつきを使うほど下品ではないが、貴族らしいやり方で上の姉を排除しても良いとすら思っていた。

 

 ともあれ、そういう事情もありシルファの身辺はお世辞にも安穏としているとは言えない。

 シルファが自身の護衛を欲しがるのは当然の仕儀であった。

 

 その時シルファには既にグランツという青年を護衛として雇っていたが、やはり1人では不安な面もあった。もう1人、2人と考えていた所、アニーを見つけたというわけだ。

 

 シルファは人を見る目にはそれなりに自信を持っている。その目から見てアニーという女性は、少なくとも実力面では及第点と言えた。

 

 ◆

 

「…ありがとう、アイツ少し面倒くさそうだったから」

 

 アニーとシルファの親交はそこから始まり、シルファは偶然を装って何度か冒険に出かけたり、食事に誘ったりと少しずつ距離を縮めていった。

 

 ある日の食事の帰り、アニーがシルファに言った。

 

「…それで、良く分からないけれどシルファは私をどうしたいワケ?何か考えがあってこうしているんでしょう?失礼かもしれないけれど貴女の事は調べたわ。この国の貴族のご令嬢だって話じゃないの。お貴族様が一冒険者に何の用なのかしら」

 

 疑念に塗れたアニーの問いに、シルファはただ真意のみを以ってそれに答えた。

 

 要するに、自分は姉達と仲がよくなく、最近は身の危険を感じているということ。

 

 だから護衛を探していて、そんな時にアニーを見つけた所、実力的にも護衛に良さそうだとおもったから手を出したということ。

 

 しかし警戒心が強そうだったから少しずつ距離を縮めようとした事。

 

 今では友達のように感じてしまって、護衛としていざというときに命を捨ててもらうのはなんだか嫌だと思ってしまい、護衛は別の者を見つけようと思ってるという事。

 

 そんなシルファの告白に、アニーは大きなため息をつかざるを得なかった。

 貴族にしては甘すぎるというか、こんな甘ちゃんならその姉とやらにもあっさり殺られてしまうんじゃないかと。

 

 でも、とシルファがなおも続ける。

 

「あなたのように警戒心が強く、隙のない相手から信じてもらうには、一切の駆け引きをせずにこちらの真意を伝える事が一番効果的だとおもったんです」

 

 そんな言葉にアニーは何となく目の前の貴族の娘…シルファを気に入ってしまったのだ。

 

「いいよ、護衛ね。やってあげる。仕事はしっかりやるからお給金もしっかり出してよね」

 

 ◆

 

 雇い主の為に命をかけるのも仕事の内である。

 アニーもグランツもシルファも、それは分かっていた。

 

 だが理解と納得は似て非なるものである。

 

 アニーの右腕、肘から下を喪失した痛々しいその光景にシルファはこれっぽっちも納得できなかった。ましてやそれを招いた原因が自身の未熟さであるならば。

 

「…お父様。今のお父様はロナリア家の当主たる資格がありません。ゆえに、その座を退いて頂きます」

 

 立ち上がったシルファの両眼が蒼く燃える。

 血統魔術の覚醒だ。

 オドネイが展開した偽りの世界を、シルファが内より同種の術で破砕しようとしている。

 

 ばきり、ばきりと周囲の空間に何らかの圧が加わっていく。

 

 魔術において複数の心象世界の同時顕現は相克する。要するにその場には1つの世界しか顕現出来ないという事だ。

 

 複数顕現すれば世界と世界は削りあう。

 その強弱を決めるのは互いの内面的な強靭さである。

 

 術師としてのオドネイ・ロナリアと、その娘であるシルファ・ロナリアの格差は甚だしい。

 通常ならば勝負にすらならない。

 

 しかし現実には、シルファが顕現しようとしている世界がオドネイのそれを圧倒しつつあった。

 

 ◆

 

 クロウの顔がふと月の出ている方角を向いた。

 違和感を覚えたからだ。

 知っている者の魔力を感じる。

 

 ――シルファ?

 

 クロウは手近な建物の壁を蹴り、向かいの建物の屋根の上へと飛び上がった。

 

 しゃらり、剣を引き抜く。

 夜気に触れた愛剣の刀身は月の光に磨かれて艶かしく輝いていた。

 

 クロウは屋根から屋根を駆け、跳び、また駆けた。

 

 そして“違和感の中心”の元へたどり着いたクロウは一際高く飛び上がり

 

 ◆

 

 もはや偽りの世界は維持の限界点に達していた。

 ほろりほろりと世界が綻んでいく。

 

 だが忘れてはいないだろうか?

 偽りの世界が解かれたとしても、依然脅威は存在し続けるという事を。

 

 確かに戦闘の音などで周辺住民などが異変に気付くかもしれない。

 

 シルファの目が横たわるアニーを見遣る。

 右腕の切断面は凍結させて止血しているが、切断面周辺の皮膚の色が紫色に変色している。

 

 呼吸も荒い。

 

 残った左腕の、ナイフで抉った傷口からの出血もある。こちらはグランツが布で硬くしばり、一先ずの止血としていた。

 

 対して眼前の化物はどうか。

 攻撃を凌いではきたものの、依然として悍ましい触手をくねらし、今にも跳びかかってきそうだ。

 

 シルファの様子が変わった事で、あちらも様子見をしているようだがそれもいつまで続くか。

 

 シルファの頬をつめたい汗が伝う。

 その時なにか不思議な感覚に導かれ、シルファは咄嗟に空を見上げた。

 

 その動作に触発されたか、触手が再び先端をシルファ達へ向け、彼女達を刺し貫こうと伸びてくるが

 

 ――世界が割れる

 

 ◆

 

 黒い人影が空を割って落ちてきた。

 人影は爪先で地擦り、地面を盛大に抉りながら前方を激しく蹴り上げる。

 

 くるくると白い触手の切れ端が宙を舞う。

 人影が触手を蹴り千切ったのだ。

 

 シルファ達の前に人影が立つ。

 クロウだった。

 

「あ、ク、クロウ…様…」

 

 シルファの言葉にクロウは“はい”とだけ答えた。ボキャブラリーがないからだ。そして甲斐性もない。助けにきたよ、とか、大丈夫か、とか。そういう言葉をかけられるほどの能力はクロウにはない。

 

 クロウの目が異形を見遣る。

 その視線には色が無く、まるでぼんやりとしているような風情であった。

 要するにいつも通りということだ。

 

 しかしそんないつも通りの様子から吐かれる言葉には、普段は礼儀正しく穏和な彼をして似つかわしくない不穏な雰囲気が塗されていた。

 

「あなたの皮膚は硬かった。薄い鉄板のような。それを使ってシルファ達を殺したかったんですね。そしてそれを邪魔した俺の事も殺したいんですよね。殺気が伝わってきます。俺は良い事だとおもいます。フェアだ。だって俺も同じなんです。シルファ達はどう思っているかわからないけれど、俺は彼女達を友達だと思ってる。いや、知人以上友達以下かも。とにかく俺は友達が少ないから、仲良くしてくれる彼女達は大切な人達なんです。そんな人達を傷つけた。そんなあなたを俺も」

 

 ――殺したい、かも

 

 最後にぽつりと呟かれた言葉には明確な殺意がこめられていた。

 

 空気が弾けた。

 クロウが地を蹴ったのだ。

 

 次瞬、振りかざした剣を地面へ叩き付けたクロウの姿があった。

 王都の石畳は“着弾点”を中心に罅が広がっており、その衝撃力の大きさを物語っている。

 

 異形はクロウの高速の唐竹割りに反応できず、その肉体を真っ二つに切り裂かれていた。

 しかし死んではいない。

 切断面から白い長虫が伸び、分かたれた肉体を再び接着しようとしている。

 

「早く!反撃をしてくださいよ!じゃないと俺が一方的にあなたを殺してしまうじゃないですか!」

 

 クロウの絶叫が王都に響く。

 その叫びには聞いたものを鬱にさせかねないほどの悲痛が込められていた。

 

「殺されるから殺していいんだ!本当は皆そんな事はしたくないけれど、やらなきゃならない時もある!だったらせめて公平でないと!フェアじゃない!フェアじゃないよ!無抵抗で殺されるのはやめてくれ!!」

 

 シルファ達にはもはやクロウが何を言っているのかさっぱり分からなかった。

 とりあえずクロウが余人には知れぬ独自の論理で生きている事は分かる。

 

「クロウ様…元気そうです…」

 

 シルファはほかに感想を持つ事ができなかった。

 グランツとアニーも同じだ。

 

「俺は、俺は金等級にはなれねえな…」

 

 グランツとて男だ。

 眩い金の輝きをその手に、と夢想したこともある。ついさっきの事だが。

 しかし金等級となるにはあんな風にならなければならないとするなら、自分には無理だと感得した。

 

 ◆

 

 滅茶苦茶な暴力に業を煮やしたか、異形の切断面を接着しようとした長虫がクロウへその先端を向け、数千本の白い寄生針となって襲おうとする。

 

 その瞬間、クロウは異形の傍らの何もない空間を切り裂いた。

 

 ――秘剣・空吸い

 

 豪速で斬られた空間は瞬間的な真空地帯を作り出し、周辺の空間は当然それを大気で穴埋めしようとする。

 

 その様があたかも虚空に空間が吸われていくような様であることからザザが名付けたこの秘剣は、大気の吸引により敵手の体勢を崩す他、至近で放たれた飛び道具の軌道をも逸らす。

 これはザザがかつて考案した失敗秘剣『凍風・殺し風』が原型となっている。

 

 ともあれ数千本の白い針は真空を埋める気流に吸い寄せられ、クロウへ突き刺さる事はなかった。

 

 代わりに突き刺さったのは爪先である。

 

「俺を…殺せえェェェ!!!!」

 

 クロウの蹴りが破城槌の衝撃力で異形に突き刺さり、蹴り飛ばした。




各プラットホームで更新に差を付けることは無いですが、めんどくさくない人はなろうもカクヨムも全部ブクマください。何故なら筆者が嬉しいからです。カクヨムとかはリワードでタバコ買えるので。なろうはなんかブクマ増えると嬉しいですね、それくらいです。
めんどくさい人はハーメルンで応援してください。


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閑話:ザザ、芋虫さん

 ◆

 

「ザザ様」

 

 リリスの言葉に、ん?と顔を向けるザザの表情は緩みに緩んでいる。

 故郷では餓狼とも呼ばれていた男はもはや駄犬に成り下がっていた。

 

「ザザ様は私がこの生業をしている事をどう思いますか?」

 

 リリスはこの時、ザザになんと答えてほしいのか自分でも良くわかっていなかった。

 しかしザザは自身の為に命をかけた、その真意は那辺にあるのだろうか?

 

 男としての情を自身に向けている、という考えが一番現実的だろう。

 であるなら、他の男に抱かれる事もある自身についてどう思っているのか。

 

 答えを聞きたいような聞きたくないような、リリスはそんな思いで居た。

 

「魔族が人の世界で暮らすとなると出来る仕事は限られるのだろうな、とは思っている。色事か荒事がせいぜいなのだろうな。そこで色事を選ぶ辺り、リリスは争いが好きじゃないんだろう。まぁ好きだというのならそもそも逃げ出してはこないだろうが。だが気をつけろよ。魔族より人間がマシだなんて勘違いをするな。へんな奴に絡まれたら俺に言え。格安でそいつを叩き斬ってやる」

 

 ザザの答えはリリスが望んでいたものではなかったが、それでもリリスを案じるものであった。

 そこにほの温かい何かを感じ、リリスは柔らかく微笑む。

 

 その時、不意にリリスの微笑みが強張ったかとおもえば鋭い視線を窓の方へと向けた。

 

 ザザはそんなリリスの横顔をまんじりともしな

 い様子で見つめている。

 

「そういう顔つきも綺麗で良いな。その顔つきのままのリリスと●●●●●とかしてみたい」

 

 リリスはザザのそんな言葉に本当に駄目な子供を見る表情を浮かべると、ザザの髪の毛をくしゃくしゃとかき回した。

 

 なお、二人は現在膝枕の体勢である。

 

「王都が…騒がしいようです」

 

 リリスの言葉には様々な含みがあった。

 ザザが答える。

 

「知ってる。だが関係のない話だ。片方の気配は俺も知っている。こういっていいのかわからんが、教え子だ。ルイゼの話では勇者らしい。絶対嘘だぞ」

 

 リリスは眼を見開いた。

 勇者の名は魔族にとって特別な意味を持つ。

 

「ええ?でもあの気配は…なんて陰鬱で…まるで深く冷たい泥沼のような…これが勇者…?」

 

 ザザは苦笑した。

 

「悪い奴じゃないよ。少し変わってるだけだ。あんなので驚いていたら、極東に行ったらリリスは驚きで心臓が止まってしまうぞ。極東はな、自殺が趣味だとか抜かす若い連中の集団もいるんだぞ。自殺組合というらしい。多数で崖から飛び降りたり、首をくくったりするそうだ」

 

 リリスは絶句した。

 極東、なんと恐ろしい地域だろうか。

 

「なぜ自殺を…?極東の人々は命が複数あるとか…もしや、不死であるとか…?」

 

 ザザは首を振る。

 膝枕中の首振りであるので、鼻がリリスのふとももに擦れて、リリスは少しくすぐったそうな素振りを見せた。

 

 それがザザにはどうにもそそってしまい、フガフガとふとももに鼻をこすりつける。

 

 醜い。

 

 野良豚のようなザマのザザをリリスは両の手でがっしりと固定した。

 

「生きてるやつが死んだらどうなるか、これは諸説あることは知ってるよな。極東では輪廻が主流だ。つまり、死んだらまた別の生物として生まれるということだ。自殺組合の連中は、何らかの理由で現世から去りたいと思い、そして自殺することで次の生に期待する…そんなかんじで死んでいってるんだ。まあ何を思うかは自由だがな、俺は嫌だな。だって次の人生というものがあったとして、それが今のより良いものになる保証がどこにある。大体、そのへんの虫けらに生まれてしまうかもしれないじゃないか。ほら。こんな風に虫けらになってしまうかもしれないだろう?虫さんだ、芋虫さんだぞ」

 

 そんな事をいいつつ、ザザは指でリリスのふとももを撫で回した。

 自身の指を芋虫に例えているのである。

 

 これは、リリスが“めっ”と制止するまで続いた。



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メンヘラと異形②

 ◆

 

 ここでようやくクロウはシルファ達の方を振り向いた。そして凍りついたアニーの腕を見て、眉を顰める。

 

 そして“本気で心配する為に”その腕をまじまじと見つめ、甲斐甲斐しくアニーを支えるグランツの心境を慮り、アニーと親しいであろうシルファの心境に思いを馳せる。

 

 ――シルファ、グランツ、アニーは心の通い合った仲間同士だ。シルファが言っていたけれどアニーとグランツは恋人同士らしい。それならグランツの心には今頃張り裂けるような悲しみが充満しているだろう。アニーもどうだろうか。彼女も冒険者である以上、怪我が悪化して死んでしまうなんて人は沢山見てきたに違いない。自分の傷がこの先どうなるか不安だろう。それに冒険者としてやっていくことはもう難しいかもしれない。仕事はどうなる?生活は?未来への不安!嗚呼、なんてことだ…

 

 クロウの心がどんどん落ち込んでいく。

 そしてこの瞬間、クロウは心からアニーを心配する事ができたのである。

 

 クロウの指先が痺れ、やがて震えを帯び、そして腕全体へ広がっていった。

 

 悲しみと怒りがクロウの神経回路にこれ以上ないほど詰め込まれ、激発した感情は魔力をドカドカと生産し、クロウの体からは黒い魔力のスパークがバチバチと発散される。

 

「アニーさん…あなたの仇は必ず討つ」

 

 クロウが呟いた。

 

 シルファ達3人は思う。

 

 ――まだ死んでない

 

 ◆

 

 ここまでのクロウの心の動きは、彼のある意味で日本人的気質による所が大きい。

 

 それはつまり、礼儀だ。

 仮にも仲間である以上、“本気で心配しなければ無礼である”とクロウが訳の分からない事を考えた仕儀である。

 

 クロウはアニーとさほど交流があったわけではないが、一緒に依頼をこなしたこともある。

 いわば同僚であった。

 

 であるなら心配の1つくらいしてもいいだろう。だが、それはあくまで仲間意識があるからであって、それ以上ではない。

 

 だから心配するといってもそんなものは上辺だけのものになってしまう。

 

 それでは余りに無礼ではないか?

 そうクロウは思ったのだ。

 

 クロウは優しい男であるが、その優しさは自己満足のためだけに発揮されるため、他者を心から慮るという事は困難である。

 

 だが、他者という存在を自身の内に含める事ができれば、他者を心から心配するという難事も可能となるのだ。

 

 ――アニー…なんて事を…ゆ、許せない…

 

 クロウの歯が強くかみ締められる。

 ぎりぎりという不気味な音がクロウの口元から発されていた。

 

 肉体からはスパーク、口元からは不気味な音。

 

「あ、あの、クロウ様…」

 

 たまらずシルファが口を開くと、クロウは強く頷いた。

 

 クロウはシルファの想いを汲んだのだ。

 

 仲間を傷つけたあいつに無残な死を与えてくれという復讐の念。

 

 貴族という立場ならばプライドも高いだろう、どこの馬の骨とも知れない冒険者風情に復讐を託す屈辱感たるやどれ程のものだろうか。

 

 しかし友情がプライドを上回り、こうしてクロウに頼むに至ったのだ…自身はシルファの自称友人としてこの気持ちを汲まねば男ではない…

 

 クロウはそう考え異形が吹き飛んだ方向へくるりと向き直ったのだが…

 

 当然全てクロウの妄想である。

 

 ◆

 

 さて、いきなり現れたクロウに真っ二つにされた挙句に蹴り飛ばされたオドネイ・ロナリアであるが、吹き飛ばされた事で肉体の修復する時間を稼ぐ事が出来た。

 

 クロウがオドネイの元にたどり着く頃にはその肉体はすっかり修復され、二本の足で立っていた。

 

 腕が伸びてもいないし、全身から触手が伸びているわけでもない。

 

 なぜか?

 

 これはオドネイの肉体を蝕む虫の大半が自殺したからである。全てではないが、大半が自殺…自壊した。

 

 本来オドネイのように魔力が強い者を侵蝕するためには、どっさりと虫を流し込む必要がある。

 多少虫が入り込んでも数次第では抵抗されてしまうのだ。

 

 クロウが彼を蹴り飛ばしたとき、当然クロウは魔力で身体能力を強化していたのだが、その時クロウの魔力がオドネイの肉体に浸透した。

 そして自殺した。

 

 魔力とは個人のアイデンティティーの上澄みのようなものなので、強烈な希死念慮が混入されている毒のような魔力に虫風情が抵抗できるはずがない。

 

 とはいえこれはオドネイの快癒を意味するわけではない。

 僅かに正気でいられる猶予を与えられたに過ぎない。虫はオドネイの血管にも混じりこみ、放って置けばまた増殖するだろう。

 

「君が、クロウか。娘と親しいと聞いている」

 

 オドネイの言葉にクロウは小首をかしげた。

 それまで触手を振り回す化物であったのが急に人間に戻ったなら当然の反応だ。

 

「君のおかげで僅かな時間自分を取り戻す事が出来たようだ。礼を言う。しかし余り詳しく話す時間はない。邪悪の残滓はまだ私の中にいる。時間がたてばまた自身を見失うだろう…。だから結論だけを言おう。私は“先代”ロナリア伯として、そしてシルファの父として君がシルファの傍に在るに相応しいか、ためさせてもらおうと思う。立ち会ってくれるね?」

 

 クロウは何故そうなるのかさっぱり分からなかった。分からなかったが、頷いた。

 

「感謝する。ここが広場で良かったよ。では……」

 

 ――ジ・カカネグイ・フォル・ネ・エルバ…

 

 周辺の気温が急速に低下していく。

 いや、低下というのは生ぬるい。

 急降下していく。

 

 空気すらもが凍てついて、仮に朝方であったならばダイヤモンド・ダストを観測できたであろう。

 

 ――冰刺雷葬陣

 

 大気中に細やかな氷を発生させる。

 そして氷粒が摩擦しあうことで静電気が発生する。

 

 冰刺雷葬陣はそれらを束ね合わせ、制御空間の何処からでも雷撃を放つという大魔術だ。

 

 クロウの周辺360度、つまり全方位から闇を引き裂く輝く雷条が迸った。




本作の魔法、魔術、剣技の理論、理屈についてはでっちあげなのであくまでフィクションだと考えてください。そんなんじゃ雷発生しないよっていわれても、発生するんです。そういう世界なんです。ばりばりー!って。


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メンヘラと異形③(完)

 ◆

 

 方向というものは細分化していけば上下左右に限った話ではない…というのをクロウはリアルな体験として実感していた。

 

 四方八方より迫る雷撃の雨。

 クロウの反射神経が常人のそれでは無いとはいえ、こうも密度を高められてはかわしようがなかった。

 

 かつてクロウは魔族の放った電撃を拳で弾き飛ばした事があるが、それは正面から来ると分かっていたからでもある。

 

 ――痛み、痛み、痛み

 

 電流が体内を流れる激痛は想像を絶する。

 

 これはクロウがわざと受けているわけではなく、かわそうとしてそれがかなわない結果が“これ”だ。

 

 アリクス王国の伯爵家当主というのは、平時の金等級冒険者を圧倒するだけの武力を個人で有する。

 貴族というのは強くなければつとまらないのだ。

 

 ◆

 

 ――痛い、凄く痛い。感電するってこんなに痛かったんだ。腕がうごかない、脚がうごかない。電撃をかわすなんてできっこない。俺はこのまま死ぬのか。勇者としてのつとめも果たせずに。でもそれも運命なのかもしれない。俺はあの人を殺そうとした。だけど今俺はあの人に殺されようとしている。なんてフェアなんだ。痛い、痛いけれど気持ちがいい…道理が、道理が満たされている気がする…

 

 クロウの心は全身を苛む激痛により、急速に死を受容する態勢を整えつつあった。

 ライクアローリングストーン、すなわち転がる石のように死への想念が増大していく。

 

 だが、クロウの肉体はそうではない。

 死を感知したクロウの全身の細胞が活性化し、いわゆる火事場の馬鹿力状態へと移行していく。

 

 更に、クロウが危地であるという事でコーリングは自身の使命…クロウを護る事が出来るようになったため、数百枚の窓ガラスを一斉に金属の爪で引っ搔いたような歓喜の叫びが周辺に響き渡る。

 

 その絶叫は物理的な破壊を伴い、周辺の家屋にビキビキと罅割れが入るほどであった。

 

 当然クロウも無傷ではいられない。

 至近距離からの音撃はクロウの皮膚を破り、肉を抉り、骨にまで響いた。

 確実にこの一撃でクロウは更に深く死の断崖に向けて歩みを進めた事だろう。

 

 だが問題はない。

 愛は時に苦痛を伴うのだから。

 

 ◆

 

 雷光のカーテンを抜けて、クロウが姿を現した。

 

 ――変貌(かわ)った…

 

 オドネイは戦慄と共にそれを察知する。

 

 先ほどまで自身の術になすすべもなかったはずのクロウ。

 

 その無様な姿に“やはりこんな軟弱な男に娘はやれない。ここで葬るべし”と殺意を高めていた彼だがクロウの変貌を目にして考えを改めた。

 

 まあそもそも論だが、そのオドネイ自身が意識を失調していたとはいえ愛娘を殺そうとしていた、という事実は置いておく。

 

「この魔力は…これは…闇…いや、病んでるのか…心を病んでいる…なぜそれほどになってまで娘を護る為に戦う?…いや、そうか…それがこれが、愛か」

 

 そして、ハッと息を飲む。

 

 クロウを撃ち続けていた雷撃が、クロウを避けるようにして地面を撃っているのだ。

 

 オドネイが眼を凝らすと、クロウの背後に黒いドレスを纏った耳長の女性の姿が居る。

 

 女性は俯き、ブツブツと何かを呟き続け、その度に雷撃はクロウから逸れた。

 

 オドネイは驚愕に眼を見開く。

 

 ――守護者!?

 ――かつて勇者には多くの仲間達がいた

 ――その仲間達も魔族との戦いで1人斃れ、2人斃れ…しかし仲間達は死してなお勇者を護ろうと現世に力を及ぼしたという。それこそが英霊。

 ――つまり…彼は勇者…

 

 驚愕はオドネイの思考と動きを僅かに止めた。

 そしてその僅かな時間がクロウにとっては充分であった。

 

 地を縮めたかのような凄まじい速さで、クロウはいつのまにかオドネイに眼前に立ち…突き出される黒剣。

 

 胸を貫かれたオドネイは、自身の大切な何かがバラバラに解体され、剣に吸われていくのを感じた。

 

 視界が次第に暗転していくオドネイ、しかし彼にはまだ伝えなければならない事があった。

 

 ――娘、を

 ――シルファを、頼む

 

 クロウは頷き、剣を捻った。

 止めをさす為だ。

 

 オドネイの体から黒い煙が上がり、そしてまるで煙にように消えてしまった。

 

 クロウは俯き、そして空に輝く満月を見つめる。

 そしてぐりん、と首が動いてある一点に視線が収束した。

 

 目玉だ。

 目玉が浮いている。

 

 何の理屈もない、だが獣染みた勘でクロウは察知し、呟いた。

 

 ――お、ま、え、か

 

 ◆

 

 王都、裏路地

 

 飛ばしていた視界が暗転した事に青い肌の禿頭の老人の姿をした魔族、ギョウムは歯噛みした。

 

「なんじゃ、ありゃあ…新種の魔獣か?西域ではとんでもなく悍ましい化け物がおった…この東域にもおるというのか…人間共、劣等であるには間違いないが…侮れん…」

 

 ――その通り。我々は侮れません。3度の大戦を経て、今更気付いたのですか?過去3度とも貴方達が敗北したというのに?

 

「ぬ!何者!」

 

 ギョウムの背後から声が聞こえ、そして振り返るが声の主はどこにもない。

 当然だ。

 ギョウムの視線は地に向いている。

 

 首が落ちたのだ。

 

「夜気を吸った風の糸はよく斬れますね」

 

 甘い香りを残して、ギョウムを殺した者は王都の暗がりに消えていった。




もう死んだので別に知らなくても支障はないですが、ギョウムはイマドキのサバサバ冒険者の「★黒森」という回に出てきます

また、エルフの女性はこの作品の壊れたエルフお姉さんです。

感想ありがとうございます~鯖のほうも今は全部開けてます


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勇者クロウ①

クロウは勇者ではなく、自分を勇者だと思い込んでるだけです


 ◆

 

 厭な気配を感じたとおもったら、唐突に消えてしまった。クロウは小首を傾げ、そして胸に手を当てる。

 

 ――あの女性は…俺が殺したエルフの

 

 ――そうか、俺達は命を削り合う事でお互いの魂に触れあい、そして分かり合えたんだ

 

 ――だから俺の危機にあの世から助けにきてくれたんだな…

 

 クロウは自分がしてきたことに間違いはなかった、正しき正道を、勇者として王道を歩んできた事を確信した。

 

 ◆

 

 全然違う。

 

 魔剣コーリングはクロウを愛している。

 それは男女のそれではなく、異形の愛ではあるが、愛は愛だ。

 

 クロウに災いを呼び込み、それが為にクロウが危地に陥ったならば歓喜してこれを排除しようとする。

 

 災いをひきつける癖に、いざ災いが寄ってきたならばそれを決して許さないのだ。

 だから排除するだけでは、殺すだけでは済まさない。

 

 魔剣の呪いは排除対象の魂に刻み込まれ、対象は魂、魔力の形状を魔剣に覚えられてしまう。

 

 覚えられてしまったならばどうなるのか。

 

 魔剣の権能が起動したとき、魔剣は必要に応じて自身が覚えた者達を現世に復元する。

 

 そして“喚ぶ”のだ。

 殺した者の魂を。

 

 喚ばれた者達は、魔剣の権能が働いている間は魔剣が復元した依り代に押し込められ、クロウを守護する為に働かなければならない。

 

 これこそが後世、勇者として恐怖されるクロウの恐るべき奥義、その名も『死想剣』である。

 

 ちなみに、殺傷した者の力を換骨奪胎するような形でクロウ自身も扱えるが、彼の不器用さはシルファをして匙を投げたので、そちらの方の権能は余り十全に扱えているとは言えない。

 

 ◆

 

「クロウ様!」

 

 月下の王都を駆けてくる女性がクロウの意識を捉えた。

 

 シルファだ。

 

 シルファは周囲を見渡し、ボロボロになった広場、そしてクロウの所々焼け爛れている身体をみて息を飲む。

 

 だが何より気になるのは…

 

「あの、クロウ様、お父様は…」

 

 半ば答えを察してはいたが、それでもなおシルファは尋ねた。

 

 クロウは眼を閉じ、ややあって見開いた。

 その瞳が月色に輝いている。

 

「ク、クロウ、様…?」

 

 シルファにはその光に見覚えがあった。

 

 ◆

 

 ――こ、魔力の流れは…お父様の…ロナリア家の血統魔術…

 

 次瞬、瞳から放射されたクロウの想念が叩き込まれる。

 

 クロウは魔術に関しては致命的に不器用なので、偽りの世界を構築する事は出来ない。

 よって自身の思いを視線を通して感得させる、という亜流のような術となった。

 

 この辺の術の変容はやはりクロウの心のあり方が影響しているといえるだろう。

 

 本来のロナリアの術は、“視線を交わす事”が起動の条件となっているが、これは一種の契約を意味する。

 

 視線を交し合うという事は魔術的な意味では契約の締結を意味するのだ。

 

 邪視や魔眼という術が忌み嫌われるのは、視線を交わすことが魔術的契約の締結を意味するからに他ならない。

 

 ロナリアの術はひらたくいえば自身の世界へ他者を招くにあたりその許可を取っているという事になるが、魔術に疎い者や、不意打ちのように行使されると抵抗は非常に難しい。

 

 相手と対面して、その眼をみないでいるというのは事前知識がないと不可能な事だ。

 

 しかしクロウの場合は視線から想念を放射し、それを叩き込む。

 

 目線が合う必要はない。

 

 これは彼が他者の感情を察する能力を失調している事が原因となっている。

 

 術とは同じ術でも本人の心の在り方で変容するものなのだ。

 

 コミュニケーションに当たって自身の気持ちを一方的にぶつけることしか出来ない者はポンコツといって差し支えないが、術師としては非常に強力である。

 

 オドネイとクロウの一騎打ち

 黒剣に貫かれるオドネイ

 娘を託す末期の言葉

 

「お父様は…クロウ様に救われたのですね…しかし、何故、ロナリアの術をクロウ様が使えるのでしょうか?」

 

 クロウはその質問に短く答えた。

 

「託されたんだ。シルファ、君のお父さんは…」

 

 クロウは自身の胸を指した。

 

 ――ここにいる

 

「…っはい…」

 

 シルファの頬を伝う涙。

 クロウはそれを拭ってやり、気配を感じて後ろを振り返った。

 

 数名の男達が走ってくる。

 事情を聞くまでも無く、表情をみるだけで彼等が何を考えているか分かる。

 

「き、き、貴様ァーーーー!王都のど真ん中でこ、こここここのような!破壊行為を!!!逮捕だァ!!捕まえろ!アリクス王国に対する破壊工作か貴様ッ!生きて娑婆の飯を食えるとおもうなよ!」

 

 クロウは俯き、両手を差し出す。

 街を破壊したことに間違いは無い為だ。

 こうみえて、クロウの遵法精神は非常に高い。

 

 シルファは顔に手を当てていた。

 

 ◆

 

 クロウは逮捕された。

 色々やって街を破壊してしまった為だ。

 

「なるほど、それで君はロナリア伯爵令嬢、そしてその護衛騎士2名を救出する為に戦闘を始めたと」

 

 取調べを受けているクロウは頷いた。

 しかしルイゼに命じられた事は言わなかった。

 要するに、ロナリア邸に赴きそこに居た者を殺してしまえ、という物騒な依頼の事だ。

 

 少し飲みすぎて夜風にあたっていた所、激しい戦闘音が聞こえ、駆けつけてみればシルファが怪物に襲われていた。そこを助け、怪物を打倒したはいいが、肝心の怪物の死体は煙のように姿を消してしまった…

 

 これがクロウの述べた弁明である。

 

 確かにクロウの脳は大分焼けてしまっているが、ルイゼの依頼の性質的にそれを公言すべきではない事は犬並みの知能指数があれば分かる事だからだ。

 

 ◆

 

 アリクス王国王都治安局所属の取調官ゴンズは眉と眉を指でぐりぐりと押さえ、さてどうしたものか、と悩んだ。

 

 ――印章は見た。紛れも無く金等級だ。となれば下級ないし中級貴族扱いとなる。しかし無罪放免は難しい。広場周辺の15戸の窓部が粉砕されている。更に石畳の広範な破壊。だが有罪と言うのも難しい。仮に彼の言った事が本当ならば、彼は王都の危機を救ったという事になる。シルファ・ロナリア伯爵令嬢からの陳情も上がっているし…それよりも…

 

「俺は…死刑ですか」

 

 クロウが言う。

 酔狂で聞いているわけではない。

 クロウとしても街に大きな被害を与えてしまった事を気に病んでいた。

 

 なぜなら王都で激しく戦闘というのは、テロにあたる可能性も無きにしも非ずと考えているからだ。

 

 前世ではテロ等準備罪というものがあった事をクロウは覚えている。

 しかし、テロを実行した場合はどうだっただろうか?

 

 ――多分、死刑…!

 

 ここで死ぬわけにはいかない。しかし法律でそう定まっているのなら仕方が無いかもしれない、そうクロウは思っている。

 ネジが数本抜けている割には、前世の常識に引っ張られているのだ。

 

 馬鹿らしい事ではあるが。

 

 ◆

 

 ゴンズはクロウが口調では神妙そうにしていながらも、ボロボロになった革鎧の下から聞こえてくるギチギチという音を聞くと非常に不穏な想像を巡らさざるを得なかった。

 

 ――死刑のわけないだろう!馬鹿!おっかない雰囲気出すなよ!それにこの不気味な音はなんなんだ?革鎧の下から何かが膨れ上がり、革が悲鳴をあげている…その何かってのはなんだ?筋肉か!?つまり奴は身体能力を強化している…なぜ?

 

 ――俺を殺す為か!死刑だといわせて、それを不服として俺を殺すつもりなんだ!

 

「し、死刑などと言う事は無い!だが…街には大きな被害が…。それなりの罰金、そして、悪くすれば収監という事になる…可能性も…ある」

 

 ゴンズは恐怖しながらも屈しなかった。

 

 アリクス魂だ。

 

 アリクス魂とは、たとえ相手が格上の魔獣であっても雄々しく吶喊し、玉砕する事に美学を見出す異常な感性をさす。

 

 クロウの両眼がカッと見開かれた。

 ゴンズは死を覚悟する。

 

 ちなみにクロウが反応したのは、収監というキーワードである。

 

 犯罪者にはなりたくないとクロウはおもっていた。そこに誉れが無い為である。

 

 承認欲求の塊のようなクロウにとっては、前科という言葉は非常に恐ろしいものだった。

 

 その時、バンと取調べ室の扉が開かれた。

 入室してきたのはルイゼだ。

 

「クロウ。果ての大陸へ行ってもらいます。同行者はザザのみ。暗殺依頼です。標的は魔王。ともあれ説明しなければいけない事がいくつかあります。来なさい、王城へ行きますよ」

 

 ◆

 

 王城、玉座の間

 

 豪奢さと無骨さを相克させることなく共存させればこのような雰囲気になるのだろうか、アリクス王国の玉座の間はある種の調和を感じる造りをしていた。

 

 王座は壁を背にする形で置かれており、玉座の前に左右に別れて三人ずつ、合計六人の男女が跪いていた。

 

 国務、軍務、財務、内務…といったアリクス王国の国政を担う六大卿である。

 

 そして玉座には

 

 ――アリクス国王ルピス・フィリウス・ディレク・トゥ・アリクス

 

 月の光が夜の漆黒を吸い込み、それが地上へと落ちて人の姿を取ったような…そんな印象を与える青年だった。

 

 ◆

 

「余の愛剣を使うと申すか」

 

 ルピスの声色は絶対零度の響きを帯びている。

 しかし国務大卿シヴァリウス公は無表情のままに首肯した。

 

「は。月割りの魔剣ディバイド・ルーナムと西域のフェンリークの墓標を繋ぎます。術師は魔女めが。然る後、レグナム西域帝国で選別した勇士達をアリクス王国へ転移させ、地脈が集中しているロザ平野へ伏せて置きます。そして魔軍の転移雲が開いたならば…」

 

「王国へひきつけ、その隙に転移雲をつかって果ての大陸へ…と?」

 

 ルピスの問いにシヴァリウス公は頷いた。

 だが次の問いにはシヴァリウス公といえど刹那の沈黙を強いられる。

 

「繋ぐ為にどれだけ死ぬ?」

 

「公爵級貴族を2名、侯爵級を4名。すなわち、我々六大卿となります。しかしご安心下さい、我等皆子らに事後を引き継いできました」

 

 ルピスは指先でとんとんと玉座の肘掛けを叩いた。苛立っているのだ。

 

 魔王でさえも条件を揃えねば転移術式は行使出来ない。であるならば、人の身で空間を越えようというのならば文字通り命を捧げる必要がある。

 

「卿等がまとめて死んだら以後の国政はどうなるのだ。引き継いだといっても、満足に政を廻せるのか。そもそもその逆撃案、アリクス王国のみでやれぬのか」

 

 ルピスの言にシヴァリウス公は否と答えた。

 

「帝国占星院、及びアリクス王国神託庁がそろって同じ“見”を出しております。東の帝、西の王、最も鋭き刃を以って之を為すべし。然らずんば太陽は沈み、月は割れると。太陽とはレグナム西域帝国でしょう。無論、月はアリクス王国です」

 

 後を引き継ぐ形で軍務大卿クーゲル公が続けた。

 

「犠牲があろうと東西を繋がねばなりませぬ。他の者を使う事も考えましたが、必要とされる人数は膨大なものとなります。余人が我等の代わりを務めるとなれば、20人30人の貴族ではききませぬぞ。ふふふ、我等6名はアリクス王国では陛下の次に強大な魔力を持つという自負がございますれば…」

 

 ルピスはため息をつく。

 吐息が宙空で凍てつき、氷の結晶となり地に落ち――砕けて散った。



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勇者クロウ②

 ◆

 

 玉座の間に1人の貴族の青年が駆け込んでくる。

 

 王の、そして六大卿の視線は物理的な圧力が伴うかのように青年へ纏わりつき、青年は堪らずに膝を突いた。

 

 まるで見えない大きな手が、彼の背中を天より押したかのように唐突な態勢の急滑であった。

 

 しかし、青年の口はそんな圧力下にあっても使命感ゆえに閉ざされる事は無かった。

 

「陛下!御宸襟(ごしんきん)を騒がせ奉り、まことに恐縮にございます。されど、魔女殿が……」

 

 ――後の説明は私がします

 

 声がした。

 女性の声だ。

 

 不思議な事に、その声は王たちの耳元で囁くように響いていた。

 

 ――勇者を連れてきました。彼を魔王討滅の刃と為さしめます

 

 ――そして冒険者ギルドとしては腕利きの殺しの達人を2名出しましょう

 

 ――ルピス陛下、私と貴方は餌。そして囮

 

 その声は妖艶にして甘美であり、聞く者の魂までも魅了するような響きを持っていた。

 それはまるで麻薬のように、脳髄の奥深くにまで染み渡っていくような感覚だった。

 

 ルピスの眉が顰められる。

 自身の神経への明らかな干渉が認められたからだ。

 

 そして破術の為に指を鳴らそうとした所、一人の中年貴族が立ち上がった。

 

「しゃらくさいわ!」

 

 財務大卿ペローが裂帛の気勢と共に魔力を拡散した。

 

 するとたちまちの内に甘美で甘い、麻薬のような感覚が一同の中から消え去る。

 

 あら、と鈴の鳴るような声と共に、いつの間にやらその場には2人の男女が立っていた。

 

 1人はアリクス王国冒険者ギルドマスター、ルイゼ・シャルトル・フル・エボン。

 

 もう1人は勇者クロウである。

 

 ◆

 

 財務大卿ペローは今年50となる中年貴族である。

 若い頃から才覚に優れ、30代前半には既に財政界の中枢へと上り詰めていた傑物中の傑物だ。

 

 とはいえ完璧な人物などではない。

 

 彼は美食を好む。

 ゆえにその腹は横から見れば実に金満貴族的なラインを描いてはいた。

 

 この通り彼の肉体は堕落していないとは言いがたいが、それが高位アリクス貴族として堕落しているかといえば答えは否である。

 

 戯れとはいえルイゼの幻惑を打ち破れる者はアリクス貴族にもそうは多くいない。

 

 ルイゼは僅かに驚いた表情を浮かべた後、嬉しそうに笑った。

 

「ペロー坊やも随分と使えるようになりましたね」

 

 財務大卿ペローはムスっとした表情を浮かべた。

 50にもなって坊や扱いされる事が甚だ不服だったのだ。

 

 ――確かに魔女に術を教わった事もあったが

 

「機嫌が悪くなると僅かに頬を膨らませて黙り込む癖、少年の頃と変わりませんねぇ」

 

 続くルイゼの言葉に眉間に刻まれた皺が一層深くなるペローであった。

 

 ◆

 

「ルイゼ、戯れはよせ。それで…その者が勇者、か?」

 

 ルピスの目に僅かに困惑の色が揺らめいた。

 

 ルピスの透徹した視線を以ってして、ルイゼがつれてきた青年からは神聖性の欠片も見当たらないからだ。

 

 よほどの実力者なのかと思ったがそれも違う、とルピスは視た。なぜならクロウの内も外も、特筆すべきモノ…例えば強大な魔力などは見当たらなかったからである。

 

 これはルピスが節穴というわけではなく、平時のクロウであるならそのようなものなのだ。

 事実、平時のクロウは伯爵位であったオドネイに殺されかけた。

 

「これは失礼しました、陛下。はい。この者こそが私が勇者と見定めし者。名をクロウ」

 

 ルイゼは跪き、クロウの事をルピスに告げた。

 ルピスは絶対零度の冷色を瞳に宿してクロウを見遣る。

 

「見定めた、か。つまり正当なる勇者ではない…と言う事か」

 

 興が醒めた、とでもいうような声色がそこにはこめられている。だが次の瞬間、その口端にはややなる微笑が浮かんだ。

 

 ――勇者です

 

 勇者を僭称する青年…クロウが静かに呟いたからだ。

 

 多少は肝があるようだ、とルピスはクロウの評価を僅かに上方修正する。

 

「そうか、だがそちには勇者たるに相応しい力量が無いようだが」

 

 ルピスの言葉にクロウは返す言葉を持たなかった。クロウは自身の力を過信していない。というより、自分がどの程度の力があるのかなんて彼には分からない。

 なんだったらどういう性格かも何も分からないのだ。自分を客観視する事が徹底的に出来ないのである。

 

 そんなクロウを横目で眺めていたルイゼは何かを考え、そして首をかしげ、やがて2度3度と頷いた。

 

 ルピスや六大卿といったルイゼと関わりがある者達の背筋に嫌なものが走る。

 

「クロウ、どうするのです?貴方が弱いばかりにあなたは勇者として認められず、結果として多くの人々が死にます。魔王に殺されます。人々は貴方を恨むでしょうね。なぜ弱いくせに勇者を名乗った、と。なぜできもしない魔王討伐なんて吠えて偽りの希望を与えた、と。貴方は檄した人々の怒りの火に焼かれ…そうですね…死刑!死刑になるでしょう。多分。貴方の名は嘘つきの象徴として後世まで伝わる事間違い無しです。…え?なんですって?嘘つきはここで死刑!?…クロウ、残念ですが貴方は弱いくせに勇者を名乗ったからこの場で処刑されてしまうそうです。処刑人は私がやってあげましょう」

 

 ルイゼが立ち上がり、その美しい白魚のような手を刀剣の形に構える。

 するとそよ風が渦を巻きその手に纏われていく。

 

 同時に混じりっ気なしの濃密な殺気が波紋のように広がり…次瞬、手刀が閃き、そしてルイゼの手首から先が宙を舞った。

 

 クロウが電撃的な速度で切り上げ、彼女の手首を斬り飛ばしたのだ。

 

 殺意を伴う攻撃にクロウの肉体が反応した。

 これは防衛反応ではなく、慈愛、慈悲の類の反応である。

 

 ◆

 

 クロウのルイゼへのカウンターは害意を伴うものではない。いわば慈愛。

 殺傷、殺害を伴う慈愛の反撃であった。

 

 自分を殺そうとしてくれるのだから、自分もまた相手を殺してしまわねば礼儀を失する…

 

 クロウは本気でそう思っている。

 なぜクロウがこんな酷い体質になってしまったのか。

 

 それは彼の歩んできた道が彼をそんな風に醸成したからだ。

 

 クロウがまだこの地に完全に馴染んでいなかった頃、クロウは希死念慮を抱いて受動的な死を待っていた。

 

 しかし理由なく人を殺す者はこの世界でも中々居ない。勿論、クロウがどこかの誰かを襲ったりすれば、襲われたものは自身の身をまもるためクロウの殺害をすら辞さないであろう。

 

 だがクロウの中のシロウは最低限の常識を持っているため、そんな通り魔的な事はできない。

 

 ならばと肉体の記憶の導きに従って冒険者稼業を始めたクロウ。理由は危険な依頼をこなしていれば、その内に名誉ある死をその手に出来るかもしれないからだ。

 

 だがクロウは死線を越えていくうちに馬鹿みたいに強くなっていった。

 さらに人間関係を構築し、その過程で友人を得て、身近なものへ情を抱くようになっていった。

 

 クロウの友人…シルファなども、なにかと彼の世話を焼き、クロウは友人の心遣いに感謝している。

 

 それはまあよい。

 その過程で、クロウ自身も周囲の者に何かしてあげたいという殊勝な気持ちが湧いた事も良い。

 真っ当な人間への第一歩である。

 

 だが何のバグか、それが殺意を向けてくる者にも適用されてしまった。

 

 自身を殺そうとする者に対しては、自身もまた相手を殺してあげるのが礼儀である…という慈愛の心だ。

 

 ◆

 

 宙を舞う血飛沫、ルイゼの手首はまるで時を逆巻きにしたように切断面に戻っていく。

 

 クロウは意に介さず、二の太刀を繰り出そうとするが腕が動かない。

 いや、身体全体が動かなかった。

 

 両手足、その四箇所を炎の鎖、氷の鎖、岩の鎖、そして風を収束させた鎖がクロウを束縛していたからだ。

 

 ルイゼからの殺気が鋭さを増し、そして呼応するかのようにクロウの筋肉が蠕動した。

 

「もうよい」

 

 ルピスの声が響き、ルイゼが殺気を解く。

 クロウもまた殺気を解いた。

 

【挿絵表示】

 

「驚いた。津波のように魔力が湧き、その動きときたらまるで稲妻のようではないか。なるほど、ルイゼが勇者として見定めたというのもあながち酔狂の類ではないようだ」

 

 ルピスは満足そうに言った。

 しかし、と続ける。

 

「平時のそちはまるっきり印象が違うな。普段、この王都でどのように暮らしているのだ?例えば依頼を受けない日などはどうしている?鍛錬か?」

 

 ルピスの何気ない質問に、クロウはやや考え答えた。

 

「最近は鍛錬が多かったのですが、以前は草むしりなどをしていました。ギルドの奉仕依頼です。窓を拭いたり、掃除をしたり…」

 

 ルピスはぱちぱちと眼を瞬かせ、草むしり…、と呟いた。

 

 ――草むしり?

 

 ――引き抜くと死痛を伴う断末魔を響かせる草とかですかな?

 

 ――窓を拭いたり、ともいっておりました

 

 ――仮にも勇者がそのような雑務をしなければ生活できないというのはどうなのですか

 

 そんな会話がヒソヒソ交わされる。

 

 




彼こんな頭おかしかったかな


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勇者クロウ③

 ◆

 

「悪いが断わる。報酬に吊り合っていないな。というより俺じゃなくて他の連中もいるだろう、金等級なんて」

 

 ザザはにべも無く断わった。

 ランサックはそれを聞き、そうだよな、と項垂れた。

 だが諦めるという選択肢はランサックには無い。

 

 ランサックは夜遅く、ザザがしけこんでいる娼館に赴いてザザを呼び出した。

 娼館側としてもこんな無礼者は当然追い返して然るべきなのだが、冒険者ギルドマスターであるルイゼの使いといわれればこれは無下には出来ない。

 

 ルイゼはアリクス王国で伯爵位を戴いているが、その影響力は非常に大きい。

 彼女よりも高位の貴族を呼び捨てできる者などは、アリクス国王の他には彼女のみだ。

 

 ◆

 

 ザザが拒絶してもランサックは諦めなかった。

 

「いや、俺はお前が良いんだ。お前と戦って分かった。お前には凄みがある。他の奴等も実力は相当なものだろう。しかし殺し合えば勝つのは俺だ。だがお前と最後まで殺し合えばどうなるかわからん。なぜなら、お前には守るべきものがあるだろう?そういう奴は強いんだ。俺にだってある。だから俺も強い。それに報酬が気に入らないならいってくれ。何が欲しい?」

 

 彼が何をそう執拗にザザに頼み込んでいるのか。

 それは魔王の暗殺である。

 クロウ、ランサックら、及び西域のレグナム西域帝国の勇士達と共に果ての大陸へ渡り、魔王を殺害せよ…というのがランサックの依頼だ。

 

 ランサックが言うには、近く果ての大陸に魔王を封じる結界が破れ、第四次人魔大戦が始まるとのことだった。

 

 ザザとしてはそれは驚きに値しない。

 なぜなら彼は一度、ランサックの依頼に付き合う形で手練の魔族と交戦していたからだ。

 

(あれ程の魔族がこちらにきているとなれば、封印とやらは既にボロボロなのだろう。だがどうでもいい。そんな時の為に勇者はいるのだろうし、教会が幅をきかせているんだろう。アリクス王国も大国だし、俺には関係あるまい)

 

 ザザの偽らざる本心である。

 

 勿論ザザはこの時点で四代勇者は遥か西域で殺害され、中央教会は崩壊寸前だという事を知らない。

 もっとも彼は、勇者とはクロウの事である…とルイゼから吹き込まれているのだが。

 

 ザザは顎に手をやって暫し思案し、口を開いた。

 

「報酬の話は1つ置いておこう。仮にだ。魔王暗殺が成ったとして、どうやってもどってくればいいんだ?行きは良いさ。問題は帰りだ」

 

 ザザの疑問はもっともである。

 

 魔王暗殺は危険だし、成功しても失敗してもみんな死ぬよね、帰り道は作らないでもいいよね、では話にならない。

 

「ああ、それはルイゼに腹案があるらしい。“家族”が力を貸してくれるんだとよ」

 

 ◆

 

 王城・大望の間

 

「ほう。では帰りはその家族…連盟術師モウルドが力を貸してくれると?」

 

 ルピスの問いに、ルイゼは頷きを返した。

 

 だがルピスは何かが腑に落ちないようで、怪訝そうな視線をルイゼに向ける。

 

「ならば行きもモウルドの力を借りればいいではないか…と思うが、そうか。魔将か。そうだ。果ての大陸に行くだけならば何も無理に転移などしなくて良いのだからな」

 

 ルイゼは再び頷き、口を開いた。

 

「魔王の両手足たる四魔将。これらが一箇所に在る限り、魔王を殺す事は決して出来ないでしょう。それより格が落ちる魔将達も同様です。これらの戦力を可能な限り引き剥がした上で刺客を送り込まねばなりません。恐らくは王都にも送り込まれるでしょうね。賭けになります。四魔将の内、仮に3体がアリクス王国へ来たならば我々は滅びさるでしょう」

 

 ふむ、とルピスは腕を組んだ。

 ちょっとした所作の1つ1つにも優美さが宿っている。

 

「ルイゼよ。連盟はお前以外動かぬのか?お前を知っている余としては、もう少し積極的になっても良いと思うのだがな」

 

 もっともな疑問だ。

 人類間の勢力争いではない、種が安んじられるか根絶されるかの状況で、力があるにも関わらず傍観を決め込むというのはもはや犯罪的ですらある。

 

 ルイゼは珍しく苦笑を浮かべ、そして首を振った。

 

「皆…協調性がないのです。言う事も聞いてくれません。モウルドの様に優しくないんです。そして我等の内でもっとも力があるであろう者に至っては、たとえ人が魔族に根絶されたとしても動かないでしょう。彼が動くとすれば…そうですねぇ…圧倒的な高次元の存在による、感情を伴わぬ虐殺…彼はそういったものを非常に嫌いますから、その時でしょうか…」

 




連盟術師モウルドについては軽く


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閑話:ザザ、魔王討伐

 ◆

 

 ザザは深夜に訪れてきたランサックとの話を終え、リリスが待つ部屋へと戻ってきた。

 

 ランサックが持ってきた話はとんでもないもので、ザザは当初を受諾を拒絶したが、報酬に釣られてまんまと受けてしまったのである。

 

 受けた理由はアレすぎるが、それでも危険な依頼である事は間違いない。

 かつてない試練を前に、ザザの精神は風俗狂いの中年から、人斬り佐々のそれへ立ち戻らざるを得ない。

 

「リリス、待たせた」

 

 暗闇の中、衣擦れの音。

 灯りがつく。

 

「お帰りなさいませ、ザザ様」

 

 リリスが応え、そして2人の視線が数秒絡み合う。

 それはまさに視線でのみ行う男女の交合であった。

 

 女は男の瞳に死地へと赴く覚悟を認め、男は女の瞳に色を超えた何かを認めた。

 それは愛と呼んでいいものかどうか。

 愛を知らない男、ザザには窺い知れない事だった。

 

「往くのですか、ザザ様」

 

 リリスがぽつりと言った。

 

「でかい依頼だ。魔王殺しの手伝いをしてくる。帰ってくるさ。そして俺は…名ばかりの貴族となる。名誉貴族だ。一生働かなくてよい。毎日でもリリスに逢いにいける…。そしてルイゼめ、ランサックにこんなものを持たせていた。…リリス、そこの銅貨を俺に放れ」

 

 リリスは疑問を挟まず、銅貨をザザに向かって放った。

 硬貨を斬るのだろうか?と思ったリリスの予想は覆された。

 

「カァァッ!!!」

 

 ――秘剣・穿ち新月

 

 一呼吸を数十に分けた、そんな刹那の間隙。

 瞬きにも満たない時間に、ザザから数十もの捻り突きが放たれた。

 

 灯りがあるとはいえ充分に明るいとは言えない部屋に、群れを成す白銀の流星が殺意の弧を描いて何重にも閃いた。

 

 捻り突きとは剣の切っ先が対象に触れた瞬間に捻りを加える事で、その貫通半径を加増させるという殺伐剣技である。

 

 これを瞬時にしかも大量に放つとどうなるか。

 

「銅貨が…消えた…?」

 リリスがぽつりと呟く。

 

 そう、消えるのだ。

 秘剣・穿ち新月はまるで満月が欠けていき、最終的に新月となるように、膨大な捻り突きの連打で対象を“抉り、削り消す”。

 

 類稀な剣の天凜を持つザザだからこそ可能な絶技である。

 

「やはり刀は良い。今の俺ならば師とも斬り合えるか。…いや、今ひとつ業が及ばぬか、ク、ククク」

 

 笑うザザの全身から、凄絶な気迫が陽炎のように立ち昇る。

 

 部屋に置かれたランプの頼りない明かりに照らされたザザ。その背後の影に、リリスは牙を向く餓狼のそれを幻視した。

 

 先ほどまでリリスの太ももを“芋虫さんだよ”などと言いつつ指でなでていた男とのギャップに、リリスは眩暈すらも覚えてしまう。

 

 リリスは思った。

 思えばこの落差に惚れたのだ、と。

 

 ふらふらと酔っ払ったような足取りでリリスはザザへ近付いていく。

 いや、事実として酔ったのだ。

 彼女はザザが放つ鬼気に酔った。

 

 ザザの背中に寄り添ったリリスは甘く、そしてしめやかな声で囁いた。

 

 ――今宵は、延長料は私が支払っておきます

 

 ザザは太い笑みを浮かべそれに応える。

 

「助かる」

 

 しかし死地に踏み込む依頼の報酬が、一生働かず、しかも風俗行き放題などというもので納得するあたり、やはり彼もアレなのであった。



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『人と魔と』

 ◆◆◆

 

 その日

 

 東域はアリクス王国…その王都

 西域はレグナム西域帝国、その帝都

 

 これらに対して同時攻撃が行われた。

 東西両大国の首都への転移雲による直接攻撃…特に帝国への攻撃は、可能性としてはゼロではなかったものの可能性自体は低いと考えられていた。

 

 なぜならば転移雲とは魔王の大魔力とその魔法の業前、そして天上に輝く星々の並び、さらには地脈に蓄積している魔力…これらが揃って初めて為し得る地上の奇跡なのだが、帝国は過去の経験に学び、首都を地脈から外した場所へ建設している。

 

 アリクス王国は別だが、この点は地脈が重なっている周辺に多くの砦や防衛線を築くことにより転移奇襲への警戒をしている。

 

 よって、仮に魔王軍が大軍を以て両国いずれかの首都を攻撃しようとしても、転移雲が開くであろう地域はある程度特定してある為に対応しやすいのだ。

 

 だが、両国に防衛線を敷かせるなど、防衛の対応をさせずに直接的に、そして素早く両国の中枢部へ痛打を与える手段が1つある。

 

 それは奇しくも、人類種側が魔王軍に対して行ってきた事と同質のものであった。

 

 ◆◆◆

 

 上魔将デイラミは魔王に次ぐ強大な魔力を痩身に漲らせ、アリクス王都上空から王都を睥睨していた。

 

 魔族の中にあって、上魔将デイラミは魔王に次ぐ魔力を誇る存在として畏れられている。その容姿は薄汚れた白いローブに身を包んだ老人だった。

 

 しかしその見た目に騙されてはいけない。

 彼が尋常の存在ではない事は、その堕ちた太陽のように赤黒く不穏に輝く瞳を見れば分かるだろう。

 落ち窪んだ眼窩に収まる赤黒い眼光からは、死よりも暗い何かを想起させる。

 

 二代勇者メリアリアの盟友、星でさえも動かす稀代の女大魔術師に深刻な傷を負わせ、戦場から脱落させたのは彼だ。

 デイラミも無傷とは行かず、第三次人魔戦争の際には彼は眠りについていたが、この第四次人魔大戦において長きの眠りから目覚めたのだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 デイラミは骨か指か分からないほどに乾いた人差し指を王都へ向けた。それはまるで国と言う人の集合体に対しての死刑宣告にも見える。

 

 ―― "ארגז האפלה"(argaz ha'afelah-闇の揺り籠)

 

 か細く、しかし不吉を多分に含むしわがれ声が虚空に溶け、魔法が発動した。

 

 ◆◆◆

 

 デイラミの魔法が発動すると、王都は黒いドームに覆われた。ドームは王都をすっぽり包み込むと、その面積をどんどん広げていく。やがてそれは術者であるデイラミが佇む上空にまで及ぶと、拡大は止まる。

 

 そして、ぽちゃんと音を立てるようにドームの頂点から何かが内部に飛び込んだ。

 

 それは黒い塊だ。

 

 黒い襤褸切れを巻きつけた、死神のような姿。

 魔王軍における死の体現者、四代勇者を殺害した上魔将マギウスである。

 

 急降下中のマギウスの肉体が更に3つに別れ、闇に包まれたアリクス王国の各所へと散っていく。

 

 上魔将マギウスは個にして個に非ず。

 上魔将マギウスはその身を4つ身に分ける。

 その根幹にして核である死……そして病、傷、老を司る分け身へと。

 

 マギウスを討つにはまず病、傷、老を司る三体の分体を討たねばならない。

 

 死に纏わる三要因を司る化身を全て滅ぼしたその時に初めて本体たるマギウスの命に手をかける事が出来るのだ…が、

 法神教の心ある者達、そして連盟と言う魔術団体に所属する青年とその恋人により、老を司る分け身にして法神教の最高指導者、アンドロザギウスは滅ぼされた。

 

 つまり現在のマギウスは力が幾分削られている状態ではあるが、それでも強大な力を持っている事には変わりはない。

 

 ◇◇◇

 

 荒野を妙齢の美女が1人歩いている。

 いや、1人と1匹か。

 美女の肩には小さな蛇のような生き物がちょこんと可愛らしく鎮座していた。

 

「シャダ、随分大人しいですけれど調子が悪いなんてことはありませんよね?」

 

 美女がそう尋ねると、シャダと呼ばれた蛇はチロチロと舌を出す。勿論このような可愛らしい姿は仮の姿だった。

 

 その名は悪獣シャダウォック。

 

 喰らい千切るはその顎(アギト)、掻き毟るはその魔爪。

 巨大な双眼に暗い殺意の炎を爛々と燃やし、気質は酷薄、無情である。その本性…真の姿は二足歩行の蛇と竜の合いの子のようなバケモノだ。魔獣ではなく魔族である。

 しかも上魔将の地位を授けられているほどの。

 

「そうですか?なら良いんです。それにしてもニンゲンは徹底していますね。地脈が少しでも残っていれば、枯れかけていても活性化出来たとおもうのですが。そうすれば転移雲を開けたものを…毒物まで使って地脈を歪め、損なうような真似をしています。やはりニンゲンは油断なりませんね。シャダ?いいですか?確かに多くのニンゲンはあなたの餌に過ぎないかもしれませんが、そのニンゲンを侮った結果が過去3度の敗北なのです」

 

 美女がクドクドと話し始めると、シャダウォックは辟易とした感情をつぶらな瞳に浮かべて念を飛ばす。

 

 ――煩イゾ

 

 その念には小動物なりが感知したなら怖死する程度の僅かな苛立ちが込められていたが、美女…蛇の魔女、サキュラは些かも動じなかった。

 

 サキュラもまた人類目線での分類上において上魔将として分類される最上級の魔族だからだ。

 

 “蛇の魔女”サキュラは黒髪の魔族の女性で、月の女神の柔肌を連想する程の美しい青白い肌を持っていた。彼女の切れ長の目は漆黒の夜空に浮かぶ三日月を思わせる。

 

 彼女の髪の毛はさながら黒色の絹糸だ。

 その滑らかさと優雅に見惚れ、そして命を失った人類種の戦士は数知れない。事実として、彼女の髪の毛はただ美しいだけではなく、それ自体が凶悪な武器でもある。

 

 サキュラは同族である魔族には寛容であり、彼らが困難な時には必ず助けの手を差し伸べていた。しかし、人類種に対してはその姿勢が一変し、冷酷で残忍な態度を取る。

 これは魔族にとって一般的な性格だが、サキュラの場合はそれがより顕著であった。

 

「あ、ほら、帝都ベルンが見えてきましたよ。守りが硬そうですね。とりあえずはしれっと中に入っちゃいましょうか!」

 

 サキュラはまるで観光でベルンを訪れでもするような様子で肩のシャダウォックに言った。

 だが彼女達は観光で帝都くんだりまで来たわけではない。

 

 殺戮の為にやって来たのだ。

 

 ◇◇◇

 

 過去3度の人魔大戦で、上魔将の全てが侵攻に参加した例はない。過去3度ともに、上魔将達は魔王の傍に侍っていた。

 

 なぜなら過去の勇者達の力がそれだけ強大であったからだ。

 だが魔王と上魔将達全てが揃ったその牙城もまた堅固で、これが魔王を討滅するにあたり、大きな障害となってきた。

 

 しかし勇者の力は代を重ねる毎に弱体化していき、第四代に至っては魔王ではなく魔将により殺害されてしまった。

 

 この弱体化の原因は勇者に力を与える神…光神エラハの力が弱まったからだ。

 

 なぜ弱まったかといえば、魔族の策謀により法神という魔族が作り出した神が勢力を広げていったからである。

 

 法神教とは魔族の、いわば人類種殲滅のためにイム大陸へ築いた橋頭堡のようなもので、長年…気が遠くなるほど長い時間を掛けて魔族は人類種の弱体化を試み、その努力はこの第四次人魔大戦で結実した。

 

 いまや勇者は無く、魔王はこれを最後の侵攻と見定めて最大戦力の面々を送り込んだ。

 

 勿論、東西の主体を成す大国2つをたった4人の魔将に任せるわけではなく、彼等の後から後詰の軍は派遣されている。

 

 だが彼等上魔将が先行して両国の首都を直撃することで、両国の防衛戦略に遅れを発生させ、防衛線の構築を妨害し、やがて追いついた後詰の軍が両国首都を陥落させる…というのが戦略といえば戦略だ。

 

 しかし、これはこれでいいとして、人類種の側もただただ侵攻を待つだけではない。

 

 人類種にも逆撃の腹案が存在する。

 

 それはレグナム西域帝国が選抜した英雄達(魔王暗殺の刺客達)がアリクス王国サイドが広げた転移門を利用してアリクス王国へ転移し、アリクス王国近郊に開いた魔族の転移雲から直接果ての大陸の魔族戦力の中枢部へと乗り込むというものだ。

 

 転移は困難な術だが、アリクス王国の重臣複数名の命と引き換えにすれば、西域の月魔狼フェンリークの遺骨とアリクス国王に代々受け継がれている『月割りの魔剣』ディバイド・ルーナムという深い業で結びついている2点を繋ぐことなら出来る。

 

 

 ※

 

『勇者』

 

 名前だけはご立派だが、実際は“光神エラハ”の手による対魔王用の暗殺者。自由意志はないわけではないが薄弱で、初代勇者に至っては魔王殺害以外を思考する事はない傀儡そのものであった。

 

 なお光神エラハは外大陸の神である。

 

 遥かな昔、イム大陸に魔族達が住んでいた頃、外大陸から侵略してきた蛮族が崇める神こそが光神エラハだった。

 

 勿論イム大陸にもシャディという神がおり、その侵略者(現在の人類種の先祖)と魔族が神々に代わって代理戦争を繰り広げた。

 神同士が争わなかったのは規模が大きくなり過ぎて大陸が御破算になってしまうため。

 

 戦争は侵略者が勝利し、魔族達は果ての大陸という僻地へ押し込められた。

 なぜ魔族を滅ぼさなかったかといえば果ての大陸の掃除をさせる為。

 

 果ての大陸には当時の神々をして手を出しかねる厄災が眠っており、眠る厄災が見る夢からは際限なく異形のバケモノが沸いて出てくる。

 

 それこそ放置すれば世界全体がバケモノで覆われてしまうほどに。

 

 また、大陸全域に瘴気のようなものが広がっており、その地でモノを飲み食いしたり、長く暮らすことで肉体が変異してしまう。

 

 魔族に異形が多いのはこの後遺症。

 ちなみに青い肌はまた別で、これは侵略者との戦争の際に、彼等の神から授けられた魔法の力による影響。

 

 光神エラハは魔族にこの大陸に居座ってもらって“掃除”をさせ続けようとしていたが、“魔王”という魔族のリーダー的存在があらわれ、果ての大陸からの脱出、イム大陸での覇権交代を目論むにあたって、光神エラハが生み出した存在が“勇者”である。

 

 勇者の目的は魔王を滅ぼす事、そして魔族を纏めるリーダーを殺害する事で、魔族を恒久的に果ての大陸へ押し込めること。

 

 勇者は神の眷属だけあって強大で、その力は魔族をして対処が難しいほどのものだった。

 

 だから魔族は神の力を薄めるために法神を建て、信仰の対象を光神エラハから法神へとうつしかえ、勇者の弱体化を図り、これは成功した。神という存在は信仰する者が減れば減るほどその力を弱体化させてしまう。

 

 現在の光神エラハの力は往時のそれと比べると非常に弱々しく、かろうじて勇者の選定と木っ端のような力を与えるだけに留まっている。

 

 とはいえそれでも勇者の力というのは強大で、上魔将マギウスに殺害された第四代勇者でさえも、小さい国くらいならば1人で滅ぼせる程度には強かったが。

 

 皮肉なのはこの真実を人類種の誰一人として知らないことである。もしも魔族と人類種が対話できればあるいは殺し合わずに済むのかもしれない。

 

 だが、対話で解決するには余りに多くの血が流れすぎた。

 




この話でサバサバ冒険者とMemento-Mori両作品の時間の流れを一致させます。
また、Memento-moriも更新をはじめようかなとおもいます。

後、これでまた各国での戦いが始まると話が色々交差するなぁーとおもったのですが、とりあえず王都と帝都での戦闘は別作立ててシリーズで紐付けて公開しようかなとおもいます。

というのも北方侵攻とかで、北方帝都北方帝都と交互にくると頭が混乱する、という声が少なくなかったので。

あと、春前には終わりますねって堂々と言ったんですが無理っぽいです。ごめんなさい。

なんか色々別作とかに手を出してて、そっちが結構楽しくて並行して書いていくので。

マイペースでのんびりやっていきますが、まあ桜が散るまでには終わるんじゃないでしょうか。頑張ります!
なんだかんだで半年間高頻度で更新してきた事実もあるので信頼してください。

それと別作、鈴木よしお地獄道もよろしくおねがいします☆

後別にこれはクレクレじゃないんですが、評価ポイント増えるとちょっとやる気でるなぁーって。


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勇者一行

 ■

 

「あれ?お母さん、黒いのなぁに?」

 

 少年が空を指さし、隣を歩く母親に尋ねた。

 母親はその日の昼食を何にしようか考えていたが、少年の質問を聞くと何とは無しに空を見上げた。

 

 まるで透き通った水に黒いインクを垂らす様に。

 一点の“闇”がアリクス王国の上空に滲むと、爆発的な速度で広がっていく。

 

 ・

 ・

 ・

 

「行くな。こうなる事…そして、そうなったらどうするか…説明は受けていただろう」

 

 クロウが馬車から身を乗りだそうとすると、隣に座る男…ザザがざらついた声でそれを引き留めた。

 魔王暗殺を担っている勇士達を乗せた二台の馬車が全力で王都から遠ざかっている。クロウとザザ…そして今一人はその内の一台に同乗していた。

 

 二台の馬車は遥か前方、地脈が二重三重にも重なっている特異点へ向かっていた。目的地の周辺では既に本来なら政務を担うはずの高級貴族たちが月割りの魔剣、『ディバイド・ルーナム』を携えて向かっており、その命を賭して西域との転移門を開こうとしているはずだ。そして転移してきたレグナム西域帝国の勇士達と合流し、魔軍の転移雲を利用して最果ての大陸へ転移する。

 

 アリクス王国の高官達と共にルイゼ・シャルトル・フル・エボンも同行しているはずで、魔軍の転移雲を利用した転移は彼女が行う手筈となっている。必要とされる魔力は魔軍の用意したものを掠め取るという、まさに勇者パーティにふさわしい段取りとなっていた。

 

 ■

 

 クロウはザザを見つめるがしかし、言葉を発する事はなかった。

 ザザはクロウの瞳の奥底に激情が圧縮されているのを感じ取る。

 

「…良い目じゃないか。だがそんな目で見るな。腕が疼いて斬りたくなる」

 

 ザザがそう言うと、クロウの傍らに立てかけておいたコーリングから鬼気が湯気の様に立ち上った。

 色々なモノを斬り、ここ最近は調子をあげている彼の魔剣は非常に喧嘩っ早い。

 

 剣呑な空気が馬車内を満たしていくが、クロウが鞘を一撫ですると夢から覚め現実に戻るかのように鬼気は雲散し、霧消した。

 

 はあ、とため息交じりの声が馬車に響く。

 済まないなとザザが苦笑しながら詫びた。

 クロウにではない。

 

 ザザが詫びた相手は、彼の隣に座っているファビオラ・トゥルーナ・フラガラッハ公爵令嬢※1であった。

 

 ■

 

「わたくし…魔王に挑み、そして殺される事はある意味仕方がない事だと受け入れておりますわ。勇者様の剣となり、その露払いを務める…それがフラガラッハ公爵家の責務ですもの。でも、魔王討伐の同志の殺し合いに巻き込まれて殺されるのは御免被りますわよ」

 

 パタパタと手扇で首元を仰ぎながらファビオラが言った。

 口調に似合わず、彼女の恰好は一端の剣士のものだった。

 軽鎧は使い込まれ、お世辞にも綺麗なものとは言えない。

 しかし鎧に刻まれた細かい傷の数々は、彼女がか弱き乙女ではない事をありありと証明してくれている。

 

 魔王暗殺に赴く勇士たちは、数がいればいいというわけではない。

 多ければ多いほど発覚しやすくなるし、なにより転移そのものに支障がでる。故に暗殺隊のメンバーには精鋭が選ばれ、そこには彼女も選出された。

 

 若干20歳という若年、デビュタントを迎えたばかりの小娘でありながらも、その天稟は既に当代のフラガラッハ公爵を凌いでいる。

 

 クロウの視線が彼女の手に注がれた。

 白魚のように嫋やかな繊手は、美の女神の寵愛を一身に受けた芸術品のようでもある。剣士のそれではない。

 見れば彼女は剣士の恰好をしていても、肝心の剣を持っていない。

 

【挿絵表示】

 

「あら?勇者様…わたくしの手に見惚れてしまいましたか?」

 

 ファビオラが揶揄うように微笑むが、クロウは彼女の手を恐ろしいと感じていた。握れば折れるようなその手の何が恐ろしいのか、クロウ自身にも分からない。

 しかし彼の希死本能はこの手を掴めと叫び、生存本能はこの手から離れろと叫んでいた。

 

 クロウの本能は正しい。

 ファビオラの手には種もあるし、仕掛けもある。

 

 ──己が手刀を不治の神剣と見立てる血統魔術“フラガラッハ”

 

 ファビオラは、いや、フラガラッハ公爵家はこの剣呑な魔術の使い手であった。この魔術により傷を付けられたならば、その傷は決して癒える事はない。暗殺にはうってつけの能力と言ってもいいだろう。彼女の剣は自身の両の手であり、血筋に意味付けられた手刀の魔術の切れ味は尋常なものではない。

 

「怖いお貴族様だな」

 

 ザザの言葉にファビオラは貴族令嬢らしからぬ満面の笑顔を浮かべ、何よりの褒め言葉ですわね、とのたまった。

 

 そしてファビオラはやや表情を引き締め、クロウの瞳をまっすぐ見つめて言った。

 

「勇者様…王国の民の安否について、それ程までに想ってくださって感謝いたしますわ。ですが、わたくし達にわたくし達の役割が与えられているように、王都に残る皆様にもそれぞれの役割が与えられておりますの。このような危急の有事に命を張ってこそアリクス貴族。きっと今頃、多くの貴族が…そして他の戦う力を持つ勇士達が異変に立ち向かっているに違いありませんわ。わたくし達にはわたくし達の使命があります。そちらに集中なさいませ」

 

 それに、とファビオラは続けた。

 

「国王陛下…ルピス・フィリウス・ディレク・トゥ・アリクスこそが王国の至高にして最強。魔軍が如何に群れ成そうとも、冷たき月光が穢れた命の悉くを滅却せしめるでしょう」

 




※1
シリーズから。アリクス王国・婚約破棄参照。
ファビオラはファラの子孫。


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馬車の一幕

 ◆

 

 地脈の集中地点までは馬車で一昼夜を駆ける必要があり、到着した段階では夜が望ましい。

 なぜなら魔王が開いた転移雲を逆用するのはいいが、お膳立てというものは必要で、その前に魔族に見つかってしまっては意味がない。故に身を隠せるように夜に到着することが望ましかった。

 

 

 

 

 

 クロウは抱えていたコーリングの鞘を撫でながら遠ざかる王都を見ていた。“情けないな”とどこか自嘲めいた想いを抱く。

 

 王都は黒い靄…繭の様なモノに包まれ、何者かの襲撃を受けている事は明らかだ。それなのに勇者という立場でありながら、むざむざと王都の危機を見過ごす様なことがあって良いのだろうか?

 

 クロウの良識は大声で否と叫ぶ。

 

「…勇気とは」

 

 横から囁く様な声がクロウの耳朶を打つ。

 クロウは僅かに顔を傾け、ファビオラを視界に捉えた。

 

 クロウの瞳の奥では闇が渦を巻き、人々を苦しめんとする魔族への憎悪が煮え滾っている。その眼を直視したファビオラは内心たじろいだ。なぜ勇者はここまで憎しみを滾らせる事が出来るのだろう?と。勇者に与えられた役目を思えば、彼が魔族に対して敵対的である事はさほど不思議ではない。だがこのクロウという青年はまるで…

 

 そこまで考えた所でファビオラは思考を中断した。

 勇者が何を考えているか推測しても意味がない事に気付いたからだ。彼女はクロウとの僅かな会話を通して、この青年がやや特殊な思考をしている事を察している。

 だから伝えるべき事を伝えるべく、彼女はその薄桜色の唇を開いた。

 

「勇気とは恐ろしい敵に立ち向かう事ばかりを言うわけではありません。他者を信頼し、任せる…これもまた勇気なのです。わたくしも辛いです、王都には家族や友人もいます。婚約者も…。叶うならば今すぐ馬車を飛び出して、彼らを護りに行きたい。でも…」

 

 ファビオラの声がかすれ、一毫程の湿り気を帯びる。

 

 ・

 ・

 ・

 

 何てことだ!!! …とクロウは思った。

 余りにも自分が恥ずかしかったからだ。

 クロウは王都に友人は居るが、家族や恋人はいない。

 なのにここまで取り乱している。

 それに比べてファビオラはどうだ?

 家族も友人も恋人も…大切な者たちが山ほどいるというのに、自身に与えられた役割を全うしようとしている。

 その心のタフさにクロウは自身の至らなさを痛感させられていた。

 

 同時に感得する。

 勇者とは何と辛い仕事なのだろうと。

 

 クロウはファンタジーには疎いが、それでも勇者というやたらめったら強い正義の味方が魔王というやたらめったら強い悪党をやっつける…という“お約束”は知っている。

 

 物語の中で勇者と魔王には確かな生物的な格差が存在していたにも関わらず、それでも両者は死闘を繰り広げ、最後は勇者が勝っていた。

 

 それはなぜか?

 神に選ばれたからだろう。

 そして、神はその者がたえられない試練は与えないと言う。

 

 クロウの悲観的頭脳がギャリギャリと回転速度を上昇させていく。

 

 ──勇者の強さ

 ──神に選ばれると言う事

 ──神はたえられない試練は与えないと言う事

 

 これらから導き出される答えは一つ…

 

(勇者は人々の悲しみを力へと変える。その力で魔王と戦う。だから勇者は悲しみ、苦しまなければいけない。そうしないと力を得られないからだ。勇者は幸せになってはいけない。永遠に苦しみ、悲しみ、しかし人々を幸せに導く。そういう仕事なんだ)

 

 ◆

 

 ファビオラのみならず、魔軍の犠牲となっているであろう全ての人々の悲しみ、苦しみ、憎しみ…こういったものを勝手に想像し、勝手に自己投影し、心をぐちゃぐちゃにさせて。

 

 この悲しみを、苦しみを、憎しみを無くしたいと心から願って。

 

 そういった渇望がクロウの魔力をかつてないほど高めていく。

 

 ・

 ・

 ・

 

 かつてクロウがシロウであった頃、午前7時前には会社に着き、午前1時前後に帰宅をするという生活をしていた頃、彼が浸っていた悪癖がある。それは自己憐憫だ。

 

 ──自分はこんなに頑張っている、なのにこんなに辛い、嗚呼なんて自分は可哀そうなのだろうか

 

 そんな甘い毒を脳で生産して背徳的な暗い悦びで心を慰めていた。

 自分で自分を憐れむ事ほど情けなく、そして気持ちの良い事というのはそうはない。

 

 現実世界でまともに時間を取れない彼にとって、それが唯一の娯楽であったという点を鑑みても余り褒められた事ではなかった。

 もっともその悪癖も脳がある程度まともに働いていればこそだが。

 末期の頃には精神的なストレスと疲労により、自己憐憫の源泉すらも枯れ果てた。とはいえ、それからすぐに死んだので問題はない。

 

 だがこの世界に転生したシロウは自己憐憫に浸れるほど哀れな境遇ではいられなかった。

 元の肉体の持ち主である“銀等級冒険者クロウ”はそれなりに才のある冒険者であり、彼の肉体…というか、死体に入り込んだシロウは転生直後から優れた肉体を与えられた形となる。

 

 “銀等級冒険者クロウ”が死んだ場所は街からは離れており、彼が死んだ事を知る者はいない。更に“銀等級冒険者クロウ”には身寄りがなく、その狷介な性格から親しい友人などもいなかったというのもシロウにとっては都合が良かっただろう。

 

 クロウは哀れな境遇どころか、他者から羨まれるような境遇だったのだ。しかしクロウの、いや、シロウの魂は自己憐憫の甘い蜜の味を忘れてはいなかった。

 

 彼は前世の経験を活かし、他者の不幸を自身に投影し、自己憐憫を味わい始めるようになる。それだけであるなら彼が唾棄すべき悪趣味な性格で終わるのだが、クロウはそれだけに留まらない。世界が変わっても彼の精神にこびりついた希死念慮ゆえに、命を懸けて難敵に挑んでしまうのだ。

 

 ◆

 

 ・生来の希死念慮

 

 ・前世で粗雑な扱いをされて死んでいった経験が原因で魂にこびりついた“認められたい”という承認欲求

 

 ・自己憐憫の甘毒中毒者

 

 この三種の疾患神器が合わさる事で、クロウは自称勇者として完成に至った。

 

 他者の心情を拡大解釈し、それを自身の精神へ投影して勝手に傷つく。そして揺れる精神は大出力の魔力を産み出す。

 

 ・

 ・

 ・

 

「俺も悲しい…そして、この悲しみを力へと変えろ…そう神様は仰っているんですね」

 

 ぽろりぽろりと涙を零し、クロウが辛そうに呟いた。

 ファビオラは当惑し、ザザは“まずいな”と顔を顰めた。

 

 ファビオラとザザは、やにわに空気が粘着質を帯びたように感じる。まるで空気が吸着性を帯び、触れた部分の温度を奪う有害なものへと変じたようであった。

 

「落ち着けクロウ。力を無駄遣いするな。力を溜めて、それを全て魔王にぶつけるんだ。それが勇者の義務だぞ」

 

 ザザは落ち着いた様子でクロウを諭す。

 クロウはザザの言葉を受けて感情の爆発を意識的に抑え込んだ。

 

 それは多大なストレスを要するものであったが、今のクロウにとってはストレスを感じる事それ自体が快感となっている。

 なぜならそれは少なくとも彼の中では勇者の義務の一つだからだ。

 自身が苦しみ、悲しむ事でそのストレスを力へと変換する。

 変換された力は魔王討伐という崇高な大業を為す助けとなるだろう…そうクロウは思っている。

 

 ◆

 

 ──こいつと一緒にいると頭がおかしくなってくるな

 

 ザザはそんな事を思いながら大きくため息をついた。

 ふとファビオラと視線が合い、その瞳に込められた疑問に答えるように一つ頷く。

 

 言葉こそ交わさなかったが。ザザには彼女の言いたい事が分かったのだ。

 

 いつもこんな感じなんですか?、と。

 

 別にいつもという訳ではない、とザザは思った。

 確かに頭はおかしいが、ザザの見る所、クロウという青年はむしろ善良な方だと思う。

 

 ザザはクロウが好んで奉仕依頼を受けていた事を知っている。

 奉仕依頼とは一種の罰ゲームだ。

 害虫害獣の駆除、引っ越しの手伝い、街の掃除…小遣い銭程度にしかならないような依頼を金等級が受けるというのは異例だが、周囲の者達は“まぁアイツだしな”とある意味で納得をしていた。

 

 それに、とザザの内心はクロウを擁護する。

 冒険者というのは基本的に粗暴で独善的なものだが、クロウは決して力無き人々を虐げるという事は無かった。

 基本的には丁寧で、腰も低く、何か頼まれた時にはできるかぎり力になろうとしていた。

 

(不思議だ。クロウは勇者にふさわしいように思える。だが同時に、勇者とは真逆の人間の様にも思える。めちゃくちゃな奴だ…頭が痛くなるぜ。俺もあっちの馬車が良かったな、ランサックの奴は煩いがクロウとよりはまともな会話になる。…いや、駄目だ。あの気持ち悪い奴らと同じ空間にいたくない)

 

 ・

 ・

 ・

 

「え~っほんとぉ!?」

 

 野太く黄色い声が馬車内に響いた。

 続いて破裂音。

 

「ぐあァッ!て、てめぇ!鎧を徹すんじゃねえよ!骨が折れる!」

 

 §§§

 

「………………」

 

「おい、なんか話せよ。アンタあれだろ?“王家の影”だろ?まあアンタみたいなのも必要だよな。戦闘は極力さけたいからな、必要なのは魔王の首だからよ、斥候みたいなのは必要だよな。…おい、無視するなって、なぁ。…………あの?聞いてるかい?…ああそう…」

 

 §§§

 

 ランサックは既にくじけそうだった。

 馬車に同乗しているのは女言葉を使う筋肉男と何もしゃべらない男だったからだ。

 

 本当だったらこんな馬車に乗りたくないと思ってはいたものの、戦力の配分からこのような仕儀となった。

 

 アリクス王国側の派遣メンバーはこうだ。

 

 筋肉男   金等級冒険者

 ランサック ルイゼの犬

 無口男   アリクス王家肝いりの斥候

 クロウ   金等級冒険者

 ファビオラ 公爵家令嬢

 ザザ    金等級冒険者

 

 世界の命運を左右するメンバーに自身の息が掛かっている者を三人も送るあたり、ルイゼの影響力の大きさの程が窺われるが、他の三人も実力で劣るものではない。

 

 特に筋肉男…タイランは異色だ。

 中域出身のこの武闘家は武器を持たない。

 なぜならその五体そのものが武器だからだ。

 多くの戦闘者が格闘の心得を持つが、格闘を主武器とする者は余りいない。やはり得物を振るった方が効率が良い為だ。

 

 ただ、中域では逆に格闘が隆盛を誇っている。

 これは魔力とはまた違う“気”とよばれる別種の力を扱う者が多い事が理由だろう。

 魔力が意思や願望を叶える力であるなら気は命の力だ。

 自身の生命力を源とし、そこから力を引き出す。

 だが命の力を無機物に宿らせる事は非常に困難である。

 それが中域で自身の五体を武器とする者が多い理由である。

 

「アタシも色々旅してきたけどぉ~、西でもちょっと冒険者として働いてたけどぉ~…やっぱりこっちが好きね!だって国王陛下ったら素敵なんだもの~!あ、でもアシャラは良い国だったわよ、自然がいっぱいで!ほら、アタシって見てわかるとおもうけれど、草花が好きそうな感じじゃない?だからあの国とは相性がいいとおもうのよね~」

 

 ウフフオホホとタイランは笑顔でしゃべくる。

 中域から東域へ渡るには、まずアシャラ大森林を抜けて西域に渡り、そこからあらためて東域へ向かう必要がある。

 東域へ直接行こうとすると大雪山を越える必要があるからだ。

 危険な魔獣も多数生息しているが、何より危険なのはやはり自然そのものだろう。

 

 大雪山に比べればアシャラ大森林の方がまだマシで、中域から渡ってくる者はほとんどがそちらのルートを選んでいる。



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合流

更新2回目


 ◆

 

「ねぇ~ッ!ちょっとアンタ!黙ってないで何か話しなさいよ!それとも何!?冒険者風情と話す口は無いって事かしら?無口な男がモテるなんて時代はとっくに終わってるのよ?」

 

 タイランが無言男に絡む。

 ランサックの事は無視し続ける事が出来た無言男も、タイランの濃厚な何かを無視し続ける事は出来なかった様で、嫌々という雰囲気を全身から放射しながらようやく口を開いた。

 

「…私は女だから問題はないな。カプラだ。勇者に先立ち、露を払い、魔王へ導け…ルピス陛下よりそう命を受けている。それと私は会話が好きじゃないんだ。必要がない限りは放っておいてくれ」

 

 ・

 ・

 ・

 

 果ての大陸の何処に魔王がいるのか?

 まさか一軒家で暮らしているわけはあるまい。

 過去の人魔大戦の記録から、魔王が居城を持っている事までは分かっている。

 しかしそれは現在でもそうなのか?

 そうだとしたらそれは尋常の城なのだろうか?

 悪辣極まる致死の罠が張り巡らされているのではないか?

 

 そういった懸念がある以上、戦いしか能がない様な連中を集めるわけにはいかないというのは犬でも分かる事で、帝国も王国もいわゆる斥候仕事ができるものを招集していた。

 ランサックも似たような事が出来なくもないが、彼よりはるかに専門的な仕事が出来る者…それがカプラである。

 

 彼女は冒険者ではなく、“王家の影”と呼ばれるアリクス王国の諜報部隊の一員だ。アリクス王国に限った話ではないが、こういった特殊部隊を有する国はいくらでもある。

 

 カプラはルピスからこの任務を命じられた時、一切の忌避感情を抱くことなく二つ返事で従った。

 言うまでもなくこの任務は命懸けで、無事に帰ってこられる可能性は低いだろう。しかしそれでもカプラは喜んで命を受けた。

 有事の際にアリクス王国の貴族やその従者の者達は、とかく自身の命を軽視するきらいがある。

 こればかりは国民性というやつで、合理的な説明は出来ない。

 

 ただ、敢えて言うならば“先祖返り”だろうか。

 現在イム大陸に住まう者達のルーツを辿ればその辺りは説明ができない事もない。

 

 

(こいつらに比べたらクロウやザザの方がまだマシだな…)

 

 ランサックは軽くため息をつきながら一行の先行きを憂いた。

 

 ともかくも、馬車は進んでいく。

 破滅へ向けてか希望へ向けてかは定かではないが。

 

 ・

 ・

 ・

 

「あらぁ?あの馬車は王宮のものかしら。ルイゼちゃんが先行しているって話よね。あァ~!あの綺麗な人影!すらっとうらやましい!まさしくルイゼちゃんね、となると私たちが一番乗りかしら?それにしても綺麗なお月様ねぇ、こんな時でなければあのお空の極上の宝石を肴に葡萄酒でも呑みたいのだけれど~ッ!ちょっと~!皆~!カプちゃん~、ランくん~ついたわよ~!」

 

 馬車の窓から身を乗り出したタイランがよく通る声で言う。

 だがランサックはタイランに言われるまでもなく、目的地へと到着したことが分かっていた。

 なぜなら自身の精神世界に花がふぶき、急速に暗雲が割け、煌々と輝く太陽が姿を見せたからだ。

 

「ルイゼだ。彼女が待っている。俺にはわかる」

 

 彼女に惚れ切っているランサックには、ルイゼが近くにいるとそれとすぐ分かる。

 術でも能力でもなんでもない、これこそが愛の力だとランサックは真面目に考えていた。

 

「ランサック、貴方は気持ちが悪いな」

 

 ランサックの表情を見たカプラが吐き捨てる様に言う。

 

「確かにたるんでるわね。魔王討伐を舐めてるのかしら?」

 

 タイランもまた蔑むような視線でランサックを見た。

 タイランは男が好きだが、女が好きな男は好きではない。

 しかしランサックの精神はこゆるぎもしない。

 ルイゼ以外の誰からどう思われようとも、それは彼にとって些細な事だからだ。

 

 ◆

 

「ひとまずは無事に合流地点にたどり着けた様で安心しました。風の流れを視るに、もう一台の方も無事にたどり着くでしょう。…地脈に流れる魔力の活性化…この具合を視るに…まあ間に合うでしょうね。ランサック、しっかり友好を深めましたか?お久しぶりですね、泰然。カプラさんも」

 

 案の定ランサックたちを出迎えたのはルイゼであった。

 王宮の役人と思われる者達が数名、彼女に付き従っている。

 彼らの多くはどこか悲壮感を感じさせる雰囲気で、中には涙のあとが見られる者もいた。

 

 カプラは軽く周囲を見渡し、すぐに事情を察する。

 

「六大卿は…」

 

 カプラが呟くと、役人の一人が“各々方は皆立派にお勤めを果たされた”と答えた。

 

「貴族としては立派でしたよ」

 

 役人たちの後を引き取るようにルイゼが答えた。

 その素っ気のない言い方は何も知らない者が聞けば薄情に聞こえるが、声色に滲む僅かな寂寥が雄弁に彼女の想いを物語っていた。

 一同の表情が沈痛なものとなる。

 

「そう、貴族としては立派でした。しかし、弟子としては…ね。仮に逃げても追わせるつもりはなかったのですが。いえ、彼らが逃げたりしない事を誰よりも良く知るのは私ですね。彼らが捧げた命は魔術の触媒として昇華し、使わせていただきました。既に西域との通路は繋いであります。あとはその起動。月が真上に来たその時、門を開きます」

 

 地脈の走査、そして王国の星見達により、大体いつ頃魔軍の軍勢が転移してくるかは把握できている。天と地の魔力の律動から転移を予測する、という手法はここ最近編み出された手法であった。

 

 転移の大魔術は星の位置も術式の成立の重大な要素で、強引な術式起動はたとえルイゼといえども贖いきれない程の魔力を有する。ゆえの待機というわけだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

「…それにしてもルイゼ、ようやく恩を返せるかと思うとあたし、滾ってきちゃうわ、ウフフ」

 

「泰然、あなたのその義理堅い所は大好きですよ。とても心強いです、泰然…いえ、“不死者”タイラン」

 

 タイランの言葉にルイゼが笑みを返して言うと、タイランはいやあねぇとケラケラ笑った。

 

 ◆

 

 泰然ことタイランは中域出身だ。

 そんな彼女がなぜ現在アリクス王国にいるのかといえば、彼女が抱える認知の問題による。

 

 タイランの肉体的な性別は男性だが、その性自認は女性であり、そして中域では同性愛が禁止されている…わけではないが、一部の法律や社会の価値観により、同性愛が不適切であるとされてきた。

 

 中域は長い歴史の中で、家族や子孫繁栄が重要な価値観とされてきた。そのため異性愛が一般的であることが強く求められてきたという背景がある。また、中域は西域や東域、極東のように群雄が割拠しているわけではなく、単一の国家が広大な領土を支配している。国家制度は帝政をとっており、帝室は同性愛を退廃的と見なしている。このような社会的背景から、中域においては同性愛者に対する偏見や差別が存在し、同性愛に対する理解や受容が進んでいない。

 

 タイランはそんな祖国を抜け出した。

 しかし大森林を抜け、最初にたどり着いたアシャラ都市国家連合でも、レグナム西域帝国でも、やはりタイランへの蔑視は大なり小なり存在したのだ。

 

 丸坊主の男がシナをつくって女言葉を話していれば、当然ながらそれは不気味な光景なので仕方がない事だが。

 タイランの心が蔑視に堪えられなかった…というより、自身の姿を見て不快感を露わにする人々に申し訳が無くなってしまって逃げ出さざるを得なかったのだ。

 

 彼女は優しい女性?であった。

 

 そんな彼女にとってアリクス王国は天国であっただろう。

 なにせアリクス王国は力を至上とする戦闘国家である。

 案の定タイランも“え、あの人は男だけど心は女なの?ふーん、で、強さは?金等級相当?いいね!”とあっというまに社会に居場所を作る事が出来た。

 

 まあ怪訝な顔をする者もいたが、そもそもアリクス王国の金等級は皆問題児ばかりである。

 

 とはいえ、身一つで外国へいってすぐに生活基盤を整えられるかといえばこれは無理な話で、タイランも当初は難儀をしていた。そんな彼を冒険者ギルドで拾い、身分と仕事を与えたのがルイゼである。タイランはそれを恩義に思い、さらに自身を拒絶することなく受け入れてくれたアリクス王国にも同様の恩義を抱いている。彼女が魔王討伐の任を受けたのはそれが理由であった。

 

 ちなみに、心は女だというのならば外見も女に近づける努力をすべき…そうタイランに言った者もいるが、それは叶わない相談であった。

 

 彼女の見事な肉体には毛穴というものがぱっと見で見当たらず、その肌は女性を思わせる滑らかさなのだが、これは彼女の狂った所業が原因であった。

 

 彼女は“気”…生命エネルギーを扱う武闘家であるが、魔力と違い、気はただ生きているだけで全身から放射されてしまう。

 それはどこから放射されるかといえば穴だ。

 全身の毛穴から放出される。

 

 ある時これに気付いたタイランは頭から油をかぶり、火をつけた。全身を焼けただれさせ毛穴を塞ごうというパワープレイである。

 普通はそのまま死ぬのがオチだが、タイランは違った。

 思惑通りにタイランの全身は焼け爛れたが、彼女の体内から滲む気の力が彼を内側から完璧に治癒した。

 

 気は魔力のように自身の意思や願望を外界に顕現化させるといった神秘の力は持たないが、自身の肉体に直接作用する…例えば拳を硬くしたいだとか怪我を早く治したいだとか、そういう作用は魔力のそれよりも直接的に働く。

 

 タイランは武の才能もあり、実力もあり、なによりも狂気があった。そんな彼女の狂った所業は彼女の全身の毛穴を縮小させ、結果として日常生活で放出される気の量が制限され、外へ漏れなかった気が彼女の肉体を循環するようになった。

 

 その結果が彼女の見事な肉体美であり、その肉体強度は金等級でも随一。タイランは綺麗なお姉さんであるのと同時に、希代の武闘家なのであった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「あら!あの馬車じゃないかしら?無事だったみたいで良かったわ。私、勇者様に逢うのが夢だったのよ。ねえ、ルイゼ、私のお肌どうかしら?荒れてないかしら?」

 

「大丈夫ですよ、月の光を受けて美しく輝いています」

 

 タイランは坊主なのでルイゼの返答はやや危ない所だが、幸いにも彼女は気付かず、ならいいわ、と2つ3つ頷いた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 やがてクロウ達を乗せた馬車が合流地点にたどり着いた。

 闇に紛れやすい様に黒塗りにされた馬車は月光に良く映える。

 

 馬車から下りてきたのはザザ、ファビオラ、そして…

 

 

 

 ◆

 

「ザザ、フラガラッハ嬢、道中ご苦労様でした。そしてクロウ。いえ、勇者クロウ。調子はどうですか?」

 

 馬車から降りたクロウは凪いでいた。

 魔王討伐への気負いは見られない。

 少なくとも外見上は。

 

 深くまで視れば気付く者はいるかもしれない。

 彼の精神世界で煮え滾る漆黒の泥濘の様な怒りに。

 

 クロウは今我慢をしているのだ。

 今この瞬間にも魔族たちは王都を襲っているであろう光景を想像して、シルファをはじめ、彼と親しい者達が傷つき斃れていく姿を想像すると胸が引き裂かれそうになる。

 そんな思いを完全に押し殺してクロウは今ここに立っていた。

 

 

 ──“大の為に小を捨てるという精神的苦痛を堪える事で勇者として磨かれる”という思い込み

 

 ──魔王を斃す事で世界は救われ、恐らくはその戦いで力尽きた自分を世界中の人が惜しみ、未来永劫讃えてくれるだろうという承認欲求…なお、これには自殺願望も含まれている

 

 ──斬り殺してきた者達の魂を束縛し、必要に応じてこれらを使役し、主であるクロウの盾とするというコーリングの聖剣としての守護の加護。なお、魔剣としての加護は厄を呼び寄せるというもので、これによりクロウは絶え間ない鍛錬を可能とする

 

 試練は人を強くするという。

 クロウにとっては生きてる事そのものが試練なのだから、強くならない筈がない。

 

 ・

 ・

 ・

 

「…勇者として、やるべき事をやります」

 

 クロウの返答は短く、悲壮な覚悟に満ちている。

 自身の死を当然のものとして受け入れた彼の覚悟は、濃密な死の香りを纏っており、この場の誰もが魔軍との戦いで惨死した自身の姿を想像せざるを得なかった。

 

 ごくり、と誰かが唾を飲み下す音が響いた。

 

(み、視えるわ!あたしには視える…とんでもない量の陰気が彼を取り巻いている…死者が…死が…彼を、彼、を…)

 

 気とはすなわち生のエネルギーであり、正確には陽気という。

 だがどんなものにも対となるものはあり、それは気も例外ではない。言ってみれば死のエネルギーというものがあり、それは陰気と呼ばれる。

 そしてタイランは気を扱う者である為、それが視えてしまった。

 

 §

 

 月の下で一人の女が踊っている

 暗い、昏い場所だ

 月明りだけが頼りの、そんな場所で女はただただ踊っていた

 

 女には顔がない

 仮面のような物をつけている

 嗚呼、女がこちらに気付いた

 仮面に手を掛けて、その素顔を

 

 視てはいけない

 もし視れば彼女はきっと連れていこうとするだろう

 

 アレの近くにいるだけでも良くない

 忌まわしい何かが身体に、心に入り込んで…

 いつのまにか自分自身もアレになってしまう

 

 その証拠に、ほら

 もう腕が蕩けて骨が見えて

 骨が、真っ白で綺麗な骨が

 

 §

 

 我に返ると息を荒げながらクロウから距離を取った。

 

「はァッ!!…はぁ、はぁ…あ、危なかったわ!取り込まれる所だった…あれは…まさか…咒(ヂョウ)…」

 

 “ヂョウ?”とファビオラが尋ねると、冷や汗を流しながらタイランが答えた。

 

「ええ…故郷でね、そういうモノがあるのよ…。触れると死ぬ呪いというか、そういうモノね。でもそれの恐ろしい所は死ぬ事じゃないの。死んでも終われなくなってしまう事なの…。咒は死のない死、終わりの無い死。故郷では死よりもさらに忌まわしいモノ…概念として恐れられているのよ。なぜかそれが思い浮かんだの…」

 

 それにしても、とタイランはクロウを、いや、彼が佩く剣…コーリングを見つめた。一見すれば何の変哲もない長剣だ。

 だがタイランの心眼は長剣の鞘からほの立ち上る黒いモヤを捉えていた。

 

 ──瘴気!

 

 タイランはクロウの正気を疑った。

 あれほどの鬼気に触れれば、常人ならとっくに発狂しているだろう。アレは間違いなく呪物だ。なぜ勇者が呪いの魔剣などを?

 そこまで考えた所で、とタイランは一つの結論を出す。

 

(聖剣が呪われているとは思わなかったわ。でも、そうね…勇者という使命自体、あたしには呪われているようにしか思えないわ。勇者と聖剣は切っても切りはなせない関係だときくけれど、勇者そのものが呪われているなら剣もきっとそうなのでしょうね…)

 

 きっとこの青年は被害者なのだ。

 神などという傲慢な超常存在に勝手に選ばれて、本当なら青春を謳歌してもいいはずの年齢だろうに、あの若さで幾つもの地獄を潜り抜けてきたに違いない。

 

 タイランは義憤で拳を固める。

 彼女は優しい女性なのだ。

 度し難い精神疾患患者に関わって人生を台無しにしても良い女性ではない。

 

 ◆

 

「各々自己紹介は済んだようですね、では丁度月も良い位置まできた所ですし、そろそろ西域から勇士達を呼びましょう」

 

 ルイゼが空を見上げながら静かに言う。

 

 ・

 ・

 ・

 

「クロウは相変わらずだな…というより、どんどんおかしくなっていくな…アイツの剣」

 

 ランサックは顔を顰めながらコーリングを見る。

 隣に立つザザは我関せずと言った表情だったが、ランサックの言葉を聞いてぼそりと呟いた。

 

「今更だろう」

 

 そう、今更であった。

 クロウの剣には間違いなく意思がある。

 それも邪悪…かどうかは分からないが、とにかく聖剣とはとても呼べないような意思が宿っている。

 

 ──だが、それが魔王を殺す役に立つならそれはそれで良い

 

 ザザはそう考えている。

 ランサックはクロウの剣を危険視している様だが、と横目でちらりとランサックを見るザザの目は、一応の友人に投げる視線にしてはやや乾いていた。

 

「…おい、そんな目で見るなよザザ。悪かった…とは思ってないが、ルイゼから何か言われたりしないかぎりは俺はあの魔族に手を出すつもりはないぜ」

 

 そう、二人の間にはまだ若干のわだかまりがあった。

 

「…まあいい、それにしても何とも偏った一団だな。斥候が一人いるが、魔術師は一人もいない。あの覆面の他は皆剣士じゃないか」

 

 ザザがボヤくとランサックが答える。

 

「ああ、それは理由があるんだとよ」

 

 理由?とザザが促す。

 

「西域から来る連中の中に、とびっきりの魔術師が何人かいるんだとよ。聞いておどろけ、ルイゼの弟子まで来るそうだぜ」

 

 ◆

 

 宙に蒼光が渦巻き、西域への転移門が開くとその中から数名の男女が出てくる。

 

 いかにもこれが冒険者というような服装の金髪の男

 赤銅色の肌をした巨漢

 身長1メトルもない小人族の学者

 複雑な文様が各所に刻まれた鎧を身に纏った女騎士

 軽鎧を身に着けた銀髪の剣士

 目つきが悪い黒衣の青年魔術師

 

 ・

 ・

 ・

 

「癖が強そうだなァ…」

 

 ランサックがぼそりというと、ザザは“俺たちが言えた事か?”と返した。ランサックは自分達を棚にあげた事を反省した。

 

(まあうちの勇者様ほど癖は強くはないだろうが)

 

 ランサックがそんなことを思っているうちに、転移門が蒼の微細な粒子を拡散させて宙に溶けいる様に消えていく。

 

 ルイゼは西域の勇士達、特にその内の一人に視線を投げて唇を開いた。

 

「ヨハン、全く可愛くない私の愛弟子。久しぶりに出逢った師への労いは無いのですか?今回、私は非常に忙しいのです。貴方たちを送り出した後は王都へ戻り、不埒者共を歴史から退場させねばならないのです。あるいはこれが我ら師弟の最後の邂逅となるかもしれませんよ」

 

 

 ヨハンと呼ばれた青年はもっともだと頷き、優雅に一礼をして口を開いた。

 

「お久しぶりです、師よ。ところで恋人は出来ましたか?相変わらず青田刈りばかりしようとして、悉く避けられているのではないですか。…ああ、そこの彼が新しい恋人ですかね?いや、そうは見えない。俺も術師として業を磨いてきましたから多少は心が視える。さらに恋人もできたんです。つまり恋心というものが分かる。その俺が見立てるに…そう!彼は師の事を何とも思っていませんね!むしろ警戒さえしている!…と思ったんだが、当たっているかい?よろしく、恐らくは…勇者殿…かな?どうにも君は勇者に視えないのだが…まあいい、お偉い方が勇者というのならば勇者なのだろう。俺はヨハンという。君が魔王をぶち殺す手伝いをしに来たんだ。君達の名前を教えてくれるかな?」

 

 ランサックはぽかんと口を開けた。

 かつてルイゼにこれほど無礼な口を叩いた者がいただろうか?

 彼の知る限り、ルイゼという女性は最高の寛大さと最悪の狭量さが同居した女性である。

 

 少なくとも木っ端からでかい口を叩かれて、放っておくような女性ではない。しかしルイゼはあんな口を叩かれても怒ったり気分を害するどころか、口の端に笑みをすら浮かべている。

 

 並々ならぬ信頼関係が二人の間にあるという事だ。

 

 ──…木っ端じゃねえってことか。まあそれは見ればわかるが

 

「嫉妬か?ランサック。ざまぁないが無理もない。お前は舐め犬だが、あの男は狂犬だ。格が違う」

 

 ランサックはここぞばかりにけなしてくるザザを睨みつけるが、それ以上の事は出来ない。

 舐め犬であるというのは事実だからだ。



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閑話:白獅子とエルフの姫君①

なろう、カクヨムでは別作品としてあげてるんですが、よく考えてみたら普通に本編で閑話として更新したほうがとっちらからなくていいかなと思いました。

この姫さんは「壊れたエルフを~」で出てくる子です。
思考能力が低下しているため、スペックは大分落ちています。
ドムとドワッジくらい違います。
全盛期ならクロウ達は勝てなかったでしょう。


 ■

 

 ──南域

 

 かつては緑豊かな楽園であったこの大森林は病的な変貌を遂げていた。鮮やかな葉は黒く変色し、華やかな花は死の臭いを放つ怪しげな花に、耳を楽しませる鳥のさえずりは苦悩する霊の叫び声に取って代わられている。

 

 森の中心部には息苦しいほどの瘴気がたちこめていた。

 瘴気とは大気中に高濃度の魔力が混入したものを言う。

 魔力そのものに有毒性は無いものの、その魔力には強い害意が込められており、生物にとっては有害だ。

 

 そんな魔界とも言うべき場所で、かつての白獅子とエルフェンの王女が対峙していた。かつてのというのは、白獅子がもはや白獅子ではなくなってしまったからだ。威厳と神秘に溢れていた白獅子の毛並みは、怒りと憎悪にあてられたか、真っ黒に染まりきっていた。

 善も悪も等しく呑み込み、包み込んでくれる優しい黒ではない。

 光を窒息させるような闇色の黒だ。

 

 獅子の全身から禍々しい魔力が放射され、知性の輝きを宿していた双眼は今やどろりと濁っていた。

 

 まるでエルフの王女がその巨大な食欲を満たす最後の糧であるかのような視線に、イシルは目を伏せる。

 だがすぐにその目をあげ、厳しい視線で黒獅子を見据えた。

 

「ごめんなさい、マルドゥーク」

 

 ──שמש קטנה

 

 イシルは小さく呟いた。

 シムシュ・カタナ…それは彼女の種族の古い言葉で、小さな太陽を意味する。

 

 黒獅子の眼前に白く小さい光点がポゥと浮かび、やがてそれは周囲の大気を取り込み肥大化していく。

 膨れて、ふくれて、そして弾けて。

 光点は摂氏2,000℃にも及ぶ極熱と目を焼く程の強烈な光をまき散らし、魔神と化した黒獅子、マルドゥークに炸裂した。

 

 ■

 

 かつて南域には広大な古代王国が版図を広げていた。

 王国は栄華を極め、しかし盛者必衰の定めに従っていつしか滅びた。その跡地に新たな国を建てたのがエルフェンという種族である。彼等は魔力に優れ、また驚くべき事に寿命というものが存在しなかった。魔力とは自身の意思、願望を具現化する為の万能の力であり、これに優れているという事は生物として優れている事と同義であるといっても過言ではない。

 

 エルフェン達はその魔法によって荒廃したその地を緑あふれる大森林へと変貌させ、エルフェンをはじめ、多くの生物が大森林に集い、それぞれの命を全うしていた…。

 

 ・

 ・

 ・

 

 とある時代、南域…大森林。

 そこには巨大な白獅子がいた。

 魔獣も魔獣、それどころではない。大魔獣である。

 魔獣とは魔力を自身の意思の下に扱えるようになった獣の事だ。魔力とは自身の意思、願望、覚悟を具現する万能の力であり、例えば身体の能力を高めたいと願えばそのようになる。

 

 その大森林に住まう存在は当然獅子だけではない。

 大森林では様々な生物が各々の生態系を築いていたが、当時の大森林の覇者は白獅子でもそのほかの生物でもない。

 エルフェン達であった。

 

 エルフェン達は長命種として知られ、見目麗しく、さらには強大な魔力を有していた。完全無欠だったわけではない。

 彼らには一つ、致命的な欠陥が存在した…が、それはあくまで最終的に訪れる末路の一つであり、当時を生きるエルフェン達にとっては日々の生活こそが重要だった。

 

 ある日、エルフェンの国の姫が退屈な王宮暮らしに辟易し、ひそかに抜け出して森に出た。彼女は日々、一国の姫としての教育を受けねばならないが、時に煮詰まり、そういう時は王宮を抜け出して気分を転換するのだった。

 

 地水火風、あらゆるエレメントは彼女の友であり、また従者でもあった。エルフェンという魔力に優れた種族の中の、更に上澄みの、更にその上に彼女は立つ。

 

 エルフェンの姫君の名は"דמעות הירח נושפות משמי הלילה"(ithil-saer eithro vanima laurëa)

 と言い、これは現代の言葉に直せば“イシル”という。

 夜天より零れる月の涙という意味で、彼女はまるで月の光を束ねたかのような美しい髪を持つ女性だった。

 

 大森林には獅子の魔獣を初め、様々な危険な生物が生息していたが、エルフェン達がその気になればそれらの生物より遥かに危険に振る舞う事もできる。

 しかし、彼らは自分達の力をよく知っており、考えなしにそれを振り回せば周囲に甚大な被害を与える事も理解していた。

 要は理性的だったのだ。

 

 その理性が裏目に出た。

 

 ある日、いつもの様に王宮を抜け出したイシルは巨大な蛇の魔獣に襲われてしまう。イシルは魔力こそ膨大だが、戦闘経験などは皆無に等しい。この辺りはエルフェンの国を責める事はできないだろう、どこの国を見ても王女に戦闘経験を積ませる国というのはほぼほぼ無いといっても過言ではない。

 

 一応風の刃などを飛ばしてはみるものの、大蛇とて魔力を保有している。風の刃そのものは見えなくとも、どの方向から魔力が接近しているかくらいは分かるのだ。大蛇は長躯をうねらせて苦も無く風の刃をかわしてしまった。

 

 回避と飛びつき、そして締め付けが一呼吸の内に行われ、イシルはその身を蛇身に束縛されてしまう。

 

 もはやこれまでかと彼女が覚悟をした時。

 大蛇の長躯は二つに引き裂かれてしまう。

 

 イシルの視線の先には一匹の白獅子が居た。

 これが後に荒野の魔王マルドゥークと呼ばれる魔神と、彼を殺す事になるエルフの姫の最初の出会いであった。

 

 ■

 

 大蛇の死骸を喰らう白獅子の姿に、最初は恐れおののいていたイシルであったが、ちらりとこちらを見ただけで殺そうとしてこない白獅子にやがてイシルは興味を持った。

 

 確かに獲物に食らいつく姿は恐ろしくも感じる。

 しかし、僅かに交錯した白獅子の視線に、イシルは知性の光を見出した。

 

 イシルは逃げようともせずにまんじりと白獅子を眺めだす。

 大蛇の死骸を食いつくしてしまった白獅子はイシルを見つめ、その表情を僅かに顰め、おもむろにふいっと背を向ける。

 

 去っていこうとする白獅子。

 だがイシルは何を思ったか声をかけた。

 

「あ、あの!お礼がしたいから…また明日、会えるかしら…頂点の日座…ってわかる?えっと、太陽が真上にある時に!美味しいものを持っていきます!」

 

 イシルは自分でも馬鹿な事を言っているなと思うが、これは仕方がない。王族の矜持が命の礼もせずに恩人…恩獣を帰すわけにはいかないと喚いていたからだ。それにイシルはお転婆だが愚かではない。白獅子の目を見るだけで、かの存在が一定以上の知性を有している事を察していた。言葉を解する魔獣というのは珍しいが、存在しないわけではない。そのいずれもが恐ろしい災厄ともいうべき存在だが、イシルは不思議と白獅子からは恐怖を感じなかったのである。

 

 ちなみに、白獅子はイシルを助けたわけではない。

 美味だが、まともに殺りあえば苦戦を免れないであろう大蛇の魔獣が、食いでのなさそうなエルフェンの雌に巻きついていたものだからこれ幸いとばかりに殺してやっただけである。

 

 ・

 ・

 ・

 

 白獅子がイシルに襲い掛からなかった理由は2つある。

 

 一つは既に腹が満ちていたという事。

 今一つは自分を恐れるでも厭うでもなく、礼を述べるその胆力を賞賛したからだ。

 

 特に二番目。

 白獅子は高い知性を有しており、仮に声帯が人のものであったなら会話すらもこなしただろう。

 

 次の日、イシルは頂点の日座…要するに正午に、大量の食料を持って白獅子と出会った場所へやってきた。

 周囲を見渡し、まるで何かを探しているようだ。

 

 白獅子はまるで阿呆を見る目でイシルを見た。もし彼が話せるなららば、“わざわざ食われにきたのか”と嘲笑交じりの声を掛けていただろう。美味しいものを持ってくると言っていたが、まさか自分の事だったとは、と。

 

 白獅子は暫くイシルの様子を見ていたが、姿を見せるつもりはなかった。この場所へ留まっているのは、先日仕留めた大蛇が番であることを期待しての事だ。番の大蛇ならば、伴侶を探しに周辺に現れるはず…大蛇は手ごわい相手だが、伴侶を殺され心を乱した状態で白獅子に勝つのは難しいだろう。だから決して、そう、決してエルフェンの小娘の甘言に釣られたわけではないのだ。



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閑話:白獅子とエルフの姫君②

 ■

 

 森の中で二人が出会う場所は、木漏れ日が地面に影を落とす美しい木立の中であった。大樹の木陰で白獅子は気だるそうに横たわっている。彼は知性が高く身体能力も優れているが、それでも種族の特性を脱し得ない。白獅子だのなんだのといっても、結局は大きな猫なのだ。

 

 白獅子がウトウトしている所を邪魔しに来るのがイシルであった。

 

「マルドゥーク?おねむですか?」

 

 イシルの手が優しく白獅子の鬣をくしけずった。

 そう、イシルを助けた白い獅子はイシルによってマルドゥークと名づけられた。これは古代エルフェンの言葉で、“雪に似る”という意味だ。

 

 あんまりにも馴れ馴れしくしてくるようなら頭から喰らってやろう、そう思っていた彼は結局イシルに絆されてしまっていた。それは彼女が毎日籠一杯に果物を詰め込んで持ってくるからかもしれないし、彼女が白獅子の毛を手櫛でとかすのが気持ちよかったかもしれない。あるいは白獅子の知性が非常に高い事が理由かもしれない。

 

 知性が高ければ高いほど、イシルに敵意がない事、白獅子に純粋な感謝で接している事が分かってしまうのだ。

 そんな白獅子は妙に懐いてくるイシルがどうにもやりづらくてかなわなかった。白獅子は自身がもはやイシルを害そうとは考えていない事を渋々ながら認める。

 

 少なくとも、当初はイシルの事を餌としか見ていなかった白獅子の意識に何らかの変化があらわれた事は明白であった。

 

 そして時が経つにつれ、イシルと白い獅子マルドゥクはお互いをよく知るようになった。魔獣とエルフェン、人ならざる一匹と一人が絆を育んでいく。

 

 ・

 ・

 ・

 

 しかし、二人の出会いは見逃されることはなかった。偶然にも二人の姿を見た王国の猟師は、自分たちの王女が強力な魔獣と交流している姿に警戒心を抱いた。イシルがマルドゥークに近づくのは危険だと考えた彼は王宮へそれを告げると、国王は斥候働きに優れた者達に命じてイシルの後を尾けさせた。

 

 結果として判明したのは、白く凶暴そうな獅子の魔獣と王女の交流であった。現代でこそ魔獣というものは野生の獣が魔力を扱えるようになったにすぎず、邪悪だとか邪悪でないとかは関係ないという知識が浸透している。しかし当時は魔獣とは邪悪な力に侵された闇の獣…というような誤解が広まっていた。

 

 王宮は魔獣…マルドゥークを危険視し、対策を講じようとする。

 

 王宮はイシルには内緒で、腕利きの戦士を集めて白獅子を討伐するチームを結成した。一方、イシルは新しい友人への愛着を深めていたが、二人に迫る危機には気づいていなかった。

 

 だが彼女に纏わりつくエレメンタルが囁くのだ、不吉を、不穏を。

 

「なんだか…今朝は王宮が変な感じです。風がざわめいている…」

 

 イシルはマルドゥークに逢う為に果物を物色していた。

 といっても食糧庫に忍び込んだとかそういう事ではなく、彼女は果物を好むため、常に部屋に新鮮なものが用意されているのだ。

 彼女はこの国の第一王女であり、王位継承権第一位のやんごとなき身分である。その気になれば果物といわず、黄金でも魔法金でも希少な霊薬でもなんでも手に入る立場だった。

 

 だが彼女は横暴な振る舞いをしない。

 王族として振る舞うべき時に威厳のある振る舞いを出来ないわけではないが、基本的に彼女は温厚で、柔和で、謙虚で、そしてお転婆な部分もある少女であった。

 

 そんな彼女の事を民は慕い、敬愛しており、彼女の両親もまた彼女に愛情を注いでいた。

 

 だが…

 

「なっ!あなたたち!一体何を…」

 

 部屋になだれ込んでくる近衛騎士たち。

 彼等は一様に強力な耐魔法の防具を身に着けていた。

 これは結界を張ったりだとかそういう効果を有するわけではなく、周囲の意思を拡散させる鎧である。

 魔法とは術者の意思をダイレクトに魔力に反映し、超常の現象を引き起こす奇跡であるが、耐魔法の防具はノイズを放射して周辺の意思の反映を阻害する。

 

 当然近衛騎士にも魔法は使えなくなるのだが、彼等は優れた体術、弓術、剣術を有しており、王国最強の魔法使いといっても過言ではないイシルといえども魔法抜きに抗う事は叶わない。

 

 ■

 

 ある日、マルドゥークはいつもの時間、いつもの場所にいた。

 特に約束を交わしたわけではないが、イシルとマルドゥークの間ではいつのまにか“あの大樹の下、中天に”というのがお約束になっていたのだ。

 

 しかし、今日はそこにイシルの姿はなく、日が傾きかけても来る様子はない。王宮の者達がマルドゥークに会う前にイシルを拘束してしまったのだ。彼女は魔術の才能はあるが、戦闘経験がないため、簡単に拘束することができた。

 だがイシルはすぐに自身が拘束された理由に気付く。

 

「待って!ここから出しなさい!わたくしにこの様な無礼を働くとは一体誰の差し金ですか!」

 

 激昂するイシルだが、それはフリだけである。

 自身が拘束された理由がもし“あの事”であるなら、と思うと、イシルは生きた心地がしない。

 

 ──わたくしが王宮を抜け出した事への単純な罰則であるといいのですが…

 

 貴人用の牢は特殊な金属で作られており、魔法の行使を妨げる。

 イシルは魔法を行使しようとするが上手くいかない。

 それは彼女に牢を破ろうという意思しかないからだ。

 自身をこのような目に遭わせた者達に対する強い害意を持てば、耐魔法の牢といえど耐えきれるものではない。

 更に…

 

「なりません。陛下の沙汰です。殿下は暫くここで謹慎するように、と」

 

 牢番の言葉はすげなかった。

 イシルに対して隔意があるわけではなく、意図的にそうしているのだ。さもないと彼女の命にしたがってしまうからである。

 彼女がそれだけ王国の者達から愛されていると言う事だ。

 

 そしてイシルが危惧している通りになった。場所と時間、王国の斥候達はイシルを尾行した際にそれらを聞いており、万全の状態でマルドゥークを待ち伏せていた。

 

 ■

 

 マルドゥークの白い鬣が騒めいた。

 魔法行使だ。

 

「来るぞ!盾を構えろ!」

 

 討伐隊の隊長が叫び、隊員達は盾を構える。

 

 荒々しい咆哮が大気に伝播した。

 強力な音波はマルドゥークの周囲の空気を高速で圧縮して、そのエネルギーが前方に向けていくつも放出される。

 

 太い樹木が圧し折れ、直撃を受けた討伐隊のメンバーは全身の骨を滅茶苦茶に砕かれて激痛の中息絶えた。

 盾などお構い無しだった。

 凄まじい威力の何かが討伐隊を打ち据える。

 

 圧縮空気弾だ。

 

 音響流体力学においては音波が流体中を伝播する際に圧力変化が生じるが、これにより流体の速度や密度が変化し、流体の圧縮や膨張が引き起こされる。

 

 しかしこれは通常非常に規模が小さいもので、物理的な破壊力を持たせるという事は難しい。

 だがマルドゥークには自身の破壊の意思を実現させるだけの魔力がある。魔力とは意思の、覚悟の、渇望の成就を為す為の呼び水だからだ。

 

 ちなみに先日、彼が大蛇を奇襲した際になぜこの魔法を使わなかったかといえば、魔力を行使すれば大蛇もまたそれを感知して、奇襲の優位が無くなるからである。

 

 だが討伐隊もさるものだった。

 飛び道具が衝撃波の類だと分かるや否や、三角形状、錘型、ドーム状と様々な形状の結界を張り、空気弾を耐え忍ぶ。

 ただ、結界といっても不可視の力場などではなく、ある者は石材、ある者は木材、またあるものは氷や水晶など思い思いの材質で構築された防御壁である。

 

 彼らの構築した防御壁は、圧縮空気弾を無傷で捌くというのは難しいが、致命的な負傷を避けるには十分な性能を有していた。

 

 ただ、守るだけではジリ貧は否めない。

 そう考えた隊の中で一番の業前を持つ隊長がマルドゥークを睨みつけ、両手を左右に広げる。

 



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閑話:白獅子とエルフの姫君③

 ■

 

 討伐隊の隊長の名はタリオンと言い、エルフェンの言葉では“稲妻”を意味する。年齢を感じさせない色白の肌と肩まで伸びた銀白色の髪には女性的な魅力すらも感じられるが、彼はこれでいて五百年を生きる優れた剣士だ。

 

 彼自身にそこまで才能があるわけではない。

 彼の長所は他人よりも慎重である事くらいだろうか。

 しかしその長所が彼を長く、より長く生かし続けた。

 そして才能が並みとはいえ、数百年を研鑽にあてた剣士の業とは一体どのような物か。

 

 それはもはや剣技ですら無かった。

 

 ── "הפוך אותי לברזל." (Hafokh oti le'barzel.)

 "鉄と化せ我が総身"

 

 ── "אל הרעם, הזמן אל כפי." (El ha'ra'am, hazmen el kafai.)

 "雷神よ、我が双掌に招来せよ"

 

 これは彼の完全なオリジナルの魔法ではない。

 彼がまだ若者と呼べる年だった頃、諸国を遊歴した際に知り合った魔術師との出会いで得た知見に基づいて考案されたものだ。

 

 アステール星王国と呼ばれる古代王国へ足を運んだ若きタリオンは、ルイゼという王国の宮廷魔術師長と知り合い、彼女もまたエルフェンの魔法に興味を持っていた事から知恵と知識を披露しあったという経緯がある。

 

 §

 

 タリオンの両の掌に膨大な電流が流れ、磁界が生成される。

 そして磁界内で流れた電流は等身大の金属弾と化したタリオンに作用し、発生したローレンツ力によって彼は極音速でマルドゥークに向かって吹き飛んだ。

 

 "着弾"には瞬き程の時間もかからなかった。

 衝突音というよりは爆発音が森に鳴り響き、衝撃波によって太い木々がなぎ倒される。

 

 やがて土煙が収まり、タリオンは荒い息をつきながら周囲を見まわした。マルドゥークの姿が何処にもなかったからだ。

 木っ端微塵に消し飛んだとも彼には思えなかった。

 自身の業が敵手の命へ届いたかどうか、それくらい分からない彼ではない。

 

「恐らく防がれた。余程強い魔力で守っていたのだろう。だが、無傷とも思えない。散開して追跡しろ。ただし奴に余力がありそうなら深追いはするな。私は…少し休んでいく」

 

 タリオンは苦悶の表情を浮かべてその場に膝をついた。

 彼の魔法はあらゆる意味で術者を消耗させる。

 仮に彼ではなく、隊の者達でも同じ事ができるものは居らず、無理に真似ようとすれば命をくべても贖いきれない代償で魂魄が拉げる筈だ。タリオンでも2度使えば命はないだろう。

 

 討伐隊の面々は頷き、三人組を組んで森の奥へと散っていった。

 見送るタリオンだが、その精神世界には不穏な暗雲が立ち込めている。"自身の判断は間違っていたのではないか?"という思いが消えなかったのだ。

 

 ──竜種の強靭な鱗ですら突き破る我が業、あの白獅子を一撃で仕留めるつもりだったが叶わなかったか

 

 タリオンは俯き歯噛みするが、かといって傷を癒す暇を与えるわけにはいかなかった。今逃せば次回はこちらの手の内を学んだ上での会敵となるだろう、それはまずい…そうタリオンは考えている。

 

 だが、事態の推移は彼の考えより遥かに良い方向に進んでいた。

 暫し休み、なんとか歩けるようになったタリオンが森へ向かおうとすると、追跡部隊の数名が戻ってきたのだ。その表情は明るい。

 

「兄さ…隊長、手負いでしたが無事に仕留めてきました!」

 

 追跡部隊の一員の少女…といっても100歳前後の弓手が笑顔を浮かべながら駆け寄ってくるのを見て、タリオンはほっと安堵の息をつく。

 

「シエラ!他の者達も。良かった、無事だったか。他の部隊にも知らせなければな」

 

 そういってタリオンは懐から小さい笛のようなものを取り出すと、それを口に当てて息を吹き込んだ。

 無音だ。

 一見、音は出ていないように見える。

 だがエルフェンの者達はその音を聞き取る事ができる。

 彼等は非常に広い範囲の可聴領域を持っているのだ。

 

「はい、と言っても私たちは止めを刺しただけです。隊長の魔法によってもう殆ど死に体でしたし…血痕もあったので追跡も難しくはありませんでした。死体はどうしようかとおもったのですが…重すぎて持ち運ぶ事はできませんでしたし、どういうわけか魔法の干渉を阻むのです。氷のソリを作ったのですが、白獅子を乗せようとしたらソリが崩壊してしまったり。だからひとまずは死体は置いてきました。場所は覚えているので必要ならばご案内できます」

 

 でも、とシエラと呼ばれた少女はぶるりと震えた。

 どうした?とタリオンが尋ねると、シエラは僅かに震える声で言った。他の者達の表情もどこか暗い。

 

「凄い目だったんです。凄い目で私たちを睨んできて…邪眼の一種じゃないかって思ったくらいで急いで帰ってきたんです。この後は祈祷所へ行ってもいいですか?なんだか心配で」

 

 ■

 

 餌は良い、と白獅子は思った。

 餌は糧だ、悪い筈がない。

 

 敵も良い、と白獅子は思った。

 敵は試練だ、自身がより強くなる為に挑み続けなければならない。

 

 だが、と白獅子は思った。

 

 

 ──裏切り者は

 

 

 白獅子の、マルドゥークの脳裏に一人の少女が浮かぶ。

 笑顔を浮かべる少女

 困惑した様子の少女

 初めて逢った時、恐怖を感情を顔に浮かべていた少女

 色んな表情の少女が浮かんでは消えていった。

 

 

 ──裏切り者は

 

 

 マルドゥークは死にたくないと強く願った。

 自身の命を惜しんだからではない、悔しかったからである。

 憎かったからである。

 

 

 ──イシル

 

 

 マルドゥークがその名を思い浮かべた時、彼の中で何かが裏返った。それは彼の気高さだとか優しさだとか、所謂"光"に属する何かだった事は間違いないだろう。

 その証拠に、彼の体は白から転じて黒色へと変じていくではないか。無残な傷はどんどん塞がっていき、血と共に流れ出していた命が何かにより補填されていく。

 

 その"何か"とは、まさしく憎悪であった。

 



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閑話:白獅子とエルフの姫君④

 ■

 

 突然、一人の看守が牢屋に入ってきた。彼は厳粛な表情でイシルを見て口を開く。

 

「殿下、白獅子に討伐隊が差し向けられました。近く、かの魔獣を打ち果たすでしょう」

 

 討伐隊は幼少の頃から徹底的に鍛え抜き、戦士として仕上げたものだけで構成された対魔獣の特別な部隊であり、さらにいえば彼らは皆孤児であった。魔獣により親を殺された者達ばかりだ。

 魔獣への憎悪という昏い炎が、彼らという剣をより鋭く鍛え上げている。そんな彼らに掛かっては、マルドゥークもただでは済まないだろうとは思っていた。だからせめて無事に逃げ延びてほしいと願っていた。

 

 イシルは指先まで蒼褪めて立ち尽くしていた。

 大切な友人であるマルドゥークが居なくなるかもしれないのだ。

 まして討伐隊の隊長はあの英雄タリオンである。

 かつて魔族が押し寄せてきた時、魔将と呼ばれる非常に強力な戦士を退けたエルフェンの英雄。

 賢いとはいえ一魔獣が敵う相手ではない事はイシルにも分かっていた。

 

 彼女は看守を睨みつけた。この衛兵が友人を殺めようとしているわけではない事は彼女にも分かる。しかし彼女はもはや自身の感情を制御できなかったし、彼女自身も制御しようとは思っていなかった。

 

「あなたは…あなた達はマルドゥークを、私の友人を殺そうとしているのよ!」

 

 熱雷を孕んだ視線が看守を射貫く。

 看守はイシルをまっすぐ見て言った。

 

「王国と殿下を守るために必要なことだったのです。魔獣は恐ろしい存在で…それは殿下もご理解頂けているはずです。昨年、幼子が王都へ入り込んできた大蛇の魔獣にかどわかされた事をお忘れではありますまい」

 

 イシルは俯く。

 

 王国には結界が張られているが、それは獣除けの因果を含めた御呪い程度の物だというのは彼女も知っている。

 勿論王都を護る兵たちもいるが、それでも毎年少なくない数の王国民が犠牲となっている。王都の外ではなく、王都の中で殺される者もいるのだ。

 

 だから魔獣を狩るという理屈は彼女にも分かる。

 分かるが、それでもイシルは看守に何かを言ってやりたかった。

 看守の精神の鎧に致命的な罅を加えるような、酷い暴言を。

 

 しかし結局それは出来なかった。

 イシルは思い出したのだ。

 看守の親もまた魔獣に殺されていた事を。

 

 イシルは看守に何も言わずに背を向け、格子から見える青い空を見つめて"どこかへ行きたいな"と思った。

 

 世界が余りにやるせなさすぎたからだ。

 

 ■

 

 その頃、森では討伐隊が集まって帰還の算段を立てていた。

 

「犠牲は出たが、あれほどの魔獣を相手にした事を考えれば犠牲は少ないほうだ。犠牲者の遺体を集め、王都へ連れ帰ろう。無事な者は怪我人に手を貸してやれ」

 

 タリオンの言葉に、皆特に反論することもなく頷く。

 だが、そこまで言ったタリオン自身の顔色が非常に悪い事には皆が苦言を呈したが。

 

「分かっている、済まない。だが無理をしなければいけなかったんだ。真正面から撃ち合いなんてしてみろ、今頃この場の半分は死体になっているぞ」

 

「そうかもしれませんけれど、それはそれですよ隊長」

 

 隊員の一人がどんな事にも反論できる魔法の批判を飛ばす。

 これは敵わんと苦笑を浮かべるタリオンだったが、不意に真顔になり、森の奥…マルドゥークが逃げた先に視線を注いだ。

 タリオンの目はこれ以上ないほど見開かれ、冷や汗が浮かんでいる。

 

「どうしましたか、隊長っ…!?」

 

 その様子を不審に思い、シエラが事情を尋ねようとしたが、彼女もまた異変に気付いた。

 

「総員、戦闘態勢ッ!!」

 

 タリオンが怒号し、剣を引き抜いた。

 

 隊員達の目の前で木々の青々とした葉が茶褐色に枯れていく。

 異様な悪臭が立ち込めてくる。

 何か良くないものが近づいてきている事をその場の誰もが感じ取っていた。

 

 世界そのものが軋むような圧迫感が刻一刻と強くなっていく。

 本来ならば退却を選ぶ所だが、とタリオンは歯嚙みした。

 重傷者も居り、素早い逃走はできないだろう。

 であるなら迎え撃つしかない。

 中途半端に逃げて、後背を襲われるのが一番不味いからだ。

 

 やがて"それ"がやってきた。

 

 ザザザ、と下草が揺れる音がしたかと思えば、全身を黒く染めた獅子がゆっくりと森の奥から姿を表す。

 

 黒獅子の足元の草は茶褐色に変色し、それだけではなく周辺の木々も急速に水分を奪われていくかのように萎れていく。

 

 タリオンはマルドゥークから黒い霧の様なものが放射され、それに触れた植物も含むあらゆる生命体が枯死していく事に気付いた。

 エルフェンの大戦士の目が険しくマルドゥークを睨み据える。

 

「全員いつでも盾を出せるようにしておけ、衝撃波を飛ばしてくるぞ!…だが、奴はもういくつか芸を身に着けている可能性もある。ぬかるなよ」

 

 タリオンは軋む体を叱咤し、剣を構えた。

 一撃必殺の大魔法はもはや使えない、いや、使うにせよここで出す手札ではない。彼は剣を使わせても並々ならない事は言うまでもないが、自身の握る一振りの長剣が酷く頼りない思いを否定することは出来なかった。

 

 マルドゥークはがぱりと口を開け、口角を引きつらせる。

 まるで嘲笑っているような表情は、討伐隊の面々の精神の弦を酷く乱雑に掻きむしった。弦が切れて衝動に任せて襲い掛かればどうなるか…きっと碌な事がないというのはこの場の全員が心得ている事だ。

 

 開かれた口からは鋭い牙が覗くが、それよりも口内から発された黒い霧が問題だった。

 霧はマルドゥークの体表から放射されているが、口内から放出されたそれは勢い、量ともに尋常なものではない。

 

 黒霧が触れた草木は枯れ、腐り、爛れ死ぬ。鳥や虫、小動物の類も例外ではない。

 

 周囲の生命が枯れていくという現象はマルドゥーク自身の内面の枯渇を象徴している。そして腐れて爛れ死ぬ生物は、彼が周囲へ向ける侮蔑の意思をあらわしていた。

 本当に尊い、大切なモノを餌に自身をつり出し、罠に嵌めた者達への心の底からの軽蔑が腐敗の権能の根源である。

 

 それは彼の心の中にある生命力、喜び、希望が失われ、憎悪によって置き換えられたという事実を強く示唆していた。

 

 そんなあらゆる生命を枯死させる致命の黒霧が凄まじい討伐隊を呑み込んだかと思えば、黒霧が竜を巻き…その中心に討伐隊が居た。誰も死んではいない。

 

 隊の中心にシエラが立っており、片手を天に翳している。

 完璧に制御された風が渦巻き、黒霧を散らしているのだ。

 彼女は隊でもっとも優れた風術師であり、風に乗って飛行することすら出来る。

 

 100歳前後の若輩でここまで風を操る事ができるものは、少なくとも王国には王女イシル以外には誰もいない。

 英雄タリオンの年の離れた妹という重圧にも負けずに日々研鑽を積んだ結果だった。

 

(しかし長くは持たない)

 

 タリオンは素早く回転する気流の壁に目を走らせ、状況が非常に良くない事を確認した。

 "空気の流れ"というものは無から生み出されるものではなく、当然周辺の空気を利用して作られる現象である。

 この場合、その周辺の空気が問題だった。

 

 黒霧がふんだんに拡散された周辺の空気は、マルドゥークの制御下にあるといっても過言ではないからだ。

 

 他者の制御下にあるものを無理くりに操作しようとすれば、魔力の綱引きが始まる。彼我の魔力が相克し、対消滅すればいい方で、差があった場合は一方的に浸食されてしまう。

 

 そう、今のシエラの様に。

 



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閑話:白獅子とエルフの姫君⑤

 ■

 

 英雄タリオンの妹、討伐隊の一員であるシエラは自身がもう助からない事を理解していた。

 

 なぜならば風壁の気流を維持しようとすればするほどに、体の内部に致命的な腐敗の魔力が流入してくるからだ。

 彼女は自身の体内がどろりと腐れ果てていく事を、その激痛を以て察知していた。

 

 天に翳す自身の腕を見る。

 白磁の様に白かった腕の各所には、赤紫色の斑点が浮かんでいる。そしてどことなく甘ったるい匂い。

 それはシエラの身体から漂ってきていた。

 生きながらにして腐敗しつつあるのだ。

 その苦痛は一体どれ程のものか。

 

 だが魔法を解くわけにはいかなかった。

 彼女の兄であるタリオンが全身を崩壊させながら、恐らくは生涯最期の一撃となるであろう大魔法の準備をしていたからである。

 無理をせず時間を稼ぐという手は取れなかった。

 なぜなら時間を稼げば稼ぐほど腐敗領域が広がっていくだろうというのは容易く予想出来たからだ。

 逃げ道が塞がれる。

 そうなれば王宮へ危機を知らせる事もできなくなる。

 

「シエラが死んだら壁は崩れる。だがその瞬間に私がもう一度奴を撃つ。それで斃れてくれればいいが、中々そうも行かないだろう。しかし隙を作る事くらいは出来るはずだ。私とシエラ以外、散開して王都へ逃げ延びよ。そして増援を派遣させよ。あの黒獅子は脅威だ。陛下の喉元へ届く刃はここで圧し折っておかねばならない」

 

 手遅れになる前に痛打を加えて怯ませて、あとは死神から逃げ切れる事を期待した運任せの逃走というのが討伐隊の取れる最善手であった。

 

 タリオンは目を瞑り、精神を集中していく。

 紡ぐ言葉の一語一語に力を籠め、魔力を注いでいく。

 そしてゆっくりと両の腕を左右に広げる。

 

 べちゃりという音がした。

 頬を撫でる風が弱まっていく。

 シエラが死んだのだ。

 恐らくは無残な姿で。

 タリオンは心中で妹に詫びる。

 

 目を見開いたタリオンは漆黒の獅子を視界に収め、音を置き去りにして地上を奔る一筋の流れ星と化し、腐敗領域を突き抜けてマルドゥークを貫かんとしたが…空中で完全に分解されてこの世から消えた。

 

 今のマルドゥークは拒絶と腐敗、そして死の複合体のような存在だ。近づけば近づくほどにその権能を強く浴びる事になる。

 少なくとも物理的な飛び道具などは、例えその飛翔速度が音の5.8倍だろうと関係ない。飛翔中に完全に分解されてしまうだろう。

 

 マルドゥークが天に向けて吠える。

 

 ──腐れよ、天

 ──枯れよ、大地

 ──忌まわしき耳長共よ、苦痛の果てに狂い滅びよ

 

 黒色の閃光が弾け、光に呑まれた討伐隊の面々はもはや原型を留めていなかった。討伐隊の誰一人として逃げる事は叶わなかった。

 

 ■

 

 討伐隊は王宮に危機を伝える事ができなかった。

 しかし、王宮はすぐに異変を察知する事になる。

 なぜならば大森林が凄まじい勢いで変貌していっているからだ。

 マルドゥークの領域は日に日に拡大しており、その様子は討伐隊の全滅から一週間目になって王都からでも確認ができるようになった。異臭は既に王都にまで届いている。

 

 何かが腐ったような匂い

 甘酸っぱいような匂い

 死を強く想起させる匂い

 

 その匂いは日々強まり、国民の中には精神に変調を来たすものまで現れ始めた。匂いだけが原因ではなく、空気に含まれている何か…

 

 国王はこれを重く見てただちに軍を編成した。

 討伐隊の安否は王宮もまだ分かってはいないが、既に全滅したものとして判断しての事だ。

 

 しかしその推測が正しければ、一つの重い事実を直視しなければならない。

 

「タリオンが敗北したというのか…?あのタリオンがか?」

 

 国王は玉座のひじ掛けに肩ひじを突きながら、物憂げな表情を浮かべた。確定したわけではないが、森の変容と討伐隊の沈黙という計算式は、大英雄タリオン率いる討伐隊の敗北という解を明確に出している。あるいは負傷して動けないというような事もあるのかもしれないが、と国王は思うが、すぐにその考えを打ち消した。

 

 彼の知る討伐隊の面々は例え片脚がもぎ取られようとも、生きているなら意地でも任務を遂行しようとする者達ばかりだからだ。

 その覚悟は大切な者たちの喪失という昏い源泉から湧き出てくるものであり、そんな彼等が動けなくなるほどの負傷を負ったのならば、自身の命を以て最後の逆撃に出る事は火を見るより明らかであった。

 

 ──これは判断を誤ったかな?

 

 国王は思うが、魔獣の存在を察知していながらその討伐任務を下さないという選択肢は取れなかったように思う。

 この国は魔獣により家族や恋人などを殺された者が多い。

 これはエルフェンという種族が"餌"として極上だから魔獣が付け狙うという背景がある。彼等エルフェンは皆が皆生粋の魔法使いといってもいい存在だが、その振る舞いが奥ゆかしすぎて闘争に向かないのだ。

 

 エルフェンは一定の年になると、自分達の種族が抱える宿業ともいうべき加護、あるいは呪いを知らされるが、それが為に自身の力を振るう事を恐れる者も少なくない。

 

 討伐隊というのはこの戦闘技術に長けるばかりではなく、この奥ゆかしさという一種のリミッターを復讐心により解除した者達の集団であるので、魔獣討伐に際しては長年に渡って大きな貢献をしてきた。だが、そんな彼等だからこそ強大な魔獣がいるとわかって、その討伐を制止すれば非常に強い不満を抱く事は明々白々であったし、それは後世の内憂となりかねない。

 

 内憂を抱えるよりは外敵を滅ぼすべし、と考えた国王の判断は誤ってはいなかったが、今回は相手が悪かった。

 色々な意味で当代の国王は運が悪い。

 

 僅かに鼻をつく甘ったるい腐敗臭に顔を顰め、国王は娘であるイシルが保護されている牢へと向かった。

 



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閑話:白獅子とエルフの姫君⑥

 ■

 

「お父様」

 

 イシルが格子越しから抑揚のない声で言う。

 国王は苦笑し、イシルに告げた。

 

「魔獣の事だがな、討伐隊が壊滅した。だが彼奴はどうにもそればかりでは許してはくれぬようだ。森を腐敗させ、既に王都からでも大森林の異常が見て取れる。王都が呑み込まれる前に儂はこれを討つつもりだ。既に軍の編成は指示してある。当然儂も出る。タリオンは我が国最強の戦士であったが、その次に強いのは儂だからだ。ところでな…これはお前だけに言うのだが、どうにもうまくいきそうな気がしない。最悪の場合、王都は捨てて逃亡することになる。いや、もうこの後お前は逃げねばならぬ。王家の血を途絶えさせるわけには行かぬでな。だがお前ひとりでは心配だから、身の回りの世話をする者を残していこう。戦いに向かぬ者達や若者達もな。そしてこれを…」

 

 王は懐から一本の短剣を取り出した。

 深紅に燃える炎のような宝石が柄の先に嵌められている。

 

「これを売るがいい。一応はエルフェンの至宝らしい。まあ昔からある短刀というだけの話なのだがな。道中、売って金にして、逃げ延びよ。ベイル王国はわかるな?東域の人間の大国だ。距離はあるが…お前は、いや、お前たちはベイルへ逃げ延びるのだ。残った我々が森の変異の元凶を止める事ができたのならば迎えにいこう。ベイルの国王へ話が通るように一筆書いた。受け取りなさい」

 

 国王は更に懐から一通の皮紙を取り出し、イシルへ告げた。

 

「まあ良いのだ。どのみち我々年よりはそろそろ限界が来ていた。お前も知っているな?我らに課せられた呪いを。我々の肉体は時の重みに潰される事はない。しかし、我々の精神はそうは行かぬ。我々は精神が死ぬ前に肉体を滅ぼさねばならぬ。さもなければ虚ろとなった我々の肉体は暴虐の化身と化すであろう。お前もあと千年も生きれば分かる事だろうが…。だからここで儂が滅ぶのは丁度良いと言える。だが…どうにも名誉がない戦いであることよな。自業自得ではあるが。…良いか、イシル。おぬしはこの後逃げ、家臣たちに告げよ。儂の愚策を、愚かな判断を。儂の判断が王国を滅ぼしたのだ。それはしっかり告げよ。そのうえでおぬしはエルフェンを従える新たな王となり、逃げ延びた先で国を作るのだ」

 

 イシルは呆然と国王の言葉を聞いた。

 止めようにも何をどう止めればいいのか分からなかった。

 国王が去っていく。

 再会の保証がない別離はイシルの精神を酷く搔き乱した。

 国王の背を見ながら、イシルは様々な言葉を浮かべては消していく。

 

 友達を殺さないで代わりにあなたたちが死んで

 

 友達は気の毒だけれど、こうなってしまった以上仕方ないからみんなで一緒に逃げましょう

 

 私も一緒に戦います

 

 答えは色々あるが、そのどれもがイシルには正しいものには思えなかった。なぜこうなったのか?

 

 ──私が、マルドゥークと親しくなろうとしてしまった事そのものが良くなかったのかな

 

 考えても答えは出ず、イシルはベッドの上で膝を抱えて丸くなった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 衆寡敵せずという言葉があるが、それも時と場合、そして相手による。魔神と化したマルドゥークにとって、大軍などというのは餌がわざわざ自分から飛び込んできてくれる事以上の意味を持たなかった。

 

 あるものは枯れてから腐れ落ち、あるものは腐り落ちてから枯れた。枯渇と腐敗の旋風に一撫でされたものはたちまち見るも無残な姿へと変わり果ててしまう。

 

 王国軍が壊滅したのは軍が差し向けられてからわずか三日後の事であった。犠牲者の中には当然国王その人も含まれていた。

 

 ■

 

 心の底では、都合の良い結末を期待していた。

 お父様も皆も生きていて、マルドゥークは怪我はしたけれど生きていて。戦いが互いの理解に繋がり、凄惨な殺し合いは避けられて。これから先も私はマルドゥークと絆を深め、そして女王として成長していって…嗚呼、なんと間が抜けていたのだろう。

 

 §

 

 丸1日かけてイシルは憂鬱の沼から這い上がり、牢から外へと出た。国王は解錠をしておいてくれたのだ。王宮のバルコニーから見る変わり果てた森の様子に表情を歪める。森は枯れ木色に変色し、異臭が鼻をついた。そして大気からは酷く刺々しい魔力の波動が伝わってくる。

 

「お父様の魔力、皆の魔力。そしてマルドゥークの魔力」

 

 目を瞑り、風に流れる魔力と感応するイシルは戦いの趨勢がすでに定まっていることを知った。イシルの知る者達、前者2者の魔力は既に非常に僅かなもので、残滓といってもよかった。

 これは極めて大きい魔法を行使した際に残る魔力滓のようなものである。

 

「何もかも…私がいけないのね。私が馬鹿だったから。王族としての自覚がなかったから。鈍間だったから」

 

 イシルの瞳からぽろりぽろりと真珠のような涙が零れ落ち、ツと顎をあげて空をみあげた。

 風が彼女を包み込み、イシルが宙へと浮いていく。

 

 空は日中だと言うのに薄暗い。

 森から放射される瘴気…黒い霧の微粒子が空を覆っているからだ。

 浮遊したイシルは透徹した視線を森へ向け、次の瞬間には薄闇を切裂く一条の光と化して大森林の中央へ向かって空を疾駆していった。



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閑話:白獅子とエルフの姫君⑦

 ■

 

 森の中心部には息苦しいほどの瘴気がたちこめていた。

 瘴気とは大気中に高濃度の魔力が混入したものを言う。

 魔力そのものに有毒性は無いものの、その魔力には強い害意が込められており、生物にとっては有害だ。

 

 イシルはふわりと空から降り立ち、北西へ向けて歩を進める。

 酷く変貌をしてはいたものの、その方角から感じる大きな魔力を彼女は知っていた。

 

 マルドゥークの方でも彼女を待っていたのだろうか。

 森の奥、やや開けた場所に黒獅子が佇んでいる。

 威厳と神秘に溢れていた白い毛並みは、怒りと憎悪にあてられたか、真っ黒に染まりきっていた。

 善も悪も等しく呑み込み、包み込んでくれる優しい黒ではない。

 光を窒息させるような闇色の黒だ。

 

 獅子の全身から禍々しい魔力が放射され、知性の輝きを宿していた双眼は今やどろりと濁っていた。

 

 まるでエルフの王女がその巨大な食欲を満たす最後の糧であるかのような視線に、イシルは目を伏せる。

 だがすぐにその目をあげ、厳しい視線で黒獅子を見据えた。

 

「ごめんなさい、マルドゥーク」

 

 ──שמש קטנה

 

 イシルは小さく呟いた。

 シムシュ・カタナ…それは彼女の種族の古い言葉で、小さな太陽を意味する。

 

 黒獅子の眼前に白く小さい光点がポゥと浮かび、やがてそれは周囲の大気を取り込み肥大化していく。

 膨れて、ふくれて、そして弾けて。

 光点は摂氏2,000℃にも及ぶ極熱と目を焼く程の強烈な光をまき散らし、魔神と化した黒獅子、マルドゥークに炸裂した。

 

 §

 

 自身を呑み込む凄まじい極熱を感じながら、マルドゥークは蕩けた頭で憎悪と思慕の両方の感情を感得していた。

 

 憎い、憎いが逢いたかった

 とても逢いたかった、しかし憎い

 

 相反する二つの感情はマルドゥークを酷く不快にさせる。

 腐敗と枯死の権能が"概念的に"極熱の炎を衰弱させ、減衰させていく。本来ならば炎は枯れないし腐ったりもしない。しかし、魔法的な解釈ではそうはならない。

 

 炎は生命、情熱、暖かさ、光を表し、腐敗と死はすべての生命の必然的な終わりを意味する。

 これらは概念的に相克するのだ。

 

 炎を呑み込んだ黒い霧が爆発的に広がり、イシルをも呑み込み、その身を爛れさせる…事はなかった。

 マルドゥークにその意思がなかったからだ。

 これは彼に理性が残っているからというより、理性の欠片が彼に当初の誤りをたださせようとしているが故の現象である。

 

 そして彼にとって当初の誤りとは。

 それは、あの時、イシルを自身の牙で爪で引き裂いて喰らってしまっていれば…という悔恨。

 

 そうすればイシルを知る事はなかった。

 そうすれば想いを抱く事はなかった。

 そうすれば、裏切られる事はなかった。

 

 その想いが権能の行使を阻害する。

 自身の手で直接殺そうという意思が、皮肉にもイシルを死から遠ざけていた。

 

 意思は魔力に宿り、魔力は意思を形と成す。

 イシルは大気中の魔力を通してマルドゥークの意思を知り、自身が彼の"飛び道具"で傷つけられる事がない事を理解していた。

 マルドゥークがイシルに陥れられたという誤解をしていることも彼女は魔力を通して何となく分かっている。

 しかし誤解を解く術はない。

 マルドゥークは怒りと憎悪に囚われ、以前の彼の気高い精神はもはやその内面世界のどこにも存在していなかった。

 

 マルドゥークを止めねば絶死の領域が拡大していくだろう。

 止めるという事は滅ぼすという事だ。

 黒い霧はイシルを蝕む事こそないが、それでも今なお拡散し続けている。黒い霧により朽ちたモノは、それ自身もまた黒い霧を放出するようになり、これが拡大すれば犠牲は大森林だけでは済まないだろう。

 

 イシルは友人を殺す覚悟を決めた。

 

 ■

 

 かつて万物は非常に細かい粒が集まって出来ていると提唱したエルフェンの学者がいた。彼はエルフェンの国の数代前の宮廷魔術師長であり、偉大な大魔術師であった。

 エネルギー…つまり魔力から物質を生成し、それを魔力へ戻すというような実験から彼は今日(こんにち)では万粒論と呼ばれる着想を得た。

 

 そして彼の着想はエルフェンの国の大図書館の禁術を保管する書庫へと収められており、限られた人物しかそれらを閲覧することはできない。もっとも、その限られた人物の大半は禁書とよばれるそれらの内容を半分も理解できないだろう。

 

 だが、イシルは限られた人物、身分であった上に、その内容を理解できる極々少数の優れた魔法使いであった。

 

 ──"פיצוץ ההתפרקות המיקרוסקופית האינסופית"

 

 これは"ピツーツ ハハトパラクト ハミクロスコピット ハエィンソフィート"と読む。

 直訳すれば"無限の微視的崩壊爆発"という意味だ。

 

 エルフェンの魔術師長が提唱した魔法で、"一つの粒の魔法"と呼ばれる。

 これは万物を原初の姿へとばらばらに引き裂いてしまう破滅の魔法として知られ、禁じられた魔法として封印されていた。

 さらに、この魔法は膨大な魔力を要する。

 理を解していても、事象を具現するだけの魔力がなければ魔法は起動しない。

 

 しかしイシルは理を解するだけの知性、そして更に事象を具現するだけの大魔力の双方を備えていた。

 

 而してイシルの薄桃色の唇から破滅の魔法の詠唱が紡がれ、その残響が腐敗の森に寂し気に広がっていく。

 

 ・

 ・

 ・

 

 魔法の対象は瘴気…砂粒よりずっと細かい腐敗と枯死の具現たる黒い霧の核とマルドゥーク本体だ。

 刻一刻と、そして広範囲に拡散しつつある黒霧をどの様に処理するか?僅かでも残すわけには行かない。

 

 イシルの意思が魔法に伝わり、魔法は彼女の意思を正確になぞりはじめた。

 

 "ピツーツ ハハトパラクト ハミクロスコピット ハエィンソフィート"という不思議な響きを持つ言葉がまるで空に種子を飛ばす春先の花のようにほどけ、散らばり、世界へ浸透していくと変化はすぐにおとずれた。

 

 あらゆるものがうっすらと光り、末端から光の粒子と化して空間に溶けていったのだ。

 森、土、黒い霧の一粒一粒は言うまでもなく、マルドゥーク本人でさえも。

 

 マルドゥークは牙を剥き、激発したようにイシルへ突進をしようとした。しかし自身の足が既に歩行の用を成さない事に気付く。

 

 "一つの粒の魔法"は術者であるイシルが認識した対象を原子分解する。彼女は黒い霧を認識し、これを抹消しようと魔法を紡いだ。

 黒い霧の発生源はその発生源ごと"分解"される。

 

 大森林から光が空へ昇っていく。

 それはまるで死者の魂が天に還っていくような幻想的な光景であった。

 

 マルドゥークはもはや自身に抗う術がない事を悟ると、憎悪に燃える視線をイシルへと投げかけ、しかしその視線の強さは次第に和らいでいった。

 

 イシルの魔力が彼の魂魄に浸透し──…ほんのわずかな間、両者は精神世界を重ねた。

 

 マルドゥークの憎悪が別の何かで上書きされていく。

 彼は言葉を解するが、文学的な才能を有しているわけではない。

 だからその何かが何なのかが分からなかった。

 

 薄れゆく意識の中、マルドゥークはこの温かい感情は一体何なのかと考え続け、最後にイシルに目を遣り。

 

 光の泡となって空へ消えていった。

 

 

 ■

 

 この日、南域に広がる大森林はエルフェンの王国ごと消滅した。

 黒霧が浸み込んだ土壌も消えてなくなり、大地は荒れに荒れ、南域はいつしか砂漠となった。

 

 南域は呪われた地と人は言う。

 力のある王国が2度も滅びた地域だからだ。

 

 エルフェンの王国を滅ぼしたのは荒野の魔王マルドゥークと呼ばれる邪悪な存在だとされている。

 魔王マルドゥークは極々短期間でエルフェンの王国を滅ぼし、ひいては南域に破滅的な被害を齎す。

 

 だがその暴虐も長くは続かなかった。

 エルフェンの王女が魔王に立ち向かい、かの魔王を滅ぼした。

 

 戦いに勝利したエルフェンの王女は王国の生き残りを率い、東へ向けて旅立ったという。



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