うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ (珍鎮)
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大丈夫じゃないくせに強がりやがってよ 今宵の月のように

 

 

 彼氏が欲しい──中央トレーニングセンター学園のどこかで、誰かがそう言った。

 

 国内最高峰のウマ娘育成機関に集うエリートたちには、まず異性との触れ合いに現を抜かす暇など無く、そういった意識が学園中に伝播し続けていた為に彼女たちの中にある『恋愛』という概念は極めて小さなものになっていたそうだ。

 

 ()()を何者かがたったの一言で肥大化させた。

 本人からすれば日常の中での何気ない会話の一つだったかもしれないが、その一言が学園に通う彼女たちの一流アスリートを目指すあまり忘却しかけていた恋愛方面での()()()()()としての感性を取り戻させたのは紛う事なき事実であった。

 もはや、一周回って新しい概念の持ち込み。

 普段は教官やトレーナーといった歳の離れた男性としか接しない少女たちにとって、同年代との恋愛は未知数。

 トレセン学園へ入る前に小学校で多少マセていた少女たちも思春期に入る頃には既に立派な学園の生徒(アスリート)となっており、中高生における一般的な恋愛というものには誰も彼もが疎かった。

 しかし、その中でたった一人だけ、とある少年と密かに交流を重ねているウマ娘が──

 

 

「……漫画の割には長くないか。前語り」

「うぇっ。そ、そう……?」

 

 退屈な授業を終えたいつも通りの放課後。

 今日も今日とて喫茶店でのバイト中に押しかけてきた知り合いのウマ娘の漫画とやらを、客のいないカウンター席に座りながら吟味していた。

 

「いや、最初の三ページ全部背景とモノローグのみってのはどうなんだろう、と」

「でも物語の導入はしっかりしないと……」

「流石にもう少し簡潔にできると思うけどな。世はまさに大恋愛時代! とかでいいだろ」

 

 漫画を読み終えてタブレットを返却すると、どぼめじろうという名前でSNSに漫画を投稿しているウマ娘の少女は、気落ちしたようにテーブルに突っ伏してしまった。

 

「後半のアドバイスは聞かなかったことにするから。やっぱり導入は丁寧に……ぶつぶつ」

「あぁ、そう」

 

 この女の名前はメジロドーベル。

 ウマッターというSNSにて、どぼめじろう先生のアカウントでアンチに対して半狂乱状態で返信している現場を目撃して以降、半ば脅される形で秘密を共有する仲になったウマ娘だ。

 こんなんでも一応あの名門と名高い中央トレセンの生徒らしいが、欲望が漫画からダダ洩れである。正体見たりって感じだな。

 

「ちなみに今回の漫画って元ネタあるのか?」

「……今のトレセン自体がそんな感じなの。皆はまず男の人の知り合いを作るところから四苦八苦してるみたい。おかげでネタには困らないけどね」

 

 すっかり冷めた珈琲を流し込み、漫画作家先生はお代分ピッタリの小銭をテーブルに置いて席を立った。見せたいものを見せて満足したようだ。

 

「じゃ、もう行くから。また明日」

「おう。……あー、いや明日は俺いないけどな」

「えっ──」

 

 固まるメジロドーベル。何だよ。

 

「い、いないんだ」

「前も言わなかったか? バイトしてんの火木金だけだって」

「……あ、あー。そういえばそうだった。なら明後日になるか」

「はぁ。木曜も来るつもりで」

 

 明後日だなんて、どうしてそんな通う事前提になっているんだ。

 デビューしてからすっかりレースでも活躍してる普通のつよつよウマ娘なのに暇な時間多すぎないか。

 忙しい身であるはずなのに路地裏にあるこんな客入りの少ない廃れた喫茶店にわざわざ何度も足を運ぶなんて、作家先生の考えることは分からん。そんなにここの珈琲が好きになったのか。

 

「ちなみに店は明日もやってるぞ」

「…………別に、いい。コーヒーを飲みに来てるわけじゃないし」

「え、俺の漫画の感想そんなに必要か? 描けたら即投稿でいいだろ」

「そういうわけにはいかないの! コレを見せられる男子なんてアンタくらいしかいないんだから! いいから感想を述べよッ!」

 

 男女両方から完成品の感想を貰ってから手直ししてウマッターに投稿する、というのが彼女のやり方なのだが普通に結構面倒だと思う。マメというか心配症というか。

 

「とととにかく明後日また来るから──いだッ!」

 

 ドタドタと慌て気味に退店する途中ドアに頭をぶつけた。急ぐでない慌てん坊さん。犬も歩けば棒に当たる。

 

 

 というわけで本日も中央のウマ娘とコミュニケーションを交わしたわけだが、正直おっぱいしか見ていなかった。

 

 ひねりの無い程デカい乳が性癖な俺は昔から顔面とスタイルが抜群な中央のウマ娘が憧れだったわけだが、高校生になって親元を離れこの街で暮らし始めてから約一年が経過し、ようやく最近になってから普段の生活に女子の影が現れ始めた。

 全てはこの喫茶店でアルバイトを始めてからの事だ。

 バイトを探している中で偶然にも何人かの中央のウマ娘が憩いの場として息抜きに使っていたらしい老舗にブチ当たり、知り合いが増えてから時間を浪費するだけの毎日が青春へと早変わりした。

 ポーカーフェイスで普通の態度を貫き通しながらウマ娘たちの胸部をガン見する楽しい毎日だ。

 

 メジロドーベルに関しては……まぁ、何というか普通だと思う。乳の大きさの話だ。

 とても普通な大きさなので心が激しく乱されることも無く、普段から接する相手としては彼女が一番丁度良く緊張しない。

 だが俺としてはもっと胸が巨大なウマ娘と関わりを持ちたいのだ。贅沢言わないからそこだけ観察させてほしい。

 この前雑誌で見かけたデビュー直後の女子たちなどが特に丁度良かった。名前も覚えている。

 

「マッ☆ マッ★」

 

 バイトが無い日の放課後。

 件のウマ娘にでも遭遇できないかなとトレセン付近の河川敷にフラッと立ち寄ったところ、とんでもない乳を揺らしながらランニングをしているウマ娘を見つけた。

 既にデビューを果たしていて尚且つ乳がバカでかいウマ娘はリストアップしている。

 あいつは確かマーベラスサンデーだったか。

 

「マーーーーーーーーーーベラスッ」

 

 あの様子、やはり噂通り一癖あるタイプのウマ娘なようだ。小さな体躯に見合わない巨大な水風船を高いテンションで揺らしまくって何をのたまう? 何をして喜ぶ? 

 

「ふえぇ、トレーナーさんは何処にぃ……あれ、私が迷子になってるぅ……?」

 

 うわっ、デカすぎ……肩凝りそう。

 今通りかかった少女もリストに載っている。メイショウドトウはデカ乳ウマ娘界隈の中では割と有名な存在だ。

 しかしこんな間近で見ることが出来たのは嬉しいなぁ。全身淫猥警報。

 

「リッキー、待って~」

 

 ついでと言わんばかりにホッコータルマエも通りかかった。情報通りの全身もちもちムチムチ加減だ。今日の河川敷は爆乳偏差値が高すぎる。来てよかったと心底思う。

 あの中の誰か一人でいいから知り合いになりたいところだ。

 結構な頻度でバイト先の喫茶店に襲来するメジロドーベル程まではいかなくとも、二週間に一回くらいはあの喫茶店に顔を出してくれる間柄になってほしい。

 

 別にストーカーをしたいわけでも親密すぎる関係を築きたいわけでもないのだ。ただちょっと近くでお話しできたらそれが一番良いというだけの話だ。

 どぼめじろう先生曰くトレセン全体で『男子と関わりを持ちたい』という雰囲気が充満しているらしいし、こんなせっかくの機会を逃してはもったいない。

 まずは誰から関わろうか──

 

「キャッ!」

 

 遠くへ走り去っていく巨乳娘たちを眺めながら懊悩していると、後ろから小さな悲鳴が聞こえてきた。

 振り返ると、脚がもつれて河川敷の坂を転げ落ちてしまった栗毛のウマ娘がいた。

 咄嗟に彼女のもとへ駆けつけると、その少女はバツが悪そうに苦笑いをする。

 

「ぁ、あはは……お恥ずかしいところを見せてしまって」

 

 そんな事を言っている場合ではない。

 俺は途中からしか見ていないが、それでも結構な勢いでゴロゴロと落ちていた。

 

「脚、見せてくれませんか」

「へっ……?」

「救急セット常備してて。湿布くらいは貼れるから、見せて」

「い、いや、でも──いたっ」

 

 気にせず動こうとした栗毛の少女はやはり足首に痛みを感じているようだ。

 いつでも巨乳ウマ娘を助けられるよう、通学に使っているリュックの中には応急処置がいつでも可能な医療品を一式揃えてある。

 見たところ彼女は巨乳どころかドーベルの様な普通レベルすら下回っているように見えるが、流石にんなことを気にしている状況ではない。

 

「いいですか」

「……は、はい」

 

 靴を脱がせてズボンの裾をめくると、踝の辺りが少し赤く腫れていた。

 幸いな事に軽い捻挫だ。これなら少しの応急処置でどうとでもなる。

 

「湿布を貼っておくけど、もう少し冷やしたほうがいいか。コンビニで氷を買ってくるからちょっと待っててください」

「あのっ、そこまでしてもらうのは悪い──」

 

 怪我人は往々にして強がるものなので、大して気にせずコンビニまで走ってすぐ戻ってきた。氷嚢はあるが肝心の氷と水が無かったのだ。

 そこからテキパキと応急処置を済ませ、十五分ほど経ってから彼女に肩を貸して移動を始めた。トレセンの近くまで行けば学園の生徒が保健室へ連れて行ってくれることだろう。

 

「そういえばあなたの事、テレビで見た事ありますよ」

「あ、私のこと知って……?」

「すいません名前までは。でもデビューしてるなら担当もいるでしょ。トレーナーには連絡したんですか?」

「……オーバーワークで怪我したなんて話、できません」

 

 たしか以前生中継をテレビで見たときはセンターで歌っていたハイパー激強ウマ娘だったはずだ。

 名前までは憶えていないが、そんな優秀な選手でもオーバーワークしてしまう程の悩みはあるんだな、と一人勝手に納得した。

 

「じゃあ、ここだけの秘密っすね」

「ふぇっ」

 

 まぁ担当トレーナーは大人なのでどうせすぐにバレるんだろうが、同い年程度の見知らぬ男子からの説教など受けたくないだろうから、俺から何か意見するのは止めておこう。

 

「保健室行ったら湿布は貼り替えてください。あと氷嚢はあげますよ、百円の安物なんで」

「そ、そういうわけにはいきません。後日ちゃんと返しますから、連絡先教えてください」

「いやでも──」

 

 そんな意味の無い問答を続けるうちに、いつの間にか学園の目の前に到着していた。

 彼女の存在に気がつき、遠くからこちらへ向かってくるウマ娘が見える。

 

「あ、スペちゃん……」

「友達?」

「えぇ、後は大丈夫」

「良かった。それじゃ」

「ぁ、あの、ちょっと待って」

 

 話すうちにいつの間にか敬語が外れた少女を友人のウマ娘に預け、そのまま去ろうとすると後ろから声をかけられた。

 

「名前……私、サイレンススズカっていうの」

「あぁ、そういえばまだ名乗ってなかったな。秋川葉月だ。じゃあまた」

「う、うんっ」

 

 そんなわけで、爆乳ウマ娘に近づこうとしたら何やかんやあって凄く胸の無いウマ娘と知り合いになってしまったのであった。次こそデカ乳と面識を持ってやるぞ。むん。

 

 



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山も谷も無いこの眺望 日本の名勝

 

 

「──んっ」

 

 バイト先では客が来るとすぐに分かる。

 入り口付近に小さな小窓があり、路地裏からこの店へ入店する際は必ずあそこを通る為、足音とその窓を通過する人影からいつお客様がご来店されるのかが瞬時に判明するのだ。

 そしてそれは直前まで客のいない店内で雑誌に載っている有名むちむちウマ娘のピンナップに夢中になっていた俺のようなカス従業員にとっても、大いに役立つシステムである。

 雑誌をサッとカウンターの下にしまい込み椅子から立ち上がれば、もうどこにでもいる普通の店員さんに早変わりだ。いらっしゃいませ。

 

「いらっしゃ……あぁ、どうも」

「えっ、あっ。……秋川くん?」

 

 俺の読書タイムを終焉へ導いたのはつい数日前に知り合ったばかりな栗毛のウマ娘──サイレンススズカであった。困惑顔かわいい。

 とりあえず席まで案内し、オロオロする彼女にそっとメニュー表の場所を教え、一旦裏まで戻っていく。

 すると程なくして呼び鈴が鳴った。

 

「ご注文は」

「えぇっと……珈琲とチーズケーキを」

 

 時刻が十六時過ぎというのもあり、ちょうど小腹が空いてくる頃だったのだろう。

 この店ではあまり人気の無いチーズケーキの注文に内心小さく喜びつつ、待たせないようササっと提供を済ませた。お客さんの待ち時間を極力短くし店内でゆったりとリラックスしてもらう、というのが店長からの教えなのだ。

 

「……秋川くん、ここでバイトしてたのね」

「まぁ。サイレンスさんはウチ来るの初めて?」

「一人で落ち着けるお店を知り合いに教えてもらって。……でもまさか秋川くんがいるなんて思わなかったわ」

「ゴメンね。飴ちゃんサービスするから許して」

「そ、そんな別に、私は……」

 

 一人でリラックスしに来たら知り合いがいた時の居心地の悪さは計り知れない。誰とでも打ち解けられる柔和で渋いイケおじな店長がいてくれたらだいぶ違ったのだが、あいにく急な買い出しで今は俺一人しかいないのだ。

 店は問題無く回せるが、老舗の喫茶店的な趣深い雰囲気は店長不在の今は皆無に近い。すまぬ。

 サイレンススズカはチーズケーキを平らげてから、珈琲を少しずつ舐めながらチラチラと此方の様子を窺っている。

 もしかすると下手に距離を作って店員さん対応をする相手ではないのかもしれない。

 

「脚、もう大丈夫なのか」

「っ! え、えぇ、おかげさまで。……その、あの時はありがとう」

 

 話しかけると彼女は露骨に嬉しそうな顔をした。は? かわいいね。

 どうしてそんな表情になったのかを考えたが、恐らく彼女は礼儀正しく生真面目な性格をしているので、一応手を貸してもらった相手である俺には一言礼を言っておきたかったのだろう。欲しかったのはきっかけだ。

 連絡先は交換していても今日までメッセージの一つも送らなかったのは、単に話の切り出し方が分からなかったのだと思う。

 別に『今日はありがとうございました。後日氷嚢を返しに行きます』くらいのメッセージでも十分だと思うが──と、そこでメジロドーベルの言っていたことを思い出した。

 

 女子高ゆえに同年代との異性との交流が生まれづらいトレセン学園において、全体的に男子と関わりたいと考える雰囲気が伝播し始めているという、アレだ。

 それを鑑みるとサイレンススズカは『周囲に勘違いされたくない』という意識から、俺への連絡を戸惑っていたのだと推測できる。

 何しろ彼女、普通にテレビで姿を見るほど有名で強いウマ娘だ。走り一本のアスリート然とした雰囲気からして、色恋沙汰などという俗っぽい話題には興味も関心も無さそうに見える。

 俺に連絡することで周囲の女子から男子に現を抜かしていると思われるのを危惧していたのだろう。

 

 だがこの喫茶店に来たのが運の尽きだ。俺と楽しそうに会話しているところを他の女子に見られて勘違いされてほしい。そうすると俺が気持ちいい。

 

「……あっ、テレビあるんだ」

「つけるか? 無音の字幕放送だけど」

 

 彼女が頷いた後、店の端に設置されたレトロな見た目のテレビの画面を映した。俺のトークスキルが炸裂する前に意識をテレビに向けられてしまったな。少し泣く。

 店内が見渡せるいつもの定位置に腰を下ろすと、テレビに映っている映像に目が引かれた。なんかデカい乳が揺れている。

 

「この前のレースのハイライトか。確かサイレンスさんも出てたんだよな」

「……えぇ」

 

 彼女が一着をもぎ取ったレースだ。

 それはそれはめでたい事だが、俺の視線は別の場所に注がれている。

 あの、二着のホッコータルマエというウマ娘。

 彼女はあまりにもデカすぎ案件に突入している胸部の果実もさることながら、全体的なムチムチ加減がふざけすぎている。国家反逆罪だ。

 動くたびにムチッ♡ムチッ♡ と鳴ってそうな淫猥ボディはついつい目を奪われてしまう不思議な引力を発生させていて、目が離せないとはまさにこの事だろう。

 

「すっげぇ……」

「──」

 

 サイレンススズカと横並びで走っている映像でより鮮明に肉体の卑猥さが露になっていた。

 もはやホッコータルマエの方が不正な身体強化を施しているのではないかと疑いたくなるボディの差だ。アスリートとグラビアアイドルが一緒に走っちゃダメだろ。

 

「……凄いって、何が?」

「えっ」

 

 テレビを一瞥し、俺の方を向くサイレンススズカ。

 急なことで驚いてしまい、童貞は緊張してテレビを見続けるしかない。

 

「走りの姿勢だよ。後ろのウマ娘たちは辛そうな表情してるのに、サイレンスさんはまったく体幹がブレてないだろ」

「ブレ…………そ、そうかしら」

 

 体幹のブレが無いからこそ、何も揺れないサイレンスと全身揺れまくりプニまくりのホッコータルマエの肉付きの違いがより鮮明に見えるのだ。

 

「勿論速いってのもあるけどな。後続と何バ身差離れてるんだコレ」

 

 実力は圧倒的だった。余計なものが何も無く研ぎ澄まされたサイレンスと、余計なもんが付いた状態での走法を熟知しているホッコータルマエの二人による独壇場だ。揺れない、揺れる、揺れない、揺れる──うわうわうわ揺れすぎ何だアレ。

 とても平たく言うと、対比があまりにもえっちであった。フェルマーの最終定理。

 

「すげぇカッコイイよ、あのサイレンスさん」

「……私、は」

 

 映像が切り替わり、興味が失せた俺は空いているテーブルを拭き始めた。

 サイレンスは先ほどのハイライトを見て何かを思い出してナイーブになっているようなので、踏み込まないようにしなくてはならないのだ。話はしても必要以上の詮索はしないように、と店長から言いつけられている。

 

「……また来るわ」

「あ、うん。またどうぞ」

 

 思いつめた表情のサイレンスはピッタリお代分の金をテーブルに置いてそそくさと退店していった。この店に来るウマ娘の中にレジで会計してくれる奴はいないのだろうか。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

『はい。追い付かれ、横に並ばれてしまう先行に意味はありません。なので私はより速く、より先頭に。とにかく周囲の圧で()()()()()()……それを意識して、前だけを見て走りました。──きっかけ、ですか? 

 それは……あの、一人だけ、ヒントをくれた友人がいたんです』

 

 今日も客がほとんどいない喫茶店のテレビを眺めていると、チャンネルを切り替えるとともにサイレンススズカが画面にでかでかと映し出された。

 画面の右上を見れば至極当然のように一着を取ったことが分かる。ちょっと強すぎないかアイツ。

 ホッコータルマエは今回も二着だったようで、二ヵ月前の雪辱を果たすには至らなかったらしい。

 

 あの日この店に来てから、サイレンススズカが顔を見せに来ることは一度も無かった。

 当たり前のことだが彼女は一流のトップアスリートなのだ。友達未満でただの知り合いでしかない男子がいる喫茶店になど足を運ぶ理由が無い。

 どぼめじろう先生も間近のレースの準備に忙しない都合上、俺がバイトをしている日に訪れるウマ娘はいなくなり、いつものカウンター席には高校のクラスメイトである男子が座っていた。

 

「おっ。秋川もウマ談買ってたんだ」

「話題のマルゼンスキーが水着解禁、って文字に釣られた」

 

 デカ乳ウマ娘なら節操なく好き。そんな理由で雑誌も買う。

 

「フフ、いい事教えてあげようか。今週のウマ談、今テレビでやってたレースの一、二、三着のウマ娘との握手会の応募用はがきがくっ付いてるよ」

「ッ……!!?」

 

 という事はつまり、ホッコータルマエの違法なバカデカ乳を間近で眺めることが出来る……?

 ついでに柔らかおてても触れるなんてこの上ないチャンスだ。早速応募しよう。

 

「僕も応募するからコレ一緒にポストに投函しといて」

「り」

 

 そんなこんなで期待を込めて人生初の応募はがきの投函をしたわけなのだが、やはりというか結果は惨敗であった。

 

 

 

 

 

 

 二週間後。『秋川ッ!!! サイレンススズカと握手した!! 握手会で僕が一人目だった!!!! 三秒で終わったけど最高でした。』というクラスメイトの男子からのウザいメッセージを既読無視し、俺は帰路に就いていた。

 漫画作家先生はレースで忙しなく、俺自身も期末試験でアルバイトにも行けずてんやわんやしていたため、ここ最近の生活はバイトを始める前の華が無い日常に戻ってしまっている。

 男連中と過ごす高校生活も存外悪いものではなかったのだが、やはり何か足りないという感覚は拭えない。

 テストが終了し夏休みを目前に控えているにもかかわらず、俺は疲弊とため息を帰り道に零していた。

 ゆえに、注意力も散漫になっていたのだろう。

 後ろから迫ってきていた自転車に気がつかず、焦って避けるとバランスを崩してそのまま高架下の河川敷をゴロゴロと転げ落ちていく。

 べちゃっ、と不快な感触が手のひらに広がり、尻もちをついたまま手を確認してみれば、いつの間にか泥で汚れてしまっていた。体を庇う際に、先日の大雨でぬかるんだ地面に手を突っ込んでしまったようだ。

 

「──だ、大丈夫ですか!?」

 

 はぁ最悪だ、と呟こうとしたその時、河川敷の上から声が聞こえてきた。

 夕方の逆光でよく見えないが、中央トレセンの制服を身に纏っていることは確認できる。

 

「お怪我は……」

 

 その少女が間近に迫ってきてようやく顔を視認できた。何だか見覚えのある顔だ。

 

「…………秋川、くん?」

「うぉっ。……ひ、久しぶり」

 

 思わず面食らった。まさか今や世間を騒がすスーパーウマ娘と化した彼女と、こんなところで鉢合わせるとは夢にも思っていなかったのだ。

 手を差し伸べてくれた少女は、喫茶店で話したあの日以来会うことの無かったサイレンススズカその人であった。

 

「とりあえず手を……」

「悪い、助かっ──」

 

 で、彼女の手を掴んでから気がついた。

 ついさっき泥だらけに汚したばかりの手のひらで、絶対に汚してはいけない女子の手を握ってしまったことに。

 ……あぁ、やった。

 しまったコレは許されない。

 サイレンスの握手会に参加した人全員に殴られても文句は言えない。

 

「………………ごめん」

「えっ? ──あ、私の手の事なんか全然気にしないで。秋川くんだって()()()は汚れた私の足を気にせず治療してくれたじゃない」

「……そ、そう」

 

 それとこれとでは話が違うと思うのだが、食い下がっても迷惑なだけなので納得しておく。

 たぶんどんな清純な心を持っていても差し伸べた手を泥で汚されたらキレると思うのだが、サイレンスは心底こちらを心配するような眼差しを向けてくれている。精神の造形が美術品のようだ……。

 

「怪我は無いから大丈夫。そこで手ぇ洗って帰るよ、ありがとうサイレンスさん」

「ちょっと待って、秋川くん」

 

 まくし立ててそのまま退散しようとしたら、泥だらけの手を俺が汚した泥だらけの手で掴まれた。何だこの状況。

 

「そこの川あんまり綺麗じゃないの。私いま石鹸持ってるから、すぐ近くの公園で手を洗いましょう」

「あ、あぁ、分かっ──え、あの、サイレンスさん……?」

 

 そして互いに泥でコーティングされた手を離さないまま、サイレンスは有無を言わさず俺を付近の公園の水道まで連行するのであった。

 

 

 到着するや否や、彼女は汚れていないほうの手でカバンから石鹸を取り出した。

 なぜ常備しているのかと聞くと、トレーニング中に汚れることが多々あるから、とのことで。

 流されるまま手渡された石鹸で、俺は手を洗い始めた。

 

「……あ、そうだ。サイレンスさん」

 

 呼ぶと目の前にしゃがんできた。近い近い。

 

「この前の握手会、一人目に眼鏡をかけてる太った男子来なかったか」

「え? ……あー、そういえば確かに。どうして知ってるの?」

「あいつ俺のクラスメイトなんだ。握手会に参加できてスッゲェ喜んでたよ」

「そう。それなら良かった」

 

 会話も無く公園まで来たため、なんとなく気まずい雰囲気があった。

 なので持てる手札で唯一彼女と共有できる話題を持ち出した次第だ。サンキュー山田。

 

「やっぱ凄いなサイレンスさんは。SNSでもテレビでもよく見るし、学校の連中が推すのも頷けるっていうか──」

「……ね、ねぇ、秋川くん」

 

 サイレンスが俺の話を遮り、ほんの少し強張った声で質問の声音を投げかけてきた。

 まさか向こうから話題の転換をしてくるとは思わず、つい緊張がぶり返す。

 

「どした」

「えっとね。その……ぁ、秋川くんは、握手会には来たの?」

 

 何やら俺以上に緊張しているように見えるが、どうしたのだろう。

 もしや『握手会に行ったのに覚えてないのか』的な当てつけをされているとでも考えているのだろうか。そこに関しては何の心配もないというのに。

 

「応募はした。ダメだったけどな」

「……行きたくはあったんだ?」

「そりゃあ勿論」

 

 あまりにも愚問。ホッコータルマエの巨乳を目の前で見られるなら大金はたいてもいいくらいの気持ちだった。応募は一人一回だったから砕け散るしかなかったわけだが、俺個人としては何が何でも参加したかったのだ。

 あわよくば連絡先を手に入れるくらいのモチベーションに包まれていた。握手会でそれをやっていたら恐らく出禁になっていただろうが。

 

「絶対に行きたかったよ」

「……」

「目の前で言いたい事とか、聞きたい事とかたくさんあった」

「……っ!」

「握手会だしちゃんと握手もしたかったな。そりゃもうしっかりと」

「……~ッ」

 

 もう終わったイベントの事なので恥も外聞もなく何もかも詳らかにしていく。

 サイレンスに関しても、どうせこの公園から出たらもう金輪際コミュニケーションを取ることはできなくなるのだ。ゼロだった好感度がマイナスになったところで痛くも痒くもない。

 ただ思った事や抱えた後悔をとにかく吐露しまくってやる。誰も止められない。

 

 

「………………それ、なら」

 

 

 ──それは一瞬の出来事だった。

 

「……代わりに、いま」

 

 いつの間にかサイレンスが、石鹸を持った俺の手を握っていた。

 

「秋川くんだけの、握手会……」

 

 サイレンスには先に手を洗っていいと言われていたため、彼女から受け取った石鹸で泡を出し汚れを落としていた。

 なるべくすぐに終わらせ、手洗い場をサイレンスに譲るはずだった。

 交代に手を洗う。

 水道が一つ、石鹸も一つであれば当たり前のことだ。

 

「私も手を洗いたかったし、ちょうどいい……でしょう?」

 

 しかし当たり前の事が覆された。

 今俺の目の前で、落ちてきた雨が空へ戻るのと同じくらいあり得ない事態が発生している。

 

 手を握られた。

 石鹸の泡で滑りが良くなった手を、まだ泥で少し汚れていたサイレンスの手が包んできたのだ。

 ──何の言葉も出なかった。

 ただ呆けるばかりで脳内が茫漠としている俺の状況を知ってか知らずか、少女は『あなただけの握手会』と称して、緊張した面持ちのまま赤くなった頬を隠そうともせず、泡で包まれた俺の手を洗い始める。

 

「小さい頃、母親とコレをやった事があるの。一緒に手を洗えて一石二鳥……」

「……ほ、本気で言ってるのか?」

「ぁっ、え。……えと、半分くらい……」

 

 石鹸が手から滑り落ちた。

 だがそんな事を気にしている余裕は無かった。

 サイレンスは変わらずぬめぬめの泡で俺と自分の手を洗い続けており、急な事態に脳の処理が追い付いていない俺は狼狽するばかりだ。

 

「握手会の代わりになれば、と思って……」

 

 何でそんな事を──そう言いたげな俺の表情を読み取ったのか、彼女は聞かれるよりも先に口を開く。

 

「……私があの日のレースに勝てたのは、秋川くんのおかげだから」

 

 そんな馬鹿なことがあるか。

 俺は変わらず自分の生活だけを送っていたのに、何がサイレンスの益になったというのか。

 

「秋川くんが、私の走りに感嘆してくれた。……見落としていた自分の強みにも気づかせてくれた」

「……そんなの、担当のトレーナーがいつもやってくれている事だろ」

 

 誰よりもサイレンスの事を見ていて、強みも弱みも知り尽くしている大人がいるのだ。

 そんな人が傍にいて、強くなった理由が俺なんかであるはずがない。あり得ない。

 

「トレーナーさんは確かによく見てくれているわ。とても頼りになる理解者で、私の事を分かってくれている大人の男の人……でも」

 

 ちなみにそろそろサイレンスの言葉が耳に入らなくなってくる頃だ。

 とんでもない方法で性癖を捻じ曲げに来られてまともに応対できる男子などいるはずがない。心臓の振動数がとんでもないことになってるぜ。60Hzくらいかな。

 

「以前のレースでの一着のとき……私はタルマエさんにほとんど追いつかれてた。トレーナーさんは危機感を覚えていたし、私の焦った表情を見て他のウマ娘のみんなも心配してた」

 

 ぬるぬる、さわさわ、ぐちょぐちょ。

 性的じゃないのに性的なことされてる錯覚に陥る。二人で手を洗うのヤバすぎないか? 

 こんなスケベ一歩手前な事しながらほんの少しシリアスな空気出すとか無理があるだろ。シャレになってないよ。

 

「これまではずっと後ろを離したレースしかしてこなかったから、ファンのみんなも……でも、あなたは」

「っ°……ッ゛゛」

 

 マズい脳がショートする。これはもう明日の一面はスケベすぎるこの栗毛ウマ娘で特集を組むしかないな? ビューティー・コロシアム。

 

「秋川くんはただ私の走りを見てくれた。喜んでくれた。自分でも気づけなかった、精神的に揺さぶられていたあんな状況下でも私が持っていた強みに気づいてくれた。

 ……だから秋川くんのおかげなの。あの日、私が勝てたのは──」

 

 うわぁ! 僕の手を通じてサイレンスさんの熱が伝わってくるよ! 熱伝導率=500W/(m・K)。

 

「……秋川くん?」

「ごめん、ごめんごめん。あの、その、俺が悪いんだけどさ。スゲェ嬉しいしありがたいんだけどさ。

 その……そろそろ手を洗い流してもいいか」

「──ハッ。ぁ、え、えぇ! 水で流しましょうか……!」

 

 後の事はあまり良く覚えてない。

 自分が何て言って誤魔化したのか、どういった雰囲気で解散したのか、脳が茹で上がった俺にはその日の記録を残せるほどのキャパは残っていなかったのだ。

 よく分からん過大評価でサイレンスに認められ、少なくとも友人という枠には入ったらしい事を知った俺は、帰り道の途中で送られてきた『サイレンススズカとすれ違った!!!やばっ!!!!』という山田からのメッセージに反応する余裕もなく既読無視して自室のベッドに倒れ込むのであった。

 

 それから、翌日。

 久しぶりにバイトへ向かうと、喫茶店にはサイレンススズカの姿があった。なんで。

 

 



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下品な怪異! 神さまにどう言い訳するおつもりだ?

 

 

 ──ケツを目撃した。

 夏休みが目前に迫り、今日も今日とてバイト先の喫茶店へ向かおうとしていた矢先の事であった。

 なぜか仲を深めることが出来たサイレンススズカがあの店へ頻繁に訪れるようになり、柄にもなく浮かれた気分でいつもの歩道を進んでいたそんな時に、視界の端に映り込んできたのだ。

 

 女子高生のケツが、そこにはあった。

 道路の歩道によくある植樹帯に頭から突っ込み、明らかに何かを探している様子だったが、フリフリと揺れるケツと同じくらい気になったのはどう見ても中央トレセンの生徒にしか見えない彼女の制服だ。

 電車で一駅とはいえ学園から離れたこんな場所でトレセンの生徒が何をしているのだろうか。

 

「ない……無い……」

 

 視姦するが如く眺めて五分か十分か、突然ハッと正気に戻った俺はなるべく下半身から視線を外しつつ、後ろから中央の生徒であろう少女に声をかけた。

 

「あの、なんかお探しですか」

「……お構いなく」

 

 植樹帯の茂みから顔を出した黒髪の少女は、こちらを一瞥すると再度辺りを見回し始めた。

 知らない男から声をかけられたのだから当然の反応だ。

 しかしこちらは後ろから彼女の臀部と尻尾を観察し続けていた変態のカスなので、このまま場を離れるとカスを超えて下衆になってしまうため引き下がれない。

 あまりにも自己中心的な理由にはなるが、せめて彼女の探し物を見つけてからでないと離れられないのだ。

 

「流石にこんな人目の付く場所で物を探し続けるのも……えと、俺も探すんで」

「……ありがとうございます」

 

 しつこく声をかけるともう一度こちらを見てくれたが、少女はなかなか感情の読めない筋金入りの無表情をしていた。

 真夏の猛暑に当てられて汗だくになってはいるものの、眉間に皺を寄せることもなく黙々と周囲を漁るその姿は感服の一言に尽きる。

 中央トレセンの女子ともなると我慢強さも異次元なのかもしれない。精神の締まりが良すぎるぞ? 称賛に値する。

 

「ラバーストラップがついた鍵です……お願いします」

 

 そんなこんなで少女との物探しがスタートした。

 しかし探している間も強い日差しは容赦無く降り注ぎ、肌から汗が滲んで止まらない。

 彼女がどれほどの時間ここにいるのかは定かではないが、流石にこの炎天下で何十分も陽にさらされ続けていては体調の変化が心配だ。

 さっさと落とし物を見つけるのもそうだが、場合によっては日陰で休んでもらうことも視野に入れておくべきだろう。

 

「あっちぃな……。──んっ」

 

 案外目に付く場所に落ちてたりするんじゃないか、と思い一旦茂みから顔を出して辺りを見渡してみた。

 

 

「──」

 

 

 すると、すぐ近くで立ったままこちらを見つめている少女がいる事に気がついた。

 ウマ娘たちの中でよく見る葦毛とも異なって見える、まるで色素が全て抜け落ちてしまったかのような不気味な白髪の少女だ。

 

「……? あの、何か──」

 

 パッと見だと探し物をしている少女にとてもよく似た容姿だが──とそれ以上考える前に、いつの間にかその少女が俺の目の前まで迫っており、一瞬思考が固まってしまった。

 なんだなんだ突然何事だ。

 急な出来事に狼狽し声も出せずにいると、ひとつわかったことがあった。

 距離を詰めてきたこの少女、こんなクソ暑い真夏日であるにもかかわらず黒いロングジャケットを着こんでタイツまで履いているのだが、奇妙なことに()()()()()()()()()

 

「な、なんすか……?」

「…………」

 

 困惑しながらも近づいた理由を問うたが、白い少女は一瞬目を見開いただけで、質問には答えてくれない。

 意味が分からない。

 何だ、コイツは。

 この上なく美少女然とした整いすぎている顔面が間近にあるだけでも緊張してしまうというのに、そこへ不思議っ娘染みた謎の雰囲気と無言の圧力が加わって大変手ごわい相手と化している。俺はどう対応するのが正解なんだろうか。

 

「あの子の友達ですか」

「…………」

 

 視線を逸らしたくなるくらい真っすぐ俺の目を見つめているくせに全然喋らん。マジで何なんだコイツ。

 白紙を思わせるような淀みない白髪とミスマッチな漆黒のロングジャケットと、一見すればコスプレに見えなくもない特徴的な格好をしていて、且つ歩道に突っ立って何をするでもなくジッと男子を見つめているにもかかわらず、道行く人々はまるでそのウマ娘を気にしていない。

 彼女の浮世離れした独特の雰囲気は不気味の一言に尽きる。

 

「そこ」

「えっ?」

 

 此方の困惑を知ってか知らずか、白い少女は俺の左後ろの茂みを指差した。

 何だと思って振り返ると、なにやらラバーストラップの付いた鍵が落ちている。

 

「カフェの共有スペースの鍵」

「……? あ、あぁ、ありがとう」

 

 礼もそこそこに鍵を拾い上げて黒いほうの女子に手渡した。

 

「──あれっ。……どこ行ったんだ」

 

 だが、落ちている場所を教えてくれたそのウマ娘はいつの間にか忽然と姿を消しており、黒い女子との関係性や肝心の名前を聞くことは終ぞ叶わなかったのであった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「チケット?」

 

 バイトが終わり、サイレンスと並んで帰路に就く道中。

 彼女から質感の良い紙のチケットをプレゼントされた。

 

「えぇ。私のルームメイトが来週のレースに出るのだけど、そのライブ鑑賞の特別席のチケット」

「貰えるのは嬉しいが……え、いやそんなあっさり渡しちゃっていい物なのか?」

「もちろん。秋川くんにもあの子の活躍を見てもらいたいから」

「お、おう……サンキュな」

 

 こんなやり取りが起きるほど親密になった覚えはないのだが、やはり不思議なことにサイレンススズカにとっての俺という存在は、ただの知り合いというにはいささか近すぎるものになっているようだった。

 

 あの握手洗いとかいう人生最大のスケベイベントから一週間が経過した現在。

 直近のレースでドタバタして喫茶店に来られなくなっているどぼめじろう漫画作家先生と代わるかのように、俺がアルバイトに入る日はほぼ確実にサイレンススズカが来店する、という妙な状況が生まれていた。

 先日の一件以降サイレンスは頻繁に連絡をくれるようになっていて、今現在のスマホの通知の半分は彼女からのメッセージで埋まっている。

 喫茶店にもお忍びで来ているらしく、少しだけトレーニングの時間を削って俺に会いに来ているらしい事も判明し、罪悪感と優越感が半々になっていた。

 

 彼女にとって大切なターニングポイントであったらしいあのレースにおけるベストアドバイスを投げかけた立場だからこその状況だという事は理解しているものの、こうも分かりやすく距離を詰められると『あれコイツ俺のこと好きなんじゃね?』と思春期の中学生みたいな勘違いを抱きそうになってしまう。

 女子高の連中ってみんなこんな感じなのだろうか。

 同級生と同じ感覚で接されると困りますね、こちとら男子なので。距離感を保て。

 

「……なぁ、サイレンス」

「うん?」

 

 ぐぅ、この清廉な笑顔は俺を喜ばすつもり? これぞ和。

 

「流れで一緒に帰ってるけど、こういうのって誰かに見られたらマズいんじゃないのか?」

「えっ……どうして?」

「いや、だってサイレンスってめちゃくちゃファン多いだろ。担当のトレーナーならまだしも、誰だか分からん男子と並んで歩いてたら変な噂を立てられるんじゃないか、って思って」

 

 俺自身は周囲にどう勘違いされようがダメージはゼロで、寧ろ精神的には優越感でプラスになる。

 だがサイレンスの方は違うだろう。

 平たく言えばスーパー有名人だ。日常の一挙手一投足が特別なものとして扱われる。

 そんなつもりは無いのに友人の男子との仲を学園だけでなくSNSなんかでも茶化されたら良い気分はしないはずだ。もしかしたらレースにも悪影響が出るかもしれない。

 

「……ふふっ。そんなの、全然気にしてないわ」

 

 いろいろと危惧した上での発言だったのだが、意外にもサイレンスは涼しい顔をしていた。

 

「隣に居たい人と一緒に歩いているだけだもの。おかしなところなんて一つも無いでしょう」

「……そ、そうすか」

 

 ワードの選び方が意図的に勘違いを誘発させる仕組みになってしまっているよ。虚を突かれる思いだぜ。

 友達と一緒にいるところを茶化されたところで別に気にしない、という意味の言葉をよくもまあそんな個別ルート入りたてのヒロインみたいな言い回しにできるわね。めっちゃ可愛いな……余情残心。

 

「──あっ」

 

 分かれ道だ。

 サイレンスは信号の向こうにある駅方面へ向かい、俺はここを左に曲がってボロい四畳半神話大系賃貸に帰還する。

 名残惜しい気持ちはあるが、この先からは人通りが多くなる為隣を歩くわけにはいかない。ここまでだ。

 

「それじゃ、またな」

「あ、待って……秋川くん、ちょっといい?」

「どした」

 

 軽く手を振ってそのまま解散しようとすると引き留められた。

 あのハンドソープ握手をしてから彼女の手を見ると興奮する体質に変貌してしまったので、なるべく早く退散したいのだが。

 

「お別れの握手」

「はい?」

「こうして……こう」

「────」

 

 握手ではない。

 それは全然全くもって九分九厘ほぼ間違いなく握手ではなかった。

 少なくとも向かい合ってお互いの手と指を正面から絡め合う俗に言うところの恋人繋ぎを“握手”と呼称する文化は俺の中には備わっていない。

 

「ふふ。今日はお互い綺麗な手だから、石鹸はいらないかな」

「……………………そっすね」

 

 ギャルゲーもかくやといったそのイベントを前にした俺は、口数を少なくしポーカーフェイスで乗り切るのがやっとだった。

 この仮称お別れの握手と男子に対する態度としてはやりすぎな激近距離感、犯罪ではないんですか? 淑女の嗜みという言葉を知らないのかよ。

 もしかするとサイレンスは同級生の女子に対して毎回コレをやっているのかもしれないが、流石に俺が男だという事はもう少々考慮して頂きたい。このままだと告白してフラれるまでの確定した滅びの未来を実行に移してしまうところだ。

 

 ……この際ちょっとぐらいワガママ言っても許されるのではないだろうか、と邪な感情がひょっこり顔を出してきた。こんにちは。

 

「サイレンス。……次も()()、やっていいか?」

「っ! ──う、うんっ」

 

 勘違いした男子にありがちな女子に引かれるタイプの距離の詰め方を実行してしまったと、心の中で瞬時に後悔したのも束の間。

 サイレンスは露骨に嬉しそうな表情になって、握っている手の力をほんの少しだけ強めてきた。何だおまえ俺のこと好きなのか? あまりこっちの自制心を試さないでね。

 

 そんなこんなでようやっと解散。手フェチに転向一歩寸前。

 彼女の温かい手のひらの感触を思い出しながら、もし彼女の胸部が凶悪な大きさを誇っていたら今頃死んでいただろうなと小さく笑うのであった。たぶんすごくキモい笑みをしていた。

 

 

 

 

 

 一週間後、手渡されたチケットの該当レースが行われる日。

 ちょうど夏休みに入って一日目ということもあってか少々寝坊してしまい、遅れて家を出た俺は何とかレース開始の時間ギリギリで会場のすぐ付近まで辿り着いていた。

 サイレンスのルームメイトが出走するとのことだったが、俺の興味は同じレースに出るヒシアケボノというウマ娘にあった。何もかもがデカすぎるのもあるが、そもそもルームメイトが誰なのか知らない。

 などと、そんな事を考えながら急いでいた──矢先の事だった。

 

「うおっ!?」

 

 道順の都合上裏口から正面に回らなければならなかったのだが、逸る気持ちを抑えきれずポケットからチケットを取り出したのが運の尽きだった。

 

「か、カラス……? お、ちょ待てっ!」

 

 何故か背後から迫っていた謎のカラスの集団の内の一羽にチケットを奪われてしまったのだ。

 焦って追いかければ追いかけるほど、会場の正面入り口から離れていってしまう。

 あれはサイレンスから貰った大切なチケットだ。たとえボロボロになって入場に使えなくなったとしても、奪い返さないわけにはいかなかった。

 何でこんな人が多く表にゴミ捨て場もないところでカラスが大量発生しているのかは分からないが、とにかくチケットを咥えて低空飛行を続けるカラスを追いかけていく。

 

「こんな所で何してるんだいカフェっ!? もう出走だぞッ!」

「っ、ですがトレーナーさんが“彼ら”の差し向けたカラスに狙われていて──」

 

 うおおお何かカラスの集団に突っつかれてる成人男性の姿が。

 特に彼を攻撃している一羽が俺のチケットを嘴で咥えているのも目視で確認した。節操のない野生動物たちだな。良識というものはねぇのかよ。

 男性を助けるわけではないが、あのカラスだけは絶対に焼き鳥にして屠ると心に決めて、背負っていたリュックサックを武器代わりにと手に持ち替える。

 

「んのやろッ!」

 

 結果だけで言えば、それは無謀な吶喊であった。

 運よく一番デカいカラスを叩き落とすことは出来たものの、代わりにそこにいた集団のカラス全員が標的を成人男性から俺へとシフトしてしまったのだ。よっぽど俺のこと嫌いなんだね♡ お下劣野鳥め! 悪霊退散!

 

「……トレーナーさんからターゲットを外して、自分に差し向けた……?」

「あの光景は興味深いが後にしたまえ! あと二分だぞっ!」

 

 付近にいたウマ娘がなにやら騒いでいるが羽音で全く耳に入らない。

 結局まるでギャグ漫画かのように涙目で鳥の大群から逃げる羽目になり、その日サイレンスからプレゼントされた折角のチケットを受付に渡すことは最後まで叶わないのであった。このカラス共は傾奇者だね。堪忍袋の尾があるよ?

 

 



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すっかり超常現象に慣れたようだな 真にオカルトな女よ

 

 

 多くの学生が無敵になる時期こと夏休み。

 早速旅行だの部活だのイベントだのと周囲の知り合いが忙しなくなる一方で、これと言って特にやる事がない俺のような暇人の夏休みの計画はバイトのシフトを少しだけ増やす程度に収まり、それ以外は自宅で怠惰に時間を浪費しているのが現状だ。

 

 これほどたっぷりと休暇が長引くとなれば実家に帰省するというのも一つの案ではあるのだが、夏休みは秋川の本家の人たちがフラッとウチに現れがちなため、彼らと鉢合わせたくない都合上まだ帰るわけにはいかなかった。

 あの人たちが実家に来て用事を済ませて帰ったあとならもう無問題なので、帰省に関しては両親の連絡待ちだ。

 

 つまりそれまではいつも通り。

 エアコンの効きが悪い四畳半でだらけ、山田や男連中と夜通し遊び呆けて不健康なものを食い、空いた日に喫茶店でバイトをする、とそんな日々を送っている。

 今日も今日とて接客を終え──店の前に人影を発見した。

 

「お疲れ様、秋川くん。一緒に帰りましょう」

「サイレンス……」

 

 夕焼けを背に待ってくれていたのは、最近ようやく見慣れた顔になった他校の女子の姿であった。本邦初公開。

 

「──特訓?」

「えぇ。スペちゃん、この前のレースの結果が本当に悔しかったみたいで」

 

 なるべく人通りの少ない道を意識しながら、彼女との会話イベントを進めていく。

 

 こうして普段通りに話ができる理由はもちろん、サイレンスからの好感度減少が致命傷の一歩手前で何とかなったからに他ならない。

 簡潔に言えば、カラスに襲われている場面を実際に彼女が目撃してくれたのだ。つまりレースが始まってライブが終わるまでの間ずっとあの焼き鳥共と戯れていた。

 そのためサイレンスからの評価が、せっかく渡した特別なチケットを無下にしたゴミカス男子ではなく、不幸にも野鳥に喧嘩を売られてそのまま敗北した哀れなザコというラインで保たれたというわけである。やっぱり致命傷な気がしてきた。

 

「マンハッタンカフェ、だったか。凄かったなあのウマ娘」

「……正直、別格だったと思う。でもスペちゃんが自分を見つめ直す機会ができて良かったとも思うわ」

 

 前回のレースで一着を取ったのはサイレンスからの期待が厚かったルームメイトの女子ではなくマンハッタンカフェという、確か道端で一緒に鍵を探した見覚えのあるあのウマ娘であった。

 二着のルームメイト子ちゃんと五バ身差をつけた驚異のスピードで会場全体を沸かせ、その日の話題を掻っ攫っていったらしい。会場の外でクソ鳥に突っつかれていたから実際の光景は知らないが。

 

「それでサイレンスもチャンさんの特訓に付き合うことになったわけか」

「あの、スペチャンっていう名前じゃなくてスペシャルウィークちゃんね。そのチャンさん誰でもないから」

 

 普通のトレーニングだけでなく同期やサイレンスといった激強ウマ娘も巻き込んでの特殊な猛特訓が開始されるらしく、この夏は非常に忙しくなるとの事だった。

 

「……だから、その、秋川くんと会える時間が減ってしまうのだけど……」

「俺のことなんか気にしなくていいぞ。年がら年中ヒマを持て余した人間だし」

 

 サイレンスが何に対して申し訳なさを感じているのかは分からないが、ライバルに負けて逆境に立たされた友人を応援するのと、いつでも会えるような暇人との時間なぞ天秤にかけるまでも無いことだ。

 というかその言い回しいい加減にせよ。会う時間取れなくてごめんね、とか俺の彼女か何か?

 彼女の中で俺との関わりがどの程度の位置にあるのかは定かではないものの、こちらとしては『わり今日いけないわw』と言ってドタキャンする高校のクラスメイトや『すまぬ遅刻する』と平気で集合時間を超過する山田など、あいつらと同じくらいの距離感でいてくれた方が楽で助かる。ベルフェゴール。

 

「じゃあまた」

「……秋川くん、お別れの握手……」

 

 いってらっしゃいのチューみたいな感覚で言わないでな? スケベの化身がよ。

 

「特訓が終わってからにしよう。今はスペチャンウィークさんに集中してあげてくれ」

「……うん、わかった。……あとスペシャルウィークね」

 

 ルームメイト子ちゃんの名前をようやく覚えた辺りでその日は解散となった。

 恐らくここから数週間は彼女とほぼ会わないことになる。気の迷いでサイレンスに『会いたい』などとキモキモ勘違いメッセージを送信してしまわないよう、高校の友人に連絡して今のうちにスケジュールを埋めて暇を無くしておかなくては。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「あ?」

 

 そして、あれから数日が経過したある日の事だった。

 

「……ここ、さっき通ったよな」

 

 友人との待ち合わせに遅れないよう小走りで目的地へ向かっていたのだが、住宅街を進んでいる中でとある違和感に気づいてしまった。

 ──住宅街を抜けられないのだ。

 

「ここの道こんなに入り組んでたか……?」

 

 本日の天気は曇り。

 真夏にしては珍しく涼しい気温で、また地域一帯の広い範囲で濃霧が発生していた。忍法霧隠れの術で遊べそうなレベルの濃い霧だ。

 そのため先の道が見えなくなっており、いつも通り覚えている道順を辿っていたのだが何やら同じ場所を無限にグルグルしている。

 

「どうなってんだ……」

 

 それから早くも一時間が経過してしまった。一旦焦らずにゆっくり道を確認しながら進んでみても、気がつけばまた同じカーブミラーが視界に映り込んでくる。

 

「何だアイツ……この前のカラスか?」

 

 見上げると電柱の上にひと際デカい体格の烏が鎮座しており、鳴く事もなくジッと俺を見下ろしている。

 この前リュックサックではたき落としたあのチケット泥棒と同個体に見えるが、だから何だという話でもある。

 想像力豊かな中学二年生の時に患いがちな思春期の病に侵されていた頃なら、これは何者かの陰謀だとか呪いによる超常現象だとか考えることもできたが、残念ながらあの時のイマジネーションはもう持ち合わせていないのだ。

 一時間も同じ道を迷うほど方向音痴だった覚えはないものの、濃霧によって極端に方向感覚が鈍らされていると考えればあり得ない話ではない。

 

 とはいえ、やはり迷いすぎだ。

 

「……スマホも死んでる」

 

 出かける前にフル充電したはずのスマホは何故かバッテリーが底をついており、連絡も地図アプリの起動もままならない。いよいよ詰んだかも分からん。

 

「変に曲がったりしないでまっすぐ進めば流石に大通りに出るか」

 

 思ったことを口に出して即実行。混乱して立ち止まるよりはこうした方が進歩するはずだ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「まっすぐ、まっすぐ」

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「まっすぐ……まっすぐ……」

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「まっ、すぐ…………いや、ダメだなこれ」

 

 腕時計を確認すれば、迷い始めてからかれこれ三時間が経過していることが判明した。

 意味が分からない。

 なんだこの状況は。

 相も変わらず電柱の上にはあのカラスがいて、俺は濃霧の中で無限迷子編に突入してしまっている。

 流石に精神的にも困憊を覚え、歩くのも疲れたため一度立ち止まった。持参した飲み物もすっかり空だ。

 今わかったが最初は涼しかった気温も段々と上がってきている。

 蒸し暑くて死にそうなのに霧は濃くなる一方で、もはや五メートル先までしか視認できないこの状況は間違いなく異常気象だ。

 

「はぁ、はァ」

 

 脳が茹ってきた。だんだん視界もボヤけてきた気がする。脱水症状の一歩手前だ。

 途中から腕時計すら動かなくなり、自分が濃霧の中で彷徨している時間を確認する事すら不可能になってしまった。いよいよ精神がアクメしそうだ。()キそう。

 

「…………あ?」

 

 額の汗を拭いながらゾンビの如く緩慢な足取りで進み続けていると、眼前の霧の中で人影が見えた気がした。

 ここで迷い始めてからはただの一人も見かけなかったせいもあって、目をこすって疑う。

 しかし現実だった。茫漠とした視界の先にあるのは間違いなく人の形をしていたのだ。

 逸る気持ちを抑えながら進んでいき──その正体を知った。

 

「マンハッタンカフェ……?」

 

 ()()()()()()だ。

 

「…………」

「きみ……確かあの時の……」

 

 髪の色素がごっそり抜け落ちたような不気味な白髪が特徴的で、紛失した鍵の所在を教えてくれた、マンハッタンカフェと瓜二つな謎の少女であった。

 前回と同じく彼女はどう考えても夏場に着用するものではない黒のロングジャケットを身に纏っており、やはりというか高い気温にやられて滝の様な汗を流している俺とは違い、その少女の見える範囲での素肌には水滴の一つも浮かんでいない。

 

「──こっち」

 

 俺が事情を話すよりも早く、少女は俺の手を掴むや否や踵を返して濃霧の中を進み始めた。

 

「……出口が分かるのか?」

「…………」

 

 黙ってないで知っている情報を明らかにせよ、なんか言え。絵画のようだよ。

 

「あの、何か知ってるなら教えてくれ」

「カフェが探してる」

「えっ? ……あ、カフェって、マンハッタンカフェさんのことか。何であの子が」

「…………」

 

 雑な説明で終わんな! 丁寧な説明を心掛けろ!

 ──マズい、疲弊で頭が回っていない。明らかに助けてくれてる相手に文句を言おうだなんてどうかしている。

 ていうかコイツ手めっちゃ温かいな。湯たんぽとしての才能。

 

「瞼を閉じてこの先を少し進めば戻れる」

 

 体温に感動した瞬間に手を離されてしまった。

 そのまま有無を言わさない勢いで背中を押され、教えられたとおりに目を閉じてゆっくり進んでいく──

 

「おわっ……」

 

 すると、誰かにぶつかった。

 思わず目を開ければ、髪が黒くなったバージョンの先ほどの少女が目の前にいた。2Pカラーかな。

 

「マンハッタンカフェ、さん?」

「……よかった」

 

 極度の疲労状態なのでフラフラになりながら何とかその言葉を絞り出すと、濃霧の先で待っていたウマ娘の少女はホッと一息ついて胸を撫で下ろした。ちなみに見た感じ胸はほとんど無い。

 なんだか最近スレンダーな体形のウマ娘とばかり交流している気がする。ホッコータルマエの握手会は落選するしヒシアケボノのレースとライブも見逃すしで散々だ。デカ乳ばかりが遠ざかってゆく。なぜ?

 

「……あの白い女の子が言ってたんですけど、俺のことを探してくれてたとか。よく分かんないけどありがとうございます」

「えっ。…………お、お友だちが、見え……?」

 

 ぺこりと頭を下げると同時に、フラついた頭を支えることが出来ず崩れ落ち、歩道の真ん中で尻もちをついてしまった。下品なカエルみてぇな格好で無様でございますな。

 

「だ、大丈夫ですか……!」

 

 体感でザックリ六時間程度は猛暑の中を歩き続け、後半の三時間は水分補給もままならなかったとあれば、体調不良は至極当然の結果だろう。

 

「……事情は全て後で説明します。実家が近いので、一旦ウチでお休みになってください」

 

 そのまま自分よりも頭一つ身長が低い少女に肩を貸してもらい、そのままお持ち帰りされるのであった。

 まさかほぼ初対面の女子の家へ案内されることになろうとは夢にも思わなかったな?

 うほ~ワクワクしてきたぜ。深く憂慮する。

 

 



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兵は神速を貴ぶ ついでに人生が消し飛ぶ

 

 

 明らかに自宅ではない匂いが鼻腔を突き、飛び起きる。

 起きた時には見覚えのない内装の部屋でベッドを占拠しており困惑したが、目を覚ましてからの一発目の行動はスマホの探索だと直感した。

 寝起き一番に、なんにしてもまずは今日遊ぶ約束をしていた山田に連絡を入れなければと焦燥感に駆られたのだ。やるべき事など委細承知よ。

 

 幸いにも探し物は充電のコードに繋がれた状態で枕元に置かれていた為すぐさま電話をかける事ができた。

 すると電話口の向こうから聞こえてきたのは、がやがやと騒がしい雑踏の環境音に交じった友人の声であった。

 

『おう脱水貧弱ボーイ、体調は大丈夫かな』

「……何で俺の状況を知ってるんだ?」

『鬼電してたらダンディな声のおじ様が代わりに応答してくれてね。脱水症状で死にかけた後、バイト先の店長さんの家に運び込まれたんだって?』

 

 俺が寝ている間に着信していた電話に出てくれた人がいた、との事だが疑問が残る。

 ──はて。店長とは。

 記憶が正しければ俺は蒸し暑い濃霧の中で六時間ほど彷徨し、何やかんやあって二人の少女に助けられた後、その少女の実家で休息を取らせていただく形になったはずだが。

 いつの間にバイト先の店長の家へ匿われたのだろうか。

 連絡も入れてないばかりか、お世話になってはいるもののプライベートでの付き合いは皆無なはずだ。

 

『お大事にね。出かけるときは僕みたいに飲み物を十本くらい持っといた方がいいよ』

「あ、あぁ。今日は悪かったな」

『こっちはこっちで用事できたから気にしないで』

「そういや何か騒がしい……いまどこにいるんだ?」

 

 人混みで少々声が聴き取りづらい。

 

『駅前のデパートだよ。この前のレースでの上位二人がトークショーに出るらしいんだ』

「この前の、って事はスペシャルウィークさんとマンハッタンさんか」

『そうそうそう! 特にマンハッタンカフェはサイレンススズカと同じくらい推しだし、生で見るの初めてだからマジでクソ楽しみ……じゃあそろそろ始まるからまたっ』

「あっ……切りやがった」

 

 有無を言わさない勢いで電話を切られたが、いつものことなのでもう慣れた。

 山田は基本的には付き合いの良い友人なのだが、推しウマ娘の事となると優先順位が分かりやすくそちらへ傾いてしまうタイプの男なのだ。

 集合に遅刻するときは推しの配信や特番を見ていたというのが大半であり、そういう部分を知ってて一緒にいるので文句は無い。

 寧ろこういう時は早々に気持ちを切り替えてくれるので助かるまである。

 そのフットワークの軽さ、アンナプルナ。

 

「失礼します」

 

 通話の切れたスマホを枕元に放り投げると、程なくして部屋のドアが開かれた。

 入ってきた黒髪の少女は見紛うことなくマンハッタンカフェその人だ。

 かわいい♡

 バイト先の店長に匿われたという身に覚えのないここまでの経緯とは異なり、しっかりと会話の内容と手助けしてもらった記憶が残っている彼女の姿を目にしたところで、俺は漸く安心することができた。

 

「おや……よかった、目を覚まされたのですね」

「あ、はい。ここまで運んでくれた……んですよね? ありがとうございます」

 

 友人でも何でもないのでタメ口にならないよう気をつけつつ応答すると、マンハッタンカフェはふわりと小さく微笑んでベッドのそばまで寄ってくる。

 

「敬語は結構です……同い年ですから」

 

 じゃあそっちも──と言いかけたところで彼女は首を左右に振った。

 

「私のこれはクセみたいなものなので……それより、スポーツドリンクをどうぞ。きっとまだ水分が足りていませんので」

「あぁ、ありが──」

 

 マンハッタンカフェが身を乗り出してペットボトルを手渡してきたため、近づいた都合上自然と彼女の髪の匂いが香った。

 瞬間ふわりと珈琲のような匂いを感じ取り、あぁ確かにこの既視感のある香ばしい珈琲の匂いはあのバイト先だなと一人勝手に納得した。確か店そのものが店長の自宅だったはずだ。

 ──どうしてバイト先の匂いがマンハッタンカフェから香るんだ。状況判断が大切だ。

 

「…………」

「……?」

 

 なるほど。

 拙い仮説ではあるが、一つ思い浮かんだ。懊悩するよりまず仮説。多分これが一番早いと思います。

 

「……ここ、マンハッタンさんの実家だったりする?」

「はい」

 

 言うと彼女は頷いた。はい名推理。

 

「濃霧の迷宮から抜けた時に言った通り、秋川さんには私の実家まで来ていただきました」

「あっ」

 

 そういえば先に『実家が近いから案内する』と言われていたんだった。名推理もクソも無かったな。名前や年齢も店長から聞いたのだろう。

 しかし何とまぁ、世間もなかなか狭いというか。

 店長がたまに自慢していたあの中央で走っているという娘さんの話は、どうやら目の前にいるこのマンハッタンカフェの事であったらしい。

 確かに直近のレースで一着取る程度にはめちゃ速いし、普通にビビるほど美少女だ。正直目を合わせるのも辛い。

 

「秋川さん、体調の方は……」

「あー……まだ少しダルいけど、出歩けはすると思う」

「であれば……申し訳ありませんが、早めに秋川さんのご自宅まで戻りましょう。()()()()の件といいあまり時間の余裕が無いかもしれません。二人きりの状況でないと情報の共有も難しいのですが……どうでしょうか」

「わ、分かった。とりあえず帰ろう」

 

 俺が彷徨っていたあの濃霧の住宅街を”迷宮”と呼称しているあたり、現在俺が直面している状況はこれまでの常識が通用しない──いわゆる超常現象というやつなのかもしれない。

 流石にガチ目な命の危険に晒されている以上は中二病だの妄想だのと言っている場合ではないだろう。

 あるものはあるのだ。

 今なら幽霊の存在であろうと信じることが出来る。助けが無ければ一生出られない住宅街に閉じ込めるカラスがいるのだからソレくらい実在しても不思議ではない。

 

「秋川さん。……その、やらなければならない事があるので、今夜は泊まらせて頂いてもいいでしょうか」

「え゛。……あぁ、いやでも必要な事……なんだもんな?」

「はい。とても重要な」

「……なら、それで。何よりこっちは助けてもらってる立場だし、断る理由なんて無いよ」

 

 どうしてマンハッタンカフェがこの事態について詳しそうなのかは分からないが、ひとまずは彼女の指示に従っておこう。

 ほぼ初対面の女子が自宅に泊まる事になろうとも、超常現象の解決に必要なのであれば頷く他ないのだ。マジで心臓バックバクだがポーカーフェイスを保たなければ。

 

「ところでマンハッタンさん。そのデカいレジ袋の中身は……?」

 

 彼女が部屋へ入ってくる時に持ってきた荷物の中身が気になった。大きなレジ袋二つと中々の量だ。

 

「冷えピタやスポーツドリンクなどです。脱水症で体調を崩されているので、必要なものを先ほどあらかた買い揃えておきました」

「えっ! 悪い、お金どれくらい──」

「いえ、気になさらないでください。……そもそも貴方を巻き込んでしまったのは私ですし……」

 

 事情を知らないため『巻き込んでしまった』という部分には疑問符が浮かぶばかりだが、食料や消耗品をタダで貰えるのは素直に嬉しい。

 

「あっ、店長」

「やあ秋川君。体調のほうは大丈夫かな?」

「はい、おかげさまで」

 

 ベッドから降りて彼女から受け取ったスポーツドリンクを飲みつつ身支度をしていると、部屋にダンディなおじ様が入室してきた。店長だ。

 

「ごめんね秋川君。家まで車で送ってあげられたら良かったんだけど、ウチのが遠出に使ってしまってて……」

「い、いえそんな、ここで休憩させて頂けただけでも本当にありがたかったですし、歩いて帰れるんで平気です」

「そうかい? もう少しここで休んでいっても──」

 

 大人の優しさに甘えないよう自制心を働かせ、何が何でも今すぐ帰るという意思表示をもって彼の提案を全て断った。強敵だったぜ。

 

「カフェ。秋川君を自宅まで送ってあげて」

「最初からそのつもり……あと一応()()()があるから、今夜は彼の家に泊まらせて貰うね」

「────えっ」

 

 至極当然かのように告げたマンハッタンカフェの一言を受けた店長は何故か固まってしまった。

 

「……ちょっといいかい」

「どうしたの、お父さん」

 

 程なくして彼女を連れて一旦部屋の外へ出ていく。

 何か楽しい事が起きている気がする。

 

「か、カフェ、秋川君とは前から面識が?」

「……? うん、少し前に助けてもらったの。学園で使っている部屋の鍵を見つけてくれて……」

「それ、だけで……?」

「むっ……それだけなんて、言わないで。炎天下の中で一緒に探してくれたし……何よりあのレースの日、彼は身を挺して──とにかく、心配なんてしなくていいから」

「…………さ、最近の高校生、進んでいるな……」

 

 部屋の外に出て小声で話しているのだが、ドアが閉まり切っていないせいで会話がほとんど丸聞こえだ。

 すげぇ勘違いが起きている気もするが指摘するのも面倒なので放っておこう。誤解もそのうち解けるだろう。

 

「すまない、カフェ。野暮を承知で一つだけ言わせてほしい。親がこういう事を指摘するのは、とても良くない事だと分かってはいるのだが……」

「何……」

「か、仮に、だが。……()()()()流れになりそうになったら迷わず薬局かコンビニへ行って、恥ずかしがらずにちゃんと買ってくれ」

「……?」

「もちろん秋川君が温厚で優しい少年だという事は分かっているよ。お客さんからの評判だって良い。言えば、きっと彼も待ってくれるはずだ」

「……彼を待たせるも何も、必要な物はさっき薬局で全部買ってきたってば」

「ッ!!?!?!?」

「買い足す必要ないくらいの量を買ったから大丈夫」

「……っ!!? ……ッっ!?!!?!?」

 

 うおっ急にすげぇ勘違い……コントかな?

 店長が言っている『買うべきもの』は、恐らくマンハッタンカフェの考えているものではない。

 で、彼女が買ったから心配ないと語るそれは、先ほど俺に見せてくれたスポーツドリンク類のことだ。

 普通に考えればすれ違う事の無い内容ですれ違っているらしい。楽しい。

 

 と、まぁ何やかんやありつつマンハッタンカフェの実家兼バイト先を出発し、あれよあれよという間に生まれて初めて自分の家に女子をあげることになったのであった。

 

 

 

 

 

 

 帰宅し軽くシャワーを浴びてジャージに着替え、いつもより多めに水分を取って布団の上に座る。

 以上の一連の行動を終えるまでに、俺はマンハッタンカフェから今自分が置かれている状況と、出演予定だったトークショーを急遽辞退してまで彼女が俺に協力してくれる理由等のあれこれを聞き出した。

 

 と言ってもあまり複雑な事情が重なっていたわけでもなく、どうやら聞いた限りでは単に俺が偶然マンハッタンカフェにとって都合の良い行動を起こしたというだけの話であったらしい。

 

 マンハッタンカフェが『彼ら』と呼ぶ謎の存在──平たく言えばホラー映画に出てくるような類の怪異なのだが、俺を襲っている超常現象の正体がそいつらだとの事だった。

 俺のチケットを奪ったあのカラスがソレだったらしく、ついでにマンハッタンカフェの担当トレーナーもターゲットにしていた所、俺が暴力を以って乱入したため標的が俺だけになった、と彼女は語る。

 チケットを狙った理由や担当トレーナーを襲った理屈が何なのかが気になるところだが、マンハッタン曰く『特に理由は無い』らしく、強いて言えば無造作に悪意をばら撒く傍迷惑なカス共なので、深い理由を考えるだけ無駄なようだ。

 

「……で、今のこれは何?」

 

 現在の状況を説明しよう。

 お互いシャワーを浴びてジャージに着替えた俺とマンハッタンカフェが、布団の上に座って向かい合っている。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 この状態になっている理由は未だ説明されておらず、ビビる程かわいい女子と二人きりで顔を突き合わせているこの状況に、ただの一般男子高校生でしかない俺はひたすらに狼狽するばかりであった。

 

「基本的に彼らの呪いは精神の上層に押印されます……なので、呪いを吸い出す為には肉体と精神に隙間を作らなければなりません」

「……????」

「もう少し簡単に言うと、道端で踏んでしまって靴底に付着したガムを引っ張って剥がすという事です。隙間を作るというのは、つまり靴を脱いで靴の裏を確認すること……といった感じですね」

「……なるほど」

 

 まぁ何となく分かった。

 要するにコレも事態収束に必要な事だというだけの話だろう。

 

「まずは……はい、このペンダントをかけてください」

 

 言われるがまま黒曜石がはめ込まれたペンダントを首にかける。

 するとマンハッタンは俺に渡したものとは異なる乳白色の宝石が特徴的なネックレスを身に付けた。

 

「その黒いペンダントを装着している間は肉体と精神の結びつきが弱まります……脳による理性(ブレーキ)が利きにくくなってしまいますが、隙間を作る道具はそれしかありません」

 

 マジ? 確かにコレを首にかけた瞬間から頭がポワポワしてきた気がする。何でこんなもん持ってるんだよ。

 

「私が身に付けた方は……言うなれば掃除機ですね。これで秋川さんの中に押印された呪いを吸い出します」

「……わかっ、た。じゃあ、頼む……」

 

 この脳がフラつく感覚は形容し難い。

 ギリギリ似たものを例えるとすれば、以前アルコール入りのチョコを食った時と似たような状態だ。

 頭が重いような、眠いような、視界がボヤけてしまいそうな多幸感──あぁ、何だろう。死ぬのか?

 

「では失礼します……」

「……え? えっ、ぇ」

 

 マンハッタンが背後に移り、後ろから首に腕を回してきた。

 人はこの行為の事を『抱き締める』と呼ぶと思うのだが、俺が間違っているのだろうか。

 

「おいおいおいおいおい」

「ご心配なさらず……苦痛を伴うような方法ではありませんので……」

 

 急にハグしてきてご心配なさらねぇワケないだろアホか? 顧客満足度が不足しているよね。

 

「時間にして……一時間ほどです」

「何がだ」

「触れ合う長さ……でしょうか。私の白い石が黒くなるまで、なるべく秋川さんの精神が近しい肉体の部位を私と密着させなければなりません」

 

 マジで何言ってるか分からん。

 

「大抵の人であれば……精神が近い場所は心臓……つまり胸部です。ですが個人個人で場所が異なる場合もあるので、宝石の濁り具合を見ながらいろいろな箇所に触れ……確認しなければなりません。

 ……どうやら秋川さんの精神体は胸部には無いようですね」

 

 そう言って今度は正面に回るマンハッタンカフェ。

 流暢に説明できてGOODだよ、だが男子への理解が足りない!

 俺を怒らせたいのか? 背中に密着されただけでも好きになりそうなのに、これ以上俺の理性が働かない状態で別の箇所を触れてみろ。結婚するぞ? 結婚しよ♡

 ……待て。俺、いま大丈夫か?

 

「タキオンさんなどは足の裏などでした。申し訳ありませんが……こちらの方も確認しますね……」

 

 白皙やわらかお手手が僕の足の裏をモミモミしているよぉ!

 何だその手つきはしゃぎ過ぎだろ、覚悟しろよおい。さすが中央のエリートだ……。

 

「ここも違う……膝……いえ、太ももでしょうか……」

 

 ──マズい気がする。

 先ほどの説明によれば彼女から受け取ったこのペンダントを身につけた状態の俺はまともではない。

 必要以上の肉体的接触を続けられてしまったら、いよいよ自制が利かなくなって良からぬ方向に走ってしまうかもしれない。

 果たしてマンハッタンカフェに襲ってきた男をブチ殴って消滅させるだけの度胸と切り替えの速さは備わっているのだろうか。

 この行為が、彼女の内心が、それらのどれにも邪な部分など欠片も無い事は百も承知だがそういう話では無いのだ。俺の問題だ。

 

「背面は全部違った……肩でも手でも顔のどこでも無い。あとは……お腹……?」

 

 質問です。マンハッタンカフェさんに男子の腹部を直接触れることに対して抵抗や懊悩は無いのでしょうか。

 解答。ありません。これは健全な治療行為であるため。

 は?

 

「よかった、ここですね。秋川さんの精神体はお腹にあるみたいです」

「……ま、マンハッタンさん……あの……」

「頑張ってください、あと数十分の辛抱ですから」

 

 おい!話を聞けよプリティーガール、立てば芍薬座れば牡丹。

 これはまずい。

 無自覚セクハラアスリートがよ。頭脳明晰でタイプだよ♡

 

「……トレーナーさんは、レースを走る上でとても大切な存在です。彼がいなければ私は……だから、そんな人を我が身を顧みず救ってくれた貴方を、今度は私が救いたい。

 ……何より()()()一緒に鍵を探してくれたのは、貴方だけだった。だから……」

 

 なんかしんみりと語ってるけど内容が何も入ってこない。脳が終わってる。

 

「さわさわ……」

「っ゛……ッっ゛゛ぉ°……」

「秋川さん……?」

「まだ!?」

「ご、ごめんなさい、もう少しです……がんばって……」

 

 おい下手に応援するな妙な気分になる。非核三原則。

 

「……腹筋、硬いですね。男らしくてカッコいいと思います」

 

 ビョルルン♡ビッピョロルロパロ♡

 おい!!!!!! いい加減にな。怒ってるワケじゃないから下手に褒めて機嫌取ろうとしなくていいよ♡

 やめろ!!! やめろ!!!!!!!

 

「ホントごめん、もう終わるまで喋らないでマンハッタンさん……」

「え、ぁ、はい……すみません……」

 

 本当に脳内がぐちゃぐちゃになってしまっているらしい。

 いま絞り出した一言が俺に残っていた最後の理性だ。もうこれ以上は耐えられない。

 

「…………あ、ペンダントが最大量に達したみたいです。外しま……ひゃっ!」

「────」

「……秋川、さん?」

 

 達してるのは俺の方なんだぞと言わんばかりの勢いでマンハッタンカフェを押し倒した。

 じゃあ今から言う要求に従ったら俺の女な♡高嶺の花♡ ゆくぞ……!

 

「名前」

「えっ……?」

「名前で呼べ。秋川じゃなくて下の、俺の名前を」

 

 葉月です♡是非ともこの際に呼んでください♡

 呼んでくれ!! 心からの願い。

 

「……葉月、さん」

 

 よし、晴れて夫婦だな。

 これは子供できたな……お前との明るい未来しか視えねぇぞ。悪法もまた法なり。

 ほっぺ触っちゃお。

 

「はわ。……ぺ、ペンダント、外しますね……」

 

 白い頬ムニムニすべすべで気持ちいいよ♡

 甘ったるい女の子臭がク──

 

 

 

 

 

「………………………」

 

 

 

 

 

 …………。

 ………………。

 

「あき──ぁ、いえ、葉月さん。ペンダントを外しましたが……落ち着きましたか……?」

「…………」

 

 ………。

 ……、…………。

 ………………………なるほど。

 

「あの、葉月さ……えっ! ぁ、まっ、待って、土下座なんてやめて……っ!」

 

 ──恐らくこれまでの人生で最も心と身体が合致した、誠心誠意の真心を込めた土下座の姿勢をとったまま、俺は一ミリも微動だにする事なく無言で許しを請うのであった。死。

 

 



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ベルちゃんも期待してたでしょ? 同意したものとみなす

 

 

 女子を家に上げるばかりか、よく分からんオカルト展開のついでに腹部をさわさわ触られるという特大ビッグバンイベントが発生した翌日。

 

 マンハッタンカフェを学園の前まで送り届けた俺はその足で駅前のデパートに寄っていた。

 なんとなく真っ直ぐ帰る気にはなれず、ただただフードコートで時間を潰している。

 側から見れば物憂げな表情で考え事をしているように映るかもしれないが、俺の頭の中にあるのは昨晩から今朝にかけての、マンハッタンカフェと交わした会話の内容のみであった。

 

 昨晩やらかし中のやらかしをやらかしてゴミやらかし人間になった俺だが、肝心の襲われたマンハッタン本人が『私が悪いんです』と必要以上に謝り倒し、俺も彼女もお互い譲らないという悪循環が生まれた結果、元を辿れば怪異が全て悪いという事で俺の凶行は不問に付された。

 そして今朝。

 呪いは全て吸い出しきれておらず、これから三日に一度()()()()をし続けなければならないという事が明かされたのであった。

 その話が昨晩にされなかったのは、俺が土下座し続けて彼女の言葉に耳を貸さなかったのが原因だ。状況判断が足りなかった。

 

『漆黒に染まった石は二日程度で浄化されて白に戻るので……三日後、また同じ事を……』

 

 沈鬱な表情でそう語るマンハッタンを前にした俺の心境は、全てが解決した訳ではないと知って落胆するか、また合法的に女子と超至近距離で触れ合える事に喜ぶか──そのどれでもなかった。

 

『マンハッタンさん。もう、俺のことはいいから』

『えっ……?』

 

 ペンダントを装着して理性が消えかかっていたとはいえ、何も昨晩の事を丸ごと忘れたわけではない。

 確か俺がお腹を触られて悶絶していたとき、彼女は担当トレーナーの事やレースを走る事がとても大切だとかそんな事を言っていたのだ。

 それで思い出したのは、ここ数ヶ月の間に僅かながら親交を深める事になったウマ娘たちの事だった。

 

 サイレンススズカやメジロドーベルも現在は自分や友人のレースの為に全力を注いでいる。

 それが理由でバイト先には来なくなったし、俺との連絡もその一切を絶っている事から、多少なりとも気に入っていた環境であるあの喫茶店へ赴くという選択肢を完全に消去してまで、彼女たち中央のウマ娘がレースに対して心から真剣に向き合っていることは明白なのだ。

 

 そして、それはマンハッタンカフェにも言える事だろう。

 直近のレースで凄まじい走りを見せて一着を掻っ攫ったクソ強ウマ娘である彼女が、まさかレースを二の次にする事などあり得ない。

 両立しようとする筈だ。

 レースと俺の救済というタスクの二つを。

 しかし、両立はきっと不可能なのだ。

 使命感が先走ってとにかく目の前の事から手を出しているのは分かるが、トレーニングや中央の学生がやるであろう諸々を考慮すれば、三日に一度夜遅くまで時間をかけて呪いに対処し毎度のごとく暴走しかける男子を宥めている暇など存在し得ない事は俺でも分かる。

 

 だから口にして伝えた。

 きみのスケジュールを狂わせたくないと。

 俺のことはいいから、自分の時間は自分自身の為に使ってくれ、と。

 

『……今、誰よりも危険な目に遭っているのはあなたの方なのに……』

 

 マンハッタンの呟きを無視し、そのまま踵を返して学園を去ろうとした時だった。

 予想していなかったワケではないが、袖を掴まれて彼女に引き止められた。

 

『では……こうしませんか。私のスケジュールを加味して、三日に一度ではなく一週間に一度……というのは』

 

 そういう問題なのかしら。無知の知。

 

『吸い出した分だけ呪いは弱まっていると思いますので……次回までに大きな怪現象が襲ってくる確率は低いかと。ですが絶対とは言い切れないので、何かあったらすぐに連絡を下さい』

 

 うわ……一度関わっただけでこの支え様……聖女かな?

 

『……葉月さん。あなたは私の時間を自分が奪ってしまっているのでは、と考えていらっしゃるかもしれませんが……それは違います。

 あなたと会う時間そのものを大切にしたいウマ娘もいる──その事だけは、どうか覚えておいてくれませんか』

 

 それだけ告げて彼女は学園の寮へ戻っていった。

 別れ際の言葉にしては少しばかり意味深だった事もあり、今もこうしてフードコートでドーナツを齧りながら彼女が伝えたかったことの意味について逡巡しているのだが、やはりよく分からない。

 

 俺と会う時間が大切──そう考える存在などこの世にいるのだろうか。

 強いて言えば幼少期に仲が良かった従妹のやよいくらいかもだが、彼女にしても俺と会わなくなって久しく、メディアに映る明朗快活なその姿を見る限り全くぜんぜん問題なさそうだと思う。俺との時間が必要だとも考えられないし、幼い頃に毎回俺に引っ付いていた過去などきっと忘却の彼方だ。

 両親に至っては『帰ってきても来なくてもどちらでも構わない』といった雰囲気を感じる。友人も連絡こそ取り合っているが俺から誘わない限り用事もなく遊んだりはしない。

 

 ……いなくね? いるかな。

 

 

『──じゃ、もう行くから。また明日』

 

 

 また明日。

 また明日とは、また明日も会おうという意味だ。

 顔を合わせる度にそんなセリフを残していく存在がいた気がする。

 当たり前のように漫画を見せてきて、しつこく感想を聞いてきて、特に用事が無くとも俺がバイトに出勤するときはほぼ毎回店へ訪れる──そんな変わり者が。

 

「……そういえばメジロ、どのレースに出るんだっけか」

 

 駅前のデパートを後にし呟きながらスマホを取り出す。

 開いたアプリのトーク画面に表示された日付は、数週間ほど前から止まっていた。

 

 何ヶ月か前、あの喫茶店でのアルバイトを始めて間もない頃、出勤途中で大雨に降られた。

 緊急避難として付近のバス停に逃げ込み、その先で偶然出会った少女こそがメジロドーベルであった。

 顔を真っ赤にしながら爆速でスマホをタップしていたところに偶然居合わせた俺に驚いた彼女が慌てて手から落としたスマホを拾い、不可抗力的に画面を目視してしまったことから彼女との交流がスタートしたのだ。

 

 確か自分が投稿している漫画のリプ欄に湧いたアンチに対して返信していたんだったか。

 その『気に入らないなら読まなければいいでしょバーカバーカ』という正論ながらも書き方が稚拙な文章と共にアカウント名を俺に目撃された彼女は、他の誰かにバラしたら何かもうとんでもなくヤバい事をする──と意味不明な脅しでこっちに迫り、その流れで強制的に秘密を共有する仲になったのだった。

 今にして思えば無理やりすぎる出会い方だ。マンハッタンやサイレンスと違いコイツだけは初対面の印象があまりにも最悪だった。

 怪異、下劣なるウマ娘。天晴れ。

 

『コレを見せられる男子なんて()()()()()()()()()()()んだから! いいから感想を述べよッ!』

 

 だが、明確に『俺との時間』を必要としている誰かと言ったら彼女くらいしか思いつかないのもまた事実だ。

 俺の感想を求めている。

 俺の言葉を欲している。

 この上なく俺の存在を肯定する行いだ。俺はあいつの漫画の構成に少なからず携わっている。

 

「……俺と会う時間を大切にしたいウマ娘、か」

 

 緩慢な足取りで歩道を歩きながら、少女に告げられた言葉の意味を今一度考えた。

 

 サイレンスは違うだろう。

 多少仲を深めることは叶ったが、彼女も一介の中央トレセンの生徒であり、何より今まさに世間を賑わせている一線級のウマ娘だ。

 俺はあくまでよく行く喫茶店の店員で、泡ハンドソープ事件なども握手会へ行けなかった俺を哀れんでの行為であり、つまるところファンサービスの延長線上に当たる。

 足の怪我を応急処置したという、普通のファンではやらないようなイベントが挟まった事が理由で他のファンより多少は存在の認知を確かなものにしてくれているだけなのだろう。

 マンハッタンも態度自体は柔和だが、前提として俺との時間が必要だという思考に陥るような理由がそもそも存在しない。

 顔を合わせる機会そのものが必要なのではなく、一応自分の担当トレーナーが引きずっていた呪いを押し付ける結果となってしまったので、責任を取るために治す必要がある、というだけの話だ。

 

 確かにあの二人は優しい。

 俺に対しての態度は非常に柔らかで、距離感バグってるとしか思えない振る舞いも無いワケではない。

 しかしそれは彼女たちの精神が高潔すぎるが故に、他人との接し方が男女共に差異が無いために生じた事故であり、特別俺に対して優しいわけではないのだ。俺にしてくれた態度はきっと同級生や担当トレーナーにも見せている顔だろう。

 

 中学生の頃、優しく接してくれた女子に対して『あれコイツ俺のこと好きなんじゃね?』という勘違いを抱き、勇気を振り絞って告白したところそのままフラれて撃沈した事がある。その日の夕飯は喉を通らなかった。

 あれ以来ずっと心に決めていたのだ。

 女子の優しさに当てられて、痛い勘違いをするような思い込みは二度としないと。

 優しさと好意は直結しない。

 マンハッタンのあの言葉も、俺が傷つかないよう気を遣って放ってくれたものだ。

 

 そういう意味では俺との時間を必要としているウマ娘など最初からいなかったのかもしれない──が、事実としてそれに該当するかもしれないウマ娘がいる事に、今日やっと気がつく事ができた。

 ドーベル。

 メジロドーベル。

 今の今まで彼女の重要性を、大切さをまるで実感することが無かった自分を強く恥じる。

 初めて繋がりを持った中央のウマ娘だ。

 シフトが入っている日は必ず俺のもとを訪ねてくれるひたむきな少女だ。

 そんな希少な存在に対して、俺は思春期の男子特有のスカしたカッコつけムーブで接していたのだ。反吐が出る。

 冷静に考えて照れている場合ではなかったはずだ。

 友人として、そして一人の男として。ハピネス。

 

≪お久しぶりです、先生≫

 

 近くのベンチに座り、スマホにメッセージを打ち込んでいく。

 普段彼女を呼ぶときは先生かメジロだ。

 

≪ちょっと話したいことがあって。暇になったら連絡ほしい≫

 

 簡潔に伝えたい事だけ書いて送った。

 いきなり長文だと引かれるだろうから。

 

 目的は一つだった。

 メジロドーベルとの繋がりを取り戻したい。

 彼女がレースに忙しない身であるのは十二分に理解しているが、それでも遠慮を真正面から断ってきたマンハッタンの態度を目の当たりにして、心の中に欲が湧いて出てきてしまったのだ。

 ()()()()()()()()()()として忘れ去られる前に、どぼめじろうという立場を唯一共有している存在がいたのだと、彼女に思い出してもらいたい。

 

 理由は明確──性欲だ。

 サイレンススズカとマンハッタンカフェによるぶっ壊れた距離感の触れ合いが、心のリミッターをもぶっ壊してしまった。

 繋がりを持った女子と仲を深めたいという、本来男子高校生ならば誰もが持ちうる当たり前の感情に突き動かされた。

 

 

≪とう≫

 

 

 ──予想外の出来事に思わず心臓が跳ねた。

 喉が鳴った。

 返信が来たのだ。

 メッセージを送って十数秒後に既読が付き、まもなく向こうからの謎の暗号を受信した。

 

≪ミス≫

 

 誤タップだったらしい。

 俺もよくやる。

 

≪度牛田≫

 

 ……?

 

≪みす≫

 

 ゆっくり打ってね。

 あと誤入力をわざわざ送信する必要はないと思う。

 

≪どうしたの急に≫

≪レースの日程を聞いてなかったから。いつのやつに出るんだ?≫

≪え≫

 

 彼女が喫茶店へ来てくれるなら、俺も彼女のレースに顔を出すべきだ。

 ただ待っているだけじゃ繋がりは薄くなりいずれ途切れてしまう。やよいや樫本先輩と距離が離れたのも俺がただ相手からのアクションを待ち続けるだけの木偶の坊だったからだ。

 大切にしたい関係は自分自身で繋ぎ止めなければならない。

 ラブコメ漫画みたいに無条件で自分を巻き込んだイベントが発生する保証など何処にも無いのだ。

 

≪えっと、明日ですけど≫

≪マジか≫

≪えなに≫

≪?≫

≪観に来るの アタシのやつ≫

 

 ここで別に行かないとか言う奴がいると思うのか?

 

≪行くぞ≫

≪こまった≫

≪何でだよ≫

≪……来るなら控え室に来て≫

 

 意味が分からない。

 関係者じゃないから普通につまみ出されるじゃねえか。

 

≪見つからないようにね≫

≪はぁ≫

≪近くまで来たら連絡頂戴 アタシがそっち行くから≫

 

 ──とのことで、よく分からないまま約束が取り付けられ、明日のレース前に厄介ファンみたいなお忍び行動をしなければならないことが決定してしまった。

 ボクちんごときにやってのけることができるのかな? 不安だお。

 

「……がんばるか」

 

 しかし心の中のもう半分は喜びが占めていた。

 少なくとも無視であったり、突き放すような態度を取られなかったことが素直に嬉しい。

 中学の頃の勘違い告白フラれ事件は未だに尾を引きずっているものの、何とかその時の気持ちを抑え込んで連絡した甲斐があったというものだ。

 久しぶりのメジロ先生とのやりとりで俺の乾いた心にも潤いが戻ってくるようだよ。龍神雷神。

 俺史上最も緊張した……まいったね。

 

 怖がって受け身でい続けるのはもうやめた。

 関わりたい相手とは、自ら進んで交流しに行くべきだと気づいたのだ。

 たとえ『ごめんウチ別に秋川君のこと特別好きってわけじゃ……勘違いさせてゴメンね?』と中学時代に体験したあの魂を抉るセリフをぶつけられるとしても、実際にそれを言われるまでは積極的に動いていく所存だ。頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 レース当日の昼。

 あと三十分後に始まるという事で、約束通り控え室付近の廊下までやってきた。

 ここから先は警備員が待機しているため、スパイ映画並みの激ヤバアクションで彼らを倒さなければ先へは進めない。

 とはいえお仕事している大人たちに突っかかる理由もないのだ。

 とりあえずメジロに連絡してみよう。

 

≪着いた≫

≪ぁはい!≫

 

 返信が早すぎる。もしかして俺のこと好き?

 

≪どこいるの≫

≪南側の売店がある方の廊下 警備員さんいるからもう進めぬ≫

≪いまいく≫

 

 簡素な返信から程なくして廊下の奥から声が聞こえてきた。

 警備員の横を通り過ぎ、物陰に隠れている俺のところへやってきたメジロは、今回が特別なレースの為なのか勝負服に身を包んでいる。

 か、肩が出ているよ……? 卑猥。

 

「ひ、久しぶり。……秋川」

「……おう」

 

 一ヵ月ぶりくらいだろうか。

 先日のメッセージを送るまで一回も連絡しなかったことが仇となって、彼女との話し方を忘れてしまっている。

 落ち着け。普通に話せばいいんだ。それでいて変にカッコつけた態度を取らず、素直に応援する姿勢を見せることが出来ればそれだけでいい。

 正直に好意を伝えよう。……いや告白をするわけではないが。

 

「えと、正直レースを観に来てくれるとは思わなかった……ありがと」

「友達の応援に行くのは当たり前だろ? 先生はバイト先に来てくれてるのに、こっちが応援しに行かないのもおかしな話だ」

「……そ、そう」

 

 そこまで話していて気付いたが、彼女どうやらタブレットを片手に持っている。

 新作の漫画が出来たのだろうか。もしかしたら俺の感想を欲しているかもしれない。

 

「それ……書けたのか、漫画」

「あ、うん、途中だけど。今のうちに投稿して、レースとライブが終わってから反応を見ようかなって……でも」

「でも?」

 

 メジロはタブレットを起動し、周囲をキョロキョロと確認しつつそれを俺に手渡してきた。

 

「やっぱりアンタの意見を貰ってからでもいいかなって……この一ヵ月、これだけを描き続けてたんだけど……何でか納得いかないの」

「じゃあ、読んでみてもいいか?」

「う、うん」

 

 誰にも見られていないことを改めて確認し、タブレットに視線を落とした。

 そこに描かれていたのはいつもの繊細な画風とは異なる、とても線がハッキリしたキャラクター達であった。

 肝心の主人公も何故か男子で、内容を鑑みるにいつもメジロドーベルが描いている作風ではなく──平たく言えば少女漫画ではなく、少年漫画に寄った作品に仕上がっている。

 こんな描き分けができるなんて天才か? 伸び代に驚愕。

 

「──ブフッ」

「……っ!」

 

 ヤバい、普通に笑ってしまった。はずかし。

 先生は基本的に恋愛模様を主として描きたいと語っているのだが、彼女の漫画の神髄はコミカルなキャラクター同士で織りなすギャグ描写なのだ。

 しっかり描いた長編よりも息抜きに作ったネタ漫画の方がウマッターで伸びている辺り、彼女の作品における強みが何であるのかは明白だ。

 

「……うわ、すげぇ良いところで終わってるな」

「続きは下書きすら終わってない状況……」

「いや、けどここまででもスゲぇ面白かったぞ。前後編で分けて投稿してもいいんじゃないか」

「……ううん、やめとく」

 

 完成させてから公開する、という矜持は譲れないらしい。

 

「全部読んだ後のアンタの感想が気になるから、まだ投稿しない」

「わかった。……にしても凄いな、メジロ」

「な、何が?」

「トレーニングの片手間でこれを描いてたんだよな? それにしてはクオリティ高すぎるなと思って」

 

 ここへ来るまでに彼女の噂は観客席からいくつか聞こえてきていた。

 周りが心配になるほど積極的にトレーニングに励み、一時的にとはいえ短距離走のタイムで有名なウマ娘のタイムを抜いたとも言われているほどだ。

 どれほど真面目に鍛えていたかは一目瞭然──だというのに空いた時間でこんなに高クオリティな漫画を描けるだなんて、正直信じられない。

 スーパーオーバースペックウーマン。人気漫画家兼アスリートとかいう地上最強生物の成り立ちを見た気がするよ。

 

「…………アンタに、読んでほしくて。絵も内容も男の子向けっぽくしてみた」

 

 俯きながらそう呟くメジロ。

 難聴系主人公ではないのでしかと耳に届いたぜ。

 あ~やっぱ俺の感想を必要としてましたねこれは俺の解釈だと。

 

 

『ドーベルどこだー? 出走前のミーティングを──』

 

 

「ッ!?」

 

 続きの言葉を紡ぐ前に、遠くから男性の声が聞こえてきた。

 内容と彼女が驚いた反応から察するに声の主はメジロの担当トレーナーだろう。

 

「あわわっ。こ、こっち!」

「ちょッ……!?」

 

 担当が呼んでいるのならすぐにでも向かうべきだ。

 にもかかわらず、事もあろうにメジロドーベルは俺を掴んで掃除用具入れのロッカーの中へと隠れてしまった。何事。

 

「なっ、何やってんだおま──むぐっ」

「少し黙ってて……!」

 

 彼女の手で口を塞がれ、訳も分からず沈黙を強制された俺は一旦指示通りに黙る。

 

『ドーベル……? 参ったな、まだ二十分あるが……他の生徒たちにも連絡して聞いてみるか』

 

 それから用具入れの真横で聞こえた男性の声は徐々に小さくなっていき、数分もしないうちに辺りは静寂に包まれた。

 隠れる必要が無いのに慌てて二人で狭い場所に身を隠す──ラブコメ漫画で見た事がある展開ではあるが、現実にするとこうも理不尽で心臓に悪いとは。

 

「おい、何で隠れたんだ。タブレットの画面消して、適当に言い訳すればよかっただけだろ」

「だ、だっ、だってぇ……!」

 

 想像以上に混乱していたらしい先生のことは一旦置いといて、冷静に現在の状況を俯瞰してみた。

 

 

 ──おっぱいが当たっている。

 

 いや、違う。少し待て。この状況の特異さにもっと目を向けるべきだろう。

 出走まであと二十分しかなく、担当とのミーティングも終えていない選手と、クソ狭い掃除用具入れのロッカーだなんて意味不明な場所に身を隠しているこの状況を目撃されたら、どんな言い訳も通用しないに決まっている。

 本来であれば観客はみな観客席で出走を心待ちにしている時間だ。

 ここで出場するウマ娘と、普通ではない場所で隠れている状況など、俺が推しに迫る厄介なファン……いやただの不審者だと明かしているようなものだ。

 見つかったら社会的に死ぬ。イグッ♡

 出なきゃ。早く出なきゃ。

 

『え、こっち通ったんですか? ありがとうございます、探してみます!』

 

 トレーナーが戻ってきちゃったよ……興が乗ってきたな。

 

「……どうすんだ、これ」

「す、隙をみて出るしかないでしょ……」

「……先生、ガチでこういう状況になると困るだけだって学べて良かったな。今後漫画で安易にこの展開を描いちゃダメだぞ。キャラクターが可哀想だから」

「うるさいうるさい……」

 

 互いに向かい合って密着するこの状況を作ったのはお前だぞ、胸を押し付けやがってお下劣サキュバスめ……厚顔無恥とはまさにこの事だな。

 適当なこと言いつつポーカーフェイスで我慢するにも限度あり。

 

 ──いやちょっと待ってこの女、胸がデカすぎないか……?

 棚からぼたもち。灯台下暗し。

 この大きさが目に入らず、遥か彼方の山脈ばかりに意識を割いていた俺こそ無知無知だったのでは?

 その大きさ天晴れ。

 サイレンスやマンハッタンと物理的に間近で接した後だからこそ、今この目の前にある膨らみがまるで一般的ではないことに気がついてしまった。

 もっと堪能したいよぉ~♡デカパイ押し付けよ。

 

「……ね、ねぇ秋川……」

「何だよ」

 

 身をよじるな! 蒸れる擦れる溢れ出る。

 

「漫画、どうだった……?」

「どうって……さっきも言ったろ。普通に結構おもしろかった」

「そっか。……あの。あのね」

 

 それまで横を向いて目を逸らしていた俺に、まるでこっちを見ろと言わんばかりに見上げながら圧をかけてくるメジロドーベル。

 観念し、彼女の方を向いた。

 マンハッタンの時もサイレンスの時も、顔は逸らせる状況だったからギリギリ命を繋げられたのに、こんなゼロ距離で見つめ合ったら眼球が溶けてしまう。

 助けてくれ!俺が俺でなくなる……!

 

「連絡くれて、ありがとう。……本当はずっと、こっちからも声をかけたかったんだけど……」

 

 オーラ! サッサと離れろ! よそ見しろバカ野郎! 可愛すぎるね♡

 

「一度会ったら歯止めが利かなくなると思ったから……しなかった」

「は、歯止め……?」

「だっ、だって! アンタと漫画の話をするの、とっても楽しいから……! 一緒にいたらレースの事が頭から抜けてっちゃう……」

 

 え、え、デレ?

 俺との時間が楽しいとかこの状況で言うか普通。

 心が歓喜に震えすぎて荒い息が止まらないよ。もしかして相性抜群!?

 その殊勝な態度でいったい何人を勘違いさせてきた? レクイエム。

 

「ぁっ、ちが、ここまで言うつもりじゃ……! ……いやっ、違うわけじゃないけどぉ……う、う~!」

 

 心底俺との時間が楽しかったんだね♡ かわいいよ。下品なメスめ!

 ……サイレンスといいコイツといい、何でウマ娘はこっちを期待させるような言い回しばかりしてくるんだ。

 多少特別な関係性にあることは分かってる。

 もしかすればそれは俺たち二人の間にしか存在しないものかもしれない。

 とはいえ、優しかったり好意的だったりしても、それがこちらを異性として好いているかには関係しない事も中学の経験から知っている。

 

 じゃあ、何なんだ。

 お前なんなんだよ。

 俺が告白してもいいのか?

 そんな雄を煽るような体と恰好で好意的な態度ばかり向けるとか舐めてるよね。

 生意気だぞ。いや、大生意気といったところか?

 準備は万端のようですね♡ このスケベ娘め。

 うおっ、で、デカ……。

 

「ありがと。あんな出会い方だったのに……今でもアタシとの秘密、ちゃんと守ってくれて」

「……礼を言われる程のことじゃない」

 

 というか。

 

「何だよその今生の別れをする前みたいなセリフ。こっちが恥ずかしくなるわ」

「……だって、勝ちたいから。……アタシの応援に来たんなら、ちゃんとアタシの心にバフかけてよ。これから凄く強い娘たちと戦うんだよ?」

「バフって……」

 

 メジロドーベルのやる気を増幅させるに足る方法。

 正直に言うと何も浮かばない。

 俺とは違い、中央の生徒でメジロ家のウマ娘でもある彼女の周囲には、数えきれないほどの仲間がいるから。

 理解者としては圧倒的な差で担当トレーナーに負け。

 思い出の数など天と地ほどの差がある友人のウマ娘たちに負け。

 応援する熱量もずっと彼女を鼓舞していたファンたちを前にすれば足元にも及ばない。

 

 脚質もタイムも得意な戦法も何も知らない。

 俺が知っているのは、彼女が作品作りに真摯な漫画家で、いつでもシチュエーションに悩んでいる生粋の妄想家だという事のみだ。

 そんな俺ができる事。

 確実にメジロドーベルにとってプラスになる事。 

 

 ──それは()()()()()()()()()()()だ。

 

「っ! あ、秋川……?」

 

 少女の頭の上に手を置いた。

 理解者面もありきたりな応援もダメで、確実にプラスになる事といえば、彼女の漫画のネタになる行動だ。

 心を揺さぶられた出来事を『これ漫画のネタにできそう』という形で咀嚼する彼女には、次の漫画において使えそうなシチュエーションを実践して提示し、それを描きたいという漫画制作へのモチベーションアップをしてもらう形で応援するしかない。

 コレが俺に可能な最大限のバフだ。どう受け取るかは彼女次第である。

 

「一着を取ったら、何でも一つ命令を聞いてやるよ」

「えぇっ……!?」

「今までは漫画を見せてもらってばかりだったからな、俺にできる事なら何でも」

「なっ、なななっなんでも」

「あぁ、何でもだ」

 

 その代わり、と呟きながら一度だけ少女の頭を撫でた。

 女子の髪を勝手に触るのはご法度だろうが、ここは俺との時間が楽しかったと語る彼女からの好感度を信じて突き進む。

 

 

「勝てよ、()()()()

 

 

 そうして、生まれて初めて女子を下の名前で呼んだ。

 今まで頑なに先生だのメジロだのと呼んでいたのは単に距離を掴みかねていただけだったからだが、それを逆手にとって少女漫画風にクサいセリフに変換してみた。

 ……まぁたぶん気味悪いと思う。

 とはいえ、名前を呼ぶことで本当に心底レースを応援していることは伝わるはずだ。

 

「……~っ! ……ッぅ、っ……!!!?!?!!!?」

 

 顔を真っ赤にして押し黙るその反応を前にして、あぁやりすぎた終わりだと後悔する。

 彼女にとって俺がどういう立ち位置にいるのかを明確にできなかったのが良くない。ここは普通に頑張れとかありきたりな応援の方が良かったかもしれない。死んだ。

 

「……………………べ、ベル」

 

 俯いていた彼女がゆっくりと顔を上げ、時折視線を右往左往させながら、小さくそう呟いた。

 

「ベルって……呼んで……」

「え?」

「そ、そしたら頑張れるかも……だから……っ」

 

 一旦言う通りにしてみよう。名前通り越してあだ名になるとは思わなかったが。

 

「ベル」

「っ!!」

「一着を取って、センターを飾ってくれ。ベル」

「~~~ッ……う、うんっ」

 

 自分で言えって言ったのに恥ずかしがるなよ。一生かけて守り抜きたい。

 たぶんこれ特別な中でも更に特別な相手にしか呼ばせない愛称だよな。

 分かっちゃうよ、お兄さんエスパーだから。ウマ娘エスパー♡

 あ~たのし~こんなシチュ滅多に体験できね~もん。九蓮宝燈。

 この頬を赤らめながら上目遣いするベルちゃん見れる角度めっちゃ好き。後でVHS化希望。

 

「──おわっ!?」

「きゃっ!」

 

 瞬間ロッカーの扉が突然開き、俺たちは床に倒れこんだ。

 顔を上げると、そこにはいつか見たマンハッタンカフェ似の白髪の少女が立っていた。

 

「いてて……き、君は確か……」

「出走まで、あと三分」

「えっ。……うおっ、マジだ」

 

 白い少女に言われて腕時計を確認すると、本来出走ウマ娘がここにいてはいけない時間を針が指し示していた。

 もう一度顔を上げると白い少女は姿を消していたが、それよりも優先すべきことがあると考え急いでドーベルを起き上がらせて、出走を促す。

 

「怪我は無いか、ベル」

「う、うん……♡」

「……ホントに大丈夫か?」

「えっ!? ……あ、あぁ、もちろん! 全然平気だからっ!」

 

 逃げるように出口へと小走りで向かっていくドーベル。

 途中こちらを振り返り、勝気な笑顔を向けてきた。

 やはり美人はどんな表情も似合うなぁ。私が育てました。

 

「ちゃんと見ててよねッ! アタシ、一番になってくるから!」

「おう」

「……そ、それと、後でアンタのあだ名も決める!」

「それは何?」

 

 あだ名って自然に定着していくものだと思うのだが──まぁドーベルの為になるのであれば文句は無い。

 

 そんなこんなでメジロドーベルは滑り込みセーフを果たし、目を疑うようなスピードでレースを一蹴。

 二着のウマ娘と七バ身差をつけた一着という圧倒的な走りで観客を沸かせ、翌日の新聞の一面を飾ったのであった。あの喫茶店に通うウマ娘どいつもこいつも強すぎ問題。

 

 



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破廉恥女 無知の知

 

 

 ──ムラムラするという情動は罪ではない。

 

 雄という生き物なら誰もが持ちうる不変の摂理であり、泡ハンドソープで女子と手を洗い合うという未知の文化との出会いや、絶対に反応してはいけない状態で一方的に少女から肢体に触れられたり蒸れるほど狭い場所で密着したりなどしてしまえば、ソレが爆発的に加速する事などコーラを飲んだらゲップが出るくらい当たり前の事なのだ。

 ゆえに今この瞬間もポーカーフェイスの奥底で性欲が蠢いているわけだが、それは悪い事ではない。

 呪いや担当トレーナーが通りがかったことによる混乱なども加味すれば彼女たちに非があるわけでもないことは自明の理だ。

 

 しょうがない事、なのである。

 だからライブが終わって早速知り合いのウマ娘の内の誰かに連絡を入れようとすることは間違いでは──

 

「見てたかい秋川っ!?」

「うぇっ……?」

「お゛ぉ゛~ッ!! メジロドーベルぅ~!!」

 

 ──待て。

 ライブ中常に全力でオタ芸に注力し、終わった瞬間に隣で雄叫びを上げた山田のおかげで、正気を取り戻すことが出来た。マジで助かった、間一髪だ。

 

 ドーベルが出走へ赴く姿を見送ったあと、珍しく山田から連絡が入ったので『俺も会場にいる』と返信したところ、この特別席で華麗にペンライトを振り荒ぶる連中と同席する事に、という経緯で今ここにいる。

 そろそろ夕焼けが顔を出し始める時間帯。

 俺と山田は今日行われるプログラムをすべて見終えると会場のすぐそばにあるカフェの屋外テラスへ移動し、ちょっとしたケーキと珈琲を嗜みながら今日の感想を言い合っていた。

 

「はぁ……メジロドーベル、まさか本当に一着を取ってくれるとは……」

「……前から思ってたんだが、山田お前なんか推しの人数が多くないか」

「いやまぁ確かにサイレンススズカもマンハッタンカフェも推しだけど……聞いてくれる?」

「どうぞ」

 

 俺の性欲を凄まじい大声で一時的に誤魔化してくれた恩人だ。面倒くさいが最後まで聞こう。

 

「風の噂だったんだけど、なんか最近街で走り込みしてる姿をよく見かけられるウマ娘の話が上がっててね。試しに目撃情報の多い場所に行ってみたらバッタリ、本当にいたんだメジロドーベルが。それで僕もよく通る道だからほぼ毎日その姿を見かけてたんだけど、彼女は酷い猛暑でも強い雨の日も変わらず真剣に走り込みをしていたんだ! もう感動してしまって! 凄くかわいいし!! だからいつの間にか心惹かれていて……二日前、道を通りがかった彼女に勇気を振り絞って『レース頑張ってください』って言ったら、彼女は恥ずかしそうに手を振ってくれるばかりか『ありがとう』って! もう推しになるしかないよね!! 好き……最高に好き……」

 

 ──オタク特有の早口で捲し立てられたが、要するにこの男は結構ガチでドーベルのファンになっていたようだ。

 彼女を応援する熱量ではファンには敵わないと分かっていたが、まさかこれ程までに差があるとは思わなかった。

 会場で山田含む彼らが披露した、あの古から伝わりし華麗なるヲタ芸は芸術の領域に達していた。

 彼らの本気には驚かされるばかりだ。俺もアレ覚えようかな。

 

「んっ……?」

 

 未だに語り続ける山田の演説を話半分に聞いている最中、ポケットの中のスマホが揺れた。

 取り出して画面を確認すると、そこに表示されていた名前がメジロドーベルだったことに気がつく。噂をすれば、とはこの事か。

 

≪あだ名≫

 

 出走前に言っていた俺のあだ名が思いついたようだ。

 ちなみにライブ終了後にもメッセージは送られてきていたのだが、俺が賛美の言葉を送るよりも早く『二人きりの時に言って』と釘を刺されてしまった。

 まるで恋人の距離感。

 なので未だに勝利したことを褒める事が出来ていないのだが、それを聞くよりもドーベルは俺に付けるあだ名を優先したいらしい。変わってるね。

 

≪葉月だから、ツッキーとか どう≫

 

 そのあだ名マジ? 往来で呼ばれたら死ぬが。

 

≪そっちが恥ずかしがらずに呼べるなら構わないけど≫

≪あぅ≫

 

 何が『あぅ』だお前あざとすぎるだろ。

 うぉ……さっきまで笑顔振りまいてたスターウマ娘がしちゃいけねぇ照れ・ヴォイス。

 

≪よぶ 絶対呼ぶ!≫

≪はい≫

≪そっちもちゃんとベルって呼んでね≫

 

 あだ名ってそんな意識して呼ぶものだっけ。別にいいんだけども。

 

「秋川? 誰かから連絡?」

「ん……あぁ、知り合いから。前に教えたあだ名で呼べって」

「何それ……変わった知り合いだね……」

 

 山田からの反応を適当に誤魔化しつつ、この場でメッセージのやり取りを続けるのはマズいと思い早々に本題へ移った。

 

≪んで俺に聞かせる命令は決まったのか?≫

≪そ それは≫

 

 問題はここだ。勝利したらご褒美としてプレゼントすると言った手前、有耶無耶にはできない。

 やるなら早いほうがいい。

 アシスタントみたいな形で漫画制作の手伝いをする、とか何とかなら問題はないのだが、犯罪チックな要求をされた場合は説得の言葉を用意しなければならない。

 何が来るんだろう。ドキドキ。

 

≪あの、えっと≫

≪何だ≫

≪てて手伝い 漫画の手伝い いろんな資料が欲しいです お願いします≫

≪そんなんでいいのか?≫

≪はい お願いします≫

 

 資料の調達とは、これまた謙虚な願い事だ。

 いくつかの図書館を回って参考になりそうな書籍を借りて持っていけばそれでよさそう。

 

≪あの 来週≫

 

 ……?

 

≪来週いく アンタ あ ツッキーの家≫

≪は?≫

 

 何でそうなるんだ。もしかして資料請求すらせず俺の家でネットサーフィンするだけとか、こっちの予想をはるかに上回る謙虚さだった? 誉れ高すぎワロタ。大和撫子の鑑だよお前。

 

≪命令だから! あの時ちゃんと言質とったから!!!れ!!、!!!≫

≪いや、駄目だなんて言ってないだろ 来週のいつ来るのか決まったらまた連絡くれ≫

≪はい……≫

 

 テンションの振れ幅すごい。俺みたい。

 

≪あのあの≫

≪どした≫

≪本当に行っていいの 迷惑じゃない?≫

 

 何でそこで怖気づいてしまうのだよ。愛おしい。

 

≪俺の家なんかいつ来ても大丈夫だぞ≫

≪はぇ≫

 

 実家から持ってきた荷物は少なく、またよく自炊をするためコンビニ弁当等のゴミも出にくい事から、家の中は基本的に片付いている。

 まぁ、綺麗というよりは殺風景なだけだが。

 利点としてはいつでも誰かを家に上げられるところだ。デカ乳ウマ娘のポスターもマンハッタンを招く直前に押し入れの奥底へブチ込んでおいたので、見られて困るものは一つもない。

 

≪じゃあまた来週……ツッキー≫

≪お休み、ベル≫

≪ヒョわ≫

 

 いちいち悲鳴みたいな文字列送ってくんな。

 

「おっ!? あ、秋川アレ! 地下鉄に向かってるのメジロドーベルじゃね!?」

「マジだな。手ぇ振ってみるか」

「み、ミーハーだと思われないかな……?」

「どう思われたいんだよお前は……」

 

 言いながら山田と一緒に手を振ってみると、遠目に気がついたドーベルは恥ずかしそうに視線を右往左往させつつ、小さく微笑んでこちらに手を振り返してくれた。ここはひとつ結婚で手を打たない?

 

「ぅっお°……振り返された……二日前の件も相まってメジロドーベルに認知されてしまった……」

「よかったな」

「後方彼氏面が捗る。次回からそうしようかな」

「お前スゲぇよ……」

 

 謙虚なファンかと思ったら自己肯定感意外と高いし面白い男だ。

 と、そんなこんなで談笑していると日が暮れてしまった。

 明日の予定が無いとはいえ、そろそろ帰ったほうがいい。というか帰りたい。

 

 ──性欲が治まったわけではないのだ。

 山田のおかげで一時的に鳴りを潜めたとはいえ、これまでの記憶は鮮明に脳に焼き付いている。

 このまま我慢する事など不可能なので帰宅次第男子が当たり前に行うルーティンに耽る事は確実だ。

 とてもムラムラする。

 だから早く帰りたいのだが、事もあろうに山田とゲームセンターに寄ってしまった。断れなかった。俺は弱い。

 

「ぐおぉ……もうちょっとなのに……」

「もう二千円使ってるぞ。やめようぜ」

「無理に決まってるだろ! スズカの初めてのフィギュアだよ!!」

 

 ちなみに山田はゲーセンの商品に追加されたサイレンススズカのフィギュアを取るためにクレーンゲームで悪戦苦闘している。

 サイレンスのグッズが飛ぶように売れたことが理由で、近年では珍しくフィギュア化までされていたらしい。おっぱい超デッカーウマ娘のフィギュアは無い?

 

≪秋川くん≫

 

 うおっ、突然のサイレンスからのメッセージ。正直慄いた。

 

≪久しぶり 今、いい?≫

≪どした≫

 

 数週間ぶりのやり取りだが、ドーベルの様な露骨な緊張は見受けられない。流石はフィギュア化された女だ。

 

≪次の火曜日なんだけど、空いてる?≫

≪予定は無いけど≫

 

 山田の攻防を一瞥しつつ返信を続ける。

 

「秋川ァ! 横から見てタイミング図って!!」

「今忙しいから無理だ」

「スズカのフィギュア欲しくないの!?」

「お前のだろ。……ていうかそれ、もう初期位置に戻してもらったほうが良くないか? 全然動いてねえぞ」

「……た、確かに」

 

 彼の相手もそこそこにスマホへ目を落とすと、いつの間にか返信が届いていた。ドーベルといいサイレンスといいウマ娘って返事早いね。

 

≪シューズと蹄鉄を買いに行くのだけど、一緒に見てくれない?≫

 

 デートのお誘いに見えるがそれは違う。

 中学の時も似たような文言で誘われたが、当日は相手の友達やクラスメイトの男子も居たりしたのだ。不埒で悪辣。

 行かないわけではないが、期待し過ぎない心持ちで事に臨もう。

 

≪俺は構わないが、そういうのってトレーナーと見るものじゃないのか≫

≪壊れちゃったのは練習用の方だから≫

≪そうなん≫

 

 本人が問題ないと語るのであればこちらから言う事は何も無い。気になるのはもう一つだけだ。

 

≪スペシャルウィークさんの特訓は≫

≪同期の子たちと合宿へ行ったから、私はお役御免 喫茶店にもまた通えるから≫

 

 通うという宣言の重要さに彼女は気がついているだろうか。

 しかし特訓が終わって会える時間が作れるようになったのは素直に嬉しい。

 お互いを隔てるものはもうなにもないんだよね♡ イチャイチャラブラブ指導だ。

 早く会いたい……。

 

≪それじゃあまた火曜にな≫

≪え≫

 

 っ?

 

≪どした≫

≪難でもない≫

 

 誤字ってるぞ。ドーベルもそうだが慌てている時の変化が分かりやす過ぎる。

 

≪何かあるなら言ってくれ≫

≪    最近 話してなかったから≫

≪うん≫

≪もう少しだけお話し したいかなって≫

 

 え、恋人の距離感?

 もしくは仲のいい女友達にも毎回『寂しいからもう少し話そう』とか言ってる? 

 いい加減にしてくれ。子供が楽しみだね♡

 

≪なら夜に電話かけるから≫

≪いいの?≫

 

 帰ったらお楽しみが待っているのだが……まぁ、サイレンスとの電話が終わってからでいいか。

 今の俺は性欲に傾きまくっている男だ。

 そんなヤバい日の俺と話したいだなんて軽率な発言をしたことを後悔するがいい。支離滅裂な事しか言わないからな。

 

≪じゃあまた夜にな≫

≪うん!≫

 

 ということでサイレンスとのやり取りが終わると同時に、どうやら山田もクレーンゲームでの激戦をやり終えたらしい。

 フィギュアの箱が入った袋を片手に上機嫌な彼とゲームセンターを後にし、お互いの進む方向が異なる分かれ道までやってきた。

 いろいろと予想外なことが多かったものの、総合的に見れば楽しい一日だった。実は俺も上機嫌だ。

 

「じゃあ秋川、これ」

「えっ?」

 

 またな、と言って解散しようとした矢先に、山田が後生大事に抱えていたサイレンスのフィギュアの箱を差し出してきた。何事。

 

「誕生日だったでしょ、来週。前倒しだけどこれプレゼント」

「……あ、あー。そうだ、そうだったな。……え、貰っていいのかコレ」

「だからプレゼントだって。……まさか秋川、自分の誕生日を忘れてた?」

「い、いや、んなわけないだろ、悲しみを背負った少年漫画の主人公じゃあるまいし」

 

 と言いつつも、自分がそのまさかに該当するとは思わなかった。

 わざわざ一人で自分を祝った記憶も、家族にバースデーソングを歌ってもらったことも無いせいか、すっかり忘却してしまっていたようだ。

 そういえば。

 去年も山田からだけは誕生日に何かしら貰ってたんだった。

 あの時は……確か、コンビニの三百円くらいのプリンだったっけか。普通に結構嬉しかったんだよな。

 

「じゃあ逆に聞くけど、僕の誕生日は?」

「十月の二十九日だろ」

「うわ、キモ……」

「このっ……去年お前が中央のファン感謝祭と日付被ってるってしつこく嘆いてたから覚えただけだっつの。うぜぇなこのデブ」

「あー悪口言った! フィギュア返せ!」

 

 大体完全に忘れていたわけではない。

 当日になれば、そういえば今日誕生日だったな、と不意に思い出す可能性も十二分にあった……はずだ。舐めんな。

 

「ほれ、返す」

「え? イヤ冗談だって。それ元々秋川にあげるつもりで取った奴だし。僕もう保存用と観賞用とカラーリング別ので五体持ってるし……店舗別の限定カラーのやつはあげないよ?」

「ねだらないって。……その、ありがとな山田。大切にする」

「それはもちろん。埃が被らないように毎日手入れしてね」

「……箱から出すのやめるわ」

 

 友人から誕生日プレゼントを貰う。

 それは、他の人にとっては当たり前の事だろうか。

 今の俺にはまだ分からないが、コレが当たり前になったとしたら、それは凄く幸福なことだと思う。

 

「じゃね」

「あぁ、また」

 

 改めて別れの挨拶を交わし、解散。

 本当に今日は楽しい日だったと実感しながら帰路に就いた──その道中。

 

「──うぉっ!?」

 

 あの厄介な怪異のカラスが再び現れ、奴にフィギュアが入った袋を奪われてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 ──それから二時間弱が経過した、現在。

 

「……」

「……」

 

 紆余曲折あって最終的に自宅へ戻った俺の前には、今日ドーベルと一緒に閉じ込められていたロッカーから解放してくれた、あのマンハッタンカフェ似の白髪の少女が鎮座していた。

 お互いに向き合い、お互いに正座をして、何から切り出せばいいか分からず沈黙してしまい早数分。

 俺の頭の中は今世紀最大の混乱に陥っていた。

 

 

 事の経緯は次の通りだ。

 

 まず道端で突然襲い掛かってきたカラスに山田から貰ったフィギュアを奪い去られてしまい、俺は必死でそのバカ鳥を追跡した。

 しかしカラスはフィギュアの入った袋を咥えているとは思えない速度で逃走し続け、足が遅く空も飛べない俺ではもはや取り戻すのは不可能かに思われた。

 

 ──その時だった。

 諦め半分で『ジャンプしたら届かねぇかな』と考えながら地面を蹴ると、俺は()()()

 

 軽く五メートルは跳躍したのだ。

 重力が無くなってしまったのかと錯覚するほど体が軽く、赤い帽子の配管工もかくやという程の大ジャンプだった。

 目の前の光景に混乱し、フラついた俺は気がつけばビルの屋上に着地。

 そこで休んでいたカラスと再び邂逅し、とにかくフィギュアだけは取り戻さなければ、ということで。

 まるで忍者の如く建物の上を伝いながらの鬼ごっこが幕を開けた。

 程なくして俺が投擲したスマホに直撃したカラスが、泡がはじけるかのように霧散しフィギュアは取り戻せたのだが、肝心なのはその後だった。

 

「……つまり、何だ。俺が急に人間を辞めて、チートみたいな()()を使うことが出来たのは……お前が俺に憑依したからだ、と?」

「最初からそう言ってる」

「……めちゃくちゃ足が痛いんだが。さっき鼻血も出たし」

「肉体を無理やり適応させたから、それはそう」

 

 ──まいった。

 何を言っているのか分からない。

 この少女は以前から神出鬼没で、浮世離れした不思議な女の子だとは思っていたが、まさかガチ幽霊だったとは予想だにしていなかった。

 

「幽霊じゃない」

 

 オマケに心も読めるときた。本当に厄介この上ない。

 あまりにも不思議すぎる相手では一般人の俺では太刀打ちできない──となればあとはマンハッタンカフェの出番だ。

 超常現象やオカルトは彼女の専門分野。

 困ったら連絡してくれとの事だったのでさっそく電話を入れてみた。

 そうして帰ってきた返事は、非常に簡潔なものであった。

 

『えぇと……一応、彼女は味方です』

 

 味方であるらしい。俺の足を激ヤバ筋肉痛にさせ、鼻血が出る原因を作ったものの、この少女は味方であるようだ。

 確かに彼女のおかげでフィギュアを取り戻すことが出来たのは事実だが、にしてももう少しやり方は無かったのだろうか。

 

『彼女は私の”お友だち”です……悪意があるわけではありません。何よりお話を聞いた限りでは、葉月さんをカバーしているようですし……恐らく私が手を貸せない間は、怪異と対抗するためのサポートとして助けに来てくれたのだと思います』

 

 マンハッタンカフェとめちゃめちゃ似ているとは思っていたが、普通の友達とは何とも意外だ。

 彼女と初めて出会った時からそばに居たものだから、てっきりマンハッタンのスタンドか何かだと思っていた。

 

『呪いが消滅するまでは……彼女のそばにいてください。生活は多少不便になるかもしれませんが、現状目の前に現れた怪異に対して対抗できる力が”お友だち”にしか無いのも事実ですので……彼女をよろしくお願いします』

「……え、ウチに居てもらうってこと?」

『はい……今夜襲われてしまった以上、安全とは言い難いので……』

 

 マンハッタンから直々に言い渡されてしまったら断りようがない。

 そもそも俺を守ってくれる相手なのだから、邪険に扱うのもおかしな話だ。

 感謝はしている。

 崇め奉るレベルだ。

 しかし一つだけ問題がある。

 ──どうして()()()()なのだろうか。

 

 性欲が有り余っているのだ。

 日中から今にかけてまで、理性の貯蔵タンクが破裂してしまうほど性欲を溜めて我慢し続けてきたのだ。

 せめて明日からにしてほしかった。

 女子が同じ部屋にいたらヤることヤれないではないか。

 我慢による怒りで青筋がプルルと震えるよ。

 

『葉月さん、明日自宅まで伺いますね。では』

「えッ、待ってマンハッタンさ……き、切れた」

 

 理由が理由とはいえそんな簡単に男子の家に来る?

 もしかして距離感が恋人?

 どうやら知り合いのウマ娘三人とも俺と付き合っていたらしい。民間伝承。

 

「よろしく、ハヅキ」

「はい……よろしくお願いします……」

 

 よろしくできねぇよ不意に家に転がり込み居候女が。

 好きな料理を教えて♡

 

「カフェは生活が不便になるかもと言っていたけど、邪魔になるつもりは無い」

「は、はぁ」

「ので、基本的にはハヅキの指示に従う。家事も覚える。何でも言って」

 

 じゃあとりあえず男子の日々の営みをするので小一時間ほど家から出てってくれと言いたいところだがそうは問屋が卸さない。

 多分マンハッタンが彼女をそばに置けと言っていたのは、俺一人で家の中に居たら怪異に閉じ込められる可能性があるからだ。

 もう一度マンハッタンに抜いてもらって、呪いを弱めない限りコイツとの別居は夢のまた夢である。

 あと単純に男のプライドとして()()()()()するから席を外してくれだなんてセリフは吐けないし、そんな事言うくらいなら死んだ方がマシだ。

 

「ハヅキ、欲望の色が漏れ出ている」

「若人なら当たり前の感情だぞ」

「何でも言ってと、さっき言った。手伝えることがあるならやる」

「マジ……?」

 

 じゃあベロチューしろ密着して。それが社会だ。

 嘘。

 ウソだよ~かわいい嘘♡ 本気にしないでね。雑魚め。

 

「混乱している。ハヅキ、何もしないなら早く寝たほうがいい」

「サイレンスとの電話があるから無理だ。その間は静かにしててくれよ」

「はい」

 

 電話可能になったらそっちからかけてくれとサイレンスには伝えてある。それが終わるまで睡眠は後回しだ。

 正直こんなムラムラでイライラしている状況でまともな会話ができるとは思えないのだが、幻滅されるのはもっと怖いので頑張って誤魔化さないと。

 秋川葉月、居候の出現により突然の禁欲生活を余儀なくされました。修行僧かな。

 

「そういえば……お前のことはなんて呼んだらいいんだ?」

 

 マンハッタンは彼女だのお友だちだのと終ぞ名前を言う事は無かった。

 本人に直接教えてもらわなければ。

 

「……特定の名称は無い。好きに呼んでいい」

 

 本名は隠すタイプだったか。

 まぁそれもいいだろう。勝手に決めていいなら安直なネーミングセンスをぶつけて後悔させてやる。嫌がって本名を名乗ってくれるかもしれん。

 

「じゃあ今日は日曜日だから、サンデーで」

「…………」

 

 どうだこの小学生もビックリするような名前の決め方は。

 イヤだったら名前なんて大事なもんは自分で名乗るんだな。

 名前を甘く見るな! 照明さん! 音声さん! ピンクスパイダー。

 

「………………それでいい」

 

 嘘でしょ。

 呼び名は本当に何でもよかったのか。

 そのストイックさ称賛に値する。

 

「お布団、温めておく」

 

 は? ケツと度胸がデカすぎる……モラルを弁えろよ。

 

「おいサンデー、勝手に布団に入んな。夏だから温める必要なんて無いだろ」

「人肌が恋しいという色が見える。幼い頃のカフェに似てる」

「は? 子供じゃありませんが……」

「それより電話するんでしょ。気にしないで」

 

 おっ、何でも言う事聞くとか言っといて意外と指示に従わないタイプだな?

 我儘すぎてかわいいね♡ ふざけるのも大概にしろ。

 淫靡な態度でオスを誘う卑劣な幽霊め、もっとゆっくり距離を縮めろ! 風情がない。

 

 ──と、紆余曲折の果てに変な女との共同生活が幕を開けてしまったのであった。

 ちなみに彼女からは甘ったるい良い匂いがした。たまらんわ。

 

 



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押し倒されてる感想はいかが? 述べろ!


文字数がヤバくなったので分割しました♡あっ♡少しばかりイグッ♡


 

 

 心頭滅却すれば火もまた涼しという事で、水風呂に突っ込み性欲を強制的に鎮火させてからサンデーを無視して床に就いた翌日。

 先日の約束通り昼過ぎにマンハッタンがウチを訪ねてきた。

 

「お邪魔します……」

 

 ウチに来たのがまだ二回目という事もあってかソワソワした様子で腰を下ろした彼女は制服ではなく私服を着込んでおり、いつにも増して落ち着いた印象を受ける。

 しかしその服は童貞好み、スカートが長くて逆にえっちだ。

 風情があるね。和三盆。

 

「外暑かったよな。これ、麦茶」

「あ、ありがとうございます。頂きます」

 

 実は、彼女が自宅を訪れるまでに考えていたことがあった。

 

 バイトを始めてからのこの数か月の間、立て続けに知り合いが増えたことでどうやら感覚が麻痺していたようで、よくよく考えるとマンハッタンカフェにだけは、こちらからの何かしらのアクションをひとつも起こしていなかった事に気がついたのだ。

 不可抗力で助けたのはあくまで彼女の担当トレーナーであり、マンハッタン自身に手を貸した覚えはこれといって無い。

 道端で鍵を拾った事に関しても、正確にはサンデーが教えてくれた場所に落ちていたものを拾って渡しただけで俺自身は何もしておらず、また通りがからずともそのうちサンデーが拾って彼女に渡していたであろうことは想像に難くない。

 

 そこで思い至ったのだ。

 俺がマンハッタンカフェに快く思ってもらえる要素無くないか、と。

 

 脱水症や呪いの件といい、俺は彼女に助けられてばかり──言ってしまえば迷惑をかけているだけだ。

 だが理性のリミッターが無くなった状態でのあの凶行も仕方ないものだと割り切れるマンハッタンさんであれば、世話になった諸々の件も『気にしないでください』の一言で片づけることが出来てしまうだろう。

 というわけで、俺が考えるべきなのは贖罪ではなく恩返しだという結論に至った。

 せっかく生まれた繋がりなのだ。途切れさせない為にはあらゆる手段を行使しなくては。

 無償の愛は無償で返すぜ。

 

「それ有償」

 

 静かにねサンデーちゃん。 

 抱き枕にされたくなかったら黙ってろ。えっちな幽霊の分際でよ。

 

「幽霊じゃないってば。カフェからも何か言って」

「え……?」

「そいつの言ってることは気にしなくていいから。それよりマンハッタンさん、昼はもう食べた?」

「あ、いえ……まだです……」

 

 よかった。

 恩返し計画その一は無事に決行できそう。

 受け取った恩を返すと言っても、マンハッタンの性格を考えると大仰なものはむしろ迷惑になってしまう可能性が高い。

 なので俺ができる事といったら、飯を奢ったり荷物を持ったりパシリになったりなど、誰でもできるような雑用を進んでやるくらいだ。

 今年一番のご奉仕をあなたに。

 

「いまから作るところだったんだけど……食ってく? 冷やし中華」

「えっ……いいんですか」

「ちょうど材料が二人分残ってるから」

「ですが、その、まだ解呪の儀式が……」

「飯食ってからでもいいかなと思って。腹減り過ぎた状態で理性が無くなった時とか……ほら、マンハッタンさんの髪とか食んだらヤバいし」

「……そう、ですね。よろしくお願いします」

 

 リミッター外しのペンダントに関しては今回対策を用意してあるのだが、空腹時の自分の挙動までは保証できない。

 お礼と保険も兼ねて先に昼食を作ろうと最初から決めていたのだ。乗ってくれて助かった。

 マンハッタンに『食べてきたから別にいらない』といった旨の発言をされたら凹むところだったので今日は運がいい。

 

 ──俺と彼女は超常の存在に巻き込まれた、という点でしか繋がりを持っていない。

 無論、この少女の献身によって解呪がなされた時にはそれが消滅し、俺たち二人が交流する理由は綺麗さっぱり消えてしまう事だろう。

 そして、特にこれといった理由が無い状態でも交流する事ができる関係性を、この世界では友人と呼ぶ。

 

 俺はこの呪いが消え去ってしまう前に、マンハッタンカフェと友人になりたいのだ。

 一度は自分から身を引こうとした相手だが、彼女から引き止めてくれた事実も加味して、友人になれる可能性はまだ残っているはずだ。

 お友だちになってください。

 了承してくれ! 心からの願い。

 

「お待たせ」

「どうも……いただきます……」

「ハヅキ、私もちょっと食べたい」

「俺のやるから小皿取ってきな」

「はい」

 

 この家の小さな丸テーブルを三人以上で囲んだのは初めてだ。素直に嬉しい。

 というか山田以外で俺の家で一緒に飯を食ったのマンハッタンさんだけ──いや、そもそも自宅に上げた事のある女子が彼女だけだ。

 どんどん俺の初めてを奪っていくね♡

 しかしやり過ぎくらいがちょうどよい。出過ぎた杭。

 

「……あなたが何かを食べているところ、初めて見た」

 

 サンデーを見つめながら小さく呟くマンハッタン。

 二人は昔からのお友だちとの事だが、意外にも一緒に飯を食う距離感ではなかったらしい。

 放課後にちょっとだけ遊ぶこともある別のクラスの知り合い程度の感覚なのだろうか。

 

「ん。私が一緒に食事をした場合、はたから見ればカフェの近くで食べ物が急に浮いて消える怪現象になってしまう。カフェが不気味に思われてしまうのは避けたかった。ので」

「そ、そう……」

「でもここにはカフェとハヅキしかいない。だから大丈夫」

 

 人気のない場所や自宅でも万が一を想定して一緒に食べる事はなかったようで、サンデーがどれほど本気でマンハッタンに対する周囲の目に気を配っていたのかが、少しだけ理解できた。

 自分が特異な存在だという自覚を忘れない姿勢には感服の一言だ。

 

「……ここなら、あなたと一緒にご飯を食べられるんだ。……でも、別に私はどこでも……」

 

 だがマンハッタンの様子を見るに、彼女は周囲からどう思われるかよりも、サンデーと一緒に食事をしたい気持ちが大きかったように思える。

 

「カフェはトレーナーにスカウトされても私の話ばかりするから、最初は全然担当が決まらなくて。結構心配だった」

「だ、だって……あなたは、ここにいるのに……」

 

 何だか過去にいろいろあったらしいが、結果だけ見ればマンハッタンカフェは現在優秀な担当トレーナーと契約し、日本中でファンをポコジャカ生みまくりなスーパー大人気ウマ娘になっている。

 彼女をそこまで育成できるトレーナーという事はサンデーの事も大体は知っているはずだ。

 その人の前でなら別に一緒にメシを食う事もできたのではないか、とつい邪推してしまう。

 

「ハヅキ。余計なお世話」

「いや勝手に心読むなって。思考しただけで口には出してないだろが」

「食べ終わったのならお皿洗う」

「聞けよ……」

「カフェも、ほら」

「あ、うん……よろしく……」

 

 まるで平然と家事担当みたいな顔をしているが、コイツは今朝お気に入りのマグカップを一個割っている。許さん。

 

「その節は、ごめんなさい。何でも言うこと聞きます」

「ほう」

 

 じゃあ次何か破壊したら耳くすぐるからな。覚悟しておけよ。

 

「セクハラ。えっち」

「……風呂までついてきた女が何言ってんだ、俺の方がプライベートを侵されてるだろ。えっち野郎はお前だぞ、距離感バグ女め。恥知らず」

「むむ」

 

 マジで性欲を発散する隙が無い。

 狭い家で唯一プライベート空間な風呂場にまで入ってくんじゃねぇよ。控えおろう。

 この煩悩を乗り越えることが出来たら、きっと俺は修行僧を通り越して仏になれる事だろう。

 風呂の件だけではなく、俺が寝そべってたら急に頬とか指で突っついてきたりもしたからな。

 そんなに俺からの折檻が恋しいのか?

 とんでもないモラルハザードだよ。

 

「…………」

 

 軽く口喧嘩をしていると、マンハッタンがジッと俺たちのほうを見ている事に気がついた。怒らせてしまったのだろうか。

 別にサンデーを非難しているわけではないのだ。最低限の節度を持ってほしいだけで。

 怒らないで♡ ごめんなさい♡

 

「……葉月さんは、本当にあの子が視えているのですね……」

「えっ?」

 

 マンハッタンの表情は怒りではなく困惑だった。

 コイツの存在は昨晩既に伝えてあるはずだが。

 

「どんなに目を凝らしても、誰の目にも映らない……私以外の誰にも……認識されない……トレーナーさんでさえも、そうでした」

 

 ガシャン! とけたたましい音が響いた。

 また割ったなアイツ。貸し一つプラスです。

 マンハッタンがシリアスに語ってる最中なので、もう怒らないから一旦静かにしていて欲しい。きみの話だぞ。

 

「……タキオンさんやトレーナーさんは……彼女の存在を信じてくれています。受け入れてくれる方たちがいる……」

 

 一拍置いて彼女は続ける。

 

「それだけで十分すぎるほど、恵まれている。たとえ視えるのが私だけでも……それは間違いなく、私にとって一番の……そのはずでした。

 これ以上を求めてはいけないと……ここから先はただの欲望、願望……あまりにも身勝手なワガママだから……」

 

 マンハッタンはサンデーの後ろ姿を見つめ続けている。

 彼女は変わらず洗い物をしているが、俺たちの会話に耳を立てていることは明白だ。耳がピクピク動きすぎている。

 

「でも、葉月さんは──……どうして、なのでしょうか」

 

 どうして、と言われても困る。

 俺が特別何かをしたわけではない。

 

「……その、悪い。マンハッタンさんの言ってること、多分あんまり理解できてない」

 

 ここはもう正直に言ってしまおう。

 知ったかぶりをすると後が怖い。

 

「まず特別視えるって部分が実感できてなくて……あいつ()()()()()()()()そこにいるし」

「……当たり、前……」

 

 普通の人間を前にして、他の誰かがそいつを見える事に驚いたとして、こちらとしては塩がしょっぱい事くらい当たり前なので困惑するだけなのだ。

 

 そもそもサンデーの外見に問題がある。

 彼女がいかにも非現実を思わせるような風貌をしていれば話は別なのだが、あまり汗をかかない事と、真夏にクソ暑そうなロングジャケットを着ているという部分以外に特別なところがほとんどない。

 まず透けているとか、露骨に半透明な体をしているわけでもなく。

 プカプカと幽霊みたいに浮遊するという事もない。

 極論、触れるし体温もある。

 一見するとちょっとミステリアスな雰囲気を纏った美少女というだけなので、要素だけ考えればマンハッタンとほとんど変わらないのである。

 

「……そう、ですか。葉月さんにとって、彼女は当たり前……なのですね……」

 

 距離感は全然当たり前の範疇じゃないけどな。

 お布団温めるとか平然と言うタイプだぞ。

 

「──あの子は……ここにいる。特別でも何でもなく……ただそこにいるだけの……──ふふっ」

 

 マンハッタンカフェの笑った顔、あまりにもかわいいので眩暈がした。弱点を検知。

 

 どうやら彼女にとってサンデーは、俺が考えているよりもはるかに大切な存在であったようだ。

 他の人間やウマ娘がその親友を認識できない状況は──まず、俺には欠片も想像できない。

 ……まぁ、いろいろシリアスな展開があったんだろう。

 そこは俺の知るところではない。

 マンハッタンカフェが抱えていたそういう部分を解きほぐすのは、きっと同じ学園に通うウマ娘や担当トレーナーなどの仕事だ。

 彼女には彼らとの物語があるのだろうし、恐らくそっちが本筋だ。

 俺はあくまで特殊な事情で偶然知り合っただけの、ただの男友達。

 ここにいるのはサブイベント的な寄り道。

 

 それでいいのだ。

 何もマンハッタンカフェの特別な存在になりたいと考えているわけではないし、なれるとも思っていない。

 彼女の大勢いる友達の中の一人になることが出来ればそれ以上は望まない所存だ。

 俺にだけサンデーを視認できる力があるのは謎だが、まぁ一つくらいは他の人には無い”共有できる何か”があってもバチは当たらないだろう。

 

「……葉月さん」

「ん?」

「私は……あなたと出逢うことができて良かった。……心から、そう思います……」

「そ、そうすか」

 

 笑顔が眩しいね♡ どういうおつもり!?

 普通に言ってて恥ずかしくなるセリフだと思うのだがそんな事ないのだろうか。ウマ娘なんも分からん。

 事あるごとに男の純情を弄びやがってよ。蝶よ花よ。

 この勘違い量産美少女に一泡吹かせる方法、何かないかな。

 

「──っ? あの、葉月さん。その箱は……」

 

 テレビの横に置いといたサイレンスのフィギュアにようやく気がついたマンハッタン。

 同級生がフィギュア化されてる事に関してどう思ってるのか少し気になる。

 

「すっ、スズカさんの、フィギュア……? ……ぇ。えと、これは……」

 

 意外な反応だ、かなり動揺している。サイレンスのあれが出たことを知らなかったのかもしれない。

 ウマ娘の中ではフィギュア化がハチャメチャに名誉な事である可能性が高まってきたな。マンハッタンさんのもあれば欲しい。

 ところでメイショウドトウとかホッコータルマエ辺りにフィギュア化の話は来てない?

 

「それ友達から貰ったんだ、誕生日プレゼントって。前倒しだけど」

「なる、ほど……そういう……」

 

 ふむふむ、とテレビの前でフィギュアを観察した後、スマホを取り出してテーブルに戻ってくる。

 何となく挙動が忙しない。

 フリフリと動く尻尾、センシティブ♡ ふざけるな。

 

「……ちなみに、なのですが。葉月さんの誕生日は……」

「八月五日。えーと……今週の金曜だな」

 

 午前中にバイトをして以降の予定は何もない。

 山田は用事があり、ちょうど本家の人が来ると親から連絡がきた為実家に帰る選択肢もない──つまりいつも通り。

 ダラダラと過ごし続ける最高に怠惰極まった一日を過ごすわけだ。

 ちょっとお高めな美味しいものを買ってから家に帰るだけであり、あまり特別な日という感覚もない。

 

「……金曜日。なるほど……」

「あっ、悪いマンハッタンさん。全然気にしなくていいから」

 

 なんか誕生日プレゼントをそこはかとなく欲しがる人みたいになってた気がする。

 そういうつもりでは無かったのだ。

 まだお互いの名前を憶え合ってから一週間も経ってない関係なのに、誕生日とか聞かされても困るだけだろう。普通に貰い物とだけ言えばよかった。

 

「さて、じゃあそろそろ解呪のやつを始めよう」

「……えぇ、そうですね」

 

 さっさと話題を転換して誤魔化しつつ、本来の目的にササっと取り掛かった。

 ペンダントの対策として用意したものはジグソーパズルや知恵の輪などの、集中して時間をかけるタイプの玩具だ。

 前回マンハッタンを押し倒してしまったのは目の前に彼女しか映っていなかったのが原因であり、理性がない状態でも何かやるべきことが手元に残っていればそれに注力するはず。

 それに布団の上で向かい合うといういかがわしさ全開の体勢で事に及ぶ必要もないので、マンハッタンには背後から手を回して腹部に触れてもらう事にした。

 その間俺は自分が用意した難問を解いていく──これなら一時間程度は余裕なはずだ。

 

「ひゃうっ……」

「尻尾が蠢いているぞ! ハニー! そんなんでは恋人は名乗れんぞ! 可愛いね♡ 全体重付加」

 

 あれ。

 

「お耳を触っていい? いいって言え」

「……ど、どう、ぞ……」

 

 この被暗示性、驚異的ワオの一言。ちょっと怖くなってきた。

 恋心を持っていかれないように注意。

 

「モフモフだね、耳も喜んでいるよ。呆れたわ」

「っ……♡」

 

 可愛い! 自慢の恋人! 友達にも自慢しちゃおっかな~! 従順なメスを手中に収めたとな。

 

「ん、カフェ? 早くペンダントを外さないと」

「あっ……う、うん」

 

 ──どうやら何もかも上手くいかなかったようだ。失敗の達人。

 

 

 

 

 

 

 翌日、真夏らしくクソ暑い快晴の日。

 集合場所の駅前でサイレンスを待ちつつ、俺は直近で仲を深めた三人のウマ娘たちとの関わり方について缶コーヒーを片手に思案していた。

 

 まずマンハッタンカフェについてだが、儀式におけるペンダント使用時の俺自身への対応を早急に用意しないと、解呪が成功したその瞬間から彼女との縁は断ち切られてしまうものだと考えている。

 昨日のアレで再認識できた。

 いくら何でも俺が粗相をしすぎなのだ。

 変な超常現象から助けるために手を貸しているのに、毎回その相手から押し倒されていてはたまったものではないだろう。

 優しい少女でも堪忍袋の緒が切れる事はある。

 昨日なんて顔がちょっと赤くなってたくらいだ。余程怒っていたので、いつ見限られてもおかしくないし、常識的に考えて怒らせるような事しかしていない。半分詰んでる。

 とりあえず次回の解呪の際は布団とロープでグルグル巻きにされておこう。

 

 次にメジロドーベル。

 ウチに来る日程が決まっていないらしく、あの日以来会っていない。

 しかし彼女との関係は現時点ではそこそこ良好なものに思えるため、こちらはあまり心配しなくてもよさそうだ。

 気兼ねなく連絡を取り合える現状を考えると、友人としての距離は一番近いと思う。

 

 最後のサイレンスは──

 

「秋川くん、おまたせ……!」

 

 少々焦った様子で待ち合わせ場所へやってきた少女は、帽子にサングラスと一見すると誰だか分からない格好をしていた。

 

「おはよ、サイレンス。まだ集合時間の十分前だからそんなに焦んなくても」

「えぇと……あはは、久しぶりに会うから変に急いじゃって」

 

 軽く身なりを整えると、彼女はこちらの顔を覗き込んで不思議そうに首を傾けた。

 

「あれ? 秋川くん、今日は眼鏡をかけてる……」

「あぁ、これは……その、何だろう。変装っつーか」

 

 ──そう、最後にこのサイレンススズカとの付き合い方についてなのだが、何よりもまず彼女の知名度が気掛かりだった。

 マンハッタンもドーベルも非常に人気の高いウマ娘ではあるものの、デビューしてから活躍するまでがあまりにも早すぎたサイレンスは名前の波及が頭一つ飛びぬけている印象がある。

 なんせ彼女だけは既にフィギュア化までされているのだ。

 一般人が思い浮かべる人気ウマ娘の中でいの一番に名前が挙がるほど、メジャーな存在になってしまっている。

 

 というわけで以前みたいにおいそれと二人きりで往来を歩くことは出来ないわけだ。街に出るだけで注目を浴びるであろうことは確実なので。

 そういう事情を考慮して、俺は今回伊達メガネをかけてきた。

 サイレンスは前に『友達と一緒にいるだけだからどう思われようと関係ない』といった旨の発言をしていたため、一旦彼女の心境を考慮するのはやめて、今日は自分のために伊達メガネを用意した。

 別に周囲にサイレンスの恋人か何かだと勘違いされる可能性に関しては問題視していないのだ。優越感が勝って気持ちよくなれるから。

 

 ただ、山田には未だに『バイト先にサイレンススズカがよく来る』という話をしていないため、それを共有するよりも先に一緒にいる姿を目撃されてしまうと……何というか、困るというか、今後が怖いのだ。

 あいつとはずっと気兼ねなく話せる仲でいたいが、人一倍サイレンススズカに入れ込んでいる事も知っている。

 そのサイレンスと知り合いだという事を隠していた──と思われてしまう事だけは避けたいわけだ。

 だから今後面と向かって話す機会があるときにさりげなく事情を共有し、お前も喫茶店に来ればサイレンスに会えるぞ的な話をするまでは、彼女の隣で歩く姿を彼に見られるわけにはいかない。

 

 そんな諸々の事情を含めての伊達メガネなのである。

 

「変装……そっか」

 

 ただ、十中八九サイレンスからの好感度ダウンが起こるであろう点に関してはマイナスポイントだろう。

 俺と違って彼女はわざわざ変装する必要など無いと考えるほうのタイプだ。

 

「ふふっ。秋川くんも私と同じ気持ちだったのね」

「……?」

 

 どういうことだろうか。

 そういえばサイレンスは帽子とサングラスを身に着けており、ぱっと見では変装に見えなくもない。

 ファッションだった場合は失礼過ぎるからまだ何も言っていないが……同じ気持ちって何のことだ。

 

「ファンのみんなが声をかけてくれるのは嬉しいけど……今日は二人きりの時間を大切にしたいなって」

「──」

 

 ()()()()()()()とか平然とのたまいやがって言葉遣いの距離感バグ女め!

 そういうとこ好きだよ。

 

「……じゃあ、シューズを買いに行くか」

「うんっ」

 

 破顔を無理やり抑えたポーカーフェイスで先導し、落ち着かない一日がスタートした。

 

「そうだ秋川くん、日傘を持ってきたから一緒に入りましょう」

「は、はい」

 

 欲しがりやでとってもお可愛らしいね♡ 肩を密着させて俺を殺す気か?

 

 



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節操のねえママだな 良識というものはねぇのかよ!

 

 

 ──何だ、この状況は。

 

『ウマ娘に勝てるわけないじゃん! 何で走るの……アタシの隣を走るなんて君には無理だよ!』

 

 俺が今座っているのは、座り心地が快適な映画館の座席だ。

 辺り一帯薄暗く、真正面にある巨大なスクリーンから発される明かりでのみ周囲を確認することが出来る。

 隣にはサイレンススズカ。

 手元には二つの味が敷き詰められたポップコーン。

 そしてそれを取ろうと伸ばした俺の手が、いつの間にか少女のか細い指先で掴まれている。

 どうしたんだコレは。

 何で俺は今、密かにサイレンスと手を繋ぎながら映画鑑賞をしているんだ。

 

『やってみなきゃ分かんねえだろ……俺は絶対にお前に追い付いてみせる!』

『っ……!』

 

 中学生くらいの少年が同い年のウマ娘に雨の中で自らの夢を語る場面に少々の感動を覚えつつ、いつの間にこの状況に陥ってしまったのかを考えた。

 

 始まりは順調だったのだ。

 ウマ娘専用のあれこれが揃ったスポーツ用品店に足を運び、無難にシューズとトレーニング用のちょっと重めな蹄鉄を購入したところまでは良かった。

 サンデーがウチに転がり込んできた夜と同様に、彼女が参加していたルームメイトの女子の特訓についてを会話の中心にしていたからだ。

 その流れで選ぶ商品の良し悪しなども語れた──のだが、その後が問題だった。

 

 あまりにも緊張しすぎて何を話せばいいのか分からなくなってしまったのだ。

 そもそもサイレンスと長時間二人きりで過ごした経験が無い。

 会う時はバイト中か終わった後の帰路のみで、どちらもせいぜい数十分程度のコミュニケーションだった。

 無いのだ。

 私服でこの少女と二人きりで出歩いた経験なぞ、一度たりとも。

 そのため午後の予定を考える時間を設けるため、誤魔化し混じりに映画へ誘ったところ──現在に至るというわけである。

 

「わぁ……」

 

 故意なのか無意識なのか、サイレンスは山場に突入した映画に釘付けになり、俺の手を握る力が少し強くなった。

 これが本当に無意識下での行動ならとんだスケベモンスターだ。ボクと恋人になる気まんまんじゃないか。

 涼しい空調の利いた館内にいるはずなのに何だか火照ってきた。

 うぉっ手のぬくもりと共に緊張を添えて……っ。

 

『納豆って朝以外に食べるとなんか寂しい気持ちになるよな』

『わかる~』

 

 お互い焦りながらどうでもいい会話で時間を稼ごうとするその姿につい感情移入してしまう。

 こちらは会話しているわけではないが、上映中にもかかわらず余計な事を口にしてこの緊張を誤魔化したい気持ちでいっぱいだ。

 サイレンスは何故ずっと俺の手を握っているのだろうか。

 もしかして告白イベントすっ飛ばした? 贅沢な女め。

 とりあえずこの女は一旦婚約者にするとして、この後の予定をどうするか思案して落ち着こう。

 

 このウマ娘に追い付きたい少年と日本中に名が轟くレベルで足が速いウマ娘とのラブロマンス映画を見終えた後、まず考えるべきは昼食だ。

 この映画に影響されたサイレンスが『一緒に走りましょう』といった無茶を言わない限りはそれでいい。

 サンデーを憑依させれば同じ速度で走れるだろうが肉体をボロボロにするし考えるだけ無駄だ。どこで何を食べるかを決めよう。

 

『手を握ってる理由……? そ、そんなの、君が好きだからに決まってるでしょ。君の体温を感じていたいからアタシは……』

「──ッ!」

 

 あわわ。

 また一段と握る力が強くなった。

 痛くさせない加減が出来ている以上これはどう考えても意識して俺の手を握っているはずなのだが、サイレンスは全く離す気配も誤魔化す様子もない。

 俺のこと勘違いさせるのそんなに楽しい? 堪忍袋の尾があるよ。

 コイツが同級生の女子たちとどのような距離感で接しているのかは知らないが、少なくとも俺が男子である以上は一定の距離を保つべきだ。

 さもなければ俺がサイレンスを好きになってしまう。好きになってほしいのかな。じゃあ告白して了承するから。この阿呆!

 

『最悪。ファーストキスなのに、雨の中でなんて……ほんと、最悪っ』

『なら何でそんな嬉しそうな顔をしているんだ?』

『い、言わせないでよ……!』

 

 わぁ。

 きゃあ。

 洋画のやり過ぎなくらいのキスシーンなら何も思わないのに、なんで青春の甘酸っぱい感じのシチュになると目を背けたくなるのだろうか。

 

「ぁ……」

 

 逃げるように横を見たが──やはりサイレンスはスクリーンから目を逸らす事はなく、映画に引き込まれていた。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「いい映画だったわね……」

「お、おう。そうだな」

 

 上映終了後、映画館からショッピングモールへの通路を歩きながら感想を言い合っているのだが、感動の余韻に浸っている彼女の横にいても相変わらず俺の緊張は解けないままだった。

 何故ならサイレンススズカは未だに俺と手を繋いだままでいるからだ。

 おお、本日何度目の誘惑だ? 

 可憐すぎるフェイス。謝れ。

 

「──あっ、ご、ごめんなさい……! 私、ずっと秋川くんの手を……」

「いや、いいよ大丈夫」

 

 気づいた瞬間パッと手を離すあざとすぎ女。

 全然普通にわざとだという事は知っているが、ここは気づかないフリをしてあげるのが紳士というものだろう。

 

「昼飯はフードコートにするか」

「うん、行こ」

 

 はいまた手を繋ぎましたこのウマ娘。

 性根が猥褻。流石の僕も呆れ返るまでよ。

 

「さ、サイレンス。手……」

「えっ? あっ……!」

「気をつけような」

「う、うん……ごめんなさい」

 

 何とか離せたが、そろそろ真面目にサイレンスの距離感のバグ具合に一石を投じたほうがいい気がしてきた。

 こんな事をして困るのは彼女自身ではないのだろうか。

 長い事トレセンという女子高に通っていた影響で、男子との距離感を計りかねているのは分かる。

 しかし最低限の線引き程度なら彼女も理解できているはずなのだ。

 もしかしてサイレンスのライン越えの判定、キスとかになってる? 友達だとしても手を繋ぐのは男女間じゃほとんどやらないと思います。

 スベスベな手で俺の性欲を煽らないで欲しい。

 こっちはサイレンスの手を見るだけで鼓動が早くなる病を患ってしまっているというのに。ホントに困る。

 

「──あぁーッ! サイレンススズカさん!?」

 

 気を取り直してフードコートへ向かおうとしたその矢先。

 つんざくような子供の声が二人きりの空気を割いて入ってきた。

 

「えっ?」

「……あっ、サイレンス、帽子とサングラス……っ!」

 

 映画を観る際に外して以降、おてて繋ぎ事件に意識を持っていかれていたせいで全く気付かなかった。

 変装のために装着していた帽子とサングラスはカバンの中で眠ったまま。

 多くのグッズが販売され遂にフィギュア化までされて一般に浸透したメジャーな有名人であるウマ娘が、人が集まりまくるショッピングモールで変装もせずにほっつき歩いていればどうなるのかなど、小学生でも簡単に予想できることだ。

 

「……すまん、映画を観終わった後に言うべきだった」

「私も気がつかなかったから……えと、とりあえず新人トレーナーさんが勉強のためについてきた、っていう設定でいいかしら……?」

「ボロが出ないか心配だ……」

 

 少しばかり先を急いでいるような雰囲気を醸し出しつつ神がかったファン対応をこなしていくサイレンスに驚きつつ、余計な事を言って墓穴を掘らない為に最低限の嘘だけ喋ってその場を乗り切る。

 

「ァっ、あのっ、僕っ、スズカさんの大ファンで……えと、走ってる姿がカッコよくて、憧れで……っ」

 

 握手だのサインだのと平気で押しかけてきたミーハー集団とは異なり、一番最初にサイレンスの存在に気がついた少年は一番最後まで順番を待ち、心底緊張しながら遠慮がちに応援を伝えている。かわいい。

 そんな少年の健気さに思うところがあったのか、サイレンスはバッグの中から蹄鉄を取り出して彼にプレゼントした。

 

「良かったらこれ、貰って?」

「えっ! て、てっ、蹄鉄……スズカさんの……っ!」

 

 サイレンスを取り囲むように迫ってきた十数人の中で、実際に彼女が使用した蹄鉄を譲り受けたのはあの少年だけだ。

 一番最後にスーパー神対応をぶつけられた少年が怯んだのも束の間。

 そんな彼の頬を軽く撫でながら、サイレンスは聖母を思わせる微笑みを放つ。

 

「ふふ、応援してくれてありがとう。きみに憧れ続けてもらえるように、私もっともっと頑張るわね」

「……はひゃっ、ぁ、わァっ……」

 

 おっ、少年の性癖が壊れる音。今年もそんな季節か。

 サイレンスの立ち振る舞いがあまりにも自然且つ焦って無さすぎて、一緒にいる俺のことなんか何も聞かれなかった。これはきっとトレセンの関係者か何かだとみんな誤解してくれたに違いない。

 

 ──と、そんなこんなで緊急的なファンサをサイレンスの対応力でうまく躱し、俺たちは逃げるようにショッピングモールを後にした。

 モールから逃げたことで昼食を食いそびれてしまったな、と考えた辺りで辿り着いた先は商店街だった。

 道行く人々の年齢層がグッと引き上げられたせいなのか、先ほどとは打って変わってサイレンスを見てお祭り騒ぎになる様子は無い。

 存在自体は認知しているのだろうが、決して迫る事はないという大人の余裕が感じられる良い雰囲気の場所だと感じる。

 

 ……安堵したら、なんだか催してきた。

 映画を観てからここへ逃げるまでにいろいろあったせいか尿意にも気づかなかったらしい。ちょっと失礼。

 

「悪い、トイレ行ってきていいか?」

「じゃあそこのベンチで待ってるわね」

 

 一瞬だけ彼女を一人にしてしまうが、ご年配の方が多いここならファンに囲まれることも無いだろう。

 急いで公衆トイレへ赴き、用を足して洗面台の前に立つと、なんとハンカチがない事に気がついた。

 どこにやったかな。

 

「はい、ハンカチ」

「助かった、サンキュな」

 

 いつの間にか隣に居たサンデーがハンカチを手渡してくれた。

 

「……平然と男子トイレにいるよな、お前」

「隔離された場所で怪異に閉じ込められたら助けられない。なので」

「そうですか……」

「はい」

 

 思うところが無いわけではないが、コイツはコイツで自分にできる事をやってくれているだけなのだ。

 いちいち文句を言っているようでは信頼関係など結べない。

 仲良くしよう♡ ウェディング記念♡

 

「ハンカチはどうやって持ってきてたんだ?」

「普通に手で」

「……他の人から見たらハンカチが浮いてるように見えるな」

「しょうがない」

「それは……まぁ、しょうがないか」

 

 出かける前に荷物確認を怠ってハンカチを忘れた俺が悪い。なので何も言えない。

 とりあえずサンデーから受け取ったハンカチで水気をふき取り、トイレを出ていく。

 なの、だが。

 

「……トイレの出口がこんなに長いわけないな?」

「たぶん嫌がらせ」

 

 また怪異が絡んできやがった。

 やはりサンデーがトイレまでついてきた判断は正しかったようだ。

 

「あれ、カフェさん? こんなところで奇遇ね」

「スズカさん……こんにちは」

 

 横にある壁の向こう側から薄っすらと外の声は聞こえるのだが、ブチ破って脱出というパワープレイが出来ない以上は前に進むしか選択肢がない。

 

「なぁサンデー。俺の呪いって本当に解呪できてるのか? 今みたいに普通に絡まれてるけど」

「呪いは怪異が対象を自分の世界に引っ張るためのモノ。前は無限ループする濃霧の中に引き込まれたけど、押印された呪いが薄まってるから引力が弱まって、この上層部分に留まることが出来てる」

「はぇ~……」

 

 エロゲだったらそのままNSFWのCG回収が出来てしまえそうなあのドスケベ交流会にもしっかり意味があったのだと分かって安堵した。

 こちとら二回も女子を押し倒して精神がゴリゴリに削られている状況なのだ。

 こうして効果が実感できなかったらそのうち泣いてた。

 

「異性に送る誕生日プレゼント?」

「恥ずかしながら……父親以外の男の人に渡したことがないので、難しくて……」

「うーん。そうねぇ……無難だけど、ネクタイとかどうかしら。相手はトレーナーさんでしょう?」

「あ、いえ。その……た、他校の男子でして……」

「えっ!?」

 

 かろうじてサイレンスの驚いたような声が聞こえた気がするのだが、困った事に未だ出口の光が見えない。

 気がつけば歩いている場所は公衆トイレではなく、真っ暗なのに自分の身体と足元がハッキリと視認できる謎の空間になっていた。歩数を間違えたら出られなくなりそう。

 

「驚いた……カフェさん、恋人がいたのね……」

「っ!? いえっ、全然そんな関係では……!」

「そ、そうなの?」

「はい……まだ普通のお友だちと言いますか……それに、向こうが私をお友だちだと思ってくれているかは、正直自信が無く……」

「不思議な関係性ね……でも、ちょっと羨ましいわ」

「羨ましい……ですか」

「だってもう誕生日を教えてもらったんでしょう? 私なんてそれっぽい理由をつけて遊びに誘うので精一杯。プレゼントなんて夢のまた夢っていうか……」

 

 聞こえそうで聞こえない──うわっ、屋内のはずなのに雪が降ってきた。この空間ちょっと歪み過ぎではないだろうか。

 一瞬で寒くなったので湯たんぽ代わりに体重がめっちゃ軽いサンデーを抱きかかえつつ出口へ進んでいく。

 てか軽すぎなお前。持ち運びしやすいため今日より役職抱き枕。

 

「一緒にいるときは平気なフリをしているつもりなのだけど……やっぱり駄目ね。緊張しちゃって、事前に考えてた話の話題も忘れてしまうし」

「分かります……気の利いた会話を心掛けたくても、なかなか。……もしかしてスズカさんもお相手が……?」

「ぁいやっ、私も全然まだ友達でしかなくて……あはは。あのカフェさん、これは二人だけの秘密って事に……」

「勿論です。私としても、周囲の人たちには打ち明けられない事ですから」

「そうなのよね……いつも一緒にいるからこそ、話しづらいっていうか。ほんと、カフェさんとここで会えてよかったわ」

 

 ようやっと出口の光が見えてきた。

 住宅街で六時間迷いまくったあの時と違い、サンデーの案内が無くてもまっすぐ進めば出られる辺り、本当に怪異からの干渉を最低限のレベルに抑えることが出来ているようだ。

 マンハッタンさんには後で改めて礼を言っておこう。

 

「ようやく出れた……」

 

 サンデーを降ろし、肩や頭に乗った雪を軽く払ってからベンチの方へ向かっていく。

 だいぶ待たせてしまった。

 

「サイレンス、お待たせ」

 

 そう言って声をかけると同時に、彼女のそばにもう一人誰かいる事に気がついた。

 あれは……マンハッタンか。

 

 

()()()()()()()()

 

 

 おお、と慄く見事なハモり。体型といい足の速さといい、よく考えると似ているね君たち。

 

()()()()

 

 互いに顔を見合わせて固まるサイレンスとマンハッタン。

 二人が知り合い同士である事を俺が知らなかったように、どうやら彼女たちも互いが俺と知り合いである事を相手には話していなかったらしい。

 とりあえず一旦彼女たちの前まで行き、お手洗いで席を外していたことをマンハッタンに説明した。少し離れた後ろの方にいるサンデーが何かしらのハンドサインを送っているあの姿を見れば、マンハッタンも俺たちが怪異に襲われたことを察してくれることだろう。

 

「……? ……???」

 

 相変わらず固まったままだ。何か言え。絵画のようだよ。

 一体どうしたのだろうか。というか二人でどんな内容の会話をしていたのか。

 

「…………葉月さん、スズカさんとはどういったご関係で……」

「えっ? あぁ、サイレンスは何つーか、あの喫茶店のお得意様っていうか……よく来て話してくれるんだよ」

「……秋川くん、カフェさんと面識があるの……?」

「あのバイト先がマンハッタンさんの実家なんだ。それで……」

 

 何だろうか。

 微妙に気まずい空気が流れている気がする。

 友達の友達が意外にも近くにいたヤツだったというだけで、こんな雰囲気になるものか。

 

「……プレゼントを贈る相手、って……」

「スズカさんが誘った相手が……葉月さん……?」

 

 マジで一個も二人の会話が聞こえなかったので状況が飲み込めない。

 もしかして大事な話をしているときに割り込んでしまって『コイツ空気読めない奴だな……』って呆れられてるのだろうか。

 

「──ん。ハヅキ、返事はしなくていいから聞いてほしい」

 

 何でしょうか。

 

「もしこの栗毛ちゃんと今後も接触する機会が多いなら、話がこじれる前に呪いの事を打ち明けた方がいいと思う」

 

 それはそうだと思うが、あんな怪奇現象を果たして信じてくれるだろうか。

 

「あくまで提案。最終的な判断はハヅキに任せる」

 

 確かにサイレンスが事情を共有してくれるのはありがたいが──いや、もうこの際だから話してしまおうか。

 何となくだが、彼女なら突拍子もない話でも信じてくれそうな気がする。

 もしサイレンスとの今後の予定を組む際に解呪の儀式と被ってしまった際に、下手な言い訳をするのも心苦しい。

 打ち明けてしまおう。何よりその方が俺の心境がとても楽になる。

 

「……サイレンス、ちょっと聞いてほしい話があるんだ」

「えっ?」

「マンハッタンさんも居てくれた方が助かるから、三人だけで話せる場所に移動したい」

「……? ……あ、なるほど。はい、分かりました。スズカさん行きましょう」

「え、えぇっ?」

 

 というわけで誰かに話を聞かれる心配のない場所へ赴こうとした結果、最終的に俺の家で話そうという結論に至ってしまったのであった。

 何だかウチが賑やかになってきたな。うれしい。

 

 

 

 

 

 

 ──?

 

「葉月さん、がんばってください……あと十五分で終わりにします……」

 

 ん。

 何がどうなったんだったか。

 

「だいじょうぶ、秋川くん? 辛くなったら私に寄りかかってもいいから……」

 

 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中。

 四畳半の狭い部屋に敷いた布団の上に座り、二人のウマ娘に両サイドから囁かれつつ、優しく腹部を触られている。

 思い返す。

 思い返す。

 なぜ、一体どうしてこの状況に陥っているのかを、茫々とした視界に揺れながら想起した。

 

 確かサイレンスに解呪の概要を知ってもらうために、一旦マンハッタンの実家に寄って儀式用のペンダントを持ってきたんだったか。

 まだ儀式から一日しか経過していないため石は若干濁っているものの、俺の状態と白ペンダントの変化を見てもらったほうが話が早いという結論になったのだ。

 一応サンデーが物を動かしたりして特異な存在の有無自体はサイレンスに信じてもらえたが、怪異のことを話したのなら呪いの事も詳らかにしなければ、俺とマンハッタンの間にある関係性を不審に思われる可能性が高い──というわけで、この状況になったんだった。

 

 ちなみに俺は布団の上で胡坐をかいて座っているのみで、これといった拘束はされてない。

 前回の反省を踏まえてロープでグルグル巻きにでもした方がいいんじゃないかと提案したものの、理性が無い状態では体の限界を考えずに拘束を解こうと暴れてしまう恐れがあるらしく、俺を怪我させないためには下手に拘束するよりも感情の矛先をウマ娘である自分たちに向けさせた方が安全だとマンハッタンに諭されたためにこうなっているワケだ。

 ウマ娘は多少頑丈なので問題ない、の一点張りだった。

 サイレンスもこれに同意的で、怪我だけはさせたくないと懇願されてしまっては、俺から言えることは何もなかった。

 

 で、肝心の二人が同時に俺に触れている理由だが──これは単にこちらの方が効率が良いから、だそうだ。

 ペンダントを持つ対象が二人になる事で、呪いを吸い上げる吸引口も二つになり、儀式の時間短縮につながるらしい。

 正確に言えば一時間が三十分になる。

 儀式が効率化され、俺が理性を失って暴れかける時間も減らせるとなればやらない理由は無かった。

 という事で二人は俺の両サイドに座り、背中側に回した手でペンダントを握り合い、もう片方の手で腹部の精神体から呪いを抜いている。

 

 ──のだが。

 

「秋川くん? 顔が赤いし、汗が滲んできてるけど……冷房の温度を下げましょうか?」

 

 さわさわ。

 

「残り五分ですが……黒ペンダントの効果で理性のリミッターが外れかけている証拠です。この状態だと考えたことがそのまま一番の優先順位になるので、汗の不快感や喉の渇きに対応するためのタオルや飲み物などを用意しないと……」

 

 さわさわ。

 

「途中で離しても大丈夫なのかしら」

「どちらか片方が触れ続けていれば大丈夫です」

「じゃあ私が持ってくるわ。……秋川くん、待っててね」

 

 耳元で囁き。

 

 

 ──頭がおかしくなりそうだ。

 

 効率化?

 コレのどこがだ。違和感に気がつかないのか。

 時間が短くなった分、儀式の内容が濃密になっただけじゃねえか。どこまで俺を高揚させるおつもりか?

 何だよ二人って。

 両サイドに座って腹部を優しく撫でられながら両耳に囁きASMRされてる俺の気持ちを考えてくれよ。これならどちらか一人にやってもらってた方がまだ我慢できるわ。

 アスリートの風上にも置けないわ。スケベの化身がよ。かわいいな……。

 身体を密着されて、二人の女子の甘い体臭に脳を揺さぶられて、実際に触れてもらう衝撃と耳元で囁かれる破壊力は余裕で地球を破壊できるレベルのものだ。俺のこと殺したいのかな。

 

「はい、飲み物。お口を開けて?」

 

 腹部を触られながら時折ジュースを飲ませてもらい、首元に汗が伝えばタオルで拭いてもらえる。 

 何より二人でペンダントを持ちながら俺に触らなければいけない都合上、三人の密着度がヤバいことになっている。

 比喩抜きにして()()()()()

 俺の肩に二人の胸部が密着されており、俺は人類で初めて肩で女子の心臓の鼓動を感じ取った人間になってしまったのだ。

 加えて、顔が近い影響で時たま彼女たちの頬が当たる。やわらかほっぺを当てんな! 頬肉がマジで邪魔だ! この弾力新たまねぎ♡

 

「もう少しです、葉月さん……がんばって……」

「大丈夫? 息、上がってきてるけど……えらいわ秋川くん。こんなに我慢できて……本当にえらい」

 

 ぁ°。

 何かにヒビが入った。

 これまで受けてきた無自覚エロ攻撃が三乗くらいになって加速度的に理性を破壊してきている。

 もう、我慢できる限界などとうの昔に超えていた。

 

「──~~~~ッ゛!!!!!」

 

 スケベ女の癖に調子に乗りおって……3つある堪忍袋の尾がとうとう切れたぜ。

 

「ひゃっ……」

「カフェさ──あぅっ」

 

 絶対にどこにも触れまいとズボンのポケットに突っ込んでいたはずの両手を解放し、二人の肩を抱き寄せた。

 もう完全に俺のだわ。全身が交尾を体現してるじゃん。月が綺麗ですね。

 

「どっちからキスしようかな」

「え? ……えぇっ、秋川くん!?」

「す、スズカさん、お気を確かに……」

 

 焦り過ぎ。心底キスを楽しみたいんだね♡ 愚かだ。

 おいおいやはりただのメスなのか? それとも栄光を掴むのか。どっちなのだ!?

 

「だだだってキスって今……!」

 

 下品なあわてんぼう女。お天道様に顔向けができないよ。でも俺だけは見てるよ。 

 

「恐らく葉月さんはこれでも耐えている方です……私たちが離れてはいけません……っ」

 

 すぅぅぅぅーっ、はぁぁ。

 良いメスの匂いだ。侘び寂びを感じるね。

 

「ペンダントが最大量に達する前に二人とも離してしまうと……呪いが逆流して大変なことに……」

「で、でもっ、秋川くんの息が凄い荒くなって……ひぅっ、み、耳を甘噛みしないでぇ……」

 

 おい学園じゃその顔絶対するなよ? エロ女だと看破されるからな?

 謙虚に堅実に生きよ。決してあきらめるな。自分の感覚を信じろ。

 

 ──いつもなら残り十分ほどで脳の抑えが利かなくなる。

 逆に言えば経験上では五十分は耐えられるはずなのだ。ここまでの所要時間は二十五分で、ちょうど半分しか経っていない。いつもなら余裕でいけるはずだった。

 だがそれは相手が一人だった場合に限るようだ。

 

 状況が両サイドあまあま囁き応援ASMR~ハーレム撫で合いで呪いを抜き抜き♡~ になってしまった以上、もはやすべての計算式が破綻してしまった。もう俺にはどうにもできない。

 自分の下唇を噛んで、思い切り目をつぶって我慢するくらいだろうか。

 

「っ゛……ッっ゛」

「んんっ♡ ……ぁ、と、止まった……?」

「い、いけない、妙な我慢の仕方で凄い量の涙と汗が……葉月さん、辛かったら遠慮せずに寄りかかってください……」

「わっ、私も大丈夫、また肩を掴んでいいから……そんな血が滲むくらい自分の手を強く握るのはやめて……?」

 

 おい! 男の子が頑張って死ぬ気で本能を抑え込んでるのに解こうとするな! 応援してそこは!

 いやいいか。

 許されてるし。

 ムリを通せば道理が引っ込むというもの。エキセントリック!

 

「あっ……はい、そうです、力み過ぎず私たちに頼ってください……ちゃんと支えますから……」

 

 こんな三人で塊になって蒸れた触れ合いをしながら今更何をのたまう? 何をして喜ぶ? 状況判断が大切だと教えたはずだ。

 とりあえず両手を二人の腰元に回し、彼女たちを引き寄せてマンハッタンの方に体重を預けた。

 まるでサウナにでもいるのではないかと錯覚するほどに暑い。

 意識と視界が茫々として、涙で滲んで何も見えない。

 普通の男であれば昇天してしまうところだ。

 俺でなければだがな。

 

「は、ァ……二人とも、ごめん……っ」

 

 以前は五十分ちゃんと耐えられた──その経験だけが俺を支えている。

 

「ちゃんと、耐えるから……なにか、落ち着くことを言ってくれ……」

 

 俺史上一番頑張ってる。

 いつまでも性欲に振り回される俺ではないのだ。

 がんばれがんばれ!イけイけイけ!情けなくイけ!下品にイけ!とてつもなくイけ!!

 

「は、はい。えぇと……一日は八万六千四百秒です……」

「私も……あ、ダチョウの卵って茹でるのに四時間かかるんだって」

 

 違う違う違う違う!!!!!

 泣きそう。

 

「そっ゛、そういうのじゃ、なくて……こう、母乳のぬくもり的な……」

 

 なんかこうもっとなんか、なんかない?

 

「母乳のぬくもり……ですか……」

「保健体育でやったような……でも、仕組みがよく分からないわ……」

「あれは子供を産んでなくても可能なのでしょうか……」

 

 待ってワードチョイスをミスった。比喩。ニュアンスで理解してほしい。

 温かい言葉的な意味が含まれてたんだよ。

 限界ギリギリの理性でやっと絞り出せた言葉なんだよ。察して。

 

「葉月さん……牛乳で代用してもよろしいですか……哺乳瓶はありませんが……」

 

 マンハッタンミルク。

 

「そういう問題なのかしら。えっと、哺乳瓶が売ってるのって薬局……?」

「次回までに買っておきましょう……あと粉ミルクとか……」

 

 あれ、あれ。流れがおかしい。

 下品な感性を生まれ持ちやがって。調教が必要だなこれは。カルマ。

 

「今は手元に紙パックのコーヒー牛乳しかないので……ストローをどうぞ……」

「んむっ」

「よしよし……いい子ね……」

 

 おいちい♡

 こんなはずではなかったんだ。

 ママとしての矜持を持てよ。

 気合いでペンダントの効果を耐え抜いて男を見せるはずだったのだ。

 ママは息子にしゃぶりつかれたら出来合いの甘やかしをするのが摂理だろ! 丁寧に撫でろ。

 違う……ちがう……。

 

「秋川くん……あまーいのちゅるちゅる終わったら、おねんねしましょうねぇ……」

「葉月さん、今回はかなり消耗しているので本当に眠ってしまったほうがいいかと。汗は私たちで拭いておきますので……」

「ほら、カフェさんも」

「あ、はい。えっと……上手に飲めてえらいです……ねんねできるまで、お背中とんとんしてますね……」

 

 二人とも柔らかい笑顔になった途端にケツの尻尾が浮き上がってきているぞ! ママ! そんなんで母は名乗れんぞ! そういうとこ好きだよ。

 ちなみに失言で男としてのプライドが灰燼と化し心がポッキリと折れたため、俺は目が覚めたら『何も覚えてない』という設定で乗り切るべくそのまま瞼を閉じて押し黙った。

 オイ! あまり頭を撫ですぎるな。素人ママめ。その意気やよしだ。

 山田……たすけて……。

 

 



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ベルベルベルベルベル ぁ

 

 

「こ、こんにちはー」

 

 ママにバブりオギャらせて貰うという異常体験の翌日。

 あのまま眠るように意識を失い、今朝起きてから確認したスマホのメッセージの内容にてんやわんやしつつ外出の準備をしていると、インターホンと共に尋ね人が来訪してしまった。

 準備を中断して一旦玄関まで赴き顔を見せに行くと、そこにはワンピースとカーディガンでおしゃれに決めたメジロドーベルの姿があった。ちょっとかわいすぎるな。

 

「おはよベル。悪いんだがもう少しだけ待っててくれるか」

「あ、うん。急がなくていいからね」

 

 わざわざ急がなくていいと言ってくれる相手に対してはなるべく急いで誠実に対応した方がいい──尊敬する先輩がくれたアドバイスだ。手早く済ませなければ。

 

 先日の事件(イベント)が終わった後サイレンス達は書き置きを残して帰宅し、起きた時に部屋にいたのは俺とサンデーの二人だけだった。

 静寂の朝に昨晩の淫靡な出来事を思い出し、早朝の生理現象も相まってムラムラするどころの騒ぎじゃなくなったのも束の間。

 確認したスマホのメッセージ履歴にドーベルとのやり取りが残っていたのだ。

 どうやら俺が眠りこけている間、着信したメッセージに対してサンデーが上手いこと対応してくれていたらしい。ホスピタリティの塊。

 

 会話の内容は『漫画の資料集めの為のお出かけ』であり、以前ご褒美だか命令だかで約束していたアレを今日執り行うことになっていたので、今朝はこうして慌てながら外出の準備に勤しんでいるというわけである。

 なんでも資料集めはネットサーフィンや図書館巡りというわけではなく、ドーベルが描き悩んでいる構図や風景を写真で集めるという事で、その撮影のアシスタント係が本日の俺の役目だ。

 一体何枚ほどえっちな写真が撮れるか楽しみである。

 

「すまん、待たせた」

「ワひゃっ!」

「あ、わり」

 

 玄関の扉を開けると、手鏡で前髪を軽くセットしていたドーベルを驚かせてしまった。

 そんなに髪型とか気にしなくてもかわいいよ。

 

「んで、まずはどこに行くんだ?」

「ちょっと遠いから電車に乗るかな。近くにレストランもあるらしいから、お昼はそこにしよ」

「分かった。……あ、その飲み物こっちで預かろうか。一応保冷バッグ持ってきてんだ」

「いいの? ありがと」

 

 炎天下の中で歩き回って撮影すると言われていたため、熱中症にならないよう色々リュックに詰め込んで持参してきた。準備に手間取った理由はこれのせいだ。

 普通に近場へ出かけるなら手ぶらだが長時間の撮影となれば話は別。

 あの高架下で初めて出会ったサイレンスに応急処置をした時のように、何があっても対応できるようにしておかないと落ち着かないのだ。

 一時的に秋川の本家に預けられた際に、トレーナーとしての勉強をこれでもかと言う程やらされた頃の名残りである。

 

「ツッキー、結構荷物多いね?」

「円滑に撮影する為にいろいろとな。大体のもんはあるから何かあったら言ってくれ」

「じゃあ、冷感タオル」

「ほい」

「手持ちの扇風機は」

「二つあるぞ。どっちがいい?」

「まいりました……」

 

 まだまだあるからぜひ頼ってほしい。

 安心して♡身を任せて♡ボクは中央サブトレーナー試験程度なら乗り切れる知識がある。

 とりあえず駅まで直行し、電車に揺られながら目的地への到着を待つこととなった。時間にして三十分ほど要するみたいだ。

 二人旅。

 ハネムーン?

 

「見てこれ、スカイがベンチでお昼寝してるところに猫が集まっちゃって……」

「七匹も……猫カフェかな」

「ふふっ、スカイったら起きても身動き取れなくてさ」

 

 乗り換えた電車内の乗客がほとんどいなかった事もあり、スマホの画面を見せてもらいながら談笑しているこの時間──何と言うか、非常に落ち着く状況だ。

 隣同士で座りながらスマホで動画を見せ合った事がある相手など山田くらいのものである。

 普通に友達と駄弁りながら過ごす時間なんてものは、高校生にとっては当たり前のはずなのだが、これがどうして直近の出来事を思い返すと俺にとっては珍しいイベントになってしまっていた。

 

「ベル、これ盗撮か?」

「ほぇっ。そっ、そんなわけないでしょ! スカイ本人が『寝てる時に動物集まって来てるらしいから出来たら動画を撮って~』って……」

「へぇ……一般人じゃあんまり見れないトレセン内の貴重な映像だな」

 

 イケナイ映像を見た気がしてそこはかとなくえっちだ。ホォッ♡

 

「……ふーん」

「なんだよ」

「別に? 明らかに口角が上がっててちょっとキモいなー、って」

「うるせぇな……」

 

 こういった普通の距離感で居てくれるドーベルの存在のありがたみを改めて実感している。

 キモいという言葉には傷ついたので責任を取って一緒に指輪を選んでほしいが、当たり前のように手を握ってきたり身体をくっつけたりなどこちらの理性を試すような行動を起こす事はないので本当に助かる。

 もちろんサイレンスたちのアレも俺への信頼の形だという事は理解しているのだ。

 あそこまで気を許してくれているのは素直にありがたいし、感謝するべき事だということも分かっている。流石にあのレベルはベロチューするしかないが。

 だからきっとこれは贅沢な悩みというやつなのだろう。

 ほぼ毎日のように複数の友人たちとコミュニケーションを取るなんて、数年前の俺からすれば喉から手が出るほど羨ましい状況だ。

 

 ……無論、女子が隣に座っていて緊張しないほど紳士ではない。

 隣同士で座っている都合上、電車が揺れた際に稀に彼女の胸部の膨らみが俺の二の腕に当たったりもしている。

 それでも何とかポーカーフェイスを保てるほど精神的に落ち着いていられるのは、ひとえにドーベルがちょうどいい距離感でい続けてくれているからだろう。

 さすが友人。こなれ感かなりリスペクト。

 

「あれ、ツッキー」

「どした」

「スマホのそこに入ってるの……もしかして免許?」

 

 ドーベルが少しだけ身を乗り出して覗いてきた。

 瞬間、髪からふわりと甘い匂いが香る。犯罪。

 俺のスマホカバーは手帳型なので、財布よりも携帯する機会が多いこちらに免許をしまっているのだ。

 

「昔からバイクに乗りたかったんで去年取ったんだ」

「そうなんだ。でも、乗ってるとこ見た事ない。家の前の駐車場にもバイクなんて……」

「あー……去年修理できないレベルでぶっ壊れたんだが、生活にも困らないし買い直す機会を後回しにしてたら……こう、ズルズルと」

「ちょっと分かるかも。アタシもアナログで書いてた頃は全然新調しないで、手元にある物だけで頑張ってたなぁ」

 

 妥協の方法を見つけるとそれでやり繰りしようとしてしまうのが人間のサガだったようだ。僕たち似た者同士だね。

 

「バイクかぁ……ちょっと意外。乗り物好きなイメージは無かったから」

「特別好きってわけでもないけどな。ガキの頃に親父が後ろに乗せてくれて、以来少し憧れるようになっただけで全然詳しくないし」

「ふーん……?」

 

 そもそも父親に乗せてもらったのもたったの一度だけだ。

 幼少期の思い出故に印象深いだけで実はそんなに好きでもない。

 昨年、実家からこちらへ帰る道中、バスに乗り遅れて『約束の時間に間に合わねェ終わった!』と嘆いているウマ娘を後ろに乗せて走った事があるのだが、なんならあのメカメカしい変な耳飾り付けてた少女のほうがバイクが好きそうだった。

 後ろに乗せても背中に当たるおっぱいの感覚がほとんど無かったことから逆に印象に残っている出来事だ。今更だが名前くらいは聞いておけばよかったな。

 

「……ね、もしまたバイクに乗るならアタシのこと後ろに乗せてよ」

「だから乗る物自体持ってねーんだって」

「もしもの話だってば。二人乗りしてる時のヒロインの心情、考えても分かんないから知りたいの。後ろから抱きついて前も見えず行先を彼に全て委ねる──うぅん、やっぱり興味深い……」

 

 写真撮影だけじゃなくシチュエーションの体験まで欲しがり始め女。いいと思う。

 後ろに乗せた時に胸を押し付けてくれるのであれば考えなくもない。バイクなぞ安いものだ。

 

「おー」

 

 ちなみにサンデーは少し離れた席で窓の外を興味深そうに眺めている。

 ドーベルやサイレンスだけでなくマンハッタンさんと一緒にいるときもあんな適当な感じなせいで、気を遣ってくれているのか単に興味が無いだけなのかが分からない。

 まぁアイツは一旦無視しておこう。

 

 談笑を軽く続けているうちに時間は過ぎ、電車を経てバスに乗り更に数十分ほど旅を続けて、ようやく俺たちは目的地である花畑に到着した。

 

「結構遠かったが……いい場所だな。にしても花の種類がエグい」

「ふふ、綺麗でしょ。もうちょっと先に進めば海を一望できる崖があるの。これ見よがしにベンチもあるからロケーション作りに最適……!」

 

 ドヤ顔で鼻を鳴らすかわいいドーベルちゃんを一瞥しつつ、周囲を見渡した。

 景観が良いのはもちろんだが、ここを彼女が撮影場所に選んだ理由がよく分かる風景や建築物が多く見受けられる。

 

「じゃ、どんどん撮っていこっか。まずはあそこのひまわり畑へゴー!」

 

 程なくして撮影がスタート。

 付近に荷物を置いたドーベルはワンピースの上に羽織っていたカーディガンを脱ぐと、バッグの中から取り出した麦わら帽子をかぶってひまわり畑の中心へ進んでいく。

 直前で手渡された彼女のスマホのカメラを起動し、俺は定位置についてそれを構えた。

 乳がデカすぎてワンピースがかわいそうだったぞ。服は大事にしよう。

 

「じゃあそこから写真撮って。五枚くらいできたら確認して、次のポーズにするから」

「お、おう」

 

 ひまわり畑の中でこっちに手を差し伸べる白いワンピースを着た麦わら帽子の女の子──なんかどっかで見た事ある。

 言うなれば概念的な『いつかの夏の思い出』と言ったところだろうか。

 子供の頃に結婚の約束とかしてなかったっけ俺たち。

 

「儚いヒロインで泣かせに来るタイプのノベルゲーのパッケージみたいな構図だ」

「あはは……まぁ、王道的な構図ほど欲しいタイプの資料が見つからないものでね。絵にしたい画角を自分で用意する方が手っ取り早いんだ」

 

 あまりにも既視感のある光景と、女子と二人きりでの撮影会という現実味の無さが相まって、まるでドーベルがメインヒロインのエロゲを体験しているような錯覚に陥る。

 麦わら帽子をかぶった白ワンピースでこっちに笑顔を向けるドーベルの儚さ指数ヤバいな。急に姿を晦ましたりしないか心配になってきた。今のうちに告白しとこうかな。

 

「……ん、電話?」

 

 屋根のある休憩所に一旦避難し、ドーベルにタオルやらスポーツドリンクやらを渡していた辺りでポケットの中が振動した。

 

「ベル、ちょっと電話してくるから少し休んでてくれ」

「はぁーい」

 

 万が一この電話が山田からだったりした場合、ドーベルの声が聞こえたら大変なことになるため休憩所から距離を取っておく。

 そしてズボンのポケットから携帯を取り出して画面を確認すると──どきり、と心臓の鼓動が大きくなった。

 

「っ」

 

 思わず息を呑んだ。

 全く予想外の人物からの連絡だったからだ。

 ドーベルと共に平和な休日を過ごしていた油断しまくりの俺では、その名前の大きさを一瞬で受け入れることが出来なかった。

 急速に早まっていく鼓動を抑えるように一度深呼吸を挟み、ボタンをタップする。

 何よりもまず自分から言葉を発しなければという焦りから声が上ずってしまったが、緊張でもうそれどころではなかった。

 

「っはい、葉月です。ご無沙汰しております──奥様。……えっ、呼び方? ぁ、あはは、癖と言いますか。いえ、申し訳……すみません、叔母さん」

 

 突然俺の元へ連絡を寄こしてきたのは、海外へ飛んだ叔母。

 現在の中央トレーニングセンター学園を取り仕切る秋川やよいの母親その人であった。

 

 

 

 

「……やよいを手伝え、ね……」

 

 十数分のやり取りを終えて電話を切ると、それまで溜め込んでいたものが溢れるかのように深いため息がこぼれた。

 

「ハヅキ、大丈夫?」

「いや……ラスボスと話してたからちょっと疲れた」

「そう。頑張った、よしよし」

「いらんいらん撫でるな」

 

 急にそういうことするから勘違いされるんだ。本当にベロチューされたくなかったら黙ってろ。

 

 ──俺にとっての叔母は恩人で黒幕で相容れない存在だ。

 

 ほぼ一年ぶりの連絡の内容は、今月の下旬辺りに開催される新しいイベントの手伝いに行ってほしいというものであった。

 とあるスポンサーが主催の大きな催事に学園側が協力するという形になっているらしいのだが、内部でなんやかんやあってトレセン側の仕事が多くなり、結果として様々な準備や処理を一手に担うことになった理事長の負担がとんでもない事になってしまった──との事で。

 

 多少の無茶は要求されてもこなさなければならない立場であるとはいえ、彼女は自分の肉体の疲弊を度外視してタスクを完了させてしまうタイプの人間なので、このままだと危ないかもしれないと叔母は語った。

 んなもん一介の学生でしかない俺に話してどうすんねんと言いたいところだが、残念なことに秋川やよいという人間を本当の意味で制止できる存在は今でも俺しかいないようで、叔母さんのお願いという名の命令を拒否できない俺は話に頷くことしかできなかった。

 理事長秘書の駿川さんも上手くやってくれているものの、今のやよいは反省したフリをして見えないところで仕事をし続けているらしく、一日や二日でいいから彼女に引っ付いて強制的に休ませてあげてくれというのが叔母からのオーダーであった。

 

「……二年ぶりくらいか」

 

 呟きながら休憩所へと戻っていく。

 やよいとはもう暫く顔を合わせていない。

 彼女が学園の理事長を任される流れになった際に、俺を秘書に置こうとしたり理事長職そのものを回避しようとしたりなど一波乱あり、あの時少し厳しめにやよいを叱って突き放して以降一度も会っていないのだ。

 今考えればあの時の俺はカス野郎だったと思う。

 どういう結果になろうとも俺だけはやよいの味方でい続けなければならなかった筈なのだ──が、楽しそうに理事長をやっているあの姿を見ると、何が正解だったのか分からなくなる。

 

 そんな気まずい相手と二年ぶりに会う予定が出来てしまった。

 正直バチクソに緊張するし不安だ。

 

「……ツッキー?」

 

 テーブルを挟んだ向かい側から、明らかに心配そうな声音が聞こえてきた。

 

「ん、あぁ」

「大丈夫? さっきの電話をしてから、何か顔色が悪いような……」

「いや何でもない。続きの撮影しようぜ」

 

 こっちの事情を聞かされても困るだけだろう、と考えて席を立つと、程なくして後ろから袖を引かれた。

 振り返ると、ちょっと真面目な表情に切り替わったドーベルがいる。どんな表情でも美人。

 

「……あのさ。アンタの隠してること全部話して、って意味じゃないんだけど」

 

 どういう意味だろうか。

 

 

「だ、だから。……ちょっと嫌な事があったとか愚痴るだけでもいいじゃん。あんまり一人で抱え込まないでさ、アタシにも軽く相談するとか……して欲しい。……友達なんだから」

 

 

 ──ベルちゃん。

 緊張した面持ちながらも首を見上げてまっすぐ俺と目を合わせるベルちゃん。

 面と向かって俺に”友達”と宣言してくれるベルちゃん。

 

「……ベル」

 

 感涙に咽ぶ思い、とはこの事だろうか。

 俺自身を慮って引き留め、友達として寄り添ってくれるこの少女を前にして、自分の中で他人に対して張っていた壁が崩れ去っていくのを感じた。俺が俺でなくなる……っ。

 何も深い考えがあって先ほどの件を隠したわけではない。

 あれは血の運命からなる繋がりで、他人に話してどうにかなるものではないと思っていたから、ただ反射的に誤魔化しただけだった。

 けれど()()()()()()()、と。

 愚痴るだけでも違うから、と。

 叔母とのやり取りで精神性が過去の自分に逆行しかけていたが、ベルのおかげで今の俺には寄り添った提案をしてくれる存在がいるのだと思い出すことが出来た。

 ベル優しくてだーいすき♡ ビューティー・コロシアム。

 

 お前いま俺のこと攻略しかけたんだぞ。

 告白したらオーケー出すから一旦とりあえず告白してみてくれない?

 

「ありがとな、ベル。──ちょっと聞いてくれるか」

「っ! ……うんっ」

 

 撮影のことは一旦置いといて、俺は彼女の言葉に甘えて抱えていた事情を詳らかにしていった。

 多分話さなくていい事まで喋ってしまったような気もするが、今の俺の中のドーベルの好感度はとてもヤバい事になっているため、ブレーキを利かせるのが難しかったらしい。

 

 

 

 

 相談を終えて撮影を再開してから半日ほど経過し、夏と言えど暗い時間に差し掛かった辺りで俺たちは帰路に就くことにした。

 ベルに相談した内容は『会うのに勇気が必要な人がいるから、直前まで一緒にいて欲しい』という情けないものだ。了承してくれてうれしアクメ。

 いまいる友人の中で唯一俺の秋川という苗字が学園の理事長と同じ家系のものであることを共有したわけだが、漫画のネタにならないかなと持ち掛けたところ、ベルは目を輝かせて矢継ぎ早に質問を繰り返してきた。

 深刻な感じに捉えてくれなくて助かった。

 俺の多少特異な境遇などネタにしてもらうくらいが丁度いいのだ。

 

 で、スッキリして憂いなく帰り道の電車に足を運んだところ──帰宅ラッシュの満員電車にブチ当たった。

 

「大丈夫か?」

「へ、平気……ありがと」

 

 ドア側に避難させたドーベルが潰されないよう、庇うように腕と背中で彼女を他の乗客の圧迫から守っている。うおっ♡ 暑っ♡

 少しばかりスペースを取ってしまうので他の人からすると少々ウザいだろうが、それでも俺の友人兼スーパー有名ウマ娘であるドーベルを電車で揉みくちゃにさせるわけにはいかないのだ。

 最近は多少改善されているもののドーベルの男性が苦手なアレは治り切っているわけではなく、この混雑で他の男性に圧迫されてしまったら最悪失神しかねない。

 守らなければ。

 後方彼氏面してる場合ではないのだ。彼氏なので。

 

「っ゛……」

 

 ところで、おっぱいが当たっている。

 

「ツッキー、凄い汗……待って、いまハンカチで拭くから」

「お、おうサンキュ」

 

 凄い巨乳だね♡ 俺を興奮させるためだけにデカくしたんだよな。当てつけか? 許さんぞ。

 

「よい、しょ……」

「ぅっ……」

 

 ポーカーフェイスで平気なフリはしているが体の反応はそうもいかないらしい。暑さ以外の理由で汗が止まらない。ぶんぶく茶釜。

 友人だ何だと感動した矢先に女子の武器を真正面から受けた俺の身にもなってほしい。アスリート然としたスレンダーな体型のサイレンスやマンハッタンと関わっていて忘れかけていたが、胸が大きい女子と距離が縮まると当然それはこっちの身体に当たるのだ。

 ドーベルのそれは大きい。夢のように。

 汗を拭くために俺に近寄ったことで、胸板に押し付けられたそれが潰れるように形を変えて、より鮮明に胸部のやわらかい膨らみを強く感じる。

 オッパイ柔らかくてヴィーナスのようだね♡ 果てしないエロ女だな。

 

「……ツッキー? ──あっ」

 

 気づかないで欲しかった。

 まるで気づいてないフリをしていた俺が紳士ではなく感触を楽しんでいたムッツリ野郎になった瞬間だ。

 

「…………んっ」

「──ッ!!?」

 

 ムヒョー♡ 鳥。

 恥ずかしがって距離を取るかと思いきや、逆に押し付けてきやがった。

 ありえない。何でだよ。発情期? えっちすぎて失神。。。

 とりあえず他の人に聞こえないよう耳元でコッショリ話す。

 

「べ、ベル……おま、わざとか……?」

「……そ、その、後で感想を聞かせてよ。男の子ってこういう時、どう思うのか……」

「ハァ……っ!?」

 

 こいつ作家先生として感性が完成され過ぎているだろ。資料集めのためなら恥すら厭わないのか。

 ”生粋”。トレセン学園には真のスケベ女が多いという噂は真実だったのだな。

 これをやっていて一番恥ずかしいのはお前なんじゃないの。

 あんまり調子乗ると胸を鷲掴みしてチューするよ? 覚悟はいいね。

 

「……よせって。眼鏡と帽子かけてても、ガチのファンならメジロドーベル本人だって気づくぞ。見られたらヤバい」

「その方がドキドキする……でしょ」

「おまっ、お前な……何だ、あれか、エロ漫画でも描こうとしてんのか」

「……なに、描いてほしいの?」

 

 こいつヤバい。

 わあい! ベルだいすき! 僕だけの美人なベル! 何者にも代えがたいベル! 御託は済んだかよマゾ女。

 サイレンスとマンハッタンの影響でも受けてしまったのだろうかと錯覚する淫靡さだ。漫画のシチュ集めに対しての情熱が強すぎる。

 妄想エロ漫画家如きが生意気だべ。でも一刻の猶予を与えて然るべきとは孔子の教えにも記載あり。

 

 何だろうか。

 俺は自分の友人たちに対して、俺ができる範囲で誠実な対応をしてきたつもりだった。

 それには多少なりとも意味があって、結果として仲を深めることができたのは確かに事実──だが何かがおかしい。

 サイレンスの握手多発バグ。

 マンハッタンの解呪時の淫猥な態度。

 そしてドーベルの()()

 

 俺が何か悪い事でもしたのだろうか。

 どうしてどいつもこいつも俺の理性を試すような真似ばかりするのだろうか。

 もしかしてトレセンでそういうの流行ってたりするのか。

 仲良くなった男子をからかって遊ぼう、みたいな。

 だとしたら許せん。

 くそ……何だその上目遣い。どこで覚えてきた!? かわいいね♡

 童貞の情緒を狂わせてタダで済むと思っていたら大間違いだ。

 こいつらの性格が主に善だという事を加味した上でも、イタズラ心で俺をからかっているなら許せない。

 ドーベルがこの前描いていた少年漫画風のラブコメ主人公などの並の男なら、こんな事をされても照れて大声を出して逃げるだとかそんなレベルだろう。

 俺でなければだがな。

 

 握手洗いのときも耐えた。

 呪い抜き抜きASMRも全力で我慢した。

 彼女らの一挙手一投足からなる妖艶さに今の今まで抗ってきた。

 俺は十分耐えきったのだ。これ以上受けに回っていたら自我を保つことが出来なくなる。

 見事なもんだよ恐れ入った。これは褒美を取らさせねばな。

 

 キレた。もうプッツンした。

 手を出される事はないとでも思ったか? さては相当なマゾやね。

 男子を性的に煽るという行為の恐ろしさを教えてやる。

 ここまで築いてきた絆を盾にいかがわしい事しまくってやるぞ。

 魔性の美女。通称美魔女。オスが虜の魅惑のシルエット。淫乱女には天誅だ。

 

「──ベル。お前電車から出たら覚悟しとけよ」

「えっ……?」

 

 お望み通り少女漫画に欠かせないシチュエーションを体験させてやるからな。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「こっち来い」

「あわわっ……!」

 

 電車から出て数分。

 コンビニでチョコたっぷりの細い棒状のお菓子を買った俺は、有無を言わさず彼女を路地裏に連れ込んだ。

 

「つ、ツッキ──ひゃわぅ!?」

 

 とりあえず挨拶代わりの壁ドン。

 少女漫画シチュエーションのロールプレイならマストだ。ところで乳がデカいけどどうしたの?

 壁ドンで逃げ場を無くした後、自分の中の緊張と羞恥心と罪悪感を押し殺して、俺はドーベルに顔を近づけた。

 素面でコレができる少女漫画の男ってやっぱ異次元の生命体だな、と頭の片隅で考えながら。

 漫画制作の理念の復唱! アシスタントが何をしてくれるか? ではなくアシスタントのために何が出来るかを考えよう!

 

「お前、さっき感想を聞かせて欲しいって言ったよな? だったら俺にも聞かせてくれよ」

「な、何の……?」

「ポッキーゲームやろう。電車であんな大胆な事が出来たんなら、こんな遊びなんて余裕だろ」

「えぇっ、え、え……っ」

 

 早速チョコ菓子を咥え、ドーベルの顎をクイッと上げてもう片方の先端を差し出した。

 やってみせ、言って聞かせてさせてみて、誉めてやらねば人は動かじ。

 初めてのポッキーゲームは俺のものだ。緊張します……♡

 

「ほら、咥えないと始まらないぞ」

「つ……つっ、ツッキー、怒ってる……?」

「怒ってるわけ無いだろ。そもそもこれも資料集めの一環……もっと言えばあの時の”命令”の延長線にある行為だ。お前がイヤなら()()()って言えばいい。そうしたら俺も引き下がるから」

「それはっ……えと、ぅ、うぅ……っ」

「ベル」

「はぅっ……♡」

 

 ベルちゃん突っつくの楽しい。かわいいからもっと照れてほしい。

 ていうかここで嫌悪感ではなく照れが来るってことは、コイツ俺のこと好きなんじゃないの? 本心見たりって感じですよホント。

 

「ま、まままって、待って、ごめん……あの、電車でのこと謝る……」

 

 照れながらも両手を前に突き出して、優しく俺を引き剝がした。

 逃げるな引っ付け。オラッ! 天高くいななけ。

 

「こういうのは……その、アンタの家とかで……ほんと、恥ずかしいから……」

「お前から始めた事だろうが……」

「そ、そこはホントにそうなんだけど! あのっ、とにかく今日はありがと! もう行くからッ!」

「あっ、おい! 急ぐでない慌てん坊さん!」

 

 といった流れで逃げられてしまった。残念。

 

 ──終わった後で後悔したが、あのまま翻弄され続けるのも癪だった気持ちも捨てきれず、どっちつかずのモヤモヤした気持ちのまま帰り道を歩いていくのであった。

 

 



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もう俺たち勝手知ったる仲だよね

 

 

「ハヅキ、大胆だね」

「あいつらの方が百倍大胆だわ。……はぁ、疲れた」

 

 自宅へ到着し、荷物を投げて床に寝転がる。

 

 ──天井を見つめたまま固まった。

 あまりにもムラムラするどころの騒ぎではない。ユニバース・フェスティバル。

 健全な男子ならば日常的に行うストレスの発散を封じられて四日。

 本来であれば悩みの種になるはずのやよいとの再会も二の次になるほど、内側の欲望が俺の煩悩を刺激し続けている。

 

 ただ日常生活を送り、その中で我慢するだけであれば何も問題はなかったのだ。

 サイレンスに触れられ、マンハッタンに囁かれ、ドーベルに密着されたせいで頭がおかしくなっている。コリャッ、えっちな攻撃で思考を汚すなよ! 気にせず続けていいぞ。

 非日常的な女子との触れ合いで性欲が爆発寸前だ。

 こんなラブコメ通り越したラッキースケベみたいな接触が多くなれば、煩悩が暴走しかけても何らおかしな話ではない。う~ん甘露甘露♡

 ドーベルに対するアレでも大分抑えた方だった。

 比喩抜きに路地裏に連れ込んだ瞬間あいつの唇を奪ってしまっていてもおかしくなかった。

 それほどまでにエロダメージが蓄積しているという事なのだ。何なんだこの拷問は。リンパだよ。

 

「このまま眠るの?」

「……なんもやる気が起きん」

 

 そもそもの原因はあの怪異だ。

 サンデーというほぼ出会ったばかりで友人とも呼べない不思議な関係性の女子が四六時中一緒にいるから発散できないわけだが、元を辿ればこの少女がくっ付かなければならないのは怪異のせいなのだ。

 マンハッタンカフェが大好きなコイツからしても、俺と一緒にいるこの状況は中々にキツいはずだ。

 彼女を親友の元へ帰すためにもこの状況の改善は急務。

 呑気に呪いを抜いている場合ではないのだ。明日のお昼ご飯どうしようかな。

 

「サンデー。怪異って倒せるのか」

「存在を消すことは出来ないけど、心を折れば二度と近づいて来ない」

 

 あの怪奇現象共に心なんてあったんだ。仲直りしたい。

 

「存在の概念的には私とほとんど一緒。彼らは私には攻撃できないし、私も彼らには触れられない」

「……どういう原理だ?」

「味方を殴ってもダメージが入らないゲームとかあるでしょ。あんな感じ」

 

 世界から見てサンデーとあいつらは同一の判定なのか。

 悪そうな怪異の話をマンハッタンから多く聞く辺り、多分彼女に味方しているコイツの方が変わり者なのかもしれない。だがイイ子供を産みそう。素敵な家庭を築けそう。

 

「どうすれば心を折れる?」

「例えばだけど……レースでポコポコに打ち負かす、とか」

 

 ぽこぽこ。

 なるほど確かに名案だ。

 レースで負けたらバチクソに悔しいであろうことは容易に想像できるし、それが繰り返されたらもうちょっかいかけようだなんて思わないだろう。

 同じ存在であるサンデーならともかく、正真正銘普通の人間である俺に負けたらやる気も萎える。

 問題はまるで全然ヒト型じゃないアイツらとどうやってレースをするのか、そもそも何をすればレースに応じるのか、という部分だが。

 

「ちなみに私と一緒で言葉は通じる」

「おっ。んじゃあ挑発すればいけるな。相手がどんな姿形でも、サンデーが憑依しとけばレースは負けないだろ」

 

 あっけらかんとそう言ってみたところ、無表情な彼女は少しだけ俯いた。

 

「……勝てるだろうけど、一体化(ユナイト)した状態で激しい活動をするとハヅキの肉体が危ない」

 

 ユナ……何だって?

 

一体化(ユナイト)。憑依は本来私がハヅキの肉体を意識ごと乗っ取るものだけど、ハヅキが変な体質だから憑依しようとすると逆に私が取り込まれて一体化しちゃう」

「はぁ……よく分かりませんが……俺のが強いってことか」

「部分的にそうなだけ」

 

 何だか真面目に話をするターンになった気がするので、起き上がって部屋の電気をつけ、二人分の麦茶を用意してサンデーの向かい側に腰を下ろした。首脳会議。

 

「肝心なのはユナイトしてる時でもハヅキの身体はあくまで人間ってこと。一体化してるから多少の肉体変化は起きてるけど、大元が人間だからウマ娘みたいな走りを全力でやったら……」

 

 ヤバい、ってことか。

 

「そう」

 

 なるほどな。それはヤバい。

 

「語彙力」

「疲れてるって言ったろ」

 

 言いたいことは分かったし状況も整理できた。

 呪いの解除が進めば襲われづらくなるが、怪異自体がいなくなるわけではない。

 なので大元を叩いた方が話は早いが、殴り合いみたいなバトルが出来ないのでレースで喧嘩を売るしかない──が、相手と同じ土俵に立つためにサンデーと合体すると、いざ走った時に俺の肉体がめっちゃ悲鳴を上げる……と。

 こんな感じか。

 とりあえず現状の把握ができて良かった。

 今後の行動の具体的な内容は明日から考えよう。

 もうムラムラしすぎてまともな思考が出来ないのだ。理性が揺らぎ過ぎて制御が大変だ。よいせこらさ。

 

「とりあえず今日は風呂入って寝る」

「そう」

 

 立ち上がり、着替えをもって浴室へ向かう。

 寝るときは別々の布団を用意していて、風呂に入るときも一工夫入れる。コレが今現在のサンデーとの距離感だ。

 物理的な距離の近さで言えば一番だが、知り合いのウマ娘の中では俺の情緒を乱さないという意味で信頼できる相手である。

 

「ハヅキ、入る」

「おう」

 

 コレは一緒に風呂に入るという意味だが、いかがわしい意味は一ミリも含んでいない。

 風呂と言えど隔離された場所である為、俺が入るときは背を向けて浴室の中にいてもらっているのだ。もちろんサンデーは濡れてもいい服を着ている。

 直接こちらを見られなければ問題はない──わけではないが、まぁ感情は誤魔化せる範囲だ。

 初日は目隠しをしてもらっていたが、足元が見えないのは危ないので外してもらった。流石にサンデーの安全が優先だ。

 

「……ハヅキ、質問」

「どした?」

 

 髪を洗っていると後ろから声をかけられた。びっくりしたなぁ。

 

「分からないから、正直に聞く。傷つけてしまったら、ごめんなさい」

「そんな繊細な心してないから言ってみ」

「はい」

 

 一度シャワーを止め、彼女の言葉を待った。

 

「……私は、ハヅキの誇りと本能的な欲求の、どちらを優先してあげた方がいい?」

 

 誇りってなんだ。

 そんな大層なものを掲げた覚えはないのだが。

 ──あぁ、もしかして。

 

「誇りって、俺の男子としてのプライド的なアレのことか?」

「そう」

 

 男のプライド。

 それは自分を守るための大事な一部だ。

 もし欲に屈してサンデーに『自慰するから見えないところに行ってくれ』だなんて直接口にしたら、恥辱のあまり死に至る事だろう。

 だが、それを知ったうえで彼女は俺の身を案じている。雅だなぁ♡

 この家に来た初めての夜、サンデーは『邪魔になるつもりは無い』と言った。

 しかし現状、俺のムラムラ爆発寸前の性欲を発散できないという意味で言えば、間違いなく弊害となっている存在だ。

 それが引っかかっているのだろう。

 心を読める彼女にはすべてが筒抜け。

 先ほどの恥ずかしい思考もあくまで思考。口に出さなければ一線は越えないという、俺としても不思議で中途半端な感覚で心を守りながら一緒に過ごしているのだ。

 

 サンデーは心優しい少女だ。間近で見るとお顔がとんでもなく良いな……。

 出逢うきっかけこそ不可抗力的な流れだったが、それでも俺に対して出来る事が何かないかとずっと考えてくれている。

 それは素直に嬉しい。

 これから共に怪異と戦っていく相棒として、これ以上ない程頼もしい存在と言える。

 しかし、やはり俺たちは同年代の異性なのだ。

 絶対に意識しない、ということは不可能に近い。

 サンデーにできても俺にはできない。

 

 高校生なんざ小学校からの馴染みで全く意識したことがない女子とですらワンチャン考えるような多感な年頃なのだ。恋愛事に脳を半分食われてると言っても過言ではない。

 誰も責められないような合法的な理由で四六時中一緒にいることになった少女相手に、邪な感情を抱かないなんて難しすぎる。

 何かの拍子で好きになってほしいし、何なら彼女の優しさとちょっとした無防備さにやられて俺はもう八割くらい堕ちている。

 触れたいし触れられたい。

 相手がそれをしてもいいと提案してくれているなら、そのまま流されてしまいたい。参ったね。

 

 ──それでもダメなのだ。

 別に紳士のように誠実な対応を心掛けているわけではないが、このまま仕方のない理由を盾にサンデーと良からぬ方向に足を進めてしまったら、俺はきっといつか後悔する。

 性欲に負けたい。

 式場を探したっていい。

 それでも自分を自分として繋ぎ止めるための最後の理性が、サンデーの優しい提案を蹴ってしまう。

 俺が秋川葉月である限り、これ以外の結論が口から出る事は無いのだろう。

 

「誇りを優先してくれ。本能的な欲求に従ってお前に何かしたら、マンハッタンさんに合わせる顔がない」

「……そう」

 

 そこまでで話を切り上げ、さっさと入浴を終えた俺は布団を敷いて電気を消した。 

 サンデーの質問で少しだけ頭がスッキリした。

 やはり男がやる気を持続させるにはカッコつけるのが一番だ。

 

「ハヅキ」

「ん……どうし──」

 

 布団の上で寝転がった直後、上からサンデーの声が聞こえてきた。

 薄く目を開けると彼女の顔があり、いつの間にか自分が膝枕されていたことに気がつく。

 気がつけば恋人。明日のデートどうしよう。YO。

 

「な、何だ。どうした?」

「……ハヅキの気持ちを優先したい。でも、辛そうにしている姿を見続けるのも、イヤ」

「そうですか……え、なに」

「私のワガママだから、ハヅキは悪くない」

 

 そういう問題じゃないんだって。

 何をするつもりだ。三行以内でお願いします。

 

「夢を見せる。今抱えているストレスを解消するのに、一番適した夢になるよう、がんばる」

「いや頑張るじゃなくて……てかそれ、お前が考えた夢を俺に見せるってことか?」

 

 何でそんなことが可能なのかは一旦置いとく。

 問題は俺が望んでいないという点だ。

 

「大丈夫。夢の内容は私には知覚できない」

「……今さっき『適した夢になるようがんばる』って言ったばっかだよな」

「………………静かにしてください」

 

 ぺたぺたと俺の頬を揉んでいた白皙な手が、まるでアイマスクをするかのように目を塞いだ。

 見えない、何も。こわい。

 オイ! 何カップだ?

 

「自分の気持ちを守るのは、大切な事だと思う。強い思いならそれは意地じゃなくて誇りになる。……でも、ハヅキの体調はもうハヅキだけの問題じゃない」

 

 目を塞いでるおててあったかい。バレーボールの才能があるな……。

 

「ペンダントを身に着けた時の暴走……抱える感情が多ければ多い程危なくなる。ウマ娘のスズカとカフェは大丈夫かもしれないけど、外へ逃げたら大変なことになると思う」

「いや、あの二人が押さえつけてくれるだろ」

「二人とも、きっともうハヅキには乱暴できない。それくらい心が通じ合ってしまってる」

 

 それってアイツらが俺のこと好きってこと? ハーレム主人公?

 

「ふざけてる場合じゃない。大切な友達なら当たり前のこと。ハヅキだって山田君のこと殴れないでしょ」

 

 ……それはまぁ、確かに。

 

「だから今のうちに少しでも悪いモノを抜いておく。夢だから内容は忘れるし、実際には私もハヅキも何もしてないから──」

「あぁ分かった、わかったよ」

 

 太ももが震えすぎてPID制御が効かないよ。もしかして相性抜群!?

 ここまで色々な事を考えて、悩みに悩んだ結果こうして行動に移しているのだろう。

 俺の気持ちと抱えているものを真剣に考えて、なんとか折衷案をひねり出してくれた。

 ここで意固地になったら流石にサンデーに対して不誠実にも程がある。誇りを守る事と、他人の気持ちを無下にすることが繋がってはいけないのだ。

 

「ありがとな、サンデー。ここは甘えさせてもらう」

「……ん、わかった。了承してくれて、ありがとう」

 

 シリアスに様々な思考をしてきたがそもそも疲労が限界だった。

 クソ眠いので後はもう寝る。ただそれだけの話だ。

 寝ている最中に不思議な夢を見るかもしれないが、所詮はただの夢。

 いかがわしい事など何もしていない。

 何より起きたらあっという間に忘れる。

 だから寝よう。

 もう、眠ろう──

 

 

 

 

「……」

「っ…………」

「…………………おはよう、サンデー」

「…………おはよう、ございます」

 

 何も覚えていない。

 何も覚えてない。

 最初はサイレンスとマンハッタンとドーベルの三人が俺を囲むという夢でしかありえない光景ながら夢であればありがちっぽい楽園が広がっていたような気がしたがそれも覚えてない。

 時間が経つにつれて彼女たちがどこかへ消えてしまい、そばに居たのはサンデーだけだったような気もするが覚えていない。

 二人きりになったがそれが何だ。

 何もしていない。

 何もしてない。

 忘れた。

 忘れた。

 夢の内容など何もかも忘れて何一つ覚えていない。

 覚えていないのだ。

 何も。

 なにも。

 

「……夢のコントロール、下手だな」

「しょぼん……」

「……とりあえず結婚するか」

「わすれて……」

 

 わがままな女体だ。しかし美しいんだ。

 紆余曲折。

 何やかんやあったが、結果的には俺の中の邪な欲望が鳴りを潜めた事と、所詮は夢なので何もしてないしすぐに忘れるという事で、誕生日の前日を迎えた俺は盛大な二度寝を決め込むのであった。

 

 



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女子校に突入だよぉ! ムッ!?決壊の予感……

 

 

 父親から連絡があった。

 

 二度寝しようにも目が冴えて上手くいかず、俺のシャツの上にエプロンを着るというまるで同棲中の恋人気取りのサンデーが朝食を作っている後ろ姿を眺めていたところで、スマホが彼からのメッセージを着信した。

 フリフリ動く尻尾とケツを観察して笑顔になる以外にやる事がなかった俺はすぐさま応答し、間もなく電話で用件を聞くと、電話口から聞こえたのは少々自信がなさげな声だった。

 

 結論だけ先に述べる。

 俺は親父にバイクを買ってもらった。

 誕生日の当日には日本にいないから、だそうだ。

 昔は事あるごとに『秋川の人間なのだから』と口にしながら指導していた厳しい父が、今になって俺との距離感を図りながら父親らしい事を()()()()()としているのには一つ理由がある。

 

 数年前。

 秋川の本家の人間たちとウチの家族が揃っていたある行事の最中、本家の跡取りである従妹のやよいが親族たちの前でめちゃくちゃにブチ切れた事があった。

 彼女の怒りは自分のためであり、俺のためでもあった。

 

 秋川家はいわゆる厳格な家柄だ。

 日本のウマ娘育成機関の根幹をなす存在──なのだが、俺の親の世代は特に厳しい性格の人間たちで構成されていたようで、重大な責務を担う運命にある秋川家の子供に遊びの暇を与えるほどの心の余裕は持っていなかった。

 毎日が勉強と叱責の繰り返し。

 週に一度だけ実際に対面で指導をするウマ娘との交流くらいしか楽しみがない日々だった。

 ちなみに巨乳狂いになったのはこの時指導していた年上のウマ娘たちがどいつもこいつもショタコンで俺に構いまくっていたところに起因するがそれは一旦置いておく。彼女たちは夢も胸もデカかった。

 

 直接的な指導を体験する期間が終わってからは、机と向き合う毎日に逆戻りした。

 クソみたいな日々──それに嫌気が差した俺は預けられていた本家から飛び出し、とにかく()()()()

 隠れて購入した漫画本に書いてあったのだ。

 ヒトには心の余裕が必要なのだ、と。

 だからそれに従い、俺はやよいを連れ出して“子供”をした。

 唯一寄り添ってくれていた祖父が死去して以降、死んだ魚の様な茫々とした目でロボットの如く親に対して従順に振る舞っていたやよいを連れ、とにかく同年代たちの感性を取り入れようと努力をした。

 そんな時だ。

 樫本先輩に出会ったのは。

 以降人生で最も尊敬することになるその人と繋がりを持ち、そこでようやく俺とやよいは人間性を獲得することが出来たのだった。

 

 で、俺たちが人間らしく成長したその姿を、秋川家の人間は自分たちの成果だと思い込んでしまった。

 やはり自分たちの教育は間違っていなかった、と。

 ──そこで遂にやよいの我慢が限界に達した。

 大人たちが取り仕切る荘厳な空気をブチ壊し、自分が感じていた事と俺が言いたかった事を全て彼らの前でぶちまけたのだ。

 迫力も説得力も大人顔負けだった。

 そこでやよいが母親に当主の素質を見出されたのと同時に、俺の親を含め秋川家の大人たちが意識を改めるきっかけが生まれたのであった。

 

 ……とまぁ何やかんやあって、両親とは多少コミュニケーションが取れる関係性に落ち着いた、という話だ。

 とはいえ今日までに何か特別な交流をしたわけでもなかったため、父親からの連絡には素直に驚いた。

 家まで車でやってきて俺を拾い、バイクショップに向かい色々と手続きを終え、付近のファミレスに寄って近況報告をし──既に解散直前だ。

 親父はマンハッタンの実家兼俺のバイト先でもある喫茶店のあの店長と知り合いだったらしく、友人が増え順調な高校生活を送っていると告げても、別段そこまで驚きはしなかった。

 その代わりなのか、少しだけ安心したように微笑んでいたような気がする。笑ってるとこ久しぶりに見た。

 

「……葉月」

 

 会計を終えて外に出ると父親から声をかけられた。

 

「なに?」

「母さんからの伝言……身体に良いものを食べてください、と」

「……あぁ、そう」

 

 世間一般で言うところの母親の距離感ではなくない? 他人行儀ここに極まれりって感じだ。

 

「お前にあぁだこうだと言っていた私だが、学生の頃はヤンチャしていたものだ。……だから、その、無理にトレーナーを目指すことはない。先のことは自分の好きに決めるといい」

 

 秋川の人間なのだからせめて優秀なトレーナーになれ~、と必死だった昔の態度が嘘のように丸くなっているのに驚いた。

 これもやよいのおかげだろうか。

 まぁ、この人も親というだけあって大人だし、悔いるべきだと考えた部分はしっかり改めるつもりなのだろう。

 全てを忘れて仲良しこよし、というのは難しいが、せめて俺からも歩み寄るべきだ。

 

「……次はいつ帰ってくるんだ?」

「葉月が進級する前までには戻るよ」

「マジで? 驚いたな、卒業までには帰るとかそれくらいだと思ってた」

「す、すまん」

 

 ちなみに親父はすぐ謝る人になった。流石に反省し過ぎ。

 

「もう帰ろうか、葉月」

「なぁ、バイクを荷台から降ろしてもいいか?」

「ん? あ、あぁ」

 

 軽トラからバイクを下ろし、収納スペースから手袋とヘルメットを取り出した。

 

「乗って帰るのか? 送ってもいいが……」

「いや、乗り心地を確かめたいんだよ。生まれて初めての親父からの誕生日プレゼントだしな」

「すまん……」

「謝りすぎだって」

 

 苦笑しつつ出発の準備をする──その最中。

 今にも荷物が散乱しそうなパンパンのボストンバッグを持って、付近に停車しているバスへ急ぐウマ娘が二人見えた。

 

「ちょっと急ぎなさいよウオッカ!」

「わ、分かってるって! 荷物が多いんだよ!」

 

 

 ──ッ!!!??!!!!?!??!?!?

 

 

「ごめんなさい乗ります~!」

「マズいスカーレット、荷物爆発する……」

「もうっ、バッグはちゃんと閉めなさいよ……っ!」

 

 乗り込んでいく二人のウマ娘たち──否。

 俺の目に映ったのはたった一人であった。

 緋色髪のツインテールが特徴的なあのウマ娘の、一瞬だけ見えたあの……何だ、あの、アレは何だ?

 

 ──デカすぎる。

 大きすぎる。

 あまりにも常軌を逸していた。

 ちょっと目を引くレベルではなかった。

 あの領域はもはや違法建築の域に達している。

 雷に打たれたような衝撃が全身を襲った。

 

「むっ……あの黒髪の方のウマ娘、バッグからスマートフォンを落としたな。バスも出てしまった。……葉月?」

 

 あわわ。

 は、はわわ……。

 

「どうした?」

「ヤバかった」

「な、何?」

「あのウマ娘、ヤバかった」

「……あぁ、なるほど。お前の観察眼は相変わらずだな。黒髪の方……ウオッカと言ったか。データベースに登録されていたが、確か先月デビューしたばかりのウマ娘だったはずだ。……まさか今の一瞬で彼女の資質を見抜くとはな」

 

 スカーレットと呼ばれていたか? 彼女の胸がウルトラでかでかデッカーだった。

 親父が何やらごちゃごちゃ言っているがよく分からんそれどころではない。

 知りたい。

 何としてもあのウマ娘を知りたい。

 この辺じゃ滅多にお目にかかれないぜ。あんまイライラさせんなし。

 

「親父、俺あのスマホ届けてくる」

「それはいいが……行き先は分かるのか?」

「この時期は確か先行の合宿組が帰ってくるはずだろ。制服だったしどうせ中央に戻るとこだ」

 

 八月の中頃に合宿へ赴く連中は観光バスで揃って帰ってくるが、先行組は解散のタイミングがバラバラだから移動費は学園持ちでそれぞれ別ルートで戻ってくる。デカい荷物を携えてたし彼女たちも合宿帰りと見て間違いない。

 

「葉月お前、中央の行事年表を覚えてるのか……」

 

 アンタらの教育のおかげでね! 今だけはあの時間に感謝するよパパ。

 

「じゃあまた来年な!」

「う、うむ」

 

 バス停まで向かってスマホを拾い上げ、ヘルメットと手袋を装着してバイクに跨る。

 急ごう急ごう。

 

「あっ、親父」

「……?」

 

 一応出発前に一言。

 

「バイク、ありがとうな。大切にする」

「……身体に気をつけてな」

「あぁ。じゃ」

 

 家族と少しだけ距離が縮まったような空気を嬉しく思いつつ、俺を待つデカ乳のもとへ急ぐべくバイクを走らせてファミレスを後にした。

 

 

 

 

 おお……ッバイクって最高だ風がスッゲ気持ちいい……。

 学園の裏口付近に到着した。

 予想通りそこにはバッグの中を漁って紛失物の所在を涙目で探る黒髪のウマ娘の姿が──あれ。

 あのデッッッカい方のウマ娘は……?

 

「うぅ、スマホどこだ……。やっぱり隠さないでスカーレットにも言うべきだったかな……いや、それは恥ずい……」

 

 まさかもう敷地内に……?

 颯爽とスマホを送り届けてかっこいいバイクのお兄さんとして印象付ける作戦だったのに全てがご破算だ。

 一瞬で高まったあの性欲が急激に減退していくのを感じる。

 うわ、俺、さっきまで本当に下半身だけで思考してたんだな。最低だ。

 こうも簡単にありつけないとはな。漁夫の利ならず。

 触れたい、あの男好きのするBODY……。

 キキッと黒髪ちゃんの前でバイクを止め、ポケットからスマホを取り出した。大人しく渡して帰ろう。

 

「わっ。……ば、バイク?」

 

 ヘルメットは取るまでもないか。

 突然絡まれたら向こうも怖いだろうから、余計な挨拶も省こう。

 

「忘れ物だぞ」

「うぇっ……わっ、とと……!」

 

 無理なく受け取れるよう予備動作を大げさに見せ、放物線を描くように優しくスマホを投げた。

 手渡しをしなかったのは先ほどまで格好つけようとしていた感情の残滓だ。危ないし普通に手で返せばよかったと投げてから後悔した。ごめんなさい。

 

「今度は落とさない場所に入れときな。じゃ」

「えっ。待っ、あ……あのっ、ありがとう……ございますっ!」

 

 軽く手を振ってその場を走り去っていく。

 あの子どっかで見覚えがあったような気がするがデカ乳スカーレットちゃんの衝撃でまともな思考が働かない。

 もうあの違法建築っぷりは雄を惑わす魔女だよ。スカーレットウィッチ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 翌日。

 もう暫くはトレセンへ来ることも無いだろうと高を括っていたら、午前のバイトが終わった辺りで、学園理事長の秘書を務めている駿川たづなさんから電話で呼び出しをくらった。

 何でもやよいには秘密で渡しておきたい資料があるらしく、これからイベント準備のために学園を離れる都合で今日しか渡せる日がないとのことだった。

 失礼がないようすぐ高校の制服に着替えバイクで学園へ向かうと、夏でも暑そうなジャケットを着こなす社会人の鑑みたいな女性が待っていた。感服。

 

「こんにちは葉月君。暑い中ありがとうございます」

「お久しぶりです、駿川さん。理事長は……」

「今はいらっしゃらないので、このまま理事長室まで行きましょう」

 

 案内されながらトレセンの中を進んでいく──かなり緊張するな。ここが女子高か……。

 

「……ふふ。葉月君も随分と背が伸びましたね」

「そ、そうすかね……?」

 

 ちなみに駿川さんとは二年前からの付き合いだ。

 学園外で俺と会うときは敬語を外してお姉ちゃんぶる変わった人なのだが、そこを差し引けばやよいを支えてくれている大恩人である。

 

「学園、結構生徒が残ってますね」

「今月のイベントが理由でスケジュールがちょっとズレたんです。合宿の後発組も今年は学園に残ってます」

「へぇ……大丈夫ですかね、俺ここにいて」

「アハハ。平気ですよ、ちゃんとしたお客さんなんですから」

 

 話しながら理事長室に到着すると、駿川さんに封筒とUSBメモリーを手渡された。

 逐一腕時計を確認している辺りあまり時間の余裕があるわけではなさそうなので、早いとこ退散した方がいいか。

 

「葉月君。理事長のこと……よろしくお願いしますね」

「えぇ、任せてください」

「頼もしいです。……イベント当日、時間があったら一緒に出店でも見て回りましょうか」

「へっ? ……あ、あぁ、そうですね。その時はぜひ」

 

 突然の提案だったが多分駿川さんなりに気を遣ってくれているのだろう。親族とはいえ俺個人はあくまで学園の関係者ではないため、彼女にも思うところがあるのかもしれない。

 この流れだと恐らくイベント当日は『奢ります』とか言って飯を買ってくれる可能性が高い。少々気が引けるがここは素直に甘えておくことにしよう。その方が彼女としても助かるはずだ。

 

「……ん?」

 

 かかってきた電話の対応で理事長室に残る事になった駿川さんに軽く会釈だけしてその場を後にし校舎を出ると、向かい側からこちらへ歩いてくる存在に気がついた。

 

「全くゴールドシップは……合宿なのだからもう少し厳しめに叱責するべきでしたわね……ブツブツ」

 

 見えたのは缶ジュースを両手で持ちながら俯いてぶつくさ呟いている、紫がかった芦毛が特徴的な制服姿のウマ娘だった。

 相当考え込んでいるのか俺に気づく様子もない。

 

「もはやロープで括り付けてでも──キャッ!?」

 

 そのまま横を素通りしようとした瞬間、足がもつれて少女が転倒しかけた。

 気づいて瞬時にサンデーと一体化(ユナイト)し、転びかけた少女を腕で抱えると同時にもう一本の腕で缶ジュースをキャッチする。

 運よく中身はこぼれていない。よかった。

 どうやらサンデーとのユナイトは想像以上に人外染みたパフォーマンスを発揮できるようだ。それに一瞬派手に動く程度なら身体へのダメージもあまり無いらしい。

 

「大丈夫……?」

 

 腕の中にいる少女は目を丸くしている。

 一連の流れがあまりにも一瞬すぎて理解が追い付いていないのかもしれない。

 転んだと思ったらいつの間にか知らない男に助けられていたのだ。困惑するのも無理はない。

 え……めっちゃ可愛いんだが近くで見ると。一目惚れ。

 

「立てる?」

 

 年下っぽいし敬語は控えたが大丈夫だろうか。

 この風貌で俺より年上という事は無さそうだが。

 

「──ハッ。……は、はい、ありがとうございます……どうも……ほんと、えと……」

「気にしないで、通りがかっただけだから。それじゃ」

 

 有無を言わさずその場を去っていった。

 今の俺ちょっとカッコよかったのではないだろうか。そんな事ないかな。

 とりあえず駐車場まで戻り、バイクを押して裏口から出ようとすると──

 

「あれ? ……ツッキー?」

 

 後ろから聞き馴染みのある声に呼び止められた。 

 振り返るとそこにいたのは当然の如くドーベルちゃん。結婚のスタンバイは完璧ってワケだ。

 どうやらバスで帰ってくる残りの合宿組を迎えにきたりなどで、多くの生徒が寮の外に出てきているらしい。

 

「ほらカフェさん、やっぱり秋川くんだわ!」

「そうですね……お友だちも一緒みたいです……」

 

 ついでと言わんばかりにサイレンスとマンハッタンも現れた。君たち俺を索敵するレーダーでも付けてるの。

 いや学園に俺がいる事の方がおかしいのか。

 みんな首筋に汗が伝っててセクシー♡ 暑いね。

 

「わっ。スズカに……カフェさん?」

「あら、ドーベル? ……もしやこのパターン、もしかしてドーベルも秋川くんと面識が……」

「う、うん。一応」

「嘘でしょ……」

「葉月さん、そのバイクは? 後ろにお友だちが……」

 

 何だか気まずい雰囲気のサイレンスとドーベル、特に意に介さないマンハッタンと、既にバイクの後ろに跨っている無表情のサンデー。

 情報量の多い状況だ。いつもならここで彼女たちとどう会話をこなすのかを熟考するところだろう。三人で囲んで童貞の心を弄びやがって。いかがなさるおつもりか?

 しかしここは中央トレセン学園。

 既に彼女たちの後ろの、遠く離れた位置から興味深そうにこちらを観察している他の生徒や、恐らくサイレンスたちの知り合いであろう複数のウマ娘がこちらへ向かって来ている。

 なのでこの場で行う行動はただ一つ──逃走だ。

 トレセンは俺にはちょっとアウェーな空間すぎる。質問攻めにあったら誤魔化せる気がしない。

 うおっ女子の匂いが充満してきた。こんなん我慢できないよ!

 

「三人とも、俺のことはうまく誤魔化しておいてくれ」

「え。ツッキー、もう行っちゃうの」

「どっ、ドーベル? ツッキーって……?」

 

 ヤバいヤバい三人くらい知らないウマ娘が来てる来てる。

 このままだと女の子の前で鼻を伸ばす本性が溢れそう。それは粗相。ちょっと失礼ッ。

 

「……葉月さん。ドーベルさんには呪いの事は……」

「まだ。一応共有した方がいいと思うから、マンハッタンさんから説明してくれるか?」

「はい……分かりました」

「秋川くんちょっと待って、話を……」

「ツッキー!」

「悪いあとで! もう帰るから後で連絡してくれ!」

 

 一方的に告げてヘルメットを装着しバイクに跨った。もう出発するからサンデーも早く掴まって。さもなくばお布団になってもらうから。

 

「あの一つだけ! 秋川くん、今日の夕方空いてる……?」

「何も無いけど」

「よかった、ケーキ持っていくね」

 

 何言ってんだ大胆女。美しすぎる可憐な女。

 ふぅッふぅ、サイレンスちゃんが悪いんだい! いい加減付き合ってくれ。

 

「えぇッ!? す、スズカ……っ!? カフェさんこれどういう……!」

「葉月さんは今日が誕生日なんです……私も行きます」

「っ!? ……っ!?? つ、ツッキー! アタシも行っていい!?」

「好きにしてください!!!」

 

 三人家に来るじゃん。文殊の知恵? みんな傾奇者だね。

 情報の上に情報を上乗せされて混沌に陥ったその場から走り出し、学園を去っていった。

 何かとんでもない約束を結んだ気がするが気にしてられん。とにかく逃げる。

 

「くっ、行ってしまったか……! カフェ、先程の男子高校生について色々と質問させてもらいたいのだが? あれ前に変なカラスの集団に突っ込んでった男の子だよねぇ! 何者なんだい彼!」

「実家の喫茶店でアルバイトしてくれている友人というだけです……」

「スススススズカちゃん!? さっ、さっきの人もしかして彼氏!?うううウマドルは恋愛厳禁──」

「ち、違うから! ほんとにただの友達……ッ!」

「ドーベル……先程の殿方と面識が……? 少々詳しく話を…………」

「ちょっと待ってマックイーン……! 何でそんな怖い顔して──」

 

 一緒に話しているところを目撃されてあの三人の担当トレーナーから『ウチの担当にちょっかい出すのはやめてくれ』とか言われたら俺の人間関係がその日をもって終焉を迎えてしまうのだ。うわぁぁぁッ、制御不能だよぉッ!

 

 



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美しくつつがない女たち かなりリンパが集中しているね

 

 

 

 ──浮かれていた。

 

 自分の置かれている状況が俯瞰できない人間ではない。

 友人に恵まれ、家族と距離を縮め、幼い頃から欲していたものを次々と手に入れた事に関しては自覚があった。

 勿論だがあのウマ娘の少女たち三人との関係性もただのファンではあり得ない距離感だという事は分かっている。

 俯瞰して思い至ったのだ。

 今の自分はまるで物語の主人公にでもなっているのではないかと。

 

 だが、その考えは甘かったとしか言いようがない。甘すぎて虫歯になるわ。

 本当に俯瞰できていれば目下の危機に対して焦燥感を覚えて然るべきだったはずだ。

 しかし油断しきっていた俺は反応が一瞬遅れてしまい、危うく大切な友人を危険な事態に巻き込んでしまうところだった。間に合ったのは単なる奇跡だ。

 ()()()は帰路の途中で現れた。

 

 怪異だ。

 あのカラスだ。

 道路の先にいたコイツの標的は呪いが薄まった俺ではなく、新たに呪いが押印できる別の人間だった。

 ワゴン車の上に降り立ち、中に搭乗している人間を狙っていた。

 気づいた瞬間に焦ってバイクの速度を上げ、車まで近づくと助手席に乗っていたのが友人の山田だったことに気がついた。

 他の搭乗者は以前ドーベルが一着をもぎ取ったレースで、山田と共にヲタ芸を披露していた男性たちと、頭にデカいリボンを付けてる知らないウマ娘。

 山田だけでなく見知らぬ人々にも被害が及ぶことを恐れ、俺は変質者と断定されることを覚悟で車の上のカラスに喧嘩を売った。

 主役は遅れて登場。気持ちのいい勝負を期待しているぞ。

 

『おい、レースしろよ』

 

 窓側の席にいたリボンのウマ娘には存在を気づかれてしまったが気にせず手を伸ばし、カラスをとっ捕まえた俺はライディングレース・アクセラレーションといった感じで真っ白な謎の空間に突入した。

 

「ここは怪異が形成した固有フィールド。ハヅキのレースしろって挑発に乗ったみたい」

「じゃあここでコイツをやっつければ解決ってわけだな」

「……本当にやるの?」

 

 車通りの多い道路から一変して、全面真っ白で目が痛くなるような空間に入った俺たちは、バイクを止めてカラスの横に並んだ。

 すると、程なくして周囲の景色が草原に切り替わり、それと同時にカラスもヒト型に近い形に変身した。遠くにはゴールの目印らしき白線も引かれている。

 

 ──戦わなければならない。

 俺はその事を忘れていたのだ。

 友人関係以外の理由であのウマ娘三人を自分の近くで繋ぎ止めることが出来ていたのはコイツの存在があったからだ。

 宿敵であり、向き合わなければならない運命の相手でもある。

 俺の呪いが消えて無くなる前に、二度と人間にちょっかいをかけられないようさっさと心をバキバキにへし折らなければならない敵。

 主人公だなんだと浮かれている場合ではなかったのだ。

 解呪の儀式の内容でいささか脳がバグっていたが、本来人間に仇なすこいつらには早急に対処するべきであり、ダラダラと青春に一喜一憂している暇などありはしない。

 

「サンデーいくぞ、ユナイトだ」

「う、うん」

 

 ポコポコに叩きのめしてやるぞ鳥畜生め。

 

 

 

 

 勝負には勝った。

 誰がどう見ても圧勝のレースではあった。

 カラスは悔しそうな雄叫びを上げてどこかへ飛び去っていき、あと二、三回ほど打ち負かせば懲りて諦めるだろう事も読めた。無駄だよ死ね。

 向かい側から石や木の枝が飛んでくるというあからさまな妨害があったうえでの大勝で、ユナイト状態の俺──ひいてはサンデーの能力が文字通り不正(チート)レベルの強さを誇っていたことを改めて実感できた。

 その走力は現在のレース界隈を席巻する第一線級の強豪ウマ娘たちとも余裕でタメを張れるもので、走っている間は心の底から『人間を辞めた』という感覚に陥っていた。

 カラスもそこそこ速かったが、今回のことを踏まえれば何度と戦っても負けることはあり得ないと容易に想像がつくというものだ。

 

 問題はレースが()()()()()である。

 謎空間の時間の流れは現実世界と異なっていたようで、草原から現実世界に切り替わった頃には既に二十二時を過ぎていた。

 夕方にケーキを持っていくというサイレンスたちとの約束を反故にした形となったため、彼女たちも呆れて帰っただろう──が、問題はそれだけではない。

 俺とサンデーが“故障”したのだ。

 

「ダートならもっと楽に勝てた」

「……あぁ、そう」

 

 場所は駐車場がある公園のベンチ。

 俺は鼻血の止血でティッシュを丸めた栓を鼻に詰めたマヌケ面で、割れるように激痛が走り続ける全身を動かすことが出来ずベンチに横たわっている。

 

「なぁ、サンデー」

「ごめんなさい。多分今はちょっと気性が荒くなってるから、まだ話しかけないで。顔を蹴っ飛ばしちゃいそう」

「……分かった」

 

 サンデーは頭のてっぺんから毛先まで色素が抜け落ちたかのように真っ白だった髪が、前髪の一部を除いて艶やかな漆黒に染まっている。黒髪のサンデーちゃん新鮮でかわいい。いよいよマンハッタンと見分けがつかなくなってきたわ。

 曰く、ユナイト状態で俺が本気を出してしまった影響らしい。

 本気になったら髪の色が変わるなんて超サイヤ人みたいだ。略してSSってところですね。

 

 ──彼女が怪異とのレースや俺との長時間のユナイトを渋っていた理由が、今日の出来事でようやく理解できた。

 あの状態で本気を出すと、俺の肉体がボロボロのへにゃへにゃのクタクタになる。

 そしてサンデーも髪が黒くなって性質が変化し、走りたがりで下手に声をかけると目力だけでヒトを殺せそうな視線で睨みつける怖いクールっ娘に変わってしまう。生意気ながら可憐。

 なるほど確かにコレは受け入れ難い。

 普段温厚なサンデーが嫌がるのも当然の流れだ。

 

「疼きが抜けるまで、ちょっと走ってくる」

 

 サンデーはそのまま公園を出ていき、目にも止まらぬ疾さで視界の外へ駆けていった。

 どうして離れてしまうのだろうか。俺がボロボロなんだから助けて。貞淑なメイドとして所作。それが女らしさを作るんだよ。

 公園にボロカスの俺だけが残り、数分。

 

「──あれ、秋川? ……うわっ、ほっぺから血ぃ出てるじゃないか!」

 

 偶然にも公園の近くを通りがかったのは、感覚的には数十分前に道路で見かけたばかりの友人──山田であった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「ジッとして。絆創膏を貼るから」

「いいって自分でやる……」

「黙ってなさいよ怪我人は。……誕生日の夜に不良に絡まれるなんて、秋川もついてないね」

 

 少し経ち、付近のコンビニで何やら急いで買い物を済ませて戻ってきた山田が、レース中の妨害で負った擦り傷などを手当てし始めた。

 一応はヤンキーに絡まれて怪我をしたという事にしたため、打撲などがないかしつこく質問されている。心配し過ぎです。

 

「これでよし、と。他にケガは?」

「無い、大丈夫。……サンキュな」

「別にいいけど、大丈夫では無くない……? 全然動けそうにないじゃん、どんだけボコボコにされたの」

 

 ボコボコにしたのは俺の方なのだが。

 山田は洋画のような大げさな挙動でやれやれと呆れ返っている。何じゃい。

 

「逃げなかったのかい? 別に喧嘩が強いわけじゃないでしょ」

「いや、俺から喧嘩を売った。勝ったんだぜ」

「勝ち負けの問題じゃないよ……」

 

 ゴミをまとめると、山田はレジ袋の中から缶コーヒーを取り出して渡してくれた。

 何とか上体を起こしてプルタブを開けると同時に、彼もベンチに座って飲み物を取り出した。乾杯。

 

「……ま、キミから喧嘩を売ったんなら、相手は相当悪い輩だったんだろうね」

「おう、わるわるの悪だったぞ。やっつけてやったがな」

「はいはい、凄い凄い」

 

 珈琲を流し込みながら今日を思い返す。

 バイクを手に入れたり女子と話したりで浮かれていた所を、お前調子に乗るんじゃねぇぞと後ろから冷水を浴びせられたような気分だ。

 何もなかった例年と比べて、良くなったのか悪くなったのか絶妙に分からない誕生日になってしまった。

 昨日の俺に教えてやりたいくらいだ。

 盛り上がってるとこ悪いがお前の誕生日はロクなもんじゃないぞ、と。

 まぁ、ここで山田が通りがかってくれたのは僥倖だった。

 こいつがいなかったら恐らくもっと拗ねていたところだ。サンキュー親友。

 

「ねぇ、秋川」

「ん?」

「もし次も何かあったら、その時は連絡するなりしてよ。一緒にボコボコにされるくらいは出来るからさ」

「えっ……」

 

 お前そんな友情に厚いキャラしてたっけ。器量よし。

 

「どした山田おまえ風邪でも引いた?」

「人が心配してるんだから素直に受け取りなよ……」

「いや絶対裏があるね。何があったオイ、お前今日は何してたんだ?」

 

 述べよ! 正直に述べよう。

 

「……合宿の最終日だったんだよ。いろんな場所から集まった同志たちとミーティングしたり、地方限定のグッズを交換したり振り付けの練習したり……それで、皆いい人たちばっかりだったから。ちょっとは影響されてるかもだけど、裏なんか無いよ」

「そ、そう……お前普通に良い奴だよな。さすが生徒会役員」

「やめてよ恥ずかしいな」

 

 他人に影響された程度で、急に手当てだの相手を慮って飲み物を買ってきたりなんかできないだろう。

 これは元から彼が秘めていた善性だ。

 お前のそういうとこ好きなんだよ。困ってるとこに颯爽と現れて助けてくれるなんて主人公みたいだね。

 

「僕はもう行くけど……大丈夫? 一人で帰れる? お母さん呼ぶ?」

「ウザいウザい」

 

 身体的な事はともかく精神的にはもう立ち直っている事を察しているようで、山田も若干いつも通りのテンションに戻ってきた。

 

「山田、とりあえず荷物とバイクと俺本人を家まで送ってくれ」

「ヤバすぎ」

「他力本願寺の住職です」

 

 言いながら何とか立ち上がり、停車しているバイクの方へ向かっていく。

 正直に言うとこの間も全身を激痛が襲っているが、友人の前でこれ以上ダサいところは見せられない。

 さすがに乗って帰るのは無理なので押して行くことにした。

 

「あ、これ持っていきなよ。絆創膏の他にも適当なお菓子買っといたから。あとめっちゃ甘いパン」

「細胞にカロリーが染み渡りそうなラインナップだな……ありがと」

「んじゃ気をつけてね」

「あぁ、またな」

 

 そんなこんなで別の方向へ帰っていく山田を見送り、俺も公園を後にした。

 ちなみに途中で合流したサンデーはまだ気性が荒かったが、こうるさい! いい加減ウザいのでほっぺを揉み揉みしてやったら髪の毛が漆黒から純白へと戻っていった。クオリティコントロール。

 

 

 

 

「葉月さん……ッ!」

 

 自宅付近に着いた頃には身体的な限界を迎え、俺もサンデーも死にかけていたところで、家の近くでキョロキョロと誰かを探している素振りのマンハッタンと出くわした。魅力的すぎるよ……今生で一番の女かも。結婚しよう。

 倒れかけたその瞬間彼女に支えられ、次第に身体から力が抜けていく。

 

「だっ、大丈夫ですか……二人ともこんなボロボロに……」

「……マンハッタンさん、こんなところで何を……?」

「連絡も繋がらず自宅にバイクも無いので、イヤな予感がして……とにかく戻ってこられてよかった。まずは一旦自宅へ戻りましょう」

 

 駐車と玄関の解錠をテキパキとこなし、俺とサンデーをまとめて部屋に寝かせたマンハッタンはスマホを取り出した。撮影はご遠慮ください。

 

「もしもし……はい、今帰ってこられました。恐らく怪異と交戦したのか、かなり疲弊されてます。ドーベルさんには私から電話するので、スズカさんも戻ってきていただけますか」

 

 頭がフワフワする。あのペンダントを装着した時とはまた異なる、何だか全ての気力を削がれた廃人のような感覚だ。

 例えるならクッッッソ眠くて寝る前のあの状態に近い。けど身体が痛すぎて意識が落ちないんだわ。困ったね。

 

「葉月さん。もしかしてお友だちと長時間の一体化を?」

「そうです」

「……なるほど。葉月さん、彼女との一体化中は活動量に応じて魂の生命力が消費されます。見た限り今は人として活動できるだけのエネルギーがほとんど残っていないので、とにかく動かないでジッとしていてください。後の事は私たちで何とかします」

 

 そうなんだ。

 でも人肌恋しいよ。いかないで。

 

「はむ」

「ワひゃっ!?」

わんふぁっふぁんはんのひっぽうはい(マンハッタンさんの尻尾うまい)ね」

「待っ、は、葉月さん、一旦離してください。私はどこにも行きませんから……」

 

 もう遅い! 先っぽがかくれんぼしてしまったよ。無味無臭。

 すげぇ尻尾……やっと巡り合えたね。

 

「ハヅキ、ズルい。私も……」

「ひぇェッ、ふっ、二人ともやめて……っ」

 

 マンハッタンの語った“魂の生命力”とやらは、どうにも活力だとかそういった単純なエネルギーではないらしい事を何となく察した。

 肉体の活動だけでなく思考するにもそれが必要なのだろう。

 いつもならマンハッタンの尻尾を甘噛みしたいという考えは考えのままで終わるが、今はそれをストップさせる為の理性を働かせるエネルギーそのものが足りていない。

 だが、ペンダント装着時と異なり肉体が限界である為、行動自体はしょぼい範囲だ。

 

「マンハッタンさん、抱きしめさせてくれ」

「そ、それは……ぁっ、わわ」

 

 死に物狂いで上体を起こし、倒れ掛かるようにマンハッタンを抱擁した。俺の見立て通り超絶美少女だ……。

 何というか、欲望の解放とは異なるような気がする。不思議と性欲が湧き上がってこない。

 肉体が他人の温もりを求めている。本能的に生命力の充填をするための行動を取っているのかもしれない。絶対俺のモンにしてやる。

 

「はぁ……温かい」

「葉月、さん……」

 

 愛が欲しいね。心から。

 ていうかマンハッタン腰ほっっそ……。総攻撃だ!

 感動で涙が出てきちゃった。ぼくちんカフェちゃんの匂いじゃないと安心できなくなっちゃったんだよ? 全身淫猥警報。

 

「な、泣いて……? 葉月さん、お気を確かに……」

「何でそんな優しくしてくれんの。ほんとに好き……抱きしめ足りねえよ」

「ひゃっ、わ……──えっ。い、今なんて……?」

 

 あったけぇ~~~~体温高いですね。

 ペンダントの時とはまた違う。

 押し倒す力も強く求める気力もなく、ただ流れるように相手に温もりを求めているだけなのが何となく分かる。ほれほれほれほれ、ほ~れほれ。

 もっと言えばマンハッタンを抱きしめる為の力などほとんど込めていない。込められない。俺と彼女が今こうして抱擁を続けていられるのは、ひとえに彼女が俺を抱き支えてくれているからだ。ここで抱き合うまでに幾星霜を要しましたよ。

 

 ──もし、いま、ここで相手に拒否をされたとしたら。

 俺は悲しむことも悔しがることもできず、茫漠とした思考の海を彷徨いながら暗い部屋の中でただ絶望に伏すであろうことは想像に難くない。

 何となくだが、この不足している魂の生命力とやらは、休息と睡眠を取るだけではほとんど回復しないような気がする。

 例えるならバイクのガソリンの様なものだ。

 動くために必要なエネルギーだが決して自然に回復するものではない。

 理屈ではなく本能で察した。負けないお~~♡

 俺には今──他人の温もりが必要なのだ。俺が安心するまで耐え抜くのだ! ジッ……と留まれ!

 

「カフェ……ハヅキに生命力を充填するための方法、分かる……?」

「……魂の共鳴、よね。一定量を下回ると自然回復が出来なくなるから、他人から直接生命力を分け与えないといけない……」

「そう。カフェ一人だと負担が大きいだろうから……あの二人とも協力して。私はちょっと概念の再構築をしてくるから……後はお願い……」

「えぇ、あなたもゆっくり休んで」

 

 マンハッタンに何やら言い残したサンデーは蝋燭の灯が消えるかのようにフッと姿を消した。またな相棒。

 

「ドーベルこっち! 急いでっ!」

「分かってるってば! ツッキーだいじょう──ぶえェェッ!?」

 

 あ、サイレンスとドーベルも来た。

 え!? 二人も僕と赤ちゃんづくりしたいの!? 夢があるね。

 

「お二人とも、実は──」

「……なるほど。ドーベル、タオルとお湯を持ってきてくれる? 私は救急箱を用意するから」

「えっ。う、うん」

 

 気がつけば解呪の儀式よりも淫猥な体勢になっていた。おいラブラブしろ! 命令ですよ。

 両サイドにサイレンスとドーベル、膝の上にマンハッタン。はしたない! 美しい。

 この状況非常に落ち着く。くつろいだわ。ぐうぅぅぅっ、許せん……!

 

「カフェさんは秋川くんを支えてあげて。……ドーベル、秋川くんのシャツを脱がすわよ」

「待って待って待って、スズカちょっと覚悟が決まりすぎてるってぇ……!」

「わ、私だって緊張してる。でもやれる事からやらないと……とりあえず怪我の手当てからやりましょう」

「葉月さん、お洋服を脱がせるのでバンザイしてください」

 

 ばんざ~い。わお肢体とき放たれしもの。恥ずかしいからあまり見るなよ。

 この距離感は普通に友人としてどうなの!? こりゃお仕置する以外の選択肢は無いな。

 

「ツッキー、打撲の痕がこんなに……」

 

 妨害で向かい側から石とかめっちゃ飛んできたからな。

 まぁ男の子なので痛くありませんが。心配せずともよい。けれどありがとう♡

 

「秋川くん……痛かったわよね……」

 

 うわぁお顔が近いサイレンス。子供を何人作ればいいか見当もつかないよ。だがお下劣だな。

 何やかんやで応急処置が終わり、ついでに汗も拭いてもらってひと段落付いた俺は、汚れた制服から部屋着にフォームチェンジして布団の上に寝転がった。新番組夫婦の営みごっこ朝八時からスタート!

 

「生命力の充填は素肌に直接触れることです……葉月さんのほうが極端に枯渇しているので、触れていれば肉体が勝手に私たちから生命力を吸ってくれるかと」

 

 マンハッタンとサイレンスが両手を握ってくれている。猛省せよ。

 ドーベルはいつの間にか膝枕をしてくれていた。下乳を眺められるこの眺望、日本の名勝。

 あんなに誘惑するなと言ったのに。忸怩たる思いだよ。

 

「……ツッキー、アタシの漫画の主人公よりも、全然もっと非日常な体験をしてたんだね」

「すげーだろ」

「うん、凄いよツッキー。本当に偉い……」

 

 うるち米。膝枕をされながら頬を優しく撫でられている。そうやって俺の好感度上昇を促す気か? そうは問屋がおろさんぞ。コレは油断するとコトだな。

 

「ドーベルさん、漫画を描かれているんですか」

「あっ。……まぁ、一応。いつもツッキーに読んでもらって、感想を聞かせてもらってたんだ」

「そうですか……私は、道端で紛失した鍵を一緒に探してもらって……」

「ふふっ、そういうの放っておけないタイプよね、秋川くん。私も足を怪我して動けなかったところを──」

「……ちなみになんだけど、何でスズカのフィギュアだけ飾られてるの?」

「ご友人に誕生日だからとプレゼントされたそうです」

「えへへ……」

「む、むぅ。アタシだってこの前フィギュア化の話を貰ったけど……」

「私もですので、三人お揃いですね」

「ウソでしょ、三人分ここに飾るの……?」

 

 眠れないが眠いので黙っている間、ウマ娘たち三人の会話が広がっていく。

 不思議と居心地は悪くない。

 友達と友達が話をしている空間に、当たり前のように自分が居ていい事実にまた感涙しそうになった。あらゆる手段で俺を喜ばせる女たち。

 お前たちは最高の女だ。尻がデカすぎることを除いてはな。

 彼女たちに囲まれているこの状況、幸福すぎて正視に耐えないよ。ボクちん好みのえっちな身体……♡

 

「……ありがとう、三人とも。本当に……」

 

 痛みを疲弊が上回った。これなら気絶するように眠れるはずだ。

 睡魔に抗って感謝の言葉だけなんとか絞り出すと、安堵からか急激に全身から力が抜け落ちていく。

 困憊が極まり、次第に思考に靄がかかり始めた。

 

「葉月さん……眠くなったら、そのまま眠ってくださって構いませんので」

 

 お姉さん美人だね。言わずもがなといったところか。面白い。

 

「……いいのかな。こんな──」

「いいのよ秋川くん。それだけの事を貴方はしてきた。それに……」

「うん、ツッキーは今日誕生日なんだから。もっとワガママを言ったっていいくらいだよ」

 

 感動。もう涙が暴発してしまいそうですお……♡

 

 

『──誕生日、おめでとう』

 

 

 誰の声だったか分からない。

 けれどずっとこれまで言われたかったその言葉を耳にした瞬間、俺の意識はブツリと落ち、泥のように眠ってしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 ──あれ?

 

「すぅ、すぅ」

 

 何だ?

 隣にマンハッタン。

 

「ぅ……ん」

 

 どういう状況だ。

 マンハッタンの隣にサイレンス。

 

「つっきぃ……だめ、まんがのさんこーしりょうにするには、ちょっとやりすぎ……」

 

 俺の左側にはドーベルがいた。お前はもう起きてるだろそれ。

 

 何だろうか、この状態は。

 普段俺が使っている布団と、来客用のもう一つを床に敷いて、仲良く四人で寝転がっている。

 昨晩の記憶が曖昧だ。

 全くすべてを忘れたわけではないが、家の前でマンハッタンに声をかけられて以降、まどろむようなフワフワした感覚がずっと続いていた。

 

 何をしたんだったか。膝枕と両手にぎにぎのちょっとしたハーレムプレイ紛いな事をしたのだけ覚えてる。ダメじゃない?

 全員の服装が特に乱れていないことから、少なくとも道を踏み外したわけではなさそうだが、この状況だけを切り取ったら十分間違えてしまっている。予想以上の眺めだ……ルール違反目前そのもの。

 何もしてないよな俺? もしかして何かやった? 突然の男女比ぶっ壊れお泊り会にさすがのボクチンも驚きを隠せないよ。

 

 う~~ん、よしキマリだ! 決定だ! とりあえず四人分の朝食を準備するゾイ♡

 わっせ、わっせ。これが旦那の仕事だよな。嫁が三人で随分と馴染んできた。

 

「んんっ……ぁ、朝……?」

「おはよう、サイレンス」

「────」

 

 一番初めに起きたサイレンスに向かって、フライパンを揺らしながら振り向いて早朝の爽やかスマイルで声をかけた。爽やかな感じでいけば昨日の痴態を誤魔化せないかな、という非常に甘い考えだ。

 

「……ぇ、えぇ、おはよう……秋川くん……」

 

 何で顔が赤いの? もしかして昨晩本当に一線超えちゃった? 責任取るから子供の名前を考えておいてね。心の底からすいませんでした。

 

 



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おむライス

 

 

 快晴の早朝。

 カーテンの隙間から差す陽の光にのどかな空気を感じながら、俺は非常に落ち着いた状態でゆったりと朝食に勤しんでいた。

 

「あ……葉月さん、お箸を落とされましたよ」

 

 自分の家。誕生日の翌日。夏休み。バイトや友人との約束も無し。

 ここまで条件が揃えば平和で平坦な朝は約束されたようなものだろう。

 

「ツッキー、目玉焼きにお醤油かけすぎじゃない? そろそろお皿からこぼれそう……」

 

 事実何もない。予定が空白の日に朝から起きて、わりとうまくできた朝ごはんを食べているのだから、もはや穏やかな日常そのものだ。

 心が落ち着く。

 

「秋川くん……? テレビは映ってないけど……どうしてじっと見つめているの?」

 

 本当に、心の底から落ち着いている。

 はずなのだ。

 

「………………」

「どうしたのかしら……あっ、もしかしてサンデーさん?」

「いえ、彼女は今別の場所で休息を……」

「いいなぁツッキー。不可視の存在を認識できる魔眼持ちだったなんて……」

「……んな大層なもんじゃないぞ」

「あっ、やっと喋った。どしたのツッキー、朝は弱いタイプ?」

「いや……」

 

 ──ダメだ。

 何で朝っぱらから美少女三人と食卓を囲んでるんだ俺は。

 落ち着けるわけ無いだろ、こんな異常な状況をよ。

 

 目が覚めた時は夢見心地だったというか、流れに身を任せてまだ現実逃避が出来ていた。

 だが頭が冴えてきてからはどうだ。

 こんな光景はあり得ない。

 もうハーレムだとかそんな冗談を超越してしまっている。

 何だろう、俺は王にでもなってしまったのだろうか。このリアルなエロゲ主人公体験を出来るほど今までの人生で徳を積みまくった覚えはない。もしかしなくても前世で世界を救っているだろ。

 

「……その、三人ともここにいて大丈夫なのかなって。寮には連絡したのか?」

「昨日の内にトレーナーさんには連絡をいれて外泊許可を頂いておきました。急なお願いだったので多少怒られはするでしょうが……昨晩の件を考えたら些事ですから、ご心配なく」

 

 些事か? 大事だろ。

 

「私たちも一緒よ」

「え、スズカはちょっと違くない……? トレセン出る前にもうトレーナーに話をつけてたじゃ」

「ドーベルこの卵焼きあげるっ!!」

「むぐッ!?」

 

 それって俺が怪異とデュエルすることを見越して外泊許可を貰ってたって話か。すげェ洞察力……ムチッと俺に吸い付いてくる。

 

「もぐもぐ……んっ、てかアタシたちの事はいいんだって。ツッキーこそ身体は大丈夫なの? 昨日はけっこう湿布とか貼ったけど……」

「あー、まぁ、大丈夫だ。問題ない」

 

 湿布が貼られている箇所はまだ多少痛みがあるものの問題ない。きっと青春の毎日を部活に費やしている運動部連中のほうが怪我も筋肉痛も段違いのはずだ。

 俺は運動部所属ではないゆえこのスーパー激痛筋肉痛はもう少し時間を置かないと引かないだろうが、それくらいなら何も無いのと同義である。

 

「貼り替えた方がいいよね、湿布」

 

 えっ、嬉しいベル! 枯山水。

 

「食べ終わったら……貼りましょう」

「そうね。じゃあまたカフェさんが支えて──」

「いや待て待て今は自分で貼れるから」

「駄目だってツッキー、背中側は自分でやれないでしょ」

「首や肩の後ろなどもあります……」

 

 ほ~~~っ♡ おい何でこの美少女たち全然手を引かないんだ? 教えておくれ。

 

「とうっ、秋川くん確保。今よドーベルやっちゃって」

「ほいきた」

「マジで恥ずかしいから勘弁してくれ……! 朝っぱらから上裸になる方の気持ちを考えて!」

「ほらツッキー、怪我人はジッとして──ぁっ、鎖骨……」

「ドーベル……?」

「あっはい! 貼ります湿布!」

「私は洗い物をしておきますね……」

 

 

 ──と、そんなこんなで若干の緊張を含んだまま朝の一幕が過ぎ、朝食後に俺の湿布を貼り替えてから彼女たちは学園へと戻っていった。

 ちなみに一番羞恥心を煽りやがったベルちゃんには頭なでなでアタックという反撃をしておいた。距離感が近い女子に対してモテてると勘違いした男子がやりそうになってしまう危険なスキンシップだが、ちゃんと照れてくれてスッキリ。

 マンハッタンとサイレンスの二人はまた今度ねと言いたいところだが恐らくキモすぎて遠慮すると言われる可能性が高すぎるので何も言わないでおいた。別れ際に少しかがんだのは自分も撫でてという意味ではなく、絶対に遠慮しておきますという意思表示のお辞儀だろう。俺が中学時代にフラれた経験のある男じゃなかったら危なかったぜ。さすがの俺も騙されるところだった……。

 

 

 

 

 美少女三人と朝ごはんという有料プレイに等しい神の行為を体験してから二日後。

 サンデーは未だに戻ってこないが俺にもやる事がある。

 書き置きだけ家の中に残し、バイクに跨って自宅を後にした。

 駿川さんから貰った資料にはやよいの仕事のスケジュールの他に、名目上『理事長秘書補佐代理』としてイベント開催側に介入できるようにするためのデータと、大人たちの前で口にするそれっぽい情報の例が記載されていた。

 理事長の秘書の補佐のそのまた代理とかいう一見すると何言ってんだお前となるような立場だが、最後に代理と付ければ大抵はスルーされるのでうまいところを突いたのかもしれない。流石はトレセン理事長の秘書さんだ。

 

「……ん?」

 

 今日から設営の手伝いに加わるためイベントの開催地へ向かう途中なのだが、トレセンの前を通過すると校門の前でオロオロしている制服姿のウマ娘を発見した。

 はて。

 現在学園の生徒はもれなく旅行バスでイベントの現地へ向かっているはずだが。

 

 特殊なステージでの演出の練習だけでなく、イベントで行われる派手な障害物競走みたいなレースの練習もあり、参加希望した生徒は誰でも出られるというルールのためレース場自体がとんでもない広さと作りになっている。テレビ撮影もやるらしいが、それでやよいの仕事も増えまくっているので複雑な気持ちだ。

 ともかく、スケジュールの都合で学園に居残った後発組にとっては今回のイベントが夏合宿のようなものであり、特別なレースへの出走はまだしもイベントの参加自体は絶対のはずだ。

 なのに学園に残っているあの黒い髪のウマ娘は何者なんだろうか。

 

「ひゃっ」

 

 近くにバイクを停めるとビックリされてしまった。許せ! 心からの願い。

 

「どうも、こんにちは」

「あっ、ぅ、えと……」

「怪しいもんじゃなくて。えぇっと……ほら、これ」

 

 ポケットから名札を取り出した。会場で首から下げて役職を明らかにするためのものであり、駿川さんが用意しただけあってかなり精巧な見た目になっている。

 

「り、理事長秘書補佐代理……さん?」

「えぇ、これから会場へ向かうところなんだけど……きみは? バスはもう出てるはず……」

 

 俺の質問にビクッと反応した少女は泣きそうな顔で俯いてしまった。そんな表情をすると美人が台無し。笑顔が最も。

 見た目で判断して敬語はやめておいたが逆効果だったのだろうか。

 

「うぅ……そ、その……電車が遅れて」

 

 なるほど一旦実家に帰ってた生徒。それならしょうがない部分もある。

 

「野生のタヌキさんたちに追いかけられて……」

 

 それは……まぁそういう事もあるか。

 

「なんとか振り切って、急いだら全部赤信号で……」

 

 ……不幸体質のお手本みたいな少女だ。

 

「で、電話で連絡したら、ライスのせいで皆を待たせちゃうと思って……でも、やっぱり間に合わなくて……ごめんなさいっ!」

 

 あるよねそういうの。おじさん分かるよエスパーだから。ウマ娘エスパー♡

 迷惑はかけたくないし急げばワンチャン間に合って全部丸く収まるかもしれない、という思考は何も特別なものではない。

 俺だってそれで失敗して寝坊遅刻をかました事がある。一度は誰でも通る道だ。

 流石に学園の教師やらトレーナーなら一言物申すだろうが、俺は理事長の関係者であって教育者でも指導者でもない。説教も注意も俺のすることではないだろう。

 すぐに謝罪の言葉が出た辺り、向こうに着いてもきっと自分で謝れるはずだ。俺ぐらいは激甘のあまあま対応で接してあげよう。

 

 てかライスって一人称めっちゃ独特だな。

 どこの地域の出身なのか気になるところだが今は急がねばならない。

 

「きみ」

「は、はいっ……!」

 

 ビビりすぎ。怒んないって別に。

 ()むなよライス。

 俺はもう一つのヘルメットを仮称おむライスちゃんに渡した。こいつは可変式でウマ娘の耳にも対応している。ベルが後ろに乗せてと言っていたので一応買っておいたのだ。

 

「それ被って、とりあえず後ろに乗って。俺も会場に向かうところだからついでに送る」

「えっ! そ、そんな悪い……」

「──もしもし、駿川さん? えぇ、学園に一人残ってて……ライスシャワーさん、ですか。あの、きみの名前ってライスシャワーさんで合ってる?」

「は、はい……っ」

 

 駿川さん情報、ライスシャワーちゃん驚きの高等部。さすがに三年じゃないよな……失礼かましてないか心配になってきた。

 ふ~むだがここはたとえ相手が年上でも頼れる男として。ライダーとして、そして一人の男として。ハピネス。

 にしても親父のくれたバイクが最近ずっと大活躍だ。イベント会場は遠いしウマ娘とはいえそこまで走らせたら脚が壊れかねない。俺に乗れ!

 

「今から一緒に向かいます、はい……では。……よし、行こうか」

「あぁあの、本当にいいんですか……? ライスと一緒にいると……さっ、さっき言ってたような悪い事に巻き込んじゃう……」

「はは、大丈夫だって」

 

 他人の不幸体質に屈するほどヤワではない。

 幼少期のやよいを見ていた経験上、不幸体質というものは確かに存在していてもおかしくないが、近くにいる人間の幸運値がバグっていればそんなものは跳ね返せるのだ。俺は従妹に寄ってきたスズメバチを不意のくしゃみで撃退した男だぞ舐めるな。

 肉体的に少しキツい事こそあれ全体的に見たら最近の俺はラッキーボーイなので安心して♡ 身を任せて♡

 

「仮にその悪い事が降りかかってもバイクで全部振り切るから。……ほら、みんなもあっちで待ってるだろうし、早く向こうで合流しよう」

「…………う、うんっ」

 

 というわけで後ろに乗ってもらって──む?

 ほのかに。背中でほのかに感じる柔らかみ。少々あり。

 おむライスめ、さては俯きがちな体勢で隠していたな? 同乗者としては嬉しいサプライズだよ。卑怯者がよ……。

 

 



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突然のキスは避けて然るべきと孔子の教えにも記載あり

 

 

『どぼめじろう先生! サインくださいっ!』

 

 街頭の一角、噴水が目立つ広場のベンチで一休みしているメジロドーベルの前に、サイン色紙を持った少年が現れた。

 その“どぼめじろう”というワードに反応した通行人も駆け寄り、周囲は一瞬にしてお祭り騒ぎに。

 困ったような、照れたような苦笑いでサインや写真撮影に応じる彼女をそのまま遠目に眺めていると、俺の太ももを誰かが軽く叩き、ハッとした。

 アレを眺めている場合ではなかったのだ。

 

「んなぁ」

 

 メジロドーベルの()に目を奪われていた俺を正気に戻し、ぽてぽてと先導するように前を歩いてくれている少女を追い、街を進んでいく。

 少女の外見は俺の従妹こと秋川やよいが帽子を外した時の姿にそっくりで、その頭部には彼女にはない猫耳のような部位がありピクピクと時折反応している。

 

「にゃ」

「あ、はい。すいません」

 

 すぐ近くで街の風景が歪曲し、結婚式場が見えたかと思えばその付近でブーケトスを披露するドレス姿のサイレンススズカが見えたのでつい足を止めたところ、先導している少女にまた太ももを優しく叩かれてしまった。よそ見してる場合ではない、という事なのだろう。

 新郎が誰なのかは判断できなかったが好奇心を抑えて前を向き、摩訶不思議な光景が展開され続ける奇妙な世界を進んでいった。

 

 

 ──なぜこんな不思議な場所を、やよいに似た少女に導かれながら冒険しているのか。

 事の発端は今日の夕方頃にまで遡る。

 

 

 ……

 

 ……

 

 

 ライスシャワーを会場に送り届けた時、偶然にもランニングに出かける直前のたくさんのウマ娘たちと出くわして『ライスシャワーさんが彼氏と一緒に来た』といった思春期特有の色ボケ早とちり勘違いで軽く騒ぎになってしまったのだが、その時に見えたマンハッタンカフェの様子が少々気掛かりだった。

 

 ウマ娘たちに囲まれて質問攻めにあう俺を遠目から心配そうに見つめるサイレンスとドーベル──ここまでは予想通りだったが、後になって宿から出てきたマンハッタンは、明らかに何か騒ぎになっているこちらを見向きもせず、ボーっとした状態でそのままランニングへと向かっていったのだ。

 それが気になった俺は宿泊する部屋に荷物を置いてからすぐ、風呂に入った後の浴衣姿でベンチに座って固まっているマンハッタンのもとへ向かい、缶コーヒーを二つ手に持って彼女の隣へ座った。ほぉっ♡ 緊張。

 

「こんばんは、マンハッタンさん」

「──葉月さん。……どうして、ここに?」

「イベントの手伝いというか……まぁ、臨時のアルバイトみたいな感じ。よかったら、これ」

「……ありがとうございます」

 

 温かいコーヒーを差し出すと素直に受け取ってくれた。

 何か思いつめたような表情だが、この数日間に何があったのだろうか。

 怪異ややよいの手伝いといった自分の事情を後回しにするべきだと即決できてしまう程、彼女は沈鬱な態度だった。

 普段から静かで落ち着いた性格ではあるが、元気がない姿はいつものそれとはまったく異なっている。虚を突かれる思いだぜ。

 

「……迷惑だったらゴメン。でも、その……なんつーか」

 

 自分から話しかけておいて、上手い言葉が見当たらず焦ってしまう。

 放っておけない、だと彼氏面すぎてキモいしデリカシーが皆無な勘違い男になり、ただただマンハッタンに不快な思いをさせるだけだ。

 しかし、気になって、などでは逆に興味本位だけで近づいた軽薄な男になってしまい、これもまた彼女にとって俺がただの面倒な相手になってしまう。

 迷った末に、勇気が出ずにこのザマだ。

 ドーベルが資料用に集めている少女漫画とかもう少し読んでおけばよかった。あからさまに傷心中な女子に対してかける声が分からな過ぎてヤバい。

 

「……すみません。やはり元気が無いように……見えてしまっていたようですね……」

 

 温かい缶を両手で転がしながら、あえて俺とは目を合わせず俯いたまま応答する。クールな仕草も非常にキュート。

 自分が誰かに心配をかけてしまうような態度を取ってしまっていた、と考えているだろうが彼女は全く悪くない。これはただの俺の勝手な行動に過ぎないからだ。

 長年付き合いのある友人なら、一人にした方がいいタイミングとかを把握してあえて声をかけないという選択肢も取れるのかもしれないが、友人関係の経験が浅い俺にはコレしかできない。

 

 イベントの数週間前。

 もちろん世間を熱狂させている有名なウマ娘のマンハッタンにも、大事な役割とパフォーマンスが待っている。

 だというのに彼女が消沈している様子とあれば、担当のトレーナーはきっと無視できない。何があったのかと、親身に相談に乗ってくれることだろう。

 そこで、いくつか問題があるのだ。

 果たして彼女の担当トレーナーはマンハッタンの事情をどこまで知っているのか──何より、マンハッタン自身が彼にどこまで話せるのか。

 それがどうしても気掛かりだった。

 中央のトレーナーが務まる鬼スゴな人間で、マンハッタンとも相性が良くここまであの少女が強くなるよう導いた大人の存在を前にすれば、一介の男子高校生に過ぎない俺なんぞ文字通り凡人の子供(ガキ)でしかないだろう。

 

 子供──だが。

 子供だからこそ分かる事もある。

 同年代の気持ちを一番理解できる距離感の相手は同年代をおいて他にはいないはずだ。

 そう、例えば──心配をかけさせたくない、とか。

 

 守ってくれる、支えてくれる人が多い程、不平不満や心の底で抱えている悩みが言いづらくなる。

 少なくともマンハッタンはそういう性格だ。

 理解者面ではなく、そこだけはしっかりと理解している。

 相手が優しく接してくれる大人だと知っているからこそ、事情を話せばこちらが思っているよりも親身に──心配してくれると分かっている。

 嬉しいが、なんとなくそれは避けたい。

 理屈ではなく感情の話だ。

 

 サンデーが前に言っていた、スカウトされてもサンデーの話ばかりするから最初は担当が全然決まらなかった、という話がある。

 それを踏まえると、現在の彼女のトレーナーは少なくともサンデーの話を受け入れ、マンハッタンの性質を理解した相性のいい大人だという事だ。

 あくまで友人といった程度の頻度でしか会わない俺と違って、中央に在籍する以上ほぼ毎日接する彼の存在はあまりにも大きい。

 なのでサンデーの事も既に事細かに話していて、俺の出る幕はない可能性が非常に高い──そこまで考えたうえで、俺はここに座っている。

 理屈ではなく感情の話なのだ。

 

 ゴチャゴチャと懊悩したがつまり、俺はマンハッタンの力になりたい。

 元気が無いなら理由が知りたい。

 悩みの解決になるなら何だってしてあげたい。

 ただそれだけの話なのだ。

 

 トレーナーがどんな立場だろうと関係ない。

 マンハッタンとのこれまでの会話からして、彼女以外にサンデーを視認できる人間は俺だけなのだ。

 だから俺とマンハッタンにしか存在しない距離感もあるはずだ。

 別にめっちゃ仲が良いわけではないが、普通の友人や理解者である大人に話せない事でも()()()()()()()()()で接することが出来て、なおかつ口外しない信用が多少あるコイツになら話せる──そんな友人もいると思う。

 だから、彼女にとってのソレが自分であると信じて、俺はマンハッタンの隣に座った。

 つまり俺の言うべき言葉は──

 

「俺でよければ話……聞くよ」

 

 どしたん?話聞こうか? である。出過ぎた杭。

 全身が肉欲で形成されてるクソ遊び人が言いそうなセリフではあるが、そんな奴らが常套句にしてるだけあってこちらの言いたいことはそのままダイレクトに伝わる良さもある。

 勘違い男子感がとんでもない言葉でもあるがそこは一旦置いといた。持ち味を活かせ!

 

 俺にとってマンハッタンは、まだ悩みの内容も明らかにしないまま思いやって悩みの解決に導けるような気心知りまくりな相手ではない。

 何があったのかを話してもらえないと、ちゃんと言葉にしてもらわないと力にはなれないのだ。

 だから多少図々しくても聞きださなければならない。述べよ! ゆっくりとな。

 話さなくてもいい、という素敵な言葉が正解だと知ったうえで、それが言えるのは大人の余裕がある担当トレーナーだけで、俺にできる最大限がコレだと考えて口にした。

 

「葉月、さん……」

 

 果たして結果は。

 

「…………ありがとうございます。……正直、誰にも話せない事でした」

 

 あ、上手くいったのかな……。ここまで独白を耐え忍んだ心、大和撫子の装い。

 正直に言うと心臓バクバクで全然自信が無かった。

 

「葉月さんがあの子と一緒に帰ってきた夜……彼女に“後はお願い”と……」

「確か、概念の再構築だとか言ってたな」

「……はい。……以前にも同じような事がありました。私がまだ幼い頃、家族でスキーに行ったとき……天候の影響で雪崩が起きて……そのとき私を助けるために憑依をして、安全な場所まで逃げてくれました」

 

 相棒が偉すぎる。守護霊と祭り上げられるのも斯くやと言ったところだぜ。

 

「あいつ、その後はどれくらいで戻ってきたんだ?」

「……二年ほど、待ちました」

 

 流石に予想外の長さすぎてひっくり返りそうになった。あの女あそこまであっさり消えておいて二年も帰ってこないつもりなの。バカ相棒! 早く帰ってきてね♡

 

「その時も、彼女が自分で帰ってきたわけではなく……夢の境界へ渡った私が、眠っている彼女をこちらの世界まで連れ帰りました」

 

 夢の境界とかいう新しいワードが出てきたが質問はグッと堪える。もうニュアンスで大体を想像するしかないのだ。そこに新しい世界、開けているから。

 

「概念の再構築自体は数日で終わったそうです。ですが、あの世界で眠ると自分の力で目覚める事が難しいらしく……」

 

 じゃあ寝るなという話にはならないだろう。何日も寝ない事なんて不可能であり、そもそもあそこで概念の再構築だとかよく分からないことをしに行かねばならない程、その時のサンデーは疲弊している。

 

「精神の安寧……夢の境界は、彼女や怪異にとっての楽園ですので、本来は自然に目覚めるまで待たなければならないのかもしれません。

 ……なので、もういいんです。今度はしっかりとあの子を待ちます。何年後でも、何十年後でも、あの子を待ち続けます。それが後を託された私の──」

「いや、ちょっと待ってくれ」

 

 マンハッタンの捲し立てるような意思表明を遮った。

 何だか危険な方向に走っていると感じたからだ。

 彼女にとってサンデーは道標であり、古くからの馴染み……えぇと、そう、アレだ言葉そのままの意味で幼馴染だ。

 友達よりも近い感覚で、もはや家族と言っても過言ではないような近しい理解者。

 そんな存在を心の準備も無しに突然欠いたマンハッタンの気持ちを考えれば、寂しい思いを殺して自分を律しようとしてしまうあまり気持ちばかりが先行してしまうのも理解できる。先走りカフェオレといったところ。

 

 ダメだろう。

 このままでは。

 恐らく俺の想像以上に、サンデーを想うマンハッタンの感情はデカい。

 たとえ男の家であろうと臆することなく来れていたのはサンデーがそこにいたからだ。むしろアイツに会いに来ていたと考えた方が動機が自然。

 普段から一緒にいたサンデーが俺から離れられなくなったものの、いつでも会いに行けて俺がいる限りサンデーもそこにいるという安心感で支えられていた心が、二度目の別れが理由で揺さぶられまくっているのだ。ムチムチと。運命のように。

 

「概念の再構築自体は数日で終わったんだろ? じゃあ、連れ戻そう」

「……不可能です。あの時も、私は不思議な猫に導かれて偶然夢の境界へ渡れただけですから……あの猫の所在も知らない私にはできません。……だから大丈夫です。心に区切りをつけて、ちゃんと前を向かないと……」

 

 これは良くない。

 明らかに無理をしている。

 サンデーのポジションはトレセンの友人や担当トレーナー、勿論俺でも代われない唯一無二の特別なものだ。

 早急にアイツを連れ戻さなければ。ヘバってんじゃねえぞ只今の居場所は何処だ? 答えよ!

 サンデーが夢の世界行きになったのは、元を辿ればあいつの制止を軽く見てユナイトを決行した俺に原因がある。俺が何とかするべき件だ。

 

「──俺が連れ帰るよ」

「えっ……?」

「イベントが始まる前までには絶対あいつを連れて帰るから、少しだけ待っててくれ」

「何を言って……あっ、葉月さん……っ」

 

 時は一刻を争う。故に一旦宿泊先の自室へ戻る。

 今の『俺が何とかする』宣言は完全に若気の至りだ。

 子供がやりがちな無茶を口にした。呪いやサンデーと巡り逢った運命力を多少信じた上での発言だったが、何もできなかった場合の代償は途轍もなく大きいに違いない。

 あの場所で、あのマンハッタンを前にして、じゃあ諦めて待とうと言えるほど、俺が大人ではなかったというだけの話なのだ。未成熟。それでいて大胆。

 

「猫……不思議な猫、か……いなくね……?」

 

 いるわけがない。

 何だその夢の境界へ案内してくれる猫とかいうファンタジーの塊は。生意気だぞ。いや、大生意気といったところか?

 心当たりなんて一つもない。

 とりあえず手掛かりをネットで探す前に、顔見知りの猫にだけ挨拶をしておこう。ダメ元とかそういうレベルではないが一応だ。

 

「あっ……やっぱりもう帰ってた」

「……?」

 

 自分の宿泊部屋として割り当てられた旅館の和室の襖を開けると、俺のとは別の荷物と()が鎮座していた。

 ラスボスこと叔母さんの指示で俺とやよいの部屋が何故か同室にされており、イベント設営に大忙しなやよいとはまだ会っていないが、既にやよいは数日前からここを使っているらしい。今後必要とされる残りの荷物を運んでくれたのは恐らく駿川さん辺りだろう。あとでお礼に告白しておこう。

 

「お久しぶりです、先生」

「んなぁ」

 

 足を踏み入れるや否や、体を起こして猫が俺の足に頬を擦り付けてきた。あ~やっぱマゾですねこれは俺の解釈だと。

 この子はやよいが普段から帽子の上に乗せて連れている猫だ。ちなみにメス。

 彼女がここにいるという事は、やよいが一度部屋に戻ってきたという事だ。猫を置いていった辺り今は大浴場にでもいるのだろう。ふるさと納税。

 やよいも俺が来るという話は耳に入っているはず……というか置いていった荷物を見て察しているだろうが、いま鉢合わせなかったのは素直にありがたい。

 

 好きな女の子のためにやるべきことがあるので、ちょっとイベントの設営を手伝っている場合ではないのだ。

 ──俺は俺と関わってくれる相手が例外なく好きだ。

 ドーベルもサイレンスもマンハッタンに対しても、友人としての繊細な関係性を大切にしたい気持ちはあるが普通に異性としても当たり前のように好きだ。

 片思いするだけならタダなのである。

 彼女たちの立場を考えれば絶対に百億パーセント成就しないであろう感情なので一周回って安心しているくらいだ。

 だから逆に全力を出せる。

 せめて記憶には残ろうという思いで手を抜くことなく行動に移せる。告白はしないし迷惑もかけない。ここはひとつ結婚で手を打たない?

 

「先生。やよいは元気ですか」

「ごろごろ」

 

 顎の下を撫でると猫エンジンが起動した。ゴロゴロ言ってて非常にキュート。俺を舐めすぎ。

 先生は幼い頃に秋川邸の中で見つけた野良猫だ。

 怪我をしているところをやよいが助けてから今に至るまで、ずっと彼女のそばに居てくれている守護神である。

 先生と呼んでいる理由は、眠ると必ず悪夢を見て苦しむやよいが、先生と寝始めてから一度もそれを見なくなった事実に敬意を表してそう呼ばせてもらっている。彼女は馴れ馴れしく接していい飼い猫ではなく、やよいを治療してくれた正真正銘の先生なのだ。後で猫用のおやつ買ってきますね。

 

「今、あいつの学園の教え子を助ける方法を探してるんですけど……夢の境界? って所に連れてってくれる知り合いとか、いませんかね」

「…………」

「まぁいるわけないか。すいません、モバイルバッテリーを取りに来ただけなんで、もう行きますね」

 

 相手が先生とはいえ猫にガチ相談するなんて追い詰められ過ぎだな、と自嘲しつつバッテリーを手に取り立ち上がると、いつの間にか先生が部屋の外へ出ていることに気がついた。

 

「あ、ちょっ、先生。部屋の外に出ちゃダメだって」

 

 焦って彼女を追いかけていく。

 やよいにバレたら大変な事だ。色々と融通を利かせて先生もあげてくれた旅館にも迷惑が掛かってしまう。

 先生を刺激しないよう小走りで追いかけていった。

 

 追いかけて。

 

 追いかけて。

 

 追いかけて──気がつくと、真っ白な謎の空間に立っていた。

 なんか前にも似たような体験をした気がする。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 というわけで、実はやよいの頭に乗ってた猫が自分の探してるファンタジー生命体の正体でした~、とあまりにも俺にとって都合が良すぎる展開で、俺は夢の境界へと至ったのであった。

 これも普段のやよいが積んでいる徳のおかげだと割り切り、何故か目的も察してるっぽい先生の後に続いてここを冒険している。普段の常識が吸い尽くされる! 俺が俺でなくなる!

 

 腕時計を見ると、時刻は既に深夜の一時を回っていた。場所どころか時間まで飛んでいる。

 夢の境界というくらいだから俺が稀に目にする不思議な光景は、きっと今眠っている誰かが見ている夢なのだろう。

 先生が猫形態から擬人化してやよいそっくりな少女に変身したことについてはもう深く考えないことにした。なんか変身する生物はあのカラスとかでもう見ている。

 そもそもマンハッタンカフェのお友だちという形でずっと前から存在していたらしいサンデー自体が説明不能の少女なのだ。いちいち驚くのも疲れるから、文句を飲み込んで順応しようとだいぶ前から決めている。状況判断が大切だ。

 

「んなぁお」

「え? ……あっ、いた」

 

 見つけた。

 先生が指差した先で、ありがちな謎のヒロインっぽく花畑の中心で眠ってやがる。悔しいが普通に綺麗だ。

 早く叩き起こして帰ろう。

 

「にゃーん」

「あぁ、ありがとう先生。帰ったらちゅーるでも買ってきますね」

「ふるる」

 

 猫らしくめっちゃ眠そうな顔で鳴いた先生の頭を撫でてから、お花畑の中心へと進んでいく。

 唯一花が咲いていない芝生で丸くなって寝ているサンデーはまるで映画のポスターのように画になる姿だ。なんか言え。絵画のようだよ。

 

「こんばんは♡ 起きろ寝坊助」

「…………」

 

 近くで言ったが効果なし。

 何か条件でもあるんだろうか。

 

「……眠り姫にはキスだよな」

 

 あえて聞こえるように言ってみたがこれもダメ。

 そろそろ起きないと本当にちゅーするぞお前。い、いいの……?

 

「おーい」

「……」

「起きてくれよ、マンハッタンさんが待ってるぞ」

「…………」

 

 コイツこんなに眠りが深いタイプだったのか。それともこの場所の影響か?

 先生は喋れないし帰り方はサンデーに聞かないといけないのだ。早く目覚めてもらわないと困る。起きろ! カス! ゆっくり目覚めようね♡ 焦らなくていいよ。

 

「ほっぺをもちもちするからな」

 

 もちもち。こうかが ない みたいだ……。

 

「そろそろ起きた方がいいぞ。あとは脇をくすぐるかキスするしかなくなる」

 

 最後は警察に出頭するの前提で胸を揉むくらいしかない。反応が敏感なところを責めたり羞恥心を煽っても変化なしだった場合はもうお手上げだ。オーラ! さっさと起きろ! 寝ぼけてんなバカ野郎! 可愛すぎるね♡

 

「……あぁ、耳か尻尾か」

 

 ウマ娘にしかない部位である尻尾や、人間でも触られたらビックリする耳。

 そこの反応を確かめた事は、そういえば無かった。

 まずは尻尾を失礼。は~いぞりぞりぞりぞ~りぞり。根元まで擦ってあげるね。寝ていいよ。

 

「んっ……」

 

 えっ。

 

「んん……ぁれ、はづき……?」

 

 尻尾を触ったら一発で起きちゃった。

 これもしかしてウマ娘にしか分からないタイプのガチなデリケートゾーン? 普段から外に出してるのに? 正体見たりって感じだな。

 

「おはよう。概念の再構築は終わったか?」

「うん……美味しくなって新登場……」

 

 どこがおいしくなったのかはさておき、さっさと連れ帰ろう。

 焦るな! 急いては事を仕損じる。

 

「マンハッタンさんが待ってるから、早く帰ろう」

「それは大変……でも眠すぎる……おんぶ……」

「了解しました」

 

 少女をおんぶして気がついた。背中への感触的に、確かに多少は美味しくなって新登場したかもしれない。恋に落ちちゃった。

 雑念を振り払い、サンデーが指差した方角へ向かって歩いていく。今度は先生も隣だ。

 

「うなーん」

「わぁ……先生……ハヅキの事を案内してくれて……ありがとうございますぅ……」

 

 サンデーも先生と顔見知りで、なおかつ言葉遣いに気をつけるほど敬意を払う相手でもあったらしい。まぁこの世界を知っているという共通点がある以上、知り合いという真実が明らかになっても別段驚きはない。

 

「なぁ、サンデー。俺たちどうやって帰るんだ?」

「今は現実世界に実体が存在しないから……誰かの夢を通じて外に出る……」

「じゃあこっちに誰かの夢があるのか」

「そう……カフェの夢……」

 

 マンハッタンの夢、覗いちゃっていいのだろうか。

 ドーベルとサイレンスの夢を覗いてしまっている以上手遅れなのは分かっているのだが、どうもプライバシーを侵害しているような気がしてならない。

 

「大丈夫なのか……?」

「んん……夢は忘れるもの。ハヅキもそう、でしょ……」

「それはそうだが……」

 

 言っているうちに到着した。

 

 ──そこは何処にでもありそうなボロいアパートの一室。

 テーブルの前に座ったマンハッタンはエプロンを付けており、じっと誰かを待っている様子だ。

 よくは見えないが結婚式の写真らしきものも立ててある。

 ありがちと言ったら失礼な話だが、少女の夢は誰かと結婚した後の夫婦生活であったらしい。

 ここまで想像できる相手と言えば担当トレーナーくらいだろうか。一周回って平気とは言ったものの、いざクリスマスにトレーナーとデートしながら赤面してるマンハッタンとかを目にしたら脳が破壊されて死ぬかもしれない。

 

「あ……おかえりなさい、あなた」

「ただいま、マンハッ──……カフェ」

 

 夢を通して外に出る為、夢の一部になる必要があるらしく、俺は疑似的に旦那さん役としてこれから出てくるであろう未来の担当トレーナーに代わって夫として振舞うことになった。

 夢というフワフワした感覚で体験する世界にいるからなのか、マンハッタンは特に気づく様子もない。旦那は俺だ! まんじりともせず受け入れろ……! 興が乗ってきたな。

 

「お疲れでしょう。お風呂、沸いてますけど……」

「先に飯にするよ」

「分かりました、いま温めてきますね」

 

 うお、愛情たっぷりの晩御飯。俺たち本当は夫婦だったのでは……? 心配になってきた。

 

「ふふ。今日も葉月さんを守ってくれて、ありがとね」

「わぁ……新妻カフェ、新鮮……」

 

 お友だちであるサンデーにもふわりと柔らかい笑みを向けるマンハッタンは、サンデーの言った通り新妻としてあまりにも違和感がない。そろそろ子作りの季節ではない?

 

「食後の珈琲が楽しみだな」

「新しい豆を買ってきたんです……後で二人で試してみましょう」

 

 適当な事を言ってみたら普通に反応されてビビった。マンハッタンと結婚すると食後の珈琲という概念が生まれるらしい。

 俺に巡り合うため……? 嬉しいよ♡ はい婚姻。

 ちょっと目が覚めてきたサンデーと俺、そしてマンハッタンの三人で食卓を囲むと、再び彼女が小さく笑った。先ほどから笑みがこぼれすぎガール。この卑怯者が。こんな幸せいっぱいな新婚生活で何がウマ娘だ!? 人々をたぶらかし……おろかな女め。大好きになってきた。

 

「……こうしていると、初めて私たち三人でご飯を食べた時の事を……思い出します」

「初めての? ……あぁ、俺が冷やし中華を作った時か」

 

 あの真夏日に彼女が訪ねてきて、有り合わせのもので冷やし中華を振る舞った昼の事だろう。初めて、というより現状俺とマンハッタンとサンデーで囲んだ唯一の食事なのでよく覚えている。

 明らかに思い出が俺のものに入れ替わっている辺り、旦那が誰であるかをトレーナーさんから俺に挿げ替える事に成功してしまったらしい。何故か穏やかな気分だぜ。

 おい! 嫁になるか? オイラの嫁になるか。

 

「あの時は食べ終わった後のお皿をこの子が割ってしまって……」

「そういやそうだったな……」

「私は不器用なのでしょうがない」

「おい開き直るな」

「ふふっ……」

 

 天使の微笑みを浮かべたマンハッタンは、小さな声でぼそりと呟く。

 

「あぁ、本当に、夢みたい──」

 

 その一言の後、彼女は目を覚ました。

 要するに──夢の世界(ワンルーム)が崩壊したのだ。

 

 

 

 

 

 

「……葉月、さん」

 

 気がつけば、マンハッタンと同じ布団の中にいた。

 頭の上には猫に戻った先生。背中側にはまた眠りこけているサンデー。

 マンハッタンはいつから起きていたのか、あまり驚いた様子もなく、布団の中に入っている俺の頬に手を添えた。やわらかおてて淫猥道中。

 

「出来るはずがない事を口にした翌朝に、本当に彼女を連れて帰って……あなたは不思議な人です」

 

 何をおっしゃる。

 気がついた。

 ここはウマ娘たちが合宿に使っている部屋だ。

 視界の端に、微かに他のウマ娘が見える。大部屋で大人数で使っているのだろう。

 うら若き乙女たちの園に不法侵入をかましている男子高校生など、たとえ誰の関係者であっても牢屋行きは免れない。早くこっそり部屋を出ないと文字通り人生終了だ。

 

「大丈夫です。時間的に、皆さんはあと一時間は起きませんから。……とりあえず部屋を出ましょう」

 

 声も出さずに頷き、連れられてゆっくり部屋を出ていく。先生とサンデーも眠そうながら付いてきている。

 学年ではなく参加するイベントのメンバーごとに分かれているのか、部屋の中には前に助けた葦毛の子やライスシャワーも布団に包まって眠っていた。本当にギリこの時間帯に帰れてよかったと安堵している。俺の人生はいつもギリギリだ。

 

「……ありがとうございます、葉月さん」

 

 あたりきですよ! 麗しのお嬢様♡

 

「い、いや、お礼を言うのはこっちの方だって。突然布団の中に出現したのに、察して声を上げないでくれて助かった」

「それは……当然の事をしたまでです」

「あぁ、だから俺も一緒。サンデーを連れ帰るのは当然のことだよ」

「──っ!」

 

 正確には先生が夢の案内人だったという超ド級の奇跡と巡り合ったおかげなのだが、欲を出して少しばかり格好つけた。男とはそういう生き物なので。

 マジで先生にはスーパー高級な猫用おやつを献上せねばなるまい。

 

「……本当に、あなたは……」

「っ? え、マンハッタンさん……?」

 

 不意に俺の手を握ってきた。

 心なしか距離も近い。ここに住もうかな。

 

「今はきっと、ズルいので……まだ。でも……」

 

 そのまま自然に俺の頬にキスをした。

 あまりにも流れるような所作に反応できず、自分が何をされたのかを理解するまでに一瞬ロード時間が発生した。

 ヤバいことをされたような気がしたが、あまり実感がない。

 マンハッタン様も興奮してたんですか? 嬉しいです。

 

「葉月さん。あなたは彼女を連れ戻して、私の心を救ってくれた。……その事だけは、どうか覚えておいてくれませんか」

 

 以前にも聞いたことがあるようなフレーズでそう言われた後、俺は部屋の中へ戻っていくマンハッタンを引き留めることが出来ず、数分ほどその場で呆然としていた。

 

 ハッと我に返れたのは先生の猫パンチと、サンデーの一言。

 

「女子生徒が寝泊まりしてる部屋の前に突っ立ってるの、誰かに見られたらヤバいよ」

 

 それはそう。

 ということで現実味がないまま、半ば放心状態で部屋へ戻っていき、着替え途中のやよいと出くわして再び放心するのであった。

 

 



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オラッ!! 寝ろ

 

 

 ──もしかしてマンハッタンカフェは俺のことが好きなのではないだろうか。

 

 そんな考えが過っては消えてを繰り返し、目の前の光景に集中できない。

 頬にキス、とは。

 ほっぺにチューなどという行為は、頑是ない子供同士でなければ成立しない、幼少期にのみ許されるお遊びだ。

 高校生の、ましてや異性がそれを行うなんて恋人だとか余程親密な関係でなければ本来はあり得ない。

 だが、数十分前に俺はそれを体験してしまった。

 その少女の親友を助け出し、まぁ多少は感謝されてしかるべきだろうとは思っていたが、まさか一気に段階を飛ばしてあからさまな“好意”を示すモーションを仕掛けられるだなんて全くの予想外だったのだ。

 思考が吹き飛ぶのも道理というものだろう。まったく一回のキスで俺の思考を吸い尽くしやがって。窒息するかと思ったぜ。ライフセービング。

 

 俺が知らない異文化のコミュニケーションという可能性は除外した。ただの友人に直接頬にキスをして感謝を示す習慣などこの国には存在しない。

 だから考えは二つだ。

 マンハッタンカフェが俺に好意を抱いてくれているか。うれP!

 それとも思春期特有の、少々いきすぎただけの気の迷いだったのか、である。

 からかっているだけ、というのは無いだろう。少なくともマンハッタンはそんなことが出来る性格ではない。スケベなのだがな。

 だからこそ、言い訳という逃げ場が用意できず困っている。

 ──後で考えよう。混乱しすぎて何も纏まらない。今は目の前にやるべきことが迫っているのだ。

 

「……二年ぶりの再会がこれって」

「それは……ほんと、申し訳ない」

 

 自室へ戻った俺を待っていたのは、着替えでシャツのボタンを留めている最中のやよいであった。

 互いに数十秒ほど固まったのち、俺が部屋を出てやよいがササっと着替え、いまこうして正座しながら向かい合っている。

 

「……久しぶりだな、やよい」

「驚嘆ッ。切り替えの早さがおかしい」

「悪かったって……」

 

 数年ぶりに再会した従妹は朝という事もあってか、寝ぼけ眼をこすりながら若干不機嫌だった。

 あぁそう言えばこいつは朝がめちゃくちゃ弱いんだったな、と今更のように思い出す。

 いつまで経っても居間に来ないから起こしにいったらそのまま布団の中に引きずり込まれた事もあった──そんな昔の記憶を思い出しているうちに、気がついた。

 いつの間にか、やよいがすぐそばまで迫ってきている。

 察した俺が腕を広げると、彼女は無言で俺の胸にぽてっと体重を預けるように倒れ込んできた。うひょー全身柔らけぇ。

 俺も彼女の背中側に腕を回し、いつものように後頭部を優しく撫でる。

 

 そのまま数分ほど受け止め続け──やよいがスンっと鼻を鳴らした。泣いてはいないが、ちょっと危ない。痴れ者めが。ズルい女。しかしどうしてかわいいのだ。

 あやすように背中を撫で、彼女から話を切り出せるようになるまで、俺はその体勢のままひたすら待機する事になったのであった。父母の会。

 

 ──秋川やよい。

 幼少期から苦楽を共にしてきた少女であり、血縁上の従兄妹にあたる存在だ。

 本家の跡取りである彼女を支えるため、という名目で分家の息子である俺は秋川家の中で唯一やよいと同じ教育を受け、ほぼ四六時中やよいの傍で生活していた。

 離れ離れになったのは二年前。

 叔母が海外へ活動拠点を移し、中央トレセン学園の理事長をやよいが就任する事になった際、駄々をこねて反抗する彼女を強い言葉で諭し()()してから、俺たちは連絡の一本も寄こさないまま二年という歳月を離れて過ごしていった。

 やよいは天才だ。

 余裕で飛び級できる学力と、本家の人間たちから吸収した経営者としての能力は学園の理事長を務めるには申し分ない才能であり、立場とステータスだけを見れば大人顔負け──現に学園の理事長として大成し、ウマ娘のレース界隈を支えるにあたって無くてはならない存在になっている。

 

 だが、俺は他人が知り得ない彼女の弱さを知っている。

 逆に言えばそれを分かっている俺だけは、素のやよいに寄り添えるような人間でなくてはならなかったはずなのだ。

 しかし学園を継がなくてはならない彼女を説得する立場に置かれ、俺はその役割を完遂してしまった。

 結果だけ見れば学園の拡大に繋がったが──俺にとっては間違いだった。

 いつでも、どんな時でも、俺はやよいの味方でなければいけない筈だったのだ。

 

「……なに、理事長秘書補佐代理って」

 

 ようやく落ち着いてきたやよいが、俺の首に下がっている名札を見て呟いた。上目遣いが結構クるね。

 

「駿川さんが用意してくれたんだよ。コレくらい用意しないと、イベントと無関係な俺はここにいられないからな」

「ふぅん……たづなさんがね……」

 

 胸に蹲っていた彼女はゆっくりと離れ、前髪の毛先を指でクルクルしている。

 視線は下を見たり俺を見たりと忙しない。

 勢いで抱擁したはいいものの、やはり久方ぶりの再会という事もあってやよい自身も緊張しているようだ。

 

「……お母様に言われて来たんでしょ? どうせお願いって名の命令で」

「いや、それは違う」

 

 若干不貞腐れたような態度だが全ての非は俺にある。正直ここで殴られたっておかしくはない。

 だが否定するべき点はしっかりと否定しなければ。なぁなぁは良くないと、ドーベルとの一件で学んだのだ。伸び代に驚愕。

 

「叔母さんは背中を押してくれただけだよ」

「なにそれ……」

「会いに行けない俺のケツを叩いて、わざわざ理由まで作ってくれたんだ。嫌々でここまで来たわけじゃない」

 

 一拍置いて緊張を殺し、今度はしっかりと彼女の瞳を見据える。

 

「ずっと会いたかったんだ、やよい。……あの時は本当にすまなかった」

 

 恐らくこれまでの人生で一番真面目な態度を構え、俺は彼女に頭を下げた。

 二年間も溜め込んでいた謝罪の言葉を吐き出せて少しスッキリした自分がいる。彼女がどんな反応を示すのかは分からないが今の俺なら冷静に対処できる事だろう。それほどまでに心が安心し、落ち着いた。

 

「──別に、いい。……てか、ずっと会いたかった、って。……葉月、私のこと好きすぎでしょ」

「……?」

 

 何を言うかと思えば。こちらも呆れ返るまでよ。

 幼少期の俺にとってはやよいだけが唯一の家族だったのだ。

 当たり前のように宇宙で最も愛しているに決まっている。好きとかそういう次元の話ではない。

 

「お前より大切な存在なんているわけないだろ」

「っ!」

 

 あなにそのビックリした反応。やっぱりまだ根に持ってる? 本当に申し訳ございませんでした。土下座より上位の謝罪方法ないかな……。このままバク転とかしてみるか。ボビュルン。

 

「……ふ、ふんっ。別に今更葉月の手助けなんていらないし。社会経験で言えば私の方が大人だし」

「いや……仕事を手伝いに来たわけじゃなくてな」

「えっ」

 

 お前が仕事をし過ぎてるから休ませるためにここまで来た、と言ったらやよいは不思議そうに首を傾げた。たぶん自分が“仕事をし過ぎている”という感覚が無いのだろう。気づいてないだろうが目の下のクマがヤバいぞ。寝かしつけてやる! 大人しくそこに直れ! キスをプレゼントしてあげるから。

 

「スケジュールはもう確認したぞ。やよいお前、自分がやらなくてもいい仕事まで引き受けすぎな」

「うぇっ……で、でも、学園側で処理しないといけない項目が多いし……」

「……駿川さんとか他の職員の人たちでも出来ることは素直にそっちに回しなさいよ。一応言っとくが、お前が思ってるほど大人の人たちは余裕が無いわけじゃないからな?」

「う、うぅ……」

 

 やってみせ、言って聞かせてさせてみて、誉めてやらねば人は動かじ。

 昔から溜め込むタイプなのだ。俺が言わなきゃ素直に甘える事も出来ない、大の不器用。

 だから俺が傍にいるうちは頑張りすぎている彼女を頑張りすぎないよう手回しをしなければならない。倒れられたら俺だけじゃなく大勢の人が困る事にもなる。

 

「ちなみにやよい」

「何……」

「お前、昨日は寝た?」

「……三十分、ちゃんと仮眠した」

 

 ちゃんとって言わないんだそういうのは。忙しいのは分かるが明らかにスケジュールを詰めすぎだ。予定表を見た限り、急がなくていいものまで早期の段階で処理しようとしている。焦りは禁物。その小さな体躯で何をのたまう? 貧弱な体力で何徹できると思い込んでいる? 状況判断が大切だと教えたはずだ。

 

「と、とにかく私もう行かないと」

「論外。絶対に今日一日は休養に充ててもらう」

「でも私がいないと……」

「誤認っ。ステージの照明の位置決めは向こうに任せて良し。現場で手伝っても邪魔になるのみ」

「…………じゃあ、寝る」

「重畳ッ!」

 

 とりあえず休ませることには成功した。コイツが寝ている間にスケジュールの再調整をやっておこう。

 サンデーちゃんはその子に掛け布団をかけてあげてね。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「はい、明後日の早朝に伺います。……はい、よろしくお願いします」

 

 あれからだいぶ経過し現在時刻は十五時を過ぎた頃だ。昔はこれくらいの時間になると台所に忍び込んでパクった高い茶菓子をやよいと分け合ってたりしてたっけか。

 仕事を手伝いに来たわけではない、とは言ったが何もしないわけにもいかず、理事長秘書補佐代理として代われる仕事は全部請け負った。あらかた連絡を終えてから適当なおやつを買ってやよいが寝ている部屋へと戻っていく。

 徹夜した後となればまだまだ寝ていてもおかしくはないが──

 

「……あ、はづきぃ」

 

 襖を開けた先には、布団の上に座ったままポーっと虚ろな目をしている、明らかに寝起きのやよいの姿があった。花に例えると……うんまあちょっと思いつかないけど。

 俺に気がついた彼女はだらしない笑みを浮かべて、腕を広げた。どういうおつもり!?

 

「ぎゅー」

「……」

「っ……? はづき、ぎゅー」

 

 ウサギと亀。

 何だっけ、と一瞬の逡巡を挟んだのちに思い出した。

 小さい頃によくやっていたスキンシップだ。寝起きは俺が彼女を抱っこして居間へ運んだり、髪を結ったりしてあげていたんだった。

 特に彼女が求める頻度が多かったのはこの抱擁だ。酷い時だと十分以上くっ付いたまま離れないこともあった。お~俺を欲しすぎている♡ 猛省せよ。

 

「はいはい、ぎゅー」

「うへへ……」

 

 徹夜後の寝起きのやよいはトレセン学園の理事長ではなく、いつも俺の背中に引っ付いてきていたやよいちゃんに戻ってしまっていた。余程根を詰めていたのか、解放された時の反動が凄まじいことになってる。そういうことならお手伝いさせて頂きますよ……♡

 幼い子供みたいに腕を広げる彼女を抱きしめると、やよいの方からも優しく抱き返してきた。……あなたちょっと服の匂いを嗅ぎ過ぎです。

 

「はづき……すきぃー、すき……」

「……すっかり甘えん坊さんに戻ってるな」

「あのね、およめさんにしてね……けっこんするのね……」

「必要ないだろ、それ」

 

 従順になるとめっちゃ可愛いな……余情残心。ご褒美に抱っこしながらゆっさゆっさ。我慢てものを学んでもらいてぇべ。

 結婚とは他人と他人が家族になるための儀式だ。既に家族である俺たちには必要ない。

 というか、ここまで今朝と様子が変わるとは思わなかった。

 朝はよっぽど張りつめていたか、もしくは距離感を測りかねて強がっていたのだろう。俺と二人きりの時のやよいは、どちらかと言えばコレくらいフニャフニャなのが平常だ。因果応報とはこのことだな。

 

「明日はねぇ……生徒たちが海に行くから……監督役……」

 

 この状態でも薄っすらと予定を覚えている辺り流石というか。

 理事長自ら監督役を買って出るのはどうなのだろうと思いつつ、彼女の息抜きをするいい機会だとも考えた。

 明らかに監視者っぽい見た目に扮した俺がウマ娘たちを見てるので、その間やよいは海で遊ぶといい。生徒との交流も大事な仕事の内だとかそれっぽい理由を用意しておけばいけるだろう。

 

 

 

 

 

 

 ああ。

 

「ウオッカー! ボールそっちに行ったわよー!」

 

 ビーチバレーで揺れ蠢く巨乳。目撃した瞬間首筋に熱い汗がジュワッ。

 

「おうタマ、もうちょい右だぜ! そのままだとスイカを通り過ぎちまう!」

 

 トレーニング用の水着をデカすぎ乳でいじめている悪党を発見。身長の栄養分が全て胸部に詰まっており。改めて子作りに最適な身体してるなぁ。

 

「す、凄いオペラオーさん……砂でご自分の等身大の像を作られてしまいましたぁ……」

 

 メイショウ違法。

 

 違法建築違法建築違法建築。

 直視に耐えない一種の地獄。

 どいつもこいつもスク水でトレーニング兼遊びを行っているがあまりにも生徒たちが集まりすぎておっぱい偏差値がバグってしまっている。

 やよい! 無理だ! 帰ろうッ!!

 

「理事長~、一緒にスイカ割りしませんか?」

「勿論ッ! 諸君の指示に期待しているぞッ!」

 

 知らない生徒に連れていかれた。終わった。

 監視しないといけないのに直視したら通報待ったなしの下卑た笑みを浮かべてしまう。このスケベビーチに俺の居場所が無さすぎる。

 海の家の端っこで体育座りしながら唸るしかない。くつろいだ。ビーチの中は窮屈で、帰りたい帰りたいと心がもがく。

 

「……秋川くん?」

「えっ」

「やっぱり。秋川くんも来てたんだ」

「さ、サイレンス……」

 

 拠り所みっけ。

 絶望する俺の目の前に現れたのは、スク水の上に一枚だけパーカーを羽織るとかいう逆にえっちすぎ格好をしたサイレンススズカであった。

 普段なら目を背けるところだが、友人という関係に甘んじて視線を逃がせる先が彼女しかいないため、今はまじまじとサイレンスを見つめるしかない。べらぼうめ。そういうわけにはいかねぇってんだ。

 

「あの、サイレンス。悪いんだが暫く隣に居てくれ」

「えっ?」

「頼む。飯代は奢るから」

 

 心からの願い。お鍋が食べたい季節ですね♡

 

「いいか?」

「え、えぇ。……隣、失礼するわね」

 

 困り笑顔好き。

 

「……あの、ずっと見つめるの? 私のこと……」

「駄目か?」

「ぁいや、別に……構わないのだけど……」

 

 うほっ♡ オールライツ。とりあえず服脱ごっか。

 

 



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相変わらずバグってるな

 

 

 監視者であるはずなのに監視したら罪に問われそうなムチムチ・ビーチで絶望していた俺は、偶然その場に居合わせたサイレンスに視線をズラす事で事なきを得た。

 が、それによって新たに発生する問題を予知できるほどその時の俺は冷静ではなく、絶賛大変な事態に陥っている。

 

「君はいつからスズカちゃんと交流があるのかなっ?」

「あのファルコン先輩、落ち着いて……!」

 

 海の家で大人しくしている分には問題無かったのだ。

 学園のウマ娘たちの多くが集まっている場所で、サイレンスと二人きりで隣同士仲良く談笑し続けるのが良くなかった。

 

「ドトウさん水晶玉はいずこに!」

「えぇぇ~、えぅううぅ……風呂敷の中に入れたはずなんですがぁぁ……」

「時は一刻を争います! 早急にスズカさんとあの殿方の運命を占わなければ……!」

 

 一番最初に俺たちを見つけたのは、なんか青いメッシュが特徴的な派手っぽい見た目のウマ娘だった。通りがかるや否や『アオハルの気配!? 大事件じゃんっ!!』と叫び、それに気がついた他の連中がゾロゾロと押し寄せてきて現在に繋がる、というわけだ。

 

「あ、あの、スズカ先輩とは付き合ってるんですか……?」

「おいスカーレット、やめろって……」

「マックイーン? 声をかけないの? 前に助けてもらった男の子なんでしょ?」

「ぃっいいいのですライアン……かける言葉なんて何も思いつきませんし……」

「あたしが間を取り持ってあげるよ! ほら、出遅れないうちに!」

「おぉおっお待ちになってぇ……ッ!」

 

 あまりにも野次馬が過ぎるというか、大半のウマ娘が遠慮がないのだが、一番の問題は彼女たちが現在の自身の恰好を理解しているのかが怪しい点だ。

 基本的に中央に在籍している生徒たちは、編入組を除いて大体は小学校を卒業してから現在までをトレセン学園という女子校内で過ごしている。そのせいなのか、同年代の男子に対する距離感をイマイチ理解していない──というのが数ヵ月前にドーベルから聞いた話だった。

 その適切な距離感を把握していないという部分に関しては、今しっかりと身に染みて実感している。

 彼女たちは極端なのだ。めちゃくちゃ遠いか、あり得ないほど近いか、その二択しかない。ファンなどの一言二言声をかけるだけに留まる相手ならいざ知らず、そういうわけでもない普通の同年代の男子に対しては距離感がぶっ壊れてしまうらしい。

 

「ウオッカ。スカーレットは何をしてるのですか?」

「おわっ、マーチャンいつの間に……」

「うーん……わぁ、なるほどぉ。──お兄さん、お近づきの印にマーちゃん人形をどうぞ。試作品ですが」

「ちょっ、お前まで何してんだ……!」

 

 端的に言うと、水着姿なのにどいつもこいつも近い。

 あり得ない。

 普通女子は気を許した相手にしかその姿をこの距離感で見せる事は無い筈だ。ドーベルのあの話は本当だったのか。

 向こうから近づかれてるのに、視線を胸部や肩や太ももなどに向けた瞬間、悪いのはこちらになる。なんて理不尽な誘惑なのだろうか。俺と結婚したいわけじゃないヤツは全員退けよ。

 

「──もしもし? ……あ、はい。秋川くん、トレーナーさんが私たちを呼んでる」

 

 はぇ。

 あなたの担当トレーナーとは面識ありませんが。

 

「みんなごめんなさい、ちょっと急ぎだからまた後で。秋川くん、行きましょう」

 

 そう言って俺の手を引いて海の家を離れていくサイレンス。

 トレーナーから直接呼び出しがかかるとかいうあまりにも怖すぎ案件が発生したものの、それよりもまずあの海の家から離脱できたことが喜ばしかった。

 正直あのウマ娘たちの会話の内容などほとんど覚えてない。呼ばれていた名前と顔を照らし合わせるのでやっとだ。あとは変な人形を貰ったことくらいしか記憶に残っていない。

 

 脳内でグルグルと逡巡を続けていると、気がついたときにはビーチの端っこにある人気のない岩陰に着いていた。

 

「ふぅ……何とか抜け出せたわね」

 

 周囲を見渡したサイレンスが一息つくと同時に察した。

 俺たちが移動した先には誰もいない──つまり先ほどの『トレーナーが呼んでいる』というのは、俺を逃がすためのウソだったという事だ。

 正直本当に助かった。あのままだったら誘惑に負けて誰かの肢体を凝視して通報されるところだったぜ。うぅっ愛してるぞサイレンス……ッ!

 

「ありがとうサイレンス。助かったよ」

「ふふ、大したことじゃないわ。……ごめんなさい、みんなも悪気があったわけじゃないの」

「分かってるって。流石にあの場で二人きりは目立つもんな。気がつかなくて悪かった」

 

 目立たない為に、逆に注目を集めるような事をしてしまった。女子だけの合宿中に身内の一人が男子と二人で話していたら興味を惹かれるのは自然な事だ。あの集まりようは流石に常軌を逸している気もするが。

 

「……あの、サイレンス」

「どうしたの?」

「いや、手……」

「──あっ」

 

 おぉ~久しぶりの感触。公園での握手洗いを思い出してムラムラしてきたぞぉ。

 

「……久しぶりだな、こうするの」

「そ、そうね。……夏休みに入る前、スペちゃんの特訓が終わるまでは止めておこうって話をしてから……蹄鉄を見に行ったあの時くらいしか握ってない」

 

 焦って離すと思ったら握ったままなんだなこれが。何で?

 冷静に考えて会うたびに手を握る方がおかしいと思うのだが。興奮してきたのか? あの頃に戻りたいと? にぎにぎするな! 小賢しく愛らしい。

 

「……とっ、とにかく、あと数十分ほど経ったら私は戻るわね。秋川くんも気をつけて──」

 

 ようやっと手を離したかと思ったら次いでアクシデント。

 

「キャッ!?」

「うぉわっ……!」

 

 明らかに動揺した様子のサイレンスの足がもつれ、転んだ彼女を庇おうとした俺ごと二人で砂浜に倒れ込んでしまった。

 俺が下。

 サイレンスが上。

 よりによって俺が押し倒されるのかよ。ラブコメ主人公への道のりは遠いらしい。

 何だかここ最近は異常な体験ばかりしてきたせいか、サイレンスに押し倒されるくらいではあまり動揺しなくなってしまった。

 嘘。サイレンスの手が俺の胸をがっしり掴んでてヤバい。だから逆なんだって。

 

「ぁ──」

 

 俺の上に跨った状態のサイレンスが固まった。まぁ思考停止するのも頷ける状況ではある。俺も頭の中では色々考えているが実際に動くことは出来ていない。

 まず最初に思ったのは、サイレンスがとても軽いという事。

 次に下半身の上に乗った彼女の身体の柔らかさ。

 最後は間近で見るとこの女マジでめっちゃ可愛いな、という事だった。この女子と友達ってマジ? 前世は救世主か何かだったのかな。

 

「……よっ」

「ッ!?」

 

 とりあえず胸に乗っていたサイレンスの手を退かし、そのまま握ってみた。

 つまりサイレンスに跨られたまま、二人で両手を繋いでいる。

 ──恐らくいま可能な思考の中で最も冷静に理解できていることは、このめちゃくちゃな暑さで脳が茹っておかしくなっている、という事だけだった。

 俺も男だ。

 一介の男子高校生だ。

 呪いだの何だのと特別変わった事情が無ければ興奮しない、というワケではない。

 普通に好いている女子と接触できるハプニングが発生して、駄目だ絶対に正気に戻ろうと思えるほど立派な理性は持ち合わせていない。

 

「あ、秋川くん……っ」

 

 おてて握るだけでもうヘバっちゃった? そういうところもおちゃめですね♡ 普段から怠惰だからだ! 体力つけろ!

 

「どうにも暑いな」

「……そう、ね」

 

 ぽた、ぽた、とサイレンスの首筋から汗が垂れる。

 握っている両手も湿っている。おいもっと汗でヌルヌルにせんか! 夏限定の潤滑油。愛情たっぷりのローションだね♡

 夜の公園で二人きりで握手洗いしたあの頃を思い出して心臓が鋭く脈打つぜ。

 

「サイレンス。顔が赤いぞ」

「秋川くんだって……」

 

 相変わらずすぐ照れるな。お兄さん心配だぞぉ。理性と常識と忍耐と知性。これが一丁目一番地だぞ。

 

「なぁ、サイレンス」

 

 もっと焦ってよろしくてよ♡ 早く堕ちろ! この阿呆!

 

「マンハッタンさんってさ、スキンシップで簡単にキスをするようなウマ娘なのか?」

 

 よく考えず聞きたい事だけ聞いている。

 オイなんだこの手を握る力は! ボクと恋人になる気まんまんじゃないか。

 

「えっ、き、キスを……?」

「あぁ。頬に、だが」

「それは……──そんな事は無い……と思う。カフェさんは真面目だし、いたずらに相手を焦らせるようなことは……って、え? もしかして」

 

 暑すぎて本格的に脳が茹ってきた。視界もぼやけてるし水分補給をしないとヤバそうだ。

 もう少しサイレンスと恋人繋ぎをしたかったところだが、そろそろまともに戻り始めた俺の理性が叫び声をあげるところだ。早めにこれを終わらせないと。

 手を離し、ようやく二人とも立った。ちなみに俺はあと一人立たないように努力している。

 

「…………すまん、暑さでどうかしてた。海の家にいた時よりもっと見られたらヤバいことしてたな……マジでごめん」

「……カフェさん、そっか……私、のんびりしすぎてたかも……」

「さ、サイレンス……?」

 

 正気に戻ってきた俺の言葉が届いているのかいないのか、サイレンスは何かぶつぶつと呟いている。

 流石にやり過ぎたかもしれない。嫌われるというか絶縁されてもおかしくないほど性欲に則った行動をし過ぎた。冷静に考えて女子の手を一方的に握るのは許されない事ではないのだろうか。

 しまった。

 終わった。

 何が暑さだ、そんなものどうとでもできたはずだ。完全に言い訳を装備した状態で色欲に抗えなくなっていただけじゃないか。少し寝込む。

 

「──んっ」

 

 焦っていたら、唐突にサイレンスが頬にキスをしてきた。

 ………………は。

 いや、ついこの前もこんな事があった。

 その時と同様、固まってしまっている。

 何が起きているのか分からない。空前のほっぺチューブームかな。

 

「……私、先に戻ってるわね」

 

 そう言って、若干頬を赤く染めた彼女は逃げるように岩陰から去っていった。

 

 ──?

 何で頬にキスした?

 情緒が暴れまわってまったく品がない! 静かに!! そして軽やかに。ワイルドビューティー。

 あんまり俺の心をかき乱すと勢い余って告白してしまうぞ。静粛にな。

 

 



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ウマ娘ツアー お下品モンスター モナリザ

 

 イベントの当日を迎えても、俺の心には霧がかかっていた。

 午前中のプログラムを終えて自由時間に出店を見回りし、特に問題なしと判断した俺は適当に飯を買って人気のないベンチに腰を下ろして、静かに逡巡している。

 

 ──最近、自制が利かなくなっている気がする。

 ペンダントや呪いという超常的なアイテムによって精神をグチャグチャにされる機会が多いとはいえ、この前のサイレンスとのやり取りといい何だか自分がおかしい。

 ()()()()()()()()()()と思い込んでいる節があるのだ。

 普通は女子の手を一方的に握るだなんて非常識な行動は理性が待ったをかけるはずで、生命力が枯渇しているときも自制できたはずなのにあの三人にひたすら甘えてしまった。ママぁ! ママ。

 駄目だろう。

 たぶんだけど。

 恋人でもない女子──それも複数人に弱い部分をさらけ出して、半強制的に自分を支えてもらっているこの状況は、間違いなく普通じゃない。

 

「たこ焼き、私も食べたい」

「……ん」

「ハフハフ……うま」

 

 こいつ(サンデー)の事はいい。複雑な事情が重なりすぎているので一旦置いておく。

 目下の問題はサイレンスとマンハッタンについてだ。

 キスをされてしまった。

 頬にだが、それでも異性からキスを受け取ってしまった。

 そこまでされて何も感じないほど鈍感ではない。理解できなければそれは鈍感というよりただ人の心が無いだけだ。

 

 ──あいつら俺のこと好きなんじゃね? と。

 延々その考えが脳内を泳ぎ回っている。

 中学の頃に勘違いでフラれた経験がストップさせようとしてくるが、流石に頬にキスは異性の友人同士のスキンシップの範疇を超えていると思えてならない。男子の純情全部盗み取られる…っ、そういう危機に瀕している……っ!

 それとも俺が“陰”の存在だから知らないだけで、真の陽キャたちであれば男女間でもアレくらいは普通なのだろうか。

 分からない。

 本当に何も分からない。

 中央トレセン内でのみ存在するコミュニケーションの形だとか、よく考えたらあり得ない話ではない。……だなんて、普通なら除外するであろう可能性の話にまで手を伸ばしてしまう辺り、自分が相当動揺しているのが理解できる。ザッハトルテ。

 

「カレーも美味しい。もぐもぐ」

「……俺の分も残しとけよ」

「はい」

 

 樫本先輩やドーベルとの一件で学んだことは、手放したくない縁は自分で手繰り寄せなければならないという事だ。

 しかし、勘違いでこちらから歩み寄って拒絶されるのは怖い。

 以前まではそれを“それでも”と跳ねのけることが出来ていたが、なまじ親密度が多少なりとも高いと判明した状況ではそうもいかないのだ。

 

「あそこの串焼き、おいしそう」

「お前どんだけ食うんだ……?」

「概念の再構築をしてから、お腹が空きやすくなってしまって。ユナイト時のパワーの使い方を工夫できるようになった分、三大欲求が増幅されてしまったみたい」

「三大欲求……だから最近よく寝てんのか」

「ぐう……」

「もう寝た……」

 

 俺の肩を枕にお昼寝を始めたサンデーからカレーを取り上げて残りを食べつつ、再び思考に耽る。

 どうすればいいのだろうか。

 今すぐどちらかに告白して『急にがっつきすぎてキモい』と思われたら立ち直れないし、そもそも向こうの気の迷いという線も捨てきれない。二人とも担当トレーナーは年若く優れた才覚を持つ男性で、比較されたら勝目なんぞ万に一つもあり得ない。

 困った。わずかにイク──

 

「……あれ、秋川?」

「ん。……山田」

 

 悩める俺の前にフラっと現れたのは、イベントスタッフの名札を首から下げた山田だった。おはよう! えへへ。

 こいつが短期バイトとしてイベントの設営に携わっているのは数日前に把握していた。声をかけられたのは今日が初めてだが。

 

「その名札……秋川もバイトかい」

「まぁな。お前も昼休憩?」

「うん、ライブの物販開始まで結構時間があるから──」

 

 そのままサラッと俺の隣に座ろうとした瞬間、山田が遠くを見つめて固まった。何事。

 

「ぁ……」

「どうした?」

「い、いや、あそこにサイレンススズカが……」

 

 人混みが多い通りに目を向けると、このイベント限定の衣装に身を包んだサイレンスがファンサを行っていた。

 間もなく終わりそうだが、炎天下という事もあって随分と汗をかいている。水分補給が必要そうではあるものの現在の彼女は手ぶらだ。

 

「す、スタッフだし、駄目だよね」

 

 なるほど、サイレンスに声をかけたいが立場上難しいと。

 それは間違ってるぞ山田。今はお前の方が有利な立ち位置にいる。

 

「ほれ、さっき買ったスポーツドリンク」

「えっ……?」

「スタッフなら気兼ねなく渡せるだろ。そのまま関係者用の休憩室にでも案内すれば少しは話せる……と思う」

「秋川……ッ!!」

 

 目を潤ませた山田は俺からペットボトルを受け取り、数回深呼吸を挟んでから一歩踏み出した。

 うむ、勇気を会得したな。流石だ。

 

「ありがとう秋川、やはり君は親友だ」

「任せろ。今日ばかりは推し活じゃなくて、お前の青春の一ページを刻んでこい」

「う、うんっ!」

 

 俺のドヤ顔を気にも留めずサイレンスの方へすっ飛んでいく山田。

 決意さえ固まれば即行動できる……やはり面白いやつだ。

 

「──ぁっ。……ふふっ」

 

 山田の接近に気づくと同時に、俺の存在も感知したらしいサイレンスはこちらに向かって小さく手を振った。ちょっと可愛すぎじゃないっすか。ファン多きウマ娘があれでは……もう何も言うまい。

 とりあえず山田の邪魔にならない為に移動だ。サンデーを起こして俺はその場を後にした。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「あ、バイクのお兄さん……っ!」

 

 少し経ってからライブステージの裏に寄ると、何故かマンハッタンカフェの勝負服に身を包んだライスシャワーがいた。コメダ珈琲。

 

「ライスシャワーさん、その恰好は……?」

「えと、ライブの時にカフェさんと勝負服を交換するっていうのが急遽決まって……あっ、呼ばれたからもう行くね!」

 

 そう言って壇上へ上がっていくおむライスを見送ると、次いで見慣れない衣装を着込んだマンハッタンがテントの中から顔を出した。

 俺に気がつくとこちらへ駆け寄ってくる。そんなに恋しかった? いやしんぼさん。

 

「葉月さんっ」

「お疲れ。……それ、ライスシャワーさんの衣装か?」

「えぇ、くじ引きで催し物を決める会で、私と彼女が……」

 

 あ、言われる前に言わないと。男として、そして未来の旦那として。ハピネス。

 

「似合ってるな。別衣装も新鮮でいい感じだ」

「……っ! ……ありがとう、ございます……」

 

 あまりにも分かりやすく照れた。やはり俺のことが好きだと推定できる。

 寄せ鍋。一生愛し抜いてあげるからね♡ 

 にしても衝撃的な衣装だ。肩が全部露出しているではないか。何なら胸が少々──

 

「……あの、葉月さん。見過ぎです」

「えっ? ──あ゛っ」

 

 指摘されて気がついた。

 本当に自然とマンハッタンの胸部に視線を落としてしまっていた。あまりにも猥褻だったため。

 死に物狂いで上げた好感度が地に落ちる瞬間である。いい加減にしろよ。俺を欲情させるのもよ。

 

「ふふ……冗談です。この衣装は今日限りですが……お望みでしたら、いつでも……」

「……ッ!?」

 

 衝撃的な発言と淫靡な微笑みで男を惑わすマンハッタン。清楚なフリして根はスケベだね♡ 終わってんな。

 

「あ……出番みたいです。葉月さんも熱中症にはお気をつけて……では」

 

 ねぇチューしようですって。俺の嫁を名乗るなら往来でベロチューくらいしてみせよ! フィットネスってこれでいいんですか?

 

「……はぁ」

 

 改めて顔を合わせて実感した。

 彼女たちの気持ちを断定することは出来ないが、少なくとも俺は彼女たちのことが普通に好きだ。カバディできる程度にはたくさん子作りしたい。ビルドキング。

 ライブを見ることなく舞台裏を離れ、特に仕事も無いので駐車場まで戻った。

 付近のコンビニにでも行って珈琲を一杯飲めば少しは落ち着くだろうか。

 

「あ、ツッキ~」

 

 ヘルメットを手に持つと後ろから声をかけられた。

 サングラスに帽子といった雑な変装をしたドーベルだ。制服だから変装してもあんまり意味ない。

 

「ようやく見つけた。……あれ、どこかに行くの?」

「人混みに疲れちまってな。ちょっとそこのコンビニまで」

「ふーん……?」

 

 明らかにバイクの存在を気にしている。

 そういえば再びバイクを手に入れたら後ろに乗せて、とか言ってたっけな。夜伽の時間ですよ~♡

 

「ベルも来るか」

「いいの?」

「あぁ。ていうかこのヘルメットも元はお前のために買ったやつだしな」

「そ、そっか……へぇ……」

 

 そのまま流れでベルを後ろに乗せ、俺は一時的に会場から離脱するのであった。紛うことなきデートである。

 

 



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心が震えすぎてPID制御が効かないよ もしかして相性抜群!?

 

 

 イベント会場からドーベルを連れ出した数分後。

 俺たちはコンビニの中にあるイートインスペースで横並びに座り、スマホを眺めて時間を潰していた。

 特別何かをする気力もなく、未だサイレンスとマンハッタンからのアプローチに内心狼狽している内は心に余裕も生まれないため、ドーベルに対して派手なアクションも起こせない。

 

「ツッキー、暇だしポッキーゲームでもする?」

「勘弁してくれ」

 

 俺と違ってドーベルは派手なアクションを起こせるらしい。無法すぎる。

 往来でポッキーゲームとか流石は漫画家だ。シチュ体験に余念がないね。

 

「……前はポッキーから言ってきたんだけど。ツッキーゲームしようって」

「逆になってる」

「ぁわ……」

 

 もしや緊張してる? これがどうしてまた可愛い。

 

「てか冗談だし。真に受けすぎ」

「うるせーな。……ていうかベル。それ何を読んでるんだ?」

 

 普通の恋人でもやらないような恥ずかしすぎる遊びのことは一旦置いといて、彼女がスマホに表示させている漫画らしき画面が気になったので質問した。

 無理やりすぎる方向転換だがしょうがない。最近ちょっとドキドキし過ぎているので心臓に悪い事は避けたいのだ。今ベルちゃんとポッキーゲームしたらそのままお嫁さんにしてしまう。冗談とはいえ明るいうちからスケベな要求、恥を知れ。果てしないエロ女。俺にお似合い。

 

「普通の少女漫画だけど……読む?」

「いいのか」

「スマホ交換しよ。ツッキーは漫画アプリとか入れてないの」

「一応は入ってるが……」

 

 稀に気になった漫画を買ったりはしているが、エログロだったり陰鬱だったりするものが大半だ。そういうものを好んでいるわけではなく、メジャーな漫画に手を出していないだけなのだが……とにかくドーベルには刺激が強すぎる気がする。

 

「あの、私って多分ツッキーよりいろんな漫画を読んでるよ。苦手なジャンルも特に無いし平気平気」

「そうか……? なら大丈夫か」

 

 そう言って互いのスマホを交換し、少しばかり漫画を読み耽る時間が生まれた。

 時折飲み物やお菓子に手を伸ばしつつ続きを追っていると、気がつけば三十分以上は経過していた。時間を忘れるとはこの事だろう。

 大勢の人たちが盛り上がっているイベント中に何をしているんだろうとも一瞬考えたが、どうにも俺はこっちの方が性に合っているらしく、海の家にいた時よりよっぽど自分が安心している事実に気づいた。

 

 大勢の美少女に囲まれて悪い気がしなかったわけではない。

 マンハッタンやサイレンスから心を揺さぶられるようなアプローチを受けて、舞い上がらなかったわけでもない。

 ただ、そんな特殊イベント染みた出来事の数々よりも、気心の知れた相手と一緒にただ時間を浪費することの方が俺の心は喜んでいた。

 やよいのサポート、怪異の対処、別次元への渡航にイベントの裏方──思い返せばここ最近はずっと忙しなくて、ゆっくりできる時間が少なかった。

 だからこそ身に染みる。

 今隣にいるこの少女と過ごす、何でもない時間のありがたみを。

 

「最近の少女漫画って……結構攻めた描写が多いんだな」

「でしょー。まぁその作品はちょっとやり過ぎな気もするけどね。特に第八話とかほぼエロ漫画だし」

 

 主人公である少女の内心のドキドキを煽るためとはいえ、相手の男が百戦錬磨すぎる気がしないでもない。恋人でもない女の子に壁ドンとか顎クイとか簡単にやってはダメですよ。

 ……人のこと言えないか。

 ドーベルに対しては少女漫画のロールプレイというていで俺の方がバグった距離感のコミュニケーションを図ってしまっている。もう少し自重しよう。

 

「……?」

 

 漫画で少しだけ引っかかる描写があり、つい首を傾げた。

 前のページを読んでも、先を読み進めてもそれにまつわる言及が見受けられない。

 

「なぁ、尻尾ハグしたわけじゃあるまいし、ってどういう意味だ?」

「えっ──」

 

 ウマ娘の主人公が照れている場面のことだ。

 やむにやまれぬ事情で閉じ込められた体育倉庫の中でとあるイケメンと一夜を過ごし、翌日友人からその事を茶化されているのだが、件のイケメンとの仲を否定する際に“尻尾ハグ”という単語が登場した。

 それまで作中で一度も言及されていない言葉であり、その後も特に意味が語られない謎の単語だ。

 ニュアンス的に仲良しの相手同士で行うことなのだろうがいまいちピンとこない。

 

「……知ってて聞いてる?」

「は? ──あぁ、いや、いい。何となく察した」

 

 ドーベルの反応で大体わかった。

 卑猥とまではいかないが、ともかく特別な行為なのだろう。尻尾を触っただけでサンデーが起きた件といい、もしかすると尻尾の一部分が割とガチめなデリケートゾーンで、そういう部分同士を重ね合わせてハグをするという事だから……まぁ、多分そういうことだ。

 

「……ツッキー、ちょっとテーブルの下に手をおろして」

「こうか。……え、なに」

 

 困惑したのも束の間。

 見えないテーブルの下で、何やらモフモフな感触が手に広がった。

 ──尻尾だ。

 十中八九、間違いなくドーベルの尻尾が俺の手に当たっている。

 

「……何やってんだよ」

「な、なんかちょっと、そこはかとな~くいけない事をしてる気分になるでしょ。コレ、そういう事……」

 

 確かにインモラルな雰囲気を感じるというか、ヤバい事を隠れてやってる感は半端ない。

 俺はよく知らないがウマ娘たちの中では尻尾で何かしらをするというのは共通してロマンチックだったりスケベな事だったりするんだろう、というのが一瞬で理解できた。セクハラはやめて下さらないかしら!?

 

「……」

「ひゃぅっ……♡!?」

 

 試しに尻尾を握り返してみると小さい反応がドーベルの口から漏れた。やはりここはおいそれと触れていい部分では無かったようだ。サンデーには夢の境界で尻尾を触った事を後で謝っておこう。

 

「悪い、そんな反応をされるとは思ってなかった」

「いや絶対わざとでしょ今の……っ! もう、もうっ」

 

 愚かな。ポコポコと叩いたところで無駄。元を辿れば尻尾を当ててきたのはお前だからな。誘い受けマゾの癖に生意気だぞ。いや、大生意気といったところか?

 

「……そろそろ戻るか。ベルは確か物販の方に顔を出すんだろ?」

「え、何で知ってんの」

「理事長秘書補佐代理権限でイベントの情報は全部知ってるからな」

「やば……」

 

 適当に流されたが俺も気にせずゴミをまとめて捨て、コンビニの外へ出た。あと二時間すればイベントも幕引きだ。

 バイクの後ろに跨り遠慮がちに俺の腹部に回したドーベルの手を握り、もう少し強く抱きつくように促した。

 

「ちゃんと掴まっとけよ、危ないから」

「う、うん」

 

 それにしても背中に広がる感触が違法すぎる! 掴まれとは言ったが押し付けるな! この弾力新たまねぎ♡

 

「……ねぇ、ツッキー」

 

 いかがなされた変態女。俺を惑わす可憐な女。

 

「イベントが終わったあとさ。この辺でお祭りがあるらしいんだけど……」

 

 その話は小耳に挟んだ。

 一般人からすればオフの人気ウマ娘を拝めるかもしれない絶好の機会で、生徒側はイベント後の打ち上げの感覚で浴衣などを着込んで遊びに行くといった、両者ともに夏の最後の思い出にするであろう大切な()()()()だ。

 ドーベルの言う“青春を望むウマ娘”たちは、これを機に男子との繋がりを得ようと何か行動するかもしれないし、それにチャンスを感じた一般男子諸君も何やかんやするかもしれない。

 まぁ、イベントの事後処理で会場に残る俺には関係のない話だが。

 仕事を引き受けるなりしてやよいを祭りに向かわせてやりたい気持ちはあるが、俺個人としてはどうせ行けないし行く意欲もない。俺の夏は大人たちとの話し合いで終わりというわけだ。

 

 俺のことは気にしないで楽しんでくれ──と言いたいところだったが。

 

「……ズルいか。カフェとスズカにも言わなきゃ……」

 

 後ろから小さな独り言が聞こえたせいで、それは喉から出る直前で留まってしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 気を利かせた大人たちのおかげで思いのほか早めに事後処理が片付いた。

 先に駿川さんと一緒に祭りへ向かったやよいから『招集ッ!!』というメッセージが届き、俺も祭りへ赴くために駐車場に向かっている途中、ふと考えが浮かんだ。

 

 自分、もしかしてモテているのではないだろうか──と。

 

 立ち止まって冷静に今の状況を俯瞰してみると、自分がどれほど特異な立場に身を置いているのかが改めて実感できた。

 基本的に普通の男子高校生だとファンという形以外では関われないほど、世間一般では高嶺の花とされる中央トレセン学園の女子複数人と面識を持ち、あまつさえ自宅に上げたり食事をしたりなど、どこからどう見ても親密で良好な友人関係を築けてしまっている。

 異常な事態だ。近くに居すぎて忘れかけていたが、彼女たちの立場を考えれば昼時の山田のように話しかけること自体を躊躇して然るべき相手なのだ。

 あの三人のレベルまでいくと、言ってしまえば下手な芸能人よりも知名度があり、俺が通っている高校でも話題に上がる事が多く、たくさんの生徒たちから憧れられている注目の的──そんな少女たちと友人関係にある。

 

 そして何より、彼女たちに友人ではなく異性として見られている可能性が高い。

 改めてそれが実感できてしまうメッセージを俺のスマホが受信したのだ。

 

≪もし時間があったら、秋川くんも一緒にお祭りを回らない?≫

≪お友だちの件でお礼をさせて頂きたいのですが、今から会えますか≫

≪ツッキー! おおぉお祭りでしかできないシチュを一緒に探したいんだけど暇!?≫

 

 ──明らかな三択。

 提示されたソレはまるでギャルゲーの個別ルートを確定させるための選択肢の様な、これから先の未来を左右させるであろう重大な内容だった。

 今回のイベントを機にあの三人と一層仲を深めた自覚はある。

 サイレンスとマンハッタンからはほっぺにチューをかまされ、ドーベルからはまだあの二人からは許されてない大事な部分である尻尾を触れさせてもらえた。

 ラインが同じだと感じる。

 俺を主軸と見立てた場合、このメッセージを受信するまでが共通ルートで、ここから先がそれぞれのヒロインとの物語を始める個別ルートなのだと思った。

 

 問題はこの世界はゲームでも何でもないのでセーブもロードも叶わない事なのだが──それよりも。

 

「……へへっ」

 

 笑みがこぼれた。

 たぶん結構邪悪というか、下卑た笑いと言ったほうが正しい。

 もしゲームの主人公がこの立場にあったとすれば、きっと誠実に三人との関係性を考え、これからの行動についてシリアスに逡巡するところだろう。

 だが、俺は選ばれし者でもなければ誠実な主役でもなく、ただの一介の男子高校生なのだ。

 

「はぁー……マジか」

 

 二ヤついている。

 気色わるい笑みだ。

 喜ばない筈がない。

 嬉しくないわけがない。我が社の未来も明るいぞ。

 まるで美少女たちに自分を取り合われているような、それこそ本当に自分を恋愛物語の中心だと錯覚できてしまえるようなこの状況を前にして、真摯でいられるほど真面目ではない。

 同級生たちよりも特別な位置に立っていて、優越感を感じないような綺麗な感性はしていないのだ。

 間違いなく俺はこの状況を楽しんでいる。

 本当に、心の底から、今この状況がとにかく楽しい。美人な友人を持ってワシは嬉しいよ。

 

「祭り……ここら辺だよな」

 

 付近の駐車場にバイクを停め、恐らくは祭りの最中であろう方向へ向かって歩いていく。

 まだ返事は返していない。

 とりあえず一旦やよいと合流して事後処理の云々を伝えた後、駿川さんに彼女を任せてフリーになってから選択しようと決めている。

 どうしようかな。

 俺が選んでいい立場なのかな。

 いつから俺はそんな大層な人間になったのだろうか。急に迫られても困ってしまう。はぁ、悩みどころだ──

 

「ハヅキ」

 

 隣から声をかけられ、我に返った。

 気がつけば目の前に電柱がある。危うく正面衝突するところだった。どうやら浮かれすぎて前も見えなくなっていたらしい。

 

「悪い、助かった」

「そうじゃなくて」

 

 いつも無表情なサンデーが、遠くを見据えて少しだけ怪訝な表情をしている。何事だろうか。

 

「お祭りの場所、本当にここで合ってるの?」

「そのはず……だってやよいから位置情報が──」

 

 そこまで口にして、ようやく自分も気がついた。

 場所は間違っていない。スマホに送信された位置情報は間違いなくここだ。

 違和感を感じたのはその場の空気。

 ここでは大規模な夏祭りが開催されているはず──にもかかわらず()()()()()

 

「……何だ?」

 

 少し小走りで明るいほうへ向かって走っていく。

 祭りといえば喧噪だ。騒がしいからこそ祭りと言える。

 誰が流してるかも分からない音楽、何者かが叩いている太鼓の音、なによりも参加している人々の楽しそうな話し声など、それらが祭りの騒音を構成している。

 だが、一つもそれが聞こえない。

 もう祭りは終わってしまったのではないかと錯覚してしまうほど、周囲一帯が眠っているような静寂に包まれていた。

 

「やよい!」

 

 探している人物を見つけた。本格的に出店が並び始める通りの少し手前の、自販機の前に彼女はいた。

 駆け寄って声をかける。

 

「わり、少し遅れた。なんかめちゃくちゃ静かだけど……もしかしてもう終わったのか?」

 

 声をかけた。自販機の商品を眺める彼女に、俺が誰だか分かるように横から声をかけた。

 しかし何故か反応がない。

 

「やよい……?」

 

 肩を揺すっても返事がない。

 

「おーい、どした。人混みで疲れたのか?」

 

 ただの一言も返さない。

 

「……おいってば。何か言えって──」

 

 痺れを切らして彼女の正面に回った。

 顔を見た。

 やよいだ。それは間違いない。

 だが明らかに普段と雰囲気が異なって見えた。

 それから無視できない部分が一つ。

 

「……目が、光ってる……?」

 

 彼女の瞳がピンク色に染まっていて、何故だか薄く発光しているように見えた。

 目が光るなんてあり得ない。少なくとも人間にはできない芸当だ。

 そんな異常が発生している瞳が気になるものの、何より何度声をかけても反応しないやよいの様子が不可解だった。

 

「ハヅキ、向こうにも誰かいる」

 

 サンデーが指差した先にいたのは、祭りにもかかわらずいつものスーツを着た駿川さんだ。蒸れない?

 

「駿川さん! なんかやよいの様子が……──駿川さん?」

 

 気がついた。

 彼女の瞳も光っている。

 茫漠とした表情で、虚空を見つめたまま固まってしまっている。

 

「何なんだ……」

 

 二人とも同じ状態で動けなくなっているこの状況は明らかにまともではない。

 焦る心を深呼吸で落ち着かせつつ、一旦その場を後にし祭りの中心へと向かっていった。

 

「──」

 

 ()()()()()()()()

 異様な光景だった。

 人混みに溢れかえっているはずの場所で誰も彼もが立ち止まり、やよいや駿川さんと同様に茫漠とした表情で心ここにあらずといった雰囲気だ。

 鬱陶しいほどの数の眩い明かりと人が集まっているのに、まるで通夜のように静まり返っている。

 明らかに普通ではない光景を目の当たりにして、思わず一歩後ずさってしまった。

 

「と、突然のホラー展開……サンデー、これって……」

「たぶん怪異の仕業。……でも、こんな規模は──あっ」

「……あれはマンハッタンさんか」

 

 周囲を見渡したサンデーが見つけたのは、他の人たちと同様に固まってしまっているマンハッタンカフェだった。

 

「……ここまでの広範囲を支配域にして、耐性のあるカフェまで落とすなんて普通じゃない。あり得ない」

 

 あり得ない、というのはどういう事だろうか。

 

「超常の存在はパワーを蓄えすぎると、基本的には体が耐え切れなくなって自壊する。街ひとつを覆ってしまえる程の力なんてなおさら──」

 

 そこで一瞬、サンデーの言葉が詰まった。

 そして何かを察したようにため息を吐き、俺の方を向く。

 

「……夢の境界で、何十年も概念の再構築をし続けた個体なら、あり得なくはない。でも、そんな危ない奴を案内人は外に出さない」

 

 案内人、とはやよいの頭の上にいつもいる猫こと、あの先生のことで合ってるのだろうか。 

 

「だから、多分私たちが利用された」

「利用……?」

「ハヅキが私を連れ戻そうとしたとき、そいつもカフェの夢のどこかに紛れ込んで、私たちと一緒に現実世界に出てきたんだと思う」

 

 平たく言うと、めっちゃ強いから閉じこめられていたヤベー奴が、俺たちの後ろをこっそりついてきて脱獄した、という事か。

 

 ──マジで?

 え、正気?

 このタイミングで仕掛けてくるなんて頭おかしいのか。空気が読めないにも程があるだろ。

 三択を迫られていた。

 どういう結果になるにせよ、いよいよ俺のラブコメが始まろうとしていた。

 そんな矢先にちょっかいかけてくるとか、どんだけタイミング悪いんだよ。

 祭りが終わった後とかでならいくらでも相手したのに。これだから怪異は良識が無くて困る。

 

 というかサンデーの言っていたことが本当なら、祭りに訪れた人たちが怪異に巻き込まれたのって、完全に俺のせいなんじゃ

 

「っ……? ──ッ! ハヅ──」

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 サイレンスのメッセージに対して返事を返した。

 分かった、そっちに行く、と。

 きっと花火が上がる直前にでも告白されて、初々しいキスをして彼女との本格的な物語が動き始めるのだろうと、心の底から舞い上がっていた。

 ただ、相手から告白を待つのはなんだか男らしくないと思って。

 サイレンスが他の友人たちと別れたあと、二人で土手から花火を見上げながら俺は想いを告げた。

 普通にOKされるだろうからその後はどういう言葉で場を繋げばいいかな、なんて呑気な事を考えながら。

 

『あの、ごめんなさい……そういうつもりじゃなかったの』

 

 申し訳なさそうな顔をされた。

 俺は、彼女の言葉の意味が理解できなかった。

 

『秋川くんの事は好きよ? その……もちろん、友達として』

 

 友達として、好き。

 サイレンススズカは俺に友愛を語った。

 

『……勘違いさせてごめんなさい。私、別に──』

 

 瞬間、中学時代にトラウマを刻んだ呪いの言葉が脳裏に過った。

 自分の心を守るために俺はすぐさま耳を塞いだ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 マンハッタンのメッセージに対して返事を返した。

 分かった、そっちに行く、と。

 きっと人気のない場所で感謝の言葉と一緒に想いを告げられて、彼女との本格的な物語が動き始めるのだろうと、心の底から舞い上がっていた。

 ただ、相手から告白を待つのはなんだか男らしくないと思って。

 マンハッタンを他の友人たちのもとから連れ出したあと、誰もいない公園で緊張しながら俺は想いを告げた。

 たぶんOKされるだろうからその後はどういう言葉で場を繋げばいいかな、なんて事を心の隅で考えながら。

 

『……申し訳ありません、葉月さん。きっと……私の行動があなたにそう思わせてしまったのですね』

 

 申し訳なさそうな顔をされた。

 俺は、彼女の言葉の意味が理解できなかった。

 

『もちろん……葉月さんのことは大切に思っています。あの子が視える、唯一のお友だちとして……』

 

 友達として、大切。

 マンハッタンカフェは俺に信頼を語った。

 

『……勘違いさせてごめんなさい。私は、別に──』

 

 瞬間、中学時代にトラウマを刻んだ呪いの言葉が脳裏に過った。

 それ以上の言葉は俺を壊しかねない。

 自分の心を守るために俺はすぐさま耳を塞いだ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 ドーベルのメッセージに対して返事を返した。

 分かった、そっちに行く、と。

 きっといろいろな場所を回りながら頃合いを見て想いを告げられて、彼女との本格的な物語が動き始めるのではないかと、期待と不安が半分だった。

 ただ、相手から告白を待つのはなんだか男らしくないと思って。

 ドーベルをメジロの同胞たちのもとから連れ出したあと、街が一望できる展望台で俺は想いを告げた。

 結果が怖い。どうだろうか。

 

『え……ご、ごめん。ツッキーの事をそういう目で見たこと、無いかな……』

 

 申し訳なさそうな顔をされた。

 俺は、彼女の言葉の意味が理解できなかった。

 

『いやっ、その、大切な友達だとは思ってるよ! 漫画のことを相談できる相手だし、色々手伝ってもらえてるし、友達としてはもちろん好きだから!』

 

 友達として、友達として、友達として。

 メジロドーベルは俺を気の置けない友人としか思っていなかった。

 

『……勘違いさせてごめんなさい。アタシ、別に──』

 

 瞬間、中学時代にトラウマを刻んだ呪いの言葉が脳裏に過った。

 それ以上の言葉は俺を壊しかねない。

 恐らくこれ以上は耐えられない。

 自分の心を守るために俺はすぐさま耳を塞いだ。

 

 

 どうしよう、困った。

 

 困り果ててしまった。

 どうやら全部勘違いだったらしい。

 いろいろな言葉で自分を肯定し、ギャルゲーの主人公だ何だと盛り上がっていたが、全部が独りよがりな思い込みだったようだ。

 

 彼女たちは高嶺の花だと、そう言ったのは俺自身だ。

 男に困る事なんてないだろうしそもそも彼女たちの傍には俺の何十倍も彼女たちを理解している大人の男性がいる。

 眼中に入らないのも当然だ。偶然顔見知りになっただけの、有象無象の中の一人にすぎない。

 その事実が改めて実感できた。俺は最初から選べる立場の人間ではなかったのだ。

 彼女たちがいつでも切り捨てられる、本当にただの友達の中の一人──

 

 

「ハヅキっ」

 

 

 ……。

 …………?

 

「んっ、む」

 

 唇に柔らかい感触。

 目の前には誰かの顔。

 程なくしてその顔が離れると同時に、俺は今サンデーにキスをされていた事に気がついた。

 

「っぷぁ。……ハヅキ、私が見える?」

「……あ、あぁ」

「良かった。いま、私の魂魄を少し削ってハヅキの中に流し込んだ。これで幻覚に惑わされる事は無いはず」

「幻覚……?」

 

 俺は祭りがおこなわれている街の中心に立っていた。

 周囲の人々は変わらず沈黙したまま固まっており、自分がこの場所に来てからほとんど動いていない事を察した。

 ……どうやら鏡花水月されてたらしい。まさか自分が催眠をかけられる側になるとは思わなんだ。オラっ、催眠解除! 

 

「……助かった、ありがとなサンデー」

「いい。それより、まず敵を見つけないと」

 

 その言葉を機に走り出し、街の中を駆けずり回ると、思いのほかすぐに見つかった。

 

「……いた。あいつだな」

 

 真っ黒な人型の何かだ。電柱の上に座って佇んでいる。

 喧嘩を売るためにそこら辺の小石をぶん投げて命中させると、格好つけて謎の怪異ぶってたアホはキレて俺を特殊フィールドに案内した。ここからはいつも通りレースで勝って、コイツに拳骨をくらわせてやるだけだが──

 

「サンデー。ユナイトして本気を出すとお前また夢の境界行きになるんだよな?」

「そう。だから六割くらいの力で走って。概念を再構築して、脚力は調整してあるから大丈夫」

「六割で勝てるのか……?」

「私より速い怪異は多分いないから平気」

 

 どうやら足の速さに限って言えばサンデーが一番だったらしく、レースには安心して臨み、結果普通に勝った。

 レース中また岩だの枝だの小鳥だのと妨害をくらってそこそこ怪我はしたものの、ドヤ顔出来るくらいには圧勝だった。

 そのあと負けた悔しさで精神を平常に保てなくなった怪異は、溢れる力を制御できずに自壊し夢の境界へ飛ばされ、今回の一件は幕を閉じたのであった。

 

 問題があるとすれば、やはり現実世界とは時間の流れが違う場所に身を置いていたせいで、戻った時には既に翌日の昼になっていた事だろうか。

 やよいのもとへ赴く約束を破るどころか、あの三人からのメッセージにすら返事を返さないまま翌日になってしまった。もう終わりだ。

 落ち込んだ気持ちでバイクを取りに戻り、コインパーキングの駐車料金がヤバい事になってるのを見てさらに落ち込みながら、俺はそのまま自宅へ戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 家に着き、敷きっぱなしだった布団の上に倒れ込んで瞼を閉じた。

 地味に怪我をした箇所が痛み、白い布団に少しだけ血が滲んでしまったが、そんな事はどうでもいい。

 あのクソ怪異は討伐したが、ヤツが見せてきた幻覚のことで俺の頭の中はいっぱいだ。

 

「はぁ……疲れた」

 

 勘違いさせてごめんなさい、という言葉が忘れられない。

 結果としてアレは幻覚だったわけだが彼女たちの気持ちを知らないのは本当なのだ。

 俺のことが好きなんじゃねえのかという考えは非常に危険だ。無謀を勇気に変えてしまう。

 昨日、あのまま彼女たち三人の中の誰かと過ごして、その中で告白しようものなら、あの幻覚と全く同じとは言わずとも似たような展開になったであろうことは想像に難くない。

 幻覚で助かったが、俺の中にある淡い希望も砕け散った。きっと彼女たちは俺を恋愛対象としては見ていない。

 

 それから。

 

「……もう家から出ないほうがいいんじゃないのかな、俺」

 

 あの怪異は俺が夢の境界から連れてきてしまったようなものだ。

 つまり俺が皆を巻き込んだ。

 サンデーを助けたのは間違いなどではなかった。ただ、あの夢の世界で新妻ンハッタンカフェに見とれて他の存在の気配に気がつかなかった俺が悪い。

 俺だけが狙われるならまだしも、大勢の人々や彼女たちが危険な目に遭うのなら──もう関わらないほうがいいのかもしれない。

 

 しかし『危険な目に遭ってほしくないから関わらないでくれ』と言っても素直に聞いてくれる保証はない。

 なので……そうだ、アレだ。

 今からでもスゲェ性格が悪い奴になって、あの三人に嫌われよう。それでめっちゃ突き放そう。

 そうすれば自然と彼女たちも本来あるべき自分たちの道に戻っていくはずだ。あまりにも名案。名探偵になるのも斯くやといった感じだぜ。

 サンデーもマンハッタンカフェについていくだろうから、俺を守るという大変な任務も終えられる。何もかもがウィンウィンじゃないか。天才だ……。

 

「……ハヅキ」

 

 どういう言葉であの三人を突き放そうか本格的に考えようとした辺りで、俺の隣で同じように横たわっていたサンデーに呼ばれた。何かな。

 

「ハヅキの考えは分かる。……あなたが決めた事なら、それでいいとも思う。私が口出しできる事ではないから」

 

 ゴロンと彼女の方を向くと、サンデーもまた俺を見ていた。

 カーテンを閉め切った暗い部屋の中で、横たわって向かい合いながら話す──妙な感覚だ。

 

「だから、私からは一つだけ」

 

 俺はただ黙って聞くしかない。

 

「……夢の境界でカフェが見つけてくれた時、私はあの子にちゃんと必要とされていた事を知った。……カフェのことが大好きになった」

 

 一拍置いて彼女は続ける。

 

「ハヅキが来てくれた時に、それは確信に変わった。ずっと一緒にいたいって、心の底からそう思った。たとえ迷惑をかけても、かけられても、何があっても一緒にいたいって。……ねぇ、ハヅキ」

 

 少女の声音は無感情なものではなく、不安が混じっていた。 

 本当に言いたい事を飲み込んで、俺を慮って喋っている事は明白だ。

 

「もう一度だけでいいから、あの三人の気持ちを決めつけないで、よく考えてあげてほしい。……余計なアドバイスはもう、何も言わないから」

 

 そう言って頬から手を離したサンデーは、反対側を向いて眠り始めてしまった。

 俺は天井を見上げながら物思いに耽る。

 よく考えろという彼女からの言葉に従って、俺は逡巡することにした。

 

 ──確かにドーベルたちから向けられている気持ちを決めつけてしまっていた節がある。

 

 少し前は“きっと俺のことが好きだ”と。

 そして今は“絶対に俺を好いてはいない”と。

 何もかもそういう風にすぐ決めつけてしまう感覚に覚えがあった。これでは俺とやよいの教育方針に関して間違いなど無かったと思い込んでいた、秋川家の人間たちとまるで同じになってしまう。

 これでは駄目だ。

 冷静に振り返って現状を把握しよう。

 

 

 ──分からん。

 小一時間ほど考えたが何も分からん。

 サイレンスもマンハッタンもドーベルにも、益になる事と嫌われてもおかしくない事をそれぞれやらかしている。

 走りの強みに気づいたとか、鍵を探したとか相棒を連れ帰ったとか、一緒になって漫画の資料集めをしただとか色々やったが、大前提にある解呪の儀式におけるセクハラが全てを帳消しにしてしまう可能性が高すぎる。

 なんかもう、好きとか嫌いとかじゃなくて、何となく一緒にいる時間が多いだけな気がしてきた。てかそういうのを友達って言うんだよな。

 

 サンデーの言葉で俺も自覚したことだが、たとえ迷惑をかけても一緒にいたいと思ってしまっている。危なくなったら命に代えても守るし、出来ることがあれば何でも手伝ってやりたい。

 ただ一緒にいたい。それだけでよかった。

 俺は浮かれて多くを望み過ぎたのだ。

 山田のように、ただそこにいてくれたらそれだけで十二分に幸せだ。

 友達でいよう。何が個別ルートだ。

 幻覚を参考にするのもどうかと思うが、少なくとも友人としては認めてくれているのだ。

 中央のスーパースターと友人関係でいられるなんて、それだけで凄い事だろう。それ以上を望むのはワガママというものだ。

 

「……はぁ。あ゛ァー……考え続けてたら眠くなってきた」

 

 増幅された三大欲求の内、睡眠欲に勝てずサンデーは熟睡しており、彼女とユナイトしたことで同じ影響を受けた俺もマジでバチコリに眠い。ありえん睡魔だ。これに抗って俺にアドバイスをしてくれていたのか。スゲェぜサンキュー相棒いっぱい愛してる。

 というわけで眠る事にした。

 誰かに連絡を返すこともないまま、そのまま、微睡みの中へと沈んでいく。

 自分がモテていると勘違いした状態であのウマ娘たちに会わなくてよかった。不幸中の幸いと言ったところか。

 頭の中でグチャグチャになっていた思考の糸をようやっと解くことが出来たおかげなのか、最近ずっと感じていた心の中の不安が姿を現すことは終ぞ無く、そのまま睡魔に身を委ねるのであった。

 

 

 

 

 

 

『先に帰ったなら連絡してよ葉月のアホ! 電話も通じなくて心配したんだから!』

「悪かったって……」

 

 空が茜色に染まり始めた頃に目を覚ました。

 電話でやよいを宥めつつ、カレンダーを眺めながらこれからどうするかを思案する。

 

『明日様子を見に行くから、ちゃんと家に居てね……?』

「え、マジで……」

『命令ッ!!』

「……はい」

 

 電話終了。やよいが来るので部屋を後で掃除しておこう。

 目下の課題は俺に呪いを押印した怪異こと、あのカラスだ。

 あと数回レースをしてアイツの心を折ればこのオカルト染みた雰囲気からは一旦脱却することができる。

 そもそもコレがあるから不安なのだ。

 呪いの解呪だとかそういった()()()()()特別な事情を消したあとにこそ、本当の友人関係というものが生まれてくる気がする。

 何より、俺のストレスが割とヤバい。怪異がマジでウザすぎる。

 存在自体はこの世の理の一部だからしょうがないとして、積極的に俺の周囲を攻撃してくるのは勘弁してほしい。身も心も持たなくなってしまう。

 

 素直にラブコメ……ではなく、普通の高校生活を送らせてほしい。

 妨害で負った打撲が痛ぇんだよボケが。俺に仇なす怪異は心を折るだけじゃなく、弱ってるうちに先生に頼んで夢の境界に閉じ込めてもらうからな。カス共め。イけイけイけ無様に逝けッ!

 

「……はぁ、夏休みも終わりか」

 

 布団の上で呟く。冷房つけっぱにしてたら寒くなったので膝に掛け布団をかけつつ、ふと横を見た。サンデーはまだ寝ているようだ。近くで見るとめっちゃ可愛いな……。

 激動の夏だった。

 何だかずっと忙しかったし、誰かの好感度を得るたびに怪我をしていたような気もする。おのれ怪異と言ったところ。

 

「…………どうしたもんかな」

 

 それからサンデーが言っていた”三大欲求”の増幅にも悩まされている。

 ぐっすりと眠り、起きてから食事を済ませたとなれば、残るは性欲のみ。

 秋川の葉月君が絶賛スタンドアップ・ヴァンガードしている。サンデーに見られないよう掛け布団で隠しています。命の危機。

 

「どうしたもんかな……」

 

 本当にどうしよう。

 あまりにもムラムラする。

 なんなら横になってるサンデーのスカートが若干捲れてて危ない。しっかりと絶対領域は発動されているが、ハッキリ見えないからこそ劣情を煽られてしまう。お前ふざけるなぽ。

 

「ん……?」

 

 ピンポン、とインターホンが鳴った。

 立ったまま立ち上がって顔を出すわけにはいかない為、とりあえずインターホンの受話器を取って応答する。

 

「はい。どちらさまですか」

『あっ、秋川くん……! よかった、もう帰ってたのね……』

「サイレンス……?」

 

 聞こえてきたのはサイレンススズカの声だった。恐らく覗き窓を見ればドアの向こうに彼女がいる事だろう。

 今考えるべきことではないが、頭の中に“勘違いさせてごめんなさい”と言われた時の映像が浮かんでしまった。ひん……。

 

『きっと怪異に襲われたのよね……? 怪我は? 絆創膏とか湿布とかいろいろ持って来たわ』

「あぁ、いや、なんつーか、別に大丈夫……」

 

 明らかに焦った声音だ。俺の想像以上に心配させてしまっているようだ。怪我の具合を直接見なければ安心できないのかもしれない。その態度学園じゃ絶対見せるなよ? 俺のことが好きなメスだと看破されるからな。

 てかそこまで俺を心配して……? 嬉しいよ。はい婚姻。

 頭の中でくらいは結婚させてくれ。マジで優劣つけられないくらいお前らの事が好きなんだわ。

 

『……か、帰ったほうがいい……?』

 

 ねーえー!

 ズルじゃん!!!

 せっかくこっちが心に区切り付けたばっかりなのに急接近するな! 嗜みを知れ。大和撫子ならば。

 流石にここで追い返せるほど強い心は持っていない。

 秋川の葉月君も掛け布団で隠しておけば大丈夫だろう。龍神雷神。

 

「……いや、暑い中来てくれてサンキュな。よかったら上がってくれ、鍵は開いてるから」

 

 帰ってきてそのまま布団に倒れこんだので鍵を閉め忘れていたが、功を奏した。この状態で鍵を開けに行ったら激ヤバな状態での対面をしなければならないところだったぜ。

 すぐさま布団の上に戻り、下半身を隠すように掛け布団をかけた。これでパーペキってわけ。

 

「お邪魔します……って、秋川くん……!? ちょ、その怪我……ッ!」

 

 入ってくるや否や焦燥の表情で急接近。危ないッ!!!!!!!!!!!!

 

「あ、あぁ……目元の青アザか。見た目ほど痛くないから大丈夫だよ。後は大体擦り傷だし……」

「大丈夫なわけないじゃない! 布団にも血が滲んでるし……ちょっとここでジッとしてて。えぇと、まずは……」

 

 テキパキと手当ての準備を進めていくサイレンス。いつの間に医療を勉強したのか、その手際の良さには目を見張るものがある。もしかして俺の為? これは驕り?

 

「もしもし、カフェさん? ……えぇ、帰ってきていたけど怪我が酷くて……うん、ドーベルも呼んで」

 

 呼んではいけない。サイレンス一人ならまだ誤魔化せるかもしれないのに、監視の目が三つに増えたらいよいよ女子三人がいる部屋の中でヤバいものをヤバい状態にしたヤバい男になってしまう。勘弁してほしい。流石の僕も呆れ返るまでよ。

 

「ツッキー!」

「葉月さん……!」

 

 ──というわけで、数十分経たぬうちに三人が部屋の中に揃ってしまった。

 話を聞いたかぎりでは、祭りにいた大半のひとは夢の内容を忘れるどころか、自分が幻覚を見せられていたという感覚すら覚えていなかったようだが、この三人は違ったらしい。

 曰く、俺が何処かへ消えてしまう幻覚だった、と。

 これ以上自分たちを怪異に巻き込まない為に、あえて自分たちを突き放して一人遠い地へ消えていく──そんな内容だったとの事で。

 

 既視感があり過ぎたが、サンデーのおかげでもうそのラインは突破している俺からすれば『へぇ……』と気の抜けた返事がこぼれるくらいどうでもいい事だった。もう何があっても一緒にいてください。比翼連理。もしくはドスケベ夫婦。

 

「ぁ、秋川くん……!?」

「駄目です……いけません、葉月さんっ」

「アタシたち何があっても一緒にいるから! 一人で背負わないで、ツッキー!!」

 

 俺のまるで元気が無いマヌケな返事が、彼女たちにはどうやら意味深なものに見えたらしく、三人とも一斉に俺の手を握って、これまた急接近してきた! よせッ!!!!! 風情がない。

 

 察するに、俺とこの三人とで精神的な状況の乖離が見受けられる。

 こっちからすれば怪我してる所にお見舞いに来てくれて嬉しいハッピーよろぴくねといった感じなのだが、ウマ娘三人はボロボロになった俺が何だか危うい決心をしているように見えてしまい大変に心境がシリアスに陥ってしまっているようだ。まぁ、俺も山田が一人で消えようとしてたら同じ風に心配すると思うのでこれはしょうがない。

 友達として大切、という部分は幻覚ではなく本当だったらしい。ぐぅ、この真心は俺を喜ばすつもり? これぞ和。

 

「つ、ヅッキぃ……やだ、いかないでぇ……」

「ッ!? お、おい泣くなって……!」

 

 何がいかないでだお前らのせいでイキそうだわボケが。そういうところ好きだよ。

 ベルに泣かれた──が、俺の葉月君は相変わらずバベルの塔なのだ。近すぎる女子の匂いと柔らかい手で興奮がノンストップですよホント♡ 節操のない子! 素敵だね♡ 俺が俺でなくなる……っ!

 

「葉月さん……私たちはもう二度と、守られるだけの存在になったりはしません。絶対に……」

「う、うん」

「カフェさんの言う通り、私たちも一緒に闘う……! だから……っ!」

「わかった、わかったって……とりあえず一旦二人も落ち着いて……」

 

 こんなに必死で感情が剥き出しになってる三人は見た事がない。幻覚の中の俺、どんだけ酷い言葉を放ったのだろうか。お仕置が必要だな。

 にしても離れない。

 ずっと手を握ったまま離れない。ウマ娘のパワーを考えると振りほどくことも叶わない。

 山田……たすけて……!

 



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ほら癒しのアフター握手 忘れずに

 

 

 三人のウマ娘を何とか宥めて帰し、翌日訪れたやよいにはバイクで軽く事故ったと説明したところ『禁止ッ!怪我が治るまで乗ってはダメ!!』と念押しついでに泣かれてから数日後。

 多少の傷は残っているものの体調は全快したため、俺は晴れやかな気持ちで登校日を迎えた。

 

「……今夜でいいの」

「あぁ。流石にお互い、もう限界だろ」

「……わかった。夢のセットアップ、夜までには終わらせておく」

 

 制服に着替えながら片手間でサンデーと約束を取り付けた。着替え終わったらそそくさと家を出て歩いて高校へ向かっていく。

 結局のところ増幅した三大欲求の内、食欲と睡眠欲は何とか誤魔化してきたが残り一個は今日まで保留にしていたのだ。

 三大欲求とは言うが性欲なんてものはその気になれば我慢できるものであり、ペンダントや生命力の減少などの特別な事情が無ければこの通り、今朝まで何も問題は起きていない。

 今回に関して言えば想像以上にユナイトによる欲望の刺激が強すぎた、というだけの話だ。

 俺もサンデーもあり得ない程ムラムラしっぱなしなので一度夢で解消して、以降は我慢し続ければいい。ユナイトなどそう何度もおこなう行為ではないのだから。今夜が楽しみ♡

 

「ふうぅー……」

 

 深呼吸。

 やっぱ結構ムラムラする。俺の葉月君がバベルの塔事件で最後まで隠し通せて本当に偉かったと思う、俺。マジでよく頑張った。お前は凄い男だ。

 朝の生理現象は何度もサンデーに目撃されていて、互いに冷静を欠く一歩手前の状態なためこの数日間は艱難辛苦の極みだったが、互いに事情を理解しているため間違いは起きなかった。後でイチャイチャしろ。上司命令だぞ。

 

「おー、秋川。イベントぶり」

「山田っ」

 

 とてて、と駆け寄った。コイツのそばに居れば安心だ。山田の隣にいることで性的興奮が煽られる事象と遭遇する確率が百億分の一に減少する。

 

「へへ、おはよっ」

「……? 秋川、なんかテンション高いね」

「ヤバく見える?」

「うん、朝からこれはちょっとキモい」

「このやろっ」

「あいたっ! もうー、今朝から叩かないでよ。野蛮だなぁ」

 

 変なやり取りをしている間に我が校に到着した。

 駄弁りながら下駄箱で履き替えて、気がつけば教室。久しぶりの登校だが意外と新鮮さは皆無だった。

 授業もつつがなく進行し、少しばかり気の抜けたヤツが居眠りを注意されるくらいで特に変わった事は何も無かった。

 いつも通りの高校生活だ。俺の後ろに幽霊モドキがいることを除けば。

 

「幽霊じゃない」

 

 黙ってろ思わず返事しそうになっちゃったじゃねえか。忍耐と美脚と美貌といつも見惚れているよ。心技体と鍛えているだけあるよね。

 

「つんつん」

 

 おい授業中に脇腹つっつくな。アダルト向け幽霊モドキめが。人間様にドエロく歯向かうというのか。

 思い返せばコイツとは夏休みの頭に出会ったばかりで、一緒に高校へ訪れた事は無かった。二人で学び舎に足を踏み入れたという点で言えばトレセンが一応当てはまるか。どうでもいいが。

 ……本当に激動の夏休みだったな。これまでの人生で一番濃い一ヵ月半だった。

 大変だった分いろいろな繋がりを得たし家族とも再会できたから、一概にキツかっただけとも言えない。とにかく一言で言うとただただ忙しかった。

 去年はどうしてたんだったかな。

 確か、夏休みの早いうちから文化祭の出し物の準備をしようって山田に誘われてたっけ。

 ──あぁ、そういや文化祭か、この季節は。

 

「秋川は何がいいと思う?」

 

 昼休み。

 ササっと飯を食い終わってから、山田とスマホゲームで協力プレイしながら暇を潰している。

 

「あー、今日の六限で出し物を決めるのか」

「そうそう。去年の文化祭はお化け屋敷をやったから、僕はそれがいいんだけど」

「いんじゃね。めっちゃパワーアップさせてお客さんチビらせようぜ」

「デスボイスの練習しようかな……」

「お前は声が高いんだから雑に悲鳴でいいよ」

 

 いろいろ言ってるが極論どうでもいい。ウチの文化祭はとにかく全てが普通なのだ。規模も集客もめちゃめちゃ一般的で平均的で可もなく不可もなく。まぁそれくらいがちょうど良く楽しいのだが。

 結局、今年の出し物もお化け屋敷に決定した。クラスの連中の『何か売るだけじゃつまらない』という主張に保守派の担任が負けた形で。

 あぁ、平和だった。

 本当に変わった事が何もなかった。

 改めて自分が普通の高校生だったことを実感した。今は多少性欲がアレだが、驚くこともドキドキさせられることもない平坦な日常を過ごせて素直に嬉しい。怪異くんもう二度と現れなくていいよ。

 

「──え゛ッ!!?」

 

 放課後。

 教室から出ようとしたところ、後ろから大きな声が聞こえてビビった。

 振り返ってみると、窓に張り付いた男子が慌てている。何だアレ。

 

「えっ、えぇっ!? ちょっ、お前ら見ろマジあれ!!」

「どしたの~」

「おい秋川もっ! マジでヤベェぞッ!」

 

 何なんだ一体。

 とりあえず呼ばれたので教室の窓まで移動してみる。

 そうして気がついた。

 この教室の窓からは校門が見えるのだが、クラスの連中が湧いて当然ともいうべき人物がそこにいる。

 

「あっ、あれっ、サイレンススズカじゃね!? やべぇっ! やばい本物ッ!!」

「ウソっ、ガチじゃん! え、ウチらの高校で何か撮影するのかな……? やばいやばい、ちょ、みんな行こッ!」

 

 興奮しまくったクラスメイト達に連れられるようにして教室を後にする。

 その最中、俺の脳内では困惑の嵐が渦巻いていた。

 ──校門の前にサイレンススズカがいた。

 明らかに誰かを待っている様子で、既に人だかりができてしまっている。

 どうしてアイツが俺の通っている高校に襲来したのかが分からない。

 サイレンスのやつ自分の知名度をちゃんと理解しているのだろうか。変装もしないで人が多い場所へ赴いたらどうなるかなんて、新しい蹄鉄を見に行ったあの時身に染みて理解できたはずだ。

 それでもなおあのまま来なければならないほど切羽詰まった事情があるのだろうか。

 

 ……仮に怪異が現れたのだとしたら、学校の連中に関係がバレるだなんて事を気にしている場合ではない。メッセージすら送っていない現状を鑑みるに緊急事態という可能性も大いにある。

 急がねば。事態が悪化してからでは遅いのだ。

 

「へへ……あ、あの、また会えて光栄です……まさかウチの高校に来てくださるとは……」

「あ、山田さん。お久しぶりです。あの日はありがとうございました」

「ととととんでもない! スタッフとして当然の事をしたまでといいますか……!」

 

 ようやく人混みになっている校門前まで辿り着くと、山田が緊張しながらサイレンスと話している事に気がついた。

 山田は今朝からクラスのみんなに『イベントでスズカさんと話したんだ! スタッフ万歳!』と自慢していた為、面識があること自体はクラスメイト達は知っていたが、この光景を見て半信半疑だった気持ちが確信に変わったらしく、数名は山田に対して羨望の眼差しまで向けている。

 いつもなら絶対に割って入ったりはしない。

 大切な友人が憧れの人物と会話していて、あまつさえ複数の生徒から憧れられている状況──だが、誰かの命が危険に晒されているかもしれない状況となれば話は別だ。

 サイレンス自身は怪異を視認することは出来ないため、少なくとも事の発端にはマンハッタンが関わっていると見て間違いない。無論、彼女自身が襲われている可能性も──ダメだ急がないと。

 

「悪いっ、ちょっと通してくれ……むぐっ」

 

 何とか人混みをかき分けて進み、山田とサイレンスが二人で話しているところまで到達できた。急げ急げ。

 

「あの、それで、良かったら連絡先を──」

「サイレンスッ」

 

 会話に乱入してしまった。マジですまん山田。後でバイト先にサイレンスがよく来るって話をそれとなく教えるから許してほしい! 心からの願い。

 

「っ! 秋川くん……!」

「……へっ?」

「悪い山田、ちょっと借りる」

「え……ぁ、あぁ。……えっ?」

「サイレンス、行くぞ」

「うんっ」

 

 もう目立つとかどうとか気にしてられん。こっちは命に関わる状況なのだ。

 困惑したりキャアと盛り上がったりする集団から何とか抜け、一旦駅の方へ小走りで向かう。

 

「何があった。今起きてることだけ簡潔に教えてくれ」

「えっ? ……あー、えっと……迎えに来たら秋川くんが来てくれた……?」

 

 何を言ってるんだこの女は。今さっきの事はどうでもいいんじゃ。

 

「そうじゃなくて、何かあったんだろ? 怪異が出たとか……」

「……? 別に何も起きてないけれど……あっ、ごめんなさい。学校に来ること、メッセージで事前に連絡するの忘れてた……」

「は……?」

 

 ピタッ、とつい足が止まった。

 今コイツとんでもない事を言いやがった気がする。

 

「……ちょっと待ってくれるか」

「ええ」

 

 連絡も寄こさず、人目も気にせずわざわざウチの高校に来たってことは、急を要する事態が発生しているからだと思っていた。

 というかそうでないとあり得ない。高校までやってくる理由がない。

 ……何が起きているんだ。

 サイレンスはどうして俺を迎えにきた。

 

「あっ、一つ言わないといけない事があったんだった」

 

 それだよ! 一番大事なこと!

 

「私とドーベルもあの喫茶店でバイトすることになったの。秋川くんと同じ時間に」

「えっ」

「もちろんカフェさんも実家の手伝いって形で。……怪異をやっつけるまでは少しでも秋川くんのそばに居ようって、みんなで決めたのよ」

「何それ……」

 

 思わず全身の力が抜けそうになった。

 めちゃくちゃに切羽詰まってシリアス顔してた俺がただのアホになった瞬間だ。

 まじで全部勘違いだった。恥ずかしすぎる。

 この際、サイレンスたちが俺と同じバイト先で働くことになった話はいい。先日の一件でとんでもなく心配をかけてしまった自覚はあるのでしょうがないと思える。もし俺の立場が山田だったら俺もそうしていた。

 問題は俺が大衆の前でサイレンススズカというスーパースターを連れ出したこと──何より意を決して話していた山田から彼女を引き剝がしたことがヤバい。大した事情も無かったのに。終わった。

 

「……一人にしないって、一緒に闘うって言ったでしょ」

「それはそうだが……ちょっ、往来で手を繋ぐのは……」

「怪異との闘いがレースなら私でも何とかできる。……いえ、絶対に私の方が速いわ。負けるなんてあり得ない」

 

 本当にヤバい。普通に人通りの多い交差点付近で正面から手を握って迫られてる光景がマジで危うい。写真を取られたら大スクープ間違いなしだ。気持ちいい握り方を教えてみろ。うおっ♡ ふにふに♡ スベスベ♡ 変態め。

 

「サンデーさんと一緒に闘うのは負担が大きいのよね? 二人がもう無茶をしないでも済むように、私たちが怪異に勝つから。……だからせめて、下校時とバイトの時は隣にいさせて……?」

 

 その上目遣い交尾の催促かよ。精気を全て吸い尽くされる懸念があるわ。

 というか、思いのほかウマ娘たちが本気で対策を練っている事に驚いた。確か中央でバイトの許可を貰うのは結構大変なはずなのだが、既にそれを突破して俺を守るために行動してくれている。

 なんと美しい友情だろうか。俺のことをそこまで大切に思ってくれる事実につい涙腺が緩む。もう四人で結婚しよう。みんなで子作りしよう。

 

「……分かった。ありがとな、サイレンス」

「っ! ……ううん、お礼を言うのはこっち。私たちを守ってくれてありがとう……葉月くん」

「…………」

 

 ちょっと待って。

 聞こえなかったフリをしようとしたがそうは問屋が卸さなかった。ばっちりハッキリ俺の耳に届いてしまった。

 今、名前で呼んだ? 俺の女になる準備は万端という事かよ。薬局に行ってくるからちょっと待っててね。

 

「……あら? ……ふふっ、もしかして恥ずかしがってる?」

 

 は! 別に恥ずかしくなんかねーし! お前の事が好きなだけだし! 恋人どおしみたいだね♡ しかし公私混同はダメだ! あくまで友達同士。

 

「おかしな事なんてないでしょ。カフェさんも名前で呼んでるし……ドーベルなんてあだ名なんだから」

 

 マンハッタンのアレに関してはペンダント時の暴走なので不可抗力に限りなく近いのだが俺の責任という事に変わりはないので黙っておきます。ベルに関してはアイツの距離の詰め方がおかしいだけ。

 

「……良かったら、秋川くんも私のこと……」

「戻ってるぞ、呼び方」

「えっ。……あっ、いや、そう、葉月くん。葉月くん葉月くん……」

「慣れないなら別に戻しても……」

「そういうわけにはいかないわ! 私だって……」

 

 私だって、何ですか。その言葉の後ろに付く言葉、好きだからとかではない? 俺の名推理どおりムッツリマゾだったな。

 あの幻覚で俺の男らしさたらしめる部分は壊滅状態なのだ。もう二度と勘違いで告白したりなんかしない。お前とは恋人になりたいがな。やっぱり告白しようかな……。

 

「と、とりあえず喫茶店に向かいましょ! まだ怪我してるから、秋川くんのサポートは私がやるわ」

「ありがとな。じゃあ急ぐか」

 

 まぁ今日はシフト入ってないのだが。焦りすぎだぞプリティーガール。立てば芍薬座れば牡丹。

 というわけでバイト先に訪れたところ、路地裏にひっそり佇んでいるにもかかわらず、メジロドーベルとマンハッタンカフェとサイレンススズカが働いているという噂が広まった事で客入りがとんでもない数になっている現状を知ったのであった。大繁盛! 俺の出番なし。

 

 



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ベル♡ ベル。

 

 

「……視認できないお友だち、ねえ」

「……信じてくれるか」

「うーん……」

 

 サイレンスを高校の前から連れ出した放課後。

 少しだけ喫茶店に顔を出した俺と彼女はその場で解散し、一旦帰路に就くことになった──のだが、あれだけ騒ぎを起こして何もない筈はなく。

 ちょっと話がある、と連絡をよこしてきた山田を家にあげて小一時間経過し、これ以上山田に誤解をされたくないという思いから、俺の抱えている事情を詳らかに説明したいま現在に繋がる。

 

 ちなみに頭が沸騰しそうなレベルのムラムラは健在だ。我慢ちゅらいよぉ♡ おいサンデー乳吸わせろ。

 

「まぁ、秋川のそばに見えない誰かがいるっていうのは分かったよ」

「本当か!」

「……目の前でボールペンがひとりでに浮いて、僕と筆談まで出来てるんだからそりゃ信じるしかないでしょ」

 

 説明は簡潔に事実だけを伝えた。

 レースのチケットを奪った野生動物を追っていたら、結果的にカラスの集団に襲われている成人男性を助ける事になったこと。

 その男性がマンハッタンカフェの担当トレーナーだったこと。

 そして彼を襲っていたカラスは、野生動物ではなく怪異という幽霊並みにオカルトチックな不思議存在で、ターゲットを俺に切り替えたその怪異たちに対処するべくマンハッタンカフェに協力してもらう事になり、その過程で彼女の同級生であるサイレンスたちも手を貸してくれる流れになった結果、とりあえず怪異に遭遇しても対処できるよう一旦俺とバイト先を同じにしよう──という感じで今に至ると。

 解呪の儀式の内容の詳細以外はおおかた全部伝えた。アレに関しての秘密は墓場まで持っていく所存。

 

「……いや、でもやっぱり信じられないな。見えない仲間の事じゃなくて、中央のウマ娘たちに協力してもらってるってとこ」

「それは……」

 

 確かにそう思われても不思議ではない。

 なぜならあの三人が特にヤベー立場にあるからだ。

 学園の生徒というだけでなく、三人ともレースで勝ち星を上げ続け全国にその名が知れ渡っている有名なウマ娘であり、ピンポイントでそんな人物たちと知り合っていると言われたら疑うほうが普通だろう。

 しかもあの女たちは俺のことが好き。友達として。いや、夫として。

 ──やむを得ない。

 

《おす》

 

 マンハッタンカフェにメッセージで連絡だ。彼女に直接事情を話してもらった方が理解が早いはず。

 問題は休み明けで学園が忙しいこの時期に彼女の時間が取れるかどうかだが、はたして。

 

《はい。どうかされましたか 葉月さん》

 

 返信はや。三秒くらい。女子すごい。

 そんなに俺が恋しかったの? 寂しがりメスガキがよ。一生かけて守り抜きたい。

 

《いま大丈夫か?》

《問題ありません 部屋で一人なので》

《よかった 頼みがあるんだけどいいかな》

《勿論です! なんでも言ってください》

 

 何でも。じゃあ淫猥な自撮り送って早急に。それが社会だ。

 マンハッタンに連絡を入れたことで急速に高まった性欲を歯を食いしばることで我慢していると、かわいいスタンプが一個送られてきた。ちょっと交尾したくなってきたな。俺の前で勝負服を着てみない?

 とりあえず友人に呪いや怪異について詳しく事情を話してほしいと頼み込み、了承を貰えたためビデオ通話で繋げた。

 

「山田、マンハッタンさんが直接説明してくれるって」

「はぁ……? マンハッタンさんって、マンハッタンカフェの事? いやいや、そんなまさか──」

 

 とりあえず面と向かって話しやすいようテーブルの上にでも置くか。カフェちゃん毎晩ビデオ通話したいね。

 

『初めまして。私、マンハッタンカフェと申します』

「──ッ゛!!? ……!!!?!??」

 

 マンハッタンと初めて電話越しに話した山田の豪快なリアクションもそこそこに、事情説明が始まった。どうやら俺の気持ちも察してくれていたらしく、彼女の説明の中に解呪の儀式の詳細は入っていなかった。葉月理解検定一級。なかよしなつがいになろーね♡

 

『そういう事なので……あっ、そろそろ同室の方が戻ってこられるみたいです』

「ぁっあ、えとッ」

「助かったよマンハッタンさん。また喫茶店で」

 

 緊張しすぎて会話にならない山田に代わって礼を言うと、何故かマンハッタンはモジモジし始めた。明らかに何か言いたげな様子だ。告白?

 

「……どうかした?」

『あっ! い、いえ……その、山田さんは今夜、葉月さんのお家に泊まられるのかなと……』

 

 明日も学校があることに加え、なにより着替えも持ってきてないのでそれは無さそう。デブだからこそなのか体臭に気をつけているらしく、シャワーを浴びられないとなると死にかけるやつなのだ。その意識のおかげか山田は近づくといつも柑橘系のいい匂いがする。

 

「かっか帰ります! 僕帰りますっ!!!」

「だってさ。何かあったのか?」

『いえ……何でもありません。では、また』

「ああ、お休み」

 

 てな具合で事情説明は無事に終わった。

 もっと話をしたかったが今回ばかりはしょうがない。子作り二回で手を打つ。

 さて山田もこの様子なら俺が言っていた事をちゃんと信じてくれたに違いない。

 

「ほわ……」

 

 山田のほうを見ると、未だマンハッタンとの会話の余韻に浸っていた。

 想像以上に彼女と話せた事が衝撃だったようだ。現実感を確かめる為に頻繁に自分の頬をつねっている。いたそう。

 正直アレを見るまでずっと不安だった。校門の前でサイレンスを連れ出してから、なんて言われるか気が気じゃなかったのだ。

 電話で中央のウマ娘と話せた事を喜んで他のことを二の次にしてくれたのなら逆に助かった。

 

「中央のウマ娘と話すのってそんなに緊張する事か?」

「当たり前だろ!!!!!!!!!」

「うるさっ……」

 

 まぁ俺もハイパーデカ乳ウマ娘を前にした場合は同じ反応をするかもしれない。お前は俺だ。

 

 それから山田は少し経ってから意気揚々と帰っていった。

『困った事があったらまず僕に頼ってね! 手伝いが僕だけで十分な事でわざわざウマ娘さんたちの手を煩わせるのは本意じゃないからッ!!』と、そんな言葉を残して。あいつらへの心配が八割だった。もっと俺のこと見ろカス。手伝ってくれてありがとう。

 とりあえず山田への弁明措置は無事に終了し、俺の中で唯一の懸念点だった部分をようやく解消することができたのだった。アイツにうまく説明できたとあれば、後はもう誰にどう事情を知られても問題はない。隠れてイケない事をしているわけでもないので。

 しかしすぐに帰ってくれて助かった。これ以上ムラムラを我慢するのは不可能だ。

 

 数分後、俺も外に出た。家に食料が何も無いため、サンデーの分の飯を買わなければならないのだ。三大欲求が刺激されまくってる現在の状態では軽い空腹も結構辛い。何が食べたい?

 

「うどん」

 

 安上がりで助かる。温玉のトッピングを許可。

 

「ハヅキ」

「どした」

「あそこに居るの、ベルちゃんじゃない」

 

 コンビニで軽く買い物を済ませて帰路に就くと、道中公園に人影を発見した。

 もう暗い時間帯なので一瞬誰だか分からなかったが、街灯を頼りに目を凝らしてよく見ると、そこにいたのは見慣れた少女──メジロドーベルであった。

 あんな場所で何をしてるのだろうか、彼女は。

 ブランコに座り俯いたままタブレットに視線を落としているが、何かを操作している様子ではない。

 一言で言えば、まるで意気消沈しているかのような姿だ。

 というかそもそもトレセンの門限の時間はとっくに過ぎている。もしかしなくても普通に門限に間に合わずに追い出された可能性が高い。

 

「うわっ、雨か……?」

 

 声をかけようと思ったのも束の間。

 突然雨が降り始めた。雨脚が強まる予感に従い、一旦コンビニへ戻ってビニール傘を買って外に出ると予想通り大雨になっていた。

 こんなに強い雨が降ってたらドーベルもとっくにいなくなっている事だろう。

 

「……まだいるじゃねえか」

 

 何で大雨の中ブランコに座ったまま微動だにしてないんだあの女。シリアスな場面のシチュエーションの練習かしら。

 あのままだとタブレットがダメになるし、本人も風邪をひいてダメになってしまう。

 どういう考えであのままなのかは知らないが、とりあえず声はかけた方がいいと考え、小走りで彼女がいる公園の中へと向かっていった。

 

「おーい、ベル!」

 

 急いで傘を渡そうと近づく。

 すると俺の声に反応して、ようやっと彼女は顔を上げた。

 

「──ぁ」

 

 そして、そのまま固まってしまった。

 

「……」

 

 ドーベルは俺を見つめたまま何も言わない。

 虚ろな目だ。まるで活気が感じられない。

 察するに──まぁ、何かあったんだろう。

 メジロとかいう何か凄そうなとこのウマ娘で、中央の生徒でもある彼女に纏わりつく期待や重責は俺には計り知れない。

 なので、敢えて気にしない方向でいく。

 ドーベルに何かあったのは確定だとしても、それはそれとして俺も現在進行形でナニが大変な事になってるのだ。決壊する……ッ!

 大事な話はトレーナーや学園の連中と一緒に解決していくものだろうし、俺にできる事は今夜の宿を提供する程度。

 誰かを泊めるという事は、つまり煩悩を滅するためのあの夢を見ることも先送りになるという事だがしょうがない。友達優先。間違えた恋人優先。

 

「ほら、立って」

「えっ……」

「話したくない事なら何も言わないでいいから、とりあえずウチに来い。ガチで風邪ひくぞ」

「……う、うん」

 

 そんなこんなで手を繋いで連れ出し、メジロドーベルお持ち帰り。気が早い同棲ということかよ♡ 帰ったら二人で愛を育もうね。

 

 

 

 

 現在、ドーベルは寝ている。

 無論家主である俺とサンデーも眠りについている。

 だが俺たちは現在布団の上ではなく、ドーベルの実家にある自室らしき場所でパソコンやタブレットや漫画雑誌と睨めっこをしていた。

 眠っているのに起きている。

 今回の事の経緯はこうだ。

 

 まず、俺の自宅に戻ったドーベルは風呂に入った後、雨に濡れ続けた疲弊からかすぐ床に就いてしまい、彼女を起こさないため俺たちも早々に布団へ潜り込んだ。

 カッコつけてドーベルを攫ったはいいものの性欲が限界すぎた俺は結局我慢できず、サンデーを抱き枕にしながら『こっそり夢を見せてくれ』と懇願。

 物理的に身体を接触させたままでないと夢をコントロールできないため、しっかりガッチリとサンデーに触れながら眠りに落ちる──その刹那。

 寝返りを打ったドーベルの手が俺の背中に当たり、コントロールする夢の対象が()()()()()()()()()に移ってしまったため、俺たちは彼女の夢の世界へ招待される事になってしまったのであった。

 

 寝てるのに起きてるとは、つまり俺たちが今いる部屋は現実ではなくドーベルの夢の中という事だ。

 

「うーん……なにも浮かばない」

「どぼ先生、肩でも揉みましょうか」

「……や。触んないで、えっち」

「まぁまぁそう言わず」

「ひゃわッ!?」

 

 煩悩が天元突破しているというのもあるが、どうせ忘れる夢の世界という事で割と好き勝手に動いてる。肩こり凄いですねぇ〜〜〜原因を作ってるその重い物も持ってあげたいところ。

 

 ところで、俺たちは何をしているのだろうか。サンデーはテレビに映ったアニメに夢中だし、どう考えても彼女はこの夢をコントロールできていない。

 憂鬱だ。

 前回は電気がついてない俺の部屋という屋内空間だったのに、途中で雨が降るわ風が吹くわ薄暗いわで散々だったので、今回は明るい場所でサンデーの顔がよく見えるようベンチが一つだけある広い草原とかにでも行きたかったのに。

 また屋内。

 しかも他人の夢。

 俺の性欲をどうしてくれるつもりなのだ。

 

「ゲームの脚本って難しいなぁ……」

 

 ドーベルが俺に肩を揉まれながら、背もたれに体重を預けて呟いた。

 

「脚本?」

 

 こいつは漫画作家先生だったはずだが。

 

「アタシの漫画を読んでくれてて、共同で恋愛ゲームを作りませんかって持ちかけてくれた人がいてさ。ネタはいっぱいあるんだけど纏まらなくて……」

「ネタって、このネタまとめファイルってやつの中の?」

「そうそう。見てみて」

 

 簡単にタブレットの中身を見せるような性格ではないドーベルが許してくれるのは、単にここが夢の世界で彼女の思考も若干緩いものになっているおかげだろうか。新婚夫婦生活の中で俺がトレーナーさんと入れ替わっても違和感を持たなかったマンハッタンのように。

 

「見ちゃっていいんすか」

「ツッキーには見せらんないけど、アシスタントさんなら別に……」

 

 どうやら俺を秋川葉月だと認識できていないらしい。

 てかデビューもしてないのにアシスタントて。いかにも夢って感じの内容だ。小賢しく愛らしい女。

 

「どれどれ……」

 

 パソコンの該当ファイルを開いてみた。彼女の夢の中ではあるため、このファイルの中は恐らく実際に存在するものか、ドーベルの頭の中にあるネタだと思われる。さて中身は──

 

 

【1.マックイーン:30% 態度や会話の内容からして恐らく一目惚れと思われる。学園内で転倒しそうなところを助けてもらった模様。

 2.ライスシャワー:15% 彼の話題を出すと少しだけ赤面したが、教えてもらった情報だけ見ればまだ親切なお兄さん程度の認識である可能性が高い。

 3.スズカ:85% たぶんアタシと同じくらい つよすぎる きけん

 4.カフェ:90% おそらくアタシ以上 むり かてない】

 

 

 ──よく分からん。

 何だろうこれ。知ってる名前に知らない名前、それからパーセント表記の数値と短い備考欄が設けてある。

 これがネタ?

 なんのネタになるんだコレが。

 ライスシャワーから下は知っている。ただ一番上のマックイーンという人物名に誰が該当するのか知らない。イベントでも確認してたのは知り合いのウマ娘の名前だけだ。

 

「なんすかこれ」

「とある知り合いの……みんなからの好感度かな?」

 

 何で疑問系なんだ。てか誰のだよ。もしかして俺? ウマ娘を攻略中? えへへ。変態もいい加減にしろといったところ。

 

「実際の数値じゃなくて、あくまでアタシの主観だけどね。こういうの恋愛ゲームなら参考になるかなと思って書いてみた。……でも」

 

 少し俯くドーベル。耳がペタンと垂れ下がっていて非常にキュート。分を弁えよ。

 

「それ書いてるうちに自分で落ち込んじゃって。走りの調子が悪くなってトレーナーに心配されたし、予想通り不注意で足も怪我しちゃって……散々だなぁ」

 

 書いてて落ち込むネタのメモってなんだ。んなもん書くな。

 ていうか足を怪我してたの? セクハラしてる場合じゃねえよ病院連れて行かなきゃ。

 

「まぁアタシの事はいいんだって。アシスタントさんは恋愛ゲームを作るのに何かいいアイデアは無い? 例えばタイトルとか」

 

 恋愛ゲームのタイトル。俺なら欲しくなる作品名。

 じゃあ『もっと!種付け!炎のデカ乳超エロ♡トレセン学園!!』とかどう?

 



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決壊する……俺が俺でなくなる……ッ!

 

 

 と、友達のメスの匂いがしてクラクラする……!

 早朝。

 結局夢の中では意識してアシスタントとしての活動を続けていたせいか、性欲の解消どころか睡眠欲が昨晩よりも増大してしまい、結果的には寝ないで一徹した人になってしまった。

 サンデー曰く夢で常にリラックス状態だったベル♡はともかく、他人の夢で起き続けるとそれは物理的に起きてる状態となんら変わらないらしい。マンハッタンの時と一緒だ。

 ひとまずは欲情してドーベルに襲い掛からなかった自分自身を褒めてやる事にしよう。あ〜〜〜〜眠すぎてムラムラしてきた。おはようのチューが急務。

 

「んん……ぁ、つっきー……?」

「おはようさん」

「……お、おはよう」

 

 少しばかり自分の身体や服装の乱れを確認するドーベル。だが何も無い。当然だ何もしてないんだから。寝るだけだと言ってるのにエッチなことなんてしないでしょ。ベルは傾奇者だね。

 

「ごめん……昨日、押しかけちゃって」

「俺がお前を無理やり連れてきただけだろ。気にする事じゃない」

「……うん」

 

 申し訳なさを醸し出してはいるが、心なしか昨日よりも顔色がいい。

 ゲーム制作が実際の現実で行われるかは分からないものの、夢の中ではこれから書く物語を一応は形にすることができたのだ。多少のモヤモヤは失せたに違いない。

 お前は覚えてないだろうが俺はバッチリ覚えてる。あなたの健全な恋愛物語に変態成分をひとつまみ。後は加熱して調理終了です。

 

「……」

「ツッキー……?」

 

 ジッと見つめてたら気づかれた。

 まあ普通に寝起きでちょっと髪がポサッとしてるドーベルが可愛いのもあるが、何より()()()()()()が発生しているせいでこの場から動けないのだ。布団はどかせないし立ってるが立てない。まさに八方塞がり。

 

「だ、大丈夫……?」

「いや、ベルが可愛いなって思ってただけだから」

「……ふぇっ!」

 

 性欲のオーバードライブ。今日の俺は一味違う。性的な興奮を隠すために、以前イベントの時にドーベルのタブレットで読んだ少女マンガに登場するイケメン風に振る舞うことに全力で取り組まなければならないのだ。脳細胞がトップギアだぜ。

 

「それよりベル、足の痛みはどうなんだ」

「えっ? ぇ、あ、えっと……あれ。足のこと、話したっけ……?」

「言われなくても見りゃ分かる。……昨日は気づかなくて悪かった」

「いぃぃいやいや! 全然ツッキーの責任なんかじゃっ!」

 

 夢の中で徴収した情報をもとにメンタルケアを行っていこう。初めて会った時から思ってたけどめっちゃ美人だよね。

 

「軽く手当てをして早めに学園へ戻ろう。トレーナーさんには足の怪我のことは言ったのか?」

「ま、まだ……」

「じゃあ家を出るまでにメッセージの一つでも入れといてくれ。朝飯を食ったら遅刻する前にバイクで学園まで送る」

「……えっ、でもそれじゃあツッキーが遅刻しちゃうじゃない。ダメだよ、そんな……」

「中央の生徒が遅刻することに比べれば大したことないって。とにかくほら、肩を貸すから顔洗って」

 

 ようやく朝の生理現象が治まったため、さっとドーベルを洗面台に連れていって俺はトイレ。

 ていうかバイク、やよいにしばらく乗るなって言われてたけど緊急事態だからしょうがないよな。万が一怒られたら抱きしめて頭も撫でておでこにチューでもすれば誤魔化せるだろ。急に恋しくなってきた。

 

「……あれ、待って。よく考えたら今のアタシ、他校の男子の家に無断外泊してる……!? どうしよっ、どうしよう……ッ!」

 

 なにやら洗面台でブツブツ呟いてるドーベル。

 随分と心配性だ。トレーニング中の怪我で門限に間に合わず知人の自宅で一晩外泊しました、という立派な建前があるのだから大丈夫だろう。

 それでも心配なら俺が安心させてやる。あの少女マンガを想起させるやり方でな。

 

「ベル、こっち向いて」

「えっ……?」

 

 呼んで振り返った彼女の顔をふわふわタオルで包み込んでやった。ずっと顔を洗ってたら冷えちゃうぞお嬢さん。てか冷水じゃなくてお湯使いなさいよ。

 

「もふもふ」

「ぁう……っ」

「なるようになるさ、心配すんなって。必要なら俺もトレーナーさんに事情説明するから」

「……っ! ……うん、ありがと」

 

 赤面してる。よーし楽勝。チョロすぎて申し訳ねぇなぁ。

 

「とりあえずそれ脱げよ」

「えっ……!?」

「あ、制服に着替えろって意味な。洗濯機まわして干してから家出る」

「……そ、そういうことかぁ」

 

 どういう事かと思ったのかな。交尾したいならそう言うよ。今日のところは勘弁してやるがな。

 ドーベルに貸した俺のシャツからは若干いい香りがした。小瓶に詰めるのは後にして、朝の支度と食事をテキパキこなしていく。

 そしてついに出立。

 トレセンまでならバイクで全然間に合う時間だ。俺は遅刻するだろうが問題ではない。

 

「……ねぇ、ツッキー」

 

 ヘルメットを渡す直前にベルが呟いた。どうしたの愛しいお嫁さん。

 

「どうしてそんなに良くしてくれるの? アタシ、ツッキーには迷惑しかかけてない……」

 

 この女急に何を言い出すかと思えばそんなくだらん事を。

 現時点で目の保養になってるだろうが。うひょ〜♡ すげ〜身体。

 ていうか何その質問。突然主人公の家で居候することになった不思議系ヒロインみたい。ていうかおっぱいデカくない? ふざけてる?

 

「どうしてもなにも友達だろ」

「──っ!」

 

 何でハッとしてんの。もしかして友達じゃなかったのかな。不安になってきた。

 

「別に損得勘定で動いてるわけじゃねえって。友達が困ってたら助けるのが普通なんじゃないのか。……こういう恥ずかしくなるようなこと、あんまり言わせないでくれ」

「ご、ごめん……」

 

 まもなくヘルメットを被って後ろに乗る可憐な女。好きって言って♡ 夫婦でしょ♡ 言えッ!

 

「…………えへへ」

 

 微かな喜々の感情を察しつつ、敢えて指摘せず俺はバイクを走らせた。

 おい背中にデカ乳押しつけるな! 重っ……こんなおっぱいを今まで活用してなかったの?

 

 

 

 

 トレセンの校門までやってきた。

 ドーベルが事前に連絡していたらしく、件のネタ帳に名前があったマックイーンという少女が彼女を連れて行ってくれるらしい。

 キキッ、と音を鳴らしてバイクを停めた。ちょうど登校時間と重なっているため、道行くウマ娘たちの視線を少なからず奪ってしまっているがしょうがない。

 

「ツッキー。言い忘れてたことがあるんだけど」

「何だ? あ、マックイーンさんが来るまで座ってな」

「ありがと」

 

 バイクから降りたドーベルはやはり少し左足を庇って立っていたので、俺も降車して座席を譲った。

 

「実はあのお祭りの日、大半の人は怪異が見せた幻覚の事を綺麗サッパリ忘れたんだけど……全員がそうってわけじゃないの」

 

 確かにドーベルを始めあの二人も怪異に見せられた夢の事はしっかりと記憶していた。

 

「アタシたち以外……他のウマ娘たちも”何かを見せられていた”っていう事を覚えていてね。しかも結構多いみたい」

「そりゃ災難だな。軽い恐怖体験だ」

「……それだけじゃなくて。みんな自分が囚われてる所を()()()()()()()()()って事を感覚として記憶しているらしいの。その中でもツッキーの顔を覚えてる子も結構多くて……」

 

 つまりどういう事なのね。

 

「だから、えーと……」

 

 何なんだ──しどろもどろになっているベルに問いただそうとしたその時、後ろから声をかけられた。

 

「あっ!? あのっ、そこの人いいっすか!」

「ちょっとウオッカ! 突然どうしたのよ……っ!」

 

 振り返るとそこにいたのはどこかで見た事がある短髪の黒髪ウマ娘と──ダイワスカーレット!?

 うわわわわっわわ!!!! 魅力的で肉感的で素敵♡ 俺が巨乳コンサルティングとしてアドバイスしてやりたいところ。

 

「あ、アンタがバイクの人だったのか……」

「……えーと、ウオッカちゃんだったか」

「へっ? 俺の名前を知って……」

 

 さっきダイワスカーレットが名前呼んでたからな。正直ちょっと忘れてた。乳がデカければ片時も忘れなかったのだが。

 

「スマホ、今度はちゃんと持ってる?」

「お、おう……やっぱりそうなんだ。いやっ、あの時はありが──」

「ウオッカ! ね、ねぇっ、この人海の家にもいたけど……もしかして夢で助けてくれたあの人じゃ……!」

 

 ご名答ダイワスカーレット! 下品な体に生まれて良かったね。俺に開発される喜びがあるよ。

 俺としては怪異とかいうカスとレースをしただけなのだが、幻覚から解放したことで少なからず彼女たちが見ていた夢に影響を与えてしまったのかもしれない。

 ということは、何となく俺を知っているウマ娘が学園内で増えている可能性が高い。このダイワスカーレットもそうなのだろう。種付けチャンス。やはり俺の舞台は超エロ♡トレセン学園!!で間違いなかったようだ。

 

「ドーベル、お待たせしました──わッ!?」

「あ、マックイーン」

「その子がマックイーンか」

 

 何だ、学園で助けたあの芦毛のウマ娘がマックイーンだったのか。綺麗で気品があって美術品みたい♡

 

「どどどドーベル……! どうしてこの方が……っ!?」

「え、メッセージで伝えなかったっけ」

「バイクで送ってもらうとしか! 一体どなたのお世話になっているかと思えば──」

「おはよう、マックイーンさん。ドーベルのこと宜しくね」

「わっ、ぁッ、は、はいぃ……♡」

 

 夢の中のネタ帳を基に考えればこの少女は俺に一目惚れしている可能性が高いとの事だった。今世紀最大のモテ期到来じゃん。いや繁殖期か。性欲が限界なのでどいつもこいつも種付けして差し上げますから一列にお並びください。とりあえず連絡先だけ! ね!

 

「スペちゃん、おはよう」

「あ、スズカさん。あの、あそこにいる人……」

「んっ? ──えっ、葉月くん……!?」

 

 遠くにサイレンスが見えた。おはようのベロキスお早めに。先頭の景色奪われちゃうよ。

 

「見て見てライスちゃん! あれ夢で悪いのやっつけてくれたお兄さんじゃない!? お礼を言いにいこーよ!」

「ちょ、ちょっと待ってウララちゃん、心の準備が……っ」

 

 おむライス発見。朝から赤面してるのうはっ♡ エロっ♡ 真正の変態だわあいつ。

 

「むぅ゛うん゛っ! 退きたまえカフェ……彼の細胞をほんの少しだけでいいんだ! あの妙なレース場で人間には出せない速度で走っていたッ! あまりにも興味深すぎるじゃないか! 髪の毛一本でいいからぁ!」

「葉月さんには触れさせません……大人しくしていてください……」

 

 あそこは何で相撲やってるんだろう。正気か?

 

「お兄さん、おはようございます。マーちゃんです」

「うおっ」

 

 横から急に出てきた。誰だっけこいつ。マーチャン? それよりダイワスカーレットに負けず劣らず乳がデカくて話にならない。俺のこと好きになってから出直してこい。

 

「マーちゃん人形は気に入っていただけましたでしょうか」

「あ、あぁ……部屋に飾ってある」

「なるほど。ぜひ、マーちゃんを広めて頂けると、マーちゃんも嬉しいのですが」

「わかった、分かったからちょっと離れて。近い」

「はい。マーちゃんはアストンマーチャンといいます。アストンマーチャンです。覚えていてくださいね。マーちゃんでした」

 

 ウマ娘ってやっぱりどいつもこいつも距離感が壊れてるよね。風紀はどうなっているんだよ! 朝から乳を押し付けるなどマゾメスすぎるだろ。

 うるち米。とりあえずマーちゃん人形とやらを布教に使えとのことだから、あれは山田にでもプレゼントしよう。交友関係の広いあいつなら十分活用できるはずだ。

 

「ねえねえシャカール。校門の前で何か面白そうな事が起きているんだけど」

「興味無ぇな。……あっ、おい引っ張るな!」

「ん、オグリ? なに立ち止まってんねん」

「入り口が騒がしい。タマ、見に行こう」

「いやウチはどうでもい……ちょオグリ! 待ってぇな!」

「今日も美しいボク! おはようドトウっ!」

「はわわわぁ……」

「っ!? ボクに気がつかないほど鮮烈なものが校門前にあるのかい!? これはいけない、早急に調査をッ!」

 

 ──騒がしくなってきた。トレセンは男子が一人来るだけでこんな騒ぎになるのか。

 

 マックイーンさんは迎えに来てくれたのだし、もうさっさと退散しよう。このままだと性欲に従って誰かに襲い掛かって返り討ちにあって死ぬ。

 お前らは知らないだろうが今誰よりも助けてほしいのはこの俺なんだぞ。女子に囲まれたら間違いなく気絶する。

 

「ベル。またな」

「うん、ありがとうツッキー」

「困った時はいつでも頼ってくれ。じゃ」

 

 そう告げてバイクを走らせトレセンを去っていった。興奮しすぎて危うくあの場でベルに告白してしまうところだったぜ。危ない。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「秋川ッ!! 昨日サイレンススズカを連れ出したアレどういうことだ!?」

「説明して説明して説明してッ!!」

「コソコソ……あいつあの三人がいるっていうあの喫茶店でバイトしてるらしいぜ……」

「えマジ? メジロドーベルの連絡先とか貰えねえかな」

「あれっ、安心沢さん、お姉さんがトレセンの関係者なんでしょ? なんか知らないの?」

「全然知らないけど……トレセンの子たちと知り合いって、秋川君もしかして凄い人なのかな。クラスじゃあんまり目立ってないけど……よく見たら結構カッコいいかも……」

 

 ──どこいっても地獄だった。もう開き直ろうか。

 ムラムラとか性欲とかそういうレベルではなくなってしまった。人として行動できる最大のギリギリが恐らく今日の夕方までだ。以降は絶対に理性が溶ける。

 サンデー、昼飯食べるから屋上行こ。今夜は気絶すんなよ。

 

「秋川~」

「んだよ付いてくんな」

「そう言うなって。スズカさんたちの事いろいろ聞かせてよ」

「何でそんな知りたいの」

「当方キモ・オタクであるが故w」

 

 山田も来るらしい。二人きりの時間を邪魔すんな。タコさんウィンナーいる?

 



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ゆっくりイこうね♡焦らなくていいよ

 

 

 五限目。昼休みに軽く昼寝でもして心を落ち着けようとしたのに山田がついてきたことでそれが叶わず、俺の欲望は増幅するばかりだった。ビョルルン♡ビッピョロルロパロ♡

 

「むん」

 

 俺と全く同じ興奮度のサンデーも徐々に頭が茹で上がってきたらしく、待ちかねた彼女は俺の机の上に正座をして授業妨害をしてきている。どいてください。そこにいるとスカートを捲りたくなるので。

 

「いいよ」

 

 黙っとけお前ちょっと俺の社会的立場を考えてね。雑魚め。

 校内ではコイツと直接会話することが出来ないため心の中で言葉を思い浮かべるしかないわけだが、半分くらい錯乱状態にある興奮しきった人間がまともに思考し続けられるはずもなく、こいつとの会話に脳のリソースを割くと授業を受けることが出来なくなってしまうのだ。こまった。交尾の時間。

 いいんだ。

 あとほんの数時間の辛抱だ。

 増幅した欲求の内、今は性欲よりも睡眠欲が勝ってしまっていて正直全く授業に集中できていないが、もう少しで帰れると考えればまだ頑張れる。

 ねむ、ねむ。

 

「じゃあ秋川、この時起きた乱の名前覚えてるか? 先週やったとこだぞ」

「え、あ」

「教科書を見ないで言ってみな」

 

 先生に差されたが完全に舟を漕いでいて何も聞いてなかった。てか日本史の授業でそういう当て方しないでほしい。教科書見て分かる事を見ないで言わせるのどういう流れだよ。

 

「あー、えっと……大塩平八郎の乱……」

「正解。ちゃんと覚えてるな」

「へへ……」

 

 どうやら当たったらしい。ぶっちゃけ答え分かんねぇよどうしよう平八郎って感じだぜとか考えてたからこれが出てきただけなのだが、奇跡が起きたようだ。

 それから少し経って五限目は終わりを迎え、最後の六限は自習という事が明らかになり緊張の糸がブツリと切れて、俺はそのまま机に突っ伏した。

 今日は大変だった。

 トレセン学園では不可抗力で顔をたくさんの生徒に知られ、絡まれ、性欲を煽られ。

 高校に戻ったら質問に次ぐ質問攻めで気力を削がれるとともに眠気を誘われた。もうボロボロである。

 ふと後ろを振り向けば、サンデーが教室の後ろのロッカーの上に寝そべって眠っていた。羨ましい。俺もそうしたい。

 

「じゃあお化け屋敷の内容を考えてこー」

 

 自習の時間を利用して文化祭の計画を進めることになったらしく、いろいろあって仕切り役になった山田がチョークで黒板に書き出している。ちなみに担任は寝てる。おじいちゃんなので体力がない。

 

「なんかいい案ある人いるー?」

 

 一年の時は大して意見を挙げることがなく、それでも普通に面白いお化け屋敷になったので俺は黙ったままでも大丈夫そうだ。

 ようやく休める。

 引くほどガチ寝すれば誰も起こそうとは思わないだろう。眠ろう。

 

「はいはーい! 秋川君に頼んで中央のウマ娘さんに来てもらって、接客とか呼び込みをしてもらったら売り上げ最強だと思いますー!」

 

 お、なんだ、いっちょまえに頼るのか。その意気やよし。

 高校生が他校の文化祭を手伝うわけないだろアホか。そもそも来ない……寂しい……。

 

「だってさ。秋川できる?」

「無理」

「だよね。結局バイト先が一緒なだけだし。呼び込みの方法は後で考えるとして、具体的な驚かし方を先に考えよう」

 

 山田が引っ張らず話題を切り替えてくれて助かった。みんなが期待した眼差しでこっちを見ていたので。

 

「じゃあまずは──あれ?」

 

 後は寝るだけ、と瞼を閉じようとしたその瞬間に()()は起きた。

 

「チョークどこだろう……あぁ、あったあった」

 

 教室内の誰も気づいておらず、山田自身も一瞬すぎて何も違和感を抱いていないが、度重なるサンデーとのユナイトが影響で平時から動体視力が人間のそれを超越してしまっている俺には見えた。

 消えた。

 山田の手からチョークが消滅した。

 しっかりとその手に握っていた白いチョークが、まさしく瞬間移動してその場から消え失せたのだ。あまりにも一瞬の出来事すぎて、山田は最初から自分はチョークを手に取っていなかったのだと錯覚してしまった。

 

「……あれ? 何であたしの筆箱にチョークが……?」

 

 隣の席の女子である安心沢さんが小さく呟いた。横に目を向けてみると、彼女の筆記用具入れの中に、先ほど山田が握っていた短い白チョークがブチ込まれていた。

 明らかに覚えがない風の言い回しから、彼女が自分でそれを入れたわけではない事は確定的。

 てことは山田が持っていたチョークが彼女の筆箱の中に瞬間移動したという事だが──

 

「怪異の仕業」

 

 サンデーが耳元で囁いた。ですよね。ていうか耳元で小さい声出すのやめてゾクっとするので。ホッ♡少しばかりイグッ♡ テメェもイけよ!記念だぞ!

 辟易する。

 こんなところに現れる怪異もそうだが、何よりこういった超常現象染みた不可思議な状況を冷静に分析してしまっている自分がなんとなく嫌だ。

 

「耳、甘噛みしていい?」

 

 ダメに決まってんだろ帰ってからにしてね。

 

「はむっ」

 

 お前さ。

 美しく艶めかしい甘噛み……素敵ですよ♡ 下品なメス! 

 極論、高校に怪異が出現したこと自体は問題じゃない。

 奴らはこの世に存在する普遍の摂理であり、いつどこで現れようと不思議ではなく、以前の夏祭りの時のようなスーパー激強ド派手な広範囲攻撃持ち怪異は万分の一の例外であって、小物を別の場所に瞬間移動させる程度の怪異が出てこようがいくらでも対処できる。

 ただ、今回ばかりはタイミングが悪すぎるのだ。

 俺はムラムラでねむねむでイライラしており、サンデーも同様。

 概念の再構築による欲望の増幅とか、少し前に戦ったばかりだとか、何より自分達の精神が極限状態など悪い条件が重なり過ぎている。

 

 本格的に牙を剥く前に撃退したいところだが──

 

「うわっ!? ……な、なに? 制汗剤……?」

 

 今度は教壇に立っていた山田の前にスプレー缶が落ちてきた。恐らくクラス内の運動部の誰かのカバンから移動したのだろう。

 

「もうー、誰だよコレ投げたの? ふざけてる人は顔面白塗りの幽霊役やらせるよー」

「だ、誰も投げてなくね……?」

「急に上から出てきたような……え、なに、こわ……!」

 

 教室がざわつき始めた。流石に目に入る場所で異変が起きれば彼らも黙ってはいられないだろう。

 今のを見て思ったが割と危険な怪異かもしれない。

 規模自体は小さいが、転送される場所によっては普通に怪我をする。

 サンデー、相手の場所の目安はついてるか?

 

「気配や効果範囲からしてたぶん真上」

 

 この教室の真上……理科実験室か。それなら話が早い。さっさと赴いてぶっ飛ばそう。

 席を立つ。

 

「わっ。秋川、どうしたの……?」

「クソ腹痛いからトイレいってくる」

「そ、そう」

 

 教室を飛び出した。

 瞼を鉛のように重くする眠気、下半身を爆裂させてこようとする性欲、それら全てを無視して駆け出す。

 

「わー!? 今度はバケツが!」

「山っちそこ危ないよ! こっち逃げて!」

「わぷっ……え、何これ」

「ギャーッ!? あたしのブラ!!」

「オレもパンツ消えたァッ!」

 

 教室は阿鼻叫喚だ。早くしないと。

 

 

 

 

 怪異は退けた。俺に呪いを押印したカラスとは別個体の、よくわからんどこにでもいそうな黒い影っぽいやつだったが、レース場に連れ出したらビビって逃げたので大事には至らなかった。

 しかし一つだけ問題があった。

 奴の持つ転送能力だ。

 イタチの最後っ屁なのか単なる能力の暴発なのかは定かではないが、現実世界に戻った瞬間に俺自身が転送されてしまった。

 

「──わぶッ!!」

 

 叩かれたような衝撃の後、全身が温かい液体で包まれた。

 ザブン、と自分が落下したらしい水場の水面から顔を出してようやく状況を理解する。

 飛ばされた場所は浴場だ。かなり広い内装を見るに街中の温泉のどこかに突っ込んでしまった可能性が高い。

 

「……どこだろうな、ここ」

「ん、恐らくトレセン学園の大浴場」

 

 呟くと、ユナイトを解除して俺と同様に水浸しもといお湯浸しになったサンデーが風呂から這い出て説明してくれた。

 ここはトレセン学園。

 学園にある大浴場を使用できるのは生徒であるウマ娘のみ。

 つまり俺はオカルト的存在の仕業で不可抗力的に男子禁制の花園に足を踏み入れてしまったわけだが──

 

「……二十三時、ね」

 

 相変わらず特殊空間を経由すると時間が吹っ飛んでしまうようだ。怪異の対処に向かったのは午後の二時過ぎだったのに、もう九時間も経過している。

 女子たちがイチャイチャしている大浴場に突入してあわやラッキースケベ、とはいかないらしい。

 日付が変わる一時間前に共同の浴場を使用するウマ娘などいるはずがなく、偶然にも照明がついたままなだけで大浴場には人っ子一人いなかった。

 

「きゃー、何で秋川くんがここにー……とかもないのか」

「儚い夢」

 

 正直サンデーがトレセンの大浴場だと説明した瞬間は期待した。これから誰か顔見知りが湯浴みに訪れて、事情を察して他の人にバレないよう匿ってくれたりとか、そんなラブコメっぽい展開をそこはかとなく望んでいた。

 現実は残酷だ。ただただ苦労だけして、美味しい展開が一つもなくてとてもかなしい。

 風呂場に転送だぞ。この上なく非日常系ラッキースケベに繋がるシチュエーションだろ。教えはどうなってんだ。

 

「……サンデー、帰ろう」

「うん」

 

 ずぶ濡れのまま歩き始めた。

 この状態で発見された場合のリスクなどはもう頭の中からすっぽ抜けている。

 もう、ひたすらに疲れた。

 食欲も睡眠欲も性欲も限界すぎて逆にもう何もしたくない極限状態に陥っていることが分かる。

 

「……あれ」

 

 気がついた。

 いつの間にか床に突っ伏している。自分が。

 

「あー……」

 

 何だかもう、いい気がする。

 ぶっちゃけここでは誰に見つかってもゲームオーバーというか、奇跡的にやよいが通りがかりでもしない限り俺の人生は終了を迎える。女子校に廊下で倒れている水浸しの男子生徒が『いやコレは怪異っていうオバケのせいで』だとか意味不明なことを宣ったところで、精神的に問題があると断定されて終わりだ。

 だが、起き上がれない。

 やる気が起きない。

 終焉が間近に迫っても焦燥がやって来ない。

 

「どうしよう平八郎って感じだな……」

 

 瞼が自動的に降りていく。

 意識が消えゆく──

 

 

「あっ、ゴールドシップ! こちらですわっ!」

 

 

 

 

 

 

 えへへー♡ みんな大好き♡ 後で三人に告白しようと思う。サンデーはどう思う?

 

「……ん」

 

 どうやら少しだけ睡眠を取ることができたらしい。自分でも驚くほど現状の理解が早い。

 目が覚めた時はベッドの上。

 鼻腔を突く甘ったるい香り。

 俺は女子の部屋と思わしき場所のベッドの上に寝転がっていた。

 死ぬ気でサンデーが運んでくれたのか、それとも通報されて何やかんやあったのか、なんにせよ寒い廊下で放置されることは無かったようだ。

 

「……っ」

 

 目は開けたが体は起こさなかった。

 部屋の中に誰かいる。スマホを見てたおかげで偶然気がつかれなかったらしい。

 

「ん? ……気のせいか」

 

 起きたことはバレなかったようだ。今はもう少し様子を見たい。

 部屋にいたのは芦毛のウマ娘だったが、あの転びそうなところを助けた彼女ではなく、見覚えのない人物だった。

 

「あー、もしもし。んだよマックちゃんおせーぞ、補導でもされたか? ……え、いや確かに水浸しだったけど風邪ひいてるとは限らないんじゃ……あー分かったよお粥も買ってくればいいんじゃね。とにかく早く帰ってきてくれよな」

 

 かわいい♡ 電話を終えた芦毛のウマ娘は軽くため息をつき、俺の方へ歩み寄ってきた。

 

「こいつが秋川葉月、ねぇ……」

 

 割と遠慮なしに頬をペタペタと触ってきた。種付けされたいのか? そこら辺にしておけよセクハラ女がよ。愛すぞ。

 

「マックイーンもそうだし、ウオッカやライスもお熱になってるっつー男子……こんなヤツのどこが良いんだか」

 

 ほっぺつんつんすんな! もう猶予はあらず。

 

「…………おい、オメー起きてんだろ」

 

 何を言っているのか分からない。睡眠してる男の頬を無遠慮につつきやがってド変態野郎め。マリーゴールド。

 

「メジロドーベルだけじゃないぞ。スズカからもお前の話は聞いてる。いや、他の連中も結構話題に挙げてたな。何かちょっとこえーわお前。誰だよ」

 

 なぜ恐れる? なぜ脅威性を感じる? 状況判断が大切だと教えたはずだ。

 俺はメジロドーベル、サイレンススズカ、マンハッタンカフェの三人と友人関係にある男子というだけの存在です。怖がらないで抱きしめて。

 新しい出会いの予感。クソ淫売がよ!

 淫らな夢を見たいから退室してくれる? お前が世話してくれるというのなら話は別だがな。

 

「……狸寝入りを続けるようならオメーのこと職員にバラすぞ、不法侵入者男」

「こっちは人助けして疲労困憊の極限状態なんだよお姉ちゃん。ほっほっほ♡」

「えっ」

「寝かせてね」

「……」

 

 くそ……マジで決壊しそうだ……テメェのせいだぞこのマヌケ! デカ乳揺らしてセクシーだね♡ 寝るからちょっと黙ってろ。

 



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三人のせいでボクの愛情が空っぽに引き抜かれちゃったよ 責任取って

 

 

「ハヅキ……♡ ん、ぎゅー」

 

 フハハ甘えん坊さんめ。恥を知れ。

 ベッドの中で抱き合おうなど言語道断。おおっ…全身柔らか…っ♡ 全身がスレンダーで抱き心地抜群のため交尾以外の使い道皆無。

 

「耳の付け根が弱いよな。ほれ」

「んっ……ハヅキも耳が敏感なはず。ふにふに」

「おーこら、やめ♡」

「やめない♡」

 

 ────あ?

 

「正気か……?」

「……私もたぶん、いま戻った」

 

 なんだ今の。

 

「……怪異の力で転移させられたとき、ワープゲートに残ってた敵の残滓が私たちの身体に纏わりついたのかも。怪異は触るだけでも変な影響が出るから……発散した欲望が少し戻ってきちゃったのかな」

 

 解説ありがとう。教えてくれる度に思うけどキミ怪異のポケモン図鑑みたいだね。俺がトレセンとか秋川家の事情に詳しいようなもんか。

 

 ──さて。

 これまで蓄積されていた鬱憤を夢で発散し、サンデーの温もりを感じてホカホカしてきたところで、そろそろ現状の把握を始めよう。ここ最近延々とムラムラとねむねむでアホアホになっていたので、何となくでしか状況を掴めていない。順序立てて一つずつ振り返っていこう。

 

 まず、怪異とガチバトルした結果身体がボドボドになったサンデーが夢の境界で療養に入り、夏のイベントの際にそこから連れ戻した彼女は『パワーの応用が可能になった反動で基本の三大欲求が増幅しやすい体質』に変わっていた。

 すると当然、怪異と戦う際に彼女と一体化しなければならない俺もその影響を受ける事になる。

 そして、イベントの夜にクソ強怪異と交戦。

 ユナイトした影響で欲望が増幅したわけだが、俺の頭をおかしくさせていた原因は他にもあった。

 

≪ツッキー! 暇っ!?≫

≪一緒にお祭りを回らない?≫

≪今から会えますか≫

 

 ドーベル、サイレンス、マンハッタンによる三択だ。

 今回の夏はあり得ないほどあの三人とラブコメチックな出来事が発生しまくって、本当に自分がラブコメ物語の主人公なのではないかと錯覚してしまうほど濃い数週間だった。

 結局怪異と戦ったせいで彼女たちとの夏は泡沫に消えたわけだが、なんやかんやあって俺との繋がりを求めてくれるようになり、バイト先が一緒になったり高校まで迎えに来てくれるようになったりなど進展もあった──とはいえ。

 怪異とのレースの為にユナイトした俺は性の欲がダイマックスになり、サンデーの夢操作で欲望を発散しようと目論んだのも束の間。

 足に怪我を負って傷ついたドーベルをどうにかし、トレセンで何やら多くの女子に迫られ、高校にまで現れた怪異に対処して──立て続けに事件が舞い込んで俺は困憊とムラムラと睡眠欲で死ぬ直前まで追い詰められてしまっていた。

 

 で、現在に至るわけだ。

 怪異の力で男子禁制のトレセン寮内にある大浴場に吹っ飛ばされ、別にラッキースケベに遭遇するわけでもなく体力が限界を迎えてぶっ倒れた先で何者かに保護され、今こうしてベッドの上に鎮座している。

 溜まりに溜まった欲望は夢を見て解消した。

 とりあえず目下の問題はだいたい解決することが出来たため、残りはこの後の処遇と俺を保護してくれた人物の正体だが──ちょうど戻ってきたようだ。

 

「おっ、ようやく起きたな。朝メシ持ってきたぜ」

 

 現れたのは寝る直前に顔を見たあの芦毛のウマ娘──だったが。

 あり得ない。

 異次元の大きさだ。

 睡眠に入る前は尋常ではない疲弊っぷりだったせいか気がつかなかったようだが、そのウマ娘の胸部にはとんでもない大きさの乳がぶら下がっていた。

 

「……ふぅ」

 

 夢で発散していて助かったという他ない。この通常状態に戻っていなければすぐにでも飛びついていたところだろう。

 なるべく視線を下へ向けず、誠意を表すため目を見ながらの会話を心掛ける。紳士として、男として。ハピネス。

 

「あの……ありがとうございます、助かりました。……倒れてた俺を助けてくれた方、ですよね」

「見つけたのはマックイーンだけどな。あと敬語はいい」

 

 いいわけないだろ初対面だぞ。中央のウマ娘の距離感マジでどうなってんだ。まあ怖いので従うのだが。

 

「……ありがとう。えと、今の状況を教えてくれないか?」

「職員には言ってねーから安心しな。マックイーンのやつが『必ず何か深い理由があるはずですわッ!』て必死だったからよ。あいつには後でちゃんと礼を言っとけよな」

「は、はぁ……」

 

 マックイーンって確かあの華奢な体型の芦毛のウマ娘だったか。庇ってもらえる程親密になった覚えはないのだが──まぁいいか。

 

「ほれ、朝飯のホットドッグ」

 

 どう見ても海鮮丼。

 

「……ありがとう」

 

 本当に何となくだがこの少女相手にあれこれ指摘したら負けな気がする。

 

「食い終わったら乾かしといた制服に着替えて学園の外に出るぞ。ここじゃ落ち着いて話もできないからな」

「わ、わかった」

 

 プルンと揺れる乳に視線を奪われないよう急いで海鮮丼をかっ食らい、周囲を警戒しながら俺たちはトレセンを後にした。ていうか女子のジャージを着てたの俺。良い匂い。公然猥褻。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 彼女に案内されて付近の公園まで避難してきた。

 男子禁制の花園から連れ出してくれた少女の名はゴールドシップというらしい。

 結構なデカ乳ウマ娘だが俺は彼女を知らなかった。ここ最近のリサーチ能力の低さを今一度猛省するべきかもしれない。数ヶ月前はあんなにデカ乳ウマ娘追いに必死だったのに、怪異を言い訳にサボり過ぎていたようだ。

 

「怪異? あぁ、お前アイツらと戦ってんのか」

「えっ」

 

 そして女子校への不法侵入の言い訳にその怪異を使ってみたわけだが、意外にもゴールドシップは呆れたり驚いたりなどの分かりやすいリアクションは取らず平然としていた。好きなタイプでも聞いたら焦ってくれるかな。

 

「ゴールドシップさんは──」

「呼び捨てでいいって」

「……ゴールドシップは奴らの事を知ってるのか」

「視認できるわけじゃないけどな? 気配でなんとなく察知できるってだけだ。トレーニング中に水筒取られたりとかイタズラされてムカついたからワカメぶん回して追い払った事があるぜ」

 

 あいつらワカメで撃退できんのかよ。帰りに買っとこ。

 

「──はぇー……なるほどなぁ。まあお前の事情は大体把握できたわ。そういう事なら……余計にマックイーンと会わせるわけにはいかなくなってきたな」

 

 危険過ぎるからね。しょうがないね。

 というか、そもそも俺と個人的な付き合いがあるウマ娘はドーベルたち三人だけだ。マックイーンという少女とは顔見知りであって友人ではない。会う予定はおろか連絡先すらも知らないのでドーベルを経由しないと俺たちはほぼ他人同士なのだ。

 だからこそトレセンに転移してきた際に彼女が庇ってくれた事実が不思議でならないのだが──

 

「秋川葉月、スマホを出せ」

 

 言われた通りに差し出すとパパッと連絡用アプリの友達登録を済ませてくれた。

 

「ほれ、困った時は連絡しろよ。マックイーンに危害が及びそうな場合のみ手を貸してやるから」

「どうも……」

 

 他の時は助けてくれないのだろうか。

 

「マックちゃんが関係ない場合は……まぁ宝くじの一等くらいの確率で助けるわ」

「限りなくゼロに近い」

「可能性があるだけマシだろ」

「……そっすね」

 

 助けてもらった立場であるため抗議は不可能。とはいえ怪異の対処は極力俺とサンデーの二人だけで行うものなので、食い下がってお願いするほどでもない。

 

「ところでお前、トレセンでの知り合いって誰がいるんだ?」

「知り合い……マックイーンさん以外だとドーベルとサイレンスとマンハッタンさん、あとウオッカちゃんにライスシャワーさん……かな」

 

 あぁ、あとアストンマーチャン。なんか人形くれた子。

 

「えぇ……婚活どころの騒ぎじゃねえぞ。ハーレム志望か? トレセンでギャルゲーでもやるつもりかよ」

 

 んなつもりは微塵も無く。確かに彼女たちの誰かと恋人になったり、全てが上手くいってハーレム状態になったとしたら最高に気持ちいいとは思うが、本気でそれを求めているほど身の程知らずではない。

 彼女たちはエリート街道をまっしぐらに突き進むスーパースターで、俺は普通の男子高校生──その大きな違いを誰よりも痛感しているのはこの俺なのだ。

 世の男子なら誰もが考える『運命的な出会いによる中央のウマ娘とのワンチャン』というものがどれほど天文学的な数字の上でしか成り立たない奇跡中の奇跡であるのかは心の底から理解している。

 故に、結局ハーレムなんぞあり得ないという話なのだ。ゴールドシップさんは安心して下さい。

 

「んじゃな」

「あぁ、ありがとう。ゴールドシップ」

「帰りは後ろに気ぃつけろよ〜」

 

 怖いことを言われつつも意外にあっさりと解放され、中央トレセン転移事件は幕を閉じた。普通に人生最大の危機だったような気もするが、ゴールドシップという事情を察してくれる相手を引き寄せるなどのスーパー運命力のおかげで何とかなって本当によかった。

 転移で高校から消えた件に関しては怪異について察してくれた山田が周囲に上手いこと説明してくれたらしく、早退扱いになっていたので大事には至らなかったので安心だ。あいつには感謝してもし足りない。

 怪異の起こした超常現象が解明されることはなかったものの、道具が転移しまくる様を撮影して激バズリした影響でクラスメイト達はむしろテンションが上がっており、俺が想像していたような悪い結果にはならなかったようだ。

 

 何はともあれ、結果としては最近ずっと抱えていた欲望を発散することが出来てひとまず落ち着いた。

 呪いや怪異の事を考え続けると気疲れするし、現実逃避するわけではないが今はなるべく目先の楽しい事だけ考えて行動しよう。とりあえずは文化祭だ。

 

 

 

 

 トレセンに転移した日のアレの影響で突然サンデーに抱き着きたくなる癖がついてしまい、それに耐えながら数週間が経過して。

 ついに文化祭の当日を迎えた。

 去年と同様の、ごくごく一般的な高校の文化祭になるため、変に気合いが入りすぎる事もなく平和にイベントを楽しむ──はずだったのだが。

 

「みみみみんなマジヤバい校庭見て校庭っ!! なんか中央のウマ娘がめっちゃ来てんだけどッ!?」

「え、待ってあれメジロマックイーンじゃね……? やばい心臓が破裂しそう……っ」

「去年は来てなかったよね? ウチの文化祭に中央の子が来るくらいのビッグイベントなんて無いし……」

 

 見事に中央のウマ娘たちばかりがやって来て──それだけではなく彼女たちが友人を呼ぶことで更に人数が増え『中央トレセンのウマ娘が集まるイベントがやっている』といった噂が各所に広まった結果、普通の高校の文化祭ではあり得ない程の集客が発生してしまっていた。

 何が起こっているのか分からない。

 バイト先のあの三人には、文化祭の準備が忙しいといった愚痴を少しばかり零していたが、当日に来てもらうよう頼んだ覚えは一度もない。

 中央のウマ娘は多忙の身なのだ。直近にレースを控えている少女たちばかりだろうし誘っても無駄だろうから最初から言わなかった。なのにこの集まり様は異常事態すぎて本当に意味が分からない。

 怪異の心配をしてマンハッタンが一瞬だけ様子を見に来てくれるくらいは、まぁ一万分の一くらいの確率でありえるかもしれないと考えていたが、まさかこんなことになるなんて。

 学校が特大のサプライズイベントでも発表したのだろうか。

 

「さ、サンデー……」

「別に怪異の気配は無い。たぶんみんな本当にただ遊びに来ているだけ」

 

 んなわけあるかい。どこにでもある高校の文化祭だぞ。

 

「ハヅキに会いたかったんでしょ。知らないけど」

 

 マジで。俺そんなハーレム主人公みたいなムーブかましたっけ。やったか。夏のイベントの時に二桁くらいの人数のウマ娘を助けたんだったな。顔はうろ覚えでも名前が多少噂になっているとこの前ゴールドシップが独り言で呟いていた。ならばしょうがない。どうやら俺は無敵のスーパー主人公だった──だなんて開き直れるはずもない。

 目的は絶対に俺じゃない。 

 そんな自己肯定感が最強ならこんな人間にはなってないしもっと全力で陽キャを楽しめているはずだ。

 

「あっ、秋川さんっ!」

 

 廊下の奥から声が聞こえた。

 そこにいたのは芦毛かつサイレンスを彷彿とさせるアスリート体型のウマ娘──メジロマックイーンだった。制服姿なのを見るにトレーニング帰りについでで寄ったのかもしれない。

 

「げっ」

 

 その後方から目力だけで人を殺せそうな睨みを利かせるゴールドシップが見えた。このままだと殺されるかもしれない。

 

「秋川お前……メジロマックイーンとも知り合いなのか……?」

「どうなってんだ! 説明しろカス!」

 

 クラスメイトにも殺されるかもしれない。段々と居場所が無くなってきたぜ。テンション上がってきたな。

 

「ご……ご機嫌ようっ! えぇと、お化け屋敷を出店されていると聞きましたので、遊びに参りました! うう受付はこちらかしらっ!?」

「あ、あぁ」

「……おいマックちゃんよ、アタシのこと引きずってまで来たんならもう少しちゃんと話したらどうなんだ。コイツの事す──」

「さぁゴールドシップ! 参りますわよッ!!」

「痛ででっ!!」

 

 文字通り引きずられながらゴールドシップはメジロマックイーンと共にウチの教室の中へ入っていった。そしていつの間にかスマホに『後で話がある』と彼女からメッセージが届いている。今日が俺の命日である可能性が高い。

 というか、メジロマックイーンという少女はもしや俺のことが好きなのだろうか。あの焦り具合は中学時代に好きだった女の子の前で頑張っていたあの頃の俺にそっくりだ。

 今一度自分のカスみたいな自己肯定感を見直すべきなのか?

 もしかして俺って実はモテる男だったりする? 最強じゃん! 来週からは百人ぐらい女子を侍らせながら登校しよっかな~。

 中学時代を想起したらフラれた思い出まで蘇って辛くなってきた。考えるのやめよう。

 

「あ、いた! ウオッカ、こっちの教室よ!」

 

 ダイワスカーレット!!!!??!?!???!!??!?!?!!!!!!!!!!!!!!!???!??! 緊張感をもって注視していく。

 俺はモテるという現実逃避と思考の放棄を並列稼働させていたら、途端にヤバいのが来た。うおっ下品なお乳が揺れすぎです♡ ふざけるのも大概にしておけよ。

 

「わっ、分かってるって……! ──あ、えと、お久しぶりっす。秋川先輩……」

 

 ウオッカちゃんも来ていたのか。先輩呼びをされるのは初めてで最高に興奮するのでどんどん使ってね。

 

「もうっ、ウオッカったら照れすぎ」

「う、うるせー!」

「あの、アタシたちもお化け屋敷に入ってもいいですか?」

「それはもちろん。暗いから足元には気をつけてね」

「──っ! ……は、はい」

「スカーレット……? お前も照れてんじゃねえのか」

「うううっさいわねッ!? ほら早く行くわよッ!」

 

 今は人前かつ平常なので揺れる乳を注視することなくあくまで余裕のある年上のお兄さんとして振舞うと案外うまくいった。てかあの違法建築ウマ娘のことなんて呼べばいいんだろうか。馴れ馴れしく思われない風にいくならダイワさんかな。

 ハーレムはあり得ない可能性の未来として俯瞰できたが、ここでおっぱいダイワスカーレットとの縁を明確に作れる可能性があるのであれば話は別だ。夢にまで見た規格外デカ乳ウマ娘との交流を叶えられるかもしれない。モチベーションが半端ない。

 

「マーちゃんも入っていいですかね」

「えっ? あ、あぁ……どうぞ」

 

 人形くれたおっぱいウマ娘も入っていった。乳が下品だなぁ調子に乗んなよ。招き猫。

 校庭で見つけたウマ娘たちはほんの一部で、もしやもっと多くのウマ娘がこの文化祭に来ているのだろうか。この上なく大繁盛だ。

 この様子だと文化祭が終わったあと余った売上金で焼き肉に行こうというクラスメイト達の目標が、割と余裕で達成できるかもしれない。もし本当に俺に挨拶がしたくて来たウマ娘がいるなら招き猫ならぬ招き葉月を名乗ろうかな。にゃん。

 

「ライスさん。先ほど入手したチラシによれば二年四組の教室──秋川葉月さんの現在地はこちらです。階段を上がる必要は無いかと」

「えっ!? あ、あの、まってブルボンさん……! その、ライスが行ったら迷惑をかけちゃうかも……」

「そんな事はありません。さあ行きましょう」

「ひゃわわわ……っ!」

 

 あれ『おはし』って知らないの? 押さない話さない喋らない。交尾待ちウマ娘さんには分からせねばだな。丁寧に丁寧を重ねた丁寧なお化け屋敷をな。

 おめめグルグルのおむライスや初めて見るおっぱいウマ娘もやって来て、軽く挨拶をして彼女らも入っていった。

 どんどん訪れる。

 なんならウマ娘だけでなく、彼女たちを一目見ておきたいお客さんや生徒までやってきた結果、下の階まで待機列が伸びてしまった。想定以上の集客でクラスのみんなは大慌てだ。

 

「山田。みんな大丈夫か?」

「テンパってるけど意外と平気みたい。受け付けは僕だけで大丈夫だから、秋川はビラ配りしてきてよ。稼ぎ時だぞ~」

「本当にひとりで回せるか……? 俺も──」

「ウザいウザい大丈夫だってば。中央のウマ娘さんたちに話しかけられまくって廊下をギュウギュウにしてる君はむしろ一旦離れた方がいいよ。早くどっか行ってクソハーレム主人公くん」

 

 え~♡ しょうがないなぁ。他ならぬ親友の頼みだからね♡ マナーが人を作る。

 忙しすぎて普段より口が悪くなってきた山田に後押しされて、俺は一旦教室を離れることになった。

 

「スゲェなこの数……」

 

 いつの間にか外まで待機列が出来てる。一応最後尾用の看板を持ってきておいてよかった。

 集客の主な理由は間違いなく中央のウマ娘がいるからだろう。来てくれた彼女たちには感謝してもし足りない。

 いや、そもそも元を辿れば、中央の彼女らと繋がりを持つことが出来たのはあの三人のおかげ──

 

 

「…………あれ?」

 

 

 ──そういえば、どこにもいない。

 最も繋がりが深いウマ娘であるあの三人が中々見当たらない。

 ビラを配りながら校舎をぐるっと一回りしてみたものの、やはりどこにもいない。

 ドーベルと、サイレンスと、マンハッタンの姿が無い。

 もしや来ていないのだろうか。確かに忙しい身ではあるのだろうが、こんなにも中央の生徒たちがここへ集まれているのであれば、トレセン側で何かイベントが発生しているとは考えにくい。

 もちろん暇だとは思わないが。三人ともフィギュア化された超大人気のスーパースターだ。予定が合わない事もあるだろう。

 しかし、メッセージすらも送られてきていない。

 中でもサイレンスはマメに連絡してくれるタイプのはずだが、二日前から何も──

 

「……考え過ぎか」

 

 ビラを配り終わり、自販機で買った紙パックのいちごオレを片手に、校舎裏の人が少ない場所に謎設置してあるベンチに座り込んだ。

 一連の流れで自己肯定感が上がりかけたが、冷静に考えれば期待しすぎる方がおかしいのだ。思い上がりすぎです。

 クソ忙しいはずの彼女たちとの繋がりを当たり前だと思ってはいけない。

 夏のイベントの後、怪異の幻覚の件で強く繋がりを求めてくれたのは確かだが、何を差し置いても俺を優先してくれるという話ではないのだ。

 友達を助けたいという思いが強い、とても優しい少女たち。

 ただそれだけの話だ。俺たちは気の置けない友人であって恋人ではない。俺が主人公で、彼女たち三人はまだルートを選択していないヒロインたち──だなんて考えはあくまで俺の中でのみ存在するただの妄想に過ぎないのだ。

 

「…………大丈夫だよな」

 

 怪異の事が脳裏に過る。

 もう守られるだけの存在にはならない、とマンハッタンは言ってくれた。

 もしかしたら彼女たちが戦ってくれているのかもしれない。

 傷ついてほしくはないが、心のどこかで『そうあってほしい』と考えてしまっているのも確かだ。

 怪異も関係なく、ただここへ来ないという選択肢を取った──もしそうなら、きっと俺は。

 

「いや、待て。キモいな俺……」

 

 流石に少しばかりキモいが過ぎる。偶然仲良くなれただけなのに、俺をまるで友達以上の存在であるかのように思ってくれると考えるなんてキモすぎだろう。

 こういう振る舞いをして嫌われる前に、今度彼女たちと相対した場合にちゃんと距離感を保って接するよう今のうちにシミュレートを──

 

 

「わわッ!?」

「きゃあっ!」

「ひゃぅっ……!」

 

 

 そう考えてベンチから立ち上がって歩き始めた──その瞬間だった。

 突如俺の真上の空間が歪曲し、そこからドーベル・サイレンス・マンハッタンの順で彼女たちが落下してきた。

 そこで、サンデーとのユナイトで上昇した反射神経を用いて、格好よく受け止める事こそできなかったが何とかギリギリ下敷きになることで彼女たちのクッションとしての役割は果たすことができた。

 思考云々の前に肉体が勝手に動いた。

 時空間を飛び越えてやってきた彼女たちに押し潰されながら、そこでようやくドーベルたちが『怪異と戦って特殊フィールドの中から脱出した』のだと察した。

 

「いたた……。──えっ、あっ、ツッキー!?」

「ご、ごめんなさい……ありがとう葉月くん、重くない?」

「私たちが落ちる場所で待っていてくれたのですね……助かりました」

 

 ここにきて運命力がまた力を発揮してくれたようで、俺は彼女たちが戦っている事を察して出口であろう場所で待っていた男になることができたらしい。

 少し体勢を立て直して、ようやく彼女たちの顔を拝むことが出来た。近くで見ると絶世の美女だな……。

 突然の出来事で動けない俺と、戦いの後ということで疲弊して気が抜けている三人。

 右にサイレンス、左にマンハッタンで真ん中にドーベルときてこの状況、お互い制服だしアレなところを鷲掴みするとかそういうわけではないが広義の意味ではラッキースケベだ。

 ただトレセンの大浴場に転移させられるだけでは何も起きなかったが、彼女たちと関わると途端に俺の日常が慌ただしいイベントに早変わりしてしまうようだ。こんなにも幸福なことは無い。

 

「……ごめんな、三人とも」

 

 ついに俺抜きで怪異と戦ってくれた。

 先ほどまで考えていた邪な感情が吹き飛び、少し破けた袖や汗で滲んだ首元に、汚れた脚を見てただただ申し訳ない気持ちと──感謝があった。

 

「ありがとう。ベル、サイレンス、マンハッタンさん……本当にありがとう」

 

 そのまま自然と身体が動き、俺は自分の腕を目一杯に使って彼女たち三人を抱きしめた。舌出せよオラ早く。

 

「わわっ、ツッキー……!?」

「ど、どうしたのかしら……」

「葉月さん、私たちがいない間に何かあったのですか? 一体……」

 

 なんだかんだ言いながら手が自然と俺を抱き返しているよ♪ 下品に下品を重ねたような女たちだな。

 もちろん少女たちに対する性欲云々もゼロではないのだろうが、それよりも何よりも俺は自分が彼女たちの事を()()であるという事実を再認識した。もしかしてコレが恋……? なかよしなつがいになる第一歩だね♡ 相変わらずえっちな体つきだなぁ見下げ果てたよ。フィヨルドの恋人。

 ──本当に安心した。

 連絡が無かったのは特殊フィールド特有の消し飛ぶ時間の中にいたからだと分かってよかったが、怪異となんてもう二度と戦わないでほしい。俺がアイツらを殲滅するので休んでくれ。あらゆる選択肢を排除せずにしっかりと奉仕して参りますよ。

 

「──ぁ、秋川……?」

 

 校舎裏で三人を抱擁して密着している様を山田に発見されたが自分でも驚くほど焦燥感がやってこない。おねーちゃんたちとはつがいだから密着しないと♪ それが真理。刻み込め。

 

「きゅう──」

 

 あまりにも衝撃的な場面だったのか、山田はバタンと気絶した。その間も四人の中に淫臭籠もる。

 

「や、山田さん!? ちょ、葉月くん! 山田さんが倒れ……!」

「あわわどうしようどうしよう」

「お二人とも落ち着いてください。とりあえず一度保健室に運びましょう。……保健室の場所、わからない……」

 

 まぁそう焦るなよ。武勲を急く武士に実りは少ないと言うよ。三人が慌てふためく中、山田を保健室へ一瞬で連れ込みベッドで寝かせ、ついでに救急箱を持ち出して俺は彼女たちと共に人がいない屋上へと移動した。人の心配をする前に自分がどこを怪我したのか葉月先生に教えてください♡ 

 

「ツッキーに見せるの、ちょっと恥ずかしいけど……えと、脇腹に障害物が掠っちゃって。ほら、これ……」

 

 おい少しは躊躇しろッ! 見境のない女だ。

 

 



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占いはよーくみて刻み込んでね

 

 

 

 ある日の夜、風呂上がりの俺とサンデーはジャージ姿でボストンバッグに荷物を詰めていた。

 

「あれ、携帯用の歯ブラシどこにやったかな……」

「この前買った新品のやつなら洗面台の下の棚」

「うーんと……無いんだが」

「綿棒の奥」

「……おっ、あったあった。サンキュ」

 

 見つけた新品の歯ブラシをケースごとバッグにぶち込み、閉めるのが難しくなったパンパンのチャックを気合いで何とか閉め切って準備を終えた。後は寝るだけだ。

 

「ん、ハヅキは荷物が多すぎる」

 

 座布団で胡坐をかいて一息つくと、文句を言いながらサンデーが後ろ向きで俺の胸に倒れ込んできた。マンハッタンと似ている彼女の、分かりやすくあの少女と異なる部分である紅い瞳と同様に、艶やかな漆黒とは異なる淡い白髪から、ふわりと香った甘い匂いが鼻腔をくすぐる。これはマンハッタンが彼女のために持ってきてくれたシャンプーの香りだ。これは子供できたな……。

 

「悪かったって。もしもの時に備えとかないと落ち着かないんだよ」

「心配性すぎ」

「クラスに一人くらいは俺みたいなのがいた方が意外と助かるんだぞ?」

「ふぅん……」

 

 言いながら頭を撫でるとサンデーは目を閉じて静かになった。チョロすぎて怒りを覚えてきた。子供の名前を考えておけ。

 なんかいつの間にかサンデーの距離感が更に近くなっているような気がするのだが、こっちは普通にバチクソ緊張してるし女の子の扱いに慣れたわけでもない。

 まぁ確かに一緒に暮らしている以上互いにいろいろと遠慮が無くなってくるのはしょうがない事だと思うが、それでも一応お互いを好き合って同棲しているわけでもなければ恋人でもなく、呪いを押印された俺が怪異を引き付けて対処することでマンハッタンを守る──そういう利害の一致があったが故にやむなしでこうなっているだけなのだから、もうちょっとこう遠慮をだね。

 

「楽しみ? 修学旅行」

「──まぁ、割と」

 

 うるち米。

 激近距離感できっとおそらく俺をからかっているであろうサンデーにムカついて、反撃するべく横に寝転がって後ろからほっぺを揉み揉みしていると、間近に迫ったイベントについてのコメントを求められたため、ついポロっと本音が漏れ出た。

 

 

 ──文化祭は大成功だった。

 提供商品の数が限られている飲食店と違い、気合いと根性さえあれば無限に続けられるお化け屋敷という形態が功を奏したらしく、ウマ娘たちの宣伝効果で爆発的な集客率を叩き出した俺たちのクラスの売り上げは当然の如く校内で一位だった。

 そして担任に隠れてこっそり売上額を計算したところ──普通にちょっと引いた。中央ウマ娘の集客能力が流石に段違いすぎて、普通の高校の文化祭における一クラスの売上額ではなかったのだ。

 そんなこんなで打ち上げも余裕で成功し、還元される分のお金でクラスの備品が新しくなったり部活連中用の洗濯機が購入されたりなど、高校に著しく貢献した俺たち二年四組の絆はより深いものになっていった。

 中央のウマ娘云々で俺に恨めしい視線を送っていたクラスメイトも、終わってみれば『サンキュー秋川愛してる!』といった風に和解できたため、文字通り万事解決の大団円だ。

 

 そして文化祭が終わった後の二年生のイベントといえば修学旅行。

 明日からそれがようやく始まる──なのでこうして大急ぎで荷物を準備していた、というわけだ。

 

「で、お前はどうすんだ?」

 

 部屋に布団を敷きながらそう聞くと、先に敷いた布団の上で女の子座りして呆けているサンデーが首を傾げた。油断しすぎじゃない? どうやら種付けをされたいらしい。

 

「どうするって、なに」

「いやほら……俺がいない間、やっぱりサンデーはマンハッタンさんのとこに帰るのかなと」

 

 あの三人で戦えるようになったとはいえ、サンデーもそこにいた方が心強い事には変わりない。

 それに俺と一緒に出掛けたら一時的にマンハッタンと遠く離れることになる。基本の行動目的がマンハッタンを守ることである彼女はこのまま残る方が自然だ。

 

「ついてく」

 

 あら。もしかして俺のこと好きになった? イクぞ!イクぞ!我が物とするぞ!

 

「ウマ娘三人で怪異に対処できるあの子たちより、私無しで一人になるハヅキの方が危険なのは自明の理」

「それは……まぁ、確かに」

 

 否定できなかった。度重なるユナイトで素の身体能力が多少向上しているとはいえ、トップアスリートである彼女たちと違って俺が一般人であることに変わりはない。

 

「でもいいのか?」

「カフェはもう一人じゃない。……それに、ハヅキも少しは自分が楽しむことを考えた方がいい。せっかくの修学旅行なんだし」

 

 慈愛の権化。こんな優しい少女に支えてもらえるなんて感慨深いぜ。無様にイけ。

 

「サンデー…………」

「なに、近づかないで」

「いつも優しいきみにお礼がしたい。耳かきなんてどうかしら」

「え。──わひゃっ」

「ほれ膝枕するから大人しくしろ」

「あぅ……」

 

 そんなこんなで彼女を労わりつつ夜も更け、ついに修学旅行の当日を迎えた。

 

 

 

 

 

「秋川ポッキーいる?」

「さんきゅ」

 

 新幹線内にて。

 あの時気絶した山田はショックがデカすぎてその時の事を忘れてしまったらしく、俺たちは変わらない距離感で接している。冷静にあの場面を見られてはいけない相手ナンバーワンだったので、これからは気をつけないと。

 

「京都に着いたらどうしようね。観光名所はあらかた調べたけど」

「自由時間めっちゃ長いし適当にのんびり回ろうぜ」

「おーい、男子たちもババ抜きやろ」

 

 クラスメイトたちとダラダラ移動時間を過ごす──何でもないこの時間がとても楽しい。これぞ修学旅行の醍醐味だ。楽しい時間というのはあっという間に過ぎるもので、気がつけば目的の駅に到着していた。

 改めて自由時間になり、まずは適当に神社でも回ろうという話になった。

 これを機に仲を深めたい男女や、それを応援する生徒、バカ騒ぎする男子や計画通りに進む女子などそれぞれ散り散りになっていき──いつの間にか山田と二人きりになっていた。これじゃいつもとあんまり変わらん。

 

「ねぇねぇ秋川、あそこのテントで占いやってるみたいだよ。やってこ」

 

 占いにはさほど興味はないのだが、断る理由もないため中へ入った。

 待っていたのは丸い水晶で怪しげな雰囲気を醸し出している人と、壁に突っ立ってるのがもう一人。二人ともローブで姿を隠しているため外見の情報が一切なく、あまりにも胡散臭いがこういうのを楽しむのも旅行ならではかもしれない。

 というわけで席に座ると、占いの料金が無料である事を知った。なんで店を出しているのだろうか。

 

「ん゛~、むむむ……これはこれは」

 

 フードで顔を隠しているが、耳が上に飛び出ているところを見るに彼女はウマ娘だ。

 横を見ると出張営業と書かれた木の板がぶら下がっている。どうやら普段は別の場所で占いをしているらしい。

 

「ふおっ、三通りの未来が視えます……どれを選んでも苦悩が伴うかと……」

「は、はぁ」

「救いはないのですかぁ……?」

 

 横のローブの人から可愛い声が聞こえてきた。てかこいつも耳が見えるからウマ娘だな。何なんだこの店。

 

「あの、三通りの未来って具体的にはどんな?」

「全て超常現象に巻き込まれてしまうようです……一つ目は身体が小さくなり、何故か大阪に強制移動したあとに小柄な芦毛のウマ娘に拾われる可能性が高い……」

 

 具体的すぎて怖くなってきた。もう聞くのやめよう。

 

「残りはいいです」

「えっ。ふ、二つ目は私と……その、ゴニョゴニョ……する未来が視えるのですが……」

「なんて?」

 

 俺が難聴なのではなく聞こえない声量で喋られたがもういい。ダラダラのんびり回るとはいえ、こんな場所に時間をかけている場合ではないのだ。早くアクメしろべらぼうめ!

 

「山田も占ってもらえよ。俺は外で待ってっから」

「ああぁあのあのお待ちくださいっ! 回避手段だけでもお教えしたいのですぅッ!」

「は、はぁ……」

 

 無料なのにこんなに必死でやる意味もよく分からんが一応最後まで聞いておこう。

 

「えぇっとですね、この付近で中央の生徒が撮影会をしているので、一応寄ってみてください。あなたを助ける存在がそこにいるはずです……!」

 

 中央の生徒──まさか中央トレセンのウマ娘の事だろうか。聞いた瞬間山田が驚きでひっくり返っている。かわいい。

 一口に中央の生徒と言っても、俺が名前を知っていてかつ撮影会が開催される程の有名ウマ娘はそう多くない。予言にあった“超常現象”という部分を仮に怪異だとすると、放っておくことも出来ない。

 どちらにせよ行くしかなさそうだ。それに中央の生徒を一目見れるなら山田も嬉しいだろう。

 てなわけで占い屋を後にした俺たちは、SNSの情報を基に撮影現場を探し回り──ようやくそれを見つけた。

 

「むぉっ!? ダーヤマさんではないですか! 奇遇ですねッ!」

「えっ、あっ、デジたんさん……っ!?」

 

 そこには複数のウマ娘と──以前俺が怪異を退けようとした際に、ファンの仲間と遠征に向かっていたらしい山田と同じ車の中にいた、デカいリボンを頭に付けたスレンダーなウマ娘の姿があった。

 そして最も気になったのは、彼女を目の当たりにした瞬間に山田が興奮したファンの顔ではなく、露骨に赤面して緊張した面持ちに変わった事実であった。こいつ絶対にあのデジたんさんとやらの事が好きだな、と一瞬で察することができてしまった。

 まさかとは思うが、あの少女が俺を助けてくれる存在なのだろうか。

 

「あれっ、葉月さん……?」

 

 それからマンハッタンもいた♡ とりあえず一緒に路地裏まで来てベロチューするので。油断していたなマヌケが。

 

 




【ちょっとだけ登場人物まとめ】


メジロドーベル:一人目。いろいろあって恋に恋する状態に最近変化が訪れた。弱点は壁ドン。

サイレンススズカ:二人目。バイト中にこっそり手を握ろうとして毎回失敗してる。弱点は壁ドン。

マンハッタンカフェ:三人目。新しく買ったコーヒーメーカーをとある住所に送り付ける予定。弱点は壁ドン。


ウオッカ:バイクの後ろに乗せてとお願いする練習をしている。

ライスシャワー:福引で当たったテーマパークのペアチケットを眺めて一人でう~う~言ってる。

メジロマックイーン:同上。

アストンマーチャン:新しい人形を作った。今度また会ったら渡す。

ゴールドシップ:最近ドロップキックの練習が捗ってきた。本番のタイミングを見計らっている。

デジたんさん:同志の隣の男子、どこかで見た事があるような……。

秋川やよい:いとこ。以前ペアマグカップを買ったのでそろそろ持っていく。来週には合鍵も貰うためここ数日間ずっとテンションが高い。

駿川たづな:高校生男子の心理に関する本を買った。あと忙しくなってきたのでとある人物に連絡を入れた。

ホッコータルマエ:ダート適性のウマ娘。数ヵ月前なぜか芝で走り、サイレンススズカに敗れた。

まだ見ぬ強敵たち:一応縁はできてる。


 -


山田:デブ。親友が有名になってきてちょっと鼻が高い。なんか忘れてる気がする。

樫本先輩:未登場。とある人に呼ばれたためそろそろ中央に戻る予定。

お友だち(サンデー):サイドキック。

秋川葉月:主人公。壁ドンするやつは常識的にあり得ないと思っているので二度とやらない。



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見上げやがって アグネスデジタルの分際でよ

 

 

 

「なぁ、ダーヤマってあだ名なのか?」

 

 現在俺たちは京都にあるレース場の付近で撮影会をしているウマ娘たちを眺めながら、ベンチに座ってお豆腐ソフトに舌鼓を打っている。お゛っ♡ うま。

 普段は訪れない土地で行われる特別な撮影会を生で見学する──こういう修学旅行もまぁ悪くない。

 ちなみに山田はもう三つ目を完食しそうな勢いだ。緊張しすぎて食べる速度が明らかにバグってしまっているらしい。

 

「えぇと……SNS上での名前だよ。デジたんさんもそう」

「本名は?」

「一応お互いに知っちゃってる。何せ向こうは撮影会のスケジュールが組まれる程の有名なウマ娘だし、中央の生徒だし……僕のダーヤマも普通に山田ってわかるもん」

 

 聞きながらスマホで試しに“デジたん”検索をするとヒットした。

 どうやらあの少女の名はアグネスデジタルと言うらしい。

 確かに優秀な成績を残しているウマ娘だが、なぜ山田はそんな相手と繋がりを持っているのだろうか。

 

「一年前だったかな……以前からネット上では知り合いだったんだけど、オフ会をやる事になって──そこで正体を知ったんだ」

 

 お、自然と口角が吊り上がってる。好きな子の話をすると楽しくなってしまうのだな。変態め。

 

「ふおおおおぉぉッ!! お二人とも素晴らしいですッ! ありがとうございますありがとうございますぅぅぅぅッ!!」

「ほらカフェ、もっと寄りたまえよ~」

「冗談はやめてください……」

 

 アグネスデジタルの正体は優秀な中央のウマ娘……のはずだが、彼女は現在写真を撮られているのではなく自分がカメラを持って他のウマ娘を撮影してしまっている。あいつカメラマン側なのだろうか。

 

「スゲェなあの子」

「ふふ……デジたんさんのウマ娘愛には敵わないよ。中央の生徒を間近で観察するために入学までしちゃうんだから」

 

 それはもうオタクというより変態と呼んだ方がいい気がするのだがここは黙っておこう。親友の想い人に文句を言う男にはなりたくない。

 そのまま二人の馴れ初めを聞きながら時間を潰していると、いつの間にか陽が落ち始めていた。そろそろ一旦ホテルに戻らなければならない。

 

「ほら山田。撮影もひと段落済んだみたいだし、あのファンサに紛れて少し話してこいよ。俺はここで待ってっから」

「えっ? ……う、うん!」

 

 通行人に握手を求められているアグネスデジタルのもとへ駆け寄っていく山田を見送り、スマホで帰りのバスを検索した。目的のホテルに戻るのであればあと十分ほどだ。二人が軽く話すには丁度いい時間だろう。

 

「──やぁやぁキミが秋川葉月君だねぇ!? ちょっとカフェの事で色々と質問したいことがあるのだが!」

「うおっ」

 

 なんか来た。ふわふわな栗毛のショートヘアが特徴的な白衣のウマ娘だ。どっかで見た事がある。

 ……ドーベルより少し大きいくらいだろうか。生意気な女だ。

 

「むっ? キミはカフェのような体型の女性が好みだと予想していたのだが……ふぅむ、判断材料が不足しているな」

「あ、いやっ、あの……」

「ふふふ、実のところはどうなのかな。私の胸部を凝視してどういった感想を抱いたのか言ってみてくれたまえよ。……なに、カフェには言わないさ。こう見えても口は堅いほうでね。プライバシーの漏洩に繋がるような発言は慎むとも」

 

 物凄く一方的に喋られている。もちろん無意識に乳をガン見してしまった俺が十割悪いのは当然だが、せめて自己紹介くらいはしてくれないとこちらも自然と身構えてしまうというものだ。

 マンハッタンと同じくらいの年齢に見えるし敬語は不要だろうか。

 

「あの、変なとこ見てゴメン。……きみは?」

「おっと名乗るのが遅れたね、コレは失敬。──私はアグネスタキオン。今はカフェのサポーターとでも思ってくれればいい」

 

 マンハッタンカフェのサポーター……あぁ、俺がカラスにチケットを奪われた時、そういえばマンハッタンの近くで慌ててたウマ娘がいたな。あの少女だったか。

 

「で、どうなのかな。私の胸を見た感想は」

「いや本当にごめんそういうつもりじゃなかったんだ、マジでごめんなさい……っ!」

「おいおい、落ち着きたまえ、別に謝ってほしいわけではないのだよ。ただ君の意見が欲しくて……あ、なんならもう一度見てみてはどうかな? 新鮮かつ正確な答えが欲しいところなんだ」

「うわっ、ちょ、ちょっと待って……!」

 

 服の上からとはいえおっぱいを見ていいとか正気かこの女。うほぉ~たまんねぇ。マンハッタンのサポーターとかいうほぼ他人と言ってもいい関係性の相手にこうも簡単にありつけるとはな。漁夫の利。

 

「──タキオンさん」

 

 ベンチの上で迫られ慌てふためいていると、彼女の後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。

 途端に汗を滲ませたアグネスタキオンが振り返る。

 そこにいたのは俺の友人こと、マンハッタンカフェ本人であった。ママにしたい。淫乱なママに。

 

「あなたの分の飲み物を取りにいっている間に、なにやら楽しそうな事をしてますね。私も混ぜていただけませんか」

「い、いや、待ってくれカフェ。私は今簡単な意見調査を実施していただけ──ァひンッ!?♡」

 

 現れた漆黒の少女は栗毛の変人の尻尾を掴み、脱力した彼女をそのまま待機しているバスの方へと引きずっていく。

 そしてスマホがメッセージを着信した。送信主は目と鼻の先にいる友人からだ。

 

《すみませんでした葉月さん 彼女には自重するよう強く言って聞かせますので》

《いや俺のほうに非があったんだ》

《葉月さんが考えているほど深刻ではないと思います タキオンさんに関しては気になさらないでください》

 

 マンハッタン、何となくあのアグネスタキオンという少女に対しては少しばかり厳しい気がする。彼女は優しい性格のはずだが、それでも看過できないほど相性が悪いのだろうか。それともアグネスタキオン本人に何か問題があったりするのか。普通にサポーターを名乗っていたが──とにかく胸の事に関しては後でもう一度謝っておこう。

 それから少し経って山田も戻ってきた。特に別れを惜しむ様子はなく、今夜にでも連絡を取り合ったりするのかもしれない。俺を差し置いて青春しやがってふざけるな。こっちは変人に絡まれただけですよホント♡

 

 

 

 

 夜。ホテルの外にある公園で皆がはしゃぐ中、喉が渇いた俺は一人でコンビニまで来ていた。

 少し距離があったし、もう一度来るのが絶妙に面倒くさくなる位置だ。山田たちの分のお菓子も適当に買い漁ってから帰ろうか──そう考えながらなんとなく雑誌コーナーに立ち寄ると、見覚えのある人物が立っていた。

 

「……アグネスデジタルさん?」

「ひょわっ!」

 

 俺を見て驚いた彼女が読んでいたのは、人気ウマ娘のあれこれを特集したウマ談という週刊誌だ。俺も爆乳ウマ娘リサーチのためによく読む。最近はメディア出演が増えてきたメイショウドトウが特に熱い。ぶち込みたくてたまらないんだよね。

 

「あ、あなたは……ダーヤマさんのご友人の……?」

「顔を覚えてくれてたのか。秋川葉月って言うんだ、よろしく」

「えぇはい! こちらこそ名前を知って頂けていて光栄です!」

 

 実に礼儀正しい子だ。根が真面目な山田が好きになるのも頷ける。

 

「立ち読み?」

「あっ、これはもう買ったやつです。どうしてもすぐ読みたくなってしまって……えへへ」

 

 え……めっちゃ可愛いんだが近くで見ると。

 

「秋川さんは修学旅行中なのですよね? ダーヤマさんに聞きました」

「あぁ、ちょっと買い出しでここまで。アグネスさんは……あ、撮影会か」

「はい! 明日レース風景を撮影したらトレセンに戻る予定です! いやはや、ウマ娘ちゃんたちのあんな姿やこんな姿を見られる撮影会に参加できただけでなく、出先でお友だちにも会えるとは僥倖でした……」

 

 会えた事自体を喜ぶ辺り、彼女から見た山田の好感度もそこそこ高そうで安心した。

 あいつはウマ娘に対して『触れない・求めない・遮らない』という鉄則を掲げていたが、百兆分の一の確率でもしあり得るなら中央のウマ娘と──そういつか語っていたアイツの夢も、アグネスデジタルを見ていると案外ありえる未来なのではないかと思えてきた。

 それにしても、先ほどの“ウマ娘ちゃんたち”という主語デカめな呼び方が気になる。推しに会えたとは言わない辺り──そうか、あれだ。

 

「もしかしてアグネスさん、箱推し?」

「あ、はい。もう全てのウマ娘ちゃんを愛し応援する所存ですとも」

 

 なるほど。これは山田が好きになるわけだ。

 俺ですら山田の熱に対してちょっと引くときがあるのに、あのバイト先の三人を推す山田よりも更に熱い想いで中央全体を推している彼女が、山田の憧れの人になるのに違和感はない。ましてや異性となればその感情は恋慕になって当然だ。まっすぐにアグネスデジタルを想えるあいつがちょっと羨ましくなってきた。もう遅い。のろまめが。

 

「──おや?」

「げっ……雨降ってきたな」

 

 軽く挨拶をしてそのまま出ていくはずが、突然のどしゃ降りで足止めをくらってしまった。スマホの天気予報が晴れのままな辺り、本当にただめっちゃ強い通り雨みたいだ。

 であれば待つのが定石。ほんの十数分程度ですぐ止むに違いない。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 ──全然止まない。もう三十分以上足止めをくらっている。

 そろそろ生徒は全員ホテルの中へ戻る時間になってしまうし、点呼に間に合わないと先生から雷が落ちる。

 背に腹は代えられない。コンビニのクソ高い傘を買って帰らなくては。状況判断が大切だ。

 

「はい、もしもし。……あ、え、えと、コンビニに居たら雨に降られてしまって……いぃいえっ! 大丈夫です! すぐに戻りますのでっ!」

 

 傘を買っている間にアグネスが電話をしていたらしく、なにやら慌てている。

 

「戻ってこいって?」

「あ、はい……ですが大人の方々に迷惑をかけるわけにはいきませんし……アタシも傘を──あっ」

「ごめん、俺ので売り切れだ……」

 

 非常にタイミングが悪かった。このコンビニに置いてある傘は俺が買ったものが最後の一本だ。

 忘れ物の傘も無く、また在庫も切らしているらしく正真正銘この傘一本しかない。

 

「あはは、お気になさらず。あの、アタシなら大丈夫です! ウマ娘なので走ったらびゅーんとひとっ飛びですし!」

 

 そういう問題ではない。小雨ならともかく今降っている雨の強さは相当なものだ。どれだけ速く走っても全身がびしょ濡れマックスになるのは想像に難くない。

 ここは男の見せ所だろう。俺が山田ならきっとこうするだろうし、彼女を濡らして俺だけ安全に帰ったらあいつに顔向けできなくなる。

 

「──宿泊先まで送るよ。アグネスさん、明日はレースの撮影もあるんだろ。体調を崩したらマズい」

「えっ。……で、ですが」

「お互いに急ぎだししょうがないって。ほら、行こう」

「あ、は、はい……」

 

 好きでもない男と相合傘なぞ鳥肌が立つだろう。しかしこの場合はマジで致し方ないのだ。あとで電話で山田に愚痴って発散してくれ。

 というわけで二人で傘を使いながらコンビニを後にした。バシャバシャと雨音が傘を叩くたびに不安な気持ちが湧いてくる。果たして自由時間の終わりまでに間に合うだろうか。

 まるでバケツをひっくり返したかのような大雨の中、お互い大変ですね、などと空っぽな会話をしながら進んでいく。

 京都にやってきたウマ娘の宿泊先はウチのホテルからすぐ近くの場所にあるらしく、やはり二人で傘を使って正解だった。

 アグネスデジタルが心配なのはもちろんだが、彼女に傘を渡して帰った結果俺が風邪をひくのも避けたかったのだ。普段からワケのわからん化け物と戦っているのだし、修学旅行くらいは頭を空っぽにして楽しみたい思いがあった。

 だからコレはウィンウィンな判断のはずだ。あとで山田にもちゃんと言っておこう。

 

「……あの、秋川さん。肩……」

「ん? ……あぁ、気にしなくていいよ。全然寒くないし」

 

 傘は彼女の方に寄せ続けており、傘からはみ出て濡れている肩が少々寒くなってきた辺りで話しかけられたが、こういうのは男子の役割なので任せてほしい。俺はこの程度だが山田ならきっと傘を十割アグネスのほうに傾けていたはずだ。今の俺は山田の代わりなのでこの少女の事は絶対に濡らさないと決めている。

 

「……実はアタシ、以前から秋川さんの顔に見覚えがある気がするんです」

 

 濡れた肩に気がついたアグネスは少しだけ距離を詰めながら、ポツリと呟いた。

 

「同志の方々と遠征に行ったとき、移動中の車の上に何かが降りたことには気づいていました。なんとなく悪い予感もしていて……でも雰囲気を壊しちゃいけないと思って黙ってました」

 

 急に語り始めたが彼女の中ではシリアスなシーンに突入しているのだろうか。そんなに知らない男子と相合傘するのキツイ? 俺の方が泣きそうだよ美人な女め。

 

「その時、バイクが車に近づいてきて──黒い小動物みたいなのを掴んだ後、消えました。……それから皆さんが夏祭りの時に見た悪夢から助けてくれたっていう人が乗っているバイクと、あの時見たソレが全く一緒で、ヘルメットから見えた目元も──あ、あのっ」

 

 彼女がこちらを向いた。何を隠そうそれの正体は俺なわけだがどう説明したものか。そもそも説明する必要はあるのだろうか。怪異の事なんてあまり話さないほうがいい気がする。

 

「もしかしてあなたは」

 

 ──その時、明らかにスピードを出し過ぎているトラックが道路を駆け、そのタイヤが勢いよく水たまりを踏んだ。

 

「きゃっ!」

「あぶねっ!」

 

 咄嗟に彼女を抱きしめて庇った。おっおおおお全身柔らかッ♡

 間に合ったが、それと引き換えに俺の背中はびしょ濡れだ。終わった。

 

「あ、秋川さん……」

「濡れてないか、アグネスさん」

「……は、はい。おかげさまで……」

 

 よかった。危うく彼女と山田の二人に土下座しなければならない案件に突入するとこだった。俺でなければだがな。

 とりあえず『気にしないでいい』の一点張りで俺の背中に対する言及はさせず、さっさと目的地へ向かって歩を進めると意外に早く到着した。スマホを見ると、外出禁止の時間まではあと五分ある。どうやらギリギリで間に合ったようだ。

 

「じゃ、俺はここで」

「た、助かりました! 本当にありがとうございます!」

 

 大袈裟な感謝だが気持ちが良いのでよしとする。

 そのまま手を振って別れようとしたのも束の間。

 いつの間にか目の前に駆け寄ってきていたアグネスが上目遣いで俺のことを覗き込んできた。うあぁ美人過ぎて制御不能だよぉ!

 

「……あの、今度からはデジタルって呼んでくださってかまわないので……」

 

 上目遣いがバチクソに可愛いプラス男子を勘違いさせてもおかしくない発言で逆にマイナスポイントが入った。いや~一目見たときから一目惚れだったんですよ。ムッツリ女っぽくて。あんまイライラさせんなし。

 

「でっ、では!」

 

 とててとホテルの中へ戻っていくアグネスデジタルを見送り、俺も自分の部屋へと戻っていった。ちなみに背中がびしょ濡れな事は山田が心配してくれた。お前♡

 

 



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親友ばっかズルくない? 順番こな

 

 

 雨で冷えた体をシャワーで温めると、すぐ夕食の時間になった。

 暖色の明かりが広がるホテルの大広間に移動し、バイキングで肉類の料理ばかり取って席へ戻ると、山田が椅子ごとひっくり返っていた。愉快な男だ。

 

「どうした?」

「……ウマッターを見てたんだけど……雨の影響で撮影が一日延びたから、中央のウマ娘さんたちも明日観光するんだって……」

「ほーん」

 

 特に気にする事もなく隣に座ると、山田が持ってきた飯の量に驚愕した。軽く俺の五倍は持ってきている。一人でバイキングの食い物を枯らすつもりなのだろうか。いやしんぼさんめ♡

 というかひっくり返るほどの内容だっただろうか。ウマ娘たちが遊ぶから何なんだ、という話だ。

 

「そ、その、デジたんさんが行く予定の場所が……僕らの見学コースと被ってて……マンハッタンカフェさんたちなんかも来られるらしく……」

 

 いそいそと体勢を立て直し、ばくばくモグモグとご飯たちをかっ食らいながら動揺した面持ちで語る。

 あの俺とアグネスデジタルが直撃をくらった夕方の雨で予定が変更になり、山田と回る予定の場所で彼女と会える可能性が出てきたとあれば、それは偶然ではなく運命だ。どうやら恋のキューピッドになるときが来たようだな。

 

「ラッキーじゃね。せっかくだし街で見つけたらアタックしようぜ」

「んうぇっ!?」

「俺も協力するから。中央のエリートウマ娘にこんな合法的に近づける機会、中々無いだろ」

「で、で、でもぉ……」

 

 迷いがある様子──しかしこれを逃しては勿体ない。

 確かに告白したら友達や同志という関係性をそのまま継続することは難しくなるかもしれない。それでも好きなら指をくわえて待っている場合じゃないだろう。恋はいつだってダービーなのだ。向こうには優秀かつ身近なトレーナーという、真っ向から対立するには強すぎる相手がいるのだし、それと比べられる前に自分の虜にしなければゲームオーバーだ。──などと一度フラれた男が申しております。俺の無念を晴らしてくれ。

 

「あっ。そういえば外でさっきデジタルさんと会ったぞ」

 

 その言葉を聞いた瞬間また山田がひっくり返った。持ちネタ?

 

「なっ、ぁ、えっ……?」

「マジでちょっと話しただけなんだけどな。予想通り会話は全然弾まなかったわ」

「そ、そうなの……」

 

 俺と彼女が交わしたのは前半の内容空っぽな会話と、後半のデジタルによるシリアスっぽい語りだけで、よく考えたら会話という会話はしていない。

 山田の友人という事を考慮して、多少近い距離感での呼び方はしていいよという事でデジタル呼びは許可されたが、俺自身はとても彼女の友人と言えるような関係性には至っていないのだ。

 

「だからこそだよ山田。デジタルさんはお前となら楽しく会話できるだろ? 俺のカスみたいな対応がギャップになって、よりお前が魅力的に映ると思うんだよな。やっぱりダーヤマさんは違うなってさ」

「た、確かに会話の為の持ちネタはそこそこあるけど、でも──」

「自信持てって。お前ってお前自身が考えてる以上に良いヤツなんだぜ。俺もクラスのみんなもそこら辺は分かってる」

 

 恋に悩んで自己肯定感が低くなりがちな相手に対しては過剰に褒めるくらいが丁度いい。実際こいつが良いヤツなのは事実だし、明日うまくエスコートができればデジタルといえど山田にそれっぽい感情が生まれるはずだ。普段からイベントで交流してる相手と修学旅行で向かった先でも偶然出会ったら運命を感じずにはいられないだろう。式場は任せてね。

 

「……うん、ありがとう秋川。僕、ちょっと頑張ってみる……っ!」

 

 いい調子だ。俺も彼をサポートするためにデートスポット等を下調べしておこう。い、いよいよなのね……っ♡

 

 

 

 

 ──などと意気込んだその翌日。

 

「見て秋川、デカい木彫りの男性器が飾ってあるよ」

 

 そろそろ午後のおやつ時に差し掛かろうとしている時間帯に、俺たちは()()()人気のない地味な神社を巡っていた。

 

「立て看板もある。普通に結構神聖なものみたいだね。えーと……お、子宝に恵まれるとかも書いてある」

「……そりゃスゲェな」

 

 事の顛末は……いや、まぁ、実に簡単なことなのだが。

 ──山田がアグネスデジタルに会おうとしなかった。

 ただ本当にそれだけのことだ。

 

 事件が起きたのは午前中、俺たちが出発してから一時間後くらいの時だった。

 マンハッタンカフェのウマスタにとある写真が投稿された。

 それはアカウント主である彼女と、サポーターであるアグネスタキオン──そしてアグネスデジタルの三人で、仲良く食べ歩きをしている写真であった。イチャイチャを永久に繰り返して永久凍土ツンドラのその向こう……百万人の子供たちが!

 そのウマ娘三人で仲睦まじく旅行を謳歌する写真を目の当たりにして山田はこう言った。

 

『鉄則……触れない・求めない・遮らない。ウマ娘さんたちが楽しく尊い日常を過ごされている所に僕なんかが割り込むなんて言語道断だ……僕は推しの邪魔にはなりたくない!』

 

 と言って今日の予定を全て破棄してしまった。写真やウマッターの呟きから彼女たちの現在地を割り出せば会いに行けるものを、鉄の掟があるからの一点張りで中断してしまったのだ。

 ……何とも言えない。

 俺としては普通に自分の青春を優先すればいいと思うのだが、彼には彼なりにファンとしての守るべき矜持があるらしく、そこを打ち砕いてまでアグネスデジタルの前に連れ出すほどの説得力のある言葉を俺は持ち合わせていなかった。ゆえにこうなっている。何が悲しくて恋路に盛り上がっていた翌日に男二人で子宝に恵まれる神社を観光しなきゃならんのだ。お前俺と結婚する気か?

 

「なになに……おっ、秋川。(しも)の病にご加護在り、だって」

「え、マジ? 珍棒無敵バリアじゃん。賽銭投げようぜ」

 

 まぁ楽しいから別にいいか。むしろやるべき事が無くなって安心した気持ちで残りの時間を楽しめるというものだ。

 

「僕は五円玉にしとこうかな」

「なら俺は五十円だ。これで効力は十倍……更に追加効果でバリアが五重に重なるぜ! ターンエンドだ」

「いいよターン回さなくて」

 

 くだらないやり取りをしながら賽銭をぶち込み、俺たちはその神社を後にした。無敵バリアはもちろんだが子宝に恵まれる効力も楽しみだ。三人くらい欲しい。

 

「じー……」

 

 横に並んだサンデーがジッとこっちを見ている。なんだよどうした。

 

「ハヅキは最初男の子と女の子、どっちがいい」

 

 別にどっちでも変わらず愛すと思うのでどうでもいいかな。

 そんな勘違いを誘発しそうな生意気すぎる質問をしてるとまず先にお前を愛すぞ? 名前を考えておけ。

 

「……」

 

 ちょっとだけ頬が赤くなったサンデーにポコッと軽く叩かれた。冗談だって。友達と修学旅行を満喫しててテンション上がってるんだわ。ゆるして。嫁の作法を徹底的にたたき込む必要がありそうだ。

 

 ──少し経って大通りに出た。

 お土産屋や軽食に丁度いい店が立ち並んでおり、ベンチもあるためここで少し休憩するのもありかもしれない。

 ご当地限定のウマ娘グッズなどを一通り見終えたあと、ふへぇ僕もう無理ぃ、と歩き疲れた山田を一旦ベンチに残し、付近のウマスタ映えしそうなソフトクリーム屋に並んでみた。山田ならいっぱい食いそうだけど何個買おうかな。

 どうやら味が三つあるようだが──

 

「ん、カフェの気配」

 

 サンデーは何味がいいのかを聞く直前に呟かれた。姿が見えたとかでもなく気配で察知できるってお前マンハッタンのこと好きすぎな。悪辣な女め。俺以外の男にそういうとこは見せないでね。

 仮に彼女が近くに居るとしたら、彼女の分も買って持っていったほうがいいのだろうかと考えたが、山田の鉄の掟を考慮するなら、たとえ俺でも彼女たちの邪魔をしてはいけないような気もする。

 とりあえず辺りを見渡してみると、俺の後ろに見覚えのある人物が並んでいる事に気がついた。

 

「むっ? ──おやおや、秋川葉月君じゃあないか。奇遇だねぇ」

「君は確か……サポーターさん?」

 

 最後尾に並んだのはマンハッタンカフェのサポーターを名乗っていたあの白衣のウマ娘の少女こと、アグネスタキオンだった。もうおっぱいは見ない。

 ウマスタの写真の情報から考えれば、彼女はマンハッタンとデジタルの二人と一緒に行動しているはずだ。彼女がいるという事はマンハッタンたちもいるのだろう。サンデーのカフェちゃんサーチレーダー凄い。

 まさか自由行動時間の最後辺りでウマ娘たちとコースが被るとは思わなかったが、山田を応援している俺からすればまたとないチャンスに感じる。

 

「んー、確かに私はカフェのサポーターではあるのだが、常にそう呼ばれるのはなんとも……」

「……アグネスさん、でいいかな」

「まぁいいだろう。それより君は今ひとりなのかな」

「連れが一人いるよ」

「ほう。それは今デジタル君とカフェに挟まれてるあそこの彼の事かい?」

「えっ──」

 

 言われて振り返った。山田が座っているベンチの方角を。

 そこには疲れていたはずなのにベンチから立ち上がって焦りながら姿勢を正している山田と、彼に近づいていくデジタルとマンハッタンの姿があった。俺の嫁がいる。

 

「デジタルさん、あそこにいらっしゃるのは……」

「へ? ──あっ、ダーヤマさーん! 奇遇ですねっ!」

「ででででっでデジたんさんっ!? マンハッタンカフェさんまで……あわわわわわ」

 

 神がかった巡り合わせだ。会わせたくても本人が『会うわけにはいかない』と意地を張っているところに相手から来てくれるなんて運命以外の何物でもない。

 あの神社にお賽銭をぶち込んだおかげで山田の運命力が上がっているのだろうか。とにかくアイスクリームを買ったとてすぐ戻るわけにはいかなくなった。

 がんばれ、今しかないぞ山田……ッ! イけ……っ!

 

「時に秋川君。今のトレセン内における君はちょっとした有名人なわけだが、具体的には何者なんだい? 彼女たちに何をした?」

「……何かしたというか……別に何もしてないというか」

「ふむ……?」

 

 首を傾げられたが俺も上手く状況を掴めていない。

 あの夏のイベントの際に、怪異に『悪夢のような何か』を見せられていると自覚できたウマ娘にのみ、その怪異と戦っていた俺の姿が朧気ながら記憶に残っている──らしいが詳しくは分からない。

 そもそもドーベルが言うにあの三人以外のウマ娘はなんとなく覚えているだけで、俺も直接彼女たちに手を差し伸べたわけではないから何とも言えないのだ。

 

「とにかく、どんな噂が流れているのかは分からないけど、俺はあくまでマンハッタンさんたちと一緒に怪異と戦ってるだけだよ」

「……怪異という非科学的な存在が実際にいる、という部分は最近飲み込めたが……それを差し引いてもやはり君は少々特異な存在だ。是非とも検証に協力してもらいたいね」

 

 検証? えっちな実験でもするのだろうか。そんなに俺と子作りしたかったの?

 

「カフェを守る事に繋がる、と言ったら手を貸してくれるのかな?」

「……まぁ、協力するだけなら別に」

「ほうっ! 意外に状況判断能力に長けているようだ、ますます興味深い」

 

 彼女の言う検証の内容がなんであれ、身を挺してでも俺を助けようとしてくれているマンハッタンを守る事に繋がるなら何だってやるつもりだ。それに昨日今日の様子を見るにアグネスタキオンはデジタルとも繋がりが深いようだし、彼女を経由して親友の想い人のことをリサーチできれば今後のサポートにもつながるし、相手から協力を申し出てくれるなら願ったり叶ったりだ。

 

「協力の受諾、感謝しよう秋川君。さっそくで申し訳ないがまず君の遺伝子を少々頂きたいのだが」

 

 こうるさい! エロ漫画出身女♡ 実験の為とか言って俺の遺伝子を根こそぎ試験管に保存するつもりなんだろ? 手ぬるいわ。徹底指導が必要だな。

 

「そういうのは後で。今は友達が大事なイベントに挑戦してる最中なんだ。……あっ、バニラとイチゴで」

「イベント。ふむ……あの体脂肪率が多そうな彼がねぇ。あっ、チョコで」

 

 ソフトクリームを受け取り、何とかギリギリ声が聞こえて且つ姿を隠したまま観察できる場所へ移動した。サンデーはバニラ味ね。

 

「おいしい」

「ッ!? そ、ソフトクリームが空中に浮遊している……ッ!?」

「ちょっとアグネスさん静かに。あとで説明するから」

 

 息を潜め三人で物陰から聞き耳を立てる。

 大丈夫か山田。うまくいっているのか山田。お前のトークスキルを炸裂させてデジタルを喜ばせることができているのか、山田。

 ──あっ、マンハッタンがこっちに気づいた。こっそり小さくウィンクを返してくれたところを見るに、俺の代わりにあの二人の間の緩衝材になるよう頑張ってくれているようだ。さすが俺の惚れた女といったところ。

 

「つ、つまりダーヤマさんは今日までほとんど秋川さんとお二人で……?」

「そうなりますかね、せっかくの修学旅行のはずなんですけど……あはは。ほら、この野良猫とのツーショットとかはアイツが撮ってくれたやつで……」

 

 アホなのかあいつは。

 なんでデジタルさんとの折角の会話イベントなのに俺の話をしてんだよ。旅行中のクラスメイト達とやった面白い事とか、ご当地限定のウマ娘グッズとかもっとあったろ。マンハッタンも会話の内容のせいで困惑しちゃってるよ。

 

「さっきも神社に行ったんですけどアイツ、無敵バリアだー、とか言って賽銭に五十円玉を投げてて……」

「ほへぇ……ふふ。秋川さんって結構かわいいところがあるんですねぇ」

 

 何やってんだマジで俺の話なんかどうでもいいんだよ他のネタ使えよ他のネタをよ。マンハッタンさんも山田が話す俺の秘密を聞き入ってないで別の話題を振るとかしてほしい。状況判断が大切だと教えたはずだ。

 

「ほう……あの太ってる彼、随分と君のことが好きだねぇ。見たまえよ、あの楽しそうに話す彼の表情。ははっ」

「山田のやつ、いま話す事じゃないだろ……」

「まぁまぁ、内容はともかく秋川君の言う“会話イベント”とやらは成功しているんじゃないか? 話自体は盛り上がっているじゃないか」

「それはそうかもしれないけど……」

 

 アグネスの言う事も分かるが、二人は何よりウマ娘好きで繋がっている関係のはずだ。それで盛り上がるのが一番だと思うのだが、もしや俺たちが見に来る前に話題を使い切ってしまったのだろうか。それなら苦し紛れに俺の話題を出したのもしょうがないと思えるが──

 

「ところで秋川君。あの太っている彼と君はどれくらいの付き合いなんだい? 随分と肩入れしているようだが」

「……高校生になってからだよ。別に昔馴染みってわけじゃない」

 

 確かに一番仲のいい友人ではあるが、別段なにか劇的な出会いをしたわけでもなければ、互いに強く惹かれ合う要素があったわけでもない。

 

 ──山田は気のいい男だ。

 いかにもオタク然とした態度を公言してはいるが、コミュニケーション能力に関しては普通の陽キャのそれよりも高いように思う。

 人付き合いが上手く、また頭も回る証拠に彼は生徒会の役員を務めており、他学年にも名前と人柄を知っている生徒がそこそこいるくらいだ。校内ではちょっとした有名人と言って差し支えない。

 そんな彼との出会いは──正直よく覚えていない。

 体育の授業だったか、調理実習だったか、とにかく一人だった俺に声をかけてくれたのがきっかけだった……ような気がする。

 なんかダラダラとつるんで、たまにアイツのウマ娘の推し活に付き合わされて、いつの間にかこんなになってる。

 

 アイツが良いヤツなのは間違いない。

 他の人との付き合い方がよく分かっていない俺にアイツが近づいてくれたこそ、今の関係性が構築できたのだ。

 まだ本家にいた頃の俺はきっと、一般人から見れば変なところが結構あったのだろうし、それを鑑みると中学の頃にフラれたのも今なら納得できる。

 実家から飛び出して一人暮らしを始め、右も左も分からない状態の俺に、初めて声をかけてくれたのが山田だった──ただそれだけの話だ。

 

「面白いやつなんですよ、昼休みなんか自販機でいちごオレを三本くらい──」

 

 思えば俺の好物を知っている唯一の人間かもしれない。学校以外でいちごオレを飲んだ記憶はあまりないし。

 でもやっぱりその話を自分の好きな子に話すのは違うと思うよ。デジタルは退屈じゃなさそうだけど、アレって単に彼女が聞き上手なだけじゃない? ほんとにその話題で大丈夫?

 

 

 

 

 山田とデジタルの会話イベントは内容を除けば概ね成功し、二人はまたひとつ距離が縮まったように見えた。

 結局俺がサポートすることはほとんど無かったわけだが、ここから先は二人で何やかんや上手くやっていける事だろう。親友に幸あれといった感じだ。

 

 で、帰りの新幹線を降りてから。

 いつものように現れた怪異に巻き込まれ、空間転移でどこかの多目的トイレに閉じ込められてしまったのが現状だ。猛省せよ。

 この場にいるのは俺とサンデー、それから──

 

「うううぅううううウマ娘ちゃんと多目的トイレに閉じ込められるなんて前世のアタシは一体何を……っ!!?」

「落ち着いてくださいデジタルさん、心配せずともすぐに出られますので」

 

 アグネスデジタルと、マンハッタンカフェがいる。これは油断するとコトだな。

 肝心の怪異自体はユナイトした俺が凄んだだけでビビって逃げたため既にここにはおらず、ヤツの残したこの空間の鍵が時間経過で開くのを待っているところだ。雑魚め。時間にしてあと十数分といったところだろうか。

 デジタルは困惑と興奮で混乱してしまっているようで、鏡を見ながら自分自身と問答を繰り返している。俺の存在にも気がついていない辺り、推しと密室空間に閉じ込められた衝撃がよほど強烈だったのだろう。まったくファンの鑑である。

 

「……災難でしたね、葉月さん。せっかくの修学旅行が……終わった直後に……」

「いや、むしろ旅行中は何もなくてよかったよ。こっちで怪異と出くわす分にはもう慣れたしさ」

 

 マンハッタンと話しながら、逐一ドアの施錠が外れてないかの確認を続ける。

 俺を気遣ってくれてはいるが、災難なのはむしろそっち二人の方だろう。特にデジタルは夏のイベントを除けば初めてまともに怪異に襲われた形になるし、出先で山田と仲を深めたあとだ。帰りはゆっくり物思いに耽る時間が欲しかったに違いない。

 

「マンハッタンさんから見てどうだった? 山田とデジタルの二人は」

「とても……仲の良い友人関係を築けている……そう思いました」

 

 間近で会話を見ていた本人が言うなら間違いない。あの会話の内容から来る不安も杞憂に終わってよかった。

 

「ただ、デジタルさんは……山田さんのことが羨ましい、とも言っていました」

「えっ?」

 

 デジタルから見て山田が羨ましいと思う要素などあるだろうか。彼女はスレンダーだし、単純に肉付きとか──いや山田までいくと太りすぎな気がする。一体あいつのどこを羨ましがっているんだ。

 

「……実は私もデジタルさんと同じく、山田さんが羨ましいと思ってしまいまして」

 

 マンハッタンまで。あいつまた何かやっちゃいました? 無害なファンは仮の姿でその実態はウマ娘の関心を一手に引き受けるラブコメ主人公だったのかよ。

 

「同じ高校に通い……隣で昼食を共にして、それから……外部の者では知る由もない学校での癖まで把握していて……とても羨ましいと」

「……??」

 

 どこがどう羨ましいって?

 ちょっとマジでマンハッタンが何を言いたいのか理解できてない。こういう時に出会った当初の不思議っ子属性を出してこられると困る。

 

「……ふふ。クラスメイトで親友とは、いささかズルい立場ですね。こればかりは……妬いてしまいます」

「そ、そうなの……」

 

 分からない──が、思考を放棄してはいけない。もしかしたら今マンハッタンはめちゃくちゃ重要な事を喋っている可能性があるのだ。すぐにでも言葉の意味を理解しないと勿体ない。

 どういうことなのか頭を捻って考えていると、マンハッタンは鏡の前にいるデジタルを一瞥した後、改めて隣から俺を見つめた。

 

「葉月さん」

 

 何でしょうか。顔が近い。子供を何人作ればいいか見当もつかないよ。

 

「私は……トレセン学園が好きです。競い合うライバルであり、仲間でもあるウマ娘の方たちと一緒に学び、トレーナーさんやたくさんの方々と夢を追う今の状況は……きっととても恵まれている。──けれど」

 

 言葉を続けながらマンハッタンはそっと手を握ってきた。あのサンデーを連れ戻した時と同様、こちらに焦る暇すら与えないほどの自然な所作で距離を詰めてくる。

 こちらが深く思考するよりも早く彼女は告白する。

 自らの感情の──昂りを。

 

 

「もし許されるなら……私は貴方と同じ学び舎に通いたい。同じ教室で学び、同じ場所で昼食を食べて……テストや行事で同じ苦労を味わいたい──少しだけ、そんな邪な想いを抱いてしまったんです」

 

 

 耳元でそう囁き、マンハッタンは手を離してゆっくりと距離を取った。

 

「だから、貴方との思い出を語れる山田さんが少し羨ましい。デジタルさんも……きっと同じなんだと思います」

 

 それは──それは、何というか。

 つまり、ええと……マンハッタンカフェは俺とクラスメイトになりたくて、現在クラスメイトである山田が羨ましい、と。

 それは要するにアレか。

 マンハッタンはつまり俺のことが好きという事でいいんだろうか。お前いま自分が告白紛いの発言をしたことに気づいてる? 急激に結婚したくなってきた。恋心持っていかれないよう注意。

 

 ──まずい、照れる。動揺する。狼狽してしまう。

 こんなでは駄目だ。詳しく冷静に分析するのは後にするとして、好きな相手に照れさせられてそのまま引き下がるような男にはなりたくない。鈍感も朴念仁も願い下げだ。

 俺がなりたいのはラブコメ主人公ではなくお前の旦那だということを分からせなければならないようだ。けだものか!? はたまたマゾメスか!? そんなに交尾したいならいいけど……。

 耳元で囁かれたら骨抜きにされるところだ。俺でなければだがな。負けないお~♡

 

「……俺も思ったことがあるよ。トレセンに通って、マンハッタンさんのクラスメイトになれたら、って」

「えっ──」

 

 今度は逆に手を握り返してやった。デジタルが現実逃避していなければできなかった芸当だ。彼女に見られながらだったら厳しかったかもしれない。

 しかし結果としては成功したから俺の勝ちだ。堕ちろッ! まんじりともせず受け入れろ。かわいいお嫁さん♡

 

「でも、今は離れていてよかったって思ってる」

「……それは、どういう……」

「マンハッタンさんが本当に凄いんだって事をより実感できるから。俺の親友が推しにするくらい、みんなを魅了してるカッコいいウマ娘なんだってさ」

 

 外からしか見えない景色もあるのだ。彼女と関わるうえで、それを知っていて良かったと感じる機会は少なくない。

 

「そんな凄い子から『同じ学校に通いたかった』って言われて……本当に嬉しいんだ。俺にとって一番の誇りだよ。……それに山田ばかり羨ましがってるけど」

「あっ……」

 

 そのまま握った手を引き寄せ、彼女の腰に腕を回して密着寸前までいった。こういう大胆さはドーベルの少女漫画ロールプレイの時に鍛えられました。

 何がしたいのかというとつまり、彼女が耳元で囁いたように、俺も耳元で囁いてやろうという話だ。負けっぱなしは性に合わないのだ。

 

「──マンハッタンさんしか知らない秘密もあるだろ」

「……そ、それは」

()()()()()、久しぶりに付き合ってくれないか」

「っ……、──……ッ♡」

 

 もはや一周回って羞恥心なぞ彼方に消えた。素面で頬にキスとかもっと恥ずかしいことをマンハッタンはやっているのだ。俺だって負けてられないと言ったところ。

 とりあえず一旦彼女の手を離し、もう一度ドアを動かすと鍵が開いている事に気がついた。そろそろこのいかがわしい密室空間からオサラバするときだ。

 

「おーい、デジタルさん。もう出られるよ」

「ふぁいっ? ──うええええぇぇぇっ!? かっかかカフェさんの次は秋川さんがァ!? きゅう──」

「あぶねっ」

 

 気絶したデジタルは何とか倒れる前に支えた。謎の空間とはいえトイレの床に倒れ込むのはいろいろとマズい。

 とりあえずそんなこんなで修学旅行は無事に終わり、解呪の儀式の約束だけ取り付けてその日は解散となった。

 

 楽しかった思い出に浸りながら眠りにつき、翌朝インターホンで目を覚まして玄関へ赴くと、約束通り解呪の儀式のためにマンハッタンが訪れた。しかし歯ブラシや着替えなども持ってきたのは謎だ。泊まるの? お世継ぎを作る儀式を始めるんですか♡

 

 



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押しかけるな! 淑女の嗜みを知らないのかよ

 

 

 早朝、インターホンの音で俺を起こした客人の正体はマンハッタンカフェだった。

 

 つい先日彼女とは呪いを吸い出すための儀式の約束を取り付けたわけだが、まさか朝からいらっしゃるとは夢にも思わず油断した格好で玄関に出てしまい、それが原因で『ぁ……鎖骨……いっ、いえ……下着が見え……』と彼女を赤面させてしまったのは素直に反省点だ。

 

「とりあえず、上がって」

「お邪魔します……」

 

 一旦家に上げ、顔を洗ってからリビングに戻ると彼女は行儀よくテーブルの前で正座しており、何だかいつにも増して緊張しているような雰囲気が感じ取れた。原因に心当たりはないが可愛いので一旦良しとする。こっちも寝起きであまり頭が回っていない。

 

「マンハッタンさん、今日は随分早いな」

「……すみません。早朝から押しかけてしまって……」

「いや別に迷惑ってわけじゃなくて……ただ、何かあったのかなって」

 

 朝練とかをほぼ毎日やっているであろうスーパーアスリートの彼女と違って、特に早起きでもない俺にこの時間帯からの活動は少々辛い。本家にいた頃は子供ながら四時起きが得意だったがアレも過去の話だ。

 マンハッタンはそこら辺の気遣いが上手な少女だと知っているため、この突撃隣の朝ごはんが不思議に思えてしまったのだ。

 

「いえ……その、大荷物を抱えてトレセンを出ていくところを見つかってしまうと、質問攻めに遭ってしまうので……早い時間帯に出立するしかなく……」

「──あぁ、なるほど」

 

 俯きながら語るマンハッタンの言葉で思い出した。

 そういえばドーベル曰く今のトレセンは異性に対して敏感になっているらしいし、やむにやまれぬ事情があるとはいえ男子の自宅へ赴くことが同級生たちに知られたらマンハッタンも相当困るに違いない。

 それにその事情は口外できないタイプのものであるため、大勢から質問攻めをくらったらマンハッタンに逃げ場はない──そう考えれば確かに納得だ。

 

「ごめんなさい……」

「いや、気にしないで。多めの荷物を持ってたらしょうがない……」

 

 ……ん?

 

「あれ、何でそんなに荷物をたくさん持ってきたんだ?」

「ぇっ」

 

 解呪の儀式に必要なのは白と黒のペンダント二つだけだ。リュックにボストンバッグまで携えている今のマンハッタンは、まるで一泊二日でどこかの宿泊施設にでも泊まりに行くような装備に見える。

 

「あ……ぇと、その……っ」

 

 どうしてそこで照れて言葉を詰まらせてしまうのだよ。愛おしい。

 ……よく考えたら初めて解呪の儀式をやってもらった日もマンハッタンは大荷物を持ってウチに来てたっけか。

 儀式中は理性が外れかかって危険になる関係上、仮に俺が外へ逃げてしまっても目撃者が出づらくなる夜に儀式をやるのが好ましい、とかそんなんだった気がする。

 そして深夜に儀式を終えてもトレセンは閉まっているから帰れない──だからあの時はウチに泊まった。なるほど合理的だ、今回もそういう事なんだろう。

 

「わ、私は……えぇと……」

「……っ」

 

 まぁ、それはそれとして女子が家にいるこの状況は非常に緊張するのだが。きみ俺のこと絶対に手を出してこない理性の鉄人か何かだと思ってる? 普通にマンハッタンのこと好きな男子の一人だという事を思い出してほしい。種付けされたいのであれば話は別だがな。

 

「あぁ、悪いマンハッタンさん。儀式は深夜にやるからこっちに泊まるしかないんだったな。久しぶりだから忘れてた」

「へっ? ──ぁ、は、はい。そうです。なので……はい……お泊りの荷物を……」

 

 なんか今日はずっとモジモジしてるな。そろそろ襲ってもいいのかしら。このマゾメスっ!

 ここ最近は野良怪異とのバトルばかりで()()()()()がなかなか姿を現さず、協力してくれるウマ娘三人が少し忙しい事もあって解呪の儀式が疎かになっていたのだ。それで俺はいろいろと忘れてしまっていたのに、マンハッタンさんはしっかりと準備してきた辺り彼女の真面目さがより実感できた。僕のお嫁さんにピッタリ♡ 隙間なし。

 

「そういえばマンハッタンさん、朝飯は?」

「いえ……急いで学園を出てきたので、まだ……」

「じゃあ一緒に食べよう。サンデーもきっと喜ぶしさ」

「……ありがとうございます」

 

 そのまま朝食の準備に取り掛かると、間もなく寝坊助さんも起床した。かわいいね♡ 抱擁不可避。

 

「ん……あ、カフェがいるぅ……」

「きゃっ……」

 

 そしてマンハッタンにふわっと抱きついた。旅行前から平気そうに振る舞ってはいたが、実は相当我慢していたらしい。今なら誰もいないから存分に甘えるといい。

 

「もう……あなた、葉月さんよりも遅く起きているのね……」

「これは稀……いつもは私の方が早起き……」

 

 サラッと嘘をつくんじゃない。同時か俺が先に起きるかのどっちかだろ。おかげで無防備なお前の姿に毎朝ムラムラだな……うむ♡

 

「しかし、ねむねむ……」

「……ふふっ。おいで、髪を梳いてあげるから」

 

 ぽけーっと固まったサンデーの後ろに移動し、甲斐甲斐しくクシで髪を整えてあげているマンハッタン。こうしてみると二人が姉妹に見えてくる。いつもは特異な存在らしくしっかりした態度を貫いているサンデーも、彼女の前ではただのひとりのウマ娘でいられるらしい。相棒のリラックスの為にもマンハッタンには定期的にウチへ来てもらったほうがいい気がしてきた。

 というか、この際だから頼んでみようか。

 

「なぁ、マンハッタンさん」

 

 フライパンで目玉焼きの面倒を見ながら声をかける。火元から目を離すのだけはダメ、とは樫本先輩の教えだ。

 

「はい、何でしょうか……?」

「ちょっとした提案なんだけどさ。解呪の儀式が関係ない日でも、たまにはこっちに顔を出しに来てくれないか」

「……っ!」

 

 中央の生徒──ましてやフィギュア化されたり雑誌等のメディアに引っ張りだこな有名人であるため、多忙の身であるのは重々承知だ。俺個人が会いたいだけなら無限に我慢する所存だし、こんな提案をしようなどとは考えもしないだろう。彼女のことは好きだが身の程知らずではない。

 ただ、いまの俺の傍にはサンデーがいる。

 彼女はもともと俺ではなくマンハッタンを守るために日々怪異たちに睨みを利かせてくれていた存在だ。見て分かる通りサンデーは彼女のことが大好きで、出来る事なら俺ではなくマンハッタンの傍に居たいであろうことは間違いない。

 

「サンデーはさ、顔にも言葉にも出さないけどいつもマンハッタンさんに会いたがってるんだ。気配を察知するレーダーまで搭載してるし……俺の想像の十倍はきみのことが好きなんだって事はさすがに分かる」

 

 マンハッタンの忙しさは想像もできない。こういったお願いがかなりの失礼に当たるであろう事は理解している。

 それでも、いつも頑張ってくれている相棒のためにもう少しだけ歩み寄ってほしいと思ってしまった。

 元を辿ればサンデーは俺の為ではなく、俺を怪異の呪いから守りたいマンハッタンの為に、自ら俺の元へ訪れてくれたのだ。もっとマンハッタンに褒めてもらいたいだろうし、離れてる分彼女に会いたい気持ちもきっと日々強くなっているはずだ。

 

「その、本当にたまにでいいから──」

「いえ」

 

 マンハッタンは俺の声を遮った。

 

「たまにではなく……もっと来られるようにします。その為に昨日トレーナーさんと、予めスケジュールを見直しておいたんです……他のお仕事の予定も組み直したので、以前ほど忙しくはありませんし──」

 

 火を止めて振り返ると、彼女はサンデーの髪を優しく撫でていた。窓から差す陽の光がまるで後光のようになっている。聖母?

 俺が要求するよりも先にスケジュールを調整していたあたり、マンハッタンにもサンデーに対して思うところがあったのだろう。

 

「カフェ、別に無理しなくても」

「ふふ……無理なんてしてないわ。私にとっても……あなたとの時間が大切なの」

「なんと。カフェ、結婚して」

「しなくてもずっと一緒にいるでしょ……まったく」

 

 突然の告白に流石のボクチンも驚きを隠せない。

 美しい友情と愛情を感じておじさん泣いてしまいそうですお……♡

 

「……この子の事を考えてくれてありがとうございます、葉月さん」

「別に礼を言われるような事じゃ……あ、ほら、朝飯出来た。サンデーも顔洗ってきて」

「はい」

「マンハッタンさん、麦茶でよかった?」

「ありがとうございます……いただきます」

 

 そんなこんなで三人で食卓を囲み、至って平和な朝が過ぎていくのであった。俺たちいつの間に付き合ってたんだっけ。

 

 

 

 

 朝食からそのまま家を出ることは無く、怪異の能力パターンや出現する時間帯などを話し合っていると、ちょうどお昼を迎える頃にインターホンが鳴った。

 

「はいはーい」

 

 ドアを開けるとそこには世界一見慣れた少女がいた。

 

「──葉月ッ! 合鍵を受け取りに来たッ!」

「うぇっ……や、やよい……?」

「お昼まだでしょ? 良いお弁当買ってきたから一緒に食べよっ♪ 上がるねぇ」

「わっ、ちょっ、待っ……ッ!」

 

 家の中にはくつろいでいるマンハッタンが──やよいの学園の生徒がいる。

 というわけで完全に休日モードで油断していた俺に史上最大のピンチが突如として訪れてしまったのであった。死んだ。

 

 



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カフェオレって感じだね

 

 

 俺は心の底から焦っていた。

 

 二人分の弁当が入っているであろうレジ袋を手に意気揚々と家に入っていく従妹(やよい)を追いかけながら逡巡する。とりあえずさっさと入っていった彼女が見逃したマンハッタンのローファーは玄関付近の物置に隠せたが──このままではまずい。

 マンハッタンカフェは現在リビングで紙の地図を広げ、珈琲を片手にくつろぎつつ怪異の出現ポイントを地図にマークしてくれている。完全に油断した格好だ。それだけウチの中でリラックスしてくれているという事でもあるが今はマズいのだ。逃げろ! 社会性を全て吸い尽くされる懸念があるわ。

 

「お邪魔しますよ~っと」

「ちょっと待って、やよい……ッ!」

 

 やよいが家の中でマンハッタンを見つけた場合、彼女はどういう対応を取るのか──分からないからこそ怖い。

 少なくとも外泊許可を取ってまで他校の男子の家で休んでいる姿を見られたら誤解されるのは確実だろう。というか、抱えている事情はともかく実際に男子の自宅で寝泊まりすることに違いはないので、トレセンの責任者であるやよいがそれを見つけたら激しく咎める可能性が非常に高い。例えば──

 

『驚懼ッ!? まさか前途有望な我が学園の星である君が、よもや他校の男子と浅からぬ関係性にあり、剰え外泊許可の目的がいかがわしいモノだったとはッ! 大問題ッ!!』

 

 そう、不純異性交遊として断定されるに足る……足りすぎる状況だ。恋人なのは事実だが。

 俺はともかく、今やコマーシャルや映画に出ずっぱりな超有名俳優と肩を並べるレベルで多くの人々に認知され、日本中にファンを抱えている大人気ウマ娘であるマンハッタンカフェに同世代の男子との浮ついた関係が発覚してしまったら、もう誰にも噂の波及が止められなくなってしまう。

 やばい、マジでやばい──

 

「はぁー……葉月の家に上がるの久々だ。とりあえずテーブルの上にこれ置いちゃっていい?」

 

 ──あれっ?

 

「……葉月、どうかした?」

「えっ、あ、いや……何でもない」

 

 いない。

 リビングにマンハッタンカフェの姿が無い。

 机の上に広がっていた地図も無くなっており、居間はまるで誰も客人などいなかったような状態になっていた。

 これは一体どういうことだ。サンデー! であえであえ! サンデーはいずこに! 相棒! 嫁っ!

 

「うるさい。カフェなら地図を持って押し入れの中に隠れた」

 

 マジで……? 機転が利くとかそういう次元じゃなくねえか。

 

「カフェの直感はよく当たる。インターホンが鳴った時点でもう移動してた」

 

 そうなんだ。ますますマンハッタンちゃんの事が好きになってきた。おらもう我慢できねぇよお。

 

「あれ? 葉月コーヒー飲んでたの? マグカップが二つあるけど……」

 

 やよいが気がついたものは、机の上に残っていた俺とマンハッタンの分のコーヒーだった。

 どうやら急いで隠すのは地図だけで精いっぱいだったようで、彼女はコーヒーを零すリスクを考えてあえてマグカップをそのまま置いといたようだ。俺のリカバリー能力に賭けてくれたのだろう。旦那としての腕の見せ所だな? お前を抱くこの腕のな。

 ちなみにやよいの頭の上にいる猫こと先生は、ジッと押し入れの方向を見つめているので、彼女には気づかれているのかもしれない。今回はお静かにお願いしますね。

 

「ほら、カフェインって摂取しまくれば眠くなくなるんだろ? 昼寝しないで作業できるよう二つがぶ飲みしてた」

「えぇ……? 葉月って意外とアホなんだね。いっぱい飲んだってそこまで意味無いよ」

 

 平然と説明したらやよいが大袈裟に肩をすくめた。何とかなったらしい。

 理由は存在すればそれだけでいいのだ。わざわざ合理的なものにする必要はなく、たとえ相手を呆れさせることになろうと納得してもらえたらそれだけで役割は十分果たしている。

 

「……ん? なに、このパンパンのボストンバッグ」

「そ、それは……あの、アレだ。昨日まで修学旅行だったろ。そん時の荷物、面倒くさくてまだ片付けてないんだ」

「ふーん……?」

 

 マンハッタンが隠せなかったアイテムがもう一つ見つかってしまった。だが、あのお泊りセットは中身を見られなきゃ俺の私物ということで誤魔化せるものだ。理由も今ので十分だろう。

 

「ね、私が片付けてあげよっか」

「え゛っ」

「いつも自分で家事とかしてるんでしょ? たまにはこういうのも任せてよ、一応合鍵を預かる身だしさ」

「あっ、いや、気持ちはありがたいんだが後でいい! てか自分でやる! マジでいろいろ詰め込んであるから整理が大変だし……っ!」

「ふふっ、いとこなんだし遠慮しなくていいってば。夏のイベントの時のお礼もしたいの。……よいしょっと」

 

 説得が一筋縄ではいかず、やよいがボストンバッグに手を伸ばしてしまった。やばいやばいやばい。

 

「……あれ、チャックが開かない。んんっ……! え、何これ、固すぎ……」

「むっ……」

 

 これ以上は無理だと観念したその瞬間、ボストンバッグのチャック部分をサンデーが阻止してくれた。やよいの力技に全力で抗ってくれている。

 嫁っ! 大丈夫か!

 

「んんっ……この中には歯ブラシとタオルだけじゃなくて、下着とか勝負服も入ってる。見つかったら流石に言い訳できない」

 

 確かに女物の衣服がまとめて入っていたら庇い切れない。女装趣味があるという言い訳も苦しすぎるし、着替えも勝負服も擁護不可能だ。

 特にマンハッタンカフェの勝負服などという唯一無二のオーダーメイド服はどんな理由があっても──

 

 ん?

 ちょっと待て。

 …………なんでマンハッタンの荷物の中に勝負服なんか入ってんだ。あいつウチに泊まったらそのままどこかのレース場にでも直行する予定だったのだろうか。

 それとも撮影か、もしくは秀逸すぎるデザインに惚れて日常生活で使っている……?

 

 いやまぁ、彼女の勝負服のデザインが良いという点は俺も認めるところではある。

 なんと言ってもサンデーの普段着がほとんどそれと一緒なのだ。普通に日常生活で使いまくってる。

 サンデーの物の場合は、いかにも勝負服といった衣装らしい金色の線や目立つ金属の装飾が無く、ジャケットの丈の長さも全体のデザインも簡素になってはいるが結構似ている。

 ……あぁ、久しぶりにお揃いの服にしたかったのか。俺がやよいを愛しているように、マンハッタンがサンデーに向ける感情もデカいのだろう。腑に落ちたわ。

 

「ハヅキ。長考してないでフォローして」

 

 あ、はい。すいません。

 

「ぬぐぐぐ」

「やよい。それ以上無理やりやったら壊れるって。後で俺がやっとくからもういい」

「む、むぅ……まるで誰かに押さえつけられてるみたいに固かった……」

 

 ドキッとした。サンデーのことは見えてないハズだが、露骨に視線を彼女に向けるのは控えておこう。

 

 ……

 

 …………

 

 昼食後。いつにも増して油断しているやよいに膝枕を催促され、言われるがまま彼女を甘やかしていると着信音が部屋に響いた。おーい起きろやる事があるでしょ。呆けた顔も美人だが。

 

「お前のスマホじゃないか、やよい?」

「んぇ~、何だろ……あ、たづなさんか」

 

 彼女は面倒くさがりながら電話を手に取り、寝転がったまま応答する。

 

「んん゛っ──応答ッ! どうかしたか、たづなッ!」

 

 切り替えの早さには感心するが、膝枕されながらそれをこなすのは最早プロの技だ。ちょっとビビった。

 あんなに俺の後ろをひょこひょこ付いてきてた可愛い従妹がすっかり大人の技を身に着けて。お兄さん泣いてしまいそうですお……♡

 

「ふむ。……おぉっ、先方から連絡があったか。──なんとッ! それは一大事だ……いや、該当生徒への説明は私が直接行おう! 即刻ッ! すぐ戻るッ!」

 

 言って電話を切ったやよいはすぐさま飛び起き、スマホをポケットにしまって帽子をかぶった。ついでに香箱座りでくつろいでた先生も起きた。おはようございます。

 

「なにかあったのか? 結構重大そうだが……」

「んーん、別にマイナスな方じゃないから大丈夫。ちょっとしたイベントなんだけど……協力してもらう予定の数人の生徒には結構がんばってもらう事になるから、私から直接説明したいなって思って」

「そうか……」

 

 聞いた限りでは夏のイベントほど大掛かりなものではなさそうだが、なんにせよ彼女が多忙である事は理解した。

 それが悪いというわけではないが、このままやらせたらまた叔母さん──あの黒幕から電話が飛んでくるであろう事は想像に難くない。

 あの人に言われずとも、今度こそやよいの為に出来ることは何でもするつもりだ。もう一年前までの俺じゃない。

 

「じゃあまた──」

「あ、やよい。ちょっと待った」

「っ?」

 

 玄関へ向かっていく彼女を呼び止め、小物入れからスペアの鍵を取り出してやよいの手に握らせた。本来の目的を忘れるなんてうっかりさんめ♡ 

 

「これ、合鍵」

「ふぇっ。……ぁ、うん」

「俺がいない時でもウチは勝手に使ってくれていいから。……それから困ったらすぐに──いや、困ってなくても何かあったらいつでも連絡してくれ」

 

 あの夏のイベントの時でさえ遅すぎたくらいだったのだ。やよいが限界になって若干幼児退行しながら甘えてくるレベルまで疲弊していたら元も子もない。

 誠意と本気を伝えるために、先ほど雑に被った帽子を一度取り、改めて彼女の頭を撫でた。なでなでと一流の髪の感触を味わうぜ。

 

「ぁわ……っ」

「頼っていいんだからな。やよいの為ならどこへだって駆けつけるから」

「──う、うん……♡」

「わっ……なんだ急に抱き着いてきやがって。こいつめっ」

「きゃっ、葉月ってば……くすぐったいよぅ、やめっ、あははっ!」

 

 撫でたりくすぐったりで散々楽しんだあと、暴れるな! 俺に見送られながらやよいは満面の笑みで先生を頭の上に乗せてウチを後にしていった。久方ぶりにイチャついたがなかなか気持ち良か~♡ 向こう十年は俺の家で寝泊まりしろって言おうかな。

 とりあえず突如やってきたピンチは何とか乗り越え、狭い押し入れでウトウトしていたマンハッタンをようやく外へ出すことができたのだった。

 

 

 

 

「秋川理事長にあんな所があったなんて……知りませんでした」

 

 夕方頃、マンハッタンが『あの子を助けてくれたお礼を改めて』との事で夕食を作ってくれる流れになった。制服の上にエプロン姿が似合いすぎ女。新婚生活疑似体験も悪いものではない。なんなら今ここで付き合え! ゆっくり距離を縮めようね♡ 焦らなくていいよ。

 

「いや、アイツがあぁなるのは……いとこである俺の前でだけだよ。他の誰にも徹底してあの面を見せることは無いんだ。周囲に求められる理事長としての威厳を保つために、ずっと──だからマンハッタンさん。今日の事は……」

「もちろんです……誰にも口外することはありませんから、安心してください」

「カフェ、カフェ、私には」

「あなたは直接見てたでしょ。まったく」

 

 まぁ、マンハッタンなら大丈夫だろうという考えは最初からあったが、心配しすぎてつい余計な口止めの催促をしてしまった。彼女はたった一人で怪異の秘密を抱え込み、事実やつらに直接襲われたトレーナーや常に一緒にいたアグネスタキオン以外は誰も怪異について知らなかったのだ。ゴールドシップは例外として……とにかく、しつこく口止めをお願いしようとしたことは今一度反省しよう。

 

「……そういえば夕飯は何を作る予定なんだ?」

 

 台所で右往左往する彼女のフリフリと動く尻尾がえっちすぎて参る。伸び代に驚愕。

 

「煮込みハンバーグです……」

「マジで。……割と本当に嬉しいな」

「あの修学旅行の日、デジタルさんと一緒に山田さんから聞きました。面倒くさいから作らないけれど、葉月さんの一番の好物だ……と」

「あの野郎ペラペラと……」

 

 ちょっと山田にいろいろ教え過ぎていたかもしれない。自分の好物くらい自分で言いたかったが、今回ばかりは感謝しておこう。

 確かに煮込みハンバーグは好物だ。

 もっと言うと樫本先輩が作ってくれた煮込みハンバーグが大好きだった。

 俺だけではなく、やよいの好きな食べ物でもある。あいつは最後に真ん中にニンジンをぶっ刺してたが。

 

「あ……いちごオレも冷蔵庫に入れてあります」

「俺の好みが完全に把握されてるな……」

 

 いちごオレは宿題でも運動でも何か一つやるべき事をこなすと先輩が都度くれたのがハマった理由だ。

 というか、他校の男子の好みを把握してるってそれソイツと恋人じゃないと理由が説明できないだろ。やはりマンハッタンカフェは俺のことを愛しているらしい。儀式の途中でどさくさに紛れて告白するか。

 

「そういえば……葉月さん。理事長先生が仰っていたイベントですが……心当たりがあります」

「心当たり? 何か聞いてるのか」

「はい。理事長秘書の駿川さんから……イベントの主役の一人として協力してもらうかもしれないので、そのつもりでいてください……と」

 

 夏のイベントといい最近のトレセンは随分と盛り上がっているようだ。

 しかしマンハッタンが“スケジュールに余裕ができた”と言っていた事を鑑みると、大規模なものではないかもしれない。

 

「私と──それからスズカさんと、ドーベルさんもお話を頂いていたようです。詳細はまだ分かりませんが……いま界隈を盛り上げるならあなた達以上の適任はいません、と……」

 

 サンデーと一緒に皿の準備やテーブルの上を拭きつつ聞いていたが、思わず手が止まりそうになった。

 イベントの詳しい概要は置いといて、理事長であるやよいが自ら生徒に直接説明しようと考えるほどの、何らかの大切な行事であの三人が主役を張るとは意外──あぁ、いや。

 

 全然意外なんかじゃないのか。

 三人ともレースでは一線級で活躍し続けているウマ娘だ。知名度の凄さはショッピングモールでサイレンスを囲んだ大量のファンや、大勢のギャラリーが見に来るような撮影会に参加していたマンハッタンの事を考えれば至極当然の話だ。

 いま、こうして一般的な男子高校生でしかない俺の家で彼女が料理をしてくれている事自体が、もはや宝くじの一等にも等しい奇跡的なイレギュラーなのだろう。俺でなければだがな。

 

「……やっぱり凄いよ。あの二人も……マンハッタンさんも。こうして俺なんかが一緒にいられる機会があるなんて、もう一生分の幸運を使い切ったとしか思えないな」

 

 自然とそんな言葉がこぼれてしまった。冗談交じりの本音だった。

 誰もが羨望したくさんのファンがいて尚且つガチ恋するような連中も後を絶たない、まさに国民的な有名人である少女と知り合い以上の関係にあるこの状況──なのにもかかわらず俺の中では、後方彼氏面する滑稽な気持ちよさよりも、三人に対する畏敬の念が絶えず湧き出していた。世界一いや、宇宙一なのか……?

 

「…………葉月さん」

 

 マンハッタンは相変わらずキッチンで作業しており、背中越しに会話を続けている。

 だが、今呟いたその声音は何だか妙にしっとりとしていて。

 どうにも料理中の片手間に話す世間話の声のトーンでは無いように感じられてしまった。何だ何だ。

 

「実は葉月さんがバイクで学園にドーベルさんを送ったあの日……あなたが学園を後にしてから、改めて私たち三人で話し合ったんです」

 

 話し合うとは、怪異の事だろうか。

 現に三人だけで奴らと戦ったワケだし色々考えてくれたのだろう。

 

「あの……怪異の事ではありません。葉月さんのことです」

「──俺の?」

 

 ドーベル、サイレンス、マンハッタンの三人で話す内容で、俺が関わる事なんかバイト先とか怪異の事情くらいしか無いだろう。一体何を話したというのか。

 気になりながらテーブルの前に座ると、マンハッタンは火と換気扇を止めた。どうやら料理は完成したようだ。

 

 彼女が鍋の蓋を開けると部屋の中に香ばしい匂いが漂い、まもなくテーブルの上に料理が置かれていく。ついでに匂いと見た目で俺の腹の虫もうるさくなった。

 よくできた煮込みハンバーグだ。

 とても丁寧に作ってくれたのがよく分かる。

 

「……私たちには共通点がありました。それはレースが走れなくなってしまう程の……高い、とても高い壁が立ちはだかったこと」

 

 箸とコップを置いてくれたマンハッタンの表情はいつも通りだ。

 ただ、その視線は俺ではなく自分が作った料理に注がれていて、まるで慈しむような穏やかな雰囲気を感じる。ママ?

 

「周囲の期待、思い通りにいかない脚、誰にも話せない秘密……折れてしまっても、諦めてしまっても“しょうがない”と思えるような……行く手を阻む鎖が私たちを縛り付けていました」

 

 スズカさんも、ドーベルさんも、私にも──けれど。

 けれど。

 そう言って彼女は区切った。

 今度はその顔を上げて、まっすぐに俺の瞳を見つめた。

 

「そんな時……導いてくれたのは──手を差し伸べてくれたのが、貴方だった」

 

 俺ってそんな導くだとか大層なことしたっけか。

 

「ふふっ……ピンと来ていないお顔ですね」

「わ、悪い……」

「いえ。それほど貴方にとっては当たり前の事だったのでしょう……だからこそ惹かれたのかも……」

 

 聞き間違いじゃなければお前いま惹かれてるって言ったよな? いよいよ婚姻の準備は万全という事かよ。

 

「──幸運だったのは私たちの方です。葉月さんは私たちを凄いというけれど、そこに貴方がいてくれたから……貴方と出逢えたからこそ……私たちは強くなれた」

「……そんな事は」

「本当の事です。()()()()()()()私たちの運命を変えてくれた──だから、本当に凄いのは葉月さんの方なんです。感謝してもしきれません」

「……ぉ、おう」

 

 よう言えたな♡ アッパレ♡ 気絶しろ。

 やめて、やめて。そうやって真正面から感謝をぶつけられたらどう返せばいいのか分からなくなっちゃうから。男子なんて褒められたら『そんなことねーし!』って強がる生き物なんだよ。めちゃくちゃに純粋な感謝で褒め殺ししてくるのマジで勘弁してくれ。静粛になっ!

 

「ぁあのマンハッタンさん、もう食おうぜ。腹減っちゃって」

「……ふふっ。はい、いただきましょう」

「カフェの手料理~」

 

 空気を読んで静かにしていたサンデーも加わり、美味しさで進む箸と恥ずかしい雰囲気を隠すための焦りでどんどんかっ食らっていき、夕飯の時間はあっという間に過ぎていったのであった。

 

 

 

 

 夜も更けそろそろ日付が変わる頃。

 やるべき家事全般を終え、寝間着のジャージに着替えて布団を敷いていると、後ろからサンデーに袖を引かれた。かわいい。一生分抱きしめたい。

 

「どした」

「お客さん用の布団、いらない。いつも私が使ってる方でカフェと一緒に寝る」

「いや、窮屈だろ」

「カフェと寝る場合に限り窮屈な方が好き」

「……お前はともかくマンハッタンさんが困るんじゃ」

 

 構いませんよ、と言って洗面所からパジャマ姿のマンハッタンが戻ってきた。女の子らしくて愛おしくなってきちゃった。責任取れよ。

 

「幼い頃、私が寂しいときは……決まって寝るときに後ろから抱きついてくれてたんです。密着して眠るのには慣れたものですから……大丈夫ですよ」

 

 そう言って屈んだマンハッタンはボストンバッグを漁り、中から白のペンダントを取り出した。

 合図に気づいた俺も黒のペンダントを身に着け、布団の上に座る。

 

「……葉月さん。電気……消しますか?」

「い、いや、いいよ。明るくてよく見える方が都合いいから」

 

 言いながらテーブルの上のルービックキューブを手に取り、自分の目の前に用意した。同じく知恵の輪やジグソーパズルなんかも置いてある。

 儀式中に頭がおかしくなってしまうのはもちろんペンダントの効力で理性が外れやすくなってしまうからだが、以前と違って度重なるユナイトや戦いで培った精神力を持っている今なら、集中するための別の物があればそれに意識を向けることができるはずだ。

 

 セクハラはしない。絶対にだ。

 彼女が俺に純粋な感謝を向けてくれていると再認識した今日だからこそ、むしろ何があっても性欲に流されるわけにはいかない。ペンダントを言い訳にするのも今夜で終わりだ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「ふぅ……はァっ……」

「もう少しです、葉月さん」

 

 解呪の儀式は思いのほか上手くいっている。精神力を鍛えれば理性は案外保てるものだったようで、儀式の終了直前になっても俺は冷静にパズルに専念していた。心臓はバクバクしているものの、ポーカーフェイスを貫ける程度には理性が残っている。グフフ。

 

 よく考えなくても今までがむしろおかしかったのだ。

 理由があるとはいえ自分のために時間を使ってくれている少女に対して、割と激しめなセクハラを働くなど言語道断。協力してくれる手前通報はされなくとも普通に嫌われるには十分すぎる理由だろう。

 それでも彼女たちが俺と縁を切らずにいてくれたのは、マンハッタンさんが口にしてくれた“導き”という実績と、なにより本人たちがとても心優しく器が広いスーパー寛大ウマ娘だったからに他ならない。

 

 ゆえに『儀式だからセクハラしてもバレないだろう』という考えは命取りなのだ。

 彼女たちとの縁を繋ぎ続けたいのであれば、俺は常に理性ある自分を保つための努力をし続けなければ。

 

「……はい、容量いっぱいです。お疲れさまでした……」

「…………。」

 

 ふと視線を横へ向ける。彼女がどんな表情をしているのかが気になった。うおっすっげ可愛い。

 マンハッタンは黒く濁ったペンダントを外そうとしている──が、これがどうして彼女は俺に視線を向けては外し、はたから見ても明らかにソワソワした様子だ。初めて何事もなく儀式が成功した後の反応とはとても思えない。

 

「……マンハッタンさん?」

「っ! は、はい。なんでしょうか……っ」

 

 露骨に上擦った声。斜め下に逃がす視線。モジモジと落ち着きがない様子。

 なんだこの反応は。

 

 はて。

 俺は何かやるべき事でも忘れているのだろうか。

 思い出してみよう、これまでの事を。以前までの儀式中にやった事と言えば……いや、セクハラしか無くないか。

 耳を甘噛みして、髪の匂いを嗅いで、しまいには押し倒してキスまでいこうとした事もあって、いずれにおいても押し倒したマンハッタンは無抵抗だった。交尾したいの?

 

 もちろん無抵抗なのは俺を傷つけない為なのだろうが、流石に自分の身の安全を考えるなら手首を抑えるなりもう少しやりようはあったんじゃないかと、今になって思う。

 儀式中の俺はウマ娘の腕力には勝てない一般人だ。押し倒すどころか組み伏せる事だって出来たはずだ。ユナイトすれば勝てるがサンデーが協力するわけもないし、精神の余裕とは裏腹にこの場でいつも優位的状況に立っているのは間違いなくマンハッタンの方だった。オマセさん。

 

「っ……? は、葉月さん、どうして手を握って……」

 

 ──今の俺はこれまでの理性崩壊とはまた違う状態にあるようだ。

 寧ろ素面の時よりも思考が冴えわたっているような気がする。安産型なのもやりすぎ注意。ケツ肉が育ってきたな? 身勝手な女め。

 いつもなら自分という存在を認められない低い自己肯定感が仮説を崩しにかかるところだが、理性が絶妙に外れかかっている今の俺は極めて合理的かつ自然な考えができると直感してしまった。

 そして諸々の前提条件と経験、予想も踏まえたうえで一つの仮説が生まれた。

 

 マンハッタンは今──この俺に襲われたいのではないのだろうか。この観察眼、真贋の判断、時代の寵児。

 

 分かっている。

 そんなはずないと叫ぶ心の中の俺の気持ちも理解できる。

 だが状況がそう物語っているのだ。知り合い初めの当時ならまだしも、今はこの仮説を後押しする材料があまりにも多すぎる。

 

 夏のイベントの際にしてくれた頬へのキス。

 好きな料理を調べて自宅に来てまで作ってくれるその献身。

 なにより好意を仄めかす──いや、好意を()()()()()()言動の数々。

 いつもの俺のために『マンハッタンカフェが自分の事を恋愛対象として好いている』とまでは言わないが、少なくとも『異性として見ている』という事は確実だ。それが分からないほど鈍感ではない。

 

 だが、少女の気持ちは分からない。ましてや相手はウマ娘だ。いくら考えたところで測ることはできない。

 そこで同じ感情を持つ者として、仮に俺が彼女の立場であった場合はどうなのかと考えてみた。

 

 ──期待、するのではないだろうか。変態。

 少なくとも俺なら、ペンダントを理由にマンハッタンが襲ってきてくれたら嬉しい。

 流されてもしょうがない理由がそこにはあって、後でどうとでも言い訳できる条件が揃ってしまっているのだ。あわよくば、と考えるのは自然なことだろう。

 もちろん合理的な判断ではないのだろうが、性欲に傾いた脳がまともな思考を逡巡できるわけなど無いことは、この俺が身をもって知っている。

 

 仮に。

 マンハッタンが今、俺との触れ合いで性的に興奮している状態にあるとすれば、たとえ恋慕の情を抱いていないとて発散の為にワンチャンあると思い込んでしまっても無理はない。困った事にお下劣だ。

 そこには彼女に異性として見られているという前提条件が必要だが、そんなものは火を見るよりも明らかだろう。どうあってもマンハッタンから見て俺は身近な“男”なのだ。

 

「……こっち来い」

「ふぇっ……あっ──」

 

 彼女の手を掴んで引き寄せる。性欲云々の前に、俺はこの仮説の是非をどうしても検証したくなってしまった。

 もしウマ娘が絶対に性的な事を考えず裏表のない天真爛漫な存在だとしたらこの仮説は成り立たないが、ウマ娘はそんな山田の理想みたいな存在ではないと俺は思っている。

 

 彼女たちも一人の少女だ。

 そしてマンハッタンカフェはこの数か月間、俺と距離感が縮まって然るべき段階をいくつも踏んできた少女だ。

 命懸けで守り、支え、隣を歩いた。

 いまここで仮説を検証する権利が俺にはあるのだ。ではやろう。やっていこう。

 

「マンハッタンさん。今の俺はどう見えてる?」

「え、えぇと……」

「いつもの俺? それともペンダントでおかしくなった俺か?」

「……それは……わか、りません……」

 

 この女はあくまでとぼける方向に舵を切ったらしい。これで仮説は立証された。やっぱり見立て通りのマゾメスだったな。

 マンハッタンカフェは俺に流されたがっている。ここで間違えてしまってもいいと、自分に言い聞かせてしまっている。

 ならばやる事は一つだ。ね、カフェちゃんキスしよ~よ。

 

「……ズルいな、マンハッタンさんは」

「ひゃっ、ぅ……♡」

 

 髪を撫でると小さく鳴いた。流石一線級ウマ娘、情熱的だね。レシプロエンジン。

 じゃあこのまま流してやろう。

 俺の流れで飲み込んでやろう。もう遅い、のろまめが。

 

 本人が望んでいるのなら、間違った方向にそのまま突き進んでやればいい。双方合意の極めて健全な判断だ。咎めるひとなど誰も──

 

 

「いいの?」

 

 

 ──いないはず、だったのだが。

 耳元で囁かれた言葉が俺の手を止めた。

 マンハッタンはすっかりトロンとした虚ろな目で恍惚とした状態にあり、彼女の声が届いていないみたいだが、今日まで選択と決断をこの少女に与えられ続けた俺はすんでのところで立ち止まれてしまった。

 

「ハヅキが誰と何をしても、基本的には何も言わないつもり。邪魔をする権利は私にはない」

 

 事実こいつはそうしてきた。

 サイレンスと出かけようが、ドーベルに協力しようが、マンハッタンに迫ろうが何をしても何も言わなかった。

 

「でも、ハヅキ自身が本当に後悔しそうなときは、一言だけ言わせて欲しい」

 

 以前もあった。

 彼女が俺の“決断”を引き留めて“選択肢”がある状態まで戻してくれたことがあった。

 夏のイベントの後の夜。

 相棒は同じように待ったをかけた。

 とても強力な怪異と戦い、もう誰も巻き込まないよう他人を突っぱねようとした俺を、マンハッタンたちからの感謝の心すら嘘だと決めつけて一人になろうとした俺を──彼女は見過ごさなかった。

 

「ハヅキ」

 

 俺の()()であり続けてくれた少女だ。

 

「戻れない場所へ踏み込む一歩が──そのペンダントっていう言い訳でいいの」

 

 まぁ、つまり。

 どういう事かというと。

 

「…………そうだな。ズルいのは俺だった」

 

 このまま負けてしまっても構わないが、お互いが素面の時で、なんにも特別な事情が無いときに告白して抱きしめた方が男らしい結果になる。

 そうすればこのままペンダントとマンハッタンの感情を言い訳にして歪な繋がりを生むよりも、よっぽど後悔しない未来に進めるだろう──と、そういう事なんだ。

 それが正解かどうかではない。

 理由は何であれ据え膳食わぬは男の恥とか、そういう考え方も勿論あるだろう。ここで何もしないほうが男らしくないと言うこともできる。

 

「いいの、ハヅキ」

「いいんだよ、サンデー」

 

 だから俺のサイドキックは合理的なんじゃない。

 ずっと近くで、ただ俺の傍に寄り添ってくれているだけなのだ。

 

 

 

 

「お恥ずかしいところを……うぅ……」

 

 翌朝。

 俺が用意した朝食の前で、マンハッタンカフェは耳まで真っ赤にして顔を覆い隠していた。おお可憐すぎるフェイス。謝れ。

 聞くところによれば、呪いを吸って黒く濁ったペンダントの方にも、僅かながら装着者に与える影響が存在するらしい。

 

 といってもかなり微量なもので、いつもなら吸い切った後すぐに外すから何も無かったところを、俺が引き留めてしまったがゆえに彼女も少々熱に浮かされてしまったらしい。

 よく考えれば誰よりもサンデーと一緒にいたマンハッタンが、俺に流されそうになっていたとはいえ彼女の声が聞こえなくなるほどの恍惚とした状態に陥ってしまうなんて普通ではなかったのだ。そこに気がつくべきだった。

 サンキュー相棒。助かったぜ。

 

「ん……ハヅキ、本当は惜しかったとか思ってる」

 

 は? うるせぇなアダルト向け幽霊モドキめが。人間様にドエロく歯向かうというのか。

 

「カフェもカフェ」

「……これから儀式をするときは必ずスズカさんかドーベルさんを呼びます……」

 

 タイマンだとお互い流されそうになるのが判明したからな。サンデーはそう何度も指摘しないだろうし常に第三者の介入が必要。

 

「ところでマンハッタンさん。着替えで勝負服は着なかったみたいだけど、今日はこの後レースとかがあるのか?」

「えっ──」

 

 言った瞬間箸を持っているマンハッタンの手が止まった。また俺何かやっちゃいました?

 

「……なっ、なんで勝負服のこと、知って……っ?」

「え。いや、サンデーが」

「待ってハヅキ。違うカフェ。違うの。あの、咄嗟に言ってしまったけど、あの時は言わないといけなかったというか」

 

 言い訳が効力を発揮するよりも早く、マンハッタンはお友だちのほっぺを割と強めに引っ張った。柔らかそう。

 

「……あなたって、本っ当にデリカシーが無い……っ!」

「ふへぇえぅっ、ごえんなはい……」

 

 何だかアグネスタキオンに怒ってるときの彼女が見れたようでレアな光景だ。このまま放っておこう。

 ……結局のところ、勝負服は何のために持ってきたのだろうか。使わないなら一回着て見せて♡

 

 



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最悪な運命を引き寄せたな 何か言うことは?

 

 

「──えっ、樫本先輩が?」

 

 マンハッタンがトレセンに戻った翌日の夕方。

 久方ぶりに店内の客数が少ないバイト先の喫茶店で、俺はカウンター席に座った理事長秘書の駿川さんと話をしていた。

 今日のバイトは俺一人だ。店内デート♡

 

 不慣れながら店長が始めたSNSの事前告知のおかげで、ドーベルたちウマ娘が出勤しない日はほぼ以前と同じくらいの客足で落ち着いている。今も駿川さん以外のお客さんはゼロだ。

 みんな現金というか……まぁ忙しくなり過ぎないのは俺にとっては良い事なのだが。

 

 ドーベルたちが俺のシフトが入っている日に来ていない理由は簡単で、昨日マンハッタンが話していたイベントの準備が忙しいからだ。

 で、そのイベントが始まる日に──恩人が中央トレセンに帰ってくるという情報を、たった今駿川さんから聞かされた。俺を驚かせることに余念がない。虚を突かれる思いだぜ。

 

「えぇ、ちょうどイベントの当日にこちらへ戻ってきて協力してくれるそうなので。葉月君もどうですか?」

「どうって……いや、無関係の俺が裏方に回っていいんですか」

「あはは、無関係なんかじゃないでしょう。葉月君は理事長秘書補佐代理なんですから」

 

 それはイベントの時に作った架空の役職なんだが。

 まぁ、内部へ入り込める理由があるなら使うに越したことはない。

 

「ちなみに秘書補佐は空席なので自動的に代理の葉月君が補佐に回ります♪」

「あの……本当に存在するんですか? 秘書補佐って席」

「……ふふっ」

 

 おい目ぇ逸らすな小賢し女。美しすぎる可憐な女。お前俺のことが好きなのか?

 スーパー万能ハイスペック・ウーマンとして名高い駿川さんに補佐なんて必要ないと思うのだが、ここまで誘導されてしまった以上はしょうがない。アレで条件を飲んだ俺の責任だ。

 

「後で概要をメッセージで送っておきますから、当日は裏口から直接理事長室までお願いします」

「え、理事長室って……トレセンでやるんですか、イベント?」

「一日目は、ですけどね。祝日と土日の計三日間の開催になります」

 

 マジのウルトラ有名人であるあの三人を羨ましく思う事もあったが、休みを返上してまでイベントに出演すると考えると彼女たちも彼女たちで大変なんだなと再認識した。

 そういう時こそ暇を持て余している一般学生の俺の出番というわけか。淫猥な気付きをたくさん得たよ。

 

「……あ、二日目と三日目もついていって大丈夫なんですかね、俺」

「もちろんです。……とはいえホテルに泊まる彼女たち主演ウマ娘と違って、夜は私と同様の車中泊になってしまいますが……」

「全然問題ないです。寧ろ寝床があるだけありがたいっすから」

「……ふふっ、男の子ですね。最近は夜も随分冷え込みますし、寝るときは二人で温め合うのもありかも……?」

「な、何を言ってんですか……」

 

 年下の男をからかうのがお好きなようで。だが俺は惑わされない。むしろそっちを惑わすくらいの気持ちで臨む所存だ。舐めんな。舐めるぞ。

 

「では当日もよろしくお願いしますね、葉月君」

「えぇ、また」

 

 ──といった流れで再びトレセン主催のイベントに裏方側で参加することになったのであった。がんばるむん。

 

 

 

 

 数日後、いつにも増して車がたくさん止まっている駐車場までやってきた。今日はイベント当日だ。

 

 ところで──実は結構ムラムラしている。

 性欲を持て余した高校生の男子なんて年がら年中ムラムラしてるのかもしれないが、それに輪をかけて性欲が爆発寸前まで肥大化している。今宵の月のように。

 

 というのも、昨晩に“カラス”と戦ったせいでこうなってしまっているのだ。

 久しぶりに顔を見せた害獣野郎だったが、夜中に姿を現したと思ったら軽い小手調べのような雰囲気で、いつもよりも幾分か短いコースしかない異空間を作り、負けた後はさっさと退散してしまった。

 

 しばらく戦っていなかったから今の俺の実力を軽く調べておきたかったのかもしれないが、中途半端な時間に中途半端なレースを走ったせいで俺の中の欲求が大変なことになってしまっている。出過ぎた杭。

 

 三大欲求が肥大化したサンデーとユナイトするとはいえ、思いっきりレースを走り切ることができれば気持ちのいい運動で多少はスッキリするものなのだ。

 しかしそれさえも中途半端──今の俺は結構ヤバい。

 現在の時間帯は早朝。

 増幅した三大欲求が絶賛暴れまわっている。

 

 朝食を済ませる時間が無かったせいで食欲が腹の虫を鳴かせていて、深夜にバトって早朝に帰ってきたから睡眠時間もロクに取れずクソ眠い──そして性欲。

 特に性欲に関しては数日前のマンハッタンのアレからずっと引きずっている。アイツどこまで俺を高揚させるおつもりか? 堪忍袋の尾があるよ。

 

 なんせシリアスな雰囲気で淫靡な雰囲気をぶった切った直後なのだ。たとえ性欲があり余っていようと、この流れでサンデーに“いつものアレ”を頼み込むのは……なんか、こう……無理だ。マンハッタンがダメだったからお前で、みたいな軽薄な男だと思われたら余裕で死ねる。

 

 というわけで我慢していたわけだが、完全に裏目に出た。まさかカラスに様子見という選択肢があるとは微塵も考えていなかったのだ。ちゃんと走れれば少しはスッキリしたかもしれないのに──

 

「……秘書補佐? 聞いているか?」

「えっ、あっ」

 

 うるさいぞこわっぱめが! エヴォリューション!

 資料を持って説明してくれている理事長ことやよいの一言で我に返った。どうやらボーっとしてしまっていたらしい。

 

「集中ッ! 表に出るウマ娘たちだけでなく、我々の気を引き締めなければイベントの成功は無いっ!」

「す、すみません、理事長。以後気をつけます」

 

 他の大人たちもいる都合上……というより二人きりの時以外は、秋川やよい理事長には敬語を使い、彼女は俺に他人と同様の態度で接するようにしている。今のコレは身内関係なく普通に怒られただけだろうが。許せ! 心からの願い。

 

「配置ッ。ではそれぞれ所定の場所で待機してくれたまえっ!」

「……では葉月君、私たちも行きましょうか」

 

 理事長の合図で一時解散し、大人たちが理事長室から退室していく。それを全員見送り自分も上司である理事長秘書についていこうとしたとき、さらにその上司である理事長に引き留められた。上目遣いによる極上の逸品を隠し持つとは。俺は許してもお天道様は許さんよ。

 

「ま、待って。……あの、葉月……もしかして具合悪い? 何だかちょっと顔が赤いけど……大丈夫?」

「ぜんぜん平気だよ。少し寝不足なだけだから、ちゃんと調整してすぐ治す。……すいません理事長、僕も待機位置に付きます」

「う、うむッ」

 

 イベントの為にあれこれ四苦八苦しているやよいを更に苦しめる事にはならないよう、なるべく平常な表情を作って理事長室を後にした。

 クソねむい。

 腹が減った。

 あり得んほどムラムラする。

 割り当てられた仕事が少ないとはいえ、フラついて誰かに迷惑をかけたら本末転倒だ。本格的にダメになる前に、やるべき仕事を終えたら駿川さんに許可を取ってどこか静かな場所で休憩を取ろう。

 俺と配置場所が違う駿川さんと別れ、そのまま廊下を歩いていると見覚えのある人物に遭遇した。

 

「……サイレンス?」

「あっ、葉月くんっ」

 

 勝負服でも制服でもなく、イベント限定の特別な衣装だ。お腹が見えてて非常に猥褻。

 俺を見つけて駆け寄ってくる──かと思ったらサイレンスは途中で立ち止まってしまった。そのまま来れば抱き留めてやったというのに。

 

「っ!? ……ぁ、あの、葉月くん……」

「何だよ。どうした?」

 

 チラチラと視線を右往左往させて次第に顔が赤くなっていくサイレンス。

 なんだなんだ。俺もお前もまだ何もしていないのに。

 

「いえっ、その……えと……」

 

 よく分からない。一体何に対して困惑しているのだろうか。欲求不満と見た。

 

「……は、葉月くん、ジッとしててくれる……?」

 

 困惑する俺を置いてけぼりにして、なんとサイレンスは俺の目の前で膝立ちになってしまった。何をやってんだ遂に服従か? 悪くない。

 彼女の行動に困惑しつつ言われた通り固まっていると、跪いた少女は俺の()()()()()()に手を伸ばした。

 

「よいっ、しょ……」

 

 ジジジッ、と硬いものが擦れるような音が鳴った。

 下を見る。

 サイレンスがいる。

 彼女の指先には小さい金属がつままれている。

 それを上まで上げて、少女は比喩抜きに耳まで真っ赤にして、金属から手を離したあと斜め下を向きながら小さい声で呟いた。

 

「…………あの、ズボンのファスナー、開いてたから……閉めた……」

 

 ──。

 

「ぜっ、絶対に秘密にするわ……っ! 葉月くんも知られたくないだろうし……本当に、二人だけの秘密に……っ」

 

 ほう。

 なるほど。

 そういう事か。

 

 ──平常時なら取り乱すところだった。

 焦ってひっくり返るどころか、思考停止してそのまま泣くまであった。

 しかし今の俺は正常ではない。腹減りすぎて眠すぎてムラムラしすぎてあまりにもヤバいこの状況では、逆に物事を俯瞰して見れる状態に陥っていた。冷静に現状を分析しようではないか。

 

 まず、俺のズボンのファスナーが開いていた。

 これに関しては原因が明らかで、深夜に寝間着のままカラスと戦って帰宅した後、時間が無さすぎて急いで制服に着替え──その時に閉め忘れてしまったのだろう。

 

 今の三大欲求トリプルバースト状態の俺であれば、確かにボーっとしがちだしこういった凡ミスもあり得ない話ではない。しかし少々恥ずかしい。ホッ♡ 少しばかりイグッ♡

 

 では最初から開いていたとして、理事長室での話し合いの際に誰にも指摘されなかったのは何故なのか。

 あの時、入室したのは俺が最後だった。既に大人の人はみんな資料に目を通していて、イベントの都合上部屋の出入りがそこそこ多い状況では俺が入ったとて気にする人物は誰もいなかった。それは話し合いに集中していたやよいや駿川さんも然りだ。

 

 そして大人たちの退室時、俺は資料を持って手を前に組んでいた。紙の資料でちょうどファスナーの位置が隠れていたのだ。日本男児の装い。

 やよいと話したのも一瞬。

 首だけを彼女の方へ振り向かせたため、ズボンのファスナーはそもそも彼女には見えない。マヌケめ。

 そして駿川さん。俺と彼女は常に目を見て会話していた。身長は俺の方が高いものの、下を注視しなければ気づけないほど俺たちは近い距離感で接していた。近すぎんだよ! ベロキスで愛情込めると心得よ。

 

 で、サイレンス。

 彼女が気がついてくれたのは、単に距離の都合上俺の全身を見ることが出来たからだ。つま先から頭のてっぺんまで目に入る距離に彼女はいた。

 そしてサイレンスはどういうわけか『ファスナーが開いている』と指摘するのではなく、俺の目の前に跪いて自らの手でファスナーを上に上げてしまった。国家反逆罪。

 

 たぶん俺を傷つけないよういろいろ考えた結果ではあるのだろうが、単純に絵面が問題だ。跪いて男子のチャックを閉めてるこの状況がマズすぎる。俺が俺でなくなる……っ!

 

「……ありがとな、サイレンス。冗談抜きに助かった」

「ぁっ……」

 

 とりあえず社会の窓を閉めてくれたサイレンスにはお礼をしないとと思い、反射的に跪いた状態の彼女の頭を優しく撫でた。

 すると耳が喜ぶウマ娘。おいやはりただのメスなのか? それとも栄光を掴むのか。どっちなのだ!?

 教えずに直接触れてきた件に関しては礼を言うべきか迷ったが、公園の握手洗いやお別れの握手など、よく考えれば以前から彼女の距離感は独特なものだったのだ。これも素直に善意から来る行動なのだろう。ムラムラ精神にまごころが響く。

 

 とりあえず一件落着。

 大事に至る前になんとかなった──そう思っていたのだが。

 

 

「…………は、葉月……? っ……なに、を……ッ」

 

 

 顔を上げた視線の先には、数年ぶりの再会になる黒髪の女性がいた。

 これまでの人生で最も尊敬している人間であり、幼い頃の俺を“人間”にしてくれた大恩人。

 樫本理子。

 いままでずっと会いたくて、しかし今この瞬間に置いては一番会いたくなかった人物だ。

 

「……葉月くん?」

 

 そんな相手に、自分の前で跪いている女子の頭を撫でている光景を、たった今見られた。

 俺の社会的立場と恩人からの好感度がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく感覚を感じながら、眠気と精神ダメージが合わさって限界に達した俺はそのまま後ろへぶっ倒れたのであった。クッソ無様でございますね。

 

 



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番外:バレンタイン

今回だけ主人公以外の視点なので語録ほとんどないです♡ 時系列はたぶん本編のどこかです♡ むほ~♡


 

 

 数日後にバレンタインというイベントを控えた少女たちは忙しない。

 

 葉月(ハヅキ)が授業を終えて帰路につく道中、街の至るところで中央トレセン学園の制服を着たウマ娘たちを見かけた。

 チョコでいいのか、クッキーにしようか、大福とかキャンディーとか一周回ってアレなんてどうか──少女たちは当日に向けてあぁでもないこうでもないとアイデアを出し合いながら材料調達に四苦八苦している。

 それはハヅキが通う高校の女子生徒たちも例外ではなく、何気なくイベントなどで活躍している彼に何かを渡したいと考える女の子は少なくない。

 

「ライスさん。こちらの型などはいかがでしょう」

「わっ……それかわいいね、ブルボンさん! ……で、でもライス、ちゃんと渡せるかなぁ……」

「心配いりません。私も彼の分を作って一緒に渡します。二人ならば恐れることは何もありません」

「……っ! い、いいの?」

 

 レースで苛烈な戦いを繰り広げている彼女たちも、この時期は一人の恋する乙女だ。

 プレゼントの内容を知られたくないのか、彼を見かけたウマ娘はその誰もが焦って身を隠している。

 

「わっ、せ、先輩だ……っ!」

「別にウオッカのほうなんて見てなかったわよ?」

「スカーレットだって隠れてんじゃねえか!」

「う、うっさいわね!」

 

 どこを見ても見覚えのある顔ぶればかりだ。

 遠くの方には以前ゴールドシップと名乗っていたウマ娘を盾にして焦って隠れている芦毛の少女がいるし、ウマ娘のオタクを自称していた少女や他にもちらほら。

 いろいろなイベントを経て認知度を高めた彼は、どうやら街を出歩くだけでも目立つ存在へと昇華してしまっていたらしい。

 

 それで、当の本人は何を考えているのかというと。

 

『バレンタインの当日は放課後にバイトがあるが、あの帰りのタイミングなどで期待してしまってもいいのだろうか。さっきデパートでお菓子の材料っぽいの買ってるドーベルとか見たし。俺たちそういうのを渡し合ってもいい関係性ではあるはずだよな。ね、俺たちマジで付き合わない?』

 

 いつも通り、期待と懊悩で周りが見えていない。

 

「へへっ──痛ッ!」

 

 だから電柱にもぶつかる。

 

「いってぇ……くそ……っ」

「ハヅキ。前を見て歩いたほうがいい」

「わかってるよ……」

 

 頭を押さえながら再び歩き始めるハヅキ。さすがに危ないと思ったのか、スマホもポケットにしまい込んだ。

 こんなだらしない彼でも、無視できない女の子たちがいるのだから世の中不思議だ。

 

『帰ったらチョコ受け取った時のセリフ考えておこうかしら。……いや、キザったらしいこと言ったら逆にキモいか? さりげない方がいいのかな』

 

 逡巡している彼のスマホに着信がきた。取り出すと、画面にはサイレンススズカと表示されている。

 

『なになに──バイトが終わったあと家まで行っていいか、だと。何? 待ちくたびれちゃった? かわいい子猫ちゃんだ。でもその日は交尾しないでおこっかな~』

 

 あ、鼻の下が伸びてる。思考が混乱すると本当にすぐ顔に出るタイプだ。

 

「……チョコ、たくさん貰えるといいね」

「お、おう。何だかんだで知り合いは多くなったし、さすがにちょっと期待しちまうな……──いだっ!」

 

 そう言って、たくさんの少女たちと縁を結んでいる妖怪縁結び男は、歩きスマホでまた電柱にぶつかるのであった。

 

 

 

 

「サンデー。準備はできたか?」

「ん。いまいく」

 

 翌日の土曜日。

 あの少女たちからのプレゼントへの期待しか考えていなかった昨日とは異なり、この日の彼は比較的落ち着いていた。

 バイクに跨り、私を後ろに乗せて午前中に家を出立。

 小一時間ほど風とドライブした先で到着した場所は、見た事のない林道だった。

 まったく人気のない、静寂に包まれた砂利道だ。

 都会から外れた辺鄙な場所にやってきた彼は付近にバイクを駐車し、すぐ近くにあった倉庫の中から何やら掃除用具を一式手に取って、その道を進み始めた。

 

「……あ、そういえば誰の墓かまだ言ってなかったな」

 

 ザッザッと小石を踏みしめながら、彼は気がついたように声を上げた。

 事前に聞いたのは『お墓参りに行く』という話だけで、確かに誰がそこで眠っているのかは聞いていなかった。

 

祖父(じいさん)だよ。樫本先輩と出会う前はじいさんだけが俺とやよいの味方だったんだ」

 

 あの従妹である少女は仕事で忙しそうだから、という理由で呼ばなかったらしい。自分が声をかけたら彼女は無理をしてでも時間を作ろうとすると気づいていたようだ。

 ──彼の祖父の話はあまり聞いたことがない。

 概要として知っているのは、厳しい家系である秋川家の中で唯一自分たちに親身に寄り添ってくれていた相手だった、という事だけだ。

 彼が自分から話す事でもなければ、わざわざ私から質問するような内容でもなく、今までずっと保留になっていた。

 

「秋川家の人間が埋葬される墓地ってのは別の場所にあってな。変わり者のじいさんだけ生前の要望でこんな辺鄙な場所に一人で埋葬されてんだ。おかげで墓を掃除するのが俺ぐらいしかいないんだよ」

「ふーん……」

 

 彼の家系の事情は詳しく知らない──心を読んでしまっているので知らないワケではないか。ともかく詮索しないように気をつけてはいたのだが、いつの間にかハヅキの方から話すようになっている。

 

「……まぁ、じいさんの墓なんて教えるのはサンデーが最初で最後かな。悪かったな、休みの日にまでこんなところへ連れ出して」

「別に、いい」

 

 いろいろな事情は重なっているが、彼と一緒にいるのはカフェの為であり、自分自身の意志でもある。

 今さら文句などあるわけがないのに、それを当たり前にしないでハヅキは気を遣ってくれている。

 

 いつでもこっちの事を考えてくれているとなれば、なるほど男子にあまり免疫がない中央の少女たちにとって気になる存在になるのも頷けるというものだ。

 少し経って、掃除やら諸々を済ませて墓の前で手を合わせると、意外なほどハヅキはさっさとその墓地から離れていった。

 他人の前で墓に向かって何か喋るというのは憚られるものなのだろうか。別に私は気にしないのだが。

 ──そのまま帰りはハンバーガーを買って、ピクニックみたいに公園のベンチで二人で昼食をとったあと、何事もなく帰宅した。

 

 

 

 

「うぅ゛ー……」

 

 そしてバレンタイン当日──ハヅキは風邪をひいて寝込んでいた。

 昨日の夜、コンビニの帰りに通り雨に降られたのが原因だと思われる。

 学校やバイト先にも休みの連絡を入れて、本来であればイベント尽くしだった今日の予定はすべてキャンセル。

 クラスの男子たちの中で誰よりもチョコを貰えるはずが一気に最下位に落ちて『無意識に優越感に浸っていた罰か……』と自嘲しつつ、彼は布団から動かない。動けない。

 

「サンデー……わるいんだが、お茶をとってくれ……」

「はい」

 

 お茶を注いだコップを持っていくと、彼は一気にそれを飲み干してため息をついた。熱は下がってきているようだが今日のところは絶対安静だ。

 

「くっそう……なんで俺ってこう、間が悪いんだろうな……」

 

 まぁ、確かに。

 夏のイベントの時も怪異に邪魔をされたし、意中の女の子と出かければファンに出くわして予定が狂うし、いろいろとタイミングが悪いと言われたら否定できない。

 本来なら関わりようがない相手と縁を結ぶための流れは作れても、その分の対価として王道なラブコメ展開には持っていけないというのが、彼の持つ運命力の特徴なのかもしれない。

 何はともあれ、風邪は普通に可哀想だ。

 

「うぅ……」

 

 熱が出て動けないときは、平気だと考える自分の意志とは裏腹に人恋しくなるものだ、というのを聞いたことがある。

 普段はクールなカフェも風邪をひくとよく私を探していたし、本能的に誰かに対して助けを求めたくなるものなのだろう。

 

「ハヅキ、だいじょうぶ?」

「だめだ……腹も減った……」

「ん、お粥を作るから待ってて」

 

 ハヅキは一人暮らしだ。家族は海外にいて、こういう時は誰にも頼れないし心細くもなると思う。

 そこにバレンタインの予定を全部壊されて落ち込んでいるとなれば、彼の心境は計り知れない。

 ……。

 お見舞いに来る人はそこそこいるだろう。

 あの三人はもちろんのこと、たぶん山田君だって学校のプリントとかを持ってきてくれるに違いない。

 けれど、やっぱりそれは『お見舞い』であって、家に長居することもなければ看病なんてもってのほか。そっとしといた方がいいと考えてみんな彼とは一定の距離を取ろうとするはずだ。

 そうして欲しいとハヅキも言うだろう。

 となると、じゃあ、少なくとも()()私しかいない。

 

 風邪をひいて心細くなっているのだろうし、今日くらいはチョコレートくらい甘すぎる対応がちょうどいい。

 

「お粥、食べられそう?」

「んん……食う……」

「はい、あーん」

 

 第一、ハヅキはまだ高校生だし。

 弱った時は誰かに甘えていいはずだ。誰もいないなら、今は私がそれになろう。

 

「汗かいたでしょ。体を拭くから、上を脱いで」

「……なんか情けなくなってきた」

「別に、私の前でまで格好つける必要はない。治ったら貰いそびれたチョコを受け取りに行くんだろうから、かっこつけパワーはその時まで取っておいた方がいい」

「……そうだな……うん……」

 

 普段の彼なら食って掛かりそうな発言もスルーとは、本格的に病人らしい。なるべくキツイことは言わないようにしようかな。

 

「チョコ……」

「今はないから、ココアでいい?」

「食べたい……チョコ……」

「どうせみんなから貰える。今は安静にして」

「……わかった。……ココア、頼む」

「んっ」

「…………ありがとな、サンデー」

 

 

 そんなこんなで、結局バレンタイン当日に彼に甘いものを渡せたのは私一人だけになってしまった。あげるつもりがなかった自分だけがそうなってしまったのは何だか妙な気分だ。

 それから後日。

 ハヅキが普通にムカつくくらい大量のチョコを貰ったため、半分くらい私が食べることになったのであった。もうチョコいらない。

 

 



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しっかり公私共に支えてもらうからね♡

 

 

 イベントは恙無(つつがな)く進行している。

 

 今回の内容はトレセンの宣伝と並行して、前途有望な素質あるウマ娘を見つけ出すためのものでもあったらしい。

 まだ地方にも中央にも入学していないトレセン志望の小学生のウマ娘たちを、世間を賑わす大スターウマ娘たちが併走したり一緒にライブ体験をして夢を見せる──という、そんな大切なイベントの最中に一般男子高校生の悩みなんてノイズを持ち出せるはずもなく。

 もう何も考えない……そう決めて思考と感情を殺し、俺はイベントのスタッフとして従事していた。

 

 今朝の出来事は別に解決はしていない。

 まるで俺がサイレンススズカにいかがわしい行為を行っていたかのように見える光景を目にしたかつての恩人──樫本理子先輩はコホンと咳払い一つで表情を切り替え、持ち場へ向かうようにと一言告げて去っていった。

 大人の対応にもほどがある。

 ズボンのファスナーを閉めてくれたサイレンスの頭を撫でるとかいう意味不明な場面を先輩に見られたショックでぶっ倒れた俺だったが、肉体が物理的に強くなっているせいで都合よく気絶することも叶わず、結局弁明もできずなあなあで今日一日を過ごしているのが現状だ。

 

「……はぁ、疲れた」

 

 空が一日の終わりを感じさせるような茜色に染まり始めた頃、仕事がなくなった俺は中庭のベンチに腰を下ろして一息ついた。

 イベントは間もなく終了する。

 小学生のウマ娘たちは心底楽しそうにしていたし、テレビの中継でお茶の間に姿が流れたことで中央のウマ娘たちの認知度も更に倍増と、イベント自体は大成功だ。

 今日は中央トレセンでの開催だったが、残りの二日間で別の地域へ赴く彼女たちは、またその名を世に知らしめることになるだろう。全く自慢の嫁たちだ。

 ……いや嫁じゃねえわ。

 何言ってんだ俺。

 

 ──あのとき樫本先輩の顔を見たその瞬間から、心に張り付くような緊張感が続いている。

 おかげで他に余計なことを考えずに済みスタッフ作業に集中できたとも言えるが、緊張しすぎて段々と疲れてきた。

 とりあえず今の俺は限界に近い。それだけは何となくわかる。

 性欲でイライラする。食欲で落ち着かない。睡眠欲で頭が常に茫々とした状態だ。夜中に襲ってきた怪異に対処した影響で増幅した三大欲求がうるさすぎる。

 

「──葉月、お疲れ様。缶コーヒーで良かったかしら」

「えっ。あっ、……ありがとう、ございます。……先輩」

 

 ベンチで俯きながら思考に耽っていると後ろから声をかけられた。

 凛々しい顔つきに艶やかな黒髪、スラッとした体型でスーツを着こなすその女性は──樫本先輩だ。

 相も変わらず美人な女。男に告白されることも少なくなかったのに『今はあなたの事で手一杯だから』という理由で全部を断っていた、非常にもったいない先輩。

 

「……? 私の顔に何かついてる?」

「な、何でもないです」

 

 ついジッと顔を見つめてしまった。不敬。

 

「あら、もしかしていちごオレが欲しかった?」

「いえ……さすがにもうそんな歳じゃ……」

 

 さりげなく隣に座ってきた樫本先輩にビビって、思わず拳一個分ほど距離を取ってしまった。

 いちごオレは今でも飲んでいる。しかしこの人の前だと何故か強がってしまう自分がいた。大人ならここで開き直って笑いの一つでも取っていたのかもしれないが、彼女の前だとこれがどうして子供でしかいられなくなってしまうらしい。

 ドーベルとの少女漫画のロールプレイの時や、サイレンスやマンハッタンに対して頑張って見せているあのさりげない余裕が出せそうにない。

 もちろん今の俺が状態異常にあるというのもあるがそれ以上に数年ぶりに恩人と再会して──とても()()()()()()()()()()ようだ。

 

「……ぁ、あの、先輩。今朝のは──」

「サイレンススズカ本人から聞いたわ。身だしなみは家から出る前にちゃんと整えなさい。ネクタイはしっかり結べているのだから、襟もズボンも靴も都度確認、ね」

「……はい。すいません」

 

 ちょっと怒られてしまったが、大変な誤解には至らなくて安心した。そこら辺の事情をしっかり精査してから判断してくれるのはさすが大人といったところだろうか。

 

「それにしても……意外だったわ。まさかあなたが率先して中央の手伝いをしていたなんて」

 

 校舎見学で歩き回っている小学生のウマ娘たちを眺めながら、先輩は感慨深そうに呟いた。

 

「あの子たちくらいの歳の頃の葉月と言えば……ほら、なんというか……ね?」

「……いつの話をしてるんですか。さすがにもうあの頃みたいなワガママな言動はしませんよ」

 

 子供じゃあるまいし──という言葉はすんでのところで堪えて、代わりに缶の中の苦い液体を飲み込んだ。缶コーヒーは俺が上手く会話を繋げられない事実をそこはかとなく誤魔化してくれる。今の心細い状態ではこんな缶ひとつがとても頼もしい仲間に見えてしまっていた。

 

 たぶん、彼女からすれば俺はまだ子供のままだ。成長して精神的に熟してるとは自分でも思えない。

 こうして現在進行形で感情と欲望に振り回されて、余裕がない状態に陥ってしまっているのがいい証拠だろう。

 

「もしかして……秋川理事長を助けるため?」

 

 それも勿論ある。中央トレセンの付近に寄っただけで動悸が激しくなっていた昔の俺を知っている彼女からすれば、従妹を守るために無理をしてここにいるのではないかと考えるのも無理はない。

 しかしそれだけではないのだ。

 きっと今の俺は、自分自身のワガママで行動してしまっている。

 

「……理事長の助けになりたい気持ちはあります。でも、それよりも今回は先輩が帰ってくるって話を聞いたからここに来たんです」

「私が……?」

 

 ピンと来ていない表情だ。

 冷静に思い返して、俺たちがどれほど離れていたのかを思い出してほしい。

 小学校を卒業するよりも前に先輩とは離れ離れになった。

 まだ学生だった先輩は進路に思い悩み、正直に全てを話してくれたのに──俺は何も言えず、彼女はそのまま去っていった。

 人生で最も後悔した瞬間の話だ。

 大切な人との縁は多少無理やりにでも掴み続けなければならないという教訓はその時に得た。それを思い出したのはマンハッタンの一言のおかげだったが……とにかく。

 もう昔のままの俺ではないのだ。

 言いたいことはハッキリ言葉にする。伝えられるときに伝えておく。もうあんな想いをするのは二度とゴメンだ。

 

「──ずっと会いたかったんです、先輩。あなたと話したいことが山ほどあるんだ」

 

 小さい頃は恥ずかしくて出来なかったが、今度はしっかりと彼女に向き直って正面からそう言った。ここまでくれば羞恥心なんぞ敵ではない。

 

「……えぇ。私もよ」

 

 そして俺の心からの言葉に、樫本先輩は柔らかい微笑みで答えてくれた。

 

 

 

 

 お゛ぉ~♡ もう我慢ならない……っ!

 

 ──先輩のおかげで気を引き締めることができたのは間違いない。

 しかし、やるべき事に対して集中するためにシリアスな雰囲気に身を任せて先輩とコミュニケーションを図ったはいいものの、大前提として樫本先輩があり得ないほど美人だということを失念していたのだ。

 敬愛する先輩ではあるがそれはそれこれはこれ。もう天衣無縫な無邪気っ子ではない俺は邪念にまみれている。もうこれ以上クールに振る舞うのは不可能だ。

 三大欲求が爆発しかけているこの状況いかがしたものか。きみならどうする!?

 

「葉月。明日も参加するウマ娘たちは旅館の中でスタッフと打ち合わせをしているから、この荷物は私たちが運びましょう」

 

 その日の夕方。

 トレセンでのイベントを終えて地方へ移動した後、とある旅館にやってきた俺はスタッフとして荷物運びをすることになっていた。

 それにしてもムラムラする。

 移動中は樫本先輩が俺の隣をずっと占拠しており、座る場所がないサンデーが俺の膝上に座って何とか乗車していたせいでもう甘い匂いと柔らかい感触で脳がショート寸前にまで追い込まれてしまった。風情があるね。

 

「うっ、く……!」

「先輩は無理しないでください。重い物は持てないでしょ」

「あっ。……ありがとう葉月、ごめんなさいね」

 

 昔から筋力が非力で貧弱で軟弱な物理的によわい生き物である先輩に運搬は不可能である為、運び役を代わってやった。受け渡すときに手が触れたが気にしない。憧れの樫本先輩のおてて……っ!? 

 今日の午前中からイベント終了にかけて被っていた優等生の仮面はすっかり吹っ飛び、いつもの欲望を限界ギリギリぶっちぎりで我慢し続ける秋川葉月くんに変身してしまった。もうシリアスに物事考えるとか不可能だから覚悟しとけよ。先っちょが既に侵入開始。

 

「ハヅキ」

 

 うるせぇ腕に抱きつくな変態幽霊モドキ。交尾したくてたまらない感じが如実にあらわれているよ!

 お前も限界なのは知ってるんだ。でも今は荷物を運んで明日の配布物の確認もしないといけないから大人しくしていてくれ。

 

「んん……やだ」

 

 やだじゃない。事を急くなあわてんぼうさん。犬も歩けば棒に当たる。お預けにしてしまうよ?

 

「ユナイトしてたほうがマシ。夜になったら起こして」

「あっ、ちょ、待てお前っ──! ……はぁ、ったく」

 

 ユナイトはするだけで疲れるから車の中でもやらなかったのに、ついに思考を放棄したくなったサンデーは自ら俺の中に入って一体化してしまった。サンデーちゃんと俺の相性ヤバいかも……。

 

「……あっ」

 

 部屋にウマ娘たちのボストンバッグを置いて旅館から出ようとした矢先、別の部屋から件の少女たちが出てきた。

 サイレンススズカ。

 メジロドーベル。

 マンハッタンカフェ。

 みんな日中は小学生たちと戯れて、休憩時間は担当トレーナーさんと話してて俺が若干ジェラってた三人だ。

 許せない。イク時は報告しろって。俺以外の人間の元へ行くときはな。

 

「あ、ツッキー!」

「え……ドーベル、あのスタッフの少年と知り合いなのか?」

「──はわっ」

 

 油断し過ぎていたのか、遂に担当トレーナーさんの前で俺のことをあだ名で呼びやがった。というかトレーナーは俺とお前が知り合いだって知ってんか? 見せつけすぎ淫乱ウマ娘恥知らず。

 

「ど、ドーベル、カフェさん、ちょっとそこのコンビニまで一緒に行きましょう。トレーナーさん、失礼しますね……っ」

 

 なんと驚き。彼女たちは俺に抱きつくことはせず三人揃ってその場を離れてしまった。担当トレーナーの前でイチャつく勇気すらないとはな。軟弱な女たちだ。ひ弱な女たちだ。守ってあげるからね。

 そんなわけで嫁たちが消えた旅館に用はあらず。今すぐ出ていって車の中で寝て、高ぶった気を落ち着けよう。

 ──外に出ると車の傍で、何やら心配そうな面持ちの先輩がいた。どうしたのだろうか。

 

「あの……葉月? なんだか顔が赤いけれど……大丈夫なの?」

 

 ダメに決まってんだろ雑魚。んなこと気にすんなメス猫。

 

「……大丈夫っす。少し寝不足なだけなんで。……えと、ちょっと車の中で横になりますね」

「そ、そう……」

 

 そのままワゴン車に乗り込んでシートを倒し、バッグの中から取り出したブランケットを被って横になった。

 夢による欲望の解消は夜限定だ。お昼寝で妙な寝言を呟きでもしたらたまったものではない。

 今はとにかく軽い休憩くらいの睡眠を取って、一時的に脳を冷却して平静さを取り戻さないと。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「──はっ」

 

 意識を取り戻した。いま何時だ。どれくらい寝ていた。二十一時に事前の打ち合わせがある。寝過ごしていたらマズい。

 腕時計を確認。

 二十時五十分。

 やっっば。

 

「やべっやべ……!」

「落ち着きなさい、葉月」

 

 焦って飛び起きようとした瞬間、頭を誰かに押さえられた。

 見上げると、そこには樫本先輩の顔がある。

 何が起きている。

 ……。

 ……………?

 ──あぁ、膝枕をされているのか。

 

 ……えっ。

 

「せ、先輩っ、いつの間に……っ!?」

「いいから寝てなさいってば。打ち合わせの内容はあとで駿川理事長秘書から聞くことになってるから、あなたはまず自分の体力回復に努めること。いい?」

「ぁ……は、はい……」

 

 柔らかい膝枕と彼女の服から香るシトラスの匂いで全然集中できない。正直何も聞いていなかった。

 まさか人目も憚らず俺を膝枕するとは思わなんだ。やはり俺のことを愛しているのだろう。分かるんだよ頭じゃなく心でな。

 

「……も、もしもーし。ツッキー、大丈夫……?」

 

 ふと、車内に響く甘トロ声。

 浴衣に着替えたドーベルがエントリーだ。おい勝手に旅館から出るんじゃねーよお客様の癖に。なめてんの? なめてんだろ? 可愛すぎますよ。一生愛し抜きますからね。

 

「スズカとカフェも呼んだから。もしかして怪異とか、何かあったんなら話を──」

「っ!? め、メジロドーベル……っ!?」

「へっ……? だ、誰……っ? ……えっ! な、なんでツッキーを膝枕して──っ!?」

 

 どうやらまだ面識が無かったらしいベルちゃんと理子ちゃんが邂逅。ちなみに膝枕されててどこもかしこも柔らかくて気持ちいい~♡

 

「ななな何で選手のあなたがここに!」

「えっ!? あ、えーと……い、いやいやいや! そっちこそなんでツッキーを……!」

 

 おい! 二人ともこうるさいぞ。静かにアクメしろな。

 

 



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睡眠っ! 睡眠解除! 睡眠ッ!

 

 

 

 右に樫本先輩。

 正面にドーベル。

 その彼女の左右にマンハッタンとサイレンス。 

 今いる場所は就寝の為に後部座席のシートを全て倒したハイエースの中。

 ──何だろうか。この状況は。

 

 とりあえず俺自身は何もしてないのが現状だ。

 怪異と戦ってムラムラが爆発して眠気も限界で一旦車でお昼寝をブチかましたら、いつの間にか先輩に膝枕をされていた。

 少し経ってドーベルが車まで訪ねてきた。日中の俺の様子がおかしいことが気掛かりだったようで、ついでにサイレンスとマンハッタンもやってきた。

 つまり俺が愛しているヒロイン三人に、年上の美人な女性に膝枕されているところを目撃されてしまった、というわけである。

 ──と、まぁ一旦俺の社会性や彼女たちからの好感度が死滅したことは置いといて。

 

 自分で言うのもなんだが今の俺はまともではない。

 こうして自身を俯瞰できているうちはいいが、彼女たちの前で自制が利かなくなったらいよいよ閉店だ。秋川乳業。

 

「……それで、葉月くんと樫本トレーナーはどういったご関係なんですか……?」

 

 痺れを切らしたサイレンスが困惑の面持ちのまま口を開いた。浴衣ということはお風呂上りか? どうりで妙に色っぽいわけだ。アーユーレディ!? レッツモーフィンタイム。

 

「ええと、どう……というと……」

「……先輩と後輩の関係だよ。俺がガキの頃に世話になってたんだ」

 

 理子ちゃんは基本的に運動以外なら何でもできる凄い子なのだが、予想外の緊急事態に対しては極端に弱いため、こういう時は俺が助け舟を出してあげなければならない。

 それにサイレンスの質問はごく普通のものだし、こちらも隠し立てするような秘密があるわけでもないから淡々と事実を伝えればいいだけの事だ。

 

「ただの先輩後輩の関係で、膝枕を……?」

 

 うるせぇ! 公園でヌルグチョに握手洗いして隠密デートして砂浜で頬にキスしてなお普通の友達面してるお前はなんだ! まずは貴女は抱き枕として安眠の手助けをしてください。

 

「……逆に聞くけれど、貴方たちは葉月の何なのですか。就寝時間前に旅館から少し距離のある駐車場まで来るなんて」

 

 先輩が攻勢に転じる。

 サイレンスは不意の反撃で面食らい、先ほどから動揺しっぱなしで会話に入れないドーベルを見かねて、理子ぴんの詰問に応じたのはマンハッタンだった。

 

「私たちは葉月さんの友人です。アルバイト先が同じで……()()()()仲良くさせていただいてます」

 

 妙に強調するような言い方だ。そもそもの疑問なんだがどうしてこんなに空気がピリついているのだろうか。寝不足気味な友達が昔の恩人に看病されてたってだけの話じゃないのか。

 ……まぁ、彼女たちからすれば樫本先輩は今回のイベントで知り合ったばかりで、トレーナーではあるが学園では一切交流した事がないただの他人だ。多少警戒するのはしょうがないことかもしれない。

 

「アルバイト? 既に全国的に有名な貴方たちが……? グッズだけでなく、よく見かける宣伝のお仕事でも十分──」

「学園からの許可は取ってあります」

「……何か隠し事がありそうですね。立場上そちらの事情を聞くことはできませんし、詮索するつもりもありませんが──葉月が関わっているのであれば、話は別です」

「っ……!」 

 

 全員正座して真剣な話し合いをしている雰囲気に思わず俺まで真面目になってしまいそうだ。

 ……あ、樫本先輩が若干プルプルしてる。

 表情はシリアスそのものだが、おそらく足が限界なのだろう。多分しばらく痺れて立ち上がれない状況だと思われる。かわいい~♡

 

 ──ちなみに言っておくとガチマジやばめにクソ眠い。

 お昼寝を挟んだのにまだまだ眠い。

 腹も減ったしアホほどムラムラするが何よりも眠い。どうやら三大欲求で序列を決めるなら睡魔が頂点に君臨する欲望であったらしい。

 この今の俺がこんな真面目に話し合いを重ねていきそうな空気の中で平静を保ち続けるのは不可能だ。いますぐにでも全員押し倒して嫁にしてやってもいいくらいなのにお行儀よく正座していることを褒めてほしい。

 

「…………ぁ?」

 

 ふと、気がついた。

 いま乗っている車が暖房をつけているせいか、暑さを感じたドーベルが身じろぎをして少しだけ首元を扇いだのだが。

 ──ちょっと浴衣がはだけている。

 いや、はだけていると言うのもおこがましいレベルかもしれないが、それでもちょっとだけ肩というかうなじの部分がチラ見えしてしまっているのだ。

 完全に油断していたがアレは完全に種付けの催促。遂に俺のキカン棒も我慢の限界を迎えた!

 

「だ、だからアタシたちはツッキーを支えなくちゃいけなくて……っ!」

「……何を言うかと思えば怪異だのなんだのと。そんな荒唐無稽な話を信じろと?」

 

 なんだか四人の話が結構な段階まで進んでいるみたいだが全然聞いていなかった。今どのあたりの話をしているのかが全く分からない。

 

「うぅ……そ、その、アタシたちの話、やっぱり信じられませんか……?」

「……別に一切を否定するわけではありません。一部の超常の存在が実際にいることは私も理解する範疇ではあります。不思議な猫とか知ってますし……ですが、貴方たちの話の全てを鵜呑みにすることはできません。……もしその通りだったら葉月の一人暮らしなんてこれ以上は看過できない」

 

 気がつくといつの間にか先輩の視線が俺に注がれている。どうして急に俺が恋しくなったのだろう。旦那じゃ届かないところまで到達したか。もっと熱烈にアピールしないとコトだぜ? 美女。

 

「……葉月、どうなの。彼女たちを庇いたい気持ちは分かるけど……正直に答えて」

 

 ヌモォ。

 美人な顔が急接近。お前のせいで下腹部の隆起が今年イチですよ。

 

「ぁ……えーと……」

 

 マジで本当に何も聞いてなかったが誤魔化さないと。思考を動かせ。わっせわっせ。

 とにかく今俺が思っていることを口にしよう。

 否定も肯定も議題のテーマを理解していないと最悪取り返しのつかない結果になる。

 まず全員を娶って王になること以外で現在の脳で出力できる返事は──

 

「心配……かけさせたくなくて」

「っ!」

 

 今日からお前は俺のもんだ。

 ──思考と言葉が逆にならなくて本当によかった。危うくゲームオーバーになるところだったぜ。俺でなければだがな。

 

「……だから秘密にしていたの? 私にさえも」

「そ、そうです。ごめんなさい、先輩」

「…………はぁ。嘘を言っている様子ではないし、今は信じるしかなさそうね……」

 

 でも、と呟いて先輩は一拍置いた。

 

「事情を共有している仲間とはいえ、貴方たちはどこか……その、距離感が近すぎるような気がします」

 

 そうかな? そうかも。

 

「……こ、交際しているの? 彼女たちの中の誰かと」

「えっ」

「「「──ッ!!?」」」

 

 何を言うかと思えばそんな事か。

 もちろん付き合ってなどいない。心は繋がっているけれど。

 

「あくまで学園のトレーナーではなく……あなたの幼少時代を知る一人の先輩として質問しています。口外するつもりはないから教えて。……どうなの」

「いいいいっいやいやいやツッキーとアタシはそんなんじゃっ!?」

「ど、ドーベル、落ち着いて」

「葉月さんは……まだ、誰とも……そのはず、ですが……」

「貴方たち、ちょっと静かにしていてください」

 

 何も下世話な気持ちで質問したわけではない、と補足する先輩。

 

「その“解呪”とやらの詳しい内容はまだ聞いていないけど、交際もしていない男女がそう何度も異性の家に泊まるだなんて……事情を鑑みても看過できないわ。十二分に不純異性交遊の危険性を孕んでる──仮にそんな気持ちが無かったとしても、この三人ほどの知名度を誇る現役ウマ娘が()()()()()()をしているとメディアに露呈したら大変なことになる。そしてどのみち私はあなたたちを守るための手段を考えなくてはならない。だから事を円滑に進めるためにも教えなさい。私としてもできれば貴方たちの意志を尊重したいの」

 

 うおっすっげ早口。

 いろいろ語ってるけど俺への好意は隠せてないぜ。ちらりと見える焦燥がチャーミング。

 おそらく先輩の作戦はこうだ。

 この状況で一人暮らしは危険 → 誰とも付き合ってない → じゃあ一つ屋根の下で過ごすのはダメ → 最近こっちに越してきたから卒業までは私と暮らしなさい──とこのように。あ、ありがとうございます♡

 

 なるほど樫本先輩の言いたいことは理解できる。

 何より大人が介入した方が安全なのは間違いない──と考えているのだろうが、そう単純な話ではないのだ。

 怪異に対処できるのはその存在に理解があり尚且つウマ娘であるドーベル、サイレンス、マンハッタンの三人とこの俺だけだ。

 もしも俺と一緒に過ごす事で樫本先輩が怪異の攻撃対象になった場合に、俺が庇えない状況になったらごくごく普通の人間である彼女は自分の身を守ることが出来ない。まず怪異と“戦う”というステージに立つことすら不可能なのだ。

 たしかに現在の俺たちの状況は最適とも最良とも取れないが、間違いなく最善は尽くしている。このまま先輩の提案に乗ってしまうのはいささか早計な判断だろう。

 

 …………なんか一瞬だけまともな思考が働いたな。

 欲望が決壊寸前の──喉が渇き下腹部が疼き、視界はボヤけて意識が揺れて、瞼が鉛のように重い極限状態だというのにいま冷静に物事を考えられたのは、おそらくいつもと違って今の俺がユナイト状態だからだ。

 どうやら肉体を行使する派手な運動だけでなく、脳をこねくり回すにも最適な変身形態であったらしい。不幸中の幸いというやつだ。いつもならもう四人の中の誰かに抱き着いて死んでた。

 

「……付き合っては、いません」

 

 あー。駄目だ。

 いよいよフラつくばかりか吐き気まで催してきやがった。

 脳みそをフル回転させて、オマケと言わんばかりに冷静に自分自身の状況を俯瞰して自覚したのが良くなかったみたいだ。

 なんというか、自分がヤベー状態だってことを自覚した瞬間に一気に疲弊が襲ってきた。

 

「でも……先輩には信じてほしいんです。この三人は頼れる仲間で……最善を尽くして今の状況にあるってこと……」

「葉月……」

「信じてください、先輩。俺らはまだ学びの足りない高校生だし、一から十まで健全で完璧ってわけじゃないけど……怪異(あいつら)に誰かを傷つけさせないために闘って…………たた、かって……」

 

 言葉巧みに先輩を手懐けて差し上げますよ♡ それも家庭教師の責務ですからね。

 なんやかんやでがんばってセリフを絞りだしていく……その最中。

 マンハッタンが少しだけ怪訝な表情に変わった。

 

「……葉月さん? なんだか前髪が、白く……」

 

 ねむ、ねむ。

 眠気が限界フェスティバル。いよいよ楽しくなってきた。

 あぁ、そういえば今まで長時間ユナイトしたこと、なかったな。

 どうなるんだろう。疲れるだけなのか、俺の肉体が爆発四散するのか。

 

 それとも──二人が一つになってしまうのだろうか。

 

 

 

 

 

「……俺の夢の中か、ここ?」

「そうみたい」

「みたいって。わかんねーのかよ」

「ん……私もよく分からない」

 

 気がついた時には秋川本家の屋敷の中庭に立っていた。

 どうやら困憊に抗うことができず、遂にワゴン車の中で寝落ちしてしまったようだ。

 意識が落ちる寸前の事は何も覚えていないのだが、結局どうなったのだろうか。なんとなく和解できそうな雰囲気ではあったけども。

 

「……あ、ショタハヅキ」

「やよいも一緒だな」

「二人ともぽてっとしてて、かわいい」

 

 縁側で大人たちに隠れて漫画を読んでいるかつての自分と従妹の姿を眺めながら、すぐ近くにサンデーと一緒に座って──とりあえずこの明晰夢の中で一息つくことに決めた。

 結局寝落ちしてしまったために夢の操作による欲望の発散は叶わず、こうして自分の夢の中でのんびりするハメになったわけだが、休める状況にはなったのは素直にありがたい。

 

『やよい、また山のなかにいこーぜ。こんどはやよいが好きそうな本があるかも!』

『……』

 

 子供の俺は幼いやよいの手を引いて、こっそり本家の屋敷から抜け出していく。そういえばこうでもしないと外出できないんだったっけか。

 それから見ての通り、この頃のやよいは感情表現が極めて希薄だ。

 無口でハイライトオフで基本的に無抵抗。

 俺にも本家の人間にも逆らわず、言われたことに従うだけのロボットに等しい──そんな彼女の状態を見過ごせなくて『ヤンチャ』に走ったのがこの時期の俺だ。

 唯一親身に寄り添ってくれていた祖父がこの世を去って、味方がいなくなった一番孤独な時期。

 先生も山田もいないこの頃の俺はとにかく何かを変えたくて必死に駆けずり回っていて──

 

『……あなた達、ウチの敷地内で何をしているのかしら』

 

 そこで彼女に出会った。

 密かに秘密基地にしようと目論んでいた場所は、その女子高生の家が管理している敷地の中だったらしく、何も知らず遊びまわっていた俺たちは遂に所有者に見つかったというわけである。

 

「それで、ハヅキたちはあの後どうなったの」

「えっ? あぁ……どうしても家に帰りたくないってゴネたら先輩が自分の家にあげてくれて、俺たちの話を聞いてくれたんだよ。そっからは……」

 

 定期的に先輩が面倒を見てくれるようになって、俺とやよいが人間性を学んで、あとは──

 

「まぁ、普通の小学校時代だな。悪いことして怒られて、良いことして褒められて、勉強とか面倒くさいことは後回しで楽しいことばっかりやって……マジでそんなもん」

 

 特別な事は何もない。

 それこそ誰もが経験してきた幼い頃の思い出程度のものだ。

 

「ふーん」

 

 山道で汚れた子供の俺を風呂で洗おうとしている樫本先輩を眺めながら、サンデーは興味無さそうに相槌を打った。

 こんな毒にも薬にもならない俺の過去なんてものを話してもしょうがないか。相手を困らせるだけだろうしサンデー以外には言わないでおこう。

 

 

「──にゃっ」

 

 

 そのまま何の気なしに和室の居間で寛いでいると、後ろから可愛い声が聞こえてきた。

 振り返ってみると、そこにはフワフワで柔らかそうな猫耳を携えた“秋川やよい”の姿があった。

 

「んなぁ」

「……や、やよい?」

「違うと思う。あれ、先生」

 

 先生──あぁ、いつもやよいの頭の上に乗ってる猫こと、先生。

 たしかに彼女は夢の世界の中では猫の姿ではなく、帽子を脱いだやよいに瓜二つな姿に変身するんだっけか。

 先生の正体は夢の案内人だ。夏のイベントの際にサンデーを夢の境界から連れ戻すときはどうもお世話になりました。

 お久しぶりですけど、なんで俺の夢にいるんですかね。

 

「こんにちは、先生」

「にゃーん」

 

 挨拶をしたら隣に座って頭をこすりつけてきた。かわいすぎ警報発令。

 

「どうです、やよいは元気ですか」

「ごろごろ」

 

 顎の下を撫でたらゴロゴロと鳴る猫エンジンが起動した。どっから音出てるんだろこれ。

 

「うなーん」

「……」

「んなぁお」

「……サンデー、先生はなんて言ってるんだ?」

 

 とても申し訳ないのだが猫語を履修していない俺には何も分からない。通訳お願いしますね。

 

「ん。先生曰く、強制的に意識を落として私たちを夢の世界に避難させてくれたみたい」

 

 そんな芸当ができたのこの猫。尻尾の付け根をトントンしたら腰が上がってきましたよ。姿がやよいなのではたから見ると犯罪臭凄いわコレ。すげぇ従順……やっと巡り合えたね。

 

「ユナイトの時間が長すぎ、ってちょっと怒ってる」

「えっ……ごめんなさい」

「私もごめんなさい」

「ふるる」

 

 やよい姿の先生マジで無表情だから何も感情が読み取れん。

 

「みゃあ」

「ふむふむ。下手するとユナイト状態のまま戻れなくなるから、これからは三分以内を目安にして緊急時のみ使うように……とのこと」

 

 三分。ウルトラマンツッキー。

 

「……あれ? ちょっと待ってくれ。俺たちの肉体がユナイトしたまま意識がこっちに来てるの、大丈夫なのか?」

「先生に意識を引っこ抜かれたときに強制的に分離したみたい。危ないからもうやらないって」

「それはまぁ……ご迷惑おかけしました先生。どうか猫缶でここはひとつ……」

 

 そう言って土下座すると、先生は俺の髪を軽く猫パンチした。いたくない。

 

「にゃうわう」

「……なんて?」

「直訳する。──今回の事はいいから、それよりやよいともうちょっと話をしてあげて。今朝もけっこう心配してた」

「それは……」

 

 耳が痛い話だ。

 とても余裕が無かった朝はやよいともちゃんと話せてなかったし、樫本先輩が戻っているなら休憩時間にでもその話をしておけばよかったように思う。

 体調が悪かったとはいえ今夜のミーティングも休んで任せきり──これはいけない。

 だいたい、元をただせば俺がトレセンの行事を手伝うようになった理由は先輩でもウマ娘でもなく、理事長として頑張ってるやよいを支えるためではないか。

 なのに他の寄り道ばかりしていては来た意味がない。本末転倒だ。

 

 ──よし、割り切ろう。

 怪異によって発生する俺へのダメージは全部必要経費だ。アレに対して懊悩するのはもうやめよう。

 痛みも疲れも性欲も、余すことなく我慢する。

 いたい~ねむい~ムラムラする~だなんて甘えるのは終わりだ。男の子なんだそれくらい我慢しろという話である。

 

「にゃん」

「いてっ」

 

 また猫パンチ。

 

「な、何ですか……?」

「うなーん」

「ん、極端すぎ。心配をかけさせないように無理するんじゃなくて、もっと相手を頼ることを覚えて……だって」

「……そう、だな。すいません、また偏った思考になってたみたいだ」

 

 以前サンデーにも言われた通り、俺の発想はいささか極端すぎるらしい。てか先生も心を読めんのかよ。

 頼ることを覚えて、尚且つやよいとも話して、とはつまり──彼女に対しても弱音を吐いていい、ということかもしれない。

 いとこだがもうほとんど妹みたいなものだし、家族だからこそ話をするべき、というのは尤もな意見だ。

 

 ──そうか、先生のコレがヒントなんだ。

 樫本先輩に対してもしっかりと話をして、ただの一般人と決めつけて遠ざけるのではなく折衷案を見つけるべき、ということか。

 さすが先生。

 夢の案内人とかいうよく分からんファンタジー職業についているだけあって視野が段違いだぜ。

 

「ありがとうございます、先生。やっぱり先生は頼りになりますよホント」

 

 とりあえず撫でたり抱きしめたりフワフワやわらかケモ耳を揉んでおく。猫形態では俺にもみくちゃにされるとゴロゴロ言って喜んでたのでやよい姿でも変わらないはずだ。よ~しよしよし。

 

「にゃ、にゃぁ……」

 

 うほっ何ですかそのチョロさは。私の授業では教えてないですよ。

 

「……そろそろ起きるか。それじゃあ先生、また今度」

「ふるる」

「行こう、サンデー」

「うん。先生、また明日」

「にゃーん」

 

 そして起きるために自分の頬を強くひねると、和室の内装を捉えていた視界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

「──あっ、葉月。気がついたのね……よかった」

 

 目覚めた場所は変わらず車内。

 そして窓の外も未だに夜だ。腕時計を確認すると、ほんの三十分程度しか意識を失っていなかったらしい。

 上体を起こして周囲を確認すると、ウマ娘の少女たち三人がいない事に気がついた。

 いつの間にか先輩も足を崩していて、明らかに痺れた脚を動かせない様子だ。弱点を感知。

 

「先輩。ドーベルたちは……」

「もう夜遅いから、明日また話をしようと決めて一度旅館に戻ってもらったわ」

 

 言いながら、若干居心地が悪そうな表情の樫本先輩は視線を右往左往させ、深呼吸を挟んでから再び俺に向き直った。

 

「……ごめんなさい、葉月」

 

 謝罪された。さすがに意外。

 

「私……あなたに押しつけがましいことを言っていた。それに……何も分かっていなかったみたい」

「せ、先輩……?」

 

 俺が眠っている間にドーベルたちと何を話したのか分からないが、とにかく樫本先輩は自らの発言について顧みて猛省している様子だ。

 だが、そんなに彼女はおかしいことを言っていただろうか。

 大人としてどうだったのかは子供の俺には判断できないが、少なくとも秋川葉月を心配してくれる一人の先輩としては矛盾のない、そこそこ普通の内容を話していたように思う。

 それでも自省して発言を見つめ直すのが、もう高校生ではなくなった大人としての樫本理子の在り方……なのだろうか。わからんけど。

 

「ダメね……長い間離れていたくせに、まだ“私が守らなきゃ”って考えに縛られてた。あなたは今日までずっと自分の足で立って戦っていたのに」

 

 それから、と言って先輩は窓の外を見つめた。その先にはあの少女たちが宿泊している旅館が鎮座している。

 

「彼女たちのことも見誤っていたわ。最初は中央トレセン生ではどうしても交流しづらい高校生の男子だから、三人がかりで繋がりを保とうとしてるんだって思ってたけど……恥ずかしくなるほどの勘違いだった。

 あの子たちは本気で葉月のことを心配して、真剣に自分たちができることを考えてた。本当にまっすぐで……私なんかよりもずっと、意志の強い少女たちだわ」

 

 あ、知らない間に和解してる。サイレンスたちが車に乗り込んできた時に生まれたピリついた空気が遠い昔のようだ。

 ──確かに彼女たちは自慢の嫁、だが。

 先輩にはあまり自分を貶さないで欲しい。

 俺にとっては昔も今もたった一人の憧れの先輩なのだから。

 

「……ありがとうございます、先輩」

「えっ……?」

「長い間離れていたのに、それでも守ろうって考えてくれてたこと……本当に嬉しいんです」

「──っ!」

 

 正直に言うと美人だしスーパーハイスペックウーマンだし美人だしで、最悪の場合は恋人はおろか結婚までしてても全然おかしくないと覚悟していたのだ。

 しかし彼女はまだ俺のことをちゃんと考えてくれていて、マジで純粋に嬉しかった。

 たぶん後輩としては何があっても祝福して然るべきなのだろうが、昔から彼女と繋がりを持っているがゆえに謎の独占欲が発生してしまっている。

 

 ……いや、待て。

 ちょっと待て。

 あくまで俺のことを忘れていなかっただけで、恋人がいないという保証はどこにもなくないか?

 指輪はしていなくても同棲なんて全然あり得るし、このまま勘違いして安心したところに爆弾を投下されたら脳が破壊されるどころの騒ぎじゃない。あなた様♡ 一緒に赤ちゃんつくりましょ♡

 

「ふふっ……葉月、あなたは──」

「あっあの先輩っ!」

「っ? ど、どうしたの」

 

 うるち米。今のうちに聞いて心の平穏を手に入れなければ。

 いや既に恋人がいるとか言われたらどうするんだ。脳がぶっ壊れて寝込むのか。やっぱり聞かない方がいいのか。どっちなのだ!?

 いや、いや、聞く。

 思い返せば先輩だって俺に対して似たような質問をしたじゃないか。やり返して何が悪い。聞くぞ。イクぞイクぞ! 我が物とするぞ!

 

「先輩って、その……かっ、彼氏とかって……いるんですか?」

「ふぇっ……」

 

 後悔してももう遅い。既にこの口は質問を解き放ってしまった。もはや野となれ山となれだ。ご臨終の準備はできているようだぜ。

 俺に下世話な質問をされた樫本先輩は一瞬狼狽し。

 しどろもどろになりながらも、少し間を置いてから口を開いてくれた。

 

「いない、けれど……」

 

 ────俺の勝ちだ。

 

「は、葉月……? 今の質問ってどういう──えっ、あっ……! だっ、ダメよ!? そんなっ、やよいさんに顔向けできなくっちゃうじゃない! ばかっ!」

 

 とりあえず質問に答えてくれてGOODだよ♡ だが色恋沙汰の話題への耐性が足りない!

 急速に顔を赤らめてそっぽを向いてしまったが構わない。どうあろうと彼女に恋人がいない情報は俺の心に未来永劫の安寧を齎してくれたのだ。聞きたいことを聞けて満足。

 

「うぅっ、ダメだってば、ほんとに……だって葉月はまだ高校生だし……大人として健全な青春に導かないと……」

 

 ブツブツと呟いているが目下の懸念点はすべて消えた。

 一旦夢の世界へ逃げてユナイトが解除されたとはいえ、増幅した三大欲求は健在なのだ。

 とりあえず睡眠欲から順を追って解消していこう。ふぅ~~思わずヒート・アップしてしまいましたが。夜はこれからです。

 

「ぐぅ……」

「あっ、ちょっと! 狸寝入りをやめなさい! ダメよッ!? ダメだから! あなたまだ高校生──ちょっと聞いてるの葉月っ!? 一回起きなさい! 起きなさいってば! ねえ起きてぇ……ッ!!」

 

 おやおやそんなに狼狽して。天晴れ。ブチ眠るので静粛に。

 

 



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街を歩いたらすぐ出会うのか!? 猛省せよ

 

 

 どちらかと言えば朝は弱いほうだ。

 秋川の本家に預けられていた頃は早朝からスケジュールを組まれていたため無理やり体を動かして適応していたが、実家を出て一人暮らしをするようになってからは、予定の無い休日などは二度寝したり布団の上からまともに動けないことが極端に増えた。

 そして恐らく、俺の本来の習性は後者だ。

 気持ちのいい朝を迎えるよりも、惰眠を貪ってダラダラと時間をかけて起きるほうが精神的にプラスになっていると日々感じている。

 

「んぅ……はづき……ぉきた」

「……いや、起きねえ」

「にどね……?」

「おう、二度寝……する」

 

 いろいろあって現在同居人として暮らしているこの少女も、嬉しいことに俺と同じタイプだった。

 ルームシェアのように狭い空間にもう一人住人がいて、なおかつその相手が女子となれば普通の男は頑張って起きるだろうし、生活の諸々にも極力気を遣うに違いない。

 だが俺は普通より幾分か下のダメなほうの男なので、気を張らなくていいと分かってからはこうして油断しきった朝を迎えるようになってしまった。

 反省したいとは思っている。カッコつけたい自分もいる。

 しかし不可能なのだ。

 あさはねむい。

 やる気がおきない。

 いつの間にか自分の布団から出て俺の毛布の中に転がり込んでいたサンデーの声に返事を返せただけでも、よく頑張ったと褒めてやりたいくらいだ。

 

「がっこ、は……?」

「あ゛ー……たしか振替休日だから、明日まで休み……だな」

 

 いつも抜群に陽の光を遮ってくれるカーテンのおかげで部屋はまだ暗い。

 ほんの少し、どこかの隙間から漏れて差し込む朝の眩しさが、微かに目の前の少女の表情を教えてくれている。

 ちなみに向こうは目が開いてない。

 艶やかな白い髪もワガママな寝相には屈服してしまったらしく、ものの見事にくしゃくしゃだ。

 

「………………おきるか」

「ん……」

 

 サンデーの頬をそっと撫でたあと、ようやっと重い腰を上げた。

 二度寝してもよかったが、寝落ちからの起床したとき特有の口の中がネチャつく感覚を感じてしまってもうダメだ。歯磨きしたい。

 身体にかかっている毛布を退かし、未だに寝ぼけまなこを擦ってる彼女の手を引いて洗面台まで移動して──思い出した。

 そういえば洗濯用の洗剤を切らしてるんだった。

 

「詰め替え用のシャンプーもない」

 

 そうだっけ。

 

「あと冷蔵庫の中……からっぽ……牛乳もぜんぶ飲んじゃったから飲み物皆無……」

 

 ねむそうに歯磨きしながら足りないものを口頭で羅列していくサンデー。これはもう今日の予定は決まったようなものか。

 ささっと顔を洗って台所へ戻ると、昨日流しに置いてそのままにしていた皿や茶碗が目に入って少し気分が下がった。寝る前に洗っておけばよかったな。

 

「サンデー、どっちがいい」

「んー……玉子焼き」

「了解。ほい、テーブル拭いといて」

 

 テキパキと布団を片付けて丸テーブルを出すサンデーに布巾を投げ渡し、朝食の準備に取り掛かる。

 そのままテーブルの前で正座してお行儀よく待っている彼女を一瞥しつつ、冷凍の白米を解凍したり味噌汁を温め直したりしながら──ここ最近の出来事を思い返した。

 

 

 あのイベント自体は終始何事もなく無事に完遂することができた。

 多くの小学生が夢を見出し、現在のトレセンの星であるウマ娘たちは活動を通して更にその知名度を上げ、両方がウィンウィンになる素晴らしいイベントだったように思う。

 他の行事も多いトレセンでの開催時は急ごしらえな出来になってしまったが、かなり事前の準備が進んでいた地方でのイベントは大いに盛り上がり、携わった大人たちや参加者も含めて徹頭徹尾“問題なく”利益を得たり楽しんだりしていた。

 

 問題、があるとすれば、それは俺個人を取り巻く環境の変化だ。

 いやまぁ問題というほど大袈裟なものではないのだが……とにかく、今回樫本先輩が戻ってくるのと同時に俺自身が追い詰められている状況が運悪く重なってしまった結果、少し困った事になってしまった。

 とはいえ、そのほとんどは俺の自業自得から来るものなので文句を言えた義理ではない。

 

『──先輩って彼氏いるんですか?』

 

 特にあの質問はマズかった。

 あのタイミングであの内容の質問などもうほとんど告白。

 つまりあなたに気があるので恋人がいないという情報を聞いて安心したいんです、と遠回しに伝えているようなものだ。

 

「……はぁ」

 

 フライパンの上で固まっていくタマゴと違って、俺自身はまだまだ半熟なんだなと思い知る。

 もちろん先輩に気が無いワケではない。

 というか普通に好きだ。追い続けてきた羨望の対象だ。敬愛してるし友愛ももちろんだが多分異性としても惹かれている。美しくつつがない女。

 ──それが問題なのだ。

 樫本先輩は俺の言葉を聞いて焦っていたし、俺自身も頭がボーっとしていたせいでその時の正確な状況は覚えていないが、少なくとも必要以上に嫌われているわけではないことは伝わってきたことで、ワンチャンあるんじゃないかと考えてしまった。うひょ~美しきダビデ様。

 

 やんわりと大人の対応で諭すように『葉月をそういう対象としては見れないわ、ごめんなさい』とか言ってくれる程度には俺の事を考えてくれていると思う。

 そしてその言葉を聞いた場合──たぶん凹む。

 そりゃそうだろ何を当たり前の事をと自分でも思うが、凹んだらしばらくは立ち直れないんだろうなと何となく察せてしまえているのだ。

 でフラれた直後に、多少なりとも異性として意識しつつ友人としての関係を築いてきたあの中央のウマ娘の誰かに意識を向けたら、俺は節操なしのカスとして全ての人間から信用を失うことになる。

 それが想定される最悪のパターンだ。

 俺という人間がそこで終わることになる。壮絶なデッド・エンド。

 

 ふと、皿に卵焼きを盛りつけながら考えた。

 ……何というか、俺という人間はもしかして節操がないのではないか、と。

 もちろん『俺は節操なしだ』と考えるということは、つまり自分が複数の女性に()()()()()()()()()()()()()()と確信できるような最強の自己肯定感を持っていることになるため、まだ自分をそうと確信しているわけではないが。自分を好いてもいない相手に勝手に好かれていると思い込んで勝手に懊悩するのは節操なしというよりただのマヌケだ。

 とはいえ、流石に嫌われているとは思っていない。

 あの少女たちが好意的に接してくれているのは火を見るよりも明らかだ。

 だが仮に俺が告白をしても絶対に引かれないという保証はどこにもない。

 彼女たちが俺との関係を『今この状況が一番気持ちのいい距離感』だと思っていたとしたら全てが終わりだ。仲のいい男友達と、自分が欲しい恋人はイコールにはならないのだから。

 

 ──勘違いさせてごめんなさい、とか。

 友達としては好きだけどそういうつもりじゃなかった、だとか。

 

 ただの一言で俺の精神をブレイクさせる言葉はいくつも存在する。トラウマというライブラリに登録された呪いのワードだ。

 あの勘違いしまくりな時期の中学生俺くんは、ちょうどいい男友達と欲しい恋人がイコールにならないことを知らなかった。

 だから撃沈した。

 苦笑いされながらものの見事にフラれた。

 もうあんな気持ちに陥るのは二度と御免だ。

 この気持ちが身勝手だと、歪んでいると分かっていても──確証が欲しい。

 

 相手からの告白を待つのが悪手だということは分かっている。それは今までの過去が証明している。

 あの中学での告白の時以外では、あらゆる場面で待つよりも自分から伝えた方が良い方向に進んできた。逆に待てば先輩ややよいのように距離が生まれた。

 だから俺から言うべき……なのだが勇気が出ない。

 ダメだ、困った。

 先輩からみて俺たちは『誰と付き合っているの?』と聞かれるレベルで親密に見えている。

 実際のところ俺も彼女たちを好きになっている。

 ところが告白する勇気が出ない、ときた。──というか誰に告白するつもりなんだ俺。気持ちばかりが先行してるぞ俺。だからダメなんだよ俺。王にはなれず何も得ず。

 ……とりあえず朝飯を食ってから考えよう。

 

「はぁ。いただきます……」

「……」

「おっ……ちょっと砂糖が多かったかな」

「…………」

「……?」

「……」

「…………なんだよサンデー、どした」

 

 飯を食い始めてからジッとこっちを見ている。考え事をし過ぎてて気づくのが遅れてしまった。

 

「……五十一個目」

「ん゛ッ! ……ゲホっげほ!」

 

 彼女の言葉に驚いて危うく口の中のものが出るところだった。

 なんとか飲み込んで咳きこんだあと、水道水を飲んで一旦落ち着く。

 ──何を考えてるんだこのアダルト向け幽霊モドキは。

 

「言えないの? 五十一個目」

「……いま言う意味は無いだろ」

 

 澄ました顔しやがってこのむっつりマゾ女が。全身疲れが見受けられるよ! マッサージしてあげようか。

 五十一個目、とは『サンデーの良いと思うところ』の五十一個目、ということだ。

 

 ──昨晩、ようやっと久しぶりに夢の内容操作、もとい夢の共有で鬱憤を解消することができたのだが。

 ちょっと期間が空いたということで、ヤケに強張ってしまった互いの緊張をほぐすために、お互いの良いと思うところを交互に言い合っていくというゲームをおこなったのだ。楽しかったです。ね。

 カップルがやるような好きな部分を言い合うといった、あの惚気ゼンカイなものとは異なり、純粋な感想だったり普段言ってなかった日頃の感謝も兼ねてのゲームだったため、最初は結構すんなりと進めることができていた。

 しかし後半は、体力とボキャブラリーを消費しきったサンデーが()を上げてしまったため、終わるまで俺が彼女を褒め続けるという謎の展開に陥ってしまっていたのだ。この女が脆弱なばかりに。忸怩ッ。

 

「お前こそ三十四個あたりで止まってるんだから、まず五十個まで言って俺に合わせるのが筋じゃないの」

「むぅ……」

「ていうか、四十後半くらいに俺が言ったこと覚えてんのか? 枕に顔を埋めてあーとかうーとかばっかりで全然返事しなかったじゃないか」

「…………確かに今回は、ハヅキより体力と引き出しがなかった私がわるい。残りの十六個はあとで考えとく」

 

 いや、別にどうしても聞きたいわけではないのだが。もうやらないだろあのゲーム。それともハマった? おませさん♡

 たぶん真っ先に責任を取らないといけないのはこの少女であるはずなのだが、暗黙の了解で俺も彼女も深く言及することは避けている。お互い必要だから必要なことをやっているだけだから、と。今はそういう事にしといた方が良いらしい。

 

「……ごちそうさま」

 

 いつもより少しばかり濃い内容の夢だったが朝っぱらから語ることでもないので、ささっと朝食を済ませて洗い物を片付けた。

 

「あっ、制汗剤も切れたか」

 

 着替える際に使おうと思った制汗剤からは空気が漏れるような弱々しい音以外何も出てこなかった。もう今日は足りないもの以外も予備でたくさん買い足しておくことにしよう。

 

「ん……もう秋も終わりだけど、制汗剤っているの」

「俺は割と厚着するタイプだから。まぁ、クラスの陽キャ連中みたいに香水まで買ったりはしないけどな」

「いいんじゃない、香水買ってみても。私はハヅキの匂いキライじゃないけど……スズカちゃんたちは()()()()と気を遣ってるだろうし、あの子たちの近くにいる機会が多いならおしゃれにも意識を回した方がよさそう……と思ったり」

 

 お? いつの間にか買い物から俺のファッションセンスの話になってる気がするな。ハッキリ言いたまえよ。

 

「……ハヅキ、ダサくはないけど無難というか……シンプルな服ばっかりだなぁって」

「そ、そうかしら」

 

 そう言われて改めてクローゼットの中を見てみるとなるほどザワールド。

 あの『理事長秘書補佐代理』とかいう微妙な立場でイベントの手伝いをする都合上、短期バイトの一般スタッフとして参加していた山田とかと違って、俺自身はずっと制服のまま行事のサポートに回っていた。

 いざ思い返してみると、普通の高校生よりも私服で過ごす機会が少ないように思う。

 故に失念していた。

 俺、ロクな服もってねぇな──ということを。

 そういえばドーベルと撮影会をしたときやサイレンスと蹄鉄を見に行ったときも同じ服を着ていた気がする。隣を歩く少女たちはいつも違う服でおしゃれに気を遣っているというのに、なんという体たらく。

 相手からの好意云々のまえに自分磨きを怠っていたようだ。深く反省。

 スーパーおしゃれイケメン男子は一生かかっても不可能だとして、少なくとも彼女たちの近くにいて恥ずかしくない程度には身なりを整えた方が良い気がしてきた。

 

「あと……なんか黒い服が多い」

「……服も買いにいくか」

「うん」

 

 幸い使い道が少ないバイト代を貯めていたおかげで手持ちはたぶん足りているハズ。良い服の値段とか全く知らないが……大丈夫かな。一応ATMには寄っとくか。

 

 

 

 

「いや~っ! まさか秋川さんにお会いできるとは思いませんでした! えへへっ」

「……そ、そうだね。本当に奇遇だ」

 

 少し経ってから。

 おしゃれな服屋を知らない俺がいける場所といったらショッピングモールくらいだ、ということでやって来て数分後。

 ウマ娘グッズ専門店を見かけ、良さげな期間限定のクジを発見したため、推しでも出たら山田にあげようかなと考えながらフラっと立ち寄ったら──頭にデカいリボンをつけたウマ娘に出くわした。

 俺の親友が好意を寄せている想い人こと、アグネスデジタルだ。

 なんでも手に入れてないグッズを探してここまでやってきたらしい。

 

「秋川さんは何狙いですか? あたしは唯一まだ持ってないメジロマックイーンさんのラバストですが」

「俺は……マンハッタンカフェかな。二個くらい欲しい」

「か、被り所望とはよほどの推しですね……愛が深い……デジたんも気を引き締めねば!」

 

 あたりきよ。主に同居人と親友が喜ぶので二つ欲しいだけだが、クジの値段的に『当たるまで引く』というのは少し難しい。

 せっかくアグネスデジタルと出逢えたのだから少し話す時間を設けて、なにか山田の益になるような情報を持って帰りたいところだ。なので奮発して最低三回は回そう。全七種類だが三回やれば流石に一個はマンハッタンカフェも出るだろ。

 デジタルは目的の物を手に入れたが、俺は──

 

「マンハッタンカフェ……出なかった……」

「あ、あはは、やっぱりガチャですからそういう事もありますよ。あまり気を落とさず……」

 

 出たのはメイショウドトウ、マーベラスサンデー、それからサトノダイヤモンドという最近雑誌で見かけたよく知らないウマ娘だったが、とにかく乳がデカい三人のストラップを引き寄せる結果に終わった。

 現実でデカ乳ウマ娘とまともな縁を結んでいない分、まさかこういうのでバランス調整がなされるだなんて残酷だ。これで十分だろとでも言いたいのか神は。反逆の刻は来たれり。

 

「……あの、秋川さんはこの後どういったご予定で?」

「フードコートで昼メシを食ったら買い物して帰るかな」

「お昼ご飯あたしもご一緒してよろしいでしょうかっ!」

「えっ? あ、あぁ……もちろん」

 

 まさか向こうから提案されるとは思わなかったが好都合。根掘り葉掘り聞きまくって弱点を山田と共有してやるぜ。グッ……とにわかに楽になるよ。

 そのままフードコートで席を見つけ、向かい合って食事をすることになった。はたから見るとデートみたいだね。でも不埒な働きはしないよ。身内だもの。友達だもの。

 

「ん……? デジタルさん、ほっぺにご飯粒ついてるよ」

「ヴェあッ!?」

 

 なんとも素早い所作で頬を拭くデジタル。

 恋人だったら手で取ってあげたのだろうがそこまではしない。親友の身内だもの。友達だもの。

 

「こっ、これはお恥ずかしいところを……!」

「ははっ。いいじゃないか、そういうところもかわいいよ」

「───ッ!?」

 

 デジタルも山田との距離の詰め方に四苦八苦しているのだとしたら、今みたいなアピールも意外とありかもしれない。あぁ見えて山田は面倒見がいいし、デジタルを若干神聖視してる節があるからギャップでブッ刺さる可能性も高い。

 

「ぁ……ひゃえぇ……っ」

 

 なんだか思ったよりデジタルが照れている。なぜ。……冷静に考えて、友達の友達にほっぺにお弁当ついてるって指摘されんのは結構恥ずかしいか。デリカシーが足りなかった。腹を切ってお詫びします。

 こんな美人・フェイスで初々しい反応をしといて恋愛興味ナシのオタクを気取って……正気の沙汰ではないぜ。

 

「……あ、あのあのっ、一つだけ質問してもいいでしょうか……」

「ん?」

「秋川さんは……その、恋人とかはいらっしゃるのでしょうか……?」

「え゛っ」

 

 まって何でそんな話になった? もしかしてさっきの俺の発言、恋人がいるから女の子の対応わかってますアピールみたいなキモい感じになっていたのだろうか。ごめんよデジタルちゃん。おじさん無意識だったんだ。後生だから……。

 

「……どうなんですか?」

 

 いつもそんな上目遣いで男を粉砕してるの?ドエロいホスピタリティに関心。

 

「いない、けど……」

「っ! そ、そうですか……ほっ

「……?」

 

 もしかして恋人がいるのに自分とこんな場所にいて大丈夫なんですか、という意味だったのかな。その部分に関しては何の心配もいらないので安心してほしい。俺のために気を遣ってかわいいなぁファミリア♡

 ……というか俺よりも、撮影会に参加できるほど上位のウマ娘であるデジタルの方が、よっぽど他の人に勘違いされて困る機会が多いんじゃ──

 

 

「………………ぁ、あれ、秋川?」

 

 

 あっ! やせいのやまだが あらわれた!

 遊びの約束も交わしてないのに休日にバッタリ会えるなんて、今日の俺はついてるな。山田も一緒にごはん食べよ。えへへ。

 

「なんっ……ぇ……っ?」

「あ、ダーヤマさんっ! 奇遇ですね!」

「でっ……デジたんさん……な、何で秋川が一緒に──」

「おー山田。お前もいっしょにメシ食おうぜ。俺お前の分の水を持ってくるよ。ここ座っとけ」

「えっえ……なん……えぇ……っ?」

 

 ただ買い物をするだけかと思っていたら親友に出会えた。今日は少し楽しい休日になりそうだ。すげ~楽しみ~♡

 



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むほ~♡ 出走

 

 

 とりあえず買い物するか、と軽い気持ちで外出したら友人の想い人と友人ご本人に出会すというイベントに遭遇して、少しの時が流れた。

 いきなりデジタルの隣に座らせるのは山田が緊張しすぎて可哀想だと判断して、一旦彼女の正面に誘導してから会話もそこそこに昼食を終えてから、俺たちはもう一度ウマ娘のグッズコーナーに立ち寄っている。お客さんどうしましょう。

 

「あ、見て秋川。この店舗ウマデュエルレーサーの新弾まだ残ってるよ」

「おー……これ、ウチのクラスでも何人かやってるやついたな。デジタルさんもこれ集めてるの?」

「もちろんです! 今回の新弾はスゴく人気なので一箱しか確保できませんでしたが……」

 

 ショップで見つけたのはいわゆるトレーディングカードゲームのパックだ。

 古今東西の人気ウマ娘をカード化したゲームで、数年前からちょくちょく話題になっているらしい。

 カードの種類は多岐に渡り、それこそ海外のウマ娘モチーフも登場しているため、ガチプレイヤー以外のコレクターなんかも欲しがる話題の商品として人気を博している。

 教室で遊んでるクラスメイトのデッキを貸してもらった時くらいしか触れた経験はないが、いい機会だし買ってみるのもありかもしれない。デカ乳ウマ娘のカードが出たらペンダントにして首からかけよう。

 この三人の中で一番レアリティが高いカードを出したヤツが勝ちという勝負を提案し、購入制限いっぱいの三パックをそれぞれ購入して付近のベンチに腰を下ろした。ワクワク。

 

「なははー、あたしは字レアしか出ませんでした! まあどんなカードでも眼福なのですが……」

「俺もレアリティは最低保証の字レアかパラレルくらいしか出なかったな。山田は?」

「………………ぼく、今日死ぬかも」

「は。なに言ってんだ──って、お前ッ!?」

「ぎゃヒェぇッ!!? だっだだダーヤマさんのそれ、赤シクじゃないですかァッ!?」

「で、で、出ちゃいました……」

「ちょっ、しかもお前それ、サイン入りじゃねえか……? ちょっと待て封入率が相当低いはずだから調べる。赤シクのサイン入りメジロマックイーンは…………えっ、買取15万……?」

「ウワッ、わッ、アァわあっ!!」

「おおっお落ち着いてくださいダーヤマさんっ! とりあえず傷をつけないよう早急にスリーブとローダーを買いましょうッ!」

「あばばばばばば手汗でカードがダメになっちゃうあわわわ」

「しっかりしろ山田……デジタルさん!」

「はいっ、ホビーコーナーこっちです!」

 

 

 ──なんというか、俺たち三人は意外と相性が良かったらしい。

 

 デジタルと山田は友人で、俺と山田も友人だが、俺とデジタルは友達の友達であるため、三人が揃うとそれぞれが気を遣いすぎて気まずい空気になる可能性も十二分に存在していた。

 こうして上手くいっているのは山田のさりげない誘導と、デジタルの自然な態度と優しさのおかげだ。

 この状況に関して俺はほとんど何もしていないに等しく、やってる事といえば少し緊張して俺にばかり話しかけている山田との話題を、デジタルにもそれとなく繋げてることくらいだ。

 そもそも山田が緊張してるのは、ここに俺がいることでいつもデジタルと二人で交わしているコミュニケーションのペースが乱れているからであって、どこかで俺がいなくなって二人きりになれば"いつも通り"に戻れるはずだ。

 ──そのはず、なのだが。

 

「ままま待ってよ秋川ぁ……! なんで帰るなんて言うんだ……っ」

「なんでも何も、俺がいたら邪魔だからだろ……」

「そ、そんな事ないって! 秋川がいないと間が持たないよ……!」

「いやそれこそそんな事なくないか? 今日のお前ちょっと弱気すぎるぞ」

 

 困ったことに、応援するべき友達本人に引き留められてしまっている。コレではデジタルとの距離が遠のくばかり……♡ チップとデール。

 今は有名ウマ娘のぬいぐるみが景品のクレーンゲームに張り付いてるデジタルのため、二人で飲み物を買いに付近の自販機へ寄っているところなのだが、いなくなるならこのタイミングだと思って山田に話したら待ったをかけられて壁ドンされてるのが現状だ。はわわ。壁ドンはマジでドキドキするから他の人には絶対やるなよ。

 ──正直意外だった。

 きっと山田なら『ありがとう! 後は自分でなんとかするよ!』とか言って頑張ってくれると思っていたのに、蓋を開けてみれば一人じゃ無理だと弱音吐きまくりの純情男の子が目の前にいて、思わず面食らってしまった。しっかりイけ。オラッ天高くいななけ。

 

「お、お願い、今日はずっと一緒にいて……」

「待て待て。なんでそんなに緊張してるんだよお前? 別に今日すぐ告白するわけでもないんだし、いつも通り二人で遊べばいいだけ──」

「ふっ二人きりで遊んだことなんてないよ!? いつも近くには他の同志とかファンの方がいたから僕らはいつも三人以上だったんだ!」

「わ、わかった。分かったから一旦落ち着けって」

 

 まいった。

 好きな女子と二人きりになったらバチクソに緊張してしまう気持ちはめちゃくちゃ分かるけども、彼がここまで俺のことを頼るのは想定外だ。ここで俺からの好感度を上げても意味ねーんだよバカ♡

 もしこれでデジタルと山田と俺で“いつもの三人”みたいな関係になってしまったら、関係の進展は望めないしそれでは困る。

 ここは心を鬼にしてでも一旦突き放すべきだろう。周りのお節介はきっかけだけに留まるべきで、二人の関係性は()()()()()()()見つけるべきものなのだと、夏のイベント時のやよいとの再会で学んだのだ。間に挟まる誰かが必須ではならない。

 

「落ち着け山田。ほらコーラ飲んで一息ついて」

「う、うん。……ふぅ」

「大丈夫か?」

「……たぶん」

 

 俺は山田の友人だ。

 だから余計な事はしたくない。

 他の男子なら彼らの恋路を俯瞰できる立場を面白がって、恋のキューピットにでもなってやろうかと雑な計画を考えるのかもしれないが、俺は山田の魅力的な部分を知ってるし俺なんかいなくても上手くやれると信じてる。

 

「……俺も彼女いない歴イコール年齢の男だから、あんま偉そうなことは言えないよ。経験がないヤツの適当なアドバイスほど不毛なモンはないからな」

 

 だが、そんな俺でも知っていることがある。

 

「山田。どういう経緯であれあのアグネスデジタルと縁を繋いだのはお前自身だ。きっと向こうも()()()()()のお前でいてほしいと思ってるはずだろ。緊張するようなエスコートを考えるのはまた今度にして、今日は普段のお前が思いつくようなコースで遊べばいいだけだと思わないか」

「……そ、それ、マズくない?」

 

 何がマズいってんだい純情ボーイ。

 

「だって……ゲーセンでウマ娘グッズ取って、ウマ娘ショップでウロウロして、推しが出てる映画とか広告を見に行ったり……そういう事しかしないんだよ、僕……?」

 

 ……まぁ問題無いだろう。というか慄きすぎ。生徒会役員の風上にも置けないわ。ちゃんと恋愛して! 責務でしょ。

 

「いけるぜ」

「ほんと……?」

「おう。いけるいける」

 

 今までの様子からして多分アグネスデジタルも似たような感じだ。それこそ似た者同士ってことでめちゃくちゃ相性良いじゃないか。心配して損したぜ。

 下手に普通ぶるよりオタク同士の距離感でいた方がいいのは間違いない。向こうが求めてるのはカッコいい男子ではなく同志ダーヤマなのだ。笑顔と同じくらい優しい触り心地のお腹ぽよぽよ抱擁感バツグンのヤーマダ♡

 山田が今回やるべきなのは、今日のような偶然の出会いに期待するのではなく、これからも定期的に遊ぼうと誘えるような"距離感"をゲットすることだ。

 今までは複数人でいたから言えなかっただけで、二人きりで逃げ場がない状態であれば緊張感からのバグりも期待できる。バグれ山田。世界を救え。

 

「あー……なんか最近、中央ウマ娘たちの中で話題になってるスイーツとかないのか?」

「ウマスタで話題になってるパフェはあったけど……デカ盛りのやつ……」

「それそれ。そういうのを途中で挟めばちょうどいい時間で解散できるだろ。ウマ娘たちの中で話題だから、って理由でさりげなく誘えるし」

「……そう、だね。それは確かに」

 

 よーし山田も乗り気になってきたな。そろそろ秋川ワゴンはクールに去るぜ。

 

「じゃあもう行くわ。デジタルさんには急用ができたとか適当なこと言っとい──」

 

 と、そう言いかけた瞬間。

 

「──あっ! お二人とも~ッ!」

 

 間の悪い事に、自販機前で話してる俺たちをデジタルが見つけてしまった。

 彼女の腕には見覚えのあるウマ娘のぬいぐるみが抱かれており、どうやら狙っていたものを無事に確保できたようだ。にしても早すぎる。流星のロックマン。

 

「ふへへ、お飲み物を買ってきていただく前に取れちゃいましたぁ……」

「す、凄いなデジタルさん」

「それほどでも……! えと、こちらアストンマーチャンさんのぬいぐるみでして」

「いいなそれ。俺もバージョン違いのやつ持ってるよ」

「ヴぇッ!!? あっ、アストンマーチャンさんの立体化グッズはこれが初の商品のはずでは……!?」

「あー……えーと、本人に試作品を貰って」

「ギョえーッ!! みっ見てみたいですぅ! プロトタイプぅっ!」

 

 やばいやばい、咄嗟に返事を返したのが俺だったせいで会話が二人だけになってしまっている。おい山田! お前も勝負に乗れ! べらぼうめ。

 モゴモゴしたまま視線を右往左往させる山田に構わず、デジタルは興奮した様子で会話を続ける。

 

「あっ、あのっ、そういえば先週に公開された恋愛映画なんですけど、中央のゴールドシチーさんがご出演されてるそうですよ! 恋はダービー、っていう作品で……」

「あー、それCMで聞いたことある。なぁ山田」

「う、うん。主演女優さんがみんなウマ娘のやつだよね」

「それです~! 実はここの映画館でもやってて、そろそろ上映開始らしいんですけど……よければ三人で観に行きませんか?」

 

 自分のリュックにぬいぐるみをしまい込み、改めて背負い直してからふんすっと鼻息を荒くして提案してくるデジタル。なんておおらかな笑顔なのだ……♡

 中央のウマ娘が何らかの役で出演している映画──気にならないと言えばウソになる。

 それにゴールドシチーというウマ娘は、世間の情報に疎い俺でも知ってる有名人だ。

 唯一購読してるウマ娘の雑誌で度々その姿を確認しているモデルのウマ娘──とはいえ、映画の公開期間は長いのだし今わざわざ彼女の勇姿を観に行く必要はない。

 早いとこ山田とデジタルを二人きりにしたいのだが……。

 

「……いいですね、映画……はは」

 

 この普段はコミュ力強くて陽キャとも対等に渡り合えて生徒会役員でもあるとかいう最強オタクのくせに、好きな女子の前だと固まってしまう友人を放っておくわけにはいかない。

 ずっと付き添うわけにはいかないが、少なくとも緊張が解けるまでは見といてやらないと最悪逃げる恐れがある。

 それにわざと二人きりにしようとして、こういうタイミングでニヤニヤしながら『邪魔者は消えるから二人で観てきなよ~w』とか言いながら消えたら逆に白けること間違いなしだ。映画までは付き合おう。

 

 とりあえず館内まで移動して、空いてる席を確認──こ、これはっ。

 

「空いてる席……真ん中の二つと前列のいくつかしかないな」

「う、うん……」

 

 デジタルはポップコーンを買いに並んでいて、俺たちがチケットを取ろうとしているところなのだが、これはまたとないチャンスだ。

 予想以上に席の空きが少なかったが好都合。さりげなく山田とデジタルを隣同士にして、俺は前列で映画鑑賞。

 上映終了後に感想を言い合い、別れを惜しみつつ『別の用事があってそろそろ時間だから』と建前を作ってここを出ていけば、とても自然に彼らを二人きりにできる。

 隣同士で映画を観た二人はテンション高めのままこの日を最後まで過ごせるし、二時間弱とはいえ近くにいなかった()()()()()が消えたところで名残惜しくもなければ無理に引き止めようとする気持ちも湧かないはずなので、この作戦ならば間違いない。

 

「お待たせしましたッ!」

「うおっ。……早いな、デジタルさん」

「いえいえ。それで、どうかされました? この時間の席の状況は……あっ、なるほど。空いてる席がバラけているんですね」

 

 また予想以上に早くデジタルが戻ってきてしまった。せっかちさん♡

 これでは内緒話しながら鑑賞席を操作することができない。どうする家康。

 

「お二人とも真ん中で観たいですよね……? では、このルーレットアプリを使いましょうっ。映画鑑賞の席は恨みっこなしで。それがオタクの鉄則です、ふふ」

「おー……そうだな。山田もそれでいいか?」

「も、もちろん。僕も真ん中の席で観たいな」

 

 おぉ、前列に逃げようとしなかったな。それだけで偉い。心も体もあったかいよ。

 

「デジタルさん、止めるボタンは俺が押していいか?」

「ええ、どうぞ!」

「よし……」

 

 彼女からスマホを受け取り、ルーレットの回転をスタートした。

 

 ──説明しよう! 実はこのアプリ、うちのクラスの連中も使ってるほど使いやすいルーレットとして広く普及しているものだ。

 ゆえにその仕様は把握している。コイツはめちゃくちゃに回転が速いものの実は『目押し』が可能で、タップしてから減速して二秒後に止まるのだが、言ってしまうとタップした瞬間に矢印の部分にあった名前の()()()()対象が選択されるのだ。

 クラスメイトたちと昼休みの時間に、ルーレットで負けたやつが走ってパンを買いに行くとかいうカスみたいな賭け事を何度もやってたおかげで発見できたこのアプリの穴だ。

 つまりはタップする際に反射神経と計算に集中すればいい。

 ルーレットに選ばれた人間が前列の一つ空いてる席に座ることになるため、山田・デジタル・俺の順番で並んでいるなら、押すべきは『デジタル』が矢印に被った瞬間だ。そうすれば選ばれる対象が俺になって山田とデジタルが隣同士の席になれる。

 一瞬でも遅れたらルーレットの仕様上、なんとデジタルと俺が隣になってしまう。それだけは避けなければならない。俺と山田が真ん中になるよりヤバい最悪の展開だ。

 なので。

 

(いくぞサンデー。今すぐユナイトだ)

(ん……集中力を研ぎ澄ませた場合の反動、ちょっと大きいけどいいの)

(必要経費だよ、この際しょうがない)

(わかった)

 

 そう、常人には難しい目押しでもユナイトした状態なら十分に可能なのだ。注意するとしたら強く握りすぎてスマホを破壊しないよう気をつける事くらいだろう。

 よし来いデジタル。デジタルデジタルデジタルデジタル──ッ!

 

「っ……! ……おっ」

「秋川……?」

「……っあー、マジか。俺だわ。今回はついてなかったな」

「あれま。本当ですね……残念。こればかりはルーレットなので致し方なし、です」

「おう、真ん中で見たかったが残念だ。ってことで中央の席は山田とデジタルさんだな」

「ぁ……っ! ──そ、そうだね!」

「ダーヤマさんはポップコーン、どっちの味がいいですか?」

「あっ、で、デジたんさんが先に選んでどうぞ……!」

 

 やったぁ~! 作戦は成功です。これも俺と相棒だからこそ成せる愛の技ってワケ。帰ったらベロチューで労ってあげような。貴様をな。

 

(ばーか)

 

 その相棒にはまともに相手にされなかったが気にせず館内へ入っていく。

 上映される一番大きなシアター内の人数は凄まじく、また席についている他の客の手荷物にゴールドシチーの小さいぬいぐるみなどが付いている辺り『恋はダービー』という映画自体の良評判もさる事ながら、彼女の出演情報による集客パワーもなかなか侮れないようだ。

 かく言う俺たちも出演してるウマ娘目当て。

 ユナイト状態で神経を研ぎ澄ませたせいか現在クソ眠いしムラムラし始めてきたが、映画を観終わった後のプチ感想会でしっかり話題に乗るためにも、せめて全体の大まかな流れとゴールドシチーが登場してる場面は死んでも脳に焼き付けよう。

 

 

 

 

「っスゥー……あ゛ー……ハァ。……ずびっ」

「……秋川、ちょっと泣きすぎじゃない?」

「あ、あはは。確かにウルっと来る場面はありましたからね……」

 

 ──とんでもなく良い映画だった。

 評論家が語るような作品としての良し悪しは抜きにして、とにかく俺自身の感性にブッ刺さりまくった映画だった。恥ずかしげもなく号泣してしまったくらいだ。やっぱ映画館(ナマ)は最高だわ。

 映画は複数のヒロインたちと一人の少年が織りなす恋愛モノで、肝心のゴールドシチーはサイドストーリーで主人公にフラれる損な役回りだったのだが、逆にそこが果てしない高評価ポイントだった。

 

「はァ゛ー……」

「……えと、やっぱり凄かったねゴールドシチーさん。映画も面白かったけど、すごく自然な演技だったというか」

「ですねっ。あたしも途中から見入っちゃいました」

「あぁ……本当にゴールドシチーがやばかった。マジで中央のウマ娘がどうとか一ミリも関係なく、完全にはまり役だった。あいつモデルというか役者だろ。何であんなフラれた時の『あっそ、別に分かってたけど。……ほら、グズグズしてないでさっさとあの子ん所へ行っちゃいなさいよ』って我慢しながら強がる演技上手いんだよマジで泣く……」

「ほ、ほわ……」

「秋川ちょっと落ち着いて……?」

 

 マズいめちゃくちゃ早口ポタクになってた。小生反省。

 本当にいい映画だったのだ。

 今回ばかりはあの映画に誘ってくれたデジタルには感謝してもし足りないしもう愛してるまで言っていいレベルだ。それほどまでに感情が揺さぶられてしまった。

 そうだよな。

 勇気を振り絞って告白したにもかかわらず想い届かずフラれると心底きついけど、その場で落ち込んで相手に気を遣わせたりするのは嫌だから、たとえ空元気だろうと強がっちゃうんだよな。

 苦いだけの中学の頃の失恋の思い出が今日だけは美しい一つの経験だと思えたぜ。ありがとう新作映画。ありがとうゴールドシチー。あとでファンレター書いて送ろう。

 

「恋はダービー……まさにタイトル通りの映画だったな」

「そうだね……ぁ、あの、ごめん二人とも。僕ちょっとお手洗いに……」

「はいっ。デジたんたちはここのベンチで待ってますので」

「行ってこい……俺は余韻に浸ってる……」

 

 いつの間にか俺たちはまた自然とウマ娘グッズストアの付近まで来ていたらしく、山田がトイレに行ったあと休憩がてら二人でベンチに腰かけた。

 

「いやはや、本当に心揺さぶられるいい映画でしたねぇ」

「デジタルさんはどこら辺が良かった?」

「それはもちろん失恋後のシチーさんがお姉さんに抱きしめてもらいながら慰めてもらってるとこですね! しかもあそこ何気にお互いの尻尾がちょっと触れ合ってて……ひゅうわっ! 思い出したらっ、あっ! ウマ娘ちゃん姉妹の絆っ、はォっ、尊い……無理……」

 

 再び感情の沼に沈んでいるデジタルと同様に、思わず映画には感動してしまったが、もちろん本来の目的を忘れたわけではない。

 俺の目的は山田とデジタルの仲を縮めるためのサポートであって、三人グループの中の一人としてここに留まることではないのだ。

 映画の感想についてホテルで朝までじっくり語り明かしたい欲をグッと堪え、早急にこの場を立ち去らねば。立つ鳥跡を濁さず。

 

「あ゛ッ! パンフレットを買うの忘れてました! なんという失態……」

「デジタルさんがポップコーンの列に並んでいるときに買っといた。はいこれ」

「わわわっあぁありがとうございますぅ! いくらでしたか!?」

「八百円でいいよ」

「お納めください! ──おぉぉ、表紙から既に! 輝きが! お°ッ」

 

 荒ぶるな! 急いては事を仕損じる。

 とても盛り上がっているところに帰る旨を伝えるのは水を差すようで心苦しいが、これも今後の為だ。

 あの修学旅行の時に山田を見つけた際の嬉しそうな態度や、これまでのウマ娘オタク同士としての付き合いの長さを鑑みれば、担当トレーナーさんがスパダリ無敵マンでもない限りデジタル側からも少なからず山田を異性として意識しているはずだ。

 あとは頑張れ親友。今度こそ秋川葉月はクールに去る。

 

「……ん?」

 

 さっさと戻ってこないかなあいつ、と一瞬黙る時間があった。

 そして、その時にふと声が聞こえた。

 もう一度耳を澄ませながら辺りを見回して音の発生源を探すと、該当するであろう正体を発見した。

 

『今度の新カードはスッゲェんだぜ!』

 

 グッズストアに設置された小さいテレビ画面からだ。ゴールドシップの声が聞こえる。

 ちょっと音質が悪いものの、あそこで今日俺たちが買ったカードゲームのCMが流れていたようだ。

 

『ここからはメジロの独壇場ですわっ! これが私の新たな力、戦術(タクティクス)カード──“貴顕の使命”ッ! さらに──!』

『わわっ!? もしやこのカードたちはッ!』

『人気投票で上位だったカードたちも再収録だァッ!』

TCG(トレーディングカードゲーム)・ウマデュエルレーサー! ロード・オブ・ザ・クイーン、発売ッ!』

『キャンペーンで特別なゴールドシップさんをゲットです!』

 

 ……おぉ。

 フル尺であのCMを見たのは今回が初めてだ。ナレーションが意外と豪華なんだな。

 目立つ部分がゴールドシップとメジロマックイーン、途中でもしやと再録カードに驚くのと一番最後のキャンペーンの告知が──隣にいるこの少女の声だった。

 

「すごいなデジタルさん。ウマデュエのCMにまで抜擢されてたんだ」

「えっ……」

「……?」

 

 あれ。

 何か変なこと言っただろうか。

 

「──あっ、いえ。なんと言いますか……あの、今のでよくあたしだと分かったなぁ、と……」

 

 隣にいる相手の声なんだからそりゃ分かるだろう。生ASMR♡

 

「えと、ほら、画面にデジたんのカードは出てませんでしたし……音質ガビガビだったし……」

「いや、さすがにデジタルさんの声ならアレくらいでも一発で気づくよ」

「……は、はぁ。……そう、ですか……」

 

 明確な縁を繋いだ相手の声であればあまり忘れることは無いし、ハチャメチャな美少女で友人の想い人でもあるデジタルとなれば尚更だ。あまりボクチンを揶揄うなよ?

 

「っ…………」

 

 なんかチラチラとこちらの様子を窺ってる。何だよどうした美しくつつがない女。

 

「どしたの」

「……お、怒らないで聞いてもらえますか?」

「怒るわけないでしょ……」

 

 安心して話してね♡ 何があったらそんな展開になるというんだ。おマヌケさんめ。

 

「その……秋川さん、メジロドーベルさんたちお三方と同じお店でバイトされてますよね」

「えっ? あぁ……まあ、うん」

 

 一時期"有名ウマ娘のバイト先"とトレンド入りするくらい話題になった喫茶店だ。唯一の男子のアルバイトが俺であることを知っててもそこまで不思議ではない。

 

「それから……学園側が主催の大きなイベントにもスタッフとして参加してたと聞きました。高校生のスタッフ募集はしてないはずのイベントにもいて、新しく学園に来たトレーナーさんとも面識があるって話が上がって皆さん驚かれてましたし……」

「……そ、そうね」

 

 たしかに夏のイベントの時は理事長秘書補佐代理という立場で多少いろいろなウマ娘と交流はしたが、樫本先輩との関係が噂として流れているのは初耳だ。そもそも何で学園で俺の話が話題に上がるんだろうか。

 

「何より……アストンマーチャンさんのぬいぐるみの件といい、あのお三方以外にもウマ娘ちゃんのお知り合い……たくさんいらっしゃいますよね……?」

 

 そうだね。そうだわ。

 なんかいざ自分の状況を改めて言語化してもらったら、結構変わったルートを進んでることに気がついた。友達と言われてパッと思いつくのは山田くらいだけど、俺って案外知り合いが多いんだな。

 ──で、だからなんなんじゃい!

 お前は何が言いたいんじゃい。

 

「ですから……ですから、えぇと……音質があんまり良くない古めなデバイスから流れてる音声だけでもあたしの声が判別できるほど、あたしの事を認識してくださっているとは……思わなくて」

 

 はぁ。

 確かにここのウマ娘グッズストアの広告用のディスプレイはだいぶ年季が入ってるが、聴き取れないほどだろうか。トランシーバーよりはマシくらいだ。

 

「ほ、ほら、ウマ娘ちゃんたちってすっごくかわいくて尊いじゃないですか! そんな天使ちゃんたちとたくさん仲良くしていらっしゃるのに、秋川さんが修学旅行中に()()()()()会っただけのあたしなんかを覚えててくれるなんて……なんと言いますか、その、何だろう、えっと……」

 

 口ごもるアグネスデジタル。マシンガントークするかこっちに振るかハッキリしなさいね。そのままだと焦って言いたいことも言えないよ。心の底から愛おしい。

 とりあえずそろそろこっちも言いたいことを言わせてもらおう。

 デジタルはまず今日この状態に至ることになった大前提を忘れている。

 

「なぁ、デジタルさん。覚えていてくれたのは君の方だろ」

「えっ──」

 

 そもそもこのショッピングモールに訪れてから、最初に声をかけてくれたのはデジタルの方だ。

 彼女が話しかけてきて、この目の前にあるグッズコーナーでクジを回すことになったからこそ、二人で昼食を取ることになってそこで山田と合流できたわけだし、三人で面白い映画を観ることもできたのだ。全部デジタルのおかげである。

 あと自分のことを“なんか”って卑下するのもう禁止な。もし次言ったら鳴かせてしまうよ? 壮絶アクメ・ボイスを。

 

「一度会っただけって言うけど、そうだよ。ファン間の繋がりがある山田と違って、俺はデジタルさんにとって数あるうちの一つに過ぎない撮影会の日に()()()()()、一緒に雨宿りをしただけのただの男子高校生だ。それなのに……きみは俺のことを覚えていてくれた」

「それは……」

 

 これに関しては本当に意外だった。

 本当にたった一度雨宿りを一緒にしただけの仲であり、山田経由で話すようなこともしなかったから。

 

「俺からすればデジタルさんはとんでもない有名人だ。忙しい人だってことも何となく分かるから、こっちが覚えてても君には忘れられてる……ってなってても全然おかしくはなかったし、むしろ立場的にはその方が自然だよな」

 

 間違いなく、それが普通の流れであるはずだ。

 だというのに。

 

「でも今日はデジタルさんの方から声をかけてくれて──すげえ嬉しかったんだ。本当だよ」

「……秋川、さん」

「改めてありがとうな。今日、わざわざ俺に声をかけてくれて」

「……っ!」

 

 デジタルに声をかけられて歓喜したのはマジだ。もちろん山田の事もあるが、特別な繋がりを持っていないにもかかわらず俺を覚えていてくれたことが純粋に嬉しかった。デジタルはカード化されるレベルの有名人なので、ミーハーと言われてしまえばそれまでだが。

 

「あ、あのっあの! あたしもですっ! とっても嬉しかったって、あたしも言いたかったんです!」

 

 うおっ急にスゲェ食いつきっぷり。急くな! 犬も歩けば棒に当たる。淑女の嗜みを大切にね。

 

「はは……似た者同士かもな、俺たち」

 

 そう、似た者同士なので二人とも山田に惹かれたのかも。これも運命ってやつ。

 

「そ、そうですね。なんかお互い言ってること一緒ですし……えへへ」

 

 は? かわいすぎ笑顔は禁止っつったよな。メスはいかなる際も笑顔! 困った態度を取ってくれるものだ。深く憂慮する。

 マジで危うく恋しちゃうところだったんだが。それ以上距離を詰めてきたらヒロインにしちまうからな? 引き際を見誤るなよな。

 こちとらユナイトで中途半端に神経使ったせいでムラついてるんだわ。あんまイライラさせんなし。ままァ♡ ママっ♡ まんまっままんまっ!

 

「…………恋はダービー、か。……うん、受け身のままじゃダメだ。あたしも出走しないと……っ」

 

 小声で先ほどの映画を思い返すデジタル。どうやら余程気に入った作品だったようだ。一緒にゴールドシチーへのファンレター書かない?

 

「秋川さんっ」

「ん?」

 

 結構トイレが長引いてる山田に『早く戻ってこい』というメッセージを送るべくスマホをポケットから出した瞬間、横のデジタルから声をかけられた。

 何というか、真剣な眼差しだ。緊張しているようにも見える。

 まるでデジタルに対面した時の山田と同じように表情が強張っている……が、どこか腹を括っているような、固い決心も瞳の奥に見受けられる。

 

「……」

「あの、ですね」

「……っ!」

 

 ──表情から相手の精神状態を読み取れるのは、幼い頃から本家で様々な年上のウマ娘たちから話を聞いていた経験からいつの間にか身についた能力だ。

 年齢を気にすることなく素直に俺を指導者として見ていたウマ娘や、相手が子供だからと話の半分もまともに聞かなかった選手に、それから子供だからこそ本家の過酷な教育体制から救うことができないかと思い悩む優しい少女など、様々な種類の表情の揺れや感情の機微などをこれでもかというほど見せられてきたからこそ、デジタルの心境の末端くらいなら俺でも把握することができる。

 まして彼女はウマ娘だ。

 俺からすればデジタルたちウマ娘のほうが感情を読みやすい。こう見えてもメンタリストの免許はゴールドなんですよ♡

 

「こ、今週の土曜日なんですけど……」

 

 ピクリとも耳が動かず、尻尾が若干上向きになる。

 これは緊張しつつ、思いきって大事な事柄を伝えてこようとしてくるときの特徴だ。ライ……ライト……名前は忘れたが、年上として放っておけなくなってしまったウマ娘が、一時の気の迷いで俺を連れ出そうとした際にこのような兆候を見せていた。

 つまり、告白だ。

 もちろん色恋沙汰におけるあの告白ではないだろう。ただ、おそらくこの場で、今この瞬間に置いて口にするには少々憚られるような内容の事柄を、彼女は告白しようとしている。

 これは俺の脳が出した危険信号。

 流されるまま話を聞いてはいけないという警告だ。

 

「あっ、デジタルさん」

「っ……? は、はい」

「そういえばデジタルさんの連絡先、まだ貰ってなかったよな。今のうちに友達登録しとかないか?」

「えっ……あ、そっ、そうですねっ。あたしとしたことが忘れてました。うっかり……」

 

 聞き分けがいいなぁ。かわいらしいなぁ。舐めてんの?

 スマホのコードを読み取らせ、連絡先を交換した。最悪の場合、言いたいことはコレで言ってもらえればいい。ファンレターお待ちしてます。

 

「また山田と一緒に三人で遊びたいしさ。今度は俺のタイミングで二人を誘ってもいいかな? ……あっ、デジタルさんは結構忙しいか」

「いえっ、あの……この時期は比較的落ち着いてるので大丈夫です! 秋川さんとダーヤマさんさえよければ、また──」

 

 そこで彼女の声を遮るように、スマホが着信音を通知した。

 

「あ、ごめんなさい、ちょっと電話出ますね。──うぇアっ、た、タキオンさん!? もしもし! どどどうかされましたかッ……! ……はぇ。実験の余波で髪が伸びすぎて身動きが取れない……? わっ分かりました! 今すぐ救援に向かいます!」

 

 事情をこちらにも分かるよう復唱してくれたデジタルのおかげで大体は把握できた。

 同じアグネス繋がりで、修学旅行の際に見たように普段から仲良くしてる友人のピンチとあれば、ウマ娘ちゃん第一のデジタルは直行するしかないだろう。

 

「あの、そういう事でして……」

「こっちは大丈夫だよ。山田にも俺から伝えとくから」

「ごめんなさいごめんなさい! 今日はあたしから誘ったのに……あのっ、今度またいっし──さっ、三人で遊びましょう。ではっ! ごめんなさ~いっ!」

 

 焦りながら謝り倒して風のように去っていくデジタル。ワタワタしてる♡

 

「あっ、あのっ!」

 

 と思ったら一回立ち止まって振り返った。見返り美人。

 

「あたしもちゃんと()()()()っ! ……と、ということでっ!」

 

 そう言って意味深な発言を残したアグネスデジタルは、今度こそモールを飛び出し俺たちの前から姿を消したのであった。

 今日このあと彼女と山田が過ごすはずだった時間を考えると残念だが、彼女の中から妙な雰囲気を察知してわざと発言を遮った事を考えると、今回ばかりは電話でデジタルをこの場から引き離してくれたあのマンハッタンのサポーターさんには感謝しておくべきかもしれない。

 

 今週の土曜日……その後に続く言葉はなんだったのだろうか。

 

「…………秋川、おまたせ」

 

 デジタルを見送ったあと、すぐに山田がトイレから出てきた。

 

「おう。腹、大丈夫か?」

「うん……平気」

「それならよかったが……デジタルさん、タキオンってウマ娘に呼ばれて帰っちゃったぞ」

「そ、そっか」

 

 チラチラと俺の様子を窺う山田。どうしたのかな。心配しなくても俺は逃げないよ。

 

「その、デジたんさんのことはいいんだ。ちょっと歩きながら二人で話そう」

「……? おう」

 

 

 

 

 少し経って、俺たちは外にある噴水広場へやってきた。

 今は山田が付近のソフトクリーム屋に並んでくれており、俺は噴水近くのベンチで一休みしている。

 ……話ってなんだろうか。

 デジタルだけでなく先ほどの山田からも真剣な雰囲気を感じ取れてしまった。

 彼の真剣な話と言えばデジタルへの告白以外にないと思うが、デジたんさんのことはいいんだって言ってたし見当がつかん。

 こわい……ドキドキ……。

 

「おっ? なぁ、もしかしてあそこにいんの、前にトレンドに上がってた喫茶店の高校生じゃね?」

「マジじゃん! ねぇ君っ!」

「えっ……」

 

 そわそわしながら待っていると、制服を着た他校の男子二人組に絡まれた。やばい人生初のナンパだ。

 

「な、な、今ちょっといい?」

「何でしょうか……」

 

 同い年くらいなのについ敬語使っちゃう。街中で声かけられたの初めてでド緊張状態。

 

「あのさ、もしかして君サイレンススズカがいるバイト先で働いてたりする?」

「い、一応……」

「ほら! やっぱ本物じゃん!」

「やべー……! あ、あのさ、オレらマジで怪しいモンとかじゃなくて」

 

 目の前で勝手に盛り上がられてると怪しいモンにしか見えないのだが。

 もちろん気持ちは分かる。俺も似たような事をしない自信はない。

 仮にこの男子たちがサイレンススズカの熱烈なファンであるなら、少しでも本人と近い距離にいる相手であれば話を聞きたくなるのも、心境としては理解できるのだ。

 しかし、まさか俺自身が質問される側になるとは思っていなかったので。

 何というかめちゃ焦ってる。どうしよう。

 

「ちょっとあそこでのバイト中の話が聞きたいっつーか……その、ぶっちゃけアルバイト以外でもスズカとの付き合いってあったりすんの?」

「もしかして連絡先とか知ってたり──」

 

 まるで遠慮する様子のないもう一人の少年がそう言いかけた、その時だった。

 どう対応したものかと狼狽していると、彼らの横から割って入って俺の手首を掴み、()がベンチから立ち上がらせてくれた。

 

「ちょっとごめんね、僕たち先を急いでるから」

 

 現れたのは少し太った眼鏡の彼。

 はわわとこまったときに山田くん参上。

 二つのアイスクリームを器用に片手だけで持っている姿がやけに様になっている。

 

「行こう、秋川」

「あっ……う、うん」

 

 そのまま俺の手を引いて噴水広場を離れていく山田。

 さすがに今回は心の底から助かったと感謝の握手を求めたいレベルだ。なんでナンパ風の通行人と絡まれてる人とそれを助ける相手が全員男なんだよ。全然嬉しくねーぞ。ドキドキ……。

 

「はい、アイス」

「お、おう。サンキュ……」

 

 で、横を見たら気づいた。

 やっぱり山田もさっきのデジタルに似た表情の強張り方をしている。なんというか一周回って落ち着いてる感じだ。

 デジタルの時は危険予測のアラームが脳内に響いたが、不思議な事に今回は大人しいままだ。話を聞いた方がいい、という事なのかもしれない。マジで本能的な直感に過ぎないが。

 

「…………恋は、ダービー……だもんね」

 

 なんか呟いてる。聞き覚えのある単語だったがデジタルといい山田といい、二人ともそんなにあの作品にハマったんだろうか。やっぱり三人でファンレター書かない?

 

「秋川、あのさ」

 

 歩きながら、ソフトクリームを味わいながら。 

 山田は普段より少し重みのある──しかし明るい声音で話しかけてきた。

 

「君のおかげで目が覚めたよ。いつまでも支えてもらってばかりの自分じゃダメだってこと」

 

 突然何を言い出すかと思えば。お前のことなんざいつでもいつまでも支えてやる所存だが。

 

「今日の僕、徹頭徹尾カッコ悪かったよね。なのに秋川にばかり頼って……だからきっと、僕は出走ゲートに入る資格すら持ってなかったんだ」

 

 そんなに自分のこと悪く言わんでも。デジタルもそうだったけど、きみたち自分を過小評価し過ぎな。

 ていうかさっきから言い回しが気になるんだけども。出走ゲートって何のことだ。ダイエット?

 

「だから僕も──走るよ。ウマ娘さんたちだっていつもレースの中で自分を磨いてるんだ。指をくわえて待ってるだけじゃ……観客席にいたら勝つどころか、戦う舞台に立つことすら出来やしない」

 

 ちょっとよく分からないが真面目な雰囲気は感じ取ってるよ。できればもうちょっと明確に何が何なのか話してほしいなとは思ってるけど。恭賀新年。

 

「だから、お礼。そのアイスクリームはソレを僕に気づかせてくれた君への礼なんだ」

「え……奢りってこと?」

「そうなるね」

「いやいや、それは良くないって。いくらだった? ちゃんと返す」

「だ、だからお礼だってば」

「いやでも」

「わっ、分かった。分かったよ。じゃあ今度何か別のことで手を貸してくれたらそれでいいから」

「そうか? ならそうするわ」

 

 抽象的でシリアスっぽい雰囲気で誤魔化せると思ったら大間違いだぞ。俺が明確にお前の何を助けたのかもハッキリしてないのに奢られても困るんじゃい。そこら辺しっかりね。

 

「……とりあえずダイエットはする」

「えぇッ!!?」

「……そんなに驚くことかな」

 

 いや、だってお前……あぁ、いや、止めるわけじゃないんだけどさ。

 やりたいならやるべきだろう。ただちょっとたまに山田のお腹をぽよっと触るのが楽しかった俺が個人的に名残惜しいだけだ。さらば癒しのお肉たち。

 

「じゃ、今日のところは帰るよ。また学校でね」

「またな」

 

 そんな感じでぬるっと解散したわけだが──困った事がある。

 

 デジタルと山田が二人して言っていた『走る』とはどういう事なのか、という謎についてである。

 最初はデジタルが個人的に自分の出走レースを頑張るという話だと思っていたが、山田も似たような事を言い出してワケが分からなくなってしまった。

 あの二人が何かを強く決心した──分かっているのはそれだけだ。

 とはいえ分からないままでは今後何かしらで俺が二人に迷惑をかけてしまう場合が考えられる。

 だからなんとか今日の会話の中からヒントを見つけ出して、あの二人の決意の真相を見抜かねばならないのだ。

 

 思い出そう。今日は何があった? 記憶が鮮明な順に掘り返していこう。ムラムラして記憶の足腰が小鹿のようです♡

 さっきはアイスを食ったがその時点で山田は決意を固めていた。ならもう少し前だろう。

 じゃあデジタルと俺が話していた時か? だがその時点ではデジタルも”走る”と覚悟を決めていた。

 それから遡るとなると映画を鑑賞したくらいだ。それより前といったら──

 

「あっ」

 

 ──そうか。

 それだ。

 この日の三人での始まりにおこなったこと。

 デジタルと俺と山田でウマデュエルレーサーの新弾のパックを剥いたじゃないか。

 あの時に何が起こったかと振り返ってみれば一つしか思い当たらない。

 メジロマックイーンのめちゃくちゃ特別なレアリティのカード。あの買い取り額が十五万を超える神のカードを出した事件だ。

 更にあのときデジタルは『新弾は一箱しか確保できなかった』と発言していた。

 あのメジロマックイーンのカードは一カートン……つまり二十四ボックス開封して一枚出るか出ないかの激レアカードだ。賞賛の気持ちはもちろんだがそれはそれとしてデジタルもきっと悔しかったに違いない。

 

 ウマデュエルレーサー。

 あの数多のカードを操るプレイヤーのことを人々は『出走者(デュエレーサー)』と呼び、また出走者同士が高みを目指してバトルすることを『決闘(レース)』と言う。

 そして、あの二人は()()と。

 そうか。つまり。

 

「今週の土曜日って……」

 

 スマホでとあるワードを検索にかけたが見事にヒットした。

 人気店舗での公式大会が開催されるらしく、また試験的に試合状況によって変わる3Dのアニメーション技術が使われるとのことで、出走者ならば見逃せないイベントになっている。当日の抽選を突破すれば俺でも出場が可能だ。

 これか。デジタルが言っていた『今週の土曜日』の後に続く言葉の真実は。危うくデートにでも誘われるんじゃないかとカスみたいな妄想をするところだったぜ。危なかった、気づけてよかった。

 

「……? ハヅキ、電車でどこに行くの」

「秋葉原だ! 大会まで時間がねぇから調べながらあそこでカードを揃えるッ!」

 

 わかったよ山田、デジタル。俺も腹を括る……もとい──(デュエ)るぜ。

 

 

 

 

 

 

「あ、いたいた。秋川~」

「お待たせしましたー!」

「来たな、二人とも。さっそく受付で出場登録をしようぜ」

 

 そして土曜日。

 俺は万全の準備を整えてカードショップに訪れていた。ちょうど山田とデジタルも来たようだ。

 

 この二人に誠意を見せるため、俺は今日まで死に物狂いでウマデュエルレーサーの勉強を重ねてきた。

 環境のリサーチや使用デッキの分布を徹底的におこない、過去の大会の動画や現プレイヤーのSNSなんかを漁ってプレイングをなるべく学びつつ、昼休みやバイトが無い放課後を使ってクラスメイトのデュエレーサーにアドバイスを貰いながら何度も何度も戦いまくった。

 通話を繋いで夜中までやっていたくらいだ。デッキ構築も助言を貰いながら、他の人のレシピを参考にしつつ夜通しサンデーと相談しながら組み上げた。お前の意見、マジで参考になったよ。

 

(ふんすっ)

 

 かわいい♡ いい加減にしろ。あとで肩を揉んであげるね。

 新弾が発売されてからの上位入賞はほとんどがマックイーンコンボだが、そこそこ分布が多く専用カウンター戦術カードが環境上位に刺さりまくる狂眼の叡智時空龍(マッドアイズ・アグネスタキオン・ドラゴン)を主体としたビートダウンデッキとしてまとめた。かなりの自信作だ。

 ド素人の付け焼刃ではあるが、一矢報いるだけの最低限のプレイヤーとしての常識と戦い方だけは脳みそに叩き込んできたつもりだ。まず目指すは一回戦の突破である。

 

 見果てぬ先まで続く俺たちの闘いのロード──それを踏みしめる第一歩となるのだ!

 

「……? 僕、デッキなんて持ってきてないけど」

「えっ」

 

 ん?

 

「何で?」

「へ……だって、試合で動くウマ娘さんたちの3Dアニメーションを見にきたんでしょ? 大丈夫だよ、出場しなくても観戦用のスペースあるし」

「…………」

 

 ……。

 

「秋川……? あっ、もしかして出場するの? すごいね、デッキ組んできたんだ」

 

 ……。

 …………ん。

 ……。

 ………………………………ん?

 

「あれ、山田。やんないの?」

「え、うん」

「あのメジロマックイーンのカードは?」

「アレはちゃんと大切に自分の部屋で保管してあるよ。怖くて外には持ち出せないね」

「………………そう、なんだ」

 

 

 ────俺はなにか勘違いをしていたのかもしれない。

 

 

「……受付してくるわ」

「がんばって~」

 

 とほほのほ。

 ……ちょっと普通に泣きそうになってきた。

 

「──ッ! ダーヤマさん! 下の階のショップで比較的値段が低い構築済みデッキが販売されてます! どれでもいいから買ってきてください! 受付はあと五分で終わりますので急いでッ!」

「えっ、え……?」

「デッキ一応持ってきててよかった……デジたんも出場登録してきます!」

「あれっ……カード持ってきてないの僕だけ……?」

「秋川さんをあの状態のままにしてはいけませんっ! 早く!!」

「わっぁあっ、は、はいッ!!」

 

 気落ちしながら受付を終えてデュエルスペースに移動して待機していると、時間ギリギリでデジタルと山田が滑り込んできた。お前たち……♡ 愛してる……♡

 

 



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失恋を永久に繰り返して永久凍土ツンドラのその向こう……百万人の子供たちが!

 

 

「他校との合同イベント?」

 

 いつの間にか紅葉も終わり、そろそろ本格的に冬を迎えようとしているある日の放課後。

 バイトが休みのため直で家に帰ろうと昇降口へ向かっていたところで山田に声をかけられ、気がつけば俺は生徒会室でなにやら新しい行事の内容を、生徒会長ご本人から聞かされていた。 

 つい数ヵ月前に後を引き継いだ彼らは文化祭などで大いに活躍してくれた期待の新生生徒会だ。

 在籍校をより良いものにする方法を色々な角度から探っている事は知っていたが、まさか他校と協力して開催するイベントまで用意してしまうとは思わなかった。

 

「あぁ! 映画研究部や演劇部、吹奏楽部なんかとも協力して盛大にやるつもりなんだ!」

「そ、そう。いいね……」

 

 熱く語る同学年の生徒会長に若干気圧されつつ苦笑いして肯定する。

 もちろん俺としては応援するつもりだ。

 素直に感心したしイベントの詳細も気になる。

 ただ、問題が一つあった。

 

「……で、どうして俺が呼ばれたのかな」

 

 怪訝な雰囲気を隠さずに言うと、なぜか絶賛目を輝かせている生徒会長である男子や他の生徒会メンバーとは異なり、奥の方の席で黙っている山田だけは気まずそうな表情で小さく手を合わせて謝罪の意をこっそり伝えてきた。なんだってんだい。

 まず大前提として俺は生徒会役員ではない。

 なんの役職にもついていない一般生徒だ。学校主催のイベントなど、告知こそされても事前に詳細を聞かされる理由が無さすぎる。ウマ娘の旦那であり王ではあるのだが。困ったものだ。

 

「……秋川君。実はキミにお願いがあって来てもらったんだ」

「俺に……?」

「うん! ウチの今年の文化祭はSNSで話題になるくらい盛り上がっただろう? もちろん生徒たちが一丸となって協力したから大成功したのは間違いないのだが……何よりキミが中央トレセンのウマ娘を呼んでくれた部分が成功の一番大きな要因だったと思うんだ」

 

 えへへ。実はたった一人すら呼んでないんだな、これが。

 彼女たちが平然と文化祭に訪れて一番度肝を抜かされたのはこの俺なのだ。何で呼んでないのにあんなたくさん来たんだろう。仮に誘ってもあんなに襲来してこないだろ。

 そんな偶然運がよかっただけの自分にお願いとはいったい。そこはかとなくイヤな予感はする。

 

「──合同イベントに呼べないかなっ!? キミの知り合いのウマ娘をさッ!」

 

 

 

 

「ほんっっとにゴメン秋川……! 多数決には抗えなくて……」

「いいって別に。来てもらえなかったらそれまでって話だろ?」

「う、うん……」

 

 ちょっと時間が経って帰り道。

 ようやく今朝クローゼットから引っ張り出してきたコートとマフラーを身につけて、寒風に震えながら歩いて山田と話をしている。実質デート。

 

「……実は前もクリスマス辺りで似たような行事はやったらしいんだ。その時は来た人がだいぶ少なくて、去年も役員だった今の会長はそれが心残りでさ。あのイベントには引退したたくさんの三年生を応援して送り出すって意味もあるから……盛り上げたい会長の気持ちもよく分かるんだけど……」

 

 もちろん山田が難しい立ち位置にいることは理解している。役職を考えれば生徒会側の肩を持つのが自然だろうに、それでも俺を慮ってくれて……LOVE……♡

 まあ俺としてはバイト先のウマ娘たち三人に()()()でイベント参加への提案をするだけなので、今回の依頼に関して思うところはあまりない。

 ウマ娘の彼女たちは多忙な身ゆえに恐らく断るだろうし、優しさで無理をして手を貸してくれる事態にならないよう俺と山田で口裏を合わせて、あまりスケジュールに余裕がない風に装って向こうが断りやすい雰囲気で話をする予定だ。

 もし来られないという流れになったら俺が合同イベントを手伝う。十中八九ウマ娘たちの参加は望めないに決まっているから、今回は俺という雑用が一人プラスされるというだけの話だ。

 

「とりあえず明日の打ち合わせに来てくれる? 市民センターで他校の生徒と話すときに資料を配るからさ」

「今くれないのか?」

「まだ残り5ページくらい終わってなくて……会長と相談しながらウチで明日の朝までに終わらせて、先生にも見せないと……ふふ……」

「そ、そうか。がんばれ……」

 

 どうやら山田もかなりギリギリの状態で頑張っているらしい。急かすのは酷だろうし、すぐに予定を確認したいところだが今日は我慢だ。がんばれダーヤマくん。フレーフレー……♡

 

「てか一緒にやる高校ってどこなんだ?」

「西校だよ」

「……あぁ、あそこね」

「秋川も通学路であそこの生徒とすれ違うから知ってるでしょ?」

 

 そりゃ多少は知っている。

 俺たちが東で向こうが西。部活に精を出してる連中も他の高校に比べて西校との合同練習や練習試合をおこなう機会が多く、休みの日にウチの高校の近くに寄るといつも彼らを見かける。それくらい馴染み深い別の高校だ。

 ──俺個人はそれとは別の理由で西校を覚えていたのだが、山田には関係ないことなので今は黙っておこう。

 

「んじゃね」

「おう、また明日」

 

 ちょうど十字路に差し掛かった辺りで彼と別れ、特に何を考えたわけでもなくフラッと付近の100円ショップに足を運んだ。

 これといって買うべき物はないが、折角なのでゴールドシチーへ送るファンレター用のレターセットでも選んでおこう。豪奢なやつにしてオラが恋に落としてやろ。

 そう思って気になった商品に手を伸ばし──別の誰かと手が重なった。

 

「あっ、すいません」

「いえいえ。こちらこそ……──って、あれ?」

 

 同じ品を取ろうとして手が重なるなんて今時の恋愛ドラマでも無いようなベタすぎる展開だ。

 内心苦笑いしつつ、現実だと気まずいだけなんだなと考えながら謝ってその場を離れようとすると、奇遇にも俺と同じレターセットを選ぼうとしていたその女子高生が何かに気がついて声を上げた。

 

「えっ……秋川? ちょ、待って待って、秋川じゃない?」

 

 無遠慮に顔を覗き込まれ、思わず仰け反った。

 ふわりと彼女の髪から香った甘い匂いに動揺して何も喋れないでいると、改めて顔を見て確信を持った西()()()()()()少女はあからさまな笑顔を浮かべてこちらを指差した。

 

「ぁほらやっぱ秋川だ! うわ~、久しぶり……めっちゃ普通に中学の卒業式以来じゃんっ」

「…………赤坂?」

 

 俺が秋川葉月だと分かった途端に馴れた態度で接してきたその少女は──バッグに付けた派手なアクセサリーや、極端に短いスカートなどの着崩した制服のせいで一瞬判断に迷ったが、その顔と俺自身を知っているという事実が少し遅れて俺に『この女子高生が誰なのか』を教えてくれた。

 この少女の名は赤坂美咲。

 中学時代、未熟さから出た勘違いによって無謀にも告白してきた俺を、それはもうものの見事にフッたことで人生初の失恋を与えてくれた──元クラスメイトだ。

 

「あはは。その制服ってことは秋川って東に行ってんだ。知らなかった~」

「……そう、だな。俺も赤坂が西校に通ってんの初めて知ったわ」

 

 ウソをついた。

 本当は赤坂美咲が西校に通っている事実は知っていた。

 つい咄嗟に『自分だけ進学先の情報を把握していたら気色悪いと思われるのでは』──そう脳裏に過って反射的に出てきた言葉だった。

 

「……あー、赤坂も手紙を買いに来たのか?」

「そだよ。この前観た映画で推しが名演技し過ぎててさ。もうファンレター送って感情ぶつけるしかないよねって感じ」

「そ、そうか」

「……?」

 

 まったく普段通りのコミュニケーションが取れていない。自分でそう感じてしまうほど緊張しているのは確かだ。

 赤坂美咲は中学の頃に比べてより派手めな見た目になっており、自分と違って高校デビューを上手く成功させたんだなと感心しつつ、彼女の前だとかつての情けない自分に逆行してしまっている事実に震えた。君付けも外れてて衝撃。

 ただ失恋しただけでは、こんな弱った状態に陥ることはないだろう。恋人関係にならなかったからこそ気を許し合える友人同士になれた男女の話も聞いたことがある。

 いま俺が()()な理由はフラれた直後のとある出来事に起因する。

 

 この赤坂美咲という少女は、一言で表すと"純粋"だ。

 だからこそ二年前の俺は彼女に惚れたとも言えるし、そこが赤坂の長所だということは間違いない。

 しかし、俺の場合は彼女のその長所が裏目に出た形になる。

 クラスの中で『秋川が顔を真っ赤にしながら告って赤坂にフラれた』という噂が──厳密には事実だが、そういう話が広まったのだ。

 

 赤坂にとっては何でもない日常会話における一つの話題に過ぎなかったのだろう。

 おそらく友人と話す際にポロっとそれを口にし、瞬く間にその情報が拡散されていった。人の口に戸は立てられない、という言葉の意味を真に理解した瞬間だ。

 あまり慎重に扱わない情報だったことを踏まえると、赤坂にとって俺という男子からの告白はそれほど()()()()()()イベントだったという事も分かる。

 俺が告白したタイミングもなかなか悪く、もう三年生も終わろうという時期にそのイベントを発生させてしまったため、卒業式まで俺はフラれたかわいそうな男子という扱いだった。

 

 彼女が西校だと知ったのは友人との会話が偶然耳に入ったからだ。

 だから東を志望した。元々は同じ志望校だったが、心機一転という淡い願いのもと逃げるように進学先を変更したのだ。色恋沙汰に影響されて進む高校を変えるなんて、あの時の俺はどうかしていたと思う。

 

「なになに、秋川は誰に手紙を書くつもりなん? ラブレターみたいな古の方式?」

 

 そんな古代人じゃねえ──だなんて食ってかかるのはやめておいて。

 今はとにかく普通を装って接することに専念する。

 

「いや、俺もファンレターを書いて送るつもりだったんだ。この前の映画に出てたウマ娘に送りたくて……」

 

 赤坂もファンレター目的とは言っていたが、きっと相手は今話題のイケメン俳優とかだろう。全く違う相手に感謝と感動を伝えようとして、同じ店の同じ商品に手を伸ばすとは数奇な運命もあったものだ。

 

「ほぇー。……あれっ、もしかして秋川、恋ダビ観た……?」

 

 頷くと赤坂は目を輝かせた。なんだなんだ。

 

「えー! ウチもウチもっ! 送るのってゴールドシチーちゃん!?」

「……赤坂も?」

「そだよ! マジめっちゃ良かったよねシチーちゃん……他のキャスト人がベテランしかいない分やっぱ浮いちゃうかなーって思ったけど、なんか役にハマりまくりでむしろ一番目立ってたっていうか……!」

「お、おう」

 

 まるでアグネスデジタルを彷彿とさせる興奮ぶりに思わず気圧された。確かに中学の頃からウマ娘のアクキーなんかはカバンに付けてたが、こんなに好きだったっけか。……いや、単に俺が知らなかっただけか。ウマ娘関連で言えば彼女のお姉さんがトゥインクル・シリーズの実況をやっている事くらいしか知らないし、それも風の噂で得た情報だ。やはり趣味趣向についてはほとんど知らないと言っていい。

 ──こうして話していると中学時代を思い出す。

 この少女を好いていた頃の感情は、どうやら今でも鮮明に覚えていたらしかった。

 赤坂のこういう底抜けな明るさが好きだったのだ。

 さすがに中学時代よりかは幾分か派手な見た目になっているが、垢抜ける前の彼女もこんな調子で周囲に溶け込み、良い意味で遠慮のない距離感が特徴的で──俺が勘違いする要因でもあった。

 

 レターセットの会計は済ませたものの、うまく別れを切り出せない俺に構わず彼女は『ちょっとコンビニ寄ろ』と言って先へ進んでいく。

 首筋に冷たい風が伝う時間帯ゆえに温かい飲み物でも欲しかったのか、赤坂は二人分の缶コーヒーを買って片方を手渡してくれた。

 

「ほい、秋川の。120円ね」

「サンキュ。──あ、悪い。十円玉ねぇわ。150でいいか?」

「んー。貰いすぎるのはちょっと……あっ、じゃあウチのやつ一口あげるよ」

「冗談だろ……」

「にゃはは。相変わらずウブだな~」

 

 冬を象徴するような曇り空。

 わずかな温もりを求めて缶で手を温めながら、人気のないコンビニの外で会話を続ける。

 口数の少ない俺と違い、お喋りな赤坂からは白い息がなかなか止まらない。その明るい様子は見た目こそ違えど中学の頃からあまり変わっていないように思えた。

 俺は変われたと感じていたが、どうも赤坂の前だと変わる前のよわよわ葉月君のままだ。もしかしたら最初から変われてなかったまである。 

 

「あっ、ねえ秋川。今月末って暇?」

 

 ……落ち着け。一旦冷静になって考えろ。

 多分なにかの行事への参加の誘いだ。内容を聞いてから返事しよう。

 

「何でだ?」

「あのさ、実は西校と東で合同イベントをやんだけど、今ちょっと人を集めててね? 当日の簡単な作業だけでいいから、よかったら手伝ってくれないかなーって」

「…………もしかして赤坂、向こうで生徒会をやってるのか?」

「えっ! 何で分かったん?」

 

 どうしてウチのこと知ってるのキモっ! と言われなかっただけよかった。見透かしたような発言は控えないと。

 

「そのイベント、俺もスタッフ側で参加するんだ」

「えーっ! マジ? 秋川も生徒会に入ってんの?」

「いや……なんつーか、手伝いというか……」

「ふーん……? とにかく一緒に準備できんだ、よかった! んじゃまた明日の会議でね~」

「き、気をつけてな」

「え? 何が?」

「あ……いや、帰り……」

「……アッハハ! え、なに、心配してくれたんだ。優しいね秋川」

 

 こんなしどろもどろで受け答えするくらいなら何も言わなきゃよかった。クッソ恥ずかしい。

 

「まーまー、家近いしだいじょぶだよ。心配ならついてくる?」

「いや絶対いかねえ。俺も帰る」

「だよね。じゃあ明日の放課後、市民センターでぇ」

 

 そうしてぬるっと解散した。まるで一瞬も名残惜しむ間もなく。

 明日も顔を合わせるわけだし、もはや高校は別でクラスメイトですらなくなった相手なのだから、むしろ彼女は親身に接してくれた相手だ。感謝こそすれ他に思うところはない。

 空が暗くなってきた。道路を走る車のライトもいやに眩しい。

 ……とりあえず帰ろう。

 今日のところはもう何も考えたくない。

 

 

 

 

 二日後のバイト終わりの日。

 トレーニングで休みだったマンハッタンや、即売会で出す本の締め切りが佳境を迎えて激忙し状態なドーベルは来られなかったため、俺とサイレンスの二人でアルバイトを終えた後、彼女を学園前まで見送りに来ていた。

 ちなみに練習終わりで偶然居合わせたライスシャワーもそばにいる。両手に嫁。おむライスズカ。

 

「──え゛っ!? ……き、来てくれるのか? 合同イベント……」

 

 そして別れ際にあのイベントのことをサイレンスに伝えたところ、マジのガチで予想外過ぎる返事をいただきひっくり返ってしまった。

 

「えぇ、もちろんよ。葉月くんの頼みだもの」

「ぉ、おう……マジか。そう……」

 

 とても眩しい微笑みを湛えて承諾してもらったが、なんというか逆に困って口がつっかえてしまった。

 めっちゃ断りやすいようにタイミングと内容を考え抜いて彼女に伝えたのだ。

 明らかに無理がある嘘スケジュールや、さすがに立場を弁えてないと感じるほどのカスみたいな軽いノリと態度に加え、じっくり話す時間がない別れ際にサラッと伝えるというカスの三連コンボをぶちかました──のだが、ほぼ確定なはずだった未来予想をブチ壊してイベントへの参加を許諾してくれやがってしまったのが現状だ。おじさん困り果ててしまいますお……♡

 

「いやっ、けど、本当にいいのか? ほらレースとかトレーニングとか、メディアへの露出も多いしめちゃくちゃ忙しいだろ……? 無理しなくても……」

 

 てんやわんやしながらも説得を試みたが、栗毛の少女はクスッと小さく笑うのみ。は? バカにしてんの? ママにしてしまうよ?

 

「ふふっ……心配いらないわ。スケジュールはちゃんと調整しているし、今月はビックリするほど時間があるの」

「いや、でも──」

「……それに、やっと葉月くんが()()()()()()()()()のだから、私も役に立ちたいなって」

 

 イベントへの参加を頼んだこっちが慌てているおかしな状況を面白がりつつ、サイレンスは終始やわらかな態度で受け入れてくれる。うれP! うぅ、ママ! ぼくちん、ノーブラママじゃないとさみちいんだよ。

 ……というか、普通に頼ってくれた、ってどういう事だろうか。

 

「お、俺って普通に頼ったことなかったっけ……?」

「っ? ほとんど無いじゃない。いつも一人で解決しようと頑張っちゃうし、お願い事があってもすっごく真剣な表情で申し訳なさそうに頼んでくるし……」

 

 そうかな。そうだったかも。よく覚えてくれてるね。話の続きは婚姻届けを出してからにしてくれる?

 

「……だから今日は嬉しかったわ。ようやく当たり前のように頼ってくれて」

 

 当たり前のように頼ったというか、カスみたいな舐めた態度で頼めば断ってくれると思ってそうしたのだが。

 ぜんぶ裏目に出ちゃったみたい♡ なんだか目尻が温かくなってきたぞ。

 

「そ、そうか。……あー、えと、本当にありがとうな。みんな期待してたから、サイレンスが来てくれるのはマジで助かるよ」

「そうなの? それならよかった」

 

 頑張るわね、と微笑んだくれたサイレンスはまさに天使の使い。恋心マックスハザード・オン。

 

 

「──あっぁあの!」

 

 

 そのまま二人で話していると、俺のすぐ隣にいたライスシャワーが声を上げた。びっくり。

 少しばかり彼女を置いて話をし過ぎたかもしれない。どうか怒らないで……。

 

「……どしたの、ライスシャワーさん」

「えとっ、あのね! ……そ、そのイベント、ライスもお手伝いに行っていいかなっ!?」

「へっ……?」

 

 突然の提案に俺は慄いてしまったが、サイレンスはその限りではないようで。

 ハッとした表情の後何が嬉しかったのか、口元を緩ませておむライスのそばに寄り添った。

 

「……ふふっ。葉月くんはどう? ライスさんはこう言ってくれてるけど」

「そりゃ、来てくれたらもちろんありがたいが……」

「ッ……!」

 

 チラ、とライスシャワーへ目を向けてみると、明らかに無理をして提案してくれていることが手の震えで察せてしまった。バイブレーション米。

 そもそもどうして彼女はここまで必死に協力の申し出をしてくれたのだろうか。

 たまたま近くで話を聞いていたから、雰囲気的にこのままスルーすると申し訳ないと思ったからか?

 それともさっきなんかは『あっ、バイクのお兄さん! えへへっ』と言いながらとててっと嬉しそうに駆け寄ってきたくらいだし、もしかして俺のことを愛しているのか。

 

 後者はあり得ない妄想として、動機はともかくライスシャワーが参加してくれること自体は素直に嬉しい流れだ。彼女もまた世間一般に名前が通じてるような有名つよつよウマ娘であり、参加してくれるとなれば集客力のアップも段違いになる。コラボ商品のおにぎり買ったことあります。

 ──だが、もし大幅なリスケをして参加しようとしているなら止めなければならない。なあなあで彼女の立場が危うくなってしまうような最悪の事態だけは避けたいのだ。

 

「……その、大丈夫か?」

「なっななななにがっ!?」

「すげぇ汗かいてるし……」

「汗っ!? かいたことないけどっ!」

「……本当にスケジュールは平気なのか? トレーニングとか」

「トレーニングなんてしたことないけどっ!!」

 

 ……これ以上の説得はおそらく無意味だ。素直に厚意を受け取っておこう。

 

「えーと……ありがとな、シャワーさん。きみが来てくれるならイベントもきっと大盛り上がりだ。よろしく頼むよ」

「──っ! う、うんっ! ライス、がんばるねっ!」

 

 パァっと顔が明るくなるコシヒカリ。あまりに邪気が無さすぎる。天衣無縫。

 

「よくがんばったわね、ライスさん」

「え、えへへ……」

 

 がんばってもらうのはこれからなのだが……あ、いや、明らかに奥手っぽいライスシャワーが勇気を出して参加の意思を見せてくれたことに対してのコメントか。そこは確かに感動したし小一時間ほど撫でて褒めてあげたいところだ。ムインギューーーー♡

 

「ブルボンさんのおかげだよ。自信をつけるための特訓に付き合ってくれて……」

「もしかして『不幸』って三回言ったら自爆する、って宣言してたアレ?」

「あ、あはは……そんなところかな……」

 

 なにやら二人でコショコショと話してる内容が気になるものの、とにかく当初の本来の目的は達成された。

 サイレンスたちが大変にならないよう下手な小細工を弄したわけだが、結局彼女たちがイベントに来てくれるのならそれが一番良いルートなのだ。これ以上は抵抗せず素直に甘えておこう。山田含め生徒会のみんなもきっと喜んでくれるはずだ。祭りのように。

 

「あ、ちなみに二人とも。今のスケジュールは企画段階のものだから、参加してくれるってなったら今後の会議でもう少し時間に余裕がある予定になると思うから、決まったらまた連絡するよ」

 

 本当にウソのスケジュールのままではまともなパフォーマンスなんてとても不可能だ。実際は提示したモノの三倍は時間に余裕があるから安心してほしい。

 

「えぇ、宜しくね葉月くん」

「……あの、会議ってライスたちも参加していいのかな……?」

「一緒に聞いてくれるならその方が助かるが……時間、いいのか。来週の月曜だけど……」

「もっもちろん! スズカさんと一緒にいくねっ!」

「他のみんなにもそう伝えてくれるかしら」

「お、おう。……じゃあ、また来週よろしくな」

 

 あまりにもとんとん拍子で事が進んでしまうことに若干気圧されつつも、善意でイベントへの手伝いを承諾してくれた女神二人に手を振って、その日は一旦撤退した。

 

 

 

 

「うおおぉぉ先輩のすっげぇ気持ちよかったっす! ありがとうございますっ!!」

「そ、そう……ウオッカちゃん、あんま大声でそういう事言わないでね……」

 

 あの天使二人と協力を結び付けたその翌日。

 バイトは休みだったが店のちょっとした買い出しがあり、マンハッタンが行くとのことで俺がバイクで彼女の送迎を買って出たのが数十分前の出来事で。

 マンハッタンを店の付近で下ろすと同時に、偶然にも喫茶店に入ろうとしていたウオッカちゃんと出くわしたのが数分前。

 その可愛い後輩から直々に『マジでなんでもします! だからバイクの後ろに乗せてくださいッ!』とコンプライアンスが疑われそうな条件付きでお願いをされてしまい、別に何もしなくていいと前置きしたうえで彼女を後ろに乗せ、付近を軽く一周してから喫茶店の付近に戻ってきたのが現在の状況だ。

 

「あっ、カフェ先輩すんません。俺の荷物を見といてくれてありがとうございました」

「いえ……。それで、ウオッカさん。葉月さんのバイクの乗り心地は……いかがでしたか……」

「そりゃもう最高だったっすよ! っかぁー、俺も早くバイク乗りてぇ……っ!」

 

 ちょっとした買い出しだけが目的で今日は店の手伝いがないマンハッタンはまだしも、喫茶店へ寄るために来たであろうウオッカがいつまでも店内へ入らず、俺のバイクを眺めながらマンハッタンと談笑しているのがよく分からない。なんだろうこの状況。あんまりバイクをベタベタ触るようなら薬指のサイズを脅して聞かなければならないが──しっかりと間近で見ているだけだ。どうやら他人のバイクの扱い自体はよく分かっているらしい。

 

「……そういえば、葉月さん」

 

 この状況で俺に話が振られることあるんだ。基本の挨拶はキスからがマナーだぞ! 脳に叩き込んでおけ?

 

「スズカさんとライスさんから聞きました。なんでも今月末のイベントでのスタッフを募集してるとか……」

「えっ? あ、いやそれは……」

 

 スタッフの募集ではなく直接の指名だったのだが、あの二人にはそう捉えられてしまっていたのだろうか。特別扱いではなく普通のスタッフとして全国規模での有名人が来ちゃったら裏方のみんなが緊張で爆発してしまうぞ。

 

「私も……参加してよろしいでしょうか……」

「あっ、それなら俺も手伝いたいっす! 今日のバイクもっすけど、あのときスマホを届けてくれたお礼をさせてくださいっ!」

「……………………マジで?」

 

 二人とも『スケジュールは問題ない』の一点張りで、ご厚意と強すぎる善意に負けて結局彼女たちもイベントへ来てくれる事態に陥ってしまった。どこにでもあるような普通の高校同士の合同イベントなのに、なんか中央トレセン学園のスーパーエースと期待の星が既に四人も参加してしまってるんだが。成果がデカすぎて生徒会のみんなを逆に困らせてしまう可能性が出てきたな。紹介します♡ 俺の自慢の嫁たちです♡

 

 

 

 

「……ドーベル? つまりあなたは参加しない、という事でよろしいですの?」

『まってまってまって! 絶対参加するからっ! あのっ、マックイーンちょっと電話をツッ──秋川と代わって!』

「はぁ。……申し訳ありません秋川さん。ドーベルが代わって、だそうです」

「分かった。ありがとう、メジロマックイーンさん」

「ふふっ、どうかマックイーンとだけお呼びくださ──ぁっ。……て、手が当たって……っ♡

 

 そのまま芦毛の少女からスマホを受け取り、電話の向こうにいる大忙しの作家先生との通話を開始した。

 事の発端は昨日の夜にやよいがウチに来たことから始まった。

 ……といっても忘れ物を届けに来ただけだ。彼女がウチに置いていった扇子を、校舎裏でコッソリ渡してすぐ帰る筈だったのだが、トレーニング終わりのジャージ姿のメジロマックイーンと出くわし──現在に至るというわけだ。

 どうやらメジロマックイーンもおむライスから話を聞いたらしい。あの女は口が軽いのだろうか。そんなにお手伝いできることが嬉しいの……? ますます淫靡に磨きがかかってるな。我が社の未来も明るいぞ。

 

「もしもし」

『秋川……? いまスピーカーじゃないよね……?』

「あぁ、大丈夫だ」

 

 情けない声を出しおって厚顔無恥な女だ。愛を伝えたい。心づくしのおもてなし。

 

『よ、よかった……あの、ツッキー。アタシ無理してるとかじゃなくて、本当にもう少しで作業が全部終わりそうなの。デジたんもいろいろ手伝ってくれてるしね。……だから、アタシも参加するって方向で話を進めてくれないかな……?』

「……了解した。ありがとな、冗談抜きにマジで助かる」

『そ、そう? ……気を遣ってくれるのは嬉しいけど、できればもう少しこっちを頼ってよね。今はさすがにちょっと立て込んでるけど、アタシ……いつもアンタのこと助けられるように準備してるんだから』

 

 何その淫猥極まる発言。恋人化契約締結していく。そのように考えております。

 

「……ありがとな。今のセリフちょっとキュンとしたわ」

『ッ!? ぁ、あぅっ……もっ、もう切るからっ!』

 

 そう言ってブツリと通話が途切れた。ムラムラしてるくせに♡ あとでたっぷり愛し合おうな。

 もうスケジュール云々について聞くのは諦めたが──改めて謎が残った。

 どうしてみんなこんなに優しいのだろうか。性格が良い以前にちょっと慈愛の心が育ちすぎてない? 感動したよ俺の理念が末端まで行き届いてる証拠だな。

 

「うふふっ……私もイベントでの作業、誠心誠意努めさせていただきますわね」

 

 社長に向かってその柔らかい笑みはなんだ? 明らかに恋心が隠れている。マナー違反だぞ。

 と、そんなこんなで結局ここにデジタルとゴールドシップが加わって総勢八人もの中央のウマ娘がイベントの設営に協力してくれることになってしまった。ウマ娘戦隊秋川すきすきシスターズ結成不可避だよ。業務成果にご期待ください。

 

 

 

 

 そして二回目の合同イベント会議の当日。

 委員会などいろいろあって少し遅れた俺は市民センターの近くで、歩道者側が青に変わるまでがクソ長い信号で待機をくらっていた。普通の手袋と間違えてバイク用のグローブを持ってくるし、寒いから今はこれを身に付けるしかないしで今日はなんだか厄日だ。

 それからもう一人誰かがきた。あれは──

 

「あー! 秋川っ!」

「……赤坂。お前もギリギリか」

「ふひー、走るの疲れた。いやはや先輩たちの長話に付き合わされちゃってさぁ。同級生と違って断りづらいし……」

 

 とても明るく人当たりの良い彼女のことだ、上級生などの目上の相手にもよく好かれているのだろう。

 そのまま二人で信号待ちすることになった。

 腕時計を確認したが急げば会議開始の三分くらい前までには間に合うはずだ。

 ……問題があるとすれば、隣にこの少女がいることだろうか。俺はともかく、彼女は妙な勘違いはされたくないに決まっている。

 

「ねね。……なんかこのまま入っていったら会長たちに勘違いされちゃいそうじゃない?」

「……すまん」

 

 やはりそうだった。俺の読みは結構当たるのだ。ちょっと寝込もう。

 

「あっはは、別にイヤってわけじゃないけどさ。なんつーか、やっぱお互いちょっと困っちゃうよね~」

 

 く、くるしい。いっそ開き直ってもう一回告白してガチめに困惑させてやろうかな。ちょっと静粛にお願いしますね。

 

「……青になったぞ。急ごう」

 

 信号が切り替わったため、仲間たちの温もりを求めて一目散に駆けだした。

 山田……東校の生徒会のみんな、たすけて……。

 

 

「──あっ! 皆さん、秋川さんがいらっしゃいましたわ! ほらゴールドシップ、逆立ちで寝てないで起きなさい!」

「いでっ! んだよマックイーン……もっと優しく起こしてくれよ」

「あわわっ……お、お兄さ~ん、ライスたちどこのお部屋にいけばいいか分からなくて……」

「えっ、マジか先輩ってば、徒歩なのにバイク用のグローブ付けてる……愛がスゲェ……っ!」

「…………葉月くんの隣にいる女の子、誰かしら。デジタルさん、知ってる?」

ひゃわっ耳が近いこの場のウマ娘ちゃん濃度が高すぎるぅ……! ──ぁっ、えと、あたしも分からないです……秋川さんのお知り合いでしょうか……」

「お友だちがまるで気に留めていないあたり……初対面では……なさそうですが……」

「……ツッキー、トレセン以外にも他校に女の子の知り合いがいるんだ……?」

 

 

 ──たどり着いた市民センターの前では、見慣れた少女たちが集まってワイワイしていた。

 姦しいだなんてとんでもない。ちょっとかわいい女の子が集まりすぎ。おだいりさーまとおだいりさま~♡ 桃尻幕府のつまようじ♡ モーニン林の膝太鼓~♡ きょーうはたのP……。

 

「…………? ……??? …………??????」

 

 そして俺の隣でそのアベンジャーズたちのアッセンブルを目の当たりにした普通の少女は、さらに彼女たちがどうでもいい存在であるはずの俺の名前を呼んでいることで完全に思考が停止してしまったのか、口を開けたまま足を止めて固まってしまうのであった。さすがにちょっと申し訳なくなってきた。

 

 



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安易な擬人化 反省してね

 

 

 ウマ娘たちによるお~中めっちゃアツアツ♡な熱烈歓迎を受けつつ市民センターへ入っていき、数日前と同じ会議室に着いてから気がついたことがある。

 みんながドーベルたち中央ウマ娘の登場にアホほど驚くのは分かり切っていたことであり気に留めるほどではないが、どうも東校の生徒会──もっと言うと生徒会長と山田の二人がなんだか妙な態度に感じられた。

 山田は真剣な顔で、会長は表情こそ明るいがどこか居心地が悪そうにしている。

 おそらく俺が到着する前に何かを話していたことは分かるが、その内容については終ぞ察することが出来ないまま会議が始まった。

 

「えーと……ひとまず来てくれたトレセン学園のみんなには、明日以降この地図にマークされてる場所でビラを配ってほしいんだけど……お願いできるかな?」

 

 意外だった。

 とても『有名人を呼んでくれ!』と言っていたあの会長のものとは思えない発言だ。

 こうしてわざわざトレセンのウマ娘を呼べたとあれば、彼女らのSNSで宣伝するなり、イベントで軽く歌って踊ってもらおうだとか、そういった提案をするだろうと個人的にはそう予想していたのだが。

 無論、度が過ぎた要求であれば俺自身が待ったをかけるつもりではあった。

 

 サイレンスを始めウマ娘のみんなは快く協力を承諾してくれたが、頼りすぎてイベントを派手にし過ぎたら担当トレーナーやトレセン学園の方から詰められた際に逃げ場が無さすぎるのだ。

 最悪の場合は手を貸してくれた本人である彼女たちが責任を問われるかもしれないと考え、反論用のロジックを脳内で組み立てていたのだが──なんと会議は()()()()()()()進行し、当日のプログラムにウマ娘たち本人が登場するようなサプライズイベントが組まれることは最後まで無かった。チェキ会とかやんなくていいの? 俺とのツーショットなら無料ですよ。

 

「……あれっ、会長がいねえ」

「ハヅキから見て左側の、出口の先にある休憩スペース」

「おう、サンキュ」

 

 会議が終わり、明日から配るビラの分配を室内で行っている中、俺は外に出て休憩している会長の元へ向かった。

 

「おつかれ、会長」

「……あぁ。秋川君か」

 

 ベンチに座ってお茶を飲んでいる会長からは、やはりどこか気まずそうな雰囲気を感じる。

 つい数日前の明朗快活なカリスマ性はどこへやら──それを問うために俺も彼の隣に腰を下ろした。

 

「あの……会長。ちょっと聞いていいか?」

 

 頷いてくれたため、そのまま続ける。

 

ウマ娘(あいつら)を呼んどいてあまり頼りたくなかった俺が言うのもなんだけど……どうしてあんな簡単な作業を振ったんだ?」

「……そりゃあ、若者が少ない商店街でも彼女たちが街頭で配ってくれたら多少は人の目に留まるだろう」

「ならSNSなんかで告知してもらったほうが早いじゃないか。拡散力も段違いだ」

「それは……まぁ、そうなんだけどね……」

 

 どういう心境の変化なのかが分からない。俺に提案してきたときの会長ならもっと大々的な告知を彼女たちに頼んでいるはずだ。

 

「ちょっとしたライブどころかウマ娘たちを表に出すようなプログラムも組まなかったし……なぁ、ぶっちゃけ何があったんだ? こっそり教えてくれよ」

 

 同学年だからこそできるコショコショ隠し話作戦でいくと、会長は周囲を少し見渡してから、観念したように語り始めた。機密情報垂れ流し♡ 恥を知ろう!

 

「その……山田君と少し話をしてね。『秋川(あいつ)は絶対に本物の中央の生徒を三人以上連れてくるだろうけど、もし彼女らに頼もうとしていることがほんの少しでも不躾な申し出だと思うなら、発表する前にもうちょっとだけよく考えてほしい』……って、すごい真剣な顔で言われてしまって」

 

 マジか。山田のやつ、俺と口裏を合わせてウマ娘たちが来られないような嘘スケジュールを組んだうえで、それでも俺が彼女たちを連れてこられるって信じてたのか。葉月理解度検定準一級。

 

「ちょいと振り返ってみてさ。すごく大事なことを忘れていたことに気がついたんだ」

「忘れてたこと……?」

「うん。本来このイベントは東校と西校の引退した三年生を応援して、憂いのないよう送り出すためのイベントだったな、って。……その、秋川君は中央と本物の”縁”を持っているだろう? それでつい、目先の盛り上げばかりに気を取られてしまって……お恥ずかしい限りだよ」

 

 ……なんかいつの間にかすげぇ反省してる。

 別に『不躾な申し出』とやらを実際に口に出したわけではないし、俺への依頼も生徒会内で多数決を取った結果なのだから、そこまで申し訳なさそうにする必要もないと思うが。

 たしかにあのウマ娘たちが登場した方が盛り上がるのは疑いようのない事実だ。それで人が集まるのだからと、熱心に意思表明してくれたら俺だって折れる可能性は十分あった。

 

 言ってしまえば結局のところは高校生が自主的に開催する地域のイベントに過ぎないのだ。規模を大きくして注目度を高めたいのは当然だし、そもそも高校生なんぞ俺を含めて大半はノリと勢いで生きているようなものなのだから、ゴリ押しでウマ娘が協力する企画を組まれても抵抗できなかった可能性が高いし他のみんなもそっちに乗ろうとしたはずだ。

 それでも山田の説得で思いとどまれたのなら、それは称賛に値する判断力だ。

 

「他校の有名人じゃなくて、ちゃんと後輩たちで先輩を送り出さないと──そう思ってビラ配りだけをお願いしたんだ。……とはいえわざわざ来てもらったワケだし、手伝ってくれるのならもう少し準備の一部を任せたいところだけど……」

 

 会長の言いたいことは理解できた。

 要するに、最初はバズらせるためにトレセン生徒を頼ろうと思ったけど、色々考えなおした結果やっぱり自分たちで頑張らないとダメだ……という結論に至ったということか。

 

「そもそも善意で他校の行事に来てもらった人たちに歌とか踊りを要求するの、よく考えなくてもかなり失礼な話だし……」

 

 なるほど。

 ──ここで俺にも少しだけ分かった事がある。

 やはりこの少年は生徒会長の器だ、ということだ。

 過ち……という程のものでもないと思うが、それでも仲間からの意見で企画全体を見つめ直し、欲望に負けず反省できるのはリーダーとしての素質が十分備わっていると思う。思わぬ逸材だったな。

 まだ俺と同じ高校生なのにここまで考えることができてるなら仕事としては上等だろう。あとはそれを支える俺たち一般生徒や生徒会メンバーがどれぐらい頑張れるかだ。えいえいむんっ。

 

「つまり会長も、ウマ娘だけが目的のファンの人たちが集まってもイベントの盛り上がりには直結しない……って考えたってことだよな?」

「平たく言うとそうかな……? 山田君の説得のおかげだけども……」

 

 なら話は早い。

 俺が呼んだ美少女シスターズには、彼女たち自身のスケジュールの弊害にならない程度に準備を手伝ってもらって、イベントを楽しくするための企画は当初の予定通り俺たち東と西の生徒会で詰めていくってことだろう。中央トレセン生に出演ではなく準備だけを頼むのもずいぶん贅沢な話ではあるが。

 そうだ、この際一応彼に言っておきたいことがある。

 

「……あのさ。会長にこういう事言うと失礼かもしれんけど──ありがとうな」

「えっ。な、なにが……?」

「山田の話を真剣に受け止めてくれたのと、連れてきたウマ娘たちのことも考えてくれてて嬉しかったんだ。だからありがとう」

「…………」

 

 なんか呆気にとられとる。そんなに変なこと言ったかな。

 

「……はは。秋川君に無茶を言って巻き込んだのは俺なのに、まさかお礼を言われるなんて思わなかったな」

「おう、無茶には困ったが生徒会長さまの頼みだったからな。ちゃんと遂行したぜ」

「敵わないなぁ……」

 

 少し経ってようやく緊張が解れてくれたのか、小さく笑った会長はペットボトルを捨ててベンチから立ち上がった。釣られて俺も立ち上がり、二人で会議室へと戻っていく。

 

「なぁ、会長」

「うん?」

「俺にできそうな仕事なら遠慮なく振ってくれていいからな。中央のウマ娘たちほどの力はないけど、可能な範囲なら何でもやるからどんどん頼ってくれ」

「…………」

 

 せっかくの学校行事だしなるべくがんばるよ! むんむんっ!

 

「……きみ、生徒会に興味ない? ちょっと面倒な審査と手続きがあるけど先生の承認がもらえれば、ウチの高校なら今からでも庶務で……」

「えっいや待って待って、何の話」

「ははっ、ウソウソ何でもないよ。そうだ、今日は帰りにファミレスでも寄らない?」

「お、おう……いいけど……」

 

 よく分からん冗談を生徒会長にかまされつつ、部屋に戻った俺たちは当日に飾る会場の装飾作りをはじめることになったのであった。手先が器用とよく言われます♡

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「秋川ー、そっち持って」

「ほい」

 

 装飾の中にツリーがあり、箱から出してその大きさに驚いた。うおっデカいね♡ しかし遵守建築だ。

 

「……イベントって十一月の末だよな? なんでクリスマスツリー?」

「去年はクリスマスにやったから……かな?」

 

 一部以前開催した時と同じ備品を引っ張り出してきたせいか、どうも季節を先取りしすぎた物がそこそこ見受けられる。

 

「ダーヤマさん、秋川さーん。こんなのもありました~」

「っ? デジたんさん、どうし──ァ°っ」

 

 備品の中にはサンタの帽子なんかもあり、かぶるとやけに似合ってるデジタルや彼女にかぶせられて衝撃のあまり石像と化した山田など、多少遊んだりしつつも飾りの準備自体は順調に進んでいる。

 そちらは一旦他のみんなに任せ、俺はパソコンをいじいじしてる会計ちゃんの隣に座ってタブレットを開いた。きみもサンタ帽被ってるの? かわいいね。

 

 ──想像以上に順調だ。

 上手くいきすぎて少し怖いまである。

 こういうイベントって何かひと悶着あってそれを解決するためのドラマがあったりするもんだと思ってたのだが、自らを省みて企画を見直す会長を始めとして、ここにいるメンバーがみんなして優秀過ぎてまるで事件が起きるような気配がない。

 下手に欲張らなければ予算も足りるし、スケジュールにも余裕があって、あとは次の会議でプログラムの順番を決めればだいたい終わりだ。

 

 ……なんか、いいな。こういうの。

 いかにも普通の高校生って感じで、ワイワイしながらみんなで行事の準備をするの楽しい。中央のウマ娘がいる影響で多少浮ついてはいるものの作業は滞りなく進んでる。

 文化祭の準備の時は怪異に絡まれたりトレセンの大浴場にワープしたりと、学校とは関係ない部分で大変だったから今回の平和がより身に染みる。こういうのでいいんだよな。ナタデココのようなナタデココ。

 

「よーし、そろそろ切り上げようか。みんなお疲れ。トレセンの皆さんもありがとうね」

 

 ちょうどいい時間ということで作業は一旦終え、会長の指示でみんな荷物をまとめ始めた。

 

「あのあの! ご迷惑じゃなければサイン貰ってもいいですか!?」

「わ、わたしも……」

「オレも! オレも欲しいっす! お願いします!」

 

 すると作業中は我慢してた生徒たちが、こぞってウマ娘たちの周りに集まってミーハーし始めた。みんなよく我慢してたね♡ 偉すぎますね♡ 月夜ばかりと思うなよ。

 逆の立場だったら俺も同じように押しかけてたんだろうな、と苦笑いしつつ席を立つと、会長と山田が近くに来ている事に気がついた。お待たせしてます。いざ男だけでファミレスへゴー。

 

「片付けは大丈夫そうかい、秋川君」

「今日は三人でご飯食べて帰ろ」

「あぁ。今行く──」

 

 と言って彼らのもとへ向かおうとした、その時だった。

 

「ちょ、ちょっといいですか!」

 

 突然横から女子の声が聞こえてきて、驚く間もなく俺のすぐそばに一人の少女が駆け寄ってきた。

 

「……赤坂?」

「あのっ、ゴメンなんだけど今日ちょっと秋川を借りてもいいかな……!」

「へっ? ──あっ、ちょ、赤坂! 引っ張るなって!」

 

 イベントの準備作業中は大人しかった赤坂が何故か急に現れて、山田と会長に断りを入れたうえであれよあれよという間に俺を市民センターから連れ出し、一瞬で二人きりの帰路が始まってしまった。マジで何事なんだヤバい怖い。

 

「…………」

「スズカさん? どうしたの……あれっ。お兄さん、どこいっちゃったんだろう」

「……こういうの、本当は良くないんだろうけど……」

「えっ? ──あ、スズカさんどこ行くの!? まってぇ……!」

 

 

 

 

 イベントの準備が順調な事と、俺個人が抱える問題の解決は決して直結しない。

 といっても、はたから見れば”問題”などありはしないのだ。

 ただ数年前にフラれた相手と再会して、俺が勝手にダメージを負っているだけの話なのだから。

 心の中の葛藤にしか過ぎず、誰かへ影響を与えることはない。

 ……とはいえ、今回の俺の行動自体は多くの人に多かれ少なかれ影響を与えるものではあったのだろう。

 

 俺も精神が高潔な清廉潔白な人間ではないし、中央のウマ娘が来てくれたら赤坂も多少は驚いてくれるんじゃないか、と良からぬことを考えていたことは間違いない。

 もちろん困らせたかったワケではない。

 ただ、彼女がほんの少しでも驚いてくれたら、ちょっとだけスッキリする──そう思っていた部分もあるという話だ。

 卑劣だろうか。

 傲慢だろうか。

 ウマ娘の彼女たちは心からの善意で協力してくれたわけで、この場に置いてカスみたいなしょうもない考えを持っていたのは俺だけだ。武士も食わねど糸ようじ。

 

「ま、マジでごめんね! 無理やり連れ出しちゃって……あの、ちょっとさすがに聞きたいことが多すぎてさ……」

 

 そしてそのカスに激しく心を乱されてしまった少女が約一名。

 市民センターを後にした俺と赤坂は、自販機で缶コーヒーを買ったあと付近の公園のベンチで休憩していた。

 もうすっかり陽が落ちており、見上げれば星々が見え……あっ、飛行機。

 どういうワケか隣同士で座っており、いろんな意味で緊張してしまい俺の心臓は絶賛バクバクである。汗の分泌も過多。ぶんぶく茶釜。

 

「……?」

 

 ──というか少し先の茂みから見覚えのある耳が見えているのだが。

 あの緑のメンコとデカすぎる黒い耳はおむライスズカのコンビで間違いないだろう。もしかして心配で様子を見にきたのだろうか。いったい俺が何人のメスを手籠めにしてきたとごろうじる? 対話のコツなど委細承知よ。

 

「ねぇ秋川」

 

 はい。とりあえず一旦赤坂の方に集中しよう。

 

「その……ぶっちゃけどういう関係なの? 中央のウマ娘ちゃんたちと……」

 

 こうして二人きりというまさに逃げ場無しな状況に追い込まれてしまったワケだが焦ることはない。

 下手に難しい言い回しをして誤解されることがないように努め、必要以上のことは喋らなければいいのだ。

 とはいえ奥の茂みからサイレンスたちの耳が見えている以上は俺たちの会話も筒抜けだろうから、度が過ぎたウソは控えめにしておかなければ。今宵の月のように。

 

「……運よく知り合えただけだよ。あの中の三人とバイト先が一緒なんだ」

「マ……? 中央のウマ娘が三人もバイトしてるとこに入れるなんて、ちょっと運命力ヤバすぎ……」

 

 正確に言うと俺が働いてる所に彼女たちがあとからやってきたのだが、これを言うと余計にこじれそうなのでやめておこう。

 

「え、え、普通に一緒に働いてるだけ? なんかめっちゃ認知されてたけど、休日に遊んだりは……?」

「向こうが暇な日に誘ってくれた時ぐらいだな」

「ヤバ……そもそも誘われるんだ……」

 

 ムッッッヒョ~♡ さすがにここまで驚かれると少しばかり優越感が出てきてしまうな。おちおちアクメもできやしない……。

 赤坂の驚嘆のため息が夜空に溶け、幾ばくか無言の時間が過ぎていく。

 缶コーヒーを手の中で転がしつつ、ちらりと隣を一瞥する。

 どうやら『むむむ……』と唸りながら次の言葉を考えているらしかった。よく見たら隠れ美人なフェイス。しかしマゾメスだ。

 俺から言いたいことはあまりないが、同じ中学を卒業した一般人が有名人たちと繋がりを持っている事がにわかには信じられない彼女のほうは、もっとたくさん聞きたい事項が多いのだろう。これはきっと失礼に当たらない形でうまく探りを入れられるような質問を考えている顔だ。

 

「……や、ゴメン。もう聞かないわ」

「いいのか?」

「うん。とりあえずイベント当日までよろしくね」

「お、おう」

 

 なんだか意外とあっさり解放され、その日の密会は終わりを告げた。

 

 まだまだ質問攻めしたそうな雰囲気だったが、なぜか彼女はグッと堪えて翌日以降普通に接してくるようになった。

 普通……なのだが、どうも隙あらば俺を見つめているような気がする。……♡?

 どう対応したものか悩んだが彼女から何か言ってこないなら一旦思考の外側に置いておこうという結論に至り、とりあえずは目前に迫ったイベントに集中することとした。

 

 

「…………」

「ツッキー、ちょっといい? 配る用のビラが昨日は意外と早く無くなっちゃったから、もう少し印刷したいんだけど……」

「そこにある共用のパソコンから印刷ボタン押してくれ。データは左上のファイルの中な」

「……あわわ、さっきまで晴れてたのにライスが出ようとしたせいで雨が降ってきちゃった……買い出しに行けない……うぅ。やっぱりライスは──」

「あ、シャワーさん、折り畳み傘持ってきてるからこれ使って」

「いいの……? でもライス、帰りに物を濡らしちゃうかも……」

「わ、分かった、一緒に行こう。俺もいれば多分大丈夫だから」

「っ! あっ、ありがとうお兄さん! ……えへへ」

「……おーいマックちゃん? なにボーっとしてんだ」

「ライスさん……ふふ、なかなか強かな手腕ですわね……!」

「うおっ。なんか燃えてやがる……」

 

 

 ……

 

 

「ん? どした山田」

「えと……うちの演劇部と映画研究部が発表の順番でちょっと揉めてるらしいんだけど、今日は会長がいなくて……」

「あー、じゃあ俺が話つけてくるわ」

「僕も行くよ!」

「いや生徒会も出し物あるんだろ? 向こうは俺一人で大丈夫だから、お前はそっち進めといてくれよ」

「で、でも……」

「どうかご安心を、山田さん。秋川さんには(わたくし)がお伴しますわっ」

「えぇっ!?」

「……マックイーンさんが来てくれるなら即時解決だな……」

 

 

 ……

 

 

「なんか西校の吹奏楽部がこのお店で打ち上げをしたいって言ってるらしいんだけど、秋川君はどう思う?」

「前日だってのにずいぶんと急だな……てか会長、ここちょっと高くないか? そんなに大きい店でもないし……明日の夕方からでも打ち上げできるような店ならいくつか見つけといたから、電話で直接向こうと相談しよう。なんとか別んとこで納得してもらわないと」

「そうだね。向こうの生徒会に番号を聞いてくるよ」

「せんぱーい! 入り口の飾り付け終わりました!」

「ん、ありがとうウオッカちゃん。中で椅子を並べてくから外の人たちを呼んできてくれるか」

「了解っす!」

「…………」

 

 

 ──そして何やかんやあってイベント当日。

 特に何事もなく当初のプログラム通りに進んでいき、結局最後まで事件などは起こることもなく無事に合同イベントは終了した。

 来場者数も上々で、あくまでウマ娘が登壇するようなイベントではないと理解して観に来ている人たちが大半だったこともあってか、俺目線では普通に盛り上がっていたように思える。

 がんばる後輩たちを見にきた先輩たちの中には感動して泣いてる人とかもいたし、最後に協力してくれたスタッフみんなで終わりの挨拶をする際にサプライズでこっそりサイレンスたちも加わり、最後にもう一度盛り上げてから閉幕した今回のイベントは『大成功』と言っても間違いないだろう。

 

 いまは絶賛打ち上げの真っただ中だ。

 いわゆる注文制の食べ放題の店でおこなっており、企画がしっかり成功したこともあってか少々ハメを外している生徒も見受けられるが大きな問題はない。

 ……問題があるとすれば、やはり俺個人の範囲内に限っての話だ。

 いったん店の外に出て、星が煌めく夜空を眺めながら俺は赤坂と二人で話をしている。ガツガツ飯食ってたら急に呼び出されたのだ。手短にお願いしますね。

 

「はぁー……何というか、見る目が無かったのはウチの方だったか」

「……なんの話だ?」

 

 ため息を吐きつつもどこかスッキリしたように小さく笑う赤坂の横で、俺は極めて冷静な態度を保てていた。ふぅっふぅっ♡

 この数週間のおかげで多少は彼女に対して発生する極度の緊張というものが発生しづらくなったのだ。

 それは時間や慣れのおかげでもあるが、なによりウマ娘の少女たちが近くにいることで()()()()の自分でいようと思えたことが一番の大きな要因だろう。

 

「……ねえ秋川。中学の修学旅行んときにみんなで恋バナしたの覚えてる?」

「ん……あぁ、サッカー部の連中に先導されて俺たち男子が女子の部屋にこっそり忍び込んだアレか」

「そーそー。あとで先生にめっちゃ叱られてさー」

 

 確かに印象深い思い出ではある。

 しかし、どうして今それを持ち出してきたのだろうか。

 

「……あの時さ、ウチが『夢を叶えるまで恋人は作らないかなー』って言って場を白けさせたじゃん?」

 

 それもよく覚えている。普段はバランスの良い空気だけを吸っている赤坂が唯一雰囲気を外した場面だ。

 

「でも卒業前の時期に秋川が告白してきてさ、マジでビックリしたよね」

「……あの時は周りが見えてなかった。すまん」

「にゃはは、謝ることじゃないって。……ウチらも中学生だったんだし、ほんとに謝るような事じゃないよ。むしろ謝るべきなのはあの時クラスの子に教えちゃったウチのほう」

「……そうか。まあ確かにあの時期はキツかったな」

「ご、ごめん……あの、マジ今更だけどお詫びとか……」

「ははっ、それこそ今更だろ。……俺にも非があったんだし、気にしなくていい」

 

 ──あぁ、そういえば。

 中学生の頃の俺は初めての恋に感情が揺さぶられ過ぎて、赤坂に対して『自分だけはワンチャンあるんじゃないか』と自意識過剰な思い込みを抱いて告白したんだった。

 無論、届くはずはない。

 中学生の発言とはいえ、前もって恋人は作らないと宣言していた相手に玉砕する覚悟も持たずに好意を伝えたのだ。フラれて然るべきだし、覚悟していなかった分メンタルがボコボコになるのも当然だろう。

 マジで本当に俺の考えが浅かっただけだ。

 トラウマではあるが、これをトラウマだと語るのは流石に自分勝手が過ぎる。だからこそコレは心の中に押し込めておかなければならない過去なのだ。

 

「でも、ごめんだけどあの時は正直秋川のこと……見る目無いなって思ってたよ。あぁいう時期に『恋人は作らない』って宣言してるような、ぜんぜん可愛げのない女に告白してきたんだもん」

 

 ぐうの音も出ない♡ あまりにも秋川葉月が愚かすぎて……もう何も言うまい。

 

「でも、今回のでそれは違ったなって」

「……そうなのか?」

「うん。確かに中央のウマ娘ちゃんたちと縁を繋いでるのはマジめっちゃありえん凄かったけど……それだけじゃなくて、いろんな人に指示を出したり、自分から率先して問題の対処に取り掛かってたり……なんか中学ん頃の秋川からは想像できないくらいカッコよかった」

 

 …………真正面からカッコいいって言われた経験がなさすぎてどんな返事をしたらいいか分からん。

 俺としては普通にイベントの準備に取り掛かっていたつもりだったが、どうやらその姿が赤坂からの俺への評価を変えてくれていたようだ。

 

「だから、見る目が無かったのはウチのほう、って話」

「……いや、あの時の判断は間違いじゃないだろ。赤坂の言う通り中学の頃はただの勘違い野郎だったわけだし……変われたのは高校生になってからだよ」

 

 もし、あのとき赤坂が告白にOKを出してくれていたら、きっと俺はもっと勘違いを増幅させた真のクソ男になってしまっていた事だろう。

 皮肉でも何でもなく、厳然たる事実として彼女があの時俺からの告白を断ってくれたからこそ、ほんの少しは誇れる今の自分に変われたのだ。

 世界が自分の思い通りにならない事を知って、その先でもっと思い通りにならない存在である運命(ドーベル)と、あの日あの雨が降りしきるバス停で出会ってから──何かが明確に変化した。

 だから俺がカッコいいんじゃない。

 先輩に意思を伝えず、やよいから離れ、人間関係と責務から逃げ続けていたカスの俺に、成長という名の変化を与えてくれたあのカッコいいウマ娘の少女たちのおかげで今があるのだ。

 

「ふぅん……そっか。あの子たちが理由で、きっかけなんだね」

 

 はい。九分九厘。

 

「……そういや、赤坂の夢って……?」

「言ったことなかったっけ、レースのアナウンサーになりたいって。ウマ娘ちゃんたちが大好きだから、いつかお姉ちゃんみたいにトゥインクル・シリーズでの実況ができたらなって思ってるんだ。まだまだ未熟もいいとこですが……」

 

 にへへと自信なさげな笑顔!? それがパパに対する態度なのか?

 いまのトゥインクル・シリーズで多くの実況を務めているアナウンサーが、確か赤坂美聡という名前だったはずだ。

 姉に追い付きたい、とはなるほどいい目標だ。中学の頃から目標を定めて、色恋沙汰も絶ってきた覚悟は相当なものだろう。面白い女……♡ 年末だね。

 

「そうだ、秋川は?」

「えっ?」

「ほら、将来の夢とかあんの?」

「……夢、か」

 

 ──ふと、彼女の言葉で我に返った。

 現在の状況……俺は何も追いかけていない。何者にもなろうとしていない。

 そうだ。赤坂と違って俺は明確な夢というものを持っていないのだ。

 思えば幼い頃から場当たり的で、応急用の医療品やもしもの時の備えくらいは用意していたが、しっかりと未来を見据えた事は一度も無かった。

 

 やよいと俺を取り巻く環境がイヤで本家から逃げて。

 何も分からず何も選ばないまま樫本先輩と離れ離れになって。

 いまだって自分の呪いを解くためや、迷惑を撒き散らす怪異たちを野放しにしないために()()()()()闘っている。

 これからの卒業後のこと、支えてくれている少女たちとの未来のこと、いつか呪いを解呪して──相棒との別れの日を迎えた後のこと。

 こうして赤坂に未来の選択を問われるまで、それらのことを深く考えた事がほとんどなかった。

 

「……わかんね」

 

 今はまだ何も選べない。焦るな! 急いては事を仕損じる。

 

「そんなに器用な人間じゃないから……やる事が多いと目先のことで手一杯なんだ」

「……そっか。見つかるといいね、秋川だけの夢」

「まぁ、そうだな。いつかはちゃんと見つけるよ。ありがとな、赤坂」

 

 浅からぬ関係を築いたウマ娘たち全員を侍らせて王になるという低俗な夢はあるのだが……そういう事ではないのだろう。これはどちらかといえば妄想の類だ。

 

「…………ちなみになんだけど、いま絶賛女の子たちに認知されまくってる秋川くんはウチのどんなとこが好きだったの?」

「っ゛お……」

 

 マジの不意打ちすぎる質問で変な声が出るところだった。てか出た。

 なんかちょっといい感じに青春めいた綺麗な会話をしていた直後なので、格好悪いところはなるべく見せたくないのだが。というかいきなり変な質問をしないでほしい。舐めた態度とってると恋人にしてしまうよ? 生徒会役員がこのようなマゾメスでは……未来は……。

 

「な、何だどうした。いまさら俺の情報なんか聞いても益にはならんだろ」

「……まぁ、一度はフッた女だもんね。流石にこれで詰めるのは手のひら返し過ぎるか。ごめんごめん」

 

 たりめーだ脅かし女。俺から情報を引き抜きたきゃ俺のこと好き好き♡になってから出直してきてね。一見さんお断り。

 

「じゃあさ、もしウチがトゥインクル・シリーズの実況に就けて、秋川が自分の夢を見つけられたら……その時はまた友達から始めてもいい?」

「いや……別に今も友達ではあるだろ」

「……ハッ。確かに!」

 

 思慮が浅いよプリティーガール。放課後にみっちり教育をしてやらねば……♡

 

「んじゃ、これからも友達としてよろしくね。もし()()()()()()()について相談できる相手がいなかったら、ウチのこと頼ってみてくださいな」

「……あぁ。そん時はよろしく頼むわ」

「にひひ。じゃあ先に戻ってんね~」

 

 やはり明るくそう言った赤坂は、一足先に店の中へと戻っていった。

 その足取りは軽く、数週間前の困惑や憂いはきれいサッパリ無くなっているように見えた。

 

 まさかもう二度と近づけないほど亀裂が生じたと思っていた相手と、改めて友人関係に戻れるとは思っていなかった。

 いつの間にか、俺をサポートしてくれる仲間がたくさん増えている気がする。

 頼りになる親友の山田に、今後は何かと助けになってくれそうな生徒会長、それから貴重な女子側の意見を考えてくれる赤坂。

 

 あの攻撃力が高すぎる美少女たちと今後も渡り合っていくうえではなんとも頼りになるパーティーメンバーたちではないか。俺だけでは道を踏み外していつか間違えたルートへ進んでしまうかもしれないが、今回の合同イベントを経て得た仲間たちがいてくれるなら意外となんとかなりそうな気がする。あいつらまじマブくね? 声かけてみようかな。

 

「……なんだかんだで楽しかったな、合同イベント」

 

 冷えた夜風に当たりながら呟いた。

 何者かに脅かされることもなく、俺の過去以外は特別な事情も絡んでこない、極めて平和なイベントだった。

 いつの日か思い描いていた理想の青春そのものだ。

 幼い頃に読んだラブコメ漫画のような、本当にただただ楽しい学生生活──

 

 

「がぁ」

 

 

 …………自分でも少しフラグっぽいなと感じる思考をしていたわけだが、まさかこんな狙い澄ましたようなタイミングで()()()が現れるとは思っていなかった。

 カラスだ。

 店の外のベンチで座っている俺の前に、カラスが一羽現れてガァと鳴いた。茶臼の中からボワッと インダス文明登場。

 

「うおっ。な、なんだ……? めっちゃカラスが……」

 

 そのままいつも通りケンカをふっかけてきて特殊フィールドにでも行くのかと身構えていたがどうやら違ったらしく、眼前に現れたカラスの周囲にもう一羽、また一羽と次々に別のカラスたちが集まってきている。

 そしてざっと五十は集結したんじゃないかというところで、鳥公共はバサバサと飛びながら中央のカラスにくっ付いていって──気がつくと()()のナニカが俺の前で立っていた。

 

「……ウマ娘?」

 

 大量のカラスが合体しまくった結果現れたのは、まるでウマ娘のような耳と尻尾を携えた、長い黒髪の少女であった。

 いったいどこから見繕ってきたのか色が真っ黒に染まった中央トレセンの制服を身に纏っており、先ほどの異様な合体シーンを目撃してない人が見れば、元がカラスだとは思えないほどにしっかりとウマ娘の風貌をしている。

 

 ──何だそりゃ。

 いや、怪異なら何をしてもおかしくないと思ってはいたが、それでもまさか安易に擬人化して美少女形態に変身するとは思わないだろ。

 それなりにバトってきた付き合いがあるからこそ、常にカラスの姿でちょっかいをかけてきた害鳥野郎がウマ娘のような姿に変わったことが、こう、なかなかに受け入れ難い。いまさら攻撃しづらいフォルムに変身すんな。頭きた絶対アクメさせてやる。

 

「がぁ。……あっ。ぅ、んん」

 

 自らの喉を触りながら、声を出して調整するカラス。

 少し経って準備が整ったのか、黒い長髪の少女は無表情のまま口を開けた。

 

「れーす」

「……は?」

 

 呟いた少女が手を前に差し出すと、俺の手に握られていたスマホが吸い込まれるように彼女の手に渡ってしまった。

 

「おわっ俺のスマホ……っ!」

「きょうは、じゅんびうんどう」

「なに言って──あっ、どこ行くんだ!?」

 

 意味不明なことを呟いた元カラスの少女は俺のスマホを握りしめ、そのまま夜の街の方へ駆けだしてしまった。

 

「待てコラッ! 俺のスマホ返せ!」

 

 あまりにも突然の出来事で何が何だかわからないが、とにかく彼女に持っていかれてしまった携帯電話を取り戻すため、瞬時にサンデーとユナイトしてあのトリ娘を追いかけ始めた。

 カラスは今までのような飛行ではなく実際に地に足を付けて走っており、対象が捉えやすい分追いかけること自体は容易だ。

 ──なのだが。

 

(ハヅキ……これ、ちょっとマズいかも)

(なにがだっ!?)

(あの怪異、実体を得てる。私たちとの闘いの経験値で自己変化するだけの力を身に着けたみたい。あの姿は完全に()()()()()()()()()

 

 誰にでも見える……つまり怪異ではなくぱっと見た限りではウマ娘にしか見えない少女が、絶対に街中では出しちゃいけないような速度で駆け抜けているということで──ようやく気がついた。

 一番の問題はそれを()()()()()()()()()()()()だ。

 

「わっ!? な、なにあれ!?」

「どこかのウマ娘……? ──えっ。なんか男の子が追いかけてる……!?」

 

 人が大勢いる夜の街を駆け抜ける中、道行く人々が次々に俺たちを目撃し、衝撃を受けていく。

 ウマ娘に変身したカラスはまだいい。見た目は完全にウマ娘だから、あの自動車にも迫る速度で走っていても危険で珍しくはあるが、別にあっても不思議ではない光景なのだ。

 だが俺は違う。

 俺は男だ。

 いま、一目で東校の男子だとすぐに分かる男子用のブレザーの制服を着て走ってしまっている。

 街中を駆け抜けるウマ娘を、明らかに男子だと分かる人物がほとんど同じ速度で追いかけている。

 その状況をこの世界の常識に照らし合わせた場合、それは全くもって『ありえない』話なのだ。

 

 ヒトはウマ娘に追いつけない。

 ただただ当たり前に存在するこの世の真理だ。

 ウマ娘は、その娘という名の通り女性しかいない。男のウマ娘は存在しない。

 まず大前提としてウマ娘はいわゆる『超人的』な、ヒトの身ではどんなに鍛えようと発揮することができない神秘に満ちた身体能力を有している。

 つまりこの世界の男は絶対に、何があってもウマ娘には追い縋れないのだ。

 ──それを今、この身をもって覆している。

 男がウマ娘を追いかけることが出来てしまっている、という光景をコレでもかというほど大勢に見せつけているのだ。

 

(ハヅキ、向こうは特殊な空間を展開する気がまるでない。もう自分に有利なフィールドを作らなくても勝てるって考えてるんだと思う)

 

 そんなことは分かっている。怪異はレースで戦う時は、基本的に自分で天候を弄ったり障害物を発生させたりすることが可能な特殊フィールドを展開してきていた。

 それは不幸中の幸いというもので、誰の目にも認識できない異空間で戦っていたからこそ、俺はこれまで常軌を逸した身体能力を発揮しようと誰にも噂される事がなかったのだ。

 だが、その状況が覆ってしまっている。

 特殊フィールドを必要としなくなった怪異が現れた事によって、俺はサンデーとユナイトしたスーパー葉月君状態のフィジカルを往来で披露させられてしまっているのだ。このままではマズい。

 

「っ!? ばかッ、コースくらい考えろッ!」

 

 ついに道路ではなく建物の上や電柱の上を飛び回りながら追いかけなければならなくなった。スパイダーマンの如く。

 もういっそスマホを諦めたいところではあるが、あんな現代科学の粋を集めた最強万能機器を渡してしまったら何を学習されるか分かったものではない。

 強くなった怪異はあの夏のイベントの時のように、バトル漫画の悪役も斯くやと言ったような大迷惑ファンタジー攻撃を繰り出せるようになってしまうのだ。こっちの手に負えなくなる前に、パワーアップされる可能性は万に一つも残してはならない。

 

「──なっ!?」

「どうしたの、ルドルフ」

「げ、幻覚か……? いやっ、しっ、シービー! あそこを見るんだっ!」

「急に何さ。もしかして流れ星でも──えっ」

 

 やばい、やばい。

 厳密には俺もカラスもウマ娘ではないため、パフォーマンスが普通のウマ娘たちすら凌駕してしまっているのだ。通行人から見て目立ちすぎてしまっている。

 カラスはよく分からん怪異パワーにこれまでの経験が蓄積されていて、俺とサンデーのユナイトはそもそも『俺』が『サンデー』の身体能力をそのまま行使するのではなく、俺と彼女の能力をかけ算した場合の運動性能を発揮しているのだ。走るだけでなく跳躍で建物や電柱を飛び回るのも不可能ではない。

 もはやチートと言ってしまっても──いや、使いすぎると俺の肉体がぶっ壊れてサンデーが深い眠りに沈んでしまうリスクがあるあたり、バグ技と表現した方が正確かもしれない。

 この世界のバグに対してこちらもバグで対処しているのだ。はたから見て“異常”に映るのは一周回って当然だろう。

 だからマズい。高速で動いてるし夜だから俺の顔もハッキリとは見えないだろうが、早急にこの状況を終わらせないと後々大変なことになる。

 

「……ね、姉様。……あの、あれ」

「アルダン? 何をそんな呆けた顔で──……っ? ……???」

「私たち……疲れているのでしょうか」

「……ふふっ、きっとそうね。今日はもう帰りましょ」

 

 やばい、やばい。

 

「タマ」

「いーやもう一切どこも寄らんで。ええかオグリ、買い食いにも限度っちゅーもんが──」

「タマ。知らなかったのだが……男子にもウマ娘がいるのか」

「は、はぁ……? おるわけないやろ……急に何言うとん……」

 

 やばい、マジでやばい。

 あまりにも目撃され過ぎている。ここから情報が発信されて撮影でもされたらいよいよ大変だ。

 

「いい加減にしろテメっ……!」

 

 どこかの建物の屋上でようやく追いつき、彼女を無理やり押し倒してスマホをぶん取った。間近で見ると確かな美人・フェイスだが惑わされはしない。

 そこから瞬時に後方へ跳んで距離を取る。少女の姿をした怪異はゆっくり起き上がると、わかりやすく眉を顰めてため息を吐いた。

 

「……また、まけた」

 

 テメェなんぞ一生かかっても俺たちに勝てるわけないだろと言い返す間もなく。

 くやしそうな表情の少女は再び数十羽のカラスに分離し、そのまま夜空の向こうへと飛び去っていった。

 

「イったか……」

 

 ひとまず今回のレースは終わったようだが──困ったことになった。

 あいつが人型になったこともそうだが、今回のような中途半端な勝利では怪異の心を粉砕することはできない。

 いつかどこかで思いっきり大差をつけて負かさなくてはいけないのに、やつはもう特殊フィールドを必要としていない。

 つまり現実世界のどこかの場所で実際にレースをしなければならないということなのだ。下手すると超人的な身体能力を発揮している場面を、顔と共にハッキリと目撃されかねない。今日のように夜ではなく昼にやったりしたら顔が鮮明すぎてもっと最悪だ。

 

「……はっ、ぁ」

 

 ──なにより深い駆け引きが発生してしまう人型との戦いは、単純に俺たちの消費が激しい。

 屋上の床に膝をつき、まもなく俺はうつ伏せにぶっ倒れた。キッツウゥゥーーーイ♡ 色即是空。

 今回は早めに捕まえたから鼻血と極度の疲労感で済んでいるが、ゴリ押しだけでは通用しない本格的なレースをするとなると、いよいよ現役ウマ娘たちのように特訓をする必要が出てくるかもしれない。

 

「……もしもし、マンハッタンさん? いま、呪いの原因のカラスと闘ったんだが……少し事情が変わって……」

 

 カラスから取り返したスマホを使い、朦朧とする意識の中で事情を共有している嫁に電話を入れた。

 とはいえそう長くは保たないようで。

 

「いま、位置情報を送るから……申し訳ないんだが、むかえ、に……」

 

 電話口の向こうから聞こえる焦った声も次第に遠のいていき、体力が底を尽きた俺とサンデーは分離してその場で意識を手放してしまうのであった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「ん……っ」

 

 早く目覚めなければならないという意思が無理やり身体を起こしたのか、深い眠りに入る事なく俺は覚醒した。腕時計を見ればまだ五分程度しか経過していないことが分かる。

 それから、コンクリートの床に倒れ伏した割にはどうしてか妙に柔らかい後頭部の感触に違和感を抱き、首を横に動かすとサンデーが隣で寝ていることを把握すると同時に『ひゃんっ』と可愛らしい声が上から聞こえてきた。い、いったい……?

 

「オイいきなり頭動かすなって、くすぐってーだろ。起きたんなら先に言えよ」

「…………ゴールドシップ、さん?」

「呼び捨てでいいって前にも言ったろ、秋川葉月」

 

 そこで状況を理解した。

 いる場所は変わらずどこかの建物の屋上だが、施錠されていたであろう屋上へのドアがぶっ壊れており、俺は芦毛の少女に膝枕をされているらしかった。顔のすぐそばに制服越しの乳がある。ロング乳・ロングライフ。

 

「はぁ……そろそろ本格的にマックイーンを説得する必要が出てきたな」

「……何で、俺の場所が……?」

「そりゃお前が走って店から離れてくのを見て追いかけてたからに決まってんだろ。流石に信号機とか建物の上とかは飛び回れねーから苦労したんだぞ? ってか、それよりお前な」

 

 ぺし、と額を優しく叩かれた。恋しちゃいそう。後はめくるめく種付けの時間となっております♡

 

「いつの間にあんなヤバいやつに目ぇつけられてたんだ? お前の周りだけ世界観が違いすぎない?」

「……これまで大したことなかった輩がパワーアップしたんだ。追いかけないともっと大変なことになってた」

「つってもウマッターでとんでもないことになってんぞ。明るさとか距離の関係で顔はハッキリ映ってはねえけど、写真でどこの高校の制服かは特定されてるし……あれ、おい?」

 

 眠すぎて話の半分も脳に入ってこねぇよデカ乳女。ムッチリリモンチリリ。

 えっ、待ってこのゴールドシップとかいう女、よく見たら乳がありえんデカさを誇っていませんか? すげぇ乳……E、いやFはあるな……。

 

 そう、全力ではないが今までと違ってそれなりにしっかりとしたレースを、ユナイト状態で決行してしまったのだ。三大欲求が三点バースト・リミットブレイクするのもやむなしと言うか。今すぐ乳を揉みしだいてやってもいいくらいなのだが。0.1秒で退けたら勘弁してやろう。

 夢にまで見たデカ乳が目の前にある。

 ずっと欲していた憧れがすぐ触れられる位置にある。

 だというのに意識が保てない。志半ばで天下布武に届かない。本能寺。除夜の鐘もかくやといったところ♡

 

「おっぱい──」

「……ッ? いま聞き捨てならないセリフが聞こえた気がするんだが……あっ、おい寝るなって! おっぱいって何だ! 何が言いたかったんだおい! 起きろおっぱい野郎!」

「あっ、葉月さんがいました……っ! ゴールドシップさんが診てくれていたようで──」

「アタシのおっぱいが何だって!? いやアタシじゃないのかおっぱいは!? この土壇場で口にしたという事は複数の意味合いが含まれる特殊な暗号という事か!? ダ・ヴィンチ・コード的な!?」

「…………」

「おっぱいってなんだ秋川葉月ッ! もう一度言え! 何かもう一つヒントさえあればアタシなら解明できる! 何でおっぱいという単語を声に出したんだ!? 秋川葉月ッ! おっぱいとはッ!? 応答しろォーッ!!」

「………………スズカさんたちはそこで少し待っていてください。一旦私が状況を把握してきます……」

 

 



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マンハッタンパフェ 焦りすぎタキオン

 

 

 つい先日までは、自身の理想に限りなく近い“青春”というものを謳歌できていると思い込んでいた。

 

 常日頃から仲良くしてくれる無二の友人や、頼りになる同級生たちに加え、奇跡的な確率で出会いを果たして縁を結ぶことができた見目麗しい少女たちなど、個性豊かな仲間に巡り合えて、多少特殊な事情に絡まれつつもまさに順風満帆そのものだと言っていい日常だった。

 いつかの日に読んだ漫画のような、様々な登場人物たちの思惑が錯綜する複雑な現実のドラマ。

 

 ──の中にいるはずだった。

 しかし気がついた時にはそこからつまみ出されていて、複雑な現実のドラマではなくもっと複雑な……一周回ってある意味単純とも言えるような、架空に等しいアニメの主人公まがいの立場に俺は立たされているらしかった。

 遺憾だ。

 全くもって不本意と言う他ない。

 俺個人としてはこれまで細心の注意を払って行動してきたつもりだし、考えるべき内容のほとんどはこれから自分が辿ることになる青春の軌跡についてのみなのだと、そうあってほしいという願望込みで()()()()()()

 

 だが、どうやらその頑張りは人の事情を鑑みないカスによる一度の気まぐれによって、いともたやすく瓦解してしまうような脆い砂の城でしかなかったらしい。思わず落ち込んでしまいます……♡

 

「ねぇ聞いた? この学園にいるっていう“ウマ男”の話っ」

「あそれ知ってる! きのう急上昇にあがってたやつでしょ!」

「特にこの記事の写真ヤバいよね……普通にめっちゃウチの男子の制服じゃんね……」

 

 うるち米。

 ただいまの時間帯は生徒たちの雑談が一層激しい昼休み。

 様々な内容のトークが校内を賑わせるのが常であるはずだが、困った事に本日の我が在籍校における話の話題はたった一つしか存在していなかった。

 それを座って聞いている。厳密には教材を片付けている最中に際限なく耳に入ってきている。こうるさい! お静かに。

 

「こいつ……一部だと()ットマンって呼ばれてるらしい。正式名称かな?」

「いや新しい名前を流行らせようぜ! ここは()面ライダーでどうだっ!」

「乗り物どこだよ。身体能力がウルトラやばいんだからここはウルトラ()ンだろ」

 

 いや挙がってる名前全てにオリジナリティが無さすぎるだろ。あんま軽い気持ちで他所のヒーロー様の名前を擦らないでね、訴えられるの俺だから。ていうか最後のはアウトじゃない?

 

「あ、秋川……どうしよう……?」

「……どうもしねえって。いいから昼飯いこうぜ」

 

 こっちはムラムラしまくっててそれどころじゃないのだ。

 昨日の夜にウマ娘の姿へ変身したカラスと戦ってぶっ倒れた俺だったが、翌日が普通に学校ということもあって、なんとか自宅まで送り届けてもらったあと泥のように眠って──現在に繋がっている。

 無論サンデーも俺も疲弊しきった状態だったから夢も見れてないし、昨晩鼻血を出したように健康状態も良好とは言いづらい状況だ。

 

「……食堂でも話題が支配されてんな。なんでこんな噂になるのが早いんだ……?」

「そりゃあ他の人たちからしたら世界を揺るがす大事件だもの……ウマ娘に追いつける走力の男子なんていう創作の中からそのまま出てきたような人物、気にしないほうが難しいって」

 

 一応安全を取って誰も座ってない食堂の端を陣取ったがそれでも耳に入ってくるほどだ。昼飯だってのに全然落ち着かない。

 

「噂になったのが昨日の夜だからまだこの程度で済んでるけど……それに制服が完全にウチのだし、みんなが盛り上がるのも無理ないよ。学校の内外もこれからもっと騒がしくなるかも」

 

 この先の苦労を想像させる山田の言葉で肩を落としつつ、せめて栄養は摂取しないととカレーを口に運んでいく。お゛っ♡ うま。

 なにが辛いかってどこかで撮られた写真によって制服を割り出されたのが痛すぎる。

 ここまで来ると逆によく制服だけで済んだものだ。ブレている写真でなければ解析で顔までバレていてもおかしくはない。

 

(あの走ってる最中、咄嗟にちょっとだけ不思議パワーで顔周辺の空間を歪めておいた。ハヅキを直で視た人も顔はちゃんと認識できてなかったと思う)

 

 ナイスファインプレー、見事だぜ愛する嫁。ご褒美はベロキスで♡ これからも空間を歪めまくってくれ。

 

(ん……むずかしい)

 

 な、なんでだい。

 

(アレはカラスが『準備運動』ってあらかじめ宣言してたから、全力を出さないと仮定してそっちに力を回してただけ。あのレベルの怪異が本気でレースをするなら、その最中に他のことなんて多分できない)

 

 そんな……じゃあこれからはアイツとバトる時は、わざわざ正体を隠さないといけないって事じゃないか。エステティシャン失格だよ。

 

(カラスだけじゃなくて、ほかの怪異もあの行動を見て、特殊フィールドを使わないほうが()()()が困ると理解して場所を問わずレースを仕掛けてくる可能性も……少なくはない)

 

 それだといよいよ本格的に覆面のヒーロー……もといコスプレ不審者になっちまうな。日本の未来を憂うわ。

 

「はぁ……気が重い……」

「秋川だいじょうぶ? 闘うと精神力を消耗するって話は前にも聞いたけど、今日は一段と顔色が悪いよ……」

「……ダメって程じゃないが、事情が変わったのも確かだな。なにか……方法を考えないと……」

 

 カラスに押印された呪いが活性化し始めたのか、視界や頭がフラフラする。もう困憊も困憊でスーパー限界コンボ達成! 

 とりあえず俺に必要なのは早急な治療だろう。

 まずは解呪の儀式で少しでも呪いの活性化を抑えること。

 次に長い時間を使って必要以上に睡眠と食事をとること。

 そして最後に多少まともになった状態でサンデーと夢の中で回復に専念しつつ、これからのことに関しての会議をすること、だ。

 

(……授業中にお昼寝、推奨)

 

 フハハおちつけ、むっつりオバケ。ジト目で平静を装ってるが頬が紅潮してるのが丸わかりだよ。変態もいい加減にしろといったところ。

 いまは我慢しなければならない理由があるんだ。

 明日は創立記念日で昼には帰れる。

 そこでしっかりと休息を取ってから改めて、だ。次回が楽しみですね。種付け許可ってことでいい? 答えよ!

 中途半端に休憩しようとすると夢の終わらせ時を見失ってしまう恐れがある。そこで何か事件でも起きたら大変だ。五里霧中。

 互いに感情のコントロールが難しい状態で夢に耽るわけにはいかない。カラスの覚醒で呪いが俺たちに悪影響を及ぼしているなら猶更だ。

 まず、今日のところはバイト先の三人のうちの誰かに土下座して解呪を頼み込む。話はそれからだろう。

 急の外泊で困らせてしまうだろうが、状況が状況なのでここはなんとか納得してもらわなければ。

 ……あっ! ところで授業中にお昼寝をしてみない?

 

(だめ……我慢して)

 

 もはや俺とサンデーのどっちがまともなのか見当もつかない。ふーらふら。

 

(ふらふらー)

 

 お~ほっほっほコラコラほっぺをくっつけるなむっつりさん!! まったく猥褻な性根だ。

 

「……秋川っ! 僕、がんばるからね!」

「声デケぇって」

「あ、ごっ、ごめん……僕、秋川のサイドキックとして何でもサポートするよ。なんかめっちゃパソコンとか使って"イスの人"になるからっ」

 

 オペレーターが必要になる機会はそうそう訪れないのだが……鼻息が荒いし随分と本気の態度だな。だったらもはや迷惑をかけてやるくらいのつもりで手を貸してもらおう。一緒に地獄へ落ちて♡

 ……そういえば山田、前に俺と怪異について話した翌日も興奮した様子で接してきてたっけ。

 世間に秘密を隠して闘うような非日常に少なからず興味をそそられる辺り、意外とウマ娘関連だけじゃなく一般男子が好きそうなジャンルも守備範囲なのかもしれない。俺としては助かる話だ。これからは二人で一人だね。

 

「そうだ、空いてる日に秋葉いこうよ。正体を隠すためのコスチュームとか、いい感じの仮面とかあるんじゃない?」

「オイ、楽しんでるだろお前」

「そそそんなことないって!」

「……まぁ身バレを防ぐための小物は確かに必要かもな。今週の土曜にでもいくか」

「了解っ。……ところで、ヒーローとして呼ばれる際の名前って考えた?」

「だからヒーローじゃねえんだって……」

 

 

 

 

「お疲れ様、秋川君」

「あ、店長。どもです」

「葉月さん……体調はいかがですか……?」

「大丈夫だよマンハッタンさん。ありがと」

 

 バイト後の閉店作業がようやく終わり、裏のロッカーで一息ついていると店長がきた。マンハッタン嫁も一緒だ。

 ちなみに今日の放課後のバイトにはサイレンスとドーベルの姿が無かった。

 ──というのも、彼女たちは学園に残って『生徒会長』とやらと大事な話をしなければならなかったらしい。

 マンハッタンも聴取が明日なだけで同じ話を聞かされる予定だと言っていた。

 

 まぁ、十中八九あのウマ男に関しての件だろう。

 昨夜街中で目撃されまくって写真や動画も撮られて、現在世間の話題を掻っ攫っているあのウマ男が身に着けていた制服の高校と、彼が出現する数時間前まで一緒にイベントを行っていたのだ。

 あの打ち上げの場所がウマ男の目撃情報の多い場所から近かったこともあり、彼女たちに『何か知らないか』という事情聴取がされるのは至極当然の話と言える。

 

 ……俺個人としてはそこまで必死になって情報を集めるほどのことなのか、いささか疑問が残るところだが。

 とはいえ今のトレセンの生徒会長なんて名前とめちゃクソ強いらしいこと以外は何も知らないので、その人物の思惑を推し量ることはできない。シンボルボルボルボル。シンボリルナドルフだっけ? ルナちゃんでいいや。

 俺の正体を追っているというのなら最低限の警戒だけは心に留めておこう。俺の敵ではないが。

 

「……えぇと、今日はカフェがお邪魔するみたいだね?」

 

 まって店長それ何の話ッ!!? と慄きそうになったがグッと堪えた。

 おそらく『早急に儀式で呪いを弱める必要がある』という事情を察しているマンハッタンが、あらかじめ彼に話を通しておいてくれたのだろう。俺への理解が深すぎる。ここはひとつ種付けで手を打たない?

 あいかわらずこの店は有名ウマ娘である彼女が目当ての客で大盛況であり、仕事中は忙しすぎて話す暇がなかったので手間が省けて助かった。

 

「とりあえずもう遅いから、このあと車で送るよ」

「えっ? い、いや、そんな悪いです。歩いて帰れる距離ですし……」

「……秋川君。お客様にはうまく隠せてても、きみの体調が優れないのは僕やカフェなら見ててさすがに分かるよ。今日のところは安静にし過ぎるくらいがちょうどいいはずだ」

 

 ほわわ。大人の優しい圧力。パパ……。

 

「……すいません、さすがお見通しですね。……じゃあ申し訳ないですけど、お言葉に甘えて」

「うん。……気づくのが遅れてごめんね」

「いっ、いえっ、とんでもないです。こちらこそ体調不良を隠しててすいませんでした……」

 

 やはり店長には敵わない。

 ここでのバイトも大分長く勤めており、ここまでそれなりに良好な関係を築けていたおかげで、彼にずいぶんと親身に接してもらえるようになっている。

 その事実がとても嬉しかった。

 大人側からすれば当たり前のようにやっている行動の中の一つに過ぎないのかもしれないが、俺からすればありがたすぎてアリになるレベルの感動だ。

 

「助手席に乗ってくれるかい? 後ろはちょっと荷物が多くてね」

「でもマンハッタンさんが……」

「平気です……私が座れるスペース分は空いているので。バッグ……預かりますね」

「……なんか至れり尽くせりで申し訳なくなってきた……」

「ハハハ。気にしないで、カフェはいつもこうだから」

 

 そんなこんなで車に乗り込むと間もなく出発した。

 にしても車の助手席に座るなんて何年ぶりだろうか。すげえ昔に親父に歯医者へ連れていってもらった時くらいしか記憶ないな。

 

「気分はどうだい? 必要な物がありそうならコンビニに寄るけど」

「だ、大丈夫っす。一日じっくり寝れば治ると思うんで」

「そう……? カフェ、今夜は遠慮したほうがいいんじゃないか?」

 

 あいやいや待ってそれは逆に危なくなる。

 マジもうホント呪いヤバいから。ズキンズキン♡ 

 呪いは強すぎると、以前迷い込んだ霧の濃い住宅街のように、抜け出すのが困難な迷宮に落とされる可能性がグンと上がってしまうのだ。

 ヤツらと対等にレースができるのは、前提としてあの迷宮に落ちないほど呪いを弱めているおかげだからであり、とにかく一旦儀式で呪いを弱体化させておかないと今後が危ない。

 

「大丈夫、お父さん。こういう時の葉月さんは一人だとご飯も抜きがちになるから……私が手伝ってあげるくらいがちょうどいいの」

「そ、そうか。それは随分と……ほ、ほう……理解が……」

 

 お義父さんめっちゃ動揺してますよマンハッタンさん。事情説明はありがたいけどもう少し濁してもいいんじゃないかな……。

 

「……その、二人はいつから付き合って──ぁいやっ、何でもない! もう着いたな!」

 

 本当にもう到着していた為、車から降りて運転席の方へ回った。

 屈んでお礼を言おう。

 

「すいません店長、本当に助かりました。ありがとうございます」

「気にしないでくれ。……カフェの事を抜きにしても、もっと頼ってくれていいんだよ。秋川君」

「……頭が上がらないっすよ」

「はは、だから気にしないでいいってば。きみは真面目だなぁ」

 

 そう言って店長は開いた車の窓から手を伸ばし、ポンと軽く俺の頭に手を置いた。

 撫でるでもなく、何でもないように、ほんの一瞬だけ。

 

「──ッ」

 

 それで、俺はちょっとだけ驚いて固まってしまったけれど。

 彼は気にせずレバーをドライブに入れた。

 

「お父さん、送ってくれてありがとう」

「ち、ちゃんと明日には寮に帰るんだよ?」

「何だと思ってるの……」

「その、二人とも若いから……ぃいやっ何でもない。おやすみ~っ」

「あっ。まったく……」

 

 マンハッタンさんと店長の別れ際の会話を眺め、暫しの放心に耽る。

 大人に頭を撫でられた経験が皆無に等しかったために衝撃で硬直してしまった。

 なんというか──なんだろうか。

 よく、わからない。

 嬉しいのか恥ずかしいのか、慄いてるのか喜んでるのかも分からない。

 ただちょっとビックリした。

 そういうことをされる、という選択肢がそもそも頭の中に無かったことを思い知った。

 

「……葉月さん? どうかされましたか」

「えっ……あ、何でもない。寒いし早く入ろう」

「……?」

 

 マンハッタンに声をかけられて我に返り、冷たい風から逃げるように家の中へ入っていきながら考える。

 俺と両親の間に距離があったのは昔の話だ。

 たしかに今でも、物理的にも精神的にも多少離れてはいるものの、それでも少なからず家族の形は保てていると思う。

 だから俺自身の過去がどうこうという話ではなくて。

 不意に頭を撫でられると一瞬頭が真っ白になる──その事実を学べたことが一番の大きな収穫だった。

 ありがとうございます、店長。

 これは何かに使えるかもしれない。

 

 

 

 

「ハヅキはまだダメ。私がカフェ成分を補給している最中なので」

「ちょ、ちょっと……あなたがそう言ってからもう一時間よ。葉月さんを待たせすぎ……」

 

 マンハッタンの予想通り帰宅した瞬間に俺は気力が底をついてしまい、重い体を引きずって何とか入浴を済ませてジャージに着替えた後は、糸が切れたように畳にぶっ倒れてしまった。有史以来最も疲れた……♡

 食事を用意してくれたのもマンハッタンで、洗い物をして布団を敷いてくれたのも彼女だ。おお……奉仕が行き届きすぎて恋心がせり上がって参りました!

 

 あまり頼りすぎてはいけないと心では理解していても体が動いてくれないのだ。

 ユナイト状態における街中での疾走──アレが心身ともにかなり堪えた。

 まず公共物を壊さないように気を配ることや、身バレに対する単純な恐怖に、なによりあの状態で少し本気を出して走ることによる肉体への負担とダメージが俺をボロボロにしてしまっている。

 相棒が嫁にひっついて独占していようが気にならないほど疲れ切っているのだ。今日はもう何もできない。百合に挟まる男になるチャンスすら棒に振るほどに。

 

「葉月さん……そろそろ儀式を始めないと……」

 

 そう言ってマンハッタンはサンデーにくっ付かれながら解呪の儀式の準備をし始めた。

 しかし俺は布団の上で変わらず仰向けで寝転がっている。動いてないのに動けないよ。

 

「あー……マンハッタンさん、悪いんだがこのまま始めてくれないか……」

「ですが……大丈夫でしょうか?」

「あまりにも身動きが取れないから、一周回ってペンダントで正気を失っても何もできないと思うんだ。むしろ今が一番儀式に適した状態かも……」

 

 こうして脱力していれば性欲が大爆発したところでセクハラしようにも気力が湧かないはずだ。

 そもそもマンハッタンがガチ抵抗してくれたら俺は何もできないし、激しく動かないから止める際も怪我の心配が無くて彼女も安心できると思う。これぞ不幸中の幸いというものだろう。

 そのままさらっと流れで儀式が始まった。プチアクメ。

 ペンダントを付けてはいるが俺は仰向けに寝そべったままで、すぐそばで正座しているマンハッタンは手を伸ばして俺の腹部にのみ触れている。本当に必要最低限の接触だ。

 サンデーは相変わらず後ろからマンハッタンの髪の匂いを嗅ぐのに夢中なようで、どうやら俺より相棒の方が先に欲求が爆発してしまっているらしい。おい何度目のイチャつきだ? 堪忍袋の尾があるよ?

 

「すうううぅぅぅっ……カフェ……すうぅぅぅっ」

「…………」

「……。」

 

 自宅の布団の上ということで安心しきった俺が瞼を閉じてから、互いに暫し無言の時間が過ぎていく。

 ペンダントの影響で多少頭がボーっとするものの、予想通り湧き上がってくる性欲に反して『襲いたい』といった類の欲望が顔を見せる様子はない。

 もちろん疲れもあるのだろうが、これは単純に俺自身がペンダントに対しての耐性が出来始めているおかげかもしれない。

 いつまでも『しょうがない理由』に甘えてセクハラをする葉月くんではないのです。ところで俺も髪の匂いを嗅ぎたくなってきたな。そこ代わってくれる?

 

「……ごめんなさい、葉月さん」

 

 どれくらい経った後なのか分からないが、マンハッタンが小さく呟いた。

 消え入るようなか細い声だ。【KU100】ダウナー不思議少女のあまあま囁きARMR~私が癒して差し上げます~【全編ゆるオホ】トラック1:一緒にコーヒーでもいかがですか?

 

「私が……」

「……巻き込んでしまったから、か?」

「っ──!」

 

 これまでの経験から推測して先読み発言したら図星だったらしい。もうきみの考えてることなんてお見通しだよ? 恋人だもの。婚約者だもの。

 ──マンハッタンの謝罪は初めてのことではない。

 いままでに何度も『私のせいで』と前置きして微妙に内容を変えながら、二人でいるときに謝り続けてきた。

 それは彼女が許されたがっているからだとか、謝れば気を遣ってくれるからだとか、そんなくだらない事を考えているからではない。

 

 マンハッタンカフェは真面目なのだ。

 店長に『真面目だな』と言われた俺より何十倍も生真面目で、責任感の強い少女だ。

 だから彼女はいつも心の底から怪異に対しての負い目を感じていて、俺が戦うたびに責任感から心を痛めてくれている。

 もう慣れたいつもの事として扱うことは決して無く、常にこちらを慮ってくれているのだ。

 いつも思うが──本当に心優しい少女だ。

 

「……まあ確かに大変なことは多いけど、俺はそれだけじゃないと思ってるよ」

 

 マンハッタンカフェは謝罪を遮られた驚きのせいなのか、何も言わない。

 なのでこのまま言わせてもらおう。いっそ普段の礼を伝えるいい機会だ。

 彼女はきっと『怪異の最初の狙いは私だった』とか『そもそもレースの日にトレーナーさんが襲われたのは私のせいで』だとか、とにかく始まりの因果を自分に結び付けて謝るつもりだったのだろうがそうは問屋が卸さない。

 世界は良くも悪くもめぐり逢いなのだ。

 彼女が何もしなくても俺がカラスに襲われたルートだって十分あり得た未来だろう。

 ここで大事なのは今だ。

 今、何を得てここにいるのかが重要なはずだ。

 

「あのとき怪異に出くわしたからこそ、サンデーは俺を助けてくれた。サンデーと出逢えたから……少しだけマンハッタンさんと()()()()を視ることができるようになった」

「……それは」

「良いこと、じゃないか? 少なくとも俺はそう思ってる。ほんの少しでもマンハッタンさんと同じ目線で世界を視られることが、俺は素直に嬉しいんだ」

「…………どうして、ですか」

 

 うれしい理由なんてそんなもんお前を愛してやまないからに決まっているのだが、多分シリアスな場面だし告白する状況でもないから別の返答を考えないと。

 

「んー……」

 

 と思ったが俺って疲弊してるんだった。今の脳みそじゃあんまり小難しい事は考えられませんでホンマ♡

 

「……俺もいるよ、ってキミに言えるからかな」

「っ!」

「ほら、世間一般では怪異って目に見えないし信じづらい存在だろ。もちろんマンハッタンさんにはそれを理解してる仲間がたくさんいるだろうから、俺だけってわけじゃないだろうけど……それでも『俺もいる』って言えるのが嬉しいんだよ」

 

 頭がボーッとしてきた。

 マンハッタンにはちゃんと伝えるべき事を伝えられているだろうか。

 自分もきみのそばに居ることが出来て嬉しいと、そんなありのままの言葉は彼女に届いているだろうか。

 なにも多くは望まない。

 なにか深い理由もない。

 ただこの少女のすぐ近くに居ることが許されるのならば、それ以上に嬉しい事はないのだ。

 

「いつも助けてもらってばかりだし……今もこんなんだから頼りないかもしれないけど、できれば何でも言ってくれよ。怪異はもちろん、レースの事でも学園での小さなことでも、愚痴でもなんでもさ。俺もマンハッタンさんの力になりたいんだ」

「葉月……さん……」

 

 おたすけハヅキくんです! いっぱい頼ってくださいね! そして出来ればそのまま惚れてください。

 

「……ふふっ。いつも助けてもらってるのは……私のほうです……」

 

 小さくそう呟くと、マンハッタンは俺の腹部から手を離し、首からもペンダントを取り上げた。どうやら儀式はいつの間にか終了していたようだ。

 呪いの強度が下がってくれたおかげなのか、少しだけ疲労感が減って身体が動くようになった。

 これから眠りにつくわけだがユナイトによる欲望の増幅が解消されたわけではないため、寝ている間にマンハッタンに妙な事をしないよう、一度顔を洗ったほうがいいかもしれない。 

 

「ん……しょっ、と。マンハッタンさん、俺ちょっと顔洗ってくるわ」

「目が冴えてしまいませんか……?」

「お湯でやるから大丈夫だよ。クソ眠いからどうせすぐ眠れるし」

 

 そそくさと洗面所へ向かい、洗顔して気分を一新した。

 これなら欲望に身を任せることなく眠ることが出来そうだ。

 明日の朝は俺が朝食を作って、ついでにバイクで彼女を学園まで送ってあげよう。旦那としてそれくらいの最低限のお礼はしないと。

 

「おまたせ。もう電気消して寝よ──」

 

 言いながら居間に戻って部屋の照明を消そうとした、その時だった。

 おもわず怯んだ。

 声が喉の奥へ引っ込んだ。

 眼下に敷かれた布団の上で──目を疑うような光景が広がっていたのだ。

 

 

「……あ、葉月さん。こちらへ……どうぞ……」

「だめ、カフェ……今夜は二人でいいのに……」

 

 

 ……柔らかそうな寝間着の美少女二人が、並んで寝そべりながらこちらをそっと手招きしている。

 ちなみに彼女たちの間にはかろうじてもう一人挟まれるか否かといった程度の隙間が空いている。

 なんだろう。

 コレは何だろうか。

 

「今夜は一段と冷えますから……私たちで葉月さんを温めさせてください……」

「むむ……ハヅキは一人で寝て。今日は私がカフェを独占する」

 

 ()()布団の上でマンハッタンとサンデーが並んで寝転がりながら俺を待っている。

 なにこれ。

 国を束ねる王にしか許されないようなこの世で最上級の贅沢にしか見えない。

 マンハッタンパフェ?

 

「もう、いじわるしないの。さっきちゃんと決めたでしょう……体調を崩しかけてる葉月さんが風邪をひかないようにするって」

「……でも、距離感が……さすがにちょっとえっちすぎない? カフェ、ハヅキのことを性欲が存在しない修行僧か何かだと思ってる節がある」

「大丈夫でしょう。私、別にどこも大きくないし……」

 

 ──────は?

 

「マンハッタンさん」

「……?」

「その考えでもし本当にそのまま俺をそこへ招くつもりなら、身の安全は保障できないぞ」

「えっ……み、身の……?」

 

 真面目に種付けしないと分からないのかこの無自覚むっつり誘い受けマゾ女はよ。ボクチン好みの抱きしめやすい身体……♡

 

「そこから先はマンハッタンさんにも責任が発生するって分かってるよな?」

「せ、せきにん」

「あぁ。このままそこへ俺が倒れ込んだ場合の翌日の朝に求められる過失の割合は五分だ。第三者から見ても俺だけが悪いという話では済まなくなる」

「ぁ……あの、ぇと……」

 

 マンハッタンが忘れているようだから改めて教えてやる。

 俺は全年齢対象の少年漫画の主人公ではない。

 いついかなるときも鋼の精神をもってラブコメに性欲を介入させない不思議なバリアを張るような真似はできないんだ。

 こう、『我慢だ俺、我慢するんだ!』とか、『こ、こら! 抱きつくな!』だとか、あんな一般男子が持ちうる本来あるべき性欲を真っ向から否定するようなカスの所業は、絶対にしない自信がある。

 

 ただの男子高校生なのだ。

 性欲を持て余し過ぎて煩悩が精神の八割を占める、どこにでもいる健全な高校生だ。

 そっちが娶られたいのは勝手だが、俺はいつだって道を踏み外して成人向けのルートに切り替える準備はできているし、襲わないという保証なんざ一ミリたりとも存在しないということをいい加減に知っておいてほしい。

 拒否する理由があるか?

 逃げる理由が存在するか?

 俺は自分から娶られようとしてくる女を責任取って手中に収めるという覚悟はいつだって持っているのだ。それが“王”というものだからな。

 

 だからこれは最終確認だ。

 選択肢は掲示するが、選んだ先の未来には選択者にもそれを選んだ責任が発生する。

 だから聞いてるんだ。

 だからつまりお前はどうするんだって話なんだよマンハッタンカフェ。清く正しいむっつり女。

 踏みとどまるのか、パフェとして喰われるのか、それを選べるのはお前だけだぞ。

 

「え、ぇと、その……ど、どういう……?」

 

 まだわかんねぇのか? 下品すぎる誘い受けフェイス。謝れ。さもなくばビョルルン♡ビッピョロルロパロ♡

 

「……俺からしたらマンハッタンさんは魅力的すぎて困るぐらいだ、って話だよ。この際だから言うがいつもめちゃくちゃ可愛いって思いながら話してる」

「ふぇ……っ」

「逆に考えてほしいんだが冷静に『温めてあげるから一緒に寝よう』って言われた方が何も意識せずにグゥスカ寝れると思うか?」

「……ぃ、いえ……」

 

 だんだん顔が赤くなってきている。こいつ押しに弱すぎる~ッ♡ もういっそこのまま押し倒しちゃおっかな。イクぞ!イクぞ!我が物とするぞ!

 

「……それで改めて聞くけど、今日はどうやって寝る?」

「あ、あの、別々のお布団にしましょう……っ」

 

 そう言ってマンハッタンは毛布にくるまって顔を隠してしまった。ミノムシみたいでかわいいと思う。

 

「……み、魅力的……それに、かわいい……? そんな……まさかホントに…………~っ!♡」

 

 こいつまだ俺と付き合ってないの信じられねえよ。いい加減そろそろ婚姻の準備を進めてくれるかしら。

 

「カフェ、カフェ。私も毛布の中に入れて。さむい」

「俺のやるからそれで寝な」

「それだとハヅキが掛け布団だけになってしまう」

「いや……もう十分暑いから……」

 

 ウマ娘にリードされまいと奮起したわけだが俺もあぁいうこと言って照れないワケではないからな。

 明日の朝は何事も無かったように接しよう。

 

 ……もし、さっきの誘惑に負けてあの楽園にダイブしていたらどんな未来になっていたのだろうか。

 あれは明らかに甘酸っぱい青春の域を超えていたが。IFのバッドエンドルートにでも直行だったのかな。

 俺も自制心が強いほうではないし、そろそろ間違えたくなってきた。我慢にもいずれ限界は訪れる。

 ウマ男を隠す件といいかなりストレスが溜まりやすい状況にあるわけで、そろそろ適度に()()()()()()()()()を見つけた方がいいかもしれない。さもなくば距離感バグ女たちを朝までぶっ通しコースに引きずり込んでしまいかねない。

 

「……私も毛布だけなので寒い。こうなったらハヅキと一緒に寝るしかない」

「っ!? だ、だめっ。あなたは私と……っ!」

「わわっ。もふもふ……カフェに食べられちゃったため、残念ながらハヅキは一人」

「元から一人暮らしのハズなんだけど俺……」

 

 

 

 

 翌日、ウマ男としての正体を隠すための手段やら何やらを話し合いつつ、あとでサイレンスとドーベルの二人も交えてやり方を決めようという方向で決まり、一旦普段通りの生活をすることにして俺は彼女をトレセンまで送ることになった。送迎バイク♡ いつでも呼んでね♡

 

「──ここでいいか、マンハッタンさん」

「はい、送って頂いてありがとうございます」

 

 校門の付近で停車して彼女を降ろし、ヘルメットを受け取る。

 やはりバイクは最高だ。風が感じられてスッゲ気持ちいいし、後ろに乗せたマンハッタンが密着してきて子供ができるかと思っちゃった。淫猥な気付きをたくさん得たよ。

 

「あの、葉月さん」

「ん?」

 

 このまま校門の前にいると以前ドーベルを送った時と同様悪目立ちしてしまう可能性があるためもう行こうと思ったが、ヘルメットをかぶる前にマンハッタンに呼び止められた。なに? 告白?

 

「昨日言っていただいたことを……私も、あなたに言ってもいいでしょうか」

 

 なに言ったんだっけ昨晩の俺。色んな記憶がごっちゃになってて思い出せんわ。

 

「私のことも……もっと頼ってほしいです。怪異とは関係のない……ほんの些細な事でも……あなたの力になりたい」

 

 おっと普通に告白だった。伝える場所とタイミングを変えれば危うく俺の女にしているところだ。

 

「……ありがとう。……なんというか、そろそろお互いにもう一個先のステージへ進むべきかもな」

 

 なので俺も場合によっては告白とも受け取れるセリフを言ってやった。くらえ!!!!!!!!

 

「……ふふっ、そうですね。どうやら私たち、お互いに遠慮しすぎてしまうところがあるのかもしれません。小さなことでも、頼って、頼られて……そういう風に進んでいきましょう」

 

 やっぱり告白じゃない?

 なんというか、マンハッタンといると多少クサいセリフでも言えてしまう不思議な雰囲気が展開されてしまっている気がする。

 ドーベルに対する少女漫画風ロールプレイや、サイレンスに対する頑張りカッコつけムーブとも違う、自然と心の内を明け透けに語らせてしまうような魔力が彼女にはあると思う。

 それとも俺がマンハッタンカフェを愛しすぎているだけなのか。

 分からんが今日のところは退散しよう。昨晩からカフェちゃん成分の過剰摂取でデトックスどころか中毒になってしまいそうなのだ。これ以上いると告白してそのまま誰もいない新天地へ彼女を連れて旅立ってしまいかねない。

 

「あっ……少し早めに送っていただけましたが……どうやらそろそろ時間みたいですね」

 

 そのようだ。登校するウマ娘がちらほら見受けられる。邪魔になる前にさっさと行こう。

 ……あ、そうだ。

 店長に教わった技、今のうちに使っとくか。

 

「マンハッタンさん」

「はい? ──……っ!」

 

 グローブを外し、ぽん、と軽く彼女の頭に手を置いた。

 もちろん髪が崩れるような撫で方はしない。本当に一瞬だけ優しく置くだけだ。

 女子の髪は気安く触ってはいけないし、普通に見える髪型も実はしっかりとした手入れの賜物なんだよ、とはやよいの言葉。

 だから本当に優しく、一瞬だけ。

 頭を真っ白にするにはその一瞬だけで事足りると店長の件で学んでいるので、恐らくこれで十分だ。

 感謝を伝えつつ、照れさせるというか少し困らせたい。これは昨晩の誘惑に対するちょっとした仕返しである。

 

「昨日はウチに来てくれて助かったよ。改めてありがとうな」

「ぁっ……は、はい……いえ、その……私は当然のことをしたまで、と言いますか……えぇと……っ♡」

 

 俺の想像の五倍は照れてくれて腰が抜けそうになった。赤面すれば俺が慄くと思いやがってダメだよぉ~オイッ! 好きだよ。

 とりあえずやりたいことはやったし、もう行こう。

 そう考えてヘルメットを被ろうとした──その時だった。

 

「あーっはっはっは見つけた見つけたようやく見つけたッ! 彼を引き留めてくれてありがとうカフェ~っ!!」

 

 なんと後方から何者かが走って接近してきて、ウマ娘という事もあってかすぐに追いついたその少女は俺を逃がすまいと先ほどマンハッタンを撫でてから一旦離した右腕をそのまま掴んできた。しなやかな指。やわらかくて性感をそそるもの。

 いったい誰だと思って焦りつつ視線を向けると、そこにいたのはいつぞやの『カフェのサポーター』と名乗っていた謎のウマ娘であった。むっ……乳はなるほどデカい。

 

「ハァっ、はぁ、目視で姿を確認してから走ってきたものでね。呼吸を整えるので暫し待っていてくれるかな……! はぁ、ふう……」

「……君は確か、マンハッタンさんのサポーターの……」

「おおコレは失敬。改めてアグネスタキオンだ。デジタル君とも交流があると聞いたしここはタキオンで構わないよ今後ともよろしく」

 

 ハイペースで自己紹介を終えた彼女は『さて』と切り替えそのまま俺の腕に血圧測定器のような変な機械を取り付けてきた。何もかも性急すぎる。さすが人妻。

 

「な、何これ……」

「おやおや、実験への協力は以前きみが修学旅行の際に私と出逢ったときしっかりと承諾を貰ったはずだろう? なに、そう身構える必要はない。今日は基本的な情報と簡単な質疑応答だけで構わないとも」

 

 いや構うんだよ俺が。話を聞けよプリティーガール。

 確かにあの時は『カフェを守ることに繋がる』と言われたから承諾したが、流石に時間と場所を考えてもらわないと困る。俺も登校しないとなんですけど……。

 

「ふふふ……連日話題のウマ男の件、あれはきみだろう秋川葉月君。写真の解析で割り出せた情報は身長体格と靴のサイズくらいだったが十分だ。きみが追っていたあの黒い少女の少し後ろを数羽のカラスが追従していたのも写真で確認した。あれは私でも実際にこの目で見た事がある貴重な未確認怪奇現象生命体の内の一体だ。カフェのレースがあった日に彼女のトレーナー君を襲っていた奴らをきみが引き付けていただろう? それで合点がいってねぇ。あぁ、心配しないでくれたまえ。きみのことは誰にも話していないし口外するつもりも毛頭ない。貴重な研究対象であり大切な外部の協力者だからね。他の者たちに触れさせる機会など与えないとも。それは時間の無駄だ。さて血圧の測定は完了した。申し訳ないが早急にデータが欲しいので今日のところは一時間ほど遅刻させてしまうかもしれないが、協力関係だし問題はないね? 私も遅刻することになるしお互いさまという事でここはひとつ。よし、とりあえず後は髪の毛を数本ほど頂こうか。あとは唾液や血液なども──」

 

 ありえないマシンガントークで完全に場を掌握していたアグネスタキオン。

 そんな彼女が髪の毛を採取しようと俺に手を伸ばした、その瞬間。

 ガシッ、とその腕を横から掴んだ存在がいた。

 

「…………………………タキオンさん」

 

 これが俗に言うところの“殺気”というものなのだろうか。

 マンハッタンが凄まじくこれ以上ないほどの嫌悪感に満ちた目でアグネスタキオンを捉えており、腕を掴まれたタキオンは思わず額に汗を浮かべている。

 

「あー……か、カフェ?」

「本当に……貴方は……一度本気で怒らなければ分からないようで……」

「ままま、待っておくれよカフェ! ぁいや確かに事前に話してはいなかったが、彼とは健全な協力関係をだね……」

「相手を遅刻させて髪の毛や体液を採取することが健全ですか……? あわよくば私の見ていないところで……もっと過激な実験をしたかったように見えますが……」

「ギクッ……!」

 

 は。

 えっ?

 待て、見たことないぞ。

 たったの一度も見た事がない。

 これまでにただの一回も見た事がないような、眉を顰めて目を細めたマンハッタンの表情。

 

 ──何だその顔は。

 なにそれ。

 何だよその軽蔑しながらパンツ見せてくれそうな表情。

 そんな顔、俺には一瞬たりとも見せてくれた事がなかった。

 もしやアグネスタキオンにのみ見せている顔なのか。

 本当に気を許した相手にしか見せない、これほどまでに内心が表に出まくった露骨な感情表現──

 

「は、ははっ。いや失敬今回はここまでとして日を改めよう。では秋川君また──」

「待て、アグネスタキオン」

「ッ!?」

 

 今度は俺がアグネスタキオンの腕を掴んで引き留めた。今ここで逃がすわけにはいかない。

 なんだ。

 とてつもない敗北感だ。

 こいつは普段どうやってマンハッタンと接している?

 なぜ彼女がここまで嫌悪が出せるほど精神的に近くなっている?

 どうすればここまで感情が引き出せるほど親密になれる? こなれ感かなりリスペクト。

 俺が持っていないマンハッタンカフェに対するコミュニケーション方法をこの女は持っているに違いない。今どうしてもそれを聞き出したい。

 ユナイトで増幅した欲求をまだ解消していないのもあって頭がまともではないのは確実だが、コイツだって突然血液を採取しようとしてくるレベルでまともな女ではないのだ。頭きたぜってぇ聞き出してやる。

 

「きみはマンハッタンさんの何だ?」

「ふぇ……? い、以前にも言ったがサポーターで──」

「ただのサポーターなわけ無いだろっ! 俺の遺伝子情報が欲しいなら正直に話せッ!!」

「ひえぇ……っ! な、なんの事なんだい……!?」

「タキオンさん……貴方、葉月さんにまた何か別のことを……?」

「いやいやいや! 顔を合わせるのもこれが二度目で」

「許せねえ……話すまで絶対離さねぇ……」

「うわああぁぁん! もう採取は一旦諦めるから離してくれよぉ! 何なんだこの男はァっ!?」

 

 



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仮面を被れば繋がる縁♡ 吸い付いて離れねぇぞ

 

 

「じゃあみんな気をつけて帰れよー」

 

 そんな担任の一言で本日の学業は終了した。ポッポー♡

 今朝、マンハッタンをトレセン学園へ送り、その場の流れで捕まえようとしたアグネスタキオンに逃げられてから数時間──疲労困憊を悟られないよう全力で普通を演じているが、さすがにそろそろ限界が近い。

 この日は二時間目まで授業をやって、あとは創立記念の長ったらしい校長トークを聞いて解散という流れだったのだが、そんな普段なら楽勝すぎるスケジュールも今の俺には辛すぎて、一時間目に返してもらった英語の小テストに書かれた点数すらボヤけて読めないのだ。

 

「山田ー……♡」

「わっ。ど、どしたの?」

「横腹ぷにぷに」

「やめなさいよ……」

「なぁ、これ俺のテスト何点なの」

「え……読めないレベルの体調不良なの……? 全十問で八問正解だよ。二個だけ間違ってる」

「そんな出来てんだ。じゃあ次の授業んときは指されないな」

「あの先生、点数低い生徒のことよく指して喋らせるからね……」

 

 ダル絡みするフリをしながら山田にもたれ掛かり、なんとか彼に先導してもらいながら昇降口を目指していく。

 この状態では付近のパーキングに停めたバイクを出しても運転して帰るのは無理そうだ。ていうかパーキングまで山田に付いてきてもらおう。来い!お供たち!

 

「俺、どこ間違えたんだ?」

「えーと、ノーザンライトが間のeが抜けてて……テーストも同じ間違いだ。こっちはサービス問題だよ?」

「いやぁ……テスト中も眠すぎたんでしょうがないわ」

 

 確かこの小テストをやった日も朝方に怪異とレースをしたのだ。いつだったかはもう覚えてないしどうでもいい眠いお腹すいたムラムラする死ぬ!!!

 

「あっ、そうだ秋川。これ渡そうと思ってたんだ」

「……?」

 

 パーキングに到着してバイクを出庫すると、別れ際に山田がバッグから何やら丸い鏡のような物を取り出して手渡してきた。

 

「なにこれ」

「マスクというか仮面というか……とにかく顔に装着するやつ。全体がミラーレンズみたいになってて他人からは顔が見えないようになってるんだ。ウチの押し入れの中にあったから引っ張り出してきた!」

「お、おう……サンキュ」

「また急に襲われでもしたら戦わないといけないだろうし、とりあえず今はそれで顔を隠すといいよ。ちゃんとしたやつは土曜に買お」

 

 と、そんなこんなで一体どこで買ったかも分からない謎アイテムを俺に譲渡した山田はそのまま帰っていき、俺もバイクを押しながら帰路につくこととなった。また明日! えへへ。

 

「うおっとっと」

「秋川ー! ほんとに一人で帰れるーっ!?」

「へーきへーき、サンキュな~」

 

 心配してくれた親友に手を振り、改めて前を向き直す。

 ──とりあえずはひと段落だ。

 あの合同イベントに誘われてからは実に忙しない毎日で、怪異の覚醒や身バレしかけたりなど精神的にも落ち着く暇がほとんどなかった。

 このまま帰ったら速攻でメシ食ってお昼寝直行で決まりだ。今夜はもつ鍋にするゾイ♡

 とにもかくにも増幅した欲求を解消してノーマル状態に戻っておかないと、怪異たちとのレースに支障を来たしてしまう。

 またいつ現れるかも分からない連中なんだから──

 

「……?」

 

 ふと、住宅街に差し掛かったあたりで立ち止まった。

 そういえばだが、俺は“怪異”という存在について、思ったより何も知らないのではないか、と考えてしまったのだ。

 あいつらはよく分からんファンタジー存在で、マンハッタン曰く『悪意を振りまくだけで深い目的はない』という、ただはた迷惑な連中として処理してきたが──俺自身が奴らを調べた事は一度も無かった。

 闘うだけで性質を知ろうとしたことは一度も無い。

 それは……どうなのだろう。

 

 秋川家ではウマ娘を見る際に何よりもまず、本人たちの基礎データを調べて頭に叩き込むところから始める。

 その基礎データとはスタミナや脚質だけを指しているのではなく、性格や好きな物、嫌いな事までを含めてのデータであり、それを調べて育成に活かすことを基本としているのだ。

 たとえば極度の負けず嫌いに中盤における我慢比べの駆け引きを強いると、合理的な意見では制御できない感情が途中で爆発して戦略どころの話ではなくなる。

 

 だからウマ娘のスペックだけでなく個性も深く知る必要があるのだ。

 もちろん何もかも無視して暴走した場合に偶然覚醒するワケわからんバグ強ウマ娘もたまにはいるが、秋川家ではそこに賭ける方法などは教えなかった。

 ゆえに解析。

 上辺の情報だけでなく、一見不要とも思えるような情報まで把握してこそ、見えてくる道もあるということだ。

 

 で、そういう部分を調べるための観察に関してだけは、幼い頃に親父から唯一褒められた部分でもある。

 今でも相手の表情から内心を読み取る技として重宝している大事な特技だ。

 とどのつまり、怪異をもっと知れば闘いも楽になる可能性が上がるし、ワンチャンそもそもレースしなくてよくなるルートもあるかもしれない、という話である。

 

「……ハヅキ、すごいね」

 

 そのままバイクを押して歩いていると、隣にいるサンデーが俯きながら呟いた。

 俺が凄いのは当たり前だが具体的にはどこがですか? きみが俺を褒めるなんて珍しい。おまえ美人だね。

 

「一昨日の夜にユナイトして街を疾走。本気は出してないけど……鼻血を出す程度には肉体にもダメージがあった。当然、それで三大欲求の渇きも酷いことになってる」

 

 そりゃそうじゃ。あのカラスのせいで柄にもなく無茶をしたからな。もうボロボロですよホント♡

 

「でも、今はそれを押し殺して怪異のことを必死に考えてる。他のみんなに危害が及ばないよう、必死で方法を模索してる。……だから凄いって言ったの」

「……そ、そうか」

 

 ……照れる素振りも見せずに真正面からそう言えるお前の方がよっぽどスゲえわ。

 あんまり褒められると調子に乗っちゃうからその辺にしておいてね。

 

「ん、前みて」

「えっ? ──いだっ!」

 

 住宅街の電柱に正面衝突。ツッキーも歩けば電柱に当たる。

 

「っ゛~……!」

「大丈夫? 集中すると前が見えなくなるよね、ハヅキって」

「うっせ……」

 

 

 

 

 ──あ?

 

「ッつ……肩いてぇ……」

 

 たぶん、寝てた。変な体勢だったせいか体の節々が痛む。

 ゆっくりと上体を起こして気がついたが、どうやら帰ってから布団すら敷かずにそのまま畳の上で眠ってしまっていたらしい。

 帰宅したらちゃんと昼飯を食って、段取り決めてサンデーと昼寝の中の夢で渇きを潤して、正常な状態になってからネットや図書館を使って怪異について調べようと、諸々考えていたのだが……どうやら疲労感と眠気には抗えなかったようだ。

 

「んぅ……」

「サンデー、一回起きよう。もう夕方だしお腹に何か入れとかないと」

「……はい……わかった……」

 

 いつの間にか俺にくっついて隣で寝ていた相棒を揺すって起こし、部屋の明かりをつけると共に置時計で時間を確認した。

 もう十八時過ぎだ。図書館での調べ物はもうできそうにない。

 それにこの数時間で解消できたのは、ある程度の睡眠欲と疲労感のみだ。

 未だに食欲と性欲はバグったままと言っていいため、早急に何とかしないと。

 

「げっ……まともな食い物が無いな……」

 

 ため息が出た。買い物をサボっていたせいか、冷蔵庫の中は壊滅状態で調味料以外は飲み物くらいしか無い。

 

「ハヅキ……お腹すいた」

「とりあえず一瞬で味噌汁だけ作って、それ飲んだら買い物に行こう。……具なしだけど」

「ないよりまし……」

 

 そんなわけで非常に寂しい味噌汁を用意し、一息ついた後に家を出た。

 制服から着替えるのも面倒だし歩きで行って近場のスーパーで済ませよう。

 この時期の夕方はもう夜と言っても差し支えない暗さで、比例して気温も極端に低くなる。

 おまけに冷たい風が吹いてとても耐えられたものではないと感じたのか、相棒はプルプル震えながらさりげなく俺の手を握ってきた。そう、男の指で暖をとって頂くのがマナーだ。よく知っているな……♡

 

「サンデー、何が食べたい?」

「精のつく料理」

 

 あれ、聞き間違いかな。興奮し過ぎだぞ夜伽係。抱き枕としての自覚が出てきたらしい。

 

「……帰って飯を食ったら、またすぐ寝るつもりなんだが」

「ん、だめ。眠りが浅いとかえって夢が中断される恐れがある。ちゃんと寝れるよう、ある程度は疲れないと」

 

 そんなこと言われても帰ってからやる事なんてパソコンで怪異を調べる事くらいだ。ぐっすり眠れるほどの心地よい疲労には至らないだろう。

 精のつく料理を作ったとして、それで得た元気を発散する方法がない。

 

「………………。」

 

 ジッ、と横から俺を見つめるサンデー。熱っぽい視線とも言うか。ジト目だが明らかに頬が紅潮している。

 ほう。

 なるほど。

 まあ何が言いたいのかはなんとなく理解できる。

 俺も彼女も精神状態はほとんど同じだから、サンデーがやりたいであろう事は、つまり俺のやりたい事でもあるのだろう。本気汁が出てますぞ。

 

 とはいえだ。

 煩悩で頭が沸騰していても弁えるべき一線はいつだって自覚している。それこそペンダントで無理やりにでもタガを外されない限りは絶対に暴走しないと心に決めている。

 これは何回もペンダントやユナイトの影響で心が弱らされたからこそ育った自制心だ。

 確かに俺は、自分から爛れた道へ誘おうとしてくる相手の提案は拒否しないし、そのまま責任を取るという覚悟は持っている。

 王道ラブコメ主人公みたいに鋼の精神をもってヒロインをはねのけるなんてことはしない。いつだって間違える気満々な性欲煩悩スーパーマックス男子高校生だ。

 

 ──しかしこれは駄目だ。

 おそらく自制が利かなくなる。

 恋人になるわけでもなければ、精神的に大きな何かを乗り越えるでもない、ただ合理的な理由に基づく必要な行為──そうなると"言い訳"ができてしまうのだ。

 責任を取る、という覚悟を根本から揺るがす危険な思考だ。

 この先も怪異と闘わないといけないのに『これは必要なことだから』とか『平静を保つ為にはしょうがない』とか()()()()()で際限なく求めることになってしまう恐れがある。

 それは駄目だ。

 あの儀式や夢ですらギリギリなのに、これ以上は本当によくない。

 いま俺が置かれている状況は確かに大変だが、楽をする部分とサボってはいけない苦労はしっかり見極めておかないと、俺とコイツはいつか相棒ではなくなってしまうかもしれないのだ。

 

「ハヅキ」

「……いや、ダメだぞ。それこそ何のために夢で済ませてるんだって話になるだろ。本末転倒じゃ意味が」

「んんー……っ」

「遂に腕に抱きついてきちゃった……♡」

 

 なんと左半身に温かくも柔らかい感触在り。なぜ俺をボロボロに打ち負かそうとするのだ? まぁいいや。

 

「なぁ俺とお前はそういうのじゃないだろ? 今は思考が冷静じゃないだけだ、落ち着けって。あくまで俺たちはマンハッタンさんを守るための協力関係を敷いてるだけの間柄であって、確かに同居人として多少は近しい距離で接しているがそれにもレベルとか限度ってものが──」

「……ハヅキはイヤなの?」

 

 あっ、困った事に子供の名前を今すぐ考えないといけなくなってしまったみたい。器量よし。しかし変態ボディの持ち主。マジで許さん。

 

「夢でやったこと全部するからな」

「ぇ……」

「今度は気絶すんなよ」

「……ちょっと煽りすぎたかも」

 

 うるせえ今更退けねぇよアクメスイッチ・オンだ! いい加減にしろマジで可愛いね。タレントになれるよ、モデルとか……キャスターとか。

 う~んリアルな体験ではありましたがアレもあくまで夢。現実でボクチンごときにやってのけることができるのかな? 不安だお。

 

「ほら外では恋人繋ぎな」

「有無を言わせない勢い……」

 

 プチアクメを感知。この女ちょっと俺のこと好きすぎますね。手を握ってほ~れほれほれほれそいそいそいそい。夫婦間の営みみたいだね♡

 

「精のつく料理か……どうすっかな」

「あの、キャンセル可?」

「そもそもお前が言い出したことだろ」

「……困った」

 

 主役はあとから登場。まごころの籠ったご奉仕を期待しているぞ。そりゃっお待ちかねだぞっ。

 今晩のメニューをどうするか悩みながら街の歩道を歩いていく。毎晩俺との夢を楽しみにしやがってよ。蝶よ花よ。

 嵐の前の静けさと言うべきなのか、単に脳と身体が火照っただけなのか、先ほどまではただ寒いだけだった冬の空気が、今はただの涼しい風にしか感じない。

 普通に恋愛対象として見ていて尚且つ()()()()()()と思いながら接している他の少女たちとは異なり、コイツはお互いに大切な相手(マンハッタンカフェ)を守るための『協力者』という明確な線引きが存在している。

 だから今までやってこられたワケだがもう知らん。何もかも破壊してやる。オイ何か言うことがあるんじゃないのか!? イっていいよ♡

 

「──きゃあッ!? ぁ、わっ、私のバッグ……っ!?」

 

 そろそろスーパーが見えてくる、といったところで目と鼻の先で、なんと引ったくりが発生した。

 若い大人の女性が持っていた高そうなトートバッグを、フードを深く被った不審な男が無理やり奪い、付近に停めていたバイクに乗って逃走していく。

 

「──サンデー!」

「その前に、山田君に貰ったあの仮面を付けた方がいい」

「あっ、おう、確かに顔バレしたら終わりだな……!」

 

 すぐさま路地裏に隠れ、一応買い物用のエコバッグに入れておいた、あの全面がミラーレンズになっているマスクを被ってから走り出した。

 肝心のひったくり犯は事故が怖いのかあまりスピードを出しておらず、映画のようなカーチェイスをする勇気も無いようで道路を恐る恐る進んでいる。

 ──というか。

 

「あいつ交差点で停まってんじゃねえか……」

 

 かなり交通量が多い交差点にビビった逃亡犯は赤信号を無視できずに止まってしまい、その隙に俺たちはあっという間に追いついてしまった。たぷんたぷん♡ まってまって。つかまえたぁ♡

 

「この際しょうがないな……エコバッグ使おう」

 

 いつの間にか横にいた俺に気づいて言葉を失っている犯人の首根っこを掴み、バイクごと道路の端に連れていって、スーパーパワーで千切ったエコバッグを使い犯人の手足を結んで拘束した。今は拘束道具がこれくらいしか無い。主婦の味方。

 後ろを見ると、バッグを盗られた女性が焦った表情でこちらへ向かって走って来ている。

 スマホを耳に当てている辺り警察への通報はもうおこなっているようだし、俺の出番は終わりみたいだ。面倒に巻き込まれる前に退散しよう。

 

「……アンタの事情は知らないが、こういう事にバイクを使うのはやめてくれよな」

 

 そう言って犯人に軽くデコピンしてから跳躍でビルの上に逃げてその場を後にした。不遜な男、恥知らず。マジでもう二度とバイクに触れる事なかれ。

 あとは警察が適当に何とかしてくれることだろう。

 

 ──おっと。

 少し頭がフラついた。

 この前派手なレースをしたばかりで、ほんの数時間の昼寝以外まともな回復をしていないのに、またユナイトして走ったとなれば体調不良は必然だ。

 さっさと買い物をして帰らないと──

 

「……何だ、アレ?」

 

 人気のないところへ飛び降りようとしたのも束の間。

 もう一つ隣のビルの屋上で、何やら怪しげな人影と共に大量のカラスが集まっているのを目視で確認した。

 

「カラス……? でも、別の怪異もたくさんいる……」 

 

 そこには美少女体のカラスと、いかにも亡霊っぽい連中が屯していた。

 俺の宿敵であるカラス以外の怪異は基本的に煙みたいなぼやけたよく分からない姿をしている。

 そこから他の動物に変身することもあるし、カラスほど鮮明ではないがうっすらと人型に変わってレースをする事もあるのだが、そういう今まで見かけた事のある連中が屋上であの黒髪トリ娘を囲んでいるのだ。

 

「うぉっ、何だ……っ!?」

 

 そして、カラスが一瞬眩く光ったかと思うと、いつの間にか周囲にいた怪異たちが、どいつもこいつも人型に変身してしまっていた。変身のバーゲンセールだ。

 ウマ娘に酷似しているカラスとは異なり、男か女かも分からないような、それこそマネキン人形のようなのっぺらぼうの姿だが、それでもハッキリと姿を捉えられる人型に変わってしまったのだ。世も末インフレ。

 

(……カラスが怪異たちに力を分けた……?)

 

 まじ? おませさん♡

 

(たぶん、他の怪異たちも一般人が視認できる姿になってしまってる)

 

 それはとんでもない大問題だが──何のために。アップルパイ。

 

(分からない。怪異は基本的に結託することは無いし……でも、とにかくマズいかも)

 

 イヤな予感がする、というサンデーの読みは当たりだった。

 カラスや一部の怪異はそのままどこへともなく去っていったが、人型に変身した残りの三体が眼下に広がる夜の街へそれぞれ散り散りに降りていったのだ。

 

「あっ! ちょ、待てっ!」

 

 それを追ってビルの屋上から俺も飛び降りた。

 とりあえず近い順に追って倒していかないと、奴らのせいで街が大変なことになるかもしれない。

 なにも怪異のターゲットは俺だけではないのだ。

 レースの勝敗で俺に対して異常な執着を見せるカラス娘は例外として、他の怪異たちは“目的が無い”からこそ()()()()()()()()()()

 ……山田から言われたようなヒーローとやらを演じるつもりは毛頭ないが、とにかく連中を対処できるのは現状俺だけだ。急がなければ。

 

 

 

 

「それは見間違いじゃないか、シービー……?」

「もう、本当に見たんだってば。男の子が道路を蹴って建物の上に飛び乗るとこ! トレーナーだってニュースは確認したでしょ?」

「いやまぁ確かに写真は見たが……しかし……──んっ?」

 

 まず最初の一匹目は律儀に歩道だけを走り、道行く人々からネックレスやマフラーといった装飾品を奪いながら逃走を続けているようだ。ゆえにスピードがどんどん落ちてる。雑魚め。

 奪った品はヤツの身体の中に収納されているため、やはり心を折って倒さないと盗難品は取り返せないらしい。

 レース場を出現させなくなった怪異たちの心を折る方法は、おそらく単純に追いつくことだ。

 そのまま逃げ切れば向こうの勝ち。

 圧倒的に自分が優位な状況から走り始めたにもかかわらず、後ろから追いつかれて捕縛されればプライドが粉砕されて一時的に消滅する。

 

「きゃっ──あっ、アタシの髪飾り……っ!」

 

 おそらく制服からして中央のウマ娘であろう少女の小さな帽子型の髪飾りを奪ったあたりで追いつき、後ろから押し倒してやったら怪異は煙のようにフワッと消滅し、ヤツが奪った物の数々がそこら辺に散乱した。俺の勝ち! ばーか♡ ザコ♡

 盗られた人たちに返してあげたいところだが他の二体を追わなければならない都合上あまり時間が無い。

 せめて持ち主が分かってる髪飾りくらいはそこのウマ娘の少女に返してあげよう。

 ……えっ!?

 このウマ娘──おっぱいがデカい! どうして……。

 マジで仮面なんて装着してる場合じゃないんだが。今すぐ脱いで自己紹介したい。僕をケダモノに仕立て上げて! 責任をとっていただくからね! 生意気な女だ。しかし美しいのだ。

 とりあえずコレは返そう。無言で。ビチビチビュバッビュオオォォォ。

 

「えっ。……あ、うん。ありがとう……?」

 

 あまりにも奇跡的な確率で結ぶことが出来たデカ乳ウマ娘との縁だが、残念ながらこの街を守るためには今すぐここを離れて残りの二匹を潰しにいかなければならない。

 せめて仮面によって視線が隠されている内に、三秒間だけ彼女のデカ乳を後生大事に拝んでおこう。クオリティコントロール。

 

「……?」

 

 一、二──デカい乳、目の保養。いつかこれを鷲掴みにできるほどの王になる。革命の日は近い。ディープキスも忘れないでね♡ 素敵だよ。

 

「えぇと……」

 

 三さよならッ! 大きいおっぱい鑑賞ありがとうございました♡ またお会いしたいと思います♡

 

「ぁっ! ちょっと待ってよ! 名前くらい──あぁ、行っちゃった……」

「シービー! 大丈夫かっ!? い、いま上に飛んでいった仮面の男、もしかして──」

「……ふふ、絶対にもう一度見つけないと」

「し、シービー……?」

「トレーナー。ちょっと久しぶりに隣を走りたい相手──見つけちゃったかも」

 

 すたこっらさっさと目撃者たちの前から去り、次は東の方へ逃げていった怪異を追っていく。

 ちょっと頭が痛むもののまだ無理が可能な範囲だ。

 ぶっ倒れる前に早いとこあのカス共を殲滅しなければ。

 

 こうして移動している間にも俺を目視する人々は増えていて、サンデーの空間歪曲も使っていないため、仮面が外れたら一瞬で人生の崩壊が訪れる。

 ここまで変に目立ってしまうのなら、通常の移動は仮面を外してバイクを使い、対象を見つけ次第身元が割れないような他の衣服にサッと着替えて仮面を装着する、という方法の方がいいのかもしれない。

 ──と、怪異を見つけた。

 どうやら建物の上を飛び回るのはやめて、商店街に入っていったようだ。

 

「ふふふ~、やりましたねスカーレット。福引で二人ともにんじんハンバーグを当ててしまうとは」

「嬉しいけど、こういうところで運を使っちゃっていいのかしら……それにしてもマーチャン、よく福引券を二枚も持ってたわね?」

 

 あそこで歩いてる少女は──ダイワスカーレット!?!??!?!??!!?!??!?

 

「実はトレーナーさんから頂いたのです。なんともう一枚あります。これは帰ってから、ウオッカにプレゼントしましょう」

 

 その隣にいるのは……えぇと、そう、アレだ。夏のイベントで海の家へ行っていたとき、クオリティが異様に高い手作り人形をくれた少女だ。今日も可愛いねぇ~♡

 たしかアストンマーチャンだったか。めちゃめちゃ念入りに自己紹介をされたから覚えている。深く。鋭く。

 本当に顔と名前を知っている程度で、知り合いとも呼べるかは難しい相手だが、ウチの高校の文化祭にもわざわざ顔を出してくれた律儀な少女だ。

 なにより乳がデカい。

 正直ダイワスカーレットに迫る勢いのハイパーおっぱいだ。今日はおもてなしを受ける場合の作法を学んでもらう!

 

「……おや? ぁ、ほわわっ──」

「ッ!? まっ、マーチャン!?」

 

 そんな彼女たちデカ乳シスターズのうち、アストンマーチャンのほうが人型の怪異にお姫様抱っこの形で連れ去られてしまった。

 プルルンと揺れる巨峰。見逃すわけにもいかず追走。

 商店街から飛び上がってまた建物を伝うスパイダーマンごっこを始めた怪異を追いかけながらも、俺の視線は怪異が動くたびに猥褻に震えるアストンマーチャンのデカ乳に吸い込まれていた。3サイズは? ウチのメイドはムチムチじゃないと務まらんよ?

 

「あ、あのう。マーちゃんはこれから寮に戻るところでして。ウオッカにも福引券をプレゼントしなければなので。できれば離していただけると……」

 

 アストンマーチャンは比較的落ち着いた声音で怪異に訴えかけているようだが、その言葉を聞いて素直に従うような連中なら俺もこうして追いかけてはいない。

 なんとか全力で追い縋り、タイミングを見計らって次に着地するビルを思い切り踏みしめて強く跳躍した。そのせいで建物の外壁に少しだけヒビが入ってしまったのは申し訳ない。足のパワー半端ねぇ~!

 

「トレーナーさんも、スカーレットも心配してしまいますし……」

 

 俺はお前の揺れすぎなおっぱいのほうが心配だよ! トラウマになる前に助けてあげるからね♡

 ──というわけで追いついた。ザコ♡

 具体的には先ほどのジャンプで大きく先回りして、ビルの屋上で怪異を通せんぼした形だ。

 追いつかれるばかりか、圧倒的に先をリードされた怪異は敗北感で散滅。

 

「ひゃっ」

 

 そのまま落ちそうになったアストンマーチャンを、再びお姫様抱っこでキャッチ。うおっやわっこ。

 なんとか二体目を倒して人質の解放も成功した──が、俺の人生経験の中でお姫様抱っこというのを幼い頃のやよいとしかやった事がないせいか持ち方が不安定になっており、アストンマーチャンを軽く持ち直したら片手の指先になにやら()()()()()()を感じてしまった。気がする。なんだこの触れる気がないのに触れてしまえるほどの大きさのデカ乳は? VIPに対し無礼であろう。心から誠に申し訳ございませんでした。

 

「降りるぞ。しっかり掴まってろ」

「……は、はい」

 

 あの怪異に対して肝の座った対応をできていたメンタル激つよ美少女も、さすがに目まぐるしく変化し続ける現状には面食らってしまったらしく、言われるがまま俺の首に回した腕に力を込めた。お゛っ♡ 当たってますよ。当ててんじゃねえよ。控えおろう。

 そのまま彼女を抱いてビルの屋上から飛び降り、何度か付近の建物を足場に使って安全な速度で歩道に着地した。もう放していいよ。当たってるって言ってるでしょ。ぐあああぁぁァァァッ!!!

 

「マーチャンっ!」

 

 ゆっくりと彼女を下ろしたあたりで丁度、とんでもない速度で走ってきたデカ乳がダイワスカーレットを揺らしながら合流した。すぐにアストンマーチャンを放さなければならない状況になって逆に助かった。危うくデカパイ妊娠させるところだった……。

 

「ぁあっアンタ誰っ!? マーチャンに変な事してないでしょうねッ!!」

「待ってください、スカーレット」

 

 ダイワスカーレットが焦ってバッグの中にあったスポーツドリンクやら筆記用具やらをぶん投げようと構えると、意外にもアストンマーチャン本人が彼女を手で制した。ドエロい状況判断あっぱれ♡ 私が育てました。

 

「この鏡マスクさんはマーちゃんを助けてくれたのです」

「えっ? ……た、確かによく見たらさっきの奴とは違う……?」

 

 どうやら俺はアストンマーチャンを攫った怪異と間違われていたらしい。別にダイワスカーレットの飲みさしのペットボトルを投げられるなら大歓迎だったのだが時間が無いので誤解を解いてくれて助かった。とにかくもう行かないと。

 

 ──あの小さい帽子の髪飾りのウマ娘だけじゃなく、ダイワスカーレットとアストンマーチャン……と連続してデカ乳ウマ娘と遭遇している。これは間違いなく偶然ではない、仮面を被った事により変動した運命だ。残りの一体からも巨乳の呼び声が轟いているぜ。

 

「あの。あの。お急ぎのヒーローさん。せめて()()()の名前だけでも聞いていただけませんか」

「ま、マーチャン、この人は助けてくれたかもしれないけど、流石に怪しいんじゃ……」

 

 そりゃ全面ミラーコーティングされたお面を付けた変態だからな。ダイワスカーレットの判断が正しいと思います。名乗ったらプロポーズしたものと見なす。

 

「怪しくなんてありません。彼は落ちそうなマーちゃんを掬い上げてくれました。危なくならないよう、掴まっていろと言ってくれました。抱く力の強さも柔らかくて、優しくて……」

「だ、抱っ……!? アンタやっぱりマーチャンにやらしい事したのね!?」

 

 誤解です! 詰め寄らないで! 静粛に! 近づきすぎて胸が当たってしまっていますよお嬢さん。愛おしくて性的で魅力的なボクチンのヴィーナス。

 

「──アストンマーチャンです。……また、どこかで」

 

 これ以上ダイワスカーレットに詰められたらデカ乳の前に敗北してしまうと悟り、助けた少女の自己紹介をしっかり聞き終えてから俺は再び跳躍してその場を離れていった。

 

 めくるめく三体目♡ 記憶をたどって西の方へ走っていたら見つけました♡

 しかしいよいよ視界が茫漠として参りました♡ この程度で弱るとは忸怩たる思いでございます♡

 マジでヤバい。

 本当に限界が近い。

 この状態を例えるなら、まともな休憩を挟まず全力疾走の五十メートル走を何十本も連続して続けている感覚だ。酸欠まっしぐらのシャトルラン:レベル100といったところ。お鍋が美味しい季節ですね。

 うるち米。 

 とりあえず敵は視認できた。

 あれ。なんかアイツを追いかけてるトレセン生がいるみたい。その勇気は俺の嫁に相応しいな……。

 

「か、カイチョー!? そんなヤツ追いかけたら危ないよっ!」

「いいからテイオーは警察に電話を! ──待てッ! 道行く公共物を次々に破壊して……お前の目的は何だっ!?」

 

 なんかトレセンでめっちゃ見た事のあるウマ娘が怪異を追いかけている。

 怪異は大分無茶な速度で走っているが、追いかけているウマ娘もなかなかのスピードだ。通行人などにぶつからないよう状況判断も怠っていない。

 見た事のないヤベーやつが暴れているというスーパー緊急事態なのにあの冴えた思考とそれを支える脚力、なかなかに素晴らしい。ついに求婚する相手を見つけてしまった。

 

「っ!? 路地裏に──!」

 

 そして怪異があのウマ娘を撒こうと入り組んだ道に入ったとほぼ同時に先回りして着地した。ぐず怪異! 俺には敵わず何も得ず。

 

「……! き、きみは……」

 

 とりあえず怪異は俺に追いつかれて狼狽している隙に、デコピンしてやったらロウソクの火が消えるように霧散した。その光景は追いかけてきていたウマ娘も目撃してくれたようで、一旦の脅威は取り除けたみたいだ。この街は俺が守るぜ。王だからな。

 

「っ……」

 

 フラついた。激アクメ寸前。

 

「だ、大丈夫か!?」

 

 なるほどダイワスカーレットほどではないが彼女もデカい。仮面を被った途端にデカ乳ウマ娘たちと縁ができまくって感動ですよホント♡ 逆に仮面を被らずして最初に出会えたベルちゃんがちょっと運命すぎ。おうちで沢山コスプレ着せ替えプレイをしようね。カメラを添えて……。

 一旦地面を蹴ってジャンプ。

 少し上の非常階段の踊り場に着地すると、ここまで追いかけてきたウマ娘は焦って『待ってくれないか!』と声をかけてきた。告白?

 

「あなたが何者でも構わない! とにかくあの不審な人型の怪物を祓ってくれて感謝する! ありがとう!」

 

 感謝する気持ちがあるならベロチューしろそれが社会だ。からだすこやか茶。

 

「私は中央トレセン学園生徒会執行部会長のシンボリルドルフ……以前、あなたを街で見かけたことがあるんだ。もしや日常的にあの怪物と闘っているのか? 奴らの目的は一体……」

 

 う~~~ん小難しい事はこっちも調べてる最中なのでノーコメントだ、自ら死地へ飛び込むマゾ女。しかしその闘志誉れ高い。

 こっちは疲労困憊で無理みがヤバめなのでまともに応対できないのです。無言で黙ってると陰の実力者に見えるかもしれないけど疲れてるだけだから深読みしないでね。

 ていうかこの少女がシンボリルドルフか。シンボリルナドルフではなかったらしい。しかし俺の中ではルナちゃんだ。

 

「……一学生にできることなど限られているが、少しでもあなたの力になりたい。私も学園のウマ娘たちの安全のためにできる限りの事はしたいんだ。……せめて、名前だけでも教えてくれないだろうか……?」

 

 名前。

 ほう、名前か。

 何でもいいんじゃないかな。俺の本名以外なら何でも。しかしダサいネーミングは勘弁ときた。とはいえ頭の中のカッコよさげなワードを引き出せるほどの余裕は無い。正直立ってるだけでも精一杯だ。足腰ガックガクで草。

 なんだろう。

 それっぽい単語──

 

「…………ノーザン、テースト」

「っ!」

 

 今朝に返された英語の小テストの中からの適当な選出です。自分が間違えた問題くらいしか思いつかなかったし、よく分からんがなんとなくコレがしっくりくる。

 

「さらばだ、ルナちゃん」

「えっ……な、なぜ私の幼い頃の呼び名を……? あっ、ちょっと待っ──」

 

 言うだけ言ってその場を飛んで離れた俺だったが、最初から疲労困憊の状態で戦い始めてそこから更に三連戦も休みなく続けたせいでまさに満身創痍の屍と化し、数キロ先の路地裏にあっけなく墜落してしまった。イカロス。

 仮面は割れて砕けてしまい、大事な制服は汚れて体調もボロボロになった俺はゾンビみたいに路地裏を出て大通りに出ていく。

 もうマジで視界が曇りガラス。頭の中も不協和音が鳴り続けてるし、何より全身の激痛でそろそろ倒れそうだ。額から血も出てきた。どうやら死ぬしかないらしい。

 

「……お?」 

「いかがなさいましたか、ゴールドシップ。また宇宙人でも見つけただなんて世迷言でも」

「なぁマックちゃん。あそこにいるのって──うわっとと……!」

 

 そのまま倒れかかった瞬間、遠くから駆けつけてきた誰かが俺を咄嗟に抱えてくれた。この柔らかくも華奢な体躯と甘いスケベな匂いは……?

 

「秋川さんっ!? ──な、なんてひどい怪我……!」

「おーいマックイーン!」

「ゴールドシップ! 早く救急車をっ!」

 

 めっちゃ良い声で耳が孕みそうなのを感じながら相手に全体重付加。

 すると、驚くほどあっさり意識が離れていき、深い泥の中へと沈んでいくのであった。

 

 

 

 

「…………ん……っ」

 

 眩しい日差しが真っ暗だった瞼の裏をオレンジ色に染め、まもなく意識が覚醒した。

 ズキズキ♡と痛む全身を無理やり動かして上体を起こし、眩しさゆえにうっすらとしか開かなかった瞼をしっかりと開眼。俺。

 そこでようやく自分が病室らしき場所のベッドの上にいることに気がついたのであった。

 

「──っ! ツッキー!!」

 

 で、残りの周囲の状況を確認する間もなく、めちゃめちゃ聞き馴染みのある声と共に誰かが俺に抱きついてきた。痛い痛い苦しい柔らかい良い匂い気持ちいい。

 

「よっ、よかった……本当によかった……!」

「……ベル?」

 

 目を覚ました俺に開幕から熱い抱擁をかましてくるとかいう、好感度最大個別ルートまっしぐら確定メインヒロインとしか思えない行動をぶちかましてきたのは、どうやらベッドのすぐそばで俺が目覚めるのを待ってくれていたらしいメジロドーベルだった。

 あまりにも寝起きすぎて焦りも照れも出てこない俺は、彼女に抱きしめられながら視線を横にずらした。

 そこにあった時計は短針が三を示していて、外が明るい事を考えると現在の時刻が夕方の十五時頃であることが分かる。

 いつの間にかユナイト解除がされていたらしく、サンデーも隣で熟睡している。

 

「ベル。ここは……?」

「えっ、あ。えと……ツッキーのお家からはちょっと遠いけど、大きな病院だよ。ここが倒れた場所から一番近かったらしくて……って! それより体は!? どこか痛い!?」

 

 あなたが抱きついてくれたおかげで下半身の一部が痛いくらい自己主張しそうですが。魅力的すぎるよ……今生で一番の女かも。結婚しよう。

 

「いや、大丈夫だ。とりあえずナースコール押すから、一旦離れてくれるか……」

「あ、うん、ごめん……あの、本当に平気?」

 

 平気だっつってんのに離れても手を握ったまま。おぉっ怒りと性欲が登ってきた……! 5合目……! 6合目……!

 

「こほん。失礼しますわ──」

「あ、マックイーン」

「っ! ぁ、秋川さん! 目を覚まされたのですね!? は、はぁ……本当によかった……っ!」

 

 ぬるっと病室に入ってきた芦毛のウマ娘ことメジロマックイーン。

 彼女も安堵しながら俺の元へ駆け寄ってきたが、ドーベルと同じように無意識にもう片方の俺の手を握ってから表情が固まった。何か言え。絵画のようだよ。

 

「……ど、ドーベル? いつから秋川さんの手を握って……?」

「え。マックイーンも現在進行形で握ってるじゃん……」

 

 論争を始めるのは勝手だがまず手を放してくれない? ナースコール押したいのに両手が華で塞がってしまっているよ。素直なメスも嫌いじゃない。

 ──ん。

 外から更に声が聞こえてきた。看護師さんが来てくれたのだろうか。

 

「あら? パーマー、あなたマックイーンと一緒に来るはずでは……?」

「いやぁなんか先に行っちゃって。アルダンさんこそ、ドーベルは?」

「ふふ、学園を出るところまでは一緒だったのだけど、そのあと先に行くと急いで──」

 

 これ絶対看護師さんじゃないわ。俺の予想が正しければまた病室にウマ娘が増えると思われる。全員で胸を押し付けて俺を殺す気か?

 

「ライアンお姉さま……なぜここまでメジロ家総出で集まって……?」

「あはは……そりゃまぁ、ドーベルとマックイーンがあんなに心配する男の子ってなるとね……ほら、あたしたちもでしょ? 来てないのなんてラモーヌさんぐらいだし」

 

 なんか声が増えた。もういっそ寝たふりした方が楽な気がしてきた──が、結局ドーベルとメジロマックイーンには手を放してもらえず、そこへやってきた謎のウマ娘たちに焦って二人との関係を問い詰められた結果、俺は泣きそうになりながらナースコールを連打するのであった。山田……たすけて……っ!

 

 



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何度目の勘違いだ! 申してみよ!

 

 

 メジロ家の美少女たちが目白押しする珍事は看護師さんの参入で幕を閉じ、樫本先輩に付き添ってもらって退院をしてから数日が経過した。

 コスプレグッズや衣服の材料といった今後必要になる物もあらかた集め終わり、買い物に付き合ってくれた山田とファミレスで夕食を済ませて、帰ってから風呂も終えた俺はパソコンで怪異について調べているのだが──特にこれといって進展はない。

 ヒーロー面するためのコスチュームはデザインの案すら思い浮かばず、ネットの海を潜っても怪異の情報は乏しくどうでもいい怪談話ばかりがヒットする。

 ゆえに、ちょっと疲れて畳に仰向けで寝そべった。大往生。

 

「ハヅキもココア飲む?」

「あぁ、頼む」

 

 ふわふわで柔らかそうなパジャマ姿のサンデーが台所へ向かい、自分も温かい飲み物で一息つくことが確定したので一旦思考を放棄することにした。

 いまの時刻は夜の八時前。

 正直これといってやる事がない暇な時間だ。

 

「ん……目の下のクマ、治ってきたね。体調はもう大丈夫そう」

 

 サンデーが言った通り、渇き疼いていた三大欲求はこの数日でしっかり整えることができたので、身体の調子は問題ない。……あっ、ほっぺつつかないで。あなたが僕の新たなるママ!?

 つい数日前は俺もサンデーもユナイトの副作用で頭が沸騰してしまっていたようだが、不幸中の幸いというべきか、気絶からの入院というイベントが挟まったおかげで、少し冷静になる時間が生まれたため現実で道を踏み外すことは無く、すべて未遂に終わったのが現状だ。ちゃんと夢で済ませました。疑似身体測定なぞ現実で出来るワケなし。おっほ♡ ノーブラなの?

 

 ──それから入院したことは、すぐやよいにバレてしまった。

 この怪我の説明は『転んで階段から落ちた』という事にしておいたが、流石にそれでは説明のつかない脱水症状や貧血については見事に疑われてしまい、その事情を共有したやよいとは数日後に話をすることになってしまっている。

 もう何も言わずに事情を隠し通すのは難しそうだ。

 どうしても危険な目に遭わせたくない一心で黙っていたものの、もしかするとこのまま下手に隠し続けるほうが、彼女との関係性を良くない方向へ進めてしまう可能性が高いかもしれない。

 やよいに説明するための、何かそれっぽい理由を考えておかないと──

 

「……そういや、相談してくれとは言われてるんだよな」

 

 また一人で懊悩しそうになってしまったが、俺と関わってくれたいろんな相手から口々に『抱え込まないで相談するように』と釘を刺されていたことを思い出した。

 特定の誰かに、ではなくみんなからだ。

 山田を始めとして赤坂や生徒会長、バイト先の店長といった大人まで味方になってくれている。

 いまの俺はもう一人ではないのだ。誰にでも話を聞いて貰える──とはいえ。

 やよいと俺の関係性を把握していて、尚且つ怪異の事にも理解がある相手はそう多くない。

 

「……」

 

 ふと、天井を見つめた。

 もし相談するなら誰だろうと考えた。

 正しい大人の意見を持っている樫本先輩。

 怪異についての理解が人一倍あるマンハッタン。

 飾らない言葉や誰よりも高い行動力で忌憚のない意見を述べてくれるサイレンス。

 それぞれ俺に寄り添ったうえで最良の答えをくれそうな相手ではあるが──

 

「……あいつに頼んでみるか」

 

 他の誰でもなく、一番最初にやよいや秋川家の事情を相談した相手に話を聞くことに決めた。

 いつも彼女は等身大の意見をくれる。

 だから、なんというか相談がしやすい気がする。

 ……その相手がネットや雑誌でも見ない日がないほどの超が付く有名人だということを今一度思い出して、スマホをタップする指が止まりかけたが、深呼吸を挟んでもう一度画面に向き直った。

 断られてもいいんだ。

 わざわざ顔を合わせるわけでもない。

 ただメッセージ上で軽くやり取りするだけでも構わないのだ。

 気兼ねなく声をかけて、なんとなくで会話を繋げていく……そんな普通の友達なのだから。

 といっても女子にメッセージを送るので緊張しないわけでもない。それとなく自然な感じでいこう。

 そうと決まれば早く送ろう。

 ──メジロドーベルに。

 

≪夜分遅くに失礼いたします≫

 

 ミスって明らかに不審なメッセージを送信すると、既読が一瞬で付いた。ベルちゃん子作りしようとは送らなくて助かった。危なかった。

 そこから三分ほど待ち時間が発生して、あぁ今は忙しいから返信できないんだなと察してスマホをテーブルに置いた瞬間、メッセージの着信音が部屋に響いた。焦らしプレイとは酔狂なメスめ。かわいい♡

 

≪どしたの≫

 

 すぐに返事を返してくれたのは嬉しいが、三分かかるほどの文量では無いように思えた。別の作業中だったのだろうか。

 

≪いま大丈夫か≫

≪うん。タイキはまだ戻って来てないし、部屋で一人だから≫

 

 タイキって誰だろうか。

 ……あぁ、同室のウマ娘か。

 思い返してみればドーベルの交友関係などほとんど知らない。

 すっかり彼女の事を分かった気になっていたようだが、まだまだメジロドーベル理解度検定三級の合格は遠いようだ。

 

≪ちょっと相談があって≫

≪相談?≫

≪たぶん少し長くなりそうなんだが≫

≪いいけど、それなら電話にしよっか?≫

 

 マジ? いまは男子との関わりが欲しい女子が多いとの事だし、部屋で喋っているところでルームメイトが帰ってきたり、来客が来ないとも限らないのにその言い草お笑い草。

 

≪トレセンで俺と電話しても大丈夫なのか≫

≪……確かに誰と通話してるのか聞かれたら大変そう≫

 

 サイレンスやマンハッタンなら気にしないのかもしれないが、人の目が気になりやすいドーベルには負担になってしまうだろう。

 

≪あ!≫

≪どうした≫

≪それなら明日さ、直接会って話そうよ。ツッキーは用事あり?≫

 

 まさかの展開。話を聞いてもらうだけのはずが、突然のデートイベントに変更となりました。お心遣いありがとう♡ 和をもってよしとなす。

 

≪用事なしだけどいいのか ほら、トレーニングとかあるだろ≫

≪明日の午後はフリーなんだ 漫画でも読んで時間を潰そうと思ってたくらいだし、アタシは大丈夫だから≫

 

 というわけでデートが確定した。

 高校生の男子同士ならこれぐらいのノリで遊びの約束が決まってもおかしくはないが、まさか最強有名ウマ娘になった今のメジロドーベルが、そんなフットワーク軽めに対応してくれるとは思っていなかった。

 もしかしたら俺のために自分がやりたい予定だったことを後回しにしてくれたのかもしれないし、ここで断るのは逆に失礼というものだ。ここは素直に甘えていこうママ。

 

≪マジでありがとうな 昼はどうする?≫

≪あ≫

≪……?≫

≪ぃ一緒に食べよッ!!!!≫

≪わかった じゃあ駅前集合で≫

≪うん! トレーニングが終わる時間はまた後で連絡するね≫

 

 そんなこんなで急遽出かける予定が決まった。

 明日は図書館で怪異について調べようと思っていたが、やめだ。ベルちゃん優先。本当にありがとう愛してる。

 

「…………はぁ」

 

 嬉しいため息がその時の俺の表情は、きっとクシャっとしただらしない笑顔になっていたのだと思う。

 

 

 

 

 ──その日は雨が降っていた。

 新しく決まったバイト先へ向かう途中に襲ってきた、今朝の予報には無い突然の大雨だった。

 カサなんて当然持っていない俺は替えの服が無いことに焦燥し、カバンで頭上を守りながら雨宿りできそうな場所を目指して走っていく。

 そこで、屋根のついた小さなバス停を発見した。

 自分が向かうバイト先とは正反対の方向へ進むバスなので、乗って出勤するのは不可能だが、まぁ通り雨など少し待てばすぐ止んでくれるに違いないと考えて、そこへ駆けこんでいく。

 寸前で、気がついた。

 どうやらバス停のベンチには先客がいたらしく、そこに座っていたのは見慣れない制服を着た他校の女子だった。

 

「っ~……! 何なの、リアリティラインがどうのって……超常的な部分はちゃんと一話で描写してるのにぃ……っ!」

 

 そして、その先客が俺の存在に気づくことはなかった。

 雨脚が強まり、蛇行した水たまりに雨粒が跳ねる音が大きくなったせいなのか、はたまた顔を真っ赤にして周囲が全く見えなくなるほど、その手に持ったスマホの画面内に書かれた文字列がよほど気に入らないのか。

 どちらにせよ相当な癪に障る発言をくらっているように見えるため、空いている隣のベンチに腰掛けるのは難しそうだ。

 

「……」

「ウマッター垢にまで突撃してくるなんて、どんだけ暇人──わひゃっ!?」

「えっ。あっ……」

 

 ため息をついた少女がふと見上げたその瞬間、彼女の視界に俺が突如出現したように見えたせいか、その少女は驚いてついスマホを落としてしまった。

 

「おっと……」

「ぁ……!」

 

 そのまま転がって水たまりにダイブしそうになったスマホを、俺は無意識的に咄嗟に拾い上げた。

 よく反応できたなと自分でも驚きつつ、捕まえた携帯電話に傷が無いか確認しようとして──画面が自分のほうへ向いている事に気がついた。

 

「あぁっ……」

 

 そこで少女のなんだか情けない声が聞こえたものの、急な事で体が思い通りに動かない俺は、失礼なことに彼女のスマホの画面を凝視してしまった。

 そこには『気に入らないなら読まなければいいでしょバーカバーカ』という、恐らく彼女の何らかの作品に対して粘着している相手に対しては正論でありつつも、少々稚拙と言えるような文章と共に”どぼめじろう”というアカウント名が表示されていた。

 

「……」

「……。」

 

 言い訳をすると、本当に画面を見るつもりなどこれっぽっちも無かった。

 他人のスマホの画面を見つめるなどプライバシーの侵害もいいところであり、自分でもそういう部分は弁えて行動できていると信じていたのだ。

 しかしどうやら緊急事態にはめっぽう弱かったらしく、反射的に落下しかけたスマホを拾えたのはいいものの、落とした少女と同様に俺自身も気が動転してしまっていた。

 早く返さないといけない。

 画面を見てはいけない。

 そう頭の中では理解しているのに、何故か視線がスマホの画面から離れない。体が言う事を聞かない、とはこういうことを言うのだろう。

 

「……わ、わぁーっ!」

 

 数秒間の沈黙を先に破ったのは少女のほうであった。

 バシッとスマホを奪い取り、抱きかかえるように画面を隠しながら涙目で俺を睨みつけてきた。本当に申し訳ないと思う。

 

「みっみみっ見た!!?」

「え……あっ、その、ごめん。全然そういうつもりじゃなくて……」

「……もしかして、内容は覚えてない感じ……?」

「えーと……気に入らないなら読まなければいいでしょバーカバーカって文章と、どぼめじろうって名前……?」

「ギャアアーッ!!!」

 

 とんでもない悶絶具合だ。もしかして俺は触れてはならないパンドラの箱を開けてしまったのだろうか。深く憂慮する。

 

「さっ最悪だ……一般の人にバレちゃったァ……っ!!」

 

 どうやら俺は相当見てはいけないモノを目撃してしまったようだ。もしかしてこの後にでも殺されるんじゃなかろうか。

 ──ていうかこの女子、よく見たらウマ娘だ。

 昔と制服が違うから気づくのに遅れたが、着ているのも今の中央トレセンの制服だし、なんと将来有望なエリートさんの知られざる秘密を偶然知り得てしまったらしい。国家反逆罪。

 

「あっ……雨が止んできた。あの、じゃあ俺はこれで……」

「っ!? ま、待って! 行かないで! まってまって止まってぇ!!」

「うおっ……っ!?」

 

 通り雨は予想通りすぐに止んでくれたようだが、その代わりにどうやっても予想しようのない運命(ハプニング)が俺のもとに舞い降りてきてくれやがったようだ。もう最悪ですよホント♡

 

「ちょっ、俺バイト行かなきゃだから……!」

「これ見たんだよね!? お願いだから誰にも言わないで! 言ったら──なっなんかもう激ヤバなとんでもないことするから!!」

「それお願いじゃなくて脅しじゃねえかッ!? あのっ、マジで遅刻するから放して……! くっそ、ウマ娘めちゃくちゃ力強え……っ!」

 

 今世紀最大のワガママ女が襲来。そんな性根で中央トレセン生を名乗ってたの? 驚きを通り越して呆れ果てたよ。てかちょっと背中にお乳が当たりすぎてますよ♡ 忸怩たる思いだ……。

 

「言わない! 誰にも言わないから!」

「そんなの証明できないじゃんっ!」

「じゃあ監視していいから! 連絡先とバイトしてる店を教えるから! とりあえず痛ぇから一旦離せべらぼうめ! 控えおろう」

「えっ、ぁっ……は、はい。……あの、ごめんなさい……」

 

 

 ──あぁ、そういえばアイツとの初対面って、こんな感じだったっけか。

 

 なにか惹かれるようなことは何もしなかった。

 足を怪我したところに颯爽と現れて助けたわけでもなければ、酷い炎天下の中で汗を拭いながら必死に探し物を手伝ったわけでもなく。

 転びそうなところを支えたわけじゃないし、遅刻しそうなところをバイクで助けたなんて事もない。

 ただ雨の日に偶然鉢合わせて、俺はスマホの画面を盗み見て、彼女は無茶苦茶な理論で俺を引き留めるという、連鎖した互いの落ち度で“縁”が生まれた奇妙な関係だった。

 カッコつけた挙動なんて一つも見せられなかった。

 まだ何も持っていない、何者でもないただの男子高校生にしか過ぎなかった秋川葉月と初めて縁ができたウマ娘──それがメジロドーベルだったのだ。

 

「……んんっ」

 

 目を覚ますと、俺は自室の布団の上だった。

 置き時計の短針は正午より少し前を示しており、カーテンの隙間からは眩しい光が暗い部屋の中へ差し込んできている。

 もうそろそろ起きて準備しないと約束には間に合わない。そう思いつつも、頭の中はまだ覚醒しきっていない。

 

「……まさか夢に出てくるとは」

 

 どうやら夢──というよりピンポイントな過去の記憶を想起していたようだ。

 かなりの精度で再現されていたのは、夢の管理人やスケべお化けモドキと夢の世界で関わった経験があるからかもしれない。

 本当にあの夢の通りだ。

 メジロドーベルとは全くもって理不尽な、ひどい偶然が重なりあった不思議な出会い方をした。

 

「むぁっ……あれ、子供に戻ったぽよぽよカフェは……?」

「どんな夢みてたんだよ……ほら、もう顔洗って出かけるぞ」

 

 マンハッタンの夢を見ながら俺の毛布を奪い取るなどマゾメスすぎるだろ。猛省せよ。

 ──改めて考えてみると不思議な軌跡だ。

 あんな出会い方をしたにもかかわらず、今日俺はあの少女と二人きりで会う約束を取り付けている。

 連絡先を交換して間もない頃は、俺は中学でフラれたように相変わらず女子相手のコミュニケーションがてんでダメで、向こうはそもそも男とまともに会話するのが無理で目も合わせてくれない状況が長引いていたというのに──我ながら目を見張る成長だ。

 

 サイレンスやマンハッタンとの関わりを経て、自ら縁を手繰り寄せる勇気を手に入れた後に起きたあのロッカー閉じ込められ事件の前までは、俺たちの間には特にこれといって特筆するようなイベントは何もなかった。

 今は有名ウマ娘が目当ての客で連日大盛況なあの喫茶店が、まだ知る人ぞ知る隠れた名店だった頃の話だ。

 他の客が来ない時間帯にドーベルがやって来て、カウンターで暇を持て余した俺が彼女の漫画を読んで、感想やどうでもいい話題で数十分くらい間を保たせてそれで終わり。

 ただの短くて小さなやり取りを一日、二日、一週間と続けていって──

 

『新しいの、最初の十ページできたから読んでみてよ』

 

 あの日『彼氏が欲しい──中央トレーニングセンター学園のどこかで、誰かがそう言った』というモノローグから始まるラブコメ漫画を読ませてもらった。

 そうだ。

 あの時からだ。

 

『……今のトレセン自体がそんな感じなの。皆はまず男の人の知り合いを作るところから四苦八苦してるみたい。おかげでネタには困らないけどね』

 

 彼女からその話を聞いたからこそ、デカ乳ウマ娘とのチャンスを感じた俺は応急手当の医療品を携えて、よくトレセン生がトレーニングで通ると言われている河川敷へ向かい──転んで土手から落ちた栗毛の少女と出逢いを果たす事が出来たのだ。

 ドーベルこそが、ウマ娘と俺を縁で繋いでくれた最大の起点。

 

「──あっ! ツッキー!」

 

 駅付近の銅像の近くで手を振りながら、ニット帽と変な星型のサングラスで雑な変装をしている少女の下へ歩いていく。

 最初から運命力なんてものは欠片も持っていなかった。

 一度秋川の名前から目を背けて、逃げて一人になって、秋川葉月というどこにでもいるようなただの男子高校生になった。

 そんな俺が“ツッキー”になって、いま多くの人々と縁を繋げることができているのは、他でもない──親愛なる、はじまりの君が、ちょっとばかり力強めに無理やり引き留めてくれたからだ。

 

「お疲れ、ベル。待たせちゃったか」

「全然。だっていま予定してた集合時間の十五分前だもん」

「……今は集合の十五分前、だよな?」

「え? うん。……──あっ! いやっ、別に緊張して三十分前から来てたとかじゃないからね!? ほんとっ、偶然早く来れただけっていうか……!」

 

 どうしてそこで狼狽してしまうのだよ。あまりにも可愛すぎて怒りを鎮めるのに幾星霜を要しましたよ。

 

「と、とりあえずお昼ご飯いこっ」

「……そうだな」

 

 こうして巡り合った運命に感謝♡しつつ──もう少しこの少女に敬意を払った態度で接しようと心の片隅で思った、そんなある日の昼であった。

 

 

 

 

 ──と、自分の中で勝手にいい感じに心の整理をつけていたものの、肝心のドーベルは同じではなかったらしい。

 

「マックイーンから連絡貰った時はほんっとに心配したんだからね……」

「いや大袈裟だって」

「大袈裟なもんですか! アンタ意識を失って救急車まで呼ばれた自覚ある!?」

「……それは、まぁ……はい。ごめんなさい……」

「えっ、あ、謝ることじゃないけどさ……」

 

 昼食を済ませた後、軽く話しながら歩いているといつの間にか着いていた小さな公園。

 そこでブランコに乗りながら相談をして、気がついた時には俺が無茶をし過ぎている、という話題へと移っていた。足開けっぶっとい足開けっ。そうそう。

 もう陽が落ちかけている。

 辺りはオレンジ色に染まっており、季節が冬という事もあってか宵闇はすぐそこまで迫りつつあった。

 そんな短い夕方の時間を人気のない小さな公園で過ごしている。

 いかにも青春を感じるシチュエーションではあるが会話の内容は普通じゃない。こんなはずじゃなかったんだ。ぼ、ボクチンはただ大好きな恋人とデートを……。

 

「……ごめん。こんなの、ツッキーが一番理解してることだよね……」

「い、いや、それこそベルが謝ることじゃないだろ。別に怪異が悪いってだけの話で……」

 

 焦って訂正しようとすると、ドーベルはブランコを漕ぐのをやめて地に足をついた。

 

「……アタシも一緒に闘いたい。怪異とレースをしたのも結局一回きりだし、ツッキーの負担を少しでも減らしたいんだ」

 

 気持ちは嬉しいが個人的にはドーベルが危険な目に遭うほうが避けたい事態だ。……という思考が彼女にとっては嫌なのだろうが。ていうか君おっぱいデカいね。

 

「ベルがそう言ってくれるだけで大分助かってるんだぜ。もうアイツらとの事は運命として受け入れてるし──」

「それっ!」

 

 ビシッと指をさされた。なに? 恋人役の指名?

 

「そういうとこから否定していこうよ。よく分かんない怪物たちと闘う覚悟なんて……コミックの中だけで十分だよ。いまは闘うしかないかもだけど……悪い怪異と一生付き合ってく義理なんて無いじゃん」

「それは……まぁ、そうだな」

 

 当面の目標はあのカラスの討伐だ。

 俺をしつこく狙い続けている怪異はアイツだけだし、他の怪異たちに力を分け与えているのもあのカラスとなれば、やつを祓えば俺のヒーローごっこは一旦幕を閉じるはず。

 

「とりあえずカラスを倒すまでは一旦この状況を続けないとなんだよ。他に手があるわけでもないしさ」

「……じゃあ、他のことでアタシにもできる何か、ない?」

 

 生チョコ。

 もちろん無いわけではない。

 現に一度サイレンスやマンハッタンと協力して怪異を一体やっつけてくれた実績がある。戦力としては申し分ないと言っていい。

 怪異を感知できるサンデーがいる分俺の対処が圧倒的に早くなってしまっている、というだけの話なのだ。

 

「怪異と闘うことだけじゃなくてもいいの! せめて、ツッキーの負担を少しでも減らせたらなって……」

 

 何と献身的なお嫁さん♡ 種付け許可って理解でいい? 答えよ!

 無論俺の負担を減らす事なんてドーベルにかかれば造作もないことだ。普段から褒めたり撫でてくれたりするだけで軽く世界を救える。泊まり込みでお世話なんてしてくれた日には宇宙創世も夢ではない。

 とはいえ冷静に考えたら結婚しない限りそんなことを頼めるはずもなく。

 せめてドーベルが俺を手伝えていると実感できる何かがあればいいのだが──

 

(一個ある。ベルちゃんに手伝ってもらう方法)

 

 ほんとかサンデー! それは一体。

 

(デュアルっていって、簡単に言うと私とのユナイトの負担を、ハヅキとベルちゃんの二人で分散することで減らすことができる。上手くいけばこの前みたいに疲弊で昏倒したり鼻血が出たりすることはなくなるかも)

 

 えめっちゃ良い事尽くめじゃん。

 ドーベルも積極的な意思表明をしてくれたことだしベストタイミングだ。それでいこう。

 で、具体的にはどうすればいいんだ。

 

(ハヅキとベルちゃんの間にパスを繋げればいい。……でもちょっと時間をかけて複雑な工程を挟むことになるから、ここじゃなくて家でやった方がいい)

 

 了解した。善は急げというし早速やっていこう。イけ! イけ!

 

「ベル。ちょっといいか」

「うん?」

「実は俺の負担を減らす方法があるんだ」

「えっ!」

 

 その嬉しそうな顔は学園では見せるなよ? チョロいマゾ女だと周囲にバレるからな。好きだよ。

 

()()()()()()()()()()、俺の家まで来てほしいんだが……」

「あ、うん、分かった!」

 

 二つ返事で快く了承してくれたドーベルを連れ、暗くなり始めた公園を後にする。

 まさか今日ドーベルを家にあげることになるとは思っていなかったが思わぬ収穫だった。まぁもう結婚してると思うけどな。これで平気な顔して家に上がったら同意したものとみなす。

 

「……あれっ」

「どうした?」

「う、ううん、何でもない」

 

 ひょこひょこと俺の後ろをついて来るドーベル。もういっそ熱く手を握って隣を歩いてしまえばよいのに。ウェディングロード。

 

「こっ、ここじゃできない、負担を減らす方法って…………ぁ。……も、もしかしてツッキー……?」

 

 小声でぼそぼそ呟いているがどうしたのかな。その囁き声は俺の耳元でのみ発揮しなさい。将来の夢はバイノーラルマイクです!

 

「えっあっ……まままさかっ、()()()()……ッ!? どどっどうしよう──!」

 

 ちなみに全部聞こえてるけど違うと思う。……解呪の儀式がほぼ疑似交尾なのを考えるとこっちもヤバい可能性は十分にあるな。迂闊に『安心しろ』とか言えねえ……。

 少し経って家には着いたが──

 

「つ、ツッキー。ちょっと電話しなきゃだから、先に入ってもらってていい?」

 

 頷いて一足先に家の中へ入ると、間もなくドーベルの小さな声が聞こえてきた。音のソノリティ。

 

「もしもし、トレーナー? えと、いろいろあって今日は門限までには帰れないかもで……う、うん、寮に連絡、よろしくお願いします……」

 

 冬だから陽が落ちるのが早いだけで、周囲は暗いものの早めに済ませれば寮の門限には十分間に合うと思うのだが──分からんか。解呪の儀式も一時間はかかるし、こういうのはすぐ終わるとは限らない。

 

「……ふ、ふぅー。……う、うん、よし。だいじょぶ、平気っ。……アタシだって夏のイベントの時、ツッキーの手に尻尾を絡めちゃったりしたし……こっちにも責任はあるよね。それに力になるって言ったばっかりだし。ツッキーも……男の子、だしっ。……よ、よーし! いくぞ、逃げないぞ、がんばるんだぞ、アタシ……っ!」

 

 …………この際もういっそ逆に押し倒して俺のものにするか。ここはひとつ婚姻で手を打たない?

 ていうか今気がついたけどユナイトの負担を分散するってことは、多少弱まるとはいえ身体的な疲弊とは別に俺と同じ()()()()()()()もドーベルにも伝播するということでは? やっぱり心と体を通わせる煩悩は最高だ……これが絆……ッ!

 

 



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オスが虜 魔性で魅惑のシルエット スケベ女には天誅だ

 

 

 ドーベルを家に上げてから少し経って。

 意外と公園での会話が長引いてしまっていたようで、家について落ち着く頃にはもうすっかり遅い時間になっており、デュアルという方法を試す前に彼女と夕餉を共にすることになった。

 

「パスタでいいか? 大体の食材いま切らしちゃっててさ」

「あ、うん。お願いします……」

 

 サンデーから聞いた話によれば、俺とドーベルの間にパスを繋げるための行為は割と時間がかかるらしく、今から更に数時間ウチに滞在してもらうことを考えると、もう寮の門限には間に合いそうにないのだ。

 そのため飯はウチで済ませてもらって、何事もなければ今日はそのまま俺の家に泊まってもらう。片想いしてる憧れの女子を家に連れ込んでしまった……♡

 正座しながらソワソワしててかわいいドーベルはテーブルの前で待たせ、一旦調理に取り掛かる。

 ほんの少しだけ見栄を張っておしゃれなパスタを作ろうと奮闘しつつ──俺の頭の中は絶賛男子高校生の真っただ中であった。

 

 まず現在の状況を冷静に俯瞰してみる。

 ──恋人でもない他校の女子を自分の家に泊まり前提で上がらせてるの、今更ながら普通にめちゃくちゃヤバい状況じゃない?

 確かに怪異だのなんだのと特別な事情もあるにはあるが、それを差し引いても健全とは言い難い状況だ。

 それとなく『仕方ない』と思えるような理由を使って美少女を家に上げるなんて、ラブコメというかエロゲみたいな事してないか。ベルちゃんルート突入。

 いま改めて自分の感覚が若干麻痺しかけていたことを思い知っている最中だ。俺はたぶん結構とんでもない事をしているようだぜ。

 ドーベル本人が多くのファンを持つ全国規模の有名人だというのはもちろんだが、何よりサラッと女子を家に連れ込むことが()()()()()()()()()()が信じられない。

 なんかシリアスにいろいろ考えてるターンがあったような気がするが冷静に考えておかしくないかしら。コレがモテるという事なの!? これじゃ俺の理性が持たない! 何を考えているのだ秋川葉月。

 

 ドーベルが家に入る前に気合いを入れ直して『ツッキーも……男の子、だしっ。……よ、よーし!』と意気込んでいたあのセリフからして、なにか理由さえあれば俺を()()()()()で見てくれるというのも現在確定している事実のひとつだ。交尾したくてたまらない感じが如実にあらわれているよ!

 もちろん彼女が慈愛に満ちた心優しい少女だという前提条件は理解している。

 だがその部分を加味した上で、明らかにドーベル自身も俺と同じように“そういう事”に対して強い興味があるのは間違いないのだ。

 それを知るためであれば、最低限必要な相手として一応俺を選んでもいいと考えてくれている。

 本能的な知的欲求は勿論のこと、マンガに必要な知識を蓄える勉強の為であれば、選ぶ男性の選択肢の中に俺が入る程度には、メジロドーベルの好感度をそこそこ得ることができている、ということなのだ。やっぱり相性最高だ……分かるんだよ頭じゃなく心でね。

 

 ……女子からモテている、と豪語できるようなクソ高い自己肯定感は全くもって皆無だが、スーパー有名人でどんな異性でも選び放題なはずの少女から、多少特別な存在──少なくともとりあえず一つの選択肢としてはありだとして見られている、という状況は素直に誇ってもいいのかもしれない。男子冥利に尽きるというものだ。遂に俺のキカン棒も我慢の限界を迎えた!

 

「うーん……サンデーさんは良さげなデザインの案ある? ……ふむふむ、なるほど」

 

 ドーベルはウチに来てから時間が経って多少落ち着いてきたのか、自身のタブレットでヒーローっぽいコスチュームのデザインを描きだしながら、視えないサンデーと筆談で相談し合っている。

 噂によるとユナイト時の仮面を被っていた俺は『ノーザンテースト』という名前で世間から認知され始めているらしい。

 どうやらあの怪異三体同時撃破レイドイベントにおいて予想以上に街で派手に暴れすぎてしまっていたようだ。

 そしてその話題は当然トレセンにも伝播するわけで、事情と正体を知っているドーベルが、俺のためにああしてノーザンテーストの基本フォームをどういうものにするかを考えてくれる流れになったというわけである。

 

「なるべく目立ちづらい配色で、尚且つ動きやすい格好がいいよね。なにより簡単に身バレしないためにも顔の隠し方をもっと工夫しないと……」

 

 ブツブツと呟きながら設計図のようなイラストをタブレットに書き込んでいくドーベルの表情は真剣の一言だ。そこまで真面目に俺のことを……!? 恋心にさきっちょが侵入開始。

 

「ほい、完成。……それ、割と凝ったデザインだな」

 

 とりあえず料理が完成したためテーブルに運びつつ、コスチュームについての話題を続ける。

 

「ありがと、いただきます」

「そのバットマンみたいなマスクデザインはお気に入りなのか?」

「えぇと、そういうわけでもなくて……やっぱり目元を隠すのが効果的だと思うんだ。とはいえコレだと視界が狭まってレースが難しくなっちゃうよね。むつかし……んっ、パスタおいしい」

 

 確かに視界が遮られてしまうと機動力が下がってしまう恐れがある。

 やはり理想としては山田がくれたような視界がクリアかつ外からは顔が見えないミラータイプの仮面が望ましいかもしれない。

 

「……なぁベル。裁縫とか衣装の工作が得意な知り合いとかいないか? 自分で作ろうとしてもお遊戯会レベルがせいぜいで……」

「あっ、それならデジたんが適任かも。あの子他のウマ娘の勝負服の精巧なコスプレとか作れるし」

「そりゃ随分と多才だな。……あぁ、でも事情を共有しないといけないか」

 

 アグネスデジタルには怪異の事は話していない。

 目の前にいるドーベルとバイト先の二人を除けば、俺の秘密を知っている人物はやむにやまれぬ事情で教えるしか選択肢がなかったゴールドシップと樫本先輩くらいのものだ。

 特に先輩にはまだしっかりと詳しい内容は説明していない。

 今回の入院で随分と怪しまれたため、やよいと同じく怪異について改めて話す必要がある。なのでドーベルたち以外で怪異と闘って俺が死にかけている事実を知っているのはゴールドシップだけだ。よりによって知ってるのがどうしてあの女なのだろうか。なんだアイツ……。

 

 つまるところ、それほど知っている人が少ない、秘匿された情報だという事である。

 自分から言い出しておいてなんだが、アグネスデジタルに俺の事情を教えてしまってもいいのだろうか。

 

「──たぶんもう知ってるよ、デジたん」

「えっ」

 

 ドーベルが憂いを帯びた表情で小さくそう告げた。ちょっと美人すぎ。

 あの少女に秘密を打ち明けた覚えなんてこれっぽっちも無いが。

 一応修学旅行の時に勘づいたような発言はしていたような気もするけども。

 

「ちょっと前から薄々気づいてはいるっぽい。夏のイベントの悪夢の時に、ツッキーの顔を覚えてた内の一人だったし……ただ、知りたそうではあるけどアタシたちには質問してこないの。まだ踏み込むべきか迷ってくれてるんじゃないかな」

 

 なんという気遣いの達人だろうか。俺が彼女の立場だったらミーハー全開で質問攻めをしているところだ。

 もう察しているにもかかわらず、明らかに事情を隠そうとしているドーベルたちのために、聞いたら困らせてしまうだろうと考えて遠慮してくれていただなんて。

 モーレツに感動♡ プランBでいこう。

 

「……よし、事情を打ち明けてお願いしよう。彼女の力が必要だ」

 

 とりあえず土下座して頼み込むことになる。

 多少なりとも仲を深めた相手ではあるが、アグネスデジタルからすれば自分が大好きなウマ娘ちゃんたちを危険なイベントに巻き込もうとしている野蛮な男だ。生半可な頼み方では蹴っ飛ばされて終了してしまう。

 

「アタシも協力するから、一緒にお願いしよ。デジたんにスケジュール聞いてみる」

「ありがとな。……今さらなんだが、ベルってデジタルさんと交流あったんだな」

 

 山田と同じ『デジたん』という愛称で呼んでいる辺り、ただの同じ学校の知り合いというだけの関係では無さそうだが。

 

「ふふ。実はデジたんにもアタシの漫画を読んでもらってるの。きっかけはウマッターだったんだけど、少し前にいろいろあってお互いに正体を知ってさ──」

 

 ドーベルはアグネスデジタルの話題になった途端、分かりやすく上機嫌に変わった。

 どぼめじろう先生を知る数少ない仲間という特別な立ち位置だという事もあるのか、彼女とデジタルは俺の想像以上に親密な関係にあるのかもしれない。いつか山田も呼んでダブルデートしませんか♡

 

「ごちそうさまでした。……あっ、もうこんな時間かぁ」

「そろそろ始めないとだな。俺は準備があるから先にシャワー使ってくれ」

「──ッ!!」

「着替えはサンデーのやつが何着か……」

「あ、だっ、だだ大丈夫! ジャージちゃんと持ってきてるから! おおぉおお風呂お先に頂きますぅッ!」

 

 てんぱりすぎ可愛すぎ女は着替えを持ってドタドタと風呂場へと直行していった。狼狽の度合いが尋常じゃない……俺との交尾を期待しすぎている……。

 あからさまなあの態度を鑑みて、少なくとも俺が相手でも構わないと考えている事は明白だ。

 まぁこれからする事に関しては普通に彼女の勘違いなのだが、問題はその勘違いに該当する行為に対してドーベルが忌避感を持っていない──ある種の“覚悟”を決めてしまっていることにある。

 ラブコメを通り過ぎたエロゲをさらに超えてもはや成人向け漫画になりつつある展開だ。

 あいつは俺となら『別にいい』と考えてしまっているのだ。多分だけど。

 

「ハヅキ、紙に魔法陣を描いておいた。ここにアルファベットで自分の名前を書き入れて、反対側にはベルちゃん自身に書いてもらって。もう一度説明するけど、あとは黒ペンダントを二人で握っておでこをくっつける。そのまま三十分くらい目を閉じて待機。これで適応されるパスの持続期間は大体一週間で──」

 

 相棒から今一度儀式の説明を受けつつ、もう半分の頭では男子高校生特有の抗えない性欲に突き動かされた思考が駆け巡っている。

 そういえば少し前に『ストレス発散ができる何か』が欲しいと考えた時があった。 

 あまりにも怪異関連でフラストレーションが溜まりやすく、そのうえペースが早すぎるのだ。

 一応夢で多少は解消できるとはいえ、冷静に考えたら頑張りすぎているくらいだし、そろそろ自分に甘くしないといずれプツンと突然やる気が無くなりかねない。

 なんとか自分を俯瞰して見ることができている内に対抗策を講じるべきだろう。

 

 俺は選ばれし者でも何でもない一般男子高校生なのだ。

 常日頃からバトルするような漫画の主人公ではない。あんなストイックにはなれっこない。

 そう、割合的には楽しい事が八割で多少頑張らないといけないことが二割程度であるべきだ。それが普通の高校生ってもんです。なのに今は頑張るべきことが八割になってる。俺の中の俺がストライキ寸前。

 ──という思考から、いっそメジロドーベルの勘違いを現実にして、そのまま若気の至りレベル100な行為をして間違ったルートへ進んでしまおうと考えている俺がいる。俺のこと好きなんだろうなぁ。報いねば。

 

「サンデー……俺を殴ってくれ……俺は弱い……」

「やらない」

「ううううぅぅぅゥっ……!」

 

 したい。

 めっちゃしたい。

 ぜひともこの間違った感情に流されてしまいたい。

 ユナイト時のデメリットだとかの外的要因がなくとも湧き上がってくるものなのだ。ただ思春期の男子高校生が当たり前に持ちうる感情としてあの少女と間違ったことがしたいのだ。

 互いに合意の上なら問題ないだろう。

 もうミスってしまおう。

 これからバケモノ共と闘っていくためにも、適度な息抜きをして人間性を保つべきではないのか。

 修行僧も腰を抜かすほどの理性を発揮して『耐えろ……耐えるんだ俺ぇ……!』とか言ってラブコメ主人公を気取ってる場合ではないだろう。

 てかラブコメの主人公って何で耐えようとするんだろ。全然もっと間違えてよくね? もっと自分に正直になろうぜ。結婚しよう♡ 赤ちゃん作ろう♡

 

 そうだ。

 もういっそ近しい相手を全員娶ってもれなく幸せにしてやるくらいの気概を見せてやるべきだ。

 それが王というものだろう。

 全てを幸福に導き、全てを支配する邪悪の王者。

 それになってしまえばいい。

 誰にも文句は言わせない。

 たとえ仕方のない事情や、冷静に考えて()()()()を利用したら卑怯だと言われてしまうような事だとしても、それら全てをひっくるめて俺が引き寄せた(えにし)であり、俺自身が手にした運命だ。

 

 だから、いいんだ。

 もういい。俺は十分頑張った。

 ドーベルと間違えよう。兵は神速を尊ぶ。

 これからそれっぽいことを言って、それっぽい雰囲気で流して、それっぽく言い訳や御託を並べてそのまま間違えてしまえばいい──

 

「ハヅキ。電話きてる」

「っ! ……あ、あぁ。サンキュ……」

 

 思考が完全に煩悩によって支配されていたようだが、不意の電話というイベントで少し正気に戻れた。

 バイブレーション機能を存分に発揮していたスマホを手に取ると、そこに表示されていた名前はあまりにも馴染み深い相手のものであった。

 

「もしもし……どした、山田」

『あー、秋川。いま暇?』

 

 電話口からは聞き慣れた声が聞こえてくる。こんな時間にどうしたのだろうか。

 

「悪い、ちょっとやらなきゃ駄目な事があって……何かあったのか?」

『えっとね、僕もウマデュエルレーサーを本格的にやろうと思ったんだけどさ、隣のクラスの子がリモートで手元を映しながら一緒にデッキ考えたりしないかー、って誘ってくれたんだ。ほら、この前の大会の時とか秋川もガチでやってたじゃん? 一緒にどうかなって』

「……そりゃいいな」

 

 なにそれ。

 めちゃくちゃ良いじゃん。

 あの大会前の準備はかなり急ぎ足だったし、あの後すぐにクリスマスイベントが入った影響でウマデュエルレーサーの研究に付き合ってくれたクラスメイトともほとんど遊んでいなかったのだ。

 みんなでデッキを考えたり、リモートで決闘(レース)をしたりするなんて凄く楽しそうだ。

 ……そういえばあのカードゲームもきっかけこそアレだが、今にして思えば新しく得た趣味じゃないか。

 カードの組み合わせを考えながらデッキを組むのは楽しいし、クラスメイトと決闘してた時も独自の空気感があってなかなか良かった。それが大勢で出来るならきっともっと楽しいし──いいガス抜きになるだろう。

 

「明日もやるのか?」

『一応そのつもりだけど……』

「じゃあ明日は俺も参加させてくれよ。今度ブースターパック出るし情報が見えてるカードの話もしたいな」

『そ、そう? よかった。じゃあ明日もこれくらいの時間にやるから、あとで招待コード送っとくね』

「おう、頼んだ。……デジタルさんも呼んでみるか?」

『ヴぇえアッ!!? いいぃいやいやきっと忙しいだろうからいいって!!』

「はは。冗談だよ、焦りすぎなお前。それじゃ」

『全くもう……また明日ね』

 

 ──と、そんなこんなでサラッと新しい予定が組まれる事となった。

 どうやら俺という人間は、追い詰められると極端に視野が狭くなってしまう傾向にあるらしい。

 それこそ知り合いの誰かにでも『ストレス発散ができる何かないかな』と相談すればすぐにでも見えてきたはずの答えだ。ウマデュエルレーサー以外にもきっと他に何かあったに違いない。

 とにかく突然の電話イベントのおかげで助かった。コレがなかったらマズかった。

 

「……つ、ツッキー。先にお風呂……いただきました……」

 

 今の電話がなければ、俺はきっと目の前に現れたこの風呂上りで頬が若干紅潮しているジャージ姿の美少女を目にした途端に理性がはじけ飛んでNSFWのCG回収(差分8枚くらい)をこなしてしまうところだった。なんとかエロゲの領域に足を踏み入れずに済んだな。

 今日のところは勘弁してやるから儀式が終わったらちゃんと距離を取ってさっさと寝るんだな! 美人な女め。

 

 

 

 

 とくに何事もなく朝を迎え、ほんの少し残念そうな雰囲気の淫猥ベルちゃんをトレセンへ送り届けてから少し経って現在は夕方。

 実は今日の昼頃に怪異と一回バトっており、いつも通りユナイトの負荷を感じてはいるのだが、帰路につく最中俺はとても驚いていた。

 

「……スゲェな、デュアルシステム。お前とのユナイト後でこんなにも体が軽いのは初めてだよ。おぉー……頭がぜんぜん重くないし視界も明瞭で気持ちいい」

「うん。二人で分割してこれだから、スズカちゃんとカフェにも協力してもらって四分割したら、いよいよちょっとお腹が減るくらいで済むかもね」

 

 今の俺はサンデーのその言葉がより一層魅力的に思えてしまう程、この現状に感動していた。

 闘った後の負担がここまで少ないなら、体感的にあと二回くらいはレースをしても体調を崩す事は無さそうだ。デュアル万歳。レースで勝ちまくりモテまくり。

 

「……ん? メッセージ……ドーベルからか」

 

 丁度自宅の前に到着し、そのまま気分よく帰ろうとしたところ、スマホが昨夜パスを繋げたばかりの彼女からの言葉を受信した。

 

≪つつっき つっき≫

≪どした?≫

 

 これ交尾の催促?

 妙にたどたどしい文章に対して反射的に普通の返事を返してしまったが、初めてのユナイトの負荷についてどう感じているのかを聞いた方がよかったかもしれない。

 一応事前にどのような渇きを感じるのかはしっかり説明してあるし、レースした後すぐにその事は連絡しておいたが、どうだろうか。

 この程度なら少し運動をした後くらいの疲労感だと思うが──

 

≪マジ? これまじ? ほんと???≫

≪何がだ≫

≪ふふ負荷!!!!、! ゆらいとのテメリットってこんな矢場いの!!?≫

 

 なんだか誤字が散見され始めている。

 確かに最初は多少驚くかもしれないが、まともにタップできなくなるほどのダメージではないはずだ。

 何が起こってるのだろうか。

 

≪ちょっとたすけれ 校門の前にいるから むかえに来て!!、!≫

 

 なにはともあれ相当ヤバいようだ。バイクで早めに彼女の下へ向かおう。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「ツッキー!!!!!!!!」

「うおっ……っ」

 

 指定通りにトレセン学園の校門付近に訪れると、ヘルメットを外すよりも先にドーベルが俺に抱きついてきた。まだバイクも降りていないのに。

 

「だ、大丈夫かベル……?」

 

 その質問に彼女は全力で首を横に振ることで応えた。コレは重症だ。アクメで仕事が手に付かないのかい。

 

「つ、ツッキー、こんなのを数か月も体験して何十回も我慢してたの……?」

「あぁいや、まぁ……半減されてるから今は平気だよ」

「はっ半減されてコレなの……っ!? もうずっとクラクラしてるしムラムラしてるしで死んじゃいそうだよ……!」

 

 あのドーベルが恥ずかしげもなく必死に『ムラムラ』という表現を声に出すなんて、もしや俺が想像しているよりも何十倍も大変な症状に陥ってしまっているのだろうか。

 どうしてこうなっている?

 デメリットが半減されている俺はこの通りあまり問題はないというのに。

 まさか普通のウマ娘と俺みたいな男子高校生だと受けるダメージ量が異なるとか、そういう知らないシステムがあったりするのか。

 

(…………ごめんなさい。盲点だった)

 

 どういうことだ? また俺なにかやっちゃいました?

 

(たぶんこの状況は、半減されたダメージ程度なら問題ないと感じるほど私たち二人がデメリットに()()()()()()()()なのかも。……おそらくベルちゃんの反応が普通なんだと思う)

 

 それは──なんと言うか。

 つまり俺たち二人が異常な体験を重ねまくったせいで、妙に耐性が出来ているだけで。

 どんな方法でデメリットを二分割にしようが四分割にしようが、常人からすればユナイトの負荷ダメージというのはさして変わらず激ヤバだった──という事か。

 

「はぁーっ、ハァー……ツッキー、どうしよう……♡」

 

 おっ、瞳の中にハートが浮かんで見える気がする。吐息もだんだん甘くなってきたようだ。なにより発汗量がとんでもない。そろそろてめぇも気絶アクメくるか?

 ……なるほど。

 今回の件でよく学べた。

 誰かを頼ること自体は何も間違いではない。頼ったことでドーベル自身が喜んでくれたのもまた事実だ。

 しかし何事にも経験に付随する許容量というものがあるという事を忘れてはいけないらしい。

 俺は数か月の間、常にユナイトの負荷という限界ギリギリな環境に身を置いていた。

 その経験のおかげでデメリットに対する許容量が増えていただけであり、他の人にはそんな経験も体験も皆無なのだ。俺が悪い。本当にただ、この状況に置いて俺が普通じゃないのが悪い。

 ……デュアルシステムを使うのはこれっきりにしよう。

 

(いいの?)

 

 ドーベルにはトレーニングやレースもある。

 いまの彼女に求められている仕事量を考えれば当然の結論だろう。

 俺と同じくらい負荷を感じないのであれば頼りたいところだが、この様子じゃそれも無理だ。人には得意不得意がある。頼ることと無理を強いるのでは話が違うのだ。

 

(分かった。じゃあ、カフェに連絡して白のペンダントを持ってきてもらって。装着すればパスは切れるから。……その瞬間にベルちゃんの分の渇きはハヅキに飛んでくるけど)

 

 こればかりは仕方がない。調べ不足だった俺の落ち度なので甘んじて受けよう。ハメさせてください……!

 

「ドーベル」

「はぇ……?♡♡」

「マンハッタンさんが来るまで学園内のベンチに座って待っててくれるか。負荷はすぐ消えるようマンハッタンさんが何とかしてくれるから」

「や、やだ、ひとりにしないで……」

 

 淫の気、はるかぜとともに。

 俺に引っ付いて離れようとしないドーベルのやわらかメロンが当たってます。このままじゃ恋人契約が成されると思え! ハンドル握るのにマジで邪魔だ! この弾力新たまねぎ♡

 

「か、カフェが来てくれるならそれでいいから、それまで一緒にいて……♡」

「……分かった。バイクを停めたいから、近くのコンビニまで行きたいんだが……」

「後ろッ、乗るっ」

 

 うわぁ! 柔らかい感触が背中一杯に広がって非常にグッド。しかしマゾメスだ。

 

「待て待て、とりあえずヘルメット被ってくれ」

「……ねぇ。このヘルメット、そういえばアタシの為に買ってくれたんだっけ」

「っ? あ、あぁ、まあ。夏休みに出かけた時に後ろ乗りたいって言ってたし──」

「えへへっ♡ 嬉しい……好きっ♡♡」

 

 うわわわわわわっわわわァッ!!!? 告白されてしまったワケですが。本当にユナイトのデメリットは怖い……この理性が完全に薄れて言動がバグる感じめっちゃ懐かしいね。デカケツ小刻みに震わせんな!

 木枯らしが吹きつける寒い冬だというのに、これがどうしてサウナよりも今は暑い。奥さんがそんな淫らに誘惑するから……!

 

「ツッキー……あったかい……♡」

「ど、ドーベル? コンビニで水とか買うからそれ飲んで落ち着こう。今はユナイトの負荷で情緒が一時的に乱されてるだけで」

「ぎゅう~~っ!」

「オ°ッ」

「ほら、コンビニいこっ♡ ツッキー号しゅっぱーつ♪」

 

 浅ましい手つきやな。ほんとに人妻かよ?

 この女さすがに猥褻が過ぎないか。

 ……いや、夏休みの時のユナイト慣れしてない頃の俺もこんな感じだったんだろうな。

 今のような友達以上に一歩足を踏み入れたかどうかという状態ではなく、あの頃は間違いなくただの友人でしかなかったにもかかわらず、こんな事をしでかした俺を嫌わず根気強く支えてくれたドーベルには感謝してもし足りないくらいだ。

 

「ふへへ……♡ やっとツッキーにくっつけたぁ……♡」

「やっと、って何だよ……」

「だってだって、ずっと我慢してたんだもん……みんなの目もあるし……でももういいかなって♡」

 

 なんだなんだけだものか? はたまたマゾメスか? そんなに交尾したいならいいけど……。

 

「おい、ベル」

「……?」

「フラフラになるのは仕方ないが……落ちたら危ないから、絶対に俺から手は放すなよ。いいな」

「っ! ぁ、ぇと──は、はい……♡」

 

 服従度93%。緊張感をもって注視していく。

 とりあえず爆速でマンハッタンに救援を要請しつつ、柔らか生白汗だくボディのガチマゾと化した愛するベルちゃんを後ろに乗せて、俺はバイクを走らせるのであった。軟弱な女だ。ひ弱な女だ。守ってあげるからね。

 

 



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言うこと聞かねーとコトだぜ? 美女たち

 

 

 まず、秋川やよいという少女は、その明朗快活ながらも思慮深い人柄から、学園の理事長としてだけでなく一人の人間としても、周囲の人々から非常に厚い信頼を受けている。

 とても優秀で、生徒たちに対しては時に厳しく、時に優しく海のような寛大さで彼女たちを受け入れ導く……と、学園の理事長という直接的な指導からは少し遠い立ち位置であるにもかかわらず、教職員やトレーナーだけでなく学園のウマ娘たちからも積極的かつ好意的に話しかけられるその姿は、まさに理想の指導者像を体現したような存在だと言えるだろう。

 

 そんな中央トレセン学園の顔に相応しい彼女は、周囲の人間たちからは『欠点らしい欠点が見当たらない』という評価が下されているらしかった。

 学園のウマ娘の為になんでも無茶をする特性上、ポケットマネーを用いての学園設備の改造などは行おうとするものの、それに振り回されているのは秘書の駿川たづなくらいのもので、彼女が行動を抑制してくれるため理事長の破天荒な行動が表に出ることはほとんどなく、変わらず秋川やよいはウマ娘に対して強い情熱を燃やし続けてくれる理想的な理事長として周りから認識されている。

 

 ──つまるところ、あまりに完璧過ぎる外面を作ってしまった彼女は、その仮面を外せる機会がどんどん失われてしまっている──否。

 やよいは『秋川理事長』として振る舞わなければならない環境を、自らどんどん広げてしまっているのだ。

 

 なにを置いても全ては『ウマ娘たちのため』であり、実際彼女のその行動が学園の生徒たちの益に繋がっているのも確かな事実ではある。

 次々に開催するイベントを通して学外や低年齢のウマ娘たちにも希望を与えている彼女の行動は、まさにこの国のウマ娘のレース界を支える秋川家の跡取りに相応しいものだ。

 加えてやよい自身もそれを苦だとは考えておらず、先祖代々受け継がれてきた使命を受け入れ自らの全てをウマ娘たちの未来へ捧げるその誇り高い姿勢には感服の一言である。

 

 まぁ、それは他人であれば、の話だが。

 俺、秋川葉月は彼女と同じ秋川家の生まれだが、本家の人間ではない。

 ウチの両親自体は多忙だが本家に比べれば一般家庭と言って差し支えなく、やよいとはただの従兄妹(いとこ)にしか過ぎず、また本来であれば家の集まり程度でしか顔を合わせないような、一族間での繋がりがあるだけの親戚という関係だ。

 あくまで()()()()()

 

 ──俺たち二人の間には、他の人たちとは多少異なる絆の形が存在している。

 やよいと俺は家族だ。

 確かに従兄妹ではあるが、断じてただの親戚などではない。

 この世で唯一無二と言っていいほどの──確かな心の繋がりを持つ存在なのだ。

 大人たちの都合で同年代の子供たちとは比べ物にならないような、全く遊びのないカスみてぇな環境に身を置くことになったあの時の俺たちにとっては、互いの存在だけが自分を支えてくれるただ一人の人間だった。

 俺は、やよいを。

 やよいは、俺を。

 昔秋川家の全ての人間が敵としか思えなかった俺たちは、小さい頃からずっと二人で一人だったのだ。それこそ本当の兄妹以上のように。

 

 ここまでゴチャゴチャと語り尽くしたがつまり何が言いたいかというと、幼い子供には辛すぎる環境を押し付けていた本家の人間たちの改心や、両親との多少の距離感の回復など今日に至るまでに紆余曲折ありはしたものの、結局俺という人間にとって最も大切な存在は、今でも変わることなく秋川やよいという少女なのだ──という話である。世界一愛してます。かわいい妹。

 誰よりも大切で誰よりも彼女を理解している立場だからこそ、俺だけはやよいが『秋川理事長』の仮面を外すことができる拠り所となり、立場ではなく人間としての彼女自身を評価し、他人には見えていない欠点までを含めて受け入れてやらなければならないのだ。

 

 ……で、だ。

 前置きが非常に長くなってしまったが、つまりその銀河で一番愛している存在に対して、もし物理的な危険が降りかかる可能性の高い要因が明確だったとしたら、ヒトはそれに対してどういう処置を施すだろうか、という話なのだ。

 無論、遠ざけようとするだろう。

 宇宙で最も愛してる妹なのだから、安全に守るため危険な事態に巻き込むまいと奔走するのは、人間として至極当然の判断だ。

 そうするつもりでいた。

 少し前までは。

 しかしなんやかんやあって街を守るヒーローもどきの立場になってしまい、自らの秘密を隠すのが難しくなってしまったのだ。

 このまま無理に隠し続けて不意に秘密が露呈するか、信頼ゆえの相談という形で隠し事を打ち明けるかの二つしか選択肢がない場合、親しい相手との関係性を保つためにはどちらを選ぶべきなのか。

 それを。

 じっくりと。 

 悩みに悩んで。

 

「…………やよい。とりあえず一旦離れ──」

「やだ」

「……。」

 

 いま、夕方の四時ごろ。

 場所、自宅の狭い畳張りの居間。

 状況──やよいが俺の膝の上に乗って正面から抱きついたまま一向に離れようとしない。

 

「やよい」

「拒否」

「……なぁ、一応理由は話したろ? これはしょうがない事で」

「却下ッ」

「…………まいったな」

 

 この状況を簡単に説明すると、つまり二択の内の『自ら秘密を打ち明ける』ほうを選んだのが十数分前で。

 話し終えてからというもの、彼女がひっつき虫になったまま動かなくなってしまったのが現状だ。こんなはずでは。

 

 やよいに話すかどうかについては、昨晩までにしっかり考えていたのだ。

 ユナイトでドエロく人間様に歯向かうようになった淫猥ベルちゃんを正常に戻した後、そのまま流れで助けに来てくれたマンハッタンとも怪異の事を教えるかどうか真剣に議論した。

 結果、ちゃんと包み隠さず話すことにした。

 思慮深いやよいの事だから、困惑こそすれ理解は示してくれるだろう──そういう結論のもと実行に移したわけだ。

 しかし現状はコレときた。非常に困ったことになった。

 

「……もう戦っちゃダメ。ユナイトとか意味わかんないのも禁止。サンデーって女の子も離してあげて。あと叔父さんに言って一人暮らしも止めさせるから」

「おいおい、ちょっと落ち着けって……」

「落ち着いて自分の状況を振り返るべきなのは葉月のほうでしょ。ただでさえ大切な高校生活の傍ら得体のしれないバケモノたちと闘って、道端で倒れて救急車を呼ばれるほど衰弱しても『必要経費だ』って言い張るワケ? どう考えてもここまでただ運よく助かってるだけじゃん。下手したら……死んでるよ」

 

 俺の胸に埋めてた顔を上げ、まっすぐ目を見つめて怒った表情で捲し立てるやよいの目尻には、ほんの少しだけ水滴が浮かんでいる。

 まさか半泣きになりながらここまで真っ向から引き留めてくるとは思っていなかった。

 サポートをしてくれるとまではいかなくても、少しの忠告は挟むとして理解自体はしてくれるだろうと考えていたのだが、完全にこちらの想定が甘かったらしい。はしゃぎすぎ。

 

「遅すぎるくらいだけど……正直に話してくれたのは嬉しい。でも、だめ。怪異に関わることはもう全部やめて」

「……トレセンがあるこの街を守るためでもあるんだ」

「街の前に自分の命を優先してよっ! 葉月の周りの人たちが言わないなら私が葉月のこと怒る! いいからもう闘わないでっ!」

 

 狭い部屋の中で少女の声が木霊する。

 マジでめちゃくちゃごもっともな意見だ。

 ──冷静に考えれば当たり前の事だった。

 もし俺がやよいの立場だったら何が何でも止めるだろうし、怪異と関係のある存在からは絶対に遠ざけようとするに違いない。

 俺がやよいを大切に考えているのと同じように、やよいも俺のことを想ってくれているのだ。少し考えれば分かることだった。俺たちは二人で一人、幼い頃から唯一そばに居続けた家族なのだと、そう言ったのは俺の方なのだから。

 

「とにかく話は終わり。叔父さんたちが帰って来られないなら葉月にはウチの実家で過ごしてもらうから」

「ちょ、待てって!」

 

 俺から離れ、そそくさと家を出ていこうとするやよいの手を掴んで引き留めた。彼女の考えは理解できるが、俺もこのまま流されるわけにはいかない。

 

「俺が闘わないとバカ共が街で暴れるんだって!」

「怪異を認知してる人自体はそこそこいるんでしょ? それを専門に扱ってる大人なんて沢山いるだろうし、その人たちを呼んで怪異を黙らせればいい。手配は私がやるから心配しないで」

「いや、インチキ霊能力者なんてそれこそ世の中にごまんといるじゃないか。やよいだって誰が本物なのかとか、知らないだろ?」

「……っ」

 

 ムッとするやよい。かわいい。だが引かない。

 俺だって何も考えずに闘っているわけではないのだ。

 

「ちゃんとした人を探し出すのにも時間がかかるはずだ。そもそも実在するのかすら怪しいし、怪異だってそれを待ってくれるわけじゃない。それに得体のしれない『見えない何か』が市街地を荒らしたってニュースで、どれぐらいの被害が出てたかはやよいも知ってるだろ。アレを野放しにしたら怪我人どころかもっと大変なことになるかもしれない。学園のウマ娘だって狙われないわけじゃないんだ」

「……それはっ、そうかもしれない、けど……。……で、でも葉月が傷ついていい理由にはならないじゃんっ!」

 

 やよいは聡明な少女だ。ちゃんと理屈を分かったうえで家族の情から俺の身を案じて抵抗してくれている。それ自体は涙が出るほど嬉しいが、今の俺にはそれすら説き伏せるほどの理由が必要なのだ。

 そうしなければ助けられるはずの人まで手が届かなくなってしまう。それだけは許されない。王として、男として。ハピネス。

 

「呪いの話はしたろ? 俺個人を狙ってる敵も存在するんだ。戦う力を失くしたらそいつに襲われた場合に抵抗できない」

「ぐぬぅ……」

「少なくとも他の怪異に力を与えた元凶であるそいつを倒せば、この派手な騒ぎは収まる。だから怪異と闘って街を守ることが、ひいては俺自身を守ることに繋がるんだよ」

「ぐぬぬぅ……ッ!」

 

 イけるぞ、もう一押し!

 

「──正論ッ!!」

 

 っ!?

 

「舌鋒! 見事ッ! しかし納得できず! 私ではこのまま流されてしまう可能性が高いため、応援として理子ちゃんを呼ぶッ!」

「ばっ、樫本先輩まで呼んでどうすん──」

「もしもしッ! 至急ッ! 葉月の家まで来てくれたまえッ!!」

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「うえええぇぇん葉月に言い負かされたぁあああ」

「理事ちょ……ぁ、いえ、やよいさん。大丈夫よ、落ち着いて……」

 

 それから数分後に爆速で駆けつけてきた樫本先輩にやよいが泣きつき、事の経緯とやよいにしたのと同じ内容の秘密の説明を先輩に伝えた。

 とりあえずまた居間に座って話す体勢にはなっているが……先輩も複雑そうな困った顔をしている。彼女も結論を決めかねているのだろう。

 怪異については多少知っている先輩だが、普段は彼女にすら『秋川理事長』として振舞うやよいが限界化してかつてのように抱きついている姿を目の当たりにした困惑が大きいようだ。

 

「……私も葉月の意見は理解できるわ。現状あなたしか怪異と闘える存在がいないのも事実だし……」

 

 先輩はやよいの背中を撫でてあやしながら続ける。こうしてみると姉妹みたい。”良”。

 

「でも、やよいさんの気持ちも分かるの。以前に基本的な話だけは聞いていたけれど、入院するほどあなたがボロボロになると知っていたら私だってきっと止めていたと思う」

 

 どちらかと言えばやよいの味方だ、と彼女は語る。

 これはマズい。このまま多数決の流れになったら敗北は必至だ。

 

「葉月。やよいさんの為にも正直に答えて。……怪異には何度負けたことがあるの?」

 

 めちゃくちゃ真剣な表情で質問してるところ申し訳ないのだがバトルに関しては常勝無敗だ。というか一回でも負けたらゲームオーバーなのでそもそも敗北自体が許されないギリギリの闘いなのです。

 

「……負けた事は一度も無いです。向こうは数が多いけど、ステータス自体はこっちのほうが圧倒的に高いから、基本的に敗北することはありません」

「それならどうして怪我をしたり……あそこまで衰弱していたのかしら」

「勝負自体は勝てますけど向こうが攻撃をしてこないわけじゃないんです。それで打撲とか掠り傷くらいは負いますけどそれが敗北に繋がることはないと思います。それぐらい戦力差がハッキリしてる」

 

 怪我自体はどうってことないのだ。特別治りが早いわけではないが、大怪我を負うような派手な攻撃はレース中であっても余裕で避けられるし、回避動作を取ったとしてもアイツらに後れをとることは無い。

 

「……体調が悪くなるのは……その、変身した際に生じるデメリットと言いますか……」

「ユナイト……と言っていたわね。つまりまとめると、敵に対しては強く出ることができるけれど、彼らと闘うための身体に形態変化すると……闘った後に体調を崩してしまう、という事かしら」

「はい。そんな感じです、先輩」

 

 実際あのカラスに困らされることはあれど、怪異自体に負けそうになったことは一度もないのだ。

 それに加えてこちらが本気を出したことはない。サンデーの疑似封印を避けるための処置ではあるが、そのセーブした状態でも十分勝てる相手だという事である。

  

「……うぅん」

 

 先輩がこめかみを押さえて懊悩している。

 やよいと俺の主張を加味した上で大人の意見を下さねばならない難しい立場だ。酷な判断を強いてしまっているのは素直に申し訳ないと思う。

 

「葉月の身を守るためには葉月自身が闘わなければならなくて……でも、やよいさんが危惧している通り、それを放置していたらいつか大怪我を──いえ、もっと大変なことになるであろうことは目に見えている。現に病院へ搬送されているわけだし……はぁ」

 

 樫本先輩はやよいを下ろし、隣で頭を撫でつつ顔を上げて俺を見た。

 やよい自身はもう先輩の意見に従うといった様子だ。途中で口を挟もうとする様子はない。

 

「葉月」

「は、はい」

 

 ド緊張♡ 

 

「もう一度改めて確認させて頂戴。怪異との闘い自体はあまり問題なくて、ユナイトすることで発生するデメリットが体調不良の原因なら……そのデメリットを何とかすれば、あなたは安全に闘えるという事で合ってる?」

「平たく言うと……」

 

 ユナイトしても体調がおかしくならなければ、以前のように三連戦を仕掛けられても問題はなく、弱ったところを狙われる可能性も格段に低くなる。

 しかしダメなのだ。

 俺の負担を減らす方法は現状デュアルシステムしかないが、アレに頼ることはできない。

 自分と相棒はともかくとして、他のデュアル対象は半減された渇きすら耐えられない。その相手が悪いのではなく、数ヵ月も苦しみに耐え続けないと耐性がつかないような強すぎるデメリット自体がカスすぎるという話だ。

 その説明は先輩にもした。

 デュアルしたドーベルがどうなったのかも含めて。

 

「……」

「先輩……?」

「……ねえ葉月。半減がダメでも、三等分すればどうにかなると思わない?」

「えっ……」

 

 それはつまり──

 

「私とやよいさんであなたのデメリットを三分の一にする……というのはどうかしら」

「い、いやちょっと待ってくださいっ」

 

 それは早計というものだろう。

 ドーベルがデメリットでどれほど錯乱してしまったかは事前に伝えたはずだ。

 半分でアレなのだ。

 三分の一になったところで変わるようなものだとは思えない。

 

「俺を参考にしちゃダメです……! なんつーか……その、経緯が複雑なんですよ。本来なら耐えられる俺がそもそもおかしいってレベルの渇きで──」

「それでも三分の一になれば話は別でしょう。私もやよいさんも忍耐力なら生徒たちにも負けないわ」

 

 体力は無いが精神力は強い、という彼女の特性は理解しているつもりだ。だがそういう話ではない。あまりにもお下劣すぎますからな。

 

「どうかしら、やよいさん」

「ん? ……あっ、さ、賛成ッ! やってみなければ分からないものもある!」

 

 いま油断してたろお前。本当に大丈夫かよ。

 そもそも業務中に爆発的な三大欲求に突然襲われたら、耐えられるかどうかは別としてその衝撃を周囲から誤魔化せるのか? 現実じゃエロ漫画みたいな誤魔化しは通用せんぞ。

 やってみなければ分からないとはいえ、何かあってからでは遅い。三分の一がどの程度なのかを確認する術など無いし、そんな先の見えない状況でデュアルしても不安でまともに闘えない。

 人目に触れる機会が多い立場のこの二人が、もしあの時のドーベルみたいになってしまったら、秋川家どころかトレセンがもうおしまい!

 

(……たぶんだけど、先生が協力してくれるならデメリットの具合を夢の中でのシミュレーションで確認できるかも)

 

 マジで。

 もし可能ならやってもらわなければ。

 それで一応デメリットがどれ程キツイものなのかを二人に理解してもらおう。そして出来ればデュアルは諦めてもらって、今まで通りに闘うことを許してもらおう。そうしよう。

 

「あの、先生」

「……?」

 

 この家に来てからやよいの頭から飛び降り、以降ずっと部屋の隅っこで香箱座りしてたネコ先生に声をかけると、目を覚ました彼女はひょこひょこと俺の下まで寄ってきた。非常にキュート♡ 反省しろ。

 

「お願いがあるんですけど、いいすか」

「んなぁ」

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「えぇと……つまりここは葉月の夢の世界……という事でいいのかしら」

「まぁ、そんな感じです」

「奇怪ッ!? わっ、私がもう一人! しかも猫耳生えてる!」

「それ先生だぞ」

「ぇ。……うそ、擬人化できるとか聞いてない……」

 

 とりあえずサンデーに提案されたやり方を二人に説明し、先生の力をお借りして先輩とやよいには俺の夢の中へと来てもらった。

 周囲はなんだかボヤけていて、クリーム色の不思議な空間が広がっている。

 

「にゃーん」

「わひゃっ。ちょ、先生がいつにも増してくっついてくる! 私の姿で!」

「……それで、葉月? あなたの夢の中へ移動したのはいいとして、どうして私たちは()()()()になってるのかしら」

「…………。」

 

 イチャイチャする二人のやよいと、困惑した様子で佇む樫本先輩。

 その三人が全員クラシカルなメイド服を身に纏っているのだ。スカート長いのが逆に良いんだよな、このタイプ。

 ちょっと遠くでお昼寝してるサンデーもよく見たらメイド服だ。どうやら俺以外の全員に俺自身の欲望が形となって伝播してしまったらしい。

 ──とりあえず土下座しながら説明していく。

 

「俺の夢の中なので……無意識に願望とか欲望が表に出るみたいです……誠に申し訳ありません……」

「なんで土下座してんの葉月? 可愛いじゃんコレ。ね、理子ちゃん」

「まぁ……肌が露出しているわけでもないし……とりあえず顔を上げなさい葉月」

「ぁ、はい……」

 

 夢の中という事もあってか、二人は現実世界より寛容というか思考が少しだけ緩くなっている。まさに夢見心地というやつだ。

 とはいえ夢の案内人である先生が正式に連れてきてくれた相手なので、意識はしっかり保っているはずだ。まだ夢の世界に慣れていないだけで、じきに普通の状態に戻るだろう。

 とにかく具現化した妄想が古風なメイド服で助かった。

 いや助かってはいないのだが不幸中の幸いというやつだ。思春期男子の胸の内に秘めた欲望の発露となれば、最悪の場合は水着やバニーガールの衣装になってた可能性もあった。危なかったぜ。

 

「と、とりあえずシミュレーションを始めましょう。先生、俺も含めて三分の一でよろしくお願いします」

「ふるる」

「どんな感じなんだろうね?」

「葉月は極度に疲弊すると言っていたし……シャトルランを終えた直後のような感じかしら……?」

 

 やよいと先輩がこれから起きることを話している中、俺の指示を聞いて先生がパチンと指を鳴らした瞬間。

 ──ドクンッ、と一度心臓が大きく跳ねた。

 しかし……なんというか、それだけだ。

 やはり大して違和感は感じない。

 ドーベルとの半分こで感じていた頭の重みもさほど感じないし、個人的には三分の一まで減らされたら十分すぎるほどだ。コレなら十連戦は続けられる。

 さて、肝心の残りの三分の二を与えられた二人は──

 

「っ゛♡ ……っッ゛♡♡」

「や、やよいさん、しっかり……♡ ──うぅっ、めまいが……♡♡」

 

 先輩は明らかに頬が紅潮しておりフラフラ。半減時のドーベルに比べてもう少しダメージが大きそうな印象。

 やよいに関してはもう虚ろな目のまま横たわっていて気絶寸前だ。お尻も浮いててマジでヤバい。放送事故とかそういうレベルじゃない。

 

「は、葉月っ……♡」

「おっと。……あの、駄目そうですか先輩」

「ご、ごめんなさい……見栄を張らずに言うならっ、ぜんぜん無理……っ♡ 視界がボヤけててフラフラするし、ふ、二日ほど断食したくらいお腹が空いて……眠気も、やば……♡」

 

 倒れ込んできた先輩を支えたが顔やば♡ シャレになってないよ。

 もしかして半減であのレベルだったドーベルですらマシな方だったのだろうか。こうしてみるとウマ娘とそうじゃない場合でもダメージ量が違うように見える。

 ──いや、しかしコレで耐性が判明したのは助かった。

 もしあのまま流されてデュアルしていたら、彼女たちは教職員やウマ娘たちの前で激アクメをかますところだったのだ。やよいなんかもうほとんど気絶だし本当に危なかった。

 メイド服姿の大人の女性を支えながら同じくコスプレした気絶ロリっ子を眺めるこの光景ヤバすぎるだろ。終わり終わり終わり!!

 

「ハヅキ。どう」

「いやどう見てもダメだろ。三分の一でコレだぞ? ……ていうか、ここまで来ると耐えられてる自分が怖くなってきたわ……」

 

 ほんとに俺、大丈夫? 気づかない間にこっそり人間辞めてたりしてない?

 

 

 

 

 その翌日。

 再び俺の夢の中の空間にて。

 やよいと先輩はシミュレーションにて失敗したものの、ならば更に人数を増やせばいいのではないかという考えに変わり、今度はバイト先の三人がここへやって来た。

 マンハッタンとサイレンスの二人は既にドーベルからデュアルについて聞いていたらしく、円滑に事が進みそうな雰囲気ではあるのだが──ひとり納得してない人物がいる。

 

「疑問ッ! 我が校の生徒たちを巻き込む必要はあるのだろうか!」

 

 そう声を上げたやよいは現在平然と()()()()を身に纏っている。彼女だけでなく他の皆も同様だ。それぞれ体のラインがあまりにも出すぎている。ウ~ウ~! ハレンチ警察の権限において実力を行使する!

 どうやら今回も俺の欲望が発露したらしいのだが、男子高校生が女子複数人の水着をそれぞれ別々に想像できるわけもなく、もれなく全員ちょっとデザインが異なるだけの競泳水着にフォームチェンジすることになってしまった。

 例によって例の如く土下座したまま俺は動いていない。もうここまで来ると言い訳も虚しく意味をなさない。

 

「やよいさ──理事長。私は以前、彼女たちからしっかりとこれまでの経緯を話してもらいました。彼女たち三人はただ巻き込まれただけの生徒ではありません」

「しかし!」

「私たちが何も知らなかった最初の数ヵ月間、葉月が壊れないように支えてくれていたのは他でもない彼女たちです。()()()()()()()()、怪異現象に対しての覚悟も本物です」

「──っ! だ、だが……っ」

 

 少し前のイベントの時、俺とサンデーが気絶している間に、先輩とあの三人は現状について詳しく話し合っていた。内容は知らないがきっとマンハッタン辺りが詳しく解説してくれたのだろう。

 教育者として生徒を巻き込むまいと反対するやよいと、同じ指導者でも彼女たちの覚悟のほどを以前の対話で理解している樫本先輩の討論が続く中、そこに割って入ったのはサイレンススズカだった。競泳水着でよりスラッとした体の線があらわになってる。抱きしめやすそう。

 

「理事長……私たちは確かにまだ学生の身です。とても自立した一人の人間とは言えません。……でも、葉月くんを支えたいと思う気持ちに嘘偽りはありません……!」

 

 さらにマンハッタンも参加する様子。

 

「私も……スズカさんと同じ想いです……。救ってくれた葉月さんだからこそ……この身を賭しても助けたい。彼に傷ついてほしくないのは……理事長も同じなのでは……?」

「む、むぅ……」

 

 あ、やよいちゃんまた論破されそう。学園の改造か俺が関わらなければ討論はいつも常勝無敗なんだけどなアイツ。

 

「ね、ねぇツッキー……」

 

 うわっ!!!!!!!!!!! 競泳水着でおっぱいがちょっと潰れちゃってますよ。ミチミチと。水着をいじめるのいい加減やめよう。

 

「なんでみんな水着なのに平気なの……? これってアタシがおかしいだけ……?」

「いや……ベルが正しいよ。冬場で海でもプールでもないのに変な格好させてすまん。俺も自在に夢を操れるわけじゃなくて、どうしても制御できない部分なんだ……」

「それって、つまりツッキーはアタシに水着を着てほしかったってこと?」

「……広義の意味ではそうなるな」

「っ! え、えっち……こうなるなら事前にちゃんと言ってよ、ばかっ」

 

 報連相を怠って大変申し訳ございませんでした。眼福です。結婚しよう。

 ここに来る前──つまり夢の世界に来る前のことなのだが、あの狭い俺の家にやよいと先輩だけでなくドーベルたち三人も来ているのだ。

 客人用の布団を出しても足りず、現実世界の俺は彼女たちを夢へ誘う都合上、全員に触れられながら布団の上で眠っている。

 なんというハーレム。

 ハーレムか?

 負い目から延々と土下座をし続けるこの状況が? 世界ふしぎ発見。

 

「……承諾。我々で五人で協力して葉月の負担を減らそう」

 

 おっ、五等分の花嫁。

 

「本当に心の底からマジでありがとう、みんな。……じゃあ先生、俺も含めて六分割した場合のシミュレーション、お願いします」

「うなーん」

 

 指パッチン。

 シミュレーション開始。

 

「……大丈夫そう、か?」

 

 始まった瞬間は何もない。

 デカい衝撃もなければ、やよいも気絶していない。

 言わずもがなだが俺は全く平気だ。

 さすがに六分割までいけば普通の人でも耐えられるレベルにダウンしてくれるらしい。

 

「スズカさん……大丈夫ですか……?」

「え、えぇ、たぶん平気よ、カフェさん。何だかウズウズするけどこの程度なら……♡」

「…………いや、アタシは結構ムラムラするかも」

「ドーベルさん……!?」

 

 まさかの発言。さすがのカフェちゃんも驚いてしまったよね。

 

「ご、ごめん二人とも……♡ でも、デュアルって元凶を倒すまでは定期的に続けるものでしょ……なんというか、これって実験なんだしハッキリ言わないと意味が無いかなって……♡」

「肯定ッ! 多少は耐えられるがこれはまだ一体目だからだと、思われ……るぅ……」

 

 ドーベルに便乗したやよいをフォローするように、樫本先輩も手を上げた。

 

「理事長の言う通りかもしれません……もう一段階上にあがったら難しいかも。最低でも葉月が入院するきっかけになった三体分の敵と戦った後のデメリットくらいは耐えられないと……ぅっ♡」

 

 とはいえ実際に受けて体を慣らす方法は使えない。アレは俺が一人だったから隠せたのであって、この五人が往来で急にこの様子に変化してしまったら誤魔化す事は難しいだろう。

 そもそも何か月もかかる訓練をやってもらうわけにはいかない。

 ただの高校生な俺と違って、学園の運営側のやよいや先輩はもちろんのこと、バリバリ現役のトップアスリートであるこの三人も多忙なスケジュールが前提の生活だ。

 一応耐えられはするだろうが、初期段階の渇きでこれではまだ安心できない。

 

「葉月ぃ~っ♡」

 

 やよいも後ろから抱きついてきちゃった。おぉ元来は甘ん坊さんだったのだね。

 

「り、理事長、しっかり……♡」

 

 いや先輩も俺の右腕にくっついてますよ。なに? 待ちくたびれちゃった? 可愛い仔猫ちゃんだ。でも今日は交尾しないでおこっかな~。

 

「つ、ツッキーってば、ちゃんと抵抗しなよ!」

 

 左腕を唐突に占拠しておいて何をのたまう? 学園でしちゃいけないこと一杯してるだろ既に。ピサの斜塔。

 

「じゃあ私は葉月くんのほっぺ触ろうかな……」

 

 おいおい平気とか言ってたのに早くもダウンか? 遺憾のイだぜ? すげ~サポート完璧じゃん手厚いじゃん♡

 待て待て。

 おかしいだろ。

 みんな自分の状況を俯瞰できてたのに、やよいを皮切りに我慢の仕方を忘れてるじゃねえか。そんなに俺のことが好きなのか? スタンプブチュチュンパキッスも忘れるな……♡

 やばいって。君たち自分が競泳水着だってこと忘れてない? もう全部当たってますよこの世の全てが。

 

「ふむ……難しいですね。まだ分割が足りないのでしょうか……?」

 

 反転して遠くから眺めてるマンハッタンは頬こそ少し赤いがあまり問題なさそうだ。

 サンデーから直々に『耐性がある』とお墨付きをもらっていたワケだし、六分の一程度なら余裕なのだろう。

 ていうかそもそもサンデーを視認できる人間はこういうのに対して強いのではないだろうか。マンハッタンも俺も視て触れられるわけだし、他の四人とはダメージ量の差があっても仕方のない事なんだと、この際もう割り切ったほうがいいかもしれない。

 

「葉月さん、他に頼れそうな方などは……」

「一通りの事情が分かってるやつはあとゴールドシップだけだな。……あぁ、それとコスチューム制作の件で事情を共有したいと思ってた相手にデジタルさんがいるよ」

「なるほど……ではそのお二人にお願いしましょう。八等分までされれば……三連戦で生じるデメリットでも耐えられるかと……」

 

 というわけで今日はお開きとなった。

 にしてもみんな夢見心地で三大欲求を刺激されててなおかつ男がその場に俺しかいなかったとはいえ発情し過ぎです。危うく本気にするところだったぜ。俺でなければだがな。

 

 

 

 

「おい、アタシはあくまでマックイーンに危害が及ばないために利害一致の関係でここにいンだからな? 勘違いすんなよ、このスケベ太郎」

「はい……面目次第もございません……」

 

 なんだか恒例になってしまった夢シミュレーターでのデメリット実験、三日目。

 今日も今日とて相変わらず俺は土下座をしていた。

 だが今日に関してはいつにも増して本気というか、地面にこめかみがめり込む勢いの土下座だ。

 ついにやってしまったのだ。

 本日のコスプレ衣装は俗に“バニーガール”と呼ばれるものです。

 それも基本色だけじゃなく黒タイツ網タイツ生足と無駄にバリエーションまで豊富になっている。競泳水着の時より妄想爆発しちゃってるよ危うく死刑。

 ゴールドシップの怒りはごもっともなのだ。仕方なく協力してやるつもりで訪れたら閲覧に年齢制限がかかりそうなコスプレを強制されたのだから。

 むしろ『今回は露出多いなぁ』とか完全に慣れたセリフを言いながら平然としてるやよいがヤバいよ本当に申し訳ございませんでした。この世で一番愛してる。

 

「あ゛ぅ゛……ウマ娘ちゃんたちのバニーは刺激が強すぎぃ……天国どころの騒ぎじゃないよぉぉぉお」

 

 まだ実験は始まっていないのに既に恍惚とした表情になっているウマ娘が一人。

 本当にアグネスデジタルには迷惑をかけてばかりだ。

 今回だって損得なしの善意で参加してくれたのに蓋を開けてみればこの状況。そろそろ本当に嫌われてもおかしくない。

 

「あの……本当にごめんデジタルさん。わざわざ時間取ってくれたのに……」

「いえ、寧ろお礼を言わせてください。言わなければなりません。この度はお招きいただき誠にありがとうございました。このご恩は一生忘れません……っ」

「いやお礼を言われるような事なんて……」

「いえいえとんでもございません……」

 

 なぜかいつの間にか土下座勝負になってしまっている。本当にこのウマ娘を俺の予想をいつも超えてくる面白い少女だ。

 

「あっ」

 

 やべっ。

 顔を上げたら胸元の危うい部分が見えそうになった。

 咄嗟に顔は背けたが……。

 

「っ? ……──ぁっ。ひゃわっ、あぅ……♡」

 

 どうやら遅すぎたらしい。めっちゃバレてる。顔を真っ赤にして胸元隠しちゃった。親友の想い人を相手にどれだけ罪を重ねれば気が済むというのだ。俺はそろそろ死ぬべきかもしれない。

 バニー衣装ヤバい。うひょ~一回拝んでみたかったんだよな。

 

「む……葉月くん。私もバニーなんだけど……」

 

 斜め横に視線を逃がしてたらその先にサイレンスがやって来てしゃがんだ。なぜ俺をボロカスに打ち負かすのだ? マジでキレたわ。

 

「ゴルシちゃん参上。もういっそアタシに惚れさせればマックちゃんには近づかないのでは? と考えたゴルシちゃんなのであった。ほれ、拝むか純情ボーイ」

 

 デッッッッッッッッッッッッかくない? よく見たらゴールドシップさん違法建築じゃん。こいつ……ちょっとお灸が必要なようだな!

 

「ツッキー、まだ正座してるの? もうみんな気にしてないからさ、そろそろ立とう……?」

 

 わっ、あ。あ。

 

「葉月さん……この衣装は男性ならばしょうがない事だと思います。ましてやまともなコントロールなど叶わない夢の中ですし……あまりご自分を責めては……」

 

 山田たすけて! 山田たすけて! 山田たすけて! 山田たすけて! 山田たすけて!

 バニー天国だと思ったら大間違い。

 これは夢の中ということで若干思考がフワフワしてる彼女たちの言動を絶対に真に受けず、やよいと先輩の前でちゃんと理性をもってこれまで闘ってきたことを証明しなければならないチキンレースなのだ。さながら戦場のバニーレーサーといったところ。わっぴ~!

 

「にゃーん」

「ハヅキ。先生がもう始めていいかって」

 

 あたりきシャカリキ山椒の木。

 はい指パッチン。

 もう一気に三段階まで上げちゃっていいよ。アクメしなければそれまで。

 

「んっ……理事長、どうですか?」

「驚嘆ッ! まさか八等分するとここまで平気になるとは! 生徒諸君はどうかな!」

 

 あからさまに問題無しなやよいと同様、他のみんなもフラつくような様子は見受けられない。

 いまここで正常じゃない感情に悩まされているのはただ一人──俺だけだ。

 それもシミュレーションなんざ関係ない。ただ男が持ちうる当たり前の感情として無理なのだ。バニー衣装の美少女たちに包囲されて逃げ場のないこの状況は限界を迎えるに足るものだろう。この観察眼、真贋の判断、時代の寵児。

 

「やったわね、葉月くん。これできっと倒れることもなくなるわっ」

 

 うおっサイレンスすっげヌルヌルして……住みたい街ランキング。

 

「葉月くん……?」

「……今から十秒以内に俺から離れないと全員襲う。いいな」

「えっ」

 

 おい情けねえメス! 返事しろ! めっちゃかわいいね♡

 マジでもうプッツンした。俺も我慢の限界だ。もし俺をからかってるんだとしたら誘ってるも同義だ。本当のマゾ。真実のマゾ。

 カウントダウン開始!

 十、九──残り二秒。

 二。

 一!

 

「………………」

 

 ──なんで全員頬染めたまま動かねえんだよ。

 もういい!!! エッフェル塔。

 そこから立ち上がって先生の元へ駆け寄った俺は、彼女の肩を揺らしまくってバニーガールたちよりも一足先に覚醒し、夢の世界から脱出した。

 

 

「っ!」

 

 目を覚ますとそこは自宅の布団の上。

 サイレンスを始めとして数多の美女たちが眠りながら俺の身体にくっ付いている。

 ここにいたら確実に性犯罪者になるルートを開拓してしまうと察した俺は、仕返しついでに眠ってるスズカちゃんのかわいい柔らかほっぺを揉み揉みしてから家を飛び出し、愛機のバイクに跨って夜の街へと駆けだした。

 

「ハヅキ。どこいくの」

 

 うるせぇ黙ってろ美しすぎる可憐な女!! いつの間に後ろ乗ってたんだお前かわいい!!! 俺が俺である為に夜を駆けて頭冷やすんだよ結婚して♡

 なんで負担を減らすための行動をしてたのにもっとデカい攻撃をくらってるのだろう。八分の一じゃなくて八倍の威力だよ? 交尾のスタンバイは完了ってわけだ。

 

「ん、怪異の気配。……五体くらい?」

 

 上等だ頭きたぶっ祓うてやる。仏の顔も三度まで。やっぱこれだね。

 

「……さっきまでのは夢でのシミュレーションで、現実世界ではまだ誰ともデュアルしてない。五連戦なんてしたら──」

「お前がいるだろ」

「っ……!」

 

 いつでもどこでもサンデーちゃん♡ あなたのお傍にお友だち♡ 御託は済んだかよマゾメス。

 別にどんなザコ怪異と闘おうが夏のイベントの時に対峙した激ヤバくん程ではないんだし、俺たちも成長してるのだから一体あたりにかかる対処時間も短縮できてるはずだろう。むしろそれを確かめる良い機会だ。

 

「……デュアルしに戻らなくてもいいの」

「お前がいれば大丈夫だっつってんだろ!」

「…………」

 

 そもそもデュアルの儀式が時間かかるしあいつら俺の高潔な恋心を乱しやがって。いかがなさるおつもりか? いつも通り二人で片づけた方が早いに決まってるだろ! 夜の帳。風情があるね。ブーゲンビリアの丘。

 仮にデメリットで三大欲求爆発してもデュアル対象たちがいない間に二人で済ませばいい。

 デュアルはあくまでもやよいに戦いを納得させるための手段であって、協力してくれたみんなの気持ちは涙がダム決壊するほど嬉しいが必須ではない。

 ドカ食いして爆睡して夢を見ればいいだけの話なのだ。まぁその具体的な()()()()()()()あいつらにも教えていないが。

 五連戦となると一回の夢では解消しきれない可能性もあるが、常日頃から一緒にいるのだからいつでもできるだろう。お前の心を俺の形にフィッティングしてやるからな♡ 静粛に。

 

「あれは──見つけた! とりあえずアイツから片付けるぞ、お嫁さん!」

「……うん。しよっか、ユナイト」

 

 と、そんなこんなで深夜のハイパー大運動会が開催され、結局全勝したがデメリットでボロカスになった俺たちは帰宅後、目を覚ました美少女たちと入れ替わるように布団の上へ倒れ込み爆睡をかますのであった。次誘惑してきたら全員娶るのでそのつもりでな。いかがでしたか? 続きは支援サイトで!

 

 



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心底握手を楽しみたいんだね

ちょっと長くなったので分割しました♡ 


 

 

 バニーデュアル騒動が落ち着いてから少し経って金曜日。

 とりあえず協力してくれた少女たちとのデュアルは一旦完了し、まずは一週間そのままで様子見ということになったため、俺は普段通り怪異を警戒しつつ学校へ通っている。

 

 三大欲求に関しては、パーセンテージで表すと五十くらいだ。

 あの五連戦で負ったデメリットは、昨晩の夢でなんとか半分だけ解消できた。

 ムラムラしないわけではないものの、帰ってからいつも通りドカ食いして気絶するように眠れば無くなる程度の渇きなので、大して重要視はしていない。

 

(……むらむら)

 

 ちなみにサンデーは机の上で正座をしてジーっと俺を見つめている。別に耐えられるだけでムラムラしないわけではないため、正直俺も頭の中はスケベなことでいっぱいだ。精神がだらしなくなりすぎ……天誅!

 

(消しゴムで遊んでいい?)

 

 ダメです。おい! 嫁になるか! オイラの嫁になるか?

 

(机の下で、ばれないようにする)

 

 そういう問題じゃないんだなこれが。僕を興奮させるその態度が悪いんだ! 責任を取れ! 確実なアクメで。

 まあ落ち着こう。

 むしろ一周回っていつも通りだ。

 五連戦で負った分はデュアルをする前にくらったダメージなため、あの少女たちには伝播してない。

 もし今から怪異と闘えばその分は八等分されて渡されるが、事前に持っている()()に関しては俺とサンデーだけのものだ。彼女たちに爆弾を渡すことはないので安心していい。

 ……あっ、机の下から顔を覗かせるのやめて。かなり雰囲気がいかがわしい。

 

 と、そんなこんなで中途半端な渇きを耐えながらボーっとしていたら、いつの間にか放課後になっていた。

 下校する前に山田のもとへ向かい、デジタルと共同でコスチューム制作することを伝えて『手伝ってくれないか?』と言ったところ『あたりきシャカリキ』と返され、日曜日に彼が家に来ることが決定してから俺は下校していった。

 ちなみに今日は喫茶店でのバイトがある日だ。

 来られるのは俺とサイレンスの二人だけなので実質デートである。ベロチューでエンディングにしましょうね♡

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「──片付け終わったし帰るか、サイレンス」

「あ、うん」

 

 店内の清掃を終えて道具をしまい、荷物をまとめて裏にいる店長のところまで赴く。

 この二人だけでの作業もすっかり慣れたものだ。お店のエプロン付けたサイレンスも可憐でバイトが楽しすぎ。

 ささっと店長に挨拶をして店を出ると、やはり冬という事もあって夕方だが既に空は暗闇が支配し始めていた。

 首筋を撫でる冷たい風に思わず身震いし、二人して道中の自販機で温かい飲み物を買って、冷たい手を温めながら並んで歩いていく。

 

「……なんだか久しぶりね。こうやって二人で帰るの」

 

 ふと、サイレンスが小さく呟いた。彼女の手の中にはコーンポタージュの缶がチラリと見える。俺はおしるこ。

 

「そうだな。ここのところ忙しかったし……」

「ふふ、いつも三人以上で行動してた気がするわ。改めて振り返ってみると葉月くんって女の子の知り合いがたくさんいるわよね……あら、随分とモテモテ」

「やめろって……」

 

 別に侍らせてるわけでも全員が俺を好いてるわけでもないのだ。彼女たちはあくまで善意や利害の一致で手を貸してくれている協力者であって、そんなモテモテだなんて違いますよ。えへへ。和をもってよしとなす。

 

「…………ね、ちょっとそこの公園に寄っていかない?」

「寮の門限は大丈夫なのか」

「まだ余裕あるから平気。ほら、いきましょ」

 

 そうしてフラっと立ち寄ったのは、自宅のすぐ近所にある小さな公園だった。

 めぼしい遊具はブランコ程度であとはベンチが設置されてるだけの寂しい遊び場だ。

 

「あは。ブランコに乗ったのなんていつぶりかしら」

 

 サイレンスは一人遊具に腰かけ、小さな力でゆらゆらと遊び始める。

 対して俺はベンチに座ってお汁粉を嗜みながら、あえて彼女のほうは向かず適当に景色を眺めるだけだ。

 なんというかスカートが捲れそうで危ういのだ。

 彼女も分かっていて遊んでいるはずなので、よっぽど見えることは無いはずなのだが、それをジッと見つめて幻滅されるのも怖いから目を逸らしている。

 お汁粉を間髪入れず飲みまくってるのもスカートに視線がチラチラ吸われてることを悟られないためだ。

 ……まぁ、いま飲み干してしまったが。どうやって誤魔化そうね。マジでムラムラしすぎ。

 

「ブランコ乗ってたら寒くなっちゃった……」

 

 いまさっきまでの問題は速攻で解決したらしい。ぶるぶる震えたサイレンスが隣に座ってきた。何やってんだか。美人だね♡

 この時間帯の公園付近の人通りはほとんどない。

 交通量が少ない住宅街の中という事もあってか、公園のベンチに腰かけている俺たち二人以外は、付近を通る人影すら皆無だった。

 車も人も通らない、静かで暗い街灯一つの小さな公園だ。

 まるで世界に俺とサイレンスの二人しかいないような──そんな錯覚を覚えるほどの、冷たい静謐な空気が流れていた。

 

「……ねえ、葉月くん」

 

 そのまま何となく黙ったままでいると、沈黙に耐えかねたサイレンスのほうが先に口を開いた。

 寒くなってしまったという先ほどの言葉は確かなようで、彼女は自分の手を小さく擦っている。ぽかぽか。

 

「有記念って……わかる?」

「まぁ、流石に。年末のビッグイベントだし、クラスの連中もライブ鑑賞の有料席のチケットとか予約してたな」

「……葉月くんは観に行く予定、あるの?」

「それは──」

 

 マジで正直な事を言ってしまうと現地へわざわざ赴く予定はない。

 年末年始──というか今年の有の開催日と重なってるクリスマスの時期は、秋川家の集まりやら外部との行事やらで、やよいの母親であり俺から見た場合のラスボスでもあるあの叔母が帰ってきてしまうのだ。

 

 そこで叔母からの要請で俺も行事には出席することになっている。

 去年と一昨年はやよいとのいざこざがあった影響で顔を出さずに済んでいたものの、今年の夏に彼女と無事に仲直りを果たしたおかげで、俺も再び公の場に顔を出す秋川家の一員として叔母にカウントされてしまったらしいのだ。

 そこの部分に関しては一応もう既に飲み込んでいる。

 これからやよいを支えていくうえで必要な事なのだから当然だ。流石にもう無駄にゴネたりはしない。

 

 問題があるとすれば、それで年末年始の予定が組みづらくなってしまっている点だろう。

 いまのところ行事が執り行われる日自体は決まっているが、叔母が帰国するタイミングによっては、本来空いてるスケジュールが潰れる可能性もなくはない。

 つまり年末年始に関してだけは、安易に誰かと約束を取り付けることができず、予定は未定ということである。

 

「……行けるかはまだ分からない」

「っ」

「いろんな都合が重なっててな……」

「そ、そう……それなら仕方ないわね」

「──」

 

 サイレンスが俯いた。

 わかりやすく落ち込んだ……ように見える。

 気づいたのなら見逃してはいけない。

 

「もしかして……出走、決まってるのか?」

 

 そう問うと、サイレンスは地面を見つめたまま小さく俯いた。

 

「まぁ……めちゃくちゃスゲぇ結果、たくさん残してるもんな」

 

 まさに今のトゥインクル・シリーズを代表するウマ娘の一人だ。

 ファンそれぞれの好みはもちろんあるだろうが、世間一般で最も顔が広まっているのは間違いなくサイレンススズカだろう。

 彼女と同じくらい活躍したウマ娘は他にもいるが、彼女は結果を出したのが特に早かったため、その分メディアに取り上げられ始めた時期もかなり前だ。

 話題になっていた期間の長さから考えると、一般への顔と名前の浸透率はやはりサイレンスが頭一つ抜けている。

 

 そんな彼女だからこそ、ファンの投票で出走者が決まる有に出られるという話を聞いても意外だとは思わない。

 いまさらだがサイレンススズカは普通にめちゃくちゃ激強ウマ娘なのだ。

 改めて考えるとよくそんな少女と同じバイト先で働いたり一緒に帰れたりしてるなと、自分の事ながら感心する。前世どころか前前前世でも宇宙を救ってるだろ。

 

「……私ってそんなに特別なのかしら」

「えっ?」

 

 また沈黙が続きそうになる前に、サイレンスは白い吐息と共に小さく呟いた。

 

「走るのは好きなの。これまでずっとその為だけに生きてたって言っても過言じゃないくらい、ただただ走ることに夢中だった。……今でもそれは変わらないと思ってる」

 

 サイレンスはぽつりぽつりと言葉を紡ぎ、いつの間にか語り始めている。

 ──なんだろうか、この雰囲気は。

 街灯がたった一つの暗い小さな公園のベンチで、バイト帰りの同学年の少女が隣でシリアスに感情の吐露を始めてしまった。

 いや、まさかこういう展開になるとは微塵も考えていなかった。

 ふらっと立ち寄っただけの公園で、少しだけ最近のことを話したら適当に解散する流れなんだろうなと高を括っていた。

 一体どうしたのだろうか。

 ウマ娘なら誰もが憧れるような名誉あるレースに出走が決まった、まさに幸せの絶頂に近い状況にあるはずなのに、彼女はどこか翳りのある表情のままだ。

 

「出走が決まった時も嬉しかったわ。ファンの皆にも、とても感謝してる。でも……」

「……不安なのか?」

「ううん。走ること自体に憂いは無いの。怪我だってしてないし、今でもきっと好きなまま」

 

 まるで奥歯に物が挟まったような物言いだ。

 今のサイレンスが何を言いたいのかが分からない。こういう時に限って鈍感というか、相手の感情の機微は読み取れても、発言を察することはできない自分が恨めしい。

 もし、彼女が口に出そうとしているそれが、本来言わせてはならない言葉だったとしたら大変なことだ。

 しかし俺には分からない。

 きっと遮ったところで時間稼ぎにもならないだろう。目の前のサイレンスはどこか諦めたような表情をしているのだ。アレはおそらく『もう話してしまおう』と腹を括っている顔だ。

 ……であれば、もうこちらも諦めて聞くしかない。

 

「こんなに楽しく走れて、先頭を見続けることができて、トレセンのウマ娘や全国のファンの皆からも応援してもらえて……今の私はとても幸せで、とても恵まれているんだと思う」

 

 サイレンスは自分の状況を俯瞰できていないワケではないようだ。

 しっかりと理解して、周囲に対しての感謝も表している。

 俺としても全くその通りだと思うし、そんな環境を掴むことができたのは、ひとえに彼女が強いウマ娘だったからだという事実も理解している。

 

「でも最近たまに……考えてしまうことがあって」

 

 衝撃の悩みの真相はCMの後で、といきたいところだがそうは問屋が卸さない。彼女の口は止まりそうにない。

 サイレンススズカ程のウマ娘が抱える悩みとは一体。

 

「もし──トレセンに通っていなければ、って」

「……っ!」

 

 その少女の発言があまりにも予想外なものだったせいで、つい言葉を失った。

 それを言われる瞬間まで、様々な考えを頭の中で張り巡らせていたが、困った事に全てがひっくり返ってしまった。

 いまなんて言ったんだ。

 

「さ、サイレンス……?」

「……ふふっ。ごめんなさい、ビックリさせちゃったわよね」

 

 マジ仰天しすぎて目玉が飛び出すところでしたよホント♡ あまり心臓に悪い発言をされると心停止してしまうので手加減するように。

 ……いや、しかしどういう事なのだろう。

 本当に思いもしない返答だった。

 トレセンに通っていなければ──だなんて。

 今まさに日本のトゥインクル・シリーズの顔と言っても過言ではない最強ウマ娘が、何故そんな事を考えているのかなんて、俺程度では想像することすら叶わない。

 

「……カフェさんは私が知り得ないたくさんの事情に精通してる。怪異のことにも詳しいし、儀式の道具も持ってて……何よりサンデーさんを視認することが出来ているのよね」

「……?」

 

 一瞬サイレンスが何を言っているのか分からなかった。

 どうして今の会話の流れからここでマンハッタンの話題が出てくるのか。

 つい先ほどサイレンスは『不安はない』と言った。

 確かにマンハッタンカフェは友であり強力なライバルでもあるはずだが、サイレンスの言葉の中にマンハッタンの走りを評する内容は含まれていない。

 

「ドーベルは誰よりも早く最初にデュアルしたし……いつも真っ先に相談されてる。それってたぶん、それくらい接しやすい関係を前々から築けてるってことでもあって……」

 

 ちょっと待ってほしい。

 本当に何が起きているのか理解できない。

 マンハッタンカフェの次はメジロドーベルに対しての感想を口に出し、しかしやはりというかその中にはウマ娘で最も重要なはずの走りに対しての言及は無い。

 怪異に詳しいだの最初に相談を受けているだの、どれもこれもレースとは無関係の話だ。

 トレセンに通っていなければ──その言葉を発した理由について述べているはずなのだが、一向に彼女の意志を汲み取れない。

 つまりどういう事なんだ。

 

「でも、私は何も。……葉月くんに何もしてあげられてない」

 

 唐突に俺の名前が出てきた。俺のこと好きなのかな。

 ──いや、唐突ではないか。

 サンデーやデュアルの話題が出た時点で、この話の中に俺自身も関わっていたことは察していたはずだ。鈍感というよりただ見えていないフリをしていた。

 なぜ、彼女の懊悩の中に俺がいるのかが分からなかったから、ここまで目を背けていたのだ。

 

「あの二人に比べたら……特別なところなんて一つもないわ。繋がりを持ち続けることを周囲の状況が運よく許してくれてるだけで……まだ何も貴方に返せていない」

 

 サイレンスは目を伏せたまま、極めて真剣にシリアスな雰囲気を纏いながらそう語る。

 だが、彼女の主張はなんというか──ちょっと義理堅すぎやしないだろうか。

 ()()という言葉を恩返しという意味で解釈した場合、思い当たる過去はたった一つしかない。

 

 俺とサイレンスが初めて出逢った日のことだ。

 デカ乳ウマ娘を観察しようと河川敷まで赴いたところ、トレーニング中だったサイレンスが足を挫いて土手から転げ落ち、そこに偶然居合わせて応急用の道具を常備していた俺が彼女を手当てした。

 サイレンスに対しての俺がおこなった明確に益になる行動は本当にそれくらいしかない。夏のイベントの時の救出劇に関してはあんなのほとんど事故みたいなものだ。

 基本的には俺が彼女に助けられてばかりで、それこそ普通の友人としてしかこれまで関われてこなかった。

 

 ──にもかかわらず、この少女は半年以上も前の出来事を今でも覚えていて、それを返せない事に対して自責の念を感じている、と。

 ありえない。友達想いにも限度あり。

 そもそも今日までの日々でサイレンスの恩返しはとっくに清算されているのだ。返せていない、だなんてとんでもない。

 というかアレに関しても思い返してみれば、レースの上位入賞ウマ娘との握手会の抽選に落ちた俺に対して『握手会の代わりに』と明言した上で、ハンドソープ握手洗いというお金を払ってもやって貰えないようなイカレた特殊プレイでお返しをしてくれた。

 サイレンスが悩んでいる『お返し』など、それこそ数ヵ月前にお釣りが出るレベルで済ませてあるのだ。そんなに心配する必要はない。

 

「マジで十分すぎるほどお返しは貰ってるぞ、俺。そもそも数日前にデュアルしてくれたじゃないか」

「……それはみんなも同じでしょう。私にしかできない事なんかじゃない……」

 

 フォローしようとなるべく言葉を選んだつもりだったが、選択肢としては外れだったらしい。好感度マイナス30くらいかな。

 

「カフェさんとドーベルが羨ましいの。葉月くんにとっての()()を持ってるあの二人が……心の底から羨ましい」

 

 そう俯いたまま語るサイレンスの手の中にある缶飲料は、もうとっくに冷めてしまっている事だろう。握ったまま手の中で転がす様子は見受けられない。

 俺も同じだ。

 吹きつける寒風にあてられて、ようやく頭の中が冷えて思考回路が働き始めてきた。

 

 ──まずサイレンスは何が言いたいのか。

 彼女はマンハッタンカフェとメジロドーベルに対して『羨ましい』という感情を抱いているらしい。

 その羨ましいの中にはレース云々は含まれておらず、俺と彼女たちの間にのみ存在する関係性こそが羨望の対象だとサイレンスは言った。

 かなり親密でなおかつ最も相談がしやすいドーベル。

 サンデーを始めとして視界で俺が見ている情報を直接共有できるマンハッタン。

 そんな少女二人と違い、彼女は自分を『平凡だ』と語る。特別なものなど何も持っていないと。

 

 はて、一体彼女は何を言っているのだろうか。

 この俺に対して握手洗いなどというドエロい手法を──バグった距離感で接してきた最初のウマ娘はサイレンスだ。初めてを奪った女。

 ドーベルともバイト先で話をするだけだったあの時期に、俺と物理的に触れ合った女子は通っている高校まで含めても、目の前にいるこの少女たった一人だけだ。

 ましてや素面のまま現実で恋人繋ぎした相手なんて未だにこの少女としか経験がない。恋人繋ぎしたことがある唯一の相手ってそれ恋人じゃないの? 子作りの準備は万全というわけかよ。

 

「……だから考えてしまったの。もしトレセンに通っていなかったら……葉月くんと同じ学校へ通っていたら、少しは特別になれたんじゃないかって」

「お、俺と同じ学校に……?」

 

 ちょっと冷静に考えてほしいのだが、他校の女子の『同じ学校に通いたかったな』という発言は普通に告白と同等じゃない?

 

「……待ってくれ、サイレンス。なんでそんな──」

「それ」

「えっ……?」

 

 ようやく顔を上げてこっちを向いてくれたかと思いきや、謎の指摘。それってどれ。

 

「私のこと()()()()()って呼んでくれるの……葉月くんだけなのよ?」

 

 そうだったの。衝撃の新事実。

 もしかしてかなりヤバい地雷を踏み続けてたのかしら。

 いや、なんと言うかこれは言い訳になるが、最初の頃の呼び方から変えるタイミングが無かったのだ。

 どう呼んでほしいのかも言われてはいないが、そもそも友達間で『こう呼んで』とわざわざ言うこと自体が稀有なパターンだろう。少なくともクラスメイト達の中にそんなやり取りをした相手はいない。

 というか、相手の呼び方なんて雰囲気で掴んでいくものではないだろうか。君付けするか呼び捨てにするか、苗字にするか名前にするか、とか。

 ……なんとなく『スズカ』では馴れ馴れしすぎると思ったが故の呼び方だったのだが、割とマズかったのかもしれない。

 

「えぇと……その、悪かった……」

「っ! ま、待って、ぜんぜん怒ってるわけじゃないの。そういう事じゃなくて……」

 

 胃の痛みを感じながら頭を下げると、意外にも焦った態度で否定された。よく分からんが怒りを持たれているわけではないらしい。ちょっと安心。

 

「……好きになってるってこと。……その呼ばれ方が」

 

 一瞬告白されたかと思った。あまり俺の高潔な魂を弄ぶと天誅ですよ。

 

「ウマ娘のみんなはもちろん、トレーナーさんも大人のヒトだから……遠慮なくスズカって呼んでくれるわ。それはもちろん嬉しい」

 

 言われてハッとした。

 確かに思い返してみれば、イベントの時なども彼女は同期や先輩後輩からもスズカとしか呼ばれていなかった。

 トレーナーの男性も然りだ。慣れ親しんだ様子で同じように呼んでいた。

 

「でも、だからこそ……葉月くんの()()が、いいなって思ったの。距離を持ったサイレンスって呼ばれ方が……なんだか男の子の同級生がいるみたいで。楽しくなっちゃったっていうか……」

 

 俺からの呼び方なんかで一喜一憂してくれるなんてピュアすぎますよ。うほっ♡ オールライツ。とりあえず服脱ごっか。

 

「……もちろん同学年の男の人は数えきれないくらいいるわ。でも、たとえファンじゃない人でも、顔と名前が広まった影響で多少は特別な目で見られることになる──だから」

 

 目を伏せ一拍置いて、もう一度顔を上げると、改めて俺と視線を合わせてから、彼女は続ける。

 季節は師走。

 空は当の昔に真っ暗で、肌を刺すような風も吹いているはずなのに、これがどうして俺の身体は暑さを感じてしまっているらしかった。

 それは恐らく、目の前にいるこの少女に、吸い込まれるような強い熱を宿した瞳で見つめられているからだ。

 

「私にとって、男の子の友達って葉月くんだけなの。……初めて出逢ったあの日、私の名前を知らないと言ったあの日から……知った後でも変わらず私を『サイレンス』と呼んで、ただの友達として対等に接してくれる……そんな異性は後にも先にも貴方だけ……──ぁっ」

 

 そう言いながら、ベンチに置いている俺の右手に彼女は自分の手を伸ばそうとして──ハッとしたようにそれを止め、慌てて手を引っ込めた。思わせぶりなエロ女。激アクメさせてやりたい。

 

「……けれど、私は葉月くんにとっての唯一じゃないし……カフェさんやドーベルと違って特別なところなんて何もない……」

 

 ──んなワケねえだろ。

 さっきから何を言っているのだこのマゾ女は。三つある堪忍袋の尾がとうとう切れたぜ。

 

「それは違うぞ、サイレンス」

「えっ……?」

 

 相手からどう思われているのか、自分は相手に相応しいのか……といった感情を抱くこと自体は理解できる。

 それは俺もこれまでの人生で何度も感じてきた事だからだ。

 やよい、樫本先輩、山田、あとウマ娘の少女たちと目の前にいるお前。

 その人にとっての“特別”な存在かどうかなんて俺の方がずっと悩んでいる。

 よく考えなくても分かるスーパー有名人と運よく縁を繋いでいても、そんなものはただの偶然としてどこかへ吹っ飛んだとしても全く不思議ではない。

 

 それでも、今は自分だからこそ巡り合うことができた運命だと信じてる。

 事実として正しいかどうかではなくそう思うことにしたのだ。

 だってその方が楽しいから。

 俺を信じてくれたみんなの判断は決して間違いなんかじゃないと、俺自身がそう肯定したいから。

 それにサイレンスは流石に心配しすぎなのだ。

 何をどう受け取ったら自分は特別じゃないなどと思うのか。

 

「まず、少なくとも往来で手を繋ごうとしてくる相手なんてサイレンス以外にはいないな」

「そ……それは、えぇと……ごめんなさい……?」

 

 謝ることではないけどね。まどろっこしくて手に負えねえや。それにしても可愛いな……。

 

「というか……わざわざ俺と手を繋ごうとしてくれるのが、サイレンスだけなんだぞ」

「──っ!」

 

 こんなにも真っすぐに物理的な繋がりを、温もりを求めてくれるのは彼女くらいのものだ。一周回って恋人でもやらないレベルだという事に彼女は気づいているだろうか。もう猶予はあらず。

 

「それって特別なことなんじゃないのか? 少なくともサイレンスが()()してくれるからこそ、信頼されてるんだなって思えて……俺としてはそれが何より嬉しいよ」

「……葉月、くん」

 

 今度は俺の方が意識して熱っぽい視線で彼女を見つめながら話していく。

 まあ普通に緊張しまくってるしクソ恥ずかしいが、今の俺以上に羞恥を覚悟して本音を吐露してくれたサイレンスに比べれば屁でもない。

 

「あっ──」

 

 先ほど彼女が出来なかったことをするべく、俺の方からベンチに置かれた彼女の手を握った。

 もうこんなの付き合っていないと無理な距離感だと個人的には思うのだが、サイレンスとの向き合い方に関してはきっとこれが最適解なのだ。秋川葉月のみが編み出せたスズカちゃん流奥義。

 

「こう言うと変に聞こえるだろうけど……悩んでくれてありがとうな」

「ぁ、あの葉月くん、手が……」

 

 どうやら責められるのは弱いらしい。いい機会だしいつも俺の心を乱してたお返しでもしておこう。

 

「もし、また不安になったら……その時はこうして俺が手を繋ぐよ。こんな事はサイレンスにしか出来ないし……サイレンスだからこそしたいと思うんだ」

「……特別扱い、ね」

「そりゃそうだろ」

 

 何を今さら。俺のヴィーナス。

 

「この際だから言っとくが、ずっと前からサイレンスは俺にとって特別な存在なんだぞ」

「……っ!」

 

 意識して言葉を選んでいたのは確かだが流石にちょっと今の発言は告白を掠りすぎてないか? 

 もし相手がサイレンス以外だったら完全に恋人契約が成立しているところだ。やりすぎ都市伝説。

 だが、まあこれでいいのだ。

 この少女に対してはきっとこれくらいが丁度いい。

 知り合って間もない頃に泡ハンドソープ・プレイを仕掛けてくるような素敵な女の子なのだから。猥褻であり絶世の美女でもあるんだね。

 

「葉月、くん……♡」

 

 サイレンスが少々興奮した様子で俺の手を握り返してきた。うおっめっちゃ恋人繋ぎ……せっかくご褒美あげようとしていたのに♡ なんだこの手つきはしゃぎすぎだろ。覚悟しろよおい。

 俺はあくまで自信を失くしているように見えた彼女を励ましただけだ。

 ここで勘違いを発生させてがっつこうものなら即座に縁を失ってしまうだろう。ロマンチックもしくはえっちな雰囲気を感じているのが俺だけで、サイレンスはあくまで凄い友情パワーに感動しているだけだとしたら目も当てられない。世界はエロ漫画のように単純明快ではないのだ。野外におけるエロCG回収はまたの機会で。

 

「……寮の門限、大丈夫なのか?」

「えっ? ──あっ。そっ、そうね! 早く帰らないと……!」

 

 ハッとしたサイレンスは焦って手を放し、わたわたしながらカバンからスマホを取り出した。

 

「た、大変……あと十分しかない……」

 

 ここからトレセンまではそこそこ距離がある。マジめっちゃあり得んレベルでクソ急げば間に合わない事もないが……この際もう仕方がない。

 

「そ、それじゃ葉月くんまた明日! 走ればきっと間に合うから──」

「いやちょっと待て」

 

 焦燥スズカちゃんの手を掴んで引き留めた。細いスベスベな指が犯罪的。

 

「月末にレースがあるのに正式なトレーニング以外での全力疾走はマズいだろ。怪我の原因になるかもしれない」

「で、でも……」

「俺ん家すぐ近くだから、寮までバイクで送る。それじゃダメか?」

 

 つい本能的に引き留めた。本当なら家に泊めてそのまま個別ルートに邁進したい気持ちだがそうはいかないし、足に負担をかけさせるわけにもいかない。

 サイレンスが語った有は激ヤバ超ビッグイベントであり、レース本番に向けての微調整に繊細で膨大な時間が要求される大変な時期なのだ。

 リスクの伴う行為はなるべく回避して、レースのことだけに専念して貰わなければいけない。ここで邪魔をしてしまったら、サイレンスは許してくれても全国のファンや彼女のトレーナーさん手ずから殺されてしまう事だろう。俺に可能なケアはなるべくやっていかなければ。結婚もその一環。

 

「……乗っていいの? 葉月くんのバイク……」

 

 今さら何を──って、あぁ。

 そういえばサイレンスを後ろに乗せた事はなかったんだっけか。

 

「もちろん乗ってくれて構わない。他に足が必要な時とかでも、気軽に呼んでくれていいんだぜ」

 

 秋川タクシー。お代は子作り一回でいいよ。

 

「……ふふっ。分かったわ。今度からたくさん呼ばせてもらうわね」

「お、おう。……お手柔らかに」

「とりあえず今週の土曜日にスポーツショップへ行きたいんだけど、お願いできる?」

「構わないが……そういうのはトレーナーさんと行ったほうがいいんじゃないのか」

「その日は全体の会議があるらしくて。だから……ね? いきましょ。二人きりで」

 

 どうしよっかな~あまりにもお下劣すぎますからな。だがその行動力誉れ高い。二人きりでとかこんだけ好意剥き出しにしてたら俺のもんでしょ。

 

「──いい? 葉月くん」

 

 ひゃ、ひゃい……♡ 耳元で囁きおって生意気な。いや、大生意気といったところか? 早くバイクに乗れ! 催眠ッ!

 

「……落ちないようしっかり掴まってろよ」

「ええ。こうかしら」

「コ°ッ」

 

 ふぐぅぅッ! スズカちゃんの温もり……ッ! アスリート体型なのでピッタリ密着しており隙間なし。もう我慢ならねぇ……のっぴきならねぇ……。

 とにかく急いでトレセンまで送り届けないと。

 バイク発進! たっぷり味わってね♡ 夜の帳を。この風を。

 

「……ねぇ、葉月くん」

 

 門限に間に合わせるため法定速度の範疇で爆走バイクしていると、信号で止まったところで背中から声をかけられた。急に良い声。

 

「私も何かお返しがしたいのだけど……要望はない?」

 

 いい機会だ。お前俺の女になれ。ラブラブ洗いっこしようね♡

 

「……じゃあ有で勝ったらライブするときに観客席にいる俺に向かって投げキスしてくれ」

「えっ……!」

 

 ふぅっふぅっ、お返しを求められたら溺愛の甘やかしをするのが摂理だろ! ママ……。

 

「しろ」

「……う、うん……っ」

 

 素敵な返事。淫乱の素養があるのかも……。

 そんなこんなで変な約束を取り付けつつ、彼女を乗せたバイクは美少女たちが待つ花園へとかっ飛んでいくのであった。サイレンススズカお届けにあがりました! このまま持ち帰ってもいいですか?

 

 



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喪失 のち、しょた

 

 

 あの距離感ぶっ壊れコミュニケーション事件から少し経って、遂に迎えた十二月の二十四日。

 

 今年一年を締め括るに相応しい大レースが開催される会場は、溢れかえった人混みで凄まじい熱気に包まれていた。静かに! 雑魚め。

 外に立ち並ぶ出店の数もかなりのもので、グッズ販売ブースに関しては列まで形成されていてまさにお祭り騒ぎだ。

 バイクを押しながら専用駐車場を目指す俺も彼らを見ながら、心の中では強い高揚感を覚えていた。

 

 サイレンスと公園で会話をして以降、実は新たに判明した情報があった。

 あの後に発表された記者会見の映像の中には、彼女だけではなくマンハッタンカフェとメジロドーベルの姿もあったのだ。

 

 つまり今回の有は、今年のトゥインクル・シリーズをアホみたいに盛り上げたあの三人が一堂に会するレースという事で、ウチのクラス内だけではなく世間全体がその話題で持ち切り状態になっている。

 無論、俺もそんなミーハーの一人だ。

 

「山田には感謝だな……」

 

 ポケットの中の財布に入ったチケットをすぐにでも取り出して眺めたい気持ちを抑えつつ、案内に従ってバイクを押していく。

 実は俺がライブ鑑賞の有料席を取ろうと考えた時には既に前列側の席は完売しており、残った後ろもほとんど最後尾に近い場所ばかりで、とてもステージ側から俺の顔が見えるような席は残っていなかったのだ。

 ──が、そこで手を差し伸べてくれたのが我らが山田くん。

 チケット販売開始の時点でデジタルと共に最前列を確保しており、なんと俺の分まで取っておいてくれたのだ。

 そして彼に泣いて感謝を伝えてチケットを受け取り──今日に至るというわけである。親友♡

 

「ん……?」

 

 ようやっとバイクを置いて会場へ向かっていくと、露骨な人だかりが目に入った。

 あからさまに浮足立ってる彼ら彼女らの視線の先では、まだ勝負服には着替えていないジャージ姿の栗毛の少女が、トレーナーと思わしき男性と話しながら歩いている姿があった。

 

 あれはサイレンススズカだ。俺の見立て通り美人だな。

 レース当日という事もあってか雰囲気が少々ピリついており、トレーナーとの歩きながらの会話も永遠に真剣な表情のままになっている。

 それを見ていると、目の前に彼女がいるのに握手やサインすらねだれないファンたちの気持ちが俺にも理解できた気がした。文字通り世界が違う。

 

「──こんにちは、スズカ。宣戦布告ってやつにきたよ」

「そう……でも負けないわ。今日は絶対に……あなたにも、誰にも」

「ふうん。ま、先頭の景色ってやつ──今日はあたしが見させてもらうから」

 

 今回のレースに出走するであろう他のウマ娘がサイレンスの前で啖呵を切っている。もうバッチバチだ。互いに全然周囲の状況が見えていない。

 もはや観衆など彼女らにとっては風景も同然なのだろう。

 あそこには俺の知らない数多くの因縁が存在している。

 そして、きっとそれはあの二人だけに限った話ではない。

 

 ここに選ばれ集ったのは、紛れもなく今年最強のウマ娘たちだ。

 度重なるレースの中で切磋琢磨し合い、それぞれ頂点へ至るための強い信念と、ライバルへのデカい感情を胸に抱えてこのレース会場へ赴いている。

 今日、全力を以って鎬を削り合い疾風(かぜ)の中で答えを見つけられるのは、あのウマ娘たちの中でたった一人だけだ。

 

「おーい待っておくれよカフェ~」

 

 周囲がまたざわついた。

 人だかりのすぐ後ろをマンハッタンカフェとサポーターであるアグネスタキオンが通ったからだろう。そばにはトレーナーの男性も控えている。

 

「はは、スズカ君は大変だねぇ。往来で宣戦布告をされるなんて」

「……今の私には関係のない事です」

「いやいやカフェ、少しは自分の戦績を思い出したらどうだい? きみだって今回は狙われる側だろうに。いつも通りにはいかないだろうし、もう少し警戒をだね……」

「今回の錚々たるメンバー……彼女らに気を取られて、いつもの走りが出来なければ……意味がありません。誰にも揺さぶられない……私は私の走りを貫くだけです……」

 

 アグネスタキオンと会話しながら、本当にすぐ近くを通過したが──やはりというか、ミーハー集団の中にいる俺に気づく様子はない。どうやら完全に意識が向こう側にあるようだ。

 思い返してみれば、レース直前のあんな彼女を見た事はほとんどなかった。まるで別人だ。

 なんかみんな全体的に殺伐としている。

 まぁ、勝負の世界なのだからこれくらいヒリついていたほうが逆に健全ってものかもしれない。

 

 ……ていうか、サイレンスに宣戦布告するためにわざわざ裏から出てきたあのウマ娘はともかく、何でマンハッタンとサイレンスはこっちの通りにいるんだ。裏口を使えばいいのに。誰か探してるの? ベルちゃん?

 

「ど、ドーベル、もう控室に戻ろう。ほら、表に出ても余計に注目されるだけだ」

「……見当たらない。……うん、ごめんねトレーナー。一応見ておきたくて」

「っ……?」

 

 あ、メジロドーベル発見かわいい。トレーナーさんも一緒みたい。ベルちゃんあそこにいるよ二人とも。

 やはり先ほど見かけた彼女らと同様にドーベルも顔つきが随分とマジだ。俺が過去あの少女に壁ドンした事があるなんて嘘だろ。絶対幻覚だわ。

 

 それから少し経って──レース開始の三十分前。

 観客席は今か今かと主役たちの登場を待ちわびる人々でごった返しており、お世辞にも居心地がいいと言えない。

 ここへ来た時間が中途半端だったせいかお腹も減ってきた。外のコンビニへ何か買いにいきたい。

 このまま待機してベストな場所を取っておくのも悪くはないが、こっちと違って有料席があるライブのほうではいい場所を確保させてもらっているのだ。もう他の人に前列を譲ってしまってもいいかな、くらいの気持ちで離れてしまおう。

 

「あっ……」

「ダーヤマさん? どうかなさいましたか」

「……いや、何でもないよ、デジたんさん。それより楽しみだね」

 

 少し離れた場所でデジタルと二人並んでレース会場を眺めていた山田が、ふと横を見たときに俺の姿に気がついたものの、すぐデジタルの方を向いて気づかないフリをした。

 ほう、なるほど。

 

(……? ハヅキ、なんで嬉しそうなの)

 

 ふふ、愚問。

 この会場で唯一俺の存在を察知してくれた事と、また『俺のことは気にせずデジタルさんと二人きりの時間を大切にしろ』という意味を込めたアイコンタクトを一瞬で理解して、すぐさま彼女へ意識を移したことが嬉しかったのだ。

 きみは良い男察せる男。俺がウマ娘なら一万分の一くらいの確率で惚れてたかも。

 

「おっ。サイレンスたちが映ってる」

 

 外に出る前に入り口付近の大型モニターが目に入った。

 どうやら今回の出走者たちの戦歴を振り返りながら紹介する番組が映されているらしく、ループ再生になっているようで放送が終わったと思ったらまた冒頭から改めて始まってしまった。

 

「……おぉー」

 

 そんな彼女たちの華々しい戦いを流していく映像を前に、つい見入って足が止まる。

 まずは鮮烈なデビュー戦を披露したサイレンススズカのレースが分かりやすく前面にピックアップされており、次に二着と驚異の五バ身差を見せつけたマンハッタンカフェ──続いてそれまでパッとしない戦績ばかりだったにもかかわらず突如として覚醒したようにブッ壊れたようなヤバい走りで世間を騒がせたメジロドーベルが紹介された。二着と七バ身差ってお前。……あ、ライブ映像でおっぱいが揺れてしまっていますよ。最高の女♡ 反省しろ。

 

「やっぱすげぇな……」

 

 それを観ながらふと思う。

 ──生きる世界が違うな、と。

 こんな日本中が注目するような大イベントの主役を飾ってる相手なのに今さら何を、と自分でも思うが、改めてそう感じてしまった。

 

 曲がりなりにも同じバイト先で、まるで普通の同級生のように接する機会が多いせいで毎回錯覚してしまいそうになるが、本来彼女たちのようなトップクラスのウマ娘たちは、一般人にしてみれば映画の主役を務め日本中の誰もが名前を知っているような超有名俳優などと肩を並べられるほどの、まさしく雲の上の存在と言って差し支えない人物なのだ。

 

 これだけ多くの人々が観戦に訪れている時点で当たり前の話なのだが、どこか心の中で場違いな考えをしていたのかもしれない。身近な友人の部活の試合を観にきた、的な感覚だった。

 しかしその認識は今ここで改めておくべきだ。

 彼女たちは誰もが名前を知っている存在で、日本中の人々が注目するトップアスリートであり、ライブでも数多くのファンを魅了する最強アイドルとしての側面も持ち合わせている最強のウマ娘なのだから。

 あまり自分の立場を勘違いしない方がいい。あくまで俺はたまたま会話が可能な機会に恵まれてるだけの一般人に過ぎないのだから。

 

「──ん、秋川葉月? どしたお前」

 

 モニターから視線を外してアリーナの外へ出ると、なにやらテントの部品のような物を片付けているゴールドシップにバッタリ出くわした。

 なんか祭りのはっぴみたいの着てる。しかし全面にはデカい乳。予想以上の女体だ……ルール違反目前のもの。

 

「……そういうそっちは何してるんだ、ゴールドシップ?」

「アタシはさっきまで出店やってたんだよ。スイカ屋」

 

 こんな真冬にスイカ売ってたのかよ。今日クリスマスイヴだぞ。

 

「クソ寒かったし今度は焼きそばかタコ焼きあたりにすっかな~。……あ、てかオメー今から会場出んのか? あと三十分弱でレース始まるだろ」

「ちょっとそこのコンビニへ行くだけだよ」

「ほえ~」

 

 言いながらせっせと鉄製の部品を外しては段ボールにしまってを繰り返す芦毛の少女。

 パッと見た限りではまだ片付けに時間がかかりそうだ。ていうか何でこんな大事なレースの日に屋台を出してたんだコイツ。俺の予想を上回っていく……面白い女だ。めっちゃ可愛いな。

 

「……その片付け、手伝おうか?」

「えっ」

 

 ゴールドシップが固まった。そんなに変な事は言ってないはずだが。

 

「いやほら、レース開始までに終わらなかったらアレだろ」

「……礼とかは言わねーぞ?」

「別にいいって。えーと……とりあえずそこのパイプをバラして段ボールに入れればいいか」

「サンキュな」

「言ってんじゃねえか、礼」

 

 そんなこんなで彼女と屋台の片づけを始めて少し経った──その時だった。

 

「おっ? あ、おい秋川葉月」

「どした」

「見ろよあそこ。会場の駐車場あたりの空」

「なんだよ空って。飛行機雲でも──」

 

 言われるがままゴールドシップが指差した方向へ首を向けた。

 そして視界に映り込んだ。

 彼女が示したその空には黒い人型の影が目測で二十五体ほど浮かんでいた。

 

「あれって、オメーが言うところの怪異ってやつじゃねえの?」

「…………たぶん。…………うん」

 

 

 

 

 ──バカ共が現れた。

 

 この一年を締め括る最も大切なイベントの日に、いま一番会いたくない連中が雁首揃えてケンカを売りにきやがった。

 やばい、ちょっとマジでイライラしてきた。ユニーッ!

 

 会場の付近に出現した怪異たちは以前と同じく一般人にも見える黒い人型の形態になっており、その数なんと二十五体。

 たしか前回交戦した時の最大出現数が五体だったので、数週間で進化した結果奴らの数は二倍ではなく二乗の数に膨れ上がってしまったらしい。加減を知らねえのか? も、もういっそ滅びてほしい……♡

 

 怪異たちの狙いは恐らくレースの妨害もしくは会場内での破壊行為だ。他の通行人には目もくれず、準備が出来たやつから順に地上へ降りてこちらに向かって来ていることからそれは予想できる。

 

 つまり今回は防衛戦になるというわけだ。

 いつものように怪異たちを追い回すのではなく、圧倒的なパワーを見せつけて『会場には近づけない』と奴らに理解(わから)せないといけない。ガキが……ッ! どう責任を取るおつもりか。

 

 加えて、相手が諦めるまで粘るという戦い方は、基本的に短期決戦を想定したユナイトとは致命的に相性が悪いため、そういう面でも俺たちにとっては不利な戦いだ。

 なにより──

 

「お、おい秋川葉月。変身しなくていいのか?」

「……いや、無理だ」

「えっ」

 

 ウサギと亀。

 いまはユナイトできない理由がある。

 

「ゴールドシップ、俺たち少し前にデュアルしただろ」

「あぁ、それで負担は八等分だって」

「──レースまであと二十分弱も時間がある。それに走り終わったら次はそこからウイニングライブだ。しかも有はライブ時間がいつもより少し長い」

 

 そう、俺は仲間たちとデュアルをして、戦う際に生じる負担を分割できるようにしてある。

 ()()()()()()()()

 

「あの三人はこれからレースとライブをやらなきゃダメなんだ。今ユナイトしてあの怪異たちと闘ったら、マジでそれどころじゃなくなる」

「いや、でも緊急時だろ? あいつらだって負荷は承知の上でお前とデュアルしたんじゃねーか。それにデメリットを抱えた状態での走りも練習してたし──」

「二、三体程度ならそうしたさ。みんなの覚悟は承知してる。……けど見ろよアレ」

 

 指差した先には大量の怪異。

 未だ上空でパワーを蓄えているやつと、準備が完了してゆっくりとこちらへ歩を進めている怪異たち──計二十五体。

 

 もちろん敵の数が増えるであろう事態は予測していた。

 前回が五体だったから、最悪を想定して二倍の数の十体を相手してもギリギリ他人との受け答えが出来る程度には、皆に俺の夢の世界でトレーニングしてもらった。

 しかし、今回は事情が違いすぎる。

 二十五だぞ。

 あれ二倍じゃなくて二乗だぞ。指数関数的に増大してる。流石にあれだけの数の敵と戦った場合の負荷のトレーニングはしていないし、俺自身も未知数の領域だ。もっとゆっくり増えろ! 風情がない。

 

「少なくともライブが終わってステージから降りるまではユナイトできないんだよ。もしいつも通りあの怪異たちと闘ったらデュアルしてる仲間全員を社会的に殺すことになる」

 

 それどころか肉体的にも──いや、今はとにかく目の前の事態の対処法を考えよう。

 

「だから最低でも四十分だ。これから四十分間、あいつらを会場へ近づけないよう立ち回る必要がある」

 

 ゴールドシップに一通り説明を終えて一旦黙ると、身体の内側でドクドクと強く脈打つ鼓動を感じた。

 これはもうスリル満点なんてレベルではない。

 ガチの危機的状況すぎて逆にワクワクしてきたくらいだ。お客さんどうしましょう。

 

「……そういう事ならしゃーねえな。ほれ、これ使いな」

「うおっ。……わ、ワカメ?」

 

 まだユナイトできない事情を聞いたゴールドシップは暫し逡巡した後、キリッとした表情に変わって俺に乾燥ワカメの袋を投げ渡した。なにこれ。

 

「オメーがトレセンに不法侵入したとき、アタシと帰り道で話したこと覚えてっか?」

 

 何だっけ♡

 

「ピンときてねえな……ほら、ワカメぶん回して怪異を追い払ったって話だよ。アタシは怪異は見えねーけど、明らかに超常現象が起きてたからそれで何とかした」

 

 ワカメで怪異を退けられる原理は全くもって意味不明だが、事実として彼女はワカメを使ってあいつらから身を守っている。ワカメはこの場において他にない最良の選択肢だ。

 これしかないなら──やるしかない。

 ユナイトをし続けた影響で素の身体能力も多少は向上しているが、それでもあくまで俺は一般人だ。バケモノに対抗するには武器を取るしか方法はない。

 

「長ネギとかところてんでもイケるっぽいんだが、生憎それしか持ち合わせがなくてな」

 

 スイカの屋台をやってたのに何でワカメ持ってるんだとか長ネギやところてんでも怪異を撃退できんのかよという疑問や質問は全部心の中へしまっておく。今は眼前の敵に集中だ。

 

「──ゴールドシップ」

「ゴルシちゃんでいいぜ?」

「……ゴルシちゃん、ありがとな。おかげで希望が見えてきた」

 

 おっぱい希望峰。やりすぎデカすぎ見せつけすぎ。

 今までは俺がメジロマックイーンというウマ娘に関わることを目の敵にしているよく分からんヤツという印象だったが、今回の事でそれが変わった。

 

 この少女はきっと面倒見がいいタイプなのだろう。

 だから普段接しているマックイーンさんが、どこの誰とも分からない俺みたいな男と接することを危惧していた。それほど仲間想いな少女なのだ。

 思い返してみれば彼女のために俺とのデュアルに協力してくれている時点で善性の塊みたいな女の子だったのだ。もっと早く気がついておくべきだったな。度量も乳もデカすぎるという事でここはひとつ。

 

「これオメーの相棒の分のワカメな」

「サンキュ」

 

 あ、そうだ。サンデー。

 

(山田くんとデジタルちゃんを呼んでくるんだよね)

 

 その通り。思考の先読み相思相愛。

 ついでに控え室のマンハッタンさんの荷物の中から白ペンダントを持ってきてくれ。

 

(……? 何に使うの)

 

 ──。

 

(……わかった。一応持ってくる)

 

 助かるぜ相棒。あとで美味しいご飯を食べようね。

 ではワカメを携えたゴーストバスターの始まりだ。この勝負乗った! べらぼうめ! 負けないお~~♡

 

 

 

 

 ほほほ♡ フッフッ。

 あ~生意気な態度たまんねぇ……! そんな大量の数でレース当日に襲撃して……正気の沙汰ではないぜ。

 甘えたがりの怪異ちゃんたちとの戯れが始まってからどれほど経過したのだろうか。

 ワカメを渡した山田とデジタルに一番広い正面の出入り口を任せ、俺とゴールドシップで会場の周囲を駆けずり回りながら海藻をばら撒いていたのだが──そろそろ限界だ。

 

 カラスの影響で強化された怪異たちにもワカメは通用したがとても撃退には至らず、ぶん投げて多少ノックバックさせることは出来ても追い払うことは難しく、まさに背水の陣を延々と続けており、協力してくれている三人はもう気力も体力も底を尽きている。そんなボロボロになるまで闘ってくれて……愛さねば……♡

 

「ぎゃふん」

「ッ! ゴルシちゃんっ!」

 

 そして今、正面の出入り口へ戻ったところ、目がグルグルでぶっ倒れている山田とデジタルを怪異の攻撃から守るためにゴールドシップが自ら盾となり、クロスカウンターでワカメを喰らわせると同時に彼女も同じくグルグルお目目でダウンしてしまった。

 そのまま気絶おっぱいを揉みしだきたい気持ちを押し殺しながら彼女を建物の中へと運んで避難させる。山田とデジたんも同様に移動させて──気がついた。

 

 この会場の警備員さんたちがもれなく倒れている。

 俺と違って外傷が見当たらないあたり、なにかしら怪異の特殊な力の余波にあてられて気を失ってしまったのだろう。遠目でも呼吸の動きだけは確認できている。

 とりあえず死傷者は出ていないが──このままだと時間の問題だな。無力な俺。忸怩たる思いだよ。

 

「ハヅキ、みんなは」

「もう限界だ。あとは俺たち二人だけだな」

 

 再び外へ出ると、反対側でワカメを投球していたサンデーが戻ってきた。一旦ハグしておく。ムインギューーーーー♡

 ゴールドシップ、俺、サンデーの三人で怪異たちを吹っ飛ばして誘導し、対処しやすいように全員を正面に集めたことまでは良かったが、どう考えても残りの敵を対処するには人数も力も足りてない。

 

「……潮時か」

 

 怪異たちはなお侵攻してくる。何度アクメしたらそのようになるのか!? 猛省せよ。

 ついに観念して、俺は手に持っていたワカメの袋を付近のゴミ箱へ投げ捨てた。ポイ捨て厳禁。

 ワカメは捨てたがもちろん戦うこと自体を諦めたワケではない。

 

「サンデー、白ペンダントを」

 

 俺がそう言って彼女の方へ手を差し出すと、相棒はポケットから乳白色の石がはめ込まれたペンダントを取り出して手渡した。あ、スベスベな指が触れて……♡ 触り心地抜群。

 これは呪いを緩和させる解呪の儀式で用いていたアイテムだが、本来の用途とは別の使い方があるのだ。以前サンデーから直々に教えてもらったやり方である。

 

「本当にやるの」

「こうしないと物理的に間に合わないだろ」

「……そうかもしれないけど」

 

 隣にいる白髪の少女の表情は芳しくない。

 これから俺がやろうとしている事は、彼女としても推奨したくはない対処法なのだろう。巧妙なマゾ雌ガール♡ 頭脳明晰でタイプだよ。

 だが背に腹は代えられない。

 日本どころか世界にだって通用する最強ウマ娘たちを守るためにはこの方法しかないのだ。俺には彼女たちを命に代えても守るという責務がある。王として、男として。ハピネス。

 

 ──今からこのペンダントを装着する。

 これを付ければ他人とのデュアル状態を解除できる。

 デュアルの大元である俺がこいつを付けることで()()()()とのパスを切断するのだ。

 そうすれば後はいつも通りだ。

 ユナイトの負担は俺とサンデーだけの物になる。

 

『さあ、始まりました有記念──』

 

 会場内にある大型モニターの映像が切り替わり、一斉にスタートしたウマ娘たちが映し出されている。うひょ~美しやダビデ像。

 あそこに映っているのは他でもない今日の──いや、今年の主役たちだ。

 そして熱く激しく華々しくぶつかり合うその主人公たちの決戦を台無しにしようとしている悪意が今目の前に存在している。

 

 であれば、やる事は一つだろう。

 ダービーで数多の人々に夢と希望と感動を与える彼女たちとは生きる世界が違う俺の、本物の舞台に立つ主人公たちと壁を一つ隔てた外側の傍観者(アウトサイダー)にできる精一杯の走りがこれなのだ。

 

 相手は二十五体いる。

 これまで戦ったことのない数の敵をやっつけた後に自分がどうなるのかなど想像もできない。

 ましてや誰ともパスを繋いでいないこの状況では、その負担を一身に背負うことになる。

 冷静に考えれば物理的に耐えられない。

 もしかしたら──というか普通に死ぬ可能性の方が高い。

 だが、そんな覚悟はとうの昔に決めている。

 主題は俺ではないのだ。

 

「……すまん、サンデー。選択肢なんて見るからに無いが一応言わせてくれ」

 

 うるち米。

 なぁなぁにしてはいけない。

 しっかりと言葉にして伝えることがせめてもの誠意だ。

 

「強くなった大量の怪異と闘ったらお互い無事じゃあ済まないだろう。……それでも一緒に闘ってくれるか」

「……やだ」

 

 えっ、マジ。終わった。

 

「……って言ったらどうするつもりだったの」

「そりゃお前……説得するしかないな。折れるまでお願いし続けるよ」

「……そう。一人で戦ったりとか、しないんだ」

 

 するわけがない。サンデーが察しているように理由は明確だ。

 

「俺一人が闘っても目の前のアイツらには勝てないからな。だからお前に手を貸してもらえるように全力で頼み込む」

「……」

 

 もう最初から分かっていたことだ。

 恥も外聞もありはしない。

 俺は弱い。

 秋川葉月という人間はどうしようもなく脆弱な存在だ。

 ほかの誰かに手を貸してもらわなければ、従妹の女の子一人すら満足に守れないクソ雑魚だ。

 だが、一年前まではそんな当たり前の事すら自覚できていなかった。

 それが分かったのは──つい最近のことだ。

 だから、それを改めて認識した今、俺は他の誰かに助けを求めることにしたのだ。

 

「カッコつけたいんじゃないんだ。無謀を勇気に置き換えて一人吶喊かまして散って自己満足したいわけじゃない。俺は今、会場内にいる主人公たちを絶対に守りたい。命でもなんでも払えるモンは全部対価にして確実に守り切りたい──そう考えてます」

 

 もう自分がダサいだとかそんな事はどうでもいいのだ。兵は神速を貴ぶ。

 この世界の誰よりも心優しい少女を巻き込んででも、後ろにいる大勢の人々の前でウマ娘としての青春を走る彼女たちを守る。

 そう決めた。

 だから口にする。

 一緒に闘ってくれ、と。

 

「サンデー」

 

 前を向き、迫りくる脅威からは目を逸らさないまま、隣にいる彼女の手を握る。

 

「自分を犠牲にするために俺と一緒にいてくれたわけじゃないよな。ただ大切な友だちを守りたいから、そのための手段として相棒(バディ)になってくれた」

 

 この少女の優先順位は分かっている。

 彼女にとってあの漆黒のウマ娘が誰よりも大切な存在であることは知っている。

 最も大切なものが、その少女と共に過ごす時間なのだと理解している。

 危険な目になんて遭いたくないし、なるべく彼女と一緒に過ごして、ただ走って競い合いたいだけなのだろう。

 知っている。

 わかっている。

 何故なら彼女もまた一人のウマ娘であり、他人からは見えない性質を持っているだけの、ただの一人の少女だから。

 

「こんなの嫌だよな」

 

 分かっている。

 

「けど、力を貸してくれ」

 

 それを知ったうえで、俺は『それでも』と彼女に向けて言葉にする。

 

「もしかしたら消えるかもしれない。もうあの子には会えないかもしれない。全部上手くいく保証なんてはたから見れば一つも無い。──それでも力を貸してくれ」

 

 強く手を握る。

 一緒にいてくれ、だなんて生易しい意味じゃない。

 もうお前のことは逃がさないぞ、と。

 二度と俺のそばから離れるなと、そんな黒ずんで歪んだ意思に突き動かされて彼女の手を握っている。

 言うなれば──ワガママ、というやつだ。

 

「大人がよく言う責任って言葉の意味を、たぶん俺はまだ理解できてないと思う。なんせ高校生のガキだからな。もしかしたらこの状況に酔ってるだけかもしれないが──でも一つだけ分かることがあるんだ」

 

 敵はほんの十数メートル先まで迫ってる。

 それでも俺は焦らない。

 たとえ本心ではビビりまくっていようが顔にも言葉にも出さない。

 きっと大人ならそうするはずだ。

 

「今後ろにいる、自分と縁を繋いでくれた大切な友達は何があっても守らなきゃいけない。頼って、巻き込んで、それでも一緒にいてくれた友達なら、命に代えても守らなきゃダメなんだって──……たぶん、それが今の俺が果たさなきゃいけない責任ってやつなんだと思う」

 

 責任の所在を明らかにせよ。

 まず最初は家から逃げた。

 その次は恩人からも逃げた。

 三回目は最も大切な家族からさえ逃げた。

 

 俺は責任というものから逃げ続ける人生を送っていたのだ。

 けれど今向こう側にいる少女たちは、その責任と向き合うチャンスをくれた。

 彼女たちは自分の運命から逃げることなく、迷いながらも前を向いて走ることで、俺に道を示してくれた。

 その恩に報いたい。

 背負った責任から目を逸らさず、今度こそ逃げずに立ち向かいたい。

 

「サンデー」

 

 だから俺はこの手を掴む。

 例え迷惑だろうがそれでも掴む。

 だって彼女は、俺がそうすることのできる唯一の相手だから。

 自分勝手な願いだとしても、それでも俺の味方でいてくれと、お前だからこそ手を伸ばすことができるのだ、と。

 ──きっとそれこそが“相棒”ってやつなんだ。ついてきてくれ! 心からの願い。

 

「今こそ責務を果たしたい。……俺と一緒に闘ってくれ」

 

 そう言って、カッコつけた割にはほんのちょっと心配になって、それとなく視線を横にずらすと──

 

「……はぁ。……まったく」

 

 彼女は仕方なさそうに小さく笑っていた。イイ子供を生みそう。素敵な家庭作れそう。しかしマゾメスだ。

 

「一緒に闘う。……一応、私にもハヅキの相棒になった責任があるし」

 

 そう呟いた後、サンデーはその時になってようやく、ぎゅっと俺の手を握り返してくれたのであった。さすが美人ウマ娘は情熱的だね。レシプロエンジン。

 

 

 

 

 

 

 ♡♡♡♡♡♡ ……♡♡♡?

 

「あっ」

 

 ハッとした。わずかながらイク──。

 場所は会場を出て広い階段を降りた先にある噴水広場のベンチの上だ。

 ──敵は全員やっつけた。

 ポコポコにして追い払ったので会場の中は無事だ。ムッ!? 決壊の予感……無し。よし。

 

「からだ痛すぎてうごけん」

「わたしも……」

 

 ベンチで仰向けに寝そべった俺の上に、サンデーがうつ伏せで乗っかっている。くっつきすぎて心臓の鼓動が丸わかりだよ。ドエロいホスピタリティに関心。

 

「ハヅキ♡」

 

 どうしたのかな。君かわいいね。しかし下品な性根! 神様にどう言い訳するおつもりだ?

 

「わたし、もう身体を保てない。消えないために、自分の意思とは無関係に、また夢の境界へ落ちて概念を再構築することになる」

 

 そういえば前回もそんな事があったな。

 

「消滅寸前だから、前よりもずっともっと深層に落ちてしまう。光も届かないような、暗い闇の底に。案内人の先生がいても、深淵に辿り着けるかはわからない。もしかしたら、もう二度と会えないかも」

 

 そんな薄情なことを言うな! 生意気である。

 でも心配いらないよ。なにせボクチンが旦那だからね。

 

「……サンデー、そんな不安そうな顔すんな」

 

 腕の一本も動かないから、キスはおろか頬を撫でることすら叶わない。実は喋るだけでも全身に爆発するような激痛が走り続けている♡

 それでも会えなくなる時間が生まれてしまうので、その間さみしくないように、せめて何か伝えておかなければならないのだ。無理を通せば道理が引っ込むというもの。エキセントリック!

 

「おまえがどこにいても、絶対に俺が見つけ出す。海の底だろうが銀河の果てだろうが異世界だろうが関係ない」

 

 これもまた一つの責任──いや。

 俺たち二人の誓いだ。

 

「約束する。必ずお前を迎えにいく。……だから安心して待ってろ」

「……わかった。ハヅキのこと、信じてる」

 

 サンデーの身体が透け始めた。下着は透けず。透けろよ! 記念だぞ。

 残念なことに、もう夢の境界への落下が始まってしまったようだ。さみしい。いかないで。結婚して。

 

「あ……ハヅキ」

「うん?」

「ハヅキ、たぶんこれから子供の身体になる」

 

 ショタになるの? なんで?

 まぁ、そういう事もあるだろうけど。

 

「魂が半壊してるから、夏のイベントの時に流した私の魂で補うことで修復してる。自然回復を待って、完全に治るまではエネルギー消費の少ない身体になっておかないと、肉体と魂が乖離して死んじゃう。だから──」

 

 もうめっちゃ透けてる。声も小さくなってきた。質感は囁きASMR。

 

「治るまでは……むちゃ、しないで。……それ、から……」

「サンデー」

「……?」

 

 本気の死ぬ気で腕を動かした。

 そんでもって彼女の髪を撫でた。うおっスッゲさらさら♡

 

「マンハッタンさんのことは俺に任せて、安心して待っててくれ」

 

 言うと、彼女はにへらとだらしない笑みを浮かべた。ほ~ほっほ♡ それが見たかったんだよ可愛すぎ。

 今生の別れじゃないんだから、夢の境界でダラダラしながら待っててね。鼻息荒いぞスケベ女。結婚しようね。

 

「……うん。まってるね、あいぼう」

 

 その言葉と共に、身体の上に乗っていた少女はロウソクの火が消えるかのようにフッと姿が見えなくなり、間もなく俺もいつの間にか小学校低学年くらいのショタに変化し、青すぎる空を眺めながら意識が遠のいていく。

 

「あ……ウイニングライブ、みたかったな……──」

 

 一体だれがセンターを飾ったのか。誰が夢を掴んで誰が泣いたのか、クソ外野だったのでマジで一ミリも知らんままめちゃ瀕死壮絶・アクメ状態の俺は真っ暗な世界へと落ちていくのであった。おっぱい。

 

 



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たまたま出逢ったタマねえタンマタンマんんママ

 

 ふと、気がつけば公園の砂場で寝そべっていた。

 焦って顔を上げると、時刻は正午を回った頃だ。

 そこそこ広い敷地で住宅街の中だと思わしき公園だが、意外にも他の利用者は一人もおらず、砂場でゾンビみたいに起き上がる恐怖の起床を目撃されることは終ぞなかった。ウ゛ぅ゛。

 

「……?」

 

 はて。

 どうしてこんなところにいるんだろうか。

 たしか俺はさっきまで──

 

「……なにしてたんだっけ」

 

 自分の身体についた砂を手で払い、とりあえず付近のベンチまで移動する。

 座ろうとしてみて分かったが、何だかベンチが大きい。エッフェル塔。

 ……?

 ちがうな、俺が小さいわコレ。

 かなり記憶が混濁していて直前の出来事を思い出せないが、そういえば何かしらあって肉体が子供になってしまったんだった。

 さっき喋ってみて声も随分高くなっていた。かなり本格的にショタ化している。ぽてぽて。

 

「なんだ……このかっこ」

 

 下を見てみると、俺は長袖のシャツ一枚の状態だった。

 身体が大きい頃の自分のシャツであるためか、これだけで首から膝あたりまで隠されている──が、逆に言えばそれ以外は何も身に着けていない。

 ダボダボで袖が余りまくりの長袖シャツ一枚の小さい男の子だ。

 おそらく小さくなりすぎてズボンや下着、上着まで脱げてしまって辛うじてシャツ一枚だけが残っている状態なのだろう。ノーパン!? 猥褻物陳列罪にあたる可能性がある。

 財布やスマホはきっと脱げたその服たちのポケット等の中にある。とにかく今は手元にアイテムが何一つない。

 

「まいったな……」

 

 はたから見れば奇妙に映ること請け合い。

 このままほっつき歩いてたら恐らくお巡りさんに保護されて終了だろう。

 隠れるべきか? 奇跡的に優しい人に保護されるのを待つか? いや隠れるべきだ。謙虚に堅実に生きよ。決してあきらめるな。自分の感覚を信じろ。

 

「アクメ……ハ短調で……スタッカート」

 

 頭の中で次々と浮かんでくる単語を適当に呟きながらベンチを離れる。いつかどこかで読んだ、河川敷に打ち捨てられていた漫画のセリフだっただろうか。

 たぶん今現在の俺は果てしなく追い詰められているのだ。

 ちょっと冷静になっただけで泣いてしまうかもしれない。だから適当なことを言い続けて精神の安寧を保たねばならないのだ。うわああぁぁん! ママ! 状況判断が大切だ。

 

「せいりしよう……ボクチンは何をしてたのだ……♡」

 

 公園内のドーム型の遊具の中へ身を隠し、膝を抱えて思考に耽る事となった。

 

 まず明確に覚えている事から羅列していこう。

 

 俺は目覚める前、なにか悪い奴らとバトってた。

 そんでボコボコにして、戦った代償に身体が小さくなった。

 で、疲弊して意識を失ったら──ここにいた。世界ふしぎ発見!

 

 そうだ、大体の流れはこんな感じだったはずだ。

 体が縮むほどのダメージを負ったせいか記憶も曖昧になっているが、肝心なことは忘れていなかったらしい。ちょっと安心してイク。

 きっと記憶喪失も一時的なものだろうし、思い出すまでは大人しくジッ……とこらえておこう。余情残心。

 

「……せいかくに何を忘れているのかがわかんねえな」

 

 呟くたびに声の高さに違和感を感じる。

 本当に子どもになってしまったんだなという実感と共に、現状の詰み具合も浮き彫りになってきている気がした。

 ちょっとばかり記憶喪失の範囲がデカい。

 大まかに『自分が何者で何をしていたのか』という事は覚えているのだが、その中の正確な情報が欠けすぎているのだ。

 

「名前……あー……マジか。名前まで忘れかけてるってやばいかも」

 

 そしてその情報とは自分自身の細かい基礎情報も含まれている。

 困った事に自分の名前が思い出せないのだ。

 高校生だったのは覚えてる。

 とにかく誰かを守りたくて戦ったのも確かだ。

 しかし誰のためにこんなショタ化するほどの無茶な行為に及んだのかが分からない。

 

「は……ハズキ……だっけ? そうだな、ハズキだ。名前は思いだせた」

 

 暗いドーム型遊具の中で脳内を整理していく。ボクチン自分で考えられる。

 意外にもゆっくり順を追って記憶を辿っていけば思い出せる情報はそこそこあるみたいだ。

 自分の名前に関してはコレで間違っていないと心のどこかで確信できる。それぐらいしっくりくる。

 

「苗字は──」

 

 ポコンと脳内に二つ浮かんだ。

 どっちだろう。二者択一。

 

「……山田、かな?」

 

 なんか違う気がするしそうだった気もする。

 どちらにせよ今は確認できない事だし、とりあえずは仮称山田ハズキにしておこう。あっ、山田って単語を思い浮かべるとなんかちょっと安心する♡ ふぅ~~心あったけぇ~~。

 

「……はらへった」

 

 お腹がグゥと小さな訴えを起こした。俺の身体のくせに生意気である。

 

「つってもお金がないしな……」

 

 そうなのだ。

 マジで手持ちが一円もない。

 連絡手段もなければパンツも記憶も尊厳もない。

 

「やっぱ動くか」

 

 かぶりを振って、一旦の目標として俺が縮んだ瞬間の場所へ赴くことに決めた。

 財布の中の身分証明書なんかで自分のことを把握し、スマホを駆使すればたぶんどうにかなるだろう。

 どうして俺がその地点から移動しているのかは不明だが、とにかく行動しなければ何にもならない。ヌポォ~……っと動き出そう。

 

「出歩きたいけど……これふつうの服に見えるのかな。そでを手首までまくれば、それっぽくは見えるか」

 

 ベルトとかあれば誤魔化せそうなもんだが無いものねだりは時間の無駄だ。こういうダボダボファッションってことで通すしかない。

 ドーム型の遊具を出てさぁ移動開始──

 

「さ、さむすぎる……っ」

 

 全身が一瞬で震え上がり、ドームに戻ろうとする足をなんとか気合いで堪えた。

 たぶん季節は十二月の後半とかだった。

 そんな真冬に緩い長袖のシャツ一枚とか、凍死しても不思議ではない極寒地獄だ。ぐッ、お下劣な寒風め……厚顔無恥とはこの事だな。

 

 早いとこ移動して公共施設などを見つけよう。公民館とか場所によってはネットに繋がってる機械が使える所もある。

 まずは正確な現在地の把握からだ。

 周囲を確認しつつ公園を出て、迷ったら右の法則で道を選びながら先へ進んでいく。寒い冷たい奇々怪々。

 

「あっ、通行人だ……」

 

 ひょこひょこと歩を進めていると、数分程度で通行人を見つけた。

 ちょっと派手な服装をした二十代前後くらいの男性二人だ。こわい。

 

「いや有すごかったなぁ。生で見たかったわアレ」

「な。流石に遠すぎて……はぁ、現地行けた人ら羨ましいわ……」

 

 すぐ電柱の後ろに隠れたおかげか姿が見られることはなかった。

 二人とも会話に夢中でそのまま歩き去っていく。

 ……ちょっと言葉の発音が関西弁っぽかったが、ここ都内だよな? 

 あれ、意識を失う前にいた場所って東京だったっけか。

 

「有……有は中山競バ場だ。船橋だしすぐとなり……」

 

 幼い頃に叩き込まれた知識の中に該当するものがあった。

 有記念の開催場所だ。

 先ほどのお兄ちゃんたちは距離があり過ぎて行けなかったと言っていたが、仮にここが都内だとしたら決して()()()()()()ではない。

 もし彼らの言葉を信じるとしたらマジで現在地が一ミリも予想できない。

 

 ふとボビュルルン♡ と思い出したのだ。

 俺は有記念を観戦しに行った。

 なんかそうしないといけない気がして、がんばってスケジュール調整してそこへ行った。

 だから気を失う前はそこにいたはず。

 会場にいないという事は移動したという事だが、こんな体と格好でそんな遠くへ行けるとは思えない。

 いまの場所は少なくとも千葉か東京だろう。

 

 ……しかし、先ほど公園の時計で見た時刻は正午に差し掛かったくらいだった。

 そして、気を失う前は午後に活動していた気がする。

 という事は時計の針が少なくとも一周はしていて、明らかに今が日中ということを含めると二周目だろうから、丸一日以上が経過している?

 でもこんな格好でかつ昏睡状態なのに遠くへ行けるはずがない。

 誰かに連れていかれて捨てられたとか、そんな感じなのだろうか。ヤリ逃げすんな! 責任を取れ。

 

「──わっ、雨か……?」

 

 首筋に不快な感触を感じると同時に、雨音が聞こえてきた。

 せめて小雨であってくれという祈りも虚しく、次第に雨脚が強まっていく。

 

「うげっ、なんかどっかの屋内に……!」

 

 はじかれたようにその場から駆け出した。うぅ、走れっ……走れっ……もはや野となれ山となれだ……! 

 とにかくコンビニでも何でもいいから目指すは雨が凌げる場所だ。最悪入店するだけなら金は必要ない。

 危惧するとしたら明らかに不審なこの服装と、場合によっては保護者の所在を聞かれる可能性が高いこの容姿だが、何も持っていない状況でずぶ濡れになって風邪でも引いたらいよいよ世界の終わりだ。

 人目につく場所へ行くしかないが背に腹は代えられない。

 そのまま宛もなく走っていると、住宅街を抜けてビルが立ち並ぶ街中へ出た。うおスッゲ都会。

 

「やっぱ都心部なのか……? かなりさかえてるな……」

 

 おそらくは駅の付近なのか、そこは建物同士が密集していて人も多い通りだった。

 少なくとも勝手に入れる店や建物には困らない印象だ。

 こんだけ人が多いなら一人一人に対する意識も希薄になるだろう。俺を見ても関心を示さない可能性が高いし、雨風をしのぐにはもってこいだ。

 こんな姿とはいえ下手に住宅街をうろつくよりはマシかもしれない。

 

「コンビニはっけん……っ」

 

 そして流石は街中、軽く進むだけでビル一階のコンビニを発見できた。

 上の看板を見るに階層ごとにいろんな店がある複合施設っぽいし、長時間居座っても問題なさそうな休憩スペースも期待できる。あたりきシャカリキあそこで決まり。

 

『──いやぁ、今年のトゥインクル・シリーズは大盛り上がりでしたねっ!』

 

 かなりの大降りになってきて既に半分くらいは濡れてしまっている。

 だから一刻も早く建物内へ──そう急いていた脚がピタッと止まった。

 

『えぇ。特に先日の有におけるサイレンススズカのライブ中のパフォーマンスには驚かされましたよ。あれアドリブらしいじゃないですか』

 

 立ち止まり、ふと声が聞こえたほうへ目を向けた。

 俺が向かおうとしていたビルの向かい側にある建物の上部に、大型ビジョンが設置されている。

 そこでは珍しく何かの特番が生中継で放送されていた。

 その番組の右上には、スペシャルゲストが登場、と強調されたテロップが表示されている。

 

『さて、ここまで今年一年のトゥインクル・シリーズにおけるライブシーンを振り返ってきましたが、改めて先日の有記念でのウイニングライブの様子をご覧いただきましょう』

 

 司会の男性が言うと、間もなく映像が移り変わって、特番用に編集されたライブ映像が流れ始めた。

 期待感に満ちた観客席の様子が映し出された後、大きな声援と共に三人のウマ娘が登場する。

 彼女たちのすぐ下にテロップが表示されるため誰がどんな名前なのかはすぐに分かった。

 

 サイレンススズカ。

 メジロドーベル。

 マンハッタンカフェ。

 今回のレースにおける上位三名であろうウマ娘たちが、完璧な踊りと美しい声音で最高のライブを披露している。

 

「…………おぉ」

 

 それを俺はヌボーっと眺める。

 

「すげえ……」

 

 降りしきる冷たい雨の中、ずぶ濡れになりながら見入ってしまう。

 もう今更建物に入ったところであまり意味はないという諦めが半分。

 そして“アレ”がどうしても気になってしまって、何故だか目を離させないという引力が半分。

 それら二つに目と足をその場に固定されてしまい、大雨にさらされながらただただ大型ビジョンの前で立ち尽くす。

 

『みんな、本当にありがとう』

 

 ライブの歌を終えた後、一着のウマ娘はテーマ曲の後奏をバックに、何か一言その場でスピーチしてウイニングライブを締めることになっている。

 そうして最後にマイクを握ったのは、ライブ中に一番彼女たちを映す回数が多い中央のカメラに向かってアドリブで投げキスをして、会場にいるファンたちの心を射抜いたサイレンススズカというウマ娘だった。

 

『こうしてステージに立てること。そして応援してもらえる自分であり続けることができたこと。全てを誇らしく思います』

 

 雨脚が強まる。

 蛇行した水たまりに空から止むことのない雨粒が跳ね返り続ける。

 ばしゃばしゃと、拍手にも似た大きな音が響いている。

 

『そして……いつも見ていてくれた()()()に、心からの感謝を』

 

 カメラを真っすぐに捉えてそう告げるサイレンススズカ。

 彼女の言葉はきっと、直接会場に来ることができなかったあの通りすがりのお兄さんたちのような、全国のファンに向けた感謝の証なのだろう。

 

『ありがとう──大好きです』

 

 サイレンススズカは“みんな”ではなく“あなた”という言葉を使うことで、あくまで大多数のファンへ向けてではなく自分を応援してくれた人たち一人一人へ真摯に向き合って最上の感謝を伝えた。

 まさに一番を飾るに相応しいウマ娘のパフォーマンスだ。

 その場にいた観客は勿論、中継やライブビューイングで鑑賞したファンももれなく心を鷲掴みにされたことだろう。語彙のセンスが巧みすぎ。うひょー! サイコーだ。心臓の不動数がとんでもないことになってるぜ。60hzくらいかな。

 

「……現地で見たかったな」

 

 その呟きも悲鳴のような雨音に消える。

 いま自分が抱えている心境の正体はとっくに察しがついている。

 俺はあのレースを観戦しに行った。

 そして今、あの三人が披露するウイニングライブに心を焼かれ、サイレンススズカの一言で強い後悔が押し寄せてきた。

 そうだ、きっと俺は彼女たちのファンだったのだ。

 だから現地まで赴いた。なんかいろいろあって見れなかったらしいけど。

 

「なあ、おまえも間近で見たかっただろ?」

 

 ふと横を向いてそう言葉に出した。

 そこには誰もいない。

 

「……?」

 

 返事などある筈がない。

 どうして虚空に向かってくだらない質問をしたのだろうか。 

 いよいよ追い詰められ過ぎて限界化しちゃったのかしら。

 それとも、自分の隣にはそんなことが聞けるような相手がいつもいたのか。いた気がする。許嫁とか婚約者とか。

 まぁ、細かい事を覚えていない今の状態では調べようもないことだ。謎は深まるばかり。真実はいつも一つ。

 

『ここでスペシャルゲストにお越しいただきましょう。サイレンススズカさんです!』

 

 特番の生中継にはなんと先ほど日本一のファンサービスを披露したスーパーウマ娘が登場した。めっちゃかわいい。アクメしてほしいよぉ♡ 液晶が邪魔だな……。

 そこから司会者が上手く話題を回していって、当時のレース中の心境やライブ後の感想などを掘り下げていく中、俺はひとつ気がついたことがあった。

 

『ふふっ……そうですね』

 

 なんというかあのサイレンススズカ──元気がない。

 いや、別に見間違いかもしれないし、ぱっと見では全然普通に見えるのだが、やはりどこか目に生気が感じられないのだ。寝不足かな。夜更かしすると肌荒れしちゃうよ。

 レースに勝った後はどこもかしこも引っ張りだこで寝る時間が取れてないのだろうか。ファンとしてはちょっと心配だ。やはり俺が夫としてついてやらねば。

 

「……ックシ!」

 

 くしゃみした。

 冬場の大雨でもぅマジ寒すぎ。指先とかとっくに感覚ない。

 まず普通の子供ならぶっ倒れているところだ。俺でなければだがな。

 

「…………すんっ」

 

 鼻を鳴らしてとぼとぼ歩き始めた。

 真冬の大雨の中ずぶ濡れのシャツ一枚なので防寒のぼの字もない。そろそろシャーベットになっちゃうかも。イグッ♡ イクのは自由だ。何者にも縛られない。

 

「しにそう~……」

 

 あの特番の映像を見てたら何か思い出せそうだったから、ちょっとシリアスな顔でもして逡巡しようかな~と考えたが寒すぎて無理だ。それどころじゃないぜ。兵は神速を貴ぶ。

 とはいえ、こんな状態でどこへ向かったものか。

 濡れすぎてるとお店の中へ入るのは憚られるし、街をほっつき歩いててもどうにもならない。

 せめて人気のない路地裏で雨風が凌げる場所とかがあればベストなんだが。

 

「…………ぅぉ」

 

 ちょっとフラついた。

 次第に頭の中が茫漠としてきた。

 心なしか視界も滲んできている気がする。えーんえん。さむいさみしいこころぼそい。来たれ寵愛。燃え滾る性欲がボクチンを突き動かすんだ。

 

「……どうしよ」

 

 このまま倒れたら死ぬか病院行きのどちらかだが、死んだら起きれないし病院に行っても身分証も保険証もないからめちゃくちゃ面倒なことになる。

 誰か一人でも知り合いがいれば事情を話して頼れるのだが、困った事にこの街並みには一ミリも見覚えがない。

 ワンチャン普通に知らない土地という可能性もある。わんわん!

 いまさらだが住宅街で電柱とか見ておけばよかった。そういえばあれって住所とか書いてあるんだよな確か。もうちょっと早く思い出したかった。

 街中にもある筈だが、そろそろ足が動かなくなる頃だ。寒さのせいで足の硬直が今年イチですよ♡

 どうしようか。

 ほんと、マジでどうしよう。

 

 

「──うぇっ!? ちょっ、きみ!」

 

 

 いよいよあの世が見えてきそうな辺りで後ろから声をかけられた。声音的に女性なのは間違いない。

 しまった。

 流石に悪目立ちし過ぎていたか。通報されたらマズい。

 しかし逃げる気力あらず。もう好きにしてくれ煮るなり焼くなりしゃぶるなり。

 

「待ってや!」

 

 後ろから肩を掴まれた。

 そして振り向く間もなく、すぐさまその女性──少女は正面に回って傘の中へ入れてくれた。やさしい♡

 

「こんな雨の中で傘もささずに何しとんねんっ!? あぁもう、こんなずぶ濡れで……!」

「……?」

 

 ウマ娘だ。

 芦毛の小柄なウマ娘が助けてくれた。

 なによりその少女の着ている服が中央トレセン学園の制服だということに驚いた。

 

 トレセンは──そうだ。

 俺の記憶には中央トレセンに関しての関心が何故か強く残っている。

 ファンとして憧れているだとかそんな次元の話ではなく、内部の情報のいくつかを正確に覚えているのだ。

 ということは、間違いなくトレセンは記憶を取り戻すための鍵に違いない。

 つまりは──その制服を着ているこの少女こそがヒントだ。

 まさに運命。

 よく現れてくれた。いや、この不審すぎる格好で俺が引き寄せたのか。ナースコールだ! 出ませい出ませい! 

 

「ママかパパは!?」

「……」

「あ、あれ……しゃーない、一旦そこのデパートの中に──」

「……おねえさん、中央トレセンのウマ娘なんですか?」

「えっ」

 

 それまで黙っていた俺が、手を引かれた瞬間に発言したことで彼女が一瞬止まってくれた。思わぬ逸材だったな。BMI23ってとこか。

 とりあえず今は喋り方は敬語にしておこう。とうの昔に忘れた純真無垢なガキを演じるよりは、その方がまだ自然に振る舞えるはずだ。ボクチンごときにやってのけることができるのかな? 不安だお。

 

「よ、よう分かったな、今日帰省したばっかりで──ってウチのこと気にしとる場合か!」

 

 そのまま有無を言わさずデパートの中へ入ると、入り口付近の端っこへ移動した後、ショルダーバッグからタオルを取り出して俺の髪を問答無用で拭き始めた。未使用なのかモフモフ。

 

「ほら、拭いたるからジッとしとき」

「ごめんなさい。ありがとうございます」

「……きみ、ママかパパは? 一人なんか?」

 

 いろいろ考えて言葉を選ぶべきなのだろうがもう頭が疲れて思考が働かない。

 縮んでこの身体になったことやその他諸々の秘密はぼかして、あとはもう反射で喋ってしまおう。考えるのやめた。

 

「あの、さいしょに一つだけいいですか」

「……? うん、言うてみ」

「ケイサツは呼ばないでほしいです」

「──っ!?」

 

 めっちゃくちゃ驚かれた。というかぱっと見かなり小柄な体型ではあるが、今の俺からすれば十分デカいな。あなたが僕の新たなるママ!?

 

「ほんと家出とかじゃなくて、わるいことしてるワケでもなくて……いろいろ事情があって今は一人なんです」

 

 たまたま出逢った芦毛のお姉ちゃんは神妙な面持ちで話を聞いてくれてる。あ、なんかイケそう。

 

「だから、あの……だれにも言わないでください……」

 

 そう自信なさげにお願いすると、彼女は困ったように後頭部をかいた。

 向こうも下手に刺激して騒がれたら面倒だとは思ってくれているはずだ。

 

「……ちょっと待ってや」

 

 一旦落ち着かせてから話を聞こう、と考えてくれればそれが一番いいのだが──甘いだろうか。

 世界はそんな面倒見のいい人ばかりではない。

 ここで合理的に考えるなら、良くて警察か迷子センターへの引き渡しで、最悪このまま見限られて放置だ。

 会っていきなり意味深なことを言う少年などマジクソ面倒の塊だろう。

 雨の中で彷徨っているところを助けるまでの素晴らしい優しさがあっても、それ以上は関わりたくないと考えるのが普通だ。

 

「……ウマ娘じゃない大阪の子がトレセンの制服を知っとる……服装は長袖一枚。手荷物なしの割にはかなり落ち着いとるし、自暴自棄にも見えん……けど……」

 

 俺に懇願された彼女は顎に手を添えてブツブツ呟きながら逡巡している。

 ここで通報されたら面倒だ。

 なにがどう具体的に面倒なことになるかは分からないがとにかく面倒──というか。

 さっき“大阪”って言ったか?

 マジで。ここ東京か千葉じゃないの。レース開催地の中山競バ場クッソ遠いじゃん。

 この格好で新幹線とか飛行機とか無理だしどう考えても完全にワープしてるだろ。

 一体俺は何があってこうなってしまっているのだろうか。

 

「……きみ、名前は?」

 

 僕ちゃんと呼称せよ。

 一通り悩み終えたのか、芦毛のウマ娘は膝を折って目線を合わせてから質問してきた。

 

「あ、えと……ハズキです。山田ハズキ……」

「そか、ハズキ君か。……ウチの名前、タマモクロスいうねん」

 

 タマモクロス。

 その音の響きは現状残っている記憶のどこにも掠ることはなかった。

 聞いたことがあるような気さえしない。

 トレセンに関係があるらしい俺だが、少なくとも彼女とは顔見知りではないのだろう。

 なんだろう、こう……デカい乳のウマ娘の名前なら、聞いた瞬間に思い出せると思うのだが。

 俺は乳がデカいウマ娘が好きだった気がする。

 いま目の前にいる彼女はそれには該当しないが──

 

『あぁもう、こんなずぶ濡れで……!』

 

 なんというか、確かにどちらかと言えば慎ましい体型なのだが。

 

『ほら、拭いたるからジッとしとき』

 

 ──現状残っている記憶の誰よりも母性を感じた。

 彼女からすれば一般的な優しさに過ぎないのかもしれないが、俺からすればそうではなかった。

 ちゃんと母親という存在はいる。

 予想ではなく確信だ。薄っすら覚えている父親のように特別何かしてもらったという覚えはほとんど無いものの、自身に肉親としての母親が今もいること自体は間違いないと脳が告げている。

 

 そのはずなのだが、少なくとも普通に考えてこれまで母親から何度か感じた事がある()()の母性を感じる行動は一ミリも思い出せず、現状の俺にとってのこれまでの人生で母性を感じる相手ランキング上位にいきなりこのタマモクロスという少女が食い込んできた。

 

 言うなればこれは──感動ってやつだ。ママ! ノーブラなの!? ちゅーちゅーしたい! いいって言え!!

 

「タマモクロス……さん」

「いや堅いて。お姉ちゃんとかタマねえでええから……あと敬語もな」

 

 なに……!? けしからん! 拾う神あれば絶頂する神あり。

 

「とりあえずその濡れた服のままなんはアカンな。二階の服屋で適当に見繕うから、それに着替えて、それから──」

「あ、あの」

「うん?」

 

 続けざまに話されて流しそうになったが咄嗟に引き留めた。肝心なことを何も聞いていないよママ。うおっ……。

 

「……助けてくれるの? オレのこと……」

「なっ、当たり前やろっ! あんな感じで街ほっつき歩いとったら誰でも見逃せんわ!」

 

 甲斐甲斐しくタオルで俺の顔を拭きながらのたまう母性の塊。ママ……世界が怖くて寝れないよ……。

 

「……警察はイヤいうとったな」

「あ、はい」

「それなら今はウチを頼って。話聞いたるし、きみのことはまだ誰にも言わん。せやから、もう一人であんな雨の中を彷徨するんはアカンで、ハズキ君」

 

 俺の両肩を掴み、目線を合わせたままそう言ってくれたタマモクロスの瞳はかなりマジだった。ドキドキ……♡ 恋煩い。

 

「ウチのこと……信じてくれる?」

「う、うん……ありがとう、タマモクロス……お姉ちゃん」

「っ!」

 

 意を決してそう呼ぶと、一瞬驚いた彼女はすぐさま晴れ渡るような笑顔に変わった。あまりにも美少女すぎて……もう何も言うまい。

 

「よっしゃ。じゃあまずは着替えんとな。とりあえず店員さんに何か聞かれたらウチの弟として振る舞っとき。ウチが全部うま~く誤魔化したるから」

 

 果てしない慈愛女。どこまで俺を感激させるおつもりか? SNSのアカウントのアイコン画像にしたい。

 

「大丈夫やで、ハズキ君。……ウチがついとる!」

 

 何回も念押しして安心させようとしてくれている辺り、彼女の眼には俺が相当危うい子供に見えていたのかもしれない。マジ無意識な安堵の涙も指で拭ってくれた。

 これはまたとないチャンスだ。

 警察や迷子センターに連絡する、という行動を今は取らないで、俺を落ち着かせることから始めてくれたのがめちゃくちゃデカい。器がデカすぎて違法建築。

 このまま彼女を通して中央トレセンにアクセスできれば、見失った自分も取り戻せるかもしれない。

 もし黙って他の大人へ引き渡そうとしたら……まぁその時は全力で逃げればいい。たぶんなんとかなるだろう。俺ならばな。

 

「うぅ、お姉ちゃん好き……」

「……ホンマ変な大人に引っかからんでよかったわ」

 

 は? 俺が悪意に騙される可能性など皆無。あんまりバカにしないで……っ! 猛き神よ静まりたまえ……!

 

 



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新たなるママ

 

 

 ここは恐らく夢の中だ。

 辺り一面に緑が広がるこの草原には見覚えがある。

 たしか──相棒が眠っていた場所だったか。

 

「……俺、記憶喪失になってたな」

 

 暖かな風が吹く草原を歩き始めると、地面を踏みしめるたびにこれまでの事が脳裏で思い起こされていく。

 これまでの流れを一旦整理することとしよう。状況判断が大切だ。

 

 まず一年を締め括るクソデカビッグイベントに足を運び、そこで愛するヒロイン三人が競い合う大事なレースを観戦するはずだった。

 しかし会場の外に空気の読めないバケモノ共が集まってオフ会を始めやがったため、事情を知っている仲間たちと共に対処を始めて──結果的には勝利した。

 

 しかし俺は相棒であるサンデーと一緒に無茶をし過ぎたため、その反動で肉体がショタ化して、オマケに記憶喪失になり相棒はどこかへ消え去り、終いには謎の力で空間転移して金と手持ちアイテム皆無な身分証明不可ショタ状態での新章開幕を余儀なくされた──と。

 

 大体の流れはこんな感じだったはずだ。うおっこれキッツ♡ 涙が溢れ出てしまいそうですお……♡

 イベントに現れた怪異たちとは痛み分けに近い形で勝利し、彼らも俺とサンデーによってトラウマレベルでボコボコにされたため、当分のあいだ()()()怪奇現象も落ち着くだろうが……問題は俺だ。

 

「ん……?」

「にゃあ」

「……先生。迎えに来てくれたんですか」

 

 歩き続けていると、猫耳の生えたやよいが草原に座り込んでいる姿を見つけた。

 あれは従妹であるやよいの頭の上にいつも乗っている猫のもう一つの姿だ。

 夢の案内人というよく分からんファンタジーな役職を持っているため、こうして俺の夢の世界にも現れることができるらしい。

 

「にゃーん」

「すいません、ご心配をおかけしまして」

「ふるる。うなーん」

「……」

「にゃうわう」

「……まいったな。サンデーがいないから何言ってるかさっぱりだ」

 

 彼女の近くで腰を下ろすと、先生は無表情ながらも何かを訴えかけるように喋り始めてくれたのだが、いつも先生の猫ちゃん言葉を翻訳してくれている相棒がいないせいで意思の疎通が難しい。

 俺も猫ちゃん先生用の言語を習得しておけばこんな事にはならなかったのに。忸怩たる思いだよ。

 

「…………つ、……き」

「えっ?」

 

 すると先生が自分の喉に手を添えながら唸り始めた。

 

「は……つっ、……き」

 

 ──もしかして人語を喋ろうとしてる?

 それが出来たらいよいよガチの擬人化になっちゃうよ待って。

 意思の疎通なら俺が努力したい。

 サンデーは心を読むことで翻訳したのかもしれないが、それに頼らずいくなら俺は正面から言葉を理解して対等に話したいぜ。待っててー!

 

「猫語か……にゃあッ!」

「っ!?」

「うなーん、ゴロゴロっ! みぃー……!」

「……むっ、り……しな、ぃ……で」

 

 がんばったら逆に諭されちゃった。立つ瀬がありませんよホント♡

 

「じ。……かん、……なぃ」

 

 どうやら残された時間は少ないらしい。もう耳を傾けることに全集中しよう。

 

「いき、てる。……ことっ、たけは……つ、たえる。……かんばっ、て、かえっで……きて」

 

 みんなには俺の生存の事実を何らかの方法で伝えるので、とにかくお前はまず府中に帰ってこい、と先生は言っています。そうだそうだ、と先生も言っています。

 この短時間でヒューマン言語を喋れるようになった先生えらすぎ。

 お礼に尻尾が生えてる腰の付け根をトントンしてあげようね。はーいトントン気持ちいいの我慢すんな。あ、祈っててもいいですよ。

 

「っ、……♡」

 

 ぶるるっと全身が一瞬震えた。目もトロンとしてて気持ちよさそう。やっぱこれだね。

 

「はづ、き……ぃないと、たすけ……いけ、ない」

「……そうですね。サンデーを助けに行くためにもさっさと帰りますよ。申し訳ないんですけど先生はやよいのこと頼みます」

「ぅん……おぃら、まってます」

 

 まだ一人称と喋り方が定まっていない彼女の言葉を最後に、視界は暗転した。

 

 

 

 

「……?」

 

 ふと、目を覚ました。

 自分でも驚くほど急に目が冴えて、バッと勢いよく起き上がる。

 

「……布団?」

 

 辺りを見渡して状況確認。

 俺がいる場所は畳張りの小さな和室だ。

 タンスや転がってる幼児向けのおもちゃなど、内装からして明らかに休憩室などではなく、少なくとも誰かの自宅の中だろう。

 どうやら温かい布団の中で眠っていたらしく──直前の記憶と現在の状況が合致しない。

 あの夢は一旦置いといて、確か俺はどしゃ降りな雨の中で街を彷徨っていたところを、見知らぬ芦毛のウマ娘に拾われて、とりあえずデパートの中で雨宿りする流れになっていたはずだが。

 

「ぁ……ゆめで思い出したきおく、またふっとんでるな」

 

 こまったことに相も変わらず山田ハズキだ。

 あの世界での俺はたぶん高校生の身体に戻れていたはずだが、肉体が貧弱すぎてその記憶の全てをこちらに持ち越す事は厳しいらしい。

 なんとか覚えているのは『思い出したことを忘れた』という事実と──ヤバいバケモノと闘っていた事実。

 

 それから何としても府中に戻らなければならない、という事くらいだ。

 中央トレセンに自分が関係あるだろうという予測は立てていたものの、ここで本当にアレの所在地である府中へ戻るべきだという目標が見えてきて本当に助かった。まさに暗闇に差す一筋の光だ。ぴーかっちゅ。

 

「──おっ。よかった、起きたんか」

 

 とりあえず布団からは出ようと膝に乗っている毛布を退かしたあたりで、部屋の襖が動いて一人の少女が入室してきた。

 見覚えのある少女だ。

 耳、尻尾……芦毛のウマ娘。

 そうだ、確か彼女は──

 

「……モクモクロックスおねえちゃん?」

「いや誰やねん。ちょっと惜しいけども。……タマモクロスや」

 

 ここは確か大阪なので雑なボケでもかましたほうがいいのかと思って発言したのだが、なんか普通にあしらわれてしまった。関西わからない。

 ……あぁ、いや、俺が弱ってた子供だからか。舐めてんの? チューするよ?

 

「ここは……もしかしてモクロおねえちゃんのお家?」

「えっ……よう分かったな、ご名答や。デパートで着替えたあと、ベンチに座ったらすぐ眠ってしもうたから……外で寝るわけにもいかんし、なんしかウチん家にな。……てか、モクロおねえちゃんはちょっと。なんかポケモンみたいやし……」

 

 なるほど。めっちゃめちゃウルトラお優しくてしかもトレセン生とかいう奇跡の人物に巡り合えただけでなく、マイホームにまで転がり込むというルートに進めたとは、俺の運命力もなかなか捨てたものではないようだ。

 あそこで彼女に出逢っていなかったら、間違いなくそのまま野垂れ死にコース一直線だった。

 

「……おねえちゃん、他のかぞくの人は……」

「ウチが前に福引で当てた券で明後日まで旅行いっとる。帰省するタイミングがちょっと合わへんのと、使用期限がギリギリやったから、みんなだけで行ってもらったんや」

「そ、そっか」

「それより体調は? なんか飲むか」

「い、いや、だいじょうぶ。……何から何まで、ほんとうにありがとう」

 

 俺は子供の姿だという事も忘れて、心からの感謝を込めて頭を下げた。

 あの雨の中で声をかけるだけならともかく、実際に助けて代わりの服を見繕うばかりか、不透明な事情で警察を嫌がる子供の言葉を信じてここまで秘密裏に助けてくれるだなんて、もうちょっとやそっとの優しさではない。

 これはいわゆる“慈愛”というやつだ。

 見返りを求めることなく、また世間一般の観点から見て怪しい人物でも、信じるに値すると感じた相手の事は疑う事なく手を差し伸べる──この現代社会じゃそうそう見ることのない、まさに人情の人と言ったところだろうか。

 慈愛の権化、これこそ聖女。まさか神に使えるシスター様!?

 

「や、やめぇや。そないに頭さげんで、ほら顔あげて」

「むぅっ」

「ウチは人として当然の事しとるだけ。何よりウチがやるべきだと思ったからやっとるだけで、変にかしこまらんでもええから。……子供にこう言うのはアレかもしれんけど……でも、ハズキ君なら分かるな?」

「……う、うん。……ありがとう、おねえちゃん」

 

 俺の頬に触れて優しく顔を上げさせたタマモクロスは、真剣ながら柔らかい笑みを浮かべていた。

 どうやら普通の子供らしくない対応や態度の影響で、彼女からは多少精神年齢が高い子供だと認識されるようになっているらしい。

 俺としては極端に子ども扱いされて話をまともに聞かれない状況が最も最悪なパターンなので、こちらをある程度対等に見てくれる彼女の対応は願ったり叶ったりだ。

 

「さて、ハズキ君。まずはこれ」

「体温計……?」

「雨ざらしやったし風邪ひいてないか一応な」

「……あ、平熱みたい」

「そか。ひとまずは安心」

 

 考えてみれば子供の身体で真冬の雨の中をフラフラしてたら体調がぶっ壊れても不思議ではない。

 普通の子供ならアレでも十分体調を崩すだろうが……なんとなく、俺の肉体は少しだけ普通じゃない気がする。

 ショタ化しているのもそうだが、何より夢で少しだけ思い出した“誰か”のおかげで、魂そのものから丈夫になっている気がするのだ。デバフ形態なのは間違いないものの、ちょっとやそっとの事じゃ風邪を引いたりはしないと直感で感じる。

 

「じゃあ次はお風呂や。体も髪も一度乾いてるけど雨の匂いがついとるからな」

「えっ──あっ、ごめんなさい! お布団に匂いがついちゃったかも……」

 

 家の中で嗅ぐ雨の臭いって結構アレなんだよな。生乾きとかヤバいし普通に申し訳ない。

 

「ふふっ……やっぱりハズキ君は気が回る子やな。布団の事は気にせんでええから、その服も洗濯機の前のカゴの中入れてお風呂入ってき。着替えはウチのチビたちのがあるから」

「チビ……? ……あ、弟さんがいるの?」

「ハズキ君と同じくらいのな。体格もそう変わらんからサイズは平気やろ。ほらいったいった」

「は、はい」

 

 寝室らしき和室から出て言われた通りの場所へ向かう、その道中。

 タマモクロスの自宅の内装を眺めながら進んでいく。

 なんというか、下町の大家族の家といった印象だ。

 こう……いい意味でゴチャゴチャしている。ある程度は整頓されており、とにかく物が多いという意味で。

 

「ちょっと古そうなオモチャに……あれはタコ焼き作るやつかな」

 

 物色するわけではないが、気になるものが目についてつい足が止まってしまう。

 

「他人の家を観察するなんて、良くないよな……」

 

 そう理解はしているのだが、どうしても気になってしまう要素がこの家には散りばめられていた。

 ちょっと狭いが窮屈ではなく、ゴチャついているが汚くはなく、全体的に温かみというか……とても生活感のある家だと感じる。

 

「……オレの家とは正反対だ」

 

 記憶の片隅にある実家をほのかに思い出す。

 なんとも小奇麗というか、無駄にスペースがいっぱいあった気がする。

 そのくせ父とも母とも自宅で団欒を囲んでいた思い出はあまりなく、ちょっと子供には広すぎる家で、そのただ広いだけの家に俺は一人だった──ような記憶がうろついてる。どうだっけか。記憶喪失だから自信ないな。

 

「はぁ。こんな良い服まで買ってもらっちゃったし……せめてなにか返してから帰らないとな……」

 

 そう呟きながら脱衣所で洋服をカゴの中へ入れ、浴室の中へと入場した。

 嬉しいことにシャワーもついており、浴槽に張られたお湯もいい温度で沸いていて、マジの至れり尽くせりだ。お金払わないといけない気がしてきた。

 

「……でも、いまのオレがガキすぎる……」

 

 この鏡に映る小学四、五年生あたりの見た目そのままの能力しか持たない俺に、助けてくれたタマモクロスにとって益になるようなことができるのだろうか。

 これからの立ち回り方を悩みつつイスに腰かけてシャワーを出し、一旦身体全体を温めたところで、一度手が止まった。

 

「……これ、どれがシャンプーなんだ……?」

 

 置いてあるのは黒、白、灰色の三つの無地のボトルのみだ。困ったことにどれがどれなのか分からない。

 左の方に少し高級感のある赤色の入れ物のシャンプーとトリートメントがあるものの、これはきっとタマモクロス本人か彼女の母親が使う用の特別な物であろうことは想像に難くないので、俺が使うわけにはいかない。

 むむ、一体どうしたものか。

 

「──ハズキ君。入るでー」

「ッ!?」

 

 せっかくだから一番右で博打を打とうと思っていたところで、突然背後の扉が開かれると同時にかわいい声が耳に飛び込んできた。

 タマモクロスだ。

 さっき着替えを用意してくれるとは言っていたが、まさか彼女も浴室へ入るだなんてのは聞いていない。よっぽどの淫乱とお見受けいたす。

 

「あっ、お、おねえちゃ……っ!」

「……? あぁそれか。すまんすまん、どれが何なのか言ってなかったな。左の黒から順にシャンプー、リンスでボディソープや」

 

 なんとか振り返らず咄嗟に目を閉じたため、全身がバッチリ見えることは無かったが──これはマズい。

 本当に一瞬だけ目の前の鏡に映っただけだが、確実にバスタオルは巻いていた。本当にギリギリそれだけは確認できた。

 しかしバスタオルを巻いていればいいだとかそんな問題でもない。なんかメス臭いな……。

 

「ほら、洗うからジッとしといてな」

「い、いや、まっ──」

 

 そこで突然、脳内に電流が迸る。

 

「……ッスゥー……」

「そうそう、すぐ終わるから」

「……!」

「ゴシゴシ〜……目ぇしみない? 平気?」

「う、うん……」

 

 俺は一旦深呼吸を挟み、心を落ち着けて目を閉じたまま黙って思考の海へと沈んだ。

 

 ちょっと冷静に俯瞰して考えてみよう。

 タマモクロスが平然と浴槽へ吶喊かましてきたのは、他でもない俺が"子供"だからだ。

 彼女からすれば弟も俺も一緒に風呂に入れる幼い少年に過ぎず、間違っても異性として意識するような相手ではない。

 だというのにこっちがマセたガキのような反応をして下手に照れたり狼狽していたりしたら、最悪タマモクロスにドン引きされてしまい、ただでさえ少ない信用が底をついて追い出されてしまう可能性がある。

 

「かゆいとこはございませんかー」

「だいじょうぶ、です……」

 

 いまだけ、俺は正真正銘の純真なショタを演じなければならないのだ。えへへー、お姉ちゃんだいすき。交尾したい態度が如実に現れているよ!? 反省しろ!

 ちなみにタマモクロス本人が少々小柄な体型なおかげで、後ろからタオル越しに胸が当たるなんてことは──あっ。

 

「後頭部に微かな膨らみ……」

「ん? ハズキ君なにか言うたか?」

「い、いやなにも」

 

 シャワーで声がかき消されて助かった。ついつい本音が出てしまっていたようだ。絶世の美女、美術品のようなボディ、一方性根は猥褻ときた。流石の僕も呆れかえるまでよ。

 なんとかシャンプーとトリートメントを耐え忍び、残すは身体のみとなった。これを耐えきればあとは適当に湯船に浸かってゲームセットだ。

 

「ハズキ君、肌が弱いとかある?」

「いえ、特には……」

「ほなボディタオル使おか。泡立てるからちょっと待っててな」

 

 これは至って普通に広義の意味でソーププレイに該当するのではありませんか? ムッ! 常識が決壊の予感……。

 

「うし、背中からいくで」

「よろしくお願いします」

「だから敬語はええって」

「……おねがい、おねえちゃん」

「はい了解です、お客さま〜」

 

 そしてついに始まる最終決戦。

 レベルも装備も最底辺ですがメンタルは誰にも負けません。だって僕は勇者だからね。心に剣、輝く勇気。

 

「コシコシ……」

 

 なにも淫猥なことはない。ただ恩人が親切で背中を洗ってくれているだけだ。

 というかタマモクロス、多少なりとも俺の精神年齢を高めに見ているはずなのに、どうしてこっちが異性を意識しないと思っているのだろうか。

 ……弟の影響か。まだギリギリ一緒に入浴しているからその感覚なのかもしれない。

 

「はぁー、最近はチビたちも一緒に入ってくれなくなってなぁ……半年くらい前からずっと恥ずかしいとかなんとか」

「えっ」

 

 ちげーじゃんダメじゃん。何で偶然出会って家に転がり込んだだけの俺が現状この世で唯一タマモクロスと混浴できる異性になってんだよ。

 

「そういうもんなんかな。ちゃんと洗ってあげたいし、ハズキ君は平気そうでよかったわ」

「そ、そう……」

「もしかしてお姉さんとかおるん?」

「えと、いちおう……し、親戚みたいなかんじだけど……」

 

 いた気はするが確信はないしこの状況では真実がどうであろうと関係ない。引かれないよう平静を装うことができればそれでいいのだ。

 目を閉じているせいで余計に洗われる感触と声に対して敏感になってしまっているが、何があっても目は開けられない。ここが正念場。

 

「はい腕あげて〜」

「……!」

 

 まさか背中だけではなく全身隅々まで綺麗にする気なの!? これを毎日のルーティンにして頂きます。

 

「ハズキ君? もう髪は洗い終わっとるから、目ぇあけても大丈夫やで」

「えっ。……で、でも」

「ん、なんや泡が怖いんか? 跳ねたりはせえへんから安心してな」

「……わっ、わかった」

 

 向こう側から強制的に開眼を要求されたらこちらは従うしかない。ここで抵抗したらそれこそ逆にえっちなショタガキ認定で信頼を失ってしまうのだ、背に腹はかえられない。

 俺はショタ。

 どこからどう見ても純真無垢な天衣無縫の性知識知らず。おっぱいってなあに?

 間違っても思春期の男子な反応だけはしてはいけない事を肝に銘じて、遂に俺はゆっくりと瞼を開いた。

 

「──ッ!!?」

 

 そして、瞬間的にもう一度目を閉じてしまった。見えたのは一瞬だけだが状況は理解できた。

 俺の目の前にある鏡は湯気でも曇らない特別な加工がされているらしく、前を向けばそのまま俺の背後に立っているタマモクロスがハッキリと視認できてしまうのだ。

 バスタオルを巻いているとはいえ、出逢って初日の美少女の布一枚しか纏っていない姿を目の当たりにして、まったく興奮しない素振りができるとは到底思えない。やはり俺はショタではなくオスだ。

 

「……ハズキ君」

 

 おっ、優しく温かいがそこはかとなくシリアスな雰囲気を感じる声音。どうやら大事な話をしたいらしいがこっちは下腹部が一大事なので勘弁してほしい。

 

「お風呂あがってご飯を食べたら……話してくれるか? きみのこと」

「──ッ!!?♡!?」

 

 うわぁ! 突然お姉ちゃんが後ろから優しく抱擁してきたよぉ! そうやって胸押し付けてハングリーなイキ精神見事ですが……。

 

「……ウチも小っさい頃、街でお母ちゃんとはぐれて迷子になった時は、ホンマに怖くて隅っこでひたすら泣いとった。一人で心細い気持ちは分かるつもり」

 

 この状況で本当にシリアスな会話ができると思っているのかこの女。おイギュゥッ♡ 最近の夜の生活はどうなんですか?

 

「ハズキ君は一人でも泣かずに耐えてたな。それはホンマに偉い。……けど、ここならもう我慢する必要なんてないんや」

 

 我慢する必要あるだろ普通に。

 ここで欲望を解放したら最悪子供が産まれるハメになるんだぞ。身の程を弁えよ! 下郎めが! 一生かけて愛し抜きますからね♡

 

「ウチがついとる。ちゃんと解決するまでそばにいる。……せやからウチにだけは──ちゃんと話して?」

 

 ぎゅう、とより一層強く後ろから抱き締めるタマモクロス。

 ボディソープの泡で滑りそうなところを、決して離すまいと力強く、絶対に守るという意志が感じられるほど、しかし優しく温かい抱擁で俺を包んでいる。

 

「……おねえ、ちゃん」

 

 あなた本当にエリートが集うトレセン学園の生徒? 偽りなのでは? これはもう存在が交尾ですわ。

 俺の心は性欲に溺れてしまっているが、彼女はあくまで道を見失った年下の少年を導こうと善意で提案してくれているし、ここを逃したら次は無いだろう。

 シリアスにはシリアスで返さないとならない。

 今の俺に最も求められている技は、とにかく相手のペースに乗って期待通りの反応を示すことだ。

 

「──おねえちゃんっ!」

「ひゃっ」

 

 腹を括った俺は咄嗟に振り返ってそのままタマモクロスの胸の中に飛び込んだ。下手な泣き真似は通用するはずがないのでしっかりバスタオルに顔を埋め、表情が見えないよう徹底しながら。

 

「うううぅー……! こわがった……おねえちゃんが見つけてくれなかったら、オレ……!」

「ハズキ君……ん、よしよし。大丈夫、ウチがついとる。いっぱい泣いてええからな」

 

 うひょ〜!! 一回ハメてみたかったんだよな。すげ〜サポート手厚いじゃん。本当のマゾ、真実のマゾ。

 もうきっとコレが正解だろうから一回吹っ切れて、自分が高校生だったことも忘れて全力でショタを演じよう。それが生存への一番の近道だ。

 元に戻った時のことも後で考える。ここを切り抜けられなければどのみち未来はないのだ、体は子供頭脳も子供で頑張ろう。

 

「おっぱい……」

「えっ?」

 

 あっ、やべ──

 

「……ふふっ。なんや、クリークとかイナリのがアレすぎて分からんかったけど、ウチなんかのでも意味あるんやな……」

 

 咄嗟の失言で何もかもが崩壊すると絶望した俺だったが、最悪の予想とは違ってタマモクロスはそのまま俺をもう一度強く抱擁してきた。何? 待ちくたびれちゃった? かわいい子猫ちゃんだ。でも今日は交尾しないでおこっかな〜。

 

「ほらハズキ君、ぎゅうー……」

「……ッ!!?!?」

 

 バスタオルが間にあることで助かったと思っていたが違った。コレのせいで余計にフワフワして体温と混ざり合い脳内がミキサーされている。比喩抜きに鼻血が出そう。何が起きているのか分からない。

 

「お姉ちゃんが守ったるからな……よしよし……」

「っ゛……ッっ゛♡」

 

 俺に甘えられてすごい気持ちよさそうで美人ですよ。アプライドA型。

 

「よーし、晩飯は腕に縒りをかけて作ろ! 楽しみにしといてな、ハズキ君!」

 

 そのままタマモクロス大聖女に流されるまま入浴を終えることができたものの、完全に頭が沸騰した俺は珍しく敗北したまま、彼女の言うことに従い続けるのであった。母性と性欲がベストマッチ。ママ♡ 僕を堕とそうというの!? させるものか! お前はいつか心振るわせ俺にイキ狂うんだよ。

 



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番外:有マ記念


今回は番外編になります♡ 本編の方はもう少々お待ちください♡ 真実のマゾがポルチヨをイライラさせている…こうなったら!


 

 

『さあ、始まりました有記念──』

 

 ゲートが開き、最後の戦いが幕を上げた。

 それぞれスタートを切ったウマ娘たちは様子見の段階で膠着しており、大きく差が開くような事はないまま、集団で芝を駆け抜けていく。

 マンハッタンカフェは後方。

 メジロドーベルは真ん中辺りで少し窮屈そうだ。

 かく言う私もいつものようにはいかず、周囲からの圧を感じながら走っている。

 

 そんな敵意剥き出しのすぐ後ろにいるウマ娘たちの動きを警戒しつつ、先頭での正しい位置取りを考えながら、しかし私はほんの少しだけ別のことも考えていた。

 

 ──秋川葉月くん。

 

 同じバイト先に勤めている相手であり、また私にとっては唯一と言っていい"男の子"の友達。

 きっと彼がこのレースを観戦してくれている。

 そう考えると僅かに緊張するのと同時に、ほんの少しだけ脚が軽くなるのを感じた。

 

 サイレンススズカという名前が人々の間で浸透し始めた頃、寄せられる多くの期待とは裏腹に、私は自分の走りに対して強い不安を覚えていた。

 決して先頭は譲らない。

 この景色は私だけのもの──その本能にも等しい信念が、その時だけはひどく揺らいでしまっていたのだ。

 

 脚が思い通りに動かず、減速していくスピード。

 そんな状態でなんとかもぎ取った勝利は、周囲が期待していたようなサイレンススズカのレースではなかった。

 このままでは負ける。

 負け続けて、這い上がれない泥濘へと沈んでいく。

 そう直感できてしまう程度には脚に限界を感じていて、何より先頭を走っている時に感じる後ろからの圧を強く恐れていた。

 

 そんな時だ。

 あの秋川葉月という少年と出逢ったのは。

 

「──スズカッ! この勝負もらうよ……ッ!!」

 

 中央の集団から抜けて追い上げてきたウマ娘が隣に並んだ。

 この少女は数十分前に正面のロビーで堂々と宣戦布告をしてきたウマ娘で、数いるライバルたちの中でも特に私への対策を意識している相手だ。

 今回の有にも出走しているだけあって非常に手強く、決して一筋縄で勝てるような存在ではない。

 

 無論警戒は怠らない──が、いつもと違って今の私には彼女よりももっと意識するべき相手が後ろにいるのだ。

 いろいろな意味で、絶対に無視できない少女たちが今まさに迫ってきている。

 ゆえに勝負を仕掛けてきた隣の少女には臆することなく、まだ落ち着いて走ることを意識して前を見続けた。

 

「ゆっくり……落ち着いて……」

 

 ──秋川葉月くんはいわゆる普通の男子高校生だ。

 ウマ娘のトレーナーになることを目指しているわけでもない、本当にただの他校の男の子。

 そんな善良な一般人である彼だが、不思議なことに中央トレセンのウマ娘たちとの縁に関してだけは、他の追随を許さない少年だった。

 

 私もそんな葉月くんと縁を繋いだウマ娘の一人だ。

 ちょっぴり闇落ちしかけてた時期に、トレーニング中の不注意で土手から転げ落ちて脚を怪我した際、偶然にも通りかかった彼が応急手当てで助けてくれたのがきっかけだった。

 その後いろいろあって、乙女心を刺激されたり励まされたりして、結果的に私は今こうして大舞台の上に立つことができている。

 

 私がレースを続けて有まで至ることが出来たのは、言ってしまえば葉月くんのおかげなのだ。

 もちろん同期のウマ娘や慕ってくれる後輩、担当トレーナーさんにもたくさんお世話になった。学園でもいつも近くで見守ってくれていた。

 それを加味した上で、それでも自分がこの芝を駆けることが出来ているのは、間違いなく彼のおかげだと思うのだ。

 

 あの少年との思い出が、青春が、今の私を形作ってくれた。

 ……ま、まあ、何というか私もいろいろしたし、彼にもいろいろされたけど……。

 それも含めてこのレースに立っているサイレンススズカだし、そんな私だからこそこの大舞台でも通用する走りをすることができている。

 

「スズカ……っ!?」

 

 有り体に言えば惚れてしまっているわけだが、レースに身を置いているだけでは得られなかった強さも獲得することができた。

 ──恋する乙女のパワーというやつだ。

 

「うっ、くぅ……ッ!」

 

 ずっと隣で食らいついていたライバルを引き離し、どんどん先行しつつ加速を続ける。

 ようやく身体が温まった。

 ここからが私の真骨頂だ。

 

「──あっ」

 

 そこでようやく気がついた。

 

「カフェさん、ドーベル──」

 

 後ろから差してくる気配が二つ。

 これはどう考えてもあの二人だ。

 どうするかなど考える暇はなく、すぐに彼女たちは私の元までやってきた。本当に二人とも驚異的な伸びで、侮れないにも程がある。

 

「スズカさん」

「お待たせぇ……ッ!」

 

 私たち三人が並んだことで、きっと会場のボルテージは更にヒートアップしている事だろう。

 だが、その歓声がこちらの耳に届く事はない。

 

「ふふっ。ちゃんと観てくれてるかしら……」

「ツッキー正面ロビーでは見当たんなかったけど!」

「いささか私たちが集中しすぎていて、姿を見落としてしまったのかもしれませんね……」

 

 私たちはもう──三人だけの世界に入っている。

 

 マンハッタンカフェも、メジロドーベルも、経緯は違えど私と同じで秋川葉月くんと強い絆で結ばれたウマ娘だ。

 それぞれが彼に救われて、それぞれが彼との物語を経てここにいる。

 走る為に生まれ、レースの中で答えを見つけるべきウマ娘であるはずの私たちは、いつの間にか異性との青春に一喜一憂するただの一人の少女になっていた。

 

『──ッ!!』

 

 加速。

 加速、加速。

 また加速。

 後続を突き放して私たちは果てへ向かって駆けていく。

 

「ドーベル、カフェさん。私、なんて言うか……」

「同じだよスズカ。いまアタシもそう思ってたんだ」

「えぇ……そうですね──とても楽しいです」

 

 疾風の中を駆け抜けながら笑い合う。

 いまは天下の有記念だというのに、困ったことに私たちはこのレースをまるで子供のように心の底からただただ楽しんでいた。

 同じ少年を好きになって、きっと彼が観てくれているであろうレースで、他にはないこの最高の舞台で、互いに全力でぶつかり合うのがこの上なく楽しいと感じている。

 

 本来は私に宣戦布告をしてきたウマ娘のように、ヒリついた勝負の世界であるほうが正しいのだろう。

 きっと皆そんな風にトゥインクル・シリーズを走ってきた。

 いつだってレースは真剣勝負だから。

 

 けれど──走ることは、楽しいことだ。

 それを思い出させてくれたのは他ならぬあの少年であり、私たち三人全員が共通して彼のおかげで翳っていた闇を振り払い原初に立ち帰ることができた。

  

「最後の直線──いくわよ、二人ともッ!」

 

 だからコレは彼に捧げるレースでもあるのだ。

 走り、競い合い、楽しみ、その上で一番を決める。

 そうして勝つことが出来たウマ娘こそが、ウイニングライブの最後に行うスピーチで、これまでずっと言いたかった言葉を、観客席にいるであろう彼に向かって告げることが叶うのだ。

 恨みっこなしの一発勝負だ。

 そう、恋はいつでもダービーなのだから。

 

 

 

 

 猛特訓したライブパフォーマンスを終え、ステージの上に立つ私たち三人は改めて観客席のほうを振り返った。

 ウイニングライブは無事にやり遂げた。

 後は一着をもぎ取ったウマ娘が最後に一言告げるだけだ。

 

「っ……」

 

 ライブ中は微塵も感じなかった緊張が突然心臓から伝わり、思わず息を呑む。

 これから言う。

 伝わるように告白する。

 少なくとも正面の観客席に彼の姿は見当たらないが、この会場のどこかからは必ず見てくれている。

 それならどの位置からでも大型モニターで確認できる正面のカメラに向かって言えばいいのだ。

 そうだ、後は言うだけ。

 ちゃんと言葉にして、伝えるだけ──

 

「っ!」

 

 どうしても緊張してしまって、一瞬言い淀んだその時だった。

 

「……二人とも。……ええ、がんばってみる」

 

 後ろにいたドーベルとカフェが、そっと優しく背中を押してくれた。

 おかげで緊張も解れた。

 私は私。

 彼が知っているサイレンススズカとして、言いたいことはハッキリと告げてしまえばいい。

 

「みんな、本当にありがとう」

 

 まずは応援してくれた沢山のファンの方と、支えてくれたトレーナーさんやトレセンの仲間たちに向けて。

 

「こうしてステージに立てること。そして応援してもらえる自分であり続けることができたこと。全てを誇らしく思います」

 

 嘘偽りのない本心を語ってこそ告白だ。

 だから先に伝えたい人たちへその言葉を放った。

 あなただけは、他の人たちとは違うから。

 

「そして……いつも見ていてくれた()()()に、心からの感謝を」

 

 改めて言い直す。

 みんな、じゃない。

 応援してくれたうちの一人へ向けて、ではない。

 この大舞台における最後の最後で、この言葉だけは間違いなく、あなただけに贈るための告白だ。

 

「ありがとう──大好きです」

 

 何万人もの観衆が見守るステージの上で、ハッキリと、私はたった一人の相手へ伝えるためのメッセージを告白し、ステージを降りていった。

 あぁ、言った。

 ようやく口にすることができた。

 まだ少し実感が湧かないが、きっと時間が経つにつれて自覚も強くなってくる事だろう。

 今はただ、これでいい。

 

「……ふう。ドーベル、カフェさん。ライブ衣装から着替えたら……葉月くんを探しに行きましょう」

「えぇっ! で、でもロビーの方なんか行ったらギャラリーが凄い事になっちゃうんじゃ……少し時間を置かない?」

「……いえ、スズカさんの言う通り葉月さんを探しましょう、ドーベルさん。……今回のレースやライブについて、彼の感想が聞きたいです。どうしても。今すぐに」

「ま、マジ……? ──でも、まあ、そうだね。アタシもツッキーがどう思ってるのか知りたくなってきた!」

「ふふっ……それじゃあ正面のロビーで集合ね。二人とも、また後で」

 

 そう言って私たちは一旦解散し、自分の控え室へと駆け出した。

 勝った人はステージの上で告げて、残りの二人はこれから伝える──それが私たち三人の中で決めていた約束だった。

 

 だから今すぐに会いたい。

 ちょっとイジワルかもしれないが、葉月くんの今のリアクションも見てみたい。

 鈍感ではない彼のことだから、この会場で観ていたなら私の言葉の意味も理解してくれているはずだ。

 だから、早く、早く会いたい。

 世紀の一戦を駆け抜けたあとでも、やはり私たちはあなたの元へ帰るのだと驚かせてやりたい。そうと決まれば今すぐに、だ。

 

 はてさて、彼は今どこで慌てているのかしら。これから反応がとても楽しみだ。

 

 



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やはりわしの見立て通り五人がすっぽり収まる寸法

 

 

 う~ん♡ スケベ大学総合スケベ学科一年学籍番号20220721山田ハズキです。

 ちょっと冷静になって考えて、風呂場で全身ボディソープによってヌルヌルの状態で同年代くらいの女子の胸に顔を埋めるとかもうほぼ交尾だろ大変な事すぎるだろ、という事実に気がついた俺は現在、新幹線の中で景色を眺めながら悶々としていた。

 

 ショタ化して全身ソープ洗われ確かな膨らみを感じる発展途上おっぱいに包まれプレイなんてあんなもん金払っても体験できない激ヤバ特殊プレイじゃねえか。こんな事になるなんて聞いてないヨ。男は辛いヨ。

 

 閑話休題。

 タマモクロスのおかげで九死に一生を得た俺だったが、彼女には結局シャワーを浴びたあの後に詳しい事情を打ち明けてしまった。

 

 あの『必ず見捨てないから自分にだけは話して』という言葉をそのまま信じたわけだ。

 正直に言ってしまうと、現状はタマモクロスの聖女にも等しいあの優しさに頼るしか手立てはなく、この記憶喪失状態で中途半端に事情を隠したところで大した意味はないと悟ってしまったのだ。

 というわけで──

 

「サンデー……サンデーか。あ、確か中等部にそんな子がおったような……?」

「ほ、ほんと!」

 

 つい数時間前に思い出した『サンデー』という名前の誰か、その情報も合わせてタマモクロスと新幹線内で目的の整理をしているのが現状だ。

 

「と言っても年末やし、トレセンにはギリギリ残ってるかどうか……向こう着いたらひとまずご飯でもと思っとったけど、先にトレセンへ向かったほうがええな」

 

 とりあえずの方針は決まった。あとは当たって砕けろの精神で向かってみるだけだ。元々他に方法もない。

 

 タママクロスお姉ちゃんに共有した情報は大きく分けて三つだ。

 

 一つは俺が記憶喪失であること。

 二つ目は東京の府中が俺の目的地であり、知り合いがいる可能性が高いこと。

 三つ目は『サンデー』という明らかにウマ娘っぽい名前の何者かを今朝思い出したため、彼女に会えば俺の詳しい状況が分かるかもしれない、ということ。

 

 解決するまではそばにいる、という言葉通りタマモクロスが俺のその情報を信用してくれたため、こうして新幹線で東京へ向かっている現在に繋がるというわけである。

 

「ハズキ君。他に何か思い出したことある?」

「……ううん、今のところは。ごめんおねえちゃん」

「別に謝ることやないって。焦ってもしゃーないし、ゆっくり思い出してこ」

 

 彼女は努めて明るい笑顔で俺の頭を撫で回す。なんと淫猥な手つき……モラルを弁えろよ。

 ママモクロスは昨晩からもずっと鷹揚な対応を心がけてくれている。

 俺がショタで記憶喪失なのも少なからず関係があるのだろうが、それを加味してもこの少女はいささか優しすぎると思った。

 

 その優しさにつけ込む形になってしまっている事に関しては、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

 ──実はショタ化した事実だけは、彼女には伝えていない。

 

 記憶喪失の数百倍はファンタジーな現象なので言ったとしてもどうせ信じてはもらえないだろう、という気持ちが半分。

 もう半分は、かわいがって風呂まで一緒に入ったショタの中身が、自分と歳が一つしか変わらない男子高校生だと分かったら普通に引いて見限られるのではないか、という思いだ。ゆえに言わなかった。

 

 マママクロスがここまで必死になって助けてくれているのは、きっと俺の外見が頑是ない少年そのものだからだ。

 ()()は助けるもの。

 同じくらいの歳の弟がいる身であれば、なおさら。

 恐らくはそういう認識なのだと考えている。

 

 もし大阪で目覚めたあの時、身体がショタではなく男子高校生のままだったとしたら、そこで彼女が手を差し伸べてくれていたかどうかは……あまり自信がない。というか声すらかけなかったに違いない。

 

 だから、元に戻れるまではこの秘密を話すことはない。

 身体が復活した後のことはその時になってから考えよう。

 

「ハズキ君、ポッキー食べる?」

「う、うん」

「あーん」

「う、うん……?」

 

 マママママスに何をされようと俺は今だけ正真正銘のショタ。ボクを興奮させるその包容力が問題なのだ! 責任を取れ! 確実なアクメで。

 

「ん、そろそろ到着か。在来線でも新宿で乗り換えたりするから、ウチの手は離さんようにな。はい、ぎゅう」

「ぐぁ……ッ」

 

 やわらかおてて淫猥道中ぶらり途中下車の旅。

 

「いくで~」

「は、はい……」

 

 もう完全にタマモクロスの弟の枠に収まっちゃった。握った手が温かくて……住みたい街ランキング。

 年末ということもあってか駅は人でごった返している。割とマジではぐれたらシャレにならないかもしれない。

 

「あと二分か……ちょっと走るでハズキ君」

「わわっ」

 

 ひょこひょことお姉ちゃんについていきつつ、思考停止だけはしないよう頭の中で今後のことを思案していく。

 

 サンデー、という人物が誰なのかは分からない。

 顔はおぼろげで、俺から見た場合にどういう立ち位置の相手だったのかも定かではない……が、現状唯一の手がかりなので彼女を探すしかないのもまた事実。

 

 府中に行くべきだ、という根本に残っていた目的意識だけでそのサンデーさんをトレセンの生徒だと勝手に決めつけてしまっているが、いなかったらいないでそれまでの話だ。

 少なくとも府中へ赴けば手がかりは何かしら見つかるはず。

 とにかく今はタマモクロスが協力してくれているうちに少しでも行動しておかなければならないのだ。

 

 それから──

 

「あの、おねえちゃん」

「どした?」

「新幹線の往復代、あとで必ず返すから……」

「……まぁたそないなこと言って。気にせんでええってば」

「だ、ダメです」

 

 タマモクロスが俺に使ってくれた旅費の返済は絶対だ。

 新大阪と東京の往復、それからこっちでの電車賃を合わせれば余裕で三万を超える。

 そこに俺の分の料金も加算されるためマジで冗談にならないのだ。

 高校生のお財布事情を考えると頭が痛くなるような激ヤバ出費であり、これは甘えるだとか子供だからとかそういう話ではなく、人としてそのまま流してはいけない案件なのである。

 

「ほんと、返すから。だからそのまま帰ったりはしないでください……」

「いや、そもそも貸したつもりなんて……ウチがやりたくてやっとる事やし。……まぁ、ハズキ君がそこまで言うなら了解や。勝手に帰ったりはせんから安心してな」

 

 ぽんぽん、と頭を撫でたママお姉ちゃんは少し困ったように笑った。あまりにもかわいすぎ。そろそろいい加減にしておけと言ったところ。

 返済はもちろんだが、これは一応タマモクロスをすぐ帰さないための理由作りでもある。

 優しさから来る協力だけでは誤魔化されてしまう可能性があるのだ。

 お金の返済という約束事まで持ち出せば、少なくとも即座に彼女が大阪へ帰ることはないだろう。

 

「ありがとう、おねえちゃん」

「……もう、お礼なんてそないにいちいち言わんでもええねん。……なんか小っ恥ずかしいわ」

「かわいい……」

「ん、いまなんか言うたか?」

 

 駅構内の雑踏の音で聞こえなかったようだが可愛いって言いました。かなり言った♡ ボンビョーー♡

 もう既に一度頼ると決めた相手だ。

 ここまで来たら存分に助力を仰ぎまくる。

 今の俺は絶体絶命の大ピンチなので、手段を選んでいる場合ではないのだ。

 タマモクロスには悪いがもう少し手伝ってもらう。

 

 この貸しは体が戻ってから返させてもらうことにしよう。なんでも言うこと聞くチケット百枚とかで手を打ちませんか? 本当に心の底から申し訳ございませんでした。

 

 

 

 

 電車に揺られること数十分。

 タマモクロスと俺は無事に府中へ到着し、いよいよトレセン学園の校門前までやって来た。ド緊張♡

 ここへ訪れた理由はただ一つ。

 サンデー、という名前のウマ娘に会うためだ。

 

「……あれ? タマモさん……?」

「おっ、ライス。ちょうどよかったわ」

 

 さりげなく敷地内へ入っていくと、長い前髪で片目が隠れたウマ娘がベンチに座っている姿を発見した。今の会話からして二人は知り合いなのだろう。

 にしても美人な黒髪のウマ娘だこと。ぐふふ、あそぼーよ! 保健体育ごっこ。

 

「タマモさん、この前帰省したんじゃ……」

「あー……ちといろいろあってな。ライスこそまだトレセンに残ってたんか」

「えと、まだこっちでやらなきゃいけない事があって。とはいえ学園は出なきゃだから、ついさっきまで急いで荷物を詰めてたんです。寮はそろそろ閉まるらしいし……他のみんなも今日中には出るんじゃないかな……?」

 

 この時期にトレセンに残っている生徒のほうが珍しいようで、周囲を見渡してもあまり人影は見当たらない。

 どうやら本当にマジのガチでギリギリだったようだ。

 サンデーというウマ娘の話を聞くには今日しかチャンスがないらしい。

 

「そかそか。……ふう、とにかく人がいる時間には間に合ったみたいで何よりや」

「……? ──ッ! え、ぁ、たっ、タマモさん、その男の子は……?」

 

 仮称ライスさんが目線を下に向けたことでようやく俺に気づいてくれた。学校に弟を連れてくることなんてそうそう無いせいか、姿は認識されていたがタマモクロスの連れだとは思われていなかったようだ。

 連れですよ。ええ。姉弟とも言うかも。

 

「あぁ、この子はハズキ君っていうんや。ええと……親戚の子とでも言うべきか……とりあえずワケあって今はウチが預かっとる」

「──は、葉月(ハヅキ)、くん……?」

 

 少し怪訝な表情になったライスは膝を折ってしゃがみ込み、小さい俺と目線を合わせてくれた。

 

「……」

 

 きゃあ! やたら美人な上に顔が近い。もしかしなくても興奮してるんだよな? 正体見たり枯れ尾花。ボクのお姉ちゃんになりたいのなら構わないけど……。

 

「……葉月くん……っていうんだ」

 

 吸い込まれるような瞳、和をもって良しとなす。よーしどうやら洗脳は完了したようだな。

 

「…………」

「ら、ライス? どないしたん……?」

「……え? ──あっ! えっ、えとえと、ごめんなさい! しょしょ初対面なのに急に見つめちゃってごめんなさいぃ……っ!」

 

 ショタショタだから見惚れちゃって? まったくしょうがない仔猫ちゃんだ。あなたならいくら見つめたり何度触ったりしてもオッケーです。ライスお代わり自由。ライスお触り自由。

 

「平気か、ライス……?」

「は、はい。……その、好きな人にちょっと似てるなぁと思って、つい……」

「えっ……」

「──っ!? ぁっ、いや、今のはちち違うの! ごめんなさい失礼なこと言って!! ぁ、あぅ~~……!」

 

 とんでもない焦燥だ。そんなに彼女の心を掻き乱す存在と似ているのだろうか、俺は。

 

 というか、もしかして普通にライスが高校生の俺と関係のある人物だったりしない? 

 しかしそうなると彼女が好意を寄せている相手が俺ということになるが──それはちょっと天文学的な確率……♡

 完全に無いわけではないが限りなくあり得ない。イメージとしては宝くじの一等くらいだ。辛くなってきた。

 

「あー……その、とりあえずハズキ君のことは一旦置いといて。悪いんやけどライス、ちょっと聞きたいことがあるんや」

「き、聞きたいこと?」

 

 ようやく本題に入れたようだ。長く険しい道のりだった。

 

「うん、サンデーって名前のウマ娘に心当たりないか? 似てる名前ってだけでもええんやけど……」

「サンデー、さん……? ──あっ」

 

 ママお姉ちゃんママの質問を受けたライスは少し考える素振りを見せたあと、思いついたように耳がピクンと揺れ動いた。そういうシステムなんだそのデカ耳。

 

「えと、マヤノちゃんといつも一緒にいる子がそんな名前だったような……」

「ホンマか! マヤノ……マヤノトップガンやったか?」

「うん。さっき見かけたからまだ学園内にいると思うよ」

「よっしゃ、ついとるで……! トレセンを出る前に探さな!」

「ぁあの、ライスもマヤノちゃん探すの手伝います……!」

「いや、顔は分かるしマヤノはウチが爆速で見つけてくるから、その間ライスはハズキ君と一緒にいたってや! 頼むでーッ!」

 

 ……と、そんな流れで俺は黒髪の少女と二人きりにされ、お姉ちゃんの帰りを待つことになったのであった。

 

 ちなみにこの少女の名前はライスシャワーと言うらしい。

 なんとなく懐かしい響きな気がする。

 会話する度に()むその様子から、何となくおむライスとも呼びたくなった。普通に失礼なのでやめておいた。

 

「……行方不明?」

 

 そしてタマモクロスを待つ間にもう少々の会話を試みたところ、件の()()()()について聞いた辺りで物騒なワードが飛び出してきた。

 

「う、うん。クリスマスイブの夕方くらいから……それで、名前が秋川葉月さんって言うから、あなたの名前にもつい反応しちゃって……ごめんね」

「いえ、それは全然……」

 

 葉月。

 秋川葉月。

 うん。

 

「あの、ライスさん。その人の顔がわかる写真とかあったりしませんか」

「写真? えぇっと……あ、これとかハッキリ写ってるかも。他校の合同イベントのお手伝いに行ったときに最後に撮った集合写真。……あ、この人だよ」

 

 ライスシャワーが指差した箇所には眼鏡をかけた太っちょなお兄さんの姿があり、その隣に……こう、特にこれといった特徴がない普通の男子が立っていた。

 強いて言えば前髪にほんの少しだけ白髪が混じってるように見えるくらいで、マジで痩せ型の男子高校生としか表現できない人物だ。

 

「……探してるの。すごく大切な人だから」

 

 ライスシャワーは子供の俺がいる手前小さな笑顔こそ崩しはしないが、その表情には確かな陰りが見えた。

 こんな美少女に好かれているにもかかわらず行方不明とはどういう了見なんだ。無事を願うのは当然として、もし真相が家出とかだったらマジで許せん。

 

「そうなんだ……秋川葉月さん……」 

 

 ジッ、と写真を見つめる。

 

「秋川、葉月…………()()()……」

 

 ──ん?

 

「あれ……」

 

 一回待って。

 ちょっと待って。

 冷静に俯瞰して考えて、自分の顔立ちも思い出して。

 

 ──この写真に写ってる男子、俺じゃね……?

 

「おっと……」

 

 頭を抱えそうになった。

 判明した。

 これはおぼろげな記憶云々の話ではなく──確信だ。

 

 いや、普通に俺だなコレ……。

 

 元の高校生の姿の自分で間違いないだろう。

 山田ハズキじゃなくて秋川葉月だよ俺。ハズキじゃなくてハヅキです。ねばっこい真実が写真全体にプロットされてるぞ。これは正規情報だな。

 

 なんか都合よく連鎖的に他の記憶が戻ったとかではないものの、俺の元の姿がこの男であることは間違いない確信として心に刻まれた。

 そもそも鏡やらなんやらで結局は人生で一番目にした機会が多い顔なのだ。きっかけさえあれば名前も顔も思い出せるのは当然と言える。お前が俺で俺がお前。

 

 ……ということはつまり、記憶を失っていない時代の俺は……どうやらこのライスシャワーから異性として好意を抱かれていたようだ。

 

 ──大事件じゃねえか。

 さっき『好きな人』とか『大切な人』ってめっちゃハッキリ言ってたよな? こんな美人なのに俺なんぞを愛しているだなんて正気の沙汰ではないぜ。僕だけのヴィーナス♡ 

 

「で、でも、絶対に見つけるよ! 年末年始はウオッカちゃんと一緒に、マックイーンさんのお屋敷に泊まらせてもらうんだ。こっちにいないと探せないから──あっ」

「……?」

「あのっ、ご、ごめんね。こんな、話さなくていいことまで……」

 

 気持ちが先行してこれからの予定を無関係な子供に話してしまったと考えてるらしいが気にしなくていいよ。探してる本人が俺だからね。正体を隠してて誠に申し訳ございません。

 

「おーいライスとハズキ君! お待たせーっ!」

 

 ライスシャワーにどんな言葉を伝えてやればいいのか分からずしどろもどろになっていると、ちょうどいいタイミングでタマモクロスが戻ってきた。時節が良すぎ。愛するお姉ちゃんお下品だよ。イけ!

 

「ふうっ、うし……連れてきたで。ほらマーベラス()()()()、この子がアンタんこと探しとった子や」

「この子が! そうなんだ~!」

「ど、どうも──」

 

 ついにサンデーという名を冠するウマ娘とご対面ということで、ベンチから降りて彼女の方を向いた。

 向いた。

 そう、向けた。

 顔を、すぐ近くまで来ていたその少女の方へ向けた。

 

「マッ?」

 

 そして──ぽよん、と事故った。

 

「……?」

「アハハっ☆ お顔がアタシのおっぱいに当たっちゃった! ごめんね!」

 

 ……。

 

「……?」

 

 ──ッ?  

 え、いま事故った?

 俺がショタ体型だから中高生のその少女よりも身長が低いのは当然として、何にぶつかって事故った?

 さっきこのウマ娘、アタシのおっぱいに当たっちゃったって言ったか?

 

 ……………………ェっあぇっア゛!!?!?

 

「ごめんなさい!!!!!!!!」

「え? ぶつかっちゃったのはこっち……でもすぐに謝れてマーベラス☆ 気にしないでね!」

「ぁあっはっはい」

 

 取り乱しつつも全力で謝り倒すべく土下座しようとした瞬間、それを察知したのかはたまた別の思惑があったのか、とにかく俺の顔にデカすぎる乳でダイレクトアタックをかましたその少女は俺の両肩を掴んで土下座を阻止した。恐ろしく速い。

 

 ──デカ乳デカ乳デカ乳デカ乳デカ乳。

 

 何だコレは、何なのだコレは。あまりにもあまりにもあまりにも違法建築が過ぎるだろ。猛き神よ鎮まりたまえ……!

 

「っ? どうしたのかな、緊張してる? 大丈夫だよ、マーベラスだから☆」

 

 ちょっと何を言ってるのか分からないがその比較的小柄な体躯とはアンバランスなデカデカ乳房が目の前で揺れている事だけは疑いようのない真実であった。ぐぅ、この乳が触れたことへの無頓着さと違法な大きさの乳、トレセンでは犯罪ではないんですか?

 

「え、えと、あの……オレ、あき──っ山田ハズキって言います……」

「アタシはマーベラスサンデーだよ☆ まさかトレセンにまで会いに来てくれるなんてとってもマーベラス! そんなマーベラスなファンの子にはマーベラス抱擁っ☆」

「ぐぁっ…………!!!」

 

 俺を熱心なファンだと勘違いしたマーベラスサンデーが正面から抱きしめてその胸の谷間に俺を挟み込みやがったわけですが解説のタマモクロスさん、どう思われますか。世の中を甘くみちょるな? なるほどそういうことか……そうだったのか……。

 

「そうだプレゼント! 何かあったかなぁ……あっ、さっき買った変なお茶をあげるっ☆」

 

 そのまま抱きしめながらズボンの後ろポケットに未開封のペットボトルを差し込んできた。うれしい♡ 変態もいい加減にしろといったところ。

 

「むぐゥ゛……」

「は、ハズキ君? 探してたのホンマにこの子で合っとるんか……?」

「ちっちがう気がする……」

 

 絶対に違う。体重かけたハグ気持ちいい……ッ! 体重かけんな!

 なんか心の底でこういう展開を望んでいたような気もするが、それはそれとして俺の記憶の奥底で垣間見た存在とは全く異なると、本能が強く警告している。

 サンデー……確かにサンデーなのだが、たぶんちょっとどころではない不一致度だ。

 この乳のデカさはもはやマーベラスサンデーではなくキャプテン・マーベラスである。派手にイグっ♡

 

「そ、その、体型で言うとタマモお姉ちゃんくらいで……もう少し身長が高かったような……」

「マ?」

 

 はい、マです。百億パーセントこの少女ではない。

 

「でも大ファンです。大好きです」

「なんて真っすぐな目! とってもマーベラスな男の子だね☆」

 

 驚異の……胸囲の侵略者にようやっと解放され肩で息をする。

 これと言って確証のある情報ではないため、現在進行形で周囲を振り回している可能性も大いにあるが、俺の記憶の残りカスを言語化できるのもまた俺しかいないので、もし間違っていても出せる情報は出しておかなければならないのだ。出せっ♡ 出せっ♡

 

「た、タマモさん。そういえばマヤノちゃんは……?」

 

 割って入るライスシャワー。正直助かる。

 

「あぁ、部屋で荷造りしとったで。マベちん、途中まで一緒に新幹線で帰るんだー、って」

「マヤノっ! そうだマヤノと帰らなきゃ! それじゃあキミ、今度はレース場で会おうね! マーベラース☆」

 

 そんなこんなで申し訳ないことにサンデー違いだったマーベラスサンデーは気にする様子もなくその場を去り、まもなく友人と思われるウマ娘と一緒に学園を出ていった。

 

「ご、ごめんおねえちゃん。せっかく呼んできてもらったのに……」

「マーベラスも気にしてへん様子やったし、全然。……にしても、薄い体型の子か……」

 

 言い方はちょっとアレだが概ねそんな感じです。

 割と可能性が高かった学園のサンデーさんはマーベラスサンデーで、しかし目的の少女の外見的特徴は思い出せた──なんだか一歩前進したんだか振り出しに戻ったんだかよく分からない状況だ。これからどうしようか。

 ……ん?

 

「お待たせっす、ライス先輩! 荷造り終わったんで早速マックイーンの屋敷に──あれ、タマモクロス先輩?」

「ん……おぉ、ウオッカか」

 

 校舎からライスシャワーと同じく前髪で片目が隠れたウマ娘が出てきた。

 黒い髪のその少女は大きなボストンバッグを片手に俺たちのそばまで駆け寄ってきて、そこでようやっとタマモクロスの存在に気がついたらしい。

 

「なんや珍しい組み合わせやな。ウオッカは年末年始、ライスとお泊り会を?」

「あはは、そんな平和なモンではないっすけど……今年はこっちに残ります。やらなきゃならないことがあるんで」

 

 努めて明るい表情で話しているが、その目はどこか覚悟が決まったような力強さを湛えている。

 そういえば先ほどライスシャワーと話した時、この少女と共にマックイーンというウマ娘の自宅を拠点にして、件の男子高校生俺くんを探すと言っていた。

 

 ここまで多くの人を巻き込んでしまって申し訳ない気持ちがある──その反面、どうして俺がそこまで周囲に探されているのかが分からない。

 記憶がある時の俺、マジで何をしていたんだろうか。

 何がどうなったらトレセン学園とかいう名門のエリートウマ娘たちが直々に俺を探そうとするんだ。激ヤバな恨みとか買ってました?

 

 ……ライスシャワーの件といい、もしかするとこのウオッカという少女からも、少なからず特別な感情を向けられているという可能性も無くはない。

 知りたい。

 以前の俺はどんな人間だったんだ。

 いや、まぁ根っこは今の俺とそう変わりはしないのだろうが、どういう道筋を辿ればこんなスゴい人物たちに影響を与えつつ記憶喪失になってショタ化するというのだ。ルート選択でふざけすぎ。

 

「……ハズキ君、さっき言うとった身体的特徴はウオッカにも当てはまると思うけど……」

 

 タマモクロスがコショコショと耳元で囁いてきた。お耳がふやけちゃう。

 

「えと、もう少し髪が白っぽかった気がして……」

「白っぽい……明るい髪か……」

 

 なんとか段階を踏んで少しずつ思い出してはいるのだが、やはり顔が出てくる気配は感じられない。

 こう、例えるなら忘れてしまった単語が喉元まで出かかってる感じだ。あと少しで思い出せそうなのだがその一歩がどうしても足りない、という感じでございます。

 

「うーん……明るい髪っちゅーと……あの子くらいか?」

「えっ」

 

 タマモクロスが遠くへ視線を向け、釣られて俺もそちらの方を向いた。

 見た先にあったのはトレセン学園の正門だ。

 

 ──そこには二人のウマ娘が話し合っている姿があった。

 

 

「それじゃあマックイーン、また明日の夕方頃よろしく頼むわね」

「……ええ、それはもちろんですわ。けれど……」

「ん、どうしたの?」

 

 タマモクロスと同じでいわゆる芦毛に該当するウマ娘が浮かない表情をしている。

 そして、もう一人。

 

「……スズカさんあなた、流石に無理をし過ぎているのではなくて?」

「っ!」

「いつもの凛々しいあなたを知っている身からすれば、目元の疲労が隠しきれていない事など一目瞭然です。スズカさんの立場は理解しているつもりですけれど……トレーナーさんに掛け合って、一日くらいは休息を──」

「……気持ちは嬉しいけど、私は有を制したウマ娘だから……そんなことできないわ」

 

 わおわお! 驚異的ワオの一言。あそこにいるのは、はい、どう見てもサイレンススズカです……♡ 合宿免許なら最短二週間で童貞卒業可能。

 まさか大阪の巨大スクリーンで目にしたあの今年最強のウマ娘が、あんな目と鼻の先にいるだなんて信じられない。お姉ちゃんもそう思うよね? スペスペぇ~ッ!

 

「私が追い越したウマ娘も……これから有を目指す後輩や子供たちも、私の一挙手一投足を有に勝ったウマ娘のものとして認識することになる。だから弱いところなんて見せられないの。私は……サイレンススズカだから」

「で、ですが……っ」

 

 どうやら大事な話をしてるっぽいので急速接近はご法度らしい。

 しかしお姉ちゃんを含めた俺たち四人は彼女らに声をかけるつもりで既に近づいてしまっていたため、咄嗟に外壁の陰に隠れたものの会話自体は丸聞こえだ。

 

「テレビやラジオには出るわ。雑誌のインタビューにだって答えるし……一般の人に写真や握手を求められたら、望まれたように笑顔で振る舞う。嬉しいのは本当だしね。……そうあることが、サイレンススズカとしてきっと正しいのよ」

「……正しいか間違っているかだなんて話ではありません。もしそれでスズカさんが倒れてしまったら──」

 

 そう言いかけたその瞬間、一陣の風が吹き、栗毛の少女の前髪を揺らした。

 

「倒れないわ。何があっても」

 

 そうして見えたのはどこか悲し気な、憂いを帯びた笑みであった。うひょ~なんだそれ♡ 美人でイケズな女。しかし瞳の中に光がない! これは早急に喜びを与えなければコトだな。

 

()が命を賭して守ってくれたあのレースを制したのだから、倒れることなんて許されるはずがない」

「い、命……?」

「……そういう責任が私にはあるの。……それこそ、籠ってしまったカフェさんの分まで」

「ですが、スズカさん……」

「ごめんなさい、マックイーン。夜遅くまで彼の捜索を手伝ってくれているのに、ドーベルのことまで任せてしまって。……でも今のドーベルにはあなたのような強いウマ娘がそばにいてあげないと」

「──んもうっ、わかりました、分かりましたから! ……はぁ」

 

 ともすれば闇落ちしているようにも見える少女の言葉を遮り、一度困ったように額に手を当てる芦毛のウマ娘。

 そして少々の逡巡を挟んだのち、彼女は目を開き真剣な表情でサイレンススズカと向き直った。キリっとしたお顔が素敵。

 

「……余計なことはもう言いませんわ。けれど、せめて睡眠はしっかりとってください。とりあえず明日の捜索は私たちだけで行いますので、スズカさんはいらっしゃらないでくださいまし。……明日のその時間くらいは休養にあててくださいね」

「えっ、でもマックイーン」

「い・い・で・す・わ・ね?」

「……え、えぇ。わかったわ……」

 

 芦毛の少女による鬼気迫る説得が功を奏したのか、翌日の予定程度であれば多少の融通が利くようになったらしく、サイレンススズカは観念して『それじゃあまた明後日……』と呟いてその場を離れていった。うぅっ論破! 論破です!

 

 あの芦毛のウマ娘──相手を慮り、自分が嫌われる可能性も加味した上で、それでも折衷案を意見し納得させるとは、なかなかに強かな少女だ。

 マックイーンというらしいが、彼女がライスシャワーとウオッカの宿泊場所の提供者……それから先ほどの会話から鑑みて、あの少女も高校生の俺を探してくれている内の一人として見て間違いないだろう。

 

 ……もしかすると警察まで動いているかもしれないし、マジめっちゃ早急に元に戻らないと大変なことになるな。悪辣で非常識。

 

「ふう……捜索を続けても手がかりは見つかりませんし、どうしたものか……──あら、タマモクロスさん?」

「おうマックイーン。なんか悪いな、大変そうなときに」

「いえ、お気になさらず。多忙なんて今に始まったことではありませんから。……ところで、この男の子は?」

 

 ようやく一人になった仮称マックイーンさんの元へ赴くと、意外にも彼女はすぐさま俺の存在に気がつき、しゃがんで目線を合わせてくれた。

 

「ウチがいま預かってる子や」

「ど、どうも初めまして……」

「なるほど……ふふ、礼儀正しい子ですわね。私はメジロマックイーンと申します。あなたは?」

「山田ハズキです」

「……そう、ハズキさんですか。良いお名前」

 

 ふわりと柔らかい笑みを浮かべて俺の頭を撫でるメジロマックイーン。この距離感なら男もみんな発情することでしょう。

 

「ところで、すまんマックイーン。ちょっと聞きたいんやけど……サンデーって名前のウマ娘に心当たりとかないか? マーベラスサンデーのことではなくて……」

「サンデー……さん?」

 

 もう学園内にも生徒はほとんど残っておらず、トレセンでサンデーのことを聞けるとしたらこのメジロマックイーンが最後になる。ここで少しでも手掛かりが掴めればいいのだが。

 

「……あ。ドーベルが以前、そんな名前をカフェさんとの会話の中であげていたような……?」

 

 ビビるほどとんでもない巡り合い。果てしない運命力。しかし奇跡はグイグイと引き寄せるものだ。えっさこらさ。

 

「ほ、ほんまか! よう覚えとるな……」

「ちゃんと名前があっているかは分かりませんけれど。それで、その方がどうかされたのですか?」

「あぁえっとな、それは──うぅん……なんて言ったらええんやろか……」

 

 タマモクロスが少し言葉に詰まったその時、俺は彼女の袖を引いて首を横に振った。

 

「おねえちゃん、オレから話すよ」

「ん……自分でちゃんと話せる?」

「うん、だいじょうぶ」

 

 心配してくれるのはイクほど嬉しいが俺を誰だと思っていやがる。おじさんがここまで培った老獪な手練手管舐めるな。このような小娘一捻りじゃわい。

 

「メジロマックイーンさん。初対面なのにいきなり、不躾なお願いになってしまって申しわけないんですけど……ドーベルさん、という方に会わせていただけませんか」

「ドーベルを……あなたに?」

 

 この府中に戻ってきてから一番可能性のある道が見えたのだ。ここを進まない理由は無い。

 もちろんかなり無茶な要求をしているのは重々承知だが、ここはタマモクロスの連れという位置エネルギーと、俺自身の話術を信じる。

 

「はい。オレはいまサンデーというウマ娘を探してるんですけど……どうしても彼女に会わないといけない理由があるんです」

「……そのサンデーさんとあなたはどういった関係で?」

 

 えへへ、わかんねえだろ。俺も分かんない。

 しかし適当な理由をでっちあげてでもメジロマックイーンをこの場で納得させないと完全な手詰まりに陥ってしまうのだ。めっちゃ頑張って納得させないと。俺の意思表明を心ゆくまでご堪能ください♡

 

「た、大切な人なんです。家族や友人ではない……と思うんですけど、もう一人の自分と言っていいくらいの相手と言いますか……」

「……?」

 

 勢いに任せて言いたい事から口にしていたら、なんか説明が要領を得なくなってきた。どうしよどうしよ。

 

「──記憶喪失なんや、ハズキ君」

「えっ?」

 

 なんとそこで助け船を出してくれたのは偉大なるトレセンに輝く我らが大お姉ちゃんであった。

 

「そのサンデーって子がハズキ君の中では、正確に覚えてる数少ない身内の名前でな。警察の人らに頼っても見つからんかったから、もう自分の足で手掛かりを探すしかないのが現状……ってとこ」

「なる、ほど。そんな事情が……」

 

 適度にウソも交えつつ状況を簡潔に伝えきるとかあまりにもフォローが完璧すぎる。ちょっと真剣にあなたとの子供が欲しくなってまいりました。子育ては雑誌とか参考にしてしっかり頑張ります♡ タマモクロス・ヒヨコクロス・コッコクロス。

 俺も喋らなきゃ……。

 

「あの、そういうわけでドーベルさんにお会いして、少しでもいいので話を伺いたいんです」

「……そちらの事情は把握いたしましたわ。……ですが、今のドーベルもいろいろあって少々不安定な状態なのです」

 

 そう言ったマックイーンの眉間には皺が寄っている。どうやら現時点でドーベルという少女は、こちらの想像以上にメンタルがやられてしまっているようだ。一体何があったのだろうか。

 

「ですから見知らぬ相手との応対は、少なくとも今は難しいかと。あなたの記憶のことは心中お察しいたします……しかし、私もメジロのウマ娘として、同輩の彼女の負担になるようなことは認められません。現在のドーベルには……とても余裕が無いのです」

「……そ、そうですか。……ごめんなさい」

 

 彼女の言葉の内容からして、今すぐドーベルという少女とコンタクトを取るのは不可能なようだ。遂に行動に対してストップがかかってしまった。

 ……考えてみると、逆にここへ至るまでの道のりが順調すぎたのかもしれない。現在の俺は誰とも知り合いではないよく分からんショタなわけで、普通はこんな感じで待ったをかけられて然るべき立場なのだ。

 

 

 ──いや、ちょっと待て。

 

 まず一回落ち着いて思考をフル回転させろ。レシプロエンジン。ぶるるんるん♡ 

 いい加減この記憶喪失の状態に振り回されるのもうんざりなのだ。いまさら常識を突き付けられてストップしている場合ではないだろう。

 

 いいから考えろ。

 今さっきサイレンススズカとメジロマックイーンがしていた会話の内容を思い出せ。

 

 あの時、二人は誰かを捜索している旨の発言を繰り返していた。

 二人とも『彼』とか『あの人』だとか言って固有名詞は口にしていなかったが、いざ俯瞰して考察してみればソレが誰なのかはハッキリくっきり丸わかり♡ ではないのか。

 

 一つ、ライスシャワーは秋川葉月を大切な人だと発言し、府中に残ってウオッカと共に彼を探すつもりだと口にしていた。

 そしてもう一つ、ウオッカとライスシャワーはこれからマックイーンの屋敷を拠点にして活動するつもりだった。

 

 その上述の二人と協力しているメジロマックイーンが『捜索』している対象が、まさかそれとは別の相手だなんてことは冷静に考えてありえないだろう。

 一緒だ。

 つまりマックちゃんが探している存在とは、俺のことだ。

 

 

 ということは、サイレンススズカが寝不足気味で目元の疲労が見て分かる状態になるまで必死になって探している相手も──ようするに俺ということだ。

 

 

 ……はーい一回落ち着いてハズキ君♡ おい動揺するな! 風情がない。ショタ化してからずっと懊悩ばかりですよホント♡

 うるち米。

 そうだな、いま判明している状況証拠で考察すれば確かに、記憶を失う前の俺ってなぜかエリート中のエリートである中央トレセン学園のウマ娘たちが直々に探そうとするほど、その存在を求められている謎の男子ってことになるが……もうわかった。一旦それで納得しよう。

 

 そうなんだろう。

 まぁ信じ難いことではあるが、きっと俺はそうなるに値するだけのルートを進んできた男だったのだ。

 今年一番のウマ娘であるサイレンススズカにすら探されているようだが、とりあえず納得しておこう。

 

 俺はこの少女たちに必要とされている。

 なんかそういう感じの立場なんだ。ウマ娘たちの関心を一手に引き受ける、王の器を持つ男なのだ。え、ホント? いやホントだ! 無理を通せば道理が引っ込むというもの。エキセントリック。

 

 だから──俺はもう二度と自分を疑わない。

 いっそ俺は俺を信じて、この場で俺自身を武器にする。いつだって切り札は自分自身なんだ。負けないお~♡

 

「あなたも大変なのに……ごめんなさいハズキさん。彼女の心身が良くなった以降であれば、私からドーベルに聞いておきますので。連絡先もタマモクロスさんに渡しておきます」

「……あの、マックイーンさん」

 

 そうして話を切り上げて立ち上がった芦毛の少女に対して、今度はこちらが彼女を見上げて眦を決した。

 

「……申し訳ありませんが、ドーベルのことは今は」

「秋川葉月さんのこと、オレも少しだけ知ってます」

「──ッ!?」

 

 申し訳なさそうな顔で話を切ろうとしたマックイーンに対して、俺は自分が持ちうる最大限の情報量で彼女に待ったをかけた。

 

 秋川葉月、という単語はこの場において一度も使われていない。さっきのマックイーンとサイレンススズカの会話の中でも同様だ。出てきたのは俺とおむライスが二人きりだったときのみ。

 なのでこのワードはこの状況において、何も状況を知る筈のない俺の口から出るからこそ最大限の火力を発揮する、俺が唯一無二の武器として使えるキーワードなのだ。

 

「そ、それはどういう……っ?」

 

 そして予想通り、マックイーンは狼狽してくれた。近くにいるウオッカやライスシャワーも同様だ。

 ママクロスママお姉ちゃんだけは、一度目を見開いて以降は静かに俺を見守ってくれているが、あれはこの場は俺自身に任せるという意思表示だろう。安心して身を任せて♡ 今日は健康診断を兼ねて検査もしていきますね。

 

「いまも記憶喪失ではあるんですけど……府中に戻ってきて、こうしてマックイーンさんの前に立ってから、少しだけ思い出したことがあるんです。オレは秋川葉月さんを知ってる、って」

「……例えばどのようなことを……?」

 

 おっちょっと興奮気味かな? えっちだね。

 

「ご、合同イベントのとき……」

「っ!」

 

 そんな一瞬でも記憶が蘇るはずもなく、なんとかライスシャワーから得た情報でやり繰りするしかないわけだが……まぁ当たって砕けろだ。

 ミスったらその時はその時。

 応用力とハッタリで上手くこの場を切り抜け、マックイーンを納得させられるかどうかでこの先の難易度が大きく変わってくるのだ。恐れている場合ではないぜ。ミミズ千匹モグラは百匹。

 

「マックイーンさんと一緒に問題を解決したんですよね……?」

「……発表の順番で揉めていらした演劇部と映画研究部の皆さんを仲裁した、アレですか」

 

 それっぽいこと言ったらヒットした! ボーナス確定。

 ここは失敗を恐れず追撃あるのみだ。

 

 ライスシャワーからの情報以外で言えば、今の俺が確信として持っている過去はこのトレセンについてだ。

 明らかに内部の者としか思えない知識があること自体は、大阪にいた昨日の時点でしっかり思い出していた。

 

 それからマックイーン本人も俺を探そうとしている点から、少なくない交流もあったと考えられる──ので、ここは無関係な他校の男子ではなく割と仲良しさんだったトレセンの関係者だった、という前提で攻めていこう。この冴えわたる意識の高さ、アンナプルナ。選択と集中!

 

「そ、それからトレセン学園内でもマックイーンさんに助けられた」

「……ずぶ濡れで倒れていた秋川さんを見つけて、自室へ匿った話ですか?」

「そうです」

 

 知らんけど。

 

「あ、あと、入院したときもマックイーンさんが……」

「……商店街で倒れていらっしゃったときは、確かに私が救急車を呼びましたわね。後日病室にも伺った……」

 

 うまくハマってくれたようだ。俺の機転には毎度驚かされるばかりだよ。エステティシャンになれるかも……♡

 ちなみに『入院』という、下手したら無かったかもしれないイベントをそれでも口にしたのは、そもそも敵っぽいナニカと闘って(?)ショタ化するまでボロ雑巾になった自分のことだから、きっと何回かは入院していてもおかしくないだろうと考えての発言だ。

 

 そこにマックちゃんが居たかどうかは賭けだったが、彼女が自ら過去をすり合わせてくれたおかげで、フワフワな発言が実際の過去と合致してくれた。これは嬉しすぎる誤算だ。落ち着いてアクメしていきましょうね。

 

「……その、つまりオレは秋川葉月さんからそういう話をたくさん聞かされるほど、身近な存在だった……っていうことだと思うんです」

「なるほど……それは、確かにそうかもしれません。……今の情報からして、少なくとも無関係な存在ではありませんわね」

 

 まあ身近な存在というか本人なのだが。本人なのでハッタリも一部真実として曲解できるぜ。 

 

「それで、あの人が『もし俺が姿を消したらその時は』……って、何かオレに言い残していた気もするんです。その中にマックイーンさんと……ドーベルさんの名前があったような……?」

「……っ!!」

 

 いまのは全部ウソです。ドーベルに近づく理由を付けつつ、マックイーンの関心も引けるよう彼女の名前も入れといた。コレも全てはかつての自分を取り戻すため……ゆるして……。

 

「そ、それはどんな内容なのですか!? 秋川さんは私とドーベルに何を……っ!?」

「あわっ」

 

 咄嗟に両肩を掴んで迫るメジロマックイーン。焦るな! 急いては事を仕損じる。もうちょっと淑やかにアクメしてくださいね。

 

「えと、それを思い出せなくて……だから、ドーベルさんにお会いできればその内容も出てくるかなって。そこで彼女からサンデーさんの話も聞けたら、秋川葉月さんを見つける手掛かりも思い出せるかなって……」

 

 ちょっとデタラメなことばかり言っているが、サンデーを知っている『かもしれない』ドーベルという少女に会えれば記憶が戻る『かもしれない』、というのは本当の話だ。仮定ばっかでイヤになってくるが。

 なんにしても記憶が帰ってくれば元に戻る方法も自ずと分かるはずなのだ。

 だからウソでもなんでも言いまくって状況を好転させないと。

 そもそも俺がショタのままだから、周囲にいるこの少女たちを困らせているワケなのだし、彼女たちの為にも大人の身体に戻るのは急務なのだ。すすめ~! ユニーッ。

 

「……あなたが、秋川さんへ繋がる手掛かり……」

 

 了承するって言ってください。言え! まちがえたイけ! ゆっくりイこうね♡ 焦らなくていいよ。

 

「ど、どうですか」

「……」

「あの……」

「…………分かりましたわ、ハズキさん」

「っ!」

 

 須臾にして腹を決めたメジロマックイーンは再び膝を折り、また俺と目線を合わせてくれた。攻略完了! スタンプブチュチュンパキッスも忘れるな。

 

「ドーベルは確かに……今は難しい精神状態です。……ですがハズキさんもまた、記憶喪失で自らを模索し続けていて、とても辛い状況に身を置いている──その事をしっかりと考えていませんでした。申し訳ございません、ハズキさん。私が浅慮でしたわ」

「そっ、イヤあの……ご、ごめんなさい。どうかあやまらないでください、マックイーンさん。記憶喪失なのは百億パーセントこっちが悪いので……ほんとごめんなさい……」

「……っ!?」

 

 もう腰から綺麗に折り曲げて頭を下げた。この一段階下までいくと土下座になることはみなさんご存じですね。

 

「えっぁ、あの、そこまで謝らないでくださいまし……! こんな、小さな男の子にここまで謝罪させてしまっては……!」

「ハハ、すまんなマックイーン。ハズキ君はこういう子なんや」

「……とても小学生くらいの男の子とは思えませんわ……」

「まぁ、せやな。ウチもそう思う。……ほらハズキ君、マックイーンもええって言うとるし顔上げて」

「わっ」

 

 お姉ちゃん姉お姉ちゃんによって半強制的に上半身を起こされた。

 ──とりあえずは上手くいった、という認識で合ってるのだろうか。

 

「あー……わりぃマックイーン、もう話は終わったのか?」

「え、えぇ。お待たせしてすいません、ウオッカ」

「いや俺はいいけど……それにしても」

 

 きゃあ! お顔がまた近い。

 今度は後方でジッと話を聞いていた黒髪ウマ娘二人組が俺の近くへやってきた。ウオッカとライス。チップとデール。

 

「秋川先輩の知り合いだったのか、お前……」

「もしかしてお兄さんの……弟さん、とかなのかな?」

「おぉ、言われてみれば確かに顔立ちが似ているような……」

 

 ちょっとそれ以上近づかないで! 動くと検査が長引くよ。良い匂いを漂わせおって淫猥な小娘め。

 

「はいはい、ウオッカとライスもその辺にしとき。何にせよまず移動せんと。トレセンはもう閉まるんやろ?」

「あ、そういえばそうっすね。校門前で警備さんが手ぇ振ってるし、敷地内にいるウマ娘も俺たちだけみたいだし急がねーと」

「ま、マックイーンさん。今日はこのままお屋敷へ向かうの……?」

「……いえ、時間も時間ですしひとまず昼食にいたしましょう。タマモクロスさんは……」

「ウチも行くで。ハズキ君のそばにおるって約束もあるしな。ほな、あそこのファミレスにでも行こか!」

 

 ──と、そんなこんなでタママモクロス姉と共に、ライスシャワー・ウオッカ・メジロマックイーンのめちゃ美少女パーティに合流した俺は、いろいろ頭で考えすぎたせいか若干の知恵熱を出してフラフラになりながら、彼女たちに手を繋がれてファミレスへと入店するのであった。若い女のおててあったけェ~♡ おいイくべからずだぞ。

 

 



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ロクでもねえベル 胸を押し付けて殺す気か?

 

 

 なんやかんやあってトレセンのウマ娘の懐に忍び込めた俺であったが、昨日から『記憶喪失の自分』を意識して以降ずっと思考をフル回転させていたため、学園を離れて少女たちに連れられている間は完全に呆けていた。おい! なぜ俺はボロボロに打ち負かされているのだ?

 

「ハズキ君、もう着くで」

「──んうぇっ?」

 

 タマモクロスの声でハッとした。というか目覚めた。

 どうやらめっちゃ普通に寝てしまっていたらしい。

 目の前にはやたらデカい西洋風の屋敷が鎮座しており、肝心の俺はと言うと眠っている間ウオッカにおんぶされていたようだ。髪から甘い匂い……♡

 

「おっ、起きたかハズ坊」

「……ウオッカおねえちゃん、それオレのこと?」

「他に誰がいんだよ。ほれ、おろすぞ」

「う、うん。ここまでありがとう……」

 

 ポケモンみたいなあだ名を付けて距離感が急速接近な変態ウマ娘を普通に恋愛的な意味で好きになりつつ、その背中からおりて正門前に立った。

 ずいぶんと豪奢な雰囲気の屋敷だが──もはや城と表現した方が正しそうな建物だ。

 権威のある人物が住まいにしているからこうなっているのではなく、このあからさまな外観で存在するからこそ意味を持つ場所だと感じた。もはや住居ではないぜ。オレお城の純白ベッドの上での交尾が夢だったんだよな~。

 

「……っ」

「そんなに肩ひじ張らなくても大丈夫ですわよ、ハズキさん。ここはメジロ家のウマ娘が使う寄り合い所のような場所ですから、特に偉い方がいらっしゃるわけではありません」

 

 は? 緊張するだろこれからご挨拶だぞ。娘さんをボクにください。

 この普通の学校の校舎並みにデカい建物ですら別に家じゃないのヤバいなメジロ家。俺が王になったらここをハーレムパーティの拠点とする。

 

「ん、ハズ坊ってば寝起きでフラフラしてんな。手ぇ握るか?」

「あっ、ありがとう、ウオッカおねえちゃん……」

 

 ……先ほど眠って少しだけ回復したが、そもそも自分が子供の身体だという事をもっと自覚した方がいいかもしれない。

 体力の回復速度は人間の体の中でもブッチギリで早い時期の肉体だが、その分エネルギーの消費も激しく疲れやすいのが欠点なのだ。

 子供の身体で無茶をし過ぎると眠くなっていざという時に行動できない恐れがある。

 

「あの、タマモおねえちゃん」

 

 こっそり姉の袖を引いた。それからしゃがんでくれた耳に囁く。ふぅ~っ♡

 

「どないした、ハズキ君」

「えぇと……自分でしゃべれることとかは、なるべく何とかするけど……咄嗟の判断とか、急な移動とかになったら……おねえちゃんに任せていいかな」

「……ん、わかった。ダメそうって思ったらすぐにウチの袖を引き。その場はウチがなんとかしたる」

「う、うん。おねがい」

 

 なんだか保護者というより、丁度いい相棒っぽい対応が板についてきたタマモクロス姉には、自分では対処しきれない緊急時の対応を任せた。ピンチなときは遠慮せず彼女の力を借りよう。今の俺はどうあってもパワー半減のデバフ状態なのだ。エステティシャン失格だよ。

 

 と、そんなこんなで執事っぽい壮年の男性などに出迎えられつつ屋敷の中へ入っていくと、純白のイスとテーブルが置かれた休憩スペースのような場所で、とある人影を発見した。

 

「──ラモーヌさん……?」

「あら、マックイーン。おかえりなさい」

 

 マックちゃんのかわいいお声に反応したのは、椅子に腰かけたその姿から気品な佇まいが一目で感じられる妙齢の婦人だった。

 その雰囲気もさることながら、見た目通りの印象を受ける大人な声に、思わず耳がアクメしそうになる。疲弊しきった心に潤いが戻ってくるようだよ。龍神雷神。

 

「……?」

 

 そこで一つだけ疑問が浮かんだ。

 あそこの女性は大人なのに、どうしてトレセンの制服を身に着けているのだろうか。飲み物をこぼしたりして、替えの服が他になかったのかな。ここは家ではなく寄り合い所のようなものだとマックちゃんが言っていたし、なるほど私服などは常備していないのかもしれない。

 

「うえぇっ! ラモーヌ先輩……っ!?」

「ら、ライス、こんなに間近で見たの初めてかも……」

 

 ウオッカとおむライスの反応からしてどうやら伝説級のめっちゃヤベー先輩なようだ。たぶん数年前に卒業したOGか何かなのだろう。

 

「珍しいですわね……まさかラモーヌさんがいらっしゃっていたとは……」

「おかしな事なんてないでしょう。私もメジロのウマ娘なのだから、ここを利用することくらいあるわよ」

「……この屋敷でラモーヌさんとお会いしたのは、これでようやく三度目程度だと存じますが……」

 

 さらには滅多に顔を出さないスター性をもお持ちであったらしい。生意気な女。いや、大生意気と言ったところか?

 あれだ、いつもは海外とか飛び回ってて一般人なんかは滅多にお目にかかれない超有名人なのかも。

 とはいえその情報すら抜け落ちている今の俺からすれば、彼女もまた一人の一般ウマ娘だ。物怖じする必要はない。孕ませてやる。

 

「それにしてもマックイーン。あなたも友人をここへ連れてくるなんて珍し──あら。タマモクロス……?」

「おうラモーヌ、ちと久しぶりやな。前の模擬レースぶりか」

「ふふっ……光栄ね、あなたほどのウマ娘に名前を覚えて貰えていただなんて」

「あん時ウチに勝っといてよく言うわ……」

「ハナ差だったじゃない。それに二年前はあなたが勝ったわ」

 

 おむライスとウオッカが思わず慄くほどのウマ娘からも一目置かれてるウチのお姉ちゃん、もしかして本当にスーパー最強アスリートだったの? 俺も鼻が高いよ。け、結婚して……ボクの子供産んで……。

 ていうかタマモクロスと走ったってことはほぼ同期かよこの見た目で。チッ、んだよ本当に……美人だね♡ 顔立ちが綺麗。

 

「……?」

 

 そんな自慢のお姉ちゃんと話をしている美人ウマ娘を見ながら、なぜかマックイーンは怪訝な表情に陥っていた。

 

「……あの、ラモーヌさん。……何かあったのですか?」

「──」

 

 マックちゃんにそう聞かれた瞬間、メジロラモーヌの顔が固まった。何か言え。絵画のようだよ。

 

「……どうしてそう思うのかしら」

「いえ、その……単純にいつもより謙虚さが目立つといいますか……正直に申し上げますと、元気が無いように見えまして」

 

 その指摘が図星だったのか、彼女は観念したようにため息を吐き、テーブルに頬杖をついた。

 

「……ハァ。やっぱりあなたは聡い子ね、マックイーン。……ん」

 

 そう言って物憂げな表情になった人妻っぽいウマ娘は、テーブルの上に置いてあった一口サイズのチョコを手に取り口へ運んだ。なにあれ高級そう。俺も食べたいあれ。

 

「……実は数時間前に()()()()と話をしたのよ。使用人からの連絡で『大変な事になっている』とあったものだから、海外から爆速ですっ飛んできたのだけど……」

 

 爆速ですっ飛ぶ、とか砕けた口調も使うんだあの妖艶なラスボスっぽいウマ娘。意外と仲良くなれそう。

 

「ダメね。いつも外にいた私の言葉では、あの子の気持ちに寄り添う事はできなかったみたい。ついさっき“もう放っておいてください”と言って部屋へ戻ってしまったわ」

「っ!? あ、あのドーベルが……?」

 

 マックイーンがなんかすごく意外な反応をしているが、俺には何が何だか分からない。

 そろそろ俺も会話に入ろう。

 もう頭の整理はできたし、十分に休んだ。

 というか、元を辿れば話の話題になっているそのメジロドーベルと話すために、俺はここへやって来たのだ。ボクも混ぜて~♡

 

「あの、どういう……」

「っ? マックイーン、その少年は……」

「あ、えぇと、この子は山田ハズキさんといいまして……ドーベルの一助になると考えて、私の判断で連れてまいりました」

 

 どうも正体不明のショタです。本当は高校生なんですけど! みんなのしょーらいの……旦那? なんですけど!

 

「そう……この子がドーベルの助けに、ね。……大丈夫かしら」

「っ……」

「ふふっ、そう怯えないで。取って食おうだなんて考えてはいないから」

 

 嘘つけ絶対ショタ喰いお姉さんでしょ。そういう雰囲気が如実にあらわれているよ!

 

「それで、このハズキくんはドーベルとどういった関係なの?」

「ラモーヌさんにも少し前に話が届いたかと存じますが……あの秋川葉月さんの関係者です」

「っ!」

 

 あの秋川葉月ってなに。みなさんご存じみたいな言い方やめて恥ずかしすぎる。

 

「……私以外のメジロ家のウマ娘が総出で、入院中の彼のもとへお見舞いに行った、と言っていたわね」

「えっ」

 

 なにがあったらその状況になるんだよ。こんなクソデカ屋敷を休憩スペースぐらいの気持ちで利用するヤバいウマ娘たちを揃って召喚してるのどういう事? 俺もしかして本当に王だったのかな。総てを知ろしめすウマの王者。

 

「まぁ、この際秋川葉月の詳細やあなたについてはこれ以上もう聞かないわ。マックイーンが信じて招待したというのなら私も信じる」

「ど、どうも……ありがとうございます、メジロラモーヌ? さん……」

 

 マジの初対面で得体のしれない子供でしかない俺をそこまで信用してくれるだなんて器が広すぎやしないだろうか。寛大もいい加減にしろといったところ。ね、ラモーヌちゃんキスしよ~よ。

 

「ふふっ、随分と礼節を弁えた男の子ね。私があなたくらいの年齢の頃なんて、言葉遣いよりもまず走ることしか考えていなかったと思うわ。えらい子」

 

 エロい子? オメーのことだろ。俺を惑わせやがって、おちおちアクメもできやしないな……。

 こちらの了解もなく頭を撫でるばかりかショタ特有のもちもちほっぺまで触るとは言語道断。そちらのも触らせないと不平等条約が締結されてしまうぞ。ムッチリリモンチリリ♡

 

「はい、チョコあげる」

 

 棚からぼたもち。

 

「せっかくだから、マックイーンのお友だちもいかが?」

「えっ、俺たちもいいんすか……! ……ど、どうしますライス先輩……」

「たったたぶん遠慮したら逆に失礼なのかも……頂きますっ」

 

 ついでにメカクレ二人組もチョコを貰ったようで、おそらく滅多に食べられないであろうメジロ家御用達の高級チョコを吟味した。

 そして当然のように美味い。

 うまい、のだが。

 ……なんか変な味するな。何の風味だこれ。

 

「ラモーヌさん、ドーベルは今どの部屋に?」

「二階の奥の寝室だったかしら。あそこは鍵もついていないし、完全に閉じこもっているわけではないわ。……もっとも私では説得も──」

 

 俺たちがこの屋敷へ訪れてからの自己紹介もひと段落し、さぁ今度はドーベルと話に行こう──といったところで。

 

「……あら?」

 

 ラモーヌがこちらを見て軽く驚いたような声を上げた。

 いや、俺ではない。

 その視線を追うと、正確には()()()()にいる者を見ている。

 釣られて俺も後ろを振り返って背後を確認してみた。

 

「──あはは。えへへ。うぇへへ……♡」

 

 そこには、なんだか蕩けてた目で楽しそうに笑うライスシャワーと。

 

「うぅ、なんかフラフラしやがる……猛烈にスカーレットにダル絡みしたい気分……どこだスカーレットぉ……」

 

 ちょっと眠そうな表情で、しかしアクティブに周辺を歩き回る、様子のおかしなウオッカの姿があった。

 

「なんや、二人ともどうした……?」

 

 そしてタマモクロスは軽く引いている。マジでどうした。

 

「タマモひゃ~ん」

「うぉっ!? なっ、ちょ、どないしたんやライス……!」

「えへへへへぇ……」

 

 二人に声をかけようとタマモ姉が近寄ったところ、陽気なライスシャワーが正面から彼女を抱擁してきた。しかもめっちゃ笑顔。

 

「もしもし、スカーレット? あぁ突然すまん。……いや、お前に謝りたかったんだ。年始は一緒に山道のコースを走って勝負しようって約束してたのに、俺の都合でキャンセルにしちまって……ごめんな。──うぅ゛っ、ごめぇん……! どっ、どうじても先輩を探したくてぇ……ッ! ぐすっ、あぁううえぇぇえ」

 

 こっちが見ていない間に誰かへ電話をかけ、ひたすら喋ったかと思ったら急に泣き始めるウオッカ。

 どう見ても明らかに不審な行動の数々にタマモクロスと同様、俺もワケがわからず狼狽するばかりだ。

 

「お、お二人ともどうされましたの? 突然なにを……──はっ」

 

 マックイーンも同じリアクションを取ったのも束の間。

 彼女は何かに気がついたようで、咄嗟にテーブル上のチョコの箱を手に取った。

 

「ら、ラモーヌさん」

「どうしたのかしらマックイーン。あの子たちも何だか変だけれど……」

「……このチョコレート、どういった物なのですか?」

 

 その質問にラモーヌは首をかしげる。

 

「……? どうって、別にいつも利用している店のチョコレートよ」

()()()()()?」

「えぇ、アルコールの入ったチョコ。といってもただの洋菓子に過ぎないし、度数も低いわ」

 

 その割にはあの二人完全に酔いが回っちゃってますけども。

 どう見てもウオッカは泣き上戸でライスシャワーは典型的な絡み酒だ。

 

「そっ、そんなものをハズキさんに勧めたのですかッ!?」

「いえ、だから度数は」

「そういう問題ではないでしょう! まだ小学生ですわよこの子はッ!?」

「……そ、そうね。確かに。ドーベルとの対話が上手くいかなくて、少しばかり気が動転していたかも……」

 

 とてつもない剣幕で迫るマックイーンに押された人妻は、意外にも反論することなくしょぼんと落ち込んでいる。

 

「ぁ、あら……」

 

 その反応はマックイーンとしても予想外だったようだ。勢いで言ったものの、先ほどまでの会話から察するに、ラモーヌはマックちゃんがズバズバと遠慮なく意見できるような相手ではないのだろう。

 しかもラモーヌは俺から見ても、仮に言われたとしても答弁してそのまま説き伏せることができそうな雰囲気を持っていた。

 だが現実は叱られた犬のように落ち込むばかり。途轍もないギャップだ。ナタデココのようなナタデココ。

 

「……十六粒入りで、残り三粒。ハズキさんとウオッカとライスさんで三つですから……短時間で十個も……?」

「待ってちょうだい、マックイーン。私は別に酔ってなどいないわ。私が陶酔するほど愛しているのはあくまでもターフだけ。あなたも知っているでしょう」

「ですが今のラモーヌさんは、少々お顔が赤くなっているように見えます。それにフラつきも……」

「それは、糖分の多量摂取で血糖値が上昇してほんのちょっとだけ楽しくて眠気があるだけよ」

「……眠気だけならまだしも、楽しいのならそれは酩酊に近いのでは……?」

「ぁぅ……」

 

 なにあの人妻っぽい人かわいい。アルコール入りのチョコをついつい食べすぎて楽しくなっちゃうとか、こうしてみると普通に高校生だな。

 

「ど、ドーベルは集中力を上げるためには糖分を、とよく言っていたから……これくらいなら差し入れても問題ないと思って用意したのだけど……一つも手をつけてくれなくて……」

「それで余った分をご自身で……いえ、分からないワケではありませんが……ハッキリと申し上げますと、いつものラモーヌさんらしくありませんわ」

「……そ、そうね。ドーベルがあそこまで憔悴しているのは初めてだったから、焦っていたかも。……だってドーベルのアレはもう、消沈だとか挫折だとかそんなレベルの話では──」

「ラモーヌさんっ♡♡」

「きゃっ」

 

 チョコによる酔いを醒まそうとシリアスな雰囲気を醸し出したはいいものの、ガチ酔いの酒ライスに絡まれて彼女も向こう側へ連れていかれてしまった。

 

「ラモーヌさんふかふか♡ タマモさんも体温高くて気持ちいい~」

「誰かに抱き着かれたのなんていつぶりかしら……」

「んん~」

「ら、ライスー!? やめ、チューはアカンって!!」

 

 タマモお姉ちゃんとラモーヌ奥さんのほっぺにチューしまくってるわライス。おそろしい逸材……童貞を持っていかれないよう注意。

 

「……タマモクロスさんも巻き込まれてしまっていますし、私たち二人で何とかするしかありませんわね。悪化しないよう、一応このチョコは持っていきましょう」

「あ、はい」

 

 そう言ってマックイーンは酔っぱらいハザードの元凶を箱ごと回収しつつ、俺と共にドーベルの待つ部屋へと向かい始めた。

 

 まぁマクロスママならいざという時は抜け出して助けに来てくれるだろうが、今は俺を信じているからこそライスたちの介抱に当たってくれているのだろう。なんという信頼。ふ~むこれは応えなければ男として。息子として。ハピネス。

 

「……本来、あのラモーヌさんがメジロのウマ娘たちを強く気に掛けることは滅多にありませんわ」

「えっ?」

 

 長い廊下を歩きながら、マックイーンがそんな事実を暴露してきた。どういうおつもり!? 一般人でありながらメジロ家の内情に詳しくなっちゃう。

 

「ですが、彼女がそうしているのは私たちの事を知っているからなのです。メジロ家のウマ娘一人一人を理解し、その強さを知ったうえで信じているからこそ、深く踏み入らずあえて先へ進む道だけを示してくださる──そんな、憧れすら届かないほど遠くて高邁なお方……」

 

 マジで。さっきアルコール入りのチョコ食って『ぁぅ……』って言ってたプリティーガールが?

 

「もちろん励ましてくださる機会はありましたわ。それでも、海外での大切なやるべきことを中断してまで()()へ戻ってくるだなんて、これまで一度だってなかった。自由な方ではありますが、やると決めた仕事は何があっても必ず最後までやりきり、それから次へと進む方ですから。それは直接的な手助けをせずとも道を切り拓けると、私たちを信じてくれているという事でもある……」

 

 言いながらマックイーンが立ち止まる。

 そして彼女が首を向けた方向には、仮眠室とだけ書かれた表札がドア上部に括りつけられた一つの部屋があった。

 

「……そんなラモーヌさんが焦って戻ってくるほど、今のドーベルは──。……挫折どころの話ではない、とラモーヌさんも仰っていましたが、私もドーベルと最後に直接話したのは三日ほど前です。それも一言二言の、簡単なやり取り」

 

 そんな話を今日出会ったばかりの俺に話しているという事は、マックイーンもまたメジロラモーヌと同じように不安と混乱を抱えているのだろう。ようするにそれほどまでにメジロドーベルの変化が著しい、という話だ。

 

 ほっほっほ♡ これはおじさんの腕の見せ所ですよ。オラっ改心!!

 上等だ、見せてやろうではないか俺の手腕。

 いっそここへ連れてきたことを後悔させるレベルでドーベルちゃんのことメロメロにしちゃうもんね。本日はよろぴくお願いします♡

 

「正直……私も自信はありません。今のドーベルがまともに話せる相手なんて、きっとあの人ただ一人……」

「でも、秋川さんは」

「……えぇ。ですから今は私たちだけで解決するしかないのです。最悪、このチョコを使うのも……」

 

 仮に酔わせたところであんま意味なくない? というかよっぽどアルコールに弱くないと洋酒入りチョコ程度じゃ酔わないと思われる。現に俺もまるで効果が出ていない。

 ……こんなガキの身体なのに全く酒の反応がないのも怖い気がしてきたな。大量食いした人妻はともかく、一個でライスもウオッカもドエロい変化を遂げていたし、おそらく度数はそれなりに高かったはずだ。この身体なら酔う以前に気持ち悪くなったり倒れたりするのが普通のはず。

 

 なにかが俺を守っているのだろうか。お゛♡ 運命感じる♡

 それとも人間とかウマ娘とかそういうの超越しちゃってる? やっぱ王だからかな~。この観察眼、真贋の判断、時代の寵児。

 

「……よし、では参りましょうハズキさん。準備はよろしいですか?」

「あ、はい」

「では──」

 

 覚悟を決めたマックイーンは一度深呼吸を挟んでから、コンコンとドアを二回ノックした。二回だとトイレの個室に入ってるかどうかの確認だけど大丈夫? マックちゃん落ち着いて♡ 

 

「ど、ドーベル。少し話があるのですが……入ってもよろしいでしょうか」

「──マックイーン……?」

 

 ドアの向こう側から、どこか懐かしさを感じる声が聞こえてきた。

 まさかこの状況であっさり返事を返すとは思っていなかったが、会話ができるというのなら今がチャンスだ。突入しよう。ドンドンドン!! FBI オープンアップ!!

 

「……ごめんなさい、アタシ……心配してくれたラモーヌさんにひどいこと言った……」

「その自分を俯瞰できているのなら、あなたはまだ大丈夫ですわ。ドーベル」

「そうかな……もう、なにもわかんないよ」

「……あの、少しだけ話をしていただけませんか? あなたに紹介したい人もいるのです」

「紹介、したい人……?」

 

 ドア越しにやり取りを続けていると、しばしの沈黙の後、向こう側から返事が届いた。

 

「……うん、わかった。入っていいよ……」

 

 ついに許可が下りた。

 そしてゴクリと生唾を飲んだマックイーンは自分の胸に手を当て、もう一度深呼吸をしてから仮眠室の中へと入っていった。

 

「──マックイーン」

 

 中は広々とした空間で、ソファの他には冷蔵庫も完備されており、件の少女と思わしきウマ娘は力なく笑いながら、ベッドの上で膝を抱えて座っていた。

 ──うわっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 ぱっパンツ見える危なっ!!?!?! なんでよりによってきっちりトレセンの制服を着用しているのだあの女は。本当のマゾ、真実のマゾ。

 おもわず目を逸らしたので何も見えなかった。というか見たら対話が不可能になる。いきなり難易度高すぎてマジでキレたわ。最高に素敵だよ♡

 

「ドーベル……」

「三日ぶりだね。……その男の子が、アタシに会わせたかった人?」

「え、えぇ。山田ハズキさんといいます」

「──ハズキ? …………そう」

 

 マックイーンの言葉に一度目を見開いたドーベルだったが、またすぐに元気萎え萎えなハイライトオフの瞳に戻ってしまった。ライブで歌っていた時のお前はもっと輝いていたぞ! ピサの斜塔。

 

「あっ、マックイーン、それ……ラモーヌさんが持ってきてくれたチョコ?」

「そうですわ。けれど実はこれは──あっ、ドーベル……?」

 

 ベッドから降りてこちらまで近寄ったボサボサ髪な彼女は、マックイーンが持っていた箱の中からチョコレートを一つ手に取り、口の中へと放り込んだ。

 

「うん、おいし。こんなに良いチョコレートをアタシの為に……ラモーヌさんに申しわけが立たないよ」

「そこまで気にする必要はないかと。あの人これドカ食いしてましたし……と、とにかく、一度そこのソファに座って話をしましょう」

「……うん。ありがとうね、マックイーン」

 

 極度に精神が疲弊している自分を慮ってくれている周囲の厚意に対してはしっかりと理解しているらしく、突き放すでもなく沈黙するでもなくメジロドーベルは対話を選択してくれた。

 わりとマジに辛い状況でもその選択ができるあたり、決して心が弱い少女ではなかったようだ。その精神の強さ、アンナプルナ。俺のお嫁さんにふさわしいかも……。

 

 

 とりあえずソファに腰かけ、マックイーンがおっかなびっくりしつつ話を始めて──それから十数分後。

 

 

「で、ですからぁ……どぉべるは、がんばっています。秋川ひゃんは必ずわたくしたちが見つけましゅから……どうか、元気をだして……あぅ」

 

 ふとした会話の流れでドーベルにチョコを勧められ、言われるまま自らもそれを頬張ったマックイーンは、エントランスでお祭り騒ぎを起こしているライスシャワーほどではないものの、やはり酔いが回って呂律が危うくなってしまっていた。おいおい早くもダウンか? 遺憾のイだぜ?

 もしかしてウマ娘ってみんなアルコールに弱いのかしら。よーし全員お持ち帰りしてやるから縦一列に並べ。オイ情けねぇメス返事しろ! めっちゃかわいいね。

 

「ふらふら……」

「……マックイーン、ちょっと休憩したら? アタシも今日はずっとここにいるから」

「で、ですがぁ……うぅ……グゥ……」

 

 そして肝心の説得対象に説得されてしまったアルコールよわよわ少女は、そのままドーベルの肩に頭をのせて眠りについてしまったのであった。ママとしての矜持を保てよ。

 

「……こんなに皆を心配させていたなんて。……反省しなきゃ」

 

 しかしマックイーンによる必死の元気づけは効果があったようで、自らを省みた引きこもりウマ娘は、この部屋のドアを開けたあの時のような死んだ魚に等しい目ではなく、ちょっと疲れた程度の普通の顔色にまで回復していた。

 

「それで……きみは確か、山田ハズキくん……だったよね」

「あ、はい。初めまして……」

 

 遂に俺へと意識を向けてくれたメジロドーベル。

 ──先ほど二つ目のチョコも食べたはずだが、彼女の様子を見るにアルコールの効果は感じられない。

 どうやら意外にも酒の耐性があるようだ。……というかこっちが普通なのか。そもそもチョコ一つで酔う他の三人が弱すぎる気がしてならない。かわいいからいいけど。

 

「詳細は聞いたけど、大変だね。記憶喪失だなんて」

「いえ、ドーベルさんに比べればオレなんて全然。今はタマモクロスさんが面倒を見てくれていますし」

「……なんというか、随分と大人びてるかも。本当に小学生?」

 

 ふふ、と小さく笑いながら冗談めかしてそう呟いたメジロドーベル──この機は逃せない。

 

「いえ」

「…………えっ?」

 

 この部屋へと入る前に、俺の耳へ飛び込んできた彼女の声は確かに()()()()()()

 俺の心が強く感じたのだ。メジロドーベルという知識ではなく、この少女個人のことを自分は知っているのだと。

 だから、ここでもまた賭けだ。いつだって博打人生。もう不安すぎて心臓の不動数がとんでもないことになってるぜ。60hzくらいかな。

 

「オレは小学生ではありません」

「……っ? ど、どういう……」

 

 通常であればおかしな事を口走ったクソガキになるところだが、声を聴き、その姿を一目見た瞬間から強く感じているこの鼓動を俺は信じて進む。

 もう既に決めたことなのだ。

 二度と自分を疑わないと。

 だからいくお~♡ つい数分前に脳裏に過った()()()()だけを頼りにして、落ち込みダウナー少女の攻略へと舵をきるのだ。言葉巧みなテクニシャンへと変身だ。イクぞイクぞイクぞ! 我が物とするぞ!

 

「デカ乳──」

 

 っぶね、間違えた。

 

「いえ……()()

「──ッ!!」

 

 ぐぅすか眠っているマックイーンを間に挟んだまま、ソファに腰かけた俺たちは遂に顔を見合わせた。

 俯いたまま話を続けようとしていたドーベルが、俺の『ベル』という言葉に反応して、咄嗟にこちらを向いたのだ。ようやく見てくれたね美人なフェイス。衝撃の単語を突然聞かされた感想はいかが? 述べろ!

 

「ぃ、いまなんて……?」

「たしかに今は記憶喪失だけど、これだけはわかるんだ」

 

 悄然としたままのドーベルに構わず、俺は続ける。ここは勢いこそが勝負を制する切り札なのだ。

 

「たぶん(オレ)は──ずっとキミを探していた」

「……アタシ、を……?」

 

 そうだ。これ以上は詳しい情報とかないからなんかもう雰囲気で誤魔化すしかないがどうしよう君ならどうする!

 あれだ、それっぽいこと言おう。勢いが死なないうちに。

 

「そ……そんな。どう見ても子供だし……」

「……?」

「っ……でも、もしかして……本当に……」

「お、オレの本当の姿を知っているのが、きっとキミなんだ。この身体で、記憶も大半を失ってはいるが、たぶんオレは高校生だった。その時の姿をキミなら」

 

 俺がそう言いかけた、その瞬間。

 

 

「──ツッキー!!!」

 

 

 突如として豹変した鹿毛のウマ娘はこちらへ迫り、そのまま俺を力強く抱擁してきたのであった。

 

「………………ぇっ」

「ツッキー! ツッキーなんだよね……!? うぅっ、ツッキー、つっきぃぃ……っ!!」

「むぐっ、うッ、ぁの」

 

 そして少女は目一杯にその胸の間に俺の顔を埋めて、もはや呼吸すら困難なほど密着して俺の口と鼻を塞いでしまった。

 そう。

 包まれてしまったのだ。

 なんかめっちゃ甘い匂いがするムチムチおっぱいの間に、俺の顔が。

 やわらかい。

 フワフワ、ほかほか。

 ──しかし、それ以上に、あまりにも呼吸が困難だ。

 

「ツッキー、ツッキー、ツッキぃぃぃ……!!」

「ぅお゛ッ♡ ちょ、まっ、一回離しっ……ッ! ホォッ♡ 息、できな……ッ!!」

 

 うわあああああぁぁぁぁぁぁイクイクイクイクイクイクイクイク()ク!!!!!!!!!!!

 

 



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秋川葉月です♡ よろしくお願いしますします♡

 

 

 マジで危うく圧死する寸前まで追い詰められたものの、なんとか正気を取り戻したドーベルに解放された俺は、眠ったマックイーンをベッドに寝かせてからソファへと戻り、改めて二人で話し合うことになった。

 

 なんとか死ぬ前に彼女の尻尾に手が届いたからこそ無事に済んだわけだが……まったく俺を困らせるほどの愛情表現には忸怩たる思いだよ。こ、恋人になってください……っ!

 

「……えっ。ツッキー、まだ記憶が全部戻ったわけじゃないの?」

「あぁ」

 

 めっちゃデカパイに吸い込まれそうになる視線を全力で堪えて少女の目を見つつ、改めて自分の現状を詳らかにした。

 

「思い出したのはあくまで断片的なものだけなんだ。自分が“秋川葉月”だって実感もほとんどない。こう……脳裏に浮かんだ欠片をなんとか手繰り寄せてる段階でな」

「そ、そっか。……じゃあアタシとの思い出も、まだ……」

 

 なにベルちゃんとの思い出って。もしかして本当に俺たち恋人だった? ガチで気になってきた。

 

「な、なぁ、ドーベル」

「うん?」

「……その、秋川葉(オレ)月って付き合ってる相手とか……いた?」

「えっ──」

 

 んなもん知るかボケ、と返されてもなんら不思議ではない質問になってしまったが、あまりにもこの部分が気がかりで我慢できなかった。

 

 まず少なくともこのショタが秋川葉月だと判明した時点で爆乳ハグをかましてきたドーベルの反応からして、彼女と元の俺が付き合いの深い友人だということだけは確定している。

 なので多少プライベートな内容だとしても、恋人の有無くらいであればドーベルなら知っているのではないか、と考えたわけだ。

 

 では、なぜ恋人の存在をいま知りたくなったのか。

 それは──もし居たとしたら、現状とんでもない心労と不安を抱かせてしまっているのではないか、と俺自身が慄いてしまったからである。

 

 冷静に顧みて、ショタ化しなければならないほどヤベー奴らと闘っていた元の俺は、仮に交際している相手が居たとしたら、その相手には普段からめちゃくちゃ──それこそ呆れるくらい心配をかけさせている可能性がとても高い。

 

 で、俺はなぜか中央のウマ娘たちと交流がある。

 というか……ちょっと踏み込みすぎと言えるレベルで、彼女たちと繋がっている。

 なんせライスシャワーからは『好きな人』だとか『とても大切な人』だなんて明確に言及されているのだ。

 

 そしていま、手元にある情報だけで考えれば『俺はライスシャワーと付き合っている』というのが最もあり得る可能性として浮上してくるわけだ。

 それなら少なくとも彼女の友人であるウオッカやマックイーンが捜索を手伝う理由としては納得できる。

 

 ──まぁ仮にそうだとすると、ドーベルに“ツッキー”というあだ名で呼ばれていることが少し不可解だが。

 つい先ほどめっちゃ熱々♡ なハグもしてきたし、友人の恋人に対してそんな距離感で接することなどあるのだろうか、と疑問に思うところではある。

 

 とにかく、まずは恋人の有無が知りたい。

 いろいろと謎なことは置いといて、とりあえずここまでで出会った中の誰かと付き合っているのなら、これほど心配されている状況にも多少は納得できる。

 

 なにより家族以外であれば、記憶を思い出すなら一番繋がりが深いはずの恋人のもとを訪ねるのが最も手っ取り早いのだ。さぁ、果たして──

 

「うぅん……とりあえず、正式に付き合ってる()はいなかったよ」

 

 めっちゃ杞憂でした。顔が爆裂するほど恥ずかしい。身の程を弁えよ! そうだね、身の程を弁えよう。

 

「そ、そうすか……」

「……でも、女の子の知り合いはたくさんいたよ?」

「っ!?」

 

 え~ウソ♡ 俺ってそんなカスみたいな遊び人だったの。秋川葉月とタマモクロスが腹を切ってお詫びいたします。

 

「……オレ、どういう人間だったんだ……?」

 

 二度と自分を疑わないとは決めたが、さすがに一考の余地が出てきちゃった。おぉ下品すぎる本性、謝れ。

 ライスシャワーからは少なくとも異性として好かれていて、そんな状態で他の多数の女子とも交流してたってなんだそりゃ。古代の王?

 

「……普通の男の子だよ」

 

 うそでしょ。世界仰天ニュース。

 

「困ってる誰かを見過ごせなくて……友達の為なら無茶なことだってしちゃうような……そんな、普通の優しい男の子だった」

 

 そう語るドーベルは儚いヒロイン指数がかなり高めな微笑を浮かべていて、その表情から今の彼女の評価の真相が『言いたい事はたくさんあるが、あえて一言で表すならこう』だという事が何となく理解できた。

 

 特にこれといって付き合っている相手はいないが、明確に好意を持ってくれている相手がいて、尚且つ美少女の知り合いもたくさんいる男──なるほど。

 

 ……エロゲの主人公? いや本質はそのお下劣すぎる本性だ。

 

 デカ乳拝みたい交尾したい種付けしたい孕ませたい、とかそんなこと考えて動いていたに違いない。俺は俺だ。なので分かる。

 たぶんどっかの主人公みたいに鋼の意思とか発動して真摯に振る舞っていたわけではなく、なんやかんや上手いこと噛み合ったからこそ、彼女たちとの関係性を構築することができたのだろう。

 だからドーベルの言った『優しさ』の評価には甘えず、もう暫くはおっかなびっくりでも思考をやめずに進んでいこう。油断は禁物。

 

「……アタシ個人からすれば……義理堅い人、かな」

「義理堅い……?」

「ふふっ。実はツッキーとはあんまり良くないファーストコンタクトだったんだ、アタシ」

 

 あっそのニヒヒって感じの小さな笑顔かわいい。

 

「それでも友達としてずっと一緒にいてくれて……だから惹かれちゃったのかも」

 

 この美乳でかわいすぎ少女と知り合っておいて“友達”のままなんだ、元の俺。早々に娶ればよいのに。

 ……というか今しっかり『惹かれた』と口にしていたが、もしや無意識な発言だったのか? 結婚したいのであればそう申せばよいのに。

 

「あはは、本人の前でする話じゃないか。てか全然具体的な内容じゃないよね、ごめん」

「……いや助かったよ。今のも何かヒントになるかもしれないし……出来ればもっとオレのことを教え──」

 

 現状だとドーベルから記憶を辿るのが復活への一番の近道、ということで矢継ぎ早に質問を繰り出そうとした、その瞬間。

 

「マックイーンっ! ちょお、ホンマにライスが暴れすぎとるからそろそろ手ぇ貸して!!」

 

 ドアの向こう側からタマモクロスの声が響いてきたため、俺の言葉は喉の奥へと引っ込んでいった。

 いまかなり良い流れだったのだが──まぁ、そもそもここへ至れたのは他でもない彼女たちの協力のおかげだ。無視するわけにはいくまい。

 

「……ドーベル。現状のオレはかなり荒唐無稽な立場だから、本当のことはまだみんなには秘密にしておいてもらえるか?」

「う、うん。とりあえず先にエントランスでの騒ぎを止めよ……っ!」

 

 自分のことばかり考えるのは一旦やめにして、今はアルコールの脅威に振り回されている協力者の少女たちの介抱に当たる事となった。今日はボクが臨時ドクターとして診察していきますよ。ちょっと興奮気味かな? えっちだね。

 

 

 

 

「ハズキくーん。お風呂入るで~」

「あ、うん」

「──ッ゛!!?!?」

 

 ライスシャワー狂乱騒動が一旦幕引きとなり、みんなもアルコールが抜けてひと段落した頃。

 夕食の前に入浴という事で、他のウマ娘たちが大浴場へ向かったあと、着替えを用意して部屋に戻ってきたタマモクロスに声をかけられて、反射的に返事をしたのだが──今のはヤバかったかもしれない。驚いたドーベルがソファから転げ落ちてしまった。あっ、ぱ、パンツ見えそう……。

 

「たっ、たまっ、タマモクロス先輩!? いいい今のどういう……ッ!?」

「っ? どうもこうも……そろそろいい時間やしシャワー浴びてサッパリせんと」

「この子も一緒に、ですか……?」

「そらそうやろ。このお屋敷ん浴場、アホみたいにデカい言うとったしハズキ君一人やと心配や」

「は、はわわ……」

 

 タマモクロスからすれば先日と同じように、預かっている男の子を風呂に入れるという当たり前の行動を取ろうとしているだけなのだが、俺の正体が義務教育修了済み違法ショタであることを知っているベルたんは狼狽するばかりだ。

 

「あの、ドーベルさん。これは……」

 

 このままだと子供化にかこつけてセクハラを楽しんでいるカスになってしまうと考え、誤解を解こうと咄嗟にドーベルに弁明しようとしたところ──

 

「……ま、待って。……うん、わかってる」

「えっ?」

「あの、タマモクロス先輩。ハズキくんにここのお風呂の使い方を教えたいんで、アタシも一緒に入ります」

「そう? ありがと、助かるわ」

 

 彼女はそれ以上追及するのをやめ、隣にいた俺の手を握って立ち上がり、先行するタマモクロスの後をついていく。

 

(ツッキー、大丈夫。いまは子供の身体だからそういう振る舞いをしなきゃなんだよね……?)

 

 それから小声でそう呟いてくれたため、俺としても彼女と認識をすり合わせることができて安堵した。さすが俺のことよく分かってますね。葉月理解度検定準一級取得。

 

(すまん)

(ううん、気にしないで。……というかツッキーの事だから、どうせお風呂に入る時は『相手の身体を見ないように』って、目を閉じて何とかしようと考えてたんでしょ)

 

 マジで何でもお見通しで驚嘆の一言に尽きる。お付き合いする準備は万全ということかよ。

 

(もし転んだりとかしたら危ないから、アタシがそばでお手伝いするね)

(お、おう。……お願いします)

 

 それってつまり、直接的に姿を見られることがないとはいえ、一糸まとわぬ姿で一緒にお風呂に入るということなのですが。流石に嫁ぐ覚悟が決まりすぎている。そうやって好意見せつけてハングリーなイキ精神お見事ですが……。

 

「お。もうマックイーンたちも入っとるな」

 

 更衣室へ到着すると、半透明の扉を隔てた向こう側から少女たちの声が聞こえてきた。

 カゴの中にもそれぞれ脱いだ衣服があることから、その種類の数で浴場の中に何人いるのかが把握できる。

 あの黒髪ウマ娘二人とマックちゃん、それからアルコール入りチョコ食べすぎプリティー人妻も入浴中らしい。マジで不安になってきた。俺は生きて帰れるのだろうか。

 

(ドーベル。俺はもうここを出るまで絶対に瞼を開けないから、あとは頼む)

(う、うんっ)

 

 小声で協力者に耳打ちし、まるで瞑想するかの如く一切の煩悩を心から断ち切り、静かに視界をシャットアウトした。

 

「お風呂でのハズキ君のことは任せてええか、ドーベル?」

「は、はい」

「ありがと。ほな先に入っとるで~」

 

 どうやらタマモクロス先輩は先行した様子。

 これでようやっと安心できる。ドーベルには早めに終わらせてもらうように伝えて、最低限の入浴を済ませたらさっさと退室してしまおう。

 

「よしっ、じゃあえっと……脱がすね?」

「あぁ」

「シャツから脱がすから、バンザイして」

「──」

 

 あっ、盲点だった。わずかにイク。

 視界が無い分めちゃくちゃ敏感に感じるわ。ほぉ゛っ♡ 

 このままでは当たり前のようにバベルの塔が建設不可避だ。脱衣を全てドーベルに任せたら俺のハズキくんだけ子供から大人にハイパー大変身を遂げてしまう。

 

「まっ、ドーベル……ッ!」

「どうしたの?」

「その、タオルを俺の手に持たせてくれないか。下を脱いだらそのまま腰に巻くから」

「ツッキー、見えない状態のまま自分で脱ぐつもり? それは危ないよ……」

「なら一瞬だけ目を開けるから、反対を向いててくれ。すぐ終わらす」

「う、うん……タオルはこれね」

 

 なんとかドーベルを説得し、爆速で全裸になり腰にタオルを巻いて人権を得た。危うく着替えにかこつけて股間を見せつけるガチ変質者になるところだったぜ。間一髪と言ったところか。

 

「今のうちにアタシも脱いじゃお……」

 

 わぁ。きゃあ。静謐かつ猥褻なしっとりとした衣擦れサウンドえっちすぎ♡ 音のソノリティ。

 

「ツッキー、準備できた? じゃあ入ろっか」

「すまんドーベル、目ぇ閉じたから手を……」

「そだね。転ばないよう手を握らなきゃ……あっ、まってツッキー、そこはちが──んんっ♡」

「……???」

 

 まちがえて尻尾を鷲掴みしてしまいました。本当に真剣に腹を切ってお詫びいたします。

 

「示談で……!! 示談でどうか……ッ!!!」

「ちょ、ちょっとツッキー落ち着いて。ぜんぜん大丈夫だから……」

 

 そんなこんなで土下座やらなにやらひと悶着ありつつ、一糸まとわぬウマ娘たちが闊歩する大浴場で大欲情しないよう気を付けながら、至って健全に体を温めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 ドキッ! 美人ウマ娘だらけの大浴場ハーレム~ポロリもあるかも~を無事に終えてから少々の時間が経過して。

 それぞれが寝室で就寝に入ろうとする中、俺はタマモクロスと二人でメジロ屋敷の外へ繰り出し、付近のコンビニへと向かっていた。

 風邪を引かないよう二人して厚着の恰好で、青白い街灯の下を歩いていく。

 

「……というわけで、明日はオレの関係者がお屋敷にくるみたい」

「なるほどなぁ。……当初はどうなるもんかと心配しとったけど、なんや府中に戻ってきてからトントン拍子に進んでよかったわ」

 

 ホッと胸を撫で下ろしつつ、彼女はしっかりと俺の手を握ったままでいてくれている。うほ~たまんねぇ~。しっとり吸い付いて癖になるぜ。

 これは俺がタマモクロスと二人きりで現状を整理するために生み出した状況だ。本当はコンビニへ行ったところで買いたいものなど特にはない。

 

「まぁ多少は強引やったかもしれんけど、ドーベルに会いに行って正解だったっちゅーことやな」

「うん……そうだね」

 

 ──どうやらドーベルは今回の事態においてかなりの中心人物であったらしく、実は彼女を通してこの騒動は収束に向かいつつあるのが現状だ。

 

 ドーベル経由で様々な人物へ連絡が届き、明日は『樫本理子』という中央のトレーナーに加え『駿川たづな』というトレセン理事長の秘書を務める女性が、メジロ家の屋敷まで迎えに来てくれるらしい。迎えに来てくれる人物が大物すぎることに関しては一旦もう気にしないことにした。

 

「んでもまさかホンマにトレセンの大人たちとも知り合いやったとは驚きや。ハズキ君、実は結構スゴい子なのかも……?」

「ど、どうだろう……」

 

 秋川やよいという少女と、他複数名とはまだ連絡がついていないものの、どうやら樫本理子トレーナーがドーベルと同じく裏の事情を把握してくれている人物だったようで、これからは彼女の保護下で記憶探しを行っていくことになる。

 詳しい過去の内容も、明日以降ドーベルを交えて正確に調べていく予定だ。

 

「ま、そんならウチももうお役御免かな。なんにせよハズキ君を無事に保護者ん人たちに届けられて何よりや」

「……うん。ありがとう、おねえちゃん」

 

 正式な保護者が見つかった、ということはつまり、タマモクロスがこの面倒なショタのお世話から解放されるという事でもある。

 ……本当に一生かかっても返せないレベルで、この芦毛の少女には世話になった。

 様々な手助けはもちろんだが、何よりも比喩抜きに彼女は俺の()()()()だ。

 

「……ほんと、ありがとうね」

 

 だからこそ少しだけ考えてしまう。

 このまま、ハイお世話になりましたで済ませていいのだろうか、と。

 きっとこの世界のどこを探しても、こんな得体の知れない子供を助けるだけではなく、荒唐無稽な話をも信じて親身に寄り添い支えてくれる聖女のような優しく強い心の持ち主なんて、そうそう居やしないだろう。

 

 この隣にいるタマモクロスというウマ娘に対して、ただの感謝で終わらせてはいけない、と改めて強く思う。

 仮にすべての記憶が戻ったとして、俺はこの少女に何を返すことができるのだろうか。

 

「……んっ? なんや、あれ……?」

 

 ほんの少し逡巡して俯いている最中、唐突に聞こえてきたタマモクロスの怪訝な声に釣られてつい顔を上げた。

 そこには──

 

 

「だっ、ダメよカフェさん! もう走らないで……っ!」

「……いえ。そういうわけにはいきません」

 

 

 コンビニ付近の路地にて、明らかにズタボロな服装をした黒い髪の少女を、どこか見覚えのある栗毛のウマ娘が後ろから引き留めている光景が見えた。

 

「あれは……サイレンススズカ?」

「せやな。話をしとんのは……カフェ、か?」

 

 お姉ちゃんが言ったカフェという名前には心当たりがあった。

 というかあの長い黒髪と、特徴的な()()()からして、あそこにいるのは間違いなくイヴに開催されたレースで上位入賞を果たしたマンハッタンカフェで間違いないだろう。

 

「ドーベルさんはまだ分かりませんが……私と同じくスズカさんも夢の案内人から……夢を通して伝えられたはずです。彼が、生きていると」

「それは、そうだけど……」

「であれば闘わない理由はありません。あの子と彼がこの街へ帰ってくるのなら……二人の居場所は私が護る。ただそれだけの話ですから」

 

 こっそり近づいて電柱の陰から覗いて見ているが、なんか二人ともだいぶシリアスな表情をしていらっしゃる。いったい何の話をしているのだろうか。とりあえず表情筋をほぐすマッサージをしてあげたい。

 

「でもっ、それでカフェさんが倒れてしまったら元も子もないでしょう……? まともに休憩しないまま、もう三体以上の怪異と連続でレースをしてる……」

「何も問題はありません。……ここを縄張りにしていたカラスが彼に負けて弱体化し、休息している影響で……他の場所を漂っていた怪異が府中に目を付け、他の怪異たちの力の残滓を吸収し……活性化して暴れまわっています。どのみち放っておくことはできません」

 

 よく分からない専門用語満載で二人は話している。内容についていけなくて忸怩たる思いだよ。

 冷静に考えれば分かることなのかもしれないが、時間帯がそろそろ深夜に差し掛かる頃であるため、このショタっ子の身体は肉体も脳も活動限界に近く、ほとんど事態に追いつけていない。

 

「ならせめて私も一緒に──」

「……いけません。スズカさんにはスズカさんの為すべきことがあるはずです。それに有以降、あなたの脚の状態は万全ではない。今無理に走ったら取り返しのつかないことになるかもしれません……だから私が彼の分まで走ります」

 

 心配する様子のサイレンススズカを突っぱねて、傷ついた勝負服を纏った黒髪の少女は踵を返す。

 その目線の先には、なにやら靄のようなものが集まり、次第に人型に形成されていっている。突然のファンタジー! 日本の未来を憂うわ。

 

「──また怪異が現れたようです」

「っ! カフェさん待って!」

「……ふふっ。安心してくださいスズカさん。どうやらあと二体だけのようですし、この程度ならなんて事はありません」

「でも……っ」

「……ゴールドシップさんから聞きましたが、あの日の葉月さんはもっと大勢の怪異と単独で闘ったそうです。私だって……頑張らなきゃ。……それでは──」

 

 マンハッタンカフェは言うだけ言って会話を打ち切り、そのまま駆け出して夜の街へと消えていった。

 あ〜〜アレは完全に無理して浮かべた笑顔でしたね。それで友達を騙せているつもりなら片腹痛いわ。もっとアヘってよろしくてよ♡

 

「おーいスズカ!」

 

 先ほどの二人の口論を見ていて痺れを切らしたのか、タマモクロスは電柱の陰から飛び出してサイレンススズカの元へと駆け出した。手を繋いでいるので自然と俺も連行されていく。はわわ。

 

「……タマモクロス先輩?」

「さっきのカフェはどないしたんや! 明らかに街中で出したらアカン速度出とったけど!」

 

 自らの経緯を喋るよりもまず状況確認。タマモクロスはRTA走者の鑑と言えるかもしれない。だからドーベルたちを置いてこっそり出かける必要があったんですね。

 

「……私では止められなかったんです」

「う、うん?」

「結局いつも……傍観者でしかない。世間では有を制した今年最強の……だとか言われているけれど、私だけ肝心な時に誰も助けられない。私だけ……何もできてない……」

「……え、えらいシリアスやな……」

 

同感だ。さっきから暗すぎるのでちょっと一旦笑顔になってほしい。はーい笑って♡ オラッ天高くいななけ。

 

「……? タマモクロス先輩、その男の子は……」

 

 俯いたことでサイレンススズカの視界に俺が入ったらしい。こんばんは。愛してます。

 

「あ、あぁ……この子はハズキ君言うてな。いろいろあって今はウチが預かっとる」

「……は、づき……?」

 

 膝を折って俺と目線を合わせたサイレンススズカは、その名前を聞いた途端に目を見開いて硬直した。

 あっ、これライスシャワーで一回やったな。一度体験したシチュエーションならショートカットが開通済みなので、ここは思い切って行動に起こしてしまおう。たぶんこれが一番早いと思います。

 

「──サイレンス」

「っ……!?」

 

 俺がそう呼ぶと予想通り彼女は驚嘆してくれた。やっぱりな。おじさん分かるんだよエスパーだから。

 まぁ別に何かを思い出したわけではないが、もし俺が彼女と同年代で友人の関係にあるのであれば『俺ならこう呼ぶ』と思ったのでサイレンスと口にした次第だ。す、スズカちゃんだと距離感が近すぎると思って……♡ 間違っていたら各方面に謝罪。

 

「もし、かして……」

「サイレンス、一つだけ教えてほしい」

「……?」

「は、ハズキ君……?」

 

 突然様子の変わった俺を前にして、サイレンススズカだけではなくウチのお姉ちゃんも慄いていらっしゃる。本当のマゾ、真実のマゾ。

 もう完全にショタムーブを無視してしまっているが、どのみちタマモクロスとは記憶が戻ったあとも正面から向き合わなければならないのだ。正体バレが時間の問題なら、ここは事態を進展させるために動こう。

 

「サイレンスにとって、秋川葉月との一番思い出深いことって、なんだ?」

「……葉月くんとの、一番の思い出……」

 

 まだ多少は狼狽しているもののタマモクロスは()()()()()()()を感じ取り、疑問を堪えて押し黙ってくれた。えっ嬉しいお姉ちゃん! 枯山水。

 

「それなら……これ、かしら」

「っ!」

 

 てっきり何か過去を語ってくれるのかと思いきや、サイレンスが取った行動は俺の手を握るというものであった。めっちゃ普通にビックリ。

 

「私は葉月くんと……いえ。()()()とこうするのが……好きだった」

 

 そう言いながらあからさまな恋人繋ぎで正面から俺の手をにぎにぎ。

 わあ。

 きゃあ。

 どどどどうするのコレ。

 本当にこんなのが思い出なのか──

 

 

「────あっ」

 

 

 シリアスっぽい雰囲気に合わせたポーカーフェイスが照れで崩壊しようとした、その直前のことだった。

 脳裏に過った。

 

『……代わりに、いま。秋川くんだけの、握手会……』

 

 どこかの公園で。

 いつかの夕方に。

 俺は彼女と、こうしてスケベな手合わせを行なった。

 

 そうしてターニングポイントを思い出したその瞬間に、過去の記憶が()()()()

 

『コレを見せられる男子なんてアンタくらいしかいないんだから! いいから感想を述べよッ!』

『私も手を洗いたかったし、ちょうどいい……でしょう?』

『敬語は結構です……同い年ですから』

 

 あぁ、これは──そうだ。

 紛れもなく、思い出だ。

 俺と彼女たちの、存りし日の大切な軌跡だ。

 

『……腹筋、硬いですね。男らしくてカッコいいと思います』

『そ、その、後で感想を聞かせてよ。男の子ってこういう時、どう思うのか……』

『秋川くん……あまーいのちゅるちゅる終わったら、おねんねしましょうねぇ……』

 

 ──うん。この上なく大切な記憶たち……。

 

『な、なんかちょっと、そこはかとな~くいけない事をしてる気分になるでしょ。コレ、そういう事……』

『クラスメイトで親友とは、いささかズルい立場ですね。こればかりは……妬いてしまいます』

『…………あの、ズボンのファスナー、開いてたから……閉めた……』

 

 ……うん?

 

『だから……ね? いきましょ、二人きりで。──いい? 葉月くん』

『……あ、葉月さん。こちらへ……どうぞ。今夜は一段と冷えますから……私たちで葉月さんを温めさせてください……』

『ねぇ。このヘルメット、そういえばアタシの為に買ってくれたんだっけ。えへへっ♡ 嬉しい……好きっ♡♡』

 

 …………なんか美しい友情というより美少女たちとのスケベイベントばっか先んじて想起されている気がする。"生粋"。トレセン学園には真のマゾ女が多いとの噂は真実だったのだな。

 こんなはずじゃ……もっとこう、健全で綺麗な思い出は……?

 

「──思い、出した」

「っ!!」

 

 マジで完全に全ての記憶が復活したものの、なんかシリアスでカッコいい感じの復活劇をロールプレイしようと思ったが無理みたい♡ もういい! 淫猥な過去も俺たちの思い出だ。美少女ウマ娘たちとの猥褻な触れ合い最高だ……これが絆……!

 

 



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白い稲妻 自慢の新妻

ちょっと長めです♡ ムヒョーーー♡ 鳥



 

 

 

「……葉月くん?」

 

 エロ場面フラッシュバックが発生してから、一分か、一秒か。

 どれほどの間自分が固まっていたのかは分からないが、ともかくサイレンスからの声かけでハッとした。うほ……♡ 猛省せよ。

 

「あ、あぁ」

「大丈夫……?」

 

 どうやらサイレンススズカはショタの姿なままである俺を前にしても、先ほどの意味深な発言から完全にこの少年を“秋川葉月”だと認識してくれたようだ。お久しぶりです。

 

「ありがとな、サイレンス。おかげで思い出せた」

「えぇと……」

「この身体になってからずっと記憶喪失だったんだよ。でも今サイレンスが手を握ってくれたおかげで、頭ん中だけは元に戻れたみたいだ」

「そ、そう」

 

 少々怪訝な表情でこちらを窺っている。まぁ見知らぬショタが知人を名乗って馴れ馴れしく喋っているので当たり前ではあるのだが。

 ──それは置いといて、ひとまず記憶が復活したのであればやるべきことは一つだ。

 

「あー、えっと……とにかく怪異と戦いに行ったマンハッタンは俺が追うから、サイレンスは先に帰っててくれ」

「えっ? で、でも──」

「脚の状態、まだあんまり良くないんだろ?」

「それは、そうだけれど……」

 

 マンハッタンカフェ曰く、年末のレース以降サイレンスはコンディションが芳しくないとの事で、基本的に無茶に無茶を重ねる怪異との競争に今の彼女を向かわせたら大変な事になる。

 なのでここは俺がやらなければならないのだ。友達として、旦那として。ハピネス。

 

「それじゃ」

「──ま、待って」

 

 そのまま流れに身を任せて去ろうとしたがそうは問屋が卸さないらしく、サイレンスに腕を掴まれた。

 子供の身体の俺ではそれだけで身動きが取れなくなる。

 

「……待ってよ、葉月くん」

 

 その声は幼子が親に助けを求めるような、か細くて弱々しいものだった。

 しかしめっちゃ力強い。掴まれてる、というより道具か何かで固定されてしまっている感覚だ。

 

「正直かなり混乱していて……聞きたい事とかたくさんあるの」

 

 それはマジで本当に無理もないし申し訳ないと思っている。ここまでずっとロジックとか気にせず“それっぽい”雰囲気で誤魔化しているだけだったので、サイレンスの意見は至極真っ当だ。

 

 だが困ったことに、現状の俺にはソレしか武器がないのだ。

 タマモクロスと出会ってからここへ至るまで、延々と“それっぽい”雰囲気と意味深な発言だけで相手の想像力を誘発させ、ギリギリの綱渡りで進んできたわけで──そのツケがいよいよ回ってきたらしい。

 

「どうしてその姿になっているのか、とか。今まで何していたのか、とか……」

 

 とてもではないが見逃せない疑問。

 それには釈明が求められる。 

 ショタっ子ハズキ君は、その疑問への釈明を後回しにし過ぎたのだ。

 

「……有の日、どうして私たちとのデュアルのパスを切断したのかも、ずっと聞きたかった」

「さ、サイレンス……それは」

「──でも」

 

 彼女は握った手を少しだけ引き寄せた。俺を行かせまいと引き留めるだけでなく、自らのもとへ近づけた。あっそこはかとなく香る甘い匂いに動揺。

 

「それは今ここで聞くべきことじゃない。……そんなこと分かってるの。だから一つだけ」

 

 サイレンスは俺の両肩を掴んで、無理やり自分の方へ振り向かせた。

 膝を折った彼女と真正面から見つめ合う形となり、いよいよ視線も逃がせない体勢となってしまった。

 ごくり、と息を呑む。

 何を聞かれるのだろうか。

 それともビンタとかされるんだろうか。

 どちらにせよ今の俺は全てを受け入れる他ない。

 

「──」

「っ! ……ッ」

 

 とにかく覚悟を決めて眦を決すると──意外にも、緊張に耐えかねて視線を外したのはサイレンスの方であった。

 

「……また、一人で行ってしまうの?」

 

 俺の目を見ることはなく、斜め下に瞳を逃がしながらサイレンスはそう告げた。

 

「もうどこにも行ってほしくない。このまま連れて帰りたい。私の家でも樫本トレーナーの自宅でも、トレセンでもメジロ家の屋敷でもどこでもいいから、元に戻るまでジッとしてて欲しい」

 

 一言一言を詰まりながら発していた先ほどとは違って、サイレンスは矢継ぎ早に『行かないでほしい』と繰り返す。

 鼻白む俺の様子も気にせず、彼女は引き留めるその手に力を込めたままだ。

 

「有のときなんて……傷つく貴方の姿すら見れなかった。……だからこれ以上は求めないわ。もう私は蚊帳の外でも何でもいい──だから行かないで」

 

 これはまずい。サイレンスは既に泣く一歩寸前のめっちゃ堪えてる状態だ。これまでバチクソ心配をかけまくっていたにもかかわらず、ロクにフォローもせず『大丈夫だ』と繰り返して誤魔化してきたせいもあってか、彼女の心は限界を迎えている。このままでは絶対に手を放してくれない。

 

「…………そう言いたい、のに」

 

 ──と思ったのだが。

 サイレンスはそっと手を放し、項垂れた。

 

「無駄だと分かってるから、ちゃんと引き留めることもできない。……ごめんなさい。自分でもなんて言えばいいのか分からなくて、反射的に手を掴んでしまっただけなの」

「……」

「カフェさんを助けにいくのよね。私に出来ることなんて無いし……大人しく待っているわ。……いってらっしゃい」

 

 そのまま栗毛の少女は俯いたまま道端に座り込んでしまった。するりと離れた彼女の手も、何を掴むこともなくコンクリートの地面に置かれた。

 

「…………」

 

 タマモクロスは静観している。

 詳しい状況は把握できておらずとも、後輩のウマ娘が打ちひしがれている事自体は理解しているため、その視線を俺へ向けた。

 

 お前しかいないぞ、という事だろう。

 確かに今、心身ともに衰弱しきったサイレンスの心に声を届けられるのは、謙遜を抜きにして俺しかない。

 

「──サイレンス」

「っ。……?」

 

 今度は俺が膝を折ってしゃがみ込み、彼女の手を取った。

 

 そうだ、俺の考えが甘かったのだ。

 今日までずっと安否を気にし続けてくれていた相手に対して、じゃあ全部終わるまで待っていてくれ、では筋が通らない。

 

 サイレンススズカは都合のいい仲間ではない。

 

 俺と彼女は()()だったはずだ。

 本来、怪異なんてよくわからんファンタジー存在など微塵も関係なく、ただこの街で出会い絆を深めた大切な友達だったはずだ。

 

 行方不明になった友達を、ただただ心配して待ち続けてくれた心優しい──俺にとっても大切な繋がりを持つ少女であったはずだ。おててグッチョグチョに洗いまくって互いに楽しんだ大切な友人だ。

 

「心配かけて、ごめん。悪かった」

「っ!」

 

 だからこそ俺だけは目を離してはいけないのだ。

 絶対に視線を逸らしてはいけないのだ。

 どこかへ引き篭もることも、彼女を置いてレースに身を投じることも、この俺だけは許されないのだ。

 向き合わなければならない。

 この場で、今──サイレンススズカというウマ娘に。

 

「は、葉月、くん……?」

 

 一言で言えば、俺はこの少女の優しさに甘えていた。

 命懸けの闘いも許容してくれる彼女の寛大さにただ身を任せて、無茶な選択ばかりしてきた。

 ()()()()()()()()()()

 

「……あの日、本来なら先にサイレンスたちと相談するべきだったんだ。怪異たちが現れた時点で、レース開始までにはまだ時間があったから……出入り口の防衛は手を貸してくれた他のみんなに任せて、まず控え室へ向かうべきだった」

 

 あの日は間違いなく、完璧ではないものの最善は尽くした。あの選択に後悔はない。

 だがそのうえで、他にも取れる選択肢が存在したのもまた事実だ。プランC。

 

「例えば出場する三人とだけパスを切るとか、もしくは三人に物理的に手伝ってもらって短期決戦を仕掛けるとか……やりようはいくらでもあったハズだ。体が縮んで行方不明になるようなルートへ進まない、もっと冴えたやり方があったと思う」

「それは……」

「だからこそ謝らせてほしい。俺が一人で、全部勝手に決めたことを」

 

 有の日の唯一のミスは、全てを独断で進めた事だ。

 俺がウマ娘のみんなに対して、全力でレースに臨んでほしいと考えているのと同じように、彼女たちも俺に傷ついてほしくないと思ってくれている──その事をあの時の自分は失念していた。

 住む世界が違うだとか、俺は外側の傍観者だとか余計に卑下して視野が狭まっていたのだ。あんなにそばに居ておいて……忸怩たる思いだよ。

 

「みんなを巻き込まないのが正しい事なんだって、あの時はそう信じて疑わなかったんだ。……本当にすまなかった」

 

 サイレンスたちは覚悟なんて最初からとっくに決まっていた。

 それなのにあの時の俺には、一緒に死ぬ覚悟で巻き込むことのできる相手が、自分を除いてたったの一人しかいなかった。

 

「葉月くん……」

「それと、ありがとな」

「えっ?」

 

 だが、今は違う。ギュッ。

 

「こんな俺を……今日まで待っていてくれて、ありがとう」

「……っ!」

 

 根本から間違っていたのだ。

 たとえ人生の大一番であっても、俺と縁を繋いでくれたウマ娘たちは、友達を守るためなら命を張ってくれる。

 そう選択できるだけの強さがある。

 そうしてくれるほど──俺を想ってくれている。

 それをようやっと自覚することができた。やっぱナマ接触は最高だわ。心も体もあったかいよ。

 

「もう勝手に消えたりはしないし、戦いに命は懸けない」

 

 これまで見えていなかった様々な事が、こうして子供の身体になったことで逆に認識できるようになったように感じる。ファイヤーだね。

 関わりを持った人々からの好意や、自らの立場を卑下し続ける過去の自分自身など、思い返せばいつでも自覚できた事実から、俺は多分ずっと目を逸らしていた。

 

「今度こそ、サイレンスたちと同じ歩幅で走るよ」

 

 あの有のとき()()に責任を説いた俺だったが、まず意識するべきだったのは責任ではなく誠意だったのだろう。

 仲間たちを信じ、頼る誠意が欠けていた。

 だからこそ二度と同じ過ちは繰り返さない……ように、なんとか気をつけよう。

 

 秋川葉月理念の復唱! まずは自分を信じる。

 その次にみんなを信じる。

 最後にみんなが信じてくれた俺自身を、もう一度信じる。

 そうすればきっと、敵を前にして迷うことは無いはずだ。よーしこれで心もキレイになったな。ヌルンヌポだぽんっ。

 

()()()()()。……約束だ」

 

 そして誓いの証として、少女の手と指切りした。我が社の未来も明るいぞ。

 サイレンスは驚いた表情で固まっているが、少なくとも目の前のショタガキが秋川葉月であることは間違いないと認識してくれていることだろう。それだけで今は十分だ。足りなければ婚姻も視野に入れますが……。

 

「…………本当に、葉月くんなのね」

「おう、俺を名乗る奴なんて俺以外いないだろ」

「……ふふっ。よくわかんない」

 

 あっ、ようやく笑ってくれたね。しかしかわいいね。誰がこんなすぐアクメしろと教えた!? いつまでも、繋いでいたいよ、キミの指。

 

「……私、カフェさんに言われた通り今は足の状態が芳しくない。きっと付いていっても足を引っ張ってしまうだけ」

 

 言いながら、彼女は指切りしていた指をそっと放す。

 

「だから今はしっかり休むわ。みんなを心配させないために……それと、私自身もちゃんと走れるように」

「あぁ、そうしてくれ。今夜はサイレンスの代わりに俺が走るよ。……だから今後、もし俺がヤバくなったらその時はサイレンスが助けてくれ」

「……っ! え、えぇ、ユナイトしてる時の葉月くんよりも速く走ってみせる……ッ! うん、頑張る、むんっ」

 

 ふんすっと気合いを入れたサイレンスはようやく立ち上がり、なんとか闇落ちは回避してくれたようで安心した。俺より速く走るだなんて……いいんだよ友達なんだから。愛してる。返事は?

 こうなればもう大丈夫だろう。余計なアドバイスもきっと必要ない。

 元から彼女は強いウマ娘だし、ここから先は彼女自身のやり方で走れる自分を取り戻していくだろう。

 こっちはこっちでやれる事をやるべきだ。

 

「じゃあ行くよ。もしもの時はタマモクロス先輩のスマホから連絡するから」

「うん、無茶だけはしないでね。あの、先輩もお気をつけて!」

「──えっ? ……ぁ、あぁっ、そ、そう、せやな。ありがと。気ぃつけるわ」

 

 完全に会話の外にいて油断していたタマモクロスもハッと我に返り、遂に彼女と二人でその場を駆けだした。

 ──が、一つだけ伝えるべきことを思い出して、立ち止まった俺は夜道を振り返った。エビデンスがまだありませんぞ。

 

「あ、サイレンス」

「……?」

「映画。俺が元に戻ってぜんぶ終わったら、また一緒に観に行こうな」

「っ……! えぇ、絶対っ」

 

 今後の為になんとか別れる直前にギリギリでデートの約束だけ取り付けて、ようやく俺はマンハッタンカフェの追跡を開始するのであった。ワシの愛を伝えに行くよ。心づくしのおもてなし。

 

 

 

 

 

 

「なんもわからん」

 

 街灯の白い明かりを頼りに夜道を駆ける傍ら、隣のタマモクロスが眉間に皺を寄せながらそう呟いた。白い息がセクシー。

 

「もー、カフェを追いかけとるこの状況も、スズカとハズキ君の会話の内容も、何もかも分からん……」

 

 ともすればちょっと泣きそうなレベルで狼狽しておられる。泣かないで。せっかくの美人が台無し。

 なんというか、タマモクロスに関しては本当に申し訳ないと思っている。

 改めて彼女の今日までの行動を振り返るとその多忙具合は常軌を逸しているのだ。

 

 まず東京から大阪へ帰省してからすぐにワケありっぽいショタを拾い、年上の甲斐性からショタの主張を信じて府中へ出戻りになった後、やたら落ち込んでる後輩たちと関わって──終いにはこうやって事情も分からぬまま夜闇へ消えた後輩を探し回っている、ときた。

 

 まさに不憫の一言に尽きる。

 巻き込んでおいて何だが、ショタ化して以降の騒動においては、この少女こそが最も苦労を強いられている立場なのではないだろうか。おい乳ぐれー揉ませろ弟だぞ。

 

「ごめんなさい、タマモクロス先輩……」

「……ハズキ君も口調が変わっとるし」

「え、えと、その……」

 

 サイレンスに対してタメ口を利いて意味深なセリフ喋りまくった後となると、流石にこれまでのショタムーブは無理があり過ぎる。

 そのため開き直ってしまおうと考えたわけだが、やはりというか違和感は拭えないようだ。俺も上手く振る舞えてはいない。ドキッドキ♡

 

「……ふう」

 

 タマモクロスが足を止め、一息ついた。遅い速度だったとはいえ、割と無理をして付いていっていたので休憩は素直に助かる。というか深夜に差し掛かる頃のショタボディだとそろそろ体力も底を尽きそうだ。

 

「……記憶、思い出したんや?」

「あっ、はっ、はい」

 

 深呼吸を挟んだ後のタマモクロスは、微妙に困惑を残しつつも冷静な表情だった。

 困ったような顔、と表現するのがきっと正しい。なにせ彼女は間違いなく今現在、実際バチクソ困らされているのだから。

 

「えぇと……実は高校生なんです、俺」

「そら驚きやな」

「こ、この身体はいろいろあって縮んでしまって」

「けったいな話もあるもんや」

「……ワケあってトレセンのウマ娘たちと交流がありまして。東校の二年四組の秋川葉月って男子が……俺の正体です」

「ふうん……全然知らん男の子やな」

 

 タマモクロスの反応は極めて冷ややかだ。呆れ、というよりはひたすらに困り果てている。

 もちろん荒唐無稽な話をしている自覚はある。とはいえ身体が子供に戻るだなんて常軌を逸しているし、一般人がまともに取り合ってもらえるような内容ではないだろう。

 それでもハッキリ打ち明けたのは、諦め半分。

 残りの半分は、もう彼女に対して隠し立てはできない──したくない、と考えたからだ。

 

「……悪い、とりあえずカフェを追ってるこの状況だけ簡潔に説明してくれるか?」

 

 何でも説明します。あなたの言う事なんでも聞きます。有料で脱ぎます。

 

「マンハッタンは……他の人には見えない()()()が視える体質なんです。そのなにかはオバケみたいな感じで、いろんな人に迷惑をかける──だからそれを止めるためにマンハッタンは闘ってるんです」

「……ん。……ま、まぁ、カフェの事情に関しては……前からそれっぽい雰囲気あったから、一応は飲み込めるわ。去年の夏合宿の夜とかあの子ん周りで普通にポルターガイスト起きとったし」

 

 そう言いつつも、怪訝な表情は崩さない。

 彼女の瞳はどこかにいるマンハッタンではなく、目の前の俺を見つめている。

 

「で、それとキミはどう関係あんねん」

「……手伝ってました。俺にもそういう存在が視えるから」

 

 ウソは一つも言っていない。細かく説明すると際限なく長くなるので、彼女の言った通り簡潔に伝えるとこうなるという話だ。

 マンハッタンカフェはオバケが見える。

 そのオバケは一般人に物理的な危害を加える。

 それを防ぐために彼女の手伝いをしていた存在こそが俺なのだ、と。

 

「ふーん……」

 

 ジッと俺を見つめる芦毛のウマ娘たん。

 その美人なフェイスに気圧されつつも、なんとか眦を決して彼女を見上げる。

 今の俺に出来ることは、とにかく本気で誠意を示すこと以外にないのだ。それはそれとしてかわいい。ジト目が好き。

 

「……ようわからんオバケ、肉体の物理的な年齢退行、それに伴う記憶喪失と、さっきのスズカやマックイーンを始めとしたトレセン生たちとの交流関係……」

 

 あの大阪で冷雨を彷徨っていた俺と初めて出逢った時のように、現状自分の目の前にある判断材料を思い起こし、顎に手を添えて思慮に耽るタマモクロス。

 聡明な彼女であれば自ずと答えは導けるだろうが、そこにある正解は二つだ。

 

 信じるべきか、否か。

 どちらを取っても彼女に落ち度は一つも無い。

 元から俺と交流があったわけでもないのに、今日まで本当に()()()()で並外れた人助けをしてくれていたのだ。これ以上をこの少女に求めるのはあまりにも──

 

「…………ん、わかった」

 

 ここまで巻き込んでしまって申し訳ありませんでした後は自分で……と、彼女に感謝と謝罪を伝えようとして喉元まで出かかった言葉が引っ込んだ。

 いま、なんて言った? オイルマッサージ?

 

「えっ……?」

「やから、分かった言うてんねん」

「……えっ。ぇ、あっ、えと、しっ、信じてくれるんですか」

 

 タマモクロスは相も変わらず怪訝な表情だが、どこか諦めにも似た雰囲気を感じる。

 

「さっきのスズカとの会話を見とったら信じざるを得んわ。後輩がキミを明らかに友人として認識していた以上、疑う余地はあらへん」

「せ、先輩……」

 

 ちょっと余りにも思慮深い女性すぎませんか? 私と結婚してくれませんか? 涙汁が涙腺からコポコポ漏れ出してきたかも。

 

「……ま、まぁ特殊な記憶喪失やったり……身体が縮んだりは正直飲み込めてはないけども──」

 

 言いながら膝を折り、彼女はもう一度俺と目線の高さを同じにしてくれた。

 

「そもそも最初にキミを『信じる』言うたんはウチやからな。ハズキ君がウチを信じて話してくれたことなら、ウチもハズキ君の話を信じる」

「……ッ!!」

 

 そう言ってタマモクロスはようやく表情を和らげてくれた。イイ子供生みそう。素敵な家庭作れそう。しかしマゾメスだ。

 彼女は一言で表せば巻き込まれただけの人、なのだが彼女自身はそうは考えていなかったらしい。とても責任感の強い少女だ。感動の涙も分泌過多。ぶんぶく茶釜。

 ここまでの経緯や理屈を踏まえたうえで、それでもあり得ないと言えてしまうようなファンタジーを柔軟に受け入れ、責任を持って最後まで味方でい続けようとしてくれているだなんて──あっ、好き。とても普通に恋しちゃった。心のフェノールフタレイン溶液が真っ赤に近づくというか……。

 

「せやからウチが知らん事はハズキ君が教えてな」

「ぁはいっ。任せてください」

「ん、よし……じゃあこの話は一旦終わり」

 

 パンパン、と膝を叩いて立ち上がり、周囲を見回すタマモクロス。

 

「さて、肝心のカフェ探しやけど……このまま二人であてもなく探し回ってもしゃーないし──あっ」

「ど、どうしました」

「そう言えばハズキ君はカフェが追ってるっちゅーオバケのこと、視認できるって言うとったな」

「あ、はい、この身体でも認識自体は出来ると思います。……先輩?」

 

 そう答えると彼女は俺に背を向けて屈んだ。なんだなんだ。おんぶ?

 

「ハズキ君、ウチん背中に乗って」

「えと……おんぶですか」

「せや。その子供の身体やとそろそろ疲労が限界やろ? 移動のペースも考慮して“足”はウチが担うから、ハズキ君はとにかく周囲を見渡しまくってや」

 

 確かに周りを気にしながら走っていたせいか結構キツい。

 俺は子供の身体で出来る範囲の観察だけをして怪異レーダーになり、移動は完全にタマモクロスに任せる、というのは中々に名案だ。

 

「そのオバケが出そうな場所とか心当たりはある?」

「はい、いくつか」

「じゃあそこを当たりながら周辺を捜索やな。オバケの機微とか雰囲気を感じ取れるのはハズキ君だけやし、こっからの行動は全部キミに委ねるわ。行き先も道もスピードもハズキ君の指示に従うから」

「……了解です!」

 

 ありがたい事に恐らく現時点での最上の信頼と取れる言葉をタマモクロスから頂き、先ほどまで困憊しきっていた俺も改めて気を引き締め直した。

 心労を考慮するのであれば彼女は俺以上に疲弊しているはずだ。それでも出会って一日しか経っていない他人の為に本気で尽力してくれているとなれば、こちらも弱音なんぞ吐いている暇は微塵も無い。

 

「の、乗ります」

 

 ぎゅううううう~~~~~ッ♡♡♡♡♡♡♡ ほイグっ♡

 

「ほいきた。じゃあ出発するで」

 

 ──なによりマンハッタンカフェが心配でならない。急げ急げ。わっせ、わっせ。

 

「うおぉぉぉっ……」

「ハズキ君へーき!?」

「だっ、だ、大丈夫ですぅ……!」

 

 タマモクロス先輩に『なるべく速め』のスピードをお願いした結果、強風で髪がオールバックになり続ける状況が生まれたわけだが、ゆったり探している暇は無いのでコレばかりは慣れるしかない。女子力!

 

「あ、つっ、次の交差点を右です。少し進んだら上り勾配があって、その先に高台があるのでそこから街を見渡せるはずです」

「了解や、しっかり掴まっとき!」

 

 しかし、なんというか乗り心地自体は極めて良好だ。快適、というよりは丁度良く素早い移動に適していると感じる。

 多少の揺れはあるものの、乗っている感覚としてはバイクに近い。

 ウマ娘に乗せてもらうのってこんなに楽しいのか、と場違いにも考えてしまったくらいだ。

 

「ん、肩ポンポン、二回……ちょっと速度落とすで」

「あの、すみません、なんか偉そうで……」

「ええてええて。寧ろこっちのがやりやすいわ」

「ありがとうございます……」

 

 タマモクロス先輩も逐一しっかり指示に従ってくれるし、指で肩を叩く回数での加速と減速の意思表示も既に把握してくれていて非常にやりやすい。ナタデココのようなナタデココ。

 

「先輩、重くないですか?」

「んーん、それは平気」

「そ、そうですか……あの、ごめんなさい。視界に入って気になったものはなるべくしっかり確認したいんで、俺の指示で動いてもらってますけど……普段から走られてる先輩にこっちがスピードの調節とかを指示するのって、なんか生意気ですよね……」

 

 ウマ娘は試合前にトレーナーと打ち合わせこそすれ、レース中は基本的に自分で考えて走るアスリートだ。

 そんな普段からやっている動きを、同じウマ娘でもない男からいちいち指図されて調節するこの状況は、割とストレスなのではないか──そう考えての発言だったのだが、意外にも彼女は小さく笑い飛ばした。

 

「あははっ、そないなこと気にせんでよ。てか……なんやろな、人を乗せて走るなんて初めてやけど……」

 

 一拍置いて、明るい声音で彼女は続けた。

 

()()()()()()()。レースの時はどうあっても一人やけど、こうしてコントロールしてもらいながら走るのも存外(わる)ないわ。速度自体は落ちとるけど、ハズキ君に走り方を任せて動くんはどっか普段よりやりやすいかも」

 

 え! 嬉しいハズキ! 実は僕たち相性抜群なのかも……。

 

「──あっ、いました先輩! あそこの河川敷の辺りでマンハッタンが怪異を追いかけてますっ!」

「ホンマか! 怪異……ってオバケん事か。よし、河川敷へ向かお!」

 

 この高台へ訪れたのはどうやら正解だったらしく、見下ろせる範囲にあった河川敷でマンハッタンカフェを発見した。

 即座にその場を離脱し、俺たちもそちらの方向へと駆けていく。ハズーキお届け。

 

 

 ──ややあって、現場である橋の下の河川敷に到着した。

 その場にいたのはギリ人型に見えなくもない靄のようなナニカと、そいつの首根っこを掴んでいるボロボロのマンハッタンカフェであった。

 

「はぁ、ハァ……ふふ、捕まえた……ッ」

 

 かなり傷んでしまった勝負服とは対照的に、彼女自身はまるで飢えた猟犬のように怪しく呼吸を乱している。てかアレ眼ぇ光ってない?

 

「あと、一匹──ぁっ」

 

 呟きながら顔を上げ、橋の上に立っている最後の一体をその目で捉えたその瞬間、まるで糸が切れたかのようにマンハッタンはプツリと仰向けに倒れこんだ。

 

「か、カフェっ!」

 

 即座に彼女の元へと駆け寄り、俺を下ろしてマンハッタンの上半身を抱き上げるタマモクロス。

 

「大丈夫か!?」

 

 そんな彼女の呼びかけに対して、返ってきたのは──

 

「あぅ……」

 

 グルグルお目目なカフェちゃんの、言葉になっていない小さな声のみであった。

 

「これは……マジで疲れすぎて体力の限界が来ちゃったんかな。服はボロボロやし掠り傷も多いけど、幸いデカい怪我は見当たらんわ。……ホンマにオバケとやりあってたんやな」

「……無事でよかった。……あ、いや良くはないですけど。とにかくギリギリ間に合ってよかったです……ありがとうございます、先輩」

「あ、うん、間に合ってるのかは微妙やけども……」

「…………すぅ、すぅ」

 

 まもなく漆黒の少女は眠りの中へと沈んでいき、俺の上着を畳んで枕にしつつマンハッタンをそのまま芝生の上に寝かせた。

 そして見上げた。

 視線の先には、やはりこの身体でも視認できる怪異が立っている。殺す。

 

「……待っててくれ、すぐ片付ける」

 

 みんなの為に一人で闘い傷ついた孤高の少女に一言告げた。

 ここから先は俺の領分だ。早いとこカスをポコポコにして、マンハッタンを送り届けなければ。

 

「な、なぁハズキ君? いま周囲にそのオバケおるんか……?」

「はい、橋の上に」

「……うぅ、なんも見えん。全然わからん……」

 

 ──失念していた。

 そうじゃん。

 タマちゃん先輩は怪異のこと視えないやん。どうしよう平八郎って感じだ。

 

「あ、怪異が準備運動を始めてます。えぇと……一応アイツに追いつけばその時点で勝ちっていうルールなんですけど……」

「えっ、向こうが先に逃げんの? あかん、どないしよう……! ウチはその怪異がどこにいるかも……」

 

 あたふたしてるタマは控えめに言って愛おしい。ちょっとかわいすぎてガチでキショい笑いが出る。

 仮に先輩におんぶしてもらいながら追うとしても、俺が指示するとはいえ走る本人がターゲットを目視できない状態ではほとんど勝負にならないだろう。

 

 視える必要がある。

 タマモクロスの戦績については無知だが、俺を背負った状態でもあそこまで安定した走りができて、尚且つまだまだ加速できる余力を残している以上、怪異を視認できさえすれば勝ったも同然の走りが出来るウマ娘だという事は間違いない。

 で、問題は彼女にどうやって怪異を認識させるかだが、どうしたものか。

 

 

 ──あぁ、そういえば。

 

『っぷぁ。……ハヅキ、私が見える?』

 

 そうだった、その手があったな。

 

 

 俺はあいつと重なってる。

 なんというか、普通に物理的な意味で。

 あのヤベー怪異に襲われたイベントの日に、人生におけるファーストキスを通じて流し込まれたあいつの魂魄が、今でも俺の中で生きている。

 

 つまり俺という存在は一部分だけ怪異なのだ。

 サイレンスやドーベルも元は視えない側の立場だったが、怪異そのものと関わりを持つマンハッタンの協力を得た事で、彼女たちも件のオバケを認識できるようになった。

 

 ということは、要するにこの場においても同じことをすればいいだけの話だ。

 タマモクロスを()()()()()()()へ引きずり込む。申し訳ないが俺と関わったのが運の尽きだと諦めてもらうしかないようだぜ。恋人契約締結。

 

「あの、先輩」

 

 えっさほいさと柔軟運動をしている怪異を見上げながら口を開いた。あいつがこっちを舐め腐って油断している内に対抗策を確立させなければ。

 

「オバケが視えるようになる方法、あるかもしれません」

「えっ、ホンマか! 真冬の外にカフェを放置するわけにもいかんし、早いとこソレやろ!」

 

 しかし俺はマンハッタンと違って豊富な知識があるわけでもなければ、黒白ペンダントのような便利アイテムも持っていない。

 そのため彼女がサイレンスやドーベルに施したような、怪異が視えるようになる“正規の手段”を取ることはできない。というか知らないし時間もない。

 

「……あの、その方法っていうのが結構ヤバめなんですけど、大丈夫ですか」

「気にしとる暇なんてないやろ? ええから教えて、後輩の為ならなんだってするから」

 

 言質は取った。あとは羞恥心と倫理観の問題だ。

 つまり何が言いたいのかというと、俺が選べる方法は自分が知っている“確実なやり方”しかない、という話である。

 

「では、俺とキスをしてください」

「わかった!」

 

 えっマジ。

 

「いいんですね、先輩」

「当たり前や! カフェを助けるためなんやから、キスでもなんでも──」

 

 と。

 そこまで言いかけた辺りで、彼女の声が止まった。

 

「キス、くらい……」

 

 そして先ほどまで勝気な表情だった顔が硬直し、少し経って真顔になった。

 

「…………キス?」

 

 タマモクロスは素っ頓狂な声でそう呟き、ぐるんと首をこちらへ向けた。

 

「え、キス……?」

 

 その疑問符は浮かんで当然のものであった。

 夏休み前までの俺なら今の彼女と同じリアクションを取ったに違いない。

 そう、分かるのだ。

 何を言っているのか分からない、という感情はこの上なく理解できる。

 ()()()()は、なんというか理不尽なんだよな。

 

「なんで??????」

「……かなり端折って説明すると、俺も一部分だけオバケなんです」

「う、うん」

「オバケになれば、オバケが視えるようになります」

「それは……そうかも」

「なので先輩もオバケになってください」

「な、なるほど。──えっ? いやっ、ちょお待って!?」

 

 わかりやすく説明するとこうなるんだよ。理解してくれ! 心からの願い。

 

「いやいや繋がっとらんやんけ! キスは何っ!?」

「俺はキスであなたをオバケ寄りの存在にできます」

「こわいわッ!? なにその吸血鬼みたいなシステム!」

「さすがに首を噛んだりはしません」

「そういう問題じゃないやろ! くぅっ、そろそろ流石に慣れてきたかと思った矢先にまた頭痛くなってきた……!」

 

 ここで説明しよう!

 コレはつまり相棒と同じやり方の、口移しで俺の魂の一部をタマモクロスに移植しよう、という話である。

 身体の一部が怪異になれば、否が応でもヤツらのことは視認できるようになるはずなのでね。ベロチューせよ! 熱烈夫婦のベロチューキッスです……。

 

 つぶあん。

 あの出会って間もない頃に相棒が言っていたのだ。

 自分は怪異と同じ存在なのだ、と。

 であれば、怪異である彼女の一部を取り込んだ俺も、たぶん三分の一くらいは怪異になっている。

 ユナイトしまくるだけでも身体能力に変化が訪れるのだから、俺と同じく魂なんて高尚なモンを受け取ったとなれば、確実にこちら側の世界へ足を踏みいれることができるはずだ。

 俺が初めからあいつを視認できた謎は一旦置いといて、確実にこの緊急事態に対処できる方法はこれしかない。

 とはいえ。

 

「あの……もちろん無理にとは言いません。視えなくても俺の指示で怪異を追いかけること自体はできると思います」

「……それやと動きにラグが生まれるんやろ。見えない敵を追うんはウチもスピード出し辛くなるし、怪異を取り逃がす可能性も出てくるし……最悪そうなるとソイツを追ってたカフェが責任を感じて──あぁっ、もう~っ!」

 

 ぐしゃぐしゃっと髪型が崩れる勢いで頭を抱える先輩。

 彼女の気持ちはあり得んほど分かるが、流石にそろそろ時間がない。

 

「…………はぁ。しゃーない、わかった」

「えっ」

 

 マジ。即断即決にも限度あり。しかしその思考の回転速度誉れ高い。ノーブラなの!?

 

「一応言っとくと、相手がハズキ君だから嫌がってたとかそういうワケちゃうから。単純に心の準備が出来てなかっただけ」

 

 まさかそんな身の程知らずな勘違いなんてしないし、それどころかこの数秒でその心の準備すら済ませてしまうのが凄すぎるんですがね。ショタなのは見た目だけで中身は高校生だしそれを隠して一緒に風呂も入ったガチ不審者と出会って二日目でキスだぞ。マジで並の胆力じゃない。切実にお嫁に欲しい。

 

「だっだ、だいじょうぶなんですか」

「何で今度はそっちが緊張してんねん……」

「いえ、その……先輩。ちゃんと責任取ります」

「ハァ!? ぁ、あほっ」

 

 俺の言葉に驚いた彼女は優しくポコっと頭を叩いた。触った、と言ったほうが正しいかもしれない。手ぬるいわ。

 

「まったく、後輩がいっちょ前に責任とかカッコつけんなや……あんな、ええか。これはあくまでカフェを助けるための緊急措置や、それ以上でもそれ以下でもない」

「……タマモクロス先輩、本当にマジで優しいっすよね」

「あんた話聞いてたんか!?」

 

 もうそろそろ彼女の凄みにいちいち驚くのもやめた方がいいかもしれない。この少女にとってはきっとこれが当たり前なのだろう。

 すぐそばで眠っている傷ついた後輩が多少なりとも判断材料になるとはいえ、たとえどれほど特異な状況に巻き込まれていても、後輩や知り合ったばかりであるはずの俺をも護るために、文句はそこそこに最後まで手を貸してくれる──まさにあの相棒を想起させる強靭な精神力だ。

 

「……あっ、怪異が動き始めました」

「えぇっ!? ちょっ、はよせんと!」

「か、屈んでください」

「はい!」

「いきますよ」

「は、はい……!」

 

 そうして半ば無理やり勢いのまま、

 

「──」

 

 儀式を執り行った。

 俺の魂魄を削って送り込むのは、なんかこう、脳内でイメージした通り体の中心を少々力ませて、雰囲気でなんとかして。

 

「──っぷぁ」

「あそこにいるの、視えますか先輩」

「……ん、橋の上を爆走してる、黒い変なのがおる。……アレか?」

「アレです」

「あいつかぁ……」

 

 とても顔を赤くしながら、少女は彼方を走る件の元凶を恨めしい視線でしっかりと捉えた。

 

「いくでハズキ君。アイツいてこましたる」

「そ、そうですね。じゃあ背中に乗りま──う゛ォッ!!?」

 

 そして俺が乗バした瞬間にとんでもないロケットスタートをかまし、まもなく驀進タマモクロス号は橋を抜けて大通りに差し掛かった怪異の背中へピッタリと張り付いてしまった。えぐい加速で首の骨が折れるかと思った♡ 恐怖心たっぷり出た……。

 

「こんのっ」

 

 怒りのタマちゃん、隣に並んだ瞬間にオバケの首をひっ掴み確保。

 

「クソボケぇぇぇぇーッ!!」

 

 そのまま怪異を川へとブン投げて霧散させ、完全なる勝利を飾ったのであった。

 まさに圧倒的な勝利だ。瞬殺と言っていい。

 どうやら優しく面倒見のいいこの少女は、怒らせると誰よりも怖くて速い閃光の稲妻と化してしまうらしく、これからタマモクロスと向き合っていく中で重要な情報をまた一つ獲得できてしまったようだ。

 

「……ファーストキスやぞ、ぼけぇ……」

 

 これまで後生大事に守り抜いてきた乙女の純情を結果的に弄ばれた清廉なウマ娘の最後の一言は、ほんの少しだけ涙声が混じっていた。

 

 

 

 

 

 

 それから少し経って。

 

 まずはマンハッタンを送り届けるところから、ということで彼女の自宅へ赴いたのだが、どうやら両親が不在だったらしく誰も家にいなかった為、緊急措置ということで一旦メジロ家の屋敷でマンハッタンを治療することになった。

 

 幸いマンハッタン本人の怪我は軽い擦り傷程度だったので、応急手当も屋敷の使用人さんに手伝ってもらい何事もなく終わり、彼女を寝室で休ませた頃には夜半を過ぎてとっくに深夜を回っていた。

 ドーベルや他のみんなもとっくに床に就いており、やはりというか起きているのは俺とタマモクロスの二人だけであった。

 

 ──そして現在、屋敷に戻ったらそのまま寝ると思い込んでいた俺の予想とは裏腹に、まだ俺たち二人は起きていた。

 ()()()()()()

 

「……おかしくないですか、先輩」

「何がや」

「いえ、あの、走って汗をかいたからシャワーを──までなら分かるんですけど、どうして一緒に……?」

 

 えっちなのはダメ! 死刑!

 

「もう一緒に入ったことあるやろ。別に一回も二回も変わらんて」

 

 タマモクロスは後ろからボディスポンジで俺の背中を洗いながら、何でもないようにそう告げた。最強死刑囚編。

 もちろん俺は腰に、彼女は一枚のバスタオルをしっかり巻いているが意味ないだろコレ。

 大浴場は必要最低限の照明だけがついており、そんな若干薄暗い浴室のなかで洗いっこ……というより俺が一方的に洗われているのが現状だ。

 

 何だろう、これは。

 もしかしなくても普通に拷問というか処刑待ちなのではないだろうか。

 謝罪贖罪懺悔とにかく謝り倒さないと死ぬ恐れがある。山田……たすけて……。

 

「……ぁあの、申し訳ありませんでした」

「何がや」

「いえ、なんといいますか、大阪のご自宅では入浴中に胸に飛び込んだりなどの大変不埒な行為を働いてしまい……」

「うーん……子供なら全然問題ないけど。キミ何歳や、言ってごらん」

「じ……十七歳です……」

 

 どう考えても明らかにライン越えです本当にありがとうございました。あ~ムラムラしてきた。

 もしかしなくてもここが俺の人生の墓場なのだろうか。

 冷静に考えて、ショタになったのを良いことに、幼い少年だからこそ優しくしてくれていた相手に対してめちゃくちゃに甘え倒したのはヤバすぎた。

 あの場ではあぁするしかなかったとはいえ、距離感が保てる場面でも甘えてた感は否めない。やはり待つのは死か。デッドオアデッド。添い寝しよ! 添い寝。

 

「……ぷっ、ハハっ」

 

 まさに断頭台に拘束された罪人の心持ちで粛清を待ち続ける俺だったが、背中から聞こえてきたのは明るい声色の笑い声であった。バカにしてんの? ケツを鷲掴みしてしまうよ?

 

「もー、そないに緊張せんでよ。別に意地悪したかったわけちゃうから」

 

 この薄暗い風呂場で背中を洗われ続ける状況が意地悪じゃなくて何なんだよって話だ。心臓バックバクで無様でございますね♡

 

「まぁちょっとだけ困らせてやりたい気持ちもあったはあったけど……」

 

 やっぱり意地悪じゃねえか悪辣な女。責任を取れ確実なアクメで。

 

「先輩……」

「なはは、いやゴメンて」

 

 軽く笑いながらシャワーで泡を洗い流したタマモクロスは俺の手を引きそのまま湯船の中へ二人で入っていった。

 やはりタオルだけは、巻いたまま。

 

 なんとか彼女の肢体を眺めないよう前だけを向いて固まっている俺とは対照的に、彼女は明らかにチラチラとこっちの様子を見つつ、隣に座って湯船に漬かった。あっ肩がくっ付いてしまっていますよ奥さん。ドエロいホスピタリティに感心。

 

「……とはいえ、ここまで諸々を飲み込んでついてきたけど、流石にそろそろキャパオーバーや。ハズキ君が知っとること……全部教えて?」

「あ、はい。ちょっと長くはなりますけど──」

 

 ここへ至るまでキレずにしっかり我慢し続けた大人な先輩も遂に痺れを切らし、なんかフワフワした雰囲気のまま物事が進んでいたこの現状への説明を求めてきたので、記憶が戻って絶好調な俺はようやっと彼女に全てを打ち明け始めるのであった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 トレセンの少女たちとの出逢いから、あの有での事件に至るまで、なるべく漏れがないよう知っている情報を詳らかにした。

 これまではとにかく覚悟だけで事情を信じてもらうしかなかったわけだが、この先はサイレンスやマンハッタンなどに聞けば情報の精査もできるだろう。

 というわけで。

 

「──すいませんでした!!!」

「それはもうええって。キミの立場を考えたらあぁする他に無かったやろ」

「せっ、先輩……」

 

 ちょっと聡明すぎてイキそう。恋心持っていかれないよう注意。

 

「な、なんやジッとこっち見つめて。あっち向いといてよ……えっち」

 

 かなり感動して尊敬の視線を送っていたら怒られたのでもう一度前を向いた。イケズな女。しかし美しいのだ。やっぱり交尾の経験も豊か?

 

「はぁ。にしても……ハズキ君も大変やったんやな」

 

 おい! そっぽ向けと言ったのはお前なのに頭を撫でてくるとはどういう了見だ。ね、タマちゃんキスしよ~よ。……もうしてるんだった。誠に申し訳ございませんでした。

 

「あの、自分で話しておいて何ですけど……信じてくれるんですか。だいぶ荒唐無稽な内容だったと思いますけど」

「いまさら話を盛っても意味ないやろ。キミがどういう人間なのかは今夜のスズカを見とったら分かるよ」

「先輩……」

「ふふ、それにウチも既にオバケの仲間入りしとるし」

「あっ……ご、ごめんなさい」

「っ?」

 

 俺が自信なさげに謝ると、少女は首を傾げた。何に対しての謝罪なのか分かっていない様子だ。

 

「緊急措置だったとはいえ……二重の意味で大変な事を強いてしまって……」

 

 かつてここまで誰かに謝り倒した日があっただろうか。謝罪の回数だけで言えば、昨日も含めたらそれだけで夢の中でコスプレさせた六人の仲間たちに土下座し続けたあの日々にも匹敵するかもしれない。

 それほどまでに謝っている。

 というかそうしなければいけない。

 これまでにも協力してくれた人々はたくさんいたが、ここまで明確に()()()()()相手というのは彼女が初めてなのだ。

 

「先輩の年末のご予定も全部潰して、少なくない額のお金も使わせてしまって、終いにはよく分からないオカルト現象にまで巻き込んでしまいましたし……本当に申し訳ないです」 

 

 きっとタマモクロスでなくとも、真冬の大雨の中をシャツ一枚でうろついている子供を見つけたら、声をかけずにはいられないだろう。

 そこまでならまだしも、その先の本格的な保護と協力を求めたのは俺からだ。

 

「……ん、まぁ確かに大変ではあったかも」

「っ……」

 

 今までとは順序が全くもって逆なのだ。

 トレセンのウマ娘たちや山田、やよいや樫本先輩のように、繋いだ縁から築いていった信頼関係を前提として手を貸してもらっているわけではなく、この少女とは先に“協力”を前提にして一緒にいてもらっている。

 そんな関係性から始まった相手など、それこそあの相棒くらいのものだ。

 だが、今回はなるべく協力してもらえる方向へ誘導した俺の方に非があり、巻き込んだ責任がある。これに至っては10:0で俺が悪い。

 

 なので、謝り続けているのだ。

 許してもらうためではなく、人としてこのまま流してしまってはいけないから。

 記憶を取り戻して責任能力が復活した以上、これからタマモクロスに対する償いを行わなければならないのは明白だ。

 

「──でも、先輩ってそういうもんやろ?」

 

 しかし、彼女から飛んできた一言は、俺の脳内で渦巻いていた贖罪をあっけらかんと蹴り飛ばすものであった。

 

「……えっ?」

「困ってる後輩がおったら助ける。それだけの話やって」

 

 そう言いながら明朗快活な笑顔を浮かべ、彼女はもう一度俺の頭をポンポンと撫でてくれた。いちご泥棒。

 ──どうやら今この瞬間になるまで、俺はこのタマモクロスというウマ娘の事を理解できていなかったようだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 とてもあっさりした雰囲気で、芦毛の少女はそう語った。

 

「だいたい初めて会った時のハズキ君マジでヤバかったし。あんなん放っておけんわ」

「え、そんなヤバかったんですか」

「そりゃもう激ヤバよ。目が死んでたっちゅーか、バッドエンドまっしぐら~って感じ」

「……それは、やばいですね……」

 

 すげぇ砕けた口調で教えてくれるタマモクロスは、本当にあまり気にしていない様子だ。

 これだけの事があっても彼女は先輩だから手を貸したと言い、そこへそれ以上の特別な何かを持ち込む雰囲気は微塵も感じられない。

 

「とにかく! これ以上は謝罪も贖罪もいらんからな。ハズキ君がまだ続けたいなら構わへんけど、それ言う度にウチのテンションは下がる一方やで」

 

 そう努めて明るく振る舞う少女の姿は、一言で言えば光そのものだ。どこまで俺の好意を高めれば気が済むのか。早く子供つくりてぇ。先輩! ちょっとお時間よろしいですか?

 

「……わかりました。ありがとうございます、タマモクロス先輩」

「んー……ちょっと固いかも」

「えっ。そ、それなら……タマ先輩、とか」

「おぉ、ええ感じ。せやったらこれからはそう呼んでくれるか、()()()君?」

「……はい!」

 

 あっ、俺の好感度がカンストする音。マジでタマちゃん先輩のこと好きになっちゃった……どういうおつもり!?

 めっちゃ普通に俺にとって唯一の高校生の先輩になってくれたわけだが、このままじゃあ先輩ありがとうございましたで終わらせるのは流石に不可能だ。そうは問屋が卸さないってんだべらんめぇちくしょうめ江戸っ子でい。ウサギと亀。

 

「あの、タマ先輩。謝罪はアレでもせめてお礼はさせて頂けませんか」

「え? 別に礼なんて……」

「いや飯を奢るだけでも! あとは、えーと……買い物の荷物持ちとか、手伝いとかいろいろ……なんでもいいんでやらせてください……!」

 

 ここまで来て礼が不要なワケがないだろう痴れ者めが。ズルい女、エロい女。

 タマ先輩が優しいのは重々承知だが、それでも人として最低限の礼だけはさせてもらいたい。とても感謝の言葉だけでは収まりがつかないのだ。必要とあらばふさわしいアクメをプレゼントするからね。

 

「ま、まぁそこまで言うなら……」

 

 いい具合に妥協点を見つけてくれたようだな。チョロいウマ娘さんだぜ。全身柔らかくて美人で気立ても良くて強くて……とにかく最高だよ。さぁ夫婦の営み始めましょうね。

 

「ならハヅキ君が元の高校生に戻った時にお願いしよかな。ウチ、キミの本当の顔とか全然知らんし、頼むならちゃんとお互いを知ってからがいいかも」

「そ、そうすか」

 

 妙に気合いを入れ過ぎていた俺に引いたのか、タマモクロスは一歩引いた提案で手を打ってきた。こんなはずでは。

 いや、まぁ子供の身体でやれる事なんぞたかが知れているし、元の姿に戻ってからというのは理にかなってはいるが。

 

「……というかハヅキ君はどうやって元に戻るん?」

 

 ねー♡ どうすればいいんだろうね♡ 

 この状態異常に関しての知識は流石のマンハッタンも持ち合わせていない可能性が高いし、そうなるとこれを説明できる人物が存在しないことになる。

 あ、猫ちゃん先生なら分かるんだろうか。今夜の夢にでも出てきてくれたらとんとん拍子で進むのだが──

 

「うっ……」

 

 頭がフラついた。僅かながら逝く。

 

「ハヅキ君? のぼせちゃった?」

「そうかもしれないです……」

「話し込んで結構な長湯しちゃったし、そろそろ出よか」

 

 

 

 

 

 

「……っ?」

 

 ふと、目を覚ました。

 次第に明瞭になっていく視界に最初に映ったのは、明るい陽射しを中途半端に遮っている白いレースのカーテンだった。

 

「ぅお、まぶし……♡」

 

 これは──もう朝かもしれない。

 あれから風呂を出て、改めて着替えてから寝室へ向かったはずだが、確か俺はそのままタマモクロスと同じベッドで眠ることになったんだっけか。ママ優しくてだーいすき♡ ビューティー・コロシアム。

 

 その流れ自体は当然というか、中身が高校生だとバレている以上はそれを共有したタマモクロスの前で堂々と他の少女たちと寝るわけにもいかないので、俺を一人にできない都合上やはり彼女のそばにいるという形で落ち着くのは必然だった。お姉ちゃんママ布団に包まれておりました。今世紀最大に安堵した……。

 

 それに加えて、変態タマちゃん先輩は終始落ち着いていた。

 彼女の胆力がヤベーのはもちろんだが、いろいろと事情を知って冷静になれたのと、元の俺が高校生でも結局は一つ下の後輩で、なにより今はショタの姿ということで抵抗感が薄れていたのだろう。ママ! ショタコンなの? この期に及んで同衾可能などマゾメスすぎるだろ。

 

「……先生、出てこなかったな」

 

 それから、昨晩の夢に猫ちゃん先生は出てこなかった。というより夢自体をそもそも見ていなかった気がする。

 そんな最上の熟睡だったおかげか、寝起きにもかかわらず体調の完全回復を肌で感じるし、なにより寝覚めが良い。やる気元気ハヅキ。

 

「──あれっ」

 

 おかげですぐ違和感に気がついたのだが、着ている服が妙に固い。

 昨晩はゆったりとした子供用の寝間着で床に就いたはずだが。

 不思議に思いながら枕のそばの腕を確認すると、そこにあったのは何やら見覚えのある紺色の袖であった。

 

「……俺、いつの間に()()を……?」

 

 どう見ても俺が通っている高校の男子用ブレザーの袖だ。

 

「これ……寝てる間に元に戻ったのか」

 

 どういった仕組みなのかは分からないが、就寝中に元に戻ったらしい俺は子供用の寝間着ではなく、有の日に自宅に置いていった自分の制服を身に纏っている。

 もしかすると覚えていないだけで、夢の中に現れてくれた先生あたりに、何かしらの手助けをしてもらったのかもしれない。

 なんにせよ以前の姿に戻れて安心した。色んな人に優しくしてもらえるショタボディだったが、なにかと不便な事のほうが多くて辟易していたのだ。違法ショタ卒業。

 

「そういえばタマ先輩は……」

 

 隣で一緒に寝ていたはずだ。どこだ! であえであえ!

 

「あ、いた」

「…………んん」

 

 布団を捲ると俺の胸元にくっ付いて眠っていらっしゃった。毛布の中にいたせいか髪の毛もくしゃくしゃになっている。季節の野菜をシェフ特製のソースとともに。

 

「俺が元に戻ったから体格差に違和感が……この人、こんなに小柄だったのか……」

 

 昨晩までは俺の全てを包み込んでくれるママお姉ちゃんだったのに、今や妹にしか思えないほど彼女の方が小さい。

 というか高校生の知り合いの中ではぶっちぎりで一番小柄だ。ちっちゃくてかわいい~♡ しかし器のデカさは世界一。えっちだね。

 

「んぅ……ぁ、ハヅキ、くん……?」

 

 お眠タマ先輩は寝ぼけまなこを擦りながら目を覚ましたが、普段の俺と同じで朝は弱いほうなのか半覚醒状態だ。そんなに油断したエロ態度で先輩を気取って……正気の沙汰ではないぜ。

 横になっているこの状態では真上に設置された時計を見られないため、今が何時なのかは分からないが、今日まで身を粉にして付き添ってくれていた彼女に『起きろ』とはとても言えない。

 ハヅキのログインボーナスです! 心身の回復には二度寝が非常に効果的ですよ! 気絶しろ。

 

「うぅん…………──ん?」

「おはようございます、タマ先輩」

「……」

 

 先輩は相変わらずヌボーっとしている。朝だし頭がまだ回っていないのだろう。今のうちにサインと判子もらいますね。

 

「……? ……???」

 

 ちょっとその眠気と困惑が半々の表情かわいすぎ。嫁としての作法を徹底的にたたき込む必要がありそうだ。ギューッとしてね。ほれほれほ~れほれほれ熱伝導率=500W/(m・k)。

 

「まだ眠いですか」

「……ふぇ……っ?」

「じゃあ二度寝しましょうか、一緒に」

「は、はい……」

 

 ポンポン、と今度は俺が彼女の後頭部を優しく撫でてやると、タマモクロスは素直に言う事を聞いて瞼を閉じ、数分後には静かな寝息を立てて眠りに落ちていった。チョロすぎて怒りを覚えてきた。ほほほ、元気でよろしいぞ我が息子よ。

 

 それから彼女が起きるまでは特にやる事もないため、先輩の繊細な白皙の髪の毛を撫でて虚無の時間を過ごしていると、みんなを起こすために各部屋を回っていたらしいメジロマックイーンが寝室を訪れ、俺たちの同衾にしか見えない光景を目の当たりして爆発した悲鳴によってようやく屋敷の全員が朝を迎えたのであった。紹介します、ここにいるのは白い稲妻で自慢の新妻です。じゃあこの美しい寝顔もそういうこと!? フェルマーの最終定理。マジでキレてきた。

 

 



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やよいと理子 ナタデココ

 

 

 メジロ家の屋敷で無事に復活を果たした俺だったが、結局あの後はすぐに病院と警察のお世話になった。

 俺を秋川葉月だと認識するよりも前に、男性に抱き着かれているタマモクロスを発見したメジロマックイーンが通報してくれやがったおかげである。すごい迅速な対応で美人ですよ♡ 遺憾のイだぜ。

 

 その後、この数日間は完全に行方不明者として扱われていたため怪我や体調はもちろん、何より失踪の理由を細かく聞かれた──のだが、とりあえずは全部()()()()という形で乗り切った。

 

 つまり『何も覚えてないです』の一点張りをした、という事だ。

 記憶喪失だったこと自体は嘘ではないが、なにより怪異だのショタ化だのとワケの分からない事情を話したところで信じてくれる大人なんて樫本先輩以外にはいないので、こうして誤魔化した方が早く済むと思ってそう振る舞ったわけだ。そして実際それで事件は終わった。

 

 もちろんトントン拍子でスムーズに事が片付いたわけではなく、正確に症状を調べようとしてくれる医者や、明らかに事件性がある今回の騒動について諸々を知りたい警察を相手に嘘八百で立ち向かうのは苦労したし時間もかかったが、とにかく俺に関してはストレス性の一時的な記憶障害という事で一旦は解放されたのであった。

 

 ──で、現在。

 

「お世話になりました、タマ先輩」

「……う、うん」

 

 俺は音楽フェスもかくやと言った人混みで溢れている駅構内で、この怒涛の数日間をずっとそばで支えて続けてくれていた愛するお姉ちゃんママが改めて大阪へ帰省するのを見送りに来ていた。良かったら家戻る前にお茶して行かないかい。

 

「本当に……マジで心の底からありがとうございました。先輩がいなかったら誇張抜きに死んでたと思います」

「も、もう……ええよ、気にせんといて。ウチはウチでやりたい事やっただけやし──」

 

 俺が感謝を示すべく社会人生活で役に立ちそうなレベルの深いお辞儀をすると、先輩は優しくポンポンと頭を撫でてくれた。今日も鷹揚でセクシーだね。バストサイズ増えた?

 

「まっ、でもハヅキ君はどうしてもお礼したいって言うとるし、ウチがこっちに戻ってきた際はコキ使わせて貰うわ。覚悟しといてな」

「はい、任せてください。なんでもします」

「ふふっ……ええんか? そんな簡単に『なんでも』なんて言うて」

「します」

「えっ」

「絶対になんでもします。()()()()です。二言はありません」

「…………ぅ、か、考えときます」

 

 めっちゃ真剣な表情で見つめたらタマちゃんが照れてそっぽ向いちゃった♡ いつも視姦してましたよイライラさせやがって。こっちもちょっと蒸れてて申し訳ない。

 

「んじゃ、そろそろ行くわ。次に会うときは年明けかな」

「いつでも連絡してください。たぶん暇してるんで」

「……きみ、結構忙しいタイプの人やと思うけど」

 

 そうかな。そうかも。そういえばクリスマス以降失踪してたから現国の課題とかやってねえや。

 

「まぁ溜まってるものは気合いで消化しますよ」

「ん、いや交友関係のことな。あの屋敷におって分かったけど、きみウチにばっか構ってられへんやろ?」

 

 そうかな。そうかも……。

 

「で、でも、先輩の為なら全然時間なんて作れますから。ほんといつでも何でも言ってください」

「……ふーん? ……じゃ、急にウチが『学校サボってデートしよう』って言うても?」

「もちろんです。サボってしましょう、デート」

「っ!?」

 

 あっ、からかいにカウンターしちゃった。デート以上の事もウェルカムですよ。一生愛し抜きますからね。

 

「……も、もう! 体が戻ってからのハヅキ君なんか生意気っ」

「あたっ」

 

 タマちゃんが小突いてきた。恋人のつもりか?

 

「ごめんなさい」

「はぁ。……まぁ、きみの気持ちも分かるけど、今はウチのことは一旦忘れてちゃんと周囲を見たってな。ハヅキ君を心配してた人は両手じゃ数えきれんほどおるんやから」

 

 それは確かにそうだ。命の恩人であるママクロスに恩を返したい気持ちは溢れんばかりだが、それはそれとして府中にいる友人や大人たちを疎かにしてはいけない。結果はどうあれ行方不明になって心配かけたのは事実なのだから。しっかりね。むんっ。

 

「はい、ちゃんと気をつけます」

「なら良し。……それじゃあ、今度こそ行くわ! よいお年をっ!」

「ええ、タマ先輩も良いお年を。……本当にありがとうございました」

 

 俺の返事に対してニカッと太陽のような笑みで返してくれたタマモクロスは踵を返し、年末の大混雑な駅構内の中へと消えていった。最後に好きです愛してますって付け足しとけばよかったかな。

 

「……いくか」

 

 偉大なる夜空に輝く天上の星にしてママ先輩お姉ちゃん様を無事に見送り、とりあえず目の前のやるべき事が無くなった俺は、ようやっと自分の意志で次の行動を選択して足を動かすのであった。

 

 

 

 

「…………やよい?」

「却下」

「いや……却下も何も」

「却下」

 

 やよいが正面からくっ付いている。

 

 ──何があったかと問われると、答え自体は至ってシンプルだ。

 自分の家に帰った。

 それだけだ。

 で、そこには愛し懐かしの従妹の姿があり、帰って居間に入った瞬間に彼女が抱き着いてきて──現在に至るというわけだ。

 

「諦めなさい葉月。これでも理事長……やよいさんは我慢している方よ」

 

 俺のお腹に顔をうずめたまま何も言わなくなったやよいの肩に手を置くと、逆に後ろから樫本先輩に肩をつかまれた。何もするな、という事なのだろう。

 

 あのメジロ屋敷で通報されて以降、病院や駅を移動していた俺のそばには()()()という扱いで樫本先輩が付いてくれていたのだ。タマ先輩とお別れしている時も外で待ってくれていた。

 で、つい先ほど彼女の運転する車で自宅へ帰ってきたのだが、結果はこの通りやよいちゃんアーマー装備という流れになったわけだ。ご心配おかけしました。結婚しよう。

 

「うえええぇぇぇえええん」

 

 あ、やよいダムが決壊した。

 

「ごめんて。本当に悪かった」

「うっさいバカぁ……しんじゃえぇ……」

「……葉月? 一応聞いておくけれど、大きな怪我はないのよね?」

「あ、はい。デバフくらったステータスも時間経過で戻りましたし、日常生活に支障はないかと」

 

 泣き泣きやよいちゃんの背中をさすって宥めつつ一旦座り、樫本先輩にクリスマスから今日までの数日間の出来事を事細かに説明していく。

 

「……そう。あのタマモクロスさんが助けてくれたのね」

「あの、って……タマ先輩のこと知ってるんですか?」

「もちろんよ。白い稲妻……彼女はサイレンススズカたちが台頭する以前の、いわゆる前シーズンのトゥインクル・シリーズで活躍していた一線級のウマ娘。有にも出走している本物のアスリートよ」

 

 自宅にトロフィーや賞状があったのは確認していたが、本当にマジで激ヤバ最強ウマ娘だったんだなあの先輩……。お嫁に欲しいかも。

 

「──っ? やよい?」

「ぐすっ、ううぅー……葉月ぃ」

「どした」

「さっきのウソ……しなないでぇ……」

「死ぬわけないだろ。大丈夫だから」

「あうぅぅぅ」

 

 頭をグリグリ押し付けてくるやよいを宥めつつふと時計を確認すると、時刻は間もなくお昼を迎えようとしていた。

 

 

 ──さて、これからどうしようか。

 

 こうして身体と記憶は無事に戻ってきたわけだが、だからといって全部が元通りになったわけではない。

 ドーベルやサイレンスは俺が戻ったことをある程度は知っているものの、流れでメジロ屋敷を後にしたため身体が戻った後はまともに話していないし、あの屋敷で休ませていたマンハッタンとは府中に戻って以降終ぞ一言も会話していない。

 

 まずは連絡と情報交換から、だろうか。

 有の日に一緒に戦ってくれたゴールドシップたちや山田の事も心配だ。

 そちらに顔を出しつつ、最終的には先生と協力してあいつを迎えに行く算段をつける──これだな。

 とりあえずはバチクソ心配かけさせまくった友人各位に謝り倒さねば。話はそれからだ。

 

「葉月っ! お風呂ッ!!」

 

 しかし俺の戦いはこれからだ。

 

「一緒に入るのか……?」

「え? うん」

 

 もう数年以上は一緒に入ってない、というかそういう年頃ではなくなったのに、やよいは構わず俺の手を引いてくる。おいやめろエッチ! 何でもないよ。よくできた同居人だね。女としてシゴデキでしかも美しくて言うことないよ。魔女め。

 

「せ、先輩……」

「あなたも大変だったのは知っているわ。その上でやよいさんの心労も理解してあげて欲しい、というのが私の意見です」

「それは、そうなんですけど……」

 

 樫本先輩の言うことは尤もであり、どちらかと言えば有の日に相談なしで戦った俺の方に非がある。

 なので基本的にはやよいに従いたいのだが、これはいいんだろうか。

 そうしてまごついていると、ずんずんと近づいてきたやよいが俺の腕にくっ付いてきた。なに? 多少のふくよかな感触はスケベですが……。

 

「ほら、いこ。()()()()()()()と一緒に入れて、私と入れない道理はないでしょ」

 

 タマモクロスに魂魄を分け与えた方法がキスだった事以外はマジで詳細にほぼすべてを語ったのであらゆる事象を把握されてる。そして言い返せない。大ピンチ。

 

「いや、でもなやよい。あいつらと入ったのは事故みたいなものだし、なにより事情を知っている相手はしっかりタオルやら水着やら身に着けてたんだ。お前それは?」

「だってお風呂だよ? 付けるわけないでしょ」

「俺たちもう子供じゃないし……」

「……それ以上ウダウダ言うなら理子ちゃんも一緒に入ってもらいます」

 

 おい禁止カード使うな。レギュレーション守って。

 

「先輩っ! こいつヤバいこと言ってますよ!」

「やよいさんが望むなら致し方ないわね……」

 

 あ、もしかして味方がいない?

 

「……わ、わかった。一緒に入ろうやよい。先輩は居間でゆっくりしてもらって──」

「あ、理子ちゃん。いいって」

「分かったわ。荷物から着替えを出すから先に入っていて」

 

 今の俺の言葉がどう曲解されたら三人で風呂に入ることになるんだよオイ待てごめんなさい待ってください♡ すけべな女たちだなぁムカつくなぁいっぺんイッて気絶しとけ。

 タマモクロスの時と言いどうしてこういう流れになるのだろうか。もしかして原因は逆に俺の方にあるのか? サポートカード秋川葉月の効果:入浴イベントの頻発。

 

「……疑問。葉月はどうして目を閉じているの?」

「自分の胸に手を当てて考えてみてくれ」

「とりあえず前からお胸を洗うね。よいしょ」

「ひゃんっ♡ おい!!!!」

 

 とりあえず風呂場まで移動した俺たちであったが、やはりこのままでは倫理的にマズいという事でタマモクロスの時と同様に腰にタオルを巻き瞼を閉じ切っている。

 なんなら服を脱ぐ段階で既に目を閉じていた。俺は何も見ていない。

 

「あら、やっぱり三人だと狭いわね」

 

 そして乱入する樫本理子。多勢に無勢にも限度があるだろ。

 

「結託ッ。樫本トレーナーは背中を頼む」

「はい。承知いたしました、理事長」

「もしかして俺が自分で洗うっていう選択肢は無い?」

 

 どうやら彼女たちは年齢や性格が異なっていても俺という相手に対しては無類の強さを発揮できるベストコンビであったらしい。最強の二人。

 

「ね、ね、葉月」

「どうしたやよい」

「理子ちゃんは今、タオルを付けてると思う?」

 

 うひょ~何だそれイケズな女。目を閉じてんだから分かるわけねぇだろ。俺の心臓で耐久テストを実施するのはやめてもらって……♡

 

「先輩、大人として普通にやよいを叱ってください」

「ここに入った時点で私も誰かを叱責できる大人ではないわ」

「……あの、それなら状況だけでも教えてください。流石に付けてますよね」

「さて、どうかしら。目を開ければ分かるのではなくて?」

 

 シュレディンガーの理子。

 

「マジで泣きたくなってきた……」

「理子ちゃん、葉月が女二人に挟まれながら身体を洗われて感動しそうだって」

「ふふ、無理もないわね。……お客様、お痒いところはございませんか?」

 

 あるに決まってるだろ全身が疼きまくりだよエロ女どもめ。そうやって後ろから胸を押し付けてハングリーなイキ精神見事ですが……。ていうかこの感触的にタオル付けてるね理子ちゃん。初心でかわいい~♡

 

「ちょ、なんか二人とも今日は様子が変じゃないですか。ヤリすぎですよ。そろそろひっくり返りますよ俺」

「……そう」

 

 ついに三つある堪忍袋の尾が切れかかった俺がよくわからん脅しを零すと、反応したのは後ろから柔らかいボディスポンジでいかがわしいお店のロールプレイにしか思えない行動をとっている現職トレーナー女性のほうであった。

 

「──この府中に戻ってきて途中から参加した私には、多くを語る資格はないけれど」

 

 そこで聞こえてきたのは心臓に鋭く届くようなハッキリとした声音だった。え、マジ? この状況でシリアスな雰囲気を醸し出せると考えている?

 

「それでも……あなたの心配くらいはしてもいいでしょう?」

「い、いえその、心配していただけるのはもちろん嬉しいんですが……」

「……本当に心配だった。仮にも大人である私がこんな事を言ってしまうのは良くないかもしれないけれど……怖かったのよ」

 

 ぬるぬるグッチョグチョの泡で文字通りのソーププレイをする手が前も後ろも止まり、二人して完全に独白タイムに入っている。

 それは別に構わないのだがこの状況で喋ることでもない気がします。

 

「……普段の状況で話してもあなたは自分を卑下してはぐらかすでしょう。こうして逃げ場のない状態を作れば、ちゃんと聞いてくれると思ったの。……少し強引だったわよね、ごめんなさい」

 

 そういうことか……そうだったのか……点と点が繋がったわ。許さんぞ……! 巧妙なマゾ雌ガール♡ 頭脳明晰でタイプだよ。

 

「あの日、抜け殻になった葉月の服を見たときに後悔したの。あなたがこうして戻ってきてからも、今だってずっと不安で心がいっぱい」

 

 耳に張り付くような湿度を帯びた声で呟く樫本先輩は、その手からボディスポンジを離し──そっと俺の背中に抱き着いてきた。そこはかとなくイク。こんなデカパイぶら下げてこれまで威力を発揮したことが無かったのか。我が国の逸失利益は計り知れないよ。

 

「今はこんなにも近くにいて、背中から優しい体温を感じられるのに──明日には手の届かない場所へ消えてしまっているかもしれない。それが怖いの。私があなたを守ろうとしても、その何十倍もの人々を守ろうとしてあなたは幾度も傷つき続ける」

 

 混乱する頭の中で必死に先輩の言葉を咀嚼してはいるのだが、それはそれとして状況がセンシティブすぎるため集中できず、結局どっちつかずになってしまっているのが現状だ。

 美人な女二人にサンドイッチされてなお冷静にシリアス顔してシリアスな話に集中するにはあと98パーセントくらい主人公適性が足りていない。エロゲ等の主人公さんたちを心の底から尊敬した瞬間であった。人間じゃない。

 

 ──本当に僅かだけ理解できたことは、彼女たち二人が心の底から秋川葉月という人間を案じてくれているという事実のみだ。

 

「正直に言えばもう危険な事はしないでほしいし、私たちのそばから離れないでほしい」

「それは……」

「わかっているわ。世界が葉月に何を求めているかなんて。……それでも、幼い頃からやよいさんとあなたを見てきた私にも、言えることはあると思うの」

 

 一拍置いて、彼女は続けた。

 

()()()()使()()()。……もう無関係な大人ではないから。葉月が誰を守りたいのか、どうして身を粉にできるのか、少しは知っているつもりだから。どんな事でもいいから……これからは頼って」

「先輩……」

「お願い、葉月」

 

 ──そんなことを言われてしまったら、俺のダサいカッコつけなど無意味になってしまうではないか。

 

「わかりました」

「っ!」

 

 元からスーパーヒーローのような自己犠牲精神は持ち合わせていないのだ。現にタマモクロスという本来は無関係な少女にまで協力を仰いでここまで戻ってきた。

 だから、巻き込まれてもいいと覚悟してくれた相手なら、それはもうお嫁さんになってもらうレベルの勢いで巻き込ませてもらうつもりだ。

 

「口で言うのは簡単なので……行動で示します。マジでバチクソ頼りまくります。……俺にも先輩が必要です」

「……そう」

 

 とはいえ半端な気持ちのスケベは許容しかねますよエッチなお姉さん。そろそろ背中から離れてくれないと真剣に俺の真剣が御物相当の宝剣にレベルアップしてしまう。抜刀まで秒読み。

 

「……ふふ。まぁ、そうね。行動で示してくれたら、それが一番嬉しいわ。……ありがとう葉月。私を必要と言ってくれて」

 

 それなんか俺の方が立場が上みたいな物言いになってませんか。それとも俺に貰われる覚悟がいよいよできたのかな。寝間着はレオタードですよね?

 

「うーん……言いたいことはだいたい理子ちゃんが全部言ってくれたかな」

「やよい」

「ん、別にもうとやかく言ったりはしないよ。私も理子ちゃんと同じ気持ちだったから、頼ってくれれば……手の届く場所にいてくれたら、それでいいから」

「……悪い」

 

 まぁ流石に守りたい人が多い自覚はあるので、それを許容してくれるこの二人には本当に頭が上がらない。

 片や世界で最も愛している家族で、片や俺を人間にしてくれた人生の大恩人だ。

 彼女たちがそばで支えてくれるだなんてチート級の支援があるのであれば、もうワガママを喚いていい理由なんてのは微塵もありはしないだろう。

 

 真剣に、誠実に向き合っていこう。もう俺とあいつだけの身体ではないのだから。むんむんっ。

 

「そうだ、あと一つだけ」

「っ?」

 

 必死に穏やかな雰囲気を演じて興奮をひた隠していると、両足の間に座り込んでいたやよいが思い出したように声を上げた。……あ、いつの間にか目ぇ開けちゃってた。やよいもタオル巻いてた。ていうか近くない? あ~このもち肌たまんねぇ良い匂いもするし生粋のいい女。

 

「これはトレセンの理事長としてだけど──あの日、有記念に臨むウマ娘たちを守ってくれてありがとう。……えと、だからってわけじゃないけど……私、やっぱり葉月のこと大好き。えへへっ」

 

 柔らかい声音でそう告げたやよいは、まさに花が咲いたような笑顔であった。いつもの凛々しい理事長や、限界を迎えて幼児退行したあの時のようなフニャフニャな笑い顔でもなく、秋川やよいという一人の少女が見せる心からの笑顔こそがコレなんだなと、俺は勝手にそう感じた。

 

 こうして膝の間に座っていなければ、きっとそんなエモい感じで解釈できた。美女美少女サンドイッチで俺はただただエロい気持ちでいっぱいであった。自分に正直になろうよ家族になろうよ。

 

「……さて、じゃあそろそろ湯船に入ろっか」

「いや流石に三人で入れる大きさじゃねえぞ。一人暮らしアパートの浴槽なめんな」

「ギリギリ入るって。じゃあ理子ちゃんが一番後ろで、間に葉月で前が私ね?」

「ええ、では先に入るわね」

「三人だとお湯がほとんどなくなっちゃいますって!」

「いいからいいから。ほら寒いから葉月も早く入って。で、私が葉月の膝上~♪」

 

 そんなこんなで流れのままに三人で狭い浴槽にインしたお。前も後ろもフワフワで俺のキカン棒も収まりがつかないってもんだよ。トレーナーとしてね。こうなったら俺がなでなでして慰めてあげるからね。俺優しいから頼もしいから。ほらお茶の間に向けてピースしろ。

 

「ふふ、狭いわね」

「だから言ったじゃないですか……」

「いいじゃん、滅多にない機会なんだしさ」

 

 おいあまり俺を舐めるなよ。甘ちゃん三葉虫。

 

「……葉月、お顔が赤すぎるよ」

「この状況を俯瞰して見てくれ」

「うーん……流石にコレはそういうお店っぽいかも?」

 

 めちゃいい理解力です♡ この勢いでお店を開こうと思っています♡ 名前考えたんだよ。ちんちん亭とか。

 

「なぁやよい。そろそろお前の言うことが全てになるターンも一旦終わりだと思わないか」

「と、言いますと」

 

 無邪気なケツが無意識に上へ上へと上がってきているぞ。丸みを帯びたケツだね♡ 近づけるな! 頭きたマジでキレた堪忍袋が破裂した。

 

「俺は自分の意志でこの浴槽から出たいと考えている。それを認めてくれたら別に何事も起きやしない」

「……認めなかったら?」

「暴れる」

「えっ」

 

 やよいが素っ頓狂な声を上げた。なに不思議そうにしてんだ嫁に貰うぞ。ここはひとつ交尾で手を打たない?

 

「めちゃくちゃに暴れる。やよいをめちゃくちゃにするし先輩もめちゃくちゃにします」

「っ!?」

 

 なに驚いてんだ後ろの美人な女。お前も例外じゃねえぞ可憐な女。

 

「マジでここをそういうお店にする。そういう覚悟が本気で完了する。どうするやよい」

「…………えと……」

「ゃ、やよいさん……っ」

 

 振り返るといつの間にか真っ赤になっているりこぴん。

 改めて前を向くとこれまた赤面しながら目がグルグルになって混乱しているやよちゃん。

 そうか、この場で漆黒の覚悟を持っているのは俺だけか。ふ~むなかなか扇情的な誘い受け態度で……未来の旦那として、そして男として。ハピネス。

 

「そ、そのう……」

「五秒以内に答えろ」

「うぇっ、ぁ、は、はい。えっと……!」

 

 従順になるとめっちゃ可愛いな……余情残心。

 

「け、決定ッ。残りの時間は私と樫本トレーナーで入浴するため、葉月は退浴していただいて……っ」

 

 その判断力の高さ、アンナプルナ。

 

 ──というわけで、追い詰められきった俺は何とかめちゃくちゃ弱い立場をスゴ()だけで覆し、あと一歩で成人向けPCゲーム作品のメインシーンに突入しかねない窮地を脱したのであった。身の程を弁えよ! 下郎めが! 一生かけて愛し抜きますからね♡

 



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カフェ俺

 

 

 ムヒョヒョヒョ♡

 そろそろ正午を迎えようとした頃、自宅を出てバイクを走らせていると、街の至る所が人で溢れかえっていることに気が付いた。

 何かあったかなと逡巡するのも束の間、その答えはデパート外ののぼり旗に記されていた。

 

「新春初売りセール……あぁ、そういえば元日なのか」

 

 そういえば、という言葉を無意識にヘルメットの中で呟いてしまうほど、あまり実感が伴っていない。

 よく考えれば昨晩の淫猥全身ソーププレイを行ったのが大晦日当日であり、なんとかスゴ味で最悪の事態だけは回避したものの、結局は疲れからか新年を祝う事もなくそのまま就寝してしまい、やよいと樫本先輩も今朝にほんのり顔を赤らめながら家を出ていったため、正月を思わせるイベントが皆無だったのだ。

 タマモクロスを見送る際に『よいお年を』と発言したこともここでようやく思い出した。

 

 どうやら俺は貴重な年末年始の休暇の大半を、怪物との戦いやショタ化お姉ちゃんハーレム等で消費し、冬()()であるにもかかわらず全然休めていないらしかった。

 これでは冬休みというより冬働きだ。ホッ♡ 怪異への憤りで少しばかりイグッ♡

 

「はぁ、今年の冬は特に忙しかったな……餅もまだ食ってねえし」

 

 秋川家の都合でワチャワチャしていた年末年始も過去にはあったが、今回はそれを遥かに凌駕する忙しなさだった。

 ワガママを言っていいのであれば、コタツに入ってぬくぬくしながら雑煮をつついていたいところだ──が、そうは問屋が卸さない。

 

「……まあ大変だったのは俺だけじゃないしな」

 

 真冬の鋭く刺すような寒風を首に感じて身震いしつつ呟いた。

 俺一人があり得ないレベルで苦労した、で終わる話ではないのだ。

 たくさんの人々を巻き込み、現在はその事後処理でてんやわんやしているものの、結局これもいずれやらなければならない事であり、他のクラスメイト達のように正月というイベントを楽しむ暇は俺にはまだ無い。

 世間一般で言うところの()()()()()()へ戻るにはまだ早い、ということだ。

 

 メジロマックイーンを始めとする、この府中に残って俺を探してくれていた有志たちへの連絡は一応一本入れておいた。

 ウオッカ、ライスシャワー、アグネスデジタルにゴールドシップと、電話をしてきた俺に対しての反応は皆様々だったが、そこに安堵があったのは間違いなかった。

 特にウオッカちゃん辺りが普通に泣きそうになってた事も考えて、これから改めて顔を出して謝罪と感謝を伝えに行かなければならないのは確実だ。責任取ってお嫁さんに貰うのでね、よろしくね。

 

 ちなみに山田に会うのは一番最後に決めている。

 どうせウマ娘たちより自分を優先させたらあいつバチクソ怒るに決まっているので。

 とりあえず一旦電話だけは済ませておいた……が、ウマ娘の皆に顔を出したら、なるべく急ぎで会いに行くつもりではある。早く二人で話したいね親友。

 

 

 それから、まず誰よりも最初に会いに行くべき人物も決まっている。

 俺に対して明確な好意を抱いてくれていると判明したライスシャワーや、体を張って一緒に会場を守ってくれたデジタルたちと直接顔を合わせなければならないのは当然だが、それでも他の誰よりも優先して会うべき人物がいる。

 こうして正月にバイクを爆走させているのも、その少女の家を直接訪ねるためだ。

 

 大勢の人々で賑わう街の中心を抜け、目指していた閑静な路地に到着すると──そこに彼女はいた。

 

「っ!」

 

 休業中の張り紙が貼られている扉に背を預けて待っていた彼女は、俺のバイクの駆動を聞くや否や顔を上げた。

 ここは極端に人通りが少ない路地だ。

 見える範囲では、彼女の他には誰もいない。

 数か月前に()()()()()()()()()()()()たちが働いている喫茶店がある、と話題になった場所ではあるが、その店自体が休みとなると、やはりここはほとんどの人が寄り付かない裏路地になるらしかった。

 

 端に一旦バイクを停め、ヘルメットを脱ぐ。

 すると俺の顔を認識したその少女は、件の喫茶店を離れてこちらの方へ駆け寄ってきた。

 

「──葉月さんっ」

「うおっ……」

 

 挨拶をする暇など無かった。

 そのまま、俺は彼女を抱き留めた。

 

「よかった……無事で、本当に……っ」

 

 こちらの胸に顔を埋め、黒い髪の少女はひたすらに「よかった」と繰り返す。

 人の気配が少ない路地裏とはいえ往来で抱き合うのは些かマズいのではと思わないワケではないものの、現在の彼女の心境を想えばそんな事はあまりにも瑣末であった。

 

 ──暫し口を噤む。

 まだ言葉でやり取りするには早すぎると考え、俺は彼女のくびれた細い腰に手をまわし、あまり力を込めず静かに抱き返した。

 

「……ん」

 

 そこで一つ気がついた事があった。

 彼女の身に着けている服が些か冷たいのだ。

 

「……マンハッタンさん、外で待っててくれたのか」

 

 事前に尋ねることは伝えてあり、実際約束の時間の五分前に到着したわけだが、それでもこの少女は遠目で見た段階でも既に家の外で俯いていた。

 自宅を出てすぐであれば、ここまで身体が冷えているハズはない。

 どう考えても俺がここへ来るよりも更に前から、彼女はこの木枯らしが吹きつける寒空の下で一人待ち続けていたのだ。

 

「寒かったよな。遅くなってごめん」

「……っぃ、え」

 

 少女は──マンハッタンカフェは返事を返そうとして、一度喉を詰まらせた。

 焦らせないよう優しく背中をさする。

 急がなくていい。落ち着いて話してくれたらそれでいいのだ。

 そんな俺の態度を察したのか、彼女は数回ほど静かな呼吸を挟み、ようやっと顔を上げてくれた。あら近い。良い匂い。

 

「……私が、勝手にしたことです、から」

 

 そう言いながら見せた表情は、まだどこか陰りのある不安そうな色をしていた。

 こうして実際に触れ合っていても、マンハッタンは明らかに寂しげだ。

 今はこんなにも近くにいるにも関わらず、心の距離は未だに離れているように感じる。

 

「──ッ!」

 

 そこで俺はマンハッタンの頬に湿布が貼ってあることに気がついた。

 

「マンハッタンさん、その湿布……」

「あっ……こ、これは、以前の怪異との戦いで……平気です、特に痛みなどはありませんので……」

 

 彼女は努めて平気そうに振る舞っているが、それが誤魔化しであることは当然俺にも分かっている。

 

 ──傷だ。

 俺が姿を消したあの日から、彼女はずっと一人で傷つき続けていた。

 心が砕け立ち直れなくなった友人の代わりに。

 勝利者としての振る舞いを世界に求められ続ける戦友の代わりに。

 自分を危険から遠ざけるために、一人の男と共に無謀な闘いに身を投じてこの世界から消え去ってしまった、最も大切な()()の代わりに。

 

「──」

「っ! っ、は、葉月さん……っ!?」

 

 今一度、改めて彼女を抱擁した。

 あくまで受け止める形だった先ほどとは異なり、今度は自ら少女をその腕に抱いた。

 

「ありがとう、マンハッタンさん」

「えっ……」

 

 そこにあるのは誰かの為に自らを犠牲にできる、そんな誰よりも強い少女への、ただ純然たる感謝のみだった。

 

「俺たちがいない間、この街を護ってくれて……ありがとう」

「……っ!」

 

 言いながら改めて腕に力を込める。

 嬉しさや罪悪感など、胸中に渦巻く全ての感情を混ぜて一つにし、抱擁に込めた。

 強く確かに、抱きしめた。

 そんな俺からの少々いき過ぎた感情表現を受けて、マンハッタンカフェは──

 

「……葉月、さん……」

 

 拒絶することなく、そっと俺の背中に手をまわし、彼女もまた抱き返すことでそれに答えてくれたのであった。絶対に俺のこと好きじゃん今後一生そばにいろ片時も離れるな。

 

「──」

 

 十秒か、一分か、どれほどの間彼女をギュウ~~~~ッ♡♡♡♡♡♡としていたのかは定かではないが、少なくとも自分たちが満足する程度の時間はハグをしていた。

 なんか空気に身を任せて手を出してしまったが割ととんでもない事してないか俺。この女を娶りたいのは本心ですが……。

 

「あっ、あの……葉月さん……」

 

 ようやっと満足して一旦離れると、マンハッタンカフェは少々モジモジしつつ腕を後ろに組み上目遣いで俺を見つめてきた。ホーム画面。

 

「儀式を……解呪の、儀式を……しましょう……」

 

 その突然の提案に驚きはした──が、それよりも彼女が()()()()()を見せてくれた事を喜ばしく思った。

 ここで再会するより以前の沈鬱に俯くしかなかった状態とは異なり、今のマンハッタンは感情をそのまま表に出してくれている。

 それが嬉しかった。

 それにひたすら安堵した。

 俺もようやく『よかった』と思う事が出来た。

 

「えぇと……理由はいろいろと、あるのですが……と、とにかく」

「人のいない場所へ移動、だろ」

「っ! ……は、はい。その通りです……」

「じゃあ、とりあえずはいつも通り俺の家でいいか?」

「そうしましょう……」

 

 ショタ化して以降ずっと凍り付いていた不安な気持ちが少しずつ溶けていくのを感じる。

 これがいつも通りの流れになっているのは、世間一般の常識で考えると多少はおかしいのかもしれないが、それでもこれが俺の青春の色であり、築いてきた日常の形だ。

 紆余曲折どころの騒ぎではない道のりだったが──やっと俺はここへ戻ってくることができたのだ。

 

 

 

 

 バイクの後ろに彼女を乗せ、ちょっとだけ買い物を挟んでから帰宅しても、外はまだまだ明るかった。

 しかし肝心の部屋自体は真っ暗だ。

 いつも儀式を行うときは夜でも部屋を明るくしていたが、マンハッタンからの要望でカーテンを完全に閉め切っているのだ。

 なんでも『暗いほうがいい』とのことで。えっちなことする前のセリフじゃん。もっと隅々までよく見せろオラッあっごめんなさっ。

 

「葉月さんの身体は……まだ、全快したわけではありません」

 

 そうなの? ショタ化して以降延々と続いてきたエロイベントの数々で俺の情動は全力全開ビキビキですが。昨日やった事なんてもう九割交尾だろいい加減にしろ。

 

「肉体の年齢は元に戻っていますが……先ほどお話しされたように……タマモクロスさんに魂の一部を譲渡していますので、回復速度が遅くなっています。この程度であれば自然回復を待てば治りはしますが……現在の弱っている状態だと呪いが活性化しやすいです」

 

 まくし立てるように説明するマンハッタン。わたわたしててかわいい。落ち着いてゆっくりでいいよ。気絶しろ。

 

「なので……一応保険という形で、今日のうちに呪いの効力を弱めておきましょう……」

「……とりあえず理屈は分かったよ。……で、ちなみになんだが、この呪い自体はあとどれくらいで消滅するんだ?」

 

 以前から気になっていたのだ。

 儀式のおかげで弱まる事はあっても、呪いが無くなる予兆は全く見えてこない。

 このまま女子たちに儀式という名の変態イメプレをさせ続けるのは心が痛むので、できればそろそろコイツには仕事を終えて頂きたい。

 

「クリスマスの戦いでカラスの怪異も相当ダメージを負ったようですし……もしかすれば、残り一、二回程度で消えるかも……と言ったところでしょうか。後でスズカさんやドーベルさんにも共有しておきます……」

 

 後で、というか別に今すぐ連絡してもいいくらいのビッグニュースだが。ついに忌まわしいカラスともおさらばじゃん。お祝いしよう! ハッピーウェディング♡

 

「葉月さん、こちらのペンダントを……」

「サンキュ。よろしくな」

 

 久しぶりに俺は黒い宝石の首飾りを身に着け、既に乳白色の石のペンダントを装着しているマンハッタンの隣に座った。

 

「では……始めましょう……」

 

 そうして随分と久しぶりな解呪の儀式が幕を開けたのであった。ド緊張。

 

「ぅおっ──」

 

 このペンダントを装着して頭がフワフワする感覚も久しぶりだ。ユナイトのデメリットには多少慣れた俺だが、こちらは未だに現役なようで理性の緩みには対抗できていない。

 とはいえ解呪の儀式自体は何度も経験しているのだ。

 俺だけではなくマンハッタンもコレがどういう流れになるのかは知っているので、聡明な彼女の事だからこれを提案した以上は対策案も既に考えてあるに違いない。

 というわけで精神自体は完全に安心しきっている。

 ここはカフェちゃんに全部を委ねますね。よろしくねお嫁さん。

 

「腹部に触れます……体に異常を感じたらすぐにお申し付けください……」

「あ、あぁ。悪いけど今日は頼む」

 

 そう言って深呼吸と共に全身から力を抜き、壁に背を預けてリラックスした。

 これまでの儀式の経験で分かったのは()()()()()()()()という事だ。

 マジで動物園のパンダレベルでボーっと呆けていれば、誰に手を出すこともなく微睡んでいるうちに儀式は終わる。

 

「……この硬いお腹に触れるのも、随分と久しぶりな気がします」

 

 なんか暗い部屋で静かにウトウトしようと思ってたら隣からしっとり囁きASMRが聴こえてきている。どうなってんだよ。

 

「葉月さん……」

 

 耳元でコショコショ話しながら、いつの間にかマンハッタンは俺の左腕に抱きついていた。おぉピッタリ密着隙間なし。これだと肩も凝るし男もみんな発情するでしょう。悪辣で非常識。

 

「ど、どうした?」

 

 まだギリ残っている理性を振り絞って、様子のおかしいマンハッタンに声をかけたものの、彼女は離れることなく俺の左腕にくっ付いたままシャツのボタンの隙間から手を入れて腹部を触り続けている。

 確か、呪いを吸い出す白ペンダントを装着している方にも、多少は悪影響があって理性が緩むという話があった気もするが、それにしたってまだ始めてから五分も経っていない。一体どうしたのだろうか。

 

「……ごめんなさい。……本当は、もっとしっかりした姿を……態度を……見せるつもりだったのに」

 

 耳元に囁かれている俺は横を向くことができず、されるがまま彼女の突然の独白を聞くしかない。ちなみにその間も腹筋を柔らかい指が撫で上げています。葉月タワー屹立、スタンバイ。

 

「あなたの代わりに府中を護って、私に任せて大丈夫だと、そうハッキリ言いたかったのに」

 

 耳が孕むようなカフェ・ヴォイス。全身から香る甘い匂いと腕に伝わる肢体の柔らかさ。こんな猥褻な身体でメス・フェロモンを地球全土にバラマキやがって……徹底的にイかせて確実な妊娠を我が物に……イケ! イケ!

 

「ごめんなさい……あなたを待つ間、ずっと、ずっと不安だった。……寂しかったんです」

 

 マンハッタンカフェは尚も少々シリアス風味を効かせた語りを続けているが、俺はクリスマスから今日までほぼ一秒たりとも一人きりになる時間がなく、スケベシーン満載のおねショタADV(今春発売予定)でマックスボルテージに達した欲情を発散することができていないため、正直ほとんど話が入ってきていない。

 

 なので、聞き取れたのは()()()()()というワードだけだった。

 だが、それだけでも十分だった。

 

「──ありがとう、マンハッタンさん」

 

 口から出たのはオメェ本当に子供作る儀式おっぱじめるぞという性欲に敗北した獣のセリフではなく、非常に凡庸で素朴な感謝の言葉だった。

 このギリギリ状態の自分がそれを口にできた事には、俺自身も驚いた。

 

「…………えっ?」

 

 それを受けた少女は困惑した。じゃあここからは俺のステージだ。我こそが戦国一の種付けおじさんである! 来るべき激アクメの下準備をせよ!

 

「寂しい、って言ってくれてありがとう。……正直に言うと、俺も戻ってくるまでは不安でいっぱいだったんだ」

 

 隙あらば自分語り。おい心して聞け! 総てを知るこの世界の語り部の言葉をな。愛してる。そしてマンハッタンカフェは嫁に貰われたとさ。めでたしめでたし。子供の人数はもう少し考えさせてください……来週までには提出するんで……。

 

「……自分の弱さを見せられる相手って、そんなに多くないだろ。だから今日まで無駄にカッコつけてたんだが──やめるよ」

 

 ペンダントを言い訳にはしない。

 彼女が弱さを見せるという勇気をもって接してくれたからこそ、俺も自らを曝け出す覚悟ができたのだ。おっぱい。

 

「マンハッタンさんが言ったように、俺も寂しかったんだ。心細かった。()()()もどこかへ消えて、本当の意味で一人になってようやく自覚できた。……俺は全然強い人間なんかじゃないって」

「……そんな、葉月さんは決して……」

「別に自分を卑下してるわけじゃないんだ。ずっとこのままでいるわけにはいかないだろうが……今だけはコレでいいって思ってる」

 

 天井を見つめながら、一拍置いて俺は続けた。

 

「こうして隣にマンハッタンさんが居てくれてるから」

「……!」

 

 なんかいろいろ言ってるけど髪の匂いと手の感触を楽しむことにもリソースを割いています。そろそろ本当にタワーが建設されてしまうかも。バトルフロンティア。

 

「謝る必要なんてないよ。むしろ、弱さを見せてくれてありがとう。おかげで俺も寂しいって言えるし……マンハッタンさんも寂しいって思ってくれているからこそ、そんなきみが今一緒にいてくれているこの状況がたまらなく嬉しいんだ」

 

 自分でも何言ってんのかワケ分からんが、思考能力を奪われている以上はフィーリングで喋る以外に方法はない。ちょっと太ももの上で手のひら休ませてね。うおっスッゲすべすべ。交尾向きの身体……よしと……。

 

「弱くていい、寂しくていいんだ。お互いの存在を必要としよう。強くない部分は、一緒に補い合っていこう」

「……葉月、さん」

「ずっとそうしてきたんだろ? ()()()と」

「──ッ!!」

「仲間外れは寂しいからさ、俺も入れてくれよ」

 

 そして百合に挟まる男を宣言した。罪状的に終着点は断頭台かしら。こ、ころさないで……ぷるぷる……。もじ……もじ……♡ だぽんっ。

 

「寂しいから、ちゃんとアイツの事も迎えに行こう。なんつーか……俺たち、やっぱ三人じゃないと」

「…………はい」

 

 マンハッタンは小さな声で返事をすると、俺の肩に体重を預けた。これはA判定も近いな。

 

「はい……そうですね……」

 

 噛みしめるように呟いたその声音は、今日見せていたあの不安げな色でもなければ、逃げるように縋る熱もなく、ただ心から安心を実感するものであった。生意気な女だ。路傍に咲く花のように美しい。

 

「……きっと、あの子も待っていますから」

「あぁ。……アイツが俺と一緒になってから、引き剥がしてばっかでごめんな」

「いいえ、葉月さんだからこそあの子は傍にいるんです。葉月さんとなら……私も、一緒にいたいと思えますから……」

 

 ここまでの俺の発言も危うかったけどカフェちゃんのそれもだいぶ告白のセリフではないかしら。あっつぅ……好き好きオーラでほっかほかだな。そんなんで平和が守れるのかよ? 秩序が守られるのか!? ブチ娶るぞウマ娘。慌てなくていいよ僕だけのマイハニー♡

 

「……すまん。そういや帰ってきてから暖房をつけるの忘れてたな」

「構いません……こうして隣にいるだけで……とても温かいですから」

 

 アレちょっと興奮気味かな? エッチだね。度を越えた密着もいいね。ワシの形にフィットしているね。困ったもんだ。

 

「なぁ、マンハッタンさん」

「何でしょうか、葉月さん」

 

 ふと隣を見ると、もうそこには安堵しきってふにゃけた笑顔になっているマゾ雌しかいなかった。密着対話ってよくアクメを伴っちゃうんですよね~落ち着いて全部アクメしましょうね~。

 

「ペンダント……もうとっくに容量一杯になってるけど」

「はい……そうですね……」

 

 不思議なことに儀式が終わってもマンハッタンは離れない。腹筋に触れていた手は、徐々にスーッと上へ上がっていき、遂に俺の頬に添えられた。

 俺の肩は完全に彼女の胸元と密着しきっており、冷静に感じ取ろうとすればマンハッタンの心臓の鼓動をも肩で感じることができる状況だ。重要文化財指定。

 

「まだ、触れていたいので……こうしています……」

「……っ」

 

 というかめっちゃ普通に興奮しちゃった。

 喉の奥が乾く感覚を覚えた。

 臍の下というか、下腹部が熱くなるのを感じる。

 ぞわぞわと全身が小さく震え、欲望としか形容できない巨大な感情が奥底から湧き上がってきている。

 

「──葉月、さん」

 

 マズい、ビーストになる。

 というか雰囲気に身を任せてこのままだとNSFWのCG回収が捗っちゃう。成人向けPCゲーム版発売を記念して特別イラストの描きおろしをどぼめじろう先生に依頼しちゃう。

 

「いま、この瞬間だけは……二人きりです」

 

 ガリレオ。

 でれれ、でれれれ!! この叡智を思わせるハイテンションなBGMが流れ続けている僕の天才的な頭脳による計算が正しければ、このままではマンハッタンカフェは頬に添えた手で僕の顔を自らの方へ向け、熱く蠱惑的な雰囲気に酔い身を任せてキスをしてしまうに違いない。

 そして互いが首にかけたペンダントを理由(言い訳)にして、互いにあの少女の喪失を誤魔化すように、まるで傷の舐め合いのような──蕩ける()()が始まることであろう。実に面白い。

 

「葉月さん……私は……」

 

 なんだってぇ~? 聞こえないなぁ、PDCAサイクルを回していけ? 老いたりとはいえ我が肉体……そんな命乞いは聞く耳を持たんぞ! 恋人化の効果は抜群なようだね。

 

「いま、だけは……」

 

 安心して! クラウドにコピーが大量に保管されているよ! このままイキ潰してやろうか。舐めてんじゃねーぞボケ。どんな宝石も君には敵わないよ。

 

「マンハッタンさん」

「っ? ──あぅっ……」

 

 逆に押し倒し。お前のせいだぞ! こんな魅力的なボディをしているから……。

 

「っ……」

「……一つだけ、いいか」

 

 一拍置いて続ける。

 

「……ペンダントを外しても、同じことができるか?」

「えっ……?」

 

 期待したように赤くモジモジしているマンハッタンカフェに向けて、俺は一つだけ問いかけを行った。

 

 ──これは俺にも以前、一度投げかけられた問いだ。

 

 あの日、間違えようとした秋川葉月に対して、相棒である少女が一度だけ求めた選択だ。

 理性を失っていようが外的要因が何であろうが関係ない。

 俺という存在そのものに対して、その問いは行われた。

 

「少し前だけど俺は……サンデーに聞かれて、答えたよ。もうとっくに答えは出してる」

 

 俺は()()()()

 ペンダント如きに責任転嫁はせず、仕方のない言い訳なんてせず、ヤるときは自分がヤると決めた時だけだとアイツに答えた。

 据え膳食わぬは何とやらとも言うが、そんなものは知らん。

 昔の人間のことわざなんぞ知ったことではない。据えられなくとも俺は俺自身の手で総てを掴む。い、いずれデカパイも……。

 

 だから、あの日に出した答えも、今こうして理性を失っていても違えることはない。

 それは──魂に刻まれた答えだからだ。

 

「マンハッタンさんはどうしたい。助け合うって決めた以上、きみがそうしたいなら俺もそうする。アイツだって文句は言えないだろう」

「……ど、どうしたいか、ですか……?」

「そうだ。なぁなぁで流すのだけは頂けない。アイツがいない今、マンハッタンさんに選択肢を提示できるのは俺だけだろ。だから同じように聞くよ。──ペンダントを外しても、同じことができるか」

 

 あくまでアイツの相棒としての責務で、俺に与えられたあの一度きりの選択のチャンスを彼女にも与えた。

 まぁ俺としては普通にえっちな事はしたいワケですが……魂とか反故にして負けちゃわない? もう意地張るのやめないかい。マンハッタンカフェのマンハッタンミルクを味わい尽くしてカフェ俺を作ろう。イクのは自由だ。何者にも縛られてはいけない。

 ベロチューした~い♡ ベロチュウ:エグ接吻ポケモン。ピンチのときに ほうでんする。

 

「………………はぅっ。……うぅ……っ♡」

 

 そこで何を想像したのか、頬どころか顔全体が真っ赤になったマンハッタンカフェは、いつもこちらの目を見つめがちなミステリアスな普段と違い、緊張に押し負けて顔をそらしてしまった。

 

「すっ、す……すみません。……その、まだ……勇気が出ません……♡」

 

 ちなみに語尾にハートが出てますよ。

 

「……そうか。じゃあ、今日はこれでお開きだな」

「は、はい……♡」

 

 そう言って二人ともようやくペンダントを外し──瞬間、とんでもない羞恥心と自責の念が後頭部をぶん殴ってきた。うわああああああああああイクイクイクイク!!!!!!!!!!!

 

「……ぁわわ」

 

 どうやらカフェちゃんは俺以上にメンタルがやられてしまったみたい。顔から火が出るレベルで恥ずかしいようで、両手でかわいい美人・フェイスを覆い隠してしまった。いや~いつも目の保養にさせてもらってますよ。よろしく卍。

 

「なんてこと……私、なんてことを……」

「ま、マンハッタンさん」

「あうううぅぅ…………」

 

 これはマズい。本当に顔から火が出てゴーストライダーと化してしまう。

 そうだ、こういう時こそ正月というイベントを有効活用すべきだ。気まずい時は話題転換が一番。結婚はディナーの後で。

 

「そうだ、なぁ、儀式も終わったし出かけよう。初詣行こうぜ、初詣」

「こんな煩悩にまみれた私が神聖な領域である神社へ()くのはとても不敬なのでは……」

「い、いや、こういう時こそ綺麗な空気で浄化してもらうべきだよ。ほら、行こう」

「うぅ……葉月さん優しい……手、温かい……すき……」

 

 だいぶバグりまくってるカフェちゃんを半強制的にプライベートな二人きりの空間から連れ出し、浄化の光と思考を冷やす寒風を求めて、俺たちは人々で賑わう正月の神社へと向かった。そして超有名ウマ娘であるマンハッタンカフェの出現によって、逆に初詣に来ていた一般人たちがバグってしまったが必要経費として捉え、賽銭や絵などに勤しむのであった。パンパン。今年こそウマ娘たちを支配する王になれますように。

 

 



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マブダチ ナガチチ

ちょっと長めです♡ ノーワイフノーライフ



 

 

 

 ──遂に俺の時代が訪れた。

 

 初詣を終えてからマンハッタンカフェを自宅まで送り届け、家に帰った頃には既に夕方から夜へと移り変わる時間帯になっていた。

 こんな遅い時間に誰かから連絡が入るはずもなく、一旦この日のスケジュールは完全なる白紙になった形になる。

 という事はつまり、今日この瞬間から翌日の早朝に出かけるまでの約十四時間は、俺は()()になる事ができるというわけだ。

 

「……っはぁ、予定がないって最高だ」

 

 帰宅後、荷物をぶん投げて居間に寝転がった。

 いつぶりだろうか。

 俺が誰かと一緒にいることもなく、おひとり様になる事が出来たのは。

 

「よーし……風呂に入ったら……」

 

 体を清め、晩の食事を終え、明日の荷物を準備していよいよやる事が無くなったその暁には──お楽しみが待っている。うまぴょい。

 

「おおぉぉぉっ、今夜はサルになるぞ~ッ」

 

 本当に一体いつぶりなのか。

 こうして何も気にする事なく、男ならば誰しもが行う“自分だけの時間”に耽る機会が訪れたのは。

 めっちゃあからさまに口角が上がりまくっている。嬉しい楽しい。

 

 ──タマモクロスに拾われてから今日この瞬間に至るまで、マジに心臓が爆裂するレベルで延々とムラムラしていた。

 一緒に風呂へ入り、密着し、撫でられ手を繋がれ、また目隠しで入浴だの何だのと繰り返して、いよいよ今日の昼のカフェちゃんによる性行為誘発誘い受け激マゾ儀式によって性欲が破裂する直前にまで達していたのだ。危うく死ぬところだった。俺でなければだがな。

 

 今日こそ俺は発散する。

 ショタ化したり戻ったり記憶がゴチャついたりなどで精神も身体もバグりまくり、通常の人間の十数倍は大増幅したこのクソデカ三大欲求を、今日中に全てかき消して普通の人間へと戻る。

 めっちゃ食ってめっちゃ気持ちよくなってめっちゃ寝る。これだ。これこそ本能。雄としての正しい形。

 ──サルになるのだ。

 性欲の赴くままに行動する。

 こうして誰にも邪魔されない状況になれたからこそ、今日という日の全てを俺自身の慰安だけで消費してやるのだ。クソッ!! ムラムラする……。

 

「な、何をお供にしようかな……ワクワクし過ぎて全然決まらん……たのしい……」

 

 脳内の九割が煩悩に支配された俺は、先に入浴や夕餉を済ませることすら忘却して、そのまま居間で寝転がりながらスマホでネットの海へとダイブしていった。……あれ、このサイトのログインIDなんだっけ。確かメモ帳に──

 

「……ん?」

 

 心を躍らせながらスマホを操作していると画面上部に通知が届いた。ウソでしょ。

 

 ──瞬間、脳内で高速の思考が駆け巡る。

 いや、どんなメッセージでも気にすることなく絶対に無視するべきだ。

 今の俺は最大級の我慢を超えた先に瀕死となった自らを労わることだけが何よりも最優先の状態なのだ。

 このメッセージが例え誰からのものであっても未読無視しよう。

 やよいでも諸先輩方でもウマ娘の誰かであろうとも関係ない。

 今日この夜だけは、俺の時間は俺だけのものなんだ──!

 

≪やっほ秋川。いまヒマ?≫

 

 山田。

 

≪あ゛ぁ゛!?!!?≫

≪なんかキレてる……こわ……≫

≪どした≫

≪急に落ち着かないで≫

≪こちら秋川サービスサポートセンターです! ご用件をどうぞ≫

≪あの、これからキミん家行っていい?≫

 

 …………。

 

≪山田くんは夜ご飯たべた?≫

≪まだです≫

≪唐揚げを予定しているため、全てが揚がりきるよりも早く到着することをおすすめ≫

≪……ちなみにいつから揚げ始めるの?≫

≪今から≫

≪すぐに向かいます!!!≫

 

 ──無理だった。

 とてもではないが無視できなかった。

 どうやら俺という人間は性欲で親友を蔑ろにする男にだけはどうしてもなりたくなかったらしく、スマホをテーブルに置くとそそくさ調理の準備に取り掛かり始めてしまった。

 

 こればかりはしょうがないのだ。

 そもそも最近忙しすぎて山田と遊ぶこと自体があまりにも久しぶりであり、これを投げ捨ててまで一人遊びに興じるという胆力を俺は持ち合わせていないのだ。

 だからしょうがなかった。

 もう今日は大人しく唐揚げパーティとしゃれこむ事としよう。ムッチムチでジューシーなお肉が僕たちを待ってるよ! ジュワッ。油。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「──きて」

 

 んぁ? 

 

「起きて、秋川」

 

 あ、山田だ。お腹ぽよぽよ~♡

 

「なんで起きて早々に僕のお腹の肉で遊ぶの……」

 

 まるで添い寝かのごとく隣に寝そべっているからですよ。眼鏡を外してる寝起きのダーヤマくん新鮮だね。

 

「……俺、寝てた?」

「うん。浴びるように唐揚げを食べまくった直後に爆睡」

「ドカ食い気絶部をしてしまったか……」

「……秋川、なんか声ちょっと高くない?」

「あー……なんだろな、寝起きで喉がバグってるかもしれん。これも唐揚げ暴食の弊害かなぁ……」

 

 つい羽目を外して欲望に忠実な行動をしてしまった事を後悔しつつ上体を上げると、窓の外が明るいことに気がついた。

 

 ──思い出した。

 

 スマホで山田に連絡した後、確かすぐに彼がウチへやってきて、すぐさま揚げまくってフードファイトに興じたんだった。

 アホみたいにかっ食らいながらウマデュエルレーサーの新弾の話で盛り上がって、その後……何もやってないな。

 正しくドカ食いして気絶し、こうして朝を迎えてしまった。最高に気持ち良かったが少々勿体無いことをした気もする。

 

「秋川、よっぽど疲れてたんだね。床に雑魚寝したあと洗い物とかで多少は音を立ててたけど全く起きる気配が無かったし」

「ろくでもなし子だったか」

「コメントもだね」

「あ、つーか洗い物と片付けしてくれてサンキュな。マジ助かった」

「家事代は五万円でいいよ」

「ぼったくり過ぎかも……」

 

 せっかく山田が遊びに来てくれたのだから、いっそオールしてウマデュエやりまくろうと思っていたのだが──まぁいいか。

 彼との時間はこれから無限に続いていくのだ。

 遊びに夢中になるのも悪くはないが、今は体調が全快したことを喜ぼう。ビキビキッ♡ むわっ。

 

「なあ山田、今日はどうする?」

「普通に帰るけど」

「えっ」

 

 そんな薄情なことを言うな! 催眠済みのくせに生意気である。

 い、一緒に映画とか見ませんか……。

 

「ていうか、いい機会だし今日くらいは秋川もゆっくり休みなよ。クリスマスからずっと激やばイベントの連続だったんでしょ? もちろんやらなきゃいけない事とかもあるにはあるんだろうけど……僕としては必要最低限の休息とかじゃなくて、しっかり丸一日を休養に当てた方がいいと思うな」

「それは……まあ、そうか」

 

 山田の言い分は百理ある。

 自分で気がついていないだけで見えない疲れが蓄積している可能性もあるし、スケジュールが完全な白紙になったのも久しぶりだ。

 

 ……そうだな、休もう。

 ダラダラしよう。

 頑張らなくていい、と分かった瞬間に身体を動かす気力がブツリと切れた。

 もう今日は何もしない。

 

「ほら秋川、とりあえず先にお布団畳んじゃお」

「はぁー……起きるかぁ」

「メガネどこだろ……」

「枕元にあんぞ」

「ん、あったあった、ありがと。……よし。じゃあ僕──」

 

 とりあえず朝ごはんは一緒に食べるだろうから早く用意してしまおう。

 

「……?」

「山田ー。白米が残ってるから卵焼きとかでいいか」

「……あ、うん」

 

 俺の卵焼きの味はグルメな相棒のお墨付きなんだぜ。楽しみにしてもらって。

 

「…………」

「あ゛ぁー……変な体勢で寝てたせいか肩がいてぇな……」

「っ……? ……???」

 

 まず布団を畳んだら押し入れにぶち込んで、歯磨きして顔洗って……着替えはいいか。どうせずっと家にいるし。

 いやでも山田をどこまで送っていくかにもよるな。バス停まで行くならダル絡みしてコンビニで駄弁るという手もあるし、その場合は着替えた方がよさそう。悩ましい。あたふた。

 

「……あの、秋川」

「ん? お前もそっちの布団を畳んでくれよ」

「そ、それはもちろんなんだけど……」

 

 部屋を片付けてテーブルを出さないと朝餉を用意できないため、そそくさ準備しているのだが何だか山田の様子がおかしい。

 

「どした」

「えぇっと……なんと言えばいいか……」

 

 ハッキリ言わずに口ごもっている彼は怪訝な表情というか、どちらかと言えば混乱しているような顔だ。

 

「その、とりあえず鏡を見てきた方がいいかも」

「あん? そんなひどい顔してんの俺……」

 

 もしかして寝相で髪が爆発してたりするのかしら。それだとちょっと恥ずかしいかも。

 とりあえず山田に言われた通り洗面所へ移動し、鏡の前に立ってみた。

 そこには少女がいた。

 黒い髪の少女が鏡に映っていた。

 

「……?」

 

 首を傾げた。

 蛇口をひねって水を出し、顔を洗ってから再び鏡を確認した。

 

「…………?」

 

 やはりというか、そこには少女がいた。

 

「……???」

 

 長い黒髪の少女が不思議そうに首を傾げている。

 ──はて。

 俺は今、鏡を見ているはずだが。

 

「……あっ、耳もある……」

 

 ジッとそのまま見つめていると、どうやら少女の頭部には変わった形状の耳があるらしかった。

 一言で言えばウマ娘のような耳だ。

 なんとなくケツのほうにも手を伸ばしてみると、腰になにやらフワフワな感触を感じた。

 振り返ってみると、ズボンの隙間から毛むくじゃらの尻尾のようなナニカがはみ出ていた。

 

 

「…………俺、ウマ娘になってる……?」

 

 

 朝の寝惚けた頭ですら()()()()()()()()()という事だけは、なんとなく理解できたのであった。

 

「まぁ……前にショタ化とかしてるしこういう事もあるか」

「──いや無いよッ!!?」

 

 一旦現状を把握し、あくびをしながら居間に戻ると山田がデカい声で反論してきやがった。うるさいよダーヤマくん。まだ朝ですよ。もう少し淑やかにアクメしろな。

 

「いやいやいやっ、えと、実際に目の前で起きてるから無いわけじゃないけど! それでもやっぱりおかしいよッ!? なに!? えっ何事!!?」

「るせーな、もうちょっと声のトーンを落とせって」

「どうして秋川はそんなに落ち着いてるんだ……っ!!」

 

 バチクソ動揺しまくっている山田を一瞥しつつ、さっさと布団を片付けて居間の中央に丸テーブルを置いた。

 

「まぁ一旦麦茶でも飲んで落ち着こうぜ」

「全然まったく落ち着いてる場合じゃないと思うんだけど……キミ本当に秋川なの……」

 

 冷や汗だくだくの山田の前にコップを置き、俺も自分の麦茶を用意して一口飲み、とりあえず一息ついた。

 

 

 ──なんか起きたらウマ娘になっとる。

 

 リアクション取るタイミングをミスって全然驚けなかったが、正直いまの山田と同じくらい驚愕と混乱に脳を支配されている。

 いや、なにこれ。

 何で?

 どういう流れで俺がウマ娘に大変身すんの。

 鏡を見たら俺とちょっと雰囲気が似てるだけの全くの別人が映ってて心臓がひっくり返りそうになったんだが。驚懼はもう遅いノロマめが。

 

「マジでどーすんの秋川ァ……っ!?」

「ちょっ、マジで声がデカい。ヤベー状況なのは俺も分かってっから、一旦声のボリューム落としてくれ」

「う、ご、ごめん。……で、でも、本当にどうすんのそれ……何がどうなってそうなってんの……」

「知らねぇよ起きたらこうなってたんだから」

 

 隣で寝てた友達がいざ眼鏡をかけたらウマ娘だと判明した瞬間の山田の顔はかなり凄かった。宇宙を背景にした猫みたいな顔してた。

 

「……昨日メシ食ってるときに話したろ? クリスマス辺りからつい最近まで子供の身体になってたって」

「そ、それと似たような現象ってこと……?」

 

 そうなんじゃない。知らんけど。タマお姉ちゃん譲りの知らんけど。

 思い返してみれば今の俺は結構真面目に普通の人間の身体をしていない。

 

 ショタレベルに縮んだり、またそれが戻ったりと、普通の人であれば七億パーセント発生しない身体変化に見舞われているので、多少の後遺症程度なら覚悟はしていた。とはいえ、まさかウマ娘に変身してしまうとは予想もしていなかったが。遺憾のイですよホント♡

 

 よく考えれば概念的に怪異と近い存在である相棒に魂魄を譲渡してもらい、半壊したそれをタマモクロスに渡したりしていた為、俺自身が把握できていないやり取りがどこかで発生していた可能性が非常に高い。

 

 ──例えばタマモクロスに削った魂魄を分け与えたあの時、逆に彼女の(ソウル)も無意識に少しだけ取り込んでしまった、とか。

 もしくはあいつの魂魄が混ざりすぎて三分の一くらいウマ化してる、だとか。

 

 マンハッタンと出会って以降、やたら怪奇現象などのオカルト方面の出来事に巻き込まれ過ぎているせいか、流石に俺でもある程度の推測はできるようになってしまった。

 ショタになったんだからTSするのも、まぁあり得なくはない話だ。そうはならんやろ。なっとるやろがい! マジでキレたわ。

 

 ……まぁ、なってしまったもんはしょうがない。

 ショタ化と一緒でそのうち時間経過で治ることだろう。

 どうせ期間限定なら思いきって遊んじゃお。ほほ~♡

 

「ちなみに山田から見て今の俺ってどうだ?」

「……美少女、かな」

「ふふ。照れる」

 

 つまり俺がウマ娘として生まれてたらこんな美少女としてこの世に顕現してた可能性があるって話だ。夢があるね。

 ──あっ。

 

「ていうか俺、めっちゃおっぱいデカくね? すげーこれ」

「っ……」

 

 ようやく気がついたがウマ娘状態の俺、胸部装甲がとんでもないことになってる。ダイワスカーレットにも迫る勢いかも。雑魚が……身の程を弁えよ!

 

「ふへへ。ぽよぽよ~」

「やめなよ秋川……」

「俺の身体なんだから別に大丈夫だろ。にしても、まさか性癖の根源が自分自身に秘められていたとは……灯台下暗しって感じだな」

「よく分かんない……」

 

 ──というか、先ほどから山田の目がチラチラと俺の胸部に吸い込まれ過ぎている。えっちなのはダメ!

 おっぱいを見ている男子の視線は女子にはバレバレだ、という話をどこかで聞いたが、まさか本当にここまで露骨に感じるものだとは知らなかった。今後女子と接する時は凝視しないように気をつけよう。

 それはそれとして。

 

「山田?」

「な、なに」

「ちょっと胸を見すぎてますよ」

「ッ!? ご、ごめん!!」

「まぁ謝る事かどうかも怪しいけどな」

 

 ダーヤマくんは紳士なので鼻の下を伸ばしたりはしないが、それでもやっぱり男なのでデカいフワフワには目が行ってしまうのだ。俺も男だから分かる。これは雄なら致し方ない本能なのだ。正体見たり枯れ尾花。

 

「うぅ、未だに信じられない……こんな美少女ウマ娘さんがホントに秋川なのか……」

「期間限定ウマ娘のノーザンテーストです。ぴすぴす」

 

 ピックアップ期間は予告なく終了する場合がありますのでご注意ください。

 

「そうだ山田」

「……?」

「触ってみるか。このデカ乳」

「──ッ!!?」

 

 軽い冗談のつもりだったのだが山田がひっくり返っちゃった。今日起きてからずっと忙しないねキミ。

 

「バカッ!!!!!!!!!」

「ごめんて」

「ももももっと自分の身体を大切にだね……ッ!」

「元々は男なんだけど……」

 

 うぅっ猛き神よ鎮まり給え……! 先ほどから汗かきまくり焦りまくりの山田の緊張をほぐそうと思っての発言だったのだが逆効果だったみたい♡

 

「……ん? ──あっ」

 

 狼狽し続けている山田を宥めるのも束の間、俺の身体からモクモクと水蒸気のような煙が出てきたかと思えば──ポンっ、と一瞬で男に戻った。こんなあっさり戻れるんだこの状態異常。なんで俺こんな珍妙にして滑稽なの。

 

「そうやって簡単に接触を許したら相手がどんどんつけあがって取り返しのつかない事態に陥る可能性だって少なくないんだ……!」

「ダーヤマさん」

「秋川は女子になったという自覚が無さすぎて」

「あの、おーい山田。戻ったぞ俺」

「えっ? …………あっ、ホントだ。よかった……」

 

 ホッと胸をなでおろす童貞紳士。せっかくだから触っとけばよかったのに、と言ったらまた怒られるだろうから口は噤んでおく。

 普段の俺が山田のお腹で遊びすぎているので、この機にお返しをと考えての発言でもあったのだが、結局彼が紳士すぎて何も起こらなかった。TSした俺が相手でもここまで緊張してしまうのは、流石に女子との至近距離でのコミュニケーションに免疫が無さすぎて逆に心配になってくるが。

 

「あんまり愉快な体質にならないでよ秋川……変なオバケだけでもお腹いっぱいなのに、こっちの心臓が持たないってば……」

「わるいわるい。たぶん今は回復してる途中だからこういうバグもあるんだよ。ちゃんと治ったらこうはならないから」

「ホント……?」

「保証はできません」

 

 俺よりもっと愉快な連中が周囲にたくさんいるので。カラスと決着をつけるまでは何があっても不思議ではない。今なら舌打ちを衝撃波として放てそう。

 

「なんなら俺の手伝いをしてもらう都合上、怪異の影響で今度は山田が変身する可能性もある」

「もうこの街で生活するのやめようかな……」

 

 仮に山田がウマ娘になった場合はどんな容姿になるのだろうか。

 俺であのデカさだし、もしかしたら全てを征する違法建築の王として降臨するかもしれない。うひょ~なんだそれ♡ 深く憂慮する。

 

「……もし僕がそうなったら秋川が匿ってね。他の人を誤魔化せる自信ないから」

「まずお前が変身しないように頑張るので安心してもらって」

「い、いや、もちろん信じてるよ? 信じてるけどさぁ……。──うぅ、僕たちの高校生活、いつの間にこんな非日常になっちゃったんだ……」

 

 あ、その嘆きはちょっと巻き込まれ型主人公ポイント高いかも。俺が言いたかった……。

 

「はぁ……朝から疲れたし僕もう帰るね……」

「メシ食っていかないのか?」

「うん、昨日たくさん頂いちゃってるし。今度は僕が何か奢るよ」

「了解です」

 

 次回の約束が決まって嬉しい反面、もう彼が帰ってしまう事がほんの少しだけ寂しい。

 これといった予定が無い日こそ山田と遊んでばかりだったので、一人でやる事などすぐには思いつかないのだ。

 ささっと着替えて玄関へ向かう山田についていきつつ、今日の予定を無言で思案していると、靴を履いた彼がふと思い出したようにこちらを向いた。

 

「ごめん、忘れるところだった。はい秋川、これ」

 

 そう言って親友がカバンから取り出した物は、いつかの日に彼から譲渡された反射材製のマスクではなく、お祭りの屋台で売買されていそうな何かの版権キャラのお面であった。

 

「なんだこのお面? 誰?」

「キャロットマン知らないの。戦隊シリーズは若手ウマ娘女優さんの登竜門だよ」

「へ、へぇ……」

 

 キャロットマン、キャロットマン──あぁ、なんか日曜の朝にやってるヒーロー番組があったな。

 ああいった特撮ドラマはいかに子供時代に視聴しているかいないかで興味の度合いが決まってくると思うのだが、困ったことに幼少期の俺の日曜日は秋川本家による座学と座学と座学だったため、テレビに張り付く暇など微塵も存在していなかった。

 

「ほら、キミが走るときは正体を隠さないとでしょ。性能面でちゃんとしたコスプレは僕が探しておくから、それまではそのお面を使いなよ」

「おう、サンキュな。……ちなみに山田はこのキャロットマンとかいうの、見てんの?」

「もちろん。あと再来週から放送再開するけど、次回のゲストはゴールドシチーさんだよ」

「何……ッ!?」

 

 どうやら俺もその戦隊シリーズとやらをリサーチしなければならない理由が生まれてしまったようだな。長寿シリーズ番組だから今から追うのは厳しいと思っていたが、映画の名演技でハマった推しが出るのであれば話は別だ。ゴールドシチーのツーショット撮影会も応募しました。

 

「正式名称は……栄養戦隊キャロットマン、か」

「時間あるんだし観てみれば?」

「そだな。ヒマだし」

 

 スマホで確認したところ、いつも起きている時間に放送していることが判明した。日曜日の朝と言えばウマ娘の栄養学の勉強だったな。懐かしいが子供時代の思い出にしては華が無さすぎるな。栄養不足。

 とにかく今日のいい暇つぶしになりそうだ。

 テレビを見ながらダラダラすれば疲弊しきった俺の身体も十分癒されることだろう。

 

「じゃあ秋川、またね」

「ん。気をつけて帰れよ」

 

 そんなこんなでヌルっと解散し、居間に戻った俺は一人分の朝食の準備に取り掛かるのであった。もそもそ。

 

 

 

 

 ──山田が家を出てから数時間が経過し、時刻が昼に差し掛かった頃、俺は人でごった返している街の中をあてもなくほっつき歩いていた。

 これといった予定はないが昼寝するほど眠くもないため、とりあえず散歩でも、と考えて外に出たのだが想像以上に暇だ。

 

「……ここのカードショップ、年始もやってんのか」

 

 そうしてたどり着いたのは商店街の付近で店を構えているホビーショップであった。

 とあるビルの三階に位置しており、規模もそこそこ広く大会も頻繁に開催されているこのカドショは、俺や山田のようにウマデュエルレーサーで遊んでいる学生にとっては憩いの場なのだが、まさか正月から営業しているとは思わなかった。

 

「そういえば……山田が当てたあのカード、買い取り額どれくらいになってんだろ」

 

 ビルの階段をのぼりながらふと思い出した。

 数ヵ月前、俺と山田とアグネスデジタルの三人で映画を観た日のことだ。

 あの時彼は新弾のパックの中からとんでもない種類のサイン付きレアを引き当てたのだが、その数ヵ月前の時点で買い取り額が十五万を超えるプレミアカードだったアレは、現在どうなっているのか。

 それが気になったのでとりあえずカードショップに寄ってみることにした。

 

「メジロマックイーンのサイン付き赤シク……十八万、ってスゲェな」

 

 店内の壁に貼ってある買取表の中でも特にピックアップされており、たった二ヵ月ちょっとで更に三万円も額が上がっていることに驚いた。あいつ宝くじ当たってんじゃねえか。

 

「……メジロマックイーン、か」

 

 件の少女が特別な衣装で凛々しいポーズをしているカードを手に取りながら呟いた。

 最近出たばかりのブースターパックで自分のデッキに使う新カードを調べていると、どうやら特定のサポートカードとこの新しいメジロマックイーンのカードを出張セットとして使えるらしい……というのは一旦置いておいて。

 

 俺の関心の対象は、ウマデュエルレーサーというカードゲームにおける強いキャラクターではなく──メジロマックイーンという現実に存在するウマ娘の少女に対して向いていた。

 

『うふふっ……私もイベントでの作業、誠心誠意努めさせていただきますわね』

 

 あの以前見せてくれた柔らかい笑みを思い出す。

 ドーベルの知り合いだからなのか、それとも彼女自身が誰が相手でもあそこまで好意的に接することができる性格の持ち主だからなのかは分からないが、あの少女は俺に対してとにかく優しかった。

 

 ──なぜ、なのだろうか。

 

 疑問符を頭に浮かべながら退店し、また目的地も定めずに市街地を彷徨していく。

 俺は彼女とどのような関係を築いてきたのか。

 ここまであの少女と何をしてきたのか。

 今一度、それを思い出してみよう。

 

 メジロマックイーンとの馴れ初め、となると去年の夏まで遡ることになる。

 

 夏合宿の代わりに開催されるイベントの数日前、理事長秘書の駿川さんに呼ばれてトレセン学園へ赴いた時のことだ。

 帰り際に偶然隣をすれ違ったウマ娘が危うく転倒しかけたところを、咄嗟のユナイトで助けるというイベントが発生した。

 その時に助けたウマ娘というのが、あのメジロマックイーンだったのだ。

 

 初対面時では互いに名乗る事もなく、結局お互いを知ることになったのはそれから随分と後の話で、足を負傷したドーベルを学園へ送り届ける際に彼女の迎えに来てくれたのがマックイーンだった。

 だが、以降も俺と彼女にこれといった接点は存在せず。

 ドーベルの友人であるという部分と、マックイーンを怪異などの面倒ごとに巻き込ませないためにゴールドシップが俺と連絡を取り合う関係になったという事実だけが、間接的に俺と彼女を辛うじて繋いでいた。

 

 しかし()()()()()()()と言うには、俺自身があの少女にあまりにも助けられすぎている。

 

「……連絡、してみるか」

 

 人混みを抜け、道沿いのコンビニの端へ逃げてから、俺はスマホを取り出した。

 

 いま冷静に頭の中で羅列してみたのだ。

 俺はメジロマックイーンに一体何度助けられているのかを。

 ──いやバチクソ助けられてる。

 あり得ないレベルで危ないところを救われており、物理的にも社会的な意味でも彼女のおかげで命を拾っている。ばばんっ! このMTはなにかな~? そうっ! マックイーンとにかく愛してるのMTです。

 

 まず最初は、学校で倒した怪異の攻撃でトレセン学園の大浴場に吹っ飛ばされた時のことだ。

 トレセンの廊下で水浸しになって倒れている俺を発見した彼女は『何か事情があるはず』と咄嗟に判断して匿ってくれた。

 

「あの時は本当に人生が終わったと思ったな……」

 

 マジでどこからどう考えても女子高に不法侵入した男子高校生でしかなかったはずの俺を庇い、無事に逃がすためにゴールドシップに協力を取り付けてくれたのだ。

 察しがいい、だなんて次元の話ではない。

 あの時の俺は彼女にとって、ただ一度転びそうなところを助けてくれただけの相手でしかなかったのに、聡明なメジロマックイーンは裏表のない真なる慈愛の手を差し伸べてくれたのだ。もう感謝どころではない。貞操を捧げます。人生を捧げます。有料は脱ぎます。

 

 あれ以外にもメジロマックイーンには何度も助けてもらった。

 怪異と戦い疲弊しボロボロの状態で商店街付近に落下した俺を見つけ、救急車を呼んでくれたりだとか。

 本来自分たちとは無関係な高校の合同イベントに参加し、見返りの一つも求めることなく協力してくれたり、だとか。

 この年末年始に起きた騒動のことも踏まえると、挙げればキリがないほど救われている。

 マックイーンは誇張抜きで俺の命と尊厳を守ってくれるばかりか、様々な行事においても手を貸してくれた本当の恩人なのだ。

 

「……忙しいだろうし、とりあえずメッセージだけにしとくか」

 

 当たり障りのない文章を打ち込み、電話だけでも出来ないか、という旨のメッセージを送信した。

 

 彼女に救われたこれまでの事実を、今日この瞬間まで、ハッキリとは自覚できていなかった。

 自分のことや他のウマ娘たちの事ばかりで、メジロマックイーンという個人に対して深く考えることを放棄していたのだ。

 なにを考えているんだ、俺は。

 

 マンハッタンと違ってオカルト現象の内情は知らず。

 やよいや樫本先輩と違い俺の過去なんぞ知る余地もなく。

 山田のように同じ高校でもなければ、デジタルのように共通の趣味もなく、またドーベルやサイレンスのようにバイト先で共に長く過ごす時間があったわけでもない。

 

 ()()()()寄り添おうとしてくれた。

 そんな接点が少なく微妙に遠い距離感の俺なんかを、必死に繋ぎ止めようとしてくれた。

 ハッキリと目の前で自分の知らない事象が発生していたとしても、決して狼狽えることはなくひたすらに“善意”を持って強く手を差し伸べてくれていた。

 俺にだけではない。

 同じメジロ家のドーベルも、足の不調を度外視して無茶をしようとしていたサイレンスにも、目に映る困った友人全てに、だ。

 

 そうする事が出来るほどの、親しい相手を決して見捨てないという信念に基づく強さと、自らが果たすべきだと信じた責務を最後まで全うする気高さを、メジロマックイーンは持っている──ようやっとその事に気がついたのが今日だった。

 

 まさに本物の淑女と呼ぶに相応しいそんな高潔で優しい少女に何度も助けられておきながら、この秋川葉月とかいうドアホは『暇だから散歩するか』などとのたまっていたのだから信じられない。

 もうとっくの昔に失望されていて、好感度なんてマイナスのさらにその下まで突き抜けているのかもしれないが──それでも気づいたのなら今すぐにでも行動しなければ。

 

「……ん。返信、もうしてくれたのか……?」

 

 スマホが着信のバイブレーションを知らせてくれた。とんでもない激多忙ウマ娘なので最短でも返信は一週間後とかそこら辺だと予想していたのだが大外ししてしまったようだ。

 

 ちなみに俺は『時間があるときに少しでいいので電話できませんか』といった旨の内容を、なるべく丁寧かつ馴れ馴れしくならない言葉遣いで送っている。

 本来なら礼儀正しくメジロさんと呼ぶべきところを彼女からの要望で"マックイーンさん"と友人のような距離感で呼ばせてもらっている分、礼儀作法に関しては細心の注意を払って接していきたい。

 

≪ぁっの≫

 

 アプリを開くと妙な文字列が送信されていた。ドーベルもそうだったがメジロ家のウマ娘はどうして誤字を消さずに送信してしまうのだろうか。心から愛おしい。毎晩交尾しましょう。答えろ!

 

≪申し訳ございません 何よりもまず どうか謝罪をさせてください≫

 

 謝られるような事などされた覚えはないが、会話を円滑に進めるためならこちらは頷く他に選択肢はない。

 

≪お屋敷でタマモクロスさんとご一緒に居られた際、顔も確認せずに通報してしまい誠に申し訳ございませんでした≫

≪俺の通報に関しては気にしないでほしい アレに関してマックイーンさんは何も間違ってないよ≫

≪ですが……≫

≪こっちこそ、本当に申し訳ない。匿ってもらった形とはいえ、ほぼ普通に不法侵入だった 本当にごめん≫

≪いえ、いえ、私が  いえあの、それよりもまず、お電話の件なのですが≫

 

 お互いに謝り倒す謝罪コンボが発生し、どう考えても俺の方が謝るべき事項が多いこの状況を察してか、話題を切り替えたのはマックイーンのほうであった。その判断力の早さアンナプルナ。高潔でシゴデキで最高の女だな。ね、マックちゃんキスしよ~よ。

 

≪秋川さんさえよろしければ、今すぐにでも可能です≫

≪本当? ごめん、時間を割いてくれてありがとう 手短に済ませるよ≫

 

 かなり他人行儀というか、友達の友達みたいなやり取りになってしまっているが、現状彼女に対して可能な最大限近い距離感のコミュニケーションがコレなのだ。早く恋人になりたいね。

コンビニの外壁に背中を預けつつ、メッセージアプリ上部の受話器アイコンをタップし、早速メジロマックイーンへ向けて愛のコールを発信した。

 

『──もっ、もしもし、メジロマックイーンです……っ!』

「もしもし、秋川葉月です」

 

 ご丁寧な自己紹介にはこちらも同じように返す。世の常識です。ね。

 ていうか声が可愛くない?

 

「突然の連絡で申し訳ない。マックイーンさん、時間は大丈夫?」

『えぇはいっ、全く問題ありません……っ』

 

 あら~あまりにも緊張していてかわいい。

 

「よかった。ごめん、急な連絡で驚かせてしまって」

『いえ、その、私は大丈夫ですので……』

「ありがとう。……それで早速本題なんだけど、今回連絡したのはマックイーンさんに伝えたい事があるからなんだ」

『つ、伝えたい事……私に……』

 

 はい♡ 恋バナしない?

 

「……キミには数えきれないほど救われてきた。遅くなり過ぎてしまったけど……改めて礼を言わせてほしい。──いつも助けてくれて本当にありがとう、マックイーンさん」

 

 謝辞に加え実際に頭を下げた。相手に見えているかどうかではなく、心からの誠意を声に出すためにそうした。

 もはや一周回ってただ堅苦しいだけの態度になってしまっている可能性も少なくないが、それでも馴れ馴れしく軽薄に接するよりはこの方が百倍マシだと思ったのだ。おい! 嫁になるか? オイラの嫁になるか。

 

『…………ぁ、えぇと……』

 

 どう聞いても明らかな困惑声。これは完全に引かれてますね人生終わり。鐘の音が聴こえる……。

 

『わ、私、秋川さんがそこまで仰ってくださるような……その、大きな何かをした事があったでしょうか……?』

 

 あたりきシャカリキ山椒の木。

 

「たくさんあったよ。以前学園で匿ってくれた時とか、救急車を呼んでくれた事とか……もっと言えば、今年の年末年始はウオッカちゃんやライスシャワーさんと一緒に府中(こっち)に残って俺を探してくれてたじゃないか」

 

 ついキモめな早口になっちゃった。もっとクールにカッコつけて応対するはずがボロボロになっている今これを乗り越えたらどれほど強い人間になれるのだろう。

 

『……た、確かに自分の意思でこの街に残ったのは事実ですが……その、私が行方不明に陥っていた秋川さんを発見できたという話でもありませんし……』

 

 確かにマックイーンが直接俺を見つけてくれたわけではないが、それはそれ。

 

「それでも、今があるのはキミのおかげなんだ」

『私、の……?』

 

 タマモクロスの導きでトレセンまでは辿り着けたが、あの時の俺は正真正銘ガチの記憶喪失だったため、サンデーという唯一の手がかりだった名前も人違いで終わってしまったあのタイミングでマックイーンと出会っていなければ、きっと何も思い出せずお姉ちゃんとこの街を延々と彷徨い続けていたことだろう。

 

 マックイーンがトレセンにいてくれたからこそ、ここまでの全てが繋がったのだ。

 

 ライスシャワーが府中に残れる手段を与えてくれたから、彼女の話と写真から秋川葉月という名前と本来の姿を思い出せた。

 憔悴していたドーベルを熱心に励まし続けてくれていたからこそ、俺が屋敷へ訪れた際に問題なく彼女とコミュニケーションを取ることができた。

 それら以外にもまぁなんやかんやいろいろあったが全てひっくるめてメジロマックイーンは、一言で言えば()()なのだ。

 

「……ごめん。改めて俯瞰して気づいたけど、いきなり電話かけられて礼なんか言われても困るだけだよな。突然のキモ・電話、失礼しました……」

『ぇっ、あ、いえっ、そんな! 申し訳ございません、私も少々狼狽し過ぎて言葉遣いが変になってしまっていましたっ。その、お礼を伝えてくださった事は素直に嬉しいのです。ただ……えぇと……つい驚いてしまって……』

「いや、それは俺が──」

『いいえ私が──』

 

 お互いに一歩引いた距離感で会話をしているせいか、気がつくと二人ともエンドレスに謝り倒すループに突入してしまっている。

 この調子で電話を続けていたらこの先また二度三度とコレを繰り返してしまう事だろう。それでは駄目だ。でも俺たち似た者同士みたいでほっこりしたかも。子供作ろう。

 

「と、とにかく、まずはお礼をさせて欲しいんだ。どんな事でもいいからマックイーンさんの役に立ちたい」

『……お礼、ですか?』

「ああ、俺に可能な範囲であれば何でもするから……本当に、何でも言って欲しい」

『……なるほど』

 

 そう小さく呟いた後、マックイーンは考え込むように黙ってしまった。

 この電話のタイミングから会話の内容まで何もかもが唐突なので、彼女からすれば友達の友達が急に連絡してきて急にキモい要求をしてきている状況でしかなく、一旦静かに勘考する状態になってしまうのは致し方ないことだ。

 待ちます。ずっと待ちます。好きになってくれるまで待ちます。

 

「あの……ごめん、急かすつもりじゃなかったんだ。雑用でも命令でも何でも大丈夫だから、マックイーンさんがその気になった時にでも連絡してくれ。俺は本当にいつでも問題ないから──」

『秋川さん』

「あ、はい」

 

 そろそろ自分の事ばかり話すのも大概にしとけよカスといった雰囲気で、メジロマックイーンは強めの声音で俺に待ったをかけた。腹を切ってお詫び致します。大変申し訳ございませんでした。

 

『……この度のお話、要約すると秋川さんが私のお願いを聞いてくださる──という認識で合っていますでしょうか?』

 

 メジロマックイーンは予想以上に飲み込みが早く、まだ緊張を含んだ声音ではあるが半ば確信をもった雰囲気で確認をしてきた。流石メジロのウマ娘は状況判断が的確だな。凄く冴え渡っていて美人ですよ。

 

「その通りだ。どんな事にでも、何度でも俺のことを使ってくれ」

『つ、使うという表現は些か……んんっ、とにかく! そういうお話であれば一つお願いがございます。……ふぅ』

 

 とても分かりやすく深呼吸を一度挟み、少女は遂に“お願い”の内容を語る。

 

『後ほど、こちらのアプリに位置情報を送信いたします。そこでお待ちしておりますので、明日の十時半頃にお越しください』

「わかった、十時半だな」

 

 メジロマックイーンが口にしたお願いは、現時点ではまだお願いではない。

 指定の場所へ指定の時間に向かう事でようやくクエストの内容が判明する類のイベントだ。

 

『……お聞きしたい事や、私からお話ししたい事も山のようにありますが……やはり電話ではなく、直接会ってこそだと思いますので』

「そうだな、全くその通りだ。……顔を合わせる機会をくれてありがとう、マックイーンさん」

『い、いえ。それでは……明日、お待ちしておりますわね』

 

 その言葉を最後に彼女の通話は終了した。

 もしかすると指定された場所で『てめぇ同輩のドーベルに心配かけさせやがって』とキレ散らかしてメジロの使用人たちにボコボコにされる可能性も少なくはないが、何であれ俺は彼女と直接話をしなければならない立場なので今更逃げるわけにもいかない。明日はプロポーズするくらいの覚悟を持って彼女との対面に臨もう。

 

「──おっ、もう位置情報が送られてきた」

 

 メジロマックイーンの指定する場所とはいったいどこなのか。喫茶店や適当な公共施設だったらセーフ、よくわからん巨大倉庫や埠頭付近であれば死確定だが。

 高鳴る鼓動を感じつつ恐る恐るリンクをタップし、表示された場所は──

 

「……遊園地?」

 

 府中から少し離れた場所に位置している、一見すると至って普通の遊園地であった。

 これはどういう事なのだろうか。

 大事な話をするはずなのに、向かう場所がそこそこ大きな普通の遊園地とは。

 全く知らない秘境を指定されるよりも遥かにワケが分からず、思わず俺は返信を入力してしまった。

 

≪ごめん、マックイーンさん≫

≪はっははい≫

 

 何で文面でこんなに焦燥が読み取れるんだよ。落ち着いて打て。

 

≪一つだけ確認させてほしいんだけど、この位置情報は合ってる?≫

≪ここです!!!≫

≪普通の遊園地だけど、間違いない……?≫

≪こちらまでお越しください!!!!!!!!!!!≫

 

 勢い。

 ここまで断固としてミスではないと主張している以上、明日俺が向かうべき場所がこの遊園地である事は間違いないらしいが……まぁ、いいか。

 結局会えば全てが分かる。

 あくまでコミュニケーションを取る機会を求めたのこちらからなのだ。必要以上の詮索はやめておこう。

 

≪変な確認してごめん 明日は宜しく≫

≪はい……よろしくお願い致します……≫

 

 テンションの落差がベルちゃんみたい。メジロのウマ娘ってメッセージアプリ使うとみんなこうなるのかな。一方気品はあるときた。おもしれー女たち。

 

 

 ──そんなこんなで明日のスケジュールが予定された俺は、道すがらおしゃれな外観すぎて普段は忌避していたセレクトショップに寄ってから帰宅した。

 

 比較的庶民派なドーベルよりも若干お嬢様度が高いように感じるメジロマックイーンと行動を共にする際、高貴な彼女のそばにいて恥をかかないよう衣服だけは上等なものを用意しようと考えての事だ。

 

 とはいえ、やたら黒い服ばかり着用するようなファッションセンス皆無な俺に、安すぎずしかし高級感が前面に出過ぎて浮くようなものでもない所謂()()()()()()衣服を見繕う事は不可能に近く、結局めちゃくちゃ押しの強い店員に言われるがまま少々値段の張る上下一式を買わされて家に帰ることになったのであった。も゛りもりっとお財布が終始激アクメしております♡ 遊園地に行くし出費の本番はあした! あした!! くるしい。

 

 で。

 家に帰ってからようやく一つ思い出した事がった。

 

「……そういえば、昨日からずっとムラムラしてたハズだよな、俺」

 

 朝からウマ娘に変身したり令嬢とラブラブ電話したりですっかり忘れていたが、こうして家に一人でいる状況になった瞬間に眠っていた性欲がグツグツ湧いてきた。ウチの葉月はスゲーんだ。こんなん持て余してたら社会の損失だって。

 

「とりあえず掃除しとくか」

 

 もう明日の朝まで一人遊びに興じたいところではあったが、唐揚げパーティで若干散らかっている自室が目についた。

 一人暮らしかつ俺のようなズボラな人間であれば本来はあまり気にしなくてもいいところだ。

 しかし、この家はもう俺だけの空間ではない。

 もちろん合鍵を預けたやよいや樫本先輩の事もあるが、それ以上にあいつが帰ってきたときに文句を言われるのが癪なのだ。

 

 てなわけで整理整頓をはじめ、数十分ほどで大体が片付き始めた頃、箪笥の奥からある物を発見した。

 

「ん。……手紙?」

 

 それは白い手紙であった。

 ご丁寧に封筒の中にしまわれており、裏を見ると【ハヅキへ】と書かれていることが分かった。

 どう考えても唯一の同居人であるあの少女から俺へとあてられた手紙だ。

 

「サンデーのやつ、いつの間にこんなもの……」

 

 いつも四六時中そばにいたので、こういった隠しアイテムの存在は非常に稀だ。俺が寝ている間にでも書いたのだろうか。

 シールを剥がして中身を取り出すと、二つ折りの紙に注意書きなる警告文が記載されていた。

 

「んだコレ……」

 

 相棒からの秘密の手紙という存在に対して僅かな高揚感を覚えつつ、その注意書きへ視線を落とした。

 

【もし私が一緒にいるときに掃除か何かでコレを見つけた場合は、見なかったフリをしてそっと戻してください】

 

 今は一緒にいないのでそっと戻す必要はなさそうだが、俺が一人の場合のみ読むことを許される手紙とは、些か物騒な内容な気がしてならない。

 これを読んだことでヤバい何かが発生するのであれば、一旦待ったをかけて考えよう。

 

「……すぐ戻ってこられるなら読まない。まだ迎えに行けないなら読む、でいいか。……やよいに連絡しよう」

 

 決めてすぐに愛する従妹に電話をかけた。学園が休みでも忙しい理事長は果たしてこんな急な電話に出られるのか。

 

『もしもし、葉月?』

 

 僅か一コールで応答してくれてしまった。ちょっと興奮気味かな? よーしどうやら洗脳は完了したようだな。

 

「突然すまん、やよい」

『ううん気にしないで! 理子ちゃんの運転で府中に戻ってるところだから』

「そ、そうか。……ところで聞きたい事があるんだが、いいか?」

『了承ッ』

 

 やよいが秘書の駿川さんではなく樫本先輩と出かけていた理由も気になるところではあるが、時間を取ってくれたので先に俺の用事を済ませてしまおう。

 

「俺の相棒の話は以前したよな。あいつを連れ帰るためにはお前といつも一緒にいる()()の協力が必要なんだが、先生から何か聞いてないか?」

 

 やよいの頭の上に普段から乗っている猫ちゃんこと先生は、夢の案内人というよくわからんファンタジー職業についている。

 そして以前ショタ化していた時に夢の中で彼女は“葉月が戻ってこないと迎えに行けない”といった旨の発言を残していた。

 つまり俺が戻ってきたという事はあいつを連れ戻せる状況になった──はずなのだが、先生からは今日に至るまで何も連絡がないのだ。

 

『あっ、ちょうどその事で私からも連絡しようと思ってたの』

「どういう事だ?」

『えっとね、先生曰くサンデーさんは夢の境界の……深層領域? ってところにいるかもしれないんだって』

 

 また新しいワードが出てきたものの、あいつは目の前で消える直前に“もっと深い場所へ落ちるかも”と言ってたので何とか飲み込めた。どうやらまたヤベー所にいるらしい。

 

『それで普通の人間が深層領域に落ちるためにはいろいろアイテムが必要らしいから、理子ちゃんと一緒に素材を買い集めてたの』

「アイテムって何を買ったんだ? サンデーのための物だし、あとで金額分渡すよ」

『でも、理子ちゃん曰くこういうのは大人の役目だって……理子ちゃん、葉月がコレ買った分のお金返すって。──あ、うん』

「先輩は何だって?」

『お黙りなさい、だって』

「は、はい……」

 

 理子ぴんに凄まれてしまったら俺はもう何も言えない。大人しく今回は頼らせていただこう。

 

『そうそう、買ったものは……水、炭素、アンモニア、石灰にリンと』

「なんか人体錬成できそうな材料ばっかだな……」

『とにかく全部混ぜたら深層領域行きの片道切符が完成するらしいよ』

「そうか……え、片道切符?」

『うん』

 

 それだと向こう側へイキっぱなしになってしまうのだが、帰り道までは面倒見きれねぇぞボケという話なのかもしれない。文句を言うつもりは毛頭ないが実際問題どうしようか。

 

『なんか先生も実際には行った事無いみたい、深層領域。だから帰り方までは分からないんだって』

「……まぁ行き方が分かってるだけありがたいよ。先生にもお礼言っといてくれ」

 

 ぶっつけ本番で生きるか死ぬかの選択などこれまで何度もやってきたのだ。どうせ何とかするしかないのだから、落ちた後のことは向こうで考えよう。やーるきでてきたもう。

 

『ふふ、でも安心してね。今回は先生も葉月についてってくれるらしいから。きっとちゃんと帰ってこられるよ』

 

 ああ、やよいが終始平気そうな理由はコレか。確かに身内の中で一番オカルトファンタジーに精通してる人が同行してくれて、且つその人物が幼い頃からそばにいてくれた相手となれば安心して送り出せるというものだ。

 おそらく先生がよほど念入りにやよいを説得してくれたのだろう。こんなにサポートが手厚いとは生意気な女だ。路傍に咲く花のように美しい。

 

「あぁ、すぐ戻ってくるよ。色々ありがとうなやよい」

『当然ッ。私はトレセン学園の理事長なので、大切な生徒の親友となれば助けるのは必至ッ』

 

 マンハッタンカフェにとってあの少女は確かに親友、もっと言ってしまえばもう一人の自分に等しい存在だ。

 決して俺のためではなく、あくまでトレセン学園の生徒の心を救うために動いているというのがやよいらしいというか、理事長としての誇りと責任感を感じる。美人でシゴデキで言うことなしにも程があり。

 

『あ、そうだ。アイテムの調合には少し時間がかかるから、深層領域に向かえるのは最短でも明後日かも。葉月も無茶なことはしないで、当日までゆっくり体を休めてね』

「了解しました、秋川理事長」

『あと明日の夜はそっち泊まるからね』

「それは何?」

 

 突然の宿泊宣言なんかもありつつ通話はそこで終わり、どうやらサンデーを迎えに行くまではもう少し時間がかかるらしいことが判明した。

 

「……じゃあ読むか」

 

 あいつが不在で、かつすぐに会えないのであればこの手紙は確認しておくべきだ。もしも大事な情報が書かれていたら先生にも共有しなければならない。

 というわけで、いよいよ二つ折りされている紙を開き、彼女の直筆であろう文面に視線を落とした。

 

【これを読んでるという事は、何らかの事情でハヅキのそばに私がいない状況になっている、という事だと思います】

 

 こんな事もあろうかと用意してました、と言わんばかりの先読み能力だ。もしかすると家の中を探せばもう二つくらいは置き手紙が見つかるかもしれない。案外マメな性格だったんだなアイツ。

 

【とはいえ何でそうなっているかは皆目見当がつきません。なのでヒントなども残せません。ごめんなさい。ヤバそうな状況であれば先生を頼ってください】

 

 あくまでも俺が孤立した場合の状況のみを想定した手紙、という事なのだろう。今のところ怪異のかの字も出てきていない。じゃあ何の手紙なんだよこれ。

 

【唯一分かる事は、私がいないので()()()()()()()()が出来ていないんだろうな、という事だけです】

 

 そりゃそうだろお前以外に俺と夢の中であんな事やこんな事をするやつなんていてたまるか。サキュバス?

 

【なのでムラムラしてると思います】

 

 まさにこの掃除が終わった瞬間に一人遊びをしようと考えていたのでそれはそう。先読みされ過ぎててムカついてきた俺のこと理解し過ぎ。葉月理解度検定一級取得。

 

【私が不在なのは余程の事態だと考えられます。ハヅキも体のどこかがバグっていてもおかしくないと思います。そんな状況でムラついていたらカフェやベルちゃんたちが心配です】

 

 まるでお前がいなくなった途端に理性が溶けて知り合いの女子の誰かしらに襲い掛かる変態みたいな言い方じゃねえか。ぶっ飛ばすぞアダルト向け幽霊モドキが。

 

【というわけでちょっと困っているであろうハヅキの助けになればと思い、サポートアイテムを用意しておきました。手紙が入っていた封筒の奥にSDカードが張り付けてあると思うので、パソコンでそれを開いてみてください。続きの文もテキストファイルでそちらにあります】

 

 と言った文章で手紙自体は締めくくられており、言われるがまま封筒を調べてみると確かにセロテープでSDが張り付けられていた。

 

「なんだよサポートアイテムって……」

 

 ぶつくさ言いつつノートパソコンを起動し、SDをぶち込んでみると本当に一つだけファイルが入っていた。

 中にはテキストファイル以外にもう一つ謎のフォルダが存在している。なんこれ。

 そちらが気になってしまった俺は手紙の続きの文章を確認するよりも先に、その名称が変更されていない新しいフォルダをダブルクリックしてみた。

 

 そこには──

 

「……………………………」

 

 ──フォルダをそっ閉じし、爆速でテキストファイルの方を確認する。

 

 

【私の自撮り写真を集めておきました】

 

 

 ……。

 

【ガマンできなくなった時はそれを使ってください】

 

 …………。

 

【ハヅキが好きそうな服やコスプレは私のお小遣いの範囲で通販にて揃えました。タンスの左下に入っていますが、なるべく開けないでくれると助かります】

 

 そういえば一ヵ月前くらいに謎の荷物が置き配でウチに届いていた。

 

【ちなみに下は水着です。流石にヤバいかなと思ったので】

 

 自覚しながらやってたらそれは紛うことなき確信犯じゃねえか。

 

【写真に使ってる衣服は現実の物かつちょっといい値段なので、私が戻っても夢の時みたいにシワができるような使い方はなるべく控えてくれると助かります】

 

 なんだと思われているんだろうか俺。マジでなんだと思われてる?

 

【おわりです。もし他に着せたい衣装があったらそっちで勝手に買ってください】

 

 ──という一文で手紙は終了してしまった。

 俺の手元に残ったのは、やたら俺の趣味趣向を把握しきった相棒の若干危うい自撮り写真のみ。

 ……。

 …………。

 

「………………帰ってきたらマジで覚悟しとけよアイツ……」

 

 結局全てを見透かされた挙句コレを使ったら実質的に負けだという事を悟った俺は、手紙とSDを封筒の中へしまい元の場所に戻すのであった。分かったもうムラムラしてるとか知らん。あいつを連れ戻してくるまで絶対に何も発散しないし帰ってきたその日に何もかもぶつける。俺の高潔な精神を弄びやがって……いかがなさるおつもりか? ヤーるきでてきた。えいえいむん!

 

 



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目白押し

 

 

 ──なんだこれ。

 

「前髪が白い……どうしてなの……」

 

 メジロマックイーンとの激ラブラブデートへ向かう当日の朝の事だった。

 先日買い込んだ少し良いお値段の衣服に身を包み、寝癖等で無礼をかまさない為にも髪をセットするべく洗面台の前に立ち──困惑した。

 

「サンデーの髪くらい白くなってやがる……」

 

 俺の右眼の上辺りの前頭髪が白く変色しているのだ。

 まるで艶やかな純白の髪を持つあの相棒を彷彿とさせるような、透き通るような綺麗な白髪だ。

 ともすればウマ娘に多く見られる髪の特徴のそれとどこか似ており、まだ白い部分の範囲が狭いおかげでなんとかメッシュ風に留まっているが、これが更に広くなるとマズい。

 

「急なイメチェンは困惑を招くだけだよな……? しかも一部前髪だけの意味不明な白……」

 

 これがオシャレな服装や髪型を見せ続けてきたファッションマスター男子ならまだしも、シンプルな服かつずっと黒髪一色で過ごしてきた俺のような一般男子が突然の遅い高校デビュー髪染めをしてきた場合の相手に与える困惑のデカさは割とシャレにならない。苦笑い待ったなし。

 

 というか、今日の俺はこれまでの礼と謝罪のためという、最も誠意が求められる理由でメジロマックイーンに会いに行く予定なのだ。気まぐれ髪染めは流石に真面目さが足りていないと感じる行為だと思います。参ったね。

 

 確かに合同イベントの頃辺りから白い髪は数本ほど発見していたが、急にここまで増えるなんて思いもしなかった。

 まさか、これも先日ウマ娘に変身した件が関係しているのだろうか。突然髪色が変色した気分はどうだ? 感想を述べよう。

 

「……こまった。真面目な話をする日なのに……」

 

 ただひたすらに困ってしまった。おい! 顧客満足度が不足してるよね。

 当然ながらこの家に即座に髪を黒く染めるカラーリング剤などあるわけもなく、途方に暮れた俺は腕時計が刻む時間の経過に焦りながら、とにかく何か見つかればとタンスを漁り始めた。

 

「なんかないかなんかないか」

 

 バタバタと部屋を散らかしながら衣服を漁り続けて数分。

 

「おっ」

 

 ついに何とかできそうなアイテムを発見し、それを手に取った。

 ちなみに相棒のタンスから出てきたドロップアイテムだ。サンデーさん! 衣料品の力、お借りします。

 

「ニット帽……これしかないな。極力前髪を出さないようにすればいけるはず」

 

 いつの事だったか、確か二人で大した用もなくショッピングモールを練り歩いていた際に、あいつが冬用のアイテムが欲しいと言い出して買った物だ。

 ……確かウマ娘用の耳穴が無くて使いづらかったニット帽で、まともに使ったのは二、三回程度だったな。無理して被らなくていいと俺が言った次の日からこいつはタンス世界の重鎮と化した。

 しかし僥倖だ。

 ウマ娘用ではないおかげで俺が使っても違和感がない。時間も無いし使うならコレだろう。

 

「……なんで脱色したかは分かんねぇが、とにかく隠せたし……いくか」

 

 そんなわけで同居人の帽子を深くかぶりつつ、俺は事前に伝えられていた位置情報を辿り、大恩人メジロマックイーンが待っているであろう遊園地へ向けて出発するのであった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「ここ……だよな?」

 

 ──そうして初めて訪れた遊園地は、一言で言えば閑散としていた。

 いや、違う。

 明らかにそんなレベルの話ではなかった。

 どう見ても眼前の遊園地は()()()()()()()

 受付には誰も立っておらず、待機列はおろか周辺一帯にまるで人影が見当たらないのだ。

 

「──あっ、秋川さん、こちらですわ!」

 

 辺りを見渡しながら目的の人物を探そうと四苦八苦している俺の背中に声がかけられた。

 その方向へ振り返って見ると、やはりそこには探していた張本人が、ほんの少し息を切らしつつ立っていた。

 

「お、おはようございますっ」

「うん、おはようマックイーンさん」

「申し訳ございません、こちらから集合場所を指定しておきながら遅れてしまうなんて……」

「いや、いま集合時間の三十分前だよ。俺が早く来すぎたんだ、ごめん」

 

 かつてのドーベルと同じく予定時間の遥か前に集合しちゃった。僕たち似た者同士だね~♡ 呉越同舟。

 

「……ていうか、遊園地がどう見ても休園日に見えるんだけど……?」

「あ、はい、その通りです。営業再開は三日後からですわ」

「えっ」

 

 マックイーンの反応からして日程を間違えたわけではなさそうだが、であれば開いていない遊園地にわざわざ集まった理由とは一体。

 

「ここはブライトのお父上様が管理されていらっしゃるパークの内の一つでして、本日は休園日での立ち入りの許可を頂いているのです。観覧車だけは動かしていただいていますが、ほぼ貸し切りとはいえスタッフの方々もいらっしゃるのでその点はご心配なく」

「……あ、あぁ。うん」

 

 なんか唐突にスケールのデカい話が出てきて思わず慄いてしまったが、今日の会話の本題ではないのでグッとこらえて飲み込んだ。

 ドーベルがやたら庶民っぽい印象が強いだけで、メジロの名を冠するウマ娘たちは基本的に誰も彼もが言葉そのままの意味でお嬢様なのだ。こういう事もあるだろう。ブライトというウマ娘が誰なのかも分からないが一旦置いておく。

 というか一般人的なリアクションをしている場合ではなく、まず他に言うべき事があるはずだ。

 

「ありがとう、マックイーンさん。今日の為にこんな準備までしてくれて」

 

 そう素直に礼を言うと、マックイーンは少しだけ目を伏せつつ微笑んだ。

 

「いえ、私にとっても必要な事でしたから。……では、参りましょうか」

 

 俺と会うときはいつもどこか緊張しがちだったマックイーンだが、今日は肩に力こそ入っているものの普段と違って落ち着き払っている。あの合同イベントで手を貸してくれた時と同じ雰囲気だ。

 凛としている、と言えばいいのだろうか。とにかく美人だ。求婚したいかも。

 

 ──本来なら施錠されているであろうスタッフ用の出入り口を通り、パーク内に足を踏み入れて初めに感じたのは、真冬特有の少し強い乾いた寒風だった。

 誰もいない。

 マックイーンと俺以外に、広々とした解放感のある遊園地の中を闊歩している人物は、誰一人として存在していなかった。

 

 かなり異様な光景だ。テーマパークの貸し切りなんて夢のまた夢だと思っていたが、実際にしてみると優越感よりも寂寥を覚える。

 こんなにも大きくて華やかな、しかし他に誰もいない静寂な世界を、独り占めして心から楽しめるとはとても思えない。出来ればみんなで訪れてワチャワチャしたいね。乱交パーティユニヴァース・フェスティバル。

 

「……私は世間からそれなりに顔が認知されているウマ娘です。お隣を歩いていたら秋川さんにご迷惑をお掛けしてしまうかもしれません」

「だからここを用意してくれたのか」

「変装をしても以前バレてしまった事があるので、こだわるなら場所かな、と思いまして。……きっとお互い、他人に聞かれては困る内容ばかりでしょうし」

「……そうだな」

 

 とはいえドでかい遊園地を貸し切りにしてしまうとは行動力の化身すぎ。もしお付き合いしたらもうその日から一週間後には挙式の日程が決まってそう。

 

「でも大丈夫なのか? 一日中使うわけでもないのにここを使わせて貰っちゃって」

「東京の別邸は諸事情で使用中ですし、まさか秋川さんのご自宅に上がりこむワケにもまいりませんから」

 

 スゲェ短期間で俺の家に出入りし始めたウマ娘にたくさんの心当たりがあるのだが今は黙ってた方がよさそう♡

 

「……ふふっ、そんなに緊張なさらず。一般の方からすれば少々常識の異なるやり方ではあるかもしれませんが、これはそこまで大変な無茶を行っているわけではありませんわ」

 

 どうやら焦燥が顔に出てしまっていたらしく、隣を歩くマックイーンに気を遣わせてしまったようだ。深く反省しこの経験を次回以降のデートに活かします。

 

「なので安心なさってください。貸し切りなんてよくある事ですから」

「よくあっていい事なのか……?」

 

 お金持ちの感覚はイマイチ把握しづらいが、本人がいいならそれでいいのだろう。

 それにもし逆玉の輿に乗れたら俺もいつかは分かるかもしれない。お見合いで紹介したい男性がいるんですけどご一考いただけますと幸いです。秋川葉月という男性なのですが……。

 

「あちらの観覧車です。アレに搭乗している間の二十五分はこの世界から切り離され、誰にも聞かれることなく二人だけでお話が出来ますわ」

 

 なんかすごい言い回しをしているマックイーンの案内で進んでいくと、唯一稼働しているアトラクションこと観覧車が目に入った。

 そこでようやく一名だけスタッフと思わしき……というか執事みたいな恰好の老紳士を発見した。マックイーンさんあの人の事をじいやとか呼んでそう。

 

「お待ちしておりました、お嬢様」

「じいや」

 

 あマジで呼んでた。実在するんだ、お嬢様に仕える渋イケ老執事って。

 

「ありがとうじいや、観覧車は問題ありませんか?」

「もちろんでございます。通常営業日同様にご搭乗いただけますので、どうかごゆるりと」

「えぇ。では早速乗りましょう、秋川さん」

「あ、あぁ。……あの、ありがとうございます」

 

 一応乗る前に礼を言うと、執事の老紳士はあまりにも丁寧なお辞儀のみで返事を返してくれた。え、めっちゃクールでかっこいいのだが。将来はあんな男になりたい。憧れる紳士ランキングでバイト先の店長と同率一位になっちゃった。

 

 

 そんなこんなで観覧車に乗りこみ、約三十分の空の旅──もとい二人きりの完全密室プレイが幕を開けたのであった。

 もはや動いてないのではと錯覚するような非常にゆったりとした速度で個室は上昇を続け、執事の姿が小さくなり始めた辺りで、俺は正面からの視線に気がついた。

 

「──秋川さん」

 

 俺も前を向いた。

 瞬間、空気の切り替わりを感じた。

 観覧車の中は不気味なほどの静寂に包まれ、ここで感じられる音は彼女の声と、自分が発する声のみだと直感した。

 

「本日はここまでお越しいただき、ありがとうございます」

 

 マックイーンは喉を鳴らして緊張を飲み込み、眦を決して俺と相対した。

 必然、こちらにも伝播した緊張感が俺の肩を強張らせる。

 

「まず、秋川さんと私で認識の齟齬があること……それを確認いたしましょう」

「齟齬……?」

 

 あるだろうか、そんなものが。

 メジロマックイーンは俺を助けてくれた。

 俺は彼女に助けられたことに対して、心に抱いて当然の感謝の念を覚えている。

 そのことは以前の電話で伝えたはずだ。

 多少は大袈裟に聞こえたかもしれないが、あれは気持ち云々の話ではなく、この現実で実際に行動してくれた彼女の救助活動に対して、俺は人として言って当たり前の礼を伝えたつもりだ。

 ……もしかしてそれが間違っているのだろうか。

 まさか中学の時みたいに、相手の事を考えず自分だけ勝手に盛り上がってる? 盛り上がるのは下半身だけで十分なのに。

 

「……私は、決して大したことはしておりません」

「それは──」

 

 言いかけて、喉に待ったをかけた。

 あの頃と違って今の俺はコミュニケーションの仕方を山田やベルを通して学んだはずだ。それを今実践しなくていつやるというのか。

 

「……ごめん、続けてくれ」

「では……一つ。私は夜の学園寮で水浸しの秋川さんを見つけた際、独断であなたを匿いました」

 

 そのおかげで俺は社会的な死を免れ、ゴールドシップの案内で安全にトレセン学園を脱出する事が出来た。

 

「次に、商店街で倒れている貴方を発見し、救急車を呼びました」

 

 マックイーンが呼んでくれたからこそ大事に至る事はなく、ほんの数日で回復する事が出来た。

 

「最後に、ライスさんたちと共に府中に残り秋川さんを探していた──これらの行為に対して、貴方は強い感謝の念を抱いていらっしゃる。……なんでもする、という言葉が当たり前のように出てくるほどに」

「……そうだ、その認識で間違ってない」

 

 改めて肯定すると、マックイーンは再び自信なさげに目を伏せてしまった。

 

「……繰り返しになりますが、私はお礼に()()()()と言ってくださるような大層な事など……していません」

「──」

 

 あぁ。

 そうか。

 なるほど。

 

「私は、ただ自分がやるべきだと感じた行動を……咄嗟に取っただけに過ぎません。……ですから、使うだとか命令だなんてそんな……」

 

 マックイーンは身じろぎしつつ、次第に居心地が悪そうに視線を右往左往させ始めた。

 サイレンスを諭した時や、ドーベルを慮ってショタハズキの提案を断ろうとしていた時に見た、あの精悍な目つきをしていない。

 いかにも令嬢らしい楚々とした気品のある佇まいは鳴りを潜めた。

 

「……も、申し訳ございません。言うべき言葉が纏まっていなくて……」 

 

 いま俺の目の前に座っているのは、間違いなくただの普通の、会話に悩む一人の少女であった。

 

 そうだ。

 ようやっと理解した。

 俺は──キモかったのだ。

 

「ごめん、マックイーンさん」

「……?」

 

 確かにメジロマックイーンは恩人だ。

 事実だけを鑑みれば、積極的な奉仕こそが恩人である彼女に対して相応しい恩返しになるはずだった。

 

 だが、違った。

 そうではないのだ。ひたすらにキモい俺は自分の贖罪の事ばかり考えすぎていて、それを受ける側に立つマックイーンの心境までを考える事が出来ていなかったのだ。

 なのでキモい提案ばかり彼女に言ってしまっていた。

 なんでもするだとか、使ってくれだとか命令してくれだとか、目の前にいるこの普通の少女をただひたすらに困らせていただけだった。

 メジロマックイーンが欲しているものは、どんな命令にも従う傀儡なんぞではなかったというのに。

 

「浅慮だった。……俺、自分の伝えたい事ばっか喋ってたよな。本当に悪かった」

「え、えと……」

 

 今一度メジロマックイーンと秋川葉月の関係性を思い出してみた。

 確かに顔を合わせる機会はそれなりにあったが、そこにはいつも()()()()()()()()()()()

 

 メジロマックイーンは、俺に対して非常に好意的に接してくれている。

 それは一度転びそうなところを助けた過去も起因しているかもしれないが、なにより彼女が俺という人間を知ろうとしてくれている事が特に大きい。

 これまでの俺はその行動の意味を、ただドーベルの友人だから良くしてくれているのだと勘違いしていた。

 だがそうではなかった。

 

「……あー、ごめん。俺もなんて言ったらいいか分かんないや」

「そ、そうなのですか? それは……なんとも、困りましたわね……」

 

 助けたのはきっかけだった。

 ドーベルから来る繋がりも、決して彼女がいなければ成立しないような、薄く細い脆弱なものではなかった。

 俺が歩み寄らなかっただけなのだ。

 あのイベントの頃から、マックイーンはドーベルがいなくとも近づいてきてくれていた。

 それなのに俺は一枚の壁を隔てていて、その理由は他でもなく、彼女を()()()()()として認識していたからだ。

 

「マックイーンさん、観覧車が一周するまであと何分くらい?」

「え? あ、えぇと……この位置ならあと二十分くらいかしら……」

「よかった、まだまだ時間はあるな」

 

 だから──壁を壊そう。

 あの妄想家な漫画作家先生も関係なく。

 メジロかどうとか、有名ウマ娘だからなんだとか、そんな事も一度忘れて。

 

「雑談でもしようか、マックイーンさん」

「……っ!」

 

 このマックイーンという一人の少女に対して、俺というどこにでもいる一人の男子高校生として接してみよう。

 気遣いの達人で、凛々しい強さを兼ね備えていて、しかしどこか押しに弱い部分もある──そんな彼女と俺は改めて友人になりたい。

 利害関係も恩も借りも一旦横に置いといて、まずメジロマックイーンというウマ娘と普通に話して、彼女の事を知ってみたい。

 

「ほら、お互いに言いたい事も纏まってないしさ。話しながら頭ん中を整理して、準備ができた方から改めてそれを伝える……って感じで」

「……えぇ。そうですわね、良い提案だと思います」

 

 そうして俺の意図が伝わったのか、先ほどから硬くなっていたマックイーンの表情が綻び、ようやく安心したような穏やかな顔をみせてくれた。うひょ~顔面の造詣が美術品の如く。ふうふ に なりたそうに こちらをみている!

 

「話そうか、なにか」

「なにを……お話ししましょう?」

「どうしようか……」

「……」

「……」

 

 あれ。

 

「思いつかないな……」

「そ、そうですわね。……一対一で向かい合い、話題を探り合いながらお話をする……て、なんだかお見合いみたい……」

「……あの、ご趣味は」

「あ、えと、野球観戦などを……」

「なるほど……」

「はい……」

「……」

「……」

 

 無言の時間が、約五秒。

 

「……プっ」

「ふふっ……」

 

 ついに我慢しきれず、お互いに吹き出してしまった。

 

「何だろうな、この状況」

「もしかして私たち……あまり会話をしたことが無かったのでは?」

「そうかな? ……そうかも。思い返してみると俺たちって、話すときにいつも他の誰かがいたよな」

「えぇ、ドーベルでしたりライスさんだったりと……気がつかない内に、彼女たちに会話の間を取り持って頂いていたのかもしれませんわね」

 

 二人きりで会うことはほとんど……というかただの一度も無かった気がする。

 合同イベントの際に彼女と問題を解決したことはあったが、アレも結局二人きりの時間は皆無だった。交際条約未締結。ますます攻略したくなってきたね。オラッ! ベロをお出し。

 

「──秋川さん」

「ん? ……うおっ。……ど、どしたの」

 

 俺の名前を呼んだめじょまっきーんは、いつの間にか向かい側から隣の席に腰を下ろしていた──なんだこの甘い匂い!? 想定外のグッドスメル。本当のマゾ、真実のマゾ。

 

「改めて……私とお友だちになっていただけますか?」

 

 ふわりと柔らかい笑みを浮かべおって生意気な女。世界を肯定する笑顔をしている……。

 

「……ああ。これからもよろしく、マックイーンさん」

 

 彼女が差し出したすべすべ白皙なおててを握り、やっとこさ俺はメジロマックイーンと“友人”になる事が出来たのであった。ちょっとかわいすぎてガチでキショい笑い出る。

 

「では──そろそろ私にも教えて頂けますでしょうか」

「えっ?」

「いつの間にか行方を晦ましてしまった山田ハズキさんの事や、そもそも学園の寮で水浸しになって倒れていたワケなどです。きっとドーベルは知っているのでしょうけれど、彼女には一度も質問していませんわ。秋川さん本人から許可を頂いて知るべき情報だと思っていたので」

 

 ここまで隠し通していた秘密の開示を求められたが、修学旅行で知り合ったデジタルはおろか出会って数日段階のタマモクロスにすら共有してしまった情報だ。もうマックイーン程の距離感の相手であれば隠し立てする必要もない。全てを知って内縁の妻となれ。んぉ~ぽっぴんひゃん!

 

「もちろん話させてもらうけど、ちょっと長いよ」

「望むところですわ」

「あと気になる部分が逐一出てくるだろうけど、質問は最後でお願い」

「承知いたしました」

 

 では語る事としよう、秋川葉月のビギンズナイトを。腰抜かすなよ。下のじいやに殺されるので。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「──? っ???」

 

 十数分後、観覧車から出てきたのは秘密を喋りきって若干スッキリした顔の俺と、情報の波で見事に混乱しきって張り付いた笑顔のまま表情が固定されてしまったメジロマックイーンの二人であり、結局じいやさん以外の周辺にいたらしい他のスタッフたちからは怪訝な視線を受けてしまうのであった。許してください! 婿になります。メジロハッヅキーンになります。

 

「マックイーンさん、この後はどうしようか」

「不思議なオバケはともかく儀式と称してウマ娘複数人で男性の家にお泊まりとは一体何事──」

「あの、マックイーンさん?」

「へっ? ……ぁっ、は、はい。このあと、ですか。えぇと……この後はですね……」

 

 あまりにも混乱し過ぎていて反応が可愛い。

 なんか逆にちょっと困らせたくなってきた。

 しっかりと友達になったのだし軽口の一つくらいは許されるだろう。スルーされた場合が怖いがイクぞイクぞ! 我がものとするぞ! 

 

「じゃあさ、とりあえず俺とこのまま続きをしよう。デートの」

「デートのッ!?!!??!?!?」

 

 スルーどころかめっちゃ食いついてきちゃった。おもしれ女ランキング暫定一位に躍り出たよ。成ったな……♡

 

 



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ベロチューしよっ♡ オイ落ち着け! スタンプブチュチュンパキッスも忘れるな……わあい相棒大好き! 己が欲望に忠実で非常に猥褻

 

 

「──目前ッ。葉月、準備はいい?」

 

 メジロマックイーンとの和解兼デートを終えた翌日の夜。

 電話での宣言通りどころか連日でウチへ泊りに来たやよいが、布団に寝転がっている俺の横でふんすっと鼻を鳴らした。

 

「おう」

「そのメダルを握ったまま就寝すれば深層領域に落ちる事が出来る……らしいから! がんばって!」

「うん」

「……反応が薄いね?」

「いやまぁ、眠いからな」

 

 時刻は間もなく日付が変わる頃。

 適度な運動で十分に体を疲れさせ、夕餉もたらふくかき込んで腹も満たして気持ちよく熟睡できるであろう体調にセットした。後はマジで寝るだけだ。

 

 ──マックイーンに情報を共有した日の夜、俺は改めて事情を知っているウマ娘たち全員に連絡を入れ、数日の間は誰とも会えないことを彼女たちに伝えた。

 

 これから夢の境界へと渡り、そこから更に深く沈んだ場所にあるらしい深層領域へと落ちてしまう事を説明したのだ。

 全くの未知の世界であり、もはや冒険と言っても差し支えないその壮大なミッションに要する期間も未知数とくれば、安易にスケジュールを組むことはできない。

 なので保険として最低でも三日間は連絡が取れない事を彼女たちに伝えてから、俺は今夜を迎えているというわけである。

 

「……やよい。悪いが眠ってる間の俺のこと、頼むな」

「当然ッ! 今日まで中央トレセン学園の理事長を務めあげているガチ天才従妹をあまり舐めないようにっ」

 

 むふーと自慢げに宣言してくれたおかげで俺も心が軽くなった。それはそうとお前本当に天才だな。誰にも渡したくない。軽率にやよいちゃんぬいぐるみとか欲しい。

 

 ちなみにスーパー大冒険中の無防備な俺の身体の諸々は全てやよいに任せてある。

 これまでの事情を共有している存在はそこそこいるが、流石に寝ている間の身体のケアを任せられるのは家族しかいないという理由で彼女に任せることになった。現状やよい以外で他にこの家へ訪れる事が出来るのは樫本先輩くらいのものだ。

 

「んなぁお」

「うん、葉月のことよろしくね先生」

「ごろごろ」

 

 仰向けに寝た俺の腹の上で香箱座りしている猫ちゃん先生を撫でたやよいは、いよいよ部屋の照明を切って準備を完了させた。

 

「……あっ、忠告ッ! ちゃんと帰ってこないと怒る!」

「分かってるって」

「ひゃわっ」

 

 手を伸ばし、やよいの頭をわしゃわしゃと撫でる。まぁ安心してお茶でも飲みながら待ってなさいや。俺マジで無敵なので。

 

「も、もう……どうせ聞かないだろうけど、無茶だけはしないでね」

「ほんのちょっと無茶するぐらいに留めるよ」

「本当にちょっとだけにするように。……はぁ。……ん、いってらっしゃい。こっちの事は私に任せて」

「頼むな、やよい。──いってくる」

 

 やよいと先輩が完成させてくれた深層領域への片道切符、もとい謎の金属製のメダルをしっかりと握りしめ──瞼を閉じた。

 寝ている間の事はやよいを信じて全て任せた。

 いま、俺が考えるべきことはたった一つだけだ。

 アイツを連れて帰る。

 ただそれだけを強く胸に抱き、ようやく俺は夢の境界へと旅立っていった。

 

 

 

 

 ──と、そんなこんなで再びファンタジーな世界に足を踏み入れた矢先の事であった。

 

「先生? あの先生、しっかり」

「にゃうわう……」

「……ダメそうだな。この湖なんか変な匂いしやがるし、これのせいなのか……?」

 

 いつも通りだだっ広く緑々しい草原へ訪れて数分、いよいよ深層領域へ沈む事が出来るらしい湖の前までたどり着くと、やよいの姿に変身していた先生が唐突にひどい睡魔に襲われた状態になってしまったのだ。猫耳がしおれちゃってる。

 妙に甘い、花のような不思議な匂いだ。

 

「俺は平気なんですけど……進んでも大丈夫ですか。許可できるなら一回、引き返した方がいいなら二回鳴いてほしいです」

「……にゃーん」

「分かりました、進みます」

 

 以前から地味に人間の言葉を喋れるようになってた先生だが、睡魔のせいで再び猫語しか喋れない状態にもなっているようだ。こっちもかわいいので良しとしよう。

 

「とりあえず一人にはできないんで背負っていきますね。腕だけは絶対に放さないでください」

「うなーん……」

 

 ともかく立ち止まっている暇はないという事で、俺は先生を背負って湖の中へと足を踏み入れた。

 不思議な世界だからなのか水は特段冷たくはなく、また顔まで完全に入水しても息はできるし水中の光景も問題なく視認できるため、俺は構わずどんどん暗い水底へ向かって進んでいった。

 

 しばらく進んでいくと明るい光の玉が見え、そのすぐ近くまで赴くと──景色が切り替わった。

 

「うおっ」

 

 そうして目に飛び込んできたのは、どこかのレース場であった。

 

「レース場……?」

 

 緑の芝はもちろんのこと、しっかりと観客席やライブステージ用のスペースまで完備されている一般的なウマ娘用の競技場だ。

 こんな晴天の下で無人のレース場など、まるで休業日に忍び込んでしまったかのような罪悪感を覚えるが、道筋が正しければここは決して現実世界などではない。

 

「先生、ここが深層領域ってことでいいんですか。……先生?」

「ぐぅ……」

「……寝ちゃったか」

 

 俺の背中で既にグッスリ眠ってしまっていた先生のことをゆっくりと下ろし、観客用の席に寝かせた。

 思い返してみれば俺がショタ化した頃から夢の案内人という役割以上の事をずっとやらせてしまっていたのだ。

 外的要因で睡眠欲を刺激された結果とはいえ、今日までいろいろ頑張ってくれていた彼女に休んでもらうにはいい機会かもしれない。今はこのままねむねむしといてもらおう。後でほっぺを揉みに戻りますね。

 

「先生が起きるまで軽く散策するか」

 

 あまり離れすぎないようにしつつ、冒険の基本である探索を開始した。何か見つかるかも。

 いかにもファンタジー色の強い洞窟やダンジョンならまだしも、こんな現代風景の中で急に激ヤバなモンスターなんかが出るとは思えないが──

 

「……ん?」

 

 観客席から建物の中へ入ろうとしたその時、中の廊下から気配を感じた。

 すぐさま扉の後ろに身を潜め、中の様子を窺うと──少女が一人いることに気がついた。

 そのまま隠れ続けていると少女はブツブツと独り言を呟きながらこちらへ歩を進めてくる。

 

「むぅ……あの男の気配、たしかに感じた……ニンゲンのくせにここまで来られるなんて……」

 

 ──カラスだ。

 以前、高校の合同イベントが終わった夜にあのバケモノが変身した姿であるウマ娘っぽい風貌の黒髪の少女が、廊下を通って観客席に腰を下ろした。

 どうやら大きな扉の後ろに隠れていた俺には気がつかなかったらしいが、そもそもなぜアイツがここに。

 ……クリスマスの日か。 

 あの時俺たちにボコボコにされ過ぎて、あいつも自己修復のために深層領域へ落ちてしまったのだろう。てかアイツめっちゃ黒いオーラに包まれてんな。黒すぎて黒ギャルになりそう。

 

「……そうだ。あの青鹿毛の姿に変身して……あの男をだまして籠絡してしまえば……」

 

 なにか思いついた素ぶりを見せた仮称カラ子は自らの両頬を軽くペシッと叩いた瞬間、めちゃくちゃ見覚えのある少女の姿に変身してしまった。

 俺の唯一の同居人であり相棒でもあるアイツの姿そっくりだ。そんな形態変化できるんだ君。ちょっと物は試しでダイワスカーレットとかに変身してみない?

 

「ふふふ……」

 

 怪しく笑いながら芝の方へと降りていくカラ子。

 どうやら俺の気配を感じ取ったらしいあの女は、変装で相棒に化けて俺を騙そうとしているようだ。生意気な女、それでいて大胆。片腹痛いわ。

 

 ──ほう、面白い。

 まさか身内に変身してこの俺を誑かそうなどと身の程知らずな作戦を企むとは思わなかったが、向こうがその気ならこちらにも考えがある。

 乗ってやろう。

 いっそのこと騙されたフリで好きにやらせてみて、そのまま相手の手の内を明かしてしまおうではないか。誘い受け。

 これまでは怪異側から散々いじり倒されてきたが、今度はこっちが攻めるターンだ。

 

「──おーいサンデーッ!」

「っ!?」

 

 というわけで俺は意気揚々と観客席を飛び越え、カラス女の待つ芝へ駆け寄っていった。

 声をかけたと同時に奴は焦ってこちらを振り返ったが明らかに動揺している様子だ。汗が滲んでしまっていますよお嬢さん。このような小娘一捻りじゃわい。

 

「ここにいたのか……探したんだぞ、サンデー」

「ぁ、わっ、ニンゲ──」

 

 ずんずんと遠慮なく近づいてくる俺に慄きつつも、一度深呼吸を挟んでから少女は眦を消して()()()に切り替わった。

 

「んん゛っ。……は、ハズキ」

 

 お、演技は頑張ってる。女優になれるかも。だがあいつのしっとりボイスには程遠い! イケズな女。

 

「とにかく合流出来てよかったぜ」

「い、いつから来てたの」

「ッ? おま……そりゃないだろ……」

「ふぇっ……?」

 

 呆れたように肩を落とした俺を前にして更に狼狽の汗が額に浮かぶカラ子。自分の言動のどこが間違いだったのかが理解できていないようだ。

 

「せっかく再会できたのにハグの一つもないのか」

「は、はぐ」

 

 俺がここまで彼女を()()()()()という点を忘れているのだ。

 数週間ぶりの再会にしては対応が明らかに素っ気ない──ということにして、もう少し揶揄ってやろう。コイツが作戦の為にどこまで身を削れるのか興味がある。

 

「ほら、サンデー」

「……?」

 

 わかりやすく両腕を広げた。かかって来るがよい。

 

「どうした? 久しぶりにギューってしようぜ」

「……! あ、ぅ……で、では……」

 

 緊張しすぎてもう演技がボロボロになっている。生娘にも程がありますよホント♡

 

「ハグを……」

「あぁ、早く来い。抱き締めて頭を撫でてベロチューしてやるから」

「っ!?」

 

 まるで普段からそれをしているかのように平然と誘導してやると、カラ子は分かりやすく肩を跳ねさせて反射的に一歩後ずさった。なにしてんだ慄くな! ほら激烈キッスプリーズ♡

 

「ぅっ、ば、バカな……」

「サンデー?」

「つがいでもないのに……そんな行為をするなんて……」

「何言ってんだお前。なんで後ろに下がってんだよ」

「ま、待っ……」

 

 接近すると更に後ろへのけ反る。もっと無知かと思っていたが意外と人間臭いやつだ。

 

「……?」

 

 というか、そこに疑問を抱いた。

 言語を用いて謀ってる時点でどう考えても野生動物の域は逸脱しているし、もしやあのカラスの姿も本体ではなく変身した姿なのだろうか。

 

 そういえば以前、怪異の正体について一度考えた事があった。

 あの時は結局何の答えも出せなかったが、今になってみると怪異とはただ何も考えずに悪意を振りまくだけではない──かもしれない個体もいる、という事だけは客観的に理解できている。

 そも相棒の言葉を信じるなら、あいつも友人であるマンハッタンカフェに対して非常に友好的であるというだけで、存在の概念自体はこれまで戦ってきた怪異たちとあまり変わらないのだ。

 

 言ってしまえば、このカラス女も彼女と同じという事になる。

 ただのオバケなどではなく、豊かな感情と確かな人間性を持った一人の少女なのだ、と。

 まぁサンデーは一般市民に被害が及ぶようなことは全くしていないし、同じと表現するには流石にカラ子が暴れすぎてしまっているのだが──とにかく()()が可能だという部分が大切だ。

 

「ふ、ふっふっふ、騙されたなニンゲン!」

「ん?」

「実はわたしは青鹿毛──サンデーではないのだっ!」

「な、なにー……」

 

 あまりにも恥ずかしすぎて変装に耐え切れず、焦燥しながら正体を明かした目の前のこいつとも、会話自体は物理的に可能なのだ。

 だから相互理解のチャンスが無いわけではない。

 元々が本能で人を襲うヤベー奴だったとしても、俺と戦い続ける中で人間を学び確かな人格を獲得した今のカラスとなら、諍いを終わらせるための話し合いが出来るかもしれない。

 

「これが今のわたしの本当の姿だッ!」

「やっぱりその人間の姿が本体なのか」

「えっ……全然驚いてない……」

 

 とはいえ、だ。

 コイツからすれば俺は数ヵ月間レースし続けたライバルなので、まずは何を差し置いてでもリベンジマッチを仕掛けたいはずだ。

 とりあえず話をするには一旦走らなければ。ポコポコに打ち負かして一旦落ち着かせてからが本番だ。

 

「初見の時は他のカラスたちと融合してその形態に変化したように見えたが、あいつらはお前の一部や分身だったりするのか?」

「む、むぅ……」

()()自分の本当の姿と言っていたが元のお前は何だったんだ? もしかしてお前たちは後天的に自分の素体形態を構築するのが普通なのか?」

「だっだ黙れ黙れ! なんでもかんでも聞いてくるな! わたしとお前は敵なんだぞ、敵っ!」

 

 それはそう。だがこの反応も想定内だ。

 意固地になっている相手ほど単純な交換条件には乗りやすい。ここで今まで通りレースに話を繋げれば対話の機会を作れるだろう。

 

「だったら、今回のレースで俺が勝ったら質問に答えて──いや、俺と話をしてくれ」

「ふんっ、いいだろう。その代わりこちらが勝利した場合の条件も飲め。わたしが勝てばお前の肉体はわたしの物だ」

「……俺に憑依するってことか?」

「そうだとも。フフ、怖いか」

 

 いや俺って特殊体質だから憑依しようとした相手のこと取り込んじゃうんだけども。というかそれがユナイトの原理だ。

 ……黙っとくか。

 この際だからむやみやたらに暴れたところで世界は自分の思い通りにはならないという現実を彼女にも知ってもらおう。

 

「ではニンゲン、早速始めるぞ」

 

 もうやるの。

 

「ふふふ……今のお前は正真正銘のニンゲンだ。レースしたところでわたしには勝てないだろうがな」

「待ってくれないのか?」

「当然いますぐだ! この場において圧倒的に優位な立場にあるわたしが譲歩してレースの提案を受け入れてやっているんだぞ。お前が今すぐ走らないのであればこのまま憑依して乗っ取ってやるだけだ」

「……わかった。走ろう」

 

 まったく不思議なやつだ。

 これまで負け続けて傷ついたプライドの影響なのか、俺の状態は問題ではなく、とにかく形だけでもレースで俺を負かしたいのが彼女の目的らしい──が、それならどうして相棒に変身してまで俺を騙そうとしたのだろうか。

 ……興奮させてまともに走れない状態へ陥らせた後、レースを仕掛けて勝つつもりだった、とかそんな感じか。とにかく俺たちを舐めすぎ。悪辣で非常識。

 

「あの青鹿毛がいない今、ニンゲンなんぞ欠片も怖くないな。わはは」

「お前の後ろにいるぞ」

「えっ? ──うわァっ!!?」

 

 そんなんだから三分くらい前から背後に立ってた少女にも気づけないのだ。油断し過ぎ……天誅!

 

「いっぃいいつからそこにッ!」

「ん、数分前」

 

 驚きのあまり尻もちをついたカラ子の横を素通りし、彼女は俺のもとへやってきた。

 

「ハヅキも教えてあげればいいのに」

「びっくりさせたかったんでな。コイツのせいでクリスマスから年末年始にかけての予定が全部死んだわけだし、多少の仕返しってことで」

 

 カラ子が気配を察知できたのであれば、まさかサイドキックである彼女が気づかないはずがない──そう踏んで怪異とのコミュニケーションに乗り出したわけだが、微妙に相棒の到着が遅れて内心微妙に焦っていたのが真相だ。ほっほ♡ ヒーローは遅れて来るというわけですか♡ あんまビビらせんな。

 

「それで、さっきまで何してんだ?」

「シャワー浴びてた」

「どうりで妙に良い匂いがするわけか」

「ハヅキ、ちょっとキモい」

「そんな……」

 

 素直に感想を述べただけだったがその感想自体が気持ち悪かったらしい。会話の距離感覚が麻痺しているかも。久しぶりに会えたから嬉しくってつい♡ テメェもイケよ! 記念だぞ。

 

「うぅっ、ゲートインだ!」

「ん? ──うおっ!」

 

 悔しそうな表情で立ち上がったカラス女が叫ぶと、瞬時にウマ娘用のゲートが目の前に出現した。あんまり急かすなプリティーガール。走りたくてたまらないんだね。

 

「わたしだって概念の再構築を終えたんだからな! お前の連勝もこれまでだぞ! よーいドンっ!!」

「おい、ちょっ……有無を言わせない勢いだな」

 

 カラ子の合図と共にゲートが開き、とんでもなく勝手なタイミングでレースが始まってしまった。一度くらいは真剣勝負ができないのか? 花嫁修業を積んで出直してこい。

 

「──サンデー、いけるか」

「うん」

「じゃあいつも通りユナイトだ。いくぜ、相棒」

「れっつごう」

 

 その返事をこちらのスタートの合図とし、遅れていた俺たちも()()()し、まもなく出走した。

 で。

 

「追いついた」

「ヴぇあッ!?」

 

 爆速スタートダッシュにより一瞬でカラ子の横に追いつき、小賢しい作戦によって発生したハンデを抹消した俺たちは、久しぶりに疾走する肉体の具合を確かめるため敢えてカラ子と並びながら走っていく。

 

「き、貴様ァ……ッ!」

「貴様じゃなくて貴様らな」

「どっちでもいいわ! わたしの本気を見せてやるっ!」

「おっ──加速だけはスゲェな、あいつ」

 

 再び俺たちを大きく突き放した怪異の少女の背中を追いながら、俺はもう一人の怪異の少女に対して意識を向けた。

 

(再構築、終わってるのか?)

(もち)

(なんか以前に比べて随分身体が軽く感じるな)

(前より身体をハヅキと合うように調節した。その影響で他の誰かには憑依できなくなったけど)

 

 ようやく汎用デッキから俺専用の構築に変わったという事か。

 

(もうカフェにも憑依できない)

(マンハッタンさんはとっくの昔から一人で走れるくらい強いよ。……もう護る相手じゃなくて、一緒に走れるライバルなのかもな)

(うん。戻ったらカフェやスズカちゃんたちとも走りたいから、必ず勝とう。それにこの深層領域は空間全てが回復機構になっているみたいだから、ここでなら──本気を出せる)

 

 というわけで互いの気持ちが合致し、再び加速をして対戦相手の横に並んだ。

 

「おっ、お前たちの加速はおかしい……っ!」

「何もおかしくないぞ」

「ズルだっ!」

「いやスタートの時の自分を思い出せってお前」

 

 それに加えて確かにこちらは二人分の力だが、そもそもカラスと戦い始めた時から俺たちは二人で一人だった。

 俺やサンデーどちらかだけに勝っても、きっと彼女は満足できないはずだ。

 こうする事こそがこの怪異に対する敬意なのだ。

 

「さっき本気を出すって言ってたろ? なら俺たちも全力を出してぶつかるよ」

「ぐぬぬ……っ!」

「ユナイトした俺たちとレースできる相手なんてお前くらいのもんだ。──来いよ、俺たちの本気も見せてやる」

「──上等だァッ!」

 

 俺の煽りに乗ったカラ子は再び伸び始めたがこちらも体力は有り余っている。

 これまでのデメリットの事は一度忘れて身体すべてのリミッターを外し、彼女に挑む。

 そのつもりで地面を踏みぬいた俺たちは、文字通り一陣の疾風(かぜ)となって、直線距離を吹き抜けていったのであった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 あまりにも圧勝でした。申し訳ない寄りの気持ち。

 

「チート……ちーとだ……なにあの加速絶対かてない……」

「おーい、カラ子」

「もう煮るなり焼くなり好きにして……」

「意気消沈だな……」

 

 ゴール後に仰向けでぶっ倒れたカラ子は完全にすべてを出し切ったのか、もうレース前までの威勢は消え去りすっかり殊勝な態度になってしまっている。当初の目論見通りではあるがこんなコテンパンにしてしまうとは思わなかった。俺また何かやっちゃいました? ヤっちゃいました。

 

「にゃーん。はづきいた」

「先生、起きたんですね」

 

 寝そべっている黒ギャルをどうしたものかと思案していると、すっかり元気に戻った猫ちゃん先生がやよいの姿で戻ってきてくれた。

 

「さんでー、元気にしてたかにゃ」

「先生~」

 

 やよいの姿でサンデーと抱擁してるのちょっと微笑ましすぎ。姉妹?

 

「ハヅキ、ハヅキ。先生が喋れるようになってる」

「少し前からそうなんだよ。でもその語尾ってキャラ付けですよね先生」

「うるさいにゃ」

 

 そしてようやっとパーティメンバーがそろったかと思いきや、先生はカラ子のそばにしゃがんでしまった。

 

「このカラスはおいらと見えない手錠で繋いでおきます」

「……別に逃げるつもりはないぞ、案内人」

「行く」

「ぐわあぁぅあ」

 

 本当に何やら視認できない鎖で二人の手が繋がれたらしく、先生が歩き始めるとカラ子はズリズリと引きずられて行っている。ちゃんと立てお前。

 

「先生、どこへ行くんですか?」

「向こうに光の玉が見える。アレはここへ転移する前にはづきが触ったものと同じと思われるので、あれを触って上に帰る。とりあえずこの怪異との話し合いは他の仲間も交えて現実世界でするべき」

「なるほど」

 

 先生がそう言うなら従う他にない。呪いの原因である敵をようやっと倒した件をみんなに共有するのは確かに急務だ。

 レース直後ということで休憩を挟みたい気持ちもあるが、急ぎであれば仕方ない。

 

「……」

「サンデー、俺たちも行こう」

「ん……私はもう少し残る」

「はい?」

 

 そのまま直帰する流れかと思いきや、相棒は芝の上に座り込んでしまった。ストライキか何かだろうか。

 

「さっきすごーく走ったから、消費した分を回復させてから戻りたい」

「……ここは空間全体が回復機構になってるらしいって言ってたが、回復より消費のスピードが上回ったってことか?」

「そんな感じ。ハヅキたちが上層から扉を開けてここへ入ったことで光の玉を出現させてくれたから、もう私一人でも帰れる。なので二時間遅れくらいで帰ります」

 

 つらつらと理由を述べてここに居座ろうとしているサンデーだが大事なことを忘れておる。

 俺とお前は文字通り一心同体だ。

 ユナイト中のお前の消耗は俺にも適用されるんだぜ。カップル割。

 

「たしかに」

「お茶目さんめ、ちょっと待ってな。──先生」

 

 先行する背中に声を掛け、今の自分たちの状態を説明した。……というかサンデー、心を読んで俺が休める理由を作ってくれたのか。大和撫子の装い。

 

「……ってわけなんですけど」

「分かった、やよいにはおいらから伝えておく。深層領域に居られる機会なんてそうそう無いから、二人ともしっかり回復し終えてから戻って来るように。……にゃ」

 

 その語尾あんま無理して使わなくてもいいと思いますよ。というか一人称はおいらで決まりなんだ。

 

「二時間くらいですけど……カラ子を任せても大丈夫ですか」

「なあニンゲン? さっきから言ってるカラ子ってわたしの事?」

「案内人であるおいらと拘束具で繋がれてるから、もう力の制御はこっちで出来る。カラ子は任せてもらってよい」

「ありがとうございます、俺たちが戻るまでお願いします」

「わたしの名前カラ子で決まりなんだ……」

 

 まあ安直すぎるニックネームで呼び始めたことに関しては素直に申し訳ない気持ちだが、お前が名乗らないから暫定でこうなってるのだ。名前を教えてください♡ 早くしろ! アクメしたくないのか?

 

「不服なら名乗れって」

「わたし名前ありません」

「じゃあ俺たちが戻る前までに考えといてくれよ。これからはそれで呼ぶからさ」

「……わかった」

 

 渋々名前の考案を飲み込んだ元カラスの少女はそのまま先生に連れて行かれ、ひと足先に深層領域から去っていった。

 自分の名前を自分で決める機会などそうそう無いものだし、なんかいい感じの名前を思いついてくれることを願うばかりだ。

 

 ──というわけで、約半年間に及ぶ因縁は意外とあっさり決着が着き、俺は相棒と二人で無人のレース場で居残りする事に決まったのであった。

 

「ハヅキ、お疲れ様」

「そっちもな。……折角の機会だしダラダラしてから帰るか」

「うん」

 

 この日まで異常に多忙な毎日だった事を踏まえて、残り日数は僅かだが今日くらいは本来の冬休みらしくゆっくりすると決め、まずはレースで滲んだ汗を流すべく俺たちは会場内にあるらしい選手用のシャワー室へと向かうのであった。

 

 

 

 

 そそくさとシャワーを浴び終えて元々着用してきた衣服を洗濯乾燥機にぶち込んだ後、控え室の備品棚に置いてあった新品のランニングウェアとジャージを着込み、俺たちは無人の売店で見つけたレジャーシートと適当な昼食を手にライブステージの方へ向かっていた。

 

「サイレンスたち……アイツのこと許してくれるかな」

 

 その道すがら、今日屈服させたばかりのあの怪異について話し合っている。

 俺たちが現実世界に戻ったらカラ子にはウマ娘のみんなや山田たちに対してクリスマスの日のことを謝って貰うつもりなのだが、流石にそれで丸く収まるとは到底思えない。

 アレに関しては俺だけの迷惑には留まっていないのだ。とりあえず全裸土下座の準備はしておいてね。

 

「ハヅキはもうカラ子を許したの?」

「わからん。……けど、もし今回の再構築であの自我を獲得したんだとしたら、本能だけで動いてた時期のことを反省してとにかく謝れって迫るのは……なんだかな」

 

 ショタ化していた時期に触れ合ったタマモクロスの器の大きさに影響されたのか、あのカラスに対して抱いていた負の感情は既にひどく薄れてしまっている。

 

 もちろんアイツにされた事を忘れたわけではない。

 クリスマスの戦いで俺が姿を消し中央に残った少女たちを深く心配させてしまったことや、ここへ出向くことになった原因も彼女との激しい闘いが理由だ。

 アイツと俺は明確に敵同士だった。

 互いが互いを全力でブッ倒そうとしていたわけで、まともに会話できたのだって今日が初めてだ。

 

「カラスがどんな姿形をしていようとレースが終わったら一発はぶん殴ってやるつもりだったんだ。それぐらい迷惑を被ってたしさ」

 

 どこまで行ってもただ悪意をまき散らすだけの怪物だと思っていた。

 だから容赦も歩み寄る必要もないと考えていた。

 美少女になろうがショタだろうが老人の姿であっても絶対に痛い目に遭わせてやろう──と、間違いなくそうするつもりだった。

 

「……でもアイツ、ちゃんと負けを認めたんだよ」

 

 そう、困った事に事情が変わってしまった。

 カラスは今回の敗北を跳ね除けるような事はせず、事前に提示していた条件を飲んで大人しくそれに従ったのだ。

 

「反省してるかどうかは微妙なラインだが……少なくとも約束を反故にすることはなかった。煮るなり焼くなり好きにしろって言ってたし、実際ちゃんと先生にも大人しく拘束された」

 

 しかも無抵抗すぎて先生に引き摺られていたくらいだ。その後の名前決めに関しても結局最後まで異を唱える事はなく、俺の頼みに従ってくれた。

 

「自分の今後の処遇についての全てを一任してくれたんだ。本当にただ暴れたいだけの奴なら自らの進退なんて他人には預けられないだろ。アイツには人としての理性がある。……と思う」

 

 もちろんこれは俺の勝手な想像に過ぎない。

 カラスが実は従ったフリをして反逆の機会を窺っているだけな可能性も大いにある。少なくともサンデーに変身して俺を誑かそうとする程度の狡猾さを持ち合わせている事だけは事実だ。

 

 だから真実は分からない。

 俺が言えるのは自分自身の気持ちだけである。

 

「その……つまりだな。完全に自分の身柄を預けて茫然自失になってる相手を責め立てて断罪するのは……なんか気分が悪いんだよ」

 

 今日に至るまでの過程を踏まえればたぶん赦すべき相手ではない。

 これまでの所業に対する贖罪として相応しい苦痛を与え、存在を否定し、二度とこの街に近づかないように追い祓うべきなのかもしれない。

 相互理解不可能な()()()ならきっとそうするべきなのだ。

 

 ──だが俺はあいつと話をする事が出来た。

 会話とレースによって互いの主張をぶつけ合い、それが終われば結果と約束を飲み込む事が出来た。

 今のカラスには歩み寄れる余地があるのだ。

 もしコミュニケーションによって和解が出来るのであればそれが一番いい道筋なのではないだろうか。

 

 あいつは悪役ではなく、俺もヒーローではなく、勧善懲悪の物語のように悪い奴を懲らしめるのではなく──互いを理解し手を取り合う事が出来るのであればその択を取りたい。

 それがいい。

 俺がそうしたい。

 なにもかもカラスのせいにし全ての責任の清算をアイツに課したとして、それで憂いのない高校生活を送れるようになるとはとても思えない。心がスッキリしないのだ。

 

 だから断罪だとかそういうのはそこそこにして、平和的な解決を望んでいるわけであります。ラブアンドピース! ほらダブルピースしろダブルピース! アクメを添えて。

 

「でも、あいつを許すかどうかは俺だけが決めていいことじゃないしな。……どうしたらいいか分かんねぇ」

「……焦らなくていいと思う」

 

 レースで結果を残した上位のウマ娘たちが歌って踊るためのステージにそこそこ大きめなレジャーシートを敷き、無人の売店から持ち出してきたお弁当たちを広げた。一応お金は置いてきました。

 

「先生が言った通り、カラ子の事はベルちゃんたちと一緒に決めることだから」

「……それもそうか」

「ハヅキもここでゆっくり考えればいい。庇うにしてもみんなを納得させるだけの言葉はきっと必要」

「そだな。どっちつかずで帰るのだけはやめるよ」

 

 というわけで、これまでバトッてきた宿敵のくせに友達になれそうな余地を見せてきやがったよく分からん不思議存在のことは一旦置いといて、ようやく二人が揃ったので真の意味での休息が取れるようになった。マジでめっちゃあり得んくらいダラダラしてから帰ろう。

 

「……で話は変わるが、お前の感覚で言うとどのくらいこの空間にいたんだ?」

「二週間くらい。はい、あーん」

「むぐ。……ッン、あんま現実世界とは変わらないのか」

「うん、走ったりのんびりしたりして過ごしてたけど、さすがにちょっとヒマだったかも。……ん、お茶?」

「さんきゅ」

 

 いくら設備が整っているデカいレース場とはいえ、無人で無音な施設に二週間以上も一人でいるなんてもはや修行の域だ。なんだそのムッチリ造形な精神は……その船を漕いでゆけ。

 

「……あれ、そういえばカラ子はこのレース場にいたのか? 二週間いた割にはあいつお前の存在には気付いてなかったみたいだが……」

「ううん、たまに上から眺めてたけどあの子は外にいた。ダートだったり林道だったり、深層領域はここだけじゃなくていろいろあるよ。たまにニンジンが空を飛んでたりもする」

「マジでよく分からん世界だな……」

 

 もぐもぐと昼食を口に放り込みつつ情報交換をし、万が一またここへ落ちた場合の対応策などを考え──それから少し経って、二人とも小難しい話をするのはいつの間にかやめていた。

 

「なぁ、そっちの卵焼きくれよ」

「エビフライとなら交換してもいい」

「対価デカい……」

 

 これまでの大変な過去は一旦忘れて、ライブステージから見える観客席や蒼い空を眺めながら二人でお弁当をつついている。

 こうして二人きりでいる時間はとても久しぶりで、食べ終わる頃にはすっかり自分たちを取り巻く環境の全てを脳の端っこに追いやって、ただ穏やかな時間を過ごしていた。

 

「サンデー」

「なに」

「このレース場出てさ、散歩でもするか」

「うん」

 

 ぬるっと行動指針が確定し、レジャーシートや諸々を片付けた俺たちは少しの飲み物だけを携えてライブステージを後にした。どこにいても回復できるならどこへでも行ってしまおう。逃避行。

 

「ぎゅうー」

「何で腕にくっついてるんですか」

「ハヅキ、ちょっと筋肉ついた?」

「そうかしら」

 

 それならこちらも気になっていることがある。どこかしこも柔らけ~♡ あれ、さんぽなのにイクんですか?

 

「お前こそ今回の再構築でなんか雰囲気変わったぞ」

「大増量キャンペーン実施中です」

「期間はいつまで?」

「たぶん半永久」

 

 交尾向きの身体、よし……と。丁寧丁寧にPDCAサイクルを回していけ。PDCAとはパイデカ・キャビンアテンダントの略称です。空を飛ぶような絶頂体験をご案内!

 

「さわる?」

「その前に俺の筋肉を触ってみろ」

「かちかち」

「ワハハ。モテるためにもっと筋トレするか」

「どうせ続かない」

 

 小生意気な女、しかし俺のことを理解し過ぎ。葉月理解度検定一級は取得済みなので殿堂入りにしとこ。ワシの形にフィットしているね。

 

「森の中は涼しいな……あのベンチで一旦休むか」

「ハヅキ」

「うん?」

「呪い、もう消えてるみたい」

「そりゃめでたいな。もうあの儀式をしなくて済むってわけだ」

 

 暖かな木漏れ日を感じる、林道にポツンと鎮座するベンチに座って一休み。

 レース場を出た時から繋いでいた手は未だに繋がれており、俺も彼女も放そうとする気配はない。あっつぅ……好き好きオーラでほっかほかだな。あんま調子乗ってんじゃねーぞ! 慌てなくていいよ僕だけのマイハニー♡

 

「ハヅキが怪異に狙われる理由はもう無くなった」

「そうだな」

「私がついてなくても、もう大丈夫」

「そうかもな」

「うん」

「元々マンハッタンさんと一緒に過ごしてたんだもんな。これでようやく帰れるってわけだ」

「……うん」

 

 まぁ知らないが。そんなこと。

 怪異なんざ()()()()に過ぎない。

 

「ウチにいろよ」

「えっ?」

「てか俺のそばにいてくれ」

「……大変なこと言ってる」

 

 ラブコメよりヤバい事いっぱいしてるだろ既に。青鹿毛の嫁入り。いつも視姦していましたよ♡ イライラさせやがって……!

 

「相棒なんだろ」

「それは、まぁ」

「今まで通りじゃダメか?」

「ちょっとだけ……事情は変わった」

「それなら──」

 

 俺は彼女の方を向き、額と額とくっつけた。

 

「ハヅキ……?」

「俺の記憶、ちゃんと伝わってるか」

「かなりたくさん。……なんか芦毛の子が多い」

「全部共有できた?」

「うん。大変だったね、年末年始」

 

 全くその通りだ。

 

「マジで大変だった。やっぱりサンデーがいてくれないとボロカスだ俺」

「あんまりカッコよくないこと言ってるよ」

「サンデーの前でカッコつけた事あったか?」

「……わかんない」

 

 どうでもいいのだ。

 恰好がつかなくても構わないのだ。

 どんなにダサかろうが知ったことではないのだ。

 心が読めるなら分かるだろう。

 よめなくたってわかるだろ。

 

「なぁ、サンデー」

 

 俺の顔を見れば、お前なら分かってくれるだろ。

 

「めちゃくちゃ普通に言うが、向こうに戻っても一緒にいたいんだよ。……こういうのってやっぱもっとカッコよく言わないとダメか」

「……どうだろ」

 

 額を離し、手を離し、互いを見つめる。

 

「そもそもハヅキに対してドキドキした事、あんまりない」

「つらい……」

「……でも、一緒にいて安心はしてた。……気がする」

「どっちやねん」

「言葉がうまく出てこない」

「それはまぁ……俺も一緒ですが」

 

 とにかく一緒にいたい。

 まだ相棒のまま、もうしばらく二人で過ごしたい。

 頭の中にあるのは本当にそれだけなのだ。おい! 心読んでるならわかるだろお嫁さんがよ。やっぱ俺たち相性抜群だね♡

 

「──わかった」

 

 新雪のように白い髪の少女は、一言つぶやいた。

 

「サンデー?」

「とりあえず、今はまだハヅキと一緒にいる」

「いいのか」

「たまにカフェのとこにも帰る。うそ。たまにじゃないかも。頻繁」

 

 お、なんだいっちょまえに焦らすのか、その意気やよし。隣にいてくれるなら何でもええわ。

 

「スズカちゃんやベルちゃんとも走りたい」

「あぁ」

「カフェがいるあの街を護りたい」

「そうだな」

「──相棒が私のこと好きすぎるみたいだから、一緒にいてあげた方がいいみたい」

「間違いない」

「……だから今は一緒にいる」

 

 言いながら彼女は再び俺の手を握り、今度は向こうから顔を近づけてきた。キスするの? 結婚してしまうよ?

 

「それから私も相棒のことちょっと好きすぎるかも」

「お互いに相棒だからな」

「ふふ」

 

 小さく笑い、俺の頬に軽く口づけをした。

 一旦お返しという事で、俺も同じことをしておいた。

 

「ハヅキ、くすぐったい」

「くすぐってやろうか普通に」

「だめです」

「耳元が弱いんだよな」

「あぅ……ふふ、あは。やめてばか」

「お前はガッツリ脇をくすぐってくるのかよちょっ待っハハハ! 加減しろ! 弱点摩擦罪」

 

 二人して互いを擽り合うとかいう、もはや一周回って子供同士でも滅多にやらなそうな遊びをして。

 

「そういえば手紙、読んだぞ」

「バレましたか」

「現実でも着てくれるのか」

「そこは気分次第」

「クラシカルなメイド服で給仕してくれ」

「じゃあやる代わりにみんなの前で服とか髪をしっかりセットして執事やって」

「調子に乗りました申し訳ございませんでした……」

 

 他愛のない話をしつつ、時間になったので光の玉があるレース場へ向かっていき。

 

「あ、ハヅキ。言うの忘れてた」

「どした」

「──迎えに来てくれて、ありがとう」

「…………礼を言われるような事じゃないが、まぁ素直に受け取っておくわ」

「今夜は私が夜ご飯を用意する」

「そりゃいい。夢も楽しみになるな」

「うなぎ、牡蠣、チョコレート、グミサプリの亜鉛やマカなど」

「夢で済む話だよな……?」

 

 やたら俺より生命力に溢れ巻くっているらしい相棒と二人で深層領域を脱し、ようやっと元の現実世界へと帰っていくのであった。

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デカパイの分際で忘却されるとお思いなのですか?


一応前後編の前編です♡ たぽっ


 

 

 ──ハチャメチャにムラムラしている事実をそろそろ隠せなくなってきた。

 

 よく分からん不思議世界で相棒を救出してから少し経ち、現実世界に戻った俺は現在外へ出るための格好に着替えている。

 すぐそばには理事長としての服装のまま寝落ちしてしまったらしいやよいの姿があり、彼女の後ろのコンセントに繋がれていたスマホを確認したところ、冒険への出立から二時間程度しか経過していない事も確認した。現在は深夜だ。

 現状の把握は完了した。

 あとは己の意思に従うのみである。

 

「毛布を出すね」

「あぁ、やよいにかけてやってくれ」

 

 この銀河で最も愛している従妹に書き置きを残し、寝落ちするまで俺を診ていてくれた事に感謝の意を表し頭を一撫でしてから自宅を後にすると、玄関を出てすぐ凍てついた空気が首筋に触れた。

 予想以上に冷え込んでいるがこの程度では止まらない。

 バイクを出す。

 あいつに乗って夜を駆ける。

 早急にドライブをしなければ自分を保てないからだ。

 

 あまりにも煩悩がオーバーヒートし過ぎている。

 これは割とシャレにならないレベルと言うか、クリスマスから今日に至るまでに蓄積されたすべての性欲が喉奥までせり上がってきてしまっている。

 ショタになりウマ娘になり魂魄(ソウル)を削り、夢の境界でもユナイトして全力疾走したうえでそれでも何もかもを我慢していたのだ。サンデーとの休憩で余計にそれを自覚させられてしまった。

 

 現在の俺の肉体はバグっている。

 ユナイトのデメリットによる感情の増幅もリミッターを振り切ってブチ壊れている。しんでしまう。

 そのため夢での解消を今夜決行しようと考えていたのだが、隣で最愛の従妹の少女が眠っているとなれば話は別なのだ。

 やよいが寝ているすぐそばでヤバい寝言でも漏らそうものならその時点で地球が終焉を迎える事になる。もし彼女が起きてたらそのまま世界が砕け散る。

 

 なのであと一日──いや、半日のガマンだ。

 今日の早朝にやよいと話し、また夜に集まってみんなでカラ子の処遇を決めるという提案をする。

 それまでは肉体の修復も兼ねて家に一人でいさせてくれと彼女に頼み込み、口から出まかせ言いまくってなんとか納得させる。

 

 それからだ。

 その夜までの時間を自らの慰安に使ってようやく俺は人間に戻る事が出来るのだ。うほ~ワクワクしてきたぜ。深く憂慮する。

 

「……よし、行こうか」

 

 言いながら駐車場で眠っていた彼に搭乗し、まもなく夜の街へと駆け出した。

 ──この二輪駆動に跨っている間だけは、どんな悪感情を抱えていようともそれらが引っ込み、この上なく脳内が冴え渡る。

 月明かりの下を疾走するという目的だけが俺の肉体を動かしてくれる。

 ユナイトしなければウマ娘に追いつけない俺のようなただの高校生が、唯一彼女たちと同じ世界を体感できる無二の相棒──それがバイクなのだ。走りたくなるのはお前のせいだぞ! こんな魅力的な車体(ボディ)をしているから……。

 

「──んっ」

 

 深夜の外出ということでお巡りさんに補導されないよう周囲に気を配りながらしばらく運転していると、道沿いのコンビニ付近で見覚えのある人影を発見した。

 縁石に寄って一旦停め、ヘルメットを取って目を凝らすと、やはり見つけた相手は俺の知っている存在で間違いなかった。

 

「おーい、ウオッカちゃん」

「っ!」

 

 声をかけられた彼女の肩が跳ねた。おい怯えるな! 催眠済みのくせに生意気である。

 

「あ、秋川先輩……? なんだ、よかった……っ」

 

 振り返って俺だと分かった途端にこちらへ駆け寄って来てくれた。この当たり前のように信頼されてる身内感あまりに気持ち良すぎてイクかも。

 

「久しぶり。驚かせてゴメンね」

「い、いえ、声かけてくれて嬉しいっす!」

 

 このメカメカしい耳飾りをつけた短髪のウマ娘ことウオッカとこうして顔を合わせて話したのは、俺がショタ化していた時期を除けば数週間ぶりになる。

 にもかかわらず彼女は俺を不審者ではなく、深夜にいきなり声をかけてきただけの知り合いとして認識し、明るく駆け寄ってくれたのだ。後輩からの愛で感涙に咽ぶ。

 

「へへ……お久しぶりです、秋川先輩」

 

 そう、後輩だ。

 現状では唯一と言っていい、俺を“秋川先輩”と呼んでくれる極めて貴重な年下の後輩。

 そんなかわいい後輩がこんな白い息がはっきり見えるような凍てつく夜に困った様子で街中を彷徨っていたとあれば、先輩として声をかけないわけにはいかないだろう。

 タマモクロスから学んだ理想の先輩像を意識しつつウオッカの事情を探ってみませう。

 

「それにしてもこんな夜中にどうしたの。もし終電逃したとかなら送ってくけど」

「あ、いえ、今はマックイーンの屋敷に泊まってるんで帰りは大丈夫なんですけど……えぇと……」

 

 ハッキリしない物言いだ。なんだその態度は!? 信頼して♡ 身を任せて♡

 

「もしかして普通にただの夜遊びとか……」

「そっ、そんなんじゃないっす! 俺はマーチャンを──あっ」

「マーチャン……?」

 

 普通の若気の至りを疑うとウオッカは露骨に否定し、その口から聞き覚えのある単語が飛び出てきた。

 マーチャン。

 たしか、その名前は夏のイベントの時に初めて耳にしたんだったか。

 なんだか不思議な雰囲気のウマ娘が妙なぬいぐるみを渡してきて、その後トレセンの正門前で偶然再会してようやくフルネームを知った──という流れだったはずだ。

 ちなみに仮面を被った状態で出会った時のことはカウントしてない。あれはあくまでノーザンテーストだ。

 

「……アストンマーチャンさん、だったっけ」

「えっ。……あ、先輩、そう言えばあいつと面識あったんでしたね。すいません」

 

 まあ本当に顔見知り程度の関係性でしかないが、知らない相手ではない。

 名前を教えてくれた時なんて二回も名乗ってくれたのだ。もし彼女がマーちゃんとかいう特殊な一人称を用いていなくとも名前は覚えられた自信がある。

 

 それから何より乳がデカいウマ娘だったため記憶に深く刻み付けられている、という部分が大きい。というかほとんど会話した事がないにも関わらず覚えている理由の八割はそれが要因だ。

 あのダイワスカーレットとタメを張れるレベルのおっぱいは凶器そのものだ。うひょ~っ一回ハメてみたかったんだよな。変態もいい加減にしろといったところ。

 

「それで、アストンさんがどうしたの?」

「えっと……それはっすね……」

 

 件の少女と知り合いである事を共有したうえで先ほど詰まった言葉の続きを促すと、ウオッカは視線を外して言い淀んでしまった。だが俺と出会ってしまった以上は隠し事などもう遅いわマゾメスめ。早く喋らねーとコトだぜ? 美女。

 

「……実は、連絡が取れないんです」

「えっ」

「今夜に待ち合わせの約束をしてたんすけど……集合場所にはいないし既読つかないし、電話にも出ねえし……居ても立っても居られなくなっちゃって」

 

 それでこんな深夜に街中を駆けずり回っていたわけか。友を想うその精神の造形まるで美術品。俺も探すの手伝お。

 

「ウオッカちゃん、俺も手を貸すよ」

「い、いいんすか?」

「何かあってからじゃ遅いでしょ。手分けして探そう」

「……ありがとうございますっ、秋川先輩!」

 

 キッチリ腰を曲げて礼を言うその姿大和撫子の装い。あまりに礼節を弁えた後輩すぎて可愛がりたくなってきた。今度一緒にバイクショップへ行こうね。恋人繋ぎでね。

 

 ──んん゛ッ。

 流石に切り替えよう。

 俺が現在抱えている問題など他の人間にとっては些細な事だ。

 もしアストンマーチャンなるウマ娘が実際に危険にさらされていたとしたら、ここで油を売っている場合ではない。

 あの世界で消化した食欲以外の残り二つの欲求が合わさりバグってなんだか三十九度くらいの熱に苛まれている気分だが、後輩の一大事にそんな事を気にしているヒマはないのだ。急げ急げ。わっせわっせ。

 

「それで……アストンさんと連絡がつかなくなってどれくらい経ってるのかな」

「三十分くらい前っす!」

「…………そ、そう。了解」

 

 たった三十分──されど三十分だ。

 マジで一瞬だけ、たったその程度の時間連絡が取れないだけで、と考えそうになってしまったがかぶりを振った。

 ヤベー時は大体一瞬でヤベー事態に陥るものだ。余計な常識に苛まれている時間こそ勿体ない。

 

「……その、マーチャンってメッセージを送るといつも一瞬で既読をつけるタイプなんです。すぐに返事をくれるし、電話なんてそれこそ寝てる時間以外はいつだって出る……それなのに……」

 

 そんな連絡に過敏な子がよりにもよって待ち合わせをしているタイミングで、何の返事も返してこないとなれば心配になるのも多少は頷ける。

 本人の人となりを知っている友人であればなおの事だろう。

 

「あいつ、用事が終わったらそのままこっちに帰ってくるって言ってて。だからこんな時間帯になっちゃってるんですけど……一応もう電車は降りてるはずだし、電話繋がるんでスマホも生きてるはずです。問題は場所が分からないことなんすけど……」

「そうだ、位置情報アプリとかは?」

「……なんか辻写りが予測されるだとかなんとか言って入れてないっす」

「そ、そっか……」

 

 よく分からん理由で最も手っ取り早い手段を潰されてしまったが、やる事が変わるわけではない。

 

「じゃあとにかく周辺を探そう。俺は広い範囲を走り回るから、ウオッカちゃんはなるべく集合場所付近を捜索してくれるか」

「は、はい、了解っす!」

「何かあったら電話して。それじゃ」

「お気をつけて!」

 

 やたら美人なウマ娘に送り出されつつ再びヘルメットを装着し、バイクで夜の市街地へと駆け出していった。さっさと見つけ出して唯一親しい後輩の曇り顔を晴れ渡る青空の如く明るくさせてやらなければ。いそげむんむんっ。むらむらっ。お゛。

 

 

 

 

「──見つけた」

 

 という事で発見しました。

 バイクから降りて鉄塔の上に飛び乗り、超視力で周囲を見渡せばすぐだった。

 無論、特定の個人をそれだけで見つけるのは至難の業なので、俺がやったのは()()()()()()()ナニカに注目して目を凝らすことだ。

 

「河川敷……あそこ前にサイレンスが転げ落ちたとこだな」

 

 あくまで俺個人にとって思入れ深いだけの、何の変哲もない川沿いにトレセン学園指定のコートに身を包んだウマ娘が突っ立っていた。

 そして彼女の上──十数メートルほど上の上空で靄のように姿形がぼやけている怪異が複数体ほど漂っている。

 アレらは正しく怪異だ。

 しかしカラ子や普段やり合っている敵とは異なり、彼らは本当にただこの街の空を漂っているだけの無害な連中だ。

 なにか面白そうな光景を見つけると近くに寄って観察する一般ミーハー集団なので普段は気にも留めない相手だが、今回ばかりはいてくれて助かった。

 彼らを目印にしてバイクで河川敷まで直行し──ようやくアストンマーチャン本人のご尊顔を視認できた。あ゛ーッ!! おっぱいがおっきい゛ですーッ!!

 

「おーい、アストンさん」

 

 バイクに跨ったまま土手の上から声をかけた──が、返事も反応もない。

 少女はただ流れる水の様相を眺めるのみで、心ここにあらずと言った雰囲気だ。

 

「……警察、いねぇよな。……よし」

 

 まだ補導される年齢且つここにバイクを停めると普通に路駐になるのでお巡りさんが怖いところだがそうもいっていられない。ハメに行こう。

 

「なにして……あっ」

 

 ヘルメット外すの忘れてた。まぁいいか。不審者すぎる風貌だが儂にかかればあのような小娘一捻りじゃわい。

 

「あの、アストンさん」

 

 とりあえずその背中に声をかけてみたが、やはり鹿毛の少女は微動だにしない。そんなに川がバカ面白いのだろうか。俺も気になってきた。

 

「なぁ、そんなところで何して」

「──川の(せせらぎ)

 

 もう一度ちょっかいをかけようとした瞬間、彼女の声が俺を遮った。

 その真っ直ぐな、もしくは虚ろな瞳で眼下の浅瀬を見つめながら、どうやら俺の存在に気がついたらしく少しだけ口元が緩んだ。

 

「さらさら、ひたひた。聞こえてきます」

 

 言いながらもやはり視線を川から外すことはない。

 まるで体そのものがその体勢で固定されてしまっているかのように、彼女は指先一つ動かそうとしない。

 そこで揺れるのは風に吹かれた柔らかい栗色の髪だけであった。

 

「波の音ではありません。喧噪の予感はしますが、この街ではいつもの事だと知っています。あの日、貴方に出逢ってから──」

 

 そう言い終えるとアストンマーチャンはふわりと柔らかい笑みを浮かべ、ようやっとこちらを向いてくれた。乳も揺れた。

 

「ふふ、お久しぶりですね。いつかのお急ぎのヒーローさん。声で分かりました」

「ん……お、おう」

 

 その捉えどころのない言葉と態度で妙な雰囲気に飲まれそうになったが、首を振って改めた。

 

 ──あぁ、なるほど。

 わかった。

 

 彼女はマンハッタンカフェと同じタイプのウマ娘だ。

 決して怪異に巻き込まれたわけではなく、何かしらの非日常的な宿命を生まれたときから背負っている少女だ。この態度を見ていれば分かる。

 なんか意味深な言い回し。

 だいぶレベルが高い察しの良さ。

 あとこういう妙な状況に身を置いている現状。

 それら全てが、彼女がどういった存在なのかを教えてくれている。

 

 ──で。

 

「こんな夜中に何してんだ」

「流れる姿を、見ていました」

「ウオッカちゃんと待ち合わせしてたんだろ。ドタキャン?」

「そういうわけでは……ないのですが……」

 

 こういった場合、ファンタジーやシリアスに片足突っ込んでいるような彼女たちの世界を、なんでもかんでも真正面から受け取ってはいけないという事を経験から学んでいるのだ。

 それらと真摯に付き合う必要はない。

 ただ目の前の事実を確認しろ。

 後輩──つまり中学生の知り合いの同級生が、こんな深夜にワケの分からんこと言いながら夜間外出をしている。

 それだけだ。

 その事実に対してのみ対応すればいい。

 

「マックイーンさんの屋敷に泊まってるってウオッカちゃんが言ってたけど、今夜はアストンさんも一緒に?」

「あ、はい」

「じゃあ送るからバイクの後ろに乗って。ウオッカちゃんには俺から連絡を入れておくよ」

「…………」

 

 何で口開けたまま黙るんだよ。常識的に考えたらこの対応が一番普通だろ。文句があるならキスしてしまうよ? すべてのウマ娘は生まれながらにしてアクメを欲している。

 

「あ、あの」

「なに」

「その……聞かないのですか?」

「なんかいろいろあったんだろ。それを話すべき相手はウオッカちゃんだし、俺の目的はキミを見つけて屋敷まで送ることまでだから」

「……そうですか」

 

 そうそう、困惑しててもいいからとりあえず俺の後ろにうおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ。

 どうして俺の背中をそんな巨峰で押し出そうとするの? そんなに子作りしたいならいいけど……。

 

「い、いくぞ」

「……はい」

 

 そんなこんなでアストンマーチャンの特に秘められてなかった最強パワーを改めて実感しながら発進した。ただひたすらに運転ミスしないかだけが心配。

 

「…………あの、ヒーローさん」

 

 夜でも点滅しない交差点の信号で停車すると、後ろから透き通るような声が聞こえてきた。声優さん?

 

「冬の川辺は……冷えました。こうしているとより体温を感じられます。人の温もりに安堵できます」

 

 一拍置いて彼女は続ける。

 

「なので……体温を感じていられる内に、マーちゃんの話をしてもいいでしょうか」

「あっ、はい、どうぞ」

 

 背中に伝わる感触と温かさでつい狼狽して声が裏返ってしまったが、彼女がそれを気にする様子はない。黙ってこの幸福を噛みしめてもいいってのか? 性癖を壊すなッ! 運命を覆せ。

 

「……今朝、お母さんが朝食を準備してくれました。二人分でした」

 

 やはり彼女も実家に帰省していたらしい。なんか府中に残ってるウマ娘が多すぎて帰省シーズンというのを若干忘れかけていた。

 

「お父さんもいました。なので二人分です」

「……? アストンさんを含めて三人分だろ」

「いいえ」

 

 彼女の声音は落ち着いている。

 落ち着いてはいるのだが、どこか儚さを感じる弱々しい音にも感じ取れた。

 

「二人分でした。マーちゃんが首を傾げると、お母さんは本当にうっかり忘れていたみたいだったので、すぐに用意してくれました」

 

 信号が青になった。

 会話が中断され、走行し、また赤信号に足止めされた。

 

「病院のお手伝いをしてから府中に戻るつもりだったので、そのまま病院へ赴きました。少し経って、通路で人と肩がぶつかりました。お昼頃までに、三人ほどぶつかってしまいました」

 

 そのまま話を続けられるように、俺は付近の端に一時停車した。アストンマーチャンは変わらず続ける。

 

「お手伝いを終えて外に出るとトレーナーさんがいました。担当のウマ娘さんを待ってると仰っていました。マーちゃんもトレーナーさんの車で府中へ送って貰う予定でしたが……気が変わったので、マーちゃん一人で移動する旨をメッセージで担当トレーナーさんへ伝えたところ、同じタイミングで病院の近くにいらっしゃったトレーナーさんもどこかへ行かれました」

 

 アストンマーチャンは今日あった出来事を滔々と語っているが、いつの間にか俺の腹部に回されていた手が離れている。

 

「そのあとウオッカにメッセージを入れて、それきり携帯電話は何も受信しなくなってしまいました。なのでウオッカとの待ち合わせ場所を目指して、えっさほいさと向かっていたら──あの川に立っていました。それが今日のマーちゃんです」

 

 なんか不穏な雰囲気を感じる一日の流れだったが、一日の内容の濃さで言えば俺も負けてはいない。夢の世界にダイブして、擬人化したカラスのオバケとレースして、気晴らしに外へ出たら不思議な雰囲気のウマ娘にちょっとシリアスな雰囲気で自分語りをされてます。僕たち似た者同士だね♡ 正体見たり枯れ尾花。

 

 ──まぁ、何かあるんだろう。

 俺の知っている怪異現象の他にも、この世界には不思議な因果が。なんなら宇宙人とかもいそう。

 アストンマーチャンの()()がこのタイミングで発現しあの川へ導かれたのは、カラ子の縄張りだったこの街が彼女を欠いたことでちょっとした無法地帯になっている事が関係していると見て間違いなさそうだが──この少女のよくわからん展開自体は彼女自身が持っている運命だ。

 

 とはいえ、だ。

 先ほども考えた事だが、わざわざ真正面からその運命と対峙する必要はない。

 俺もそうだし本人である彼女もそうだ。

 怪異との戦いだってマジで怠ぃなと思いながらやってるし、不条理を押し付けてくるような小生意気な運命との付き合い方なんぞちょっと適当に流すくらいが丁度いいのだ。

 いい機会だし()()()()()にもその事を教えてあげよう。俺が丹念に慰めてあげるからね。俺優しいから頼もしいから。秋川中毒にしてやるからなこの野郎。

 

「……忘れ去られてしまうかもしれません。トレーナーさんにも、スカーレットにも、ウオッカにも──」

「いや、それは無い」

「……えっ?」

 

 あくまで後ろは振り返らず、客観的に見た事実だけでアドバイスをすることにした。無責任な励ましの言葉よりかは意味があるだろう。

 

「アストンさんの抱えてる運命がどんなものかは分からないけど、少なくともウオッカちゃんは君を忘れたりはしないよ」

 

 彼女はアストンマーチャンを探し続けていた。

 本当についさっきまで、汗水たらしてこの街を駆けずり回っていた。それが何よりの証拠だ。

 

「今だってたぶんアストンさんのスマホにスタ爆してるだろうし、鬼電もしまくってると思う」

「な、なんと……」

「というか俺、ウオッカちゃんに頼まれて君を探してたんだぞ。忘れてる相手の捜索を他人に頼むことなんて無いと思わないか」

「……それは、そうかも……」

 

 あんま友情パワーを舐めない方がいい。ウオッカちゃんがアストンを想う気持ちは俺と山田の絆にも匹敵する無類の強さを秘めている。

 ()()だからこそ、家族や近しい大人とはまた違う──互いを引き合う無限の引力が生まれるのだ。

 

「まぁ、潔く受け入れるのもそれはそれで必要な事かもしれないけどさ」

 

 あの川辺で見つけた時のアストンにはその予兆があった。目の奥に覚悟と諦めが灯りかけていた。

 だが、それは些か早計というものだ。報連相が大事だぞ。イク時は司令官に許可を取ること。

 

「俺としてはまず助けを求めるところから始めて欲しいな。俺だってヤベー時は恥も外聞もなく手を伸ばすぜ」

 

 山田……たすけて……! という心の祈りと共にね。友……。

 

「スマホが繋がらないなら公衆電話で、それが駄目なら直接会いに行って、会えないなら大声出して──とにかく何でもやってみる。気づいてもらえるまでほっぺつつくとか色々」

「……もし、それでも気づいてもらえなかったときは、どうしますか」

「気づいてくれるよ。俺にはそういう存在がいるし、アストンさんにはウオッカちゃんがいる」

「ウオッカ、が……」

「あと俺もいる」

「あなたの連絡先、知りませんが……」

「……後でウオッカちゃんに聞いといてくれ」

 

 どうせこのバイクに跨ってる時点で俺の正体は筒抜けなのだ。アストンマーチャンが不思議タイプのウマ娘だと判明したのであれば、必要以上に正体を隠す意味もあるまい。

 

「とりあえず屋敷までは送るからしっかり掴まっててくれ」

「……はい。よろしくお願いします、ヒーローさん」

「その呼び方むずがゆいんだけど……」

「──ふふっ。だって、わたしにとってはヒーローさんですから」

 

 どこか先ほどまでよりは元気を取り戻してくれたらしいアストンマーチャンを改めて乗せ、メジロの屋敷へ駆けていく。

 道中止まって会話をすることもなく、点滅信号を過ぎていけばあっという間に目的地に到着してしまった。巨乳の旅もここまでだったようだ。

 

「せんぱ~いッ!!」

 

 そして裏門の付近には俺からの連絡で既に戻っていたウオッカが待っていた。彼女のもとへアストンを送り届けるというミッションは無事成功したようだ。

 

 ていうかウオッカちゃんのかわいすぎる嬉しそうな笑顔に感動している間も背中のやわらか湯たんぽが性欲を煽りまくってそろそろ限界なんだがどうしてくれる? デカパイっていいなぁ、和風総本家のお時間です。

 



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おっおっうおっウオッカっおおっ

 

 

 そうだ、セクハラしよう──そう思い至るのに特別な理由は存在しなかった。

 ふと気がつけば理性を押し留めていた杭がブチ飛んでいたのだ。

 クリスマスから長い期間抑圧され続けた欲望は爆発というよりは漏れ出る感覚でヌルッと脳を変質させていった。

 ──冷静に考えて俺は禁欲をし過ぎている。

 三週間だ。

 ほぼ一ヵ月の間普通の男子高校生が日常的に行うであろう営みの一切を禁止し続けてきた。

 そろそろ比喩抜きに肉体が爆発四散してしまう。

 これをどうにかする為には、とにかくエロいことを──故にセクハラの決行を心に決めたわけである。

 

「よかったマーチャン……! あ、ほら、お礼っ」

「はい。ヒーローさん、送って頂いてありがとうございます」

「……あぁ」

 

 眼光は鋭くたわわなおっぱいだけを注視している。

 もはや世間体を健気に守ろうとしていた紳士くんはどこにもおらず、いるのはそこはかとなく視姦してあわよくば触れないかなと熟考するだけの十七歳の男子のみであった。

 いまの俺は──ケダモノだ。ひょひょ~いおっぱいたゆんたゆーん! ふざけるのも大概にしておけ。

 

「……?」

 

 黙って胸を睨み続ける俺を前に、なにも分かってなさそうな笑顔を浮かべるアストンマーチャン。そしてまたぽよよんとそれは揺れた。

 

「ヒーローさん?」

 

 うおすっげナイアガラの滝じゃん……。

 

「せ、先輩? 大丈夫っすか?」

「──あっ、あぁ。……ごめん、平気」

「なんか顔色が優れないような……」

「いやほんと問題ないから、あのウオッカちゃん、ちょっと近い」

 

 マジでボーッとコートの上からでも分かるでっかでっかーを眺めてしまっていたようだ。とりあえずこの場だけは収めねば。おい芳醇なメス・スメルを漂わせながら近づくな後輩! シンプルにキレそう。

 

「アストンさん、ちょっといいか」

「あ、はい」

「きみの身に何が起きているのかは俺も正直分からない。こっちもこっちでいろいろ調べてみるから、暫くは君を認識できる友達のそばを離れないでくれ」

「……ウオッカやスカーレットに引っ付いていろ、という事ですね。それなら得意です。このように」

 

 言いながら俺のかわいい後輩の腕に引っ付きやがるほわほわさん。ちょっと脳破壊されたかも。

 

「何が得意だよ……いっつもすぐどっか行きやがるくせに」

「ふふふ~」

 

 ちょっと百合の間に挟まる男になってもいい? 二人の熱が籠るあそこに住みたい。かまくら。

 

「それじゃあ俺はこれで……」

「あっ、先輩!」

「うん?」

 

 あと一歩で挟まりに行っていた自分を押し留め死ぬ気で踵を返した俺の努力を察することなく、後ろからウオッカが声をかけてきた。じゃあもう本当にセクハラするからな。こんな千載一遇のチャンス、奇跡のバックホームだぞ!

 

「マーチャン、俺少し先輩と話があるから先に屋敷の中に戻っててくれ。あとお前ちょっと冷えすぎ。俺のマフラー巻いとけ」

「ほぇ、もふもふ……ウオッカもかちんこちんになる前に戻ってきてくださいね」

「すぐ戻るよ。……先輩になんか伝言あるか?」

「では今度デートしましょう、と伝えてもらえますか」

「ッ゛!!? ……い、いやっ、それはメッセージか何かで後で自分で伝えろ。とにかく風邪ひく前に中へ戻っとけ、な」

「はぁい」

 

 俺を呼び止めた彼女はアストンの顔に自分のマフラーをグルグル巻いて屋敷へ向かわせてから、バイクに跨っている俺の方へパタパタと駆け寄ってきた。

 

「す、すんません、お待たせしました」

「大丈夫だけど……ウオッカちゃんも寒いでしょ。今夜マイナス二度らしいよ」

「走り回ってたんで平気っす! ……それより」

 

 言葉を続けるよりも先に──彼女は勢いよく頭を下げた。

 しっかり腰から曲げている綺麗なお辞儀だ。一瞬ビビった。

 

「マーチャンのこと、本当にありがとうございましたッ!」

「……」

 

 心根の通った気持ちの良い声だ。

 真冬の静寂な深夜ではよく響く。

 もしかしたら止めるべき過剰な礼の仕方なのかもしれないが、ウオッカ本人がこうまでして感謝を伝えるべきだと考えたのなら、やめろというのも失礼な話だ。

 

「……どういたしまして」

「っ! ……へへっ」

 

 以前から薄々感じていた事だがやはりウオッカは礼節を重んじるタイプなのだろう。根っからの運動部気質というか、先輩後輩の上下関係を深く意識している。たとえ俺のような他校の年上が相手であっても、だ。

 これは可愛がられるタイプの後輩ですね~おい教育的指導が必要なようだな。お前は根っからのマゾメスなんだよ。

 

「大切なんだね、あの子のこと」

「……マーチャンのやつ、目を離したらいつもどこかに消えちゃうんですけど……そのまま帰ってこなくなりそうな、そんな危うい雰囲気もあるんです。今日みたいなのは初めてですけど……だからっ」

 

 顔を上げ、再び俺のそばまで寄ったウオッカうおおっ良い匂い。

 

「秋川先輩が見つけてくれて……マジで安心しました。もう勝手にどっか消えるようなマネは絶対させません。……ほんと、ありがとうございます先輩!」

「……気にしないで。なんたって後輩の為だからね」

「わわっ」

 

 そして遂にウオッカの頭を撫でることに成功したのであった。世間体を放棄する準備は万全ってわけだ。

 うほ~髪ふっわふわでワロタ。マゾメスも悪くないかも♡

 

「いつでも頼ってくれ。……それにウオッカちゃんが探し続けてくれていたからこそ俺もアストンさんを見つける事が出来たんだ。こんな息も凍るような夜の下で……友達の為に必死なウオッカちゃん、カッコよかったよ」

「うぇっ……ぉ、俺がっすか……」

 

 照れと驚きで段々と声が小さくなってきている。今ならセクハラしまくっても雰囲気で誤魔化せそうだ。やるぞ! 歴史を躍動させるぞ! 伝説のスタフィー。

 

「……そ、その、秋川先輩のがカッケーっすよ。マーチャンがヒーローさんって呼ぶのも納得っつーか……」

「本当? ウオッカちゃんにそう言ってもらえるなんて嬉しいな。もっかい撫でちゃお」

「っ、~っ……!」

 

 ところでかなり寒いのだがそろそろ帰ろうかな。エロも眠気と肌寒さの前には無力という事かよ。

 いや違う。

 この後輩を持って帰ればいいのだ。

 温かい部屋の中でならじっくりたっぷり子作りできるだろ。わんわん!わおーん!へっへっ。マジで興奮してきた。

 

「……なぁ、ウオッカちゃん」

「は、はい?」

 

 俺は彼女の頭から手を離し、そのままハンドルを握った。

 

「ウオッカちゃんは……バイク、好きなんだっけ」

「えっ、あっ、は、はい! 免許を取れる歳になったら絶対すぐ取るっす!」

「ははっ……いいね。俺の身内さ、他にバイクが好きなやつ誰もいないんだよ」

「そうなんすか……?」

「だからウオッカちゃんともっとバイクの話が出来たら嬉しいな。よかったら今度一緒にバイク用品店とか行かないか」

「い、いいんすか! 是非お供させてほしいっす!!」

 

 普段なら絶対にできないであろうデートの約束の取り付けもこの通り。やはり煩悩……エロは全てを解決する……。

 

「最近ほんと冷えるから蓄熱インナーグローブとか気になってるんだよね」

「うおぉ……そういうのもあるんすね。俺、車体とか見てばっかで必要なアイテムを全然理解してなくて……」

「俺も似たようなもんだよ。大抵は親父からの受け売りなんだ」

 

 こちとらロクに金を持っていない高校生かつオタクには熱量で負ける一般バイク乗りなので、ドヤ顔できるほどの知識量があるわけでもなければ、後輩を驚かせられるようなアイテムなんかも持ってはいない。

 しかしバイクという共通点をもってウオッカとのスケベなイベントを発生させられる可能性のある男は現状この俺だけなのだ。なるべくぶっといパイプを繋いでおかなければ。

 

「……それじゃ、今夜はとりあえず解散だね」

 

 あっ帰る流れにしちゃった。だって女の子をお持ち帰りした事なんて無いので。なぜか女子が家に来る実績自体は解除していますが……。

 

(んん……ベルちゃんのことお持ち帰りしたことある)

 

 だってあれは大雨の中でシリアスな顔してたから……。

 

(年始にカフェも)

 

 あれも凍えるような寒空の下でシリアスな顔してたから……いや俺意外とお持ち帰りしてるな。もしかして運命を担いし王? なるか、すべてのウマ娘を掌握する最高の王に。

 

「秋川先輩、帰りはお気をつけて!」

 

 そんな無邪気に手を振っていてもお前は既に射程圏内だ。俺が孕ませてやるからなスポーツマンシップに則り天地神明に誓って。

 

 ──結局セクハラをしてもあまり好感度が下がらなかった、というただの奇跡じゃねぇド級の奇跡で自身の気の迷いをリカバリーしたその翌日、夢すら見れず玄関で寝落ちしたらしい俺は普通に風邪を引いたのであった。マジで瀕死オブザイヤー金賞受賞♡

 



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押忍!猥褻生徒会長!!涙の乳首漢イキ!

 

 

 ここは夢の世界だ。

 

「ごめんなさい、葉月」

 

 猫耳を生やした秋川やよい──つまり擬人化した先生が目の前に正座で座っているということが、今いるこのだだっ広い草原が夢の世界だという何よりの証である。

 では、どうしてこうなっているのか。

 彼女が何に対して謝っているのかは一旦置いといて、一度ここまでの経緯を整理しよう。

 

 まずクリスマスにヤベー連中と戦いまくって肉体が消耗し、相棒を喪いつつ自分もショタ化。

 その後何故かワープした大阪でタマモクロスに拾われ、紆余曲折ありつつも元に戻り。

 帰りを待ってくれていた仲間たちに無事を伝えつつ、夢の世界よりも更に下のよくわからん世界で相棒を取り戻して。

 元の世界に戻ってからも怪異とは別タイプの妙な運命に見初められているウマ娘を友人のもとへ届けて。

 

 ──その間ワケあってずっと“性欲”というものを抑え込んでいた。

 クリスマスから数週間の間、普通の人間がアクメしてぶっ倒れるレベルまで性欲が増幅する仕様に苦しめられても、それでも延々と我慢し続けていたのだ。

 理由はひとえにタイミングが悪かったからに他ならないが、故意だろうと仕方のない事情であろうと、俺の心と身体からすればそんなことは関係ない。

 

 まぁ要するに──限界を迎えてしまったのだ。

 なんというか、物理的に。

 だから家に帰ったその瞬間にぶっ倒れて普通に風邪を引いた。

 抑圧され続けた精神状態と疲弊しきった肉体がたたって体調不良に陥り寝込んだその先で、遂にこの現在の状況に繋がるワケだ。

 

 で。

 

「先生は何を謝っているんですか?」

「……その、葉月が風邪を引いているとは知らなくて。なのにここへ呼んでしまったので……」

 

 あぁ、寝落ちした俺が勝手に夢の世界に落ちたのではなくて、わざわざ彼女が俺を召喚してくれたのか。玄関で気絶したからやよいのそばにいない事を知らなかった。

 

「ここで何かあったんですか」

「だ、大丈夫。自分で何とかするから。葉月は自身の夢のテリトリーに戻っていただいて……」

 

 そうは問屋がおろさねえってんだよべらぼうめ。

 

「あっ……葉月?」

 

 しょぼくれて正座している先生の両脇に手を突っ込んで持ち上げ、そのまま彼女を俺の膝の上に乗せた。

 

「なでなで」

「あぅ……」

 

 頭を撫でていくと、垂れ下がっていた猫耳が次第にピクピク動き始めた。さてはマゾやね。

 

「前に一人で抱え込みすぎないようにって忠告してくれたのは先生のほうでしょ。俺も力になりますよ」

「し、しかし……」

「もし放っておくと周囲に危険を及ぼす内容なら、俺が手伝うことでやよいを守ることにも繋がります。だから──ね、先生」

 

 なるべく優しい声音で諭してみる。

 先生は俺以上に多くの責任を負う立場なので、頼ることに対して遠慮がちなのは知っているが逃がすわけにはいかない。

 やよいと俺は家族で、彼女のそばに居続けてくれている先生もまたこちらにとっては家族も同然の存在だ。

 だからこそここで引いてはいけないのだ。先生の為にも、やよいの為にも。

 

「……わかった」

 

 そうは言いつつも膝の上にいた先生はぴょこんと跳ねるように俺から離れていった。可愛がろうとすると距離を置くあたり先生もやはり猫なんだなと感じる。

 

「夏のイベントの時のこと……覚えてる?」

 

 それはもちろん覚えているが、先生はあの時のどの事柄に対して言及しているのだろうか。

 夏のイベントと言えば今回の年末年始並みに様々な珍事に見舞われた時期だ。

 おむライスとの出逢いや相棒の救出から始まり、マンハッタンカフェやサイレンススズカから受けた頬へのキス、俺の腕に尻尾を絡めてくるメジロドーベルなど例を挙げればキリがない。

 中でも──あぁ、アレの事だな。

 

 まるで俺がエロゲの主人公かのような三択を提示されたその日の夜、あまりにも強力な怪異が夏祭りを襲ったんだった。

 

「あのヤベー怪異のことですか?」

「そう、葉月が祓ったあの怪異が……夢の境界から脱出した」

 

 それで先生は開幕謝罪から入ってきたのか。少々面倒な事態ではあるが、先生がそこまで責任を感じるようなことではないような気もするが。

 

「……葉月と一緒に深層領域へ落ちていた時、上層階にある夢の境界の管理を一時的に放置したから、その隙を狙われた。これは弱体化したように見せかけて力を蓄えていたあの怪異に気づけなかった私の責任」

 

 ちょっと真面目な態度すぎて一人称も真面目になってしまっている。耳や尻尾も再び萎れている。

 どうやらもう少しフォローを入れておいたほうがいいらしい。ほれ早く脱いでみぃ、テキパキとせい! 慌てず冷静に。急がば回れだからね♡

 

「確かに先生は夢の管理人ですけど、あなたをわざわざ深層領域まで同行させたのは俺だ。夏イベ怪異のことに関しては先生だけの責任じゃありませんって」

「う……そんな葉月に庇われてしまったら……私の立場がない……」

 

 かなり申し訳なさそうに俯いているところ悪いのだが、そもそも先生が務めている夢の管理人という役職自体がファンタジーすぎてよく理解できていないのが正直なところだ。

 自主的にやっているのか他の誰かに抜擢されて勤務に当たっているのか──何も知らない中で俺が分かっている事は、目の前にいる猫少女がひたすらに自分の役割に対して真摯で、且つ家族思いな頑張り屋さんだという事実だけである。

 

「俺の助けになりたいやよいの為に、わざわざ危ない場所まで付いてきて手を貸してくれたんですよね」

「……やよいの為だけじゃない。サンデーだって、私を慕ってくれる唯一の超常存在。葉月だけに任せるのは無責任だと思ったから。でも……」

 

 大切な人を救う。

 この街の人々の夢も守る。

 両方やらなくちゃならないのが先生であり管理人でもある彼女の辛いところだが、別にこの少女は一人ではない。

 そして聡い先生は既にその事を理解していて──だからこそ()()()()()()()()()()()

 

「呼んでくれてありがとうございます先生、頼ってくれて嬉しいです」

「葉月……」

「その、変なタイミングで風邪を引いててすいません。カラ子の事や夏野郎の件も後で一緒に話し合いましょう」

「……分かったにゃ」

 

 どうやら少しは気持ちを持ち直せたようで、萎れていた尻尾が動き始め語尾も復活した。とりあえずはこれくらいで大丈夫だろうか。

 

「葉月の体調や諸々がしっかり本調子に戻ってから改めて呼ぶ。周囲の状況は気にしなくていいから、今はとにかく自分のことだけを考えて休息をとって」

「わかりました。治り次第連絡しますね」

「よろしく……あっ、ついでにオイラの力も少し渡しておきます。ぺろぺろ」

 

 そのまま流れで解散するかと思いきや、膝上に乗ってきた先生が俺の頬を舐めてきた。もしかして発情期?

 

「あの先生。コレはどういう効果があるんですか」

「オイラの権能の一部を譲渡してる。ぺろぺろ。期間限定だけど夢の内容を葉月自身でコントロールできるようになるにゃ」

 

 つまり夢の中なら何でもできるようになるという事だろうか。VRウマ娘ガチ恋距離恋愛シミュレーションやろ。

 

「慰安に使ってほしいのもあるけど……脳内情報を検索する力も備わるからコレで過去の記憶の閲覧もできるようになる。幼児化やウマ娘化、その他の体調不良などできっと脳の本棚が散らかってしまっているだろうから、一度整理しておくとよいかも」

「……脳内がとっ散らかってるってのがよく分からないんですけど、整頓しないとダメなんですか?」

「今の葉月の中には様々なエネルギーが滞留している。その本来抑えておくべき力を放っておくと、意図しないタイミングで外側に暴発する──それが以前のウマ娘化の理屈」

 

 あれ俺の秘められし力の暴走が生んだ惨事だったんだ。闇落ちとか破壊衝動の増幅とかじゃなくてなんかやたら美少女なウマ娘に変身しちゃうんだ俺の場合。なんでだよ。

 

「とにかく頭の中(お部屋)を掃除して、必要なものは必要な時にのみ取り出してそれ以外の時は棚にしまっておく……そんな感じの状態にしておいたほうがいい」

「なるほど……とりあえず了解です。確かに往来で変身したらヤバいですもんね」

「うん、適度に休みつつお掃除もがんばって。では、オイラは一旦消えます」

「はい、お気をつけて」

「ぺろぺろ」

「あの」

 

 なぜか別れ際にもう一度頬を舐めた淫猥ドクターは宣言通り夢の世界からいなくなり、広い青空が澄み渡る草原に俺は一人取り残された。

 

「夢のコントロール、か」

 

 自分の手のひらを見つめながらぽつりと呟く──すると、背後に気配を感じた。

 

「あれ、サンデー? お前いつからいたんだ」

「……最初から、いた……眠い……」

 

 俺の後ろで猫のように丸まりながら眠っていた相棒を発見し、そばまで近寄ると彼女の顔が若干赤いことに気が付いた。

 もしやと思いサンデーの額に手を当てると、そこそこの熱さが伝わってきた。

 紅潮した頬に熱い額、それから非常に気だるげな様子からして、これは普通に発熱している症状だ。

 

「お前も風邪を引いちゃったか」

「……というより葉月のがうつった。今は魂が連動してるから葉月の体調不良が私にも飛んでくる……」

 

 俺が熱を出せばサンデーも同様の症状に見舞われる、とはこれまた困った状況だ。概念の再構築で存在を近づけることの弊害が出てきてしまっているらしい。二人で一人というのも良いことばかりではないようだ。

 

「……そういえば俺、今は体調がかなり回復してるな」

「一時的に葉月の分まで……私が引き受けてる。免疫力は私のほうが高いし、私が治れば葉月も治るから……」

「サンキュなサンデー。必要なものを準備するからちょっと待っててくれ」

 

 先ほど先生から渡された境界の管理人としての権能の一部を行使し、温かい布団や熱さましのシートなどを出現させた。うおすっげこの力。魔術師になれそう。

 

「おでこに貼って、お水飲ませて……と」

「誰かに看病されるの初めて……」

「こんなんで良ければいつだってやるよ。ほら、毛布かぶって安静にな」

「ん……葉月もお掃除がんばって……」

 

 そっと頭を撫でられた白髪の少女は小さくつぶやき、そのまま布団の中で眠りについた。スヤスヤでワロタ。

 

 ──さて。

 先生との必要最低限の情報共有は済ませ、療養中ではあるもののそばに相棒もいる状態でようやく腰を落ち着けることができた。

 まだやるべき事は残っているが、とりあえずはひと段落と言っていい状況だろう。

 サンデーが完治した後にカラ子の処遇を皆で話し合えば、あとは以前一度祓ったあの夏の怪異を何とかすればここに至るまでの騒動の全てに決着がつく。

 ふたりきりの大決戦から始まりおねショタやらTSやら諸々あった激動の年末年始も遂に終結するというわけだ。なんだその年末年始。

 

「──はぁ。さすがにちょっと疲れたな」

 

 というわけで少々気が抜けたのか、非常に情けないため息が漏れるのを我慢できなかった。相棒以外の女子の前では絶対に聞かせられない弱々しい声だ。

 そもそもあのオカルト現象から来るこれまでの現代ファンタジー事象は俺には荷が重いものだったのだ。

 よくここまで頑張ったと思う。

 

「デカ乳……アストンマーチャンやばかったな……」

 

 あまりにも気持ちいい青空を仰ぎながら仰臥し、あの感触を思い出した。重っ……米俵くらい重てぇだよ。

 俺は、秋川葉月という人間は、元を辿ればデカい胸をした美少女たちを拝もうとウマ娘がよくトレーニングに使う河川敷まで赴くような、普通にちょっと気持ち悪い性欲に忠実なただの高校生だ。

 たぶん不可思議現象とのトラブルに関してはかなり前からキャパオーバーしていて、それが長らく続いたせいで自分が限界を迎えるボーダーラインを見失ってしまっていたのだと思う。

 

「……よし、()()すっか」

 

 だから、今一度“自分”というものを振り返ってみよう。

 なぜデカ乳ウマ娘が好きなのか。

 いつから好きだったのか。

 結局自分はどういう人間で──()()()()()ではなく、これから()()()()()()()()()()

 そういった俺自身の物語の縦筋を決めるために、先生から賜った不思議パワーで過去を振り返ってみよう。

 あのウマ娘たちとの運命の出会いを経て変わっていく秋川葉月()()()()

 

 彼女たちと巡り合うよりもずっと前の──“俺”という人間の始まりを。金曜ロードショー。

 

 

 

 

 検索を始めよう。

 メジロドーベルとの邂逅よりも以前の自分の記憶だ。

 あの少女たちとワチャワチャし始めて以降の自分は基本的にいつも無駄にカッコつけてるので、自分を知る上ではあまり参考にならない。

 まずは一年前──いや年を跨いだから二年前か。

 最初のキーワードは、高校一年生。

 

『あー……秋川、くん? ペア決め余ったから一緒にやらない……?』

 

 そうしてヒットした記憶は高校一年の初夏。

 体育の時間で柔道をやることになった際に二人一組になるように指示されたとき、最後に余った俺はとある少年とペアを組んだ。

 山田だ。

 柔和に感じる丸い体形と高いコミュ力の相乗効果で既に周囲から親しまれていた彼は引く手数多だったが、反対にクラス内でもまだ友人と呼べる存在がいない頃の俺は誰にも声をかけられずにいた。

 そんな中で何となく俺を気にかけ、他の誘いを断り『余った』と言いながらわざわざ声をかけてくれた──これが山田とのファーストコンタクトだった。

 

『へへ、僕太いから技をかけづらいと思うけど……よろしくね』

 

 ……秋川本家から逃げて間もない頃で、なおかつ赤坂にフラれてまだ二ヵ月というのもあるが、どうやら俺は普通にコミュニケーション能力が低いタイプの人間だったようだ。

 これ以降は山田を起点として人間関係が広がっていったので、対人関係におけるスキルが多少なりとも改善されたのは、間違いなくこの時の山田のおかげだろう。

 

 俺の本来の性格が判明した。

 じゃあ次だ。

 

『駿川たづな、です。……ふふっ、はい。やよいさん──いえ、次期理事長のことは()()私にお任せください』

 

 これは高校に入学する直前の時期か。

 トレセンの理事長に就任することが決まったやよいの秘書として抜擢された駿川たづなという女性と知り合った。

 やよいについての諸々を彼女に伝え、無責任にも『あとはお願いします』と彼女に託したのがこの時の俺だ。

 

『っ? えぇ、一旦です。もちろん理事長の補佐に関しては秘書である私の仕事ですので、そこは心配なさらないでください。ですが“やよいさん”の事は──いえ、ごめんなさい。忘れてください』

 

 思い返せば駿川さんはこの頃からやよいとの関係性を理解してくれていて、彼女が理事長になることを強く望む周囲の声に屈してあの子を説得した弱い俺を見限らず、もう一度やよいと繋がるチャンスをくれた言わば大恩人だ。

 

『これ、私の連絡先です。秋川理事長に関してはまだまだ相談したいこともございますので、今後ともよろしくお願いいたしますね? 秋川葉月くんっ♪』

 

 まさに子供を導く大人としての振る舞いというものを学んだ瞬間だった。エロ臭香るマゼラン星雲。

 このあと帰っていく駿川さんの後ろ姿からデカいケツの魅力を知りそればかりが記憶に残っていたが、こんな大事な伏線を用意してくれていただなんて感謝してもしきれない。

 今度改めて礼をしに行かないとと考えつつ、デカい乳はもちろん良いがデカいケツも素晴らしいという事実を再認識できた。丸みを帯びたケツだね♡ 近づけるな!

 

 それでは、次。

 この様子で行くと中学三年生辺りか。

 

『ご、ごめんね、別に秋川君のことは特別好きではないかな……』

 

 ひぃーッ!!!!!!

 次。

 

 ……あぁ、次と言っても中学校時代はそこまで特別な出来事はなかったんだっけか。

 やよいが本家の人間たちの意識を改めさせたのもこのくらいの時期だが、失恋した記憶の割合があまりにデカすぎてすぐに出てこなかった。

 まぁいいか、ここまでの検索で大体わかった。

 俺自身の本質はかなりダメな方の人間のソレだが、山田や駿川さんのおかげで人として破滅するギリギリ一歩手前の状態で何とか保たれていた、というのが秋川葉月の真実だったようだ。

 

「こんなもんかな……?」

 

 ここまで本棚の整理は順調だ。

 記憶の整頓に付随してガッタガタになっていた特殊なエネルギーたちも順番通りにしまわれていっている。

 これらを行使するときは脳内でこの本棚をイメージして都度取り出して終わったら戻す、というようにすればいい。

 

「──あっ、いやまだだろ」

 

 俺に備わった特別な能力の整理整頓は何とかなったが、部屋の中はまだ全てが片付いたわけではない。

 

「俺の真の願い……デカパイを追う旅の、始まり」

 

 そうだ、俺という人間の軸は大きい乳への渇望で構成されているといっても過言ではない。

 その始まりを薄っすら忘れたままでは、やりたい事など見えてこないに決まっている。

 中学校時代よりも前。

 樫本先輩と別離するよりも、さらに前。

 マジモンのショタだった頃──つまり小学校時代だ。

 

 あの時、俺は()を獲得した。

 やよいを守りたい自分ではなく、樫本先輩に与えられた人間性でもなく、俺を秋川葉月たらしめる“起源”だ。

 その始まりがいま必要なんだ。グリーングリーンズ。

 

 

『──興味索然(きょーみさくぜん)かな。パーティ、つまらないのかい?』

 

 七歳の頃だったか。

 秋川家が日本ウマ娘のレース界を牽引する複数の名家となんかよくわからんパーティをしていた時、俺もそこに連れられていた。

 やよいは強制的にラスボスもとい彼女の母親である理事長のそばに置かれ、挨拶回りに忙しい両親が構ってくれるはずもなく俺は会場の隅で座りながら呆けていた。

 そんな時だった。

 俺に声をかけた人物がいたのだ。

 

『どうしてって……そんな死んだ魚のような目で虚空(こくー)を見つめているのは、きみくらいだし。……あっしつれい、ボクの名前を言ってなかったね。ルナでいいよ』

 

 俺とギリ同年代か、もしくは一つほど上の年齢に見える少女が、難しい言葉を舌足らずで喋りながら隣の席に座ってきた──のだがそっちではない。

 

『かれの分の飲み物をおねがい』

『承知しました、お嬢様』

『たすかるよ』

 

 その少女には付き人が存在しており、いま思えば護衛か何かであっただろうそのウマ娘の女性はパンツスーツを凛々しく着こなしていた。

 しかしその胸部には違和感があった。

 始めは気がつかなかったが、その女性がグラスを持って俺の前でかがんだその瞬間──ひとつの概念を知った。

 

『どうぞ。……どうやらお堅いパーティを退屈に思っていらっしゃるようですね。実はお嬢様もそうなのです』

『い、言わなくていいのに……』

 

 彼女が俺の運命を変えた。

 生真面目に見えて、その実フレンドリーで優しいこの女性が。

 

『お食事のほうは? 希望がございましたら持ってこさせましょう』

『もうっ、かれとはボクが話すから……!』

『ふふっ……お邪魔でしたね』

 

 そう、揺れた。

 

(────ッ!?)

 

 困惑した。

 目の前で、大きなものが揺れた。

 

(っッ゛!!? っ!?!!?)

 

 畏怖と恐怖と驚嘆。

 まさに文字通りの衝撃であった。

 その白いシャツのボタンを弾き飛ばさんばかりに大きさを主張する()()()()が、彼女の微笑と共に蠢いた。リンパというリンパが異常事態です! 会場のみんな、リンパを! ウルトラチャージ。

 突如として現れたそのスーツの爆乳ウマ娘こそが、俺の今後の生涯をバチボコに破壊してくれやがった張本人なのだ。お仕事舐めてんの? 素敵なキャリアウーマン♡

 

 

 あぁ、そうだったな。

 この時に地を砕き天を裂き世界のすべてを超えてきた爆乳という概念に何もかもを破壊されたんだ。

 そこから本家のウマ娘の指導をする際に、彼女たちのその部分ばかりを注視してしまいいつしかこの手で掴みたいという欲望が生まれ成長していった。

 それが俺の始まりだ。

 秋川葉月の起源はここだったのだ。

 

 目の前にあり手が届かない夢、それがデカ乳。

 それをこの手で掴みたい。

 余さず自分のものにしたい。

 始まりであり、終ぞ潤せなかったその渇きを求め、やはり俺はここに行き着いた。

 

 どうすれば掴める。

 どうなれば許される。

 どこまでいけば手に入る。

 子供ながらに思い悩み、しかし子供だからこそ答えを知っていた。

 

 すべてを支配する王に等しい人間になればきっと、アレをつかんでも許されるのだと。

 (ちん)。きわめて希少、かつ価値のあるもの。

 (ちん)。欲望を留め、内なる獣を鎮めること。

 (てい)。王──至上を持つに相応しい人間、皇帝。

 

 至上の宝を理性を以てこの手につかむ。

 それが珍鎮帝。

 それが俺。

 それが秋川葉月だ──! ヤバいマジで興奮してきた。オットセイの真似します。おうおうおうおっうぉうおっ!パンッパァンッパァンッ(ヒレを叩く音)

 

 

 

 

 起きた。

 ふと目を覚ますといつも通りの見慣れた内装が陽の明かりで照らされており、もう時刻が昼を回っていることを嫌でも自覚させられた。

 一応スマホを確認するとやはり正午を過ぎており、ため息を吐いてもう少々画面を操作するとやよいからメッセージが届いていることにも気が付いた。

 

【ごめんね葉月、どうしても顔を出さないといけない会議があって】

 

 確かやよいは俺が深層領域へ落ちる直前までこの家にいたはずなので、風邪を引いて気絶してる間に出て行ってしまったようだ。仕事ならばしょうがない。ベロチューで手を打つ。

 

【起きても無理しないでね! 夜には帰るからそれまで絶対安静!】

 

 とのことで、この家にいるのは俺とサンデーだけなようだ。

 夢の中で脳内の本棚を整理していた間は平気だったが──

 

「ゲホゲホッ。……ずび、ぜんぜん普通に風邪ひいてるな」

 

 現実に戻ったと理解した途端、倦怠感が全身を支配した。

 横を見るとサンデーが寝ている。やよいが用意してくれていた布団でグッスリだ。

 試しに額に手を当ててみても熱はさほど感じなかった。

 

「……あぁ、起きるとき無意識にサンデーの分の風邪も奪ったのか、俺」

 

 どうやら俺の本能は相棒の健康第一になっているようで、本棚の整理をする間風邪の症状を肩代わりしてくれていた相棒への感謝の証として、現実世界での風邪はこっちが背負うことにしたらしい。俺らしい判断だ。

 

「うぅ゛ー……なにか食い物……なんも無ぇ……」

 

 冷蔵庫の中はほぼ空っぽだった。

 やよいのメッセージも早朝に届いているあたり、彼女も食料を用意する時間がなくやむなく出て行ったのだろう。布団をかけてくれただけ感謝だ。

 

「スポドリとか諸々、買いに行くか……」

 

 ゾンビの如く緩慢な足取りで家を歩き回り、最低限の着替えと財布を用意して家を出立した。

 夢の中で高熱の症状を耐えてくれていたサンデーを起こすのも忍びなかったので出かけるのは俺一人だ。あいつの分の飯も買って帰ろう。

 

「寒っ……! ありえん……冬とかいう季節ふざけすぎ……」

 

 あまりにも冷たすぎる寒風についつい悪態が漏れ出た。文字通り熱に浮かされているのもあって若干冷静さも欠いている気がする。

 唯一幸いなのはヤバかった性欲が発熱の体調不良のおかげで最低値まで減退していることくらいだ。

 歩く。

 冷蔵庫の中にでも入ってしまったのではないかと錯覚するほどの冷えた路地をひたすら歩く。

 老人も驚くほどゆっくりと歩を進めながら、ドラッグストアへ向かっていった。

 

「ども……」

 

 そうして食料品と市販薬を購入し、重くなったレジ袋を携えて帰路に就く。

 指がかじかんで凍りそうだ。どんどん感覚が奪われていく。

 

「あぁ゛ー」

 

 フラフラと進んでいき、人通りの少ない住宅街の路地に差し掛かった。

 

「うぅ……」

 

 頭は熱いというより重い。

 気持ち悪さはないが、ひたすら倦怠感がある。ただのコンクリートの地面だがいっそここに寝ころびたい。

 

「……はぁ、はあっ」

 

 そうして遂に疲れ切った俺は一旦休憩するべく、住宅街の塀に少しだけ寄り掛かった。

 もうすぐで自宅だが感覚的にはまだ遠い。

 休日の昼だが、不気味なほどに誰ともすれ違わない。

 誰かに連絡をして手を貸してもらうことも考えたが、スマホを取り出してメッセージやら通話やらをする気力すら湧かない。

 歩いて、帰る。

 それだけでいいのに、それができない。忸怩たる思いだよ。これでは日本の未来が……。

 本当に一瞬でいいから助けてほしい。

 そんな思いで壁にもたれ掛かりながら硬直して、数分。

 

 つい目を閉じて休んでいたせいか眠気に襲われ始めた──その時だった。

 

「も、もし。そこの貴方、大丈夫ですか?」

 

 運よく誰かが声をかけてくれた。助かった~! 感謝で熱くなりすぎてしまうかも♡

 

「ごめんなさい……かぜ、ひいてて……」

「謝る事ではありませんよ。……もしかして一人でお買い物を?」

「ぁ、はい、いえ、めのまえで──」

「危ないっ。……と、大丈夫……ではありませんね。肩をお貸しします」

 

 油断して転びかけたところを支えてもらってしまった。ひぃ、赤の他人に迷惑をかけまくっている。

 

「ご自宅は? 荷物も持ちますから、場所だけ教えていただけますか」

「わ、わるいです」

「こんな状態の人を放ってはおけません。……不安でしたら、私の身元を証明できるものをお見せします。いま学生証を──」

 

 バチクソに茫々とした視界に揺れる中、壁に背を預けながら目の前の人物を眺めた。

 そして一か所、顔すらまともに認識できない中で唯一特徴的な部分が目に留まった。

 額、というより前髪だ。

 そこに三日月のような曲線を描く白髪が目に映った。

 少し前、夢の中で見た過去の記憶にそんな特徴を持つ人物がいた。

 

「……ルナ?」

「えっ──」

 

 脳内で一つ目にヒットした記憶は数ヵ月前、ユナイトした状態で街の中を疾走した時の事だった。

 あの時俺を目撃し、トレセン学園の生徒会長を名乗った少女のことをなんやかんやでルナちゃんと呼んだ。

 そのルナちゃんにも特徴的な流星が前髪に走っていた気がする。

 

 そしてもう一つは今日夢で思い出したばかりの小学生の頃のものだ。

 パーティで俺に声をかけた、むつかしい言葉遣いにハマってたおませで変なウマ娘。

 その少女がルナと名乗っていたので前後の記憶と結びついた。のでルナと口走っちゃった。絶対関係ないのに恥ずかしい。許せ! 心からのお願い。

 

「……以前、私とどこかで会ったことが?」

「しらん……」

「ふぇっ」

「倒れそう、やば……」

「あっ、とっ、とにかく自宅までお連れしますから! 場所だけ教えてください!」

 

 そんなこんなで必死に介抱してくれる初対面の少女に助けられながらなんとか自宅にたどり着いた俺は、感謝に噎び泣き涙ながらに漢イキしそうな気持ちを抑えながら、後日お礼をするために電話番号だけは交換しておいた。

 朦朧としすぎて相手が普通の人かウマ娘なのかも分からなかったが、別れる直前に名乗ってくれたおかげでルナちゃんではない事だけは確定した。

 あの。

 たしか……シンボリ、るー……なんだっけ……いやたぶん新堀(しんぼり)さんだ。正体見たり!って感じだな。結婚して秋川になろう。

 

 



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