うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ (珍鎮)
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大丈夫じゃないくせに強がりやがってよ 今宵の月のように

 

 

 彼氏が欲しい──中央トレーニングセンター学園のどこかで、誰かがそう言った。

 

 国内最高峰のウマ娘育成機関に集うエリートたちには、まず異性との触れ合いに現を抜かす暇など無く、そういった意識が学園中に伝播し続けていた為に彼女たちの中にある『恋愛』という概念は極めて小さなものになっていたそうだ。

 

 ()()を何者かがたったの一言で肥大化させた。

 本人からすれば日常の中での何気ない会話の一つだったかもしれないが、その一言が学園に通う彼女たちの一流アスリートを目指すあまり忘却しかけていた恋愛方面での()()()()()としての感性を取り戻させたのは紛う事なき事実であった。

 もはや、一周回って新しい概念の持ち込み。

 普段は教官やトレーナーといった歳の離れた男性としか接しない少女たちにとって、同年代との恋愛は未知数。

 トレセン学園へ入る前に小学校で多少マセていた少女たちも思春期に入る頃には既に立派な学園の生徒(アスリート)となっており、中高生における一般的な恋愛というものには誰も彼もが疎かった。

 しかし、その中でたった一人だけ、とある少年と密かに交流を重ねているウマ娘が──

 

 

「……漫画の割には長くないか。前語り」

「うぇっ。そ、そう……?」

 

 退屈な授業を終えたいつも通りの放課後。

 今日も今日とて喫茶店でのバイト中に押しかけてきた知り合いのウマ娘の漫画とやらを、客のいないカウンター席に座りながら吟味していた。

 

「いや、最初の三ページ全部背景とモノローグのみってのはどうなんだろう、と」

「でも物語の導入はしっかりしないと……」

「流石にもう少し簡潔にできると思うけどな。世はまさに大恋愛時代! とかでいいだろ」

 

 漫画を読み終えてタブレットを返却すると、どぼめじろうという名前でSNSに漫画を投稿しているウマ娘の少女は、気落ちしたようにテーブルに突っ伏してしまった。

 

「後半のアドバイスは聞かなかったことにするから。やっぱり導入は丁寧に……ぶつぶつ」

「あぁ、そう」

 

 この女の名前はメジロドーベル。

 ウマッターというSNSにて、どぼめじろう先生のアカウントでアンチに対して半狂乱状態で返信している現場を目撃して以降、半ば脅される形で秘密を共有する仲になったウマ娘だ。

 こんなんでも一応あの名門と名高い中央トレセンの生徒らしいが、欲望が漫画からダダ洩れである。正体見たりって感じだな。

 

「ちなみに今回の漫画って元ネタあるのか?」

「……今のトレセン自体がそんな感じなの。皆はまず男の人の知り合いを作るところから四苦八苦してるみたい。おかげでネタには困らないけどね」

 

 すっかり冷めた珈琲を流し込み、漫画作家先生はお代分ピッタリの小銭をテーブルに置いて席を立った。見せたいものを見せて満足したようだ。

 

「じゃ、もう行くから。また明日」

「おう。……あー、いや明日は俺いないけどな」

「えっ──」

 

 固まるメジロドーベル。何だよ。

 

「い、いないんだ」

「前も言わなかったか? バイトしてんの火木金だけだって」

「……あ、あー。そういえばそうだった。なら明後日になるか」

「はぁ。木曜も来るつもりで」

 

 明後日だなんて、どうしてそんな通う事前提になっているんだ。

 デビューしてからすっかりレースでも活躍してる普通のつよつよウマ娘なのに暇な時間多すぎないか。

 忙しい身であるはずなのに路地裏にあるこんな客入りの少ない廃れた喫茶店にわざわざ何度も足を運ぶなんて、作家先生の考えることは分からん。そんなにここの珈琲が好きになったのか。

 

「ちなみに店は明日もやってるぞ」

「…………別に、いい。コーヒーを飲みに来てるわけじゃないし」

「え、俺の漫画の感想そんなに必要か? 描けたら即投稿でいいだろ」

「そういうわけにはいかないの! コレを見せられる男子なんてアンタくらいしかいないんだから! いいから感想を述べよッ!」

 

 男女両方から完成品の感想を貰ってから手直ししてウマッターに投稿する、というのが彼女のやり方なのだが普通に結構面倒だと思う。マメというか心配症というか。

 

「とととにかく明後日また来るから──いだッ!」

 

 ドタドタと慌て気味に退店する途中ドアに頭をぶつけた。急ぐでない慌てん坊さん。犬も歩けば棒に当たる。

 

 

 というわけで本日も中央のウマ娘とコミュニケーションを交わしたわけだが、正直おっぱいしか見ていなかった。

 

 ひねりの無い程デカい乳が性癖な俺は昔から顔面とスタイルが抜群な中央のウマ娘が憧れだったわけだが、高校生になって親元を離れこの街で暮らし始めてから約一年が経過し、ようやく最近になってから普段の生活に女子の影が現れ始めた。

 全てはこの喫茶店でアルバイトを始めてからの事だ。

 バイトを探している中で偶然にも何人かの中央のウマ娘が憩いの場として息抜きに使っていたらしい老舗にブチ当たり、知り合いが増えてから時間を浪費するだけの毎日が青春へと早変わりした。

 ポーカーフェイスで普通の態度を貫き通しながらウマ娘たちの胸部をガン見する楽しい毎日だ。

 

 メジロドーベルに関しては……まぁ、何というか普通だと思う。乳の大きさの話だ。

 とても普通な大きさなので心が激しく乱されることも無く、普段から接する相手としては彼女が一番丁度良く緊張しない。

 だが俺としてはもっと胸が巨大なウマ娘と関わりを持ちたいのだ。贅沢言わないからそこだけ観察させてほしい。

 この前雑誌で見かけたデビュー直後の女子たちなどが特に丁度良かった。名前も覚えている。

 

「マッ☆ マッ★」

 

 バイトが無い日の放課後。

 件のウマ娘にでも遭遇できないかなとトレセン付近の河川敷にフラッと立ち寄ったところ、とんでもない乳を揺らしながらランニングをしているウマ娘を見つけた。

 既にデビューを果たしていて尚且つ乳がバカでかいウマ娘はリストアップしている。

 あいつは確かマーベラスサンデーだったか。

 

「マーーーーーーーーーーベラスッ」

 

 あの様子、やはり噂通り一癖あるタイプのウマ娘なようだ。小さな体躯に見合わない巨大な水風船を高いテンションで揺らしまくって何をのたまう? 何をして喜ぶ? 

 

「ふえぇ、トレーナーさんは何処にぃ……あれ、私が迷子になってるぅ……?」

 

 うわっ、デカすぎ……肩凝りそう。

 今通りかかった少女もリストに載っている。メイショウドトウはデカ乳ウマ娘界隈の中では割と有名な存在だ。

 しかしこんな間近で見ることが出来たのは嬉しいなぁ。全身淫猥警報。

 

「リッキー、待って~」

 

 ついでと言わんばかりにホッコータルマエも通りかかった。情報通りの全身もちもちムチムチ加減だ。今日の河川敷は爆乳偏差値が高すぎる。来てよかったと心底思う。

 あの中の誰か一人でいいから知り合いになりたいところだ。

 結構な頻度でバイト先の喫茶店に襲来するメジロドーベル程まではいかなくとも、二週間に一回くらいはあの喫茶店に顔を出してくれる間柄になってほしい。

 

 別にストーカーをしたいわけでも親密すぎる関係を築きたいわけでもないのだ。ただちょっと近くでお話しできたらそれが一番良いというだけの話だ。

 どぼめじろう先生曰くトレセン全体で『男子と関わりを持ちたい』という雰囲気が充満しているらしいし、こんなせっかくの機会を逃してはもったいない。

 まずは誰から関わろうか──

 

「キャッ!」

 

 遠くへ走り去っていく巨乳娘たちを眺めながら懊悩していると、後ろから小さな悲鳴が聞こえてきた。

 振り返ると、脚がもつれて河川敷の坂を転げ落ちてしまった栗毛のウマ娘がいた。

 咄嗟に彼女のもとへ駆けつけると、その少女はバツが悪そうに苦笑いをする。

 

「ぁ、あはは……お恥ずかしいところを見せてしまって」

 

 そんな事を言っている場合ではない。

 俺は途中からしか見ていないが、それでも結構な勢いでゴロゴロと落ちていた。

 

「脚、見せてくれませんか」

「へっ……?」

「救急セット常備してて。湿布くらいは貼れるから、見せて」

「い、いや、でも──いたっ」

 

 気にせず動こうとした栗毛の少女はやはり足首に痛みを感じているようだ。

 いつでも巨乳ウマ娘を助けられるよう、通学に使っているリュックの中には応急処置がいつでも可能な医療品を一式揃えてある。

 見たところ彼女は巨乳どころかドーベルの様な普通レベルすら下回っているように見えるが、流石にんなことを気にしている状況ではない。

 

「いいですか」

「……は、はい」

 

 靴を脱がせてズボンの裾をめくると、踝の辺りが少し赤く腫れていた。

 幸いな事に軽い捻挫だ。これなら少しの応急処置でどうとでもなる。

 

「湿布を貼っておくけど、もう少し冷やしたほうがいいか。コンビニで氷を買ってくるからちょっと待っててください」

「あのっ、そこまでしてもらうのは悪い──」

 

 怪我人は往々にして強がるものなので、大して気にせずコンビニまで走ってすぐ戻ってきた。氷嚢はあるが肝心の氷と水が無かったのだ。

 そこからテキパキと応急処置を済ませ、十五分ほど経ってから彼女に肩を貸して移動を始めた。トレセンの近くまで行けば学園の生徒が保健室へ連れて行ってくれることだろう。

 

「そういえばあなたの事、テレビで見た事ありますよ」

「あ、私のこと知って……?」

「すいません名前までは。でもデビューしてるなら担当もいるでしょ。トレーナーには連絡したんですか?」

「……オーバーワークで怪我したなんて話、できません」

 

 たしか以前生中継をテレビで見たときはセンターで歌っていたハイパー激強ウマ娘だったはずだ。

 名前までは憶えていないが、そんな優秀な選手でもオーバーワークしてしまう程の悩みはあるんだな、と一人勝手に納得した。

 

「じゃあ、ここだけの秘密っすね」

「ふぇっ」

 

 まぁ担当トレーナーは大人なのでどうせすぐにバレるんだろうが、同い年程度の見知らぬ男子からの説教など受けたくないだろうから、俺から何か意見するのは止めておこう。

 

「保健室行ったら湿布は貼り替えてください。あと氷嚢はあげますよ、百円の安物なんで」

「そ、そういうわけにはいきません。後日ちゃんと返しますから、連絡先教えてください」

「いやでも──」

 

 そんな意味の無い問答を続けるうちに、いつの間にか学園の目の前に到着していた。

 彼女の存在に気がつき、遠くからこちらへ向かってくるウマ娘が見える。

 

「あ、スペちゃん……」

「友達?」

「えぇ、後は大丈夫」

「良かった。それじゃ」

「ぁ、あの、ちょっと待って」

 

 話すうちにいつの間にか敬語が外れた少女を友人のウマ娘に預け、そのまま去ろうとすると後ろから声をかけられた。

 

「名前……私、サイレンススズカっていうの」

「あぁ、そういえばまだ名乗ってなかったな。秋川葉月だ。じゃあまた」

「う、うんっ」

 

 そんなわけで、爆乳ウマ娘に近づこうとしたら何やかんやあって凄く胸の無いウマ娘と知り合いになってしまったのであった。次こそデカ乳と面識を持ってやるぞ。むん。

 

 



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山も谷も無いこの眺望 日本の名勝

 

 

「──んっ」

 

 バイト先では客が来るとすぐに分かる。

 入り口付近に小さな小窓があり、路地裏からこの店へ入店する際は必ずあそこを通る為、足音とその窓を通過する人影からいつお客様がご来店されるのかが瞬時に判明するのだ。

 そしてそれは直前まで客のいない店内で雑誌に載っている有名むちむちウマ娘のピンナップに夢中になっていた俺のようなカス従業員にとっても、大いに役立つシステムである。

 雑誌をサッとカウンターの下にしまい込み椅子から立ち上がれば、もうどこにでもいる普通の店員さんに早変わりだ。いらっしゃいませ。

 

「いらっしゃ……あぁ、どうも」

「えっ、あっ。……秋川くん?」

 

 俺の読書タイムを終焉へ導いたのはつい数日前に知り合ったばかりな栗毛のウマ娘──サイレンススズカであった。困惑顔かわいい。

 とりあえず席まで案内し、オロオロする彼女にそっとメニュー表の場所を教え、一旦裏まで戻っていく。

 すると程なくして呼び鈴が鳴った。

 

「ご注文は」

「えぇっと……珈琲とチーズケーキを」

 

 時刻が十六時過ぎというのもあり、ちょうど小腹が空いてくる頃だったのだろう。

 この店ではあまり人気の無いチーズケーキの注文に内心小さく喜びつつ、待たせないようササっと提供を済ませた。お客さんの待ち時間を極力短くし店内でゆったりとリラックスしてもらう、というのが店長からの教えなのだ。

 

「……秋川くん、ここでバイトしてたのね」

「まぁ。サイレンスさんはウチ来るの初めて?」

「一人で落ち着けるお店を知り合いに教えてもらって。……でもまさか秋川くんがいるなんて思わなかったわ」

「ゴメンね。飴ちゃんサービスするから許して」

「そ、そんな別に、私は……」

 

 一人でリラックスしに来たら知り合いがいた時の居心地の悪さは計り知れない。誰とでも打ち解けられる柔和で渋いイケおじな店長がいてくれたらだいぶ違ったのだが、あいにく急な買い出しで今は俺一人しかいないのだ。

 店は問題無く回せるが、老舗の喫茶店的な趣深い雰囲気は店長不在の今は皆無に近い。すまぬ。

 サイレンススズカはチーズケーキを平らげてから、珈琲を少しずつ舐めながらチラチラと此方の様子を窺っている。

 もしかすると下手に距離を作って店員さん対応をする相手ではないのかもしれない。

 

「脚、もう大丈夫なのか」

「っ! え、えぇ、おかげさまで。……その、あの時はありがとう」

 

 話しかけると彼女は露骨に嬉しそうな顔をした。は? かわいいね。

 どうしてそんな表情になったのかを考えたが、恐らく彼女は礼儀正しく生真面目な性格をしているので、一応手を貸してもらった相手である俺には一言礼を言っておきたかったのだろう。欲しかったのはきっかけだ。

 連絡先は交換していても今日までメッセージの一つも送らなかったのは、単に話の切り出し方が分からなかったのだと思う。

 別に『今日はありがとうございました。後日氷嚢を返しに行きます』くらいのメッセージでも十分だと思うが──と、そこでメジロドーベルの言っていたことを思い出した。

 

 女子高ゆえに同年代との異性との交流が生まれづらいトレセン学園において、全体的に男子と関わりたいと考える雰囲気が伝播し始めているという、アレだ。

 それを鑑みるとサイレンススズカは『周囲に勘違いされたくない』という意識から、俺への連絡を戸惑っていたのだと推測できる。

 何しろ彼女、普通にテレビで姿を見るほど有名で強いウマ娘だ。走り一本のアスリート然とした雰囲気からして、色恋沙汰などという俗っぽい話題には興味も関心も無さそうに見える。

 俺に連絡することで周囲の女子から男子に現を抜かしていると思われるのを危惧していたのだろう。

 

 だがこの喫茶店に来たのが運の尽きだ。俺と楽しそうに会話しているところを他の女子に見られて勘違いされてほしい。そうすると俺が気持ちいい。

 

「……あっ、テレビあるんだ」

「つけるか? 無音の字幕放送だけど」

 

 彼女が頷いた後、店の端に設置されたレトロな見た目のテレビの画面を映した。俺のトークスキルが炸裂する前に意識をテレビに向けられてしまったな。少し泣く。

 店内が見渡せるいつもの定位置に腰を下ろすと、テレビに映っている映像に目が引かれた。なんかデカい乳が揺れている。

 

「この前のレースのハイライトか。確かサイレンスさんも出てたんだよな」

「……えぇ」

 

 彼女が一着をもぎ取ったレースだ。

 それはそれはめでたい事だが、俺の視線は別の場所に注がれている。

 あの、二着のホッコータルマエというウマ娘。

 彼女はあまりにもデカすぎ案件に突入している胸部の果実もさることながら、全体的なムチムチ加減がふざけすぎている。国家反逆罪だ。

 動くたびにムチッ♡ムチッ♡ と鳴ってそうな淫猥ボディはついつい目を奪われてしまう不思議な引力を発生させていて、目が離せないとはまさにこの事だろう。

 

「すっげぇ……」

「──」

 

 サイレンススズカと横並びで走っている映像でより鮮明に肉体の卑猥さが露になっていた。

 もはやホッコータルマエの方が不正な身体強化を施しているのではないかと疑いたくなるボディの差だ。アスリートとグラビアアイドルが一緒に走っちゃダメだろ。

 

「……凄いって、何が?」

「えっ」

 

 テレビを一瞥し、俺の方を向くサイレンススズカ。

 急なことで驚いてしまい、童貞は緊張してテレビを見続けるしかない。

 

「走りの姿勢だよ。後ろのウマ娘たちは辛そうな表情してるのに、サイレンスさんはまったく体幹がブレてないだろ」

「ブレ…………そ、そうかしら」

 

 体幹のブレが無いからこそ、何も揺れないサイレンスと全身揺れまくりプニまくりのホッコータルマエの肉付きの違いがより鮮明に見えるのだ。

 

「勿論速いってのもあるけどな。後続と何バ身差離れてるんだコレ」

 

 実力は圧倒的だった。余計なものが何も無く研ぎ澄まされたサイレンスと、余計なもんが付いた状態での走法を熟知しているホッコータルマエの二人による独壇場だ。揺れない、揺れる、揺れない、揺れる──うわうわうわ揺れすぎ何だアレ。

 とても平たく言うと、対比があまりにもえっちであった。フェルマーの最終定理。

 

「すげぇカッコイイよ、あのサイレンスさん」

「……私、は」

 

 映像が切り替わり、興味が失せた俺は空いているテーブルを拭き始めた。

 サイレンスは先ほどのハイライトを見て何かを思い出してナイーブになっているようなので、踏み込まないようにしなくてはならないのだ。話はしても必要以上の詮索はしないように、と店長から言いつけられている。

 

「……また来るわ」

「あ、うん。またどうぞ」

 

 思いつめた表情のサイレンスはピッタリお代分の金をテーブルに置いてそそくさと退店していった。この店に来るウマ娘の中にレジで会計してくれる奴はいないのだろうか。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

『はい。追い付かれ、横に並ばれてしまう先行に意味はありません。なので私はより速く、より先頭に。とにかく周囲の圧で()()()()()()……それを意識して、前だけを見て走りました。──きっかけ、ですか? 

 それは……あの、一人だけ、ヒントをくれた友人がいたんです』

 

 今日も客がほとんどいない喫茶店のテレビを眺めていると、チャンネルを切り替えるとともにサイレンススズカが画面にでかでかと映し出された。

 画面の右上を見れば至極当然のように一着を取ったことが分かる。ちょっと強すぎないかアイツ。

 ホッコータルマエは今回も二着だったようで、二ヵ月前の雪辱を果たすには至らなかったらしい。

 

 あの日この店に来てから、サイレンススズカが顔を見せに来ることは一度も無かった。

 当たり前のことだが彼女は一流のトップアスリートなのだ。友達未満でただの知り合いでしかない男子がいる喫茶店になど足を運ぶ理由が無い。

 どぼめじろう先生も間近のレースの準備に忙しない都合上、俺がバイトをしている日に訪れるウマ娘はいなくなり、いつものカウンター席には高校のクラスメイトである男子が座っていた。

 

「おっ。秋川もウマ談買ってたんだ」

「話題のマルゼンスキーが水着解禁、って文字に釣られた」

 

 デカ乳ウマ娘なら節操なく好き。そんな理由で雑誌も買う。

 

「フフ、いい事教えてあげようか。今週のウマ談、今テレビでやってたレースの一、二、三着のウマ娘との握手会の応募用はがきがくっ付いてるよ」

「ッ……!!?」

 

 という事はつまり、ホッコータルマエの違法なバカデカ乳を間近で眺めることが出来る……?

 ついでに柔らかおてても触れるなんてこの上ないチャンスだ。早速応募しよう。

 

「僕も応募するからコレ一緒にポストに投函しといて」

「り」

 

 そんなこんなで期待を込めて人生初の応募はがきの投函をしたわけなのだが、やはりというか結果は惨敗であった。

 

 

 

 

 

 

 二週間後。『秋川ッ!!! サイレンススズカと握手した!! 握手会で僕が一人目だった!!!! 三秒で終わったけど最高でした。』というクラスメイトの男子からのウザいメッセージを既読無視し、俺は帰路に就いていた。

 漫画作家先生はレースで忙しなく、俺自身も期末試験でアルバイトにも行けずてんやわんやしていたため、ここ最近の生活はバイトを始める前の華が無い日常に戻ってしまっている。

 男連中と過ごす高校生活も存外悪いものではなかったのだが、やはり何か足りないという感覚は拭えない。

 テストが終了し夏休みを目前に控えているにもかかわらず、俺は疲弊とため息を帰り道に零していた。

 ゆえに、注意力も散漫になっていたのだろう。

 後ろから迫ってきていた自転車に気がつかず、焦って避けるとバランスを崩してそのまま高架下の河川敷をゴロゴロと転げ落ちていく。

 べちゃっ、と不快な感触が手のひらに広がり、尻もちをついたまま手を確認してみれば、いつの間にか泥で汚れてしまっていた。体を庇う際に、先日の大雨でぬかるんだ地面に手を突っ込んでしまったようだ。

 

「──だ、大丈夫ですか!?」

 

 はぁ最悪だ、と呟こうとしたその時、河川敷の上から声が聞こえてきた。

 夕方の逆光でよく見えないが、中央トレセンの制服を身に纏っていることは確認できる。

 

「お怪我は……」

 

 その少女が間近に迫ってきてようやく顔を視認できた。何だか見覚えのある顔だ。

 

「…………秋川、くん?」

「うぉっ。……ひ、久しぶり」

 

 思わず面食らった。まさか今や世間を騒がすスーパーウマ娘と化した彼女と、こんなところで鉢合わせるとは夢にも思っていなかったのだ。

 手を差し伸べてくれた少女は、喫茶店で話したあの日以来会うことの無かったサイレンススズカその人であった。

 

「とりあえず手を……」

「悪い、助かっ──」

 

 で、彼女の手を掴んでから気がついた。

 ついさっき泥だらけに汚したばかりの手のひらで、絶対に汚してはいけない女子の手を握ってしまったことに。

 ……あぁ、やった。

 しまったコレは許されない。

 サイレンスの握手会に参加した人全員に殴られても文句は言えない。

 

「………………ごめん」

「えっ? ──あ、私の手の事なんか全然気にしないで。秋川くんだって()()()は汚れた私の足を気にせず治療してくれたじゃない」

「……そ、そう」

 

 それとこれとでは話が違うと思うのだが、食い下がっても迷惑なだけなので納得しておく。

 たぶんどんな清純な心を持っていても差し伸べた手を泥で汚されたらキレると思うのだが、サイレンスは心底こちらを心配するような眼差しを向けてくれている。精神の造形が美術品のようだ……。

 

「怪我は無いから大丈夫。そこで手ぇ洗って帰るよ、ありがとうサイレンスさん」

「ちょっと待って、秋川くん」

 

 まくし立ててそのまま退散しようとしたら、泥だらけの手を俺が汚した泥だらけの手で掴まれた。何だこの状況。

 

「そこの川あんまり綺麗じゃないの。私いま石鹸持ってるから、すぐ近くの公園で手を洗いましょう」

「あ、あぁ、分かっ──え、あの、サイレンスさん……?」

 

 そして互いに泥でコーティングされた手を離さないまま、サイレンスは有無を言わさず俺を付近の公園の水道まで連行するのであった。

 

 

 到着するや否や、彼女は汚れていないほうの手でカバンから石鹸を取り出した。

 なぜ常備しているのかと聞くと、トレーニング中に汚れることが多々あるから、とのことで。

 流されるまま手渡された石鹸で、俺は手を洗い始めた。

 

「……あ、そうだ。サイレンスさん」

 

 呼ぶと目の前にしゃがんできた。近い近い。

 

「この前の握手会、一人目に眼鏡をかけてる太った男子来なかったか」

「え? ……あー、そういえば確かに。どうして知ってるの?」

「あいつ俺のクラスメイトなんだ。握手会に参加できてスッゲェ喜んでたよ」

「そう。それなら良かった」

 

 会話も無く公園まで来たため、なんとなく気まずい雰囲気があった。

 なので持てる手札で唯一彼女と共有できる話題を持ち出した次第だ。サンキュー山田。

 

「やっぱ凄いなサイレンスさんは。SNSでもテレビでもよく見るし、学校の連中が推すのも頷けるっていうか──」

「……ね、ねぇ、秋川くん」

 

 サイレンスが俺の話を遮り、ほんの少し強張った声で質問の声音を投げかけてきた。

 まさか向こうから話題の転換をしてくるとは思わず、つい緊張がぶり返す。

 

「どした」

「えっとね。その……ぁ、秋川くんは、握手会には来たの?」

 

 何やら俺以上に緊張しているように見えるが、どうしたのだろう。

 もしや『握手会に行ったのに覚えてないのか』的な当てつけをされているとでも考えているのだろうか。そこに関しては何の心配もないというのに。

 

「応募はした。ダメだったけどな」

「……行きたくはあったんだ?」

「そりゃあ勿論」

 

 あまりにも愚問。ホッコータルマエの巨乳を目の前で見られるなら大金はたいてもいいくらいの気持ちだった。応募は一人一回だったから砕け散るしかなかったわけだが、俺個人としては何が何でも参加したかったのだ。

 あわよくば連絡先を手に入れるくらいのモチベーションに包まれていた。握手会でそれをやっていたら恐らく出禁になっていただろうが。

 

「絶対に行きたかったよ」

「……」

「目の前で言いたい事とか、聞きたい事とかたくさんあった」

「……っ!」

「握手会だしちゃんと握手もしたかったな。そりゃもうしっかりと」

「……~ッ」

 

 もう終わったイベントの事なので恥も外聞もなく何もかも詳らかにしていく。

 サイレンスに関しても、どうせこの公園から出たらもう金輪際コミュニケーションを取ることはできなくなるのだ。ゼロだった好感度がマイナスになったところで痛くも痒くもない。

 ただ思った事や抱えた後悔をとにかく吐露しまくってやる。誰も止められない。

 

 

「………………それ、なら」

 

 

 ──それは一瞬の出来事だった。

 

「……代わりに、いま」

 

 いつの間にかサイレンスが、石鹸を持った俺の手を握っていた。

 

「秋川くんだけの、握手会……」

 

 サイレンスには先に手を洗っていいと言われていたため、彼女から受け取った石鹸で泡を出し汚れを落としていた。

 なるべくすぐに終わらせ、手洗い場をサイレンスに譲るはずだった。

 交代に手を洗う。

 水道が一つ、石鹸も一つであれば当たり前のことだ。

 

「私も手を洗いたかったし、ちょうどいい……でしょう?」

 

 しかし当たり前の事が覆された。

 今俺の目の前で、落ちてきた雨が空へ戻るのと同じくらいあり得ない事態が発生している。

 

 手を握られた。

 石鹸の泡で滑りが良くなった手を、まだ泥で少し汚れていたサイレンスの手が包んできたのだ。

 ──何の言葉も出なかった。

 ただ呆けるばかりで脳内が茫漠としている俺の状況を知ってか知らずか、少女は『あなただけの握手会』と称して、緊張した面持ちのまま赤くなった頬を隠そうともせず、泡で包まれた俺の手を洗い始める。

 

「小さい頃、母親とコレをやった事があるの。一緒に手を洗えて一石二鳥……」

「……ほ、本気で言ってるのか?」

「ぁっ、え。……えと、半分くらい……」

 

 石鹸が手から滑り落ちた。

 だがそんな事を気にしている余裕は無かった。

 サイレンスは変わらずぬめぬめの泡で俺と自分の手を洗い続けており、急な事態に脳の処理が追い付いていない俺は狼狽するばかりだ。

 

「握手会の代わりになれば、と思って……」

 

 何でそんな事を──そう言いたげな俺の表情を読み取ったのか、彼女は聞かれるよりも先に口を開く。

 

「……私があの日のレースに勝てたのは、秋川くんのおかげだから」

 

 そんな馬鹿なことがあるか。

 俺は変わらず自分の生活だけを送っていたのに、何がサイレンスの益になったというのか。

 

「秋川くんが、私の走りに感嘆してくれた。……見落としていた自分の強みにも気づかせてくれた」

「……そんなの、担当のトレーナーがいつもやってくれている事だろ」

 

 誰よりもサイレンスの事を見ていて、強みも弱みも知り尽くしている大人がいるのだ。

 そんな人が傍にいて、強くなった理由が俺なんかであるはずがない。あり得ない。

 

「トレーナーさんは確かによく見てくれているわ。とても頼りになる理解者で、私の事を分かってくれている大人の男の人……でも」

 

 ちなみにそろそろサイレンスの言葉が耳に入らなくなってくる頃だ。

 とんでもない方法で性癖を捻じ曲げに来られてまともに応対できる男子などいるはずがない。心臓の振動数がとんでもないことになってるぜ。60Hzくらいかな。

 

「以前のレースでの一着のとき……私はタルマエさんにほとんど追いつかれてた。トレーナーさんは危機感を覚えていたし、私の焦った表情を見て他のウマ娘のみんなも心配してた」

 

 ぬるぬる、さわさわ、ぐちょぐちょ。

 性的じゃないのに性的なことされてる錯覚に陥る。二人で手を洗うのヤバすぎないか? 

 こんなスケベ一歩手前な事しながらほんの少しシリアスな空気出すとか無理があるだろ。シャレになってないよ。

 

「これまではずっと後ろを離したレースしかしてこなかったから、ファンのみんなも……でも、あなたは」

「っ°……ッ゛゛」

 

 マズい脳がショートする。これはもう明日の一面はスケベすぎるこの栗毛ウマ娘で特集を組むしかないな? ビューティー・コロシアム。

 

「秋川くんはただ私の走りを見てくれた。喜んでくれた。自分でも気づけなかった、精神的に揺さぶられていたあんな状況下でも私が持っていた強みに気づいてくれた。

 ……だから秋川くんのおかげなの。あの日、私が勝てたのは──」

 

 うわぁ! 僕の手を通じてサイレンスさんの熱が伝わってくるよ! 熱伝導率=500W/(m・K)。

 

「……秋川くん?」

「ごめん、ごめんごめん。あの、その、俺が悪いんだけどさ。スゲェ嬉しいしありがたいんだけどさ。

 その……そろそろ手を洗い流してもいいか」

「──ハッ。ぁ、え、えぇ! 水で流しましょうか……!」

 

 後の事はあまり良く覚えてない。

 自分が何て言って誤魔化したのか、どういった雰囲気で解散したのか、脳が茹で上がった俺にはその日の記録を残せるほどのキャパは残っていなかったのだ。

 よく分からん過大評価でサイレンスに認められ、少なくとも友人という枠には入ったらしい事を知った俺は、帰り道の途中で送られてきた『サイレンススズカとすれ違った!!!やばっ!!!!』という山田からのメッセージに反応する余裕もなく既読無視して自室のベッドに倒れ込むのであった。

 

 それから、翌日。

 久しぶりにバイトへ向かうと、喫茶店にはサイレンススズカの姿があった。なんで。

 

 



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下品な怪異! 神さまにどう言い訳するおつもりだ?

 

 

 ──ケツを目撃した。

 夏休みが目前に迫り、今日も今日とてバイト先の喫茶店へ向かおうとしていた矢先の事であった。

 なぜか仲を深めることが出来たサイレンススズカがあの店へ頻繁に訪れるようになり、柄にもなく浮かれた気分でいつもの歩道を進んでいたそんな時に、視界の端に映り込んできたのだ。

 

 女子高生のケツが、そこにはあった。

 道路の歩道によくある植樹帯に頭から突っ込み、明らかに何かを探している様子だったが、フリフリと揺れるケツと同じくらい気になったのはどう見ても中央トレセンの生徒にしか見えない彼女の制服だ。

 電車で一駅とはいえ学園から離れたこんな場所でトレセンの生徒が何をしているのだろうか。

 

「ない……無い……」

 

 視姦するが如く眺めて五分か十分か、突然ハッと正気に戻った俺はなるべく下半身から視線を外しつつ、後ろから中央の生徒であろう少女に声をかけた。

 

「あの、なんかお探しですか」

「……お構いなく」

 

 植樹帯の茂みから顔を出した黒髪の少女は、こちらを一瞥すると再度辺りを見回し始めた。

 知らない男から声をかけられたのだから当然の反応だ。

 しかしこちらは後ろから彼女の臀部と尻尾を観察し続けていた変態のカスなので、このまま場を離れるとカスを超えて下衆になってしまうため引き下がれない。

 あまりにも自己中心的な理由にはなるが、せめて彼女の探し物を見つけてからでないと離れられないのだ。

 

「流石にこんな人目の付く場所で物を探し続けるのも……えと、俺も探すんで」

「……ありがとうございます」

 

 しつこく声をかけるともう一度こちらを見てくれたが、少女はなかなか感情の読めない筋金入りの無表情をしていた。

 真夏の猛暑に当てられて汗だくになってはいるものの、眉間に皺を寄せることもなく黙々と周囲を漁るその姿は感服の一言に尽きる。

 中央トレセンの女子ともなると我慢強さも異次元なのかもしれない。精神の締まりが良すぎるぞ? 称賛に値する。

 

「ラバーストラップがついた鍵です……お願いします」

 

 そんなこんなで少女との物探しがスタートした。

 しかし探している間も強い日差しは容赦無く降り注ぎ、肌から汗が滲んで止まらない。

 彼女がどれほどの時間ここにいるのかは定かではないが、流石にこの炎天下で何十分も陽にさらされ続けていては体調の変化が心配だ。

 さっさと落とし物を見つけるのもそうだが、場合によっては日陰で休んでもらうことも視野に入れておくべきだろう。

 

「あっちぃな……。──んっ」

 

 案外目に付く場所に落ちてたりするんじゃないか、と思い一旦茂みから顔を出して辺りを見渡してみた。

 

 

「──」

 

 

 すると、すぐ近くで立ったままこちらを見つめている少女がいる事に気がついた。

 ウマ娘たちの中でよく見る葦毛とも異なって見える、まるで色素が全て抜け落ちてしまったかのような不気味な白髪の少女だ。

 

「……? あの、何か──」

 

 パッと見だと探し物をしている少女にとてもよく似た容姿だが──とそれ以上考える前に、いつの間にかその少女が俺の目の前まで迫っており、一瞬思考が固まってしまった。

 なんだなんだ突然何事だ。

 急な出来事に狼狽し声も出せずにいると、ひとつわかったことがあった。

 距離を詰めてきたこの少女、こんなクソ暑い真夏日であるにもかかわらず黒いロングジャケットを着こんでタイツまで履いているのだが、奇妙なことに()()()()()()()()()

 

「な、なんすか……?」

「…………」

 

 困惑しながらも近づいた理由を問うたが、白い少女は一瞬目を見開いただけで、質問には答えてくれない。

 意味が分からない。

 何だ、コイツは。

 この上なく美少女然とした整いすぎている顔面が間近にあるだけでも緊張してしまうというのに、そこへ不思議っ娘染みた謎の雰囲気と無言の圧力が加わって大変手ごわい相手と化している。俺はどう対応するのが正解なんだろうか。

 

「あの子の友達ですか」

「…………」

 

 視線を逸らしたくなるくらい真っすぐ俺の目を見つめているくせに全然喋らん。マジで何なんだコイツ。

 白紙を思わせるような淀みない白髪とミスマッチな漆黒のロングジャケットと、一見すればコスプレに見えなくもない特徴的な格好をしていて、且つ歩道に突っ立って何をするでもなくジッと男子を見つめているにもかかわらず、道行く人々はまるでそのウマ娘を気にしていない。

 彼女の浮世離れした独特の雰囲気は不気味の一言に尽きる。

 

「そこ」

「えっ?」

 

 此方の困惑を知ってか知らずか、白い少女は俺の左後ろの茂みを指差した。

 何だと思って振り返ると、なにやらラバーストラップの付いた鍵が落ちている。

 

「カフェの共有スペースの鍵」

「……? あ、あぁ、ありがとう」

 

 礼もそこそこに鍵を拾い上げて黒いほうの女子に手渡した。

 

「──あれっ。……どこ行ったんだ」

 

 だが、落ちている場所を教えてくれたそのウマ娘はいつの間にか忽然と姿を消しており、黒い女子との関係性や肝心の名前を聞くことは終ぞ叶わなかったのであった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「チケット?」

 

 バイトが終わり、サイレンスと並んで帰路に就く道中。

 彼女から質感の良い紙のチケットをプレゼントされた。

 

「えぇ。私のルームメイトが来週のレースに出るのだけど、そのライブ鑑賞の特別席のチケット」

「貰えるのは嬉しいが……え、いやそんなあっさり渡しちゃっていい物なのか?」

「もちろん。秋川くんにもあの子の活躍を見てもらいたいから」

「お、おう……サンキュな」

 

 こんなやり取りが起きるほど親密になった覚えはないのだが、やはり不思議なことにサイレンススズカにとっての俺という存在は、ただの知り合いというにはいささか近すぎるものになっているようだった。

 

 あの握手洗いとかいう人生最大のスケベイベントから一週間が経過した現在。

 直近のレースでドタバタして喫茶店に来られなくなっているどぼめじろう漫画作家先生と代わるかのように、俺がアルバイトに入る日はほぼ確実にサイレンススズカが来店する、という妙な状況が生まれていた。

 先日の一件以降サイレンスは頻繁に連絡をくれるようになっていて、今現在のスマホの通知の半分は彼女からのメッセージで埋まっている。

 喫茶店にもお忍びで来ているらしく、少しだけトレーニングの時間を削って俺に会いに来ているらしい事も判明し、罪悪感と優越感が半々になっていた。

 

 彼女にとって大切なターニングポイントであったらしいあのレースにおけるベストアドバイスを投げかけた立場だからこその状況だという事は理解しているものの、こうも分かりやすく距離を詰められると『あれコイツ俺のこと好きなんじゃね?』と思春期の中学生みたいな勘違いを抱きそうになってしまう。

 女子高の連中ってみんなこんな感じなのだろうか。

 同級生と同じ感覚で接されると困りますね、こちとら男子なので。距離感を保て。

 

「……なぁ、サイレンス」

「うん?」

 

 ぐぅ、この清廉な笑顔は俺を喜ばすつもり? これぞ和。

 

「流れで一緒に帰ってるけど、こういうのって誰かに見られたらマズいんじゃないのか?」

「えっ……どうして?」

「いや、だってサイレンスってめちゃくちゃファン多いだろ。担当のトレーナーならまだしも、誰だか分からん男子と並んで歩いてたら変な噂を立てられるんじゃないか、って思って」

 

 俺自身は周囲にどう勘違いされようがダメージはゼロで、寧ろ精神的には優越感でプラスになる。

 だがサイレンスの方は違うだろう。

 平たく言えばスーパー有名人だ。日常の一挙手一投足が特別なものとして扱われる。

 そんなつもりは無いのに友人の男子との仲を学園だけでなくSNSなんかでも茶化されたら良い気分はしないはずだ。もしかしたらレースにも悪影響が出るかもしれない。

 

「……ふふっ。そんなの、全然気にしてないわ」

 

 いろいろと危惧した上での発言だったのだが、意外にもサイレンスは涼しい顔をしていた。

 

「隣に居たい人と一緒に歩いているだけだもの。おかしなところなんて一つも無いでしょう」

「……そ、そうすか」

 

 ワードの選び方が意図的に勘違いを誘発させる仕組みになってしまっているよ。虚を突かれる思いだぜ。

 友達と一緒にいるところを茶化されたところで別に気にしない、という意味の言葉をよくもまあそんな個別ルート入りたてのヒロインみたいな言い回しにできるわね。めっちゃ可愛いな……余情残心。

 

「──あっ」

 

 分かれ道だ。

 サイレンスは信号の向こうにある駅方面へ向かい、俺はここを左に曲がってボロい四畳半神話大系賃貸に帰還する。

 名残惜しい気持ちはあるが、この先からは人通りが多くなる為隣を歩くわけにはいかない。ここまでだ。

 

「それじゃ、またな」

「あ、待って……秋川くん、ちょっといい?」

「どした」

 

 軽く手を振ってそのまま解散しようとすると引き留められた。

 あのハンドソープ握手をしてから彼女の手を見ると興奮する体質に変貌してしまったので、なるべく早く退散したいのだが。

 

「お別れの握手」

「はい?」

「こうして……こう」

「────」

 

 握手ではない。

 それは全然全くもって九分九厘ほぼ間違いなく握手ではなかった。

 少なくとも向かい合ってお互いの手と指を正面から絡め合う俗に言うところの恋人繋ぎを“握手”と呼称する文化は俺の中には備わっていない。

 

「ふふ。今日はお互い綺麗な手だから、石鹸はいらないかな」

「……………………そっすね」

 

 ギャルゲーもかくやといったそのイベントを前にした俺は、口数を少なくしポーカーフェイスで乗り切るのがやっとだった。

 この仮称お別れの握手と男子に対する態度としてはやりすぎな激近距離感、犯罪ではないんですか? 淑女の嗜みという言葉を知らないのかよ。

 もしかするとサイレンスは同級生の女子に対して毎回コレをやっているのかもしれないが、流石に俺が男だという事はもう少々考慮して頂きたい。このままだと告白してフラれるまでの確定した滅びの未来を実行に移してしまうところだ。

 

 ……この際ちょっとぐらいワガママ言っても許されるのではないだろうか、と邪な感情がひょっこり顔を出してきた。こんにちは。

 

「サイレンス。……次も()()、やっていいか?」

「っ! ──う、うんっ」

 

 勘違いした男子にありがちな女子に引かれるタイプの距離の詰め方を実行してしまったと、心の中で瞬時に後悔したのも束の間。

 サイレンスは露骨に嬉しそうな表情になって、握っている手の力をほんの少しだけ強めてきた。何だおまえ俺のこと好きなのか? あまりこっちの自制心を試さないでね。

 

 そんなこんなでようやっと解散。手フェチに転向一歩寸前。

 彼女の温かい手のひらの感触を思い出しながら、もし彼女の胸部が凶悪な大きさを誇っていたら今頃死んでいただろうなと小さく笑うのであった。たぶんすごくキモい笑みをしていた。

 

 

 

 

 

 一週間後、手渡されたチケットの該当レースが行われる日。

 ちょうど夏休みに入って一日目ということもあってか少々寝坊してしまい、遅れて家を出た俺は何とかレース開始の時間ギリギリで会場のすぐ付近まで辿り着いていた。

 サイレンスのルームメイトが出走するとのことだったが、俺の興味は同じレースに出るヒシアケボノというウマ娘にあった。何もかもがデカすぎるのもあるが、そもそもルームメイトが誰なのか知らない。

 などと、そんな事を考えながら急いでいた──矢先の事だった。

 

「うおっ!?」

 

 道順の都合上裏口から正面に回らなければならなかったのだが、逸る気持ちを抑えきれずポケットからチケットを取り出したのが運の尽きだった。

 

「か、カラス……? お、ちょ待てっ!」

 

 何故か背後から迫っていた謎のカラスの集団の内の一羽にチケットを奪われてしまったのだ。

 焦って追いかければ追いかけるほど、会場の正面入り口から離れていってしまう。

 あれはサイレンスから貰った大切なチケットだ。たとえボロボロになって入場に使えなくなったとしても、奪い返さないわけにはいかなかった。

 何でこんな人が多く表にゴミ捨て場もないところでカラスが大量発生しているのかは分からないが、とにかくチケットを咥えて低空飛行を続けるカラスを追いかけていく。

 

「こんな所で何してるんだいカフェっ!? もう出走だぞッ!」

「っ、ですがトレーナーさんが“彼ら”の差し向けたカラスに狙われていて──」

 

 うおおお何かカラスの集団に突っつかれてる成人男性の姿が。

 特に彼を攻撃している一羽が俺のチケットを嘴で咥えているのも目視で確認した。節操のない野生動物たちだな。良識というものはねぇのかよ。

 男性を助けるわけではないが、あのカラスだけは絶対に焼き鳥にして屠ると心に決めて、背負っていたリュックサックを武器代わりにと手に持ち替える。

 

「んのやろッ!」

 

 結果だけで言えば、それは無謀な吶喊であった。

 運よく一番デカいカラスを叩き落とすことは出来たものの、代わりにそこにいた集団のカラス全員が標的を成人男性から俺へとシフトしてしまったのだ。よっぽど俺のこと嫌いなんだね♡ お下劣野鳥め! 悪霊退散!

 

「……トレーナーさんからターゲットを外して、自分に差し向けた……?」

「あの光景は興味深いが後にしたまえ! あと二分だぞっ!」

 

 付近にいたウマ娘がなにやら騒いでいるが羽音で全く耳に入らない。

 結局まるでギャグ漫画かのように涙目で鳥の大群から逃げる羽目になり、その日サイレンスからプレゼントされた折角のチケットを受付に渡すことは最後まで叶わないのであった。このカラス共は傾奇者だね。堪忍袋の尾があるよ?

 

 



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すっかり超常現象に慣れたようだな 真にオカルトな女よ

 

 

 多くの学生が無敵になる時期こと夏休み。

 早速旅行だの部活だのイベントだのと周囲の知り合いが忙しなくなる一方で、これと言って特にやる事がない俺のような暇人の夏休みの計画はバイトのシフトを少しだけ増やす程度に収まり、それ以外は自宅で怠惰に時間を浪費しているのが現状だ。

 

 これほどたっぷりと休暇が長引くとなれば実家に帰省するというのも一つの案ではあるのだが、夏休みは秋川の本家の人たちがフラッとウチに現れがちなため、彼らと鉢合わせたくない都合上まだ帰るわけにはいかなかった。

 あの人たちが実家に来て用事を済ませて帰ったあとならもう無問題なので、帰省に関しては両親の連絡待ちだ。

 

 つまりそれまではいつも通り。

 エアコンの効きが悪い四畳半でだらけ、山田や男連中と夜通し遊び呆けて不健康なものを食い、空いた日に喫茶店でバイトをする、とそんな日々を送っている。

 今日も今日とて接客を終え──店の前に人影を発見した。

 

「お疲れ様、秋川くん。一緒に帰りましょう」

「サイレンス……」

 

 夕焼けを背に待ってくれていたのは、最近ようやく見慣れた顔になった他校の女子の姿であった。本邦初公開。

 

「──特訓?」

「えぇ。スペちゃん、この前のレースの結果が本当に悔しかったみたいで」

 

 なるべく人通りの少ない道を意識しながら、彼女との会話イベントを進めていく。

 

 こうして普段通りに話ができる理由はもちろん、サイレンスからの好感度減少が致命傷の一歩手前で何とかなったからに他ならない。

 簡潔に言えば、カラスに襲われている場面を実際に彼女が目撃してくれたのだ。つまりレースが始まってライブが終わるまでの間ずっとあの焼き鳥共と戯れていた。

 そのためサイレンスからの評価が、せっかく渡した特別なチケットを無下にしたゴミカス男子ではなく、不幸にも野鳥に喧嘩を売られてそのまま敗北した哀れなザコというラインで保たれたというわけである。やっぱり致命傷な気がしてきた。

 

「マンハッタンカフェ、だったか。凄かったなあのウマ娘」

「……正直、別格だったと思う。でもスペちゃんが自分を見つめ直す機会ができて良かったとも思うわ」

 

 前回のレースで一着を取ったのはサイレンスからの期待が厚かったルームメイトの女子ではなくマンハッタンカフェという、確か道端で一緒に鍵を探した見覚えのあるあのウマ娘であった。

 二着のルームメイト子ちゃんと五バ身差をつけた驚異のスピードで会場全体を沸かせ、その日の話題を掻っ攫っていったらしい。会場の外でクソ鳥に突っつかれていたから実際の光景は知らないが。

 

「それでサイレンスもチャンさんの特訓に付き合うことになったわけか」

「あの、スペチャンっていう名前じゃなくてスペシャルウィークちゃんね。そのチャンさん誰でもないから」

 

 普通のトレーニングだけでなく同期やサイレンスといった激強ウマ娘も巻き込んでの特殊な猛特訓が開始されるらしく、この夏は非常に忙しくなるとの事だった。

 

「……だから、その、秋川くんと会える時間が減ってしまうのだけど……」

「俺のことなんか気にしなくていいぞ。年がら年中ヒマを持て余した人間だし」

 

 サイレンスが何に対して申し訳なさを感じているのかは分からないが、ライバルに負けて逆境に立たされた友人を応援するのと、いつでも会えるような暇人との時間なぞ天秤にかけるまでも無いことだ。

 というかその言い回しいい加減にせよ。会う時間取れなくてごめんね、とか俺の彼女か何か?

 彼女の中で俺との関わりがどの程度の位置にあるのかは定かではないものの、こちらとしては『わり今日いけないわw』と言ってドタキャンする高校のクラスメイトや『すまぬ遅刻する』と平気で集合時間を超過する山田など、あいつらと同じくらいの距離感でいてくれた方が楽で助かる。ベルフェゴール。

 

「じゃあまた」

「……秋川くん、お別れの握手……」

 

 いってらっしゃいのチューみたいな感覚で言わないでな? スケベの化身がよ。

 

「特訓が終わってからにしよう。今はスペチャンウィークさんに集中してあげてくれ」

「……うん、わかった。……あとスペシャルウィークね」

 

 ルームメイト子ちゃんの名前をようやく覚えた辺りでその日は解散となった。

 恐らくここから数週間は彼女とほぼ会わないことになる。気の迷いでサイレンスに『会いたい』などとキモキモ勘違いメッセージを送信してしまわないよう、高校の友人に連絡して今のうちにスケジュールを埋めて暇を無くしておかなくては。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「あ?」

 

 そして、あれから数日が経過したある日の事だった。

 

「……ここ、さっき通ったよな」

 

 友人との待ち合わせに遅れないよう小走りで目的地へ向かっていたのだが、住宅街を進んでいる中でとある違和感に気づいてしまった。

 ──住宅街を抜けられないのだ。

 

「ここの道こんなに入り組んでたか……?」

 

 本日の天気は曇り。

 真夏にしては珍しく涼しい気温で、また地域一帯の広い範囲で濃霧が発生していた。忍法霧隠れの術で遊べそうなレベルの濃い霧だ。

 そのため先の道が見えなくなっており、いつも通り覚えている道順を辿っていたのだが何やら同じ場所を無限にグルグルしている。

 

「どうなってんだ……」

 

 それから早くも一時間が経過してしまった。一旦焦らずにゆっくり道を確認しながら進んでみても、気がつけばまた同じカーブミラーが視界に映り込んでくる。

 

「何だアイツ……この前のカラスか?」

 

 見上げると電柱の上にひと際デカい体格の烏が鎮座しており、鳴く事もなくジッと俺を見下ろしている。

 この前リュックサックではたき落としたあのチケット泥棒と同個体に見えるが、だから何だという話でもある。

 想像力豊かな中学二年生の時に患いがちな思春期の病に侵されていた頃なら、これは何者かの陰謀だとか呪いによる超常現象だとか考えることもできたが、残念ながらあの時のイマジネーションはもう持ち合わせていないのだ。

 一時間も同じ道を迷うほど方向音痴だった覚えはないものの、濃霧によって極端に方向感覚が鈍らされていると考えればあり得ない話ではない。

 

 とはいえ、やはり迷いすぎだ。

 

「……スマホも死んでる」

 

 出かける前にフル充電したはずのスマホは何故かバッテリーが底をついており、連絡も地図アプリの起動もままならない。いよいよ詰んだかも分からん。

 

「変に曲がったりしないでまっすぐ進めば流石に大通りに出るか」

 

 思ったことを口に出して即実行。混乱して立ち止まるよりはこうした方が進歩するはずだ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「まっすぐ、まっすぐ」

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「まっすぐ……まっすぐ……」

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「まっ、すぐ…………いや、ダメだなこれ」

 

 腕時計を確認すれば、迷い始めてからかれこれ三時間が経過していることが判明した。

 意味が分からない。

 なんだこの状況は。

 相も変わらず電柱の上にはあのカラスがいて、俺は濃霧の中で無限迷子編に突入してしまっている。

 流石に精神的にも困憊を覚え、歩くのも疲れたため一度立ち止まった。持参した飲み物もすっかり空だ。

 今わかったが最初は涼しかった気温も段々と上がってきている。

 蒸し暑くて死にそうなのに霧は濃くなる一方で、もはや五メートル先までしか視認できないこの状況は間違いなく異常気象だ。

 

「はぁ、はァ」

 

 脳が茹ってきた。だんだん視界もボヤけてきた気がする。脱水症状の一歩手前だ。

 途中から腕時計すら動かなくなり、自分が濃霧の中で彷徨している時間を確認する事すら不可能になってしまった。いよいよ精神がアクメしそうだ。()キそう。

 

「…………あ?」

 

 額の汗を拭いながらゾンビの如く緩慢な足取りで進み続けていると、眼前の霧の中で人影が見えた気がした。

 ここで迷い始めてからはただの一人も見かけなかったせいもあって、目をこすって疑う。

 しかし現実だった。茫漠とした視界の先にあるのは間違いなく人の形をしていたのだ。

 逸る気持ちを抑えながら進んでいき──その正体を知った。

 

「マンハッタンカフェ……?」

 

 ()()()()()()だ。

 

「…………」

「きみ……確かあの時の……」

 

 髪の色素がごっそり抜け落ちたような不気味な白髪が特徴的で、紛失した鍵の所在を教えてくれた、マンハッタンカフェと瓜二つな謎の少女であった。

 前回と同じく彼女はどう考えても夏場に着用するものではない黒のロングジャケットを身に纏っており、やはりというか高い気温にやられて滝の様な汗を流している俺とは違い、その少女の見える範囲での素肌には水滴の一つも浮かんでいない。

 

「──こっち」

 

 俺が事情を話すよりも早く、少女は俺の手を掴むや否や踵を返して濃霧の中を進み始めた。

 

「……出口が分かるのか?」

「…………」

 

 黙ってないで知っている情報を明らかにせよ、なんか言え。絵画のようだよ。

 

「あの、何か知ってるなら教えてくれ」

「カフェが探してる」

「えっ? ……あ、カフェって、マンハッタンカフェさんのことか。何であの子が」

「…………」

 

 雑な説明で終わんな! 丁寧な説明を心掛けろ!

 ──マズい、疲弊で頭が回っていない。明らかに助けてくれてる相手に文句を言おうだなんてどうかしている。

 ていうかコイツ手めっちゃ温かいな。湯たんぽとしての才能。

 

「瞼を閉じてこの先を少し進めば戻れる」

 

 体温に感動した瞬間に手を離されてしまった。

 そのまま有無を言わさない勢いで背中を押され、教えられたとおりに目を閉じてゆっくり進んでいく──

 

「おわっ……」

 

 すると、誰かにぶつかった。

 思わず目を開ければ、髪が黒くなったバージョンの先ほどの少女が目の前にいた。2Pカラーかな。

 

「マンハッタンカフェ、さん?」

「……よかった」

 

 極度の疲労状態なのでフラフラになりながら何とかその言葉を絞り出すと、濃霧の先で待っていたウマ娘の少女はホッと一息ついて胸を撫で下ろした。ちなみに見た感じ胸はほとんど無い。

 なんだか最近スレンダーな体形のウマ娘とばかり交流している気がする。ホッコータルマエの握手会は落選するしヒシアケボノのレースとライブも見逃すしで散々だ。デカ乳ばかりが遠ざかってゆく。なぜ?

 

「……あの白い女の子が言ってたんですけど、俺のことを探してくれてたとか。よく分かんないけどありがとうございます」

「えっ。…………お、お友だちが、見え……?」

 

 ぺこりと頭を下げると同時に、フラついた頭を支えることが出来ず崩れ落ち、歩道の真ん中で尻もちをついてしまった。下品なカエルみてぇな格好で無様でございますな。

 

「だ、大丈夫ですか……!」

 

 体感でザックリ六時間程度は猛暑の中を歩き続け、後半の三時間は水分補給もままならなかったとあれば、体調不良は至極当然の結果だろう。

 

「……事情は全て後で説明します。実家が近いので、一旦ウチでお休みになってください」

 

 そのまま自分よりも頭一つ身長が低い少女に肩を貸してもらい、そのままお持ち帰りされるのであった。

 まさかほぼ初対面の女子の家へ案内されることになろうとは夢にも思わなかったな?

 うほ~ワクワクしてきたぜ。深く憂慮する。

 

 



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兵は神速を貴ぶ ついでに人生が消し飛ぶ

 

 

 明らかに自宅ではない匂いが鼻腔を突き、飛び起きる。

 起きた時には見覚えのない内装の部屋でベッドを占拠しており困惑したが、目を覚ましてからの一発目の行動はスマホの探索だと直感した。

 寝起き一番に、なんにしてもまずは今日遊ぶ約束をしていた山田に連絡を入れなければと焦燥感に駆られたのだ。やるべき事など委細承知よ。

 

 幸いにも探し物は充電のコードに繋がれた状態で枕元に置かれていた為すぐさま電話をかける事ができた。

 すると電話口の向こうから聞こえてきたのは、がやがやと騒がしい雑踏の環境音に交じった友人の声であった。

 

『おう脱水貧弱ボーイ、体調は大丈夫かな』

「……何で俺の状況を知ってるんだ?」

『鬼電してたらダンディな声のおじ様が代わりに応答してくれてね。脱水症状で死にかけた後、バイト先の店長さんの家に運び込まれたんだって?』

 

 俺が寝ている間に着信していた電話に出てくれた人がいた、との事だが疑問が残る。

 ──はて。店長とは。

 記憶が正しければ俺は蒸し暑い濃霧の中で六時間ほど彷徨し、何やかんやあって二人の少女に助けられた後、その少女の実家で休息を取らせていただく形になったはずだが。

 いつの間にバイト先の店長の家へ匿われたのだろうか。

 連絡も入れてないばかりか、お世話になってはいるもののプライベートでの付き合いは皆無なはずだ。

 

『お大事にね。出かけるときは僕みたいに飲み物を十本くらい持っといた方がいいよ』

「あ、あぁ。今日は悪かったな」

『こっちはこっちで用事できたから気にしないで』

「そういや何か騒がしい……いまどこにいるんだ?」

 

 人混みで少々声が聴き取りづらい。

 

『駅前のデパートだよ。この前のレースでの上位二人がトークショーに出るらしいんだ』

「この前の、って事はスペシャルウィークさんとマンハッタンさんか」

『そうそうそう! 特にマンハッタンカフェはサイレンススズカと同じくらい推しだし、生で見るの初めてだからマジでクソ楽しみ……じゃあそろそろ始まるからまたっ』

「あっ……切りやがった」

 

 有無を言わさない勢いで電話を切られたが、いつものことなのでもう慣れた。

 山田は基本的には付き合いの良い友人なのだが、推しウマ娘の事となると優先順位が分かりやすくそちらへ傾いてしまうタイプの男なのだ。

 集合に遅刻するときは推しの配信や特番を見ていたというのが大半であり、そういう部分を知ってて一緒にいるので文句は無い。

 寧ろこういう時は早々に気持ちを切り替えてくれるので助かるまである。

 そのフットワークの軽さ、アンナプルナ。

 

「失礼します」

 

 通話の切れたスマホを枕元に放り投げると、程なくして部屋のドアが開かれた。

 入ってきた黒髪の少女は見紛うことなくマンハッタンカフェその人だ。

 かわいい♡

 バイト先の店長に匿われたという身に覚えのないここまでの経緯とは異なり、しっかりと会話の内容と手助けしてもらった記憶が残っている彼女の姿を目にしたところで、俺は漸く安心することができた。

 

「おや……よかった、目を覚まされたのですね」

「あ、はい。ここまで運んでくれた……んですよね? ありがとうございます」

 

 友人でも何でもないのでタメ口にならないよう気をつけつつ応答すると、マンハッタンカフェはふわりと小さく微笑んでベッドのそばまで寄ってくる。

 

「敬語は結構です……同い年ですから」

 

 じゃあそっちも──と言いかけたところで彼女は首を左右に振った。

 

「私のこれはクセみたいなものなので……それより、スポーツドリンクをどうぞ。きっとまだ水分が足りていませんので」

「あぁ、ありが──」

 

 マンハッタンカフェが身を乗り出してペットボトルを手渡してきたため、近づいた都合上自然と彼女の髪の匂いが香った。

 瞬間ふわりと珈琲のような匂いを感じ取り、あぁ確かにこの既視感のある香ばしい珈琲の匂いはあのバイト先だなと一人勝手に納得した。確か店そのものが店長の自宅だったはずだ。

 ──どうしてバイト先の匂いがマンハッタンカフェから香るんだ。状況判断が大切だ。

 

「…………」

「……?」

 

 なるほど。

 拙い仮説ではあるが、一つ思い浮かんだ。懊悩するよりまず仮説。多分これが一番早いと思います。

 

「……ここ、マンハッタンさんの実家だったりする?」

「はい」

 

 言うと彼女は頷いた。はい名推理。

 

「濃霧の迷宮から抜けた時に言った通り、秋川さんには私の実家まで来ていただきました」

「あっ」

 

 そういえば先に『実家が近いから案内する』と言われていたんだった。名推理もクソも無かったな。名前や年齢も店長から聞いたのだろう。

 しかし何とまぁ、世間もなかなか狭いというか。

 店長がたまに自慢していたあの中央で走っているという娘さんの話は、どうやら目の前にいるこのマンハッタンカフェの事であったらしい。

 確かに直近のレースで一着取る程度にはめちゃ速いし、普通にビビるほど美少女だ。正直目を合わせるのも辛い。

 

「秋川さん、体調の方は……」

「あー……まだ少しダルいけど、出歩けはすると思う」

「であれば……申し訳ありませんが、早めに秋川さんのご自宅まで戻りましょう。()()()()の件といいあまり時間の余裕が無いかもしれません。二人きりの状況でないと情報の共有も難しいのですが……どうでしょうか」

「わ、分かった。とりあえず帰ろう」

 

 俺が彷徨っていたあの濃霧の住宅街を”迷宮”と呼称しているあたり、現在俺が直面している状況はこれまでの常識が通用しない──いわゆる超常現象というやつなのかもしれない。

 流石にガチ目な命の危険に晒されている以上は中二病だの妄想だのと言っている場合ではないだろう。

 あるものはあるのだ。

 今なら幽霊の存在であろうと信じることが出来る。助けが無ければ一生出られない住宅街に閉じ込めるカラスがいるのだからソレくらい実在しても不思議ではない。

 

「秋川さん。……その、やらなければならない事があるので、今夜は泊まらせて頂いてもいいでしょうか」

「え゛。……あぁ、いやでも必要な事……なんだもんな?」

「はい。とても重要な」

「……なら、それで。何よりこっちは助けてもらってる立場だし、断る理由なんて無いよ」

 

 どうしてマンハッタンカフェがこの事態について詳しそうなのかは分からないが、ひとまずは彼女の指示に従っておこう。

 ほぼ初対面の女子が自宅に泊まる事になろうとも、超常現象の解決に必要なのであれば頷く他ないのだ。マジで心臓バックバクだがポーカーフェイスを保たなければ。

 

「ところでマンハッタンさん。そのデカいレジ袋の中身は……?」

 

 彼女が部屋へ入ってくる時に持ってきた荷物の中身が気になった。大きなレジ袋二つと中々の量だ。

 

「冷えピタやスポーツドリンクなどです。脱水症で体調を崩されているので、必要なものを先ほどあらかた買い揃えておきました」

「えっ! 悪い、お金どれくらい──」

「いえ、気になさらないでください。……そもそも貴方を巻き込んでしまったのは私ですし……」

 

 事情を知らないため『巻き込んでしまった』という部分には疑問符が浮かぶばかりだが、食料や消耗品をタダで貰えるのは素直に嬉しい。

 

「あっ、店長」

「やあ秋川君。体調のほうは大丈夫かな?」

「はい、おかげさまで」

 

 ベッドから降りて彼女から受け取ったスポーツドリンクを飲みつつ身支度をしていると、部屋にダンディなおじ様が入室してきた。店長だ。

 

「ごめんね秋川君。家まで車で送ってあげられたら良かったんだけど、ウチのが遠出に使ってしまってて……」

「い、いえそんな、ここで休憩させて頂けただけでも本当にありがたかったですし、歩いて帰れるんで平気です」

「そうかい? もう少しここで休んでいっても──」

 

 大人の優しさに甘えないよう自制心を働かせ、何が何でも今すぐ帰るという意思表示をもって彼の提案を全て断った。強敵だったぜ。

 

「カフェ。秋川君を自宅まで送ってあげて」

「最初からそのつもり……あと一応()()()があるから、今夜は彼の家に泊まらせて貰うね」

「────えっ」

 

 至極当然かのように告げたマンハッタンカフェの一言を受けた店長は何故か固まってしまった。

 

「……ちょっといいかい」

「どうしたの、お父さん」

 

 程なくして彼女を連れて一旦部屋の外へ出ていく。

 何か楽しい事が起きている気がする。

 

「か、カフェ、秋川君とは前から面識が?」

「……? うん、少し前に助けてもらったの。学園で使っている部屋の鍵を見つけてくれて……」

「それ、だけで……?」

「むっ……それだけなんて、言わないで。炎天下の中で一緒に探してくれたし……何よりあのレースの日、彼は身を挺して──とにかく、心配なんてしなくていいから」

「…………さ、最近の高校生、進んでいるな……」

 

 部屋の外に出て小声で話しているのだが、ドアが閉まり切っていないせいで会話がほとんど丸聞こえだ。

 すげぇ勘違いが起きている気もするが指摘するのも面倒なので放っておこう。誤解もそのうち解けるだろう。

 

「すまない、カフェ。野暮を承知で一つだけ言わせてほしい。親がこういう事を指摘するのは、とても良くない事だと分かってはいるのだが……」

「何……」

「か、仮に、だが。……()()()()流れになりそうになったら迷わず薬局かコンビニへ行って、恥ずかしがらずにちゃんと買ってくれ」

「……?」

「もちろん秋川君が温厚で優しい少年だという事は分かっているよ。お客さんからの評判だって良い。言えば、きっと彼も待ってくれるはずだ」

「……彼を待たせるも何も、必要な物はさっき薬局で全部買ってきたってば」

「ッ!!?!?!?」

「買い足す必要ないくらいの量を買ったから大丈夫」

「……っ!!? ……ッっ!?!!?!?」

 

 うおっ急にすげぇ勘違い……コントかな?

 店長が言っている『買うべきもの』は、恐らくマンハッタンカフェの考えているものではない。

 で、彼女が買ったから心配ないと語るそれは、先ほど俺に見せてくれたスポーツドリンク類のことだ。

 普通に考えればすれ違う事の無い内容ですれ違っているらしい。楽しい。

 

 と、まぁ何やかんやありつつマンハッタンカフェの実家兼バイト先を出発し、あれよあれよという間に生まれて初めて自分の家に女子をあげることになったのであった。

 

 

 

 

 

 

 帰宅し軽くシャワーを浴びてジャージに着替え、いつもより多めに水分を取って布団の上に座る。

 以上の一連の行動を終えるまでに、俺はマンハッタンカフェから今自分が置かれている状況と、出演予定だったトークショーを急遽辞退してまで彼女が俺に協力してくれる理由等のあれこれを聞き出した。

 

 と言ってもあまり複雑な事情が重なっていたわけでもなく、どうやら聞いた限りでは単に俺が偶然マンハッタンカフェにとって都合の良い行動を起こしたというだけの話であったらしい。

 

 マンハッタンカフェが『彼ら』と呼ぶ謎の存在──平たく言えばホラー映画に出てくるような類の怪異なのだが、俺を襲っている超常現象の正体がそいつらだとの事だった。

 俺のチケットを奪ったあのカラスがソレだったらしく、ついでにマンハッタンカフェの担当トレーナーもターゲットにしていた所、俺が暴力を以って乱入したため標的が俺だけになった、と彼女は語る。

 チケットを狙った理由や担当トレーナーを襲った理屈が何なのかが気になるところだが、マンハッタン曰く『特に理由は無い』らしく、強いて言えば無造作に悪意をばら撒く傍迷惑なカス共なので、深い理由を考えるだけ無駄なようだ。

 

「……で、今のこれは何?」

 

 現在の状況を説明しよう。

 お互いシャワーを浴びてジャージに着替えた俺とマンハッタンカフェが、布団の上に座って向かい合っている。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 この状態になっている理由は未だ説明されておらず、ビビる程かわいい女子と二人きりで顔を突き合わせているこの状況に、ただの一般男子高校生でしかない俺はひたすらに狼狽するばかりであった。

 

「基本的に彼らの呪いは精神の上層に押印されます……なので、呪いを吸い出す為には肉体と精神に隙間を作らなければなりません」

「……????」

「もう少し簡単に言うと、道端で踏んでしまって靴底に付着したガムを引っ張って剥がすという事です。隙間を作るというのは、つまり靴を脱いで靴の裏を確認すること……といった感じですね」

「……なるほど」

 

 まぁ何となく分かった。

 要するにコレも事態収束に必要な事だというだけの話だろう。

 

「まずは……はい、このペンダントをかけてください」

 

 言われるがまま黒曜石がはめ込まれたペンダントを首にかける。

 するとマンハッタンは俺に渡したものとは異なる乳白色の宝石が特徴的なネックレスを身に付けた。

 

「その黒いペンダントを装着している間は肉体と精神の結びつきが弱まります……脳による理性(ブレーキ)が利きにくくなってしまいますが、隙間を作る道具はそれしかありません」

 

 マジ? 確かにコレを首にかけた瞬間から頭がポワポワしてきた気がする。何でこんなもん持ってるんだよ。

 

「私が身に付けた方は……言うなれば掃除機ですね。これで秋川さんの中に押印された呪いを吸い出します」

「……わかっ、た。じゃあ、頼む……」

 

 この脳がフラつく感覚は形容し難い。

 ギリギリ似たものを例えるとすれば、以前アルコール入りのチョコを食った時と似たような状態だ。

 頭が重いような、眠いような、視界がボヤけてしまいそうな多幸感──あぁ、何だろう。死ぬのか?

 

「では失礼します……」

「……え? えっ、ぇ」

 

 マンハッタンが背後に移り、後ろから首に腕を回してきた。

 人はこの行為の事を『抱き締める』と呼ぶと思うのだが、俺が間違っているのだろうか。

 

「おいおいおいおいおい」

「ご心配なさらず……苦痛を伴うような方法ではありませんので……」

 

 急にハグしてきてご心配なさらねぇワケないだろアホか? 顧客満足度が不足しているよね。

 

「時間にして……一時間ほどです」

「何がだ」

「触れ合う長さ……でしょうか。私の白い石が黒くなるまで、なるべく秋川さんの精神が近しい肉体の部位を私と密着させなければなりません」

 

 マジで何言ってるか分からん。

 

「大抵の人であれば……精神が近い場所は心臓……つまり胸部です。ですが個人個人で場所が異なる場合もあるので、宝石の濁り具合を見ながらいろいろな箇所に触れ……確認しなければなりません。

 ……どうやら秋川さんの精神体は胸部には無いようですね」

 

 そう言って今度は正面に回るマンハッタンカフェ。

 流暢に説明できてGOODだよ、だが男子への理解が足りない!

 俺を怒らせたいのか? 背中に密着されただけでも好きになりそうなのに、これ以上俺の理性が働かない状態で別の箇所を触れてみろ。結婚するぞ? 結婚しよ♡

 ……待て。俺、いま大丈夫か?

 

「タキオンさんなどは足の裏などでした。申し訳ありませんが……こちらの方も確認しますね……」

 

 白皙やわらかお手手が僕の足の裏をモミモミしているよぉ!

 何だその手つきはしゃぎ過ぎだろ、覚悟しろよおい。さすが中央のエリートだ……。

 

「ここも違う……膝……いえ、太ももでしょうか……」

 

 ──マズい気がする。

 先ほどの説明によれば彼女から受け取ったこのペンダントを身につけた状態の俺はまともではない。

 必要以上の肉体的接触を続けられてしまったら、いよいよ自制が利かなくなって良からぬ方向に走ってしまうかもしれない。

 果たしてマンハッタンカフェに襲ってきた男をブチ殴って消滅させるだけの度胸と切り替えの速さは備わっているのだろうか。

 この行為が、彼女の内心が、それらのどれにも邪な部分など欠片も無い事は百も承知だがそういう話では無いのだ。俺の問題だ。

 

「背面は全部違った……肩でも手でも顔のどこでも無い。あとは……お腹……?」

 

 質問です。マンハッタンカフェさんに男子の腹部を直接触れることに対して抵抗や懊悩は無いのでしょうか。

 解答。ありません。これは健全な治療行為であるため。

 は?

 

「よかった、ここですね。秋川さんの精神体はお腹にあるみたいです」

「……ま、マンハッタンさん……あの……」

「頑張ってください、あと数十分の辛抱ですから」

 

 おい!話を聞けよプリティーガール、立てば芍薬座れば牡丹。

 これはまずい。

 無自覚セクハラアスリートがよ。頭脳明晰でタイプだよ♡

 

「……トレーナーさんは、レースを走る上でとても大切な存在です。彼がいなければ私は……だから、そんな人を我が身を顧みず救ってくれた貴方を、今度は私が救いたい。

 ……何より()()()一緒に鍵を探してくれたのは、貴方だけだった。だから……」

 

 なんかしんみりと語ってるけど内容が何も入ってこない。脳が終わってる。

 

「さわさわ……」

「っ゛……ッっ゛゛ぉ°……」

「秋川さん……?」

「まだ!?」

「ご、ごめんなさい、もう少しです……がんばって……」

 

 おい下手に応援するな妙な気分になる。非核三原則。

 

「……腹筋、硬いですね。男らしくてカッコいいと思います」

 

 ビョルルン♡ビッピョロルロパロ♡

 おい!!!!!! いい加減にな。怒ってるワケじゃないから下手に褒めて機嫌取ろうとしなくていいよ♡

 やめろ!!! やめろ!!!!!!!

 

「ホントごめん、もう終わるまで喋らないでマンハッタンさん……」

「え、ぁ、はい……すみません……」

 

 本当に脳内がぐちゃぐちゃになってしまっているらしい。

 いま絞り出した一言が俺に残っていた最後の理性だ。もうこれ以上は耐えられない。

 

「…………あ、ペンダントが最大量に達したみたいです。外しま……ひゃっ!」

「────」

「……秋川、さん?」

 

 達してるのは俺の方なんだぞと言わんばかりの勢いでマンハッタンカフェを押し倒した。

 じゃあ今から言う要求に従ったら俺の女な♡高嶺の花♡ ゆくぞ……!

 

「名前」

「えっ……?」

「名前で呼べ。秋川じゃなくて下の、俺の名前を」

 

 葉月です♡是非ともこの際に呼んでください♡

 呼んでくれ!! 心からの願い。

 

「……葉月、さん」

 

 よし、晴れて夫婦だな。

 これは子供できたな……お前との明るい未来しか視えねぇぞ。悪法もまた法なり。

 ほっぺ触っちゃお。

 

「はわ。……ぺ、ペンダント、外しますね……」

 

 白い頬ムニムニすべすべで気持ちいいよ♡

 甘ったるい女の子臭がク──

 

 

 

 

 

「………………………」

 

 

 

 

 

 …………。

 ………………。

 

「あき──ぁ、いえ、葉月さん。ペンダントを外しましたが……落ち着きましたか……?」

「…………」

 

 ………。

 ……、…………。

 ………………………なるほど。

 

「あの、葉月さ……えっ! ぁ、まっ、待って、土下座なんてやめて……っ!」

 

 ──恐らくこれまでの人生で最も心と身体が合致した、誠心誠意の真心を込めた土下座の姿勢をとったまま、俺は一ミリも微動だにする事なく無言で許しを請うのであった。死。

 

 



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ベルちゃんも期待してたでしょ? 同意したものとみなす

 

 

 女子を家に上げるばかりか、よく分からんオカルト展開のついでに腹部をさわさわ触られるという特大ビッグバンイベントが発生した翌日。

 

 マンハッタンカフェを学園の前まで送り届けた俺はその足で駅前のデパートに寄っていた。

 なんとなく真っ直ぐ帰る気にはなれず、ただただフードコートで時間を潰している。

 側から見れば物憂げな表情で考え事をしているように映るかもしれないが、俺の頭の中にあるのは昨晩から今朝にかけての、マンハッタンカフェと交わした会話の内容のみであった。

 

 昨晩やらかし中のやらかしをやらかしてゴミやらかし人間になった俺だが、肝心の襲われたマンハッタン本人が『私が悪いんです』と必要以上に謝り倒し、俺も彼女もお互い譲らないという悪循環が生まれた結果、元を辿れば怪異が全て悪いという事で俺の凶行は不問に付された。

 そして今朝。

 呪いは全て吸い出しきれておらず、これから三日に一度()()()()をし続けなければならないという事が明かされたのであった。

 その話が昨晩にされなかったのは、俺が土下座し続けて彼女の言葉に耳を貸さなかったのが原因だ。状況判断が足りなかった。

 

『漆黒に染まった石は二日程度で浄化されて白に戻るので……三日後、また同じ事を……』

 

 沈鬱な表情でそう語るマンハッタンを前にした俺の心境は、全てが解決した訳ではないと知って落胆するか、また合法的に女子と超至近距離で触れ合える事に喜ぶか──そのどれでもなかった。

 

『マンハッタンさん。もう、俺のことはいいから』

『えっ……?』

 

 ペンダントを装着して理性が消えかかっていたとはいえ、何も昨晩の事を丸ごと忘れたわけではない。

 確か俺がお腹を触られて悶絶していたとき、彼女は担当トレーナーの事やレースを走る事がとても大切だとかそんな事を言っていたのだ。

 それで思い出したのは、ここ数ヶ月の間に僅かながら親交を深める事になったウマ娘たちの事だった。

 

 サイレンススズカやメジロドーベルも現在は自分や友人のレースの為に全力を注いでいる。

 それが理由でバイト先には来なくなったし、俺との連絡もその一切を絶っている事から、多少なりとも気に入っていた環境であるあの喫茶店へ赴くという選択肢を完全に消去してまで、彼女たち中央のウマ娘がレースに対して心から真剣に向き合っていることは明白なのだ。

 

 そして、それはマンハッタンカフェにも言える事だろう。

 直近のレースで凄まじい走りを見せて一着を掻っ攫ったクソ強ウマ娘である彼女が、まさかレースを二の次にする事などあり得ない。

 両立しようとする筈だ。

 レースと俺の救済というタスクの二つを。

 しかし、両立はきっと不可能なのだ。

 使命感が先走ってとにかく目の前の事から手を出しているのは分かるが、トレーニングや中央の学生がやるであろう諸々を考慮すれば、三日に一度夜遅くまで時間をかけて呪いに対処し毎度のごとく暴走しかける男子を宥めている暇など存在し得ない事は俺でも分かる。

 

 だから口にして伝えた。

 きみのスケジュールを狂わせたくないと。

 俺のことはいいから、自分の時間は自分自身の為に使ってくれ、と。

 

『……今、誰よりも危険な目に遭っているのはあなたの方なのに……』

 

 マンハッタンの呟きを無視し、そのまま踵を返して学園を去ろうとした時だった。

 予想していなかったワケではないが、袖を掴まれて彼女に引き止められた。

 

『では……こうしませんか。私のスケジュールを加味して、三日に一度ではなく一週間に一度……というのは』

 

 そういう問題なのかしら。無知の知。

 

『吸い出した分だけ呪いは弱まっていると思いますので……次回までに大きな怪現象が襲ってくる確率は低いかと。ですが絶対とは言い切れないので、何かあったらすぐに連絡を下さい』

 

 うわ……一度関わっただけでこの支え様……聖女かな?

 

『……葉月さん。あなたは私の時間を自分が奪ってしまっているのでは、と考えていらっしゃるかもしれませんが……それは違います。

 あなたと会う時間そのものを大切にしたいウマ娘もいる──その事だけは、どうか覚えておいてくれませんか』

 

 それだけ告げて彼女は学園の寮へ戻っていった。

 別れ際の言葉にしては少しばかり意味深だった事もあり、今もこうしてフードコートでドーナツを齧りながら彼女が伝えたかったことの意味について逡巡しているのだが、やはりよく分からない。

 

 俺と会う時間が大切──そう考える存在などこの世にいるのだろうか。

 強いて言えば幼少期に仲が良かった従妹のやよいくらいかもだが、彼女にしても俺と会わなくなって久しく、メディアに映る明朗快活なその姿を見る限り全くぜんぜん問題なさそうだと思う。俺との時間が必要だとも考えられないし、幼い頃に毎回俺に引っ付いていた過去などきっと忘却の彼方だ。

 両親に至っては『帰ってきても来なくてもどちらでも構わない』といった雰囲気を感じる。友人も連絡こそ取り合っているが俺から誘わない限り用事もなく遊んだりはしない。

 

 ……いなくね? いるかな。

 

 

『──じゃ、もう行くから。また明日』

 

 

 また明日。

 また明日とは、また明日も会おうという意味だ。

 顔を合わせる度にそんなセリフを残していく存在がいた気がする。

 当たり前のように漫画を見せてきて、しつこく感想を聞いてきて、特に用事が無くとも俺がバイトに出勤するときはほぼ毎回店へ訪れる──そんな変わり者が。

 

「……そういえばメジロ、どのレースに出るんだっけか」

 

 駅前のデパートを後にし呟きながらスマホを取り出す。

 開いたアプリのトーク画面に表示された日付は、数週間ほど前から止まっていた。

 

 何ヶ月か前、あの喫茶店でのアルバイトを始めて間もない頃、出勤途中で大雨に降られた。

 緊急避難として付近のバス停に逃げ込み、その先で偶然出会った少女こそがメジロドーベルであった。

 顔を真っ赤にしながら爆速でスマホをタップしていたところに偶然居合わせた俺に驚いた彼女が慌てて手から落としたスマホを拾い、不可抗力的に画面を目視してしまったことから彼女との交流がスタートしたのだ。

 

 確か自分が投稿している漫画のリプ欄に湧いたアンチに対して返信していたんだったか。

 その『気に入らないなら読まなければいいでしょバーカバーカ』という正論ながらも書き方が稚拙な文章と共にアカウント名を俺に目撃された彼女は、他の誰かにバラしたら何かもうとんでもなくヤバい事をする──と意味不明な脅しでこっちに迫り、その流れで強制的に秘密を共有する仲になったのだった。

 今にして思えば無理やりすぎる出会い方だ。マンハッタンやサイレンスと違いコイツだけは初対面の印象があまりにも最悪だった。

 怪異、下劣なるウマ娘。天晴れ。

 

『コレを見せられる男子なんて()()()()()()()()()()()んだから! いいから感想を述べよッ!』

 

 だが、明確に『俺との時間』を必要としている誰かと言ったら彼女くらいしか思いつかないのもまた事実だ。

 俺の感想を求めている。

 俺の言葉を欲している。

 この上なく俺の存在を肯定する行いだ。俺はあいつの漫画の構成に少なからず携わっている。

 

「……俺と会う時間を大切にしたいウマ娘、か」

 

 緩慢な足取りで歩道を歩きながら、少女に告げられた言葉の意味を今一度考えた。

 

 サイレンスは違うだろう。

 多少仲を深めることは叶ったが、彼女も一介の中央トレセンの生徒であり、何より今まさに世間を賑わせている一線級のウマ娘だ。

 俺はあくまでよく行く喫茶店の店員で、泡ハンドソープ事件なども握手会へ行けなかった俺を哀れんでの行為であり、つまるところファンサービスの延長線上に当たる。

 足の怪我を応急処置したという、普通のファンではやらないようなイベントが挟まった事が理由で他のファンより多少は存在の認知を確かなものにしてくれているだけなのだろう。

 マンハッタンも態度自体は柔和だが、前提として俺との時間が必要だという思考に陥るような理由がそもそも存在しない。

 顔を合わせる機会そのものが必要なのではなく、一応自分の担当トレーナーが引きずっていた呪いを押し付ける結果となってしまったので、責任を取るために治す必要がある、というだけの話だ。

 

 確かにあの二人は優しい。

 俺に対しての態度は非常に柔らかで、距離感バグってるとしか思えない振る舞いも無いワケではない。

 しかしそれは彼女たちの精神が高潔すぎるが故に、他人との接し方が男女共に差異が無いために生じた事故であり、特別俺に対して優しいわけではないのだ。俺にしてくれた態度はきっと同級生や担当トレーナーにも見せている顔だろう。

 

 中学生の頃、優しく接してくれた女子に対して『あれコイツ俺のこと好きなんじゃね?』という勘違いを抱き、勇気を振り絞って告白したところそのままフラれて撃沈した事がある。その日の夕飯は喉を通らなかった。

 あれ以来ずっと心に決めていたのだ。

 女子の優しさに当てられて、痛い勘違いをするような思い込みは二度としないと。

 優しさと好意は直結しない。

 マンハッタンのあの言葉も、俺が傷つかないよう気を遣って放ってくれたものだ。

 

 そういう意味では俺との時間を必要としているウマ娘など最初からいなかったのかもしれない──が、事実としてそれに該当するかもしれないウマ娘がいる事に、今日やっと気がつく事ができた。

 ドーベル。

 メジロドーベル。

 今の今まで彼女の重要性を、大切さをまるで実感することが無かった自分を強く恥じる。

 初めて繋がりを持った中央のウマ娘だ。

 シフトが入っている日は必ず俺のもとを訪ねてくれるひたむきな少女だ。

 そんな希少な存在に対して、俺は思春期の男子特有のスカしたカッコつけムーブで接していたのだ。反吐が出る。

 冷静に考えて照れている場合ではなかったはずだ。

 友人として、そして一人の男として。ハピネス。

 

≪お久しぶりです、先生≫

 

 近くのベンチに座り、スマホにメッセージを打ち込んでいく。

 普段彼女を呼ぶときは先生かメジロだ。

 

≪ちょっと話したいことがあって。暇になったら連絡ほしい≫

 

 簡潔に伝えたい事だけ書いて送った。

 いきなり長文だと引かれるだろうから。

 

 目的は一つだった。

 メジロドーベルとの繋がりを取り戻したい。

 彼女がレースに忙しない身であるのは十二分に理解しているが、それでも遠慮を真正面から断ってきたマンハッタンの態度を目の当たりにして、心の中に欲が湧いて出てきてしまったのだ。

 ()()()()()()()()()()として忘れ去られる前に、どぼめじろうという立場を唯一共有している存在がいたのだと、彼女に思い出してもらいたい。

 

 理由は明確──性欲だ。

 サイレンススズカとマンハッタンカフェによるぶっ壊れた距離感の触れ合いが、心のリミッターをもぶっ壊してしまった。

 繋がりを持った女子と仲を深めたいという、本来男子高校生ならば誰もが持ちうる当たり前の感情に突き動かされた。

 

 

≪とう≫

 

 

 ──予想外の出来事に思わず心臓が跳ねた。

 喉が鳴った。

 返信が来たのだ。

 メッセージを送って十数秒後に既読が付き、まもなく向こうからの謎の暗号を受信した。

 

≪ミス≫

 

 誤タップだったらしい。

 俺もよくやる。

 

≪度牛田≫

 

 ……?

 

≪みす≫

 

 ゆっくり打ってね。

 あと誤入力をわざわざ送信する必要はないと思う。

 

≪どうしたの急に≫

≪レースの日程を聞いてなかったから。いつのやつに出るんだ?≫

≪え≫

 

 彼女が喫茶店へ来てくれるなら、俺も彼女のレースに顔を出すべきだ。

 ただ待っているだけじゃ繋がりは薄くなりいずれ途切れてしまう。やよいや樫本先輩と距離が離れたのも俺がただ相手からのアクションを待ち続けるだけの木偶の坊だったからだ。

 大切にしたい関係は自分自身で繋ぎ止めなければならない。

 ラブコメ漫画みたいに無条件で自分を巻き込んだイベントが発生する保証など何処にも無いのだ。

 

≪えっと、明日ですけど≫

≪マジか≫

≪えなに≫

≪?≫

≪観に来るの アタシのやつ≫

 

 ここで別に行かないとか言う奴がいると思うのか?

 

≪行くぞ≫

≪こまった≫

≪何でだよ≫

≪……来るなら控え室に来て≫

 

 意味が分からない。

 関係者じゃないから普通につまみ出されるじゃねえか。

 

≪見つからないようにね≫

≪はぁ≫

≪近くまで来たら連絡頂戴 アタシがそっち行くから≫

 

 ──とのことで、よく分からないまま約束が取り付けられ、明日のレース前に厄介ファンみたいなお忍び行動をしなければならないことが決定してしまった。

 ボクちんごときにやってのけることができるのかな? 不安だお。

 

「……がんばるか」

 

 しかし心の中のもう半分は喜びが占めていた。

 少なくとも無視であったり、突き放すような態度を取られなかったことが素直に嬉しい。

 中学の頃の勘違い告白フラれ事件は未だに尾を引きずっているものの、何とかその時の気持ちを抑え込んで連絡した甲斐があったというものだ。

 久しぶりのメジロ先生とのやりとりで俺の乾いた心にも潤いが戻ってくるようだよ。龍神雷神。

 俺史上最も緊張した……まいったね。

 

 怖がって受け身でい続けるのはもうやめた。

 関わりたい相手とは、自ら進んで交流しに行くべきだと気づいたのだ。

 たとえ『ごめんウチ別に秋川君のこと特別好きってわけじゃ……勘違いさせてゴメンね?』と中学時代に体験したあの魂を抉るセリフをぶつけられるとしても、実際にそれを言われるまでは積極的に動いていく所存だ。頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 レース当日の昼。

 あと三十分後に始まるという事で、約束通り控え室付近の廊下までやってきた。

 ここから先は警備員が待機しているため、スパイ映画並みの激ヤバアクションで彼らを倒さなければ先へは進めない。

 とはいえお仕事している大人たちに突っかかる理由もないのだ。

 とりあえずメジロに連絡してみよう。

 

≪着いた≫

≪ぁはい!≫

 

 返信が早すぎる。もしかして俺のこと好き?

 

≪どこいるの≫

≪南側の売店がある方の廊下 警備員さんいるからもう進めぬ≫

≪いまいく≫

 

 簡素な返信から程なくして廊下の奥から声が聞こえてきた。

 警備員の横を通り過ぎ、物陰に隠れている俺のところへやってきたメジロは、今回が特別なレースの為なのか勝負服に身を包んでいる。

 か、肩が出ているよ……? 卑猥。

 

「ひ、久しぶり。……秋川」

「……おう」

 

 一ヵ月ぶりくらいだろうか。

 先日のメッセージを送るまで一回も連絡しなかったことが仇となって、彼女との話し方を忘れてしまっている。

 落ち着け。普通に話せばいいんだ。それでいて変にカッコつけた態度を取らず、素直に応援する姿勢を見せることが出来ればそれだけでいい。

 正直に好意を伝えよう。……いや告白をするわけではないが。

 

「えと、正直レースを観に来てくれるとは思わなかった……ありがと」

「友達の応援に行くのは当たり前だろ? 先生はバイト先に来てくれてるのに、こっちが応援しに行かないのもおかしな話だ」

「……そ、そう」

 

 そこまで話していて気付いたが、彼女どうやらタブレットを片手に持っている。

 新作の漫画が出来たのだろうか。もしかしたら俺の感想を欲しているかもしれない。

 

「それ……書けたのか、漫画」

「あ、うん、途中だけど。今のうちに投稿して、レースとライブが終わってから反応を見ようかなって……でも」

「でも?」

 

 メジロはタブレットを起動し、周囲をキョロキョロと確認しつつそれを俺に手渡してきた。

 

「やっぱりアンタの意見を貰ってからでもいいかなって……この一ヵ月、これだけを描き続けてたんだけど……何でか納得いかないの」

「じゃあ、読んでみてもいいか?」

「う、うん」

 

 誰にも見られていないことを改めて確認し、タブレットに視線を落とした。

 そこに描かれていたのはいつもの繊細な画風とは異なる、とても線がハッキリしたキャラクター達であった。

 肝心の主人公も何故か男子で、内容を鑑みるにいつもメジロドーベルが描いている作風ではなく──平たく言えば少女漫画ではなく、少年漫画に寄った作品に仕上がっている。

 こんな描き分けができるなんて天才か? 伸び代に驚愕。

 

「──ブフッ」

「……っ!」

 

 ヤバい、普通に笑ってしまった。はずかし。

 先生は基本的に恋愛模様を主として描きたいと語っているのだが、彼女の漫画の神髄はコミカルなキャラクター同士で織りなすギャグ描写なのだ。

 しっかり描いた長編よりも息抜きに作ったネタ漫画の方がウマッターで伸びている辺り、彼女の作品における強みが何であるのかは明白だ。

 

「……うわ、すげぇ良いところで終わってるな」

「続きは下書きすら終わってない状況……」

「いや、けどここまででもスゲぇ面白かったぞ。前後編で分けて投稿してもいいんじゃないか」

「……ううん、やめとく」

 

 完成させてから公開する、という矜持は譲れないらしい。

 

「全部読んだ後のアンタの感想が気になるから、まだ投稿しない」

「わかった。……にしても凄いな、メジロ」

「な、何が?」

「トレーニングの片手間でこれを描いてたんだよな? それにしてはクオリティ高すぎるなと思って」

 

 ここへ来るまでに彼女の噂は観客席からいくつか聞こえてきていた。

 周りが心配になるほど積極的にトレーニングに励み、一時的にとはいえ短距離走のタイムで有名なウマ娘のタイムを抜いたとも言われているほどだ。

 どれほど真面目に鍛えていたかは一目瞭然──だというのに空いた時間でこんなに高クオリティな漫画を描けるだなんて、正直信じられない。

 スーパーオーバースペックウーマン。人気漫画家兼アスリートとかいう地上最強生物の成り立ちを見た気がするよ。

 

「…………アンタに、読んでほしくて。絵も内容も男の子向けっぽくしてみた」

 

 俯きながらそう呟くメジロ。

 難聴系主人公ではないのでしかと耳に届いたぜ。

 あ~やっぱ俺の感想を必要としてましたねこれは俺の解釈だと。

 

 

『ドーベルどこだー? 出走前のミーティングを──』

 

 

「ッ!?」

 

 続きの言葉を紡ぐ前に、遠くから男性の声が聞こえてきた。

 内容と彼女が驚いた反応から察するに声の主はメジロの担当トレーナーだろう。

 

「あわわっ。こ、こっち!」

「ちょッ……!?」

 

 担当が呼んでいるのならすぐにでも向かうべきだ。

 にもかかわらず、事もあろうにメジロドーベルは俺を掴んで掃除用具入れのロッカーの中へと隠れてしまった。何事。

 

「なっ、何やってんだおま──むぐっ」

「少し黙ってて……!」

 

 彼女の手で口を塞がれ、訳も分からず沈黙を強制された俺は一旦指示通りに黙る。

 

『ドーベル……? 参ったな、まだ二十分あるが……他の生徒たちにも連絡して聞いてみるか』

 

 それから用具入れの真横で聞こえた男性の声は徐々に小さくなっていき、数分もしないうちに辺りは静寂に包まれた。

 隠れる必要が無いのに慌てて二人で狭い場所に身を隠す──ラブコメ漫画で見た事がある展開ではあるが、現実にするとこうも理不尽で心臓に悪いとは。

 

「おい、何で隠れたんだ。タブレットの画面消して、適当に言い訳すればよかっただけだろ」

「だ、だっ、だってぇ……!」

 

 想像以上に混乱していたらしい先生のことは一旦置いといて、冷静に現在の状況を俯瞰してみた。

 

 

 ──おっぱいが当たっている。

 

 いや、違う。少し待て。この状況の特異さにもっと目を向けるべきだろう。

 出走まであと二十分しかなく、担当とのミーティングも終えていない選手と、クソ狭い掃除用具入れのロッカーだなんて意味不明な場所に身を隠しているこの状況を目撃されたら、どんな言い訳も通用しないに決まっている。

 本来であれば観客はみな観客席で出走を心待ちにしている時間だ。

 ここで出場するウマ娘と、普通ではない場所で隠れている状況など、俺が推しに迫る厄介なファン……いやただの不審者だと明かしているようなものだ。

 見つかったら社会的に死ぬ。イグッ♡

 出なきゃ。早く出なきゃ。

 

『え、こっち通ったんですか? ありがとうございます、探してみます!』

 

 トレーナーが戻ってきちゃったよ……興が乗ってきたな。

 

「……どうすんだ、これ」

「す、隙をみて出るしかないでしょ……」

「……先生、ガチでこういう状況になると困るだけだって学べて良かったな。今後漫画で安易にこの展開を描いちゃダメだぞ。キャラクターが可哀想だから」

「うるさいうるさい……」

 

 互いに向かい合って密着するこの状況を作ったのはお前だぞ、胸を押し付けやがってお下劣サキュバスめ……厚顔無恥とはまさにこの事だな。

 適当なこと言いつつポーカーフェイスで我慢するにも限度あり。

 

 ──いやちょっと待ってこの女、胸がデカすぎないか……?

 棚からぼたもち。灯台下暗し。

 この大きさが目に入らず、遥か彼方の山脈ばかりに意識を割いていた俺こそ無知無知だったのでは?

 その大きさ天晴れ。

 サイレンスやマンハッタンと物理的に間近で接した後だからこそ、今この目の前にある膨らみがまるで一般的ではないことに気がついてしまった。

 もっと堪能したいよぉ~♡デカパイ押し付けよ。

 

「……ね、ねぇ秋川……」

「何だよ」

 

 身をよじるな! 蒸れる擦れる溢れ出る。

 

「漫画、どうだった……?」

「どうって……さっきも言ったろ。普通に結構おもしろかった」

「そっか。……あの。あのね」

 

 それまで横を向いて目を逸らしていた俺に、まるでこっちを見ろと言わんばかりに見上げながら圧をかけてくるメジロドーベル。

 観念し、彼女の方を向いた。

 マンハッタンの時もサイレンスの時も、顔は逸らせる状況だったからギリギリ命を繋げられたのに、こんなゼロ距離で見つめ合ったら眼球が溶けてしまう。

 助けてくれ!俺が俺でなくなる……!

 

「連絡くれて、ありがとう。……本当はずっと、こっちからも声をかけたかったんだけど……」

 

 オーラ! サッサと離れろ! よそ見しろバカ野郎! 可愛すぎるね♡

 

「一度会ったら歯止めが利かなくなると思ったから……しなかった」

「は、歯止め……?」

「だっ、だって! アンタと漫画の話をするの、とっても楽しいから……! 一緒にいたらレースの事が頭から抜けてっちゃう……」

 

 え、え、デレ?

 俺との時間が楽しいとかこの状況で言うか普通。

 心が歓喜に震えすぎて荒い息が止まらないよ。もしかして相性抜群!?

 その殊勝な態度でいったい何人を勘違いさせてきた? レクイエム。

 

「ぁっ、ちが、ここまで言うつもりじゃ……! ……いやっ、違うわけじゃないけどぉ……う、う~!」

 

 心底俺との時間が楽しかったんだね♡ かわいいよ。下品なメスめ!

 ……サイレンスといいコイツといい、何でウマ娘はこっちを期待させるような言い回しばかりしてくるんだ。

 多少特別な関係性にあることは分かってる。

 もしかすればそれは俺たち二人の間にしか存在しないものかもしれない。

 とはいえ、優しかったり好意的だったりしても、それがこちらを異性として好いているかには関係しない事も中学の経験から知っている。

 

 じゃあ、何なんだ。

 お前なんなんだよ。

 俺が告白してもいいのか?

 そんな雄を煽るような体と恰好で好意的な態度ばかり向けるとか舐めてるよね。

 生意気だぞ。いや、大生意気といったところか?

 準備は万端のようですね♡ このスケベ娘め。

 うおっ、で、デカ……。

 

「ありがと。あんな出会い方だったのに……今でもアタシとの秘密、ちゃんと守ってくれて」

「……礼を言われる程のことじゃない」

 

 というか。

 

「何だよその今生の別れをする前みたいなセリフ。こっちが恥ずかしくなるわ」

「……だって、勝ちたいから。……アタシの応援に来たんなら、ちゃんとアタシの心にバフかけてよ。これから凄く強い娘たちと戦うんだよ?」

「バフって……」

 

 メジロドーベルのやる気を増幅させるに足る方法。

 正直に言うと何も浮かばない。

 俺とは違い、中央の生徒でメジロ家のウマ娘でもある彼女の周囲には、数えきれないほどの仲間がいるから。

 理解者としては圧倒的な差で担当トレーナーに負け。

 思い出の数など天と地ほどの差がある友人のウマ娘たちに負け。

 応援する熱量もずっと彼女を鼓舞していたファンたちを前にすれば足元にも及ばない。

 

 脚質もタイムも得意な戦法も何も知らない。

 俺が知っているのは、彼女が作品作りに真摯な漫画家で、いつでもシチュエーションに悩んでいる生粋の妄想家だという事のみだ。

 そんな俺ができる事。

 確実にメジロドーベルにとってプラスになる事。 

 

 ──それは()()()()()()()()()()()だ。

 

「っ! あ、秋川……?」

 

 少女の頭の上に手を置いた。

 理解者面もありきたりな応援もダメで、確実にプラスになる事といえば、彼女の漫画のネタになる行動だ。

 心を揺さぶられた出来事を『これ漫画のネタにできそう』という形で咀嚼する彼女には、次の漫画において使えそうなシチュエーションを実践して提示し、それを描きたいという漫画制作へのモチベーションアップをしてもらう形で応援するしかない。

 コレが俺に可能な最大限のバフだ。どう受け取るかは彼女次第である。

 

「一着を取ったら、何でも一つ命令を聞いてやるよ」

「えぇっ……!?」

「今までは漫画を見せてもらってばかりだったからな、俺にできる事なら何でも」

「なっ、なななっなんでも」

「あぁ、何でもだ」

 

 その代わり、と呟きながら一度だけ少女の頭を撫でた。

 女子の髪を勝手に触るのはご法度だろうが、ここは俺との時間が楽しかったと語る彼女からの好感度を信じて突き進む。

 

 

「勝てよ、()()()()

 

 

 そうして、生まれて初めて女子を下の名前で呼んだ。

 今まで頑なに先生だのメジロだのと呼んでいたのは単に距離を掴みかねていただけだったからだが、それを逆手にとって少女漫画風にクサいセリフに変換してみた。

 ……まぁたぶん気味悪いと思う。

 とはいえ、名前を呼ぶことで本当に心底レースを応援していることは伝わるはずだ。

 

「……~っ! ……ッぅ、っ……!!!?!?!!!?」

 

 顔を真っ赤にして押し黙るその反応を前にして、あぁやりすぎた終わりだと後悔する。

 彼女にとって俺がどういう立ち位置にいるのかを明確にできなかったのが良くない。ここは普通に頑張れとかありきたりな応援の方が良かったかもしれない。死んだ。

 

「……………………べ、ベル」

 

 俯いていた彼女がゆっくりと顔を上げ、時折視線を右往左往させながら、小さくそう呟いた。

 

「ベルって……呼んで……」

「え?」

「そ、そしたら頑張れるかも……だから……っ」

 

 一旦言う通りにしてみよう。名前通り越してあだ名になるとは思わなかったが。

 

「ベル」

「っ!!」

「一着を取って、センターを飾ってくれ。ベル」

「~~~ッ……う、うんっ」

 

 自分で言えって言ったのに恥ずかしがるなよ。一生かけて守り抜きたい。

 たぶんこれ特別な中でも更に特別な相手にしか呼ばせない愛称だよな。

 分かっちゃうよ、お兄さんエスパーだから。ウマ娘エスパー♡

 あ~たのし~こんなシチュ滅多に体験できね~もん。九蓮宝燈。

 この頬を赤らめながら上目遣いするベルちゃん見れる角度めっちゃ好き。後でVHS化希望。

 

「──おわっ!?」

「きゃっ!」

 

 瞬間ロッカーの扉が突然開き、俺たちは床に倒れこんだ。

 顔を上げると、そこにはいつか見たマンハッタンカフェ似の白髪の少女が立っていた。

 

「いてて……き、君は確か……」

「出走まで、あと三分」

「えっ。……うおっ、マジだ」

 

 白い少女に言われて腕時計を確認すると、本来出走ウマ娘がここにいてはいけない時間を針が指し示していた。

 もう一度顔を上げると白い少女は姿を消していたが、それよりも優先すべきことがあると考え急いでドーベルを起き上がらせて、出走を促す。

 

「怪我は無いか、ベル」

「う、うん……♡」

「……ホントに大丈夫か?」

「えっ!? ……あ、あぁ、もちろん! 全然平気だからっ!」

 

 逃げるように出口へと小走りで向かっていくドーベル。

 途中こちらを振り返り、勝気な笑顔を向けてきた。

 やはり美人はどんな表情も似合うなぁ。私が育てました。

 

「ちゃんと見ててよねッ! アタシ、一番になってくるから!」

「おう」

「……そ、それと、後でアンタのあだ名も決める!」

「それは何?」

 

 あだ名って自然に定着していくものだと思うのだが──まぁドーベルの為になるのであれば文句は無い。

 

 そんなこんなでメジロドーベルは滑り込みセーフを果たし、目を疑うようなスピードでレースを一蹴。

 二着のウマ娘と七バ身差をつけた一着という圧倒的な走りで観客を沸かせ、翌日の新聞の一面を飾ったのであった。あの喫茶店に通うウマ娘どいつもこいつも強すぎ問題。

 

 



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破廉恥女 無知の知

 

 

 ──ムラムラするという情動は罪ではない。

 

 雄という生き物なら誰もが持ちうる不変の摂理であり、泡ハンドソープで女子と手を洗い合うという未知の文化との出会いや、絶対に反応してはいけない状態で一方的に少女から肢体に触れられたり蒸れるほど狭い場所で密着したりなどしてしまえば、ソレが爆発的に加速する事などコーラを飲んだらゲップが出るくらい当たり前の事なのだ。

 ゆえに今この瞬間もポーカーフェイスの奥底で性欲が蠢いているわけだが、それは悪い事ではない。

 呪いや担当トレーナーが通りがかったことによる混乱なども加味すれば彼女たちに非があるわけでもないことは自明の理だ。

 

 しょうがない事、なのである。

 だからライブが終わって早速知り合いのウマ娘の内の誰かに連絡を入れようとすることは間違いでは──

 

「見てたかい秋川っ!?」

「うぇっ……?」

「お゛ぉ゛~ッ!! メジロドーベルぅ~!!」

 

 ──待て。

 ライブ中常に全力でオタ芸に注力し、終わった瞬間に隣で雄叫びを上げた山田のおかげで、正気を取り戻すことが出来た。マジで助かった、間一髪だ。

 

 ドーベルが出走へ赴く姿を見送ったあと、珍しく山田から連絡が入ったので『俺も会場にいる』と返信したところ、この特別席で華麗にペンライトを振り荒ぶる連中と同席する事に、という経緯で今ここにいる。

 そろそろ夕焼けが顔を出し始める時間帯。

 俺と山田は今日行われるプログラムをすべて見終えると会場のすぐそばにあるカフェの屋外テラスへ移動し、ちょっとしたケーキと珈琲を嗜みながら今日の感想を言い合っていた。

 

「はぁ……メジロドーベル、まさか本当に一着を取ってくれるとは……」

「……前から思ってたんだが、山田お前なんか推しの人数が多くないか」

「いやまぁ確かにサイレンススズカもマンハッタンカフェも推しだけど……聞いてくれる?」

「どうぞ」

 

 俺の性欲を凄まじい大声で一時的に誤魔化してくれた恩人だ。面倒くさいが最後まで聞こう。

 

「風の噂だったんだけど、なんか最近街で走り込みしてる姿をよく見かけられるウマ娘の話が上がっててね。試しに目撃情報の多い場所に行ってみたらバッタリ、本当にいたんだメジロドーベルが。それで僕もよく通る道だからほぼ毎日その姿を見かけてたんだけど、彼女は酷い猛暑でも強い雨の日も変わらず真剣に走り込みをしていたんだ! もう感動してしまって! 凄くかわいいし!! だからいつの間にか心惹かれていて……二日前、道を通りがかった彼女に勇気を振り絞って『レース頑張ってください』って言ったら、彼女は恥ずかしそうに手を振ってくれるばかりか『ありがとう』って! もう推しになるしかないよね!! 好き……最高に好き……」

 

 ──オタク特有の早口で捲し立てられたが、要するにこの男は結構ガチでドーベルのファンになっていたようだ。

 彼女を応援する熱量ではファンには敵わないと分かっていたが、まさかこれ程までに差があるとは思わなかった。

 会場で山田含む彼らが披露した、あの古から伝わりし華麗なるヲタ芸は芸術の領域に達していた。

 彼らの本気には驚かされるばかりだ。俺もアレ覚えようかな。

 

「んっ……?」

 

 未だに語り続ける山田の演説を話半分に聞いている最中、ポケットの中のスマホが揺れた。

 取り出して画面を確認すると、そこに表示されていた名前がメジロドーベルだったことに気がつく。噂をすれば、とはこの事か。

 

≪あだ名≫

 

 出走前に言っていた俺のあだ名が思いついたようだ。

 ちなみにライブ終了後にもメッセージは送られてきていたのだが、俺が賛美の言葉を送るよりも早く『二人きりの時に言って』と釘を刺されてしまった。

 まるで恋人の距離感。

 なので未だに勝利したことを褒める事が出来ていないのだが、それを聞くよりもドーベルは俺に付けるあだ名を優先したいらしい。変わってるね。

 

≪葉月だから、ツッキーとか どう≫

 

 そのあだ名マジ? 往来で呼ばれたら死ぬが。

 

≪そっちが恥ずかしがらずに呼べるなら構わないけど≫

≪あぅ≫

 

 何が『あぅ』だお前あざとすぎるだろ。

 うぉ……さっきまで笑顔振りまいてたスターウマ娘がしちゃいけねぇ照れ・ヴォイス。

 

≪よぶ 絶対呼ぶ!≫

≪はい≫

≪そっちもちゃんとベルって呼んでね≫

 

 あだ名ってそんな意識して呼ぶものだっけ。別にいいんだけども。

 

「秋川? 誰かから連絡?」

「ん……あぁ、知り合いから。前に教えたあだ名で呼べって」

「何それ……変わった知り合いだね……」

 

 山田からの反応を適当に誤魔化しつつ、この場でメッセージのやり取りを続けるのはマズいと思い早々に本題へ移った。

 

≪んで俺に聞かせる命令は決まったのか?≫

≪そ それは≫

 

 問題はここだ。勝利したらご褒美としてプレゼントすると言った手前、有耶無耶にはできない。

 やるなら早いほうがいい。

 アシスタントみたいな形で漫画制作の手伝いをする、とか何とかなら問題はないのだが、犯罪チックな要求をされた場合は説得の言葉を用意しなければならない。

 何が来るんだろう。ドキドキ。

 

≪あの、えっと≫

≪何だ≫

≪てて手伝い 漫画の手伝い いろんな資料が欲しいです お願いします≫

≪そんなんでいいのか?≫

≪はい お願いします≫

 

 資料の調達とは、これまた謙虚な願い事だ。

 いくつかの図書館を回って参考になりそうな書籍を借りて持っていけばそれでよさそう。

 

≪あの 来週≫

 

 ……?

 

≪来週いく アンタ あ ツッキーの家≫

≪は?≫

 

 何でそうなるんだ。もしかして資料請求すらせず俺の家でネットサーフィンするだけとか、こっちの予想をはるかに上回る謙虚さだった? 誉れ高すぎワロタ。大和撫子の鑑だよお前。

 

≪命令だから! あの時ちゃんと言質とったから!!!れ!!、!!!≫

≪いや、駄目だなんて言ってないだろ 来週のいつ来るのか決まったらまた連絡くれ≫

≪はい……≫

 

 テンションの振れ幅すごい。俺みたい。

 

≪あのあの≫

≪どした≫

≪本当に行っていいの 迷惑じゃない?≫

 

 何でそこで怖気づいてしまうのだよ。愛おしい。

 

≪俺の家なんかいつ来ても大丈夫だぞ≫

≪はぇ≫

 

 実家から持ってきた荷物は少なく、またよく自炊をするためコンビニ弁当等のゴミも出にくい事から、家の中は基本的に片付いている。

 まぁ、綺麗というよりは殺風景なだけだが。

 利点としてはいつでも誰かを家に上げられるところだ。デカ乳ウマ娘のポスターもマンハッタンを招く直前に押し入れの奥底へブチ込んでおいたので、見られて困るものは一つもない。

 

≪じゃあまた来週……ツッキー≫

≪お休み、ベル≫

≪ヒョわ≫

 

 いちいち悲鳴みたいな文字列送ってくんな。

 

「おっ!? あ、秋川アレ! 地下鉄に向かってるのメジロドーベルじゃね!?」

「マジだな。手ぇ振ってみるか」

「み、ミーハーだと思われないかな……?」

「どう思われたいんだよお前は……」

 

 言いながら山田と一緒に手を振ってみると、遠目に気がついたドーベルは恥ずかしそうに視線を右往左往させつつ、小さく微笑んでこちらに手を振り返してくれた。ここはひとつ結婚で手を打たない?

 

「ぅっお°……振り返された……二日前の件も相まってメジロドーベルに認知されてしまった……」

「よかったな」

「後方彼氏面が捗る。次回からそうしようかな」

「お前スゲぇよ……」

 

 謙虚なファンかと思ったら自己肯定感意外と高いし面白い男だ。

 と、そんなこんなで談笑していると日が暮れてしまった。

 明日の予定が無いとはいえ、そろそろ帰ったほうがいい。というか帰りたい。

 

 ──性欲が治まったわけではないのだ。

 山田のおかげで一時的に鳴りを潜めたとはいえ、これまでの記憶は鮮明に脳に焼き付いている。

 このまま我慢する事など不可能なので帰宅次第男子が当たり前に行うルーティンに耽る事は確実だ。

 とてもムラムラする。

 だから早く帰りたいのだが、事もあろうに山田とゲームセンターに寄ってしまった。断れなかった。俺は弱い。

 

「ぐおぉ……もうちょっとなのに……」

「もう二千円使ってるぞ。やめようぜ」

「無理に決まってるだろ! スズカの初めてのフィギュアだよ!!」

 

 ちなみに山田はゲーセンの商品に追加されたサイレンススズカのフィギュアを取るためにクレーンゲームで悪戦苦闘している。

 サイレンスのグッズが飛ぶように売れたことが理由で、近年では珍しくフィギュア化までされていたらしい。おっぱい超デッカーウマ娘のフィギュアは無い?

 

≪秋川くん≫

 

 うおっ、突然のサイレンスからのメッセージ。正直慄いた。

 

≪久しぶり 今、いい?≫

≪どした≫

 

 数週間ぶりのやり取りだが、ドーベルの様な露骨な緊張は見受けられない。流石はフィギュア化された女だ。

 

≪次の火曜日なんだけど、空いてる?≫

≪予定は無いけど≫

 

 山田の攻防を一瞥しつつ返信を続ける。

 

「秋川ァ! 横から見てタイミング図って!!」

「今忙しいから無理だ」

「スズカのフィギュア欲しくないの!?」

「お前のだろ。……ていうかそれ、もう初期位置に戻してもらったほうが良くないか? 全然動いてねえぞ」

「……た、確かに」

 

 彼の相手もそこそこにスマホへ目を落とすと、いつの間にか返信が届いていた。ドーベルといいサイレンスといいウマ娘って返事早いね。

 

≪シューズと蹄鉄を買いに行くのだけど、一緒に見てくれない?≫

 

 デートのお誘いに見えるがそれは違う。

 中学の時も似たような文言で誘われたが、当日は相手の友達やクラスメイトの男子も居たりしたのだ。不埒で悪辣。

 行かないわけではないが、期待し過ぎない心持ちで事に臨もう。

 

≪俺は構わないが、そういうのってトレーナーと見るものじゃないのか≫

≪壊れちゃったのは練習用の方だから≫

≪そうなん≫

 

 本人が問題ないと語るのであればこちらから言う事は何も無い。気になるのはもう一つだけだ。

 

≪スペシャルウィークさんの特訓は≫

≪同期の子たちと合宿へ行ったから、私はお役御免 喫茶店にもまた通えるから≫

 

 通うという宣言の重要さに彼女は気がついているだろうか。

 しかし特訓が終わって会える時間が作れるようになったのは素直に嬉しい。

 お互いを隔てるものはもうなにもないんだよね♡ イチャイチャラブラブ指導だ。

 早く会いたい……。

 

≪それじゃあまた火曜にな≫

≪え≫

 

 っ?

 

≪どした≫

≪難でもない≫

 

 誤字ってるぞ。ドーベルもそうだが慌てている時の変化が分かりやす過ぎる。

 

≪何かあるなら言ってくれ≫

≪    最近 話してなかったから≫

≪うん≫

≪もう少しだけお話し したいかなって≫

 

 え、恋人の距離感?

 もしくは仲のいい女友達にも毎回『寂しいからもう少し話そう』とか言ってる? 

 いい加減にしてくれ。子供が楽しみだね♡

 

≪なら夜に電話かけるから≫

≪いいの?≫

 

 帰ったらお楽しみが待っているのだが……まぁ、サイレンスとの電話が終わってからでいいか。

 今の俺は性欲に傾きまくっている男だ。

 そんなヤバい日の俺と話したいだなんて軽率な発言をしたことを後悔するがいい。支離滅裂な事しか言わないからな。

 

≪じゃあまた夜にな≫

≪うん!≫

 

 ということでサイレンスとのやり取りが終わると同時に、どうやら山田もクレーンゲームでの激戦をやり終えたらしい。

 フィギュアの箱が入った袋を片手に上機嫌な彼とゲームセンターを後にし、お互いの進む方向が異なる分かれ道までやってきた。

 いろいろと予想外なことが多かったものの、総合的に見れば楽しい一日だった。実は俺も上機嫌だ。

 

「じゃあ秋川、これ」

「えっ?」

 

 またな、と言って解散しようとした矢先に、山田が後生大事に抱えていたサイレンスのフィギュアの箱を差し出してきた。何事。

 

「誕生日だったでしょ、来週。前倒しだけどこれプレゼント」

「……あ、あー。そうだ、そうだったな。……え、貰っていいのかコレ」

「だからプレゼントだって。……まさか秋川、自分の誕生日を忘れてた?」

「い、いや、んなわけないだろ、悲しみを背負った少年漫画の主人公じゃあるまいし」

 

 と言いつつも、自分がそのまさかに該当するとは思わなかった。

 わざわざ一人で自分を祝った記憶も、家族にバースデーソングを歌ってもらったことも無いせいか、すっかり忘却してしまっていたようだ。

 そういえば。

 去年も山田からだけは誕生日に何かしら貰ってたんだった。

 あの時は……確か、コンビニの三百円くらいのプリンだったっけか。普通に結構嬉しかったんだよな。

 

「じゃあ逆に聞くけど、僕の誕生日は?」

「十月の二十九日だろ」

「うわ、キモ……」

「このっ……去年お前が中央のファン感謝祭と日付被ってるってしつこく嘆いてたから覚えただけだっつの。うぜぇなこのデブ」

「あー悪口言った! フィギュア返せ!」

 

 大体完全に忘れていたわけではない。

 当日になれば、そういえば今日誕生日だったな、と不意に思い出す可能性も十二分にあった……はずだ。舐めんな。

 

「ほれ、返す」

「え? イヤ冗談だって。それ元々秋川にあげるつもりで取った奴だし。僕もう保存用と観賞用とカラーリング別ので五体持ってるし……店舗別の限定カラーのやつはあげないよ?」

「ねだらないって。……その、ありがとな山田。大切にする」

「それはもちろん。埃が被らないように毎日手入れしてね」

「……箱から出すのやめるわ」

 

 友人から誕生日プレゼントを貰う。

 それは、他の人にとっては当たり前の事だろうか。

 今の俺にはまだ分からないが、コレが当たり前になったとしたら、それは凄く幸福なことだと思う。

 

「じゃね」

「あぁ、また」

 

 改めて別れの挨拶を交わし、解散。

 本当に今日は楽しい日だったと実感しながら帰路に就いた──その道中。

 

「──うぉっ!?」

 

 あの厄介な怪異のカラスが再び現れ、奴にフィギュアが入った袋を奪われてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 ──それから二時間弱が経過した、現在。

 

「……」

「……」

 

 紆余曲折あって最終的に自宅へ戻った俺の前には、今日ドーベルと一緒に閉じ込められていたロッカーから解放してくれた、あのマンハッタンカフェ似の白髪の少女が鎮座していた。

 お互いに向き合い、お互いに正座をして、何から切り出せばいいか分からず沈黙してしまい早数分。

 俺の頭の中は今世紀最大の混乱に陥っていた。

 

 

 事の経緯は次の通りだ。

 

 まず道端で突然襲い掛かってきたカラスに山田から貰ったフィギュアを奪い去られてしまい、俺は必死でそのバカ鳥を追跡した。

 しかしカラスはフィギュアの入った袋を咥えているとは思えない速度で逃走し続け、足が遅く空も飛べない俺ではもはや取り戻すのは不可能かに思われた。

 

 ──その時だった。

 諦め半分で『ジャンプしたら届かねぇかな』と考えながら地面を蹴ると、俺は()()()

 

 軽く五メートルは跳躍したのだ。

 重力が無くなってしまったのかと錯覚するほど体が軽く、赤い帽子の配管工もかくやという程の大ジャンプだった。

 目の前の光景に混乱し、フラついた俺は気がつけばビルの屋上に着地。

 そこで休んでいたカラスと再び邂逅し、とにかくフィギュアだけは取り戻さなければ、ということで。

 まるで忍者の如く建物の上を伝いながらの鬼ごっこが幕を開けた。

 程なくして俺が投擲したスマホに直撃したカラスが、泡がはじけるかのように霧散しフィギュアは取り戻せたのだが、肝心なのはその後だった。

 

「……つまり、何だ。俺が急に人間を辞めて、チートみたいな()()を使うことが出来たのは……お前が俺に憑依したからだ、と?」

「最初からそう言ってる」

「……めちゃくちゃ足が痛いんだが。さっき鼻血も出たし」

「肉体を無理やり適応させたから、それはそう」

 

 ──まいった。

 何を言っているのか分からない。

 この少女は以前から神出鬼没で、浮世離れした不思議な女の子だとは思っていたが、まさかガチ幽霊だったとは予想だにしていなかった。

 

「幽霊じゃない」

 

 オマケに心も読めるときた。本当に厄介この上ない。

 あまりにも不思議すぎる相手では一般人の俺では太刀打ちできない──となればあとはマンハッタンカフェの出番だ。

 超常現象やオカルトは彼女の専門分野。

 困ったら連絡してくれとの事だったのでさっそく電話を入れてみた。

 そうして帰ってきた返事は、非常に簡潔なものであった。

 

『えぇと……一応、彼女は味方です』

 

 味方であるらしい。俺の足を激ヤバ筋肉痛にさせ、鼻血が出る原因を作ったものの、この少女は味方であるようだ。

 確かに彼女のおかげでフィギュアを取り戻すことが出来たのは事実だが、にしてももう少しやり方は無かったのだろうか。

 

『彼女は私の”お友だち”です……悪意があるわけではありません。何よりお話を聞いた限りでは、葉月さんをカバーしているようですし……恐らく私が手を貸せない間は、怪異と対抗するためのサポートとして助けに来てくれたのだと思います』

 

 マンハッタンカフェとめちゃめちゃ似ているとは思っていたが、普通の友達とは何とも意外だ。

 彼女と初めて出会った時からそばに居たものだから、てっきりマンハッタンのスタンドか何かだと思っていた。

 

『呪いが消滅するまでは……彼女のそばにいてください。生活は多少不便になるかもしれませんが、現状目の前に現れた怪異に対して対抗できる力が”お友だち”にしか無いのも事実ですので……彼女をよろしくお願いします』

「……え、ウチに居てもらうってこと?」

『はい……今夜襲われてしまった以上、安全とは言い難いので……』

 

 マンハッタンから直々に言い渡されてしまったら断りようがない。

 そもそも俺を守ってくれる相手なのだから、邪険に扱うのもおかしな話だ。

 感謝はしている。

 崇め奉るレベルだ。

 しかし一つだけ問題がある。

 ──どうして()()()()なのだろうか。

 

 性欲が有り余っているのだ。

 日中から今にかけてまで、理性の貯蔵タンクが破裂してしまうほど性欲を溜めて我慢し続けてきたのだ。

 せめて明日からにしてほしかった。

 女子が同じ部屋にいたらヤることヤれないではないか。

 我慢による怒りで青筋がプルルと震えるよ。

 

『葉月さん、明日自宅まで伺いますね。では』

「えッ、待ってマンハッタンさ……き、切れた」

 

 理由が理由とはいえそんな簡単に男子の家に来る?

 もしかして距離感が恋人?

 どうやら知り合いのウマ娘三人とも俺と付き合っていたらしい。民間伝承。

 

「よろしく、ハヅキ」

「はい……よろしくお願いします……」

 

 よろしくできねぇよ不意に家に転がり込み居候女が。

 好きな料理を教えて♡

 

「カフェは生活が不便になるかもと言っていたけど、邪魔になるつもりは無い」

「は、はぁ」

「ので、基本的にはハヅキの指示に従う。家事も覚える。何でも言って」

 

 じゃあとりあえず男子の日々の営みをするので小一時間ほど家から出てってくれと言いたいところだがそうは問屋が卸さない。

 多分マンハッタンが彼女をそばに置けと言っていたのは、俺一人で家の中に居たら怪異に閉じ込められる可能性があるからだ。

 もう一度マンハッタンに抜いてもらって、呪いを弱めない限りコイツとの別居は夢のまた夢である。

 あと単純に男のプライドとして()()()()()するから席を外してくれだなんてセリフは吐けないし、そんな事言うくらいなら死んだ方がマシだ。

 

「ハヅキ、欲望の色が漏れ出ている」

「若人なら当たり前の感情だぞ」

「何でも言ってと、さっき言った。手伝えることがあるならやる」

「マジ……?」

 

 じゃあベロチューしろ密着して。それが社会だ。

 嘘。

 ウソだよ~かわいい嘘♡ 本気にしないでね。雑魚め。

 

「混乱している。ハヅキ、何もしないなら早く寝たほうがいい」

「サイレンスとの電話があるから無理だ。その間は静かにしててくれよ」

「はい」

 

 電話可能になったらそっちからかけてくれとサイレンスには伝えてある。それが終わるまで睡眠は後回しだ。

 正直こんなムラムラでイライラしている状況でまともな会話ができるとは思えないのだが、幻滅されるのはもっと怖いので頑張って誤魔化さないと。

 秋川葉月、居候の出現により突然の禁欲生活を余儀なくされました。修行僧かな。

 

「そういえば……お前のことはなんて呼んだらいいんだ?」

 

 マンハッタンは彼女だのお友だちだのと終ぞ名前を言う事は無かった。

 本人に直接教えてもらわなければ。

 

「……特定の名称は無い。好きに呼んでいい」

 

 本名は隠すタイプだったか。

 まぁそれもいいだろう。勝手に決めていいなら安直なネーミングセンスをぶつけて後悔させてやる。嫌がって本名を名乗ってくれるかもしれん。

 

「じゃあ今日は日曜日だから、サンデーで」

「…………」

 

 どうだこの小学生もビックリするような名前の決め方は。

 イヤだったら名前なんて大事なもんは自分で名乗るんだな。

 名前を甘く見るな! 照明さん! 音声さん! ピンクスパイダー。

 

「………………それでいい」

 

 嘘でしょ。

 呼び名は本当に何でもよかったのか。

 そのストイックさ称賛に値する。

 

「お布団、温めておく」

 

 は? ケツと度胸がデカすぎる……モラルを弁えろよ。

 

「おいサンデー、勝手に布団に入んな。夏だから温める必要なんて無いだろ」

「人肌が恋しいという色が見える。幼い頃のカフェに似てる」

「は? 子供じゃありませんが……」

「それより電話するんでしょ。気にしないで」

 

 おっ、何でも言う事聞くとか言っといて意外と指示に従わないタイプだな?

 我儘すぎてかわいいね♡ ふざけるのも大概にしろ。

 淫靡な態度でオスを誘う卑劣な幽霊め、もっとゆっくり距離を縮めろ! 風情がない。

 

 ──と、紆余曲折の果てに変な女との共同生活が幕を開けてしまったのであった。

 ちなみに彼女からは甘ったるい良い匂いがした。たまらんわ。

 

 



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押し倒されてる感想はいかが? 述べろ!


文字数がヤバくなったので分割しました♡あっ♡少しばかりイグッ♡


 

 

 心頭滅却すれば火もまた涼しという事で、水風呂に突っ込み性欲を強制的に鎮火させてからサンデーを無視して床に就いた翌日。

 先日の約束通り昼過ぎにマンハッタンがウチを訪ねてきた。

 

「お邪魔します……」

 

 ウチに来たのがまだ二回目という事もあってかソワソワした様子で腰を下ろした彼女は制服ではなく私服を着込んでおり、いつにも増して落ち着いた印象を受ける。

 しかしその服は童貞好み、スカートが長くて逆にえっちだ。

 風情があるね。和三盆。

 

「外暑かったよな。これ、麦茶」

「あ、ありがとうございます。頂きます」

 

 実は、彼女が自宅を訪れるまでに考えていたことがあった。

 

 バイトを始めてからのこの数か月の間、立て続けに知り合いが増えたことでどうやら感覚が麻痺していたようで、よくよく考えるとマンハッタンカフェにだけは、こちらからの何かしらのアクションをひとつも起こしていなかった事に気がついたのだ。

 不可抗力で助けたのはあくまで彼女の担当トレーナーであり、マンハッタン自身に手を貸した覚えはこれといって無い。

 道端で鍵を拾った事に関しても、正確にはサンデーが教えてくれた場所に落ちていたものを拾って渡しただけで俺自身は何もしておらず、また通りがからずともそのうちサンデーが拾って彼女に渡していたであろうことは想像に難くない。

 

 そこで思い至ったのだ。

 俺がマンハッタンカフェに快く思ってもらえる要素無くないか、と。

 

 脱水症や呪いの件といい、俺は彼女に助けられてばかり──言ってしまえば迷惑をかけているだけだ。

 だが理性のリミッターが無くなった状態でのあの凶行も仕方ないものだと割り切れるマンハッタンさんであれば、世話になった諸々の件も『気にしないでください』の一言で片づけることが出来てしまうだろう。

 というわけで、俺が考えるべきなのは贖罪ではなく恩返しだという結論に至った。

 せっかく生まれた繋がりなのだ。途切れさせない為にはあらゆる手段を行使しなくては。

 無償の愛は無償で返すぜ。

 

「それ有償」

 

 静かにねサンデーちゃん。 

 抱き枕にされたくなかったら黙ってろ。えっちな幽霊の分際でよ。

 

「幽霊じゃないってば。カフェからも何か言って」

「え……?」

「そいつの言ってることは気にしなくていいから。それよりマンハッタンさん、昼はもう食べた?」

「あ、いえ……まだです……」

 

 よかった。

 恩返し計画その一は無事に決行できそう。

 受け取った恩を返すと言っても、マンハッタンの性格を考えると大仰なものはむしろ迷惑になってしまう可能性が高い。

 なので俺ができる事といったら、飯を奢ったり荷物を持ったりパシリになったりなど、誰でもできるような雑用を進んでやるくらいだ。

 今年一番のご奉仕をあなたに。

 

「いまから作るところだったんだけど……食ってく? 冷やし中華」

「えっ……いいんですか」

「ちょうど材料が二人分残ってるから」

「ですが、その、まだ解呪の儀式が……」

「飯食ってからでもいいかなと思って。腹減り過ぎた状態で理性が無くなった時とか……ほら、マンハッタンさんの髪とか食んだらヤバいし」

「……そう、ですね。よろしくお願いします」

 

 リミッター外しのペンダントに関しては今回対策を用意してあるのだが、空腹時の自分の挙動までは保証できない。

 お礼と保険も兼ねて先に昼食を作ろうと最初から決めていたのだ。乗ってくれて助かった。

 マンハッタンに『食べてきたから別にいらない』といった旨の発言をされたら凹むところだったので今日は運がいい。

 

 ──俺と彼女は超常の存在に巻き込まれた、という点でしか繋がりを持っていない。

 無論、この少女の献身によって解呪がなされた時にはそれが消滅し、俺たち二人が交流する理由は綺麗さっぱり消えてしまう事だろう。

 そして、特にこれといった理由が無い状態でも交流する事ができる関係性を、この世界では友人と呼ぶ。

 

 俺はこの呪いが消え去ってしまう前に、マンハッタンカフェと友人になりたいのだ。

 一度は自分から身を引こうとした相手だが、彼女から引き止めてくれた事実も加味して、友人になれる可能性はまだ残っているはずだ。

 お友だちになってください。

 了承してくれ! 心からの願い。

 

「お待たせ」

「どうも……いただきます……」

「ハヅキ、私もちょっと食べたい」

「俺のやるから小皿取ってきな」

「はい」

 

 この家の小さな丸テーブルを三人以上で囲んだのは初めてだ。素直に嬉しい。

 というか山田以外で俺の家で一緒に飯を食ったのマンハッタンさんだけ──いや、そもそも自宅に上げた事のある女子が彼女だけだ。

 どんどん俺の初めてを奪っていくね♡

 しかしやり過ぎくらいがちょうどよい。出過ぎた杭。

 

「……あなたが何かを食べているところ、初めて見た」

 

 サンデーを見つめながら小さく呟くマンハッタン。

 二人は昔からのお友だちとの事だが、意外にも一緒に飯を食う距離感ではなかったらしい。

 放課後にちょっとだけ遊ぶこともある別のクラスの知り合い程度の感覚なのだろうか。

 

「ん。私が一緒に食事をした場合、はたから見ればカフェの近くで食べ物が急に浮いて消える怪現象になってしまう。カフェが不気味に思われてしまうのは避けたかった。ので」

「そ、そう……」

「でもここにはカフェとハヅキしかいない。だから大丈夫」

 

 人気のない場所や自宅でも万が一を想定して一緒に食べる事はなかったようで、サンデーがどれほど本気でマンハッタンに対する周囲の目に気を配っていたのかが、少しだけ理解できた。

 自分が特異な存在だという自覚を忘れない姿勢には感服の一言だ。

 

「……ここなら、あなたと一緒にご飯を食べられるんだ。……でも、別に私はどこでも……」

 

 だがマンハッタンの様子を見るに、彼女は周囲からどう思われるかよりも、サンデーと一緒に食事をしたい気持ちが大きかったように思える。

 

「カフェはトレーナーにスカウトされても私の話ばかりするから、最初は全然担当が決まらなくて。結構心配だった」

「だ、だって……あなたは、ここにいるのに……」

 

 何だか過去にいろいろあったらしいが、結果だけ見ればマンハッタンカフェは現在優秀な担当トレーナーと契約し、日本中でファンをポコジャカ生みまくりなスーパー大人気ウマ娘になっている。

 彼女をそこまで育成できるトレーナーという事はサンデーの事も大体は知っているはずだ。

 その人の前でなら別に一緒にメシを食う事もできたのではないか、とつい邪推してしまう。

 

「ハヅキ。余計なお世話」

「いや勝手に心読むなって。思考しただけで口には出してないだろが」

「食べ終わったのならお皿洗う」

「聞けよ……」

「カフェも、ほら」

「あ、うん……よろしく……」

 

 まるで平然と家事担当みたいな顔をしているが、コイツは今朝お気に入りのマグカップを一個割っている。許さん。

 

「その節は、ごめんなさい。何でも言うこと聞きます」

「ほう」

 

 じゃあ次何か破壊したら耳くすぐるからな。覚悟しておけよ。

 

「セクハラ。えっち」

「……風呂までついてきた女が何言ってんだ、俺の方がプライベートを侵されてるだろ。えっち野郎はお前だぞ、距離感バグ女め。恥知らず」

「むむ」

 

 マジで性欲を発散する隙が無い。

 狭い家で唯一プライベート空間な風呂場にまで入ってくんじゃねぇよ。控えおろう。

 この煩悩を乗り越えることが出来たら、きっと俺は修行僧を通り越して仏になれる事だろう。

 風呂の件だけではなく、俺が寝そべってたら急に頬とか指で突っついてきたりもしたからな。

 そんなに俺からの折檻が恋しいのか?

 とんでもないモラルハザードだよ。

 

「…………」

 

 軽く口喧嘩をしていると、マンハッタンがジッと俺たちのほうを見ている事に気がついた。怒らせてしまったのだろうか。

 別にサンデーを非難しているわけではないのだ。最低限の節度を持ってほしいだけで。

 怒らないで♡ ごめんなさい♡

 

「……葉月さんは、本当にあの子が視えているのですね……」

「えっ?」

 

 マンハッタンの表情は怒りではなく困惑だった。

 コイツの存在は昨晩既に伝えてあるはずだが。

 

「どんなに目を凝らしても、誰の目にも映らない……私以外の誰にも……認識されない……トレーナーさんでさえも、そうでした」

 

 ガシャン! とけたたましい音が響いた。

 また割ったなアイツ。貸し一つプラスです。

 マンハッタンがシリアスに語ってる最中なので、もう怒らないから一旦静かにしていて欲しい。きみの話だぞ。

 

「……タキオンさんやトレーナーさんは……彼女の存在を信じてくれています。受け入れてくれる方たちがいる……」

 

 一拍置いて彼女は続ける。

 

「それだけで十分すぎるほど、恵まれている。たとえ視えるのが私だけでも……それは間違いなく、私にとって一番の……そのはずでした。

 これ以上を求めてはいけないと……ここから先はただの欲望、願望……あまりにも身勝手なワガママだから……」

 

 マンハッタンはサンデーの後ろ姿を見つめ続けている。

 彼女は変わらず洗い物をしているが、俺たちの会話に耳を立てていることは明白だ。耳がピクピク動きすぎている。

 

「でも、葉月さんは──……どうして、なのでしょうか」

 

 どうして、と言われても困る。

 俺が特別何かをしたわけではない。

 

「……その、悪い。マンハッタンさんの言ってること、多分あんまり理解できてない」

 

 ここはもう正直に言ってしまおう。

 知ったかぶりをすると後が怖い。

 

「まず特別視えるって部分が実感できてなくて……あいつ()()()()()()()()そこにいるし」

「……当たり、前……」

 

 普通の人間を前にして、他の誰かがそいつを見える事に驚いたとして、こちらとしては塩がしょっぱい事くらい当たり前なので困惑するだけなのだ。

 

 そもそもサンデーの外見に問題がある。

 彼女がいかにも非現実を思わせるような風貌をしていれば話は別なのだが、あまり汗をかかない事と、真夏にクソ暑そうなロングジャケットを着ているという部分以外に特別なところがほとんどない。

 まず透けているとか、露骨に半透明な体をしているわけでもなく。

 プカプカと幽霊みたいに浮遊するという事もない。

 極論、触れるし体温もある。

 一見するとちょっとミステリアスな雰囲気を纏った美少女というだけなので、要素だけ考えればマンハッタンとほとんど変わらないのである。

 

「……そう、ですか。葉月さんにとって、彼女は当たり前……なのですね……」

 

 距離感は全然当たり前の範疇じゃないけどな。

 お布団温めるとか平然と言うタイプだぞ。

 

「──あの子は……ここにいる。特別でも何でもなく……ただそこにいるだけの……──ふふっ」

 

 マンハッタンカフェの笑った顔、あまりにもかわいいので眩暈がした。弱点を検知。

 

 どうやら彼女にとってサンデーは、俺が考えているよりもはるかに大切な存在であったようだ。

 他の人間やウマ娘がその親友を認識できない状況は──まず、俺には欠片も想像できない。

 ……まぁ、いろいろシリアスな展開があったんだろう。

 そこは俺の知るところではない。

 マンハッタンカフェが抱えていたそういう部分を解きほぐすのは、きっと同じ学園に通うウマ娘や担当トレーナーなどの仕事だ。

 彼女には彼らとの物語があるのだろうし、恐らくそっちが本筋だ。

 俺はあくまで特殊な事情で偶然知り合っただけの、ただの男友達。

 ここにいるのはサブイベント的な寄り道。

 

 それでいいのだ。

 何もマンハッタンカフェの特別な存在になりたいと考えているわけではないし、なれるとも思っていない。

 彼女の大勢いる友達の中の一人になることが出来ればそれ以上は望まない所存だ。

 俺にだけサンデーを視認できる力があるのは謎だが、まぁ一つくらいは他の人には無い”共有できる何か”があってもバチは当たらないだろう。

 

「……葉月さん」

「ん?」

「私は……あなたと出逢うことができて良かった。……心から、そう思います……」

「そ、そうすか」

 

 笑顔が眩しいね♡ どういうおつもり!?

 普通に言ってて恥ずかしくなるセリフだと思うのだがそんな事ないのだろうか。ウマ娘なんも分からん。

 事あるごとに男の純情を弄びやがってよ。蝶よ花よ。

 この勘違い量産美少女に一泡吹かせる方法、何かないかな。

 

「──っ? あの、葉月さん。その箱は……」

 

 テレビの横に置いといたサイレンスのフィギュアにようやく気がついたマンハッタン。

 同級生がフィギュア化されてる事に関してどう思ってるのか少し気になる。

 

「すっ、スズカさんの、フィギュア……? ……ぇ。えと、これは……」

 

 意外な反応だ、かなり動揺している。サイレンスのあれが出たことを知らなかったのかもしれない。

 ウマ娘の中ではフィギュア化がハチャメチャに名誉な事である可能性が高まってきたな。マンハッタンさんのもあれば欲しい。

 ところでメイショウドトウとかホッコータルマエ辺りにフィギュア化の話は来てない?

 

「それ友達から貰ったんだ、誕生日プレゼントって。前倒しだけど」

「なる、ほど……そういう……」

 

 ふむふむ、とテレビの前でフィギュアを観察した後、スマホを取り出してテーブルに戻ってくる。

 何となく挙動が忙しない。

 フリフリと動く尻尾、センシティブ♡ ふざけるな。

 

「……ちなみに、なのですが。葉月さんの誕生日は……」

「八月五日。えーと……今週の金曜だな」

 

 午前中にバイトをして以降の予定は何もない。

 山田は用事があり、ちょうど本家の人が来ると親から連絡がきた為実家に帰る選択肢もない──つまりいつも通り。

 ダラダラと過ごし続ける最高に怠惰極まった一日を過ごすわけだ。

 ちょっとお高めな美味しいものを買ってから家に帰るだけであり、あまり特別な日という感覚もない。

 

「……金曜日。なるほど……」

「あっ、悪いマンハッタンさん。全然気にしなくていいから」

 

 なんか誕生日プレゼントをそこはかとなく欲しがる人みたいになってた気がする。

 そういうつもりでは無かったのだ。

 まだお互いの名前を憶え合ってから一週間も経ってない関係なのに、誕生日とか聞かされても困るだけだろう。普通に貰い物とだけ言えばよかった。

 

「さて、じゃあそろそろ解呪のやつを始めよう」

「……えぇ、そうですね」

 

 さっさと話題を転換して誤魔化しつつ、本来の目的にササっと取り掛かった。

 ペンダントの対策として用意したものはジグソーパズルや知恵の輪などの、集中して時間をかけるタイプの玩具だ。

 前回マンハッタンを押し倒してしまったのは目の前に彼女しか映っていなかったのが原因であり、理性がない状態でも何かやるべきことが手元に残っていればそれに注力するはず。

 それに布団の上で向かい合うといういかがわしさ全開の体勢で事に及ぶ必要もないので、マンハッタンには背後から手を回して腹部に触れてもらう事にした。

 その間俺は自分が用意した難問を解いていく──これなら一時間程度は余裕なはずだ。

 

「ひゃうっ……」

「尻尾が蠢いているぞ! ハニー! そんなんでは恋人は名乗れんぞ! 可愛いね♡ 全体重付加」

 

 あれ。

 

「お耳を触っていい? いいって言え」

「……ど、どう、ぞ……」

 

 この被暗示性、驚異的ワオの一言。ちょっと怖くなってきた。

 恋心を持っていかれないように注意。

 

「モフモフだね、耳も喜んでいるよ。呆れたわ」

「っ……♡」

 

 可愛い! 自慢の恋人! 友達にも自慢しちゃおっかな~! 従順なメスを手中に収めたとな。

 

「ん、カフェ? 早くペンダントを外さないと」

「あっ……う、うん」

 

 ──どうやら何もかも上手くいかなかったようだ。失敗の達人。

 

 

 

 

 

 

 翌日、真夏らしくクソ暑い快晴の日。

 集合場所の駅前でサイレンスを待ちつつ、俺は直近で仲を深めた三人のウマ娘たちとの関わり方について缶コーヒーを片手に思案していた。

 

 まずマンハッタンカフェについてだが、儀式におけるペンダント使用時の俺自身への対応を早急に用意しないと、解呪が成功したその瞬間から彼女との縁は断ち切られてしまうものだと考えている。

 昨日のアレで再認識できた。

 いくら何でも俺が粗相をしすぎなのだ。

 変な超常現象から助けるために手を貸しているのに、毎回その相手から押し倒されていてはたまったものではないだろう。

 優しい少女でも堪忍袋の緒が切れる事はある。

 昨日なんて顔がちょっと赤くなってたくらいだ。余程怒っていたので、いつ見限られてもおかしくないし、常識的に考えて怒らせるような事しかしていない。半分詰んでる。

 とりあえず次回の解呪の際は布団とロープでグルグル巻きにされておこう。

 

 次にメジロドーベル。

 ウチに来る日程が決まっていないらしく、あの日以来会っていない。

 しかし彼女との関係は現時点ではそこそこ良好なものに思えるため、こちらはあまり心配しなくてもよさそうだ。

 気兼ねなく連絡を取り合える現状を考えると、友人としての距離は一番近いと思う。

 

 最後のサイレンスは──

 

「秋川くん、おまたせ……!」

 

 少々焦った様子で待ち合わせ場所へやってきた少女は、帽子にサングラスと一見すると誰だか分からない格好をしていた。

 

「おはよ、サイレンス。まだ集合時間の十分前だからそんなに焦んなくても」

「えぇと……あはは、久しぶりに会うから変に急いじゃって」

 

 軽く身なりを整えると、彼女はこちらの顔を覗き込んで不思議そうに首を傾けた。

 

「あれ? 秋川くん、今日は眼鏡をかけてる……」

「あぁ、これは……その、何だろう。変装っつーか」

 

 ──そう、最後にこのサイレンススズカとの付き合い方についてなのだが、何よりもまず彼女の知名度が気掛かりだった。

 マンハッタンもドーベルも非常に人気の高いウマ娘ではあるものの、デビューしてから活躍するまでがあまりにも早すぎたサイレンスは名前の波及が頭一つ飛びぬけている印象がある。

 なんせ彼女だけは既にフィギュア化までされているのだ。

 一般人が思い浮かべる人気ウマ娘の中でいの一番に名前が挙がるほど、メジャーな存在になってしまっている。

 

 というわけで以前みたいにおいそれと二人きりで往来を歩くことは出来ないわけだ。街に出るだけで注目を浴びるであろうことは確実なので。

 そういう事情を考慮して、俺は今回伊達メガネをかけてきた。

 サイレンスは前に『友達と一緒にいるだけだからどう思われようと関係ない』といった旨の発言をしていたため、一旦彼女の心境を考慮するのはやめて、今日は自分のために伊達メガネを用意した。

 別に周囲にサイレンスの恋人か何かだと勘違いされる可能性に関しては問題視していないのだ。優越感が勝って気持ちよくなれるから。

 

 ただ、山田には未だに『バイト先にサイレンススズカがよく来る』という話をしていないため、それを共有するよりも先に一緒にいる姿を目撃されてしまうと……何というか、困るというか、今後が怖いのだ。

 あいつとはずっと気兼ねなく話せる仲でいたいが、人一倍サイレンススズカに入れ込んでいる事も知っている。

 そのサイレンスと知り合いだという事を隠していた──と思われてしまう事だけは避けたいわけだ。

 だから今後面と向かって話す機会があるときにさりげなく事情を共有し、お前も喫茶店に来ればサイレンスに会えるぞ的な話をするまでは、彼女の隣で歩く姿を彼に見られるわけにはいかない。

 

 そんな諸々の事情を含めての伊達メガネなのである。

 

「変装……そっか」

 

 ただ、十中八九サイレンスからの好感度ダウンが起こるであろう点に関してはマイナスポイントだろう。

 俺と違って彼女はわざわざ変装する必要など無いと考えるほうのタイプだ。

 

「ふふっ。秋川くんも私と同じ気持ちだったのね」

「……?」

 

 どういうことだろうか。

 そういえばサイレンスは帽子とサングラスを身に着けており、ぱっと見では変装に見えなくもない。

 ファッションだった場合は失礼過ぎるからまだ何も言っていないが……同じ気持ちって何のことだ。

 

「ファンのみんなが声をかけてくれるのは嬉しいけど……今日は二人きりの時間を大切にしたいなって」

「──」

 

 ()()()()()()()とか平然とのたまいやがって言葉遣いの距離感バグ女め!

 そういうとこ好きだよ。

 

「……じゃあ、シューズを買いに行くか」

「うんっ」

 

 破顔を無理やり抑えたポーカーフェイスで先導し、落ち着かない一日がスタートした。

 

「そうだ秋川くん、日傘を持ってきたから一緒に入りましょう」

「は、はい」

 

 欲しがりやでとってもお可愛らしいね♡ 肩を密着させて俺を殺す気か?

 

 



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節操のねえママだな 良識というものはねぇのかよ!

 

 

 ──何だ、この状況は。

 

『ウマ娘に勝てるわけないじゃん! 何で走るの……アタシの隣を走るなんて君には無理だよ!』

 

 俺が今座っているのは、座り心地が快適な映画館の座席だ。

 辺り一帯薄暗く、真正面にある巨大なスクリーンから発される明かりでのみ周囲を確認することが出来る。

 隣にはサイレンススズカ。

 手元には二つの味が敷き詰められたポップコーン。

 そしてそれを取ろうと伸ばした俺の手が、いつの間にか少女のか細い指先で掴まれている。

 どうしたんだコレは。

 何で俺は今、密かにサイレンスと手を繋ぎながら映画鑑賞をしているんだ。

 

『やってみなきゃ分かんねえだろ……俺は絶対にお前に追い付いてみせる!』

『っ……!』

 

 中学生くらいの少年が同い年のウマ娘に雨の中で自らの夢を語る場面に少々の感動を覚えつつ、いつの間にこの状況に陥ってしまったのかを考えた。

 

 始まりは順調だったのだ。

 ウマ娘専用のあれこれが揃ったスポーツ用品店に足を運び、無難にシューズとトレーニング用のちょっと重めな蹄鉄を購入したところまでは良かった。

 サンデーがウチに転がり込んできた夜と同様に、彼女が参加していたルームメイトの女子の特訓についてを会話の中心にしていたからだ。

 その流れで選ぶ商品の良し悪しなども語れた──のだが、その後が問題だった。

 

 あまりにも緊張しすぎて何を話せばいいのか分からなくなってしまったのだ。

 そもそもサイレンスと長時間二人きりで過ごした経験が無い。

 会う時はバイト中か終わった後の帰路のみで、どちらもせいぜい数十分程度のコミュニケーションだった。

 無いのだ。

 私服でこの少女と二人きりで出歩いた経験なぞ、一度たりとも。

 そのため午後の予定を考える時間を設けるため、誤魔化し混じりに映画へ誘ったところ──現在に至るというわけである。

 

「わぁ……」

 

 故意なのか無意識なのか、サイレンスは山場に突入した映画に釘付けになり、俺の手を握る力が少し強くなった。

 これが本当に無意識下での行動ならとんだスケベモンスターだ。ボクと恋人になる気まんまんじゃないか。

 涼しい空調の利いた館内にいるはずなのに何だか火照ってきた。

 うぉっ手のぬくもりと共に緊張を添えて……っ。

 

『納豆って朝以外に食べるとなんか寂しい気持ちになるよな』

『わかる~』

 

 お互い焦りながらどうでもいい会話で時間を稼ごうとするその姿につい感情移入してしまう。

 こちらは会話しているわけではないが、上映中にもかかわらず余計な事を口にしてこの緊張を誤魔化したい気持ちでいっぱいだ。

 サイレンスは何故ずっと俺の手を握っているのだろうか。

 もしかして告白イベントすっ飛ばした? 贅沢な女め。

 とりあえずこの女は一旦婚約者にするとして、この後の予定をどうするか思案して落ち着こう。

 

 このウマ娘に追い付きたい少年と日本中に名が轟くレベルで足が速いウマ娘とのラブロマンス映画を見終えた後、まず考えるべきは昼食だ。

 この映画に影響されたサイレンスが『一緒に走りましょう』といった無茶を言わない限りはそれでいい。

 サンデーを憑依させれば同じ速度で走れるだろうが肉体をボロボロにするし考えるだけ無駄だ。どこで何を食べるかを決めよう。

 

『手を握ってる理由……? そ、そんなの、君が好きだからに決まってるでしょ。君の体温を感じていたいからアタシは……』

「──ッ!」

 

 あわわ。

 また一段と握る力が強くなった。

 痛くさせない加減が出来ている以上これはどう考えても意識して俺の手を握っているはずなのだが、サイレンスは全く離す気配も誤魔化す様子もない。

 俺のこと勘違いさせるのそんなに楽しい? 堪忍袋の尾があるよ。

 コイツが同級生の女子たちとどのような距離感で接しているのかは知らないが、少なくとも俺が男子である以上は一定の距離を保つべきだ。

 さもなければ俺がサイレンスを好きになってしまう。好きになってほしいのかな。じゃあ告白して了承するから。この阿呆!

 

『最悪。ファーストキスなのに、雨の中でなんて……ほんと、最悪っ』

『なら何でそんな嬉しそうな顔をしているんだ?』

『い、言わせないでよ……!』

 

 わぁ。

 きゃあ。

 洋画のやり過ぎなくらいのキスシーンなら何も思わないのに、なんで青春の甘酸っぱい感じのシチュになると目を背けたくなるのだろうか。

 

「ぁ……」

 

 逃げるように横を見たが──やはりサイレンスはスクリーンから目を逸らす事はなく、映画に引き込まれていた。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「いい映画だったわね……」

「お、おう。そうだな」

 

 上映終了後、映画館からショッピングモールへの通路を歩きながら感想を言い合っているのだが、感動の余韻に浸っている彼女の横にいても相変わらず俺の緊張は解けないままだった。

 何故ならサイレンススズカは未だに俺と手を繋いだままでいるからだ。

 おお、本日何度目の誘惑だ? 

 可憐すぎるフェイス。謝れ。

 

「──あっ、ご、ごめんなさい……! 私、ずっと秋川くんの手を……」

「いや、いいよ大丈夫」

 

 気づいた瞬間パッと手を離すあざとすぎ女。

 全然普通にわざとだという事は知っているが、ここは気づかないフリをしてあげるのが紳士というものだろう。

 

「昼飯はフードコートにするか」

「うん、行こ」

 

 はいまた手を繋ぎましたこのウマ娘。

 性根が猥褻。流石の僕も呆れ返るまでよ。

 

「さ、サイレンス。手……」

「えっ? あっ……!」

「気をつけような」

「う、うん……ごめんなさい」

 

 何とか離せたが、そろそろ真面目にサイレンスの距離感のバグ具合に一石を投じたほうがいい気がしてきた。

 こんな事をして困るのは彼女自身ではないのだろうか。

 長い事トレセンという女子高に通っていた影響で、男子との距離感を計りかねているのは分かる。

 しかし最低限の線引き程度なら彼女も理解できているはずなのだ。

 もしかしてサイレンスのライン越えの判定、キスとかになってる? 友達だとしても手を繋ぐのは男女間じゃほとんどやらないと思います。

 スベスベな手で俺の性欲を煽らないで欲しい。

 こっちはサイレンスの手を見るだけで鼓動が早くなる病を患ってしまっているというのに。ホントに困る。

 

「──あぁーッ! サイレンススズカさん!?」

 

 気を取り直してフードコートへ向かおうとしたその矢先。

 つんざくような子供の声が二人きりの空気を割いて入ってきた。

 

「えっ?」

「……あっ、サイレンス、帽子とサングラス……っ!」

 

 映画を観る際に外して以降、おてて繋ぎ事件に意識を持っていかれていたせいで全く気付かなかった。

 変装のために装着していた帽子とサングラスはカバンの中で眠ったまま。

 多くのグッズが販売され遂にフィギュア化までされて一般に浸透したメジャーな有名人であるウマ娘が、人が集まりまくるショッピングモールで変装もせずにほっつき歩いていればどうなるのかなど、小学生でも簡単に予想できることだ。

 

「……すまん、映画を観終わった後に言うべきだった」

「私も気がつかなかったから……えと、とりあえず新人トレーナーさんが勉強のためについてきた、っていう設定でいいかしら……?」

「ボロが出ないか心配だ……」

 

 少しばかり先を急いでいるような雰囲気を醸し出しつつ神がかったファン対応をこなしていくサイレンスに驚きつつ、余計な事を言って墓穴を掘らない為に最低限の嘘だけ喋ってその場を乗り切る。

 

「ァっ、あのっ、僕っ、スズカさんの大ファンで……えと、走ってる姿がカッコよくて、憧れで……っ」

 

 握手だのサインだのと平気で押しかけてきたミーハー集団とは異なり、一番最初にサイレンスの存在に気がついた少年は一番最後まで順番を待ち、心底緊張しながら遠慮がちに応援を伝えている。かわいい。

 そんな少年の健気さに思うところがあったのか、サイレンスはバッグの中から蹄鉄を取り出して彼にプレゼントした。

 

「良かったらこれ、貰って?」

「えっ! て、てっ、蹄鉄……スズカさんの……っ!」

 

 サイレンスを取り囲むように迫ってきた十数人の中で、実際に彼女が使用した蹄鉄を譲り受けたのはあの少年だけだ。

 一番最後にスーパー神対応をぶつけられた少年が怯んだのも束の間。

 そんな彼の頬を軽く撫でながら、サイレンスは聖母を思わせる微笑みを放つ。

 

「ふふ、応援してくれてありがとう。きみに憧れ続けてもらえるように、私もっともっと頑張るわね」

「……はひゃっ、ぁ、わァっ……」

 

 おっ、少年の性癖が壊れる音。今年もそんな季節か。

 サイレンスの立ち振る舞いがあまりにも自然且つ焦って無さすぎて、一緒にいる俺のことなんか何も聞かれなかった。これはきっとトレセンの関係者か何かだとみんな誤解してくれたに違いない。

 

 ──と、そんなこんなで緊急的なファンサをサイレンスの対応力でうまく躱し、俺たちは逃げるようにショッピングモールを後にした。

 モールから逃げたことで昼食を食いそびれてしまったな、と考えた辺りで辿り着いた先は商店街だった。

 道行く人々の年齢層がグッと引き上げられたせいなのか、先ほどとは打って変わってサイレンスを見てお祭り騒ぎになる様子は無い。

 存在自体は認知しているのだろうが、決して迫る事はないという大人の余裕が感じられる良い雰囲気の場所だと感じる。

 

 ……安堵したら、なんだか催してきた。

 映画を観てからここへ逃げるまでにいろいろあったせいか尿意にも気づかなかったらしい。ちょっと失礼。

 

「悪い、トイレ行ってきていいか?」

「じゃあそこのベンチで待ってるわね」

 

 一瞬だけ彼女を一人にしてしまうが、ご年配の方が多いここならファンに囲まれることも無いだろう。

 急いで公衆トイレへ赴き、用を足して洗面台の前に立つと、なんとハンカチがない事に気がついた。

 どこにやったかな。

 

「はい、ハンカチ」

「助かった、サンキュな」

 

 いつの間にか隣に居たサンデーがハンカチを手渡してくれた。

 

「……平然と男子トイレにいるよな、お前」

「隔離された場所で怪異に閉じ込められたら助けられない。なので」

「そうですか……」

「はい」

 

 思うところが無いわけではないが、コイツはコイツで自分にできる事をやってくれているだけなのだ。

 いちいち文句を言っているようでは信頼関係など結べない。

 仲良くしよう♡ ウェディング記念♡

 

「ハンカチはどうやって持ってきてたんだ?」

「普通に手で」

「……他の人から見たらハンカチが浮いてるように見えるな」

「しょうがない」

「それは……まぁ、しょうがないか」

 

 出かける前に荷物確認を怠ってハンカチを忘れた俺が悪い。なので何も言えない。

 とりあえずサンデーから受け取ったハンカチで水気をふき取り、トイレを出ていく。

 なの、だが。

 

「……トイレの出口がこんなに長いわけないな?」

「たぶん嫌がらせ」

 

 また怪異が絡んできやがった。

 やはりサンデーがトイレまでついてきた判断は正しかったようだ。

 

「あれ、カフェさん? こんなところで奇遇ね」

「スズカさん……こんにちは」

 

 横にある壁の向こう側から薄っすらと外の声は聞こえるのだが、ブチ破って脱出というパワープレイが出来ない以上は前に進むしか選択肢がない。

 

「なぁサンデー。俺の呪いって本当に解呪できてるのか? 今みたいに普通に絡まれてるけど」

「呪いは怪異が対象を自分の世界に引っ張るためのモノ。前は無限ループする濃霧の中に引き込まれたけど、押印された呪いが薄まってるから引力が弱まって、この上層部分に留まることが出来てる」

「はぇ~……」

 

 エロゲだったらそのままNSFWのCG回収が出来てしまえそうなあのドスケベ交流会にもしっかり意味があったのだと分かって安堵した。

 こちとら二回も女子を押し倒して精神がゴリゴリに削られている状況なのだ。

 こうして効果が実感できなかったらそのうち泣いてた。

 

「異性に送る誕生日プレゼント?」

「恥ずかしながら……父親以外の男の人に渡したことがないので、難しくて……」

「うーん。そうねぇ……無難だけど、ネクタイとかどうかしら。相手はトレーナーさんでしょう?」

「あ、いえ。その……た、他校の男子でして……」

「えっ!?」

 

 かろうじてサイレンスの驚いたような声が聞こえた気がするのだが、困った事に未だ出口の光が見えない。

 気がつけば歩いている場所は公衆トイレではなく、真っ暗なのに自分の身体と足元がハッキリと視認できる謎の空間になっていた。歩数を間違えたら出られなくなりそう。

 

「驚いた……カフェさん、恋人がいたのね……」

「っ!? いえっ、全然そんな関係では……!」

「そ、そうなの?」

「はい……まだ普通のお友だちと言いますか……それに、向こうが私をお友だちだと思ってくれているかは、正直自信が無く……」

「不思議な関係性ね……でも、ちょっと羨ましいわ」

「羨ましい……ですか」

「だってもう誕生日を教えてもらったんでしょう? 私なんてそれっぽい理由をつけて遊びに誘うので精一杯。プレゼントなんて夢のまた夢っていうか……」

 

 聞こえそうで聞こえない──うわっ、屋内のはずなのに雪が降ってきた。この空間ちょっと歪み過ぎではないだろうか。

 一瞬で寒くなったので湯たんぽ代わりに体重がめっちゃ軽いサンデーを抱きかかえつつ出口へ進んでいく。

 てか軽すぎなお前。持ち運びしやすいため今日より役職抱き枕。

 

「一緒にいるときは平気なフリをしているつもりなのだけど……やっぱり駄目ね。緊張しちゃって、事前に考えてた話の話題も忘れてしまうし」

「分かります……気の利いた会話を心掛けたくても、なかなか。……もしかしてスズカさんもお相手が……?」

「ぁいやっ、私も全然まだ友達でしかなくて……あはは。あのカフェさん、これは二人だけの秘密って事に……」

「勿論です。私としても、周囲の人たちには打ち明けられない事ですから」

「そうなのよね……いつも一緒にいるからこそ、話しづらいっていうか。ほんと、カフェさんとここで会えてよかったわ」

 

 ようやっと出口の光が見えてきた。

 住宅街で六時間迷いまくったあの時と違い、サンデーの案内が無くてもまっすぐ進めば出られる辺り、本当に怪異からの干渉を最低限のレベルに抑えることが出来ているようだ。

 マンハッタンさんには後で改めて礼を言っておこう。

 

「ようやく出れた……」

 

 サンデーを降ろし、肩や頭に乗った雪を軽く払ってからベンチの方へ向かっていく。

 だいぶ待たせてしまった。

 

「サイレンス、お待たせ」

 

 そう言って声をかけると同時に、彼女のそばにもう一人誰かいる事に気がついた。

 あれは……マンハッタンか。

 

 

()()()()()()()()

 

 

 おお、と慄く見事なハモり。体型といい足の速さといい、よく考えると似ているね君たち。

 

()()()()

 

 互いに顔を見合わせて固まるサイレンスとマンハッタン。

 二人が知り合い同士である事を俺が知らなかったように、どうやら彼女たちも互いが俺と知り合いである事を相手には話していなかったらしい。

 とりあえず一旦彼女たちの前まで行き、お手洗いで席を外していたことをマンハッタンに説明した。少し離れた後ろの方にいるサンデーが何かしらのハンドサインを送っているあの姿を見れば、マンハッタンも俺たちが怪異に襲われたことを察してくれることだろう。

 

「……? ……???」

 

 相変わらず固まったままだ。何か言え。絵画のようだよ。

 一体どうしたのだろうか。というか二人でどんな内容の会話をしていたのか。

 

「…………葉月さん、スズカさんとはどういったご関係で……」

「えっ? あぁ、サイレンスは何つーか、あの喫茶店のお得意様っていうか……よく来て話してくれるんだよ」

「……秋川くん、カフェさんと面識があるの……?」

「あのバイト先がマンハッタンさんの実家なんだ。それで……」

 

 何だろうか。

 微妙に気まずい空気が流れている気がする。

 友達の友達が意外にも近くにいたヤツだったというだけで、こんな雰囲気になるものか。

 

「……プレゼントを贈る相手、って……」

「スズカさんが誘った相手が……葉月さん……?」

 

 マジで一個も二人の会話が聞こえなかったので状況が飲み込めない。

 もしかして大事な話をしているときに割り込んでしまって『コイツ空気読めない奴だな……』って呆れられてるのだろうか。

 

「──ん。ハヅキ、返事はしなくていいから聞いてほしい」

 

 何でしょうか。

 

「もしこの栗毛ちゃんと今後も接触する機会が多いなら、話がこじれる前に呪いの事を打ち明けた方がいいと思う」

 

 それはそうだと思うが、あんな怪奇現象を果たして信じてくれるだろうか。

 

「あくまで提案。最終的な判断はハヅキに任せる」

 

 確かにサイレンスが事情を共有してくれるのはありがたいが──いや、もうこの際だから話してしまおうか。

 何となくだが、彼女なら突拍子もない話でも信じてくれそうな気がする。

 もしサイレンスとの今後の予定を組む際に解呪の儀式と被ってしまった際に、下手な言い訳をするのも心苦しい。

 打ち明けてしまおう。何よりその方が俺の心境がとても楽になる。

 

「……サイレンス、ちょっと聞いてほしい話があるんだ」

「えっ?」

「マンハッタンさんも居てくれた方が助かるから、三人だけで話せる場所に移動したい」

「……? ……あ、なるほど。はい、分かりました。スズカさん行きましょう」

「え、えぇっ?」

 

 というわけで誰かに話を聞かれる心配のない場所へ赴こうとした結果、最終的に俺の家で話そうという結論に至ってしまったのであった。

 何だかウチが賑やかになってきたな。うれしい。

 

 

 

 

 

 

 ──?

 

「葉月さん、がんばってください……あと十五分で終わりにします……」

 

 ん。

 何がどうなったんだったか。

 

「だいじょうぶ、秋川くん? 辛くなったら私に寄りかかってもいいから……」

 

 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中。

 四畳半の狭い部屋に敷いた布団の上に座り、二人のウマ娘に両サイドから囁かれつつ、優しく腹部を触られている。

 思い返す。

 思い返す。

 なぜ、一体どうしてこの状況に陥っているのかを、茫々とした視界に揺れながら想起した。

 

 確かサイレンスに解呪の概要を知ってもらうために、一旦マンハッタンの実家に寄って儀式用のペンダントを持ってきたんだったか。

 まだ儀式から一日しか経過していないため石は若干濁っているものの、俺の状態と白ペンダントの変化を見てもらったほうが話が早いという結論になったのだ。

 一応サンデーが物を動かしたりして特異な存在の有無自体はサイレンスに信じてもらえたが、怪異のことを話したのなら呪いの事も詳らかにしなければ、俺とマンハッタンの間にある関係性を不審に思われる可能性が高い──というわけで、この状況になったんだった。

 

 ちなみに俺は布団の上で胡坐をかいて座っているのみで、これといった拘束はされてない。

 前回の反省を踏まえてロープでグルグル巻きにでもした方がいいんじゃないかと提案したものの、理性が無い状態では体の限界を考えずに拘束を解こうと暴れてしまう恐れがあるらしく、俺を怪我させないためには下手に拘束するよりも感情の矛先をウマ娘である自分たちに向けさせた方が安全だとマンハッタンに諭されたためにこうなっているワケだ。

 ウマ娘は多少頑丈なので問題ない、の一点張りだった。

 サイレンスもこれに同意的で、怪我だけはさせたくないと懇願されてしまっては、俺から言えることは何もなかった。

 

 で、肝心の二人が同時に俺に触れている理由だが──これは単にこちらの方が効率が良いから、だそうだ。

 ペンダントを持つ対象が二人になる事で、呪いを吸い上げる吸引口も二つになり、儀式の時間短縮につながるらしい。

 正確に言えば一時間が三十分になる。

 儀式が効率化され、俺が理性を失って暴れかける時間も減らせるとなればやらない理由は無かった。

 という事で二人は俺の両サイドに座り、背中側に回した手でペンダントを握り合い、もう片方の手で腹部の精神体から呪いを抜いている。

 

 ──のだが。

 

「秋川くん? 顔が赤いし、汗が滲んできてるけど……冷房の温度を下げましょうか?」

 

 さわさわ。

 

「残り五分ですが……黒ペンダントの効果で理性のリミッターが外れかけている証拠です。この状態だと考えたことがそのまま一番の優先順位になるので、汗の不快感や喉の渇きに対応するためのタオルや飲み物などを用意しないと……」

 

 さわさわ。

 

「途中で離しても大丈夫なのかしら」

「どちらか片方が触れ続けていれば大丈夫です」

「じゃあ私が持ってくるわ。……秋川くん、待っててね」

 

 耳元で囁き。

 

 

 ──頭がおかしくなりそうだ。

 

 効率化?

 コレのどこがだ。違和感に気がつかないのか。

 時間が短くなった分、儀式の内容が濃密になっただけじゃねえか。どこまで俺を高揚させるおつもりか?

 何だよ二人って。

 両サイドに座って腹部を優しく撫でられながら両耳に囁きASMRされてる俺の気持ちを考えてくれよ。これならどちらか一人にやってもらってた方がまだ我慢できるわ。

 アスリートの風上にも置けないわ。スケベの化身がよ。かわいいな……。

 身体を密着されて、二人の女子の甘い体臭に脳を揺さぶられて、実際に触れてもらう衝撃と耳元で囁かれる破壊力は余裕で地球を破壊できるレベルのものだ。俺のこと殺したいのかな。

 

「はい、飲み物。お口を開けて?」

 

 腹部を触られながら時折ジュースを飲ませてもらい、首元に汗が伝えばタオルで拭いてもらえる。 

 何より二人でペンダントを持ちながら俺に触らなければいけない都合上、三人の密着度がヤバいことになっている。

 比喩抜きにして()()()()()

 俺の肩に二人の胸部が密着されており、俺は人類で初めて肩で女子の心臓の鼓動を感じ取った人間になってしまったのだ。

 加えて、顔が近い影響で時たま彼女たちの頬が当たる。やわらかほっぺを当てんな! 頬肉がマジで邪魔だ! この弾力新たまねぎ♡

 

「もう少しです、葉月さん……がんばって……」

「大丈夫? 息、上がってきてるけど……えらいわ秋川くん。こんなに我慢できて……本当にえらい」

 

 ぁ°。

 何かにヒビが入った。

 これまで受けてきた無自覚エロ攻撃が三乗くらいになって加速度的に理性を破壊してきている。

 もう、我慢できる限界などとうの昔に超えていた。

 

「──~~~~ッ゛!!!!!」

 

 スケベ女の癖に調子に乗りおって……3つある堪忍袋の尾がとうとう切れたぜ。

 

「ひゃっ……」

「カフェさ──あぅっ」

 

 絶対にどこにも触れまいとズボンのポケットに突っ込んでいたはずの両手を解放し、二人の肩を抱き寄せた。

 もう完全に俺のだわ。全身が交尾を体現してるじゃん。月が綺麗ですね。

 

「どっちからキスしようかな」

「え? ……えぇっ、秋川くん!?」

「す、スズカさん、お気を確かに……」

 

 焦り過ぎ。心底キスを楽しみたいんだね♡ 愚かだ。

 おいおいやはりただのメスなのか? それとも栄光を掴むのか。どっちなのだ!?

 

「だだだってキスって今……!」

 

 下品なあわてんぼう女。お天道様に顔向けができないよ。でも俺だけは見てるよ。 

 

「恐らく葉月さんはこれでも耐えている方です……私たちが離れてはいけません……っ」

 

 すぅぅぅぅーっ、はぁぁ。

 良いメスの匂いだ。侘び寂びを感じるね。

 

「ペンダントが最大量に達する前に二人とも離してしまうと……呪いが逆流して大変なことに……」

「で、でもっ、秋川くんの息が凄い荒くなって……ひぅっ、み、耳を甘噛みしないでぇ……」

 

 おい学園じゃその顔絶対するなよ? エロ女だと看破されるからな?

 謙虚に堅実に生きよ。決してあきらめるな。自分の感覚を信じろ。

 

 ──いつもなら残り十分ほどで脳の抑えが利かなくなる。

 逆に言えば経験上では五十分は耐えられるはずなのだ。ここまでの所要時間は二十五分で、ちょうど半分しか経っていない。いつもなら余裕でいけるはずだった。

 だがそれは相手が一人だった場合に限るようだ。

 

 状況が両サイドあまあま囁き応援ASMR~ハーレム撫で合いで呪いを抜き抜き♡~ になってしまった以上、もはやすべての計算式が破綻してしまった。もう俺にはどうにもできない。

 自分の下唇を噛んで、思い切り目をつぶって我慢するくらいだろうか。

 

「っ゛……ッっ゛」

「んんっ♡ ……ぁ、と、止まった……?」

「い、いけない、妙な我慢の仕方で凄い量の涙と汗が……葉月さん、辛かったら遠慮せずに寄りかかってください……」

「わっ、私も大丈夫、また肩を掴んでいいから……そんな血が滲むくらい自分の手を強く握るのはやめて……?」

 

 おい! 男の子が頑張って死ぬ気で本能を抑え込んでるのに解こうとするな! 応援してそこは!

 いやいいか。

 許されてるし。

 ムリを通せば道理が引っ込むというもの。エキセントリック!

 

「あっ……はい、そうです、力み過ぎず私たちに頼ってください……ちゃんと支えますから……」

 

 こんな三人で塊になって蒸れた触れ合いをしながら今更何をのたまう? 何をして喜ぶ? 状況判断が大切だと教えたはずだ。

 とりあえず両手を二人の腰元に回し、彼女たちを引き寄せてマンハッタンの方に体重を預けた。

 まるでサウナにでもいるのではないかと錯覚するほどに暑い。

 意識と視界が茫々として、涙で滲んで何も見えない。

 普通の男であれば昇天してしまうところだ。

 俺でなければだがな。

 

「は、ァ……二人とも、ごめん……っ」

 

 以前は五十分ちゃんと耐えられた──その経験だけが俺を支えている。

 

「ちゃんと、耐えるから……なにか、落ち着くことを言ってくれ……」

 

 俺史上一番頑張ってる。

 いつまでも性欲に振り回される俺ではないのだ。

 がんばれがんばれ!イけイけイけ!情けなくイけ!下品にイけ!とてつもなくイけ!!

 

「は、はい。えぇと……一日は八万六千四百秒です……」

「私も……あ、ダチョウの卵って茹でるのに四時間かかるんだって」

 

 違う違う違う違う!!!!!

 泣きそう。

 

「そっ゛、そういうのじゃ、なくて……こう、母乳のぬくもり的な……」

 

 なんかこうもっとなんか、なんかない?

 

「母乳のぬくもり……ですか……」

「保健体育でやったような……でも、仕組みがよく分からないわ……」

「あれは子供を産んでなくても可能なのでしょうか……」

 

 待ってワードチョイスをミスった。比喩。ニュアンスで理解してほしい。

 温かい言葉的な意味が含まれてたんだよ。

 限界ギリギリの理性でやっと絞り出せた言葉なんだよ。察して。

 

「葉月さん……牛乳で代用してもよろしいですか……哺乳瓶はありませんが……」

 

 マンハッタンミルク。

 

「そういう問題なのかしら。えっと、哺乳瓶が売ってるのって薬局……?」

「次回までに買っておきましょう……あと粉ミルクとか……」

 

 あれ、あれ。流れがおかしい。

 下品な感性を生まれ持ちやがって。調教が必要だなこれは。カルマ。

 

「今は手元に紙パックのコーヒー牛乳しかないので……ストローをどうぞ……」

「んむっ」

「よしよし……いい子ね……」

 

 おいちい♡

 こんなはずではなかったんだ。

 ママとしての矜持を持てよ。

 気合いでペンダントの効果を耐え抜いて男を見せるはずだったのだ。

 ママは息子にしゃぶりつかれたら出来合いの甘やかしをするのが摂理だろ! 丁寧に撫でろ。

 違う……ちがう……。

 

「秋川くん……あまーいのちゅるちゅる終わったら、おねんねしましょうねぇ……」

「葉月さん、今回はかなり消耗しているので本当に眠ってしまったほうがいいかと。汗は私たちで拭いておきますので……」

「ほら、カフェさんも」

「あ、はい。えっと……上手に飲めてえらいです……ねんねできるまで、お背中とんとんしてますね……」

 

 二人とも柔らかい笑顔になった途端にケツの尻尾が浮き上がってきているぞ! ママ! そんなんで母は名乗れんぞ! そういうとこ好きだよ。

 ちなみに失言で男としてのプライドが灰燼と化し心がポッキリと折れたため、俺は目が覚めたら『何も覚えてない』という設定で乗り切るべくそのまま瞼を閉じて押し黙った。

 オイ! あまり頭を撫ですぎるな。素人ママめ。その意気やよしだ。

 山田……たすけて……。

 

 



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ベルベルベルベルベル ぁ

 

 

「こ、こんにちはー」

 

 ママにバブりオギャらせて貰うという異常体験の翌日。

 あのまま眠るように意識を失い、今朝起きてから確認したスマホのメッセージの内容にてんやわんやしつつ外出の準備をしていると、インターホンと共に尋ね人が来訪してしまった。

 準備を中断して一旦玄関まで赴き顔を見せに行くと、そこにはワンピースとカーディガンでおしゃれに決めたメジロドーベルの姿があった。ちょっとかわいすぎるな。

 

「おはよベル。悪いんだがもう少しだけ待っててくれるか」

「あ、うん。急がなくていいからね」

 

 わざわざ急がなくていいと言ってくれる相手に対してはなるべく急いで誠実に対応した方がいい──尊敬する先輩がくれたアドバイスだ。手早く済ませなければ。

 

 先日の事件(イベント)が終わった後サイレンス達は書き置きを残して帰宅し、起きた時に部屋にいたのは俺とサンデーの二人だけだった。

 静寂の朝に昨晩の淫靡な出来事を思い出し、早朝の生理現象も相まってムラムラするどころの騒ぎじゃなくなったのも束の間。

 確認したスマホのメッセージ履歴にドーベルとのやり取りが残っていたのだ。

 どうやら俺が眠りこけている間、着信したメッセージに対してサンデーが上手いこと対応してくれていたらしい。ホスピタリティの塊。

 

 会話の内容は『漫画の資料集めの為のお出かけ』であり、以前ご褒美だか命令だかで約束していたアレを今日執り行うことになっていたので、今朝はこうして慌てながら外出の準備に勤しんでいるというわけである。

 なんでも資料集めはネットサーフィンや図書館巡りというわけではなく、ドーベルが描き悩んでいる構図や風景を写真で集めるという事で、その撮影のアシスタント係が本日の俺の役目だ。

 一体何枚ほどえっちな写真が撮れるか楽しみである。

 

「すまん、待たせた」

「ワひゃっ!」

「あ、わり」

 

 玄関の扉を開けると、手鏡で前髪を軽くセットしていたドーベルを驚かせてしまった。

 そんなに髪型とか気にしなくてもかわいいよ。

 

「んで、まずはどこに行くんだ?」

「ちょっと遠いから電車に乗るかな。近くにレストランもあるらしいから、お昼はそこにしよ」

「分かった。……あ、その飲み物こっちで預かろうか。一応保冷バッグ持ってきてんだ」

「いいの? ありがと」

 

 炎天下の中で歩き回って撮影すると言われていたため、熱中症にならないよう色々リュックに詰め込んで持参してきた。準備に手間取った理由はこれのせいだ。

 普通に近場へ出かけるなら手ぶらだが長時間の撮影となれば話は別。

 あの高架下で初めて出会ったサイレンスに応急処置をした時のように、何があっても対応できるようにしておかないと落ち着かないのだ。

 一時的に秋川の本家に預けられた際に、トレーナーとしての勉強をこれでもかと言う程やらされた頃の名残りである。

 

「ツッキー、結構荷物多いね?」

「円滑に撮影する為にいろいろとな。大体のもんはあるから何かあったら言ってくれ」

「じゃあ、冷感タオル」

「ほい」

「手持ちの扇風機は」

「二つあるぞ。どっちがいい?」

「まいりました……」

 

 まだまだあるからぜひ頼ってほしい。

 安心して♡身を任せて♡ボクは中央サブトレーナー試験程度なら乗り切れる知識がある。

 とりあえず駅まで直行し、電車に揺られながら目的地への到着を待つこととなった。時間にして三十分ほど要するみたいだ。

 二人旅。

 ハネムーン?

 

「見てこれ、スカイがベンチでお昼寝してるところに猫が集まっちゃって……」

「七匹も……猫カフェかな」

「ふふっ、スカイったら起きても身動き取れなくてさ」

 

 乗り換えた電車内の乗客がほとんどいなかった事もあり、スマホの画面を見せてもらいながら談笑しているこの時間──何と言うか、非常に落ち着く状況だ。

 隣同士で座りながらスマホで動画を見せ合った事がある相手など山田くらいのものである。

 普通に友達と駄弁りながら過ごす時間なんてものは、高校生にとっては当たり前のはずなのだが、これがどうして直近の出来事を思い返すと俺にとっては珍しいイベントになってしまっていた。

 

「ベル、これ盗撮か?」

「ほぇっ。そっ、そんなわけないでしょ! スカイ本人が『寝てる時に動物集まって来てるらしいから出来たら動画を撮って~』って……」

「へぇ……一般人じゃあんまり見れないトレセン内の貴重な映像だな」

 

 イケナイ映像を見た気がしてそこはかとなくえっちだ。ホォッ♡

 

「……ふーん」

「なんだよ」

「別に? 明らかに口角が上がっててちょっとキモいなー、って」

「うるせぇな……」

 

 こういった普通の距離感で居てくれるドーベルの存在のありがたみを改めて実感している。

 キモいという言葉には傷ついたので責任を取って一緒に指輪を選んでほしいが、当たり前のように手を握ってきたり身体をくっつけたりなどこちらの理性を試すような行動を起こす事はないので本当に助かる。

 もちろんサイレンスたちのアレも俺への信頼の形だという事は理解しているのだ。

 あそこまで気を許してくれているのは素直にありがたいし、感謝するべき事だということも分かっている。流石にあのレベルはベロチューするしかないが。

 だからきっとこれは贅沢な悩みというやつなのだろう。

 ほぼ毎日のように複数の友人たちとコミュニケーションを取るなんて、数年前の俺からすれば喉から手が出るほど羨ましい状況だ。

 

 ……無論、女子が隣に座っていて緊張しないほど紳士ではない。

 隣同士で座っている都合上、電車が揺れた際に稀に彼女の胸部の膨らみが俺の二の腕に当たったりもしている。

 それでも何とかポーカーフェイスを保てるほど精神的に落ち着いていられるのは、ひとえにドーベルがちょうどいい距離感でい続けてくれているからだろう。

 さすが友人。こなれ感かなりリスペクト。

 

「あれ、ツッキー」

「どした」

「スマホのそこに入ってるの……もしかして免許?」

 

 ドーベルが少しだけ身を乗り出して覗いてきた。

 瞬間、髪からふわりと甘い匂いが香る。犯罪。

 俺のスマホカバーは手帳型なので、財布よりも携帯する機会が多いこちらに免許をしまっているのだ。

 

「昔からバイクに乗りたかったんで去年取ったんだ」

「そうなんだ。でも、乗ってるとこ見た事ない。家の前の駐車場にもバイクなんて……」

「あー……去年修理できないレベルでぶっ壊れたんだが、生活にも困らないし買い直す機会を後回しにしてたら……こう、ズルズルと」

「ちょっと分かるかも。アタシもアナログで書いてた頃は全然新調しないで、手元にある物だけで頑張ってたなぁ」

 

 妥協の方法を見つけるとそれでやり繰りしようとしてしまうのが人間のサガだったようだ。僕たち似た者同士だね。

 

「バイクかぁ……ちょっと意外。乗り物好きなイメージは無かったから」

「特別好きってわけでもないけどな。ガキの頃に親父が後ろに乗せてくれて、以来少し憧れるようになっただけで全然詳しくないし」

「ふーん……?」

 

 そもそも父親に乗せてもらったのもたったの一度だけだ。

 幼少期の思い出故に印象深いだけで実はそんなに好きでもない。

 昨年、実家からこちらへ帰る道中、バスに乗り遅れて『約束の時間に間に合わねェ終わった!』と嘆いているウマ娘を後ろに乗せて走った事があるのだが、なんならあのメカメカしい変な耳飾り付けてた少女のほうがバイクが好きそうだった。

 後ろに乗せても背中に当たるおっぱいの感覚がほとんど無かったことから逆に印象に残っている出来事だ。今更だが名前くらいは聞いておけばよかったな。

 

「……ね、もしまたバイクに乗るならアタシのこと後ろに乗せてよ」

「だから乗る物自体持ってねーんだって」

「もしもの話だってば。二人乗りしてる時のヒロインの心情、考えても分かんないから知りたいの。後ろから抱きついて前も見えず行先を彼に全て委ねる──うぅん、やっぱり興味深い……」

 

 写真撮影だけじゃなくシチュエーションの体験まで欲しがり始め女。いいと思う。

 後ろに乗せた時に胸を押し付けてくれるのであれば考えなくもない。バイクなぞ安いものだ。

 

「おー」

 

 ちなみにサンデーは少し離れた席で窓の外を興味深そうに眺めている。

 ドーベルやサイレンスだけでなくマンハッタンさんと一緒にいるときもあんな適当な感じなせいで、気を遣ってくれているのか単に興味が無いだけなのかが分からない。

 まぁアイツは一旦無視しておこう。

 

 談笑を軽く続けているうちに時間は過ぎ、電車を経てバスに乗り更に数十分ほど旅を続けて、ようやく俺たちは目的地である花畑に到着した。

 

「結構遠かったが……いい場所だな。にしても花の種類がエグい」

「ふふ、綺麗でしょ。もうちょっと先に進めば海を一望できる崖があるの。これ見よがしにベンチもあるからロケーション作りに最適……!」

 

 ドヤ顔で鼻を鳴らすかわいいドーベルちゃんを一瞥しつつ、周囲を見渡した。

 景観が良いのはもちろんだが、ここを彼女が撮影場所に選んだ理由がよく分かる風景や建築物が多く見受けられる。

 

「じゃ、どんどん撮っていこっか。まずはあそこのひまわり畑へゴー!」

 

 程なくして撮影がスタート。

 付近に荷物を置いたドーベルはワンピースの上に羽織っていたカーディガンを脱ぐと、バッグの中から取り出した麦わら帽子をかぶってひまわり畑の中心へ進んでいく。

 直前で手渡された彼女のスマホのカメラを起動し、俺は定位置についてそれを構えた。

 乳がデカすぎてワンピースがかわいそうだったぞ。服は大事にしよう。

 

「じゃあそこから写真撮って。五枚くらいできたら確認して、次のポーズにするから」

「お、おう」

 

 ひまわり畑の中でこっちに手を差し伸べる白いワンピースを着た麦わら帽子の女の子──なんかどっかで見た事ある。

 言うなれば概念的な『いつかの夏の思い出』と言ったところだろうか。

 子供の頃に結婚の約束とかしてなかったっけ俺たち。

 

「儚いヒロインで泣かせに来るタイプのノベルゲーのパッケージみたいな構図だ」

「あはは……まぁ、王道的な構図ほど欲しいタイプの資料が見つからないものでね。絵にしたい画角を自分で用意する方が手っ取り早いんだ」

 

 あまりにも既視感のある光景と、女子と二人きりでの撮影会という現実味の無さが相まって、まるでドーベルがメインヒロインのエロゲを体験しているような錯覚に陥る。

 麦わら帽子をかぶった白ワンピースでこっちに笑顔を向けるドーベルの儚さ指数ヤバいな。急に姿を晦ましたりしないか心配になってきた。今のうちに告白しとこうかな。

 

「……ん、電話?」

 

 屋根のある休憩所に一旦避難し、ドーベルにタオルやらスポーツドリンクやらを渡していた辺りでポケットの中が振動した。

 

「ベル、ちょっと電話してくるから少し休んでてくれ」

「はぁーい」

 

 万が一この電話が山田からだったりした場合、ドーベルの声が聞こえたら大変なことになるため休憩所から距離を取っておく。

 そしてズボンのポケットから携帯を取り出して画面を確認すると──どきり、と心臓の鼓動が大きくなった。

 

「っ」

 

 思わず息を呑んだ。

 全く予想外の人物からの連絡だったからだ。

 ドーベルと共に平和な休日を過ごしていた油断しまくりの俺では、その名前の大きさを一瞬で受け入れることが出来なかった。

 急速に早まっていく鼓動を抑えるように一度深呼吸を挟み、ボタンをタップする。

 何よりもまず自分から言葉を発しなければという焦りから声が上ずってしまったが、緊張でもうそれどころではなかった。

 

「っはい、葉月です。ご無沙汰しております──奥様。……えっ、呼び方? ぁ、あはは、癖と言いますか。いえ、申し訳……すみません、叔母さん」

 

 突然俺の元へ連絡を寄こしてきたのは、海外へ飛んだ叔母。

 現在の中央トレーニングセンター学園を取り仕切る秋川やよいの母親その人であった。

 

 

 

 

「……やよいを手伝え、ね……」

 

 十数分のやり取りを終えて電話を切ると、それまで溜め込んでいたものが溢れるかのように深いため息がこぼれた。

 

「ハヅキ、大丈夫?」

「いや……ラスボスと話してたからちょっと疲れた」

「そう。頑張った、よしよし」

「いらんいらん撫でるな」

 

 急にそういうことするから勘違いされるんだ。本当にベロチューされたくなかったら黙ってろ。

 

 ──俺にとっての叔母は恩人で黒幕で相容れない存在だ。

 

 ほぼ一年ぶりの連絡の内容は、今月の下旬辺りに開催される新しいイベントの手伝いに行ってほしいというものであった。

 とあるスポンサーが主催の大きな催事に学園側が協力するという形になっているらしいのだが、内部でなんやかんやあってトレセン側の仕事が多くなり、結果として様々な準備や処理を一手に担うことになった理事長の負担がとんでもない事になってしまった──との事で。

 

 多少の無茶は要求されてもこなさなければならない立場であるとはいえ、彼女は自分の肉体の疲弊を度外視してタスクを完了させてしまうタイプの人間なので、このままだと危ないかもしれないと叔母は語った。

 んなもん一介の学生でしかない俺に話してどうすんねんと言いたいところだが、残念なことに秋川やよいという人間を本当の意味で制止できる存在は今でも俺しかいないようで、叔母さんのお願いという名の命令を拒否できない俺は話に頷くことしかできなかった。

 理事長秘書の駿川さんも上手くやってくれているものの、今のやよいは反省したフリをして見えないところで仕事をし続けているらしく、一日や二日でいいから彼女に引っ付いて強制的に休ませてあげてくれというのが叔母からのオーダーであった。

 

「……二年ぶりくらいか」

 

 呟きながら休憩所へと戻っていく。

 やよいとはもう暫く顔を合わせていない。

 彼女が学園の理事長を任される流れになった際に、俺を秘書に置こうとしたり理事長職そのものを回避しようとしたりなど一波乱あり、あの時少し厳しめにやよいを叱って突き放して以降一度も会っていないのだ。

 今考えればあの時の俺はカス野郎だったと思う。

 どういう結果になろうとも俺だけはやよいの味方でい続けなければならなかった筈なのだ──が、楽しそうに理事長をやっているあの姿を見ると、何が正解だったのか分からなくなる。

 

 そんな気まずい相手と二年ぶりに会う予定が出来てしまった。

 正直バチクソに緊張するし不安だ。

 

「……ツッキー?」

 

 テーブルを挟んだ向かい側から、明らかに心配そうな声音が聞こえてきた。

 

「ん、あぁ」

「大丈夫? さっきの電話をしてから、何か顔色が悪いような……」

「いや何でもない。続きの撮影しようぜ」

 

 こっちの事情を聞かされても困るだけだろう、と考えて席を立つと、程なくして後ろから袖を引かれた。

 振り返ると、ちょっと真面目な表情に切り替わったドーベルがいる。どんな表情でも美人。

 

「……あのさ。アンタの隠してること全部話して、って意味じゃないんだけど」

 

 どういう意味だろうか。

 

 

「だ、だから。……ちょっと嫌な事があったとか愚痴るだけでもいいじゃん。あんまり一人で抱え込まないでさ、アタシにも軽く相談するとか……して欲しい。……友達なんだから」

 

 

 ──ベルちゃん。

 緊張した面持ちながらも首を見上げてまっすぐ俺と目を合わせるベルちゃん。

 面と向かって俺に”友達”と宣言してくれるベルちゃん。

 

「……ベル」

 

 感涙に咽ぶ思い、とはこの事だろうか。

 俺自身を慮って引き留め、友達として寄り添ってくれるこの少女を前にして、自分の中で他人に対して張っていた壁が崩れ去っていくのを感じた。俺が俺でなくなる……っ。

 何も深い考えがあって先ほどの件を隠したわけではない。

 あれは血の運命からなる繋がりで、他人に話してどうにかなるものではないと思っていたから、ただ反射的に誤魔化しただけだった。

 けれど()()()()()()()、と。

 愚痴るだけでも違うから、と。

 叔母とのやり取りで精神性が過去の自分に逆行しかけていたが、ベルのおかげで今の俺には寄り添った提案をしてくれる存在がいるのだと思い出すことが出来た。

 ベル優しくてだーいすき♡ ビューティー・コロシアム。

 

 お前いま俺のこと攻略しかけたんだぞ。

 告白したらオーケー出すから一旦とりあえず告白してみてくれない?

 

「ありがとな、ベル。──ちょっと聞いてくれるか」

「っ! ……うんっ」

 

 撮影のことは一旦置いといて、俺は彼女の言葉に甘えて抱えていた事情を詳らかにしていった。

 多分話さなくていい事まで喋ってしまったような気もするが、今の俺の中のドーベルの好感度はとてもヤバい事になっているため、ブレーキを利かせるのが難しかったらしい。

 

 

 

 

 相談を終えて撮影を再開してから半日ほど経過し、夏と言えど暗い時間に差し掛かった辺りで俺たちは帰路に就くことにした。

 ベルに相談した内容は『会うのに勇気が必要な人がいるから、直前まで一緒にいて欲しい』という情けないものだ。了承してくれてうれしアクメ。

 いまいる友人の中で唯一俺の秋川という苗字が学園の理事長と同じ家系のものであることを共有したわけだが、漫画のネタにならないかなと持ち掛けたところ、ベルは目を輝かせて矢継ぎ早に質問を繰り返してきた。

 深刻な感じに捉えてくれなくて助かった。

 俺の多少特異な境遇などネタにしてもらうくらいが丁度いいのだ。

 

 で、スッキリして憂いなく帰り道の電車に足を運んだところ──帰宅ラッシュの満員電車にブチ当たった。

 

「大丈夫か?」

「へ、平気……ありがと」

 

 ドア側に避難させたドーベルが潰されないよう、庇うように腕と背中で彼女を他の乗客の圧迫から守っている。うおっ♡ 暑っ♡

 少しばかりスペースを取ってしまうので他の人からすると少々ウザいだろうが、それでも俺の友人兼スーパー有名ウマ娘であるドーベルを電車で揉みくちゃにさせるわけにはいかないのだ。

 最近は多少改善されているもののドーベルの男性が苦手なアレは治り切っているわけではなく、この混雑で他の男性に圧迫されてしまったら最悪失神しかねない。

 守らなければ。

 後方彼氏面してる場合ではないのだ。彼氏なので。

 

「っ゛……」

 

 ところで、おっぱいが当たっている。

 

「ツッキー、凄い汗……待って、いまハンカチで拭くから」

「お、おうサンキュ」

 

 凄い巨乳だね♡ 俺を興奮させるためだけにデカくしたんだよな。当てつけか? 許さんぞ。

 

「よい、しょ……」

「ぅっ……」

 

 ポーカーフェイスで平気なフリはしているが体の反応はそうもいかないらしい。暑さ以外の理由で汗が止まらない。ぶんぶく茶釜。

 友人だ何だと感動した矢先に女子の武器を真正面から受けた俺の身にもなってほしい。アスリート然としたスレンダーな体型のサイレンスやマンハッタンと関わっていて忘れかけていたが、胸が大きい女子と距離が縮まると当然それはこっちの身体に当たるのだ。

 ドーベルのそれは大きい。夢のように。

 汗を拭くために俺に近寄ったことで、胸板に押し付けられたそれが潰れるように形を変えて、より鮮明に胸部のやわらかい膨らみを強く感じる。

 オッパイ柔らかくてヴィーナスのようだね♡ 果てしないエロ女だな。

 

「……ツッキー? ──あっ」

 

 気づかないで欲しかった。

 まるで気づいてないフリをしていた俺が紳士ではなく感触を楽しんでいたムッツリ野郎になった瞬間だ。

 

「…………んっ」

「──ッ!!?」

 

 ムヒョー♡ 鳥。

 恥ずかしがって距離を取るかと思いきや、逆に押し付けてきやがった。

 ありえない。何でだよ。発情期? えっちすぎて失神。。。

 とりあえず他の人に聞こえないよう耳元でコッショリ話す。

 

「べ、ベル……おま、わざとか……?」

「……そ、その、後で感想を聞かせてよ。男の子ってこういう時、どう思うのか……」

「ハァ……っ!?」

 

 こいつ作家先生として感性が完成され過ぎているだろ。資料集めのためなら恥すら厭わないのか。

 ”生粋”。トレセン学園には真のスケベ女が多いという噂は真実だったのだな。

 これをやっていて一番恥ずかしいのはお前なんじゃないの。

 あんまり調子乗ると胸を鷲掴みしてチューするよ? 覚悟はいいね。

 

「……よせって。眼鏡と帽子かけてても、ガチのファンならメジロドーベル本人だって気づくぞ。見られたらヤバい」

「その方がドキドキする……でしょ」

「おまっ、お前な……何だ、あれか、エロ漫画でも描こうとしてんのか」

「……なに、描いてほしいの?」

 

 こいつヤバい。

 わあい! ベルだいすき! 僕だけの美人なベル! 何者にも代えがたいベル! 御託は済んだかよマゾ女。

 サイレンスとマンハッタンの影響でも受けてしまったのだろうかと錯覚する淫靡さだ。漫画のシチュ集めに対しての情熱が強すぎる。

 妄想エロ漫画家如きが生意気だべ。でも一刻の猶予を与えて然るべきとは孔子の教えにも記載あり。

 

 何だろうか。

 俺は自分の友人たちに対して、俺ができる範囲で誠実な対応をしてきたつもりだった。

 それには多少なりとも意味があって、結果として仲を深めることができたのは確かに事実──だが何かがおかしい。

 サイレンスの握手多発バグ。

 マンハッタンの解呪時の淫猥な態度。

 そしてドーベルの()()

 

 俺が何か悪い事でもしたのだろうか。

 どうしてどいつもこいつも俺の理性を試すような真似ばかりするのだろうか。

 もしかしてトレセンでそういうの流行ってたりするのか。

 仲良くなった男子をからかって遊ぼう、みたいな。

 だとしたら許せん。

 くそ……何だその上目遣い。どこで覚えてきた!? かわいいね♡

 童貞の情緒を狂わせてタダで済むと思っていたら大間違いだ。

 こいつらの性格が主に善だという事を加味した上でも、イタズラ心で俺をからかっているなら許せない。

 ドーベルがこの前描いていた少年漫画風のラブコメ主人公などの並の男なら、こんな事をされても照れて大声を出して逃げるだとかそんなレベルだろう。

 俺でなければだがな。

 

 握手洗いのときも耐えた。

 呪い抜き抜きASMRも全力で我慢した。

 彼女らの一挙手一投足からなる妖艶さに今の今まで抗ってきた。

 俺は十分耐えきったのだ。これ以上受けに回っていたら自我を保つことが出来なくなる。

 見事なもんだよ恐れ入った。これは褒美を取らさせねばな。

 

 キレた。もうプッツンした。

 手を出される事はないとでも思ったか? さては相当なマゾやね。

 男子を性的に煽るという行為の恐ろしさを教えてやる。

 ここまで築いてきた絆を盾にいかがわしい事しまくってやるぞ。

 魔性の美女。通称美魔女。オスが虜の魅惑のシルエット。淫乱女には天誅だ。

 

「──ベル。お前電車から出たら覚悟しとけよ」

「えっ……?」

 

 お望み通り少女漫画に欠かせないシチュエーションを体験させてやるからな。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「こっち来い」

「あわわっ……!」

 

 電車から出て数分。

 コンビニでチョコたっぷりの細い棒状のお菓子を買った俺は、有無を言わさず彼女を路地裏に連れ込んだ。

 

「つ、ツッキ──ひゃわぅ!?」

 

 とりあえず挨拶代わりの壁ドン。

 少女漫画シチュエーションのロールプレイならマストだ。ところで乳がデカいけどどうしたの?

 壁ドンで逃げ場を無くした後、自分の中の緊張と羞恥心と罪悪感を押し殺して、俺はドーベルに顔を近づけた。

 素面でコレができる少女漫画の男ってやっぱ異次元の生命体だな、と頭の片隅で考えながら。

 漫画制作の理念の復唱! アシスタントが何をしてくれるか? ではなくアシスタントのために何が出来るかを考えよう!

 

「お前、さっき感想を聞かせて欲しいって言ったよな? だったら俺にも聞かせてくれよ」

「な、何の……?」

「ポッキーゲームやろう。電車であんな大胆な事が出来たんなら、こんな遊びなんて余裕だろ」

「えぇっ、え、え……っ」

 

 早速チョコ菓子を咥え、ドーベルの顎をクイッと上げてもう片方の先端を差し出した。

 やってみせ、言って聞かせてさせてみて、誉めてやらねば人は動かじ。

 初めてのポッキーゲームは俺のものだ。緊張します……♡

 

「ほら、咥えないと始まらないぞ」

「つ……つっ、ツッキー、怒ってる……?」

「怒ってるわけ無いだろ。そもそもこれも資料集めの一環……もっと言えばあの時の”命令”の延長線にある行為だ。お前がイヤなら()()()って言えばいい。そうしたら俺も引き下がるから」

「それはっ……えと、ぅ、うぅ……っ」

「ベル」

「はぅっ……♡」

 

 ベルちゃん突っつくの楽しい。かわいいからもっと照れてほしい。

 ていうかここで嫌悪感ではなく照れが来るってことは、コイツ俺のこと好きなんじゃないの? 本心見たりって感じですよホント。

 

「ま、まままって、待って、ごめん……あの、電車でのこと謝る……」

 

 照れながらも両手を前に突き出して、優しく俺を引き剝がした。

 逃げるな引っ付け。オラッ! 天高くいななけ。

 

「こういうのは……その、アンタの家とかで……ほんと、恥ずかしいから……」

「お前から始めた事だろうが……」

「そ、そこはホントにそうなんだけど! あのっ、とにかく今日はありがと! もう行くからッ!」

「あっ、おい! 急ぐでない慌てん坊さん!」

 

 といった流れで逃げられてしまった。残念。

 

 ──終わった後で後悔したが、あのまま翻弄され続けるのも癪だった気持ちも捨てきれず、どっちつかずのモヤモヤした気持ちのまま帰り道を歩いていくのであった。

 

 



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もう俺たち勝手知ったる仲だよね

 

 

「ハヅキ、大胆だね」

「あいつらの方が百倍大胆だわ。……はぁ、疲れた」

 

 自宅へ到着し、荷物を投げて床に寝転がる。

 

 ──天井を見つめたまま固まった。

 あまりにもムラムラするどころの騒ぎではない。ユニバース・フェスティバル。

 健全な男子ならば日常的に行うストレスの発散を封じられて四日。

 本来であれば悩みの種になるはずのやよいとの再会も二の次になるほど、内側の欲望が俺の煩悩を刺激し続けている。

 

 ただ日常生活を送り、その中で我慢するだけであれば何も問題はなかったのだ。

 サイレンスに触れられ、マンハッタンに囁かれ、ドーベルに密着されたせいで頭がおかしくなっている。コリャッ、えっちな攻撃で思考を汚すなよ! 気にせず続けていいぞ。

 非日常的な女子との触れ合いで性欲が爆発寸前だ。

 こんなラブコメ通り越したラッキースケベみたいな接触が多くなれば、煩悩が暴走しかけても何らおかしな話ではない。う~ん甘露甘露♡

 ドーベルに対するアレでも大分抑えた方だった。

 比喩抜きに路地裏に連れ込んだ瞬間あいつの唇を奪ってしまっていてもおかしくなかった。

 それほどまでにエロダメージが蓄積しているという事なのだ。何なんだこの拷問は。リンパだよ。

 

「このまま眠るの?」

「……なんもやる気が起きん」

 

 そもそもの原因はあの怪異だ。

 サンデーというほぼ出会ったばかりで友人とも呼べない不思議な関係性の女子が四六時中一緒にいるから発散できないわけだが、元を辿ればこの少女がくっ付かなければならないのは怪異のせいなのだ。

 マンハッタンカフェが大好きなコイツからしても、俺と一緒にいるこの状況は中々にキツいはずだ。

 彼女を親友の元へ帰すためにもこの状況の改善は急務。

 呑気に呪いを抜いている場合ではないのだ。明日のお昼ご飯どうしようかな。

 

「サンデー。怪異って倒せるのか」

「存在を消すことは出来ないけど、心を折れば二度と近づいて来ない」

 

 あの怪奇現象共に心なんてあったんだ。仲直りしたい。

 

「存在の概念的には私とほとんど一緒。彼らは私には攻撃できないし、私も彼らには触れられない」

「……どういう原理だ?」

「味方を殴ってもダメージが入らないゲームとかあるでしょ。あんな感じ」

 

 世界から見てサンデーとあいつらは同一の判定なのか。

 悪そうな怪異の話をマンハッタンから多く聞く辺り、多分彼女に味方しているコイツの方が変わり者なのかもしれない。だがイイ子供を産みそう。素敵な家庭を築けそう。

 

「どうすれば心を折れる?」

「例えばだけど……レースでポコポコに打ち負かす、とか」

 

 ぽこぽこ。

 なるほど確かに名案だ。

 レースで負けたらバチクソに悔しいであろうことは容易に想像できるし、それが繰り返されたらもうちょっかいかけようだなんて思わないだろう。

 同じ存在であるサンデーならともかく、正真正銘普通の人間である俺に負けたらやる気も萎える。

 問題はまるで全然ヒト型じゃないアイツらとどうやってレースをするのか、そもそも何をすればレースに応じるのか、という部分だが。

 

「ちなみに私と一緒で言葉は通じる」

「おっ。んじゃあ挑発すればいけるな。相手がどんな姿形でも、サンデーが憑依しとけばレースは負けないだろ」

 

 あっけらかんとそう言ってみたところ、無表情な彼女は少しだけ俯いた。

 

「……勝てるだろうけど、一体化(ユナイト)した状態で激しい活動をするとハヅキの肉体が危ない」

 

 ユナ……何だって?

 

一体化(ユナイト)。憑依は本来私がハヅキの肉体を意識ごと乗っ取るものだけど、ハヅキが変な体質だから憑依しようとすると逆に私が取り込まれて一体化しちゃう」

「はぁ……よく分かりませんが……俺のが強いってことか」

「部分的にそうなだけ」

 

 何だか真面目に話をするターンになった気がするので、起き上がって部屋の電気をつけ、二人分の麦茶を用意してサンデーの向かい側に腰を下ろした。首脳会議。

 

「肝心なのはユナイトしてる時でもハヅキの身体はあくまで人間ってこと。一体化してるから多少の肉体変化は起きてるけど、大元が人間だからウマ娘みたいな走りを全力でやったら……」

 

 ヤバい、ってことか。

 

「そう」

 

 なるほどな。それはヤバい。

 

「語彙力」

「疲れてるって言ったろ」

 

 言いたいことは分かったし状況も整理できた。

 呪いの解除が進めば襲われづらくなるが、怪異自体がいなくなるわけではない。

 なので大元を叩いた方が話は早いが、殴り合いみたいなバトルが出来ないのでレースで喧嘩を売るしかない──が、相手と同じ土俵に立つためにサンデーと合体すると、いざ走った時に俺の肉体がめっちゃ悲鳴を上げる……と。

 こんな感じか。

 とりあえず現状の把握ができて良かった。

 今後の行動の具体的な内容は明日から考えよう。

 もうムラムラしすぎてまともな思考が出来ないのだ。理性が揺らぎ過ぎて制御が大変だ。よいせこらさ。

 

「とりあえず今日は風呂入って寝る」

「そう」

 

 立ち上がり、着替えをもって浴室へ向かう。

 寝るときは別々の布団を用意していて、風呂に入るときも一工夫入れる。コレが今現在のサンデーとの距離感だ。

 物理的な距離の近さで言えば一番だが、知り合いのウマ娘の中では俺の情緒を乱さないという意味で信頼できる相手である。

 

「ハヅキ、入る」

「おう」

 

 コレは一緒に風呂に入るという意味だが、いかがわしい意味は一ミリも含んでいない。

 風呂と言えど隔離された場所である為、俺が入るときは背を向けて浴室の中にいてもらっているのだ。もちろんサンデーは濡れてもいい服を着ている。

 直接こちらを見られなければ問題はない──わけではないが、まぁ感情は誤魔化せる範囲だ。

 初日は目隠しをしてもらっていたが、足元が見えないのは危ないので外してもらった。流石にサンデーの安全が優先だ。

 

「……ハヅキ、質問」

「どした?」

 

 髪を洗っていると後ろから声をかけられた。びっくりしたなぁ。

 

「分からないから、正直に聞く。傷つけてしまったら、ごめんなさい」

「そんな繊細な心してないから言ってみ」

「はい」

 

 一度シャワーを止め、彼女の言葉を待った。

 

「……私は、ハヅキの誇りと本能的な欲求の、どちらを優先してあげた方がいい?」

 

 誇りってなんだ。

 そんな大層なものを掲げた覚えはないのだが。

 ──あぁ、もしかして。

 

「誇りって、俺の男子としてのプライド的なアレのことか?」

「そう」

 

 男のプライド。

 それは自分を守るための大事な一部だ。

 もし欲に屈してサンデーに『自慰するから見えないところに行ってくれ』だなんて直接口にしたら、恥辱のあまり死に至る事だろう。

 だが、それを知ったうえで彼女は俺の身を案じている。雅だなぁ♡

 この家に来た初めての夜、サンデーは『邪魔になるつもりは無い』と言った。

 しかし現状、俺のムラムラ爆発寸前の性欲を発散できないという意味で言えば、間違いなく弊害となっている存在だ。

 それが引っかかっているのだろう。

 心を読める彼女にはすべてが筒抜け。

 先ほどの恥ずかしい思考もあくまで思考。口に出さなければ一線は越えないという、俺としても不思議で中途半端な感覚で心を守りながら一緒に過ごしているのだ。

 

 サンデーは心優しい少女だ。間近で見るとお顔がとんでもなく良いな……。

 出逢うきっかけこそ不可抗力的な流れだったが、それでも俺に対して出来る事が何かないかとずっと考えてくれている。

 それは素直に嬉しい。

 これから共に怪異と戦っていく相棒として、これ以上ない程頼もしい存在と言える。

 しかし、やはり俺たちは同年代の異性なのだ。

 絶対に意識しない、ということは不可能に近い。

 サンデーにできても俺にはできない。

 

 高校生なんざ小学校からの馴染みで全く意識したことがない女子とですらワンチャン考えるような多感な年頃なのだ。恋愛事に脳を半分食われてると言っても過言ではない。

 誰も責められないような合法的な理由で四六時中一緒にいることになった少女相手に、邪な感情を抱かないなんて難しすぎる。

 何かの拍子で好きになってほしいし、何なら彼女の優しさとちょっとした無防備さにやられて俺はもう八割くらい堕ちている。

 触れたいし触れられたい。

 相手がそれをしてもいいと提案してくれているなら、そのまま流されてしまいたい。参ったね。

 

 ──それでもダメなのだ。

 別に紳士のように誠実な対応を心掛けているわけではないが、このまま仕方のない理由を盾にサンデーと良からぬ方向に足を進めてしまったら、俺はきっといつか後悔する。

 性欲に負けたい。

 式場を探したっていい。

 それでも自分を自分として繋ぎ止めるための最後の理性が、サンデーの優しい提案を蹴ってしまう。

 俺が秋川葉月である限り、これ以外の結論が口から出る事は無いのだろう。

 

「誇りを優先してくれ。本能的な欲求に従ってお前に何かしたら、マンハッタンさんに合わせる顔がない」

「……そう」

 

 そこまでで話を切り上げ、さっさと入浴を終えた俺は布団を敷いて電気を消した。 

 サンデーの質問で少しだけ頭がスッキリした。

 やはり男がやる気を持続させるにはカッコつけるのが一番だ。

 

「ハヅキ」

「ん……どうし──」

 

 布団の上で寝転がった直後、上からサンデーの声が聞こえてきた。

 薄く目を開けると彼女の顔があり、いつの間にか自分が膝枕されていたことに気がつく。

 気がつけば恋人。明日のデートどうしよう。YO。

 

「な、何だ。どうした?」

「……ハヅキの気持ちを優先したい。でも、辛そうにしている姿を見続けるのも、イヤ」

「そうですか……え、なに」

「私のワガママだから、ハヅキは悪くない」

 

 そういう問題じゃないんだって。

 何をするつもりだ。三行以内でお願いします。

 

「夢を見せる。今抱えているストレスを解消するのに、一番適した夢になるよう、がんばる」

「いや頑張るじゃなくて……てかそれ、お前が考えた夢を俺に見せるってことか?」

 

 何でそんなことが可能なのかは一旦置いとく。

 問題は俺が望んでいないという点だ。

 

「大丈夫。夢の内容は私には知覚できない」

「……今さっき『適した夢になるようがんばる』って言ったばっかだよな」

「………………静かにしてください」

 

 ぺたぺたと俺の頬を揉んでいた白皙な手が、まるでアイマスクをするかのように目を塞いだ。

 見えない、何も。こわい。

 オイ! 何カップだ?

 

「自分の気持ちを守るのは、大切な事だと思う。強い思いならそれは意地じゃなくて誇りになる。……でも、ハヅキの体調はもうハヅキだけの問題じゃない」

 

 目を塞いでるおててあったかい。バレーボールの才能があるな……。

 

「ペンダントを身に着けた時の暴走……抱える感情が多ければ多い程危なくなる。ウマ娘のスズカとカフェは大丈夫かもしれないけど、外へ逃げたら大変なことになると思う」

「いや、あの二人が押さえつけてくれるだろ」

「二人とも、きっともうハヅキには乱暴できない。それくらい心が通じ合ってしまってる」

 

 それってアイツらが俺のこと好きってこと? ハーレム主人公?

 

「ふざけてる場合じゃない。大切な友達なら当たり前のこと。ハヅキだって山田君のこと殴れないでしょ」

 

 ……それはまぁ、確かに。

 

「だから今のうちに少しでも悪いモノを抜いておく。夢だから内容は忘れるし、実際には私もハヅキも何もしてないから──」

「あぁ分かった、わかったよ」

 

 太ももが震えすぎてPID制御が効かないよ。もしかして相性抜群!?

 ここまで色々な事を考えて、悩みに悩んだ結果こうして行動に移しているのだろう。

 俺の気持ちと抱えているものを真剣に考えて、なんとか折衷案をひねり出してくれた。

 ここで意固地になったら流石にサンデーに対して不誠実にも程がある。誇りを守る事と、他人の気持ちを無下にすることが繋がってはいけないのだ。

 

「ありがとな、サンデー。ここは甘えさせてもらう」

「……ん、わかった。了承してくれて、ありがとう」

 

 シリアスに様々な思考をしてきたがそもそも疲労が限界だった。

 クソ眠いので後はもう寝る。ただそれだけの話だ。

 寝ている最中に不思議な夢を見るかもしれないが、所詮はただの夢。

 いかがわしい事など何もしていない。

 何より起きたらあっという間に忘れる。

 だから寝よう。

 もう、眠ろう──

 

 

 

 

「……」

「っ…………」

「…………………おはよう、サンデー」

「…………おはよう、ございます」

 

 何も覚えていない。

 何も覚えてない。

 最初はサイレンスとマンハッタンとドーベルの三人が俺を囲むという夢でしかありえない光景ながら夢であればありがちっぽい楽園が広がっていたような気がしたがそれも覚えてない。

 時間が経つにつれて彼女たちがどこかへ消えてしまい、そばに居たのはサンデーだけだったような気もするが覚えていない。

 二人きりになったがそれが何だ。

 何もしていない。

 何もしてない。

 忘れた。

 忘れた。

 夢の内容など何もかも忘れて何一つ覚えていない。

 覚えていないのだ。

 何も。

 なにも。

 

「……夢のコントロール、下手だな」

「しょぼん……」

「……とりあえず結婚するか」

「わすれて……」

 

 わがままな女体だ。しかし美しいんだ。

 紆余曲折。

 何やかんやあったが、結果的には俺の中の邪な欲望が鳴りを潜めた事と、所詮は夢なので何もしてないしすぐに忘れるという事で、誕生日の前日を迎えた俺は盛大な二度寝を決め込むのであった。

 

 



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女子校に突入だよぉ! ムッ!?決壊の予感……

 

 

 父親から連絡があった。

 

 二度寝しようにも目が冴えて上手くいかず、俺のシャツの上にエプロンを着るというまるで同棲中の恋人気取りのサンデーが朝食を作っている後ろ姿を眺めていたところで、スマホが彼からのメッセージを着信した。

 フリフリ動く尻尾とケツを観察して笑顔になる以外にやる事がなかった俺はすぐさま応答し、間もなく電話で用件を聞くと、電話口から聞こえたのは少々自信がなさげな声だった。

 

 結論だけ先に述べる。

 俺は親父にバイクを買ってもらった。

 誕生日の当日には日本にいないから、だそうだ。

 昔は事あるごとに『秋川の人間なのだから』と口にしながら指導していた厳しい父が、今になって俺との距離感を図りながら父親らしい事を()()()()()としているのには一つ理由がある。

 

 数年前。

 秋川の本家の人間たちとウチの家族が揃っていたある行事の最中、本家の跡取りである従妹のやよいが親族たちの前でめちゃくちゃにブチ切れた事があった。

 彼女の怒りは自分のためであり、俺のためでもあった。

 

 秋川家はいわゆる厳格な家柄だ。

 日本のウマ娘育成機関の根幹をなす存在──なのだが、俺の親の世代は特に厳しい性格の人間たちで構成されていたようで、重大な責務を担う運命にある秋川家の子供に遊びの暇を与えるほどの心の余裕は持っていなかった。

 毎日が勉強と叱責の繰り返し。

 週に一度だけ実際に対面で指導をするウマ娘との交流くらいしか楽しみがない日々だった。

 ちなみに巨乳狂いになったのはこの時指導していた年上のウマ娘たちがどいつもこいつもショタコンで俺に構いまくっていたところに起因するがそれは一旦置いておく。彼女たちは夢も胸もデカかった。

 

 直接的な指導を体験する期間が終わってからは、机と向き合う毎日に逆戻りした。

 クソみたいな日々──それに嫌気が差した俺は預けられていた本家から飛び出し、とにかく()()()()

 隠れて購入した漫画本に書いてあったのだ。

 ヒトには心の余裕が必要なのだ、と。

 だからそれに従い、俺はやよいを連れ出して“子供”をした。

 唯一寄り添ってくれていた祖父が死去して以降、死んだ魚の様な茫々とした目でロボットの如く親に対して従順に振る舞っていたやよいを連れ、とにかく同年代たちの感性を取り入れようと努力をした。

 そんな時だ。

 樫本先輩に出会ったのは。

 以降人生で最も尊敬することになるその人と繋がりを持ち、そこでようやく俺とやよいは人間性を獲得することが出来たのだった。

 

 で、俺たちが人間らしく成長したその姿を、秋川家の人間は自分たちの成果だと思い込んでしまった。

 やはり自分たちの教育は間違っていなかった、と。

 ──そこで遂にやよいの我慢が限界に達した。

 大人たちが取り仕切る荘厳な空気をブチ壊し、自分が感じていた事と俺が言いたかった事を全て彼らの前でぶちまけたのだ。

 迫力も説得力も大人顔負けだった。

 そこでやよいが母親に当主の素質を見出されたのと同時に、俺の親を含め秋川家の大人たちが意識を改めるきっかけが生まれたのであった。

 

 ……とまぁ何やかんやあって、両親とは多少コミュニケーションが取れる関係性に落ち着いた、という話だ。

 とはいえ今日までに何か特別な交流をしたわけでもなかったため、父親からの連絡には素直に驚いた。

 家まで車でやってきて俺を拾い、バイクショップに向かい色々と手続きを終え、付近のファミレスに寄って近況報告をし──既に解散直前だ。

 親父はマンハッタンの実家兼俺のバイト先でもある喫茶店のあの店長と知り合いだったらしく、友人が増え順調な高校生活を送っていると告げても、別段そこまで驚きはしなかった。

 その代わりなのか、少しだけ安心したように微笑んでいたような気がする。笑ってるとこ久しぶりに見た。

 

「……葉月」

 

 会計を終えて外に出ると父親から声をかけられた。

 

「なに?」

「母さんからの伝言……身体に良いものを食べてください、と」

「……あぁ、そう」

 

 世間一般で言うところの母親の距離感ではなくない? 他人行儀ここに極まれりって感じだ。

 

「お前にあぁだこうだと言っていた私だが、学生の頃はヤンチャしていたものだ。……だから、その、無理にトレーナーを目指すことはない。先のことは自分の好きに決めるといい」

 

 秋川の人間なのだからせめて優秀なトレーナーになれ~、と必死だった昔の態度が嘘のように丸くなっているのに驚いた。

 これもやよいのおかげだろうか。

 まぁ、この人も親というだけあって大人だし、悔いるべきだと考えた部分はしっかり改めるつもりなのだろう。

 全てを忘れて仲良しこよし、というのは難しいが、せめて俺からも歩み寄るべきだ。

 

「……次はいつ帰ってくるんだ?」

「葉月が進級する前までには戻るよ」

「マジで? 驚いたな、卒業までには帰るとかそれくらいだと思ってた」

「す、すまん」

 

 ちなみに親父はすぐ謝る人になった。流石に反省し過ぎ。

 

「もう帰ろうか、葉月」

「なぁ、バイクを荷台から降ろしてもいいか?」

「ん? あ、あぁ」

 

 軽トラからバイクを下ろし、収納スペースから手袋とヘルメットを取り出した。

 

「乗って帰るのか? 送ってもいいが……」

「いや、乗り心地を確かめたいんだよ。生まれて初めての親父からの誕生日プレゼントだしな」

「すまん……」

「謝りすぎだって」

 

 苦笑しつつ出発の準備をする──その最中。

 今にも荷物が散乱しそうなパンパンのボストンバッグを持って、付近に停車しているバスへ急ぐウマ娘が二人見えた。

 

「ちょっと急ぎなさいよウオッカ!」

「わ、分かってるって! 荷物が多いんだよ!」

 

 

 ──ッ!!!??!!!!?!??!?!?

 

 

「ごめんなさい乗ります~!」

「マズいスカーレット、荷物爆発する……」

「もうっ、バッグはちゃんと閉めなさいよ……っ!」

 

 乗り込んでいく二人のウマ娘たち──否。

 俺の目に映ったのはたった一人であった。

 緋色髪のツインテールが特徴的なあのウマ娘の、一瞬だけ見えたあの……何だ、あの、アレは何だ?

 

 ──デカすぎる。

 大きすぎる。

 あまりにも常軌を逸していた。

 ちょっと目を引くレベルではなかった。

 あの領域はもはや違法建築の域に達している。

 雷に打たれたような衝撃が全身を襲った。

 

「むっ……あの黒髪の方のウマ娘、バッグからスマートフォンを落としたな。バスも出てしまった。……葉月?」

 

 あわわ。

 は、はわわ……。

 

「どうした?」

「ヤバかった」

「な、何?」

「あのウマ娘、ヤバかった」

「……あぁ、なるほど。お前の観察眼は相変わらずだな。黒髪の方……ウオッカと言ったか。データベースに登録されていたが、確か先月デビューしたばかりのウマ娘だったはずだ。……まさか今の一瞬で彼女の資質を見抜くとはな」

 

 スカーレットと呼ばれていたか? 彼女の胸がウルトラでかでかデッカーだった。

 親父が何やらごちゃごちゃ言っているがよく分からんそれどころではない。

 知りたい。

 何としてもあのウマ娘を知りたい。

 この辺じゃ滅多にお目にかかれないぜ。あんまイライラさせんなし。

 

「親父、俺あのスマホ届けてくる」

「それはいいが……行き先は分かるのか?」

「この時期は確か先行の合宿組が帰ってくるはずだろ。制服だったしどうせ中央に戻るとこだ」

 

 八月の中頃に合宿へ赴く連中は観光バスで揃って帰ってくるが、先行組は解散のタイミングがバラバラだから移動費は学園持ちでそれぞれ別ルートで戻ってくる。デカい荷物を携えてたし彼女たちも合宿帰りと見て間違いない。

 

「葉月お前、中央の行事年表を覚えてるのか……」

 

 アンタらの教育のおかげでね! 今だけはあの時間に感謝するよパパ。

 

「じゃあまた来年な!」

「う、うむ」

 

 バス停まで向かってスマホを拾い上げ、ヘルメットと手袋を装着してバイクに跨る。

 急ごう急ごう。

 

「あっ、親父」

「……?」

 

 一応出発前に一言。

 

「バイク、ありがとうな。大切にする」

「……身体に気をつけてな」

「あぁ。じゃ」

 

 家族と少しだけ距離が縮まったような空気を嬉しく思いつつ、俺を待つデカ乳のもとへ急ぐべくバイクを走らせてファミレスを後にした。

 

 

 

 

 おお……ッバイクって最高だ風がスッゲ気持ちいい……。

 学園の裏口付近に到着した。

 予想通りそこにはバッグの中を漁って紛失物の所在を涙目で探る黒髪のウマ娘の姿が──あれ。

 あのデッッッカい方のウマ娘は……?

 

「うぅ、スマホどこだ……。やっぱり隠さないでスカーレットにも言うべきだったかな……いや、それは恥ずい……」

 

 まさかもう敷地内に……?

 颯爽とスマホを送り届けてかっこいいバイクのお兄さんとして印象付ける作戦だったのに全てがご破算だ。

 一瞬で高まったあの性欲が急激に減退していくのを感じる。

 うわ、俺、さっきまで本当に下半身だけで思考してたんだな。最低だ。

 こうも簡単にありつけないとはな。漁夫の利ならず。

 触れたい、あの男好きのするBODY……。

 キキッと黒髪ちゃんの前でバイクを止め、ポケットからスマホを取り出した。大人しく渡して帰ろう。

 

「わっ。……ば、バイク?」

 

 ヘルメットは取るまでもないか。

 突然絡まれたら向こうも怖いだろうから、余計な挨拶も省こう。

 

「忘れ物だぞ」

「うぇっ……わっ、とと……!」

 

 無理なく受け取れるよう予備動作を大げさに見せ、放物線を描くように優しくスマホを投げた。

 手渡しをしなかったのは先ほどまで格好つけようとしていた感情の残滓だ。危ないし普通に手で返せばよかったと投げてから後悔した。ごめんなさい。

 

「今度は落とさない場所に入れときな。じゃ」

「えっ。待っ、あ……あのっ、ありがとう……ございますっ!」

 

 軽く手を振ってその場を走り去っていく。

 あの子どっかで見覚えがあったような気がするがデカ乳スカーレットちゃんの衝撃でまともな思考が働かない。

 もうあの違法建築っぷりは雄を惑わす魔女だよ。スカーレットウィッチ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 翌日。

 もう暫くはトレセンへ来ることも無いだろうと高を括っていたら、午前のバイトが終わった辺りで、学園理事長の秘書を務めている駿川たづなさんから電話で呼び出しをくらった。

 何でもやよいには秘密で渡しておきたい資料があるらしく、これからイベント準備のために学園を離れる都合で今日しか渡せる日がないとのことだった。

 失礼がないようすぐ高校の制服に着替えバイクで学園へ向かうと、夏でも暑そうなジャケットを着こなす社会人の鑑みたいな女性が待っていた。感服。

 

「こんにちは葉月君。暑い中ありがとうございます」

「お久しぶりです、駿川さん。理事長は……」

「今はいらっしゃらないので、このまま理事長室まで行きましょう」

 

 案内されながらトレセンの中を進んでいく──かなり緊張するな。ここが女子高か……。

 

「……ふふ。葉月君も随分と背が伸びましたね」

「そ、そうすかね……?」

 

 ちなみに駿川さんとは二年前からの付き合いだ。

 学園外で俺と会うときは敬語を外してお姉ちゃんぶる変わった人なのだが、そこを差し引けばやよいを支えてくれている大恩人である。

 

「学園、結構生徒が残ってますね」

「今月のイベントが理由でスケジュールがちょっとズレたんです。合宿の後発組も今年は学園に残ってます」

「へぇ……大丈夫ですかね、俺ここにいて」

「アハハ。平気ですよ、ちゃんとしたお客さんなんですから」

 

 話しながら理事長室に到着すると、駿川さんに封筒とUSBメモリーを手渡された。

 逐一腕時計を確認している辺りあまり時間の余裕があるわけではなさそうなので、早いとこ退散した方がいいか。

 

「葉月君。理事長のこと……よろしくお願いしますね」

「えぇ、任せてください」

「頼もしいです。……イベント当日、時間があったら一緒に出店でも見て回りましょうか」

「へっ? ……あ、あぁ、そうですね。その時はぜひ」

 

 突然の提案だったが多分駿川さんなりに気を遣ってくれているのだろう。親族とはいえ俺個人はあくまで学園の関係者ではないため、彼女にも思うところがあるのかもしれない。

 この流れだと恐らくイベント当日は『奢ります』とか言って飯を買ってくれる可能性が高い。少々気が引けるがここは素直に甘えておくことにしよう。その方が彼女としても助かるはずだ。

 

「……ん?」

 

 かかってきた電話の対応で理事長室に残る事になった駿川さんに軽く会釈だけしてその場を後にし校舎を出ると、向かい側からこちらへ歩いてくる存在に気がついた。

 

「全くゴールドシップは……合宿なのだからもう少し厳しめに叱責するべきでしたわね……ブツブツ」

 

 見えたのは缶ジュースを両手で持ちながら俯いてぶつくさ呟いている、紫がかった芦毛が特徴的な制服姿のウマ娘だった。

 相当考え込んでいるのか俺に気づく様子もない。

 

「もはやロープで括り付けてでも──キャッ!?」

 

 そのまま横を素通りしようとした瞬間、足がもつれて少女が転倒しかけた。

 気づいて瞬時にサンデーと一体化(ユナイト)し、転びかけた少女を腕で抱えると同時にもう一本の腕で缶ジュースをキャッチする。

 運よく中身はこぼれていない。よかった。

 どうやらサンデーとのユナイトは想像以上に人外染みたパフォーマンスを発揮できるようだ。それに一瞬派手に動く程度なら身体へのダメージもあまり無いらしい。

 

「大丈夫……?」

 

 腕の中にいる少女は目を丸くしている。

 一連の流れがあまりにも一瞬すぎて理解が追い付いていないのかもしれない。

 転んだと思ったらいつの間にか知らない男に助けられていたのだ。困惑するのも無理はない。

 え……めっちゃ可愛いんだが近くで見ると。一目惚れ。

 

「立てる?」

 

 年下っぽいし敬語は控えたが大丈夫だろうか。

 この風貌で俺より年上という事は無さそうだが。

 

「──ハッ。……は、はい、ありがとうございます……どうも……ほんと、えと……」

「気にしないで、通りがかっただけだから。それじゃ」

 

 有無を言わさずその場を去っていった。

 今の俺ちょっとカッコよかったのではないだろうか。そんな事ないかな。

 とりあえず駐車場まで戻り、バイクを押して裏口から出ようとすると──

 

「あれ? ……ツッキー?」

 

 後ろから聞き馴染みのある声に呼び止められた。 

 振り返るとそこにいたのは当然の如くドーベルちゃん。結婚のスタンバイは完璧ってワケだ。

 どうやらバスで帰ってくる残りの合宿組を迎えにきたりなどで、多くの生徒が寮の外に出てきているらしい。

 

「ほらカフェさん、やっぱり秋川くんだわ!」

「そうですね……お友だちも一緒みたいです……」

 

 ついでと言わんばかりにサイレンスとマンハッタンも現れた。君たち俺を索敵するレーダーでも付けてるの。

 いや学園に俺がいる事の方がおかしいのか。

 みんな首筋に汗が伝っててセクシー♡ 暑いね。

 

「わっ。スズカに……カフェさん?」

「あら、ドーベル? ……もしやこのパターン、もしかしてドーベルも秋川くんと面識が……」

「う、うん。一応」

「嘘でしょ……」

「葉月さん、そのバイクは? 後ろにお友だちが……」

 

 何だか気まずい雰囲気のサイレンスとドーベル、特に意に介さないマンハッタンと、既にバイクの後ろに跨っている無表情のサンデー。

 情報量の多い状況だ。いつもならここで彼女たちとどう会話をこなすのかを熟考するところだろう。三人で囲んで童貞の心を弄びやがって。いかがなさるおつもりか?

 しかしここは中央トレセン学園。

 既に彼女たちの後ろの、遠く離れた位置から興味深そうにこちらを観察している他の生徒や、恐らくサイレンスたちの知り合いであろう複数のウマ娘がこちらへ向かって来ている。

 なのでこの場で行う行動はただ一つ──逃走だ。

 トレセンは俺にはちょっとアウェーな空間すぎる。質問攻めにあったら誤魔化せる気がしない。

 うおっ女子の匂いが充満してきた。こんなん我慢できないよ!

 

「三人とも、俺のことはうまく誤魔化しておいてくれ」

「え。ツッキー、もう行っちゃうの」

「どっ、ドーベル? ツッキーって……?」

 

 ヤバいヤバい三人くらい知らないウマ娘が来てる来てる。

 このままだと女の子の前で鼻を伸ばす本性が溢れそう。それは粗相。ちょっと失礼ッ。

 

「……葉月さん。ドーベルさんには呪いの事は……」

「まだ。一応共有した方がいいと思うから、マンハッタンさんから説明してくれるか?」

「はい……分かりました」

「秋川くんちょっと待って、話を……」

「ツッキー!」

「悪いあとで! もう帰るから後で連絡してくれ!」

 

 一方的に告げてヘルメットを装着しバイクに跨った。もう出発するからサンデーも早く掴まって。さもなくばお布団になってもらうから。

 

「あの一つだけ! 秋川くん、今日の夕方空いてる……?」

「何も無いけど」

「よかった、ケーキ持っていくね」

 

 何言ってんだ大胆女。美しすぎる可憐な女。

 ふぅッふぅ、サイレンスちゃんが悪いんだい! いい加減付き合ってくれ。

 

「えぇッ!? す、スズカ……っ!? カフェさんこれどういう……!」

「葉月さんは今日が誕生日なんです……私も行きます」

「っ!? ……っ!?? つ、ツッキー! アタシも行っていい!?」

「好きにしてください!!!」

 

 三人家に来るじゃん。文殊の知恵? みんな傾奇者だね。

 情報の上に情報を上乗せされて混沌に陥ったその場から走り出し、学園を去っていった。

 何かとんでもない約束を結んだ気がするが気にしてられん。とにかく逃げる。

 

「くっ、行ってしまったか……! カフェ、先程の男子高校生について色々と質問させてもらいたいのだが? あれ前に変なカラスの集団に突っ込んでった男の子だよねぇ! 何者なんだい彼!」

「実家の喫茶店でアルバイトしてくれている友人というだけです……」

「スススススズカちゃん!? さっ、さっきの人もしかして彼氏!?うううウマドルは恋愛厳禁──」

「ち、違うから! ほんとにただの友達……ッ!」

「ドーベル……先程の殿方と面識が……? 少々詳しく話を…………」

「ちょっと待ってマックイーン……! 何でそんな怖い顔して──」

 

 一緒に話しているところを目撃されてあの三人の担当トレーナーから『ウチの担当にちょっかい出すのはやめてくれ』とか言われたら俺の人間関係がその日をもって終焉を迎えてしまうのだ。うわぁぁぁッ、制御不能だよぉッ!

 

 



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美しくつつがない女たち かなりリンパが集中しているね

 

 

 

 ──浮かれていた。

 

 自分の置かれている状況が俯瞰できない人間ではない。

 友人に恵まれ、家族と距離を縮め、幼い頃から欲していたものを次々と手に入れた事に関しては自覚があった。

 勿論だがあのウマ娘の少女たち三人との関係性もただのファンではあり得ない距離感だという事は分かっている。

 俯瞰して思い至ったのだ。

 今の自分はまるで物語の主人公にでもなっているのではないかと。

 

 だが、その考えは甘かったとしか言いようがない。甘すぎて虫歯になるわ。

 本当に俯瞰できていれば目下の危機に対して焦燥感を覚えて然るべきだったはずだ。

 しかし油断しきっていた俺は反応が一瞬遅れてしまい、危うく大切な友人を危険な事態に巻き込んでしまうところだった。間に合ったのは単なる奇跡だ。

 ()()()は帰路の途中で現れた。

 

 怪異だ。

 あのカラスだ。

 道路の先にいたコイツの標的は呪いが薄まった俺ではなく、新たに呪いが押印できる別の人間だった。

 ワゴン車の上に降り立ち、中に搭乗している人間を狙っていた。

 気づいた瞬間に焦ってバイクの速度を上げ、車まで近づくと助手席に乗っていたのが友人の山田だったことに気がついた。

 他の搭乗者は以前ドーベルが一着をもぎ取ったレースで、山田と共にヲタ芸を披露していた男性たちと、頭にデカいリボンを付けてる知らないウマ娘。

 山田だけでなく見知らぬ人々にも被害が及ぶことを恐れ、俺は変質者と断定されることを覚悟で車の上のカラスに喧嘩を売った。

 主役は遅れて登場。気持ちのいい勝負を期待しているぞ。

 

『おい、レースしろよ』

 

 窓側の席にいたリボンのウマ娘には存在を気づかれてしまったが気にせず手を伸ばし、カラスをとっ捕まえた俺はライディングレース・アクセラレーションといった感じで真っ白な謎の空間に突入した。

 

「ここは怪異が形成した固有フィールド。ハヅキのレースしろって挑発に乗ったみたい」

「じゃあここでコイツをやっつければ解決ってわけだな」

「……本当にやるの?」

 

 車通りの多い道路から一変して、全面真っ白で目が痛くなるような空間に入った俺たちは、バイクを止めてカラスの横に並んだ。

 すると、程なくして周囲の景色が草原に切り替わり、それと同時にカラスもヒト型に近い形に変身した。遠くにはゴールの目印らしき白線も引かれている。

 

 ──戦わなければならない。

 俺はその事を忘れていたのだ。

 友人関係以外の理由であのウマ娘三人を自分の近くで繋ぎ止めることが出来ていたのはコイツの存在があったからだ。

 宿敵であり、向き合わなければならない運命の相手でもある。

 俺の呪いが消えて無くなる前に、二度と人間にちょっかいをかけられないようさっさと心をバキバキにへし折らなければならない敵。

 主人公だなんだと浮かれている場合ではなかったのだ。

 解呪の儀式の内容でいささか脳がバグっていたが、本来人間に仇なすこいつらには早急に対処するべきであり、ダラダラと青春に一喜一憂している暇などありはしない。

 

「サンデーいくぞ、ユナイトだ」

「う、うん」

 

 ポコポコに叩きのめしてやるぞ鳥畜生め。

 

 

 

 

 勝負には勝った。

 誰がどう見ても圧勝のレースではあった。

 カラスは悔しそうな雄叫びを上げてどこかへ飛び去っていき、あと二、三回ほど打ち負かせば懲りて諦めるだろう事も読めた。無駄だよ死ね。

 向かい側から石や木の枝が飛んでくるというあからさまな妨害があったうえでの大勝で、ユナイト状態の俺──ひいてはサンデーの能力が文字通り不正(チート)レベルの強さを誇っていたことを改めて実感できた。

 その走力は現在のレース界隈を席巻する第一線級の強豪ウマ娘たちとも余裕でタメを張れるもので、走っている間は心の底から『人間を辞めた』という感覚に陥っていた。

 カラスもそこそこ速かったが、今回のことを踏まえれば何度と戦っても負けることはあり得ないと容易に想像がつくというものだ。

 

 問題はレースが()()()()()である。

 謎空間の時間の流れは現実世界と異なっていたようで、草原から現実世界に切り替わった頃には既に二十二時を過ぎていた。

 夕方にケーキを持っていくというサイレンスたちとの約束を反故にした形となったため、彼女たちも呆れて帰っただろう──が、問題はそれだけではない。

 俺とサンデーが“故障”したのだ。

 

「ダートならもっと楽に勝てた」

「……あぁ、そう」

 

 場所は駐車場がある公園のベンチ。

 俺は鼻血の止血でティッシュを丸めた栓を鼻に詰めたマヌケ面で、割れるように激痛が走り続ける全身を動かすことが出来ずベンチに横たわっている。

 

「なぁ、サンデー」

「ごめんなさい。多分今はちょっと気性が荒くなってるから、まだ話しかけないで。顔を蹴っ飛ばしちゃいそう」

「……分かった」

 

 サンデーは頭のてっぺんから毛先まで色素が抜け落ちたかのように真っ白だった髪が、前髪の一部を除いて艶やかな漆黒に染まっている。黒髪のサンデーちゃん新鮮でかわいい。いよいよマンハッタンと見分けがつかなくなってきたわ。

 曰く、ユナイト状態で俺が本気を出してしまった影響らしい。

 本気になったら髪の色が変わるなんて超サイヤ人みたいだ。略してSSってところですね。

 

 ──彼女が怪異とのレースや俺との長時間のユナイトを渋っていた理由が、今日の出来事でようやく理解できた。

 あの状態で本気を出すと、俺の肉体がボロボロのへにゃへにゃのクタクタになる。

 そしてサンデーも髪が黒くなって性質が変化し、走りたがりで下手に声をかけると目力だけでヒトを殺せそうな視線で睨みつける怖いクールっ娘に変わってしまう。生意気ながら可憐。

 なるほど確かにコレは受け入れ難い。

 普段温厚なサンデーが嫌がるのも当然の流れだ。

 

「疼きが抜けるまで、ちょっと走ってくる」

 

 サンデーはそのまま公園を出ていき、目にも止まらぬ疾さで視界の外へ駆けていった。

 どうして離れてしまうのだろうか。俺がボロボロなんだから助けて。貞淑なメイドとして所作。それが女らしさを作るんだよ。

 公園にボロカスの俺だけが残り、数分。

 

「──あれ、秋川? ……うわっ、ほっぺから血ぃ出てるじゃないか!」

 

 偶然にも公園の近くを通りがかったのは、感覚的には数十分前に道路で見かけたばかりの友人──山田であった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「ジッとして。絆創膏を貼るから」

「いいって自分でやる……」

「黙ってなさいよ怪我人は。……誕生日の夜に不良に絡まれるなんて、秋川もついてないね」

 

 少し経ち、付近のコンビニで何やら急いで買い物を済ませて戻ってきた山田が、レース中の妨害で負った擦り傷などを手当てし始めた。

 一応はヤンキーに絡まれて怪我をしたという事にしたため、打撲などがないかしつこく質問されている。心配し過ぎです。

 

「これでよし、と。他にケガは?」

「無い、大丈夫。……サンキュな」

「別にいいけど、大丈夫では無くない……? 全然動けそうにないじゃん、どんだけボコボコにされたの」

 

 ボコボコにしたのは俺の方なのだが。

 山田は洋画のような大げさな挙動でやれやれと呆れ返っている。何じゃい。

 

「逃げなかったのかい? 別に喧嘩が強いわけじゃないでしょ」

「いや、俺から喧嘩を売った。勝ったんだぜ」

「勝ち負けの問題じゃないよ……」

 

 ゴミをまとめると、山田はレジ袋の中から缶コーヒーを取り出して渡してくれた。

 何とか上体を起こしてプルタブを開けると同時に、彼もベンチに座って飲み物を取り出した。乾杯。

 

「……ま、キミから喧嘩を売ったんなら、相手は相当悪い輩だったんだろうね」

「おう、わるわるの悪だったぞ。やっつけてやったがな」

「はいはい、凄い凄い」

 

 珈琲を流し込みながら今日を思い返す。

 バイクを手に入れたり女子と話したりで浮かれていた所を、お前調子に乗るんじゃねぇぞと後ろから冷水を浴びせられたような気分だ。

 何もなかった例年と比べて、良くなったのか悪くなったのか絶妙に分からない誕生日になってしまった。

 昨日の俺に教えてやりたいくらいだ。

 盛り上がってるとこ悪いがお前の誕生日はロクなもんじゃないぞ、と。

 まぁ、ここで山田が通りがかってくれたのは僥倖だった。

 こいつがいなかったら恐らくもっと拗ねていたところだ。サンキュー親友。

 

「ねぇ、秋川」

「ん?」

「もし次も何かあったら、その時は連絡するなりしてよ。一緒にボコボコにされるくらいは出来るからさ」

「えっ……」

 

 お前そんな友情に厚いキャラしてたっけ。器量よし。

 

「どした山田おまえ風邪でも引いた?」

「人が心配してるんだから素直に受け取りなよ……」

「いや絶対裏があるね。何があったオイ、お前今日は何してたんだ?」

 

 述べよ! 正直に述べよう。

 

「……合宿の最終日だったんだよ。いろんな場所から集まった同志たちとミーティングしたり、地方限定のグッズを交換したり振り付けの練習したり……それで、皆いい人たちばっかりだったから。ちょっとは影響されてるかもだけど、裏なんか無いよ」

「そ、そう……お前普通に良い奴だよな。さすが生徒会役員」

「やめてよ恥ずかしいな」

 

 他人に影響された程度で、急に手当てだの相手を慮って飲み物を買ってきたりなんかできないだろう。

 これは元から彼が秘めていた善性だ。

 お前のそういうとこ好きなんだよ。困ってるとこに颯爽と現れて助けてくれるなんて主人公みたいだね。

 

「僕はもう行くけど……大丈夫? 一人で帰れる? お母さん呼ぶ?」

「ウザいウザい」

 

 身体的な事はともかく精神的にはもう立ち直っている事を察しているようで、山田も若干いつも通りのテンションに戻ってきた。

 

「山田、とりあえず荷物とバイクと俺本人を家まで送ってくれ」

「ヤバすぎ」

「他力本願寺の住職です」

 

 言いながら何とか立ち上がり、停車しているバイクの方へ向かっていく。

 正直に言うとこの間も全身を激痛が襲っているが、友人の前でこれ以上ダサいところは見せられない。

 さすがに乗って帰るのは無理なので押して行くことにした。

 

「あ、これ持っていきなよ。絆創膏の他にも適当なお菓子買っといたから。あとめっちゃ甘いパン」

「細胞にカロリーが染み渡りそうなラインナップだな……ありがと」

「んじゃ気をつけてね」

「あぁ、またな」

 

 そんなこんなで別の方向へ帰っていく山田を見送り、俺も公園を後にした。

 ちなみに途中で合流したサンデーはまだ気性が荒かったが、こうるさい! いい加減ウザいのでほっぺを揉み揉みしてやったら髪の毛が漆黒から純白へと戻っていった。クオリティコントロール。

 

 

 

 

「葉月さん……ッ!」

 

 自宅付近に着いた頃には身体的な限界を迎え、俺もサンデーも死にかけていたところで、家の近くでキョロキョロと誰かを探している素振りのマンハッタンと出くわした。魅力的すぎるよ……今生で一番の女かも。結婚しよう。

 倒れかけたその瞬間彼女に支えられ、次第に身体から力が抜けていく。

 

「だっ、大丈夫ですか……二人ともこんなボロボロに……」

「……マンハッタンさん、こんなところで何を……?」

「連絡も繋がらず自宅にバイクも無いので、イヤな予感がして……とにかく戻ってこられてよかった。まずは一旦自宅へ戻りましょう」

 

 駐車と玄関の解錠をテキパキとこなし、俺とサンデーをまとめて部屋に寝かせたマンハッタンはスマホを取り出した。撮影はご遠慮ください。

 

「もしもし……はい、今帰ってこられました。恐らく怪異と交戦したのか、かなり疲弊されてます。ドーベルさんには私から電話するので、スズカさんも戻ってきていただけますか」

 

 頭がフワフワする。あのペンダントを装着した時とはまた異なる、何だか全ての気力を削がれた廃人のような感覚だ。

 例えるならクッッッソ眠くて寝る前のあの状態に近い。けど身体が痛すぎて意識が落ちないんだわ。困ったね。

 

「葉月さん。もしかしてお友だちと長時間の一体化を?」

「そうです」

「……なるほど。葉月さん、彼女との一体化中は活動量に応じて魂の生命力が消費されます。見た限り今は人として活動できるだけのエネルギーがほとんど残っていないので、とにかく動かないでジッとしていてください。後の事は私たちで何とかします」

 

 そうなんだ。

 でも人肌恋しいよ。いかないで。

 

「はむ」

「ワひゃっ!?」

わんふぁっふぁんはんのひっぽうはい(マンハッタンさんの尻尾うまい)ね」

「待っ、は、葉月さん、一旦離してください。私はどこにも行きませんから……」

 

 もう遅い! 先っぽがかくれんぼしてしまったよ。無味無臭。

 すげぇ尻尾……やっと巡り合えたね。

 

「ハヅキ、ズルい。私も……」

「ひぇェッ、ふっ、二人ともやめて……っ」

 

 マンハッタンの語った“魂の生命力”とやらは、どうにも活力だとかそういった単純なエネルギーではないらしい事を何となく察した。

 肉体の活動だけでなく思考するにもそれが必要なのだろう。

 いつもならマンハッタンの尻尾を甘噛みしたいという考えは考えのままで終わるが、今はそれをストップさせる為の理性を働かせるエネルギーそのものが足りていない。

 だが、ペンダント装着時と異なり肉体が限界である為、行動自体はしょぼい範囲だ。

 

「マンハッタンさん、抱きしめさせてくれ」

「そ、それは……ぁっ、わわ」

 

 死に物狂いで上体を起こし、倒れ掛かるようにマンハッタンを抱擁した。俺の見立て通り超絶美少女だ……。

 何というか、欲望の解放とは異なるような気がする。不思議と性欲が湧き上がってこない。

 肉体が他人の温もりを求めている。本能的に生命力の充填をするための行動を取っているのかもしれない。絶対俺のモンにしてやる。

 

「はぁ……温かい」

「葉月、さん……」

 

 愛が欲しいね。心から。

 ていうかマンハッタン腰ほっっそ……。総攻撃だ!

 感動で涙が出てきちゃった。ぼくちんカフェちゃんの匂いじゃないと安心できなくなっちゃったんだよ? 全身淫猥警報。

 

「な、泣いて……? 葉月さん、お気を確かに……」

「何でそんな優しくしてくれんの。ほんとに好き……抱きしめ足りねえよ」

「ひゃっ、わ……──えっ。い、今なんて……?」

 

 あったけぇ~~~~体温高いですね。

 ペンダントの時とはまた違う。

 押し倒す力も強く求める気力もなく、ただ流れるように相手に温もりを求めているだけなのが何となく分かる。ほれほれほれほれ、ほ~れほれ。

 もっと言えばマンハッタンを抱きしめる為の力などほとんど込めていない。込められない。俺と彼女が今こうして抱擁を続けていられるのは、ひとえに彼女が俺を抱き支えてくれているからだ。ここで抱き合うまでに幾星霜を要しましたよ。

 

 ──もし、いま、ここで相手に拒否をされたとしたら。

 俺は悲しむことも悔しがることもできず、茫漠とした思考の海を彷徨いながら暗い部屋の中でただ絶望に伏すであろうことは想像に難くない。

 何となくだが、この不足している魂の生命力とやらは、休息と睡眠を取るだけではほとんど回復しないような気がする。

 例えるならバイクのガソリンの様なものだ。

 動くために必要なエネルギーだが決して自然に回復するものではない。

 理屈ではなく本能で察した。負けないお~~♡

 俺には今──他人の温もりが必要なのだ。俺が安心するまで耐え抜くのだ! ジッ……と留まれ!

 

「カフェ……ハヅキに生命力を充填するための方法、分かる……?」

「……魂の共鳴、よね。一定量を下回ると自然回復が出来なくなるから、他人から直接生命力を分け与えないといけない……」

「そう。カフェ一人だと負担が大きいだろうから……あの二人とも協力して。私はちょっと概念の再構築をしてくるから……後はお願い……」

「えぇ、あなたもゆっくり休んで」

 

 マンハッタンに何やら言い残したサンデーは蝋燭の灯が消えるかのようにフッと姿を消した。またな相棒。

 

「ドーベルこっち! 急いでっ!」

「分かってるってば! ツッキーだいじょう──ぶえェェッ!?」

 

 あ、サイレンスとドーベルも来た。

 え!? 二人も僕と赤ちゃんづくりしたいの!? 夢があるね。

 

「お二人とも、実は──」

「……なるほど。ドーベル、タオルとお湯を持ってきてくれる? 私は救急箱を用意するから」

「えっ。う、うん」

 

 気がつけば解呪の儀式よりも淫猥な体勢になっていた。おいラブラブしろ! 命令ですよ。

 両サイドにサイレンスとドーベル、膝の上にマンハッタン。はしたない! 美しい。

 この状況非常に落ち着く。くつろいだわ。ぐうぅぅぅっ、許せん……!

 

「カフェさんは秋川くんを支えてあげて。……ドーベル、秋川くんのシャツを脱がすわよ」

「待って待って待って、スズカちょっと覚悟が決まりすぎてるってぇ……!」

「わ、私だって緊張してる。でもやれる事からやらないと……とりあえず怪我の手当てからやりましょう」

「葉月さん、お洋服を脱がせるのでバンザイしてください」

 

 ばんざ~い。わお肢体とき放たれしもの。恥ずかしいからあまり見るなよ。

 この距離感は普通に友人としてどうなの!? こりゃお仕置する以外の選択肢は無いな。

 

「ツッキー、打撲の痕がこんなに……」

 

 妨害で向かい側から石とかめっちゃ飛んできたからな。

 まぁ男の子なので痛くありませんが。心配せずともよい。けれどありがとう♡

 

「秋川くん……痛かったわよね……」

 

 うわぁお顔が近いサイレンス。子供を何人作ればいいか見当もつかないよ。だがお下劣だな。

 何やかんやで応急処置が終わり、ついでに汗も拭いてもらってひと段落付いた俺は、汚れた制服から部屋着にフォームチェンジして布団の上に寝転がった。新番組夫婦の営みごっこ朝八時からスタート!

 

「生命力の充填は素肌に直接触れることです……葉月さんのほうが極端に枯渇しているので、触れていれば肉体が勝手に私たちから生命力を吸ってくれるかと」

 

 マンハッタンとサイレンスが両手を握ってくれている。猛省せよ。

 ドーベルはいつの間にか膝枕をしてくれていた。下乳を眺められるこの眺望、日本の名勝。

 あんなに誘惑するなと言ったのに。忸怩たる思いだよ。

 

「……ツッキー、アタシの漫画の主人公よりも、全然もっと非日常な体験をしてたんだね」

「すげーだろ」

「うん、凄いよツッキー。本当に偉い……」

 

 うるち米。膝枕をされながら頬を優しく撫でられている。そうやって俺の好感度上昇を促す気か? そうは問屋がおろさんぞ。コレは油断するとコトだな。

 

「ドーベルさん、漫画を描かれているんですか」

「あっ。……まぁ、一応。いつもツッキーに読んでもらって、感想を聞かせてもらってたんだ」

「そうですか……私は、道端で紛失した鍵を一緒に探してもらって……」

「ふふっ、そういうの放っておけないタイプよね、秋川くん。私も足を怪我して動けなかったところを──」

「……ちなみになんだけど、何でスズカのフィギュアだけ飾られてるの?」

「ご友人に誕生日だからとプレゼントされたそうです」

「えへへ……」

「む、むぅ。アタシだってこの前フィギュア化の話を貰ったけど……」

「私もですので、三人お揃いですね」

「ウソでしょ、三人分ここに飾るの……?」

 

 眠れないが眠いので黙っている間、ウマ娘たち三人の会話が広がっていく。

 不思議と居心地は悪くない。

 友達と友達が話をしている空間に、当たり前のように自分が居ていい事実にまた感涙しそうになった。あらゆる手段で俺を喜ばせる女たち。

 お前たちは最高の女だ。尻がデカすぎることを除いてはな。

 彼女たちに囲まれているこの状況、幸福すぎて正視に耐えないよ。ボクちん好みのえっちな身体……♡

 

「……ありがとう、三人とも。本当に……」

 

 痛みを疲弊が上回った。これなら気絶するように眠れるはずだ。

 睡魔に抗って感謝の言葉だけなんとか絞り出すと、安堵からか急激に全身から力が抜け落ちていく。

 困憊が極まり、次第に思考に靄がかかり始めた。

 

「葉月さん……眠くなったら、そのまま眠ってくださって構いませんので」

 

 お姉さん美人だね。言わずもがなといったところか。面白い。

 

「……いいのかな。こんな──」

「いいのよ秋川くん。それだけの事を貴方はしてきた。それに……」

「うん、ツッキーは今日誕生日なんだから。もっとワガママを言ったっていいくらいだよ」

 

 感動。もう涙が暴発してしまいそうですお……♡

 

 

『──誕生日、おめでとう』

 

 

 誰の声だったか分からない。

 けれどずっとこれまで言われたかったその言葉を耳にした瞬間、俺の意識はブツリと落ち、泥のように眠ってしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 ──あれ?

 

「すぅ、すぅ」

 

 何だ?

 隣にマンハッタン。

 

「ぅ……ん」

 

 どういう状況だ。

 マンハッタンの隣にサイレンス。

 

「つっきぃ……だめ、まんがのさんこーしりょうにするには、ちょっとやりすぎ……」

 

 俺の左側にはドーベルがいた。お前はもう起きてるだろそれ。

 

 何だろうか、この状態は。

 普段俺が使っている布団と、来客用のもう一つを床に敷いて、仲良く四人で寝転がっている。

 昨晩の記憶が曖昧だ。

 全くすべてを忘れたわけではないが、家の前でマンハッタンに声をかけられて以降、まどろむようなフワフワした感覚がずっと続いていた。

 

 何をしたんだったか。膝枕と両手にぎにぎのちょっとしたハーレムプレイ紛いな事をしたのだけ覚えてる。ダメじゃない?

 全員の服装が特に乱れていないことから、少なくとも道を踏み外したわけではなさそうだが、この状況だけを切り取ったら十分間違えてしまっている。予想以上の眺めだ……ルール違反目前そのもの。

 何もしてないよな俺? もしかして何かやった? 突然の男女比ぶっ壊れお泊り会にさすがのボクチンも驚きを隠せないよ。

 

 う~~ん、よしキマリだ! 決定だ! とりあえず四人分の朝食を準備するゾイ♡

 わっせ、わっせ。これが旦那の仕事だよな。嫁が三人で随分と馴染んできた。

 

「んんっ……ぁ、朝……?」

「おはよう、サイレンス」

「────」

 

 一番初めに起きたサイレンスに向かって、フライパンを揺らしながら振り向いて早朝の爽やかスマイルで声をかけた。爽やかな感じでいけば昨日の痴態を誤魔化せないかな、という非常に甘い考えだ。

 

「……ぇ、えぇ、おはよう……秋川くん……」

 

 何で顔が赤いの? もしかして昨晩本当に一線超えちゃった? 責任取るから子供の名前を考えておいてね。心の底からすいませんでした。

 

 



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おむライス

 

 

 快晴の早朝。

 カーテンの隙間から差す陽の光にのどかな空気を感じながら、俺は非常に落ち着いた状態でゆったりと朝食に勤しんでいた。

 

「あ……葉月さん、お箸を落とされましたよ」

 

 自分の家。誕生日の翌日。夏休み。バイトや友人との約束も無し。

 ここまで条件が揃えば平和で平坦な朝は約束されたようなものだろう。

 

「ツッキー、目玉焼きにお醤油かけすぎじゃない? そろそろお皿からこぼれそう……」

 

 事実何もない。予定が空白の日に朝から起きて、わりとうまくできた朝ごはんを食べているのだから、もはや穏やかな日常そのものだ。

 心が落ち着く。

 

「秋川くん……? テレビは映ってないけど……どうしてじっと見つめているの?」

 

 本当に、心の底から落ち着いている。

 はずなのだ。

 

「………………」

「どうしたのかしら……あっ、もしかしてサンデーさん?」

「いえ、彼女は今別の場所で休息を……」

「いいなぁツッキー。不可視の存在を認識できる魔眼持ちだったなんて……」

「……んな大層なもんじゃないぞ」

「あっ、やっと喋った。どしたのツッキー、朝は弱いタイプ?」

「いや……」

 

 ──ダメだ。

 何で朝っぱらから美少女三人と食卓を囲んでるんだ俺は。

 落ち着けるわけ無いだろ、こんな異常な状況をよ。

 

 目が覚めた時は夢見心地だったというか、流れに身を任せてまだ現実逃避が出来ていた。

 だが頭が冴えてきてからはどうだ。

 こんな光景はあり得ない。

 もうハーレムだとかそんな冗談を超越してしまっている。

 何だろう、俺は王にでもなってしまったのだろうか。このリアルなエロゲ主人公体験を出来るほど今までの人生で徳を積みまくった覚えはない。もしかしなくても前世で世界を救っているだろ。

 

「……その、三人ともここにいて大丈夫なのかなって。寮には連絡したのか?」

「昨日の内にトレーナーさんには連絡をいれて外泊許可を頂いておきました。急なお願いだったので多少怒られはするでしょうが……昨晩の件を考えたら些事ですから、ご心配なく」

 

 些事か? 大事だろ。

 

「私たちも一緒よ」

「え、スズカはちょっと違くない……? トレセン出る前にもうトレーナーに話をつけてたじゃ」

「ドーベルこの卵焼きあげるっ!!」

「むぐッ!?」

 

 それって俺が怪異とデュエルすることを見越して外泊許可を貰ってたって話か。すげェ洞察力……ムチッと俺に吸い付いてくる。

 

「もぐもぐ……んっ、てかアタシたちの事はいいんだって。ツッキーこそ身体は大丈夫なの? 昨日はけっこう湿布とか貼ったけど……」

「あー、まぁ、大丈夫だ。問題ない」

 

 湿布が貼られている箇所はまだ多少痛みがあるものの問題ない。きっと青春の毎日を部活に費やしている運動部連中のほうが怪我も筋肉痛も段違いのはずだ。

 俺は運動部所属ではないゆえこのスーパー激痛筋肉痛はもう少し時間を置かないと引かないだろうが、それくらいなら何も無いのと同義である。

 

「貼り替えた方がいいよね、湿布」

 

 えっ、嬉しいベル! 枯山水。

 

「食べ終わったら……貼りましょう」

「そうね。じゃあまたカフェさんが支えて──」

「いや待て待て今は自分で貼れるから」

「駄目だってツッキー、背中側は自分でやれないでしょ」

「首や肩の後ろなどもあります……」

 

 ほ~~~っ♡ おい何でこの美少女たち全然手を引かないんだ? 教えておくれ。

 

「とうっ、秋川くん確保。今よドーベルやっちゃって」

「ほいきた」

「マジで恥ずかしいから勘弁してくれ……! 朝っぱらから上裸になる方の気持ちを考えて!」

「ほらツッキー、怪我人はジッとして──ぁっ、鎖骨……」

「ドーベル……?」

「あっはい! 貼ります湿布!」

「私は洗い物をしておきますね……」

 

 

 ──と、そんなこんなで若干の緊張を含んだまま朝の一幕が過ぎ、朝食後に俺の湿布を貼り替えてから彼女たちは学園へと戻っていった。

 ちなみに一番羞恥心を煽りやがったベルちゃんには頭なでなでアタックという反撃をしておいた。距離感が近い女子に対してモテてると勘違いした男子がやりそうになってしまう危険なスキンシップだが、ちゃんと照れてくれてスッキリ。

 マンハッタンとサイレンスの二人はまた今度ねと言いたいところだが恐らくキモすぎて遠慮すると言われる可能性が高すぎるので何も言わないでおいた。別れ際に少しかがんだのは自分も撫でてという意味ではなく、絶対に遠慮しておきますという意思表示のお辞儀だろう。俺が中学時代にフラれた経験のある男じゃなかったら危なかったぜ。さすがの俺も騙されるところだった……。

 

 

 

 

 美少女三人と朝ごはんという有料プレイに等しい神の行為を体験してから二日後。

 サンデーは未だに戻ってこないが俺にもやる事がある。

 書き置きだけ家の中に残し、バイクに跨って自宅を後にした。

 駿川さんから貰った資料にはやよいの仕事のスケジュールの他に、名目上『理事長秘書補佐代理』としてイベント開催側に介入できるようにするためのデータと、大人たちの前で口にするそれっぽい情報の例が記載されていた。

 理事長の秘書の補佐のそのまた代理とかいう一見すると何言ってんだお前となるような立場だが、最後に代理と付ければ大抵はスルーされるのでうまいところを突いたのかもしれない。流石はトレセン理事長の秘書さんだ。

 

「……ん?」

 

 今日から設営の手伝いに加わるためイベントの開催地へ向かう途中なのだが、トレセンの前を通過すると校門の前でオロオロしている制服姿のウマ娘を発見した。

 はて。

 現在学園の生徒はもれなく旅行バスでイベントの現地へ向かっているはずだが。

 

 特殊なステージでの演出の練習だけでなく、イベントで行われる派手な障害物競走みたいなレースの練習もあり、参加希望した生徒は誰でも出られるというルールのためレース場自体がとんでもない広さと作りになっている。テレビ撮影もやるらしいが、それでやよいの仕事も増えまくっているので複雑な気持ちだ。

 ともかく、スケジュールの都合で学園に居残った後発組にとっては今回のイベントが夏合宿のようなものであり、特別なレースへの出走はまだしもイベントの参加自体は絶対のはずだ。

 なのに学園に残っているあの黒い髪のウマ娘は何者なんだろうか。

 

「ひゃっ」

 

 近くにバイクを停めるとビックリされてしまった。許せ! 心からの願い。

 

「どうも、こんにちは」

「あっ、ぅ、えと……」

「怪しいもんじゃなくて。えぇっと……ほら、これ」

 

 ポケットから名札を取り出した。会場で首から下げて役職を明らかにするためのものであり、駿川さんが用意しただけあってかなり精巧な見た目になっている。

 

「り、理事長秘書補佐代理……さん?」

「えぇ、これから会場へ向かうところなんだけど……きみは? バスはもう出てるはず……」

 

 俺の質問にビクッと反応した少女は泣きそうな顔で俯いてしまった。そんな表情をすると美人が台無し。笑顔が最も。

 見た目で判断して敬語はやめておいたが逆効果だったのだろうか。

 

「うぅ……そ、その……電車が遅れて」

 

 なるほど一旦実家に帰ってた生徒。それならしょうがない部分もある。

 

「野生のタヌキさんたちに追いかけられて……」

 

 それは……まぁそういう事もあるか。

 

「なんとか振り切って、急いだら全部赤信号で……」

 

 ……不幸体質のお手本みたいな少女だ。

 

「で、電話で連絡したら、ライスのせいで皆を待たせちゃうと思って……でも、やっぱり間に合わなくて……ごめんなさいっ!」

 

 あるよねそういうの。おじさん分かるよエスパーだから。ウマ娘エスパー♡

 迷惑はかけたくないし急げばワンチャン間に合って全部丸く収まるかもしれない、という思考は何も特別なものではない。

 俺だってそれで失敗して寝坊遅刻をかました事がある。一度は誰でも通る道だ。

 流石に学園の教師やらトレーナーなら一言物申すだろうが、俺は理事長の関係者であって教育者でも指導者でもない。説教も注意も俺のすることではないだろう。

 すぐに謝罪の言葉が出た辺り、向こうに着いてもきっと自分で謝れるはずだ。俺ぐらいは激甘のあまあま対応で接してあげよう。

 

 てかライスって一人称めっちゃ独特だな。

 どこの地域の出身なのか気になるところだが今は急がねばならない。

 

「きみ」

「は、はいっ……!」

 

 ビビりすぎ。怒んないって別に。

 ()むなよライス。

 俺はもう一つのヘルメットを仮称おむライスちゃんに渡した。こいつは可変式でウマ娘の耳にも対応している。ベルが後ろに乗せてと言っていたので一応買っておいたのだ。

 

「それ被って、とりあえず後ろに乗って。俺も会場に向かうところだからついでに送る」

「えっ! そ、そんな悪い……」

「──もしもし、駿川さん? えぇ、学園に一人残ってて……ライスシャワーさん、ですか。あの、きみの名前ってライスシャワーさんで合ってる?」

「は、はい……っ」

 

 駿川さん情報、ライスシャワーちゃん驚きの高等部。さすがに三年じゃないよな……失礼かましてないか心配になってきた。

 ふ~むだがここはたとえ相手が年上でも頼れる男として。ライダーとして、そして一人の男として。ハピネス。

 にしても親父のくれたバイクが最近ずっと大活躍だ。イベント会場は遠いしウマ娘とはいえそこまで走らせたら脚が壊れかねない。俺に乗れ!

 

「今から一緒に向かいます、はい……では。……よし、行こうか」

「あぁあの、本当にいいんですか……? ライスと一緒にいると……さっ、さっき言ってたような悪い事に巻き込んじゃう……」

「はは、大丈夫だって」

 

 他人の不幸体質に屈するほどヤワではない。

 幼少期のやよいを見ていた経験上、不幸体質というものは確かに存在していてもおかしくないが、近くにいる人間の幸運値がバグっていればそんなものは跳ね返せるのだ。俺は従妹に寄ってきたスズメバチを不意のくしゃみで撃退した男だぞ舐めるな。

 肉体的に少しキツい事こそあれ全体的に見たら最近の俺はラッキーボーイなので安心して♡ 身を任せて♡

 

「仮にその悪い事が降りかかってもバイクで全部振り切るから。……ほら、みんなもあっちで待ってるだろうし、早く向こうで合流しよう」

「…………う、うんっ」

 

 というわけで後ろに乗ってもらって──む?

 ほのかに。背中でほのかに感じる柔らかみ。少々あり。

 おむライスめ、さては俯きがちな体勢で隠していたな? 同乗者としては嬉しいサプライズだよ。卑怯者がよ……。

 

 



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突然のキスは避けて然るべきと孔子の教えにも記載あり

 

 

『どぼめじろう先生! サインくださいっ!』

 

 街頭の一角、噴水が目立つ広場のベンチで一休みしているメジロドーベルの前に、サイン色紙を持った少年が現れた。

 その“どぼめじろう”というワードに反応した通行人も駆け寄り、周囲は一瞬にしてお祭り騒ぎに。

 困ったような、照れたような苦笑いでサインや写真撮影に応じる彼女をそのまま遠目に眺めていると、俺の太ももを誰かが軽く叩き、ハッとした。

 アレを眺めている場合ではなかったのだ。

 

「んなぁ」

 

 メジロドーベルの()に目を奪われていた俺を正気に戻し、ぽてぽてと先導するように前を歩いてくれている少女を追い、街を進んでいく。

 少女の外見は俺の従妹こと秋川やよいが帽子を外した時の姿にそっくりで、その頭部には彼女にはない猫耳のような部位がありピクピクと時折反応している。

 

「にゃ」

「あ、はい。すいません」

 

 すぐ近くで街の風景が歪曲し、結婚式場が見えたかと思えばその付近でブーケトスを披露するドレス姿のサイレンススズカが見えたのでつい足を止めたところ、先導している少女にまた太ももを優しく叩かれてしまった。よそ見してる場合ではない、という事なのだろう。

 新郎が誰なのかは判断できなかったが好奇心を抑えて前を向き、摩訶不思議な光景が展開され続ける奇妙な世界を進んでいった。

 

 

 ──なぜこんな不思議な場所を、やよいに似た少女に導かれながら冒険しているのか。

 事の発端は今日の夕方頃にまで遡る。

 

 

 ……

 

 ……

 

 

 ライスシャワーを会場に送り届けた時、偶然にもランニングに出かける直前のたくさんのウマ娘たちと出くわして『ライスシャワーさんが彼氏と一緒に来た』といった思春期特有の色ボケ早とちり勘違いで軽く騒ぎになってしまったのだが、その時に見えたマンハッタンカフェの様子が少々気掛かりだった。

 

 ウマ娘たちに囲まれて質問攻めにあう俺を遠目から心配そうに見つめるサイレンスとドーベル──ここまでは予想通りだったが、後になって宿から出てきたマンハッタンは、明らかに何か騒ぎになっているこちらを見向きもせず、ボーっとした状態でそのままランニングへと向かっていったのだ。

 それが気になった俺は宿泊する部屋に荷物を置いてからすぐ、風呂に入った後の浴衣姿でベンチに座って固まっているマンハッタンのもとへ向かい、缶コーヒーを二つ手に持って彼女の隣へ座った。ほぉっ♡ 緊張。

 

「こんばんは、マンハッタンさん」

「──葉月さん。……どうして、ここに?」

「イベントの手伝いというか……まぁ、臨時のアルバイトみたいな感じ。よかったら、これ」

「……ありがとうございます」

 

 温かいコーヒーを差し出すと素直に受け取ってくれた。

 何か思いつめたような表情だが、この数日間に何があったのだろうか。

 怪異ややよいの手伝いといった自分の事情を後回しにするべきだと即決できてしまう程、彼女は沈鬱な態度だった。

 普段から静かで落ち着いた性格ではあるが、元気がない姿はいつものそれとはまったく異なっている。虚を突かれる思いだぜ。

 

「……迷惑だったらゴメン。でも、その……なんつーか」

 

 自分から話しかけておいて、上手い言葉が見当たらず焦ってしまう。

 放っておけない、だと彼氏面すぎてキモいしデリカシーが皆無な勘違い男になり、ただただマンハッタンに不快な思いをさせるだけだ。

 しかし、気になって、などでは逆に興味本位だけで近づいた軽薄な男になってしまい、これもまた彼女にとって俺がただの面倒な相手になってしまう。

 迷った末に、勇気が出ずにこのザマだ。

 ドーベルが資料用に集めている少女漫画とかもう少し読んでおけばよかった。あからさまに傷心中な女子に対してかける声が分からな過ぎてヤバい。

 

「……すみません。やはり元気が無いように……見えてしまっていたようですね……」

 

 温かい缶を両手で転がしながら、あえて俺とは目を合わせず俯いたまま応答する。クールな仕草も非常にキュート。

 自分が誰かに心配をかけてしまうような態度を取ってしまっていた、と考えているだろうが彼女は全く悪くない。これはただの俺の勝手な行動に過ぎないからだ。

 長年付き合いのある友人なら、一人にした方がいいタイミングとかを把握してあえて声をかけないという選択肢も取れるのかもしれないが、友人関係の経験が浅い俺にはコレしかできない。

 

 イベントの数週間前。

 もちろん世間を熱狂させている有名なウマ娘のマンハッタンにも、大事な役割とパフォーマンスが待っている。

 だというのに彼女が消沈している様子とあれば、担当のトレーナーはきっと無視できない。何があったのかと、親身に相談に乗ってくれることだろう。

 そこで、いくつか問題があるのだ。

 果たして彼女の担当トレーナーはマンハッタンの事情をどこまで知っているのか──何より、マンハッタン自身が彼にどこまで話せるのか。

 それがどうしても気掛かりだった。

 中央のトレーナーが務まる鬼スゴな人間で、マンハッタンとも相性が良くここまであの少女が強くなるよう導いた大人の存在を前にすれば、一介の男子高校生に過ぎない俺なんぞ文字通り凡人の子供(ガキ)でしかないだろう。

 

 子供──だが。

 子供だからこそ分かる事もある。

 同年代の気持ちを一番理解できる距離感の相手は同年代をおいて他にはいないはずだ。

 そう、例えば──心配をかけさせたくない、とか。

 

 守ってくれる、支えてくれる人が多い程、不平不満や心の底で抱えている悩みが言いづらくなる。

 少なくともマンハッタンはそういう性格だ。

 理解者面ではなく、そこだけはしっかりと理解している。

 相手が優しく接してくれる大人だと知っているからこそ、事情を話せばこちらが思っているよりも親身に──心配してくれると分かっている。

 嬉しいが、なんとなくそれは避けたい。

 理屈ではなく感情の話だ。

 

 サンデーが前に言っていた、スカウトされてもサンデーの話ばかりするから最初は担当が全然決まらなかった、という話がある。

 それを踏まえると、現在の彼女のトレーナーは少なくともサンデーの話を受け入れ、マンハッタンの性質を理解した相性のいい大人だという事だ。

 あくまで友人といった程度の頻度でしか会わない俺と違って、中央に在籍する以上ほぼ毎日接する彼の存在はあまりにも大きい。

 なのでサンデーの事も既に事細かに話していて、俺の出る幕はない可能性が非常に高い──そこまで考えたうえで、俺はここに座っている。

 理屈ではなく感情の話なのだ。

 

 ゴチャゴチャと懊悩したがつまり、俺はマンハッタンの力になりたい。

 元気が無いなら理由が知りたい。

 悩みの解決になるなら何だってしてあげたい。

 ただそれだけの話なのだ。

 

 トレーナーがどんな立場だろうと関係ない。

 マンハッタンとのこれまでの会話からして、彼女以外にサンデーを視認できる人間は俺だけなのだ。

 だから俺とマンハッタンにしか存在しない距離感もあるはずだ。

 別にめっちゃ仲が良いわけではないが、普通の友人や理解者である大人に話せない事でも()()()()()()()()()で接することが出来て、なおかつ口外しない信用が多少あるコイツになら話せる──そんな友人もいると思う。

 だから、彼女にとってのソレが自分であると信じて、俺はマンハッタンの隣に座った。

 つまり俺の言うべき言葉は──

 

「俺でよければ話……聞くよ」

 

 どしたん?話聞こうか? である。出過ぎた杭。

 全身が肉欲で形成されてるクソ遊び人が言いそうなセリフではあるが、そんな奴らが常套句にしてるだけあってこちらの言いたいことはそのままダイレクトに伝わる良さもある。

 勘違い男子感がとんでもない言葉でもあるがそこは一旦置いといた。持ち味を活かせ!

 

 俺にとってマンハッタンは、まだ悩みの内容も明らかにしないまま思いやって悩みの解決に導けるような気心知りまくりな相手ではない。

 何があったのかを話してもらえないと、ちゃんと言葉にしてもらわないと力にはなれないのだ。

 だから多少図々しくても聞きださなければならない。述べよ! ゆっくりとな。

 話さなくてもいい、という素敵な言葉が正解だと知ったうえで、それが言えるのは大人の余裕がある担当トレーナーだけで、俺にできる最大限がコレだと考えて口にした。

 

「葉月、さん……」

 

 果たして結果は。

 

「…………ありがとうございます。……正直、誰にも話せない事でした」

 

 あ、上手くいったのかな……。ここまで独白を耐え忍んだ心、大和撫子の装い。

 正直に言うと心臓バクバクで全然自信が無かった。

 

「葉月さんがあの子と一緒に帰ってきた夜……彼女に“後はお願い”と……」

「確か、概念の再構築だとか言ってたな」

「……はい。……以前にも同じような事がありました。私がまだ幼い頃、家族でスキーに行ったとき……天候の影響で雪崩が起きて……そのとき私を助けるために憑依をして、安全な場所まで逃げてくれました」

 

 相棒が偉すぎる。守護霊と祭り上げられるのも斯くやと言ったところだぜ。

 

「あいつ、その後はどれくらいで戻ってきたんだ?」

「……二年ほど、待ちました」

 

 流石に予想外の長さすぎてひっくり返りそうになった。あの女あそこまであっさり消えておいて二年も帰ってこないつもりなの。バカ相棒! 早く帰ってきてね♡

 

「その時も、彼女が自分で帰ってきたわけではなく……夢の境界へ渡った私が、眠っている彼女をこちらの世界まで連れ帰りました」

 

 夢の境界とかいう新しいワードが出てきたが質問はグッと堪える。もうニュアンスで大体を想像するしかないのだ。そこに新しい世界、開けているから。

 

「概念の再構築自体は数日で終わったそうです。ですが、あの世界で眠ると自分の力で目覚める事が難しいらしく……」

 

 じゃあ寝るなという話にはならないだろう。何日も寝ない事なんて不可能であり、そもそもあそこで概念の再構築だとかよく分からないことをしに行かねばならない程、その時のサンデーは疲弊している。

 

「精神の安寧……夢の境界は、彼女や怪異にとっての楽園ですので、本来は自然に目覚めるまで待たなければならないのかもしれません。

 ……なので、もういいんです。今度はしっかりとあの子を待ちます。何年後でも、何十年後でも、あの子を待ち続けます。それが後を託された私の──」

「いや、ちょっと待ってくれ」

 

 マンハッタンの捲し立てるような意思表明を遮った。

 何だか危険な方向に走っていると感じたからだ。

 彼女にとってサンデーは道標であり、古くからの馴染み……えぇと、そう、アレだ言葉そのままの意味で幼馴染だ。

 友達よりも近い感覚で、もはや家族と言っても過言ではないような近しい理解者。

 そんな存在を心の準備も無しに突然欠いたマンハッタンの気持ちを考えれば、寂しい思いを殺して自分を律しようとしてしまうあまり気持ちばかりが先行してしまうのも理解できる。先走りカフェオレといったところ。

 

 ダメだろう。

 このままでは。

 恐らく俺の想像以上に、サンデーを想うマンハッタンの感情はデカい。

 たとえ男の家であろうと臆することなく来れていたのはサンデーがそこにいたからだ。むしろアイツに会いに来ていたと考えた方が動機が自然。

 普段から一緒にいたサンデーが俺から離れられなくなったものの、いつでも会いに行けて俺がいる限りサンデーもそこにいるという安心感で支えられていた心が、二度目の別れが理由で揺さぶられまくっているのだ。ムチムチと。運命のように。

 

「概念の再構築自体は数日で終わったんだろ? じゃあ、連れ戻そう」

「……不可能です。あの時も、私は不思議な猫に導かれて偶然夢の境界へ渡れただけですから……あの猫の所在も知らない私にはできません。……だから大丈夫です。心に区切りをつけて、ちゃんと前を向かないと……」

 

 これは良くない。

 明らかに無理をしている。

 サンデーのポジションはトレセンの友人や担当トレーナー、勿論俺でも代われない唯一無二の特別なものだ。

 早急にアイツを連れ戻さなければ。ヘバってんじゃねえぞ只今の居場所は何処だ? 答えよ!

 サンデーが夢の世界行きになったのは、元を辿ればあいつの制止を軽く見てユナイトを決行した俺に原因がある。俺が何とかするべき件だ。

 

「──俺が連れ帰るよ」

「えっ……?」

「イベントが始まる前までには絶対あいつを連れて帰るから、少しだけ待っててくれ」

「何を言って……あっ、葉月さん……っ」

 

 時は一刻を争う。故に一旦宿泊先の自室へ戻る。

 今の『俺が何とかする』宣言は完全に若気の至りだ。

 子供がやりがちな無茶を口にした。呪いやサンデーと巡り逢った運命力を多少信じた上での発言だったが、何もできなかった場合の代償は途轍もなく大きいに違いない。

 あの場所で、あのマンハッタンを前にして、じゃあ諦めて待とうと言えるほど、俺が大人ではなかったというだけの話なのだ。未成熟。それでいて大胆。

 

「猫……不思議な猫、か……いなくね……?」

 

 いるわけがない。

 何だその夢の境界へ案内してくれる猫とかいうファンタジーの塊は。生意気だぞ。いや、大生意気といったところか?

 心当たりなんて一つもない。

 とりあえず手掛かりをネットで探す前に、顔見知りの猫にだけ挨拶をしておこう。ダメ元とかそういうレベルではないが一応だ。

 

「あっ……やっぱりもう帰ってた」

「……?」

 

 自分の宿泊部屋として割り当てられた旅館の和室の襖を開けると、俺のとは別の荷物と()が鎮座していた。

 ラスボスこと叔母さんの指示で俺とやよいの部屋が何故か同室にされており、イベント設営に大忙しなやよいとはまだ会っていないが、既にやよいは数日前からここを使っているらしい。今後必要とされる残りの荷物を運んでくれたのは恐らく駿川さん辺りだろう。あとでお礼に告白しておこう。

 

「お久しぶりです、先生」

「んなぁ」

 

 足を踏み入れるや否や、体を起こして猫が俺の足に頬を擦り付けてきた。あ~やっぱマゾですねこれは俺の解釈だと。

 この子はやよいが普段から帽子の上に乗せて連れている猫だ。ちなみにメス。

 彼女がここにいるという事は、やよいが一度部屋に戻ってきたという事だ。猫を置いていった辺り今は大浴場にでもいるのだろう。ふるさと納税。

 やよいも俺が来るという話は耳に入っているはず……というか置いていった荷物を見て察しているだろうが、いま鉢合わせなかったのは素直にありがたい。

 

 好きな女の子のためにやるべきことがあるので、ちょっとイベントの設営を手伝っている場合ではないのだ。

 ──俺は俺と関わってくれる相手が例外なく好きだ。

 ドーベルもサイレンスもマンハッタンに対しても、友人としての繊細な関係性を大切にしたい気持ちはあるが普通に異性としても当たり前のように好きだ。

 片思いするだけならタダなのである。

 彼女たちの立場を考えれば絶対に百億パーセント成就しないであろう感情なので一周回って安心しているくらいだ。

 だから逆に全力を出せる。

 せめて記憶には残ろうという思いで手を抜くことなく行動に移せる。告白はしないし迷惑もかけない。ここはひとつ結婚で手を打たない?

 

「先生。やよいは元気ですか」

「ごろごろ」

 

 顎の下を撫でると猫エンジンが起動した。ゴロゴロ言ってて非常にキュート。俺を舐めすぎ。

 先生は幼い頃に秋川邸の中で見つけた野良猫だ。

 怪我をしているところをやよいが助けてから今に至るまで、ずっと彼女のそばに居てくれている守護神である。

 先生と呼んでいる理由は、眠ると必ず悪夢を見て苦しむやよいが、先生と寝始めてから一度もそれを見なくなった事実に敬意を表してそう呼ばせてもらっている。彼女は馴れ馴れしく接していい飼い猫ではなく、やよいを治療してくれた正真正銘の先生なのだ。後で猫用のおやつ買ってきますね。

 

「今、あいつの学園の教え子を助ける方法を探してるんですけど……夢の境界? って所に連れてってくれる知り合いとか、いませんかね」

「…………」

「まぁいるわけないか。すいません、モバイルバッテリーを取りに来ただけなんで、もう行きますね」

 

 相手が先生とはいえ猫にガチ相談するなんて追い詰められ過ぎだな、と自嘲しつつバッテリーを手に取り立ち上がると、いつの間にか先生が部屋の外へ出ていることに気がついた。

 

「あ、ちょっ、先生。部屋の外に出ちゃダメだって」

 

 焦って彼女を追いかけていく。

 やよいにバレたら大変な事だ。色々と融通を利かせて先生もあげてくれた旅館にも迷惑が掛かってしまう。

 先生を刺激しないよう小走りで追いかけていった。

 

 追いかけて。

 

 追いかけて。

 

 追いかけて──気がつくと、真っ白な謎の空間に立っていた。

 なんか前にも似たような体験をした気がする。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 というわけで、実はやよいの頭に乗ってた猫が自分の探してるファンタジー生命体の正体でした~、とあまりにも俺にとって都合が良すぎる展開で、俺は夢の境界へと至ったのであった。

 これも普段のやよいが積んでいる徳のおかげだと割り切り、何故か目的も察してるっぽい先生の後に続いてここを冒険している。普段の常識が吸い尽くされる! 俺が俺でなくなる!

 

 腕時計を見ると、時刻は既に深夜の一時を回っていた。場所どころか時間まで飛んでいる。

 夢の境界というくらいだから俺が稀に目にする不思議な光景は、きっと今眠っている誰かが見ている夢なのだろう。

 先生が猫形態から擬人化してやよいそっくりな少女に変身したことについてはもう深く考えないことにした。なんか変身する生物はあのカラスとかでもう見ている。

 そもそもマンハッタンカフェのお友だちという形でずっと前から存在していたらしいサンデー自体が説明不能の少女なのだ。いちいち驚くのも疲れるから、文句を飲み込んで順応しようとだいぶ前から決めている。状況判断が大切だ。

 

「んなぁお」

「え? ……あっ、いた」

 

 見つけた。

 先生が指差した先で、ありがちな謎のヒロインっぽく花畑の中心で眠ってやがる。悔しいが普通に綺麗だ。

 早く叩き起こして帰ろう。

 

「にゃーん」

「あぁ、ありがとう先生。帰ったらちゅーるでも買ってきますね」

「ふるる」

 

 猫らしくめっちゃ眠そうな顔で鳴いた先生の頭を撫でてから、お花畑の中心へと進んでいく。

 唯一花が咲いていない芝生で丸くなって寝ているサンデーはまるで映画のポスターのように画になる姿だ。なんか言え。絵画のようだよ。

 

「こんばんは♡ 起きろ寝坊助」

「…………」

 

 近くで言ったが効果なし。

 何か条件でもあるんだろうか。

 

「……眠り姫にはキスだよな」

 

 あえて聞こえるように言ってみたがこれもダメ。

 そろそろ起きないと本当にちゅーするぞお前。い、いいの……?

 

「おーい」

「……」

「起きてくれよ、マンハッタンさんが待ってるぞ」

「…………」

 

 コイツこんなに眠りが深いタイプだったのか。それともこの場所の影響か?

 先生は喋れないし帰り方はサンデーに聞かないといけないのだ。早く目覚めてもらわないと困る。起きろ! カス! ゆっくり目覚めようね♡ 焦らなくていいよ。

 

「ほっぺをもちもちするからな」

 

 もちもち。こうかが ない みたいだ……。

 

「そろそろ起きた方がいいぞ。あとは脇をくすぐるかキスするしかなくなる」

 

 最後は警察に出頭するの前提で胸を揉むくらいしかない。反応が敏感なところを責めたり羞恥心を煽っても変化なしだった場合はもうお手上げだ。オーラ! さっさと起きろ! 寝ぼけてんなバカ野郎! 可愛すぎるね♡

 

「……あぁ、耳か尻尾か」

 

 ウマ娘にしかない部位である尻尾や、人間でも触られたらビックリする耳。

 そこの反応を確かめた事は、そういえば無かった。

 まずは尻尾を失礼。は~いぞりぞりぞりぞ~りぞり。根元まで擦ってあげるね。寝ていいよ。

 

「んっ……」

 

 えっ。

 

「んん……ぁれ、はづき……?」

 

 尻尾を触ったら一発で起きちゃった。

 これもしかしてウマ娘にしか分からないタイプのガチなデリケートゾーン? 普段から外に出してるのに? 正体見たりって感じだな。

 

「おはよう。概念の再構築は終わったか?」

「うん……美味しくなって新登場……」

 

 どこがおいしくなったのかはさておき、さっさと連れ帰ろう。

 焦るな! 急いては事を仕損じる。

 

「マンハッタンさんが待ってるから、早く帰ろう」

「それは大変……でも眠すぎる……おんぶ……」

「了解しました」

 

 少女をおんぶして気がついた。背中への感触的に、確かに多少は美味しくなって新登場したかもしれない。恋に落ちちゃった。

 雑念を振り払い、サンデーが指差した方角へ向かって歩いていく。今度は先生も隣だ。

 

「うなーん」

「わぁ……先生……ハヅキの事を案内してくれて……ありがとうございますぅ……」

 

 サンデーも先生と顔見知りで、なおかつ言葉遣いに気をつけるほど敬意を払う相手でもあったらしい。まぁこの世界を知っているという共通点がある以上、知り合いという真実が明らかになっても別段驚きはない。

 

「なぁ、サンデー。俺たちどうやって帰るんだ?」

「今は現実世界に実体が存在しないから……誰かの夢を通じて外に出る……」

「じゃあこっちに誰かの夢があるのか」

「そう……カフェの夢……」

 

 マンハッタンの夢、覗いちゃっていいのだろうか。

 ドーベルとサイレンスの夢を覗いてしまっている以上手遅れなのは分かっているのだが、どうもプライバシーを侵害しているような気がしてならない。

 

「大丈夫なのか……?」

「んん……夢は忘れるもの。ハヅキもそう、でしょ……」

「それはそうだが……」

 

 言っているうちに到着した。

 

 ──そこは何処にでもありそうなボロいアパートの一室。

 テーブルの前に座ったマンハッタンはエプロンを付けており、じっと誰かを待っている様子だ。

 よくは見えないが結婚式の写真らしきものも立ててある。

 ありがちと言ったら失礼な話だが、少女の夢は誰かと結婚した後の夫婦生活であったらしい。

 ここまで想像できる相手と言えば担当トレーナーくらいだろうか。一周回って平気とは言ったものの、いざクリスマスにトレーナーとデートしながら赤面してるマンハッタンとかを目にしたら脳が破壊されて死ぬかもしれない。

 

「あ……おかえりなさい、あなた」

「ただいま、マンハッ──……カフェ」

 

 夢を通して外に出る為、夢の一部になる必要があるらしく、俺は疑似的に旦那さん役としてこれから出てくるであろう未来の担当トレーナーに代わって夫として振舞うことになった。

 夢というフワフワした感覚で体験する世界にいるからなのか、マンハッタンは特に気づく様子もない。旦那は俺だ! まんじりともせず受け入れろ……! 興が乗ってきたな。

 

「お疲れでしょう。お風呂、沸いてますけど……」

「先に飯にするよ」

「分かりました、いま温めてきますね」

 

 うお、愛情たっぷりの晩御飯。俺たち本当は夫婦だったのでは……? 心配になってきた。

 

「ふふ。今日も葉月さんを守ってくれて、ありがとね」

「わぁ……新妻カフェ、新鮮……」

 

 お友だちであるサンデーにもふわりと柔らかい笑みを向けるマンハッタンは、サンデーの言った通り新妻としてあまりにも違和感がない。そろそろ子作りの季節ではない?

 

「食後の珈琲が楽しみだな」

「新しい豆を買ってきたんです……後で二人で試してみましょう」

 

 適当な事を言ってみたら普通に反応されてビビった。マンハッタンと結婚すると食後の珈琲という概念が生まれるらしい。

 俺に巡り合うため……? 嬉しいよ♡ はい婚姻。

 ちょっと目が覚めてきたサンデーと俺、そしてマンハッタンの三人で食卓を囲むと、再び彼女が小さく笑った。先ほどから笑みがこぼれすぎガール。この卑怯者が。こんな幸せいっぱいな新婚生活で何がウマ娘だ!? 人々をたぶらかし……おろかな女め。大好きになってきた。

 

「……こうしていると、初めて私たち三人でご飯を食べた時の事を……思い出します」

「初めての? ……あぁ、俺が冷やし中華を作った時か」

 

 あの真夏日に彼女が訪ねてきて、有り合わせのもので冷やし中華を振る舞った昼の事だろう。初めて、というより現状俺とマンハッタンとサンデーで囲んだ唯一の食事なのでよく覚えている。

 明らかに思い出が俺のものに入れ替わっている辺り、旦那が誰であるかをトレーナーさんから俺に挿げ替える事に成功してしまったらしい。何故か穏やかな気分だぜ。

 おい! 嫁になるか? オイラの嫁になるか。

 

「あの時は食べ終わった後のお皿をこの子が割ってしまって……」

「そういやそうだったな……」

「私は不器用なのでしょうがない」

「おい開き直るな」

「ふふっ……」

 

 天使の微笑みを浮かべたマンハッタンは、小さな声でぼそりと呟く。

 

「あぁ、本当に、夢みたい──」

 

 その一言の後、彼女は目を覚ました。

 要するに──夢の世界(ワンルーム)が崩壊したのだ。

 

 

 

 

 

 

「……葉月、さん」

 

 気がつけば、マンハッタンと同じ布団の中にいた。

 頭の上には猫に戻った先生。背中側にはまた眠りこけているサンデー。

 マンハッタンはいつから起きていたのか、あまり驚いた様子もなく、布団の中に入っている俺の頬に手を添えた。やわらかおてて淫猥道中。

 

「出来るはずがない事を口にした翌朝に、本当に彼女を連れて帰って……あなたは不思議な人です」

 

 何をおっしゃる。

 気がついた。

 ここはウマ娘たちが合宿に使っている部屋だ。

 視界の端に、微かに他のウマ娘が見える。大部屋で大人数で使っているのだろう。

 うら若き乙女たちの園に不法侵入をかましている男子高校生など、たとえ誰の関係者であっても牢屋行きは免れない。早くこっそり部屋を出ないと文字通り人生終了だ。

 

「大丈夫です。時間的に、皆さんはあと一時間は起きませんから。……とりあえず部屋を出ましょう」

 

 声も出さずに頷き、連れられてゆっくり部屋を出ていく。先生とサンデーも眠そうながら付いてきている。

 学年ではなく参加するイベントのメンバーごとに分かれているのか、部屋の中には前に助けた葦毛の子やライスシャワーも布団に包まって眠っていた。本当にギリこの時間帯に帰れてよかったと安堵している。俺の人生はいつもギリギリだ。

 

「……ありがとうございます、葉月さん」

 

 あたりきですよ! 麗しのお嬢様♡

 

「い、いや、お礼を言うのはこっちの方だって。突然布団の中に出現したのに、察して声を上げないでくれて助かった」

「それは……当然の事をしたまでです」

「あぁ、だから俺も一緒。サンデーを連れ帰るのは当然のことだよ」

「──っ!」

 

 正確には先生が夢の案内人だったという超ド級の奇跡と巡り合ったおかげなのだが、欲を出して少しばかり格好つけた。男とはそういう生き物なので。

 マジで先生にはスーパー高級な猫用おやつを献上せねばなるまい。

 

「……本当に、あなたは……」

「っ? え、マンハッタンさん……?」

 

 不意に俺の手を握ってきた。

 心なしか距離も近い。ここに住もうかな。

 

「今はきっと、ズルいので……まだ。でも……」

 

 そのまま自然に俺の頬にキスをした。

 あまりにも流れるような所作に反応できず、自分が何をされたのかを理解するまでに一瞬ロード時間が発生した。

 ヤバいことをされたような気がしたが、あまり実感がない。

 マンハッタン様も興奮してたんですか? 嬉しいです。

 

「葉月さん。あなたは彼女を連れ戻して、私の心を救ってくれた。……その事だけは、どうか覚えておいてくれませんか」

 

 以前にも聞いたことがあるようなフレーズでそう言われた後、俺は部屋の中へ戻っていくマンハッタンを引き留めることが出来ず、数分ほどその場で呆然としていた。

 

 ハッと我に返れたのは先生の猫パンチと、サンデーの一言。

 

「女子生徒が寝泊まりしてる部屋の前に突っ立ってるの、誰かに見られたらヤバいよ」

 

 それはそう。

 ということで現実味がないまま、半ば放心状態で部屋へ戻っていき、着替え途中のやよいと出くわして再び放心するのであった。

 

 



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オラッ!! 寝ろ

 

 

 ──もしかしてマンハッタンカフェは俺のことが好きなのではないだろうか。

 

 そんな考えが過っては消えてを繰り返し、目の前の光景に集中できない。

 頬にキス、とは。

 ほっぺにチューなどという行為は、頑是ない子供同士でなければ成立しない、幼少期にのみ許されるお遊びだ。

 高校生の、ましてや異性がそれを行うなんて恋人だとか余程親密な関係でなければ本来はあり得ない。

 だが、数十分前に俺はそれを体験してしまった。

 その少女の親友を助け出し、まぁ多少は感謝されてしかるべきだろうとは思っていたが、まさか一気に段階を飛ばしてあからさまな“好意”を示すモーションを仕掛けられるだなんて全くの予想外だったのだ。

 思考が吹き飛ぶのも道理というものだろう。まったく一回のキスで俺の思考を吸い尽くしやがって。窒息するかと思ったぜ。ライフセービング。

 

 俺が知らない異文化のコミュニケーションという可能性は除外した。ただの友人に直接頬にキスをして感謝を示す習慣などこの国には存在しない。

 だから考えは二つだ。

 マンハッタンカフェが俺に好意を抱いてくれているか。うれP!

 それとも思春期特有の、少々いきすぎただけの気の迷いだったのか、である。

 からかっているだけ、というのは無いだろう。少なくともマンハッタンはそんなことが出来る性格ではない。スケベなのだがな。

 だからこそ、言い訳という逃げ場が用意できず困っている。

 ──後で考えよう。混乱しすぎて何も纏まらない。今は目の前にやるべきことが迫っているのだ。

 

「……二年ぶりの再会がこれって」

「それは……ほんと、申し訳ない」

 

 自室へ戻った俺を待っていたのは、着替えでシャツのボタンを留めている最中のやよいであった。

 互いに数十秒ほど固まったのち、俺が部屋を出てやよいがササっと着替え、いまこうして正座しながら向かい合っている。

 

「……久しぶりだな、やよい」

「驚嘆ッ。切り替えの早さがおかしい」

「悪かったって……」

 

 数年ぶりに再会した従妹は朝という事もあってか、寝ぼけ眼をこすりながら若干不機嫌だった。

 あぁそう言えばこいつは朝がめちゃくちゃ弱いんだったな、と今更のように思い出す。

 いつまで経っても居間に来ないから起こしにいったらそのまま布団の中に引きずり込まれた事もあった──そんな昔の記憶を思い出しているうちに、気がついた。

 いつの間にか、やよいがすぐそばまで迫ってきている。

 察した俺が腕を広げると、彼女は無言で俺の胸にぽてっと体重を預けるように倒れ込んできた。うひょー全身柔らけぇ。

 俺も彼女の背中側に腕を回し、いつものように後頭部を優しく撫でる。

 

 そのまま数分ほど受け止め続け──やよいがスンっと鼻を鳴らした。泣いてはいないが、ちょっと危ない。痴れ者めが。ズルい女。しかしどうしてかわいいのだ。

 あやすように背中を撫で、彼女から話を切り出せるようになるまで、俺はその体勢のままひたすら待機する事になったのであった。父母の会。

 

 ──秋川やよい。

 幼少期から苦楽を共にしてきた少女であり、血縁上の従兄妹にあたる存在だ。

 本家の跡取りである彼女を支えるため、という名目で分家の息子である俺は秋川家の中で唯一やよいと同じ教育を受け、ほぼ四六時中やよいの傍で生活していた。

 離れ離れになったのは二年前。

 叔母が海外へ活動拠点を移し、中央トレセン学園の理事長をやよいが就任する事になった際、駄々をこねて反抗する彼女を強い言葉で諭し()()してから、俺たちは連絡の一本も寄こさないまま二年という歳月を離れて過ごしていった。

 やよいは天才だ。

 余裕で飛び級できる学力と、本家の人間たちから吸収した経営者としての能力は学園の理事長を務めるには申し分ない才能であり、立場とステータスだけを見れば大人顔負け──現に学園の理事長として大成し、ウマ娘のレース界隈を支えるにあたって無くてはならない存在になっている。

 

 だが、俺は他人が知り得ない彼女の弱さを知っている。

 逆に言えばそれを分かっている俺だけは、素のやよいに寄り添えるような人間でなくてはならなかったはずなのだ。

 しかし学園を継がなくてはならない彼女を説得する立場に置かれ、俺はその役割を完遂してしまった。

 結果だけ見れば学園の拡大に繋がったが──俺にとっては間違いだった。

 いつでも、どんな時でも、俺はやよいの味方でなければいけない筈だったのだ。

 

「……なに、理事長秘書補佐代理って」

 

 ようやく落ち着いてきたやよいが、俺の首に下がっている名札を見て呟いた。上目遣いが結構クるね。

 

「駿川さんが用意してくれたんだよ。コレくらい用意しないと、イベントと無関係な俺はここにいられないからな」

「ふぅん……たづなさんがね……」

 

 胸に蹲っていた彼女はゆっくりと離れ、前髪の毛先を指でクルクルしている。

 視線は下を見たり俺を見たりと忙しない。

 勢いで抱擁したはいいものの、やはり久方ぶりの再会という事もあってやよい自身も緊張しているようだ。

 

「……お母様に言われて来たんでしょ? どうせお願いって名の命令で」

「いや、それは違う」

 

 若干不貞腐れたような態度だが全ての非は俺にある。正直ここで殴られたっておかしくはない。

 だが否定するべき点はしっかりと否定しなければ。なぁなぁは良くないと、ドーベルとの一件で学んだのだ。伸び代に驚愕。

 

「叔母さんは背中を押してくれただけだよ」

「なにそれ……」

「会いに行けない俺のケツを叩いて、わざわざ理由まで作ってくれたんだ。嫌々でここまで来たわけじゃない」

 

 一拍置いて緊張を殺し、今度はしっかりと彼女の瞳を見据える。

 

「ずっと会いたかったんだ、やよい。……あの時は本当にすまなかった」

 

 恐らくこれまでの人生で一番真面目な態度を構え、俺は彼女に頭を下げた。

 二年間も溜め込んでいた謝罪の言葉を吐き出せて少しスッキリした自分がいる。彼女がどんな反応を示すのかは分からないが今の俺なら冷静に対処できる事だろう。それほどまでに心が安心し、落ち着いた。

 

「──別に、いい。……てか、ずっと会いたかった、って。……葉月、私のこと好きすぎでしょ」

「……?」

 

 何を言うかと思えば。こちらも呆れ返るまでよ。

 幼少期の俺にとってはやよいだけが唯一の家族だったのだ。

 当たり前のように宇宙で最も愛しているに決まっている。好きとかそういう次元の話ではない。

 

「お前より大切な存在なんているわけないだろ」

「っ!」

 

 あなにそのビックリした反応。やっぱりまだ根に持ってる? 本当に申し訳ございませんでした。土下座より上位の謝罪方法ないかな……。このままバク転とかしてみるか。ボビュルン。

 

「……ふ、ふんっ。別に今更葉月の手助けなんていらないし。社会経験で言えば私の方が大人だし」

「いや……仕事を手伝いに来たわけじゃなくてな」

「えっ」

 

 お前が仕事をし過ぎてるから休ませるためにここまで来た、と言ったらやよいは不思議そうに首を傾げた。たぶん自分が“仕事をし過ぎている”という感覚が無いのだろう。気づいてないだろうが目の下のクマがヤバいぞ。寝かしつけてやる! 大人しくそこに直れ! キスをプレゼントしてあげるから。

 

「スケジュールはもう確認したぞ。やよいお前、自分がやらなくてもいい仕事まで引き受けすぎな」

「うぇっ……で、でも、学園側で処理しないといけない項目が多いし……」

「……駿川さんとか他の職員の人たちでも出来ることは素直にそっちに回しなさいよ。一応言っとくが、お前が思ってるほど大人の人たちは余裕が無いわけじゃないからな?」

「う、うぅ……」

 

 やってみせ、言って聞かせてさせてみて、誉めてやらねば人は動かじ。

 昔から溜め込むタイプなのだ。俺が言わなきゃ素直に甘える事も出来ない、大の不器用。

 だから俺が傍にいるうちは頑張りすぎている彼女を頑張りすぎないよう手回しをしなければならない。倒れられたら俺だけじゃなく大勢の人が困る事にもなる。

 

「ちなみにやよい」

「何……」

「お前、昨日は寝た?」

「……三十分、ちゃんと仮眠した」

 

 ちゃんとって言わないんだそういうのは。忙しいのは分かるが明らかにスケジュールを詰めすぎだ。予定表を見た限り、急がなくていいものまで早期の段階で処理しようとしている。焦りは禁物。その小さな体躯で何をのたまう? 貧弱な体力で何徹できると思い込んでいる? 状況判断が大切だと教えたはずだ。

 

「と、とにかく私もう行かないと」

「論外。絶対に今日一日は休養に充ててもらう」

「でも私がいないと……」

「誤認っ。ステージの照明の位置決めは向こうに任せて良し。現場で手伝っても邪魔になるのみ」

「…………じゃあ、寝る」

「重畳ッ!」

 

 とりあえず休ませることには成功した。コイツが寝ている間にスケジュールの再調整をやっておこう。

 サンデーちゃんはその子に掛け布団をかけてあげてね。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「はい、明後日の早朝に伺います。……はい、よろしくお願いします」

 

 あれからだいぶ経過し現在時刻は十五時を過ぎた頃だ。昔はこれくらいの時間になると台所に忍び込んでパクった高い茶菓子をやよいと分け合ってたりしてたっけか。

 仕事を手伝いに来たわけではない、とは言ったが何もしないわけにもいかず、理事長秘書補佐代理として代われる仕事は全部請け負った。あらかた連絡を終えてから適当なおやつを買ってやよいが寝ている部屋へと戻っていく。

 徹夜した後となればまだまだ寝ていてもおかしくはないが──

 

「……あ、はづきぃ」

 

 襖を開けた先には、布団の上に座ったままポーっと虚ろな目をしている、明らかに寝起きのやよいの姿があった。花に例えると……うんまあちょっと思いつかないけど。

 俺に気がついた彼女はだらしない笑みを浮かべて、腕を広げた。どういうおつもり!?

 

「ぎゅー」

「……」

「っ……? はづき、ぎゅー」

 

 ウサギと亀。

 何だっけ、と一瞬の逡巡を挟んだのちに思い出した。

 小さい頃によくやっていたスキンシップだ。寝起きは俺が彼女を抱っこして居間へ運んだり、髪を結ったりしてあげていたんだった。

 特に彼女が求める頻度が多かったのはこの抱擁だ。酷い時だと十分以上くっ付いたまま離れないこともあった。お~俺を欲しすぎている♡ 猛省せよ。

 

「はいはい、ぎゅー」

「うへへ……」

 

 徹夜後の寝起きのやよいはトレセン学園の理事長ではなく、いつも俺の背中に引っ付いてきていたやよいちゃんに戻ってしまっていた。余程根を詰めていたのか、解放された時の反動が凄まじいことになってる。そういうことならお手伝いさせて頂きますよ……♡

 幼い子供みたいに腕を広げる彼女を抱きしめると、やよいの方からも優しく抱き返してきた。……あなたちょっと服の匂いを嗅ぎ過ぎです。

 

「はづき……すきぃー、すき……」

「……すっかり甘えん坊さんに戻ってるな」

「あのね、およめさんにしてね……けっこんするのね……」

「必要ないだろ、それ」

 

 従順になるとめっちゃ可愛いな……余情残心。ご褒美に抱っこしながらゆっさゆっさ。我慢てものを学んでもらいてぇべ。

 結婚とは他人と他人が家族になるための儀式だ。既に家族である俺たちには必要ない。

 というか、ここまで今朝と様子が変わるとは思わなかった。

 朝はよっぽど張りつめていたか、もしくは距離感を測りかねて強がっていたのだろう。俺と二人きりの時のやよいは、どちらかと言えばコレくらいフニャフニャなのが平常だ。因果応報とはこのことだな。

 

「明日はねぇ……生徒たちが海に行くから……監督役……」

 

 この状態でも薄っすらと予定を覚えている辺り流石というか。

 理事長自ら監督役を買って出るのはどうなのだろうと思いつつ、彼女の息抜きをするいい機会だとも考えた。

 明らかに監視者っぽい見た目に扮した俺がウマ娘たちを見てるので、その間やよいは海で遊ぶといい。生徒との交流も大事な仕事の内だとかそれっぽい理由を用意しておけばいけるだろう。

 

 

 

 

 

 

 ああ。

 

「ウオッカー! ボールそっちに行ったわよー!」

 

 ビーチバレーで揺れ蠢く巨乳。目撃した瞬間首筋に熱い汗がジュワッ。

 

「おうタマ、もうちょい右だぜ! そのままだとスイカを通り過ぎちまう!」

 

 トレーニング用の水着をデカすぎ乳でいじめている悪党を発見。身長の栄養分が全て胸部に詰まっており。改めて子作りに最適な身体してるなぁ。

 

「す、凄いオペラオーさん……砂でご自分の等身大の像を作られてしまいましたぁ……」

 

 メイショウ違法。

 

 違法建築違法建築違法建築。

 直視に耐えない一種の地獄。

 どいつもこいつもスク水でトレーニング兼遊びを行っているがあまりにも生徒たちが集まりすぎておっぱい偏差値がバグってしまっている。

 やよい! 無理だ! 帰ろうッ!!

 

「理事長~、一緒にスイカ割りしませんか?」

「勿論ッ! 諸君の指示に期待しているぞッ!」

 

 知らない生徒に連れていかれた。終わった。

 監視しないといけないのに直視したら通報待ったなしの下卑た笑みを浮かべてしまう。このスケベビーチに俺の居場所が無さすぎる。

 海の家の端っこで体育座りしながら唸るしかない。くつろいだ。ビーチの中は窮屈で、帰りたい帰りたいと心がもがく。

 

「……秋川くん?」

「えっ」

「やっぱり。秋川くんも来てたんだ」

「さ、サイレンス……」

 

 拠り所みっけ。

 絶望する俺の目の前に現れたのは、スク水の上に一枚だけパーカーを羽織るとかいう逆にえっちすぎ格好をしたサイレンススズカであった。

 普段なら目を背けるところだが、友人という関係に甘んじて視線を逃がせる先が彼女しかいないため、今はまじまじとサイレンスを見つめるしかない。べらぼうめ。そういうわけにはいかねぇってんだ。

 

「あの、サイレンス。悪いんだが暫く隣に居てくれ」

「えっ?」

「頼む。飯代は奢るから」

 

 心からの願い。お鍋が食べたい季節ですね♡

 

「いいか?」

「え、えぇ。……隣、失礼するわね」

 

 困り笑顔好き。

 

「……あの、ずっと見つめるの? 私のこと……」

「駄目か?」

「ぁいや、別に……構わないのだけど……」

 

 うほっ♡ オールライツ。とりあえず服脱ごっか。

 

 



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相変わらずバグってるな

 

 

 監視者であるはずなのに監視したら罪に問われそうなムチムチ・ビーチで絶望していた俺は、偶然その場に居合わせたサイレンスに視線をズラす事で事なきを得た。

 が、それによって新たに発生する問題を予知できるほどその時の俺は冷静ではなく、絶賛大変な事態に陥っている。

 

「君はいつからスズカちゃんと交流があるのかなっ?」

「あのファルコン先輩、落ち着いて……!」

 

 海の家で大人しくしている分には問題無かったのだ。

 学園のウマ娘たちの多くが集まっている場所で、サイレンスと二人きりで隣同士仲良く談笑し続けるのが良くなかった。

 

「ドトウさん水晶玉はいずこに!」

「えぇぇ~、えぅううぅ……風呂敷の中に入れたはずなんですがぁぁ……」

「時は一刻を争います! 早急にスズカさんとあの殿方の運命を占わなければ……!」

 

 一番最初に俺たちを見つけたのは、なんか青いメッシュが特徴的な派手っぽい見た目のウマ娘だった。通りがかるや否や『アオハルの気配!? 大事件じゃんっ!!』と叫び、それに気がついた他の連中がゾロゾロと押し寄せてきて現在に繋がる、というわけだ。

 

「あ、あの、スズカ先輩とは付き合ってるんですか……?」

「おいスカーレット、やめろって……」

「マックイーン? 声をかけないの? 前に助けてもらった男の子なんでしょ?」

「ぃっいいいのですライアン……かける言葉なんて何も思いつきませんし……」

「あたしが間を取り持ってあげるよ! ほら、出遅れないうちに!」

「おぉおっお待ちになってぇ……ッ!」

 

 あまりにも野次馬が過ぎるというか、大半のウマ娘が遠慮がないのだが、一番の問題は彼女たちが現在の自身の恰好を理解しているのかが怪しい点だ。

 基本的に中央に在籍している生徒たちは、編入組を除いて大体は小学校を卒業してから現在までをトレセン学園という女子校内で過ごしている。そのせいなのか、同年代の男子に対する距離感をイマイチ理解していない──というのが数ヵ月前にドーベルから聞いた話だった。

 その適切な距離感を把握していないという部分に関しては、今しっかりと身に染みて実感している。

 彼女たちは極端なのだ。めちゃくちゃ遠いか、あり得ないほど近いか、その二択しかない。ファンなどの一言二言声をかけるだけに留まる相手ならいざ知らず、そういうわけでもない普通の同年代の男子に対しては距離感がぶっ壊れてしまうらしい。

 

「ウオッカ。スカーレットは何をしてるのですか?」

「おわっ、マーチャンいつの間に……」

「うーん……わぁ、なるほどぉ。──お兄さん、お近づきの印にマーちゃん人形をどうぞ。試作品ですが」

「ちょっ、お前まで何してんだ……!」

 

 端的に言うと、水着姿なのにどいつもこいつも近い。

 あり得ない。

 普通女子は気を許した相手にしかその姿をこの距離感で見せる事は無い筈だ。ドーベルのあの話は本当だったのか。

 向こうから近づかれてるのに、視線を胸部や肩や太ももなどに向けた瞬間、悪いのはこちらになる。なんて理不尽な誘惑なのだろうか。俺と結婚したいわけじゃないヤツは全員退けよ。

 

「──もしもし? ……あ、はい。秋川くん、トレーナーさんが私たちを呼んでる」

 

 はぇ。

 あなたの担当トレーナーとは面識ありませんが。

 

「みんなごめんなさい、ちょっと急ぎだからまた後で。秋川くん、行きましょう」

 

 そう言って俺の手を引いて海の家を離れていくサイレンス。

 トレーナーから直接呼び出しがかかるとかいうあまりにも怖すぎ案件が発生したものの、それよりもまずあの海の家から離脱できたことが喜ばしかった。

 正直あのウマ娘たちの会話の内容などほとんど覚えてない。呼ばれていた名前と顔を照らし合わせるのでやっとだ。あとは変な人形を貰ったことくらいしか記憶に残っていない。

 

 脳内でグルグルと逡巡を続けていると、気がついたときにはビーチの端っこにある人気のない岩陰に着いていた。

 

「ふぅ……何とか抜け出せたわね」

 

 周囲を見渡したサイレンスが一息つくと同時に察した。

 俺たちが移動した先には誰もいない──つまり先ほどの『トレーナーが呼んでいる』というのは、俺を逃がすためのウソだったという事だ。

 正直本当に助かった。あのままだったら誘惑に負けて誰かの肢体を凝視して通報されるところだったぜ。うぅっ愛してるぞサイレンス……ッ!

 

「ありがとうサイレンス。助かったよ」

「ふふ、大したことじゃないわ。……ごめんなさい、みんなも悪気があったわけじゃないの」

「分かってるって。流石にあの場で二人きりは目立つもんな。気がつかなくて悪かった」

 

 目立たない為に、逆に注目を集めるような事をしてしまった。女子だけの合宿中に身内の一人が男子と二人で話していたら興味を惹かれるのは自然な事だ。あの集まりようは流石に常軌を逸している気もするが。

 

「……あの、サイレンス」

「どうしたの?」

「いや、手……」

「──あっ」

 

 おぉ~久しぶりの感触。公園での握手洗いを思い出してムラムラしてきたぞぉ。

 

「……久しぶりだな、こうするの」

「そ、そうね。……夏休みに入る前、スペちゃんの特訓が終わるまでは止めておこうって話をしてから……蹄鉄を見に行ったあの時くらいしか握ってない」

 

 焦って離すと思ったら握ったままなんだなこれが。何で?

 冷静に考えて会うたびに手を握る方がおかしいと思うのだが。興奮してきたのか? あの頃に戻りたいと? にぎにぎするな! 小賢しく愛らしい。

 

「……とっ、とにかく、あと数十分ほど経ったら私は戻るわね。秋川くんも気をつけて──」

 

 ようやっと手を離したかと思ったら次いでアクシデント。

 

「キャッ!?」

「うぉわっ……!」

 

 明らかに動揺した様子のサイレンスの足がもつれ、転んだ彼女を庇おうとした俺ごと二人で砂浜に倒れ込んでしまった。

 俺が下。

 サイレンスが上。

 よりによって俺が押し倒されるのかよ。ラブコメ主人公への道のりは遠いらしい。

 何だかここ最近は異常な体験ばかりしてきたせいか、サイレンスに押し倒されるくらいではあまり動揺しなくなってしまった。

 嘘。サイレンスの手が俺の胸をがっしり掴んでてヤバい。だから逆なんだって。

 

「ぁ──」

 

 俺の上に跨った状態のサイレンスが固まった。まぁ思考停止するのも頷ける状況ではある。俺も頭の中では色々考えているが実際に動くことは出来ていない。

 まず最初に思ったのは、サイレンスがとても軽いという事。

 次に下半身の上に乗った彼女の身体の柔らかさ。

 最後は間近で見るとこの女マジでめっちゃ可愛いな、という事だった。この女子と友達ってマジ? 前世は救世主か何かだったのかな。

 

「……よっ」

「ッ!?」

 

 とりあえず胸に乗っていたサイレンスの手を退かし、そのまま握ってみた。

 つまりサイレンスに跨られたまま、二人で両手を繋いでいる。

 ──恐らくいま可能な思考の中で最も冷静に理解できていることは、このめちゃくちゃな暑さで脳が茹っておかしくなっている、という事だけだった。

 俺も男だ。

 一介の男子高校生だ。

 呪いだの何だのと特別変わった事情が無ければ興奮しない、というワケではない。

 普通に好いている女子と接触できるハプニングが発生して、駄目だ絶対に正気に戻ろうと思えるほど立派な理性は持ち合わせていない。

 

「あ、秋川くん……っ」

 

 おてて握るだけでもうヘバっちゃった? そういうところもおちゃめですね♡ 普段から怠惰だからだ! 体力つけろ!

 

「どうにも暑いな」

「……そう、ね」

 

 ぽた、ぽた、とサイレンスの首筋から汗が垂れる。

 握っている両手も湿っている。おいもっと汗でヌルヌルにせんか! 夏限定の潤滑油。愛情たっぷりのローションだね♡

 夜の公園で二人きりで握手洗いしたあの頃を思い出して心臓が鋭く脈打つぜ。

 

「サイレンス。顔が赤いぞ」

「秋川くんだって……」

 

 相変わらずすぐ照れるな。お兄さん心配だぞぉ。理性と常識と忍耐と知性。これが一丁目一番地だぞ。

 

「なぁ、サイレンス」

 

 もっと焦ってよろしくてよ♡ 早く堕ちろ! この阿呆!

 

「マンハッタンさんってさ、スキンシップで簡単にキスをするようなウマ娘なのか?」

 

 よく考えず聞きたい事だけ聞いている。

 オイなんだこの手を握る力は! ボクと恋人になる気まんまんじゃないか。

 

「えっ、き、キスを……?」

「あぁ。頬に、だが」

「それは……──そんな事は無い……と思う。カフェさんは真面目だし、いたずらに相手を焦らせるようなことは……って、え? もしかして」

 

 暑すぎて本格的に脳が茹ってきた。視界もぼやけてるし水分補給をしないとヤバそうだ。

 もう少しサイレンスと恋人繋ぎをしたかったところだが、そろそろまともに戻り始めた俺の理性が叫び声をあげるところだ。早めにこれを終わらせないと。

 手を離し、ようやく二人とも立った。ちなみに俺はあと一人立たないように努力している。

 

「…………すまん、暑さでどうかしてた。海の家にいた時よりもっと見られたらヤバいことしてたな……マジでごめん」

「……カフェさん、そっか……私、のんびりしすぎてたかも……」

「さ、サイレンス……?」

 

 正気に戻ってきた俺の言葉が届いているのかいないのか、サイレンスは何かぶつぶつと呟いている。

 流石にやり過ぎたかもしれない。嫌われるというか絶縁されてもおかしくないほど性欲に則った行動をし過ぎた。冷静に考えて女子の手を一方的に握るのは許されない事ではないのだろうか。

 しまった。

 終わった。

 何が暑さだ、そんなものどうとでもできたはずだ。完全に言い訳を装備した状態で色欲に抗えなくなっていただけじゃないか。少し寝込む。

 

「──んっ」

 

 焦っていたら、唐突にサイレンスが頬にキスをしてきた。

 ………………は。

 いや、ついこの前もこんな事があった。

 その時と同様、固まってしまっている。

 何が起きているのか分からない。空前のほっぺチューブームかな。

 

「……私、先に戻ってるわね」

 

 そう言って、若干頬を赤く染めた彼女は逃げるように岩陰から去っていった。

 

 ──?

 何で頬にキスした?

 情緒が暴れまわってまったく品がない! 静かに!! そして軽やかに。ワイルドビューティー。

 あんまり俺の心をかき乱すと勢い余って告白してしまうぞ。静粛にな。

 

 



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ウマ娘ツアー お下品モンスター モナリザ

 

 イベントの当日を迎えても、俺の心には霧がかかっていた。

 午前中のプログラムを終えて自由時間に出店を見回りし、特に問題なしと判断した俺は適当に飯を買って人気のないベンチに腰を下ろして、静かに逡巡している。

 

 ──最近、自制が利かなくなっている気がする。

 ペンダントや呪いという超常的なアイテムによって精神をグチャグチャにされる機会が多いとはいえ、この前のサイレンスとのやり取りといい何だか自分がおかしい。

 ()()()()()()()()()()と思い込んでいる節があるのだ。

 普通は女子の手を一方的に握るだなんて非常識な行動は理性が待ったをかけるはずで、生命力が枯渇しているときも自制できたはずなのにあの三人にひたすら甘えてしまった。ママぁ! ママ。

 駄目だろう。

 たぶんだけど。

 恋人でもない女子──それも複数人に弱い部分をさらけ出して、半強制的に自分を支えてもらっているこの状況は、間違いなく普通じゃない。

 

「たこ焼き、私も食べたい」

「……ん」

「ハフハフ……うま」

 

 こいつ(サンデー)の事はいい。複雑な事情が重なりすぎているので一旦置いておく。

 目下の問題はサイレンスとマンハッタンについてだ。

 キスをされてしまった。

 頬にだが、それでも異性からキスを受け取ってしまった。

 そこまでされて何も感じないほど鈍感ではない。理解できなければそれは鈍感というよりただ人の心が無いだけだ。

 

 ──あいつら俺のこと好きなんじゃね? と。

 延々その考えが脳内を泳ぎ回っている。

 中学の頃に勘違いでフラれた経験がストップさせようとしてくるが、流石に頬にキスは異性の友人同士のスキンシップの範疇を超えていると思えてならない。男子の純情全部盗み取られる…っ、そういう危機に瀕している……っ!

 それとも俺が“陰”の存在だから知らないだけで、真の陽キャたちであれば男女間でもアレくらいは普通なのだろうか。

 分からない。

 本当に何も分からない。

 中央トレセン内でのみ存在するコミュニケーションの形だとか、よく考えたらあり得ない話ではない。……だなんて、普通なら除外するであろう可能性の話にまで手を伸ばしてしまう辺り、自分が相当動揺しているのが理解できる。ザッハトルテ。

 

「カレーも美味しい。もぐもぐ」

「……俺の分も残しとけよ」

「はい」

 

 樫本先輩やドーベルとの一件で学んだことは、手放したくない縁は自分で手繰り寄せなければならないという事だ。

 しかし、勘違いでこちらから歩み寄って拒絶されるのは怖い。

 以前まではそれを“それでも”と跳ねのけることが出来ていたが、なまじ親密度が多少なりとも高いと判明した状況ではそうもいかないのだ。

 

「あそこの串焼き、おいしそう」

「お前どんだけ食うんだ……?」

「概念の再構築をしてから、お腹が空きやすくなってしまって。ユナイト時のパワーの使い方を工夫できるようになった分、三大欲求が増幅されてしまったみたい」

「三大欲求……だから最近よく寝てんのか」

「ぐう……」

「もう寝た……」

 

 俺の肩を枕にお昼寝を始めたサンデーからカレーを取り上げて残りを食べつつ、再び思考に耽る。

 どうすればいいのだろうか。

 今すぐどちらかに告白して『急にがっつきすぎてキモい』と思われたら立ち直れないし、そもそも向こうの気の迷いという線も捨てきれない。二人とも担当トレーナーは年若く優れた才覚を持つ男性で、比較されたら勝目なんぞ万に一つもあり得ない。

 困った。わずかにイク──

 

「……あれ、秋川?」

「ん。……山田」

 

 悩める俺の前にフラっと現れたのは、イベントスタッフの名札を首から下げた山田だった。おはよう! えへへ。

 こいつが短期バイトとしてイベントの設営に携わっているのは数日前に把握していた。声をかけられたのは今日が初めてだが。

 

「その名札……秋川もバイトかい」

「まぁな。お前も昼休憩?」

「うん、ライブの物販開始まで結構時間があるから──」

 

 そのままサラッと俺の隣に座ろうとした瞬間、山田が遠くを見つめて固まった。何事。

 

「ぁ……」

「どうした?」

「い、いや、あそこにサイレンススズカが……」

 

 人混みが多い通りに目を向けると、このイベント限定の衣装に身を包んだサイレンスがファンサを行っていた。

 間もなく終わりそうだが、炎天下という事もあって随分と汗をかいている。水分補給が必要そうではあるものの現在の彼女は手ぶらだ。

 

「す、スタッフだし、駄目だよね」

 

 なるほど、サイレンスに声をかけたいが立場上難しいと。

 それは間違ってるぞ山田。今はお前の方が有利な立ち位置にいる。

 

「ほれ、さっき買ったスポーツドリンク」

「えっ……?」

「スタッフなら気兼ねなく渡せるだろ。そのまま関係者用の休憩室にでも案内すれば少しは話せる……と思う」

「秋川……ッ!!」

 

 目を潤ませた山田は俺からペットボトルを受け取り、数回深呼吸を挟んでから一歩踏み出した。

 うむ、勇気を会得したな。流石だ。

 

「ありがとう秋川、やはり君は親友だ」

「任せろ。今日ばかりは推し活じゃなくて、お前の青春の一ページを刻んでこい」

「う、うんっ!」

 

 俺のドヤ顔を気にも留めずサイレンスの方へすっ飛んでいく山田。

 決意さえ固まれば即行動できる……やはり面白いやつだ。

 

「──ぁっ。……ふふっ」

 

 山田の接近に気づくと同時に、俺の存在も感知したらしいサイレンスはこちらに向かって小さく手を振った。ちょっと可愛すぎじゃないっすか。ファン多きウマ娘があれでは……もう何も言うまい。

 とりあえず山田の邪魔にならない為に移動だ。サンデーを起こして俺はその場を後にした。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「あ、バイクのお兄さん……っ!」

 

 少し経ってからライブステージの裏に寄ると、何故かマンハッタンカフェの勝負服に身を包んだライスシャワーがいた。コメダ珈琲。

 

「ライスシャワーさん、その恰好は……?」

「えと、ライブの時にカフェさんと勝負服を交換するっていうのが急遽決まって……あっ、呼ばれたからもう行くね!」

 

 そう言って壇上へ上がっていくおむライスを見送ると、次いで見慣れない衣装を着込んだマンハッタンがテントの中から顔を出した。

 俺に気がつくとこちらへ駆け寄ってくる。そんなに恋しかった? いやしんぼさん。

 

「葉月さんっ」

「お疲れ。……それ、ライスシャワーさんの衣装か?」

「えぇ、くじ引きで催し物を決める会で、私と彼女が……」

 

 あ、言われる前に言わないと。男として、そして未来の旦那として。ハピネス。

 

「似合ってるな。別衣装も新鮮でいい感じだ」

「……っ! ……ありがとう、ございます……」

 

 あまりにも分かりやすく照れた。やはり俺のことが好きだと推定できる。

 寄せ鍋。一生愛し抜いてあげるからね♡ 

 にしても衝撃的な衣装だ。肩が全部露出しているではないか。何なら胸が少々──

 

「……あの、葉月さん。見過ぎです」

「えっ? ──あ゛っ」

 

 指摘されて気がついた。

 本当に自然とマンハッタンの胸部に視線を落としてしまっていた。あまりにも猥褻だったため。

 死に物狂いで上げた好感度が地に落ちる瞬間である。いい加減にしろよ。俺を欲情させるのもよ。

 

「ふふ……冗談です。この衣装は今日限りですが……お望みでしたら、いつでも……」

「……ッ!?」

 

 衝撃的な発言と淫靡な微笑みで男を惑わすマンハッタン。清楚なフリして根はスケベだね♡ 終わってんな。

 

「あ……出番みたいです。葉月さんも熱中症にはお気をつけて……では」

 

 ねぇチューしようですって。俺の嫁を名乗るなら往来でベロチューくらいしてみせよ! フィットネスってこれでいいんですか?

 

「……はぁ」

 

 改めて顔を合わせて実感した。

 彼女たちの気持ちを断定することは出来ないが、少なくとも俺は彼女たちのことが普通に好きだ。カバディできる程度にはたくさん子作りしたい。ビルドキング。

 ライブを見ることなく舞台裏を離れ、特に仕事も無いので駐車場まで戻った。

 付近のコンビニにでも行って珈琲を一杯飲めば少しは落ち着くだろうか。

 

「あ、ツッキ~」

 

 ヘルメットを手に持つと後ろから声をかけられた。

 サングラスに帽子といった雑な変装をしたドーベルだ。制服だから変装してもあんまり意味ない。

 

「ようやく見つけた。……あれ、どこかに行くの?」

「人混みに疲れちまってな。ちょっとそこのコンビニまで」

「ふーん……?」

 

 明らかにバイクの存在を気にしている。

 そういえば再びバイクを手に入れたら後ろに乗せて、とか言ってたっけな。夜伽の時間ですよ~♡

 

「ベルも来るか」

「いいの?」

「あぁ。ていうかこのヘルメットも元はお前のために買ったやつだしな」

「そ、そっか……へぇ……」

 

 そのまま流れでベルを後ろに乗せ、俺は一時的に会場から離脱するのであった。紛うことなきデートである。

 

 



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心が震えすぎてPID制御が効かないよ もしかして相性抜群!?

 

 

 イベント会場からドーベルを連れ出した数分後。

 俺たちはコンビニの中にあるイートインスペースで横並びに座り、スマホを眺めて時間を潰していた。

 特別何かをする気力もなく、未だサイレンスとマンハッタンからのアプローチに内心狼狽している内は心に余裕も生まれないため、ドーベルに対して派手なアクションも起こせない。

 

「ツッキー、暇だしポッキーゲームでもする?」

「勘弁してくれ」

 

 俺と違ってドーベルは派手なアクションを起こせるらしい。無法すぎる。

 往来でポッキーゲームとか流石は漫画家だ。シチュ体験に余念がないね。

 

「……前はポッキーから言ってきたんだけど。ツッキーゲームしようって」

「逆になってる」

「ぁわ……」

 

 もしや緊張してる? これがどうしてまた可愛い。

 

「てか冗談だし。真に受けすぎ」

「うるせーな。……ていうかベル。それ何を読んでるんだ?」

 

 普通の恋人でもやらないような恥ずかしすぎる遊びのことは一旦置いといて、彼女がスマホに表示させている漫画らしき画面が気になったので質問した。

 無理やりすぎる方向転換だがしょうがない。最近ちょっとドキドキし過ぎているので心臓に悪い事は避けたいのだ。今ベルちゃんとポッキーゲームしたらそのままお嫁さんにしてしまう。冗談とはいえ明るいうちからスケベな要求、恥を知れ。果てしないエロ女。俺にお似合い。

 

「普通の少女漫画だけど……読む?」

「いいのか」

「スマホ交換しよ。ツッキーは漫画アプリとか入れてないの」

「一応は入ってるが……」

 

 稀に気になった漫画を買ったりはしているが、エログロだったり陰鬱だったりするものが大半だ。そういうものを好んでいるわけではなく、メジャーな漫画に手を出していないだけなのだが……とにかくドーベルには刺激が強すぎる気がする。

 

「あの、私って多分ツッキーよりいろんな漫画を読んでるよ。苦手なジャンルも特に無いし平気平気」

「そうか……? なら大丈夫か」

 

 そう言って互いのスマホを交換し、少しばかり漫画を読み耽る時間が生まれた。

 時折飲み物やお菓子に手を伸ばしつつ続きを追っていると、気がつけば三十分以上は経過していた。時間を忘れるとはこの事だろう。

 大勢の人たちが盛り上がっているイベント中に何をしているんだろうとも一瞬考えたが、どうにも俺はこっちの方が性に合っているらしく、海の家にいた時よりよっぽど自分が安心している事実に気づいた。

 

 大勢の美少女に囲まれて悪い気がしなかったわけではない。

 マンハッタンやサイレンスから心を揺さぶられるようなアプローチを受けて、舞い上がらなかったわけでもない。

 ただ、そんな特殊イベント染みた出来事の数々よりも、気心の知れた相手と一緒にただ時間を浪費することの方が俺の心は喜んでいた。

 やよいのサポート、怪異の対処、別次元への渡航にイベントの裏方──思い返せばここ最近はずっと忙しなくて、ゆっくりできる時間が少なかった。

 だからこそ身に染みる。

 今隣にいるこの少女と過ごす、何でもない時間のありがたみを。

 

「最近の少女漫画って……結構攻めた描写が多いんだな」

「でしょー。まぁその作品はちょっとやり過ぎな気もするけどね。特に第八話とかほぼエロ漫画だし」

 

 主人公である少女の内心のドキドキを煽るためとはいえ、相手の男が百戦錬磨すぎる気がしないでもない。恋人でもない女の子に壁ドンとか顎クイとか簡単にやってはダメですよ。

 ……人のこと言えないか。

 ドーベルに対しては少女漫画のロールプレイというていで俺の方がバグった距離感のコミュニケーションを図ってしまっている。もう少し自重しよう。

 

「……?」

 

 漫画で少しだけ引っかかる描写があり、つい首を傾げた。

 前のページを読んでも、先を読み進めてもそれにまつわる言及が見受けられない。

 

「なぁ、尻尾ハグしたわけじゃあるまいし、ってどういう意味だ?」

「えっ──」

 

 ウマ娘の主人公が照れている場面のことだ。

 やむにやまれぬ事情で閉じ込められた体育倉庫の中でとあるイケメンと一夜を過ごし、翌日友人からその事を茶化されているのだが、件のイケメンとの仲を否定する際に“尻尾ハグ”という単語が登場した。

 それまで作中で一度も言及されていない言葉であり、その後も特に意味が語られない謎の単語だ。

 ニュアンス的に仲良しの相手同士で行うことなのだろうがいまいちピンとこない。

 

「……知ってて聞いてる?」

「は? ──あぁ、いや、いい。何となく察した」

 

 ドーベルの反応で大体わかった。

 卑猥とまではいかないが、ともかく特別な行為なのだろう。尻尾を触っただけでサンデーが起きた件といい、もしかすると尻尾の一部分が割とガチめなデリケートゾーンで、そういう部分同士を重ね合わせてハグをするという事だから……まぁ、多分そういうことだ。

 

「……ツッキー、ちょっとテーブルの下に手をおろして」

「こうか。……え、なに」

 

 困惑したのも束の間。

 見えないテーブルの下で、何やらモフモフな感触が手に広がった。

 ──尻尾だ。

 十中八九、間違いなくドーベルの尻尾が俺の手に当たっている。

 

「……何やってんだよ」

「な、なんかちょっと、そこはかとな~くいけない事をしてる気分になるでしょ。コレ、そういう事……」

 

 確かにインモラルな雰囲気を感じるというか、ヤバい事を隠れてやってる感は半端ない。

 俺はよく知らないがウマ娘たちの中では尻尾で何かしらをするというのは共通してロマンチックだったりスケベな事だったりするんだろう、というのが一瞬で理解できた。セクハラはやめて下さらないかしら!?

 

「……」

「ひゃぅっ……♡!?」

 

 試しに尻尾を握り返してみると小さい反応がドーベルの口から漏れた。やはりここはおいそれと触れていい部分では無かったようだ。サンデーには夢の境界で尻尾を触った事を後で謝っておこう。

 

「悪い、そんな反応をされるとは思ってなかった」

「いや絶対わざとでしょ今の……っ! もう、もうっ」

 

 愚かな。ポコポコと叩いたところで無駄。元を辿れば尻尾を当ててきたのはお前だからな。誘い受けマゾの癖に生意気だぞ。いや、大生意気といったところか?

 

「……そろそろ戻るか。ベルは確か物販の方に顔を出すんだろ?」

「え、何で知ってんの」

「理事長秘書補佐代理権限でイベントの情報は全部知ってるからな」

「やば……」

 

 適当に流されたが俺も気にせずゴミをまとめて捨て、コンビニの外へ出た。あと二時間すればイベントも幕引きだ。

 バイクの後ろに跨り遠慮がちに俺の腹部に回したドーベルの手を握り、もう少し強く抱きつくように促した。

 

「ちゃんと掴まっとけよ、危ないから」

「う、うん」

 

 それにしても背中に広がる感触が違法すぎる! 掴まれとは言ったが押し付けるな! この弾力新たまねぎ♡

 

「……ねぇ、ツッキー」

 

 いかがなされた変態女。俺を惑わす可憐な女。

 

「イベントが終わったあとさ。この辺でお祭りがあるらしいんだけど……」

 

 その話は小耳に挟んだ。

 一般人からすればオフの人気ウマ娘を拝めるかもしれない絶好の機会で、生徒側はイベント後の打ち上げの感覚で浴衣などを着込んで遊びに行くといった、両者ともに夏の最後の思い出にするであろう大切な()()()()だ。

 ドーベルの言う“青春を望むウマ娘”たちは、これを機に男子との繋がりを得ようと何か行動するかもしれないし、それにチャンスを感じた一般男子諸君も何やかんやするかもしれない。

 まぁ、イベントの事後処理で会場に残る俺には関係のない話だが。

 仕事を引き受けるなりしてやよいを祭りに向かわせてやりたい気持ちはあるが、俺個人としてはどうせ行けないし行く意欲もない。俺の夏は大人たちとの話し合いで終わりというわけだ。

 

 俺のことは気にしないで楽しんでくれ──と言いたいところだったが。

 

「……ズルいか。カフェとスズカにも言わなきゃ……」

 

 後ろから小さな独り言が聞こえたせいで、それは喉から出る直前で留まってしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 気を利かせた大人たちのおかげで思いのほか早めに事後処理が片付いた。

 先に駿川さんと一緒に祭りへ向かったやよいから『招集ッ!!』というメッセージが届き、俺も祭りへ赴くために駐車場に向かっている途中、ふと考えが浮かんだ。

 

 自分、もしかしてモテているのではないだろうか──と。

 

 立ち止まって冷静に今の状況を俯瞰してみると、自分がどれほど特異な立場に身を置いているのかが改めて実感できた。

 基本的に普通の男子高校生だとファンという形以外では関われないほど、世間一般では高嶺の花とされる中央トレセン学園の女子複数人と面識を持ち、あまつさえ自宅に上げたり食事をしたりなど、どこからどう見ても親密で良好な友人関係を築けてしまっている。

 異常な事態だ。近くに居すぎて忘れかけていたが、彼女たちの立場を考えれば昼時の山田のように話しかけること自体を躊躇して然るべき相手なのだ。

 あの三人のレベルまでいくと、言ってしまえば下手な芸能人よりも知名度があり、俺が通っている高校でも話題に上がる事が多く、たくさんの生徒たちから憧れられている注目の的──そんな少女たちと友人関係にある。

 

 そして何より、彼女たちに友人ではなく異性として見られている可能性が高い。

 改めてそれが実感できてしまうメッセージを俺のスマホが受信したのだ。

 

≪もし時間があったら、秋川くんも一緒にお祭りを回らない?≫

≪お友だちの件でお礼をさせて頂きたいのですが、今から会えますか≫

≪ツッキー! おおぉお祭りでしかできないシチュを一緒に探したいんだけど暇!?≫

 

 ──明らかな三択。

 提示されたソレはまるでギャルゲーの個別ルートを確定させるための選択肢の様な、これから先の未来を左右させるであろう重大な内容だった。

 今回のイベントを機にあの三人と一層仲を深めた自覚はある。

 サイレンスとマンハッタンからはほっぺにチューをかまされ、ドーベルからはまだあの二人からは許されてない大事な部分である尻尾を触れさせてもらえた。

 ラインが同じだと感じる。

 俺を主軸と見立てた場合、このメッセージを受信するまでが共通ルートで、ここから先がそれぞれのヒロインとの物語を始める個別ルートなのだと思った。

 

 問題はこの世界はゲームでも何でもないのでセーブもロードも叶わない事なのだが──それよりも。

 

「……へへっ」

 

 笑みがこぼれた。

 たぶん結構邪悪というか、下卑た笑いと言ったほうが正しい。

 もしゲームの主人公がこの立場にあったとすれば、きっと誠実に三人との関係性を考え、これからの行動についてシリアスに逡巡するところだろう。

 だが、俺は選ばれし者でもなければ誠実な主役でもなく、ただの一介の男子高校生なのだ。

 

「はぁー……マジか」

 

 二ヤついている。

 気色わるい笑みだ。

 喜ばない筈がない。

 嬉しくないわけがない。我が社の未来も明るいぞ。

 まるで美少女たちに自分を取り合われているような、それこそ本当に自分を恋愛物語の中心だと錯覚できてしまえるようなこの状況を前にして、真摯でいられるほど真面目ではない。

 同級生たちよりも特別な位置に立っていて、優越感を感じないような綺麗な感性はしていないのだ。

 間違いなく俺はこの状況を楽しんでいる。

 本当に、心の底から、今この状況がとにかく楽しい。美人な友人を持ってワシは嬉しいよ。

 

「祭り……ここら辺だよな」

 

 付近の駐車場にバイクを停め、恐らくは祭りの最中であろう方向へ向かって歩いていく。

 まだ返事は返していない。

 とりあえず一旦やよいと合流して事後処理の云々を伝えた後、駿川さんに彼女を任せてフリーになってから選択しようと決めている。

 どうしようかな。

 俺が選んでいい立場なのかな。

 いつから俺はそんな大層な人間になったのだろうか。急に迫られても困ってしまう。はぁ、悩みどころだ──

 

「ハヅキ」

 

 隣から声をかけられ、我に返った。

 気がつけば目の前に電柱がある。危うく正面衝突するところだった。どうやら浮かれすぎて前も見えなくなっていたらしい。

 

「悪い、助かった」

「そうじゃなくて」

 

 いつも無表情なサンデーが、遠くを見据えて少しだけ怪訝な表情をしている。何事だろうか。

 

「お祭りの場所、本当にここで合ってるの?」

「そのはず……だってやよいから位置情報が──」

 

 そこまで口にして、ようやく自分も気がついた。

 場所は間違っていない。スマホに送信された位置情報は間違いなくここだ。

 違和感を感じたのはその場の空気。

 ここでは大規模な夏祭りが開催されているはず──にもかかわらず()()()()()

 

「……何だ?」

 

 少し小走りで明るいほうへ向かって走っていく。

 祭りといえば喧噪だ。騒がしいからこそ祭りと言える。

 誰が流してるかも分からない音楽、何者かが叩いている太鼓の音、なによりも参加している人々の楽しそうな話し声など、それらが祭りの騒音を構成している。

 だが、一つもそれが聞こえない。

 もう祭りは終わってしまったのではないかと錯覚してしまうほど、周囲一帯が眠っているような静寂に包まれていた。

 

「やよい!」

 

 探している人物を見つけた。本格的に出店が並び始める通りの少し手前の、自販機の前に彼女はいた。

 駆け寄って声をかける。

 

「わり、少し遅れた。なんかめちゃくちゃ静かだけど……もしかしてもう終わったのか?」

 

 声をかけた。自販機の商品を眺める彼女に、俺が誰だか分かるように横から声をかけた。

 しかし何故か反応がない。

 

「やよい……?」

 

 肩を揺すっても返事がない。

 

「おーい、どした。人混みで疲れたのか?」

 

 ただの一言も返さない。

 

「……おいってば。何か言えって──」

 

 痺れを切らして彼女の正面に回った。

 顔を見た。

 やよいだ。それは間違いない。

 だが明らかに普段と雰囲気が異なって見えた。

 それから無視できない部分が一つ。

 

「……目が、光ってる……?」

 

 彼女の瞳がピンク色に染まっていて、何故だか薄く発光しているように見えた。

 目が光るなんてあり得ない。少なくとも人間にはできない芸当だ。

 そんな異常が発生している瞳が気になるものの、何より何度声をかけても反応しないやよいの様子が不可解だった。

 

「ハヅキ、向こうにも誰かいる」

 

 サンデーが指差した先にいたのは、祭りにもかかわらずいつものスーツを着た駿川さんだ。蒸れない?

 

「駿川さん! なんかやよいの様子が……──駿川さん?」

 

 気がついた。

 彼女の瞳も光っている。

 茫漠とした表情で、虚空を見つめたまま固まってしまっている。

 

「何なんだ……」

 

 二人とも同じ状態で動けなくなっているこの状況は明らかにまともではない。

 焦る心を深呼吸で落ち着かせつつ、一旦その場を後にし祭りの中心へと向かっていった。

 

「──」

 

 ()()()()()()()()

 異様な光景だった。

 人混みに溢れかえっているはずの場所で誰も彼もが立ち止まり、やよいや駿川さんと同様に茫漠とした表情で心ここにあらずといった雰囲気だ。

 鬱陶しいほどの数の眩い明かりと人が集まっているのに、まるで通夜のように静まり返っている。

 明らかに普通ではない光景を目の当たりにして、思わず一歩後ずさってしまった。

 

「と、突然のホラー展開……サンデー、これって……」

「たぶん怪異の仕業。……でも、こんな規模は──あっ」

「……あれはマンハッタンさんか」

 

 周囲を見渡したサンデーが見つけたのは、他の人たちと同様に固まってしまっているマンハッタンカフェだった。

 

「……ここまでの広範囲を支配域にして、耐性のあるカフェまで落とすなんて普通じゃない。あり得ない」

 

 あり得ない、というのはどういう事だろうか。

 

「超常の存在はパワーを蓄えすぎると、基本的には体が耐え切れなくなって自壊する。街ひとつを覆ってしまえる程の力なんてなおさら──」

 

 そこで一瞬、サンデーの言葉が詰まった。

 そして何かを察したようにため息を吐き、俺の方を向く。

 

「……夢の境界で、何十年も概念の再構築をし続けた個体なら、あり得なくはない。でも、そんな危ない奴を案内人は外に出さない」

 

 案内人、とはやよいの頭の上にいつもいる猫こと、あの先生のことで合ってるのだろうか。 

 

「だから、多分私たちが利用された」

「利用……?」

「ハヅキが私を連れ戻そうとしたとき、そいつもカフェの夢のどこかに紛れ込んで、私たちと一緒に現実世界に出てきたんだと思う」

 

 平たく言うと、めっちゃ強いから閉じこめられていたヤベー奴が、俺たちの後ろをこっそりついてきて脱獄した、という事か。

 

 ──マジで?

 え、正気?

 このタイミングで仕掛けてくるなんて頭おかしいのか。空気が読めないにも程があるだろ。

 三択を迫られていた。

 どういう結果になるにせよ、いよいよ俺のラブコメが始まろうとしていた。

 そんな矢先にちょっかいかけてくるとか、どんだけタイミング悪いんだよ。

 祭りが終わった後とかでならいくらでも相手したのに。これだから怪異は良識が無くて困る。

 

 というかサンデーの言っていたことが本当なら、祭りに訪れた人たちが怪異に巻き込まれたのって、完全に俺のせいなんじゃ

 

「っ……? ──ッ! ハヅ──」

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 サイレンスのメッセージに対して返事を返した。

 分かった、そっちに行く、と。

 きっと花火が上がる直前にでも告白されて、初々しいキスをして彼女との本格的な物語が動き始めるのだろうと、心の底から舞い上がっていた。

 ただ、相手から告白を待つのはなんだか男らしくないと思って。

 サイレンスが他の友人たちと別れたあと、二人で土手から花火を見上げながら俺は想いを告げた。

 普通にOKされるだろうからその後はどういう言葉で場を繋げばいいかな、なんて呑気な事を考えながら。

 

『あの、ごめんなさい……そういうつもりじゃなかったの』

 

 申し訳なさそうな顔をされた。

 俺は、彼女の言葉の意味が理解できなかった。

 

『秋川くんの事は好きよ? その……もちろん、友達として』

 

 友達として、好き。

 サイレンススズカは俺に友愛を語った。

 

『……勘違いさせてごめんなさい。私、別に──』

 

 瞬間、中学時代にトラウマを刻んだ呪いの言葉が脳裏に過った。

 自分の心を守るために俺はすぐさま耳を塞いだ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 マンハッタンのメッセージに対して返事を返した。

 分かった、そっちに行く、と。

 きっと人気のない場所で感謝の言葉と一緒に想いを告げられて、彼女との本格的な物語が動き始めるのだろうと、心の底から舞い上がっていた。

 ただ、相手から告白を待つのはなんだか男らしくないと思って。

 マンハッタンを他の友人たちのもとから連れ出したあと、誰もいない公園で緊張しながら俺は想いを告げた。

 たぶんOKされるだろうからその後はどういう言葉で場を繋げばいいかな、なんて事を心の隅で考えながら。

 

『……申し訳ありません、葉月さん。きっと……私の行動があなたにそう思わせてしまったのですね』

 

 申し訳なさそうな顔をされた。

 俺は、彼女の言葉の意味が理解できなかった。

 

『もちろん……葉月さんのことは大切に思っています。あの子が視える、唯一のお友だちとして……』

 

 友達として、大切。

 マンハッタンカフェは俺に信頼を語った。

 

『……勘違いさせてごめんなさい。私は、別に──』

 

 瞬間、中学時代にトラウマを刻んだ呪いの言葉が脳裏に過った。

 それ以上の言葉は俺を壊しかねない。

 自分の心を守るために俺はすぐさま耳を塞いだ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 ドーベルのメッセージに対して返事を返した。

 分かった、そっちに行く、と。

 きっといろいろな場所を回りながら頃合いを見て想いを告げられて、彼女との本格的な物語が動き始めるのではないかと、期待と不安が半分だった。

 ただ、相手から告白を待つのはなんだか男らしくないと思って。

 ドーベルをメジロの同胞たちのもとから連れ出したあと、街が一望できる展望台で俺は想いを告げた。

 結果が怖い。どうだろうか。

 

『え……ご、ごめん。ツッキーの事をそういう目で見たこと、無いかな……』

 

 申し訳なさそうな顔をされた。

 俺は、彼女の言葉の意味が理解できなかった。

 

『いやっ、その、大切な友達だとは思ってるよ! 漫画のことを相談できる相手だし、色々手伝ってもらえてるし、友達としてはもちろん好きだから!』

 

 友達として、友達として、友達として。

 メジロドーベルは俺を気の置けない友人としか思っていなかった。

 

『……勘違いさせてごめんなさい。アタシ、別に──』

 

 瞬間、中学時代にトラウマを刻んだ呪いの言葉が脳裏に過った。

 それ以上の言葉は俺を壊しかねない。

 恐らくこれ以上は耐えられない。

 自分の心を守るために俺はすぐさま耳を塞いだ。

 

 

 どうしよう、困った。

 

 困り果ててしまった。

 どうやら全部勘違いだったらしい。

 いろいろな言葉で自分を肯定し、ギャルゲーの主人公だ何だと盛り上がっていたが、全部が独りよがりな思い込みだったようだ。

 

 彼女たちは高嶺の花だと、そう言ったのは俺自身だ。

 男に困る事なんてないだろうしそもそも彼女たちの傍には俺の何十倍も彼女たちを理解している大人の男性がいる。

 眼中に入らないのも当然だ。偶然顔見知りになっただけの、有象無象の中の一人にすぎない。

 その事実が改めて実感できた。俺は最初から選べる立場の人間ではなかったのだ。

 彼女たちがいつでも切り捨てられる、本当にただの友達の中の一人──

 

 

「ハヅキっ」

 

 

 ……。

 …………?

 

「んっ、む」

 

 唇に柔らかい感触。

 目の前には誰かの顔。

 程なくしてその顔が離れると同時に、俺は今サンデーにキスをされていた事に気がついた。

 

「っぷぁ。……ハヅキ、私が見える?」

「……あ、あぁ」

「良かった。いま、私の魂魄を少し削ってハヅキの中に流し込んだ。これで幻覚に惑わされる事は無いはず」

「幻覚……?」

 

 俺は祭りがおこなわれている街の中心に立っていた。

 周囲の人々は変わらず沈黙したまま固まっており、自分がこの場所に来てからほとんど動いていない事を察した。

 ……どうやら鏡花水月されてたらしい。まさか自分が催眠をかけられる側になるとは思わなんだ。オラっ、催眠解除! 

 

「……助かった、ありがとなサンデー」

「いい。それより、まず敵を見つけないと」

 

 その言葉を機に走り出し、街の中を駆けずり回ると、思いのほかすぐに見つかった。

 

「……いた。あいつだな」

 

 真っ黒な人型の何かだ。電柱の上に座って佇んでいる。

 喧嘩を売るためにそこら辺の小石をぶん投げて命中させると、格好つけて謎の怪異ぶってたアホはキレて俺を特殊フィールドに案内した。ここからはいつも通りレースで勝って、コイツに拳骨をくらわせてやるだけだが──

 

「サンデー。ユナイトして本気を出すとお前また夢の境界行きになるんだよな?」

「そう。だから六割くらいの力で走って。概念を再構築して、脚力は調整してあるから大丈夫」

「六割で勝てるのか……?」

「私より速い怪異は多分いないから平気」

 

 どうやら足の速さに限って言えばサンデーが一番だったらしく、レースには安心して臨み、結果普通に勝った。

 レース中また岩だの枝だの小鳥だのと妨害をくらってそこそこ怪我はしたものの、ドヤ顔出来るくらいには圧勝だった。

 そのあと負けた悔しさで精神を平常に保てなくなった怪異は、溢れる力を制御できずに自壊し夢の境界へ飛ばされ、今回の一件は幕を閉じたのであった。

 

 問題があるとすれば、やはり現実世界とは時間の流れが違う場所に身を置いていたせいで、戻った時には既に翌日の昼になっていた事だろうか。

 やよいのもとへ赴く約束を破るどころか、あの三人からのメッセージにすら返事を返さないまま翌日になってしまった。もう終わりだ。

 落ち込んだ気持ちでバイクを取りに戻り、コインパーキングの駐車料金がヤバい事になってるのを見てさらに落ち込みながら、俺はそのまま自宅へ戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 家に着き、敷きっぱなしだった布団の上に倒れ込んで瞼を閉じた。

 地味に怪我をした箇所が痛み、白い布団に少しだけ血が滲んでしまったが、そんな事はどうでもいい。

 あのクソ怪異は討伐したが、ヤツが見せてきた幻覚のことで俺の頭の中はいっぱいだ。

 

「はぁ……疲れた」

 

 勘違いさせてごめんなさい、という言葉が忘れられない。

 結果としてアレは幻覚だったわけだが彼女たちの気持ちを知らないのは本当なのだ。

 俺のことが好きなんじゃねえのかという考えは非常に危険だ。無謀を勇気に変えてしまう。

 昨日、あのまま彼女たち三人の中の誰かと過ごして、その中で告白しようものなら、あの幻覚と全く同じとは言わずとも似たような展開になったであろうことは想像に難くない。

 幻覚で助かったが、俺の中にある淡い希望も砕け散った。きっと彼女たちは俺を恋愛対象としては見ていない。

 

 それから。

 

「……もう家から出ないほうがいいんじゃないのかな、俺」

 

 あの怪異は俺が夢の境界から連れてきてしまったようなものだ。

 つまり俺が皆を巻き込んだ。

 サンデーを助けたのは間違いなどではなかった。ただ、あの夢の世界で新妻ンハッタンカフェに見とれて他の存在の気配に気がつかなかった俺が悪い。

 俺だけが狙われるならまだしも、大勢の人々や彼女たちが危険な目に遭うのなら──もう関わらないほうがいいのかもしれない。

 

 しかし『危険な目に遭ってほしくないから関わらないでくれ』と言っても素直に聞いてくれる保証はない。

 なので……そうだ、アレだ。

 今からでもスゲェ性格が悪い奴になって、あの三人に嫌われよう。それでめっちゃ突き放そう。

 そうすれば自然と彼女たちも本来あるべき自分たちの道に戻っていくはずだ。あまりにも名案。名探偵になるのも斯くやといった感じだぜ。

 サンデーもマンハッタンカフェについていくだろうから、俺を守るという大変な任務も終えられる。何もかもがウィンウィンじゃないか。天才だ……。

 

「……ハヅキ」

 

 どういう言葉であの三人を突き放そうか本格的に考えようとした辺りで、俺の隣で同じように横たわっていたサンデーに呼ばれた。何かな。

 

「ハヅキの考えは分かる。……あなたが決めた事なら、それでいいとも思う。私が口出しできる事ではないから」

 

 ゴロンと彼女の方を向くと、サンデーもまた俺を見ていた。

 カーテンを閉め切った暗い部屋の中で、横たわって向かい合いながら話す──妙な感覚だ。

 

「だから、私からは一つだけ」

 

 俺はただ黙って聞くしかない。

 

「……夢の境界でカフェが見つけてくれた時、私はあの子にちゃんと必要とされていた事を知った。……カフェのことが大好きになった」

 

 一拍置いて彼女は続ける。

 

「ハヅキが来てくれた時に、それは確信に変わった。ずっと一緒にいたいって、心の底からそう思った。たとえ迷惑をかけても、かけられても、何があっても一緒にいたいって。……ねぇ、ハヅキ」

 

 少女の声音は無感情なものではなく、不安が混じっていた。 

 本当に言いたい事を飲み込んで、俺を慮って喋っている事は明白だ。

 

「もう一度だけでいいから、あの三人の気持ちを決めつけないで、よく考えてあげてほしい。……余計なアドバイスはもう、何も言わないから」

 

 そう言って頬から手を離したサンデーは、反対側を向いて眠り始めてしまった。

 俺は天井を見上げながら物思いに耽る。

 よく考えろという彼女からの言葉に従って、俺は逡巡することにした。

 

 ──確かにドーベルたちから向けられている気持ちを決めつけてしまっていた節がある。

 

 少し前は“きっと俺のことが好きだ”と。

 そして今は“絶対に俺を好いてはいない”と。

 何もかもそういう風にすぐ決めつけてしまう感覚に覚えがあった。これでは俺とやよいの教育方針に関して間違いなど無かったと思い込んでいた、秋川家の人間たちとまるで同じになってしまう。

 これでは駄目だ。

 冷静に振り返って現状を把握しよう。

 

 

 ──分からん。

 小一時間ほど考えたが何も分からん。

 サイレンスもマンハッタンもドーベルにも、益になる事と嫌われてもおかしくない事をそれぞれやらかしている。

 走りの強みに気づいたとか、鍵を探したとか相棒を連れ帰ったとか、一緒になって漫画の資料集めをしただとか色々やったが、大前提にある解呪の儀式におけるセクハラが全てを帳消しにしてしまう可能性が高すぎる。

 なんかもう、好きとか嫌いとかじゃなくて、何となく一緒にいる時間が多いだけな気がしてきた。てかそういうのを友達って言うんだよな。

 

 サンデーの言葉で俺も自覚したことだが、たとえ迷惑をかけても一緒にいたいと思ってしまっている。危なくなったら命に代えても守るし、出来ることがあれば何でも手伝ってやりたい。

 ただ一緒にいたい。それだけでよかった。

 俺は浮かれて多くを望み過ぎたのだ。

 山田のように、ただそこにいてくれたらそれだけで十二分に幸せだ。

 友達でいよう。何が個別ルートだ。

 幻覚を参考にするのもどうかと思うが、少なくとも友人としては認めてくれているのだ。

 中央のスーパースターと友人関係でいられるなんて、それだけで凄い事だろう。それ以上を望むのはワガママというものだ。

 

「……はぁ。あ゛ァー……考え続けてたら眠くなってきた」

 

 増幅された三大欲求の内、睡眠欲に勝てずサンデーは熟睡しており、彼女とユナイトしたことで同じ影響を受けた俺もマジでバチコリに眠い。ありえん睡魔だ。これに抗って俺にアドバイスをしてくれていたのか。スゲェぜサンキュー相棒いっぱい愛してる。

 というわけで眠る事にした。

 誰かに連絡を返すこともないまま、そのまま、微睡みの中へと沈んでいく。

 自分がモテていると勘違いした状態であのウマ娘たちに会わなくてよかった。不幸中の幸いと言ったところか。

 頭の中でグチャグチャになっていた思考の糸をようやっと解くことが出来たおかげなのか、最近ずっと感じていた心の中の不安が姿を現すことは終ぞ無く、そのまま睡魔に身を委ねるのであった。

 

 

 

 

 

 

『先に帰ったなら連絡してよ葉月のアホ! 電話も通じなくて心配したんだから!』

「悪かったって……」

 

 空が茜色に染まり始めた頃に目を覚ました。

 電話でやよいを宥めつつ、カレンダーを眺めながらこれからどうするかを思案する。

 

『明日様子を見に行くから、ちゃんと家に居てね……?』

「え、マジで……」

『命令ッ!!』

「……はい」

 

 電話終了。やよいが来るので部屋を後で掃除しておこう。

 目下の課題は俺に呪いを押印した怪異こと、あのカラスだ。

 あと数回レースをしてアイツの心を折ればこのオカルト染みた雰囲気からは一旦脱却することができる。

 そもそもコレがあるから不安なのだ。

 呪いの解呪だとかそういった()()()()()特別な事情を消したあとにこそ、本当の友人関係というものが生まれてくる気がする。

 何より、俺のストレスが割とヤバい。怪異がマジでウザすぎる。

 存在自体はこの世の理の一部だからしょうがないとして、積極的に俺の周囲を攻撃してくるのは勘弁してほしい。身も心も持たなくなってしまう。

 

 素直にラブコメ……ではなく、普通の高校生活を送らせてほしい。

 妨害で負った打撲が痛ぇんだよボケが。俺に仇なす怪異は心を折るだけじゃなく、弱ってるうちに先生に頼んで夢の境界に閉じ込めてもらうからな。カス共め。イけイけイけ無様に逝けッ!

 

「……はぁ、夏休みも終わりか」

 

 布団の上で呟く。冷房つけっぱにしてたら寒くなったので膝に掛け布団をかけつつ、ふと横を見た。サンデーはまだ寝ているようだ。近くで見るとめっちゃ可愛いな……。

 激動の夏だった。

 何だかずっと忙しかったし、誰かの好感度を得るたびに怪我をしていたような気もする。おのれ怪異と言ったところ。

 

「…………どうしたもんかな」

 

 それからサンデーが言っていた”三大欲求”の増幅にも悩まされている。

 ぐっすりと眠り、起きてから食事を済ませたとなれば、残るは性欲のみ。

 秋川の葉月君が絶賛スタンドアップ・ヴァンガードしている。サンデーに見られないよう掛け布団で隠しています。命の危機。

 

「どうしたもんかな……」

 

 本当にどうしよう。

 あまりにもムラムラする。

 なんなら横になってるサンデーのスカートが若干捲れてて危ない。しっかりと絶対領域は発動されているが、ハッキリ見えないからこそ劣情を煽られてしまう。お前ふざけるなぽ。

 

「ん……?」

 

 ピンポン、とインターホンが鳴った。

 立ったまま立ち上がって顔を出すわけにはいかない為、とりあえずインターホンの受話器を取って応答する。

 

「はい。どちらさまですか」

『あっ、秋川くん……! よかった、もう帰ってたのね……』

「サイレンス……?」

 

 聞こえてきたのはサイレンススズカの声だった。恐らく覗き窓を見ればドアの向こうに彼女がいる事だろう。

 今考えるべきことではないが、頭の中に“勘違いさせてごめんなさい”と言われた時の映像が浮かんでしまった。ひん……。

 

『きっと怪異に襲われたのよね……? 怪我は? 絆創膏とか湿布とかいろいろ持って来たわ』

「あぁ、いや、なんつーか、別に大丈夫……」

 

 明らかに焦った声音だ。俺の想像以上に心配させてしまっているようだ。怪我の具合を直接見なければ安心できないのかもしれない。その態度学園じゃ絶対見せるなよ? 俺のことが好きなメスだと看破されるからな。

 てかそこまで俺を心配して……? 嬉しいよ。はい婚姻。

 頭の中でくらいは結婚させてくれ。マジで優劣つけられないくらいお前らの事が好きなんだわ。

 

『……か、帰ったほうがいい……?』

 

 ねーえー!

 ズルじゃん!!!

 せっかくこっちが心に区切り付けたばっかりなのに急接近するな! 嗜みを知れ。大和撫子ならば。

 流石にここで追い返せるほど強い心は持っていない。

 秋川の葉月君も掛け布団で隠しておけば大丈夫だろう。龍神雷神。

 

「……いや、暑い中来てくれてサンキュな。よかったら上がってくれ、鍵は開いてるから」

 

 帰ってきてそのまま布団に倒れこんだので鍵を閉め忘れていたが、功を奏した。この状態で鍵を開けに行ったら激ヤバな状態での対面をしなければならないところだったぜ。

 すぐさま布団の上に戻り、下半身を隠すように掛け布団をかけた。これでパーペキってわけ。

 

「お邪魔します……って、秋川くん……!? ちょ、その怪我……ッ!」

 

 入ってくるや否や焦燥の表情で急接近。危ないッ!!!!!!!!!!!!

 

「あ、あぁ……目元の青アザか。見た目ほど痛くないから大丈夫だよ。後は大体擦り傷だし……」

「大丈夫なわけないじゃない! 布団にも血が滲んでるし……ちょっとここでジッとしてて。えぇと、まずは……」

 

 テキパキと手当ての準備を進めていくサイレンス。いつの間に医療を勉強したのか、その手際の良さには目を見張るものがある。もしかして俺の為? これは驕り?

 

「もしもし、カフェさん? ……えぇ、帰ってきていたけど怪我が酷くて……うん、ドーベルも呼んで」

 

 呼んではいけない。サイレンス一人ならまだ誤魔化せるかもしれないのに、監視の目が三つに増えたらいよいよ女子三人がいる部屋の中でヤバいものをヤバい状態にしたヤバい男になってしまう。勘弁してほしい。流石の僕も呆れ返るまでよ。

 

「ツッキー!」

「葉月さん……!」

 

 ──というわけで、数十分経たぬうちに三人が部屋の中に揃ってしまった。

 話を聞いたかぎりでは、祭りにいた大半のひとは夢の内容を忘れるどころか、自分が幻覚を見せられていたという感覚すら覚えていなかったようだが、この三人は違ったらしい。

 曰く、俺が何処かへ消えてしまう幻覚だった、と。

 これ以上自分たちを怪異に巻き込まない為に、あえて自分たちを突き放して一人遠い地へ消えていく──そんな内容だったとの事で。

 

 既視感があり過ぎたが、サンデーのおかげでもうそのラインは突破している俺からすれば『へぇ……』と気の抜けた返事がこぼれるくらいどうでもいい事だった。もう何があっても一緒にいてください。比翼連理。もしくはドスケベ夫婦。

 

「ぁ、秋川くん……!?」

「駄目です……いけません、葉月さんっ」

「アタシたち何があっても一緒にいるから! 一人で背負わないで、ツッキー!!」

 

 俺のまるで元気が無いマヌケな返事が、彼女たちにはどうやら意味深なものに見えたらしく、三人とも一斉に俺の手を握って、これまた急接近してきた! よせッ!!!!! 風情がない。

 

 察するに、俺とこの三人とで精神的な状況の乖離が見受けられる。

 こっちからすれば怪我してる所にお見舞いに来てくれて嬉しいハッピーよろぴくねといった感じなのだが、ウマ娘三人はボロボロになった俺が何だか危うい決心をしているように見えてしまい大変に心境がシリアスに陥ってしまっているようだ。まぁ、俺も山田が一人で消えようとしてたら同じ風に心配すると思うのでこれはしょうがない。

 友達として大切、という部分は幻覚ではなく本当だったらしい。ぐぅ、この真心は俺を喜ばすつもり? これぞ和。

 

「つ、ヅッキぃ……やだ、いかないでぇ……」

「ッ!? お、おい泣くなって……!」

 

 何がいかないでだお前らのせいでイキそうだわボケが。そういうところ好きだよ。

 ベルに泣かれた──が、俺の葉月君は相変わらずバベルの塔なのだ。近すぎる女子の匂いと柔らかい手で興奮がノンストップですよホント♡ 節操のない子! 素敵だね♡ 俺が俺でなくなる……っ!

 

「葉月さん……私たちはもう二度と、守られるだけの存在になったりはしません。絶対に……」

「う、うん」

「カフェさんの言う通り、私たちも一緒に闘う……! だから……っ!」

「わかった、わかったって……とりあえず一旦二人も落ち着いて……」

 

 こんなに必死で感情が剥き出しになってる三人は見た事がない。幻覚の中の俺、どんだけ酷い言葉を放ったのだろうか。お仕置が必要だな。

 にしても離れない。

 ずっと手を握ったまま離れない。ウマ娘のパワーを考えると振りほどくことも叶わない。

 山田……たすけて……!

 



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ほら癒しのアフター握手 忘れずに

 

 

 三人のウマ娘を何とか宥めて帰し、翌日訪れたやよいにはバイクで軽く事故ったと説明したところ『禁止ッ!怪我が治るまで乗ってはダメ!!』と念押しついでに泣かれてから数日後。

 多少の傷は残っているものの体調は全快したため、俺は晴れやかな気持ちで登校日を迎えた。

 

「……今夜でいいの」

「あぁ。流石にお互い、もう限界だろ」

「……わかった。夢のセットアップ、夜までには終わらせておく」

 

 制服に着替えながら片手間でサンデーと約束を取り付けた。着替え終わったらそそくさと家を出て歩いて高校へ向かっていく。

 結局のところ増幅した三大欲求の内、食欲と睡眠欲は何とか誤魔化してきたが残り一個は今日まで保留にしていたのだ。

 三大欲求とは言うが性欲なんてものはその気になれば我慢できるものであり、ペンダントや生命力の減少などの特別な事情が無ければこの通り、今朝まで何も問題は起きていない。

 今回に関して言えば想像以上にユナイトによる欲望の刺激が強すぎた、というだけの話だ。

 俺もサンデーもあり得ない程ムラムラしっぱなしなので一度夢で解消して、以降は我慢し続ければいい。ユナイトなどそう何度もおこなう行為ではないのだから。今夜が楽しみ♡

 

「ふうぅー……」

 

 深呼吸。

 やっぱ結構ムラムラする。俺の葉月君がバベルの塔事件で最後まで隠し通せて本当に偉かったと思う、俺。マジでよく頑張った。お前は凄い男だ。

 朝の生理現象は何度もサンデーに目撃されていて、互いに冷静を欠く一歩手前の状態なためこの数日間は艱難辛苦の極みだったが、互いに事情を理解しているため間違いは起きなかった。後でイチャイチャしろ。上司命令だぞ。

 

「おー、秋川。イベントぶり」

「山田っ」

 

 とてて、と駆け寄った。コイツのそばに居れば安心だ。山田の隣にいることで性的興奮が煽られる事象と遭遇する確率が百億分の一に減少する。

 

「へへ、おはよっ」

「……? 秋川、なんかテンション高いね」

「ヤバく見える?」

「うん、朝からこれはちょっとキモい」

「このやろっ」

「あいたっ! もうー、今朝から叩かないでよ。野蛮だなぁ」

 

 変なやり取りをしている間に我が校に到着した。

 駄弁りながら下駄箱で履き替えて、気がつけば教室。久しぶりの登校だが意外と新鮮さは皆無だった。

 授業もつつがなく進行し、少しばかり気の抜けたヤツが居眠りを注意されるくらいで特に変わった事は何も無かった。

 いつも通りの高校生活だ。俺の後ろに幽霊モドキがいることを除けば。

 

「幽霊じゃない」

 

 黙ってろ思わず返事しそうになっちゃったじゃねえか。忍耐と美脚と美貌といつも見惚れているよ。心技体と鍛えているだけあるよね。

 

「つんつん」

 

 おい授業中に脇腹つっつくな。アダルト向け幽霊モドキめが。人間様にドエロく歯向かうというのか。

 思い返せばコイツとは夏休みの頭に出会ったばかりで、一緒に高校へ訪れた事は無かった。二人で学び舎に足を踏み入れたという点で言えばトレセンが一応当てはまるか。どうでもいいが。

 ……本当に激動の夏休みだったな。これまでの人生で一番濃い一ヵ月半だった。

 大変だった分いろいろな繋がりを得たし家族とも再会できたから、一概にキツかっただけとも言えない。とにかく一言で言うとただただ忙しかった。

 去年はどうしてたんだったかな。

 確か、夏休みの早いうちから文化祭の出し物の準備をしようって山田に誘われてたっけ。

 ──あぁ、そういや文化祭か、この季節は。

 

「秋川は何がいいと思う?」

 

 昼休み。

 ササっと飯を食い終わってから、山田とスマホゲームで協力プレイしながら暇を潰している。

 

「あー、今日の六限で出し物を決めるのか」

「そうそう。去年の文化祭はお化け屋敷をやったから、僕はそれがいいんだけど」

「いんじゃね。めっちゃパワーアップさせてお客さんチビらせようぜ」

「デスボイスの練習しようかな……」

「お前は声が高いんだから雑に悲鳴でいいよ」

 

 いろいろ言ってるが極論どうでもいい。ウチの文化祭はとにかく全てが普通なのだ。規模も集客もめちゃめちゃ一般的で平均的で可もなく不可もなく。まぁそれくらいがちょうど良く楽しいのだが。

 結局、今年の出し物もお化け屋敷に決定した。クラスの連中の『何か売るだけじゃつまらない』という主張に保守派の担任が負けた形で。

 あぁ、平和だった。

 本当に変わった事が何もなかった。

 改めて自分が普通の高校生だったことを実感した。今は多少性欲がアレだが、驚くこともドキドキさせられることもない平坦な日常を過ごせて素直に嬉しい。怪異くんもう二度と現れなくていいよ。

 

「──え゛ッ!!?」

 

 放課後。

 教室から出ようとしたところ、後ろから大きな声が聞こえてビビった。

 振り返ってみると、窓に張り付いた男子が慌てている。何だアレ。

 

「えっ、えぇっ!? ちょっ、お前ら見ろマジあれ!!」

「どしたの~」

「おい秋川もっ! マジでヤベェぞッ!」

 

 何なんだ一体。

 とりあえず呼ばれたので教室の窓まで移動してみる。

 そうして気がついた。

 この教室の窓からは校門が見えるのだが、クラスの連中が湧いて当然ともいうべき人物がそこにいる。

 

「あっ、あれっ、サイレンススズカじゃね!? やべぇっ! やばい本物ッ!!」

「ウソっ、ガチじゃん! え、ウチらの高校で何か撮影するのかな……? やばいやばい、ちょ、みんな行こッ!」

 

 興奮しまくったクラスメイト達に連れられるようにして教室を後にする。

 その最中、俺の脳内では困惑の嵐が渦巻いていた。

 ──校門の前にサイレンススズカがいた。

 明らかに誰かを待っている様子で、既に人だかりができてしまっている。

 どうしてアイツが俺の通っている高校に襲来したのかが分からない。

 サイレンスのやつ自分の知名度をちゃんと理解しているのだろうか。変装もしないで人が多い場所へ赴いたらどうなるかなんて、新しい蹄鉄を見に行ったあの時身に染みて理解できたはずだ。

 それでもなおあのまま来なければならないほど切羽詰まった事情があるのだろうか。

 

 ……仮に怪異が現れたのだとしたら、学校の連中に関係がバレるだなんて事を気にしている場合ではない。メッセージすら送っていない現状を鑑みるに緊急事態という可能性も大いにある。

 急がねば。事態が悪化してからでは遅いのだ。

 

「へへ……あ、あの、また会えて光栄です……まさかウチの高校に来てくださるとは……」

「あ、山田さん。お久しぶりです。あの日はありがとうございました」

「ととととんでもない! スタッフとして当然の事をしたまでといいますか……!」

 

 ようやく人混みになっている校門前まで辿り着くと、山田が緊張しながらサイレンスと話している事に気がついた。

 山田は今朝からクラスのみんなに『イベントでスズカさんと話したんだ! スタッフ万歳!』と自慢していた為、面識があること自体はクラスメイト達は知っていたが、この光景を見て半信半疑だった気持ちが確信に変わったらしく、数名は山田に対して羨望の眼差しまで向けている。

 いつもなら絶対に割って入ったりはしない。

 大切な友人が憧れの人物と会話していて、あまつさえ複数の生徒から憧れられている状況──だが、誰かの命が危険に晒されているかもしれない状況となれば話は別だ。

 サイレンス自身は怪異を視認することは出来ないため、少なくとも事の発端にはマンハッタンが関わっていると見て間違いない。無論、彼女自身が襲われている可能性も──ダメだ急がないと。

 

「悪いっ、ちょっと通してくれ……むぐっ」

 

 何とか人混みをかき分けて進み、山田とサイレンスが二人で話しているところまで到達できた。急げ急げ。

 

「あの、それで、良かったら連絡先を──」

「サイレンスッ」

 

 会話に乱入してしまった。マジですまん山田。後でバイト先にサイレンスがよく来るって話をそれとなく教えるから許してほしい! 心からの願い。

 

「っ! 秋川くん……!」

「……へっ?」

「悪い山田、ちょっと借りる」

「え……ぁ、あぁ。……えっ?」

「サイレンス、行くぞ」

「うんっ」

 

 もう目立つとかどうとか気にしてられん。こっちは命に関わる状況なのだ。

 困惑したりキャアと盛り上がったりする集団から何とか抜け、一旦駅の方へ小走りで向かう。

 

「何があった。今起きてることだけ簡潔に教えてくれ」

「えっ? ……あー、えっと……迎えに来たら秋川くんが来てくれた……?」

 

 何を言ってるんだこの女は。今さっきの事はどうでもいいんじゃ。

 

「そうじゃなくて、何かあったんだろ? 怪異が出たとか……」

「……? 別に何も起きてないけれど……あっ、ごめんなさい。学校に来ること、メッセージで事前に連絡するの忘れてた……」

「は……?」

 

 ピタッ、とつい足が止まった。

 今コイツとんでもない事を言いやがった気がする。

 

「……ちょっと待ってくれるか」

「ええ」

 

 連絡も寄こさず、人目も気にせずわざわざウチの高校に来たってことは、急を要する事態が発生しているからだと思っていた。

 というかそうでないとあり得ない。高校までやってくる理由がない。

 ……何が起きているんだ。

 サイレンスはどうして俺を迎えにきた。

 

「あっ、一つ言わないといけない事があったんだった」

 

 それだよ! 一番大事なこと!

 

「私とドーベルもあの喫茶店でバイトすることになったの。秋川くんと同じ時間に」

「えっ」

「もちろんカフェさんも実家の手伝いって形で。……怪異をやっつけるまでは少しでも秋川くんのそばに居ようって、みんなで決めたのよ」

「何それ……」

 

 思わず全身の力が抜けそうになった。

 めちゃくちゃに切羽詰まってシリアス顔してた俺がただのアホになった瞬間だ。

 まじで全部勘違いだった。恥ずかしすぎる。

 この際、サイレンスたちが俺と同じバイト先で働くことになった話はいい。先日の一件でとんでもなく心配をかけてしまった自覚はあるのでしょうがないと思える。もし俺の立場が山田だったら俺もそうしていた。

 問題は俺が大衆の前でサイレンススズカというスーパースターを連れ出したこと──何より意を決して話していた山田から彼女を引き剝がしたことがヤバい。大した事情も無かったのに。終わった。

 

「……一人にしないって、一緒に闘うって言ったでしょ」

「それはそうだが……ちょっ、往来で手を繋ぐのは……」

「怪異との闘いがレースなら私でも何とかできる。……いえ、絶対に私の方が速いわ。負けるなんてあり得ない」

 

 本当にヤバい。普通に人通りの多い交差点付近で正面から手を握って迫られてる光景がマジで危うい。写真を取られたら大スクープ間違いなしだ。気持ちいい握り方を教えてみろ。うおっ♡ ふにふに♡ スベスベ♡ 変態め。

 

「サンデーさんと一緒に闘うのは負担が大きいのよね? 二人がもう無茶をしないでも済むように、私たちが怪異に勝つから。……だからせめて、下校時とバイトの時は隣にいさせて……?」

 

 その上目遣い交尾の催促かよ。精気を全て吸い尽くされる懸念があるわ。

 というか、思いのほかウマ娘たちが本気で対策を練っている事に驚いた。確か中央でバイトの許可を貰うのは結構大変なはずなのだが、既にそれを突破して俺を守るために行動してくれている。

 なんと美しい友情だろうか。俺のことをそこまで大切に思ってくれる事実につい涙腺が緩む。もう四人で結婚しよう。みんなで子作りしよう。

 

「……分かった。ありがとな、サイレンス」

「っ! ……ううん、お礼を言うのはこっち。私たちを守ってくれてありがとう……葉月くん」

「…………」

 

 ちょっと待って。

 聞こえなかったフリをしようとしたがそうは問屋が卸さなかった。ばっちりハッキリ俺の耳に届いてしまった。

 今、名前で呼んだ? 俺の女になる準備は万端という事かよ。薬局に行ってくるからちょっと待っててね。

 

「……あら? ……ふふっ、もしかして恥ずかしがってる?」

 

 は! 別に恥ずかしくなんかねーし! お前の事が好きなだけだし! 恋人どおしみたいだね♡ しかし公私混同はダメだ! あくまで友達同士。

 

「おかしな事なんてないでしょ。カフェさんも名前で呼んでるし……ドーベルなんてあだ名なんだから」

 

 マンハッタンのアレに関してはペンダント時の暴走なので不可抗力に限りなく近いのだが俺の責任という事に変わりはないので黙っておきます。ベルに関してはアイツの距離の詰め方がおかしいだけ。

 

「……良かったら、秋川くんも私のこと……」

「戻ってるぞ、呼び方」

「えっ。……あっ、いや、そう、葉月くん。葉月くん葉月くん……」

「慣れないなら別に戻しても……」

「そういうわけにはいかないわ! 私だって……」

 

 私だって、何ですか。その言葉の後ろに付く言葉、好きだからとかではない? 俺の名推理どおりムッツリマゾだったな。

 あの幻覚で俺の男らしさたらしめる部分は壊滅状態なのだ。もう二度と勘違いで告白したりなんかしない。お前とは恋人になりたいがな。やっぱり告白しようかな……。

 

「と、とりあえず喫茶店に向かいましょ! まだ怪我してるから、秋川くんのサポートは私がやるわ」

「ありがとな。じゃあ急ぐか」

 

 まぁ今日はシフト入ってないのだが。焦りすぎだぞプリティーガール。立てば芍薬座れば牡丹。

 というわけでバイト先に訪れたところ、路地裏にひっそり佇んでいるにもかかわらず、メジロドーベルとマンハッタンカフェとサイレンススズカが働いているという噂が広まった事で客入りがとんでもない数になっている現状を知ったのであった。大繁盛! 俺の出番なし。

 

 



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ベル♡ ベル。

 

 

「……視認できないお友だち、ねえ」

「……信じてくれるか」

「うーん……」

 

 サイレンスを高校の前から連れ出した放課後。

 少しだけ喫茶店に顔を出した俺と彼女はその場で解散し、一旦帰路に就くことになった──のだが、あれだけ騒ぎを起こして何もない筈はなく。

 ちょっと話がある、と連絡をよこしてきた山田を家にあげて小一時間経過し、これ以上山田に誤解をされたくないという思いから、俺の抱えている事情を詳らかに説明したいま現在に繋がる。

 

 ちなみに頭が沸騰しそうなレベルのムラムラは健在だ。我慢ちゅらいよぉ♡ おいサンデー乳吸わせろ。

 

「まぁ、秋川のそばに見えない誰かがいるっていうのは分かったよ」

「本当か!」

「……目の前でボールペンがひとりでに浮いて、僕と筆談まで出来てるんだからそりゃ信じるしかないでしょ」

 

 説明は簡潔に事実だけを伝えた。

 レースのチケットを奪った野生動物を追っていたら、結果的にカラスの集団に襲われている成人男性を助ける事になったこと。

 その男性がマンハッタンカフェの担当トレーナーだったこと。

 そして彼を襲っていたカラスは、野生動物ではなく怪異という幽霊並みにオカルトチックな不思議存在で、ターゲットを俺に切り替えたその怪異たちに対処するべくマンハッタンカフェに協力してもらう事になり、その過程で彼女の同級生であるサイレンスたちも手を貸してくれる流れになった結果、とりあえず怪異に遭遇しても対処できるよう一旦俺とバイト先を同じにしよう──という感じで今に至ると。

 解呪の儀式の内容の詳細以外はおおかた全部伝えた。アレに関しての秘密は墓場まで持っていく所存。

 

「……いや、でもやっぱり信じられないな。見えない仲間の事じゃなくて、中央のウマ娘たちに協力してもらってるってとこ」

「それは……」

 

 確かにそう思われても不思議ではない。

 なぜならあの三人が特にヤベー立場にあるからだ。

 学園の生徒というだけでなく、三人ともレースで勝ち星を上げ続け全国にその名が知れ渡っている有名なウマ娘であり、ピンポイントでそんな人物たちと知り合っていると言われたら疑うほうが普通だろう。

 しかもあの女たちは俺のことが好き。友達として。いや、夫として。

 ──やむを得ない。

 

《おす》

 

 マンハッタンカフェにメッセージで連絡だ。彼女に直接事情を話してもらった方が理解が早いはず。

 問題は休み明けで学園が忙しいこの時期に彼女の時間が取れるかどうかだが、はたして。

 

《はい。どうかされましたか 葉月さん》

 

 返信はや。三秒くらい。女子すごい。

 そんなに俺が恋しかったの? 寂しがりメスガキがよ。一生かけて守り抜きたい。

 

《いま大丈夫か?》

《問題ありません 部屋で一人なので》

《よかった 頼みがあるんだけどいいかな》

《勿論です! なんでも言ってください》

 

 何でも。じゃあ淫猥な自撮り送って早急に。それが社会だ。

 マンハッタンに連絡を入れたことで急速に高まった性欲を歯を食いしばることで我慢していると、かわいいスタンプが一個送られてきた。ちょっと交尾したくなってきたな。俺の前で勝負服を着てみない?

 とりあえず友人に呪いや怪異について詳しく事情を話してほしいと頼み込み、了承を貰えたためビデオ通話で繋げた。

 

「山田、マンハッタンさんが直接説明してくれるって」

「はぁ……? マンハッタンさんって、マンハッタンカフェの事? いやいや、そんなまさか──」

 

 とりあえず面と向かって話しやすいようテーブルの上にでも置くか。カフェちゃん毎晩ビデオ通話したいね。

 

『初めまして。私、マンハッタンカフェと申します』

「──ッ゛!!? ……!!!?!??」

 

 マンハッタンと初めて電話越しに話した山田の豪快なリアクションもそこそこに、事情説明が始まった。どうやら俺の気持ちも察してくれていたらしく、彼女の説明の中に解呪の儀式の詳細は入っていなかった。葉月理解検定一級。なかよしなつがいになろーね♡

 

『そういう事なので……あっ、そろそろ同室の方が戻ってこられるみたいです』

「ぁっあ、えとッ」

「助かったよマンハッタンさん。また喫茶店で」

 

 緊張しすぎて会話にならない山田に代わって礼を言うと、何故かマンハッタンはモジモジし始めた。明らかに何か言いたげな様子だ。告白?

 

「……どうかした?」

『あっ! い、いえ……その、山田さんは今夜、葉月さんのお家に泊まられるのかなと……』

 

 明日も学校があることに加え、なにより着替えも持ってきてないのでそれは無さそう。デブだからこそなのか体臭に気をつけているらしく、シャワーを浴びられないとなると死にかけるやつなのだ。その意識のおかげか山田は近づくといつも柑橘系のいい匂いがする。

 

「かっか帰ります! 僕帰りますっ!!!」

「だってさ。何かあったのか?」

『いえ……何でもありません。では、また』

「ああ、お休み」

 

 てな具合で事情説明は無事に終わった。

 もっと話をしたかったが今回ばかりはしょうがない。子作り二回で手を打つ。

 さて山田もこの様子なら俺が言っていた事をちゃんと信じてくれたに違いない。

 

「ほわ……」

 

 山田のほうを見ると、未だマンハッタンとの会話の余韻に浸っていた。

 想像以上に彼女と話せた事が衝撃だったようだ。現実感を確かめる為に頻繁に自分の頬をつねっている。いたそう。

 正直アレを見るまでずっと不安だった。校門の前でサイレンスを連れ出してから、なんて言われるか気が気じゃなかったのだ。

 電話で中央のウマ娘と話せた事を喜んで他のことを二の次にしてくれたのなら逆に助かった。

 

「中央のウマ娘と話すのってそんなに緊張する事か?」

「当たり前だろ!!!!!!!!!」

「うるさっ……」

 

 まぁ俺もハイパーデカ乳ウマ娘を前にした場合は同じ反応をするかもしれない。お前は俺だ。

 

 それから山田は少し経ってから意気揚々と帰っていった。

『困った事があったらまず僕に頼ってね! 手伝いが僕だけで十分な事でわざわざウマ娘さんたちの手を煩わせるのは本意じゃないからッ!!』と、そんな言葉を残して。あいつらへの心配が八割だった。もっと俺のこと見ろカス。手伝ってくれてありがとう。

 とりあえず山田への弁明措置は無事に終了し、俺の中で唯一の懸念点だった部分をようやく解消することができたのだった。アイツにうまく説明できたとあれば、後はもう誰にどう事情を知られても問題はない。隠れてイケない事をしているわけでもないので。

 しかしすぐに帰ってくれて助かった。これ以上ムラムラを我慢するのは不可能だ。

 

 数分後、俺も外に出た。家に食料が何も無いため、サンデーの分の飯を買わなければならないのだ。三大欲求が刺激されまくってる現在の状態では軽い空腹も結構辛い。何が食べたい?

 

「うどん」

 

 安上がりで助かる。温玉のトッピングを許可。

 

「ハヅキ」

「どした」

「あそこに居るの、ベルちゃんじゃない」

 

 コンビニで軽く買い物を済ませて帰路に就くと、道中公園に人影を発見した。

 もう暗い時間帯なので一瞬誰だか分からなかったが、街灯を頼りに目を凝らしてよく見ると、そこにいたのは見慣れた少女──メジロドーベルであった。

 あんな場所で何をしてるのだろうか、彼女は。

 ブランコに座り俯いたままタブレットに視線を落としているが、何かを操作している様子ではない。

 一言で言えば、まるで意気消沈しているかのような姿だ。

 というかそもそもトレセンの門限の時間はとっくに過ぎている。もしかしなくても普通に門限に間に合わずに追い出された可能性が高い。

 

「うわっ、雨か……?」

 

 声をかけようと思ったのも束の間。

 突然雨が降り始めた。雨脚が強まる予感に従い、一旦コンビニへ戻ってビニール傘を買って外に出ると予想通り大雨になっていた。

 こんなに強い雨が降ってたらドーベルもとっくにいなくなっている事だろう。

 

「……まだいるじゃねえか」

 

 何で大雨の中ブランコに座ったまま微動だにしてないんだあの女。シリアスな場面のシチュエーションの練習かしら。

 あのままだとタブレットがダメになるし、本人も風邪をひいてダメになってしまう。

 どういう考えであのままなのかは知らないが、とりあえず声はかけた方がいいと考え、小走りで彼女がいる公園の中へと向かっていった。

 

「おーい、ベル!」

 

 急いで傘を渡そうと近づく。

 すると俺の声に反応して、ようやっと彼女は顔を上げた。

 

「──ぁ」

 

 そして、そのまま固まってしまった。

 

「……」

 

 ドーベルは俺を見つめたまま何も言わない。

 虚ろな目だ。まるで活気が感じられない。

 察するに──まぁ、何かあったんだろう。

 メジロとかいう何か凄そうなとこのウマ娘で、中央の生徒でもある彼女に纏わりつく期待や重責は俺には計り知れない。

 なので、敢えて気にしない方向でいく。

 ドーベルに何かあったのは確定だとしても、それはそれとして俺も現在進行形でナニが大変な事になってるのだ。決壊する……ッ!

 大事な話はトレーナーや学園の連中と一緒に解決していくものだろうし、俺にできる事は今夜の宿を提供する程度。

 誰かを泊めるという事は、つまり煩悩を滅するためのあの夢を見ることも先送りになるという事だがしょうがない。友達優先。間違えた恋人優先。

 

「ほら、立って」

「えっ……」

「話したくない事なら何も言わないでいいから、とりあえずウチに来い。ガチで風邪ひくぞ」

「……う、うん」

 

 そんなこんなで手を繋いで連れ出し、メジロドーベルお持ち帰り。気が早い同棲ということかよ♡ 帰ったら二人で愛を育もうね。

 

 

 

 

 現在、ドーベルは寝ている。

 無論家主である俺とサンデーも眠りについている。

 だが俺たちは現在布団の上ではなく、ドーベルの実家にある自室らしき場所でパソコンやタブレットや漫画雑誌と睨めっこをしていた。

 眠っているのに起きている。

 今回の事の経緯はこうだ。

 

 まず、俺の自宅に戻ったドーベルは風呂に入った後、雨に濡れ続けた疲弊からかすぐ床に就いてしまい、彼女を起こさないため俺たちも早々に布団へ潜り込んだ。

 カッコつけてドーベルを攫ったはいいものの性欲が限界すぎた俺は結局我慢できず、サンデーを抱き枕にしながら『こっそり夢を見せてくれ』と懇願。

 物理的に身体を接触させたままでないと夢をコントロールできないため、しっかりガッチリとサンデーに触れながら眠りに落ちる──その刹那。

 寝返りを打ったドーベルの手が俺の背中に当たり、コントロールする夢の対象が()()()()()()()()()に移ってしまったため、俺たちは彼女の夢の世界へ招待される事になってしまったのであった。

 

 寝てるのに起きてるとは、つまり俺たちが今いる部屋は現実ではなくドーベルの夢の中という事だ。

 

「うーん……なにも浮かばない」

「どぼ先生、肩でも揉みましょうか」

「……や。触んないで、えっち」

「まぁまぁそう言わず」

「ひゃわッ!?」

 

 煩悩が天元突破しているというのもあるが、どうせ忘れる夢の世界という事で割と好き勝手に動いてる。肩こり凄いですねぇ〜〜〜原因を作ってるその重い物も持ってあげたいところ。

 

 ところで、俺たちは何をしているのだろうか。サンデーはテレビに映ったアニメに夢中だし、どう考えても彼女はこの夢をコントロールできていない。

 憂鬱だ。

 前回は電気がついてない俺の部屋という屋内空間だったのに、途中で雨が降るわ風が吹くわ薄暗いわで散々だったので、今回は明るい場所でサンデーの顔がよく見えるようベンチが一つだけある広い草原とかにでも行きたかったのに。

 また屋内。

 しかも他人の夢。

 俺の性欲をどうしてくれるつもりなのだ。

 

「ゲームの脚本って難しいなぁ……」

 

 ドーベルが俺に肩を揉まれながら、背もたれに体重を預けて呟いた。

 

「脚本?」

 

 こいつは漫画作家先生だったはずだが。

 

「アタシの漫画を読んでくれてて、共同で恋愛ゲームを作りませんかって持ちかけてくれた人がいてさ。ネタはいっぱいあるんだけど纏まらなくて……」

「ネタって、このネタまとめファイルってやつの中の?」

「そうそう。見てみて」

 

 簡単にタブレットの中身を見せるような性格ではないドーベルが許してくれるのは、単にここが夢の世界で彼女の思考も若干緩いものになっているおかげだろうか。新婚夫婦生活の中で俺がトレーナーさんと入れ替わっても違和感を持たなかったマンハッタンのように。

 

「見ちゃっていいんすか」

「ツッキーには見せらんないけど、アシスタントさんなら別に……」

 

 どうやら俺を秋川葉月だと認識できていないらしい。

 てかデビューもしてないのにアシスタントて。いかにも夢って感じの内容だ。小賢しく愛らしい女。

 

「どれどれ……」

 

 パソコンの該当ファイルを開いてみた。彼女の夢の中ではあるため、このファイルの中は恐らく実際に存在するものか、ドーベルの頭の中にあるネタだと思われる。さて中身は──

 

 

【1.マックイーン:30% 態度や会話の内容からして恐らく一目惚れと思われる。学園内で転倒しそうなところを助けてもらった模様。

 2.ライスシャワー:15% 彼の話題を出すと少しだけ赤面したが、教えてもらった情報だけ見ればまだ親切なお兄さん程度の認識である可能性が高い。

 3.スズカ:85% たぶんアタシと同じくらい つよすぎる きけん

 4.カフェ:90% おそらくアタシ以上 むり かてない】

 

 

 ──よく分からん。

 何だろうこれ。知ってる名前に知らない名前、それからパーセント表記の数値と短い備考欄が設けてある。

 これがネタ?

 なんのネタになるんだコレが。

 ライスシャワーから下は知っている。ただ一番上のマックイーンという人物名に誰が該当するのか知らない。イベントでも確認してたのは知り合いのウマ娘の名前だけだ。

 

「なんすかこれ」

「とある知り合いの……みんなからの好感度かな?」

 

 何で疑問系なんだ。てか誰のだよ。もしかして俺? ウマ娘を攻略中? えへへ。変態もいい加減にしろといったところ。

 

「実際の数値じゃなくて、あくまでアタシの主観だけどね。こういうの恋愛ゲームなら参考になるかなと思って書いてみた。……でも」

 

 少し俯くドーベル。耳がペタンと垂れ下がっていて非常にキュート。分を弁えよ。

 

「それ書いてるうちに自分で落ち込んじゃって。走りの調子が悪くなってトレーナーに心配されたし、予想通り不注意で足も怪我しちゃって……散々だなぁ」

 

 書いてて落ち込むネタのメモってなんだ。んなもん書くな。

 ていうか足を怪我してたの? セクハラしてる場合じゃねえよ病院連れて行かなきゃ。

 

「まぁアタシの事はいいんだって。アシスタントさんは恋愛ゲームを作るのに何かいいアイデアは無い? 例えばタイトルとか」

 

 恋愛ゲームのタイトル。俺なら欲しくなる作品名。

 じゃあ『もっと!種付け!炎のデカ乳超エロ♡トレセン学園!!』とかどう?

 



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決壊する……俺が俺でなくなる……ッ!

 

 

 と、友達のメスの匂いがしてクラクラする……!

 早朝。

 結局夢の中では意識してアシスタントとしての活動を続けていたせいか、性欲の解消どころか睡眠欲が昨晩よりも増大してしまい、結果的には寝ないで一徹した人になってしまった。

 サンデー曰く夢で常にリラックス状態だったベル♡はともかく、他人の夢で起き続けるとそれは物理的に起きてる状態となんら変わらないらしい。マンハッタンの時と一緒だ。

 ひとまずは欲情してドーベルに襲い掛からなかった自分自身を褒めてやる事にしよう。あ〜〜〜〜眠すぎてムラムラしてきた。おはようのチューが急務。

 

「んん……ぁ、つっきー……?」

「おはようさん」

「……お、おはよう」

 

 少しばかり自分の身体や服装の乱れを確認するドーベル。だが何も無い。当然だ何もしてないんだから。寝るだけだと言ってるのにエッチなことなんてしないでしょ。ベルは傾奇者だね。

 

「ごめん……昨日、押しかけちゃって」

「俺がお前を無理やり連れてきただけだろ。気にする事じゃない」

「……うん」

 

 申し訳なさを醸し出してはいるが、心なしか昨日よりも顔色がいい。

 ゲーム制作が実際の現実で行われるかは分からないものの、夢の中ではこれから書く物語を一応は形にすることができたのだ。多少のモヤモヤは失せたに違いない。

 お前は覚えてないだろうが俺はバッチリ覚えてる。あなたの健全な恋愛物語に変態成分をひとつまみ。後は加熱して調理終了です。

 

「……」

「ツッキー……?」

 

 ジッと見つめてたら気づかれた。

 まあ普通に寝起きでちょっと髪がポサッとしてるドーベルが可愛いのもあるが、何より()()()()()()が発生しているせいでこの場から動けないのだ。布団はどかせないし立ってるが立てない。まさに八方塞がり。

 

「だ、大丈夫……?」

「いや、ベルが可愛いなって思ってただけだから」

「……ふぇっ!」

 

 性欲のオーバードライブ。今日の俺は一味違う。性的な興奮を隠すために、以前イベントの時にドーベルのタブレットで読んだ少女マンガに登場するイケメン風に振る舞うことに全力で取り組まなければならないのだ。脳細胞がトップギアだぜ。

 

「それよりベル、足の痛みはどうなんだ」

「えっ? ぇ、あ、えっと……あれ。足のこと、話したっけ……?」

「言われなくても見りゃ分かる。……昨日は気づかなくて悪かった」

「いぃぃいやいや! 全然ツッキーの責任なんかじゃっ!」

 

 夢の中で徴収した情報をもとにメンタルケアを行っていこう。初めて会った時から思ってたけどめっちゃ美人だよね。

 

「軽く手当てをして早めに学園へ戻ろう。トレーナーさんには足の怪我のことは言ったのか?」

「ま、まだ……」

「じゃあ家を出るまでにメッセージの一つでも入れといてくれ。朝飯を食ったら遅刻する前にバイクで学園まで送る」

「……えっ、でもそれじゃあツッキーが遅刻しちゃうじゃない。ダメだよ、そんな……」

「中央の生徒が遅刻することに比べれば大したことないって。とにかくほら、肩を貸すから顔洗って」

 

 ようやく朝の生理現象が治まったため、さっとドーベルを洗面台に連れていって俺はトイレ。

 ていうかバイク、やよいにしばらく乗るなって言われてたけど緊急事態だからしょうがないよな。万が一怒られたら抱きしめて頭も撫でておでこにチューでもすれば誤魔化せるだろ。急に恋しくなってきた。

 

「……あれ、待って。よく考えたら今のアタシ、他校の男子の家に無断外泊してる……!? どうしよっ、どうしよう……ッ!」

 

 なにやら洗面台でブツブツ呟いてるドーベル。

 随分と心配性だ。トレーニング中の怪我で門限に間に合わず知人の自宅で一晩外泊しました、という立派な建前があるのだから大丈夫だろう。

 それでも心配なら俺が安心させてやる。あの少女マンガを想起させるやり方でな。

 

「ベル、こっち向いて」

「えっ……?」

 

 呼んで振り返った彼女の顔をふわふわタオルで包み込んでやった。ずっと顔を洗ってたら冷えちゃうぞお嬢さん。てか冷水じゃなくてお湯使いなさいよ。

 

「もふもふ」

「ぁう……っ」

「なるようになるさ、心配すんなって。必要なら俺もトレーナーさんに事情説明するから」

「……っ! ……うん、ありがと」

 

 赤面してる。よーし楽勝。チョロすぎて申し訳ねぇなぁ。

 

「とりあえずそれ脱げよ」

「えっ……!?」

「あ、制服に着替えろって意味な。洗濯機まわして干してから家出る」

「……そ、そういうことかぁ」

 

 どういう事かと思ったのかな。交尾したいならそう言うよ。今日のところは勘弁してやるがな。

 ドーベルに貸した俺のシャツからは若干いい香りがした。小瓶に詰めるのは後にして、朝の支度と食事をテキパキこなしていく。

 そしてついに出立。

 トレセンまでならバイクで全然間に合う時間だ。俺は遅刻するだろうが問題ではない。

 

「……ねぇ、ツッキー」

 

 ヘルメットを渡す直前にベルが呟いた。どうしたの愛しいお嫁さん。

 

「どうしてそんなに良くしてくれるの? アタシ、ツッキーには迷惑しかかけてない……」

 

 この女急に何を言い出すかと思えばそんなくだらん事を。

 現時点で目の保養になってるだろうが。うひょ〜♡ すげ〜身体。

 ていうか何その質問。突然主人公の家で居候することになった不思議系ヒロインみたい。ていうかおっぱいデカくない? ふざけてる?

 

「どうしてもなにも友達だろ」

「──っ!」

 

 何でハッとしてんの。もしかして友達じゃなかったのかな。不安になってきた。

 

「別に損得勘定で動いてるわけじゃねえって。友達が困ってたら助けるのが普通なんじゃないのか。……こういう恥ずかしくなるようなこと、あんまり言わせないでくれ」

「ご、ごめん……」

 

 まもなくヘルメットを被って後ろに乗る可憐な女。好きって言って♡ 夫婦でしょ♡ 言えッ!

 

「…………えへへ」

 

 微かな喜々の感情を察しつつ、敢えて指摘せず俺はバイクを走らせた。

 おい背中にデカ乳押しつけるな! 重っ……こんなおっぱいを今まで活用してなかったの?

 

 

 

 

 トレセンの校門までやってきた。

 ドーベルが事前に連絡していたらしく、件のネタ帳に名前があったマックイーンという少女が彼女を連れて行ってくれるらしい。

 キキッ、と音を鳴らしてバイクを停めた。ちょうど登校時間と重なっているため、道行くウマ娘たちの視線を少なからず奪ってしまっているがしょうがない。

 

「ツッキー。言い忘れてたことがあるんだけど」

「何だ? あ、マックイーンさんが来るまで座ってな」

「ありがと」

 

 バイクから降りたドーベルはやはり少し左足を庇って立っていたので、俺も降車して座席を譲った。

 

「実はあのお祭りの日、大半の人は怪異が見せた幻覚の事を綺麗サッパリ忘れたんだけど……全員がそうってわけじゃないの」

 

 確かにドーベルを始めあの二人も怪異に見せられた夢の事はしっかりと記憶していた。

 

「アタシたち以外……他のウマ娘たちも”何かを見せられていた”っていう事を覚えていてね。しかも結構多いみたい」

「そりゃ災難だな。軽い恐怖体験だ」

「……それだけじゃなくて。みんな自分が囚われてる所を()()()()()()()()()って事を感覚として記憶しているらしいの。その中でもツッキーの顔を覚えてる子も結構多くて……」

 

 つまりどういう事なのね。

 

「だから、えーと……」

 

 何なんだ──しどろもどろになっているベルに問いただそうとしたその時、後ろから声をかけられた。

 

「あっ!? あのっ、そこの人いいっすか!」

「ちょっとウオッカ! 突然どうしたのよ……っ!」

 

 振り返るとそこにいたのはどこかで見た事がある短髪の黒髪ウマ娘と──ダイワスカーレット!?

 うわわわわっわわ!!!! 魅力的で肉感的で素敵♡ 俺が巨乳コンサルティングとしてアドバイスしてやりたいところ。

 

「あ、アンタがバイクの人だったのか……」

「……えーと、ウオッカちゃんだったか」

「へっ? 俺の名前を知って……」

 

 さっきダイワスカーレットが名前呼んでたからな。正直ちょっと忘れてた。乳がデカければ片時も忘れなかったのだが。

 

「スマホ、今度はちゃんと持ってる?」

「お、おう……やっぱりそうなんだ。いやっ、あの時はありが──」

「ウオッカ! ね、ねぇっ、この人海の家にもいたけど……もしかして夢で助けてくれたあの人じゃ……!」

 

 ご名答ダイワスカーレット! 下品な体に生まれて良かったね。俺に開発される喜びがあるよ。

 俺としては怪異とかいうカスとレースをしただけなのだが、幻覚から解放したことで少なからず彼女たちが見ていた夢に影響を与えてしまったのかもしれない。

 ということは、何となく俺を知っているウマ娘が学園内で増えている可能性が高い。このダイワスカーレットもそうなのだろう。種付けチャンス。やはり俺の舞台は超エロ♡トレセン学園!!で間違いなかったようだ。

 

「ドーベル、お待たせしました──わッ!?」

「あ、マックイーン」

「その子がマックイーンか」

 

 何だ、学園で助けたあの芦毛のウマ娘がマックイーンだったのか。綺麗で気品があって美術品みたい♡

 

「どどどドーベル……! どうしてこの方が……っ!?」

「え、メッセージで伝えなかったっけ」

「バイクで送ってもらうとしか! 一体どなたのお世話になっているかと思えば──」

「おはよう、マックイーンさん。ドーベルのこと宜しくね」

「わっ、ぁッ、は、はいぃ……♡」

 

 夢の中のネタ帳を基に考えればこの少女は俺に一目惚れしている可能性が高いとの事だった。今世紀最大のモテ期到来じゃん。いや繁殖期か。性欲が限界なのでどいつもこいつも種付けして差し上げますから一列にお並びください。とりあえず連絡先だけ! ね!

 

「スペちゃん、おはよう」

「あ、スズカさん。あの、あそこにいる人……」

「んっ? ──えっ、葉月くん……!?」

 

 遠くにサイレンスが見えた。おはようのベロキスお早めに。先頭の景色奪われちゃうよ。

 

「見て見てライスちゃん! あれ夢で悪いのやっつけてくれたお兄さんじゃない!? お礼を言いにいこーよ!」

「ちょ、ちょっと待ってウララちゃん、心の準備が……っ」

 

 おむライス発見。朝から赤面してるのうはっ♡ エロっ♡ 真正の変態だわあいつ。

 

「むぅ゛うん゛っ! 退きたまえカフェ……彼の細胞をほんの少しだけでいいんだ! あの妙なレース場で人間には出せない速度で走っていたッ! あまりにも興味深すぎるじゃないか! 髪の毛一本でいいからぁ!」

「葉月さんには触れさせません……大人しくしていてください……」

 

 あそこは何で相撲やってるんだろう。正気か?

 

「お兄さん、おはようございます。マーちゃんです」

「うおっ」

 

 横から急に出てきた。誰だっけこいつ。マーチャン? それよりダイワスカーレットに負けず劣らず乳がデカくて話にならない。俺のこと好きになってから出直してこい。

 

「マーちゃん人形は気に入っていただけましたでしょうか」

「あ、あぁ……部屋に飾ってある」

「なるほど。ぜひ、マーちゃんを広めて頂けると、マーちゃんも嬉しいのですが」

「わかった、分かったからちょっと離れて。近い」

「はい。マーちゃんはアストンマーチャンといいます。アストンマーチャンです。覚えていてくださいね。マーちゃんでした」

 

 ウマ娘ってやっぱりどいつもこいつも距離感が壊れてるよね。風紀はどうなっているんだよ! 朝から乳を押し付けるなどマゾメスすぎるだろ。

 うるち米。とりあえずマーちゃん人形とやらを布教に使えとのことだから、あれは山田にでもプレゼントしよう。交友関係の広いあいつなら十分活用できるはずだ。

 

「ねえねえシャカール。校門の前で何か面白そうな事が起きているんだけど」

「興味無ぇな。……あっ、おい引っ張るな!」

「ん、オグリ? なに立ち止まってんねん」

「入り口が騒がしい。タマ、見に行こう」

「いやウチはどうでもい……ちょオグリ! 待ってぇな!」

「今日も美しいボク! おはようドトウっ!」

「はわわわぁ……」

「っ!? ボクに気がつかないほど鮮烈なものが校門前にあるのかい!? これはいけない、早急に調査をッ!」

 

 ──騒がしくなってきた。トレセンは男子が一人来るだけでこんな騒ぎになるのか。

 

 マックイーンさんは迎えに来てくれたのだし、もうさっさと退散しよう。このままだと性欲に従って誰かに襲い掛かって返り討ちにあって死ぬ。

 お前らは知らないだろうが今誰よりも助けてほしいのはこの俺なんだぞ。女子に囲まれたら間違いなく気絶する。

 

「ベル。またな」

「うん、ありがとうツッキー」

「困った時はいつでも頼ってくれ。じゃ」

 

 そう告げてバイクを走らせトレセンを去っていった。興奮しすぎて危うくあの場でベルに告白してしまうところだったぜ。危ない。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「秋川ッ!! 昨日サイレンススズカを連れ出したアレどういうことだ!?」

「説明して説明して説明してッ!!」

「コソコソ……あいつあの三人がいるっていうあの喫茶店でバイトしてるらしいぜ……」

「えマジ? メジロドーベルの連絡先とか貰えねえかな」

「あれっ、安心沢さん、お姉さんがトレセンの関係者なんでしょ? なんか知らないの?」

「全然知らないけど……トレセンの子たちと知り合いって、秋川君もしかして凄い人なのかな。クラスじゃあんまり目立ってないけど……よく見たら結構カッコいいかも……」

 

 ──どこいっても地獄だった。もう開き直ろうか。

 ムラムラとか性欲とかそういうレベルではなくなってしまった。人として行動できる最大のギリギリが恐らく今日の夕方までだ。以降は絶対に理性が溶ける。

 サンデー、昼飯食べるから屋上行こ。今夜は気絶すんなよ。

 

「秋川~」

「んだよ付いてくんな」

「そう言うなって。スズカさんたちの事いろいろ聞かせてよ」

「何でそんな知りたいの」

「当方キモ・オタクであるが故w」

 

 山田も来るらしい。二人きりの時間を邪魔すんな。タコさんウィンナーいる?

 



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ゆっくりイこうね♡焦らなくていいよ

 

 

 五限目。昼休みに軽く昼寝でもして心を落ち着けようとしたのに山田がついてきたことでそれが叶わず、俺の欲望は増幅するばかりだった。ビョルルン♡ビッピョロルロパロ♡

 

「むん」

 

 俺と全く同じ興奮度のサンデーも徐々に頭が茹で上がってきたらしく、待ちかねた彼女は俺の机の上に正座をして授業妨害をしてきている。どいてください。そこにいるとスカートを捲りたくなるので。

 

「いいよ」

 

 黙っとけお前ちょっと俺の社会的立場を考えてね。雑魚め。

 校内ではコイツと直接会話することが出来ないため心の中で言葉を思い浮かべるしかないわけだが、半分くらい錯乱状態にある興奮しきった人間がまともに思考し続けられるはずもなく、こいつとの会話に脳のリソースを割くと授業を受けることが出来なくなってしまうのだ。こまった。交尾の時間。

 いいんだ。

 あとほんの数時間の辛抱だ。

 増幅した欲求の内、今は性欲よりも睡眠欲が勝ってしまっていて正直全く授業に集中できていないが、もう少しで帰れると考えればまだ頑張れる。

 ねむ、ねむ。

 

「じゃあ秋川、この時起きた乱の名前覚えてるか? 先週やったとこだぞ」

「え、あ」

「教科書を見ないで言ってみな」

 

 先生に差されたが完全に舟を漕いでいて何も聞いてなかった。てか日本史の授業でそういう当て方しないでほしい。教科書見て分かる事を見ないで言わせるのどういう流れだよ。

 

「あー、えっと……大塩平八郎の乱……」

「正解。ちゃんと覚えてるな」

「へへ……」

 

 どうやら当たったらしい。ぶっちゃけ答え分かんねぇよどうしよう平八郎って感じだぜとか考えてたからこれが出てきただけなのだが、奇跡が起きたようだ。

 それから少し経って五限目は終わりを迎え、最後の六限は自習という事が明らかになり緊張の糸がブツリと切れて、俺はそのまま机に突っ伏した。

 今日は大変だった。

 トレセン学園では不可抗力で顔をたくさんの生徒に知られ、絡まれ、性欲を煽られ。

 高校に戻ったら質問に次ぐ質問攻めで気力を削がれるとともに眠気を誘われた。もうボロボロである。

 ふと後ろを振り向けば、サンデーが教室の後ろのロッカーの上に寝そべって眠っていた。羨ましい。俺もそうしたい。

 

「じゃあお化け屋敷の内容を考えてこー」

 

 自習の時間を利用して文化祭の計画を進めることになったらしく、いろいろあって仕切り役になった山田がチョークで黒板に書き出している。ちなみに担任は寝てる。おじいちゃんなので体力がない。

 

「なんかいい案ある人いるー?」

 

 一年の時は大して意見を挙げることがなく、それでも普通に面白いお化け屋敷になったので俺は黙ったままでも大丈夫そうだ。

 ようやく休める。

 引くほどガチ寝すれば誰も起こそうとは思わないだろう。眠ろう。

 

「はいはーい! 秋川君に頼んで中央のウマ娘さんに来てもらって、接客とか呼び込みをしてもらったら売り上げ最強だと思いますー!」

 

 お、なんだ、いっちょまえに頼るのか。その意気やよし。

 高校生が他校の文化祭を手伝うわけないだろアホか。そもそも来ない……寂しい……。

 

「だってさ。秋川できる?」

「無理」

「だよね。結局バイト先が一緒なだけだし。呼び込みの方法は後で考えるとして、具体的な驚かし方を先に考えよう」

 

 山田が引っ張らず話題を切り替えてくれて助かった。みんなが期待した眼差しでこっちを見ていたので。

 

「じゃあまずは──あれ?」

 

 後は寝るだけ、と瞼を閉じようとしたその瞬間に()()は起きた。

 

「チョークどこだろう……あぁ、あったあった」

 

 教室内の誰も気づいておらず、山田自身も一瞬すぎて何も違和感を抱いていないが、度重なるサンデーとのユナイトが影響で平時から動体視力が人間のそれを超越してしまっている俺には見えた。

 消えた。

 山田の手からチョークが消滅した。

 しっかりとその手に握っていた白いチョークが、まさしく瞬間移動してその場から消え失せたのだ。あまりにも一瞬の出来事すぎて、山田は最初から自分はチョークを手に取っていなかったのだと錯覚してしまった。

 

「……あれ? 何であたしの筆箱にチョークが……?」

 

 隣の席の女子である安心沢さんが小さく呟いた。横に目を向けてみると、彼女の筆記用具入れの中に、先ほど山田が握っていた短い白チョークがブチ込まれていた。

 明らかに覚えがない風の言い回しから、彼女が自分でそれを入れたわけではない事は確定的。

 てことは山田が持っていたチョークが彼女の筆箱の中に瞬間移動したという事だが──

 

「怪異の仕業」

 

 サンデーが耳元で囁いた。ですよね。ていうか耳元で小さい声出すのやめてゾクっとするので。ホッ♡少しばかりイグッ♡ テメェもイけよ!記念だぞ!

 辟易する。

 こんなところに現れる怪異もそうだが、何よりこういった超常現象染みた不可思議な状況を冷静に分析してしまっている自分がなんとなく嫌だ。

 

「耳、甘噛みしていい?」

 

 ダメに決まってんだろ帰ってからにしてね。

 

「はむっ」

 

 お前さ。

 美しく艶めかしい甘噛み……素敵ですよ♡ 下品なメス! 

 極論、高校に怪異が出現したこと自体は問題じゃない。

 奴らはこの世に存在する普遍の摂理であり、いつどこで現れようと不思議ではなく、以前の夏祭りの時のようなスーパー激強ド派手な広範囲攻撃持ち怪異は万分の一の例外であって、小物を別の場所に瞬間移動させる程度の怪異が出てこようがいくらでも対処できる。

 ただ、今回ばかりはタイミングが悪すぎるのだ。

 俺はムラムラでねむねむでイライラしており、サンデーも同様。

 概念の再構築による欲望の増幅とか、少し前に戦ったばかりだとか、何より自分達の精神が極限状態など悪い条件が重なり過ぎている。

 

 本格的に牙を剥く前に撃退したいところだが──

 

「うわっ!? ……な、なに? 制汗剤……?」

 

 今度は教壇に立っていた山田の前にスプレー缶が落ちてきた。恐らくクラス内の運動部の誰かのカバンから移動したのだろう。

 

「もうー、誰だよコレ投げたの? ふざけてる人は顔面白塗りの幽霊役やらせるよー」

「だ、誰も投げてなくね……?」

「急に上から出てきたような……え、なに、こわ……!」

 

 教室がざわつき始めた。流石に目に入る場所で異変が起きれば彼らも黙ってはいられないだろう。

 今のを見て思ったが割と危険な怪異かもしれない。

 規模自体は小さいが、転送される場所によっては普通に怪我をする。

 サンデー、相手の場所の目安はついてるか?

 

「気配や効果範囲からしてたぶん真上」

 

 この教室の真上……理科実験室か。それなら話が早い。さっさと赴いてぶっ飛ばそう。

 席を立つ。

 

「わっ。秋川、どうしたの……?」

「クソ腹痛いからトイレいってくる」

「そ、そう」

 

 教室を飛び出した。

 瞼を鉛のように重くする眠気、下半身を爆裂させてこようとする性欲、それら全てを無視して駆け出す。

 

「わー!? 今度はバケツが!」

「山っちそこ危ないよ! こっち逃げて!」

「わぷっ……え、何これ」

「ギャーッ!? あたしのブラ!!」

「オレもパンツ消えたァッ!」

 

 教室は阿鼻叫喚だ。早くしないと。

 

 

 

 

 怪異は退けた。俺に呪いを押印したカラスとは別個体の、よくわからんどこにでもいそうな黒い影っぽいやつだったが、レース場に連れ出したらビビって逃げたので大事には至らなかった。

 しかし一つだけ問題があった。

 奴の持つ転送能力だ。

 イタチの最後っ屁なのか単なる能力の暴発なのかは定かではないが、現実世界に戻った瞬間に俺自身が転送されてしまった。

 

「──わぶッ!!」

 

 叩かれたような衝撃の後、全身が温かい液体で包まれた。

 ザブン、と自分が落下したらしい水場の水面から顔を出してようやく状況を理解する。

 飛ばされた場所は浴場だ。かなり広い内装を見るに街中の温泉のどこかに突っ込んでしまった可能性が高い。

 

「……どこだろうな、ここ」

「ん、恐らくトレセン学園の大浴場」

 

 呟くと、ユナイトを解除して俺と同様に水浸しもといお湯浸しになったサンデーが風呂から這い出て説明してくれた。

 ここはトレセン学園。

 学園にある大浴場を使用できるのは生徒であるウマ娘のみ。

 つまり俺はオカルト的存在の仕業で不可抗力的に男子禁制の花園に足を踏み入れてしまったわけだが──

 

「……二十三時、ね」

 

 相変わらず特殊空間を経由すると時間が吹っ飛んでしまうようだ。怪異の対処に向かったのは午後の二時過ぎだったのに、もう九時間も経過している。

 女子たちがイチャイチャしている大浴場に突入してあわやラッキースケベ、とはいかないらしい。

 日付が変わる一時間前に共同の浴場を使用するウマ娘などいるはずがなく、偶然にも照明がついたままなだけで大浴場には人っ子一人いなかった。

 

「きゃー、何で秋川くんがここにー……とかもないのか」

「儚い夢」

 

 正直サンデーがトレセンの大浴場だと説明した瞬間は期待した。これから誰か顔見知りが湯浴みに訪れて、事情を察して他の人にバレないよう匿ってくれたりとか、そんなラブコメっぽい展開をそこはかとなく望んでいた。

 現実は残酷だ。ただただ苦労だけして、美味しい展開が一つもなくてとてもかなしい。

 風呂場に転送だぞ。この上なく非日常系ラッキースケベに繋がるシチュエーションだろ。教えはどうなってんだ。

 

「……サンデー、帰ろう」

「うん」

 

 ずぶ濡れのまま歩き始めた。

 この状態で発見された場合のリスクなどはもう頭の中からすっぽ抜けている。

 もう、ひたすらに疲れた。

 食欲も睡眠欲も性欲も限界すぎて逆にもう何もしたくない極限状態に陥っていることが分かる。

 

「……あれ」

 

 気がついた。

 いつの間にか床に突っ伏している。自分が。

 

「あー……」

 

 何だかもう、いい気がする。

 ぶっちゃけここでは誰に見つかってもゲームオーバーというか、奇跡的にやよいが通りがかりでもしない限り俺の人生は終了を迎える。女子校に廊下で倒れている水浸しの男子生徒が『いやコレは怪異っていうオバケのせいで』だとか意味不明なことを宣ったところで、精神的に問題があると断定されて終わりだ。

 だが、起き上がれない。

 やる気が起きない。

 終焉が間近に迫っても焦燥がやって来ない。

 

「どうしよう平八郎って感じだな……」

 

 瞼が自動的に降りていく。

 意識が消えゆく──

 

 

「あっ、ゴールドシップ! こちらですわっ!」

 

 

 

 

 

 

 えへへー♡ みんな大好き♡ 後で三人に告白しようと思う。サンデーはどう思う?

 

「……ん」

 

 どうやら少しだけ睡眠を取ることができたらしい。自分でも驚くほど現状の理解が早い。

 目が覚めた時はベッドの上。

 鼻腔を突く甘ったるい香り。

 俺は女子の部屋と思わしき場所のベッドの上に寝転がっていた。

 死ぬ気でサンデーが運んでくれたのか、それとも通報されて何やかんやあったのか、なんにせよ寒い廊下で放置されることは無かったようだ。

 

「……っ」

 

 目は開けたが体は起こさなかった。

 部屋の中に誰かいる。スマホを見てたおかげで偶然気がつかれなかったらしい。

 

「ん? ……気のせいか」

 

 起きたことはバレなかったようだ。今はもう少し様子を見たい。

 部屋にいたのは芦毛のウマ娘だったが、あの転びそうなところを助けた彼女ではなく、見覚えのない人物だった。

 

「あー、もしもし。んだよマックちゃんおせーぞ、補導でもされたか? ……え、いや確かに水浸しだったけど風邪ひいてるとは限らないんじゃ……あー分かったよお粥も買ってくればいいんじゃね。とにかく早く帰ってきてくれよな」

 

 かわいい♡ 電話を終えた芦毛のウマ娘は軽くため息をつき、俺の方へ歩み寄ってきた。

 

「こいつが秋川葉月、ねぇ……」

 

 割と遠慮なしに頬をペタペタと触ってきた。種付けされたいのか? そこら辺にしておけよセクハラ女がよ。愛すぞ。

 

「マックイーンもそうだし、ウオッカやライスもお熱になってるっつー男子……こんなヤツのどこが良いんだか」

 

 ほっぺつんつんすんな! もう猶予はあらず。

 

「…………おい、オメー起きてんだろ」

 

 何を言っているのか分からない。睡眠してる男の頬を無遠慮につつきやがってド変態野郎め。マリーゴールド。

 

「メジロドーベルだけじゃないぞ。スズカからもお前の話は聞いてる。いや、他の連中も結構話題に挙げてたな。何かちょっとこえーわお前。誰だよ」

 

 なぜ恐れる? なぜ脅威性を感じる? 状況判断が大切だと教えたはずだ。

 俺はメジロドーベル、サイレンススズカ、マンハッタンカフェの三人と友人関係にある男子というだけの存在です。怖がらないで抱きしめて。

 新しい出会いの予感。クソ淫売がよ!

 淫らな夢を見たいから退室してくれる? お前が世話してくれるというのなら話は別だがな。

 

「……狸寝入りを続けるようならオメーのこと職員にバラすぞ、不法侵入者男」

「こっちは人助けして疲労困憊の極限状態なんだよお姉ちゃん。ほっほっほ♡」

「えっ」

「寝かせてね」

「……」

 

 くそ……マジで決壊しそうだ……テメェのせいだぞこのマヌケ! デカ乳揺らしてセクシーだね♡ 寝るからちょっと黙ってろ。

 



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三人のせいでボクの愛情が空っぽに引き抜かれちゃったよ 責任取って

 

 

「ハヅキ……♡ ん、ぎゅー」

 

 フハハ甘えん坊さんめ。恥を知れ。

 ベッドの中で抱き合おうなど言語道断。おおっ…全身柔らか…っ♡ 全身がスレンダーで抱き心地抜群のため交尾以外の使い道皆無。

 

「耳の付け根が弱いよな。ほれ」

「んっ……ハヅキも耳が敏感なはず。ふにふに」

「おーこら、やめ♡」

「やめない♡」

 

 ────あ?

 

「正気か……?」

「……私もたぶん、いま戻った」

 

 なんだ今の。

 

「……怪異の力で転移させられたとき、ワープゲートに残ってた敵の残滓が私たちの身体に纏わりついたのかも。怪異は触るだけでも変な影響が出るから……発散した欲望が少し戻ってきちゃったのかな」

 

 解説ありがとう。教えてくれる度に思うけどキミ怪異のポケモン図鑑みたいだね。俺がトレセンとか秋川家の事情に詳しいようなもんか。

 

 ──さて。

 これまで蓄積されていた鬱憤を夢で発散し、サンデーの温もりを感じてホカホカしてきたところで、そろそろ現状の把握を始めよう。ここ最近延々とムラムラとねむねむでアホアホになっていたので、何となくでしか状況を掴めていない。順序立てて一つずつ振り返っていこう。

 

 まず、怪異とガチバトルした結果身体がボドボドになったサンデーが夢の境界で療養に入り、夏のイベントの際にそこから連れ戻した彼女は『パワーの応用が可能になった反動で基本の三大欲求が増幅しやすい体質』に変わっていた。

 すると当然、怪異と戦う際に彼女と一体化しなければならない俺もその影響を受ける事になる。

 そして、イベントの夜にクソ強怪異と交戦。

 ユナイトした影響で欲望が増幅したわけだが、俺の頭をおかしくさせていた原因は他にもあった。

 

≪ツッキー! 暇っ!?≫

≪一緒にお祭りを回らない?≫

≪今から会えますか≫

 

 ドーベル、サイレンス、マンハッタンによる三択だ。

 今回の夏はあり得ないほどあの三人とラブコメチックな出来事が発生しまくって、本当に自分がラブコメ物語の主人公なのではないかと錯覚してしまうほど濃い数週間だった。

 結局怪異と戦ったせいで彼女たちとの夏は泡沫に消えたわけだが、なんやかんやあって俺との繋がりを求めてくれるようになり、バイト先が一緒になったり高校まで迎えに来てくれるようになったりなど進展もあった──とはいえ。

 怪異とのレースの為にユナイトした俺は性の欲がダイマックスになり、サンデーの夢操作で欲望を発散しようと目論んだのも束の間。

 足に怪我を負って傷ついたドーベルをどうにかし、トレセンで何やら多くの女子に迫られ、高校にまで現れた怪異に対処して──立て続けに事件が舞い込んで俺は困憊とムラムラと睡眠欲で死ぬ直前まで追い詰められてしまっていた。

 

 で、現在に至るわけだ。

 怪異の力で男子禁制のトレセン寮内にある大浴場に吹っ飛ばされ、別にラッキースケベに遭遇するわけでもなく体力が限界を迎えてぶっ倒れた先で何者かに保護され、今こうしてベッドの上に鎮座している。

 溜まりに溜まった欲望は夢を見て解消した。

 とりあえず目下の問題はだいたい解決することが出来たため、残りはこの後の処遇と俺を保護してくれた人物の正体だが──ちょうど戻ってきたようだ。

 

「おっ、ようやく起きたな。朝メシ持ってきたぜ」

 

 現れたのは寝る直前に顔を見たあの芦毛のウマ娘──だったが。

 あり得ない。

 異次元の大きさだ。

 睡眠に入る前は尋常ではない疲弊っぷりだったせいか気がつかなかったようだが、そのウマ娘の胸部にはとんでもない大きさの乳がぶら下がっていた。

 

「……ふぅ」

 

 夢で発散していて助かったという他ない。この通常状態に戻っていなければすぐにでも飛びついていたところだろう。

 なるべく視線を下へ向けず、誠意を表すため目を見ながらの会話を心掛ける。紳士として、男として。ハピネス。

 

「あの……ありがとうございます、助かりました。……倒れてた俺を助けてくれた方、ですよね」

「見つけたのはマックイーンだけどな。あと敬語はいい」

 

 いいわけないだろ初対面だぞ。中央のウマ娘の距離感マジでどうなってんだ。まあ怖いので従うのだが。

 

「……ありがとう。えと、今の状況を教えてくれないか?」

「職員には言ってねーから安心しな。マックイーンのやつが『必ず何か深い理由があるはずですわッ!』て必死だったからよ。あいつには後でちゃんと礼を言っとけよな」

「は、はぁ……」

 

 マックイーンって確かあの華奢な体型の芦毛のウマ娘だったか。庇ってもらえる程親密になった覚えはないのだが──まぁいいか。

 

「ほれ、朝飯のホットドッグ」

 

 どう見ても海鮮丼。

 

「……ありがとう」

 

 本当に何となくだがこの少女相手にあれこれ指摘したら負けな気がする。

 

「食い終わったら乾かしといた制服に着替えて学園の外に出るぞ。ここじゃ落ち着いて話もできないからな」

「わ、わかった」

 

 プルンと揺れる乳に視線を奪われないよう急いで海鮮丼をかっ食らい、周囲を警戒しながら俺たちはトレセンを後にした。ていうか女子のジャージを着てたの俺。良い匂い。公然猥褻。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 彼女に案内されて付近の公園まで避難してきた。

 男子禁制の花園から連れ出してくれた少女の名はゴールドシップというらしい。

 結構なデカ乳ウマ娘だが俺は彼女を知らなかった。ここ最近のリサーチ能力の低さを今一度猛省するべきかもしれない。数ヶ月前はあんなにデカ乳ウマ娘追いに必死だったのに、怪異を言い訳にサボり過ぎていたようだ。

 

「怪異? あぁ、お前アイツらと戦ってんのか」

「えっ」

 

 そして女子校への不法侵入の言い訳にその怪異を使ってみたわけだが、意外にもゴールドシップは呆れたり驚いたりなどの分かりやすいリアクションは取らず平然としていた。好きなタイプでも聞いたら焦ってくれるかな。

 

「ゴールドシップさんは──」

「呼び捨てでいいって」

「……ゴールドシップは奴らの事を知ってるのか」

「視認できるわけじゃないけどな? 気配でなんとなく察知できるってだけだ。トレーニング中に水筒取られたりとかイタズラされてムカついたからワカメぶん回して追い払った事があるぜ」

 

 あいつらワカメで撃退できんのかよ。帰りに買っとこ。

 

「──はぇー……なるほどなぁ。まあお前の事情は大体把握できたわ。そういう事なら……余計にマックイーンと会わせるわけにはいかなくなってきたな」

 

 危険過ぎるからね。しょうがないね。

 というか、そもそも俺と個人的な付き合いがあるウマ娘はドーベルたち三人だけだ。マックイーンという少女とは顔見知りであって友人ではない。会う予定はおろか連絡先すらも知らないのでドーベルを経由しないと俺たちはほぼ他人同士なのだ。

 だからこそトレセンに転移してきた際に彼女が庇ってくれた事実が不思議でならないのだが──

 

「秋川葉月、スマホを出せ」

 

 言われた通りに差し出すとパパッと連絡用アプリの友達登録を済ませてくれた。

 

「ほれ、困った時は連絡しろよ。マックイーンに危害が及びそうな場合のみ手を貸してやるから」

「どうも……」

 

 他の時は助けてくれないのだろうか。

 

「マックちゃんが関係ない場合は……まぁ宝くじの一等くらいの確率で助けるわ」

「限りなくゼロに近い」

「可能性があるだけマシだろ」

「……そっすね」

 

 助けてもらった立場であるため抗議は不可能。とはいえ怪異の対処は極力俺とサンデーの二人だけで行うものなので、食い下がってお願いするほどでもない。

 

「ところでお前、トレセンでの知り合いって誰がいるんだ?」

「知り合い……マックイーンさん以外だとドーベルとサイレンスとマンハッタンさん、あとウオッカちゃんにライスシャワーさん……かな」

 

 あぁ、あとアストンマーチャン。なんか人形くれた子。

 

「えぇ……婚活どころの騒ぎじゃねえぞ。ハーレム志望か? トレセンでギャルゲーでもやるつもりかよ」

 

 んなつもりは微塵も無く。確かに彼女たちの誰かと恋人になったり、全てが上手くいってハーレム状態になったとしたら最高に気持ちいいとは思うが、本気でそれを求めているほど身の程知らずではない。

 彼女たちはエリート街道をまっしぐらに突き進むスーパースターで、俺は普通の男子高校生──その大きな違いを誰よりも痛感しているのはこの俺なのだ。

 世の男子なら誰もが考える『運命的な出会いによる中央のウマ娘とのワンチャン』というものがどれほど天文学的な数字の上でしか成り立たない奇跡中の奇跡であるのかは心の底から理解している。

 故に、結局ハーレムなんぞあり得ないという話なのだ。ゴールドシップさんは安心して下さい。

 

「んじゃな」

「あぁ、ありがとう。ゴールドシップ」

「帰りは後ろに気ぃつけろよ〜」

 

 怖いことを言われつつも意外にあっさりと解放され、中央トレセン転移事件は幕を閉じた。普通に人生最大の危機だったような気もするが、ゴールドシップという事情を察してくれる相手を引き寄せるなどのスーパー運命力のおかげで何とかなって本当によかった。

 転移で高校から消えた件に関しては怪異について察してくれた山田が周囲に上手いこと説明してくれたらしく、早退扱いになっていたので大事には至らなかったので安心だ。あいつには感謝してもし足りない。

 怪異の起こした超常現象が解明されることはなかったものの、道具が転移しまくる様を撮影して激バズリした影響でクラスメイト達はむしろテンションが上がっており、俺が想像していたような悪い結果にはならなかったようだ。

 

 何はともあれ、結果としては最近ずっと抱えていた欲望を発散することが出来てひとまず落ち着いた。

 呪いや怪異の事を考え続けると気疲れするし、現実逃避するわけではないが今はなるべく目先の楽しい事だけ考えて行動しよう。とりあえずは文化祭だ。

 

 

 

 

 トレセンに転移した日のアレの影響で突然サンデーに抱き着きたくなる癖がついてしまい、それに耐えながら数週間が経過して。

 ついに文化祭の当日を迎えた。

 去年と同様の、ごくごく一般的な高校の文化祭になるため、変に気合いが入りすぎる事もなく平和にイベントを楽しむ──はずだったのだが。

 

「みみみみんなマジヤバい校庭見て校庭っ!! なんか中央のウマ娘がめっちゃ来てんだけどッ!?」

「え、待ってあれメジロマックイーンじゃね……? やばい心臓が破裂しそう……っ」

「去年は来てなかったよね? ウチの文化祭に中央の子が来るくらいのビッグイベントなんて無いし……」

 

 見事に中央のウマ娘たちばかりがやって来て──それだけではなく彼女たちが友人を呼ぶことで更に人数が増え『中央トレセンのウマ娘が集まるイベントがやっている』といった噂が各所に広まった結果、普通の高校の文化祭ではあり得ない程の集客が発生してしまっていた。

 何が起こっているのか分からない。

 バイト先のあの三人には、文化祭の準備が忙しいといった愚痴を少しばかり零していたが、当日に来てもらうよう頼んだ覚えは一度もない。

 中央のウマ娘は多忙の身なのだ。直近にレースを控えている少女たちばかりだろうし誘っても無駄だろうから最初から言わなかった。なのにこの集まり様は異常事態すぎて本当に意味が分からない。

 怪異の心配をしてマンハッタンが一瞬だけ様子を見に来てくれるくらいは、まぁ一万分の一くらいの確率でありえるかもしれないと考えていたが、まさかこんなことになるなんて。

 学校が特大のサプライズイベントでも発表したのだろうか。

 

「さ、サンデー……」

「別に怪異の気配は無い。たぶんみんな本当にただ遊びに来ているだけ」

 

 んなわけあるかい。どこにでもある高校の文化祭だぞ。

 

「ハヅキに会いたかったんでしょ。知らないけど」

 

 マジで。俺そんなハーレム主人公みたいなムーブかましたっけ。やったか。夏のイベントの時に二桁くらいの人数のウマ娘を助けたんだったな。顔はうろ覚えでも名前が多少噂になっているとこの前ゴールドシップが独り言で呟いていた。ならばしょうがない。どうやら俺は無敵のスーパー主人公だった──だなんて開き直れるはずもない。

 目的は絶対に俺じゃない。 

 そんな自己肯定感が最強ならこんな人間にはなってないしもっと全力で陽キャを楽しめているはずだ。

 

「あっ、秋川さんっ!」

 

 廊下の奥から声が聞こえた。

 そこにいたのは芦毛かつサイレンスを彷彿とさせるアスリート体型のウマ娘──メジロマックイーンだった。制服姿なのを見るにトレーニング帰りについでで寄ったのかもしれない。

 

「げっ」

 

 その後方から目力だけで人を殺せそうな睨みを利かせるゴールドシップが見えた。このままだと殺されるかもしれない。

 

「秋川お前……メジロマックイーンとも知り合いなのか……?」

「どうなってんだ! 説明しろカス!」

 

 クラスメイトにも殺されるかもしれない。段々と居場所が無くなってきたぜ。テンション上がってきたな。

 

「ご……ご機嫌ようっ! えぇと、お化け屋敷を出店されていると聞きましたので、遊びに参りました! うう受付はこちらかしらっ!?」

「あ、あぁ」

「……おいマックちゃんよ、アタシのこと引きずってまで来たんならもう少しちゃんと話したらどうなんだ。コイツの事す──」

「さぁゴールドシップ! 参りますわよッ!!」

「痛ででっ!!」

 

 文字通り引きずられながらゴールドシップはメジロマックイーンと共にウチの教室の中へ入っていった。そしていつの間にかスマホに『後で話がある』と彼女からメッセージが届いている。今日が俺の命日である可能性が高い。

 というか、メジロマックイーンという少女はもしや俺のことが好きなのだろうか。あの焦り具合は中学時代に好きだった女の子の前で頑張っていたあの頃の俺にそっくりだ。

 今一度自分のカスみたいな自己肯定感を見直すべきなのか?

 もしかして俺って実はモテる男だったりする? 最強じゃん! 来週からは百人ぐらい女子を侍らせながら登校しよっかな~。

 中学時代を想起したらフラれた思い出まで蘇って辛くなってきた。考えるのやめよう。

 

「あ、いた! ウオッカ、こっちの教室よ!」

 

 ダイワスカーレット!!!!??!?!???!!??!?!?!!!!!!!!!!!!!!!???!??! 緊張感をもって注視していく。

 俺はモテるという現実逃避と思考の放棄を並列稼働させていたら、途端にヤバいのが来た。うおっ下品なお乳が揺れすぎです♡ ふざけるのも大概にしておけよ。

 

「わっ、分かってるって……! ──あ、えと、お久しぶりっす。秋川先輩……」

 

 ウオッカちゃんも来ていたのか。先輩呼びをされるのは初めてで最高に興奮するのでどんどん使ってね。

 

「もうっ、ウオッカったら照れすぎ」

「う、うるせー!」

「あの、アタシたちもお化け屋敷に入ってもいいですか?」

「それはもちろん。暗いから足元には気をつけてね」

「──っ! ……は、はい」

「スカーレット……? お前も照れてんじゃねえのか」

「うううっさいわねッ!? ほら早く行くわよッ!」

 

 今は人前かつ平常なので揺れる乳を注視することなくあくまで余裕のある年上のお兄さんとして振舞うと案外うまくいった。てかあの違法建築ウマ娘のことなんて呼べばいいんだろうか。馴れ馴れしく思われない風にいくならダイワさんかな。

 ハーレムはあり得ない可能性の未来として俯瞰できたが、ここでおっぱいダイワスカーレットとの縁を明確に作れる可能性があるのであれば話は別だ。夢にまで見た規格外デカ乳ウマ娘との交流を叶えられるかもしれない。モチベーションが半端ない。

 

「マーちゃんも入っていいですかね」

「えっ? あ、あぁ……どうぞ」

 

 人形くれたおっぱいウマ娘も入っていった。乳が下品だなぁ調子に乗んなよ。招き猫。

 校庭で見つけたウマ娘たちはほんの一部で、もしやもっと多くのウマ娘がこの文化祭に来ているのだろうか。この上なく大繁盛だ。

 この様子だと文化祭が終わったあと余った売上金で焼き肉に行こうというクラスメイト達の目標が、割と余裕で達成できるかもしれない。もし本当に俺に挨拶がしたくて来たウマ娘がいるなら招き猫ならぬ招き葉月を名乗ろうかな。にゃん。

 

「ライスさん。先ほど入手したチラシによれば二年四組の教室──秋川葉月さんの現在地はこちらです。階段を上がる必要は無いかと」

「えっ!? あ、あの、まってブルボンさん……! その、ライスが行ったら迷惑をかけちゃうかも……」

「そんな事はありません。さあ行きましょう」

「ひゃわわわ……っ!」

 

 あれ『おはし』って知らないの? 押さない話さない喋らない。交尾待ちウマ娘さんには分からせねばだな。丁寧に丁寧を重ねた丁寧なお化け屋敷をな。

 おめめグルグルのおむライスや初めて見るおっぱいウマ娘もやって来て、軽く挨拶をして彼女らも入っていった。

 どんどん訪れる。

 なんならウマ娘だけでなく、彼女たちを一目見ておきたいお客さんや生徒までやってきた結果、下の階まで待機列が伸びてしまった。想定以上の集客でクラスのみんなは大慌てだ。

 

「山田。みんな大丈夫か?」

「テンパってるけど意外と平気みたい。受け付けは僕だけで大丈夫だから、秋川はビラ配りしてきてよ。稼ぎ時だぞ~」

「本当にひとりで回せるか……? 俺も──」

「ウザいウザい大丈夫だってば。中央のウマ娘さんたちに話しかけられまくって廊下をギュウギュウにしてる君はむしろ一旦離れた方がいいよ。早くどっか行ってクソハーレム主人公くん」

 

 え~♡ しょうがないなぁ。他ならぬ親友の頼みだからね♡ マナーが人を作る。

 忙しすぎて普段より口が悪くなってきた山田に後押しされて、俺は一旦教室を離れることになった。

 

「スゲェなこの数……」

 

 いつの間にか外まで待機列が出来てる。一応最後尾用の看板を持ってきておいてよかった。

 集客の主な理由は間違いなく中央のウマ娘がいるからだろう。来てくれた彼女たちには感謝してもし足りない。

 いや、そもそも元を辿れば、中央の彼女らと繋がりを持つことが出来たのはあの三人のおかげ──

 

 

「…………あれ?」

 

 

 ──そういえば、どこにもいない。

 最も繋がりが深いウマ娘であるあの三人が中々見当たらない。

 ビラを配りながら校舎をぐるっと一回りしてみたものの、やはりどこにもいない。

 ドーベルと、サイレンスと、マンハッタンの姿が無い。

 もしや来ていないのだろうか。確かに忙しい身ではあるのだろうが、こんなにも中央の生徒たちがここへ集まれているのであれば、トレセン側で何かイベントが発生しているとは考えにくい。

 もちろん暇だとは思わないが。三人ともフィギュア化された超大人気のスーパースターだ。予定が合わない事もあるだろう。

 しかし、メッセージすらも送られてきていない。

 中でもサイレンスはマメに連絡してくれるタイプのはずだが、二日前から何も──

 

「……考え過ぎか」

 

 ビラを配り終わり、自販機で買った紙パックのいちごオレを片手に、校舎裏の人が少ない場所に謎設置してあるベンチに座り込んだ。

 一連の流れで自己肯定感が上がりかけたが、冷静に考えれば期待しすぎる方がおかしいのだ。思い上がりすぎです。

 クソ忙しいはずの彼女たちとの繋がりを当たり前だと思ってはいけない。

 夏のイベントの後、怪異の幻覚の件で強く繋がりを求めてくれたのは確かだが、何を差し置いても俺を優先してくれるという話ではないのだ。

 友達を助けたいという思いが強い、とても優しい少女たち。

 ただそれだけの話だ。俺たちは気の置けない友人であって恋人ではない。俺が主人公で、彼女たち三人はまだルートを選択していないヒロインたち──だなんて考えはあくまで俺の中でのみ存在するただの妄想に過ぎないのだ。

 

「…………大丈夫だよな」

 

 怪異の事が脳裏に過る。

 もう守られるだけの存在にはならない、とマンハッタンは言ってくれた。

 もしかしたら彼女たちが戦ってくれているのかもしれない。

 傷ついてほしくはないが、心のどこかで『そうあってほしい』と考えてしまっているのも確かだ。

 怪異も関係なく、ただここへ来ないという選択肢を取った──もしそうなら、きっと俺は。

 

「いや、待て。キモいな俺……」

 

 流石に少しばかりキモいが過ぎる。偶然仲良くなれただけなのに、俺をまるで友達以上の存在であるかのように思ってくれると考えるなんてキモすぎだろう。

 こういう振る舞いをして嫌われる前に、今度彼女たちと相対した場合にちゃんと距離感を保って接するよう今のうちにシミュレートを──

 

 

「わわッ!?」

「きゃあっ!」

「ひゃぅっ……!」

 

 

 そう考えてベンチから立ち上がって歩き始めた──その瞬間だった。

 突如俺の真上の空間が歪曲し、そこからドーベル・サイレンス・マンハッタンの順で彼女たちが落下してきた。

 そこで、サンデーとのユナイトで上昇した反射神経を用いて、格好よく受け止める事こそできなかったが何とかギリギリ下敷きになることで彼女たちのクッションとしての役割は果たすことができた。

 思考云々の前に肉体が勝手に動いた。

 時空間を飛び越えてやってきた彼女たちに押し潰されながら、そこでようやくドーベルたちが『怪異と戦って特殊フィールドの中から脱出した』のだと察した。

 

「いたた……。──えっ、あっ、ツッキー!?」

「ご、ごめんなさい……ありがとう葉月くん、重くない?」

「私たちが落ちる場所で待っていてくれたのですね……助かりました」

 

 ここにきて運命力がまた力を発揮してくれたようで、俺は彼女たちが戦っている事を察して出口であろう場所で待っていた男になることができたらしい。

 少し体勢を立て直して、ようやく彼女たちの顔を拝むことが出来た。近くで見ると絶世の美女だな……。

 突然の出来事で動けない俺と、戦いの後ということで疲弊して気が抜けている三人。

 右にサイレンス、左にマンハッタンで真ん中にドーベルときてこの状況、お互い制服だしアレなところを鷲掴みするとかそういうわけではないが広義の意味ではラッキースケベだ。

 ただトレセンの大浴場に転移させられるだけでは何も起きなかったが、彼女たちと関わると途端に俺の日常が慌ただしいイベントに早変わりしてしまうようだ。こんなにも幸福なことは無い。

 

「……ごめんな、三人とも」

 

 ついに俺抜きで怪異と戦ってくれた。

 先ほどまで考えていた邪な感情が吹き飛び、少し破けた袖や汗で滲んだ首元に、汚れた脚を見てただただ申し訳ない気持ちと──感謝があった。

 

「ありがとう。ベル、サイレンス、マンハッタンさん……本当にありがとう」

 

 そのまま自然と身体が動き、俺は自分の腕を目一杯に使って彼女たち三人を抱きしめた。舌出せよオラ早く。

 

「わわっ、ツッキー……!?」

「ど、どうしたのかしら……」

「葉月さん、私たちがいない間に何かあったのですか? 一体……」

 

 なんだかんだ言いながら手が自然と俺を抱き返しているよ♪ 下品に下品を重ねたような女たちだな。

 もちろん少女たちに対する性欲云々もゼロではないのだろうが、それよりも何よりも俺は自分が彼女たちの事を()()であるという事実を再認識した。もしかしてコレが恋……? なかよしなつがいになる第一歩だね♡ 相変わらずえっちな体つきだなぁ見下げ果てたよ。フィヨルドの恋人。

 ──本当に安心した。

 連絡が無かったのは特殊フィールド特有の消し飛ぶ時間の中にいたからだと分かってよかったが、怪異となんてもう二度と戦わないでほしい。俺がアイツらを殲滅するので休んでくれ。あらゆる選択肢を排除せずにしっかりと奉仕して参りますよ。

 

「──ぁ、秋川……?」

 

 校舎裏で三人を抱擁して密着している様を山田に発見されたが自分でも驚くほど焦燥感がやってこない。おねーちゃんたちとはつがいだから密着しないと♪ それが真理。刻み込め。

 

「きゅう──」

 

 あまりにも衝撃的な場面だったのか、山田はバタンと気絶した。その間も四人の中に淫臭籠もる。

 

「や、山田さん!? ちょ、葉月くん! 山田さんが倒れ……!」

「あわわどうしようどうしよう」

「お二人とも落ち着いてください。とりあえず一度保健室に運びましょう。……保健室の場所、わからない……」

 

 まぁそう焦るなよ。武勲を急く武士に実りは少ないと言うよ。三人が慌てふためく中、山田を保健室へ一瞬で連れ込みベッドで寝かせ、ついでに救急箱を持ち出して俺は彼女たちと共に人がいない屋上へと移動した。人の心配をする前に自分がどこを怪我したのか葉月先生に教えてください♡ 

 

「ツッキーに見せるの、ちょっと恥ずかしいけど……えと、脇腹に障害物が掠っちゃって。ほら、これ……」

 

 おい少しは躊躇しろッ! 見境のない女だ。

 

 



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占いはよーくみて刻み込んでね

 

 

 

 ある日の夜、風呂上がりの俺とサンデーはジャージ姿でボストンバッグに荷物を詰めていた。

 

「あれ、携帯用の歯ブラシどこにやったかな……」

「この前買った新品のやつなら洗面台の下の棚」

「うーんと……無いんだが」

「綿棒の奥」

「……おっ、あったあった。サンキュ」

 

 見つけた新品の歯ブラシをケースごとバッグにぶち込み、閉めるのが難しくなったパンパンのチャックを気合いで何とか閉め切って準備を終えた。後は寝るだけだ。

 

「ん、ハヅキは荷物が多すぎる」

 

 座布団で胡坐をかいて一息つくと、文句を言いながらサンデーが後ろ向きで俺の胸に倒れ込んできた。マンハッタンと似ている彼女の、分かりやすくあの少女と異なる部分である紅い瞳と同様に、艶やかな漆黒とは異なる淡い白髪から、ふわりと香った甘い匂いが鼻腔をくすぐる。これはマンハッタンが彼女のために持ってきてくれたシャンプーの香りだ。これは子供できたな……。

 

「悪かったって。もしもの時に備えとかないと落ち着かないんだよ」

「心配性すぎ」

「クラスに一人くらいは俺みたいなのがいた方が意外と助かるんだぞ?」

「ふぅん……」

 

 言いながら頭を撫でるとサンデーは目を閉じて静かになった。チョロすぎて怒りを覚えてきた。子供の名前を考えておけ。

 なんかいつの間にかサンデーの距離感が更に近くなっているような気がするのだが、こっちは普通にバチクソ緊張してるし女の子の扱いに慣れたわけでもない。

 まぁ確かに一緒に暮らしている以上互いにいろいろと遠慮が無くなってくるのはしょうがない事だと思うが、それでも一応お互いを好き合って同棲しているわけでもなければ恋人でもなく、呪いを押印された俺が怪異を引き付けて対処することでマンハッタンを守る──そういう利害の一致があったが故にやむなしでこうなっているだけなのだから、もうちょっとこう遠慮をだね。

 

「楽しみ? 修学旅行」

「──まぁ、割と」

 

 うるち米。

 激近距離感できっとおそらく俺をからかっているであろうサンデーにムカついて、反撃するべく横に寝転がって後ろからほっぺを揉み揉みしていると、間近に迫ったイベントについてのコメントを求められたため、ついポロっと本音が漏れ出た。

 

 

 ──文化祭は大成功だった。

 提供商品の数が限られている飲食店と違い、気合いと根性さえあれば無限に続けられるお化け屋敷という形態が功を奏したらしく、ウマ娘たちの宣伝効果で爆発的な集客率を叩き出した俺たちのクラスの売り上げは当然の如く校内で一位だった。

 そして担任に隠れてこっそり売上額を計算したところ──普通にちょっと引いた。中央ウマ娘の集客能力が流石に段違いすぎて、普通の高校の文化祭における一クラスの売上額ではなかったのだ。

 そんなこんなで打ち上げも余裕で成功し、還元される分のお金でクラスの備品が新しくなったり部活連中用の洗濯機が購入されたりなど、高校に著しく貢献した俺たち二年四組の絆はより深いものになっていった。

 中央のウマ娘云々で俺に恨めしい視線を送っていたクラスメイトも、終わってみれば『サンキュー秋川愛してる!』といった風に和解できたため、文字通り万事解決の大団円だ。

 

 そして文化祭が終わった後の二年生のイベントといえば修学旅行。

 明日からそれがようやく始まる──なのでこうして大急ぎで荷物を準備していた、というわけだ。

 

「で、お前はどうすんだ?」

 

 部屋に布団を敷きながらそう聞くと、先に敷いた布団の上で女の子座りして呆けているサンデーが首を傾げた。油断しすぎじゃない? どうやら種付けをされたいらしい。

 

「どうするって、なに」

「いやほら……俺がいない間、やっぱりサンデーはマンハッタンさんのとこに帰るのかなと」

 

 あの三人で戦えるようになったとはいえ、サンデーもそこにいた方が心強い事には変わりない。

 それに俺と一緒に出掛けたら一時的にマンハッタンと遠く離れることになる。基本の行動目的がマンハッタンを守ることである彼女はこのまま残る方が自然だ。

 

「ついてく」

 

 あら。もしかして俺のこと好きになった? イクぞ!イクぞ!我が物とするぞ!

 

「ウマ娘三人で怪異に対処できるあの子たちより、私無しで一人になるハヅキの方が危険なのは自明の理」

「それは……まぁ、確かに」

 

 否定できなかった。度重なるユナイトで素の身体能力が多少向上しているとはいえ、トップアスリートである彼女たちと違って俺が一般人であることに変わりはない。

 

「でもいいのか?」

「カフェはもう一人じゃない。……それに、ハヅキも少しは自分が楽しむことを考えた方がいい。せっかくの修学旅行なんだし」

 

 慈愛の権化。こんな優しい少女に支えてもらえるなんて感慨深いぜ。無様にイけ。

 

「サンデー…………」

「なに、近づかないで」

「いつも優しいきみにお礼がしたい。耳かきなんてどうかしら」

「え。──わひゃっ」

「ほれ膝枕するから大人しくしろ」

「あぅ……」

 

 そんなこんなで彼女を労わりつつ夜も更け、ついに修学旅行の当日を迎えた。

 

 

 

 

 

「秋川ポッキーいる?」

「さんきゅ」

 

 新幹線内にて。

 あの時気絶した山田はショックがデカすぎてその時の事を忘れてしまったらしく、俺たちは変わらない距離感で接している。冷静にあの場面を見られてはいけない相手ナンバーワンだったので、これからは気をつけないと。

 

「京都に着いたらどうしようね。観光名所はあらかた調べたけど」

「自由時間めっちゃ長いし適当にのんびり回ろうぜ」

「おーい、男子たちもババ抜きやろ」

 

 クラスメイトたちとダラダラ移動時間を過ごす──何でもないこの時間がとても楽しい。これぞ修学旅行の醍醐味だ。楽しい時間というのはあっという間に過ぎるもので、気がつけば目的の駅に到着していた。

 改めて自由時間になり、まずは適当に神社でも回ろうという話になった。

 これを機に仲を深めたい男女や、それを応援する生徒、バカ騒ぎする男子や計画通りに進む女子などそれぞれ散り散りになっていき──いつの間にか山田と二人きりになっていた。これじゃいつもとあんまり変わらん。

 

「ねぇねぇ秋川、あそこのテントで占いやってるみたいだよ。やってこ」

 

 占いにはさほど興味はないのだが、断る理由もないため中へ入った。

 待っていたのは丸い水晶で怪しげな雰囲気を醸し出している人と、壁に突っ立ってるのがもう一人。二人ともローブで姿を隠しているため外見の情報が一切なく、あまりにも胡散臭いがこういうのを楽しむのも旅行ならではかもしれない。

 というわけで席に座ると、占いの料金が無料である事を知った。なんで店を出しているのだろうか。

 

「ん゛~、むむむ……これはこれは」

 

 フードで顔を隠しているが、耳が上に飛び出ているところを見るに彼女はウマ娘だ。

 横を見ると出張営業と書かれた木の板がぶら下がっている。どうやら普段は別の場所で占いをしているらしい。

 

「ふおっ、三通りの未来が視えます……どれを選んでも苦悩が伴うかと……」

「は、はぁ」

「救いはないのですかぁ……?」

 

 横のローブの人から可愛い声が聞こえてきた。てかこいつも耳が見えるからウマ娘だな。何なんだこの店。

 

「あの、三通りの未来って具体的にはどんな?」

「全て超常現象に巻き込まれてしまうようです……一つ目は身体が小さくなり、何故か大阪に強制移動したあとに小柄な芦毛のウマ娘に拾われる可能性が高い……」

 

 具体的すぎて怖くなってきた。もう聞くのやめよう。

 

「残りはいいです」

「えっ。ふ、二つ目は私と……その、ゴニョゴニョ……する未来が視えるのですが……」

「なんて?」

 

 俺が難聴なのではなく聞こえない声量で喋られたがもういい。ダラダラのんびり回るとはいえ、こんな場所に時間をかけている場合ではないのだ。早くアクメしろべらぼうめ!

 

「山田も占ってもらえよ。俺は外で待ってっから」

「ああぁあのあのお待ちくださいっ! 回避手段だけでもお教えしたいのですぅッ!」

「は、はぁ……」

 

 無料なのにこんなに必死でやる意味もよく分からんが一応最後まで聞いておこう。

 

「えぇっとですね、この付近で中央の生徒が撮影会をしているので、一応寄ってみてください。あなたを助ける存在がそこにいるはずです……!」

 

 中央の生徒──まさか中央トレセンのウマ娘の事だろうか。聞いた瞬間山田が驚きでひっくり返っている。かわいい。

 一口に中央の生徒と言っても、俺が名前を知っていてかつ撮影会が開催される程の有名ウマ娘はそう多くない。予言にあった“超常現象”という部分を仮に怪異だとすると、放っておくことも出来ない。

 どちらにせよ行くしかなさそうだ。それに中央の生徒を一目見れるなら山田も嬉しいだろう。

 てなわけで占い屋を後にした俺たちは、SNSの情報を基に撮影現場を探し回り──ようやくそれを見つけた。

 

「むぉっ!? ダーヤマさんではないですか! 奇遇ですねッ!」

「えっ、あっ、デジたんさん……っ!?」

 

 そこには複数のウマ娘と──以前俺が怪異を退けようとした際に、ファンの仲間と遠征に向かっていたらしい山田と同じ車の中にいた、デカいリボンを頭に付けたスレンダーなウマ娘の姿があった。

 そして最も気になったのは、彼女を目の当たりにした瞬間に山田が興奮したファンの顔ではなく、露骨に赤面して緊張した面持ちに変わった事実であった。こいつ絶対にあのデジたんさんとやらの事が好きだな、と一瞬で察することができてしまった。

 まさかとは思うが、あの少女が俺を助けてくれる存在なのだろうか。

 

「あれっ、葉月さん……?」

 

 それからマンハッタンもいた♡ とりあえず一緒に路地裏まで来てベロチューするので。油断していたなマヌケが。

 

 




【ちょっとだけ登場人物まとめ】


メジロドーベル:一人目。いろいろあって恋に恋する状態に最近変化が訪れた。弱点は壁ドン。

サイレンススズカ:二人目。バイト中にこっそり手を握ろうとして毎回失敗してる。弱点は壁ドン。

マンハッタンカフェ:三人目。新しく買ったコーヒーメーカーをとある住所に送り付ける予定。弱点は壁ドン。


ウオッカ:バイクの後ろに乗せてとお願いする練習をしている。

ライスシャワー:福引で当たったテーマパークのペアチケットを眺めて一人でう~う~言ってる。

メジロマックイーン:同上。

アストンマーチャン:新しい人形を作った。今度また会ったら渡す。

ゴールドシップ:最近ドロップキックの練習が捗ってきた。本番のタイミングを見計らっている。

デジたんさん:同志の隣の男子、どこかで見た事があるような……。

秋川やよい:いとこ。以前ペアマグカップを買ったのでそろそろ持っていく。来週には合鍵も貰うためここ数日間ずっとテンションが高い。

駿川たづな:高校生男子の心理に関する本を買った。あと忙しくなってきたのでとある人物に連絡を入れた。

ホッコータルマエ:ダート適性のウマ娘。数ヵ月前なぜか芝で走り、サイレンススズカに敗れた。

まだ見ぬ強敵たち:一応縁はできてる。


 -


山田:デブ。親友が有名になってきてちょっと鼻が高い。なんか忘れてる気がする。

樫本先輩:未登場。とある人に呼ばれたためそろそろ中央に戻る予定。

お友だち(サンデー):サイドキック。

秋川葉月:主人公。壁ドンするやつは常識的にあり得ないと思っているので二度とやらない。



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見上げやがって アグネスデジタルの分際でよ

 

 

 

「なぁ、ダーヤマってあだ名なのか?」

 

 現在俺たちは京都にあるレース場の付近で撮影会をしているウマ娘たちを眺めながら、ベンチに座ってお豆腐ソフトに舌鼓を打っている。お゛っ♡ うま。

 普段は訪れない土地で行われる特別な撮影会を生で見学する──こういう修学旅行もまぁ悪くない。

 ちなみに山田はもう三つ目を完食しそうな勢いだ。緊張しすぎて食べる速度が明らかにバグってしまっているらしい。

 

「えぇと……SNS上での名前だよ。デジたんさんもそう」

「本名は?」

「一応お互いに知っちゃってる。何せ向こうは撮影会のスケジュールが組まれる程の有名なウマ娘だし、中央の生徒だし……僕のダーヤマも普通に山田ってわかるもん」

 

 聞きながらスマホで試しに“デジたん”検索をするとヒットした。

 どうやらあの少女の名はアグネスデジタルと言うらしい。

 確かに優秀な成績を残しているウマ娘だが、なぜ山田はそんな相手と繋がりを持っているのだろうか。

 

「一年前だったかな……以前からネット上では知り合いだったんだけど、オフ会をやる事になって──そこで正体を知ったんだ」

 

 お、自然と口角が吊り上がってる。好きな子の話をすると楽しくなってしまうのだな。変態め。

 

「ふおおおおぉぉッ!! お二人とも素晴らしいですッ! ありがとうございますありがとうございますぅぅぅぅッ!!」

「ほらカフェ、もっと寄りたまえよ~」

「冗談はやめてください……」

 

 アグネスデジタルの正体は優秀な中央のウマ娘……のはずだが、彼女は現在写真を撮られているのではなく自分がカメラを持って他のウマ娘を撮影してしまっている。あいつカメラマン側なのだろうか。

 

「スゲェなあの子」

「ふふ……デジたんさんのウマ娘愛には敵わないよ。中央の生徒を間近で観察するために入学までしちゃうんだから」

 

 それはもうオタクというより変態と呼んだ方がいい気がするのだがここは黙っておこう。親友の想い人に文句を言う男にはなりたくない。

 そのまま二人の馴れ初めを聞きながら時間を潰していると、いつの間にか陽が落ち始めていた。そろそろ一旦ホテルに戻らなければならない。

 

「ほら山田。撮影もひと段落済んだみたいだし、あのファンサに紛れて少し話してこいよ。俺はここで待ってっから」

「えっ? ……う、うん!」

 

 通行人に握手を求められているアグネスデジタルのもとへ駆け寄っていく山田を見送り、スマホで帰りのバスを検索した。目的のホテルに戻るのであればあと十分ほどだ。二人が軽く話すには丁度いい時間だろう。

 

「──やぁやぁキミが秋川葉月君だねぇ!? ちょっとカフェの事で色々と質問したいことがあるのだが!」

「うおっ」

 

 なんか来た。ふわふわな栗毛のショートヘアが特徴的な白衣のウマ娘だ。どっかで見た事がある。

 ……ドーベルより少し大きいくらいだろうか。生意気な女だ。

 

「むっ? キミはカフェのような体型の女性が好みだと予想していたのだが……ふぅむ、判断材料が不足しているな」

「あ、いやっ、あの……」

「ふふふ、実のところはどうなのかな。私の胸部を凝視してどういった感想を抱いたのか言ってみてくれたまえよ。……なに、カフェには言わないさ。こう見えても口は堅いほうでね。プライバシーの漏洩に繋がるような発言は慎むとも」

 

 物凄く一方的に喋られている。もちろん無意識に乳をガン見してしまった俺が十割悪いのは当然だが、せめて自己紹介くらいはしてくれないとこちらも自然と身構えてしまうというものだ。

 マンハッタンと同じくらいの年齢に見えるし敬語は不要だろうか。

 

「あの、変なとこ見てゴメン。……きみは?」

「おっと名乗るのが遅れたね、コレは失敬。──私はアグネスタキオン。今はカフェのサポーターとでも思ってくれればいい」

 

 マンハッタンカフェのサポーター……あぁ、俺がカラスにチケットを奪われた時、そういえばマンハッタンの近くで慌ててたウマ娘がいたな。あの少女だったか。

 

「で、どうなのかな。私の胸を見た感想は」

「いや本当にごめんそういうつもりじゃなかったんだ、マジでごめんなさい……っ!」

「おいおい、落ち着きたまえ、別に謝ってほしいわけではないのだよ。ただ君の意見が欲しくて……あ、なんならもう一度見てみてはどうかな? 新鮮かつ正確な答えが欲しいところなんだ」

「うわっ、ちょ、ちょっと待って……!」

 

 服の上からとはいえおっぱいを見ていいとか正気かこの女。うほぉ~たまんねぇ。マンハッタンのサポーターとかいうほぼ他人と言ってもいい関係性の相手にこうも簡単にありつけるとはな。漁夫の利。

 

「──タキオンさん」

 

 ベンチの上で迫られ慌てふためいていると、彼女の後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。

 途端に汗を滲ませたアグネスタキオンが振り返る。

 そこにいたのは俺の友人こと、マンハッタンカフェ本人であった。ママにしたい。淫乱なママに。

 

「あなたの分の飲み物を取りにいっている間に、なにやら楽しそうな事をしてますね。私も混ぜていただけませんか」

「い、いや、待ってくれカフェ。私は今簡単な意見調査を実施していただけ──ァひンッ!?♡」

 

 現れた漆黒の少女は栗毛の変人の尻尾を掴み、脱力した彼女をそのまま待機しているバスの方へと引きずっていく。

 そしてスマホがメッセージを着信した。送信主は目と鼻の先にいる友人からだ。

 

《すみませんでした葉月さん 彼女には自重するよう強く言って聞かせますので》

《いや俺のほうに非があったんだ》

《葉月さんが考えているほど深刻ではないと思います タキオンさんに関しては気になさらないでください》

 

 マンハッタン、何となくあのアグネスタキオンという少女に対しては少しばかり厳しい気がする。彼女は優しい性格のはずだが、それでも看過できないほど相性が悪いのだろうか。それともアグネスタキオン本人に何か問題があったりするのか。普通にサポーターを名乗っていたが──とにかく胸の事に関しては後でもう一度謝っておこう。

 それから少し経って山田も戻ってきた。特に別れを惜しむ様子はなく、今夜にでも連絡を取り合ったりするのかもしれない。俺を差し置いて青春しやがってふざけるな。こっちは変人に絡まれただけですよホント♡

 

 

 

 

 夜。ホテルの外にある公園で皆がはしゃぐ中、喉が渇いた俺は一人でコンビニまで来ていた。

 少し距離があったし、もう一度来るのが絶妙に面倒くさくなる位置だ。山田たちの分のお菓子も適当に買い漁ってから帰ろうか──そう考えながらなんとなく雑誌コーナーに立ち寄ると、見覚えのある人物が立っていた。

 

「……アグネスデジタルさん?」

「ひょわっ!」

 

 俺を見て驚いた彼女が読んでいたのは、人気ウマ娘のあれこれを特集したウマ談という週刊誌だ。俺も爆乳ウマ娘リサーチのためによく読む。最近はメディア出演が増えてきたメイショウドトウが特に熱い。ぶち込みたくてたまらないんだよね。

 

「あ、あなたは……ダーヤマさんのご友人の……?」

「顔を覚えてくれてたのか。秋川葉月って言うんだ、よろしく」

「えぇはい! こちらこそ名前を知って頂けていて光栄です!」

 

 実に礼儀正しい子だ。根が真面目な山田が好きになるのも頷ける。

 

「立ち読み?」

「あっ、これはもう買ったやつです。どうしてもすぐ読みたくなってしまって……えへへ」

 

 え……めっちゃ可愛いんだが近くで見ると。

 

「秋川さんは修学旅行中なのですよね? ダーヤマさんに聞きました」

「あぁ、ちょっと買い出しでここまで。アグネスさんは……あ、撮影会か」

「はい! 明日レース風景を撮影したらトレセンに戻る予定です! いやはや、ウマ娘ちゃんたちのあんな姿やこんな姿を見られる撮影会に参加できただけでなく、出先でお友だちにも会えるとは僥倖でした……」

 

 会えた事自体を喜ぶ辺り、彼女から見た山田の好感度もそこそこ高そうで安心した。

 あいつはウマ娘に対して『触れない・求めない・遮らない』という鉄則を掲げていたが、百兆分の一の確率でもしあり得るなら中央のウマ娘と──そういつか語っていたアイツの夢も、アグネスデジタルを見ていると案外ありえる未来なのではないかと思えてきた。

 それにしても、先ほどの“ウマ娘ちゃんたち”という主語デカめな呼び方が気になる。推しに会えたとは言わない辺り──そうか、あれだ。

 

「もしかしてアグネスさん、箱推し?」

「あ、はい。もう全てのウマ娘ちゃんを愛し応援する所存ですとも」

 

 なるほど。これは山田が好きになるわけだ。

 俺ですら山田の熱に対してちょっと引くときがあるのに、あのバイト先の三人を推す山田よりも更に熱い想いで中央全体を推している彼女が、山田の憧れの人になるのに違和感はない。ましてや異性となればその感情は恋慕になって当然だ。まっすぐにアグネスデジタルを想えるあいつがちょっと羨ましくなってきた。もう遅い。のろまめが。

 

「──おや?」

「げっ……雨降ってきたな」

 

 軽く挨拶をしてそのまま出ていくはずが、突然のどしゃ降りで足止めをくらってしまった。スマホの天気予報が晴れのままな辺り、本当にただめっちゃ強い通り雨みたいだ。

 であれば待つのが定石。ほんの十数分程度ですぐ止むに違いない。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 ──全然止まない。もう三十分以上足止めをくらっている。

 そろそろ生徒は全員ホテルの中へ戻る時間になってしまうし、点呼に間に合わないと先生から雷が落ちる。

 背に腹は代えられない。コンビニのクソ高い傘を買って帰らなくては。状況判断が大切だ。

 

「はい、もしもし。……あ、え、えと、コンビニに居たら雨に降られてしまって……いぃいえっ! 大丈夫です! すぐに戻りますのでっ!」

 

 傘を買っている間にアグネスが電話をしていたらしく、なにやら慌てている。

 

「戻ってこいって?」

「あ、はい……ですが大人の方々に迷惑をかけるわけにはいきませんし……アタシも傘を──あっ」

「ごめん、俺ので売り切れだ……」

 

 非常にタイミングが悪かった。このコンビニに置いてある傘は俺が買ったものが最後の一本だ。

 忘れ物の傘も無く、また在庫も切らしているらしく正真正銘この傘一本しかない。

 

「あはは、お気になさらず。あの、アタシなら大丈夫です! ウマ娘なので走ったらびゅーんとひとっ飛びですし!」

 

 そういう問題ではない。小雨ならともかく今降っている雨の強さは相当なものだ。どれだけ速く走っても全身がびしょ濡れマックスになるのは想像に難くない。

 ここは男の見せ所だろう。俺が山田ならきっとこうするだろうし、彼女を濡らして俺だけ安全に帰ったらあいつに顔向けできなくなる。

 

「──宿泊先まで送るよ。アグネスさん、明日はレースの撮影もあるんだろ。体調を崩したらマズい」

「えっ。……で、ですが」

「お互いに急ぎだししょうがないって。ほら、行こう」

「あ、は、はい……」

 

 好きでもない男と相合傘なぞ鳥肌が立つだろう。しかしこの場合はマジで致し方ないのだ。あとで電話で山田に愚痴って発散してくれ。

 というわけで二人で傘を使いながらコンビニを後にした。バシャバシャと雨音が傘を叩くたびに不安な気持ちが湧いてくる。果たして自由時間の終わりまでに間に合うだろうか。

 まるでバケツをひっくり返したかのような大雨の中、お互い大変ですね、などと空っぽな会話をしながら進んでいく。

 京都にやってきたウマ娘の宿泊先はウチのホテルからすぐ近くの場所にあるらしく、やはり二人で傘を使って正解だった。

 アグネスデジタルが心配なのはもちろんだが、彼女に傘を渡して帰った結果俺が風邪をひくのも避けたかったのだ。普段からワケのわからん化け物と戦っているのだし、修学旅行くらいは頭を空っぽにして楽しみたい思いがあった。

 だからコレはウィンウィンな判断のはずだ。あとで山田にもちゃんと言っておこう。

 

「……あの、秋川さん。肩……」

「ん? ……あぁ、気にしなくていいよ。全然寒くないし」

 

 傘は彼女の方に寄せ続けており、傘からはみ出て濡れている肩が少々寒くなってきた辺りで話しかけられたが、こういうのは男子の役割なので任せてほしい。俺はこの程度だが山田ならきっと傘を十割アグネスのほうに傾けていたはずだ。今の俺は山田の代わりなのでこの少女の事は絶対に濡らさないと決めている。

 

「……実はアタシ、以前から秋川さんの顔に見覚えがある気がするんです」

 

 濡れた肩に気がついたアグネスは少しだけ距離を詰めながら、ポツリと呟いた。

 

「同志の方々と遠征に行ったとき、移動中の車の上に何かが降りたことには気づいていました。なんとなく悪い予感もしていて……でも雰囲気を壊しちゃいけないと思って黙ってました」

 

 急に語り始めたが彼女の中ではシリアスなシーンに突入しているのだろうか。そんなに知らない男子と相合傘するのキツイ? 俺の方が泣きそうだよ美人な女め。

 

「その時、バイクが車に近づいてきて──黒い小動物みたいなのを掴んだ後、消えました。……それから皆さんが夏祭りの時に見た悪夢から助けてくれたっていう人が乗っているバイクと、あの時見たソレが全く一緒で、ヘルメットから見えた目元も──あ、あのっ」

 

 彼女がこちらを向いた。何を隠そうそれの正体は俺なわけだがどう説明したものか。そもそも説明する必要はあるのだろうか。怪異の事なんてあまり話さないほうがいい気がする。

 

「もしかしてあなたは」

 

 ──その時、明らかにスピードを出し過ぎているトラックが道路を駆け、そのタイヤが勢いよく水たまりを踏んだ。

 

「きゃっ!」

「あぶねっ!」

 

 咄嗟に彼女を抱きしめて庇った。おっおおおお全身柔らかッ♡

 間に合ったが、それと引き換えに俺の背中はびしょ濡れだ。終わった。

 

「あ、秋川さん……」

「濡れてないか、アグネスさん」

「……は、はい。おかげさまで……」

 

 よかった。危うく彼女と山田の二人に土下座しなければならない案件に突入するとこだった。俺でなければだがな。

 とりあえず『気にしないでいい』の一点張りで俺の背中に対する言及はさせず、さっさと目的地へ向かって歩を進めると意外に早く到着した。スマホを見ると、外出禁止の時間まではあと五分ある。どうやらギリギリで間に合ったようだ。

 

「じゃ、俺はここで」

「た、助かりました! 本当にありがとうございます!」

 

 大袈裟な感謝だが気持ちが良いのでよしとする。

 そのまま手を振って別れようとしたのも束の間。

 いつの間にか目の前に駆け寄ってきていたアグネスが上目遣いで俺のことを覗き込んできた。うあぁ美人過ぎて制御不能だよぉ!

 

「……あの、今度からはデジタルって呼んでくださってかまわないので……」

 

 上目遣いがバチクソに可愛いプラス男子を勘違いさせてもおかしくない発言で逆にマイナスポイントが入った。いや~一目見たときから一目惚れだったんですよ。ムッツリ女っぽくて。あんまイライラさせんなし。

 

「でっ、では!」

 

 とててとホテルの中へ戻っていくアグネスデジタルを見送り、俺も自分の部屋へと戻っていった。ちなみに背中がびしょ濡れな事は山田が心配してくれた。お前♡

 

 



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親友ばっかズルくない? 順番こな

 

 

 雨で冷えた体をシャワーで温めると、すぐ夕食の時間になった。

 暖色の明かりが広がるホテルの大広間に移動し、バイキングで肉類の料理ばかり取って席へ戻ると、山田が椅子ごとひっくり返っていた。愉快な男だ。

 

「どうした?」

「……ウマッターを見てたんだけど……雨の影響で撮影が一日延びたから、中央のウマ娘さんたちも明日観光するんだって……」

「ほーん」

 

 特に気にする事もなく隣に座ると、山田が持ってきた飯の量に驚愕した。軽く俺の五倍は持ってきている。一人でバイキングの食い物を枯らすつもりなのだろうか。いやしんぼさんめ♡

 というかひっくり返るほどの内容だっただろうか。ウマ娘たちが遊ぶから何なんだ、という話だ。

 

「そ、その、デジたんさんが行く予定の場所が……僕らの見学コースと被ってて……マンハッタンカフェさんたちなんかも来られるらしく……」

 

 いそいそと体勢を立て直し、ばくばくモグモグとご飯たちをかっ食らいながら動揺した面持ちで語る。

 あの俺とアグネスデジタルが直撃をくらった夕方の雨で予定が変更になり、山田と回る予定の場所で彼女と会える可能性が出てきたとあれば、それは偶然ではなく運命だ。どうやら恋のキューピッドになるときが来たようだな。

 

「ラッキーじゃね。せっかくだし街で見つけたらアタックしようぜ」

「んうぇっ!?」

「俺も協力するから。中央のエリートウマ娘にこんな合法的に近づける機会、中々無いだろ」

「で、で、でもぉ……」

 

 迷いがある様子──しかしこれを逃しては勿体ない。

 確かに告白したら友達や同志という関係性をそのまま継続することは難しくなるかもしれない。それでも好きなら指をくわえて待っている場合じゃないだろう。恋はいつだってダービーなのだ。向こうには優秀かつ身近なトレーナーという、真っ向から対立するには強すぎる相手がいるのだし、それと比べられる前に自分の虜にしなければゲームオーバーだ。──などと一度フラれた男が申しております。俺の無念を晴らしてくれ。

 

「あっ。そういえば外でさっきデジタルさんと会ったぞ」

 

 その言葉を聞いた瞬間また山田がひっくり返った。持ちネタ?

 

「なっ、ぁ、えっ……?」

「マジでちょっと話しただけなんだけどな。予想通り会話は全然弾まなかったわ」

「そ、そうなの……」

 

 俺と彼女が交わしたのは前半の内容空っぽな会話と、後半のデジタルによるシリアスっぽい語りだけで、よく考えたら会話という会話はしていない。

 山田の友人という事を考慮して、多少近い距離感での呼び方はしていいよという事でデジタル呼びは許可されたが、俺自身はとても彼女の友人と言えるような関係性には至っていないのだ。

 

「だからこそだよ山田。デジタルさんはお前となら楽しく会話できるだろ? 俺のカスみたいな対応がギャップになって、よりお前が魅力的に映ると思うんだよな。やっぱりダーヤマさんは違うなってさ」

「た、確かに会話の為の持ちネタはそこそこあるけど、でも──」

「自信持てって。お前ってお前自身が考えてる以上に良いヤツなんだぜ。俺もクラスのみんなもそこら辺は分かってる」

 

 恋に悩んで自己肯定感が低くなりがちな相手に対しては過剰に褒めるくらいが丁度いい。実際こいつが良いヤツなのは事実だし、明日うまくエスコートができればデジタルといえど山田にそれっぽい感情が生まれるはずだ。普段からイベントで交流してる相手と修学旅行で向かった先でも偶然出会ったら運命を感じずにはいられないだろう。式場は任せてね。

 

「……うん、ありがとう秋川。僕、ちょっと頑張ってみる……っ!」

 

 いい調子だ。俺も彼をサポートするためにデートスポット等を下調べしておこう。い、いよいよなのね……っ♡

 

 

 

 

 ──などと意気込んだその翌日。

 

「見て秋川、デカい木彫りの男性器が飾ってあるよ」

 

 そろそろ午後のおやつ時に差し掛かろうとしている時間帯に、俺たちは()()()人気のない地味な神社を巡っていた。

 

「立て看板もある。普通に結構神聖なものみたいだね。えーと……お、子宝に恵まれるとかも書いてある」

「……そりゃスゲェな」

 

 事の顛末は……いや、まぁ、実に簡単なことなのだが。

 ──山田がアグネスデジタルに会おうとしなかった。

 ただ本当にそれだけのことだ。

 

 事件が起きたのは午前中、俺たちが出発してから一時間後くらいの時だった。

 マンハッタンカフェのウマスタにとある写真が投稿された。

 それはアカウント主である彼女と、サポーターであるアグネスタキオン──そしてアグネスデジタルの三人で、仲良く食べ歩きをしている写真であった。イチャイチャを永久に繰り返して永久凍土ツンドラのその向こう……百万人の子供たちが!

 そのウマ娘三人で仲睦まじく旅行を謳歌する写真を目の当たりにして山田はこう言った。

 

『鉄則……触れない・求めない・遮らない。ウマ娘さんたちが楽しく尊い日常を過ごされている所に僕なんかが割り込むなんて言語道断だ……僕は推しの邪魔にはなりたくない!』

 

 と言って今日の予定を全て破棄してしまった。写真やウマッターの呟きから彼女たちの現在地を割り出せば会いに行けるものを、鉄の掟があるからの一点張りで中断してしまったのだ。

 ……何とも言えない。

 俺としては普通に自分の青春を優先すればいいと思うのだが、彼には彼なりにファンとしての守るべき矜持があるらしく、そこを打ち砕いてまでアグネスデジタルの前に連れ出すほどの説得力のある言葉を俺は持ち合わせていなかった。ゆえにこうなっている。何が悲しくて恋路に盛り上がっていた翌日に男二人で子宝に恵まれる神社を観光しなきゃならんのだ。お前俺と結婚する気か?

 

「なになに……おっ、秋川。(しも)の病にご加護在り、だって」

「え、マジ? 珍棒無敵バリアじゃん。賽銭投げようぜ」

 

 まぁ楽しいから別にいいか。むしろやるべき事が無くなって安心した気持ちで残りの時間を楽しめるというものだ。

 

「僕は五円玉にしとこうかな」

「なら俺は五十円だ。これで効力は十倍……更に追加効果でバリアが五重に重なるぜ! ターンエンドだ」

「いいよターン回さなくて」

 

 くだらないやり取りをしながら賽銭をぶち込み、俺たちはその神社を後にした。無敵バリアはもちろんだが子宝に恵まれる効力も楽しみだ。三人くらい欲しい。

 

「じー……」

 

 横に並んだサンデーがジッとこっちを見ている。なんだよどうした。

 

「ハヅキは最初男の子と女の子、どっちがいい」

 

 別にどっちでも変わらず愛すと思うのでどうでもいいかな。

 そんな勘違いを誘発しそうな生意気すぎる質問をしてるとまず先にお前を愛すぞ? 名前を考えておけ。

 

「……」

 

 ちょっとだけ頬が赤くなったサンデーにポコッと軽く叩かれた。冗談だって。友達と修学旅行を満喫しててテンション上がってるんだわ。ゆるして。嫁の作法を徹底的にたたき込む必要がありそうだ。

 

 ──少し経って大通りに出た。

 お土産屋や軽食に丁度いい店が立ち並んでおり、ベンチもあるためここで少し休憩するのもありかもしれない。

 ご当地限定のウマ娘グッズなどを一通り見終えたあと、ふへぇ僕もう無理ぃ、と歩き疲れた山田を一旦ベンチに残し、付近のウマスタ映えしそうなソフトクリーム屋に並んでみた。山田ならいっぱい食いそうだけど何個買おうかな。

 どうやら味が三つあるようだが──

 

「ん、カフェの気配」

 

 サンデーは何味がいいのかを聞く直前に呟かれた。姿が見えたとかでもなく気配で察知できるってお前マンハッタンのこと好きすぎな。悪辣な女め。俺以外の男にそういうとこは見せないでね。

 仮に彼女が近くに居るとしたら、彼女の分も買って持っていったほうがいいのだろうかと考えたが、山田の鉄の掟を考慮するなら、たとえ俺でも彼女たちの邪魔をしてはいけないような気もする。

 とりあえず辺りを見渡してみると、俺の後ろに見覚えのある人物が並んでいる事に気がついた。

 

「むっ? ──おやおや、秋川葉月君じゃあないか。奇遇だねぇ」

「君は確か……サポーターさん?」

 

 最後尾に並んだのはマンハッタンカフェのサポーターを名乗っていたあの白衣のウマ娘の少女こと、アグネスタキオンだった。もうおっぱいは見ない。

 ウマスタの写真の情報から考えれば、彼女はマンハッタンとデジタルの二人と一緒に行動しているはずだ。彼女がいるという事はマンハッタンたちもいるのだろう。サンデーのカフェちゃんサーチレーダー凄い。

 まさか自由行動時間の最後辺りでウマ娘たちとコースが被るとは思わなかったが、山田を応援している俺からすればまたとないチャンスに感じる。

 

「んー、確かに私はカフェのサポーターではあるのだが、常にそう呼ばれるのはなんとも……」

「……アグネスさん、でいいかな」

「まぁいいだろう。それより君は今ひとりなのかな」

「連れが一人いるよ」

「ほう。それは今デジタル君とカフェに挟まれてるあそこの彼の事かい?」

「えっ──」

 

 言われて振り返った。山田が座っているベンチの方角を。

 そこには疲れていたはずなのにベンチから立ち上がって焦りながら姿勢を正している山田と、彼に近づいていくデジタルとマンハッタンの姿があった。俺の嫁がいる。

 

「デジタルさん、あそこにいらっしゃるのは……」

「へ? ──あっ、ダーヤマさーん! 奇遇ですねっ!」

「ででででっでデジたんさんっ!? マンハッタンカフェさんまで……あわわわわわ」

 

 神がかった巡り合わせだ。会わせたくても本人が『会うわけにはいかない』と意地を張っているところに相手から来てくれるなんて運命以外の何物でもない。

 あの神社にお賽銭をぶち込んだおかげで山田の運命力が上がっているのだろうか。とにかくアイスクリームを買ったとてすぐ戻るわけにはいかなくなった。

 がんばれ、今しかないぞ山田……ッ! イけ……っ!

 

「時に秋川君。今のトレセン内における君はちょっとした有名人なわけだが、具体的には何者なんだい? 彼女たちに何をした?」

「……何かしたというか……別に何もしてないというか」

「ふむ……?」

 

 首を傾げられたが俺も上手く状況を掴めていない。

 あの夏のイベントの際に、怪異に『悪夢のような何か』を見せられていると自覚できたウマ娘にのみ、その怪異と戦っていた俺の姿が朧気ながら記憶に残っている──らしいが詳しくは分からない。

 そもそもドーベルが言うにあの三人以外のウマ娘はなんとなく覚えているだけで、俺も直接彼女たちに手を差し伸べたわけではないから何とも言えないのだ。

 

「とにかく、どんな噂が流れているのかは分からないけど、俺はあくまでマンハッタンさんたちと一緒に怪異と戦ってるだけだよ」

「……怪異という非科学的な存在が実際にいる、という部分は最近飲み込めたが……それを差し引いてもやはり君は少々特異な存在だ。是非とも検証に協力してもらいたいね」

 

 検証? えっちな実験でもするのだろうか。そんなに俺と子作りしたかったの?

 

「カフェを守る事に繋がる、と言ったら手を貸してくれるのかな?」

「……まぁ、協力するだけなら別に」

「ほうっ! 意外に状況判断能力に長けているようだ、ますます興味深い」

 

 彼女の言う検証の内容がなんであれ、身を挺してでも俺を助けようとしてくれているマンハッタンを守る事に繋がるなら何だってやるつもりだ。それに昨日今日の様子を見るにアグネスタキオンはデジタルとも繋がりが深いようだし、彼女を経由して親友の想い人のことをリサーチできれば今後のサポートにもつながるし、相手から協力を申し出てくれるなら願ったり叶ったりだ。

 

「協力の受諾、感謝しよう秋川君。さっそくで申し訳ないがまず君の遺伝子を少々頂きたいのだが」

 

 こうるさい! エロ漫画出身女♡ 実験の為とか言って俺の遺伝子を根こそぎ試験管に保存するつもりなんだろ? 手ぬるいわ。徹底指導が必要だな。

 

「そういうのは後で。今は友達が大事なイベントに挑戦してる最中なんだ。……あっ、バニラとイチゴで」

「イベント。ふむ……あの体脂肪率が多そうな彼がねぇ。あっ、チョコで」

 

 ソフトクリームを受け取り、何とかギリギリ声が聞こえて且つ姿を隠したまま観察できる場所へ移動した。サンデーはバニラ味ね。

 

「おいしい」

「ッ!? そ、ソフトクリームが空中に浮遊している……ッ!?」

「ちょっとアグネスさん静かに。あとで説明するから」

 

 息を潜め三人で物陰から聞き耳を立てる。

 大丈夫か山田。うまくいっているのか山田。お前のトークスキルを炸裂させてデジタルを喜ばせることができているのか、山田。

 ──あっ、マンハッタンがこっちに気づいた。こっそり小さくウィンクを返してくれたところを見るに、俺の代わりにあの二人の間の緩衝材になるよう頑張ってくれているようだ。さすが俺の惚れた女といったところ。

 

「つ、つまりダーヤマさんは今日までほとんど秋川さんとお二人で……?」

「そうなりますかね、せっかくの修学旅行のはずなんですけど……あはは。ほら、この野良猫とのツーショットとかはアイツが撮ってくれたやつで……」

 

 アホなのかあいつは。

 なんでデジタルさんとの折角の会話イベントなのに俺の話をしてんだよ。旅行中のクラスメイト達とやった面白い事とか、ご当地限定のウマ娘グッズとかもっとあったろ。マンハッタンも会話の内容のせいで困惑しちゃってるよ。

 

「さっきも神社に行ったんですけどアイツ、無敵バリアだー、とか言って賽銭に五十円玉を投げてて……」

「ほへぇ……ふふ。秋川さんって結構かわいいところがあるんですねぇ」

 

 何やってんだマジで俺の話なんかどうでもいいんだよ他のネタ使えよ他のネタをよ。マンハッタンさんも山田が話す俺の秘密を聞き入ってないで別の話題を振るとかしてほしい。状況判断が大切だと教えたはずだ。

 

「ほう……あの太ってる彼、随分と君のことが好きだねぇ。見たまえよ、あの楽しそうに話す彼の表情。ははっ」

「山田のやつ、いま話す事じゃないだろ……」

「まぁまぁ、内容はともかく秋川君の言う“会話イベント”とやらは成功しているんじゃないか? 話自体は盛り上がっているじゃないか」

「それはそうかもしれないけど……」

 

 アグネスの言う事も分かるが、二人は何よりウマ娘好きで繋がっている関係のはずだ。それで盛り上がるのが一番だと思うのだが、もしや俺たちが見に来る前に話題を使い切ってしまったのだろうか。それなら苦し紛れに俺の話題を出したのもしょうがないと思えるが──

 

「ところで秋川君。あの太っている彼と君はどれくらいの付き合いなんだい? 随分と肩入れしているようだが」

「……高校生になってからだよ。別に昔馴染みってわけじゃない」

 

 確かに一番仲のいい友人ではあるが、別段なにか劇的な出会いをしたわけでもなければ、互いに強く惹かれ合う要素があったわけでもない。

 

 ──山田は気のいい男だ。

 いかにもオタク然とした態度を公言してはいるが、コミュニケーション能力に関しては普通の陽キャのそれよりも高いように思う。

 人付き合いが上手く、また頭も回る証拠に彼は生徒会の役員を務めており、他学年にも名前と人柄を知っている生徒がそこそこいるくらいだ。校内ではちょっとした有名人と言って差し支えない。

 そんな彼との出会いは──正直よく覚えていない。

 体育の授業だったか、調理実習だったか、とにかく一人だった俺に声をかけてくれたのがきっかけだった……ような気がする。

 なんかダラダラとつるんで、たまにアイツのウマ娘の推し活に付き合わされて、いつの間にかこんなになってる。

 

 アイツが良いヤツなのは間違いない。

 他の人との付き合い方がよく分かっていない俺にアイツが近づいてくれたこそ、今の関係性が構築できたのだ。

 まだ本家にいた頃の俺はきっと、一般人から見れば変なところが結構あったのだろうし、それを鑑みると中学の頃にフラれたのも今なら納得できる。

 実家から飛び出して一人暮らしを始め、右も左も分からない状態の俺に、初めて声をかけてくれたのが山田だった──ただそれだけの話だ。

 

「面白いやつなんですよ、昼休みなんか自販機でいちごオレを三本くらい──」

 

 思えば俺の好物を知っている唯一の人間かもしれない。学校以外でいちごオレを飲んだ記憶はあまりないし。

 でもやっぱりその話を自分の好きな子に話すのは違うと思うよ。デジタルは退屈じゃなさそうだけど、アレって単に彼女が聞き上手なだけじゃない? ほんとにその話題で大丈夫?

 

 

 

 

 山田とデジタルの会話イベントは内容を除けば概ね成功し、二人はまたひとつ距離が縮まったように見えた。

 結局俺がサポートすることはほとんど無かったわけだが、ここから先は二人で何やかんや上手くやっていける事だろう。親友に幸あれといった感じだ。

 

 で、帰りの新幹線を降りてから。

 いつものように現れた怪異に巻き込まれ、空間転移でどこかの多目的トイレに閉じ込められてしまったのが現状だ。猛省せよ。

 この場にいるのは俺とサンデー、それから──

 

「うううぅううううウマ娘ちゃんと多目的トイレに閉じ込められるなんて前世のアタシは一体何を……っ!!?」

「落ち着いてくださいデジタルさん、心配せずともすぐに出られますので」

 

 アグネスデジタルと、マンハッタンカフェがいる。これは油断するとコトだな。

 肝心の怪異自体はユナイトした俺が凄んだだけでビビって逃げたため既にここにはおらず、ヤツの残したこの空間の鍵が時間経過で開くのを待っているところだ。雑魚め。時間にしてあと十数分といったところだろうか。

 デジタルは困惑と興奮で混乱してしまっているようで、鏡を見ながら自分自身と問答を繰り返している。俺の存在にも気がついていない辺り、推しと密室空間に閉じ込められた衝撃がよほど強烈だったのだろう。まったくファンの鑑である。

 

「……災難でしたね、葉月さん。せっかくの修学旅行が……終わった直後に……」

「いや、むしろ旅行中は何もなくてよかったよ。こっちで怪異と出くわす分にはもう慣れたしさ」

 

 マンハッタンと話しながら、逐一ドアの施錠が外れてないかの確認を続ける。

 俺を気遣ってくれてはいるが、災難なのはむしろそっち二人の方だろう。特にデジタルは夏のイベントを除けば初めてまともに怪異に襲われた形になるし、出先で山田と仲を深めたあとだ。帰りはゆっくり物思いに耽る時間が欲しかったに違いない。

 

「マンハッタンさんから見てどうだった? 山田とデジタルの二人は」

「とても……仲の良い友人関係を築けている……そう思いました」

 

 間近で会話を見ていた本人が言うなら間違いない。あの会話の内容から来る不安も杞憂に終わってよかった。

 

「ただ、デジタルさんは……山田さんのことが羨ましい、とも言っていました」

「えっ?」

 

 デジタルから見て山田が羨ましいと思う要素などあるだろうか。彼女はスレンダーだし、単純に肉付きとか──いや山田までいくと太りすぎな気がする。一体あいつのどこを羨ましがっているんだ。

 

「……実は私もデジタルさんと同じく、山田さんが羨ましいと思ってしまいまして」

 

 マンハッタンまで。あいつまた何かやっちゃいました? 無害なファンは仮の姿でその実態はウマ娘の関心を一手に引き受けるラブコメ主人公だったのかよ。

 

「同じ高校に通い……隣で昼食を共にして、それから……外部の者では知る由もない学校での癖まで把握していて……とても羨ましいと」

「……??」

 

 どこがどう羨ましいって?

 ちょっとマジでマンハッタンが何を言いたいのか理解できてない。こういう時に出会った当初の不思議っ子属性を出してこられると困る。

 

「……ふふ。クラスメイトで親友とは、いささかズルい立場ですね。こればかりは……妬いてしまいます」

「そ、そうなの……」

 

 分からない──が、思考を放棄してはいけない。もしかしたら今マンハッタンはめちゃくちゃ重要な事を喋っている可能性があるのだ。すぐにでも言葉の意味を理解しないと勿体ない。

 どういうことなのか頭を捻って考えていると、マンハッタンは鏡の前にいるデジタルを一瞥した後、改めて隣から俺を見つめた。

 

「葉月さん」

 

 何でしょうか。顔が近い。子供を何人作ればいいか見当もつかないよ。

 

「私は……トレセン学園が好きです。競い合うライバルであり、仲間でもあるウマ娘の方たちと一緒に学び、トレーナーさんやたくさんの方々と夢を追う今の状況は……きっととても恵まれている。──けれど」

 

 言葉を続けながらマンハッタンはそっと手を握ってきた。あのサンデーを連れ戻した時と同様、こちらに焦る暇すら与えないほどの自然な所作で距離を詰めてくる。

 こちらが深く思考するよりも早く彼女は告白する。

 自らの感情の──昂りを。

 

 

「もし許されるなら……私は貴方と同じ学び舎に通いたい。同じ教室で学び、同じ場所で昼食を食べて……テストや行事で同じ苦労を味わいたい──少しだけ、そんな邪な想いを抱いてしまったんです」

 

 

 耳元でそう囁き、マンハッタンは手を離してゆっくりと距離を取った。

 

「だから、貴方との思い出を語れる山田さんが少し羨ましい。デジタルさんも……きっと同じなんだと思います」

 

 それは──それは、何というか。

 つまり、ええと……マンハッタンカフェは俺とクラスメイトになりたくて、現在クラスメイトである山田が羨ましい、と。

 それは要するにアレか。

 マンハッタンはつまり俺のことが好きという事でいいんだろうか。お前いま自分が告白紛いの発言をしたことに気づいてる? 急激に結婚したくなってきた。恋心持っていかれないよう注意。

 

 ──まずい、照れる。動揺する。狼狽してしまう。

 こんなでは駄目だ。詳しく冷静に分析するのは後にするとして、好きな相手に照れさせられてそのまま引き下がるような男にはなりたくない。鈍感も朴念仁も願い下げだ。

 俺がなりたいのはラブコメ主人公ではなくお前の旦那だということを分からせなければならないようだ。けだものか!? はたまたマゾメスか!? そんなに交尾したいならいいけど……。

 耳元で囁かれたら骨抜きにされるところだ。俺でなければだがな。負けないお~♡

 

「……俺も思ったことがあるよ。トレセンに通って、マンハッタンさんのクラスメイトになれたら、って」

「えっ──」

 

 今度は逆に手を握り返してやった。デジタルが現実逃避していなければできなかった芸当だ。彼女に見られながらだったら厳しかったかもしれない。

 しかし結果としては成功したから俺の勝ちだ。堕ちろッ! まんじりともせず受け入れろ。かわいいお嫁さん♡

 

「でも、今は離れていてよかったって思ってる」

「……それは、どういう……」

「マンハッタンさんが本当に凄いんだって事をより実感できるから。俺の親友が推しにするくらい、みんなを魅了してるカッコいいウマ娘なんだってさ」

 

 外からしか見えない景色もあるのだ。彼女と関わるうえで、それを知っていて良かったと感じる機会は少なくない。

 

「そんな凄い子から『同じ学校に通いたかった』って言われて……本当に嬉しいんだ。俺にとって一番の誇りだよ。……それに山田ばかり羨ましがってるけど」

「あっ……」

 

 そのまま握った手を引き寄せ、彼女の腰に腕を回して密着寸前までいった。こういう大胆さはドーベルの少女漫画ロールプレイの時に鍛えられました。

 何がしたいのかというとつまり、彼女が耳元で囁いたように、俺も耳元で囁いてやろうという話だ。負けっぱなしは性に合わないのだ。

 

「──マンハッタンさんしか知らない秘密もあるだろ」

「……そ、それは」

()()()()()、久しぶりに付き合ってくれないか」

「っ……、──……ッ♡」

 

 もはや一周回って羞恥心なぞ彼方に消えた。素面で頬にキスとかもっと恥ずかしいことをマンハッタンはやっているのだ。俺だって負けてられないと言ったところ。

 とりあえず一旦彼女の手を離し、もう一度ドアを動かすと鍵が開いている事に気がついた。そろそろこのいかがわしい密室空間からオサラバするときだ。

 

「おーい、デジタルさん。もう出られるよ」

「ふぁいっ? ──うええええぇぇぇっ!? かっかかカフェさんの次は秋川さんがァ!? きゅう──」

「あぶねっ」

 

 気絶したデジタルは何とか倒れる前に支えた。謎の空間とはいえトイレの床に倒れ込むのはいろいろとマズい。

 とりあえずそんなこんなで修学旅行は無事に終わり、解呪の儀式の約束だけ取り付けてその日は解散となった。

 

 楽しかった思い出に浸りながら眠りにつき、翌朝インターホンで目を覚まして玄関へ赴くと、約束通り解呪の儀式のためにマンハッタンが訪れた。しかし歯ブラシや着替えなども持ってきたのは謎だ。泊まるの? お世継ぎを作る儀式を始めるんですか♡

 

 



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押しかけるな! 淑女の嗜みを知らないのかよ

 

 

 早朝、インターホンの音で俺を起こした客人の正体はマンハッタンカフェだった。

 

 つい先日彼女とは呪いを吸い出すための儀式の約束を取り付けたわけだが、まさか朝からいらっしゃるとは夢にも思わず油断した格好で玄関に出てしまい、それが原因で『ぁ……鎖骨……いっ、いえ……下着が見え……』と彼女を赤面させてしまったのは素直に反省点だ。

 

「とりあえず、上がって」

「お邪魔します……」

 

 一旦家に上げ、顔を洗ってからリビングに戻ると彼女は行儀よくテーブルの前で正座しており、何だかいつにも増して緊張しているような雰囲気が感じ取れた。原因に心当たりはないが可愛いので一旦良しとする。こっちも寝起きであまり頭が回っていない。

 

「マンハッタンさん、今日は随分早いな」

「……すみません。早朝から押しかけてしまって……」

「いや別に迷惑ってわけじゃなくて……ただ、何かあったのかなって」

 

 朝練とかをほぼ毎日やっているであろうスーパーアスリートの彼女と違って、特に早起きでもない俺にこの時間帯からの活動は少々辛い。本家にいた頃は子供ながら四時起きが得意だったがアレも過去の話だ。

 マンハッタンはそこら辺の気遣いが上手な少女だと知っているため、この突撃隣の朝ごはんが不思議に思えてしまったのだ。

 

「いえ……その、大荷物を抱えてトレセンを出ていくところを見つかってしまうと、質問攻めに遭ってしまうので……早い時間帯に出立するしかなく……」

「──あぁ、なるほど」

 

 俯きながら語るマンハッタンの言葉で思い出した。

 そういえばドーベル曰く今のトレセンは異性に対して敏感になっているらしいし、やむにやまれぬ事情があるとはいえ男子の自宅へ赴くことが同級生たちに知られたらマンハッタンも相当困るに違いない。

 それにその事情は口外できないタイプのものであるため、大勢から質問攻めをくらったらマンハッタンに逃げ場はない──そう考えれば確かに納得だ。

 

「ごめんなさい……」

「いや、気にしないで。多めの荷物を持ってたらしょうがない……」

 

 ……ん?

 

「あれ、何でそんなに荷物をたくさん持ってきたんだ?」

「ぇっ」

 

 解呪の儀式に必要なのは白と黒のペンダント二つだけだ。リュックにボストンバッグまで携えている今のマンハッタンは、まるで一泊二日でどこかの宿泊施設にでも泊まりに行くような装備に見える。

 

「あ……ぇと、その……っ」

 

 どうしてそこで照れて言葉を詰まらせてしまうのだよ。愛おしい。

 ……よく考えたら初めて解呪の儀式をやってもらった日もマンハッタンは大荷物を持ってウチに来てたっけか。

 儀式中は理性が外れかかって危険になる関係上、仮に俺が外へ逃げてしまっても目撃者が出づらくなる夜に儀式をやるのが好ましい、とかそんなんだった気がする。

 そして深夜に儀式を終えてもトレセンは閉まっているから帰れない──だからあの時はウチに泊まった。なるほど合理的だ、今回もそういう事なんだろう。

 

「わ、私は……えぇと……」

「……っ」

 

 まぁ、それはそれとして女子が家にいるこの状況は非常に緊張するのだが。きみ俺のこと絶対に手を出してこない理性の鉄人か何かだと思ってる? 普通にマンハッタンのこと好きな男子の一人だという事を思い出してほしい。種付けされたいのであれば話は別だがな。

 

「あぁ、悪いマンハッタンさん。儀式は深夜にやるからこっちに泊まるしかないんだったな。久しぶりだから忘れてた」

「へっ? ──ぁ、は、はい。そうです。なので……はい……お泊りの荷物を……」

 

 なんか今日はずっとモジモジしてるな。そろそろ襲ってもいいのかしら。このマゾメスっ!

 ここ最近は野良怪異とのバトルばかりで()()()()()がなかなか姿を現さず、協力してくれるウマ娘三人が少し忙しい事もあって解呪の儀式が疎かになっていたのだ。それで俺はいろいろと忘れてしまっていたのに、マンハッタンさんはしっかりと準備してきた辺り彼女の真面目さがより実感できた。僕のお嫁さんにピッタリ♡ 隙間なし。

 

「そういえばマンハッタンさん、朝飯は?」

「いえ……急いで学園を出てきたので、まだ……」

「じゃあ一緒に食べよう。サンデーもきっと喜ぶしさ」

「……ありがとうございます」

 

 そのまま朝食の準備に取り掛かると、間もなく寝坊助さんも起床した。かわいいね♡ 抱擁不可避。

 

「ん……あ、カフェがいるぅ……」

「きゃっ……」

 

 そしてマンハッタンにふわっと抱きついた。旅行前から平気そうに振る舞ってはいたが、実は相当我慢していたらしい。今なら誰もいないから存分に甘えるといい。

 

「もう……あなた、葉月さんよりも遅く起きているのね……」

「これは稀……いつもは私の方が早起き……」

 

 サラッと嘘をつくんじゃない。同時か俺が先に起きるかのどっちかだろ。おかげで無防備なお前の姿に毎朝ムラムラだな……うむ♡

 

「しかし、ねむねむ……」

「……ふふっ。おいで、髪を梳いてあげるから」

 

 ぽけーっと固まったサンデーの後ろに移動し、甲斐甲斐しくクシで髪を整えてあげているマンハッタン。こうしてみると二人が姉妹に見えてくる。いつもは特異な存在らしくしっかりした態度を貫いているサンデーも、彼女の前ではただのひとりのウマ娘でいられるらしい。相棒のリラックスの為にもマンハッタンには定期的にウチへ来てもらったほうがいい気がしてきた。

 というか、この際だから頼んでみようか。

 

「なぁ、マンハッタンさん」

 

 フライパンで目玉焼きの面倒を見ながら声をかける。火元から目を離すのだけはダメ、とは樫本先輩の教えだ。

 

「はい、何でしょうか……?」

「ちょっとした提案なんだけどさ。解呪の儀式が関係ない日でも、たまにはこっちに顔を出しに来てくれないか」

「……っ!」

 

 中央の生徒──ましてやフィギュア化されたり雑誌等のメディアに引っ張りだこな有名人であるため、多忙の身であるのは重々承知だ。俺個人が会いたいだけなら無限に我慢する所存だし、こんな提案をしようなどとは考えもしないだろう。彼女のことは好きだが身の程知らずではない。

 ただ、いまの俺の傍にはサンデーがいる。

 彼女はもともと俺ではなくマンハッタンを守るために日々怪異たちに睨みを利かせてくれていた存在だ。見て分かる通りサンデーは彼女のことが大好きで、出来る事なら俺ではなくマンハッタンの傍に居たいであろうことは間違いない。

 

「サンデーはさ、顔にも言葉にも出さないけどいつもマンハッタンさんに会いたがってるんだ。気配を察知するレーダーまで搭載してるし……俺の想像の十倍はきみのことが好きなんだって事はさすがに分かる」

 

 マンハッタンの忙しさは想像もできない。こういったお願いがかなりの失礼に当たるであろう事は理解している。

 それでも、いつも頑張ってくれている相棒のためにもう少しだけ歩み寄ってほしいと思ってしまった。

 元を辿ればサンデーは俺の為ではなく、俺を怪異の呪いから守りたいマンハッタンの為に、自ら俺の元へ訪れてくれたのだ。もっとマンハッタンに褒めてもらいたいだろうし、離れてる分彼女に会いたい気持ちもきっと日々強くなっているはずだ。

 

「その、本当にたまにでいいから──」

「いえ」

 

 マンハッタンは俺の声を遮った。

 

「たまにではなく……もっと来られるようにします。その為に昨日トレーナーさんと、予めスケジュールを見直しておいたんです……他のお仕事の予定も組み直したので、以前ほど忙しくはありませんし──」

 

 火を止めて振り返ると、彼女はサンデーの髪を優しく撫でていた。窓から差す陽の光がまるで後光のようになっている。聖母?

 俺が要求するよりも先にスケジュールを調整していたあたり、マンハッタンにもサンデーに対して思うところがあったのだろう。

 

「カフェ、別に無理しなくても」

「ふふ……無理なんてしてないわ。私にとっても……あなたとの時間が大切なの」

「なんと。カフェ、結婚して」

「しなくてもずっと一緒にいるでしょ……まったく」

 

 突然の告白に流石のボクチンも驚きを隠せない。

 美しい友情と愛情を感じておじさん泣いてしまいそうですお……♡

 

「……この子の事を考えてくれてありがとうございます、葉月さん」

「別に礼を言われるような事じゃ……あ、ほら、朝飯出来た。サンデーも顔洗ってきて」

「はい」

「マンハッタンさん、麦茶でよかった?」

「ありがとうございます……いただきます」

 

 そんなこんなで三人で食卓を囲み、至って平和な朝が過ぎていくのであった。俺たちいつの間に付き合ってたんだっけ。

 

 

 

 

 朝食からそのまま家を出ることは無く、怪異の能力パターンや出現する時間帯などを話し合っていると、ちょうどお昼を迎える頃にインターホンが鳴った。

 

「はいはーい」

 

 ドアを開けるとそこには世界一見慣れた少女がいた。

 

「──葉月ッ! 合鍵を受け取りに来たッ!」

「うぇっ……や、やよい……?」

「お昼まだでしょ? 良いお弁当買ってきたから一緒に食べよっ♪ 上がるねぇ」

「わっ、ちょっ、待っ……ッ!」

 

 家の中にはくつろいでいるマンハッタンが──やよいの学園の生徒がいる。

 というわけで完全に休日モードで油断していた俺に史上最大のピンチが突如として訪れてしまったのであった。死んだ。

 

 



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カフェオレって感じだね

 

 

 俺は心の底から焦っていた。

 

 二人分の弁当が入っているであろうレジ袋を手に意気揚々と家に入っていく従妹(やよい)を追いかけながら逡巡する。とりあえずさっさと入っていった彼女が見逃したマンハッタンのローファーは玄関付近の物置に隠せたが──このままではまずい。

 マンハッタンカフェは現在リビングで紙の地図を広げ、珈琲を片手にくつろぎつつ怪異の出現ポイントを地図にマークしてくれている。完全に油断した格好だ。それだけウチの中でリラックスしてくれているという事でもあるが今はマズいのだ。逃げろ! 社会性を全て吸い尽くされる懸念があるわ。

 

「お邪魔しますよ~っと」

「ちょっと待って、やよい……ッ!」

 

 やよいが家の中でマンハッタンを見つけた場合、彼女はどういう対応を取るのか──分からないからこそ怖い。

 少なくとも外泊許可を取ってまで他校の男子の家で休んでいる姿を見られたら誤解されるのは確実だろう。というか、抱えている事情はともかく実際に男子の自宅で寝泊まりすることに違いはないので、トレセンの責任者であるやよいがそれを見つけたら激しく咎める可能性が非常に高い。例えば──

 

『驚懼ッ!? まさか前途有望な我が学園の星である君が、よもや他校の男子と浅からぬ関係性にあり、剰え外泊許可の目的がいかがわしいモノだったとはッ! 大問題ッ!!』

 

 そう、不純異性交遊として断定されるに足る……足りすぎる状況だ。恋人なのは事実だが。

 俺はともかく、今やコマーシャルや映画に出ずっぱりな超有名俳優と肩を並べるレベルで多くの人々に認知され、日本中にファンを抱えている大人気ウマ娘であるマンハッタンカフェに同世代の男子との浮ついた関係が発覚してしまったら、もう誰にも噂の波及が止められなくなってしまう。

 やばい、マジでやばい──

 

「はぁー……葉月の家に上がるの久々だ。とりあえずテーブルの上にこれ置いちゃっていい?」

 

 ──あれっ?

 

「……葉月、どうかした?」

「えっ、あ、いや……何でもない」

 

 いない。

 リビングにマンハッタンカフェの姿が無い。

 机の上に広がっていた地図も無くなっており、居間はまるで誰も客人などいなかったような状態になっていた。

 これは一体どういうことだ。サンデー! であえであえ! サンデーはいずこに! 相棒! 嫁っ!

 

「うるさい。カフェなら地図を持って押し入れの中に隠れた」

 

 マジで……? 機転が利くとかそういう次元じゃなくねえか。

 

「カフェの直感はよく当たる。インターホンが鳴った時点でもう移動してた」

 

 そうなんだ。ますますマンハッタンちゃんの事が好きになってきた。おらもう我慢できねぇよお。

 

「あれ? 葉月コーヒー飲んでたの? マグカップが二つあるけど……」

 

 やよいが気がついたものは、机の上に残っていた俺とマンハッタンの分のコーヒーだった。

 どうやら急いで隠すのは地図だけで精いっぱいだったようで、彼女はコーヒーを零すリスクを考えてあえてマグカップをそのまま置いといたようだ。俺のリカバリー能力に賭けてくれたのだろう。旦那としての腕の見せ所だな? お前を抱くこの腕のな。

 ちなみにやよいの頭の上にいる猫こと先生は、ジッと押し入れの方向を見つめているので、彼女には気づかれているのかもしれない。今回はお静かにお願いしますね。

 

「ほら、カフェインって摂取しまくれば眠くなくなるんだろ? 昼寝しないで作業できるよう二つがぶ飲みしてた」

「えぇ……? 葉月って意外とアホなんだね。いっぱい飲んだってそこまで意味無いよ」

 

 平然と説明したらやよいが大袈裟に肩をすくめた。何とかなったらしい。

 理由は存在すればそれだけでいいのだ。わざわざ合理的なものにする必要はなく、たとえ相手を呆れさせることになろうと納得してもらえたらそれだけで役割は十分果たしている。

 

「……ん? なに、このパンパンのボストンバッグ」

「そ、それは……あの、アレだ。昨日まで修学旅行だったろ。そん時の荷物、面倒くさくてまだ片付けてないんだ」

「ふーん……?」

 

 マンハッタンが隠せなかったアイテムがもう一つ見つかってしまった。だが、あのお泊りセットは中身を見られなきゃ俺の私物ということで誤魔化せるものだ。理由も今ので十分だろう。

 

「ね、私が片付けてあげよっか」

「え゛っ」

「いつも自分で家事とかしてるんでしょ? たまにはこういうのも任せてよ、一応合鍵を預かる身だしさ」

「あっ、いや、気持ちはありがたいんだが後でいい! てか自分でやる! マジでいろいろ詰め込んであるから整理が大変だし……っ!」

「ふふっ、いとこなんだし遠慮しなくていいってば。夏のイベントの時のお礼もしたいの。……よいしょっと」

 

 説得が一筋縄ではいかず、やよいがボストンバッグに手を伸ばしてしまった。やばいやばいやばい。

 

「……あれ、チャックが開かない。んんっ……! え、何これ、固すぎ……」

「むっ……」

 

 これ以上は無理だと観念したその瞬間、ボストンバッグのチャック部分をサンデーが阻止してくれた。やよいの力技に全力で抗ってくれている。

 嫁っ! 大丈夫か!

 

「んんっ……この中には歯ブラシとタオルだけじゃなくて、下着とか勝負服も入ってる。見つかったら流石に言い訳できない」

 

 確かに女物の衣服がまとめて入っていたら庇い切れない。女装趣味があるという言い訳も苦しすぎるし、着替えも勝負服も擁護不可能だ。

 特にマンハッタンカフェの勝負服などという唯一無二のオーダーメイド服はどんな理由があっても──

 

 ん?

 ちょっと待て。

 …………なんでマンハッタンの荷物の中に勝負服なんか入ってんだ。あいつウチに泊まったらそのままどこかのレース場にでも直行する予定だったのだろうか。

 それとも撮影か、もしくは秀逸すぎるデザインに惚れて日常生活で使っている……?

 

 いやまぁ、彼女の勝負服のデザインが良いという点は俺も認めるところではある。

 なんと言ってもサンデーの普段着がほとんどそれと一緒なのだ。普通に日常生活で使いまくってる。

 サンデーの物の場合は、いかにも勝負服といった衣装らしい金色の線や目立つ金属の装飾が無く、ジャケットの丈の長さも全体のデザインも簡素になってはいるが結構似ている。

 ……あぁ、久しぶりにお揃いの服にしたかったのか。俺がやよいを愛しているように、マンハッタンがサンデーに向ける感情もデカいのだろう。腑に落ちたわ。

 

「ハヅキ。長考してないでフォローして」

 

 あ、はい。すいません。

 

「ぬぐぐぐ」

「やよい。それ以上無理やりやったら壊れるって。後で俺がやっとくからもういい」

「む、むぅ……まるで誰かに押さえつけられてるみたいに固かった……」

 

 ドキッとした。サンデーのことは見えてないハズだが、露骨に視線を彼女に向けるのは控えておこう。

 

 ……

 

 …………

 

 昼食後。いつにも増して油断しているやよいに膝枕を催促され、言われるがまま彼女を甘やかしていると着信音が部屋に響いた。おーい起きろやる事があるでしょ。呆けた顔も美人だが。

 

「お前のスマホじゃないか、やよい?」

「んぇ~、何だろ……あ、たづなさんか」

 

 彼女は面倒くさがりながら電話を手に取り、寝転がったまま応答する。

 

「んん゛っ──応答ッ! どうかしたか、たづなッ!」

 

 切り替えの早さには感心するが、膝枕されながらそれをこなすのは最早プロの技だ。ちょっとビビった。

 あんなに俺の後ろをひょこひょこ付いてきてた可愛い従妹がすっかり大人の技を身に着けて。お兄さん泣いてしまいそうですお……♡

 

「ふむ。……おぉっ、先方から連絡があったか。──なんとッ! それは一大事だ……いや、該当生徒への説明は私が直接行おう! 即刻ッ! すぐ戻るッ!」

 

 言って電話を切ったやよいはすぐさま飛び起き、スマホをポケットにしまって帽子をかぶった。ついでに香箱座りでくつろいでた先生も起きた。おはようございます。

 

「なにかあったのか? 結構重大そうだが……」

「んーん、別にマイナスな方じゃないから大丈夫。ちょっとしたイベントなんだけど……協力してもらう予定の数人の生徒には結構がんばってもらう事になるから、私から直接説明したいなって思って」

「そうか……」

 

 聞いた限りでは夏のイベントほど大掛かりなものではなさそうだが、なんにせよ彼女が多忙である事は理解した。

 それが悪いというわけではないが、このままやらせたらまた叔母さん──あの黒幕から電話が飛んでくるであろう事は想像に難くない。

 あの人に言われずとも、今度こそやよいの為に出来ることは何でもするつもりだ。もう一年前までの俺じゃない。

 

「じゃあまた──」

「あ、やよい。ちょっと待った」

「っ?」

 

 玄関へ向かっていく彼女を呼び止め、小物入れからスペアの鍵を取り出してやよいの手に握らせた。本来の目的を忘れるなんてうっかりさんめ♡ 

 

「これ、合鍵」

「ふぇっ。……ぁ、うん」

「俺がいない時でもウチは勝手に使ってくれていいから。……それから困ったらすぐに──いや、困ってなくても何かあったらいつでも連絡してくれ」

 

 あの夏のイベントの時でさえ遅すぎたくらいだったのだ。やよいが限界になって若干幼児退行しながら甘えてくるレベルまで疲弊していたら元も子もない。

 誠意と本気を伝えるために、先ほど雑に被った帽子を一度取り、改めて彼女の頭を撫でた。なでなでと一流の髪の感触を味わうぜ。

 

「ぁわ……っ」

「頼っていいんだからな。やよいの為ならどこへだって駆けつけるから」

「──う、うん……♡」

「わっ……なんだ急に抱き着いてきやがって。こいつめっ」

「きゃっ、葉月ってば……くすぐったいよぅ、やめっ、あははっ!」

 

 撫でたりくすぐったりで散々楽しんだあと、暴れるな! 俺に見送られながらやよいは満面の笑みで先生を頭の上に乗せてウチを後にしていった。久方ぶりにイチャついたがなかなか気持ち良か~♡ 向こう十年は俺の家で寝泊まりしろって言おうかな。

 とりあえず突如やってきたピンチは何とか乗り越え、狭い押し入れでウトウトしていたマンハッタンをようやく外へ出すことができたのだった。

 

 

 

 

「秋川理事長にあんな所があったなんて……知りませんでした」

 

 夕方頃、マンハッタンが『あの子を助けてくれたお礼を改めて』との事で夕食を作ってくれる流れになった。制服の上にエプロン姿が似合いすぎ女。新婚生活疑似体験も悪いものではない。なんなら今ここで付き合え! ゆっくり距離を縮めようね♡ 焦らなくていいよ。

 

「いや、アイツがあぁなるのは……いとこである俺の前でだけだよ。他の誰にも徹底してあの面を見せることは無いんだ。周囲に求められる理事長としての威厳を保つために、ずっと──だからマンハッタンさん。今日の事は……」

「もちろんです……誰にも口外することはありませんから、安心してください」

「カフェ、カフェ、私には」

「あなたは直接見てたでしょ。まったく」

 

 まぁ、マンハッタンなら大丈夫だろうという考えは最初からあったが、心配しすぎてつい余計な口止めの催促をしてしまった。彼女はたった一人で怪異の秘密を抱え込み、事実やつらに直接襲われたトレーナーや常に一緒にいたアグネスタキオン以外は誰も怪異について知らなかったのだ。ゴールドシップは例外として……とにかく、しつこく口止めをお願いしようとしたことは今一度反省しよう。

 

「……そういえば夕飯は何を作る予定なんだ?」

 

 台所で右往左往する彼女のフリフリと動く尻尾がえっちすぎて参る。伸び代に驚愕。

 

「煮込みハンバーグです……」

「マジで。……割と本当に嬉しいな」

「あの修学旅行の日、デジタルさんと一緒に山田さんから聞きました。面倒くさいから作らないけれど、葉月さんの一番の好物だ……と」

「あの野郎ペラペラと……」

 

 ちょっと山田にいろいろ教え過ぎていたかもしれない。自分の好物くらい自分で言いたかったが、今回ばかりは感謝しておこう。

 確かに煮込みハンバーグは好物だ。

 もっと言うと樫本先輩が作ってくれた煮込みハンバーグが大好きだった。

 俺だけではなく、やよいの好きな食べ物でもある。あいつは最後に真ん中にニンジンをぶっ刺してたが。

 

「あ……いちごオレも冷蔵庫に入れてあります」

「俺の好みが完全に把握されてるな……」

 

 いちごオレは宿題でも運動でも何か一つやるべき事をこなすと先輩が都度くれたのがハマった理由だ。

 というか、他校の男子の好みを把握してるってそれソイツと恋人じゃないと理由が説明できないだろ。やはりマンハッタンカフェは俺のことを愛しているらしい。儀式の途中でどさくさに紛れて告白するか。

 

「そういえば……葉月さん。理事長先生が仰っていたイベントですが……心当たりがあります」

「心当たり? 何か聞いてるのか」

「はい。理事長秘書の駿川さんから……イベントの主役の一人として協力してもらうかもしれないので、そのつもりでいてください……と」

 

 夏のイベントといい最近のトレセンは随分と盛り上がっているようだ。

 しかしマンハッタンが“スケジュールに余裕ができた”と言っていた事を鑑みると、大規模なものではないかもしれない。

 

「私と──それからスズカさんと、ドーベルさんもお話を頂いていたようです。詳細はまだ分かりませんが……いま界隈を盛り上げるならあなた達以上の適任はいません、と……」

 

 サンデーと一緒に皿の準備やテーブルの上を拭きつつ聞いていたが、思わず手が止まりそうになった。

 イベントの詳しい概要は置いといて、理事長であるやよいが自ら生徒に直接説明しようと考えるほどの、何らかの大切な行事であの三人が主役を張るとは意外──あぁ、いや。

 

 全然意外なんかじゃないのか。

 三人ともレースでは一線級で活躍し続けているウマ娘だ。知名度の凄さはショッピングモールでサイレンスを囲んだ大量のファンや、大勢のギャラリーが見に来るような撮影会に参加していたマンハッタンの事を考えれば至極当然の話だ。

 いま、こうして一般的な男子高校生でしかない俺の家で彼女が料理をしてくれている事自体が、もはや宝くじの一等にも等しい奇跡的なイレギュラーなのだろう。俺でなければだがな。

 

「……やっぱり凄いよ。あの二人も……マンハッタンさんも。こうして俺なんかが一緒にいられる機会があるなんて、もう一生分の幸運を使い切ったとしか思えないな」

 

 自然とそんな言葉がこぼれてしまった。冗談交じりの本音だった。

 誰もが羨望したくさんのファンがいて尚且つガチ恋するような連中も後を絶たない、まさに国民的な有名人である少女と知り合い以上の関係にあるこの状況──なのにもかかわらず俺の中では、後方彼氏面する滑稽な気持ちよさよりも、三人に対する畏敬の念が絶えず湧き出していた。世界一いや、宇宙一なのか……?

 

「…………葉月さん」

 

 マンハッタンは相変わらずキッチンで作業しており、背中越しに会話を続けている。

 だが、今呟いたその声音は何だか妙にしっとりとしていて。

 どうにも料理中の片手間に話す世間話の声のトーンでは無いように感じられてしまった。何だ何だ。

 

「実は葉月さんがバイクで学園にドーベルさんを送ったあの日……あなたが学園を後にしてから、改めて私たち三人で話し合ったんです」

 

 話し合うとは、怪異の事だろうか。

 現に三人だけで奴らと戦ったワケだし色々考えてくれたのだろう。

 

「あの……怪異の事ではありません。葉月さんのことです」

「──俺の?」

 

 ドーベル、サイレンス、マンハッタンの三人で話す内容で、俺が関わる事なんかバイト先とか怪異の事情くらいしか無いだろう。一体何を話したというのか。

 気になりながらテーブルの前に座ると、マンハッタンは火と換気扇を止めた。どうやら料理は完成したようだ。

 

 彼女が鍋の蓋を開けると部屋の中に香ばしい匂いが漂い、まもなくテーブルの上に料理が置かれていく。ついでに匂いと見た目で俺の腹の虫もうるさくなった。

 よくできた煮込みハンバーグだ。

 とても丁寧に作ってくれたのがよく分かる。

 

「……私たちには共通点がありました。それはレースが走れなくなってしまう程の……高い、とても高い壁が立ちはだかったこと」

 

 箸とコップを置いてくれたマンハッタンの表情はいつも通りだ。

 ただ、その視線は俺ではなく自分が作った料理に注がれていて、まるで慈しむような穏やかな雰囲気を感じる。ママ?

 

「周囲の期待、思い通りにいかない脚、誰にも話せない秘密……折れてしまっても、諦めてしまっても“しょうがない”と思えるような……行く手を阻む鎖が私たちを縛り付けていました」

 

 スズカさんも、ドーベルさんも、私にも──けれど。

 けれど。

 そう言って彼女は区切った。

 今度はその顔を上げて、まっすぐに俺の瞳を見つめた。

 

「そんな時……導いてくれたのは──手を差し伸べてくれたのが、貴方だった」

 

 俺ってそんな導くだとか大層なことしたっけか。

 

「ふふっ……ピンと来ていないお顔ですね」

「わ、悪い……」

「いえ。それほど貴方にとっては当たり前の事だったのでしょう……だからこそ惹かれたのかも……」

 

 聞き間違いじゃなければお前いま惹かれてるって言ったよな? いよいよ婚姻の準備は万全という事かよ。

 

「──幸運だったのは私たちの方です。葉月さんは私たちを凄いというけれど、そこに貴方がいてくれたから……貴方と出逢えたからこそ……私たちは強くなれた」

「……そんな事は」

「本当の事です。()()()()()()()私たちの運命を変えてくれた──だから、本当に凄いのは葉月さんの方なんです。感謝してもしきれません」

「……ぉ、おう」

 

 よう言えたな♡ アッパレ♡ 気絶しろ。

 やめて、やめて。そうやって真正面から感謝をぶつけられたらどう返せばいいのか分からなくなっちゃうから。男子なんて褒められたら『そんなことねーし!』って強がる生き物なんだよ。めちゃくちゃに純粋な感謝で褒め殺ししてくるのマジで勘弁してくれ。静粛になっ!

 

「ぁあのマンハッタンさん、もう食おうぜ。腹減っちゃって」

「……ふふっ。はい、いただきましょう」

「カフェの手料理~」

 

 空気を読んで静かにしていたサンデーも加わり、美味しさで進む箸と恥ずかしい雰囲気を隠すための焦りでどんどんかっ食らっていき、夕飯の時間はあっという間に過ぎていったのであった。

 

 

 

 

 夜も更けそろそろ日付が変わる頃。

 やるべき家事全般を終え、寝間着のジャージに着替えて布団を敷いていると、後ろからサンデーに袖を引かれた。かわいい。一生分抱きしめたい。

 

「どした」

「お客さん用の布団、いらない。いつも私が使ってる方でカフェと一緒に寝る」

「いや、窮屈だろ」

「カフェと寝る場合に限り窮屈な方が好き」

「……お前はともかくマンハッタンさんが困るんじゃ」

 

 構いませんよ、と言って洗面所からパジャマ姿のマンハッタンが戻ってきた。女の子らしくて愛おしくなってきちゃった。責任取れよ。

 

「幼い頃、私が寂しいときは……決まって寝るときに後ろから抱きついてくれてたんです。密着して眠るのには慣れたものですから……大丈夫ですよ」

 

 そう言って屈んだマンハッタンはボストンバッグを漁り、中から白のペンダントを取り出した。

 合図に気づいた俺も黒のペンダントを身に着け、布団の上に座る。

 

「……葉月さん。電気……消しますか?」

「い、いや、いいよ。明るくてよく見える方が都合いいから」

 

 言いながらテーブルの上のルービックキューブを手に取り、自分の目の前に用意した。同じく知恵の輪やジグソーパズルなんかも置いてある。

 儀式中に頭がおかしくなってしまうのはもちろんペンダントの効力で理性が外れやすくなってしまうからだが、以前と違って度重なるユナイトや戦いで培った精神力を持っている今なら、集中するための別の物があればそれに意識を向けることができるはずだ。

 

 セクハラはしない。絶対にだ。

 彼女が俺に純粋な感謝を向けてくれていると再認識した今日だからこそ、むしろ何があっても性欲に流されるわけにはいかない。ペンダントを言い訳にするのも今夜で終わりだ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「ふぅ……はァっ……」

「もう少しです、葉月さん」

 

 解呪の儀式は思いのほか上手くいっている。精神力を鍛えれば理性は案外保てるものだったようで、儀式の終了直前になっても俺は冷静にパズルに専念していた。心臓はバクバクしているものの、ポーカーフェイスを貫ける程度には理性が残っている。グフフ。

 

 よく考えなくても今までがむしろおかしかったのだ。

 理由があるとはいえ自分のために時間を使ってくれている少女に対して、割と激しめなセクハラを働くなど言語道断。協力してくれる手前通報はされなくとも普通に嫌われるには十分すぎる理由だろう。

 それでも彼女たちが俺と縁を切らずにいてくれたのは、マンハッタンさんが口にしてくれた“導き”という実績と、なにより本人たちがとても心優しく器が広いスーパー寛大ウマ娘だったからに他ならない。

 

 ゆえに『儀式だからセクハラしてもバレないだろう』という考えは命取りなのだ。

 彼女たちとの縁を繋ぎ続けたいのであれば、俺は常に理性ある自分を保つための努力をし続けなければ。

 

「……はい、容量いっぱいです。お疲れさまでした……」

「…………。」

 

 ふと視線を横へ向ける。彼女がどんな表情をしているのかが気になった。うおっすっげ可愛い。

 マンハッタンは黒く濁ったペンダントを外そうとしている──が、これがどうして彼女は俺に視線を向けては外し、はたから見ても明らかにソワソワした様子だ。初めて何事もなく儀式が成功した後の反応とはとても思えない。

 

「……マンハッタンさん?」

「っ! は、はい。なんでしょうか……っ」

 

 露骨に上擦った声。斜め下に逃がす視線。モジモジと落ち着きがない様子。

 なんだこの反応は。

 

 はて。

 俺は何かやるべき事でも忘れているのだろうか。

 思い出してみよう、これまでの事を。以前までの儀式中にやった事と言えば……いや、セクハラしか無くないか。

 耳を甘噛みして、髪の匂いを嗅いで、しまいには押し倒してキスまでいこうとした事もあって、いずれにおいても押し倒したマンハッタンは無抵抗だった。交尾したいの?

 

 もちろん無抵抗なのは俺を傷つけない為なのだろうが、流石に自分の身の安全を考えるなら手首を抑えるなりもう少しやりようはあったんじゃないかと、今になって思う。

 儀式中の俺はウマ娘の腕力には勝てない一般人だ。押し倒すどころか組み伏せる事だって出来たはずだ。ユナイトすれば勝てるがサンデーが協力するわけもないし、精神の余裕とは裏腹にこの場でいつも優位的状況に立っているのは間違いなくマンハッタンの方だった。オマセさん。

 

「っ……? は、葉月さん、どうして手を握って……」

 

 ──今の俺はこれまでの理性崩壊とはまた違う状態にあるようだ。

 寧ろ素面の時よりも思考が冴えわたっているような気がする。安産型なのもやりすぎ注意。ケツ肉が育ってきたな? 身勝手な女め。

 いつもなら自分という存在を認められない低い自己肯定感が仮説を崩しにかかるところだが、理性が絶妙に外れかかっている今の俺は極めて合理的かつ自然な考えができると直感してしまった。

 そして諸々の前提条件と経験、予想も踏まえたうえで一つの仮説が生まれた。

 

 マンハッタンは今──この俺に襲われたいのではないのだろうか。この観察眼、真贋の判断、時代の寵児。

 

 分かっている。

 そんなはずないと叫ぶ心の中の俺の気持ちも理解できる。

 だが状況がそう物語っているのだ。知り合い初めの当時ならまだしも、今はこの仮説を後押しする材料があまりにも多すぎる。

 

 夏のイベントの際にしてくれた頬へのキス。

 好きな料理を調べて自宅に来てまで作ってくれるその献身。

 なにより好意を仄めかす──いや、好意を()()()()()()言動の数々。

 いつもの俺のために『マンハッタンカフェが自分の事を恋愛対象として好いている』とまでは言わないが、少なくとも『異性として見ている』という事は確実だ。それが分からないほど鈍感ではない。

 

 だが、少女の気持ちは分からない。ましてや相手はウマ娘だ。いくら考えたところで測ることはできない。

 そこで同じ感情を持つ者として、仮に俺が彼女の立場であった場合はどうなのかと考えてみた。

 

 ──期待、するのではないだろうか。変態。

 少なくとも俺なら、ペンダントを理由にマンハッタンが襲ってきてくれたら嬉しい。

 流されてもしょうがない理由がそこにはあって、後でどうとでも言い訳できる条件が揃ってしまっているのだ。あわよくば、と考えるのは自然なことだろう。

 もちろん合理的な判断ではないのだろうが、性欲に傾いた脳がまともな思考を逡巡できるわけなど無いことは、この俺が身をもって知っている。

 

 仮に。

 マンハッタンが今、俺との触れ合いで性的に興奮している状態にあるとすれば、たとえ恋慕の情を抱いていないとて発散の為にワンチャンあると思い込んでしまっても無理はない。困った事にお下劣だ。

 そこには彼女に異性として見られているという前提条件が必要だが、そんなものは火を見るよりも明らかだろう。どうあってもマンハッタンから見て俺は身近な“男”なのだ。

 

「……こっち来い」

「ふぇっ……あっ──」

 

 彼女の手を掴んで引き寄せる。性欲云々の前に、俺はこの仮説の是非をどうしても検証したくなってしまった。

 もしウマ娘が絶対に性的な事を考えず裏表のない天真爛漫な存在だとしたらこの仮説は成り立たないが、ウマ娘はそんな山田の理想みたいな存在ではないと俺は思っている。

 

 彼女たちも一人の少女だ。

 そしてマンハッタンカフェはこの数か月間、俺と距離感が縮まって然るべき段階をいくつも踏んできた少女だ。

 命懸けで守り、支え、隣を歩いた。

 いまここで仮説を検証する権利が俺にはあるのだ。ではやろう。やっていこう。

 

「マンハッタンさん。今の俺はどう見えてる?」

「え、えぇと……」

「いつもの俺? それともペンダントでおかしくなった俺か?」

「……それは……わか、りません……」

 

 この女はあくまでとぼける方向に舵を切ったらしい。これで仮説は立証された。やっぱり見立て通りのマゾメスだったな。

 マンハッタンカフェは俺に流されたがっている。ここで間違えてしまってもいいと、自分に言い聞かせてしまっている。

 ならばやる事は一つだ。ね、カフェちゃんキスしよ~よ。

 

「……ズルいな、マンハッタンさんは」

「ひゃっ、ぅ……♡」

 

 髪を撫でると小さく鳴いた。流石一線級ウマ娘、情熱的だね。レシプロエンジン。

 じゃあこのまま流してやろう。

 俺の流れで飲み込んでやろう。もう遅い、のろまめが。

 

 本人が望んでいるのなら、間違った方向にそのまま突き進んでやればいい。双方合意の極めて健全な判断だ。咎めるひとなど誰も──

 

 

「いいの?」

 

 

 ──いないはず、だったのだが。

 耳元で囁かれた言葉が俺の手を止めた。

 マンハッタンはすっかりトロンとした虚ろな目で恍惚とした状態にあり、彼女の声が届いていないみたいだが、今日まで選択と決断をこの少女に与えられ続けた俺はすんでのところで立ち止まれてしまった。

 

「ハヅキが誰と何をしても、基本的には何も言わないつもり。邪魔をする権利は私にはない」

 

 事実こいつはそうしてきた。

 サイレンスと出かけようが、ドーベルに協力しようが、マンハッタンに迫ろうが何をしても何も言わなかった。

 

「でも、ハヅキ自身が本当に後悔しそうなときは、一言だけ言わせて欲しい」

 

 以前もあった。

 彼女が俺の“決断”を引き留めて“選択肢”がある状態まで戻してくれたことがあった。

 夏のイベントの後の夜。

 相棒は同じように待ったをかけた。

 とても強力な怪異と戦い、もう誰も巻き込まないよう他人を突っぱねようとした俺を、マンハッタンたちからの感謝の心すら嘘だと決めつけて一人になろうとした俺を──彼女は見過ごさなかった。

 

「ハヅキ」

 

 俺の()()であり続けてくれた少女だ。

 

「戻れない場所へ踏み込む一歩が──そのペンダントっていう言い訳でいいの」

 

 まぁ、つまり。

 どういう事かというと。

 

「…………そうだな。ズルいのは俺だった」

 

 このまま負けてしまっても構わないが、お互いが素面の時で、なんにも特別な事情が無いときに告白して抱きしめた方が男らしい結果になる。

 そうすればこのままペンダントとマンハッタンの感情を言い訳にして歪な繋がりを生むよりも、よっぽど後悔しない未来に進めるだろう──と、そういう事なんだ。

 それが正解かどうかではない。

 理由は何であれ据え膳食わぬは男の恥とか、そういう考え方も勿論あるだろう。ここで何もしないほうが男らしくないと言うこともできる。

 

「いいの、ハヅキ」

「いいんだよ、サンデー」

 

 だから俺のサイドキックは合理的なんじゃない。

 ずっと近くで、ただ俺の傍に寄り添ってくれているだけなのだ。

 

 

 

 

「お恥ずかしいところを……うぅ……」

 

 翌朝。

 俺が用意した朝食の前で、マンハッタンカフェは耳まで真っ赤にして顔を覆い隠していた。おお可憐すぎるフェイス。謝れ。

 聞くところによれば、呪いを吸って黒く濁ったペンダントの方にも、僅かながら装着者に与える影響が存在するらしい。

 

 といってもかなり微量なもので、いつもなら吸い切った後すぐに外すから何も無かったところを、俺が引き留めてしまったがゆえに彼女も少々熱に浮かされてしまったらしい。

 よく考えれば誰よりもサンデーと一緒にいたマンハッタンが、俺に流されそうになっていたとはいえ彼女の声が聞こえなくなるほどの恍惚とした状態に陥ってしまうなんて普通ではなかったのだ。そこに気がつくべきだった。

 サンキュー相棒。助かったぜ。

 

「ん……ハヅキ、本当は惜しかったとか思ってる」

 

 は? うるせぇなアダルト向け幽霊モドキめが。人間様にドエロく歯向かうというのか。

 

「カフェもカフェ」

「……これから儀式をするときは必ずスズカさんかドーベルさんを呼びます……」

 

 タイマンだとお互い流されそうになるのが判明したからな。サンデーはそう何度も指摘しないだろうし常に第三者の介入が必要。

 

「ところでマンハッタンさん。着替えで勝負服は着なかったみたいだけど、今日はこの後レースとかがあるのか?」

「えっ──」

 

 言った瞬間箸を持っているマンハッタンの手が止まった。また俺何かやっちゃいました?

 

「……なっ、なんで勝負服のこと、知って……っ?」

「え。いや、サンデーが」

「待ってハヅキ。違うカフェ。違うの。あの、咄嗟に言ってしまったけど、あの時は言わないといけなかったというか」

 

 言い訳が効力を発揮するよりも早く、マンハッタンはお友だちのほっぺを割と強めに引っ張った。柔らかそう。

 

「……あなたって、本っ当にデリカシーが無い……っ!」

「ふへぇえぅっ、ごえんなはい……」

 

 何だかアグネスタキオンに怒ってるときの彼女が見れたようでレアな光景だ。このまま放っておこう。

 ……結局のところ、勝負服は何のために持ってきたのだろうか。使わないなら一回着て見せて♡

 

 



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最悪な運命を引き寄せたな 何か言うことは?

 

 

「──えっ、樫本先輩が?」

 

 マンハッタンがトレセンに戻った翌日の夕方。

 久方ぶりに店内の客数が少ないバイト先の喫茶店で、俺はカウンター席に座った理事長秘書の駿川さんと話をしていた。

 今日のバイトは俺一人だ。店内デート♡

 

 不慣れながら店長が始めたSNSの事前告知のおかげで、ドーベルたちウマ娘が出勤しない日はほぼ以前と同じくらいの客足で落ち着いている。今も駿川さん以外のお客さんはゼロだ。

 みんな現金というか……まぁ忙しくなり過ぎないのは俺にとっては良い事なのだが。

 

 ドーベルたちが俺のシフトが入っている日に来ていない理由は簡単で、昨日マンハッタンが話していたイベントの準備が忙しいからだ。

 で、そのイベントが始まる日に──恩人が中央トレセンに帰ってくるという情報を、たった今駿川さんから聞かされた。俺を驚かせることに余念がない。虚を突かれる思いだぜ。

 

「えぇ、ちょうどイベントの当日にこちらへ戻ってきて協力してくれるそうなので。葉月君もどうですか?」

「どうって……いや、無関係の俺が裏方に回っていいんですか」

「あはは、無関係なんかじゃないでしょう。葉月君は理事長秘書補佐代理なんですから」

 

 それはイベントの時に作った架空の役職なんだが。

 まぁ、内部へ入り込める理由があるなら使うに越したことはない。

 

「ちなみに秘書補佐は空席なので自動的に代理の葉月君が補佐に回ります♪」

「あの……本当に存在するんですか? 秘書補佐って席」

「……ふふっ」

 

 おい目ぇ逸らすな小賢し女。美しすぎる可憐な女。お前俺のことが好きなのか?

 スーパー万能ハイスペック・ウーマンとして名高い駿川さんに補佐なんて必要ないと思うのだが、ここまで誘導されてしまった以上はしょうがない。アレで条件を飲んだ俺の責任だ。

 

「後で概要をメッセージで送っておきますから、当日は裏口から直接理事長室までお願いします」

「え、理事長室って……トレセンでやるんですか、イベント?」

「一日目は、ですけどね。祝日と土日の計三日間の開催になります」

 

 マジのウルトラ有名人であるあの三人を羨ましく思う事もあったが、休みを返上してまでイベントに出演すると考えると彼女たちも彼女たちで大変なんだなと再認識した。

 そういう時こそ暇を持て余している一般学生の俺の出番というわけか。淫猥な気付きをたくさん得たよ。

 

「……あ、二日目と三日目もついていって大丈夫なんですかね、俺」

「もちろんです。……とはいえホテルに泊まる彼女たち主演ウマ娘と違って、夜は私と同様の車中泊になってしまいますが……」

「全然問題ないです。寧ろ寝床があるだけありがたいっすから」

「……ふふっ、男の子ですね。最近は夜も随分冷え込みますし、寝るときは二人で温め合うのもありかも……?」

「な、何を言ってんですか……」

 

 年下の男をからかうのがお好きなようで。だが俺は惑わされない。むしろそっちを惑わすくらいの気持ちで臨む所存だ。舐めんな。舐めるぞ。

 

「では当日もよろしくお願いしますね、葉月君」

「えぇ、また」

 

 ──といった流れで再びトレセン主催のイベントに裏方側で参加することになったのであった。がんばるむん。

 

 

 

 

 数日後、いつにも増して車がたくさん止まっている駐車場までやってきた。今日はイベント当日だ。

 

 ところで──実は結構ムラムラしている。

 性欲を持て余した高校生の男子なんて年がら年中ムラムラしてるのかもしれないが、それに輪をかけて性欲が爆発寸前まで肥大化している。今宵の月のように。

 

 というのも、昨晩に“カラス”と戦ったせいでこうなってしまっているのだ。

 久しぶりに顔を見せた害獣野郎だったが、夜中に姿を現したと思ったら軽い小手調べのような雰囲気で、いつもよりも幾分か短いコースしかない異空間を作り、負けた後はさっさと退散してしまった。

 

 しばらく戦っていなかったから今の俺の実力を軽く調べておきたかったのかもしれないが、中途半端な時間に中途半端なレースを走ったせいで俺の中の欲求が大変なことになってしまっている。出過ぎた杭。

 

 三大欲求が肥大化したサンデーとユナイトするとはいえ、思いっきりレースを走り切ることができれば気持ちのいい運動で多少はスッキリするものなのだ。

 しかしそれさえも中途半端──今の俺は結構ヤバい。

 現在の時間帯は早朝。

 増幅した三大欲求が絶賛暴れまわっている。

 

 朝食を済ませる時間が無かったせいで食欲が腹の虫を鳴かせていて、深夜にバトって早朝に帰ってきたから睡眠時間もロクに取れずクソ眠い──そして性欲。

 特に性欲に関しては数日前のマンハッタンのアレからずっと引きずっている。アイツどこまで俺を高揚させるおつもりか? 堪忍袋の尾があるよ。

 

 なんせシリアスな雰囲気で淫靡な雰囲気をぶった切った直後なのだ。たとえ性欲があり余っていようと、この流れでサンデーに“いつものアレ”を頼み込むのは……なんか、こう……無理だ。マンハッタンがダメだったからお前で、みたいな軽薄な男だと思われたら余裕で死ねる。

 

 というわけで我慢していたわけだが、完全に裏目に出た。まさかカラスに様子見という選択肢があるとは微塵も考えていなかったのだ。ちゃんと走れれば少しはスッキリしたかもしれないのに──

 

「……秘書補佐? 聞いているか?」

「えっ、あっ」

 

 うるさいぞこわっぱめが! エヴォリューション!

 資料を持って説明してくれている理事長ことやよいの一言で我に返った。どうやらボーっとしてしまっていたらしい。

 

「集中ッ! 表に出るウマ娘たちだけでなく、我々の気を引き締めなければイベントの成功は無いっ!」

「す、すみません、理事長。以後気をつけます」

 

 他の大人たちもいる都合上……というより二人きりの時以外は、秋川やよい理事長には敬語を使い、彼女は俺に他人と同様の態度で接するようにしている。今のコレは身内関係なく普通に怒られただけだろうが。許せ! 心からの願い。

 

「配置ッ。ではそれぞれ所定の場所で待機してくれたまえっ!」

「……では葉月君、私たちも行きましょうか」

 

 理事長の合図で一時解散し、大人たちが理事長室から退室していく。それを全員見送り自分も上司である理事長秘書についていこうとしたとき、さらにその上司である理事長に引き留められた。上目遣いによる極上の逸品を隠し持つとは。俺は許してもお天道様は許さんよ。

 

「ま、待って。……あの、葉月……もしかして具合悪い? 何だかちょっと顔が赤いけど……大丈夫?」

「ぜんぜん平気だよ。少し寝不足なだけだから、ちゃんと調整してすぐ治す。……すいません理事長、僕も待機位置に付きます」

「う、うむッ」

 

 イベントの為にあれこれ四苦八苦しているやよいを更に苦しめる事にはならないよう、なるべく平常な表情を作って理事長室を後にした。

 クソねむい。

 腹が減った。

 あり得んほどムラムラする。

 割り当てられた仕事が少ないとはいえ、フラついて誰かに迷惑をかけたら本末転倒だ。本格的にダメになる前に、やるべき仕事を終えたら駿川さんに許可を取ってどこか静かな場所で休憩を取ろう。

 俺と配置場所が違う駿川さんと別れ、そのまま廊下を歩いていると見覚えのある人物に遭遇した。

 

「……サイレンス?」

「あっ、葉月くんっ」

 

 勝負服でも制服でもなく、イベント限定の特別な衣装だ。お腹が見えてて非常に猥褻。

 俺を見つけて駆け寄ってくる──かと思ったらサイレンスは途中で立ち止まってしまった。そのまま来れば抱き留めてやったというのに。

 

「っ!? ……ぁ、あの、葉月くん……」

「何だよ。どうした?」

 

 チラチラと視線を右往左往させて次第に顔が赤くなっていくサイレンス。

 なんだなんだ。俺もお前もまだ何もしていないのに。

 

「いえっ、その……えと……」

 

 よく分からない。一体何に対して困惑しているのだろうか。欲求不満と見た。

 

「……は、葉月くん、ジッとしててくれる……?」

 

 困惑する俺を置いてけぼりにして、なんとサイレンスは俺の目の前で膝立ちになってしまった。何をやってんだ遂に服従か? 悪くない。

 彼女の行動に困惑しつつ言われた通り固まっていると、跪いた少女は俺の()()()()()()に手を伸ばした。

 

「よいっ、しょ……」

 

 ジジジッ、と硬いものが擦れるような音が鳴った。

 下を見る。

 サイレンスがいる。

 彼女の指先には小さい金属がつままれている。

 それを上まで上げて、少女は比喩抜きに耳まで真っ赤にして、金属から手を離したあと斜め下を向きながら小さい声で呟いた。

 

「…………あの、ズボンのファスナー、開いてたから……閉めた……」

 

 ──。

 

「ぜっ、絶対に秘密にするわ……っ! 葉月くんも知られたくないだろうし……本当に、二人だけの秘密に……っ」

 

 ほう。

 なるほど。

 そういう事か。

 

 ──平常時なら取り乱すところだった。

 焦ってひっくり返るどころか、思考停止してそのまま泣くまであった。

 しかし今の俺は正常ではない。腹減りすぎて眠すぎてムラムラしすぎてあまりにもヤバいこの状況では、逆に物事を俯瞰して見れる状態に陥っていた。冷静に現状を分析しようではないか。

 

 まず、俺のズボンのファスナーが開いていた。

 これに関しては原因が明らかで、深夜に寝間着のままカラスと戦って帰宅した後、時間が無さすぎて急いで制服に着替え──その時に閉め忘れてしまったのだろう。

 

 今の三大欲求トリプルバースト状態の俺であれば、確かにボーっとしがちだしこういった凡ミスもあり得ない話ではない。しかし少々恥ずかしい。ホッ♡ 少しばかりイグッ♡

 

 では最初から開いていたとして、理事長室での話し合いの際に誰にも指摘されなかったのは何故なのか。

 あの時、入室したのは俺が最後だった。既に大人の人はみんな資料に目を通していて、イベントの都合上部屋の出入りがそこそこ多い状況では俺が入ったとて気にする人物は誰もいなかった。それは話し合いに集中していたやよいや駿川さんも然りだ。

 

 そして大人たちの退室時、俺は資料を持って手を前に組んでいた。紙の資料でちょうどファスナーの位置が隠れていたのだ。日本男児の装い。

 やよいと話したのも一瞬。

 首だけを彼女の方へ振り向かせたため、ズボンのファスナーはそもそも彼女には見えない。マヌケめ。

 そして駿川さん。俺と彼女は常に目を見て会話していた。身長は俺の方が高いものの、下を注視しなければ気づけないほど俺たちは近い距離感で接していた。近すぎんだよ! ベロキスで愛情込めると心得よ。

 

 で、サイレンス。

 彼女が気がついてくれたのは、単に距離の都合上俺の全身を見ることが出来たからだ。つま先から頭のてっぺんまで目に入る距離に彼女はいた。

 そしてサイレンスはどういうわけか『ファスナーが開いている』と指摘するのではなく、俺の目の前に跪いて自らの手でファスナーを上に上げてしまった。国家反逆罪。

 

 たぶん俺を傷つけないよういろいろ考えた結果ではあるのだろうが、単純に絵面が問題だ。跪いて男子のチャックを閉めてるこの状況がマズすぎる。俺が俺でなくなる……っ!

 

「……ありがとな、サイレンス。冗談抜きに助かった」

「ぁっ……」

 

 とりあえず社会の窓を閉めてくれたサイレンスにはお礼をしないとと思い、反射的に跪いた状態の彼女の頭を優しく撫でた。

 すると耳が喜ぶウマ娘。おいやはりただのメスなのか? それとも栄光を掴むのか。どっちなのだ!?

 教えずに直接触れてきた件に関しては礼を言うべきか迷ったが、公園の握手洗いやお別れの握手など、よく考えれば以前から彼女の距離感は独特なものだったのだ。これも素直に善意から来る行動なのだろう。ムラムラ精神にまごころが響く。

 

 とりあえず一件落着。

 大事に至る前になんとかなった──そう思っていたのだが。

 

 

「…………は、葉月……? っ……なに、を……ッ」

 

 

 顔を上げた視線の先には、数年ぶりの再会になる黒髪の女性がいた。

 これまでの人生で最も尊敬している人間であり、幼い頃の俺を“人間”にしてくれた大恩人。

 樫本理子。

 いままでずっと会いたくて、しかし今この瞬間に置いては一番会いたくなかった人物だ。

 

「……葉月くん?」

 

 そんな相手に、自分の前で跪いている女子の頭を撫でている光景を、たった今見られた。

 俺の社会的立場と恩人からの好感度がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく感覚を感じながら、眠気と精神ダメージが合わさって限界に達した俺はそのまま後ろへぶっ倒れたのであった。クッソ無様でございますね。

 

 



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番外:バレンタイン

今回だけ主人公以外の視点なので語録ほとんどないです♡ 時系列はたぶん本編のどこかです♡ むほ~♡


 

 

 数日後にバレンタインというイベントを控えた少女たちは忙しない。

 

 葉月(ハヅキ)が授業を終えて帰路につく道中、街の至るところで中央トレセン学園の制服を着たウマ娘たちを見かけた。

 チョコでいいのか、クッキーにしようか、大福とかキャンディーとか一周回ってアレなんてどうか──少女たちは当日に向けてあぁでもないこうでもないとアイデアを出し合いながら材料調達に四苦八苦している。

 それはハヅキが通う高校の女子生徒たちも例外ではなく、何気なくイベントなどで活躍している彼に何かを渡したいと考える女の子は少なくない。

 

「ライスさん。こちらの型などはいかがでしょう」

「わっ……それかわいいね、ブルボンさん! ……で、でもライス、ちゃんと渡せるかなぁ……」

「心配いりません。私も彼の分を作って一緒に渡します。二人ならば恐れることは何もありません」

「……っ! い、いいの?」

 

 レースで苛烈な戦いを繰り広げている彼女たちも、この時期は一人の恋する乙女だ。

 プレゼントの内容を知られたくないのか、彼を見かけたウマ娘はその誰もが焦って身を隠している。

 

「わっ、せ、先輩だ……っ!」

「別にウオッカのほうなんて見てなかったわよ?」

「スカーレットだって隠れてんじゃねえか!」

「う、うっさいわね!」

 

 どこを見ても見覚えのある顔ぶればかりだ。

 遠くの方には以前ゴールドシップと名乗っていたウマ娘を盾にして焦って隠れている芦毛の少女がいるし、ウマ娘のオタクを自称していた少女や他にもちらほら。

 いろいろなイベントを経て認知度を高めた彼は、どうやら街を出歩くだけでも目立つ存在へと昇華してしまっていたらしい。

 

 それで、当の本人は何を考えているのかというと。

 

『バレンタインの当日は放課後にバイトがあるが、あの帰りのタイミングなどで期待してしまってもいいのだろうか。さっきデパートでお菓子の材料っぽいの買ってるドーベルとか見たし。俺たちそういうのを渡し合ってもいい関係性ではあるはずだよな。ね、俺たちマジで付き合わない?』

 

 いつも通り、期待と懊悩で周りが見えていない。

 

「へへっ──痛ッ!」

 

 だから電柱にもぶつかる。

 

「いってぇ……くそ……っ」

「ハヅキ。前を見て歩いたほうがいい」

「わかってるよ……」

 

 頭を押さえながら再び歩き始めるハヅキ。さすがに危ないと思ったのか、スマホもポケットにしまい込んだ。

 こんなだらしない彼でも、無視できない女の子たちがいるのだから世の中不思議だ。

 

『帰ったらチョコ受け取った時のセリフ考えておこうかしら。……いや、キザったらしいこと言ったら逆にキモいか? さりげない方がいいのかな』

 

 逡巡している彼のスマホに着信がきた。取り出すと、画面にはサイレンススズカと表示されている。

 

『なになに──バイトが終わったあと家まで行っていいか、だと。何? 待ちくたびれちゃった? かわいい子猫ちゃんだ。でもその日は交尾しないでおこっかな~』

 

 あ、鼻の下が伸びてる。思考が混乱すると本当にすぐ顔に出るタイプだ。

 

「……チョコ、たくさん貰えるといいね」

「お、おう。何だかんだで知り合いは多くなったし、さすがにちょっと期待しちまうな……──いだっ!」

 

 そう言って、たくさんの少女たちと縁を結んでいる妖怪縁結び男は、歩きスマホでまた電柱にぶつかるのであった。

 

 

 

 

「サンデー。準備はできたか?」

「ん。いまいく」

 

 翌日の土曜日。

 あの少女たちからのプレゼントへの期待しか考えていなかった昨日とは異なり、この日の彼は比較的落ち着いていた。

 バイクに跨り、私を後ろに乗せて午前中に家を出立。

 小一時間ほど風とドライブした先で到着した場所は、見た事のない林道だった。

 まったく人気のない、静寂に包まれた砂利道だ。

 都会から外れた辺鄙な場所にやってきた彼は付近にバイクを駐車し、すぐ近くにあった倉庫の中から何やら掃除用具を一式手に取って、その道を進み始めた。

 

「……あ、そういえば誰の墓かまだ言ってなかったな」

 

 ザッザッと小石を踏みしめながら、彼は気がついたように声を上げた。

 事前に聞いたのは『お墓参りに行く』という話だけで、確かに誰がそこで眠っているのかは聞いていなかった。

 

祖父(じいさん)だよ。樫本先輩と出会う前はじいさんだけが俺とやよいの味方だったんだ」

 

 あの従妹である少女は仕事で忙しそうだから、という理由で呼ばなかったらしい。自分が声をかけたら彼女は無理をしてでも時間を作ろうとすると気づいていたようだ。

 ──彼の祖父の話はあまり聞いたことがない。

 概要として知っているのは、厳しい家系である秋川家の中で唯一自分たちに親身に寄り添ってくれていた相手だった、という事だけだ。

 彼が自分から話す事でもなければ、わざわざ私から質問するような内容でもなく、今までずっと保留になっていた。

 

「秋川家の人間が埋葬される墓地ってのは別の場所にあってな。変わり者のじいさんだけ生前の要望でこんな辺鄙な場所に一人で埋葬されてんだ。おかげで墓を掃除するのが俺ぐらいしかいないんだよ」

「ふーん……」

 

 彼の家系の事情は詳しく知らない──心を読んでしまっているので知らないワケではないか。ともかく詮索しないように気をつけてはいたのだが、いつの間にかハヅキの方から話すようになっている。

 

「……まぁ、じいさんの墓なんて教えるのはサンデーが最初で最後かな。悪かったな、休みの日にまでこんなところへ連れ出して」

「別に、いい」

 

 いろいろな事情は重なっているが、彼と一緒にいるのはカフェの為であり、自分自身の意志でもある。

 今さら文句などあるわけがないのに、それを当たり前にしないでハヅキは気を遣ってくれている。

 

 いつでもこっちの事を考えてくれているとなれば、なるほど男子にあまり免疫がない中央の少女たちにとって気になる存在になるのも頷けるというものだ。

 少し経って、掃除やら諸々を済ませて墓の前で手を合わせると、意外なほどハヅキはさっさとその墓地から離れていった。

 他人の前で墓に向かって何か喋るというのは憚られるものなのだろうか。別に私は気にしないのだが。

 ──そのまま帰りはハンバーガーを買って、ピクニックみたいに公園のベンチで二人で昼食をとったあと、何事もなく帰宅した。

 

 

 

 

「うぅ゛ー……」

 

 そしてバレンタイン当日──ハヅキは風邪をひいて寝込んでいた。

 昨日の夜、コンビニの帰りに通り雨に降られたのが原因だと思われる。

 学校やバイト先にも休みの連絡を入れて、本来であればイベント尽くしだった今日の予定はすべてキャンセル。

 クラスの男子たちの中で誰よりもチョコを貰えるはずが一気に最下位に落ちて『無意識に優越感に浸っていた罰か……』と自嘲しつつ、彼は布団から動かない。動けない。

 

「サンデー……わるいんだが、お茶をとってくれ……」

「はい」

 

 お茶を注いだコップを持っていくと、彼は一気にそれを飲み干してため息をついた。熱は下がってきているようだが今日のところは絶対安静だ。

 

「くっそう……なんで俺ってこう、間が悪いんだろうな……」

 

 まぁ、確かに。

 夏のイベントの時も怪異に邪魔をされたし、意中の女の子と出かければファンに出くわして予定が狂うし、いろいろとタイミングが悪いと言われたら否定できない。

 本来なら関わりようがない相手と縁を結ぶための流れは作れても、その分の対価として王道なラブコメ展開には持っていけないというのが、彼の持つ運命力の特徴なのかもしれない。

 何はともあれ、風邪は普通に可哀想だ。

 

「うぅ……」

 

 熱が出て動けないときは、平気だと考える自分の意志とは裏腹に人恋しくなるものだ、というのを聞いたことがある。

 普段はクールなカフェも風邪をひくとよく私を探していたし、本能的に誰かに対して助けを求めたくなるものなのだろう。

 

「ハヅキ、だいじょうぶ?」

「だめだ……腹も減った……」

「ん、お粥を作るから待ってて」

 

 ハヅキは一人暮らしだ。家族は海外にいて、こういう時は誰にも頼れないし心細くもなると思う。

 そこにバレンタインの予定を全部壊されて落ち込んでいるとなれば、彼の心境は計り知れない。

 ……。

 お見舞いに来る人はそこそこいるだろう。

 あの三人はもちろんのこと、たぶん山田君だって学校のプリントとかを持ってきてくれるに違いない。

 けれど、やっぱりそれは『お見舞い』であって、家に長居することもなければ看病なんてもってのほか。そっとしといた方がいいと考えてみんな彼とは一定の距離を取ろうとするはずだ。

 そうして欲しいとハヅキも言うだろう。

 となると、じゃあ、少なくとも()()私しかいない。

 

 風邪をひいて心細くなっているのだろうし、今日くらいはチョコレートくらい甘すぎる対応がちょうどいい。

 

「お粥、食べられそう?」

「んん……食う……」

「はい、あーん」

 

 第一、ハヅキはまだ高校生だし。

 弱った時は誰かに甘えていいはずだ。誰もいないなら、今は私がそれになろう。

 

「汗かいたでしょ。体を拭くから、上を脱いで」

「……なんか情けなくなってきた」

「別に、私の前でまで格好つける必要はない。治ったら貰いそびれたチョコを受け取りに行くんだろうから、かっこつけパワーはその時まで取っておいた方がいい」

「……そうだな……うん……」

 

 普段の彼なら食って掛かりそうな発言もスルーとは、本格的に病人らしい。なるべくキツイことは言わないようにしようかな。

 

「チョコ……」

「今はないから、ココアでいい?」

「食べたい……チョコ……」

「どうせみんなから貰える。今は安静にして」

「……わかった。……ココア、頼む」

「んっ」

「…………ありがとな、サンデー」

 

 

 そんなこんなで、結局バレンタイン当日に彼に甘いものを渡せたのは私一人だけになってしまった。あげるつもりがなかった自分だけがそうなってしまったのは何だか妙な気分だ。

 それから後日。

 ハヅキが普通にムカつくくらい大量のチョコを貰ったため、半分くらい私が食べることになったのであった。もうチョコいらない。

 

 



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しっかり公私共に支えてもらうからね♡

 

 

 イベントは恙無(つつがな)く進行している。

 

 今回の内容はトレセンの宣伝と並行して、前途有望な素質あるウマ娘を見つけ出すためのものでもあったらしい。

 まだ地方にも中央にも入学していないトレセン志望の小学生のウマ娘たちを、世間を賑わす大スターウマ娘たちが併走したり一緒にライブ体験をして夢を見せる──という、そんな大切なイベントの最中に一般男子高校生の悩みなんてノイズを持ち出せるはずもなく。

 もう何も考えない……そう決めて思考と感情を殺し、俺はイベントのスタッフとして従事していた。

 

 今朝の出来事は別に解決はしていない。

 まるで俺がサイレンススズカにいかがわしい行為を行っていたかのように見える光景を目にしたかつての恩人──樫本理子先輩はコホンと咳払い一つで表情を切り替え、持ち場へ向かうようにと一言告げて去っていった。

 大人の対応にもほどがある。

 ズボンのファスナーを閉めてくれたサイレンスの頭を撫でるとかいう意味不明な場面を先輩に見られたショックでぶっ倒れた俺だったが、肉体が物理的に強くなっているせいで都合よく気絶することも叶わず、結局弁明もできずなあなあで今日一日を過ごしているのが現状だ。

 

「……はぁ、疲れた」

 

 空が一日の終わりを感じさせるような茜色に染まり始めた頃、仕事がなくなった俺は中庭のベンチに腰を下ろして一息ついた。

 イベントは間もなく終了する。

 小学生のウマ娘たちは心底楽しそうにしていたし、テレビの中継でお茶の間に姿が流れたことで中央のウマ娘たちの認知度も更に倍増と、イベント自体は大成功だ。

 今日は中央トレセンでの開催だったが、残りの二日間で別の地域へ赴く彼女たちは、またその名を世に知らしめることになるだろう。全く自慢の嫁たちだ。

 ……いや嫁じゃねえわ。

 何言ってんだ俺。

 

 ──あのとき樫本先輩の顔を見たその瞬間から、心に張り付くような緊張感が続いている。

 おかげで他に余計なことを考えずに済みスタッフ作業に集中できたとも言えるが、緊張しすぎて段々と疲れてきた。

 とりあえず今の俺は限界に近い。それだけは何となくわかる。

 性欲でイライラする。食欲で落ち着かない。睡眠欲で頭が常に茫々とした状態だ。夜中に襲ってきた怪異に対処した影響で増幅した三大欲求がうるさすぎる。

 

「──葉月、お疲れ様。缶コーヒーで良かったかしら」

「えっ。あっ、……ありがとう、ございます。……先輩」

 

 ベンチで俯きながら思考に耽っていると後ろから声をかけられた。

 凛々しい顔つきに艶やかな黒髪、スラッとした体型でスーツを着こなすその女性は──樫本先輩だ。

 相も変わらず美人な女。男に告白されることも少なくなかったのに『今はあなたの事で手一杯だから』という理由で全部を断っていた、非常にもったいない先輩。

 

「……? 私の顔に何かついてる?」

「な、何でもないです」

 

 ついジッと顔を見つめてしまった。不敬。

 

「あら、もしかしていちごオレが欲しかった?」

「いえ……さすがにもうそんな歳じゃ……」

 

 さりげなく隣に座ってきた樫本先輩にビビって、思わず拳一個分ほど距離を取ってしまった。

 いちごオレは今でも飲んでいる。しかしこの人の前だと何故か強がってしまう自分がいた。大人ならここで開き直って笑いの一つでも取っていたのかもしれないが、彼女の前だとこれがどうして子供でしかいられなくなってしまうらしい。

 ドーベルとの少女漫画のロールプレイの時や、サイレンスやマンハッタンに対して頑張って見せているあのさりげない余裕が出せそうにない。

 もちろん今の俺が状態異常にあるというのもあるがそれ以上に数年ぶりに恩人と再会して──とても()()()()()()()()()()ようだ。

 

「……ぁ、あの、先輩。今朝のは──」

「サイレンススズカ本人から聞いたわ。身だしなみは家から出る前にちゃんと整えなさい。ネクタイはしっかり結べているのだから、襟もズボンも靴も都度確認、ね」

「……はい。すいません」

 

 ちょっと怒られてしまったが、大変な誤解には至らなくて安心した。そこら辺の事情をしっかり精査してから判断してくれるのはさすが大人といったところだろうか。

 

「それにしても……意外だったわ。まさかあなたが率先して中央の手伝いをしていたなんて」

 

 校舎見学で歩き回っている小学生のウマ娘たちを眺めながら、先輩は感慨深そうに呟いた。

 

「あの子たちくらいの歳の頃の葉月と言えば……ほら、なんというか……ね?」

「……いつの話をしてるんですか。さすがにもうあの頃みたいなワガママな言動はしませんよ」

 

 子供じゃあるまいし──という言葉はすんでのところで堪えて、代わりに缶の中の苦い液体を飲み込んだ。缶コーヒーは俺が上手く会話を繋げられない事実をそこはかとなく誤魔化してくれる。今の心細い状態ではこんな缶ひとつがとても頼もしい仲間に見えてしまっていた。

 

 たぶん、彼女からすれば俺はまだ子供のままだ。成長して精神的に熟してるとは自分でも思えない。

 こうして現在進行形で感情と欲望に振り回されて、余裕がない状態に陥ってしまっているのがいい証拠だろう。

 

「もしかして……秋川理事長を助けるため?」

 

 それも勿論ある。中央トレセンの付近に寄っただけで動悸が激しくなっていた昔の俺を知っている彼女からすれば、従妹を守るために無理をしてここにいるのではないかと考えるのも無理はない。

 しかしそれだけではないのだ。

 きっと今の俺は、自分自身のワガママで行動してしまっている。

 

「……理事長の助けになりたい気持ちはあります。でも、それよりも今回は先輩が帰ってくるって話を聞いたからここに来たんです」

「私が……?」

 

 ピンと来ていない表情だ。

 冷静に思い返して、俺たちがどれほど離れていたのかを思い出してほしい。

 小学校を卒業するよりも前に先輩とは離れ離れになった。

 まだ学生だった先輩は進路に思い悩み、正直に全てを話してくれたのに──俺は何も言えず、彼女はそのまま去っていった。

 人生で最も後悔した瞬間の話だ。

 大切な人との縁は多少無理やりにでも掴み続けなければならないという教訓はその時に得た。それを思い出したのはマンハッタンの一言のおかげだったが……とにかく。

 もう昔のままの俺ではないのだ。

 言いたいことはハッキリ言葉にする。伝えられるときに伝えておく。もうあんな想いをするのは二度とゴメンだ。

 

「──ずっと会いたかったんです、先輩。あなたと話したいことが山ほどあるんだ」

 

 小さい頃は恥ずかしくて出来なかったが、今度はしっかりと彼女に向き直って正面からそう言った。ここまでくれば羞恥心なんぞ敵ではない。

 

「……えぇ。私もよ」

 

 そして俺の心からの言葉に、樫本先輩は柔らかい微笑みで答えてくれた。

 

 

 

 

 お゛ぉ~♡ もう我慢ならない……っ!

 

 ──先輩のおかげで気を引き締めることができたのは間違いない。

 しかし、やるべき事に対して集中するためにシリアスな雰囲気に身を任せて先輩とコミュニケーションを図ったはいいものの、大前提として樫本先輩があり得ないほど美人だということを失念していたのだ。

 敬愛する先輩ではあるがそれはそれこれはこれ。もう天衣無縫な無邪気っ子ではない俺は邪念にまみれている。もうこれ以上クールに振る舞うのは不可能だ。

 三大欲求が爆発しかけているこの状況いかがしたものか。きみならどうする!?

 

「葉月。明日も参加するウマ娘たちは旅館の中でスタッフと打ち合わせをしているから、この荷物は私たちが運びましょう」

 

 その日の夕方。

 トレセンでのイベントを終えて地方へ移動した後、とある旅館にやってきた俺はスタッフとして荷物運びをすることになっていた。

 それにしてもムラムラする。

 移動中は樫本先輩が俺の隣をずっと占拠しており、座る場所がないサンデーが俺の膝上に座って何とか乗車していたせいでもう甘い匂いと柔らかい感触で脳がショート寸前にまで追い込まれてしまった。風情があるね。

 

「うっ、く……!」

「先輩は無理しないでください。重い物は持てないでしょ」

「あっ。……ありがとう葉月、ごめんなさいね」

 

 昔から筋力が非力で貧弱で軟弱な物理的によわい生き物である先輩に運搬は不可能である為、運び役を代わってやった。受け渡すときに手が触れたが気にしない。憧れの樫本先輩のおてて……っ!? 

 今日の午前中からイベント終了にかけて被っていた優等生の仮面はすっかり吹っ飛び、いつもの欲望を限界ギリギリぶっちぎりで我慢し続ける秋川葉月くんに変身してしまった。もうシリアスに物事考えるとか不可能だから覚悟しとけよ。先っちょが既に侵入開始。

 

「ハヅキ」

 

 うるせぇ腕に抱きつくな変態幽霊モドキ。交尾したくてたまらない感じが如実にあらわれているよ!

 お前も限界なのは知ってるんだ。でも今は荷物を運んで明日の配布物の確認もしないといけないから大人しくしていてくれ。

 

「んん……やだ」

 

 やだじゃない。事を急くなあわてんぼうさん。犬も歩けば棒に当たる。お預けにしてしまうよ?

 

「ユナイトしてたほうがマシ。夜になったら起こして」

「あっ、ちょ、待てお前っ──! ……はぁ、ったく」

 

 ユナイトはするだけで疲れるから車の中でもやらなかったのに、ついに思考を放棄したくなったサンデーは自ら俺の中に入って一体化してしまった。サンデーちゃんと俺の相性ヤバいかも……。

 

「……あっ」

 

 部屋にウマ娘たちのボストンバッグを置いて旅館から出ようとした矢先、別の部屋から件の少女たちが出てきた。

 サイレンススズカ。

 メジロドーベル。

 マンハッタンカフェ。

 みんな日中は小学生たちと戯れて、休憩時間は担当トレーナーさんと話してて俺が若干ジェラってた三人だ。

 許せない。イク時は報告しろって。俺以外の人間の元へ行くときはな。

 

「あ、ツッキー!」

「え……ドーベル、あのスタッフの少年と知り合いなのか?」

「──はわっ」

 

 油断し過ぎていたのか、遂に担当トレーナーさんの前で俺のことをあだ名で呼びやがった。というかトレーナーは俺とお前が知り合いだって知ってんか? 見せつけすぎ淫乱ウマ娘恥知らず。

 

「ど、ドーベル、カフェさん、ちょっとそこのコンビニまで一緒に行きましょう。トレーナーさん、失礼しますね……っ」

 

 なんと驚き。彼女たちは俺に抱きつくことはせず三人揃ってその場を離れてしまった。担当トレーナーの前でイチャつく勇気すらないとはな。軟弱な女たちだ。ひ弱な女たちだ。守ってあげるからね。

 そんなわけで嫁たちが消えた旅館に用はあらず。今すぐ出ていって車の中で寝て、高ぶった気を落ち着けよう。

 ──外に出ると車の傍で、何やら心配そうな面持ちの先輩がいた。どうしたのだろうか。

 

「あの……葉月? なんだか顔が赤いけれど……大丈夫なの?」

 

 ダメに決まってんだろ雑魚。んなこと気にすんなメス猫。

 

「……大丈夫っす。少し寝不足なだけなんで。……えと、ちょっと車の中で横になりますね」

「そ、そう……」

 

 そのままワゴン車に乗り込んでシートを倒し、バッグの中から取り出したブランケットを被って横になった。

 夢による欲望の解消は夜限定だ。お昼寝で妙な寝言を呟きでもしたらたまったものではない。

 今はとにかく軽い休憩くらいの睡眠を取って、一時的に脳を冷却して平静さを取り戻さないと。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「──はっ」

 

 意識を取り戻した。いま何時だ。どれくらい寝ていた。二十一時に事前の打ち合わせがある。寝過ごしていたらマズい。

 腕時計を確認。

 二十時五十分。

 やっっば。

 

「やべっやべ……!」

「落ち着きなさい、葉月」

 

 焦って飛び起きようとした瞬間、頭を誰かに押さえられた。

 見上げると、そこには樫本先輩の顔がある。

 何が起きている。

 ……。

 ……………?

 ──あぁ、膝枕をされているのか。

 

 ……えっ。

 

「せ、先輩っ、いつの間に……っ!?」

「いいから寝てなさいってば。打ち合わせの内容はあとで駿川理事長秘書から聞くことになってるから、あなたはまず自分の体力回復に努めること。いい?」

「ぁ……は、はい……」

 

 柔らかい膝枕と彼女の服から香るシトラスの匂いで全然集中できない。正直何も聞いていなかった。

 まさか人目も憚らず俺を膝枕するとは思わなんだ。やはり俺のことを愛しているのだろう。分かるんだよ頭じゃなく心でな。

 

「……も、もしもーし。ツッキー、大丈夫……?」

 

 ふと、車内に響く甘トロ声。

 浴衣に着替えたドーベルがエントリーだ。おい勝手に旅館から出るんじゃねーよお客様の癖に。なめてんの? なめてんだろ? 可愛すぎますよ。一生愛し抜きますからね。

 

「スズカとカフェも呼んだから。もしかして怪異とか、何かあったんなら話を──」

「っ!? め、メジロドーベル……っ!?」

「へっ……? だ、誰……っ? ……えっ! な、なんでツッキーを膝枕して──っ!?」

 

 どうやらまだ面識が無かったらしいベルちゃんと理子ちゃんが邂逅。ちなみに膝枕されててどこもかしこも柔らかくて気持ちいい~♡

 

「ななな何で選手のあなたがここに!」

「えっ!? あ、えーと……い、いやいやいや! そっちこそなんでツッキーを……!」

 

 おい! 二人ともこうるさいぞ。静かにアクメしろな。

 

 



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睡眠っ! 睡眠解除! 睡眠ッ!

 

 

 

 右に樫本先輩。

 正面にドーベル。

 その彼女の左右にマンハッタンとサイレンス。 

 今いる場所は就寝の為に後部座席のシートを全て倒したハイエースの中。

 ──何だろうか。この状況は。

 

 とりあえず俺自身は何もしてないのが現状だ。

 怪異と戦ってムラムラが爆発して眠気も限界で一旦車でお昼寝をブチかましたら、いつの間にか先輩に膝枕をされていた。

 少し経ってドーベルが車まで訪ねてきた。日中の俺の様子がおかしいことが気掛かりだったようで、ついでにサイレンスとマンハッタンもやってきた。

 つまり俺が愛しているヒロイン三人に、年上の美人な女性に膝枕されているところを目撃されてしまった、というわけである。

 ──と、まぁ一旦俺の社会性や彼女たちからの好感度が死滅したことは置いといて。

 

 自分で言うのもなんだが今の俺はまともではない。

 こうして自身を俯瞰できているうちはいいが、彼女たちの前で自制が利かなくなったらいよいよ閉店だ。秋川乳業。

 

「……それで、葉月くんと樫本トレーナーはどういったご関係なんですか……?」

 

 痺れを切らしたサイレンスが困惑の面持ちのまま口を開いた。浴衣ということはお風呂上りか? どうりで妙に色っぽいわけだ。アーユーレディ!? レッツモーフィンタイム。

 

「ええと、どう……というと……」

「……先輩と後輩の関係だよ。俺がガキの頃に世話になってたんだ」

 

 理子ちゃんは基本的に運動以外なら何でもできる凄い子なのだが、予想外の緊急事態に対しては極端に弱いため、こういう時は俺が助け舟を出してあげなければならない。

 それにサイレンスの質問はごく普通のものだし、こちらも隠し立てするような秘密があるわけでもないから淡々と事実を伝えればいいだけの事だ。

 

「ただの先輩後輩の関係で、膝枕を……?」

 

 うるせぇ! 公園でヌルグチョに握手洗いして隠密デートして砂浜で頬にキスしてなお普通の友達面してるお前はなんだ! まずは貴女は抱き枕として安眠の手助けをしてください。

 

「……逆に聞くけれど、貴方たちは葉月の何なのですか。就寝時間前に旅館から少し距離のある駐車場まで来るなんて」

 

 先輩が攻勢に転じる。

 サイレンスは不意の反撃で面食らい、先ほどから動揺しっぱなしで会話に入れないドーベルを見かねて、理子ぴんの詰問に応じたのはマンハッタンだった。

 

「私たちは葉月さんの友人です。アルバイト先が同じで……()()()()仲良くさせていただいてます」

 

 妙に強調するような言い方だ。そもそもの疑問なんだがどうしてこんなに空気がピリついているのだろうか。寝不足気味な友達が昔の恩人に看病されてたってだけの話じゃないのか。

 ……まぁ、彼女たちからすれば樫本先輩は今回のイベントで知り合ったばかりで、トレーナーではあるが学園では一切交流した事がないただの他人だ。多少警戒するのはしょうがないことかもしれない。

 

「アルバイト? 既に全国的に有名な貴方たちが……? グッズだけでなく、よく見かける宣伝のお仕事でも十分──」

「学園からの許可は取ってあります」

「……何か隠し事がありそうですね。立場上そちらの事情を聞くことはできませんし、詮索するつもりもありませんが──葉月が関わっているのであれば、話は別です」

「っ……!」 

 

 全員正座して真剣な話し合いをしている雰囲気に思わず俺まで真面目になってしまいそうだ。

 ……あ、樫本先輩が若干プルプルしてる。

 表情はシリアスそのものだが、おそらく足が限界なのだろう。多分しばらく痺れて立ち上がれない状況だと思われる。かわいい~♡

 

 ──ちなみに言っておくとガチマジやばめにクソ眠い。

 お昼寝を挟んだのにまだまだ眠い。

 腹も減ったしアホほどムラムラするが何よりも眠い。どうやら三大欲求で序列を決めるなら睡魔が頂点に君臨する欲望であったらしい。

 この今の俺がこんな真面目に話し合いを重ねていきそうな空気の中で平静を保ち続けるのは不可能だ。いますぐにでも全員押し倒して嫁にしてやってもいいくらいなのにお行儀よく正座していることを褒めてほしい。

 

「…………ぁ?」

 

 ふと、気がついた。

 いま乗っている車が暖房をつけているせいか、暑さを感じたドーベルが身じろぎをして少しだけ首元を扇いだのだが。

 ──ちょっと浴衣がはだけている。

 いや、はだけていると言うのもおこがましいレベルかもしれないが、それでもちょっとだけ肩というかうなじの部分がチラ見えしてしまっているのだ。

 完全に油断していたがアレは完全に種付けの催促。遂に俺のキカン棒も我慢の限界を迎えた!

 

「だ、だからアタシたちはツッキーを支えなくちゃいけなくて……っ!」

「……何を言うかと思えば怪異だのなんだのと。そんな荒唐無稽な話を信じろと?」

 

 なんだか四人の話が結構な段階まで進んでいるみたいだが全然聞いていなかった。今どのあたりの話をしているのかが全く分からない。

 

「うぅ……そ、その、アタシたちの話、やっぱり信じられませんか……?」

「……別に一切を否定するわけではありません。一部の超常の存在が実際にいることは私も理解する範疇ではあります。不思議な猫とか知ってますし……ですが、貴方たちの話の全てを鵜呑みにすることはできません。……もしその通りだったら葉月の一人暮らしなんてこれ以上は看過できない」

 

 気がつくといつの間にか先輩の視線が俺に注がれている。どうして急に俺が恋しくなったのだろう。旦那じゃ届かないところまで到達したか。もっと熱烈にアピールしないとコトだぜ? 美女。

 

「……葉月、どうなの。彼女たちを庇いたい気持ちは分かるけど……正直に答えて」

 

 ヌモォ。

 美人な顔が急接近。お前のせいで下腹部の隆起が今年イチですよ。

 

「ぁ……えーと……」

 

 マジで本当に何も聞いてなかったが誤魔化さないと。思考を動かせ。わっせわっせ。

 とにかく今俺が思っていることを口にしよう。

 否定も肯定も議題のテーマを理解していないと最悪取り返しのつかない結果になる。

 まず全員を娶って王になること以外で現在の脳で出力できる返事は──

 

「心配……かけさせたくなくて」

「っ!」

 

 今日からお前は俺のもんだ。

 ──思考と言葉が逆にならなくて本当によかった。危うくゲームオーバーになるところだったぜ。俺でなければだがな。

 

「……だから秘密にしていたの? 私にさえも」

「そ、そうです。ごめんなさい、先輩」

「…………はぁ。嘘を言っている様子ではないし、今は信じるしかなさそうね……」

 

 でも、と呟いて先輩は一拍置いた。

 

「事情を共有している仲間とはいえ、貴方たちはどこか……その、距離感が近すぎるような気がします」

 

 そうかな? そうかも。

 

「……こ、交際しているの? 彼女たちの中の誰かと」

「えっ」

「「「──ッ!!?」」」

 

 何を言うかと思えばそんな事か。

 もちろん付き合ってなどいない。心は繋がっているけれど。

 

「あくまで学園のトレーナーではなく……あなたの幼少時代を知る一人の先輩として質問しています。口外するつもりはないから教えて。……どうなの」

「いいいいっいやいやいやツッキーとアタシはそんなんじゃっ!?」

「ど、ドーベル、落ち着いて」

「葉月さんは……まだ、誰とも……そのはず、ですが……」

「貴方たち、ちょっと静かにしていてください」

 

 何も下世話な気持ちで質問したわけではない、と補足する先輩。

 

「その“解呪”とやらの詳しい内容はまだ聞いていないけど、交際もしていない男女がそう何度も異性の家に泊まるだなんて……事情を鑑みても看過できないわ。十二分に不純異性交遊の危険性を孕んでる──仮にそんな気持ちが無かったとしても、この三人ほどの知名度を誇る現役ウマ娘が()()()()()()をしているとメディアに露呈したら大変なことになる。そしてどのみち私はあなたたちを守るための手段を考えなくてはならない。だから事を円滑に進めるためにも教えなさい。私としてもできれば貴方たちの意志を尊重したいの」

 

 うおっすっげ早口。

 いろいろ語ってるけど俺への好意は隠せてないぜ。ちらりと見える焦燥がチャーミング。

 おそらく先輩の作戦はこうだ。

 この状況で一人暮らしは危険 → 誰とも付き合ってない → じゃあ一つ屋根の下で過ごすのはダメ → 最近こっちに越してきたから卒業までは私と暮らしなさい──とこのように。あ、ありがとうございます♡

 

 なるほど樫本先輩の言いたいことは理解できる。

 何より大人が介入した方が安全なのは間違いない──と考えているのだろうが、そう単純な話ではないのだ。

 怪異に対処できるのはその存在に理解があり尚且つウマ娘であるドーベル、サイレンス、マンハッタンの三人とこの俺だけだ。

 もしも俺と一緒に過ごす事で樫本先輩が怪異の攻撃対象になった場合に、俺が庇えない状況になったらごくごく普通の人間である彼女は自分の身を守ることが出来ない。まず怪異と“戦う”というステージに立つことすら不可能なのだ。

 たしかに現在の俺たちの状況は最適とも最良とも取れないが、間違いなく最善は尽くしている。このまま先輩の提案に乗ってしまうのはいささか早計な判断だろう。

 

 …………なんか一瞬だけまともな思考が働いたな。

 欲望が決壊寸前の──喉が渇き下腹部が疼き、視界はボヤけて意識が揺れて、瞼が鉛のように重い極限状態だというのにいま冷静に物事を考えられたのは、おそらくいつもと違って今の俺がユナイト状態だからだ。

 どうやら肉体を行使する派手な運動だけでなく、脳をこねくり回すにも最適な変身形態であったらしい。不幸中の幸いというやつだ。いつもならもう四人の中の誰かに抱き着いて死んでた。

 

「……付き合っては、いません」

 

 あー。駄目だ。

 いよいよフラつくばかりか吐き気まで催してきやがった。

 脳みそをフル回転させて、オマケと言わんばかりに冷静に自分自身の状況を俯瞰して自覚したのが良くなかったみたいだ。

 なんというか、自分がヤベー状態だってことを自覚した瞬間に一気に疲弊が襲ってきた。

 

「でも……先輩には信じてほしいんです。この三人は頼れる仲間で……最善を尽くして今の状況にあるってこと……」

「葉月……」

「信じてください、先輩。俺らはまだ学びの足りない高校生だし、一から十まで健全で完璧ってわけじゃないけど……怪異(あいつら)に誰かを傷つけさせないために闘って…………たた、かって……」

 

 言葉巧みに先輩を手懐けて差し上げますよ♡ それも家庭教師の責務ですからね。

 なんやかんやでがんばってセリフを絞りだしていく……その最中。

 マンハッタンが少しだけ怪訝な表情に変わった。

 

「……葉月さん? なんだか前髪が、白く……」

 

 ねむ、ねむ。

 眠気が限界フェスティバル。いよいよ楽しくなってきた。

 あぁ、そういえば今まで長時間ユナイトしたこと、なかったな。

 どうなるんだろう。疲れるだけなのか、俺の肉体が爆発四散するのか。

 

 それとも──二人が一つになってしまうのだろうか。

 

 

 

 

 

「……俺の夢の中か、ここ?」

「そうみたい」

「みたいって。わかんねーのかよ」

「ん……私もよく分からない」

 

 気がついた時には秋川本家の屋敷の中庭に立っていた。

 どうやら困憊に抗うことができず、遂にワゴン車の中で寝落ちしてしまったようだ。

 意識が落ちる寸前の事は何も覚えていないのだが、結局どうなったのだろうか。なんとなく和解できそうな雰囲気ではあったけども。

 

「……あ、ショタハヅキ」

「やよいも一緒だな」

「二人ともぽてっとしてて、かわいい」

 

 縁側で大人たちに隠れて漫画を読んでいるかつての自分と従妹の姿を眺めながら、すぐ近くにサンデーと一緒に座って──とりあえずこの明晰夢の中で一息つくことに決めた。

 結局寝落ちしてしまったために夢の操作による欲望の発散は叶わず、こうして自分の夢の中でのんびりするハメになったわけだが、休める状況にはなったのは素直にありがたい。

 

『やよい、また山のなかにいこーぜ。こんどはやよいが好きそうな本があるかも!』

『……』

 

 子供の俺は幼いやよいの手を引いて、こっそり本家の屋敷から抜け出していく。そういえばこうでもしないと外出できないんだったっけか。

 それから見ての通り、この頃のやよいは感情表現が極めて希薄だ。

 無口でハイライトオフで基本的に無抵抗。

 俺にも本家の人間にも逆らわず、言われたことに従うだけのロボットに等しい──そんな彼女の状態を見過ごせなくて『ヤンチャ』に走ったのがこの時期の俺だ。

 唯一親身に寄り添ってくれていた祖父がこの世を去って、味方がいなくなった一番孤独な時期。

 先生も山田もいないこの頃の俺はとにかく何かを変えたくて必死に駆けずり回っていて──

 

『……あなた達、ウチの敷地内で何をしているのかしら』

 

 そこで彼女に出会った。

 密かに秘密基地にしようと目論んでいた場所は、その女子高生の家が管理している敷地の中だったらしく、何も知らず遊びまわっていた俺たちは遂に所有者に見つかったというわけである。

 

「それで、ハヅキたちはあの後どうなったの」

「えっ? あぁ……どうしても家に帰りたくないってゴネたら先輩が自分の家にあげてくれて、俺たちの話を聞いてくれたんだよ。そっからは……」

 

 定期的に先輩が面倒を見てくれるようになって、俺とやよいが人間性を学んで、あとは──

 

「まぁ、普通の小学校時代だな。悪いことして怒られて、良いことして褒められて、勉強とか面倒くさいことは後回しで楽しいことばっかりやって……マジでそんなもん」

 

 特別な事は何もない。

 それこそ誰もが経験してきた幼い頃の思い出程度のものだ。

 

「ふーん」

 

 山道で汚れた子供の俺を風呂で洗おうとしている樫本先輩を眺めながら、サンデーは興味無さそうに相槌を打った。

 こんな毒にも薬にもならない俺の過去なんてものを話してもしょうがないか。相手を困らせるだけだろうしサンデー以外には言わないでおこう。

 

 

「──にゃっ」

 

 

 そのまま何の気なしに和室の居間で寛いでいると、後ろから可愛い声が聞こえてきた。

 振り返ってみると、そこにはフワフワで柔らかそうな猫耳を携えた“秋川やよい”の姿があった。

 

「んなぁ」

「……や、やよい?」

「違うと思う。あれ、先生」

 

 先生──あぁ、いつもやよいの頭の上に乗ってる猫こと、先生。

 たしかに彼女は夢の世界の中では猫の姿ではなく、帽子を脱いだやよいに瓜二つな姿に変身するんだっけか。

 先生の正体は夢の案内人だ。夏のイベントの際にサンデーを夢の境界から連れ戻すときはどうもお世話になりました。

 お久しぶりですけど、なんで俺の夢にいるんですかね。

 

「こんにちは、先生」

「にゃーん」

 

 挨拶をしたら隣に座って頭をこすりつけてきた。かわいすぎ警報発令。

 

「どうです、やよいは元気ですか」

「ごろごろ」

 

 顎の下を撫でたらゴロゴロと鳴る猫エンジンが起動した。どっから音出てるんだろこれ。

 

「うなーん」

「……」

「んなぁお」

「……サンデー、先生はなんて言ってるんだ?」

 

 とても申し訳ないのだが猫語を履修していない俺には何も分からない。通訳お願いしますね。

 

「ん。先生曰く、強制的に意識を落として私たちを夢の世界に避難させてくれたみたい」

 

 そんな芸当ができたのこの猫。尻尾の付け根をトントンしたら腰が上がってきましたよ。姿がやよいなのではたから見ると犯罪臭凄いわコレ。すげぇ従順……やっと巡り合えたね。

 

「ユナイトの時間が長すぎ、ってちょっと怒ってる」

「えっ……ごめんなさい」

「私もごめんなさい」

「ふるる」

 

 やよい姿の先生マジで無表情だから何も感情が読み取れん。

 

「みゃあ」

「ふむふむ。下手するとユナイト状態のまま戻れなくなるから、これからは三分以内を目安にして緊急時のみ使うように……とのこと」

 

 三分。ウルトラマンツッキー。

 

「……あれ? ちょっと待ってくれ。俺たちの肉体がユナイトしたまま意識がこっちに来てるの、大丈夫なのか?」

「先生に意識を引っこ抜かれたときに強制的に分離したみたい。危ないからもうやらないって」

「それはまぁ……ご迷惑おかけしました先生。どうか猫缶でここはひとつ……」

 

 そう言って土下座すると、先生は俺の髪を軽く猫パンチした。いたくない。

 

「にゃうわう」

「……なんて?」

「直訳する。──今回の事はいいから、それよりやよいともうちょっと話をしてあげて。今朝もけっこう心配してた」

「それは……」

 

 耳が痛い話だ。

 とても余裕が無かった朝はやよいともちゃんと話せてなかったし、樫本先輩が戻っているなら休憩時間にでもその話をしておけばよかったように思う。

 体調が悪かったとはいえ今夜のミーティングも休んで任せきり──これはいけない。

 だいたい、元をただせば俺がトレセンの行事を手伝うようになった理由は先輩でもウマ娘でもなく、理事長として頑張ってるやよいを支えるためではないか。

 なのに他の寄り道ばかりしていては来た意味がない。本末転倒だ。

 

 ──よし、割り切ろう。

 怪異によって発生する俺へのダメージは全部必要経費だ。アレに対して懊悩するのはもうやめよう。

 痛みも疲れも性欲も、余すことなく我慢する。

 いたい~ねむい~ムラムラする~だなんて甘えるのは終わりだ。男の子なんだそれくらい我慢しろという話である。

 

「にゃん」

「いてっ」

 

 また猫パンチ。

 

「な、何ですか……?」

「うなーん」

「ん、極端すぎ。心配をかけさせないように無理するんじゃなくて、もっと相手を頼ることを覚えて……だって」

「……そう、だな。すいません、また偏った思考になってたみたいだ」

 

 以前サンデーにも言われた通り、俺の発想はいささか極端すぎるらしい。てか先生も心を読めんのかよ。

 頼ることを覚えて、尚且つやよいとも話して、とはつまり──彼女に対しても弱音を吐いていい、ということかもしれない。

 いとこだがもうほとんど妹みたいなものだし、家族だからこそ話をするべき、というのは尤もな意見だ。

 

 ──そうか、先生のコレがヒントなんだ。

 樫本先輩に対してもしっかりと話をして、ただの一般人と決めつけて遠ざけるのではなく折衷案を見つけるべき、ということか。

 さすが先生。

 夢の案内人とかいうよく分からんファンタジー職業についているだけあって視野が段違いだぜ。

 

「ありがとうございます、先生。やっぱり先生は頼りになりますよホント」

 

 とりあえず撫でたり抱きしめたりフワフワやわらかケモ耳を揉んでおく。猫形態では俺にもみくちゃにされるとゴロゴロ言って喜んでたのでやよい姿でも変わらないはずだ。よ~しよしよし。

 

「にゃ、にゃぁ……」

 

 うほっ何ですかそのチョロさは。私の授業では教えてないですよ。

 

「……そろそろ起きるか。それじゃあ先生、また今度」

「ふるる」

「行こう、サンデー」

「うん。先生、また明日」

「にゃーん」

 

 そして起きるために自分の頬を強くひねると、和室の内装を捉えていた視界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

「──あっ、葉月。気がついたのね……よかった」

 

 目覚めた場所は変わらず車内。

 そして窓の外も未だに夜だ。腕時計を確認すると、ほんの三十分程度しか意識を失っていなかったらしい。

 上体を起こして周囲を確認すると、ウマ娘の少女たち三人がいない事に気がついた。

 いつの間にか先輩も足を崩していて、明らかに痺れた脚を動かせない様子だ。弱点を感知。

 

「先輩。ドーベルたちは……」

「もう夜遅いから、明日また話をしようと決めて一度旅館に戻ってもらったわ」

 

 言いながら、若干居心地が悪そうな表情の樫本先輩は視線を右往左往させ、深呼吸を挟んでから再び俺に向き直った。

 

「……ごめんなさい、葉月」

 

 謝罪された。さすがに意外。

 

「私……あなたに押しつけがましいことを言っていた。それに……何も分かっていなかったみたい」

「せ、先輩……?」

 

 俺が眠っている間にドーベルたちと何を話したのか分からないが、とにかく樫本先輩は自らの発言について顧みて猛省している様子だ。

 だが、そんなに彼女はおかしいことを言っていただろうか。

 大人としてどうだったのかは子供の俺には判断できないが、少なくとも秋川葉月を心配してくれる一人の先輩としては矛盾のない、そこそこ普通の内容を話していたように思う。

 それでも自省して発言を見つめ直すのが、もう高校生ではなくなった大人としての樫本理子の在り方……なのだろうか。わからんけど。

 

「ダメね……長い間離れていたくせに、まだ“私が守らなきゃ”って考えに縛られてた。あなたは今日までずっと自分の足で立って戦っていたのに」

 

 それから、と言って先輩は窓の外を見つめた。その先にはあの少女たちが宿泊している旅館が鎮座している。

 

「彼女たちのことも見誤っていたわ。最初は中央トレセン生ではどうしても交流しづらい高校生の男子だから、三人がかりで繋がりを保とうとしてるんだって思ってたけど……恥ずかしくなるほどの勘違いだった。

 あの子たちは本気で葉月のことを心配して、真剣に自分たちができることを考えてた。本当にまっすぐで……私なんかよりもずっと、意志の強い少女たちだわ」

 

 あ、知らない間に和解してる。サイレンスたちが車に乗り込んできた時に生まれたピリついた空気が遠い昔のようだ。

 ──確かに彼女たちは自慢の嫁、だが。

 先輩にはあまり自分を貶さないで欲しい。

 俺にとっては昔も今もたった一人の憧れの先輩なのだから。

 

「……ありがとうございます、先輩」

「えっ……?」

「長い間離れていたのに、それでも守ろうって考えてくれてたこと……本当に嬉しいんです」

「──っ!」

 

 正直に言うと美人だしスーパーハイスペックウーマンだし美人だしで、最悪の場合は恋人はおろか結婚までしてても全然おかしくないと覚悟していたのだ。

 しかし彼女はまだ俺のことをちゃんと考えてくれていて、マジで純粋に嬉しかった。

 たぶん後輩としては何があっても祝福して然るべきなのだろうが、昔から彼女と繋がりを持っているがゆえに謎の独占欲が発生してしまっている。

 

 ……いや、待て。

 ちょっと待て。

 あくまで俺のことを忘れていなかっただけで、恋人がいないという保証はどこにもなくないか?

 指輪はしていなくても同棲なんて全然あり得るし、このまま勘違いして安心したところに爆弾を投下されたら脳が破壊されるどころの騒ぎじゃない。あなた様♡ 一緒に赤ちゃんつくりましょ♡

 

「ふふっ……葉月、あなたは──」

「あっあの先輩っ!」

「っ? ど、どうしたの」

 

 うるち米。今のうちに聞いて心の平穏を手に入れなければ。

 いや既に恋人がいるとか言われたらどうするんだ。脳がぶっ壊れて寝込むのか。やっぱり聞かない方がいいのか。どっちなのだ!?

 いや、いや、聞く。

 思い返せば先輩だって俺に対して似たような質問をしたじゃないか。やり返して何が悪い。聞くぞ。イクぞイクぞ! 我が物とするぞ!

 

「先輩って、その……かっ、彼氏とかって……いるんですか?」

「ふぇっ……」

 

 後悔してももう遅い。既にこの口は質問を解き放ってしまった。もはや野となれ山となれだ。ご臨終の準備はできているようだぜ。

 俺に下世話な質問をされた樫本先輩は一瞬狼狽し。

 しどろもどろになりながらも、少し間を置いてから口を開いてくれた。

 

「いない、けれど……」

 

 ────俺の勝ちだ。

 

「は、葉月……? 今の質問ってどういう──えっ、あっ……! だっ、ダメよ!? そんなっ、やよいさんに顔向けできなくっちゃうじゃない! ばかっ!」

 

 とりあえず質問に答えてくれてGOODだよ♡ だが色恋沙汰の話題への耐性が足りない!

 急速に顔を赤らめてそっぽを向いてしまったが構わない。どうあろうと彼女に恋人がいない情報は俺の心に未来永劫の安寧を齎してくれたのだ。聞きたいことを聞けて満足。

 

「うぅっ、ダメだってば、ほんとに……だって葉月はまだ高校生だし……大人として健全な青春に導かないと……」

 

 ブツブツと呟いているが目下の懸念点はすべて消えた。

 一旦夢の世界へ逃げてユナイトが解除されたとはいえ、増幅した三大欲求は健在なのだ。

 とりあえず睡眠欲から順を追って解消していこう。ふぅ~~思わずヒート・アップしてしまいましたが。夜はこれからです。

 

「ぐぅ……」

「あっ、ちょっと! 狸寝入りをやめなさい! ダメよッ!? ダメだから! あなたまだ高校生──ちょっと聞いてるの葉月っ!? 一回起きなさい! 起きなさいってば! ねえ起きてぇ……ッ!!」

 

 おやおやそんなに狼狽して。天晴れ。ブチ眠るので静粛に。

 

 



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街を歩いたらすぐ出会うのか!? 猛省せよ

 

 

 どちらかと言えば朝は弱いほうだ。

 秋川の本家に預けられていた頃は早朝からスケジュールを組まれていたため無理やり体を動かして適応していたが、実家を出て一人暮らしをするようになってからは、予定の無い休日などは二度寝したり布団の上からまともに動けないことが極端に増えた。

 そして恐らく、俺の本来の習性は後者だ。

 気持ちのいい朝を迎えるよりも、惰眠を貪ってダラダラと時間をかけて起きるほうが精神的にプラスになっていると日々感じている。

 

「んぅ……はづき……ぉきた」

「……いや、起きねえ」

「にどね……?」

「おう、二度寝……する」

 

 いろいろあって現在同居人として暮らしているこの少女も、嬉しいことに俺と同じタイプだった。

 ルームシェアのように狭い空間にもう一人住人がいて、なおかつその相手が女子となれば普通の男は頑張って起きるだろうし、生活の諸々にも極力気を遣うに違いない。

 だが俺は普通より幾分か下のダメなほうの男なので、気を張らなくていいと分かってからはこうして油断しきった朝を迎えるようになってしまった。

 反省したいとは思っている。カッコつけたい自分もいる。

 しかし不可能なのだ。

 あさはねむい。

 やる気がおきない。

 いつの間にか自分の布団から出て俺の毛布の中に転がり込んでいたサンデーの声に返事を返せただけでも、よく頑張ったと褒めてやりたいくらいだ。

 

「がっこ、は……?」

「あ゛ー……たしか振替休日だから、明日まで休み……だな」

 

 いつも抜群に陽の光を遮ってくれるカーテンのおかげで部屋はまだ暗い。

 ほんの少し、どこかの隙間から漏れて差し込む朝の眩しさが、微かに目の前の少女の表情を教えてくれている。

 ちなみに向こうは目が開いてない。

 艶やかな白い髪もワガママな寝相には屈服してしまったらしく、ものの見事にくしゃくしゃだ。

 

「………………おきるか」

「ん……」

 

 サンデーの頬をそっと撫でたあと、ようやっと重い腰を上げた。

 二度寝してもよかったが、寝落ちからの起床したとき特有の口の中がネチャつく感覚を感じてしまってもうダメだ。歯磨きしたい。

 身体にかかっている毛布を退かし、未だに寝ぼけまなこを擦ってる彼女の手を引いて洗面台まで移動して──思い出した。

 そういえば洗濯用の洗剤を切らしてるんだった。

 

「詰め替え用のシャンプーもない」

 

 そうだっけ。

 

「あと冷蔵庫の中……からっぽ……牛乳もぜんぶ飲んじゃったから飲み物皆無……」

 

 ねむそうに歯磨きしながら足りないものを口頭で羅列していくサンデー。これはもう今日の予定は決まったようなものか。

 ささっと顔を洗って台所へ戻ると、昨日流しに置いてそのままにしていた皿や茶碗が目に入って少し気分が下がった。寝る前に洗っておけばよかったな。

 

「サンデー、どっちがいい」

「んー……玉子焼き」

「了解。ほい、テーブル拭いといて」

 

 テキパキと布団を片付けて丸テーブルを出すサンデーに布巾を投げ渡し、朝食の準備に取り掛かる。

 そのままテーブルの前で正座してお行儀よく待っている彼女を一瞥しつつ、冷凍の白米を解凍したり味噌汁を温め直したりしながら──ここ最近の出来事を思い返した。

 

 

 あのイベント自体は終始何事もなく無事に完遂することができた。

 多くの小学生が夢を見出し、現在のトレセンの星であるウマ娘たちは活動を通して更にその知名度を上げ、両方がウィンウィンになる素晴らしいイベントだったように思う。

 他の行事も多いトレセンでの開催時は急ごしらえな出来になってしまったが、かなり事前の準備が進んでいた地方でのイベントは大いに盛り上がり、携わった大人たちや参加者も含めて徹頭徹尾“問題なく”利益を得たり楽しんだりしていた。

 

 問題、があるとすれば、それは俺個人を取り巻く環境の変化だ。

 いやまぁ問題というほど大袈裟なものではないのだが……とにかく、今回樫本先輩が戻ってくるのと同時に俺自身が追い詰められている状況が運悪く重なってしまった結果、少し困った事になってしまった。

 とはいえ、そのほとんどは俺の自業自得から来るものなので文句を言えた義理ではない。

 

『──先輩って彼氏いるんですか?』

 

 特にあの質問はマズかった。

 あのタイミングであの内容の質問などもうほとんど告白。

 つまりあなたに気があるので恋人がいないという情報を聞いて安心したいんです、と遠回しに伝えているようなものだ。

 

「……はぁ」

 

 フライパンの上で固まっていくタマゴと違って、俺自身はまだまだ半熟なんだなと思い知る。

 もちろん先輩に気が無いワケではない。

 というか普通に好きだ。追い続けてきた羨望の対象だ。敬愛してるし友愛ももちろんだが多分異性としても惹かれている。美しくつつがない女。

 ──それが問題なのだ。

 樫本先輩は俺の言葉を聞いて焦っていたし、俺自身も頭がボーっとしていたせいでその時の正確な状況は覚えていないが、少なくとも必要以上に嫌われているわけではないことは伝わってきたことで、ワンチャンあるんじゃないかと考えてしまった。うひょ~美しきダビデ様。

 

 やんわりと大人の対応で諭すように『葉月をそういう対象としては見れないわ、ごめんなさい』とか言ってくれる程度には俺の事を考えてくれていると思う。

 そしてその言葉を聞いた場合──たぶん凹む。

 そりゃそうだろ何を当たり前の事をと自分でも思うが、凹んだらしばらくは立ち直れないんだろうなと何となく察せてしまえているのだ。

 でフラれた直後に、多少なりとも異性として意識しつつ友人としての関係を築いてきたあの中央のウマ娘の誰かに意識を向けたら、俺は節操なしのカスとして全ての人間から信用を失うことになる。

 それが想定される最悪のパターンだ。

 俺という人間がそこで終わることになる。壮絶なデッド・エンド。

 

 ふと、皿に卵焼きを盛りつけながら考えた。

 ……何というか、俺という人間はもしかして節操がないのではないか、と。

 もちろん『俺は節操なしだ』と考えるということは、つまり自分が複数の女性に()()()()()()()()()()()()()()と確信できるような最強の自己肯定感を持っていることになるため、まだ自分をそうと確信しているわけではないが。自分を好いてもいない相手に勝手に好かれていると思い込んで勝手に懊悩するのは節操なしというよりただのマヌケだ。

 とはいえ、流石に嫌われているとは思っていない。

 あの少女たちが好意的に接してくれているのは火を見るよりも明らかだ。

 だが仮に俺が告白をしても絶対に引かれないという保証はどこにもない。

 彼女たちが俺との関係を『今この状況が一番気持ちのいい距離感』だと思っていたとしたら全てが終わりだ。仲のいい男友達と、自分が欲しい恋人はイコールにはならないのだから。

 

 ──勘違いさせてごめんなさい、とか。

 友達としては好きだけどそういうつもりじゃなかった、だとか。

 

 ただの一言で俺の精神をブレイクさせる言葉はいくつも存在する。トラウマというライブラリに登録された呪いのワードだ。

 あの勘違いしまくりな時期の中学生俺くんは、ちょうどいい男友達と欲しい恋人がイコールにならないことを知らなかった。

 だから撃沈した。

 苦笑いされながらものの見事にフラれた。

 もうあんな気持ちに陥るのは二度と御免だ。

 この気持ちが身勝手だと、歪んでいると分かっていても──確証が欲しい。

 

 相手からの告白を待つのが悪手だということは分かっている。それは今までの過去が証明している。

 あの中学での告白の時以外では、あらゆる場面で待つよりも自分から伝えた方が良い方向に進んできた。逆に待てば先輩ややよいのように距離が生まれた。

 だから俺から言うべき……なのだが勇気が出ない。

 ダメだ、困った。

 先輩からみて俺たちは『誰と付き合っているの?』と聞かれるレベルで親密に見えている。

 実際のところ俺も彼女たちを好きになっている。

 ところが告白する勇気が出ない、ときた。──というか誰に告白するつもりなんだ俺。気持ちばかりが先行してるぞ俺。だからダメなんだよ俺。王にはなれず何も得ず。

 ……とりあえず朝飯を食ってから考えよう。

 

「はぁ。いただきます……」

「……」

「おっ……ちょっと砂糖が多かったかな」

「…………」

「……?」

「……」

「…………なんだよサンデー、どした」

 

 飯を食い始めてからジッとこっちを見ている。考え事をし過ぎてて気づくのが遅れてしまった。

 

「……五十一個目」

「ん゛ッ! ……ゲホっげほ!」

 

 彼女の言葉に驚いて危うく口の中のものが出るところだった。

 なんとか飲み込んで咳きこんだあと、水道水を飲んで一旦落ち着く。

 ──何を考えてるんだこのアダルト向け幽霊モドキは。

 

「言えないの? 五十一個目」

「……いま言う意味は無いだろ」

 

 澄ました顔しやがってこのむっつりマゾ女が。全身疲れが見受けられるよ! マッサージしてあげようか。

 五十一個目、とは『サンデーの良いと思うところ』の五十一個目、ということだ。

 

 ──昨晩、ようやっと久しぶりに夢の内容操作、もとい夢の共有で鬱憤を解消することができたのだが。

 ちょっと期間が空いたということで、ヤケに強張ってしまった互いの緊張をほぐすために、お互いの良いと思うところを交互に言い合っていくというゲームをおこなったのだ。楽しかったです。ね。

 カップルがやるような好きな部分を言い合うといった、あの惚気ゼンカイなものとは異なり、純粋な感想だったり普段言ってなかった日頃の感謝も兼ねてのゲームだったため、最初は結構すんなりと進めることができていた。

 しかし後半は、体力とボキャブラリーを消費しきったサンデーが()を上げてしまったため、終わるまで俺が彼女を褒め続けるという謎の展開に陥ってしまっていたのだ。この女が脆弱なばかりに。忸怩ッ。

 

「お前こそ三十四個あたりで止まってるんだから、まず五十個まで言って俺に合わせるのが筋じゃないの」

「むぅ……」

「ていうか、四十後半くらいに俺が言ったこと覚えてんのか? 枕に顔を埋めてあーとかうーとかばっかりで全然返事しなかったじゃないか」

「…………確かに今回は、ハヅキより体力と引き出しがなかった私がわるい。残りの十六個はあとで考えとく」

 

 いや、別にどうしても聞きたいわけではないのだが。もうやらないだろあのゲーム。それともハマった? おませさん♡

 たぶん真っ先に責任を取らないといけないのはこの少女であるはずなのだが、暗黙の了解で俺も彼女も深く言及することは避けている。お互い必要だから必要なことをやっているだけだから、と。今はそういう事にしといた方が良いらしい。

 

「……ごちそうさま」

 

 いつもより少しばかり濃い内容の夢だったが朝っぱらから語ることでもないので、ささっと朝食を済ませて洗い物を片付けた。

 

「あっ、制汗剤も切れたか」

 

 着替える際に使おうと思った制汗剤からは空気が漏れるような弱々しい音以外何も出てこなかった。もう今日は足りないもの以外も予備でたくさん買い足しておくことにしよう。

 

「ん……もう秋も終わりだけど、制汗剤っているの」

「俺は割と厚着するタイプだから。まぁ、クラスの陽キャ連中みたいに香水まで買ったりはしないけどな」

「いいんじゃない、香水買ってみても。私はハヅキの匂いキライじゃないけど……スズカちゃんたちは()()()()と気を遣ってるだろうし、あの子たちの近くにいる機会が多いならおしゃれにも意識を回した方がよさそう……と思ったり」

 

 お? いつの間にか買い物から俺のファッションセンスの話になってる気がするな。ハッキリ言いたまえよ。

 

「……ハヅキ、ダサくはないけど無難というか……シンプルな服ばっかりだなぁって」

「そ、そうかしら」

 

 そう言われて改めてクローゼットの中を見てみるとなるほどザワールド。

 あの『理事長秘書補佐代理』とかいう微妙な立場でイベントの手伝いをする都合上、短期バイトの一般スタッフとして参加していた山田とかと違って、俺自身はずっと制服のまま行事のサポートに回っていた。

 いざ思い返してみると、普通の高校生よりも私服で過ごす機会が少ないように思う。

 故に失念していた。

 俺、ロクな服もってねぇな──ということを。

 そういえばドーベルと撮影会をしたときやサイレンスと蹄鉄を見に行ったときも同じ服を着ていた気がする。隣を歩く少女たちはいつも違う服でおしゃれに気を遣っているというのに、なんという体たらく。

 相手からの好意云々のまえに自分磨きを怠っていたようだ。深く反省。

 スーパーおしゃれイケメン男子は一生かかっても不可能だとして、少なくとも彼女たちの近くにいて恥ずかしくない程度には身なりを整えた方が良い気がしてきた。

 

「あと……なんか黒い服が多い」

「……服も買いにいくか」

「うん」

 

 幸い使い道が少ないバイト代を貯めていたおかげで手持ちはたぶん足りているハズ。良い服の値段とか全く知らないが……大丈夫かな。一応ATMには寄っとくか。

 

 

 

 

「いや~っ! まさか秋川さんにお会いできるとは思いませんでした! えへへっ」

「……そ、そうだね。本当に奇遇だ」

 

 少し経ってから。

 おしゃれな服屋を知らない俺がいける場所といったらショッピングモールくらいだ、ということでやって来て数分後。

 ウマ娘グッズ専門店を見かけ、良さげな期間限定のクジを発見したため、推しでも出たら山田にあげようかなと考えながらフラっと立ち寄ったら──頭にデカいリボンをつけたウマ娘に出くわした。

 俺の親友が好意を寄せている想い人こと、アグネスデジタルだ。

 なんでも手に入れてないグッズを探してここまでやってきたらしい。

 

「秋川さんは何狙いですか? あたしは唯一まだ持ってないメジロマックイーンさんのラバストですが」

「俺は……マンハッタンカフェかな。二個くらい欲しい」

「か、被り所望とはよほどの推しですね……愛が深い……デジたんも気を引き締めねば!」

 

 あたりきよ。主に同居人と親友が喜ぶので二つ欲しいだけだが、クジの値段的に『当たるまで引く』というのは少し難しい。

 せっかくアグネスデジタルと出逢えたのだから少し話す時間を設けて、なにか山田の益になるような情報を持って帰りたいところだ。なので奮発して最低三回は回そう。全七種類だが三回やれば流石に一個はマンハッタンカフェも出るだろ。

 デジタルは目的の物を手に入れたが、俺は──

 

「マンハッタンカフェ……出なかった……」

「あ、あはは、やっぱりガチャですからそういう事もありますよ。あまり気を落とさず……」

 

 出たのはメイショウドトウ、マーベラスサンデー、それからサトノダイヤモンドという最近雑誌で見かけたよく知らないウマ娘だったが、とにかく乳がデカい三人のストラップを引き寄せる結果に終わった。

 現実でデカ乳ウマ娘とまともな縁を結んでいない分、まさかこういうのでバランス調整がなされるだなんて残酷だ。これで十分だろとでも言いたいのか神は。反逆の刻は来たれり。

 

「……あの、秋川さんはこの後どういったご予定で?」

「フードコートで昼メシを食ったら買い物して帰るかな」

「お昼ご飯あたしもご一緒してよろしいでしょうかっ!」

「えっ? あ、あぁ……もちろん」

 

 まさか向こうから提案されるとは思わなかったが好都合。根掘り葉掘り聞きまくって弱点を山田と共有してやるぜ。グッ……とにわかに楽になるよ。

 そのままフードコートで席を見つけ、向かい合って食事をすることになった。はたから見るとデートみたいだね。でも不埒な働きはしないよ。身内だもの。友達だもの。

 

「ん……? デジタルさん、ほっぺにご飯粒ついてるよ」

「ヴェあッ!?」

 

 なんとも素早い所作で頬を拭くデジタル。

 恋人だったら手で取ってあげたのだろうがそこまではしない。親友の身内だもの。友達だもの。

 

「こっ、これはお恥ずかしいところを……!」

「ははっ。いいじゃないか、そういうところもかわいいよ」

「───ッ!?」

 

 デジタルも山田との距離の詰め方に四苦八苦しているのだとしたら、今みたいなアピールも意外とありかもしれない。あぁ見えて山田は面倒見がいいし、デジタルを若干神聖視してる節があるからギャップでブッ刺さる可能性も高い。

 

「ぁ……ひゃえぇ……っ」

 

 なんだか思ったよりデジタルが照れている。なぜ。……冷静に考えて、友達の友達にほっぺにお弁当ついてるって指摘されんのは結構恥ずかしいか。デリカシーが足りなかった。腹を切ってお詫びします。

 こんな美人・フェイスで初々しい反応をしといて恋愛興味ナシのオタクを気取って……正気の沙汰ではないぜ。

 

「……あ、あのあのっ、一つだけ質問してもいいでしょうか……」

「ん?」

「秋川さんは……その、恋人とかはいらっしゃるのでしょうか……?」

「え゛っ」

 

 まって何でそんな話になった? もしかしてさっきの俺の発言、恋人がいるから女の子の対応わかってますアピールみたいなキモい感じになっていたのだろうか。ごめんよデジタルちゃん。おじさん無意識だったんだ。後生だから……。

 

「……どうなんですか?」

 

 いつもそんな上目遣いで男を粉砕してるの?ドエロいホスピタリティに関心。

 

「いない、けど……」

「っ! そ、そうですか……ほっ

「……?」

 

 もしかして恋人がいるのに自分とこんな場所にいて大丈夫なんですか、という意味だったのかな。その部分に関しては何の心配もいらないので安心してほしい。俺のために気を遣ってかわいいなぁファミリア♡

 ……というか俺よりも、撮影会に参加できるほど上位のウマ娘であるデジタルの方が、よっぽど他の人に勘違いされて困る機会が多いんじゃ──

 

 

「………………ぁ、あれ、秋川?」

 

 

 あっ! やせいのやまだが あらわれた!

 遊びの約束も交わしてないのに休日にバッタリ会えるなんて、今日の俺はついてるな。山田も一緒にごはん食べよ。えへへ。

 

「なんっ……ぇ……っ?」

「あ、ダーヤマさんっ! 奇遇ですね!」

「でっ……デジたんさん……な、何で秋川が一緒に──」

「おー山田。お前もいっしょにメシ食おうぜ。俺お前の分の水を持ってくるよ。ここ座っとけ」

「えっえ……なん……えぇ……っ?」

 

 ただ買い物をするだけかと思っていたら親友に出会えた。今日は少し楽しい休日になりそうだ。すげ~楽しみ~♡

 



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むほ~♡ 出走

 

 

 とりあえず買い物するか、と軽い気持ちで外出したら友人の想い人と友人ご本人に出会すというイベントに遭遇して、少しの時が流れた。

 いきなりデジタルの隣に座らせるのは山田が緊張しすぎて可哀想だと判断して、一旦彼女の正面に誘導してから会話もそこそこに昼食を終えてから、俺たちはもう一度ウマ娘のグッズコーナーに立ち寄っている。お客さんどうしましょう。

 

「あ、見て秋川。この店舗ウマデュエルレーサーの新弾まだ残ってるよ」

「おー……これ、ウチのクラスでも何人かやってるやついたな。デジタルさんもこれ集めてるの?」

「もちろんです! 今回の新弾はスゴく人気なので一箱しか確保できませんでしたが……」

 

 ショップで見つけたのはいわゆるトレーディングカードゲームのパックだ。

 古今東西の人気ウマ娘をカード化したゲームで、数年前からちょくちょく話題になっているらしい。

 カードの種類は多岐に渡り、それこそ海外のウマ娘モチーフも登場しているため、ガチプレイヤー以外のコレクターなんかも欲しがる話題の商品として人気を博している。

 教室で遊んでるクラスメイトのデッキを貸してもらった時くらいしか触れた経験はないが、いい機会だし買ってみるのもありかもしれない。デカ乳ウマ娘のカードが出たらペンダントにして首からかけよう。

 この三人の中で一番レアリティが高いカードを出したヤツが勝ちという勝負を提案し、購入制限いっぱいの三パックをそれぞれ購入して付近のベンチに腰を下ろした。ワクワク。

 

「なははー、あたしは字レアしか出ませんでした! まあどんなカードでも眼福なのですが……」

「俺もレアリティは最低保証の字レアかパラレルくらいしか出なかったな。山田は?」

「………………ぼく、今日死ぬかも」

「は。なに言ってんだ──って、お前ッ!?」

「ぎゃヒェぇッ!!? だっだだダーヤマさんのそれ、赤シクじゃないですかァッ!?」

「で、で、出ちゃいました……」

「ちょっ、しかもお前それ、サイン入りじゃねえか……? ちょっと待て封入率が相当低いはずだから調べる。赤シクのサイン入りメジロマックイーンは…………えっ、買取15万……?」

「ウワッ、わッ、アァわあっ!!」

「おおっお落ち着いてくださいダーヤマさんっ! とりあえず傷をつけないよう早急にスリーブとローダーを買いましょうッ!」

「あばばばばばば手汗でカードがダメになっちゃうあわわわ」

「しっかりしろ山田……デジタルさん!」

「はいっ、ホビーコーナーこっちです!」

 

 

 ──なんというか、俺たち三人は意外と相性が良かったらしい。

 

 デジタルと山田は友人で、俺と山田も友人だが、俺とデジタルは友達の友達であるため、三人が揃うとそれぞれが気を遣いすぎて気まずい空気になる可能性も十二分に存在していた。

 こうして上手くいっているのは山田のさりげない誘導と、デジタルの自然な態度と優しさのおかげだ。

 この状況に関して俺はほとんど何もしていないに等しく、やってる事といえば少し緊張して俺にばかり話しかけている山田との話題を、デジタルにもそれとなく繋げてることくらいだ。

 そもそも山田が緊張してるのは、ここに俺がいることでいつもデジタルと二人で交わしているコミュニケーションのペースが乱れているからであって、どこかで俺がいなくなって二人きりになれば"いつも通り"に戻れるはずだ。

 ──そのはず、なのだが。

 

「ままま待ってよ秋川ぁ……! なんで帰るなんて言うんだ……っ」

「なんでも何も、俺がいたら邪魔だからだろ……」

「そ、そんな事ないって! 秋川がいないと間が持たないよ……!」

「いやそれこそそんな事なくないか? 今日のお前ちょっと弱気すぎるぞ」

 

 困ったことに、応援するべき友達本人に引き留められてしまっている。コレではデジタルとの距離が遠のくばかり……♡ チップとデール。

 今は有名ウマ娘のぬいぐるみが景品のクレーンゲームに張り付いてるデジタルのため、二人で飲み物を買いに付近の自販機へ寄っているところなのだが、いなくなるならこのタイミングだと思って山田に話したら待ったをかけられて壁ドンされてるのが現状だ。はわわ。壁ドンはマジでドキドキするから他の人には絶対やるなよ。

 ──正直意外だった。

 きっと山田なら『ありがとう! 後は自分でなんとかするよ!』とか言って頑張ってくれると思っていたのに、蓋を開けてみれば一人じゃ無理だと弱音吐きまくりの純情男の子が目の前にいて、思わず面食らってしまった。しっかりイけ。オラッ天高くいななけ。

 

「お、お願い、今日はずっと一緒にいて……」

「待て待て。なんでそんなに緊張してるんだよお前? 別に今日すぐ告白するわけでもないんだし、いつも通り二人で遊べばいいだけ──」

「ふっ二人きりで遊んだことなんてないよ!? いつも近くには他の同志とかファンの方がいたから僕らはいつも三人以上だったんだ!」

「わ、わかった。分かったから一旦落ち着けって」

 

 まいった。

 好きな女子と二人きりになったらバチクソに緊張してしまう気持ちはめちゃくちゃ分かるけども、彼がここまで俺のことを頼るのは想定外だ。ここで俺からの好感度を上げても意味ねーんだよバカ♡

 もしこれでデジタルと山田と俺で“いつもの三人”みたいな関係になってしまったら、関係の進展は望めないしそれでは困る。

 ここは心を鬼にしてでも一旦突き放すべきだろう。周りのお節介はきっかけだけに留まるべきで、二人の関係性は()()()()()()()見つけるべきものなのだと、夏のイベント時のやよいとの再会で学んだのだ。間に挟まる誰かが必須ではならない。

 

「落ち着け山田。ほらコーラ飲んで一息ついて」

「う、うん。……ふぅ」

「大丈夫か?」

「……たぶん」

 

 俺は山田の友人だ。

 だから余計な事はしたくない。

 他の男子なら彼らの恋路を俯瞰できる立場を面白がって、恋のキューピットにでもなってやろうかと雑な計画を考えるのかもしれないが、俺は山田の魅力的な部分を知ってるし俺なんかいなくても上手くやれると信じてる。

 

「……俺も彼女いない歴イコール年齢の男だから、あんま偉そうなことは言えないよ。経験がないヤツの適当なアドバイスほど不毛なモンはないからな」

 

 だが、そんな俺でも知っていることがある。

 

「山田。どういう経緯であれあのアグネスデジタルと縁を繋いだのはお前自身だ。きっと向こうも()()()()()のお前でいてほしいと思ってるはずだろ。緊張するようなエスコートを考えるのはまた今度にして、今日は普段のお前が思いつくようなコースで遊べばいいだけだと思わないか」

「……そ、それ、マズくない?」

 

 何がマズいってんだい純情ボーイ。

 

「だって……ゲーセンでウマ娘グッズ取って、ウマ娘ショップでウロウロして、推しが出てる映画とか広告を見に行ったり……そういう事しかしないんだよ、僕……?」

 

 ……まぁ問題無いだろう。というか慄きすぎ。生徒会役員の風上にも置けないわ。ちゃんと恋愛して! 責務でしょ。

 

「いけるぜ」

「ほんと……?」

「おう。いけるいける」

 

 今までの様子からして多分アグネスデジタルも似たような感じだ。それこそ似た者同士ってことでめちゃくちゃ相性良いじゃないか。心配して損したぜ。

 下手に普通ぶるよりオタク同士の距離感でいた方がいいのは間違いない。向こうが求めてるのはカッコいい男子ではなく同志ダーヤマなのだ。笑顔と同じくらい優しい触り心地のお腹ぽよぽよ抱擁感バツグンのヤーマダ♡

 山田が今回やるべきなのは、今日のような偶然の出会いに期待するのではなく、これからも定期的に遊ぼうと誘えるような"距離感"をゲットすることだ。

 今までは複数人でいたから言えなかっただけで、二人きりで逃げ場がない状態であれば緊張感からのバグりも期待できる。バグれ山田。世界を救え。

 

「あー……なんか最近、中央ウマ娘たちの中で話題になってるスイーツとかないのか?」

「ウマスタで話題になってるパフェはあったけど……デカ盛りのやつ……」

「それそれ。そういうのを途中で挟めばちょうどいい時間で解散できるだろ。ウマ娘たちの中で話題だから、って理由でさりげなく誘えるし」

「……そう、だね。それは確かに」

 

 よーし山田も乗り気になってきたな。そろそろ秋川ワゴンはクールに去るぜ。

 

「じゃあもう行くわ。デジタルさんには急用ができたとか適当なこと言っとい──」

 

 と、そう言いかけた瞬間。

 

「──あっ! お二人とも~ッ!」

 

 間の悪い事に、自販機前で話してる俺たちをデジタルが見つけてしまった。

 彼女の腕には見覚えのあるウマ娘のぬいぐるみが抱かれており、どうやら狙っていたものを無事に確保できたようだ。にしても早すぎる。流星のロックマン。

 

「ふへへ、お飲み物を買ってきていただく前に取れちゃいましたぁ……」

「す、凄いなデジタルさん」

「それほどでも……! えと、こちらアストンマーチャンさんのぬいぐるみでして」

「いいなそれ。俺もバージョン違いのやつ持ってるよ」

「ヴぇッ!!? あっ、アストンマーチャンさんの立体化グッズはこれが初の商品のはずでは……!?」

「あー……えーと、本人に試作品を貰って」

「ギョえーッ!! みっ見てみたいですぅ! プロトタイプぅっ!」

 

 やばいやばい、咄嗟に返事を返したのが俺だったせいで会話が二人だけになってしまっている。おい山田! お前も勝負に乗れ! べらぼうめ。

 モゴモゴしたまま視線を右往左往させる山田に構わず、デジタルは興奮した様子で会話を続ける。

 

「あっ、あのっ、そういえば先週に公開された恋愛映画なんですけど、中央のゴールドシチーさんがご出演されてるそうですよ! 恋はダービー、っていう作品で……」

「あー、それCMで聞いたことある。なぁ山田」

「う、うん。主演女優さんがみんなウマ娘のやつだよね」

「それです~! 実はここの映画館でもやってて、そろそろ上映開始らしいんですけど……よければ三人で観に行きませんか?」

 

 自分のリュックにぬいぐるみをしまい込み、改めて背負い直してからふんすっと鼻息を荒くして提案してくるデジタル。なんておおらかな笑顔なのだ……♡

 中央のウマ娘が何らかの役で出演している映画──気にならないと言えばウソになる。

 それにゴールドシチーというウマ娘は、世間の情報に疎い俺でも知ってる有名人だ。

 唯一購読してるウマ娘の雑誌で度々その姿を確認しているモデルのウマ娘──とはいえ、映画の公開期間は長いのだし今わざわざ彼女の勇姿を観に行く必要はない。

 早いとこ山田とデジタルを二人きりにしたいのだが……。

 

「……いいですね、映画……はは」

 

 この普段はコミュ力強くて陽キャとも対等に渡り合えて生徒会役員でもあるとかいう最強オタクのくせに、好きな女子の前だと固まってしまう友人を放っておくわけにはいかない。

 ずっと付き添うわけにはいかないが、少なくとも緊張が解けるまでは見といてやらないと最悪逃げる恐れがある。

 それにわざと二人きりにしようとして、こういうタイミングでニヤニヤしながら『邪魔者は消えるから二人で観てきなよ~w』とか言いながら消えたら逆に白けること間違いなしだ。映画までは付き合おう。

 

 とりあえず館内まで移動して、空いてる席を確認──こ、これはっ。

 

「空いてる席……真ん中の二つと前列のいくつかしかないな」

「う、うん……」

 

 デジタルはポップコーンを買いに並んでいて、俺たちがチケットを取ろうとしているところなのだが、これはまたとないチャンスだ。

 予想以上に席の空きが少なかったが好都合。さりげなく山田とデジタルを隣同士にして、俺は前列で映画鑑賞。

 上映終了後に感想を言い合い、別れを惜しみつつ『別の用事があってそろそろ時間だから』と建前を作ってここを出ていけば、とても自然に彼らを二人きりにできる。

 隣同士で映画を観た二人はテンション高めのままこの日を最後まで過ごせるし、二時間弱とはいえ近くにいなかった()()()()()が消えたところで名残惜しくもなければ無理に引き止めようとする気持ちも湧かないはずなので、この作戦ならば間違いない。

 

「お待たせしましたッ!」

「うおっ。……早いな、デジタルさん」

「いえいえ。それで、どうかされました? この時間の席の状況は……あっ、なるほど。空いてる席がバラけているんですね」

 

 また予想以上に早くデジタルが戻ってきてしまった。せっかちさん♡

 これでは内緒話しながら鑑賞席を操作することができない。どうする家康。

 

「お二人とも真ん中で観たいですよね……? では、このルーレットアプリを使いましょうっ。映画鑑賞の席は恨みっこなしで。それがオタクの鉄則です、ふふ」

「おー……そうだな。山田もそれでいいか?」

「も、もちろん。僕も真ん中の席で観たいな」

 

 おぉ、前列に逃げようとしなかったな。それだけで偉い。心も体もあったかいよ。

 

「デジタルさん、止めるボタンは俺が押していいか?」

「ええ、どうぞ!」

「よし……」

 

 彼女からスマホを受け取り、ルーレットの回転をスタートした。

 

 ──説明しよう! 実はこのアプリ、うちのクラスの連中も使ってるほど使いやすいルーレットとして広く普及しているものだ。

 ゆえにその仕様は把握している。コイツはめちゃくちゃに回転が速いものの実は『目押し』が可能で、タップしてから減速して二秒後に止まるのだが、言ってしまうとタップした瞬間に矢印の部分にあった名前の()()()()対象が選択されるのだ。

 クラスメイトたちと昼休みの時間に、ルーレットで負けたやつが走ってパンを買いに行くとかいうカスみたいな賭け事を何度もやってたおかげで発見できたこのアプリの穴だ。

 つまりはタップする際に反射神経と計算に集中すればいい。

 ルーレットに選ばれた人間が前列の一つ空いてる席に座ることになるため、山田・デジタル・俺の順番で並んでいるなら、押すべきは『デジタル』が矢印に被った瞬間だ。そうすれば選ばれる対象が俺になって山田とデジタルが隣同士の席になれる。

 一瞬でも遅れたらルーレットの仕様上、なんとデジタルと俺が隣になってしまう。それだけは避けなければならない。俺と山田が真ん中になるよりヤバい最悪の展開だ。

 なので。

 

(いくぞサンデー。今すぐユナイトだ)

(ん……集中力を研ぎ澄ませた場合の反動、ちょっと大きいけどいいの)

(必要経費だよ、この際しょうがない)

(わかった)

 

 そう、常人には難しい目押しでもユナイトした状態なら十分に可能なのだ。注意するとしたら強く握りすぎてスマホを破壊しないよう気をつける事くらいだろう。

 よし来いデジタル。デジタルデジタルデジタルデジタル──ッ!

 

「っ……! ……おっ」

「秋川……?」

「……っあー、マジか。俺だわ。今回はついてなかったな」

「あれま。本当ですね……残念。こればかりはルーレットなので致し方なし、です」

「おう、真ん中で見たかったが残念だ。ってことで中央の席は山田とデジタルさんだな」

「ぁ……っ! ──そ、そうだね!」

「ダーヤマさんはポップコーン、どっちの味がいいですか?」

「あっ、で、デジたんさんが先に選んでどうぞ……!」

 

 やったぁ~! 作戦は成功です。これも俺と相棒だからこそ成せる愛の技ってワケ。帰ったらベロチューで労ってあげような。貴様をな。

 

(ばーか)

 

 その相棒にはまともに相手にされなかったが気にせず館内へ入っていく。

 上映される一番大きなシアター内の人数は凄まじく、また席についている他の客の手荷物にゴールドシチーの小さいぬいぐるみなどが付いている辺り『恋はダービー』という映画自体の良評判もさる事ながら、彼女の出演情報による集客パワーもなかなか侮れないようだ。

 かく言う俺たちも出演してるウマ娘目当て。

 ユナイト状態で神経を研ぎ澄ませたせいか現在クソ眠いしムラムラし始めてきたが、映画を観終わった後のプチ感想会でしっかり話題に乗るためにも、せめて全体の大まかな流れとゴールドシチーが登場してる場面は死んでも脳に焼き付けよう。

 

 

 

 

「っスゥー……あ゛ー……ハァ。……ずびっ」

「……秋川、ちょっと泣きすぎじゃない?」

「あ、あはは。確かにウルっと来る場面はありましたからね……」

 

 ──とんでもなく良い映画だった。

 評論家が語るような作品としての良し悪しは抜きにして、とにかく俺自身の感性にブッ刺さりまくった映画だった。恥ずかしげもなく号泣してしまったくらいだ。やっぱ映画館(ナマ)は最高だわ。

 映画は複数のヒロインたちと一人の少年が織りなす恋愛モノで、肝心のゴールドシチーはサイドストーリーで主人公にフラれる損な役回りだったのだが、逆にそこが果てしない高評価ポイントだった。

 

「はァ゛ー……」

「……えと、やっぱり凄かったねゴールドシチーさん。映画も面白かったけど、すごく自然な演技だったというか」

「ですねっ。あたしも途中から見入っちゃいました」

「あぁ……本当にゴールドシチーがやばかった。マジで中央のウマ娘がどうとか一ミリも関係なく、完全にはまり役だった。あいつモデルというか役者だろ。何であんなフラれた時の『あっそ、別に分かってたけど。……ほら、グズグズしてないでさっさとあの子ん所へ行っちゃいなさいよ』って我慢しながら強がる演技上手いんだよマジで泣く……」

「ほ、ほわ……」

「秋川ちょっと落ち着いて……?」

 

 マズいめちゃくちゃ早口ポタクになってた。小生反省。

 本当にいい映画だったのだ。

 今回ばかりはあの映画に誘ってくれたデジタルには感謝してもし足りないしもう愛してるまで言っていいレベルだ。それほどまでに感情が揺さぶられてしまった。

 そうだよな。

 勇気を振り絞って告白したにもかかわらず想い届かずフラれると心底きついけど、その場で落ち込んで相手に気を遣わせたりするのは嫌だから、たとえ空元気だろうと強がっちゃうんだよな。

 苦いだけの中学の頃の失恋の思い出が今日だけは美しい一つの経験だと思えたぜ。ありがとう新作映画。ありがとうゴールドシチー。あとでファンレター書いて送ろう。

 

「恋はダービー……まさにタイトル通りの映画だったな」

「そうだね……ぁ、あの、ごめん二人とも。僕ちょっとお手洗いに……」

「はいっ。デジたんたちはここのベンチで待ってますので」

「行ってこい……俺は余韻に浸ってる……」

 

 いつの間にか俺たちはまた自然とウマ娘グッズストアの付近まで来ていたらしく、山田がトイレに行ったあと休憩がてら二人でベンチに腰かけた。

 

「いやはや、本当に心揺さぶられるいい映画でしたねぇ」

「デジタルさんはどこら辺が良かった?」

「それはもちろん失恋後のシチーさんがお姉さんに抱きしめてもらいながら慰めてもらってるとこですね! しかもあそこ何気にお互いの尻尾がちょっと触れ合ってて……ひゅうわっ! 思い出したらっ、あっ! ウマ娘ちゃん姉妹の絆っ、はォっ、尊い……無理……」

 

 再び感情の沼に沈んでいるデジタルと同様に、思わず映画には感動してしまったが、もちろん本来の目的を忘れたわけではない。

 俺の目的は山田とデジタルの仲を縮めるためのサポートであって、三人グループの中の一人としてここに留まることではないのだ。

 映画の感想についてホテルで朝までじっくり語り明かしたい欲をグッと堪え、早急にこの場を立ち去らねば。立つ鳥跡を濁さず。

 

「あ゛ッ! パンフレットを買うの忘れてました! なんという失態……」

「デジタルさんがポップコーンの列に並んでいるときに買っといた。はいこれ」

「わわわっあぁありがとうございますぅ! いくらでしたか!?」

「八百円でいいよ」

「お納めください! ──おぉぉ、表紙から既に! 輝きが! お°ッ」

 

 荒ぶるな! 急いては事を仕損じる。

 とても盛り上がっているところに帰る旨を伝えるのは水を差すようで心苦しいが、これも今後の為だ。

 あの修学旅行の時に山田を見つけた際の嬉しそうな態度や、これまでのウマ娘オタク同士としての付き合いの長さを鑑みれば、担当トレーナーさんがスパダリ無敵マンでもない限りデジタル側からも少なからず山田を異性として意識しているはずだ。

 あとは頑張れ親友。今度こそ秋川葉月はクールに去る。

 

「……ん?」

 

 さっさと戻ってこないかなあいつ、と一瞬黙る時間があった。

 そして、その時にふと声が聞こえた。

 もう一度耳を澄ませながら辺りを見回して音の発生源を探すと、該当するであろう正体を発見した。

 

『今度の新カードはスッゲェんだぜ!』

 

 グッズストアに設置された小さいテレビ画面からだ。ゴールドシップの声が聞こえる。

 ちょっと音質が悪いものの、あそこで今日俺たちが買ったカードゲームのCMが流れていたようだ。

 

『ここからはメジロの独壇場ですわっ! これが私の新たな力、戦術(タクティクス)カード──“貴顕の使命”ッ! さらに──!』

『わわっ!? もしやこのカードたちはッ!』

『人気投票で上位だったカードたちも再収録だァッ!』

TCG(トレーディングカードゲーム)・ウマデュエルレーサー! ロード・オブ・ザ・クイーン、発売ッ!』

『キャンペーンで特別なゴールドシップさんをゲットです!』

 

 ……おぉ。

 フル尺であのCMを見たのは今回が初めてだ。ナレーションが意外と豪華なんだな。

 目立つ部分がゴールドシップとメジロマックイーン、途中でもしやと再録カードに驚くのと一番最後のキャンペーンの告知が──隣にいるこの少女の声だった。

 

「すごいなデジタルさん。ウマデュエのCMにまで抜擢されてたんだ」

「えっ……」

「……?」

 

 あれ。

 何か変なこと言っただろうか。

 

「──あっ、いえ。なんと言いますか……あの、今のでよくあたしだと分かったなぁ、と……」

 

 隣にいる相手の声なんだからそりゃ分かるだろう。生ASMR♡

 

「えと、ほら、画面にデジたんのカードは出てませんでしたし……音質ガビガビだったし……」

「いや、さすがにデジタルさんの声ならアレくらいでも一発で気づくよ」

「……は、はぁ。……そう、ですか……」

 

 明確な縁を繋いだ相手の声であればあまり忘れることは無いし、ハチャメチャな美少女で友人の想い人でもあるデジタルとなれば尚更だ。あまりボクチンを揶揄うなよ?

 

「っ…………」

 

 なんかチラチラとこちらの様子を窺ってる。何だよどうした美しくつつがない女。

 

「どしたの」

「……お、怒らないで聞いてもらえますか?」

「怒るわけないでしょ……」

 

 安心して話してね♡ 何があったらそんな展開になるというんだ。おマヌケさんめ。

 

「その……秋川さん、メジロドーベルさんたちお三方と同じお店でバイトされてますよね」

「えっ? あぁ……まあ、うん」

 

 一時期"有名ウマ娘のバイト先"とトレンド入りするくらい話題になった喫茶店だ。唯一の男子のアルバイトが俺であることを知っててもそこまで不思議ではない。

 

「それから……学園側が主催の大きなイベントにもスタッフとして参加してたと聞きました。高校生のスタッフ募集はしてないはずのイベントにもいて、新しく学園に来たトレーナーさんとも面識があるって話が上がって皆さん驚かれてましたし……」

「……そ、そうね」

 

 たしかに夏のイベントの時は理事長秘書補佐代理という立場で多少いろいろなウマ娘と交流はしたが、樫本先輩との関係が噂として流れているのは初耳だ。そもそも何で学園で俺の話が話題に上がるんだろうか。

 

「何より……アストンマーチャンさんのぬいぐるみの件といい、あのお三方以外にもウマ娘ちゃんのお知り合い……たくさんいらっしゃいますよね……?」

 

 そうだね。そうだわ。

 なんかいざ自分の状況を改めて言語化してもらったら、結構変わったルートを進んでることに気がついた。友達と言われてパッと思いつくのは山田くらいだけど、俺って案外知り合いが多いんだな。

 ──で、だからなんなんじゃい!

 お前は何が言いたいんじゃい。

 

「ですから……ですから、えぇと……音質があんまり良くない古めなデバイスから流れてる音声だけでもあたしの声が判別できるほど、あたしの事を認識してくださっているとは……思わなくて」

 

 はぁ。

 確かにここのウマ娘グッズストアの広告用のディスプレイはだいぶ年季が入ってるが、聴き取れないほどだろうか。トランシーバーよりはマシくらいだ。

 

「ほ、ほら、ウマ娘ちゃんたちってすっごくかわいくて尊いじゃないですか! そんな天使ちゃんたちとたくさん仲良くしていらっしゃるのに、秋川さんが修学旅行中に()()()()()会っただけのあたしなんかを覚えててくれるなんて……なんと言いますか、その、何だろう、えっと……」

 

 口ごもるアグネスデジタル。マシンガントークするかこっちに振るかハッキリしなさいね。そのままだと焦って言いたいことも言えないよ。心の底から愛おしい。

 とりあえずそろそろこっちも言いたいことを言わせてもらおう。

 デジタルはまず今日この状態に至ることになった大前提を忘れている。

 

「なぁ、デジタルさん。覚えていてくれたのは君の方だろ」

「えっ──」

 

 そもそもこのショッピングモールに訪れてから、最初に声をかけてくれたのはデジタルの方だ。

 彼女が話しかけてきて、この目の前にあるグッズコーナーでクジを回すことになったからこそ、二人で昼食を取ることになってそこで山田と合流できたわけだし、三人で面白い映画を観ることもできたのだ。全部デジタルのおかげである。

 あと自分のことを“なんか”って卑下するのもう禁止な。もし次言ったら鳴かせてしまうよ? 壮絶アクメ・ボイスを。

 

「一度会っただけって言うけど、そうだよ。ファン間の繋がりがある山田と違って、俺はデジタルさんにとって数あるうちの一つに過ぎない撮影会の日に()()()()()、一緒に雨宿りをしただけのただの男子高校生だ。それなのに……きみは俺のことを覚えていてくれた」

「それは……」

 

 これに関しては本当に意外だった。

 本当にたった一度雨宿りを一緒にしただけの仲であり、山田経由で話すようなこともしなかったから。

 

「俺からすればデジタルさんはとんでもない有名人だ。忙しい人だってことも何となく分かるから、こっちが覚えてても君には忘れられてる……ってなってても全然おかしくはなかったし、むしろ立場的にはその方が自然だよな」

 

 間違いなく、それが普通の流れであるはずだ。

 だというのに。

 

「でも今日はデジタルさんの方から声をかけてくれて──すげえ嬉しかったんだ。本当だよ」

「……秋川、さん」

「改めてありがとうな。今日、わざわざ俺に声をかけてくれて」

「……っ!」

 

 デジタルに声をかけられて歓喜したのはマジだ。もちろん山田の事もあるが、特別な繋がりを持っていないにもかかわらず俺を覚えていてくれたことが純粋に嬉しかった。デジタルはカード化されるレベルの有名人なので、ミーハーと言われてしまえばそれまでだが。

 

「あ、あのっあの! あたしもですっ! とっても嬉しかったって、あたしも言いたかったんです!」

 

 うおっ急にスゲェ食いつきっぷり。急くな! 犬も歩けば棒に当たる。淑女の嗜みを大切にね。

 

「はは……似た者同士かもな、俺たち」

 

 そう、似た者同士なので二人とも山田に惹かれたのかも。これも運命ってやつ。

 

「そ、そうですね。なんかお互い言ってること一緒ですし……えへへ」

 

 は? かわいすぎ笑顔は禁止っつったよな。メスはいかなる際も笑顔! 困った態度を取ってくれるものだ。深く憂慮する。

 マジで危うく恋しちゃうところだったんだが。それ以上距離を詰めてきたらヒロインにしちまうからな? 引き際を見誤るなよな。

 こちとらユナイトで中途半端に神経使ったせいでムラついてるんだわ。あんまイライラさせんなし。ままァ♡ ママっ♡ まんまっままんまっ!

 

「…………恋はダービー、か。……うん、受け身のままじゃダメだ。あたしも出走しないと……っ」

 

 小声で先ほどの映画を思い返すデジタル。どうやら余程気に入った作品だったようだ。一緒にゴールドシチーへのファンレター書かない?

 

「秋川さんっ」

「ん?」

 

 結構トイレが長引いてる山田に『早く戻ってこい』というメッセージを送るべくスマホをポケットから出した瞬間、横のデジタルから声をかけられた。

 何というか、真剣な眼差しだ。緊張しているようにも見える。

 まるでデジタルに対面した時の山田と同じように表情が強張っている……が、どこか腹を括っているような、固い決心も瞳の奥に見受けられる。

 

「……」

「あの、ですね」

「……っ!」

 

 ──表情から相手の精神状態を読み取れるのは、幼い頃から本家で様々な年上のウマ娘たちから話を聞いていた経験からいつの間にか身についた能力だ。

 年齢を気にすることなく素直に俺を指導者として見ていたウマ娘や、相手が子供だからと話の半分もまともに聞かなかった選手に、それから子供だからこそ本家の過酷な教育体制から救うことができないかと思い悩む優しい少女など、様々な種類の表情の揺れや感情の機微などをこれでもかというほど見せられてきたからこそ、デジタルの心境の末端くらいなら俺でも把握することができる。

 まして彼女はウマ娘だ。

 俺からすればデジタルたちウマ娘のほうが感情を読みやすい。こう見えてもメンタリストの免許はゴールドなんですよ♡

 

「こ、今週の土曜日なんですけど……」

 

 ピクリとも耳が動かず、尻尾が若干上向きになる。

 これは緊張しつつ、思いきって大事な事柄を伝えてこようとしてくるときの特徴だ。ライ……ライト……名前は忘れたが、年上として放っておけなくなってしまったウマ娘が、一時の気の迷いで俺を連れ出そうとした際にこのような兆候を見せていた。

 つまり、告白だ。

 もちろん色恋沙汰におけるあの告白ではないだろう。ただ、おそらくこの場で、今この瞬間に置いて口にするには少々憚られるような内容の事柄を、彼女は告白しようとしている。

 これは俺の脳が出した危険信号。

 流されるまま話を聞いてはいけないという警告だ。

 

「あっ、デジタルさん」

「っ……? は、はい」

「そういえばデジタルさんの連絡先、まだ貰ってなかったよな。今のうちに友達登録しとかないか?」

「えっ……あ、そっ、そうですねっ。あたしとしたことが忘れてました。うっかり……」

 

 聞き分けがいいなぁ。かわいらしいなぁ。舐めてんの?

 スマホのコードを読み取らせ、連絡先を交換した。最悪の場合、言いたいことはコレで言ってもらえればいい。ファンレターお待ちしてます。

 

「また山田と一緒に三人で遊びたいしさ。今度は俺のタイミングで二人を誘ってもいいかな? ……あっ、デジタルさんは結構忙しいか」

「いえっ、あの……この時期は比較的落ち着いてるので大丈夫です! 秋川さんとダーヤマさんさえよければ、また──」

 

 そこで彼女の声を遮るように、スマホが着信音を通知した。

 

「あ、ごめんなさい、ちょっと電話出ますね。──うぇアっ、た、タキオンさん!? もしもし! どどどうかされましたかッ……! ……はぇ。実験の余波で髪が伸びすぎて身動きが取れない……? わっ分かりました! 今すぐ救援に向かいます!」

 

 事情をこちらにも分かるよう復唱してくれたデジタルのおかげで大体は把握できた。

 同じアグネス繋がりで、修学旅行の際に見たように普段から仲良くしてる友人のピンチとあれば、ウマ娘ちゃん第一のデジタルは直行するしかないだろう。

 

「あの、そういう事でして……」

「こっちは大丈夫だよ。山田にも俺から伝えとくから」

「ごめんなさいごめんなさい! 今日はあたしから誘ったのに……あのっ、今度またいっし──さっ、三人で遊びましょう。ではっ! ごめんなさ~いっ!」

 

 焦りながら謝り倒して風のように去っていくデジタル。ワタワタしてる♡

 

「あっ、あのっ!」

 

 と思ったら一回立ち止まって振り返った。見返り美人。

 

「あたしもちゃんと()()()()っ! ……と、ということでっ!」

 

 そう言って意味深な発言を残したアグネスデジタルは、今度こそモールを飛び出し俺たちの前から姿を消したのであった。

 今日このあと彼女と山田が過ごすはずだった時間を考えると残念だが、彼女の中から妙な雰囲気を察知してわざと発言を遮った事を考えると、今回ばかりは電話でデジタルをこの場から引き離してくれたあのマンハッタンのサポーターさんには感謝しておくべきかもしれない。

 

 今週の土曜日……その後に続く言葉はなんだったのだろうか。

 

「…………秋川、おまたせ」

 

 デジタルを見送ったあと、すぐに山田がトイレから出てきた。

 

「おう。腹、大丈夫か?」

「うん……平気」

「それならよかったが……デジタルさん、タキオンってウマ娘に呼ばれて帰っちゃったぞ」

「そ、そっか」

 

 チラチラと俺の様子を窺う山田。どうしたのかな。心配しなくても俺は逃げないよ。

 

「その、デジたんさんのことはいいんだ。ちょっと歩きながら二人で話そう」

「……? おう」

 

 

 

 

 少し経って、俺たちは外にある噴水広場へやってきた。

 今は山田が付近のソフトクリーム屋に並んでくれており、俺は噴水近くのベンチで一休みしている。

 ……話ってなんだろうか。

 デジタルだけでなく先ほどの山田からも真剣な雰囲気を感じ取れてしまった。

 彼の真剣な話と言えばデジタルへの告白以外にないと思うが、デジたんさんのことはいいんだって言ってたし見当がつかん。

 こわい……ドキドキ……。

 

「おっ? なぁ、もしかしてあそこにいんの、前にトレンドに上がってた喫茶店の高校生じゃね?」

「マジじゃん! ねぇ君っ!」

「えっ……」

 

 そわそわしながら待っていると、制服を着た他校の男子二人組に絡まれた。やばい人生初のナンパだ。

 

「な、な、今ちょっといい?」

「何でしょうか……」

 

 同い年くらいなのについ敬語使っちゃう。街中で声かけられたの初めてでド緊張状態。

 

「あのさ、もしかして君サイレンススズカがいるバイト先で働いてたりする?」

「い、一応……」

「ほら! やっぱ本物じゃん!」

「やべー……! あ、あのさ、オレらマジで怪しいモンとかじゃなくて」

 

 目の前で勝手に盛り上がられてると怪しいモンにしか見えないのだが。

 もちろん気持ちは分かる。俺も似たような事をしない自信はない。

 仮にこの男子たちがサイレンススズカの熱烈なファンであるなら、少しでも本人と近い距離にいる相手であれば話を聞きたくなるのも、心境としては理解できるのだ。

 しかし、まさか俺自身が質問される側になるとは思っていなかったので。

 何というかめちゃ焦ってる。どうしよう。

 

「ちょっとあそこでのバイト中の話が聞きたいっつーか……その、ぶっちゃけアルバイト以外でもスズカとの付き合いってあったりすんの?」

「もしかして連絡先とか知ってたり──」

 

 まるで遠慮する様子のないもう一人の少年がそう言いかけた、その時だった。

 どう対応したものかと狼狽していると、彼らの横から割って入って俺の手首を掴み、()がベンチから立ち上がらせてくれた。

 

「ちょっとごめんね、僕たち先を急いでるから」

 

 現れたのは少し太った眼鏡の彼。

 はわわとこまったときに山田くん参上。

 二つのアイスクリームを器用に片手だけで持っている姿がやけに様になっている。

 

「行こう、秋川」

「あっ……う、うん」

 

 そのまま俺の手を引いて噴水広場を離れていく山田。

 さすがに今回は心の底から助かったと感謝の握手を求めたいレベルだ。なんでナンパ風の通行人と絡まれてる人とそれを助ける相手が全員男なんだよ。全然嬉しくねーぞ。ドキドキ……。

 

「はい、アイス」

「お、おう。サンキュ……」

 

 で、横を見たら気づいた。

 やっぱり山田もさっきのデジタルに似た表情の強張り方をしている。なんというか一周回って落ち着いてる感じだ。

 デジタルの時は危険予測のアラームが脳内に響いたが、不思議な事に今回は大人しいままだ。話を聞いた方がいい、という事なのかもしれない。マジで本能的な直感に過ぎないが。

 

「…………恋は、ダービー……だもんね」

 

 なんか呟いてる。聞き覚えのある単語だったがデジタルといい山田といい、二人ともそんなにあの作品にハマったんだろうか。やっぱり三人でファンレター書かない?

 

「秋川、あのさ」

 

 歩きながら、ソフトクリームを味わいながら。 

 山田は普段より少し重みのある──しかし明るい声音で話しかけてきた。

 

「君のおかげで目が覚めたよ。いつまでも支えてもらってばかりの自分じゃダメだってこと」

 

 突然何を言い出すかと思えば。お前のことなんざいつでもいつまでも支えてやる所存だが。

 

「今日の僕、徹頭徹尾カッコ悪かったよね。なのに秋川にばかり頼って……だからきっと、僕は出走ゲートに入る資格すら持ってなかったんだ」

 

 そんなに自分のこと悪く言わんでも。デジタルもそうだったけど、きみたち自分を過小評価し過ぎな。

 ていうかさっきから言い回しが気になるんだけども。出走ゲートって何のことだ。ダイエット?

 

「だから僕も──走るよ。ウマ娘さんたちだっていつもレースの中で自分を磨いてるんだ。指をくわえて待ってるだけじゃ……観客席にいたら勝つどころか、戦う舞台に立つことすら出来やしない」

 

 ちょっとよく分からないが真面目な雰囲気は感じ取ってるよ。できればもうちょっと明確に何が何なのか話してほしいなとは思ってるけど。恭賀新年。

 

「だから、お礼。そのアイスクリームはソレを僕に気づかせてくれた君への礼なんだ」

「え……奢りってこと?」

「そうなるね」

「いやいや、それは良くないって。いくらだった? ちゃんと返す」

「だ、だからお礼だってば」

「いやでも」

「わっ、分かった。分かったよ。じゃあ今度何か別のことで手を貸してくれたらそれでいいから」

「そうか? ならそうするわ」

 

 抽象的でシリアスっぽい雰囲気で誤魔化せると思ったら大間違いだぞ。俺が明確にお前の何を助けたのかもハッキリしてないのに奢られても困るんじゃい。そこら辺しっかりね。

 

「……とりあえずダイエットはする」

「えぇッ!!?」

「……そんなに驚くことかな」

 

 いや、だってお前……あぁ、いや、止めるわけじゃないんだけどさ。

 やりたいならやるべきだろう。ただちょっとたまに山田のお腹をぽよっと触るのが楽しかった俺が個人的に名残惜しいだけだ。さらば癒しのお肉たち。

 

「じゃ、今日のところは帰るよ。また学校でね」

「またな」

 

 そんな感じでぬるっと解散したわけだが──困った事がある。

 

 デジタルと山田が二人して言っていた『走る』とはどういう事なのか、という謎についてである。

 最初はデジタルが個人的に自分の出走レースを頑張るという話だと思っていたが、山田も似たような事を言い出してワケが分からなくなってしまった。

 あの二人が何かを強く決心した──分かっているのはそれだけだ。

 とはいえ分からないままでは今後何かしらで俺が二人に迷惑をかけてしまう場合が考えられる。

 だからなんとか今日の会話の中からヒントを見つけ出して、あの二人の決意の真相を見抜かねばならないのだ。

 

 思い出そう。今日は何があった? 記憶が鮮明な順に掘り返していこう。ムラムラして記憶の足腰が小鹿のようです♡

 さっきはアイスを食ったがその時点で山田は決意を固めていた。ならもう少し前だろう。

 じゃあデジタルと俺が話していた時か? だがその時点ではデジタルも”走る”と覚悟を決めていた。

 それから遡るとなると映画を鑑賞したくらいだ。それより前といったら──

 

「あっ」

 

 ──そうか。

 それだ。

 この日の三人での始まりにおこなったこと。

 デジタルと俺と山田でウマデュエルレーサーの新弾のパックを剥いたじゃないか。

 あの時に何が起こったかと振り返ってみれば一つしか思い当たらない。

 メジロマックイーンのめちゃくちゃ特別なレアリティのカード。あの買い取り額が十五万を超える神のカードを出した事件だ。

 更にあのときデジタルは『新弾は一箱しか確保できなかった』と発言していた。

 あのメジロマックイーンのカードは一カートン……つまり二十四ボックス開封して一枚出るか出ないかの激レアカードだ。賞賛の気持ちはもちろんだがそれはそれとしてデジタルもきっと悔しかったに違いない。

 

 ウマデュエルレーサー。

 あの数多のカードを操るプレイヤーのことを人々は『出走者(デュエレーサー)』と呼び、また出走者同士が高みを目指してバトルすることを『決闘(レース)』と言う。

 そして、あの二人は()()と。

 そうか。つまり。

 

「今週の土曜日って……」

 

 スマホでとあるワードを検索にかけたが見事にヒットした。

 人気店舗での公式大会が開催されるらしく、また試験的に試合状況によって変わる3Dのアニメーション技術が使われるとのことで、出走者ならば見逃せないイベントになっている。当日の抽選を突破すれば俺でも出場が可能だ。

 これか。デジタルが言っていた『今週の土曜日』の後に続く言葉の真実は。危うくデートにでも誘われるんじゃないかとカスみたいな妄想をするところだったぜ。危なかった、気づけてよかった。

 

「……? ハヅキ、電車でどこに行くの」

「秋葉原だ! 大会まで時間がねぇから調べながらあそこでカードを揃えるッ!」

 

 わかったよ山田、デジタル。俺も腹を括る……もとい──(デュエ)るぜ。

 

 

 

 

 

 

「あ、いたいた。秋川~」

「お待たせしましたー!」

「来たな、二人とも。さっそく受付で出場登録をしようぜ」

 

 そして土曜日。

 俺は万全の準備を整えてカードショップに訪れていた。ちょうど山田とデジタルも来たようだ。

 

 この二人に誠意を見せるため、俺は今日まで死に物狂いでウマデュエルレーサーの勉強を重ねてきた。

 環境のリサーチや使用デッキの分布を徹底的におこない、過去の大会の動画や現プレイヤーのSNSなんかを漁ってプレイングをなるべく学びつつ、昼休みやバイトが無い放課後を使ってクラスメイトのデュエレーサーにアドバイスを貰いながら何度も何度も戦いまくった。

 通話を繋いで夜中までやっていたくらいだ。デッキ構築も助言を貰いながら、他の人のレシピを参考にしつつ夜通しサンデーと相談しながら組み上げた。お前の意見、マジで参考になったよ。

 

(ふんすっ)

 

 かわいい♡ いい加減にしろ。あとで肩を揉んであげるね。

 新弾が発売されてからの上位入賞はほとんどがマックイーンコンボだが、そこそこ分布が多く専用カウンター戦術カードが環境上位に刺さりまくる狂眼の叡智時空龍(マッドアイズ・アグネスタキオン・ドラゴン)を主体としたビートダウンデッキとしてまとめた。かなりの自信作だ。

 ド素人の付け焼刃ではあるが、一矢報いるだけの最低限のプレイヤーとしての常識と戦い方だけは脳みそに叩き込んできたつもりだ。まず目指すは一回戦の突破である。

 

 見果てぬ先まで続く俺たちの闘いのロード──それを踏みしめる第一歩となるのだ!

 

「……? 僕、デッキなんて持ってきてないけど」

「えっ」

 

 ん?

 

「何で?」

「へ……だって、試合で動くウマ娘さんたちの3Dアニメーションを見にきたんでしょ? 大丈夫だよ、出場しなくても観戦用のスペースあるし」

「…………」

 

 ……。

 

「秋川……? あっ、もしかして出場するの? すごいね、デッキ組んできたんだ」

 

 ……。

 …………ん。

 ……。

 ………………………………ん?

 

「あれ、山田。やんないの?」

「え、うん」

「あのメジロマックイーンのカードは?」

「アレはちゃんと大切に自分の部屋で保管してあるよ。怖くて外には持ち出せないね」

「………………そう、なんだ」

 

 

 ────俺はなにか勘違いをしていたのかもしれない。

 

 

「……受付してくるわ」

「がんばって~」

 

 とほほのほ。

 ……ちょっと普通に泣きそうになってきた。

 

「──ッ! ダーヤマさん! 下の階のショップで比較的値段が低い構築済みデッキが販売されてます! どれでもいいから買ってきてください! 受付はあと五分で終わりますので急いでッ!」

「えっ、え……?」

「デッキ一応持ってきててよかった……デジたんも出場登録してきます!」

「あれっ……カード持ってきてないの僕だけ……?」

「秋川さんをあの状態のままにしてはいけませんっ! 早く!!」

「わっぁあっ、は、はいッ!!」

 

 気落ちしながら受付を終えてデュエルスペースに移動して待機していると、時間ギリギリでデジタルと山田が滑り込んできた。お前たち……♡ 愛してる……♡

 

 



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失恋を永久に繰り返して永久凍土ツンドラのその向こう……百万人の子供たちが!

 

 

「他校との合同イベント?」

 

 いつの間にか紅葉も終わり、そろそろ本格的に冬を迎えようとしているある日の放課後。

 バイトが休みのため直で家に帰ろうと昇降口へ向かっていたところで山田に声をかけられ、気がつけば俺は生徒会室でなにやら新しい行事の内容を、生徒会長ご本人から聞かされていた。 

 つい数ヵ月前に後を引き継いだ彼らは文化祭などで大いに活躍してくれた期待の新生生徒会だ。

 在籍校をより良いものにする方法を色々な角度から探っている事は知っていたが、まさか他校と協力して開催するイベントまで用意してしまうとは思わなかった。

 

「あぁ! 映画研究部や演劇部、吹奏楽部なんかとも協力して盛大にやるつもりなんだ!」

「そ、そう。いいね……」

 

 熱く語る同学年の生徒会長に若干気圧されつつ苦笑いして肯定する。

 もちろん俺としては応援するつもりだ。

 素直に感心したしイベントの詳細も気になる。

 ただ、問題が一つあった。

 

「……で、どうして俺が呼ばれたのかな」

 

 怪訝な雰囲気を隠さずに言うと、なぜか絶賛目を輝かせている生徒会長である男子や他の生徒会メンバーとは異なり、奥の方の席で黙っている山田だけは気まずそうな表情で小さく手を合わせて謝罪の意をこっそり伝えてきた。なんだってんだい。

 まず大前提として俺は生徒会役員ではない。

 なんの役職にもついていない一般生徒だ。学校主催のイベントなど、告知こそされても事前に詳細を聞かされる理由が無さすぎる。ウマ娘の旦那であり王ではあるのだが。困ったものだ。

 

「……秋川君。実はキミにお願いがあって来てもらったんだ」

「俺に……?」

「うん! ウチの今年の文化祭はSNSで話題になるくらい盛り上がっただろう? もちろん生徒たちが一丸となって協力したから大成功したのは間違いないのだが……何よりキミが中央トレセンのウマ娘を呼んでくれた部分が成功の一番大きな要因だったと思うんだ」

 

 えへへ。実はたった一人すら呼んでないんだな、これが。

 彼女たちが平然と文化祭に訪れて一番度肝を抜かされたのはこの俺なのだ。何で呼んでないのにあんなたくさん来たんだろう。仮に誘ってもあんなに襲来してこないだろ。

 そんな偶然運がよかっただけの自分にお願いとはいったい。そこはかとなくイヤな予感はする。

 

「──合同イベントに呼べないかなっ!? キミの知り合いのウマ娘をさッ!」

 

 

 

 

「ほんっっとにゴメン秋川……! 多数決には抗えなくて……」

「いいって別に。来てもらえなかったらそれまでって話だろ?」

「う、うん……」

 

 ちょっと時間が経って帰り道。

 ようやく今朝クローゼットから引っ張り出してきたコートとマフラーを身につけて、寒風に震えながら歩いて山田と話をしている。実質デート。

 

「……実は前もクリスマス辺りで似たような行事はやったらしいんだ。その時は来た人がだいぶ少なくて、去年も役員だった今の会長はそれが心残りでさ。あのイベントには引退したたくさんの三年生を応援して送り出すって意味もあるから……盛り上げたい会長の気持ちもよく分かるんだけど……」

 

 もちろん山田が難しい立ち位置にいることは理解している。役職を考えれば生徒会側の肩を持つのが自然だろうに、それでも俺を慮ってくれて……LOVE……♡

 まあ俺としてはバイト先のウマ娘たち三人に()()()でイベント参加への提案をするだけなので、今回の依頼に関して思うところはあまりない。

 ウマ娘の彼女たちは多忙な身ゆえに恐らく断るだろうし、優しさで無理をして手を貸してくれる事態にならないよう俺と山田で口裏を合わせて、あまりスケジュールに余裕がない風に装って向こうが断りやすい雰囲気で話をする予定だ。

 もし来られないという流れになったら俺が合同イベントを手伝う。十中八九ウマ娘たちの参加は望めないに決まっているから、今回は俺という雑用が一人プラスされるというだけの話だ。

 

「とりあえず明日の打ち合わせに来てくれる? 市民センターで他校の生徒と話すときに資料を配るからさ」

「今くれないのか?」

「まだ残り5ページくらい終わってなくて……会長と相談しながらウチで明日の朝までに終わらせて、先生にも見せないと……ふふ……」

「そ、そうか。がんばれ……」

 

 どうやら山田もかなりギリギリの状態で頑張っているらしい。急かすのは酷だろうし、すぐに予定を確認したいところだが今日は我慢だ。がんばれダーヤマくん。フレーフレー……♡

 

「てか一緒にやる高校ってどこなんだ?」

「西校だよ」

「……あぁ、あそこね」

「秋川も通学路であそこの生徒とすれ違うから知ってるでしょ?」

 

 そりゃ多少は知っている。

 俺たちが東で向こうが西。部活に精を出してる連中も他の高校に比べて西校との合同練習や練習試合をおこなう機会が多く、休みの日にウチの高校の近くに寄るといつも彼らを見かける。それくらい馴染み深い別の高校だ。

 ──俺個人はそれとは別の理由で西校を覚えていたのだが、山田には関係ないことなので今は黙っておこう。

 

「んじゃね」

「おう、また明日」

 

 ちょうど十字路に差し掛かった辺りで彼と別れ、特に何を考えたわけでもなくフラッと付近の100円ショップに足を運んだ。

 これといって買うべき物はないが、折角なのでゴールドシチーへ送るファンレター用のレターセットでも選んでおこう。豪奢なやつにしてオラが恋に落としてやろ。

 そう思って気になった商品に手を伸ばし──別の誰かと手が重なった。

 

「あっ、すいません」

「いえいえ。こちらこそ……──って、あれ?」

 

 同じ品を取ろうとして手が重なるなんて今時の恋愛ドラマでも無いようなベタすぎる展開だ。

 内心苦笑いしつつ、現実だと気まずいだけなんだなと考えながら謝ってその場を離れようとすると、奇遇にも俺と同じレターセットを選ぼうとしていたその女子高生が何かに気がついて声を上げた。

 

「えっ……秋川? ちょ、待って待って、秋川じゃない?」

 

 無遠慮に顔を覗き込まれ、思わず仰け反った。

 ふわりと彼女の髪から香った甘い匂いに動揺して何も喋れないでいると、改めて顔を見て確信を持った西()()()()()()少女はあからさまな笑顔を浮かべてこちらを指差した。

 

「ぁほらやっぱ秋川だ! うわ~、久しぶり……めっちゃ普通に中学の卒業式以来じゃんっ」

「…………赤坂?」

 

 俺が秋川葉月だと分かった途端に馴れた態度で接してきたその少女は──バッグに付けた派手なアクセサリーや、極端に短いスカートなどの着崩した制服のせいで一瞬判断に迷ったが、その顔と俺自身を知っているという事実が少し遅れて俺に『この女子高生が誰なのか』を教えてくれた。

 この少女の名は赤坂美咲。

 中学時代、未熟さから出た勘違いによって無謀にも告白してきた俺を、それはもうものの見事にフッたことで人生初の失恋を与えてくれた──元クラスメイトだ。

 

「あはは。その制服ってことは秋川って東に行ってんだ。知らなかった~」

「……そう、だな。俺も赤坂が西校に通ってんの初めて知ったわ」

 

 ウソをついた。

 本当は赤坂美咲が西校に通っている事実は知っていた。

 つい咄嗟に『自分だけ進学先の情報を把握していたら気色悪いと思われるのでは』──そう脳裏に過って反射的に出てきた言葉だった。

 

「……あー、赤坂も手紙を買いに来たのか?」

「そだよ。この前観た映画で推しが名演技し過ぎててさ。もうファンレター送って感情ぶつけるしかないよねって感じ」

「そ、そうか」

「……?」

 

 まったく普段通りのコミュニケーションが取れていない。自分でそう感じてしまうほど緊張しているのは確かだ。

 赤坂美咲は中