サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。 (にいるあらと)
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「一緒にVTuberやってみない?」

「ね、お兄ちゃん。一緒にVTuberやってみない?」

 

 部屋で一緒にゲームをしている時に、高校三年生にもなるのに小さな頃からの『お兄ちゃん』呼びが変わることがない僕の妹、恩徳(おんとく)礼愛(れいあ)にそう言われた。

 

 『一緒に』という物言いからわかるように、僕の妹はVTuberというものをやっている。

 

 VTuberとは、オンライン動画共有プラットフォーム内で活動している一般的な配信者とは異なり、イラストやCGなど、自分のそれとは違う仮想の外見を使ってゲームの実況配信や雑談、歌を歌ってみたりする動画などを投稿したりライブ配信する人たちのことを指す。十代くらいの若い子たちを中心に広がっていき、今や幅広い年代に人気があるらしい。二十代もうすぐ半ばにさし掛かろうかという年齢の僕は、(礼ちゃん)に教えてもらうまで知らなかったけれど。

 

 ちなみにVTuberという存在は個人でやっている場合と企業に所属して活動するケースの二種類があるらしい。礼ちゃんは後者だ。

 

 総合電子機器メーカーのIT関連の子会社が昨今の情勢を受け『New Tale(ニュー テイル)』というVTuberのマネジメントを請け負う事務所を設立したそうで、礼ちゃんはそこに所属している。

 

 礼ちゃんが『一緒にやろう』なんて誘うのだから、おそらくは僕もその事務所に所属して一緒にVTuberとして活動しよう、ということなのだろう。

 

 まるで脈絡なんてない。礼ちゃんがモニターに向かいながらゲームをしていて、僕は隣で『ここはこう立ち回ったほうが次が動きやすいよ』だとかアドバイスした後にこのお誘いだったのだから、話の流れも何もあったものではない。

 

 あまりにも唐突なことだったので返答に窮していると、僕のリアクションを待たずに礼ちゃんは続けた。

 

「お兄ちゃんはゲーム上手だしお話も面白いし、それに声だって聞き取りやすくていい声じゃない? きっと人気出ると思うんだよね」

 

 まるで当然だとでも言わんばかりに礼ちゃんは僕を誉めそやす。身内贔屓を含めても度が過ぎている高評価に当惑するけれど、可愛い妹に手放しで褒められるのはもちろん悪い気はしない。

 

 悪い気はしないけれど、やっぱり事実とは異なるのでやんわりと否定しておく。

 

「はは……ありがとうね。でもゲームが上手い人なんていくらでもいるからね。それに、僕の話が面白いって感じるのは礼ちゃんが聞き上手なだけだよ。僕には、未だに鮮明に覚えてる衝撃的なセリフがあるんだ。あれは学校に通ってた頃、高校一年の一学期。中庭でお昼ご飯を食べてた時に違うクラスの人と話す機会があってね。僕が一頻(ひとしき)り話した後、その人に『君と話してると眠たくなる』と真正面から言われたことがあるんだ。実際にその人はお昼休みが終わる五分前までお昼寝しちゃってた。僕は話し始めて二分後には相手を寝かしつけられるくらいの逸材だよ? 話のつまらなさには定評があるんだ」

 

「それはきっとお兄ちゃんが落ち着く声をしてるからだよ! その人はきっとリラックスして穏やかでいい気持ちになって、だから寝ちゃったんだ! それくらいいい声をしてるんだから、使わない手はないよ!」

 

「そ、それはとても前向きで……うん、ポジティブないい考え方だけど……」

 

「自分の声なんて自分じゃわからないものでしょ? つまりお兄ちゃんの声の良さは客観的にしか判断できないの。この場にはお兄ちゃん以外には私しかいなくて、客観的に判断できるのは私しかいない。私が良い声だって言うんだから、つまり良い声なの」

 

「そ、そうなんだ……。えっと……あ、ありがとう?」

 

「どういたしまして」

 

 反論を許さない強行的な、かつ一定の説得力を持たせた力強い論調だった。

 

 礼ちゃんの評価は身内贔屓という色眼鏡によってだいぶ脚色が施されていると思うけれど、たしかに否定はできない。自分の声がどんなふうに聞こえてるかなんて自分ではわからないものだしね。

 

 困惑とともに閉口していると、礼ちゃんはモニターに向けていた顔を僕に向ける。振り向いた勢いで、肩ほどまでの長さの柔らかな黒髪がふわりと弾んだ。いつもは前髪で隠れているおでこをちらりと覗かせた。

 

「楽しいよ、きっと。楽しくなるよ、今よりずっと。それに……」

 

 お兄ちゃんと一緒にできたら私も嬉しい、と礼ちゃんは付け足した。

 

 普段はわりと鋭く見える瞳が今は穏やかに細められていて、整えられた眉は八の字を作っていた。

 

 礼ちゃんが多少強引にでも僕を動かそうとしているのは、僕のことを心配しているからだろう。

 

「ううむ……」

 

 目を(つぶ)って、VTuberについてよく考えてみる。これまでの事と、これからの事を、深く思量してみる。

 

 VTuberになるにあたって必要になる技術的なことや知識的なことについては一度脇に置いといて、時間という側面だけに目を向ければ、僕に問題はない。

 

 一か月前、僕は二年と少しほど勤めていた会社を辞めた。辞めた、というのも少し語弊があるかもしれない。より正確に表すと、いつの間にか辞める算段がついていた、という感じだ。

 

 僕が勤めていた会社は俗に言う過酷(ブラック)なところだったらしい。らしい、と曖昧になるのは、僕にとってはその会社が初めて勤めた会社だったので、ブラックか否かなんて判断できなかったためだ。上司や先輩に、こう働くのが『普通』だ、なんて言われたら、そういうものなのかと納得せざるを得なかった。

 

 その会社が異常な労働体制を敷いていた(強いていた)と僕が知ったのは、病院のベッドの上でのことだった。

 

 記憶には残っていないが、職場から帰ってきた僕は家の玄関で寝ていたらしく、学校から帰ってきた礼ちゃんが発見してくれたそうだ。

 

 あまりの多忙ぶりに実家を出る予定すら立てられなかっただけなのだが、倒れた時すでに一人暮らしをしていたらと考えるとなかなかに笑えない。

 

 お医者様の診断したところによると、ストレス性の虚血性心疾患、狭心症だと仰っていた。なんだか胸の辺りが痛い時があったり動悸や息苦しさを感じるなあ、とは思っていたのだ、今になって振り返れば。僕としてはただの睡眠不足かと思っていた。

 

 そこからは僕が入院していた病室に泊まり込む勢いで心配してくれた礼ちゃんが父に相談し、父経由で過重労働や労働災害などに明るい弁護士の先生を紹介してもらって対応した。

 

 その後は驚く程とんとん拍子で話が進んだ。やはり専門の弁護士先生はすごいのだなと、素人丸出しの感想を抱いたものだ。過小に計算されていた労働時間と、未払いだった残業代、休日出勤などの手当て等々の手続きまで処理していただいた。口調は舌鋒鋭くといったものだが、物腰は柔らかで親身になってくれて、僕の容態まで気にかけてくれて、まだお若いのにとても頼りになる弁護士先生だった。これからもどうぞよろしくお願いしたいものである。弁護士先生のお世話になるようなことには、もうなりたくないけれど。

 

 そんな一大スペクタクルチックな紆余曲折を経て、今や僕はどこに出しても恥ずかしい立派なニートと相成った。

 

 結論。

 

 時間ならある。潤沢に持て余している。

 

 きっと礼ちゃんは、僕が家族以外とまるで関わりを持たずに過ごしているのを見て、あと仕事もしないでずっと家にいるのを見て、僕の将来を心配してくれているのだろう。とりあえず何か動いたほうが精神的にも社会的にもいいと思ったのだろう。

 

 優しい子なのだ、礼ちゃんは。僕の妹にはもったいないくらい出来た妹なのだ。

 

 そもそも倒れはしたものの、もう既に肉体的な問題は解決したし、精神的には最初からあまり影響を受けていなかった。ちょっと疲れがちというか疲労が抜けにくいくらいだったし、それも今はなんともない。

 

 なんなら弁護士先生が辣腕を惜しげもなく披露してくれたおかげで纏まったお金が手元にあるわけなのだから、さっさと自立して一人暮らしでも始めて、再就職していてもおかしくはなかったくらいだ。

 

 今僕は、こう言っちゃなんだけど先行き不透明かつ不安定なVTuberよりも、安定したお仕事を探すべきなのではないか。

 

 生まれ育った家を出て新生活をスタートさせるのは勇気がいるし、なによりも礼ちゃんと離れ離れになるのはとても寂しいし悲しいし辛いし苦しい。半身どころか全身が引き裂かれるような思いだけれど、避けて通れない道だ。必ず訪れる遠くない未来だ。

 

 いずれは礼ちゃんも良いパートナーと出会って結婚する時が来るだろう。家事はあんまり得意ではないけれど、最近はできないなりに手伝ってくれている。その上、こんなに可愛い優しい賢いその他諸々合計三拍子以上揃っているできた妹だ。嫁の貰い手なんていくらでもある。引く手数多だろう。

 

 家族といえど、兄妹といえど、ずっと一緒にはいられない。

 

「うっ……ぐぅっ」

 

 どうしよう、想像しただけで比喩ではなく胸が痛い。狭心症と診断された時よりも心臓が締め付けられるように痛い。過重労働と睡眠不足の日々を繰り返した二年と少しの間でさえ何ともなかった僕の頑丈な心臓と胃袋に風穴が()きそうだ。こんなことでは、礼ちゃんが嫁に行ったら確実に胃に穴が空く。いや、もう空いたかもしれない。空いた。

 

「ごふっ……」

 

「お兄ちゃんっ!」

 

 僕が急に胸を押さえてうずくまったことで、礼ちゃんに誤解させてしまったようだ。体を気遣うように背中をさすってくれた。

 

「ご、ごめんっ! ごめんなさい! そっ、そうだよね?! お兄ちゃん、ずっと大変な思いしたんだもんね?! これまでいっぱい頑張ったんだもんね?! もっとゆっくり休んでてもいいよね!? ごめん、ごめんなさいっ……」

 

「……礼ちゃん、大丈夫だから。僕のほうこそごめんね。心配してくれてありがとうね」

 

「お、お兄ちゃ……っ」

 

 悪いのは僕だ。

 

 いや、悪いのは本当に僕だ。僕しか悪い奴はいない。

 

 勝手に嫁に行くことを想像して勝手に心に深手を負って勝手に自爆した面倒くさいお兄ちゃんになんて、謝る必要は皆無なんだ。星を散らしたようにきらきらとしたつぶらな瞳を、今は涙でさらにきらきらと潤ませている礼ちゃんを見て、自己嫌悪でさらに胸と胃が痛んでくる。

 

 いずれは必ず訪れる未来なら今のうちに予行練習として、慣らし運転として、可及的速やかに家を出て一人暮らしするべきだ。礼ちゃんがいないという生活に早く心臓を慣らしておかなければ危険だ。暖かい部屋から急に水風呂に入っては心臓に負担がかかるのと同じように、いきなり礼ちゃんが結婚して家を出るなんて話になったら僕の心停止は避けられない。即死する。胃には穴が空き、心臓は張り裂け、四肢は千々に弾け飛ぶだろう。でも大丈夫、木っ端微塵になっても僕は礼ちゃんの幸せを祈っている。

 

 こうして日々の平和な生活に潜んだ生命の危機に気付けたのは、案外良かったのかもしれない。ついに僕にも妹離れをする機会が訪れたのだと、そう前向きに捉えることとしよう。

 

 寂しいけれど、仕方のないことなのだ。

 

 覚悟を決めて、礼ちゃんに向き直る。

 

 言うのだ。『もう一緒にはいられない』と。『仕事を見つけて家を出る』と。今、この場で。

 

 不安からなのか心配からなのか、礼ちゃんは透き通るような白い肌を青ざめさせて、溢れそうになるほど涙を蓄えて、震える唇を噛み締めて、(たお)やかで繊細な指は縋るように僕の服を摘んでいた。

 

 決心して、その冷え切ってしまっている小さな手を握る。

 

「楽しそうだよね、VTuber。できるなら、一緒にやりたいなあ」

 

 ああ。ああ、神よ、意志の弱い僕をどうか許してほしい。

 

 でも仕方のないことなのだ。

 

 ここでいきなり『VTuberにはならない。僕は家を出る』なんて言い出したら、礼ちゃんはどう考えるだろうか。きっと『私が変なことをお願いしたせいでお兄ちゃんが家を離れようとしている』などと誤解してしまうだろう。

 

 いやまあ、本を正せば礼ちゃんの一言をきっかけにして行き着いた『家を出る』という結論だったので、間違いではないどころか百パーセント正解なのだが、大事なのはそんなところじゃない。なによりも大事なのは、僕の発言如何(いかん)によって礼ちゃんが泣いてしまうかもしれないという、ただその一点のみが重要なのだ。

 

 泣き崩れそうな妹を目の前にして、迂闊なことを口走るほど僕は素人ではない。この道十八年のベテランお兄ちゃんなのだ、甘く見てもらっては困る。

 

「ほ、ほんとに? 無理、してない? 私がお願いしたからって、無理してない?」

 

 驚きと喜びと不安を()い交ぜにしながら、礼ちゃんは大きく目を見開いた。目に(たた)えられた涙は一雫、その花瞼(かけん)から滴った。頬を濡らした涙は一筋で止まってくれたようだ。お兄ちゃん的にはギリギリセーフ。

 

「無理なんてしてないよ。礼ちゃんが楽しそうにゲームの実況とかやってるの見て、すごいなあって、輝いてるなあって思ってたんだ」

 

「そんな、輝いてるだなんて……恥ずかしいなあ。……ん、ちょっと待って? 私の配信見てたの?」

 

「あっ……」

 

 二年ほど前から礼ちゃんがVTuberをやっていることは知っていた。未成年なので親の承諾が必要だし、本人からも話は聞いていた。

 

 しかし、配信は見ないで、と固く言いつけられてもいたのだ。僕としては頑張っている礼ちゃんを堂々と応援したかったが、本人から見ないでと言われたら表向きは従うしかない。

 

 なので陰ながら、名シーンや迷シーン、見所を纏めた切り抜きと呼ばれる短い動画を視聴するに留めていた。

 

 スーパーチャット(通称スパチャ)という、路上パフォーマーへ投げ銭を贈るのに近い機能を使って配信者への応援が出来るのだが、それも本人が嫌がるならやる意味がないと思って、僕は断固たる自制心で以て応援(スパチャ)したい欲を抑えていたのだ。かなり妥協した上で泣く泣く切り抜きを拝見するだけで我慢していたのに、どうやらそれすら許してくれないらしい。

 

 礼ちゃんは僕の服を掴んで前後に揺さぶり始めた。

 

「恥ずかしいから見ないでって約束したのに!」

 

「『私の配信見ちゃだめだからね』って言われたから、礼ちゃんのチャンネルでの配信は見てないよ? 有志が編集してアップしてくれている切り抜きを楽しんでるだけであって」

 

「屁理屈だよねそれ! もう! いつの見たの?! 昨日のとか見てないよね?!」

 

「お母さんから頼まれてたお手伝いを消化してたから、まだ見てないね。作業を済ませたあとの楽しみにしてたんだ。お茶菓子でもつまみながら見させてもらおうかと」

 

「優雅に見ようとしないで! 見ないで! 見ちゃだめだからね!」

 

「あはは」

 

「なんの笑いなの?! ごまかされないからね!」

 

このままでは切り抜きすら見られなくなってしまいかねない。ここは策を弄さねば。

 

「でも、仮に僕もVTuberとしてやっていくことになったとしたら、礼ちゃんは同僚……じゃないか、先輩になるわけでしょ?」

 

「え? ま、まあ……そうなるの、かな?……えへへ、お兄ちゃんが後輩かあ……」

 

 先輩後輩というワードがそんなに琴線に触れるのか、嬉しそうに、それでいて照れくさそうに身を(よじ)りながら小声で呟いていた。

 

 この調子なら思いのほか簡単に注意を逸らせそうだ。

 

「だから、先輩が頑張っている光景を、その後ろ姿を目に焼き付けるのは、配信者として勉強をしていく上でとても大事なんじゃないかな? 配信を見てくれている人たちを楽しませるにはどうすればいいか、参考にしたいしね」

 

「……そっか、そうだよね。なるほど……それなら仕方ない、のかな? でも……そういう意味なら、私のよりも先輩がやってるのを見たほうが参考になるかもね。あ、先輩っていうのは『NT』の一期生の人たちのことね」

 

「そうなんだね。その人たちの配信も一緒に見てみるよ、ありがとう」

 

 正直なところ、他の配信者さんについてはそこまで興味はない。礼ちゃんの口から直接『見ても良い』と受け取れるような言葉を引き出させれば、それで僕は満足だったのだ。どこまで見ていいかは指定されていないので、拡大解釈すれば配信は全部見ていいということになる。おかげでこれからは誰に(はばか)ることもなく、切り抜きではなく直接礼ちゃんのチャンネルのアーカイブを遡って鑑賞することができるし、配信も生で見ることができる。

 

 そういえば、見るのは許可が出たけどスーパーチャットもありなのかな。スパチャしちゃダメなんて言われてないし、してもバレないよね、きっと。早速次の配信からやらせてもらおう。

 

「それじゃ、さっそく応募の準備しよっか! 違う企業さんだといろいろ条件あったりするけど、うちの『NT』はそのあたり緩いからね。これといって制限はないし、動画で特色出していければきっといけるよ! お兄ちゃんだからやっぱりFPSかなあ。あ、でも声もすっごくいいからそっちでもアピールしたいなあ。歌とかかなあ」

 

 僕よりもよっぽど楽しそうに、どんなアピールの仕方をするか考えている礼ちゃんだった。お兄ちゃんは楽しそうにしている礼ちゃんを見られるだけで幸せです。

 

 『New Tale』はまだ設立されてそう時間が経っていない若い事務所だが、経営は順風満帆なようで、定期的に新しいVtuberをデビューさせている。

 

 礼ちゃんも配信で近々四期生の募集があるとお知らせをしていた。

 

 なぜ配信を見れないはずの僕が知っているかというと、礼ちゃんのお知らせの文言が毎回一言一句変わらないと話題になって切り抜かれていたからだ。あの声に抑揚を感じられない様子だとおそらく、メモか何かを読み上げているのだろう。文章もそうだが、読み上げる速度も声のトーンも毎回寸分違わないくらいに同じで、コメントでは〈前もって録音してお知らせの時に流している〉なんて言われるほどだった。

 

 そういった四期生募集というタイミングと僕の生活状態を鑑みて、VTuberをやってみないかなどと誘ってきたのだろう。

 

 お兄ちゃんという立場上、妹を悲しませるわけにはいかないので応募するだけしてみるという流れには乗りはした。

 

 でも、乗り気な礼ちゃんには悪いけれど、応募したところで受かるとは僕自身まるで思ってはいない。

 

 あまりVtuberという界隈に詳しくはない僕が知っている限りでは、という注釈は入るけれど、男女比率の壁がある。配信者さん個々人それぞれ変動はあるが、少なくとも『New Tale』に所属しているVtuberの配信を視聴している人は男性が多い。

 

 それはそうだろうな、とは思う。所属している人数が女性のほうが多いのだから。

 

 いや、多いというのは正しいが正確ではない。厳密に言えば『New Tale』に所属している男性Vtuberは一人しかいないのだ。その方は一期生の、えー、ちょっと名前までしっかり記憶していなくて申し訳ない気持ちになるが、そう、一人しかいない。礼ちゃんが健全に活動していけるのか心配になって一通り目を通したのだが、一人しかいなかった。

 

 配信者の人気を推し量るバロメーターとして有効なものにチャンネル登録者数というものがあるのだが『New Tale』唯一の男性Vtuberと他の同期の方々を比べると、そのチャンネル登録者数に大幅な開きがあったりするので、やはり男性がやっていくのは生半な努力では厳しいのだろう。

 

 加えて、リスナーの感情の問題もある。

 

 他の企業では男性と女性のVtuberの割合が、半々とは言わないものの三対七から四対六くらいのところもあるらしい。そういうところでは視聴者サイドも男性Vtuberを受容する環境が整っているのかもしれないが『New Tale』はそうではない。自分が推している女性Vtuberには男どころか、男の影すら近づいてほしくないという考えのファンもいる。そういった考えが行き過ぎれば、たとえ同じ事務所内であったとしても良い感情は抱かない。もしかしたら特に深い関わりなどがなくても、存在を否定する理由になり得る。

 

 そういった可能性が潜在しているのがVtuberという世界。と、僕は勝手に認識している。

 

 そのような過酷な世界で、しかもこれといって取り柄もなければ配信者としての心構えも技術も経験も持ち合わせていない僕がやっていけるとは、情けないことだが到底思えない。そういった部分も『New Tale』の採用担当者さんはきっと見抜いてくるだろう。仮に本気で自己PRして応募したとしても、正面から合格できる可能性は限りなく低いと予想している。

 

 オーディションに落ちたら、礼ちゃんも少しはしょんぼりしてしまうかもしれないが、仕方がないと諦めてくれるだろう。職探しをしながらほとぼりが冷めるのを待ち、自立する準備を進めよう。そうすれば礼ちゃんが変に罪悪感を抱くこともないはずだ。

 

 一分の隙もない計画だ。

 

 ただ、隙はなくとも懸念はあった。

 

「ねえ、礼ちゃん」

 

「……歌、ボイス……ぃ人シチュエーションボイスとかも捨て難……え? どうしたの、お兄ちゃん?」

 

 聞き捨てるにはあまりにも意味深がすぎる発言が一部あったが、触れるのも怖いので記憶に蓋をして流しておく。

 

「……えっと、僕が礼ちゃんのお兄ちゃんだってことはしばらく秘密にしておいてね」

 

「……どうして?」

 

 妖精さんが住んでいるとしか思えない可憐な声を世界に発信する礼ちゃんの喉から、地獄の釜を開いたような音がした。それが『どうして?』という言葉を構成する音だと認識するのに数秒かかったくらいだ。しかも、先ほどまでは満点の星空に勝るとも劣らないきらきらしていた瞳が、今は澱んだ沼のように濁っている。

 

 こ、怖、怖くない。とは言えないが、礼ちゃんの新たな一面を知れたことに感謝することにしよう。

 

「ほ、他の応募する人に対して不公平になったら、いけないでしょ? そういうのってあまりよくないと思うんだ」

 

 乾いた喉を必死に震わせて、言葉を発する。

 

 懸念というのがそれだった。もし万が一、オーディションを突破してしまう可能性が存在しているのなら、それは礼ちゃんの兄だからという縁故採用的なルートだろう。正面から入れないなら裏口から、ということだ。その可能性を潰すためにも、礼ちゃんには口を閉ざしていてもらおう。

 

 そしてついでに、炎上対策のリスクヘッジでもある。

 

 今のネット社会、何が理由で人の反感を買うか予想できない。コネクションを使って自分の都合を押し通そうとした、なんて悪意ある捉え方をされないとも限らないわけだ。その悪意の矛先が僕だけに向けられるのであればなんら問題はないけれど、もし礼ちゃんにも火の粉が及ぶようなことになれば僕は自分を許せない。リスクの芽は念入りに摘み取っておかなければならない。

 

「ああ、なんだ、そういうこと……。ほんと、お兄ちゃんってそういうところあるよね。自分に有利になりそうなら、なんでも使っちゃったらいいんじゃないかなーって、普通は思うよ」

 

 呆れたように息を吐きながら礼ちゃんは肩をすくめる。実に愛らしい動きと表情だ。先ほどまで瞳の奥に闇を飼っていた人と同一人物とは思えない。

 

「Vtuberになったら否が応でも正々堂々やるしかないんだから、ずるい手を使ってオーディションに受かってもしょうがないよね」

 

「あはっ、やっぱりお兄ちゃんはお兄ちゃんだなあ」

 

 おかしなことを言った覚えはないけれど、礼ちゃんはすごく笑顔になっていた。よくわからないけど、礼ちゃんが幸せそうならそれでいいです。

 

「それじゃあ礼ちゃん、応募する動画作り手伝ってもらっていい? 僕は詳しくないからさ」

 

「うん! まかせて!」

 

 花も恥じらい月も隠れてしまうほど華やかにして輝かしい笑みで、礼ちゃんは迷うことなくお願いを引き受けてくれた。

 

 どうせ落ちることになる応募で忙しい礼ちゃんの貴重な時間を削るのは心苦しいけれど、一緒に動画作りするくらいのおいしい思いはしていいだろう。この一件が過ぎ去れば、この家から離れることになるのだから、兄妹で共同して簡単な動画を一本作った、なんていうささやかな最後の思い出くらい、作っても許されるだろう。

 

 あと何度見られるかわからない、目が(くら)むほどの礼ちゃんの笑顔を、僕は網膜に焼き付けた。

 




Vtuberさんたちやストリーマーさんたちを某動画共有プラットフォームで見ていて、見ているうちに気がついたら脳みそが勝手に物語を垂れ流すものだから書き始めた。
しばらくの間は自分で書いて、忘れた頃に自分で読んで楽しむという地産地消で満足していたけど一章を書き終えたあたりで人に読んでもらいたくなったので投稿。



【挿絵表示】


貼れてるのかな……やったことないからわからない。
礼愛のイメージです。
Picrewでトロロ様がお作りしたななめーかーをお借りして作ってみた物です。大丈夫なのかなこれで。すごく不安。
何か問題があった場合は削除します。


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「私のお兄ちゃんすごくないですか?!」

書き溜めがなくなるまでは基本的に一日一話更新で行くつもりです。
ちなみに中途半端なところで終わらないようにと思って一章の終わりまで書き溜めしてます。
対よろです。


「……ふう。最後の方は強かったですね。一つでもミスをしていたら勝敗はわかりませんでした」

 

 ゲームのプレイ画面から遷移し、ホーム画面に移動した。さっきの試合でもう今日の予定は終わりなので、邪魔にならないようにと小さくして画面端に寄せていた女性Live2Dモデルを、少し大きくしてから配信画面の中央右寄り付近に移動させる。

 

 息を呑むほど綺麗で、白い肌が眩しい女性のLive2Dモデルが、画面の中で動いていた。

 

 これが私。私の、恩徳礼愛の、Vtuberとしての姿。

 

 つんと上を向く筋の通った鼻に切れ長の双眸。往年の有名ファンタジー小説に登場するエルフのように長く尖った耳。背中まである闇夜のカーテンのような艶やかな黒髪が私の動きに連動してなびく。側頭部からはとぐろを巻くように羊の角に似たそれが生えている。完全体だと翼や尻尾も生えているけれど、尻尾はともかく翼は画面を隠しがちになるのでゲーム配信中はわりと引っ込めていることが多い。

 

 レイラ・エンヴィ。

 

 それがこの子の名前。うじえもんというイラストレーターさんが『魂と性癖をこめて描いた』と豪語するほど美しく丁寧に産んでくれた、もう一人の私。

 

 背筋が凍るほど端整な顔立ちをしているその女性アバターは、私がするのに合わせるように緑色の瞳をぱちぱちと瞬かせ、薄いピンクの唇を開いた。

 

「……というわけで、一位を取れてしまったので本日の人間界調査は終了です。おつかれさまでした」

 

〈知ってた〉

〈知ってた〉

〈もしかしたらこうなるんじゃないかとは思ってたんだ〉

〈一位取るまで終わらない企画とかふつうなら耐久になるのになー〉

 

 私が今までやっていたのは一人称視点でキャラクターを操作し銃火器を用いて同時接続された他のプレイヤーと鎬を削って戦う、いわゆるFPSと呼ばれるゲームだ。大人数が限られたフィールドの中で戦い、最後まで生き残ったプレイヤーが勝者、というバトルロイヤル物。eスポーツとして大会も開催されるほど、人気のあるタイトルだ。

 

 人気は知名度と同義だ。知名度のあるゲームならそれだけ人の目に触れる機会も増え、Vtuberに興味がない人でもゲームのほうに興味を持って視聴してもらえる可能性が上がる。Vtuberは人気商売だからそういう点も気を使う。

 

 なーんていう打算がまったくないとは言わないけれど、それ以上にこの手のゲームが好きだから、という単純な理由で私は今日もこのタイトルで実況配信していたのだった。企業に所属しているVtuberなのだから、人気の指標となるチャンネル登録者数だとか、視聴者の人数、いわゆる同時接続数だとかをもっと気にしたほうがいいのだろうけれど、自分を曲げてまで配信を続けたいと、私はどうしても思えない。

 

 そんなわけで、基本的にはキャラクターに与えられた設定を守りつつ、ほとんど自然体で私はVtuberをやらせてもらっている。

 

 一応、キャラ設定(ロール)はある。身分の高い悪魔のご令嬢が、魔界で山積しているいろいろな問題の解決のために人間界へ訪れた、というのがバックグラウンドだ。なのでゲームの実況配信や雑談も人間界調査という名目になっている。ゲームを実況したりお喋りするだけの時間が人間界のどういう調査に繋がるのか(はなは)だ疑問だけど、そういうのが様式美というやつなのだろう。

 

 人間界では学生として潜入しているので、今もセーラー服を着用していたりする。黒セーラーと黒の長い髪の対比で白い肌がとても際立つ、本当に綺麗な子だ。ちなみに、細くしなやかで長いおみ足は黒のストッキングで覆われている。きっとこのあたりがうじえもんママの趣味(性癖)なのだろう。

 

 見た目は綺麗系の落ち着いた印象をした女の子、中身は外行き用のテンションの私という奇跡のマリアージュのせいで、簡単には人を近づけさせないような孤高の美少女みたいになっている。これだけ優れた外見なら、中身が私じゃなければもっと人気が出ただろうに。うじえもんママには申し訳ない。

 

 申し訳なくは思いながらも声のトーンは上げないまま、私は配信の終了を宣言した。

 

 今回は一位を取れるまで何時間でも何十時間でも続けるという耐久配信の予定だったのだ。レイラちゃんもそうだけど、中身の私自身も学生なので実際は何十時間も連続でプレイなんてできない。次の日に学校がある日は早めに寝ないといけないし、宿題とか予習復習もやらなきゃいけない。でもまあ今回はとりあえず一位取れちゃったからね。仕方ないね。

 

 別にこの後お兄ちゃんとの用事があるから、早く終われるようにこんな予定立てたとかそういうことではない。今のランク帯なら本気で集中すればすぐに終われる見立てをしていたとか、そんなことはない、決して。

 

 ゲーム終盤の激しい戦闘の余韻に浸りながらコメントに都度反応していると、ひとつのコメントに目が止まった。

 

〈最後の相手、APG所属のプロやんけ〉

 

「えっ、プロの方だったんですか?」

 

〈違うFPSでプロをやってた元プロだよ〉

〈今はストリーマーだっけか〉

 

「はあ……なるほど。プロゲーマーを経験されたことのあるストリーマーさんなんですね」

 

 今もホーム画面で放置しているこのゲームはeスポーツとして大会も開催されているようなビッグタイトルなので、もちろんプロもやっていたりする。たまにシーズンリセット直後とかだとマッチングであたることもあるが、大会でよく名前を見るようなプロゲーマーさんが相手だとだいたい勝負になる前に負ける。基本的にはランク帯がかけ離れているからマッチングすることはないけど、今回はお相手の方がランク上げの途中だったりでもしたのか、偶然ご一緒したようだ。

 

 リスナーさんに教えてもらって納得した。たしかに最後の方だけは他のプレイヤーとは明らかに動きが違ったのだ。今回マッチングしたストリーマーさんは失礼ながら私は知らなかったけれど、APGという最前線でプロとして活躍している人が多く在籍しているゲーミングチームに所属する強い方と、直接一対一で対戦して勝てたのはとてもうれしい。

 

 これもお兄ちゃんに戦術を教えてもらったおかげだ。『初見で、かつ人間が相手なら、少なくとも一回は確実に使える』と言ってとっておきを伝授してくれたのだ。

 

 お兄ちゃん直伝の戦術と、あとは地理的な状況、回復アイテムや弾薬、グレネードなどの投げ物も残っていた。私に有利なシチュエーションだったので今回は何とか勝てたけれど、対等な条件でもう一度やったら十中八九私が負けるだろう。そのくらい上手い相手だった。

 

〈あれはまじで勝つとは思わんかった〉

〈さすがに即終了は免れると思ったのによぉ!〉

〈最後のは見入っちゃったよ〉

〈すごかった〉

〈コメ忘れてた〉

 

「めっちゃくちゃに強い人だとは思っていたんです。いい経験をさせてもらいました。ほんとに上手かったですね、あの方。私も最近特訓してますし有利な場面だったのでなんとかなりましたけど、以前の私ならなす術なく押し潰されていたと思います」

 

〈勝つお嬢美しい〉

〈めっちゃ謙虚〉

〈ここで調子に乗らないから好感が持てるんだよなぁ〉

〈前からうまかったけどさらにうまくなってる〉

〈ここ最近の勝率やべえよ〉

〈一時期落としてたけど完全に取り返した〉

〈裏でどんだけ練習してんの〉

 

「努力の成果をお見せできてよかったです。さて、こうして公約も果たしたことですし……」

 

〈努力の中身を詳しく!〉

〈やだー終わらないでー〉

〈はやいって! まだはやいって!〉

〈まだあわてるような時間じゃない〉

〈ほんとにそんな時間じゃねぇんだよな〉

 

 私がいそいそと配信終了の流れに持っていこうとすると、コメントの流れが加速した。別れを惜しむ声が大量に流れる。

 

 そんなみんなのいい反応に、レイラの表情がにへら、と緩む。

 

 私の事務所の母体はIT関連に強いし、その親会社は電子機器メーカーなだけあってか『New Tale』に提供されている配信者の表情を読み取るフェイストラッキングなどの技術まわりは無駄に精度が高い。

 

 レイラを産んでくれたうじえもんママの作り込みもすごいせいで、はにかんだような表情がとってもキュートだ。自分で演じて自分でそう感じるのだから相当なもの。

 

「……配信を終えようかと思いましたが、さすがにまだ、ね。一時間も経たないでさよならでは寂しいので、せっかくですから皆さんから送っていただいたお手紙を読んでいきましょうか」

 

〈やったー!〉

〈送ったの読まれますように〉

〈お嬢、申請かなんかきとんちゃう?〉

 

 『お嬢』というのは私の愛称のようなものだ。魔界で位の高い魔族のご令嬢という設定なので『お嬢』になった。先輩や同期とも被らないしキャラにも合っているし、呼びやすくて打ちやすいともなれば採用しない手はなかった。私はちょっと恥ずかしいんだけどね。

 

「あ、ほんとですね。確認しますのでちょっと待っててくださいね」

 

 ゲームの画面を片付けてお手紙を読む時の画面にしようと準備をしていたところで、コメントに気がついた。メッセージなどが届いた時に表示されるアイコンが点灯していた。

 

 開いてみると届いていたのはフレンド申請で、送ってきたのは先ほどの激闘のお相手『utaco』さんだった。

 

「わっわっ、フレ申請ですっ、あんなに強い方から!」

 

〈元プロに認められたか〉

〈びっくりした時の声かわいい〉

〈なんか娘の独り立ちを見ている気分〉

〈彼女もいない奴がなんか言ってます〉

〈お嬢はわしが育てた〉

〈お前なんもしてねえだろうが〉

〈なんなら最初から俺らより強かった〉

〈有利な位置だったとはいえ元プロに勝つくらいだしな〉

〈可愛すぎんか?〉

〈もしかしたら負けたからって文句言いにきたとか?〉

〈チームに所属してる立場でそんなことしないだろ〉

〈SNSに流されたら速攻で炎上だな〉

〈負けて文句言うとか一番だっせえわ〉

〈お嬢かわいい〉

 

「とりあえず『承認』っと」

 

 フレンド登録を済ませると、驚くような早さですぐにメッセージが届いた。

 

「はやっ。わわっ、どうしよ……あ、とりあえずお相手のプライバシーもあるのでメッセージ画面は隠しときますね」

 

〈しっかりしてる〉

〈配信中の面白さよりも常識やマナーを優先するお嬢〉

〈コンプライアンス遵守の精神〉

〈そういうとこが好き〉

〈だから推してんだよなー〉

 

「個人情報とかプライバシーとかそのあたり大丈夫そうなら読み上げるので安心してくださいね」

 

 リスナーの人たちにそう伝えつつ、私は届いたメッセージを確認する。

 

『もしかして先輩ですか?』

 

 たった一言、その質問だけが送られていた。誰かと勘違いしているのかもしれない。

 

 個人名など含まれていないのでそのまま読み上げるとリスナーさんたちからも、違うプレイヤーと間違えているのでは、と推測されていた。立ち回りが似ていたのかな。

 

 もしかしてレイラの中の人である(礼愛)のリアルでの後輩かと焦ったけれど、私の交友関係の中ではごく一部を除けば私がここまでゲームをやっているなんて知らないはずだし、後輩でプロゲーマーチームに所属している子がいるなんて噂も聞いたことがない。それに一度戦っただけで立ち回りから個人を特定するなんてできない、はず。

 

 きっと、おそらく、たぶんだけど、ただ純粋に人違いなだけだ。そうに違いない。

 

「えーと……『すいません。先輩というのが誰のことを言っているのかわかりません』と」

 

 声に出しながら文面を作る。

 

 今回は単なる勘違いだったけど、元プロゲーマーのあれだけ強い人が『先輩』と仰ぐくらいだ、きっとその先輩さんは相当な腕前のはず。そんな先輩さんと間違われるなんて、ちょっと嬉しくなってしまう。

 

〈お嬢にやけとる〉

〈ニッコニコで草〉

〈一位になった時もここまで笑顔じゃなかった〉

 

「う、うるさいですね……嬉しかったんですよ」

 

リスナーさんたちにしばしいじられていると、またすぐに返信がきた。

 

「えっと……『そうでしたか。急に訳のわからないことを送ってすいません。慌てていたせいで無言申請になってしまっていました。重ね重ね申し訳ないです。承認ありがとうございます』……だそうです。はあ、丁寧な文章を打つ方ですね」

 

〈お嬢もやけどな〉

〈あかん、このままだとFPS界隈はマナーのいい人間ばかりだと誤解される!〉

〈いかんのか〉

〈マナーとかモラルとかを母親の腹の中に置き忘れたやつも多いからな〉

〈魔界よりよっぽどひどい人間界〉

 

 コメントが賑わっている中、私はいそいそとお相手への返事のお手紙を綴る。

 

「『いえいえ、全く構いません。こちらこそ申請ありがとうございます。私は今日はもう落ちるのですが、ご都合が合えばまた今度デュオなどやりましょう』っと。……も、元プロの人相手に一緒に遊びましょうとか、馴れ馴れしくしすぎでしょうか? 大丈夫かな……」

 

〈気にしすぎやろ〉

〈心配が可愛すぎだろ〉

〈いけるいける〉

〈Vしか知らんのだがプロゲーマーってライブ配信とかすんの?〉

〈こっちも同じ反応で草〉

〈切り抜きーここ頼むぞー〉

〈なんの話?〉

〈もしかしてutacoも今配信してる?〉

〈プロゲーマーとしてよりストリーマーとして稼ぐほうが多いとかなんとか〉

〈プロやめた奴がストリーマーに転向するのはよくある話〉

〈草〉

〈草〉

〈utacoさんも配信中だね〉

 

「えっ、配信中?! どどどどうしようっ……」

 

〈こんなにテンパってるお嬢初めて見た〉

〈かわかわ〉

〈utacoさんナイスぅ!〉

 

「配信中に迷惑かけちゃったかな……大丈夫かな……あ! きた!」

 

〈まるで片思いの相手に送ったメッセの返信を待つ乙女〉

〈完全に一致だがそれは俺に効くからやめろ〉

〈utacoさんも同じ心配してて草〉

〈utacoて女なんか?〉

〈名前でわかるだろ〉

〈utacoさんはいつもマスクしてて前髪で片目隠れてる眼鏡っ子で変なチョーカーしてるけどめっちゃかわいい人やぞ!〉

〈ほとんど顔出てないやんけ〉

〈もしやこれは新たなカップリング……?〉

〈百合の波動を感じる〉

〈俺たちは記念すべき初絡みを目撃しているのかもしれない〉

 

 能天気なことを言っているリスナーさんたちなどもはや気にかけることもせず、送られてきたメッセージに集中する。

 

「『ありがとうございます。あまり女性プレイヤーと知り合う機会がないので誘っていただいてとても嬉しいです。レイラ・エンヴィさん』って、え?! なんで私のこと知って……」

 

このゲームをやっている時の名前は『Leila』で登録している。姓であるエンヴィまでは知りようがないはずなのに、なぜ知っているのか。

 

「コメント欄で教えてもらったのかな……。一介のVtuberなんて覚えてるわけないだろうし」

 

〈一介のVtuberにしてはうますぎるんだよなー〉

〈向こうのコメント欄で出てたみたいよ〉

〈utacoさんの配信見てる人の中にお嬢のこと知ってる人がいたみたいだね〉

〈きたか!〉

〈ガタッ(AA略〉

〈き、キマ、キマシ〉

〈まだはやい座れ〉

〈はい〉

〈スッ(略〉

 

「わ、わ、やばいです。心臓バクバクいってます。一緒にゲームやる友だちいなかったし、すごく嬉しいです! えーと『こちらこそありがとうございます。私もとても嬉しいです。SNSなにかやってますか? やっていたらすぐにDM送りますね』……大丈夫かな、引かれないかな? なんだか出会い目的の人みたいな文面になっちゃったし……」

 

〈声上擦っててかわいい〉

〈表情もかわいい〉

〈なんか途中でさらっと悲しいこと言ってたような気が……〉

〈お嬢……あんた、友だちが……〉

〈いつもより声高くなっとるw〉

〈そらお嬢についてこれるような子はそうおらんやろな〉

〈ついてこれる腕の友だちがいないってことだよな? な? そうだよな?〉

〈女性とかもとからプレイ人口少ないのにお嬢並みとかほぼおらんぞ〉

〈すごいなあこんなこと俺がやったら確実に出会い厨とか言われて晒されるんだろうなあ〉

〈おっさんと美少女を一緒にして考えんなよおっさん〉

〈正論という名の鈍器で人を殴るんじゃない〉

 

 utacoさんとのやりとりが進むにつれてコメント欄の流れも早くなってきている。だんだん読みきれなくなってきた。

 

「ね、ねえ眷属のみなさん。もう送っちゃったんですけどさっきので大丈夫でしょうか? 馴れ馴れしいやつだな、とかって思われないでしょうか?」

 

 もう送信済みの時点で取り返しはつかないのだが、心配になって尋ねてみる。みんなからの反応がよろしくなかったら訂正と謝罪のメッセージをすぐさま送ろう。

 

 ちなみに眷属というのはリスナーさんたちのことである。魔界のお嬢様の取り巻き、配下ということで眷属という呼び名が採用されたけれど未だに、いいのかそれで、と思うことがある。

 

〈いけるいけるw〉

〈女の子同士ってこと考えたら印象も悪くないよ〉

〈男がやったら火刑だけど〉

〈お嬢がこれだけぐいぐい押すのも珍しいな〉

〈チーム戦やりたいって前ぼやいてたもんな……〉

〈お嬢あんたそんなにお友だちが……〉

〈独りぼっちは、寂しいもんな……〉

〈おいばかやめろ〉

 

「ちょ、ちょっと! 腫れ物に触れるみたいな言い方やめてください! いますから! お友だちは! ただちょっと、FPS付き合ってくれる子はいないだけで……あ、きた!」

 

 アイコンにマークが点灯する。

 

 私の心臓は今、ゲームのプレイ中よりも心拍数が上がっている。

 

「『わたしの方から誘ったのでわたしからやっておきますよ。というよりももうやっちゃいましたので、お暇ができたら確認してもらえると嬉しいです』……ええっ!? は、はや……」

 

 utacoさんの配信を見ていたリスナーさんたちも合流したのか、激流のように流れ始めたコメント欄はもう追えないので後から目を通すとして、とりあえずSNSを開く。

 

 もしかしたらプライベートなところも見えちゃうかもしれないので、もちろん配信画面には出さない。リスナー(眷属)さんたち、ごめんね。

 

「眷属のみなさん、ちょっとごめんなさい。SNS確認してきます。えっとえっと……あ! utacoさんからDMきてる! ていうかフォロワーすごい増えてる……」

 

〈utacoさんからはなんて?〉

〈お相手の配信見てた人がフォロワーになったのか?〉

〈あとからutacoさんのアーカイブ見に行ってみるか〉

〈こういう交流もアリやな〉

〈みんな仲良くそれが健全〉

〈DMの内容は?〉

〈お嬢の表情筋がさっきから死んでて草〉

〈緩んだ状態から表情動いとらんw〉

 

「えへへ……すっごくうれしい」

 

〈かわいいかよ〉

〈さすが魔族。人間のコロコロし方をよく知ってる〉

〈安らかにイケる〉

〈日頃とのギャップがすごすぎてかわ〉

〈くぁ〉

〈ここでコメは途切れている〉

〈切り抜き不可避〉

 

「あ、DMの内容についてはプライベートなので控えますね」

 

〈ここまで期待値上げてから落とす〉

〈さすが悪魔〉

〈ひどい〉

〈教えてよー!〉

 

「また今度まとめてお話しできるところはするので待っててください。utacoさんからここで話してもいいかどうか許可ももらわないといけないですからね」

 

〈しっかりしてる〉

〈学生の自制心と判断力じゃない〉

〈一部の先輩たちよりも大人な対応で草〉

 

「さて、utacoさんはあとからでもいいというお言葉をいただいたのでそれに甘えることにして、予定通りお手紙読ませてもらいましょうか」

 

〈そういえばそうだった〉

〈大事件があったせいで忘れてた〉

〈なんなら予定の通りならもう終わってるんだもんな〉

 

「そうなんですよね、本当の意味で予定通りというのならもう配信終了しているんですよね。予定通りに終わります?」

 

〈終わらないで!〉

〈お手紙行こうお嬢!〉

〈てめえ余計なこと言ってんじゃねえぞ!〉

〈すまんかった!〉

 

「ふふっ。大丈夫ですよ、やりますからね」

 

 私が『お手紙』と呼んでいたのは、匿名メッセージサービスを介して届けられる、質問のような感想のような要望のような、ざっくりひっくるめてリスナーさんからの応援のメッセージだ。そのお手紙を画面に表示し、綴られた文章を読み上げては答えていく。

 

 近況の報告やら、これからの方針やら、こういった配信を増やしてほしいやら、誰々さんとのコラボを希望やら、純粋に眷属さんからの質問やら。私はわりとオープンに受け付けているのでいろんな内容が送られてくる。

 

 でも、一番多いのはこういう趣旨だった。

 

「『お嬢はご家族の不幸ということでしばらく配信をお休みしてましたが、もう大丈夫なんですか?』えーと、やっぱり眷属のみなさんも気にしてくれていたんですかね? よく見かけました」

 

〈俺も思ってた〉

〈もう大丈夫なん?〉

〈デリケートな部分に簡単に踏み込む神経がわからん〉

〈こういうのは本人が言うまで待ってるもんだろ〉

〈気になるのは確かだろ〉

 

 少しばかりコメント欄の空気が刺々しくなってきた。

 

 こうなるだろうな、とは思っていた。言い出すタイミングを失っていたので仕方ないとはいえ、はっきりと説明しなかった私にも責任がある。

 

 公式の発表だけだと誤解されかねないが、だからといって個人の情報をどこまで説明すべきか判断に困るだろう。解釈の余地が残ってしまう曖昧な物言いになってしまうのも仕方ない。本当ならもっと早く、私の口から直接説明しておかなければいけなかった。

 

「みなさん、ありがとうございます。心配してくれた人も、気を遣ってくれた人も。もう大丈夫です。『New Tale』の発表だと『親族の不幸』ってなってましたけど……いや、間違ってはないんですけどね、それだとまるで親族が亡くなった、みたいに捉えちゃいますよね。実際はそこまで深刻じゃないんです。ただ……お兄ちゃんが過労で倒れてしまって、それを私が一番最初に発見しちゃったものだから動揺して……。突然配信をお休みすることになってしまいました」

 

 私が家に帰ってきて玄関でお兄ちゃんが倒れているところを見つけた時は、もう頭が真っ白になって何も考えられなかった。

 

 その日も配信の予定だったのにすっかり頭から抜け落ちていて、しかも配信できそうにないということを運営側にも、SNSを通してリスナーさんにも報告できないまま、お兄ちゃんに付き添って病院に行ってしまった。

 

 連絡も何も取れない完全な音信不通状態だったが『New Tale』としては何か発表しておかないといけないということで、縁起でもないけれど『親族のご不幸が云々』という声明を出さざるを得なかった。

 

 とはいえ、大体の理由の目星はついていたらしい。

 

 私のことをよく知ってくれていてよく気にかけてくれている、とても仲の良い一期生の大先輩の耳に、私が急に配信を休んでそこから連絡が取れないことが知らされた時、その大先輩が『きっとお兄さん絡みだと思います』と伝えておいてくれたらしいのだ。後日先輩へ謝意を伝えるため連絡した際には『事前に通知してたのにレイラちゃんが寝坊したりずる休みしたりサボったりするなんて考えられないもんね』と、まるでお日様のようにぽかぽかする声でころころと笑いながらそう言ってくれた。

 

 たしかにお兄ちゃん関連以外で私が急にお休みをもらうことなんてそうそうありはしないけれど、尊敬している先輩からそこまで信用をされていると思うとプレッシャーがすごい。これから絶対に寝坊も遅刻もできない。

 

 ただ、私にとってどれだけ大きくて重要な理由があったにせよ、それは眷属さんたちには関係がない。時間を作って待っていてくれたであろう眷属さんたちには、ただただ申し訳ないばかりだ。

 

「待ってくれていた人もいると思います。期待を裏切ってしまって本当にすいませんでした」

 

 配信を予告もなく取り止めた私には謝ることしかできない。

 

 そんな私を、眷属さんたちは責めることなく優しく励ましてくれた。

 

〈謝らんでええよ〉

〈そりゃあ仕方ないわ〉

〈謝ることじゃないって〉

〈大丈夫大丈夫〉

〈時計一周ぶん寝坊した挙句に時間通りだって開き直って配信した先輩もいるんだから気にしないで〉

〈ダメな先輩代表を比較に出すのはNG〉

〈過労で倒れるとかやっぱり人間界は魔界よりブラック〉

〈やっぱ人間界ってごみだな〉

〈家族倒れてたらそりゃ驚くよ〉

〈しかも話によく聞くお兄ちゃんさんだしな〉

〈お兄さんガチ恋勢の俺としてはお兄さんの容体が気になる〉

〈お兄ちゃんさんガチ恋勢……噂には聞いていたがまさか実在していたのか〉

 

「お兄ちゃんにガチ恋っていう話はちょっと聞き捨てなりませんが……もう大丈夫です。一週間くらい入院してましたがもう退院して、最近は一緒にご飯作ったりゲームとかやってます。そう! お兄ちゃんに立ち回り方とか戦法とかいろいろ教えてもらったんですよ! 最近はお兄ちゃんといっぱいゲームする時間があるから、だから勝率も上がってるのかもしれないですね! 明日も教えてもらう約束してるんですよ!」

 

〈声の跳ね上がり方えぎぃw〉

〈お嬢に教えられるくらいの腕〉

〈お兄ちゃんさん何者なんだよ……〉

〈おいバカ聞くな〉

〈かわいすぎかよ〉

〈お嬢にお兄ちゃんさんのこと聞くとか素人かよ……〉

 

「あれお兄ちゃんのこと知らない人がいるようですねここでもう一度説明しておきますね! お兄ちゃんはなんでもできるんですよ! テスト勉強しててもここがわからないんだけどって言ったらなんでも教えてくれるんです! 嫌な顔ひとつしないでとってもわかりやすく! あとですね! 昔から勉強もなんですけどゲームもできるんです! なんでも詳しいんですよ! これだけでもすごいのにそれだけじゃないんですよ! 音楽のテストでギターしなきゃいけないんだあって話をしたら次の週にはエレアコ買ってきてくれて教えてくれたんですよびっくりしません? 教えられるくらいにギターうまいんですよ?! いつ練習したの?! びっくりしますよね!? ね!? 合唱コンクールの時は練習するためにカラオケにも付き合ってくれたんですから! ラブソングをリクエストしたら心を込めて歌ってくれたんです! あと……くふふっ……これはつい最近の話なんですけどテレビでバーテンダーの特集がやってた時に私がかっこいいなーってぼそっと言ったらいつの間にか道具用意したらしくてその三日後くらいにはカクテル作ってくれたんです! 未成年なのでもちろんノンアルコールでしたけど大人っぽい味がしました! くふっ……きっと私がバーテンダーの人を褒めてたからやきもち焼いちゃったんですよかわいいなあ……かわいいなあ! そうだカクテルだけじゃないや! お兄ちゃんは私のご飯もずっと作ってくれてて料理もできるんですしかもすっごくおいしいんですよ! すごくないですか?! 私のお兄ちゃんすごくないですか?! はあ……私のお兄ちゃんすごいなあ……」

 

〈圧がすごい〉

〈お、おお〉

〈いつ息継ぎしてるんだw〉

〈せ、せやな〉

〈笑い方が絶妙にきもくて草〉

〈お兄ちゃんさんのこと好きすぎわろた〉

〈お嬢、お兄ちゃんさんの話する時めっちゃ早口になるよな〉

〈絶対また切り抜かれるぞ見てろよ見てろよー〉

〈完全にオタクのそれ〉

〈ワイもこんな妹欲しいわ〉

〈俺はこんなお兄さんがほしい〉

〈仲いいね〉

 

 私の熱弁を聞いてコメントの流れが早くなる。お兄ちゃんの話はこれまで何度もしているので眷属さんたちも慣れたものだ。何度も話しているのにその都度話すことが湧いてくるお兄ちゃんの話題性すごい。

 

 ばばーと流れるコメントの中でも『仲がいいんだね』という内容がちらほらあった。

 

 そりゃあそうだろう。いったいどれだけの時間隣で過ごしてきたことか。

 

「両親が共働きで忙しくてなかなか家に帰って来れなかったので、お兄ちゃんとずっと二人で家に……あ。そう、魔界ではね。はい。高い役職にいたのでね、忙しかったんですよ、両親」

 

〈そんな今思い出したみたいにw〉

〈最近は共働き多いからな〉

 

「両親が忙しくて帰ってこられない代わりにお兄ちゃんが全部やってくれてたんです。人間界のふつうの兄妹がどのくらい一緒にいるのかは知りませんけど、きっと一緒にいる時間は長いほうだと思いますよ。だから、ふつうの兄妹よりかは仲が良いと思います、きっと」

 

 さすがにふつうの兄妹よりかは仲良くしていると思うけれど、そもそもふつうの兄妹というものがどれくらい仲がいいのか分からないので判断が難しい。

 

 マンガやアニメで四六時中べたべたと触れ合ってたり、一緒にお風呂に入ったり、一緒の布団で寝てたりしている物を目にしたことがある。私の場合はお兄ちゃんがいても基本的には隣に座るだけだし、お風呂は中学校を卒業するくらいの時期からなるべく一人で入るように努力したし、寝る時もお兄ちゃんが忙しくなったのもあって高校入学を機にできるだけ可能な限り頑張れる範囲で自分のベッドで寝るようになった。なので年齢を重ねるにつれて距離を置くようになったと言えるだろう。

 

 そう考えていくと、もしかして兄妹仲はふつう程度なのではないかとも思えてくる。

 

 いや、いや、私とお兄ちゃんの仲は良いはずだ。絆があるのだ、何者にも断ち切られない絆が。何物にも代え難い絆が。

 

〈そんなお兄ちゃんさんだったら配信見てるんじゃない?〉

〈お兄ちゃんさん見てるー?〉

〈てかお兄ちゃんさんはお嬢がVtuberやってること知ってんの?〉

 

「あ、お兄ちゃんには伝えていますよ。配信中は騒がしくなるかもしれないですし、なにより一つ屋根の下で暮らしてて隠し通せる物でもないですからね。隠す理由もありませんし。でもお兄ちゃんは配信見てないですよ。見ないでって言いましたから。お兄ちゃんは約束絶対守るんです」

 

〈配信は見ない(見ないとは言ってない)〉

〈絶対隠れて見てるよ〉

〈配信は見ないけど切り抜きは見てるとかありそう〉

〈とんちかよw〉

〈一休さんかな?〉

 

「見てないですって。さすがに私もお兄ちゃんに見られてたらここまで喋るのは恥ずかしいです。……さて、そろそろいい時間なのでこのあたりで終わりにしましょうか」

 

 眷属さんたちの別れを惜しむ声を半ば無視する形で強引に配信終了の流れに持っていく。私も寂しいが、これからお兄ちゃんと外食デートに行く予定があるので仕方ない。その後バイクで夜景を見に行く予定もあるので仕方ない、仕方ないのだ。

 

 BGMと画面を変えて、配信の終わりに恒例でやっているスーパーチャットを送ってくれた人の名前を読み上げるコーナーに移る間際に、ふと思い出した。運営側からも言われていたことがあったのだ。

 

「あ、そうです。前回前々回もやっていましたが、お知らせがあります」

 

〈絶対忘れてたやん〉

〈お兄ちゃんさんの話に頭持ってかれすぎw〉

 

「思い出したのでセーフです。えー、この度『New Tale』で四期生のデビュー計画が始動しました。今現在も応募を受け付けています。やってみたい人や興味のある人はぜひ公式ホームページを見てみてくださいね。……はい、お知らせでした」

 

〈形ばっかりのお知らせコーナー〉

〈すごいな前回前々回と一言一句同じだ〉

〈今日日AIのほうがまだ抑揚あるぞw〉

〈コピペ?〉

 

「違います。カンニングペーパーです。モニターの端っこに忘れないように貼ってるんです」

 

〈カンニングペーパーw〉

〈そのわりには忘れとったけどな〉

〈とうとうNTも四期生まできたか〉

〈やってみたいけどニュートは男はだめだもんな〉

〈男がやるならGGじゃねえの〉

〈ゴーゴーはなーよく燃えるからなー〉

 

 やはり見てくれてる人の中にも、見るだけではなく実際にVtuberをやってみたいという人はいるようだ。でも私としては、Vtuberは楽しいけれどただ楽しいだけではないということも、知っておいてほしいところだ。大変なことも、(しがらみ)とかもあるしね。わざわざこの場では口にしないけれど。

 

 ちなみにコメント欄で出てきた『GG』や『ゴーゴー』というのは二つとも『golden goal(ゴールデン ゴール)』というVtuber事務所の略称だ。

 

 もう一つちなむと『ニュート』という呼び方は『New Tale』のことを指している。『NewTale』の頭から四文字を抜き取って『Newt(ニュート)』と呼んでいるとかなんとか。『Newt』ってたしかイモリだったかヤモリだったかの意味だけど、まあ『New Tale』のことを指してるってみんなが伝わるのならいいのかな。

 

 『Golden Goal』は『New Tale』よりも規模が大きな事務所で、男性も女性も所属している。さすがに女性のほうがちょっとだけ在籍人数は多いけれど全体の三割から四割くらいは男性が占めているのだから、他の事務所や『New Tale』(うち)と比べると男性Vtuberの人数は圧倒的に多い。

 

「勘違いしている人も多いかもしれないですけど、『New Tale』の募集は女の子限定でやってるわけではありませんよ?」

 

〈え〉

〈嘘やん〉

 

「応募要項では性別について言及してませんし、男性でもいいはずです。ダメとは書いてませんからね」

 

〈まじかよ〉

〈確認してみたらほんとに女限定じゃないな〉

〈でも実際は女の子だけなんでは?〉

 

「あー……そのあたりはどうなんでしょうね。暗黙の了解的なのがあるのかもしれないです。でも、とりあえず応募してみるのはいいかもしれないですね。出すだけなら問題ありませんし」

 

〈ダメ元で送ってみるか〉

〈ニュートも有名になったし応募すごそうだな〉

〈お兄さんに声かけてみたらどう?〉

〈ガチ恋勢のやつ必死すぎて草〉

 

「お兄ちゃんにガチ恋してる眷属さんとはちょっとじっくりお話する必要がありそうですが……でも、とても魅力的な提案ですね! 私もお兄ちゃんと一緒にやりたいです! よし、今度聞いてみましょう!」

 

〈おもしろくなってきた!〉

〈お兄ちゃんさんもVtuberやり始めたらずっとコラボやってそうw〉

〈これでお兄ちゃんさんもNTに入ったら兄妹Vtuberは二組目か〉

〈ツインズに続いて二組目やな〉

〈ツインズは姉妹だけどな〉

〈細けぇ〉

〈まぁお兄ちゃんさんが受かるかどうかはわからんけども〉

 

「お兄ちゃんなら絶対いけますよ! 声もいいですしなんでもできますからね!」

 

〈すごい自信だw〉

〈お兄ちゃんさんへのプレッシャーすごいな〉

〈めっちゃハードルあげてて草〉

〈がんばってお兄さんを説得してください!〉

〈なりふり構ってねえなガチ恋奴〉

 

 とある眷属さんから不穏な気配を感じるけれど、お兄ちゃんにVtuberにならないかオススメしてみるというアイデアを出してくれたので今回ばかりは不問に付しておこう。

 




ちなみに時系列的には一話目の前日のお話。

だいたい一話一万字前後を目安に、キリのいいところで区切る感じで意識してます。なのでお話が短い時、長い時など多少ばらつきはあるかも。

あと感想とかもらえたりなんかしちゃったら続きを書くモチベになります。お気軽にお寄せいただきたく。
対ありでした。

レイラ・エンヴィのイメージ


【挿絵表示】


こちらも一話目のイメージ同様、Picrewでトロロ様のななめーかーで作らせてもらいました。ほんとに可愛く作れてめっちゃいいよこれ。
最初書いてたうちは公開する気もなかったのにイメージまで作ってたのって、今更だけどやばいな。


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壁紙か観葉植物にでもなってその光景を少し離れたところから眺める人生を送りたい。

 

 礼ちゃんプロデュースのもと『New Tale』の新人Vtuberオーディションに応募するための動画作りに着手した。

 

 礼ちゃんの狙う売り出し方としては二パターンを想定していたようだ。

 

 僕のゲームの腕前を前面に押し出す形と、もう一つ。礼ちゃんの身内贔屓(客観的)な評価によると僕の声はアピールポイントとなるらしいので、その特色を利用したボイスドラマである。

 

 正直言ってどちらもハードルが高い。やってやれないことはないのだろうけれど、それを他人に見てもらって楽しんでもらえる程にクオリティを上げられるかどうかは自信がない。礼ちゃんからの期待という名のプレッシャーが重い。

 

 提案された二つのどちらがより良いかは礼ちゃんも判断がつかなかったようなので、一応どちらも試してみた。

 

 礼ちゃんもよくやっている、人気のあるFPSのゲームを僕なりに見様見真似で解説というか、実況プレイしてみたものと、礼ちゃんの友人さんが脚本を務めてくれたボイスドラマの両方だ。

 

 あまり詳しくは教えてもらえなかったが、友人さんが創作活動をご趣味にしているらしく、今は時期も相まって趣味に勉強にと忙殺されているらしいけれど、録音したボイスドラマを横流ししてくれるのなら脚本を書いてもいい、と協力してくれたらしい。身内以外に収録した物を聴かれるのは恥ずかしさもあるが、そもそも『New Tale』の動画選考用に作るものだ。少なくない人数に聴かれることになるのだろうから、礼ちゃんの友人さんに聴かれるのは誤差のようなもの。気にすることもない。

 

 しばしの時間をかけて、両方を撮り終えた。

 

 礼ちゃんのリアクションから察するに、どちらも仕上がりは上々だったのだろう。ゲーム実況のほうはきゃあきゃあと楽しそうにはしゃいでくれていたし、ボイスドラマのほうも、まあ、うん。明言は避けるけれどとても独特な感性で喜んでくれていた。ちょっと、お兄ちゃんの口からは言いづらい表情をしていたけれど。近寄り難い声を発していたけれど。でも、大丈夫。お兄ちゃんはそんな礼ちゃんも受け入れるよ。

 

 ちなみにボイスドラマのほうは友人さんにも送られ、感想を頂いた。メッセージアプリに届いた感想を礼ちゃんが読み上げてくれたのだが、仰っている内容が僕の粗末な語彙力では半分以上理解できなかったので、大変申し訳ないがここでは割愛させて頂く。

 

 寸評としては『十年戦える。とてもよかった』といったところ。高評価らしく少し安堵した。でも社会人生活を二年とちょっとでリタイアした身としては友人さんには無理し過ぎないでほしい。

 

 さて、そうして楽しそうな礼ちゃんに先導される形でとりあえず二通り収録してみた訳だが、ここからが大変だった。

 

 どちらが良いかわからなかったので実際に二通り実行してみたのだが、わかったことはどっちも良い、ということだったそうだ。僕としてはどっちでもいいというか、礼ちゃんが喜んでくれるなら他はどうでもいいという感じだが。

 

 なんだか一人で盛り上がっている礼ちゃんを眺めながら、可愛いなあこの生き物、なんて思考停止していた僕に、礼ちゃんが画期的解決案を提示する。

 

 どちらも捨てられないと悩んだ末に礼ちゃんが打ち出した結論は曰く──

 

『どっちも素晴らしいなら二つを合わせればいいじゃない』

 

 ──だそうだ。

 

 なるほど、天才か。

 

 内容を聞くと、つまりはゲームの解説実況をボイスドラマに組み込む、という主旨だった。

 

 礼ちゃんが提案したシチュエーションは『ゲームに詳しくない彼女を膝に乗せながらゲームをして、彼女に興味を持ってもらおうとしているゲーマーな彼氏』というもの。空気中に糖分が溶け出していそうな概要だ。脳みそが練乳漬けにされそう。血糖値に不安がある方は視聴を避けることが推奨される。

 

 そんなこんなで天啓を得た礼ちゃんだったけれど、ここで一つの大きすぎる障害に阻まれた。台本である。

 

 ゲームプレイ中の戦況によってストーリーを調整する必要があるし、どうしたってアドリブでカバーしなければいけない部分もかなり出てくると思われる。台本の構成は幅を持たせたりルート分岐の余地を残したりと難易度は高いし手間もかかるはずだ。気後れしつつも一応相談すると、またしても礼ちゃんの友人さんが買って出てくれた。

 

 素人の僕たちではそんな難しい台本を書くなんてことはできないので手伝ってくれるのはとても助かるのだが、すでに一本ボイスドラマの台本を提供してもらっている身の上だ。さすがに負担が大きすぎるのではと思い、直接通話で意思を確認させてもらったら、

 

『礼愛の発想ほんと神。砂糖吐く。シチュからして尊いのにお兄さんの声まで使わせてもらえたら沼以外の道が見えない。絶対に昇天する。夢女子垂涎の出来になる。意識飛ばす。成仏させる』

 

 と、なぜかすんなりと頭に入ってきてくれない日本語によって、その燃え盛るようなやる気を早口で表明してくれた。とりあえず、友人さんが無理をしていないかどうかという一番確認したかったことは確認できたので、僕は話している内容の理解率が二十パーセントを切った頭のままで『ありがとうね』と返しておいた。

 

 なんというか、盛り上がっているというか、共振しているというか。スピーカーモードのまま通話して、友人さんと礼ちゃんは賑やかに語り合っていた。友人さんの言葉は耳に入っているはずなのに、脳を経由しないで右から左に抜けていくのはなぜだろう。

 

 そんなふうに賑やかに計画が進んでいった。まず基本となるストーリーの骨子を友人さんが組み、そこからはここの展開はこう持っていったほうが、などと随所で礼ちゃんがアイデアを出して肉付けしていく、という分担作業で台本が形になっていく。

 

 二人とも実に楽しそうなのだが、どこか鬼気迫る勢いでたまに発される圧に押し潰されそうになる。でも、礼ちゃんはとても華やかな表情をしているし、友人さんもテンションが上がっているのか超音波じみた音を発しているので、僕には理解が及ばないけれどきっといいことなのでしょう。お兄ちゃんは元気です。

 

 名シナリオライター友人さん渾身にして迫真の執筆により、台本の大本はわずか三十分程度で形になった。早速目を通してみると、妙なリアリティが羞恥心に拍車をかける。顔から火が出そうになるという感覚を僕は生まれて初めて経験した。

 

 だが、やるからには全身全霊全力全開で全力投球だ。

 

 学生をしながらVTuberをやっている礼ちゃんと、勉学と創作活動を両立している友人さん。多忙な二人がここまで時間と労力を割いてくれているのだから、僕も本気で向き合わなければお兄ちゃんとして立つ瀬がないだけではなく、人として合わせる顔がない。演技指導に熱心な礼ちゃんに励まされながら、どうにかこうにか完成まで漕ぎ着けた。

 

 完成した頃には、羞恥心よりも罪悪感のほうが先に立ってしまっていた。

 

 だって、礼ちゃんと友人さんが手伝ってくれたこの作品は、きっと無駄になってしまう。

 

 僕としては一人暮らしをする前の思い出作りのつもりでやっているのだ。確実に落ちるだろうオーディションのためにここまで手間を取らせてしまったことが今更ながらに申し訳ない。友人さんは僕の力になろうとして声のトーンや台詞回しにも気を使い、本気で良いものを作ろうと何度もパターンを変えて試していた。礼ちゃんも(所々何を言ってるのかわからなかったけど)命が宿らないからといって実際に僕の膝に座って収録させる力の入れようだ。結構時間も労力もかかってしまったのに、二人とも疲れを見せることもなく、最後の最後まで付き合わせてしまった僕に文句を言うこともなく、なんなら終わった頃には始める前よりも元気になっていたくらいだった。学生のバイタリティの高さに改めて感服する。

 

 動画の収録の時もそうだったのだが、これも何かの経験だと思い、編集作業も礼ちゃんに教えてもらいながら初めて手掛けてみた。

 

 ゲームプレイ画面を録画する機器の操作、ヘッドセットでの録音作業とその後の音量バランスなどの調整。それらの映像と音声を不快感が生じないよう切り貼りし、文字起こしして字幕をつけ、盛り上げるためのBGMに気を回し、わかりやすいよう特殊なエフェクトを施してみたり、強調するために効果音をつけたり等々。

 

 このような動画編集の経験が果たしてどんな職場環境なら役に立つのかわからないが、やって悪かった経験なんてそうはない。遠い未来のどこかで役に立つかもしれないのだから、この機会に教えてもらったのだった。

 

 そうして完成した動画は、必要事項を記入したホームページ上の応募フォームから送信され、僕たちのやるべきことはすべてが終了した。友人さんにも送ったが、声にならない声で(周波数が高すぎて僕の可聴域を外れたものと推測している)おそらく褒めてくれた。コミュニケーションが正常に機能していたとは言い難いけれど、とてもお世話になったことだけは事実だ。力になってくれた友人さんにはいずれ恩返ししたい。

 

 なぜか既に合格したつもりになってハイテンション状態で僕のベッドで跳ねている礼ちゃんには申し訳ない限りだが、僕は僕で、もう動き出していた。

 

 もちろん、就職活動だ。

 

 FPSは久しぶりに触ったタイトルのわりにはうまく立ち回れた自信があるし、ボイスドラマのほうも自分で聴いてて聞き苦しいところもあったが秀逸な脚本のおかげで初心者にしては及第点には届いたと思う。動画編集については、VTuber歴二年以上なだけはある礼ちゃんの協力のおかげで、実際以上に面白く仕上がっていると感じた。

 

 だとしても、合格ラインには届かないだろう。

 

 『New Tale』は業界最大手とまでは行かないが、最大手の背に手をかけるくらいのポジションにはついている。現在『New Tale』に在籍している人の中には、最大手に所属しているタレントに引けを取らないくらい人気のある人もいる。ネームバリュー、ブランドという意味では申し分ない。

 

 そんな『New Tale』が新しくVTuberを募集するとなれば、応募する人はたくさんいるだろう。それこそ、配信者に適した技術や知識、経験、性格、トークのセンスなど、僕の比じゃない人たちが殺到すると予想できる。

 

 ただでさえ狭き門、男の応募者が入り込む隙なんてあるかどうか。競争率は計り知れない。そもそも枠自体がない可能性すらある。そんな極少の可能性を無邪気に信じられるほど、僕は無垢ではなかった。

 

 礼ちゃんと友人さんも巻き込んで制作した動画データは(編集前で礼ちゃんの歓声や友人さんの高周波音声が入っちゃっているのも含めて)僕のパソコンに大切に保存してあるし、もし破損したら三日は泣く自信があるのでデータのバックアップも万全を期している。実際やってみると、礼ちゃんの言葉通り楽しかったし、大切な思い出になった。

 

 新たな一歩を踏み出す勇気をくれた。つらいことがあっても頑張れるだけの元気をくれた。

 

 だから、これで充分だ。

 

 これからは妹に心配されるようなお兄ちゃんにならないよう努力しなくてはいけない。

 

 礼ちゃんと(友人さんも招待したかったが三徹していたらしく辞退された)動画完成を祝したささやかなパーティーを開いた、その夜。僕は早速お仕事と、一人暮らし用の家探しを始めた。

 

 

 

 

 

 

 礼ちゃんと動画完成パーティーを開いてから、だいたい二週間ほど経った頃である。

 

 僕のPCにメッセージが届いていた。

 

「選考、通っちゃってるよ……」

 

 まさかだった。

 

 メッセージは『New Tale』の採用担当から送られていたものだ。書類選考と動画選考を通過した旨と、後日面接をするのでその為に予定の空いている日を教えてください、といった内容だった。

 

「……唯一面接まで行けた企業が、まさかここだなんて……」

 

 僕は既に就職活動を進めていた。二週間もあったのだから当然だろう。家探しは就職先が決まってから、なるべく近場で探そうと考えていた。家から職場が近いほうが何かといいよね。

 

 だが、肝心の職場が未だに決まっていなかったのだ。

 

 げに悲しきはこの学歴社会だ。きっと僕のみすぼらしい学歴が盛大に足を引っ張ってくれているのだろう。

 

 体が弱くて通学が難しかったとか、大病を患って勉強についていけなかったとか、経済的に困窮していたとか、家庭環境が理由で勉学に集中できなかったとか、そういうものではない。自分の不甲斐なさと社交性の乏しさ、力不足が原因なのだ。完全に自分の責任なので、文句を言う権利もなければ誰かのせいにできる立場でもない。

 

 僕はクラスメイトたちと馴染めず小学校、中学校のほとんどの期間で不登校だった。勉強自体は特に問題はなかったので自宅学習を経て高校へと進学はできたが、もう何年も同年代の子たちと会話をしていなかった僕にまともな意思疎通が成り立つわけもなく、結局は逃げ出すようにというか、追い出されるような形で高校を中退。最終学歴は中卒だ。

 

 大学や専門学校で『これを勉強したい!』という欲もなく、かといって『この仕事に就きたい!』という夢もない。なので高等学校卒業程度認定試験、いわゆる高卒認定試験、さらに略して高認を受けていなかった。仮に受けて合格していたとしても、そこから進学していなければ最終学歴は中卒のままではあるとはいえ、履歴書の学歴欄には高認には合格しましたと書けていたというのに。しかも試験はいつでもやってるわけではない。

 

 今更そんな後悔をしても詮ないことだけれど。

 

 以前の僕は、とりあえず働ければいいや、と中卒でも働けるところを探した結果、前の過酷な会社に流れ着いたわけである。その結果が病院エンドだ。

 

 次の機会に高卒認定試験を受けに行く算段は立てているが、それまで何も動かないというわけにはいかない。さすがにもう家族に心配をかけたくないので働いても倒れないような会社を探しているのだが、やはり学歴という(ふるい)はどこの会社にも置いてあるようだ。書類選考の時点で落っことされる。今後のご健勝とご活躍をお祈り申し上げられてばかりだ。

 

 もう多少倒れてもいいからとりあえず雇ってくれる会社に方向転換すべきかと考え始めていた折、選考通過のお知らせが『New Tale』から届いたのだった。嬉しいか嬉しくないかで言えばもちろん嬉しいが、どことなく複雑な心境である。

 

 『New Tale』の担当者さんから届いたメッセージの、面接の日取りを決めたいのでいくつかご予定に合う日にちの候補を記入して返信してください、という文言を見て、思わず笑ってしまいそうになった。侮ってもらっては困る。こちとら書類審査すら通らない身の上であるぞ。予定なんてなにもない。スケジュール帳は真っ白だ。いつでも構わない。

 

 丹念にクリアリングされたかのようなスケジュール帳などをわざわざ手元に出す意義も見出せないので確認もしないままに、選考通過の感謝の礼を述べたあと『貴社のご都合に合わせます』と書いて返信しておいた。きっと採用担当の人は『こいつニートじゃね?』と思うことだろう。疑いようも抗いようもないくらい家事手伝い兼自宅警備員(ニート)なので反論の余地はない。

 

「あ、もうこんな時間なんだ。そろそろ出なくちゃ」

 

 返信がつつがなく完了したことを確認すると、もういい時間だったのでデニムパンツと無地のTシャツの上に、薄手のジャケットを羽織って家を出る。意外と思われるかもしれないが僕はニートではあるけれど引きこもりではないのだ。

 

 車を出して、高校まで向かう。礼ちゃんを迎えに行くのだ。予定の合う時しか迎えには行けないけれど、学校まで送るのは礼ちゃんが中学校に通い始めた時から僕の入院期間中と特別な用事を除けば欠かしたことがない。礼ちゃんを朝の満員電車なんかに乗せられないからね。

 

 高校の正門の目の前で車を乗りつけるのは、道がそれほど広くないこともあって通行の邪魔になるだろうし、無職の兄がクラスメイトに見つかりでもしたら礼ちゃんの学校生活に迷惑がかかる。なので高校から出て少し歩いた先にある大通りまで出てきてもらったところで礼ちゃんを拾う。

 

 自宅までの帰り道、助手席に座る礼ちゃんに選考を通過したことを伝えると──

 

「ふふん、まあそうだよね。『NT』の採用担当にまともな感性を持つ人がいて良かったよ」

 

 ──などという、どの立場から物を言っているのかよくわからない言葉を頂いた。

 

 共同制作した動画は、たしかに台本と編集の妙により、素人が演じたにしては上々のクオリティになったけれど、なんだこの自信。どこから湧いて出てくるのだろうか。でも腕を組んでどや顔する礼ちゃんはとてもキュートなのでよし。

 

 まるで『当然の帰結である』と言わんばかりの態度をしていた礼ちゃんだったが、またしてもお祝いをすることになった。帰りに少し寄り道をして有名なお店でケーキを買って、またパーティーだ。

 

 嬉しいけどね、嬉しいんだけどこんなに頻繁にするものでもないように思う。もしやこの妹、お祝いと称して甘い物を食べたいだけではなかろうな。

 

 せっかくなので、ケーキを一人分多めに買って前回参加できなかった友人さんを途中で拾ってパーティーに加わってもらった。

 

 余談だが、実物の友人さんは通話越しでのイメージとはかなり異なっていた。肩甲骨あたりくらいまである煌びやかな金髪をゆるくサイドに纏めていて、だらしなく見えない程度に制服を着崩していて、目にうるさくない絶妙なバランスでアクセサリーを身につけていた。一見、コンビニ前で(たむろ)している若者のようにも思えるが、その実、言葉遣いは丁寧だし礼節を弁えているとても良い子で、そしてなにより面白い子でもあった。

 

 名前は吾妻夢結さん。吾妻山(あづまやま)の吾妻に、夢を()うと書いて夢結(ゆゆ)と読む。

 

 抱いていたイメージと外見の乖離に驚いて、その外見と礼ちゃんと喋っている時の差に(おのの)いた。彼女の感情の高低差があまりにも激しくて酔いそうになったが、とても優しい子であった。これからも礼ちゃんと仲良くしてください。僕は壁紙か観葉植物にでもなってその光景を少し離れたところから眺める人生を送りたい。

 

 一次選考を通っただけだというのになぜか既に一緒にVTuberをすると確信している礼ちゃんのはしゃぎっぷりに嬉しく感じつつ、別の道へのお誘いを吾妻さんに提案されたりして少々怯みながら、選考通過おめでとう会を閉幕し、吾妻さんをお家まで送り届けて、自分の部屋に戻る。

 

 吾妻さんから礼ちゃんの学校での様子や、僕からは見えなかった角度からの礼ちゃんの話をたくさん聞けてお兄ちゃんは満足です。

 

 パソコンに目を向けるとメッセージが届いていた。『New Tale』からである。レスポンス早いや。

 

『いつでも大丈夫という事でしたら、二日後の十五時からでもよろしいでしょうか?』

 

 とのこと。レスポンスが早ければフットワークも軽い。

 

 二日後というのはかなり急だけれど、かといって何の予定も用事も問題もない僕は丁寧な対応に感謝の意を添えて了承の旨を伝えた。次の就職先を探さないといけない僕にとっては、結果が早くわかったほうが何かとありがたい。

 

「……あ、そういえばスーツってどこにやったんだろう……」

 

 入院してから見ていないような気がする、二年間ともに過酷(ブラック)戦場(職場)を駆け抜けた相棒のことを思う。もし玄関で倒れた時のままであれば汚れていることだろう。状態がどうであれ、とりあえず一度クリーニングには出しておきたいが、今スーツ()はどこにいるのだろう。

 




すでに書き溜めてるから更新していけるとは思うんですけど、意外と誤字脱字がないかのチェックやルビ振りなんかで時間がかかるので毎日更新できなかったらごめんなさい。


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親友のお兄さん

 

「あれ? 礼愛(れいあ)から通話? なんだろ?」

 

 帰り道の事だった。親友の恩徳礼愛からメッセージアプリで音声通話が入った。

 

 学校でも散々話していたのに、まだ何か喋り足りないことでもあったのかな。

 

 周りの人の迷惑にならないように歩道の端っこに寄ってスマートフォンを耳に当てた。

 

「礼愛、どしたん? なんかあった?」

 

夢結(ゆゆ)ー! 今日これから時間ある?!』

 

 あたしの問いには華麗にスルーを決めて、礼愛は自分の要件を押し通してきた。基本的にメッセージばかりの礼愛がわざわざ通話してきたのだから大事な用件があるのだろう。

 

 ちなみに学校で出された課題がわからないから教えて、なんていう連絡はありえない。あたしよりも圧倒的に成績のいい礼愛があたしに聞くことなんて何もない。その逆ならたくさんある。テスト前とかになるともう日常茶飯事になる。

 

「え? まぁ、今は急ぎの用事はないけど……なに? 怖いんだけど……」

 

『前に夢結と私とお兄ちゃんで動画作ったでしょ? あの時に完成おめでとう会やったけど夢結来れなかったからさ、今度は夢結呼んでまたやろうってなったんだよ。お兄ちゃんも直接会ってお礼したいって言ってるし、どう?』

 

「あー、そっかぁ……。どう、しよっかな……」

 

 お兄ちゃん。礼愛のお兄さん。あたしの頭の中のお兄さんのイメージを思い浮かべて考える。

 

 率直に言えば、とても会ってみたい。直接会ってお喋りしてみたい。

 

 でもその気持ちと同じくらい、会うのが怖い。

 

 顔を合わせたことはないし、会話したのも前の動画作りの時が初めてだったくらいにあたしとお兄さんは関わりが薄い。あたしからすれば親友のお兄さんなだけだったし、お兄さんからすれば妹と仲のいい子という関係なのだから当然だろう。

 

 でも、お兄さんの為人(ひととなり)は知っている。というか詳しいくらいだ。

 

 学校でも(はばか)らない、ただのクラスメイトにすら周知されているほどのブラコンである礼愛。その親友があたし。お兄さんの話を望む望まないにかかわらず、どれだけ聞かされ続けたかわかったものではない。礼愛と頻繁に話をしない一介のクラスメイトでもお兄さんの好きな食べ物程度は知っているのだから、そのブラコンの深刻さは推して知るべしである。あたしくらい礼愛に近くなると、一度として会ったこともないし顔も知らない(礼愛はこちらが胸焼けするくらい話をしてくるくせに写真は頑として見せようとしない)のに、お兄さんの右二の腕の内側にほくろがあることまで知っている。ていうか礼愛もなんでそんなこと知っているんだろう。

 

 違う意味で顔を合わせにくいけど、会いにくい理由はそれがメインではない。

 

 大部分を占める理由は、あたしが重度のオタクだからだ。

 

 世間の一般常識という物差しで測れば、かなりゲームが上手なお兄さんだってオタクと呼ばれるだろう。

 

 でもそれはあくまで社会的な枠組みから見た広義的なニュアンスだ。一口に車と言っても大きさや用途などでいろいろ種類があるように、オタクにも方向性や深度などによって細かく種類が分けられている。

 

 あたしが礼愛から聞き及んでいる限りでは、お兄さんはゲームは嗜んでいるけれど漫画やアニメには薫陶を受けていない。礼愛はゲームも少年漫画も少女漫画もアニメも幅広く好んではいるけど、それにしたってメジャーなタイトルから一歩踏み込んだところまでだ。腐海に身を浸しているわけでもない。

 

 お兄さんがあまり触れてこなかっただろう漫画やアニメや小説やゲームへと極度に前衛的先鋭化(精一杯お茶を濁した表現)した手の施しようがないほど深刻なレベルのオタクを目の当たりにした時のお兄さんの反応が、あたしは怖い。

 

 学校でもそうしているように、お兄さんが近くにいる間はオタク趣味を隠していれば、取り繕っている外見も相まって誤魔化せるんじゃないかと思ったけど、きっとそれはできない。

 

 あたしの悪癖のせいだ。

 

 テンションが上がっちゃうと周りが見えなくなるというか、口が勝手に回ってしまう。ディープな話を我慢できない。そうしてぺらぺらと、周りの顔色を気にすることもなく昂った気持ちのままオタク話を早口で繰り広げるだろう。

 

 耐性のない人の前でやらかして、それで一度痛い目にあったというのに、きっとあたしは性懲りもなく繰り返す。

 

 あたしは、お兄さんに会うのが怖いんじゃない。

 

 奇妙な生き物を見るかのような目を向けられることが、怖いのだ。自分の好きな物を貶められて否定されることが、あたしはなにより怖いのだ。

 

『大丈夫だよ、夢結』

 

 逡巡するあたしに、礼愛はいつもの凛とした、それでいて優しい声で背中を押してくれる。

 

『お兄ちゃんは、人の大事な物や好きな物を笑うようなことしないよ』

 

 電話越しでも柔らかく微笑んでいることがわかるほど、礼愛の声は穏やかだった。

 

「……そっか、わかった。それじゃ、お呼ばれしちゃおっかな」

 

『うんっ、お呼ばれされちゃって! よかったあ! せっかく買ってもらったケーキが余っちゃうところだったよ!』

 

 あえて明るく振る舞っているのか、それともただ純粋に喜んでいるのかわからない礼愛の無邪気なはしゃぎっぷりだった。この子は頭も顔もいいんだけど、ちょっとねじが緩みがちなのだ。どちらにせよ、あたしを気にかけてくれていることに違いがないというところが、この子のいいところ。

 

「どうせ余ったら礼愛が食べるつもりだったんでしょ?」

 

『あんまり夢結に甘い物持っていったら夢結太っちゃうかもしれないからね、これは私の優しさだよ』

 

「いーや違うね、嫌味だね」

 

 以前、どうすれば礼愛みたいにスタイル維持できるかと(たず)ねてみたことがある。すると『昔お兄ちゃんが早朝にランニングしてて、それについてってたら習慣になった。夢結もやってみたら?』と言われた。今日日のブラコンは体型維持にも効果があるらしい。

 

 あたしを舐めているのか。体育どころか普段の通学すら億劫な人間にランニングとか続けられるわけがない。

 

 ごく一般的平均的普遍的な高校生と同様に運動の苦手なあたしは、礼愛と比べられると分が悪い。勘違いしてもらっては困るが、分が悪いのはスタイルではなくて運動能力や体力についてだ。決して体重とかではない。

 

 ともあれ、勝ち目のない話は早々に終わらせるに限る。

 

「それじゃ、今から礼愛の家に行けばいいの? ちょっと時間かかっちゃうと思うけど」

 

 何度も行ったことのある礼愛の家までの経路を頭に浮かべながら所要時間を計算していると、礼愛の声が聞こえた。スマホと、車道側の二方向からだ。

 

「『ううん、大丈夫! 迎えにきたよ!』」

 

「え……えっ」

 

 声のしたほうを見やれば、車道の脇に停めた車から助手席の窓を開けて、制服姿の礼愛が手をひらひらとさせていた。今日はお兄さんが迎えに来るからと学校の正門で別れたが、その足であたしを拾いにきたのか。

 

 とてもありがたいけど、あたしとしては向かう道中は覚悟を決める時間に使おうと思っていたので、早速初動から計画が崩れてテンパっている。というか、あたしが誘いを断った時はどうするつもりだったのか。完全な無駄足になるぞ。

 

 戸惑いの渦中にあるあたしの心中も知らずに、礼愛は助手席から降りてきた。

 

「なにしてるの夢結。ほら、はやく乗って!」

 

「わっ、ちょっ……」

 

 礼愛が助手席から降りたことで、運転席までの視界が通った。あたしが乗り込むのを待ってくれているお兄さんは、ハンドルに手をかけたまま顔をこちらに向けた。

 

 やはり兄妹は似るものなのか、その整った面立ちは礼愛と方向性が同じだった。わかりやすく違うところといえば、礼愛が少し切長の涼しげな眼差しなのに比べて、お兄さんは垂れ気味の温和そうな目元をしていることだろうか。兄妹揃って美形とかどんな遺伝子をしているんだ。世の理不尽と不条理を垣間見た気がした。

 

 柔らかく微笑みながら会釈してくれたお兄さんに慌てて頭を下げる。車の内と外で自己紹介するわけにもいかないので、礼愛に手を引かれるがまま後部座席へばたばたと乗り込んだ。落ち着きがない子に見られていそうで、とても気恥ずかしい。

 

 シートベルトを着用したことを確認すると、お兄さんは一言声をかけてから車を発進させた。驚かせないようにとの気配りと、揺れを感じさせない緩やかなアクセルの踏み方に、お兄さんの繊細な性格を窺わせた。

 

「初めまして。礼ちゃんの兄の仁義(ひとよし)です。こんな形でごめんね。万が一にも事故を起こすわけにはいかないから」

 

 こんな形というのは、運転中だから顔を向けられない、という意味だろう。安全運転を心がけてもらっているし、何よりわざわざ迎えにきてもらった立ち場だ、文句などあるはずもない。

 

 というか、こちらから名乗るつもりだったのにわたわたしているせいで出遅れてしまった。

 

「い、いえっ……ありがとうございます。あたし、吾妻(あづま)夢結(ゆゆ)です。礼愛とは、一年の時から友だちで、えと……仲良くさせてもらってます! きょ、今日は、ごっ……ご招待ありがとうございます!」

 

 普段敬語を使っていない弊害が出てしまっている。その上、あたしは人見知りだ。言葉がうまく出てこない。

 

 そういえば先生とお父さん以外で、男性と話をしたのなんていつぶりだろう。うちの高校は女子校なので男子生徒はいないし、学校が終わればほぼ毎日まっすぐ家に帰る。異性と喋る機会なんてコンビニの店員さんくらいしかない。いやコンビニでの受け答えは喋っているとは言えないか。そう考えるとすぐに思い出せないくらい久しぶりに男の人との会話になる。緊張がいや増してきた。余計な時にはよく回る舌は、こういう大事な時には働いてくれない。顔から変な汁が出そう。汗であることを祈る。

 

「ゆーゆ!」

 

「わきゃっ」

 

 がちがちに固まったあたしの肩に、どんっ、と礼愛がぶつかってきた。交差点を曲がる時にも遠心力を感じさせない、この道うん十年のベテランタクシードライバーみたいな丁寧な運転をするお兄さんだ。体が傾くなんてことはないのだから、無理矢理に体を寄せてきたのだろう。

 

 あたしがこんなに大変な時に何をするのこの子。驚いたせいで変な声が出た。

 

「そんなに緊張しなくて大丈夫だってば! 歳上相手だなんて思わないで、いつも通り気楽にしていいよ。お兄ちゃんは言葉遣い程度じゃ怒らないから」

 

「礼愛……」

 

 気を張ってたあたしをリラックスさせようとしてくれていたようだ。緊張している理由は微妙にずれているけれど、その気遣いは嬉しいし頼もしい。

 

「礼ちゃんの言う通りだよ、吾妻さん。僕は敬語を使ってもらえるほど立派な大人でもないからね。普段礼ちゃんと話しているように気楽に話してくれていいよ」

 

「は、はひ……」

 

 お兄さんがとても優しい言葉をかけてくれる。その心配りは痛み入るけれど、とてもじゃないがすぐに砕けた口調に修正できるような心理状態ではない。その理由は、お兄さんのこの声だ。

 

「家に着いたら改めてちゃんとお礼させてもらうけど、動画作りの時はボイスドラマの台本、ありがとうね。僕も礼ちゃんもそういったことに詳しくなくて、とても助かったんだ」

 

 この声。疲れた心に染み入るような、そっと頭を撫でられるような、鼓膜すら透過して脳みそをくすぐるような、世俗から特出する(たぐ)(まれ)なエロ、もといエモい声があたしを冷静にさせてくれない。

 

 ありがとうだとか、助かっただとか。ふざけているのかと申し上げたい。ありがとうも助かったもこっちのセリフだ。あの声とあの演技で性癖を詰め込んだボイスドラマを二本も録ってくれて、あたしのほうがとても助かってますありがとうございます。

 

「いえ、そんな……急いで作ったせいで(つたな)い仕上がりになってしまって、申し訳ないれす……ないです」

 

 くそ、あたしの舌。ちゃんと動け。引っ込んでんじゃない。この機を逃したらいつまたお兄さんと喋れるかわからないんだぞ。

 

「拙いだなんてとんでもない。吾妻さんの台本が良かったおかげで僕の素人演技でも聴くに堪える作品になったんだから、堂々と胸を張ってよ」

 

「お兄ちゃんセクハラ」

 

「えっ……た、ただの慣用句……」

 

「身体的特徴を取り上げるのはいくら堂々と張れるだけのモノを持っててもセクハラ。今決めた。私が決めた」

 

「……世間知らずのおじさんでごめんなさい。そうか、昨今は慣用句でもセクハラになる時代なんだね……」

 

 慣用句を使ってセクハラ扱いされるような世間はあたしも知らない。

 

 というかお兄さんは礼愛と五歳差って聞いてるから、きっと二十三歳前後のはずだ。その歳でおじさん扱いはあまりにも早すぎる。その計算だと同じく五歳差のあたしの姉もおばさんということになる。いや、あれはおばさんみたいなものかもしれないけど。

 

「い、いえ、セクハラだとは思ってませんから、大丈夫です。お兄さんの言う通り胸を張って、次の機会があればもっと良い物を提供してみせます」

 

「夢結はこれ以上胸張っちゃだめ。ボタン弾ける」

 

「いや、そこまでは大きくないから」

 

 礼愛よりかは育ってるけれど、という言葉はかろうじて飲み込んだ。迂闊なことを言うと、指の一本くらいは逆方向に曲げられそうな圧を感じた。

 

 しかし礼愛は何を気にしているのか。たしかに胸はあるほうじゃないけど、全体のバランスがいいのだから気にすることないのに。

 

 礼愛はとくに足がいいのだ。あたしとは違って、しなやかな筋肉を纏いつつ、それでいて無駄な肉のないすらりと伸びる長い足。体育の時、礼愛のショートパンツ姿に、同級生が見惚れている光景を何度も見たことがある。運動もできるもんだから、なおさら格好いい。はー世の中ってなんでこうも不公平なのか。

 

「ええと……台本を書いてくれた吾妻さんとしては、ボイスドラマの出来はどうだったかな? 前にも感想もらったけど、率直な意見を聞きたくてね」

 

 ダークサイドに堕ちかねない礼愛を見て、お兄さんが助け舟を出してくれた。この舟に相乗りさせてもらおう。

 

 前に電話口で感想を聞かれた時は、三徹して朦朧としていたバックグラウンドがあって、そこに夢女子を虜にする声と演技が掛け合わされてテンションのメーターが振り切れていた。

 

 どうせあたしのことだ、かろうじて日本語だった、くらいの取り止めもない感想をのべつ幕なしにお兄さんに叩きつけたはずだ。実に恥ずかしいが、しかし実に素晴らしいものでもあったのだから、あの日のあたしを今日のあたしは責めることができない。後日、お兄さんは演技の経験はないと礼愛から聞かされて驚いた。

 

「お世辞とか抜きで、とても良かったです。販売されているボイスドラマと遜色ないくらい、なんなら並の作品よりもぐっと来るものがありました」

 

 まぁ、あたしの趣味趣向性癖をなぞらせたようなシナリオにしたのだからあたしにぶっ刺さるのは当然なのだけども。でもそれを抜きにしても抜群のクオリティだった。

 

 お兄さんの声は天性の素質だ。それはまさしく天稟(てんぴん)と呼んで差し支えない。訓練次第で発声や滑舌、演技などは改善・向上しても、大本の声質は生まれ持ってのもの。今の時点であれだけクるのに、まだこれから伸び代があるなんて信じられない。脳みそを沸騰させる日も近いかもしれない。是非ともまた関わらせてほしい。

 

 そう、あたしが平静さを失っているのは、これが理由なのだ。

 

 あたしは、お兄さんのファンになってしまったのだ。

 

 ボイスドラマを二本も録ってもらっておいてなんだけど、新作がもう待ち遠しい。

 

 えっと、礼愛はなんと言っていたんだったっけ。よく覚えていないのだけど、お兄さんが何かしらのコンテストだかオーディションだかの応募用に動画を作らなくちゃならなかったらしい。今回あたしはそれを手伝った。

 

 いや、手伝わせて頂いた。

 

 応募の内容も礼愛から聞いた気がするが、ボイスドラマに集中しすぎていたせいで詳細を聞き流してしまった。

 

 あんなに脳みそを麻痺させる良い声を使って動画を作るくらいだ、きっと声のお仕事をするのだろう。そして完成した作品があの動画だ。どんなオーディションだろうと合格するだろう。ということは、これからも定期的にボイスドラマは供給される、と皮算用してもおよそ問題ない。

 

 なんてことだ、どうしよう、今からどきどきが止まらない。あたしがファン一号を名乗っていいかな。いいよね。たくさん貢ぐから腕組みして古参面していいよね。初作品に携わったんだって自慢していいかな。いいよね。これからお兄さんはこの業界で名を馳せるはずだ。その時に『お兄さんはあたしが育てた』って言いたい。言っていいよね。言う。

 

 あの傑作で落選するとは思わないけど、もし落ちてしまったら多少強引にでもこちらの界隈に引っ張り込もう。あたしにだってコネや伝手はある。最後の手段で姉を使ってもいい。全力でコネも伝手も人脈も使ってボイスドラマを制作する。あの声の沼にはまる人は絶対いるし、仮にいなくても全部あたしが費用を負担してでもやる。自分の欲求を満たすためだけにやる。

 

 あのボイスドラマを思い出すだけで感想なんていくらでも湧き出してくる。一応はオーディションだかなんだか用に送るものなので、みだりに他人に動画を見せないようにと礼愛に釘を刺されていた。どこかから漏洩してお兄さんに迷惑はかけたくないので、同じ趣味を持つ姉妹にさえボイスドラマを聞かせていないし動画も見せていないのだ。感想を言い合いたいという飢餓感にも似た渇望を我慢していたが、もう我慢しなくていいと言うのなら是非ぶちまけさせてもらおう。本人に直接感想が言えるなんて、ファンとして至上の喜び。なんてご褒美。

 

「一本目のボイスドラマも良かったですけど、あたしはやっぱり二本目のほうがお気に入りです。礼愛も協力してくれた甲斐あって、気持ちの込め方が段違いというか感情の入り具合が別次元っていうか。録音機材も本格的なものがそこまで揃っているわけではなかったのに、実際に自分がその場にいるような感覚を味わえました。『彼女』と一緒にゲームしたいっていう『彼氏』の感情を表現しながらも、その裏で、無理に押し付けるようなことはしたくないっていう複雑で繊細な心情を声色だけで伝えてくるところとか心停止するくらいぐっときました。一人で演じているという雰囲気じゃないのがいいんです。『彼氏』のすぐ近くに話している『彼女』がいて『彼女』のリアクションを受け取りながら喋っているリアル感がハマるんです。そう! あそこやばかったんですよ! ゲームしてる途中にテンションが上がっちゃって『彼氏』が大きな声を出しちゃった時! あの時あたしもびっくりして、びくってなったんですけど、その後に『驚かせてごめんね』って謝る『彼氏』の気遣いと優しさ! 労るような声音! 耳元で囁かれているかのような色気のあるウィスパーボイス! 『彼氏』が実際に自分と会話しているかのような『彼女』として自分が膝の上にいるかのようなあの没入感はほんとにもう、心臓に悪くて、でもそれが良くて、何度もつ……」

 

 おっと、いけない。これ以上はいけない。

 

 興と調子に乗ってしまった。お兄さんが相槌を打つ間すら与えずに捲し立てて、挙げ句の果てに『使う』などど口にするところだった。言わなくていい感想まで口走るところだった。演者本人と、親しい友人であり推しの妹の目の前でそんなことを白状してしまったら、あたしは死んでしまう。羞恥心と罪悪感に殺されてしまう。

 

「つ?」

 

 お兄さんが聞いてくる。いけない、不審に思われている。現時点で既に高くはないであろう評価をこれ以上下げるようなことはしたくない。推しに嫌われたくない。

 

「つ……つ、通学中にも聴いてたくらいお兄さんのボイスドラマがよかったって言いたかったんです!」

 

 軌道修正完了。お兄さんばりのドライビングテクニックで事故死寸前のところから生還した。よくやったぞ、あたし。

 

「通学中に……あはは、それはちょっと恥ずかしいね」

 

「それだけよかったってことだよ、お兄ちゃん」

 

「そうだね。恥ずかしいけど嬉しいな」

 

「…………」

 

 通学中に聴いているだけで『恥ずかしい』なんて思うのなら、誤魔化せてなかったらどうなっていたことか。背筋に冷たいものが走った。心臓が早鐘を打つ。呼吸が荒くなりそう。

 

 ちなみに通学中に聴いていたのは本当だ。ただ、聴いている時に口角が上がってしまうのを我慢できず、周りの人に不審者を見るような目で見られたので今は通学時もそれ以外も含めて外出中には聴かないようにしている。なにもかもお兄さんの声が悪い。あの声には脳みそと表情筋をバカにする効果がある。

 

 そこから礼愛の家に着くまで、お兄さんは礼愛の学校での様子を聞いてきた。あたしたちの共通点である礼愛を話題の中心にすることで、気まずい空気にならないように、とのお兄さんの配慮だろう。コミュ障にも話をしやすい場を作る。これが大人の余裕というものか。

 

 これだけ気配りできるイケメンだ。も、もしかしなくても、か、彼女とかいたり、するのかな。ちょっとそれは解釈違いなのでご遠慮願いたい(厄介オタク)。

 

 お兄さんに尋ねられるままに普段の礼愛を、夜遅くまでゲームやってるくせにめちゃくちゃ勉強ができたり、あたしとは方向性が違うだけでかなりのオタクなのに運動ができたり、マインドコントロールを疑うくらい後輩や同級生から慕われているという話を披露した。ミラー越しにちらりと見えたお兄さんの顔は、まるで自分が褒められたかのようにとても嬉しそうだった。

 

 話していて感じたが、お兄さんはとても聞き上手なようだ。何かを話す度にお兄さんは相槌を打ってくれて、リアクションを取ってくれて、話し下手なあたしでもすごく自然に楽しく喋ることができた。口が滑らないようにするのは苦労したが。

 

 嘘はついていないけど、礼愛のとある一部を丹念に取り除いて話をすると、すごく出来た子のように聞こえる。

 

 礼愛の場合、賢いとか、スポーツならだいたいできたりとか、オタクの風上にも置けないくらいコミュ力が高かったりとか、学力同様に顔面も偏差値が高かったりとか、その他いろいろあるけれど、そういう好印象の(ことごと)くが霞んで影も形もなくなるくらい、ブラコンというイメージが強すぎる。ブラコン絡みの話をごっそりと除去すると、自然、誰だこれと言いたくなるような、ただの美人な文武両道優等生というクセもアクも面白みもないようなキャラクターができあがる。実際の中身がこんなにまともだったら絶対あたし近寄ってないな。

 

 自分で話していても拭えない違和感に襲われたけど、隣から『余計なことを話すなよ』という肉食獣じみた眼光を向けられたら被食者たるあたしでは抗う術がない。物理的な脅威に襲われるよりかは違和感に襲われているほうがまだましだ。

 

 なぜ礼愛は、自分がブラコンなのをお兄さんには隠そうとするのか。こうして頻繁に送迎してもらっている時点でもう手遅れだろう。みんな知ってるんだよ。きっとお兄さんも知ってるんだよ、あんたが末期のブラコンなことくらい。




この作品は
お兄ちゃん視点→別視点→お兄ちゃん視点に戻ってくる
という感じで交互に進めてるんですけど、夢結視点があまりにも長いので中途半端ですが一度切ります。


【挿絵表示】


吾妻夢結のイメージです。
例によってPicrewはトロロ様のななめーかーをお借りして作成。

いつ頃もらえてたのか気づかなかったけど、初めて評価してもらったよ!
一人で書いて読んでた時では得られない嬉しさがあるよ!
とくにコメントはついてなかったから、こんなの無言赤スパみたいなもんだよ!
yurixxx1さん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!(言ってみたかっただけ)
他の方々もチャンネル登録(お気に入り登録のこと)ありがとうございます!(言ってみたかっただけ)


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『どぎつい同人誌事件』

 お兄さんが学校で優等生をしている礼愛を褒めたり、そんな礼愛に付き合っているあたしに感謝を述べてくれたりしているうちに、しばしば訪れていた礼愛の家に到着した。

 

 最近は礼愛のほうにいろいろあったり、あたしも忙しかったこともあって足が遠のいていたが、相も変わらず大きいお家だ。以前にお邪魔した時は少し荒れていたお庭が、今はとてもきれいに剪定されている。花壇には色取り取り(いろとりどり)のお花が彩り鮮やかに咲き誇っていた。ずいぶん華やかになったものだ。

 

 丁寧な制動で家の門扉の前に車が停められる。

 

 お兄さんにお礼を言って、車を降りようとドアに手を、かけられなかった。

 

 ドアに触れる前に開いた。

 

 空振ったせいで体が前のめりになる。

 

「……あぇ?」

 

「ちょっと夢結、早く降りてー」

 

 先の例えではないが、タクシーではないのだから自動で扉は開かない。

 

 お兄さんが、ごく自然な表情と仕草でドアを開けてくれたのだ。嫌々やっているわけでもなく、格好つけや見栄のようにも見えない。ごく自然、ごく当然といった様子だ。

 

「吾妻さん?」

 

 面食らって足が出なかったあたしに、お兄さんが声をかけてくれた。小首を傾げつつ、お兄さんはあたしに手を差し出している。

 

 このお家の花壇よりも百花繚乱咲き乱れるお花畑を頭の中に備えているあたしには、なんだかお姫様扱いのように感じられて照れくさくも嬉しかった。とてもではないが目は合わせられないので頭を下げながら、お兄さんの大きな手のひらに震える手を預けて降車する。

 

 コミュ障は目を見て話すなんてことはできない仕様になっている。手と手を触れ合わせただけでもあたしからすれば上出来なのだ。

 

「わ、わざわざ……あ、ありがとうございます……」

 

「どういたしまして」

 

 あたしのなにがおかしかったのか、少し笑いながらお兄さんが返してくれた。ど、どこか変なところがあったのだろうか、すごく恥ずかしい。

 

 髪の毛でも跳ねてるのかな、と手櫛で整えながらお兄さんの横を通り過ぎた時、こういう言い方をするとあたしの中の気持ち悪いオタクみが露骨に漏れ出てしまって自分で自分が気持ち悪い(二回目)けど、すごく良い匂いがした。柑橘系みたいな石鹸みたいな、よくわからないけれど爽やかな匂いだった。自分で自分が気持ち悪い(三回目)。

 

 もうあたしが気持ち悪いのはどうあっても避けられないので、いっそのこと開き直る。後ろに回ってお兄さんを盗み見た。

 

 服装は地味めだけど、すらりとしたスタイルだからか印象よく映る。そしてなにより背が高い。礼愛も女子の中では背が高いが、百六十四だか百六十五センチだかある礼愛よりもさらに十センチは優に高い。もしかしたら百八十センチ以上あるのだろうか。身長の高い家系なのかもしれない。いつも見上げている立場としてはとても羨ましい。

 

 なお、礼愛より身長が五〜六センチほど低いあたしと礼愛の体重は同じくらいの模様。違う。あたしは太っていない。礼愛が痩せすぎなのだ。あたしは太っていない。

 

「お兄ちゃんありがとー」

 

「いえいえ。礼ちゃん、車をガレージに入れるから先に吾妻さんをリビングに案内しててね」

 

「わかったー」

 

 あたしの後に続いて礼愛がお兄さんに手を引かれながら、ぴょんと跳ねるように車を降りる。

 

 礼愛は何も違和感がなかったのか、お兄さんに簡潔に礼を言うとあたしの手を引き、玄関へと向かう。礼愛はいつも送迎してもらっているから慣れているのだろう。

 

 なるほど、お兄さんは礼愛とあたしのリアクションの差が面白かったのか。

 

 ここで一旦お兄さんとは別れ、あたしと礼愛は玄関へ向かう。

 

「何回も来てるんだからだいたいの場所わかるよね?」

 

「まぁね。そういえば、何回も来てるわりにお兄さんとは会ったことなかったね」

 

 礼愛の後ろについて行って恩徳家にお邪魔する。玄関でローファーを脱ぎ、廊下を進む。

 

「お兄ちゃんは前のお仕事してる時は、帰ってくるのは私の世話する時と寝る時だけみたいな感じだったからね。……私を学校に送って、ご飯作るのも絶対に欠かさないで、少ない休みの日には私のわがまま聞いて……ばかだよね。そんなことしないで、少しでも休んでればよかったのにね」

 

「礼愛……」

 

 二〜三ヶ月くらい前のことだっただろうか。礼愛が突然学校を休みがちになった時期があった。心配になって連絡したけれどその時にお兄さんが倒れた、という話を聞いた。過労が原因だったと記憶している。

 

 あの頃の礼愛の情緒不安定ぶりは見ていて辛いほどだった。正直に言って痛ましかった。こうして今のように明るく笑っているのが奇跡のように感じるくらいには。

 

 学校を休んでいたのは、お兄さんの目が覚めるまで寝ずにずっとそばに居続けていたから、だそうだ。『目が覚めた時に誰もいなかったら寂しいでしょ?』と、そう笑って礼愛は話していたのだが、あたしは笑えなかった。いつものブラコントークなら笑えたけど、その時ばかりはさすがに笑えなかった。お兄さんが倒れてから目覚めるまでの二日間、ずっと隣で寄り添っていたと言うのだから苦笑いすら作れなかった。

 

 きっと、なんて曖昧な物言いすら必要ない。断言できる。礼愛はお兄さんが起きるまで、ずっと隣で見守り続けていたことだろう。それこそ、何日でも、何十日でも。

 

 礼愛のご両親は共働きで、また立場も責任もあるご職業をされているらしく家を空けがちにしていて、長い間お兄さんが家の事と礼愛の面倒を見てきたそうだ。普通の兄妹以上に二人きりでいる時間が長かったからこその、緊密な距離感と関係性なのだろう。

 

 兄であり、母親代わりであり、父親代わりでもある。

 

 家族に分散して向けられるべき愛情がお兄さん一人に集中していると考えれば、礼愛の度を超えたブラコン具合にも納得できる気がしないでもない。しないでもないが、やはり同性の兄弟姉妹ならともかく異性兄妹でこれほど近しい距離感はかなり稀だとは思う。

 

「それはそうと、お兄ちゃんと喋る時の夢結、めちゃくちゃかわいかったあ。なにあれ、あんなキャラじゃないでしょ。借りてきた猫だったよね」

 

 一瞬しおらしくなったかと思えばすぐこれだ。湿っぽくなった空気を変えるためなのかもしれないが、あたしへの皺寄せがすごい。

 

 礼愛が振り返って、艶のある黒髪をふわりと踊らせながら、含みを持たせるようににやりと笑った。背が高く、大人びた顔の礼愛がそんな仕草をすると悪女感が溢れ出る。

 

 なんだよ、様になりすぎだよ。どこでそんな格好いい仕草やいい女ムーブを教えてもらえるの。そういう塾でもあるのか。あたしも通いたい。

 

 し、しかし、ま、負けないぞ。ここまでのあたしの体たらくを振り返ると(きっとここからのあたしもそうだろうけど)わりと言い訳のしようもないほど情けないが、せめてもの反抗で睨みつけながら食い下がる。

 

「しょ、しょうがないじゃん。男の人と話す機会あんまりないんだし、そもそも人見知りだし……」

 

 全面降伏だった。反論にもなっていない。

 

 だって仕方がないじゃない。顔よし、性格よし、声よし、香りよし、スタイルよしと、ただでさえ近寄り難い人が相手なのに、こちとら(気が早いが)推しを目の前にしたオタクぞ。平常心なんざ木っ端微塵だ。

 

 礼愛が学校でお兄さんの話をめちゃくちゃするくせに顔は絶対に見せない理由がわかった。

 

 女子校の女なんぞ、外ではお淑やかぶってお高くとまっているが、内側は飢えた獣のようなものである。若いだけのたいして格好よくもない男性教師が生徒の間で持て囃されるくらいだ。普通くらいの顔をしていればモテるといっていい。

 

 それがお兄さんレベルともなれば、紹介してくれとクラスメイトが押しかけてくるのは自明の理。礼愛はそれをよく理解しているのだ。

 

 ただまあ、礼愛みたいなブラコン拗らせた面倒くさい妹が四六時中くっついてくると予想できるのに、それでもお兄さんにアタックしようとする猛者がそう何人もいるとは思えないけど。

 

 からかわれながら、ドアを開いてリビングダイニングへと入る礼愛の背に続く。

 

 礼愛は一度、清掃と整理整頓がなされたアイランドキッチンに寄ってケーキの入った箱を置くと、また戻ってきて奥にあるテーブルへと進む。あたしは自分の家のものとはいろいろと様相が異なっているキッチンを横目に見ながら、礼愛を追う。

 

 椅子を一脚引いて、礼愛はあたしに目を向けた。

 

「はい、夢結は座って待っててね」

 

「あたしも手伝おうか?」

 

「ううん、いいから。座ってて」

 

 礼愛があたしに客人対応するなんて、とても珍しいことだ。

 

 あたしをこき使うことに関してはあたしの姉妹と肩を並べるくらい横着な礼愛が、あたしに気を使うなんていったいどんなパラダイムシフトがあったのか。成長しているのね、礼愛も。

 

「いつもならもちろん手伝わせるところだけど、今日はお兄ちゃんがいるからね。お兄ちゃんが見てるところでお客さんに手伝わせるわけにはいかないよ。お客さんをおもてなしすることもできない子だって思われちゃう」

 

「あぁ……そっか。そうだよね。あんたはそういう子だもんね」

 

 あたしがどうこうではなくて、お兄さんに見栄を張るためだった。違和感がこれっぽっちもないくらい腑に落ちた。あたしのためじゃないのかよ、と落胆するよりも先に、そうそう礼愛はこうじゃないと、って安心した自分が悲しい。

 

「そういえば。あんた、お兄さんの前じゃブラコン隠してんの? あぁいや、ぜんぜん隠れてはないんだけど」

 

「隠すも隠さないもないし。そもそもブラコンじゃないし」

 

「……は?」

 

「そもそもブラコンじゃないし」

 

「聞こえなかったわけじゃないから! ちょ、ちょっと、ちょっと待って。そこからの否定は無理があるよ。あたしも姉妹いるし仲良いほうだとは思ってるけど、そこまでべったりじゃないし」

 

「それはきっと同性の姉妹だからだよ。兄妹だと勝手が違うの」

 

「えー……そういうもんなの?」

 

「そう。それか頼りがいの有無。安心感」

 

「ものすごい鋭角に姉がディスられたんだけどあのお兄さんを見たらなんも言えないわ。たしかにあたしの姉に頼りがいはない。安心感もない」

 

「つまりはそういうことだね。これがふつうなの。頼りがいのあるお兄ちゃんが夢結にもいれば、きっと共感できたはずだよ」

 

「う、ううん……すぐには納得できない……」

 

「ってことで、私はお兄ちゃんにちゃんとできるところをアピールしなくちゃいけないから、夢結はそこでぼけっと能天気に座ってて」

 

「お兄さんがいなくなった途端に口が悪くなったな! この猫被り!」

 

「ふっ、なんとでも言うがいい借りてきた猫め。さーてと、お湯沸かしておかなくちゃ」

 

 鼻歌を歌いながらキッチンへと向かう礼愛に、あたしはぐぬぬ、と一人歯噛みする。

 

 あたしはきっとすでにお兄さんに変な子だと思われていることだろう。今日はまだ奇行に及んでいない自信はあるが、以前通話越しでテンション高くオタク特有の早口トークなどやらかしてしまった、ような気がする。あの日の記憶は鮮明ではないけれど、何かいろいろしでかした気がする。きっとそれがあたしのイメージに爪痕を残している。とても大きくて深い、致命傷に近い爪痕だ。もはや傷跡だ。

 

 でもこのまま手を(こまぬ)いてはいられない。なによりも自分をだしにされるのが悔しい。

 

 そうだ、邪魔をしてやろう。

 

「礼愛一人じゃ時間かかるでしょぉ、手伝ってあげるよぉ」

 

「手伝う気が感じられない猫撫で声だ! いいから座っててってば!」

 

「礼愛置いてる場所わかるぅ? あたしティーカップ用意するねぇ」

 

「この家に住んでるんだから知ってるよ!」

 

 椅子から腰を上げ、勝手知ったるというふうに食器棚の前に行く。戸を開いてティーカップを取り出そうとしたところで礼愛に手首を掴まれた。

 

「ちょっ、礼愛……カップ落としたらどうすんの」

 

「いっぱいあるから一個くらい落としても大丈夫! それより手伝わなくたっていいってば!」

 

「まあまあ」

 

「まあまあじゃない! 夢結はお客さんなんだから座ってたらいいの!」

 

「今更感のある気遣いだね」

 

「わかったんならはやく席に座る! お兄ちゃん戻ってきちゃうでしょ!」

 

「やっぱり猫被りじゃないの! 少しは取り繕う努力をしろ!」

 

 右手の指先でつまんだソーサーと左手のカップを落とさないようにしているあたしと、そんなあたしの手首を掴んで力づくでテーブルのあるところまで押し込もうとする礼愛。

 

 きゃあきゃあやいやいと姦しく泥試合(キャットファイト)を繰り広げていたからだろう、廊下を歩く足音にも扉の開く音にも気づかなかった。

 

 くす、と笑いを噛み殺したような声に驚いて肩が跳ね上がった。カップを落とさなかったのは奇跡に近い。

 

「ああ、ごめんね。こほんっ……決着がつくまでどうぞ続けてもらって」

 

「続けないよ! 入ってきてたんなら声かけてよお兄ちゃん!」

 

「あ、あわ、あばばば……」

 

「仲良さそうに戯れてたから、邪魔しちゃ悪いなあって」

 

 そう言いながら、またお兄さんはくすくすと楽しそうに微笑ましそうに笑みをこぼしていた。

 

 なに笑とんねん。こちとら恥ずかしいところばっかり見られて心臓ばくばくじゃい。

 

 でもお兄さんの笑顔はとても柔らかくて、どことなく嬉しそうで、なにより暖かなもので、そこはかとなく幼く見えた。

 

 なにこの人めっちゃ好き。絶対推す(推してる)。

 

「もうっ……って、お兄ちゃん。その袋は?」

 

 からかわれてほんのりと上気した顔で礼愛が臍を曲げていたが、お兄さんの手にある袋を認めて小首をかしげた。

 

 尋ねられたお兄さんは一瞬きょとんとした表情を浮かべると、思い出したかのように細く長い指で摘んでいた袋を目線のあたりまで掲げた。なにやらよくわからない葉っぱがプリントされている、手のひらくらいのサイズの袋だ。英語で商品名が書かれている。しかし残念ながら、見慣れない英単語をすぐに読み取れるような英語力をあたしは持ち合わせていない。

 

「ん? ああ、ハーブティーを淹れようかと思って部屋から持ってきたんだ」

 

「紅茶やコーヒーじゃなくて?」

 

「吾妻さんが車から降りた時に深呼吸してたからすこし酔っちゃったのかなと思ったんだけど……」

 

 ちら、とあたしに目を向けるお兄さん。

 

 あたしはあたしできょとんとしていた。

 

 丁寧な運転をしてもらっていたので車酔いになんてなった覚えがない。車内の香りも、よくあるような強烈な消臭剤などの匂いではなく、よく礼愛が纏っているような嗅ぎ慣れた香りに近かったので逆に落ち着いたぐらいだ。

 

 なんでお兄さんはあたしが車酔いしただなんて思ったのだろう。あの時はどちらかというと、車よりもお兄さんに酔っていたくらいなのに。

 

 と、そこまで考えてお兄さんの言葉を思い出した。『深呼吸してた』という言葉を。

 

「……っ!?」

 

 もしや、ばれていたのか。あたしが無意識のうちにやらかしていたこれ以上ないくらい気持ち悪いムーブを。お兄さんの近くに忍び寄って嗅いでいたことを。気づかれていたというのか。

 

 どうしよう、まったく言葉が出ない。言い訳も誤魔化しもなにも出てこない。頭が真っ白だ、どうしよう。

 

「そうなの? 夢結、元気そうだったけど……えっ、ちょっ……大丈夫? なんか急に顔色真っ青になってるけど……」

 

 気を抜くと足が震えそうになるあたしの顔を、礼愛が心配そうに覗き込む。心からあたしの体調を(おもんぱか)ってくれているその表情に、心が痛い。

 

 やめて、違うの、礼愛。車酔いなんかじゃなくて、あたしの完全無欠の不審者ムーブだったの。そんなに慈愛に満ちた瞳で見ないで。

 

 もちろん正直なことを言ってあたしの唯一の親友とも呼べるかけがえのない存在を失いたくないし、出逢って数十分で推しから激烈に嫌われたくもないし、入って数分でこのお家から追い出されたくもない。なのでお茶を濁すことにした。

 

 そう、あたしは車から降りたばっかりの時は酔っていたのだ(車にとは言ってない)。嘘はついてない。

 

「え、あ、うん! もうぜんぜん大丈夫! ありがとね礼愛! お兄さんもお気遣いありがとうございます!」

 

「ううん、元気になったのならよかったよ。もう大丈夫そうなら紅茶にしようか」

 

「気分が悪くなったらすぐ言ってよ? なんなら泊まってってもいいんだからね」

 

「だ、だいじょぶだよー……あはは……」

 

 兄妹揃って精神が善良すぎる。太陽光で滅菌されているような気分だ。

 

 というかお兄さんがいない時ならともかく、お兄さんが在宅している今日にお泊まりとか、あたしの徹夜が確定してしまう。推しと同じ屋根の下で健やかに眠れるほどあたしの肝は()わっていない。

 

「それじゃあ礼ちゃんと吾妻さんは座っててね。すぐ用意するから」

 

「あっ! 夢結に邪魔されたせいでお湯しか沸かしてない!」

 

「ちょっと礼愛、あたしのせいにしないでよ」

 

「夢結のせいだもん」

 

「仮にあたしのせいだとしてもあたしのせいにしないでよ」

 

「夢結の倫理観はいったいどこで育まれたの……」

 

 それはきっと姉の背中を見て育ったからだ。

 

 そんな礼愛とのやり取りを見て、またお兄さんはくすくすと笑みをこぼしていた。

 

 くっ、いつものノリで考えなしに喋ってしまっていた。

 

「お湯沸かすのに時間がかかると思ってたから助かるよ。吾妻さん、いつもは?」

 

「え? あ……えと、あの……」

 

 急にお兄さんに(たず)ねられ、あたしは口をぱくぱくしながらしどろもどろになっていた。え、あたしは何について訊かれたの。それともいつの間にか話が飛んでいたのか。

 

「お兄ちゃん、言葉が足りなさすぎるよ。ちなみに夢結はミルクティーを飲むことが多いかな」

 

 普段は紅茶をどうやって飲むか、という質問だったようだ。お兄さん、ちょっと言葉が圧縮され過ぎではありませんか。

 

「あ……ごめんね、吾妻さん。僕はふだん家族としか話さないからどうにもお喋りが下手で……。ミルクティーが好きならウバにしようか。ちょうど最近届いたのがあるしね」

 

「い、いえ、そんな……あ、ありがとうございます」

 

 さらっと衝撃的な発言をされたようにも思うが、そんなのが気にならないくらい(こま)やかな気配りが嬉しい。

 

 正直、あたしのばか舌では紅茶の微妙で繊細な趣の違いを感じ取れる気はしないけれど。

 

 礼愛と雑談しながら、ふとキッチンに目を向けると、お兄さんが手際よく準備をしていた。急いでいるようには見えないのに仕事が早い。お湯をポットに注ぎ、しばらく蒸らしている間にケーキをお皿に移していた。フォークやティースプーンを用意したところでまだ時間が余っていたのか、一回り大きくて少しだけ底が深いお皿を取り出した。冷蔵庫を開き、何が出てくるのかと思えばクッキーだった。

 

 お茶請けの準備ができたあたりでいい時間になったのか、温めていたと思しきカップに紅茶を注ぐ。ふわぁっといい香りがこちらにまで漂ってきた。

 

 推しがあたしのために紅茶を淹れてくれている。お茶請けも一緒に用意してくれている。

 

 なんだろう、この光景は。出来のいい乙女ゲーかな。幸せ空間だ。心がぽかぽかする。

 

「……ねえ、夢結。ねえってば」

 

「なんなの礼愛。あたし今忙しいんだけど」

 

「忙しいって……お兄ちゃんのこと、ずっとぬめっと見てるだけじゃん……」

 

「せめてじっとって言ってよ!」

 

 ぬめって、そんなに粘り気のある目つきだったのか、あたしは。もし仮にナメクジが這うような視線だったとしても、そんな言い方はあたしの心の健康の為にもやめてほしい。

 

 礼愛を見やると、あたしに複雑そうな視線を向けていた。困惑というか動揺というか、あるいは不安なのか焦燥なのか。その黒目の大きいつぶらな瞳が揺れる理由が判然としないのは、さまざまな感情が渾然一体に絡んでいるからなのかもしれない。

 

「…………取らないでよ?」

 

 もしくは、もっと単純にブラコンを(こじ)らせているからかも。

 

「んふっ」

 

「なにその気持ち悪い笑い?! ちょっと!」

 

「大丈夫大丈夫。あたしはこうして尊い光景を眺められるだけで充分幸せだから」

 

「……そう。ならいいけど」

 

「くふふ……ブラコンめ」

 

「ぶっ、ブラコンじゃないから! お兄ちゃんが夢結と何かあったらお兄ちゃん捕まっちゃうから、その心配をしてるだけだから!」

 

「はいはい。ブラコンブラコン」

 

「ちょっ……本当にそんなんじゃないから!」

 

 真っ赤な顔をしながら反論になっていない反論を捲し立てている礼愛を、頬杖をつきながら眺める。

 

 実にいい気分だ。礼愛に対してマウントを取れることなんてそうはない。悦に浸れる時に浸っておこう。

 

 礼愛を軽くいなしていると、お兄さんが真っ白なトレーにティーカップやティーポット、ケーキ、クッキーなどを載せてテーブルまでやってきた。

 

 口元を綻ばせているところを見るに、あたしと礼愛がわちゃわちゃやっているところをまた見られてしまったようだ。

 

「さっきも見たけど、二人は本当に仲良いね。たしか中学までは違う学校だったんだよね?」

 

「そうだよー。高校で知り合って、なんだかんだで一緒にいるね。ずっと同じクラスだったし」

 

 お兄さんがカップとソーサーをあたしの前に音もなく置きながら訊ねると、それに礼愛が答えた。あたしもこくこくと頷く。

 

 うちの学校は一学年五クラスあって、毎年進級するときにクラス替えもあるのだけど、奇跡的に三年連続礼愛とは一緒だった。これは本当に助かった。なんせあたし、女子の友だちは少ないから。

 

 女子の友だちは少ない。

 

 こんな言い方だと、まるで男子の友だちは少なくないかのように錯覚させてしまうかもしれない。正確に言うと、こちらに関しては少ないどころかゼロだ。ポジティブに言い換えると、男子よりかは女子の友だちの方が多い。

 

「二人はどんなふうに知り合ったの? だいぶ礼ちゃんと吾妻さんは……どう言うべきだろう。雰囲気? 見た目の方向性? が違うから、ちょっと気になって」

 

 あたしが友だちの人数を多く見せかけるという悲しい言葉遊びをしていると、お兄さんに問い掛けられた。

 

「あー、ええと……それはですね……」

 

 礼愛との初エンカウントを思い出すと、苦笑いとともに言い淀むしかできなくなってしまう。

 

 たしかに普通ならあたしと礼愛の見た目では関わり合いになることはなさそうだろう。

 

 あたしは髪もかなり明るめに染めてるし、制服も羞恥心が悲鳴を上げない範囲で着崩している。アクセサリーもちらほらつけていて、意図してやっているとはいえ派手めだ。

 

 しかし、あたしのそういった装いは、強いて言うならばヤマアラシの針みたいなものなのだ。不必要な干渉や女子社会ならではの悪意を向けられないようにするための武装と言っていい。ハリボテだけど。

 

 対して礼愛は校則遵守の優等生だ。艶のある黒髪には一度も色を加えられたことはなく、スカートは膝下丈だし制服はいつも皺なくアイロンがかけられていて、校則に引っかかるような装飾品なども身につけていない。

 

 あたしと礼愛は、まさしく高校生のイメージとして正反対、両極端だろう。

 

 ふつうに過ごしていれば絶対交わることはなかっただろうけど、今はこうしてお家に呼ばれてお兄さんを紹介されるくらい親しくしている。

 

 その起点、きっかけは、一年の時のあの出来事だ。ゴールデンウィーク明けに登校した日、一時限目が始まる前、あたしが落とした『とある本』を礼愛が拾ってくれた、あの。

 

「夢結が休み明けに『どぎつい同人誌』を教室で落としちゃって、それを拾ったところから交流が始まったんだよ」

 

「礼愛?!」

 

 礼愛の名前三文字全部に濁点をつけかねない勢いで叫んだ。冷静でなんていられなかった。

 

 体ごと礼愛に向いて抗議する。

 

 いつの間にか紅茶とケーキ、クッキーを配膳し終わったお兄さんがあたしと礼愛の正面に着座していたが、顔は見れそうにない。

 

「わざわざ『どぎつい』なんて形容詞つけなくてもいいでしょっ……同人誌の部分は本当だからこの際いいけどっ……。いやなんなら同人誌の部分も『本』とか『マンガ』とかって誤魔化してくれてもよかったんじゃないのっ……」

 

 隣に座る礼愛の服を引っ張りながら、語調強めに、でも静かに言い募る。

 

「でも実際表紙どぎつかったよ? 表紙の時点であんなに濃厚に絡んでいる同人誌もそうないんじゃない? イケメン二人があわあわになって洗いっこ(意味深)(かっこいみしん)して……」

 

「やめてーっ……せめて声を抑えてーっ」

 

「その同人誌を見て礼ちゃんが興味を持って仲良くなった、って感じなのかな?」

 

「だいたいそうだよ!」

 

 あたしが『どぎつい同人誌』を学校に持って行っていたと言う前提でお兄さんが確認し、あたしが『どぎつい同人誌』を学校に持って行っていたことを含めて礼愛が認めた。

 

「……ああ。……終わった」

 

 これをもちまして、お兄さんに対するあたしの印象を良くしよう作戦は失敗で幕を閉じることとなりました。応援ありがとうございました。

 

 一切の嘘も誇張もなかったけど、礼愛の魔の手によってあたしの印象は地に落ちた。せめてもう少しソフトで可愛げのあるタイプの同人誌だったらまだよかったのに。しかも話を盛っていないせいで弁解の余地がかけらもないのが悲しい。

 

 今日日、学校にいかがわしい本を持ってくるだなんて男子高校生ですらそうそうやらないだろう。脳みその代わりに性欲が詰め込まれている思春期男子でも、持ってきたことがバレた時のデメリットを考えれば二の足を踏むに違いない。それでも持ってくるようなアホは相当稀だ。もはやフィクションの中にしか存在しないんじゃないだろうか。今は周囲にバレるリスクを冒してわざわざ証拠の残りやすい紙媒体の本を買わなくても、いくらでもスマホやPCで代用が利くという話をインターネットのとある掲示板で見たことがある。

 

 性欲の権化たる男子高校生ですら昨今しないようなことを、二年前のあたしはやってしまっているのだ。

 

 きっとお兄さんは『学校に行って帰る時間すら我慢できなかったのか……』と思われたことだろう。

 

 でも、ここで一つだけ、あたしの尊厳に関わることなので一つだけ訂正をしておきたい。あたしは同人誌を読みたいという欲求を我慢できずに学校に持ち込んだわけではない。その日私は、自分の鞄に同人誌が入っていたなんて知らなかったのだ。

 

 姉が、姉が原因だったのだ。

 

 あたしが欲しかった同人誌を姉が伝手を頼って、というか同好の士による情報網を使って手に入れてくれたのだが、姉が同人誌を持ってきてくれた時、あたしはお風呂にでも入っていたのか、それともコンビニにでも行っていたのか、とにかく不在だった。なので姉は近くに転がっていたスクールバッグに同人誌を入れておいた。それに気づかずあたしは教科書やらノートやらを鞄に詰め込み、そして学校で教科書を取り出した際、同人誌がまろび出たという経緯だったのだ。

 

 同人誌が手に入ったのならあたしの机の上にでも置いておけよと思ったし、いつでも連絡の取れるこのご時世なのだからメッセージの一つでも送っとけよと思ったし、たくさんバッグがあった中であえてスクールバッグを選んで同人誌を入れたのは悪意以外の何物でもないだろとも思った。

 

 ただ、悪意はあったとはいえ一応姉はあたしが頼んでいたブツをしっかり手に入れてくれたし、なによりもすでに姉に同人誌の料金は支払っているのでその同人誌は自分の物だ。訂正したところであまり意味はない。『同人誌(証拠品)(ここ)にあるわけがない! だってこれは姉に頼んで云々(うんぬん)』という、言い訳どころか自供にしかならない発言になる。サスペンスドラマの後半三十分あたり、推理小説の残り十数ページあたりで似たようなことがよくある。犯人はあたし。

 

 あの時拾ったのが礼愛じゃなかったら、あたしの高校生活三年間は暗黒時代を約束されていただろう。でもその話をお兄さんにされたので、あたしの暗黒時代はこれから始まる。

 

「吾妻さん、大丈夫? 顔色悪いけど……紅茶口に合わなかった?」

 

 何を言われるんだろう、どんな顔されるんだろう。

 

 お兄さんの反応が怖くて俯いていたあたしにお兄さんがかけたのはそんな言葉だった。

 

 思わず顔を上げた。

 

 なぜかお兄さんは心配そうな表情をしていた。

 

 お兄さんがどうしてそんな表情をしているのか、どうしてそんな表情ができるのか、あたしにはわからなかった。ふつう学校に同人誌とか持ってくる人なんていないし、一般的な感覚だとドン引きするレベルなんじゃないだろうか。そういったカテゴリーに対して過剰な拒否反応を示す人だって存在することをあたしは知っている。

 

 どうして、という気持ちが不意に口をついて出た。

 

 でもお兄さんの目は見れない。かといって視線を泳がせていたら動揺しているのが丸わかりなので、テーブルに置かれているティーポットに視線を置いた。品のあるおしゃれなポットだなぁ。

 

「……引いたりしないんですか?」

 

()く? もうこのくらいじゃあ敷かないかな」

 

 もうこのくらいじゃ引かないって、どんな人生経験を積めば、泡遊び(意味深)をしている濃厚なBL同人に耐性がつくんだろう。

 

「吾妻さんは普段からマットとか使ってるのかな?」

 

 完全に下ネタに振り切られた話をようやく流せたかと思いきや、お兄さんは踏み込んできた。一歩どころか五歩十歩くらい踏み込んできた。

 

「え?! ま、マット……使う?! つ、使ってません! そ、それはレベルが高いというか……まだ早すぎるというか……あ、相手が」

 

 泡遊びに強烈な関心を持っていたからといっても、実際に経験しているわけではもちろんない。見た目のせいもあるかもしれないが、そういった分野に奔放だと思われるのは嫌だし、普段からそんなの使ってる女とか思われるのはもっと嫌だ。必死で否定した。

 

「レベル? 格式とかのことなのかな……別に尻込みすることないと思うけど。ちゃんとした物はそれなりに高いんだろうけど、安い物だってたくさんあるしね」

 

「く、詳しい……。いやでも値段の話じゃなくて……。そういうのって、そっ、そういうお店でしか使わないんじゃ……というか使っちゃダメなんじゃ……」

 

「高級な物はあまり個人の家で置くようなことはないと思うけど、専門のお店でしか使っちゃいけないって決まりもないよ? うちにもあるし」

 

「あるんですか?! えっ?! あるんですか?!?!」

 

「そ、そんなに驚くような物ではないけど……なんなら使ってみる?」

 

「づっ、使っ……っ?! だっ、ダメです! さ、さすがにっ、それはまだいろいろ早いと思うのでっ! やっぱりそういうのは、こ、こう……段階を踏んでからかと!」

 

「い、いや、早い遅いはないと思うけど……よく礼ちゃんも僕も使ってるよ?」

 

「えぅえっ?! 兄妹でっ?! ま、まずくないですか?! というかなぜあたしにそんな話を……」

 

「まずい? え、あれ? 何か問題……あったかな?」

 

「だって、だって法的に……」

 

「え、法? それはどういう……作法ってこと?」

 

「え?」

 

「え?」

 

 頭の中を疑問符で溢れさせていると、くふっ、と隣で吹き出すような音が聞こえた。もちろん、音の発生源はあたしを断頭台一歩手前にまで追いやった礼愛だ。

 

「ふ、ふたりともっ……かふっ、はなし、か、噛み合ってなっ、くふふっ……んふっ。だめだ、おなかいたいっ……けふっ、けふっ」

 

 これ以上は耐えられないとでも言わんばかりに、礼愛はお腹を押さえながらテーブルに伏していた。ぷるぷると震えて吐息を漏らしている。

 

 めちゃくそ(わろ)とんねんけど、この元凶。あたしのイメージが地についたのは基本的にお前のせいやぞ(責任転嫁)。

 

 それよりもなぜ礼愛はこんなに笑い転げていられるのか。ついさっき、お兄さんから衝撃発言があったばかりだというのに。

 

 これはあれか。この程度のカミングアウトではあたしは見限ったりしないだろうと信用されているのか、はたまた親友の絆を試されているのだろうか。たしかに驚きすぎて脳みそひっくり返るかと思ったし、今も平静を保てているとは思えないし、かなり思考回路はしっちゃかめっちゃかになってるけど、それで距離を取ろうとかは考えていない。フィクションでは兄妹で、っていうのはよくあるシチュエーションだし慣れている。それが現実になったとしても、まあこれだけ見目の良い兄妹だと嫌悪感は抱かない。

 

 笑い死にしそうな礼愛が落ち着くまで待つ間、あたしは頭を落ち着かせるためにミルクティーに手を伸ばす。お喋りに興じすぎて少し冷めてしまったが、それでもなお風味豊かな紅茶だった。

 

 渋みが強いと聞くけれど、そのあたりはミルクで抑えられているのか、渋みはあってもまろやかになっていて口当たりがよかった。ミルクで特徴的な香りがダメになってしまっているかと思いきや、薔薇のような華やかな香りが鼻腔をくすぐる。かすかに甘い爽涼感が心地よい。本当にいい紅茶をちゃんとした手順と作法で淹れると、こんなにも味と香りが違う物なんだ。

 

 以前妹が、配下の小間使い(男の子)からお高い紅茶をプレゼントしてもらった時にあたしも一杯頂いたけど、それは今ひとつ味の違いがわからなかった。おそらく適当に淹れたせいだろう。ごめんね、小間使いくん。

 

 そんなことを思い出しながら紅茶の余韻に浸っていると、お兄さんがふう、と短く息をはいた。一安心したような顔だ。何に安心したのかわからないけれど、あたしとしては推しの穏やかな微笑みを見られて大変満足です。

 

「ふふっ、くふふっ……はあ、やっと落ち着いた」

 

 目元の涙を拭いながら、うっすら汗をにじませるほど笑っていた礼愛がようやく再起動した。

 

 息が上がっている様子を見るにまだ落ち着いてはいないだろう。にやにやしてるし。

 

「健康になれそうなくらい笑ってたね、礼愛。何がそんなに面白いのかわからんが」

 

「えっとー、私としては夢結の黒歴史の一ページをあえてリアルタイムで書き記すこともないかなあって思うから、説明しないでこのまま話を流しちゃってもいいんだけど、どうする?」

 

 いつもなら絶対いじるし、未来永劫話のネタにするところだけど、たくさん笑わせてもらったしね。と、にまにま悪い顔をしながら礼愛は言った。めちゃくちゃ含みのある顔だ。

 

「え、なに、怖いんだけど……聞かないほうがいいの?」

 

「…………礼ちゃん、それについてはもう、そっとしておいたほうが……」

 

 これまでの経験上、こういう悪い顔をしている時の礼愛が、あたしにとって良いことをしたことなんて一度としてなかったので基本的には近づかないほうが吉である。

 

 しかしお兄さんもすでに何かに気づいているようだ。お兄さんにも知られたまま、なのにあたしだけなにもわかっていないというのは、どことなく気持ちが悪い。なにか失礼なことをやらかしているかもしれない。あの礼愛が黒歴史だと断言した上で忠告するくらいだから、内心ではかなり怖気付いているが、意を決する。

 

「これで隠されたほうがもにょるよ。教えてよ」

 

「まあ、私とお兄ちゃんの関係を勘違いされたままってのもアレだしね」

 

 まるで屠殺場へ運ばれていく家畜を見るような目で、礼愛は微笑む。

 

 お兄さんからは『……ああ』という同情なのか憐憫なのかよくわからないため息がこぼれた。

 

「夢結ってば、あの時落とした『どぎつい同人誌』のことで頭の中いっぱいだったんだね」

 

「……んぎぇう?」

 

 同人誌の話をほじくり返されて変な声が出た。

 

 ごほん、と強めに咳払いして何食わぬ顔で礼愛と対する。

 

「そ゜っ! ……んんっ、そんな言いかただと、あたしがここでアレの内容思い出して興奮してたみたいじゃん。やめてよ、まだ表紙しか思い出してない」

 

 一言目から声が裏返ったが、なんとか言い切った。

 

「くふっ、表紙も思い出すべきじゃなかったかもね」

 

「なにが言いたい」

 

「あ、最初に言っておくけどね? お兄ちゃんは、夢結が『どぎつい同人誌』を学校にまで持ってきていても引いたりしないよ」

 

「…………」

 

 その言葉をあたしはすんなりと呑み込むことができず、恐る恐るお兄さんの顔色を窺い見ると、礼愛に同意するように笑みを返してくれた。

 

「没収された時のことを考えると言い訳が大変そうだから、学校にはなるべく持って行かないほうがいいとは思うけどね。プライベートで読んで楽しむぶんには気にしなくていいんじゃないかな?」

 

 各所に気を使った上でお兄さんはフォローしてくれた。

 

 異性相手なら言うまでもなく、同性であっても受け入れてくれる人は限られるあたしの趣味。なんなら同じ趣味を持っていたとしても、ジャンルや受け攻めシチュ等々で決裂したりもする。

 

 オブラートくらいなら容易に突き破るあたしのとんがった趣味を優しく包み込んで認めてくれるなんて、ちょっとどころじゃないくらい嬉しい。救われた気分だ。推しの包容力の高さに泣きそう。

 

「ぁ、あぃがとうござぃます……」

 

 声の震えはどうにもならないにしても、ちゃんと感謝の気持ちは伝えられただろうか。

 

 顔と声だけじゃなくて性格もいいなんてほんとずるい。めっちゃ推す。一生ついてく。

 

「そんなわけでお兄ちゃんはBL同人がどうとかなんて全然気にしないんだよね」

 

「そ、それはまあ、うん……よくわかったけど。ふへへ……」

 

「笑いかた気持ち悪いな……」

 

「礼愛に言われたくはないな!」

 

 自分では気づいてないかもしれないけど、あんただって笑いかた相当独特なんだからね。あたしは自分で気持ち悪いって自覚してる分まだマシ。

 

「まあ、だからこそお兄ちゃんは早々に同人誌の話なんか打ち切ってたわけ。ここまでわかる?」

 

「え? はぁ、まぁ……それが?」

 

「あー、まだわかんないか……。大丈夫。介錯はしてあげる」

 

「カイシャク?」

 

「だからね? お兄ちゃんは同人誌の話なんてしてなかったんだよ」

 

「それはさっき聞い……え?」

 

 思考が停止する。

 

 ちょっと、ちょっと待ってよ。おかしいよ。だってあたしが『引かないんですか?』って聞いたら、お兄さんは『このくらいじゃ引かないよ』って言ってたよ。

 

 なんならシモ系の話を広げてくれたくらいだ。あたしが気にしなくてもいいようにと、あえて話に乗ってくれたのだ。男子と同じように女子もえっちな話には興味がある。恥ずかしい思いをしないようにとの気遣いに加えて、痴的好奇心への理解まで示してくれた、とても機微に聡いお兄さんだ。

 

 その結果、親友と親友のお兄さんとの衝撃的な爛れた関係を耳にしてしまったのだけれど。

 

 そう。

 

 あの会話は、そういう話だった。

 

 そういう話だったはずだ。

 

 そのはずなのになぜ、今あたしは心拍数が上がってきているのだろう。なぜ、血が凍るような感覚に襲われているのだろう。

 

「お兄ちゃんは夢結が紅茶飲んでなかったから気にして、紅茶の話をしてたの。『口に合わなかった?』って」

 

 お兄さんはそんなことも言っていた気がする。

 

 しかし、その時のあたしはお世辞にも冷静とは言い難かった。何を言っていたかなど正確に覚えていない。

 

 でも。

 

「でも……だって、お話は……」

 

「うん、なぜか奇跡的に噛み合ってたね。いや噛み合ってないんだけどね? コントかなって思ったよ」

 

「ま、ちょっと、待って……まってぇ……」

 

 耳鳴りまでしてきた。またしてもお兄さんの顔を見れそうにない。

 

 もしかしてあたしは『どぎつい同人誌事件』という一つの爆弾(黒歴史)を解除できたと安心した次の瞬間に、新たな爆弾(黒歴史)をこしらえたというのか。礼愛が言っていたのはそういうことなのか。

 

「それで夢結はいったいナニを想像してたのかなあ? あたしとお兄ちゃんを使ってどんな妄想してたのかなあ?」

 

 にやぁ、と端整な顔をいやらしく歪ませて、礼愛は笑っていた。無様に滑稽に踊っていたあたしを嘲笑っていた。

 

 そんなことあるはずない。そんなコントみたいなやり取りが日常生活で成立するはずがない。そう自分を信じこませたいあたしは小さな希望に縋るように礼愛に反論する。

 

「でも……でもっ! マットがどうとかって言ってたし……言ってたし!」

 

「ティーポットマットのことだよ」

 

「てぃ、てぃーぽっと?」

 

「ティーポットの下に敷く厚い布巾みたいなやつのこと。鍋敷とかっていうイメージでいいよ」

 

「る゜ぇぅ……」

 

「今のどうやって発音したの……? まあ、いいや……。お兄ちゃんは夢結に『ひかないの?』って訊かれて、紅茶の話をしてたし目線がティーポットに向いてたから流れ的にティーポットマットのことかなって考えて、もう紅茶はほとんど残ってないしポットも熱くないから『このくらいの温度じゃ敷かないよ』って意味で答えたの」

 

「そ、それじゃ、その……なに? あたしはしばらくの間、相当頭が愉快な勘違いをしていた……ってこと?」

 

「相当頭がイカれた妄想を繰り広げていたってことだね!」

 

「ううわああぁぁ……っ」

 

 あたしは頭を抱えて(うずくま)った。

 

 お兄さんから見られないように顔を手で覆ってテーブルの影に隠れようとする。もちろん隠れられてはいないけれど。

 

 冷たい地面の奥深くへ潜りたい。暗い海の底へ沈みたい。今は誰とも関わりたくない。世界から断絶されたい。恥ずかしさは極限を越えると、顔が熱くなるよりも先に、全身から血の気が引いて寒くなるのだと初めて知った。知りとうなかった。

 

 推しとの一対一の会話中、あたしはずっと大人の泡遊びを思い浮かべながら(よこしま)な妄想をしていた。(くだん)の同人誌の配役を攻め側はお兄さん、受け側は礼愛に置き換えてイメージを膨らませていた。やっぱり優しそうな年上のお兄さんにご奉仕されて身も心もどろどろに甘やかされるのは鉄板だよね、みたいな感想を抱いていた。その上でさらに礼愛のポジションに自分を投影することで悦に(ひた)っていた愚か者があたしです。

 

 全部勘違いです。

 

 言葉も出ない。百点満点中百二十点のトラウマ級の黒歴史だ。しかもそれをお兄さんにしっかりと気付かれているあたり救いがない。

 

「ねえ……ねえ、夢結」

 

 小さく縮こまるあたしの肩に手を置きながら、礼愛が優しく声をかけてくる。

 

 慈しむような微笑を(たた)えて、礼愛は口を開いた。

 

「普段どんなこと考えて生活してたら日常会話からそんな妄想ができるの?」

 

「うわああぁぁっ?!」

 

 こいつ、(とど)めを刺しにきやがった。

 

 あたしは心臓を突き刺すような言葉と現実から逃避するように、耳を塞いで叫んだ。

 

 なんであんな聖母のような表情で死神の大鎌を振り下ろすみたいな真似ができるんだ。倫理や道徳を学んでいないのか。心の弱った人がいるんだぞ、優しくしろよ。

 

「ま、まあまあ礼ちゃん。そのあたりでやめておいてあげてよ。吾妻さんが戻れなくなりそうだから」

 

「お兄ちゃんに感謝してね、夢結。いつもだったら末代までいじり倒すところだよ」

 

「うぐ、えぐ……あたしが末代になりそうだよ……」

 

 妄想の材料にされていたと知っても軽蔑するような視線をまったく向けない優しいお兄さんの仲裁のおかげで、あたしの傷ついた心がこれ以上抉られることはなくなった。抉る必要を感じないくらいには傷口は大きくて深いが。なんなら心臓のあたりががっつり貫通しているが。

 

「まあよかったじゃん。同人誌の話をしないままだったらずっとお兄ちゃんに趣味のこと隠してたでしょ? これでおおっぴらに話せるね」

 

「趣味のことだけじゃなくて性癖まであけっぴろげに暴露されたんですが……」

 

「暴露っていうか自爆じゃん」

 

「やめろぉ!」

 

 なにも言い返せない正論パンチをぶちかましてくるんじゃない。そこは繕った笑顔で曖昧に流すところだ。すぐに渾身の右ストレートを打つんじゃない、様子見のジャブからって教わらなかったのか。

 

 涙目でうぐぐと唸っていると、お兄さんがいいこと思いついたとばかりに提案する。

 

「吾妻さんだけ秘密を打ち明けるっていうのも不公平だから、せっかくだし礼ちゃんの秘密も打ち明けるっていうのはどう?」

 

「……へ?」






*以下、スパチャ読み
お兄ちゃんが未だにVtuberとしてデビューしてないようなマイペースなこの作品を評価してくれる人がいてめっっちゃくちゃ嬉しいです!
ニキパイセンさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
Restoさん、赤色のスーパーなチャットありがとうございます!
チャンネル登録(お気に入り登録)もありがとうございます!


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「これから始めればいい」

 

「吾妻さんだけ秘密を打ち明けるっていうのも不公平だから、せっかくだし礼ちゃんの秘密も打ち明けるっていうのはどう?」

 

「……へ?」

 

 まさか身内から背中を切られるなんて思いもしなかったのか、礼愛は切れ長の双眸を大きく見開かせていた。口もぽかんと開いている。いつもは大人びた外見と落ち着いた仕草の礼愛とのギャップで幼く見えた。

 

 でも幼く見えようが可愛く見えようがそんなこと知ったこっちゃない。切羽詰まっているあたしは全力で乗るしかないのだ、このビッグウェーブに。

 

 お兄さんに縋り付く。もちろん身体的接触なんてテーブルを挟んでいる以上物理的にできないし、単純に精神的にもできない、シラフでは。なので視線で縋り付く。

 

「お兄さんお願いしますこのままじゃあたし弱み握られて礼愛の使いっ走りにされてしまいます」

 

「しないよそんなこと! だからお兄ちゃんこの話はなしってことで……」

 

「お願いしますお兄さんお願いします」

 

 ここで逃げられたら今日、あたしは笑い話の種を提供するためだけにここにきたことになってしまう。どうにか礼愛の秘密を暴くため、礼愛の弱みを握るため、強引に話に割って入って遮って、お兄さんに催促する。催促というか懇願というか、哀願だ。

 

 するとお兄さんは、それでは遠慮なく、とにこやかに頷いた。

 

「礼ちゃんは学校では優等生みたいだけど、家では結構甘えん坊なところがあってね」

 

「お、お兄ちゃん、や、やめよ? 私が悪かったから……ね? ね?」

 

「駄々をこねるものだから高校生手前くらいまで一緒にお風呂に入ってたり」

 

「えぇ……」

 

「お兄ちゃん様ごめんなさいなんでもするからこれ以上はやめてください!」

 

「なにもしなくてもいいんだよ。僕はただ、礼ちゃんの格好いいところだけじゃなくて可愛いところも知ってほしいだけなんだ」

 

「悪意がないぶん私よりも(たち)が悪い!」

 

「とても優しいお兄さんだね」

 

「こいつぅっ!」

 

「他には……リビングの、ああ、あそこのソファだよ。あのソファで本読んでたら、隣で座ってた礼ちゃんが僕の膝を枕にして、まるで猫みたいに擦り寄ってきたりしてね。頭を撫でてあげると嬉しそうに目を細めたりしてくれるんだよ」

 

「へぇぇ、猫みたいに? へぇぇ、嬉しそうに?」

 

「や、やめて……もうやめ……」

 

「いつもは後輩の頭撫でたりして可愛がってるのに、家ではお兄さんにしてもらってるんだぁ。あ、お家でお兄さんに甘えてるぶん、甘える側の気持ちよさとか甘やかし方を知ってるのかぁ。なぁるほどなぁ」

 

「ぐうぅっ……くぬぬ……」

 

 お兄さんからの恥ずかしリークに耐えるように小さくなる礼愛。気分がとてもいいけれど、だからといって礼愛の膝の上に置かれている固く握り込まれてぷるぷる震える手を見逃してはいけない。イジワルのライン越えをしてしまうと、あの握り締められた拳があたしの顔面に突き刺さりかねない。

 

 といっても、対礼愛への安全保障の擬人化といっていいお兄さんが目の前にいる以上、礼愛の潤んだ睨みなど恐るるに足りぬがな(お兄さんがいない時にどうなるかは考えていない)。

 

「あと礼ちゃんは怖い物も結構苦手なんだよね。そのわりにはテレビとかでやってる怖い話をよく見るんだ。つい最近も一人で寝るのが怖いからって、僕の部屋にきて一緒に寝て、って言ってきて」

 

「幼女ムーブだ! 礼愛、(よわい)十七の女がやって許される行動じゃないよ!」

 

「ここぞとばかりに煽ってくるね! 夢結がそこまでやるっていうんならいいんだよ、私は。夢結が中学生の時に綴っていたらしい夢小説(書き物)をお兄ちゃんの前で朗読したって! なに? どうするの?」

 

「はあぁっ?! ちょっ……いや、あんた……それはダメでしょ。そこまでやっちゃうと戦争でしょ。ていうかなんでその存在を知ってんの?! あれはもう既に見れないようにしたはずだし、データも破棄して……」

 

「夢結の妹ちゃんが笑いながらコピーしたやつくれた」

 

「なにやってんだあのク……お茶目な妹はァ……っ」

 

 言いかけて、ありったけの理性でもって寸前で取りやめる。お兄さんの眼前でそんなお下品な言葉を使うのは躊躇われた。まあ、あの妹に対しては『クソ』なんて言葉では到底足りない怒りを覚えているけれど。

 

 姉の黒歴史の煮凝りとも呼ぶべき存在を、その姉の唯一の友人に渡すとか頭が沸いているとしか思えない。本文文中の一節を唱えるだけであたしが苦しみ悶えるぞ。

 

 汗をうっすら滲ませているところを見るに礼愛も相当なダメージを負っているようだが、それでも勝ち誇ったように鼻で笑う。

 

「まあ、これに懲りたらおいたもほどほどにね。夢結だって毎夜枕に顔を沈ませて『うわああぁぁっ!?』って叫びたくはないでしょ」

 

 それは言外に、これ以上抵抗するなと示していた。

 

 たしかにこれ以上リスクを冒して反発する理由なんてない。夢小説の存在を知られただけでも心臓に悪いのに、作中の数ページ分でもお兄さんの前で読み上げられた日には、あたしは家に帰るのを待たずにこの場で血反吐を吐いて絶命する可能性まである。

 

 だがもうここまできたら、あたしのプライドの話なのだ。礼愛に精神的優位の立場を与えたくない。あたし優位ではなくてもいいのでせめてイーブンに持っていきたい。

 

 なのでここで、鬼札を切る。これまでは使えなかった手だ。

 

 礼愛よ、舐めるなよ。あたしは同人誌の件と泡遊び勘違いの件の時点で、向こう数年単位で枕に『うわああぁぁっ!?』って叫びたくなるくらいの恥はかいているのだ。数年追加されようがたいして変化はない。恥の多い生涯を送っているのだ。もうなにも恐くない。

 

 お兄さんをちらりと見てから礼愛に焦点を合わせる。

 

「そっちがその気なら、こっちは学校で礼愛が話してることを喋ったっていいんだよ」

 

「学校での話?」

 

「プライバシーへの配慮なんてガン無視で、礼愛がいつも自慢げに話していることをね」

 

 目の前にお兄さんがいるので遠回しに礼愛を脅迫する。

 

 定期購読してないにもかかわらず、高校ではずっと『日刊・お兄ちゃん』を礼愛に聞かされ続けてきたあたしだ。お兄さんデータのバリエーションの豊かさは並ではない。

 

 そのお兄さんデータの中には、一緒に暮らしているだけでは知りようのない情報も含まれているのだ。確実にガサ入れや出歯亀くらいはしてる。聞いてるあたしのほうが恥ずかしくなったり罪悪感に苛まれたりするくらいの情報がたくさんある。いや、もちろん一番恥ずかしいのはお兄さんだろうし、もちろん一番罪悪感に苛まれるべきは礼愛だけれど。

 

「そ、そんなことをすれば夢小説(書き物)が……」

 

「ハ! 気にするな、致命傷だ」

 

「っ……」

 

 驚愕と苦悶の表情で礼愛が歯噛みする。

 

 きっと今、その賢い頭でリスクの計算をしていることだろう。これまでのあたしとの短くない付き合いの間で何をどれだけ喋ったかなんてさすがに記憶にないだろうし、あたしだってどの情報がお兄さんの機嫌を損ねるかわからないが、お兄さんは礼愛にとって唯一にして最大の弱点だ。わりとシスコンを拗らせているお兄さんが長期間礼愛と距離を置くとは思えないが、お兄さんとお喋りできなくなるかもしれないという可能性だけで、礼愛への抑止力足り得る。

 

「…………」

 

 とはいえあたしから踏み込むこともできない。強がってはみたものの、やはり推しの前で黒歴史を朗誦(ろうしょう)されるのは痛い。お兄さんに引き攣った笑顔でフォローでもされてみろ。三、四回くらいは死ねるだけの傷を負う。

 

 そういえば、社会科の先生がこの状況に似たようなことを話していた気がする。あれは、なんだったか。たしか。

 

「……相互確証破壊」

 

 既に記憶の彼方へと追放された授業での一幕をあたしが引っ張り出すよりも先に、礼愛が引き出しでも開くように、すっと口にした。

 

「あ、それそれ。さすが礼愛。よく覚えてるね」

 

「いや、授業中ヘッドバンギングしてた夢結がこれを覚えていたことに逆に驚くよ」

 

「いくら眠たくてもそんな勢いで頭揺らさんわ!」

 

「お互い黙っていたほうが、お互いに得になりそうだね。うん、そういうことにしよう」

 

「あたしは礼愛に書き物を知られている時点でだいぶメンタルにきてるけど、まあいいや」

 

「安心してよ、まだ読んでないから」

 

「安心させたいならデータ消してよ」

 

 それはできないなあ、なんて言って、礼愛は笑った。

 

 こんな腹の探り合いというか、牽制の応酬は親友と呼ぶに相応しいか怪しいところだが、本音でぶつかれないような間柄はそれこそ親友とは呼ばないだろう。あたしと礼愛の関係はだいたいこんな感じなのだ。少年漫画のようなものだ。言葉で殴るか実際に殴るか程度の違いである。

 

「あははっ」

 

 優雅に紅茶を飲んでいたお兄さんが朗らかに笑っていた。これまでもあたしたちのやり取りを微笑ましそうに見て笑っていたけれど、変に我慢したり押し殺したりしないで声に出して笑うところは初めて見た。

 

「なに笑ってるの! こっちは女同士の熾烈な戦いが行われていたというのに!」

 

 笑った時の幼く見える推しの表情にときめいて言葉が出ないあたしに代わり、礼愛がぷんすかと怒っていた。

 

「いや、ごめんね。やっぱり仲良いなあって思ってたら、ついね。口調が僕と喋ってる時と違うのが新鮮で」

 

「むっ……そりゃあお兄ちゃんと喋る時とは違うよ。まあ夢結の場合は学校の子たちとも違うけど」

 

 たしかにそうだ。学校での礼愛は後輩に対しては世話焼きな優しい先輩然としていて、同級生に対しては親しみが持てて頼りになるクラスメイトとして、あたしに対しては気を使ったり遠慮することもなくまるで殴りつけるように言葉をぶつけている。

 

 お兄さんと喋る時は、あたしの時の接し方に近い。棘と毒を少し抜いて、代わりに甘えを加えているような塩梅だ。遠慮なく接するのは距離が近いからだろうけど、その上で甘えるのはきっと、もたれかかっても抱き留めてくれると確信しているからなのだろう。

 

 礼愛のこと、あんまり言えないな。こんなお兄ちゃんいたらあたしでもべたべたに甘えるわ。

 

「いい子だね、吾妻さん」

 

「へぁっ?! い、いえ?! そんな!」

 

 お兄さんがあたしの兄だったら、という妄想に足を踏み入れかけていた時に急に褒められたせいで奇声を発してしまった。とりあえず謙遜しておくことしかできない自分が情けない。

 

 ここで、礼愛にもよくしてもらってます、くらいのことをすらすらと言えたら──

 

「そうでしょ? 夢結ってば反応が良くておもしろいんだよ」

 

 ──言えたら後悔しただろうからあたしは今のままでいいや。

 

 おもしろいってなんだ。ピエロかなにかか。よくしてもらってます、とか咄嗟に言わなくて本当によかった。なんなら、よくしてあげています、くらい言ってもよかったかもしれない。

 

「本当に羨ましくなるくらい、いい友人だね。ここで二人に(なら)って僕の秘密を打ち明けると、僕って友だちいないんだよね」

 

「打ち明けるっていうか、私の場合は勝手にお兄ちゃんに打ち明けられたんだけど。なんなら派手に打ち上げられた感じなんだけど」

 

「……え? あれですか? 一緒に旅行とかに行くくらい親しい仲の友だちはいないっていう……」

 

 隣でぐちぐち言ってる礼愛を横目で見ながら、でも突っ込むことも相槌を打つこともせずにお兄さんに訊ねる。

 

 礼愛はお兄さんからのリークだから一言物申したいのかもしれないけど、あたしのことをリークしたのはあんたなんだからね。あたしだって一言物申したいところなんだぞ。

 

「ううん、違うよ。お兄ちゃんはリアルのガチで友だちゼロなんだよ。永遠にゼロ」

 

「これまでは事実だからともかく、これからも僕は友だちゼロなのか……」

 

 ぐちぐちモードは終わったのか、礼愛が補足する。その補足について、お兄さんも一言物申したいような素振りだった。

 

 しかし、(にわか)には信じられない。これだけ優しくて聞き上手で話を振るのも上手なお兄さんに友だちがいないなんてありえるのだろうか。

 

「そんな、言い過ぎでは……」

 

「メッセージアプリ見る? 登録されてる友達数、ちょっと前に一人増えて四人になったんだ」

 

 お兄さんがスマホを取り出し、操作する。どうでもよくないけど、スマホのケースが礼愛と色違いだった。どんだけ仲良いんだよこの兄妹。

 

 お兄さんがスマホをこちらに向けてくれた。国民の三分の二が使っているとも言われているメッセージアプリを見せてもらう。そこに並んだ名前は本当に四つだけだった。

 

 リアルのガチで四つだけだった。画面下部の余白がとんでもないことになっている。

 

「す、すごい……この前なにかの記事で読んだ時には、利用者の平均友達数は百人を超えてて、頻繁にやり取りする友達数でも平均十人以上ってあったのに……」

 

「だいぶお兄ちゃんが平均を下げてることになるね」

 

「友だちいなくてごめんなさい」

 

 すごく悲しくなる謝罪だった。

 

「だ、大丈夫ですよ! あたしだって平均下げまくってますから! まともに連絡取ってるのも家族を抜いたら礼愛だけです!」

 

「二人して心が痛くなる話するのやめてくれない?」

 

「僕なんて家族を抜いちゃったらそれもゼロなんだけど」

 

「心が痛くなる話を続けないで」

 

「ん……あれ?」

 

 ふと、礼愛の家族構成を思い出す。

 

 礼愛の家はお父様とお母様、お兄さんと礼愛の四人家族のはずだ。それならば登録されているのは三人になるはず。

 

 ふたたびお兄さんのスマホを覗く。

 

 もちろんお兄さんを除いた家族三人分の名前は並んでいる。しかし、家族の比率が高いからこそ、その中で異彩と存在感を放つ名前がある。

 

「あ、あ、ああの、こ、この……『わかくさ はれの』っていう人は……?」

 

 四分の三が家族で占められている中、唯一家族ではない人物の名があった。しかも、名前から推察するに女性だろう。

 

 これはもしやあれか。友だちはいないけど彼女はいる、みたいな話なのか。

 

 どうしよう。いやどうしようもくそもないんだけど解釈不一致で脳がバグりそう。寝取られには造詣が深くないのに。あたしは別にお兄さんの彼女でもなんでもないので寝取られでもなんでもないのだけれど。

 

 震える指で見知らぬ女の名前を指し示すと、お兄さんは苦笑いしながら答えてくれた。

 

「その人は弁護士の先生だよ」

 

 端的に説明してくれたけど、端的すぎてわけがわからないよ。いったいどういう出会いがあれば弁護士と友達登録する機会に恵まれるのだろう。

 

「ん? あー、若草さんか」

 

 ここで意外と、というと偏見かもしれないが、礼愛が平然と口を開いた。もっと過敏に反応するかと思った。

 

「お兄ちゃんが倒れちゃった時に、お兄ちゃんが働いてた会社とお話ししてくれた弁護士先生だよね」

 

「若草さんは『先生って呼ばないでください』って言ってたけどね」

 

「あ、そういえば過労で倒れたって……」

 

 ここまできてようやく思い至った自分に腹が立つ。今日も礼愛がその話をしていたのに。

 

「礼ちゃんから聞いたのかな? そうなんだよ。はは……いい大人なのに体調管理もできないで倒れちゃってね」

 

「あれは体調管理以前の問題だったでしょ。お兄ちゃんはなにも悪くなかったじゃない。若草さんに無理言って資料見せてもらったんだけど、なんなの? 平均残業時間百五十時間って。倒れた月の残業時間なんて二百時間オーバーだったじゃない。一日が何時間あるかわかってるの? どうせ他の人の仕事も引き受けてたんでしょ。お兄ちゃんが辞めてから、調べるのに協力してくれた同僚の人も辞めたらしいしね。お兄ちゃんが辞めた途端、他の人も逃げ出すくらいに仕事押しつけられてたってことでしょ。倒れるのも当然だよ。二年続いたほうがおかしいんだからね」

 

「いやあ……でも、その……」

 

「っ……倒れるほど疲れてるんなら、そう言ってよ……」

 

「うっ……ご、ごめんなさい……」

 

 怒涛のように言い連ねる礼愛に、お兄さんはしどろもどろに弁解しようとする。でも絞り出すかのように悲しげに震える礼愛の言葉に、お兄さんは頭を下げるほかに何もできなくなった。その痛々しいまでの悲痛な訴えは、無関係なあたしですら礼愛の顔を見られないくらいだ。

 

「……あの、ほら……周りの人も死にそうな顔して山積みにされた仕事を片付けてたから、思わず……。そ、それにまさかそんなにひどいことになってるなんて自分でも気づいてなくて……」

 

「自分でも気付かないくらい無理してたってことでしょ。反省して」

 

「はい……心配させてすみませんでした」

 

 お兄さんは一言も反論することなく、テーブルに額がぶつかりそうになるほど深々と頭を下げた。

 

「もうお体のほうは大丈夫なんですか?」

 

 純粋にそう思ったからか、あたしは口籠もったり詰まったりせず自然と言葉が出た。

 

 お兄さんは頭を上げ、ひらひらと手を振りながら答えてくれる。

 

「優しいなあ、吾妻さん。心配してくれてありがとうね。それはもう、完全に復調したよ。僕の体感では、睡眠不足かなあ、くらいしか思ってなかったしね」

 

「そんなわけないでしょ。あれだけ長時間働いててそんなわけないじゃん」

 

 肝が冷えるくらい感情の籠らない声で呟いた礼愛に、お兄さんはビクッと肩を跳ね上げて再び頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい。そ、それで、その時に労働災害について詳しい弁護士として紹介してもらったのが若草さんだったんだよ。とても親身になってくれて、頼りになる先生だったよ」

 

「い、今でもこ、交流などあるんですか?」

 

 まるで彼氏が元カノと会っていたことについて問い詰める面倒くさい彼女のような発言だ。言うまでもないが念のため一つ注釈を入れると、あたしは、お兄さんの、彼女では、ない。まったくの無関係者である。

 

「え? あはは、ないよ。向こうは若手一番の出世頭って言われるくらい敏腕の先生だからね。一ヶ月くらい前かな? あれから体調どうですか、っていうお話をして以来、連絡は取ってないなあ」

 

「そ、そうなんですねぇ」

 

 安堵に近い息を吐いたのはあたしだけではなかった。隣の席からも聞こえたということは、礼愛も少なからず気にしていたのだろう。体よくお兄さんに聞く役目を担わされた気がする。

 

 特別な関係でもないのに推しが異性と関わっていたら嫉妬するという厄介が過ぎるオタクムーブを、なんらかのインターフェイスも介さずに事もあろうに推し本人へしている状況に自己嫌悪する。

 

 そんな感情が表情にまで現れたのか、頬が引き攣る。

 

 ああ、今きっと、ちゃんと笑えていない。

 

「会社辞めちゃったから、今は無職なんだよね。いやあ、妹の友人さんにこんな話するのはさすがに僕でも恥ずかしいというか情けないというか、肩身が狭い思いだけど」

 

 はは、と頭をかきながら照れ隠しのようにお兄さんは笑う。

 

 え、あれ、もしかしてあたし今誤解されてないか。頬が引き攣っていたところを見られて、あたしが『なんだよこいつ、いい歳してニートかよ』とか考えてたんだろうな、ってお兄さんに思われてないか。

 

 ま、まままって、まってよ、それはまずい。

 

「い、いやそれは……あれです、充電期間です! 電池が空になるまで頑張ったんですから、ちょっと休憩して充電するくらいいいんです!」

 

「夢結、いいこと言うね。そうだよお兄ちゃん。充電期間だよ。ていうか家事とかお父さんやお母さんの仕事の手伝いもしてるんだから、ニートとは違うよ」

 

「はは……ありがとね。ちょっと気持ちが楽になったよ」

 

 乾いた笑い声だった。単なる社交辞令とかだと思われた可能性が高い。

 

 ちょっと今日のあたし空回り多すぎないかな。やることなすこと全部裏目なんだけど。せっかく推しに会えたのに好感度下げるようなことしかやってねぇ。

 

 しかしだからといって、失点をカバーするほどのファインプレーができるようなコミュニケーション能力は培われていないし、他の打席で点数稼いで挽回できるような明るい性格も持っていない。

 

 あれ、もしかしてこれ試合終了かな。おかしいな、まったく諦めていないのにコールドゲームで試合終了しそう。

 

 何か喋らないと、とは思いつつも何も喋ることが思いつかない、という心理状態を表すように口をぱくぱくさせるだけのあたしの隣で、礼愛がケーキをぱくつきながら言う。

 

 そういえばケーキがあったんだった。場を繋ぐためにも一口いただこう。あら、おいしい。

 

「でもこれからは私と一緒にVtuberするんだから、もう無職じゃないね!」

 

「ふもっふ」

 

「吾妻さん大丈夫?!」

 

 礼愛の一言に詰められている情報量が多すぎてケーキをうまく飲み込めなかった。咳き込みながらなんとか嚥下する。

 

 危なかった、これがミルクティーを飲んでいる時だったら推しの顔面に白濁液を噴射するところだった。そんな高尚な趣味はまだ会得していない。

 

 いつの間に持ってきたのか、水が注がれたコップをお兄さんから受け取り、感謝を述べつつ口と喉に残ったケーキの残骸を洗い流す。

 

 気を遣われて背中をさすられた嬉しさと、()せた恥ずかしさが、なんかこう、悪魔合体してよくわからない感情が生まれそうになってる。全身の血管が爆発しそう。

 

「ありがとうございます、お兄さん。えほっ。……えと、まず礼愛、Vtuberやってたの?」

 

「礼ちゃん、吾妻さんに言ってなかったんだね」

 

「いやあ、ほらなに? さすがに身近な人間に配信とか見られるのは恥ずかしいって思う部分はあるよ」

 

「そ、そそそれで、お兄さんもVtuberされるんでしゅか? ……ですか?」

 

「え、あれ……そこも吾妻さんに言ってなかったの? 手伝ってもらってるんだから事情を話しておいたほうがよかったんじゃないかな?」

 

「いや、そこは伝えたはずだけど……。私、夢結に伝えてたはずだよね? 二本目のボイスドラマ作る前の説明で、Vtuberの選考に応募するからって」

 

「……ああ?! あの時か!?」

 

 一本目のボイスドラマを堪能、もとい仕上がりを確認している時に、礼愛が何か言っていた気がする。もしかして、あの時に説明してくれていたのか。話半分、どころかもう二、三回半分にしたくらいの状態で聞いていて、まともに脳みそに入ってきていなかった。

 

 なんらかのオーディションやらなんやらになにかするとかどうとか言っていたような気がしないでもないような、そんなあやふやな記憶が薄ぼんやりと浮き沈みしてきた。

 

「伝えてんじゃん……」

 

「ご、ごめん。ボイスドラマの出来を確かめてたし、なにより三徹してて意識が朦朧としてた」

 

 意識が朦朧としていた理由の主たる部分はお兄さんの声だがな。

 

「吾妻さん。そんな状態で手伝わせてしまった僕が言うのもなんだけど、ちゃんと寝ないと体壊すよ?」

 

「す、すいません……」

 

 推しから心配されちゃった。三徹の眠気に耐えて礼愛からの要請を受けた甲斐があったってもんだね。

 

 にへらと緩みそうになる表情筋に力を入れて、それでもゆるゆるになるだらしない頬を隠すため頭を下げるようにして俯いた。

 

「本当にお兄ちゃんが言うのもなんだよね。ジョークがブラックすぎるよ」

 

「ご、ごめんなさい……あ、会社もブラックっていう……」

 

「は?」

 

「すみませんでした」

 

 あたしとそっくりな動きでお兄さんも頭を下げた。お兄さんは今日だけで何回礼愛に頭を下げてるのだろう。

 

 お兄さんのその謝罪の動作には洗練された何かを感じる。やり慣れているのか。先述の会社で磨き上げられてしまったのか。

 

「あー……でも、お兄さんがVtuberかぁ……絶対推す」

 

 姉の手伝いだけじゃ足りなくなるだろうし、バイトでもしようかな。推しにはスパチャ投げたいし。

 

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、まだ受かってないからね? 今日だって書類と送った動画の選考が通ったっていうだけで。でも、吾妻さんが書いてくれた台本がよかったから、選考を通過できたんだと思うよ。改めてありがとうね、手伝ってくれて」

 

「いえ、あ、あたしはそんな……こっ、こちらこそありがとうございます!」

 

「う、うん……謙遜するのはまだわかるけど、こちらこそありがとうはよくわからないかな……」

 

「ちょっとお兄ちゃん! 私も頑張ったんだけど!」

 

「礼ちゃんには前の動画完成おめでとう会でもう言ったでしょ」

 

「何回も言われたいの!」

 

「感謝の言葉を強請(ねだ)らないで……。たしかにここまで残ったのはすごいなと思うけど、男性の枠があるかも怪しいし、受かるとは思えないんだけどね」

 

「そういえば応募するってことは企業に所属するってことですよね? どこに応募したんですか?」

 

「あたしと同じ『New Tale(ニューテイル)』だよ」

 

「おー。『New Tale(ニュート)』って言ったら、そこまでVtuberに詳しくないあたしでも名前聞いたことあるくらい有名なところだね。礼愛そんなとこでVtuberやってるんだ、すごいね」

 

「その略し方知ってる時点でだいぶ詳しいとは思うけどね。箱はともかく、私個人の人気のほうはそこそこだよ。先輩たちは華やかで魅力のある人たちだし、同期は個性的で面白い人たちばっかりだし、後輩は正統派って感じで声も性格もすっごい可愛いし、私は結構埋もれてる感じかなあ。同期で登録者数は私が一番下だし。特色っていうと……なにかあったかな、ゲームの腕くらい? それだってお兄ちゃんに教えてもらったおかげだしね」

 

「実力主義で人気商売な世界だもんね。その点、礼愛はちょっとお利口さんすぎるか」

 

「あはは! たしかに! いろんな意味ではちゃめちゃな子多いからなあ」

 

「お利口さんだと難しいものなのかな?」

 

 お兄さんがそう訊くや、間を置かずに礼愛が答える。

 

「視聴する人たちは娯楽や刺激を求めてるんだよ。他とは違った視点や考え方からのコメントを求められてるんじゃないかなあ。純粋に可愛いかったり、声がよかったり、トークが上手かったり、コラボ相手やリスナーとかと面白い掛け合いができるアドリブ力、とか? まあ他にもこの人の配信見続けたいなっていう要素はたくさんあるけど、全体的にそこそこ上手くやれる子よりもなにか一点突破するような強烈な個性があるほうが、より人の目を引くんじゃない? 今はVtuberも人口増えてるし、特出するものがないとどうしても他との差を作れないからね。その例で言えば、あたしはユーモアのあるぶっ飛んだコメントなんて思いつかないし、特徴だって人より少しゲームが上手いくらいしかない。声も取り立ててかわいいほうじゃないし」

 

「礼愛はいい声してると思うけど、どちらかといえば可愛い女の子系ってよりも綺麗なお姉さん系だもんね」

 

「僕は礼ちゃんの声はかわいいと思うんだけどなあ」

 

 礼愛がかわいい声を出すのはお兄さんの前だけなんだよなぁ。

 

「ありがとお兄ちゃん! 夢結もありがとね。でも配信中だとだいたいつんつんした声なんだよね、私」

 

「たしかに切り抜きでは基本的に普段より声低かったっけ……」

 

 やはり実際にVtuberをやっているだけあって、礼愛もいろいろ考えているようだ。これだけすらすらと売り出すためのポイントや、人気のある人の共通点を列挙できるのは、日頃から研究しているからこそなのだろう。

 

「キレのいい変化球は目を引くけど、だからといって直球が嫌厭されるわけじゃないよね。あたしがよく見てるVtuberは、王道な感じの人だし。天家(あまや)(てる)ちゃんっていうんだけど」

 

「うちの先輩じゃない。やっぱり夢結詳しいでしょ。……照先輩の場合は、他とは一線を画すくらい優しかったり、頭おかしいくらい善良な人っていう個性があるからね。しかも演技じゃないっていうのがいいよね。喋ってるだけで癒されるってすごい。なによりやっぱり声がいいんだよね。ヒーリング効果があるって言われるくらいだもん。人気があるのも頷けるよ」

 

「それでいうと礼愛は器用貧乏だね」

 

「うるさいなあ、自覚はあるよ。逆に夢結は向いてるかもね。その人間社会に溶け込むのに苦労しそうな倫理観とか最高にいいと思うよ」

 

「遠回しにサイコパスだって言ってない? もっと褒めるところあるでしょ!? 声とか!」

 

「コメントで〈マイク壊れてる?〉って言われそう」

 

「誰がだみ声だぁ! かわいいやろがい!」

 

「くっ、ふふっ。うん、吾妻さんかわいいね」

 

「ぐぅっ……」

 

 礼愛と二人でいる時みたいなリアクションをしてしまった。男子高校生みたいなノリになっているところをお兄さんに見られてしまうなんて、顔面が発火するくらい恥ずかしい。

 

 でも、こんな状況なのにお兄さんから『かわいい』って褒められて嬉しいと感じてしまっている単純なあたしがいる。

 

「夢結はおもしろくてかわいいんだからずるいよね」

 

「おもしろさなんか求めてないんだよなぁ……。あれ、そういえば『New Tale』って男性って入れるの? 『EZ』みたいに女の子だけじゃなかったの?」

 

 人気のあるVtuber事務所のツートップの一つ『End Zero(EZ)』は、アイドルグループに近い方向性で売っているため、男性は一人もいない。女性オンリーの事務所だ。コラボ配信する時も身内か、たまに他の企業勢や個人の女性Vtuberだけというこだわりよう。ごく一部に男性Vtuberと絡む人もいるみたいだが、それは女性側の人気の高さとキャラクター性がリスナーに認められているからこそ許されるのだろう。

 

 礼愛が所属する『New Tale』も『End Zero』と似たような傾向にあると思っていた。

 

「一期生に男性が一人一応在籍してるよ。応募条件も女性限定にはなってないし」

 

「へー、いたんだ。目立たないから知らなかった」

 

「今は活動休止中だから目立たないのも無理はないけど……反応しにくいこと言うのやめてよ、私からしたら先輩なんだから」

 

「あはは、ごめんごめん。あ、お兄さんが心配してるのってそこですか?」

 

「そうそう。男性が採用される枠があるのかなっていう疑問は持ってるね。でもそれ以前に、配信者としての素質が欠如してるっていう問題点があるよ。面接の時には、そういった浅い部分を見抜かれるんじゃないかな」

 

 お兄さんは淡々とした口調でそう言った。

 

 自虐を否定してもらって安心したいわけではない。そんなことないよ、きっといけるよ、って励まして欲しいわけでもない。客観的な視点から総合的に批評をしたような、自分のことを話しているとは思えない口ぶりだった。他人事のような物言いだった。

 

 そんな言葉に真っ先に反駁するのは、やはり礼愛だった。

 

「っんなわけないよっ!? お兄ちゃんは声だっていいしゲームもできるし、頭の回転も速いんだから、向いてるよ! 語彙力だってあるんだし! 私が保証する!」

 

 だから自分を卑下するようなことを言うな、そう言わんばかりの剣幕だった。

 

 たしかに礼愛の言い分にはあたしも完全に同意だが、言いかたが苛烈にすぎないか。まるで突然、ぼうっ、と火柱が上がったような圧と熱量だ。

 

 学校のクラスメイトの中には面倒くさい子やへそまがりな子だっている。傍目で見ているだけのあたしでさえ腹が立つようなそんな子たちにすら、優しく穏やかに接している礼愛がこうも簡単に激発するなんて。

 

 これはあれか、お兄ちゃんをバカにする奴はお兄ちゃんでも許さない、みたいなあれなのか。これはかなり重篤ですね。どうしてこんなになるまで放っておいたんですか。

 

 テーブルの中央付近に手をついてかなり体を乗り出し、縮こまったお兄さんを上から見下ろすような形で熱弁する礼愛の肩に手を置き、ぐぐぐっ、と力を入れて、元いたところに戻す。

 

「はーい、礼愛、椅子に座ってね。カップ倒れちゃいそうだし」

 

「むぐぐっ……言い足りないっ」

 

 礼愛怖いよ。圧が、圧がすごいよ。まだ言い募るつもりだったなんて。お兄さん引いちゃうよ。

 

「ま、まぁまぁ、落ち着いて。それにお兄さん、大丈夫です。もし落ちても、その声と演技力があれば他でもやっていけます」

 

「落ちないっ!」

 

「ごめんごめんごめん!? 違うから! 悪意とかないから! かじらないで!?」

 

「かじらないよ!」

 

 まるで牙を剥く獣のような勢いで詰めてこられたので命乞いのようなことを口走ってしまった。

 

「そう褒めてくれるのは嬉しいけど声と演技っていっても……この歳で演劇や舞台を目指すっていうのも、ね?」

 

「またボイスドラマやりましょう! あたしが台本用意するので、うちのサークルで出しましょう! 楽しいですし、きっとやりがいもありますよ!」

 

「結局自分のとこに引っ張り込みたいだけでしょ! やめてよ! 私とVtuberするんだから!」

 

「副業! 副業ってことでどうにか!」

 

「いつになく食い下がるね夢結!?」

 

「あ、あー……えっと、どんな形であれ、も、求められるのは嬉しいなあ……」

 

 あたしと礼愛のあまりの威勢に、お兄さんの腰が若干引けていた。興奮させないようにか、目線まで逸らしている。あたしたちは野生動物かなにかかな。

 

「そもそも夢結のとこって書く専門でボイスドラマとか作ってないでしょ」

 

「これから始めればいい」

 

「夢結ってこういうどうしようもない時だけ格好よくなるよね」

 

「さては褒められてないな」

 

「サークルっていうと……吾妻さんがやっている創作活動のサークル、なのかな?」

 

「え、え、えっ……な、なんで知って……。ち、ちがうんです!? BL同人ばっかりじゃなくてっ! いやBL多いけどNLもちゃんとあるんですっ!」

 

「格好よさが秒で消え失せた……。ちなみにお兄ちゃんには夢結が創作活動してるってことは話したけど、何をしてるかまでは説明してないよ」

 

「ねぇ。言ってよ。そういうことは。先に」

 

 語るに落ちるとはこのことか。語り始めから落ちてたけど。大きな墓穴を掘ったなぁ。その大きくて深い墓穴に自ら納まりに行った形だ。

 

「ま、まあ、今回初めてやってみたけど楽しかったしね。次の機会があれば、またやってみたいな。吾妻さんには台本を書いてもらった恩もあるし」

 

「ほんとですか?! ありがとうございます!」

 

「Vtuber!」

 

「わ、わかってるよ礼ちゃん……。あくまでボイスドラマとかは……ほら、趣味として、みたいな?」

 

 鬼の形相になっている礼愛を必死に宥めるお兄さん。

 

 あたしがねじ込むように強引に頼み込んだボイスドラマを引き受けてくれると言ったのは、丸く収めるためのおべっかのようなものかもしれないし、台本を書いてもらったことに対する報恩のつもりなのかもしれない。

 

 でも、なんであれ言質は取った。

 

 ならばよし。文句はない。

 

 優しいお兄さんなら約束を破るようなことはしないだろう。やり口がまるで相手の善意を利用しようとしている卑怯な奴なのだが、こればかりは多めに見てほしい。必要なのだ、あたしには推しのボイスドラマが。これは趣味とかオタク活動とかではなく、死活問題なのである。生存競争(?)なのである。

 

「あ、あの……お兄さん」

 

「うん? どうしたの、吾妻さん」

 

 覆い被さるように上から圧をかける礼愛を両手で優しく押しのけながら、お兄さんがこちらに顔を向けた。

 

「えと……前収録したボイスドラマなんですけど……あれ、姉と妹にも見せてあげていいですか?」

 

「ああ……あれを」

 

「夢結のお姉さんや妹ちゃんがあえて拡散させるようなことはしないと思うけど、どこで漏洩するかわからないし、念のためにも控えておいたほうがいいんじゃない?」

 

 すっ、と席についた礼愛がそう言う。

 

 急に冷静になるんじゃないよ。しかし、ぐうの音も出ないほどに正論だ。礼愛の言い分はなにも間違っちゃいない。

 

 応募した動画が結果の発表前に出回ってしまうのは印象が良くない。なんでもかんでも公表して世間からの注目を浴びたがる承認欲求の強い奴、みたいな印象を『New Tale』の採用担当が抱いたら、どれだけ能力があっても契約したりはしないだろう。送った動画の扱いを事務所側が決めるまでは、厳重に保管しておくほうが無難だ。

 

「姉も妹も、姉妹揃って同じ趣味を持ってまして……きっとめちゃくちゃよろこぶと思うんです。あたしもあのボイスドラマの感想とか言い合いたいですし」

 

「喜ぶ。そう、なんだ……」

 

「はい! とてもよろこびます!」

 

『よろこぶ』にあてられる漢字は両者で違うかもしれませんが。

 

「んー? なんか怪しいなあ」

 

 隠そうともせずに疑惑の目を向けてくる礼愛には一切取り合わないで、なけなしの勇気をかき集めてお兄さんの目(と目の間)をじっと見つめる。

 

 ぶわっ、と体が熱くなる。お兄さんの顔を見ているだけで緊張で汗が滲んでくるし、耳まで赤くなっていることだろうし、引け目から目は泳ぎそうになるし、声が震えないようにするの大変だし、じっと顔を見つめられる嬉しさで頬が緩みそうになる。ほんとコミュ障の常時デバフどうにかならんのかね。人生ハードすぎるよ。

 

 ちなみにお兄さんに(おこな)ったあたしの嘆願は、決して嘘ではない。全部を(つまび)らかにしていないだけだ。

 

 姉妹揃って同じ趣味を持っているのは事実。だが、あたしは姉妹愛ゆえに無理を通そうとしているわけではない。

 

 あたしの目的は、もし万が一、お兄さんがVtuberの選考を通らなかった時、うちのサークルで引き続きボイスドラマを制作できるようにするためだ。そのための受け入れ準備を整えることにある。

 

 いくら頭空っぽの姉とはいえど、いきなり『作ろうぜ!』と言ったところで首を縦には振ってくれないだろう。

 

 化粧品でもそうだ。効果を知らないのに高い化粧品なんて購入しない。試供品で使い心地を確かめてから購入するか否か検討するのだ。

 

 化粧品の試供品にあたるのが、今回のボイスドラマである。このくらいぶっ刺さる作品を自分たちの好みに合わせて作ってもらえるんだぜ、ってことを前もって学ばせておけば、あとは実に楽しそうに、実に満足げに自ら進んで働いてくれるだろう。空っぽな頭のぶん、そこに夢と妄想と欲望を目一杯に詰め込んでやれば喜んで全力で協力してくれる。

 

 いろいろ理由をつけたが、究極的にはあたしがこれからも継続的に聴き続けたいだけである。

 

 最悪あたし一人だけでもやってやる覚悟はあるけれど、資金的労力的時間的な障害を考えると姉妹も抱き込んで巻き込んだほうが問題を解決しやすくなる。

 

「喜んでもらえるのなら、どうぞ。まだ少し恥ずかしいけど、いろんな人に聞いてもらえるのは嬉しいしね。信頼してる吾妻さんの御姉妹(ごきょうだい)なら悪いことにもならないだろうし」

 

 最後のほうは、あたしにというよりも未だに疑ってくる礼愛に向けて言っているのだろう。

 

 ずっと怪訝な目つきを向けてくる礼愛は正直気が散って邪魔だったけど、あたしが礼愛の親友というポジションのおかげで、礼愛越しでお兄さんの信頼を勝ち取ることができた。ありがとう礼愛。あんたのおかげよ。

 

「ありがとうございます! ネットにアップとかしないようにきつく言っておきます!」

 

「うん、よろしくね」

 

「破った時は縛り首にします!」

 

「うん……そこまではしなくてもいいかな……」

 

「そうそうお兄ちゃん! 夢結と、夢結のお姉さんと妹ちゃんでさっき言ってたサークルやってるんだよ。すっごく絵が綺麗だしストーリーもよくて、めちゃくちゃ人気なんだから」

 

「あっ、さっき言ってたサークルって御姉妹でされてるものだったんだ」

 

 あれ、あたし言ってなかったかな。

 

 そういえばお兄さんには『あたしがサークルに所属している』ことと『姉妹も同じ趣味をしている』ことは言ったけど『同じサークルに所属している』とは言ってなかった。

 

「あたしと妹は手伝いというか、背景だったりモブを描いたりっていう、アシスタントみたいな作業がメインですけどね」

 

「僕は絵心というものがまるでないから尊敬するよ。絵が描ける人って」

 

「い、いえ……そんな、あたしなんてまだまだなので……」

 

「お兄ちゃんは絵心がどうとかそういう次元じゃないけどね……あれはまったく違う種類の才能だよ。夢結も上手だけど、お姉さんはさらに一段階すごかったね。お兄ちゃん、夢結のお姉さんは同人誌も描いてるけど、イラストレーターとしてもすっごい人気で有名なんだよ」

 

「へえ、すごいね。吾妻さんとしては自慢のお姉さんなんじゃない?」

 

 このお兄さんの前で自分の姉の話とか恥ずかしくて仕方がない。

 

 我が姉は、たしかに絵を描く能力はずば抜けている。しかし絵を描く能力以外のすべてが人並み以下なのだ。描く力は認めてるし努力の結果なのでその点に限っては尊敬もしているけれど、その他全般いろいろと犠牲にしすぎである。

 

「……いえ、人見知りで引きこもりで手のかかる姉なので、プラマイゼロくらいですかね……」

 

「そういえば夢結の家に遊びに行ったことは何度もあるけど、お姉さんとは挨拶したことなかったね。妹ちゃんとはちょくちょく会って一緒に遊んだりもしたけどね。寧音ちゃん可愛かったなー、また遊びたい」

 

 あの生意気な妹を可愛がれるのは礼愛くらいだろう。敬意という概念を義務教育で学べなかった寧音が、唯一姉のように慕うのが礼愛なのだ。どうなってんだよ。あんたには姉が二人もおんねんぞ、頼りになるかどうかまでは保証しないけど。

 

「礼愛が来るって伝えておいたら寧音にはいつでも会えるよ。姉は……家族でもタイミングが合わなかったら一日一回顔合わせるかわかんないからね。お客さんとエンカウントするなんてイージーミスはしないよ」

 

「すごいや、堂に入った引きこもりだね」

 

 あたしもそう思う。ちょくちょく外に出ているらしき形跡はあるのに、そのわりには部屋から出るところを目撃することが少ないんだよね。人の気配でも察知しているのかも知れない。

 

「礼ちゃん?」

 

「うきゅっ……ごめんなさい」

 

 礼愛はまるで悪戯を咎められた仔猫のように身を(すく)めて謝った。

 

 お兄さんの声は決して棘のあるようなものではなかったし、威圧するようなものでもなかった。でもその声は礼愛にとっては窘めるようなニュアンスを含んでいたらしい。

 

 堂に入った引きこもりという表現はまさしく的確だったのであたしとしては言い得て妙だと感心したくらいだけど、お兄さん的にはアウト判定みたいだ。

 

 礼愛のすることには全肯定なのかと思いきや、悪いことをした時にはちゃんと叱っているようだ。お兄さんは、やっぱりちゃんと『お兄ちゃん』を務めているのだなと実感する。

 

 本当にいいお兄ちゃんだ。兄や姉というのはこういう、一番身近な尊敬できる存在であってほしい。

 

 あたしの姉なんてどうなってんだよ。飯を作れとかそんな高望みはしないから、せめて部屋の片付けとか服買いに行くくらいは自分でやってくれよ。なんで姉のサイズを覚えておかなくちゃいけないんだ。

 

「いいんですよ、お兄さん。頼り甲斐とか年上としての威厳とか、そういうのがまるでない姉なので」

 

「立派なお姉さんだと思うけど……吾妻さんが気にしてないならこれ以上僕からは言うこともないよ」

 

 なぜお兄さんの中で姉の評価がこれだけ高いのか。きっと姉自身ですら困惑する高評価だ。画面の向こう側からしか褒められたことのない姉なので、面と向かってこれだけ褒められたら喜ぶより先に萎縮することだろう。

 

 おかしい、納得いかない。直接対話する機会に恵まれたあたしよりも姉のほうが評価が高いなんて。

 





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この狂おしい感情が、きっと。

 

「あ、お兄ちゃん、もう結構時間遅くなっちゃったよ。そろそろ晩御飯の準備する?」

 

「本当だ、お喋りしすぎちゃったね。まさか今日もお祝いするだなんて思ってなかったから簡単なものになっちゃうけど、すぐ作るね」

 

 リビングの壁にかかる時計に目をやると、十九時十分前になっていた。

 

 かなりの時間喋ってしまっていたらしい。人見知りを自負するあたしがこんなに初対面の人と、しかも推しとお喋りできるなんて、すばらしい進歩だ。

 

 きっと二〜三年分にあたるくらい男の人とお喋りしたね。ふだんどれだけ男の人と喋ってないかが如実に出ている。

 

「それじゃ、あたしはこのあたりでお暇しますね」

 

 そう言って腰を上げたが、礼愛に手を引かれて再び椅子に舞い戻ってしまった。

 

 やめてよ。急に引っ張らないでよ。どすん、みたいな厳つい音が鳴ったんですけど。あたし太ってないんですけど。

 

「ちょっ……なにすんの礼愛」

 

「なにって、食べていきなよ、晩御飯」

 

「……えっ」

 

「そうだよ、吾妻さん。もう遅くなっちゃうし、どうかな?」

 

「お兄ちゃんのご飯めっちゃおいしいから! 食べなって!」

 

「この時間からだと手間のかかる料理は難しいけど、腕を振るわせてもらうよ」

 

 最初からそのつもりだったかのように、礼愛もお兄さんも話を進めていく。

 

 こうなってしまっては固辞してしまうのも失礼になりそうだ。ありがたく御相伴に与らせてもらおう。

 

「あ、ありがとうございます……いただきます」

 

「よかった。いくつか仕込みは済ませてあるから早めに出せると思うけど、ちょっと待っててね」

 

「夢結、家に連絡しといてね。帰るの遅くなるって」

 

「お、おけ。メッセ送っとく」

 

 うちの両親も共働きで帰りは遅いから、まだ晩御飯は作り始めてないだろう。親に『礼愛と食べて帰るから晩ご飯いらない』と送る。よし、嘘はついてない。

 

 スマホから顔を上げてキッチンを見ると、腕まくりをしたお兄さんがエプロンを着て立っていた。

 

 うわーうわーなにこれ。紅茶の時も思ったけどVRの乙女ゲーかな。受け答えもしてくれるし(なんならこちらが満足に受け答えできない)、触ってくれるし(自分からは恐れ多くて無理)、匂いまで嗅げる(本人からの許諾なし)なんて、いい時代になったものだ。

 

 心がときめきすぎて、逆にいつもこんな光景を見られてご飯まで作ってもらえる礼愛に腹が立ってくる。羨ましい。妬ましい。

 

 三十分足らずで、お兄さんの手料理がテーブルの上に並んだ。トマトのマリネ、鮭や野菜がたくさん入ったチャウダー、鶏胸肉のレモンソテー、小エビとブロッコリーのサラダなど、とてもじゃないが三十分やそこらで作れる量と料理ではない。なのにそれらを用意する片手間に、お喋りして待っていたあたしと礼愛に紅茶のおかわりまで淹れてくれる手際の良さ。

 

 お兄さんに聞けばほとんど作り置きであとは盛り付けたり仕上げるだけだった、なんて言ってたけれど、あたしなら作り置きがあったとしても一時間からかかりそうだ。なんならまず作り置きをする段階まで辿り着けない。脱帽というか、頭が下がるというか、素直に尊敬する。

 

 どうしよう、お兄さんに女子力で勝てる気がしない。そもそもお兄さんが相手では、同年代女子の何パーセントが勝てるのかという話だ。

 

 礼愛が自慢する通りのとんでもなくおいしい晩御飯に舌鼓を打って食休みを挟んで、長々とお邪魔してしまったあたしはようやくお暇することになった。

 

 素晴らしい経験をさせてもらった。夢心地である。またボイスドラマの台本書いたら呼んでもらえるのかな。だとしたら毎秒作っちゃうのに。

 

 礼愛は、もっとお喋りしたかった、なんならお泊まりしちゃえばいいのに、なんて言ってくれていたが、選考動画完成祝賀会(二回目)はこれにてお開きだ。聞けば、礼愛はこれから配信の予定があるそうだ。

 

 あたしとしても助かった。今から礼愛の配信が終わるまでの間、何時間も推しと一対一だなんて心臓がもつはずない。もう少し修行しないと、この戦いにはついていけない。

 

 礼愛は玄関までお見送りしてくれたが、別れ際に『ゲーム実況にしようかと思ってたんだけど、今日のおかげで雑談配信になっちゃいそうだよ』という意味深な言葉をかけられた。

 

 配信で今日の話をするんじゃないだろうな。べつに実名を出さないならあたしは構わないっちゃ構わないけれど。

 

 不穏なセリフを吐くだけ吐いて、ぱたぱたと礼愛は階段を駆け上がっていった。きっと自室に向かったのだろう。ほら急げ急げ、配信時間に間に合わなくなるぞ。

 

 靴を履き、あたしはスクールバッグを肩にかけてお兄さんに振り返る。

 

「今日はありがとうございました。晩御飯までご馳走になってしまって。礼愛の言う通りとてもおいしかったです」

 

 お兄さんは笑顔で、しかしなぜか首を傾げた。

 

「うん? うん、口にあったのならよかったよ。送るから、ちょっと待っててね」

 

「ぅあ、あ……ありがとうございます」

 

 わざわざ家の前まで見送ってくれるようだ。いや、もしかしたら駅まで送ってくれたりするのかな。

 

 この人ほんと優しさが天元突破してるな。前世は聖人かなにかかな。いや現世でも聖人だわ。

 

 玄関から歩いて、外と敷地を区切る門扉を開く。

 

「…………」

 

 さすがにずっと無言を貫くのは、空気もあたしの印象も悪くする。何か喋らなければと勇気を奮って話を振る。

 

「お、お昼は暖かかったですけど、よ、夜はけっこう冷えますね……」

 

 一念発起の結果が気温がどうこうとかいう、いわゆるお天気話に行き着いた自分の引き出しの少なさに絶望する。

 

「────」

 

 あまりのコミュ力の乏しさに呆れられたのか、あの菩薩のように優しいお兄さんが何も言葉を返してくれない。

 

「あ、あ、いや、あの、あたし谷間が蒸れやすくて薄着しが、ち、で……」

 

 テンパりながら振り向いて言い訳する。その途中でお兄さんが、というよりも男性全員が返しに困るだろう逆セクハラ発言したことに気付いて、さらに絶望を深めた。深めたのは傷かもしれない。

 

 だが驚くべきことに、それよりも衝撃的なことがあった。

 

「……おらんやないかーい」

 

 お兄さんいなかった。

 

 後ろからついてきてくれてるものだとばかり思っていたけど、お兄さんいなかった。

 

「……え、なにこれ……いじめ?」

 

 やめてよお兄さん、礼愛は若干その気がありそうだけど、あたしにはMっ気ないよ。あたしにまでそういうプレイ強要しないでよ、新しい扉開いちゃうよ。

 

「っ……ぅぐっ、えぐっ……」

 

 つまりあたしは玄関を跨いでから門扉を開くまでの間、大きな独り言をずっと言っていたことになるわけだ。そこには多大なる羞恥を感じるけれども、同時に話題に窮してお天気話を振ったことと、逆セクハラ発言をお兄さんに聞かれることはなかったという事実に安堵した。

 

 わりときっつい悪戯をされた傷心よりも、先に安堵が立つ自分に泣きたくなるほど悲しくなる。

 

 あれ、あたし今日礼愛の家に何しにきたんだっけ。黒歴史量産しにきたのかな。

 

「駅……あっち、だったっけ」

 

 一人で歩かないといけない道を思い浮かべる。明るくて楽しかったお家の中の反動で、点在する街灯だけの薄暗い帰り道が急に物悲しく見えた。

 

 どうしよう、へこむ。礼愛が聞いてるかもしれないから送るみたいなこと言ってくれてたけど、やっぱり嫌だったのかな。

 

 まあ、好かれるようなことしてないし、その逆のことはした覚えがあるから、仕方がないといえば仕方がないんだけどね。お兄さんと礼愛を使って妄想しちゃったし。まあわかってたよ。当然でしょ。うん、最初から気づいてた。覚悟してたよ、うん。わかってた、あたしにはわかってた。

 

「うぅ……ぇぐっ……」

 

 わりぃ、やっぱつれぇわ。

 

 しゃがみ込んでしまいそうなほどつらい。視線が下がる。涙がこぼれそうになる。つらい。まぶたを固く閉じた。つらい。

 

 優しく接してくれてるように感じてたけど、もしかしたら心の中では『オタク乙』くらいに思ってたのかなぁ。どもりすぎだろ、とか思われてたのかなぁ。挙動不審すぎわろたとか、本能と欲望だけで生きてて草とか、思われてたのかなぁ。思われてたんだろうなぁ。いまさら悔やんでも遅いんだよなぁ。

 

 あぁ、根暗の悪い癖が出てる。なんでもかんでもネガティブに捉える面倒くさい習性が出てる。一人反省会はせめて家に帰ってからにしろ。

 

 いや、もしかしたらお兄さんは急に用事を思い出したのかもしれない。そうだ、そういうことにしておこう。

 

 切り替えて、早く帰らないと。明日も学校があるし、宿題も課されている。なによりずっと家の前に佇んでいたら通報されかねない。日も落ち切った閑静な住宅街の片隅で(こうべ)を垂れる女とかホラーでしかない。

 

 重たくなってしまった足を一歩踏み出す。

 

 その寸前のことだった。

 

 気落ちした肩を、ばっと掴まれた。

 

 思いがけない感触に下がった肩がびくりと跳ねた。

 

「吾妻さん! いなくなってたから驚いたよ。先に外に出てたんだね」

 

「ぐすっ……あぇ? お兄、さん?」

 

「ちょっ、どうしたの吾妻さん!? 外が暗くて怖かった? ごめんね、遅くなって……」

 

 ごめんね、とお兄さんは何度も何度も懺悔するように繰り返して、涙ぐんでいるあたしの頭を撫でてくれた。力加減が完璧に調整されている完璧な撫でだった。確実に礼愛にやらされ慣れている。経験値が違う。

 

 まるで幼児(おさなご)のような扱いに、赤面するよりも前に安心してしまっていた。礼愛の言っていた頼り甲斐だとか安心感というのはこのことだったのかと実感した。

 

 いや、待て。それよりも先に問わなければいけないことがあるぞ、あたし。

 

「お、お兄さんが、なぜここに?」

 

 そう、なぜお兄さんがここにいるのか。

 

 てっきり今頃、リビングに戻って哀れなあたしを想像してほくそ笑みながらワインでも傾けていると思っていたのに。あ、Sっ気強いお兄さんもいい。真理の扉が開きそう。

 

「なぜって……送るって言ったでしょ?」

 

「で、でも……振り返ったらお兄さんいなかったから、てっきり……」

 

「……てっきり?」

 

「……礼愛が近くにいたから送るって言ったけど、やっぱりめんどくさくなってお家に帰っちゃったのかなって」

 

「ええっ?! いやそんなわけ……ああ、ごめんね。そうか、なるほど……僕のせいだ、ごめんね」

 

 信号待ちしてたら車が突っ込んできた、くらいに過失なんてまるでないのに、お兄さんはまた謝った。

 

 ああ、面倒な女ムーブをかましてしまっている。どうにか釈明しようと口を開いたが、先にお兄さんが続けた。

 

「また言葉足らずだった。礼ちゃんがいたら、また怒られちゃうね」

 

「ち、ちがうっ! あ、あたしがまたわけのわからない勘違いしてっ……」

 

「それじゃこうしよう。僕は言葉足らずだったし、吾妻さんは早とちりしちゃった、ってことで」

 

 お兄さんはこの話はこれでおしまいと言わんばかりに、あたしの頭をこれまでよりほんの少しだけ強めにわしわしっと撫でた。

 

「わぷっ……」

 

「ちゃんと『車回してくるから待っててね』って言えばよかったんだね」

 

「……え? くるま?」

 

 お兄さんはあたしの頭に置いていた手をそのまま横にスライドさせ、指差す。

 

 撫でられていた感触を反芻(はんすう)するように頭に手を置いて、あたしはお兄さんが指差した方向へ目を向ける。

 

 家の敷地内。スライド式の門扉の手前で、来る時にも乗せてもらった車が停まっていた。

 

 えっと、それは、つまり。

 

「こんなに遅い時間なのに、一人で帰すわけないでしょ?」

 

 家を出てから初めて目を合わせた。

 

 街頭の仄かな灯りの下で、お兄さんは困ったような笑顔を浮かべていた。

 

「……ひぐっ、ぅぇっ」

 

「な、なんで泣くの?! あ、あれ……やっぱり今日初めて顔を合わせた男と車内で二人になるのは嫌なのかな……。そ、そうだよね……家知られるのとか、怖いよね……。あ、あの、タクシー呼ぶ? ちょっと時間かかるかもしれないけど……」

 

 もしかしたら、お兄さんもあたしに負けず劣らずネガティブ思考なのかもしれない。

 

 今涙腺が緩んでしまったのは、疑ってしまった罪悪感と、駅までどころか家まで送ってくれるという嬉しさからだ。

 

「ごめんなさいぃ……あれだけ優しくしてもらっといて、実はお兄さんはいじわるな性格なんじゃないかとか被害妄想して……。一人で落ち込んで……」

 

 その上で、いじめられるのも案外アリだな、とか考えててごめんなさい。

 

「……吾妻さんは、あれだね。小学生の時の礼ちゃんと同じくらい思い込みの激しい子なんだね」

 

 それはつまり、あたしの精神年齢は小学生並みということだろうか。なまじ妄想していたぶん否定できない。えっちなことへの関心と知識は小学生を軽く凌駕してると自負してるんだけどな。

 

「ごめんなさい……」

 

 お兄さんの言動を悪し様に捉えるわ、わんこ蕎麦くらいのペースで黒歴史をぽこぽこ生み出すわ、ひどい勘違いは繰り返すわ、挙げ句の果てに小さい子みたいにぼろぼろ泣くわ、あまりの情緒不安定さに羞恥心すら死滅しそう。

 

「ほら、まだ結構夜は冷えるから車乗って」

 

 お兄さんは項垂(うなだ)れるあたしの手を引いて、開け放たれている車用の門扉のほうから再び敷地内へ入って車へと誘導する。

 

「あ、う、ぁ……」

 

 ゾンビのような呻き声しか出せないあたしを尻目に、お兄さんは車の助手席のドアを開いた。

 

 開けてくれたドアからすごすごとあたしが乗り込んだことを確認すると、ゆっくりとドアを閉め、お兄さんは運転席へと乗り込む。

 

「じゃ、遅くなっちゃったけど帰ろうか。方向はだいたいわかるけど詳しい位置まではわからないから道案内よろしくね」

 

 シートベルトをかちゃかちゃと鳴らしながら、さらに縮こまるようにあたしは小さく頷いた。心臓がばくばくと脈打っていて答えられなかったのだ。

 

 大きくて角ばってて、でも暖かくて柔らかいお兄さんの手の温度がまだ残っているのに、手がぷるぷると震える。

 

 まだ暖房の効いていない寒い車内。なのに、手が(かじか)むほど冷たかった夜風が、少し恋しくなった。

 

 

 

 *

 

 

 

「……あ、あのマンション……です」

 

 近づいてきた八階建てのマンションを指し示す。

 

 おかしいな、使い慣れてきたはずの敬語がぎこちなくなっている。というか、車に乗った直後からの記憶が抜け落ちている。

 

 どうしたんだ、あたし。あまりの過負荷に耐え切れず処理落ちしたのか。

 

「あはは、もうそんなに畏まった喋り方じゃなくていいよ。ここまでフランクに話せてたしね」

 

 路肩に緩やかな制動で停車させたお兄さんが微笑とともに言った。あたしの推しは本当に顔がいいな。

 

「そ、そうだっ……でしたっけ?」

 

 思わず『そうだったっけ?』と口走りそうになったところから強引に敬語へと舵を切る。それすらも敬語として危ういが。

 

「うん、まるで礼ちゃんと話している時の吾妻さんだったよ」

 

「…………」

 

 絶句する。

 

 礼愛と話している時と同じ話し方をお兄さんにするとか、失礼にもほどがある。礼愛とのアレはほぼ会話ではないんだ、プロレスなんだ。

 

「そっちのほうが自然だったし、吾妻さんも楽そうだったよ。もちろん吾妻さんがやりやすいほうでいいけど、気を使わないで話してくれたほうが僕としてはいいかな。まるで友だちみたいで」

 

 僕、友だちいないから。

 

 そう笑いながらお兄さんは言ってくれるが、これは社交辞令的なニュアンスなのか、それとも本心からの言葉なのか。

 

 礼愛のお兄ちゃん情報(データバンク)を参照すると、お兄さんは絶対に嘘をつかないらしい。そんな人間いんのかよ、とその時は思ったものだけれど、実物を目の当たりにしたら本当なんじゃないかと思えてきた。そのデータを信用するなら、これも社交辞令とかではないのだろうけれど、確信が持てないというか、踏ん切りがつかない。

 

 もう一歩、今はまだ遠いお兄さんとの仲をもう一歩近づけても大丈夫だという確証があれば。

 

「っ!」

 

 この好機で、人生に一度あるかないかのこの大チャンスで、あたしの脳裏にぴこんっ、と一つの革新的アイデアがよぎった。

 

 ふだんは灰色の単細胞と自称している(あるいは自傷している)あたしの脳みそが、歴史的高回転をマークした。

 

「じゃ、じゃあ……メッセージアプリの友達登録……とか、し、しっ、しましまっ」

 

 そう。友だちが少ないと豪語するお兄さんが登録してくれたら、それはつまり、登録してもいい程度にはあたしとの距離が縮まったことを担保してくれるのではないか。

 

 なんて閃き。これが神の啓示か。言葉に詰まるし最後まで噛み噛みなのはご愛嬌だ。このくらいなら恥ずかしいとも思わなくなってきているくらい羞恥心が麻痺している。

 

「そういえば登録されてる人数が少ないって言う話もしてたしね」

 

「は、はひ! あたし、ぜんぜんやり取りする人、いなくてっ」

 

「吾妻さん、お友だち多そうなのにね」

 

「いえ、全然……。学校の子、お嬢様っぽいのばっかりだし……。いや、ほんとぜんぜん……いなくて」

 

 外見からやんちゃそうな友だちが多いと思われているのだろうか。だとしたらそれは間違いだ。

 

 うちの学校は一応いいとこの学校で、基本的に外面(そとづら)はお淑やかな子が多い。もちろん中身と外見はリンクしていない。あたしがお嬢様っぽいの(・・・・)ばっかり、と言ったのはそれが理由だ。外面だけなのだ。

 

 お嬢様学校といっても不良みたいなのは少ないながらも存在するが、あたしの外見はハリボテだ。その他大勢と同様、やっぱりあたしも性格と外見がリンクしていない。やんちゃそうな子とも仲良くはできないのだ。

 

 つまり、友だちができるわけないのだ。礼愛が特例すぎるだけなのだ。

 

 改めて考えるとひどい仕組みだ。自分で望んだ立場とはいえ笑えてくる。

 

 くすっ、と隣から小さな音が聞こえた。静かな車内、それが口元を押さえた笑い声であることはすぐにわかる。

 

 いやまあ思うことがないでもないけど、笑い話にしてくれるだけマシかな。シリアスに受け取られたりドン引きされるよりも百倍いい。

 

 こりゃダメだったかぁ、と半ば諦めてスマホを引っ込めようとしていると、お兄さんは明るい声で言った。

 

「でも僕のほうがいないけどね」

 

 スマホの画面をこちらに見せつけるように差し出した。例の、名前が四つしか載っていない画面だ。

 

「吾妻さんで記念すべき五人目だ。数ヶ月ぶりに名前が増えるよ」

 

 これはつまり、そういうことだよね。お許しが出たってことだよね。

 

「あ、あり、がとっ……」

 

 オーバーフローした喜悦の感情で喉が狭まる。言葉に詰まる。

 

 待て、言い切れ。『ございます』まで言い切ってくれ。ほんの少し親しくなった途端急にタメ口使う失礼な奴みたいになるだろうが。なかなか上げられない評価を積極的に下げにかかるんじゃない。

 

 涙目になりながら口をぱくぱくと開閉するあたしに、お兄さんは気を悪くした様子もなくフォローしてくれる。

 

「うんうん、その調子で接してくれると嬉しいな」

 

「うぅ、お兄さん……」

 

 なんなんだこの人、器大きすぎないか。懐深いよ、寛大すぎるよ。

 

 いくら自分からもっと気さくに話してくれていいよ、なんて言ったとしても、あたしなら中学生に急にタメ口で話されたらイラっとするよ。頬引き攣るよ。なんでそんなにナチュラルに微笑むことができるの。

 

「それじゃあ、はい」

 

「ぁ、あい」

 

 震える手で、震える指で、手間取りながら友達登録する。

 

 新しく追加された名前が埋もれないように神速でマークをつけておく。続けて名前を変更。にやつきそうになる唇を血が出るんじゃないかってくらい噛み締めながら我慢して『仁義さん』と登録しておく。こんな呼び方できないけどね。一応ね。『お兄さん』じゃあれだし、わかりやすいようにね。埋もれちゃうかもしれないし。埋もれるほど登録されている人数多くないけど。

 

「ん? 『まゆゆ』さん?」

 

「え? ……あ゛っ」

 

 だいぶ前に、厳密にいつ頃か思い出せないくらいだいぶ前に、礼愛と二人でお互い登録してる名前を変えるという、暇潰し以外の何物でもない遊びをしていたのだ。礼愛と違って滅多に登録される人数が増えることのない、なんなら頻繁にメッセージアプリを起動させることもない、さらに言えばゲームする時に邪魔になるから通知すら切っていることもしばしばなあたしは、そんな遊びをしたことも忘れて放置していた。

 

 迂闊なことをした。あえて可愛らしいあだ名で登録してる痛い子みたいだ。友だちが礼愛しかいないし、もちろん礼愛からそんな呼ばれ方をされたことはない。誰からも呼ばれたことのないあだ名って、それはもうあだ名ではない。

 

「ち、ちがっ……それは、それは礼愛がっ!」

 

「あははっ。『まゆゆ』って音の響きが可愛いね。あづまゆゆの後半三文字を取って『まゆゆ』なんだね」

 

「や、やめっ……ちがうの、礼愛が、礼愛がっ……」

 

「これから『まゆゆちゃん』って呼んだほうがいい?」

 

「あ゛あ゛ぁ! やめてぇ、許してぇ……お願いだからぁっ! せめて夢結って呼んで!」

 

 いたずらっぽく口角を上げながらいじめてくるお兄さんに、背筋がぞくぞくする。新たな(ヘキ)に目覚めそう。真理の扉がわずかに開いてきているのを感じる。黒い手が手招きしている。

 

 そのせいだろう、気が動転していたのだろう。なんか余計なことを無意識に口にした気がする。

 

「……え? えっと……じゃあ、夢結さん?」

 

「っ! っ!?」

 

 まさしく僥倖(ぎょうこう)だ。

 

 せめてもう一度会えるくらいには友好度を稼ぎたい、できれば連絡先を交換したい、くらいに考えていた。

 

 名前で呼んでもらうなんて夢にも思っていなかった。妄想すらしていなかった。生まれて初めて自分の滑りやすい迂闊な口に感謝した。

 

「あ、あれ? 反応が……やっぱり吾妻さんのほうが」

 

「いえ大丈夫です夢結で大丈夫です」

 

「そ、そう……。なら、よかったけど」

 

 思いがけない幸運に脳みそがシャットダウンしたことで、お兄さんに訂正させてしまうところだった。せっかく『吾妻さん』から『夢結さん』へと三段飛ばしくらいに進化したのに、秒で退化させるところだった。

 

 戻させてなるものかという気持ちが強すぎて語勢が荒くなってしまい、若干お兄さんが引いてしまっている気もするが、今はそんなことも気にならない。

 

「ふ、ふふ……」

 

 名前呼びの余韻に浸る。なんだか急激に距離が縮まった気がする。

 

 いや、気がする、ではなく縮まったのだ。家族以外と交流がないお兄さんが名前呼びしたんだから、対外的にこの事実には大きな意味が生まれる。弁護士の先生を呼ぶ時も苗字だったもんね。お兄さんが名前で呼んでるのなんて礼愛を除けばあたしだけじゃん。もうこれは半分くらい彼女みたいなもんだよね。四捨五入したら彼女だよ。あれ、あたしもしかして告白されたのかな。

 

 ちゃんと返事したほうがいいのかな。まったくもう、お兄さんは恥ずかしがり屋さんなんだから。

 

「あ、あの、あたしもっ、す……」

 

「もうだいぶ時間が遅くなっちゃってるけど大丈夫? 明日も学校だよね? 早く帰らないと、親御さん心配するんじゃない?」

 

「すーーっ……あ、はい」

 

「ん? ごめんね。何か言おうとしてた?」

 

「あ、なんでもないです」

 

 ばっさりいかれた。

 

 いっそ淡白に感じるくらい帰宅を促された。

 

 そりゃそうだよね。お兄さんだってあたしをさっさと降ろしてお家に帰りたいよね。

 

 どれだけ恥ずかしい妄想を繰り広げたら告白されただなんて都合のいい思考に辿り着くのか。自分に優しくしてくれた人がいたら、この人はあたしのことが好きなんじゃないかって勘違いする陰キャオタクの典型例みたいな症状が出てしまった。

 

 望外の成果を得たからって浮かれすぎだ。落ち着け、落ち着け。今日の愚行を(かえり)みるんだ。テンパった時はろくなことをしていないぞ。冷静にどう動くか考えるんだ。

 

 一つ深呼吸して、口を開く。

 

「今日はありがとうございました。おいしいご飯までご馳走になってしまった上に家まで送ってもらって。とても楽しかったです。まだお話ししたいところですけど、遅くならないうちに帰りますね」

 

 頭の中で組み立てた文章を一息で言い切った。

 

 つまるところ、戦略的撤退だ。

 

 この機に乗じてお兄さんとの仲を深めたいが、車内での会話に味をしめて話を長引かせれば、今度は自分の首を絞めることになるかもしれない。いや、なる。今日のあたしの失敗を思い出せ。自縄自縛ならぬ自傷自爆の数々を。

 

 今回は最後の最後に手のひらに転がり込んできた望外の大戦果だけで満足しよう。充分なほどにどんでん返しだった。大逆転だ。これで今日は涙で枕を濡らさずに眠れそう。でも枕に顔を埋めて『うわああぁぁっ!?』はする。トラウマはまだ消えてくれない。

 

「うん、こんなに遅くまでごめんね。本当なら親御さんにもご挨拶に行くべきなんだろうけど」

 

「ああああ挨拶って?! ななんあなんのです?!」

 

「いや、大事な娘さんを夜遅くまで引き止めちゃったんだから、ご挨拶くらいはと思ったんだけど……。いくら礼ちゃん……友だちの家にいたって言っても、心配はするだろうから」

 

「……あ、なるほど。そういう……」

 

 挨拶に来てもらっちゃったら外堀を埋めていくことに繋がるかもしれない。一瞬それはそれでありかなと下心が鎌首を(もた)げたが、お母さんには礼愛とご飯食べて帰ると連絡をしてしまったのだ。厳密には齟齬(そご)が発生するわけでもないし、後ろめたいこともないけれど、お父さんがうるさそうだ。機嫌を損ねたお父さんの相手はこの上なく面倒だ。そんなくだらないことでせっかくの良い気分を台無しにされたくない。お兄さんのご配慮は嬉しいけども、今回は気持ちだけ頂いておこう。

 

「大丈夫ですよ。連絡さえしておけば、わりと門限でうるさくは言われないので。よく妹も夜遅くまで友だちと遊んでたりしますし」

 

「そう? まあ今日は菓子折りも何も用意できてないしね。日を改めることにするよ。親御さんによろしく伝えておいてね」

 

「い、いえ、そこまでしなくても親気にしませんから……気を使ったりしないでください」

 

「これは気を使うとかじゃなくて、マナーだと思うけどなあ……。でも夢結さんがそう言うなら控えておくよ」

 

「ふひっ」

 

 唐突にお兄さんの口から飛び出した『夢結さん』呼びに、呼吸器系が誤作動を起こした。これは女子の笑い方じゃない。底知れない女子力の低さのなせる技だ。

 

「え?」

 

「あっ、いえ、ちょっと持病が……」

 

「だ、大丈夫? 心臓病?」

 

 どちらかというと精神病かな。

 

「じょ、冗談ですよー、あは、ははは……。で、では、これで……」

 

 予想通り、時間が延びれば延びるほどにみっともないところが湧き出してくる。これ以上醜態を晒す前に退散しよう。

 

 わたわたしながらスクールバッグを肩にかけ直して、シートベルトを外していなかったことに今更気づいてもたもた外す。

 

 そうやってわたわたもたもたぐだぐだと手間取っていると不意にドアが開いた。

 

「どうぞ」

 

 果たしていつの間に降りて、いつの間に助手席側に回ったのか。お兄さんがドアを開いて、降りやすいよう手を差し出してくれていた。でもあれ、お兄さんついさっきまであたしの隣で喋ってたよね。

 

 せっかく気を利かせて手を差し出してもらっているのに無下(むげ)にすることもないだろう。その出された大きな手に、あたしは気づかれないように一度スカートで手を拭いてから乗せた。手汗とかかいてたらいやだし。

 

 お兄さんは本当に気配りのできる人だ。学校からの帰り道に車で拾ってもらってから、ここまでずっともてなされている。

 

 しかし、だ。

 

 いちいち心拍数が上がるとはいえ、今日は放課後からずっとお兄さんと一緒にいて、お喋りして、ホストを務めてもらったのだ。こんな扱いくらいもう慣れたものである。人間とは環境に適応できる生き物なのだ。

 

 あたしには礼愛というお手本がある。車を降りる際、お兄さんにドアを開けてもらった時の、まるで当然だと言わんばかりの礼愛の小憎らしくも小慣れた堂々たる振る舞いを思い出せば、どうということはない。

 

 さぁ、不遜に口を開き、流麗に感謝の言葉を述べるのだ。

 

「……ぁ、ありゃりゃとごじゃふ……」

 

 もちろん振りだ。

 

 数時間やそこらでこんな少女マンガのヒロインみたいな扱いに慣れるわけがない。人見知りとコミュ障を兼ね備えた二刀流のあたしに、礼愛の真似などできようはずがない。こちとら年季と筋金が入った陰キャ夢女子だ。舐めてもらっては困る。

 

 噛み過ぎて原型を留めていない謝意を、お兄さんはいじるでもなく受け止めてくれる。

 

「いえいえ。こちらこそ、今日はありがとうね。とても楽しい時間を過ごせたよ。夢結さんは忙しいだろうから僕からは連絡しにくいけど、僕は基本的に時間を持て余してるから何か用事があったり、困ったことがあったら気兼ねなく言ってね」

 

「は、はひっ」

 

「これからも礼ちゃんと仲良くしてくれると嬉しいよ。じゃあ、また。体が冷えないうちに帰ってね」

 

 おやすみなさい、と締め括ると、お兄さんは運転席へ戻った。

 

 お互い窓越しに小さく手を振って、緩やかな駆動で車が動き出す。

 

 赤い尾を引くようなテールランプが見えなくなるまで、あたしはその場に立ち続けていた。

 

「……はぁ」

 

 体にこもった熱を出すように、一つ息を吐いた。

 

 今朝と見た目は何ら変わりない、でも中身の価値が大きく跳ね上がったスマホを胸元に引き寄せて両手で握り締める。

 

 深い感慨にしばらく(ふけ)って、スマホを操作する。メッセージアプリに新しく加えられた名前を認めると、頬が緩んだ。画面を見ながらほくそ笑む女の画というのは大層不気味に映るだろうが、この時間に歩いている人などそういない。気にする必要はない。

 

「ひへっ、にへへ……」

 

 思う存分にやにやする。ここまで我慢したぶん、思いの限りにやにやする。

 

 推しの連絡先を手に入れてしまった。

 

 推し。直通である。本人から気軽に連絡していいよとまで言われた。

 

 もしこれが夢だとしても、あたしは悪態の一つもつくことはないだろう。次の瞬間ベッドで目を覚ますとしても、あたしは『ああ、いい夢だった……』と僅かな心の痛みとともに静かに泡沫と消えた幸せを噛み締めることができる。

 

 でも、夢じゃない。

 

 夢じゃないから大変だ。

 

 ふわふわと落ち着きのない心が、あたしを奇行に走らせようとする。この燃え上がるような情動のまま喜びを叫びとして発露しそうになる。

 

 でもにやけるだけならまだしも、さすがに大声を出したら不審者の(そし)りは免れない。なけなしの理性をかき集め、スマホを握りしめることで堪える。

 

 思い返せば、我ながら大胆なことをしてしまった。あたしにしてみれば、清水の舞台から飛び降りるような気分だったが、そんな決死の思いで挑戦してみた甲斐はあった。精神的な死を覚悟するだけの価値があった。

 

「はっ……家に帰ったらメッセ送っておかなきゃ」

 

 連絡先を交換した後の最大の難関は、一番最初にメッセージを送る時だ。ノミの心臓を左胸に装備しているあたしは機会を逃したらずるずると先送りにして、結局連絡できなくなって、最終的には悔しさに血の涙を流すことになるだろう。こういうのは連絡先を交換した初日に何かしら動いておかなければ、次のきっかけが生まれないのだ。

 

 話を切り出す何かが手元になければ、こちらからメッセージを送ることなんて基本できない。話題は作れず、手札は貧弱。コミュ障の常識だ。

 

 でも今日のうちなら、コミュ力も女子力もたったの五のゴミ女でもお兄さんにメッセージを送れる公明正大な理由がある。『送って頂いてありがとうございます。こっちは家につきました。お兄さんはもう帰れましたか?』などという、これといって中身のない、箸にも棒にもかからなければ毒にも薬にもならないような無味乾燥で無知蒙昧なメッセージでも、今であれば大きな顔をして送っていい大義があるのだ。

 

 ついでに言えば、お家まで送ってくれたお兄さんを気遣うようないい女ムーブもできる。いやまずこんな小狡いことを考えている時点で狭量が知れるし、それ以前にケーキと紅茶とおまけに晩御飯までいただいているのだ。お礼のメッセージを送るのは当然というか常識というか、最低限の礼節とも言える。しかしせめてそういうところでどうにか『常識は弁えている』くらいに印象を良くしておかないと、これまでに下がった友好度をいつまで経っても取り戻せない。

 

 さて、ならばまず可及的速やかに家に帰らなくては。

 

 車で帰っているといっても、さすがにお兄さんがお家に着くまでまだ時間があるだろう。それまでにメッセージの内容を練るのだ。

 

 なるべく端的で、それでいて気配りができているような印象を与えられ、ちょっと変わったところがあるけど根は礼儀正しい真面目な子という評価に持っていけるような、奇跡みたいな一文を。

 

 いや、そんなウィットに富んだ文章を作れるようならあたしはコミュ障なんか(わずら)ってないな。あまり高望みはしないでおこう。推敲(すいこう)しすぎて送れなくなる、なんていう間抜けを晒すあたしの図が容易に想像できる。

 

「くふふっ」

 

 ああしたほうがいいかな、こうしたほうがいいかな、などと煩悶(はんもん)する片想いのローティーンのような自分がいることに気づいて、思わず笑みが溢れた。

 

 当たり前のように代わり映えのしない安穏とした毎日を、ルーティーンのように淡々と繰り返していたあたしがこんなふうに頭を悩ますなんて、今朝には思いもしなかった。

 

 ざわざわとしてむず痒いのに、胸の奥はぽかぽかと温かい。幾度となく浮いては沈み、複雑に形を変えて色を移ろわせる流動的で多元的な感情を、あたしは今どうしようもなく持て余している。

 

 喉が裂けるほど叫びたいような。肩を抱いて体を丸めて小さくなりたいような。身も心も焦がすような。脳裏に思い浮かべるだけで浮き足立つような。まるで言葉にできない感情だ。これまでに経験のない衝動だ。気持ちを攻め立てるような焦燥感も、心を駆り立てるような高揚感も、なぜか今は心地いい。

 

 これまでも心を奪われた作品や、三次元の男に興味が向けられないほどに夢中になったキャラクターはいた。

 

 だけど。

 

 こんな気持ちは初めてだった。

 

「はぁ……。これが……」

 

 これが。

 

 この狂おしい感情が、きっと。

 

 

 

 

 

「神推しを見つけた時の気持ちなんだ……」

 

 

 

 

 

 無意味にわくわくする。明日は平日で、一番嫌いな体育があるのにそれでもテンションが上がりっぱなしになる。人生が光り輝いて見える。理由もなくこれからがんばろうと思えてくる。何をがんばるかはとくに決まっていない。とりあえず本日課された宿題を礼愛の手を借りずに自分でがんばるところからがんばっていこう。お兄さんにメッセージを送ってからね。

 

 マンションに向けて帰路の一歩を踏み出す。自分でも笑ってしまいそうになるくらいその足取りは軽かった。

 

 しかし、浮かんだ笑顔は、送り出した足は、即座に凍りつくことになる。

 

 マンションのエントランス、その物陰によく見知った顔があった。

 

「ゆ、ゆー姉……」

 

「あ゛……」

 

 三歳下の妹、寧音(ねね)が、こんな時間にもかかわらず、なぜかいた。

 

 こちらを見て、外っ面だけは憎たらしいほど愛らしいその顔を、今は驚き一色に染め上げている。

 

 何で周りに誰もいないようなこんな時間にこいつが出歩いているんだ、と思ったが、自分でお兄さんにも言っていたことだった。どうせまた友だちと遅くまで遊んでいたのだろう。なんとタイミングの悪いことだ。

 

 こんな時間にお兄さんに車で送られた現場を目撃されたとあっては、もしかしたら彼氏なのではと疑われてしまいかねない。

 

 いやそれはそれでまあうん、積極的に否定する意義を感じないというかなんというか。でもあたしとお兄さんはそんな高尚で昵懇(じっこん)な関係ではないので、ここはやはり良くしてくれている親しい男性でぇーみたいな、やんわりとぼかすくらいが丁度いい塩梅なのかもし──

 

「ゆー姉が、援交(エンコー)してる……っ」

 

「援交じゃねぇわ!」

 

 即座に否定した。全力で否定した。

 

 そんな外聞が悪いにもほどがある疑いをかけられることをよしとできるほど、あたしは自分への評価に無頓着(むとんちゃく)なわけではない。人見知りのコミュ障だからといって、他人からの目を気にしていないというわけではないのだ。なんなら人見知りのコミュ障だからこそ、他人からの目には人一倍気を使っている。

 

「妄想力しか取り柄がないクソオタクでコミュ力も女子力もゼロの夢女子こじらせてるイタいゆー姉に彼氏なんてできるわけない……」

 

「言いたい放題かおい」

 

 コミュ力と女子力はいくらなんでも五くらいはあると思っていたが、どうやら誇張されていたらしい。自分では謙遜していたつもりだったのに。

 

「つ、つまり……ゆー姉は遊ぶ金欲しさにエンコーを……。こ、これは家族会議案件っ!」

 

「やめろぉ?!」

 

 すぐにでもお兄さんにメッセージを送りたかったが、これはあたし(と巻き込まれたお兄さん)の沽券にかかわる。まずは妹を説き伏せるところから始めなければならなくなった。




次でお兄ちゃん視点に戻ります。


*以下スパチャ読み!
タネ丸さん、赤色のスーパーチャット(評価)ありがとうございます!
これからも頑張ります!
よかったらチャンネル登録(隠喩)や高評価(直喩)お願いします!(言ってみたかったやつ)


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「よろしくお願いします」

 

 面接日、当日。

 

 下ろし立ての小洒落たスーツに身を包んだ僕は、都内某所でオフィスビルを見上げていた。

 

 この十階建てのオフィスビルの七階と八階を『New Tale』は間借りしているようだ。デザインとしては多少茶目っ気があって小綺麗になっているくらいで、外観はそこらにあるビルとおよそ大差はない。VTuber事務所という仕事の内容を考えれば、見栄えのいい建物を一棟まるごと借り受ける、みたいなことをする必要はないということなのだろう。

 

「……ふう」

 

 ため息を一つ吐いた。

 

 このため息が緊張感などが理由であれば、まだしも救いがあっただろう。頑張ろうとか上手くやらなければといった前向きな気持ちがあるからこその緊張なのだから。

 

 少なくとも、諦観や後ろめたさから出すべきものではない。

 

 見上げていた視線を下げて、左手首に持っていく。昔に就職祝いで礼ちゃんから贈られたシックなデザインの腕時計は、十五時三十分を少し回ったあたりを刻んでいた。

 

 面接予定時間は十五時だ。冷静に考えても、もちろん興奮して考えても遅刻だ。完全に予定時間をぶっちぎっている。

 

 予定時間ジャストに到着していてもそれはほとんど遅刻のようなものだ。基本的には十分前に、あまり早くても先方に迷惑がかかる場合があるのでケースバイケースだとしても、五分前には到着してしかるべきだろう。前の会社では、十分前だろうと三十分前だろうと、なんなら一時間前だとしても新人は一番最初に来ていなければ問答無用で遅刻扱いでお説教を受けたりしたけれど、きっと普通の会社ではそこまで言われはしないはずだ。

 

 三十分以上遅刻している僕が今更何を言ったところで説得力も教訓もない。

 

「……礼ちゃんに言ったら、怒られちゃいそうだなあ……」

 

 本当に、実に僕らしい。優先順位を履き違えるあたり、実に馬鹿らしい。

 

 無論、先方には遅れてしまう旨を伝えてはいたが、結果は火を見るより明らかだ。面接試験に遅れるなど言語道断。合否はもう決まりきっている。

 

 今更行ったところで、先方に応対をさせてしまう分、迷惑になるのも理解している。手遅れ感は否めない。今からでも辞退を申し出るのが一番無駄な仕事を増やさない方法なのではないかとすら思っている。

 

 でも、わざわざ忙しい中時間を作って頂いたのに直接出向かずに済ませようとするのも、申し訳がない。とどのつまり、自分に罪悪感が残るからちゃんと面と向かって謝りたいという、ただの自己満足だ。

 

 ビルに入ってエレベーターに乗り込み、七階のボタンを押す。

 

 ゆっくりと閉まっていく扉を、うまく働かない頭でぼんやりと視界に入れながら、脱いでいたジャケットに腕を通す。

 

 話のネタになるかもしれないからと礼ちゃんから『New Tale』に所属しているオススメのVTuberさんを教えてもらったけれど、それも無駄になってしまった。

 

 まあ、礼ちゃんの先輩や、同期や、後輩の方々がどれだけすごくても、ゲームの腕が良くても、実況が秀逸でも、声に魅力があっても、トークがキレていても、僕は礼ちゃん単推しなのでそういう意味では最初から無駄ではあった。

 

 ただ、礼ちゃんの先輩にあたる一期生のお一方(ひとかた)は、目を引く人物だった。定期的に視聴させてもらおうと思ったのは今のところその先輩だけだ。推してるのは礼ちゃんだけだけど。

 

 ジャケットのボタンを留めようとしていると、閉まりつつある扉の隙間から、エレベーターのほうへと早歩き気味に向かってくるパンツスーツ姿の女性が見えた。ジャケットのボタンを留めていた手を、閉まり切る寸前の扉へと移す。エレベーターの開ボタンを押しては間に合わないと思ったのだ。

 

 エレベーターは、がこん、と抗議の声じみた小さな音を立てて再び開き、駆け込んできた女性を迎え入れた。

 

「すいません! ありがとうございますっ!」

 

 小走りといえど走ってきたからか、少し乱れた髪と衣服を整えて、しっかりと僕の顔を見ながら感謝を口にした。

 

 スーツ姿だというのに『高校生かな?』と思わせるほど幼い顔立ちが印象の女性だった。失礼を承知で言わせてもらうと、学生服のほうがよっぽど似合っているだろう。

 

 見上げるように傾けるダークブラウン色をしたショートボブの頭は、僕の胸元にぎりぎり届くかといった具合でかなり小柄だ。くりくりと大きな団栗眼(どんぐりまなこ)は小動物のような愛嬌がある。

 

 そういった外見も幼い雰囲気を助長しているのかもしれないが、何よりも特徴的だったのはその声だった。たった一言だけでいい声だというのがわかる。見た目を裏切らない透明感のある、鈴を転がすような愛らしい声だった。それが仕草と相まって、幼い印象を抱かせる。

 

 一度耳にすればしばらくは忘れられそうにない。そうそうない素敵な声に、自分の置かれた状況も忘れて穏やかな気持ちになりながら声をかける。

 

「いえ、お気になさらず。何階ですか?」

 

「っ! ありがとうございます。七階でお願いします」

 

 どうやらこの女性は僕と向かう先が同じようだ。はは、奇遇ですね。

 

「……はい」

 

 僕は既に点灯している七階のボタンをもう一度押した。

 

 十中八九『New Tale』に関わりのある人だ。

 

 彼女の行き先を聞く前から点灯していた七階のボタン。それを見て、パンツスーツの女性は特に何も言うことはなかった。強いて前後で変化を挙げるなら、彼女のにこにこ笑顔が純度を増したような気がするくらいだ。眩しい、直視できないよその笑顔。

 

 人力なのかなと危惧するほどゆっくり上っていくエレベーターの中、もちろんBGMなんて流れはしていないので音がよく響く。年季の入ったエレベーターの駆動音と、奇抜な呼吸法で乱れた息を整えようとしている彼女の吐息が、やけに鮮明に聞こえた。

 

 ずいぶんと急いでいたのか、女性はシャツのボタンを外し、ハンカチで浮いていた汗を拭っている。僕の視点からでは身長差から胸元が危ういことになっているが、女性は気付く様子もない。

 

 どんな些細なことがセクハラになるかわからない、慣用句ですらセクハラになりかねないこの世知辛い現代。男の僕では、見ず知らずの女性に注意することなどできはしない。僕にできることは、せめて恥をかかせないように階数を表示するインジケーターに視線を固定しておくことくらいだった。

 

 そういえばこの人、エレベーターまで走ってきていたからね。夜は冷えるから厚着はするけど、今の時期、日が出てる昼過ぎに急いで走ってたら、汗もかくよね仕方ない。

 

 階数を訊ねる以上のことを僕から口にできるはずもなく、七階に到着した。してしまった。

 

 扉が開かれる。『開』のボタンを押して、どうぞ、と先に彼女が降りるよう誘導したのは、後ろ暗い気持ちもあったからかもしれない。

 

 ここにきて、お詫びの菓子折りの一つも用意していないことに気付いてしまった。僕の中ではもう面接どころではなく、謝罪のために来ているというのに。まあ詫びの品なんて買う暇はまるでなかったし、そんなもの買う暇があるのならその時間走って早く行けよって感じなので、思い出したところでどうしようもない。

 

 何度目かの感謝の言葉とともに、彼女はエレベーターから跳ねるように七階のフロアに足をつける。柔らかそうなショートボブの髪がふわりと広がり、一拍遅れて彼女に追従する。これが白のロングワンピースだと抜群に可憐だっただろうという感想を抱いたほどに、スーツ姿が似合わない。

 

 明朗な声で、清廉な笑顔で、彼女は振り向いた。これが白のフレアワンピースなら抜群に(以下略)絶望的にスーツが似合わない。

 

「大丈夫ですよ! 一緒に行きましょう!」

 

「……え? あ、はい……」

 

 パンツスーツの女性に導かれるままにエレベーターを降り、フロアを進んで扉まで来た。

 

 女性は提げていたバッグからカードを取り出し、扉の取っ手に近づけた。ぴっ、と電子音が鳴り、続いて、かちゃりと金属音が静かなフロアに反響した。今日日珍しくもなくなったカードキータイプの電子錠だ。

 

 疑いもしていなかったが、やはり目の前の女性は社員さんだった。

 

 申し訳なさも行くところまで行くと、胃が痛くなったりもしないらしい。女性が開けてくれた扉を、会釈するように軽く頭を下げながら入る。

 

「おはようございます!」

 

 よく通る声を大きく張るように、女性は出社を宣言した。きっとこの階にいる全員へと彼女が出勤したことが伝わったことだろう。すぐ隣に立っている僕なんてそれはもう、鼓膜から脳の髄までびりびりと痺れるほどよく伝わっている。

 

 がちゃり、と音を立てて、近くの扉が開かれる。

 

 あの大音声(だいおんじょう)だ、偶然などということはもちろんないだろう。まず間違いなくお出迎えだ。

 

 一番近くの扉から姿を現したのは、きっちりかっちりとスーツを着こなす女性だった。腰にまで届きそうな黒の柳髪をなびかせ、品の良さを感じる足運びで歩み寄る。

 

 僕の目の前で立ち止まると、すっ、と腕が鞭のようにしなやかに伸び、細く長い指が顔面を捉えた。

 

 僕の顔面に、ではない。僕の隣にいる、名も知らぬ魅力的な声をしている女性にだ。

 

 呻くような悲鳴をあげる女性を横目に、とりあえずどうすることもできない僕は頭を下げる。

 

「本日十五時に面接の案内をいただいた、恩徳仁義です。この度は遅れてしまい、誠に申し訳ございません」

 

「遅れそうだということは前もってご連絡いただきました。そちらについてはこちらも了承しておりますのでお気になさらず。ただ次回からはこういうことはないよう、お願いします」

 

「ご配慮とお気遣い、ありがとうございます」

 

 顔面を掴まれている女性のすぐ隣で、内心慌てふためきながら定型文を述べる。こんな異常な場でよく正常に舌が回ったものだと自分で自分を称賛したくなる。

 

 僕はてっきりこの場で、踵を返してとっとと帰れ、と言われるかと思っていたけれど、一応面接自体はしてくれるようだ。

 

 助かった。これで、面接は行ったけど残念ながら落ちちゃった、ってことにできる。礼ちゃんに顔向けできなくなるところだった。

 

「わたしにアイアンクローしながら社会人の見本みたいな会話をしないでよぉ!」

 

「いつも静かに入ってきなさいと言っているでしょう」

 

「喋る時ははきはきと! って教えてもらったのに!」

 

「はきはきと喋ることと腹から全力で発声することは違うわ。もしかしたら面接の時間に間に合わないのではないかと、私は内心ひやひやしていたのよ。それがまさか応募者と一緒に出勤するなんてね。誇りなさい、あなたは私の想像を超えたわ」

 

「わかっ、わかったからっ! 誇るからこの手を離してっ! お客さんの前だからっ……」

 

「まず謝りなさい」

 

「言ってることがちがうっ?!」

 

 アイアンクローから挨拶が始まった時には、この会社は物理的なハラスメントが常態化している魔境かと思ったが、やり取りを見るにどうやらこの二人の仲が親密だからこその限定的なコミュニケーションのようだ。ユーモアとアットホームさを推しているのかもしれない。

 

 足を踏み入れて数十秒、こんなところに所属していて礼ちゃんは大丈夫だろうかと心配になったけれど、これならお兄ちゃんも安心です。

 

 表情は変わりなく、それでもどこか渋々といった様子で黒髪の女性は手を離した。

 

 シルバーフレームのシンプルながら洗練されたデザインの眼鏡越しに、ようやく黒髪の女性と視線が合った。アイアンクローに使われていた手を引き戻して眼鏡のブリッジに指をそえてかけ直したのち、頭を下げた。

 

「申し遅れました。私は『New Tale』で事務と一部タレントのマネージャーをしております、安生地(あおじ)美影(みかげ)です」

 

「ご丁寧にありがとうございます。私は……と、失礼。もう名乗っていましたね」

 

 釣られて二度目の自己紹介をするところだった。人との関わりが希薄すぎて、他人と会話するだけで緊張してしまう。

 

 僕のしたポカに、くす、と安生地さんはほのかに頬を緩めた。

 

「ええ、もうお伺いしましたね」

 

 無表情がニュートラルな方なのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。ほんのかすかに浮かべた笑みは、第一印象で抱いていた冷淡な女性というイメージを塗り替えるのに充分だった。

 

 緩んだ空気を切り替えるように安生地さんはこほん、と一つ咳払いを挟む。

 

「……失礼。それでは応接室へ案内します。こちらへ……」

 

「ちょっとっ! わたしまだ自己紹介してないよ!」

 

「あら……まだいたの?」

 

「いるよ!? 動いてないよ! あーちゃんさっきからテンション上がってるのかなんなのか知らないけどちょっとひどむぐっ!」

 

 あんまりな扱いに文句を言おうとしていた女性は、安生地さんの手によって物理的に沈黙させられた。安生地さんの白皙(はくせき)の手が女性の顔の下半分を抑えたのだ。

 

「そう、自己紹介だったわね。あなたは応接室でやればいいと思ったのよ。さ、どうぞ」

 

「むぐ、むぐぐっ」

 

「安生地さん、そのままだと喋れないのでは……」

 

「ごめんなさい」

 

 僕がそう声をかけると、安生地さんは口を(つぐ)んで手を引っ込めた。見た目から怜悧(れいり)で冷静で有能な女性かと勝手に想像を膨らませていたが、もしかするともしかするのではこの人。いや、これで判断するのは早計だ。

 

「ぷはぁっ! へぁっ、ふぇっ」

 

 未だに名も知らぬ彼女は、どうやら口と同時に鼻も塞がれていたらしく深く息を継いでいた。やはりずいぶん独特な呼吸法である。

 

 一歩下がった安生地さんはそんな彼女に手を向けた。

 

「彼女は雨宿(あめやど)(しずく)。主に庶務雑用と諸般の事由により採用担当もしています」

 

「全部言われた!? ひどいよあーちゃん!」

 

「採用担当の方でしたか。えと、文面で感じた印象とは……けっこう」

 

「雨宿が文章を書いてしまうと友人へのメールのようになってしまうので文面は私が推敲しました」

 

「それは……えー、その」

 

「お気になさらず、素直に仰って頂いて結構です」

 

「腑に落ちました」

 

「だそうよ、雫」

 

「自分のいいとこを見せたいのかなんなのか知らないけどっ、今のところ嫌な女の見本市みたいになってるからね?! そういうの男の人も気づくらしいからね?!」

 

「声が大きいわ。すこし落ち着きなさい。ほら深呼吸でもして」

 

「今落ち着くべきはあーちゃんだよ! どうしたの?! 空回り方が尋常じゃないよ?! 想像の五倍はひどいよ?!」

 

「空回ってなんてないわ」

 

 ようやく名前が判明したいい声をした女性、雨宿さんを手のひらで押しのけるようにして距離を取りながら、安生地さんは僕に顔を向けた。

 

「空回っていません」

 

「そ……そうですね」

 

 なぜかもう一度、わざわざ僕の顔を見ながら繰り返して否定した。

 

 安生地さんが普段どのように振る舞っているかは知らないが、よく知らない僕の目から見ても今のあなたは空回っていると思います。でもさすがに本人からの強烈な圧を眼前で受けながら指摘することはできなかった。

 

 しかし、すごい人だ。こんな状態になっても顔色ひとつ変わらないなんて。とてつもないポーカーフェイス。カードゲームを主とした対人ゲームにとても強そう。あれだけ雨宿さんに言われていたのに動揺している気配がまるでない。

 

 (おのの)いている僕から同意の言葉を引き出すや、安生地さんは満足げにかつかつと高いヒールのパンプスを鳴らしながら歩き、とある部屋の扉を開けた。

 

「こちらが応接室になります。準備しますので、こちらで少々お待ちください」

 

「はい、失礼します」

 

 面接室。安生地さん曰く応接室に足を踏み入れる。

 

 入ってみて思ったけれど、たしかに面接するような雰囲気はない。

 

 僕の中の面接のイメージだと、装飾の乏しい質素な部屋にロングテーブルと安っぽいパイプ椅子があるような、そんな部屋だった。

 

 ここは毛色が違う。

 

 中央付近に重厚感のある木目調のローテーブルがあり、それを挟むような形で革張りの二人掛けのソファが二脚あった。

 

 他にも壁には所属Vtuberのポスターが貼られていたり、ラックにはグッズがあったりと、なかなかに個性のあるコーディネートをしている。

 

 そのグッズの中に礼ちゃんの仮初の姿、レイラ・エンヴィのグッズもあった。なにこれ欲しいんですけど。買取とかさせてくれませんか。

 

 安生地さんは、こちらで少々お待ちください、とふたたび僕に声をかけると、艶やかな黒髪を揺らめかせながら部屋を出る。すぐに出ることになるからと、部屋には入らずに扉の近くで待っていた雨宿さんはひらひらと手を振って『すぐ戻りますからね』と言いながら扉を閉めた。

 

 これから面接をするような緊張感は終始微塵もなかったけれど、これでいいのだろうか。

 

 とりあえず、ずっと突っ立って待っていられても彼女たちも困惑するだろうから、下座側のソファに腰掛けながら待つこととする。

 

「…………」

 

 遅刻してしまった時は完全に詰んだと思われたが、お二方を見る限りはそこまで悪印象ではなかったようだ。応対は棘のある物ではなかったし、言葉使いも(安生地さんがそういう性格なだけかもしれないが)丁寧で、僕の体感では好意的な部類だったように思う。

 

 これは本当に、礼ちゃんと一緒にVtuberをやる未来もあるのかもしれない。絶対に無理だと断定してしまっていたが、もしかしたら可能性はあるのかもしれない。

 

 兼業という形で、Vtuberをしながら普通のお仕事をする人だっているようだし、そういった生活を一考してみるのもいいかもしれない。なにより今現在僕はニートだし。周囲にうまく紛れ込むことができない社会不適合者にしてニートだし。

 

 などと、僕にしては珍しくどこか楽観的に考えてしまっていた。

 

 二人が戻ってくるまでの間、Vtuberになれたら礼ちゃんとどんなことをしようかな、などと妄想していた。広大なフィールドを使用して家屋やオブジェクトなどを制作するような建築系の大変人気のあるタイトルを一緒にやるのも楽しそうだし、礼ちゃんなら好きなFPSのゲームをやりたいだなんて言いそうだし、二人で歌を歌ったりすることもできるかもしれない。面白くなるのかは疑問だが単純に雑談などもやってみたいな、などと。

 

 採用担当の雨宿さんと、その同僚で外見だけはクールなキャリアウーマンを地で行く安生地さんが気さくに接してくれていたことで、基本的にペシミスティックなリアリストである僕でも勘違いしていたのだ。

 

 そのような生温い上に甘ったるい浅慮で軽薄な目論見を木っ端微塵に打ち砕いてくれたのは、僕が座り心地の素晴らしいソファに腰掛けてから十分ほどが経過した頃だった。

 

「お待たせしました」

 

「恩徳さんすいません! お待たせしました!」

 

 ノックの後、扉が開かれた。

 

 僕は立ち上がり、扉へと体を向ける。

 

 先陣を切った安生地さんの手にはクリアファイルとタブレット端末、続く雨宿さんはお盆を両手で持っていた。盆の上には液体が注がれた湯飲みがある。お茶でも持ってきてくれたのだろう。

 

 と、冷静に状況を把握できていたのはそこまでだった。

 

「いえ、待ってま……せん」

 

 二人の後ろに、まだ人がいた。しかも一人二人ではない。数人いらっしゃる。

 

 失礼します、とそれぞれ一言添えながら入室する。応接室を横切るついでに応募者の顔を見に来ただけなのだろう、という僕の淡い期待は裏切られた。

 

 隠せているかわからない動揺を自分なりに必死に隠しながら、その方々に一礼して、視線を正面に移動させる。

 

 ローテーブルには湯飲みが三つ置かれていた。

 

「好きに飲んじゃってくださいね」

 

「お気遣いありがとうございます。頂きます」

 

 迷走し始めた頭のままで、笑みのような何かを顔面に貼り付けながら空虚な言葉を吐いた。

 

 僕の正面の席には採用担当であるらしい雨宿さんが、その隣には安生地さんが着座した。

 

 それを見てから、僕も再び座り直す。

 

 急激に渇いてきた喉を潤すため、さっそくお茶を口に含んだ。水でももう少し味がありそうなくらいに味がわからない。

 

 二人の後ろから続々と入ってきた『New Tale』の関係者であろう方々は、二人が腰を落としたソファの後ろの壁際にぞろぞろと立ち並んだ。小声で隣の人と言葉を交わしている。

 

 もちろん視線は面接の対象である僕に向かっている。

 

 そうか。なるほど。これは初めてだ。

 

 これから始まるのが世に聞く、そして悪名高い『圧迫面接』というやつなのか。

 

 先程までの浮かれた気分が嘘のように沈む。

 

 もしかしたら『New Tale』では通例として、面接の時には手隙の社員が同席するのかも、などとどうにかいい方向へと考え方を変えようとしたけれどそれも難しいようだ。

 

 雨宿さんと安生地さんの後ろに並ぶ方々には椅子も用意されていないし、面接時に目を通すような資料もない。つまりこれは、面接担当の雨宿さんと補佐の安生地さん以外の方々が同席することは、当初の予定にはなかったということに他ならない。

 

 ならばなぜ当初の予定と異なり、面接官を担っていない後ろの方々が部屋にいるのか。考えたくなかったことだが、思いつく答えはひとつしかない。

 

 面接の時間に遅刻するような社会を舐めた大馬鹿者を、大人数で威圧してボロを出させようとしているのだ。

 

 そりゃそうだ。いくら事前に連絡したところで遅刻してることには違いないんだ。なのに手土産の一つもなく、気持ちのこもっていない謝罪でやり過ごそうとして、社会の艱難辛苦を味わってなさそうなへらへらした態度で重役出勤してくれば誰だって癪に障るというもの。とくに安生地さんは、雨宿さんとの会話から推察するに予定時間前から僕の面接の為に待機してくださっていた様子だし、思うところの一つや二つや三つや四つはあるだろう。

 

 完成度の高いポーカーフェイスだなと思ってはいたけれど、まさか顔色を窺うことに関して他の追随を許さないと自負していた僕の目をも欺くとは驚嘆する。あの無表情のマスクの下で、唇を噛み締めながら懸命に怒鳴りつけたい気持ちを抑え込んでいたというのか。まるで読み取れなかった。

 

 ちょっと優しく接されただけで、もしかして好印象なのでは、などと血迷って短絡的で楽観的な妄想をしていた自分が恥ずかしい。遅刻した時点で評価などマイナスからのスタートだ。気を使った言葉をかけてくれたのは大人としての礼を失さないためのものであり、いわば社会人の慣用句でしかなかったのだ。社交辞令を間に受ける愚か者がここにいた。

 

 であるならばこれは圧迫面接などではなく、洗礼のようなものなのだ。学生であればともかく、社会人には遅刻など許されない。身を以て、痛みを伴って少々圧をかけながら教えてくれようとしている。

 

 こんな目に遭うんだから遅刻なんかすんなよ、といういわば社会人のマナー教育の場だ。

 

 この後行われることになるのであろう面接を想像すると血の気が引くし身の毛もよだつが、誠心誠意真摯に受けよう。

 

 多少は溜飲を下げてもらえると嬉しいな。

 

 廊下での和やかだった一幕がまるで夢か幻だったかのように張り詰めた室内。その渦中にいる僕は深く息を吸って、吐く。

 

 安生地さんも言っていた。落ち着く時には深呼吸だ。

 

 後ろの方々を出来る限り意識しないようにして、正面で座るにこにこ顔の雨宿さんに目線を合わせる。

 

 なぜこの人はこんなにほわほわしているのだろう。でも、癒しのオーラを振りまいている雨宿さんのおかげで少し落ち着いた。

 

 だいぶベーシックな面接のプロセスからは道を外れているが、そろそろ始めてもらおう。

 

 僕は深く、頭を下げた。

 

「よろしくお願いします」




次から別視点です。


雨宿雫イメージ


【挿絵表示】



安生地美影イメージ


【挿絵表示】


毎度のことながらPicrewはトロロ様のななめーかーを使わせてもらいました。




新しく評価もらったよ!やっぱり読んでくれる人がいるって最高だよ!モチベ上がるよ!

夜桜家の壁さん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
碑文史語録さん、赤色のスーパーなチャットありがとうございます!
路徳さん、スーパーチャットありがとうございます!

お気に入りも100件超えてて思わず「をぅ……」って声出たよ!読んでくれてる人が多くなってきてて嬉しい反面、ちゃんと楽しんでもらえる作品になってるのか若干のプレッシャーを感じつつあるよ!ありがとうございます!頑張ります!


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いつもの挨拶だけど、いつもより声が弾んだ。

 

「あー……遅くなっちゃった……」

 

 バッグの中に『雨宿(あめやど)(しずく)』と記入された社員証がちゃんと入っているのを恨めしげに確認する。

 

 午前中私用があって、今日はお昼から出社の予定だったのだけど、途中で社員証を忘れたことに気づいたのだ。これがなければ事務所に入れないので取りに帰っていたら遅くなってしまった。

 

 そのタイムロスもあり、十五時から面接の予定が入っているというのに『New Tale』事務所の最寄駅についたのは面接予定時刻から一時間前の十四時だった。

 

 昨日の退勤間際、同僚にして親友の安生地美影(あーちゃん)からの『当日になって慌てないように面接の準備は済ませておいたほうがいいわよ』との忠告を素直に聞いておいてよかった。ここまで遅れるのは想定外だった。

 

 駅の改札を出て、エントランスに足を向ける。本来の予定なら、ここにある小洒落た喫茶店でお昼にしようと思っていたのだけれど、そんな余裕はなさそうだ。

 

 未練がましく喫茶店をしばし眺めて、出口へと歩みを進める。事務所に戻れば、デスクの引き出しにいつ買ったか覚えていない栄養機能食品がいくつか入っているはずだ。それをめそめそ食べよう。

 

 空腹を訴えるお腹をさすりながら出口へ向かっていると、目を引く人物がいた。決して背の高いほうではないわたしよりもさらに背丈の低い、小学生くらいの子だ。

 

 ただの小学生ならべつに悪目立ちするものではない。電車通学をしている小学生くらいいるだろう。下校時間にしては中途半端だけど、なにか行事なり短縮授業なりあったとするなら、ありえないような時間でもない。

 

 ならばなぜ目を引いたかといえば、かなり奇抜な外見をしていることもさることながら、その子は私服姿で、とても学校帰りとは思えなかったからだ。この近くに私服登校可の小学校があった覚えはない。忌引きなど家庭の事情で今日は登校していないだけなのかもしれないが、それにしたって小学生なら制服を着るだろうし、近くにご両親の姿も見えない。

 

 平日の昼過ぎに、私服姿で、一人だけ。

 

 駅にいるのなら迷子ではないのだろう。なら残るのは、あの子には複雑な事情があるのではないか、という嫌な想像。

 

 周りの大人たちも、妙な時間に私服の小学生がいることに怪訝な視線を向けつつも、声をかける素振りもなく通り過ぎていく。なんならその子に近づかないように大回りして歩いていく人もいるくらいだ。

 

 そうやって見て見ぬ振りをする人たちを、冷たいだなんて言うつもりはない。

 

 誰だって他人の面倒を見る余裕なんてない。自分の面倒を見るだけで精一杯だ。変に関わって責任を負いたくない。厄介事に巻き込まれたくないと思うのは自然なことだ。

 

 だからわたしは、不自然で構わない。

 

 出口へと向けていた体をあの子へと向ける。

 

 あの子は単純に親と(はぐ)れただけかもしれない。あるいは迷子なのかもしれない。私服登校可の小学校からの帰宅途中で、間違えてこの駅で降りただけかもしれない。あの子の人生は光で満ち溢れていて、仄暗い背景などないのかもしれない。

 

 そうであればそうで一向に構わない。何も問題がないならそれが一番いい。

 

 でも。

 

 でも、もしかしたら本当に、一人ではどうしようもないような厄介な悩みをその小さな背中に負っているのかもしれない。

 

 そんな可能性がもしあるのなら、声をかけなきゃいけない。困ってるなら力になってあげたい。わたし一人でできることなんてたかが知れてるけれど、それでも話し相手くらいは務められるはず。一人きりで悩んでいるよりはずっといいはずだ。

 

 よし、と意気込んでバッグを掛け直し、小学生のほうへとつま先を向け、一歩踏み出す。

 

 そしてわたしは一歩目で止まった。

 

 広いエントランス。多い通行人。なのにぽっかりと不気味に空いた空間に、ぽつんと一人でいる小学生。

 

 事ここに至って意思が揺らいだわけでも、注目を集めることに怖気付いたわけでもない。

 

 わたしが立ち止まってしまったのは、そんな奇妙な隔絶された空間に立ち入る人がわたし以外にもいて、驚いたからだ。

 

「こんな時間に一人だなんて、どうかしたのかな?」

 

 仕立ての良いスーツを着た背の高い男性が、莞爾(かんじ)とした笑顔と穏やかな物腰で、優しげにあの子へ話しかけていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 スーツ姿の男性とお話ししている子を、これまでずっと『あの子』とか『小学生』などと表現していたのは、距離のある場所からではその子が男の子なのか女の子なのか、はっきりわからなかったからだ。

 

 スカートでも穿いてくれていればすぐに女の子だと判断できただろうけれど、その子の服装はダークグレーのオーバーサイズのフード付きパーカーとデニムのショートパンツという、男女どちらでもおかしくない装いだった。足元は黒を基調に金色を差したハイカットのスニーカーだったので、これは少し男の子寄りかな、とも思ったけど、かわいらしい小さなぬいぐるみのストラップをショルダーバッグにつけていて、やはりわからなくなった。

 

 近づいて顔を見ればさすがにわかるだろうと目算を立てていたけど、じっくり見ても判然としないくらい中性的で、かつ綺麗な面立ちをしていた。

 

 相貌と相まって目立つのがその頭だ。脱色を重ねたのか、白に近い銀色のような髪色。いわゆるウルフカットと呼ばれる、トップは短めで襟足は長くなっているヘアスタイル。これは流行りでもあるので女の子ならなんらおかしくもないけれど、小学生くらいの男の子でも親の好みでそういった髪型をしている子はいるのでどちらともいえない。髪の上部から下部にかけて段階的に軽くしているのが特徴で、あの子は内側は首筋に沿うように、外側はエアリーに跳ねていた。

 

 似合う人がやれば、可愛さと格好良さを同時に併せ持つという、ずるい髪型だ。わたしもやってみようとして、あまりの似合わなさに断念したという過去があるが、あの子は途方もなく似合う。

 

 服装、顔立ち。そして近づいてわかったあの子の表情。

 

 ()めつけるような鋭い目つきと目元のひどい(くま)。寄せられた眉。不機嫌そうにへの字に曲がった薄い唇。歳の頃は夢や希望に溢れる歳頃だろうに、まるで世を儚むような、そんな気怠げな空気感。さまざまな要素が混じり合って、アンニュイというかペシミスティックというか、退廃的でコケティッシュな雰囲気を醸し出している。近寄り難い、でも目を離せない。そんな強烈な個性と魅力があった。

 

 そこまでじっくり観察していたのは、もとい観察できていたのは、わたしが二人の間に割って入れていないからだ。

 

 今現在、わたしはただの傍観者である。

 

 体の小さなあの子と、男性の平均よりもずっと背の高そうなスーツの男性。身長差はとてつもないだろうけど、スーツの男性が片膝をついて目線を合わせていた。

 

 そんな状態で、しばらくの時間会話している。

 

 当初は早く切り上げて帰りたそうに斜に構えていたあの子も、お喋りを続けるうちに表情から多少険が取れていっているように感じた。言葉を投げかけ続ける男性に対して、徐々に返す言葉数が多くなっている。

 

 まるで拗ねた子どもをあやしているようにも見えるかもしれないが、そういったものでもないようだった。なにせ、男性のほうがとても楽しげに話していたのだから。

 

 子どもを宥めすかして事情を聞き出そうとしているわけではなく、その様子はまさしく傾蓋知己(けいがいのちき)と呼ぶに相応しいような、まるで最近顔を合わせていなかった古い友人との友誼(ゆうぎ)を確かめ合っているような、そんな不思議なものだった。

 

 いい時間話していた二人は、場所を移動するよう算段をつけたようだ。通行人の邪魔にならないよう、エントランスの中央に並ぶ円柱状の支柱の影で男性がスマートフォンで電話をし始めた。

 

  警察や児童相談所(どこか公的な機関)にでも電話をしたのかな、などと考えていたわたしだったけど、ふと思い出した。

 

 わたしに人のことばかり気にしている時間的な余裕はない。今日、面接の予定があるのだった。資料はすでにまとめてデスクに置いているし、内情を詳しくわかっているあーちゃんがいるとはいえど、担当者が席を外しているのもどうなのだろう。いつも頼りになるあーちゃんは、今日に限っては頼りになるかどうかわからないことだし、形ばかりとはいえど面接にはわたしも同席すべきだ。

 

 それはわかっているが、しかし、ここであの二人を放って事務所に行くのも心苦しい。

 

 観察していて、あの男性が悪い人ではないとはある程度理解しているけれど、もし何かよからぬことを考えている人であればあの子が危険になる。

 

 あの男性が純粋に良い人でも、小学生に声をかける不審者として通行人から通報されてしまった場合、被疑者と被害者の二人だけでは疑いを晴らせない可能性がある。どういった経緯を辿ってあの子に声をかけたか客観的に説明できる第三者がいないと、善意から声をかけたのに任意同行などを求められたりするかもしれない。それは男性があまりにも不憫だ。

 

 面接予定の応募者さんと、役割を押し付けてしまうあーちゃんには申し訳ないけれど、わたしは二人を放っておけない。遅れてしまうかもしれないということを伝えておかないと。

 

 事務所へと電話をかける。どうやって説明すればこの理解に苦しむ状況をあーちゃんに説明できるだろうかと考えていたが、繋がらない。電波障害でもあるのか、それともスマホの調子が悪いのか。少なくともバッテリーは残っているのに、なぜ繋がらないのだろう。

 

 よく分からないけど、調子が悪かったら再起動してみなさいと教えてもらったことがあるので、もたもたと手間取りつつスマホを操作する。

 

 電源を落としている間に向こうは通話を終えていた。

 

 視界が及ぶところまでぎりぎり離れつつこっそりついていく。見失ったら大変なので、再起動したスマホであーちゃんに、事務所に着くのが遅れるかもしれないですごめんなさい、の旨のメッセージを送り、バッグに放った。

 

 あの子は駅近辺の地理に明るいようで、迷いのない足取りで先導し、公園へとやってきた。

 

「……公園?」

 

 駅の近くに軒を連ねる居酒屋さんなどの飲食店エリアとマンションなどの住宅地エリアの境目あたりで、まるで切り抜かれたようにぽっかりと空いたスペースがあった。遊具は乗れないようになっているブランコと、薄汚れた小さい滑り台があるくらい。公園としての最低限の体裁を取れているのかすら怪しい公園だった。敷地だけはそこそこあるのが、かえって寂れた雰囲気を助長させている。

 

 会社から駅までの道はよく通っているのに、近くにこんな場所があるなんて知らなかった。

 

 公園内には街灯が一本、中央付近に据えられているだけで、それもよく見てみればカバーがひび割れている。夜にしっかりと照らしてくれるかどうかもわからない。不安しかない。暗くなってからでは一人では来れない。

 

 わたし基準ではここは公園の要件を満たしていない。公園一歩手前といったところだ。この公園の名前を知らないので、亜公園と名付けよう。

 

 のん気に、そして勝手に公園に命名していたが、よく考えたらまずいことになった。二人が亜公園内に入ったら、さすがに立ち聞くことができなくなる。駅と違って人もほとんどいない中、声が聞こえるくらい近いところでぼんやり突っ立っているのは不審すぎる。そんな人は怪しい人かおかしい人のどちらかだ。

 

 どうしようどうしようとわたわたしていると、二人は亜公園の近くにある自販機に立ち寄っていた。亜公園の入り口あたりに綺麗なベンチがあるので、そこで話を続けるようだ。亜公園内のどの遊具よりも立派で清潔なベンチである。その近くなら身を潜められそうな場所があるので観察も継続できそうだ。

 

 もうこの亜公園は遊具を撤去してベンチだけ置いていればいいんじゃないかな。あとは街灯だけなんとかしてくれれば敷地内には緑も多いし、お昼休みとかにはご飯を食べに人も寄りそう。

 

 自販機で飲み物を購入してきたらしい男性が、あの子にそれを手渡した。

 

 そこであの子が飲み物をもらったことに対してお礼でも言ったのか、小さなお口が動く。

 

 いったいどんなお礼を口にしたのだろう。男性の表情が変わった。離れていてもきらきらと瞳が輝いて見えるのに、どこか背筋が凍るような、鬼気迫る笑顔だった。

 

 そこからまた、二人は心を通わせるように言葉を交わしていた。

 

 まるでこの世界にはお互い以外に人は存在しないとばかりに、目と目を合わせていた。

 

「…………」

 

 風向き次第で届く会話の断片から推測するに、これはわたしが、無関係の他人が、耳にしていいことではない。決して知的好奇心や下心や野次馬的な気持ちで覗いているわけではなく、わたしとしては純粋な心配から動向を見守っているつもりなのだけど、でもあの子の話は無関係なわたしが盗み聞きしていいことではなかった。

 

 わたしの想像を超えて、重い話だった。

 

 男性は、あの子の話を優しい眼差しで頷きながら聞き入れて、口を開いた。

 

 距離が離れているし、なにより声を張るような話の内容でもない。スーツの男性がどう答えたのか、鮮明には聞こえない。

 

 それでも、話し終えた彼はあの小学生から笑みを引き出した。それは唇の端を引き攣らせたような苦み走った笑みだったけれど、あの気難しそうな小学生からたしかに笑みを引き出した。

 

 男性と話す前。駅で見かけた時の世間を見限ったような顔を、あの子はもうしていなかった。

 

 やっぱりあの子は大きな悩みを抱えていて、あの男性はその悩みを聞いたのだ。それを解決できたかどうかまではわからないけれど、それでも、あの子が背負っていた重たい荷物を少しだけでも下ろせたことは、なんとなくわかった。

 

 あの子は手にしていた飲み物を一気に呷ると、自販機横に置かれているゴミ箱へ空になった缶を投げ捨てる。それは一直線に、缶一本分の直径よりもわずかに広い程度しかないゴミ箱の捨て口に吸い込まれた。

 

 あの子はちゃんとゴミ箱に入ったことを見届けると、男性へと視線を戻した。腕を上げて男性の前に差し出すと、お互い短く一言だけ何かを言って、ぱちっ、と長い付き合いの親友みたいに手と手を打ち合わせた。

 

 それを合図に、二人は言葉も視線も交わすことなく歩き去っていく。連絡先を交換することもない。駅まで同道することもない。またいつでも逢えるかのように、一度として振り返ることもなく、二人は別れた。

 

 あの二人にはこれ以上言葉と時間を費やす必要を感じなかったのかもしれないが。二人にとってはそれで充分だったのかもしれないが。

 

 わたしには、わからなかった。

 

 なにもわからなかった。なにも共感できなかった。二人の感性も関係性も、考えていることも。

 

「……まあ、よかった……のかな」

 

 なにはともあれ、いい方向に転がりはしたみたいだ。

 

 結局わたしの出る幕はなかった。

 

 それでも結果的には丸く収まったようなのでよかったのだろう。

 

 通報とかされなくてよかった。あの小学生に声掛けした男性も、一人で出歩いていたあの子も、そして盗み聞きしていたわたしも。

 

 名前も性別も分からず終いのまま、あの子は立ち止まることなく歩いていく。その足は駅で見かけた時よりも力強く、顔は前をまっすぐに見据え、来た道を戻っていった。

 

 スーツの男性も飲み終えて空になった缶をゴミ箱へ捨てて、歩いていく。方角はちょうど『New Tale』のビルがある方向だ。

 

 と、そこまで考えて、ようやく思い出した。

 

「……あ、めんせつ……」

 

 バッグの中のスマホを確認するのが怖い。

 

 左手に巻いた細いデザインの腕時計に恐る恐る目をやる。

 

 十五時を、すでに十五分以上過ぎている。

 

 まずい、まずいことになった。まさかこんなに時間が経っているなんて思いもしなかった。まだ走れば間に合うかな、くらいの時間だと思っていたのに。時間を忘れるほど夢中で盗み聞きしていたということだろうか。とても外聞が悪い。

 

 いつもなら、あーちゃんがいれば問題はない。なんならわたしがいらないくらいになるところだけど、今日ばかりは話が違うのだ。

 

「い、急がなきゃ……途中からでも参加しなくちゃ」

 

 履き慣れたパンプスでよかった。

 

 スーツの男性の背中を追うような形で駆け出す。どうやらあの男性も目的地の方角は同じらしい。

 

 あーちゃん、大丈夫かな。いつもの調子を取り戻していてくれたらいいんだけど。

 

 あーちゃんはキャリアウーマン然としていて、外見相応にとても仕事ができて頼りになるわたしの親友だけど、あまり人に言って回るべきではない趣味を持っている。趣味というべきか、人間的側面というべきか、それとも安直に性癖というべきか。わたしが訊いた時にはとても朗らかな声と笑顔で『夢よ』と語っていたが、それは美化しすぎだと真顔で思った。寝言だったのかな。

 

 そんな夢を探求する影響なのか、あーちゃんはとある方向の女性向け恋愛ゲームやシチュエーションドラマなどを激しく好む性質がある。

 

 今回送られてきた応募用動画が、あーちゃんのその困った性質を大いに刺激してしまった。

 

 きっかけは、有名ゲームタイトルの実況プレイとボイスドラマを掛け合わせるという、かなりトリッキーな手法を取ったその応募動画の評価を、採用担当のわたしが付けられなかったことだった。

 

 ゲームのプレイ動画や解説や実況はわたしの趣味もあってよく見るので、それの良し悪しは判断できる。でも、わたしはボイスドラマはいくつか聴いたことがある程度で詳しくはなかった。

 

 なのでその分野において、わたしよりも圧倒的な知識量を誇る専門家(あーちゃん)に見解を伺おうと思い視聴してもらった。

 

 その結果、その日は仕事がとても早いことで知られているあーちゃんの作業速度が普段の半分以下にまで落ちた。

 

 その翌日には前日の失態を払拭するように処理スピードが上がっていたので、なんとか持ち直してくれたのかなと安堵していたが、送られてきていた動画データをわざわざ音声ファイルに変換して自身の端末に取り込むなどという暴挙に打って出ていたことがのちに判明した。わたしがあーちゃんを叱りつけるなんてかなり久しぶりのことだった。

 

 それほどあーちゃんの琴線を刺激した動画を送ってきた人とあーちゃんを二人きりにして面接させるなど不安で仕方がない。困った性質が表に出ている時のあーちゃんは知性や理性を失いがちなのだ。とても失礼なことを言いそうだしやらかしそう。

 

 あまり例のないあーちゃんの奇行と暴走によって事務所内に知れ渡ってしまった動画の評価は、実はかなり良い。あーちゃんを狂わせたボイスドラマのほうはもちろん、バトルロイヤル系FPSゲームの実況プレイとしても質が高かったのだ。

 

 洗練された立ち回り、敵の位置が見えていると錯覚するような索敵、有利不利の判断の的確さ、攻め時と引き際を見極める速さ、地形を完全に記憶したポジショニング、合理的なクリアリング、吸い付くようなエイム、にわかには信じがたいリコイルコントロール、クロスを組まれても銃弾を避ける謎としか言いようのないキャラクターコントロール、マップを上から眺めていなければ不可能なレベルのエリアコントロール。事務所内の何人かからはチートとすら疑われた技術の数々と、常に移り変わる戦況を的確に表現する語彙力、字幕なんていらなくなるくらいすっと耳に入ってくる滑舌の良さ。それらがボイスドラマのクオリティを引き上げ、終始安定して維持するためのゆとりに繋がっている。

 

 あーちゃん曰く、ボイスドラマの台本も卓出されていたとのこと。専門家が言うのだからそうなのだろう。

 

 卓越したゲームの腕と、一部の趣向を持った女子を魅了する声と演技力。あとはVtuberとして持つべき最低限の常識と社会性があれば、配信者としてこれ以上ないくらいの人材だ。

 

 現状の『New Tale』が男性Vtuberを新たに加えることにリスクはあるけれど『New Tale』全体としての知名度やリスナー数の増加が鈍化傾向にある今、その男性応募者の存在は新たな視聴者層を獲得する起爆剤となる可能性がある。

 

 その起爆剤が、男女のVtuber同士の交流を過剰に気にかけるリスナーへ働く危険性もある。あるにはあるけれど、仮に応募者によからぬ下心があったとするなら、男性Vtuberも相当数いて受け入れられやすい下地のある『Golden Goal』のほうが都合がいいはずなのだ。あちら様のほうが僅差といえど規模も大きいし。わざわざ『New Tale』を選んだ応募者が、無闇無思慮無計画に女性Vtuberへ厄介な絡み方をすることはないかと思われる。

 

 逆に言えば『New Tale』はヤバいトコだ、なんて思われたらその足で『GG』など他のVtuber事務所に行きかねない。将来性を感じる新人は逃したくない。

 

 女性Vtuberばかりの『New Tale(うち)』をどうして希望してくれたのかは謎だけれど、一部社員(あーちゃん)の暴走によって競合他社に渡ってしまうことは避けたい。ここはヤバいトコじゃないですよー、とアピールしたかったけど、まさかの面接担当者(わたし)が遅刻するという大ポカをやらかしてしまった。わたしが一番ヤバかった。これはもうだめかもしれない。

 

「ぇふぇ……ぃっ、くぁ……」

 

 日頃運動していないつけを大いに味わいながら、早くも重くなってきた足を前に送り出す。足も肺も痛い。

 

 『New Tale』の場所を思い浮かべながら最短距離だろう道を走っているのだけど、不思議なことにスタートからここまで、前方にずっとスーツの男性の後ろ姿があった。

 

 もっと不思議なことに、その男性の足取りはあまり急いでいるようには見えなかった。なのにわたしは追いつけない。なんなのか、わたしが走るのが異様に遅いのか、それとも男性の歩幅が大きいのか。きっと歩幅が大きいのだ。わたしは遅くない。足短くない。

 

 いつの間にか、どこかで別れる前に男性に追いつくことを目的として走っていた。

 

 数分ほど、いや厳密に何分かなんて覚えていないけれど、無心になって男性の後ろ姿だけを見て走っていた。正直、道も正しいのかわからない。とりあえず走っていた。

 

 男性の足がようやく止まる。わたしは学生時代以来となる久しぶりの激しい運動に、膝に手をついて荒い息を吐いていた。息じゃないものも吐きそうになったけれど、そこは乙女のプライドで我慢した。数十秒、もしくは一分近くかけて息を整えて顔を上げる。気づけば『New Tale』のビルが見えていた。

 

「……あれ?」

 

 『New Tale』が入っているビルの正面に、件の男性が佇んでいる。

 

 行き先が同じだったのだろうか。ビル内には他にも違う会社が入っているので、そちらに用事があるということも充分に考えられる。

 

 でも、もし『New Tale(うち)』だとしたら。

 

 今日、来客の予定はなかったはず。唯一の予定は件の応募者の面接の一件だけだった。

 

 もしあのスーツの男性の目的地が『New Tale』だとしたら、今日面接を受けにきたのは彼ということになる。

 

「ま、まだ、判断するのは……」

 

 とりあえず、エレベーターが何階に止まるのかだけは確認したいところ。でもここのエレベーターって引くくらい遅いから、彼にエレベーターに乗られてしまうと事務所に着くのがさらに遅くなってしまう。激しい運動をこなしたわたしに七階まで階段で上がる体力は残されていない。

 

 この際、いっそのこと一緒に乗ってしまえばいいかな。

 

 どうしようかと頭を悩ませていると、立ちすくんでビルを見上げていた男性が動いた。

 

 亜公園で小学生と喋っていた時には着ていたはずのジャケットをいつの間に脱いでいたのか、男性は小脇にそれを抱えながら、ビルへと足を踏み入れる。

 

 遠くで突っ立っていては彼がどこに向かっているのかわからなくなる。エレベーターに乗り合わせるにせよしないにせよ、彼がどこで降りるかくらいは確認しておきたい。

 

「ひゅぇっ、ふぃっ……」

 

 全回復にはまだ遠い肺が不可思議な音を出す。重い足が言うことを聞いてくれない。段差もないのに(つまず)きそうになる。

 

 残った体力を振り絞るように走るも、彼の早歩きよりも遅いわたしの全力疾走では間に合うはずもなく、彼を受け入れたエレベーターは扉を徐々に閉めていく。

 

 仕方ない。せめて彼が何階で降りるかだけでも確認しておこう。

 

「……あれ?」

 

 ふと違和感に気づいた。

 

 彼が『New Tale』に面接に来た応募者ではないのなら、彼が何階に行こうとわたしには関係がないのではないだろうか。どうして行き先を気にかける必要があるのか。

 

 不意に湧いた疑問の答えを出す前に、がこん、という音がわたしの意識を目の前に引き戻した。

 

 彼が閉じていくエレベーターの扉に手を差し込んで、開いてくれたようだ。

 

「すいません! ありがとうございますっ!」

 

 ジャケットを着ていた途中だったのか、一部の女性に特効がありそうなフェチシズムあふれる格好で待ってくれている彼に感謝しつつ乗り込んだ。

 

 わたしは走ってきたせいで崩れてしまっていた身なりをざっくりと整えながら彼へと目を向ける。

 

 あの子と並んでいた時にも思っていたけれど、近くに寄ってみると思っていた以上に彼の背が高い。ゆうに頭一つ分以上、下手したら二つ分くらいわたしよりも大きい。この距離で顔を見ようとすると、見上げるような形になりそうだ。

 

「いえ、お気になさらず。何階ですか?」

 

「っ! ありがとうございます。七階でお願いします」

 

 じろじろと間近で観察していた時に声をかけられたので、驚いて一瞬返答に詰まってしまった。

 

 こんな二人だけの空間で怪訝な目で見られたらと考えると居た堪れなくなる。

 

 彼から目線を外して、エレベーターの操作盤へと視線を送った。

 

 彼の長い指が七階のボタンを押す。が、押す前からボタンは光っていた。やはり、彼が今日『New Tale』に面接に来る予定だった応募者だったのだ。

 

「ふふっ」

 

 頬が緩んでしまうのを我慢できない。

 

 なぜこんなにも気持ちが昂ってしまうのか。

 

 それはきっと、新しく入るだろう人が、とても優しい人なのだと、一足先に知れたからだ。

 

 自分にも重要な用事があるというのに、寂しげな雰囲気さえ漂わせることができない小学生を目にして、迷わずに声をかけられる人。声をかけて、話を最後まで聞いてあげて、その上であの子の抱えていた悩みを軽くしてあげられる人。困っている時、親身になって寄り添ってあげられる情の深い人。

 

 わたしは嬉しかったんだと思う。

 

 周囲の人たちがあの子を避けるように先を急いでいた中、見ず知らずの赤の他人であるあの子を、彼は気に掛けてくれた。ああ、まだこんなに温かい心を持つ人がいてくれたのだなと、そう思うととても嬉しく感じた。

 

 彼のあり方が、わたしにはとても眩しく見えた。

 

 そのような生き方は、悲しいことだけれど損をすることのほうが多いはずだ。真面目で優しい人ほど、泥を被るような役回りに立たされる。誰もやりたがらないような面倒事を押し付けられたり、余計な仕事を任されたり、他人の尻拭いをやらされたりもする。人の善意につけ込む人がいて、自分の利益のために優しい人を散々利用したり蹴落としたりする人もいる。その人を思ってやったことでも、恩の押し売りだとか、独善的な自己犠牲だとか、自己満足だとか、偽善だとか、心ない言葉をぶつけられることもある。

 

 それでも、彼は人のために動いたのだ。

 

 周りの視線なんかお構いなしに、それがどうしたと言わんばかりに、あの子のために動いたのだ。

 

 そんな彼とこれからお話しして、為人(ひととなり)を知って関わっていけると考えたら、思わず頬が緩んでしまうのも仕方のないことだ。うん、そうだ。仕方ない。

 

「ふぅ……っ」

 

 テンションが上がってしまっていたせいでここまで気づけずにいたけれど、今のわたし、女子的にどうなのだろうか。

 

 年季の入った元気のないオンボロエレベーターのエアコンは、儚いため息のような力ない冷気しか吐かない。ここまで走ってきたことに加えて高揚しているわたしの体を冷ますには力不足が否めない。

 

 つまり何が言いたいのかというと、わたしちょっと汗やばくないかな。

 

 メイクはまだしも、汗くさかったりしないだろうか。考え出すとさらに汗が吹き出しそうになる。余計なことを考えないようにしながら静かにバッグを漁る。

 

 これから暑くなってくる時期だしデオドラントはバッグの中に常備しているけれど、さすがに男性の目の前で使えるほどわたしの乙女心は死んでいない。かといってそのまま放置もできないので、最低限の処置としてハンカチを取り出す。ぴかぴかと光るスマホの画面に親友の名前が表示されていた気がしたけれど、それは気づかなかったことにした。

 

 ハンカチで押し当てるようにおでこや首を拭う。見た感じ、それほどメイクは崩れていないようだ。もちろん彼と別れた瞬間にちゃんとメイクを整えたいけれど、とりあえずは命拾いした。同僚におすすめのメイクキープスプレーを教えてもらっててよかった。

 

 一安心しつつ、見苦しくならないようにハンカチで汗を拭き取る。首元はまだすっきりしたけれど、胸元が少々気持ち悪い。汗がたまりやすい谷間にはパウダータイプのデオドラントを使っているけれど、それにも限度はあるし汗で透けても恥ずかしい。ボタンを外して拭く。

 

「……っ!」

 

 暑さと緊張で頭がどうかしていたのかもしれない。そこまで肌の露出が多いわけではないけれど、シャツの襟元がはだけてしまっていた。もしかしたらブラも見えてしまっていたかもしれない。

 

 慌ててハンカチを持つ手で胸元をおさえて、彼の様子を窺い見る。

 

「…………」

 

「…………」

 

 まったくこちらを見ていなかった。逆にこちらが目を(みは)るくらいに、ちらりとも見ていなかった。

 

 あーちゃんや同僚の話では、男性は女性の素足や胸元が露出されていたら本人の意思に関係なく眼球が反応する生き物らしいのに、信じられないくらいこちらに興味を示していなかった。彼はのんびりと数字を増やしていくエレベーターの階数表示を、平然とした面持ちで眺めていた。

 

 胸元を見られてるかも、などと自意識過剰に考えていた自分が恥ずかしくなった。こんな寂しい胸にわざわざ目を向ける必要などないということですか。こんな粗末な物に目を向けるくらいなら他に類を見ないほどのんびりと上がっていくエレベーターを観察するほうが有意義だと、そういうことですか。これでも平均以上はあるんですけど。

 

 少々へこみも逆恨みもしたけれど、不躾な視線をぶつけてこないのは紳士的だなとも思った。そう思うことにした。

 

 七階に到着し、扉が開く。

 

「どうぞ」

 

 彼は開ボタンを押して先を譲ってくれる。細かいところも気の回る人だ。

 

 遠慮するのも変なので、エレベーターを先に降りる。

 

 振り向くと、彼は緊張しているのか若干表情が強張っていた。

 

 考えてみれば、それもそうか。人助けをしていたとはいえ、結果的には遅刻したみたいになってしまった。ただでさえ緊張する面接で遅刻したとなれば、入りづらくもなるだろう。

 

 遅刻した理由についてはわたしからも説明する。なので、ぜひとも面接の場では、気兼ねも気負いもなくいつも通りにお話をしていただきたい。

 

 足が重くなっている彼に声をかける。

 

「大丈夫ですよ! 一緒に行きましょう!」

 

「……え? あ、はい……」

 

 彼は驚いたように目を開いて、少し間を開けて会釈した。

 

 ついてきてくれたのを確認し、事務所へと向かう。

 

 バッグから社員証を取り出す。社員証がカードキーを兼ねているせいで、わたしはわざわざ家まで一度取りに帰ったのだ。それを扉の取っ手上部に近づける。短い電子音の後に、かちゃり、という開錠音がした。

 

 ちょっと重たい扉を両手で開けて、大きく息を吸う。

 

「おはようございます!」

 

 いつもの挨拶だけど、いつもより声が弾んだ。




ここから数話ほど雨宿視点です。

前半に登場したとある小学生のイメージ。


【挿絵表示】


恒例のPicrewにてトロロ様のななめーかーで作らせてもらいました。


評価してくれてありがとうございます!
毎回毎回心臓どきどきさせながら確認するけど、やっぱり評価もらえたり感想もらえると嬉しいね。ベッドに入っててももう少し作業進めようかなってなるよ。
Fマッキーさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
基礎体温さん、赤色のスーパーなチャットありがとうございます!
チャンネル登録してくれてる方もありがとうございます!めっちゃ励みになってるよ!めっちゃ嬉しいよ!


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わたしの心はぽっきり折れた。

 事務所の廊下で自己紹介のような立ち話をした後。

 

 スーツの男性こと恩徳さんには応接室で少しの間待っていてもらい、わたしとあーちゃんは事務室に移動した。

 

 事務室に寄った理由は、面接で必要になる資料などの準備と、もう一つ。

 

「雫」

 

「なに? あーちゃん」

 

「ごめんなさい、助かったわ」

 

「でしょうね!」

 

 あーちゃんの心の準備だ。面接の資料より、こちらの準備のほうがよっぽど大事だった。

 

 一度どこかで彼女の上がったテンションを落ち着ける場を作らないと、本当に恩徳さんが『New Tale』から逃げ出しかねない。さっきの自己紹介の場でも、すでに困った顔をしていたくらいだ。

 

「違うの。ねぇ、違うのよ」

 

「なにも違わないと思うけど、まぁ聞くだけ聞いてあげるよ」

 

 面接で必要な資料といっても、ほとんどがタブレット端末のほうに入っていて、すぐに見やすいようにと重要な部分だけ印刷した紙媒体のものは一枚二枚程度だ。それもすぐに持っていけるよう準備は済ませている。

 

 なのでお茶の用意でもしながらあーちゃんが落ち着くのを待とうと、給湯室へと足を運ぶ。

 

「仁義君、ボイスドラマの時の声も良かったけれど」

 

「ちょっと待って?」

 

 お茶の用意をしていたわたしの手がさっそく止まった。

 

「何かしら」

 

「えっ……なんであーちゃんは、親密な仲じゃないどころか知り合いですらない初対面の男性を下の名前で呼んだの? そしてなんでそんなに平気な顔して返せるの?」

 

「ああ……頭の中ではずっとそう呼んでたから、かしらね」

 

「『かしらね』じゃないよ。なんで恥ずかしがったりもしないの……。なんで堂々としてるの……。付き合い長いのにわからないよ……」

 

「話を戻すけれど」

 

「そのあたりの強引な話の運び方はわたしにも馴染み深いものがあるね」

 

「ボイスドラマの時もよかったけれど……仁義君、素の声もいいのよ」

 

「わたしたち、なんの話をしてたんだっけ?」

 

「私の兄になってくれるかもしれない男性とお近付きになりたいという話よ」

 

「そんな話はしてない……。断じて、だんじて……。わたしの脳みそパンクしちゃうよ……。そもそも恩徳さんはわたしたちよりも歳下なんだよ?」

 

「兄になってもらうのに歳なんて些細な問題よ」

 

「……まぁ、血縁関係どころか一切なんの繋がりもない無関係な現状を考えれば、歳なんてちっぽけな問題かもしれないけど……。ほかにたくさん大きな問題があるし……」

 

 わたしの親友、安生地美影の困った(性癖)がこれである。

 

 なんでも『親しく近しいフランクな関係性でありつつ優しく甘やかしてくれるお兄ちゃん』という存在が理想なのらしい。ストライクゾーンが狭すぎないかな。

 

 以前に『つまり、頼りがいのある男性がいいってこと?』と訊いたら烈火のごとく怒られた。そういった病を罹患していないわたしにはわからないけれど、あーちゃんにとっては『優しいお兄ちゃん』と『頼りがいのある男性』には大きな隔たりがあるらしい。わたしもあーちゃんとの間に大きな隔たりを感じた。

 

 なんらかのアニメや少女漫画などに影響されてそんなことを言ってるのなら、わたしだって一笑に付して(いや本気すぎて笑い話にもできないんだけど)そんな男性は空想上もしくは妄想上の生き物だからとっとと諦めて現実見ようよ、と諭すけれど、その夢はあーちゃんの生い立ちにも関わってくるせいで始末が悪い。

 

 あーちゃんは今もそうなように小さい頃からしっかり者で、子ども時分に達観した視点を持っていた。手際も要領も良く、幼少期も学生時代も前の会社に勤めていた時も人の面倒を見ることが多かった。

 

 ここで勘違いされないよう注釈をつけ加えておくと、別にあーちゃんは面倒を見ることは苦ではないらしい。頼られるのも嬉しいし、期待に応えるのは達成感もあると言っていた。

 

 ただ、頼られるのは嬉しいと思う反面、たまには人に頼りたい、甘えたいという思いもあったそうだ。

 

 そんな時に出会ったのが、そういった方向性のサブカルチャー、つまりは甘々系の少女漫画だったりボイスドラマだった。いやまあ、疲れてそうなあーちゃんにわたしがオタク文化をおすすめしたのだけど。

 

 そこからは坂を転がり落ちるようにのめり込んでいった。仕事が超絶忙しくて残業が続いたりした時には、ボイスドラマで脳みそはどろどろ頬はゆるゆるにしながら眠りについて乗り切っていた、とも聞いたことがある。

 

 そういった爛れた生活を続けた結果、あーちゃんが『夢』と呼称する痛い男性像が作り上げられた。『親しく近しいフランクな関係性』を望むのは、あーちゃんが他人とのコミュニケーションを苦手としているから。『優しく甘やかしてくれる』という部分は、自分がなかなか甘えられる性格をしておらず、逆に人から頼られることが多いから求めているのだろう。『お兄ちゃん』というピースは知らない。どこから生えた。

 

 親友としてわたしからも改めたほうがいいと忠言すべきなのだろうけれど、原則的には公私を分けていることもあるし、なにより幼少の(みぎり)から面倒を見てもらっている側のわたし自身があーちゃんの情操と性癖の形成に一役買ってしまっている部分もあるので、なんとも口を出しづらい。

 

 医療従事者でもなければ臨床心理士でもないわたしが末期の患者を治療できるわけもない。言い聞かせることはとうに諦め、今ではどうにか意識を逸らすことに専念していたのであった。

 

「……で、でも、なんでそんなに恩徳さんにこだわるの? 実況動画に収録されてたボイスドラマは、いつもあーちゃんが聞いてるような甘々系のじゃなかったよね?」

 

「ええ」

 

「さっきちょっと喋った時だって、いくら落ち着きがあって礼儀正しかったって言ってもそんなに歳上のお兄さん感はなかったでしょ? ……いや、歳上じゃないんだからそれは当たり前なんだけど……」

 

「そうね」

 

「じゃ、じゃあ、なんであんなに取り乱してたの? あーちゃんの求めてたタイプとは違うはずだよね?」

 

「ふっ」

 

 やれやれ、とでも言いたげにあーちゃんは鼻で笑った。そこはかとなく腹立たしいその仕草に、もうあーちゃんをほっぽって一人で応接室に向かおうかとまで思った。

 

 言葉を費やすのも徒労だし時間も無駄なので無言で先を促す。

 

「素人じゃ気づけないのも当然よ。この道のプロでないと、この違いには気づけないだろうから」

 

「だとしたらわたしはそんな道知らなくていいかな……」

 

「仁義君は、きっと歳下のご兄弟がいるわね」

 

「言うの遅くなっちゃったけどまず『仁義君』って呼び方やめない?」

 

「声に『兄み』を形成する包容力と優しさを感じたのよ。家では頼り甲斐のあるいいお兄さんをしているのね。私にはわかるわ」

 

「あーちゃんはいったい何の道を(おさ)めたの? なんの確証があってそんなに断言できるの? そしてさも当然のように『兄み』なんていう謎の単語を使わないで。知らないよそんな言葉」

 

「私の魂が叫んでいるのよ。これは確実だわ」

 

「治る見込みはなさそうだね、この病気。あーちゃん、ちょっと聞いてね? あーちゃんがいきなり顔見知りでもない歳上の男性から『僕の母になってくれ』って言われたら、どう思う?」

 

「シンプルに気持ち悪いわね」

 

「今あーちゃんは同じことをしてるんだよ? もう答えは出てるけど一応言っておくね? そのテンションで恩徳さんと接してたら絶対に避けられるよ?」

 

「…………」

 

 うきうきで話していたのが一転、俯いて黙りこくった。一応は自分の精神状態の危うさを理解していたようだ。救いようはないけれど、まだなんとか誤魔化しが利く可能性はありそう。

 

 わたしがアイアンクローを食らっていても泰然自若と振舞えるくらいに歳不相応なほど大人っぽいといえども、現実は揺るがない。彼は歳下だ。幸い、あーちゃん言うところの『兄み』を初対面かつ歳下の彼に押しつけて、歳上の自分が理性を飛ばして甘えにいくのはどうなのだろうか、という最低限の人間性は、ねじの外れたあーちゃんの頭にも残っていたようだ。

 

 恩徳さんの心身の安全と事務所の将来のためにもあーちゃんの夢は諦めて欲しいが、それはどうにも難しい。個人の自由と呼ぶには相手への負担があまりにも重すぎるけれどとりあえず、あーちゃんの夢のほうは否定はせずに、夢のためにも落ち着いて行動するほうが得だということを説くべきだ。

 

「落ち着いて。いつも通りで行こ? 大事なのは次に繋げることだよ!」

 

「……次に、繋げる……」

 

 ここで『非情な現実』という正論で殴りつけてしまうと、これからあーちゃんが使い物にならなくなってしまいそうだ。少なくとも今日はまともに働いてくれなくなる。

 

 恥ずかしながら、まだわたしは一人で面接を務め切れるとは言い難いので、せめて隣でフォローくらいはしてもらいたい。

 

「第一印象でつまずいたら、もとから砂粒ひとつくらいしかない可能性がゼロになるよ? 念のために上に通したけど許可は下りてるし、このまま行けば恩徳さんが『New Tale』に所属するのはほとんど確実。だからここはぐいぐい行かないで印象を良くすることだけを考えようよ! あーちゃんなら、業務連絡とかそんなので面接以降にも接触できるチャンスはあるよ!」

 

 歳下の彼が歳上のあーちゃんの兄になるなんていう恐怖と狂気で構成された悪夢としか呼べない夢が成就する可能性なんて砂粒ひとつ分さえもあってたまるか、と言いたいところだけれど、今は職務を全うしてもらわなければいけない。どうにかあーちゃんのモチベーションを維持しつつ冷静さを取り戻そうと努力する。

 

 面接をつつがなくこなし、恩徳さんが『New Tale』に入った後ならばもう構わない。個人の自由の範疇であればわたしも口出ししない。いやそれはそれでぎくしゃくしそうで多少問題はあるけど、あーちゃんがプライベートの時間で玉砕するぶんには問題ない。今だけしっかりしてくれたらいい。

 

「……そうね。そうだわ。……ふぅ。ありがとう、雫。私としたことが、少々浮き足立っていたわ」

 

「まったく少々どころではないっていうか、足どころか全身がふわふわしてたくらい浮き足立ってたけど……戻ってきてくれてよかったよ」

 

 わたしがタブレットを手渡すと、あーちゃんは受け取って面接の流れを確認し始めた。如才ないあーちゃんのことだ、準備はとうに済ませて、流れもすでに記憶しているだろう。これは沸騰していた脳みそをクールダウンさせるための再確認でしかない。

 

 これでどうにか身内の恥を晒さずに彼としっかりお話ができる、と安堵したのも束の間だった。給湯室に先輩が現れた。

 

「あれ、雫? 今日の面接って三時からじゃなかったの? もう過ぎてるよ?」

 

「あ、おはようございます。はい、三時からですよ。ちょっと事情がありまして……」

 

 先輩に捕まったのを皮切りに事務所内にいたスタッフがわらわらと集まり始める。ちょ、ちょっと、困るんですけど。彼をずっと一人で待たせっぱなしなんですけど。

 

「例の彼は? 遅刻?」

 

「い、いえ、遅刻ではなくて……」

 

「……不真面目な人、なのかな……」

 

「もう到着して……いや、不真面目どころかとても誠実で……」

 

「せっかく応募動画は高評価だったのにねー、ちょっとがっかりー」

 

「真面目で優しくて……ちょっ、ちょっと待って……」

 

「そういえば雫、どうして仁義君と一緒に来たのかしら。前から知り合いだったというわけでもなさそうだけれど」

 

「は、話すからちょっと待って!」

 

 矢継ぎ早に訊かれて答えられるか。

 

 浴びせられる質問に慌てつつ、釈明の時間を確保するためちょっと大きな声を出してみんなの口を閉じさせる。

 

 静かになって視線がわたしに集まったところで説明を始めた。

 

 彼が単に遅刻しただけなどと誤解されるのは看過できない。誤解を解くための弁舌にも熱が入るが、それでもあの子について口を滑らせはしなかった。仔細を聞いていたわけではないし、仮に聞いていたとしても無関係なわたしが無神経に口にしていいものではない。なのでそのあたりのことは道に迷っていた小学生と濁して説明した。

 

 かいつまんだ説明を聞き終わると、みんなの表情は聞く前とは打って変わっていた。面接に遅刻するような意識の低い人という落胆の表情が、困っている子どもを助けてあげる優しい人という感嘆のそれへと変わっていた。

 

 あーちゃんは、言わずもがなである。なんなら腕組みをして『やっぱりね』とでも言いたげだ。後方彼女面するな。彼女どころか知人ですらないんだからねあなたは。面接に来たところの社員と応募者という今の関係だと、顔見知り寄りの他人がいいところだ。可能性がないにも程がある。

 

 その満足げなあーちゃんの顔は多少(かん)に障るけど、言葉にしないだけまだましと思っておこう。そのほうが精神衛生上良い。

 

 さぁ、またあーちゃんや職場の先輩同僚諸氏が余計なことを言い出さないうちに、さっさと応接室に向かおう。

 

「その面接、私も見学させてもらえませんか?」

 

 コップをお盆に乗せて、あともうちょっとでこの厄介な空間からおさらばできると思っていたのに、またもや呼び止められた。

 

 誰だろうと思って声の主に目を向けたら、知らない女性が立っていた。

 

 彼女はノースリーブのフレアロングワンピースに透かし編みのカーディガンを羽織っていて、おそらく意図してふわっとしたシルエットにしているのだろうが、ハイウエストあたりで回されているサッシュベルトがそのシルエットに締まりを与えている。そのせいで母性の象徴がとんでもなく強調されていた。嫌味のようなスタイルの良さだ。足元は華美な装飾のないフラットシューズで、一見地味になりそうなのに、それが逆に肌の透明感を際立たせていた。

 

 首の後ろ辺りで艶のある黒髪がシュシュを使って緩く纏められていて、その対比もあって綺麗で白い肌がより際立って映えている。まなじりの下がった目元やまっすぐ通った鼻すじ、ふっくらと肉厚な唇が笑みに綻べば、その柔らかな雰囲気にこちらの表情まで緩んでしまいそうになる。

 

 こんな大人のお姉さんみたいな色気を醸し出す人は同僚にはいなかった。今日は客人は恩徳さんを除いて誰もいないはずなのだけれど、この方はいったいどなたなのか。

 

「えっと……あなたは?」

 

「すいません、名乗るのが遅れました。今回、イラストを依頼されました『小豆真希(あずきまき)』です」

 

「えっ……イラストレーターの小豆真希、さん?」

 

「はい」

 

「わ、わざわざ小豆真希さんがお仕事の件で……こ、こちらへ?」

 

「キャラクターを作るにあたって演者本人と接してみて要望やその方の為人(ひととなり)をイラストのほうへ反映できたらと思いまして。自宅からここへは近いですし、今日は時間もあったので」

 

「え、あ、あれ? ……そ、そうですか。わ、わざわざご足労ありがとうございます……」

 

 驚いて言葉が続かない。

 

 小豆真希さんといえば同人界隈でも、個人のイラストレーターさんとしてもとても名の知れた人だ。全体の構図や色彩、ポージング、なによりリアリティともまた異なるキャラクターの『生きている感じ』を強く感じ取れる絵を描かれる方だ。

 

 たしかに今回、四期生のイラストを依頼するイラストレーターさんを決める際に小豆さんのお名前もあった。でも、先方の現在抱えているお仕事の予定などを確認する為に連絡した時には『他の依頼と同人誌の作業が忙しいので厳しい』との返答があったと、のちの会議で報告があったはずだ。とても人気のあるイラストレーターさんで、この人が書籍のイラストを担当すれば売り上げが上がるとまで言われているくらいだ。こちらとしても『一応お願いするだけしてみるかー』くらいの駄目元感覚だった。断られた時も『あーやっぱりあの人は忙しいよねー』といった空気で会議でもさらっと流されたはずだが、いったい何がどうなってこんなことになっているのか。

 

「つい先日、というか昨日に小豆さんから連絡をもらったんだよ。もしイラストレーターが決まっていないのならお引き受けしたい、って。それじゃあお願いしようってなったんだ」

 

 きっとわたしの頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるのが見えたのだろう、イラスト関係を担当している先輩が経緯を説明してくれた。

 

 その続きを、小豆さんが引き継いだ。

 

「Vtuberのイラストを担当するのは今回が初めてなんです。私が創るイラストという肉体に、演者の方が魂となって動かすわけですから、魂に添った体のほうが良いだろうと考えて、ご本人の意見を直接お聞きする為、本日急遽足を運ばせていただきました」

 

「……そ、そうでしたかぁ……」

 

 単純に考えれば、これはとてもありがたいことだ。

 

 小豆さんがイラストを担当したというだけで興味を持ってくれる層は一定数いる。そして小豆さんが描くキャラクターはとても愛らしいので男性にもファンは多いけれど、世に出している作品のジャンルと内容もあって、女性のファンが圧倒的に多い。描き上げられる魅力的な作品は、同僚が言うには『とても(ヘキ)をくすぐる』らしい。

 

 『New Tale』の視聴者層は男性が大多数を占めている。マンネリ化しつつある現状を打破する起爆剤となるのを期待するという意味では、女性リスナーを増やす一助になってくれるかもしれない小豆さんが手を貸してくれるのは非常にありがたい。それだけに留まらず、限りなく高いモチベーションで取り組んでくれるのもとても大きい。メリットしかないようにも思う。

 

 だが同時に不可解でもある。

 

 前回依頼した時には小豆さんは忙しいと仰っていた。忙しいのは本当だろうから、きっとスケジュールを無理して空けてくれたのだろうけど、そこまでする理由がわからない。他の仕事と比べて報酬が特別おいしいわけでもないうちの依頼を、なぜ受けてくれたのか。

 

 もう一つは、小豆さんがわざわざ事務所にまで来てくれたことだ。この方は顔を出さないことでも有名な人だ。ご自身のサークルでの即売会ですら、滅多なことがない限り姿を現さないらしい。そんな方が、なぜ『New Tale』に足を運んだのか。

 

 小豆さんは仕事をとても真摯に考えていて、いいイラストを描くために熱心に取り組もうとしてくれているからなのか。これはその熱意の表れなのか。

 

 うちで描いてもらうものになるとLive2Dや、人気が問題なく高まれば3D化という話も出てくるだろう。これまで小豆さんが手掛けてきたイラストとは違い、比喩的な意味ではなく実際に生きた魂が込められることになる。Vtuberのイラストレーターを務めるのは初めてといっていたし、そういったことを踏まえてやる気が漲っているのか。

 

「えーと、ですね……お引き受けしていただいたのはとてもありがたいのですけど、さすがに面接の場に同席というのは……」

 

 今日この場で彼と小豆さんがイラストの話を詰めてくれれば、この先の連絡の手間も工程もいくつか省けるし、余裕を持って仕事を進めることができる。

 

 単純に考えれば、とてもありがたいことなのだけれど、なぜだろう。どこかあーちゃんと同じ匂いがするのは。

 

 あまりにも堂々とした振る舞いでこちらを見つめてくる小豆さんに、わたしは尻込みしながら見つめ返す。

 

 わたしの直感が告げている。

 

 同席させてはいけないと。

 

「やはり重要な個人情報が関係してくる場ですので、ご遠慮願えればと……」

 

 個人情報の取り扱いにはどこもデリケートだ。こうまで言われれば並の神経をしている人であれば気後れするはず。

 

 そう小豆さんに説明すると、先輩から援護射撃が行われた。

 

「個人情報が載った書類を渡さなければ別にいいんじゃないかな? もう応募動画だけで合格って認められてるし。面接で軽く話してみて、あまりにも社会通念に疎かったり、ネットリテラシーを著しく欠いているとかじゃない限りはもう採用でしょ? 形式的な面接をぱぱっと済ませちゃって、あとはこれからのお仕事の話を進めちゃってもいいんじゃない?」

 

 援護射撃かと思ったら背中を撃たれた。わたしにじゃなく小豆さんへの援護射撃だった。

 

「個人情報に関わるものは、私にはもちろん渡してもらわなくても結構です。直接会ってお話をしたいだけですので。そう……あくまでイラストのクオリティを上げるために」

 

 小豆さんの、その優しげに細められる瞳の奥に渦巻いた欲のような色を見た気がする。

 

 いつ爆発するとも知れない爆弾(あーちゃん)をすでに一つ抱えているわたしに、これ以上の不確定要素を押しつけないでほしい。

 

「いやー……でも、同席するという予定がなかったので応接室には椅子がないんですよね。面接中黙って後ろで立たせるわけにもいかないですし……」

 

「私は構いませんよ」

 

「えっと、恩徳さんが集中できなくなっちゃうかもしれませんから……」

 

 お仕事を引き受けてくれた小豆さんに対して、あまり強い言葉を使って押し退けたくない。大人なのでそんなことはないだろうとは思うけれど、このやり取りで機嫌を損ねられて、やっぱりやめます、なんてことになったら会社にとっても恩徳さんにとっても損失だ。

 

 なるべく柔らかい言葉を使い、遠慮してもらうように仕向ける。そういう算段を立てていたのだけど、またもや横槍が入る。

 

「それなら私も同席する。一応イラストに関してのことで関わりはあるし、私も一緒に話聞いてた方がここからの作業の流れも把握できるし」

 

 先ほど小豆さんに援護射撃した先輩が、またわたしの背中を撃った。

 

 先輩は同席する必要はないじゃないですか。それを言うならそもそも小豆さんも同席する必要ないんだけど。メッセージか何かでやりとりしたらいいだけなんだし。

 

「えっ……後ろで立ってる人数増えたらもっとわけわかんなくなりませんか……?」

 

「そうかな? この会社は面接の時には何人か見学するのが普通なのかな? みたいな考えになるんじゃない?」

 

「いやいや、それはない……」

 

 そんな途方もないプレッシャーをかけながら面接する会社なんて、おそらくまともではない。

 

「はいはい! それならあたしも見たい! うちでは一期生のアレ以来の男性Vtuberだしどんな人なのか見てみたい!」

 

「あなたは全然関係な……」

 

「あ、あの、わたしも……」

 

「えぇ……」

 

 能天気な同僚が流れに乗っかる形で手を挙げて、そいつを押し留めようとしている間にいつもは黙々と仕事をする自己主張が控えめなタイプの先輩まで便乗し始めた。

 

 イラスト絡みで同席すると言っていた先輩はともかく、後者二人は絶対に興味本位だ。送られてきた動画を見てどんな人なのか気になっただけだ。

 

 というか、イラストの件でお話するのなら別に面接には乗り込まなくてもいいだろう。面接の後に恩徳さんに時間をもらってどういうキャラクターがいいか、意見を出し合うなり相談なりすればいい。わざわざ面接の場に同席しなければいけない理由はないはずだ。

 

 どうすればこの人たちを説得できるか頭を悩ませているわたしに、ここまで静観していたあーちゃんがようやく口を開く。手遅れ感は否めないが、助け舟を出してく──

 

「仁義君を待たせすぎではないかしら。あまりここに長居していられないわよ」

 

「誰のせいだと思ってるの?!」

 

 わたしの心はぽっきり折れた。

 

 ごめんなさい、恩徳さん。穏便に面接したかったのだけど、わたしでは力不足だったようです。

 





イラストレーターのお姉さん、小豆真希のイメージ


【挿絵表示】


Picrewさんのトロロ様のななめーかーをお借りしたものです。



万人受けする小説なんてないだろうし、とくに僕の書いてるのなんて人を選びそうだし(今のところまだお兄ちゃんデビューすらしてないし)、マイペースにやっていこうとか思ってたけど、高く評価してくれる人が多くて泣けてくる。本当にありがとうございます。最初は書き溜めてる分そのまま投稿しようかと思ってたけど、さらに良くしようって思えました。ちょくちょく微調整しながらがんばります!

ライアニルさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
マグロ将軍さん、赤色のスーパーなチャットありがとうございます!
foolancerさん、赤スパてんきゅーです!ありがとうございます!
かますさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!(ごめんなさいバリエーション切れました)
秘小琴さん、赤色のスーパーなチャットありがとうございます!(スパチャ読みのネタ集めておきます)
めっきーさん、スーパーチャットありがとうございます!もっと表現の仕方勉強しますね。

いただいた評価に見合うよう、がんばります!


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性癖披露合戦

 背後にぞろぞろと人を引き連れながらお盆を持って、あたしとあーちゃんは応接室へと戻ってきた。

 

 彼は表情にこそ動揺を出さなかったものの、やはり戸惑いはあるようだ。声が若干硬くなっているし、なによりわたしが置いたお茶にすぐに手をつけた。

 

 困惑の感情をお茶と一緒に飲み下し、彼はわたしの目をまっすぐに見て頭を下げた。

 

「よろしくお願いします」

 

「はい、よろしくお願いしますね。ええと、自己紹介はもうお互いしたので大丈夫ですね。じゃあまずは……」

 

「えっと……しなくても大丈夫なのでしょうか? 後ろの方々にはまだ……」

 

「いえ! 結構です! 気にしないでくださいね!」

 

 彼の申し出に食い気味に反応してしまった。

 

 彼は優しいので、きっとわたしの背後で立ち呆けている面々のことを気にかけてくれたのだろう。だが、後ろのは気にかけるだけの価値のない者たちだ。およそ半数以上が仕事そっちのけで見物しに来た案山子と野次馬だ。気を使う理由など何もない。

 

「そう、ですか? ……わかりました」

 

 少し間を置きながら言うと、恩徳さんは顔をわたしの後ろの面々に向けて目礼した。せめて最低限の挨拶くらいは、と思ったのだろう。まったく気にしないでいいのに。

 

 さて、と。わたしは用意しておいた紙に目を落とす。面接を担当するにあたって、どういう流れで進めていけばいいかを印刷しておいたのだ。要するにカンニングペーパーである。

 

 送られてきた履歴書のコピーとカンニングペーパーを並べて見ながらさっそく質問する。落ち着いて一つ一つこなしていけば、わたしにだってできるはずだ。

 

「えと、以前は会社にお勤めされていたようですが、どうして辞められたのですか?」

 

「以前の会社は非常に多忙で、朝早くから夜遅くまでという状態がずっと続いてしまい、最終的に倒れてしまったんです。それで……」

 

「えぇっ?! も、もう大丈夫なんですか?!」

 

 恩徳さんの話の途中だったのに思わず声を出してしまった。ただ、わたしの背後の気配も少しざわついたものを感じたので、みんな同じ気持ちだったようだ。

 

 なぜ倒れてしまったのか、なにかの病気を患ってしまったのか。さすがにそこまで詳しく聞けないけれど、そうまでなるくらいの労働環境は尋常ではない。いわゆるブラック企業というものなのだろうか。

 

「はい。もう体は健康そのものです。ご心配ありがとうございます。それで、妹……家族にもとても心配させてしまったので、その会社は退職することとなり、そこからは静養しておりました」

 

「そう、だったんですね……。すっ……わかりました」

 

 嫌なことを思い出させ、わざわざ喋らせてしまって咄嗟に謝りそうになったのを誤魔化す。

 

 合格がほぼほぼ決まっているとはいえ、確かめないといけないことはある。

 

 駅から事務所までの道中で観察していて、こんなに真面目で優しい人が問題のある辞め方をするとはとても思えないけど『New Tale』に所属してから人間関係などで揉めたりすると大変だ。なので念のため、この場で確かめておかなければならなかった。

 

「……妹…………」

 

 隣でなければ絶対に聞き取れない声量であーちゃんがぼそりと独語した。

 

 おおかた『やはり私の見立て通り仁義君はお兄ちゃんだった』とでも思っているのだろう。『兄み』などという謎の成分を嗅ぎ取る嗅覚には本当に驚かされるが、褒めたくはないし褒められた能力でもない。放っておこう。

 

「次ですが、どうしてうちを……『New Tale』を志望されたのですか? Vtuberの事務所でしたら他にも複数ありますよね? その中でうちを希望する理由を教えてください」

 

 志望動機を訊ねるのは面接では常道とも言えるけれど、それを抜きにしても是非とも聞いてみたかったことだ。

 

 規模を無視すればVtuberの事務所はたくさんある。彼のスペックであれば、女性限定のところ以外ならどこの事務所でも歓迎されるだろう。率直に言えば、それこそ規模的にもこちらより上で男性Vtuberの在籍数も多い『Golden Goal』のほうがやりやすいはずだし、いろいろと面倒事も少なく済むだろう。

 

 『Golden Goal』で落ちたからこっちに応募しました、と言われたほうがまだすんなり納得できるくらいだ。

 

「……妹に、(すす)められたんです」

 

 こちらからの問いには流れるように答えていた恩徳さんが、初めて少し言い淀んだ。

 

(すす)められた、とは?」

 

「……時間を余していた入院中に妹から、こんな人たちがいるんだよ、とVtuberという存在を教えてもらいました」

 

 少し力の入っていた彼の口元が、柔らかく綻んだ。続けて、言う。

 

「そこではまるで友だちとするように、配信を見ているリスナーの人たちや、同じVtuberの人たちと仲良くお喋りしたり、ゲームをしている姿がありました。その光景はとても楽しそうで、入院中も退院してからもよく視聴するようになりました。家族に心配も迷惑もかけて、体調を崩した自分が情けなくて気持ちが落ち込みそうになっている時、画面の向こうで明るく笑っている姿に元気をもらったんです。……なので私も、誰かにとってそうあれたらいいなと思い、応募しました。御社を志望した理由は、その元気をくれた方がこちらに所属しているからです」

 

「元気を……入院中に……」

 

『入院中、気持ちが落ち込んでいる時にVtuberを見て元気をもらったんです』

 

 似たような話を、わたしは一度、直接聞いたことがある。もちろん恩徳さんからではない。彼とは今日が初対面だ。相手は彼ではない。

 

 『New Tale』に所属している子が、わたしに同じような話をしてくれたのだ。

 

 交通事故で入院した時、怪我をしたせいで修学旅行に行けなくなってとても落ち込んでいる時、ご家族の方が持ってきてくれたタブレット端末でサイトを見回っている時、Vtuberを知った。明るく楽しそうに配信して笑っているのを見て、入院中とても元気をもらったんです、と。とても楽しそうで、そして自分もやりたくなったのだ、と。

 

 大人びた端整なお顔をかわいらしく綻ばせて言ってくれたその言葉を、わたしは昨日のことのように鮮明に覚えている。

 

 その話をしてくれたのは『New Tale』所属Vtuberの二期生。

 

「……レイちゃん」

 

「っ!」

 

 わたしがレイラ・エンヴィちゃんの名前を出した瞬間、恩徳さんは目を見開いた。ここまでわかりやすく彼が驚いた表情をするのは初めてだ。

 

 彼にまったく関係のない人の名前を出してしまったわたしも悪いが、どうして彼がそこまで驚くのだろうか。

 

 わたしが首を捻っていると、隣であーちゃんが納得したような声を出した。

 

「レイラさん、お兄さん、恩徳……なるほどね。というよりも、珍しい苗字なのに気付かなかった私がどうかしてたわね」

 

「え? あーちゃん、どういうこと?」

 

 腑に落ちた、というような顔で頷くあーちゃん。恩徳さんに目をやると、彼は彼で苦笑いしながら目を逸らしていた。

 

「私、基本的に事務仕事をしているけれど、所属タレントのマネージャーもしているでしょう?」

 

「あ、うん。少人数だけ担当してるんだよね」

 

「正確には未成年の子たちを担当してると言ったほうがいいわね。未成年者なんて少ないから、あんまり意味合いは変わらないけれど。それで、マネージャーもやっているから名前を知っていたのだけど、レイラ・エンヴィさん。彼女の本名が恩徳礼愛さんなのよ」

 

「へー、レイちゃんは礼愛ちゃんっていうんだ。ぽろっと本名言っちゃうとまずいから聞いてなかったんだよね。……うん? 恩徳?」

 

「そう。恩徳礼愛さん。……なぜ思い出せなかったのかしら。前に彼女からメッセージで質問が来たのよ。『「New Tale」の四期生の募集って男性も受け付けてるんですか?』って。……こういうことだったのね」

 

「えっと、つまり……」

 

「ご兄妹、ということよ。レイラさんとひと……恩徳さんが」

 

 恩徳さん本人に向かって『仁義君』と言いそうになっていたあーちゃんには思うところがあるが、それよりも今は重大なことがある。

 

「ご兄妹……レイちゃんの、あのお兄さん?」

 

 愕然としながら彼を見ると、彼は困ったように眉を寄せていた。

 

「申し訳ありません。隠すつもりは……いえ、隠すつもりはあったのですが、騙すつもりはなかったのです」

 

 隠すつもりはあったんですか、と口を()いて出てきそうだったつっこみは呑み込んだ。

 

「いえ、まぁ……事情があったのでしょうけど……。でも、それならそうと言って頂けていれば……」

 

「そういう余計な忖度を省きたかった、ということでしょう」

 

「な、え? それって、どういう……」

 

「余計な忖度、とまではさすがに言えませんが……それでも『New Tale』に所属する者の兄ということで気を使わせてしまいかねないと思い、伏せさせていただきました。公平性を欠くことにもなりかねませんので」

 

「公平性を欠く?」

 

「判断が一方に偏っている、ということよ」

 

「こ、言葉の意味はわかってるよ! でもなんでそれが今出てくるんだろうって思っただけで……」

 

「わかっていないじゃない。ひと……恩徳さんは、自身がレイラ・エンヴィの肉親であることで忖度されて、他の応募者と同じ立場で公平に審査されなくなることを危惧したのよ。不公平になるから、という理由ね。縁故採用みたいな形になるのを避けたかったのね」

 

 実にわかりやすい説明だった。これで事あるごとに『仁義君』と呼ぼうとしているところさえ治ってくれれば完璧だ。

 

「レイちゃんのお兄さんだからって、そこまで依怙贔屓(えこひいき)するとは……」

 

「そう? さっき雫も『それならそうと言ってくれれば』みたいなことを言っていたじゃない」

 

「うぐっ……で、でも、それは情報の一つとして……。参考資料というか……」

 

「参考にしている時点で、本人の能力とは関係ない部分が審査に入ってしまっているのよ」

 

「…………」

 

「だから余計な要素が審査に入り込まないようにするには、関係者であることを隠しておくしかなかった、ということよ」

 

 ぐうの音も出ない。

 

 恩徳さん自身のアピールポイントが強すぎたせいで今回はなんの影響もなかったけれど、たしかに所属Vtuberの関係者だと知っていたら普通はそれだけで多少は贔屓目(ひいきめ)が入るだろう。

 

 特にレイちゃんの配信を見ている人からすればほぼ常識になりつつある『レイラ・エンヴィのお兄ちゃん』だと最初から知っていたら、それだけで採用に至る大きなポイントになっていたかもしれない。もちろん、レイちゃんと恩徳さんという兄妹関係がきっと配信でも見ていて面白くなるだろうという『New Tale』の利益につながる見込みがあってこそだけれど、そういった採用の仕方はたしかに縁故採用と受け取られても仕方がないかもしれない。

 

 きっと採用が決定するまで事実を伏せておくのが一番都合が良かったのだろう。『New Tale』的にも、縁故採用ではないのかと外部に言われた時に説明がしやすくなる。

 

 でも、伏せておくことは、果たして恩徳さんにとって都合が良かったのだろうか。

 

「……律儀な人ね」

 

 まるで口の中だけで呟くように、あーちゃんは唇をほとんど動かさずに小声でそう言った。

 

 そうなのだ。レイちゃんの兄であるという関係を伏せておくことで都合がいいのは、周りから縁故採用だと糾弾されるかもしれない『New Tale』と、関係者で手引きしたと憶測が立てられてしまうだろうレイちゃんであって、恩徳さん自身は伏せて得をする部分がない。あくまでもそれは平等性や公平性を保つためであり、他の応募者や『New Tale』やレイちゃんへの配慮だ。彼の利益になるものではない。

 

 あーちゃんの言う『律儀な人』という意味が、身に染みるほどに理解できた。

 

 本人はそこまで深く考えていないのかもしれないけれど、そうやって真っ直ぐに生きるのは簡単なことではない。少なくとも、すぐ手元にあって自分が有利になる武器を取らずにいることは、わたしには難しい。 

 

「……不器用な人」

 

 無意識下にわたしの脳裏をよぎった言葉は、果たして口に出したのか、それとも心の中で思い浮かべただけなのか。

 

 優しい人が見せる特有の眩しさと、それ故に湧き上がってくる不安感をどうにか押し沈め、次の質問をするため資料に目を移す。

 

「……ええと、自己PRの欄にはゲーム、歌、ギター、声真似とありましたが」

 

「…………はい」

 

 なぜか恩徳さんの瞳から急にハイライトが消え失せた。長い沈黙の後に、絞り出すような返事が一言だけあった。

 

「何かありましたか?」

 

 感情の表れない顔であーちゃんが彼に訊ねた。表情には出ないけれど、この声は人を心配している時の声だ。不可欠だったとはいえ、答えづらい質問ばかりしていたので彼の反応の変化が気になったのだろう。

 

 それを察したのか、恩徳さんは取り繕うように口元に薄く笑みを浮かべた。

 

「いえ、大丈夫です。失礼しました」

 

「なにかあったらなんでも言ってくださいね。それで自己PR欄のことですが、ゲームがお上手なのは送られてきた動画ですでに把握して……あ、そういえばあの動画とても良かったですね! ゲームの腕はもとより声も聞き取りやすくって、社内でも評判良かったんですよ!」

 

 話している途中で送られてきた動画がフラッシュバックして、思わず口に出してしまった。

 

 一応は面接をしている最中だと言うのに、個人的な感想を本人にぶつけてしまうなんて恥ずかしい。

 

 やってしまった、と頭を抱えそうになるのをすんでのところで止め、恩徳さんの様子を窺い見る。

 

 引いてたりしないかな、と思ったが、その心配は杞憂に終わった。

 

「え、そ、そうですか? 過分な評価、恐れ入ります」

 

 急に賞賛されたことに驚いた後、はにかみながら謙虚に受け止めて小さく頭を下げた。

 

 その恥ずかしそうで照れくさそうな微笑は幼なげで、これまでのしっかりした大人という雰囲気とのギャップがあって、なにか、こう、胸に刺さるというか迫るというか、体の芯を揺さぶるような衝撃があった。

 

 特段そういった方面に重篤な(ヘキ)を持っていないわたしでさえこれだ。わたしの後ろの壁際に並んでいる同僚や先輩方には効果は抜群だろう。実際、背後から『くふぅ……』という愉悦なのか断末魔なのかよくわからない気持ち悪い声も聞こえた。

 

「えー……こほん。そ、それでは、なにかこの場でできることはありますか?」

 

 このまま自己PR欄の話を続けるとわたしの背後にいる人たちが暴走を始めかねないが、もし履歴書に書いてある通りの特技であれば配信者としてとても頼りになる武器となる。これは実際に聴いて確かめておきたい。

 

「えっ……ああ、そう……ですね。他はなかなか身一つではできないので、声真似などをさせていただこうかと……」

 

 少々困り顔で彼は声真似を希望した。

 

 背後に立っている人たちを意識しすぎたにしろ、わたしの言い方もちょっと気遣いが足りていなかった。

 

 これはあれだ、飲み会とかの場で『なにか面白い話してよー』っていきなり言って相手を心底困らせる面倒な女みたいだった。申し訳ない。

 

 ともあれやってもらえるようなので、ソファに座り直して静聴の姿勢を取る。

 

 そんなわたしの隣から、声がした。

 

「リクエスト、いいかしら」

 

 ここまで必要な部分以外では比較的静かに面接を見守っていたあーちゃんだ。なぜ恩徳さんへする最初の質問が『リクエスト』なのだろうか。あなた、ここに何するために座っているの。

 

「はい、どうぞ。お題があったほうが助かります。と言っても、私自身あまりアニメに詳しくはないので、知っているキャラクターや声優さんであればいいのですが」

 

「それなら大丈夫よ。以前、妹さんからとあるアニメのキャラクターのセリフを兄に言ってもらった、という話を聞いたのだけれど、そのセリフをお願いしたいわ」

 

 本人もお題があったほうがやりやすいとのことだし、あーちゃんのリクエストは結果的にファインプレイなのかもしれない。

 

 わたしはゲームは結構するけどアニメはそれほど見ていないのだ。有名な作品は一通り目を通しているけれど、あーちゃんや同僚や先輩諸氏と違ってどハマりした作品やキャラクターがいるわけでもない。そういった点では、あーちゃんのほうが適任かもしれない。職権濫用している気がしないでもないけれど。

 

 というかあーちゃん、廊下で話していた時には恩徳さんには敬語を使っていたのにいつの間にかフランクに話している。なんなんだ、もしかして一度廊下でお喋りしたから親しくなったとでも思っているのか。ぜんぜん心理的な距離は近づいてないよ。きっと恩徳さんはまだあーちゃんのこと『面接官』くらいにしか捉えてないよ。そしてここからの内容(リクエスト)によっては距離が遠ざかるおそれすらある。

 

 あーちゃんのコミュニケーション下手具合に戦慄しているうちに、彼女はすらすらと、とあるアニメの、とあるキャラクターの、とあるシーンでのとあるセリフを、どこで息継ぎしているのかわからないくらいの早口で恩徳さんに説明していた。一息で言い切ったのではないだろうか。

 

 これはあれだ、オタク特有の早口というやつだ。よくネット民の間で揶揄(やゆ)されるやつだ。

 

 恩徳さんは、こいつ急に早口になるの気持ち悪いな、などとどん引きした様子もなく頷いた。

 

「はい、わかりました。ちょっと待ってくださいね。……こほん。あ、ああ、あー……はい」

 

 チューニングのようなものだろうか。そのキャラクターを思い出すように目を瞑り、数回『あー』と声を出していた恩徳さんだが、声を出すたびに声色が変化していった。

 

 あーちゃんの言っていたキャラは知っている。女性向けのアニメに登場するキャラクターだ。なぜ恩徳さんがそのアニメを知っているのか、という疑問もあるけれど、おそらくはレイちゃんに一緒に見るように催促でもされたのだろう。わたしもあーちゃんからの激しいオススメにより見たことがある。目立つようなキャラではなかったけれど、主要メンバーの中には入っているような、年上で優しい系のキャラクターだったはずだ。

 

 まさしくあーちゃんの好みの声質とキャラクターで、雰囲気的には恩徳さんとも似通っている部分はある。急な注文だったけれど、そのキャラクターの声に寄せてくることはできるのではないだろうか。期待が高まる。

 

 一つ大きな深呼吸を挟み、恩徳さんが口を開いた。

 

「『一人で頑張りすぎなくていいんだよ。辛い時には、疲れた時には、僕を頼ってよ。何の為に僕が隣にいると思っているの? 君を支える為、なんだからね』……んんっ、いかがでしたでしょうか? 作品を見てから少し期間が空いてしまったので多少印象が変わってしまっているかもしれませ」「……ありがとう。……これで十年戦えるわ」

 

「い、いえ……恐れ入ります。……しっかり休んでくださいね?」

 

 食い気味に謝意を述べたあーちゃんに頬を引き攣らせながらも、あーちゃんの健康を気遣っていた。あんな気持ち悪い、もといヘヴン状態のあーちゃんにまで微笑みを添えて気遣ってあげられるなんて、彼は本当に善良な精神を持っているようだ。

 

「す、すごい、ですね……。ほんとうに、そっくりで……驚きました」

 

「ありがとうございます。妹以外に聞いてもらったことがなかったので不安でしたが、そう言ってもらえて安心しました」

 

 あーちゃんの反応は想定内だったが、声真似の質は正直、想像以上だった。寄せてくるとか、似せてくるとか、そういうレベルではなかった。まるであーちゃんがリクエストしたアニメのワンシーンを切り抜いて音声だけ再生したような、そんなクオリティだった。地声からしてキャラクターを担当した声優さんに雰囲気的に近いものがあるなぁ、などと思っていたけれど、それはあくまで雰囲気だけ似ていたのだなと思い知ったほど本物そっくりだった。

 

 もう一つくらい声真似を聞いてみたい。できればさっきとは違う毛色の声真似を聞いてみたい。けれど、アニメに詳しくないわたしの脳みそからではどのキャラクターが適しているか、瞬時に出てこない。ここはあーちゃんにお題を出してもらいたいところだが、彼女は先ほどの恩徳さんのボイスを真正面から受けたことで瀕死、というか夢心地だ。なんにしろ使い物にならない。

 

「わ、私からもリクエストいいですか?」

 

「あ、はい。どうぞ」

 

 どうしようかと悩んでいると、隣ではなく後ろからリクエストが飛んできた。振り返れば、小豆さんが小さく手を挙げていた。あなたは面接の後のお仕事の話でお越しになられたのではなかったのでしょうか。これも恩徳さんの人間性を知る為に必要なことなのでしょうかそうですか。いや、今は助かるのですけれども。

 

 そこからはあーちゃんの流れを汲むように、作品とキャラクターとシチュエーションを説明された。意外なことに、またしてもわたしも見たことのあるアニメだった。ただ、小豆さんの仰るキャラクターと、そのシチュエーションはあまりぴんとこない。視聴してから結構時間が経っているからだろうか。

 

 小豆さんが説明を終えると、にわかに後ろに並んでいる人たちの一部がざわついた。あーちゃんリクエストのセリフでも隠しきれない喜悦の吐息が耳障りだったけれど、今回は興奮を抑えられないといった風だ。

 

 対照的に、テンションの上がっている人たちを冷めた目で見る人たちもいた。どういうことだろう。

 

「ああ……なるほど。わかりました。ん、んんっ……『はい、いきます』」

 

 今回は咳払いを数回しただけで準備ができたようだ。最後の『はい、いきます』の時点でもう、声が全然違う。なんだろう、どことなく険がある気がした。

 

「『不器用なくせに何かやろうとすんな。目の前でちょろちょろと、目障りなんだよ。お前はずっと、俺の後ろをついてこい』……こんな感じでよかったでしょうか? キャラクターに近づけようとすると、かなり冷たい印象もあ」「完璧です。なんならもっと見下す感じで吐き捨ててもらっても良かったんですけど原作準拠で心根の優しさまで再現してもらってしまってもう本当にありがとうございます」

 

「そ、あ、いえ……喜んでもらえたのなら、はい……嬉しいです」

 

「それで、お金はどこに振り込めばいいでしょうか?」

 

「……すでにお題を頂いているので結構です」

 

 小豆さんは一気に声真似の感想を捲し立てて、あまつさえ金銭を押し付けようとしていた。何をしているんだ、そして何をしにきたんだこの人。

 

 恩徳さんの出来の良すぎる声真似のおかげで記憶が蘇ってきた。たしかにこういうシーンがあった。

 

 ただ、わたしはあまり俺様系みたいな男性は苦手で、しっかりと見ていなくて記憶が曖昧だった。先ほどリクエストの時に冷めた目をしていた人たちは、わたしと同じ側の趣向なのだろう。

 

 だが、わたしの後ろで荒く息を継いでいる小豆さんを筆頭に、刺さる人にはぶっ刺さるようだ。他にも顔を真っ赤にして震えている人がいる。仕事仲間の見たくもない新たな一面を垣間見た気分だ。おかげで彼の声真似の幅の広さは知れたけども。

 

「ふふ、お上手ですね。では、デビューしてからの楽しみにしておきます」

 

「デビューできるかどうかはわかりませんのでお褒めのお言葉だけありがたく頂戴いたします」

 

 座布団をあげたくなるくらい秀逸な躱し方を続ける恩徳さんは早くこのターンを終わらせたかったのだろう。ちら、ちら、とわたしに目線を送ってきた。完全にわたしの勘違いというか妄想なのだけれど、この場にいる人たちの中で一番彼から頼られている気がして、なんだか無性に気分が良い。

 

「えー、そうですね。それでは、このあたりで……」

 

「はい! はい! すいません! リクエストいいですか?! ショタっぽい声も出せますか?!」

 

「おわ、りに…………」

 

 またしても背後からリクエストが飛んできた。

 

 しかも今回は終わらせようとしているところを強引にねじ込んできた。もはや面接関係なしにただ聴きたいだけじゃない。

 

「え? ……そう、ですね。喉の調子次第、といったところでしょうか」

 

 人のいい恩徳さんは律儀に返答する。というかコンディションに左右されるとはいえ少年ボイスまで出せるってレパートリー多くないですか。

 

「い、今の調子はど、どのような感じ……ですか?」

 

「二回声真似させてもらった感じで言えば、今日は上々なほうなのではないかなと自分では思っています。ただ、先の二つとは音の出し方がかなり違うので質が落ちるかもしれませんが……」

 

「き、聴きたいです!」

 

「わかりました。それではやってみます」

 

「ありがとうございますっ! えっとですね……」

 

 もはや雛形になっているのか、同僚はあーちゃんがリクエストした時とまったく同じ形式で作品・キャラクター・シチュエーション・セリフを説明していく。今回はわたしの守備範囲外のアニメだった。はたして恩徳さんは聞いた事があるのだろうか。

 

「はい、わかりました。少々お時間頂いてもいいでしょうか?」

 

「はい! いくらでも!」

 

 面接担当でもなんでもない、この場にいる必要のない人間が能天気に許可を出した。声真似の上限を見極めるという意味では有意義かもしれないけど、あなたにその権限はないのよ。

 

「雨宿さん、いいでしょうか?」

 

 何とはなしにこの場の空気を察したのか、彼はわたしに顔を向けて判断を仰いだ。今回のリクエストを受けてもいいのかどうか、というニュアンスだ。

 

「……ええ、こちらは大丈夫です。恩徳さんがよければ、お願いします」

 

「ありがとうございます」

 

 もう面接とは関係のない、ただの私的なお願いを快く了承すると、彼は目を瞑って喉に指を当てながら声を出す。あーちゃんと小豆さんのリクエストではしていなかったチューニングの仕方だ。それだけ少年っぽい高い声を出すのは難しいのだろう。作品によっては女性声優さんが担当することとかあるもんね、ショタ系のキャラクターって。

 

 それはそうと、面接の邪魔をするのではないかと思ってはいたけれど、やはり思った通りに進行を妨害してくれた能天気な同僚に咎めるような視線を送る。咎めるような、というか、言葉にはしていないだけで目で咎めている。

 

 だが、同僚は恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いていたのでわたしと目線が合うことはなかった。

 

 なぜだろう、と思ったのは一瞬だった。

 

 よく考えればこのリクエストという制度、つまりは性癖披露合戦みたいなものだ。名前よりも先に性癖から自己紹介したのだから、羞恥心も刺激されるだろう。

 

 どちらかといえば恥ずかしそうにしている同僚の隣にいる小豆さんや、わたしの隣のあーちゃんがまるで動じることなく、なんなら清々しく満足げにしていることのほうが異常なのだ。性癖紹介したことに気づいてないのか、それともレベルの高い声真似が聴けるのならそんな瑣末事(さまつじ)は一切気にならないというような頑丈な精神構造をしているのか。

 

「ああ、あー、んんっ……。『いきます』」

 

 二つのリクエストよりも少し時間をかけて、彼の準備が整ったようだ。成人男性の彼の口から、幼さの残る少年の声が出てきていることに違和感はある。しかしそれ以上に驚愕を禁じ得ない。声の質から変化している。

 

 とても素晴らしい変声技術だが、さすがに初対面の人たちを目の前にして幼い声でセリフを言うのは恥ずかしかったのか、注意が入った。

 

「『……あと、できれば目を瞑っていただけると幸いです……』」

 

 チューニング後なので、ショタボイスである。

 

 わたしの隣から、刃物で刺されたような苦悶の呻き声が聞こえた。頭の中にしか存在しない空想上の兄をこよなく愛するあーちゃんのその苦しそうな声は、はたしてショタボイスを認めたものなのか否かは表情を見なければわたしにもわからない。惜しむらくは、恥じらって消え入るようにお願いしてきた恩徳さんの声にわたし自身がやられてしまったことだ。あーちゃんの表情を確認する余裕などない。にへら、とブサイクに緩んだ顔を見られないよう手で顔を覆って俯いた。

 

 そんな(ヘキ)はなかったのにガードをこじ開けられていいパンチをもらったのはわたしだけではなかったようだ。後ろに立ち並ぶ数人が『ぐふぅ……』と鋭いボディブローを打ち込まれたような煩悶の息を吐いていた。

 

 一番効いていたのは無論、能天気な同僚だ。

 

 これは後から聞いた話なのだけれど『敬語系ショタ』というジャンルがあるそうだ。少年という年齢を考えれば元気が有り余っていたり純真無垢だったり生意気だったり甘えんぼだったりするのがふつうだけど、二次元ではそういったニッチなジャンルもあるのだとか。もちろん、頼んでもいないのにそんな説明をしてくれたのはリクエストした張本人である能天気な同僚なのだが、その同僚はあくまで一般的なショタキャラを指名したらしい。わたしはその界隈の知見が広くないのでわからないが、一般的なのらしい。同僚や先輩の目もあったから一般的なキャラにしたけど実は前述の『敬語系』がストライクゾーンど真ん中だったらしく、一度のリクエストで二度も美味しいなんてサービス精神がすごすぎる、などとのたまっていた。その時のセリフもあいまって、録音しておけばよかったなどと半泣きで妄言を吐き散らし始めたあたりでわたしの脳みそが自己防衛のためにシャットダウンしたので、そのあと彼女がどうなったのかはわからない。次会う時には正気を取り戻しているといいな。

 

 そんなどうでもいい後日談はさておき、大事なのは今である。

 

 目を瞑って、と恩徳さんはお願いしていたけれど、人並程度の羞恥心を持っている女なら、こんなに気持ち悪い形で口角の上がった顔など人に見せられない。きっと拝聴する人間は全員顔を伏せている事だろう。

 

 瞼を閉じているぶん、彼の吐息がより鮮明に感じられた。

 

「『お姉ちゃんと一緒にいる時が、ぼく、いちばんたのしいよ。お姉ちゃんは、どう? たのしい? ……そっか。えへへ、よかった』……こふっ、けほっ。えと、どうでしたか? ご要望にかなう声真似ができていたらいいのですが」

 

「っ……っ! ぃっ……っ!」

 

 リクエストのセリフを言い終えた恩徳さんが訊ねるが、同僚は何も言葉を発しない。ただ、喉が詰まったような掠れた息を吐くだけだった。

 

 恩徳さんがこちらを向いているのでわたしは後ろを振り返れないのだが、何事なのだろうか。せっかくおまけのリクエストに答えてくださったというのに感謝の一言もないとは。

 

「ええと……」

 

「感動して声が出ないみたいですね」

 

 戸惑う彼に、能天気な同僚の隣にいる小豆さんが代弁してくれた。

 

 なぜ黙っているのかと思ったら限界化していたらしい。人間って行くところまで限界に行くと声も出ないんだ。初めて知った。知りたいとは思ってなかったけど。

 

「なので、私が代わってお伝えしますと、とても良かったそうです。私も同じ気持ちです。ありがとうございました」

 

「い、いえ……喜んでいただけているのでしたらよかったです」

 

 限界化している同僚が視界に入っているからだろう、恩徳さんは当惑を表情の端に覗かせていたが、小豆さんの説明を聞いてからは安堵の笑みに変わっていた。

 

 声真似のクオリティには驚かされてばかりだったが、彼の柔らかな笑顔に一番心臓が跳ねた。

 

 憧れの人の笑顔にドギマギする思春期の学生みたいな部分を気取られる前に話を切り出す。ええ、周りは性癖披露合戦を繰り広げていたけれど、わたしの恋愛観念は少女漫画でストップしておりますので、ええ。

 

 あーちゃんにいじられる前に動かなければいけない。

 

「長引いてしまいましたが、それではこれで……」

 

「あ、あの……一つ、いいですか?」

 

「……えっ?」

 

 またしても進行を遮る声にわたしは振り返り、声の主に目を見開いた。





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なによりも幸せそうに、笑っていた。

 またしても進行を遮る声に振り返り、声の主に目を見開いた。

 

「恩徳さんはギターや歌など、音楽にも造詣が深いようですが、それがどれほどのものなのかお伺いしたく……」

 

 いつもは粛々と仕事をこなす物静かな先輩だ。彼女が、明らかに面接を締めようとしていたところに強引に立ち入って話を始めた。

 

 あの能天気な同僚はともかく、この先輩まで暴走するなんて思いもしなかった。いや、ふだん大人しい先輩が面接に立ち会うなんて言い出した時点でその兆しはあったのか。

 

「身内相手に弾いて歌う程度の腕です。人様の前で披露するほどの技量ではありません」

 

 振り返りながら間抜け顔を晒しているわたしの頭上でやりとりが進む。

 

「一度聴かせてもらえませんか?」

 

「……ご覧の通り、私はギターを持参しておりません」

 

「エレキもアコギもあります。すぐ用意できます」

 

「…………」

 

 謎の押しの強さを発揮する先輩だった。いつも控えめで、会話に無理矢理分け入って発言するなんて今まで見たこともないのに、どうしたというのだろうか。

 

 と、そこまで考えて、彼女の仕事内容が主に音楽関係なことをようやく思い出した。配信などで使用できるBGMの権利確認だとか、歌配信の際の著作権管理団体への申請だとか、楽曲や伴奏などの使用条件確認や配信者への周知などなど。権利関係以外にも、歌配信に重きを置いている配信者のマネージャーをしていたり、配信者が歌配信の前に練習する時などは願い出れば親身に付き合ってくれたりもする。

 

 (こと)に歌や音楽に関しては並々ならぬ情熱を持っているのがこの先輩だった。

 

「ど……どうでしょうか。弾いてもらえますか?」

 

「ぼ……いえ、私は問題ありませんが、そちらは……お時間のほうは大丈夫ですか?」

 

 一人称を誤りかけるほどに混乱している彼は、声真似の時と同じように、わたしにやっていいかどうかの可否を委ねた。

 

 どことなく彼はギターと歌については消極的な様子だ。人前で披露するほどには自信がないのかもしれない。

 

 声真似に加えて突然ギターを弾かせることになる彼の心境を考えると申し訳ないけれど、わたしは聴いてみたいと思った。自己PR欄にはギターと歌を並べて書いているのだから、弾き語りみたいなこともできるのだろう。彼の指と声とで紡がれる歌がどのようなものになるのか、とても興味がある。

 

 負担を強いることになる彼にはまだ伝えていないけど、内々では既に採用の意向が決まっているのだ。それに免じて、もう少し無理難題を聞き入れてもらいたい。

 

「こちらは大丈夫です。恩徳さんのご無理のない範囲で、可能なのであればやっていただきたいです」

 

「…………はい。わかりました」

 

「っ……あ、ありがとうございます! すぐに持ってきますっ。ギターはどちらにしますか?」

 

「持ってくるものが増えてしまうでしょうから、アコースティックギターでお願いします」

 

「……ご、ご配慮っ、ありがとうございますっ……。少々お待ちくださいっ」

 

 普段ではそうそう聞けない大きな声にわたしが驚いている間に、先輩は早足で応接室を出て行った。

 

 浮き足立っている先輩の後ろ姿を困り顔で眺めていた恩徳さんが、躊躇いがちに口を開いた。

 

「ただ……歌はともかくギターのほうは最近あまり練習できておらず、素人に毛が生えた程度の(つたな)いものであることをご了承ください」

 

 ギターと歌については声真似ほどには乗り気ではないな、とは感じていたけれど、渋っていたのはギターのほうだったようだ。

 

 だけれど、自己PR欄には『ゲーム・歌・ギター・声真似』と書かれている。普通であれば、自信のあるものから順に書いていくだろう。ついさっき、凄まじいクオリティで披露してくれて、応接室を興奮の坩堝と化したあの声真似よりも先に『ギター』を書いているのは、いったいどうしてなのか。

 

「拙いもの……あまり自信がないのであれば、どうして特技として記入しているのかしら」

 

 彼の弱気な発言にあーちゃんが突っ込んだ。

 

 自信がないのであれば、自己PR欄に書くべきではない。確かにその通りだ。

 

 しかし、それは担当であるわたしが言及すべきであった。わたしが彼に聞かないから、あーちゃんも言わざるを得なかったのだ。嫌な役割を押し付けてしまった。

 

「っ……はい。私が人に胸を張れるような長所は何かと考えた時、何も出てこなかったのです。そこで、いも……親しい間柄の人間に長所を訊ねてみたところ、自己PR欄に記載されているような部分を挙げられたので……そのまま書いた次第です」

 

「褒められた行いではないわね。人に意見や感想を求めることを否定はしないけれど、それを踏まえた上で自分の頭で考え、自身の言葉で書くべきではないかしら」

 

「……はい、弁明の余地もありません。ご指摘ありがとうございます。申し訳ございません」

 

「…………いえ。細かい部分が目について、しかもそれを場も考えずに本人に直接言ってしまうのが私の悪いところね。……ごめんなさい」

 

 深く頭を下げた恩徳さんに、あーちゃんもまた謝罪していた。

 

 あーちゃんは努めて表情に出さないようにしているけれど、長い付き合いなのでわたしにはわかってしまう。やってしまった、というような後悔の念が強く含まれている。

 

 これもまた、あーちゃんの長所の裏返しだ。その人の為になればという思いで、気になったところを直接的な言葉で注意してしまう。あーちゃんは、その人が同じ失敗をしないように、大きなミスを防ぐために小さなミスを指摘しているのだけど、実直すぎる性格もあって誤解されやすい。えてして良くない印象を持たれることが多いのだ。同僚や後輩に煙たがられてしまいがちなことを、あーちゃんも嘆いていた。

 

 とくに今回など、今一番嫌われたくない相手にやってしまったのだ。いくら注意する事自体が正しくても、後悔はするだろう。その心中たるや、察するに余りある。

 

 元はと言えばわたしの怠慢が招いたのだから、わたしがなんとかしないと。

 

「あ、あのっ、あーちゃ……安生地は、恩徳さんが憎くてこんなことを言っているわけではなくてですね……」

 

「構いません、雨宿さん。意地悪や嫌がらせで言っているわけではないことは理解できているつもりです。注意や指摘は言われる側からすれば耳に痛いことですが、必要なことです。そして人に嫌われるかもしれない忠告をあえてするのは、とても勇気のいることです。私にわざわざご指摘してくださったのは、安生地さんのご厚情故であると愚考しております」

 

「……そう。それなら、よかったわ」

 

 目を伏せた時に顔にかかっていた髪を耳にかけながら、あーちゃんは目線を上げた。

 

 ほとんど変わっていないようなわかりにくい声色だけど、微妙に声が明るくなっているのがわかった。なかなか周囲から理解されにくいあーちゃんのことだ、自分の意を汲んでもらえたのが嬉しかったのだろう。

 

 そのやりとりで、応接室の空気が緩むのを感じた。そこでようやく、今までぴりぴりとした緊張感に包まれていたことに気づいた。

 

 他人がいる前で注意や説教をされることを、男性はとくに嫌がると聞いたことがある。誤解を解かないと、と必死だったせいで気づかなかったが、あーちゃんの忠告で恩徳さんが激昂とまでは行かずとも不快に感じるのでは、と後ろの人たちは思ったのかもしれない。もしかしたら、そのせいであーちゃんも指摘した後、酷く落ち込んでいたのかな。

 

 わたしはというと、そんな心配は頭の片隅にもなかった。彼に限って言えば、そんなものは杞憂に他ならないと、この場でわたしだけが知っている。

 

 一回りほども歳の離れたあの小学生に何を言われても欠片も腹を立てることのなかった寛容な彼が、合理的な理由のあるあーちゃんの注意に怒るなんてことあるわけがないのだ。彼の広量さは折り紙付きである。

 

「も、持ってきましたっ」

 

 そうこうしているうちに、アコースティックギターを抱きしめた先輩が息を切らして戻ってきた。どれだけ急いでいたのだろう、たしかギターを置いている場所は上の階だった気がするけど、あまりにも帰りが早すぎる。それに自分が戻ってきたことよりも先にギターを持ってきたことを報告するというのも、普段の彼女らしくないというべきか、音楽好きな彼女らしいというべきか。

 

 先輩は恩徳さんに一直線に歩み寄り、突き出すようにギターを渡した。

 

 受け取ったギターを、彼は何かを確認するようにまじまじと見ていた。

 

「……よく手入れされているギターですね。ありがとうございます。少しの間、お借りします」

 

「いえ、そんな……。あの、これ……ピックです。私が使っている物で、よければ……」

 

「とんでもない。お借りします。ありがとうございます」

 

 ギターを渡してからポッケを探ってピックを取り出した先輩を見て、ふと気になった。

 

「ピックって、ギターの上のほうに挟んだりしないんですね」

 

「う、うん。えっと……うん」

 

 言い淀む先輩に代わるように、恩徳さんが答える。

 

「あまり大差はないとは思いますけど、弦もピックも変形することがあるのでしないほうがいいそうですね。とはいえ、どちらも消耗品ですから気にしないという人も多いです」

 

「へー、そうなんですか」

 

 ギターを膝に乗せ、ピックを摘んでギターの弦を上から下に弾いた。しかしどうしたものか、あまりいい音ではなかった。なんというか、べよーん、みたいな間の抜けた音だった。

 

「あ、チューナー……」

 

「すぐチューニングします。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

 

「はい? ……ど、どうぞ」

 

 ギターの弦を一本ならしては、恩徳さんは螺子のような部分をきゅるきゅると回して調節する。

 

 まだ一曲も弾いてもいないのに、わたしはその姿に惚れ惚れと見入っていた。音楽ができる人って尊敬しちゃうよね。

 

「チューナー、なくてもできるんですか?」

 

 一度弾いた時に小声で呟いていた先輩が、恩徳さんに問い掛ける。

 

 彼は面接の時間が予定よりも大幅に延びてしまっていることを気にしてくれているのか、ギターのチューニングを優先しながら先輩に答える。

 

「ええ。ギターは違っても音は覚えていますので」

 

「あれ? たしか先輩、今日のお昼もギター弾きに行ってませんでしたっけ?」

 

 同僚が、今は面接中だということも忘れてお気楽で能天気な口調で先輩に訊ねた。

 

 お昼休みは先輩の姿をあまり見かけないから外に食べに行っているのかと思っていたけれど、ギターを触りに行っていたのか。

 

「そ、そうだけど……私は、あの……」

 

「弾いた後は弦を緩めたほうがいい、という話を聞いたことがあります。ずっと張った状態だとネックが……この細くなっている部分を言うのですが」

 

 またしても、口ごもる先輩に代わって恩徳さんが説明していた。

 

 彼はチューニングを続けながら、ネックという場所を手で示す。ギターの弦を弾く時の穴の空いた大きい下端の部分と、チューニングしていた螺子のようなものがついている先端の部分を繋ぐ、細い橋のようになっているところをネックというらしい。

 

「ここが歪んでしまうそうです。実際にそうなったことはありませんが、私も弾かない時は緩めるようにしています。ですが頻繁に張ったり緩めたりすると逆に悪影響がある、と考えて緩めない人もいるそうですよ。それに毎日ギターに触るようなら緩めないほうがチューニングも楽ですから、このあたりは個人差があるようです」

 

「お詳しいのですね」

 

「ギターを始めた時に店員さんに聞いたり、教本で見たりした程度の付け焼き刃です。大層な物ではありません」

 

 謙遜しながら、恩徳さんは控えめな笑みを浮かべて小さく首を振った。面接の最中だから謙虚に振る舞っている、という風にも見えない。謙虚な人間を演じているわけではなく、素の彼の性格がそうさせるのだろう。

 

 話しているうちに、チューニングも完了したようだ。

 

「お待たせしました。そろそろ始めさせて頂きます。曲は……」

 

 はい、というまるでリクエストしたいですと言いたげな声が複数(・・)上がった。

 

 理解しているのか、ここが面接の場であるということを。ねぇ、あーちゃん。後ろの人たちもそうだけど、特別際立っているあーちゃんよ。待ってましたとばかりに声とともに手まで挙げているあーちゃんよ。もう欲求を隠しも誤魔化しもしなくなってきたね。

 

 恩徳さんの困り顔を見るに、後ろに立ち並んでいる部外者たちの相当数がリクエストの挙手をしているのだろう。収拾がつかないので、ここはわたしが助け舟を出すべきだ。

 

「……時間も押しているので、弾き語りしてもらう曲はわたしが決めさせてもらいます」

 

 えー、ずるいー、職権濫用だー、などという背後からの(いなな)きはわたしには聞こえなかった。

 

「知らない場合もあるかもしれませんので、そのあたりはご容赦願います」

 

「それはもちろん。弾く曲数は……」

 

 あれ、どのくらいなら彼の負担にならないのだろうか。ギターと歌唱力がどの程度のものなのか知れたらそれでいいのだが、基準がわからない。声真似の時と同じく三つくらいでいいのかな。

 

「三曲でも大丈夫ですか?」

 

「はい、問題ありません」

 

「それでしたら、一曲目は恩徳さんが一番得意な曲をお願いします。二曲目は……先輩から」

 

「……えっ、わ、私っ?」

 

「ギターと歌をやってほしいと熱心に頼まれたのは先輩なのでどうかなと思ったんですけど、どうしますか? 特にないならなしでも……」

 

「そ、それなら……」

 

 そう言って、しばし迷った先輩はわたしも聞いたことのある、男性ヴォーカルのメジャーな一曲を、おずおずと口にした。

 

 曲名を聞いた時、恩徳さんが一瞬固まった気がした。

 

「……っ。は、はい……やってみます」

 

「それじゃあ三曲目は……」「ねぇ」

 

「っ……えっと、三曲目は」「ねぇ、雫。ねぇ」

 

「…………」

 

「あの、雨宿さん……安生地さんが何か仰りたいご様子ですので……」

 

 曲はわたしが決めると宣言した段階から隣でわたしの服を摘んで引っ張ってきていたけれど、ラストの選曲というところでとうとう声まで掛けてきた。

 

 無視し続けていたかったけれど、彼から言われれば無下にはできない。仕方なしにあーちゃんへと体を傾けた。

 

「……なに?」

 

「『誓い歌』がいいわね」

 

 わたしが訊ねた瞬間のことだった。ノータイムでラブソングを要望した。

 

 あーちゃんとはかれこれ二十年近い付き合いになるわたしだからわかる。彼女はなんの恥じらいも躊躇いもなく言っている。どのような訓練を施したらそんなメンタルが作り上げられるのか。一切の気兼ねも遠慮もなくラブソングを所望した。

 

 心臓が強すぎる。神経が太すぎる。恩徳さんの反応が怖くないのか。

 

「……すごいね、あーちゃん。なんでシラフで表情も変えずにそんな要求ができるの? もしかしてお酒入ってる?」

 

「飲んでるわけがないでしょう。……違うわよ、これは前に礼愛さんが嬉しそうに話していたから、それを思い出しただけよ。他意はないわ。知らない曲よりも演奏したことのある曲をお願いしたほうが彼も気が楽だと、そうよ、そのほうがやりやすいと思ったからよ」

 

「あくまでも恩徳さんへの配慮だと、そう言いたいんだ?」

 

「そう言いたいも何も、その通りよ。その通りでしかないわね。当然でしょう?」

 

「…………」

 

「た、たしかにやったことのある曲なら気が楽ですから……はい、大丈夫です。あの曲は何度も礼ちゃ……妹から『感情がこもってない!』とリテイクを受けたので、他よりも歌えると思います」

 

 気を使ったのだと言って憚らないあーちゃんを庇うように、恩徳さんがフォローを入れる。わたしがあーちゃんにじとっとした目を向けていたから、きっと彼は見ていられなくなったのだろう。面接している側がこんな有様で申し訳ない。

 

「そ、それでは……始めさせていただきます」

 

 恩徳さんは右手でピックを摘み、左手で先ほど教えてくれたネックという部分を握る。瞼を閉じて、深呼吸を一つ。妹さん、レイちゃん以外には弾いて見せたことはないらしいので、もしかしたら緊張しているのかもしれない。

 

 一曲目。得意な曲で、というわたしからのリクエストには、誰もが一度は聞いたことのある曲で応えてくれた。CMなどでも採用された、男性がヴォーカルを務めるとても有名な歌だ。

 

 初夏の晴天を思わせる晴々とした気持ちの良い楽曲で、盛り上がるのでカラオケなどでもよく歌われており非常に人気が高い。

 

 あまり自信がなさそうにしていたのに、彼は覚束なさなど微塵も見せずに弦を押さえ、瞳を閉じながら伸びやかに歌う。耳に心地よい彼の声は、奏でられるギターの音色と相克することなく合わさり、一体となっていた。

 

「…………」

 

 ただ、なぜか、なんだろう。明確に言葉に表せないけれど、何かが足りない気がする。

 

 急に弾き語りしろだなんて無茶振りしといて言えたことではないけれど。歌もうまくない上にギターなんて触ったこともないわたしが言えたことではないけれど。音楽に熱心でも博識でもないわたしがとても言えた立場ではないのはわかっているのだけれど。

 

 何かが、欠けている。

 

 そんなふうに感じた。

 

 こんなに素晴らしい演奏を間近で聴けているのに、素直に感動できない自分に正直愕然としている。ちょっとショックだ。何が足りていないのかわからないけど、なぜかすっと入ってこない。胸に響かない。

 

 演奏は完璧なように思う。わたしの狭い見識では音の繊細な違いを聞き取れたりはしないけれど、違和感を覚えるようなシーンは一つもない。ギターにしても、声にしてもそうだ。CMでも音楽番組でも何回も聴いた曲なので音を外していれば気付くだろうけど、一箇所もない。間違える素振りがない。

 

 歌唱力自体も卓越している。音程もぶれない。最近の流行歌らしくサビは高音が多いし、男性が歌うだけあって低い部分もある。でも彼は高音も低音も余裕を感じられる。メロディはばちっと合っていてリズムが狂うことはない。歌声の音程の調節に特段注意を注がなくていいくらい上手いからこそ、歌い上げる際の細やかなテクニックや演奏に力を振り分けられるのだろう。

 

 歌をメインにしている配信者と並んでも見劣りしないくらいの力量、歌唱力であることは確かだ。

 

 なのに、心が躍らない。胸に迫るものがない。ポップでノリのいい歌なのに、まるで木枯らしのようにどこか薄寒く、乾いていた。

 

 二曲目。少し古い、ひと昔前くらいに流行った歌だ。

 

 音楽に関係する物事とそれ以外とで驚くほど行動力に差がある、普段は大人しい印象の先輩がリクエストした曲。

 

 始まってすぐ、どうしてこの歌を先輩がリクエストして、どうして恩徳さんが少し戸惑ったようなリアクションをしたのかわかった。

 

 素人目でもわかる。演奏がとても大変そうだ。弦を押さえる位置がネックとやらの先端に行ったり根元に行ったりととてもよく変わっているし、弦の一本一本を押さえる指も忙しなく動いている。

 

 素人のわたしは、指が絡まりそうだなぁ、なんてのんきに見ていたが、後々先輩に意見を聞いてみたらとても高い技術を要する曲だと、頬を上気させながら教えてくれた。丁寧に説明してくれたのだけど、専門用語を知らないわたしではまるで理解できなかった。わたしの脳みそは専門用語の羅列に耐えきれずにフリーズしたので記憶できたのは、普段は物静かな先輩のテンションが上がるくらいの技量が恩徳さんにはある、というところまでだった。とりあえず先輩は、ギターの腕前を測るために難しい曲を演奏してもらいたかったらしい。

 

 その曲がどのくらい難しいのかはわたしには知る由もないが、とりあえず彼にとっても難易度は高かったらしい。鈍い音が出る場面も散見されたし、苦い顔で弦を見ながら弾くことも多かった。演奏に気を取られてブレスが乱れ、音程が安定しないフレーズもあった。

 

 一曲目の安定感とは打って変わって、二曲目は弾き語りという体裁をなんとか保っていた、という印象だった。

 

 歌も演奏も、完成度で言えば一曲目のほうがよかったはずだ。でも、わたしは二曲目のほうが、なんだかぞわっとした。いい意味で鳥肌が立ったのだ。どうにか原曲に近づけようと懸命になる彼の姿には、一曲目の時にはなかった魅力と迫力があった。

 

「いよいよ、ね……」

 

「そうだね」

 

 二曲目が終わり、とうとうあーちゃんリクエストのラブソングのターンだ。期待感で若干前のめりになっているあーちゃんの肩を引き戻す。

 

「ふう、はあっ……っ、すいません、ちょっと飲み物いただいていいですか?」

 

「気が回らなくてすいません! どうぞ! 飲み物はご自由に……」

 

 このミニライブにのめり込んでしまっているのは、隣のあーちゃんだけではなかった。わたしもだった。

 

 面接というだけで緊張するだろうに、なぜか立ち会っている人間は多いし、声真似や弾き語りまでさせられているのだ。普段よりも疲れるだろうし、喉だって渇く。

 

 なんならよくこのような場でここまでポテンシャルを発揮できるものだ。わたしが同じ立場だったらと考えると震えてくる。

 

「あの、それが……もう飲み切ってしまってまして……」

 

「あ、そうだったんですね」

 

 そういえば彼はわたしがコップを渡した時にすぐに飲んでいた。あの時が(ぞろぞろと大勢が応接室に入ったせいで)緊張のピークだったようだし、ぜんぶ飲んでしまっていたのだろう。

 

 急須でお茶を淹れたのでそこから注ごうとお盆に視線を向けるが、急須が見当たらない。こんなに長丁場になるだなんて思っていなかったから、給湯室に置いてきてしまったようだ。

 

 何という手ぬかり。いや、こんなに長くなったのはわたしのせいではないのでわたしの失敗ではないねこれ。なにはともあれ、仕方ない。

 

「っ! そ、それなら……」「わたしは口をつけていないので、わたしのぶんをどうぞ」

 

「…………」

 

 あーちゃんが何か言おうとしたタイミングで被るようにわたしが喋り出してしまった。無表情のまま、感情の抜け落ちた瞳でこちらを見つめる親友が怖い。なんなの、わたしがなにをしたというの。

 

「すいません、頂戴します」

 

 彼はわたしが彼のほうへと寄せたコップを手に取り、傾ける。一口、二口と含み、喉を潤す。

 

 男性らしい太く筋張った喉が口の動きと連動して上下している光景から、なぜか目を離せなかった。とてもどきどきする。なんだ、今まで知らなかったけどもしかしてわたしは喉フェチとかだったりするのか。いやだ、そんな吸血鬼みたいな自分のフェチシズム知りたくなかった。

 

「どうかしましたか?」

 

「ぃえ?! なんでもないです!」

 

「……何を慌てているの、雫」

 

 彼から声をかけられ、思わず声が上擦った。いやらしい目で見ていたことを糾弾するような顔ではなく、わたしがぼんやりとしていたから声をかけた、といった様子だ。そりゃそうだ、誰が自分の喉を性的な目で見られているだなんて思う。

 

 落ち着いて面接を進行するんだ。大丈夫、えっちな目で見ていたことなんてバレるわけないんだから。大丈夫、大丈夫。

 

 後からあーちゃんに馬鹿にされないように、しっかりと役割をこなそう。

 

 だが、そう思えば思うほど緊張が増してくる。喋る量も多かったせいで喉も渇いてきた。

 

「すいません……失礼します」

 

「え? あ……」

 

 お茶を一口含んで落ち着く。

 

 すでにぬるくなっているし、給湯室に置いてある安っぽい茶葉はそこまでおいしくないけれど、取り敢えず落ち着くまでの間を作る効果はあった。

 

 仕切り直して、恩徳さんの弾き語りを聴くとしよう。

 

「雫、あなた……」

 

「雨宿さんが気にしないのであれば……ええ、はい。元はと言えば、僕が悪いわけなので……」

 

 隣からは信じられないものでも見るような目を、恩徳さんからは少々の驚きを含んだ申し訳なさそうな目を向けられた。なぜか後ろからもちくちくと刺されるような物々しい気配を感じる。

 

 なんなのだ、またわたしは何かやらかしてしまったのか。でも何をしたのだとしても、あーちゃんにそんな顔をされる(いわ)れはないよ。

 

「はい? えと……あの、三曲目をお願いしたいんですけど……」

 

「……失礼しました。では……」

 

 時間も押しているのでわたしが催促すると、彼は居住まいを正してギターを構える。

 

 三曲目。あーちゃんがリクエストしたラブソング。『誓い歌』。レイちゃんの配信でも『お兄ちゃんが弾き語りしてくれた』と語られたこともある有名な曲だ。

 

 歌の大まかな内容は『不器用な男性が女性にまっすぐな気持ちで愛を捧げる』というもの。正々堂々ストレートで真っ向勝負みたいなラブソングだ。カップルでカラオケに行ったら絶対に一回は歌われるなどという噂まであったこれを、妹が兄に対して弾き語りするようにお願いするのもどうなんだと思うし、兄も妹に言われるがまま感情を込めて歌い上げるのもどうなんだと思う。すごい兄妹だ。そしてそれを正面から臆面もなくリクエストするあーちゃんもすごい。これ以上あーちゃんの悪口を言いたくないから何がすごいかまでは明言を避けるけど。

 

 深く息を吸って吐いて、恩徳さんはギターをかき鳴らす。イントロだ。二曲目の指の忙しさを見てからだと、とてもゆとりを持っているように見えた。音の一つ一つが明確に整っている。

 

「『「好きだ」「愛してる」なんて、あまり言いたくはないんだ。口にすればするほど、価値が薄くなるから』」

 

「んっ……」

 

 思わず声が漏れてしまった。

 

 歌い出しのワンフレーズから、これまでの二曲とは明らかに違っていた。

 

 声量とか音程とかギターの音とか、そんなものが全部頭から抜け落ちるくらいの衝撃。心臓を撃ち抜かれるような感覚。

 

 一曲目を聴いた時に、何かが欠けているような、足りていないように思ったわたしの直感は正しかったのだと、この曲を聴いた今、確信した。

 

 歌に込められた気持ちの差。それがあまりにも違う。歌に詰められた感情の密度が違う。

 

 一曲目は、中身の入っていない空箱みたいなものだった。いくら外側を歌唱力や楽器の腕で飾り付けたって、中身が詰まってなければどうしたって軽くて、薄っぺらく感じる。

 

 聴き比べれば痛感する。いくら絢爛豪華な外装をしていようと、そこに感情という中身が詰まっていなければそれにさしたる価値はないんだと、そう知らしめるような歌。体の奥深くまで響かせ、心の柔らかい部分をきゅうっと締め上げるような破壊力。

 

「『「綺麗だ」「可愛いよ」なんて、あまり使いたくないんだ。使えば使うほど、言葉軽くなるから』」

 

「っ……」

 

 隣であーちゃんがびくっと身じろぎした気配があった。彼の歌が琴線に触れているのは、わたしだけではなかったようだ。

 

 隣を見れはしないけど、きっとあーちゃんも恩徳さんの演奏を食い入るように見入っている。いや、魅入られている。わたしがそうであるように、あーちゃんも、おそらくは後ろの同僚先輩たちに小豆さんも含めて、目を逸らすことなどできはしない。

 

「『でも、浅はかな、僕の頭では、違うやり方は、一つだって思いつきゃしないから』」

 

 歌に登場する男性は不器用で、だからこそ回りくどい言い方なんてできずに正面切って気持ちを言葉にしている。

 

 対して弾き語りする恩徳さんはいろんなことができる器用な人だから、そのあたりでいえば正反対だ。

 

 それでも、器用な彼だけど、歌の中の不器用な男性と同じように、気持ちを伝える時は迂遠なことはしないで直接的に正面からわかりやすい言葉で言ってくれるんじゃないかな、なんて思ってしまう。そう考えてしまうのは、恋愛経験のない女の妄想なのか、はたまた真に迫った歌の力なのか。

 

「『君の、手を握って、君の目見つめ、どうか僕の想い、気持ちすべて君に、届け伝われと願う』」

 

 込められた言霊が強い分、決して邪魔をしないように調整されたギターの伴奏。それでいて歌の魅力を最大限に引き出し、増幅し、強調させている。

 

 歌うほうに意識は向けられているはずなのに、彼の左手は滞りなく動き続ける。速やかにギターのネックを上下に滑り、指先は滑らかに迷いなく弦を押さえる。どれだけ歌に熱量が込められていてもリズムは一切狂わず、音を外して白けさせることもない。それが更にこの歌の世界へと引き摺り込まれる要因となっている。深い深い歌の沼に没入していく。

 

 鐘を打ち鳴らすように、がんがんと頭に不快な音が反響する。うるさい、なんだこの無粋な音は、と思ったら、高鳴る自分の心臓だった。自分の心音をこんなにも煩わしく思ったことはない。

 

 今だけは鳴り止んでほしい。盛り上がり、最高潮だ。サビの前なんだ。ノイズなしで、彼の声と音だけを享受したい。

 

「『好きだ、愛してる。こんな言葉じゃ全然足りない。綺麗だ、可愛いよ。我慢なんてできやしない。他はいらない、何も望まない、ただ君が幸せでありますように』」

 

 瞳を閉じながらギターを弾き歌う彼は、今日見たどの瞬間よりも優しそうに。嬉しそうに。楽しそうに。なによりも幸せそうに、笑っていた。

 

 あの小学生と一緒にいた時に見た表情とも違う。きっとただ一人、心に決めた大切な一人にしか見せることはないのだろうなと思わせる柔和で純粋で、人を魅了する表情だった。

 

 胸がじくじくと疼くように感じた。心臓をじかに握られるような思いだった。

 

 彼の、その瞼の裏に映っているのはいったいどんな女性(ひと)なのか、彼の表情をあれほど甘やかに融かすのはどんな女性なのか、無性に気になった。

 

 聴いている者にそう思わせる、そう感じさせるだけの熱量と力を持った歌だった。

 

 そこからフルで歌を聴いた。はずだ。

 

 三曲も弾き語りしてくれた恩徳さんにはちゃんとお礼を言ったはずだし、彼が帰る時にも粗相なくお見送りできたはずだ。

 

 なぜ『はず』を連用しているかというと、正直なところ、記憶がしっかりと残っていないからだ。衝撃と興奮と感動とで情緒が壊れている。

 

 気がついた時には事務所の自分のデスクで突っ伏していたあたり、相当なものだ。ちなみにあーちゃんは応接室のソファで座り込んでいた。あーちゃんも意識がぶっ飛んでいるらしい。距離が近かったからかな。

 

 もうこれは逆にレイちゃんがすごい。あの恩徳さんの弾き語りをたった一人で聴いていたなんて。自分一人のためだけにあれだけ感情を込めて歌ってくれたのなら、絶対好きになっちゃう。いや、すでにあの子はお兄ちゃん大好きっ子だったか。耐性があったんだね。

 

「……ふぅ。世の中、とんでもない人がいるんだなぁ……」

 

 完全に熱の失われた残り少ないお茶を、未だフリーズしているあーちゃんの隣に座りながらすする。まるでライブやコンサートが終わり夢見心地から醒め、一息ついているような気分だ。

 

 そんなこんなで、自分の意識の外でふわっと面接は終わった。おそらく歌を堪能しきった酩酊状態のわたしは恩徳さんに採用内定の旨を伝えていないだろうし、面接の後に彼と小豆さんとイラスト担当の先輩とやろうと思っていたミーティングも行われてはいないだろう。

 

 結局のところ、また彼と連絡を取り、事務所までご足労いただくことになりそうだ。きっと小豆さんは直接話してデザインを詰めたいとおっしゃることだろうし。

 

 必要もないのに面接に参列した同僚先輩諸氏のリアクションを鑑みるに、彼を採用することに反対する者はいないとは思うけど、一応念のため事務所スタッフの全体メッセージで意見があるか訊いてみよう。

 

 お茶をちびちび口に含みながら、わたしは会社用の端末で恩徳さんの合否如何についてのメッセージを打ち始めた。

 

 ちなみに、わたしが口をつけている湯飲みが、お茶を飲み切った彼におかわりとして差し出した湯飲みであることに気づいて吹き出すのは、わたしがメッセージを書き上げる寸前のことだった。




次でお兄ちゃん視点に戻ります。


*以下スパチャ読み!
初めて星10の評価もらったよ!思わず自分の目を疑ってページの更新しちゃったよ!ありがとうございます!

楽師さん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
fujisakiさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
明日奏さん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
シャル210さん、スーパーチャットアリガトゴザイマァス!
村岡8bitさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!(ネタ切れすいません)
逢魔桔梗さん、赤色のスーパーなチャットありがとうございます!
Restoさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
夜叉さん、赤色のスーパーチャットありがとうっ!ございます!
stella398さん、赤色のスーパーチャット、アリガトゴザイマァス!
陸奥九十九さん、上限で赤色のスーパーチャットありがとうございます!いただいた評価に見合う作品になってたらいいんですけどね!がんばりますけどね!

チャンネル登録(隠喩)も高評価(直喩)もありがとうございます!がんばります!


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「人間の皆々様、初めまして」

 あのやらかし面接から三日後、僕のPCにメールが二通届いていた。

 

 一通目は『New Tale』の面接の翌日に伺わせて頂いた一般企業からのメールだった。数多の会社に応募したが『New Tale』以外で面接まで漕ぎ着けたのはその企業一社だけで、そちらも益々のご活躍をお祈り申し上げるメールだった。これまでいただいたお祈りを全部集めたら何かとても大きな活躍ができそうな錯覚すらしてくるくらいお祈りされている。活躍する場がないことだけが問題だ。

 

 もう一通は『New Tale』からだった。

 

「合格、しちゃってたんだ……」

 

 驚くべきことに、合格を知らせるメールだった。

 

 自分のできる精一杯をやったつもりではあったが、あの時はいろいろ粗が目立った。質疑応答も準備不足だったが、大きな問題はその後起こった。弾き語りの時、とんでもない空気になっていたのだ。耳が痛くなるくらいの静寂に包まれた僕は、周りの人たちに聞こえるんじゃないかというくらい、ばくばくと心臓が脈打っていた。あの地獄のような時間を過ごしてまさか合格しているなんて思わなかった。

 

 届いたメールには、これからの諸々についての詳細な説明や配信活動についての意見交換、方向性などを相談したりするので、時間に都合がつく日と時間を記載の上返信してくださいとの旨が書かれていた。また『New Tale』の事務所で行うようだ。

 

「……とりあえず、礼ちゃんに報告だけしておこうかな……」

 

 絶賛勉学に勤しんでいるはずの礼ちゃんにメッセージを送ったのが、だいたいお昼過ぎくらい。そこから僕は『New Tale』の採用担当、雨宿さん宛にメールを返すと、再び母さんから頼まれていた雑用を片付け始めた。

 

 母さんからの雑務を終えて一通り家事も済ませたあたりでいい時間になったので、礼ちゃんを迎えに行く用意をする。車に乗り込んだあたりで礼ちゃんからメッセージの返信が届いた。

 

 文面から踊り狂いそうなほどの喜びを感じる。なんせ、かなりの長文にして、礼ちゃんにしては珍しく誤字も頻出する文章だったのだ。文面を確認しないまま感情の赴くままに書き連ねた様子。

 

 普段の礼ちゃんなら、上がったテンションのままで通話をかけてくるはず。そうしないということは、おそらくまだ教室にいて、周りにクラスメイトがいるから通話を控えたのだろう。

 

 読み進めていくと、最後のほうでまたお祝いをしようという流れになっていた。合格祝いらしいのだが、これでパーティは三度目だ。いったい何度祝杯をあげるのだろう。

 

 一緒にいたらしい夢結さんも二回目に引き続いて来てくれるそうだ。

 

 無論嬉しいけれども、パーティをするつもりでいなかったせいで今日の晩御飯の仕込みはいつもと同程度のラインナップだ。豪勢なものを用意できていないのが少々心苦しい。

 

 合格祝いの席では、夢結さんの表情が若干曇っていた。やはり夢結さんは学業と創作活動で忙しくて今回呼んだのは迷惑だったのだろうか、と僕が心配していたら、僕の代わりに礼ちゃんが夢結さんに訊ねてくれた。

 

 いわく『New Tale』合格は心から嬉しいけどサークルのほうに誘えなくなってそこだけが残念、とのこと。『New Tale』に落ちたら夢結さんの所属しているサークルでボイスドラマを作りたいと言っていたのは社交辞令や冗談の類と思っていたが、わりと本気だったらしい。

 

 そこからは和気藹々とお喋りして楽しんだ。吾妻さんのことを『夢結さん』と呼ぶようになっていることが露見してからはたまに礼ちゃんから刺すような目をされたり、フォークでつんつん刺されたりもしたけれど、だいたい和やかに過ごして解散となった。

 

 前回と同様に夢結さんを送り届けて家に帰っても、礼ちゃんはメーターが振り切ってるくらいにテンションが高かった。面接をした日の夜に礼ちゃんから感触を聞かれた時『とんでもない空気になった。あれは厳しい』と報告していたのだ。駄目だと予想されていたところからの合格という上がり幅もあってか、礼ちゃんの頭のねじはだいぶ緩んでしまっている様子だった。

 

 面接の日以降礼ちゃんはどこかしょんぼりした感じがしばらく続いていたので、こうやって突き抜けて元気な姿を見られて嬉しい。礼ちゃんの配信の時も、いつもより声が低くなっていたくらい落ち込んでいたのだ。これでいつもの明るい礼ちゃんの(それでも僕と喋っている時より低いけれど)配信が戻ってくることだろう。

 

 三度目のお祝いをしてからの日々は、とても慌ただしく過ぎていった。

 

 僕のVtuberとしての姿についての設定の擦り合わせであったり、配信においての注意事項であったり、実際に配信する際の手順や段取りであったり、覚える事は無数にあった。PCについても使ったことのないソフトの習熟など、やらなければいけないことは多岐にわたる。これから先輩になる礼ちゃんに配信者としての心構えを伺ったりもした。僕が頼った時の、あの嬉しそうな礼ちゃんのにこにこ顔は忘れられそうにない。

 

 Vtuberとして活動するにあたり、しばらく職探しは休止することとした。Vtuberと一般のお仕事は努力すれば並行してできなくはないだろうとは思うのだけれど、多くの人が関わっているのでVtuber活動をゆるがせにはできない。そもそもお仕事探しのほうは今のままではまるで決まる様子がないので、高卒認定試験を受けてからまた再チャレンジすることにしよう。願書はもう出願済みではあるのだ。

 

 そうしてデビューに向けていろいろ準備をしていく中、細々とした手隙の時間を使って配信者の世界、Vtuberの世界をリサーチしていった。人気のある人がどのように配信しているのか、視聴者ではなく同業者としての視点で調査するのだ。

 

 Vtuberをやり始めるきっかけになったのは礼ちゃんだったとしても、最終的にやることを決めたのは僕自身。やると決めた以上、わざわざ時間を割いて視聴してくれる人たちに楽しんでもらえるような娯楽の時間を提供したい。やるからには全力を傾けるのである。

 

 これまでは礼ちゃんの配信と『New Tale』の先輩であるお一方、あとはせいぜい礼ちゃんとコラボした同期の人くらいしか見ていなかったけれど、もっと視野を広げていろいろな配信者さんを見に行くようになった。

 

 そして、とある配信者さんが目に留まった。Vtuberの事務所などには所属せずにやっている女性の方だ。

 

 ちなみに、事務所や会社に属さずにやっている人のことを個人勢と呼称するらしい。もう一つちなみに、礼ちゃんや、デビュー前だけれど僕のように事務所に所属して配信する人のことは企業勢という。

 

 個人勢企業勢などの専門用語はひとまず置いておいて、ともかくその女性Vtuberが気にかかった。なかなかに他のVtuberさんと一緒に配信をする、いわゆるコラボをする比率が多い人だった。妙な引っ掛かりを覚えた僕は、その女性VtuberさんのSNSまで足を運んだ。

 

 配信をする方々は、SNSを活用している方が大部分を占める。というか、少なくとも僕が視聴した配信者さんは百パーセントでやっていらっしゃった。SNS上で同業のVtuberさんと絡んだり、たまにはファンとも交流をしたりするようだ。配信の直前にSNSで、配信を始めるよ、とファンに知らせることにも使われている。新規ファン開拓や、現在応援してくれているファンに飽きられないようにするためにはSNSなども巧みに駆使して活動をアピールしなくては、数多く存在する配信者の中に埋もれてしまうということなのだろう。

 

 その女性Vtuberさんは個人で活動されていながら、企業に所属されている一部のVtuberの方々よりも人気のある方だった。なんなら企業所属の礼ちゃんよりもチャンネル登録者数はわずかとはいえ多かった。

 

 僕とは性別が違うこともあるしキャラクターとしての方向性も違うのでそっくりそのまま参考にはできないだろうけれど、彼女の活動の随所に見習うべきものがあった。

 

 SNSなどの使い方も巧みだ。情報の発信の仕方がとてもお上手なのだろう。このあたりのさじ加減というか塩梅というか駆け引きというか、相手の興味を惹きつけ続ける話や物事の運び方は一朝一夕で身につけられるものではない。常に努力と研究をされていることがよくわかる。

 

 そうして彼女のSNSに目を通していく中で、最初に引っかかったことへのアンサーをおそらく見つけ出した。確認のためにその線を辿って調べてみると、明確な裏付けにはならずとも僕の考えを補強する程度の情報は収集できた。胸を張って断言はできないけれど、きっと大きく間違ってはいない。

 

 彼女を応援しているファンの反応はどうなのか気になり、Vtuber関連の情報をまとめているサイトも覗いてみた。数こそそれほど多くないにしろ、話題に上げている人もちらほら見受けられる。

 

 僕の取り越し苦労だったり、僕の想像が事実であったとしても、これから表沙汰にならなければそれはそれでいい。『New Tale』に所属しているVtuberの方とは現時点においては関わりのない方だし、きっとこれからも関わったりしないだろう。

 

 けれどもし、彼女の問題点が指摘され、ここから騒動に発展したとして、最悪の場合、火の粉がどこまで飛散するかは想像がつかない。

 

「…………まずは、事務所の人と相談。そこからは情報収集、かな」

 

 影響を及ぼす範囲がどこまで広がるか想像がつかないことだし、事前に少しばかり動いておこう。なに、予想と違っていても、僕が気にしすぎていたってことで笑い話になるだけだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「…………」

 

 『New Tale』の面接から、おおよそ二ヶ月ちょっとが経過した今日この日、デビューとあいなった。

 

 僕は準備をつつがなく完了し、あとは予定時間に合わせて配信を開始すればいいだけの状態で待機している。

 

 お披露目の方法については事務所のスタッフさんたちとの話し合いの末、デビュー配信においては先輩にあたる三期生の方々と同じように、リレーのようにバトンを渡していく形が取られた。

 

 ちなみに、僕は一番最後だ。すでに今回デビューする。『New Tale』四期生の方たちは配信を終えている。

 

 今回のリレー配信の先鋒を担ったのは快活で明るい印象のアイナ・アールグレーンさんだった。元気な声で、配信を視聴してくれているリスナーさんたちとやり取りをしていた。竹を割ったような素直な方なのだろう。真っ直ぐな人というイメージで、裏表のない人だ。

 

 一期生の先輩方はそうでもないけれど、それ以降の二期生三期生の諸先輩方と同様に、四期生にも外見的な意味で大まかなキャラ付けがされている。ヴィジュアルという共通点でしかないが、王道ファンタジーというか、定番のRPGのような見た目だ。

 

 アールグレーンさんは顔立ちは幼さを残しているものの、見るからに女戦士というような風貌をしていた。最前線で戦うのならもう少し着込んだほうがいいんじゃないのかな、と心配になるくらいに肌の露出が多かった。

 

 丈の長いマントを羽織っているものの、それはあまり肌を隠すことには役立っていない。ただのマントだ。羽織っているだけなのだ。金属で作られていると思しき鎧で胸元を覆ってはいるが、水着と大差ない面積しか覆われていないし、大胆に谷間が見えてしまっているのはいろんな意味で危ういのではないだろうか。うっすらと腹筋が浮いている引き締まったお腹は自慢げにオープンされている。膝上というか、股下で測ったほうが早そうなほど短いスカートの上に、金属製の板のような腰鎧が取り付けられていた。スカートとしての機能を喪失するくらいにスリットが開いていたが、わずかだがそこから太ももを包むように布が見えていたので、おそらくパンツスカートのようなコーディネートなのだろう。動きやすくはあるだろうけれど、それが戦う者として正しい装いなのかどうかは僕にはわからない。これが様式美というものなのだろうか。足元は膝上まであるロングブーツを身につけていた。ところどころ光沢があったので、関節部以外は金属を意識しているのだろう。足元にそんなに布と金属を使うのなら、もっと上半身を守ってと切実に思う。情熱的な赤色のミディアムボブの髪が、活発な彼女の印象ととてもマッチしていた。

 

 二番手はイヴ・イーリイさん。清廉にして純朴。僧侶なのか修道女なのかわからないが、修道服を身に纏った儚げな第一印象、を突き破ってくる男性顔負けな低めで格好いいハスキーボイスと、隠し切れない気性の荒さが滲み出ている人だった。どう形容していいか迷うけれど、親しみやすいフランクな言動と笑った時に桜色の唇から覗く八重歯がとても印象的だった。配信終了間際の段階ですでにヤンキーシスターや不良僧侶などと呼ばれていたのは失笑してしまった。ベールの下から広がり、腰に届くほど長い白銀の髪はとても綺麗だけれど、それはベールの内にまとめなくていいものなのだろうか。

 

 三番手はウィレミナ・ウォーカーさん。ハイウエストあたりを濃青色のリボンで絞っている青紫色のマキシ丈ワンピースとフラットシューズ。宝石と思しき青い石がいくつか嵌め込まれた細いブレスレット。てっぺんが尖っていて(つば)が異常に広い真っ黒な帽子を被っていなければ魔法使いとわからないような、そんなお洒落な見た目の魔法使いだ。眠そうに半開きの瞳と小さな口が小動物のようで可愛らしい。ゆったりとしていて落ち着いたトークは人を惹きつける魅力がある。今回デビューした中で一番低身長で、落ち着いた語り口なのにどこか幼さを感じる声音をしている。僕にはとても耳に心地よく感じたけれど、とある趣向を持ったリスナーには彼女の声が魂の深いところに突き刺さったようだ。癖なのか、リスナーからの質問で理解できなかった時にする小首を傾げる動作で、柔らかそうなミディアムの青髪がふわりと揺れるところに制作サイドのこだわりを感じた。

 

 四番目に配信したのはエリーゼ・エスマルヒさん。一番手の女戦士、アールグレーンさんを上回ると言うべきか、下回ると言うべきか、とにかく負けず劣らず肌の露出が多い人だった。まさか女戦士さんに引けを取らない肌色率の方が同期にもう一人いるだなんて思いもしなかった。

 

 エスマルヒさんは踊り子を意識しているようで、その意匠はベリーダンスのそれを思わせた。ベリーダンスの衣装は大別して二種類あって、派手で絢爛豪華なエジプシャンと、胸周りや腰回りの装飾が垂れ下がるよう設計して力強さや躍動感のあるダンスを強調させるターキッシュがある。どちらかというと前者のほうが優雅で肌の露出は少なめ、後者のほうが脚の付け根近くにまでスリットが開いていたりして大胆なものが多いのだが、エスマルヒさんの衣装は後者だった。宝石なのかビーズなのかスパンコールなのか、判別はつけられないがそれらで豊かな胸元をきらきらと輝かせ、きゅっとくびれたウエストを大胆に見せつけ、すらりと伸びる長い足を深いスリットの間から覗かせる姿は傾国の美女という言葉が似合う。いやはや、とんでもない衣装である。コメント欄の盛況ぶりから察するにリスナーは大層喜んでいる様子だが、おそらく近々女戦士さんことアールグレーンさんと一緒に肌の露出を控えめにさせたお洋服を着ることになるだろう。オンライン動画共有プラットフォーム側がこういった部分に厳しいのだ。仕方ないね、未成年者も見るんだからね。

 

 それだけ扇情的な衣装を着ている人なのだから性格も相当挑戦的というか大胆な人なのだろうと僕はイメージしていたし、きっと視聴者もそう思っていたはずだ。純情な男心でジャグリングするような、男を容易く手玉に取るような人生経験豊富な大人のお姉さん感が彼女にはあった。見た目は。

 

 しかし蓋を開ければ予想を完全に裏切ってお淑やかで恥ずかしがり屋の女性だった。恥ずかしがり屋なのならば、なぜ今からベリーダンスを踊るわけでもないのにそんな過激な服を着て、この衆人環視のど真ん中に出ているのだという話だが、本人曰くあがり症を克服して堂々と胸を張って生きるために、あえて露出の多い服を着て耳目を集めることで人の目を向けられることに慣れようとしているらしい。その努力を笑うつもりはないし、是非ともその頑張りは報われてほしいとも願うが、とんだ荒療治だ。もう少し取れる手段はあったろうに。

 

 あがり症は設定上だけではないらしく、初配信の挨拶もかなり危ういものがあったが、見た目と性格のギャップに心を打たれたリスナーたちに優しく、もしくはやらしく見守られ、なんとか大きな失敗もなく顔見せを終えることができた。経験豊富なお姉さんに見せかけて、コメント欄の一言一言で戸惑ったり恥ずかしがったり照れたりする動きに胸を打たれたのだろう。外見の派手さとは裏腹に話し方は丁寧で清楚そのものというのが、また魅力になっている。まだ間に合うから同期の不良僧侶とジョブを交換してくれ、というコメントには無意識に僕も頷いてしまった。

 

 そうしてエスマルヒさんが配信を終了したのがついさっき。とうとう僕の出番となる。

 

 配信のやり方は『New Tale』のスタッフさんから教えられたし、その後もVtuberの大先輩になる礼ちゃんから見たり聞いたりして予習も準備もしていたので問題はない。

 

 配信に使われるアプリケーション内のボタンをクリックし、配信を開始する。

 

 さて、処刑台へと歩みを進めるとしよう。

 

 映像やBGMに問題がないことを確認する。BGMは著作権フリーのものを使わせていただいている。ピアノのソロで、余計な音が極限まで削り取られたシンプルかつ奥深い落ち着いた印象のBGMだ。

 

 映像も問題はない。画面には僕のヴァーチャルの姿が映し出されている。

 

 僕のVtuber活動の第一歩ならぬ、第一声だ。

 

 息を吸って、少し溜める。柄にもなく緊張している。ちゃんとやり切らねばならない。

 

 声を、乗せる。

 

「人間の皆々様、初めまして。ジン・ラースと申します。お見知り置きを」

 

 ジン・ラース。

 

 それが僕のヴァーチャルの姿の名前だ。

 

 ざわつくコメント欄を今は思考から排除し、すでに考えておいた自己紹介を口から垂れ流す。

 

 その間暇なので、もう何度もじっくり見たと言うのにまるで飽きる気配のないくらい出来のいい立ち絵を再度見つめておこう。

 

 ぱっと見た感じはスーツ姿の青年だ。上品なネクタイスーツ、黒のジャケットに白のシャツ、暗めの灰色と黒のストライプネクタイに、シルバーのネクタイピンをつけている。ネクタイピンに煌めく宝石のような赤の装飾が実に映える。シルエットを意識したスリムなスラックスパンツに、光沢のあるダークブラウンの革靴。まっとうな社会人のような服装なのに、なぜか悪役感が醸し出されている。

 

 髪はスパイラルパーマをかけた重め長めの艶のある黒のマッシュヘアをしている。男にしては長い睫毛をしているがそれらは上下が合わされている。細目とか糸目とか以前に目をつぶっている。口元は常に微笑んでいるような形で怪しげに口角が微かに上がっており、腹で何を考えているのか読めない食わせ者っぽさがある。不健康一歩手前くらいの色白で長身痩躯の姿だ。

 

 ここまでなら普通の人間のようだが、一言目から『人間の皆々様云々』と口にしているだけあって人間ではない。

 

 頭からは赤黒く禍々しい角が伸びていて、耳は長く尖っている。スーツがどうなっているのか心配だが、背中からはおどろおどろしい翼が広がり、尾骨の部位あたりから蛇が蛇行しているかのように尻尾が揺れている。

 

 ジン・ラースは悪魔である。

 

 先にデビューの挨拶をした四人が正義の味方な主人公サイドだとしたら、ジン・ラースは人間に(あだ)なす悪の陣営サイド、その幹部のような印象だ。ちなみに主役級の勇者と魔王はいない模様。

 

 このシックで格好いいヴァーチャルの姿を作ってくれたのは、とても人気が高いイラストレーターの小豆真希さんだ。なんと面接にも同席していた(厳密には席に着いてはいなかったので同室とでも言うべきか)方である。合格が決まってから再び『New Tale』の事務所でお会いしてお話をしたけれど、なんでも初めてVtuberのイラストを手掛けるから演じる人にあったキャラクターにしたかったのだとか。敬服すべきプロ意識である。

 

 それなのに。

 

 このようなことに巻き込んでしまって、本当に申し訳ない。

 

 一息に喋り終えた挨拶の後、コメント欄は大雨が降った後の川のような速さで大量のコメントが流れていた。

 

〈は?〉

〈消えろ〉

〈今すぐやめろ〉

〈男がかかわんなや〉

〈はークソ〉

〈ありえねー〉

〈New Taleなにやってんだ〉

〈ふざけんなぼけ〉

〈失せろ〉

〈最悪だわ〉

〈あの二人の二の舞ですねこれ〉

〈頭おかしいんか〉

〈Vtuberやめろ〉

〈ごみくそ〉

〈出会い厨おつ消え失せろ〉

 

 この他にも、というかこれ以上に、口に出すのも憚られる文字がボキャブラリー豊かに投稿されていたのだが、それらは心苦しいけれど割愛させて頂く。

 

 デビューのタイミングさえ違えば、多少は騒がれることがあってもどうにか無難にやり過ごすことはできたろう。しかし、結果としてはこうなってしまった。考えられる限りおよそ最悪のタイミングといっていいだろう。

 

 デビューを延期させることも検討されたが、ここまで事態が悪化してしまったのは『New Tale』から新人が五人デビューしますと発表された後のことだった。前言撤回することもできず、これまでのデビューの流れとこれからのプランを考えると安易に延期という手は取れなかった。それならばと出来得るだけの手は尽くしたが、それらも今の惨状を見るにどれほど効果があったかわからない。

 

 ことここに至ってしまえば、もうあまり関係のない話だ。

 

 今は、これ以上火に油を注ぐようなことがないように気をつけて、こんな状態でも視聴して応援してくれている数少ない人たちのためにできることをやっていこう。

 

 どんな状態であろうと配信するというのは『New Tale』の人たちとも話し合って決めたことだ。誠心誠意、初配信をこなし切ることが今回の目標である。

 

「…………っ」

 

 大量に流れる酷い言葉の中にあった励ましのコメントを見つけて、ふと礼ちゃんの顔が過ぎった。

 

 配信の準備をする前にリビングで礼ちゃんが投げかけてくれた『初配信がんばってね』というエールと笑顔。

 

「はい、応援ありがとうございます。……頑張りますね」

 

 できることなら。

 

 その期待を裏切りたくはなかったけれど。

 





ちょっとお兄ちゃんの敵が多いけど、味方もたくさんいるから大丈夫か。ヨシ!(現場猫)
どんなことになってるかの説明は次のお話です。ちなみに別視点です。
僕の語彙に悪口のバリエーションなんて多くないから大変でした。悪口の国語辞典みたいなやつ買おうか悩んだくらいでした。


*スパチャ読み!
最近如実に評価してくれる人が増えた気がするよ!ありがとう!活力になってるよ!
水銀を一気飲みした成れの果てさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
土屋 四方さん、スーパーなチャットありがとっ!ございます!
泉花さん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
ジェリー太郎さん、赤色のスーパーなチャットありがとう!ございます!
とまといもさん、スーパーチャット、アリガトゴザイマァス!
グナイゼナウさん、スーパーチャット、ありがざます!
白髪ヤハハさん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
城雅さん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
libra0629さん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
りらのあとかげさん、上限赤スパてんきゅー!ありがとうございます!

更新切らさないようがんばるよ!


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件の男女Vtuber

 

「うへへ……」

 

『怖! イヴちの笑いかた不気味だよ!』

 

『……また立ち絵見てにやにやしてるの?』

 

「うっせうっせ。せっかくこんなに可愛く産んでもらったんだ。喜んだって良いだろ」

 

 『New Tale』の公式サイト、新設された四期生の項目。所属タレントのところで左から二番目に並ぶ長い銀髪の修道服姿の美少女を見て、またもだらしなく頬が緩む。『New Tale』から立ち絵を受け取ってもうかれこれ累計一時間以上は眺めたけど、まったく飽きることはなかった。

 

 うち、入江(いりえ)(いく)のヴァーチャル世界での姿がこの美少女、イヴ・イーリイだ。儚げな瞳や穏やかそうな口元から覗くギザ歯というのが、ギャップがあってとても良い。この子を産んでくれた炸薬カメレオンという絵師さんがうちの印象を取り入れてくれたらしい。とてもよい趣味だと拍手を送りたいが、うちの印象というのが引っ掛かる。印象がギザ歯ってなんだ。手放しで称賛できない。

 

 今日は初配信、Vtuber事務所『New Tale』から四期生としてデビューした記念すべき日だ。

 

 初配信の前から、同期で使っているコミュニケーションアプリのグループ内で『たのしみだね!』とか『意外と緊張してきたわ』とか『……最初だし、マイペースにやってもいいんじゃない?』とか『一人だけ失敗したらどうしよう……』とか各々の気持ちをだらだら話したり応援したり励ましあったり不安を吐き出したりしながら自分の出番を待っていた。

 

 自分に割り当てられた配信時間になると一度グループを抜けて、配信が終わればグループに戻ってくる、といった感じで繰り返していき、とうとうグループ内にいる中で一番最後のエリーゼ・エスマルヒ(エリー)が所々怪しくもなんとか事故もなく無事に帰ってきた。うち含めアイナ・アールグレーン(アイニャ)ウィレミナ・ウォーカー(ウィーレ)もエリーの頑張りを褒め称えた。このグループ内で喋ることですらおっかなびっくりだったエリーが、大勢のリスナーの前で立派に配信者をしていてちょっと感動したくらいだ。

 

『ただいまぁ……。うぅ、緊張したぁ……。みんなすごいよね、私はもうパニックになっちゃって、頭の中真っ白になっちゃったよ』

 

『あたしも緊張はしたけどそれ以上に楽しかったよ! エリちも楽しかったでしょ?』

 

『アイちゃん……う、うん。最後のほうでやっと慣れてきて、そのあたりではリスナーの人たちとやり取りするの楽しかった、かな。でも最初のほうとかわたわたしてて、記憶ないよ……』

 

『……わたわたはしてたけど、ちゃんとできてた。挨拶も……噛んでたけど、そのあとにSNS開設したこともちゃんと報告できてた。エリーゼ、えらい』

 

『で、できてた? それならよかったぁ……。ありがとうウィーレちゃん。イヴちゃんもありがとね。私が行く寸前にイヴちゃんが自己紹介の後SNSのアカウント開設したことちゃんと言うんだよって言ってくれてなかったら、私絶対頭から抜けてたよ』

 

「はっは、それならよかった。でももともと待機時間でエリーがデビュー配信の流れを改めて教えてくれてたからな。うちは確認のつもりで言っただけだ」

 

『ううん。私が不安だったから、最初にみんなにこれでいいのかなって確かめたかっただけだもん。ほんとに助かったよぉ……』

 

 そう言うや、エリーの声が震えだす。張り詰めた弦のような緊張がグループチャットに戻ってきて緩まったからか、安心感で泣きそうになっていた。

 

「いやいや、自分の力だって。よく頑張ったよ。エリーはえらい! あがり症なのに頑張ったな!」

 

『そうだそうだ! かっこよかったよ! えらい! エリちはえらい!』

 

『……えらい』

 

『ぐすっ……みんなぁ、ありがとおぉ……っ。みんなが、みんなが同期で本当によかったぁ……。こ、これから一緒に頑張ろうねぇ……ひぐっ』

 

『なに泣いてんだー! 今日はデビュー記念日! お祝いの日なんだから笑えー!』

 

「はっは! エリーはマジで真面目だな。もっと肩の力抜いてけって」

 

 しゃくり上げながら本格的に泣き始めたエリーを、湿っぽいムードを吹き飛ばすようにアイニャと一緒に明るく笑いながら励ます。

 

 うちらの出会いは『New Tale』のVtuber公募に合格して顔合わせで事務所に集まった時からだから、それほど長いわけではない。だけど事あるごとにコミュニケーションアプリ内で集まって喋っていく中でお互いの性格は大まかながら掴めてきた。

 

 エリーは演技とかではなく本当に心根がピュアで優しい子だ。誰かの話を聞いていても、良いことがあれば喜び、つらいことがあれば励まし、残念なことがあれば一緒に悲しんで、お喋りしているだけでとても楽しそうにする。リアクションが素直で微笑ましい。純粋さとかいうものを母親の腹の中に置き忘れたうちからすると、時に羨ましくなるくらい眩しい子だ。

 

 アイニャは能天気なのか考えなしなのか、それとも的確に場の空気を読んでいるのかわからないが、いつも明るく話題と笑いを提供してくれるムードメーカーだ。時々驚くほど常識を知らないこともあるが、それでもポジティブに捉えてからからと笑っているのでどうでもよくなる。明るいアホは一緒にいて気持ちがいい。

 

『……同期、もう一人いるけど』

 

 ぽそりとウィーレが呟いて、ああそういえばそうだった、と思い出す。

 

 ウィーレのこういうところはありがたい。アイニャは基本的に何も考えずに頭に浮かんだことを喋り続けるし、うちはうちでアイニャのノリに乗っかって賑やかすような楽しければそれでいいという性格だし、エリーは真面目だけどテンパって周りが見えなくなることもしばしばだ。別に大きな声を出しているわけでもないのに、すっと耳に入ってくるウィーレの冷静な声のおかげで脱線した話を戻せたことも多々あった。

 

 今回もそうだ。

 

 今、このグループには四人しかいないけど、聞いていた話だとこれまでの先輩たちと同様、四期生も五人いるらしい。『New Tale』のホームページでも五人分の枠がある。デビュー配信の前なので、一番右に表示されている五人目の部分は黒くなっている。

 

「五人目、どんな奴なんだろうな。一度も話したことねぇわ」

 

 もしかしたら誰かが事務所で鉢合わせとかしていないかと話題に上げてみる。まぁ、誰かが会っていればその時に、こんな人だった、と話していそうだけれど。

 

『あたしもない! いつ会えるんだろって思ってたのに、結局デビューまでの間にお話しする機会なかったねー』

 

『……コミュニケーションアプリのIDも教えてもらってるはず。なのに……登録申請も来てない』

 

『顔合わせの時もご用事がおありだったみたいで会えなかったもんね』

 

『それでも問題なし! これから仲良くなればいいだけだよ!』

 

『ふふっ。うん、そうだよね、アイちゃん』

 

 エリーの言う通り、デビューの前に四期生で事務所に集まる機会があったときも五人目は予定があるとかで来ていなかった。いくら休日に予定を合わせたとしても、用事があったり就いている仕事によっては来れない人もいるだろう。だからそこは仕方ないとしても、直接顔を合わせるだけの時間を作れなかったのならコミュニケーションアプリでチャットなり通話なりで挨拶くらいはできるんじゃないだろうか。挨拶するのも難しいほどの人見知りだったりするのか。

 

「もうすぐで配信始まるし、終わり頃に全員でコメント打ってやろうぜ。アプリのグループに入ってこいっつってな」

 

『それいい! 配信中なら逃げられないしね!』

 

『……本人のタイミングでいいと思うけど』

 

『でも、ウィーレちゃん。同じ四期生なんだから、せっかくなら仲良くやっていきたいじゃない?』

 

『……その人だって心の準備とかいるかも』

 

『それはそうかもしれないけど……』

 

『……あがり症だったりするかも』

 

『いやそれは私のことだね?!』

 

 みんなで笑い合いながら、それは始まった。

 

 うちらの誰も会ったことも話したこともない五人目。

 

 その、第一声。

 

 ある意味でそれは、今配信を見ている奴ら全員が驚愕するものだったと思う。

 

『人間の皆々様、初めまして。当方ジン・ラースと申します。お見知り置きを』

 

 うちみたいに、女だけど声が低いってタイプじゃない。男だか女だかわからない中性的な低い声じゃなくて、明らかに男だってわかるような声。

 

 そして、画面に映し出された立ち姿。シャレたスーツを着込んで頭から角を生やしたその人物は、どう見たって女には見えようがなかった。

 

「五人目……男だったのか」

 

『へー?! 『New Tale』で男のライバーさんって初なんじゃないの?!』

 

『…………ううん、今は活動してないけど……一期生にいる』

 

『一期生の先輩は例外としても『New Tale』って男性も入れたんだね……』

 

「応募条件に性別は書いてなかったからな。男だろうが女だろうが条件を満たしてんなら合格できるんだろ。お嬢……レイラ先輩も配信で言ってたし」

 

『一期生の先輩が活動してないんならあたしたちだけなんじゃない? 同期で男のライバーさんいるのって! 特別だ! すごいね!』

 

『……特別、かはともかく異例なのは間違いない。先輩も同期も、女ばっかり。男ライバーは、ジン・ラースひとり。……きっとなんにもない時でも荒れてたと思う、多かれ少なかれ』

 

『今は……』

 

「ウィーレとエリーの考えてる通りだな。今は特に、タイミングが悪い」

 

 四人で意見を交わしながらでも耳に届くほどの滑舌と声の良さを見せつけるジン・ラースの配信へと意識を戻す。

 

『魔界は昨今問題を抱えておりまして、その問題の解決のために魔界の統治者は人間社会に紛れ込むことのできる魔族を人間界へ派遣しました。そのうちの一人が当悪魔です。少し前まではとある企業で忠勤に励む(かたわ)ら、人間界の社会経済の構造や政治体制の概念、宗教のような思想体系や果ては娯楽に至るまで、人間様が構築された社会の全般を広く調査しておりました。しかし勤めていた企業様が悪魔の身を以ってしても耐えらえぬほどに過酷で体を壊したことから、魔界本営より一時的な休養と調査対象の変更の命を承りました。勤めさせて頂いていた企業様を退職し、近年人間界において進歩の目覚ましいインターネット分野の調査を命じられた当悪魔は、折よく募集をされていた『New Tale』様のご厄介となることにしたのです』

 

 ジン・ラースは噛むことも詰まることもなく、淡々と朗々と流れるように自己紹介を済ませていく。

 

 どういうキャラクターで、どうしてVtuberをしているのか。ジン・ラースという存在の裏付けというか、人物の背景を説明していた。

 

 そのあたり、うちらよりもよっぽど世界観がはっきりしている。特にうちなんてその辺りの設定が浅い。というか浅はかだ。道に迷う方々を教え導くためにどうたらこうたらと配信ではそれっぽい文言を並べたけど、うちには教え導けるほどの高尚な教養も崇高な理念もない。

 

 あまりにもこのジン・ラースという男が平然と話しているもんだから、もしかしてコメント欄を表示していない、もしくは見ないようにしているのかと疑ったが、淀みなく話し続けながらもまぶたがぴくっと動いていた。目が閉じられているせいで目線の動きはわかりにくいが、コメント欄の動きはある程度確認しているようだった。口は達者だし心臓は頑丈だ。

 

『この人すっごい聞き取りやすいね! 経験者だったりするのかな?』

 

『……それは、たしかに。もともと違う媒体で配信者みたいなことをしてた……とか、声優志望だった……とか?』

 

『慣れてるみたいだよね。すごいなぁ……あれだけ多くの人の前なのに一度も噛んだりしてないよ。私なんて一時間で何度噛んだかわかんないのに……あんなに長文を読んでたら私なら三秒に一回くらい噛んでそう』

 

「いやまぁ、エリーは長文じゃなくても頻繁に甘噛みしてたしな」

 

『うきゅっ……。こ、これからは気をつけます……。そ、そういえばこの人、ジン・ラースさん。滑舌も良いけど声もすごくいいよね。アナウンサーさんっていうよりは声優さん的な感じかも』

 

『あたしも思ってた! 歌とか聴いてみたい! できるならイヴちとデュエットとか! 絶対かっこいいよ!』

 

「ハマるだろうな、そこまで続けられれば」

 

『…………』

 

『い、イヴちゃん……それは』

 

『なにそれなにそれ? どゆこと? 歌出せるくらいまで人気が出ないかもってこと? 3Dとかオリジナルソングを作るとかじゃなくて、歌ってみたとかならまだやりやすいんじゃないの?』

 

「アイニャの言う通り、普段ならそこまでハードルは高くなかったろうよ。絵師……生みの親はあの小豆真希さんだし、こんな状況になってなけりゃ『Golden Goal(GG)』から女性人気を掻っ攫ってたかもしんねぇ。でも、今は絶対に無理だろうよ」

 

 人気イラストレーターの小豆真希先生がガワを担当して、いったいどこから拾ってきたのか声と胆力を併せ持った魂が込められている。あとはゲームの腕が多少あったりトークが上手かったりアドリブを利かせられる応用力があったり、つまりは目立つ武器が一つあれば即戦力だ。よその配信者から女性層を取り込めただろうし、女Vtuberへの絡み方に気をつけてリスナーに配慮までできたら言うことなしに最高だ。女所帯だった『New Tale』に男を入れるというリスクに見合うだけのリターンが生まれる。

 

 ただし、数週間前の環境であれば、の話だが。

 

 残念なことに今は状況が変遷している。現時点において、男を加入させることはデメリットしかない。

 

 そこは共通認識になっていると思っていたけど、若干一名は話についてこれていなかった。

 

『んぇ? なんで? よくわからん!』

 

 アイニャが不思議そうな声を上げた。

 

『えっと……アイちゃんは知らない? 個人勢の女性Vtuberと企業勢の男性Vtuberが実は付き合ってて、って話。……今も燃えてるけど』

 

『それは知ってるよ? でもそれってその二人の話でしょ? ジンくんには関係なくない?』

 

 エリーの説明に答えたアイニャ。もしかして現在進行形で界隈を賑わせている炎上騒動について知らないんじゃないかと思ったけど、そこはアイニャもさすがに知っていたみたいだ。まぁ、その界隈にまさしく今日この日から飛び込もうとしているわけなのだから、知ってなくちゃいけないことではある。

 

 ただアイニャは、今回の炎上の出火元を知ってはいても、出火元からどう飛び火したのかなどの騒動の展開については把握していないようだった。

 

 冷や水を浴びせるというか、冷や水そのもののような冷え切ったトーンでウィーレがアイニャの認識に修正を加える。

 

『…………その二人の話だったけど、関係なくない。厄介なことに』

 

『え?』

 

『…………解決してない、そのごたごた。まだ燃え続けて、燃え広がってる』

 

 理解が追いつかない様子のアイニャにウィーレが追加で説明した。だがウィーレは少し口下手なところがある。アイニャは説明を受けてもよくわかっていないようだった。

 

「あー……うちから話すか? たぶん一番この炎上のこと追えてると思うし」

 

『……任せる』

 

「おけ」

 

 うちは件の炎上の関係者じゃないし裏側の話なんて知らないが、公式の発表と炎上の経緯は最初から、主にVtuber関連についての掲示板で問題が取り上げられて火が着くところから見ていた。知り合いにもそれとなく話を聞いてみたりした。全容は知りようもないけど、おそらくこの中ではもっとも詳しいだろう。

 

 ウィーレに代わり、うちは炎上騒動の発端、件の男女Vtuberについて話し始めた。

 

 

 

 *

 

 

 

 炎上のきっかけは、女のほうからだった。

 

 頻繁にSNSにアップされていたらしい『オトモダチとお洒落な喫茶店でこんなの食べてきましたぁ』みたいな頭のゆるい写真。そこに男がかすかに映り込んでいたところから始まる。

 

 熱烈にして苛烈なファンの有志たちは、おそらく彼氏、もしくはそれに準ずる近しい間柄の相手とデートに行った時の写真をアップしているのだと状況を仮定し、その相手が誰なのか調べ始めた。

 

 まずは女の『今日はどこそこへ行ってきましたぁ』みたいなSNSへの投稿の日時や以前投稿された写真に何か情報がないかを精査し、同時に配信をしていない日をリスト化。それに符合するようにSNSにそれらしき文言を投稿している男がいないか、配信を休んでいるライバーがいないかを調べていった。

 

 調査を始めてから相手の目星がつくまで、そう時間はかからなかった。

 

 しらみ潰しに調べてはいくけれど差し当たってはコラボする回数が多い者から優先的にチェックしていったのだろう。その結果、頻繁にコラボしていた企業勢のとある男Vtuberがヒットしたのだ。様々な観点から検証し、客観的に一番可能性が高いと判断された。

 

 およそ間違いないだろうという流れになってからはお祭り騒ぎだった。Vtuber関連の掲示板でも荒れに荒れ、専用のスレッドがいくつも立てられ、SNSではファンでもなんでもない『お前絶対この女Vtuberのこと知らないだろ』みたいな無関係な人間まで炎上に便乗した。

 

 無論、件の女Vtuberを応援し続けていたファンたちは大荒れだった。

 

 件の女Vtuberは個人で活動していたが、企業に所属しているライバーを上回るほど人気があった。声が良かったりトークが上手かったりというのはもちろんある。あるにしても、なによりも巧みだったのは、いわゆる『囲い』と呼ばれる、ざっくり言い表してしまえば超絶爆裂熱心なファンを多く作れていた事だろう。

 

 そういう一生懸命応援してくれる熱心なファンは、まぁ往々にして過激になりがちという厄介なところもあるが、SNSなどにおいても自主的に名前を広めてくれたり率先して宣伝してくれたりもする。なにより一番大きいのはスーパーチャットその他コンテンツなどでお金を落としてくれる事だろう。

 

 時間もお金も費やしてきた熱心なファンたちにとっては、女の行いは許し難いことだったのだ。

 

 だが、この時はまだ、マシなほうだった。件の男女が投稿していた動画のコメント欄もSNSのアカウントも、煌々轟々と燃え上がっていたが、まだ。後になって思えばそれでもマシだったのだ。

 

 炎上の規模が桁外れに拡大したのは、つい最近だ。

 

 爆発的に延焼したのは、それまで音沙汰のなかった女がとある報告をしたことに起因する。デビュー配信の準備もあってうちも中々に忙しかったけど、そのライブ配信はしっかりと見た。

 

 その配信は、わりと一般的な感性からずれているうちですら正気を疑うものだった。ライブ配信で設けられた場は謝罪ではなく、赤裸々に馴れ初めを語る場であったのだ。

 

 コメント欄なんぞそもそも見ていないのか、女は平然と、どころか陶然と男との出会いを惚気始めた。SNSでやりとりしたところから始まり、コラボを数回挟み、オフで会うようになった。というのをぺらぺらと語っていた。言うまでもないが画面の端っこに小さく映し出されていたコメント欄はさながら地獄絵図の様相を呈していた。

 

 こんな阿鼻叫喚の様を作り出しておいて、よく平気な顔して、なんなら幸せそうに笑いながら言えたもんだなと、外から眺めているだけのうちはそんな感想を抱いていたけど、その女の肝っ玉の太さを思い知ったのは配信の終了間際のことだった。

 

 男と結婚を前提に交際している。もうお付き合いして長い。今は同棲している。お腹に赤ちゃんがいる。これからはカップルチャンネルで頑張っていきたいと考えている。

 

 リスナーに考える間も与えないカミングアウト。マウントポジションから拳を振り下ろすような、畳み掛ける衝撃的事実の連打。それはまさしく情報量の暴力だ。新手の煽りかと思った。

 

 おそらく視聴している人間全員が呆然としている中、これからも変わらず応援して欲しいです、の言葉で配信は締め括られた。

 

 それが炎上祭り第二夜の狼煙であった。狼煙にしては可燃物が多すぎるんだよなぁ。

 

 そこから現時点に至るまで、配信はもちろんSNSでも件の男女Vtuberから情報の発信はない。

 

 ファンは当然納得できるわけもなく、ネット住民はおもちゃを与えられた子どものようにおもしろおかしく一連の騒動を扱った。

 

 個人勢だった件の女に対しては、動画のコメント欄とSNS以外に感情をぶつけられるところがなく、やり場を失ったどす黒い衝動の矛先は男へ向けられた。

 

 とはいえ、男の投稿動画もSNSも衝撃的惚気配信前から既にぼろ雑巾以下。燃え切った後に残った灰みたいなものだった。そんな燃え滓を踏みつけても納得できない連中、あるいは祭りを続けたいだけの無責任な連中が次に向かったのが、男が所属していた事務所だった。

 

 だが事務所側は何もはっきりとした声明を出せない。惚気配信の前から連絡が取れなかった、とのことで事務所側は男との契約を解除していたのだ。事務所側はどうすることもできなかった。この一件での一番の被害者は男が所属していた事務所とその関係者かもしれない。

 

 事務所側も終わりの見えない惨状に疲弊し、内情を曝け出して手の打ちようがないことを公表したが『そうですか、それなら仕方ないですね』などと素直に割り切れなかったのが熱心なファンたちだ。

 

 掲示板や個人のホームページ、SNSで腹の(うち)を吐き出して、どうにか現実を認めようとしていた者たちもいたが、一部の過激なファンが暴走を始めた。その暴走に至るトリガーが本当にファンによるものだったのか、あるいは悪意のある第三者が面白がって煽ったのかまではわからなかったけど、暴走したのは事実だ。

 

 とりわけ、件の女Vtuberの囲いをやっていたファンが酷かった。常連のリスナーなら名前も覚えているくらい名物になっていたスパチャも飛ばすし切り抜きまで作っていた一人のファンが、特に怒り狂っていた。まるでレジスタンスのリーダーが如く、暴走しているファンたちを率いる旗頭のようになっていた。

 

 熱心なファンの集団は、これまでは関係のある場所、例えば当事者である男女の投稿動画やSNS、それ専用に立てられたスレッド内でしか行われていなかった誹謗中傷や荒らし行為を、外部にまで広げたのだ。件の男が所属していた事務所の他のライバーへの罵詈雑言、コメント欄を荒らすなどの配信妨害から始まり、異性とコラボをしているところにまでわざわざ赴いては有る事無い事(のたま)ったり、Vtuber全体を話題にしている雑談がメインのスレッドで不特定多数に向けて暴言を吐いたり口汚く罵ったりとやりたい放題だった。

 

 もしかしたらそういった荒らし的行為をしている者たちは無関係だと思っていないのかもしれない。Vtuberにまつわるなら全員が関係者で、全員に責任があるとでも思考を飛躍させているのかもしれない。まぁなんにせよ、傍からみれば関係のないところでまで暴れ回っている厄介者たちに違いはなかった。

 

 厄介リスナーたちはそうして火の粉を撒き散らしていき、やがて対岸の火事だと思っていた他のライバーや事務所にも、その余波は広がっていった。

 

 アイドルみたいな方向性で売っていて基本的に同性としかコラボをしない『End Zero』は不安材料に乏しいし、そもそも男女比が近い『Golden Goal』は男女の交流に寛容な風潮がある。二大事務所は影響はさほど大きくないとしているが、それでも最近は『End Zero』は同事務所メンバーとしかコラボをしていないし『Golden Goal』も異性でのコラボの回数を明らかに絞っている。双方ともに今回の炎上騒動は自分たちには関係ないという見解を打ち出しながらも、応援してくれているファンに無用な心配をさせないようにと気を使っている。

 

 裏を返せば、細心の注意と気配りをしなければ炎上騒動に巻き込まれかねないと認識しているということでもあった。

 

 当初は炎上していた件の男女Vtuberのリスナーたちだけの問題だったはずなのに、気がつけば業界全体の空気をぴりぴりと張り詰めさせていた。無関係だったはずのリスナーも、様々な場所で不安を煽り立てる荒らし連中の言葉に少なからず影響されて、どこか過敏に反応するようになってしまっていた。

 

 そんな徐々に張り詰めつつあった空気感の中で、女Vtuberばかりの『New Tale』に男がデビューするとなれば、過剰反応してしまうリスナーも出てくるというものだ。

 

 うちからすれば、そんなに大袈裟にリアクションを取ってしまったら騒ぎたいだけの馬鹿どもに付け入る隙を与えるだけだろうが、と苦言を呈したいところだが、事ここに至ってしまえばもうどうすることもできない。

 

 今はじっと耐えて、件の男女のファンと便乗して荒らしている奴らの気が済むまで待つしかないだろう、という私見を付け加えて、うちは話を締めくくった。




中途半端な切り方だけど他にどうしようもなかったのでここで分けます。
件の男女Vtuber、などと無駄に長い呼び方をして名前を伏せているのは、万が一にも実在する配信者さんと名前が被ってしまわないようにとの配慮です。
この作品はフィクションであり実在の人物や団体などとは何の関係もないことなんて言うまでもありませんが、念のためです。こういう配慮はいくらあったっていいですからね。


*スパチャ読み!
サラダボールさん、上限の赤色のスーパーチャットありがとうございます!
ミャアさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
hiyaronさん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
猫鍋@冬眠中さん、スーパーチャット、アリガトゴザイマァス!


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真実なんて、誰も興味がないんだから。

胸糞悪いお話後半戦です。


 

「とまぁ、かい摘んで話すとこんなところだ」

 

 今はじっと耐えて、件の男女のファンと便乗して荒らしている奴らの気が済むまで待つしかないだろう、という私見を付け加えて、うちは話を締めくくった。

 

 一連の騒動を纏めたことで一つ思い浮かんだのだが、これってもしかして件の女Vtuberの計画通りなのではないだろうか。結果ありきで考えてみれば、踏ん切りのつかない男の態度に業を煮やした女が周囲に関係を匂わせてこういった結末に持っていったとも考えられる。不倫している男の家に愛人の女が電話する、みたいなシチュエーションに近い。これ以上男が逃げられないように追い詰めて、答えを強制的に出させたのだ。

 

 いくら頭の中がお花畑の女だとしても、これだけ騒動が大きくなってしまえば配信者としてやっていくのは無理だと悟るだろう。女の目的が『配信者を続けること』よりも『男と結ばれること』に重きを置いて行動していたのだとしたら、女の目的は達成されたと言える。ファンや関係者へ途方もない迷惑をかけたことから目を背ければ大団円だ。二人は幸せなキスをしてfin。

 

 まぁ、うちならこんなに自分以外の都合をまるで考慮しない執念深い女と結婚したいとは思わないけど。目をつけられた男は御愁傷様といったところだ。

 

 うちの説明を咀嚼していたのか、しばらく唸っていたアイニャがようやく口を開いた。

 

『んむー……うん、ちょっとはわかった。……納得できなかったファンの人たちが文句を言ってる理由は。ファンの人たちは、今まで大好きでずっと応援してたから心の整理ができなかったんだろうね。だから、それはわかった。でも……それでもジンくんはやっぱり関係ないよね? その男性Vtuberがジンくんだった、みたいな話ならわかるけど、そうじゃないんでしょ?』

 

「ああ、もちろん違う。炎上してから男のほうの配信を見たけど、その男とジン・ラースとやらは声も全然似つかねぇし確実に別人だろうな。そもそも四期生の公募があったのは一番最初の炎上の前だったし、時期も合わない」

 

『それならなんで? なんでジンくん関係ないのに、悪いことしてないのに、こんなにたくさん悪いこと言われてるの?』

 

 この時点ですでに、アイニャの声は震えていた。

 

 アイニャはあほの子だ。短期間話しただけでもわかるくらいに底抜けにあほだし世間知らずだ。でもそれ以上に陽気で快活で、心の優しい奴だ。

 

 だから、ジン・ラースの配信のコメント欄に溢れている罵詈雑言誹謗中傷の数々に心を痛めているのだろう。

 

 おそらくジン・ラースは狙って、わざとコメント欄のサイズを殊更に小さくしている。それに加えてコメントの流れが速いこともあいまって文字はかなり読みにくい。その意図は、マナーの悪いコメントを削除するなどではとてもじゃないが追いつかないし配信にならないため、暫定的手段として読みにくくすることで一般視聴者が気分を害するようなコメントが目に入りづらくなるようにしているのだろう。

 

 とはいえ、それでも読もうと思って読めない程ではない。『消えろ』だの『やめろ』だの書かれてるのはまだマシなほうだ。もっと直接的に、人を傷つけることを目的とした文字列がずらりと並んでいる。さながら悪口の類語辞典だ。

 

 平和だった、というか問題がなかったのは配信開始から十数秒くらいで、それ以降は絶え間なく誹謗中傷が列をなしている。

 

『デビュー配信なのに……これから始めるってところなのに……今日ジンくんはあたしたちと同じように幸せな思いをするはずだったのに。どうしてこんなに踏みにじられないといけないの?』

 

「んー、タイミングが悪かったとしか、言いようがねぇよなぁ」

 

『タイミングって……っ』

 

「説明の前にも言ったけど、こんな状況じゃなけりゃもっとまともに受け入れられてたとは思うぞ。そりゃ女ばっかの事務所で活動するんだから多少は言われることもあっただろうけど、ここまでじゃなかったはずだ。一応は一期生にだって男がいるんだしな。それでもここまで炎上してるのは、件の男女の騒動が過熱しているタイミングでデビューになっちまったからだ」

 

 ジン・ラースがとんでもない環境で配信をしているとは、うち自身強く思う。

 

 本来であれば、うちらがそうしたように配信の中で動画やSNSで付けられるタグを決めたり、リスナーをどう呼ぶかとかのアイデアをもらいながら考えたりするものだが、ジン・ラースは自己紹介を終えた段階でそういうことはできそうにないと早々に見切りをつけていた。コメント欄で時折流れてくるまともなコメントを見つけては拾い、反応したり質問に答えたりしていた。その様子は、荒れ果てたコメント欄の存在を無視すれば、彼の落ち着いた語り口もあいまって真っ当な配信のように見えた。

 

 初配信がこんな針の(むしろ)の中で、よくそこまで頭が回るものだ。流れの速いコメント欄の、しかも僅かにしか出てこないコメントを拾えているということは、その他の害意しか感じられない罵詈雑言もしっかりと目に収めているということになる。しっかりと目に収めた上で、冷静に、語気を荒らげることもなく、アドリブでユーモアを交えながらトークを繰り広げる。

 

 とてもではないが、うちには真似できない。

 

 そもそもの問題として、今回これだけ荒れているのはジン・ラース本人が何かやらかしたわけではない。ただの貰い事故なのだ。自分に非がないのにこれだけ言いたい放題言われ続けたら、うちならまず間違いなくキレる。千パーセントキレる。配信中に十回ブチギレる。

 

『……あたしにできることって、ないかな? なにをしたら、どうすればいいんだろ』

 

『…………』

 

『アイちゃん……』

 

 アイニャの発言に、ウィーレは口を(つぐ)み、エリーはかける言葉を探していた。

 

 二人も言いにくいだろうから、ここはうちが明言しておこう。

 

「悪いことは言わん、やめとけ。逆効果だ」

 

『ちょっ……イヴちゃんっ』

 

 オブラートに包むとかいうやり方を知らないうちをエリーが制止しようとするが、その声を貫くようにアイニャが訴える。

 

『っ! あ、あたし……あたし馬鹿だけどっ、それでもなにかできることはあるはずだよ! それに、ジンくんだって一人っきりで我慢するより、お喋りできる相手がいたほうが、きっとっ……』

 

「いや、こんなどうしようもない状態だったら一人の方がまだマシなはずだ。きっとジン・ラースだって望んでねぇ」

 

『そんなのっ』

 

「いいや、わかるね」

 

 アイニャの爆ぜるような激情に被せる形でうちが先んじて言う。

 

「リスナーが疑心暗鬼になってる今、アイニャが……アイニャだけじゃないな、ライバーの誰かがジン・ラースに話しかけに行ったら、絶対にそれを突く奴が出てくる。『ほら、やっぱり女と絡むことが目的だった』とか『例の炎上カップルの二の舞だ』とかってな」

 

 そうやって重箱の隅をつつくように揚げ足を取ろうとするのは『New Tale』に所属するライバーのファンだけじゃない。どころか、嬉々として槍玉に上げるのは、Vtuberに興味なんてほとんどない、炎上騒動を祭りのように楽しんでいる部外者たちだろう。そうやって不安感を煽って、批難している対象やその周囲の反応を見て楽しんでいるのだ。

 

「そういう流れになったら、ジン・ラースも相当燃やされるだろうが、同じくらい話しかけに行った奴も燃える。自分だけならともかく、自分が原因で誰かが被害を受けるなんてジン・ラースだって嫌だろ」

 

 ジン・ラースにその気があったかどうかなんて関係ない。事実かどうかなんて重要じゃない。『ジン・ラースは敵で、悪い奴で、燃やしてもいい奴』という流れにしたい奴がいて、そういう流れに流される奴がいて、そういう流れを真に受ける奴がいる。

 

 大多数の見解が悪い方向で一致してしまえば、本人がいくら否定したところで覆すことはできなくなる。その大多数の人間は自分にとって都合のいいことしか見ないし聞かないんだ。状況は変えられない。止めることなんてできやしない。

 

 だって真実なんて、誰も興味がないんだから。

 

 一度そういう空気にされてしまったら、作り上げられた『悪い奴』に自分から絡みに行ったライバーも同じ括りにされる。炎上する場所がジン・ラースと、話しかけに行ったライバーの二箇所になる。火の手は収まるどころか、燃料を得て更に燃え広がるだろう。

 

 少なくとも、デビューしたばかりで右も左も分からないひよっこが考えなしに手を出していいことではない。ライバーとしてのキャラが固まっていないうちに巻き込まれたら、これからの活動にも支障が出る。

 

『そ、そんなのっ……』

 

『……きっと、彼はこうなるって、予想してた……と思う』

 

『え……ウィーレちゃん、どういうこと? ラースさんは配信が荒れることをわかってた、ってこと?』

 

『……たぶん。だから……コミュニケーションアプリのIDも、知ってるはずなのに連絡をしてこないんじゃないか、って』

 

 ウィーレの推測を聞いて、うちはある種納得した。

 

 引っかかっていた妙な違和感がようやく腑に落ちた。

 

「はー、なるほどな。たとえリスナーに『裏で喋ったりしてるんじゃないか』って疑われたとしても、ライバーは『コミュニケーションアプリのIDも知らない。全く絡みはない』って、はっきり否定できるわけだ。ライバーに嘘をつかせない為の工夫で、リスナーへは安心感の担保ってわけか」

 

『……事務所での顔合わせの時も、来なかった。同期のグループチャットにも、参加しない。……たぶん、そういうこと』

 

「だとしたら、ジン・ラースはずいぶん早くに炎上の予兆を感じ取って、手を打ってたってことか。用心深い奴だ」

 

『そんなことどうだっていいよ!?』

 

 悲痛な思いを滲ませながら、アイニャが叫んだ。静かなウィーレの声に集中していたところにこの大声だったせいで耳が痛い。

 

『あ、アイちゃん、落ち着いて……』

 

『落ち着いてらんないよっ! なんで同期の仲間がこんなにひどい目にあってるのに、みんなは落ち着いてられるの?! なんでなにもしちゃダメなの?! わけわかんないっ!』

 

 アイニャが烈火の如き勢いで言い募る。

 

 アホだアホだとは思っていたけど、ここまでとは思わなかった。思わずため息が出そうだった。顔を合わせたこともない、それどころか言葉を交わしたこともない同期を、アイニャは心の底から何の疑いもなく仲間だと信じ切っている。

 

 すごいアホだ。とんでもないアホだ。アホみたいに、優しい奴だ。

 

 こんな底抜けに優しいアホだからこそ、容易に想像できてしまう最悪なことにはさせたくない。

 

 今の状況下でジン・ラースに絡みに行けば、まず間違いなくアイニャも巻き添えを食う。

 

 ジン・ラースはだいぶ前からこうなるだろうと確信に近い形で考えていて、心の準備もできていたのだろう。内心はどうだか知らないが、少なくともうちの目にはこれだけ苛烈な悪意に晒されても『これくらいなら想定内ですね』とでも言いたげな、余裕のある涼しい顔で対処しているように見えた。そう感じるくらい精神的にゆとりのある対応だった。

 

 でも、他の奴らでは耐えられないだろう。ブチギレるか、あるいは精神的に憔悴するか、普通の人間ならそのどちらかだ。

 

 アイニャでは、とてもじゃないが耐えられそうにない。汚い川の底に溜まったヘドロのような、そんな醜悪な悪意を突然ぶつけられれば、心を苛まれることが目に見えている。さすがに悪口を言われたことくらいはあるだろうが、ここまでの過激な文言を大量に叩きつけられるような経験はないはずだ。

 

 第三者として外から見ているだけではわからない。実際に自分が体験しないと、その悪辣な言葉の一つ一つがどれだけ精神を蝕むか。どれだけ追い込まれるか。どれだけ心が壊死していくか。自分の身に受けなければ、その痛みはわからない。

 

 そんな経験を、人生においてまるで必要のない最低な経験を、うちはアイニャにさせたくない。

 

「その同期に迷惑をかけたくなくて、あいつは一人でいるんだ。アイニャが絡みに行ったら努力が全部ふいになる。逆効果にしかならねぇんだよ、わかってやれ」

 

 悪いな、ジン・ラース。お前には悪いが、助け船は出してやれない。

 

 うちは会ったことも話したこともない同期より、会ったことも話したこともある為人(ひととなり)をよく知る同期のほうが大事だ。お前の努力は汲んでやるから、それで許してくれ。

 

『ふいって、なにが?! もうなってるよ!? ジンくんだってっ、今日の配信のためにいっぱい努力して準備したはずなのに!』

 

 性根が素直で喜怒哀楽がはっきりしているとは感じていたが、アイニャがここまで激情家だとは思っていなかった。

 

 これも優しさの裏返しなのだろう。仲間である同期が傷付けられていることを看過できない。なのに、何もしてやれない。

 

 無力な自分が悔しいんだ。自分に対しての怒りだ。これを八つ当たりだなんて、うちは思わない。

 

『…………』

 

 ウィーレにだって言いたいことは多くあるだろうが、沈黙を保っている。自分が口下手であることを自覚しているので、うちに任せてくれているのだろう。

 

『アイちゃん、落ち着いて、ね? イヴちゃん、どういうこと?』

 

 雰囲気が悪くなりそうなところを、柔らかな声色でエリーが取り持ってくれる。気の利いた穏便な言い回しができないうちにとって、その心配りはとても助かるし心強い。

 

「最初にデビュー配信の予定を聞かされた時から違和感はあったんだ。なんで今回は先輩たちとやり方が違うんだろって」

 

『んに……。や、やりかた?』

 

『やり方……先輩たちと違った、かな? 一期生の方は違ったけど、二期生の先輩たちも三期生の先輩たちも同じようにリレー形式でやってたはずだけど……』

 

『……同じなのは、そこだけ。これまでは、デビュー配信前にSNS……開設してた』

 

『あっ』

 

『た、たしかに……』

 

 やっぱりウィーレはすでに感付いていたようだ。

 

 アイニャとエリーは気付いていなかったらしい。

 

 うちはそこに疑問を抱いてから、いろんなおかしな事に目が向くようになった。

 

「そう。SNS開設とデビュー配信が逆になってる。それを踏まえて、もう一つ。リレーの順番をどうするかって話、覚えてるか?」

 

『え? う、うん。リレー方式でやるって教えてもらった時に、事務所の人に順番どうするか決めといてくださいって言われたんだよね。たしか……エリちが緊張するから一番最初はできないって言ってたから、あたしが一番をもらったんだ。でも、順番がどうかしたの?』

 

「そうやってうちらで順番を決めたわけだけどさ、おかしいと思わね?」

 

『なにが? 順番決めとかないと、事務所の人も困るでしょ?』

 

「順番決めること自体はおかしくねぇのよ。おかしいのは、決める順番が一から四番目のいずれかだったってことだ。四期生は五人いるのに」

 

『あっ……。スタッフさんは、四人で順番決めてください、としか言ってなかった』

 

『……その段階で、トリを務めるのは誰か……すでに、決まっていた』

 

「そう。最後はジン・ラースがやるってのは(はな)から決まっていて、その他の順番をどうするかだけうちらに任せられた。デビュー配信とSNS開設がいつもとは逆になっていることと、配信の順番のことをあわせて考えれば、意図が見えてくる」

 

 情報が氾濫している上にVtuberの数も飽和している昨今。どれほどの効果が見込めるのかはわからないが、損はしないのだから通例通りデビュー配信の前にSNSを開設して情報を発信したほうがいいに決まっている。どんな子がデビューするかは配信でのお楽しみ、なんていう風に持っていこうにも、まずは配信を視聴してもらわなければいけないのだ。どんな外見をしているかだけでもお披露目しておいたほうが得になる。

 

 明確な損はなく、たとえ小さかろうと得しかないのに、そうしなかった合理的な理由とはなにか。

 

 すでに答えは出ている。

 

 まず前提が間違っている。

 

 明確に損をすることがわかっていた。だから通例通りの流れに沿わず、デビュー配信の後にSNSを開設した。デビュー配信前から全員の姿をお披露目していればその時点で炎上し、デビュー配信なんてできるような状況じゃなくなる。明確にある大きな損を、可能な限り小さくしようと奮闘したんだ。

 

 そして、配信の順番。

 

 これも同様の理由だ。ジン・ラースが最後以外のタイミングで出てくれば、その瞬間に炎上する。たとえ荒らされることに対してジン・ラース本人が平気だとしても、リレー方式の都合上、その次の番にも影響は尾を引くことになる。ジン・ラースが最後を務めない限り、うちらの誰かが、最悪全員が巻き添えを食らう。ジン・ラースに責任はないが、二次被害を避ける為には最後に回るほかにない。

 

「デビュー配信の日程が決まった段階で、どこまでの規模かは分からないにしろ配信が荒れるってことは想定されてたんだ。あの時は諸悪の根源の男女Vtuberの炎上はそこまで過熱してなかったけど、そもそもその件がなくたって『New Tale』に新しく男が加わるってだけで炎上する要素は充分だ。なるべく傷を浅くするために、最初からそれなりの準備はしてたんだろうよ。思ったよりも荒れていなければ徐々に交流を増やしていって、思った通り荒れてたら誰とも連絡を取らずに落ち着くまでやり過ごす、みたいな感じでな。さすがにこれは思った以上だろうが」

 

 このやり方なら、たしかに被害は最小限で済む。ジン・ラースの同期、つまりうちらは巻き込まれた体で振る舞うこともできる。他の先輩たちだって、元からいたファンからは厄介な男ライバーが入ったせいで迷惑している、という風に同情的に見られるだろう。炎上祭りを目的とした外部の人間の目はジン・ラースに向けられるだろうから、先輩たちへの悪影響は少ないはずだ。わお、完璧だ。

 

 たった一つ、ジン・ラースだけは、そういった『盾』が一切ないという問題点から目を背ければ。

 

 『New Tale』を箱推ししてくれているファンは、前情報が公開されていない中で新しく入るライバーがどんな子たちなのか期待して配信を見ていた。そんな気持ちで見ていた中、よりにもよって一番最後のトリで、満を持して出てきたのが男だ。寄せていた期待や信頼を裏切られた気分になるだろう。件の男女Vtuberのせいで異性間での交流にナーバスになっている環境下でのこれだ。怒りや不信感を煽ることになる。

 

 湧き上がった悪感情の矛先は、男ライバーを加入させるという愚断を下した『New Tale』と、その男ライバー張本人たるジン・ラースだ。

 

 初配信だけでも目も当てられないような惨憺たる有様だが、これからは更に悪化するだろう。

 

 暴走した件の男女Vtuberのファンを筆頭に、『New Tale』を箱推ししているリスナーは厄介ごとを持ち込まれたと感じるだろうし、『New Tale』に所属しているVtuber個人のファンをしている人はジン・ラースが推しに迷惑をかけていると憤慨するだろう。炎上騒動を楽しんでいるだけの外部の人間は言うまでもなく。『New Tale』以外のVtuberを見ている一般リスナーだって、早く鎮静化させて今まで通り平穏に推しの活動を見守りたいのに、わざわざこんな時にデビューして騒動に拍車をかけたジン・ラースに対していい感情は抱かないだろう。

 

 できる最善を尽くしたにもかかわらず、誰にも認められず、誰にも求められず、誰からも糾弾される。謂れのない誹謗中傷を受け続ける。

 

 こうなるだろうことは、ジン・ラースは予見できていたはずだ。ここまで華麗にヘイトを集めることができるほどに頭が回るなら、こうなるだろうことくらいは簡単に。

 

 それでも誰からもわかりやすいように矢面に立ったのは、結果が見えているのにそれでも注目を自分に引きつけたのは、一緒にデビューする同期と、同じ事務所に所属するライバーたちに迷惑をかけないようにするためだ。そういうふうに仕向けたのだ。

 

 その身を切る努力に、この配信で気づいた人間はいったい何人いるのだろう。きっとそう多くはいないはずだ。裏事情をある程度知っていないと、考えを始めるスタートラインにすら立てない。

 

 そして仮にジン・ラースの努力に気づけたとしても、その懸命にして賢明な努力に、こちらが反応することはできない。

 

 一言の言い訳もなく、恩着せがましい振る舞いもしない。相手の嗜虐心をいたずらに刺激するような見苦しい釈明も、罵倒を受けて自棄になったり開き直りもしない。ただ粛々と穏便に、丁寧な言葉で物腰柔らかに対応して荒らしが飽きるのを待つ。忍耐強く、辛抱強く、余計なことはしないで被害を最小限に抑えて嵐が明けるのを待つ。

 

 どれだけの時間が必要かわからない。その間どれだけの罵詈雑言を浴びせられるかわからない。

 

 どれほど神経を擦り減らし、どれほど精神を消耗するか。そしてその立場に立つのにいったいどれほどの覚悟を要するか。傍観者の一人であるうちにはわからない。

 

 しかし、それが正解だ。相手の怒りを怒りで打ち返すことをしない大人な対応。それこそが結果的に一番早く事態を終息させられる理性的で理想的な対応だ。

 

 ジン・ラースは覚悟を決めて誰とも関わらないことで騒動を風化させて、巻き込まれただけの被害者でありながら炎上を鎮めようと努力している。

 

 何も行動しない自分が嫌だから。そんな自分本位な考えでうちらがジン・ラースの努力をふいにするわけにはいかない。

 

 うちらはただ黙って、見守ることしかできない。

 

 その努力の裏側を事細かに説明してしまうと、うちの優しい同期たちは良心の呵責に潰されそうだからそこは伝えないけど。

 

「んー、まぁ、つまり……なんだ。誰かがジン・ラースに話しかけに行っちまえば、なるべく早く炎上を鎮火させようとしてるアイツの努力が無駄になるんだよ。今現在、うちらがやれることっつったら『何もしない』ことだけなんだ」

 

『そんな……っ、そんなのっ……』

 

『アイちゃん……』

 

『……………………』

 

 とうとうしゃくり上げるように泣き出してしまったアイニャに、二人はかける言葉もない。何を言ったところで状況は好転しない。慰めにもならない。

 

『……さて、そろそろお時間なので、悪魔はこのあたりでお暇させて頂きたいと思います』

 

 うちらがそうして話し込んでいるうちに、ジン・ラースの配信が終わりに差し掛かっていた。

 

 配信終了を告げる前口上。ただそれを口にしただけで、辛辣に過ぎる言葉でコメント欄が埋め尽くされる。その中であれば『そのまま「New Tale」からお暇しろ』とか『面白かったわ。河川ライブカメラ眺めてるのと同じくらい』や『卒業おめでとうございます』など多大な皮肉を効かせた切れ味鋭い嫌味が優しく見えるほどだった。ほとんどが甚だしく端的、かつ著しく攻撃的だった。よくもまあ顔も知らないどんな性格かもわからない人のことをそこまでこき下ろせるなと思ったくらい、喧嘩腰で排他的だった。

 

 そんなコメントの数々を、おそらくは視界の端で捉えながらジン・ラースは正面を見据えて口を開く。

 

『コメント欄もしっかり目を通させてもらっていました。人間の皆様は多々思うところがあるでしょう。それは仕方のないことだと割り切っています。皆様が心配なさっているようなことはありませんから安心してください、と僕が言ったところで、口ではなんとでも言えますからね。それだけでは不安を払拭することはできないでしょう。ですから僕は、これからの活動で皆様の信頼を勝ち取れるように努力します。皆様が安心して推しの配信を見られるように頑張ります。だから応援してください、なんて言いません。ただ、たまにでもちゃんとやっているか配信を覗いていただけたら幸いです。これからよろしくお願いします』

 

 ジン・ラースの初配信が終わった。

 

 終始一貫して、いっそ過剰なほど穏やかに締めた。

 

 ジン・ラースは一切語勢を強めることなく腰を低くして、しかし決して(おもね)ることも(へつら)うこともせず、あくまで真摯に対等に、視聴者へと言葉を投げかけ続けた。にもかかわらず、最後の最後まで悪罵痛罵の雨が止むことはなかった。

 

 おそらくは初めての出来事だろう、ここまで荒らされた初配信は。前代未聞で前人未到だ。

 

『あんなにっ、ぐすっ……まじめに、一生懸命ジンくん、がんばったのにっ……ひっく。こんなの、ひどいよ……っ』

 

 配信最後にあった、誠実でひたむきさを感じる決意表明とも取れる発言で、アイニャの涙腺は崩壊していた。ぼろ泣きだ。

 

 ちなみにウィーレは言葉にはしないものの心に響くものがあったのか、息を呑むような音が聞こえた。

 

 エリーも泣いていたが、声を殺そうと努力している。時折詰まるような吐息が耳に入った。

 

「あんな状態でよくやってたよな。自分があの立場だったらって思うとぞっとするわ」

 

『……うん。……きっと、なにも喋れなくなる。……黙り込む』 

 

 アイニャとエリーからも肯定するような音が返ってきた。むせび泣いているせいでまだ喋れない様子だ。

 

 本当に、ぞっとする。うちでもまともに配信できなくなるだろう。配信中ずっと文句を言ってくる相手に怒鳴り散らして、終わる頃には声を嗄らしているのが目に見える。

 

 記念すべき初配信の後だというのに気分の良くない余韻に浸されていると、スマホが震えた。メッセージを受信したようだ。

 

 本当なら初配信後、これからのおおまかな活動の方針や次の配信予定日時などを、開設したばかりのSNSで発信していく手筈だった。

 

 うちらがいつまで経っても手筈通りに動かないから、事務所のスタッフが痺れを切らして催促のメッセージを送ってきたのかと思ったが、確認してみるとそうではなかった。うちら四期生にだけ送られたのではなく、所属しているVtuber全員に送られていた。

 

「なぁ、事務所からのメッセージ見たか?」

 

『ひっく……ぐす、なに? めっせーじ?』

 

「アイニャ見てねぇのかよ。今事務所から来たんだよ。スマホ確認しろ」

 

『……見た』

 

『なに……なんですか、これ……』

 

「どう思った?」

 

『どうもなにもっ、「New Tale」がこんな対応をするなんて……っ!』

 

『……残酷、ではある。でも……間違ってない。彼に話を通しているのなら……間違ってない判断』

 

 事務所からのメッセージの内容を要約するとこうだ。

 

 まずジン・ラースについて。

 

 本人に非はないが、現状では手の打ちようがない為、ライバーは無闇に関わらないようにすること。

 

 これはうちがアイニャに説明したのと同じ意味合いだ。関わりに行ったところで被害が増えるだけ。事務所サイドからしてみれば、ジン・ラースだけで深過ぎる傷だ。傷口を増やすようなことにはしたくないのだろう。

 

 次に、配信中の対応について。

 

 おそらく自らジン・ラースの話を持ち出すことはしないだろうけれど、リスナーに訊かれた場合には、嘘偽りなく答えるように。嘘をついて誤魔化したり隠したりすることが一番悪手である、と。

 

 問題が発生して、それを外部から問い質された時、全て包み隠さず正直に言え、という対処法は珍しいように思う。当事者や責任者はともかく、それ以外の関係者はノーコメントを貫くのが一般的だ。ふつうはそういうコメントをつけられても拾わないように、と指導するだろう。

 

 まぁ今回の場合はそもそもの問題の原因がジン・ラースにないし、悪い意味で一躍時の人になってしまったジン・ラースのことを所属ライバー全員がまるで知らないからこそ取れる方法だ。

 

 誰も、同じ日にデビューするうちらにもジン・ラースという男ライバーがデビューすることを知らされていなかった。これが先輩たちも同様なのであれば、ライバーはリスナーにどんな質問をされても『わからない』『知らされてなかった』と答えることができる。

 

 いや、そう答えるしかないというのが正しい。

 

 コミュニケーションアプリのIDも知らない。顔合わせの場にも来なかった。物理的に交流する方法がないと論理的に説明されれば、荒らしたいだけの外部の人間はともかく、冷静に考えるだけの知性が残っているファンたちはある程度溜飲が下がるだろう。

 

 そうして所属ライバーには追及を躱せるだけの余地を残しておき、ジン・ラースは騒動が鎮静化するまで耐え忍ぶ。そういう段取りを組んでおけば、叩かれるのは男ライバーをデビューさせた『New Tale』と厄介な連中に目をつけられたジン・ラースだけに限定することができる。

 

 効率性を重視すれば、この手段が最も負担が軽く済む。

 

 まぁ、感情を度外視できればの話だが。

 

『こんなのっ、こんなのひどい! ひどすぎるよ! 全員で見捨てるって言ってるのとおんなじだ!』

 

 理解できるからといって納得できるかどうかは別の話だ。

 

 憤懣やるかたないアイニャの場合は『New Tale』の対処に納得どころか理解も示していないようだった。

 

「見捨ててるわけじゃねぇって。見捨てるつもりなら丸く収めるためにこんなに考えを巡らせねぇよ」

 

 本気で見捨てる算段を立ててたら、きっと活動休止あたりか、いっそのことばっさりと契約解除くらいの措置を取る。ジン・ラースはデビューしたばかり。理不尽な措置に文句を言うファンもついていない。そのほうが好都合で手っ取り早い。

 

 過剰に庇い立てしようとすれば、今回の場合愚策になる。厄介な連中の神経を逆撫でするからだ。

 

 その点、うまい具合にバランスを取っているなとうちは感心していた。スタッフが裏でジン・ラースを支えつつ、表では他のライバーが義侠心に駆られないよう前もって釘を刺す。所属ライバーが絡みに来ることこそ、ジン・ラースは避けたいはずだからだ。

 

『私たちはラースさんの連絡先を知らないから、あの人に何も言うことができない。初配信、あれだけ酷いことをされていたのに負けずに立派にやり遂げたこと、とても格好良かったですって伝えたくても伝えられない。周りの人たちがどれだけ悪口を言ってきても私たちはあなたの味方ですって伝えられない。寄り添ってあげられない。だからこそ、事務所はラースさんの味方になっていてあげなきゃっ……いけ、ないのにっ……なのにっ』

 

 嗚咽を殺しながら、しかし最後は消え入るような声で、エリーは言葉を振り絞っていた。

 

 あまりにも心が優しすぎる二人が、その善良な精神が故に発作的に配信上で何かしでかさないか心配だ。二人なら、ジン・ラースに対して辛辣なコメントを見つけたら、それに対して激しく反論してしまいかねない。

 

『……サイト』

 

 二人が迂闊な行動に出ないようにするにはどう伝えればいいだろうかと悩んでいると、ぽそりとウィーレが呟いた。

 

「ん? なんて?」

 

『……公式サイトに、炎上についてのお知らせ……もう出てる』

 

「はぁ?! 早すぎんだろ!」

 

 確認してみたら、本当に『New Tale』公式サイトに今回の件についての説明が記載されていた。ずっと所属タレントのページを表示していたせいで気づかなかった。

 

 要点を掻い摘めば、こんな内容だった。

 

 今回男性ライバーを加入したのは『New Tale』が新たな一歩を踏み出すための試みであって、これまで『New Tale』を応援してくれていたファンをいたずらに刺激する意図はない。これからも男性ライバーは厳正な審査の上で折を見て増やしていく意向。

 

 そして『New Tale』は犯罪行為については厳格に対応していく旨が綴られていた。所属タレントの配信、SNSなども含めて、法に抵触する行為を発見、あるいは所属タレントから報告を受けた場合、法的措置も辞さない。とのこと。

 

 硬っ苦しい言い回しだったが、要は既存ファンへの釈明と、荒らし行為を行う者に対しての牽制というところ。

 

 もちろん『New Tale』だって、これだけで全ての問題が綺麗にまるっと解決するなんて楽観視はしていないだろう。どれほど効果があるかはわからないが、公式から発表されたのだから少しは信用してもいいかな、くらいにでもファンに思わせることができたらそれだけで成果としては上々だ。

 

 まぁ、好き勝手に荒らすような連中は公式からのお知らせなんて見ていない可能性が高いけど。そんな理性が頭の中に欠片でも残っているのなら、そもそも荒らしたりなんてしないのだ。

 

 そういう好き勝手荒らすような連中に対するカウンターが法的措置という文言だ。こんな脅し文句はあくまでもポーズで実際には動かないと高を括っている人間や、本気でブチギレている連中には効果は薄いかもしれないが、ジン・ラースの配信をお祭り感覚で荒らしている奴ら相手には抑止力にはなる。遊び半分の賑やかし気分でやってる奴らは、こんな事に巻き込まれて裁判沙汰なんて避けたいだろう。そういう奴らは結局のところ、自分からは誹謗中傷コメントは出さずに本気でブチギレてる連中を囃し立てる方向にシフトするだけな気もするが、荒らす人間の母数が減るだけで精神的な負荷は多少軽くはなる。

 

 『New Tale』は、ちゃんとファンと所属タレントのことを考えている。

 

 そこはもちろん評価するが、うちがなにより感嘆したのは、その発表までの早さだ。

 

 かねてから『New Tale』はレスポンスが早いと評判だったが、これはそんな次元ではない。なんせジン・ラースの配信が終わってまだ十分も経っていないのだ。担当者個人の一存でどうにかできる領分を超えている以上、会社全体、最低でも責任者が集まって話し合わないと答えは出せない。この短時間で責任者を集めて協議して『New Tale』としての見解を公式サイトに掲載するのはどう考えても無理がある。

 

 デビュー配信よりずっと前から周到に準備されていたとしか、うちには思えない。

 

 だとするなら、と考えて、うちは安堵した。アイニャとエリーの安心材料ができたからだ。

 

「よかったな。これなら大丈夫そうだ」

 

『どこが?! こんな文章一つであんなに荒らしていた人たちが急にいなくなるなんて、イヴちは本当に思ってるの?!』

 

「いや? そこはまったく思ってねぇよ。多少減るだろうなとは思ってるけど、完全になくなりはしないだろ」

 

『それなら、イヴちゃんは何を思って「大丈夫」なんて言ったの?』

 

「『New Tale』とジン・ラースの間でちゃんとコミュニケーションが取れていることに対して大丈夫っつったんだ」

 

『そっ、そんなこと……あたしたちからじゃわかんないじゃん』

 

 アイニャの疑問にはウィーレが答えた。

 

『……この早すぎる発表で、わかる。事務所と彼は……問題と解決策を共有してる』

 

「そうだ」

 

 うちもウィーレの意見に同意する。

 

 熱くなっているアイニャとエリーとは対照的に、ウィーレはとても冷静に考えて、客観的に物事を見ようとしている。どこか常以上に感情を排しているように思えるのは、アイニャとエリーが激情に駆られがちになっているぶんの釣り合いを取ろうとしているからか。

 

「もうちょい噛み砕いて話すか。まず、この対応の早さだが、これははっきり言って異常だ。前もって用意しておかないとこのタイミングでは出せねぇ」

 

『うっ……は、早くてすごいなぁとは、あたしだって思ったよ』

 

 早さ云々よりその発表の内容のほうに目が行って怒ってた手前、気恥ずかしさがあるのか、おずおずとアイニャが同意した。

 

「前もって用意できてたってことは『New Tale』はこの事態を想定して、こうなった時どう動くかを事前に話し合っていたってことだ。そこまで読めてたんなら、当然矢面に立たされることになるジン・ラースにもしっかり話が通ってるはずだ。いくら事務所が対策を考えたとしても、実際に配信するジン・ラースが荒らしに煽られて売られた喧嘩買っちまったら水の泡だからな。そこらへん、しっかり共有してるだろ」

 

『そう、なのかな……』

 

 不安げなエリーに、うちはもう一押し付け加える。

 

「法的措置がどうたらって書いてあったろ? あんだけ明記した以上、これで動かなかったら所属タレントとの信頼関係に亀裂が入る。『New Tale』はなんかあったら本気で裁判まで持ってくつもりなんだよ。だからあそこまではっきり書いたんだ。仮にそういう運びになった時は当事者の話を聞かなきゃいけんし、証拠になるもんを取っとかなきゃいけねぇんだから、連絡は密に取ってんだろ」

 

 『New Tale』の発表にあった、誹謗中傷に対しての法的措置の一文。あれはジン・ラースを守るという『New Tale』からの意思表示みたいなものだ。

 

 所属タレントと大きな括りで書かれていたが、今現在、法的措置まで視野に入れるほど誹謗中傷行為に晒されているのはジン・ラースただ一人。あの声明文は、ラインを越えた行為をされたり、ジン・ラース本人が誹謗中傷を受けたと『New Tale』に報告したりすれば、その際は容赦なく開示請求から名誉毀損なり侮辱なりの訴訟までやってやるという『New Tale』側の覚悟の表れだ。

 

 『New Tale』は本気でジン・ラースを守るつもりでいる。裏でしっかり意見交換しているのなら、その誠意はジン・ラースにだって伝わっているだろう。初配信でジン・ラースがあれだけ叩かれても堂々とやり切れたのは、どうなっても絶対に事務所が守ってくれるという安心感があったからなのかもしれない。

 

『……そっか。そうだよね』

 

 力なく呟かれたエリーの声にはもう、不安感はなかった。ただ、安心とも異なっていた。

 

「ふつうならあんだけ叩かれりゃ気分も落ちてくるだろうし、そのあたりスタッフたちは気を配ってんじゃねぇの? デビューするうちらにもめちゃくちゃ親身にいろいろ教えてくれたスタッフたちだ。人情味に欠けることはしねぇよ、きっと」

 

 元気付けようとあえて楽天的な考えを述べるも、エリーの心は晴れない。

 

 うちはエリーがどういう気持ちでいるか、どんな想いを抱えているか見誤っていた。

 

『よかった、よかったんだ。ラースさんには、頼りになる人が、ちゃんといる。守ってくれる人が、味方がいてくれてる……っ。でも、なんでだろう……っ、悔しいなぁっ……。同期が、仲間が大変な思いしてるのにっ、ひっく……私っ、なにもできないっ』

 

 ジン・ラースには助けてくれる人がいない、というエリーが一番心配していた点は解消できた。なのになぜそんなに辛そうなんだと思っていたが、そういうことか。

 

 自己嫌悪か。

 

 あまりにも優しすぎるエリーなら、そう感じるのも仕方ないのかもしれない。

 

 事実、うちらは助けるどころかジン・ラースに助けられている。可能な限り荒らしがこっちにまで現れないように庇われているわけだ。それがわかっているのに何も手助けできない。連絡手段が何もないせいで感謝したくても伝えられない。かといって配信で話題にすればジン・ラースの努力が無に帰す。

 

 何もしないことが、一番ジン・ラースの助けになるというところに皮肉が利いている。無力感は一入(ひとしお)だろう。

 

 渦中、というかむしろ火中にいるとすら言えるジン・ラースよりも、もしかしたら先に二人のほうが音を上げるかもしれない。

 

 うちには全く共感できないが、アイニャは人が傷つけられていたら迷いなく助けに行くタイプだし、エリーは傷つけられている人をただ眺めるくらいなら自分も隣で一緒に傷つくことを選ぶ性格だ。解決に時間がかかれば心が折れるのはジン・ラースじゃなく、二人のおそれがある。うちの想像を超えて二人にはストレスがかかっている。

 

「あー、んー……」

 

 二人は心配だが、かといってうちに何ができるのか。

 

 うちなら誹謗中傷されても、アイニャやエリーと違って気に病むなんてことはまずない。ブチギレて発散するからだ。

 

 でも、だからといって轟々と燃え盛っている火柱に飛び込めるかというと、そうでもない。うちが見ず知らずの同期のためにそこまで体を張るだけの理由がないし、いくら神経が図太いうちでも火の海にダイブするのは躊躇する。

 

 そもそもうちがジン・ラースに絡みに行ったところで問題が解決するわけじゃない。件の男女Vtuber被害者の会の会員数が一人増えるだけで、荒らしは去らないし火は消えない。

 

 事務所と、おそらくジン・ラースも解決策を探しただろうけど、それでも見つけられなかったのだ。脳筋なうちが簡単に思いつくわけない。

 

 下手にかかわれば事態を悪化させる上に長引かせることになる。でも何かしないとアイニャもエリーも活動に支障を来しかねない。

 

 二人のように真っ当な性根を持ち合わせていないうちでは、優しい人間の心に寄り添うような答えなんて出てこない。お手上げだ。

 

『……同期で……コラボ、とか』

 

 足りない頭を必死に悩ませていると、こういう時頼りになる奴が声を上げてくれた。ウィーレだ。

 

『コラボ?』

 

 そうウィーレに聞き返したのはどちらだろうか。音が重なったようにも聞こえたから、二人同時に聞き返したのかもしれない。

 

『……わたしたちも、活動、慣れてから……同期みんなで』

 

「っ!」

 

 そこまで聞いて、ようやくウィーレの狙いが掴めた。

 

 その提案に、すぐさまうちは乗っかった。

 

「いいじゃん、コラボ。ジン・ラースの誤解も解けて、うちらも足場を固めて多少のアンチなんざどうってことないくらいになったら、同期五人全員でコラボしようぜ」

 

 ウィーレはやっぱり賢い。天才かもしれない。否、天才だ。

 

 今うちらが手を出せることなんて何もない。前向きに言い換えれば、うちらができることは何も手出ししないことだ。

 

 でも、それではアイニャとエリーが負い目を感じる。罪悪感で潰れそうになる。

 

 だったらどうするか。

 

 この天才ロリ魔法使いウィーレの策は『視点を未来に移す』ことだ。

 

 視点を現在から未来にずらすことで、やることは変えずに考え方だけを変える。どうしたらいいかわからないから思い悩むし落ち込むんだ。この目標に向かって努力する、というふうに指標を立てて、そのためには今何をすればいいかを打ち出してやれば迷うこともなくなる。

 

「なるべく早く問題を片付けて、ジン・ラースがふつうに活動できるようになったらコラボして、最初から(つまず)いたあいつの手を取って引っ張ってやろうぜ」

 

 今はどうにもできないけど、この炎上騒動が終わった後にジン・ラースのフォローができるように、うちらが力をつけておく。

 

 そういうことにしておけば、今助けられない事実から目を背けられる。これからの活動もより一層頑張る理由になる。コラボするためには早く炎上騒動を鎮静化させないといけないのだから、配信中にジン・ラースのことをつつかれても多少は我慢できるだろう。

 

 すげぇ、ウィーレの考え完璧じゃん。やっぱりただのロリじゃねぇな。いやはや、背も低いし童顔のぺったんこだが、実際はうちらの中で一番歳上なだけはある。

 

『ぁ……ち』

 

『うん……ぐすっ、うんっ! コラボ、したい! みんなで、同期全員でっ! いっぱい遊びたい!』

 

『そっか……そうだね。私たちがどう動いても逆効果になるんなら……。今は私に力がないから、助けられないんだもんね。ラースさんを助けられるくらい、ファンの人たちを納得させられるくらい私に実力があれば、何か手伝うことができたはずなんだ。その力をつけるために、私、がんばるよ。みんなで、五人でやりたい!』

 

「おおっ! 頑張ってこうぜ!」

 

 おおーっ、と二人(主にアイニャ)は勝鬨でも上げるかのように叫んだ。ヘッドホンがばりばりと鳴いている。割れてる、音割れしてる。どんな声量してんだ。ノイキャン働け。

 

 がんばるぞーっ、と意気込んでいる二人は置いておき、うちは天才合法ロリに話しかける。

 

「提案してくれてありがとな、ウィーレ。おかげでアイニャもエリーも明るくなったわ」

 

『…………』

 

「……ん? おーい、ウィーレ? 聞こえてんのか?」

 

 ウィーレからの応答はない。回線の調子でも悪いのか、それともアプリ側で変な設定でも触ってしまったのか。

 

『……ううん。みんなが、いいんなら……よかった』

 

 とりあえずウィーレの音量でも上げてみようかとマウスを動かそうとした時、ようやくウィーレが反応した。なんだったのだろうか、水でも飲んでいたのか。

 

「いいに決まってんだろ。二人も元気になったんだしな。ほんとありがとな、これからも頼むわ」

 

『……うん』

 

 耳に自然と届く透き通るようなウィーレの声には少し元気がなかった。初配信と、ジン・ラースのごたごたで疲れたのだろうか。ちなみにうちは疲れた。まだやることは残っているけど、今すぐベッドにダイブして眠りたい。

 

「さ、話は一区切りついたし、疲れて寝ちまう前にスタッフに言われてたことやっとくぞ。SNSに配信予定を出しとかなきゃいけねぇんだから」

 

『おおう、忘れてた!』

 

『……わたしは、準備できてる』

 

『ウィーレちゃん、準備いいね』

 

『……他に予定ないし、いつだって大丈夫だから。……適当に作った』

 

『そうなんだ。私も用意しておいたんだよ。私の場合は用意しとかないと慌てちゃって間違っちゃいそうだからだけど』

 

『……解釈一致』

 

『どういうことかなっ?!』

 

『やばーい! あたし考えてなかったーっ!』

 

 わちゃわちゃと賑やかにSNSへの投稿を準備する。

 

 落ち込んでいた時から比べれば二人の心持ちもだいぶ良くなったようだし、雰囲気もいつものほんわかしている柔らかいものに戻った。

 

「なんとかなったか……」

 

 アプリをミュートにして、うちは小声で独りごちた。

 

 これだけモチベーションが上がったならば、何か大きなきっかけでもない限りは調子を崩すことはないだろう。

 

 初配信後でこんなことになってかなり動揺はあったが、うちらはもう大丈夫だ。天才合法ロリ魔法使いウィーレの策のおかげで、やる気にも満ち溢れている。当分はこれで問題ない。

 

 むしろ、大きな問題を抱えているのはうちらではなくて先輩かもしれない。うちの推しにして、大先輩。

 

「お嬢……大丈夫なんかな。大丈夫じゃねぇだろうなぁ……」

 

 お兄ちゃんが入ったら楽しくなるだろうなあ、とかって配信で話をしていたし、ちょうど合格の通知が届いた日の直近くらいの配信では基本的にテンションの低いお嬢がびっくりするほどご機嫌でめちゃくちゃ可愛かった。

 

 おそらくだけど、うちらが合格の報を受け取った時期と同じくしてお嬢の兄貴であるジン・ラースも『New Tale』に受かっていたんだろう。お嬢は兄貴から受かったことを教えてもらったことで、これから大好きな兄貴と一緒に活動していけると思って喜んでいたのだ。

 

 うちの推測が正しければ、今一番大変な想いを抱えているのは、同じタイミングでデビューした同期が爆発炎上したうちら四期生ではなく、お嬢だ。誰よりも深く心を傷めているのは、お嬢のはずだ。

 

 どうかこの推測は間違っていますように、と聖職者であるイヴ・イーリイらしく神に祈っていたが、やはり聖職者もどきのお祈りでは力不足だったようだ。

 

「……はぁ、やっぱりなぁ」

 

 スマホに、フォローしている人がSNSを更新したという通知が届いていた。

 

 その内容は、お嬢が今日の配信をお休みするというものだった。




いい感じで切れるところがなかったのでちょっと長くなりました。

次はお兄ちゃん視点です。
炎上騒動で一番苦しんでいるのは、少なくともお兄ちゃんではありません。


*スパチャ読み!
尾張のらねこさん、スーパーチャットありがとうございます!
紅魔郷=先輩さん、赤色のスーパーチャット、ありがとうございます!
jommyさん、赤色のスーパーなチャットありがとうっ!ございます!
格差社会の塵芥さん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
えるしぃ(バチコリータ)さん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
止まらないよう頑張ります!


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これは、(ジン・ラース)のスタートラインだ。

たぶんお兄ちゃんははがねタイプ(メンタルが)。


 

「たまにでもちゃんとやっているか配信を覗いていただけたら幸いです。これからよろしくお願いします」

 

 一礼し、僕は配信を終了した。

 

 椅子の背もたれに体を預けて伸びをしながら長く息を吐く。

 

 久しぶりの疲労感を味わいながら、画面をぼんやりと見つめた。

 

「んー……まあまあいい感じにはできたかな」

 

 手応えとしては『中々』といったところだ。

 

 荒れるという表現が優しく聞こえるほどに荒廃しきった配信ではあったけれど、そうなることは前から予想していたことだった。事前に『New Tale』のスタッフさんたちともよく話し合うことはできていたし、対処をどうするかも相談できていた。

 

 今回の配信は、想定されていた中では最悪に近いケースではあったけれど、あくまで最悪にほど近いだけであって最悪ではない。一つたりともまともなコメントがない場合も考えてはいたのだ。それと比較すれば、百件に一件くらいはまともなコメントが流れてくる今回はまだやりやすかったと言える。そのおかげでコメントを拾ってお喋りをするという方式でやれたのだ。まともな、というよりもなんなら僕を手助けするようにコメントをしてくれていた。あの人たちには一人一人お礼のメッセージを送りたいくらいである。

 

 『New Tale』から男性Vtuberがデビューするという事実に視聴者が戸惑っている間に必要最低限の情報だけを強引に叩きつけ、あとはコメントへの返事でお茶を濁す。複数用意していたうちの一つの対処法を計画通りに行い、無事初配信は乗り切った。

 

 誹謗中傷に含まれるようなコメントについてはこういうふうに(完全にスルーで)対応しますよ、というスタンスを初配信の段階で見せることができたのは一つの収穫といえる。これからの配信についても同じように対応すれば、荒らしたいだけの人たちならばジン・ラースの反応のなさに飽きて離れていくだろう。

 

 そういった賑やかしの人たちが離れるまで、長く見積もっても一ヶ月はかからないだろう。彼らは飽きやすく冷めやすい精神性だ。代わり映えのしないつまらない一Vtuber相手にいつまでも(かかずら)うような根気があるとは思えない。二週間もすれば過半数どころか大多数の人が興味を失うだろうし、そうでなくても他におもしろいイベントが起きれば、その人たちは新しい火事場へと物見遊山に行くだろう。

 

 となれば、残された問題は二つ。大きいほうと小さいほうがある。

 

 まず小さいほう。上記のキャンプファイヤー感覚の人たち以外。今回の騒動の火元である男女Vtuberのファンの人たちだ。

 

 一括りに『彼ら』と呼ばせてもらうけれど、彼らはただの騒ぎたいだけの人たちとは熱量が違う。これまで推しを応援して、積もり積もった想いの分だけ怒りが(つの)っている。男女Vtuberの人気の分だけ人が(つど)っている。

 

 猛り狂った彼らはそう簡単に振り上げた拳を下ろすことはしないだろう。いや、できないのだ。

 

 つい最近行われたライブ配信が原因だ。釈明に終始するかと予想されたが、実際にはファンに対して惚気るという、想像と常識と信頼を大いに裏切る配信になった。しかもそこからは音信不通。SNSも反応なし。彼らは、彼らの思いを当人たちに届ける方法を失ったのだ。

 

 そんな中で、女性Vtuberばかりの事務所で僕みたいな、よくわからない胡散臭い男がデビューするとなれば、つい最近刻みつけられたトラウマを抉られる形になる彼らは過剰に反応する。致し方ないことだ。行き場を失い、臓腑に滞留するどろどろとした悪感情は、一度すべて吐き出さないと気持ちの整理はつけられない。

 

 彼らの気持ちの整理がつくまで、どれくらい時間がかかるのかは見当がつかない。彼らが荒らし行為を働くのは怒りがあるからで、その怒りの由来は反転した推しへの愛だ。推しへの愛が強かった分だけ、怒りは続くだろう。感情の強さは、思いの丈は、他人である僕に推し量れるものではない。こればかりは時薬(ときぐすり)だ。

 

 時間をかければ怒りも薄まり、次第に冷静になる。冷静になれば、メリットは微塵もないのにリスクばかり多い誹謗中傷などという綱渡りなんてやめるだろう。なので、彼らが怒りを吐き出しきって頭が冷えるのを気長に待つしかない。

 

 だが逆に考えれば、結局は時間が解決してくれることだ。なのでこちらはさほど重要じゃない。

 

 なんなら矛先を僕にだけ向けてくれるのなら問題ですらない。同じ事務所だからという理由で『New Tale』に所属する人にヘイトが向けられる可能性があるので、ひとまず問題として取り上げている。このあたりをコントロールしていくのが今後の課題になるだろう。

 

 僕が一番懸念しているのは残された二つの問題の、大きいほうだ。

 

「最近の情勢見てたらある程度は覚悟できてたと思うけど、想像以上だったのかなあ……」

 

 礼ちゃんのことだ。

 

 今更言うまでもなく登録している礼ちゃんの──レイラ・エンヴィのSNSのアカウント。それの、ついさっきされた投稿。予定通りであれば、四期生のデビュー配信後に礼ちゃんは配信していた。配信する、はずだった。

 

 礼ちゃんのことだから、デビューした後輩たちのことを自分の配信で触れて、自分のところのリスナーさんにも興味を持ってもらおうとかって考えていたのだろう。精一杯背伸びした先輩ムーブだ。可愛い。

 

 それができなくなってしまったのは僕が原因だ。

 

 SNSの投稿では、体調不良で今日の配信をお休みするとあった。

 

 あながち間違ってはいないだろう。あれだけ目にも教育にもよろしくない単語が飛び交っている配信を見れば、気分も悪くなるというもの。

 

 ただ、あの礼ちゃんが、多少体調が優れないくらいだったら無理を押してでも予定通りに配信を断行するあの礼ちゃんが、配信予定時間の少し前に急遽取り止める判断を下したのは、その大荒れ配信をしていた配信者が僕だったからだろう。とてもまともに配信できないくらい、強がりや痩せ我慢ではどうにもならないくらいにコンディションが落ちているのは、きっと僕が原因なのだろう。

 

「どうするべきかな……」

 

 正直なところ、僕自身は荒れ放題のコメントを見ていてもそれほど感情が動かなかった。まあそうなるよね、くらいの気持ちでしかなかったのだけれど、だからといって他の人も僕と同じようにしか感じ取っていないと思い込むのは、きっと間違っている。とくに礼ちゃんは僕をVtuberという世界に誘った張本人だ。感じなくてもいい責任まで、重く感じているかもしれない。

 

 僕の初配信を見て礼ちゃんがショックを受けているのならフォローしないといけない。しないといけないが、どう動くのが適切なのかわからない。

 

 直接礼ちゃんに話しかけに行っていいものなのか、それともクッションを挟む形でメッセージアプリ越しに様子を見てみるべきか、もしくは礼ちゃんの気持ちが落ち着くのを待つべきか。

 

 背もたれに体重を傾けながら、スマホをちらりと一瞥して、扉の向こう側で足音がしていないか耳を(そばだ)てる。

 

 すると、スマホの画面が光った。

 

「っ!」

 

 背もたれに沈み込んでいた体をバネのように起き上がらせ、スマホを置いていたテーブルに手を伸ばす。

 

 スマホはメッセージアプリの通知を報せていた。

 

「……はは、いい子だなあ、ほんと」

 

 相手は礼ちゃんではなく、夢結さんだった。

 

『とてもかっこよかったです。がんばってください。応援してます』

 

 僕から伝えなくても夢結さんなら『New Tale』のアナウンスを自分で確認しているだろうけれど、デビュー配信の日と時間については一応伝えてあった。

 

 きっと配信を見てくれていたのだろう。ある意味なんらかの記録に残りそうな、あのデビュー配信を。

 

 その上で、全部見た上で、送ってきてくれた簡潔な応援のメッセージ。文面と文量以上に、気遣いと優しさが込められたメッセージだ。

 

「……うん、がんばるよ」

 

 僕がデビュー配信の日を伝えた時、夢結さんは『絶対推しますから! ていうかもう推してます!』と言ってくれた。まだSNSのアカウントも動画共有プラットフォームのチャンネルも開設していなかったのに、だいぶ気が早くもファンになってくれていた。

 

 夢結さんは、ジン・ラースのファン第一号だ。その期待には応えたい。応援してくれた気持ちに報いたい。

 

 まだ配信者としての自覚も自負もないけれど、自信なんてもっとないけれど、ファンになってよかったって思ってもらえるような僕でいたい。

 

 夢結さん(ファン)から届いた初の応援メッセージ。これは、(ジン・ラース)のスタートラインだ。

 

 メッセージをスクリーンショットで保存して、夢結さんに返事で感謝を伝えてからスマホをテーブルに戻す。

 

 覚悟を決めて、僕は部屋を出た。

 

 

 

 *

 

 

 

「礼ちゃん、入るよ」

 

 ノックをし、声をかける。

 

 一瞬、小さく衣摺れの音が聞こえたので寝てはいないようだ。

 

 扉を開いた。

 

 センスがないためモノトーンで統一されたシックという名の質素な僕の部屋とは違い、礼ちゃんの部屋は明るい色合いなのに反発し合わないよう上手く整えられたお洒落な部屋だ。色鮮やかなコーディネートの空間にいろんな世界観のぬいぐるみが居着いている。いたるところにアニメやゲームに登場するキャラクターの大きなぬいぐるみが鎮座しているのは、UFOキャッチャーが得意な夢結さんから頂いたものなのだそう。

 

 部屋の中央付近にあるローテーブルの上には雑然と雑誌が広がっていて、テーブルの足元には読んでいる途中と思しき漫画が積まれていた。表紙からして夢結さんからの貸借物だ。

 

 几帳面なようでいて意外と片付けが苦手な礼ちゃんは、よく床にゲームやアニメ関連の雑誌や漫画を放置していたり、たまに脱いだ服がそのままベッドや椅子に掛けられたりしている。僕の時間がある時を見計らうかのように、ちょくちょく片付けを手伝ってとお願いされるのだけれど、私物が散乱しているわりにはゴミが捨て置かれることもなく、埃が溜まっていることもない。掃除はできるのに片付けはできないのはとても不思議だ。

 

 そんな、ふだんなら賑やかで華やかな礼ちゃんの部屋は、今はどこかくすんだように色褪せていた。

 

 それはきっと、この部屋の主人が塞ぎ込んでしまっているからだろう。

 

 入って正面に見えるPCや複数のモニター、配信機材や各種ゲーム機が集められている空間は空席だった。

 

 ただ、モニターは消されることなく点灯しっぱなしだ。とうに配信を終了してモニターの電源も落としている僕にはわからないけれど、その画面はおそらく、僕の配信が行われていた時のまま、そこから触らずに置かれているのだろう。

 

 やっぱりしっかり配信は見てくれていたようだ。

 

「っ……ひっ……っく」

 

 声がしたほう、ベッドへ目を向ける。

 

 ベッドの上には、ちょうど人一人ぶんくらいの大きな布団の塊があった。その塊はしゃくり上げるような音と一緒に小揺るぎして、声を押し殺したような小さな泣き声を漏らしていた。

 

 僕はベッドの端っこのほうに腰を下ろして、まるで子どもをあやすみたいに布団の塊をぽんぽんと叩く。羽化する前の蛹みたいに、塊はぴくっと身動(みじろ)いだ。

 

「っ、なさい……っ、ごめんなさいっ……ひっぐ」

 

 断続的に、それでもずっと謝り続ける礼ちゃんに心が痛む。

 

「なんで礼ちゃんが謝るの? 何も悪くないでしょ?」

 

「わ、私が、誘ったせいでっ……お、お兄ちゃんがいっぱい酷いことっ、言われて……うぐっ……ぐすっ」

 

「僕なら大丈夫だよ。最初から批判されることはわかってたんだ。何もなくても多少は燃えてたよ。ちょっとタイミングが悪くて、他の炎上の件も重なったことで大きくなっちゃっただけ。このくらい誤差みたいなもの。大丈夫、問題ないよ」

 

 実際、合格したってわかった時点でデビューからしばらく荒れることは確信していた。『New Tale』から男性Vtuberがデビューする。その段階で大なり小なり炎上することは確定事項だったのだ。

 

 僕自身、人とちょっとずれた感性を持っていることも相まってノーダメージである。前の会社で働いていた時のように面と向かって直接的に大声で罵倒されるのならばともかく、顔も見えない名前も知らない相手から画面越しに的外れなコメントを受けるだけならばどうということはない。批判されようと否定されようと、拒否されようと忌避されようと、不満も憤懣(ふんまん)も感じない。感じられない。

 

 嘘偽りのない僕の言葉なのだけれど、しかし礼ちゃんはそう受け取ってくれなかったようだ。

 

「そんなわけ、ない……っ、そんなわけっ! 大丈夫なわけない!」

 

 激発するように、礼ちゃんは声を張り上げた。

 

 布団越しでよかった。緩衝材があったおかげで、礼ちゃんのその鍛えられた肺活量からの大音声が少しだけくぐもった。耳がきーんとするだけで済んだ。

 

「礼ちゃん、声大きいよ」

 

「お兄ちゃんがバカなこと言うからっ! こんなのっ、前働いてる時と一緒だよ! 自分の中だけで『大丈夫』って思ってるだけで、ほんとはストレスになってるの! わっ、私がっ、何回も! 何回も何回も何回も何回もつらくないのって、休まなくていいのって訊いてたのに! お兄ちゃんはいつも『大丈夫』って! お兄ちゃんはまた『大丈夫』って……っ、私のせいでっ、また『大丈夫』って……ぅぁっ」

 

 礼ちゃんの話は途中から逸れてしまっていた。後半のほうは昔の、というほどには昔ではないけれど、前の会社で働いていた時の出来事だ。

 

 確かに礼ちゃんは事あるごとに僕の身を気遣ってくれていた。車で学校に送る時も。ご飯を作り置きしてる時も。休日に礼ちゃんとお出かけする時も。何かやるたびに、そう訊ねてきていた。

 

「もしかして、自分のせいで僕が倒れたんじゃ……とかって思ってる?」

 

 もしかして、と頭に思い浮かんだ時にはすでに口をついて出ていた。

 

「だ、だって! そうだもん! 私のせいだもん! 学校に送ったりしなかったらもっと朝の時間にゆっくりできたはずだしっ、ご飯だって自分のだけならそこまで手間かからなかったはずだしっ、大事なお休みの日も私がわがまま言ってなかったらもっとたくさん寝れてたはずだもん! 忙しいなら洗濯も掃除も私に押し付ければいいのに自分でいつの間にかやっちゃうしっ、制服だって私が放り捨ててたやつ気づいたらアイロンかけて置いてるしっ!」

 

 一言投げ返したら倍では利かないくらい返ってきた。今でも前の会社で働いていた時の小言はちょくちょく頂戴していたが、それでも言いたいことを全部は言えていなかったようだ。

 

 僕が倒れたことについて礼ちゃんが未だに言及するのは(僕自身にはそんな自覚はないのだけれど)無理をしがちな僕を窘める意味合いともう一つ、礼ちゃん自身に負い目や引け目があったからなのかもしれない。ちゃんと休め、ちゃんと寝ろ、と僕に注意する時の礼ちゃんの表情につらそうな雰囲気があったのは、きっとそういうことなのだ。

 

「……ふっ、ふふっ、はは」

 

「なっ、なにがおかしいんだあ!」

 

 そうやって礼ちゃんが本気で、本心で、本音で僕の身を案じてくれているというのに、こんなに心配してもらえるなんて嬉しいなあ、なんて呑気に喜んでいるどうしようもない兄がいた。

 

 でも、どうしようもなく笑ってしまう。口元が緩むのを抑えられない。

 

 礼ちゃんの不安や懊悩は、まったくもって的外れなのだ。

 

「礼ちゃんのおかげだったんだよ。続けられたのは」

 

「そんなわけないっ……。私はずっと、今もお兄ちゃんの負担になってて……」

 

「学校に送るまでの短い時間だったとしてもお喋りできたし、ごはん作ったら美味しいって言ってくれた。礼ちゃんも忙しいだろうに、休日はリフレッシュするためにいろんなところに一緒に遊びに行ってくれたよね。お仕事のことばっかり詰まっていた頭を空っぽにする時間を礼ちゃんがくれたから僕は頑張れたんだよ。礼ちゃんがいなかったら二年どころか半年も持たなかったと思う。負担だなんてとんでもないね」

 

 前の会社で働いていた時は、やってもやっても片付かない仕事の山に押し潰されて大変だった。一つ片付けたと思ったら二つ三つ仕事が増えているような環境だったのだ。

 

 毎日長時間のお仕事で疲労を感じていた中でも、よし頑張ろう、と思えたのは礼ちゃんのおかげだ。広大な砂漠で見つけたオアシスのような存在だった。明日も礼ちゃんの笑顔を見るために頑張ろうと思えた。生活の中で点在する小さな癒しが日々の労働の活力になっていたのだ。

 

 そういう意味では、礼ちゃんの存在がなければ僕は今こうして五体満足でいられているかわからない。もしかしたら、倒れるだけでは済まなかった可能性すらある。つまり、今日僕が健康でいられるのは礼ちゃんのおかげなのだ。

 

「……わ、私がいたせいで二年もがんばっちゃって倒れちゃったってこと?」

 

「いつになくネガティブだね……。違うよ。礼ちゃんがいなかったら倒れるだけじゃすまなかったってことで、礼ちゃんがいてくれたら頑張れるってこと。顔を見せてくれて、お話してくれて、笑ってくれていればそれだけで頑張れるってこと。だから今のままじゃ僕、頑張れそうにないなあ」

 

 わかりやすいようにオーバーにそう嘆けば、少し考えるように間を置いてから布団の塊がもぞもぞと動いた。ばっ、と掛け布団を跳ね除けて、礼ちゃんが僕の腕を抱え込む。

 

 どうにか布団の蛹は羽化させられたようだ。ずっと布団に包まれていたからだろう、僕の腕を抱えている礼ちゃんの体は火照っているかのように熱かった。

 

「私がいつも通りにしていれば……お兄ちゃんは平気ってことなんだよね?」

 

「そうだね。僕はコメントで散々に叩かれるよりも、礼ちゃんが悲しんでいるところを見るほうが苦しいよ」

 

「……ぐすっ、うん。わかった! もう気にしない! なにも気にしない! めんどくさいことぜんぶ、ぜんぶぜんぶぜーっんぶ! 気にしない!」

 

「おー、その調子だよ礼ちゃん。その調子で顔を上げてくれると嬉しいな」

 

「それはだめ。いっぱい泣いて目腫れてるし、ずっとお布団かぶってたせいで汗もかいてるし髪もぐちゃぐちゃだし」

 

「あーあ、残念。それじゃすぐにお風呂入っちゃおっか。明日には目元の腫れも(おさま)ってるといいけど」

 

「うん、わかった。一緒に入る」

 

「入るのは礼ちゃんだけだよ。僕はもう入ったし」

 

「なんで?! やっぱり私のこと嫌いになったんだあ?! うわああんっ、うえええんっ」

 

「いや、さすがにそこは勢いで誤魔化されないよ」

 

「ちっ……タイミングを逃したか。しかたないね、お風呂行ってくるー」

 

「はい、行ってらっしゃい」

 

 引き出しから着替えを取り出して、礼ちゃんはドアに向かう。

 

 このままいてもすることがないので僕もそろそろ礼ちゃんの部屋をお暇しよう。

 

「……お兄ちゃん。せっかくVtuberになれたんだもん。……コラボ、しようね」

 

 ベッドから腰を上げようとした時、礼ちゃんがドアノブに手をかけながらそんなことを言ってきた。

 

 これは礼ちゃんなりの発破なのだろうか。僕が誹謗中傷コメントに負けてVtuberを辞めてしまわないように、礼ちゃんとコラボをするという目標を立てて気合を入れさせようと。

 

「うん。必ずしようね」

 

 炎上することはわかっていたからいい。時間が経てば落ち着くのだから、それまで待てばいい。

 

 ただ残念なことを一つだけ挙げるなら、火の手が上がり過ぎて礼ちゃんと遊ぶまでに時間がかかりそうなことくらいだ。騒動が収まってからでなければまともにコラボなどできないだろう。

 

 騒動が収まり、その後で礼ちゃんことレイラ・エンヴィと、僕ことジン・ラースが実の兄妹であることを明かし、その上でコネで入ったわけではないことが周知されてからになる。そのくらい段階を踏まなければ再び火が着きかねない。

 

 長い道のりだけれど、礼ちゃんと一緒に配信をできる日を夢見て頑張っていこう。

 

 決意を新たにして、腰掛けていた礼ちゃんのベッドから立ち上がる。ベッドに手をついて立とうとした時、こつん、と小指に硬い物があたる感触があった。

 

 礼ちゃんのスマートフォンだった。

 

 布団に包まりながらスマホで何かを見ていたらしい。点灯しっぱなしの人のスマホの画面を覗くのは明確にマナー違反だが、目を向けた際にその画面が視界に入ってしまったのだからこればかりは仕方がない。悪気はなかった。

 

 その画面には文章が表示されていた。僕のコミュニケーションアプリにも送られていたものと同じ文面。おそらく所属Vtuber全員に送られただろう『New Tale』からのメッセージだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 翌日、未明。

 

「……うん?」

 

 微かに、でも確かに聞こえた礼ちゃんの苦しむような声で目が覚めた。

 

 礼ちゃんの部屋にノックもせずに入る。

 

 礼ちゃんは苦悶の表情を浮かべながら、縮こまって(うな)されていた。いつも掛けているキルトケットは足元で丸まっている。寝苦しくて蹴飛ばしたけれど夜が更けて寒くなったのだろう。

 

 キルトケットを掛けようとベッドの側まで近寄った時だった。

 

「っ……ごめ、なさ……っ。お兄ちゃ……わ、私、が……っ」

 

 寝言で、繰り返し繰り返し礼ちゃんは謝っていた。ずっと、何度も、ぽろぽろと涙をこぼしながら謝っていた。

 

「…………」

 

 寝る前には吹っ切れたようにも見えたけれど、心の奥底ではまだ解消しきれずに澱のように溜まっていたのか。

 

 僕は何とも思ってはいないので礼ちゃんが謝ることなんてこれっぽっちもないのだけど、礼ちゃんはそうは考えていないのだろう。きっと僕がどれだけ言い聞かせても、今の状況が好転しない限りは礼ちゃんの罪悪感が消えることはない。

 

「せめてゆっくり寝てほしいんだけどな……」

 

 優しく真面目な礼ちゃんのことだから、起きている間もふとしたきっかけで思い詰めるようなことがあるだろう。ならせめて寝ている間くらいは心穏やかに休んでほしいと思うけれど、就寝中こそ無意識的に罪悪感が浮かんできてしまうのかもしれない。

 

「ごめ……なさ……っ」

 

「…………」

 

 顔にかかる前髪を左右に分けて、ゆっくりとあやすように礼ちゃんの頭を撫でる。

 

 苦手なのにホラー映画を観て、案の定夜一人で眠れなくなって添い寝する時は、こんなふうに撫でてあげていれば悪夢に魘されることもなく寝ることができていた。礼ちゃんがもっと幼い頃、物心つく前から寝付けなかった時にはそうやって寝かし付けていたから、条件反射みたいになっているのだろう。

 

「ううっ……う……」

 

 同じように、少しでも嫌な夢を見ずに寝られるのならと思って試してみたけれど、思いの(ほか)効果はありそうだった。強張っていた体からは力が抜けていき、寄せられていた眉は元の形に戻っていく。耐えるように噛み締められていた唇は薄く開かれていた。

 

「……よかった」

 

 もう悪夢は過ぎ去ったようだ。

 

 今では撫でをねだる犬のように、僕の手に頭を押し付けてくる。時折ふにゃっと表情を緩めていた。

 

 片手で撫でながら、もう片方の手で涙の跡を拭い、キルトケットを掛け直す。

 

 気づけてよかった。礼ちゃんが魘されているのに気づけなかったら、礼ちゃんは起きるまでずっと悪夢に苛まれ続けていたかもしれない。

 

 そして、これは今日一日だけとは限らない。もしかしたら明日も明後日も同じようなことがあるかもしれない。夜は注意しておいた方がいい。

 

 礼ちゃんが穏やかに寝息を立てるようになってからも、窓の外が白み始めてからも、僕は礼ちゃんが目を覚ますまでずっとそうしていた。

 

 

 

 *

 

 

 

「人間の皆様、こんばんは。『New Tale』所属の四期生、ジン・ラースです。初めましての方は初めまして。昨日の初配信を見てくださった方は再びお会いできて光栄です」

 

 初配信の次の日の夜、記念すべき二回目の配信だ。

 

 活動し始めたばかりのど新人にしては視聴者の数はとんでもなく多いけれど、おそらくまともな視聴者はその一パーセントにも満たないのではなかろうか。

 

 今日も今日とて賑わっているコメント欄が僕の推測を証明してくれる。肥溜めと大差ないほど汚い言葉が大量に不法投棄されているのだ。

 

 ただ、ごく稀に応援してくれる人もいた。『楽しみにしてた!』とか『五時間前から待機してました』なんて怖嬉しいコメントを送ってくれている。まさしく掃き溜めに鶴の如し。

 

「今回はとあるゲームをプレイさせてもらおうと考えております」

 

 僕の配信を見てくれている視聴者の画面の右斜め下のあたりには、Live2Dのジン・ラースがバストアップで映っているはずだ。

 

 相変わらず何を考えているかわからない胡散臭い笑みを浮かべて高級感のあるスーツを身に纏う、魔王軍の幹部のような悪魔だ。今は角と耳だけ悪魔の状態になっている。

 

 雑談配信でもするのなら角・耳・翼・尻尾ありの完全悪魔形態でもいいだろうけれど、ゲーム配信時はコウモリのそれを更に邪悪にしたような、大きく広がる翼が邪魔になる。なので今は格納しているのだ。ちなみに人間社会に紛れ込めるように、悪魔っぽさを全部引っ込めた人間形態もある。その状態だとまるでホストクラブのトップスリーくらいに入っていそうな、格好良くて優しげな兄ちゃんに見える。

 

「説明も不要なほどに大変人気のあるゲームですね。他の配信者様方、なんなら『New Tale』の先輩方もプレイなさっていますし。今日は配信タイトル通り『Island(アイランド) create(クリエイト)』をやっていこうと思います。皆様ご存じアイクリですね」

 

 『Island(アイランド) create(クリエイト)』は、いわゆるサンドボックス系のゲームだ。一言で表現するなら、プレイヤーのできることが非常に多いサバイバルゲーム、といったところだろうか。プレイヤーはアイテムも何も持っていない身一つの状態で放り出されるところから始まる。そこから試行錯誤して立派な家を建てるもよし、そこから広げて街を作るもよし、装備を整えて一応はボスと設定されているモンスターを倒しに行くもよし。何でも自由に遊び尽くせるのが魅力のゲームで、こだわろうとすればいくらでも好きなように手を掛けてこだわることができ、そしていくらでも時間が溶けていく。恐ろしいジャンルのゲームである。

 

 実際にやったことはないものの、僕でも聞いたことくらいはある有名タイトルだ。

 

 ちらりとコメントに目を向ければ、なんとも激しく文字が踊っている。

 

〈NTの鯖入んな〉

〈関わんな〉

〈今すぐ閉じろ〉

〈消えろ〉

〈一人でやってろ〉

 

「ご安心ください。フィールドに降り立ったらすぐに人里から離れますので。先輩方や同期の皆様の手を煩わせるようなことはしませんよ」

 

 やはり反応は著しいものがあった。

 

 このアイクリ、もちろん一人でも楽しむことができるけれど、サーバーを立てればいろんな人と一緒に楽しむことができるのだ。一緒にボスを倒しに行ったり、一緒にのんびりと資材を集めに行ったり、一緒に駄弁りながら建築したりなどなど。そういったマルチプレイをできるところが受けて、多くの配信者がこのゲームを配信に使っている。

 

 企業勢だと、一緒のサーバーでプレイしている同じ事務所の配信者との予期しない絡みがあったりして、そういったところもリスナー的には見どころの一つなのかもしれない。

 

 そう。他の配信者と、つまりは『New Tale』の先輩方や同期たちと絡むことがあるかもしれないということで、推しのいるリスナーさんたちは危惧しているのだ。

 

 リスナーさんたちが警戒していることもあるし、なにより僕だけならともかく先輩や同期たちにまで迷惑をかけたくはないので、自分から率先して近づくことはない。

 

「立派な街ができていますね。さすがは先輩方、とてもセンスがあります。僕はこういった芸術的なセンスに欠けるので、とても尊敬します。さて、それではすぐにお暇すると致しましょう。しばらく進んで山のようなところを越えれば、先輩方の作業のお邪魔にもならないでしょう」

 

〈少なくとも俺の邪魔だわ〉

〈新しい鯖立てて一人でやったら文句なしだな!〉

〈鯖入ったらまず挨拶しろよ〉

〈Vtuberやめろ〉

〈絶対話しかけんなよ〉

〈がんばって〉

 

「はい、頑張ってやっていきますね」

 

 裸一貫でフィールドに降り立った後は、そそくさと先輩たちが開発した土地から離れる。

 

 ぱっと見た感じ、街の中は大きく立派で色鮮やかな家が立ち並んでいたり、噴水を中心にした広場があったり、一見しただけでは何を模しているんだかよくわからないモニュメントがあったり、レールがずっと遠くまで敷かれていたりと、ずいぶん文化的な印象だった。家の周りには色とりどりのお花が植えられていたりして、見栄えも良くて華やかだ。先輩方のそういった作品を直接拝見できないのは少々残念にも思うが、建物を勝手に眺めたりしていたのがリスナーを介して先輩方に伝えられたりなどしたらご迷惑がかかる。先輩方も、ジン・ラースが無断で敷地内に侵入していた、などと報告されても感想に困るだろう。

 

 せめて礼ちゃんが作ったものだけでも見たかったが、わざわざリスクを負ってまで見る必要はないと割り切って、後ろ髪を引かれる思いを堪えつつ駆け足で先輩方が手をつけていないエリアまで移動する。

 

 一山を越えて、越えた先にあった湖っぽい水辺の反対側まで移動したところで、ようやくサバイバルをスタートする。

 

「では、このあたりで始めましょうか。……すでにスタミナが減ってきてますね」

 

 このゲーム、サバイバルゲームらしくスタミナゲージがある。そのゲージが減少すると走れなくなったり、果ては体力が漸減したりとデメリットがある。先輩方とニアミスしないようにと急いで移動した為、急激に減ったのだ。ゲームのスタート地点に立つ前からスタミナが減少しているというハンデを背負いながらの幕開けだ。

 

 そこからしばらく、まともに意思疎通できるリスナーさんのコメントを拾ったりしてお喋りしながらのんびりと進めていった。

 

 このゲーム、プレイヤーがやろうと思えばやることは本当に多岐に渡る。先輩方のようにお家や街を作ったり、ラスボスに設定されている強敵を倒したり。

 

 だけれども、そんなに生き急いでラスボス攻略に邁進するというのも味気ないだろう。RTA(リアルタイムアタック)を目指しているわけではないのだ。

 

 とりあえずは初心者らしく活動していた。

 

 何はともあれ、サバイバルといったらまずは拠点作りである。

 

 最初は木を素手で削り倒し、その木を木材にし、木材から作業を効率化させる道具などを製作する。道具を作ったらフィールド上をお散歩している動物を探し歩き、その動物を転がしてお肉やら毛皮やらのアイテムを頂戴する。とある動物から拝借できるアイテムが、セーブポイントとなる道具を作るために必要なのだ。

 

「立派なマイ掘立てハウスが完成しましたね。いやはや、めでたいです。屋根とベッドさえあれば、あとの生活なんてどうとでもなりますからね」

 

〈センスごみかよ〉

〈掘立てハウスw〉

〈建築時間三十秒〉

〈ほんまにセンスなくて草〉

〈犬も逃げ出すわこんなん〉

〈向きとか色とかぐちゃぐちゃ〉

〈時々土使ってるのなんなん……〉

〈A型を殺す家〉

〈おっそ〉

〈かわいいログハウス〉

〈積み木だろこれ〉

〈へたぬそやん〉

〈キャラコンだけは上手いせいでセンスのなさが強調されてる〉

〈猟師かよ〉

〈エイムやば〉

〈へたぬそww〉

〈へたぬそワロタ〉

〈君日本語へたぬそやな〉

 

「ま、まあ……ここはあくまで仮の拠点ですからね。とりあえず夜を過ごす事ができれば問題ありません」

 

 木材その他諸々を利用して簡単な家を作った頃には(ゲーム内時間で)日が完全に暮れていた。僕の掘立てハウス、優しいリスナーさん評の『かわいいログハウス』とベッドができただけ充分な仕事だろう。

 

 夜になると敵がわんさか湧いてくるのでお布団に包まれて就寝。四方八方囲まれない限りはどうにかできる自信はあるけれど、まだ木製の剣と無理して作った弓矢しかまともな武器がないのであまりバトルはしたくない。旅に出たばかりの勇者よりかは多少はマシくらいの装備だ。ちなみに防具なんて大層なものはない。素っ裸である。

 

「第一目標の拠点は完成しましたので、次は第二目標です。文明を進めましょうか」

 

 次はツルハシを使って採掘しに行く。

 

 所持している道具があまりにも貧弱なのだ。石でも鉄でもなんでもいい、もう少し使い勝手のいい道具が欲しい。同時並行で光源を確保するための燃料も産出されれば大変都合がいい。

 

 何も考えずに適当に家の近くから掘り始めた坑道とログハウスを何回か往復して光源などの消費アイテムを製作したり素材を貯蓄し、そろそろ使っている道具を全部アップグレードできるかな、と思っていた時だった。

 

 無駄に視聴者数が多いせいで元から速いコメント欄の流れが、一段階ぐっと加速した。

 

〈容量割る〉

〈切り抜きシーンが見られると聞いて〉

〈偏差完璧かよ〉

〈配信者の存在以外はストレスフリーやな〉

〈Vtuberやめろ〉

〈お兄ちゃんさんちすちす〉

〈お邪魔しまっす〉

〈草〉

〈養老悪い〉

〈ぜったいFPSやってるでしょ〉

〈お兄ちゃんさん見てるー?〉

〈誤字りまくってる奴おるな〉

〈流れはや〉

〈面白くなると聞いて〉

 

「ん? あれ、なんでしょう? えっと、とりあえず……いらっしゃいませ? ごゆっくりどうぞ」

 

 コメント欄にこれまでにない流れを感じた瞬間、異音を聞き取った。

 

 このアイクリではそれほど気にすることはないけれど、FPSなどのゲームをしている時は銃声や足音など、とにかく音が大事になる。普通のイヤホンであれば片耳だけ外したりすることもできただろうけれど、ヘッドセットを使っていたせいで外の音が聞こえなかった。自分の部屋の前の廊下を歩く足音すら、聞こえていなかった。

 

「えっ……」

 

 がちゃり、と扉を開く音がして、僕は思わず振り返った。




次は別視点です。時間が若干戻ります。


*スパチャ読み!

sakuranoさん、赤色のスーパーチャット、ありがとうございます!
もっちりみかんさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
なんだかすごくおいしそうな名前だ……
さんかがみさん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
オーライさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
しおのきさん、スーパーチャット、アリガトゴザイマァス!
ムジーナさん、上限赤スパてんきゅーです!ありがとうございます!
キャドーさん、赤色のスーパーなチャットありがとうございます!
月琉さん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
霧花一華さん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
凩凪さん、スーパーチャット、ありがとござますっ!
込山正義さん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
ふぇふぇさん、上限の赤色のスーパーチャット、ありがとうございます!
志方疎さん、赤色のスーパーチャット、ありがとうございます!

あたたかい評価をくれる人がたくさんいてすごく驚いています!ありがとうございます!めっちゃ嬉しいよ!がんばるよ!


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「……あんたはすごいよ、寧音──」

前話の続きは26日更新分になります。今話は時系列的にはお兄ちゃんのデビュー配信の日です。前回の引きで続きが気になるっていう声があった中、さらにお待たせして申し訳ないです。前話ラストに至る描写にこだわりたかったのでこういう形にしました。ごめんなさい!


 

「うぅー、始まる……始まってしまうぅ……うぅー……」

 

 推しの初配信の時間が刻一刻と迫っていた。

 

 ふつうなら推しの配信がもうすぐ始まるとなれば楽しみなだけだろうけれど、あたしの場合はのん気に浮かれてはいられない理由がある。

 

「うるさいよ、ゆー姉。気持ち悪い鳴き声がイヤホン貫通してるんだけど」

 

「……もう少し気を遣った言い回しってもんがあるでしょうが」

 

 同じ部屋にいるあたしの三つ歳下の妹、吾妻(あづま)寧音(ねね)が眉を顰めながら言い捨てた。

 

 金色に近いくらい明るい髪に、こともあろうにピンク色をつけ足したような、頭の悪そうなセミロングの髪。それを今はタオルで纏めている。中学生のくせに無駄にチャラついた妹だ。

 

 よく友だちと夜遅くまで遊び歩いていて、スクールカーストの頂点に位置するくらいの社交性(コミュ力)も持っている。礼愛とはまた違った意味であたしと対極に位置しているのが寧音だ。寧音からしてみれば姉二人はさぞかし勉強しがいのある反面教師になったことだろう。あたしと姉に負けず劣らずのオタクの癖に。

 

 あたしはお兄さんの初配信を前にいてもたってもいられず、学校から帰ってくるやすぐさまお風呂に入って数時間前から待機していたけれど、寧音は友だちとのショッピングから帰ってきて、ついさっきお風呂から上がったばかりだ。

 

「ちゃんと反省できるように気持ち悪いよ、って注意してあげてるだけ感謝してほしいくらいだよ。ふつうなら注意なんてしないんだかんね。関わらないでおこうってなるんだから」

 

 ふん、とイヤホンを外しながらそっぽを向く寧音はローテーブルの上に置いたノートPCを開いて配信の視聴準備を完了すると、テーブルから歩幅一歩分ほど下がって足を開き、柔軟を始めた。毎日めんどくさがりながらも続けているお風呂上がりのストレッチだ。

 

 ショートパンツから伸びる足はあたしのそれとは比べるのも烏滸(おこ)がましいほど細い。羨ましい、妬ましい。あたしのみたいにむにむにしていない。でもそれなりに寧音が努力してそのスタイルを維持していることも知っているので、それをずるいとは言えない。

 

 ただ、キャミソールの襟からすらりと引き締まったお腹まで見えるという悲しい現実を視認して、自分の劣等感を慰める。寧音はコミュ力や女子力はあたしや姉に似ていないが、胸囲のほうも似ていない。キャミソールのカップが浮きそうなくらいぺったんこだ。

 

「……れー姉のお兄さんから、返事きたの?」

 

 寧音の言う『れー姉』というのは礼愛のことだ。

 

 礼愛は何度か家に遊びに来たことがあって、その時に寧音とは会っている。寧音はよく夜遅くまで友だちと遊んでいるし、礼愛も頻繁に来ていたわけではなかったので会う機会はそこまで多くなかったはずだが、寧音は礼愛にとても懐いていた。

 

 それはきっと礼愛の物腰の柔らかさとか面倒見の良さが多分にあるだろうが、なによりも寧音は実の姉二人からでは摂取できない姉成分を頼りになる礼愛に求めたのだろう。

 

 礼愛はお兄さん絡みだと『あんな感じ』だが、それ以外の場面ではとことん優等生だ。学校でもクラスメイトや、たまに後輩に勉強を教えているところを目撃する。なんなら家に遊びに来た時に寧音の宿題を見てくれたこともあった。まったく嫌がらず面倒くさがらず、なんなら嬉しそうに教えているあたりが礼愛が慕われる理由の一つだろう。単純に、背が高めで顔面が良いというのも強そう。

 

「……ん? ああ、返事? うん、きたよ。うまくできるかわからないけど頑張るね、って。くふっ、律儀だよね。えへへ」

 

 『New Tale』のホームページもSNSも毎日朝昼晩と三回チェックしていたあたしは四期生のデビュー配信の日時については知り得ていたけれど、それでもわざわざお兄さんはあたしにデビュー配信の日を教えてくれたのだ。お返事がどうのこうのというのはその時の話である。

 

 『New Tale』に応募するための動画作りにあたしが協力したから筋を通すために教えてくれたのか、それとも別の感情が理由なのかは知らないけれど、わざわざ。わざわざ教えてくれたのだ。それどころかホームページ上にも記載されていない配信の順番までも教えてくれた。

 

 あたしがSNSなどで情報を拡散したりしない、とお兄さんは確信しているのだろう。だからこそ教えてくれた。それだけあたしを信用してくれているという証明だ。絶対の信頼をあたしに寄せているのだ。もしかしたら寄せられているのは信頼だけではないかもしれない。あー好き。

 

 お兄さんがメッセージくれた、と自慢した時の寧音の顔は、おそらく当分の間は忘れないだろう。今までに見たことがないくらいに嫌悪感を露わにして『きっっっも』と、とんでもなく溜めて罵られた。

 

 きっと寧音は、自分は連絡先を知らないのに自慢されて悔しかったのだろう。お兄さん直通の連絡先を知っているのは、ご家族を除けば弁護士の先生とあたしくらいしかいないからね。数少ないうちの一人だからね、あたしって。くやしかろう、くやしかろう。

 

「きっっっも」

 

 にやにやしていたところを一瞥されて再び罵倒された。これが女のジェラシーってやつか、哀れだな。

 

「お兄さんのことを教えてあげたんだから、もう少しくらいは感謝してもいいと思うけどね」

 

「そこは感謝してあげないこともないけど、下心ありきの布教じゃん。教えてくれたことと利用しようとしたことで差し引きゼロだよ」

 

「むぐっ……」

 

 お兄さんの許可を得て、オーディション用の動画を姉と妹に見せてあげたのがだいたい二ヶ月くらい前。あたしと同じくオタク趣味の二人は、予想通りお兄さんの声にどハマりした。

 

 寧音の言う通り、お兄さんが『New Tale』に受からなかった場合でもボイスドラマを安定的に供給してもらう為の根回しとして動画を視聴させたのだ。感情の比率で言えば『下心もあった』というよりかは『真心はあった』というのが正しい。強く反論はできない。できないのだけれど、いい声と演技をする演者さんを教えて(布教して)あげようという誠意だってちょっととはいえあったのだから、少しくらいは感謝の姿勢を見せてほしいところだ。

 

 あたしに対しての敬意を微塵も感じさせない妹の口からどうにか感謝の言葉を引き出せないものかと考えていると、その当人たる寧音はローテーブルに両の肘を立てて突き、天井に向けた手のひらの上につやつやの顎を置いた。余韻に浸るようにため息をつきながら、顔をにんまりと(とろ)けさせた。

 

「はぁー……でもアレほんとにいいよね。自分でも気づかなかった母性に気づかされたもん……」

 

「お兄さんの声とか演技がいいのは完全に同意だけど、母性がどうとかってのはまったくわからんよ……。どこをどう聴き取ったら母性くすぐられんの? そんなシーンなかったでしょ」

 

「……はぁ。感受性ひっく。そんなんだから……」

 

「そこで止めんな! 言い切ってよ! そんなんだからなんなんじゃい!」

 

「そんなんだから女子力ゼロなんだよ」

 

「言い切んなよ! はぐらかせよ! ってか、これについては女子力とか関係ないでしょ!」

 

「だからモテないんだよ。これからも」

 

「予言やめろ! これまではともかくこれからの事はわかんないだろ!」

 

 なぜこんなにも言われなきゃいけないのかわからないが、実際寧音はバチクソにモテるのでこの話題にあたしの活路はない。姉より優れた妹は存在する。

 

 たしかに寧音はそこそこ可愛い顔をしているが、寧音よりも顔がいい子とかおっぱい大きい子とかは周りにもいるはずだ。それでも寧音は群を抜いてバチクソにモテる。となると、人間やっぱり顔とかスタイルとかがどうこうより、まず愛想なんやなって。コミュ力ってどこに売ってますか。

 

 ちなみに二人には特別に『New Tale』の採用担当者ですら聞いていない、一番最初に録ってもらった幻のボイスドラマも聞かせてあげた。『New Tale』の応募動画として送ったものではない方の一本だ。お兄さんと礼愛とあたしの三人しか持っていない貴重なデータである。この一品、というか逸品に関しては家族であり同好の士の(よし)みで聴かせてあげたのだから、これについてだけでもあたしに感謝してほしい。

 

 ただ、同じのを聴いたはずなのになぜか姉と妹でボイスドラマの評価が違っていた。二人とも『半端なく良い』という評価ではあったのだけれど、片や妹は『逆に甘やかしたい』と謎の電波を受信し、片や姉は『微笑まれたまま首を絞められたい』と妄言を吐いた。なぜあんなにも慈愛に満ち溢れているお兄さんの声を聴いてそんな感想を抱けるのか。

 

 お兄さんの立ち居振る舞いからSっ気を感じ取って悦に入っていたあたしもとある時間軸には確かに存在したので、百歩を百回くらい譲れば姉の言い分はまだ理解できる。ちなみにあたしはもう少しソフトな感じのがいい。ガツガツにサディスティックというよりは意地悪なくらいがいい。まだあたしの真理の扉は半開き。

 

 でも妹の言ってることはわけがわからない。お兄さんの地声の質感と性格、あと台本を手掛けたあたしの嗜好によって、ボイスドラマに登場する男性は優しくて落ち着いているけれど茶目っ気もある、みたいなイメージになっている。母性がどうとか甘やかしたくなるとか、そのあたりの性癖をくすぐる代物にはなっていないのだ。

 

 きっと寧音のアンテナは壊れている。そんなのが女子力とかに影響するわけない。

 

「これまでのゆー姉を見てればこれからのこともだいたいわかるよ。どんな超進化を遂げればこんなオタク女が変われるのか、後学のために寧音も知りたいくらいだね」

 

「……わ、わからんやろがい……。なんかこう、おなじ趣味をしてる女の子がいいっていうオタクなイケメンがあ、現れるかも……」

 

「ゆー姉は理想が高いのも問題点だよね」

 

「ぐふっ……」

 

「いい? ゆー姉が外に出る時って、だいたいれー姉が隣にいるよね? そんな都合のいいイケメンが仮に実在したとして、そのイケメンがれー姉を無視して、なんであえてゆー姉を選ぶ?」

 

「お前今ひどいこと言ったぞ」

 

 毒と棘に塗れた一言を吐いた寧音の耳には、あたしの苦言は届いていなかったようだ。

 

 日頃から手入れしている成果か、桜色のぷるぷるした唇に人差し指を添えて『寧音考えてみたんだよ』と平然と続ける。

 

「同じオタク趣味だとしたら、その空想上のオタクイケメン君はきっとれー姉を選ぶんじゃないかな? 綺麗で優しくて知的、穏やかで面倒見もいい、つやつやさらさらの黒髪でスタイルもいい……オタクの好きそうな要素を詰め込んだハッピーセットみたいな大和撫子がふだんゆー姉の隣にいるのに、わざわざゆー姉を選ぶかなぁ」

 

「…………」

 

 そこだけピックアップして比較されればあたしには為す術がない。客観的に見れば礼愛はとんでもなく優秀な美少女だ。あれと比べられて勝てる女子がはたして何人いるだろう。とりあえず同じ学年では礼愛に比肩する女がいるとは聞いたことがない。さすが月一でラブレターを貰う女。うちの学校、女子高だけど。

 

 でもあたしは知っている、礼愛がそんな正統派美少女ではないことを。きっと寧音はまだ奴の正体に気づいていないのだ。

 

 奴は同性に対してはお淑やかで、後輩に対しては優しく、お兄さんに対しては甘えんぼう。だがお兄さん以外の男に対しては基本的には無関心、近づいてくる男には敵対。それが礼愛という女なのだ。礼愛と二人で出かければ三回に一回くらいはナンパされるが、腰が引けてしまうあたしに対し、礼愛は一歩前に出てきっぱりと断る。ツンデレとか塩対応で脳内補完できるレベルではない。最強の拒絶タイプである。その強固すぎる心の壁は伊達ではない。声をかけてきた男が近付いただけで一一〇(ひゃくとうばん)をスマホに打ち込んで相手に見せつけて撃退したほどだ。

 

 礼愛はもしかすると、お兄さん以外の男性を同じヒトとして見ていないのかもしれない。

 

 そんな内情を知っているので礼愛のスペックだけで競い合うことは意味がないことをあたしは知っているが、それをあえて寧音に懇切丁寧に説明することもない。礼愛は純粋に寧音のことを可愛がっているし、寧音は純粋に礼愛のことを慕っている。ならばそういう一面は自分から明かしたほうがいいだろう。本人不在の場で言うことではない。

 

「つまりはそういうことだよね。だんご虫は蝶にはなれないの」

 

「誰がだんご虫じゃい! ……こうなったら」

 

「なんか策があるの? イケメンに限らず、ゆー姉に男の子の友だちとか知り合いとかいないでしょ?」

 

「泣き落としでお兄さんに拾ってもらうか……」

 

「あ゛?」

 

「ひぇっ……。冗談ですごめんなさい……」

 

 瞳孔の開いた瞳を向けてくる妹にあたしは屈した。その握りしめられた拳に包丁を幻視する。鬼のような形相よりも無表情が一番怖いよ。

 

 まぁ、寧音をなんとかできたとしてもラスボスとして礼愛が立ちはだかるんだから、万が一この方法が成功したとしても生存できる確率はゼロだ。

 

 さすがにあの末期のブラコン患者でも、ちゃんと段階を踏んだ末の恋愛ならお兄さんが誰と交際しようが邪魔はしないと思う。だけどおそらく泣き落としはちゃんとした恋愛には含まれないだろう。礼愛はきっと許しはしないはずだ。あたしとしては泣き土下座から始まるラブストーリーは奇を(てら)っていて面白いと思うんだけどな。

 

「い、いや、冗談だから、はは……。ほ、ほら、もうすぐお兄さんの配信始まるよ!」

 

「……こんなしょうもないことで推しの配信を一秒でも見逃したくないし、仕方ないか……」

 

 つい先程『New Tale』の四期生の四人目の配信が終わった。あと数分も経たないうちにお兄さんの配信が始まる。

 

 記念すべき初配信がこの日に行われると知ってからずっとそわそわと待っていた。今日は朝からずっと気もそぞろだった。待ち遠しくて待ちきれなくて他のことは何も手につかなかった。お兄さんの配信予定時間の随分前からモニターの前で待機していた。おかげでお兄さんの同期たちの初配信は一から全部見た。

 

 他の誰も知らない、初配信の前からお兄さんの存在を知っているということに仄暗い優越感を抱いていたけれど、今はそれ以上に不安感が大きくなっていた。

 

「ねぇ、寧音」

 

「……なに? またバカなこと言ったら今度こそ叩くけど」

 

「……お兄さんの配信、絶対荒れるよね?」

 

「…………そりゃ荒れるでしょ。べつにデビューするのがお兄さんじゃなくても男の人ってだけで荒れるし、お兄さんがどんなふうに配信しても荒れるよ」

 

「だよね……」

 

 今Vtuber界隈がピリピリしていることは知っている。あたしはそのあたりの事情には詳しくないけれど、それでも詳しくないなりに調べてみたりもしたのだ。

 

 とある男女のVtuberを発端とした炎上。それはつい最近新たな燃料を得て更に勢いよく燃え上がり、燃え広がった。もはや誰彼構わず所構わず、騒動に無関係でも火の手が上がるような異常な環境だ。手を上げるしかない未曾有の惨状だ。

 

 そんな一触即発の雰囲気の中で、今や女しか所属していないと言っても過言ではない『New Tale』でお兄さんがデビューするとなれば、火を見ることになるのは火を見るより明らかだ。

 

 もう初配信とか『New Tale』とかどうでもいいから、とにかくお兄さんが気に病むようなことにならないでほしいと祈るしかない。

 

「なにしたってどうにもできないし、寧音は気にしないことにしたよ」

 

 鼻歌でも歌い出しそうな口ぶりで言う寧音に目を向ける。

 

 お兄さんは絶対にコメントで酷いことを言われるのに、なんでそんなにただ楽しそうに、待ち遠しそうにいられるのか。寧音の気が知れなくて、口を衝く言葉に不快の色が混じる。

 

「……気にしないって?」

 

「そ。寧音はなんにもできないもん。ゆー姉みたいにメッセージアプリのIDも交換してないから励ましのメッセージも送れないし? だから荒らしがどうとかそういうめんどいことはぜんぶほっぽって、お兄さんの配信を楽しもうかなって。コメントで応援いっぱいするんだ」

 

「…………」

 

 さっきの『推しの配信を一秒も見逃したくない』という発言は本心からの言葉であったと証明するように、寧音はあたしをちらりとすら、目の端にすら映そうともしなかった。

 

 実に短絡的な思考だ。きっと、楽しみにしてた推しの配信を暗い気持ちで見たくないとか、そんな単純な考えであれこれ気にするのを放棄したのだろう。

 

 そんなふうに余計な部分をばっさりと切り落として、結論を簡潔にできる素直な性格が羨ましい。

 

 目を爛々と輝かせている寧音から視線を外し、自分のPCのモニターへと戻す。ちょうどそのタイミングで画面に変化があった。

 

『人間の皆々様、初めまして。ジン・ラースと申します。お見知り置きを』

 

 配信が始まった。

 

 頭からは角、背中からは翼、さらにその後ろで腰とお尻の間くらいから伸びる尻尾が左右に揺れている。端整な顔立ち、柔和ながらどこか底知れない表情。サラリーマンよりかはどちらかというとホストのそれに近い装いで、お兄さんのVtuber時の姿、ジン・ラースが現れた。

 

「ぁっ、お兄さっ……」

 

「きゃああぁぁっ! お兄さんっ、ボイスドラマの時と声の雰囲気ちがうっ! かわいいっ! かっこいいっ! ぁーっ、とおとい……」

 

「うん……うるっさ」

 

 挨拶の時点で寧音が限界化していた。

 

 あれだけあたしにオタク女がどうこうと言ってきていたくせに、と冷たい視線を送るが、寧音はボイスドラマでしかお兄さんの声を浴びていなかったからこれも仕方ないか。オタクという生き物は推しから供給される何らかの栄養素を摂取しなければ干からびて死ぬのだ。きっと寧音は枯渇状態だったのだろう。

 

 あたしは機を見て折を見てお兄さんと連絡を取っているのでまだ飢餓には陥ってない。忙しいお兄さんにあまり頻繁にメッセージを送るのもどうかと思うしあたしの心拍数もやばいことになるので、メッセージを送る時は時間と心臓にゆとりのある時にしている。

 

『魔界は昨今問題を抱えておりまして、その問題の解決のために魔界の統治者は人間社会に紛れ込むことのできる魔族を人間界へ──』

 

「ああーっ! やばいっ、声が良すぎるっ……声優さんみたいな滑舌(かちゅぜちゅ)してるっ……っ! やっぱりキャラに合わせて品のいい感じにしてるんだ! あーっ、かぁいい……。がんばってる……推しががんばってるっ……がんばれっ、がんばれっ」

 

「あんたが滑舌って言えてないじゃん。お兄さんの声がいいのはわかったから、わかってるから……静かにはしゃいでよ。イヤホン貫通してんの、あんた由来のノイズが!」

 

「だって! だって!」

 

「ちょっとだけでいいから落ち着いて」

 

「〈初配信がんばって!〉っと……」

 

「こいつっ……」

 

 配信始まる前はあたしに、鳴き声が気持ち悪い、とか言ってたくせに、いざ始まったらこれか。ブーメランなんてもんじゃない。

 

『はい、応援ありがとうございます。……頑張りますね』

 

「きゃーっ! 拾ってくれた! ちょっ、ゆー姉聞いた?! 聞いた?!」

 

「……聞いてるよ、同じ配信見てるんだから。なんならあんたの声のせいで聞こえないまであるよ」

 

「もうこんなの推しとお喋りしてるようなもんじゃん! はあぁーっ……しゅき」

 

「…………」

 

 端々でリアクションがあたしと同じなところを見て、なんだかんだやっぱり姉妹なんだなと実感する。よりにもよってこんな気持ち悪い場面で実感したくはなかった。

 

「あぁ……かわいい。よし。〈かわ〉……いや、かっこいいのほうが男の人はうれしいよね。〈かっこいい!〉っと……」

 

「寧音、がんがんコメントしてくね……」

 

「え? そりゃそうじゃん。推しががんばってるんだから、褒め称えなきゃ」

 

「ん、いやまぁ、たしかに……でも、んん……」

 

 あたしだって率直に言えば、寧音に(なら)って頭空っぽにしてお兄さんの配信を楽しみたい。

 

 でも、見たくもないのに視界にちょろちょろと入り込んでくるコメントが、没入を阻害してくるのだ。

 

 誹謗中傷が絶え間なく流れるコメント欄、そこにほんのわずかな数だけ寧音のような応援のコメントが流れている。

 

 お兄さんだって少なからず苛立ちもあるだろうに、悪意のあるコメントには一切取り合わず、まともなコメントだけ取り上げて答えていっている。

 

 まともなコメントを拾うということは、まともじゃない不快なコメントにも目を通しているということだ。謂れのない罵倒や的外れな言い掛かりを受け止めないといけないお兄さんの心中を思うと、胸が張り裂けそうなほど痛い。悪口を言っているリスナーのはらわたをぶちまけたくなる。

 

『〈かっこいい!〉……ふふっ、ありがとうございます。格好良く生み出してくれた小豆真希母上に感謝しなければいけませんね』

 

 寧音のコメントは端的で目立つからか、またもお兄さんは拾っていた。

 

 おそらく寧音はお兄さんの声や振る舞いをメインにして〈かっこいい〉と評したのだろうけれど、お兄さんは外見について誉められたのだと捉えたようだ。お兄さんは自己評価を低くつけがちだしね。

 

「ち、ちがっ、なんっ……お前が好きなんだよ!」

 

「なんでいきなり告白してんの?」

 

 こんな外見でも学校の成績はいいはずなのに、今は知能指数が三十くらい下がってそうだなこの妹。外見でどう取り繕おうと、やはり中身はあたしと同類だ。

 

「お前がかっこいいんだよ! もちろんガワもいいけど……はぁー、さすがきー姉だね。ほんと絵のことについてだけは尊敬してるよ。ばちばちにハマってるね」

 

「そりゃあ無理して本人に会いに行ったくらいだからね。かなり忙しかったみたいだけど執念で描き上げてたよ」

 

 寧音の言うきー姉とは、あたしたちの姉、綺輝(きき)のことである。小豆真希とはペンネームのようなもので、フルネームの吾妻(あづま)綺輝(きき)を入れ替えただけのものだ。あたしとは五つ、寧音とは八つ歳が上。お兄さんとは同い年のはずである。

 

 基本的には部屋に引きこもって絵を描いてるか、オタクらしく活動しているかの二択であり、原則的な生態として外に繰り出すことはない。

 

 ない、はずだった。

 

 しかし。あの姉が。出不精で人と接するのが苦手な、あたしよりもコミュ障のあの姉が、わざわざ家を出て、それなりに身なりを整え、人の多い『New Tale』へと足を運んだのだ。これは驚くべきことである。

 

 それも全てはあたしがお兄さんのことを教えたからであった。

 

 あたしが初めてお兄さんに会った日の夜、援助交際をしているなどという根も葉もない冤罪でしかない疑惑をなんとか晴らした後のこと。姉妹にボイスドラマを提供してあげてから、あたしはお兄さんについて話していた。『New Tale』の四期生募集に応募していることを何の気なしに喋っていたのだが、それこそが発端だった。

 

 前に『New Tale』からお仕事の依頼があったらしい。しかし姉は他の仕事で忙しく、断っていたそうだ。

 

 だがそこにきて、事情が変わった。あたしが齎した情報だ。

 

 これを逃せば推しに関われる機会はなくなると判断した姉は、すぐさま『New Tale』へ連絡を取り、代役が見つかっていないと知るやすぐにお仕事を引き受け、なんだかんだと理由をこじつけてお兄さんと対面する場に乗り込んだらしい。これと決めたらとことんまでやる姉の盲目的な行動力には肝が冷える思いだ。何か問題になったらどうするつもりだ。

 

 姉はいつもはまるで気にしていない実力と知名度をその時ばかりは遺憾なく振り(かざ)し、見事お兄さんのヴァーチャルの体を生み出す権利をもぎ取ったのだった。ちなみに、珍しく遠出をして見ず知らずの大勢の人と会話をするなんていう慣れないことをした反動なのか、翌日は熱を出して寝込んだというオチがある。

 

 背筋が凍るような姉の執念だけれども、そこまでしたのには訳がある。

 

 姉の持つイラストレーターという立場では、いかに有名だとしてもVtuberと関わりを持つのはかなり険しい道のりになるからだ。

 

 だが、デビュー前ならば親密なポジションを確保する方法がある。

 

 Vtuber界では自分を描いてくれたイラストレーターのことをママ、もしくはそれに近いニュアンスの呼び方をする。活動している間はずっと『ママ』として近しい間柄をキープできるのだ。人によっては配信で雑談したりゲームをしたりする人もいるし、そうでなくても新衣装などで話し合う機会はある。つまりはお仕事を一緒にしていく身内になるわけだ。他のそれとは距離感が違う。

 

 推しを応援するただの一ファンでは飽き足らないが故の、なりふり構わぬ行動力なのだ。見上げたオタク心と見下げた欲望である。姉はなぁ、常識はないし生活力もないし天然だけど、バカではないんだよなぁ。ここぞという時にオールインできる決断の速さと肝の太さ、そしてモノにする勝負強さを姉は持っている。

 

 いろいろ厳しい言い方もしたが、あたしという伝手を利用しようとしないで自分の力だけで推しに近づこうとする姿勢には好感を持っている。

 

「次はなに聞いたらいいかなー、リスナーの名前については触れたくないからー……」

 

 お兄さんが自分の生みの親、イラストレーター小豆真希の話を終える前に、寧音はキーボードをかたかたと打って次のコメントを考えていた。

 

「え、なに? ……どういう意味?」

 

 考える、なんていう余計な工程をこの妹が挟んでいることに違和感を持った。脊髄反射的に感想を送りつけているわけではなかったのか。

 

「次は勘違いされないように……えっと〈すごく声がいい! ボイスや歌みたとかやる予定ありますか?〉っと。ん? ゆー姉なんか言った?」

 

「コメント……考えて打ってんの?」

 

「は? あたりまえじゃん。もちろん寧音が聞きたいこと優先だけど、配信がこんな状態だったらふつーの初配信みたいにテンプレ通りにはいかないでしょ。でもお兄さんはリスナーを完全に無視して勝手にやっていくわけにはいかない。そんなの動画投稿でいいじゃんってなるからね。でもコメントから質問してあげればリスナーと配信者の質疑応答って形にできる。こっちから質問したほうが、お兄さんはまだ多少はやりやすいはずだよ」

 

 適宜キーボードを打ち鳴らす寧音は、唖然として声も出せないあたしを置き去りにしながら続けて言う。

 

「ほんとは守ってあげたいけど寧音はなんにもできないからね、コメントで応援するの。お兄さんは寧音が支えるのだ!」

 

 笑みすら(たた)えながら、寧音は画面の向こう側にいるお兄さんにエールを送り続ける。

 

 一つの話題の区切りに近くなってきたあたりで寧音がタイミングを見計らって気の利いたコメントを送るからだろう、お兄さんも頻繁に寧音のコメントを拾っていた。そのたびに寧音はきゃあきゃあと嬉しそうに飛び跳ねる。

 

「…………っ」

 

 その純粋に喜んでいる様子に、あたしは苦々しい思いを味わっていた。

 

 あたしはお兄さんを気遣い、心配はしていても、何一つとして行動に起こしていない。何の役にも立てていない。

 

 どちらがファンたり得るか、比べるべくもないだろう。

 

「……滑稽だ」

 

「んー? ゆー姉なんか言った?」

 

「なんでもない」

 

 予想していた通り、配信は荒れている。なんなら予想以上に荒れている。こんな中で荒らしているリスナーを糾弾してもなんの意味もないだろう。かえって反発を招いてひどくなるだけだ。

 

 それを寧音は理解しているのかいないのか、いやおそらくは理解していないだろう。この妹が荒らし行為をするリスナーの心理などという無駄なこと、ゼロコンマ一秒だって考えるわけがない。

 

 でも炎上や荒らしについて理解していなくても、やるべきことについてだけは理解できている。

 

 お兄さんのことだけに頭を回していれば、寧音のような応援の仕方があることには気付けたはずなんだ。

 

 あたしにだって、気づけたはずなんだ。

 

 そのはず、なのに。あたしは何もできていない。ファン第一号を自称しておきながら。お兄さんと顔見知りであり、友だちでもありながら、何も。

 

「……あんたはすごいよ、寧音──」

 

 この瞬間、寧音は他の誰よりもお兄さん(ジン・ラース)のファンだった。

 

『ボイス、歌……ですか。そう、ですね。もし需要があればやってみたいですね』

 

「うたーっ! 歌聴きたいなぁっ! ぜったい最高に尊いよ! あぁっ……でも、歌なんて聴いた日には寧音死んじゃうかもしんない……。貢げなくなっちゃう……推しを育てらんなくなっちゃう……」

 

「──気持ち悪いけど」

 

 どれだけだらしなく頬を歪めていようと、どれだけ気持ち悪い厄介オタクだろうと、寧音のクラスメイトの男子が見れば百年の恋でも瞬間冷凍できる言動をしていようと、寧音は誰よりもファンだった。

 

「……あたしもがんばろう」

 

 寧音を見習って、お兄さんがこの荒廃し切った配信をなんとか乗り切れるようにあたしも応援しよう。なるべく気持ち悪いオタク成分を取り除きながらできれば、なおベストだ。

 

「えっと……えと〈ゲームの配信はなにやったりするんですか?〉とか、かな」

 

 デビュー配信の流れ自体はだいたいわかる。お兄さんの配信を楽しみにしすぎて、数時間前から待機していたおかげでお兄さんの同期の人たちの配信を大まかには聞いていたからだ。

 

 その中で答えやすそうなもの、リスナーとの絡みが必要ないことから聞いていけばいいだろう。

 

「ま、あたしはお兄さんがFPSめっちゃできるって知ってるけどね……ふふっ」

 

「〈彼女いますか?〉とか大丈夫かな。か、確認、確認するだけだし……。あぁ……でも、もしいたら立ち直れない……やめとこ」

 

 寧音がぼそぼそ呟いたかと思えば、軽妙に鳴っていたキーボードの打刻音が止む。今日からデビューする配信者に訊くことじゃないし、仮にいたとしても『いない』と答えるだろう。

 

 でもまぁ、お兄さんには彼女いないけどね。連絡先知ってる人で家族以外はあたしと弁護士の先生だけ。その先生はずいぶん長いこと連絡取ってないらしい。ほかに怪しい人がいればあの礼愛が気づくだろう。つまりいない、ということだ。

 

 消去法で言えば、最もその高尚なポジションに近い女はあたしなのでは。

 

『そうですね、ゲームはわりと慣れているほうなのでいろんな種類のジャンルに触れていきたいですね。メジャーなものもマイナーなものもやっていけたらいいなと考えています』

 

「……にへへっ」

 

 どれだけ表情筋に力を込めても、湧き上がる感情を制御できない。気持ち悪いオタクの気質は隠そうとしても隠せるものではなかった。コメントに滲ませないだけで精一杯だった。

 

 そんな決定的な瞬間を、どんなコメントを送るか悩んでいた寧音に見られた。

 

 呆れ果てたような目を向けてくる。

 

「……きもっ」

 

「あんたにだけは言われたくない!」

 

 

 

 *

 

 

 

『たまにでもちゃんとやっているか配信を覗いていただけたら幸いです。これからよろしくお願いします』

 

「やだぁっ! 終わらないでーっ! 行かないでーっ!」

 

「だからうるっさいってば寧音! お兄さんの声聞こえない!」

 

 お兄さんとの別れを惜しむ中、配信が閉じられる。寧音はより一層惜しんでいた。お兄さんの配信中ずっと騒いでいたけど、そこから声量のギアを上げて惜しんでいた。

 

 あたしはといえば、惜しむ気持ちだってもちろんある。けれど、それ以上に無事──とは、到底言えないものの、どうにか初配信が終わってよかった、という思いが強い。

 

 時間が経つにつれて状況は悪化しかしなかったのだ。

 

 おそらくVtuber関連の掲示板でジン・ラースの名前が挙げられたのだろう。視聴者の数は時が経つにつれて新人ではありえないほどに増えていた。

 

 ただ、果たしてあたしたちみたいなまともなリスナーは何パーセントいたのだろうか。あたしと寧音みたいなのがまともかどうかは余人の判断に委ねるところだけれど、荒らし行為をするようなまともじゃない人と比較すれば、あたしたちだって相対的にまともだ。そしてその比率は、残念なことにまともな人が圧倒的に少数派だった。

 

 初配信から大荒れになっていたら、普通なら思考停止して黙ってしまうか、頭に血が上ってキレ散らかすかしてしまいそうだけれど、お兄さんはそうはならなかった。聡明で冷静なお兄さんに限って、怒鳴ったり乱暴な言葉を吐いたりなんてことするはずないとは確信していたが、その信頼を上回るくらいに穏やかに喋っていた。配信の初めから終わりまで、徹頭徹尾誠実で落ち着いた語り口。声が震えることもなく、言葉に詰まることもない。一つ一つ反論したところで意味がないどころか、より過激になるとわかっているからだろう、一言たりとも反論しなかった。普段よりも少し大人びた印象の声のままだった。あたしはいつもの優しくて柔らかい感じのお兄さんの声のほうが好きだけど。

 

「はぁー、あぁー……終わっちゃったぁ。楽しかったなぁ……コメントめっちゃ拾ってくれたし」

 

「他の配信者さんでも人が少なかったりしたら拾ってくれる率増えるけど、それと似たようなもんだったね。まともなコメントが少ないおかげでいっぱい拾ってくれる」

 

「文字小さいし流れ速いしでぜんぜん見れなかったけど、あんだけコメントあって寧音たちのコメントばっかり拾うってことは、ほかのはだいたい悪口だったんだ。ひどいね」

 

「NGワード機能にそのあたりの言葉を登録するだろうし次の配信はもう少しマシになるんじゃない?」

 

「そういう人たちは全員コメントできなくすればいいのに!」

 

「いや、お兄さんの場合は対象になる人が多すぎて無理でしょ」

 

「もういっそのこと寧音以外の人はコメントできないようにしたらいいんだ」

 

「どんな配信よ、それ。一人のリスナーとだけやり取りする配信。コラボかよ」

 

「そうだ! SNSで宣伝しとこ!」

 

「あんた学校の子たちにオタク趣味バラしてないんでしょ? いいの?」

 

「は? 推し活用のアカウントでやるに決まってんじゃん。言うまでもないでしょ」

 

「あんたは会話の尾に棘生やしとかないと気が済まないわけ?」

 

「そもそも学校の友だち用のアカウントは知り合い以外には見れないようにしてるの。お兄さんの宣伝が目的なのに、なんで非公開にしてる上にフォロワー少ないアカウント使わなきゃいけないの」

 

「え、なんで追い討ちかけた? 一言でよかったよね? 『サブ垢使う』これだけで平和だったよね?」

 

「ゆー姉はSNSでも友だちいないからこんな応援はできないね。ぷぷっ」

 

「おいなんで念入りに息の根を止めにきたんだ。死体を蹴るような真似をするな。ていうかさらっとSNS『でも』とか言うなや!」

 

「実際いないじゃん、ゆー姉。あーでも、たまに羨ましいと思う時はあるよ。そういった付き合いがめんどいなーって感じるテンションの時だってあるわけだし。……ぷふふっ」

 

「羨ましがっているふりした憐れみでしょ、というか煽りでしょ」

 

「でもれー姉みたいな親友がいるのはほんとに羨ましい。もはや嫉妬だよ。初めて会った時思ったもん、こんなオトナなカッコいい女の人が、どうしてゆー姉と友だちやってるんだろうって」

 

「それはあたしも感じる時あるけどっ! ……まぁ礼愛だってあんたが思ってるほど大人でもかっこいいだけの女でもないってことよ。くわしくは言わないけど」

 

「なにそれ教えてよ! 寧音とおしゃべりしてる時のれー姉は、ゆー姉と話してる時となんかフインキちがうって思ってたの!」

 

「また会うこともあるだろうし、そん時に聞きなよ。ほら、あたしと違ってあんたはSNSでお兄さんの宣伝するんでしょ」

 

「そうだった! ゆー姉なんかに構ってあげてるヒマなんかなかった!」

 

「あたしが構ってやってたんだよ!」

 

 姉を姉だと思ってない所業を繰り返しながら、寧音はまたキーボードを叩く。

 

 非常に不愉快ではあるが、寧音のSNSのフォロワーの数は確かに多い。

 

 あたしは姉の手伝いの時と勘を忘れないように練習するくらいの頻度でしかイラストに携わっていないけど、寧音はよく二次創作として好きなキャラクターのイラストなんかを描いてはSNSにアップしている。姉ほどではないにしろ、寧音もそこそこ程度にはうまいのでその繋がりでフォロワーを増やしているのだ。寧音自身の向上心もあるだろうけれど、絵を描いてて詰まった時、すぐに質問できて、その都度的確なアドバイスをくれる凄腕イラストレーターが隣の部屋にいるんだから、そりゃまあ腕も上がるよなって話である。

 

 そうやってせっせと増やしたフォロワーさんの中でどれだけの人がお兄さんの配信を見に来てくれるかはわからないけれど、それだけ多くの人の目に触れるというだけで意味がある。

 

 配信者は、まず知ってもらわないといけないという大きなハードルがあるからだ。

 

 どれだけ声がよかろうと、ゲームが上手かろうと、喋りが達者であろうと、まず存在を知ってもらわないことにはどうにもならない。個人でVtuberをやっている人とかは、そのあたり特に厳しいという話を見たことがある。

 

 良くも悪くも、認知されるという部分においてはお兄さんはクリアしたといえるかもしれない。『悪くも』の比重が重すぎるが。

 

「皮肉だ……あ、そうだ」

 

 あたしには、寧音みたいにSNSを使って宣伝する、みたいな真似はできない。リアルでもネットでも友だちがいないタイプのオタクなのだ。リアルで礼愛というオタク趣味全開の話に付き合ってくれる親友がいるからこその嬉しい弊害とも言える。

 

 だとしても、あたしには違う応援の方法がある。あたしだけの特権がある。

 

「どうしよう……えっと『とてもかっこよかったです。がんばってください。応援してます』っと……これでいいかな。短い、かな……」

 

 あたしはお兄さんに直接、メッセージを送れるのだ。

 

 匿名の誰かからの賞賛より、友人からのメッセージのほうがきっと喜んでもらえるはず。うん、きっと。たぶん。おそらく。ちょっとくらいは。

 

「うん? ……あっ! お兄さんにメッセージ送る気でしょ?! ずるい!」

 

 そうしてお兄さんに送るメッセージの文面を推敲していると、SNSでの宣伝活動を終えた寧音に目敏く見咎められた。

 

「ずるくない。全然ずるくない。仲のいい……ここ重要ね? 『仲のいい』友だちに感想を伝えるのは当然でしょ? なにも間違ってないね」

 

「そっ、なっ……ずるいっ! それはズルだよ! 寧音のこともお兄さんに伝えといてよ! 一言でいいからっ!」

 

「あ、ごめん。もう送っちゃった」

 

「今すぐもう一回送れぇっ!」

 

「えー……あ、お兄さんからお返事きた! 『ありがとう。せっかく見てくれてたのに楽しい配信にできなくてごめんね。これから頑張るよ』って……あぁっ、お兄さん……健気っ。あたしのことなんてどうだっていい、お兄さんが配信するところを見れるならそれだけでいいんだからっ!」

 

「ゆー姉のことなんてほんとにどうだっていいよ! あたしのこと、一言でいいから! お兄さんに伝えといてよ!」

 

「ここから寧音の名前出すのって脈絡おかしくない? だからまた今度ね」

 

「ぜんぜんおかしくないでしょぉっ!? 話の流れに沿ってるよ! 地続きだよ!」

 

「『次の配信も楽しみに待ってます。忙しくなるでしょうけど、お体気をつけてくださいね』っと。あー、ごめーん! 寧音のこと付け加える隙間なかったー!」

 

「ゆりゅっ、るゅっ……っ、許さない! この仕打ちはっ、ぜったいゆるさないぃっ!」

 

「ごめんごめん、ごめんってば。悪かったって。また今度お兄さんとお喋りする時にタイミングがあったら寧音のことは話題に出しとくから」

 

「ぜっらいっ! ぜったいだあぁらぁっ!」

 

 怒り心頭に発したのか、それとも単純にショックが大きかったのか、寧音は涙目になりながらあたしの服を掴んで猛抗議してきた。動揺からか激発からか、舌も回っていない。さすがに可哀想というか、見ていて哀れなので、散々言いたい放題ディスってくれた件についてはこれで手打ちにしておいてやろう。

 

 心配しなくてもちゃんと話には出してやるさ。機会があったらな。

 




お兄ちゃんの初配信の裏側。アシストの多くは仲が良すぎるこの姉妹。
ここからしばらく別視点続きます。

誤字修正してくれた方、ありがとうございます!チェックはしていたはずなのに誤字脱字ってなくならないんですね……。助かります。



*スパチャ読み!
teemoさん、赤スパてんきゅーです!ありがとうございます!
八環さん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
モツタケさん、赤色のスーパーなチャットありがと!ございます!
desireさん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
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文浩さん、赤色のスーパーなチャットありがとう!ございます!
クローキングさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!


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勘のいいガキは嫌いだよ。

 翌日。

 

 自分の席に座りながら教室の扉に視線をやる。

 

 もうすぐホームルームが始まる。いつもなら既に席について授業の準備でもしている頃だというのに、礼愛はまだ、登校していない。

 

「……はぁ」

 

 お兄さんの初配信はどうにか乗り越え、一息つけたかと思ったその矢先だった。

 

 時間的に、お兄さんの配信の後くらいに礼愛(レイラ・エンヴィ)の配信が予定されていた。せっかくだし、礼愛が普段どんなテンションで配信しているのか覗いてみようと思っていたが、突然配信は取り止めになった。

 

 SNSを確認してみたら、予定を変更して配信を休む旨が投稿されていた。そこには体調不良とあった。その理由が事実かどうかはわからないが、とにかく配信ができるような状態ではないということなのだろう。

 

 礼愛の気持ちを考えてみれば、それもそうだ。

 

 友だちにして一ファンでしかないあたしですら、お兄さんの配信が荒らされているところを目にして(はらわた)が煮えくりかえる思いだった。それが、お兄さんを業界に誘った張本人である上に重度のブラコンたる礼愛であればどうか。何も感じないわけがない。体調くらい容易に崩れるだろう。配信どころの騒ぎじゃない。

 

 心配になって何度も通話をかけたけど、一度も出てはくれなかった。仕方なくメッセージだけ送ったけれどすぐには反応がなく、朝になって確認したら返事はなかったものの既読にはなっていた。

 

 これは返事を打てないくらい憔悴しているのか、それともメッセージを確認できるくらいには元気があるのか、判断に迷う。

 

 もしかしたら学校休むんじゃないかな、そう思って教室の扉から目を離したと同時だった。始業のチャイムの二分前。教室の扉が開いて礼愛が現れた。

 

「みんな、おはよう」

 

 いつも通り、礼愛は涼やかに挨拶した。声を張ってはいないのに、不思議と教室全体に届く透き通る声だ。

 

 珍しく遅刻ぎりぎりの登校になった礼愛に、クラスメイトの数人が駆け寄った。

 

 何かあったのかと気を揉むクラスメイトに、礼愛は控えめな笑みで、寝坊しちゃって、などと答えていた。

 

「…………」

 

 純度百パーセントの嘘だ。あたしと違って規則正しい生活を送っている礼愛に限って、なんなら日常的に早朝ランニングを行っている礼愛に限って、もっと言えば寝覚めがいいタイプの上にお兄さんという最強の目覚ましを備えている礼愛に限って、寝坊なんてありえない。

 

 タイミング的にも、昨日のお兄さんの配信が原因だろう。

 

 普段メイクなんてしないのに、今日はしている。かなり控えめに仕上げていてぱっと見では気づけないが、これでもあたしはお兄さんの次に礼愛の顔を見てきた自信がある。間違えようがない。普段ノーメイクで出歩いてるという事実がかなり腑に落ちないというか心が折れそうになるが、今はそれはいい。

 

 目元を念入りに施しているところから察するに、赤くなったり腫れたりしたからそれを隠すためのメイクだ。

 

 つまりは。

 

「おはよう、夢結」

 

 いつもと変わらないように見える、朝の挨拶。礼愛の表情。

 

 メイクで隠していたり、嘘をついていたり、表情に出さなかったりしているのは知られたくないからだろう。同情されたり心配されたくないからだろう。

 

 平静を装いながら、あたしは返す。

 

「……ん、おはよう。礼愛」

 

 わざわざ問いただすのは無神経というものだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 そこからはこれといって変わったこともなく、カリキュラムが消化されていった。

 

 本来であれば高校三年生の受験生ともなればもう少しぴりぴりとした緊張感の中、みな勉学に勤しむのだろうけれど、この学校は少し毛色が違う。エスカレーター式で大学に進学できるのだ。成績を維持する程度で問題ない。大学付属のこの高校の最大のメリットとも言える。この特典があるから、あたしは慣れてない勉強を必死にやってこの高校に入ったのだ。ふだんの授業や宿題がとんでもないというのは誤算だったけれども。

 

 もちろん、やりたい仕事や叶えたい夢があって別の大学を目指す子もいるけれど、そういう子たちも別段切羽詰まっている印象はない。

 

 この学校の気風みたいなものなのだけど、なんというかこう、賢い子が多いのだ。日常の中に自然と勉強する時間を作れていて、尻に火がついたように必死になって勉強したりはしていない。優雅と余裕を感じさせる振る舞いだ。おかげで空気が悪くなったりもしないから助かる。

 

「でね、お兄ちゃんがね」

 

「うん、はい……」

 

 そして今は放課後。他のクラスメイトは帰宅するなり部活動に励むなり塾に行くなりで、もう教室にはいない。

 

 あたしはというと、教室でお喋り中である。お兄さんが迎えに来てくれるまで教室で待っている礼愛の話し相手を務めている。

 

「それで、さっきも言ったけど朝送ってくれた車でね、今日の晩御飯は私の好きなリゾット作ってくれるって言ってくれたんだよ! 時間があったらアクアパッツァも用意してくれるんだって! お兄ちゃん優しくない?! すごくない?!」

 

「ああ、うん……いいなぁ」

 

 お昼休みもそうだったけど、放課後もお兄さんの話ばっかりだ。

 

 朝目を覚ますとお兄ちゃんが起こしに来てくれてた、いつもより起きる時間が遅かったからわざわざ部屋まで見に来てくれたみたい、頭を撫でながらおはようって言ってくれた、とどこで息継ぎをしているのかわからないくらいに捲し立てられた。

 

 嬉しそうに語りながら、礼愛は撫でられたらしい頭に手を置き、にへら、と頬を緩めていた。こういうところだけを切り取れば、愛い奴め、で終わるんだけど、飛び出してくるエピソードの数と濃度が桁違いなせいで、心をほんわかさせる暇がない。

 

 礼愛がちょこっと触れていた、送ってくれた車の中での話も濃かった。さっき言ってた晩御飯の話から始まり、また今度ショッピングに行くとか、最近封切りされた話題の映画とか、人気が出始めているアニメを一緒に観る約束をしたとか、配信でもよくやってるFPSのゲームの話だとか。こちらが一つの話を呑み込む前に次の話をぶつけられる。行きの車の中だけでよくそれらの話が収まったなと、逆に感心した。

 

 朝は体調を心配していたけれど、この様子だと体調についてはまったく心配いらないだろう。逆にこれは、メンタル面のほうが気掛かりだ。まるで開き直ったようにお兄さんラブが表面化している。

 

 その勢いたるや、鬼気迫るものを感じる。目の色が違うのだ。なんらかの決意のようなものを秘めた瞳に、これまでの心配とは違う種類の心配を抱かずにはいられない。

 

「そ、そうなんだ、よかったじゃん」

 

「うん! すごく楽しみ! ……でも、楽しむためにはまず、片付けなきゃいけないこともあるからね」

 

「っ…………」

 

 礼愛からこの件について話を振ってくるとは思わなかった。

 

 『片付けなきゃいけない』というのは、暗にお兄さんの配信のことについて指しているのだろう。炎上や荒らしについての対処の話。

 

 言葉に詰まったあたしに、礼愛は口元を笑みに(かたど)った。

 

「今日の夜にお兄ちゃんの配信があるんだ」

 

 鋭めの目尻を下げるようないつもの柔らかい笑みではなく、あたしをいじる時の悪戯っぽい笑みでもない。笑っているはずなのに、背筋が寒くなるような緊迫感、息が詰まるような迫力。目が、笑ってない。

 

「う、うん……そうだね」

 

 お兄さんの配信が今日の夜にあるのは知っていた。あえて言うまでもないほどに、あたしの本日のタイムテーブルに組み込まれている。

 

 でも、今あえてそれを話題に上げるのはどういう意図なのか。

 

 言葉が続かないあたしに礼愛が言う。

 

「あたしも、タイミングを合わせて配信するの。私とお兄ちゃんの配信、両方見てるといいよ」

 

 礼愛はしなを作るように首を傾けて、目を細めて、口元の笑みのような何かをさらに深める。

 

「きっと……面白いところ、見れると思うから」

 

 中身を知らない人が見れば、男女問わず一目で恋に落とすくらいに艶然と、礼愛は微笑んだ。

 

 鮮烈なくらいに美しいと感じるのに、凄絶なまでに恐怖を煽る。笑顔のようで、内実は決してそうではない表情だった。

 

 あたしの貧弱な語彙では言語化できないその表情は、以前見たことがある。これはお兄さんが倒れた時と同種のそれだ。

 

 他の事なんてどうでもいい。自分のことも、学校の評価も、周りの目も、何もかもを全部放り投げ、思考の片隅にも留め置かずに、ただお兄さんだけを優先していた時と同じ顔をしていた。

 

「っ……う、うん。そこまで言うなら、見とくよ……」

 

 覚悟ガンギマリ状態の礼愛がわざわざ『タイミングを合わせて』と口にしたということは、何か企みがあるのだろう。

 

 お兄さんの配信に合わせるのだから、お兄さん絡みであることは確定だ。だけれど、妹第一主義を掲げるお兄さんの理念を考えると、火に囲まれている現状で礼愛と何かをやる、例えば一緒にゲームをしたり雑談をしたりするコラボ配信を計画するなどということはないように思う。そもそもコラボをするなんていう予定はSNSで知らされていない。お兄さん(ジン・ラース)礼愛(レイラ・エンヴィ)、どちらのアカウントでもそう。

 

 となれば、これは礼愛の独断専行なのだろう。サプライズ、悪く言うとゲリラ的な計画だ。おそらく礼愛はお兄さんに話を通していない。所属事務所にすら根回ししていない可能性まである。

 

 いったい礼愛は何を企んでいるのか。

 

 過ごしやすい室温に整えられているはずの教室だというのに冷や汗をかく。

 

 配信予定時間までまだまだあるのに、礼愛の不穏当な発言のせいで今から不安感に襲われている。ちょっと礼愛、勘弁してよ。昨日の今日でこの心労は、あたしの体力もたないよ。

 

 礼愛から話す気がないのであればせめてあたしから、お兄さんに一言二言注意を促しておくべきではなかろうか。

 

 そんな考えが脳裏をよぎった時、ヴヴ、とスマホのバイブレーションの音が聞こえた。あたしのではなく、礼愛の鞄からだ。

 

「あっ……ふふっ」

 

「…………はぁ」

 

 礼愛はスクールバッグからスマホを取り出すと、さっきの怖い笑みが見間違いかのように可憐に頬を綻ばせた。この顔はお兄さんが迎えに来たことを示している。幾度となく、近頃は毎日迎えに来てもらっているのに毎度毎度純粋に喜ぶのだ。そのくせ、なぜかお兄さんの前だと、まるで『当たり前だよね?』とばかりに澄ました顔をしていた。訳がわからない。礼愛は自分が浮かべている表情に気づいていないかもしれない。

 

 たたたたん、と画面の上を白魚のような指が踊る。手早くスマホを操作してお兄さんに返信すると、あたしに向き直った。

 

「じゃ、帰ろっか」

 

「そうだね……帰ろっか」

 

 にこやかな礼愛とは対照的に、あたしは若干憔悴している。この短時間であたしはひどく疲れたよ。

 

 教室を出て、廊下を進み、階段を下り、靴を履き替え、エントランスを出て、学校の門をくぐる。

 

 一緒に帰る、と言っても道が同じなのは校門のところまでだ。学校の真正面に車を停めるのは、道幅がそれほど広くないこともあってほかの生徒が危ないから大通りに来てもらっているらしい。

 

 まぁ、あたしは道幅がどうとかっていうのは建前だと思っているけど。わざわざ校門から大通りまで歩く一番の理由は、送迎に来ているお兄さんをクラスメイトに見られないようにする為だろう。お兄さんの情報はぺらぺらと話すくせに、お兄さんの姿は頑なに見せないのだ。そんな弛まぬ努力の甲斐あって、あたしを除いてクラスメイトは誰一人としてお兄さんの顔を知らない。鉄壁の守りを誇っている。

 

 大通りまでの道はあたしが利用している駅とは正反対の位置にあるので、いつも校門前でお別れだ。

 

「じゃあね、礼愛。配信がんばって」

 

 そう言って、あたしは駅へ向かって足を踏み出す。

 

 電車に乗ったら、お兄さんにメッセージを送ろう。

 

 何を企んでいるかまではさすがに掴めなかったけれど、礼愛が何かを企んでいることは確かだ。礼愛のことだからお兄さんのことを想ってのことだろうけれど、それでかえって状況が悪化したら大変だ。何もわかっていなくとも、お兄さんに一言注意を促しておくだけでも意味があるだろう。

 

 そう脳内でここからの行動を考えていると、礼愛に手を引っ張られた。

 

「一緒に帰ろって言ったでしょ」

 

「えっ……」

 

 礼愛からされた話をお兄さんに報告しようと思っていた矢先のこれだったので、どきりと心臓が跳ねた。

 

「お兄ちゃんに送ってもらえばいいじゃん」

 

「で、でも……あたしの家に寄ってもらったら回り道になるし」

 

「そのくらいなら大した距離じゃないって。そこまで時間もかからないし」

 

「いや、さすがにお兄さんに申し訳ないっていうか……」

 

「お兄ちゃんならそんなの気にしないよ。お兄ちゃんと夢結、ちょくちょく連絡は取り合ってるみたいだけど、直接会って話すのは久しぶりなんじゃない?」

 

「ま、まぁ、それはそうだけど……」

 

 メッセージアプリで時々やりとりはしているけれど、礼愛の言う通り、会ったりはしていない。ていうかできない。なんなら通話もまだ一回もしていない。ていうかできない。あたしにはまだハードルが高い。

 

 一応理由はある。言い訳じみていても理由があるのだ。

 

 あたしは姉の手伝いやテスト勉強があったし、お兄さんは最近までVtuberとしてデビューする準備などがあったわけできっと忙しかっただろうし、なにかとタイミングを失していたのだ。

 

 そんなこんなでお会いできなかったので、お顔を見られるのなら見たい。間にデバイスを挟まずに直接面と向かってお喋りしたい。

 

「お兄ちゃんと夢結も仲良くなったわけだし、これからはお兄ちゃんが迎えに来てくれる時は一緒に帰ることにしよっか」

 

「えっ?!」

 

「嫌だった?」

 

「い、嫌じゃないです!」

 

「そっか。それなら大丈夫だね」

 

「っ!」

 

 するり、と意識の間隙を縫うように、あたしの手に礼愛が手を滑り込ませてきた。

 

「道、こっちだよ」

 

「え、あ、うん」

 

 クラスメイトや後輩たちがよくやるボディタッチをあまり好まない、後輩の頭を撫でるくらいが精々の礼愛にしては、この距離感はひどく珍しい。腕を組もうとするクラスメイトに対しては軽やかにすり抜け、ハグしてこようとする後輩に対しては合気道有段者のように受け流すという、女子特有のスキンシップを可能な限り避けるのが礼愛という女だ。

 

 その礼愛が自分からこの距離に踏み込むというのは、滅多にあることではない。

 

 自分のそれより少し温かい礼愛の手のひら。普段しないことをしているのだから絶対に裏があるはずだが、礼愛のつやつやさらさらのお手手とぬくもりで思考能力が停止しそうになってしまう。

 

「お兄ちゃんにさっきの話、しちゃ駄目だからね?」

 

「ぇうっ?!」

 

 やっぱり裏があった。どうせこんなことだろうと思っていたよ。

 

 先程のやりとりも含めての、これは取引きなのだ。

 

 おそらく礼愛は、今日の配信の予定を話した時にあたしの反応が乏しかったことから、あたしがお兄さんに密告すると予測した。だからあたしを一人にさせずに、甘い蜜を眼前に垂らした。蜜の存在を知らないうちであれば迷うことなくお兄さんに伝えていたのに、一度蜜の存在を知ってしまえば礼愛のお願いを無下にはできない。

 

 黙っていれば、推しに会える。お喋りもできるし、家まで送ってもらえる。オタクの身に余るご褒美だ。

 

 しかし、あたしがお兄さんに告げ口すれば、そのご褒美は目の前で取り上げられる。帰りにお兄さんの車に乗せてもらえるという過分な慈悲を得られなくなる。

 

 言外に脅してきているのだ。

 

 くそう、礼愛め。推しに会いたいと願う純粋なオタク心を弄びやがって。

 

「夢結? お返事は?」

 

 すぐ隣からあたしの顔を覗き込むようにして上目遣いに礼愛が微笑む。

 

 少しでも推しに近づきたいというオタク心と、アクシデントが発生するかもしれないという心配。あたしの心中でその二つが渦巻く。天使と悪魔がせめぎ合う。

 

 しばしの葛藤の末。

 

「……ぁい。あたしは、なにも、きかなかった」

 

 苦渋の決断だった。オタクが、あたしの純粋で不純なオタク心が悪いんや。

 

 覗き込んでくる礼愛の視線から逃げるように顔を伏せて地面を見つめた。

 

「そっか。よかったよ。きっと今後、夢結のこと頼りにさせてもらうと思うんだ。だからちゃんと今日の配信を見といてほしかったんだよね」

 

「……あたしに何かできることがあるとは思えないけど」

 

「そんなことないよ。心の底から信頼できる人は私には夢結しかいないからね。頼りにしてるの」

 

「できることがあるなら遠回しなことしなくても手伝うってば」

 

「そう? それじゃここから回れ右して一人で帰る?」

 

「それとこれとは話が別じゃろ」

 

「あははっ。夢結のそういう素直なところ、私好きだよ」

 

「へいへい……そりゃどーも」

 

「あれえ? 夢結照れてる? 照れてるの?」

 

 そっぽを向いたあたしに、ここぞとばかりに礼愛は意地悪な顔で詰め寄ってくる。にやにやしながら頬をつついてきた。

 

 ばか、礼愛、お前。あたしだから良いようなものの、こんなこと後輩にやったらラブレターをもらう頻度が月一から週一にペースアップするぞ。

 

「ぷぁ、やめろ、つっつくなっ」

 

「夢結のほっぺたぷにぷにだね。癖になる感触」

 

「なんだこら、ディスってんのか!」

 

「なんでよ、褒めてるんだってば」

 

 心配事が一つなくなったとばかりに、礼愛はからりと笑った。ようやくいつもの礼愛の笑顔を見られた気がした。

 

 やっぱり礼愛には、人をからかっている時に見せる悪戯っぽい笑みが一番似合う。その結果、割りを食っているのがだいたいあたしなのが納得いかないが。

 

「あ、お兄ちゃんいた!」

 

 二年以上通っているというのに、学校帰りに遊びに出歩いたりしない模範生徒なあたしは、あまり駅と反対側の道には詳しくない。大通りに出ると、礼愛がきょろきょろと辺りを見渡して、声を上げながらとある一点を指差した。あたしも送迎二回で都合四度ほど乗せてもらったことのある、お兄さんの車だ。

 

 お兄さんを視界に収めるや、礼愛はあたしの手を引いているにもかかわらずぐいぐいと駆け寄ってしまう。あたしを牽引してなおあまりある推進力。搭載されているエンジンが違うようだ。

 

 ともあれ、礼愛の元気な姿を見られて嬉しく思う。

 

「…………ちょっと後ろめたいけどね」

 

 反面、お兄さんには礼愛の企みを黙っていなければいけないので心苦しい気持ちもある。

 

 ごめんなさい、お兄さん。今回は礼愛を優先します。きっと悪いことにはならないと思いますので。あたしのできることならなんでもしますから、それで許してください。

 

 

 

 *

 

 

 

「さぁ、辞世の句をどうぞ、ゆー姉」

 

「あたし死ぬんか?」

 

 あたしを床に押し倒し、跨ぐようにして仁王立ちする寧音の第一声がそれだった。

 

 お兄さんとの久しぶりの対談(運転席と後部座席だが)をしたり、隣に座っていた礼愛に散々いじられたりして楽しく帰途についた気がするあたしを待ち受けていたのは、頬を膨らませて腕を組んでいる寧音だった。

 

 どうやら初めてお兄さんと対面した時と同じく、あたしがお兄さんに家の前まで送り届けてもらっていたのをどこかで見ていたらしい。いったいどんな巡り合わせなのだろう。ドラマに出てくる家政婦かあんたは。前回みたいに夜遅くまで遊びに行っとけよ。

 

「寧音が配信のコメント欄やSNSでしか応援できないのを知っていながら、ゆー姉は推しに直接会い、あまつさえ家まで送ってもらうなどという大愚を犯した。これは健全で良識的なオタクを貶め、嘲笑うような悪行。言語道断、万死に値する。不届き者は寧音が誅する。断罪執行、正義は我にあり」

 

「か、過激派……。健全で良識的なオタクはこんなことしないでしょ……」

 

 ドラマに出てくる家政婦よりも、時代劇に出てくるお奉行様のほうが近かったかもしれない。

 

「これは寧音の総意である」

 

「あんたの『総意』の使い方斬新すぎない?」

 

 その言い分で認められちゃったらもうなんでもありだよ。

 

「ただし、じょーじょーひゃくろうの余地もある」

 

「情状酌量ね。なんだろう?」

 

 中学生にしては目を(みは)るものがあったが、そろそろ寧音の語彙力と舌が限界に達したようだ。

 

「昨日言ったことだよ。お兄さんに、寧音のこと話してくれた? 少しでもお兄さんに話してくれてたら、じょうじょうはくりょうしても良い」

 

「情状酌量してくれるんだ。よかった」

 

「え?! 寧音の話してくれたの?!」

 

「いや、できんかった」

 

「guilty」

 

 あたしのお腹に馬乗りになった寧音は冷たい瞳をしながら拳を振り上げた。ばか、やめろ、自堕落な生活をしているあたしだぞ。ちゃんと日頃運動してる寧音に殴られたら痛いで済まなくなる。

 

「ちょっ、ちょっと待って! あたしの話も聞いて!」

 

「寧音の話を聞いてくれてたら、ゆー姉の話も聞いてあげてたよ」

 

「いや、それは順序がおかしい……っていうか! いや、逆にさぁっ! このあたしがお兄さんと礼愛が話してるところをぶった斬って自分の話できると思ってんの?! その前提が間違ってんだよ!」

 

「なにこの悲しい逆ギレ……」

 

「男の人とまともに会話できないこのあたしが! 推し相手に自己主張できるわけないじゃん! そんな高望みする寧音にも責任がある!」

 

「お、おおう……」

 

「たしかにお兄さんに家まで送ってもらった! それは事実だし言い逃れはしない! でもそもそも今日お兄さんと会う予定なんてなかった! 急に会うってなって、急に送ってくれるってなって、頭の中真っ白で気がついたら家の前! なんか楽しかったなっていうぼんやりした記憶しか残っとらん! そんな精神状態で狙ったテーマでトークしろとか無理言うな! あたしは悪くない! あんたが悪い!」

 

「うわぁ……ゆー姉のコミュ力のなさを寧音は痛感してるよ……。オタク力が高いのがまたいいアクセントになってるよね。そうだね、幼稚園児に因数分解やれっていうのと同じだもんね。できないことをさせようとしてごめんね、ゆー姉。寧音が悪かったよ」

 

「わかればいいんだよ」

 

 憐れむような目をしながら、寧音はあたしの上から退いた。

 

 過激派オタクによる天誅が目前に迫っていたけれど、良心に訴えるあたしの懸命で誠意ある説得により命からがら助かった。やっぱり人間、困った時はパッションなんやなって。姉の威厳とかは尊い犠牲になったけれど。

 

「はぁ……ゆー姉は役に立たないし、想いは推しに届かないし、姉妹で関わりが一番ないし、なんで寧音だけこんな目に……。ゆー姉もきー姉も女子力低いくせに……」

 

 怒りが霧散したからか、それとも呆れ返ったのか、へにゃへにゃと足の力が抜けてぺたん座りした寧音が俯きながら言う。一見落ち込んでいるようで可哀想にも見えるけれど、言っていることはとことん姉二人を、とくにあたしを扱き下ろしたものだ。同情するだけの価値はない。

 

「女子力や社交性が決定的差ではないことが証明されちゃったな。なんだろ……運命って、やつなんじゃないかな?」

 

「きっしょ……。でも実際ゆー姉のほうがお兄さんと近い……。運命以外で、寧音とゆー姉の違いって……」

 

 なにがなんでも運命は認めたくないらしい。まぁ、運命なんて持ち出されたら抗いようがないからね。一昔前二昔前の少女マンガだったら勝確である。寧音はこんな派手でちゃらけた外見をしておきながら意外と乙女チックな感性も持ち合わせているのだ。

 

「なんなの、乳? 乳なのか……」

 

 自分の胸元を手で押さえながら、まるで呪詛でも吐くように寧音はぼそぼそと呟いていた。

 

 それが武器になるのならあたしは苦労しないだろうし、それが武器になるのならあたしはこんなにお兄さんに好印象を抱いてないんだよなぁ。

 

「スタイルとかはまったく関係ないよ。断言できる」

 

「は? なんで?」

 

 めちゃくちゃに喧嘩腰だ。言葉に険がある。

 

 社交性が高くて友だちもたくさんいて、流行りにも詳しくて勉強までできるというマルチプレイヤーなハイスペックオタクの寧音の唯一の弱みがバストの成長の悪さなのだ。

 

 足を綺麗に見せたりウエストを引き締めたりなどであれば努力すればできるが、胸は努力するにも限界がある部分。そこを言及されると寧音はすぐキレる。言い方を間違えれば口より先に拳で語ることもある。

 

 だがこの情報は寧音にとっても有用なはずだ。そこで悩まなくていいというのは気が楽になる。武器にならないという点では悩むかもしれないが。

 

「お兄さんは、人と喋るときは目を見て喋るんだよね」

 

「ええっと……。あの、さ……ゆー姉は知らないかもしれないけど……一般常識、だよ?」

 

 わりと本気で憐れんだような瞳を向けられた。優しげな物言いになっているところが特に(かん)(さわ)る。

 

「黙れ。知っとるわ。そうじゃなくて、視線が動かないんだよ。体に向いたらわかるもんじゃない? それがないっていうか。男の人って結構視線が体に移るでしょ?」

 

「あー、そういう。ふつうに外歩いてたら足とかに視線感じたりするもんね、たしかに」

 

「でしょ? 買い物とかしてても顔、胸、足って視線移ってくもんじゃん」

 

「…………」

 

 急に、すっ、と寧音の丸い瞳からハイライトが抜け落ちた。若干前傾姿勢になっている。あまりにも寧音が煽ってくるから、たまに胸のサイズでマウント取り返したりはするけど、今回はそういう話ではないのだ。

 

「違う! 今は胸がどうこうとかって話じゃない! ステイ! ビークール!」

 

「ふぅ……ふぅ、今は関係ないもんね。そう、関係、ない」

 

「よーし、いいぞー、深呼吸しろー。で、話戻すけど……男の人はそういうもんって聞くけどさ、やっぱりあんまり気持ちのいいもんじゃないわけじゃん。じろじろ見られるの」

 

 あたしは寧音ほど頻繁に外出しないけれど、それでもまったく外に遊びに行かないというわけでもない。買い物に行ったりカラオケに行ったりすることもある。そうやって遊びに行く時は、常にあの外見だけならパーフェクトガール礼愛が隣にいるけれど、それでも視線は感じるのだ。なのできっと、男の人は脳みそがそういうふうにできているのだろう。大きい胸がそこにあれば、眼球が勝手に焦点を合わせるのだ。

 

「まぁそういう男はたくさんいるよね。寧音は『はっは、寧音の可愛さに見惚れとるわ』って思ってるよ。気分がよくなる」

 

 なんだこいつ、メンタル強すぎんか。

 

「……なにその高すぎる自己肯定感。ちょっと羨ましいよ。あたしは見られるの苦手なんだけど……でも、お兄さんはね、絶対視線が動かないんだよ。まるで眼球通して脳みその中まで見透かされてるんじゃないかって思うくらい、目を見て話すんだから」

 

「脳みそ見透かされてるとかって発想するゆー姉が気持ち悪いなって思う気持ちと、推しとアイトゥアイで会話してるゆー姉に嫉妬する気持ちで今ちょうどフィフティ・フィフティ。気をつけて。寧音どうなるかわかんない」

 

 上半身を前に傾けては元に戻す寧音。手を見やれば硬く握りしめられている。どこで嫉妬爆発のスイッチを押すかわかったものじゃない。

 

 寧音が理性を失う前に結論を急ごう。

 

「殴られたくないから気をつける。つまりお兄さんはスタイルがどうとかってあんまり気にしてないと思うんだよね。巨乳好きだったり脚フェチだったらとくに目線がそっちに動くだろうし。少なくともあたしがお兄さんを見てた時、体に視線が動いた覚えはないよ」

 

「体だけはエロいゆー姉が言うなら間違いないか……」

 

「姉に対してエロいとか言うな」

 

「実際そうだよ。でも安心して? 中身で萎える」

 

「余計ひどい……」

 

「でも、そうだとしたらお兄さんがゆー姉を気に入ってる理由ってなんなの? れー姉の友だちだから?」

 

「やめてくれ、その理由はあたしに効く……。あ、礼愛も言ってたことだけど、お兄さんは友だちいないらしいからそれでじゃない?」

 

「……ん? え、なに、どゆこと?」

 

「だから自分の近い人には優しくする、みたいな? 友だちがいないから距離感がわからないんだと思う。あたしも似たようなもんだし」

 

「れー姉から話を聞く限り、お兄さんは完璧超人なのに友だちいないのか……ん、ちょっと待って? ってことは懐に飛び込んでしまえばお兄さんは誰にでも優しいってこと?!」

 

「サンプルがあたししかいないから確証はないけど、今のところはおそらくそう」

 

「どうしよう! 推しにちょろい疑惑が出ちゃった?!」

 

「何言ってんだこいつ」

 

 とうとう脳みそが沸騰したらしい。特別賢いなんて期待はしていなかった。でもバカではないとは思ってたんだけどなぁ。

 

「今はまだ、推しを目の前にしたらクソザコナメクジに塩かけたみたいな体たらくになるゆー姉しか周りにいないけど」

 

「そのボキャブラリーはどこで培ったの?」

 

「もし男を手玉に取るような悪い女が現れたら……推しが危ない! 寧音が……寧音が守護(まも)らねば!」

 

 天啓でも得たかのように、はっ、という表情をした寧音は急に立ち上がった。深刻な雰囲気を携えながら扉へと駆け出す。

 

「いやどこ行くんだよ」

 

 スピードが乗る前に寧音の健脚を捕まえた。ぺぎゃっ、みたいな無様な声がしたけれど、このまま家を飛び出して世間様に迷惑をかけるよりかはましだろう。家族に迷惑かけるのはいいけど世間様のご迷惑になるのはいけない。いや正直なところ何をするつもりなのか少し気になるけれど、お兄さんに迷惑かけるのだけは見過ごせない。

 

「いらぃ……ゆー姉なにすんの! このかわいい顔に傷がついたらどうしてくれる!」

 

「あんたが妄想を繰り広げたまま家を飛び出して家名に傷がつくよりずっといいよ。……安心しなって。いかにお兄さんが人がよかったとしても、隣にはずっと礼愛が付き纏ってるんだから。変な女は寄ってこれないよ」

 

「そっ……れもそっか。なら安心だ」

 

「いきなり落ち着くな」

 

 すん、と急に平静を取り戻した寧音は自分のノートPCの前に戻った。かたかたとキーボードを打ったかと思えばタッチパッド上ですすっ、と指を滑らせていた。時間はまだまだあるけれど、お兄さんの配信の視聴準備でもするのか。それとも何か調べ物でもしているのか。

 

 と、ここで思い出した。礼愛からお兄さんの配信と礼愛の配信の同時視聴をお勧めされていたのだった。

 

「ねぇ。お兄さんの配信、観るよね?」

 

 PCのディスプレイに向けられていたくりくりとした瞳が更に大きく見開かれ、あたしに向けられた。

 

「は? なんで?」

 

 心の底から何言ってんのかわかんない。寧音の表情はありありとそう物語っていた。

 

 あれ、おかしいぞ。寧音はお兄さんの配信を観ないつもりなのだろうか。同時視聴する際には寧音のノートPCでお兄さんの配信を覗かせてもらいながら、あたしのPCで礼愛の配信を視聴しようと思っていたのに。

 

「え? 観ないの?」

 

「いや、観るよ。観るに決まってんじゃん」

 

「えぇ……。なんだったの、さっきの無駄なやりとり……」

 

「ムダなのはゆー姉の質問だよ。お兄さんの配信があるなら答えは『観る』以外にないでしょ。なに言ってんの、当たり前じゃん。そんなの『人って寝るの?』って質問してんのと同じだよ」

 

「価値観がオタクすぎる……。ま、まぁ観るんならいいや……。今日礼愛も同じ時間に配信するらしいから、画面見してほしいんだけど、いい?」

 

「ほーん、いいよ。……って、え゛!? れー姉も配信やってるの?!」

 

「あれ? 言ってなかったっけ? そもそもお兄さんがVtuber始めた理由が礼愛だよ。礼愛がお兄さんに、一緒にやろー、って言ったからお兄さんもVtuberになったんだって」

 

「そうだったんだ?! ていうかそんな理由で『New Tale』に入れちゃったんだ?! すごっ! あ……もしかして推薦とかで入った、みたいな?」

 

 裏口入学、とは違うか。口利き、縁故採用なのか、と疑っているのだろう。安心するがいい、寧音。我らの推しは清廉潔白だ。あたしのように楽な道に流されるような怠惰な人間性をしていないのだ。

 

「いや、礼愛が言うには、お兄さんは黙ってたんだって。他の応募してる人たちよりも有利になるかもしれないからとかって。面接の時に礼愛のお兄ちゃんだってことはバレちゃったみたいだけど、そこでバレなかったら採用が決まるまで自分からは言わないつもりだったんじゃない?」

 

「くふっ、にひひっ」

 

 肩を震わせながら、奇妙な笑い声をあげる寧音。口元を押さえているが声は全然抑えられていない。夜道を歩いていてこんな声が聞こえてきたら生命の危機を感じるところだ。

 

「なんなの、その気持ち悪い笑い……」

 

「ふへへ……解釈一致」

 

 オタクの本能から滲み出る気持ち悪い喜悦の感情、その発露だったようだ。気持ち悪いことこの上ないが、あたしも同じモノをこの身に秘めているので大変共感できる。その話を聞いた時、あたしも解釈一致と歓喜に打ち震えたものだ。

 

「それは同意だけども。そんなわけで、画面見せてね」

 

「おっけー。寧音もれー姉の配信観たいから、ゆー姉のノートPC出してよ。そっちのデスクトップのほうのディスプレイはこっちから観にくいんだよね。だからノートPCこっちに持ってきて、寧音のPCの隣に置いてよ」

 

 寧音に言われるまで、昔使っていた自分のノートPCの存在を忘れていた。捨てた記憶はないので、今のデスクトップPCを買うまで使っていたノートPCはまだどこかにあるはずなのだ。お兄さんの配信は、どうせ同じ部屋で観ることになる寧音のノートPCを覗かせてもらえばいいやと目論んでいたから、思い出すことすらなかった。

 

「はいはい。……まだあれちゃんと動くのかな? そもそもどこにしまってるか……」

 

「じゃ、ゆー姉はノートPC準備しといてね。寧音は時間までに宿題片付けとくから。あぁっ……生きる活力があるとめんどい宿題もがんばれる!」

 

 ローテーブルに手をつきながら立ち上がると、寧音は自分の机に向かった。

 

 お父さんにおねだりして買ってもらった、必要以上に座り心地の良い椅子に腰掛け、スクールバッグをごそごそする。ノートやら教科書やらを引っ張り出すと、机の上に広げた。外見偏重の筆箱から装飾過多のシャーペンを手に取り、寧音は課された宿題に取り掛かる。

 

「…………」

 

 少し後ろに下がりつつ、寧音の肩越しからノートを盗み見る。寧音のイメージだと読みづらい丸文字で板書を写してそうだけれど、ノートに綴られた文字は非常に達筆だ。

 

 知らない人からすれば意外だろうけれど、寧音は一時期、書道をやっていた。小さい子の習い事の範疇を超えて、大人に混じって、である。一年か二年ほど前にやめてしまったが、わりと長い期間続いていたことを鑑みるに、性に合っていたのだろう。寧音は芸術家肌というか凝り性というか、そういった側面がある。だからイラストの上達も速いのだろう。ちなみにあたしも姉も寧音と同じように通ってはいたが早々に逃げ出した。あたしは昔からめんどくさがりの出不精だし、姉は人見知りの飽き性なのだ。

 

「ん?」

 

「あっ……」

 

 物が動く気配を感じ取ったのか、寧音が振り返った。

 

「なに? PC用意したの?」

 

「ま、まぁ……見つけたよ」

 

 充電は切れてるし埃は被ってたけど。

 

「それじゃあゆー姉も時間まで勉強とかしといたら? なんなら寧音よりもやらなきゃいけないんじゃないの? 進学するつもりなんだよね?」

 

「うぐっ……」

 

 一番痛いところを突かれた。

 

 高校三年、夏休みを目前に控えたこの時期、進学を考えているのなら何より誰より勉学に励むべきである。

 

「ほらほらぁ、いいのぉ?」

 

 寧音はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべながらこちらを煽ってくる。これだから中途半端に器用で要領もよくて勘のいいガキは嫌いだよ。

 

「い、いいの! 今の成績維持できてれば! エスカレーター式で進学するつもりだから!」

 

「ふぅん。れー姉は? れー姉も同じなの?」

 

「あぁ……いやぁ……礼愛はほら、賢いから」

 

「付属の大学には行かないんだ? どこ志望か聞いてる?」

 

「国公立だって」

 

「ぶふっ……。まじで?」

 

「しかも模試A判定」

 

「すっごいなぁ、れー姉……それに比べて」

 

「やめろ。こっち見るな。比べるな。礼愛が特殊なの」

 

「ゲームたくさんやってて、配信もやってて、運動もできて、勉強まで? やばない? 超人じゃん」

 

「お兄ちゃんが勉強見てくれてる、って言ってたけど……なんなんだろ。礼愛はきっとお兄さんが関わってたらバフがかかるんだろうな」

 

 礼愛はゲームもお兄さんにいろいろ教えてもらってる、とも言ってた記憶があるのであたしの説はおそらく正しい。妹を甘やかすことにかけては万夫不当のお兄さんと、お兄さんに尽くされることに関しては天下無敵の礼愛なのだ。

 

「れー姉は……特殊すぎるからちょっと置いとくとして。ゆー姉も勉強しといたほうがいいよ。キープすらできなくなるよ」

 

 勉強してない奴に言われたのならいくらでも言い返せるが、友だちと遊んで帰ってきてもちゃんとその日の宿題をこなして、時間に余裕がある時は復習までやる出来のいい妹に言われてしまうとぐうの音も出ない。しかも高校受験を控えている妹に、である。

 

 OK,Go◯gle、姉の面目、取り戻し方。

 

「くっ……仕方ないか」

 

 引き出しの奥の方で眠っていた一世代遅れのノートPCも発掘できた。寧音のPCの隣にセッティングして充電中である。視聴準備は万端だ。

 

 そして宿題はもちろん、予習復習を含めた勉強には一切手をつけていない。なんなら最近学校の外で教科書やノートを開いていない。怠け者のあたしでは日々押しつけられる宿題を消化するだけで精一杯。

 

 そんなあたしだけど、妹にここまでこけにされて黙っているわけにはいかない。

 

 触発されたわけではないけれど、そろそろ頑張るとしようか。

 

「よし、まずはお風呂入ってくるわ!」

 

「あ。これ、やらんやつや」

 

 やるよ、勉強。当たり前だろ。ほかに予定がなかったらやるよ。ちなみにお風呂から上がったら部屋の掃除をしたくなる予定だ。

 




下校時の二人の様子をお兄ちゃんが見ていたら、きっとにっこにこだったんだろうなぁ、とふと思った。


*スパチャ読み!
機巧猫さん、赤色のスーパーチャット、ありがとうございます!
汚い模範的な蛮族さん、スーパーチャット、アリガトゴザイマァス!
前歯を屠る者さん、赤色のスーパーチャット、ありがとうございます!
☆ヒロピー☆さん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
ひねもす1119さん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
舗賦照秘秘津躯さん、赤色のスーパーチャット、ありがとうございます!
猫鍋@冬眠中さん、スーパーチャット、ありがとござます!
ババキャノンさん、赤スパてんきゅー!ありがとうございます!
突風さん、赤色のスーパーなチャットありがとぉ!ございます!
つよちゃんさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
salaさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
そうではない。さん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!

いただいた評価は期待と同義!応えられるようがんばります!


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礼愛の掌の中

 

 お風呂から上がった後は軽く部屋掃除でもして配信開始まで時間を潰そうと思っていたのだけど、掃除機を探そうとしたあたりで寧音に本気の心配顔で『……たまには勉強したほうがいいよ。寧音、れー姉と一緒に卒業式に出るゆー姉が見たいよ……』と諭されたので、泣く泣く安っぽい椅子に腰掛けてペンを握った。

 

 真面目な空気だったので言い出せなかったのだけど、あたし卒業が危ぶまれるほどおバカじゃないよ。妹にそのレベルで成績が悪いと思われていることに、今更になって心が痛くなってきた。

 

 そんな悲しみを乗り越えた先、とうとうやってきたこの時間。お兄さんと礼愛の配信時間だ。素早く勉強道具を片付けて、ローテーブルに移動する。

 

『人間の皆様、こんばんは。「New Tale」所属の四期生、ジン・ラースです』

 

「きゃーっ! お兄さん! 昨日よりかっこいい!」

 

「いや、なにそれ……。そんな、昨日はかっこよくなかったみたいな言い方……」

 

「はぁ?! ゆー姉はなんもわかってない! 今日のお兄さんは昨日のお兄さんよりもかっこよくなってるんだよ! 日々かっこよくなってるの! えと、えと『五時間前から待機してました』っと」

 

「そ、そう……成長期、なんかな?」

 

 お兄さんのかっこよさは日々更新していくものだそうだ。

 

「さて、と。礼愛のほうは……」

 

『えと、配信、乗ったかな? 眷属のみなさん、こんばんは。レイラ・エンヴィです』

 

 長く艶のある黒髪、真っ白の肌、鋭さのある双眸。黒セーラーと髪の長さという部分さえ変えてしまえば、リアルの礼愛と大差はない。リアルでも引くくらい美人だからね、奴は。Vtuberのほうの体には角とかも生えているけれど、たまにリアルでも生えているからここもさほど違いはない。あたしをいじってくる時はあの悪魔じみた角や翼、尻尾が生えてるのだ。あたしは見たことがある。

 

「それがれー姉のV体?」

 

「V体? なんぞそれ」

 

 あたしはそれほどVtuberとか配信界隈のことを知悉しているわけではない。気が向いたり時間が空いたら好きな配信者さんの配信やアーカイブ、切り抜きを見るくらいだ。リスナー側としてのマナーや常識はあると自負しているけれど、専門用語とかはわりと知らなかったりする。

 

「ヴァーチャル時の肉体。略してV体」

 

「へー、そんなふうに言われてるんだ」

 

「あ、ゆー姉知らないんだぁ? 世界規模で寧音が使ってるよ」

 

「へー、知らなか……って、いや! それあんたしか使ってないってことでしょ! 造語かよ!」

 

『昨日は配信の予定だったのに急に休んじゃってごめんなさい。ちょっと、周りでいろいろありまして……』

 

「これ、ほんとにれー姉? なんだか……」

 

「礼愛だよ。驚くほど声低いなぁ。ふだんからそんなに声高いわけじゃないけどさ」

 

 ふつうは配信する時、声のトーンを上げたりするものじゃないのだろうか。少しでも視聴者に可愛く見せるのが、人気商売たるこの世界のセオリーだろうに。礼愛らしくはあるけれど。

 

「寧音とおしゃべりしてる時はもっとかわいい声だったよ。今のれー姉は、かわいいよりもきれいとかかっこいい系って感じ。体にあわせてるのかなぁ」

 

「や、礼愛はわりと他人と接する時はこんなもんよ。他人でも同性が相手だともう少し声が柔らかいかな。寧音と話してる時はクラスの子と話してる時よりも優しさマシマシだから、違和感はそれじゃない?」

 

「れー姉の好感度高かったんだ! やったぁ!」

 

「あたしに対しても、もう少し優しくしてくれていいんだけどなぁ」

 

「ゆー姉はお兄さんに会わせてもらうっていう最大の施しを受けてるでしょ。これ以上なにを望むの? なに、傲慢か? 処す?」

 

 殺る気スイッチを押してしまったらしい。

 

 照明をぱちんと消すように、瞳のハイライトが抜け落ちた。返答を間違えた瞬間に寧音からの返事が飛んできそう。その返事はおそらく言葉ではなく、もっと物理的ななにかだ。今のところ第一候補は、手が白くなるくらい握り込まれている拳。

 

「まじすんませんした」

 

「次から気をつけろよ」

 

 物騒なスイッチをそこかしこに用意しないでほしい。日常会話すら地雷原になってしまう。

 

『今日は配信タイトル通り「アイランドクリエイト」をやっていこうと思います。皆様ご存じアイクリですね』

 

「お兄さん、アイクリやるんだ。ちょっと意外」

 

「んえ? なんで意外なの?」

 

「お兄さんのことだから、上手なFPSをやるもんだとばっかり思ってたんだよね」

 

「お兄さんFPS得意なんだ! あ、でも寧音的には優しいお兄さんが撃ち合いやるほうが意外だけどなぁ」

 

「礼愛もFPSよくやってるみたいだし、そのうち一緒にやるんじゃない?」

 

「お兄さんとれー姉が一緒に配信してるなんて最高じゃん! はやく観たいなぁ」

 

「……落ち着いたら、きっとすぐにコラボするよ」

 

『ご安心ください。フィールドに降り立ったらすぐに人里から離れますので』

 

 寧音側のディスプレイ、つまりはお兄さんの配信を覗けば、お兄さんが操るキャラクターが野を走っているところだった。

 

 お兄さんがやっているゲーム『Island(アイランド) create(クリエイト)』は、他の企業勢のVtuberとかだと同じ事務所内の人と協力したりコミュニケーションアプリを繋いで和気藹々と駄弁りながらやるところも魅力の一つだ。

 

 でもお兄さんの場合だと、コミュニケーションアプリを繋いで喋るどころか、ゲーム内での接触すら視聴者から拒否されている。

 

 拒絶反応が強すぎる。こんな空気感の中でやっていかなければいけないお兄さんを思うと、胸がきゅぅっとなる。

 

 いずれはこんな四面楚歌もなくなるだろうけれど、礼愛はこんな環境を今すぐにでも変えたいと思っているはずだ。あたしに今日の配信のことを伝えてきた礼愛の目には、不退転の覚悟が灯っていた。

 

 その覚悟が、どのように表れるのか。良くも悪くも爆弾にしかならない気がする。やばい、不安でお腹が痛い。胃がきゅぅっとなる。

 

『昨日、四期生の子たちが初配信やっていましたね』

 

 礼愛のほうの配信は、今日は雑談メインになりそうだった。

 

 雑談自体はいいとしても、その内容は同じ事務所の人たちは触れなさそうなポイントだ。四期生の中の誰かの名前を挙げるならばともかく『四期生』というくくりで挙げてしまうと、視聴者はいやでもその中で一番目立つ異物に目が行ってしまう。ほとんど『New Tale』で唯一と言っていい男性ライバー、ジン・ラースに。

 

 コメント欄の流れが、ぐぐっと速くなる。〈そこ触れるんだ〉とか〈ゲーム配信の方がいいんじゃない?〉みたいな礼愛の目線を他に向けさせようとするコメントもあれば〈どう思う?〉や〈今後絡む予定ある?〉といったような、男性Vtuberが女所帯の『New Tale』に加入したことについて、礼愛の意見を聞こうとするリスナーもいた。

 

 中には〈同じ時間に配信とか繋がってんじゃないの?〉〈示し合わせちゃった?〉みたいな理屈のよくわからない推定荒らしがいた。

 

 非合理的なコメントだとしても、結果的には間違っていないというのがおもしろい。同じ時間だろうがそうじゃなかろうが二人には兄妹関係という繋がりがあるし、礼愛は一方的に同じ時間に配信を合わせている。

 

「うおあー、しっかりと街だぁ。おにいさんがんばれー! がんばれ……いや、ちょっと押し付けがましい? よし『がんばって』っと……」

 

『はい、頑張ってやっていきますね』

 

「ぴゃーっ! また拾ってくれた! もうお兄さん寧音のこと好きじゃんっ!! 絶対好きじゃんっ!!! ねねもしゅきぃっ……」

 

「…………」

 

 隣の寧音はやはりうるさかった。うるさい上にそこはかとなくねっとりしていて満遍なく気持ち悪い。もういい、こういう鳴き声の生き物なんだ。放っておこう。

 

 しばらく四期生の女の子たちについて言及していた礼愛だったけれど、とあるコメントを発見して流れが変わる。

 

 それが〈もしかしてあの人ってお兄さん?〉というもの。

 

『……もしかしてあなた、例のガチ恋眷属さんですか……?』

 

 礼愛の配信をよく視聴するリスナーを指しているらしい『眷属』という呼称。その眷属さんが暗にジン・ラースを指して『お兄さん』と呼んでいるということは、以前の配信で礼愛がお兄さんの話を出していたのだろう。

 

 度肝を抜かれたのは、続けられたセリフだった。

 

『はい、そうですよ。ジン・ラースは私の兄です。絶対に合格できると思っていたんですよ、私は! 「New Tale」の採用担当者さんがしっかりと能力を見極めてくれてよかったです!』

 

「ちょっ……」

 

「いつものれー姉の声だ!」

 

 急に声のトーンを跳ね上げて嬉しそうに、にっこにこの笑顔でレイラが語る。微塵も隠したりせず、言い淀んだり誤魔化したりせず、敢然と言ってのけた。

 

 お兄さんの話になってテンションと一緒に声のトーンも上がったからか、あたしの肩に激突するように寧音が距離を詰めてきた。ディスプレイ覗くなら頭だけ動かせよ。

 

 あたしと寧音がポジション争いしているうちにコメント欄はお祭り騒ぎだ。さすがにお兄さんの初配信の時のように過激な文句が並ぶようなことはなかったけれど、刺激的な文言は多い。

 

『えっと……〈ありがとうございますこれで俺が助かります!〉……別にあなたを助けようと思った気持ちはこれっぽっちもありませんでしたが、あなたの意見で思いついたのは確かなので今回は不問にします。感謝しといてください、次はありません』

 

 礼愛はさっきコメントしたリスナーさんのものだろうコメントを拾っていた。

 

 かなり剣呑な雰囲気になりつつあるが、しかし一定の人数は礼愛に賛同している様子だ。

 

 なぜだろうと不思議に思ったが、礼愛ならば配信中でもクラスメイトにするようにお兄さんの話をしていたとしてもおかしくはない。ネットリテラシーのしっかりしている礼愛のことなので個人を特定できるような情報は喋っていないだろうけれど、お兄さんとこんな話をした、こんなことしてくれた、こんな場所に遊びに連れて行ってくれた、くらいのことは話題にあげそうだ。

 

 きっと礼愛とお兄さんの仲の良さを知っているから、リスナーたちはその絡みに期待しているのだろう。

 

『〈コラボいつ?〉……コラボはですねー、私はいつでもいいという感じなんですが、お兄ちゃんが気にしなくてもいいことを色々気にしてるんですよね……。一緒にFPSやりたいんですけどね。すごいですよ、お兄ちゃんは! 私の専属コーチですから!』

 

 礼愛もそうだけれど、だんだんとコメント欄のほうもヒートアップしてきている。今じゃもう、肯定派と否定派、というかアンチじみたコメントで真っ二つといったところだ。温度差がすごい。

 

『〈聞いてた通り声良かった〉……でしょう?! そうなんです、お兄ちゃん声とってもいいんです! 私の評価に偽りなしですから! 声だけじゃないですけどね!』

 

 最初とは比べるべくもないほどにコメント欄は荒れているが、そんなこと気にした風もなく礼愛は続ける。

 

 ただ、視聴者数が増えるにつれ、コメントに荒っぽいものが増えてきた。

 

「うわぁ……すっごい」

 

「ほんとにね。あの賢い礼愛ならこうなることはわかってたでしょうに……」

 

「弓矢ぜんぜん外さない」

 

「ってお兄さんの配信か!」

 

 あたしの隣のノートPCに目線をずらせば、お兄さんが操るキャラクターが弓矢を構え、襲いかかってくる敵を撃ち抜きまくっていた。近寄られたら剣に持ち替え、的確に距離とタイミングを計りながら一方的に攻撃する。ゲーム巧者なのは知っていたけれど、それはFPSだけではなかったようだ。

 

「うまい! お上手! 『まずはなにするの?』っと」

 

 お兄さんの配信のほうはデフォルトで今の礼愛くらいに荒れている。常にそんな炎上寸前のようなじりじりとした熱を感じる配信を見ながら、それでも寧音はやっぱり楽しそうにしていた。

 

「あんたはまたのん気な……くすっ」

 

 その様子は、あたしの肩から力を抜いてくれた。

 

 そうだ、気にしすぎていても仕方がない。なるようにしかならないのだから。

 

『〈もしかしてコネ入社?〉……くふっ、そう思いますよね? でも違うんですよ、ふっふ。私は伝えておいた方が受かりやすいと思ったんで「New Tale」に話を通しておこうと思ったんですけどね、くふふっ……お兄ちゃんはですね、言ったんです。それだと不公平になる、って。それに、配信を始めたら正々堂々やらなきゃいけなくなるんだから、それで受かったとしても意味なんてない、って。はーもう、本当に……お兄ちゃんはお兄ちゃんなんですよ……まったくもう。くふふっ』

 

 礼愛がお兄さんの話をする時に出る気持ち悪い笑い方が漏れている。なんだこれ、隣からも正面からも気持ち悪い声が聞こえてくるぞ。

 

 コメント欄を見る限り、どうやらこれは常のレイラ・エンヴィとは異なるらしい。こんな様子のおかしい奴を見て、もちろんいじる人もいるけれど〈かわいい〉とか〈お兄ちゃんさんの話するとお嬢ふにゃふにゃしてて可愛い〉などという肯定的な反応が散見される。

 

 恐ろしい世界だ。これがジェンダーギャップというやつか。

 

 眷属(レイラリスナー)たちは肯定的でお兄さんとの絡みを直接見たがっているが、そうではない者たちもいる。〈お兄ちゃんってのはカレピの隠語か?〉とか〈ほんとにお兄ちゃんなんですかねぇ〉みたいなにちゃにちゃしたコメントが多くなっている。〈【悲報】ニューテイル所属女Vtuber、彼氏をコネ入社させる〉なんていう悪意のあるものまで増え始めた。

 

「ほら……やっぱりこうなった」

 

 礼愛のリスナーが減っているわけではなく、これはきっと普段礼愛の配信を見ていない外部の人間が騒ぎに便乗したのだろう。

 

『ちょっと過激な少女漫画にありがちな、血の繋がっていない兄妹、みたいな展開はないんですよね。期待されている方には申し訳ありませんが、残念ながら普通に血の繋がった兄妹です。……ええ、残念ながら』

 

 ぼそりと呟いた声はしっかり配信に乗っている。あんたが言うとガチ感がすごいからやめなさい。

 

 そんな感じで礼愛はのらりくらりと外部視聴者をいなしていたが、さすがに人数が多くなってくると目につくコメントも悪意のあるものが増えていく。

 

 眷属(レイラリスナー)たちはかなり訓練されているようでスルーし続けていたが、そろそろ限界が近そうだ。外から来て好き勝手に荒らしている人間たちに対して辛辣な意見も出てきている。

 

 剣呑な雰囲気が漂い始めた頃だった。とあるコメントを、礼愛が拾った。

 

『〈男がいても兄弟って言っときゃセーフなのか緩いもんだな〉……はあ? 兄ですけど? お兄ちゃんなんですけど?』

 

 霜が降りるかと思うほどに急激に声から温度が取り除かれた。背筋が凍るくらいに冷え切った礼愛の声。

 

 そうそう耳にする機会なんてない、敵意剥き出しの礼愛の語調だった。

 

 おそらく配信が荒れたことなどないだろう礼愛では、さすがに冷静を保ったままでい続けることはできなかったのか。

 

 そのコメントは拾う価値などまるでないものだ。

 

 画面越しでただ視聴しているだけの人間には、レイラ・エンヴィとジン・ラースは兄妹関係ではないと証明することなんてできない。

 

 しかし同様に、個人情報を曝け出すわけにはいかない礼愛も、レイラ・エンヴィとジン・ラースは兄妹関係であると証明することはできない。

 

 なんなら拾う価値がないどころか有害とすら言える。『レイラ・エンヴィはジン・ラースが実の兄であると証明できなかった』という事実が残る分だけ状況はマイナスだ。ただそういう事実が残るだけで、バッシングしたい人間は都合のいい部分だけを(あげつら)って批判するのだから。

 

 頭の回る礼愛にしては、珍しい失態だ。お兄さんに関わる事、というのも影響しているのかもしれない。

 

 でも、だとしても、なんだか。

 

「なんだか、れー姉らしくないね」

 

 お兄さんの一挙手一投足に奇声をあげていた寧音が、まさしくあたしも感じていたことを言葉にしてくれた。

 

 ちなみについ先ほどはお兄さんが三十秒で作り上げた、どう贔屓目に見ても土蔵が精々なオブジェクトを『オシャレだなー! 天才だ!』だとか褒めちぎってキーボードをかたかたやっていた。土と砂と木材のハイブリットで建てられた家がお洒落なのだとしたら、あたしはお洒落にはなれなくていい。そういえば芸術面におけるセンスに欠けると、お兄さん本人も言っていた。こういうことだったのか。

 

 いや、今はいいんだ。お兄さんの配信はまた後からしっかりアーカイブを見るんだ。今は礼愛の配信だ。

 

「そう、そうそれ。あたしも思ってたんだよね。なんだか礼愛らしくない。……そうだ、そうだよ。お兄さんを直接ディスられたのならともかく、本当の兄妹かどうかを突かれただけであそこまで熱くなって噛み付くなんておかしい」

 

「なんなら寧音には、話をそっちに持っていきたがってたふうにも聞こえたよ。頭の回る女が、自分のしたい話に持って行きたい時に出す声に似てた。れー姉から聞くとは思わなかったけど」

 

「それは……兄妹関係の話に、ってこと?」

 

 いや、証明どうこうの件に、ということなのか。

 

 でもそれは礼愛の失敗だったのではないだろうか。証明のしようがないことについて触れたって得るものはない。炎上を楽しんでいる不謹慎で悪趣味な人たちに餌をやるような悪手だったはずだ。

 

 いったい何を考えているのだろう、と配信している礼愛(レイラ・エンヴィ)を注視していた時、その端整な青白い顔の口元がわずかに歪んだ気がした。

 

「『タイミングを合わせて配信する』……」

 

 笑みとは呼べない程度の唇の不気味な動きを見て、不意に教室で話していた時の礼愛の顔を思い出した。紐づけられた記憶が引っ張られるように、その時に放たれた言葉が脳裏をよぎった。

 

「そっか……最初から礼愛はこういう流れを……」

 

 あたしの推測を裏付けるように、礼愛は運んでいく。リスナーどころか荒らしすらも手のひらで転がして、思考を偏らせ、発言を誘導し、自分の望んだ方向へと。

 

『〈本当に兄妹かどうかなんてわからんしな〉〈ここまでソースなし〉ほう、そうですか。なるほど、そうですか。それなら証拠を見せてあげましょう。一分ほど待ちますから、今からお兄ちゃんの配信開いてください』

 

 自信ありげな礼愛の表情と期待を持たせるような煽り文句で、コメント欄は盛況を超えて熱狂になっていた。祭りも祭りだった。まるでライブが始まる前のような、異常な熱を孕んだ盛り上がりだ。

 

「え……えっ、えっ?! れー姉なにするつもりなの?! なんかわかんないけどめっちゃわくわくする! ぜったい切り抜かれるよねここ! やったぁっ、生で観れた!」

 

「まじか……やっぱりか。どうなるの、これ……」

 

 何かを企んでいる節のある礼愛が、タイミングを合わせて配信すると言った。

 

 あたしは突発的なコラボでもするのかなと一度は思ったけれど、お兄さんの性格なら許可はしないだろうと考え、推測から排除した。でもだとしたら、なぜ礼愛はタイミングを合わせるなんてわざわざ言ったのか。

 

 そんなもの、同じ時間に配信をしていないと意味がないからに決まっている。

 

 叱らなければいけない時にはしっかり叱ることができるのがお兄さんだ。前もって話を通してしまうと、礼愛を自身の炎上に巻き込みたくないお兄さんは絶対に本気で止めようとする。だから無断でリア凸──インターネット上での絡みではなく、現実(リアル)のほうに突撃しようと、礼愛は画策した。

 

 礼愛の配信中に体の空いているお兄さんを呼ぶなどという方法ではなく、配信時間を合わせてリア凸するのはドキュメンタリー感、ライブ感を演出するためか。

 

 わざわざ変なコメントを拾って激情に駆られたふりをしたのは、リスナーに煽られたことで突発的にこの一連の出来事が行われたことを強調させるため。

 

 今日この配信中に、心ないリスナーに指摘されたことがきっかけで、発作的に礼愛はリア凸をしようと考えた。お互いに配信中で、事前の準備や口裏合わせなどをする時間が一切なかったことは、他の誰でもない、二人の配信を視聴していたリスナーたち全員が証人となる。

 

 そういうシナリオ。これまでの雑談はすべて、この時のための布石でしかない。

 

 極めつけがこれだ。

 

『みんな、お兄ちゃんの配信はつけられましたか? 今からお兄ちゃんの部屋に突撃してきます。さすがに、同棲してるんだろ、みたいな見当違いも甚だしいことを言うようなリスナーさんはいらっしゃいませんよね? 保護者が必要な学生の身分で、学校に通いながら彼氏と同棲するなんていうことはあまりにも現実味に欠けることくらい、ご理解されているでしょうからね』

 

 即座に行動に移す。間を空けないからこそ力を持つ証明方法だ。

 

 日をあけて凸をする、なんて日和ったことをしてしまえば事前に連絡してスケジュールを合わせたのだろう、というような揚げ足取りを許す隙が生まれてしまう。

 

 今日、この配信中に実行するからこそ、反論の余地を残さない強く固い証明になる。

 

「あー……なるほどね、ここまで計算尽(けいさんずく)か。これは、礼愛だわ。礼愛らしいわ」

 

「え? え? なに? つまりさっき怒ったように見せてたのも演技ってこと?」

 

「演技。ある意味、ここまで全部礼愛が書いた台本みたいなもん」

 

「うひゃぁ……これが女のサクリャクってやつかぁ。……こわ」

 

『えっと、とりあえず……いらっしゃいませ? ごゆっくりどうぞ』

 

 お兄さんの配信のコメント欄は最初から流れが速かったけれど、礼愛の誘導が効いたのかここにきて一段階ギアを上げるようにコメントが溢れかえった。

 

「お兄さんの配信のほうに人が流れてきてるね。名前は出してないけど、れー姉の配信から来たっぽいリスナーさんたちがコメントしてる」

 

『じゃ、行ってきまーす。みなさん、向こうでまた会いましょう。ふふーん、お兄ちゃーん! 今会いにいくよー!』

 

「あ、礼愛が部屋出た」

 

 レイラ・エンヴィの体を配信画面外へ移動させてテキストを表示させてから、礼愛は席を立った。きし、と小さく椅子が鳴る音。陽気な鼻歌と、たたんったたんっと軽やかなステップ、勢いよく扉を開き、どんどん小さくなって遠ざかっていく足音。

 

 あたしは自分のノートPCから隣に視線をスライドし、寧音のPCを見る。

 

『えっ……』

 

 礼愛の足音か、それとも扉の取手に手をかけた音か。なんらかの異音にお兄さんが気づいた頃には、もう手遅れだった。

 

 当惑という表現がぴったり当てはまる声をこぼしたお兄さん。

 

 その声を上から塗り潰すようにして発される扉を開く音と、あたしが聴き慣れた声。

 

『お兄ちゃん! コラボしに来たよ!』

 

『……えっ』

 

 礼愛のチャンネルでは聴くことがなかった、礼愛らしい声。お兄さんと接する時の、棘も(かど)もないふわふわとして丸っこい印象の柔らかくて愛らしい声だ。

 

 さすがのお兄さんといえども頭が追いつかないらしい。長めの沈黙と、再びの当惑が返答だった。

 

 とんとんとんとん、と軽快な足音の後、ぎしっ、と軋むような音が続いた。

 

『配信してたらね? お兄ちゃんが本当にお兄ちゃんかどうかわからない、証拠出せ、みたいなこと言われちゃったからさ。それじゃあ証拠見せたるわいっ、ってことで、お兄ちゃんの配信にお邪魔しに来ました。お邪魔しまーす!』

 

 遠かった礼愛の声が鮮明に聴こえるようになった。さっきの音は、部屋に入ってすぐのところから近づいていって、お兄さんの座っている椅子にでも無理矢理一緒に座った時のものだったのだろう。

 

『い、いやっ、いやいや! 礼ちゃん何してるの?! 何してるかわかってるの?!』

 

 慌てた様子のお兄さんが見える見える。配信中、まったくのアポなしで凸されれば誰でもこうなる。

 

『え? 何って……リア凸。あ、そうだ。挨拶が遅れました。お兄ちゃんの妹にして「New Tale」の二期生、人間界には調査の為に訪れている悪魔で女子高生、レイラ・エンヴィです。お兄ちゃんがいつもお世話になっています』

 

『挨拶してる場合じゃ……。いや、リスナーさんも〈よろしくお願いします〉じゃないんですよ』

 

『なんでよ。挨拶大事でしょ!』

 

『今は挨拶よりも大事な話があるよね?』

 

『ああ……大丈夫ですよ、皆さん。ご心配なく。配信タイトルのほうは後でお兄ちゃんに変えさせておきますね。概要欄にURLも載せておくようにします。興味を持った人は、お兄ちゃんともどもチャンネル登録してもらえると嬉しいです。ごめんなさい、お兄ちゃんはまだ始めたばっかりだから……手際の悪さは許してあげてくださいね?』

 

『そこじゃない……そこじゃないよ、礼ちゃん。リスナーさんも〈できた妹さんですね〉じゃないんですよ。〈お嬢いつもよりテンション高くてかわいい!〉と言っている人はきっと礼ちゃんのところの眷属さんですね。楽しんでもらえているようで何よりです。いつも妹がお世話になっております。……あれ? おかしいと感じているのは僕だけなのかな……』

 

 まるで声に特殊なエフェクトでも掛けられたかのように可愛さマシマシになっている礼愛と、ひどく動揺しつつもしっかりコメントを拾って配信を続けるお兄さん。一緒にいられる時は常に一緒にいるほど仲のいい二人の息の合い方は、まさしく打てば響くといったところだ。リスナーからの反応もいい。

 

「くぁっ……二人ともめちゃ仲ええ……。お兄さんがかぁぃぃ。れー姉もかわいいっ……。うっ、くっ……っ、てぇてぇ……ジンレイてぇてぇ……」

 

 寧音がぷるぷるしながら二人のやり取りを聴いていた。てぇてぇを連呼するオタクに成り果ててしまった。オタクはてぇてぇが鳴き声みたいなところもあるし、仕方ない。

 

 ちなみに『てぇてぇ』とは『尊い』が変じたものだ。配信界隈、Vtuber界隈では、配信者同士が仲良くしている時などに使われる。好きとか素晴らしいとか最高とか、そういう感情を一纏めにして、オタクはてぇてぇと鳴くのである。

 

『お兄ちゃんアイクリしてるんでしょ? 私のお家見た?』

 

『あ、もう居座るつもりなんだ……。ごめんね、見てないんだ。でも礼ちゃんが作ったのは有志による切り抜きで観たから不満はないよ。それよりも街の中にいて、他のライバーさんと鉢合わせしちゃったら相手に迷惑かかっちゃうから、そっちのほうが困るかな』

 

『ふーん、そっか。他の人たちまで巻き込まれちゃうかもしれないリスクを背負う理由はないもんね』

 

『そう。だから礼ちゃんにも接触しないように、って言っておいたんだけどね』

 

『言ってたね。でも私、お兄ちゃんとコラボやりたかったんだもん。せっかく「New Tale」に入ったのにさあ。お兄ちゃんの言う通り待ってたら何ヶ月もできないままだっただろうし』

 

『それでこんな力技を……まあ、やってしまったものはしょうがないか。あとから「New Tale」の偉い人に怒られようね』

 

『えー』

 

『僕も一緒にね』

 

『はーい!』

 

 お返事だけはいい子だね、と呆れたように、でもそれ以上にどこか嬉しそうに、お兄さんは呟いた。

 

「ぁぁ……てぇてぇ……」

 

「脳みそ溶けてんのか」

 

「はっ! 『てぇてぇ』っと……」

 

「人の言葉は忘れてもコメントすることだけは忘れないリスナーの模範生」

 

「模範囚と言ってほしいね」

 

「そっちのほうが聞こえが悪いけど……(とら)われてんのね」

 

 推しであるお兄さんはもちろん、礼愛のことも大好きな、下手をすると実の姉よりも礼愛のことを慕っている寧音のことだ。この二人の絡みなんて至福以外の何物でもないだろう。

 

 コメント欄では、荒らしにも負けずにお兄さんの配信を視聴していたらしいリスナーさんたちが賑やかしているし、礼愛のチャンネルから移動してきたのだろう眷属たちは妹モードの礼愛を見られてご満悦といった様子だ。

 

 何より素晴らしいのは、アンチ的なコメントがかなり減少したことである。

 

 人が出ていったわけではなく、おそらく状況についていけずに思考停止しているだけだ。なので、これは一時的なものなのだろう。

 

 だとしても、今この瞬間だけはまっとうな配信風景に見える。これこそが本来、お兄さんが享受してしかるべき環境だ。

 

 仮に一時的だとしても、礼愛が作り出した奇跡のような時間をめいっぱい楽しんでほしい。配信活動は楽しいものなのだと知ってほしい。

 

「……がんばって、お兄さん」

 

 きっとその為に──辛いことがあってもそれ以上に楽しいことがたくさんあると知ってもらう為に、礼愛も体を張って無理をしたのだろうから。

 

『それでお兄ちゃん、何これ』

 

『これ? 僕のお家だよ。マイ掘立てハウス。と言っても、必要最低限の家具を詰め込んだだけの臨時の拠点だけどね』

 

『そうだよね、あーよかった。こんなのお家なんて呼んでたらダイナマイトで爆破するところだったよ』

 

『ひ、ひどい……そりゃあ手抜きではあるけど、リスナーさんの中には〈かわいいログハウス〉って褒めてくれる人もいたのに……』

 

『統一感のなさで統一されたような空間をお家なんて呼ぶのは、お家という概念そのものに対する侮辱だよ』

 

『臨時拠点を作っただけでここまで言われてしまうのか……』

 

 妹ならではの鋭い舌鋒であった。

 

 少々お兄さんが可哀想かもしれないが、ぜんぜん同情できないセンスをしているので慰めてはあげられない。お家の造形に対して言及してくれた礼愛に思わず頷いてしまうくらいだ。

 

「いやぁ……あれでは言われても仕方ないよね……」

 

「さ、三百年後には賞賛されるような非凡な才能がお兄さんにはあるんだよっ! 寧音にはわかる!」

 

 三百年後から寧音は来たのかな。少なくとも現代では認められることはない。このセンスが認められるのは今世はもちろん、来世の来世ですら訪れるか危ういほどの時間が必要らしい。

 

『大きめのお墓は作ったみたいだけど、これからの予定は?』

 

『この建物墳墓じゃないんです……。えっと、今使ってる道具が木製だったから、石製か鉄製の道具にアップグレードしようとしてたんだよ。ついさっきまで地下に潜ってたんだ』

 

『配信開始数十分でえらく順調だね……。あれ、道具とか武器はあるけど、防具とかは作らないの?』

 

『まずは作業効率を優先したかったからね。攻撃を受けなかったら防具は不要だし、優先順位の問題で作らなかったんだよ』

 

『合理的というか効率主義というか……お兄ちゃんは相変わらずだね』

 

『弓矢があったら攻撃を受ける機会は少なくなるよね』

 

『普通はそんなにぱかすか当たるものじゃないんだよ。……ねえ、お兄ちゃん。たしかアイクリ初めてだよね?』

 

『そうだよ?』

 

『なんだか動きがビギナーとは思えないんだけど……』

 

『礼ちゃんや他の人がやっている動画も見てたからね。あと、もしかしたら他のゲームでやってた動きが無意識で出ちゃってるのかも』

 

『ほんとお兄ちゃんって慣れるの早いよね! ブロック積むのとか立ち回りとか! すごい!』

 

『そう? ふふっ、そうやって褒めてもらえるのは嬉しいね』

 

 そんなのほほんとした仲良し兄妹の会話を繰り広げながらも同時並行で急に出てきた敵モンスターを撃退していた。驚いたりしないのか。

 

 お兄さんの視界に入った端から敵モンスターが塵に帰るので、なんとも緊迫感というものがない。悪魔兄妹の心地よい美声と穏やかなトーク、息の合った掛け合い。耳から入って脳みそを甘やかにとろけさせる幸せな時間だ。

 

「れー姉もそうだけど、お兄さんも楽しそうだ! 声が弾んでる!」

 

「あ、そういえばたしかに。お兄さん一人の時はちょっと硬い感じだったけど、今はふだんと変わらないや。柔らかくて暖かい、いつものお兄さんだ」

 

「やめて。急に冷たい現実を見せつけないで。お兄さんとれー姉の絡みでぽかぽかに癒された心が凍えちゃう。温度差で寧音壊れちゃう」

 

「……ご、ごめん」

 

 デリケートすぎる。取り扱いが難しい。ガラス細工なのかあんたは。

 

『そういえば、礼ちゃんの配信は今どうなってるの? もう閉じたの?』

 

『ううん。そのままだよ。放置してる』

 

『そ、それじゃあ今配信は……』

 

『無人で無音だね。かなり革命的な配信になってると思うよ』

 

 あたしのノートPCに映っている礼愛の配信画面を見る。

 

 離席前に投げやりに用意されたテキスト『お兄ちゃんの配信にお邪魔しに行っています』の文字が画面中央で虚しく踊っている。一応どういう状況かだけは書き記されているけれど、お兄ちゃんが誰なのかの説明はないので結局役には立っていない。

 

『はやく戻ってあげて。途中から来た眷属さんは何事かと思っちゃうよ』

 

『えー、コラボが……お兄ちゃんとのコラボが……あっ! いいこと思いついた!』

 

『ここからはアイクリコラボ配信にしようか』

 

『そう! さすがお兄ちゃんっ、私のことよくわかってる! それじゃVC繋ぐから、コミュニケーションアプリのID教えて』

 

『はいはい、急かさないで。教えるから』

 

『……っ。うわー。お兄ちゃん、本当にライバーの誰ともID交換してないんだね。事務所のスタッフさんしか入ってないや』

 

『業務連絡用に教えてもらってからそれっきりだったね。配信者で登録されるのは礼ちゃんが一人目だ』

 

『やった! 一番乗りだ! それにしても私にすら教えてくれないとか徹底しすぎじゃない?』

 

『それはそうだよ、本来ならこんなに早く兄妹だってことを明かす予定じゃなかったんだから』

 

『押しかけてよかったー』

 

『よくないんだよね』

 

『じゃ、私は部屋に戻るね。お兄ちゃんの配信を観てる皆さん、しばしお別れです。またすぐに戻ってきますからね。それでは』

 

 離席の挨拶をした後、がさごそと物音がした。最後に、かちゃと小さくだけれど扉を閉める音が聞こえたので礼愛がお兄さんの部屋から退出したのだろう。

 

『ふう……皆様、お騒がせして申し訳ありません。妹には関わらないようにと伝えておいたのですが、僕が一人寂しく配信しているところを見て励ましに来てくれたようです。優しい妹なんです。よければ妹にも応援のほど、よろしくお願いします』

 

 礼愛が退室するや、お兄さんはすぐに礼愛のフォローをしていた。もとは巻き込みたくないという一心で配信上での関わりを絶っていたのだ。これで礼愛が同じように炎上して活動がやりにくくなったら、お兄さんは自分を責めてしまうかもしれない。

 

 幸い、リスナーには肯定的な意見が多い。〈おもしろかったよ〉〈お兄さーん!俺だー!結婚してくれー!〉〈めっちゃお兄ちゃんしてた〉〈妹さんを僕にください〉〈かわいい〉〈てぇてぇ〉など、一部変なのを除いて礼愛とお兄さんの絡みを楽しんでいた。

 

 もちろんアンチや荒らし、誹謗中傷を書き込む人もいるが、今はポジティブなコメントとネガティブなコメントが半々といった配分だ。

 

 最初は騒ぎに便乗して野次を飛ばしていたような人もいただろうが、そういった人の中には楽しければなんだっていいという刹那的なタイプもいる。批判したり重箱の隅をつんつんつつくよりも面白いことが目の前で起こっていたら、わりと簡単に態度を引っ繰り返し得る。手がドリルになっているタイプの人だ。手のひらをくるんくるん返す人種。

 

 この度の礼愛の一件でお兄さんの置かれた立場が劇的に改善されることはないかもしれないけど、それでもこれは大きな前進になった。お兄さんが気兼ねなく、楽しく配信をできるようになる日に、大きく近づいたと思う。

 

 お兄さんの配信にリア凸するところまでは礼愛の采配通りに進んだだろうけれど、実際のところ、その後の影響はどこまでが予想通りだったのか。

 

 全ての展開が礼愛の(たなごころ)(うち)だった可能性もあるし、もっと単純にただお兄さんと一緒に配信したかっただけという可能性もある。どちらもあり得るし、どちらでも納得できてしまうのが礼愛の恐ろしいところだ。

 

『お兄ちゃーん、聞こえるー?』

 

『はいはい、聞こえてるよ。アイクリの準備できた?』

 

『うん! すぐそっち行くよ! お兄ちゃんの家作るの手伝ってあげるからね! 主にデザイン面で!』

 

『それはとっても助かるよ。どれだけ磨いてもセンスだけは光らなかったから』

 

『泥団子でも磨いたら光るというのに』

 

『土くれ程度の素質もなかったようです』

 

 あ、音量大丈夫でしょうか、と礼愛との雑談中に思い出したようにリスナーに訊ねるお兄さん。話し始めればすぐに花を咲かせてしまう二人だ。どこかで強引に話を本線へと戻さなければ、きっと永遠にレールから脱線しっぱなしになるだろう。

 

「お兄さんとれー姉っていつもこんなに仲良くお喋りしてるの? もうなんか……ずっとこのまま二人でお喋りしてそうだけど」

 

「あたしがいる時はお兄さんも礼愛も気を遣って話を振ってくれるから、ここまでじゃない、かな? でも礼愛の話を聞く限り、二人っきりだともっといちゃこらしてるみたい」

 

「これ以上って……てぇてぇ。あぁ、やばい……描きたい。お兄さんとれー姉のイラスト描きたい……」

 

 二人がひっつきながら和気藹々とお喋りするシーンでも妄想しているのか、寧音が頭を抱えて呻きだした。なまじ妄想を表現する能力がある分、創作意欲が湧き出してしまうのだろう。あたしも興味があるので助力を請われたら喜んで手を貸そう。

 

『それでは! 眷属さんたちには急な展開で申し訳ないですが、これからお兄ちゃんとアイクリやっていきます!』

 

『はい、僕のプランニングでは数ヶ月後になっていたはずの礼ちゃんとのコラボを、デビュー早々二日目にしてやっていきます。皆様よろしくお願いします』

 

 あたしが懸念していた礼愛の計画は見事に歯車が噛み合い、好転し始めた。どうなるかとても心配だったけれど一安心である。

 

 これでようやく、あたしも二人の配信を心から楽しんで視聴できそうだ。

 




妹ちゃん、動きます。


*スパチャ読み!
Acedia-49さん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
猫鍋@冬眠中さん、評価更新してくれたんですね。評価の数字よりもこうして継続して読んでくれてることが嬉しいです。赤色のスーパーなチャットありがとう!ございます!
AirHertzさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
かささん、上限の赤色スーパーチャットありがとうございます!がんばります!
ふがふがふがしすさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
06FZさん、赤スパてんきゅー!ありがとうございます!
たいさ!さん、上限の赤色のスーパーチャットありがとうございます!き、期待を裏切らないようがんばりますぜ……!


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「あぁ……よかった」

 

『悪魔兄妹による魔界創造計画、第一回はここまでです。ありがとうございました! 近々第二回をやりますので、その際も観に来てもらえると嬉しいです!』

 

『いつのまにか僕の知らないところで僕をメンバーに加えられた壮大なプロジェクトが立ち上がっている……。どこまで魔界を再現するかにもよりますが、おそらくロングタームなものになります。今後もお付き合いいただけましたら幸いです』

 

『明日はお兄ちゃんと一緒にFPS配信します!』

 

『聞かされてないんだよね、その話。僕の知らない僕の予定が次から次へと……。えっと、そういうことらしいので、ご都合がつきましたら是非お越しください。お待ちしております』

 

『あー、楽しかったーっ! お兄ちゃんありがとね。あと眷属のみなさんもありがとうございました! それじゃ、いつもの終わりの挨拶で締めよっか、お兄ちゃん』

 

『少なくとも僕は初耳だね、そのいつもの終わりの挨拶とやらは。初コラボだよね、これ?』

 

『今日の配信はー……「New Tale」の悪魔兄妹! 妹のほう! 嫉妬の悪魔、レイラ・エンヴィと!』

 

『え? えっと……「New Tale」の悪魔兄妹、兄のほう。憤怒の悪魔、ジン・ラースでお送りいたしました。……で、いいのかな?』

 

『ありがとうございましたー! またねー!』

 

『ああ、よかった、これでいいんだ……。ご視聴、ありがとうございました』

 

 初めて聞いたキャッチーないつもの挨拶をして二人の配信は終了した。お兄さんは今日が活動を始めて二日目だし、礼愛とのコラボはこれが初めてなんだから、いつもの挨拶とかあるわけないんだよなぁ。

 

「ああぁぁっ! おもしろかったーっ! お兄さん一人でもおもしろかったのに、れー姉と二人になるともう……無敵だねっ!」

 

「ほんとにね。さすがに礼愛は配信者歴長いだけあってトークもうまいわ。……いや、お兄さんと合流する前はすっごいテンション低かったし、ただ素が出ただけか?」

 

「もうずっと二人でコラボしててほしい」

 

「カップルチャンネルかよ」

 

「明日も楽しみだなぁ……あっ、そうだ。またSNSで宣伝しとかなきゃ!」

 

「おー、がんばれー」

 

 今日も今日とて寧音は健全で良識的なファンとして宣伝活動するようだ。そのまま過激派からは足を洗ってほしい。

 

 たとえ効果は薄くとも、そうした地道な宣伝の一歩一歩が積み重なれば、まともなリスナーが増えることに繋がる。まともなリスナーの比率が上がれば、もっとお兄さんが楽しく配信できるようになるはずだ。寧音の活動は確実にお兄さんの力になる。

 

「さて、と……」

 

 そういった宣伝活動の一切ができず、なんの助力もできないあたしはとある人物へと連絡を取ることとする。

 

 ノートPCをかたかたしている寧音を横目に、あたしはスマホを手に取り部屋を出た。

 

 メッセージアプリを起動して目当ての人物の名前をタップする。こういう時、あたしのフレンドリストは探しやすくて助かる。スクロールしなくてもいいくらいの人数しか登録されていないからだ。

 

 数回のコール音の後、奴は出た。

 

『こんばんは、夢結。楽しかったでしょ?』

 

 第一声から、礼愛は超然とした態度で飄々と挨拶してきた。あんな大それたことをしたというのに、動じた気配は微塵もない。配信してる時からゼロコンマ一秒たりとも動揺も後悔もしてなさそうだったけれど。

 

「たしかに楽しかったわ。ジェットコースター的な意味でね」

 

『あははっ、なら楽しめたね! 夢結ジェットコースター好きだもんね!』

 

「言ったことないわ、好きだなんて。どちらかというと苦手だわ。あんたは好きそうだけどね」

 

『うん! 好きだね!』

 

「……だろうね」

 

 心待ちにしていたお兄さんとのコラボ配信をしたばかりだからか、いつもよりもテンションが高い。声が弾んでいる。

 

 配信では荒らしも多かったが、気にしている素振りはない。我関せずといった感じだ。覚悟ガンギマリの礼愛に怖いものなどないようだ。

 

 でも、あたしは。

 

 今の礼愛は怖いもの知らずかもしれないけれど、あたしは。一つだけ心配なことがあった。

 

『それでねー。前もって夢結に言ってた理由なんだけど……』

 

「その前に、ちょっといい?」

 

『うん? なに?』

 

「礼愛は、これから大丈夫そう?」

 

『……うん。大丈夫だよ、きっと』

 

 礼愛のその返事は、あたしに向けたというよりも、自分自身に言い聞かせているようだった。気のせいかもしれないくらいわずかにだけど、声に不安の色が滲んでいた。

 

 今日の礼愛の配信は、良くも悪くも反響の大きいものになるだろう。

 

 配信中のコメント欄を見ていた限りでは受けは良かった。実際二人の雑談は面白かったし、プレイも見応えがあって、作業の進行もスムーズで見ていて気持ちの良いものだった。

 

 止め処なく溢れていた礼愛の妹感、普通にしているだけで際限なく醸し出されるお兄さんのお兄ちゃん感。二人の魅力を互いが互いに引き出していた。それらはきっと、これまでは興味がなかったリスナーを引き込む要因になり得るだろう。

 

 けれど、礼愛の場合は既存のファンに対して逆効果になる危険性もある。

 

 お兄さんの配信に突撃する前のテンションが礼愛の配信時のニュートラルな状態なのだとすれば、お兄さんとコラボしている時のテンションは差があまりに大きい。

 

 落ち着いた声色とクールな所作の塩対応系女子が好きなファンからすれば、ジン・ラースとコラボしている時のレイラ・エンヴィは容認し難い違和感になるかもしれない。

 

 塩対応系冷淡女子からの甘々系猫撫で声礼愛となると、ギャップが凄すぎる。寧音ではないが、リスナーのガラスハートが温度差で壊れてしまうかもしれない。

 

 そうしてファンが離れるリスクはある。

 

 いや、離れるだけであれば、まだマシかもしれない。

 

 熱心なファンは、時として過激なアンチになることもある。

 

 反転アンチと呼ばれるそれになる理由は様々だ。問題発言であったり、男女事のスキャンダルであったり、単に気に入らない行動を取ったりなどで愛憎が翻ることがある。

 

 推しに向けていた愛情が大きければ大きいほどに、裏返った時に推しに向けられる憎悪は強くなる。これはお兄さんが巻き込まれている炎上騒動にも通底するものがある。

 

 件の女性Vtuberのことが大好きだったファンが、裏切りによって反転アンチになった。件の女性Vtuberの場合は憎悪を向ける矛先が失われたせいでお兄さんに向いている。本来無関係な人間にすら怒りをぶつけにいくほどに感情が暴走している。

 

 好きという感情は、些細なきっかけで容易に憎しみに化けるのだ。

 

 そういった悪意に晒された時、礼愛はとても傷ついてしまうんじゃないか。

 

 それだけがあたしは心配だった。たった一人の掛け替えのない親友が悲しむ姿なんて、あたしは見たくない。

 

「きっと、叩かれることもあると思う」

 

『うん、そうだね』

 

「言われてつらくなるようなことも、悲しくなることも……増えると思うよ」

 

『……うん』

 

「それでも、礼愛はほんとに大丈夫?」

 

『…………ふふっ』

 

「え、なに……なんなの?」

 

 長い沈黙を挟んだ後、なぜか礼愛は小さく笑った。あたしを小馬鹿にするようないつもの笑いではなく、はにかむような純粋な声だった。

 

『そんなんだから私から「夢結は負けヒロイン味あるなあ」なんて思われるんだよ』

 

「あたしをなんだと思ってやがる」

 

 あたしの真剣な気持ちをどれだけ踏み躙るつもりだこいつ。負けないわ。勝つわ。相手が誰だかは知らないけど。

 

『優しすぎるってことだよ。好きな人ができても友だちに、わたしもその人のこと好き、とか言われたら身を引いちゃいそうな感じ。優しすぎて不安になるよ』

 

 これは誉めているのだろうか。誉めているんだろうな。あたしは誉められたんだな。ふむ、そういう意味ならばよし。

 

「なぁんだ、そういうこと。安心して。友だち少ないから被るようなことないよ」

 

『いつもならその交友関係の乏しさに不安になるところだけど、今だけはちょっと安心かも』

 

 鈴を振るような綺麗な声で、礼愛は小さく笑った。話を区切るようなしばしの沈黙の後、礼愛が喋り始める。

 

『……大丈夫だよ、本当に。悪口なんて言われても気にしないし。それに……お兄ちゃんを誘ったのは私だからね。私だけ安全な場所で見て見ぬ振りなんてできないよ。お兄ちゃんと一緒なら、私は大丈夫。どうとでもなるよ。……ありがとね、夢結』

 

 悪口なんて『気にならない』ではなく『気にしない』というところや、お兄さんを誘ったことに対して必要以上に責任を感じていそうなところに不安はあるけれど、今はその言葉を信じよう。

 

 そう、礼愛とお兄さんなら炎上騒動も荒らしも跳ね返せる。なんなら荒らしや、荒らしに便乗している野次馬リスナーもファンにしてしまうかもしれない。そのくらいのポテンシャルを、この兄妹は秘めているのだ。

 

 あたしにどうにかできるような力はないけれど、声援を送るくらいのことしかできないけれど、無力感で心が締め付けられるように痛いけれど、できることをしよう。声をかけて励まして、応援するくらいのことだったら、あたしにだってできるから。

 

「どういたしまして。それじゃああたしは次の配信を楽しみに待っとくよ。あ、今日の配信、最初こそどうなるかひやひやだったけど、その峠を越えてからはずっとおもしろかったよ。寧音がすっごく喜んでた。ずっとうるさかったんだから」

 

『ほんと?! 嬉しいなあ。きっとそれ伝えたらお兄ちゃんも喜ぶよ』

 

「おお……お兄さんにもよろしく伝えておいてもらえるとあたしも嬉しい。寧音も喜ぶ」

 

『あははっ、なにそれ』

 

 こんなタイミングで寧音からのミッションをクリアすると思わなかった。礼愛という中継を挟んでるけど、そこはまあいいだろう。もともとあたしという中継がいたんだ、大して変わらない。結果が同じなら寧音だって文句はないはず。

 

 そろそろ礼愛を解放するとしよう。あたしが長時間引き留めてしまうのも悪い。礼愛にも予定があることだし。事務所の人から叱られる、という重要な予定が。

 

「ま、言いたかったことはそれだけ。これからも配信がんばってね。応援してるから。じゃあね、また明日。おやすみ」

 

『うん! おやすっ……ごめん夢結ちょっと待って!』

 

「おおう……どした?」

 

 通話を切ろうとしたら礼愛から引き止められた。

 

 そういえばあたしが喋り始める前に、礼愛が話を切り出そうとしていた気がしないでもない。

 

『私が配信リア凸する話を夢結にした理由がね、あってね』

 

「うんうん……うん? リア凸するとまでは聞いとらんかったが?」

 

『夢結にね……お願いがあるの。依頼したい事があるの』

 

 あたしに対して珍しく殊勝な態度で頼んでくる礼愛。これはまともな頼み事ではない可能性が大。まずあたし相手にこんなに低姿勢でくることが稀なのだ。あたしの手に負えないタイプのお願いか、あたしでもできるけど非常に面倒なタイプのお願いか、おそらくどちらかだろう。帰り道に言っていたのはこれのことか。

 

 首の後ろあたりがぴりぴりする。自然と緊張が走る。

 

 率直に言うと、逃げたい。

 

「……怖いな。切るね? おやすみ」

 

 スマホを耳から離し、通話終了のアイコンに指を翳す。君子でなくとも危うきに近寄ることはない。

 

『なんで?! まだ内容も話してないのに! お兄ちゃんも関係してることなんだって!』

 

「任せろ、承った」

 

『格好がつかない時にだけ夢結は格好いいセリフを吐くなあ……』

 

 お兄さんが関わっているとなれば話は別だ。なんだって引き受ける。二の句だっていらない。了承以外の答えをあたしは持たない。

 

「でもあたしの力を超える願いはかなえられないからね。そこんとこよろしく」

 

『うん。大丈夫。私としては夢結にしか任せられないって思ったから夢結にお願いしてるんだよ。……ただ、さすがに私も申し訳ない気持ちがあるから、受けるかどうかは全部話してから夢結に任せるよ』

 

「え……ほんとにあたし、なにやらされんの?」

 

 礼愛がここまであたしに配慮するなんて、滅多にあることではない。そもそもあたしにできて礼愛にできないというシチュエーション自体が稀なのだから、そりゃああたしに頼むことなんてそうそうない。

 

 今更怖気づいてきた。あたしが受諾したのに、その上で再度判断を委ねるなんて、どんな裏があるというのだ。言質を引き出せたのなら押し付けるのが礼愛なのに。

 

『実はね──』

 

 安請け合いしたのは失敗だったかな、なんて内心怯え始めたあたしに、礼愛がお願い事を説明し始めた。

 

 

 

 *

 

 

 

「……とんでもないことになったな……」

 

 礼愛との通話を終えると、一息ついてから扉を開いた。

 

 部屋に戻ると、ローテーブルでノートPCを開いていたはずの寧音が自分の勉強机のほうへ移動していた。といっても、お兄さんの配信が始まる前までやっていた勉強を再開したわけではなさそうだ。ノートPCで何か作業している。

 

「あっ、ゆー姉! すごいんだよ、お兄さんとれー姉、SNSのトレンド入ってたんだよ!」

 

 あたしが部屋に入るや、寧音はすぐさま振り返って報告してきた。

 

 トレンド入りとは、また目立つようなことになったものだ。これが果たして、吉凶どちらで出ることやら。

 

「へぇ。やっぱりお兄さんのほうで?」

 

「『悪魔兄妹』だからどっちもだよ! もとからお兄さんのほうには人の目が集まってたし、れー姉はリアル妹の証明にリア凸したわけだから、話題性があるよね。一番効いたのは最後の『いつもの挨拶』かな。わかりやすい上に耳に残るフレーズと、端的かつ強烈なワードチョイスで二人の特徴と関係を深く印象づけたって感じ。あれをその場のアドリブでやってたとしたら、れー姉まじ天才だよ!」

 

「お、おお……。情報量がすごい……」

 

 ぺらぺらとよく回る舌で、寧音は一気に捲し立ててきた。

 

 友だちとの付き合いもあるし流行りやトレンドを追う必要もあって、日頃からよくチェックしている寧音の分析だ。あたしに正誤の判断はできないけれど、おそらく的を射ているのだろう。

 

「フォロワーさんの中でも興味持つ人ちらほらいててさ、初回から観てておすすめしてた寧音も鼻高々だよ! お兄さんもれー姉もありがとうっ!」

 

「なんと流されやすい人たちか……。でもそれでまともな人が増えてくれれば、それだけお兄さんはやりやすくなるだろうし、いいことか」

 

「いいどころか最高じゃん! 荒らしたちが騒ぎ立ててくれたおかげで注目されて、それでチャンネル登録者数増えれば、なにより気分がいい!」

 

「この子は……本当にいい性格してるわ」

 

「ありがと。よく言われるんだよね。『寧音ちゃんは性格いいよね』って」

 

「あたしが言ってる意味とそのお友だちが言ってる意味はきっと真逆なんだ」

 

「ふーん。……なんかゆー姉、テンション低くない? 嬉しくないの? もしかして……推しが有名になるの嫌だとか思っちゃうタイプ? はぁー、ゆー姉は同担拒否派かぁ。自分が一番推しのことを理解してるんだぜ、みたいな? きっも」

 

「いや勝手にテンション低いことにさせられて勝手に同担拒否にさせられた挙句に罵られるってもうわけわからんわ。……まぁ、でもお兄さんが有名になってもならなくても、正直あたしとしてはどっちでもいいかな。ファンが増えてコメントを拾ってもらえなくなっても、数多くいるファンのうちの一人になって見向きされなくなっても、推しが楽しく配信できるんだったらなんだっていい」

 

 寧音の言う通り、初期から応援していたバンドなり歌手なりアイドルなり配信者なりが有名になるとなんだかもやもやする、っていう人は一定数いるらしい。有名になっていくのは嬉しいけれど、相対的に推しとの距離が離れていくように感じられてしまうからだろうか。

 

 あたしは、少なくとも今のところはだけれど、そういう感覚は味わっていない。

 

 もしかしたらあたしもそういう感性を持っているかもしれないけれど、あったとしてもそれが発揮されることはないだろう。『推しが有名になるのがもやもやする』という感覚に陥る原因が仮に『推しとの距離が離れていくように感じるから』なのだとしたら、あたしの場合はそもそもの原因が発生しない。

 

 なにしろ、あたし、お兄さんと近いから。直接お話できる連絡手段を持っているから。

 

 その優越感、特別意識がある限り、あたしは高みから見下ろして仄暗い悦に浸れる。

 

 なんとも性格の悪い女だ。あるいはいい性格をしている女だ。

 

「……ゆー姉って、たまにナチュラルに善人発言するよね。寧音、ときどき自己嫌悪するよ」

 

「え、なに? あたしそんないい人っぽいムーブしたの?」

 

「これがガチで無意識なんだもんなぁ……女子が集まった時に催される陰口トークに参加してなかったら、こんな感じで純粋培養されるのかぁ……。寧音はもうなくしちゃったなぁ、その感性」

 

 寧音が暗い顔をしながらぽそぽそと恐ろしいことを呟いていた。

 

「あ、その女の子同士の裏のやり取りについては詳しく説明しないでね。聞いて楽しい気持ちになることはなさそうだから」

 

 なんだか珍しく寧音が褒めてくれたところ悪いけど、内心ではめちゃくちゃ嫌な考え巡らせてたんだよね、あたし。もし善人っぽく見えていたのだとしても、それは鍍金(メッキ)だ。一皮剥けば卑屈で陰気な女が出てくる。

 

「そんじゃ、テンション低かったのはれー姉との通話で?」

 

「べつにテンション下がってたわけじゃなくて考えご……なんで礼愛って決め打ちしたの? わかんないよね? 違うかもしんないじゃん」

 

「え? あっはは! ゆー姉、その冗談おもしろーい!」

 

「いや冗談言ってないわ」

 

「ゆー姉と通話するような相手なんて、れー姉しかいないじゃーん!」

 

「そろそろ殴ろうか?」

 

 温厚かつ鷹揚なあたしにも堪忍袋というものは存在するのだ。

 

「そんで? れー姉となんかあった?」

 

「ん? ……ああ、別に喧嘩したわけじゃないからね? ちょっとした心配事の話と、礼愛からのお願い事の……寧音。あんた今何やってんの?」

 

 あたしが自分の椅子に座ると、寧音の机に何が置かれてるのかよく見えた。

 

 ノートPCと、手元に置かれているのは液タブだ。液晶タブレット。紙にペンで絵を描くのと同じような感覚でディスプレイに映し出して描いていける端末。板タブと比較するとだいたいお高いお買い物になるけれど、手元のディスプレイに直接イラストを描けるのでアナログなやり方と感覚が近くて描きやすかったりする。

 

 ちなみに、ノートPCで液タブを使おうとしたら相応のスペックを要求されるのだが、寧音が使っているノートPCは姉に費用の大部分を出資してもらって購入したハイスペックな品なので問題ない。姉のお手伝いもしているところに加え、甘え上手な手腕を遺憾無く振るい、末っ子という立場を最大限活用し、見事自分の懐をほとんど痛ませずにもぎ取ったのだ。妹ってずるい。

 

「見りゃわかると思うけど、お絵描き」

 

「……さっそく描き始めてたんだ」

 

「うむ! 燃えつきる前に震えるハートで刻まなきゃいけないからね!」

 

 実にあたしときー姉の妹らしい寧音であった。いや、諸悪の根源はお父さんの本棚かもしれない。

 

「おお……。せ、せやな……。と゜ころでっ。……んんっ! ところで、どんな段階?」

 

「声裏返ってるけど……今は下描き。どういうのを描こうか悩んだんだけど、本人たちの目が届くかもしれないことを考えてやっぱりえっちなのはやめといた。タグが決まってないとこういう時困っちゃうね」

 

「初っ端からセンシティブなファンアート描こうとすんなよ」

 

「だからやめたじゃん! 寧音だって悩んだんだよ?!」

 

「どこでキレてんだ……。一瞬で火がつくね、あんたは」

 

「で、れー姉となに話したの? ごまかさないでよ。それともわざと話逸らしてんの?」

 

「いやぁ、これがまったく逸れてないんだわ。あのさぁ、寧音。その熱いパトス、いったん燃え尽きさせてもらってもいい?」

 

「……相応の覚悟があるんだろうね?」

 

「ま、まて……覚悟はない。でも理由はある」

 

「ゆー姉と違って柔肌の熱き血潮の寧音は、今この瞬間に熱いハートのビートでイラストに想いを刻みたいのだ」

 

「なんだ? 学校の読書感想文とかで読んだのか? 残念だったな、これでもあたしは進学校に通う現役高校生。『みだれ髪』はもちろん、与謝野晶子の代表作は読了済みだ。あたしも若いんじゃあほ!」

 

 あたしをこき下ろす時に限って知能指数が上昇する困った妹だ。

 

 余計な茶々で引っ掻き回される前に本題を切り出してしまおう。こいつ相手に気遣いなんていらなかった。

 

「言ったでしょ。礼愛からのお願い事」

 

「……え? も、もしかして……」

 

「イラスト、描いてほしいって言われたんだよね」

 

「おおぉぉっ! まじで?! 公式からお願いされたの?!」

 

 黒目の大きい瞳がこぼれ落ちるんじゃないかと思うほど(まぶた)を開いて大声で驚くと、寧音はお高い椅子が倒れそうになるくらいの勢いで立ち上がってあたしに詰め寄ってきた。

 

 このちんまい体のどこにこんな力があるのか、がしっとあたしの腕を掴んでくる。決して逃さないという固い意志を感じる。

 

「こ、公式と言うな公式と。まぁ、本人から直接言われたから間違いじゃないけど……」

 

「やっぱり公式じゃん! まさかさっきまで配信していた本人から依頼されるなんて……やっぱり持つべきものはフォロワー数よりコネクションなのかな……」

 

「中学生が世知辛いこと言ってんじゃない」

 

 若い身空で、なんなら幼い身空でコネクションがどうとか言うなよ。可愛げに欠ける。

 

「もちろんこの件、寧音にも一枚噛ませてくれるんだよね?」

 

「さっきからいちいち言い回しがいやらしいな……。関わらせたくなくなるだろ、そんな態度の奴……」

 

「寧音にも協力させるつもりだから話してくれたんだよね? そうなんだよね? だろ?」

 

「ぐいぐいくんな豹変すんな。もちろんそのつもりはあるよ。でもね、問題があって……」

 

「問題? なに? 誰を消してくればいい?」

 

「そんな血なまぐさい話じゃねぇわ。あたしとは住んでる世界が違いそうだな……。えっと、それがね? 一点二点とかじゃなくて、これから継続して描いてほしいってことらしくて」

 

「ほ? 配信のサムネとかじゃなくて?」

 

 ここでようやく寧音の圧力が止まった。さすがの寧音でも思うところがあったのだろう。

 

 ちょっとここからは真面目なお話になるので、一旦寧音には自分の席に戻ってもらおう。別に妹の威圧感に負けそうになったわけではない。怖かったわけでは全然ない。

 

「サムネイルにも使いたいとは言ってたけど、本題はそっちじゃないんだって。ある程度の頻度で、お兄さんと礼愛の二人をメインに据えたストーリー性のある絵を描いてほしい、ってことらしい。動画共有プラットフォームにファンが作ったそういう動画も上げられてるでしょ? イラスト動画ってやつになるのかな? 手描き切り抜きだったか? 二人の配信での絡みを題材にした漫画みたいな感じのやつ。そういうのを描いてもらって、動画の形にしてやっていきたいんだって。BGMとか文字起こしとか、そこらへんの編集は礼愛がするって。自分たちで……これはあたしたちってことね? 自分たちでチャンネル開設して動画投稿するのが手間だったら礼愛のチャンネルでやるらしいし、あたしたちでチャンネル開設して動画アップする時は礼愛が配信で宣伝するし、概要欄にもリンクを載せるみたい。……ふぅ。ま、だいたいこんなとこ」

 

「ふむ、なるほど……」

 

 礼愛との話をがんばって思い出しながら、寧音に伝える。

 

 長い説明を聞き終えた寧音は若干視線を下に向けて、あごに指を添えて考え始めた。

 

 そりゃあ、熱心なオタクたる寧音だとしても悩むだろう。相当な作業時間を取られることになる。しかも、明確にいつまで続くかわからないとなればなおさらだ。

 

 あたしが寧音にこの話を持ってきたのもそういう理由だ。一応これでも高校三年生なので、否が応でも勉強に時間を割かなければいけない。大学進学も、エスカレーター式とはいえ控えている。一人ではだいぶしんどい。手が回らない。設定された期限によっては時間が足りなくなる場合も大いにある。

 

 だから寧音にも助力を仰ごうとしたわけなのだけれど、ここで障害が一つ。寧音も受験生なのである。しかも志望校があたしや礼愛が通っている高校、一応世間的には難関と呼ばれる分類に含まれる高校を志望している。倍率も高い。偏差値も高い。ついでに言うと制服がお洒落ということで人気も高い。そんな学校を目指して、友だち付き合いもしながら日頃からこつこつ勉強している寧音は存外頑張り屋さんだ。

 

 寧音の性格を鑑みるに、推しであるお兄さんや慕っている礼愛の手伝いはできることならやりたいと願うだろうが、受験のことを考慮すると二つ返事では引き受けられないだろう。あたしが寧音にこの話を持ってきつつも、中々本題に踏み切れなかったのは束縛される時間に因るところが大きい。必要十分な学力は備わっているとはいえ受験勉強が本格化している今の時期、おそらく寧音はこれからも友だち付き合いを疎かにすることはないだろうから、それらと並行してこなす事になると負担が重すぎる。

 

 最悪、あたしだけでも回せる頻度に設定させてもらえればいいので、寧音が辞退しても支障はない。支障はないが、できることなら寧音にも協力してほしい。姉の手伝いで一緒に描いていて、要領や流れを理解している寧音が力を貸してくれたら、作業を分担することもできて非常に捗る。

 

「れー姉って、やっぱり頭回るよねぇ……」

 

「うん。うん? 礼愛? いや、たしかにめちゃ賢いけど……今それ?」

 

 長い沈黙を破ったかと思えば、いきなり礼愛の賢さの話になっていた。わけがわからないよ。依頼の話はどこいった。そして礼愛はびっくりするほど賢いよ。いつも礼愛の隣にいるあたしまで賢いと勘違いされて気まずい思いをするくらい賢いよ。

 

「今だからこそだよ。お兄さんとれー姉でコラボやって、その反響がよかった。きっとれー姉自身も批判よりも好評が多いと想定してたんだと思う」

 

「うん? んー……まぁ、そうだろうね。学校で教えてもらった時も面白くなると思うよ、なんて言ってたし。自信はあったんじゃない?」

 

「実際ほんとにおもしろかったよねー! 『New Tale』のリスナーは男女の絡みは神経質になってるかもしれないけど、お兄さんとれー姉だったら兄妹だから、その点安心して観てられるよね。異性同士での絡みで、色恋沙汰とかの厄介事の心配をせずに安心して観られるのは、今じゃお兄さんとれー姉しかいないんだ。リアルに兄妹とは思えないくらいいちゃいちゃ仲良くしてて、でもリアルに兄妹だから杞憂することもない。これってすごくお得だよね。男女でコラボ配信する時のリスクはないのに、リターンはしっかりある」

 

「はー……そういう考えか」

 

「異性でのコラボでしか摂取できないてぇてぇはあるんだよ」

 

「これは寧音の個人的な見解っぽいな」

 

 ここまでずっと客観的な意見だったのに、急に俗っぽくなった。

 

「そういう異性コラボでのてぇてぇにさらに上乗せで仲良し兄妹のてぇてぇもついてくる。控えめに言って最高だね。急性てぇてぇ中毒に気をつけないと……尊死してしまう」

 

「あんたの感想はいい。続けろ」

 

「今回のコラボでプチバズって、これまで以上に話題性が増したんだよ。注目されるようになった。ほかの箱でも男女でコラボって控えてるらしいじゃん?」

 

「そうだね、相当気を配ってるみたい。大手でもやらないようにしてるんだから」

 

 『箱』というのはグループや事務所などを指す言葉だ。人数の多いVtuber事務所などではコラボなどがきっかけで仲良くなった人たちにグループ名をつけたりするのだけど、そのグループの中の誰か一人ではなく、そのグループ自体を推すことを『箱推し』などと言ったりする。今回寧音が使った言い方だと事務所全体という意味で使っている。

 

「そんな男女でコラボしにくいフインキの中、杞憂民の心配なんてせずに自由にお兄さんとれー姉は活動できるんだ。よその箱を含めても、今じゃお兄さんとれー姉しかいない。これは大きなアドバンテージになる。アピールポイントにするつもりなんだよ、れー姉は」

 

雰囲気(ふんいき)……まぁいいや。アピールポイントかー、アピール……ん?!」

 

「男女コラボのてぇてぇも取り入れつつ、仲良し兄妹てぇてぇも前面に押し出す。百合営業ならぬ兄妹営業だ! 演技じゃなくてシラフでできちゃうんだからもうメリットしかないや! それを強調させるためのイラスト……えと、イラスト動画、だっけ? 手描き切り抜き? まぁそれが『悪魔兄妹』の方向性をわかりやすく示せて二人の宣伝にもなる一手なんだよ。すでに知ってる人には飽きさせないようにできるし、絵にすることでより印象に残る。きっと一つ一つの動画の時間は短くなるだろうから、オススメかなんかに上がりでもすれば『悪魔兄妹』をよく知らない人にも軽い気持ちで動画を見てもらえると思う。コラボ配信を見てない人に対しては知ってもらえるきっかけにできるんだね。いやぁ……すごいね、れー姉。賢くて、勇気があって、覚悟もある。自分で考えられて、自分からアクション起こせるんだから」

 

 これもお兄さん愛ゆえなのかねぇ、とまるで風呂に入った老人のようにしみじみと寧音が語った。てぇてぇの沼に肩まで浸かって夢見心地のような、蕩けた顔だった。

 

「あぁ……そっか。礼愛はもう、決心がついてたのか……」

 

 緩くなってる寧音に対して、あたしはようやく自分の浅慮を自覚して唇を噛んだ。

 

 ちゃらんぽらんでチャラそうな陽キャに見えて、実はかなりお利口さんな寧音が挙げてくれた礼愛の三つの長所。激しく移り変わる周囲の状況を的確に把握し、需要を読み取る『賢さ』。最大の利益を得るために、これまでとは違う環境へと二の足を踏まずに身を投じる『勇気』。

 

 そして、これからの自分を受け入れられないのなら、これまで応援してくれていたファンでも突き放すという『覚悟』。

 

 これからの活動次第では反転アンチが出てくるかも、と電話口であたしは礼愛に忠告したけれど、礼愛はとうにそんな問題になんて思い至っていたのだ。

 

 その上で、すでに決心していた。

 

 これまで応援してくれていたファンの一部を切り捨てるような真似をすることに葛藤もあっただろう。とても真面目で、配信活動を真摯に取り組んでいる礼愛のことだ、とても悩んだことだろう。お兄さんと絡むことで、礼愛の同期たちや先輩後輩とのコラボもし辛くなるかもしれない。『New Tale』内での立場も難しいものになるかもしれない。

 

 それらのリスクを正確に認識し天秤にかけて、それでも礼愛は一切合切をかなぐり捨ててお兄さんを選んだ。大変な苦労をすることになるとわかっていても、お兄さんと一緒にやっていくことを選んだ。長く険しい道のりになると理解した上で、お兄さんの隣で歩いていくことを選んだのだ。

 

 あたしが確認するまでもなく、礼愛は覚悟を決めていた。

 

 少なくとも、あたしに配信を観るように勧めた放課後の時点では確実に。

 

 きっと礼愛一人でできることだったのなら、あたしにお願いはしてこなかっただろう。

 

 礼愛はそこそこ絵がうまいが、うまいといってもそれは一般人の中ではうまいというだけで、絵を武器にして戦えるほどではない。もし納得できる水準のイラストを自分で描けたのなら、どれだけ身を削ってでも自分だけでやっていたはずだ。

 

 自由な時間を削って、睡眠時間を削って、勉強する時間も最大限に削って、もしかしたらお兄さんと一緒にいる時間すら削って、まさしく文字通りに身も心も削って一人でやろうとしただろう。

 

 礼愛ならそうする。

 

 お兄さんを守るためなら、お兄さんをVtuberに誘った責任を取るためなら、絶対に。

 

 高校から知り合って、ゴールデンウィーク明けから仲良くなって、決して長いとは言えないまだ二年と少しの付き合いだけど、あたしはそう確信できる。

 

「あぁ……よかった」

 

 だからこそ、あたしは絵が描けてよかったとそう思った。礼愛に無理をさせずにすんで心の底から安堵した。

 

 礼愛の性格上、配信活動に、特にそれにまつわる問題にあたしを巻き込むのは不本意なはずだ。安易に人に頼ることをしない礼愛の主義に反するはずだ。それでもあたしを頼りにしないといけないくらいに切羽詰まっている。

 

 そんな時に親友として頼ってもらえるのが、親友として力を貸せるのが、あたしはとても嬉しい。

 

 困っている時に手を貸せないような奴に、礼愛の親友を名乗る資格はない。

 

 本当によかった。

 

 手伝って、と伸ばされた礼愛の手を取る権利があたしにあって。本当によかった。

 

 これまで学校生活でも私生活でも礼愛に頼りきりになっていた。ようやく借りを返す機会に恵まれたのだ。このあたりで積もりに積もった負債を返済させてもらおう。

 




覚悟ガンギマリの妹ちゃん。お兄ちゃんのためなら燃え盛る火の中にも飛び込む所存。吾妻姉妹も支援活動開始します。

誤字脱字修正の報告してくれる方ありがとうございます!自分で確認しても見つからない時は本当に見つからないのでめちゃ助かります!


*スパチャ読み!
藤の道さん、上限の赤色のスーパーチャットありがとうございます!
aiueeoaさん、スーパーチャットありがとうございます!
gyunyuさん、赤色のスーパーチャット、ありがとうございます!
カルデスさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
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みうらっちさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!

今回、というか前回、かな?スパチャくれる人多くてめっちゃ嬉しかったんだけど、いつもと何が違ったんだろう……?理由はわからんけど、まあ嬉しいからええか!ありがとうございます!
マイリスト登録もしてくれる人増えててこっちもやっぱりめっちゃ嬉しいよ!ありがとうございます!


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推しと親友に贈る

 

 あたしは決意を新たにしたわけだが、問題は寧音だ。礼愛からの要請を丁寧に説明してあげたのに、あれから回答を得られていなかった。

 

「結局あんたはどうすんの? 別にすぐに決める必要もないけど」

 

「……は?」

 

 心の底から何言ってんのかわかんない。

 

 寧音の顔にはそう書かれている。この腹立つ顔は、ついさっきも見たものだ。

 

「……訊くまでもなかったか」

 

「あたりまえじゃん。推しの役に立てる上にれー姉からのお願いなんでしょ? 受ける以外の選択肢がオタクにあってたまるか」

 

 性格は全然似ていないけど、オタクという部分についてはあたしと寧音はそっくりなようだ。

 

 腕を組みながら、ぷいっと腹立つ顔を背ける寧音。小柄な寧音だけど、その背中はとても頼り甲斐のあるものだった。

 

「それじゃ、ゆー姉かられー姉に連絡しといてね。そのお願い、二人とも受けるぜ、ってね」

 

 寧音はぴんっ、と指を弾きながら振り向き様に人差し指をこちらに突きつけ、ウィンクを決める。その仕草がまた非常にナチュラルだ。日常生活の中でそんなポーズを取ることなんてないだろうに、なぜ手馴れているのか。

 

「ううん、礼愛に伝えるのは寧音のことだけ」

 

「は? なに、こんだけ熱い展開だっていうのに、ゆー姉は断る気なの?」

 

 計算され尽くしていると思われる完璧に可愛いポーズのまま、器用に目元と口元をぴくぴく痙攣させて訊ねてくる。寧音のこういう反応はなかなかにレアだ。面白いものを見た。ふだんは会話というクッションを挟まずに即罵倒か即バトルのどちらかなのだ。

 

 しかし、いったい寧音は何を勘違いしているのやら。寧音がそうであるように、あたしもそうだったというだけなのだけれど。

 

「あたしは礼愛に話もらった時に受けるって伝えたから」

 

 きょとん、と驚いた顔をしたかと思えば、一拍置いてから笑顔を咲かせた。

 

「は……はっは! あははっ! うん! そうじゃないとね! それでこそ寧音の自慢のお姉ちゃんだよ!」

 

 一年に一度あるかないかというくらいに手放しで妹に褒められた。絶賛だ。少々気恥ずかしい。

 

「……まぁ、なに? あたしもあんたと同じってことだよ。断るなんて発想はなかったっていう、ただそれだけ」

 

「きししっ! うん、そうだね! 忙しくなるよ、これから! さっそく描き始めよっかな!」

 

「ははっ、そんじゃお兄さんと礼愛が明日やるらしいコラボのイラストでもやっちゃう?」

 

「あっ、いいねそれ! 今からやるとなると……今日中に線画、最低でも下描きまですませて、明日帰ってきてソッコーで仕上げて、れー姉とお兄さんに渡すって感じかな」

 

「一人一人別々に描くのは時間がないから、そうだなぁ……『悪魔兄妹』の二人一緒のイラストを描いて、お兄さんと礼愛二人とも同じのを使ってもらう形にしたほうがクオリティは高められるかな?」

 

「『悪魔兄妹』を売りにしたいし、質は下げたくないしそのほうが絶対いいね。そんじゃ寧音は二人のポーズのアタリ描いて一旦データそっちに送るから、お兄さんとれー姉を手分けしよう」

 

「じゃああたしが礼愛のほう描くわ。あとから重ねよう。背景どうする?」

 

「そこだよねぇ……うーん。今回は時間がないから、寧音たちが描いてきたやつの中から合いそうなのを敷いて、手を加えて微調整するのが無難かなぁ」

 

「時間はなるべく二人の質を上げるのに使いたいしね。背景はどっちかで時間が余ったらって感じに……」

 

「それじゃあ、背景は私がやらせてもらってもいい?」

 

 イラストのクオリティを維持しながら完成までの時間短縮を図るにはどうすればいいか、役割分担と時間配分を二人で話し合っていると、あたしと寧音のものではない声がした。

 

 あたしが礼愛と通話するために一度部屋を出て、戻ってきた時にはしっかり閉めたはずの扉が、ほんのわずかに開いていた。

 

 きぃ、と軋むような音を立てながら扉が開かれる。

 

 そこにはいつもはだらしない、しかし今だけは誰よりも頼りになる人物がいた。

 

「えっ……」

 

「きー姉?!」

 

「今やってる作業が一段落ついたから休憩しに部屋出たら、二人の声が聞こえちゃって……盗み聞きしちゃった。ごめんね」

 

「いや、それは別にいいんだけど……話、どこまで聞いてたの?」

 

 あたしがきー姉に訊ねると、盗み聞きみたいな真似をしていた後ろめたさからか、少し申し訳なさそうにしていた。

 

「仁義さんと、その妹さんのVtuberの姿のイラストを描くってところ、かな? 最初から聞いてたわけじゃないけど、だいたいの経緯はわかるよ」

 

 きー姉が発した単語に、あたしは、いやおそらく寧音もぴくりと眉を顰めた。なんだその『仁義さん』という呼び方は。何度もお話ししたことのあるあたしでさえ『仁義さん』呼びはメッセージアプリ内の登録名でしかできていないのに。

 

 不快です、というオーラを隠そうともしない寧音が口を開く。

 

「……二人してなんでそう寧音の神経逆撫でするかなぁ」

 

「あたしは今回罪はないでしょうが」

 

 姉の失言にあたしまで巻き込んで罪を問わないでほしい。この件についてはあたしはノータッチだ。地雷は踏んでいない。

 

 荒く息を継ぎながら、寧音が呼吸を整える。深呼吸のつもりなのだろうが、獲物を前に興奮した獣にしか見えない。

 

「ふぅ、ふぅ……っ、今は! 今は、時間がないから、起訴猶予処分とする。これは寧音の慈悲である」

 

「よくがんばった! よく耐えたな、えらいぞ! それできー姉、手伝ってくれるのはめっちゃくちゃ助かるんだけど、どうせならきー姉がお兄さんのイラスト描いたほうがいいんじゃない? ママ……ジン・ラースを描いた絵師自ら提供したってなったら話題にもなるだろうし」

 

「それができたらよかったんだけど……できないの」

 

「えー! なんでなんで?! きー姉だったら、他の依頼の片手間でも上げられるでしょ? 設定も服装も装飾も知り尽くしてるきー姉なら、どの角度からでもどのポージングでも描けるはずなのに!」

 

「……ごめんなさい」

 

 寧音が詰問するが、きー姉は首を横に振った。

 

 きー姉がイラストを手掛けてくれれば、たとえ今回だけの一回限りだとしてもイラストレーター『小豆真希』のファンの興味を惹くだろう。注目を集めるという礼愛の策略の後押しになる。たとえ迂遠だとしても、きー姉の協力はお兄さんを取り巻く状況を打破する一助になるはず。

 

 推しに近づきたい一心でお兄さんの絵師になったきー姉がその手助けを断るなんて、ふつうではありえない。

 

 他にイラストの依頼が立て込んでいて忙しいということもないだろう。本当になりふり構っていられないほどに忙殺されている時は、最低限の食事とトイレ以外で部屋を出ない人だ。気晴らしとか休憩とかそんなもの考えずに描き続けられる人なのだ。

 

 しかも、筆が速いほうの寧音の更に上を行く速筆さのきー姉なら、明日のお兄さんと礼愛のコラボ配信までに一人でイラストを描き上げることもできるはず。好きなものを描いている時ならより一層に速いのだ。あたしや寧音みたいに学校に行かないでいいぶん、余裕まである。

 

 イラスト(仕事)を描く息抜きにイラスト(趣味)を描くような、生粋の絵描きがきー姉なのだ。なんなら既に数点くらいお兄さん(推し)を描いていてもおかしくない。

 

 そんなきー姉が大っぴらに手伝えないとなると、その原因は絞られてくる。

 

 つまりは、描けない要因が自分以外にある場合だ。

 

「『小豆真希』のファンの人が、なにか言ってるの?」

 

「……あはは。夢結は鋭いね。……そうなんだよね。ファンの人たちの一部が、少し気にしすぎちゃってて……」

 

 きー姉の発言を聞くや、寧音がスマホをいじり出した。

 

 きー姉の『仁義さん』呼びの時よりも寧音は眉間の皺を深くしてスマホの画面を睨みつけた。すぐに目当てのものは見つかったらしい。

 

「……あぁ、これかな? 『小豆真希先生に描いてもらっておいてコケるとか前代未聞だな。逆にすげぇわ』『小豆真希先生を巻き込むなよ。一人で燃えてろ』『先生にガワ描いてもらっても中身がこれじゃなぁ』『看板に泥塗りやがった』『こんな綺麗に恩を仇で返すところは見たことがない』……はっは。ねぇ、きー姉? コレに配慮する必要ってある?」

 

 言いながらも寧音は視線をスマホに落としている。操作する手は止まらなかった。おそらく不適切な内容とかで運営に報告しているのだろう。

 

 実際不適切だし攻撃的だ。なにより炎上の件はお兄さんに原因があるわけではない。不条理かつ不当な物言いだ。単なる誹謗中傷に他ならない。寧音の手を止めさせる理由はなかった。

 

「私だって、どうにかしたいよ。でも、何もできないの……」

 

 悔しさからか、悲しさからか、きー姉は顔を歪める。

 

「っ……。私が……彼、恩徳さんの絵師を担当できたのは、私が無理を言ってその枠にねじ込んでもらったから……。炎上してることも知ってるけど、それだって恩徳さんに非があるわけじゃない。恩徳さんのことで損害を被ったなんて思ってないっ。私は担当絵師になれただけで幸せなのに!」

 

 徐々に熱がこもっていくきー姉の弁舌。握りしめた右の手を、激情を堪えるように左手で覆う。ふっくらした唇は裂けてしまうんじゃないかと思うほどに噛み締められている。垂れ目がちな(まなじり)には、涙が浮かんでいた。

 

「でもっ、でも……反論しても否定しても、どれだけ柔らかい言い回しで伝えても、私の意見を代弁しているつもりの人たちは曲解して恩徳さんに酷いことを言う……。私が何か言えば、私が何かすれば、その皺寄せはぜんぶ恩徳さんが受けることになる。だから、私は……表からは動けない。何も……できない」

 

 きー姉は俯いて、苦々しい無力感を噛み締めながら絞り出すような声で言う。

 

 詰まるような吐息。足元に落ちた水滴。

 

「きー姉……」

 

 長い前髪のせいで表情は読めないけれど、きー姉の感情はわかる気がする。

 

 推しのために何かしたいのに、何も手助けできない。自分のせいで推しが誹謗中傷されるかもしれない。手助けどころか足を引っ張ることになる。居ても立っても居られないのに何もできない無力感と罪悪感、自己嫌悪は、あたしが感じているそれよりも甚だしいものだろう。

 

「それじゃ、いつもとは立場が逆になるね。寧音たちの名義で描いて、きー姉はお手伝いだ!」

 

 かける言葉を失ったあたしの代わりに口を開いたのは寧音だった。

 

 にしし、と悪戯っぽく笑う。

 

「なんだか自信満々で名乗り出てきたけどさぁー、最近は寧音たちに任せっきりだったわけじゃん? まだきー姉、背景描けんのー? お兄さんとれー姉に贈る記念すべき初イラストなんだから、フインキに合わなかったら寧音、リテイク出しちゃうよーん?」

 

 見てるだけで腹が立つほどのくそ生意気なにやけ面。聞いているだけで手が出そうなほど神経を逆撫でする甘ったるい猫撫で声。寧音は足を組みながら煽るようにきー姉に指──の代わりに握っているスマホを指し向けた。

 

「まったく……あんたは」

 

 このあたりが、コミュニケーションの経験値を積んできた者とそうでない者の差だろう。

 

 落ち込んだ人にかける言葉は、励ましであったり慰めの言葉だけではない。プライドを刺激して奮い立たせる文句もまた、人を前に向き直させる。怒りは視野を狭くするぶん、余計な物を見なくて済む。

 

 普通であれば、気落ちしたきー姉にかける言葉ではない。

 

 基本的にきー姉は自信というものを持ち合わせていない。飽き性で及び腰で消極的。謙虚寄りの卑屈という性格なのが我が姉だ。

 

 だが、そんな後ろ向きかつ下を向いているような姉が唯一、堂々と胸を張って誇るものがある。

 

「寧音も夢結も、描くの上手くなったもんね……」

 

 でも、ときー姉は付け加える。

 

 目元を手で拭い、息を大きく吸って、長い黒髪が翻るほど勢いよく頭を上げる。

 

 いつもは気弱に見える瞳が、今だけは飢えた獣のように爛々と輝く。こぼれた笑みの奥に覗いた犬歯が主張する。

 

「なめないでね。たとえ何年経とうと、絵に関わることで私に勝つなんてできないよ」

 

 他の何で負けても、この分野でだけは絶対に勝ち続けるという気迫がある。何があっても描き続けるという気骨がある。

 

 きー姉の中心にあるその芯は、どれほど苦しくても絵と向き合い続けるという精神だけは、あたしはぶれたところを見たことがない。

 

 たしかにきー姉は生活力や常識が欠けている。でもそれを補って余りあるくらい、絵に人生を懸けている。その洗練された愚直な生きかたは、憧憬するに(かな)うものだ。その清廉な生き様は、尊敬するに(あた)うものだ。

 

 絵について語っている時のきー姉は、誰よりも綺麗で輝いている。他のダメなところをそれ一つで埋め合わせることができるくらい、絵に関わっている時だけはきー姉は格好いいのだ。

 

「……きひっ、あははっ! 絵の話をしてるんだから、やっぱりきー姉はそうじゃないとね! なんならその勢いのままぜんぶ自分で描く! なんて言い出してもいいくらいなんだから」

 

「……それだけはだめ。私の個人的なこだわりで彼を傷つけることはしたくないから」

 

「……そ。まぁ、それならそれでいいよ。寧音は描いて応援したいだけだしね! あ、きー姉、ジン・ラースの設定資料見せて」

 

「うん。寧音、アタリ描けたら一旦見せてね」

 

「え? そりゃ当然見せるけど……背景合わせてもらわなきゃいけないんだし」

 

「ありがとう。魅力が引き出せてなかったら描き直させるからね」

 

「はっ……はーっ?! やってあげるよっ、一発で!」

 

 きー姉の反撃、といってもきー姉自身はおそらくそうは思っておらず、ただ単に推しに使ってもらうイラストを中途半端な出来にしたくなかっただけだろう。だが意図せずして放たれたカウンターは寧音にクリティカルヒットした。打ち返そうにも、絵に関してはきー姉の言葉通り勝る部分がないので返せない。吠えつつ発奮して、これまでに蓄えていた熱をさらに滾らせて取り組む以外できない。

 

「……なんだかんだでいつも通りの面子になったなぁ……」

 

 担う役所(やくどころ)こそ変更はあったが、結局は三人全員でやることになっていた。

 

 多忙なきー姉のことなので、しっかり参加するのは今回のイラスト限定になるだろうけれど、それ以後の活動においてもたまになら協力はしてくれそうだ。心強い助っ人を手に入れた。絵のことについてだけなら、これほど安心感と安定感と実績のある人物はいない。

 

「気持ちはわかるけど、ここはジン・ラースのかっこよさを表現するよりも、彼と妹さんの関係性を強調させたほうがいいよ。彼の性格的に──」

 

「うっ、うぐっ……。わ、わかってるもん……た、試しただけだしっ……」

 

 寧音の描くジン・ラースとレイラ・エンヴィのポージングを、きー姉が隣に立って指摘する。

 

 表現方法の多彩さや細部の技巧だけでなく、構図の取り方からしてきー姉と寧音では年季が違うのだ。都度行われる指摘に、反論の余地などない。時に強がりながら、時に強がることもできずに呻きながら、寧音は描き直していく。

 

 だいぶ耳に痛いとは思うけれど、指摘されて初めて問題点を認識して自分の技術と経験に落とし込める、という場合もある。実力のあるイラストレーターにマンツーマンでレッスンしてもらっていると思えば、自分を納得させることはできるだろう。がんばれ、寧音。あたしは遠くから応援しとく。

 

「そうだ。三人揃ってるうちに聞いときたいんだけど、できた作品の投稿方法ってどうする? わざわざ開設して投稿する手間省きたいし、礼愛のチャンネルで投稿してもらう?」

 

「……なんのお話?」

 

「あ、きー姉そこまでは聞いてなかったんだね。そもそもイラストもそうなんだけど、れー姉から……お兄さんの妹でゆー姉唯一の友だちの礼愛さんからイラスト動画だったか手描き切り抜きだったか、そういうのを描いて欲しいってお願いされて、描くことになったんだよね」

 

「……わざわざ『唯一の』ってつける必要あった?」

 

「『最初で最後の』って言いたかったけど、それは踏みとどまったんだから褒めてよ」

 

「たしかにそれよりかはマシだわ……。まぁ、それで作った動画をどこで投稿するかってなったんだよね。あたしたちでチャンネル開設して投稿するか、礼愛に任せるかの二択。どっちでもいいならあたしたちは余計な手間省けるし、手慣れてる礼愛に任せちゃったほうがいいかなーって思ってるんだけど。どうせ動画編集は礼愛にやってもらうことになってるし」

 

 そう説明すると、きー姉はしばし沈黙して渋面を浮かべた。

 

「多少面倒でも、自分たちで開設した方がいいと思うよ……私は」

 

「手間だって言ってもすぐ慣れるだろうし寧音はどっちでもいいんだけど、それはどうして? なにか理由があるの?」

 

 きー姉は言いづらそうに視線を横に逸らしてから、決心したように一つ頷いた。

 

「どんな内容の動画でも、彼と妹さん……礼愛さんのやり取りを動画化するのなら賛否はどちらともつくはず。礼愛さんのチャンネルで投稿したら、気分を害するようなコメントを目にすることになる。ただでさえ精神的に負荷がかかってる今、更にストレスがかかるようなコメントを読む機会はなるべくなくしたほうがいいよ」

 

「たしかに……そうだね。はぁー、そこまで考えついてなかったなぁ……寧音としたことが」

 

「礼愛さんの時間的精神的なバッファを考慮すれば編集作業も自分たちでやったほうがいいんだろうけど……そのノウハウを持ってないからね、私たちは。せめてストレッサーを遠ざけることくらいはしておいたほうがいいと思うの」

 

「……うん。そうだね。きー姉の言う通りだ。礼愛にはこっちで開設するって伝えておく」

 

 作業内容だけでなく、依頼品を完成させた後のことまで考えを巡らせることができるのは年の功ゆえなのか、それともきー姉自身似たような経験をしたことがあるからなのだろうか。

 

 きー姉はあたしよりも大人だから。そう思いたがっている自分がいる。

 

 頼まれた物を描いてそれでお終いだと思っていた自分が、親友の置かれた立場にも気が回らない自分が、ひどく恥ずかしく、そして情けなかった。

 

「開設するんなら名前つけなきゃね! 何にする? 寧音とゆー姉のペンネームの下を繋げる?」

 

 しんみりした雰囲気を察してか、話と空気を切り替えるように寧音が提案する。

 

 寧音は生意気だし我儘だし、減らず口を叩くような可愛げのない妹だけど、こういう場面で気を利かせられるから嫌いになれない。

 

「それでいいんじゃ……あー、だめだ。サークルメンバーのところでペンネーム載せたことあるから、きー姉と関係があるんじゃないかって疑われるかも」

 

「あー……それはバレたらさらにめんどいことになりそー……」

 

「うーん……うん。こんなことに時間使うのももったいないな。もう、名前一文字ずつ取って『ゆきね』でいいんじゃない? 人の名前っぽくなったし」

 

 あたし、夢結(ゆゆ)の『ゆ』と、綺輝(きき)の『き』と、寧音(ねね)の『ね』で『ゆきね』だ。どうせなら姉妹の並び順で揃えたかったけど、どうにも難しそうだから諦めた。

 

「おー! いいね! 音の響きがかわいい! それにしよう!」

 

「で、でも、二人はいいの? 『ゆきね』ってことは……」

 

「寧音はさんせーい!」

 

「ま、そういうこと。だから、きー姉もたまにでいいから手伝ってね。もちろんお仕事優先でいいからさ」

 

「っ、うん……っ、ありがとう、夢結、寧音。ぐすっ……毎日手伝うねっ……」

 

「いや、だから……お仕事優先でね?」

 

「うんっ。お手伝いの合間にお仕事するね」

 

「ちがう、逆だよ。逆逆。優先ほうが逆になってる」

 

「はい。それじゃ、時間も限られているから早速手を動かしていきましょう。まずは構図を決めないことには始まらないからね。次のコラボ配信では、ええと……えふ、ぴーえす? っていうゲーム? なのかな? をやるらしいから、それに適した構図がいいね。寧音はまだ二人の関係性の理解が深くないから、彼と礼愛さんのことを一番理解している夢結がどういった動きなら二人のイメージと合致するかアドバイスしてあげて。寧音はそのアドバイスを骨子にして想像で肉付けしていってもらえる? 寧音は頭の中にある抽象的なイメージを形にする力は抜きん出てるから、作り上げた妄想を元にどういったポージングがいいかどんどん描いていって。こういう時はノリとテンションで手を動かすとだいたいいい感じにできるからね」

 

「おっけー! それなら得意分野だっ!」

 

 あたしの心に不穏な影だけ落として、きー姉は昂然と指示を出していった。さすがに長きに渡ってあたしたちに指示出ししてきただけあって、毅然とした態度で迅速に適切な割り当てをしていく。FPSがどういったものかはよくわかっていなさそうではあるけれど、その辺りはご愛嬌というものだ。

 

「……はぁ、まぁいいか」

 

 多少お仕事のほうが心配だが、いざとなった時にはちゃんとやってくれるだろう。趣味と仕事が『絵を描く事』なきー姉はゴミの分別もできないほど生活力がないけど、それでもちゃんと社会人として公私の分別をつけられるくらいの常識はある。

 

 さて、いざ描き始めるとなったら必要な資料がある。

 

「きー姉。たしかきー姉の部屋に鉄砲とかのモデルの図鑑ってあったよね? 貸してくんない?」

 

 あたしはあまりミリタリーというジャンルには触れてこなかったのだ。資料を見ずに描けるほど鉄砲について詳しくはない。

 

 これが推しと親友に贈る初イラスト。できるなら今のあたしにできる最高の一枚をプレゼントしたい。

 

「うん。すぐ取ってくるね」

 

「あ、それじゃついでにジン・ラースの設定資料も一緒に持ってきて!」

 

「設定資料のほうは紙媒体では置いてないから、寧音のノートPCに送るよ」

 

「あんがとー!」

 

 あたしが頼んだ鉄砲の図鑑と、夢結が必要になるジン・ラースの設定資料のデータの送信のために、一度部屋を出ていくきー姉。

 

 寧音と構図について話し合っていると、寧音のノートPCに反応があった。きー姉が設定資料を送付してくれたのだろう。

 

「おーっ! きたきたーっ!」

 

 さっそく送られてきたファイルを開く寧音。嬉々とした感情を隠すつもりもないらしい。推しの設定資料ともなれば致し方なし。

 

 あたしも礼愛を、レイラ・エンヴィを描くために全身がわかるような画像でも検索しておこう。レイラ・エンヴィの設定資料とか転がってないかな。

 

「……ふぅっ」

 

 構図は定まった。

 

 ジン・ラースとレイラ・エンヴィ、お兄さんと礼愛の関係の深さや距離感の近さ、仲の良さ、二人の性格がよく表現できていると思う。あとはこれをバランスを考えながら形作って、微に入り細に入り描き込んで塗り込んで、寧音が描くジン・ラースと、きー姉が描く背景を重ね、調和するように整える。

 

 一人で描くより余程時間は短縮できるが、せっかくの記念すべき『悪魔兄妹』への初イラスト。こだわれるところはとことんこだわり抜いて最大限にクオリティを高めたい。となると、果たしてコラボ配信までに渡せるかどうか。微妙なラインになる。

 

 いや、余計なことを考える必要はない。ただ手を動かせばいい。時間を気にするのはコラボ配信予定時間の一時間前でいいんだ。焦るのはその時でいい。

 

 寝るまでに最低でも下描きまでは片付けたい。塗りには時間をかけたいし、仕上げには嫌でも時間がかかるので、欲を張ると線画まで終わらせたいところ。この時間配分を考えると、きー姉に背景を任せられるのは本当に助かる。

 

「よしっ……がんばろう」

 

 気合を入れ直し、取り掛かる。お兄さんも礼愛も喜んでくれるイラストができるといいな。

 

 でも。それはそれとして。

 

「ねぇ……寧音」

 

「んぁ、なに?! 集中してんだから邪魔しないで!」

 

「ジン・ラースの設定資料……あとであたしにも送っといてくんない?」

 

「…………」

 

 あたしの目はディスプレイに向けられているため寧音がどんな顔をしているのかわからないけれど、きっと『うわぁ、こいつ……』みたいな癪に障る顔をしていることだろう。

 

 イラストに神経を尖らせているが、それはそれとして見逃せないのだ。あたしだって推しの設定資料を見たい。あのきー姉が心血を注いで描き上げた姿だ、舐めまわすように全身をじっくりと見たい。きー姉、設定資料の端っこのほうに上裸の落書きとか描いてくれてたりしないかな。

 

「お願いお願いお願いお願いお願い」

 

「んぅっ! ぅるさいっ! きー姉から許可がおりたらね!」

 

「よっしゃっ! これでもっとがんばれる」

 

 今のあたしは眼前に人参を吊り下げられた馬のようなものだ。つまりは、よく駆ける(描ける)

 

 目下最大の問題点といえば、テンションが上がりすぎて目がばきばきに冴えたこの状態から、眠れるくらいのコンディションにまで落ち着くのだろうか、ということだけだ。





次でお兄ちゃん視点に戻ります。


*スパチャ読み!
三剣7さん、スーパーチャット、アリガトウゴザイマァス!
Mafu@Arisuさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
pepsiさん、赤色の赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
魚野郎さん、スーパーチャット、ありがとござます!
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葵川蝉さん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!


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僕にとってだけは決して、

剣呑な空気の音。


 

『今日の配信はー……「New Tale」の悪魔兄妹! 妹のほう! 嫉妬の悪魔、レイラ・エンヴィと!』

 

「え? えっと……「New Tale」の悪魔兄妹、兄のほう。憤怒の悪魔、ジン・ラースでお送りいたしました。……で、いいのかな?」

 

『ありがとうございましたー! またねー!』

 

「ああ、よかった、これでいいんだ……。ご視聴、ありがとうございました」

 

 礼ちゃんからの無茶振りにどうにか応じ、初めてした『いつもの挨拶』を返して配信を閉じた。

 

 僕の配信中に突然、同じく配信中のはずの礼ちゃんが入ってきた時には頭の中がパニックになったけれど、慌てながらもどうにか配信の体裁は取り繕えたように思う。

 

 礼ちゃんの配信活動中の名前が『レイラ』でよかった。配信中にもかかわらず名前を呼んでしまったけれど『(れい)ちゃん』呼びなら『レイラ』を短縮しただけだと考えることもできるので問題はない。

 

 その後も脳内はわりと混乱状態になっていたが、とりあえず個人情報にかかわることを口走ったりはしていなかったはず。礼ちゃんと話しながらゲームをしていると配信を忘れそうになるので大変危なかった。

 

「……どうにかなった、のかな。……いや」

 

 どうにかなった、そう気を緩めるのは早計だ。

 

 急にコラボ配信になってしまったわけだけど、今回の礼ちゃんとの突発的なコラボの影響がどこまで波及するかは予想がつかない。

 

 後から礼ちゃんの配信のアーカイブを観て、どういった経緯で僕の配信に乗り込んできたのか確認しよう。本人は『お兄ちゃんが本当にお兄ちゃんかどうか疑われた』みたいなことをちょこっと言っていたけれど、それだけでは全然ディティールが伝わってこない。

 

 すぐにでも礼ちゃんの配信を確かめたいけど、まずは事務所の人にアポを取る。早急に報告と事情の説明をしておかないといけない。

 

 『New Tale』の勤務形態がどのようなものかは知らないが、少なくとも一般の会社員であれば今の時間は完全に勤務時間外である。そんな時間に手間を取らせることは大変心苦しい。しかもそれが面倒事というか問題事の事後報告というのだから、輪をかけて胸が痛い。

 

 口が重いし気も重いが、やらなければいけない。

 

 送ったメッセージには『方々(ほうぼう)への確認など準備がありますので、また三十分後にご連絡ください。もう少し時間が必要な場合はこちらから連絡します』と、すぐに返答があった。コミュニケーションアプリに『New Tale』との連絡窓口として登録されていた唯一の人、安生地(あおじ)美影(みかげ)さんだ。

 

 この時間だと、もしかしたらゆっくりと晩酌でも楽しんでいたかもしれない。趣味に時間を使っていたかもしれない。それなのに、本来なら負う必要のなかった心労と仕事を背負わせてしまっている。罪悪感がとんでもない。

 

 きりきりと痛む胃をさすりつつ、僕は部屋を出る。

 

 事情を説明するのに僕だけでは不十分だ。コラボ配信の当事者の片割れ、礼ちゃんも参考人として招致しなくてはならない。一緒に突発的コラボ配信の仔細を説明した上で、一緒に怒られるとしよう。

 

「……ん? 誰かと話してるのかな」

 

 礼ちゃんの部屋の扉をノックしようとしたら、中から声が聞こえた。礼ちゃんの口調がかなり砕けたものなので、お相手は夢結さんだろう。

 

 通話が終わるまでSNSやネットの匿名掲示板などを確認しながら扉の反対側の壁で待ち、終わってから扉をノックする。

 

『…………』

 

 一瞬の間を置いてから、足音が聞こえた。礼ちゃんらしくない、とぼとぼとしたような気落ちした印象のものだった。

 

 ゆっくりと、扉が開かれる。扉の影に隠れるように、礼ちゃんは半顔だけ覗かせた。

 

「あ、あの……お兄ちゃん……」

 

「いろいろ言いたいことも訊きたいこともあるのは、礼ちゃんもきっとわかってるはずだよね?」

 

「わ、私っ……お、お兄、ちゃん、に……」

 

 扉の縁に震える手をかけて、目を伏せながら礼ちゃんは振り絞るように言葉を紡いだ。

 

 いくら憐憫を誘う表情と仕草だったとしても、礼ちゃんのやり方を認めることはできない。してはいけない。

 

 事前に『New Tale』からジン・ラースには関与しないようにとの通達があった。どんな事情があれど、それを破ったことには違いない。

 

 『New Tale』に所属する配信者として、筋の通らないことをしたのだ。礼ちゃんに言い分はあろうとも、言い訳はできない。正しくない方法を自ら選択し、実行したのは礼ちゃんだ。

 

 僕たちは、個人で配信活動をしているわけではないのだ。

 

 企業に所属していて、活動を支援してもらっている。配信自体は配信者本人がやっていても、その活動には『New Tale』に勤めるスタッフさんたちも密接に関係している。礼ちゃんが問題を起こした時、バッシングされるのは『レイラ・エンヴィ』個人ではなく『「New Tale」所属のレイラ・エンヴィ』だ。問題を起こした時に向けられる不信の目は、個人だけでなく事務所にも向けられる。

 

 礼ちゃんの行いは多くの関係者に、主に『New Tale』のスタッフさんたちに多大な迷惑をかけるだろう。ただでさえ僕のせいで増えている余計な仕事をさらに増やすことになる。連日問題を起こされれば、スタッフさんたちもいい気はしないだろう。というか、いい気なんてするわけがない。嫌な気分にしかならない。仕事を片付けている最中に仕事を追加される、あの名状し難いもやもやとした感情は僕にも覚えがある。

 

 もちろん、礼ちゃんに悪意はなかっただろう。スタッフさんたちを困らせてやろうなんていう気持ちは一欠片たりともなかっただろう。

 

 だとしても、悪意があろうとなかろうと、問題を起こしたことには変わりがない。過ちを認め、誠心誠意謝罪して、礼ちゃんはこれからは信頼回復に努めなければいけない。

 

 その事実だけは有耶無耶にはできない。しっかりと受け止めて反省しなければいけない。

 

 けれど。

 

「企業に所属する人間として、やっちゃいけないことをした。そのことについて言わなきゃいけないことはたくさんあるけど、それらは一度棚上げして……僕は自分勝手なことを言わせてもらうよ」

 

 正しい行為では、なかったけれど。

 

「っ……。は、はい……っ」

 

 正しい行為ではなかったけれど、たった一人。

 

 僕にとっては。

 

「……ありがとうね、礼ちゃん。配信、とても楽しかったよ」

 

 僕にとってだけは決して、間違いではなかったんだ。

 

「えぅっ……な、え?」

 

 痛々しいくらいに体を縮めて俯いていた礼ちゃんを、包み込むようにして抱き寄せる。つむじに顔を寄せ、僕は感謝を伝えた。

 

 礼ちゃんのやり方は、どうあっても正しいとは言えない。多くの人に迷惑をかける行為だった。

 

 でも僕は、礼ちゃんのその正しくない行為のおかげで初めて配信中に楽しい(・・・)と感じられたのだ。

 

 初配信から今日の配信で礼ちゃんが部屋に突撃してくるに至るまで、僕はずっとどうすればこれ以上事態が悪化しないか、配信の時間中どう凌ぐか、どうすれば他のライバーさんに迷惑をかけないか、そんなことばかりを考えていた。ゲームのことなんて二の次だった。

 

 無言にならないようにしただけの上辺だけの実況で、間伸びした配信にならないことだけを意識したプレイで、コメント欄を無視していると思われないよう都合のいいコメントだけを拾って。そんな気もそぞろな、地に足がついていない上滑りするような配信だった。

 

「配信時間があっという間だった。リスナーさんといろんなやり取りができて嬉しかった。余計なことは何も考えずにいられた」

 

 針の筵の中でゲームするのとはわけが違う。

 

 礼ちゃんと一緒に配信をした今ならわかる。

 

 これまでの配信がどれだけ味気なく、どれほど空虚なものだったかが、とても実感できた。

 

 モノクロだった世界が色で溢れるような、僕にとってはそれくらいに劇的な変化だった。

 

 僕は配信中、時間を忘れるくらい夢中で楽しんでいたんだ。楽しめていたんだ。

 

「すごく、楽しかったよ。Vtuberに誘ってくれた時、礼ちゃん言ってたよね。楽しいって、きっと楽しくなるって。本当だったよ。とっても楽しかった」

 

「わ、わだっ、私……ひっく……うぐっ。ぐすっ。わ、私……ずっと……っ。謝らなきゃってっ……わ、たしがっ……」

 

「謝ることなんて何もないよ。僕はとっても楽しかった。ありがとうね、礼ちゃん。誘ってくれて」

 

「ぅあっ……ああぁっ」

 

 堪えていたものが決壊したように、礼ちゃんは声を押し殺すこともできずに泣き出してしまった。しがみつくように、縋りつくように、僕の背中に手を回す。

 

 ずっと、礼ちゃんは気にし続けていたのだろう。僕をVtuberに誘ったことを気にして、気に病んでいたのだろう。僕が炎上させられているのを見ていて、それでいて誘った自分は無関係かのように被害を免れていることに負い目を抱いていた。自罰感情に苛まれていた。

 

 どうにかしなければいけないという使命感が、追い立てられるかのような焦燥感が、僕に対する罪悪感が、真綿で首を絞めるような自己嫌悪が、慚愧の思いが、自責の念が、悔恨の情が、礼ちゃんの心を蝕んで精神的視野狭窄を誘起させ、他人の迷惑を顧みない行動に走らせてしまったのだろう。

 

 だとしたら、やはり悪いのは礼ちゃんだけではない。思い悩んで行動を起こしてしまったのは礼ちゃんだが、そこまで思い悩ませてしまった原因は僕にある。ならば、責任も二等分だ。

 

「これ、からはっ……ぐすっ、ひっく……おに、ちゃ」

 

「ゆっくりでいいよ」

 

 ようやく礼ちゃんが落ち着きを取り戻してきたらしい。まだ声は不安定に揺れているが、喋ることはできるようになってきた。

 

「ん、うんっ……。すぅ、はぁ。……これからは」

 

 僕の服は依然として握りしめながら、泣き腫らして赤くなってしまっている瞳をこちらに向けた。

 

 ふにゃ、と安心しきった幼子(おさなご)のように、がんぜない無垢な笑みをこぼした。目の端に溜まっていた雫が、(まぶた)に押されて頬を伝った。

 

「これからは、いっしょだからね……おにいちゃん」

 

「……うん、一緒だね。よろしくね、礼ちゃん」

 

 小さい子どもにするように腕の中に抱きとめながら礼ちゃんの頭を撫でれば、喜んでいるのかむず痒く思っているのか、礼ちゃんは擦り付けるように僕の胸に顔を押し当てた。

 

 

 

 *

 

 

 

「お兄ちゃんのマネージャーって安生地さんだったんだね。私と一緒だ」

 

「マネージャー……というよりは、なんだろう……連絡役みたいな、相談窓口みたいな感じになってるけどね」

 

「相談窓口?」

 

「そう。もちろん業務連絡みたいなメッセージも送られてくるけど、それ以上に配信がストレスになってないかとか、SNSで度を過ぎている誹謗中傷などがなかったかとか、メンタル面について気遣ってくれてるんだよ。ストレスだと感じていなかったとしても少しでももやっとした出来事があれば相談してって、それはもう親身になってくれてるよ」

 

「……へえ。まあ、安生地さんはお仕事に真面目で厳しいからね。配信者とスタッフっていう立場の違いはあっても、仕事仲間には気配りと心遣いを忘れないとても真面目な人だよ」

 

「そうだね。とても真面目な人みたいだ。いつもなら安心できるところだけど、今は不安でしかないね。とてもしっかりと怒られそうで」

 

「……悪いのは私だけなんだから、お兄ちゃんはいいんだよ? 私一人でお話するし」

 

「今更そんなこと気にしなくていいんだよ。僕が相手だったから礼ちゃんはリア凸……だったっけ? それをしたわけなんだから、結果的に行動を起こしたのが礼ちゃんでも、原因は僕にある。つまり責任はお互いにあるってこと」

 

「……はあ、お兄ちゃんはまったくもう」

 

 囁くようにそう言って、礼ちゃんは背もたれ(・・・・)に体を預けた。

 

 礼ちゃんの部屋で少しお話した後、僕は『New Tale』のスタッフさん、安生地さんに事の顛末を説明しなければいけないことを礼ちゃんに伝え、一緒に僕の部屋まで来てもらった。

 

 安生地さんとの通話にはコミュニケーションアプリを使用する。

 

 相手からの音声はスピーカーから出力すればいいけれど、こちらから音声を送るのに少々問題が生じた。僕が持っているマイクが単一指向性(カーディオイド)タイプなので、礼ちゃんの声が入りにくい恐れがあった。説明が長時間に及ぶことも想定すると聞こえやすさの面が若干気がかりになる。とはいえリア凸してきた時みたいに椅子の横に無理やり座るのは、短時間ならともかくずっととなると、華奢な礼ちゃんとはいえ二人では窮屈だ。

 

 ということで、僕が椅子の上であぐらをかき、その僕の上に礼ちゃんが座るという、二人羽織チックなスタイルになった。ちなみに礼ちゃん発案である。

 

 たしかにそれならマイクも声を拾いやすいかも、と頷きはしたけれど、このスタイルだと結局話が長時間になると僕は疲れるのでは。いくら礼ちゃんが軽いといっても、人ひとりをずっと乗せ続けるのは無理があるような気がしないでもない。

 

 まあ、僕を背もたれにする礼ちゃんがどこか嬉しそうなので何もかもどうでもいいけれど。どれだけ足が痺れようが、後になって足が痛くなろうが関係ない。今礼ちゃんが嬉しそうなのが何よりも重要なのだ。

 

 ともあれ、そういうふうにセッティングされ、いざ怒られに行こうかというところである。

 

「じゃあ、安生地さんにかけるよ」

 

「うん、謝らなくちゃね。お兄ちゃんとコラボ配信したことについては」

 

 妙な言い回しをする礼ちゃんに首を傾げるが、すでに通話ボタンを押してしまっている。今はそちらに集中だ。

 

 拍動を加速させるような気まずい数回のコール音のあと、接続された。

 

『はい、安生地です』

 

「この度は多大なるご迷惑をおかけいたしまして、大変申し訳ございません」「すいませんでした」

 

『音が完全に重なっていて内容が聞こえませんでしたが、謝罪していることはわかりました』

 

「……重ね重ね申し訳ありません」「すいません」

 

『構いません。それよりも、謝罪で時間を浪費するのは合理的ではありません。今回の件の説明をお願いします』

 

 謝罪もそこそこに安生地さんは話の先を促した。

 

 その様子に淡白さというか、冷たさのようなものを感じたけれど、僕たちのしでかしたことを考えれば致し方なしというものだ。なんならこちらは第一声に怒号を浴びせられても文句を言えない立場である。

 

 ただ、それを踏まえても一つだけ。一つだけ気になる。

 

 事務所に行った時や業務連絡を除くメッセージでのやり取りでは安生地さんは僕に対してわりとフランクな言葉使いだったのだが、その言葉使いが初対面時のそれに戻ってしまっていることがとても引っかかっている。炎上しているくせに事務所の意向まで無視して動く厄介者として失望されてしまったのだろうか。だとしたらかなりショック。

 

「……はい。なぜコラボ配信という形になったかは、妹のほうから話してもらったほうが経緯を追いやすいと思いますので、妹から。礼ちゃん、いい?」

 

「ん、わかった。……それでは最初から話しますね。まず私が配信中にデビューした四期生について触れて──」

 

 そこからはしばらく僕も安生地さんも言葉を挟むことなく、礼ちゃんが一人で語った。

 

 デビューした四期生について触れ、四期生で不本意ながら目立つことになってしまった僕の話題になり、そこで早々にジン・ラースは兄であると明かしたらしい。

 

 コメントでは祝福の言葉を送られたそうだ。実際に祝いと称してスーパーチャットも贈られたのだとか。さすがは訓練されている眷属さんたちである。レイラ・エンヴィの古参リスナーであればあるほど、レイラ兄の話はよく存じている。

 

 最初は楽しく眷属さんたちとコメント欄でやり取りしていたが、徐々に棘のあるコメントが目立ち始めた。おそらくは掲示板かSNSにでも情報が拡散されて、外部の人間が配信に訪れたのだろう、と礼ちゃんは推測していた。実際その通りだと僕も思う。通常の配信とは同時接続者の数が──今その瞬間に何人が配信を視聴しているのか、という数字の増加推移があまりにも異なっていたようだ。

 

 いつもは礼ちゃんの配信を視聴していない層が訪れて、僕の配信でもあったように事実無根な世迷言を吹聴していたそうだ。

 

 しばらくは適切に対処していたが、その中で見過ごせないコメントがあった。それというのが、僕の部屋に突撃してきた時にちらとこぼしていたもの。

 

「ジン・ラースが本当にお兄ちゃんかどうか疑ってるコメントが来たんです。彼氏がいても兄妹って言ってれば通るのか、とか、本当に家族かどうかなんてわからない、とかって。それ見て頭に血が上りました」

 

 本当にジン・ラースが兄かどうかを証明するために、配信中にリア凸なるものを断行した、という言い分だった。

 

 なるほど、話に筋は通っている。

 

 つい先日デビューした事務所の後輩にあたる四期生に触れるのは、何も違和感はない。逆に触れないほうが、あえてその話題を避けていると感じさせてしまってリスナーに不信感を与えるだろう。

 

 そして四期生の話を進めていけば、唯一の男で絶賛炎上中のジン・ラースの話に辿り着くのは当然の帰結だろう。真っ先に触れるか、一番最後に触れるか、違いはそれくらいしかない。四期生に触れた時点で遅かれ早かれ俎上(そじょう)に載せることになるのは決まりきっていた。

 

 レイラ・エンヴィの配信を好んでいるリスナーであれば、礼ちゃん自身が以前配信中に兄をVtuberに誘ってみると発言したことについても記憶しているはずだ。もしかして、と期待して『ジン・ラースはお嬢のお兄さんなの?』という旨のコメントを送るリスナーは、人数の多寡はあれど確実にいることだろう。

 

 ジン・ラースは前々から話していたお兄さんなのか、と眷属さんから問いを投げかけられ、礼ちゃんは肯定した。そこにも問題はない。

 

 配信中にリスナーから質問された場合は嘘偽りなく答えるように、という通達が『New Tale』からあった。

 

 『New Tale』に所属する他のライバーさんたちは僕のことを全く知らない、一切の関わりがないからこそ使えるやり方。ファンを安心させかつ、訊ねられたライバーさんにも嘘をついたり誤魔化すといった心労を与えることなく答えづらいコメントを処理できる有効な手段だった。

 

 しかし、礼ちゃんだけは例外だ。『New Tale』に所属するライバーの中で唯一の僕の関係者。妹である礼ちゃんは『嘘偽りなく答えても良い』という事務所からの通達を他のライバーさんたちとは異なるニュアンスで受け取ることもできる。

 

 つまりは、正直に兄妹であることを明かすのは、事務所から許可が出ていたようなものなのだ。文言をかなり曲解してはいるけれど。

 

『……そう、ですか……』

 

 礼ちゃんの弁明を聞いた安生地さんは言葉を探しているようだった。

 

 確かに指摘はしづらいだろう。頭に血が上ってリア凸という短慮を働いたことは間違いなく礼ちゃんの不手際だったが、その前段階については事務所側の落ち度も含まれる。礼ちゃんの主張にも三分の理はある。

 

 でもそれでは、筋は通っていても、理は通っていても、義は通らない。

 

「礼ちゃん、嘘は駄目だね」

 

「…………」

 

 こうして真摯に対応してくれて、真っ向から向き合って話をしようとしてくれている安生地さんに対して、これではあまりにも不義理で不誠実だ。

 

『ひと……恩徳さん? あの……嘘、とはどういう?』

 

「頭に血が上った、というのは建前だということです。礼ちゃんはそういう、煽るようなコメントが来るだろうことを予想していた。予想して、望んでいた。レイラ・エンヴィは怒りで冷静さを欠いたことによって配信中の兄の部屋に突撃した、そう周囲から思われるように仕向けた。そうだよね、礼ちゃん?」

 

 身動ぎもせず、ただ正面だけを見据えながら礼ちゃんは僕に答える。

 

「自分の発言でリスナーがどういう反応を見せるか想像もできないで、配信者はできないよ。まあ、あそこまで狙った通りに進むとは思ってなかったけどね。おかげで時間巻いちゃったよ。イレギュラーがあっても調整できるように時間には余裕を持たせてたんだけど必要なかった」

 

 平然と、淡々と、まるで薬品で漂白しきったような声で礼ちゃんはそう語った。

 

「そうだよね、全部簡単に想像できることだしね。都合の悪いコメントが来たところで拾わないこともできる。兄かどうか疑うコメントがあっても、それは判断力を失うほどのものじゃない。すべては、リア凸しに行くまでの口実でしかない。こじつけのように見えなくするために段階を踏んで、きっかけになるようなコメントを選びはしただろうけど」

 

「おー、さすがお兄ちゃん。観てたのかと思うほどその通りだよ。でも、相手が女だからなのか、それとも『New Tale』の脅しが意外に効いてたからなのかはわからないけど、お兄ちゃんの配信の時みたいな人格否定や度が過ぎる誹謗中傷はなかったね。そういうのがあったら開示請求に持っていこうかと思ってたんだけど、当てが外れちゃった」

 

「『New Tale』からの通達を言質にして逃げ道を確保してたのは周到だなって感じたよ」

 

「ジン・ラースはお兄ちゃんだってことをリスナーに教えるところまでは事務所公認だからね。お兄ちゃんの話をしてたら荒らしに酷いこと言われて、それで感情的に動いちゃった、って筋書きなら同情の余地があるんじゃないかなって。兄妹の証明のついでに事務所からの憐憫も拾っておこうかと思ったけど、さすがにここまで説明しちゃったらお兄ちゃんにはばれちゃうよね」

 

『な、なぜ……こんなことを?』

 

「『なぜ』というのはどの部分について言ってます? 『こんなこと』ってどういう意味ですか? その問いの意図はなんですか?」

 

 おそるおそる礼ちゃんに問い掛けた安生地さんに対して、礼ちゃんははっきりと返した。迷いなく突き放していくような辛辣な語調だった。

 

 礼ちゃんから衝撃的な真相を打ち明けられ、戸惑いながらこぼした言葉に間を置かずに切り返された安生地さん。動揺してしまったのか頭が回らないのか、言葉を失い息を呑む。

 

 しばし待っても答えがなかったので、仕方がないと言わんばかりに嘆息して礼ちゃんが口を開く。

 

「なぜ兄妹ということを明かしたのかという意味でしたら、まず私とお兄ちゃんの関係を明確にしておかなければこの先コラボする度に杞憂されたりアンチが湧いたりしてやりにくいからです。兄妹であることを明らかにするには今が最適でした。証明するのに絶好のタイミングだった、それだけです。なぜコラボ配信をしたかという意味でしたら、まず大前提にお兄ちゃんと一緒に配信したかった、というのが一つ。もう一つに、このまま傍観していたところでお兄ちゃんを取り巻く環境が何も改善されないからです」

 

『それは……それは、違います。『New Tale』のライバーが恩徳さんに絡みに行けば、荒らしている人たちは恩徳さんにも、恩徳さんに絡みに行ったライバーにも誹謗中傷行為を働くだろうという考えから……』

 

「そういうっ……っ! もういいです。続けます」

 

 一瞬語気を荒らげた礼ちゃんは、小さく息を吐き、調子を平坦で冷淡なそれに戻した。

 

 安生地さんでは、おそらく気づけない。

 

 礼ちゃんの声をずっと聞いてきた僕くらいになるとすぐにわかるのだけど、礼ちゃんはずっと感情を押し殺すよう努力して喋っている。そうしないと今度こそ本当に頭に血が上ってまともな会話ができなくなるとわかっているから。

 

 礼ちゃんが落ちないように腰に回している手が、礼ちゃんの体に力が入っていることを伝えてきている。堪えるように、体が震えるくらいに力が入っている。そうまでなるくらいに、礼ちゃんにとっては耐え難いことなのだろう。

 

 これは、礼ちゃんの感情の問題だ。

 

 たとえ僕が宥めたとしても、それでは根本的な解決にはならない。僕が宥めてしまえば、そこで礼ちゃんは我慢してフラストレーションを溜め込んでしまう。心に負荷がかかったままになってしまう。安生地さんには申し訳ない限りだけれど、僕はここで礼ちゃんを制止することはできない。

 

「今日のコラボ配信でどうして次の予定まで立てたのかというと、今回の配信を足掛かりに環境自体を一気に変えるためです。受けはいいだろうとはある程度想定していましたけど、その想定を超えて反響が大きかった。この機会をむざむざ逃す理由はありません。そのために信頼できる知り合いに仕事の依頼もしています。『悪魔兄妹』というブランディングで売り出す方針です。これ自体は難しいことではありません。私とお兄ちゃんが自然体で配信していれば勝手についてきます」

 

『……違います。「なぜ」というのは……どうして我々に一度相談してくれなかったのかという……』

 

 結果的に言えば、安生地さんのその発言が引き金になったのだろう。

 

 ぴしり、と空気が軋む音を聞いた。礼ちゃんの体から陽炎のように怒りが立ち込めるのを幻視した。

 

「これではわかってもらえませんか? 本当にわかりませんか? わかっているのにあえて訊いてるんですか? はっきりと口に出したほうがいいですか?」

 

「礼ちゃん」

 

 矢継ぎ早に問い詰める礼ちゃんへ、一言だけ声をかける。

 

 礼ちゃんを止める意思は僕にはない。

 

 ただ、せめて言葉を選ぶくらいの配慮はしてほしいと思い礼ちゃんの名を呼んだけれど、そこにすら気を回せないほど限界にきているようだった。

 

「ごめん、ごめんなさい……お兄ちゃん。我慢できない。これ以上は、耐えられない。……ねえ、安生地さん」

 

 どうにか心を落ち着けようと荒く息を継ぐも、それでも収まらない。硬く握り込んだ拳は皮膚を裂いて血が出そうなほどだ。もしかしたら、こうなった時の自分の顔を見られたくなくて、礼ちゃんはこんな二人羽織みたいな座り方を提案したのだろうか。

 

『……はい、なんでしょうか』

 

「先に……伝えられるうちにこれだけ伝えておきますね。私は、安生地さん個人に敵意を抱いているわけではありません。そこははっきり言っておきます。あと事務所からの通達を無視してコラボ配信したことについてだけは改めて謝ります。配信上でお兄ちゃんに関わるなという指示を破ったことは、言い逃れのしようもないです。なんらかのペナルティがあるのなら甘んじて受けます。すいませんでした」

 

『はい』

 

「でも私は、先にそちらから仕掛けてきたと思っています」

 

『…………』

 

「なぜ相談しなかったのか? 決まってるじゃないですか。信用してなかったからですよ」

 

『……それ、は』

 

「なぜ信用されていないか、もしかしてそこもわかりませんか? なら丁寧に説明してあげようか?! お兄ちゃんを(てい)のいいスケープゴートにしたからだッ!」

 

 爆ぜるように苛烈な語気だった。これまで最低限の礼節を取り繕っていた理性のベールは取り払われ、剥き出しの怒りが表出している。銃口から銃弾が飛び出すような勢いで、礼ちゃんの口から糾弾の言葉が吐き出された。

 

 今回のコラボ配信に関して、今でも僕は礼ちゃんには悪意はなかっただろうとは思っている。『New Tale』のスタッフさんたちを困らせるつもりはなかっただろうし、問題を起こしてやろうとも思っていなかっただろう。そういった明確な悪意は存在していなかった。

 

 積極的な悪意ではない。決して意図したものではない。

 

 しかし、行動した結果もしかしたら困らせてしまうことにはなるかもしれないな、とは考えついた上で、まあそうなったらそうなったで仕方がないか、と判断し実行したのだ。

 

 悪意はなかった。けれど未必の故意ではあったのかもしれない。

 

『あ、あの対応を取った事情を説明させてもらえませんか? 私たちは、いち早く事態を終息させるために……』

 

「わかってるよそんなことは!? 炎上する人を限定する、他の人に可能な限り影響を及ぼさないようにする、そのまま静かに耐えて荒らしが飽きるのを待つ……っ、被害を最小限にしようとしたってことでしょ?! わかってるッ! 全部わかってんだッ! 馬鹿にすんなあッ! そんなやり方を提案する人に心当たりもある! どうせ事務所で話し合いした時にでもお兄ちゃんがそれを提案したんでしょ?! どう?! 違う?!」

 

『……失礼しました。礼愛さんの言う通りです。炎上騒動の発生前に、恩徳さんから件の女性Vtuberが男女関係で炎上するかもしれないと報告がありました。その時から動向を見つつ、いざという時に備えて恩徳さんを含めて事務所の者と対応を協議していました。……言い訳のように思われるかもしれませんが、その段階でもさすがにしばらくはコラボなどは控える方針でしたが、もう少し他のライバーとコミュニケーションを取れる想定でした。ただ、四期生のデビュー目前という最悪のタイミングで状況が悪化したことで、より厳しい対応に変更せざるを得なくなりました』

 

「それで生贄を立てたってこと? あはっ、あはは! それはとっても合理的だ! 『New Tale』のライバー全員が関わってお兄ちゃんを守って居場所を作るより、尻尾を切り落としたほうがマイナスは減らせるもんね? デビューしたばっかの男性Vtuber一人に炎上を限定すれば一番傷が浅くなるもんね? 他の四期生の子たちや、それより上の先輩たちってなったら損が大きくなるもんね? そりゃあ関わらせないようにするよね? あははっ、損切りってそういうものだもんね?」

 

『ちが、私は……っ。いえ…………結果的にそうなってしまったことについては、申し開きもありません』

 

「礼ちゃん。僕が提案したのは礼ちゃんの予想通りだよ。でも最終的に決めたのも僕なんだ。『New Tale』の人たちは心配してくれたし、止めてくれたんだよ。それでも僕が強行したんだ。『New Tale』の人たちも、もちろん安生地さんも悪くない」

 

 なるべく余計な口は出さないようにしてきたが、さすがにここでは注釈を入れなければいけないと判断した。

 

 件の男女Vtuberからの貰い火についての対応は『New Tale』側が僕へと一方的に押しつけたのではない。僕が案を出して『New Tale』の人たちもそれを認めた。結果としてはそうだが、誹謗中傷に晒されることになるというのはちゃんと忠告してくれたし、そこからもいろいろと気を回してくれていた。負担にならないよう配慮してくれていた。

 

 その点は、誤解がないように伝えておかなければならない。

 

 しかし、礼ちゃんには言うまでもないことのようだった。

 

「わかってるそんなことはッ! 黙ってて!! どうせお兄ちゃんならそんな対処法を考えるってわかってた! でも私は! 私はっ……のん気に、安心してた……っ。わたし、は……っ、にゅーているの人なら……っ」

 

 礼ちゃんは声を詰まらせ、腰に回していた僕の腕に震える手を添えて 項垂(うなだ)れた。

 

 僕の手に、ぽたりぽたりと雫が滴った。

 

「お、おにいちゃんがっ、そういう……ぐすっ、一人だけ、つらい思いをする、やりかたをっ……とめてくれるって……ひっく。にゅーているの、ひとたちならっ……し、しんじて、たのにぃっ……っ」

 

『っ…………』

 

「礼ちゃん……」

 

「ぐすっ……んっ。『New Tale』から届いたメッセージを読んだ時、私は間違えたんだって思った。学校を休んででも、お兄ちゃんと事務所の人との話し合いに、私も参加すべきだった。参加して、絶対ダメだって止めなきゃいけなかった。信じるべきじゃなかったんだ。お兄ちゃんのことを心から案じてくれる人は、その場には誰もいなかったんだから。誰も、お兄ちゃんを守ってくれる人はいない。お兄ちゃんと同じ立場に立ってくれる人は、誰もいない。だから……それなら、私が……お兄ちゃんを誘った私が、お兄ちゃんの隣に立つって決めたんだ。隣で一緒に歩くんだって……そう決めたんだよ。ねえ、安生地さん。私、間違ってるかな? 私のしたことって、そんなにおかしいのかな?」

 

『それは……ここでは、私からは……』

 

「私は間違ってない。指示を無視して動いたことを悔やんでないし反省もしてない。誰がなんと言おうと、私は正しいことをした」

 

『っ……は、反省してないというのは、問題発言です。……頭に血が上ったことで事務所の指示を忘れてしまっていたのならまだしも、反省しないというのは問題があります。……その点だけは、撤回を』

 

「……撤回? しないよ。同じようなことが起きれば、私は何度でも同じことをするよ」

 

『撤回を』

 

「……ねえ。ねえ、安生地さん。私、コラボ配信するって決まった時、VC繋ぐためにお兄ちゃんのコミュニケーションアプリを見たんだ」

 

『……そ、それが、どういう?』

 

「先輩どころか同期のIDすら登録されてなかった。リストにあったのは、安生地さんのアイコンが一つだけ。……こんなこと、あっていいの? これが本当に正しいの? 正しいって、胸を張って言えるの?」

 

『っ……それ、は……』

 

「一番矢面に立たされてる人が、一番蔑ろにされている。どれだけ酷いこと言われても、言い返さずに黙って耐えなきゃいけない。たった一人で、一人っきりで、惨めで心細い思いをさせられる。まったく楽しくない辛くて苦しいだけの時間を強いられる。これが間違ってないことだって、本当に言えるの? 正しい対応だったって、今でも本当にそう思ってるの?! ねえ! 答えてよ! 私のしたことが間違いだって言うんなら! 一人孤独に痛みを我慢する配信が正しいんなら! そう答えてよ! 答えてみろよッ! あんたたちにはッ、その責任があるだろッ!!」

 

『ぁ…………っ』

 

 安生地さんは、礼ちゃんの慟哭に応えることができなかった。

 

 安生地さんの出した沈黙という回答を、僕は非難するつもりはない。

 

 事務所側から見れば、主な被害を僕一人で抑えるという選択は正しかった。どういう状況であろうと、企業というものは存続のために利益を出し続けなければいけない。働いている人間の生活を守る義務があるのだから、損害が発生するのならその出血を最小限にするのは当然のことだ。

 

 『New Tale』の対処は正しかった。

 

 だからといって、礼ちゃんの考えが間違っているとも言えない。

 

 礼ちゃんの側に立ってみると、事務所の対応は義務を放棄した冷血なもののように見える。身内が謂れなき理由で理不尽にバッシングされ、本来守るべき立場である事務所からは見捨てられた、ようにも見方によっては見える。礼ちゃんの言葉を借りればスケープゴートにされたのだから、事務所の残酷なやり方を咎めたくなる気持ちもわかる。

 

 礼ちゃんが抱えた怒りも、筋違いとは言えないものだった。側面の一つとして見れば、非合理の一言で切って捨てることはできない。

 

「……答えはない、か」

 

『っ……』

 

 答えなんて出ない。それもそのはず、全ての問題が綺麗に解消される答えなんてものは、最初から存在しないのだから。

 

 二つの意見はそもそもスタート地点から対立している。視点の乖離、価値観の相違、立場の差異、優先順位の不一致。何もかもが、お互い対極の位置に置かれていた。

 

 話し合いの席に着いた時点で、向かい合いはしていなかったのだ。前提から誤っているのだから、分かり合うことなんてできない。

 

「言葉もないのか、それとも(だんま)りが答えなのか……もうどっちでもいいや。私からは以上です。そちらは?」

 

『……私からも、ありません』

 

「それじゃこれで終わりでいいですよね。あ、そうだ。私の処分はどうなります?」

 

『……事務所には、礼愛さんが仰っていた「建前」のほうを伝えておきます。対外的に処分は下されるでしょうが、注意程度に留まるかと』

 

「そうですか。別に減給でもいいですよ。配分の変更でも、活動停止でもなんでも」

 

『そのような罰則は「New Tale」にはありません』

 

「へえ、そうだったんですか? 罪のない人を生贄にする罰則はあるのに?」

 

『……そのような、ものも……』

 

「ええ、ないでしょうね。それは罰則でも規則でもなんでもない『New Tale』の通常通りの対応ですもんね」

 

「礼ちゃん」

 

「……私が言いたかったのは、私たちの邪魔をしなければどんな処分でもいいですよってことだけです。それではこのあたりで通話切らせてもらいますね。失礼します」

 

『あの、礼愛さん……わ、私たちは……っ』

 

「安生地さん、本当に申し訳ありません。妹には僕から言っておきますので、またいずれしっかりと言葉を交わす機会を作りましょう。気持ちに折り合いをつけるには冷静になる時間が必要なようです」

 

『お、恩徳さん……わ、たし……』

 

「勘違いしないでほしいのですが、妹も『New Tale』の対応が間違っているとは思っていません。妹は僕が……身内がこういうことになって熱くなってしまっているだけです。僕も『New Tale』の対応は間違っていないと思っています。僕は自分の立場にも『New Tale』の対応にも不満はありません」

 

『い、いえ、あの……はい』

 

「今日は勝手な真似をしてご迷惑をおかけしました。夜遅くに手間とお時間を取らせてしまい大変申し訳ありませんでした。そして丁寧な対応と過分な配慮、感謝いたします」

 

「迷惑かけるのは今日だけじゃないけどね」

 

「礼ちゃん。礼ちゃんの意を汲んで僕はなるべく口を挟まずにいたけれど、これ以上言うようなら僕は礼ちゃんを叱らないといけなくなる」

 

「うっ……ううーっ!」

 

 体を横に向け、唸りながら礼ちゃんは僕の懐で丸まった。足に負担がかかっているが、黙ってくれるのなら願ったりだ。

 

「安生地さん。この度の失礼な言動の数々について改めて、そしてこれからもご迷惑をおかけしてしまうことを謝罪します。大変申し訳ありません。近々直接お詫びに伺わせていただきたく思います」

 

『……ぁ、はい。いえ、気にしなくても……大丈夫、だから。ぜんぜん、あの……はい』

 

「それでは、失礼します」

 

『はい……。…………ごめん、なさい……っ』

 

 安生地さんが喋り終えるのを待って通話を切ろうとしていたが、僕が通話の終了ボタンを押すその寸前、安生地さんが一言、謝罪を付け足した。もしかしたら、僕に聞かせるつもりのない言葉だったのかもしれない。

 

 『New Tale』に勤めていて、現在抱えている問題について対応している人間が、それを口にしてはいけない。その言葉だけは、口にしてはいけない。

 

 これまでしてきたことが間違いだったと認めた、そう捉えられてしまいかねない発言は、内心でどう思っていても慎むべきだ。指示通りに動いた者の不安を煽りかねない。

 

 幸い、僕はそんなことで揺らぐような精神構造をしていないし、礼ちゃんはすでに『New Tale』の対応は適切なものではなかったと決めつけている。不安感に苛まれるような常識的な人はこの場にはいなかった。

 

「ねえ、礼ちゃん」

 

「…………」

 

「ちょっと言葉が過ぎたんじゃないのかな」

 

「ぐすっ……やめてよ。慰めてよ、お兄ちゃん。私だって、わかってるもん……」

 

 服を掴んで、礼ちゃんはまたぐずり始めた。

 

「それだけのことを、悪くない安生地さんに吐き捨てたわけだからね。気持ちはわからないでもないけど、少し考えなしだったね」

 

「ひどいよ、やさしくしてよ……。なんで私あそこまで言っちゃったのかなあ……安生地さんが悪いわけじゃないことはわかってたはずなのになあ……」

 

「礼ちゃんの理屈で言えば、裏切ったのは『New Tale』であって安生地さんじゃないからね」

 

「『New Tale』の人たちだって、どうせお兄ちゃんの手八丁口八丁で言い包められただけだろうし、炎上してるのは『New Tale』のせいじゃないし……。ああもう、ほんと……自分が嫌いになる」

 

 よく僕のことを理解している礼ちゃんは、僕が言う前からわかっていたようだ。

 

 『New Tale』の人たちは最終的に認めたとはいえ、最初は僕の提案に後ろ向きだった。安生地さんに至っては最後の最後まで反対していた。そこを僕が詭弁と正論と屁理屈を捏ね合わせ、言葉巧みに説き伏せて、代案がなかったことをいいことに強引に決定まで持って行ったのだ。

 

 決まってもなお、安生地さんは納得していない様子だった。代わりに出せる対処法が思いつかなかったから渋々退くしかなかった、という様子だった。

 

 だから、なのだろう。礼ちゃんの激発するような語勢に気圧され、安生地さんは反論ができなかった。自分の判断が、『New Tale』の判断が正しいと、そう胸を張って断言できなかった。意表を突かれたからではない、図星を突かれたからこそ戸惑って思考が鈍った。自信がなかったからこそ舌が鈍った。

 

 安生地さんもまた、僕と同じくらいに辛く苦しい立場に立たされている。

 

「安生地さん……許して、くれるかなあ……。だめだろうなあ……仲良くなれてきたと思ってたのになあ……っ。でもっ、どうしても止められなかった……ぐすっ、許せなかったんだもん……っ」

 

 僕の胸に顔を押し当てるようにして、礼ちゃんはさめざめと涙を流した。

 

 礼ちゃんが配信活動を始めたのはもう二年以上前になる。その最初期からマネージャーに安生地さんがついていたかどうかは聞いていないけれど、僕と違って礼ちゃんは安生地さんと長い間一緒にやってきた。

 

 そんな人に、止むを得ない事情があったからとはいえ、修復できないかもしれないレベルの亀裂を入れてしまった。もう少し時間をかけた穏便なやりかたもあったろうに、感情的になって、厳しい言葉を投げつけたのだ。感傷的にもなるだろう。

 

「涙、止まってくれないかなあ……っ、うくっ、ひっぐ……っ。また夢結に心配かけちゃうよ……ぐすっ」

 

「礼ちゃん、動くよ」

 

「すんっ……んえ?」

 

 礼ちゃんの返事を待たずに抱き上げる。

 

 足の痺れを堪えながら礼ちゃんを横抱きで抱えてベッドまで運ぶ。

 

 その隣に、僕も横になった。

 

「今日は疲れた。もう寝る」

 

「うん。……うん?」

 

「いろいろやり過ぎた罰として、礼ちゃんは抱き枕ね」

 

「……うん」

 

 寝転んでいる礼ちゃんに、礼ちゃんの部屋にあるそれとは色違いのキルトケットをかける。

 

 ヘッドボードの宮棚に置いているリモコンで照明を落として、寝やすいようにと思って枕を礼ちゃんのほうに寄せるが、そちらは押し除けられた。

 

「…………」

 

「はいはい」

 

 礼ちゃんが頭を上げたので、ベッドと頭の隙間に差し入れるように右腕を滑り込ませる。礼ちゃんの髪を腕で巻き込んでしまわないようにするのに苦労した。

 

 邪魔者扱いされた枕は僕が使わせてもらおう。

 

「おにいちゃん……」

 

「どうしたの」

 

 ごそごそと礼ちゃんが頭を動かし、二の腕付近、なんなら付け根あたりまで這い寄って頭を置くと、手を僕の背中に回してひっついた。

 

「ごめんね……ありがとね」

 

「……どういたしまして」

 

 感謝すべきなのも、謝るべきなのも、僕のほうだというのに。

 

 そんな気持ちを見破られないように、乱れてしまった礼ちゃんの髪を整えるように左手で頭を撫でる。

 

 それからすぐ、礼ちゃんは寝息を立て始めた。精神的な疲労もあったことだろうし、泣き疲れてもいたのだろう。

 

 泣き腫らした目元から続く涙の跡を手で拭う。せめて夢の中でだけは、心配事から解放されてほしい。そう切に願うしか僕にはできない。

 

 




妹ちゃんは感情表現が豊かでかわいいなぁ(白目)
めずらしく次もお兄ちゃん視点です。


*スパチャ読み!
Orange0221さん、上限の赤色のスーパーチャットありがとうございます!
メイギンさん、上限の赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
ディアディアさん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
あまねチャンさん、上限赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
ヤニかわさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
天野あきさん、スーパーチャット、アリガトウゴザイマァス!


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「『困ってるんでしょ。なら手伝わせてよ』」

前回の話の続きです。今回短めです。


 

 翌朝、いつも以上に早く起きてしまった。

 

 それもそのはず。いつもより二時間から三時間くらいは早く床に就いたのだから、それだけ早く起きることになる。外はまだ日が昇っていなかった。

 

 起きたのならベッドから出て着替えたり食事の準備などを始めたいところだけれど、いまだに僕の腕を枕にし、僕の服を掴んで離す気配のない礼ちゃんまで付き合わせて起こしてしまうのは忍びない。よくこんな硬い腕を枕にして眠れるものだ。

 

 礼ちゃんが起きるまでの間暇なので、気持ちよさそうにふにゃふにゃしている礼ちゃんを眺めていた。この距離にいて夜中に僕が目を覚まさなかったということは、今夜は悪夢に魘されることはなかったようだ。

 

「んっ……んー……」

 

 窓の外が白み始めてくるくらいまでしばらく眺めていると、礼ちゃんがもぞもぞと動き始めた。日常的に早起きを心掛けている礼ちゃんだけども、それにしたってまだいつもの起床時間には余裕がある。

 

 やはり布団に入った時間が早かったので僕と同様、礼ちゃんの覚醒も早くなったようだ。

 

「おはよう、礼ちゃん。まだ早いけど、どうする? もう少し寝とく?」

 

「んぅ……んーん。おきる。昨日、ランニングサボっちゃったし、そのぶん長めに走りたい」

 

「うん、そうだね。じゃあ起きようか」

 

「あー、でも……ちょっとまって」

 

 僕が体を起こそうとした時、礼ちゃんに腕と服を掴まれてまた横に引き戻された。

 

 目をしばしばさせていた礼ちゃんは僕の背中に手を回し、まるで伸びをする感覚で『んーっ』と唸りながら抱き締める。推定一般女子よりも筋力に優れている礼ちゃんにそうされると、わりと冗談抜きで呼吸が止まる。せめて一言くらい声掛けしてもらわないと、お兄ちゃんは覚めない眠りに落ちることになるよ。

 

「っ……ぐふっ」

 

「うーっ、おっけ! 補給ばっちり! 目もぱっちりだ!」

 

「そ、そう……よかったよ」

 

 起き抜けに兄を仕留めかけた礼ちゃんは足取り軽やかに部屋を出ていく。

 

 一日の始まりから僕は気息奄々もいいところだけど、そのぶん礼ちゃんが元気な様子でよかった。

 

 この道十八年のベテランお兄ちゃんの眼力をもってしても、さすがに礼ちゃんの心中を察するには時間と会話が足りなさすぎたが、一見する限りにおいてはメンタル面は大丈夫そうだった。目の充血や腫れも、昨日よりはまだましだ。

 

 少し安心して礼ちゃんの背中を見送ってから、スポーツウェアに着替える。

 

 前の会社に勤めていた時はその時間すら確保できなかったけれど、退職してからはまた早朝ランニングを再開していた。昔は僕の後ろをついてくるので精一杯だった礼ちゃんも、この数年でスタミナがついて軽く会話しながらでもランニングができるくらいになっていた。

 

 礼ちゃんの成長に感動しつつ、宣言通りいつもよりも長めになった朝のランニングを済ませて、シャワーを浴びて朝食を摂り、礼ちゃんを学校に送る。家に帰ってくれば家事を片付けて、父さんに頼まれていたデータまとめを終わらせてファイルを送信する。昼食は自分一人だけなので適当に消費期限が近づいている物と余り物を胃袋に流し込む。そこからは礼ちゃんを迎えにいく時間になるまで自由時間になる。

 

 自由時間は、ゲームに触れたり、庭の手入れをしたり、買い物に行ったりと日によってやることが違う。今日は勉強だ。

 

 礼ちゃんから質問された時に答えられないような情けないお兄ちゃんになりたくない、という情けない一心によって高校中退以後も見栄を張って勉強は続けているのだ。

 

 夕方、礼ちゃんを迎えにいく。昨日に引き続き夢結さんも一緒だった。

 

 夢結さんが一緒だと礼ちゃんのテンションがいつもと違って面白いし可愛いし、僕がこれまで触れてこなかった分野のお話をしてくれるので嬉しいのだけど、今日の夢結さんは眠そうな印象だった。本日のカリキュラムに体育はなかったはずだけれど、お疲れのご様子だ。後部座席で礼ちゃんと小声でこそこそ内緒話を始めた時は、無駄に鋭敏な僕の聴覚が二人の会話を聞き取ってしまわないように音楽をかけた。

 

 若干悲しくなった気がしないでもないが、男に聞かれたくない話の一つや二つ、女の子にはあるのだろう。涙を堪えつつ、耳は音楽に、意識は運転に集中させた。

 

 夢結さんをお家まで送り届け、自宅へと帰ってくると、僕が夕食の準備をしている間に礼ちゃんは入浴。礼ちゃんがお風呂から上がる頃には夕食は仕上げを待つだけになるので、僕もささっと湯浴みする。

 

 (からす)も驚きの早さでお風呂を上がれば夕食だ。礼ちゃんは本当に美味しそうにご飯を食べてくれるものだから、こちらとしても作り甲斐がある。ただ礼ちゃんの好みがイタリア料理やスペイン料理、エスニック系の料理という、材料の調達に難のあるものばかりだけれど、頬張っている時の嬉しそうな表情を見られたらそんな苦労はペイできる。

 

 まあ、そんな礼ちゃんの好みに合わせた結果、うちのキッチンの収納棚の実に二段が香辛料だけで占領されるような有様になっているが、礼ちゃんの幸せの前ではそんなことは瑣末(さまつ)な問題である。

 

 夕食を済ませると自室へ。僕の三回目の配信にして、昨日急遽組み込まれた二回目のコラボ配信の準備に取り掛かる。

 

 昨日と今日の朝、すでにSNSでは告知をしてある。あとは配信開始直前にもう一度SNSで、これから配信開始します、という旨を発信すればいいだろう。他もだいたいは準備できている。やり方は『New Tale』のスタッフさん、主に安生地さんや雨宿さん、あと身近な大先輩である礼ちゃんにも教わったので万全だ。

 

 問題はサムネイルだ。

 

 設定の仕方は習ったし、作り方も礼ちゃんにご教授頂いたけれど、そんな偉大な先輩の教えを無に帰してなおお釣りがくるくらいに僕のセンスが絶望的だった。僕としては教えられたポイントを忠実に守っているつもりではあるのだけど、どうにも人に与える印象が僕の想定したものとは異なってしまっているようだ。

 

 なのでもう礼ちゃんからは『配信内容に適した背景』の上に『ジン・ラース』を重ね『短い文章で説明』するだけでいいと言われてしまった。

 

 お洒落とか目を惹くようなのとか奇を(てら)ったりとか、そんな応用は利かさなくていい。最低限の情報が入っていればいい、と。こいつには難しいことはできないんだ、と匙を投げられたようだ。一つだけ言いたいのだけれど奇を衒った覚えはない。勝手に奇怪な代物になるだけだ。

 

 教えてもらっておいて満足に結果を出せない不出来な兄で申し訳ない。でも、この方面だけはだめなんだ。そういった感性がおそらく死んでいるんだ。もしくは芸術的センスというものが最初から僕の中に搭載されていないんだ。

 

 他の準備は瞬く間に終わったのにサムネイル作りだけで四苦八苦悪戦苦闘して頭を抱えていると、急にPCから音が鳴った。なんだろうと思ったら、礼ちゃんから画像ファイルが送られてきていた。

 

「お兄ちゃんっ! もう見た?!」

 

 一旦サムネイル作りを休止して開こうとしたら、ファイルを開く前に僕の部屋の扉が開かれた。

 

「さっき送られてきたファイルの話だよね? 今確認しようとしてたところだよ」

 

「それなら一緒に見よっ!」

 

「え、何を送ったのか説明するわけじゃないんだ……」

 

「いいからはよっ!」

 

 肩をぺしぺし叩かれながら急かされた。

 

 礼ちゃんが浮かべる満面の笑みから察するに、おそらくサプライズ的な何かなのだろう。そうなれば僕はその指示に唯々諾々と従うほかない。

 

 こんな場面で『ブラクラ作ってみたんだ!』みたいな冗談をぶち込む礼ちゃんではない。そう信じて画像を開いた。

 

「うっわあっ……っ!」

 

 それは、イラストだった。感性が死んでいる僕でも理解できるくらいの、理解させられるくらいの傑出した画力と迫力だった。

 

 磨き抜かれたエメラルドのような瞳を輝かせ、敵意剥き出しの笑顔でアサルトライフルを右手で掲げ、左の拳をおそらく敵がいるのだろう方向へ向けているレイラ・エンヴィ(礼ちゃん)と、そんな狂戦士のような妹が前に出ようとするのを左手で押さえつつ、困り顔を浮かべながら右手に握るピストルを構えるジン・ラース()。そんな僕らが立っているのは、これからやろうとしているFPSゲームの、とあるマップの一部分に酷似していた。きっとそのあたりも気を利かせて合わせてくれているのだろう。

 

 静止画でありながら、凄まじいまでの躍動感。殴りつけるような臨場感。溢れんばかりの熱量が迸っている。

 

 二人の表情といい、服の皺や質感といい、とてつもなく精緻で美麗なのは言うまでもない。僕たちの性格や関係性をよく理解している構図。拡大してもなお瑕疵(かし)が見当たらないほど描き込まれた背景はまさしく引き込まれそうな魅力を放っている。アサルトライフルもピストルも、小物の一つ一つに至るまで実物を取り込んだようなリアリティがあって、しかもそれらが浮いて見えることがなくイラストに溶け込んで全体のクオリティを上げている。

 

 頬に伝う汗が、乱れた髪が、銃器に刻まれた擦過痕が、服のそこかしこに滲む血と汚れが、舞い上がる砂塵が。言葉なんて不要とばかりに、ここが血と泥と硝煙に塗れた退廃的な世界であることを如実に表現している。世界観に説得力を持たせている。

 

 特筆すべきなのが、もはや神経質とすら言いたくなる色彩だ。レイラ・エンヴィもジン・ラースもお互いに衣装の基調が暗色で、風景は褐色がメインという、どう足掻いても華やかさなど表現のしようがないように思う。それでも地味な印象を抱かせないのは、雲の切れ間からスポットライトのように二人を照らす薄明光線であったり、戦場の中心で砂埃に揉まれても折れることなく咲き続ける緑と赤、二輪の小さな花だ。目線がレイラとジンの二人から、自然とそれらに移るのだ。色の比率で言えば明らかに黒色や灰色、褐色が多いはずなのに、なぜか鮮烈に網膜に焼き付く。目を(つぶ)った時に浮かぶのはレイラとジン、降り注ぐ光と揺れる二輪の花。不思議なことに、(まぶた)の裏には華やかなイメージが投映される。

 

「すっ……ごいね、これ……」

 

 言葉がない。僕の貧相な語彙では、この凄絶なイラストを表現しきれない。口惜しい、この一葉に相応しい賞賛の言葉を送れないことが、とてももどかしい。

 

「でしょでしょ?! やばいでしょっ?! っあーっ! ほんともうっ! もうっ! ここまでのイラスト描けなんて言ってないよ!」

 

 礼ちゃんが僕の肩を掴んで前後左右にぐらぐらと揺らす。

 

 礼ちゃんは随分と昂っているようだ。まあそれもそうだろう。

 

 きっとこのイラストを見た時の反応は二つに一つ。インパクトに脳みそを揺らされて思考能力が飛ぶか、感情を揺さぶられてテンションが暴走するか、そのどちらかだ。

 

「ん……え? もしかして、昨日言ってた依頼してるのってこれのこと?」

 

 礼ちゃんの発言を聞いて想起されるのは、昨日の夜に安生地さんとの話し合いで出た『信頼できる知り合いに仕事の依頼もしています』という言葉だ。あの時はVtuberレイラ・エンヴィとして知り合った、切り抜きなどをしてくれる人のあてがあるという意味なのかとも思ったけれど、話題の主流から逸れるので深くは考えていなかった。

 

「ううん。こっちは別件……というか、おまけなのかな? メインで頼んだものとは別に、手が空いてたら、できればでいいからサムネイルに使えそうなイラストとか描いて欲しいなっていう程度のつもりだったんだけどね。まさか昨日の今日で描き上げて送ってきてくれるなんて思ってなかったよ」

 

「信頼が置けて、絵が描ける礼ちゃんの知り合いと言うと、もしかして……」

 

 僕と礼ちゃん、つまりは今、界隈において最低な意味で最高にホットなトピックであるジン・ラースとレイラ・エンヴィに関わってくれるような優しくて、礼ちゃんが明言するほどに絶大な信頼を寄せていて、その上で絵を描く技能を有するお人。

 

 僕の頭の中には、たった一人しか浮かんでこない。

 

「そ! お兄ちゃんの想像通り、夢結にお願いしたんだよ! お願いした時の夢結、すっごいかっこよかったんだから。理由を説明して、依頼の内容も説明して、それでも躊躇いなく一言で受けてくれたんだよ。あまりにも迷いがなかったから私聞き返しちゃったんだよね。ほんとにいいの? って。そしたら夢結、なんて言ったと思う? 『困ってるんでしょ。なら手伝わせてよ』だって。夢結がちゃんとまともにかっこいいところなんて久しぶりだったよ! 危うく夢結ごときに泣かされるところだった!」

 

 どうやら本当にサプライズにしたかったようで、これまで僕にはあえて黙っていたのだろう。明かしてもいいとなった途端に口が回ること回ること。

 

 礼ちゃんは、夢結さんを心の底から信頼していて、心の底から大好きなのだ。口ぶりから、声色から、表情から、身振り手振りから、何から何までとてもわかりやすく全身でそれを証明していた。

 

 夢結さんの言葉がとても深く心に沁み入ったのだろう。夢結さんのセリフは思い出す素振りすら見せずにすらすらと口から衝いて出ていたし、そのセリフを再現する時の礼ちゃんの声は震えていた。

 

 辛いことばかりで苦しい時に、迷わず助けにきてくれる。

 

 そんな友人想いな夢結さんの振る舞いに胸を打たれたのだろう。『夢結ごときに』なんて強がっているけれど、しっかりと目が潤んでいて目尻から涙がこぼれそうになっている。

 

 礼ちゃんは高校で素晴らしい友人と──親友と、巡り会えたんだね。

 

 在りし日の記憶が、僕の胸をちくりと刺す。古傷が疼くくらいに羨ましいけれど、素直に喜ばしい。

 

「夢結さんって本当にいい子だね。いい子だとは思っていたけれど僕の想像を超えてきたよ」

 

「うんっ! 私の数少ない自慢の一つだからね、あんなのでも!」

 

 礼ちゃんは鼻を啜りながら胸を張った。性格的に本人の前では手放しで絶賛なんてできっこないだろうけれど、せめて僕の前でくらい強情にならずに褒めてあげればいいのに。そして後日、僕から夢結さんに伝えるのだ。そうすれば褒められて照れる夢結さんと、褒めていたことを知らされて怒りながら恥ずかしがる礼ちゃんが見られる。

 

「でも、夢結さん大変だったんじゃない? 今日も学校あったのに、昨日の今日でこれだけ凄いイラストを描くなんて」

 

 僕が度肝を抜かれたのは、まさしくここなのだ。

 

 礼ちゃんと僕がコラボ配信をしたのが昨日のこと。そしてFPSを予定していると予告したのは昨日の配信終了間際。そこから描き始めたのだとしたら、猶予は二十四時間もない。睡眠時間と学校の時間を引けば、どうやっても捻出できる時間は十時間に満たないだろう。

 

 プライベートな時間を削ることになっただろうし、もしかしたら睡眠時間もイラストのほうに充てているかもしれない。いつ礼ちゃんが夢結さんに依頼を出したのかわからないけれど、このクオリティのイラストを描き上げるにはあまりにも時間が足りないのではないだろうか。

 

「大変だったとは思うよ。授業中も、まあそんなに珍しくないことではあるけどちょくちょく寝てたし、帰りの車の中ですら眠たそうにしてたし。ただ、夢結から連絡があったんだけど、妹ちゃん……寧音ちゃんも手伝ってくれたんだってさ。依頼のほうも二人でやってくれるみたい」

 

「そうなんだ、妹さんまで……配信の後お礼言わなくちゃね」

 

「通話掛けてあげて。きっと夢結のほうからはできないだろうから」

 

「うん、そうするよ。依頼料とかの話もしておかないといけないしね」

 

 もともとお仕事の依頼をしていたようだけど、それに加えてこれほど秀逸なイラストまで描いてもらったのだ。

 

 いくら友だちとはいえ、労働には報酬が支払われるのが自然な形だ。礼ちゃんからは言い辛いだろうし、僕からそういう話をしておいたほうがいいだろう。

 

 と、思っていたのだけど、制止するように礼ちゃんが僕の肩に手を置いた。

 

「そのあたりは私が話しとくから、お兄ちゃんは夢結と寧音ちゃんにお礼を言うだけにしといてね?」

 

 そう言いながら礼ちゃんは肩に置いた手に力を込めた。肩を揉むような力ではない。少々痛い。制止の仕方がちょっと野蛮では。

 

「で、でも……」

 

「私から夢結にお願いしたんだよ? 契約は私と夢結の間で交わされてるの。それなのにお兄ちゃんが間に入るのは訳わかんないよね?」

 

「……それは、たしかにそうだね……」

 

「うん、そうだよね。じゃ、そういうことで」

 

 その主張はもっともだったし、なにより礼ちゃんは意固地でもある。今回は正当性が礼ちゃんにある以上、意見を翻させることは至難の技だ。

 

 僕としては複雑な気持ちだけれど、礼ちゃんがそう言うのなら任せよう。

 

「それじゃあ、報酬の話は礼ちゃんにお願いするよ。僕はこのイラストに文字重ねてサムネイルに……このイラスト、サムネイル以外にも使っていいかな?」

 

「え? まあ、いいんじゃない? なにに使うの?」

 

 そう言いながら、礼ちゃんは肩から手を離して僕にもたれるようにしなだれかかった。肩越しに腕を回される。僕の頭を抱えるような形だ。

 

「普段の配信の背景に使わせてもらおうかなって」

 

「ふふっ、そんなに気に入ったんだね。どんどん使ってあげてよ。夢結もきっと喜ぶし」

 

「それなら使わせてもらおうかな」

 

 これだけの質の高いイラスト、一回の配信のサムネイルだけで役目を終えさせるのは勿体なさすぎる。なんならデスクトップの壁紙にも登録したい。

 

「私も背景のイラストに使おっかなあ。……あ、そろそろ私戻るね。そうだ! もうVC(ボイスチャット)繋いで配信始める時間まで練習場でエイム調整しとこうよ」

 

「そうだね。僕はFPS配信は今回が初になるし、格好悪いところは見せられないしね」

 

「頼むよ、お兄ちゃん。私いっつも配信で、お兄ちゃんは私よりもFPS上手いんだよ、って言ってるんだからね! 私を嘘つきにしないでね!」

 

「なんでハードルを上げてきたの? 緊張してる人に対する声掛けじゃないよ?」

 

「緊張なんてしないでしょ、お兄ちゃんは。じゃ、向こうでね」

 

 僕の頭を抱えるようなもたれかかる体勢から立ち上がり、頭を抱えたくなるような言葉を残して礼ちゃんは部屋を出ていく。

 

 設定された高すぎるハードルをくぐったりしないように努力しよう。まずは、違うFPSゲームをやりすぎて狂ってしまったエイムの感覚を取り戻すところからだ。

 

「……頑張るか」

 

 自分に言い聞かせるようにひとことこぼしながら、今日やるゲームを起動した。




次から別視点です。


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悪いのは、わたしだったんだ。

 朝、わたしは事務所の自分のデスクでVtuber関連の匿名掲示板に目を通したり、SNSをチェックしていた。

 

 調べているのは主に、恩徳さんとレイちゃん──ジン・ラースとレイラ・エンヴィについて。昨日予告なしに行われた二人のコラボ配信がどれほど影響を及ぼしたのか、それを出来る限り把握しておきたかった。

 

「やっぱり……」

 

 ジン・ラースとレイちゃんのSNSのアカウントからは、昨夜にも予告していた今夜のコラボ配信の告知がされていた。その告知に対するコメントは、ポジティブなものもあるが同じくらいネガティブなコメントもある。それはジン・ラースのアカウントだけではない。誹謗中傷というレベルではないにしても、レイちゃんのアカウントでも棘のある投稿が並ぶ。

 

 ジン・ラースに理由があろうとなかろうと、関われば被害が拡大する。やはり予想通りの展開だった。

 

 レイちゃんは真面目な性格をしているし、先のことをしっかり考えられるくらい賢い。『New Tale』からのメッセージは必ず目を通していただろうし、メッセージをチェックし忘れていたのだとしても現状でコラボ配信すればどうなるかは理解できていたはずだ。

 

 それなのに、こうも派手に、しかも事務所の指示を無視して動くなんて、これまでのレイちゃんであれば考えられない。

 

「……それだけお兄さんが大事なんだね。……そうだよね」

 

 あまりレイちゃんに詳しくない人なら、レイちゃんの配信上であった通りに悪意あるリスナーに煽られてリア凸したと思うだろう。他のスタッフとも軽く話したけれど『あれだけ馬鹿にされたら、かっとなっちゃうよね……』と、レイちゃんに同情的な意見が多かった。その背景には、恩徳さんに荒らしを集中させることになってしまったという後ろめたさもあるからだろう。

 

 でも、わかる人にはわかる。

 

 聡明で冷静なレイちゃんが、あの程度の挑発で激昂するのは不自然だと。レイちゃんの配信にアンチが湧くのは稀だけど、そんな稀に発生するマナーの悪いコメントには辛辣な皮肉で返すか、凍りつくような冷笑でスルーするのがレイちゃんだ。わたしよりも歳下だけど、わたしよりも大人っぽい性格をしているレイちゃんが、あんな小学生の悪口の域を出ない程度の低いコメントを真に受けて同じ土俵に上がるなんて、彼女らしくない。

 

 ならば此度(こたび)のレイちゃんらしくない言動の理由はなんなのか。

 

 無論、お兄さんの存在だろう。

 

 常日頃から、表も裏もなくお兄さんを慕う言動を繰り広げているレイちゃんにとって、彼を取り巻いている今の環境はあまりにも耐え難いものだったのだろう。

 

 『New Tale』の指示を蹴るくらいには、看過できないものだった。

 

「…………」

 

 わたしは、わたしたちは、正しいと思って判断を下した。

 

 『New Tale』の、会社としての方針は、正しかったはずだ。取れる方策が他に見つからなかった、という後ろ向きな理由で決められた方針だったけれど、それでも正しくはあったはずだ。

 

 ただ、誰にとっても正しかったわけではなかった。

 

 少なくともレイちゃんにとっては、正しくなかったどころか間違ってすらいたのだ。だから『New Tale』に連絡の一本もなしに無断で動いた。その結果がすべてだ。

 

 レイちゃんの胸の内については、昨夜の突発コラボ配信の後に顛末を聞いたはずのあーちゃんから話してもらわなければならない。の、だけど。

 

「……今日はあーちゃん遅いなぁ」

 

 時計を見やれば、就業開始時間間近だ。いつもなら三十分前には事務所に着いてその日の仕事の確認作業をしているくらいなのに。

 

 電車が遅延でもしているのかと首を傾げていると、ようやくあーちゃんが姿を現した──

 

「……おあよ、ごじゃあす……」

 

 ──かなり憔悴した姿で。

 

「あ、あーちゃん?! ど、どうしたの?!」

 

 挨拶は元気よくはきはきと、とわたしに教育した本人とは思えない覇気のなさに驚いて思わず駆け寄る。

 

「……なん……いわ」

 

「な、なに? なんて?」

 

「……なんでもないわ」

 

「なんでもないようには見えないし聞こえないよ!?」

 

 いつもの怜悧なキャリアウーマン然とした印象は、今のあーちゃんからは完全に(こそ)ぎ落とされている。目元は隈がひどいし腫れてもいるし、なにより瞳が濁っているように見える。顔色の悪さをメイクで隠しきれていない。外見に気を回せないほど意気消沈してしまっている。いつもは艶やかな柳髪も乱れているし、スーツも皺が残っていた。

 

 いったいあーちゃんに何があったというのか。

 

 とりあえず何があったのか事情を聞こうと思ったけれど、その前にあーちゃんが呼び出されてしまった。ジン・ラースとレイラ・エンヴィ、恩徳兄妹についてだろう。

 

「……ねぇ、雫」

 

「え?」

 

 仕方ないので戻ってきてから話を聞こう。そう考えて席に戻ろうとしたが、あーちゃんに呼び止められた。

 

 振り向いてあーちゃんの顔を見る。

 

 その表情は、苦渋に満ちたものだった。

 

「今日の夜……予定は空いてる?」

 

「う、うん。大丈夫だけど……」

 

「……伝えなきゃいけないことがあるから、雫の家に行っていいかしら」

 

 今に血反吐でも吐きそうな顔色で、深刻そのものといった声色で、あーちゃんはそう呟いた。人に聞かせようという意思が感じられない声量だ。

 

「わ、わかったよ……」

 

 あーちゃんの不穏そのものとしか言いようのない口振りに戦慄しながらも、わたしは首を縦に振る。こんなあーちゃんを放ってはおけない。了承以外に選択肢はなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

「ほら、ついたよ。あと少しがんばって!」

 

「……ええ」

 

 就労を終え、わたしはあーちゃんの手を引きながら帰宅した。手を引いていなければ風に流されてふらふらと飛んでいきそうなほど存在感が希薄になっていたのだ。朝の有様がまだマシだったなんて思いもしなかった。ゾンビでももう少ししゃきっと歩ける。

 

 そんな走らないタイプのゾンビよりも動作が緩慢なあーちゃんを部屋に引きずり込んで座らせる。

 

 わたしは冷蔵庫からビールを二本とおつまみを少々取り出してテーブルに並べた。

 

 晩酌というにはまだ外は夕暮れだけれど、もう飲んでしまおう。アルコールが入ったほうがあーちゃんの口も回りやすくなるだろう。

 

 それにあーちゃんがこんなに弱っているのは、おそらく昨日、レイちゃんから事情の聴き取りをした時に何かがあったからだろう。

 

 そういう嫌なことがあった時にはお酒というものは非常に便利だ。嫌な事を忘れるなり誤魔化すにはうってつけ、心の潤滑油である。問題の解決にはならないけど。

 

「はい、あーちゃん。まずは乾杯しよう! 今日もお疲れ様でした! かんぱーい!」

 

 あーちゃんの様子からして、確実にこれから話す内容は明るいものにはならないのだ。ならばせめて今だけは楽しくお酒を飲んでいたい。

 

 ぷしゅっ、といい音を鳴らしながらプルタブを開け、その開けた缶を虚な瞳をしているあーちゃんに握らせて、わたしはもう一本自分用のビールを開けた。あーちゃんの手を握りながら無理矢理に乾杯して、缶ビールを傾けて喉に流し込んだ。

 

「ぷはぁ。やっぱり仕事終わりはビールだよね、おいしっ」

 

 飲み始めたばかりの時は苦いとしか思わなかったビールも、今じゃ美味しく感じるような歳になってしまったよ。時の流れは残酷だ。

 

「……乾杯。頂くわ……」

 

 ぼーっと飲み口を見つめていたあーちゃんが、ビールに口をつけた。一口含んで、魂ごと抜けそうなため息を吐くと、一気にビールを傾けた。喉を鳴らしながら呷り、そのまま飲み干した。乾杯って、いや確かに飲み干すって意味だけど、現代人にとってはそうじゃないよ。

 

「あ、あーちゃん……」

 

 飲み干した缶ビールを勢いよくテーブルに打ちつけて、あーちゃんは据わった目をわたしに向けた。

 

「ふぅっ……雫、おかわり」

 

「う、うん……それはいいけど、次はゆっくり飲んでね? 体が心配だよ」

 

 普段、あーちゃんは無茶な飲み方をしない。なんならわたしが飲み過ぎないように窘めるくらいの立場だ。

 

 そんなあーちゃんが、こんなやけくそみたいな飲み方をするなんて相当精神的に参っているようだ。後に必ず訪れるアルコールの反動が今から恐ろしいけれど、ここまできてしまったのならもう、いっそのこと腹の底に溜まったもやもやを全部吐き出してもらおう。ちなみに比喩的な表現である。リアルに諸々を吐き出されてしまっては困る。

 

 席を立って所望されたおかわりを取り出し、あーちゃんに手渡す。今回は自分で開けた。そしてすぐに口をつけた。

 

 わたしの忠告を聞かずにまた飲み干すつもりなのではないかとひやひやしたけれど、ちゃんと一口二口くらいで留めてくれた。

 

 よかった、まだ言葉が通じる程度の理性は残っているようだ。

 

「……私も最初は、礼愛さんがリスナーに煽られてあんなことをしたのだと、思っていたのよ……」

 

 一度缶ビールを置き、あーちゃんは手を組んで俯くように目線を下げながら話し始めた。

 

 あーちゃんが仕事とは関係なしのプライベートで恩徳さんの『Island(アイランド) create(クリエイト)』配信を視聴していたところから始まり、配信途中でレイちゃんのリア凸事件を経て、コラボ配信になり、最終的に翌日の夜──つまりは今日の夜である──にFPSコラボ配信の予定まで取り付け、配信が終わってすぐに恩徳さんから経緯と事情の説明をする旨の連絡が届き、恩徳さん同席の上でレイちゃんから説明を受けた。

 

 というのが、昨日あった出来事だそうだ。

 

「……私は、何も言い返すことができなかったわ……。礼愛さんの言い分を否定することも、礼愛さんが事務所の指示を無視したことを責めることも、『New Tale』の対応は正しかったのだと断言することも、何もね……」

 

「……ちょっと待って? ……考える時間をもらってもいい?」

 

 驚愕の事実が驚愕するほど多くて、頭が良く回らない。話の内容が呑み込めない。まだ噛み砕いているところだ。どんどん詰め込んでこないでほしい。情報を咀嚼して呑み下すだけの時間をもらいたい。

 

 わたしの思考能力を奪った衝撃的な情報は、とりあえず二つだ。

 

 一つは、事務所で聞いた説明と違うということ。

 

 朝に事務所で行われたスタッフに対する説明では、恩徳礼愛さんは配信中、荒らしから悪質なコメントを受けて頭に血が上ったことで冷静さを失い、兄妹であることを証明するために兄である仁義さんにリア凸した。事務所の指示に反した礼愛さんの行動は問題があるけれど、事務所として定めた方針は親族である礼愛さんへの説明や配慮が不足していた。そういった事情を勘案して礼愛さんは厳重注意処分とする。

 

 そういった経緯があっての結果であり、処罰だった。事務所ではそう説明を受けた。所属ライバーには、先述の説明に加え、事務所の示す騒動対応策の例外とする旨を通達することとなった。

 

 もとよりお兄さんの立場に心を痛めていただろうレイちゃんだ。そんな時に荒らしから酷いコメントを受ければ、いかに冷静沈着で歳不相応に大人びたレイちゃんといえど耐え難いものがあったのだろう。他人ではわからない、誹謗中傷を受けた本人でしか感じられないものがあるのだと、そう思っていた。

 

 それが、まさか。

 

「……ぜんぶ、演技だった?」

 

「計算尽く……だったらしいわ。仁義君が礼愛さんを諭してくれていなければ本音を聞き出すこともできなかった」

 

「なんだかレイちゃんにしては軽率だとは、思ってたけど……」

 

 他人にどれだけ恩徳さんを貶されようと、周囲からの酷評にどれだけ苛立ちが募ろうと、そんな囀りを丸ごと無視できるほどにレイちゃんの中にはお兄さんへの確固たる信頼がある。あんなに簡単に挑発に乗るわけがなかったのだ。

 

 あえて安い挑発に乗ったのは、レイちゃんの目的のため。

 

 全ては、コラボ配信にまで話を運ぶレールを敷くための芝居でしかなかった。そう答えを聞かされて、驚きながらも腑に落ちてしまう自分がいる。

 

 今印象付けている『悪魔兄妹』という設定でこれから先もコラボを予定しているのなら、レイちゃんが介入するタイミングは確かにこれ以上なく完璧だった。あまり何回も配信していれば、仲のいい兄妹という設定なのになんで兄のフォローをしなかったのだと詰問される。しかし兄妹という部分を証明できなければ炎上の燃料にされるだけ。

 

 兄妹であることを証明しつつ、二回目の配信で介入する。それが限りなく絶好のタイミングだった。兄想い(ブラコン)の妹という立ち位置的に、それ以上の時間を空けてはいけなかった。

 

 先を見据えてブランディングまで考えているあたり、実にレイちゃんらしい。

 

 でも、そこまで考えていたのなら。

 

「こっちに……一言でもいいから、事務所に話を通してくれれば……」

 

 衝撃的な情報の二つのうちの一つが、ここである。そこまで見据えていたのなら、その先まで考えを巡らせていたのなら、こちらに根回ししてくれてもよかったのではないのか。

 

 そうすれば、わたしたちだって何か協力できることもあったかもしれないのに。

 

「『信用してなかったから』」

 

「え?」

 

「……私たちが、礼愛さんの信頼を裏切ったから相談しなかったのよ」

 

「うら、ぎったって……」

 

「なぜそんなことをしたのかと訊ねたら、感情を露わにして涙交じりに激昂されたわ。『お兄ちゃんを体のいいスケープゴートにしたからだ』ってね……」

 

「っ…………」

 

 それは違う、と。

 

 反射的に声を荒らげそうになったけれど、あーちゃんに言っても詮ないことだし、なにより否定する材料がない。実際に、そのような立場に追いやったのはわたしたちだ。

 

「……コミュニケーションアプリに、先輩も同期も、誰のIDも登録されていない。矢面に立たされている人が蔑ろにされ、たった一人で辛く苦しい配信を強要される。こんなことがあっていいのか。これが正しい対応だと、今でも本当に思っているのか。……そう問い質された時、私は何も言えなかった。……言えなかったのよ、事務所の対応は正しいことだった、って……」

 

「……ねぇ、あーちゃん。……やっぱり間違ってたのかな、わたしたち……」

 

「マクロ的に見れば……間違っていないわ。現状は仁義君が語った推測通りになっている。荒らしたちの目は不思議なくらいすべて仁義君へと向いていて、他の子たちにはまるで影響がない。各々のチャンネルのリスナーが少し騒ついているけれど、それも対処ができる範囲内に収まっているわ。これまでとほとんど変わらずに活動ができている。運営としては、極力被害を抑えられていると言えるのよ。ただ……礼愛さんの視点からでは景色が全く違って見えるから……」

 

「大好きなお兄さんが不当な扱いを受けているのに『New Tale』は守ってくれなかった。そういうふうに見えちゃうよね……」

 

 ふと、あの時に自分がもっといい方法を思いついていれば、状況は違っていたのかな、などと今更考えても仕方がないことを考えてしまう。

 

 四期生のデビューの数日前。件の男女Vtuberの炎上騒動が一段階過激になってから事務所で話し合っていた時に恩徳さんが示した三つの策。一つに情報を持たないことによる自衛。二つに交流を絶つことによる被害の拡大防止。三つに対応を維持して時間の経過を待つ。

 

 一つ。他の所属Vtuberは情報を持たないことで自衛ができる。これは、リスナーにジン・ラースについて質問されても『事務所からは何も聞かされていない』という逃げ道を作るため。そうすれば誤魔化すことも、嘘をつく必要もない。コメントを無視することもしなくていい。所属ライバーはリスナーに対して堂々と誠意のある対応を見せられるし、ライバーのその振る舞いを見てリスナーは安心できる。

 

 二つ。ジン・ラースと交流を持たないことで炎上の拡大を防ぐ。これは所属ライバーに被害を与えないようにするため。どれだけ非合理的でも、荒らしのターゲットと関わったら炎上に巻き込まれるのは件の男性Vtuberの事例で証明されている。荒らしの目をジン・ラースに集中させることで他のライバーがこれまで通り活動できるようにする。誹謗中傷に晒されて心に傷を負うような最悪な事態を避けることができる。

 

 三つ。その対応を維持して(ほとぼ)りが冷めるのを待つ。これは事務所の経営を維持するため。会社としては利益を出さなければいけない。他の所属ライバーが関われば火に油を注ぐことになるし、関わったライバーにも被害が及ぶ。それは減益にも繋がる。収益を確保しつつ減益を可能な限り小さくするという点のみを考えれば、今はまだ大した利益を生み出さないジン・ラース一人に荒らしの注意を集めるのが一番合理的。

 

 この一連の対処こそが、もっともイレギュラーが発生しにくく、もっとも被害を抑制した上で、もっとも運営を継続しやすい。先輩方もこれまでと特別変わったことはしなくてもいい。

 

 理路整然と恩徳さんに説明され、わたしたちはその案の有効性を認めざるを得なかった。

 

 わたしたちも『それだと恩徳さんが集中的に悪意に晒されることになる』と注意はしたけれど、恩徳さんは『そういうの気にできないので大丈夫です』といって引かなかった。恩徳さんの提案を退けるにはより良い案を出すしかなかったけれど、わたしたちには代案を用意することができなかった。結局彼の厚意と挺身に甘える格好になってしまったわたしたちに、言い訳はできない。

 

「守ってくれないどころか、という話よね……。『New Tale』は生贄を立てた、と礼愛さんに言われたわ。損切りだと、そう言われたわ……」

 

「ちっ、ちが……っ」

 

 違わない。

 

 内情や過程がどうであれ、至った結果を見れば何も違わない。

 

 少なくとも、レイちゃんの視点からではそうとしか見えなかっただろう。

 

 他の所属Vtuberは後ろに隠し、ジン・ラースを孤立させて目立たせる。その結果、ヘイトはすべてジン・ラースと、ジン・ラースをデビューさせた『New Tale』に向けられる。そのように仕向けられている。恩徳さんの策は感情の矛先まで計算されている。

 

 しかしレイちゃんはそのようなやり方を、盾のように使われている、と感じたのだろう。

 

 実際その通りだし、それ以上にひどいのだから釈明のしようもない。

 

 このやり方は、攻撃の対象を『ジン・ラース』と『New Tale』の二つに分けるものだ。

 

 攻撃される対象が『New Tale』であれば、まだいい。『New Tale』は組織だ。どのような誹謗中傷も、もちろん腹立たしくは感じるし、多少は傷つきもするけれど、それでも名指しで罵倒されるわけではない。非難される対象が『New Tale』という形に広がるため、受ける悪意の密度も数も薄まる。

 

 でも、恩徳さんの場合は違う。『New Tale』全体に向けられるものと同じだけの質量の悪意が、あるいはそれ以上が、たった一人に凝縮して向けられる。それがどれほどのストレスになるか、わたしでは想像もできない。

 

 しかも、その立場から逃げることもできない。

 

 わたしたちは『辛ければいつでも活動を休止していい』と、せめて少しでも彼の負担にならないようにと逃げ道を用意したけれど、彼はそれを否定した。『配信活動は続けなければいけません』と、そう言っていた。

 

 怒りをぶつける相手を失えば、その矛先は収められることなく他へと向けられる。そして次に標的になるのは攻撃対象と関連のあるところ、つまりは『New Tale』と、その所属Vtuberになる。

 

 これは件の男女Vtuberの事例で実証されている。最初は荒らしたちも当事者である件の男Vtuberを叩いていたが、その男が表に出てこなくなった途端、その男が所属していた事務所へと矛先を変えた。叩く相手がいなくなれば叩くのをやめるようになるのではなく、関係者へと目を向ける。たとえ、どれだけ理不尽で筋の通らないものだとしても、実際に斟酌(しんしゃく)なく起こり得る。

 

 ジン・ラースが表に出てこなければ出てこなかったぶんだけ、他のVtuberが被害に遭う。その憂慮によって、彼は活動休止という手も取れない。

 

『身を隠すことも許されず、同期にも先輩にも助けを求められない。なのに事務所は庇ってくれない』

 

 レイちゃんがそんな考えに行き着いたのであれば、わたしたちに相談しなかったのはもはや必然と言える。相談したところで否定されるか、今は動かずに様子を見ろと言われるか、なんであれコラボ配信の許可は下りないとレイちゃんは予想したのだろう。『New Tale』にはお兄ちゃんを守る意思がない、そう結論付けたのだろう。

 

 実際に相談されていたとしても、運営サイドは現在行なっている対応策と反することを理由にレイちゃんの計画を認めはしなかったはずだ。この時点ですでに両者の考え方が食い違っている。

 

 事務所の考えとは真逆にレイちゃんの計画では、兄妹であることを示すためにはリア凸という段階を踏むことが不可欠だった。その日の、その配信の、その時に流れてきたコメントによりリア凸を決心し、打ち合わせや口裏合わせをする時間など作らずにすぐさま行動に移し、同じく配信中のお兄さんの部屋に突撃する。お互いに準備をする時間的余裕などなかったことはお兄さんとレイちゃんの配信を見ていたリスナーの全員が証人になる。レイちゃんが現役の学生であることはすでに知られているので、同棲している彼氏の部屋にリア凸しただけじゃないのか、という指摘も潰せる。学生の身分で彼氏と同棲なんてできないだろうという常識が推測の裏付けに役立ってくれる。個人情報を直接的に開示することなどできない以上、本当に兄妹であると証明するにはこのようなやり方しかなかった。

 

 考えれば考えるほどに、レイちゃんは独断で動くより他に手がない。

 

「……仁義君が頻繁に事務所に足を運んでいたこと、礼愛さんも知っていたのでしょうね。仁義君がそういう提案をするということを、礼愛さんはわかっていたそうよ」

 

「わ、わかっていたんなら、どうして……っ」

 

 どうして、恩徳さんを止めるようにレイちゃんが一言言ってくれなかったのか。

 

 などという責任転嫁も甚だしい、鉄面皮極まる言葉を寸前のところで呑み込んだ。

 

 レイちゃんに恩徳さんを止めなかった責任はないし、止める義務もない。

 

 その責任と義務を果たさなければいけなかったのは『New Tale』だ。恩徳さんの案を退けて、より良い対案を出さなければいけなかったのは我々だったのだ。ただでさえ恩徳さんに負担を強いているわたしたちが、その責任すらレイちゃんに負わせようとするのは無恥が過ぎる。一瞬でもそんなことを考えて口に出そうとしたことが、すでに大人として情けない。

 

「礼愛さんはわかっていた。わかっていて止めなかった。……信じていたそうよ」

 

「信じ、て……って」

 

「……私たちが、誰か一人を犠牲にするような手段なんて取らないと、仁義君をスケープゴートに仕立て上げるような真似はしないはずだと……。仁義君がそんな提案をしても断ってくれる、はずだって……。その時はまだ……私たちに、期待……してくれていたのよ」

 

 あーちゃんは声を震わせながらそう言って、力なく項垂(うなだ)れた。

 

「────」

 

 呼吸が浅くなっていることを自覚する。頭の中が真っ白になる。

 

 わたしは声も出なかった。悲痛な面持ちで話してくれたあーちゃんへ、かける言葉も思い浮かばなかった。

 

 レイちゃんは、何も変わってなどいなかった。

 

 レイちゃんは可愛くて綺麗で賢くて、そしてなにより人の心に寄り添える優しい子だった。

 

 そんな子を傷つけて悲しませて追い詰めて、その在り方を歪ませたのはわたしたちだ。

 

 恩徳さんが提案した、一人を犠牲にする方法なんてわたしたちが絶対に認めないはずだと、レイちゃんは期待してくれていた。

 

 レイちゃんにとって恩徳さんは──お兄さんは、何を置いてでも優先する大事な存在だ。お兄さんのことで手を抜くことも気を抜くこともないそんなレイちゃんが、お兄さんに纏わる事柄であったのにわたしたちに任せてくれていた。

 

 それは、わたしたちを信用してくれていたからに他ならない。守って庇ってくれるものだと信じてくれていた。

 

「……あぁ、そっか。悪いのは……」

 

 悪いのは、わたしたちだったんだ。

 

 レイちゃんから寄せられていた期待を裏切り、信頼を踏み躙ったのはわたしたちだ。

 

 問題の解決策を考えもつかないくせに、文句ばっかり言って。

 

 結局全部任せて頼っているくせに、注意する時だけは一人前で。

 

 対岸の火事のように評論家ぶって傍観して。

 

 他人事のように善人面で心配して。

 

 特にわたしなら、レイちゃんへのフォローもできたはずなんだ。レイちゃんと交流があって、どのような性格で、どのような価値観を持っているか、どれほど大きな感情をお兄さんに向けているか、すべてわかるとまではいかなくても一定の理解はあった。

 

 それなのに、業務にかまけてレイちゃんへの説明を失念していた。多忙を言い訳にして疎かにしていた。事務所の方針をレイちゃんに伝えて嫌われるのを恐れていた。

 

 悪いのは、わたしだったんだ。

 

「礼愛さんに追及された時……私は何も言えなかった。『New Tale』の対応が経営の観点から見て間違っていなくても、礼愛さんの視点から見れば間違っていた。どちらがより正しいかなんて、優劣をつけることは私にはできなかった……」

 

「……そんなの、誰にもできないよ」

 

 だって、初めから答えなんて用意されていないのだ。どちらかしか選べなかった。どちらかは捨てるしかなかった。

 

 恩徳さんを選ぶか『New Tale』を選ぶか、どちらを選び、どちらを捨てるかしかなかった。

 

 恩徳さんを守る選択肢を取っていれば、恩徳さん一人がこれほど酷いことにはなっていなかっただろう。四期生でコラボするなり、箱内でコラボするなりすれば、恩徳さんの居場所を作れた。話す相手も、ゲームを一緒にする相手もできたはずだ。でもそうした場合、所属ライバー全員に被害が及ぶことになっていた。これまで荒波無く平穏に配信をしてきた子だっているし、まだ若い活動者もいる。そういった子たちは突如向けられる誹謗中傷には耐えられない。とても傷つくことになる。

 

 一人がすべての悪意を受け止めるか、全員が満遍なく悪意に晒されるか。その選択だった。

 

 わたしたちがそんな究極的な選択に迫られた時、恩徳さんは自ら名乗り出てくれたのだ。自らの提案がどれほど合理的で効率的かを説いて、矢面に立つ決心をしてくれた。

 

 それを、わたしたちはただ苦々しい思いを噛み締めて黙って受け入れるしかできなかった。

 

 そんなわたしたちが、大事な人を傷つけられたレイちゃんに対して何が言えるというのだ。

 

「……どれだけ苦しくても、あの場では……『New Tale』の対応は正しかったと、そう断言すべきだった。『New Tale』を信じて、一人矢面に立っている仁義君に対して、正しかったのかどうか迷っている時点であまりにも不誠実なのよ。……何も言えない私に、仁義君が小さく呟いたわ。『応えはない、か』と。……きっと思わず口を衝いて出たんでしょうね」

 

「恩徳さんが……」

 

「あの落胆したような、失望したような……仁義君が小さく呟いたあの言葉が……まだ私の心臓に突き刺さってる……」

 

「あーちゃん……」

 

 あーちゃんが胸元を手で押さえながら、まるで懺悔するように言った。

 

「絶対に嫌われたわ……絶対に……っ。一番嫌われたくない人から嫌われて、礼愛さんからも嫌われた……。ようやく距離が近づいてきたように感じていたのに……っ」

 

 ごん、とテーブルに頭をぶつけながらあーちゃんは突っ伏した。凍えるように震えながら、嗚咽を殺しながら、縮こまるように突っ伏していた。

 

「だ、大丈夫だよ、きっと。レイちゃんから聞いているお兄さんの印象ならきっと。……嫌われて、しまう可能性はなきにしもあらずって感じだけど……いつか許してくれるはずだよ……」

 

 レイちゃんはよく恩徳さんの話をしてくれていた。こちらがわざわざ質問しなくても率先して話してくれていた。その話を聞いてきた限りではあるけれど、恩徳さんは誰かを恨んだりなどしない。レイちゃんはお兄さんから叱られることはあっても、これまで一度も理不尽に怒られたことはないらしい。そんな慈悲深い恩徳さんなら、今はネガティブな印象を持たれていたとしてもいつかきっと、将来的にどこかで許してくれるはず。

 

「せっかく仁義君の担当になれたのに、こんな役回り……なんで私がこんな目にっ」

 

 突っ伏したまま、あーちゃんは拳を握ってテーブルに叩きつけた。

 

 その予兆を感じ取っていたわたしは、自分とあーちゃんの缶ビールが倒れないように確保していた。

 

 アルコールがいい具合に回ってきているようだ。自分の中に溜め込むのではなく、不満や苛立ちを外に吐き出せるようになっているのはいい兆候である。できるだけ物には当たらないでほしいけど。

 

「大丈夫、大丈夫だよ。恩徳さんとレイちゃんには、騒動が一段落ついた時にありがとうとごめんなさいを一緒に言おう? 恩徳さんなら、きっと……たぶん、おそらく許してくれるよ。レイちゃんだって、ある程度はわかってくれてるはずだよ。わたしより賢いんだから、きっと頭では『New Tale』のやり方にも三分(さんぶ)……は、無理か……。一分(いちぶ)くらいの理はあると思ってくれてるよ。お兄さんが関わっているからちょっと精神的に余裕がなくなっちゃっただけで……。そういうふうに最初に言ってくれてたんでしょ?」

 

「ぐすっ……ええ、そうね。礼愛さんはわざわざ前もって言ってくれていたわ。個人に対してどうこう思っているわけではないと……そうよね。その注釈の後にされた話が衝撃的すぎて頭から飛んでいたけれど……言っていたもの」

 

「そうだよ! レイちゃんも恩徳さんも、誠心誠意説明して謝ったらきっと許してくれるよ! …………いつかは」

 

 個人に対してどうこう思っているわけではないけど、わたしたちを含めた『New Tale』に対しては思うところがあるってことだから安心するにはまだ早いけど、それは口にしない。せっかく立ち直りかけているのに、あえてわたしの手で心を折る必要はない。

 

 わたしたちは取るべき方策を間違えた。後悔はしているし、反省もしている。この苦い経験を今後に活かす努力もしなければいけない。

 

 でも、その上でなら、わたしたちには開き直る権利がある。そもそもの原因にして諸悪の根源は件の男女Vtuberと、暴徒と化した荒らしリスナーたちにあるのだ。

 

 わたしたちは間違いを認めて、後悔して、反省して、開き直って、これからできることを全力でやっていく。二人をバックアップする責務がある。

 

 それだけが、今わたしたちにできる唯一の贖罪。

 

 だからまずわたしがすることは、親友にして頼りになる有能な同僚を使い物にすることだ。

 

 テーブルに叩きつけられたあーちゃんの手を取り、その手にビールを握らせる。

 

「ほら、飲もうあーちゃん! 今日は飲もう! 飲んで、これから心機一転がんばろうよ!」

 

「……ええ、そうね。雫、今日は泊まらせてもらうわ」

 

「いやどんだけ飲むつも……ううん! 泊まってって! 明日は休みだし大丈夫! ほら、もう一回乾杯しよ!」

 

「ふふ、乾杯」

 

「かんぱーい!」

 

 湿っぽい空気を払拭するように、缶をぶつける音が部屋に響いた。ちょっとこぼれた。

 

 




誤字修正報告ありがとうございます!

次でようやくFPS配信の様子がチラッと出てきます。がっつりやり始めるのは次の次です!

*スパチャ読み!
前回できなくてすいません!今回で前回の人の分も読ませてもらいますね!
siliconeさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
セルキーさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
りゅーけんさん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
イワシ【キリッ】さん、スーパーチャット、アリガトゴザイマァス!
如月風牙さん、上限赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
ReoLaさん、上限の赤色のスーパーチャットありがとうございます!
青の青さん、スーパーチャット、ありがとござます!
めろいさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
sinさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
アクリュースさん、上限赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!

もうそろそろ全体の三分の二くらいは終わったとこですかね。最後まで止まらずに行きます。


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あの表情が好きだ。

ここからしばらくは脳天気に話を進められそうです。
宅飲みでへべれけになってるお姉さん二人。


 

「いつも仁義君はねー、私にすぐメッセージ返してくれてねー」

 

「へ、へー……そうなんだ。配信してる人って時間にルーズな人多いからめずらしいね。そういえばレイちゃんも返信すごく早いんだよね。やっぱりきっちりしてるところは兄妹で似るのかな?」

 

「そー。今日だってねー、仁義君は私に昨日のこと謝っててねー……私が悪いのに、優しくてねー……」

 

「そ、そっかー、やっぱり恩徳さん優しいよね」

 

 ばきばきにアルコールが回っているあーちゃんは、頬を上気させながら恩徳さんとの裏でのやり取りを語尾を間伸びさせながらふにゃふにゃと語っていた。ふだんが四角四面な言動ということもあいまって、落差がとんでもないことになっている。いつもならあーちゃんがここまでお酒を入れることはないのだけれど、頭の中身を吹き飛ばしたくなるくらいに恩徳さんやレイちゃんとの軋轢がつらかったのだろう。

 

 ちなみに私も今つらい。

 

 ずっと恩徳さんとのやり取りの自慢話を聞かされ続けている。違う話ならともかく、似たような話をずっと繰り返している。タイムリープしてる気分だ。

 

 恩徳さんとこれまでコミュニケーションを取る時間は少なかっただろうし、あーちゃんも押しが強いタイプではない。口ほどには雑談している回数は多くないと見た。情報の引き出しが少ないのだ。

 

 レイちゃんを見習ったほうがいい。あの子は機会があるたびにお兄さんトークを機関銃の如く繰り広げてくるけれど、一度として同じネタを出してきたことがない。恩徳さんと一緒にいる時間が段違いに長いこともあるのだろうけれど、なんとも恐ろしい情報収集能力だ。ぽろりと口からこぼれでる個人情報のいくつかは、いくら距離の近い妹であったとしても得られないくらい、得るには法に抵触する行為が必要な気がするくらいプライベートなものもあった。末恐ろしい。やっぱり見習わないほうがいい。

 

「あ、あれ? あーちゃん、スマホ着信きてない? 音するよ」

 

「んー? あー、ほんとねー」

 

 どうにか話を変えたかったわたしは、バッグの中でヴーヴー唸っているスマホの音を聞き逃さなかった。あーちゃんの意識を他に向けることでようやく一呼吸つくことに成功する。

 

 あーちゃんがバッグをごそごそしている間に、わたしは何かつまめるものを買い置きしていなかったか調べておこう。晩御飯を用意したかったところだけど長時間席を外すことができなかったため、なんだかんだでお酒の他にはおつまみくらいしかお腹に入れられていない。明日の朝までアルコールが残る気配をすでに感じている。

 

 宅配サービスを利用するのも考えたけれど、今更がっつりご飯食べるのもなぁ、などと考えながら、ビールのおかわりと温めた冷凍食品と、戸棚の奥のほうで眠っていたお菓子を持っていく。年頃の女とは思えないラインナップに涙を禁じ得ない。

 

 何度か往復して持ってきたそれらをテーブルに置く。そこそこ時間は経っていたのに、あーちゃんはバッグの傍らで正座して、まだスマホを見下ろしていた。

 

「あーちゃん? なにかお仕事のメッセージでもきてたの?」

 

 今はこんなのでも普段は実に優秀なあーちゃんは、担当外の業務についての相談もたびたび受けている。

 

 今回もそういうメッセージが届いたのかと思い、わたしでも手伝えることあるかな、などと考えを巡らせながらあーちゃんの背中に近づいた。

 

 あーちゃんはちょうど、メッセージの返信を打っているところだった。

 

『私は仁義君のことをずっと考えています。あなたを(ないがし)ろにするようなことは一切ありません。この際、一度私の正直な気持ちを打ち明けようと思います。私は仁義君をとても大切な存在だと思っています』

 

「…………」

 

 ストーカーからの手紙かな。

 

 この重たいにも程があるメッセージを送りつけられる被害者は恩徳さんのようだ。

 

 何が届いたらこんなメッセージを返すような事態になるのだろうか。

 

 恩徳さんからのメッセージの内容がどういったものかはこちらからでは見ることができないのでわからないけれど、彼から色恋に関連する文面が送られてくることはほぼ確定的にないだろう。そんなに関係が進展するほどの絡みはなかった。なんなら先日の件によって進展どころか後退したくらいだ。

 

 どんな化学変化を起こせばこんな話になるのか。理解が及ばない。

 

 すぐ後ろで絶句しているわたしに気づくことなく、あーちゃんは文章の作成を続ける。

 

『このまま距離が離れてしまうのはとても悲しいです。仁義君は私の気持ちを勘違いしているように思います。このような終わり方は本意ではありません。一度、直接会ってお話ししませんか』

 

 なんだか『お互い仕事が忙しくなって時間が合わなくなり、自然消滅的な別れを予期した女が男を引き止めようとしている』ような内容に思えてくる。脳内でそんなイメージが強烈に湧き起こってくる。

 

 なんだこれは。

 

 恩徳さんがどんなメッセージをあーちゃんに送ったのか知らないが、その内容がどんなものだったとしてもこんな怪文書で殴られてもいい道理はない。

 

 怪文書を書き上げたらしいあーちゃんは、一つ満足げに頷いた。

 

 その動きで全てを悟ったわたしは即座に手を伸ばした。

 

「……よし、送」「待って」

 

 メッセージを送信するボタンに指が触れる寸前で、その手を掴んで止める。危なかった。先んじて動いていなければ手遅れになっていた。

 

「……なにかしら」

 

「なんて不服そうな顔……。それよりも、いったい恩徳さんに何を送りつけようとしてるの」

 

「誤解されたままでは堪えられないから、いっそのこと私の気持ちを余すことなく伝えてしまおうかと」

 

「その結果があの怪文書? なんにしてもやめてあげてよ……ただでさえ心労が重なってるのに、とどめ刺しちゃうことになっちゃうよ……」

 

「怪文書とはあんまりな物言いね。決意表明文でもあり、嘆願書でもある。ロマンティックに言い換えれば……そうね。ラブレターと言っても過言ではないわ」

 

「その三つの言葉が等号で繋がる文字列なんてこの世に存在しちゃいけないんだよ。もういい、恩徳さんからどんなメッセージが届いたのか見せて」

 

「……いやよ。これまでの彼とのやり取りを見られるなんて……恥ずかしいじゃない」

 

「この怪文書以上に恥ずかしいものなんてないよ! いいからスマホ貸してっ、この酔っ払い!」

 

「あぅ……」

 

 酒に呑まれているあーちゃんとは話にならないので、その手からスマホを掠め取る。酔っ払いはそこらに転がしておいた。

 

「えーっと……」

 

 何か操作ミスがあってはならないので、怪文書は細心の注意を払って削除してから恩徳さんからのメッセージを確認する。

 

 そこには、まず昨日の謝罪の後、とても丁寧な文章でもうすぐ配信を始める旨が綴られていて、時間に余裕があれば見てほしいと締め括られている。

 

 おかしいな。おかしいところなんて見当たらない。あんな怪文書が産み落とされる原因なんてない。何を拗らせたらあんなふうにとち狂うのか、皆目見当もつかない。

 

 仕方なく、わたしは本人に訊ねる。

 

「……なんであんな……えっと、なんだったっけ? 犯行予告文だっけ? あんなの送ろうとしたの?」

 

「ラブレターよ」

 

「愛よりも先に恐怖が伝わりそうなお手紙だったね」

 

 のそりのそりと体を起こしたあーちゃんは、俯きがちに口を開いた。

 

「……以前はもっと距離感が近かったのよ。それがあんなに……営業先を相手にするみたいな文面になってしまって……。仁義君は昨日のことで、何度も繰り返し謝っていたの。だから……もしかしたら仁義君は私がとても怒っていると誤解しているのではないかって思ったの。だから……」

 

「だからあんなのを……。ちょっと落ち着こ? 一度新鮮な空気でも吸おう。ついでにお水も飲もう」

 

「お水……日本酒かしら」

 

「水だって言ってんでしょうが。隠語とかじゃないんだよ。はい、立って。ベランダ出てて」

 

 腕を掴んで引っ張り上げて、足を引き摺るような速度で歩くあーちゃんの背中を押してベランダに出す。

 

 日が暮れてしばらく経っているのに、外はまだ少し蒸し暑い。涼しい風でも浴びて頭を冷やせられれば一番よかったけれど、まあいい。外の空気を吸うだけでも気分転換にはなる。

 

 ベランダに放り出した後、わたしは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り、あーちゃんの元まで急ぐ。

 

「…………」

 

 あーちゃんはベランダの手すりに体を預けながら、物憂げな表情で遠くを眺めていた。闇夜に溶けるような濡烏(ぬれがらす)の髪を夜風に踊らせている。

 

 映画のワンシーンのような、思わず息を呑む光景だった。あの怪文書の著者とは思えない。

 

「はい、お水。飲んで、しこたま」

 

「別に酔ってはいないわよ」

 

「せめてお酒のせいにしてよ。シラフであんなの書いてたほうがわたしとしてはショックだよ」

 

 あーちゃんは長い髪を手で押さえながら、わたしが手渡したミネラルウォーターに口をつける。それだけの仕草が、なぜかこうも絵になる。アンニュイな表情とほんのり上気した頬が色っぽい。

 

 黙ってさえいれば美人なんだけどなぁ。ふだんは杓子定規でストイック過ぎて近寄りがたいイメージを持たれがちだし、お酒に呑まれるとネジが外れて思考回路がショートを起こすし、いい具合の均衡を取ってくれないものか。

 

「ふぅ……それほど涼しくはないけれど、まだ夜だと心地よく感じるわね」

 

「わりと高層階だからね。風もあるし。……ちょっとは冷静になったみたいだね。やっぱりお酒強いなぁ」

 

「一度休息を挟めば落ち着くわよ。それで、あの文面の何がいけなかったのかしら?」

 

「ほんとにあの文章はお酒とは関係……なかったの? ちょっとやめてよ、怖いよ……。シラフであれはわたしには荷が重いよ……」

 

「ふっ……冗談よ。彼との関係修復を少し急ぎすぎたわね」

 

「膝から崩れ落ちそうなくらい安心した。それはそうと、その表現やめてくれない? ぎくしゃくする前は深い仲だった、みたいな印象操作。配信者と一スタッフでしょ」

 

「いいのよ、嫉妬するのもわかるわ。雫は仁義君と関わりないものね」

 

 つい一〜二時間ほど前まで『嫌われたーっ』って泣いてた人と同一人物とは思えない発言だ。こんな軽口を叩けるくらいまでメンタルが回復したのだとしたら、それはそれで喜ぶべきだろう。一歩ぶんくらいの小さなリードで勝ち誇った顔をしているあーちゃんにはちょこっとイラっとするけれど可愛げもある。

 

「いや……わたしはあーちゃんほどに強い感情を恩徳さんに持ってないから……。もちろん仲良くはなりたいけど」

 

「ふふ、そういうことにしておきましょうか。……それで、そろそろスマホ返してもらっていいかしら? 返事すら返さない人と彼に思われるのは嫌なのだけど……」

 

「あ、そうだった。テーブルに置いてるよ」

 

「そう。……雫は、どう返事すればいいと思う? 私はどうにも……返事の内容が極端になりがちのようなのよ」

 

「あ、自覚はあったんだ……。そうだなぁ……あんまり踏み込み過ぎないで、でもしっかりと理解はしていますよってことを表現できたらそれでいいと思うよ。今回の場合だと、相手が謝ってきてるからこっちも一言謝るくらいでさらっと流して、あとは配信について触れればいいんじゃないかな? 最後に応援していることを伝えておこう。それで気分が悪くなるような人なんていないだろうし、問題はないと思うよ」

 

「……なるほど。私も一言謝って、配信を観ると伝えて、最後に応援。……わかったわ」

 

 険しい表情をしながらあーちゃんは頷いた。同時に、手に持っているミネラルウォーターのペットボトルがくしゃりと音を立てる。なんだか悲壮な覚悟をしているところ悪いけど、そこまで難しいことを言った覚えはないよ。

 

「だ、大丈夫だよ? リラックスして、肩の力抜いてこ? 今の距離感なら淡白なくらいがちょうどいいんだから」

 

「そう、そうね。ゆっくりと歩み寄っていけばいいのだから……そう、そう」

 

 若干の不安を残しながらも、思考回路は正常に機能し始めたので部屋に戻る。

 

 あーちゃんはスマホに一直線。

 

 わたしはというと、配信の視聴準備だ。デスクトップのほうだと二人では一緒には見づらいので、ノートPCを取り出してテーブルに置く。

 

 おつまみとお酒はテーブルの端っこに寄せておいた。配信を観ながら飲み続けるつもりである。

 

「わぁっ……ちょっ、ちょっとあーちゃんっ、見て見て!」

 

「どうしたの?」

 

「いいからはやくっ」

 

 恩徳さんの配信の待機所に移動したわたしは驚きのあまり、メッセージの返信を打っていたあーちゃんをすぐに呼びつけた。

 

「彼の配信で良くないチャットがあったの? そうだとしたら内容とユーザー名をすべて控えておいてほしいのだけど」

 

「ちがうよ、いい意味ですごいの! 昨日の配信では待機画面ってもっと質素な感じだったよね? なんか……なんかすごいイラストがっ!」

 

 待機所では、緻密に描き込まれた美しいイラストがお出迎えしてくれていた。

 

 拳銃を握るジン・ラースとアサルトライフルを掲げるレイラ・エンヴィの二人が、荒涼とした大地に立ち、今まさに敵へ突撃を敢行する、といったイメージの構図だった。

 

 メインの二人の表情や衣装、アクセサリーはもちろん、背景や光の加減に至るまでとても細かく手が込んでいる。主張はしないのに目を引くポイントが散りばめられていてメッセージ性も感じられた。

 

「これが礼愛さんの言っていた、知り合いにしていたというらしい依頼なのかしら……すごい腕ね」

 

「画力もすごいんだけど、ストーリー性っていうのかな? ワンシーンを切り取った静止画なのにここに至るまでにあっただろう戦いが頭の中で思い描けるっていうのがすごいよ。これイラストレーターは……『ゆきね』さん?」

 

「……私は聞いたことないわね」

 

「わたしもないや。これまでVtuberのイラストとか同人誌とか描いてなかった人なのかなぁ……」

 

「それにしては画力が卓越している気がするけれど……」

 

「そうだよね。……それに、なんだか……絵の雰囲気に見覚えがあるような気も……」

 

 これだけ情感のあるイラストを描ける人ならスタッフの間で話題に上がりそうなものだけど、わたしたちの耳には届いていなかった。

 

 『New Tale』はスタッフもオタク趣味に傾倒している者が多い。漫画やアニメやゲーム、そして同人誌など、己の好きな物を布教する者もまた多い。これまではそれらのレーダーをすり抜けていたのだろうか。

 

 イラストについてあーちゃんと話しているうちに配信の時間になったようだ。画面が切り替わる。

 

『それでねー、お兄ちゃんとFPSやるって言ったらutacoさんが応援するよって言ってくれたんだよ!』

 

『それならなおさら今回頑張らないと。格好悪いとこ見せられないね』

 

『うん! お兄ちゃんがオーダーしてくれるんだもん、問題ないよ!』

 

『あ、僕がオーダーやるんだ』

 

『あたりまえでしょっ! 今日はお兄ちゃんのFPSの上手さを伝える配信なんだからね! 配信つけたよ!』

 

『僕としてはレイちゃんの格好よさと可愛さを見せつける配信のつもりだったんだけど。こっちも始まってるよ』

 

 配信初手から悪魔兄妹の仲のいいトークで始まった。

 

 これまでのレイラ・エンヴィのイメージを覆すような、お兄ちゃんに懐いているハイテンションな妹レイちゃんだ。以前の配信でもたまに嬉しいことがあったりした時や同期や後輩とコラボしている時にテンションが上がって声のトーンが高くなることはあったけれど、こんなに甘えるような振る舞いはなかった。

 

 レイちゃんは同期や後輩が相手だとお姉さん的な立ち位置になりがちだ。なんなら先輩であるはずの一期生とコラボしていても引率していることが多い。どのゲームをやっても大抵レベルが高いし、みんなで集まって雑談するとなっても自分が話すよりもまず他の人から話を引き出したり話題を振ったり、その性格と能力もあいまって面倒を見る側に回ってしまう。

 

 みんなのお姉さんをやっている時も楽しそうに見えたけれど、恩徳さんとの絡みを見ているとやはりレイちゃんの素の部分は妹なのかなと思えてくる。

 

「……とても活き活きとしているわね、礼愛さん」

 

「水を得た魚って感じだね。こんなに率先してがんがん話すこともそうそうないもんね、レイちゃんって」

 

「そうね。聞き手になることが多いもの」

 

 話を引き出したり、話しやすいようにいいタイミングで相槌を打ったり、リスナーにも伝わりやすいように都度適切な補足をしたりと、レイちゃんは気配りが行き届いている。そのせいで聞き上手なのだなという印象があったけれど、本質的にはお喋りするほうが好きなのだろう。

 

 思い返せばお兄さんのことを話す時もレイちゃんはすごく楽しそうにしていた。これまでは配信上の盛り上がりを考慮して聞き手に徹していたのだろう。レイちゃん以上に、おかしい部分にはズバッと突っ込んだり話をオチまで綺麗に誘導したり小さな話題から雑談を膨らませることに長けている者がいないからだ。

 

 結果、同期や後輩、一部の先輩も加えた自由奔放個性豊かな暴れ馬たちの手綱を引いて取りまとめる役目をレイちゃんが担っていた。そのことにレイちゃんは不平を鳴らしたことはないけれど、もしかしたら口に出すほどではないくらいの不満はあったのかもしれない。

 

『はい、皆さんこんばんは! 昨日も観に来てくれた人はまた来てくれてありがとうございます! 今日初めて観に来たよって方は初めまして! SNSやとある匿名掲示板などを賑わせている「悪魔兄妹」のカップルチャンネルへようこそ! ぜひゆっくり寛いで観ていってくださいね!』

 

『冒頭からさらっと嘘つくのやめて……。人間の皆様、こんばんは。『New Tale』所属の四期生、ジン・ラースです。そして隣で自己紹介もせずに存在しないチャンネルの名前を挙げていたのが『New Tale』所属の二期生、レイラ・エンヴィです。昨日の配信を観てくださった方も、今日初めて観に来てくださった方も、お忙しい中、足を運んでいただきありがとうございます。お会いできて光栄です』

 

『はい! 「悪魔兄妹」妹の方、レイラ・エンヴィです! 始まりの挨拶も何か定番のやつが欲しいとこだねー』

 

『もう既にお分かりかと思いますが、大変テンションが上がった妹と一緒に配信させていただきます。よろしくお願いします。……始まりの挨拶「も」って言ってるけど、終わりの挨拶も定番になってるわけじゃないからね? 昨日初めてやったコラボ配信で「いつもの!」って言われて僕がどれだけ困惑したことか』

 

『昨日予告した通りに今日は「貴弾」やっていっきまーす!』

 

『おや? 回線の調子が悪いのかな? もしかして僕の声聞こえてない?』

 

『聞こえてませーん!』

 

『確認できましたね。ネット回線は大丈夫なようです。大丈夫じゃないのは礼ちゃんの頭の回線だけみたいですね』

 

 配信開始の時点からエンジン全開のレイちゃんに、恩徳さんは淡々と、時にエッジを利かせながら返す。この会話の温度感とテンポの良さが聞いてて癖になる。

 

「『貴弾』……彼が応募動画で『New Tale』に送ってきた時にやっていたのと同じゲームなのかしら」

 

「いや、あれとは違うよ。どっちも同じバトルロイヤル形式のFPSだけどね。ちなみに貴弾は略称だよ。正式名称は『Noble bullet(ノーブル バレット)』」

 

 これから恩徳さんが配信で行うNoble bullet、略称貴弾というゲームは応募動画でやっていたものとは違うけれど、どちらもFPSで系統としては似通っている部分もあるタイトルだ。それに、ことあるごとにレイちゃんは『自分よりもお兄ちゃんの方がうまい』と口にしていた。きっと目を(みは)るようなプレイを見せてくれるのだろう。

 

『それでお兄ちゃん、エイムの感覚は取り戻せた?』

 

『うーん……おそらく? とりあえず止まってる(まと)には合わせられるから、あとは実戦で、って感じかな』

 

『「絶望圏(ぜつぼうけん)」ばっかりやってるから感覚鈍るんだよ?』

 

『ADZ、もしくは絶対国防圏と言ってほしいね』

 

『呼び方が違うだけじゃん』

 

『僕はADZが広まらない一因に略称が影響してるんじゃないかって思ってるんだよね。ただでさえゲームシステムが鬼畜だなんて言われてるのに「絶望」なんて恐ろしい名詞がついてたら手が出にくくもなるよ』

 

『難易度もそうだったけどUIも相当癖があったよ。何よりあのゲーム性が人を選……くふっ。……ふふっ、コメントで〈あれはFPSじゃなくてホラーゲーム〉って言われてるよ。〈ゲームじゃなくて精神修行の教材〉だって! あははっ』

 

『それは……間違ってるとも言えないんだよね……。結構メンタルに来ることあるからね……。で、でも、ちょっと前に大型アップデートがあって、UIもかなり改善されたし、リリース直後から仄めかされていたスキルがとうとう本格的に追加されたんだよ。それがだいぶ難易度の緩和に繋がったから、ぜひ皆様もこの機会に一度、お試しでもいいので触れてみてはいかがでしょうか?』

 

『なんで今日配信するゲームとは違うのを宣伝してるの!』

 

『プレイ人口が少ないんだ……。このままじゃ街を守れないんだ……。〈布教活動助かる〉……どうやら数少ない同胞が配信を観に来てくれているようですね。ありがとうございます。いずれADZのプレイ配信もやりたいと思っているので、その時までどうかご無事で』

 

『やらせませーん! お兄ちゃんはずうっっっっと私と貴弾やるんですーっ! というわけで、さっそくやっていこうと思います、け、ど! その前に一つね、自慢させてもらいたいことがあるんですよ』

 

『僕のほうのコメント欄でもざわついていた待機画面にも使っていたイラストについて、だね』

 

『そう! あのイラストすっごくいいでしょ?! 私の配信を前から見てくれている眷属さんはご存知だと思うけど、ちょくちょく話題に出していた親友、ゆーが描いてくれたんだよ!』

 

『もう一度、画面にイラストのほう出しておきますね』

 

『おー! 私も出しとこっと!』

 

 恩徳さんはそう言って、画面にもう一度イラストを登場させた。何度見ても引き込まれるような完成度である。

 

「あの『ゆー』さんが……こんなに画力高かったんだ」

 

 レイちゃんは配信でも時折ゆーさんについて話していた。いつかの配信で、ゆーさんは絵がとても上手だと評していたことがあったけれど、まさかプロのイラストレーターにも比肩するほどの腕をお持ちとは思わなかった。

 

「ゆーさん?」

 

「うん。レイちゃんがとても仲良くしている子らしくて、わりと頻繁に名前を出してたんだよ。ユーモアのある子みたい。つい最近もお兄ちゃんと話している時に愉快な勘違いをしていたって、レイちゃんが」

 

「……ゆーさんとやらは、仁義君と直接お話するくらいの関係なのね……」

 

「あー……まぁ、レイちゃんのリアルのお友だちなわけだし……。お家で遊んだ時に恩徳さんと顔を合わせることもあるよ、きっと」

 

 初めてゆーさんの話をした時、レイちゃんはつい口が滑ったという印象で『ゆー』と言っていたけれど、『ゆきね』さんの頭を取って呼んでいたようだ。愛称なのだろう。

 

『本当にこのイラストすごいよね。僕、最初見た時言葉が出なくなるくらい驚いたんだ。描き込みの密度が途轍もない。圧倒されたよ』

 

『だよねだよね! 私も最初送ってもらった時すっごいテンション上がっちゃった!』

 

『そのまま僕の部屋まで来たくらいだもんね』

 

 レイちゃんが自分の部屋に駆け込んできた時のことを思い出したのか、恩徳さんはくすくすと穏やかに笑った。その柔らかな微笑は、どこか裏がありそうなジン・ラースの表情すらも善良な青年のそれに変えさせた。

 

 きっと恩徳さんは今、面接の時にも一瞬だけ見せた心の底からの笑顔を見せているのだろう。

 

「……あぁ、やっぱり」

 

 わたしは彼の、普段よりもずっと幼く見えるあの表情が好きだ。

 

『ここでリスナーのみんなにお知らせでーっす! 配信の最後に言おうかと思ってたんですけど、タイミングがいいので今言いますね! 実はゆーにお願いして、私たち「悪魔兄妹」の手描き切り抜きを描いてもらえることになりました!』

 

『ゆーさんもお忙しいでしょうからどれほどの頻度になるかは未定ですが、よければそちらの動画も見ていただけると嬉しいです』

 

『概要欄にゆーのチャンネルのURLを貼っておきますので、よければ私たちのチャンネルと一緒に登録してくださいね!』

 

 華やかな声で宣伝するレイちゃんに、意外というか、意表を突かれた思いだった。

 

 レイちゃんは事務所的な良し悪しは別として、あまりVtuberとしての人気というものに固執しない性格だと思っていた。

 

 たまにリスナーからおすすめされたゲームをプレイしたり、同期や後輩と多人数でできるゲームをすることはあっても、基本的には自分がやりたいと思ったことしかレイちゃんはやらない。

 

 配信中も大多数の男性リスナーの好みに寄せて声を作ったりもしない。なんなら普通に話している時よりも声が低くて素っ気ない。塩対応がデフォルトになっている子なのだ。

 

 そんな子なものだから、配信の終了間際に他の子たちがやっているような、チャンネル登録やSNSのフォローを勧める文言もない。だいたいいつも配信の感想を話して、リスナーのコメントやスーパーチャットにお礼を言って、それでさよならだ。実に後味さっぱりな配信である。

 

 今になって配信者の人気のバロメーターの一つであるチャンネル登録者数を増やそうと方針を転換したのは、恩徳さんのことがあったからだろう。ファンを増やすことが、恩徳さんの配信活動の安定に繋がると判断した。

 

 それほど強いこだわりはなかったのかもしれないけれど、お兄さんの為ならこれまでやってきたやり方をすぐさま放り投げられるレイちゃんの決断力は尊敬する。その決断力、覚悟や胆力がわたしにもあれば、今の状況も何か変わっていたのかもしれない。

 

「信頼できる知り合いに仕事を依頼している……礼愛さんが言っていた件はこれだったのね」

 

 沈思黙考していたわたしの耳に、あーちゃんのそんな呟きが届いた。

 

「依頼?」

 

「ええ。『悪魔兄妹』というブランディングで活動するにあたって、知り合いに依頼していたらしいの。プロモーションの一環、ということだと思うわ」

 

「いくら配信頻度が高くても、配信自体が面白くても、初見の人をライブ配信に来させるには限界があるもんね……。レイちゃん以外にコラボしてくれる相手もいない。切り抜いてくれる人もすぐには現れないだろうし……。そこで先んじて画力のあるイラストレーターに切り抜きのイラストを依頼するっていうのは、名前を知ってもらう方法としては理に適ってるね……」

 

「打てる限りの手を、礼愛さんは打っていたのね……。……なのに、私は……っ」

 

「わたしたちは、わたしたちのできることをしよう。配信の後でレイちゃんに連絡して話を聞いて、ゆきねさんにコンタクトを取ろう。『New Tale』から公式の認証をしておけば、いちいち許諾の申請も省けてゆきねさんもやりやすくなるだろうし」

 

「そう、そうね。……ごめんなさい」

 

「いいよ。あーちゃんには実務のほうを任せるし」

 

「ええ。任されたわ」

 

 体を傾けて、ぽんと軽く肩をぶつける。すると、まだ多少は固かったけれどあーちゃんは小さく頬を緩めた。

 

 気を取り直せたようでなによりだ。

 

 もうわたしたちには、うじうじと落ち込んでいる権利すらないのだ。落ち込んで俯いてなんていられない。顔を上げて、やれることを探さないといけない。

 

『それじゃ、そろそろ始めようか。配信始まってからしばらく経ってるのにまだ訓練場から動いてないからね』

 

『おお! そういえばそうだった! さっそくマッチンあ、お兄ちゃん!』

 

『はい、こちらお兄ちゃんです。どうしたの?』

 

『あれ見せてよ、左右端の(まと)にぱっぱっぱって当てるやつ!』

 

『フリックショットね。僕としてはフリックよりもトラッキングエイムやリコイルコントロールの練習の方が有意義だと思っているんだけどね』

 

『お兄ちゃんの主義は知らないよ。私がお兄ちゃんのフリックショット見たいって言ってるの! やって!』

 

『お望みとあらば』

 

 急におねだりするレイちゃんに、恩徳さんは反論することなく了承する。すぐさま標的が撃てる場所まで移動していく。

 

「……本当に、仁義君と一緒にいる時の礼愛さんは、私の知っている礼愛さんとはどこまでも違うのね……」

 

「わ、わたしもこんなに駄々っ子なレイちゃんは見たことないなぁ……」

 

「……でも」

 

「ん?」

 

「とっても愛らしいわね……」

 

「わたしも思った! はちゃめちゃに可愛いよね!?」

 

「急に声大きいわね……」

 

 いつもはお姉さんの役回りをしているレイちゃんの甘えんぼなところというのは、ギャップもあいまってとってもきゅんきゅんくる。

 

 わたしも頼り甲斐のあるお姉さんムーブをすればこんなふうに甘えてくれるのかな。いや、無理だろうな。ゲームの腕然り、言葉遣いやネットリテラシー然り、勉学やマナー然り、PCの操作然り、多方面においてしっかりしているレイちゃんに対して、わたしがお姉さんぶれるような分野はない。なんなら前に送ったメッセージの誤字をオブラートに包みながら優しく指摘されたくらいだ。すでに頼り甲斐のあるお姉さんのメッキは剥がれている。勝っているのは無駄に重ねた歳くらい。そんなもの負けているのと同義だ。泣きそう。

 

『それじゃあやってくね。画面酔いしやすい人は十秒くらい目を瞑っててくださいね。はい、左、右、左、右ー』

 

『お、おっ、おーっ! あはははっ! お兄ちゃんのこれ好きー! 気持ちいいんだよね!』

 

『何が楽しいのか僕にはわからないけど、礼ちゃんが楽しそうで僕も嬉しいよ』

 

「うっ……っま。なにこれ……」

 

「少し酔ってしまいそうね……こんなに素早く画面が動いているのに、よく当てられるものだわ。ところで、私はFPSゲームに触れた経験がなくてわからないのだけれど、これは上手いほうなのかしら?」

 

「はちゃめちゃに上手いよ……。レイちゃんが無闇にお兄さんを持ち上げるものだから、わたしの中でかなりハードル上がってたけど……ここまでだとは」

 

 いくつも立ち並ぶ人間大のシルエットの標的、その左端へ一発撃ち込めば、次はすぐさま右端の標的へと撃ち込まれる。その次は左端から二番目、次は右端から二番目の標的へとエイムカーソルが飛び移る。その要領で段々と中央の標的へと近づいていき、中央の標的の両隣まできたらリロードを挟み、折り返すように再び左、右と銃口が振られていく。左端から二番目、右端から二番目、左端、右端へと正確に標的を撃ち抜いて、ようやく銃声は鳴り止んだ。

 

 驚くべきことに、一発としてミスショットがない。しかも二発を除いて他はヘッドショットという冗談みたいな結果だ。FPSをメインに配信している元プロのストリーマーみたいな驚異的な腕前に、もはや言葉もない。

 

「やっぱり上手なのね。さすが仁義君だわ」

 

「そんなにあっさりと……やったことない人にはまったく凄さが伝わらないのがくやしいっ」

 

 とんでもないシーンを見たというのに、あーちゃんのリアクションは淡々としたものだった。そういえば恩徳さんが送ってきた応募動画を見ていた時も、あーちゃんはボイスドラマについての感想は濃密だったけれどプレイ動画については小並感チックなものだった。

 

 まぁ仕方ないけどね。あーちゃんは最近ようやくゲームも嗜むようになってきたとはいえ、FPSは食指が動かないみたいでやってない。

 

 実際に自分が経験した事がなければ、こういったプレイがどれだけすごいのかは十全に伝わらない。やっている人が簡単そうにやってのけてしまっているからだ。なんだか凄そうなことやってるなー、みたいな印象でしかないだろう。

 

『うん、満足した! ありがと、お兄ちゃん!』

 

『それはよかった。それじゃそろそろ戦いへと赴こうか。クラスマッチでいいの?』

 

『大丈夫ー。せっかくだからお兄ちゃんのオーダーで今日はポイント盛らせてもらおっと』

 

『ぐっと肩が重くなったよ、責任感で』

 

 レイちゃんは甘えるようにプレッシャーをかけ、恩徳さんは緊張とは無縁そうな自然体の声で返す。二人が仲の良さをこれでもかと浴びせてくる。そのうち蒸発してしまいそうだ、尊さで。

 

「クラスマッチ……。オーダー……。雫、専門用語が多すぎてよくわからないわ」

 

 そうだった。あーちゃんは、これからレイちゃんと恩徳さんがやるNoble bullet(貴弾)はおろか、FPS自体もほとんど知らないのだった。初心者よりも初心者のあーちゃんには、専門用語が乱れ飛ぶ二人の会話は理解が追いつかないだろう。ところどころで解説を加えておいたほうがいいかもしれない。

 

「えっと、まずこの貴弾っていうゲームを遊ぶモードにフォーマルマッチとカジュアルマッチっていう二種類があるんだよね」

 

「フォーマル、カジュアル……スーツみたいね」

 

「……たしかに。適当なイメージだけど貴族感あるね」

 

「中身がまるでないふわっとしたイメージね」

 

 ゲーム内でのマッチングの種類としか見ていなかったのでそんなこと考えたこともなかった。

 

「それで、そのフォーマルマッチっていう形式のほうだと、勝ったらクラスポイントっていうポイントがもらえるの。それをたくさん集めるとプレイヤーの階級が上がるんだよ。逆に負けたらそのポイントは下がっちゃうから、プレイヤーはみんな頑張って勝ち続けてクラスを上げようとしてるの。クラスを上げるほうのマッチングってことでクラスマッチって呼ばれることも多いね」

 

「なるほど、そのクラスという階位システムがプレイヤーの実力の証明になるのね。……さっき、仁義君のコメント欄に〈妹にキャリーしてもらうのかよ〉っていうコメントがあったのだけれど、それはつまり、強い人を仲間に加えて勝ちやすくすることで自分のクラスを上げようとしている、というニュアンスで捉えていいのかしら?」

 

「り、理解が早すぎる……そ、その通りだよ」

 

 専門的な単語の意味やゲームの仕様について無知なだけで、あーちゃんは基本的に物事の呑み込みが早い。概要をおおよそ理解できれば、あとは英単語の意味や前後の文脈から推察して芋蔓式に理解していけるのだろう。なんと説明しがいのないことか。

 

「オーダーというのは?」

 

「貴弾だけじゃないんだけど、チーム戦のFPSって指示出しが重要なんだよ。戦いの時とかだと、そうだなぁ……貴弾の場合だと三人一組のパーティになるんだけど、自分たちのパーティーよりも先に相手チームの人数を一人減らせたら戦いがすごくやりやすく進められるから、全員で敵一人を優先的に狙って人数差で有利に進めようとしたりとかするんだけど、オーダーの人がここにいる敵を狙おう、とかって指示を出すの。他には……この手のバトルロイヤルって広大なマップにプレイヤーが散らばって戦っていくんだけど、どんどん自由に移動できるエリアが縮小していくの。場所によって建物や地形、周囲の障害物に違いがあって有利不利が発生するから、どうやって移動してどの場所を陣取るかもすごく大事なんだよね。どの敵をまず攻撃していくとか、どこに移動するとか、そういう指示を出す人のことをオーダーとかIGLとかって言うんだよ」

 

「オーダーというのはそのチームの指揮官、ということなのね。ありがとう、よくわかったわ」

 

「……うん、なんだかわたしの説明した分以上によくわかってそうで怖いけど、力になれたんならよかったよ」

 

『そういえばお兄ちゃんのクラスって今どこだっけ? 一緒に行けるのかな』

 

『礼ちゃんと一緒だよ。いつ誘われても一緒にできるようにクラスは常に調整してるから』

 

『あははっ、さすがーっ! ……ん? くふっ、ふへへっ……』

 

『え、どうしたの……き……笑い方して』

 

『気持ち悪いって言いかけなかった? ねえ、お兄ちゃん? ねえ』

 

『ううん、ぜんぜん、まったく? 可愛い礼ちゃんにそんなこと言うわけないでしょ? 綺麗って言おうとしたんだよ。ちょっと言葉に詰まっちゃっただけ』

 

『それならいいけど……。あ、そうそう、コメント欄でね? 〈キャリー配信〉って言ってる人がいて、おもしろいなーって』

 

『え、キャリーには該当しないと思うけど……礼ちゃんと僕、同じクラスだし』

 

『コメントした人、きっと私がお兄ちゃんよりも強いって思ってるんだろうね。実際は逆だけどね。私がお兄ちゃんにキャリーしてもらうんですーっ! へへー、いいでしょー』

 

『待って待って、レイちゃん。せめて一回勝ってからそのセリフ言ってもらっていい? 始まる前から勝ちを確信されるのは少々プレッシャーが……』

 

『三連続で一位取ります!』

 

『これだけ言ってどうしてさらにハードル上げたの? お兄ちゃん動けなくなっちゃうよ。プレッシャーでエイム震えちゃうよ』

 

『さあ、行くぞー!』

 

『……頑張ります』

 

 レイちゃんの威勢の良い掛け声と、反比例するように萎んでしまった恩徳さんの声で訓練場からマッチングの待機画面へと移った。

 

 




FPSに詳しくない人だと専門用語とかわからないところもあると思うので、こんな形になりました。ここからしばらくゲーム配信です。

誤字脱字修正報告ありがとうございます!助かります。

*スパチャ読み!
lost1470さん、上限の赤色のスーパーチャットありがとうございます!
ナコトさん、スーパーチャット、アリゴトゴザイマァス!
ZEROさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
レイン=スカーレットさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
黒龍@光の亡者さん、赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
enlyさん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
突風さん、上限の赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
応援ありがとうございます!がんばります!


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三つの銃口

いい具合に切れるところが見つからなかったので今回短めです。
あと注意点です。読者の方の中には読んでいるうちに似たようなゲームを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれませんが、それはすべて気のせいです。当作品はフィクションです。


 

 恩徳さんの画面が訓練場から移動し、マッチング待機画面になる。

 

 気づけばなんだかんだで配信開始から二十分くらいずっと訓練場にいた。イラストの話や二人の軽妙なトーク、恩徳さんのエイム調整という名の腕前披露もあって退屈は感じなかった。

 

「……あら? このゲームは三人で一つのチームを作って戦うのよね? 礼愛さんと仁義君の二人しかいないけれど、この場合はどうなるのかしら? 二人で戦うの?」

 

「いや、最初から数的不利を押し付けられたらやってられないよ。デュオの時は余ってる枠にソロでプレイしている人がマッチングされるようになってるの」

 

「そう、それなら問題な……さっき言ってたわよね、オーダーが重要だ、って。礼愛さんと恩徳さんはボイスチャットで情報伝達できるけれど、もう一人のソロの人とは意思疎通できないのではないの?」

 

「……ほんと、よく気がつくなぁ。一応ゲーム内にもボイスチャットができる機能がついてるから、それ使えば報告とかはできるよ。ボイスチャット使いたくないっていう人には普通のチャットもあるし、チャット打つ暇がなかったら、ここにアイテムとか銃とか落ちてるよ、ここに敵が見えるよ、とかっていうふうに使えるシグナルがあるから、大雑把には連携が取れるようになってるの」

 

「なるほど、よくできてるわね」

 

「……まぁ、そういう機能があるのと、そういう機能をちゃんと使ってくれるかどうかはまた別の話なんだけどね……」

 

 友だちとかで組んでいない、その場限りのマッチングでチームを組むというのはギャンブルみたいなものだ。力量もわからないし、どういう考え方を持っているかもわからない。敵の位置やアイテムの位置を報告してくれる人かどうかもわからない。マナーの悪い人もいるしモラルのない人もいる。

 

 なんならわたしは、どんな敵と遭遇するかより、どんな味方とマッチングするかのほうがどきどきするくらいだ。FPSは人の本性を曝け出させるゲームだからね。とくにクラスマッチだとポイントを下げられたくない気持ちが強いから、何かミスしたら暴言が飛んできたり、香ばしいチャットを送ってきたり、いろいろある。

 

『あ、マッチングしたよ、お兄ちゃん。この試合ご一緒する方のお名前は……少年少女Aさん。チャット打っとこっと。〈よろしくお願いします〉っと』

 

『うん、挨拶は大事だね。少なくともこの試合は背中を預ける仲間なんだから。〈よろしくお願いします〉と……ん? 少年少女さんのチャットが……』

 

『……うん。なんだかスパムメールみたいなチャットがきてる……。お、お兄ちゃーん……こ、これどう受け取ったらいいのー?』

 

『ええと……とりあえずは普通にやっていこうか? 何か事情があるのかもしれないし……』

 

 二人が礼儀正しく丁寧な挨拶をしていると、今回のマッチング相手からキーボードの上を猫が歩いたみたいなローマ字の羅列が届いた。誤字にしては最初から最後まで誤字り過ぎだし、かな表記にできていないのだとしても意味が伝わらない。

 

 戸惑いに若干の恐怖を混ぜたような声で話す二人に、もう一度少年少女さんからチャットがきた。

 

『あ、また……お兄ちゃん! 〈配信見てます〉だって! 少年少女さん、リスナーさんだったよ!』

 

『わあ……有名な配信者さんならリスナーさんと一緒のマッチングになるのわかるけど、まさか僕たちの配信でそれが起きるなんて思わなかった』

 

『やったね、少年少女さん! 今回ポイント盛れるよ!』

 

『うぐっ……マイナスにだけはならないように気をつけるよ』

 

『マイナスじゃないよ、三桁プラスだからね。ん……あははっ! 少年少女さんから〈オーダー従います〉だって!』

 

『……たとえクラスマッチの昇格戦でもこんなに息苦しいことないよ……。いや、頑張るけどさ』

 

 そんなゆるいやり取りをしながら、三人は戦場へと降り立った。

 

 そこそこ高めのクラス帯でのマッチングということもあるのか、少年少女Aさんも中々に動きがいい。

 

「飛行機から同時に降り始めたのに、別々のところに降りてしまうのね」

 

「別々っていうか、ちょっと離れたところに降りないといけないんだよ。こういうFPSって建物の中とかちょっとした広場とかに銃とか弾とかアイテムが置かれてるんだけど、一緒のところに降りちゃうとそれだけ回収できる物資の量が減っちゃうからね。近くに敵のパーティが降りてきてるとか、そういう事がない限りは別々に降りるほうが効率がいいの」

 

 ふむふむ、と頷きながらあーちゃんは画面をじっと見る。

 

 近くに敵も来ていないし、そんなに凝視していても面白くはないと思うけど。

 

『礼ちゃんは何持つ? アサルトライフルでいい?』

 

『そうだねー。見つからなかったらサブマシンガンか、スナイパーライフルかなー。お兄ちゃんは?』

 

『僕はせっかくだからピストル持とうかな。イラストで持っていたんだしね』

 

『いいねそれ! それじゃ私はアサルトライフル二丁持ちだ! 少年少女さんはふだんはなに持ってますか?』

 

『……少年少女さんチャット早いですね。〈基本的にはSG・SMG・ARです〉……なるほど、わかりました。接近戦がお好みなんですね。礼ちゃんがアサルト持つこと考えると、この編成なら僕はピストルとマークスマンかスナイパーか、って感じかな』

 

『いっそのことお兄ちゃんもサブマシンガンとかショットガンでいいんじゃない? 見敵必殺だ! あ、あったよー。最強ピストル、スウィングワン!』

 

『ありがとう。それがあるなら……うーん、どうしようかな。少年少女さんは近距離戦がお好みみたいだし、礼ちゃんもどちらかといえば前に出るほうが好きだし、その上僕までショットガン持って近距離に寄っちゃうとムーブに幅を持たせられなくなっちゃうしなあ……』

 

『いいじゃんいいじゃん! ぜんぶ倒したら問題ないよ!』

 

『キルムーブは不確定要素が発生しやすいから順位が安定しないんだよね。中距離から遠距離はもうスウィングワンでいっぱい頑張るとして、アサルトライフルは弾がなくなりそうだしサブマシンガンかな。今回は高順位を目指してるし、手堅く行こう』

 

『サーチアンドデストロイはまた後でかー。あ、ちなみに高順位じゃなくて一位だからね』

 

『さらっと流せなかったか……』

 

 お喋りしながらも手は止まらず、素早く物資を回収し終えた恩徳さんたちは再集合して移動を始めた

 

「漁るの早いなぁ……」

 

「ねぇ、雫。仁義君が鉄砲の種類を聞いたのは、交戦距離を考慮してのことなのかしら?」

 

「あ、うん。それもあるんだけど、弾薬の都合もあるんだよね」

 

「弾薬……そういえば銃や他のアイテムとは別に弾がどうのと言っていたわね」

 

「そうなの。銃を拾えば無限に撃てるわけじゃなくて、銃に対応した弾薬を拾っておかないと撃てなくなっちゃうんだよ。パーティメンバーがみんな同じ弾薬使ってると終盤あたりで足りなくなってくるから、できれば違う種類の銃を持っておいたほうがいいの」

 

「……そんなことまで考えないといけないのね。難しいわ」

 

「まぁ……そのあたりは慣れだよ。途中で武器持ち替えたりもできるんだしね」

 

 なんなら銃や弾薬以外にもアタッチメントも影響するので考えることはもっと多くなる。けど、そこまで話し始めるとあーちゃんがFPSに苦手意識を持ってしまうかもしれないので控えておく。

 

 もしかしたら恩徳さんの配信を機に、あーちゃんもFPSをするようになるかもしれないのだ。沼に引き摺り込むためにも、余計なことを口走るのは慎もう。

 

 しばし戦場を移動していた恩徳さんたちの歩みが止まる。少年少女さんからシグナルが発せられたのだ。

 

『第一村人発見! 結構遠いのに、少年少女さんよく見つけましたね!』

 

『ありがとうございます。ちゃんと銃にも敵にもシグナル示してくれるのは助かります。人によってはやらない人もいるからね』

 

『そういうところがマッチングの怖さだね。じゃ! あの敵倒しに行こっか!』

 

『いや……行かないけど』

 

『なんで?!』

 

『こ、怖いよ、声の圧が……。今前方で走ってるパーティが向かってるのは……だいたい東北東方向でしょ?』

 

『うん? ……うん、そうだね』

 

『さっき僕たちが漁ってた建物の南にいたパーティも東方面に移動してた。僕たちは次の収縮がどこになるか確認できなかったけど、他のパーティの動きを見るにきっと東や北東あたりなんだと思う』

 

『ふむふむ。いや、敵いたんなら報告してよ!』

 

『いるって言ったら突撃してたでしょ』

 

『してたね』

 

『だから言わなかったんだよ。南のパーティはこっちに詰めてくる素振りもなかったしね。で、あの前方のパーティもおそらくは安地に向かって移動してると思うんだけど、ここで問題なのは、あのパーティのさらに西方面にも一つパーティが降りてたってこと』

 

『え? 銃声はなかったよね?』

 

『降下中にできる限り付近に降りるパーティの確認はしてるよ』

 

『おー、さっすがー!』

 

『オーダー任されてるんだから、これくらいはね。西に降りたパーティは敵を避けてそっちに流れたんだと思う。西のパーティが向かったところは他のスポットと比べると物資に乏しいから、あまり望んで行ったわけじゃないだろうね。でも、多少物資的に厳しくても収縮は真逆だからすぐに動かないといかない。道中の物資はほとんど漁られてるだろうから、進みも早いだろうね。今頃はもう……僕たちの前方に見えるパーティの背後についているんじゃないかな?』

 

 恩徳さんのその言葉が合図になったかのように、視線の先で光が瞬き、銃声が響いた。

 

『わー! ほんとに戦い始まった! お兄ちゃんの読みって本当によく当たるね! でもそれはそれとして戦いたい!』

 

『言うと思ってた。だから僕たちは西から迂回しようか。タイミングを見計らって攻めよう。多少心苦しいけど、漁夫はするのもされるのもバトルロイヤルの定めだからね』

 

『やたーっ! 戦だー!』

 

『れ、礼ちゃん? わかってると思うけど、すぐに撃っちゃだめだからね? 今攻め込んだら漁夫じゃなくてただの三つ巴になっちゃうからね? わかってるよね?』

 

 再三再四戦場に響き渡る剣呑なBGMとは裏腹に、彼らはまるでピクニックにでも赴くように陽気なお喋りをしながら移動を再開した。

 

「オーダーという役割は考える事が多そうで大変ね。冷静さを保ちつつ視野を広く持った上で、敵の部隊がどう動くかも推測しなければいけないなんて」

 

「い、いや、いやいや……オーダーっていうのは、こんな予知みたいなことまでする人のことじゃないよ……」

 

 オーダーする人は大変。そこは同意だ。相手の動きに合わせて攻めるか引くかを思案して、常にパーティメンバーの報告に耳を傾けて指示を出しながら、横槍を入れられないように自分たちの周囲にも注意を払わなければいけない。なおかつオーダー役自身も戦闘に参加することになる。負担の大きい役回りで集中力を戦闘以外にも割かなければいけないため、オーダー役を務める人のスコアは上がりにくい。

 

 間違いなく、オーダーする人は大変だ。

 

 でも、恩徳さんのやっていることはオーダーのそれとはまた別物な気がする。きっとこれはまだ恩徳さんの天稟の、その片鱗でしかないのだろう。レイちゃんは、まるでいつものことだとでも言うように、このような度し難いオーダーに対して反応をしていないのだから。

 

『あ、キルログ流れたよ、お兄ちゃん。どうする? もう行く?』

 

『うーん、僕たちにはどちらも気がついていないみたいだし、安全に行こう。どちらかのパーティが中遠距離から一人落としたんだ、きっと詰めに行く。僕たちの位置だと……そうだね、ショットガンの音がし始めたくらいで動き始めよう。リスクの高いことをする必要はない。彼らが疲れたところを僕らはおいしくいただこう』

 

『それだといっぱい戦えないー』

 

『今回ばかりは言うこと聞いてもらうよ。なんせ、このマッチは絶対に勝ち残らないといけないんだからね。でも安心して、礼ちゃん。後から嫌ってほど戦ってもらうから』

 

『おー! お兄ちゃんのオーダーがあるならいくらでもどんとこいだ!』

 

『信頼が(あつ)すぎるよ……。プレッシャーをかけたつもりが逆効果になってしまった……ん? 銃声の比率が変わってきたね。両パーティとも、被弾が増えてきたんだ。そろそろだよ。近づいておこうか。静かにね』

 

 これまで敵に発見されないように必ず遮蔽物を一つは隔てて動いていたけれど、ここにきて大胆に動き始めた。サブマシンガンでも充分に交戦可能な距離にまで近づいている。

 

「……まだ撃たないのね。なんだか観ているだけなのにどきどきするわ」

 

「……うん、すごくどきどきする。わたしだったら、あんな無防備な背中見せられたら我慢できずに撃っちゃうよ」

 

 スコープなしでも狙えるくらいの位置にいるのに敵が恩徳さんたちに気づかないのは、その敵が今まさに戦っていた相手を追い詰めているところだからだ。後退していく敵を仕留めるために前へ前へと進んでいて、後ろは全く警戒できていない。目の前の獲物に集中しているのだ。

 

 だからこそ、恩徳さんたちは安全に距離を詰めていける。注意を向けられていないから距離を詰めて、高い位置から俯瞰して絶好の機会を待っている。

 

『手前のARフォーカス。二、一、ファイア』

 

 端的な指示で的を絞り、同時に三つの銃口が火を噴いた。集中砲火を浴びた敵は──おそらく撃たれた本人ですら何が起こったのかわからなかっただろう──数秒と耐えることもできなかった。恩徳さんたちのパーティを視界に収めることもできずにダウンした。

 

AR(エーアール)というのはアサルトライフルの略かしら? ならフォーカスというのは、さっき雫が言っていた狙いを一人に絞ることなのね。アサルトライフルを持っている敵をタイミングを合わせて全員で攻撃して倒しましょう、という指示で合ってる?」

 

「お、うおお……合ってるよ」

 

「そう、よかった。ふふっ、ちょっとずつ仁義君たちが何をしているのか、どんな話をしているのか理解できるようになってきたわ」

 

「ちょっとずつじゃないけどね……」

 

 知識だけなら三段飛ばしくらいで駆け上がってるよ。

 

『まず一枚!』

 

『うん、ナイス。礼ちゃんは左から、少年少女さんは右から回って建物中の二人を挟んで。僕は建物前のショットガンをやってから入る』

 

『おっけー!』

 

 敵パーティの一人をダウンさせるや、すぐに恩徳さんは二人に指示を出した。

 

 当の恩徳さんは建物の上をジャンプしながら移動して高所の有利を維持しつつ、言った通りに建物前にいた敵へとエイムを合わせる。

 

 もう敵も漁夫に襲われていることには気がついているけれど、姿はまだ視認できていない。

 

「うわっ……エイム良……」

 

 見当違いの方向を見ていた敵の頭に、落ち着いてまず一発。すぐに撃ち返してくるも距離が開いているせいで敵のショットガンは満足なダメージを望めない。その間にもう一発。

 

 威力は申し分ないけれど連射が利かないピストル(スウィングワン)を、まるで訓練場の的を相手にするかのように当てていく。

 

 エナジーコートと呼ばれる防護フィールドを破り、本体にもがっつりダメージが喰い込んだ敵は、位置も武器も圧倒的に不利であると察し、たまらず物陰に隠れた。

 

「え、降りたっ」

 

 敵が物陰に入ると同時に、高所から一方的に攻撃していた恩徳さんはピストルからサブマシンガンに持ち替えて、建物の屋上から飛び降りた。

 

 物陰に隠れていた敵を真上から撃ち据える。爽快感すらある連続するヘッドショット判定の効果音。

 

 相手は一度射線を切って武器を持ち替えようとしていたのか、はたまた回復をしようとしていたのかわたしにはわからなかったが、結果として銃弾の雨に成す術なくダウンした。

 

『お兄ちゃん合わせる?』

 

『こっち終わったしそうしよう。三、二、一、ゴーゴーゴー』

 

 カウントダウンの間にリロードを済ませて『ゴー』のタイミングで入口のドアから銃口を突き入れる。

 

 レイちゃんと少年少女さんは、おそらく窓や裏口に回っていたのだろう。敵がどこに身を隠そうとしても、三方向からではすべての射線を切ることはできない。

 

 もともと恩徳さんたちが介入する前から戦っていたこともあってか、建物内にいた敵二人は恩徳さんがマガジンを替える前にダウンした。

 

 どうやら敵のパーティは片方が残り一人、もう片方のパーティは三人全員残っていたようだ。それを人数が多いほうのパーティから各個撃破していった。理想的なゲームメイクだ。

 

『ナイスー!』

 

『ナイス。うまく行ったね。少年少女さんもファイト強いですね。頼りになります』

 

『いい感じに漁夫れたね! おー少年少女さんも〈ナイスオーダー〉だってさ!』

 

『あはは、ありがとうございます。有利な状況に加えて味方は頼もしいとなれば、さすがにあれでは負けられません』

 

 お互いにプレイを(たた)えながら、恩徳さんたちは棺桶になった敵の物資を回収していく。回収するスピードもまた早い。

 

「プレイヤーが倒されると箱になるのね」

 

「うん。その棺桶には倒した敵が持っていた武器やアイテムが入ってるから、こういうところで弾薬やアイテムを補充したり、使い慣れてる銃とか強い銃とかに交換したりするんだよ。これからの戦いを有利にできるし、敵を多く倒しておいた方がクラスポイントにボーナスがつくから、そういう面でもメリットがあるね」

 

 だからといって、無理に遭遇する敵全員と交戦していると強いパーティとかち合ったり、戦っている最中に横槍を入れられたり、物資を切らしたりして負けることも多くなりがちなので、攻めるかどうかの見極めも大事だ。

 

「それにしても、危なげない戦いだったわね」

 

「漁夫に……戦闘中の敵を狙いに行ったっていうのはあるけど、それにしたってあれだけ早く倒した上で全員ほぼ無傷はすごいよ」

 

 迅速に戦闘を終えられれば態勢を整える時間を作れる。ここで仮に、さっきの戦闘音を聞いて別の敵パーティが攻めてきても、何の問題もなく押し返せるだろう。なんならこのメンツなら返り討ちにしそうだ。

 

『さ、そろそろ僕たちも安地内に寄っておこうか。結構離れてることだしね』

 

『おー! 勝つぞー!』

 

 目ぼしいアイテムを回収し終えた恩徳さんたちは、再び移動を始める。目指すは、続々と他のパーティも集結しつつあるだろう北東のエリアだ。

 




しばらくFPS配信です。ライブ配信的な雰囲気出てたら嬉しいです。

*スパチャ読み!
セルキーさん、スーパーチャット、ありがとござます!
Gatgatさん、スーパーチャット、アリガトゴザイマァス!
goatttさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
他羅湖牌須田さん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!


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まさしく人外(悪魔)じみている。

 

 時には敵パーティを壊滅させ、時には近くを通る敵パーティをスルーして、恩徳さん率いるパーティは終盤まで順調に勝ち残った。

 

 だが、とうとうパーティメンバーから犠牲者が出てしまう。

 

 安全地帯内の有利ポジション確保の競り合いの中、ここまで最前線で活躍していた少年少女さんが集中砲火を浴びて健闘虚しく落とされてしまったのだ。結果的に敵パーティは殲滅できて有利なポジションをもぎ取れたものの、優秀な前衛を欠いてしまうという厳しい状況となった。

 

『ごめんなさいー! カバー間に合わなかったー……』

 

『しょうがないよ、相手が強かった。チームワークも良かったからね。〈ごめんなさい。前出すぎました〉……いえ、あの状況で時間をかけすぎると南東に見えていたパーティに挟まれていた可能性もありますから、無理をしてでも前に詰めるという判断は間違ってませんよ。お互い最善を尽くした結果だから、反省はこれでお終いね』

 

『うん……少年少女さんのぶんまで私がんばるよ』

 

『頑張って。あ、少年少女さんも〈レイラさんがんばって〉って応援してくれてるよ』

 

『よっし! 気合い入った!』

 

『リバイブクロスが落ちてれば一番よかったんだけど、倒した敵も持ってなかったからね……。この安地内にチャーチはないし』

 

『ないものは仕方ないよ。でも少年少女さん、絶対一位まで連れていくからね!』

 

 そう意気軒昂に声を上げながら、レイちゃんは少年少女さんの棺桶から認識票を拾い、恩徳さんのそばへと駆け寄っていく。

 

 一区切りついてから、あーちゃんがわたしに目を向けた。

 

「一度倒されても生き返らせることができるの? 仁義君の口振りだと、そういうアイテムがあるような印象だったけれど」

 

「まずリバイブチャーチっていう、死んだ仲間を復活させられるポイントがマップにいくつかあってね。それの携帯式みたいなもので、リバイブクロスっていう蘇生アイテムがあるんだよ。すっごい時間かかるし遮蔽物の近くでは使えないし、使った時のエフェクトが派手だから敵を呼びやすくて危ないんだけど、キルされた味方を復活させられるから使えれば人数差の不利は返せるね」

 

「なるほどね。そのアイテムを持ってなかった、ってことなのね」

 

「そうだね。弾薬とか回復アイテムと違って、数が少ないんだよ、そのアイテム」

 

『あのパーティだ。絶対に(はじ)くよ。こっちに来させないようにしよう。彼らには東に回るルートに行ってもらう』

 

『弾く了解』

 

 わたしがあーちゃんに説明している間に、恩徳さんたちはさっきも話に出していた南東から寄ってくるパーティを牽制していた。まだ三人全員が生存しているパーティだったけれど、地理的優位と二人のエイムの良さで人数差を覆す。

 

 数度ほど銃弾のやり取りが行われたが、ダメージトレードがあまりにも悲惨なことになったからか、その敵パーティは離れていった。

 

「ダメトレ圧勝してる……。なんであんなにスウィングワンがあたるの……。わたしの知ってるスウィングワンと性能が違う……」

 

「ダメトレ?」

 

「あ、ごめん。ダメージトレードの略で、撃ち合って与えたダメージと受けたダメージがどっちが大きいか、みたいなこと」

 

「……ああ、そういうこと。そのダメージトレードで勝っていれば相手に攻め入る、負けていれば後退する……そういう攻めるか退くかの判断材料になるということね」

 

「……頭の回転数がわたしと違うのかな?」

 

 わたしがダメージトレードの重要性に気づいたのはつい最近なのだけど、あーちゃんはすぐにその価値に気づいたようだ。わたしとあーちゃんでは情報と情報を結びつける能力に開きがある模様。

 

『思うんだけど、あのパーティ、今から安地向かって間に合うのかな?』

 

『安地の東、廃工場は確実に一パーティ入ってるから難しいかな。かといって北東の無人住宅地には、回復アイテムの量にもよるけど十中八九間に合わないね。間に合っても回復かなり使って無理矢理延命しながら入ることになるから、そこからの戦闘がだいぶ苦しいよ』

 

『わあ……ご愁傷様だ』

 

『これもバトルロイヤルの常だと思って、今回はお勉強してもらおう。僕たちだってここは譲れないからね』

 

 そう言いながら、恩徳さんは安地の外に向けていた目を内側に向ける。

 

 彼が立つ見張り台と呼ばれる場所は安全地帯内でも高度があり、周囲を見渡すことができて他のパーティの動きを察知しやすい、良いポジションだ。だからこそ、少年少女さんが倒されてしまうほどにこの場所の奪い合いが苛烈になったのだ。

 

「たしか安全地帯を示すラインの外側だとダメージを負うのよね。見ていた限りだとそこまで大きなダメージではなかったように思うけれど……」

 

「前半の収縮だと安地外で受けるダメージはそこまで痛くないんだけど、終盤になるにつれてダメージが重くなっていくんだよ。今の安地外ダメージは常に回復使ってても相当苦しいね」

 

「なるほど……。見ていて思ったのだけれど、今仁義君たちがいるエリアは自由に入れない場所なのかしら? 入口が限られているような言い方に感じたわ」

 

「そうなんだよ。今回安全地帯になった一帯は工廠跡地って呼ばれてるとこなんだけど、このエリアは岩山に囲まれてて通れる道が限られてるの。恩徳さんたちがいる南南西の見張り台、北西にある高台、東の道から入れて中央近くまで伸びてる廃工場、北から北東にかけて広がってる無人住宅地、この四方向だけ。そのせいでバトルが起こりやすくなってる。安地に近かったパーティは先に入ってればいいけど、安地から遠かったパーティはどうしたって後入りすることになるから、そのせいで移動が被って戦闘になりやすいんだよね」

 

 この安全地帯だとマップの北や東に降下したパーティに有利すぎるようにも思えるけど、地の利は工廠跡地の南や西にある。安全地帯内に入ることができれば優位に立ちやすいので、その辺りのバランスは取れているのかもしれない。

 

 仮に安全地帯内に先入りして見張り台や高台を確保しようとしても、後から続々と押し寄せるパーティと連戦することになるので、先に入って押さえるにしたって厳しいポジションなのだ。恩徳さんが苦戦を強いられても力づくで奪いにいったのは、それだけ有利になるからだ。

 

『あ、キルログ流れたね。さっき僕らが弾いたパーティが、東を固めてたパーティに潰されちゃったのかな』

 

『住宅地までは持たないって考えたのは正解だったけどね』

 

『そうだね。ただ外から入ってくるパーティと廃工場側のパーティとの撃ち合いだと、外から入る方が圧倒的に不利なんだよね。道はほとんど平坦で遮蔽物も多くないし、なにより入口が一つしかないせいで侵入しようとしてもすぐ見つかっちゃう。対して廃工場側は工場の二階や屋上に登って高所の有利を取れるし、入り口を覆うように三方向に分かれて待っていれば射線も複数通せる。同じ力量だと仮定すると、外から入るのは無理筋だよ』

 

『おー、勉強になる。それじゃこういう場合、どう動いていれば生き残れたの?』

 

『安地が遠ければ、もういっそのこと最低限だけ物資を漁って、その分移動を早くして先に安地に入っておくのがイレギュラーが少ないかな。それ以外で言うと……そうだね。僕たちが見張り台を取った時の戦闘で、もう少しさっきのパーティの攻める判断が早ければ、僕たちが戦っているところに間に合ってたでしょ? 戦闘終了間際の時に、回復する暇もないくらい早く漁夫に来られていたら勝敗はどうなっていたかわからなかった。分水嶺はあそこだったね』

 

『あー……攻める判断かー……。パーティ全滅のリスクを背負ってる時の判断って難しいよね。責任が重いもん』

 

『それはあるけどね。でも攻めに向かうポジションが有利なポジションだったことと、収縮の時間的に他のポジションはすでに確保されているだろうことを考えると、攻める判断はギャンブルでも自暴自棄でもなんでもない真っ当な戦略。それで負けたとしてもオーダーが責められる謂れはないよ』

 

『でも野良で組んでると責められるよ。みんながみんな、少年少女さんみたいに理解と良識があるわけじゃないもん』

 

『それはそう』

 

 そんなFPSのダークサイドを語るような兄妹の話に、少年少女さんは〈勉強になります〉とチャットを打っていた。この少年少女さんは特にいい部類のプレイヤーだけど、こんなにいい人ばかりではないのだ。

 

『そうだ! この前だってさあ! 私がっ』

『さ、気を取り直してここから頑張っていこうね! まだまだ油断できないからね、礼ちゃんの格好いいところ見せてほしいなあ!』

 

 何か嫌な記憶を思い出したらしいレイちゃんの口がスピンアップを終える前に、恩徳さんが言葉を被せた。不機嫌さを滲ませたレイちゃんの言い方で、ここから機関銃のように愚痴が飛び出すと予感したのだろう。さすがは長年レイちゃんのお兄ちゃんをしているだけある。

 

『うんっ!』

 

 声だけでレイちゃんは満面の笑みを浮かべているのだろうなと想像がつくくらいに、レイちゃんは朗らかに可愛らしく返事をした。恩徳さんと一緒にいるレイちゃんはどこか言動が幼くて、一々心をくすぐられる。なんなんだろう、この感情は。もしかしてこれが母性か。

 

「いいわね……」

 

「…………」

 

 ぼそりとあーちゃんが呟いた。そのあまりにも本気過ぎるトーンに、若干引く。

 

「……違うわ。違うわよ? さっきのは……礼愛さんと仁義君の絡みに尊さを感じた『いいわね』だったのよ」

 

「絶対違うよ。レイちゃんへの羨ましさと妬ましさが滲んだ『いいわね……』だったよ。声がじっとりしてた」

 

「いや、声がじっとりしてたはもはや悪口でしょう」

 

「あーちゃんが怪しい気配を出すのが悪いんだよ」

 

『お兄ちゃん、ここからどうするの?』

 

『安地収縮が迫ってくるまではこちらからは動かなくていいよ。こっちに上がってこようとしてくるパーティがあれば弾くくらいだね』

 

『他で潰し合ってくれるのを待つってこと?』

 

『そういうこと。徒にヘイトを稼ぐ理由もないしね』

 

『つまんなーい。退屈だよー』

 

『そう言われても……うーん、どうしようかな』

 

『ん? 戦っても大丈夫なとこがあるの?!』

 

『まあ、あと少し待ってくれたら、かな。さっき安地中央から寄ってきたパーティを弾いたけど、そのパーティは安地中央の集荷場に戻ったよね。きっとあのパーティは集荷場にいると次の収縮のタイミングで複数のパーティに囲まれて潰されるって考えてる』

 

『まあ、これだけパーティ残ってて中央にいたいとは思わないよね。集荷場は遮蔽物はあるけど、高さで負けてるから集まってこられたら真っ先に潰されちゃうだろうし』

 

『そう。勝ち残るために高所を取ってうまく立ち回りたいけど、僕たちの見張り台は取れそうにない。だから今度は北西の高台を狙いに行った。でも高台だってそう簡単には取れない。おそらく高台のパーティは一人だけになってるけど、投げ物次第で耐えることはできる。きっとすぐには奪えない』

 

『どうして高台のパーティは一人だってわかるの?』

 

『残り六パーティで生存者の人数が十五人。そのうち僕たちのパーティは二人だから、僕たちを除くと残り五パーティで人数は十三人になるよね。中央の集荷場のパーティは三人いることを目視できた。東の廃工場のパーティは、外から入ってきた三人生存のパーティを問題なく倒してる。人数差があったらいかに有利なポジションでももう少し苦戦するだろうし、おそらく三人だと仮定。北の住宅地は遠くてさすがに銃声の判別はできないけど、音は聞こえる。戦いが長引いてるから戦力は均衡してるんだろうなって考えられるよね。北の住宅地の二パーティがどっちも二人組って可能性もあるけど、その場合高台のパーティは三人ってことになる。でも三人残ってるにしては高台からの動きが少なすぎるんだよね。中央や北に牽制や嫌がらせできるのが強みなのに、そんな素振りがまったくない。ヘイトを買いたくないんだ。三人生き残ってるんだとしたら、どれだけヘイトを買ってもポジションの強みもあって踏み潰せる。ならヘイトを買いたくないのはなぜか、ポジションの強みで取り返せないくらいの弱みがあるから。そう推測したら、高台は一人なんだろうなって』

 

『ふふっ、くふふっ』

 

『え、なに? 間違ってる? おかしかったかな?』

 

『ふははー! どうだー! お兄ちゃんはすごいだろー!』

 

『な、なにがなんだか……残りのパーティ数と人数を計算しただけなんだけど……。えっと、続けていい? 中央のパーティは高台を狙いに行くはずだけど、僕たちと戦って消耗した中央のパーティは高台をすぐには攻め切れないと思う。その間に安地の端にいた廃工場のパーティはリングの収縮前に、無駄に撃たれないように工場の中を通りながら中央に寄ってくる。だから僕らが戦うとしたら、中央に詰めようとしてる時の廃工場のパーティだね』

 

『それまでちょっと待つってことだね。了解!』

 

『なんだか急に元気に……まあいいか。元気なのはいいことだ』

 

 恩徳さんはゆったりとした口調でのほほんと構えているが、コメント欄はすごいことになっていた。

 

 これは別にFPSに限った話ではないのだけど、配信者にコメントで〈あの場面はああした方が良かった〉だとか〈ここではこうしないといけないでしょ〉みたいな、指示をするリスナーが現れることがある。こうした方がもっと良くなるよ、という善意で教えようとしているリスナーもいる一方、配信者のプレイの粗を探したりミスを指摘したいだけの底意地の悪いリスナーもいる。

 

 ふつうの配信者でもそういう指示を出してくるリスナーは一定数現れるのだから、恩徳さんの配信では悪意あるリスナーがたくさん現れるのではないか、そういうコメントを見て恩徳さんが配信をやりづらくなったり、傷ついたりすることもあるのではないかと私は内心不安だった。

 

 それがどうだ。今コメント欄は、恩徳さんのプレイングを賞賛する声が多数上がっている。そもそもここまでの立ち回りといい対面での撃ち合いといい、文句をつけられないレベルなのだ。非の打ち所も、火のつけ所もない。エイムがどうのと文句を言えば、ならお前はこれ以上の腕なのか、という一言で黙らされることになる。負け犬の遠吠えのように〈チートだろ〉みたいな的外れなコメントを打つ以外にできない。

 

 おそらく、恩徳さんの配信を荒らそうとしている人はFPSに触れたことがないのか、もしくはこれまでちゃんとFPS配信を見たことがないのだろう。見当違いも甚だしいコメントが散見されている。対人戦の駆け引きというものを知らない人だ。

 

 Noble bullet(貴弾)を実際にプレイしたことのあるリスナー、あるいは他の配信者さんのところで視聴したことのあるリスナーには、Vtuberの枠を超えている恩徳さんの凄さが伝わっている。特に視野の広さと読みの深さが、まさしく人外(悪魔)じみている。

 

 エイムがとびっきりいいとかキャラコンがお化けみたいな人はまだいるけれど、まるで戦場を俯瞰しているような、盤上の掌握能力がここまで高い人をわたしは見たことがない。本当に悪魔なのではないかと思ってしまうほどに、プレイヤー(人間)の心理を見透かして、読み切っている。

 

 恩徳さんの言葉通りに敵パーティが移動し始めた時は総毛立った。どういう感情が起因して起こったのかは、自分でもわからない。『すごいな』と賞賛する気持ち以外の感情が、同時にあった。

 

『廃工場のパーティは、見張り台に敵がいるという前提で動いてるね。南側の窓に近づかないようにして極力射線が通らないようにしてる。えらいね』

 

『どうする? このままだと中央の集荷場と廃工場の人たちぶつかるよね? 撃ち合い始まってから行く? たぶんあのパーティ、移動中は警戒してるよ』

 

『……いいや、やるなら撃ち合いが始まる前だよ。タイミングよく漁夫に入れるかわからないし、たとえ一人だとしても高台のプレイヤーが気がかりだ。なにより集荷場のパーティは最後のほうまでずっとあそこにいてほしいんだよね。だから集荷場のパーティは放置する。それで廃工場のパーティだけど、既に見張り台に敵が入ってることを前提に動いてて、戦い始めたら漁夫に来られる可能性を考慮して背後を警戒するはず。僕らが動くのは、廃工場のパーティが見張り台よりも中央の集荷場に近づいた時。廃工場のパーティの人たちに「やっぱり見張り台のパーティは次の収縮まで大人しくしているのかな」って思わせて中央の集荷場の敵を意識し始めるくらいの位置で奇襲する。ただ、時間をかけ過ぎると僕らと廃工場のパーティが戦っている時に集荷場のパーティが漁夫に来ちゃうから、短時間で攻め落とさなきゃいけない。人数不利もあるし廃工場は遮蔽物が多くて射線を通しにくいから、僕は廃工場の屋根上から向かうよ』

 

『屋根上? 前にやった時、屋根上は見つかりやすくて危ないって言ってなかった?』

 

『うん、とっても目立ちやすい。屋根上は体隠す所も少ないし、屋根の傾斜で射線切るのも限界があるし、フォーカスされたら屋根を降りる前にダウンしかねない。だけど今回は大丈夫。高台のパーティは一人しかいなくて、中央の集荷場のパーティを弾くので手一杯。無人住宅地の二パーティは戦闘が泥沼化してる。こっちを警戒する余裕のあるパーティはいない。他のパーティがどういう状況になってるか予想しておくと取れる選択肢が増えるから、ふだんから考えておくのが大事だよ、礼ちゃん』

 

『お兄ちゃんくらいいつも考えてたら一マッチだけで私の脳みそ沸騰しちゃうよ』

 

『ゆっくりでいいよ。いずれ慣れるから』

 

『……お兄ちゃんは慣れるくらい長時間このゲームやってないよね? 私と一緒にやる時以外で貴弾つけてるとこ見たことないけど』

 

『続き話すね! 廃工場の天井の窓は開いてるところがあるから、僕はそこから投げ物使って攻める。廃工場の内部は障害物がたくさんあって射線も切りやすいけど、その障害物のせいで咄嗟に移動しにくいんだよね。投げ物が刺さりやすいから、まず礼ちゃんが後ろから撃って、敵が遮蔽に身を隠したところを僕が投げ物と不意打ちでどうにか一人落とす。最速で二対二の構図を作って、相手が態勢を整える前に攻め崩そう』

 

『了解! ……今から向かって廃工場の屋根上で待ち構えるのって、間に合う? 屋根上に上がる階段があるところ、見張り台からは遠いよ?』

 

『倒れてるフォークリフトから積み重なってるパレットに飛び移って、街路灯のポールを蹴って室外機みたいなのに乗って、屋根の端っこの雨樋(あまどい)目がけてジャンプすればぎりぎりで登れるよ』

 

『キャラコン試されるなあ……そんなとこから上がれるなんて知らなかったよ』

 

『位置ついた?』

 

『速いって……ちょっと待って。……うん、到着!』

 

 レイちゃんにどのルートを通るのか話しながら、恩徳さんはとんでもないキャラコンを披露して屋根上に上がっていた。コメント欄にも〈初めて知った〉とか〈キャラコンえっぐ〉などの文字が踊る。リスナーにも驚愕のスキルだった様だ。

 

「キャラコンというのは何の略なのかしら」

 

「キャラクターコントロールだね。キャラクターを正確に動かす能力、みたいな捉え方でいいよ」

 

「それが上手じゃないと仁義君みたいな動きはできない、ということなのね」

 

「ついでに言うとマップの理解度も必要だね。キャラコンだけあっても、さっきみたいに構造物の配置を知らなかったら、いくら上手くても意味ないわけだし」

 

 キャラコンも巧みでマップも知悉している。そのおかげで奇襲へのルートを開けているのだから、とても役に立っている。それはわかる。

 

 けれど不思議なのが、これだけのキャラコンを持っていながら戦闘中にはあまり顔を出さないことだ。まるで自分の体のように自由に操れるのなら、撃ち合っている時もキャラコンで敵を翻弄しそうなものなのに、これまで戦いの中ではほとんど見ていない。

 

 ただ、もっと不思議なことがある。キャラコンで異次元の動きをしなくても、奇怪なことに恩徳さんの被弾は少ないのだ。他の人と同じようにキャラクターを左右に動かしながら撃っていても、なぜか恩徳さんは当たる数が少ない。何がどう違うのか、へっぽこのわたしには見破れないけれど、なぜか躱すのだ。

 

 キャラコンで相手のエイムを乱す必要がないから戦闘中に使わないだけなのか。

 

 真相は本人に聞かなければわからないだろう。

 

『もう少し、もう少し進ませて……今』

 

『おりゃー! 後ろのコート剥いだ! 肉ダメ入ってる!』

 

『ナイス。今は生き残ること優先で』

 

『きゃーっ、反撃すっごい!』

 

 恩徳さんは廃工場の天井についている換気用みたいな窓から中の様子を確認していた。

 

 縦に並ぶように移動していた敵パーティの最後尾のプレイヤーをレイちゃんが撃ったところも、仲間が撃たれたことに気づいた他のパーティメンバーが振り返ってレイちゃんに反撃するシーンも、恩徳さんはしっかり画角に収めている。もう少しレイちゃんが引っ込むのが遅れていたら、かなり体力を持ってかれていただろう。そのくらい激しい反撃だった。

 

『……うん、動きいいね。よく知ってるみたいだ。でも、だからこそわかりやすいよね。グレぽいして、ついでに火グレもぽいして……』

 

 そんな様子を上から眺めながら、恩徳さんは緩い掛け声とともにグレネードを投げた。続けてもう一個、違う方向へ通称火グレと呼ばれている焼夷手榴弾を投げた。

 

 レイちゃんを牽制で撃ちながら、敵パーティはすぐに遮蔽物に隠れた。パーティメンバーが回復する時間を稼ぐように、残った二人のどちらかは必ず牽制しているところを見るに、中々に熟練したパーティなのだろう。連携が取れている。

 

 ただ、残念なことに、上にいた悪魔に気が付かなかった。

 

 レイちゃんがいる方向に銃を構えたまま入った遮蔽のすぐそばには『おいでませ』と言わんばかりにグレネードがお出迎えしてくれている。そのプレイヤーはレイちゃんに集中しすぎたのか足元のグレネードに気付くことなく近づき、そして爆発した。

 

『一人瀕死、もう一人火グレ入ってる。礼ちゃんはさっきダメージ入れた敵落として。ここにいる』

 

『了解』

 

 恩徳さんは上からピストルで撃ち下ろして、グレネードで体力のほとんどを吹っ飛ばした敵にとどめを刺した。

 

 レイちゃんは恩徳さんがシグナルで示してくれた場所へすぐに移動して、回復中だった敵に追加で弾丸をお見舞いする。回復し終わる前に間に合ったようで、レイちゃんもダウンを取った。

 

 二対三の戦いが、あっという間に二対一になった。その残った一人も、恩徳さんが放った焼夷手榴弾を浴びてダメージを受けている。しかも焼夷手榴弾は爆発すると一定範囲内に持続ダメージを与える火がしばらく残るため、敵は元いた遮蔽に隠れることもできない。

 

 残された敵はやぶれかぶれのように走り出し、天井の窓にいる恩徳さんにサブマシンガンを向けた。

 

 恩徳さんは銃口を向けられる一瞬前に、窓枠を蹴って廃工場の中へと飛び降りた。すぐそばに弾丸が通る音を感じながら、握っていたピストルを少年少女さんから託されたショットガンに持ち替え、相手の頭を狙い撃つ。

 

 相手に狙われて咄嗟に飛び降りたはずなのに、恩徳さんはちゃんとレイちゃんの射線を遮ることないように逆側に降りていた。

 

『がら空きー!』

 

 ヘイトが恩徳さんに向いている以上、レイちゃんはフリーで動ける。落ち着いてエイムを合わせてしっかり頭を撃ち抜いた。

 

 焼夷手榴弾、恩徳さんの至近距離ショットガン、レイちゃんのヘッドショットアサルトライフルと立て続けにダメージを加えられ、敵は満足な反撃もできぬままに地に伏せる結果となった。

 

『おー! 勝利!』

 

『ナイス。礼ちゃんの最初の不意打ちで本体ダメージまで入れられたのが大きかったね。おかげで反撃を少なくできたよ』

 

『お兄ちゃんのオーダーのおかげだよ! 少年少女さんも〈めちゃナイス〉って言ってくれてるよ。少年少女さんありがとー!』

 

『ふふっ、うん。少年少女さんから引き継いだこのショットガンで僕もめちゃ頑張りますね』

 

 相手のパーティもこの終盤まで生き抜いてきていて連携も取れていた。カバーの意識も持っていた。決して弱くはないパーティだった。だというのに、恩徳さんの前言通りの展開で人数不利の戦いを難なく覆してしまった。

 

 驚愕すべきオーダーだ。

 

 おそらく彼は、未来はさすがに見えないのかもしれないけれど、人の頭の中は確実に見えている。そうとしか思えない読みの精度だ。

 

 口を半開きにして呆けているわたしの肩を、あーちゃんが揺らした。

 

「雫、仁義君に見惚れているところ悪いのだけれどちょっといいかしら」

 

「う、うん。大丈夫。見惚れてはないけど」

 

 見惚れると言うよりは、愕然という表現のほうが今のわたしの心境を表せている。

 

「戦闘の真っ只中だったものだからさすがに質問は控えていたのだけど、礼愛さんが報告していたコート? を剥いだとかというのは、どういう意味だったのかしら」

 

「あ、そっか。その説明はこれまでしてなかったっけ。ほら、画面の端に恩徳さんのキャラクターのヒットポイントバーが出てるよね。そのバーのちょっと上に、もう一本バーがあるでしょ? これのことをエナジーコートポイント、通称でコートとかって呼ぶんだよ」

 

「あら、最初からあったのね」

 

「画面の端っこだし、小さいしわかりにくいからね。このコートの役割なんだけど、これはキャラクターのダメージを肩代わりするものっていう認識でいいよ。外部装甲みたいなもので、ダメージを受けると、まずこのコートの耐久値から減ってくの。コートのポイントバーがゼロになったらようやくキャラクターのヒットポイントが減ってくんだよ」

 

「……つまり、さっきの礼愛さんの『コートを剥いだ』という報告は、肩代わりする装備の耐久値をゼロにした、という意味だったのね。『肉ダメが入っている』というのはキャラクター本体のヒットポイントを減らしている、という報告だったのかしら」

 

「そういうこと。味方のヒットポイントは見えるけど、味方がどの敵にどれだけダメージを与えたかっていうのは見えないからね。攻撃を集中させる時にも、攻めるか引くかの判断をする時にも、どの敵がどれほどヒットポイントを減らしているかっていう報告は大事なんだよ」

 

 配信者が話している内容がよくわからなかったら視聴していても百パーセントで楽しめないからね。心置きなく楽しむためにも、疑問に感じた点はなんでも満足できるまで質問してほしい。

 

 まあ、生徒が賢すぎてわたしのほうが不満まであるけど。もっとわたしの口から説明させてほしい。

 

『お兄ちゃん、どうする? このまま集荷場攻めちゃう?』

 

『ちょっと待ってね。…………一旦離れようか』

 

『どうして? 集荷場のパーティも高台のとこと結構撃ち合いしてるし、消耗してるんじゃない?』

 

『消耗はしてると思う。回復も底が見えていると思う。ただ、北の住宅地の戦いにとうとう決着がついたみたいなんだよね』

 

『え、そうなの? ……そういえば音が聞こえないような?』

 

『さっきのパーティとの戦いが終わる直前くらいから北の銃声が鳴り止んでるんだ。僕たちのキルログで流れちゃって確認が難しかったけど終わったみたい。今頃は収縮に備えてできる限りの準備をしてるだろうね』

 

『戦闘中に北の銃声にも意識傾けてたの? お兄ちゃん、マルチタスクすぎない? もしかして脳みそいっぱい持ってる?』

 

『とうとうばれちゃったか。そうだよ、右と左で二つ持ってるんだ』

 

『ふぐっ、それ、うのふふっ、左脳っ、んふふっ……あー、そっかー、だからかあ。ふふっ、くふふ』

 

 日常会話と変わらないトーンでボケる恩徳さんに、堪らずレイちゃんは吹き出していた。笑うのを我慢しようとしているが、ぜんぜん口からこぼれ出ている。

 

 そのレイちゃんの奇妙な笑い方は妙に釣られてしまう。配信を観るリスナーもコメントで草を生やしていた。

 

『収縮は中央付近から北東か東寄りに予想してたけど、中央寄りの東になった。こうなると……』

 

『うん、うん……くふふっ』

 

『大丈夫? 話聞けてる?』

 

『うん、ごめんっ、にゅふっ……んんっ。だいじょぶ。続けて』

 

『聞けてるなら続けるね。この方角に収縮となると北の住宅地はすぐに移動しないと辛くなる。高台は一人ってこともあるし距離的にも間に合う範囲だから、ヘイトを稼がないようにしながらぎりぎりまで上で粘るはず。そうなれば、高台の一人は今すぐに脅威にはならないから一度頭から外していい。となると、残り三パーティで最終円ってことになるね』

 

『あ! 先に手を出したらだめなやつだ!』

 

『偉い。そうだね。先に手を出したら、結局残った一パーティに挟まれることになる』

 

『でもそれは他のパーティもわかってるはずだよね? どうするの?』

 

『僕たちは遠距離から牽制して、北から入ろうとしてくるパーティの足を鈍らせることに徹する。僕らに近づこうとしたら牽制して、集荷場に向かう時は牽制を弱める。リングの収縮がすぐ背後に迫ってきていたら、無人住宅地のパーティは誘導されているとわかっていても集荷場に回り込むしかない。そうしないとその時点で全滅するからね』

 

『そして集荷場のパーティと住宅地から来たパーティを戦わせるんだね!』

 

『その通り。有利な位置にいるんだから、その利点は最大限に行使しなくちゃ』

 

『お兄ちゃんはこういう時はすんごく性格悪くなるよね』

 

『相手が嫌がるところを徹底的に突いて、自分の土俵に引き摺り込んでいくのがFPSっていうゲームだからね。こればっかりは仕方ないね』

 

『うんうん、しかたないねー』

 

『方針も決まったし、位置につこうか。それじゃあ僕は廃工場の屋根上から、礼ちゃんは岩や自動車を遮蔽に使って少し前に出てね。状況に応じて投げ物使っちゃってもいいからね。余裕あるし』

 

『はーい』

 

『ここから正念場だよ、気合い入れていこう。せっかくうまくいってるんだ、どうせなら本当に一位取っちゃおう』

 

 不安さなんて微塵もない。かといって、自分たちの力に驕りがあるわけでもない。ただ、集中して取り組めば問題なく勝てると確信しているような、気負った様子のかけらもない威風堂々泰然自若とした恩徳さんだった。

 



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〈トト◯いるもん……〉

『ここから正念場だよ、気合い入れていこう。せっかくうまくいってるんだ、どうせなら本当に一位取っちゃおう』

 

『おー! 少年少女さん、もう少し待っててね! 一位持って帰るよ!』

 

『〈足引っ張って申し訳ないです。がんばって!〉……足引っ張るだなんてとんでもないです。見張り台を取れたのは少年少女さんが前線で活躍して圧をかけてくれたおかげなんですから。一位取って、その恩を返します』

 

 この最終局面、戦線離脱した戦友への熱いメッセージで、リスナーも盛り上がっている。配信を荒らすようなコメントは、テンションの上がったリスナーの激励のコメントで洗い流されていった。

 

「っ……」

 

 あーちゃんの顔を盗み見れば、コメント欄など意に介さずに、息を呑みながら恩徳さんとレイちゃんの戦いを見守っている。

 

 夢中になって楽しんでいる。あーちゃんも、リスナーも、レイちゃんも。そして、恩徳さんも。

 

「……がんばれ」

 

 今はこれだけ燃えるシチュエーションを積み重ねてようやく普通の配信になるくらいの環境だ。

 

 でも、いずれ。今抱えている問題が片づけば、こんなふうに盛り上がる配信が普通になる。今はつらくても、恩徳さんがいつも楽しく配信できる環境が普通になる。

 

 その時まで、どうか頑張って耐えてほしい。

 

 わたしたちも頑張るから。

 

『……来た。ここは絶対に寄らせないよ。何がなんでも弾いて集荷場にぶつける』

 

『了解。……集荷場のパーティはこっちに来ないかな?』

 

『集荷場のパーティは北西の高台、すぐそばまで来てる北の無人住宅地、そして僕たちがいる東の廃工場と三つに囲まれてる。収縮も考慮して東に移動したほうが合理的だとはわかっていても、心理的に迂闊には動けない。特にずっとちょっかいをかけてた北西の高台に背を向けて移動するのは抵抗が大きい。遮蔽物から体を出せば、自分たちがやったように高台のパーティから撃たれるんじゃないか、という恐れが生じる。背中を撃たれるくらいなら、収縮のリングで押し出されてきた高台のパーティを待ち構えて倒してやろう、そう考える。大胆な決断の際に動きが鈍るあのパーティなら、判断に迷った場合のアクションはおそらく「様子を見る」になる。すぐには動いてこない。無人住宅地から来るパーティに集中していい』

 

『はあー……かっこいい』

 

『…………なんだか恥ずかしくなるから、急にそんなこと言うのやめてね? エイムぶれちゃうって』

 

 無意識に口走ったようなレイちゃんの呟きに、わたしは首が取れるくらい頷きたかった。あーちゃんが隣にいるので控えざるを得なかったけれど。

 

 恩徳さんはレイちゃんと話す時、とても柔らかい口調になる。普段の口調に棘があったり険があるわけではないのだけれど、事務所のスタッフと話す時とは比べ物にならないくらいに穏やかで優しくなる。それだけレイちゃんが特別な存在なのだろう。

 

 でも、さしもの恩徳さんといえども戦闘中など他のことに集中力を割かなければいけない時は言葉遣いまで気を遣ってはいられないようだ。普段よりもほんの少しだけ喋り方が荒っぽくなっている。戦闘中にそれだけたくさん喋れるだけでもすごいけれど。

 

 その若干荒っぽい状態の恩徳さんのことも、レイちゃんは大好きなようだ。ちょっぴりM気質というか、DV彼氏に嵌まりそうで心配というか、わたしとしては複雑な心境。

 

『よし、集荷場に流せたかな。レイちゃん、回復や弾薬は大丈夫?』

 

『だいじょー……あっ、回復少ないかも』

 

『渡しとくよ。少し時間が空くはずだから、準備を整えておこう』

 

『うんっ! ありがと!』

 

 持っている銃を二丁ともリロードし、削られたコートも修復しながら、廃工場の一番高いところに立つ恩徳さんは西の方角に視点を固定する。そちらの方角に、生き残りのパーティ三つ、全てが収まっている。

 

 銃声は絶えず聞こえてきていた。集荷場にいたパーティと無人住宅地から来たパーティの戦闘が始まっているのだろう。

 

 廃工場の上からだと見晴らしがいいので高台の方まで見えていた。

 

 ちょうど高台にある小屋がリングの収縮に呑まれた頃だった。

 

『できれば高台にいた人も戦闘に巻き込まれたりしないかなって思ってたけど、そう都合よくはいかないみたいだね』

 

『そうなの?』

 

『うん。無人住宅地のパーティが詰めてきてから高台の人は一発も撃ってない。ずっと息を潜めてた。集荷場近辺で戦っても得る物が少ないってわかってるんだ。リングの収縮に合わせて高台から移動して、二つのパーティが戦ってる隙に後ろをすり抜けてこっちに来るかもしれない』

 

『でも一人なら問題ないよね? 相手が三人なら真っ正面からの撃ち合いは分が悪いけど、一人だけなら私たちのほうが有利だし』

 

『高台にいた人はとても上手な人だよ。高台の小屋の周りに棺桶が落ちてて物資に余裕があったのかもしれないけど、それでも三人パーティの攻めを一人で耐え切った。高台を攻める時に使える遮蔽の位置をよく知ってるから、それを使わせないように上手く立ち回ったんだ。今だって、二つのパーティが争うのをぎりぎりまで粘って、撃てるチャンスがあるのに我慢して、間隙を縫うように移動している。生き残ろうとしているんじゃない、たとえ一人になったとしてもこの戦場で勝ち残ろうとしてるんだ。そんな人が、短絡的に攻めに来るとは思えない』

 

『あ、それもそっか……。だとしたら……』

 

『自分に置き換えて考えてみて? 礼ちゃんなら、こういう時どうする? どうすれば一番、勝ちの目があると思う?』

 

『私なら……人数の不利はよほどうまく奇襲しないと覆せないって教わったから、策もなくぶつかるのは現実的じゃないでしょ? だから……そうだ! 今戦ってる二つのパーティのうちの生き残ったほうをぶつける!』

 

『そうだね。それが一番勝算を見込めるね。でもリングは収縮し続けている。ぶつけさせて人数が減るまで生き残り続けるには、どうすればいい?』

 

『終盤の収縮は安地外ダメージが痛すぎるから回復を使っての耐久は間に合わない……。なら、私ならできるだけ安地の中央に寄ってハイドする、かな』

 

『うん、僕もそうする。そしてこのゲームへの理解が深いと推測できる高台の人なら、僕たちと同じように考えると思う。見つからないように移動できて、かつこの安地で中央に近いハイドスポットとなると……あの岩裏が一番適してる。あの岩の向こう側は緩やかな傾斜になってて、屈んで動けばリングにちょくちょく焼かれることにはなるけど、僕たちから視線が通ることはないからね。集荷場の戦闘で生き残ったパーティが僕たちのところに来る時のルートにも重ならない』

 

 レイちゃんの手を取って導くようにしながら結論まで辿り着かせた恩徳さんは、視界の端に見えていた岩にシグナルを打つ。

 

 彼の操るキャラクターがその手に握っているのは銃ではなく、グレネードだった。

 

『……つまり、あの裏に』

 

『グレを投げ込む。同時に山なりに投げるよ。遮蔽物を避けるように放物線を描いて、狙ったところに投げる。一緒に練習したもんね? 忘れないように自主練習もしてたんだよね?』

 

『うっ、ぁっ……し、したよ?』

 

『……なんだか怪しいなあ』

 

『ほ、ほんとにしたから! まさかこんな緊張感のある場面でやる羽目になるとは思わなかっただけで!』

 

『そっか。ならよかった。でも安心してね。失敗しても大丈夫だよ』

 

『ゆ、許してくれる? 失敗してもカバーしてくれる?』

 

『失敗したら、またみっちり練習に付き合ってあげる』

 

『ぜったいにはずせないっ!』

 

『いくよー。三、二、一、ぽい』

 

『おねがいっ……おねがいっ』

 

 果たして必死すぎる祈りが届いたのか、レイちゃんの投げたお祈りグレネードは恩徳さんの投げたそれとほぼ同一の軌道をなぞりながら、岩肌を撫でるようにその裏側へと吸い込まれる。その放物線は距離も高さもあったため、放られた二つのグレネードは岩影に到達するやすぐに爆発した。

 

 ここまで命辛々生き繋いだ岩陰にいたプレイヤーは、その飛来したグレネードに気づいたかどうか。気づけていたとしても、避難するだけの時間はなかっただろう。

 

 間近に降り注いだ二つのグレネードの餌食となり、木端微塵に散っていった。具体的にはキルログが流れていた。

 

『うん、綺麗に投げられた。たくさん練習したもんね? えらいよ礼ちゃん。努力の成果出せたね』

 

『っ……はあっ、よかったあ……』

 

 一体どれほど過酷な猛特訓があったというのか、レイちゃんは魂まで抜けそうなくらいに長く息を吐いた。

 

「本当にあの岩陰にいたのね……」

 

「…………っ」

 

 そこなのだ。

 

 グレネードの投擲の正確性やレイちゃんのリアクションに目が眩みがちになるけれど、そもそも岩陰に敵がいると推測したその読みこそが、一連のプレイの中で群を抜いておかしい。もういっそのことウォールハックでも積んどいてほしい。チートを使っていると言われた方がまだ気が楽だ。チートなしの人力でこんなことが可能だなんて、そんなことすんなり納得できない。

 

 この短時間でプレイヤーの力量を測り、思考を読み、立ち回りを推測し、一度として視認できてない敵を予測だけで撃破する。そんなことが、本当に人間に可能なのか。チートでないならバグである。

 

『よし、最後の仕上げだよ。気を引き締めていこう』

 

『ふう……。どっちが勝ったかな?』

 

『順当に行けば無人住宅地のパーティかな』

 

『集荷場のパーティは待ち構えていたはずだけど?』

 

『それでも無人住宅地のパーティのほうかな。集荷場のパーティは僕たちと高台の人と戦闘して回復も弾も消費してる。物資が心もとなくなってるだろうね。無人住宅地のパーティは遠くから牽制で軽くあたっただけだけど、エイムに正確性があったし、割に合わないと感じた時の決断も早かった。思い切りの良さは勢いに繋がるし、勢いの良さは士気に繋がる。あとは上がった士気にパーティメンバーの性格が噛み合えば、多少の不利を跳ね除けるだけの力になるよ』

 

『むむっ……』

 

『仮に無人住宅地のパーティが勝ってたとしたら、待ち構えていた敵を食い破って勢いに乗ってるはず。侮れないね』

 

『敵ばっかり褒めないで! じゃあどうするの!』

 

『勢いに乗ってるなら、その勢いをなくしてしまおう。幸いなことに、彼らと違って僕らは物資にゆとりがある。集荷場と廃工場なら僅かとはいえ僕らに高低差の利があるし、収縮リングは僕らより先に彼らを焼く。遮蔽物から体を出せば銃で、銃に怯んで遮蔽物に隠れれば投げ物で頭を押さえ込む。このまま勢いで攻めかかろうとする彼らの足を止められれば、彼らはじり貧だ。北の無人住宅地での戦闘が長引いたせいで物資が乏しくなってるはず。倒した集荷場のパーティも、回復や弾はほとんど残ってなかっただろうから補充もできない』

 

『……それをさあ……先に言ってよ。不安になった私がばかみたい……』

 

『ちゃんと自分でも考えてもらわないとね。周囲の環境を踏まえてどういうふうに立ち回るか。自分の持っている武器を把握した上で、相手の戦力を推測した上で、集められた情報すべてを考慮してどう動けば勝てるか。戦況は流動的なものなんだ。刻一刻と変化する趨勢を自分で見極めて、自分で判断しなくちゃ身につかない。こればっかりは言葉だけでは教えられないからね。大変だけど、学んでね。いつだって僕がいるわけじゃないんだから』

 

『……いつだってお兄ちゃんいるもん』

 

『急に可愛くならないで。僕の教育方針が揺らいじゃうでしょうが』

 

 へこんだような、落ち込んだような、いっそのこと泣き出してしまいそうな、さっきのダブルグレネードよりも破壊力のあるレイちゃんの声に、恩徳さんはダウンしかかっていた。それくらい妹属性の高い口撃だった。なんならわたしはもう確キルまで入っている。目の前にレイちゃんがいたら抱き締めるくらいにはやられてる。

 

 恩徳さんクラスの読みが習得できる類いのものなのかどうかはひとまず置いとくとして、技術を身につけてほしいという言い分はどちらかといえば恩徳さんのほうに理があったけれど、理性だけで人は構築されていない。コメント欄は〈レイラちゃん可哀想〉〈お嬢泣いちゃうよ〉〈お兄ちゃんひどい……〉〈スパルタすぎる〉〈DVお兄ちゃん〉などなど恩徳さんの味方につくコメントは見当たらなかった。リスナーの息が合いすぎている。眷属さんが多いのかもしれない。

 

『……ん? くふゅっ! ふふっ……』

 

『え、なに? 礼ちゃんどうしたの?』

 

『いや、少年少女さんが〈お兄ちゃんいるもん……トト◯いるもん……〉って……くっ、ふふっ』

 

『ふふっ……っ、や、やめて……っ、ラスト一パーティだからっ』

 

『ぶふっ……〈ほんとだもん! うそじゃないもん! うそじゃないもん……〉あははっ! あはっ! や、やめて……もうやめてっ、お腹痛いっ』

 

『っ、っ……エイムがっ……。今敵きたら負けちゃうってっ……ふふっ』

 

 ユーモアに富みすぎている少年少女さんのおかげでしんみりとした雰囲気は払拭されたが、威力が高すぎてまともに戦える状態ではなくなっている。戦場とは思えない空気感だ。あんなに張り詰めた雰囲気の中、ネタをぶっ込める少年少女さんの肝の太さに敬服する。

 

 恩徳さんのエイムがこれまで見たことないくらいぷるっぷるしている。目の前まで敵が近寄っても外しそうなぷるぷる具合だ。初心者でもこうはならない。

 

『あはっ、敵見えたよお兄ちゃん!』

 

『あはって、くっ……ふふっ。とりあえずもう撃ちまくっちゃって、投げ物投げよう! 時間稼いで!』

 

『くふっ、ふふっ』

 

『礼ちゃん! 敵いるから、来てるから!』

 

『だ、だって! 少年少女さんが! 〈敵いたもん! うそじゃないもん……〉って! 少年少女さんがっ!』

 

『あははっ! ちょっ、りてき……利敵行為ですよ少年少女さん!』

 

『あはあっ、グレがわけわかんないとこ飛んでった!』

 

『ちょっ、もう……っふ。だめだ、頭から離れないっ』

 

『んーっ?! なんかよくわかんないけどワンダウーン!』

 

『え、なんで?! まあいいや、詰めよう! 投げ物全部投げて詰めよう!』

 

『四十五カッ……おっけ、ツーダウーン!』

 

『え強っ、ナイスー! ARコート()い、いや肉入っ……あ、ダウン! ……あれー? はは、どうして勝てた?』

 

 投げ物を投げ終わり、ピーキーな性能のスウィングワンを構えながら距離を詰めに行った恩徳さんだったけれど、一発二発とヘッドショットして、アサルトライフルを構えていた最後の敵を倒した。適当に放っていた投げ物のいずれかがいい具合にエナジーコートを()ぎ取っていたのか、それとも一つ前の集荷場での戦闘で回復を使い切っていたのか。

 

 なにはともあれ全ての敵を打倒し、なんだかんだで宣言通り一位を手にした。一番最後も人数的には不利だったが、豊富に残っていたアイテムと高所有利でもぎ取った。

 

 一番最後の戦闘が、一番笑って、一番訳がわからなかった。これまでの知的で理路整然としたオーダーがなんだったのかというくらい、勢いと個人技で押し込んでいた。

 

 コメント欄もお祭り騒ぎだ。〈ナイスー!〉〈つよすぎー!〉とこれまでの健闘を讃えるものや、〈草〉〈www〉〈わけわからんw〉〈なんで勝てる?w〉と笑っているもの、〈わちゃわちゃ〉〈いちゃいちゃ〉〈わちゃわちゃ〉と恩徳さんとレイちゃんの仲の良さと騒がしさを強調したものなどで氾濫している。

 

 ちなみに少年少女さんはゲーム内のチャット欄に〈gg〉とだけ打っていた。おい、最後のわちゃわちゃの立役者。good game(gg)じゃないでしょ。いや、いい試合ではあったけど。

 

 恩徳さんは勢いがあるのは強い、と話していたけれど、それをいみじくも自分たちで証明してみせた。

 

 なるほど、たしかに侮れなかった。笑って手を震わせていたレイちゃんが明後日の方向へと大暴投した沼グレネードが、裏を取ろうと別行動していた敵の一人を的確に爆破するという神グレネードに変貌するのだから、勢いというやつはなんとも恐ろしい。

 

『あははっ、あーっ、お腹痛い……涙出てきた。あ、パーティ合計でキル数十七だ! 惜しかったね、あと一パーティで三分の一だったのに』

 

『ふう……あー、笑い疲れた。戦いよりも疲れたよ……。にしても、十七か。動きすぎたくらいだね。僕の予定ではもっと少なくするつもりだった。戦いたがる礼ちゃんの相手を探しに行った結果が、キル数に表れてるね』

 

『ある意味私のおかげってところがあるね。ポイントおいしい』

 

『なんとか公約通りに勝ててよかった。ひとまずはこれでマニフェスト達成だ』

 

『うん? なに言ってるの、お兄ちゃん。達成できたのはマニフェストの三分の一でしょ? あと二回あるんだから』

 

『……え? 冗談だよね? あの三回一位取るって本気だったの?』

 

『もう、お兄ちゃんってば勘違いしないでよ。恥ずかしいなあ』

 

『そうだよね、本気じゃないよね? あはは、てっきり本気なのかと……』

 

『三回じゃなくて三連続だよ』

 

『きりがいいので今日の配信はここで終わりたいと思います。今日は観に来ていただいて本当にありがとうございました。次回も来て頂けると嬉しいです。それでは』

 

『締めに入らないでよ! まだ始まったばっかりなんだから!』

 

『お兄ちゃんさすがに三連続は厳しいよ……。一戦目のマッチで一位取れたんだし、これで満足してよ……』

 

『うん! 幸先がいいね!』

 

『これはまずい……耐久配信になってしまう。さっきの一位も、いろいろ運の巡りがよかったおかげで取れたのに。マッチングの時点で強い味方にも恵まれたし……あ、そうだ。少年少女さん、まだ配信にいてくれてるのかな。もしいらっしゃったら、フレンド申請送らせてもらってもいいですか? 時間に余裕がありましたら、フルパーティでクラスマッチ行きませんか?』

 

『あ、それいい! 私もまた少年少女さんと行きたい!』

 

 恩徳さんたちはどうやら、少年少女さんとフレンドになって再び一緒にクラスマッチに行きたいらしい。

 

 リスナー参加型の配信などもVtuberではちょくちょくあるけれど、固定したリスナーと一緒にクラスマッチに赴くというのは、なかなか聞いたことがない。ワンマッチごとの拘束時間が長いこともあるし、貴弾だと三人で一組のパーティでやることになる。他のリスナー参加型の企画よりも、一人のリスナーが関わる割合が増えるからだ。

 

 なにより、参加してもらうリスナーへの信頼が重要になる。配信の進行を妨げない程度のゲームスキルと、雰囲気を読み取る感性、目立ちすぎずに一歩引く謙虚さ、それでいて盛り上げるユーモア、配信に載せるべきではない単語を言わない良識。長く画面に映ることを考えれば考えるほど、ハードルは高くなっていく。その点で言えば、少年少女さんは完璧だ。

 

 パーティのメンバーを固定するというのは、起こり得る問題を未然に防ぐこともできる。狙って恩徳さんたちのパーティの三人目の枠に入るのはかなり難しいだろうけど、パーティメンバーを固定していなければいずれ、荒らしが参加する可能性がある。そうなってしまったら、迷惑行為で満足にゲームができなくなってしまうおそれがある。

 

 できれば同じVtuberや、仲のいい配信者を呼べればそれが最善なのだろうけれど、厄介で迷惑な荒らしに目をつけられている以上、恩徳さんがレイちゃん以外とは絡むのは難しい。

 

 今日だけでも優良プレイヤーの少年少女さんが仲間にいてくれたらとても助かるだろう。強いしおもしろいし。

 

『いいか悪いかコメント欄ではわからないので、とりあえず申請送っておきますね。もし都合が悪いようでしたら申請を拒否してもらえればいいので……あ、承認された。やっぱり少年少女さん反応速度早いですね。ありがとうございます』

 

『わーい! また遊べるね、少年少女さん。次は三人で最後まで生き残ろうね』

 

『なんだか今回も一位取れよって催促されているように聞こえるのは、僕の被害妄想なのかな……。とりあえず、少年少女さんも準備ができたみたいなのでさっそく次のマッチ行きましょうか。また一位取れるよう、頑張ろうね』

 

『おー!』

 

 レイラ・エンヴィの口から出てるとは思えないほど陽気で愛らしい掛け声とともに、彼らは次の戦場へと向かった。

 

 

 

 *

 

 

 

『……さて、最後にきりよく一位取れたので、今日の配信はこのあたりで終わろうと思います。ご視聴と応援ありがとうございました』

 

『はい、皆さんもお分かりのことかと思いますが、公約達成ならずということでね。お兄ちゃんにはあとからなにか罰ゲームを受けてもらおうと思います』

 

『勝手に作られた公約を急に途方もなく過酷にしただけでは飽き足らず罰まで作ったの? あんまりじゃない? 罰なんてそもそも聞かされてなかったんだけど……いやなんなら公約も聞かされてはなかったんだけどね』

 

『課題未提出だったら先生に怒られるでしょ? なら、公約不達成でペナルティは当然でしょ。というわけで罰ゲームです。今日はもう入っちゃったから明日お風呂一緒に入ってね。頭洗ってほしい。ヘアケアもやってほしいなあ』

 

『それはだめ。お風呂はだめ。そこだけは譲れない』

 

『えーっ! うーん……それじゃ、今日の夜お兄ちゃんの腕は私の枕ってことで』

 

『んー……まあそれくらいならいいか……』

 

『っし。いやー、ポイント盛れたしご褒美もらえるし、いいことだらけだったね。今日の配信は』

 

『いつの間にか僕の罰が礼ちゃんのご褒美に変わってる……まあいいか。楽しく配信できたし、僕もよかったよ。少年少女さんも、今日はありがとうございました。たくさん助けてもらいました』

 

『少年少女さんありがとねー! また一緒にやろうねー!』

 

『僕のほうは明日同じ時間から配信を予定しています。よければまたお越しください。礼ちゃんのほうは、明日はオフで次は明後日だっけ?』

 

『うん。明後日に配信の予定だけ入れてるけど、なにやるかは決めてない。あ! 明後日はアイクリにしよ! アイランドクリエイト! 魔界創造計画の第二回だ! ね?』

 

『……ね? 「ね?」とは?』

 

『アイクリコラボ配信だね! ということで私は明後日、今日と同じ時間にアイクリコラボ配信しますので、よかったら観に来てくださいね!』

 

『……だそうです。なぜか僕の予定も決まりました。よければ、お越しくださると嬉しいです』

 

『いい? もういいかな? いつものやっていい?』

 

『うん? ……ああ、まだ通算一回しかやってないいつもの終わりの挨拶ね。いいよ。それじゃあ、さん、に、いち、どうぞ』

 

『やたっ! 今日の配信はー! 「New Tale」の悪魔兄妹! 妹のほう! ポイント爆盛りした上にご褒美まで掻っ攫った強欲の……じゃなかった、嫉妬の悪魔、レイラ・エンヴィと! 本日、パーティを合計三回も一位に導いた私たちのリーダーのーっ……こちら!』

 

『その振りで挨拶するのすごいやりにくいよ……承認欲求強い人みたいだ。えー……「New Tale」の悪魔兄妹、兄のほう。これから初耳の罰ゲームが待っている憤怒の悪魔、ジン・ラースでお送りいたしました』

 

『ありがとうございましたー!』

 

『ご視聴ありがとうございました。明日もまたお会いできたら嬉しいです。それでは、おやすみなさい』

 

 いつもの終わりの挨拶に今日の配信のエッセンスを加えるアレンジをして『悪魔兄妹』のコラボ配信は終了した。

 

 先日のアーカイブを観た限り、終わりの挨拶はレイちゃんのアドリブだったようだけれど、ああいうふうに一つ型を作っておくと定番感が出て視聴者側も愛着が湧いてちょっと嬉しく感じる。実際、コメント欄で〈いつもの!〉とか〈生で初めて聞きます〉とか、心待ちにしていたリスナーもいた。浸透させた馴染みの挨拶のマイナーチェンジでその日の配信の色も出しているし、二人はとても上手く活用している。まだ一回しか披露していないのにわりと広く浸透しているのもすごい話だ。

 

「はぁ……とてもよかったわ」

 

「ほんとにねぇ。ずっと二人が何かしらお喋りしてて暇しないから、お酒飲むのも忘れてたよ」

 

 ノートPCの横にお酒をセッティングしていたのだけど、配信に夢中になってしまって手をつけていなかった。ビールも、温めた冷凍食品のおつまみもぬるくなってしまった。

 

「惜しかったわね、仁義君たち。もう少しで公約達成できてたのに」

 

「三試合目で二位だったからね……。いや、それだってあのクラス帯を考えたら凄いことなんだけどね? 三試合目の最後に、隣のパーティがわけわかんないタイミングで攻めてこなかったらなぁ……」

 

 恩徳さんたちは一試合目で一位を取り、その好調な流れのまま行われた二試合目も一位を取り、まさか本当に三試合連続で取るのかとコメント欄も期待と興奮で沸いたのだけど、惜しくもあと一歩届かなかった。

 

 恩徳さんたちを含めて残り三パーティという時に隣に位置していたパーティとの戦闘になり、余った残りのパーティに漁夫に来られたことによって惜敗したのだ。

 

 三位になったパーティとの戦闘でレイちゃんが落とされ、回復する間もなく一位になったパーティとの連戦になり、相手パーティの一人を道連れにするような形で少年少女さんがダウンした。狭いリングの中、相手パーティは残り二人、遮蔽となるのはリング中央の小さな岩だけ。圧倒的に不利な戦況下でも恩徳さんは食い下がって一人を落とし、残りの一人もあと一発か二発当てたら勝てるというところまで追い詰めたけれど、最後は相手プレイヤーのサブマシンガンの追いエイムを逃げ切ることができずに負けてしまった。あの時のコメント欄の熱狂ぶりは凄まじかった。

 

 そこからは疲労が出たのか戦績は振るわなかったけれど、これでラストにしようと言って始まった試合で有終の美を飾るように一位を掴んだ。配信中に三回一位を取ったのは純粋にとんでもないと感じた。他の試合も一試合目二試合目と比べれば順位が伸びなかっただけで、しっかりと上の順位には食い込んでポイントをプラスにしていたのだから、立ち回りの巧みさが窺えた。

 

 あれだけ雑談して、なぜ勝てるのだろう。あの兄妹よりも低いクラス帯で、しかも口数少なく真剣にやってるのに勝てないわたしの立つ瀬がない。

 

 今度やる時は恩徳さんがレイちゃんに言っていたように、周りをよく観察して立ち回るようにしてみよう。そう内心で決意していたわたしの横で、あーちゃんがぬるくなったビールをちびちび飲みながら呟いた。

 

「……うで、まくら……か」

 

「…………」

 

 いろんな感情がたらふく込められている重たい言葉だった。

 

 脳内にしか存在しない理想の兄を追い求めているあーちゃんにとって、レイちゃんと恩徳さんの話は毒だったことだろう。なんせ、おおよそ限りなく理想に近いお兄ちゃんが現世に実在し、願ってやまない行為(あーちゃんに対してならプレイと言い換えても可)をしている事実を知ってしまったのだ。自分はしてもらえないのに、そんな扱いをしてもらえている人がいると知ってしまったのだから尚更つらい。知らなかったら苦しまずにすんだのに。

 

 しかしレイちゃんもレイちゃんだ。配信上であんなことを言うとは思わなかった。

 

「もしかして……これも戦略の一部?」

 

 あれももしや、レイちゃんが推進している『悪魔兄妹』というブランディングを強調するための話題作りの一つだったりするのだろうか。

 

 いや、それにしてはあまりにも不自然さがなかった。兄妹の距離感とか仲の良さとか、そのあたりの感覚が麻痺しているのだろうか。腕枕くらいのことはわりと頻繁にしてもらっていて、だから平然と恥ずかしがることなくお願いしたのか。

 

 ドライな性格をしているレイちゃんだが、お兄さんの話をしている時だけは人が変わったように饒舌になるのがあの子だ。わたしの中のレイちゃんのイメージだと、わりとあり得そうなのが困ってしまう。

 

 だとしたら腕枕の前に押し通そうとしていた、一緒にお風呂に入るとかいうとんでもない無茶振りも本気だったのだろうか。ワンチャン通るかな、という気持ちでふっかけて、通らなかったからグレードダウンさせて恩徳さんにお願いしたという線は大いにある。

 

 やってることが完全にドアインザフェイスで笑う。本気すぎるよレイちゃん。

 

「あった……理想郷は本当にあった……けど、あまりにも遠い……っ」

 

「落ち着いて、冷静にね、あーちゃん。解決を急ごうとしたら逆効果になっちゃうからね。まずは信用を取り戻すところからだよ。スタートラインについてからスタートしようね」

 

「雫から見ると私の位置はマイナスなのね……」

 

 どんよりとしたオーラを背に負いながら、あーちゃんは俯いてしまった。

 

 落ち込ませてしまったけれど、これもあーちゃんと恩徳さんを守るためなのだ。暴走してまた怪文書を恩徳さんに送りつけようとするよりかはまだ幾分か救いがある。あーちゃんの世間体と社会的立場を守り、恩徳さんの心の安寧を守るためだ、ちょっとへこんでいるくらいがちょうどいい。頭を冷やしておいてほしい。

 

「まあ、親密度で言えば少年少女さんよりも現状低そうだし……」

 

「いいのかしら。私が今ここで血反吐撒き散らして絶命しても」

 

「ごめんなさい。困る」

 

「そうでしょう。なら言葉には細心の注意を払いなさい。今の私はシャボン玉のように繊細よ」

 

「こわれてきえちゃいそうな存在になっちゃったんだね。そんな澄まし顔で言わないでもらっていいかな」

 

 このシャボン玉は屋根まで飛ばないほうのシャボン玉だろうな。生まれてすぐに飛ばずに消えるほうのシャボン玉だ。さすがにこれを言ってしまうとへこむどころの騒ぎじゃなくなるだろうから言わないけど。

 

 あーちゃんと違い、少年少女さんは今日だけで、いや具体的には三時間で、たしかな信頼と実績を築き上げている。悪魔兄妹のパーティメンバー兼名物リスナーという枠に収まっているのだ。スタートラインにもついていないあーちゃんとは比べ物にならないくらい強固な立場を確立している。

 

 がつがつに前に出るというわかりやすく脳筋なプレイング、ノリの良さ、ウィットに富んだチャット。そんな濃厚なキャラクターでありながら、恩徳さんとレイちゃんがいちゃいちゃしていたら存在感を消し去って見守るという絶妙な距離感。なんなら度々二人に質問して、二人のいちゃいちゃを引き出してはコメント欄のリスナーたちと同じように『てぇてぇ』とチャットに打ち込んでいた。完全にリスナーと同じ立ち位置から接するので、リスナーも親近感が湧くのだろう。少年少女さんはゲーム内同様に立ち回りも上手だった。

 

 リスナーからの受けもよく、レイちゃんも親しげに話しかけていて、恩徳さんからも友人のように接されていた少年少女さんは、これからも貴弾の配信をする際にはお呼ばれされそうだ。比較すればするほどに、あーちゃんは少年少女さんには親密度の部分で水をあけられている。

 

 薄く笑ったあーちゃんはミネラルウォーターを一口含んで、スマホを手に取った。

 

「ふぅ。配信の感想も言い合えて満足したところだし、そろそろメッセージを送っておこうかしら」

 

「ちょっと待って。何を誰に送るつもりなの」

 

 およそ三時間前、あーちゃんのスマホにトラウマを植え付けられたわたしは思わず引き止めた。

 

「仁義君と礼愛さん、二人ともに、よ。仁義君からは観てほしいと言われていたのだし、観ましたよという報告と、とても楽しい配信でしたという感想を。礼愛さんにはイラストレーターのゆきねさんとのことで連絡しておかないといけないわ」

 

「そ、そっか……それもそうだね」

 

 思ったよりちゃんとした内容で面食らった。恩徳さんへのメッセージに重すぎる感想文を付け加えないかだけは未だに懸念事項だけど、それを除けば『New Tale』のスタッフとして真っ当なお仕事の範疇だ。

 

「何を心配しているのかしら……まったく、失敬ね。まずは信頼を取り戻す。そう結論を出したじゃない。急ぎすぎてもよくないのでしょう? 安心しなさい、もう取り乱さないわ」

 

「ううん、まぁ……うん」

 

 だってあなた、前科があるから。

 

「私には仁義君の立場を劇的に改善することなんてできないけれど、それでもやるべきことはやっていくわ。私にできることはすべてやっていかなければいけないのよ」

 

「……うん。そうだね。その通りだ。とりあえず今日は時間も遅いし、レイちゃんにメッセージで用件を伝えておこう。話はそれからだね」

 

「ええ。……わ、私、礼愛さんにブロックとかされたりしてないかしら……。ブロックされてたら立ち直れないのだけれど……」

 

「いや、さすがにそれは大丈夫だよ……。そんな子じゃないから、レイちゃんは」

 

「そう、そう……よね。ええ、きっとそうよね。じゃあ、送るわ。まず仁義君から先に……」

 

「及び腰になってるよ……。大丈夫だって。直接通話はともかく、メッセージくらいならきっと返してくれるよ」

 

「……通話はだめなのね……」

 

「あっ……。いや、ほら……昨日の今日で通話はかなり気まずいだろうし……」

 

 やはり昨日のやりとりが相当効いていたのか、弱気になっているあーちゃんを励まして、二人へ送る文章を考えさせる。

 

 恩徳さんへのメッセージは念のため検閲したが、本人も言っていた通り急がないようにしたらしい。あーちゃんにしてはほどほどな文量に留めていた。これならわたしというストッパーがいない時も、もう暴走はしないだろう。しない、よね。信じてるからね、あーちゃん。

 

 




ちょっとこれまでの流れとは異なりますが、次回も別視点です。

*スパチャ読み!
かぼちゃきんぐさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
Kトさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
はのいさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
yurakuさん、赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!


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「……だとしたら、宝物たくさん増えますね」

おそらくこれまでで初の、別視点からお兄ちゃんに戻らず別視点です。
最初はおまけというか『一方その頃』みたいなやつのつもりでつらつら書いてて、前話の最後にくっつけようと思ってたんですけど長くなったので分けました。


 

「はぁ……よかった。とってもよかった」

 

「やっぱり寧音の推しは世界一かわいい」

 

 イラストをなんとか無事に描き上げ、礼愛へ送ってからあたしと寧音は昨日と同じようにノートPCを二台置いてお兄さんと礼愛の配信を一緒に見ていた。

 

 睡眠不足と疲労のダブルパンチで配信が始まる寸前まであたしも寧音もふらふらだったけれど、配信冒頭からお兄さんと礼愛の仲の良い掛け合いという睡魔を殴り殺すような右ストレートを受け、眠気なんて吹き飛んだ。

 

 だというのに、二人は挨拶した後、だめ押しするようにイラストについて触れて感想を話してくれていた。

 

 めちゃくちゃ褒めてくれて、感謝してくれていて、こちらのほうがありがとうございますという気持ちでいっぱいだった。もう眠気がどうとかってレベルじゃない、テンションが上がってばきばきに目が冴えた。寧音に至っては泣いていたくらいだ。二人して情緒が壊れている。

 

「寧音はちょこちょこゲームはするけど、みんなでやれるパーティゲームとかばっかりでFPSはやったことないんだよね。そういう配信もちゃんと観たことなくて詳しくないんだけど、なんだか強かったね、お兄さんもれー姉も」

 

「うん。あたしもよく知らないからどれくらいすごいのかわかんなかったけど、すごかった。礼愛もそうだけど、お兄さんはもっとすごかった。さすが礼愛の先生だわ」

 

「れー姉もお兄さんも、ゲームしてる時いつもとフインキ違っててよかったよね!」

 

「ほんとそれ! やっぱあそこだよね、一番よかったとこって言ったら!」

 

「そうだよね!? もうほんと寧音きゅんきゅんきちゃったもん!」

 

 オタク同士、話しているうちに共鳴してどんどんテンションが上がっていく。配信を観ていた時の熱が冷めやらぬままに感想を言い合えるというのはとても楽しい。これもまた、同じ推しを持つ同志がいてこそだ。

 

 どちらともなく名シーンを言い合う。似たもの同士だからなのか、姉妹だからなのか、口を開いたタイミングは同時だった。

 

「礼愛や少年少女さんに指示出す時の普段より鋭い言い方!」「お兄さんのいつもより幼い感じの笑い声と話し方!」

 

「…………」

 

「…………」

 

「はぁ? 寧音正気?」

 

「そっちこそちゃんと観て聴いてたの? 寝てたんじゃないの?」

 

 盛り上がり最高潮からの急転直下。あたしたちの周りだけおそらく氷点下。

 

 オタクだからこその共感があれば、その逆もまた然り。性癖に刺さったポイントの相違や解釈違いがあるのもオタクというもの。好きだからこそ、衝突する時に生まれるエネルギーも破格である。

 

「ふだん底抜けに優しいお兄さんが鋭くきつめに指示出してるのがギャップがあっていいんじゃないの。魅力ってそういうもんだから。それでいて余裕のない状態でも口汚くならないのがお兄さんのいいところなんだけどなぁ、お子様にはまだ早いかぁ、お子様だもんなぁ」

 

「いつも一歩前に出て守ってくれてるようなかっこよさも、引っ張っていってくれる頼りがいもある。そんな中、感情が昂った時に見せる無邪気な一面がはちゃめちゃにかわいいんだろうが。そういう不意に見せる天真爛漫なところに母性をくすぐられるんだよ。わかるか、マゾ豚が」

 

「なにが母性だ。乳もないくせに」

 

「ライン越えたなばかやろう」

 

「あ、やべ」

 

 思わず言い返してしまったら、的確に地雷を踏み抜いてしまった。

 

 オタク同士で諍いが発生してヒートアップしても大抵の場合は口喧嘩の域を超えることはないが、こいつの場合は違う。容易に、良心の呵責もなしに物理で攻めてくる。

 

 そして実力行使になった場合、勝敗は大方やる前から決している。

 

 手と手の掴み合いになり、体力と筋力に乏しいあたしが押し負け、床に押し倒され、頭突きされて決着だ。この間、三十秒も経っていない。スタミナとパワーの最大値があたしと寧音で違いすぎている。

 

「はっ。勝つことがわかりきった戦いというのは虚しいものだ……」

 

「お、おい……。どけ……どいて……重いから」

 

 あたしのお腹に跨りながら、何か悟ったふうのことを言う寧音。

 

 手を押さえつけられているせいで起き上がれない。振り払う腕力も、強引に起き上がる腹筋もない。三つも歳が下の貧相な体の妹と喧嘩して、力で負ける貧弱な体の自分が情けない。

 

「ゆー姉ほど重くないよ。この……こんな無駄肉をつけてないからねっ、寧音は!」

 

「いだだだだっ! 掴むな! ごめんて、悪かったってば!」

 

 跨った体勢のまま、寧音はあたしの胸を鷲掴んだ。容赦がない。

 

「くそっ……勝者に与えられる唯一の戦果が敗北感なんてっ。この世界はどうかしてるよ……」

 

「あんただけだよ、どうかしてるのは」

 

「勝ったところでこの乳をもぎ取れるわけじゃない……虚しい」

 

「なんて恐ろしいことを考えてんだこいつ……」

 

「せっかくのいい気分が台なしだ……もう寝る。推しに夢で甘えてもらうんだ……推しを夢で甘やかすんだ……」

 

 寧音はまだ寝てもいないのに寝言を吐きながらすくっと立ち上がると、幽鬼の如くふらふらと自分のベッドに歩いていく。

 

 さすがに限界が来たのだろう。寧音は帰ってきてから着替えていなかった中学校の制服をぽいぽい脱ぎ散らかして、下着姿になったところで糸が切れたように倒れ込んで寝息を立て始めた。

 

 推しの配信というドーピングがあったからここまで起きられていただけで、そもそも限界ではあったのだ。

 

 お肌のケアやスタイルの維持に余念がない寧音は基本的に早寝早起きだが、昨日(日付的には今日だけれど)は筆が乗ってしまって結局夜中三時近くまでイラストを描いていた。そこから仮眠を取って登校し、友人からの誘いも断ってすぐに帰宅して続きに着手し、配信開始予定時間の三十分前に納得のできる出来にまで仕上げた。

 

 寝不足だし、神経は擦り減らしたし、集中力も枯れ果てたし、体力は使い切った。最後の力を振り絞ってベッドで倒れただけ頑張ったほうと言える。

 

 もしかしたら極度の眠気のせいで、姉を押し倒して胸を鷲掴みにするなどという狼藉を働いたのかもしれない。

 

 いや、やっぱりそこはあんまり関係ない。寧音はシラフであんな感じだ。やる時はやる。

 

「はぁ……まったく」

 

 ベッドに近づく。顔を覗き込むと、ものの見事に熟睡している。数秒ですやっすやだ。

 

 そんな夢路に発つ寧音を見送りつつ、放り捨てられた制服に皺が残らないよう回収し、だらしない顔と格好で寝ている寧音に布団を被せておく。風邪をひくような気温ではないが、さすがにパジャマも着ていない肌着状態では冷えるかもしれない。

 

「ふぁ……はふ。(ねみ)ぃ……」

 

 気持ちよさそうに布団にくるまっている寧音を見ていると、あたしまで眠気がぶり返してきた。

 

 部屋を出て、あくびを堪えながらキッチンへ向かう。シャワーも浴びたいけれど、脳みそが睡眠を求めている。動くのも億劫だ。気分転換に何か飲もう。

 

 冷蔵庫から姉が箱で購入しているエナジードリンクを一本拝借した。

 

「んー……」

 

 独特の味がするそれを飲みながら、礼愛に頼まれている手描き切り抜きの件を考える。参考にするため、スマホで動画共有プラットフォーム内で投稿されている手描き切り抜きを見てみた。

 

 見た感じ、配信内の印象的なシーンや面白かったシーンの音声だけを切り取って、配信画面の代わりに絵にする、といった印象だ。描く枚数は多そうではあるが、デフォルメ化したり、最初に手間はかかるけどソフトを使って各部をレイヤー分けして動いているように見せたりすれば省力化を図れるかもしれない。

 

 動画の尺や、どこを切り抜くとか、具体的な部分は何も進んでいない。そのあたりは礼愛と相談しないといけないけれど、プレッシャーがあると同時に楽しみにもなっていた。

 

 結局は配信者をイラストに落とし込むだけで、大筋は切り抜き動画とほぼ同じものだ。ファンが自分の推しを布教するためにやっているような感覚なのだろう。

 

 であるなら、もっと単純に考えてしまっていいかもしれない。配信を観ていて自分がどのシーンが面白いと感じたか、格好いいと感じたか。基準はそこでいい。

 

「それならやっぱり指示……オーダー、っていうんだっけか。オーダーを出してた格好いいところを……」

 

 今日のお兄さんと礼愛の配信を思い返す。

 

 ぱっと頭に浮かんできたものだけでもいくつもある。的確に指示を飛ばすあのシーンはかっこよかったしなぁ、敵をパカスカ撃ち抜くところもかっこよかったし、寧音が言っていたあのシーンは確かにいつものお兄さんなら見せない少年っぽさがあってかわいかった。

 

 しかしこうなってくると際限がなくなってしまう。涙を呑んで、イラスト化するシーンは選ばないと。

 

 考えれば考えるほどに、推しのかっこいいところやかわいいところを自分の絵で自分のやりたいように表現できるというのは得だ。しかもその活動を推しが認知していて、その上推し本人から期待されて応援までされているというのは幸せでしかない。望外の喜びだ。絵描き冥利に尽きる。

 

 これまではプレッシャーと楽しみな気持ちが半々だったけれど、今は楽しみなほうへと天秤は傾いている。

 

 それはやはり、今日実際にお兄さんが配信のサムネにも使ってくれて、わざわざ時間を割いてイラストについて紹介までしてくれて、たくさん褒めてくれたからだろう。その成功体験が、あたしの手を引いて背中を押してくれる。気持ちを前のめりにさせてくれる。

 

 ただ一つ気掛かりなことが残っている。

 

「礼愛なら絶対渡そうとしてくるよなぁ……」

 

 この件が『依頼』という点だ。

 

 礼愛はあえて依頼という言葉を使った。それはつまり、あたしをイラストレーターだと見做して仕事を発注したということになる。イラストレーターの商品である絵を納品したら、対価として報酬が支払われることになるのだろう。

 

 個人的には、遊びに行った時にご飯でも奢ってもらおう、くらいの気持ちだったが相手はあの礼愛だ。筋を通そうとするだろう。頑固で律儀な礼愛がわざわざ『依頼』と口にしたのだ。そのあたりを曖昧にする女ではない。あたしが固辞したところで、礼愛なら力づくで押しつけてくるのが目に見えている。

 

 どうすれば(けむ)に巻けるかと考えていたけれど、いっそのこと礼愛が渡してきたらそのまま受け取ってしまうのも一つの手かもしれない。

 

 あたしは礼愛から報酬を頂いて、お兄さんの配信であたしがスパチャして、お兄さんはそのお金を礼愛のお世話に使う。

 

 おお、なんと素晴らしいサイクルだろう。みんながすっきりできる最善の解決策だ。礼愛に金銭面の話をされたらこれでいこう。

 

 そんなことを考えながら、ちびちびとエナジードリンクを飲んでいる時だった。

 

「うおっ……びっくりした。……すごいタイミングだ」

 

 ヴヴヴ、とスマホが振動した。なんともタイムリーなことに、礼愛から着信が入っていた。

 

「はいはい、どしたん」

 

『お、まだ起きてた。よかった』

 

「うん、ぎりぎりでね。もうシャワーも浴びずに寝そうなくらい眠たかったから、今は眠気覚ましに姉のエナジードリンク勝手に飲んでる」

 

『はは、怒られるんじゃない?』

 

「いいのいいの。また冷蔵庫に補充しとけば気づかんから。何本残ってるとか、そんなの気にするような姉じゃないからね」

 

『勝手に飲んどいてここまで悪びれないのもすごいや。そうだ、夢結のせいで忘れるところだった。イラスト、ほんとありがとね。めっちゃよかったよ!』

 

「忘れそうになるのをあたしのせいにしようとすんな。……んー、まぁ……どういたしまして。配信でもすごく褒めてくれてて、こっちもすごく嬉しかった。なんなら寧音なんか感極まって泣いてたからね」

 

『あははっ、なんで描いてくれた側が泣いてんの。貰った側が泣くならわかるけど』

 

「オタクってそういうもんなのよ。推しが楽しそうにしてるだけで嬉しいし、推しにプレゼントできるだけで満足なんだから。なのに推しに認知されて、自分に向けられて感謝なんかされたらもう、幸せすぎてキャパオーバーで泣くよそりゃあ」

 

『そのオタクの生態系についての情報は一般的なものなのかなあ?』

 

「そうだよ。少なくともあたしの知ってるオタクの七十五パーセントはそんな感じの感性だから、一般的と言ってもいいね」

 

 ちなみにその統計のオタクは、あたし、寧音、きー姉、礼愛の四人を参考にしており、礼愛を除いた三人はあたしが言ったような感性をしているので、この統計は間違っていない。不備も不正もない。

 

『でも、そっか……寧音ちゃんもがんばってくれたんだ。寧音ちゃんは今何してる? 代われる?』

 

「ごめん、寧音のやつ、配信終わってすぐに寝ちゃった」

 

『あー……それもそうだよね。一日足らずであれだけ力入ったイラスト描こうと思ったら、睡眠時間削るしかないもんね……。学校もあったんだし』

 

「いやもう、ぜんぜん気にしなくていいよ。描いてるうちに興奮して寝付けなかっただけなんだから、あいつ」

 

『そう言ってもらえると助かるよ。罪悪感も途端になくなったし』

 

 そんな軽口を叩きつつも、若干声が沈んでいる。

 

 寧音に負担をかけてしまったことを気に病んでいて、でも自分が落ち込んでいるのは頑張った寧音の本望ではないと理解しているから、明るく振る舞おうとしているのだろう。

 

 気づかれないように礼愛が振る舞うのなら、あたしはその意を汲むだけだ。

 

 この話を寧音に聞かれていたら、あたしの言い方については怒るかもしれないけど、あたしの意図については怒りはしないはずだ。姉以外には優しいやつだから。

 

「ちょっと鬼気迫ってて怖かったくらいなんだから気にしてやる必要はないね。まぁ、どっかで寧音と話すタイミングがあったら、その時にでもイラストの感想言ってあげてよ。それだけできっと飛び跳ねるくらい喜ぶだろうから」

 

『……うん、ありがとね。そうだ、夢結明日時間ある? イラストとか手描き切り抜きのことで、詳しく話を詰めておきたいんだけど』

 

「おっけ。いいよ」

 

『できれば寧音ちゃんとも話したいんだけど……寧音ちゃんは忙しいかなあ?』

 

「あたしは暇みたいな言い方すんな暇だけど。寧音は休みの日は学校の子たちと遊んでることが多いから、保証はできないかな。一応伝えてはみるけど」

 

『ありがとー。よろしくね』

 

「そんじゃ、これでもう用件は全部? 切っていい? ねみぃんだ」

 

『え、ちょ、ちょっと待って!』

 

「えー。……あたし、この通話が終わったらすぐにシャワー浴びて布団にくるまって昼まで寝るんだ……」

 

 礼愛と話しているうちに飲み切ってしまっていたエナドリは、今ひとつ効能を発揮してくれなかったようだ。ちょこっと眠気が治まったような、気のせいなような、そんな程度だ。

 

 とりあえず浴室で寝落ちしないくらいに時間を稼げそうならそれでいい。今すぐお風呂に向かえば間に合うはずだ。

 

『だったら通話切らないで! 終わったら好きなだけ布団浴びてシャワーにくるまって寝ててもいいから、ちょっとだけ待って! サプライズが……』

 

「布団浴びてシャワーにくるまるって、どんな寝方だ。今のコンディションでも寝れんわ」

 

 どうやら言語野に支障が出るくらい慌てているようだ。後半はばたばたがさごそと、物音が聞こえてきた。サプライズを用意していることを事前に伝えるような斬新なサプライズが、この世に存在していいのか。

 

 でも待てと言われたので待つ。どちらかというと猫のほうが好きだけれど、あたしの性格は犬寄り。

 

「ねー、礼愛ー、時間かかるようならもう脱いでていいかなー?」

 

『風邪ひいちゃうんじゃないかって心配して喋れなくなっちゃうから、脱ぐのはもうちょっと待ってもらってもいいかな?』

 

「なんあなあじあぁ」

 

『ゆ、夢結さん? 大丈夫?』

 

 あたしのスマホから、お兄さんの声がした。取り乱しつつもどうにか冷静に返事はできた。危なかった。

 

 やるじゃん、礼愛。たしかにこれはサプライズだ。紛うことなきサプライズプレゼントだ。事前に聞かされていたのにしっかり驚かされた。ありがとう、今日はきっといい夢を見れる。

 

 時折メッセージのやり取りはしていたけれど、こうして通話するのは初めてなのだ。すぐ耳元から聞こえるお兄さんの声というのは、なかなかどうして幸せなものである。もしかして夢なのか。であれば覚めなくていい。いい夢を見てる。

 

「こっこ、こ、こ……」

 

『こっこ? 国庫?』

 

「こ……こんばんは」

 

『ふふっ、うん。あははっ。こんばんは、夢結さん。仁義です』

 

 やっばい。囁くようなトーンで、くすくす笑うお兄さんの声。こんな破壊力のある『こんばんは』なんてあたし知らないよ。だめだめ、えっちすぎるこんなの。耳が孕む。耳が妊娠したらお兄さん認知してくれるかな。

 

「あ、あの、あの……配信、すごくおもしろかったです」

 

『見てくれたんだね。ありがとう。配信に慣れてる礼ちゃんや、センスのいいチャットを打つ少年少女さんがいてくれたおかげで笑いの絶えない配信になって、僕もすごく楽しかったんだ。その楽しさを、配信を観てくれていた夢結さんにもお届けできてよかったよ』

 

 あたしからの賞賛を受け取りつつも、お兄さんは謙遜を忘れない。自分の力だけで良い配信ができたなんていう傲慢な考えを微塵も持たない慎み深いお兄さんの姿勢が尊い。

 

「お兄さん、とてもゲームうまくて……か、かっこよかった、です……」

 

『礼ちゃん曰く、今日は僕が格好いいところを見せなきゃいけない日だったらしいからね。そう言ってもらえて安心したよ、ありがとう』

 

「そ、そんな……とんでもないです」

 

 夜に、お兄さんと一対一で通話。なんか、とても、とてもいい。すごい。

 

 どれだけすごいかって言うと、スマホを持つ手が震えるのだ。スマホを通してお兄さんにあたしの心臓がばくばくと高鳴っている音を聞かれてしまうんじゃないかってくらい、心臓がうるさい。息を荒らげそうになるが、それは命に換えても、呼吸を止めてでも我慢する。通話で『はぁはぁ……』とか聞こえてきたら、あたしならどん引きとともに通話を切ってブロックするからだ。

 

 短く見積もってもあと半年はする機会のなかっただろう通話を今、あたしはしている。もしかしたら顔が見えなかったら緊張五十パーセントカットくらいになるんじゃないか、などと楽天的に考えたこともあったけど、顔が見えない代わりに声が近いので結局緊張感は変わらなかった。

 

 なんだ、なんなんだ、これは。もう何もわからない。頭の中がパニックでわけがわからなくなってる。真っ白だ。緊張の波で頭の中が洗い流されている。

 

 サプライズがあることだけは教えてくれたけど、そこまで教えてくれるならお兄さんに代わることも事前に教えておいてくれ。三日前くらいから言っといてもらえればあたしもどうにかできる気がする。こんな急にサプライズされても、あたしは覚悟とか決心とか、心と体と話題の準備とかできないよ。

 

 礼愛はどうしてこんなことしたんだろう。配信前に送ったイラストのお礼だろうか。

 

 だったら毎日描いて毎日お兄さんと夜通話する。寝落ちするまで通話したい。翌朝あたしは息を引き取っているかもしれないけれど、ぜんぜん成仏できる。

 

 ああ、でもあたしは毎日あのクオリティのイラストを描けるような腕を持っていない。もっと絵の勉強や練習をしておけばよかった。後悔先に立たずってこの状況のことを表していたのか。こんな(ことわざ)を残した先人は偉大だ。

 

『そうだ。イラスト、とても嬉しかったよ。配信でも少し触れたけど、こればっかりは直接お礼を言いたいと思ってたんだ。細かいところまで丁寧に描き込まれていて、僕と礼ちゃんの性格や関係を的確に表現した素晴らしいイラストを描いてくれて、ありがとう。見ていて引き込まれるような絵だった。心を震わせる一枚だった。とても感動したんだ。僕の宝物になったよ。本当に、ありがとう』

 

 どうしよう、あたし死ぬかもしれん。

 

 嬉しすぎて頭真っ白どころではない。視界がぱちぱちと明滅してきた。地に足がつかない感覚に襲われている。

 

 嬉しいと幸せを一気に摂取しすぎて、頭はちかちか、体はふわふわしている。幸福許容量を超過して、脳みそが耐えられなくなったのかもしれない。やっぱりあたし死ぬかもしれん。

 

 それでも、それでも一つだけ。あたしがここで尊死する前にお兄さんに伝えておかなければいけないことがある。

 

「……だとしたら、宝物たくさん増えますね」

 

『え?』

 

「だって、これからずっと贈り続けますから」

 

 これは、何があってもずっと応援し続けるという誓いだ。お兄さん本人に直接言ったのは、あたしの決意の表れだ。

 

 まだあたし一人では、どれだけ時間と手間をかけたところであのイラストには届かない。寧音がいたから今日の配信に間に合った。でもあたしと寧音だけでは、どうやっても届き得ないレベルだった。

 

 きー姉がいたから全体のクオリティが底上げされたのだ。

 

 繊細に、神経質なほど、妄執的なほどに描き込まれ、至る所に訴えたいメッセージが散りばめられていた。それだけでもあたしならどれだけ時間を要するかわからないのに、きー姉はそれに加えてあたしたちにアドバイスまでしてくれた。()れったく思っただろうに、あたしたちの技術向上と気持ちを考えてあくまで手直ししたりはせずに色の使い方や重ね方、表現の方法を教えてくれた。

 

 途方もなく遠いのだ、きー姉のいる舞台は。果てしなく遠い。気が遠くなるような険しい道のりだ。

 

 でも、その道のりに一歩踏み出す誓いをあたしは今、ここに立てた。

 

 血の滲むような努力をしないといけない、絵についてこれまで以上に勉強もしないといけない。

 

 それでも、やると決めた。

 

 あたしは礼愛みたいに一緒に配信して支えるような方法は取れない。だからあたしは、あたしのできる方法でお兄さんを応援する。お兄さんの配信を彩る一枚を生み出すことで応援する。

 

 なんていうのは半分くらい、綺麗に飾りつけただけの建前だ。

 

 あたしが頑張りたいと思った理由は、もっと単純なのだ。単純で、不純で、独善的な欲だ。

 

 あたしは、お兄さんから貰った言葉が嬉しかっただけなのだ。『感動した』『宝物になった』『ありがとう』そう言ってもらえて、心の底から嬉しかった。あたしの根源はそれだけだ。

 

 いずれは、自分の力だけでお兄さんの心を震わせるような絵を描きたいなんて、そんな身の程知らずな願いを抱いてしまった。

 

 なに、あたしも馬鹿ではない。自分の腕に自信が持てない間は寧音と協力してきー姉のレベルを目指す。イラストの勉強については、身近にトップクラスのイラストレーターがいるのだから、そこから学ぶとしよう。きー姉は優しいので、極限まで忙しいという状況でもなければ、いつでも教えてくれる。

 

『……あ、ありがとう。なんて言ったら、伝わるかわからないけど……すごく嬉しい』

 

 お兄さんにしては珍しいことに、しどろもどろというか、ところどころ言葉に詰まっていた。それにどこかくぐもったような音声だ。

 

 もしかして引いてるとかいやそんなことは絶対ない。きっと照れてるんだ。そうに違いない。お兄さんかわいいなぁ。

 

「よかった。結構です、なんて言われたらどうしようかと思いました」

 

『そんなこと言うわけないでしょ……。すごく嬉しいけど、あんまり無理しないでね? 今日のイラストだって、時間なんてなかったはずなのにあんなに……』

 

「もー、礼愛もそうだったんですけど、お兄さんも気にしすぎです。徹夜とかはしてないんで安心してください」

 

『それなら、まあ……。あー、えっと……そうだ。一つ聞きたいことがあったんだった』

 

 お兄さんもあたしと同じように通話するのは不慣れなのかな。口籠った様子のお兄さんに違和感を抱きつつ、答える。

 

「はい、なんですか?」

 

『イラストで礼ちゃんはアサルトライフル、僕はピストルを握ってたよね。イラストを描いてもらえたのが嬉しくて配信中も使う銃はピストルにしたけど、どうしてピストルにしたのかなって思ってて』

 

「えっと……もう礼愛から聞いてるかもしれないですけど、実はあのイラスト、あたし一人で描いたわけじゃないんです。今日配信中に紹介してもらった『ゆきね』は基本、あたしとあたしの妹の寧音でやっていくつもりで……」

 

『うん。礼ちゃんから聞いてるよ。夢結さんと、夢結さんの妹さんも手伝ってくれることになったって。そのことについてもちゃんとお礼言ってなかったね。ありがとう、夢結さん』

 

「い、いえ、そんな……あたしもやりたいと思ったから礼愛の誘いを受けたんで……。それで、あのイラストは手分けして描いたんです。レイラ・エンヴィはあたしが、ジン・ラースのほうは妹が描きました。鉄砲について詳しくないので姉から借りた資料を見てたんですけど、なんだかあたしのイメージで、礼愛は細い体でごつい鉄砲振り回して暴れてそうだなって思って、アサルトライフル……でしたか? それにしたんです」

 

『あははっ、そうだね。さすが夢結さん。仲良しなだけあるね。わりと礼ちゃんは前に出るプレイスタイルだ。ふふっ……暴れっ……』

 

 あたしの人物評が可笑しかったのか、お兄さんは楽しそうに笑っていた。よくわからんが、推しの笑顔をあたしが作れたのだと思うと誇らしい。

 

「寧音の、妹のほうを見たら、ほとんど迷いなく拳銃にしてました。あたしも不思議だったので妹に聞いてみたら『映画の主人公みたいに拳銃でスマートに敵を倒しそうだから』って言ってましたよ」

 

『おわあ……』

 

「ふふっ、『おわあ』ってなんですか『おわあ』って。くふふっ」

 

『笑わないでよ……思わず出ちゃったんだから。んー……そうだね、そのイメージを壊さないように頑張るよ、ピストル持って』

 

「あははっ! この話、妹にはしばらく秘密にしておきますね。そのほうがおもしろそう」

 

『くすっ、僕にとってもそのほうがいいかも。これでスマートに勝てなかったら気まずいから。そうだ、今妹さんいらっしゃるかな? できたら妹さんにもお礼が言いたいんだけど』

 

「あー……あはは。礼愛も同じこと聞いてきましたよ」

 

『礼ちゃんも?』

 

「ええ。兄妹で考えること同じなんですね。……えっと、家にはいて、お兄さんと礼愛の配信もしっかり観させてもらったんですけど、昨日寝るのが遅かったので終わったらすぐに寝ちゃったんです」

 

 礼愛の轍を踏んだのに、お兄さんとのお喋りが楽しすぎて失念していた。

 

 ここまで失言してようやく、あたしは思い至る。心優しいお兄さんであればきっと、寧音が寝不足になったのはイラストを描いていたからだ、なんて考えてしまう。

 

『寝るのが遅く……あ。……そうか』

 

「……だ、大丈夫ですよ? 勝手に興奮して寝付けなかっただけなんで。心配しなくてもぜーんぜんおーけーですから」

 

『どこかで無理しないと、一日足らずで仕上げるなんてできないもんね。ごめん……いや、謝るのはかえって失礼だね。本当にありがとう。夢結さんもきっと疲れてる、よね?』

 

「あ゛っ゛……」

 

 まずい。大変まずいことになる。

 

 ここで選択肢を誤れば、あたしの命が危険に晒される可能性がある。

 

 明日あたり、このことを寧音に報告したらどうなるか。

 

 お兄さんと通話したよ。すっごく褒められたよ。あんたにも感謝してるって言ってたよ。お兄さんは直接お礼言おうとしてたけどあんた寝てたから気を使って控えてたよ。感謝を伝えておいてくれって言われたよ。

 

 ちょっと想像して確信する。

 

 うむ、何されるかわからない。

 

 まず間違いなく、なんでその時通話を代わってくれなかったんだって騒ぐだろう。

 

 いや、騒ぐだけならまだマシなほうかもしれない。最悪、鬼気迫る寧音に背後から刺されかねない。あたしに危機が迫っている。

 

 結論。叩き起こしたほうがいい。

 

『夢結さんもたくさん頑張ってくれていただろうし……今日はもう』

 

「お兄さんちょっと待っててもらっていいですか?! すぐ、すぐに! 行ってきますので!」

 

『え? ちょ、ちょっと、夢結さん? もう妹さん休んでらっしゃるんだよね? それなら今日は……』

 

「いえ! 大丈夫です! お兄さんに代わる時は起きてますから!」

 

『いやそれ、寝てるところを無理やり起こしてるんじゃ……夢結さん?』

 

 あたしは後からどれだけ寧音に怒られようと叩き起こさなければいけない。

 

 ここでお兄さんとの通話が切れてしまったら、あたしから掛け直すなんて恐れ多いことはできない。そうなってしまえばもう取り返しがつかない。明日寧音はキレて、結果あたしは事切れる。

 

 まだ死ねないんだ。死にたくない理由ができたんだ。人生を懸けて応援すべき神推しが見つかって、推しの活動も華々しい活躍もこれからというところで無駄死になんてできない。あたしの命はもう安くないのだ。

 

 お兄さんが切ってしまわないように一気に捲し立てて、ちょっと待っていてもらえるようお願いする。部屋へと向かう途中でスマホからかすかにお兄さんの声が聞こえるが、唇を噛んでそれには取り合わないこととする。お兄さんが何を言っているかはわからないが、お兄さんのことなのできっと無理に起こす必要はない的なことを言っているのだろう。

 

 優しいからなぁ、お兄さんは。

 

 でも寧音は優しくないんだ。今寧音を寝かしたままにすると、明日あたしが永眠することになる。

 

 勢いよく扉を開け放ち、部屋に飛び込んで、寧音のベッドに駆け寄った。

 

「すぅ、すぅ……ぇへ、ふふ」

 

「寝てても気持ち悪いなんて天性の才能だな……おい、起きろ寧音」

 

 どうやら寧音は幸せな夢を見ているようだ。これだけあたしがどたばたして入ってきたのにもかかわらず、夢の世界から帰ってくることはなかった。

 

 寧音がどれだけ幸せな夢を見ていようが、そんなことはあたしには関係ない。情け容赦なく寧音を叩き起こす。夢の中よりももっと幸せな世界が現実にあることを教えてやろう。

 

 がくがくと揺さぶって耳元で声をかけ続けると、寧音の意識が浮上してきた。

 

「んぁ……。んんっ……な、なに……ぇ?」

 

「起きろ」

 

「……なに? なにっ? なにっ?! きっとたぶんおそらく幸せな夢を見てた気がするのにっ!」

 

 起きて数秒で怒鳴れるくらいにエンジンがかかるのはシンプルにすごいな。レーシングカーばりのロケットスタートだ。都合がいい。

 

 画面を見て、まだ通話が繋がっていることを確認する。よかった、お兄さんはまだ愛想を尽かしてはいないようだ。

 

「今代わりますね! はい、寧音」

 

 眉根を寄せて怪訝な、というか不機嫌な顔の寧音にスマホを押しつける。よし、これであたしのミッションは完了だ。できた姉を持ったことを寧音には感謝してほしいね。

 

「なに……ほんとになんなの……。寝起きドッキリ? それならもう少しリアクション取れるコンディションの時にやってくんないかな……。はい。こちら叩き起こされた寧音。そちらどなたですか?」

 

 まともなコンディションの時なら寝起きドッキリしてもいいのかよ。この妹、意外と懐が深い。

 

 しかし、かなり正鵠を射た発言だな。この状況は寝起きドッキリみたいなものだ。

 

 うるさいあたしに辟易した寧音は、非常にうんざりした顔をして寝転がりながらスマホを耳に近づけた。

 

 気持ちよく寝ていたのに起こされたプラスそもそも寝不足プラス姉がうるさいという負の相乗効果によって、寧音のテンションと声はふだんとは比べるべくもないほど低くなっていた。大変不機嫌だった。

 

「……はい、初めまして。ええ、はい。え? ぁえ? …………ぇ゜?」

 

 もちろんあたしにはお兄さんの声は聞こえない。どんな話をしているかわからないけれど、寧音のリアクションでどんな内容かはだいたいわかる。

 

 礼儀正しいお兄さんは通話の相手が寧音に代わったことに気づいて、初めて話す寧音に自己紹介したのだろう。

 

 そこで寧音は通話の相手が推しであることに気づいた。奇声を発して、たっぷり十秒近く黙って、そして寧音は飛び起きた。寝転がりながら話していい相手ではないと、もはや本能で理解したのだ。

 

 勢いよく体を起こせば、もちろんかけていた布団はめくれる。下着姿で寝ていた寧音はどういう思考回路を辿ったのか、なぜか体を隠すように布団を手繰り寄せた。別にこれ、ビデオ通話じゃないけどね。

 

「あ、あのっ、あのっ……ちがくて! ゆー姉が、いきなりわた、渡してきて! ぁ、ぁ……応援してます!」

 

 これ以上ないくらい狼狽(うろた)えている寧音の様子に、あたしは笑いを堪えるのに必死だった。いや、馬鹿にしているわけではない。この笑いは慈愛の笑みだ。慈しみの心が口から漏れているだけなのだ。

 

 いつまでも見ていたくなる光景だったけれど、あたしが経緯を伝えてしまっていたのでお兄さんは気を使ったのか、短めに寧音との会話を切り上げた。

 

 最後に、寧音がこくこく頷きながら『おやすみなさい』と呟いていた。

 

 寧音が寝起きなことはわかっていたから、お兄さんは別れ際におやすみなさいとでも言ってくれたのだろう。なんて気高いサービス精神だ。でも常識的に考えてそんなこと言われたらテンション上がって逆に寝れなくなるよね。

 

「…………」

 

 虚ろな目をした寧音があたしを見ることもなくスマホを返してくる。焦点がどこに合わせられているのかわからないし、なんならスマホを乗せた手が向けられている方向もあたしから若干ずれている。茫然自失とはこのことだな。

 

「はい、代わりました。夢結です」

 

『あ、夢結さん……あの、あとで寧音さんが落ち着いたら、お休みのところを邪魔してしまってすいませんでしたと伝えてもらってもいいかな? ……寝起きで混乱していたみたいだから……』

 

「わかりました、言っときますね。寧音には言いたいことは言えましたか?」

 

『んー……ちゃんと伝わったかどうかはわからないけど、一応は。……夢結さんも寧音さんと同じように睡眠不足だろうから、そろそろ休んでね』

 

「うっ……。はい……」

 

 いつまでもお話していたい、なんならあたしがベッドに入って寝るまでずっと通話繋いでいてほしいけど、さすがにそこまで厚かましくはなれない。あたしにだって乙女らしい恥じらいというものがある。

 

『……今日はありがとうね、夢結さん。イラスト、本当に嬉しかった』

 

「え? ああわわ、いや……あたし一人で描いたものじゃないんで、そんな……」

 

『手描き切り抜きのこともお礼を言いたかったんだ。忙しいだろうに引き受けてくれて、とても感謝してる。ただ、ありがたいけど無理だけはしないでね。投稿のペースなんて、本当に夢結さんと寧音さんのご都合に合わせてくれたらいいんだから、だから、えっと……体調を崩すような無理はしないでほしいっていう……そういう、そういう話でした。……おかしいな、なんだか話が纏まらない』

 

 なんだ、急にどうしたんだお兄さん。いつも超然として余裕のある大人な立ち居振る舞いをするお兄さんが急にそんなふうに動揺しちゃうと、こっちまでどぎまぎしてしまう。

 

 え、もしかして意識されてんのかあたし。気があるのか、脈ありかこれは。

 

 いつの間にか落ち着いていた心臓が思い出したように高鳴り始める。

 

 落ち着けあたし、どうせいつもの勘違いだ、落ち着け、ステイ。きっとお兄さんは配信終わりで舌が回らないだけなのだ。それに配信中は礼愛と少年少女さんにずっと指示を出していたし、頭も疲れていることだろう。話の内容がまとまらないのも仕方ない。

 

 危なかった。自分に都合のいいように受け取って、また黒歴史を生み出すところだった。

 

「いえ……いえっ! き、気持ちは、すごく伝わりました! が、がんばります! 期待に応えられるように! もちろん無理しない範囲で!」

 

 さっきのお兄さんの言葉はあくまでお礼と感謝であり、激励だ。心配してくれているのだ。あたしはお兄さんの言葉を胸に刻んで戒めとしなければならない。応援のつもりでお兄さんの心の負担になるような無様な真似だけはしてはいけない。推しに迷惑をかけるような奴はオタクにあらず。

 

『うん、そう言ってもらえると安心できるよ。睡眠不足で疲れている時にこんなに長々と時間を取らせてしまってごめんね。じゃあ、今夜はゆっくり休んでね。おやすみ、夢結さん』

 

「い、いえっ、お話できて嬉しかったです。おやしゅみ……おやすみなさい、お兄さん」

 

 お兄さんが切るまで、スマホを耳に当て続ける女の彫像と化していた。通話が切れたことを確認してから、スマホをもつ手を下げる。

 

 なるほどな、あたしに代わる時に寧音が茫然自失としていた理由をこの身で体感した。これはすごい。

 

 なんだか今、とても胸がぽかぽかする。ぽかぽかでは明らかに表現不足な熱量があたしの心臓に宿っているけど、他の言葉では情緒に欠けるので変えるつもりはない。とてもぽかぽかする。

 

 破壊力がすごい。おやすみプラスアルファで名前を呼ばれて、それに自分も返す。お互い言い合って通話が終わるのって、とても人生の幸福度が上がる。

 

「ちょ、ちょっとゆー姉! なんてことしてくれたんだ!」

 

 あたしが感慨に耽りつつ幸せの形とは何かを考察していると、いつの間にか体に魂が帰ってきていた寧音に胸ぐらを掴まれた。

 

 ずいぶんと乱暴な口調だ。どうやら寧音はたいへん混乱しているらしい。

 

「なによ? なにをそんなに怒ることがあるの? 人生はこんなに光で満ち溢れているというのに……」

 

「一人で勝手にトリップしてんじゃねぇよ!」

 

 そこからはまさに独り舞台だった。あたしが口を開かなくても一人で勝手に喋っていた。相槌を入れる隙間すらない。

 

 せめて通話の相手が誰か言ってから代われ、推しにとんでもなく失礼な口利いてしまっただろ、寝起きでぜんぜん頭回ってなかった、ちゃんと敬語使えてたか自信ない、生意気なこと口走ったかもしれん、最悪だ何話したか覚えとらん、などと感情を爆発させている寧音はノンストップで愚痴を叫び続けた。

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 文句を吐き出すだけ吐き出して、寧音はようやく落ち着いてきた。息を切らすほど文句言うことなんてそうそうないぞ。起きたばかりなのに元気なやつだ。

 

「満足したか、寧音? 満足したなら、私になにかいうことがあるんじゃないかね?」

 

「ゆーねえ、っく、ぐすっ……あいがとぉ。いま……ねね、めっちゃしああせぇっ……」

 

 頃合いを見計らってあたしが訊ねたら、あれだけ怒鳴り散らしていた寧音が今度は急に泣き出した。声を震わせ、肩を震わせ、ぽろっぽろと大粒の涙を落としていた。

 

 怒っていたかと思えばもう泣いている。感情の振れ幅がとんでもないことになっている。心が揺れ動きすぎて壊れてしまったのかもしれない。

 

 どれだけ控えめな表現を使ってもどん引きだけど、同じオタクとして、そして同じ体験をした者として共感はできる。肩を叩いて肯定する。

 

 わかるよ、わかる。オタクの繊細なガラスハートを綺麗な笑顔で容赦なく殴りつけられたんだ。幸せって感情が止め処なく溢れるよな。うん、わかるよ。そもそも通話っていうコミュニケーション手段が悪かった。あのお兄さんの声をすぐ耳元に感じられるツールに問題があるよな。脳みそくすぐられるような気持ちになるよな。わかるよ、わかってるさ。

 

「どうだ? 落ち着いたか?」

 

「ぐすっ、ひっく……うん、落ち着いた」

 

 愚痴を吐いていた時間の倍くらいの時間泣き続けて、ようやく寧音は平静を取り戻した。

 

 やはり寧音を叩き起こすというあたしの判断は正解だったようだ。泣くほど喜ぶのなら、その機会を失ったと知れば、どれほど絶望に打ち拉がれることになるかわかったものではない。絶望が憎悪に変換されてあたしに向けられる可能性があったのだ。適切なリスクマネジメントができたといえるだろう。

 

「落ち着いたんなら伝えるけど、お休みのところを邪魔してしまってすいませんでした、ってお兄さんが言ってたよ」

 

「待って。やめて。泣く」

 

「なんでだよ。まだ涙残ってんの? 出し切ったでしょ」

 

「ああぁぁ……寧音の推しやさしすぎぃ……。生意気なことぜったい言ってたはずなのに、なんでこんなに寧音のこと気にかけてくれるの……。あ……好きって伝えるの忘れてた……」

 

「忘れてて正解だわ。お兄さんを困らせんな。会ったこともない初めて話す女から好きとか言われても対処に困るだろ」

 

「そんなことないね。きっと受け止めてくれる。……っし。さて、やるか」

 

 目元を手で拭って、充血した瞳をぱちっとさせた寧音は気力を(みなぎ)らせて机に向かう。

 

「ん? は? 寝直すんじゃないの?」

 

「こっちこそ、は? だよ。お兄さんの通話で眠気も血の気も吹き飛んだ。そのぶんやる気に満ちてるんだよ寧音は。あれだけ期待してもらっておいて今動かないとか……そんなのは悪だね」

 

 あれだけ期待されているんだ。あれだけ激励してもらったんだ。動かずにはいられない気持ちはわかる。自分のやれることに全力で取り組みたくなる気持ちは痛いほど理解できる。

 

 あたしもまったく同じ感情を抱いているけれど、それは許されない。

 

「だめ。今日は寝ろ。明日やれ」

 

「うるさい黙れ。寧音はやる。ゆー姉は寝てればいいじゃん。描く音で寝れなくなるようなデリケートな神経はしてないでしょ」

 

「お兄さんが心配する。だからだめ。あんたに言ってたかはわからんけど、今回のイラスト描くのにあたしたちが遅くまで起きてたことにも、お兄さんは罪悪感を持ってた。生活に支障来したり、体壊したりしたら、それはきっと何よりもお兄さんの負担になる」

 

「うぎぎぎっ……。で、でもっ、きー姉のお手伝いしてる時とか徹夜はあたりまえみたいな感じだったしっ!」

 

 他所からもらった仕事はすぐに片付けるくせに、なぜか同人誌の執筆はむらっ気があるというかスケジュールの管理ができないというか、雑な姉なのだ。締切ぎりぎりまでためることを同人作家の様式美だとでも思っているのか。せめてあたしたちに分配するぶんの作業は先に回しておいてほしいところだ。おかげで佳境に差し掛かってくると生活習慣がまともな寧音でさえ徹夜になるし、あたしくらいになると二徹三徹まで見えてくる。

 

 そんなあえて経験はしたくなかった経験を積んでいるので夜通し描いたりするのは慣れているのだけれど、それとこれとは別の話だ。

 

「関係ない。お兄さんが心を痛めるかもしれない。推しを曇らせるなんてオタクのすることじゃない。納期を遅らせてでも、あたしたちの体調を優先してくれるのがお兄さんだ。これで無理してどうにかなってみろ。お兄さんはとても心配して悲しむことになる。最悪の場合、慈悲深いお兄さんはあたしたちの身を案じるあまりに、強引に手描き切り抜きやイラストの任を解くかもしれない」

 

 確証はないにしても、お兄さんの人柄を考えると決してありえないとは言えない可能性だ。

 

「やだっ! せっかく繋がりができたのに切られたくない!」

 

「そうだろう。もちろんあたしだってそう。あたしたちにできる応援はイラスト(これ)しかない。これを拒絶されたら、もうなにもできなくなる。取り上げられるわけにはいかないんだ。だから、これからあたしたちは体調の管理に、より一層注意を払わなければいけない。イラストとか関係なくふつうに風邪ひいただけでも、イラストを描くのに疲れて免疫力が下がってたんだ……なんてお兄さんは思うかもしれない。それだけでアウトだ」

 

「くっ……推しの優しさがこんな形で牙を剥いてくるなんて……。しかたない。寝ることにする。そのぶん明日早起きして描こう。……シャワー浴びてくる」

 

「いってら」

 

 寧音はとぼとぼと歩いて部屋を出ていく。

 

 できれば今この瞬間、胸を焦がす情動に突き動かされるままペンを走らせたかったことだろう。しかし、自分の感情と衝動を優先してお兄さんを蔑ろにしては、それこそ本末転倒だ。

 

 でも大丈夫、安心しろ寧音。心の奥に灯った火は、時間を置いたくらいで消えたりしない。ゆっくりと考える時間ができたことで、さらに洗練されるかもしれない。そう考えると明日が待ち遠しくすらなる。どう表現しようかと頭の中を駆け巡るのだ。

 

「…………」

 

 お兄さんの顔が頭をよぎる。通話の終わり際、艶のある声であたしの名を呼んだあの瞬間がリフレインする。それを呼水にするように、お兄さんとの会話を次から次へと思い出してしまう。

 

 イラストをもらったことを本当に嬉しそうにしていた声。あたしがこれからも贈り続けると言った時の面食らった声。体調を気にかけてくれていた時の不安そうな声。話がまとまらなかった時の自分でも理解できないといったような戸惑う声。

 

 でもやっぱり、一番好きなのは。

 

 髪を優しく撫で付けるような、穏やかに寝かしつけるような、包み込んで甘やかに溶かすような、暖かい『おやすみ』の声。

 

 体の芯に溜まり続けるこの熱を、イラストで発散できないのは結構辛いかもしれない。

 

「ん…………っ」

 

 早くシャワー、浴びたいな。




次でお兄ちゃん視点に戻ります。またしてもゲーム配信。これまで配信していなかったのを取り返すようです。


*スパチャ読み!
みさちさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
燼滅刃ディノバルドさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
たうるさん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
モツタケさん、スーパーチャット、ありがとござます!
クロルフェナピルさん、上限赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!


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「……悲しい結末ですね」

 

「人間の皆様、こんばんは。『New Tale』所属の四期生にして悪魔のジン・ラースです。お忙しい中、足を運んで頂きありがとうございます。昨日の配信を観てくださった方はまたお会いできて光栄です。今日初めて観に来てくださった方は初めまして。皆々様、どうぞごゆっくりお寛ぎいただければと思います」

 

 礼ちゃんとのFPSコラボ配信から一日経って、今日は一人での配信だ。

 

 本来の計画であれば最短でも一ヶ月、長引けば二〜三ヶ月ほどは同期や『New Tale』の先輩諸氏と一秒たりとも一言たりとも関わることなく交わることなく一人で配信する予定だったのだ。これがスタンダードな形である。

 

 だというのに、礼ちゃんの声が聞こえない状態の配信に一抹の寂しさを感じている。礼ちゃんと一緒にやる配信の楽しさを知ってしまったから、という理由はあるにしても、それにしたって兄として情けなさすぎる。

 

〈待ってた〉

〈配信やめろ〉

〈同じ眷属として応援にきました〉

〈お兄ちゃんさんおっすおっす〉

〈お兄さん俺だー結婚してくれー!〉

〈今日は妹さんいないの?〉

 

 嬉しいことに、リスナーさんはたくさんコメントを寄せてくれている。たまに変な人もいるけれど。

 

 本来の計画通りであればコメントの投稿を制限するつもりはなかったけれど、今はある程度の制限を入れている。あらかじめ指定した単語が含まれているコメントは投稿されないようにしたり、見ている人の気分を害するコメントを何度もしている人はブロック措置を取ったりもした。その甲斐あってコメント欄を流れる悪い言葉は激減した。

 

 フィルターを掛けたとはいえど、それは目の粗いものなのですり抜けてくるコメントもいくつかあるが、罵詈雑言の度合いは明確に下がったのでこの程度で問題ないだろう。

 

 悪意あるリスナーが大多数であれば、対抗措置は取らずに放置していた。誰とも関わらず、完全に無視を決め込んで、荒らしが飽きるのをじっと待っていただろう。本来の予定はそういったものだった。

 

 しかし、礼ちゃんとコラボしてからは悪意のない、ただ純粋に楽しみに来てくれているリスナーが増えたため、悪意あるコメントについてはがんがん対応することにした。ある程度の線引きはしているけれど、ブロックも制限も入れる。楽しみにして観に来てくれている人が多くいるのなら、その人たちが気分を害することなく視聴できる環境を整えなければいけない。そこのクリーンアップも配信者の務めだと思っている。

 

「待っていてくださった人間様方もいらっしゃるようですね。ありがとうございます。そう言ってもらえるのは、なんだか面映い気持ちになりますね。どうやら眷属さんにもお越しいただけているようで嬉しく思います。悪魔違いですけど、兄悪魔のほうもよろしくお願いします。今日は礼ちゃんはお休みですよ。礼ちゃんは学生さんですから勉学優先です。今も部屋でお勉強しているはずです」

 

〈お嬢はガチで賢いからな〉

〈『New Tale』学力テスト殿堂入りは伊達じゃない〉

〈ドブ声消えろ〉

〈二十時間前から待ってました〉

〈悪魔兄妹推しです〉

〈べん、きょう……うっ〉

〈……やめてくれ、俺に刺さる〉

 

 礼ちゃんとコラボしたことに加えて今日は礼ちゃんがオフだということで、眷属と呼称されている礼ちゃんのリスナーさんがたくさん僕のチャンネルにきてくれているようだ。そのおかげか、コメント欄はとてもあたたかい。

 

「勉強の息抜きで来てくれている人の心を刺してしまったようですし、挨拶はこれくらいにしてそろそろゲームのほう始めていきたいと思います。本日やらせていただくタイトルはこちら『administrator(アドミニストレーター)』です。知名度も人気もあるゲームですので観たことがある、もしくは実際にプレイしたこともある、という人間様も多くいらっしゃるのではないでしょうか」

 

 このゲームはFPSゲームも多く世に出している会社が製作したシューティングアクションアドベンチャーという、非常にジャンルがとっ散らかっているマルチエンディング系のゲームだ。繊細なCGと人物描写、いろんな意味で重厚なストーリー、そして明らかに難易度の設定を間違えている、と巷で話題になっている。

 

〈アドミニストレーター!〉

〈おもしろいと聞いたことはある〉

〈これ泣いたわ〉

〈泣いた、むずくて〉

〈ストーリーいいんだよな〉

〈ばかむずいやつ〉

 

「お話を進めていくたびに選択肢があって、選んだ内容によってエンディングが変わるそうですね。非常に評価が高いようです。当悪魔はプレイしたこともありませんし、これをプレイした配信なども見たことがないので実際にプレイしていくのがとても楽しみです。悪魔と同じようにまったく知らないという人間様もいらっしゃるでしょうから、ネタバレは厳禁でお願いいたします」

 

〈一人称草〉

 

「なんですか? 悪魔ですから、悪魔と名乗るのは自然ですよ。なにもおかしくないですよ。それではやっていきますね」

 

〈お嬢とやってた時僕って言ってたやんけw〉

〈普段通り僕でいいよ〉

〈無理すんな兄悪魔〉

 

「礼ちゃんとやってた時も悪魔と言っていましたが? 無理なんてしてませんが? あ、始まりましたよ。僕……悪魔の声とか、BGMの音量とか大丈夫ですか?」

 

〈出てもうとるw〉

〈音は大丈夫w〉

〈www〉

〈草〉

〈僕悪魔!〉

 

「知りません知りません」

 

 からかってくるリスナーさんをあしらいつつ、ゲームを始める。

 

 イベントムービーで幕が開かれる。ストーリーとしては、立派な研究所の警備員として働いている元軍人の主人公が何らかの事件に巻き込まれていく感じらしい。主人公が職場から自宅へ帰ろうとしている時、研究所内で働いている知り合いの主任研究員に話しかけられる。どこかきな臭い雰囲気を滲ませるその研究員としばし話した後、主人公は帰宅して眠りについた。

 

「絶対あの研究員さんが黒幕か、それに近い立ち位置ですよね……」

 

〈メタ読みやめえ〉

〈明らかに怪しい〉

 

 主人公が自室で目覚めた。

 

 ここからはもう自分で操作できるらしい。

 

 主人公の部屋はワンルームのアパートといった印象だ。部屋の家具はというと、主人公が寝ていたベッドと書類が散らかっているデスク、開きっぱなしになっているクローゼット、テーブルと椅子といったところか。最低限の生活はできるというくらいの部屋で、傾倒している趣味があるような気配は室内に置かれた物からは感じられない。一言で表すなら殺風景だ。

 

「はい、おはようございます。いい朝ですね。外から銃声と悲鳴が聞こえます」

 

〈おはようございます〉

〈挨拶大事w〉

〈悲鳴に無反応は草〉

〈?〉

〈魔界では鳥の代わりに悲鳴が聞こえるのか……〉

〈価値観の違い〉

 

 早速いろいろ調べていこうかと思ったけれど、最初はチュートリアルみたいなものがあるようだ。ここに行ってここを調べろ、みたいなテキストが表示されている。

 

「クローゼットですか。……服、ジャケット。お次はデスク。わあ! 古めかしくも懐かしい携帯です! 今のようにいろいろな機能がついてない頃のボタンを押す携帯ですよ! タッチパネルじゃありません! あとは……拳銃ですか。引き出しに鍵もかけないでぽんと銃器をしまって置くのが人間界のトレンドなのでしょうか」

 

〈そんな物騒なトレンドあってたまるかw〉

〈流行りですね〉

〈反応かわいすぎんか?〉

〈拳銃よりも古い携帯見つけた時の方がテンション高いの草〉

 

「悪魔も人間界の情報収集頑張っていますが、こんな物々しいトレンドは知りませんでした。ん……なんだか物音がしていますね。おや、男性の大声が聞こえました。壁薄いんでしょうか? 騒音トラブルが心配です」

 

 きっとお隣で何があったのか見に行くところなのだろう。

 

 ストーリーが進んだということは必要最低限のアイテムは回収できたらしい。

 

〈心配するとこおかしい〉

〈草〉

〈お隣さん心配してあげてw〉

 

「悪魔は把握しておりますよ。音がうるさいなどという理由でお隣さんを注意しに行くとトラブルになるらしいです。騒音やゴミ出しなどのマナーを注意したことを発端に事件が発生したりもするのです。お隣さんは、音が鳴ると書いて音鳴(おとな)りさんとも言いますし、人が生きていれば生活音くらいするものです。このくらいの物音は我慢しましょう。生活には困りません。それよりこの部屋のクリアリングです。漁りましょう」

 

〈別ゲーに頭汚染されとるなw〉

〈誰がうまいこと言えと〉

〈FPSやってんじゃねえんだぞ!〉

〈クリアリングは基本だからな〉

〈タスク無視で草〉

〈お隣さんは犠牲になったのだ〉

 

「……クロスもかけられていない染みのついたテーブル、椅子は一脚、写真立てなどもなし。この主人公には交際相手などはいないようですね。クローゼットにも食器類にもその気配はありません。掃除も行き届いていません。そもそも人を招待できる衛生状態の部屋ではありませんね」

 

〈やめろ〉

〈不要な情報収集すんな〉

〈的確な推理で心が痛い〉

〈やめろ〉

〈やめて〉

 

 人物評価をするとリスナーさんたちから抗議を受けた。仕方がないので家具からの推理はそのあたりにしておき、漁りを再開する。

 

 銃を手に入れたデスクへともう一度向かった。デスクの上に雑然と書類が散らばっている。その書類は健康診断の結果が印刷された用紙だった。

 

「……あの研究所ではどんなものを研究していたのでしょうか。ただの健康診断とは思えない診断項目の多さです。書類の日付をいくつか見た限り、かなり高頻度で行われていますね。大変怪しいです。それはそれとして、人間様方もここまで頻繁に行けとは言わないので年に一度くらいは人間ドックを受診されたほうがいいですよ。健康だと思っていても、意外と何があるかわからないものですからね」

 

〈こんなとこちゃんと見とらんかったな〉

〈怪しさすごい〉

〈今行ったら絶対引っかかる自信がある〉

〈僕悪魔もなにかあったの?〉

〈僕悪魔草〉

 

「僕悪魔ってなんですか……。悪魔は一度、体を壊したことがありますからね。人間様には同じような経験はしてほしくはありません。防げる病気は防ぐべきです。日々の幸せとは、健康という土台の上に築かれる物だと気付かされました」

 

〈そうやね〉

〈たしかに〉

〈お兄ちゃんさん前の仕事してる時倒れたんだっけか〉

〈人間界の闇だよなぁ〉

〈兄悪魔も体大事にしろよな〉

〈もうお嬢心配させんじゃねぇぞ〉

 

 たしか礼ちゃんは兄が倒れたという話を眷属さんたちにしていたはずだ。だから今日僕の配信を観に来てくれている眷属さんたちの中には、何があったかを知っている人もいるのだろう。

 

「ええ。ありがとうございます。もう体調を崩すようなことはしません。妹に心配をかける兄なんて、兄の風上にも置けません。兄の名折れです」

 

〈兄としてのプライドがたけえw〉

〈さすが兄悪魔〉

 

 デスクを調べ終わり、小さなラック、テレビ、冷蔵庫などを調べてみた。ラックからはなぜか弾薬を、冷蔵庫からは体力回復アイテムなのかなんなのかよくわからない飲み物を手に入れた。テレビでは何らかの情報が手に入るのかと思いきや映らなかった。

 

 窓があったので近づいてみる。グラフィック上で存在するだけかと思ったけれど、しっかり開くことができた。窓を開き、窓枠の手すりから身を乗り出すようにしてあたりを一望する。

 

 ひっくり返った車、逃げ惑う人々とそれを追いかけるように走っている人々、窓ガラスの割れた店、燻って煙を吐き出しているよくわからないオブジェクト、周囲で響く銃声や悲鳴。

 

「おや、世紀末」

 

〈おやw〉

〈草〉

〈草〉

〈そんな感想w〉

〈いやー乱世乱世〉

 

「名残惜しいですが、そろそろ外に出ましょうか。お隣さんとの騒音トラブルを解決しろというテキストがずっと出ていることですし」

 

〈騒音トラブルとは言ってねえよw〉

〈こんなに部屋の様子を見る配信は初めてだ〉

〈部屋にもけっこう情報置かれてたんだな〉

〈彼女おらんこととかな〉

〈主人公に親近感を持った〉

〈ほぼ俺らみたいなもん〉

 

「行ってきま……電話?」

 

 外に出ようと扉へ向かった時、電話が鳴った。時間経過で発生するイベントなのだろうか。それとも扉へ近づくことで発生する通常のイベントなのか。初めてプレイする僕には判断できない。

 

 とりあえずデスクの隣のサイドテーブルに置かれている固定電話の元へ向かう。うるさいのだ。早く止めてしまおう。

 

〈ん?〉

〈電話?〉

〈なんだこれw〉

〈知らねえ〉

〈初回でこのルート行くんかw〉

〈うそやろ〉

 

 なにやらコメント欄がざわついている。どうやら特殊なイベントらしい。

 

 今はコメント欄は放置して、ストーリーのほうを重視しよう。鳴り響いている電話を静めるため、受話器を取る。

 

「もしもし、僕悪魔」

 

〈僕悪魔じゃねえよw〉

〈草〉

〈さっそく使っていくぅ〉

〈この悪魔ノリいいぞw〉

〈僕悪魔!〉

〈草〉

 

 受話器からはノイズ混じりで研究員の声が聞こえてきた。その口調は切迫している雰囲気だ。

 

『私だ! ああ、繋がってよかった。君はまだ無事だったか』

 

「こっちが名乗ったのだから相手も名乗ってほしいものですね。もしかしたら詐欺かもしれません」

 

〈名乗ってないんだよなぁ〉

〈詐欺じゃねえよw〉

〈草〉

〈緊迫感もなにもあったもんじゃねぇw〉

〈シリアスが息してないんだが〉

 

 やはり電話の相手は最初のイベントムービーでも登場していた研究員だった。その研究員の話を要約すると、家に一人で取り残されている娘を研究所へ連れてきてほしい、というお願いだった。

 

「なるほど、知ったこっちゃありませんね」

 

〈草〉

〈人の心ないんかw〉

〈つめたい……〉

〈さすが悪魔〉

〈血も涙もない〉

〈www〉

 

 研究員はこちらの意見など無視して話をしていく。

 

 研究員曰く、今は重要な仕事の途中で研究所から出られない。普段はハウスキーパーに頼んでいるが、世間は映画やコミックのようなパニック状態になっている。そのせいできっと家には来れていないはず。どうか娘を助けてほしい。とのこと。

 

 なんと、このゲームはゾンビゲーだったのか。評判だけは見たけれど、せっかくだからと思いそれ以上の情報は入れないようにしていたのだ。情報収集しておかなくて正解だった。そのおかげでこうして新鮮に楽しめる。このゲームのとっ散らかったジャンルの一つに含まれていた『シューティング』は、ゾンビに対するもののようだ。

 

「本当に大事なのなら、ご自身の手で守るべきです。娘さんよりも仕事が大事だと言うのであればそちらを優先すればよいのでは? そもそも、大事な娘さんをこんな何処の馬の骨とも知れない男に任せようとするなんて何を考え──」

 

『レイチェルはきっと一人で心細い思いをしているはずだ。君にこんなことを頼むのは筋違いだと思うが、どうか守ってやってくれないか』

 

「──礼ちゃん? 今この研究員さんは礼ちゃんと言いましたか?」

 

〈言ってない〉

〈それ妹悪魔とちゃう〉

〈いや言っとらん〉

〈草〉

〈ぜんぜん言ってないw〉

〈何を聞いとった?〉

〈レイチェルだぞw〉

 

 礼ちゃんの名前が出たかと思うと、画面は急に回想シーンに移った。

 

 どうやら主人公と研究員は一緒に食事をするほど親密だったらしい。広くて綺麗なダイニングで豪勢な食卓を囲んでいたので、おそらく研究員の自宅で食事をしていた時の記憶を思い返している、というシーンなのだろう。

 

 そのテーブルには主人公と研究員、そしてさっき名前が出てきたレイチェルが席について食事を摂っている。

 

 レイチェルの年頃は、だいたい七〜九歳といったところだろうか。まだ幼い女の子だ。緩くウェーブがかったダークブロンドのセミロングの髪。主人公(他人)とのディナーということもあってか、ややきっちりとしたインフォーマルなワンピースドレスを着ていた。くりくりとして大きな団栗眼(どんぐりまなこ)はヘーゼルカラーで、その服装も相まってお人形さんのような愛らしさがあった。

 

 その子の第一印象は小生意気という言葉がよく当てはまる。とてもつんけんしている。主人公に対しても、父親である研究員に対してもそう。好き嫌いが激しいらしく、食事に文句を言っているシーンもあった。だが、食事を終えて主人公が帰る時、ぬいぐるみを抱えたレイチェルが『もう帰っちゃうの?』とまるで主人公を引き留めるような、もっと一緒にいて欲しがるような、年相応に可愛らしい場面もあった。

 

「礼ちゃんにもこういう時期があったなあ……」

 

〈このシスコンどうしようもない……〉

〈兄悪魔さぁ……〉

〈レイチェルちゃんかわいー〉

〈かわええなぁ〉

〈見た目はかわいいんだけどなぁ〉

〈こいつは中身がなぁ……〉

 

 ゲームでの回想シーンとリンクするように、僕もありし日の思い出を想起した。

 

 今はとてもいい子な礼ちゃんにも、わがままで聞かん坊な時期があった。父さんや母さんの仕事が同時期に忙しくなり、なかなか家に帰って来れなかったり、帰って来れてもとても時間が遅くなり始めていた時のことだ。寂しかったのだろう、いろいろと無茶を言ったり、わがままを言ったりしていた。

 

 懐かしい。あの時はまだ僕もお兄ちゃんとしては素人で、今ほど礼ちゃんの想いを汲み取ってあげることができなかったな。

 

「守らなければ……。礼ちゃんが危ないっ」

 

〈レイチェルな〉

〈レイチェルやぞ〉

〈草〉

〈それ妹悪魔ちがう〉

〈重症ですね〉

〈どうしてこんなになるまで放っておいたんだ〉

 

 ゲーム内の回想が終わり、現実へと帰ってくる。そのタイミングで選択肢が現れた。『任せてくれ』と『できない』の二択。肯定と否定の二つだ。

 

「早く場所を教えてください」

 

 もちろん快諾する。礼ちゃんを守るのは兄である僕の役目だ。

 

〈はっや!〉

〈選択肢見えんかったってw〉

 

 研究員からのお願いを受諾したことでリマインダーみたいな機能にお願いの概要が記載された。他のゲームで言うところのクエストとかミッションのような感じだろうか。はたしてこれはメインストーリーに沿ったシナリオなのか、はたまたサブクエストなのか。

 

 なんにせよ、僕にはレイチェルを救いに行くという選択肢以外は見えない。どんなお願いや任務やメインストーリーよりも最優先にすべき問題だ。

 

「あ、マップにピンが刺されましたね。この場所に礼ちゃんがいる、と……。早く向かいましょうか。お隣さんなんてもう気にしている時間はありません」

 

〈お隣さん見ごろしにされちゃう〉

〈こんだけ時間たってたらもう手遅れだろうな……〉

 

 扉から出たところでイベントが発生し、物音がしている隣の部屋へとゆっくり近づいていくムービーが流れる。

 

 操作を受け付けないということは、このシーンはどういったルートを通るとしても見なければいけないのだろう。当作品がどういった物語なのか印象付けるシーンなのかもしれない。

 

 お隣さん宅の扉は開かれていた。主人公はホルスターから拳銃を抜き、壁に身を隠すようにしてお隣さん宅の部屋を確認しようとしていた。

 

 ちょうどいいタイミングで拳銃を取り出した。拳銃(これ)でお隣さんとの問題を解決してしまっていいのではないだろうか。僕は早くレイチェル(礼ちゃん)の下へ駆けつけたいのだ。

 

「ああっ、なんてことだ。勝手に動いて……強制的なストーリームービーです。……騒音といい時間稼ぎといい、お隣さんは迷惑しか掛けて来ませんね。もういっそのこと、手っ取り早くこれで……」

 

〈やめろやめろ!〉

〈物騒だなw〉

〈草〉

〈ゾンビより先に人撃つのは草〉

 

 緊迫感のあるBGMの盛り上がりに合わせるように、主人公は部屋を覗き込む。

 

 そこには玄関前で重なる二人の人影があった。

 

 仰向けになって倒れ込んで首から大量に出血している大柄な男性と、その男性を上から覆い被さるようにして首元に食らいついている細身の女性。なんとも、衝撃的なシーンだ。

 

「……お盛んですね。よそ様の特殊な性的趣向に口を出すことはしたくありませんが、いくらなんでも扉を開いたまま玄関で致してしまうのはちょっとどうかと……」

 

〈ちげえわw〉

〈どんなプレイだよ〉

〈カマキリかな?〉

〈ちょっと激しすぎますね〉

〈お客様! 困ります! あーっ! いけませんこんなところで! お客様!〉

 

「せめて扉は閉めて頂きたかった。ベッドまでとは言いませんので、せめてリビングくらいまで我慢できなかったのでしょうか。……配信大丈夫でしょうか? だいぶセンシティブです」

 

〈魔界のプレイはこんなに激しいのか……〉

〈グロではあってもセンシティブではねえよw〉

〈草〉

〈全く動揺してなくてくさ〉

〈あーお客様!(AA略〉

 

 あまりに凄惨な光景に主人公が息を呑んでいるところで、急に選択肢が現れた。『男性を助ける』と『女性を落ち着かせる』ともう一つ『撃つ』とあった。

 

「あ、選択肢です。これはもう手遅れでしょうから諦めましょう。介錯するのも優しさというものです。さっさと……いえ、痛みなく黄泉へ送り届けて差し上げましょう。悪魔は礼ちゃんを助けに行かねばなりません。こんなところでリスクを負うわけにはいかないのです」

 

〈迷いなさすぎw〉

〈はやく片付けたい気持ちが口からこぼれとる〉

〈もはや撃つ一択だった〉

 

 選択肢の『撃つ』を選ぶと、馴染みのある画面に遷移した。画面下側にキャラクターの手や銃が表示される、FPSでありがちな光景だ。さすがはFPSゲームも出している会社、こういった部分はお家芸だ。

 

「うわあ、ローセンシ……設定変えられたかなあ」

 

〈うまああ〉

〈うっまああ!〉

〈しっかりADSしてヘッショ〉

〈躊躇なしw〉

〈うま〉

〈頭のど真ん中いった〉

〈いや男の方も撃っとるw〉

〈フリックで男もヘッドショット決めてるw〉

 

「これが痴情の(もつ)れではなくて女性がゾンビだった場合、噛まれた男性の方もゾンビになって襲いかかってくるかもしれませんからね。リスクは排除しましょう。余裕があるのなら確キルを取る。常識です」

 

〈痴情のもつれの可能性残してるの草なんだ〉

〈考え方が完全にFPSなんだよなぁ〉

〈この場合死体撃ちでは?〉

〈死体撃ちは草〉

 

「ふふっ……死体撃ちの場合はバッドマナーですね。くふっ、ふふっ。その時は男性に謝っておきます」

 

 人智を超越した耐久力をしていたらどうしようかと思ったけれど、どうやらワンタップで落とせるようだ。後頭部に弾丸をもらった女性は動かなくなった。しばらくじっと動かずに拳銃を構えたまま待機し、完全に対象が沈黙したことを確認すると、扉の外に肉食系女性と同じような人がいないかを見渡し、玄関の扉を閉めて鍵をかける。

 

 この女性と男性がなぜこんなことになっているか調査はしたいが、その前にまずやるべきことがある。

 

「間取りはほぼ同じですね。……クリア。さて、さっきの男性と女性を漁……調べてみましょうか」

 

〈だからFPSじゃねえのよこれw〉

〈クリアリング完璧かよ〉

〈漁るって言いかけてなかった?〉

 

「ちょっと別のゲームの影響が……うん?」

 

〈ADZの影響が出てますねえ〉

〈お?〉

〈どした?〉

 

「……男性のほうはわかるんです。額の銃創はおいとくとして、頸部(けいぶ)の損傷による出血性ショック。壁や天井にすら血が届いていますね。抵抗したようですけど手を掴まれて、首を()まれたのでしょう」

 

〈ああ〉

〈せやな〉

〈ほうほう〉

〈なるほどな〉

〈俺もそうだと思ってたんだ〉

〈言ってることわかってなさそうなやつ多そうで草〉

 

「でも女性のほうがわからない。血が付着しているのは口周り……これは男性の首に噛み付いた時についたものでしょう。頭の銃創はさっきのあれですね。それ以外、返り血はあっても傷が見当たらないんですよね……」

 

〈おん?〉

〈それが?〉

〈そういうことか……()〉

 

「この人がゾンビ的な存在だったとして、この人はどうしてゾンビになったのでしょうか。映画などではゾンビになるウイルスが外傷によって体内に入ったことで感染してゾンビになる、というものが多いですが……経口摂取や空気感染などなのでしょうか」

 

 女性はOLといった身なりだ。パンツスーツにブラウス、ジャケット。ちなみにバッグは見当たらない。

 

 ゾンビに噛まれるなりなんなりして怪我をすれば、血が滲んだり汚れたりして目立ちそうなものだがそんな様子はない。

 

〈考えもせんかった〉

〈ゾンビっぽかったらとりあえず撃つしな〉

〈つまり、どういうこと?〉

 

「つまり、この女性はゾンビではなかったということです。浮気なのか、一方的に別れを切り出されたのか、理由まではわかりません。最初は話し合いで解決しようとしたでしょう。ですがお二人の話し合いは口論へとヒートアップし、やがて手が出た。そして怒りに支配された女性は男性に馬乗りになり、男性の手を押さえて頸動脈を噛み千切った。これが真相です。……悲しい結末ですね」

 

〈まさかの痴情のもつれエンド〉

〈んなわけあるかw〉

〈嫌な……事件だったね……〉

〈女性強すぎw〉

〈その女怖すぎんか?〉

〈てか兄悪魔撃ってもうとるやん〉

 

「ええ、撃っちゃってますね。……やめましょうよ、過ぎた話です」

 

〈最低で草〉

〈これは悪魔〉

 

 ここまで推測しておいてなんだが、痴情の縺れの可能性もないだろう。

 

 まずどれだけ頑張っても、この細身の女性では、この恰幅のいい男性を組み敷くなんてことはできないだろう。体重差およそ二十〜三十キログラムをひっくり返すだけの技術を、このOLが有しているとは思えない。

 

 それにクリアリングした際に部屋を見たけれど、お隣さんも主人公と同じくおそらく独り身だ。家具や食器が主人公と同じような感じだった。

 

 この男女は交際しているわけではなさそう。ほぼ他人みたいなものだろう。

 

 これが、女性がゾンビだとしたら一部の謎は解決する。

 

 普通の人間では体が負荷に耐えられないから無意識でセーブしているぶんの力を、痛覚のないゾンビは骨が折れたり神経が痛んだりしても気にせずに遺憾無く振るうことができる、みたいな理由でゾンビの力はとんでもなく強かったりする。そういった映画やゲームなどはある。それなら華奢な女性がごつい男性を押さえ込んだとしてもおかしくはない。

 

 だけれど、どちらにしても違和感が残るのだ。

 

「しかしゾンビだとすると、しっかりと出血していたのも不自然なんですよね……。ゾンビって、一応は歩く屍なわけじゃないですか。死んでいるのに、頭を撃ったら血が出ましたよね。心臓が動いてるのでしょうか? それって死んでいないのでは?」

 

〈ゾンビゲーやぞ深く考えるな〉

〈考察班かな?〉

〈言われてみれば気になる〉

〈ますます痴情のもつれの可能性が高まるな〉

 

 この女性の存在について深く思考しようとした時、ふと思い出した。僕には何よりも大事な使命があるのだった。いけない、こんなことしてる場合じゃない。

 

「そうだ、こんなところで油売ってる暇はないんだった。礼ちゃんを迎えに行かないと」

 

〈こんなところw〉

〈推理し始めたところはかっこよかったのに……〉

〈人撃った奴の発言かよw〉

〈兄悪魔はそうじゃないと〉

〈いやレイちゃんじゃないのよ〉

 

 礼ちゃんの待つ研究員さんのお宅に急がなければ、と扉の方向へ視点を移して、気づいた。

 

 足音がする。どたばたと忙しなく、かつ不規則な音だ。しかも一つ二つではない、多人数だ。

 

「扉閉めておいてよかったです。漁夫でしょうか。扉前で足音がしますね。二パーティぶんくらいの人数はいますが……困りますね。チーミングはルール違反なんですけど」

 

〈もうFPS脳になっとるw〉

〈ゾンビゲーなら漁夫もチーミングも当たり前なんよw〉

〈ゾンビ相手にチーミングは草〉

〈初動落ちしてまう〉

 

 こちらは一人な上に持っている武器はピストル一丁にナイフ。なのに相手はチーミング──チームを組んで狩りにくるなんて戦力差があるにもほどがある。

 

 ゾンビ推定二パーティはおそらく素手だろうけれど、逃げ場のない狭い部屋の中であることと、線の細い女性でも大柄な男性を押し倒すだけの筋力があると推測されるゾンビたちだ。雪崩れ込むように入ってきて囲まれたらピストルでは対応しきれない。袋叩きにあったら人の原型を留めていられる保証はない。戦闘は極力避けたいところだ。

 

「これはまずいですね。相手は少なくとも二パーティ以上、対してこちらは味方がツーダウン。人数不利です。引きましょう」

 

〈味方?〉

〈もしかして玄関に転がっている男と女のこと言ってる?〉

〈あんたが仕留めたよ〉

〈フレンドリーファイヤありかー〉

〈利敵行為すぎw〉

 

 扉の外で(たむろ)しているゾンビたちはおそらく、銃声を聞きつけてここまでやってきたのだろう。主人公の部屋の窓から外を見た際には三階か四階といったところだった。そこら辺を適当に歩き回っていてこの部屋に偶然辿り着くなんて可能性は低い。

 

 音に敏感だということを考慮すると、これ以上銃は使いたくない。一時的にゾンビを退けることはできても、結果的に周辺のゾンビを誘き寄せることになる。自分の首を自分で絞めるような真似だ。

 

 発見されてもまずい。一体に見つかれば主人公が逃げる時の音やゾンビが追いかける音で他のゾンビを釣り上げることになりかねない。

 

 銃を使わず、可能な限り静かに、見つからないでこの場を去る。

 

 脱出口など、一つしかない。

 

「さすがに窓から飛び降りたら死んでしまいますかね?」

 

〈それは死ぬw〉

〈草〉

〈それで平気だったらゾンビより化け物〉

 

「ですよね。なら自室へ戻りましょうか。おそらくそのために窓の外に手すりがあるのでしょう」

 

 窓から身を乗り出し、手すり部分に立つ。ジャンプすれば届く距離に、自室の窓が見える。

 

 足場ぎりぎりまで下がり、意味があるのかわからないけれど助走をつけて、落ちる寸前の位置で踏み切ってジャンプ。手すりを掴む、などのアクションがあるのかと思いきや、しゅたっと思いのほか軽やかに自室の窓の手すりに着地した。

 

「す……ごい跳躍力。さすが元軍人といったところでしょうか。元軍人とついていたら多少無茶苦茶やってもセーフみたいな風潮ありますからね」

 

〈着地草〉

〈シンプルにキャラコンがすげえ〉

〈やめろやめろw〉

〈とびすぎw〉

 

 窓から自室へと華麗に舞い戻った主人公。このまま外に出たら、いくらお隣さんの部屋がゾンビに大人気だとしてもさすがに姿を見られてしまうだろう。

 

 走って撒くことはできそうだけれど、撒いている道中で他のゾンビも拾ってしまいかねない。そんな鬼ごっこをしながらではレイチェルを助けになんていけない。かえってレイチェルが危険になってしまう。なんとしてでも、ここでゾンビを振り切らなくてはならない。

 

「んー、研究員さんから電話かかってきましたし、きっと電話回線は生きてるんですよね。電話の音とか使えないんでしょうか。携帯で固定電話に電話をかけて、元人間の皆様を主人公宅へお招きして、その間に悪魔はまたお隣さんの部屋に移動して扉から出る。そうすれば安全にこのアパートから出られそうです」

 

〈え頭いい〉

〈かしこ〉

〈サイコパスと賢者の間を行き来する悪魔〉

〈気づくの早い〉

〈なんも調べてないのにまじか〉

 

「携帯のアドレスに自宅の番号とか……ないですね。一度調べないといけないみたいです。まあ、家族とも一緒に住んでいない、交際相手もいない独り身の一人暮らしだと、わざわざ自宅の固定電話に電話することなんてありませんか。仕方ないですね」

 

〈やっぱこいつ悪魔だわ〉

〈心がいてえ……〉

〈急に刺してくるやん〉

〈辛辣で草。草……〉

〈うちはそもそも固定機置いてないな〉

 

「今はもう固定電話を置かないという人間様も多いそうですね。知人からの連絡はスマホにくるし、わざわざ固定電話を置く必要性を感じないのだとか」

 

 固定電話へと近づいてアクションボタンを押すと、固定電話を操作する画面へと移った。それらしいボタンをぽちぽち押すと、固定電話の小さなディスプレイに番号が表示される。携帯のアドレスに登録する、などのアクションは出なかったのでおそらく、プレイヤー本人が記憶なり記録なりしておけよ、というスタイルなのだろう。

 

「さて、ここからが一番リスクの高いところですね。主人公は育ちがいいので家を出るときはしっかりと扉を閉めてしまいました。出待ちをしている元人間様たちをこの部屋に誘導するためには、ばれることなく扉を開いておかなくてはなりません」

 

〈人気者はつらいな〉

〈元人間様w〉

〈ちゃんと敬意は持ってるんだw〉

〈草〉

〈その表現いいな〉

 

 足音を立てないようにゆっくりと扉へ近づき、ドアノブに手をかける。シューティングアクション(・・・・・)アドベンチャーという看板通り、ここでアクションがあった。制限時間内にこのボタンを押せ、みたいなものではなく、ゆっくりとスティックを回せ、というものだ。

 

「……緊張感がありますね……」

 

〈おお〉

〈ゆっくりだぞっ〉

〈朗報・初の緊迫感のあるシーン〉

 

「今こそあのセリフを使う時でしょうか……押すなよ押すなよ、と……」

 

 一回くらい失敗しておくのがお約束というものだろうか。どうしよう。

 

〈いい声でばか言ってんじゃねえよw〉

〈声とセリフがあってないんよw〉

〈悲報・やっぱりコメディ〉

〈誰もふってないw〉

〈なんでそんな神妙なトーンでふざけれる?w〉

 

 結局物音を立てることなく、玄関の扉を開けることに成功した。

 

 半開き程度だけれど、これだけ開いていれば音は聞こえるという判断だろうか。

 

「ふう……ここまでで一番息が詰まった場面でしたね」

 

〈ああ、笑いすぎてな〉

〈声も出んかったくらいだ〉

〈www〉

 

「頭には浮かんだのですけどね。いったんやらかしておくべきか、と。効率を優先してしまいました。まだまだですね、精進します」

 

〈充分笑ったからもうええw〉

〈どこ目指してんだ〉

〈努力の方向間違えてて草〉

 

 扉を開いた後はとんぼ返りでお隣さんの部屋へ。足を踏み外せばこれまでの努力が水の泡なので、足元を確認しながらゆっくりと戻った。

 

「作戦成功するのでしょうか。いざ、ご自宅にお電話しましょう。携帯電話を取り出して、番号を入力……っと」

 

〈おおちゃんと覚えとる〉

〈記憶力良〉

〈俺もう忘れとったわ〉

〈やるやんけ〉

〈とあるライバーは番号忘れて確認しに戻ったらゾンビにやられとったぞ〉

 

「十桁の数字を覚えていただけですが……。でも他のことに集中してしまうと数字の羅列なんて忘れてしまうこともありますよね。……あ、元人間様たち、移動したみたいですね」

 

〈悔しい……元人間様で何度も笑っちゃう〉

〈w〉

〈数字とか五秒くらいたったら忘れるわ〉

〈元人間様草〉

〈成功だ!〉

 

 お隣さん宅の扉の近くで耳を(そばだ)てると、ぞろぞろと足音が動いていくのがわかった。今頃は、玄関扉前で出待ちしていたゾンビたちが主人公の部屋で鳴り響く固定電話に群がっていることだろう。

 

 携帯電話はコールし続けたまま、扉をゆっくり開いていく。

 

「いませんね。成功です。礼ちゃんの下まで急ぎましょう」

 

〈妹悪魔が待っとるぞ!〉

〈お嬢が不安で震えとるかもしれん!〉

〈いそげ!〉

〈訂正するやつおらんくなってて草〉

〈全員洗脳されてるw〉

〈悪魔の技だ〉

 

 このお隣さん自体には迷惑しかかけられていないけれど、この部屋には大変お世話になった。視点を下げることでしっかりとお辞儀をして、扉を閉める。

 

「お邪魔しました。…………」

 

〈ちゃんと頭下げてるw〉

〈礼儀正しくて草〉

〈家主撃ったくせにw〉

 

「…………。なるほどね」

 

 ここまで頑張ったのに最後の最後で詰めは誤りたくない。急ぎはするけれど、足音を立てないようゆっくり歩いて主人公の部屋を通過する。

 

 開ききった扉からこっそり中を覗き見ると、扉の外からでもゾンビが音の発生源である固定電話に注意を払っているのが見えた。しっかり全員部屋に集まったようだ。やはり音には敏感に反応するのだろう。

 

〈部屋の中こわ〉

〈みっちみちや〉

〈ゾンビの密度やばw〉

 

「とりあえず椅子の数は足りませんね」

 

〈問題はそこじゃねえよw〉

 




最初はとある名作のゲームを参考にしようと思って書き始めたけど、一度方向転換したら方向転換したまま帰ってこなくなって完全に別ゲーになってしまった。そんな経緯の末生まれた『administrator』です。
ここからしばらくお兄ちゃん視点です。

*スパチャ読み!
おれは100さいだからえらいんだまんさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
アリストテレスさん、上限の赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
tottoさん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
まそっぴさん、赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
びだるさすーんさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
セラさん、スーパーチャット、アリガトゴザイマァス!


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「銃弾一発受けたら死ぬ覚悟で街を守ってるよ」

 

「ここに礼ちゃんがいるはずです。いやはや、長い道のりでしたね」

 

〈他のお願い全無視したけどな〉

〈一直線やった〉

〈人襲われててもスルーしてたw〉

〈兄悪魔「チャンスですね。ヘイト買ってくれているうちに行きましょう」〉

〈まさに悪魔〉

〈最低で草〉

 

 主人公のアパートを出た後、いろいろとイベントがあった。どこかの施設が避難所みたいになっているから一緒に行こうと言われたり、怪我をして動けないから手を貸してくれと言われたり、子どもたちを避難所に誘導するから援護してくれと言われたり、家に家族が取り残されているから助け出すのを協力してくれと言われたり、避難所を守るのを手伝ってくれと言われたり。それはもうイベントと選択肢が目白押しだった。

 

 ちなみに全部断った。

 

「悪魔の目的とは反するお願いでしたからね。断ったら素直に諦めてくれたのが幸いでした。しつこくお願いされてしまうと、さすがにこちらも……ねえ?」

 

〈こいつ撃つ気だったのかw〉

〈草〉

〈草〉

 

「しつこく引き止められてしまうなんて、そんなのは足止めされてるのと同義ですからね。敵意を向けられなければ銃口を向けるなんてことはしませんけれど、邪魔をするならそれは敵です。排除します」

 

〈敵認定からの排除までが早すぎるんだよなぁ〉

〈足を止められただけで敵は草〉

 

「僕は悪くありません。でも助けを求める人間様も、悪い人ではないはずです。ご自身の力だけでなんとかできるなら、他人を頼りはしないでしょうから。悪いのはこんなに殺伐とした世界と、引き金の軽いピストルです」

 

〈引き金w〉

〈撃ってんのお前やぁ!〉

〈すぐ撃っちゃう〉

〈引き金も人の命も軽い〉

 

「ちなみに今のところ、撃った人数は人間様と推定元人間様ということで一対一の比率ですね。これからのストーリー次第では、元人間様より人間様を撃つ回数の方が多くなりそうです」

 

〈草〉

〈草〉

〈草〉

〈ゾンビゲーなのに人撃ってやがるw〉

 

 ゾンビと出会い頭にエンカウントしないよう、常に音には気をつけて、曲がり角はゆっくりと確認しながら進んで、ようやく研究員の家に到着した。ゾンビに見つからないよう努力し、なるべく最短ルートを早歩きで駆けつけたけれど遅くなってしまった。レイチェルも待っているかもしれない。

 

「それではそろそろ礼ちゃんを保護しに行きましょう。安全に親御さんの下まで送り届けるのが悪魔の役割です。インターホンを押せば出てきてくれるのでしょうか。悪魔なら、こんなご時世で扉を開くなんてこと絶対させませ……音がしました」

 

〈女の子を送り届けるゲームだったのか〉

〈目的変わってもうとるんよ〉

〈草〉

〈落とした〉

〈音したな〉

〈おふざけからまじめなモードへの切り替えよ〉

〈ぞくってした〉

〈かっこよ〉

 

 白を基調とした清潔感と高級感のある大きな一軒家。その門扉の前で、どうやって入ったものかと悩んでいた時、物音がした。音の反響や籠り具合から、家の反対側といったところか。

 

「ガラスの割れる音。それを踏み砕く音も小さく聞こえます。ガラスが飛び散ったフローリングを、硬い靴底の靴で歩いたのでしょう。たしか回想シーンで映ってましたね、掃き出し窓。リビングから入ったようです。……このゲーム、本当によく作り込んでいますね。キャラクターの表情もそうでしたが、サウンドの一つ一つすら細やかです。音が粒立っています。」

 

〈音したんか?〉

〈どんな耳してんだこの悪魔〉

〈デビルイヤーだ〉

〈よく覚えてますね〉

〈気づかなかった〉

〈喋ってたりしたら音に気づかない人もいる〉

〈耳良すぎん?〉

〈どんな耳してるんです?〉

 

「耳ですか? 見ての通り、長くて尖っています。それより、礼ちゃんが危険に晒されています。すぐに向かわなくては……」

 

〈くっそwww〉

〈w〉

〈形の話はしてねぇわw〉

〈そこじゃないw〉

〈草〉

〈真剣な声で笑わさないでw〉

 

 門扉に近づくと、これまでは出てこなかったアクションボタンが表示された。乗り越える、というそのアクションをこなし、玄関には目もくれずに裏口へと回る。

 

〈玄関入らないの?〉

 

「玄関からは入りません。小さい子どもが一人でお留守番しているのなら確実に施錠されていることでしょう。危機感を煽るようなガラスの割れる音がしたのに、玄関の鍵を開けにきてくれるとは思えません。なんなら扉の前で侵入者が迎え撃ってくるかもしれません。掃き出し窓のところからお邪魔するほうが早いし安全です」

 

 家の裏手に回ると中庭が広がっていた。青銅製のように見えるテーブルセットがあるが、錆びているし倒れたままになっている。以前は手入れされていたのかもしれないが、植木も中庭自体にも雑草が繁茂していた。外周をなぞるような形で生垣が背伸びしており、周辺住民から見られにくくなっている。プライバシーは守られる反面、同時に視線を遮られる格好になるので強盗にはうってつけとなってしまっている。

 

 中庭を眺めるためか、家の裏には大きな掃き出し窓があった。今は窓ガラスが割られて枠だけになっている。

 

「……やっぱり。この周辺では一番大きなお家でしたからね。この世間の混乱に乗じて強盗でも働くつもりだったのでしょうか。……幸い、相手は一人なようです。体格はいい勝負でしょうけど、そこは元軍人。出会(でくわ)してもなんとかなるでしょう。礼ちゃんの保護を急ぎましょう」

 

〈動きやば〉

〈なんでわかる?〉

 

「なぜ相手が一人だと思ったのか、という話ですか? 靴跡が一人分だからです。すぐ外が土ですからね、跡はしっかり残っています。足のサイズと身長はある程度比例しますから、そこからの推測です。主人公より少し大きめですね。描写がしっかりした良いゲームです」

 

〈もしかしてお兄ちゃんさん賢い?〉

〈探偵か?〉

〈やってることは今のとこサイコパスなのに……〉

 

「ただそういう知識があったというだけですよ。さて、行きましょう。おそらく礼ちゃんの部屋は二階です。キッズルームといえば二階ですからね」

 

 リビングから不法侵入すると主人公は勢いよく駆け出した。

 

 家の中なのでゾンビの心配はしなくてもいい。強盗犯には足音が聞こえたって構わない。なんなら足音に気づいてまっさきに主人公を襲いにきてほしい。強盗犯の矛先がレイチェルに向かわないのであれば、たとえ主人公が一発二発くらい銃弾を喰らってもいい。主人公はどうなろうといい。レイチェルが無事であるならなんでもいい。

 

〈なんで階段の場所知ってるん?〉

〈迷いなくて草〉

 

「回想シーンで主人公が帰ろうとしているところありましたよね。あのシーンで玄関に背を向けた主人公と礼ちゃんが喋ってましたけど、その端っこに階段が見切れてました。玄関のある方向に向かえばすぐ見つかるはずです」

 

〈やっば〉

〈めっちゃ記憶力いい〉

〈なんでそんなとこ見てんだ〉

〈レイチェルちゃんしか見てなかった〉

〈かわいかったとしか覚えてない〉

 

「ふふっ、これでも知性を武器にする狡猾な悪魔ですからね。……まずいですね。足跡も二階に続いています」

 

 すぐに見つけられた階段を駆け上がり、二階に着いた時だった。

 

『きゃああぁぁっ』

 

 大きな物音と、甲高い悲鳴が聞こえた。

 

 部屋はいくつかあったが、一つだけ扉が開いていた。その扉目掛けて走ると、急に動けなくなった。

 

「ん、イベントムービー……」

 

 自由に操作できなくなったかと思えば、ストーリームービーが挿入された。

 

 客観的な視点になる。ばたばたと忙しなく主人公が部屋にやってきたところだった。

 

 視点が主人公の後方上部へと移動する。部屋の中が画角に入った。

 

「……この害獣は、駆逐してしまってもいいですよね」

 

〈よし〉

〈やってよし〉

〈やってよし〉

〈ぶっ◯せ〉

 

 部屋の中では大柄な男がレイチェルの首を掴んで床に押し付けていた。野卑な笑みを浮かべていた強盗犯は、部屋の前まで主人公が来て、そこでようやく存在に気づいた。

 

 強盗犯がベルトに挟んでいた拳銃に手をかけようとしたところで、ふっと画面が色褪せる。スローモーションになっていますよ、という演出だ。

 

 であれば、次に何が来るのかは明白だ。

 

「選択肢……」

 

 この瞬間どう動くか、という問いだ。

 

 選択肢は『銃を抜く』『壁に隠れる』『前に出る』の三つ。

 

「前へ」

 

 選択肢が現れた瞬間に『前に出る』を選ぶ。

 

 主人公が部屋の中へと一歩、二歩と踏み込む。

 

 灰色に霞んだ世界。主人公の動きはひどくゆっくりと、しかし確実に動くが、強盗犯も動く。

 

 強盗犯は腰の後ろに回した手で銃把を握り、ベルトから抜いて、主人公へと向けようとする。この距離であれば、どれだけ狙いが雑になろうと撃てば当たるだろう。

 

 再び、選択肢が現れる。

 

 が、これまでとは少し趣向が違った。これまでは画面中央に文字とそれに対応するボタンが表示されていたが、今回は文字は一切出てきていない。強盗犯の顔、腹、そして銃を握っている右手に、アクションのボタンが重なっている。

 

「まずは武装解除」

 

 右手に重なっていたアクションボタンを選択すると、次第に画面に変化が起きる。色褪せていた画面に、じんわりと染み渡るように色彩が戻り始めた。スローモーションになる区間はここで終わりらしい。

 

 踏み込んできた勢いそのままに、主人公は足を振り抜いて強盗犯の右手を痛烈に蹴り上げた。

 

 強盗犯の右手が蹴りの衝撃で跳ねる。手にしていた拳銃は部屋の隅へと吹き飛んでいった。

 

「ここからはもう消化試合みたいなものですね」

 

 倒れていたレイチェルの首を掴んでいた強盗犯は床に膝をついている。対して主人公は立っている状態。体格は同程度だろうが、体勢に差がありすぎた。

 

 主人公は膝立ちになっている強盗犯の顔に拳を叩き込み、追撃で頭を掴みながら膝を入れる。

 

 ふらつきながらも立ち上がった強盗犯は闇雲に腕を振り回していた。それを落ち着いて躱して、隙が生じたタイミングを逃さずに抉りこむように打つ。

 

 腹に重い一撃が入り、強盗犯の腰が引ける。頭が下がったところを右のアッパーが強盗犯の頭をかち上げた。その勢いたるや、首根っこから千切れて頭が飛んでいってしまいそうなほどの迫力だった。

 

 攻撃する際、強盗犯の攻撃を回避する際、その都度都度にボタン入力が求められていた。残りの体力を暗に示しているのか、最初はボタン入力の制限時間が短かったが、攻撃を加えるたびに入力するまでの制限時間は長くなっていった。強盗犯の体力が残り少なくなったことで動きが段々と鈍くなってきている、という演出だろうか。

 

 とてもユニークな演出だと個人的には思うけど、一番最初のボタン入力までの猶予は体感的に一秒あったかどうかといったところで、二秒は確実になかった。なかなかにハードな難易度だ。反応の良さを求められる。もっとも越えるのが難しいハードルを越えなければ易しくなってくれないあたり、意地が悪い。

 

「……成敗。あれだと少なくとも数時間はまともに動けはしないでしょう。綺麗に首から振れましたからね。確実に脳震盪が起きています。……もしかしたらお亡くなりの可能性も……まあ、それも致し方なしですね」

 

〈うおおおおお〉

〈おおお!〉

〈成敗!〉

〈すげええ〉

〈ノーミス!〉

〈一方的w〉

〈それは致し方なし〉

〈サンドバッグかよw〉

〈なんで銃で撃たなかったんですか?〉

 

 強盗犯を叩きのめしたところで、ボタン入力しなければ次のシーンに進まない画面になったので、一旦ここで小休止してリスナーが投げかけてきてくれるコメントを拾っていく。さすがに連続でコマンド入力している時は、コメントに返事ができなかった。

 

「礼ちゃんが無傷のまま暴漢を退治できてよかったです。ありがとうございます。どうして銃を使わなかったのか、ですか。あの距離なら早撃ちでもヘッドショットはできたでしょうけど……すぐ間近にいた礼ちゃんがトラウマになってしまいます。頭に真っ赤なお花が咲くところを見せるよりかは、殴り倒したほうがまだ精神的な負担は少ないでしょう」

 

〈よくそこまで考えれるな〉

〈さすがお兄ちゃん〉

〈これはベテランお兄ちゃん〉

〈兄悪魔は伊達ではない〉

〈銃蹴り飛ばしたのもそう?〉

 

「構えられる前に飛ばせれば一番安全だなとは思いましたね。顔や胴体を狙って、その方法が殴りなのか蹴りなのかタックルなのかはわかりませんが、アクションを起こした拍子で銃が暴発したら困ります。セーフティを外している拳銃のトリガーに指をかけようとしていましたから、まずはこれをどうにかしてからだと考えました」

 

〈こわいこわいこわいw〉

〈あの一瞬で見えすぎでは?〉

〈すごすぎて怖い〉

〈悪魔の視界もすろーになっとったんか?〉

〈めっちゃいい判断〉

〈あーなるほどなぁ……〉

 

「ではそろそろ進みますね。礼ちゃん、お兄ちゃんが迎えにきたよ」

 

〈この子はレイラちゃんじゃない上にお前はレイチェルの兄じゃない〉

〈ツッコミどころしかないw〉

〈草〉

〈さっきまでとのギャップで風邪ひきそう〉

 

 ボタンを押すと、強盗犯をノックアウトした画面から動いた。

 

 再びストーリームービーが入る。

 

 一人称視点から、二人を画角に収めるような視点に変わった。

 

 いろんなことが起きすぎて混乱しているのか、レイチェルはぺたんとへたり込んだまま動かない。

 

 回想シーンではきっちりとした印象のワンピースドレスだったけれど、起きたばかりなのか、今はルームウェアを着ていた。アイボリーカラーの薄手のパーカーとショートパンツというラフな格好だ。

 

「小さい礼ちゃんかわいい!」

 

〈今日イチ声出とるw〉

〈おい悪魔〉

〈レイチェルちゃんかわいい!〉

〈草〉

〈かわいい〉

〈かわいい〉

〈お兄さんかわいい〉

 

 混乱が収まり、頭が現実に追いついてきたのか、レイチェルはひっくひっくとしゃくり上げるように泣き出した。

 

「ああ! 僕が大きな声出したせいで! ごめんね、ごめんなさい礼ちゃん……」

 

〈パニックw〉

〈ゾンビいても冷静だったのにw〉

〈草〉

〈一番わたわたしてるw〉

〈強盗見つけても動揺してなかったくせにw〉

〈有能悪魔はどこいった!〉

 

『ああ! ビル、ありがとう! わたし、もうダメかと……』

 

 泣きじゃくりながら、レイチェルは主人公に縋りついた。

 

 主人公はレイチェルをしっかりと抱きとめて背中をさする。『もう大丈夫だ、もう安全だ』としきりに口にして安心させていた。

 

 人付き合いの苦手なタイプかと思いきや、ちゃんと子どもを慰められている。立派な大人だ。

 

「愛称で呼ぶほど親密だったのですね。意外です。頻繁に研究員さんのお家にはご招待されていたのでしょうか」

 

〈かわええ〉

〈かわいい〉

〈こいつの名前ビルだったっけ?〉

 

「主人公の名前はウィリアムですね。ビルはニックネームみたいなものです。ウィリアムならニックネームはウィルやビルなどと呼ばれるみたいですね。名前の最初の文字の子音を変化させて呼ぶのは一般的らしいですよ」

 

〈へー〉

〈知らんかった〉

〈博識〉

〈物知りですね〉

 

「あはは、ありがとうございます。礼ちゃんから聞かれた時に答えられるように日頃から勉強していた甲斐がありました」

 

〈兄悪魔……〉

〈シスコンの鏡〉

〈お兄ちゃんの鑑やな〉

 

 ストーリーは進んでいく。

 

 主人公は、家の外では世界が変わってしまっていることをレイチェルに教えていた。ゾンビのように変わり果てた人たちが襲いかかってくる。見つかると危険だと、レイチェルに話す。

 

 不安そうに主人公を見上げて『どうしたらいいの?』と訊ねてくるレイチェルに、主人公は『お父さんのいる研究所へ行こう』と向かう先を示した。

 

 主人公の言葉に素直にこくりとレイチェルが頷いたところで、ストーリームービーが終了した。

 

「ああ! 礼ちゃん可愛い! 頷いてたところめちゃくちゃ可愛かったですよね?!」

 

〈うるせえw〉

〈どこよりも声がでけえ!〉

〈でもたしかにかわいかった〉

〈かわいいなw〉

〈ちなみにこいつがかわいいのはここまでだ〉

 

「あっ! 礼ちゃんついてきます! とことこついてきます!」

 

〈うるせえw〉

〈テンションたっかw〉

〈草〉

 

 ストーリームービーの最後の頷くシーンや、キャラクターの操作に戻った後、主人公の後ろをちょこちょこついてくるレイチェルに、否応なしに気持ちが高揚する。

 

 一時期、礼ちゃんにも僕をどこまでも追いかけてきてた時があったなあ、なんてことをつらつらと思い出していると、がちゃっ、と扉を開く音がした。ゲーム内のサウンドではない、僕の背後からだ。

 

「お兄ちゃーん、呼んだー?」

 

「あ、本物の礼ちゃん」

 

〈妹悪魔召喚されたw〉

〈草〉

〈草〉

〈お嬢!〉

〈あれだけ名前叫んでりゃなw〉

〈盛り上がってまいりました〉

 

 僕が礼ちゃんの名前を呼んでいたのが聞こえてしまったのか、レイチェルじゃないほうの本物の礼ちゃんが部屋に来てしまった。

 

 ペットボトルのお茶を持っている礼ちゃんはすたすたと部屋に入って僕の近くまで寄ってくる。

 

「いや……本物ってなに? 本物も偽物もないよ」

 

「ゲームしてたらね、礼ちゃんが出てきたから礼ちゃんって呼んでいたんだよ」

 

「うん? ぜんぜんわかんないや……えっと、配信中だよね? みなさん、急にお邪魔してごめんなさい。『New Tale』二期生のレイラ・エンヴィです。本日はお兄ちゃんの配信を観に来てくれてありがとうございます」

 

〈お嬢!〉

〈妹悪魔きた!〉

〈お邪魔なんてとんでもない〉

〈草〉

〈自由で草〉

〈もともとリア凸から始まった兄妹だからな〉

〈楽しんでます〉

 

 マイクに近づいた礼ちゃんは、配信を視聴してくれているリスナーさんに向けて挨拶した。それを聞いてリスナーさんも反応してくれている。

 

 『Island(アイランド) create(クリエイト)』配信時のリア凸や昨日の『Noble bullet(ノーブルバレット)』コラボ配信を経てのこれなので、リスナーさんたちも寛容だ。なんなら楽しんでいる空気すらある。

 

「それで、礼ちゃんはどうしたの? たしか今日は勉強してたはずだけど」

 

「うん。勉強してたよ。一段落ついたから小休憩と思って飲み物取りに行ってたんだけど、部屋に戻る時にお兄ちゃんの部屋から私を呼ぶ声が聞こえてきたから入ってきたの。それで結局なんで呼んでたの?」

 

「ゲームやってたらレイチェルっていう女の子が出てきたんだよ。レイチェルを礼ちゃんに聞き間違えて、それからレイチェルのことを礼ちゃんって呼んでたんだ。この子がまたつんつんした性格でね、昔の礼ちゃんに似てて可愛いんだ」

 

「ちょっ、やめてよ。私は昔からいい子だし。……ん? あ、これ『administrator(アドミニストレーター)』?」

 

「そうだよ。とても作り込まれていてすごいね、このゲーム」

 

「これ私もやったことあるよ。すっごいリアルだよねー。……ていうか、ちょっと待って! この子と私が似てるって?! 私ここまでわがままじゃないから!」

 

「え、な、なに? ネタバレやめてね? 僕、この子のこと回想シーンくらいでしか知らないんだから」

 

「うぐぐっ……もどかしい。私こんなクソガキほどわがままじゃないのにっ……」

 

「クソガキやめてね?」

 

〈あー……〉

〈やってたらね……〉

〈まぁ一緒にされたくないわなw〉

〈草〉

〈妹悪魔発狂〉

〈そんなにワガママなんか〉

〈かわいい〉

〈お嬢キレる〉

〈お嬢お気を確かに……〉

 

「……お兄ちゃん、これ何周目?」

 

「このゲーム何周もするものなの? ……ああ、マルチエンディングだもんね。何回も楽しめるのか。まだ一周目だよ。今のところゾンビよりも人のほうが多く倒してる」

 

「それはお兄ちゃんらしいというかなんというか……。私とはだいぶプレイ変わりそうだね。ほら、早く進めてよ」

 

「う、うん……え、礼ちゃん見てくの? お勉強は?」

 

「大丈夫。あとからお兄ちゃんに家庭教師してもらうから! ほら、お兄ちゃん足広げてよ。私が座りにくいでしょ」

 

「あ、結構がっつり見ていくんだね……」

 

「リスナーさん。ちょっとお邪魔しますね」

 

「礼ちゃんのほうもよろしくお願いします」

 

〈やったー!〉

〈祝・今日もコラボ〉

〈お嬢参加だー!〉

〈草〉

〈突発コラボきた!〉

〈悪魔兄妹てぇてぇ〉

〈てぇてぇ〉

〈リアタイで見れたうれしい〉

 

「それで、今はどのあたり? 次はなにするの?」

 

「これから小さい礼ちゃんを研究所まで送り届けるところだよ」

 

「小さい礼ちゃんやめて」

 

〈w〉

〈怒られとるw〉

〈草〉

〈それはそうw〉

 

 主人公はレイチェルを引き連れて、部屋を後にした。

 

 階段を下って、一度玄関を無視して家の中を調査する。

 

「うーん……特にこれといってないみたいだね」

 

「すぐに向かわないんだ?」

 

「だって、きっと小さい礼ちゃんは起きたばっかりだよ? お腹空いてるんじゃないかなって思ってキッチン見てみたんだけど……ご飯はなさそうだね」

 

〈やさしい……〉

〈お兄ちゃん……〉

〈まま……〉

〈一流のお兄ちゃんや〉

 

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。そいつお腹空いたらなんか言ってくるよ、きっと」

 

「そいつやめて。この小さい礼ちゃんは小さい頃の礼ちゃんなんだよ?」

 

「私じゃないってば! ここまで生意気じゃないもん!」

 

「似てたよ? 好き嫌い激しいところとか。にんじんきらいっ、ピーマンやだっ、って言ってたなあ……」

 

「びゃっ?! 言ってない! ぜえったいにっ、言ってない! リスナーさん、私言ってませんからね! お兄ちゃんのジョークですから!」

 

 足の間に収まっている礼ちゃんは振り返るようにしながら僕の腕を掴んで抗議した。ぐいぐい揺らしながら否定する。

 

 礼ちゃんには残念なことだろうけれど、事実である。今の僕であれば苦手な食べ物があったとしても調理次第で誤魔化せるけれど、当時の僕はまだそこまでの技術がなかった。礼ちゃんには苦労させてしまった。

 

〈なんちゅう声出してんだw〉

〈かわいいw〉

〈かわいい〉

〈かわいい〉

〈にんじんきらいっw〉

〈草〉

〈てぇてぇ〉

〈妹悪魔かわええ〉

 

 礼ちゃんはリスナーさんに向けても必死に否定していたけれど、あまりその効果は出ていなさそうだ。微笑ましいものでも見るように、コメントが流れていく。

 

「でも、今はもう好き嫌いはなくなったもんね? 納豆とかオクラとか、ぬるぬるする食べ物くらいしか苦手なものはないもんね?」

 

「やめてえ! 好き嫌いあるとかそんな子どもっぽいところ、私のキャラじゃないよ!」

 

「いや、そこはもう手遅れだと思うけど……」

 

〈わかる〉

〈俺おっさんやけど納豆無理やぞ〉

〈ぬるぬる苦手はしゃあない〉

〈妹キャラ定着してますよ〉

〈妹悪魔w〉

〈かわいい〉

〈キャラはもう崩壊しとるんよ〉

〈うん手遅れだわw〉

〈草〉

〈かわいい〉

 

 礼ちゃんと喋りながら家探ししていると、テレビの近くにいくつか写真立てがあった。

 

「写真だ。小さい礼ちゃんと研究員さんと、これはお母様、かな?」

 

「みたいだね。もっと小さい時、赤ちゃんのレイチェルと三人で写ってるのもあるよ」

 

「お母様は……ご病気だったのかな。小さい礼ちゃんが成長するにつれて、(やつ)れていっているように見えるね。車椅子に座っているものが最後かな」

 

「この子のお母さんが現在の時間軸で出てきてないってことは……そういうことなんだろうね」

 

 この家にも研究員の奥さんはいないし、回想シーンでも食卓に同席していなかった。おそらくこの写真立ては病かなにかで逝去された、というメタファーなのだろう。

 

〈つら……〉

〈レイチェルたん……〉

〈このゲーム結構シリアスだよな〉

〈本来はそう〉

〈兄悪魔のおかげで笑えてるけどな〉

 

「研究員さんはお仕事忙しいらしいし、もしかしたら小さい礼ちゃんは寂しくてわがままに振舞ってたりするのかな?」 

 

「あー……それはあるかもね。私にはお兄ちゃんがいたからよかったけど、家に誰もいなかったら寂しいよね……」

 

〈え〉

〈おおう……〉

 

「うん、そうだね…………あ、ちょっと待って? そういう言い方すると、もしかしたらリスナーさんたちが誤解しちゃうかもしれないよ? まだ僕たちの両親は存命しておりますので、ご心配なきようお願いします」

 

「おお、危ない危ない。大丈夫ですよー! お父さんもお母さんも忙しくてあんまり家に帰ってこれないだけで、二人とも元気ですからね!」

 

〈びっくりしたー〉

〈おおあ〉

〈よかった……〉

〈びっくりした〉

〈こっちもシリアスかと思った〉

 

 レイチェルのお父さんのように家を空けがちになっている、というニュアンスでこちらは言ったつもりだったけれど、リスナーさんによってはレイチェルのお母さんのようにもう亡くなっているのか、と捉えられかねない。そのあたりちゃんと言明しておかないと心配させてしまう。

 

「さて、それじゃあそろそろ小さい礼ちゃんを研究所まで送りに行こうかな」

 

「ふふふ……ここからがお兄ちゃんの見せ所って感じだね」

 

「腕の見せ所じゃないんだ……」

 

 後ろからてくてくついてくるレイチェルを引き連れて、主人公は研究所への旅路に出た。

 

 研究員の家は街の中心部、対して研究所は街の郊外にある。道路のあちらこちらにはひっくり返って火の手が上がっている車や、その横転している車に道を封じられた結果放棄された車によって何重にも塞がっている。よって自動車という足は潰され、研究所までは歩いて向かうほかない。

 

 研究所までの正確な距離はわからないけれど、小さな女の子を、おそらくは遠いだろう場所まで歩かせるのは感情的に辛いものがある。

 

 ゾンビにも遭遇せず順調に街の中で歩みを進めていると、特徴的な看板が現れた。

 

「あ、ガンショップだ」

 

「おおー……ほっほっほ」

 

「何その笑い……意地悪なお嬢様なの?」

 

〈絶対この後ボス出てくるやん〉

〈入った瞬間襲われるか?〉

〈ご都合主義!〉

〈ARとか欲しいとこやな〉

〈草〉

〈www〉 

〈悪役令嬢みたいな笑い方w〉

 

 そんなタイミングで出てくるか、と言いたくなるほど都合良くガンショップがあった。しかも店主は既に避難しているようなのにシャッターも格子も降ろされていない。

 

 ゲームの進行上の事情なのだろう。そろそろ難敵や面倒な事件に巻き込まれるので、ここで武装を整えてくださいね、という制作サイドのアナウンスだ。面倒な事件には絶賛巻き込まれ中ではあるが。

 

 まあ頂けるのなら頂いておこうかな、とガンショップへ足を向けようとした時だった。

 

 主人公の袖をくい、と引っ張るレイチェル。

 

『ねぇ、ビル……。さむい……』

 

 小刻みに震えて縮こまりながら、レイチェルが言った。

 

 ここで選択肢が表示された。今回は二択。『ガンショップ』とその隣にある『アパレルショップ』の二つだ。

 

 二択と言ってみたが、こんなもの実質一択しかない。

 

「うん、おめかししに行こっか!」

 

 ゼロコンマ一秒以下で『アパレルショップ』を選択した自信がある。

 

 ガンショップの前を綺麗に通り過ぎて、吸い込まれるように無人のアパレルショップへと入店する。元からお洋服を買いにここまでお出かけしにきたような自然さだった。

 

「おいこら」

 

「なに? お口が悪いよ、礼ちゃん」

 

「何事もなくここまで進んで、(あつら)えたようにガンショップがあるんだよ。これからボス戦とか難しいステージが出てきますよって言ってるようなもんなのに、なぜアパレルショップ? デートしにきたんじゃないんだよ」

 

〈絶対こうなると思ってたw〉

〈草〉

〈あいかわらず迷わないw〉

〈お兄ちゃんw〉

〈まーた怒られとる〉

〈妹悪魔がぜんぶ言ってくれた〉

〈草〉

 

「だって小さい礼ちゃんが寒がってるんだよ。ならお洋服見に行かないと」

 

「そんなのこいつが家出る時に着てこなかったのが悪いでしょ! 着替えたりする時間はあったのに!」

 

「主人公が急かしたからだよ。それにあの部屋には強盗犯もいたしね。あんなところで着替えたいだなんて思えないよ。仕方ないんだ。お洋服見繕って、目一杯お洒落しよう。うん、それしかない」

 

「目的変わってる! お洒落しにアパレルショップ行くんじゃないでしょ! 隣のガンショップで銃とか防具もらえたのに!」

 

「せっかくお店入るんなら着飾ったほうがいいに決まってるよね。こう……気持ちも明るく楽しくなるんじゃないかな?」

 

「こんな世紀末で?! おしゃれするの!? 本気で?!」

 

「女の子とのお出かけでガンショップは……ちょっと、ねえ? センスが悪いどころの騒ぎじゃないよ」

 

〈初デートで硝煙臭いのは……ちょっと〉

〈二回目はないよねw〉

〈お出かけw〉

〈草〉

〈友だちの間で馬鹿にされちゃうよ〉

〈レイチェル「ガンショップとかないわー」〉

〈レイチェルたんのことも考えてよ!〉

〈www〉

 

「なんでリスナーさんもお兄ちゃん側なの?! ゾンビだらけの世界でお洒落気にする必要ある?! 誰に見せるの?! ゾンビはお洒落しても褒めてくれないよ!」

 

〈ゾンビ「お、マブいスケいんじゃーん」〉

〈妹悪魔キレる〉

〈草〉

〈ゾンビにお洒落見せるのは草〉

 

「礼ちゃん、そんなに大声出さなくても……落ち着いてよ。ね?」

 

「ふーっ、ふーっ。……そうだね、ふうっ。取り乱しちゃった、ごめんなさい」

 

「もう、そんなに必死にならなくてもいいじゃない。相手はまともじゃないんだから」

 

「自分で言わないでよ! 私が言いたかったセリフだよそれ!」

 

〈草〉

〈草〉

〈腹痛いw〉

〈一生コントしとるw〉

〈兄悪魔ほんとw〉

 

 礼ちゃんが憤慨している間にもストーリーは進んでいる。レイチェルが試着室に入ってがさごそ、という音がするとすぐに試着室のカーテンが開かれた。絶対にそんな速度で着替えられるわけはないのだけど、ゲームの主幹と異なる部分でリアリティを追求してもテンポが悪くなるだけなので助かる。

 

 出てきたレイチェルは、ルームウェアから大変身を遂げていた。襟と袖にふわっふわの大きなファーがついた真っ白の膝丈コート、ダークグレーのタートルネックセーター、シックな色合いのチェックミニスカートとロングブーツという、おませなお洒落さんに仕上がっていた。

 

「うわあ! 小さい礼ちゃんかわいい!」

 

「うっわあああっ、かあいいいっ! こんなの顔面が良くないと着れないって! 自分のかわいさ完っ璧に理解してるよこの子!」

 

〈かわいいい!〉

〈かわいい〉

〈かわいい!〉

〈レイチェルちゃんかわいい!〉

〈妹悪魔流されててくさ〉

〈なんのゲームやったっけ……かわいいからええか!〉

〈草〉

〈かわいい!〉

 

「髪色ともよく合ってる! すごく似合ってるよ小さい礼ちゃん!」

 

「ちょっとお兄ちゃん! ほかのコーディネートとかないの?! もう絶対なんでも似合うんだから違うコーデ見たい!」

 

「これ一個しかないみたい。ゴシックとかでも着こなせるのにもったいないなあ」

 

「私はこの子の顔でストリート系のコーデが見たい! お人形さんみたいな綺麗な顔でストリートファッションとかギャップでおかしくなっちゃうよ!」

 

〈ゲームのジャンル変わってまうw〉

〈アイドルゲーかな?〉

〈お嬢テンション上がってて草〉

〈もうプロデューサーやってこいよw〉

〈結局ノリノリやんけw〉

〈もうだいぶおかしいよw〉

 

 しばらくレイチェルに似合いそうな服で侃々諤々(かんかんがくがく)議論を戦わせて、結局どっちも見れはしないんだと悲しくなったところでアパレルショップを後にした。

 

「だいぶ長い時間お店にいた気がする。きっと本来はすぐにストーリーに戻るんだろうね」

 

「今日の配信、ゆーに手描き切り抜き描いてもらえたらレイチェルのアナザーコスチュームも描いてもらえないか頼んでみようかな。ストリートファッション」

 

「それじゃあ僕も頼み込んでみようかな。ゴシックコーディネート」

 

「ところでお兄ちゃん、このゲーム装備見れるの知ってた?」

 

「知らなかった。さっきのガンショップが出てくるまでぜんぶピストルで戦う物だとばかり思ってたからね」

 

 礼ちゃんに促されるまま、装備画面を開いてみる。

 

 その画面の構成は『Noble bullet(貴弾)』よりかは、まだ配信では一度もやったことがないけれど僕がプライベートでよくプレイしている『Absolute defense zone(絶対国防圏)』に近しいものがあった。人型のシルエットがあって、メインウェポンとサブウェポン、防具の項目がある。防具の欄の下には小さな四角のスペースが二つあり、そこにはアイテムを設定できるようだ。

 

「レイチェルは装備のグレードが上がったけど、お兄ちゃんはこんなのだよ。武器はピストルとナイフ。防具はジャケット。服じゃん。防具じゃないじゃん」

 

〈草〉

〈レイチェルの装備は充実しとる〉

〈お洒落は女の子の武器だから〉

〈まさしく紙装甲〉

〈裸も同然やんけw〉

〈アーマーなし〉

 

「いいんだよ、これでも。ほら見て! 小さい礼ちゃんがあたたかそうにしてる!」

 

「うっわかわいっ……いや違う! 今は装備の話をしてるの!」

 

「そう言われても……。ADZでもこんな感じの装備だけど問題ないし……」

 

「……嘘でしょ? 本気で言ってるの? あのゲームで? 並のプレイヤーよりもエイムがいいNPCがわんさか出てくるあのゲームで?」

 

「うん。銃弾一発受けたら死ぬ覚悟で街を守ってるよ」

 

〈まじかよ……〉

〈なんでそんな縛りプレイを……〉

〈覚悟がすごいw〉

〈草〉

 

「まあ……お兄ちゃんなら大丈夫……なのかな?」

 

「大丈夫大丈夫。このゲームにはキャラクターアビリティとかないけど、なんとかなるよ。……ん? 小さい礼ちゃんが……」

 

『ビル。ねえ、ビル。こんなの落ちてたわ。あげる』

 

 アパレルショップから退店して再び研究所へと向かおうという時に、レイチェルに呼び止められる。あげる、と言いながらアイテムを手渡された。

 

 貰ったアイテムを見て、礼ちゃんは『へえ……』と納得するように反応した。

 

「スタングレネード……一応アイテムはもらえるようになってるんだね。なにもないよりかはましってところかな。よかったね、お兄ちゃん」

 

「……やっぱり。本当になんとかなるかもね」

 

「え、なに? どういう意味?」

 

「僕もまだ確証がないから、今は控えるよ。先に進もうわあ! 見て礼ちゃん! 小さい礼ちゃんが! 手を繋いできてくれてるよ!」

 

 主人公の歩くスピードを調節してゆっくり歩くようにすると、後ろをてくてくついてきていたレイチェルが主人公の隣に並んだ。主人公の顔を見上げるようにしながら、レイチェルは小さな手を主人公の手の中へすっぽりと収めた。

 

 はたから見ると、ごつくて厳つい草臥(くたび)れた感じのおじさんと、とびっきりにキュートな女の子というかなり怪しい図になるが、内情を知ってさえいればとても心温まる光景だ。これが尊いという感情か。

 

「うっわかわいいっ! なにこの、なに、なっ……かわいいっ!」

 

〈なんや?〉

〈また考察の時間か?〉

〈もう兄悪魔ダメそうやねw〉

〈お嬢語彙力がw〉

〈草〉

〈オタクおるw〉

〈レイチェル出てきてから兄悪魔デレデレで草〉

〈こんなモーションあるんや〉

〈見たことない〉

〈もう兄妹そろってだめみたいだw〉

〈知らんかった〉

〈めっちゃかわいい〉

〈お嬢も可愛い〉

 

 わりとハードな難易度のこのゲームが、選択肢だったとはいえわざわざガンショップという救済措置を用意していたということは、これから赴く先には相応の難所が待ち受けているのだろう。研究員の家で出会した強盗犯などとは比べ物にならないはずだ。

 

 少々気を引き締めてかからなければならない。

 

 何があってもこの子だけは守らなければ、と決意を新たにする。主人公はレイチェルの手を取り、歩みを進めた。

 



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「盛り上げていくよ」

お兄ちゃんのゲーム配信三話目です。
さっそくレイチェルを可愛がったツケが回ってきます。


 

「失礼を承知で言わせてもらうけれど難易度狂ってる」

 

「……だから言ったのに」

 

〈草〉

〈草〉

〈草〉

〈草〉

〈これはしゃあないw〉

 

 レイチェルがおめかししたところのステージから先へ進み、次のステージへと向かうと、まずストーリームービーから始まった。

 

 ストーリームービーの中でも、ちゃんとレイチェルはルームウェアからお着替えしたほうのお洋服に切り替わっていて『服変わってる!』『すっごい可愛い!』と礼ちゃんと一緒に盛り上がっていたのだけど、盛り上がったのはそこで最後だった。

 

 至る所にゾンビが徘徊していて、主人公はレイチェルの手を取りながら時に遮蔽物に身を隠したり、時に石ころを投げて音を立てることでゾンビの注意を逸らしたりして、どうにかこうにか発見されないように研究所まで向かう。

 

 しかし徐々に安全に通れるルートが少なくなっていった。右を見ても左を見てもそこかしこにゾンビがいる。もう他に進める道はない、ここまで来た道を戻ることもできないという極限の状態に追い込まれ、誘い込まれるように主人公とレイチェルはショッピングモールへと足を踏み入れた。

 

 本来のショッピングモールの来客数とは比べ物にならないほど少ないだろうけれど、それでもとんでもない数のゾンビがウィンドウショッピングを楽しんでいた。明らかに死地である。

 

 円柱状の支柱や植木、モール内の案内図などに隠れながら、主人公とレイチェルは近くの店に身を寄せる。なんの因果か、またもやアパレル関係の店だった。店内にいたゾンビを背後からナイフで仕留め、音が立たないように静かに床に寝かせた主人公は離れたところで待たせていたレイチェルの手を引いて店の奥へと踏み込む。

 

 ここでストーリームービーは終了し、再びプレイヤーへと操作がバトンタッチされた。窮地になった途端、コントローラーを押しつけられた気分だ。

 

 数が数だ。ここから全部ワンタップで撃ち倒せたとしてもゾンビよりも先に弾が切れる。ゾンビたちの押し寄せる量を考えるとピストルではリロードも間に合わないかもしれない。なんなら銃を撃つこと自体が間違いだ。ピストルの引き金を引いたが最後、このショッピングモールにご来店中のお客様全員が大集合するおそれもある。追加でご入店されないとも限らない。

 

「これがレイチェルを可愛がった結果だけど、どう?」

 

「……悔いはないよね。こんなに可愛いのだから」

 

「くっ……本当にかわいいこの子っ! なんなの! かわいすぎていらいらする!」

 

〈草〉

〈めっちゃかわいい〉

〈守ってあげて!〉

〈お嬢w〉

〈感情ぐちゃぐちゃで草〉

 

 あまり怖いものを見せないようにと主人公が配慮したのか、レイチェルは前のステージに引き続いて今も試着室にいた。試着室内にあった椅子に腰掛けて不安そうにしながら主人公の手を弱々しげに握って見上げている。その仕草に、僕も礼ちゃんも二人そろってハートをワンショットで撃ち抜かれていた。もう何この子、可愛すぎる。

 

「必ずどこかに道があるはずだよ。このゲーム、難易度は驚くほど高いけど理不尽なことはしない、はず」

 

 心配げに見つめてくるレイチェルには安全な場所にいてもらい、主人公は入れそうな通気口や資材搬入路がないか調べたり、アイテムがないかを探す。

 

 隠し通路は見つからなかったが、いくつかアイテムはあった。

 

 レジ付近にスモークグレネード、バックヤードに弾薬があったところまではぎりぎり納得できないこともないけれど、フラググレネードが植木鉢に置かれていた時にはさすがに脳内がクエスチョンマークで埋まった。

 

「どこかに裏道とかあるといいね? ちなみに私の時はアサルトライフルで弾ばら撒いて力技でぎりぎり押し切った感じだったよ。襲ってくる数すごいんだから」

 

「そんなのピストルでどうにかできるわけないんだよね。何か……何かないか」

 

〈お嬢でぎりぎりはやばい〉

〈ピストルじゃ火力が足りん〉

〈絶望で草〉

 

 普通の人よりよっぽどFPSが上手な礼ちゃんがアサルトライフルを持ってぎりぎりならFPSの経験がない人や、ガンショップのルートを選ばなかった人は確実にクリアできなくなる。そこまで無慈悲なことを、このメーカーはしてこないだろうと信じている。というか祈っている。そうじゃないとここで詰みだ。

 

 一通り店内の怪しそうなところを見て回ったが、アイテム以外は見つからない。強力な武器も、隠し通路も、何もない。

 

 仕方がないので一度レイチェルに話しかけてみようかと試着室の近くまで戻る道中、一瞬だけなんらかのボタンが表示された。

 

「あれ……お兄ちゃん、さっきなにかちらっと」

 

「うん。何か見えたね。このあたりには服しかないけど」

 

 この店舗はアパレルショップだ。もちろん、ラインナップに銃はないし、防弾チョッキや防刃ベストのような尖った品揃えはしていない。何にアクションボタンが反応したのだろうかとゆっくり歩いて確認してみる。

 

 マネキンの目の前で足が止まった。

 

「……ポンチョだね」

 

「ポンチョだ。フード付きの」

 

「お兄ちゃん着てみたら? おしゃれだよ」

 

「お洒落するのは小さい礼ちゃんだけでいいんだけどなあ」

 

 マネキンが着ていた、地は黄土色でエキゾチックな模様が施されたフード付きのポンチョ。そのポンチョにアクションボタンが表示されていた。どうせなので取って着てみる。

 

〈草〉

〈w〉

〈呪いの装備か?〉

〈上見えんw〉

〈草〉

 

「ふふっ、視界……っ。狭まってるっ……くふふっ」

 

「これ絶対防御力とかないよね? だって服だもんね。なのに視界潰されるとか、これなんの意味があるの? 本当にお洒落だけ? 嘘でしょ?」

 

「あはははっ!」

 

〈兄悪魔おこ〉

〈憤怒の悪魔きた〉

〈草〉

〈お嬢めっちゃわろとるw〉

 

 主人公の一人称視点だと見た目がよくわからないので、レイチェルのいる試着室のほうへと向かう。たしか鏡があったはずだ。

 

『きゃあっ!? ……ビル? よかった……誰かと思った』

 

「……小さい礼ちゃんの悲鳴で心が痛い」

 

「悲鳴あげられてたよっ……くっ、あふふっ」

 

「あ、鏡あった。……まあ、これは怖がられても仕方ないね」

 

「ふつうに怖いよ。ゾンビだらけになっただけでも充分に怖いのに、フードで顔隠した筋肉むきむきの大きいおじさん出てきたら、そりゃあ悲鳴も出るよ」

 

「何人か人を殺めてそうだもんね」

 

「斧とか持ってたら違うホラーゲームになっちゃう」

 

〈こっわ〉

〈普通に怖いw〉

〈何人かやってそう〉

〈本当に何人かやってるしな〉

〈実際その通りで草〉

〈いややっとるんよ人を〉

 

「……ん? もしかして……」

 

「なに? なにか見つけた?」

 

「ちょっと……試してみたいことができたかも」

 

 間違っていたら説明しても時間の無駄になるので、まずは思いついたことができそうなのかどうか確認してみる。

 

 もう一度マネキンのところまで戻って、アクションボタンを押す。僕がポンチョを借りる前と同じように、マネキンはポンチョを着た。ちゃんとフードも被っている。

 

「…………」

 

「お兄ちゃーん?」

 

 次が大事だ。マネキンのすぐ近くまで主人公を近寄らせ、他にアクションボタンが表示されないか調べる。マネキンの後ろに回り、密着している状態でマネキンの足下に視線を落とすと『持つ』というボタンが表示された。

 

「おお……持てた」

 

「え、なに……マネキンで戦うの?」

 

「いや、戦わないよ……。ピストルでも敵わない相手にマネキンで挑むって、そんなの負け認めてるのと一緒だよ。前衛的なサレンダーだよ。持つ以外に振ったりとかはできないみたいだし、そういうアイテムじゃないんでしょ」

 

〈武器マネキンw〉

〈草〉

〈弱くて草〉

〈マネキン使うくらいなら素手の方が百倍マシw〉

〈丸太だったらなー〉

〈丸太ならワンチャンあった〉

 

 主人公を動かしてみたら、マネキンを持ちながらも歩けた。通常通りとまでは行かないけれど、思っていたほど動きは遅くない。

 

「……いけるかも」

 

「そのマネキンなにに使うの?」

 

「僕は、あの元人間様たちには、ある程度の知性があると思ってるんだよね」

 

「……元人間様? なにそれ」

 

「今もウィンドウショッピングしてるゾンビたちのこと」

 

「元人間様って呼んでるんだ……たしかに間違ってはないけど。でも、ゾンビに知性?」

 

「うん。最初の、主人公のアパートで思ったんだ。おそらくは外にいただろう元人間様たちが的確に主人公の部屋やお隣さんの部屋に攻めに来れたことも不思議ではあったんだけど、まあそれはゲームだしそんなもんかって思ったんだよね。でも元人間様たちを主人公の部屋に誘導して外に出る時、お隣さんの家の扉を見たらドアノブに握った跡が残ってたんだ」

 

「あれじゃない? ほら、壁に手で血を塗りつけるみたいなホラー表現あるでしょ? そういうのじゃないの?」

 

「偶然当たったとか、そういうグラフィックじゃなかったんだよね。それに主人公の部屋を通り過ぎる時にそっちのドアノブも見てみたけど、しっかり握った感じの痕跡があった。少なくとも、扉はドアノブを動かせば開くっていう程度の知性はあるんじゃないかって、その時思ったんだよ」

 

〈よく見てる〉

〈急に賢くなるやん〉

〈悪魔的頭脳〉

〈人の心はないのに〉

〈やっぱり考察してたのか〉

 

「知性があるとして、どうするの? 逆に厄介なんじゃないの? 相手が賢かったら」

 

「下手に知性があるなら利用しやすくなるよ。人間様並ってなると大変だけど、そこまでは高くなさそうだから問題ないかな。なにはともあれ、一度検証してみないとね」

 

 これまでずっと持ったままだったマネキンを床に下ろし、またマネキンからポンチョを剥ぎ取る。

 

 ポンチョを装備して画面の上側一割二割ほどを暗くしながら、試着室で待つレイチェルに会いに行く。

 

「え? この子連れて行くの?」

 

「いやさすがに連れては行けないよ。走ったりもするだろうし、なにより危ないからね。ここで待っててもらうけど、行く前に声を掛けないと。勝手に出て行ったら不安がっちゃうでしょ」

 

「ほんっと優しいね、お兄ちゃんは」

 

「優しいのは礼ちゃんにだけだよ」

 

「お兄ちゃんが今優しくしてるそいつ私じゃないんだけど」

 

〈お兄ちゃん優しい〉

〈身内には聖人だな〉

〈他人には悪魔よりも残酷なのに〉

〈レイちゃんじゃないw〉

〈そういやそうだったw〉

〈それはそう〉

〈正論パンチ〉

 

『……もう行くの?』

 

 レイチェルに話しかけると、そう返してきた。その力ない口調には積み重なった疲労が見える。まだ小さな女の子に、これまでの道のりは苛酷が過ぎるというものだった。もう少し休みたいと思うのも当然だ。

 

「なんだこいつ、動きたくないみたいな言い方して」

 

「厳しい、礼ちゃん厳しすぎるよ……。まだ小さい礼ちゃんは小さいんだから」

 

「かわいければなんでも許されると思ってるのか!」

 

「やめてあげて! 小さい礼ちゃんには休息が必要なんだ!」

 

〈お嬢厳しい……〉

〈かわいいことは認めてるんだなw〉

〈草〉

〈こんなにロリを愛でてるのに兄悪魔はロリコンっぽい感じしないのが不思議〉

〈イケボずるい〉

〈兄悪魔が好きなのはお嬢であってレイチェルじゃないからな〉

〈取り残された子どもたちを躊躇なく見捨てた兄悪魔はロリコンにはなれない〉

〈シスコンではあってもロリコンでは無い〉

 

 ここで待っているようにと指示を出したかっただけなのだけれど、レイチェルが返事をすると選択肢が出てきた。今回は『もう行く』と『ここで待っていてくれ』と、違う色で表示されている『アイテムを渡す』の三つがある。

 

 よくわからなかったので、とりあえず『アイテムを渡す』を押してみた。

 

「ああ、そういうことか、なるほどね。ほら、小さい礼ちゃん。これ飲んでちょっとだけ待っててね」

 

 主人公の部屋の冷蔵庫で見つけた飲み物がちょうどよくあったので、それをレイチェルに渡しておいた。

 

 レイチェルはおそらく朝ごはんもまだだっただろう。起きてからここまで飲まず食わずだ。食べ物は手持ちになかったので、飲み物だけで我慢しておいてもらおう。

 

「ちょっ! お兄ちゃんそれ回復アイテム! なんでそれあげちゃうの!」

 

「だ、だって、たくさん歩いて喉渇いてるだろうし……」

 

「だからってついてきてるだけの奴にあげることないでしょ! 戦うのお兄ちゃんなんだよ?!」

 

「大丈夫だよ。ダメージを負わなかったら不要なアイテムだからね」

 

「ここから戦う局面に入るのに?!」

 

〈草〉

〈兄悪魔w〉

〈さすがベテランお兄ちゃんは言うことが違う〉

〈ここまで甘やかしてる配信は見たことない〉

〈嘘やろw〉

〈ここ三択だったか?〉

〈過保護やw〉

〈当たらなければどうということはないしな〉

 

 飲み物を渡して、もう一度話しかける。今回は『アイテムを渡す』選択肢はなかった。ここで待っていてね、とレイチェルに言い聞かせ、主人公は店の外に出る。

 

「それで? どうやって検証するの?」

 

「うーん……試そうにも、ここでは元人間様の人数多いからなあ……。少し動いただけで誰かしらには見られちゃいそうだね。たしかストーリームービーの途中であった案内図では、ここのお店からモールの奥側にちょっと進んで曲がったところにエレベーターホールがあったはず」

 

「エレベーターで二階に上がるってこと? それ絶対待ち伏せとかされてるやつだよね」

 

「エレベーターだと、もし元人間様とエンカウントした時に逃げ回れないから使わないよ。少なからず音も鳴るだろうしね。静まり返ったモール内だと響きそうだ。だいたいこういう施設だとエレベーターの近くに階段があったりするから、そっちを使う」

 

「ほー、なるほど」

 

〈まじで記憶力いい〉

〈案内図なんかあったんか〉

〈ただレイチェル甘やかしてるだけじゃないな〉

〈レイチェルしかみとらんかった〉

 

「ん? えへへっ! お兄ちゃん賢いでしょ!」

 

 別画面に表示されているコメントを眺めていた礼ちゃんが、ふふんっ、と胸を張りながら言った。なんでそんなに嬉しそうにしてるのかよくわからないけれど、礼ちゃんが嬉しそうだからそれでいいや。

 

〈お嬢かわいい〉

〈妹悪魔もたいがいブラコン〉

〈お嬢はお兄ちゃんさん大好きだもんね〉

〈えへへやばいな〉

〈破壊力高いわ〉

 

 どうにかゾンビたちの目を掻い潜って階段へと向かう。

 

 とりあえずエレベーターホールにゾンビがいないことに安堵しつつ、階段を上がる

 

 二階に到着。まずは安全確保しなきゃと思って左を見たら、すぐ近くのエレベーターの扉の前でゾンビがいた。ショッピングモール内だというのにお一人様だ。

 

「あ、いた」

 

「はぴゃあっ!? 近っ!」

 

「礼ちゃん、痛いし危ないからじっと座ってて」

 

「そんなの驚かせてくるゾンビに言ってよ! ていうかちゃんと遠くから見つけなかったお兄ちゃんが悪い!」

 

「無茶言わないでよ。このフードのせいで自分より位置が上の場所を確認するのは大変なんだ」

 

 驚いた礼ちゃんの奇声で耳が痛いし、びっくりして跳ねたせいで礼ちゃんのお尻の下に敷かれてる僕の足も痛い。

 

 主人公の足音のせいか、それとも礼ちゃんの奇声のせいかはわからないが、ゾンビはぐるりとこちらに顔を向けた。

 

「ぴっっっ! お、おおおに」

 

「鬼じゃないよ、ゾンビだよ」

 

「わかってるよ! お兄ちゃんはやく倒してよ!」

 

「倒しちゃったら検証できなくなっちゃうよ」

 

 抱きつくように掴みかかってくるゾンビを、一度屈んで躱して横へと回り込む。

 

「み゛ゃっ! あぶ、あぶない!」

 

「だーいじょうぶ、大丈夫。ふむ、素早さはそれほど高くないみたいだね。元人間様の攻撃アクションは一度発動すれば方向転換はできない、と。攻撃範囲もそれほど広くはなさそうだ。でも視界から完全に外れてもターゲットを見失うことはないんだね。ちゃんと逃げた方向に追ってくる」

 

「はっ、はやく倒してよおっ! わかっ、わかってるの?! お兄ちゃんがやられちゃったらレイチェルは一人でここに取り残されるんだよ?!」

 

「任せて任せて」

 

〈キャラコンえぐ〉

〈なぜそんなに冷静〉

〈レイちゃん反応良w〉

〈模範的なリアクションする妹悪魔を見習えよw〉

〈なんて声出してんだw〉

〈情に訴えてて草〉

 

 ここからちょっとゾンビとの距離を空けなくてはいけないので、一度通路側に背を向けて、エレベーターがあるほうの壁へと近づく。

 

「なんでそっち行くの! 逃げ道ないよ?! やられちゃうっ」

 

「思ったよりも元人間様の動作は緩慢だから掴まれたりはしないよ」

 

 大の男を簡単に組み伏すだけの筋力はあるはずなのに、ゾンビの動きは鈍い。礼ちゃんはやけに怯えているが、これなら四方を囲まれでもしない限りやられることはないだろう。

 

 ちなみに、一度でも掴まれれば簡単に死ぬ。おそらく掴まれたが最後振り解くことはできないし、一発でもゾンビの馬鹿力パンチを受けると主人公の貧弱装備では死んでしまいかねない。身につけているのは普通の衣服のみ。こんなもの、防御力という面で見れば裸も同然だ。

 

 ゾンビが追ってきているのを確認しながら壁際の端っこまで走り、ジャンプする。

 

「あっ、壁ジャンできない」

 

「なにしてるのっ?! やってるゲーム貴弾じゃないんだからね!」

 

「まあそれでも振り切れそうだからセーフだね」

 

「すぐ倒すかすぐ逃げるかどっちかにしてよ……。ゾンビ相手に舐めプしないで……心臓もたないよ」

 

「舐めプじゃないよ。検証してるだけ」

 

〈完全に貴弾やってる時の動きだった〉

〈視点移動がまさにそれ〉

〈体に染みついとるんやな〉

〈兄悪魔のリアクションを妹悪魔が担当しとるw〉

〈いい反応するなぁw〉

 

 ゾンビの攻撃を避けて通路へと向かったことで距離は稼げた。ゾンビの視界からは主人公の姿はなくなったが、おそらくゾンビは追ってくるだろう。

 

 ここからが検証の第二段階だ。適当なお店に入って、少し待っていれば検証結果は自ずと出る。

 

「あとは適当にお店に入っ……ぬいぐるみのお店がある! あのお店にするよ!」

 

「え、なんで? 一番近い雑貨屋さんでもよかったんじゃ……」

 

「あのお店じゃないといけなくなった!」

 

 かなりぎりぎりになってしまったけれど、どうにか二階の通路までゾンビが追ってくる前にぬいぐるみのお店に入れた。

 

 お店の中は無人かと思ったが、奇妙な配置の棚のせいで生まれている死角で小さな人影が動いた。床に落ちている何かを屈んで見ている。床に落ちているのは、何かのキャラクターのぬいぐるみのようだ。抱き枕くらいのサイズがある。

 

 小さな人影に近づくと選択肢が現れた。声をかける、肩を叩く、倒す、の三つだ。

 

「クリアリングクリアリング」

 

 もちろん『倒す』を選ぶ。すると次は銃とナイフの二択が出てきたので『ナイフ』を選択。このあたりの判断を間違う僕ではない。

 

 ぬいぐるみに気を取られている小さな人影を、後ろからナイフで仕留める。他にはゾンビはいないようだ。これでゆっくり漁れる。

 

「なあ゛っ!? なんで! なんで?!」

 

 と、思っていたら、がばっと礼ちゃんが物凄い形相で振り返って腕を掴んできた。ゾンビよりよっぽどこっちのほうがホラーだった。

 

「なんでって……銃使ったら音で寄ってきちゃうでしょ?」

 

「違うよ! こども! なんで殺しちゃったの?!」

 

「ああ、そっちか。こんな元人間様だらけのところで子どもが一人でいるわけないでしょ? 子どもの元人間様だったんだよ」

 

「いや、だからって……さっきのゾンビは生かしてたのに……」

 

「あの元人間様は仮説の検証に付き合ってもらってるから倒してないだけだよ。今はそれ以外の不確定要素は排除しなくちゃね。さっき礼ちゃんが言ってた通り、僕が死んじゃったら小さい礼ちゃんが一人になっちゃう。倒さずに済むなら倒さないけど、避けられないなら倒すしかないよね? 優先順位はこの名前も知らない元人間様の子どもより、小さい礼ちゃんのほうが上なんだから」

 

「そ、それはそうだけど、こう……うーん?」

 

「じゃあそういうわけで、漁ろうか」

 

〈これは悪魔〉

〈迷わなかったぞ〉

〈動きが暗殺者だった〉

〈サイコやん〉

〈やっぱりロリコンにはなれません〉

〈考える時間もなかったな〉

〈人の心はインストールされてないらしい〉

 

 まだ納得できていないのか礼ちゃんは首を傾げていたけれど、そちらは気にせずに店内を漁る。グレネードや弾薬、回復アイテムなどは見つけられなかったけれど、目当ての物は手に入れた。満足である。

 

 ぬいぐるみショップを出て、柱の影に隠れながら隣の雑貨屋さんを覗いてみる。

 

「いたね。さっきの元人間様」

 

「あ、ほんとだ」

 

「やっぱり多少の知性はあるんだね」

 

「これでなにがわかるの?」

 

「あの元人間様の立場に立って考えてみて? エレベーターホール前で人間を発見して襲い掛かった。でも人間には逃げられてしまった。人間は通路側へと走っていく。だからそれを追いかけた。ここまではわかるよね」

 

「う、うん。ゾンビだもんね、人間がいたら襲いかかるし追いかけるよね」

 

「そこまでは『ゾンビの本能なんだろうな』で納得できるんだけど、問題はそこからなんだ。通路側へと追いかけたけれど、人間の姿が見当たらない……わかる? ここで一度、元人間様の追跡を完全に振り切ったんだ。なのに、あの元人間様はこの雑貨屋さんに入ってきてる。これは、ただ追いかけてきただけじゃ説明できない。頭を使って考えなきゃできないことなんだ。二階の通路は一直線で見晴らしもいい。近くには隠れられそうなものもない。なのにエレベーターホールから通路に入ってすぐ姿が見えなくなった。すぐ姿を消すためにはどうすればいいかってところまで考えて、あの元人間様は一番近くのお店、雑貨屋さんに入ったんだ」

 

「それじゃあ、今歩き回ってるのは……」

 

「探してるんだと思うよ、主人公を。お店の中まで入ったけど、それでも姿が見えない。ということはお店の中のどこかに潜んでいるんだ、って考えたんだろうけど……でも正直、店内を捜索するとまでは思わなかったね。これからは一度姿を見られたら倒すまで追われ続けるって覚悟しておいたほうがいいかも」

 

〈やっば〉

〈そんな賢かったんか〉

〈倒すから気づかんわ〉

〈ハイドで抜けるのむずそうだ〉

〈大丈夫かこれ?〉

〈やっぱごり押しが正解なんか?〉

 

 検証の第二段階も成果はあった。予想を超えて相手のタゲが外れないことには驚いたけれど、これもまた収穫だ。最後の最後まで追いかけようとしてくるのなら、それはそれで計算がしやすくなる。

 

 それでは検証の仕上げだ。ここで成功しなければ、このステージをクリアできる目処が立たない。

 

「さあ、最後の検証だよ。気合い入れて行こうか」

 

「お、おー……またゾンビ相手に舐めプするの?」

 

「検証のこと舐めプっていうのやめてね?」

 

 ゾンビが入店している雑貨屋さんの出入り口付近で足音を立てる。これはあくまでついでだけれど、音への感度がどれほどのものか調べておきたかった。

 

 少々距離があるためか、歩いた程度では見向きもしなかった。二歩三歩と走った時にようやくゾンビは振り返った。

 

 取り逃した人間を探していた時のゾンビの動きは普通の人間とほぼ遜色なかった。なのに人間を見つけた瞬間、スイッチが切り替わったようにゾンビが駆け出す。

 

 その豹変ぶりに、礼ちゃんはとてもびっくりしていた。こうなることはわかっていたでしょうに。

 

「わぴゃっ! もっ、ほら! お兄ちゃんが煽るから!」

 

「どこまで音を出してもいいかの調査だよ。わりと距離が近くても歩くだけなら見られない限り問題ないみたいだね」

 

 ついてきたことを確認してエレベーターホールへと走り出す。時折ちゃんと追ってきてくれているか後ろを振り返りながら階段を下りた。

 

「……ここでほかの元人間様に見つかるのは困るからなあ……」

 

「は、はやく逃げないと追いつかれちゃうよ!」

 

「焦らない焦らない。動きが結構鈍いって言ったでしょ? あと七秒から八秒は余裕があるよ」

 

 もののついでの気持ちで調べた足音への感度の調査がもう活きた。ゾンビの視線は通る位置だけれど距離があるおかげで音までは拾われない。他のゾンビについては視線さえ切れれば走っても大丈夫そうだ。

 

「階段下りてきた! きちゃったよお兄ちゃん!」

 

「やっぱり元人間様の特性も踏まえて作られてるのかなあ? 出来過ぎだもんなあ」

 

「のん気!」

 

 二階からすたこら走ってきたゾンビには悪いけれど、もう少しだけ走ってもらう。あと少しだ、頑張って。それで楽にしてあげられるから。

 

 追ってきているゾンビよりも違うところのゾンビに見つからないようにだけ気を使いつつ、元いた衣料品店──つまりはレイチェルが待つお店へと舞い戻る。

 

「お、お兄ちゃん! そこっ、レイチェルが!」

 

「そうだけど、でも他にマネキンを置いてある場所を見つけられてないからさあ」

 

「んあぁうっ? マネキン?!」

 

 レイチェルは大層驚かせることになるけれど、今だけは我慢してほしい。

 

 ダイナミックに駆け込み入店した主人公をマネキンまで走らせ、マネキンに借りていたポンチョを返す。全身暗褐色気味のコーディネートと特徴的なデザインのポンチョ、加えてフードを目深に被っていて顔がよくわからないこともあり、ぱっと見れば主人公と似ていないこともない。

 

 ポンチョをマネキンに着せたら、主人公は近くの物陰で縮こまって身を隠す。後はゾンビの到着を待つだけだ。

 

 やがて、どたどたと足音が近づいてきた。

 

 果たして。

 

「……成功だね」

 

「うそおっ?!」

 

 店に入ってきたゾンビは主人公には目もくれず、ポンチョを着たマネキンへと一直線に向かう。一度たりとも足を止めることなくそのまま掴み掛かった。

 

 検証は無事終了。これでどうにかショッピングモールから脱出する筋道は整った。首の皮一枚といったところだけれど。

 

 さあ、これまで長きにわたって検証に付き合ってくれたゾンビさんには感謝と哀悼の念を込めつつ引導を渡してあげよう。

 

「ご苦労様でした」

 

 別のゲームでも手慣れた作業だ。背後からナイフを一振り。白刃一閃。瞬きの間すらなく、首を刈り取る。

 

「え、なに……どういうこと?」

 

「多少知性があるのなら、姿も覚えるんじゃないかなって思ったんだよね。ほら、(からす)は人の顔も覚えられるなんて話があるでしょ? それに近い知性がもしあるのなら、ポンチョを着た人間っていうのを覚えさせてしまえば、稼いだヘイトをポンチョを着たマネキンに押し付けられるんじゃないかなって」

 

「ゾンビのタゲをポンチョっていう印象的なアイテムに集めて、それをマネキンに被せたってこと?」

 

「言い得て妙だね。そう。ヘイトもポンチョもマネキンさんに受け持ってもらったんだ。それができるかどうかの検証だった。実験成功だ。これでなんとかなりそうだね」

 

〈やば〉

〈賢者とサイコパスの間で浮遊する悪魔〉

〈なんで一周目でわかる?〉

〈草〉

〈賢すぎん?〉

〈もう怖いわ〉

 

 ゾンビの特性といい、このショッピングモールの初期位置といい、ちゃんと制作サイドはクリアできるように考えて作っている。なら、ここから使う必要不可欠なアイテムだってすでに用意されていると見るべきだ。

 

 ちゃんとヒントは散りばめてもらっている。なら、僕たちプレイヤーはそれを繋げていくだけだ。

 

「それじゃあここからもポンチョを着て、ショッピングモール中のゾンビからヘイトを買って、ここを抜けるってこと?」

 

「大まかな流れはそうなるね。元人間様からのヘイトはすべて『ポンチョを着た人間』に被ってもらう」

 

「でも……どうするの? このエリアってめちゃゾンビいるよ。同じやり方なら安全に倒せるだろうけど、二、三体一気に引き連れてきたとしてもかなり時間かかると思うけど……。それはちょっと、さすがに画が地味というか……」

 

〈たしかにw〉

〈作業ゲーになるわな〉

〈草〉

〈絵面が地味は草〉

〈一回二回ならともかくね〉

 

 さすが礼ちゃん、配信者としての大先輩。よく気がつく。

 

 変わり映えしない作業を何十分も、下手すれば一時間以上も繰り返していてはリスナーが退屈してしまう。

 

 いくら雑談で繋ごうにも限度というものはある。

 

 ゲームをクリアすることは大事だけれど、あくまでも配信者であることを忘れてはいけない。

 

 リスナーが見ていて楽しい面白いと感じるように、画的に映えるようにプレイするというのも配信者としての大事な要素だ。

 

 それはそれとして、配信を盛り上げることは大事だけれど、あくまでも僕は礼ちゃんの兄であることを忘れてはいけない。

 

 礼ちゃんが見ていて楽しい面白いと感じるように、魅力的なプレイをするというのもお兄ちゃんとして大事な要素だ。

 

 わざわざ見にきてくれた礼ちゃんに、今日の配信のハイライトを飾るような結果を見せてあげたい。

 

「心配しないで。あの倒し方はあくまで検証だよ。できるかどうか試しただけ。きっと豪快に、いや爽快にかな? なんにせよ満足できるものになると思うよ。ここからはお祭りだ。一発とはいえ花火も用意してもらってるんだから、盛り上げていくよ」

 

 




長かったゲーム配信も次でラストです。
 


*スパチャ読み!
前回スパチャ読みの更新する前に寝落ちしてしまったので、前回の分も今回に含めさせてもらってます!ごめんなさい!

扇月兎さん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
山鴉さん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
ヨハネつとむさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
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静養さん、赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
三笠さん、上限の赤色のスーパーチャットありがとうございます!
L96さん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
おっさn厨二病さん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!更新してくださったんですね、ありがとございます。
幻聖さん、上限赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
ラムミルクさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
猫鍋@冬眠中さん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!まだ読んでてもらえて嬉しいです。ありがとうございます。
sk005499さん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
calnoさん、赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
ショッピングさん、上限での赤色のスーパーチャットありがとうございます!
Cafe俺さん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
FfH2さん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!

やっぱりVtuberを題材にした作品なら配信しないといけないよね!これまでちゃんとしたゲーム配信をせずに長いことお待たせしてしまってすいませんでした!お待たせしてしまった時間に釣り合うクオリティになっていたら嬉しいです。
『administrator』配信は次でおしまい。区切りのいいチェックポイントまでは進んでいるので、最後まで楽しんでもらえたらと思います。


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「……痛ましいね」

 

「心配しないで。あの倒し方はあくまで検証だよ。できるかどうか試しただけ。きっと豪快に、いや爽快にかな? なんにせよ満足できると思うよ。ここからはお祭りだ。一発とはいえ花火も用意してもらってるんだから、盛り上げていくよ」

 

「お兄ちゃんの言う『盛り上げる』は、私やリスナーさんたちが思い浮かべてる『盛り上げる』とイメージが違いそうで怖いんだけど……」

 

「あはは、任せてよ。きっと記憶に残るよ。具体的に言うと、夜寝ようとして目を瞑った時に思い出す感じで」

 

「それってトラウマって言わない?」

 

「心に刻みつけてみせるよ。グロテスクなものが苦手な方や心臓の弱い方はしばらく席を外したほうがいいかもしれません、とだけ注意をしておくね」

 

「あ゜! わたしべんきょうのつづきしなきゃ!」

 

「一番楽しいところだよ。勉強は後で僕が見てあげる」

 

 もともと僕が椅子に座り、その僕の膝の上に礼ちゃんが座り、礼ちゃんの脇の下を通す形でコントローラーをデスクの上に置いて握っていた。だがこれだと体を下にずり落とすようにして逃げられるかもしれないので、ここから動けないようにコントローラーを引き寄せて礼ちゃんのお腹にくっつけるようにした。シートベルトみたいな感じだ。

 

「びゃああぁぁっ! 腰に手まわされた! 固定された!? 逃げれなくなったあっ?! うう……こうされてると自然と落ち着いちゃう自分が憎い……」

 

〈てぇてぇ〉

〈てぇてぇ〉

〈ずっと気になってたんだけどお二人は今どうやって一緒にゲームしてるんですかね?〉

〈てぇてぇ〉

〈てぇてぇ〉

〈妹悪魔すごい声w〉

〈腰に手……もしkしてひzqに乗ってr〉

〈お嬢おいたわしや〉

 

「お祭りの前には準備が必要だからね。二階に上がった時に見えたけど、エレベーターホールのほうに曲がらずに奥に進めばちょっとした広場みたいなところがあった。あの広場をお祭りの会場にしよう。まずは会場にマネキンを運ぶところからだね」

 

「くふっ、ひゃっ、はんっ」

 

〈お嬢?!〉

〈えっっ〉

〈えっっっっ〉

〈なにしてるんですか?!〉

〈えっっっっ〉

〈これはセンシティブ〉

 

「ちょっと、礼ちゃん? 変な声出さないでくれる?」

 

「ちがっ、お兄ちゃんがコントローラー動かすから! こしょばさないでよ! お腹に手置かないで!」

 

「はいはい……まったくもう」

 

「まったくもうはこっちのセリフだよ。私はそういうえっちなので売ってないから」

 

「当たり前だよ。そんなのお兄ちゃんが許しません」

 

 なんだか荒ぶっているリスナーさんたちにちょくちょく返事をしながらもゲームを進めていく。

 

 主人公にマネキンを持たせて店の外へと出る。内心で、もしマネキンを外に持ち出せなかったらどうしよう、と不安だったけれど一安心だ。

 

 ショッピングモールの奥へとマネキンを抱えながらえっちらおっちら進んでいく。ゾンビに見つかりそうになるたびに支柱やエスカレーターの下、通路中央に置かれている休息用のテーブルや椅子、荷物が載ったままのカートなどに隠れる。ゾンビがこちらを向いた時に毎回びくびくする礼ちゃんが面白かった。

 

 もしかして、と思い、マネキンを置いてその影に隠れるというお茶目もした。そんな馬鹿なことをしでかした僕に礼ちゃんが驚くとともに怒っていたけれど、それでゾンビの目を欺けてしまった時はさらに驚いていた。正直な話、僕も驚いた。マネキン持ってきていたら遮蔽物いらないじゃん。

 

「はい、会場に到着しました。マネキンさんも長旅ご苦労様でした。出番までここでお待ちください」

 

「会場……ショッピングモールの中央広場まで来たはいいけど、こんな端っこでいいの?」

 

「まだ観客が集まってないからね。ステージに上がるのは開演の準備が整ってからだよ」

 

「それじゃあ……ここに集めるってこと?」

 

「そうだよ。できたら、ショッピングモールにいる元人間様全員が来てほしいところだね。せっかくのお祭りだし」

 

「……それってほんとに『お祭り』……なの?」

 

「お祭りだよ。少なくとも人間様方にとっては」

 

「人間ってこわい……」

 

〈おい〉

〈俺らのせいにすんなw〉

〈責任押し付けてきたw〉

〈怯えるお嬢いい〉

〈人間の業ってもんよ〉

〈草〉

〈期待してます!〉

〈眷属は悪い人間じゃないよ!〉

 

 会場近くまでマネキンは移動できた。この配置なら多少ゾンビに囲まれても問題なく事を進められるだろう。

 

 次は一番危険なお仕事、ゾンビたちを集めるフェイズだ。

 

「会場の設営はできたから、次はプロモーション活動だね。お客さんを呼び込もう」

 

「プロモーション……具体的になにするの?」

 

 僕を背もたれにしながら礼ちゃんがそう訊ねる。

 

 その質問に僕はコントローラーを握る指先で答えた。

 

 ぱぁんっ、と。

 

 静寂の(とばり)が下りていたショッピングモールに火薬の爆ぜる音が心地よく広がる。返ってくる銃声の残響に、排出された空薬莢の地面を跳ねる音がいいアクセントになっていた。

 

「ここに生きた人間がいますよってことを伝えれば、すぐに来てくれるはずだよ」

 

「なんで撃ったぁ!」

 

「説明したばかりなのに。ショッピングモール中に聞こえたと思うけど、お祭り開演のアナウンスが聞こえていなかった元人間様もいらっしゃるだろうし、鬼ごっこしながら呼びに行こうか。端っこにいる元人間様だと到着も遅れるだろうしね」

 

〈響いたなぁw〉

〈トロールで草〉

〈めっちゃ来とる!〉

〈フォーカスやばいw〉

〈いっせいにこっち見てきたの鳥肌立ったわ〉

 

「びゃあっ! 上からっ、上から落ちてきた!」

 

「わあ。フードが邪魔だな……二階の通路にいる元人間様が見えないのは結構危ないね」 

 

 二階通路の手すりを越えて目の前にゾンビが落下した。かなり危なそうな落ち方をしていたけれど、顔色一つ変えずにこっちを見据えている。足が折れていようと、どれだけ痛かろうと、ゾンビたちには関係なさそうだ。

 

「は、はやく倒しっ……って、はっや。さすがお兄ちゃん!」

 

「任せてよ。お祭りの前にやられるなんて盛り上がらないからね」

 

 前へと押し出す足は止めず、そのままのスピードで落ちてきたゾンビへと肉薄し、ゾンビが立ち上がって襲ってくる前にその首元へ刃を走らせる。銀色の輝線がゾンビの首を裂いて血の雨を降らせる頃には、そこにもう主人公はいない。

 

 近ければナイフで、道を塞いでいるゾンビがいればピストルで排除する。倒すことよりもゾンビに囲まれないことを重視してショッピングモール内を縦横無尽疾風怒濤と駆け回る。

 

〈無双ゲーかな?〉

〈全部ヘッショはおかしい〉

〈気持ちいいw〉

〈うっま!〉

〈後ろやばいぞこれ〉

〈立ち回りうまくて草〉

〈エイムえぐいわ〉

〈うんま〉

 

「わあっ! やれー! お兄ちゃん! 頭弾けさせちゃえ!」

 

「リロード中が一番無防備だから、実はあんまり撃ちたくないんだよね。礼ちゃんからのリクエストだからやるけど。ストッピングが必要ないゲームでよかった」

 

「きゃああっ! かっこいい!」

 

 進行方向を塞ぐようにこちらに走ってくる四体のゾンビを四発の銃弾で沈める。

 

 ゾンビの群れとの鬼ごっこにも慣れてきたのか、礼ちゃんが楽しそうに歓声を上げている。このゲーム、一度リロードのモーションに入るとキャンセルできないし、一応弾薬も限りがあるのでピストルは多用したくはないけれど、礼ちゃんのお願いには代えられなかった。

 

〈妹悪魔のテンション草〉

〈全弾ヘッショは草枯れるわ〉

〈動きながらよう当てよる〉

〈ただのファンおるww〉

〈妹悪魔っていうエイムアシストがついてるw〉

 

「ん、あれは出口だね。そろそろ引き返そうか」

 

 ショッピングモールの出口がゾンビの壁の向こう側に見えたあたりで方向転換。もう充分に引き付けられただろう。会場へと戻る頃合いだ。

 

「あっ……とうとうお祭り?」

 

「そうだよ。人間様方が待ち侘びたお祭りだ」

 

〈草〉

〈もうすでに祭りみたいなもん〉

〈全責任こっちになすりつけるw〉

〈責任転嫁がひどいw〉

 

 時間を追うごとに激しくなってくるゾンビの猛攻をどうにか凌いで会場であるショッピングモール中央広場へと走る。ナイフとピストルで包囲網を切り開き、どうにか五体満足で戻ってくることができた。

 

「ああよかった。生きて帰ってこれた。さあ、集客もできたことだしお祭りの始まりだよ、主役の登場だ。見せ場だからね、盛り上げないと」

 

「……主役? あ、あのマネキン!」

 

「古来から、登場する際の演出はスモークって相場が決まってるんだ」

 

 衣料品店で拾ったスモークグレネードを、広場の真ん中とマネキンの間くらいの位置に投げる。かんっ、からんっ、と小気味良い音を立てながらスモークグレネードは転がり、うまい具合に広場とマネキンが待機している物陰周辺を煙で覆い隠してくれた。

 

「あっ! それで隠れながらっ……」

 

「そう。マネキンさんにステージへ上がってもらうって寸法だね。ちなみにスモークグレネードは一つしかなくて効果時間は調べられてないから、ここで失敗する可能性は大いにある」

 

「なら急いで!」

 

「了解」

 

 煙が漂っているうちにマネキンを回収し、広場中央の一番目立つ位置まで持っていく。途中で煙が晴れないことを祈りながらマネキンを設置し、ゾンビたちからのヘイトをたんまりと吸ったポンチョを着せてあげるとすぐさま離脱する。

 

 周囲は円を描くようにゾンビたちで囲まれているけれど、広場の真ん中から少し離れたところには植物が植えられている場所がある。そこは膝上くらいの高さの段になっているので、そこだけはゾンビは近寄れない。その段にジャンプして乗り、安全にゾンビ包囲網を抜ける。身を隠せる場所でその時が来るのを待つ。

 

 そうこうしているうちにスモークグレネードの効果が終わったようだ。徐々に視界を奪っていた煙が薄くなっていく。

 

 ショッピングモールの広場の天井は採光のためか、強化ガラスにでもなっているようでそこから光が差し込んできていた。

 

 中央広場ど真ん中。降り注ぐ日差しを浴びたマネキンが、これからライブでもするかのように姿を現した。

 

「わあ、位置完璧だ」

 

「あははっ、ふふっ、くふふっ……スポットライトみたいになってるっ!」

 

〈草〉

〈草〉

〈草〉

〈これは主役w〉

〈ドームコンサートか?w〉

〈周りのゾンビがまるでファンで草〉

 

 世界が凍りついたような一瞬の静寂。ポンチョを着てポージングを決めるマネキン。

 

 ざっ、とゾンビの足音が重なる。

 

 押し寄せた大波に揉まれる木の葉のように、マネキンはゾンビの群れに呑まれた。

 

「ああ……マネキンさん。僕らのために……」

 

「うわあ……こんな光景を昔、デパートで見たことあるよ。あれはバーゲンセールの日だった」

 

〈バーゲンの時のおばちゃんたちで草〉

〈おばちゃんはゾンビよりも強いぞ〉

〈レイちゃんもなかなか言うねw〉

〈アメにたかるアリみたいだ〉

 

「さあ、お祭りのフィナーレだよ。景気良く花を咲かせてくださいね」

 

「え、ちょ……」

 

 衣料品店の植木鉢から生えていたグレネードを、押し競饅頭(おしくらまんじゅう)しているど真ん中に放り込む。狙う位置がわかりやすくて助かる。あれだけの人混みの中でも独特のセンスをしたポンチョはよく目立つ。

 

 ずどん、と腹の底から響くような爆発音。爆煙が晴れた頃には、立っている者はマネキンを含めて主人公以外誰もいなかった。

 

「これが人間様が望んだお祭りだよ……痛ましいね」

 

「……お祭りっていうか、血祭りだよ……」

 

〈ひどくて草〉

〈草〉

〈俺らのせいにすんなw〉

〈あまりにも残酷〉

〈嫌な事件だったね……〉

〈汚ねえ花火だ〉

〈草〉

〈血祭り草〉

〈どうあがいても悪魔〉

 

「尊い犠牲もあったけど、これでだいたいショッピングモールは安全になったかな。小さい礼ちゃんを連れてここを抜けようか」

 

「……もうここに暮らしたほうがいいんじゃないかな。レイチェルが動くたびに、きっとここみたいな惨劇が繰り返されると思うんだ……」

 

「何言ってるのさ。小さい礼ちゃんをお父さんの下まで連れて行かなきゃいけないんだ。ここで立ち止まってなんていられないよ。僕は小さい礼ちゃんの為ならなんだってするって誓ったんだ。たとえ……何が立ちはだかろうともね」

 

「逃げてっ、ゾンビたち逃げてっ……」

 

〈ゾンビより怖い〉

〈悪魔がゾンビ如きに負けるわけねえんだよなあ〉

〈存在としてのティアーが違いすぎる〉

〈ゾンビ逃げて!〉

〈なんなら人も逃げた方がいいw〉

〈足止めしてくるやつ全員排除するぞw〉

 

 爆心地にしばし待機して生き残りがいないことを確認してから衣料品店へと戻る。道中でしっかりと怪しげなポイントは漁りもする。この主人公、未だに装備が自室を出た頃と変わらないのだ。アイテムのあるなしに今後生き残れるかどうかがかかっている。

 

 衣料品店の軒をくぐり、試着室で大人しく待っててくれたレイチェルに話しかけた。

 

『出発するの? いつでも行けるよ!』

 

「ああっ! 小さい礼ちゃん元気になってる! よかった!」

 

「こいつのせいで数がわからないくらいのゾンビが犠牲になったんだけどね」

 

〈レイチェル元気になってる!〉

〈妹悪魔辛辣で草〉

〈こんなんあったっけ〉

〈見たことないモーションをよく見る日だ〉

〈テンションやばw〉

 

「さ、おてて繋いで一緒に行こうね。一階は……お祭りで散らかっちゃったから、二階から行こうか?」

 

「このガキにも見せるべきだって。これがあんたの責任だぞって。ねえ、お兄ちゃん」

 

〈散らかした本人が言うのやばw〉

〈ガキw〉

〈草〉

〈お嬢スパルタだ……〉

 

 中央広場のお祭り会場は凄惨な有様になっているので、そんな光景を目にしないように二階に上がってショッピングモールの反対側に向かう。

 

 レイチェルを連れてショッピングモールデートをしていた途中、お店はいくつもあったけれど、どれもシャッターは閉じられていた。開いていたお店が特殊だと言うことだろう。ガンショップとかが開いていたほうがおかしかったのだ。

 

 そんなシャッター街みたいになっているショッピングモールの中で、久しぶりにシャッターが閉まっていないお店があった。

 

 ここぞとばかりにドラッグストアが開いている。なんともわかりやすい。ゾンビラッシュで減らした体力を回復させてくださいね、という開発側の優しさだ。もしくは、この次もハードになってるからここで回復アイテム調達しとけよ、という予告。

 

「お、何かアイテムもらえそう……選択肢だ」

 

「お兄ちゃん。わかってるよね?」

 

「言わなくてもいいよ。わかってる。任せといて」

 

 誘蛾灯に誘き寄せられる虫のようにドラッグストアでアイテムをたかろうとしていたけれど、その前に選択肢がポップアップした。

 

 視界の奥に見えているドラッグストアに入るか、ドラッグストアの手前で大きく広がっているフードコートに立ち寄るか。どちらを選ぶか問われている。

 

 こんなこと、わざわざ選ばせないでほしい。行く所なんて決まっているじゃないか。

 

「フードコートしかないよね。朝ご飯まだなんだもんね」

 

「このばっ……ほんっとっ、ばっ……」

 

「え、なに……礼ちゃんどうしたの?」

 

『うれしいっ! お腹すいてたの!』

 

「だよねー? ほら、礼ちゃん。小さい礼ちゃんも喜んでるよ」

 

「こんのっ、ばっ……」

 

〈耐えとるw〉

〈ば、で我慢してるw〉

〈草〉

〈実質一択やったな〉

〈選択肢ないのが悪いw〉

〈こうなることはわかってたw〉

〈予想通りで草〉

〈選択肢用意してないのが悪い〉

 

「元人間様方もいないから、ゆっくりご飯食べていいからね。ちょっとここで休憩していこうね」

 

「いないんじゃないでしょ! そいつのせいで排除されたんだよ! ていうか、そいつずっと休憩してるじゃん! いらないって! 休憩! 回復アイテムもらえたのに!」

 

「いや、でも……あ、ほら! ここでも一応回復したみたいだよ。主人公の体が緑の光でぽわってなった」

 

「まだ無傷だったでしょ! 無駄にこのガキに回復アイテム使ったんだから拾っとくべきだったのに!」

 

「無駄じゃないよ! 小さい礼ちゃん元気になったんだし! それに相手の攻撃が当たらなかったら回復なんていらないんだ。バックを圧迫するし。そう考えたら持ってないほうがいい、っていう考えもできない?」

 

「できない」

 

「できないかあ……」

 

〈負けてて草〉

〈できないかあ……w〉

〈ど正論パンチw〉

〈草〉

〈当たらなければ以下略〉

〈回復使わないから邪魔は新しいなw〉

〈実際ここまで被弾ゼロなんだよな〉

 

 礼ちゃんと口論しているうちにレイチェルと主人公のお食事は終了。ショッピングモール脱出を再開した。もしかしたら、と思ってドラッグストアに入ろうとしたけれど、見えない壁(ゲーム的要素)に阻まれて入れなかった。サウンドもグラフィックもリアルなのに、こういうところはゲーム感を押しつけてくる。

 

 念のためゾンビの奇襲には気をつけていたけれど、ショッピングモールにいたゾンビは全員あのお祭りに参加したようで一人として遭遇しなかった。

 

 そのままショッピングモールの出口に近づいたところでストーリームービーが入る。

 

「このステージもどうにかクリアできたね。最初はどうなることかと思ったけど」

 

「ほんとにね。なんでクリアできるの、これで。お兄ちゃんはレイチェル甘やかしすぎなんだよ。どうするの? 世の中がしっちゃかめっちゃかになってる騒動が起きてるのに、お兄ちゃんのせいでこいつ騒動が始まる前より太るよ?」

 

「ふとっ……なんてこと言うの! これだけいっぱい歩いてるんだから太らないよ。小さい礼ちゃんには栄養と休息が必要なんだ」

 

〈www〉

〈それは草〉

〈ゾンビパニック前より体重増えてたら笑うわ〉

〈可愛い服着れんくなるw〉

 

「そいつ甘やかさなかったらもっと簡単に突破できたのに」

 

「甘やかしてないよ。礼ちゃんと同じように接してるだけで」

 

「いやめちゃくちゃに甘やかして……ちょっと待って。それだと私がいつもお兄ちゃんに甘やかされてるみたいになる?」

 

〈なっとる〉

〈甘やかされてるでしょ〉

〈ブーメランで草〉

〈特大のブーメラン返ってきた〉

〈頭にブーメラン刺さってますよ〉

〈草〉

〈墓穴や〉

 

「大丈夫、ならないならない。礼ちゃんは僕に甘やかされてないし、僕も小さい礼ちゃんを甘やかしてない。そういうことなら理屈が通るね」

 

「おお、それだ! みんな聞いた? 私甘やかされてないからね!」

 

〈言いくるめられてて草〉

〈ええんかそれでw〉

〈お嬢……〉

〈お兄ちゃんさんとおるとお嬢IQ下がるなぁ〉

〈いつもはもっと賢いお嬢なんです……〉

〈眷属がフォローしてて草〉

 

 ショッピングモールを脱出するムービーが終わり、オートセーブが行われる。

 

 ちょうどいい時間とタイミングなので、今日はここでお開きとしよう。

 

「きりがいいので、本日の配信はこのあたりで終わりにしたいと思います。ここまでご視聴いただき、ありがとうございます。礼ちゃんも途中から参加してくれてありがとうね。僕も楽しかったし、きっと視聴してくれていた人間様方にも楽しんでいただけたと思うよ」

 

「そうかな? 急に現れてお兄ちゃんのプレイにいろいろ口挟んじゃってたけど、邪魔にならなかったかな? 大丈夫でしたか?」

 

〈ぜんぜん大丈夫!〉

〈楽しかったよ〉

〈イチャイチャ助かる〉

〈めちゃくちゃ楽しめた〉

〈いいリアクションだった〉

〈妹悪魔のツッコミが光ってた〉

〈兄悪魔は淡々とボケるから助かる〉

〈お嬢ありがとうございました!〉

〈また軽率にリア凸してください〉

〈『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』レイチェルゴスロリver.描いてます〉

〈悪魔兄妹しか勝たんのよ〉

〈ゆきねチャンネル!〉

〈ゆきねさん!〉

〈よう見とる〉

 

「あっ。礼ちゃん礼ちゃん、ゆーさん見てくれてたよ」

 

「まあ、ゆーなら見てるだろうね。ところでストリートファッションのほうじゃなくてゴスロリのほうを描いてるのはなぜだ? 忖度か?」

 

「こら礼ちゃん。圧かけない」

 

〈『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』ど、どっちも描きます……〉

〈圧やばいw〉

〈怖いw〉

 

「ならばよし。無理せずがんばるように」

 

「ゆーさんもお忙しいだろうし、本当にご自身のペースでいいからね?」

 

〈有無を言わせない圧草〉

〈『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』ありがとうございます! 無理せず毎秒描きます!〉

〈兄妹の温度差えぐいw〉

〈毎秒描くを本人が言うのかw〉

〈エンジンかかってて草〉

〈自分で言うパターンw〉

 

 無理せず毎秒〇〇する、という冗談の定型文のようなものがあるらしいけれど、夢結さんだと本当にやりかねないのが怖い。なんせ、一日足らずでイラストを仕上げた人なのだ。また睡眠時間を削ることのないように、ゆっくりとマイペースに描いてもらいたい。こちらは描いてもらえるだけで嬉しいし助かるのだ。

 

「ゆーさんには、ちゃんと健康を気遣いながら(・・・・・・・・・)、描いてもらえるようです。楽しみが増えましたね」

 

「健康のところ、すごい強調してる……。大丈夫だって、お兄ちゃん。ゆーも冗談だってわかってるんだから」

 

「ゆーさんの場合冗談じゃなくなりそうで心配なんだよ。あのイラストの件があるから」

 

「イラストびっくりするくらい早かったもんね」

 

「僕もゆーさんのイラストの一ファンとして、投稿されるのをゆっくりと待ちたいと思います。いずれ動画がアップされると思うので、ゆきねさんのチャンネルのほうも登録していただけると嬉しいです。並びにジン・ラース、レイラ・エンヴィのチャンネル登録もしていただけると幸いです」

 

「私たちのほうがついでみたいになってる」

 

「明日は礼ちゃんと……明日()っていうか、結果的に明日()になったね。明日も礼ちゃんと一緒に配信しますので、お時間に余裕があればぜひお越しください」

 

「明日はお兄ちゃんとアイクリコラボ配信しまーす! 魔界創造計画の第二弾です! よかったら来てくださいねー!」

 

「では、今日はこのあたりで失礼します。ご視聴ありがとうございました。おやすみなさい」

 

 お別れの挨拶をして配信を閉じようとしたのだけれど、コメント欄を見て手を止めた。

 

〈えおわり?〉

〈挨拶は?!〉

〈いつものがない!〉

〈待ってよ!〉

〈いつもの挨拶は?〉

〈せっかくリアタイで聴けると思ったのに〉

〈いつものは?〉

〈あれ聞かなきゃ寝れない〉

 

 リスナーの皆さんからはお別れの挨拶は返ってこず、戸惑いの声で溢れていた。思ったよりもいつもの挨拶は求められているようだ。

 

「ほらお兄ちゃん! リスナーさんたちがあれ聞かないと終われないって!」

 

「いつの間にそんなに定着してたの……最近できたばっかりのいつもの終わりの挨拶……。そんなに何回もやってないよね、これ」

 

「求められてるんならやるしかないよね!」

 

「今日はコラボ配信の予定じゃなかったんだけど、まあ結果だけ見たらコラボみたいなものだったもんね。いいか。じゃあ、さん、に、いち、どうぞ」

 

「やたー! 『New Tale』の悪魔兄妹! 妹のほう! 途中参戦で枠を取ってない嫉妬の悪魔、レイラ・エンヴィと! 血も涙もないけれど家族愛だけは人一倍あるサイコパスと名高いー……こちら!」

 

「相変わらず挨拶しにくい振りが飛んでくる……。それで答えたらサイコパスを認めてることになりそうなんだけど……。『New Tale』の悪魔兄妹、兄のほう。動画内の残虐な行為はすべて人間様に指示されました憤怒の悪魔、ジン・ラースでした」

 

「わーっ! ありがとうございましたー! また明日会いましょうねー!」

 

「ご視聴ありがとうございました。明日もお会いできることを楽しみにお待ちしております。それでは、良い夢を。おやすみなさい」

 

〈わー!〉

〈初リアタイで聞けた!〉

〈いつものだー!〉

〈お疲れ様でした〉

〈おもしろかったよ〉

〈最後に責任転嫁で草〉

〈これがないと締まらんのよな〉

〈おやすみなさい〉

〈明日もきます〉

〈おやすみなさい〉

 

 本当に定番化しつつある挨拶をして、配信を閉じる。リスナーさんもこの挨拶をしないと挨拶を返してくれないあたり、浸透していることを実感する。それだけ期待してくれているというのも嬉しいものだ。

 

「お兄ちゃん、配信閉じれた?」

 

「うん。もう閉じたよ。ありがとね、楽しかったよ」

 

「ううん。私も勝手に乗り込んじゃってごめんね? 楽しくなっちゃって」

 

「大丈夫だよ。今日の配信は眷属さんたちもたくさん来てくれてたし、リスナーさんも喜んでたしね。いいサプライズみたいになったんじゃないかな」

 

「……だったらうれしいなあ」

 

 僕に体を預けながら、礼ちゃんは呟いた。

 

 人馴れした猫のように、目を細めながら僕の胸元に顔を擦り付ける。このまま寝てしまいそうな雰囲気だ。

 

 僕のせいで勉強を中断してしまったのだ。ここで寝てもらっては困る。

 

「はい、礼ちゃん起きて。勉強再開するよ」

 

「んえーっ。……お兄ちゃん」

 

「わかってるよ、見てあげるから」

 

「やたーっ! そうだ、SNSであげとこーっと」

 

「僕も明日の宣伝兼ねてSNS更新しとかなくちゃ。礼ちゃんは先に部屋戻っといてね」

 

「ん? 別にいいけど、なにかあるの?」

 

「ちょっと野暮用」

 

「……なに? 怪しいなあ……」

 

「怪しくないよ。ちょっとSNSを巡回するだけ」

 

「エゴサ? ……どうせ気分が悪くなるものばっかりでしょ? やめといたら?」

 

「すぐ終わるから大丈夫だよ。見て回るところは決まってるから安心して」

 

「……なら、いいけど……」

 

 不快そう、というよりは不安そうに眉を(ひそ)める礼ちゃん。せっかく気持ちよく配信を終えられたのだ、心配事を残したまま自分の部屋に帰って欲しくない。話を変えよう。

 

「それに、ゆーさん……夢結さんにお礼をって思ってね。コメントしてくれてたし」

 

 僕がそう言うと、背後に光輪のエフェクトが出そうなくらいに、ぱぁっと表情を明るくした。

 

「あははっ! うんっ! してあげて! きっと喜ぶよ! イラスト描くのも気合い入るだろうしね!」

 

 椅子から降り、結露して水滴のついたペットボトルを手に取った礼ちゃんが笑いながら言う。

 

 秋の空のように打って変わってご機嫌になった礼ちゃんは軽やかな足取りで僕の部屋を出て行く。『部屋で待ってるからはやく来てねー!』と廊下から聞こえた。相変わらずよく声が通ることで。

 

 礼ちゃんが自室の扉を開き、扉が閉じられる音を聞き届けてからSNSをチェックする。

 

 まずは自分のアカウントだ。今日の配信を終えたことと、観にきてくれた人たちに感謝を伝える投稿をして、ついでに明日の配信予定にも触れておく。

 

 次に礼ちゃんのアカウントだ。

 

「……注意はしてたけど、やっぱりだめだったか。僕の責任だなあ……仕方ない」

 

 嘆息も出ない。僕なりにできる限りの努力はしていたつもりだったけれど、それでだめならどうしようもない。

 

 諦念の思いで瞑目し、僕はメッセージアプリを起動した。

 

 

 




これでお兄ちゃんのゲーム配信は終了です。どこかで『administrator』の続き書けたらいいなぁ。
そういえば、お兄ちゃんがプレイしていた『administrator』はなんのゲームを参考にしたかわかった人っています?驚くことに感想欄で正解に辿り着いている方が感想くれてて、すごいなって思いました。参考にしたのは『デトロイトビカムヒューマン』だったんですけどね。残っている部分なんてマルチエンディングと選択肢の雰囲気、あとは表現とか描写がとても丁寧ってところくらいしかない。ゾンビはどこから生えたんだろう。気づいた方はとてもすごいです。

この物語もとうとう佳境、最後まで走り切れるようがんばります。
次はとある人視点。


*スパチャ読み!
サキサキさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
ららいおーんさん、上限の赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
福知条マヨイさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
【雅】さん、赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
黒@星詠みすこん部さん、上限の赤色のスーパーチャットありがとうございます!
コトブキノさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
九羅魔さん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
蜜柑25963さん、上限赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
青99さん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
kanzakiさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
ふくまめさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
みる吉さん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
田中読者さん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
toumiさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
女衒Pさん、赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
すき焼きさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!

こんな癖の強い作品を読んでくれて、過分な評価までつけてくれてありがとうございます!がんばります!


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「自分たちの理想のために死ね」

とある人の視点です。
いつもより半分くらいの量なのでこの時間に投稿。
思い出したかのように不穏な気配。


 

 

 暗い部屋の中、パソコンの画面の前で唇を噛み締める。

 

『ご視聴ありがとうございました。明日もお会いできることを楽しみにお待ちしております。それでは、良い夢を。おやすみなさい』

 

「……なんでこいつは、平気な顔で配信してるんだよ。さっさとやめろよ。……みんな不幸になるんだ、消えちまえよ」

 

 モニターには『New Tale』の新人Vtuber、ジン・ラースが映っている。

 

 堂々とした喋りと進行でゲームを実況プレイして、今は締めの挨拶を行なっていた。

 

「こいつ……どこで配信者やってたんだ。これだけ慣れてるってことは、絶対どっかでやってただろ……。前世暴ければそこから攻められるのに……」

 

 『New Tale』では新人という扱いのジン・ラースだが、Vtuberという界隈では、もともと配信者をしていた人間がヴァーチャルの肉体を得ることで、Vtuberとして生まれ直して活動をすることが往々にしてある。Vtuberとして生まれ変わる前の頃を『前世』という呼び方をする。

 

 そういった元配信者をVtuberとして取り込むというのは、さまざまな事務所で行っていることだ。活動をしていた経験があるほうが事務所側としても教えることが少なくなるし、発言のラインを心得ているぶん、問題も起こしにくいということで楽なのだろう。大っぴらに公表したりはしないが、声や配信の内容を見ていればファンなら気づくので、前世からのファンもある程度つくと見込んでいるのかもしれない。

 

 自分は、ジン・ラースもそういった過去があると踏んでいる。

 

 『New Tale』でデビューする以前はFPS系のストリーマーでもやっていて、妹のコネで『New Tale』に入ってVtuberになったのだろう、と断定に近い予想を立てていた。

 

 でなければおかしい。ファンの定着の仕方も異常だし、なによりも手慣れている。配信というものに慣れ過ぎている。

 

 悪魔というキャラクターの特色を活かした人間味の希薄なトークによって動きの少ない画面でもリスナーを飽きさせることなく気を引いて、FPSの腕を随所に散りばめて魅了して、途中でレイラ・エンヴィが部屋に凸しにきたトラブルも冷静に捌いて笑いに変えた。プレイ中もリスナーのコメントを拾い、コメントに答える余裕すらある。

 

 同時接続者数も新人とは思えないほど多くいる中、配信を始めて一週間も経っていない新人がそこまで落ち着いてできるわけがない。

 

「絶対にどこかで配信者をやっていたはずだ。それならまだ巻き返せる。前世の動画から、問題発言でも拾ってくれば……まだ」

 

 どうしてこうも風向きが変わったのか。

 

 ここ二〜三日で、ジン・ラースの評判は一変しかかっていた。明らかに流れが変わり始めている。

 

 あれだけ強烈に叩かれて燃やされていればすぐに潰れて消えるものだとばかり思っていたのに、堪えた様子を見せるどころか涼しい顔をして平然と続けている。

 

 デビューしたばかりの新人が一発目の配信であれだけの数の誹謗中傷を浴びせられれば、まず間違いなくまともな配信にはならない。頭に血が上って暴言を吐くか、呆然として言葉が出なくなるか、なんにせよボロは出ていただろう。

 

 暴言を吐き散らしていても、放送事故のように黙りこくっていたにしても、そういったリアクションを取ってくれていればどちらに転んでもこちらとしては叩きやすくなっていた。暴言なり沈黙なりリアクションを示したということは、本心から湧き出た感情があったということだ。それを取っ掛かりにして煽れば、必ず追い詰められる。

 

 そのはずだったのに。

 

「……失言しない。くそっ」

 

 荒らしコメントに対して反応がなさすぎる。感情的になるような場面もない。常々から発言にはかなり気を遣っているのか、揚げ足を取ろうにも取れない。きっかけがなければ切り崩せない。

 

 レイラ・エンヴィがジン・ラースとコラボし始めたあたりから、おもしろ半分で荒らしに参加していた奴らが純粋に配信を楽しむ方向へと傾き始めている気配も感じる。巧みなプレイングと息のあった掛け合いに魅力を覚えてきているのだ。

 

 旗色を見てどちらにつくか変えるような、自分の意思のない流されやすい連中だ。もとから仲間であるなどとも思ってはいない。いないが、つい先日まで一緒になってジン・ラースを叩いていたような奴が急に意見を真逆に変えて荒らしを批判しているところを見ると、その面の皮のぶ厚さに反吐が出る。風見鶏もいいところだ。

 

「くそっ……くそっ、くそっ! わからないのか! また同じことが起きるって!」

 

 男女のVtuberの絡みを容認していたら、また自分たちのように悲しむ人間が生まれる。傷つく人が出てくる。そうならないようにするために自分たちは動いているのに、それを理解しない愚か者のなんと多いことだろうか。

 

 女性Vtuberしかいない『New Tale』からデビューしたジン・ラースを引退、あるいは活動休止に追い込むことで、Vtuberが男女で絡む因習の根絶を決定づける。自分たちのグループが示した『男女で絡もうとした奴は引退に追い込まれるくらい誹謗中傷に晒される。そういう風潮を作る』という案は、間違っていなかったはずだ。

 

 ここ最近は活動の甲斐もあって大手のVtuber事務所『Golden Goal』でもコラボを控えてきている。Vtuber界隈全体で男女コラボは減り続けている。つまりこれは、自分たちのやり方が認められ始めているという証左に他ならない。

 

 地道な活動だったがそういった風潮は徐々に界隈に浸透して、実際に男女でコラボするVtuberはいなくなりつつあった。

 

 ようやく、辛い思いをした自分たちが報われる。悲しい思いを味わった経験が活かされる。同じ思いをする人たちがいなくなるように、という活動に価値が生まれる。今のまま活動を続けていればいずれ、自分たちの目指した理想に辿り着いていた。

 

 そのはずだった。

 

 なのに、予想を大きく上回るほどにジン・ラースがしぶとい。

 

 自分たちの願いを成就させるためにもジン・ラースには消えてもらわなければならないのに、風潮を界隈に根付かせるためにはジン・ラースを最悪でも活動休止に追い込まなければいけないのに、こいつがどうにもしぶとい。

 

 ジン・ラースとレイラ・エンヴィが実の兄妹であることは自分たち自身が証明してしまった。このコラボを否定しようにも二人が家族である以上、恋愛絡みで言及することはできない。この二人実は同棲でもしてるんじゃないか、などと煽っても馬鹿の妄言としか捉えられない。グループの中でも一部のメンバーはこの点から(つつ)いているが、兄妹からもそのリスナーからも冷笑を浴びている。

 

 自分が少し探ってみるか。アーカイブを漁って火種になるようなネタを見つけられれば、もしかしたら。

 

「……いや、レイラ・エンヴィは違う……」

 

 冷静になってグループの方針を思い出す。

 

『ジン・ラースは我々の切願を踏み躙らんとする憎い相手だが、レイラ・エンヴィはそうではない。我々の原理原則に立ち返れ。ジン・ラースを仕留められれば、それで決着がつく』

 

 考えてみれば、そうなのだ。そもそも自分たちは男女で絡むことを否定しているわけではなく、オフで会うなどしてそこから特別な関係になることこそを否定している。通常の異性同士のコラボであればそこからオフに繋がる可能性があるので問題だが、二人は実の兄妹であると他ならぬ自分たちが証明しているのだからレイラ・エンヴィは自分たちの考えと反するところではない。

 

 やはりジン・ラースとレイラ・エンヴィの関わりを否定する正当な理由はない。その線から攻めるのは無理筋だ。諦めるしかないだろう。

 

 だが現状では他にジン・ラースを弾劾する口実がない。

 

 同期の女性Vtuberとコラボなり絡みなりがあればまだ手はあったが、どうやらそちらはコミュニケーションアプリのIDすら交換していないらしい。それはレイラ・エンヴィの言ではあるが、実際にSNSでもフォローされていないことを踏まえると事実の可能性が高い。これではジン・ラースはもちろん、同期や他の女性Vtuberにも手を出すことができない。

 

 『New Tale』所属ライバーに『ほんとは会ったこととか話したこととかあるんじゃないの?』と、スパチャまでして厄介リスナーを演じてみたが、どいつもこいつも『本当に何も知らない。事務所からは何も聞かされていない』の一点張りだ。全員がコメントを拾うが、全員が何も知らない。何もジン・ラースの弱みに繋がらない。

 

「……もう一度ジン・ラースの前世を探るしかないか……」

 

 女性Vtuberしかいない『New Tale』に所属している、の一点だけではジン・ラースは揺るぎそうにない。このままではレイラ・エンヴィとのコラボを通して着実にファンを獲得して地盤を固めるだろう。

 

 ジン・ラースの立ち位置が盤石なものになる前に『New Tale』にいられない状況に追い込まなければいけない。

 

 過去に配信活動をしていたことは確実だろうから、まずは前世を特定するところからだ。前世のジン・ラースを特定し、現在のジン・ラースと結びつけ、問題を提起する。発言についてでもいい。女性関係でトラブルがあれば特にいい。最悪なんだっていい。一つでも、どれだけ小さな瑕疵であってもそこから如何様にも広げていける。

 

 一昔前であれば特定はまだ容易だっただろうけれど、現代はゲーム配信に適したプラットフォームはいくつもある。一つ一つ探していくのは骨が折れるが虱潰(しらみつぶ)しに調べていけばいずれ見つけ出せるはずだ。FPSの腕と特徴的な声質が、探す手間をいくらか省いてくれるだろう。

 

「必ず見つけ出す……ん? メッセージ……」

 

 ふだんはグループ全体に送られるが、これは自分個人宛だ。差出人は、ジン・ラースを攻撃しても変化がないからと言って最近レイラ・エンヴィを攻撃し始めたメンバーだ。レイラ・エンヴィへの攻撃は自分たちの大義から外れる、と何度も忠告しているが、聞く耳を持たない直情的なメンバーである。

 

 メッセージの冒頭はジン・ラースへの危機感だった。『このままではジン・ラースは界隈のリスナーに受け入れられてしまう。我々が危惧していた悲劇が再び引き起こされてしまう。どうにかジン・ラースを排除しなければいけない』という内容だ。

 

 次いでジン・ラースの手堅さに言及していた。『付け入る隙を見せない。失言のなさは顕著である』と。

 

 ここ最近ではVtuber関連の匿名掲示板やSNSなどでジン・ラースとレイラ・エンヴィの名前が良い意味でも悪い意味でもよく挙がっている。その結果、配信を観に行く人間が増え、二人のトークやプレイングに魅了され、そのまま登録者数に結びついている。二人とも爆増しているが、とくにジン・ラースが新人の男Vtuberとは思えない推移で伸びている。

 

『これ以上悠長にしている暇はない。ジン・ラースが弱みを見せるまで放置していては手遅れになる。少々手荒でも手を打つべきだ。付け入る隙がないのなら、その隙を作るしかない。捏造するのも一つの方策だ』

 

 そう締め括られていた。

 

 その文脈は、これまでどこか悪ふざけ感があるというか、調子に乗りがちなところのあったメンバーとは思えないほど、熱意のあるものだった。

 

 思わずその熱と勢いに流されそうになる。

 

 しかし、それは──

 

「……ねつ、ぞう……」

 

 ──正しい(おこな)いでは、絶対にない。

 

 いくら待っても煙が立たない。ならば火をつけてしまえ。

 

 そんなものは唾棄されるべき卑劣な行為だ。いくら理由があっても正当化されるものではない。

 

 ジン・ラースは排除すべき存在だ。奴の跋扈を許してしまえば、今の界隈にこびりついた悪習は拭い取れない。自分たちのような悲しい目に遭う善良なファンが再び出てきてしまう。この点において、ジン・ラース本人が女性Vtuberと関係を持つかどうか、持とうとしているかどうかは関係ない。ジン・ラースという事例を許してしまうことで自分たちと同様の悲劇が発生しかねない。その可能性が存在することが問題なのだ。

 

 だが、ジン・ラースを糾弾するためだからといって、その罪を自分たちの手で作り上げることは認められるのか。そんなこと、許していいのか。

 

 ぐるぐると頭の中を巡る。自分の掲げる正義と照らし合わせる。

 

 しばらく考え続け、結論を出した。

 

「これは……正しくない」

 

 こんなやり方は認められない。

 

 提案してくれたメンバーには悪いけれど、断ろう。これは却下すべきだ。

 

 そうメッセージを入力しようとした時、続けてメッセージが送られてきた。

 

『後になってどれだけ周りから石を投げられようと、今我々が動かないと我々と同じように生きる希望を奪われる人たちが出てくる。こんなやり方は間違っているが、どれだけ汚いことをしても我々は動くべきだ。あんな苦しみと絶望をもう二度と誰かに味わわせない、それが我々の存在理由なのだから』

 

 そのメッセージを読んで、不意に記憶がフラッシュバックした。

 

 推しが最後にやった配信。謝罪配信になるのかと思っていた、事情を説明するための配信。

 

 その時に受けた苦痛は、今も心に刻まれている。消えることなく、癒えることなく、傷口は開いたままだ。

 

 それからは配信はもちろん、SNSも更新されていない。推しが今どうなっているか、なにをしているか、なにもわからない。切り抜きなどもやっていた自分は他のファンよりも近い位置にいると思っていたけれど、なんの連絡もなかった。

 

 推しを応援することが生き甲斐だったのだ。苦しい毎日を生きる原動力だった。スーパーチャットだけじゃなくてもっと近くで応援したくて動画編集の勉強をした。切り抜きが上がっているほうがいろんな人の目に触れる。チャンネル登録者数の増加に結びつく。SNSでも、ブログでも、こんなに可愛くておもしろいVtuberがいるんだよと宣伝していた。

 

 推しを応援することが、生活の一部になっていた。大好きだった。愛していた。

 

 臆面なく言える。愛していた。

 

 そんな、自分の中でとても大きくなっていた存在を突然失った。

 

 その苦しみ、その痛みは、耐え難いものだった。何も考えることができなくなって、何も手につかなくなった。体の中心に穴が空いて、そこから自分という存在が流れ出ていったような感覚だった。

 

「っ……はぁっ、はぁっ……」

 

 あの時のことを思い返すだけで心臓が痛くなる。発作的に泣き叫びたくなる。時間が経っても空いた穴は塞がってくれない。

 

 こんなつらい思いは、他の人には味わわせてはいけない。絶望の味を知るのは自分たちだけで充分だ。

 

「……やろう」

 

 自分たちが悪と蔑まれたとしても、ジン・ラースは排除する。それが成せれば、他のことも全てうまく行くのだ。覚悟を決めた。

 

 メンバーへ了承の旨を送ると、すぐに返事が届いた。

 

 方針に同意したことへの感謝と称賛の言葉が並べられた後に、計画の内容が綴られていた。

 

 概要としては、推しと繋がった相手の男Vtuberがジン・ラースだったということにする、といったものだった。

 

 推しが配信した動画の一部分を使って編集をして、少し加工したジン・ラースのセリフを切り貼りして繋ぎ合わせ、会話しているように見せかける。

 

 自分たちから推しを奪った件の男Vtuberのほうの配信は、所属していた事務所の意向によってアーカイブ他、関連する動画は削除されつつある。事務所としては可能な限り早く皆から忘れてもらい、残っているメンバーで再起を図りたいのだろう。そうだとしたら、再アップされることはない。件の男Vtuberの音声を聞けなくなるのなら、自分たちが投稿する動画の真偽を確かめることはできなくなる。

 

 ジン・ラースの前世は件の男女Vtuberの片割れで、炎上して続けられなくなったから『New Tale』で生まれ直した、というシナリオだ。

 

 ふつうに考えれば無理がある。炎上してから再デビューまでの期間があまりにも短すぎるし、わりと大きな事務所である『New Tale』があんな屑を入れるわけがない。率直に言って現実的なシナリオではない。

 

 だが論理的で現実的な信憑性なんて二の次でよい。動画というわかりやすい物証を供えてさえおけば、あとは頭の軽い馬鹿どもが勝手に騒ぎ立ててくれる。ジン・ラース本人が何か炎上し得るだけの不祥事を起こしたわけでもないのに『New Tale』からデビューしただけで叩いていたような奴らだ。自己顕示欲と独占欲、所有欲の皮が張ったような愚かな連中だ。よく調べもせずにジン・ラースを非難することだろう。

 

 『New Tale』を箱推ししているリスナーの中には、ジン・ラースを追い出したいと思っている奴らもいる。そういった類の連中ならば、こんな大きな釣り針でも簡単に食いつく。叩くための道具があれば考えもせずに手に取る。錦の御旗でも掲げるように嬉々としてジン・ラースを責めることだろう。

 

 愚か者たちがジン・ラースを叩く様を容易に想像できる。

 

 架空の動画を作ることは悪だ。だが為した悪で更なる大悪を排除できるのなら、それは結果的に正義になるはずだ。一時的に悪を為し、恒久的な正義を成す。

 

「自分たちの理想のために死ね。ジン・ラース」

 

 暗い部屋の中、モニターに映るジン・ラースへ薄く笑みを浮かべた。




悪巧みなう。

次はお兄ちゃん視点に戻ります。


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とても興味がある。

切りのいい長さで分けられそうになかったのでちょっと長めです。
荒らし一掃配信。


 

 しばらくは比較的平和な配信ができていた。

 

 そう、できていた(・・)

 

 もちろんまだ一度たりとも同期の四人や『New Tale』の先輩方とはコラボはおろかメッセージのやり取りすらできてはいないけれど、穏やかで楽しい活動ができていた。

 

 『Island(アイランド) create(クリエイト)』や『Noble bullet(ノーブルバレット)』を礼ちゃんとのコラボで一緒にプレイしたり、一人で違うゲームをやったりもしていた。そうした配信の中でも荒らしの数は初期の頃とは比べるべくもないほどに減少してきていた。

 

 礼ちゃんとコラボしてからの数日は、フィルターやブロックを活用しているにせよ目に見えて減っていたのだ。

 

 だが、ここ最近になって逆行するように爆発的に悪いコメントが増えている。爆発的という表現が過言にならないくらい爆発的だ。コメント欄が爆発しそうなほどに悪質なコメントが届けられている。ここしばらく減少傾向にあったぶん尚更に強烈だ。初配信に匹敵するほどの数である。今は初配信と違ってフィルターをかけているので字面的にはまだ優しいが、印象としてはさほどの違いはない。フィルターをくぐり抜けられる程度の汚い言葉を使ったり、コメントを連続で投稿したりするなどしてせっせと妨害行為に励んでいる。

 

 僕は真っ当なリスナーさんたちのコメントが見辛くなるし、リスナーさんはそういう荒れたコメント欄を見ると不快な思いになることもあるだろう。リスナーさんをお迎えする立場の義務として荒らし行為をするユーザーにはブロックなどの対応を取ってはいるけれど、アカウントをいくつも用意しているのか、それとも荒らし行為をするユーザーの母数が膨大なのか、いくら措置を講じても効果が表れない。

 

 なぜこうも急激に荒らし行為が再燃したのか。

 

 それにはもちろん理由があった。

 

「あんな動画を信じる人が本当にいるんだなあ……」

 

 四日前のことだ。

 

 とある動画が、オンライン動画共有プラットフォームに投稿された。

 

 それは、おそらくVtuberの歴史に名を刻むことになるだろう規模の炎上騒動を引き起こした件の男女Vtuber、その片割れである女性Vtuberが以前に配信した動画を切り抜いた動画だった。

 

 ただの切り抜き動画であれば問題はなかった。本人はもう引退したのになぜ今さら投稿するのか、という疑問を置いておけば何も支障はなかった。

 

 問題は、その切り抜き動画に僕が登場していることだ。

 

 念のためここで一つ注釈を入れるのだけれど、もちろん僕は件の女性Vtuberさんとお仕事をご一緒したことは一度もない。というよりも、僕がデビューした頃にはすでにいなくなっていたのだ。ご一緒する機会など存在しない。

 

 正直なところ、ここまですると思わなかったし、ここまでできるとも思わなかった。まさか動画媒体で仕掛けてくるというのは想像を超えていた。初めて動画を視聴した時なんて、驚きのあまり『おお……』と感嘆なのか驚愕なのか自分でもよくわからない声が漏れたくらいだ。

 

 件の女性Vtuberの切り抜き動画から、自分の声が聞こえる。僕は彼女とご一緒した記憶はない。なのにその切り抜き動画では、僕と彼女が和気藹々(わきあいあい)喋々喃々(ちょうちょうなんなん)とゲームをしている。

 

 初見時はとてもびっくりしたけれど、別にこれはオカルトでもミステリーでもホラーでもなんでもない。なんならマジックに近い。最初のインパクト自体は強いけれど、種がわかると単純な話だ。

 

 骨子はもちろん、件の女性Vtuberの動画だ。その動画ではリスナーに声をかけているというよりも誰かと会話をしているようなセリフが多いので、誰かとのコラボ配信だったと思われる。要はそのコラボ相手が喋るところで、僕が配信中に発した言葉を切り取って貼り付けることで彼女と僕が会話しているように装った、ということだ。

 

 正直、アイデア自体は考えつきはする。ただ普通は考えついても実現できない。言うほどに簡単なことではないのだ、観ていて違和感を覚えないほど自然に繋ぎ合わせるというのは。

 

 巧みに編集する技術力と、細かくて時間のかかる作業を厭わない根気が必要になる。権利関係を誤魔化すためか、僕の声に若干の加工までするあたり芸が細かい。

 

 そうやって偽装した動画を投稿したのは、件の女性Vtuberの配信の切り抜きも作っていた熱心なファンだった人だ。囲いと呼ばれるレベルの熱心なファンだった人たちが集まってグループを形成し、組織的に荒らし行為を働いているのだ。

 

 ここ最近の荒らし行為の過激化は、その荒らしグループが自分たちが投稿した切り抜き動画を情報ソースとして使って『ジン・ラースの前世は件の男性Vtuberである』と吹聴していることで起こっている。

 

 僕からすれば、というかまともな知性を持つ人間であれば『そんなわけあるか』の一言で一蹴される与太話でしかないのだが、なぜか荒らしグループの言を信じる人たちもいるから驚きだ。

 

 ジン・ラースを『New Tale』から排斥したがっている人たちがその与太話を利用するために信じている体をとっている、というのならまだ理解ができる。ジン・ラースと件の男性Vtuberは同一人物ではないと本当はわかっていながら、それはそれとしてジン・ラースを叩くための棒代わりにはなるから利用しているだけ、というのならまだ僕も理解できたのだ。

 

 だけれども驚くべきことに、それ以外の一般リスナーまで荒らしグループのでたらめな言い分を信じ始めているのだから頭が痛い。

 

 この驚愕すべき状況の背景には、不運な行き違いもある。

 

 件の男性Vtuberが企業勢だったことは周知の通りだが、彼が所属していた事務所が起死回生の一手として彼の出ている動画を削除しているのだ。それは彼の配信したアーカイブに限らず、コラボであったり切り抜き動画であったりと、とりあえず件の彼が出ている動画は(あまね)く削除を要請しているようだ。事務所としては、彼が在籍していた痕跡を全て綺麗に消し去ることでさっさとリスナーから忘れてもらう、というのが目的なのだろう。

 

 コラボ相手としても、件の彼と関わっていたということだけで炎上させられかねないので削除要請には従うだろうし、切り抜き動画などに関しても元動画の権利は彼、ひいては所属事務所に帰属する。削除要請を受ければ対応しないといけない。

 

 そんなこんなで今現在、件の男性Vtuberの声は、かなり努力して電子の海の底からサルベージしなければ耳にできない状態になっている。

 

 それがどういう結果を招くのか。

 

 荒らしグループが投稿した捏造動画での声と、件の男性Vtuberの声を聴き比べようとしてもできない、という状態に陥るわけである。

 

 そのため荒らしグループの大勢が、証拠として捏造された動画を取り上げて『件の男性Vtuber=ジン・ラース』という図式を強引に押し出せば、比較できない人たちはその勢いに流されて荒らしグループの言い分を鵜呑みにしてしまう。

 

 ということなのだろうか。いや、そうはならないでしょ、としか僕は思えないのだけれど。

 

 一般リスナーの判断力を嘆くべきなのか、それとも件の男性Vtuberの動画があらかた削除されるタイミングまで待ってから捏造動画を投稿した手腕を讃えるべきなのか。

 

 そういった運命の悪戯的な背景があるにしても、あの矛盾だらけの捏造動画に騙されるのはおかしいと思う。

 

 なにせ、男女Vtuberの炎上騒動が激化、というか火に油を注いだ報告配信をしたのが、僕のデビューの数日前なのだ。そんな短期間で新しくデビューする準備など整うわけがないし『New Tale』が現在進行形で問題を起こしている人間を加入させるわけがない。

 

 なんなら『New Tale』が四期生の募集をしていた時期は、最初期の炎上騒動よりもずっと前になる。明らかに時系列が狂っているのだ。

 

 それに誰か、例えば件の男性Vtuberのリスナーだった人ならアーカイブなり切り抜きなりを保存している人だっていただろう。その人が動画をアップしてしまえばそれだけで破綻する計画だ。まあアップされれば件の彼の事務所が速やかに消してしまうだろうけど。

 

 時間をかけて僕の配信と捏造切り抜き動画を見比べれば、配信での発言が捏造切り抜きに使われていることにもすぐに気づける。

 

 なのに『件の男性Vtuber=ジン・ラース』という図式を信じている層が一定数存在する。これには首を傾げざるを得ない。とても不思議だ。多くの人は、捏造切り抜き動画が本当に正しいのかどうかなんて、調べたりはしないのだろう。

 

 なにより恐ろしい、いや(おぞ)ましいのは、荒らしグループのメンバーたちがまるで魔女狩りかのように、SNSやブログなどで正論を主張している人や常識的な発言をしている人たちを集団で叩いていることだ。

 

 ひとたびジン・ラースに対して肯定的、あるいは中立的、擁護するような感想を述べれば、そのアカウントに頑固な汚れの如く張りついて誹謗中傷の限りを尽くす。そんなことが繰り返されれば、心の内でどう思っていようが無用なトラブルを避ける為にジン・ラースに対してまともな感想を述べる人がいなくなる。代わりとばかりに荒らしグループによるネガティブな意見ばかりが発信されることとなり、それがジン・ラースの全体的なイメージに繋がってしまう。

 

 イメージの悪化。それが荒らしグループの目的だ。

 

 ジン・ラースを知らない人や無関心だった人がそういったネガティブなコメントばかりを目にすれば、ジン・ラースは炎上しても仕方のない奴なのだと勘違いする人も今後出てくるかもしれない。かもしれないというか、爆発的に荒らし行為が増加している近況を(かんが)みると、実際にもう出ているのだろう。『New Tale』のスタッフさんで手隙の方が、僕の配信で投稿されるコメントや悪質なアカウントにブロック措置するなどモデレーターを務めてくださっているけれど、人の手では追いつかないほどに荒らしコメントが急増している。

 

 諸悪の根源たる捏造動画に対処しようと『New Tale』が削除依頼をしているが、それも通るかはわからない。大本は件の女性Vtuberの配信動画から切り抜いたもの。文句を言える筋合いではない。ジン・ラースの音声を無断で使ってはいるけれど、加工されているので権利の面で認められるかというと微妙なラインだ。

 

 権利云々で通らないのならば誹謗中傷の被害に遭っているという切り口から削除依頼を出せばいいのではと『New Tale』の人たちも考えていたけれど、その切り抜き動画自体はジン・ラースに対して誹謗中傷等の表現をしているわけではない。ここがネックだ。

 

 その動画自体は、件の女性Vtuberがジン・ラースと思しき男性と仲睦まじくお喋りしている風の切り抜き動画なだけなのだ。ジン・ラースへの悪口が出てくるわけではない。ジン・ラースとの関わりなど仄めかされてもいない。ジン・ラースを炎上させるように煽ることもしていない。ジン・ラースの名前など一秒たりとも表示されていない。その動画自体には、一瞬たりとも、一言たりとも。

 

 切り抜き動画を観た人間が勝手に『この相手はもしかしてジン・ラースなのでは?』とイメージを膨らませて『やはりジン・ラースが悪かったのだ』と誤解して『悪い奴は叩くべきだ!』と暴走しただけだ。

 

 非常に巧妙な手口だ。いやはや絶妙な塩梅だ。その点で言えば完敗だ。投稿者は一切直接的に教唆することなく、これ以上ない成果をあげた。

 

 動画をでっち上げる技術、上げられた動画を広める情報拡散能力、時には論調を対立している風に装って耳目を集める荒らしグループの連携。事前にしっかりメンバー間で周知していて、周到に準備していたからこそできる芸当だ。

 

「んー……どうやって捌こうかな……」

 

 僕としてはそんな流言なんて意に介さないのだけど、僕の身辺状況を知って心身を気遣ってくれている人たちはいてくれている。礼ちゃんも夢結さんも、夢結さんの妹さんの寧音さんも、『New Tale』のスタッフさんたちも、なんならSNSを通じて連絡先を交換した少年少女さんも心配してくれているのだ。なるべく早く安心させてあげたい。

 

 ただ、対処するにしてもSNS上で僕が『あれは捏造されたものです』などと発信したところで意味はないだろう。中途半端に反論すれば、かえって荒らしグループを増長させかねない。

 

 迂遠な言い回しでは効果がないどころか逆効果。真正面から反証を突きつけて説き伏せるのが効果的だ。

 

 少々強行的になるけれど、荒らしグループにはそろそろご退場願おう。ラインを見誤ったつけは払わなければいけない。

 

 事あるごとにこんな(いさか)いが発生していては、リスナーさんたちが安心して視聴できなくなってしまう──という理由もあるにはあるけれど、僕が今回大々的に根絶しようと考えた主な理由は別にある。

 

 礼ちゃんのことだ。

 

 なんならメインの理由はそれがすべてであって、他の理由なんていうのは後付けのようなものでしかない。

 

 本来ならば、今やっている対応以上の措置を講じるつもりもなかった。このまま時間をかけるつもりだった。

 

 しかし礼ちゃんにまで累が及ぶのなら、もう悠長にしていられない。野放しにしておくような情けもかけられない。事ここに至ってしまえば、もう手を(こまぬ)いてはいられない。

 

 時間をかけすぎた僕の不手際だ。絶対的なまでに礼ちゃんの安全が確保されるよう、危険を排除しなければいけない。

 

 下準備は済んでいる。だから、あとは各所への根回しだ。

 

「まずは『New Tale』側、安生地さんに話を通しておいて……あとは父さんに連絡を取っておかないとね」

 

 

 

 

 

 

「いつも観に来てくださっている方は本日もお越しくださりありがとうございます。ただ今日は楽しい配信にはなりそうにありませんので、その一点のみご了承ください。今日初めて来ましたという方は、お会いできて光栄です。『New Tale』所属、四期生にして悪魔のジン・ラースです」

 

〈がんばって〉

〈消えろ〉

〈このたびは引退おめでとうございます〉

〈ニューテイルから出て行けよもう〉

〈いる意味ねぇって〉

〈やめてくれたら一番嬉しいです!〉

〈今日はいい日になりそうだな〉

〈荒らし多すぎだろ〉

〈あらしが消えろよ〉

〈Vtuberやめろ〉

〈信者必死で草〉

〈負けんな兄悪魔〉

 

 これまでかけていたブロックやらフィルターやらをすべて外したコメント欄には、想像通りに過激な文言が並んでいる。最近はかなり減っていたため、この光景は懐かしくもある。

 

 ただ、擁護するようなコメントが初配信の時よりも多く見受けられる。想定していた数を超える応援の言葉が届けられているのは、これまでの活動の成果と考えていいのだろうか。だとしたらこれほど嬉しいことはない。

 

「SNSのほうでもお知らせはしましたが、本日の配信は予定を変更いたしまして、最近巷を騒がせている悪質な切り抜き動画の件について、なるべく端的に疑惑の否定と諸々の迷惑行為への対応方針についてお話ししようと考えております。誤解されている方も多くお越しになられていると思いますのでね、ここで誤解を解いておきたいですね。今回の配信を一つの線引きにするつもりですので、そのおつもりでご視聴ください」

 

〈そのまま一線をしりぞいててくれていいぞ〉

〈出ていってくれ〉

〈頑張れ〉

〈女孕まして逃げたくず〉

〈どんな顔して配信してんだ〉

〈応援してんぞ〉

〈謝れよ〉

〈平然と続けんな〉

〈脅しか?〉

〈コメント欄見なくていいよ〉

〈反省とかないの?〉

〈ばれたことについて言うことないのか〉

〈まず謝罪からだろ〉

 

「それではさっそくやっていきますね。まずはやはり件の切り抜き動画について、でしょうか。気になっている方も多くいらっしゃるようですしね。まずはそこをはっきりさせておきましょう。あれは完全に捏造です。配信で発した僕のセリフを貼り付けた捏造動画です。とてもお上手でしたので勘違いしてしまうのも無理はありませんけれどね」

 

〈無理矢理で草〉

〈言い訳してんなよ〉

〈配信追ってればすぐ気づくんだよなぁ〉

〈さっさと謝罪して反省してりゃひどくならないのに〉

〈はい炎上です〉

〈逃げられないぞ〉

〈リスナーは全員わかってる〉

〈騙される奴とかいねえよなあ!〉

〈現実見えてないですね残念です〉

〈お前の声だっただろうが低脳が〉

〈さっさと謝ってNTから消えろぼけ〉

 

 捏造だ、と伝えたところで荒らそうとしている人は決して認めないだろうし、荒らしグループの工作活動に騙された人は信じられないだろう。

 

 実際に切り抜き動画の中だけでなら件の女性Vtuberと僕が話しているように見えるのだ。動画というわかりやすい証拠と、当事者である僕の言葉の上だけの否定では、どちらに信憑性があるかなど瞭然だ。

 

 だからこそSNSなどでは言及しなかった。

 

 言葉だけでは疑いを晴らせないとわかっていたからこそ、わざわざ配信を使って説明の時間を取っているのだ。何も用意していないわけがない。

 

「ええ、わかりますよ。あれは捏造だ、なんて口だけで言っても信用はないでしょう。なので件の切り抜き動画をお借りして比較検証しようと思ったのですが、そちらは許可が下りなかったので実際にこの場で流すことはできません。仕方がないので切り抜き動画で使われている僕のセリフがいつの配信のどの部分で発言されたのか、わかりやすく提示することといたしましょう。比較は人間様ご自身で切り抜き動画をご覧になっていただけると幸いです」

 

 本当なら配信画面上に切り抜き動画と僕のアーカイブの動画を並べ、一緒に音声を流したほうが一目でわかりやすくはあったのだけど、切り抜き動画の投稿者に連絡を取ったところ予想通り断られたのでこの方法とあいなった。

 

 切り抜き動画の投稿者は荒らしグループに所属している人物だ。こちらに利のあることはしない。そのくらいは織り込み済みだ。問題はない。

 

「確認しやすいように、切り抜き動画内での発言をまとめておきました。鉤括弧(かぎかっこ)内がセリフ、その下に書かれているのが僕が発言した配信の日付と配信内の時間です。こうして表にして見てみると、いろんな配信から一つ一つ会話に沿うようなセリフを抜き出していることがわかりますね。僕の配信を熱心に視聴されていることがわかります」

 

〈は?〉

〈だからなんだよ〉

〈配信で同じ発言してたからって無罪にはならないぞ〉

〈さっさと謝れ〉

〈はやくやめろ〉

〈言い訳すんなよ見苦しい〉

〈素直に認めれば傷は浅いのになぁ〉

〈これで理解できないやついるのマジか〉

〈切り抜きのほうは元配信と言われているほうのBGMが聞こえない。あの場でジン・ラースが発言しているようにしか思えないんだが〉

〈配信する資格ないよお前〉

〈あの妊娠した女は捨てたんですかー?〉

 

 かなり流れの早いコメント欄の中、とても良い質問を見つけた。やはりちゃんと視聴している人もいるにはいるらしい。

 

「BGMが聴こえない、という部分ですね。僕もそこはどうやっているのだろうと不思議に思いました。僕の発言中には配信で流れていたはずのBGMが、切り抜き動画内では聴こえない。調べてみたらわかりました。よく作り込まれていましたね。素晴らしい技術をお持ちの方が動画を編集されたようです」

 

 動画内の一部の音声を聞こえなくさせる方法はいくつかある。

 

 最初は僕側の音声を最低限まで小さくしてエフェクトをかけて誤魔化しているのかとも思ったけれど、それにしては僕の声がクリアだった。どうやっているのだろうといくつか方法を模索して、ノイズキャンセリングと似た要領なのでは、と見当をつけたのだ。

 

「皆様は逆位相、もしくは逆相という言葉をご存知でしょうか? マイクや、近頃はイヤホンでも取り入れられているノイズキャンセル機能にも使われていますね。あれは取り込んだノイズの位相に逆の位相を合わせることで音を感じないようにしています。それと同じように、動画内のBGMの位相に逆相を混ぜて音を消していたようですね。お借りしているBGMは毎回概要欄に記載していますし、難しくはないことでしょう。根気は必要でしょうけれども」

 

〈面倒なこと言ってんじゃねえよ〉

〈消えろ消えろ消えろ〉

〈話通じないのかお前〉

〈位相の反転か、理解した。感謝する〉

〈声きもいよ〉

〈そんな方法があるんだ〉

〈ノイキャンのイヤホン使ってるわ〉

〈言い訳必死で草〉

〈見てて哀れだよお前〉

 

 位相反転によるノイズキャンセリング。それを使えばBGMだけを消して僕の声だけを抽出することはできる。でもそんな方法があると示しただけでは納得はしないだろう。話しただけで理解できない人もいるかもしれない。ここは実践して見せたほうが早い。

 

「では実際にどんなふうになるのかやってみましょう。ということで、事前に録音しておいた音声ファイルがここにあります」

 

〈料理番組みたいになってきたw〉

〈用意がいいw〉

〈だからなんだよ〉

〈いいから謝れよ〉

〈お前が悪いのは変わらないが?〉

〈お前が消えてくれるだけで丸く収まるよ〉

〈ぐだぐだうるせえって〉

〈謝罪会見はまだですかーー?〉

 

 前もって用意しておいた音声と編集ソフトを配信画面上に載せる。音声に含まれているBGMを波という視覚的にわかりやすい形にして、ここから作業を始める。

 

 同じ音声ファイルを新しいトラックにもう一つ、今度は上下反転させて乗せる。これで位相の反転はできた。

 

 さっそく音声ファイルを再生させてみる。

 

「はい、音は聞こえませんね。要領としてはこういうことです。真逆の音の波をあてることで相殺する。ただ、これだと僕の声も消えるので、残すためにはフリーで提供されているBGMから必要な箇所をくり抜いて当て嵌めなければいけないんです。タイミングと音量、どちらも完璧に合わせなければ音がちゃんと消えてくれないので動画を編集した方は苦労したかと思います」

 

 ちなみにこれは僕の声を綺麗に切り取るまでの作業だ。ここから女性Vtuber側の切り抜き動画で流れているBGMを途切れないように始点と終点を繋ぎ合わせなければならない。気の遠くなるような作業だ。技術に加えて根気が必要なのはこういうことだ。

 

 その作業量を考えれば、このようななんの利益にもならないことをやろうだなんて思えないはずだが、動画を編集した人物はやり切った。その執念にはもはや感心する気持ちさえ抱いている。

 

「ということで、話題になっている切り抜き動画が捏造であることを証明するお話でした。これでご理解いただけたかと思います。あの捏造切り抜き動画が、技術と根気と悪意で作られているということが」

 

〈まじで捏造やったんか〉

〈そうやって作ることもできるってだけだろ疑いは晴れてねえよボケカス〉

〈本物かと思ってた〉

〈dからなんだyお前の詰みはきえないぞ〉

〈女妊娠させて捨てたクズ〉

〈誤魔化されてる馬鹿多くて笑うわ〉

〈早くやめたほうが家族のためだぞ〉

〈荒らし焦ってて草〉

〈誤字りまくってる奴おるなあw〉

〈効きまくってるじゃん〉

〈やめなかったら妹さんがどうなるかわからないよ?〉

 

 捏造切り抜き動画についての言及は終えた。

 

 ここからは対処についての注意だ。一度くらいは警告を発しておいてもいいだろう。それで改められるのであれば、そのほうが両者にとって良いことだ。

 

 まあ、一部の人間に対しては事後報告になるのだけれど。

 

「それではお次は迷惑行為の対処のお話でもしましょうか。……正直なところ、炎上や荒らし行為を僕にするだけであれば放置していたのです。僕はそういうコメントに対して感情を刺激されることがないので、少々手間ではありますけれどフィルターやブロックなどの対応を取るだけで終わらせていました。でも、もう僕だけの話で済まなくなってしまったのですよ」

 

 僕一人に対してだけ誹謗中傷行為を働くのであれば、別に構いはしなかったのだ。

 

 この世の中にはいろんな人がいる。倫理観や常識を欠如している人だっている。善悪の区別をつけられなかったり、やっていいことと悪いことの境界線が見えない人もいる。自分の目的のためなら他人には何をしても構わないと考えている人がいることも、僕は理解している。

 

 そんな人間からどんな言葉を送りつけられようと響かない。精神的に追い詰められたりしない。何も感じられない。

 

 気にならないのではない。

 

 気にかけることができないのだ。

 

 問題は、騒動が僕一人の範疇では収まらなくなったことだ。

 

 礼ちゃんにも火の手を伸ばしたことが、僕を決心させた。時間をかけるという穏便なやり方を諦めさせた。愚か者はどこまでいっても愚か者でしかないのだなと、僕に痛感させた。

 

「礼ちゃんに犯罪予告とも取れる文言を送り付けた人間がいました。ただでさえ僕が炎上させられたことを気に病んでいたところにそのような脅迫があったわけです。配信上でも普段の生活でも気丈に振る舞ってはいますが深層心理で恐怖があるのでしょう、夜一人で寝ていると悪夢に魘されるようになりました。僕にだけならまだしも、関係のない礼ちゃんにまで矛先を向けるのは……こればかりは看過できない」

 

〈お、効いてたんか?〉

〈妹も関係者だろうが〉

〈目開くんだ〉

〈無関係じゃねえよ〉

〈箱に手引きした責任がありますよね?〉

〈お嬢が……〉

〈開眼かっけぇなおい〉

〈マジかよやりすぎだろ〉

〈お前がやめない限り続くだろうな〉

〈なんで被害者ヅラしてんだ〉

〈俺が不快だからずっと続けるよ^^〉

 

 荒らしや眷属リスナーと思しきコメントの他に、よくわからないコメントがあった。目を開いた、というような主旨のものだ。

 

 何について言っているのかと思って別画面に表示しているジン・ラースの立ち絵を見てみると、リスナーの言う通りいつも胡散臭(うさんくさ)げに閉じられている瞼が開いていた。

 

 闇を感じさせる暗さがあるのに、どこか輝かしい赤の虹彩。その双眸が露わになっていた。

 

 『New Tale』の母体がフェイストラッキング技術の高さで名高いので、特殊な設定が埋め込まれでもしていたのだろうか。なぜ瞼が開かれたのかわからないが、とりあえず今は本題に関係ないので放置しておく。

 

 礼ちゃんについてのほうが百倍重要だ。

 

「……なので、弁護士の先生と相談し、発信者情報開示請求と被害届の提出を行いました。法整備も進んでおりますので一昔前よりも速やかに対応がなされることでしょう。証拠は保存しておりますので、脅迫あるいは威力業務妨害等で被害があったことを訴えることになりますね。刑事事件として起訴されるかはまだ判然としておりませんが、少なくとも民事訴訟は確定しております。すでに脅迫と捉えられかねないコメント及び文章をネット上に発信している人間は裁判に向けて準備を、それに近いコメント及び文章をネット上に発信している方は今後お控えになることをお勧めします」

 

〈は?〉

〈できるわけないだろ〉

〈脅しか?〉

〈妥当で草〉

〈開示請求きた!〉

〈ニューテイルもやるって言ってたしな〉

〈残当〉

 

 あまりに僕が失言や暴言などの弱みや隙を見せなかったので痺れを切らしたのか、近頃は『New Tale』を辞めないと危害を加える旨のコメントやSNSでの発信が増えていた。それが僕にだけ送られるのならなんら困ることはないけれど、礼ちゃんにまで、である。

 

 そういった脅迫の後、実際に行動に移すことなどほぼないとは思っているけれど、万が一ということがある。可能な限り礼ちゃんと一緒にいられるようにしているが、僕が横にいないタイミングを狙われないとも限らないし、なにより常に警戒し続けるのは無理がある。脅迫してきた人間を警察に捕まえてもらったほうが礼ちゃんも安心できるだろう。

 

「いい機会なのでここで話しておきますと、捏造動画の件に関わっている人間に対しても開示請求を検討しています。調べたところによると、集団で組織的に誹謗中傷行為をしているようです。さすがに動画を捏造して証拠だと言い張ってまで誹謗中傷を行うというのは目に余ります。再生数もなかなかのものでしたし、ちょうど誹謗中傷や脅迫コメントも、捏造動画の投稿時期を境に明らかに増えましたので少なからず影響は及ぼしているのでしょう。明らかに名誉を貶めることを企図した動画ですからね。対応しないというのはもはや、こちら側の怠慢とも言えます。もちろん対応させていただきますよ、ええ。法的に」

 

〈秘境だろ〉

〈すぐに訴えるのはどうなんですかね〉

〈冗談理解できないとか友だち少なそう〉

〈荒らしがいまさら慌ててる〉

〈秘境は草〉

〈個人の感想でしかないのに〉

〈卑怯とかどんな顔してたら言えるんだよ〉

〈悪うざけに対して顔真っ赤にしえ訴えるとかガキかよ〉

〈すぐにそんなことできるわけないだろ〉

 

「……匿名であることを盾に大勢で一人の女の子に誹謗中傷する行為は卑怯ではないと? 犯罪予告は悪ふざけで許されることですか? 冗談で済まされるラインを理解できていないのはどちらでしょうか? 個人の感想で収まる内容であれば問題ありませんが、意見や感想と誹謗中傷は別物です。そしてそれらを判断するのは、あなたではありませんね」

 

〈ど正論で草〉

〈あーすかっとするー〉

〈荒らしくん息してる?〉

〈震えて待ってろよ〉

〈全員に開示請求は現実的じゃない〉

〈絶対に無理〉

〈表現の自由を知らないのかな^^〉

〈謝罪したほうがいいんじゃないの?〉

〈怖くなってブラバしてる奴多すぎw〉

〈逃げ出してる奴おるなあw〉

〈表現の自由への侵害〉

 

「表現の自由に触れている方もいらっしゃいますね。たしかに表現の自由によって個人の考えを主張する行為は認められておりますが、それは他者を攻撃する免罪符にはなり得ません。場合によっては制限されることもあるということを、表現の自由という憲法を知った時に学んでおくべきでしたね。他者の人権を侵害しても表現の自由だと言っておけば許されるなどと思わないことです」

 

 とはいえ、コメントでもある通りに誹謗中傷してきていた人たち全員に開示請求するというのは確かに現実的ではない。なんならこちらもやるつもりはない。一番目立っている、かつ、悪質なケース──つまり礼ちゃんを攻撃してきた人にターゲットを絞るつもりでいる。馬鹿正直にそう説明してしまえば、根拠もなしに自分は安全だとたかを括って反省しない人も出てきそうなので口には出さないけれど。

 

「一度纏めますね。一つ、犯罪予告をした人間には、すでに被害届と発信者情報開示請求を行っています。こちらの方々は……そうですね、裁判の準備を進めつつ書面が届くのをお待ちください。二つ、捏造動画の制作者と、それをまるで真実かのように取り上げて誹謗中傷行為をしていた荒らしグループの方々は、反省文の投稿と今後誹謗中傷行為をしない、この二つをお約束していただきましょう。この配信を見ていただいていたのかアカウントを削除してらっしゃる方もいますが、消したところで逃げられるものではありません。反省の意思を示す手段がなくなればそれこそ開示請求を避けることができなくなりますので、迷っている方はアカウントの削除はしないほうがよろしいですよ。三つ、その他SNSやコメント欄で誹謗中傷をした方につきましては、今後誹謗中傷行為をしないのであれば、こちらからアクションを起こすつもりはありません。法的措置には出ませんが、かといって『ここまでなら許されるんだ』などとは考えないでくださいね。次は今回のように事前に忠告はしません。粛々と法的措置の手続きに入ります。お気をつけください。今視聴してくださっているリスナーさん全員にご理解いただきたいのですが、誹謗中傷行為は犯罪です。投稿した内容によって名誉毀損や侮辱であったり、脅迫、威力業務妨害、強要などの罪に問われます。自分の中から外部へと発信する前に一度深呼吸して、相手を傷つける内容ではないか、法に抵触するような内容ではないか確認しましょう。言葉は一度出してしまうと引っ込めることはできません。僕を含め、インターネットを利用している全員で気をつけていきましょう」

 

〈そうだな〉

〈すいませんでした〉

〈かっとなってやばいこと書くなってこった〉

〈他人事じゃないしな〉

〈同接ばか減ってて草〉

〈自覚あるんならやるなよなー〉

〈まずあんな捏造信じるか?〉

〈そもそも炎上にしたって兄悪魔に非はないんだが〉

〈荒らしは一言謝ることもできないのかよ〉

〈みんな逃げてて草〉

 

 捏造動画の件も開示請求の件も、こちらができる最大限の注意勧告はした。これでもなお、誹謗中傷なり犯罪予告なりを続ける人にはもう斟酌(しんしゃく)も容赦も不要だろう。

 

 だいたいの説明はできたことだし、なんだかんだでいい時間になった。今回の配信はこのあたりでお終いとしよう。

 

「できる範囲での報告は以上なので、そろそろ配信のほう終了いたしま……ん?」

 

 そろそろお別れの挨拶に入ろうかと思った矢先、コメント欄に投稿された長い文字列に目が止まった。

 

〈本当にすいませんでした。今は馬鹿なことをしたと後悔しています。本当に反省してます。すいません。でも俺も騙されただけなんです。仲間の一人に唆されたんです。動画を作った奴にこれが証拠だといって捏造された切り抜きを見せられたんです。それを本物だと思い込まされて騙されたんです。騙されて荒らすように誘導されたんです。俺たちも被害者なんです。お願いします許してください〉

 

 長々と謝罪の体裁を取り繕っただけの言い訳と責任転嫁のコメントだった。一緒になって荒らしていたグループの仲間を売る、なんとも見苦しい上に非道な内容だ。仲間である動画制作者に罪を全て着せようとしている。

 

 はいそうですか、となるわけがないのは本人が一番わかっているだろうに。

 

「長文でコメントを送ってくれたあなた。あなたのアカウントはちゃんと覚えていますよ。覚えるほどにコメントしていただいていましたからね。そんなあなたに一つ、アドバイスしましょう。反省している、後悔している、という姿勢を相手に示したいのなら、自分も被害者なんだ、などというような文言は付け加えないほうがいいですよ。反感を買われる場合が多いでしょうからね」

 

〈荒らしびくびくで草〉

〈反省してるやつは被害者面しないだろ〉

〈騙されたは無理がある〉

〈開示請求されたくないだけなのが見え透いてる〉

〈逆に清々しいくらい見苦しいなw〉

〈草〉

 

 長文謝罪コメントを送ってきた人のことはすでに全て調べがついている。わざわざ自分で『自分はジン・ラースにこんなこと言ってやったぜ』みたいなことをスクリーンショット付きで報告していた。虚栄心や自己顕示欲、承認欲求の強い人なのだろう。

 

 顔も知らない赤の他人を傷つけ貶めることに罪悪感を一欠片たりとも抱いていないような内容ばかりを投稿していて、荒らしグループで唯一SNSのアカウントを削除して逃げ(おお)せようとした人だ。ある意味で、僕がこうして法的措置に訴えるきっかけになったキーマンと言えるだろう。

 

 こいつなのだ、SNSで礼ちゃんへ誹謗中傷や犯罪予告の文言を送りつけていた愚か者は。

 

「そしてなにより、あなたにはすでに発信者情報開示請求と被害届の提出を済ませています。誹謗中傷もそうですが、犯罪予告はどうあってもやりすぎなんですよ」

 

〈お嬢大丈夫なん?〉

〈荒らしってかシンプルに犯罪者〉

〈妹悪魔心配だわ〉

〈お嬢……〉

 

「リスナーの皆様、眷属の皆様には不安にさせるようなことを言ってしまい申し訳ありません。礼ちゃんは大丈夫ですのでご安心ください。僕が隣についているとゆっくり眠れていますから、ご心配には及びません。礼ちゃんの配信にお越しの際には気にせずにお楽しみくださるようお願いします。礼ちゃんもそのほうが嬉しいと思いますので、心配かとは思いますが礼ちゃんの配信ではそういった内容のコメントはお控えください」

 

〈わざわざ蒸し返すこともないか〉

〈楽しむことが応援になる〉

〈眷属ならお嬢を心配させるようなことしないようにしないとな〉

〈なんだよ謝ったら許してくれるんじゃないのかよ嘘かよそっちこそ犯罪者じゃねえか脅迫の罪で訴えるからな覚悟しとけよボケ〉

〈お嬢が話題に出すまでは黙っとこう〉

〈荒らしまったく反省してなくて草〉

〈フリにしてももう少し頑張れよ〉

〈まだおったんか荒らし〉

〈小学生でももうちょい賢い立ち回りできるぞ〉

 

 謝罪と反省があれば許すと言ったのは、僕に誹謗中傷行為をしていた荒らしグループの人間に対してだけ。礼ちゃんに誹謗中傷や犯罪予告をした人間に対しては、開示請求と被害届を出しているということは先に伝えていたはずだけれど、この人は話をちゃんと聞いていなかったらしい。

 

 なんであれ、形ばかりの反省すらしないこの人に同情する必要はなさそうだ。

 

「ちょっと長引いてしまいましたが、今度こそ終わりますね。次回の配信はちゃんとした配信ができると思いますので、また来てくださると嬉しいです」

 

〈おつかれ〉

〈すかっとしたわ〉

〈荒らしだんまりになったのウケたwww〉

〈お別れの挨拶は?〉

〈いつものは?〉

 

「今日は礼ちゃんがいないのでいつもの挨拶はカットです。あれは基本的に礼ちゃんとコラボしている時限定ですので」

 

〈いつものなかったら眠れないって!〉

〈いつもの挨拶……〉

 

「それでは、皆様またお会いしましょう。おやすみなさい」

 

 リスナーさんからいつもの挨拶を切望されていたけれど、強引に断ち切って配信を閉じた。

 

 あれはあくまで礼ちゃんが振ってくるから合わせているだけで、自分から率先していつもの挨拶をしたことはないのだ。

 

「……これで荒らしが減ってくれればいいけど、どうだろうなあ」

 

 椅子の背もたれに体を預けて息を吐く。

 

 これで荒らし行為が綺麗さっぱりなくなって平和に配信活動ができるようになる、なんて楽観的な考えはしていない。僕が『New Tale』に所属している限り、ある程度ちくちくと悪口なり嫌味なりを言われることは覚悟している。

 

 ただ、度を超えるような誹謗中傷や、悪いイメージを流布する人が減ってくれればそれでいい。それだけで随分やりやすくなる。

 

 今回の配信で、身に覚えのある人にはお(きゅう)を据えることができただろう。

 

 でもそれは今回の配信を視聴してくれた人に対してだけだ。それ以外の人はこれまで通り荒らし行為に励むだろうし、なんなら誹謗中傷していても自分だけは訴えられるわけないと思い込んでいる人とか、法に抵触している自覚のない人もいる。

 

 そういった人たちには効果は薄いだろうけれど、とりあえず邪魔をしてくる人数の母数が減ればそれでいい。数が減っていれば配信中にコメント欄を荒らす人をブロックしやすくなる。僕としては礼ちゃんにさえ矛先が向かわなければそれだけで構わない。

 

「礼ちゃんの配信見とこっと」

 

 僕の配信と時を同じくして、礼ちゃんも配信を行なっている。今は同期の方とコラボ配信中だ。

 

 僕と絡んでいるせいで敬遠されてしまったのか、ここ最近礼ちゃんが同事務所のVtuberとコラボする機会が減ってしまったけれど、礼ちゃんの同期である二期生の先輩方は変わらずに付き合いを続けてくださっているのだ。

 

 先輩諸氏に感謝を捧げて礼ちゃんの活躍を眺めつつ、別のモニターでSNSをチェックする。

 

「……うわあ」

 

 ごめんなさいという格好だけ取っていれば開示請求しないと説明したからだろう。無数のアカウントがジン・ラースの名前が入ったタグを付けてSNS上に反省文を提出している。僕が言っていたのは荒らしグループに対してだったのだが、不安になったのか、荒らしグループとは関係のない人たちも反省文を投稿している。

 

 だからなのだろう。荒らしグループのみならず、誹謗中傷行為をしていた人たちが開示請求を避けるために謝意を表明し、今回の騒動を傍観していた人や騒動自体を知らない人がそれに反応するという流れを辿り、不必要な規模で注目されてしまっている。

 

 つまるところ、トレンドに入ってしまっていた。

 

 僕が配信中に法的措置に関する話をしたことも一因だろう。

 

 できることならこのようなネガティブかつ気分の悪いトピックで悪目立ちなんてしたくはなかった。とはいえ、初配信であれだけマイナスな意味で耳目を集めたのだから、今更といえば今更ではある。

 

 とりあえず悪い意味で界隈を賑やかしていることには目を背け、僕は荒らしグループに所属する人たちのアカウントを見て回る。

 

 犯罪予告はしておらず、礼ちゃんを誹謗中傷するようなことも発信していなければ、反省文掲載だけで面倒な開示請求を避けられる。となれば、常人であれば反省した(てい)で事態を収拾しようとするだろう。

 

 荒らしグループのアカウントは、前述の一人は削除してしまっているが他の全員の分を掴んでいる。グループの中でアカウントが残存している人間全員が謝れば、それでこの件は一区切りだ。

 

 一つ一つ見回りしていると、配信が終わったばかりだというのにほとんどのアカウントが反省文を提出していた。それだけ荒らしグループの人たちは毎度毎度しっかり僕の配信に参集してくれていたのだろう。

 

 何を隠そう、なんと荒らしグループに所属している人のうちの三人は今のところ僕がやった配信にすべて来ていて、かつコメントを打っていて、仕上げにSNSでも情報を発信しているという、まるで熱心なファンのような様相を呈しているのだ。ちなみにやっていることはファンの鏡写しのような内容だ。荒らしの鑑だ。

 

「……ん? へえ……面白いなあ」

 

 荒らしグループのアカウントの一つを訪れた時、順調だった謝罪声明確認作業の手が止まった。

 

 このアカウントの人は、などと考えるまでもない。捏造動画の製作者だ。

 

 捏造動画の製作者が投稿した内容に、とても興味をそそられた。

 

『ジン・ラース。あなたの主張は理解できるけど、こちらも言いたいことがある。こちらだけ主張できないまま終わらせられるのは承服できない。不公平だ。あなたと話がしたい。できれば配信という公の場で、堂々と』

 

 なるほど。わからない。

 

 この人がいったい何を考えているのか、さっぱりわからない。

 

 だからこそ、とても面白い。

 

 現状を理解している人間ならば、内心がどうあれ形だけでも早々に謝罪してこの件から手を引くはずだ。開示請求を受けるだなんて、時間と労力の無駄でしかない。そこから侮辱なり名誉毀損で訴訟となり、損害賠償ともなればそれらに加えて金銭的にも浪費となる。すいませんでした、の一言で済むのなら、どう考えてもそっちのほうがいい。

 

 現状を理解していない人間ならば、法的措置の言葉なんて気にせずに、なんならより一層過激に糾弾するはずだ。自分の頭の中だけで組み上げられた自分だけの論理が絶対的に正しいと妄信している人間は、正論や常識、他人からの忠告などでは悪い意味で影響されない。強制的に制止させられるまで止まることはない。

 

 それらを踏まえて、この人はそのどちらでもない。

 

 自らの窮状を理解していないわけではない。一度僕の主張を呑み込んだ上で、それでいてなお自分の行動は正当なものだと思い込んでいる。

 

 だから謝罪はしないのだ。謙ることなく、自分が正しいという大前提を足場にして、あくまで対等な立場で語りかけてくる。

 

 理解しがたい。非常に度しがたい。

 

 配信が終わるや否やの時間でSNSに投稿されていたところを見るに、この人は今回も僕の配信を観てくれていたようだ。関係ない話だが、この捏造動画の製作者はなんと、さきほど取り上げた荒らしグループ内における僕の配信皆勤賞の三人のうちの一人である。全部の配信に来てくれていたからこそ、あれだけ上手に僕のセリフを捏造動画に取り込めたのだろう。

 

 僕の説明と注意を聞いて、それでもなお自身を正当化させ得る自信の源とは、いったいなんなのか。

 

 どのような論理と信念を下敷きにしたら、このような思考と言動に辿り着くのか。

 

 何がここまでこの人を駆り立てるのか。大事なものも、共に活動する仲間も、何もかもを失ったこの人は、何を原動力に対談を申し入れてきているのだろう。

 

 推しへ傾けていた特別な感情が、この大胆不敵で荒唐無稽な行動の理由なのだろうか。

 

 だとしたら、とても興味がある。

 

 その感情の大きさに、重さに、純度に、その感情の深奥にある正体に、とても興味がある。

 

「…………」

 

 捏造動画製作者のメインのアカウントはジン・ラースをフォローしているようだった。設定にはいくつか種類があるが、この人は自分がフォローしている相手であればメッセージの受信を許可しているようだ。今日の配信の前まではジン・ラースのアカウントをフォローしていなかったはずなので、配信が終わってからメッセージのやり取りを望んでフォローしたのだろう。

 

 随所から漏れ出ている不可解な矛盾に快い据わりの悪さを感じながら、僕はメッセージを作成し始めた。




腹立つコメント考えるのには苦労しましたが、頑張ったかいもあっていい具合に腹立つコメントが作れたと思います。どうでしょうか?むかついたとしたらそれは僕の努力の成果です。

最近たくさん感想いただけてとても嬉しいのですけど、これからの展開上、感想にお答えするとストーリーに触れてしまうこともありそうなので、申し訳ないんですけど感想への返事を34話までで一旦停止します。ごめんなさい。感想はすべて楽しく読ませてもらっているので、これからも感想いただけたら嬉しいです。


次は例のとある人視点。



*スパチャ読み!
ngvegさん、スーパーチャット、アリガトゴザイマァス!
懐古おじさんさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
つぐみたんさん、上限の赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
紅鮭猫さん、スーパーチャット、ありがとござます!
takahiraさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
FEWさん、赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
アルマシノさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
尾張のらねこさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
ZEROさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
ええいさん、上限赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
桐月兄さんさん、スーパーチャット、アリガトウゴザイマァス!
にゃるさーさん、上限の赤色のスーパーチャットありがとうございます!
覇王ドゥーチェさん、上限の赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
いわいわ丸さん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!



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耳鳴りが木霊する。

別視点。例の荒らしの人です。


『それでは、皆様またお会いしましょう。おやすみなさい』

 

 そう言って、ジン・ラースは配信を終えた。

 

「くそ……くそっ……っ!」

 

 思わず握り締めた拳をテーブルに振り下ろす。

 

 配信の前までは自分たちの思惑通りに事が進んでいた。

 

 捏造した動画を証拠としてSNSで取り上げ、グループの人間同士で意見の対立を偽装し、いろんな人の目に届くように大袈裟に煽り立てる。それと同時にジン・ラースに肯定的な内容の投稿をしているアカウントを攻撃することで、ジン・ラースの評価を上げるような意見を潰す。そう情報操作することで、ジン・ラースについて検索した時、ネガティブなイメージしか目につかないようにした。ジン・ラースの足を掬えないから、外堀を埋めることにしたのだ。

 

 そういった印象操作は効果があったのだ。

 

 じわりじわりとSNSやネット掲示板で浸透して、ジン・ラースのデビュー直後と同規模になるまで荒らす人間は増えたし過激になった。

 

 特に『New Tale』に所属するVtuberを推しているファンが、自分の推しに手を出されるのではないかと危機感を覚えたらしく火がついた。こちらが何もしなくても勝手に『ジン・ラースは「New Tale」を辞めろ』と大騒ぎするようになった。

 

 このまま『New Tale』に所属するVtuberを全体的に応援する、いわゆる箱推しを刺激し続ければ『New Tale』の運営側も所属Vtuberも、ファンをいたずらに不安にさせるジン・ラースを腫物として扱わざるを得ないようになる。ジン・ラースは次第に居場所を失い、ゆくゆくは排除できていたはずなのだ。

 

「くそがっ、配信一回で……っ」

 

 いずれは我々の目的を達成できていたはずなのに、ジン・ラースは一回の配信で潔白を証明した。いつの配信のどのシーンが動画内で使われているのかを猿にでもわかるように懇切丁寧に並べ上げ、BGMを消す方法も自ら再現することによって、捏造切り抜き動画によって仕向けられた冤罪を晴らした。

 

 しかも疑惑を否定しただけに飽き足らず、法的措置というリーサルウェポン、伝家の宝刀を抜いた。返す刀で切り伏せられた。

 

 発信者情報開示請求。

 

 この一言で、ジン・ラースに石を投げていた荒らしたちは無様な負け犬と化した。配信中、それまで意気揚々と罵詈雑言を吐きつけていた奴らは吠えることもできずに尻尾を巻いて逃げ出した。

 

 何よりも情けなかったのは、志を同じくしていたはずのメンバーの一人が裏切って、嘘までついて自分だけ助かろうとしていたことだ。その哀れさは苛立ちすら超えて虚無感を覚えるほどに無様だった。

 

 (みじ)めで醜く、愚かで滑稽だった。

 

 おそらく裏切ったメンバーは、自分たちが掲げていた清廉で崇高な理念を理解できていなかったのだろう。ターゲットはジン・ラースただ一人であって、その妹であるレイラ・エンヴィは無関係であると他のメンバーも、もちろん自分も折に触れて忠告していたというのに。

 

 なんにせよ、自分たちの計画は頓挫した。

 

 これまで自分たちがネガキャンで作り上げていた気運は晴らされてしまった。切り抜き動画は捏造されたものだと暴露されてからというもの、ジン・ラースにも自分たちにも属さずに日和見していた傍観リスナーがジン・ラースの肩を持つようになった。グループは解体されたというのに、敵は増えている。

 

 ここから巻き返しを図れるほどの弱みは、ジン・ラースにはない。大事にしている妹へ脅迫文が送られていたという話をしていた時でさえ、珍しく苛立ちは滲ませていたものの声を荒らげることはなかった。これから短期間のうちにジン・ラースが暴言や問題発言をするなどと期待するのは現実的ではない。

 

 調べはしていたものの、結局ジン・ラースの前世を暴くこともできなかった。

 

 弱みを見せない、付け入る隙を晒さないジン・ラースをどうにか排除するための切り札が、あの捏造動画だったのだ。

 

 労力を注いで仕上げたあの捏造動画も、SNSや匿名掲示板で浸透させていた悪評も、たった一手で覆された。もう自分には打つ手が残っていなかった。

 

「……はっ。みんな降伏してる……情けない」

 

 PCの画面上で通知を示していたのでSNSを確認してみれば、ジン・ラースを絶対に辞めさせると気炎を吐いていたメンバーたちが同じ口で謝罪文を吐いていた。敗北宣言だ。わかりやすい白旗だ。

 

 アカウントを削除したクズ以外のメンバー全員が、手のひらを返してジン・ラースに許しを乞うていた。

 

 正攻法も奇策も邪道も、何一つとして結果に結びつくことはなかった。もう次の手段も思いつかない。メンバーも全員裏切った。残されたのは自分だけ。

 

「……終わり、か」

 

 ジン・ラースは寛大だ。レイラ・エンヴィへ犯行予告文を送りつけたクズども以外、訴えるつもりはないらしい。

 

 つまりジン・ラース本人へ誹謗中傷するに留まっていた人間に対しては謝罪すれば、今後そういうことはするなよ、という厳重注意で済ませるつもりでいる。

 

 きっと、ここで敗北を認めてさっさと他の奴らと同じように謝るべきなのだろう。それが一番賢い選択なのだろう。

 

 どう見苦しく足掻いたところで状況を変えることなんて不可能なのだから、訴えられないようにするために形式的にでも謝罪して、社会的身分や生活を守るべきだ。迷うことはない。選択肢なんてあってないようなものではないか。

 

 そうするのが最も賢明だとは、自分でもわかっている。

 

「……それ、でも……」

 

 重々わかっているのに、諦められない。

 

 もともと自分は担ぎ上げられた神輿だった。自ら望んで今の立ち位置に就いたわけではない。周りに持ち上げられた結果、こんな損な役回りに立たされたことは自覚している。

 

 だとしても、自分の取った行動が間違っていただなんて思っていない。

 

 自分の、推しへの愛は、間違っていなかったはずだ。

 

 推しを失う苦しみを他のファンが味わわないようにするために起こした自分たちの活動は、間違っていなかったはずだ。正義であったはずなのだ。

 

 逆転しなければならない。自分の立場がどうなろうと関係ない。ジン・ラースから訴えられようと、一矢報いなければならない。

 

 数秒目を瞑り、覚悟を決めてSNSへと投稿する。

 

『ジン・ラース。あなたの主張は理解できるけど、こちらも言いたいことがある。こちらだけ主張できないまま終わらせられるのは承服できない。不公平だ。あなたと話がしたい。できれば配信という公の場で、堂々と』

 

 投稿して、ジン・ラースのアカウントをフォローしておく。この投稿の内容を見た後、ジン・ラースがこちらのアカウントをフォローしてくれれば個人間でメッセージのやり取りができるようになる。

 

「食いついて、くるのか……」

 

 ジン・ラースがこちらの要望を受け入れるメリットはない。メリットがないどころかデメリットしかない。

 

 つい先程の配信でジン・ラースを取り巻いていた誹謗中傷などの荒らし行為はおおよそ方がついた。

 

 本人の口から、これ以上やるのなら開示請求を行なっていく旨を宣言されてなお誹謗中傷を続けるような愚か者なんてそうはいないだろう。SNSのトレンドに載っているくらいに話は広がっている。今日の配信を見ていなかったとしても、少し情報をさらえば状況がどうなっているかはわかる。面白半分や冗談で突っつけば大怪我をすることになるなんてことは頭蓋骨に脳みそが詰まっている人間であれば誰でもわかる。

 

 これからは、荒らし行為や過度な誹謗中傷をするようなリスナーはそうそう現れないだろう。

 

 今日の配信で荒らしへの対処としては必要十二分、これ以上手を打つ理由はジン・ラースには存在しない。

 

 だからこちらの『直接話がしたい』などという申し入れなんて蹴るのが当然、無視が当たり前で、なにか返答があるほうが奇跡なくらいだ。なんなら開示請求を申請しました、と返答がくるおそれすらある。

 

 分の悪い賭けだ。

 

 でも、限りなく小さな可能性ではあるものの、ジン・ラースはこの申し入れを受けるかもしれないと自分は思っている。

 

 ジン・ラースはデビューしてから今日に至るまで、配信は荒らされSNS上ではネガティブキャンペーンと誹謗中傷という憂き目に遭った。そのせいで同じ『New Tale()』なのに妹であるレイラ・エンヴィを除いて誰とも、同期とすらコラボできずにいた。

 

 常に誹謗中傷が付いて回り、自由な配信を抑圧されていた。それはジン・ラースに対して多大なストレスになっていたことだろう。

 

 そんな苦しい環境をようやく変えることができたのだ。

 

 達成感もあるだろう、やっとやりたいように配信できるという解放感もあるだろう。

 

 そして、これまで好き放題暴れていた荒らしどもにやり返してやったという優越感も。

 

 そういった様々な感情を今、ジン・ラースは味わっているはずだ。勝ち誇っているはずだ。ざまあみろとほくそ笑んでいるに違いない。

 

 そんな驕り昂った心理状態なら、もしかしたらこちらの申し入れを呑むかもしれない。これまで苦しめてきていた奴らの親玉を、配信という多くの視聴者(味方)がいる場に引き摺り出して見せ物にしてやろう、と。

 

 付け入る隙を見せない用心深いジン・ラースでも、この時ばかりは気が大きくなっているかもしれない。その慢心だけが、こちらに残されている最後のチャンスだ。

 

 そして、そのチャンスは手のひらに転がり込んできた。

 

 SNSにメッセージが届く。

 

「はは……勝った」

 

 口角が上がる。

 

 思わず口に出してしまうほどに、届いたメッセージの内容はこちらに都合のいいものだった。

 

『お誘いありがとうございます。あなたとはお話ししたいと思っていました。これから事務所に話をしてみます。そのあとに予定を調整したいと考えているのですが、そちらはご都合のつく日、時間などご要望はありますか?』

 

 受けてくれる可能性は低いと予想していたが、ひとまずこの賭けには勝った。

 

 どうやってかは知らないが、ジン・ラースは自分たちのグループメンバーのSNSでのアカウントを正確に把握していた。謝れば許すと言っていたので配信が終わればそれらのアカウントをチェックして回るだろうとは予測していたが、この読みは正しかった。ちゃんと自分の投稿もジン・ラースの目に届いたようだ。

 

 やはり今日この時に動いてよかった。冷静で慎重なジン・ラースが浮かれているだろう今この瞬間に動いてよかった。

 

 こちらの敗北はすでに決定づけられているが、これで自分たちの意志を次へと(のこ)すことができる。

 

「……一矢報いてやる。最期に爪跡を刻み込んでやる」

 

 体を縮め、ぐっと拳を握り込むと椅子が回って開け放ったままの窓が視界に入った。

 

 窓から見える夜の空には星一つ見えない。星も月も何もかもを黒のインクで塗り潰したような空は、まるでジン・ラースの行く末を暗示してくれているようだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 SNSのダイレクトメッセージで伝えられた時間に、コミュニケーションアプリ内のとあるサーバーに入る。まだジン・ラースは入ってきていなかった。

 

 昨日、ジン・ラースが配信を始めたのが十九時。今は十九時五分前。そして今日、ジン・ラースは配信の告知をしていない。

 

 つまりは、そういうことである。

 

「……まぁ、事務所が許可するわけないか……」

 

 端的に言うと、所属事務所である『New Tale』から配信の許可が下りなかったのだそうだ。

 

 昨夜、SNSのダイレクトメッセージ上でジン・ラースと連絡を取ることができたわけだが、『事務所に話をしてみる』とメッセージが届いて、自分は『日時は夜ならいつでもいい』と返信した。その後一〜二時間ほど経ってからメッセージがまた返ってきていた。その内容が『配信でやるのはさすがに駄目だった』というものであった。

 

 それはそう。

 

 それ以外の言葉が思い浮かばないくらい妥当な判断だ。当然である。事務所の人間は至って正常だった。集団で荒らしていたグループの、しかもその旗頭になっていた人物と配信上で通話するなんていう常軌を逸した申し入れを受けようとしたジン・ラースが異常なのだ。

 

 だがそんな真っ当かつ常識的な判断で自分の一発逆転乾坤一擲(けんこんいってき)の機会が失われては堪らない。

 

 なので、切り口を変えた。

 

 この際、配信でなくてもいいから直接ジン・ラースと話したい。自分の主張を伝えたい。それだけでいい。

 

 そう送ったところ、ジン・ラースはそれに乗ってきて、メッセージを送った翌日、つまりは今日、コミュニケーションアプリを介してお話ししましょうと相なったわけだ。

 

 正直、なぜジン・ラースがOKしたのかはわからない。

 

 デビューしてからこれまでずっとVtuber活動の邪魔をしてきた荒らしの親玉を、荒らされていながらも活動を応援してくれていたリスナーと一緒に叩きのめして復讐するためだというなら、誘いに乗ってきた理由としてまだ納得できた。

 

 でも配信できないのであれば、その復讐すら叶わない。配信には載せないで、ただ荒らしと一対一で通話する。その行為は、ジン・ラースにとってどんなメリットがあるというのか。

 

 まるでわからない。ジン・ラースが何を考えてこちらの要望を承諾してくれたのかまるでわからないけれど、自分にとっては好都合だ。

 

 当初の予定からは外れたが、これはこれでやりようがある。今日の話の内容によっては配信上でやるよりも実りが大きくなるかもしれない。

 

 今日を耐えればいずれ、あの澄ました顔を歪められるかもしれない。そう考えるだけで気持ちが昂ってくる。

 

 PCの端に表示している時刻が、予定していた十九時を示した。

 

 ジン・ラースはまだサーバーに入室していない。

 

「…………」

 

 こちとら十分前から飲み物を用意してモニターの前に座り、五分前からサーバーに入って待機している。

 

 別に商談とか仕事の打ち合わせをするわけじゃないんだから十分前五分前から入って待ってろよ、なんて言うつもりは毛頭ないが、約束した時間になっても来ないのはどういう了見か。宮本武蔵でも気取っているのか。ならこのサーバーの名前は『巌流島』とでもしておけ。

 

 今回の通話はあくまでこちらがお願いして実現してもらったので、数分や数十分の遅れであれば文句は言わない。待つのは慣れているし、自分はそんな狭い器量はしていない。でもそれはそれとして『この時間に』と約束はしているのだから時間は守れよ、とは思う。

 

 そもそもが目の敵にしている男との通話、自分の目的のために必要なこととはいえ好き好んで接触したくはないのだ。些細なことでも苛立ちが募る。

 

 順調に秒の数字が増えていき、あと数秒で分の数字がゼロからイチに変わる、という狙い澄ましたようなタイミングで、電子音が鳴った。

 

『すみません、お待たせしました』

 

「……いえ、時間は過ぎてないんで大丈夫です」

 

 ジン・ラースがサーバーに入ってきた。

 

 一応は約束通り、十九時零分だ。秒の単位はどうあれ、遅れてはいない。遅れたようでいて、厳密には約束した時間を過ぎていないことが逆に腹が立つ。

 

 こんな初っ端から調子を崩されたくはない。深く息を吸って、努めて冷静さを保つ。

 

 早速話を始めようかと思ったのだけれど、なんだかヘッドホンから雑音が聴こえる。人が大声で話しているような音だ。

 

 一度ヘッドホンを外してみるが、こちらではとくに変な音は鳴っていない。暑いので窓は開けているけれど、自分の住んでいるマンションは防音が割としっかりしているし、部屋は比較的高層階に位置している。時間や天候次第で近くの駅からたまに音が聞こえるくらいのもので、近隣の住宅の音などは届かないと言っていい。

 

 となると、ノイズの原因は向こうか。

 

「……そちら、少々騒がしくないですか?」

 

『あー……すみません。レイちゃんが……妹が今日配信しないんなら一緒にゲームしよう、と言ってきまして……。予定があると言って断ったのですが、予定の内容を問い詰められたので答えたらそこからずっと、通話するべきじゃない、と駄々をこねてしまって……。サーバーに入るのも妹への説得で遅くなってしまったのです。ご迷惑をお掛けして申し訳ないです』

 

 気落ちしたトーンで、言葉通りに本当に申し訳なさそうにジン・ラースが謝罪する。喋っている途中で一瞬声が遠くなったので、もしかしたら本当に頭を下げている可能性まである。

 

 ジン・ラースとレイラ・エンヴィは実の兄妹であることは他ならぬ自分たちが実証してしまったけれど、まさか裏でもこれほど仲がいいとは思わなかった。演技にしては自然だけれど実の兄妹にしては仲の良さアピールが過剰だな、と配信を観ていてそんな印象を抱いたが、配信だろうと配信外だろうと関係なく本当に仲が良いとは驚きだ。そんな兄妹が実在したのか。

 

「そ、そう……ですか。まぁ……通話には影響なさそうなので大──」

 

 大丈夫ですよ、と続けようとしたのだが、自分の発言を遮るように、バンッ、と力いっぱいに扉を叩いたような大きな音がヘッドホンを通して両耳に刺さった。

 

『「あとでどんな話をしたのか詳しく教えてもらうからッ!」』

 

 扉を挟んだ上に本人から離れたマイクを通しているとは思えないくらい明瞭にレイラ・エンヴィの声が聴こえた。怒気の乗った、よく通る声であった。レイラ・エンヴィは発声がしっかりしているし、ジン・ラースはいいマイクを使っているらしい。

 

 昔、騒がしくしてしまって隣の部屋からロマンスとはかけ離れた意味のほうの壁ドンを食らった時のことを思い出して、なぜか自分も肩が竦んだ。自分の部屋の扉の外にレイラ・エンヴィがいるような錯覚まで起こした。

 

「──大、丈夫ですけど……そちらは大丈夫ですか?」

 

『……お聞き苦しいところを聞かせてしまって申し訳ないです。恥ずかしい限りです』

 

 声が下から聴こえる。頭を下げている様子が如実にイメージできてしまう。

 

 ヤンデレ妹、なのだろうか。実際に現場に居合わせてしまうと羨ましいよりも先に怖いという感情がくることを初めて知った。

 

『えー……っと、遅くなりましたが、ジン・ラースです。僕のことは「ジン」でも「ラース」でも「ジン・ラース」でもご自由に呼んでください』

 

 開始早々毒気が抜かれたが、気を取り直す。

 

「こちらは『ジン・ラース』とお呼びします。自分のことも、どうとでもお好きにどうぞ」

 

『切り抜きチャンネルさんでは長いので、僕がこっそりつけていたニックネームで呼んでもいいですか?』

 

「……ニックネーム。ずいぶん馴れ……親しげに接してくださるんですね。まぁ……構いませんよ」

 

 馴れ馴れしい、と言いかけてさすがに言葉に棘があると思い直して婉曲に言い換える。

 

 気を損ねられでもして通話を切られれば、損をするのはこちらだ。

 

 距離の詰め方が明らかにおかしいジン・ラースに苦い思いを噛み締めながら、呼び方については丸投げした。どうせ今日しか使われないのだ、通話している間くらい我慢しよう。

 

『僕の配信の皆勤賞かつ毎回コメントをくれていましたからね。記憶に残っていたので個人的に「めろさん」とお呼びしてたんです』

 

「……めろ? 別に問題はありませんけど……」

 

 めろさん。由来がわからない。『さん』は敬称だからニックネームの部分は『めろ』なのだろう。

 

 何が由縁なのか。動画共有プラットフォームでは切り抜き動画は投稿しているが歌などのジャンルには触れていないので『melody(メロディ)』の線はないだろうし、他に『めろ』がつく言葉というと『melon(メロン)』とか『mellow(メロウ)』あたりくらいしか思いつかないが、そちらも関係は遠そうだ。ただ仮に甘美(メロウ)からきたものだとしたら、中々にいいセンスをしている。

 

 ニックネームを聞いてぴんときていないことが歯切れの悪さから滲んでいたのか、ジン・ラースが説明を加える。

 

『めろさんはアカウントは違ってましたけど僕の初回配信から毎回必ず十回は『やめろ』ってコメントを送ってくれていたじゃないですか。なので僕の中で勝手に『やめろ』から取って『めろさん』ってニックネームをつけてたんです』

 

「……いいセンスしてますね。ええ、本当に……いい趣味してる」

 

 なるほどね、単語の頭から取るんじゃなくて尻から取ったのか、なるほどなるほど。いい性格した悪魔だよ本当に。昨夜グループとして大敗して解体された自分に対して言うセリフがそれとは。

 

 ジン・ラースがこんな風に刺してくるとは予想していなかった。

 

 声色が明るかったので、荒らしていた一件については昨日の配信のぶんで気が済んだのかと思っていたが、このタイミングで蒸し返してきた。バチバチに殴り合う気満々だ。これは『俺はまだ恨みを忘れていないぞ』という意思表示なのか。

 

『気に入っていただけたようで恐縮です。これまでニックネームをつけるような相手ができたことがなかったものですから、どういった趣向のニックネームがいいのかわからず不安だったんですけど、そう言ってもらえて安心しました。ふふっ、めろさんは僕の配信の古参リスナーですからね、このくらいはさせてもらいますよ』

 

 若干弾んだような調子なのは、これは煽ってきているからなのか。それとも純粋に喜んでいるからなのか。

 

 もし、あのニックネームが喜んでもらえる類のものだと心底から思っているのだとしたら、ちょっとばかり人の心というものをこの悪魔は学べていない。

 

 こんな盛大な皮肉が込められたニックネームをつけられて喜べと言うのなら、ジン・ラースはガワだけではなく中身まで悪魔だ。

 

「……えー、この度は、通話する機会を作っていただきありがとうございます」

 

 強引に話を本線に戻す。

 

 会話のペースを握られっぱなしというか、こちらのペースを狂わされっぱなしというか、とにかくイニシアチブを奪われてしまうと不利だ。荒らしの件での被害者と加害者という立場もあってこちらは分が悪いし、なによりジン・ラースは舌も頭もよく回る。人と話し慣れていない自分では押し切られる。きっとこいつ相手には少々強引なくらいがちょうどいい。

 

「事務所からは配信の許可が下りなかったということですが、通話のほうはよく許してもらえましたね」

 

『あー……配信のほう、できなくてすみませんでした。交渉一時間くらい粘ってみたんですけど、さすがにそれは許可できない、と言われてしまって。最初は通話するのも難色を示していたんですが、そこはなんとか許してもらいました』

 

「そ、そうだったんですね……。苦労させてしまったようで申し訳ないです……」

 

 SNSのダイレクトメッセージで『許可もらってきます』から時間がかかっているなと思ってはいたけれど、まさか一時間単位で事務所の担当者と交渉していたとは思わなかった。

 

 いっそのこと担当者が可哀想だ。ジン・ラースとの対談を申し出た自分が言うのもなんだけれど、どう考えてもやるべきではないことで長々と粘られるなんて時間の浪費でしかない。自分の言った『苦労させてしまったようで申し訳ないです』はその担当者に向けられている。

 

『苦労だなんてとんでもないです。一応ちゃんと正規の手順を踏んでこの席は設けられましたので、そのあたり心配なさらないでください。僕はめろさんのお話を実際に聞くことができるのを楽しみにしていました』

 

 苦労したのは絶対に担当者だろうし、ジン・ラースの正規の手順の踏み方はごり押しと粘り勝ちで()ぎ取ったものだ。前もって言質を取るようなこんなやり方、自己判断で勝手に動かれるよりも(たち)が悪い。

 

 というかこいつは自分の話をエンターテインメントの一種か何かだとでも思っているのか。楽しみにしてんじゃねえよ。こっちは娯楽や道楽で体張ってんじゃねぇんだぞ。

 

「……それでは始めていきましょうか。自分が言いたいことは一つだけです。Vtuberは『男女で関わるべきではない』という、この一点だけです」

 

『ふむ……そう考えるようになったのはめろさんが応援していた推しの女性が男性と交際したからですか?』

 

 否定したり反論したりするかと思いきや、まずは受け止めて、さらに深掘りするように質問してきた。最低限ディベートの体裁は取るつもりのようだ。

 

 ここからが本番だと気合を入れ直し、ジン・ラースの問いに答える。

 

「そうです。コラボしていなければその男と付き合うこともなく、自分の推しは今も配信を続けていたはずです。男女でコラボしたから、推しは事実上引退することになった。男女でコラボなんてしなければ自分たちは……自分は、こんなに苦しむことはなかった。推しに会えなくなるようなことにはならずに済んだはずです」

 

『めろさんがなぜ配信を荒らすような真似をするのか、その考えはわかりました。ここで僕の意見を言わせてもらいますと、僕自身はめろさんがそういうふうな考えを持っていても構わないと思っているんです。思想は自由ですからね』

 

「な……」

 

『驚くところですか?』

 

「いや、だって……」

 

『基本的人権の一つですよ?』

 

「…………」

 

 思わず息を呑んだ。自分の通話の相手は、本当に同じ人間なのか思わず不安に駆られた。

 

 なぜジン・ラースは平然と認められるのか。

 

 基本的人権の一つ。理屈や道義の上ではたしかにそうだが、あれだけ苛烈に誹謗中傷された本人がそれを言えるものなのか。

 

 思想の自由、表現の自由を盾にして攻撃してきたような相手に対して、憎しみや恨みといった感情を抱かないのか。

 

 痩せ我慢で怒りを堪えているというふうもなく、善人を装っている様子もない。これまでと変わらないトーンで、配信の時と変わらない声で、まるで他人事のように冷静に、客観的な視点から常識と照らし合わせて淡々と述べた。

 

 ジン・ラースの発言のどこからも、人間味という印象は感じ取れなかった。

 

 デビューしてからずっと、絶え間なくずっと、だ。ずっと罵詈雑言を浴びせられて、どうしてそこまで意に介さずにいられる。どんな神経をしていれば、ここまで人の悪意に無神経でいられるのだ。

 

 言葉を失った自分に、続けてジン・ラースが言う。

 

『ただ、思想は自由でもそれを他人に押し付けるのは話が違うと思います。男女で絡んで欲しくないという考えをSNSなどで発信したり、同じ考えを持つ人たちと集まってグループを形成するまでなら問題はありません。問題なのは、男女でコラボしている別のVtuberさんの配信にまで押しかけて、迷惑行為などを行って相手を強制的に従わせようとしている部分です。マナー違反ですし、度を過ぎれば違法行為です』

 

 違法行為。

 

 なんら気負うことなく流れの中で軽く発されたジン・ラースの言葉が、自分の心に重くのしかかった。

 

 思わず尻込みしてしまいそうになるも腹に力を入れて言葉を絞り出す。ジン・ラースにとってどうかなんて知る由はないが、自分にとってはこれまでの活動は重要だったのだ。

 

「……ええ、そうですね。理解していますよ。でも迂遠な言い回しでは効果はないし時間がかかる。時間がかかれば手遅れになるんです。手遅れになったら悲しむ人が出てくるかもしれない、だから誰かが悲しむ前に多少強引にでも男女で関わることをやめさせる必要があるんです」

 

 自分の場合がそうだった。

 

 推しが男とコラボし始めた時、少なからず思うところがあったけれど厄介リスナーのようなことを推しに言いたくなくて、やんわりと『ソロでの配信も楽しみです』みたいに意思表示していた。間接的に男とのコラボ配信は楽しくないようなメッセージを送っていた。

 

 しかしそんな回りくどいやり方では変えられないのだ。変えられなかったのだ。

 

「直接的に、端的に、核心を突く。手段が荒っぽくなっても、それが一番早く問題を解決できるのならそれが一番いいんです。自分たちと……自分と同じような辛い思いをする人が減るのなら、たとえエゴだと罵られてもそうするべきなんです」

 

『「自分と同じような辛い思いをする人が減るのなら」ね。「エゴイズム」ですか。なるほど。そういえば、その理屈で言うと僕の場合はどうして攻撃対象になったのでしょうか? 僕はデビューしたばかりで、男女でコラボもしていませんでしたし、同期の人たちとはもちろん、礼ちゃんともコラボの予定などは立てていませんでした。僕が女性ばかりの事務所でデビューしたからですか?』

 

「そうです。調べてみれば『New Tale』には一期生に男がいましたが、活動休止という体を取っているものの実際は引退のような状態。つまり活動中のVtuberは全員女です。ジン・ラースの同期も他四人は全員女でしたね。しばらくすれば男女で絡むことになるのは明白でした。悲劇を未然に回避するために、ジン・ラースを辞めさせるべきだと判断しました」

 

『つまり、めろさんの攻撃対象は男女でコラボした人だけではなく、コラボをする可能性のある人まで範囲に含まれていた、ということですね。そこから僕に焦点を絞ったのは、件の騒動が過熱している時期に、比較的大きく、かつ女性しかいない事務所からデビューして目立っていたから、ということでいいですか?』

 

「一つ注釈を加えると、自分一人が決めたわけではなくグループのメンバーで話し合った結果決めたことですが、大筋はそうです」

 

『男女でのコラボ配信を妨害するだけでは、配信者や視聴者の根本的な認識を改めさせるだけのインパクトがない。だから、女性ばかりの事務所からデビューした男性Vtuberを集中攻撃して引退まで追い込むことで、一つの大きな結果を作ろうとしたのですね。一つの大きな結果、一つの確かな前例を作ることでVtuber側、リスナー側、さらにはマネジメントする事務所側にまで男女で絡むのをタブー視させる。最終目的はそのあたりでしょうか』

 

 ジン・ラースの推測はまるで自分たちの話し合いを見てきたかのように正鵠を射たものだった。

 

 Vtuberの事務所としてはすでに大手と呼んでいいほど成長している『New Tale』の四期生のデビュー配信リレー。当日自分はそれを単なる一視聴者として観ていた。推しがいなくなってしまったことで心に空いてしまった穴を埋めてくれるようなVtuberが出て来やしないものかと期待していたのだ。

 

 そんな時に目の前に現れたのがジン・ラースだった。新しくデビューする四期生のトリを務めるその胡散臭い男の姿は、まだ塞がっていないトラウマという傷口を抉るようなものだった。

 

 コミュニケーションアプリを通じてグループのメンバーに教えたのも自分だ。ジン・ラースの配信が終了し、頭を冷やした後、メンバーを集めて今後の方針を話し合った。

 

 話し合いの時、推しを失ったことを自分と同じように苦しんでいたメンバーの一人が言ったのだ。『あの男を排除できれば、これから男女で絡もうとした奴は引退に追い込まれるくらい誹謗中傷に晒される。そういうふうに配信者やリスナーに印象付けることができる』と。大まかな方針はそういったものだった。そういう流れに持っていこうと画策していた。

 

 ジン・ラースの推測は、話し合いの時に出てきた意見とかなり近いものがある。結論に至っては近いどころかそのままピンポイントで正解だ。どんな読みをしているんだ、こいつは。

 

 メンバーで話し合って『ジン・ラースを排除できれば暗黙の了解のような、業界のタブーじみた空気感が生まれるだろう』とグループで意思決定して、ジン・ラースへと狙いを定めた。こいつ一人さえ潰せれば自分たちの理想は成就する、そう信じて活動していた。

 

 まぁ、今となってはすべて徒労と化したわけだが。

 

 ジン・ラースのメンタル面における異常な強さとレイラ・エンヴィの存在が計算外だった。

 

「……さぁ、どうだったか。その頃のことは、詳しく憶えていません」

 

 ジン・ラースの指摘に、自分は思わずはぐらかした。うまい返答がすぐに浮かばないくらい度肝を抜かれた。

 

『ふふっ、そうですか』

 

 咄嗟にジン・ラースからの問いを誤魔化した自分に対して、ジン・ラースはさらに踏み込むようなことはせずに、納得するように小さく笑い声をこぼした。

 

「……何が、おかしい? 笑うようなことか?」

 

 追及されると思っていた自分は苛立ちを隠すこともできずに反発した。煽りの雰囲気が欠片もない無邪気な声が、異様に気に障る。

 

 冷静さも礼も失する自分に、ジン・ラースはあくまで落ち着いて、気を悪くする様子もなく話す。

 

『笑ってしまってすみません。少し、嬉しくなってしまったものですから』

 

「……推理が当たっていたことがそんなに嬉しかったんですか? 意外と幼いところもあるんですね」

 

 どれだけ穏便に会話しようとしても言葉に棘が生えてしまう。まるでジン・ラースの対応が、不機嫌になった子どもをあやしているような、そんな遥かに優位に立ったところから見下ろして話しかけられているように思えてしまう。これは自分がジン・ラースに対して劣等感を抱えているからそう感じるだけなのか、それともジン・ラースが言い回しやニュアンスで自分が苛立つように仕向けているのか。

 

『いえ──』

 

 挑発するような自分の言い方に、ジン・ラースは否定から入った。

 

『──あれは別に推理と呼べるほど大したことではありません。情報収集をしていれば誰でも容易にわかることです。そこに嬉しさなんて感じようがありません』

 

 自分たちのグループの単純な行動を辿れば何を目的にしているかなんて馬鹿でもわかる。そう言い捨てられたように聞こえるのは自分の穿ち過ぎだろうか。

 

 かっ、と視界が瞬間的な怒りで染まり、衝動的に口が開かれる。

 

 自分が反論の言葉を発する前に、ジン・ラースが続けた。

 

『僕が笑ったのは嬉しかったからです。わからないことが多かっためろさんのことをまた一つ知ることができたからです。昨日DMをいただいた時は理解できなかったことばかりでしたから』

 

「は……な、なっ……」

 

 喉元まで出かかった反駁(はんばく)の文句は途中で言語としての形を保てなくなっていた。

 

 今、自分の心中を渦巻いている感情を表すことができない。

 

 こんな男に理解されたいなんて思わないし、わかったような口を利くなと激昂しながらも、自分のことを理解しようとして歩み寄ってくる姿勢に不快感以外の感情を確かに抱いていた。

 

 相克する二つの感情で思考が纏まらない。

 

 口籠る自分を放って、ジン・ラースは語り出す。

 

『僕は最初、めろさんから対談……もとはコラボ配信の予定でしたけど……お誘いを受けた時、どうしてめろさんはこんな話を持ってきたんだろうって思ってたんです。法的措置を受けるという意味を正しく理解していながら謝罪をするわけでもなく、かといって開き直ってさらに過激に批判なり罵倒なりするわけでもない。ただ自分の主張を聞いてくれと言ってくる。……僕がこの対談を受けた理由をまだ教えていませんでしたね。僕は、めろさんの行動はどういう心理を辿った結果なのか、それを知りたかったんです』

 

「……こんなメリットのないことを、そのためだけに?」

 

『僕にとっては大事なことだったんですよ。法的措置を取ると言われたあとに、謝罪でもなく逆上でもなく、話したいと言ってくるその理由がなんなのか。推測はできても、これだという確信は持てなかった。だから直接お話しするしかないと思ったんです』

 

 ジン・ラースの関心を惹いた、という理由で今日の通話が成ったらしい。砕いて言ってしまえば、まるで珍しい生き物を見つけたから物は試しと触ってみた、というような屈辱的な理由だったが、この通話が実現しなければ自分も困っていた。その強い知的好奇心に苦虫を噛み潰すような顔で感謝しておく。

 

 自分から見れば、ジン・ラースのほうこそ珍獣だ。そう思うと少しだけ気が紛れた。

 

「……まぁ、昨日の時点で決着はついてましたからね……何をどう思われても仕方ないです。自分が対談を申し出たのは、誰かが悲しむ前に男女でVtuberが関わるという文化を根絶させるためです」

 

『ふふっ……。めろさん、嘘はだめですよ』

 

 育ちの良さを窺わせる上品な笑いを漏らして、ジン・ラースは言う。

 

 これまでと変わらない穏やかな声なのに、背筋が寒くなった。

 

 嘘ではない、嘘はついていない。ない、はずなのに、やけに自信を持ってジン・ラースが言い切るせいで漠然とした不安感に襲われて言い淀んでしまう。

 

「う、嘘って……なんですか。嘘じゃ、ありません。本当に……自分は」

 

『いいえ。嘘をついています。僕に嘘をつくのならまだしも、自分自身に嘘をついているのは見過ごせません。めろさん、あなたは自分の社会的立場を危うくしてでも見ず知らずの赤の他人の役に立とうとする人ではありません。訴えられかねない追い詰められた状況で「自分と同じような辛い思いをする人が減るのなら」などという自己犠牲精神を発揮するような人ではありません』

 

「そ、そんなこと、お前にっ」

 

『わかりますよ、僕にも。なぜなら、めろさんが僕を調べていたように、僕もめろさんのことを調べていたのですから』

 

 ひゅ、と肺から空気が抜ける音がした。心臓の音がやけに大きく聞こえる。部屋の中は過ごしやすい温度なのに、指先は冷えていく。

 

 なぜ自分がジン・ラースを調べていたことを知っている。

 

 ジン・ラースは、自分の何を知っている。

 

「お、お前は、何もっ」

 

 自分のことなんて何も知らないくせに知ったような口を叩くな、と空威張りすることさえ、ジン・ラースは許してくれない。

 

『個人主義、と言ってしまうと大仰ですね……そう、自己中心的と言い換えましょう。自己中心的な性分です。周囲がどう思おうと自身の考えを優先するタイプです。どれだけ範囲を広げたとしても、同じ趣味を持つ人くらいまでしか気にかけることができない。率先して他人に迷惑をかけることはしないけれど、自分を含めて同好の士が楽しめるのであればそちらを優先し、他人のことになど配慮しない。そういう考え方です』

 

 虚勢も張れない。虚言も吐けない。まさしくその通り過ぎて、ぐうの音も出てこない。

 

 ふと、昔の出来事が脳裏を過ぎったからだ。

 

 推しがまだ活動していた時、推しと似通ったスタイルで活動しているVtuberがいた。推しも、似た感じのVtuberも、本人同士が言及することはなかったが、両者のファンはかなり険悪な関係だった。ファン同士互いが互いに敵認定し、煽れば煽り返し荒らせば荒らし返すような、そんな殺伐としていた時期があった。一悶着あった時、自分も派手に相手のファンに対してレスバトルを繰り広げた記憶がある。

 

 今回のジン・ラースに纏わる件だってそうだ。自分のグループに利する人や情報以外、排除していった。SNSでジン・ラースを評価するアカウントなどに粘着して手酷く攻撃するなどしていた。

 

 自分は、自分のテリトリーの外のものに対して配慮しなくなる節がある。それはたしかに個人主義と言われても仕方のないものなのかもしれない。

 

 しかしそれは──

 

「それ、はっ……早くジン・ラースを辞めさせるためにっ」

 

『ジン・ラースというみんなの敵を排除するために身を粉にして活動する? 見ず知らずの他人に対して、あれだけ残酷に叩き潰そうとするあなたが? あそこまで冷徹に振る舞うあなたが「他人のために」身を(なげう)つ? 違和感しかありません』

 

 ジン・ラースの言葉が、自分の心の奥のほうへするりと滑り込んでくる。なぜそんな簡単な自己矛盾に気づいていなかったのだろうかと、自分の行動に疑義が生じた。

 

 身の内から湧き出す疑問や不安を払拭するように、声を張り上げて否定する。否定する材料なんてこの手にはもう残っていないのに、それでも否定する。

 

「違う……違う、違う! 自分は、ジン・ラースが早くいなくなればそれで、みんなが自分たちみたいに同じ苦しい気持ちにならないために、自分はっ」

 

 自分で言っていて笑えてくるくらい話がまとまっていない。ただ否定しないといけないという気持ちが先走ってばらばらになっていた。

 

『違いませんよ』

 

 論理性を欠如した自分の話を嘲笑うことはせずに、しかしジン・ラースは一刀両断にする。

 

『最も断罪したかった相手である当事者の男性Vtuber。彼が表舞台から消えたことで標的がいなくなったから、都合よく現れたジン・ラースを代わりに据えて弾劾しただけのことです。掲げていた綺麗な御題目は自分たちの悪行を正義にすり替えようとしただけのただの欺瞞、他者を攻撃するための口実作りにほかなりません。自己犠牲精神? そのような大それたものではない。エゴイズム? そう呼べるほどの信念すら持たない。綺麗に粉飾されただけの屁理屈。あなたの言っていることは、自己正当化のための詭弁でしかありません』

 

「ぁ、ぅ……っ」

 

 これまで受けてきた誹謗中傷の恨みで熱くなっているわけでもなく、哀れみや同情で冷めているわけでもない。

 

 ジン・ラースの言葉は、ただただ無機質で無関心だった。血の通わない無感情な言い様が、なにより心に痛かった。

 

 人工音声のほうがまだ感情の起伏が豊かだ。なんて、現実から目を背けそうになる。

 

 淡々と事実を突きつけてくるジン・ラースに、心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを感じた。

 

 視界が揺れる。

 

 座っているのに、膝から崩れ落ちるように錯覚した。

 

『僕はね、めろさん。今だから話すんですけど、僕が存在していることで誰かの純粋な想いを著しく貶めることになるのなら、活動を休止したり、いっそのことVtuberを辞めるっていう判断も選択肢に入れていたんです』

 

「え?」

 

『一番最初の頃ですけどね? デビューしたばっかりの頃です。状況が変わった……というか、まあ繕わずに言うと礼ちゃんが押し掛けてきてから状況が大きく変わっちゃったので選択肢から除外したんですけど、一応は考慮してたんです』

 

 ジン・ラースの話に頭が追いつかない。

 

 頭が真っ白になっている自分には、聞き漏らすことのないよう千々に散らばった集中力を聴覚に集めて(そばだ)てることしかできなかった。

 

『推しの女性へ向けるめろさんの感情の強さは、僕も理解していました。騒動以前のSNSや、たくさん投稿されていた切り抜き動画などから見て取れました。大好きだったんだなって、そう感じましたよ。応援したい、頑張っている推しの力になりたい、そういう想いが込められているのが、SNSでの投稿頻度や動画編集での丁寧さから伝わっていました』

 

「っ……うん」

 

 メンタルを情け容赦なくぼこぼこに殴られた後なのに、こうして自分の頑張っていたところを認められて、どうしようもなく喜んでいる自分がいる。努力を褒められているようで目頭が熱くなってくると同時に、怨敵であるジン・ラースに胸を震わされている事実が情けなくて死にたくなってくる。

 

『とはいえ、今ではその気持ちは失われた(・・・・)ようなので、選択肢に残っていたとしても僕は──』

 

「うしな……われ、た?」

 

 耳鳴りが木霊(こだま)する自分の頭蓋。だが、その言葉だけはいやに明瞭に入ってきた。

 




さすがに配信でもSNSでも匿名掲示板でも荒らしてた人とコラボするなんて事務所が許してくれるわけありませんでした。残当。仕方ないね。



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手錠

『──めるという選択肢を取ることはなかったでしょうね。めろさんの気持ちの変化に気づいた時は正直なところ、残念というか複雑──』

 

 ジン・ラースは続けてなにかを喋っているが、自分は未だぶつけられた一言を咀嚼(そしゃく)しきれていない。それ以降の話は耳から耳へ、まるで上滑りするように脳を経由せずに素通りしていく。

 

 自分がこれまでやってきた活動を完膚(かんぷ)なきまでに否定された。自分自身ですら認識できていなかった本質を叩きつけるように直視させられた。

 

 完全なる敗北だ。

 

 昨夜はグループとして負けて、今夜は個人として負けた。自分はこんなに敗北感を味わわされてるのに、ジン・ラースは飛んできた火の粉を払ったくらいの気持ちでしかいないのが、なおさら苦しくなる。

 

 自分は惨めな敗北者だ。周囲を飛び交い、(わずら)わしく感じた途端に叩き潰されるような羽虫だ。地べたに這いつくばり、ジン・ラースのお情けで法の裁きを受けずに浅ましくも見苦しく存命している虫けらだ。

 

 だとしても。

 

『── したけど、でもそれは良いことなのだと僕は考えています。未来に──』

 

 自分という存在を木っ端微塵に砕かれても、それでもこれだけは譲れない。気持ちが失われたなんて、それだけは許せない。

 

 項垂(うなだ)れていた頭を上げる。丸まっていた体を起こす。

 

 この気持ちだけは、本物なのだ。推しへの想いは今もなお、色褪(いろあ)せず脳髄に焼き付いている。

 

「……愛していた」

 

『──向けて一歩踏み出したと……すいません。コミュケーションアプリのラグで音が重なってしまい、よく聞こえ……』

 

「自分はッ、愛してたんだ! ずっと、ずっとずっとッ、愛してた! いつも明るくて、楽しそうに配信している彼女から元気をもらってた。仕事に行き詰まった時も、クライアントから理不尽な注文を押しつけられた時も、親に結婚がどうとか小言を言われた時も! どれだけ苦しくて辛い時も、推しの声と笑顔に救われてきたんだ! まだ同接が一桁だった時、自分がなんの気なしに送った愚痴に等しいコメントに対して彼女は親身に励ましてくれた。たまにはがんばりすぎないで、ほどほどに力を抜こうって、応援してくれた。自分以外のすべてが敵に見えた時、彼女だけが自分の味方になってくれたんだ!」

 

『……ああ。なるほど。…………だったのか』

 

「自分の中で彼女の存在が大きくなった。心にゆとりができて仕事もうまくいくようになった。だから、仕事が軌道に乗って時間とお金に余裕ができた時、自分は恩返ししたいと思ったんだ!」

 

『うん……。それは、わかるよ……』

 

「励ましてもらった、応援してもらった、救ってもらった! だから今度は、自分が彼女の背中を押すんだって! だからッ、自分はッ──」

 

『その後は言わなくてもいいよ。もういい。大丈夫。あなたの気持ちは伝わったから』

 

「なにがわかるんだ?! おまえッ、お前なんかにッ!」

 

『絶望の中で手を差し伸べてくれた相手に、感謝と恩を抱いたんだよね。わかるよ。自分一人だけではどうにもできなくなった時に、寄り添ってくれたように感じたんだよね。わかるよ。道を踏み外しそうになった時に、そっと引き戻してくれたんだよね。わかるよ。わかってるよ。僕も知ってるんだ。その気持ちは、痛いくらいに』

 

「お前、なんかにっ……」

 

 罵声を浴びせてやりたかった。

 

 否定して、拒絶して、突っぱねてやりたかった。お前なんかに自分の気持ちがわかるものか、って大声で罵ってやりたかった。

 

 なのに、なんで。

 

「なんで、お前なんかにっ、わかるんだ……っ」

 

 なんで、自分の口からあふれてくるのは、濡れそぼつように詰まった声と、絶対に言いたくなかった言葉なのだろう。

 

『自分の受けた恩を返したくて、相手に感謝を伝えたくて、相手の役に立ちたくて、だから相手の為になることをしようとして……それがいつしか、自分の生きる理由になった。……うん、わかるよ』

 

 自分の心の内側を、心の奥底を見透かしているかのように言い当てるジン・ラースに、自分は肯定も否定もできない。自分の口を押さえ、嗚咽(おえつ)が漏れないように、声がジン・ラースに聞こえないように、必死に耐えることしかできなかった。

 

『でも、でもね、めろさん。落ち着いて聞いてほしいんだ。あなたの言った通りなんだ。「愛していた」であって、もう「愛している」じゃないんだ』

 

「は────」

 

 掠れたような音が喉の奥から溢れた。張り詰めた心が音を立てて(こぼ)れた。

 

『……以前のあなたを否定するつもりは僕にはないし、できない。こんなことになる前に抱いていたあなたの気持ちは、純粋なものだったと思う。イベントがあれば必ず(おもむ)いて、グッズを手に入れては喜んで、推しの配信は自主的に切り抜いて編集して新規のファン獲得に貢献して、ボイスが販売されればSNSでも切り抜き動画でも宣伝する。それ以外でも頻繁に推しに関連した投稿をして、いろんな人に知ってもらおうと努力して。時間も、お金も、労力もかかるのに、一切(いと)うことなく一途に応援していた。それらをこれ見よがしにアピールすることもなかった。推しの女性に気持ちを押し付けることもなかった。それは正真正銘、愛だった(・・・)。……でも』

 

 その先を、言わないでほしい。自分に見せつけないでほしい。ずっと逃げ続けていた現実に、向き合わせないでほしい。

 

 頭の中で鐘を打っているみたいに、心臓の音がけたたましく自分の内側で響いている。

 

 震える手で、胸を掻き抱いた。

 

『……でも、それは、今ではもう変わり果てている。穢れて歪んで、腐り落ちている』

 

 刃物を直接突き立てられたかのように胸が痛んだ。止め処なく流れて伝う雫が滴って、手の甲で弾けた。

 

『確信したのは、捏造動画の時。あの時僕が驚いたのは捏造動画をあのクオリティで完成させた編集技術もそうだけど、何よりも愕然としたのは、めろさんがあれだけ大切に想っていた女性の動画を利用したことだった。件の女性とジン・ラースは交流があった、もしくは交際している相手がジン・ラースだった、などというふうに真実を捻じ曲げるのはジン・ラースを排斥するにあたってたしかに好都合だったと思う。でも都合がいいから、効率がいいからといって、推しを自身の目的のために……汚い手段のために利用するだなんて思わなかった。めろさんが自分で気づいているか否かは関係ない。他者を叩くための道具にした時点で……いや、しようとした時点で、それはもう愛とは呼べない。呼んではいけない』

 

「っ……そんなに、いけないことなのか。そんなに間違ったことなのか。他人に興味のない自分が初めて純粋に、心の底から人を応援したいと思ったんだ。ずっとその人の活動を見ていたいって思ったんだ。なのに……っ、あの男が奪ったんだ! 性欲でしか女を見てないようなあの男が! 男なんてそんな生き物だろうが! あのクズがっ……奪ったんだ……っ。大事な人……っ、自分には、彼女が必要だったのに……っ。憎んでなにが悪いッ! 恨んでなにが悪いんだッ! 似たようなお前に制裁を加えてなにが悪いッ! じぶんは、これまで、ずっと……ッ、彼女を……愛して……っ」

 

 痙攣する横隔膜に鞭を打ち、絶え絶えな肺からなけなしの空気を吐いて、震える喉から絞り出したのは、的外れで狂気的な戯言(たわごと)だった。

 

 お門違いなことはわかっている。こんな愚か者の末期につき合わせるべきではないことも。ジン・ラースに非はないことも。自分にこんな言われ方をする筋合いなんてジン・ラースにないことも。なにもかも、ぜんぶわかってる。

 

 それでも期待してしまった。きっとジン・ラースは、自分に必要な言葉を言ってくれるのだろうと、そんな都合のいい期待を。

 

『間違ってるよ。一から十までじゃない。ゼロから百まで間違っている』

 

 それは、情け容赦もなく、ではない。

 

 情けがあるからこそ容赦なく、一思いに自分を介錯(かいしゃく)してくれる。そう身勝手に期待した自分へ、ジン・ラースは真摯に応えてくれた。

 

『応援するのに見返りを求めるな、なんてことを言ってるわけじゃないよ。見返りを求めたっていい、自分の考えを主張したっていい。自分の言う通りに動いて欲しいと思ったっていい。自分を見てほしいって願ったっていい。でもそれを──』

 

──『愛』だなんて美化するな。

 

 そう言い放ったジン・ラースの言葉は、苦しみ悶える自分の首を一刀で落とすかのようだった。

 

 ああ、こいつは本当に、どこまで自分のことを理解しているのだろう。どうして、ずっと酷いことをしてきた自分なんかに、今一番欲しい言葉をくれるのだろう。

 

 メンバーの誰も言ってはくれなかった。直視したくなくて目を背け続けていた現実を、自分とは対極にいたはずのジン・ラースだけが、はっきりと口にしてくれた。

 

 わかっていたんだ、気づいていたんだ。自分が推しに向けている感情が、愛ではなくなっていたことなんて。

 

 気づいていたのに、認めたくなかった。今の捻じ曲がった感情を認めてしまったら、推しを真剣に応援していた過去まで汚濁に塗れてしまう気がしたから。

 

『交際していただとか、結婚を予定しているだとか、急に聞かされたことで受けた衝撃は計り知れないものだったとは思う。青天の霹靂だっただろうね。そこに同情しないと言えば嘘になる。でも、愛していた人が自分とは違う誰かと結ばれて幸せになったことで、愛していた人やその相手の人に怒ったり批判したりするのは間違っている。そんなものは愛とは呼ばない。……無償で、見返りを求めず、相手の幸せを心から願う気持ちのことを愛と呼ぶんだ。そうでなければ、愛ではない。そうでなければ、欲でしかない』

 

「……ああ。……そう、なんだろうな……」

 

 ジン・ラースに対して、自分は一言たりともけちをつけることができない。

 

 そこらの人間では説得力がない。なんなら『嘘をつくな』と鼻で笑える。

 

 でも、ジン・ラースが言うと真実味がある。理想論のような『愛』の体現者。ジン・ラースでは、言葉の重さが違う。

 

 自分はジン・ラースがデビューしてからずっと、排除するための隙を探して配信を視聴してきた。活動の邪魔をするためのきっかけがないかと、ジン・ラースの妹であるレイラ・エンヴィの配信も、昔のものまで(さかのぼ)って観るようになった。

 

 そのレイラ・エンヴィが、ことあるごとに兄の話をしていたのだ。仕事が忙しく家を空けがちな両親に代わって家事全般を担っていることや、どれだけ疲れていても車を出して学校まで送ること、勉強でわからないことがあればわかるまで教えること、スポーツや歌や楽器のテストを前にしてできないことがあれば気が済むまでつき合うこと。レイラ・エンヴィの兄のエピソードはバラエティに富んでいる上に枚挙にいとまがない。

 

 もし誇張なくレイラ・エンヴィの言葉通りなら、そんな無償の献身をジン・ラースはずっと捧げている。きっと、それこそを愛と呼称するのだろう。

 

 机上の空論ではない。理想の絵空事ではない。現実離れした理想をジン・ラース自身が体現している。

 

 これだけの理想論を唱えても嘘吐きと嘲笑できない。清廉で誠実で、自分が初めて敬意を持った男。

 

 こんな感情を抱く男なんて、ジン・ラースが唯一だ。

 

「……あぁ、そっか」

 

 これまではその失言のなさによってつけ入る隙がなく、争う術がない状態だったが、今はもう抗う意志さえ失われた。

 

 自分の心が根元からぽっきりと折れてしまったのを自覚する。ジン・ラースを叩く材料があろうがなかろうが、もうなにもできない。敵対し続けられる精神状態じゃない。

 

「……終わったのか、なにもかも」

 

 PC用のチェアの背もたれに体を預ける。ゲームをしない癖に購入したそこそこ値の張るお高いゲーミングチェアは軋む音も最小限に、脱力した自分の体を支えてくれた。

 

 肺腑(はいふ)滞留(たいりゅう)する(よど)んだような空気を吐き出す。

 

 すべて、だ。すべてがこれで終わるというのに、なぜか気分はすっきりとしていた。

 

 もしかしたら、呪いを解いてもらった時の気分というのはこんな感じなのだろうか。あるいは、自分自身が呪いのような存在になっていたのか。どちらかといえば後者のほうがしっくりくる。

 

 推しに傾けていた愛情も、ジン・ラースに向けていた憎悪も、自分が掲げていた大義も、全部偽物だった。なに一つとして、誇れるものなんてこの手のひらにはなかった。

 

 今、自分の心を覆い尽くしているこの名状し難い気持ちは、なんなのだろう。絶望よりも緩慢に侵蝕し、恐怖よりも苦痛に富んで、激情よりも感情が混濁している。そしてなによりも、辛くて悲しくて涙が出るのに、どこか愉快で笑えてくる。

 

 この気持ちの名前は。

 

 きっと、知らないままでもいいのだろう。知らないほうが、いいのだろう。

 

「……ジン・ラース」

 

『うん? なにかな、めろさん』

 

「……ありがとう。ごめん。自分が、間違っていた」

 

 以前の自分なら、たとえ眉間に銃を突きつけられても、ナイフを首に押し当てられても、絶対に口にしなかった言葉。それが今は、素直に言えた。

 

 上辺だけを取り繕った安っぽい謝罪ではない。自分の正直な思いだった。

 

『……そう。わかった。受け取っておくよ。真摯な言葉だったからね。……めろさん、言いたいことは全部言えた?』

 

 急にそんなことを訊いてきたジン・ラースに思わず笑ってしまう。そういえば、自分の主張を聞いてもらうために、今日この場が用意されたのだった。ジン・ラースに言われたことがあまりにも強烈すぎて失念していた。

 

「ははっ……うん。もう思い残すことはない」

 

『そっか。じゃあ、僕も言うべきことは言えたし、これからの話をしようか』

 

「これから?」

 

『ほら、昨日の配信で僕言ったでしょ? 法的措置がどうこうとか』

 

「……ああ、そういえば」

 

 ふと、SNS上でグループのメンバーが許しを乞うように謝罪文を投稿していたのを思い出した。反省した体を取ってさえいれば法的措置は行わないとジン・ラースが明言した、あれだ。

 

 昨日のことなのに、なんだかもう遠い昔みたいな感覚だ。

 

 今となっては、沈む船から我先にと逃げるようだったメンバーに対してなんの感情も湧かない。親しみも怒りも悲しみも哀れさも、なにも感じなかった。

 

『こうして謝ってもらったわけだし、もちろん法的措置はしないよ』

 

「……正気か? 一応自分はグループのリーダーみたいな立場だったのに? これまでずっと酷いことをしてきたのに?」

 

『グループの方針から逸脱するメンバーを(たしな)めたり、時には咎めたりしてたし、何よりめろさん自身は礼ちゃんに荒らし行為をしてなかったからね。法的措置をする理由がないや。あとは……ちょっと個人的な理由で恥ずかしいんだけど、ね。僕と似たような立場でありながら、僕とは違うめろさんのことを、僕は尊敬しているんだ。仲間意識……って言うのかな?』

 

 これまでと変わらない真剣みのあるトーンで『尊敬している』などと(のたま)うジン・ラースに呆気に取られた。どこをどう区切ってもジン・ラースの言うような『仲間』なんていうカテゴリーには自分たちは収まらない。

 

 配信者と視聴者、被害者と加害者。そして勝者と敗者。主観的に見ても客観的に見ても、どこまでも対照的だ。冗談には思えないが、信じられなかった。

 

 まぁ、ジン・ラースの配信を観ている限り、ジン・ラースは冗談を言う時もまったく声のトーンに変化はないので、これも冗談という可能性はなきにしもあらず。

 

「……尊敬? 仲間? 本気で言ってんの? いや、嘘ついてるようには聞こえないんだけど……」

 

 確かめるように訊ねる自分に、ジン・ラースは考える時間すら置かずに即答する。

 

『もちろん本気だよ。めろさんが推しの女性に抱いていた感情は、今では歪んでしまっているのだとしても、歪む前は本物だった。僕が知っている愛は肉親にしか向いていないけど、めろさんは違う。血の繋がっていない他人に対して、僕が礼ちゃんに向けている愛情と同じくらいの愛情を他人に、推しの女性に向けていたんだ。それは僕にはできないことだった、だから尊敬しているんだ。僕と同じくらい誰かを愛することができる、だから勝手に仲間意識を持っているんだよ』

 

「そう……そっ、か。……ははっ、そっか」

 

 べつにジン・ラースは自分を全否定していたわけではなかった。

 

 推しがいなくなってからの自分が持っていた感情は、愛を(かた)る欲だった。ジン・ラースは、欲を美化して愛を語っていた自分を否定していただけなのだ。

 

 推しがいなくなる前には確かにあった愛を認めてくれていることがわかって、もう出尽くしたと思っていた涙がまた湧いて出てきそうだった。

 

「っ、あ、あのさ……」

 

『うん? なに?』

 

 一つだけ、ジン・ラースに訊いてみたくなった。他人にはわりと無関心という部分は共通しているくせに、愛情という一点において自分とは違って高い見識を持つジン・ラースに。

 

「お前は、さ……なにも、思わないの? 自分がこんなに推しのこと大好きとか愛してるとか言ってるのを見て、聞いて……なにも思わないわけ? ……気持ち悪い、って思わないの?」

 

 グループのメンバーにさえすることはなかった自分の話だ。他者に影響されない確固たる己の意思を持っているジン・ラースの意見を聞いてみたくなった。

 

『え? どうして? 何が気持ち悪いの? 人を好きになる、大事に思うって、それはとても素敵なことなのに』

 

 こいつ、人の心は読める癖に会話の空気は読めないのか。それともわざとやっているのか。

 

 自分が言っているのはそういうことじゃない。こいつの情報収集能力なら絶対にすでに知ってるはずなのに、しらを切るのは自分の口から直接言わせたいがためなのか。

 

 こいつは性格がひん曲がっている。こいつと付き合う女は絶対に苦労する。もしくは女の性癖がひん曲がる。性癖が元からひん曲がっている女が付き合うならwin-winの良好な交際ができるだろう。

 

「だからっ……女が女に対して大好きとか愛してるとか言ってることだ! ……知ってるんだろ、どうせ」

 

『あれ? 隠してたの?』

 

「……いや、べつに……隠してたつもりはない、けど……」

 

『SNSでも、この人は女性なんだろうなと思わせる部分はちらほらあったしね』

 

「……情報収集される側の気持ち悪さを初めて知ったよ」

 

 あえて隠そうとはしていなかったが、やはりジン・ラースは当然のように自分が女であることを把握していた。自撮りをSNSに上げる趣味はないが、自室で推しのグッズの写真を撮ったりはしていた。そういう写真のどこかから情報を拾ったのだろう。荒らし用のアカウントや推しを宣伝するためのアカウントだけでなく、なぜ推しのグッズ入手報告やイベントを楽しんできた報告などの投稿をしているサブアカウントまで知っているのか、という疑問はあるが、しかし相手はジン・ラースだ。知っててもなんらおかしくない。

 

 もしグループのメンバーに性別について訊かれていたら、答えるくらいはしていただろう。たしかに嘘をついてまで誤魔化そうとはしていなかった。

 

 ただ、率先して性別を明らかにしようとはしていなかっただけだ。仕事でクライアントと電話する時も、自分は地声が低くて女と気づかれなかったことだってあったけど、わざわざ訂正したりはしなかった。

 

 それでも、声と合わせて言葉遣いまで荒っぽくしているのは、女だと思われないようにしているからなのだろう。

 

 そのように男を演じているのに、自分は男が嫌いだ。大嫌いだ。生理的に受けつけない。

 

 お母さんにいつも苦労ばかりかけていた屑な父親。学生時代に告白してきた、性欲でしか女を見ていない同級生の男。女なら愛想よく酒でも注げよ、なんて前時代的なことを平気で言うカビの生えた価値観を持っていた会社勤めしている時の上司。

 

 気持ち悪い。不快だ。嫌悪感しかない。

 

 男だと思わせるように振る舞っている自分にも、嫌悪感しかない。

 

 自分で自分が嫌になるのに、脳みそに刻みつけられた言葉が自分に向けられるのを怖がっている。

 

 あの日の出来事は忘れられそうにない。推しのイベントに行った帰りのことだった。

 

 自分の少し前を、二人の女性が歩いていた。服装は似通っていて、絡ませている指にはシンプルだけどお洒落なリングが輝いていた。仲睦まじく、顔を近づけて小声でお喋りしているところを目撃した自分は単純に『幸せそうだな』なんて思ったけれど、横を通り過ぎたカップルの男が言ったのだ。声を落とす素振りもなく、これ見よがしに、少なくとも自分には充分はっきりと聞こえる声量で。

 

 『女同士でなんて、気持ち悪いよね』と。

 

 それに対して自分は、その男に食ってかかったわけでもなく、自分の前を行く二人の女性に聞こえていませんようにと祈ったわけでもなかった。

 

 ただ、酸素が薄くなったような息苦しさと、目の前が真っ暗になるような衝撃だけを感じていた。イベント後の高揚感は影も形もなくなっていた。

 

 世間一般の常識と照らし合わせれば、自分の感性のほうが間違っているのだろう。お前は異端なのだと、指を差されて言われているような気がした。

 

 もちろん、あれほど明け透けに差別的発言をする男は極端な例だとは思う。価値観が時代と逆行している。それはちゃんと理解している。

 

 なのに、返しのついた棘のように、あの言葉がずっと胸に引っかかって抜けてくれない。

 

 べつにジン・ラースに慰めてほしいわけではない。励ましてほしいわけではない。ましてや、認めてほしいわけでもない。

 

 ただ、ジン・ラースの意見を聞いてみたくなった。これほどまでに自分の心を見通すような男はどんなふうに考えているのか、愛情について一家言(いっかげん)持っている男はどう答えるのか、気になった。それだけ。それだけのことだ。

 

『明かしたくないことがあるのなら、情報の出し方には気をつけたほうがいいよ? 世間にはどこで撮影された写真かを探すような変わった趣味の人もいるし、特殊な技術を持った人もいる。僕程度でもめろさんの住んでいる地域を特定できるくらいだし……』

 

「自分のことはいい。お前だ。ジン・ラースがどう思ったか。お前の意見が聞きたい」

 

『ふむ……。…………』

 

 話が逸れそうになったのを強引に引き戻し、自分はジン・ラースに訊き直す。正直、住所特定云々の話は聞き捨てならないというか、心胆を寒からしめるものがあったが、それでも訊き直した。

 

 数秒か十数秒か、こいつにしてはめずらしく考え込むように、短くない時間押し黙った。配信中でも今日の通話中でも、先に答えを用意しているのかと思うくらいレスポンスの速いこいつが。

 

 ジン・ラースが今、なにを考えて、どう思っているのか。恥ずかしながら自分はまったく見当がつかない。

 

 こいつがデビューしてからというもの、自分は一日たりともジン・ラースのことを考えなかった日はなかった。どうすれば足を(すく)えるか、弱点はなにか、どんな人間性をしているのか、ずっとこいつのことばかり考えていた。ジン・ラースの発言を文字起こししてどういった傾向があるのかまで調べてみたりした。

 

 結果的に、妹を好き過ぎることと、妹に関わること以外に関心がないことしかわからなかった。

 

『……ああ、なるほど』

 

「……なるほど?」

 

 なるほどじゃねぇよ。こっちはお前の意見を聞かせろって言ってんだよ、と詰りたくなる気持ちを抑えている間に、ジン・ラースは続けて言う。

 

『めろさんは誰かにそう言われたことがあるんだね。「気持ち悪い」って』

 

「なっ……」

 

 自分が要求していたこととはあまりにもかけ離れているが、ジン・ラースの言っていることは間違っているとは言えなかった。たしかにそう言われたからだ。その言葉が自分には向けられていなかっただけで。

 

『SNSとかで文字として目にしたわけじゃなさそうだ。わざわざ僕に訊ねるくらい鮮烈に記憶に残っているみたいだし、実際に人の口から言われたんだろうね。そして「気持ち悪い」って言われたことに、めろさんは傷ついた。とても嫌な気持ちになった。だから、そう思う人ばかりなのかどうか確かめたくなった。他の人の意見も聞きたくなった……ううん、直接、面と向かってめろさんが言われたのなら、もう一度訊くことは難しいか。……女性同士、あるいは男性同士のカップルに対して「同性同士なんて気持ち悪い」みたいな時代錯誤で差別的な発言をしている現場にめろさんが居合わせた、といったところかな。言った人は、おそらく名前も知らない赤の他人。めろさんの性格上、一緒に出かけるような仲の友人知人が差別発言をすれば厳しく注意するか、そもそもそんな人と親しくはしないだろうしね。偶発的に耳に入って、偶発的だからこそ身構えることもできなかった。不意に聞こえた酷い言葉に傷ついたんだ』

 

 ジン・ラースは話していく中で考察を修正して、とうとうドンピシャで言い当てた。

 

 その上で、自分の心情を察してまでいる。

 

 いつかの配信でレイラ・エンヴィとコラボをしていた時、脳みそが右と左で二つあるんだ、などと言っていた。あれは右脳と左脳について冗談めかして言っているのだと思っていたが、今の自分にはもはや冗談に思えない。圧縮された脳みそが二つ分、本当に備わっているのではないか。そう思わせるだけの現実味がある。超人的な推論だ。

 

『そこまで加味した上での僕の意見だけど、どうだっていいって考えてるよ。愛の形は人それぞれだし、意見だって各々異なっていて然るべきだ。「こうでなければならない」なんて画一的な考え方をするほうが不健全だし、自身の考えをキョウセイされる(いわ)れもないしね』

 

 こいつの言うキョウセイはどちらの字を当てるのだろうか。有無を言わさず従わせるという意味の『強制(キョウセイ)』なのか、改めて正しくするほうの『矯正(キョウセイ)』なのか。こいつのことだ、ダブルミーニングの可能性もある。

 

「…………」

 

 自分は返答もせず、相槌も打たず、ただジン・ラースの結論を待つ。

 

『意見は自由。それが大前提。だから、好きになる人だって自由だよ。性別の差異なんて些細なことだしね。男女の違いなんて、体の形、心の形が違うだけ。人を好きになる、人を愛する……それ自体が尊いことだよ』

 

「お前は、ほんと……」

 

 最後まで、しっかり声にならなかった。『かっこいいなぁ』と言い切ることができなかった。

 

 こんなにもメンタルに太い芯が通っている奴と、生き方も考え方もぶれている自分。勝ち負け以前に、同じ土俵に立ててなかった。

 

『「気持ち悪い」って、めろさんがいつ聞いたのかはわからないけど、今でも吹っ切ることができずに覚えているのは、きっと後ろめたい気持ちがあったからなんだろうね』

 

「……うしろ、めたい?」

 

『うん。その言葉を聞いた時、めろさんはどう思った? 自分は正しいんだって胸を張れた? 言った相手に対して、この人は狭い見識しか持っていないんだなって憐れんだ? そうじゃなかったと思う。きっと、その言葉が痛くて、俯いて、泣きたくなったと思う。当時傷ついたのは差別的な発言にショックを受けたから。でも今も傷ついているのは、その発言をわずかでも認めてしまったことを後ろめたく感じているから。何も言い返せなかったことが悔しいからだ。自分の愛の是非を疑うなんて愛している人への不義理だと、頭のどこかでそう認識してしまった。それの正体は罪悪感だ。でも、大丈夫。それはめろさんが気にする必要のない罪悪感だ。あなたに非はない痛みだよ』

 

 自分の感性は間違っているのだと、お前は異端なのだと、指を差されて言われているような気がした。たしかに、そう思っていた。自分が常識から外れているような疎外感があった。

 

『めろさん。好きな人には、好きって言ってもいいんだ。人の愛の形について、他人が否定していい権利なんてないんだから』

 

「……そう、そうか……そっか。ありがとう……参考になったよ」

 

『そうかな。お役に立てたのなら嬉しいよ。めろさんには前を向いていてほしいからね』

 

 胸に刺さっていた棘が、ようやく抜け落ちた気がした。

 

 だからといって、刺さっていた棘の痛みが、受けた言葉の痛みがすぐに消えてなくなるわけではない。傷ついた事実は消えない。

 

 でも、傷痕(きずあと)は残るかもしれないけれど、いずれは癒えて塞がる。ああ、そういえばこんなこともあったな、と傷痕に触れた時に唇の端がかすかに引き攣るような、そんな色の褪せた思い出になっていくのだろう。

 

 今はまだ痛みを感じるけれど、時間が経てば、苦しくなくなるのだろう。きっと、いつかは。

 

 どうしてだろうか。心を埋め尽くしていたあの名状し難い感情が、少しだけ薄れたような気がした。

 

『かといってこのまま野放しでさようなら、とはいかないけどね。めろさんの罪は消えないから、罰は受けてもらうよ』

 

 あれだけいい話をしておいて、人の人生観すら左右しかねない話をしておいて、どうしてこうも急転直下に話を変えられるのだろう。

 

 こいつはもしかして、他人を感情のジェットコースターに無理矢理乗せる性癖でも持っているのだろうか。

 

 いや、持っている。確信した。でなければこうまで人の感情を持ち上げては叩き落とすを繰り返すわけがない。良識を持つ人間に、赤い血が流れている人間にそんな所業ができるわけがないんだ。

 

 絶対にこいつは人の心を手のひらでころころと転がして弄ぶ性癖を持っている。自分にはわかる。もしかしたら性癖どころか本能なのかもしれない。実に悪魔らしい悪魔だ。

 

「……ほんっとにいい性格してるな、お前は。……なに? 訴えない代わりに金寄越せとか? それともSNSに全裸で土下座してる写真でもアップしろとか? いいよ、言ってみろ。なんでもやってやるよ」

 

 どうせこの通話が切れると同時に切れる縁だ。なんとでも言ってやる。

 

『なんでもしてくれるの? 本当に? よかった。じゃあ、僕の配信の専属切り抜き師してもらえる?』

 

「は? …………は?」

 

 一度聞き間違いかと思って平仮名一音を発した。次にジン・ラースの言い間違いかと思って再び平仮名一音を発した。

 

『切り抜き師。専属じゃなくてもいいけど』

 

 結果、聞き間違いでも言い間違いでもないことが判明した。まるでわけがわからない。なんだこいつ。

 

 ジン・ラースがわけわからんのは今に始まったことではないが、これはトップクラスに意味不明だ。これまでずっと配信を荒らし続けて、SNSでもネガティブキャンペーンをやり続けてきた相手にやらせることではない。

 

 意味も意図もまるでわからないけど、罪に対しての罰という一文に関してだけは理解できる。

 

 だが、自分には、それに応じることができない。まさか全財産払うことや全裸土下座よりも難しいことを頼まれるだなんて想像していなかった。

 

「それは……それだけは、できない。悪い……じ、自分は──」

 

 わざわざこいつに言う必要もないので黙っていたが、断るには避けられないと思い、受けられない理由を口にする。

 

 その前に、ジン・ラースは言った。

 

 

 

 

 

『これだけ仲良くなれたのに死なれたら悲しいよ』

 

 

 

 

 

 完全に思考が停止した。

 

 数秒してクラッシュした脳みそが再起動しても『なんで?』と同じエラーばかり吐き続けて、先へ進まない。

 

「……なんで?」

 

 まともに考えることができなくなって、とうとう疑問(エラー)がそのまま口から吐き出された。

 

 その疑問に、ジン・ラースはこれまでと同様、いたって平静に応える。

 

『これだけ長時間お喋りして、一方的だけどシンパシーを感じてるんだ。死んでほしくないって思うのは自然じゃないかな?』

 

 なぜ常人ではわからないことがわかるのに、常人にわかることがわからないのだ。自分が今訊ねていることがそこではないことなんて、誰にでもわかるだろう。薄々感づいてはいたが、やはりこいつは思考回路が常人のそれとは異なっている。

 

「ちっ、違うっ! なんでっ……なんで、自分が、し……死のう、って……思ってたことを知ってるのかって意味だ。誰にも言ってなかったし、SNSとかでもそんなの書かなかった。……なんで」

 

 言い切る前に、ジン・ラースが後を引き継いだ。

 

『なんでお前にわかるのか、って? わかるよ。言ったでしょ? めろさんは、僕と同じくらいの熱量で誰かを愛することができる。だから勝手に仲間意識を持ってるって。僕も同じなんだよ。唐突に、理不尽に、愛している人がいなくなったとしたら、僕は耐えられない。そんな世界に生きる理由を見出せない。僕なら絶対にそう思う。だからめろさんも同じように考えてるんじゃないかって』

 

「……な、んで……」

 

『もうなにもかもどうでもいいや、って自暴自棄になった時、自分で生きる理由って探せないよね。だから僕は、あなたが死なない理由を作るよ。めろさんは罪を犯したから、罰を受けてもらう。それが僕の配信の編集やら切り抜きのお仕事。まあ、精神的懲役刑とでも思ってよ』

 

「なんで……お前、は……」

 

『刑期は、あなたが生きる理由を見つけられるまで。ちなみに獄中死なんて認めてないので悪しからず』

 

「ははっ……っ、あははっ。ほんと、おかしいよ……。なん、で、お前は……ほしい時に、ほしい言葉を、言ってくれるんだよぉ……っ」

 

 枯れたと思った涙だけど、これはどうやら水脈が違うようだ。拭っても拭ってもこんこんと湧き出して止まる気配がない。

 

 涙がこんなにも暖かく感じたのは、今日が初めてだ。

 

 自分みたいなくだらない人間にここまでしてくれる人はこれまでいなかった。

 

 両親とは疎遠。友だちはいない。仕事柄、同僚も存在しない。昔会社勤めしていた時の上司や同僚や後輩の連絡先などは辞めた時に即座に削除した。恋人なんてできるはずもない。愛していた人はいなくなり、推しの配信を切り抜いて編集するという唯一の趣味も同時に消滅した。

 

 なにもない。

 

 本当になにもない空っぽの自分に、これまで酷いなんて言葉では言い表せないくらい酷いことをしてきた自分に、ジン・ラースはこんなにも優しい言葉をかけてくれる。

 

 自分が道を踏み外してしまわないようにと、優しくて、暖かくて、柔らかい手錠をかけて引き戻してくれた。

 

 ジン・ラースの言う通り、今の自分に生きる理由なんてないけれど、受けた誠意と恩には報いたいと思うだけの良心は、自分の中にもまだ存在していた。

 

『めろさん。罪、認める?』

 

「認める」

 

『じゃあ、罰、受ける?』

 

「受ける。……なぁ、ジン・ラース」

 

『なに? めろさん』

 

「こんなどうしようもない自分だけど……これから、よろしく……お願い、します……」

 

 かすかに衣擦れのような物音がして、その後にレイラ・エンヴィとのコラボでしか聴かないような、明るくてどこかあどけない笑い声が耳をくすぐる。

 

『うん。よろしくね、めろさん』

 

 そう言ってくるジン・ラースに対して、自分は返事もできず、相手に見えもしないのにただ頷くことしかできなかった。今声を出そうとしたら不細工な涙声しか出せない自信があった。

 

 乱れに乱れた呼吸を整えながら、口の代わりに手を動かす。

 

 ぼやけるディスプレイを見つめて、コミュニケーションアプリとは違うアプリを開いた。十九時になったと同時に動かしていたそのアプリを停止させる。

 

 ジン・ラースを引き摺り落とすためのネタにしようと思っていた録音データだ。この録音データをいじくって、ジン・ラースを道連れに破滅しようと画策していた。

 

「……こんなのは、もう……いらないんだ」

 

 口の中だけでそう呟いて、データを削除した。こんなのはもう、必要ない。

 

 自分は今日、ここで一度死んだのだ。体は無事でも心は死んだも同然だった。体も死ぬ前に、ジン・ラースの慈悲によって心が息を吹き返した。

 

 こんなことがあって、こんな恩を受けて、生き方を変えられないほど愚かなままでいたくない。

 

 ──さようなら。愛した人。どうかお幸せに。

 

 目を瞑り、愛した人へ最後の祈りを捧げる。

 

 刺されるような痛みがあった。息が詰まるような苦しさがあった。胸を締め付けられるような悲しさがあった。

 

 閉じた瞼から頬を伝った一雫を拭う。

 

 もう涙は流さなかった。

 

 これまでの自分とは決別する。変わるんだ。一度死んで、生まれ変わる。

 

 死ねない理由をジン・ラースは与えてくれた。だからこれからは罪を償いながら、生きる理由を探す。その一歩を、ここから始めるんだ。

 

 顔を上げて、ふと窓に目を向ければ、雲一つない綺麗な夜空が広がっていた。こんなに輝くような星空を見るのは初めてだった。

 

 心を覆っていた名状し難い気持ちは、もう感じなかった。

 




めろさんが妹ちゃんに誹謗中傷行為をしていなかったこと、お兄ちゃんがめろさんに仲間意識を持ったことが岐路でした。


次回『ハッピーエンド』
お兄ちゃん視点です。よろしくお願いします。


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ハッピーエンド。

 

「ふう……。やっと一段落、ってところかな」

 

 めろさんとの通話を終えて、長く息を吐きながら僕はぐぐっと背伸びをした。

 

 これでデビュー配信から続いていた騒動も完全決着だ。

 

 おそらくめろさんのグループに影響された荒らしはこれからもちらほら現れるだろうけれど、それらは個人個人で好き勝手に動いているだけ。統制も連携も取れていない烏合の衆以下の荒らしなんて、特別に対策を用意する必要もない。

 

 基本的には無視、あまりに目立つようならブロック。一般的な対処で問題は起きないはずだ。

 

 これだけ無駄に目立ってしまったことだし、再び法的措置をしなければいけない事態になんてそうそうなりはしないだろう。

 

 直近で頭を悩ませている課題としては、はたしてどのように切り抜き師(めろさん)の話を安生地(あおじ)さんにするかである。

 

 めろさんとの通話ですら、だいぶ渋られたのを強引に認めてもらったのだ。その上さらに公認切り抜き師として承認してください、とお願いするのはかなり心苦しいものがある。どんな顔して言えばいいやら。

 

 この際、菓子折り持参で直接事務所に話をしに行くのも一つの手である。これまで多大なるご心配をかけたお詫びと、これからも過大なるご迷惑をおかけすることになってしまうだろうことを先に謝っておくのだ。

 

 先のことはまた今度考えるとして、とりあえず安生地さんへの報告を早々に済ませてしまおう。

 

 通話が終わったら、どのような話をしてどのような結果になったのか、詳細に教えてほしいと念押しされていたのだ。すべて方がつきましたよ、と吉報を送ることができそうでよかった。

 

 それでは早速安生地さんへのメッセージを打とうかな、と思った矢先、扉をノックする音が聞こえた。ノックする音が、どこか剣呑な雰囲気を漂わせていたように聞こえたのはきっと気のせい。

 

 そう。課題はもう一つあったのだった。

 

「はいはい、ちょっと待ってね」

 

 椅子から立ち上がり、返事をしながら扉へと向かう。

 

 ふだん僕の部屋には鍵なんてかけないけれど、めろさんとの通話中に礼ちゃんが部屋に突撃してきそうだったので、今回ばかりは施錠していた。

 

 鍵を解いて、扉を開く。

 

 開いた瞬間に、視界の下のほうに黒い影が迫っていた。

 

「わっ、ちょっと、礼ちゃん? ちょっ」

 

 お腹のあたりに抱きついた礼ちゃんは、しかしそのまま止まることなく、さらにぐいぐいと前進する。

 

 無理にその場に留まってしまうと礼ちゃんが体を痛めてしまうかもしれないので、押されるがままに僕は後退していく。

 

 僕の部屋はラグビーごっこができるほど広大ではないのですぐに限界がきた。

 

 踵やふくらはぎに物が当たる感触があり、これ以上後ろに退がれない状態でさらに礼ちゃんに押し込められたのでバランスを崩して仰向けに倒れる。倒れた場所がベッドだったのは、きっと偶然ではないだろう。僕の部屋に入り浸る礼ちゃんなら、扉からベッドまでの方向と距離くらい目を瞑っていてもわかる。

 

 ベッドに倒れ込んだ僕の上にかぶさるような形で、礼ちゃんも一緒に倒れ込んでいた。

 

 ぽそりと、サーモグラフィでも計測できなさそうなほど低い温度感で礼ちゃんが言う。

 

「話、長かったね」

 

 肝が冷えた。

 

 もしかして聞いていたのだろうか。めろさんと通話していた短くない時間、扉の前で、ずっと、静かに。

 

 想像すると怖いので詮索はやめておいた。

 

「まあね。お互い積もる話があったからね。でも有意義な時間になったよ。昨日の配信で荒らしていたグループは解散、唯一諦めていなかっためろさ……荒らしグループのリーダー的存在の人も」

 

「いいよ。『めろさん(・・・・)』で。そう呼んでたもんね? 親しげにね?」

 

 聞いていたらしい。

 

 いや、僕の声が大きくて礼ちゃんの部屋にまで声が漏れてしまっていただけ、という可能性も残されている。希望を捨てるにはまだ早い。

 

「そ、そう。めろさんも、今回よくお話ししたら和解できたんだ。だからこれで困っていた問題は解決ってこと。礼ちゃんも、もう安心していいよ」

 

「うん。それは本当に嬉しいな。これでやっと、お兄ちゃんが自由に活動できるわけだもんね」

 

 そう言って、ようやく礼ちゃんがその端整なお顔を見せてくれる。文句のつけようがないくらい、とっても愛らしい笑顔だ。なのに、どうしてか背筋が寒くなる。

 

「そうだね。これからゆっくり時間をかけて『New Tale』を推してくれているリスナーさんに受け入れてもらえるように頑張って、いずれ同期の四人や先輩たちとも一緒にゲームとか──」

 

「お兄ちゃん」

 

「はい」

 

 喋っている途中で、礼ちゃんに呼ばれた。

 

 その『お兄ちゃん』という一言には到底収まりきらないほどに、僕を咎めるようなニュアンスが含まれていた。

 

「荒らしの人……めろさん(・・・・)とどんなことをお話ししたのか、私気になるなあ。教えて?」

 

 この場合、末尾の訊ねるようなイントネーションに意味はない。

 

 もともと礼ちゃんにお願いされれば否やはないし、そもそも礼ちゃんだって無関係とは言えないし、なにより今の礼ちゃんであれば答えなければ僕の身が危険だ。

 

 話した。

 

 それはもう、立て板に水というか、俎板(まないた)の鯉というか、とにかく淀みなく、しかし一から全部となると時間がかかりすぎるので要点を抜き出して、なるべく事細かに話した。

 

 僕が話している間、僕の胸におでこを当ててうつ伏せにひっついている礼ちゃんが言葉を発することはなかった。それがかえって圧力があり、釈明の口上にも熱が入る。

 

「──それで、めろさんには罰という名目で切り抜き師をやってもらうことにしたんだよ」

 

 しばし僕の独演会が開催されたが、これにてようやく閉会だ。めろさんとたくさん話した後にこの弁解なので、少々喉が渇いてきたし口も疲れてきた。

 

 礼ちゃんがどんな反応をするのか、緊張しながら待つ。

 

 なんなら、めろさんと通話している時のほうがリラックスしていた自信がある。めろさんは最初は緊張していたのか固い喋り方だったけれど、慣れてくるととてもラフな言葉遣いをする人で、フランクな対応はとても新鮮で話していて楽しかった。共通点もあることだし、めろさんとはこれから仲良くやっていけそうだ。いずれ友人と呼べるくらいの間柄になれたら嬉しい。

 

 などと考えていると、ごすっ、と胸部に衝撃を感じた。どうやら頭突きしたらしい。

 

 どうしたのだろうと思って目を向ければ、長い黒髪の隙間から、つぶらな瞳が僕を射抜いていた。黒目の大きな瞳は、なぜか夜の海を彷彿とさせた。その真っ暗闇の奥に何が潜んでいるのかわからないあたりが、特に酷似している。

 

「女のこと考えてる」

 

 たしかにめろさんのことを考えていたし、めろさんは女性だけれど、なぜわかるのだろう。そんなに僕は考えていることが顔に出るのだろうか。

 

「いや、ちょっとめろさんのことをね。通話を──」

 

「へえ。めろさんとかいうのは女だったんだね。仲良くなれて、よかったね?」

 

 礼ちゃんはすべてを明瞭に聞いていたわけではなく、ところどころが聞こえていただけだったようだ。迂闊、鎌をかけられた。

 

「つっ、通話を切る直前の話している感じだともう大丈夫そうだったんだけど実際のところどうなんだろうなあって考えてたんだよ」

 

 ダークサイドに堕ちた礼ちゃんはとても怖いので勢いで押し切ることにした。論理的な説得が効く相手と効かない相手というのがこの世には存在している。

 

 めろさんとは切り抜きの件をお願いしてからも少しだけ話を詰めたりしたけれど、その時は声に活力を感じられた。あの様子なら大丈夫だとは思っているが、僕とめろさんは直接顔を見て話していたわけではない。音声でのやり取りだけだったのだ。

 

 通話を終えた後、めろさんが部屋で一人きりになった時、精神状態がどちらに振れるか、心配な面は確かにある。

 

「お兄ちゃんはさ、荒らしていた人たちのこと恨んでないの?」

 

「え?」

 

 礼ちゃんの問いに驚いて、天井に逃していた視線を再び礼ちゃんに戻す。

 

 暗澹(あんたん)としていた虹彩は取り払われ、心配するように僕のことを見ていた。

 

「お兄ちゃんを苦しめていた人たちだよ。めろさんとかいう女はそんな人たちの首魁(しゅかい)なんだよ。あんな人たちがいなければ、お兄ちゃんはいらない苦労をせずにすんだし、もっと楽しく配信できてたはず。もしかしたら今頃はもう同期の子たちともコラボとかできてたかもしれない。なんでお兄ちゃんの配信活動を邪魔してた張本人を気にかけたりしてるの?」

 

「首魁とはまた妙な言葉を……。別に恨んでないよ。前も言ったでしょ? この炎上騒動がなくたって『New Tale』からデビューする時点で多少なり問題は起こっていたはずなんだ。このくらいは想定内だよ。むしろ礼ちゃんとのコラボのおかげで思ってたより早く終わったくらいだ。ありがとうね、礼ちゃん」

 

「納得できない。そんな言葉で誤魔化されないんだから。あいつら、お兄ちゃんを好き勝手馬鹿にして、侮辱して……っ! そのくせ開示請求されそうになった途端に逃げて! 謝れば許されるなんて思ってッ! あいつらッ……ッ!」

 

 礼ちゃんが僕の服を掴んで叫ぶように言う。硬く握り締められた手は震えていた。

 

 それだけ礼ちゃんは怒りを堪えていたのだろう。これまでその激憤を口にしなかったのは、きっと僕が気に病むと思って我慢していたのだろう。

 

「さすがに誹謗中傷していた人全員に開示請求は無理があるからね。謝罪どうこうっていうのは選り分けるための(ふるい)。言い方が悪くなるけど、見せしめみたいなものだよ。素直に謝罪する人は、これからは開示請求を恐れて荒らし行為なんてやらなくなる。それを聞いてもなお誹謗中傷を続けようとする人には適切に対処していく。そうしたほうが対処しないといけない数が減るし、将来的な荒らしへの抑制にもなる。謝れば開示請求しないっていうのは、そうしたほうが都合がよかっただけなんだ。気にすることないよ」

 

 謝罪をすれば法的措置は行わないけれど、礼ちゃんへ誹謗中傷や犯罪予告などの違法行為をしてきた人まで許すとは言っていない。そちらの人については厳格に対応していく所存である。礼ちゃんを傷つけるような真似をしたのだ、逃すつもりなどない。

 

「あの首魁も見逃すの?! 荒らしてた奴らのリーダーなのに?!」

 

「礼ちゃん、落ち着いて。もう時間も遅いんだから、近所迷惑になっちゃう」

 

 冷静になってくれるように、怒りに打ち震える礼ちゃんの手に手を重ねる。力が入って白くなった礼ちゃんの手は冷たかった。

 

「通話の時だって絶対卑怯なことしようとしてたはずだよ! 捏造動画作った奴なんだから!」

 

 礼ちゃんの言っていることは正しかったりする。死なば諸共マインドだったはずの通話前のめろさんなら確実に策を用意していただろう。でも配信ならともかく、個人的な通話になったのでそこまで大それたことはできない。

 

 めろさんの編集技術を考えると、通話を録音するといったところか。録音した音声を後日切り貼りしてそれっぽい会話を捏造する、くらいのことは考えていたはずだし実行もできたはずだ。

 

「大丈夫、大丈夫だよ礼ちゃん。和解したからそんな心配はもう必要ないし、仮に和解できなかった場合でも問題はないよ。これでも発言の内容には気をつけてたんだから」

 

 それに、こちらも録音くらいはしていたし。

 

「責任を取らせるべきなんじゃないの?!」

 

「めろさんはグループの中心的な人物だったけど、それは担ぎ上げられただけなんだよ。技術もあって、切り抜き動画も投稿していて、名物リスナーみたいな感じで知名度もあった。都合がいいから、リーダー的なポジションを押し付けられただけなんだ」

 

「そんなの関係ないよ! 実質的に指揮していたのはそいつなんでしょ?! なんで許せるの?!」

 

「指揮していたって言っても、やり過ぎているメンバーを(たしな)めたりする役が多かったんだ。グループの方針から外れてメンバーの一部がレイラ・エンヴィにまで誹謗中傷や犯罪予告をし出した時も、暴走していたメンバーを最後まで注意してたんだよ」

 

「自分が集めた荒らしたちの手綱を握れなかったそいつが悪いんだ! 勝手に動いたから私には責任ありませんなんて都合が良すぎるよ!」

 

「別にめろさんが集めたわけじゃなくて、推しの女性がいなくなって悲しんでた人たちが集まってできたのがあの荒らしグループだったんだよ。そもそも、めろさんは推しの女性が事実上引退した時もどうにか現実を受け入れようとしてたんだ。時間があれば乗り越えられていた。乗り越えて踏ん切りをつける前に外野がめろさんを(そそのか)して悪意を吹き込んだせいで、男への憎悪を抑え切れなくなってしまっただけなんだ。外野の甘言に流されてしまっためろさんにも、もちろん責任はあるよ。だけど唆した人たちや、暴走したメンバーがやらかしたことまでめろさんの責任にしてしまうのは、僕は違うと思う」

 

 めろさんは言っていた。

 

『男女でコラボなんてしなければ自分たちは……自分は、こんなに苦しむことはなかった。推しに会えなくなるようなことにはならずに済んだはずです』

 

 男女でのコラボ云々という激しすぎる主張に話の焦点を合わせそうになるが、肝要なのはそこではない。めろさんの『こんなに苦しむ』理由は『推しに会えなくなる』という部分だ。見誤ってはいけない、履き違えてはいけない。論点はここなのだ。

 

 めろさんの深層心理では、推しが男と付き合っているのは別にいいと考えていた。めろさん自身は男嫌いだけど、だからといって推しの女性にまで自分の考えを押し付けるほど傲慢でもなければ、男と一切の関わりを断つように強要するほど潔癖なわけではなかった。それを表に出さないのであれば、構わなかった。どれだけ自分が愛していても推しと結ばれることはないという現実をちゃんと理解していた。

 

 現実を、許容できていたのだ。

 

「でも、でもっ、でもっ! 許せないっ……許せないよそんなのっ! だって、お兄ちゃんは無関係だもん! その女にも理由があったのかもしれないけど! それとお兄ちゃんは関係ないのに!」

 

「まあ、たしかに関係ないと言ってしまえば関係ないね。でもね、めろさんが腹を割って話してくれたおかげでわかったんだ。めろさんは僕が礼ちゃんを大事に思っているのと同じくらい、推しの女性のことを想っていたんだって」

 

「んっ……むう」

 

 めろさんが一番悲しかったのは、もう二度と推しを見られない、推しの活動を応援できないことだった。推しに自分の存在を認めてほしい、自分のことを見てほしいなんて気持ちはなかった。推しがいてくれれば、笑って配信してくれていればそれで満足できていた。

 

 観ることも、聴くことも、応援すらできなくなったから、途方もないほど絶望して、傷ついて、悲しんだのだ。

 

 なのに、それほどの絶望や傷心、悲哀を抱えながら、それでも推しが幸せになるのならと、そう納得しようとしていた。自分のぐちゃぐちゃになった心にどうにか折り合いをつけようとしていた。

 

 外から悪意や憎悪を煽られなければ、めろさんは前を向いて歩き直すことができていたはずだった。余計な愚か者が接触しなければ、めろさんの純粋な想いが歪むことはなかった。

 

「その愛情の大きさに気づいた時、めろさんの事情を考えたら、身につまされる思いだった。自分が似たようなことに遭遇したら、どうするだろうって。どうなるだろうって。もし、例えば、礼ちゃんがある日突然僕の前からいなくなって、もう二度と顔も見れない、言葉も交わせない、触れ合うこともできないってなったら、どうなるんだろうって。想像してみたんだ」

 

 自分の前からいなくなるのに、もう会えないのに、それでも愛している人の幸せを祈ることが、めろさんにはできていた。

 

「僕ならきっと、耐えられない」

 

 めろさんの為そうとしたそれは、未熟な僕にはできない立派なことだ。尊敬すべき、素晴らしい人だ。

 

「礼ちゃんは? 礼ちゃんならどう思う? 自分にとって何よりも大事な人が突然いなくなったとしたら」

 

 考えてみて、と促すと、礼ちゃんはじっと僕を見て、眉を寄せて、瞳を潤ませて、唇を噛んだ。

 

 二度三度口を開閉して、ようやく喋る。いや、喋ろうとする、といったほうが正しいか。

 

「っ……っ、むり……しぬ。おに、ちゃ……いなく、なっだらっ……。も、あえ、なっ……んぐっ、じぬ」

 

 およそ言葉にはなっていなかった。

 

 瞼をきつく、おそらくは力いっぱいに閉じているのだろうけれど、それでもぽろぽろと溢れ出る涙はまるで止まることを知らず、僕の服を濡らしていった。

 

 めろさんの気持ちに少しでも寄り添ってほしい、少しでも共感してほしいと思って礼ちゃんにも想像してもらったのだが、どうやら効き過ぎたようだ。想像するだけでそこまで駄目なのか。

 

 ぽろぽろと大粒の涙を流して悲しそうにしている礼ちゃんを見るのは僕も辛いけれど、大事な人としか言っていないのに僕のことを連想してくれて、しかもここまで泣いてくれているのを見ると少し嬉しくも思ってしまう。お兄ちゃん冥利に尽きると同時に、だめなお兄ちゃんだ。

 

「礼ちゃんにはもう少しだけ耐えてほしかったけど、僕も同じだから強くは言えないや……。でも、めろさんはその苦しみを一人で耐えて、悲しみをどうにか呑み込んで、乗り越えようとしていたんだよ。自分のことは二の次で、愛した人のことを最優先にして、その人が幸せになるのならそれでいいって、そう納得しようとしてたんだ。その努力だけは知っていてほしいし、できるなら認めてあげてほしい」

 

 めろさんが僕の配信の切り抜きを作るとなれば、現状僕のコラボ相手率驚異の百パーセントを誇る礼ちゃんも多く登場することになる。僕一人での配信ももちろんしているけれど、コラボする頻度は高いし、予定がなくてもなんだかんだでコラボみたいな配信になることが間々ある。僕の配信を切り抜くとなれば、礼ちゃんは避けて通れない存在なのだ。

 

 礼ちゃんとめろさんで直接お話しする機会があるとは思えないけれど、広いニュアンスでは仕事仲間みたいな間柄になるのだ。悪感情を持ったままでいるのは違う火種を生むかもしれない。仲良くして、とまでは言わないから、万が一お話しする機会があった時、最低限のコミュニケーションが取れる程度の関係ではあってほしい。

 

「すんっ……ぐすっ、わがった……。まだぜんぜん許せないし、好きになれるとも思えないけど、同情する境遇に置かれてたことは……理解した」

 

「ありがとうね、僕の話聞いてくれて。礼ちゃんがそこまで怒ってくれて嬉しいよ」

 

 礼ちゃんは決して短気な性格ではない。温厚、とは言えないかもしれないけれど、それでも他人の痛みに共感できて優しくできる心の清らかな子だ。

 

 礼ちゃんが怒る時は、大抵僕が絡んでいる場合が多い。他人からの言葉に何も感じることができない冷血な僕の代わりに、礼ちゃんが感情を(あらわ)にして怒って、悲しんで、泣いてくれるのだ。人情味があって、血の通った人間味のある礼ちゃんが、僕はとても愛おしい。

 

「聞き分けが悪くてごめんなさい……。でも、やっぱりすぐには許せなくて……」

 

 礼ちゃんはまるで頭を下げるように、顔を僕の胸元にひっつける。

 

 気持ちが伝わるように、その頭に手を置いた。

 

 それはこれっぽっちも謝ることではない。礼ちゃんは僕のためにしてくれているのだ、嬉しくは思えど気分を害することではない。

 

「和解したから今すぐ許せ、なんて僕も言えないよ。めろさんには辛くて悲しいことがあったけど、だからといって罪を犯した事実が消えるわけじゃない。でも今は反省してるし、後悔もしてた。罪と向き合う覚悟も、罪を償っていく決意もしてる。だから今後、めろさんの行いを見て、それで礼ちゃんが許すかどうか判断すればいいんだ。礼ちゃんがどんな判断をしても、僕はその判断を受け入れるよ」

 

「……うん、わかった。……ありがと」

 

 そう言って、しばらくじっとしていた礼ちゃんは納得できたのか、ここでようやく僕の上から降りる。もぞもぞ動いてベッドの端に腰掛けた。

 

 一区切りついたようだ、よかった。

 

 あとは報告書を提出すれば、すべて終わりだ。みんな幸せ、ハッピーエンド。

 

 僕は当初のタスクである安生地さんへの報告を済ませるべく、PCの前へと向かう。

 

 通話を繋いでめろさんとの通話内容を報告したほうが早い気もするけれど、時間も遅くなってしまったし通話の内容もかなり濃密だった。音声で内容を説明しようとすると抜けや漏れが発生しないとも限らないし、聞き間違いや解釈の違いなど誤解も起こりかねないので文章で報告することにした。そのほうが安生地さんもいつでも確認できるし楽だろう。

 

「そうだ、お兄ちゃん」

 

「うん? なに?」

 

「最後に一個だけ確認したいんだけど、いい?」

 

「確認? うん、どうぞ」

 

 安生地さんへ送る報告の文章をかたかたと打ち込みながら、礼ちゃんへ答える。

 

 報告書はできるだけ精確に仕上げたいけれど、そうなるとめろさんのプライバシーに干渉しそうで、塩梅が難しいところだ。

 

 軽快にキーボードを叩く僕に、礼ちゃんは大きく息を吸って、凛とした声で。

 

 

 

 

 

「お兄ちゃんは、どこからどこまで仕組んでたの?」

 

 

 

 

 




「もう一度初めから読んでもらえる機会があった時、一回目に読んだ時と次読んだ時に違う印象を与えられるような作品にしたかった」などと犯人は供述しており……。
こんなサブタイしておきながら終わりじゃないという。お兄ちゃんにとってはこれでハッピーエンドだったので嘘ではないです。

次回こそ最終回、別視点です。始まりがそうなのだから、最後を締めるのはあの子しかいませんね。
古のオタク的に言うと祭り囃子編ってところです。
最後までお付き合いいただけるととても嬉しいです。


*スパチャ読み!
yurakuさん、上限の赤色のスーパーチャットありがとうございます!
Acedia-49さん、上限の赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
Kトさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
FOX4さん、赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
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393104さん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!

文量といいストーリーの進み方といい、かなり読む人を選びそうなこの作品でこんなにたくさんの人に読んでいただけるだけならず、ここまで評価をいただけるなんて思っていませんでした。とても嬉しいです。ありがとうございます。

最後まで楽しんでもらえるような作品になっているといいな。


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私にとっての『一番』は、ずっと

 これだけは訊いておかないといけないと思い、私は意を決して口を開いた。

 

 

 

「お兄ちゃんは、どこからどこまで仕組んでたの?」

 

 

 

 軽快なキーボードの打刻音が止まった。

 

 お兄ちゃんは私のほうを見ずに、モニターに目を向けている。

 

「仕組んでた、っていうのはどういう意味かな?」

 

「そのままの意味だよ。だって、そうじゃなきゃおかしいもん」

 

「おかしいこと……あったかな?」

 

「あったよ。あの荒らしグループがターゲットにする対象がお兄ちゃん以外にとって都合が良すぎる(・・・・・・・)し、お兄ちゃんはあのグループの内情に詳しすぎる。なにか手を回してなきゃおかしいよ」

 

「…………」

 

 お兄ちゃんは黙り込み、PCの作業をやめて、天井を仰いだ。

 

 悪事が露見して途方に暮れている。

 

 そういう表情では全くない。後ろめたいような雰囲気はまるで感じられない。話が長くなるからどこからどうやって説明をしようか悩んでいるだけのように見えた。

 

「うーん、と……まず一つ確実に言えることは、めろさんのことは完全に成り行きだったよ」

 

「それ以外は仕組んでたってこと?」

 

「やめてよ、拡大解釈だよ。そんな、すべての人間を手のひらの上で転がして楽しんでいた悪の親玉、みたいなポジションを僕に押し付けないで」

 

 冗談めかして微笑みながら、お兄ちゃんはようやくこちらを向いた。足を組み、膝に両手を重ねて、にこやかに話す。

 

 いつもとなんら変わりのない笑顔で、お兄ちゃんは続ける。

 

「そもそも僕としては仕組んでいたつもりはないんだけど……礼ちゃんはどこがおかしいって思ったの?」

 

「……これまでも時々、なんだか変だなあとは思ってたよ。だって、考えてみたらおかしいもん。配信やSNSとかで荒らしてる人たちが纏まって行動してるのは調べてたらなんとなくわかるよ。でも、その人たちの人数や、メインで使っているアカウントを正確に把握するなんてできるわけない。それどころかお兄ちゃんはグループ内部で起こっていたメンバー同士の(いさか)いまで知ってた。確信したのは昨日、同期の子とコラボ配信した後にちょっとお喋りしてた時。その子に、荒らしとか大丈夫? って訊いたの。私がお兄ちゃんに絡みに行ったことで同期の子にも影響があると思って、謝ろうとしたんだ。そしたらその子は、自分のところの配信では荒らしなんてほとんど見てないって言ってた。リスナーは少し心配性になったけど、基本的には四期生がデビューする前と変化はないって。最初私、嘘だって思った。私に気を遣って嘘ついてるんだって。だから私、昨日と今日を使って先輩にも後輩にも、連絡取れる人には連絡取って全員から話を聞いてきた。そしたらさ、誰も、配信でもSNSでも、ほとんど荒らしなんて見てないってさ。……ありえないよ、何か裏で手を回してないとそんなこと。『New Tale』に所属するVtuber全員が荒らしグループの被害に遭っててもおかしくないのに、お兄ちゃんにだけ極端に荒らしが集中するなんて、どう考えても不自然すぎるよ」

 

 荒らしたちはアカウントを複数用意していて、本来の人数よりも多くのアカウントが稼働していた。もちろん荒らしグループとは関係のない人たちもジン・ラースのアカウントに誹謗中傷コメントを投稿していた。そんな中で荒らしグループの、しかもメインで使っているアカウントを特定するなんて、いくらお兄ちゃんでもできるはずがない。

 

 その上、お兄ちゃんに絡みに行った私を除けば、所属ライバーは荒らしの被害がほとんどない。お兄ちゃんとコラボした私だってお兄ちゃんほどに誹謗中傷がくるわけじゃない。なのにずっとお兄ちゃん一人にだけ集中するなんて、どう考えても自然な流れじゃない。

 

 何をしてたの、という意思を込めてじっと見つめると、お兄ちゃんは困ったように苦笑いを浮かべた。

 

「はは……えっと、そうだね。やってたことの内容としては……ヘイト管理してた、ってところかな」

 

 ヘイト管理。ジン・ラースの立場ではどうあっても誘導はできないし、ジン・ラースが荒らしグループについて言及したのは昨日の法的措置に関する投稿だけだった。それ以前には配信でもSNSでもまったくと言っていいほど触れていない。

 

 無関係なリスナーとして接触したとしてもまともに取り合ってくれないはず。レイラ・エンヴィに対して誹謗中傷行為をするな、だとか言っても、レイラ・エンヴィかジン・ラースのファンだと思われて相手にされないのがオチだ。

 

 敵対していても、中立的な立場でも、荒らしグループの考えを操作することなんてできない。

 

 ならば、もう、可能性は一つしかない。

 

「……つまりお兄ちゃんは、あのグループの中にいた……参加、してたの?」

 

 グループの内側。メンバーの一人として意見を出すことで、荒らしグループを誘導していた。 

 

 正解、とでも言うように、お兄ちゃんは一つ頷いた。

 

「そう。グループに名を連ねていた。より正確に言うと、グループには参加したんじゃなくて、件の女性Vtuberの熱心なファンと僕を含めた集団が、グループとして形成されたんだよね。後から参加したわけじゃないんだ」

 

「言ったら……初期メンバー、みたいなこと?」

 

「あははっ、そうだね。荒らしグループの初期メンバーだ。僕としては保険のつもりで距離を縮めてただけなんだけどね。いざ彼らが暴走しそうになった時にブレーキ役を担えるようにと思って、仲を深めておいたんだ。でも実際にはブレーキよりもハンドルの役目に近かったのは、少しばかりユニークだったね」

 

 楽しそうに口元を綻ばせる。私が夢結の失敗談を話していた時にお兄ちゃんが見せた表情と、なんら変わらない笑みを浮かべている。

 

「初期メンバーになるってことは……グループが形になる前から、お兄ちゃんは荒らしグループのメンバーにコンタクトを取ってたの?」

 

「うん、もちろん。めろさんや他の人たちにSNSを通じて接触して情報収集を始めたのは、僕のデビュー前からだよ。合格の通知が来て、少し経った後くらいだったかな」

 

 お兄ちゃんが『New Tale』の四期生に合格したという通知は、その日のうちに私にも教えてもらっていた。教室にいたから歓喜の声は上げられなかったけど、代わりに近くにいた夢結の手を取って振り回した。その後、夢結も誘っておめでとうの会を開いたから記憶に残っている。

 

 あれは五月の下旬頃だったはず。お兄ちゃんは二ヶ月以上も前から、荒らしグループのメンバーに接近していたのか。

 

「そんなに……早かったんだね」

 

 あの頃は、件の男女Vtuberはまだ炎上していなかった。界隈では男女でのコラボにとやかく言うようなリスナーは少なくとも表ではいなかった。

 

 炎上の初日どころか、炎上の前から、お兄ちゃんは動き始めていた。

 

 情報収集だなんてお兄ちゃんは(うそぶ)くけれど、お兄ちゃんのしていることは一般的な情報収集の域を出ている。ふつうはどういった流れで炎上するに至ったのか、誰が何を言って、何をしたのか、どれくらい燃えてるだとか、その程度だ。少なくとも、状況を正確に知るためだからといって直接当事者たちの中に潜り込むことを、情報収集とは言わない。

 

 お兄ちゃんのことだ。おそらくは新しくSNSのアカウントを作り、不審がられないように偽装を施し、件の女性Vtuberのファンでも装ってグループメンバーに声をかけたのだろう。

 

 炎上騒動の前段階の時点から、匿名掲示板やSNSでは不穏な空気にはなっていたらしい。

 

 炎上騒動の前段階では真相がわからず不安そうなファンとして声をかけ、炎上騒動の初期段階で荒らしグループと同じように傷心したファンの振りをしていれば、簡単に心理的な距離を近づけることができたはず。

 

 ただ、一つわからないことがある。

 

「どうして、あの荒らしグループの規模が大きくなるってわかったの? 荒らしグループの結成前の段階じゃわからないよね?」

 

 あの荒らしグループが明確にいつ結成されたのかは私はわからないけれど、確実にそのずっと前からお兄ちゃんはグループを構成するメンバーたちに接触していた。他にも件の女性Vtuberの囲いをやっていた人たちはいたはずなのに、なぜ過激な活動をする人たちにピンポイントで距離を詰めることができたのか。

 

 マジックの種明かしのつもりもなければ、得意げな顔をするわけでもない。勉強を教えてくれる時と変わらない様子で、私の疑問にお兄ちゃんは答えてくれる。

 

「ああ、それは簡単だよ。めろさんと似たような熱心なファンの人たち……囲い、って言うんだよね。ふふっ、ちゃんと配信活動周りの単語の勉強もしたんだよ。その囲いをやってた人たちにね、手当たり次第接触したんだ。荒らしグループ以外の人たちは慰めや説得が効いて、新しい推しを見つけるなり、新しい趣味を見つけるなりして傷心から立ち直った。だから集団を作ることも、荒らし行為をすることもなかった。最後まで慰めや説得が効かずに残ったのが、あの荒らしグループだったってだけの話だよ」

 

「…………囲いをやってた人たち、全員に?」

 

「名簿があったわけではないし、SNSで精力的に活動してる人ばかりじゃないから全員かどうかはわからないけど、メッセージを送れる人には全員に送ったよ。いくら囲いを作るのがうまいといっても、個人でやっているVtuberさんだからね。囲いの人数は高が知れてるよ」

 

 絶句する。すぐに言葉が出てこない。

 

 たしかに私の疑問は解消された。

 

 でも解消された結果、さらに驚愕すべき事実が生まれてしまった。

 

 お兄ちゃんが接触していたのは荒らしグループのメンバー全員、だけじゃなかった。囲いをしていたリスナー全員だった。

 

 たしかに合格が決まってからデビューまでしばらくは、いつも飄々としているお兄ちゃんが少し忙しそうにしていた。部屋に篭る時間が増えていたし、私との勉強中やお喋りしてる時にもスマホを確認することがあった。私はてっきり配信の勉強や配信活動で使う機材の習熟、事務所の人との相談とかでばたばたしてるのかな、なんて思っていた。まさかそれらと並行して囲いの人たちに近づいていただなんて、想像もしなかった。

 

 それらの行動のどこが一番とんでもないか。それだけ多くの人とメッセージのやり取りをして、メッセージの文章だけで囲いの人たちを慰めて励まして傷心から立ち直らせたことも、そこももちろんとんでもないことだけれど。

 

 なによりも畏怖を感じたのは、それらの途方もない労力を費やさなければいけない行動が、お兄ちゃんのデビュー前、炎上騒動が本格的に拡大する前から行われていたことだ。

 

 自分がデビューする頃には鎮静化するかもしれない。鎮静化していなくても、自分には影響がないかもしれない。そもそも自分が負うべき責任などないのだから対処に動く必要なんてない。

 

 そう考えても不思議ではないのに、そんな面倒なことをしなくてもいい言い訳なんていくらでも浮かぶのに、どうしてお兄ちゃんは動いたのか。

 

「……騒動が本格化する前から、なんでそんなことしてたの?」

 

「もちろん邪魔になるからだよ。『New Tale』からデビューするってだけで大なり小なり荒れることは予想できる。その時に炎上騒動が重なったら、礼ちゃんとコラボできるようになるまで時間がかかっちゃうでしょ? だからデビューで荒れるのと炎上騒動が重ならないようにするために、騒動が本格化する前に鎮火させたかったんだ。僕なりに出来る限りの手は尽くしたんだけど、まあ……失敗しちゃった。……めろさんの説得が間に合わなかった」

 

 ここで、お兄ちゃんは初めて表情を曇らせた。

 

「めろさんという荒らしグループの象徴になる人が参加していなければ、きっとあそこまで規模が大きくなることはなかったんだ。件の女性Vtuberさんの配信の名物リスナーにして切り抜き師というネームバリューは思いの(ほか)強かった。ファンの人たちの中にはめろさんの切り抜きで件の女性の存在を知ったって人も多くいたし、囲いの人たちにとっても、いつも熱心に推しを支援してるめろさんは一目置かれる存在だった。そんなめろさんが、推しがいなくなって悲しんでいる人たちを集めて活動しているなら自分も加わろう、って言って後から参加した人もいたんだ。……めろさんが外野から唆される前に何とか励まして、新しい推しでも趣味でもいいから前を向けるような事を見つけてあげられていたら、めろさんはあんなに長く苦しむこともなかったし、騒動がここまで大きくなることもなかった。僕の力が足りなかった……そこは悔いが残るかな」

 

 こんなこと、他に誰ができるのか。少なくとも私では、何から手をつければいいのかすらわからない。

 

 なのにここまで手を尽くして、普通の人では考えすらしない段階から動いていたのに、それでもまだ足りなかったと言って、本当に心から後悔している。

 

 お兄ちゃんは、自分に課す『ここまではやって当然』のハードルは高すぎるし、自己肯定感は低すぎる。

 

「……そんなの、お兄ちゃんのせいじゃないよ。お兄ちゃんは炎上騒動をどうにか最小限にしようとがんばって、実際に最小限にできたんだよ」

 

「そうかな? ……そうだといいな」

 

「お兄ちゃんが荒らしグループに潜り込んで、悪意の矛先を誘導してくれたおかげで、事務所のみんなは誹謗中傷を受けずに済んだ。お兄ちゃんが矢面に立ってくれたおかげで、私の同期も、先輩も後輩も、みんなが傷つかずに済んだんだよ。……みんなのこと、守ってくれてありがとね、お兄ちゃん」

 

 感謝を告げた私に、お兄ちゃんは何も言わずに口元に笑みを作るだけだった。

 

 お兄ちゃんの仕草一つ。それだけで、お兄ちゃんが『事務所のみんな』のためにやったんじゃないことが、わかってしまった。

 

 お兄ちゃんは私に嘘をつかない。夢結に言ったら疑われたけど、これは本当のことだ。

 

 でも、本当のことだけど、それがすべてではない。

 

 お兄ちゃんは嘘にはならないよう言葉を選び、嘘にはならない範囲までしか説明をしない。そして、嘘をつくしかない状況に陥ったら、言葉を口に出さずに表情で相手に解釈を委ねる。

 

 お兄ちゃんが口を(とざ)したのは『みんなのことを守ってくれてありがとう』という言葉に答えたら、それが嘘になるからだろう。

 

 守りたかったのは『みんな』ではなかった。『私』だった、ということなのか。

 

「……そっか」

 

 いけないことだとは、思っている。

 

 私一人を守るためにお兄ちゃんは行動していた。

 

 事務所の人にお兄ちゃんが考えた対策を提案したのは、別に『New Tale』や、所属するライバーたちを身を挺して守るためじゃなかった。荒らしグループのヘイトが少しでも私に向かないようにするためには、荒らしグループのヘイトを丸ごとジン・ラースに集めたほうが楽で確実だったからだ。

 

 もちろんお兄ちゃんだって、被害に遭う人数は少ないほうがいいとは思っていただろう。私の安全が確保されているという前提なら、できるだけ被害を小さくできるやり方を選ぶだろう。あえて多くの人が傷つくようなやり方を選ぶお兄ちゃんではない。

 

 でも、私の安全が確保されていなければ、何を犠牲にしてでも、四期生の同期や、他のライバーや、事務所自体を生贄にしてでも、お兄ちゃんは私を守る方策を選んでいた。今回はただ、私を守ることと所属ライバーを守ることが同義だったから助かっただけだ。ついでで助かっただけなのだ。

 

 現に『New Tale』は少なからず損を被っている。所属ライバーには誹謗中傷や荒らしの被害がなかったことで活動は続けられたので、収益の部分はそこまで悪化はしていないだろう。だけど今回の件で信用という部分には確実に傷がついた。ジン・ラースの面白さが広まりファンがつくにつれ、『New Tale』の『ジン・ラースと所属ライバーを一切関わらせない』という対処に疑問の声が上がることが、匿名掲示板でもSNSでも多くなった。もしかしたら所属ライバーや、他事務所のライバーさんも、わざわざ表で口にはしないけれど内心では思うところがあるかもしれない。

 

 お兄ちゃんなら、そのリスクは行動する前から見えていたはず。これらはその上での行動だ。『New Tale』が信用を落とすことになるかもしれないけど、私を誹謗中傷や荒らしに晒されないようにするために、あのような対策を取った。あの対策が私を守るためにもっとも効率的で、もっとも安全性と実現性が高かったから、お兄ちゃんは事務所の人たちを言葉巧みに説き伏せて強引に提案を呑ませたのだ。

 

 人の思考を操ることに関して、お兄ちゃんの右に出る人を私は知らない。無自覚的な、洗脳にも等しい人心掌握のせいで、お兄ちゃんは高校を中退する羽目になったのだ。信頼を勝ち得ていたお兄ちゃんの立場なら、事務所の人に言い分を通すことは容易だっただろう。

 

 お兄ちゃんの対策は、メリットは確かにある。でも果たして、お兄ちゃんはその先に発生するデメリットまで説明したのか。おそらくは話していないだろう。訊かれれば答えていただろうけれど、裏を返せば、訊かれなければ話さない。

 

 私を守るために好都合だったから、ついでで所属ライバーは助かった。私を守るために不都合だったから、容赦なく『New Tale』の信用という部分を切り捨てた。

 

 (ひとえ)に、私を守るために。

 

 お兄ちゃんのことなら、ずっと一緒にいる私が一番よくわかる。これはお兄ちゃんから一番愛されている自信があるからとかではなく、ただの事実だ。お兄ちゃんならそうする。

 

 お兄ちゃんは私の心身の安全を守るためだけに事務所の人を振り回して、自身の思惑を通すために利用しようとした。

 

 結果的には、所属ライバーは被害に遭わず『New Tale』だって信用以外には傷がつかなかった。今回はたまたま良い方向に転がっただけで、巡り合わせが悪ければお兄ちゃんの手によって守られていた私以外のすべてが奈落の底に落ちていた可能性だってあった。

 

 仮にそうなっていたとしても、お兄ちゃんは何も感じはしなかったのだろう。

 

 お兄ちゃんのその考えはいけないことだとは思っている。

 

 でも、お兄ちゃんが価値基準の中心に私を据えてくれていることに、悦びを感じてしまっている。承認欲求が満たされてしまっている。

 

 そんな薄汚く仄暗い愉悦のせいで、その考え方は世間一般の常識とは違うんだよ、とお兄ちゃんに注意することはできなかった。

 

 お兄ちゃんは私に嘘をつきたくないから、私はお兄ちゃんに幻滅されたくないから、お互いに口を閉ざす。お互いに利益がないなら、触れないでも良いだろう。

 

 大好きだからって、愛しているからって、家族だからって、心の内側を全て明かさなければいけないわけじゃないんだ。

 

「……そうだ。どうやって『New Tale』にヘイトが向かないようにしたの? いくらグループに潜り込んで『New Tale』には手を出すべきじゃない、なんて言っても、そんなこと荒らしたちは聞いてくれないよね?」

 

「四期生のデビュー配信の後に荒らしグループで話し合いがあったんだ」

 

「……デビュー配信の後? たしかあの日って……」

 

「礼ちゃんが配信の予定を取り止めた日だね。そうだ、礼ちゃんの部屋に行く直前にね、夢結さんが激励のメッセージくれたんだ。あんな配信の後だったのにメッセージもらえて、とても嬉しかったなあ……。夢結さんのあのメッセージのおかげで、礼ちゃんの部屋に乗り込む決心がついたんだよ」

 

 思い出すように目を細めるお兄ちゃんは、心から嬉しそうで、幸せそうだった。お兄ちゃんが心を許せる相手が増えたことは少しもやもやするけれど、でも友だちができたお兄ちゃんは幸せそうだし、私も親友を褒めてもらえて気分がいい。

 

 いや、今はそれはいい。

 

「私はお風呂あがってからは部屋に戻って寝たけど……お兄ちゃんはそこから荒らしグループと話してたの? VC(ボイチャ)繋いで?」

 

「うん。チャットだと説得力が足りなくてコントロールが難しいから。でも、少し声色変えただけで気づかないものなんだね。声真似の練習した甲斐あったよ。それでその話し合いで、誰かが話し始める前にまっさきにジン・ラースを俎上(そじょう)に載せて、ジン・ラースを辞めさせるように動くべきだって提案したんだよ。『これから男女で絡もうとした奴は引退に追い込まれるくらい誹謗中傷に晒されるという風潮を作る。そうなれば男女でコラボする人は減るはずだ』ってね。あえて明言はせずに『ジン・ラースにだけ集中していればいいんだな』みたいな感じでグループメンバー自身に思わせるようにした。人は自分で出した答えを疑いにくい生き物だからね。機先を制して提案したのは、その考え以外に頭を使わせないようにするため。他のやり方もある、みたいに意見が分かれたらグループ内の意思をまとめることが大変になるから。声に熱を混ぜて威勢よく提唱すれば、気持ちがいいくらいにグループのメンバーたちは賛同してくれたよ。ここで方針を定めたことによって『New Tale』よりもジン・ラース個人にフォーカスが当てられるよう誘導できたんだ」

 

 その時の雰囲気を思い出しながらやったのだろう。『これから男女で絡もうとした奴は──』という流れの演説を、別人としか思えないくらいに声色を変えて喋っていた。

 

 それは声を張っているものではないのに、無性に胸に響いて、否応なしに気持ちを奮い立たせた。強い感情を向ける相手がいない私でさえ、この有様だ。

 

 怒りや悲しみなどの鬱屈とした感情の火が燻っている荒らしグループのメンバーがこんなセリフを聞いて、しかも標的まで用意されたら、煽られた感情を標的にぶつけることしか考えられなくなるだろう。

 

「わ、私がリア凸しに行った後、気分の悪いコメントとか投稿とか……まあちょっとは増えたけど、もっとたくさん来ると思ったのにお兄ちゃんほどには多くならなかった。あれもなにかやってたの?」

 

「ああ……あのリア凸は本当に驚いたなあ……読めなかった。うれしかったけどね。礼ちゃんとのコラボの後、実際にグループ内で一部のメンバーが『ジン・ラースとコラボしたレイラ・エンヴィも攻撃すべきだ』って意見を出してたからね。その時は『ジン・ラースは我々の切願を踏み躙る憎い相手だが、レイラ・エンヴィはそうじゃない。異性同士のコラボなら問題があるが、二人の関係が兄妹だと実証されているのなら我々の方針に反しているわけじゃない』とかなんとか筋が通っているのか通っていないのかよくわからない屁理屈を捏ねて『我々の原理原則に立ち返れ!』とか言って勢いと熱量でメンバーの目を眩ませたんだよね。『あくまで標的はジン・ラースただ一人で、ジン・ラースさえ潰せればそれで我々の理想は叶うのだ!』みたいな感じで、勝利条件を単純化したんだ。いやあ……あの時はいくらなんでもさすがに苦しいか、と冷や汗をかいたけど、自分で想像していた以上にメンバーたちから信頼されていたらしくて、僕の意見は受け入れられてたよ。正直びっくりした」

 

 お兄ちゃんはグループの結成前から交流を図っていた、と言っていた。その時から先のことを見越して発言力や説得力が増すように信頼関係を築いていたのだろう。声色で誤魔化すだけじゃない、信頼関係という下地があるからこそ、他人の思考にバイアスをかけられるくらい言葉に重みが出るのかもしれない。人の思考を操ることをまるで意識しないでここまでうまく立ち回れるのは、もはやそういった素質があるからとしか思えない。

 

「お兄ちゃんは、私とコラボしてからも荒らしたちに隙を見せなかったよね。言葉選びも問題がないように気を遣ってた。叩く材料がなかったら荒らしたちは標的を変えそうなものなのに……それからずっとジン・ラースだけを狙い続けさせるなんてできなくない?」

 

「礼ちゃんすごい! よくわかるね! そうなんだよ。ターゲットを『New Tale』全体にして、ジン・ラースの反応を見るのもありなんじゃないか、みたいな人もいたんだ。そういった方針に流れないように、焦れるような雰囲気になった頃を見計らって度々『ジン・ラースさえ辞めさせることができれば、自分たちの悲願は成就する。「New Tale」の事務所には責任があるが、所属するライバーに罪はない。これ以上我々のような犠牲者を増やさないために、清廉潔白な正義の行いをしよう』とかって綺麗で耳触りの良い言葉を並べてお茶を濁してたんだよ。荒らしグループの活動は正しい行為なんだってメンバーは思ってるから、というか思わせてるから、甘い言葉でメンバーの自尊心や義侠心をくすぐってあげれば、うまくいってなくても案外誤魔化すことはできたね」

 

「え……そ、そんなその場凌ぎの言葉でなんとかなる? だって、グループとしてはなんの成果も出してないよね?」

 

「結局のところ、本人たちの気分の問題でしかないんだよね。不快感を取り除いてあげて、各々が欲しがる気持ちの良い言葉をかけてあげれば、僕の指示に従ってくれる。荒らしグループの人たちは実に愚直で、ヘイトの操作は容易だったよ。いや、でも難しいことではなかったけど、大変ではあったかな。メッセージのやり取りが手間だった」

 

 少し眉を下げながら、そう言ってのけた。荒らしグループの少なくはない人数を、そのグループの中心人物さえ自分の目的通りに動かしても、お兄ちゃんは少し面倒そうに肩を竦めただけだった。

 

「……お兄ちゃんはさ、荒らしグループに参加してたんでしょ? グループの内側にいるなら、誰がどんなことをしていたかとか詳しく知ってたの? ……たとえば、証拠になるようなこととか」

 

「うーん……たぶんほとんどは把握できてたんじゃないのかな。定例報告会みたいにみんなチャットルームに報告するようになったからね」

 

「え……なんでわざわざ証拠残すの……。正気の沙汰じゃないよ……」

 

「メンバーの一人が誇らしげにこんな内容をジン・ラースに言ってやったぜ、みたいな自慢をグループチャットに書き込んだことがあって、それを過剰に褒めちぎったんだよ。そこから次第にみんな定期的に報告するようになったね。……くふっ、あはは。こういったところが愚直で扱いやすくてとても可愛いんだ。褒められたい、認められたい、って尻尾を振っているようだった。承認欲求を刺激して自尊心を高めてあげれば、何の疑問も不信感も抱かないんだ……ふふっ」

 

 脳裏に浮かんだ素朴な疑問をそのまま私が口にすると、お兄ちゃんはわらった。

 

 私の傍には、生まれてからずっとお兄ちゃんがいてくれていた。お父さんもお母さんも仕事が忙しくなって家を空けることが多くなっても、お兄ちゃんだけはずっと隣にいてくれた。

 

 誰よりも、お父さんやお母さんよりも、お兄ちゃんを見てきたし知っている。その自負がある。

 

 でも、こんな顔で嗤うお兄ちゃんは知らない。いつもは柔らかい微笑みを作る口角を三日月のように吊り上げ、いつも暖かく見守ってくれている瞳の奥には冷たい闇が広がっていた。

 

「な、なんで……お兄ちゃんはそんな報告をさせるようにしたの? やっぱり証拠を集めるため?」

 

 怖いお兄ちゃんを見たくなくて、矢継ぎ早に質問する。

 

 すると、さっきまでの表情は鳴りを潜め、いつもの優しいお兄ちゃんの雰囲気に戻った。

 

「いや、証拠は十分どころじゃないくらい集まってたし、そっちは重要視してなかったかな。定例報告会は、意欲の程度を測るのに便利だったんだ」

 

「意欲の、程度……って?」

 

 まるで要領を得ない回答に、私はおうむ返しに聞き返した。

 

「僕としては、平和的かつ前向きに荒らしグループに解散してほしかったんだよ。そのために時間稼ぎをしていたんだ。まず荒らしグループ内で標的をジン・ラースに限定する。次にこれといって叩く材料を提供しないように立ち回り、過激な方策も取らせないように手綱を引いて、標的を変えないように遮眼革(しゃがんかく)をつけて、グループの活動を間延びさせる。荒らしグループの活動期間をだらだらと引き延ばすことで、怒りを薄めることが目標だったんだ」

 

 デビューしてからこれまでずっと荒らしグループに邪魔されてきたのに(そうさせるように仕向けたのもお兄ちゃんなんだけど)どうしてそんな穏便な解決を望んでいるのか。

 

 その疑問は一旦呑み込み、続きを促す。

 

「怒りを薄めて……どうするの?」

 

「怒りを薄めれば説得しやすくなるんだよ。怒りなんて本来長続きするものじゃないんだ。強い怒りを感じ続ければ精神的に疲弊していく。限界まで疲れればそこで一旦冷静になる。冷静になった時を見計らって声をかけ、自分たちが今どれだけ危うい行為をしているか認識させられれば、無益どころか損でしかない荒らし行為から手を引くように説得できる。意欲の程度を測るっていうのは、怒りがどれだけ冷めてきているかの指標代わりなんだ。怒りが冷めて冷静になり始めていたら、荒らし行為をする頻度が落ちる。報告をする頻度が落ちる。そういう人たちに個別に接触して、グループを離れるように諭していったんだ。実際に効果はあったよ。顔を出すグループメンバーも漸減していってたし」

 

 わからない。わからないわからないわからない。

 

 なぜお兄ちゃんがそんな手間のかかることをしているのか、まったくわからない。

 

 訴えるための証拠なら嫌というほどある。相手も突き止めている。法的措置に出るなら事務所の人も手厚くバックアップすると約束してくれていた。それ以前に、法律事務所で弁護士をしているお父さんに相談すれば、いつでもインターネットトラブルに強い専門の弁護士を紹介してもらえた。お兄ちゃんが一言言えば、荒らしグループなんていつでも片付けられたのに。

 

 なんでそこまで、時間も労力もかける必要があるのか。

 

 まるで理解できない、そんな顔を私はしていたのだろう。

 

 お兄ちゃんは寂しげに微笑んで、説明してくれる。

 

「荒らしグループの人たちは慰めや説得が効かなかった、っていうのは話したよね。説得が効かなかったのは、まだ彼らの怒りが強すぎたからだったんだ。裏切られた時に湧き出した怒りをどこかに、あるいは誰かにぶつけないと前を向けないんだろうなって思った。その感情をぶつける先として、ジン・ラースは都合が良かった。僕はどんな悪口を言われても響かないから被害は出ない。ジン・ラースに集中させてしまえば他の先輩たちや同期に被害が出なくてお得だしね。『New Tale』にリスクやデメリットはあったけど、なるべく損害が出ないように努力はしたから許してほしいな。……そうやってジン・ラースだけに怒りを吐き出すように仕向け、時間をかけて頭を冷やさせ、どれだけ危ない綱渡りをしているか自覚させ、説得することで荒らしグループから抜けさせる。そうしていけばいずれ全員が前を向いて歩けるようになる……僕の考えは間違ってなかったと思ったんだけどなあ」

 

「ち、がう……ちがうよ、違う。どうしてお兄ちゃんが荒らしの人たちを助けようと……更生させようとしてるの? そんなことする必要……ないでしょ?」

 

 きょとんとした顔をしたお兄ちゃんは、次いで破顔した。

 

 戸惑っている私に、お兄ちゃんが言う。

 

 それはとても、純粋で、幼げな笑顔で。

 

「困っている人、苦しんでいる人を助けるのは、人として当然のこと……礼ちゃんが僕に言ってくれたことだよ。僕が小学生の時、クラスメイトから嫌われて居場所がなくてとても苦しい思いをしていたら、礼ちゃんはそう言って僕を助けてくれたよね。寄り添って、慰めて、励ましてくれた。絶望の只中(ただなか)で、自分ではどうすることもできなかった時に差し伸べられた礼ちゃんの小さな手に、僕は救われたんだ。だから僕も、人として当然のことをするだけだよ。……と言っても、僕の手が届く範囲だけだけどね」

 

 照れくさそうに笑うお兄ちゃんが、なぜか遠ざかっていくように感じた。

 

『こまっている人がいたら、たすけてあげましょう』

 

 小学生の頃、道徳の時間に先生から聞いたばかりのその言葉を、当時の私は実践した。正直なところ、かなり昔の話で細部まで記憶は残ってはいない。でも憶えている範囲でなら、特別何かをしたわけではなかったはずだ。お兄ちゃんが落ち込んでいるようだったから、抱きしめて、一緒にいて、お話ししただけ。

 

 ただ結果的に、お兄ちゃんの判断基準がそこで作られたのは確かだった。

 

 お兄ちゃんはやっぱり、普通の人とは違う。

 

 おそらくはサイコパスと呼ばれる人種なのだろうけれど、でも、一般的に言われているようなサイコパスとはお兄ちゃんは違う。人の心は理解できなくても、人の痛みに共感できなくても、理解して共感しようとしてくれている。他人の為に、自分ができることをするのは倫理的道徳的に正しくて、だからそうするべきなのだと思っている。

 

 私がお兄ちゃんの判断基準を狂わせてしまったせいで、サイコパスとも違う価値観が培われた。

 

 もし、普通の人の中から発生したバグがサイコパスなのだとしたら、サイコパスの中から発生したバグがお兄ちゃんなのだろう。

 

 普通の人の輪の中では生きづらい。植え付けられた倫理観のせいでサイコパスのように利己的にも振る舞えない。

 

 私のせいだ。小さい私の安い正義感が、お兄ちゃんに苦労の多い人生を歩ませることになった。

 

 私の責任だ。

 

 だから、私がなんとかするんだ。

 

 これまでお兄ちゃんは苦労してきたんだ。これからはもっと自由に生きて、自由に振る舞ってもらいたい。普通の人の輪の中で生きづらいのなら、お兄ちゃんを理解してくれる人の輪を作ろう。

 

 そのために、私はもっとお兄ちゃんを理解しないといけない。

 

 私が一番お兄ちゃんを理解できていると慢心していた。理解度ナンバーワンの座にあぐらをかいていた。

 

 まだ足りていなかったのだ。もっとお兄ちゃんを理解できないと、お兄ちゃんの隣にはいられない。お兄ちゃんの力になれない。

 

「そうやってがんばって説得してたのに、どうしてグループを急に解散させたの?」

 

 お兄ちゃんのやってきたことを追っていけば、理解に繋がるはず。そう思って、質問を続ける。

 

「それはもちろん、礼ちゃんに攻撃し始めた輩が出てきたからだよ」

 

 ちょっとお兄ちゃん私のこと好きすぎないかな。

 

 お兄ちゃんは続けて言う。

 

「メンバーの一部の過激派が、グループの方針もめろさんの注意も無視して礼ちゃんに誹謗中傷や犯罪予告をやりだした。似たような輩が現れないとも限らないから、可能性の芽を丸ごと潰すことにしたんだ。……過激派メンバーの愚かさを見誤った。本当にごめん」

 

 居住まいを正してお兄ちゃんは頭を下げた。どこにお兄ちゃんが謝らなければいけない部分があったのかわからなかった。とてもびっくりした。

 

「え? ちょ、なに?! 頭上げてよ! お兄ちゃんが謝る必要なんてこれっぽっちもないでしょ!」

 

「いや、僕が個人的な理由で時間をかけて説得しようとしたせいだ。一方的に攻撃できていることで気を大きくした輩が、礼ちゃんに誹謗中傷や犯罪予告を投稿した。……あの愚か者を持ち上げすぎた。過激派メンバーの短絡さを読みきれなかった僕の手抜かりだったんだ」

 

「別にあれくらいで傷ついたりしないよ! うちの眷属さんに言われるんならまだしも、よそから来た全然知らない人に悪口とか言われても私は気にしないし! それにいつもお兄ちゃんが傍にいてくれてるのに、不安になるわけないでしょ! あんまり馬鹿にしないで!」

 

 学校に行く時も帰る時もお兄ちゃんの車で送り迎えしてもらって、さすがにお風呂は一緒に入ってくれないけど一緒にご飯食べて、時間がある時はお喋りしている。勉強を見てもらう時もあるし、一緒にゲームする時もある。共働き家庭の小学生が親といる時間よりも圧倒的に長い時間お兄ちゃんと一緒にいるのに、どこで不安や恐怖を感じればいいんだ。

 

 なんなら最近はずっとお兄ちゃんと一緒に寝ている。もしかしたら誹謗中傷や犯罪予告があったせいで私が不安になっていると思って、お兄ちゃんは一緒に寝るようにしてくれたのだろうか。だとしたら、その部分だけは過激派ナイスアシストだ。

 

「ん? でもそれなら私にそういう犯罪予告がきた時すぐに対応したらよかったんじゃない? 証拠はいくらでもあったんだろうし」

 

「ああ……まあ、礼ちゃんに誹謗中傷や犯罪予告を送ってきた連中を追い詰めることはできたけど、ね。でもあの時の状態で法的措置をしたところで、僕らを取り巻く風向きが大きく変わることはなかったと思うんだ。やり過ぎた奴らが開示請求を食らっただけ、そんなふうに他人事だと思う人もいたかもしれない。対症療法としてならそれでも構わないんだけど、今後似たような輩が……礼ちゃんを狙うような愚か者がグループから現れないとも限らない。だから荒らしグループを潰す必要があった。そして僕らの環境を抜本的に改善するために、荒らしグループの悪行をわかりやすく見せつけて大多数の一般リスナーの同情を買っておく必要があった。ジン・ラースとレイラ・エンヴィは荒らしグループのネガティブキャンペーンで苦しめられてきた被害者なんだ、っていう考え方に誘導したかったんだ」

 

 荒らしグループの悪行。一般リスナーの同情を買う。お兄ちゃんが反転攻勢に出たきっかけ。

 

「もしかして、捏造動画……あれもお兄ちゃんが作らせるように仕向けたの?!」

 

「捏造動画を作れとは指示してないよ。僕は過激派のメンバーにメッセージを送っただけ」

 

「どんなこと送ったの?」

 

「『このままジン・ラースが人気を得てしまうと手遅れになる』って危機感を煽って『付け入る隙がない、失言や暴言のなさは顕著だ』で不安を誘うでしょ? 次に『これ以上チャンネル登録者数が増えてジン・ラースの味方が多くなれば、奴を取り巻く環境の風向きが変わりかねない』って揺さぶりをかける。『弱みを見つけるまで待っていては手遅れになるかもしれない。自分たちのほうが悪者にされて最悪の場合訴えられるかもしれない』と焦燥感と恐怖心に火をつける。段階的に追い詰めて過激派メンバーがいい具合にパニックに陥ったところにタイミングよく『今我々が動かなければ、我々と同じように悲しい思いをする人たちが出てきてしまう。どうにか防がないといけない。それが我々の存在理由だったはずだ。付け入る隙がないのなら、作るのもやむなしだ』って御大層な言葉を使って一発逆転の光明があることを仄めかした。そうしてジン・ラースを悪者にして叩き潰せば訴えられずに済むかもしれない、と思わせた。……だいたいこんなところかな?」

 

「……そういうの、教唆(きょうさ)って言うんだよね?」

 

「ジン・ラースに対しての侮辱や名誉毀損で過激派メンバーが訴えられた場合、教唆罪は構成条件を満たすね。でも過激派メンバーが訴えられるのはレイラ・エンヴィに対して行った犯罪行為だけだから、僕が罪に問われることはないよ」

 

「……お兄ちゃん、法律の勉強の仕方間違ってない?」

 

「間違ってないよ。ちゃんと使い方を学んだんだから」

 

 ふつうは法を犯さないように、法を守るために勉強するはずだけど。

 

「そうやって藁にも縋る思いで飛びついた過激派メンバーの致命的なミスを期待していたわけだけど、まさかめろさんまで巻き込んで捏造動画を作るとは思わなかった」

 

「そこはお兄ちゃんも想定外だったんだ?」

 

「僕はてっきり自分自身の手で稚拙な小細工を弄するものだと思っていたんだ。あんなに差し迫った時にまで他人になんとかしてもらおうと考えるなんて思わなかったよ。最後まで過激派メンバーの愚かさは読み切れなかったな……精進が足りない」

 

「お兄ちゃんの考えではどうするつもりだったの?」

 

「予定通りなら、荒らしグループが炎上のネタを捏造するという悪辣な手段で陥れようとしたことを糾弾して、こちらには一切の非がないことを強調して趨勢(すうせい)を占めて、続けて荒らしグループのこれまでの悪行を暴露して大勢(たいせい)を決める、という流れだった。とは言っても、若干の軌道修正だけで済んだから良かった。……いや、拾えた命もあったから、なんならこっちのほうが良かったのかも」

 

「……拾えた、命?」

 

「めろさんのことだよ。捏造動画で関わっていなかったら、僕にDMを送ってきてたかわからなかった。めろさんと通話する機会が生まれて、人生をやり直すきっかけになったのは、過激派メンバーの愚かさのおかげだね。荒らしグループの度を越えた悪行は明るみになったし、一般リスナーからの同情も買うことができたし、ネガキャンで植え付けられた悪いイメージの払拭にも役立った。法的措置通告によりグループは解散して、他の人たちも開示請求を恐れて荒らし行為をやめるようになった。僕たちの前に立ち塞がっていた障害物は綺麗さっぱりなくなった。最大公約数的な形に収まったと言える。人間万事塞翁が馬とはこのことだね」

 

 運否天賦に任せてサイコロを振ったらいい目が出た、みたいな言い方をするけれど、こんなものは運ではない。

 

 思い描いた結末へと事を運ぶために、お兄ちゃんは最初から差配していた。

 

 お兄ちゃんは『すべての人間を手のひらの上で転がして楽しんでいた悪の親玉、みたいなポジションを僕に押し付けないで』なんて言っていたけれど、やっていることはそれと大差ない。違いを挙げるとするなら、お兄ちゃん自身には悪意はなく、ただ私を守るという善意しかなかったことだろうか。

 

 炎上が始まる前から動き、炎上が始まってからも裏で糸を引き、想定外があっても柔軟に対応を変えて、多くの人の感情を操って、望んだ結果を掴み取った。誰にも悟られずに、誰にも疑われずに、自分の求めたものはすべて手中に収めた。

 

 サイコロを振ってたまたま六の目が出たわけじゃない。言うなれば、お兄ちゃんは絶対に六の目を出すために全部の面を六に書き換えたサイコロを振ったのだ。

 

 たった一人で、運にも人にも頼ることなく。

 

「私に、頼ってくれていいのに……」

 

 せめて私くらいには、協力を頼んでほしかった。『こういうことを計画してるから手伝って』と言ってほしかった。

 

 そんな悔しい思いからこぼれた本音。

 

 聞かせるつもりのなかった私の本心は、鋭敏すぎるお兄ちゃんの耳に拾われた。

 

「こんな時間も手間もかかる下らないこと、いつも忙しくしてる礼ちゃんにさせられないよ。こういうのは日がな一日暇してるお兄ちゃんにでもやらせておけばいいんだ」

 

「……お兄ちゃんだって暇してるわけじゃないでしょ。家のことやって、私のことお世話して、お父さんやお母さんのお仕事お手伝いして、たくさんやることあるのに」

 

 家事を全て受け持って、私の送迎も食事も制服のアイロンがけまでやって、弁護士をしているお父さんには法律や判例を調べたり資料の準備で、大学で教授をしているお母さんには事務処理や講義で使うデータを纏めたりして手伝っている。お兄ちゃんは決して暇ではなかったはずなのに。

 

 するとお兄ちゃんはのん気に顔を緩ませる。 

 

「会社行ってた時と比べれば時間にゆとりはあるから大丈夫大丈夫」

 

「比べるものを間違えてるんだよね」

 

「…………」

 

 咎める視線を向けると、お兄ちゃんは逃げるように目を逸らした。

 

 お兄ちゃんが倒れるまで働いていたことを、私はまだ許していない。お兄ちゃんが死んじゃうかもしれないと思った時の衝撃は、私の心の奥深くでずっと残響している。

 

 無理をしてほしくない。大変な時は、私を頼ってほしい。お兄ちゃんになら、どんな苦労でも、どんな困難でも、たとえ痛みでも、何をされても私は受け入れるのに。

 

 でも今回の一件でわかった。お兄ちゃんは頼らなかったのではなくて、頼れなかったのだ。私が頼りなかったから、頼れなかった。

 

 お兄ちゃんにとって、私は弱くて守らないといけない対象だ。庇護される立場では、いざという時にお兄ちゃんの力になれない。

 

 強くならないといけない。お兄ちゃんを理解して、お兄ちゃんが動いた時にすぐに手助けできるように。

 

 後ろで庇われるのではなく、隣に並んで立てるように。

 

「ま、まあまあ……今回のことは全部解決したんだからさ。機嫌直してよ。僕と礼ちゃんの回りの厄介事は綺麗に片付いたし、一般リスナーからの印象も良くなった。万々歳の大団円。みんな幸せ。それでいいんじゃない?」

 

「……はあ」

 

 何も考えていないような、にこやかな表情をするお兄ちゃん。本当に『みんな』幸せになったと思っているのだろう。

 

 お兄ちゃんの中の『みんな』は、幸せになったのだろう。その『みんな』に含まれるのは、お兄ちゃん自身と、私と、よくて夢結までだ。それ以外の人はまだ『みんな』には含まれていない。

 

 これからは、その『みんな』を増やしていけたらいいな。それがきっと、お兄ちゃんにとっての幸せに繋がるはず。

 

「せっかく面倒なことが片付けられたんだ。これからはもっと楽しいことが増えるといいよね」

 

 これだけ裏でいろんなことをしていたのに、お兄ちゃんはもうそんなことは意に介することもなく、これからのことを考えている。

 

 たしかに、これまで以上に活動の幅を広げていけるようになるだろう。私もお兄ちゃんとやりたいことはたくさんある。

 

 でもその前に、私にはやらなければいけないこともたくさんある。

 

 迷惑をかけてしまった先輩たち、心配をかけてしまった後輩たち。そして迷惑も心配もかけた上、無礼と命令無視まで働いてしまった安生地さんや『New Tale』のスタッフさん。みんなに謝らないといけない。

 

 これからの謝罪行脚を考えると胃が痛いけれど、これは私の軽挙妄動が招いた結果だ。頭を下げて回ることとしよう。

 

 ただそれは、あくまでこれからの話。今だけはお兄ちゃんの前向きな言葉に乗っかっておこう。

 

 そう、言ってしまえば、ようやくお兄ちゃんのVtuberとしての活動が正しい形で始まるのだ。否が応にも高揚する。

 

「きっと増える……ううん! 増やすよっ、いっぱい、今よりずっと、楽しいこと! 一緒にがんばろうね、お兄ちゃんっ!」

 

 お兄ちゃんの配信活動は輝くようなものになる、と。私は腕を目一杯に広げて、全身を使って表現する。

 

 ようやく肩の荷を下ろせたからか、お兄ちゃんは無垢な笑顔を見せてくれた。

 

「あははっ、うん。そうだね。一緒に楽しもう。これからもよろしくね、礼ちゃんっ」

 

 顔が熱くなる。胸が高鳴る。

 

 やっぱり私にとってお兄ちゃんは、他の誰よりも何よりも大切な人だ。

 

 私たちはあくまでも兄妹だから、いずれ一緒にはいられなくなる日が来る。だからこそいつか必ず訪れるその時まで、私は全力で楽しんでいたいし、お兄ちゃんの隣で一緒に笑い合っていたい。

 

 たとえ将来、五年後十年後、お兄ちゃんが私の知らない誰かと結婚したとしても、お兄ちゃんにとっての一番大切な人が私じゃなくなっても、それでも私にとっての『一番』は、ずっとお兄ちゃんだ。

 

「うん! いっぱい楽しもうね! お兄ちゃん!」

 

 お兄ちゃんの幸せが、私の幸せだ。

 

 





一章でした。ありがとうございました。すっきりとした気持ちで読み終えてもらえていたら嬉しいです。

正直なところ、一章書くのだけでもすっごい馬鹿みたいに時間かかったんです。僕遅筆なので。
だからこれで終わりにしようかと思ってたんですけど、たくさんの感想と評価もいただきましたし、もっと書きたい話もあります。この次を見越して張った伏線……というか布石も放置しっぱなしだし、同期とのコラボもやってない。人間関係ももっと深めていきたい。やっとお兄ちゃんがまともに活動できるようになったのにこれで終わりというのはちょっと可哀想。ただただ配信でゲームとか楽しんでほしい。
てか、めっちゃ設定練ったゲームまだ出せてないんだよね!ということで僕が不完全燃焼なので、もう少し頑張ってみることにしました。
ただ、上述した通り引くほど遅筆だし、書き溜めしてから投稿したいタイプの人間なので次いつ投稿できるかはわかりません。全くの未定です。続きができるかどうかもわからないので一応、完結という形を取っておきます。完結した後に連載の設定って戻せるのかな……。

なにはともあれ、とりあえずはここで一区切りです。
この話が三十九話なので、だいたい一ヶ月ちょっとくらいですね。毎日読んでくれた方、毎日感想くれた方、評価してくれた方、ありがとうございました。あなたのおかげでもっと楽しんでもらえるような作品にしたいと思えたし、これからもまた書きたいなって思えました。モチベーションにも繋がりました。

酷評されたらへこむのでこれまでは精神安定のために感想の設定をログインユーザーのみにしてたんですけど、最後なのでログインしてなくても書けるようにしておきます。なにか気づいたことや思ったこと、感じたことがあれば感想いただけると嬉しいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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二章
「寝かしつけてしまおう」


二章です。
よろしくお願いします。


 

 画面中央奥、アサルトライフル(AR)から銃弾をばら撒いて仲間の一人が別のパーティを牽制している間に、ダウンした仲間を蘇生させようとしているプレイヤーがいる。

 

 シリンジでなんらかの薬剤を注射し、さあダウンした仲間を起き上がらせよう、といったところで、そのプレイヤーに照準が合わさる。

 

『起こさせないよ。蘇生してる人狙おう』

 

 特にこれといって特徴はない、強いて挙げれば聞き取りやすいくらいの凡庸な声で、僕が──動画の中では僕のヴァーチャルの姿であるジン・ラースが、パーティメンバーに指示を出す。

 

『おっけー!』

 

 その声だけで全人類が恋をすると言っても過言ではないほど超絶可憐に返事をしたのは、ヴァーチャルの姿ではレイラ・エンヴィと名乗っている僕の妹、恩徳(おんとく)礼愛(れいあ)だ。

 

 動画内の映像は僕がプレイしていた時の動画なので画面上に礼ちゃんは映っていないけれど、たしかこの時は僕が足場にしているコンテナの物陰から相手を狙っていたはずだ。

 

 〈りょ〉

 

 ゲーム内のチャット欄で短く返事をしたのは少年少女Aさんだ。少年少女さんとはVCを繋いでいないので、ゲーム内のチャット欄やシグナルで意思疎通をしている。

 

 少年少女さんとの出会いは僕と礼ちゃんが配信で初めて、三人一パーティで戦っていくこのFPSゲーム『Noble(ノーブル) bullet(バレット)』略称貴弾をプレイした時だった。

 

 三人一組で戦っていくこのゲームは、デュオでゲームを開始した場合、もう一人の枠にはソロでプレイしている人が加わる。その時に入ってきたのが、この少年少女さんだったのだ。しかもその時偶然僕らの配信を視聴していたらしい。僕が出しているオーダーも聞こえるし、指示を出せば従ってくれるし、ファイトは強いし、配信に載せてはいけない暴言や汚い言葉も使わないし、いい具合にゲーム内のチャット欄から話も振ってくれる。これほど素晴らしい人材はいない。

 

 ということで、その試合が終わった後フレンド登録をして、一緒にFPSをするようになった。僕と礼ちゃんでFPS配信をする時はかなりの確率で少年少女さんが一緒にいる。僕と礼ちゃんには配信上で一緒にFPSをしてくれる友だちがいないのでとても助かっている。

 

「……ここからだよ」

 

 僕の膝の上に座る礼ちゃんが、憮然といった口振りで呟いた。

 

『フォーカス、カウント』

 

 この貴弾というゲーム、エナジーコートと呼ばれる外部装甲のような要素があり、特別強力な銃で頭を射抜かない限りは一発で相手を仕留めるということができない。なので味方全員で敵に集中砲火を浴びせて相手パーティの一人をダウンさせ、人数有利を作ることが大事なのだ。

 

 そうやって三人いるパーティメンバーの全員が倒す敵を決めて一斉に撃つことを、フォーカスを合わせる、と表現する。タイミングがずれると狙っている相手が逃げてしまうので、三人が撃つタイミングを合わせることが肝なのだ。

 

『よしっ……』

 

「ほら、聴いてよお兄ちゃん。この、やってやるぞおっ! ……って気合が入ってる私の声。ほら、聴いて。ねえ」

 

 そう(なじ)りながら、礼ちゃんは頭で僕の顎をぐりぐりと突き上げてくる。

 

 天使の輪っかが浮かぶほどつやつやした礼ちゃんの黒髪はとても肌触りがよく、何よりどこか甘い匂いがして、僕にとってはまったく罰にならない。

 

『三……四、五』

 

 〈草〉

 

『っんああ増えてる! 数字が! いつ撃てばいいの?!』

 

『撃て撃てー』

 

『フォーカスってなんだったの?!』

 

 まず僕が、次いで半拍遅れて少年少女さんが、そして少年少女さんから一拍遅れて礼ちゃんが撃ち始める。

 

 ダウンした仲間を起こそうとしていた相手は横腹を突かれるような形で襲われるとは思ってなかったのか、蘇生行動をキャンセルできずにそのまま僕らに蜂の巣にされてダウンした。

 

 漁夫の利を狙い狙われるのはバトルロイヤル系FPSの常だ、警戒を怠ってはいけない。

 

『残りの一人、AR持ってる人もすぐ倒そう。彼らと戦ってたパーティは安地の収縮がすぐ後ろに迫ってきてるから無理に攻める必要はない』

 

 バトルロイヤル系のFPSは広大なフィールドから始まり、次第に自由に動ける安全地帯が縮小していく。その縮小のことを安全地帯収縮、略して安地収縮と言い、安全地帯の外は立っているだけでダメージを負うので、プレイヤーは安全地帯の外で耐久するといった作戦がない限りは基本的に安全地帯内に入ろうとする。安地外ダメージを受けないように無理に安地に入ろうとすれば隙が生まれ、すでに安地内で待ち構えているほう、つまり僕らは有利に戦えるのだ。

 

『このポジションで待ち構えるよ。こっちに入ってこようと動いたところを牽制して押さえ込む。物資に余裕あるから投げ物も使っていいよ』

 

『冷静にオーダー出しても誤魔化されないからね! さっきのフォーカスについては問い詰めるからね!』

 

『礼ちゃん落ち着いて。北の坂上に別パーティが見えた。攻めてくるかもしれない。注意して』

 

『なんで私が間違ってるみたいな扱いに?!』

 

 礼ちゃんの嘆きをきっかけに、音声はそのままで画面がワントーンほど暗くなる。

 

 礼ちゃんが愛らしい小動物のようにわーきゃー叫びながら遮蔽物に身を寄せて北側を見据え、僕が抑揚のない平坦な声でオーダーを出しながら坂上の岩陰から頭を出していたプレイヤーをスナイパーライフルで撃ち抜き、少年少女さんは安地収縮に呑まれながら押し寄せてくる南側の敵を牽制しながら器用にチャット欄に〈クラスマッチとは思えなくて草〉と打っていた。相変わらずタイピングが速くて正確だ。

 

 画面下部にテロップで『このあとなんやかんやで全員倒しました』と表示された。

 

 格好良いエンディングが短く流れて、ジン・ラースとレイラ・エンヴィのチャンネル登録を勧める文言が表示され、動画は終了だ。

 

「ほら! 動画のコメント欄見てよ! 〈お嬢……〉〈妹悪魔不憫でくさ〉〈この日もツッコミキレキレやった〉とか書かれてる! 誰がツッコミだあ!」

 

「リスナーさんの反応良くていいね。再生数も伸びてるし」

 

「お兄ちゃんのせいだよこんなに反応良いのは! 大事な場面で! 真剣なトーンで! 急にふざけるから!」

 

「ごめんね、礼ちゃん。でも思いついちゃったものは仕方なくない?」

 

「その思いつきのせいで私がパニックになってたでしょ! 言いたくないけどあの時エイムぶれまくって、敵動いてないのに一点しか当たらなかったんだからね!」

 

「そこは礼ちゃん自身になんとかしてもらわないと。僕では礼ちゃんのエイム練習に付き合うくらいしかできないんだから」

 

「お兄ちゃんがボケなかったらあんなにエイムぶれなかったよ!?」

 

「それは過去の僕に言ってよ。現在の僕に罪はないよ」

 

「たった二日前のお兄ちゃんだよおっ!」

 

 やいのやいの文句を言いながら、礼ちゃんは僕の腕をぐいぐいと押しては引っ張ってを繰り返す。

 

 礼ちゃんは抗議したい様子だが、しかし僕は口頭での抗議やクレームは受けつけていないのだ。ちゃんと書面で用意してもらわないと当方では手続きを行いかねます。

 

 膝の上で躍動感いっぱいに暴れ、もとい動く礼ちゃんが落ちないよう、シートベルト代わりに腰に手を回しておく。まあ、そのうち落ち着くでしょう。

 

「それにしても……めろさんの切り抜き動画は本当に見やすいなあ。会話は全部字幕つけて、僕と礼ちゃんで色を分けて、状況によってフォントまで変えてる。効果音とかも要所で入れてるし、しっかり少年少女さんのチャットも見やすいように拡大してくれてる……すごく手が込んでるよ」

 

「むぅ」

 

 礼ちゃんが小さく唸った。

 

 僕が強引に話を変えたと思ったのか、それともめろさんの話題を出したからか、もしくはその両方か。

 

「それは……たしかに。この丁寧さで切り抜いてくれる人なんて、私見たことないもん。しかもこの切り抜きが上げられたのって、私たちが配信終了した一時間後なんだよ? ありえなくない? クオリティも編集の速さも異次元すぎ」

 

「いやあ、技術はあると思ってたけど、想像を超える腕の良さだよね」

 

「『mellow(めろう):ジン・ラース切り抜きch』……なかなかやりおる」

 

 礼ちゃんは複雑な思いを抱えながらも、この切り抜き動画の制作者の高い技術力は認めてくれた。

 

 今は『mellow:ジン・ラース切り抜きch』と名乗っている切り抜き動画の制作者は、以前僕の配信やSNSを荒らしていた人だった。しかし、とある機会からコミュニケーションアプリを介して通話することとなり、その結果、無事和解したのだ。

 

 そこからは僕の配信の見所を切り抜いて編集し、短い動画にして動画共有プラットフォームにアップする、いわゆる切り抜き師をしてくれている。

 

 配信者は、まずリスナーさんに知ってもらわなければいけない、という大きなハードルがある。いくらライブ配信をしようと、存在を知られていなければ配信にきてもらえない。

 

 こういう見やすいように編集された切り抜き動画は、リスナーさんに僕らの存在を知ってもらうのにうってつけなのだ。名前を憶えてもらえればライブ配信に足を運んでもらえる可能性が上がる。ライブ配信を観にきてくれて、それで面白いと思ってもらえれば、僕らのチャンネルを登録してもらえる。

 

 いうなれば広報活動に等しい。商品を買ってもらうために試供品を贈るのと理屈は同じだ。

 

 実際に僕らの切り抜き動画が出回るようになってから、ジン・ラースもレイラ・エンヴィもチャンネル登録者数が急激に伸びている。効果は確実にある。

 

 そうやって僕らの活動を後方から支援してくれている切り抜き師さんのことを、僕は親しみを込めて『めろさん』と呼んでいるのだ。

 

「しかもめろさんが上げてる動画、この一つじゃないしね。あの日の配信の切り抜き、三つ? 四つかな? それくらい上げてくれてる。しかもクオリティは落とさないで。とんでもないね」

 

「それだけ切り抜くところ多いっていうのもまたすごいけどね……。お兄ちゃんが隙あらばふざけるから」

 

「ふざけてるわけじゃないよ。ただ、思いついたことをやらずにいられないだけなんだ。それに礼ちゃんが毎回綺麗に拾ってくれるから、僕も喋りやすくてね。口が滑っちゃうんだ」

 

「そのせいで切り抜きの温度差すごいよ。かっこいい切り抜き、お笑い切り抜き、かっこいい切り抜き、お笑い切り抜きで上下の幅がとんでもないことになってる。戦ってる時だけは文句つけられないくらいかっこいいのがずるいよ」

 

「毎回同じパターンじゃ飽きるもんね。めろさん、よく考えてるなあ」

 

「お兄ちゃんが事あるごとにボケるからでしょ。ていうかお兄ちゃんだけじゃないけどねっ! 少年少女さんもチャット欄で笑かしてくるし! 先にダウンした時とか、嬉々としてチャット欄で遊んでるよ! タイプが速いっていうのも考えものだなあ……ふふっ」

 

 少年少女さんに苦言を呈するような言い方だけど、礼ちゃんの表情は朗らかだ。

 

 僕がそうであるように、礼ちゃんも少年少女さんのことをかなり気に入っている。直接会ったことはおろか通話したこともないけれど、一緒にゲームをしてくれて配信を賑わせてくれる友だちだと思っているのだろう。僕としても、少年少女さんは良き友人だ。わりと頻繁に連絡くれるし。

 

「そうだ。切り抜きといえば、夢結(ゆゆ)さんや夢結さんの妹さん……寧音(ねね)さんが描いてくれてる手描き切り抜き。あれもすごくいいよね」

 

「だよね! めっちゃいいよね! 夢結も寧音ちゃんもすっごいがんばってくれてるんだよ!」

 

 吾妻(あづま)夢結(ゆゆ)さんは礼ちゃんが高校一年のゴールデンウィーク明けから仲良くなったクラスメイトで、高校三年生の今では親友と呼べるほどの親密な関係の女の子だ。

 

 黒髪で制服も校則に反する事なく装飾品もつけていない礼ちゃんに対し、夢結さんは髪は輝くような金髪に染めていて制服もだらしなくならない程度のおしゃれな感じで着崩している。外見的な印象では礼ちゃんとは正反対だけれど、性格は真面目で優しく、とても気遣いのできる礼儀正しい子だった。

 

 そんな夢結さんにはお姉さんと妹さんがいらっしゃって、三姉妹で創作活動をされている。同人誌という形式で、漫画の制作と販売をやっているのだそうだ。個人や小さなグループで出している漫画、というニュアンスでいいのだろうか。

 

 漫画のジャンルとしてはBLというジャンルを多く世に出している、と本人から直接話を聞いたことがある。礼ちゃんも夢結さんたちのサークルの本を持っていると言っていたのだけど、僕も読みたくて借りようとしたら断られてしまった。解せない。借りずに買って夢結さんたちのサークルの売り上げに貢献しろということなのかな。

 

 もうずいぶんとそういう創作活動を続けているらしく、夢結さんはとても絵がお上手なのだ。その腕を見込んで、礼ちゃんが夢結さんに手描き切り抜き用の絵を描いてほしいと依頼した。手描き切り抜きとは、元の配信の音声だけを切り抜いて、配信の映像の代わりにイラストで表現するという切り抜きだ。

 

 高校三年生という、人生の中でも指折りに忙しくなる時期にそんな依頼は大変だろうに、夢結さんは『困っているのなら手伝わせて』と快く引き受けてくれた。それどころか、中学三年生という、これまた多忙極まる時期の寧音さんまで手伝ってくれているとのこと。頭が上がらない。感謝しかない。

 

「ジン・ラースとレイラ・エンヴィの特徴を掴んでデフォルメ化した絵がとても可愛いんだよね。とくにレイラの表情はころころ変わるし、動きもあってすごく良い」

 

「私もデフォルメ絵のほうも可愛くて好きだけど、かっこいい系の切り抜きも好きだなあ。途中まではデフォルメ絵でぴょこぴょこ動いて、相手にとどめを刺すシーンの時に一枚絵で、ずどんって見せてくる演出。お兄ちゃんが相手にトドメ刺した時のイラストめっちゃかっこよかった!」

 

 礼ちゃんの言う動画は、僕も観た。というか、夢結さんと寧音さんの二人で使っている『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』の投稿する動画はすべて観させてもらっている。

 

 礼ちゃんが絶賛するそのシーンは貴弾の配信の切り抜きのものだ。

 

 試合の終盤、残る敵は一パーティで、そのパーティの生き残り、最後の一人を僕が仕留めた、というもの。

 

 岩裏で回復していた相手を囲い込むように礼ちゃんと少年少女さんが左右を回り、僕は射線を複数通すために岩に登って相手の頭上を取ろうとしていた。

 

 岩上に到着して、岩上から撃ち下ろして倒してしまってもよかったのだけど、たくさんのリスナーさんが観てくれているのだからと思い、少し配信映えを意識してみた。

 

 まずは一発、岩上から相手の頭を撃ち抜く。相手の視点が上に向いて僕を捉える前に視界から外れるように岩から飛び降り、飛び降りている最中に二発目。僕の姿を探していた相手が振り向く前に格闘コマンドで殴りつけ、若干のダメージとノックバックで相手が怯んでいる間に僕は一言相手の奮闘を労い、真正面に立ちながら強力なピストル、スウィングワンで相手の頭を撃ち砕いて試合に勝利した。

 

 という一連の流れだったのだが、手描き切り抜きでは最後のシーンが誇張されていたのだ。

 

 格闘で殴られた相手は尻もちをついた、というイメージで描かれており、その尻もちをついた相手の上半身をジン・ラースが踏みつけ、いつもは閉じている瞼を少し開いて赤い瞳を覗かせながら、笑みを浮かべてピストルを突きつける。『ご苦労様』の一言で銃声が轟き、画面は暗転。

 

 倒された相手側の視点でイラストが描かれているのがまたお洒落なのだ。

 

 身を守るように、あるいは許しを乞うように手を伸ばしてくる相手を、まるで気にした素振りも情けをかけることもなく、笑顔で頭にピストルを突きつけるジン・ラース。逆光になって影がかかった顔に、血のような濃い赤色をした瞳がぼんやりと浮かび上がる演出。

 

 銃声をきっかけに動画が暗転したのは、視点となっていた相手が亡くなったことを表現している。加えて、『ご苦労様』と言った時に口の形を滑らかに変えて、まるでイラストのジン・ラースに僕がアフレコしたような動画になっていた。実にユニークな演出と秀逸な画力だった。

 

 ただ、あのイラストの構図だと僕がとんでもなく無慈悲な悪魔に見えてしまう。ジン・ラースは悪魔ではあるけれど、慈悲はあるつもりなのに。

 

「いや……あの動画とイラストは僕も好きだよ? でもイラストに力が入ってるぶん、なんだか悪役感が際立ってない? 大丈夫かな?」

 

「悪魔だもん、ぴったりだよ。ほら、コメント欄でも大好評だよ。〈めちゃくちゃかっこいい!〉とか〈私も踏まれたい〉とか〈撃たれるよりも首を絞められたい〉とか、たくさんコメントされてるよ!」

 

「ああもうだめそうだ。手遅れっぽい人もちらほらいる。おかしい……ジン・ラースは悪魔だけど、悪魔っぽい振る舞いは控えているつもりだったのに……」

 

「お兄ちゃんの優しい声でいじめられるっていうのが刺さるんだよ、きっと。よかったね」

 

「これは……いいことなのかな? リスナーさんの性癖を歪めることにならないかな……」

 

「大丈夫、それで歪むような人はもとから素質があるんだよ。それに早めに歪んでたほうがリスナーさんもこれからのお兄ちゃんの配信をもっと楽しめるようになるよ」

 

「全然大丈夫じゃない。そんなリスナーさんばっかりになったら僕の配信が魔界よりも混沌としちゃうよ……」

 

「お兄ちゃんの声とイラストが噛み合いすぎてるよね。私もテンション上がって音とイラストの調整こだわっちゃった」

 

 手描き切り抜き動画のイラストは夢結さん寧音さんが描いてらっしゃるし、『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』で投稿されているけれど、動画の編集は礼ちゃんが手がけているのだ。

 

「暗転の演出かっこよかったね。僕が印象に残ってるのは、その動画の一つ前に投稿されてた動画かな。試合に勝ったあとのレイラ・エンヴィの笑顔がとっても魅力的に表現されてて好きなんだよね」

 

「……絵はレイラちゃんだからまだいいけど、声は私だから、編集しててなんだか恥ずかしかったなあ……」

 

 さっき話に上がっていたジン・ラースの手描き切り抜き動画と同じ日にやった配信から切り取られたワンシーンだ。

 

 一つ前のパーティとの戦いで少年少女さんが倒されてしまい、ジン・ラースとレイラ・エンヴィの二人で三人のパーティと最終戦になったマッチだった。

 

 一人を倒し、もう一人のエナジーコートを剥いで本体のヒットポイントを半分ほど削ったあたりで僕がダウン。一対二という劣勢から、礼ちゃんは落ち着いてほとんど瀕死の敵をまず撃ち取り、一対一の構図を作る。一対一を作るまでにいくらかは体力が削られていたが、そこは正面戦闘に強い礼ちゃんだ。左右に小刻みに動いて被弾を抑えつつ、撃ち続けていたショットガンが弾切れになってもすぐに武器を持ち替えて、最近練習中のキャラコンで相手を翻弄してサブマシンガンでヒットポイントを削り取り、競り勝った。

 

 一対二(ワンブイツー)をクラッチした、つまりは数的不利を覆して勝利したということが嬉しかったのだろう。とても元気に、とてもあどけなく礼ちゃんは歓喜の声をあげていた。

 

 その時のイラストが、右手に握る銃のストック部分を肩に乗せ、左手でVサインを決める満面の笑みを浮かべているものだった。服は砂や埃や血や泥にまみれ、手や腕にもかすり傷があり、いつも艶やかな長い黒髪はところどころ跳ねたりしていた。激戦の痕跡は色濃くあったが、それでも輝くような笑顔を向けているレイラ・エンヴィは可憐で華麗だった。

 

 とても綺麗なイラストといい、礼ちゃんの無邪気な声といい、はちゃめちゃに可愛かったので強く印象に残っている。

 

 当の本人は、無邪気に喜んでしまったことが照れくさいようだけれど。

 

「恥ずかしがることないよ。実際、あの時のプレイは良かったからね」

 

「そんなことないってば。あれは、お兄ちゃんが一人落として、もう一人も削っててくれてたから……」

 

「ううん、きっと相手が瀕死じゃなくても礼ちゃんは勝ててたよ。遮蔽をうまく使ってなるべく片方の射線を切りながら、戦えてたしね」

 

「そう、そうかな? ……えへへ」

 

「うん、そうだよ。だから喜んでもいいんだ。『やったーっ! 勝ったーっ! お兄ちゃんっ、少年少女さんっ、勝てたよーっ!』って無邪気に喜んでも誰も文句なんて言わないよ」

 

「ぴゃーっ!? やめてよ! 真似しないで! っていうか女声出すのうまっ……」

 

「声真似のレパートリー増やしたくて練習中なんだよね」

 

「とうとう性別すら超越し始めたんだ……」

 

 礼ちゃんとだらだらお喋りしながら、手描き切り抜き動画を観て回る。どの動画も再生数が伸びている。

 

 これまで配信活動を続けて培われてきた礼ちゃんの編集技術と、これまで創作活動を続けて積み上げられてきた夢結さんと寧音さんの絵描きの実力。それらが合わさることで、観ていて惹きつけられる動画に仕上がっている。投稿されてから日が経っても伸び続ける理由がわかるというものだ。

 

「そういえば、昨日夢結と通話してたんだけどね、最近寝不足だーって言ってたんだよ」

 

「えっ……やっぱり忙しいから、かな?」

 

 夢結さんも寧音さんも学生の身で、おそらく同人誌サークルとしての活動を今も続けている。ただでさえお忙しいのに、僕らは手描き切り抜きまで頼んでしまっているのだ。

 

 手描き切り抜きをやってくれるのは嬉しいけど無理だけはせずに健康第一でね、と伝えはしたが、相手は真面目な夢結さんだし、寧音さんはそんな夢結さんの妹さんだ。もしかしたら、また睡眠時間を削って描く、なんて無茶なこともやっているかもしれない。

 

「いや、今夏休みでしょ? だから翌朝学校行くために起きなくていいからって、配信のアーカイブ見返したり、mellowの切り抜き見漁ったりしてるんだってさ。夏休み入って早々に昼夜逆転したみたい」

 

「おお……それは、なんとまあ……。夢結さんらしいといえばらしいけど……」

 

「動画観まくってるせいで寝つきが悪くなったんだって。夢結の場合、動画関係なく運動してないからだと私は思ってるんだけどね」

 

 ベッドに入ってもずっとスマホで動画を観ているのだとしたら、それは寝つきも悪くなることだろう。寝られたとしても寝落ちするという形になるだろうし、変な体勢で寝てしまえば体も痛めそうだ。

 

 寝つきやすくするには短時間でも太陽を浴びて、ある程度運動するのが効果的だけれど、そこは個人の自由の範疇だ。睡眠不足は心配だが僕が口を出せる部分じゃない。

 

 健康的な生活、とまでは言わないから、どうすれば夢結さんが健康的な睡眠を取り戻してくれるだろうと考え、一つ思いついた。

 

「ねえ、礼ちゃん。夢結さんは生活リズムが崩れているみたいだけど、僕たちのライブ配信は観てくれてるよね?」

 

「そりゃあ夢結ならお兄ちゃんの配信は絶対観るよ。お兄ちゃんの配信を万全なコンディションで観られるように睡眠時間を調節するような奴なんだから」

 

「僕の配信が基準になってるのか……嬉しいような、恐れ多いような……。でも、絶対に観てくれるのなら、それを使って夢結さんの生活リズムを改善することができるかもしれないね」

 

「……うん? どゆこと?」

 

「寝かしつけてしまおう」

 

 





あまり長々と書くのはどうかと思うのですが、二章の第一話ということでご容赦ください。

二章から読んでくださっている方は初めまして。二章はわりと平和なシーンが多い(個人の感想)のでしばらくは心穏やかに読んでもらえるかと思います。よければお付き合いください。
一章の終わりから投稿再開を待っててくれた方はお久しぶりです。こんなに時間がかかってしまって申し訳ないです。待たせてしまった上でこんなこと言うのは心苦しいんですが、二章のラストまでまだ書き終わってません。ごめんなさい。

書き溜めしてから投稿したいタイプの人間なんですが、やりたいことをやりたいだけやった結果、ばかみたいに長くなってしまったのでもう投稿してしまおうと思い、投稿再開しました。本当なら一章よりも短く端的にするつもりだったのですが、ラスト書き終わってない現時点ですでに一章よりも文量が多くなるというバグが発生してます。予定ではこんなはずではなかったんですけど。もしかしたらラストまで一気に投稿することができないかもしれません。もしそうなった時のために前もって謝っておきます。ごめんなさい。

最後になりましたが、この場を借りて感謝を。
一章最終話でたくさんの感想や評価、ありがとうございました。おかげで続きを書こうという気持ちを維持できました。モチベーションが落ちかけた時に感想を読んだら元気が出ました。とても助けられました。
その結果、書きたいように書き散らかした二章です。お兄ちゃんが楽しそうに配信するところが書きたかっただけの二章です。
楽しんでもらえるかどうかわからなくて不安ではありますが、少なくとも僕は楽しかったことをここに報告します。楽しんで読んでもらえることを祈ってます。
なるべく決まった時間に投稿していけるよう頑張ります。またここからしばらくの間、お付き合いいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

ちなみに次話は別視点です。


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十八時起床の馬鹿野郎

夢結視点です。


『今日もいつもの行くぞー! 「New Tale」の悪魔兄妹! 妹のほう! 魔界創造計画の前途多難さを改めて思い知った、建築ではデザインを担当しております嫉妬の悪魔、レイラ・エンヴィと! 出てくる敵もなんのその、手にした弓にはオートエイムのエンチャントがついているー……こちら!』

 

『オートエイムはチートでしょ……。狙って撃てば当たるんだからチートなんていらないよ。「New Tale」の悪魔兄妹、兄のほう。必要な資材の採集兼運搬担当、図面さえしっかりしたものを用意してもらえればきっと建築でも役に立つはずの憤怒の悪魔、ジン・ラースでした』

 

「あー……今日のお兄さんもとってもよかった……」

 

「お兄さーん! 行かないでー! 終わらないでー!」

 

 毎度の如く寧音がけたたましく別れを惜しむ中、お兄さんと礼愛の配信終わりの挨拶が行われた。悪魔兄妹コラボのいつものお別れの挨拶は、今では本当に『いつものお別れの挨拶』として定着している。

 

 悪魔兄妹リスナーはこれを聴かなければ安らかに眠れない、とまことしやかに囁かれているほどだ。

 

 気持ちはわかる。とはいえ、夏休みに入ってから生活サイクルが狂いに狂ったあたしは起きたばかりなのだけど。

 

 お兄さんは配信をする時は基本的に十九時から始まる。

 

 あたしはお兄さんの配信を万全の体調で視聴するべく、配信開始時間の一時間前に起床して顔洗ったりご飯食べたりして万全の状態で待機する。お兄さんの配信を最大限に楽しんで、テンションが上がったまま絵を描く。これがあたしの最近のルーティーンだ。このやり方だととても筆が乗るのだ。欠点は、最近お母さんの視線が怖いことくらいのもの。さして支障はない。

 

『いつもならここでお別れなのですが、今日は一つ告知があります』

 

「あれ? 終わりじゃないの?」

 

「やったー! お兄さんに寧音の声が届いたんだ!」

 

「お兄さんの声が聴こえないでしょうが! ちょっと黙ってて!」

 

 悪魔兄妹コラボの時はお兄さん視点と礼愛視点、どちらも観ていたいので、あたしと寧音のノートPCをローテーブルに置いて並んで観ている。これなら同時に二人の配信を見られる。問題点は寧音()がやかましいこと。

 

『今日の二十四時から、一時間だけですが「寝かしつけ配信」なるものをやろうと思います。学生の人間様は夏休みの期間中で生活サイクルが乱れている方もいらっしゃるでしょうし、社会人の人間様も寝苦しい夜が続いておりますので寝つきが悪くなっている方もいらっしゃるでしょう。そういった人間様に少しでも貢献できればと思い、企画しました』

 

『寝かそうとしてる時のお兄ちゃんの声は強烈なので、寝ようとしている人以外は聴かないほうがいいよ! これから仕事だとか、運転中だとか、そういう人はライブで観るのは一旦控えておいて、自分が寝るタイミングでアーカイブを観てくださいね!』

 

『人間様全員に効果があるかどうかはわからないけどね。早めに寝たい、最近寝つきが悪くてお昼が辛いとお思いの人間様は、ぜひお立ち寄りください。それではまたお会いしましょう。失礼します』

 

「……ゆー姉のことじゃん。生活サイクルが狂った学生って」

 

「ううううるさいな! それに狂ってるなんてお兄さん言ってなかったでしょうが! それにあたしの生活サイクルは乱れてない。意図的に昼夜逆転させてるんだ。安定した昼夜逆転生活だ」

 

「いや、そのほうが問題じゃん。ま、なんにせよ寧音にはなんの関係もないしね! お兄さんに寝かしつけてもらおーっと! ゆー姉はしばらく我慢だねー、ぷぷぷっ」 

 

「ふつうに生で観るけど」

 

 なに言ってんだ、当たり前だろう。お兄さんが配信するのならリアタイ視聴はリスナーとして最低限のマナーだ。

 

「はぁ?! ゆー姉起きたばっかじゃん! 次のお兄さんの配信が二十四時からでしょ? ゆー姉起きたの十八時前後でしょ? 六時間しか起きてないのにもう寝るの?!」

 

「ふっ……甘いな。お兄さんのライブ配信は一から十まで全部聴いて楽しんで、寝る時にはもう一度アーカイブを流しながら寝る。あたしは二度楽しむ」

 

「強欲っ……なんて強欲っ!」

 

「あんたは途中でお兄さんに寝かしつけられて寝落ちしてなさい。あたしは最後まで楽しんでおく」

 

「くっ……でもいいんだ。寧音は一足先にお兄さんに寝かしつけられて、一足先に夢でお兄さんと逢うんだ」

 

 なんでお兄さんの夢を見られることを前提に話をしているんだこいつ。

 

「そして夢の中では寧音がお兄さんを寝かしつけるんだ」

 

 すごい。一部始終(AtoZ)気持ち悪い。キモリスナーとしての純度があたしとは天と地ほどの差がある。天才だ。こうはならないように気をつけよう。

 

「さってと。お兄さんの配信までは時間あるし、あたしはそれまで続き描いとこっかな」

 

「うっ……寧音もはやく描きたいのにっ」

 

「あんたは先に今日のぶんの勉強でしょ。描きたいんなら、勉強早く終わらせたら?」

 

 あたしは立ち上がり、ノートPCを回収して自分の机に戻る。手描き切り抜きがまだ途中なのだ。

 

 お兄さんの配信は時間的に決して長いほうではないけれど、なんなら平均的な配信時間は二時間から長引いたとしても三時間から四時間程度という、他の配信者と比べたら短いくらいなのだけれど、おもしろいシーンやかっこいいシーンが多すぎる。寧音とは違ってAtoZ魅力がたっぷり詰まっている。

 

 最近あたしの睡眠時間を溶かしている『mellow:ジン・ラース切り抜きch』の切り抜きでも、投稿主が『自分が上げている切り抜きなんて一部分でしかない。いいところを切り抜こうと思ったらぜんぶ切り抜くことになる。それくらいぜんぶおもしろい。アーカイブ観ろ』と概要欄に書いているくらい、お兄さんの配信は魅力がいっぱいだ。切り抜きどころに困る。

 

 よかったところを全部絵にするなんてことは当然できない。時間が足りないのだ。作業に追われる形で泣く泣くイラスト化するシーンを選んでいる。シーン選びでは毎度毎度寧音と言い争いを繰り広げているくらい、厳選に厳選を重ねているのだ。

 

 あたしの筆がもっと速ければ、ぜんぶ描くというのに。

 

 速く描ければ、とは常に思うし、努力もしているけれど、すぐに筆が速くなることはない。悲しいなぁ。悔しいなぁ。もっと前から努力しとけばなぁ。

 

 ため息をつきながら、本来の用途ではあまり使われた試しのない勉強机で、絵を描く準備をする。

 

「ゆー姉に言われなくてもすぐに終わらせるよ! ……ん? ねぇ、ゆー姉。夏休み入ってからゆー姉が勉強してるところを寧音は見てないんだけど……やってる、んだよね? どこかでやってるんだよね? さすがにね?」

 

「…………」

 

 自慢ではないがやってない。

 

 真面目で秀才で友だち付き合いとイラストを両立させながら、隙間時間でかりかりとペンを動かして勉強している寧音を横目で見ながら、あたしは液タブのペンを動かしている。それしかやってない。

 

 仕方ないじゃない。お兄さんの配信を観たら描きたい欲が収まらないんだもの。

 

「ゆー姉? 冗談だよね、ゆー姉?」

 

 いつも調子に乗っているクソガキな寧音が真剣なトーンで追及してきそうな雰囲気を醸し始めた時、あたしのスマホがヴヴヴ、と振動した。なんの用か知らないが、いいタイミングだ。

 

「あ、ごめん。ちょっと通話来たわ。あー、これは出ないとなー」

 

「……寧音の話、終わらせないからね?」

 

 ずっと座っていたらお尻が痛くなる安っぽい椅子から立ち上がり、スマホを握りしめて部屋を出る。

 

 寧音の視線はきっと真夏なのに背筋を凍らせるほど冷たいものになっているだろう。なので見なかった。

 

 部屋を出て、扉を閉めて、扉に体を預けながら通話に出る。

 

「はいはい、どしたん礼愛」

 

 あたしのスマホにかかってくる通話の相手なんて、画面を見るまでもなく決まっている。

 

『あ、やっと出た。夢結ー、配信観た?』

 

「そりゃあ観るよ。訊くまでもないでしょ。たとえ三日寝てなかったとしてもお兄さんの配信は観るよ」

 

 寧音ほどではないが、あたしもしっかりキモリスナーなのだった。

 

『あはは、きも』

 

「シンプル悪口やめろ」

 

 絶対に笑顔で言っていることがわかる、めちゃくちゃに明るい『きも』だった。配信ではそんな発言するなよ礼愛、男性リスナーの性癖が開拓されてしまうぞ。

 

『それじゃあお兄ちゃんの最後の告知も聴いたんだよね?』

 

「え? そりゃあ、うん。始まる前から待機して配信が終わるその瞬間まで見届けるのは義務だし。二十四時からの配信ももちろん観るつもりだけど……あれってどうしたの? 学生が夏休みだから特別企画?」

 

 学生の長期休暇に合わせて企画を用意するのはわりとあることだ。企業勢だと所属しているVtuberたちで集まって大型コラボをしたりイベントをやったりもする。とくに目立つのは所属しているVtuberの人数が多い『Golden Goal』だろう。あの箱は頻繁に大きなイベントを開催している。

 

 長期休暇で時間がある時だと配信を観てもらえる機会が増える。その機会に好きになってもらえれば、長期休暇が明けても配信に足を運んでもらえるかもしれない。長期休暇に合わせて企画を打ち出すのはリスナーを増やすチャンスなのだ。

 

 ちなみに増えたリスナーが定着するかどうかは本人の腕次第。いくら箱内のおもしろい企画で知ってもらえたとしても、配信者自身がおもしろくなければリスナーは離れていってしまう。なんとも世知辛い世界だ。

 

『そっちはあんまり関係な……んー、いやまあ、関係はあるのかな? 学生が夏休みだからお兄ちゃんはああいうことをしようって考えたわけだし』

 

「なにそれ? 煮え切らない言い方ー」

 

『学生は夏休みになったら生活リズムが崩れる子も多いでしょ? 夢結みたいに』

 

「ま゜っ……んんっ! まぁ、そうだね? そういう子も中には(・・・)いるよね? 困るよねー、学生の本分を忘れちゃうなんてねー」

 

 思い当たる節がありすぎて困る。

 

 というか自分のことだ。礼愛に言うんじゃなかった。

 

 いや、あたしの話を礼愛から聞いたお兄さんが寝かしつけ配信を企画したのだとしたら、ある意味ではこれはあたしのために寝かしつけ配信をしてくれるのと同義なのではないだろうか。

 

 お兄さんはあたしを寝かしつけようとしてくれているんだ。

 

 そう思うことにしよう。そのほうが心が幸せだ。

 

『ね、困るよね。お兄ちゃんに「夢結が夏休み入った途端に自堕落な生活し始めた」って言ったら「改善するために寝かしつけ配信をする」って言い出したんだよ。お兄ちゃんに心配させないでくれない?』

 

「妄想じゃなかったっ!」

 

『うるっさ』

 

 お兄さんに告げ口していた内容はだいぶ聞き捨てならないが、今はそんな些細なこと気にならない。気にしていられない。

 

 幸せを過剰摂取しすぎて心臓が張り裂けそうだ。あたしのキャパシティ上限を超えている。

 

 だめだ、死んじゃだめだ。あたしのためだけの寝かしつけ配信で永眠するまでは、あたしはまだ死ねない。聴くまでは生きなければいけない。

 

 本当にお兄さんはとんでもない。オタクの妄想を現実にするなんて、どこまでファンサービスが過剰なんだ。

 

「お兄さんはあたしのために?! うそっ……めっちゃすき」

 

『きもい……私に告白しないでもらえる? するなら直接お兄ちゃんにしなよ』

 

「え、していいの?」

 

『うん。すれば? べつに止めはしないけど。告白して玉砕してくればいいよ』

 

「玉砕が前提……つらすぎる」

 

 なんなら通話もまともにできないような関係性で告白は博打がすぎる。もうちょっとこう、段階を踏んでいきたい。今のところ、段階を踏むどころか足踏みがせいぜいだ。

 

『ていうか夢結が寧音ちゃんみたいに模範的な生活してくれてたら、お兄ちゃんはこんなこと企画せずに済んだんだけど』

 

「あたしの昼夜逆転生活のおかげでお兄さんの寝かしつけ配信なんていう約束された勝利の配信が実現するわけか……ふっ、誇らしいな」

 

『少しは恥ずかしがったりしなよ』

 

「お兄さんによる寝かしつけ配信とあたしの受ける羞恥(しゅうち)、差し引きプラスだから恥ずかしくない」

 

『本人がいない時の夢結は神経図太いなあ……』

 

 本人(お兄さん)がいる時にこんな話できるわけないだろう。なにか話題がある時か、お兄さんに話を振られなければ真っ当に会話すらままならないのに。

 

「それにしても……あたしのために、かぁ……」

 

 わざわざ手を(わずら)わせてしまうお兄さんには申し訳ないけれど、めちゃくちゃうれしい。

 

 ただ、欲を言うならもう少し早めに告知しておいてほしかった。

 

 せめて昨日、できれば二日前くらいに教えてもらえていたら、一緒のベッドで添い寝するジン・ラースという、寝かしつけ配信に最適なイラストを気合いと根性と欲望で描き上げていたというのに。

 

『夢結のためじゃなくて、夢結のせいで、ね? 間違えないでね? ちなみに夢結は今日何時に起きたの?』

 

「十八時前」

 

『すごいや、私と十二時間のずれがある』

 

 お兄さんの配信がだいたいいつも十九時。そこから行動時間を逆算して起床し、顔を洗って軽くお腹に物を入れて配信を観る準備を整える。頭を覚醒させてお兄さんの配信を万全のコンディションで視聴するには、やはり一時間前起床がぎりぎりだ。

 

「半日ずれてると、礼愛の生存確認は配信ですることになりそうだね」

 

『生存確認云々はこっちのセリフなんだけど。私は夏休み前と今とで起きる時間変わってないんだからね』

 

「あたしだって短針と長針の位置は変わってないんだけど」

 

『「けど」なんだ。言ってみろ、このおばか。なんで問題ありませんみたいな言い方してるの。夢結がそんな生活してたら遊びにも行けないじゃん』

 

「行かなくていいよー。外暑いのにさー。一日中エアコンに頼って生きてるから、今のあたしが日が出てるうちに外歩いたら蒸発しちゃうって」

 

『観たいって言ってた映画もうすぐ公開するでしょ? あれ観に行こうかなって思ってたのに』

 

「どうせすぐに家でも観れるようになるって。それまで待とう? 涼しい部屋でアイスでも食べながら他人を気にせずゆっくり観ようよ」

 

『むー、もういいよ。お兄ちゃんもおもしろそうだねって言ってたから三人で行こうかと思ってたのに、夢結がそこまで行くのが嫌ならお兄ちゃんと二人で行──』

「ごめんなさい行きますごめんなさいお願いします行かせてください」

 

 それは話が変わってくるだろう。後出しなんてずるいよ礼愛。そんな情報出されたらあたしは敗北宣言するしかないんだから。

 

『ほんと単純だなあ……。まあ一緒に行けるっていうんならそれでいいよ。今日のお兄ちゃんの特別企画配信はちょうどよかったね。これを機に生活リズム整えてね』

 

「いやぁ……映画行く時までにはどうにか戻すけど、たぶんすぐには戻せないと思うんだよね。今は起きたばっかりかつお兄さんの配信観た直後ってこともあって、目がばきばきだし」

 

 生活リズムのほうはいざとなれば一度徹夜して強引に修正するからなんとかなる。

 

 でも、さすがに今日というか明日というか、二十四時からの寝かしつけ配信では寝られないだろう。部屋を暗くしてベッドで横になっても眠気はこないだろうし、逆にお兄さんの声で興奮して寝られないと思う。

 

 そう告げたあたしは、礼愛から乾いた笑いを一つもらった。

 

『はっ……これだから素人は』

 

「厄介ファンみたいなこと言わないでよ」

 

 このノリとか雰囲気がわからんかー、困るなー、というような迷惑なタイプの古参リスナー然としたことを言い出した。

 

 ジン・ラースリスナーの中では最古参のあたしだけど、お兄さんウォッチャー(?)の中では新参者もいいところなあたしだ。仕方がないのでお兄さんの専門家たる礼愛の説明を待とう。

 

『お兄ちゃんが寝かしつけるつもりで配信するんなら、リスナーは寝るんだよ。起きたばっかりとか、まだやることあるとか、目が冴えてるとか、不眠症気味とか、そんなちっぽけな理由なんて関係ないの』

 

「そ、それは模範的なリスナーならどうあってもその時間に寝ろってこと?」

 

『夢結でもまだ「そこ」かあ……』

 

 絡みが面倒な古参だなぁ。

 

『お兄ちゃんの配信の時にこの話題に触れると思うから私からはあんまり話したくないんだけど……。お兄ちゃんってね、真面目なんだよ』

 

「うん? まぁ、真面目……とてもしっかりしてるよね」

 

 あたしの視点からだと、お兄さんにはあまり真面目という言葉はぴんとこない。やらなければいけないことはきっちりこなすし、やってはいけない線引きもびしっと決めてるけど、きっちりやりすぎて息苦しくなったりはしないのだ。真剣な声とかっこいいプレイから時折顔を覗かせるウィットに富んだユーモアとジョークが、お兄さんの魅力だ。四角四面な生真面目さとは一線を画している。

 

『配信って基本、声を使ってやっていくわけじゃん。発声だったり、滑舌だったりとか。そういうのを一度ちゃんと勉強しようかな、とか言ってボイトレ行ってたんだよ、お兄ちゃん』

 

「あの声と滑舌でまだ上を目指してたの……」

 

 『New Tale』の四期生応募用のボイスドラマの時でさえ、凄まじい破壊力を有していたお兄さんの声が、より一層さらに強力になるとか、想像するだけで恐ろしい。最悪の場合死人が出る。

 

『本人(いわ)く、一通り基礎を学んで、あとは表現力を磨きたかったんだって』

 

「その言い方だと、もうボイトレ行ってないの?」

 

『いや、ちょくちょく行ってるよ。ただ最初の担当していた講師の人とは代わったみたい』

 

「へー。講師の人が代わったりするんだね。トレーニングの種類や習熟度で担当者が変わったりするの?」

 

『お兄ちゃんから聞いてた話だと若い人だったみたいだし、講師の心を折っちゃったんでしょ。お兄ちゃんにはままあることだよ。当の本人はまるで自覚がないっていうのがまた残酷だよね』

 

 礼愛は言っていた。『お兄ちゃんはなんでもできる』と。ただそれは『一度やったことなら』という注釈が入る、とのこと。

 

 お兄さんはあくまで、人よりも別格の要領のよさがあるというだけで──コツを掴むまでの早さが異次元というだけで、やったことのないことはふつうの人同様にできないらしい。

 

 お手本から無駄を省いて要所だけを抜き取る目や耳の鋭さ、抜き取った情報を纏める頭、頭の中で思い描いた通りに動かせる体。お手本さえあれば、一度見れば、一度聞けば、一度やってみれば、それで要領を掴めるだけであって、できないことがないわけじゃない。知らないこと、やったことのないことは当然にできない。

 

 そんなふうに礼愛は言っていたが、それは『天才』と呼ばれる人たちとなにが違うのだろうか。

 

 きっとお兄さんに『天才だ』なんて言っても否定されるのだろう。困ったような笑顔で横に首を振るお兄さんが目に浮かぶ。

 

 お兄さんが人より努力していないだなんて口が裂けてもどころか心と体が裂けたとしても言うつもりなんてない。言うつもりはないけれど、それでも、何回も繰り返し繰り返し練習して、一つ一つ積み重ねてようやくできるようになったことを、お兄さんに一足飛びに頭上を飛び越えられてしまえば、心が折れてしまう人だっているだろうとは想像できる。

 

「お兄さんが悪いわけじゃないん、だろうけど……ね」

 

 あたしだって、絵を描き始めて一ヶ月二ヶ月くらいの人に画力で負ければメンタルにくる。SNSでそういう人を見るとかなり落ち込む。お兄さんを担当したという若い講師の気持ちは、痛いほどわかる。

 

『担当の講師の人が代わったらしいんだけど、元の講師から代わった人が変わった人でね』

 

「すんなりと頭に入ってこない日本語を使うな」

 

 元の講師の代わりに新しく担当になった講師が変わり者だった、ってことなのかな。

 

『お兄ちゃんは表現力を勉強したかったらしいんだけど、今の講師の人はお兄ちゃんの器用さと声質を考慮して特別さを伸ばしたほうがいいって言われたんだって』

 

「特別さ?」

 

『うん。いろんなことを試してるっていう話は聞いたけど、まだ全部は教えてもらってない。楽しみにしといてって言われた。でも今回の催眠音せ……寝かしつけについては私に一回試してるから効果はわかるよ』

 

「催眠音声って言おうとした? 期待が俄然(がぜん)高まるんだけど」

 

『夢結が期待してるようなえっちなやつじゃないからね』

 

「わわわわかっとるわい!」

 

『どもりすぎでしょ……お兄ちゃんの配信を(よこしま)な耳で聴かないでくんない?』

 

「邪な耳ってなんなの」

 

 あたしの目と耳は純粋そのものだけど心が邪念に満ちている。フィルターが汚れているので結局あたしが受け止める頃には手遅れだったりする。なんならあたしが手遅れだった。仕方ないね、リスナーなんてきもくてなんぼみたいなところあるし。

 

『つまりね。お兄ちゃんはリスナーさんに今よりもっと楽しんでほしくて、いろんな技術を習得してるの。その一つをお披露目する場が、今回の特別企画。警戒心なんてまるでない、夢結みたいな心の扉がばがばのリスナーが相手だったら、どんな状態だろうと寝かしつける。そのくらいのことお兄ちゃんなら簡単にやるって話だよ。眠たくないとか関係ないの』

 

「ほー、そこまで言うってことは相当な物なんだろうね。今めっちゃくちゃにハードルが上がってるけど大丈夫そう?」

 

 お兄さんの寝かしつけ配信が二十四時スタートなので、あたしは起きてから六時間しか経っていないタイミングでの視聴となる。いくらお兄さんといえど、そんなコンディションのあたしを眠りに落とすなんてさすがにできないだろう。十八時起床の馬鹿野郎が待機しているなんていう異常事態を想定してるとは思えない。

 

『は? なめんな。お兄ちゃんの寝かしつけに免疫のある私でさえ声だけで寝かしつけられたんだよ? 夢結なんて始まってから十分耐えられればいいほうだよ』

 

「そこまで言っちゃっていいの? あたし、これでも催眠音声には一家言(いっかげん)あるよ?」

 

『催眠音声に関して一家言あるとかいう爆弾発言のほうがそこまで言っちゃっていいのって感じだよ。でも、べつにいいよ。寝かしつけ配信を夏休み期間中何回やるのかわからないけど、夢結がお兄ちゃんの配信終了まで耐えられたら次の機会に台本を書く権利を交渉してあげる』

 

「そうなったらもう絶対寝ない。意地でも起き続けてやるからな」

 

 ボイトレに行って更に磨き上げられたらしいお兄さんの天性の催眠ボイスを使ってボイスドラマが作れるのなら、それはあたしにとってなによりのプレゼントだ。暑中見舞いをくれるなんて礼愛にしては気が利いている。

 

「ん、あれ? そういえば今回の台本は誰が書いたの? 礼愛?」

 

 台本で気がついた。今回の寝かしつけ配信のセリフは誰が作ったのか。

 

 おかしい、こんなのおかしいよ。応募用動画の時はあたしに頼んでくれてたのに、今回頼まれていない。こういう時のためのあたしなのに。

 

『ううん。お兄ちゃんが自分で考えたみたい』

 

「ど、どうして……あ、あたしに頼んでくれたらいくらでも書くのに……。今日から夏休みが明けるまで毎日寝かしつけ配信できるくらい台本書くのに……」

 

 十本でも二十本でも用意したのに。少し方向性(ジャンル)は偏ると思うけれど。

 

『私も言ったんだけどね。そういったことの専門家に意見を(あお)いでみたらって』

 

「専門家だなんて、そんな……えへへ」

 

『照れんな。紙一重で悪口なんだよ。で、お兄ちゃんに訊いてみたら「夢結さんを寝かしつけるために配信するのに、夢結さんに台本頼んだら純粋に楽しめなくなっちゃうでしょ?」って言って』

 

「んゅふっ」

 

『…………』

 

「ごめん……今のは自分でもきもいなって思った。自覚はある。だからせめて『きもい』くらい言ってくれない? 黙られるのは一番つらいよ……」

 

『いや……言葉にできないくらいひどかったから……』

 

「ひどいはやめて。きもいより心が痛い」

 

 でも、だって、こればかりは仕方がない。推しが、あたしのために寝かしつけ配信しようとしてくれて、あたしのために自分で台本まで考えてくれてるのだ。これで気持ちが浮つかないようならオタクじゃない。

 

『まあ、そういうことだから今日を機に生活リズム整えてね。あと、夏休みの課題少ないからって油断してると思うけど、ちゃんとやりなよ』

 

「うぐっ……」

 

『図星って感じだろうね。わかってたけど。お兄ちゃんはさ、夢結のことも、もちろん寧音ちゃんのことも心配してたよ。手描き切り抜きのせいで寝る時間や、趣味の時間、お勉強の時間を奪ってたらどうしようって』

 

「うぐぐっ……」

 

 お兄さんの心配は、寧音はともかくあたしについてはまるで見当違いだ。

 

 今はお兄さんの活躍を観るのと絵を描くのが趣味になっている。手描き切り抜き自体が趣味になっているのだから、これっぽっちも気にする必要なんてない。そして勉強は手描き切り抜き関係なくいつだってしていないのだから、これっぽっちも気にする必要なんてない。

 

『これで成績が下がりでもしたら手描き切り抜きの依頼を取り下げることにもなるかもしれないんだから、キープできるくらいにはがんばってよ』

 

「くそうっ!」

 

『うるっさ……』

 

 お兄さんの優しさのせいでどんどんあたしの立場が厳しくなっている。

 

 寧音なら問題ないだろうさ。夜寝て朝起きて、日中友だちと遊びに出かけて、スタイル維持のために暑さがマシな早朝か夕暮れに運動して、お兄さんの配信の前後の時間を使って勉強している。健康極まりない、学生の模範そのものといった生活だ。なんの問題もない。

 

 対してあたしはどうだ。朝寝て夜起きて、太陽を浴びるような機会なんてまずないし、こんなくそ暑い中運動どころか外に出ることすら稀で、起きている間はお兄さんの配信を観てるか切り抜きかアーカイブを見返すか絵を描くことしかやっていない。不健康極まりない自堕落そのものといった生活だ。なんら問題しかない。

 

 これであたしの成績が理由で手描き切り抜きの任を解かれてみろ。寧音に合わせる顔がない、というか手を合わせられるような事態になりかねない。草葉の陰からお兄さんの活躍を見守ることになる。

 

 いやだ、あたしは生きてお兄さんの活躍を観たい。生きてお兄さんの活動を応援したい。

 

「しかたない……やるか」

 

『そうそう、その意気だよ。わからないところあったら訊いてくれていいから。せめて今から二十四時の配信の時間まではがんばってみて』

 

「うい……ありがと」

 

『うん。映画行く日はまた今度連絡するからね。じゃあね、がんばってね』

 

「あい。礼愛もがんば。あと配信おつかれ。おもしろかったよ」

 

『あははっ、ありがとっ!』

 

 華やかな礼愛の声を最後に通話は切られた。

 

 礼愛に言った手前、そして手描き切り抜きというお兄さんとの繋がりを守るため、大変気は進まないけれど勉強することにした。

 

 一度リビングへ飲み物を取りに行き、自室へ戻る。

 

 部屋の扉を開くと、寧音はこちらを振り返ることもなく机に向かっている。扉のすぐ向こうで礼愛と通話していたら、寧音なら『寧音もれー姉とお喋りしたい! 代わって!』くらい言ってくるかと思っていた。

 

 勉強道具を机に広げながら怪訝(けげん)に思って寧音を見やれば、寧音はイヤホンをつけていた。

 

 そうやって盗み見ていたら視線に気づいたのか、寧音はイヤホンを外してあたしの机を見て、目を見開いた。

 

「……勉強、するの?」

 

 心の底から驚いた、みたいな声を出しやがったぞこいつ。

 

 いやまぁ、それもそうか。夏休みに入ってからどころか夏休みに入る前から、机に勉強道具を広げてこなかったのがあたしなのだ。

 

「するよ。礼愛にも言われたからね、仕方なくやる。それより、寧音が音楽聴きながら勉強するなんてめずらしいじゃん。集中できないって前言ってなかったっけ?」

 

 ちなみにあたしは勉強する時は音楽を適当に流しながらのほうが効率よくできる。集中できていない時は外の音が聞こえなくて集中しやすくなるし、集中している時は音楽も耳に入ってこなくなる。どちらにせよやりやすいのだ。ちなみにカフェとかでは勉強できないタイプ。他人がいると意識がそちらに向いてしまうという性格の暗さがネックになる。

 

 集中スイッチのオンオフを自分の意志でつけられる寧音は音楽もなにもかけないタイプだったはずだけど、これはどういったことだろう。気分転換だろうか。

 

 あたしが訊ねると寧音は、にやぁっ、と表情を緩めた。

 

「お兄さんの配信のアーカイブを流しながらやってるとね、すんごい集中できるんだよね」

 

「お前すごいな」

 

 ちなみにすごいの後には括弧(かっこ)書きで『きもい』が入る。

 

 でも、実際すごい。お兄さんの声聴いてたらあたしなら集中どころの騒ぎじゃない。画面見ちゃう。もう何回も観たのに気になっちゃう。

 

「あたしが勉強してる近くでお兄さんが配信してるって想像しながらやるとめっちゃ(はかど)るよ。まじオススメ」

 

「お前すごいきもいな」

 

 とうとう括弧が外れてしまった。なんなら二重括弧で区切ってルビも振ってフォントも変えてやりたいくらいだった。

 

 そこまで言うなら正々堂々と妄想と言えよ。想像とか言って誤魔化すんじゃない。

 

 やはりキモリスナーとしては寧音のほうが一枚上手(うわて)だ。完全に先を行かれている。べつに争う気はないし全然お先どうぞという感じだけれど。同じ道を歩みたくはない。

 

「お兄さん、ボイスでそういうの出してくれないかなー。そしたら寧音の意欲がさらに跳ね上がるんだけどなー」

 

 ペンのノックの部分で下唇を押し上げるような、わかりやすくあざとい真似をしながら(のたま)う寧音。クラスの男子もいない自室でそんなアピールをしてなんになるんだ。もはや癖として身に染みついているのか。

 

「お兄さんならお願いしたらワンチャンありそうだけどね。二十四時からの配信も、生活リズムの乱れた学生のためなんだし」

 

 生活リズムの乱れた学生のためっていうか、あたしのためだけどね。内心のドヤ顔を必死に抑えながら続ける。

 

「その流れで受験勉強がんばる学生のためにどうか! って平身低頭頼み込んだら優しいお兄さんならやってくれそう」

 

「うわぁ! 勉強応援ボイスとか?! そんなの最高だよ!? でもこっちがもらってばっかりだとファンとしてそれどうなのって感じだから、どうせならちゃんと手描き切り抜きで貢献してからお願いしたいよね! よっし! さっさと勉強終わらせてイラストの続きやろっと!」

 

 なんだかやる気のギアが上がったらしい寧音は、しっかりとイヤホンを耳に戻して机の教科書やらノートやらプリントやらに向き直った。この調子だといつもよりも早くノルマをこなしそうだ。

 

 あたしはあたしで礼愛との約束がある。イラストの続きも描きたいところだけど、心置きなくイラストに取りかかるためにもやるべきことをさっさと片付けてしまおう。

 

 久しぶりに液タブ用のペンじゃないふつうのペンを握って、あたしは夏休みの課題に取り組み始めた。




次も夢結視点です。


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『おやすみなさい』

『寝かしつけ』配信です。
これからのお兄ちゃんの交友の輪に影響があるとかないとか。


 お兄さんの寝かしつけ配信(催眠音声)を待ち焦がれすぎて、気を紛らわせるために夏休みの課題に打ち込んだあたしは出された課題をすべて終わらせ、二十四時前にはベッドで待機していた。

 

 PCでは不都合が多いのでスマホを枕の脇に置き、充電が切れないように充電器もしっかりとぶっ差し、ワイヤレスのイヤホンを耳に装着して聴く体勢を整えている。

 

 仰向けに寝転がり、タオルケットを胸から足にかけて、その上から指を組んでお腹に乗せるというディズニープリンセスのようなスタイル。気分はさながら眠れる森の美女だ。実際は美女でもないし、王子様に寝かしつけられる側なんだけど。

 

『……大丈夫そうかな? こんばんは。『New Tale』所属の四期生、悪魔のジン・ラースです』

 

 くだらないことを考えているうちにお兄さんの配信が始まった。

 

 寝かしつけ(こういう)配信をするというのを前もって知らせていたからか、いつもよりもお兄さんの声が抑えられている。声量は控えめだけれど、その分ウィスパーボイスチックになっていて、これまでとは一味違う魅力になっている。

 

 耳をくすぐられるような、いやもう鼓膜を通り越して脳みそをくすぐられるような、そんな艶のある声だ。

 

 おい大丈夫か礼愛、あたしこんなの続けられたら三徹してたとしても寝られる自信ないぞ。

 

 でもいつもの配信と違って隣にうるさいのがいない分、お兄さんの声に集中で「んくふっ……」きそうにはなさそうだ。ノイズキャンセリング付きのお高めのワイヤレスイヤホンを買っておくべきだったな。寧音の不快な鳴き声が聞こえてしまう。早く寝てくんないかな。

 

『前回の配信の最後にも告知と一緒に触れましたけど、本題に入る前に、なぜこういう配信をやることにしたのか、そのきっかけのお話をさせてください』

 

 わぁっ、と声が出そうになったのをぎりぎりで噛み殺す。

 

 礼愛から聞いた、あたしのために企画してくれたやつの話だ。

 

 あ、え、そんな、お兄さん、配信であたしのためにとか言っちゃったら、その他のモブの脳みそ壊れちゃうよ。あたしのすぐ近くのベッドで転がってるキモリスナーとかだと頭が爆発しちゃうかもしれない。ちょっ、やん、困るなぁ、お兄さん。リスナーに深い関係だと仄めかすような、いわゆる『匂わせ』だと思われちゃうよ困るなぁ。

 

『知人が話していたのですが、夏場でもエアコンの冷気が苦手でクーラーをつけられないという方が一定数いるそうで』

 

 おい。おい礼愛。話が違うよな。あたしのためとかいう例の件はなんだったんだ。

 

『それを聞いて、もしかしたら僕の配信を視聴してくれている人間様の中にも、同じようにこの熱帯夜にエアコンを使えずに寝苦しい思いをしている方がおられるのではと思ったのです』

 

 礼愛の話を寧音にしなくてよかった。『お兄さんの寝かしつけ配信はあたしのためにしてくれるんだよぉ?』なんて寧音に自慢したら嫉妬で殴られそうだなと思って控えていたのだけど、その判断は違う意味で大正解だった。馬鹿な女の馬鹿な勘違いだったとバレた時、どれだけ寧音に馬鹿にされるかわかったものではない。

 

 なんだよ礼愛め、ぬか喜びさせないでよ。

 

『あと同じくらいのタイミングで礼ちゃんからも興味深い話を聞いたんですよね。なんでも、夏休みの時期になると学生さんは生活リズムが乱れがちになってしまうのだとか。普段よりもちょっとだけ夜更かしするなどでしたら影響は少ないでしょうけれど、昼夜逆転するくらいになってしまうと健康にもよろしくありませんし、学校が始まった時に体内時計の調整が大変になってしまいます。まだ暑さの残る季節に睡眠不足や徹夜などで外に出てしまうと体調を崩してしまうことにも繋がってしまいますし、危険ですよね』

 

 おお、礼愛よ。心の友よ。あたしは信じていたよ。

 

 寝かしつけ配信をやる理由が『あたしのため』から『あたしのためでもある(・・・・)』に知らないところで変わったようだが、それでも比率的に言えば五十パーセントだ。一リスナーにして一ファンでしかないあたしにとっては身に余る光栄だ。今日の配信、なんならこの話だけでも満足だ。いや、全部聴くけれど。

 

『なので、すぐに寝つけるように悪魔が睡眠のサポートをさせていただこうかと思った次第です。ところで、ですね? 話が変わるようでいて変わっていないのですけれど、最近ボイストレーニングに行くようになったのです。人間様のお時間をいただいている以上、より良い配信をお送りできたらなあ、と考えておりまして』

 

 礼愛も触れていたボイトレの話だ。

 

 そもそも『New Tale』の四期生に応募しようとしていた時点で天稟と呼べる声を持っていて、字幕がいらなくなるくらいの滑舌も持っていた。それ以上になにを望むのだという話なのだが、お兄さんは現状の自身の能力にあぐらをかかず、慢心せず、なおも向上心を持ち続けている。

 

 そうやってがんばり続けようとする姿勢は、とても応援したい欲をくすぐられる。

 

 あたしの推しは眩しいなぁ。だからこそ、その背中を押してもっと輝かせたくなる。努力が報われてほしいと願ってしまう。

 

『僕としてはですね、たびたびいただいております「歌とか聴いてみたいです」というコメントにその気になってしまって、歌を歌わせていただくのなら表現力を磨かないと、と思いボイトレに行ったのです。ですが……なぜかトレーナーさんには喉の使い方、声の出し方について先に学んだほうがいいと熱心に促されたんですよね……。おかげでいろんなユニークな芸を身につけることができたので、役に立っているといえば役には立っているのでしょうけれど』

 

 トレーナーさんから学んだ、とお兄さんが言ったことでようやく気がついたことがある。

 

 今回の配信は最初から囁くように耳に心地いい声でお兄さんは話しているが、その声のトーンがずっと一定に保たれている。意識しなくてもすんなり頭に入ってくるくらいに聴き取りやすいのに、それでもウィスパーボイスを維持しているのだ。声の調子を完全にコントロールしている。このウィスパーボイスが、礼愛言うところの変わり者の講師とのボイトレの成果なのだろう。

 

『今回の企画もそうです。トレーナーさんから声の出し方を学んでいなければ、寝かしつけ配信を思いつきはしても実行に移すことはなかったでしょうからね』

 

 お兄さんはまだ今日の配信を企画したきっかけを話しているだけで、まだ本題の寝かしつけには入っていない。だが、もうすでに眠りに落ちているリスナーは何人も出てきていることだろう。

 

 片耳のイヤホンを外して耳を澄ませると、寧音の寝息が聞こえた。

 

 本領発揮していない今の時点で、一般的な生活リズムをしている人くらいなら寝かしつける力がある。

 

 添い寝されて耳元で喋っているかのような囁きと、ふだんの配信よりも明らかにゆっくりと意識されている話の速度、抑揚を最低限にした口調。そして、お兄さんは配信が始まってからというもの、一度もコメントを読んでいない。

 

 寝かしつけ配信とは銘打っていても、コメントを送る人は必ずいるだろう。しかしコメントを拾うことはせずに淡々と進めている。それがまた、意識が他に向けられることなくお兄さんの声にだけ没入していく一因になっている。絵本の読み聞かせに近い感覚だ。

 

 まずい、これはまずい。あたしまで頭の中がぼんやりとしてきている。企画した理由の説明時間だけで、あたしの十八時起きというアドバンテージが失われつつある。

 

『声の出し方などの技術が形になってきたので、今回の企画をする踏ん切りがつきました。悪魔はあくまでも悪魔であって、夢魔ではありませんから、ちゃんと夢の国に誘うことができるか不安ではありますが、頑張ろうと思います』

 

 これ以上がんばられたらあたし、もう耐えられないかもしれない。なんなら始まる前から絶対に相当数が寝落ちしてるよ。寧音もすっごく期待してたのに本題の催眠音声が始まる前に落ちちゃったし。

 

『あ、もし万が一寝てしまった時のために、スリープモードは設定しておいてくださいね。スマホから聴いてくださってる人間様は、明日の朝に慌てないよう充電器に繋ぐことを忘れずにお願いします』

 

 もう手遅れだよお兄さん。その注意は配信開始の第一声でしておくべきだったよ。

 

 寝落ちしてしまった人たちがちゃんと充電してから寝落ちしたことを祈っている。

 

『本当ならASMR用のマイクを使ったほうがいいのでしょうけど、まさか配信活動でこういうことをするとは思っていなかったので、ASMR用のちゃんとしたマイクは用意しておりません。いつものマイクを使っていきます。申し訳ありません』

 

 たしかにASMR用のマイクはピンからキリまであるし、その中でもいいのを使おうと思ったら目玉が飛び出るくらいお高かったりするからね。お兄さんは基本的にゲーム配信を主軸にやっていくつもりだっただろうし、用意していなくても仕方がない。

 

 なんならいつも使っているマイクで充分すぎるほど効果があるので、本職用のマイクじゃなくてよかったくらいだ。専用のマイクだった場合、夢の国に誘われたまま帰ってこなくなる可能性がある。

 

 今回の寝かしつけ配信の結果次第では、懐に余裕のあるリスナーが専用のお高いマイクをお兄さんに使ってもらうべく『New Tale』に送りつけそうだ。

 

『では、やっていきますね。……んんっ』

 

 もう咳払いがえっちなんだよなぁ。

 

 えっちな咳払いからしばしの静寂を挟み、とうとう始まった。

 

『……ん? どうしたの? 寝れないの?』

 

「っ────」

 

 息が詰まった。心臓を潰す勢いで握り締められたような気分だ。

 

 表現力のためにボイトレ行ったとかなんとか言ってたけど、行く必要がどこにあるんだ。許容量をオーバーするほどに感情が込められている。これ以上に表現力を高めたところでそんなの素人には違いがわかんないよ。

 

 夜眠れないあたしをお兄さんが心配して部屋まで様子を見にきてくれた、そんなシチュエーションが頭を()ぎる。ふだんの配信中のお兄さんのきりっとした他所(よそ)行きの声とはまた違う、どこか甘くて優しい雰囲気の声だ。礼愛と話している時の声に近しいものがある。

 

 お兄さんはくすりと笑みをこぼした。

 

『だから言ったでしょ。夜にホラー映画なんて観たら寝れなくなっちゃうよって』

 

 あ、これモデルは礼愛だ。

 

 以前、夜にホラー映画を観て寝れなくなってお兄さんに添い寝してもらった、という暴露話を聞いたことがある。今回の寝かしつけの台本の原作はその時の話なのだろう。

 

 声の甘やかさといい話し方の自然さといい、なんでこうもクオリティが高いのかと思ったら、礼愛をモデルに見立てているからか。とんでもなく腑に落ちた。この出来も納得である。

 

『そんな顔しないで。寝るまで隣にいてあげるから。はい、目を閉じて。余計なことは考えないで、僕の声にだけ耳を傾けて』

 

 横にいる。

 

 あたしの隣からお兄さんの声がする。

 

 マイクの横側とかに移動したのか、片方の耳から強くお兄さんを感じる。そのせいで、本当にベッド脇にお兄さんがいるような錯覚に陥る。

 

『まずは嫌なことを忘れちゃおうか。ほら、体に力が入ってたら、もっと眠れなくなっちゃうよ? 嫌なこと、怖いことを忘れて、今日あった良いことを思い出してみて。……ん? 僕? 僕は……そうだね、今日のご飯はおいしく作れたなあ、とか。そういえば洗濯物干してる時に蝶々がタオルに留まってたなあ、とか。庭に小さなお花が咲いてたなあ、とか。くすっ……うん。そんな些細なことでいいよ。今日は雲一つなく晴れていて、吸い込まれるような空がとてもきれいだった。そんなことでも、いいんだよ。まるで落ちてしまいそうな、沈んでしまいそうな、星空だった、そんなことでも、いいんだよ』

 

 まずい。これ本当に催眠音声かもしれない。お兄さんが意図してやっているかどうかはわからないけれど、今のところ催眠音声に近しい気配を感じる。

 

 ファンサービスの過剰なお兄さんのことだ、これはきっと眠りに落とすにはどうすればいいかを考えた結果なのだろう。結果的に催眠音声と同じ道を歩んでいるだけだ。ていうか礼愛も一度デモで受けたんなら、お兄さんのやり方にストップ出しておけよ。

 

 この神に愛された声質に、ウィスパーボイスに、間の取り方。かかりやすい類いの人間は簡単に沈むぞ。

 

『そう、そう。リラックス、できてきたね。目、頬、唇、舌。ゆっくり、リラックスしていこうね。暖かくなってる場所、僕が触れてる場所、わかる?』

 

 お兄さんが、脳みそをどろどろに溶かすような甘い声で囁いてくる。

 

 どんどん深みに落ちていく感覚がある。本当に、あたしのおでこの部分が暖かくなってきている。お兄さんにそっと触られているように感じる。

 

 触られた部分が、心地よくなって、暖かくなって、そこから力が抜けていっているような感覚だ。

 

『うん、力抜けてきてるね。いいよ』

 

 あまりにもタイミングがよすぎて、実際にあたしのおでこを触っているのかと思った。

 

『次は肩、暖かくなってきたのわかるかな? 次は腕、力、抜いていこうね。手のひら、ゆっくり閉じていってみて? 僕の指、わかるかな』

 

 肩、腕、手のひらと暖かくなって、指示通りに手のひらを閉じていく。というかもはや頭で考えるより先に体が動いている。

 

 言葉に従ってゆっくり手を閉じていくと、感じた。お兄さんの長い指を握った感触。赤ちゃんがお母さんの指を掴むようなイメージで、手のひらでお兄さんの指を包むように握っている。

 

 なんだ、なんだこれ。手のひらに、たしかにお兄さんの暖かさを感じる。

 

 どうなっている。今あたしは、起きているのか。それともすでに寝ていて明晰夢の中に入っているのか。

 

 わからない。ここにいるはずのないお兄さんの体温を感じて、自分で意識しなくても体が動いていて、心地よい微睡(まどろみ)耽溺(たんでき)していて、夢と現実の境があまりにも曖昧になっていて、もうなにがなんだかわからない。

 

『うん、手のひら、暖かくなってるね。指、一度、離してもらっていいかな?』

 

 そうお兄さんはあたしの耳元でお願いしてくるけれど、この温もりを手放してしまえばお兄さんが離れてしまうような気がして、手が動かなかった。あるいは、手を開いて、と指示されなければ開けないのかもしれない。

 

『ふふっ、大丈夫、大丈夫だよ。ちゃんと、寝るまで一緒にいるからね。大丈夫だよ』

 

 手を開かなかったことを注意されてしまった。お兄さんを困らせたくはないので、ゆるゆると開いていく。手のひらから温もりが、お兄さんの体温がなくなってしまう。

 

『心臓の上のあたりに手を置くね』

 

 あたしが驚かないように一声をかけてから、お兄さんはあたしの胸の中央より心なし左側に手を置いた。胸元がじんわりと熱を持つ。気恥ずかしさより、今は安心感のほうが強かった。

 

『もうちょっと呼吸ゆっくりにしてみようか。吸って、吐いて、吸って、吐いて。すう……はあ……』

 

 呼吸を合わせるように、吸っては吐いてを繰り返していると、下のほうから『とん、とん……』と小さく音が聞こえ始めた。泣いている赤ちゃんをあやす時に胸や背中をとんとんとすることがあるけれど、それに似た音だ。

 

『一日のよかったこと、おぼえてる? 料理が上手にできた、かわいい花が咲いてた、蝶々が、ひらり、ひらりと、舞っている。夜空が、綺麗だった。真っ暗で、体が落ちていきそうなほど、綺麗だった』

 

 お兄さんの声が、どんどんふわふわとしてきて、ゆっくりとしてきて、一定のペースを刻むとんとんの音と、徐々に重なっていく。

 

『真っ暗な、夜空に、沈んで、沈んで……しずんで、しず、んで……』

 

 重なる音と声が、だんだん遠ざかって、あたしの体は沈んで、一定のリズムを保っていたはずのとんとんも、いつの間にか間隔が空いてきているような気がして、ほんとうに鳴っているのかすらわからない、あるいは幻ちょうかもしれないくらい、弱々しいとん、と一緒にあたしはきれいで黒にぬりつぶされた星空に、おちて、しずんで、とけて──

 

『おやすみなさい』

 

 ──お兄さんの、声。

 

「っ!」

 

 刹那、あたしは目を開いた。声を聴くや、開いた。そのつもりだった。

 

 あたしの目に映ったのは、自室の天井。窓から差し込んだ太陽の光が反射して照らされていた。

 

 隣を見た。もちろんお兄さんはいなかった。

 

「……あ、さ?」

 

 気がついたら、朝だった。

 

 ベッドの上で上半身を起こす。あたりを見やれば、ワイヤレスイヤホンは枕の近くに転がっていた。スマホは設定した通りにスリープ状態になっていた。

 

 朝、だった。

 

「なんか、すっごい気分爽快だ……」

 

 ここ最近の中では一番と断言できるくらい寝覚めがいい。寝過ぎたような頭の重さもなく、寝足りないような布団恋しさもない。とてもすっきりとしている。

 

 部屋の反対側のベッドに目をやれば、そこは無人だった。寧音はもうすでに起きているようだ。

 

「…………ああ」

 

 起きるまでお兄さんは(そば)にはいてくれなかったのか、と落胆した。

 

 二、三秒ほどしっかりと間を置いて、そんな自分に驚く。

 

 最初からお兄さんはいなかったのだ。

 

 でも無意識的にそう考えてしまうほど、お兄さんを近くに感じていた。左胸にはまだ温もりが残っている気さえする。そう、ホラー映画を観て眠れなかったあたしを、とん、とん、と胸のあたりをぽんぽんしながら寝入るまであやしてくれていたのだ。

 

「……完全に落ちてたなぁ……」

 

 こうなってくると、お兄さんの昨日(日付的には今日)の配信タイトルは誤りでしかないだろう。余裕で寝かしつけの域を超えている。

 

 相手の眠気を誘うのではなく、眠りに落ちるまで強制的に持っていくのは寝かしつけではないのだ。それで言うと、寝かしつけの範疇に収まっていたのは本題開始前の企画説明の部分だけだった。

 

 その後は完全に催眠の導入だった。

 

 お兄さんがどれくらい催眠音声を意識して台本を書いたのかわからないけれど、あの仕上がりでまったく意識していないなんてことはないはずだ。

 

 おそらく、寝かしつけ配信をすると決めた段階で、どうすれば聴いている人を気持ちのいい睡眠に導けるかお兄さんは情報収集したはずだ。その時に、催眠音声も参考資料として学んだのだろう。

 

 状況設定に沿った話運び、滞りなく眠りにつくための誘導と、寝入ることが難しい人用の催眠。どれも無理のない展開だったが、なによりも自然だったのは催眠への導入だった。

 

 催眠音声を聴いたことのある人でも、おそらくは経験のない入りだったと思う。耳に心地よく、その上最近身につけたとは思えない卓越した技術に裏づけされた声に集中していたところでのあの導入は避けられない。

 

 十八時起きで、実稼働時間六時間のあたしでさえ難なく『寝かしつけ』られた。不眠症の人とかにも効果がありそうなレベルだ。催眠音声フリークも満足の出来栄えだったろう。一つ悔やまれるとすれば、これだけ抜きん出た催眠音声適性があるのに刺激的(センシティブ)な内容のものを出してくれる見込みがないことだろうか。事務所の許可はともかく、確実に礼愛の許可は下りない。

 

「あぁ、くっそぉ……あたしが耐えていればワンチャンあったのになぁ……」

 

 礼愛は通話で、あたしがお兄さんの寝かしつけに耐えられれば、もし次回があった場合、その時の台本を書けるよう交渉してくれると言っていた。礼愛なら絶対あたしがいかがわしい内容の台本を書くと予想していただろう。なのにあそこまで言ってきたのは、礼愛もお兄さんの『寝かしつけ』を受けて、その威力を実感していたからなのだ。あたし程度では到底耐えることなんてできないと踏んでいたのだ。その通りで草。

 

「……はぁ」

 

 お兄さんの声で寝落ちすることができてとても気持ちがいい反面、台本を書けなくなったことで落ち込む。

 

 嘆息しつつ、スマホを手に取る。

 

 充電器を繋いで寝たのでバッテリーはマックスだ。時間は、学校がある時と同じくらいか、それよりも若干早いくらい。目覚ましもないのにこんなに早く起きるなんて、あたしにとってはかなり稀なことだ。

 

「ん? 通知?」

 

 メッセージアプリに通知がきていた。

 

 どうせ賭けに負けたことを礼愛に伝えないといけなかったので、ついでと思ってメッセージアプリを確認する。

 

 ごく稀にお兄さんからメッセージが届くこともあるけれど、基本的に通知があったら礼愛の可能性が高い。今回も当たり前のように礼愛だった。

 

 最初に通話がかかってきていたようだ。通話が切れて二分後にメッセージがあった。

 

『寝てて草』

 

「こいつっ……」

 

 あたしがわざわざ礼愛に伝えるまでもなく、あいつはすでにあたしが寝落ちしていることを確認してきていた。端的に煽ってきてるのが腹立つ。たった四文字でこんなにも人をむかつかせることができる礼愛は悪い意味で天才だ。

 

 しかし、寝るか寝ないかという賭けの勝負で、あたしは寝てしまった。明確に勝負に負けた。ここからなにを言おうと負け犬の遠吠えにしかならない。悔しい。既読無視しておこう。

 

 賭けには負けたのでお兄さんの『寝かしつけ』の台本を書くチャンスは失ったけれど、まだお兄さんのボイスドラマの台本を書くチャンスはある。

 

 昨日寧音が言っていた通り、手描き切り抜きやイラストで貢献できれば、こういうボイスドラマやってほしいです、とリクエストができるかもしれない。その流れで『お兄さんも忙しいでしょうし、なんならあたしが台本用意しますよ?』という感じでそれとなーく台本を書く役目をもぎ取れるかもしれない。

 

 そのためにも、手描き切り抜きをもっとがんばらないといけないな。

 

「んーっ! なんかめっちゃいいの描ける気するっ!」

 

 意識は明瞭、気分は爽快。せっかくだし、ご飯食べたあとは、ぱぱっと身嗜み整えて軽く家の周りをお散歩でもしてこようかな。軽く運動したあとならとっても気持ちよく描けそうだ。お散歩しながらどんな構図でイラストを描くか、イメージを膨らませよう。

 

 ベッドの上でぐぐっと背伸びして、勢いよく布団を跳ね除けた。

 

 

 




『寝かしつけ』配信でした。フラグは回収するもの。

次はお兄ちゃん視点です。


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『被害者』

一章でのいざこざ、というかすれ違いの清算のお話。


 コインパーキングに車を駐車し、快適な車内から質量を伴っているかと思うほど燦々と照りつける日差しの下に降り立つ。

 

「はい」

 

「ん……ありがと」

 

 助手席側に回ってドアを開けて、礼ちゃんの手を取る。一言呟いた礼ちゃんは視線を下げながら車を降りた。

 

 何度も乗っている車だ、地面までの高さなんてわかっている。足元に注意しているわけではない。気持ちの問題だ。

 

 今日の服装は、僕はスーツ、礼ちゃんは制服。礼ちゃんの手には有名ケーキ店の大きな紙袋、行き先は僕たちが所属している『New Tale』の事務所。

 

「あの、礼ちゃん。僕の腕引っ張りすぎじゃない?」

 

「……気が重い」

 

 まあ、そういうことである。

 

 デビューしてからこれまでに渡ってやらかしてしまったことへの謝罪のため、とうとう『New Tale』の事務所へと(おもむ)いたわけだ。

 

「大丈夫だよ、礼ちゃん」

 

「……そうかなあ。私、安生地(あおじ)さんにひどいこと言っちゃったし……。直接顔を合わせるの、あのことがあってから今日が初めてだし……」

 

 僕がデビューしたばかりの頃、僕の配信に荒らしが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していたことを心配してくれた礼ちゃんは僕にリア凸──配信上のジン・ラースではなく現実(リアル)の僕のほうに突撃を敢行した。そのリア凸について、礼ちゃんのマネージャーでもある『New Tale』のスタッフさん、安生地さんに通話を繋いで説明していた時、少々口論になってしまった。

 

 その一件以来、最低限の業務連絡程度はしているようだけれど、それ以上のやり取りは気まずくてしていないらしい。

 

 あれから時間を挟み、炎上騒動も解決して礼ちゃんの頭も冷えたので改めて今日この日、正式に謝罪にやってきたのだった。

 

 『New Tale』の事務所が入っているビルまで、気どころか足まで重そうな礼ちゃんを励ましながら、引き()るようにして歩かせる。そろそろ表情を取り繕ってもらわないと『New Tale』のスタッフさんたちにかえって罪悪感を植えつけることになってしまう。

 

 『New Tale』には未成年者が複数人いる。なので十八歳の礼ちゃんでも事務所最年少というわけではないけれど、でも最年少ではなくても高校生に頭を下げさせて悦に入るような性根の腐った大人は『New Tale』にはいない。

 

 謝罪にきたのに、ずっと礼ちゃんが泣きそうな顔をしていたら逆に相手を萎縮させることになりかねない。事務所の人たちに悪いことをしてしまった、と反省しているのはいいことだけども。

 

「大丈夫。真摯に謝って、ちゃんとお話しすればきっと仲直りできるよ」

 

「そう、だといいなあ……」

 

「そうだよ。謝ってもどうにもならないことなんて世の中意外とそんなにないんだから、大丈夫だよ」

 

「お兄ちゃんはちょっと反省が足りてないんじゃないかな」

 

 ずっと目線を地面に向け続けていた礼ちゃんが、ようやく上を向いた。責めるような礼ちゃんのじと目が僕の顔に突き刺さる。

 

「してるよ。反省してる。後悔もしてる。次はもっとうまくやる」

 

「違うんだよね、ベクトルが。反省も後悔も明後日のほう向いちゃってるよ」

 

「この暑さでケーキが傷んじゃう前に早く事務所に行こっか」

 

「……はあ。そうだね、せっかくの美味しいケーキがだめになっちゃったらもったいないし」

 

 よし、と小さく気合を入れて、礼ちゃんはがっしりと僕の腕を掴みながら、というかもはや抱き込みながら、ビルのエレベーターに足を踏み入れた。

 

 相も変わらずのんびりとしたエレベーターで七階に到着し、事務所のインターホンを押す。

 

 この時間にお伺いしますと伝えていたので待機していてくれたのか、すぐに応答があった。

 

 しばし待つと、がちゃりと扉のロックが外れる音がした。

 

 事務所側のインターホンで操作をすればマンションのオートロックのようにその場で解錠ができる。てっきりそうやって鍵を解除したのかと思って扉に手を伸ばそうとしたら、ドアノブを掴む前に扉が動いた。

 

「お待ちしてました。こちらへどうぞ」

 

 扉を開いて出迎えてくれたのは礼ちゃんのマネージャー兼僕と『New Tale』との連絡相談窓口をしてくれている安生地さんだった。

 

 以前お会いした時よりも対応も表情も固い気がする。それに、どこか疲れてらっしゃるようだ。僕のデビュー以前の、烏の濡れ羽色とはかくあれかしといった印象だった柳髪はどこか艶を失っていて、なにより目元のひどい隈が安生地さんの表情に影を落としている。

 

 どうしてこんなことに、と思ったけれど、これもしかして僕絡みの対応で疲弊されてらっしゃるのでは。

 

 デビュー前から炎上騒動への準備を要求され、デビュー後は対応に東奔西走南船北馬させられ、苦心惨憺しながら対応を続けていたら礼ちゃんの件で追い討ちを加えられ、僕が配信している時はモデレーターをして荒らしコメントを消して回り、ラインを越えた荒らしたちへの法的措置の際には話し合いにも参加し、荒らしていた本人と配信上でお喋りしようとしていた僕を制止し、荒らし本人を公認切り抜き師にしたいと無茶なお願いをされて面倒な手続きをさせられ、そんな中で普段の仕事もこなし、僕への連絡役も務めてくれていた。

 

 うむ、なるほど。九割方僕のせいだ。仕事量がどう考えてもおかしい。

 

「あの、安生地さん、大……寝れてますか?」

 

 大丈夫ですか、と訊きそうになったがどう見たって大丈夫ではないので改めた。

 

「え? はい、寝れてますよ。ひと……恩徳さんの例の寝かしつけ配信のおかげで睡眠には困らなくなりました」

 

「ああ、なるほど。……お役に立ててるなら、はい……よかったです。そのためにあの配信をしたようなところがありますからね」

 

「……ここにも被害者が……」

 

 ぽそりと礼ちゃんが呟いた。

 

 僕としては『被害者』なんて表現は語弊を招きかねないので遺憾の意を表明せねばならない。

 

 寝かしつけ配信以降、あの動画を流していない時は眠りが浅くなった、という声をちらほら聞くけれど、裏を返せば動画を流している時はぐっすりと眠れるということなのだから問題も被害もないはずだ。

 

 寝かしつけ配信の三日後くらいに夢結さんと話した礼ちゃんが言うには、寝かしつけ配信で僕が発した『おやすみなさい』というセリフを寝転がりながら聴いただけで瞬時に眠れるようになったらしい。すぐに睡眠が取れるようになったのはいいことだ。決して被害ではない。パブロフの犬的な反射の域に達しているけれど、断じて被害ではない。

 

 ちなみに、あの寝かしつけ配信はアーカイブの中でも再生数の伸び方がまったく鈍らない稀有な動画になっている。安生地さんや夢結さんのように定期的に視聴してくれているリスナーさんが多いことの表れだろう。

 

「では、その隈は……なぜ?」

 

 はっ、として顔を背けながら目元に手をやる安生地さん。メイクで誤魔化せていると思っていたのかもしれない。

 

「これは、えっと……今日のことで、緊張して……」

 

 そう言って、安生地さんは苦笑いを浮かべて目を逸らした。

 

「っ…………」

 

 同時に、僕の腕に絡めている礼ちゃんの細い腕が震えた。縋りつくように回す腕の力が少し強まった。

 

 安生地さんは緊張しているが、でも礼ちゃんも同じくらい緊張している。

 

 礼ちゃんから口火を切るのは難しいだろうから、僕がきっかけを作ろう。ここで話しておかなければ、こうして安生地さんとしっかり話す機会があるかわからない。

 

「安生地さん、僕のデビューからたくさんご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした。そして、礼ちゃんを庇っていただいたこと、本当に感謝しています。ありがとうございます」

 

 僕は深く頭を下げた。

 

 安生地さんが庇ってくれていなければ礼ちゃんへの風当たりはもっと強くなっていただろう。事務所の命令を無視する扱い辛いライバーという印象にもなっていたかもしれないし、処罰も重いものになっていただろう。リア凸してからも礼ちゃんが普通に配信して、頻繁に僕ともコラボして、同期の方々とも一緒に配信ができていたのは、安生地さんが礼ちゃんの気持ちを斟酌(しんしゃく)して方々に手を回してくれたおかげなのだ。

 

 頭が下がる思いである。安生地さんの献身的なサポートがあったればこそ、礼ちゃんと僕は楽しく配信できていたのだし、今もできているのだ。

 

 謝意を示す僕に、安生地さんは強く動揺した様子だった。かつ、と背の高いヒールが音を立てて一歩引いたことが、頭を下げている僕にもわかった。

 

「そ、そんなことありません! やめてください! 恩徳さんに謝られては、私たちには立つ瀬がありません! わ、私、たちがっ……ほんと、なら、私が、もっと……っ。どう、にか……っ、できて、いれば……っ」

 

 ぽた、ぽたぽた、と続けて雫が(したた)った。

 

 その水滴の発生源はなんなのだろうと顔を上げて驚いた。

 

 理知的な安生地さんが、まるで幼子のように大粒の涙を流していた。

 

「あ……安生地、さん。あの……え」

 

 どうして安生地さんが泣くようなことになるのか、わからない。

 

 言ってしまえば安生地さんは『New Tale』に勤めているただの一スタッフに過ぎない。僕と礼ちゃんのマネージャーなので、業務内容に含まれると言えば含まれるのかもしれないが、本来であればやる必要のなかった面倒事の後処理を背負わされた立場だ。僕と礼ちゃんに迷惑をかけられただけ。礼ちゃんの言葉ではないが、安生地さんもまた『被害者』だ。

 

 炎上騒動の一件が片付くまで神経も睡眠時間もすり減らしていただろう。ゆっくりと気を休めて趣味に没頭したり、お酒を嗜んだりする時間を作れていたとは到底思えない。

 

 僕の担当だったというだけで、礼ちゃんのマネージャーだったというだけで理不尽に忙殺されていたのだから、ストレスを溜め込んでいてもなんらおかしくない。

 

 怒鳴ってもいい。怒りをぶつけたっていい。礼ちゃんに矛先を向けないのであれば殴られてもいいと考えていた。それで気が済むのなら仕方ないかな、とも。

 

「わたっ、私がっ……なにも、っ、できなかっ……っ。あなたばかりにっ、負担をっ……ごめんなさいっ……」

 

 なのになぜ、怒っていい立場の安生地さんが罪悪感を抱いているのだろう。無力感に、自責の念に、悔恨の情に苛まれているのだろう。どうして、人前で涙を見せるほどに悲しんでいるのだろう。

 

 安生地さんには非がない。罪がない。悲しむ必要なんてないのに。

 

「……お兄ちゃん、持ってて」

 

「……いっ。え、礼ちゃん?」

 

 当惑の渦中に放り込まれた僕の正気を取り戻させたのは、まるで殴りつけるように鳩尾付近に押しつけられた礼ちゃんの手だった。

 

 僕にケーキボックスが入った袋を押しつけた礼ちゃんは駆け出すように前へ出て、俯いて目元を手で覆う安生地さんの頭を包み込むように抱きしめた。

 

「安生地さん、ごめんなさい。私、安生地さんにひどいこと言いました。ごめんなさい」

 

「っ、ぐすっ……いえ。いいの、礼愛さん。あなたには『New Tale』の対応を批判する権利も、私に文句を言う権利もあるのよ」

 

「……違うんです。私は勘違いしてたんです。『New Tale』には、お兄ちゃんの味方になってくれる人はいないんだって、そう思ってたんです」

 

 礼ちゃんは啜り泣く安生地さんを抱き留めながら、囁くように感情を一つ一つ言葉にしていく。

 

「きっと今いるライバーや『New Tale』の経営を優先して、お兄ちゃんを切り捨てたんだって、そう思ってたんです。でも違った。『New Tale』の人たちはみんな、たくさんお兄ちゃんのサポートをしてくれてた」

 

「そんなこと……ないんです。当たり前のことしか、私たちにはできなかったから……できることを、まるで贖罪するような気持ちで、っ……自己満足でやっていただけでっ……」

 

「贖罪とか、自己満足とか、そんな気持ちになった時点で、お兄ちゃんを大事にしようとしてたことがわかります。そんな自罰的な気持ちはもう、捨てていいんですよ」

 

「他の子たちに被害が出なかったのも恩徳さんがみんなを庇ってくれてたからなのに……それなのに私は、助けることができなかった……っ。『New Tale』を守ってくれたのも、炎上の一件を終わらせてくれたのも恩徳さんで……私は、何もできなくてっ……」

 

「何もできなかった?」

 

 思わず口を挟んでしまった。女性の心どころか人の心を(かい)することができない僕が口を挟むべきではないと考えて見守っていたけれど、さすがにそこは黙って聞いてはいられなかった。

 

「たくさんやってくれてたじゃないですか。安生地さんは助けたつもりはないのかもしれませんけど、僕はとても助かってましたよ。メッセージでやり取りして励ましてくれて、応援してくれていた。『New Tale』や他のライバーさんの配信やSNSでの状況も事細かに情報共有してくれていた。とても助かってましたよ」

 

 コミュニケーションアプリを通じて、安生地さんとは連絡を密にしていた。配信をしている時に気分が悪くなったりしていないか、SNSで不快な思いをする投稿がなかったかなど、しきりに心配してくれていたのだ。もし僕がその時点で『このコメントが気持ち悪い』とか『この投稿で傷ついた』などと安生地さんに伝えていれば、その時点ですぐに法的措置に打って出られるように安生地さんは動いてくれていただろう。

 

 僕の都合があってそういう対処を取らなかっただけで、安生地さんはいつでも開示請求ができるように見えないところで準備してくれていたはずだ。

 

 何よりも助かっていたのは、所属ライバーの近況を教えてくれていたところだ。

 

 情報収集しようと思えばできてはいたけれど、礼ちゃんの安全を最優先にするためにタスクを多く振り分けていたので、全ライバーの配信やSNSを(つぶさ)にチェックして荒らされていないかなどの確認まではなかなか手が回らなかった。

 

 そういう忙しい時に安生地さんが持ってきてくれる所属ライバーの情報は、ヘイトコントロールする上でとても役に立ったのだ。

 

 何もできなかった、だなんてとんでもない。僕はすごく助かっていた。

 

「…………」

 

 安生地さんを抱きしめたままの礼ちゃんが首だけ回して、僕に冷たい視線を向ける。

 

 なるほど『余計なことは言うな』ということね。

 

 僕としても安生地さんにこれ以上いらぬ気苦労を与えたくない。口を(つぐ)んでおこう。

 

 顔を安生地さんのほうへと戻した礼ちゃんは優しくて柔らかい口調で語りかける。

 

「そうですよ。安生地さんはとてもたくさん働いてくれていたんです。ふだんのお仕事もこなして、お兄ちゃんの配信のモデレーターもやって、事務所とお兄ちゃんとの連絡係も務めて、たくさん頑張っていたんですから気に病む必要ないんです」

 

「でも……デビュー前に私がもっと上司と話をして、せめて恩徳さんだけでもデビュー時期を遅らせてもらえるようにしていたら、あんなに配信やSNSが荒らされることもなかったのに……」

 

「それは……安生地さんの責任じゃないです。安生地さんはやれることを最大限に努力したんです」

 

「礼ちゃんの言う通りですよ。それに、デビュー時期を遅らせていたら礼ちゃんとコラボ配信ができなくなって、僕はVtuberを辞めることになっていたでしょうし」

 

 結果論でしかないけれど、あの時デビュー時期を遅らせるという判断を上司の方が取らないでくれて本当に良かった。炎上騒動の一件は、今思えば至る所に分水嶺があったけれど、デビュー時期を遅らせるか否かという決断が一番最初の大きな岐路だったように思う。

 

「……お兄ちゃん。それどういう意味?」

 

「デビュー時期が遅れていたら、きっと界隈には荒らしグループの活動によって『男女で関わるべきではない』という風潮が定着していた。その風潮がまだ根付いていない時期にデビューしたからジン・ラースの味方をしてくれた人もいたんだよ。デビューを遅らせていたらジン・ラースを取り巻く環境は状況を覆せないほどに悪くなっていただろうね。それこそ、実の妹だから、なんて理由じゃ言い訳にならないくらい」

 

 集団でジン・ラースの配信やらSNSやらを荒らしていたグループは、ジン・ラースに目をつけるまでは男女でコラボしている配信に乗り込んで迷惑行為を働いていた。男女でのコラボ配信を荒らすことで、男女どちらの配信者にも『男女コラボは利がない』と思わせることが目的だった。

 

 実際、ジン・ラースのデビュー前の段階で個人勢企業勢問わず、男女コラボが激減していた。あのまま放置していれば『男女で関わるべきではない』という風潮は定着して広まっていただろう。もしそうなっていれば、騒動の鎮静化は一ヶ月や二ヶ月では到底できなかった。

 

 風潮が定着しきる前のタイミングでデビューできたからこそ、ジン・ラースは一部のごく少数からとはいえリスナーに受け入れられたのだ。

 

「え、と……それは、つまり?」

 

 礼ちゃんの腕の中から、戸惑うような安生地さんの声が届いた。

 

「つまりは、デビュー時期を遅らせていたら僕は『New Tale』をやめていた、ということです。礼ちゃんとコラボできない、あるいはコラボするまで途方もない時間がかかることになりますからね」

 

 きっと僕のことだ。界隈のリスナーの意識を改革することに費やされる時間と労力を考えたら、無理にVtuberになることを選びはしなかっただろう。

 

 礼ちゃんを納得させられるだけの理由があったのなら、もともとそこまで乗り気ではなかったことだし、その理由を盾に『New Tale』には辞退を申し入れていたと思われる。

 

 僕がVtuberとして──配信者としての自覚や自負が芽生え始めたのはデビュー配信の後のことだった。デビュー配信前の僕であれば、界隈の雰囲気と『New Tale』のデビュー延期という判断が下された段階で見切りをつけていたと予想できる。

 

 終わった過去のifをこれ以上思索するのもナンセンスか。選ぶことがなかった分岐へと思いを馳せるのはこのあたりにしておいて、僕は顔を上げている安生地さんの赤くなった目を見つめる。

 

「考え得る限りで現状が最良なことは断言します。そして最良の現状に至るまでに安生地さんが裏でたくさん頑張ってくれたことを、僕も礼ちゃんも知っています。だから胸を張ってください。誇ってください。あなたのおかげで、僕たちの今があるんです」

 

「お兄ちゃんの言う通りです。安生地さんのおかげで私は楽しく配信できてるんですから」

 

「っ、うぅっ、ぐすっ……ええ、ありがとう……」

 

 ふたたびぽろぽろと涙を零して、でもこれまでと違って、安生地さんは笑顔だった。

 

「なので僕たちの謝罪も受け取ってくださいね。僕は個人的な理由から好き勝手に決めて安生地さんに丸投げしてしまったし、礼ちゃんは独断専行と軽挙妄動があったのは確かですから」

 

「うぐっ……わかってはいたけど、人に言われると結構心にくるものがあるよ……。安生地さん、勝手なことして、ひどいこと言って、すみませんでした」

 

「いえ……私も未熟な部分がありました。『New Tale』のスタッフとして、年長者として、お二人を心身の健康を守ることができず、申し訳ありませんでした」

 

「どうして安生地さんが謝るんですか?! 安生地さんはしっかり自分のお仕事をしてた……それ以上の働きをしてくれてたじゃないですか! なのにっ」

 

「礼ちゃん。僕たちに負い目や引け目があるのと同じように、安生地さんにも罪悪感があるってことだよ。今すぐそういうのを全部忘れろっていうのは無理があるんじゃないかな」

 

「だ、だって……でも……」

 

「その心遣いは嬉しいわ。ありがとう、礼愛さん。でも結局のところ、恩徳さんには矢面に立たせることになってしまったし、礼愛さんにも悲しくて辛い思いをさせてしまったもの。礼愛さんと恩徳さんに責任があるというのなら、私にも責任があるわ」

 

「んーっ!」

 

「はいはい、落ち着いてね礼ちゃん。自分の罪悪感を解消するために誰かに負担を強いるのは間違ってるよね、礼ちゃん?」

 

 一番不満気だろう礼ちゃんを名指しすると、一瞬、きっ、と鋭い目を僕に見せて、礼ちゃんはふたたび安生地さんの黒髪に顔を埋めた。今日の安生地さんの柳髪には天使の輪っかは浮かんでいなかったけれど、それでも肌触りがいいのだろう。抱きしめてからずっと礼ちゃんは安生地さんの黒髪の中に住んでいる。

 

「礼愛さん」

 

「……わかった」

 

 名を呼びながら安生地さんが礼ちゃんの頭を優しく撫でると、不承不承(ふしょうぶしょう)といった様子を誤魔化すこともしないで一言だけ礼ちゃんは答えた。

 

「くすっ……ありがとう、礼愛さん」

 

 そんな年相応より若干幼いくらいの振る舞いを見せる礼ちゃんに、安生地さんは微笑みを(たた)えていた。

 

 安生地さんと礼ちゃんは二人とも艶のある黒髪で、二人とも涼やかな眼差しをしていて、そして二人とも女性の平均身長よりもよほど背が高い。共通点の多い二人が身を寄せ合っているので、なんだか姉妹のように思えてきた。とても心が穏やかになる光景だ。尊いなあ。

 

「迷惑や心配をかけてしまったぶんは、これからの活動で返していこうね。僕らが活躍できれば、それは担当している安生地さんへの恩返しになるはずだからね」

 

「まぁ、それはそうですが……私としては、お二人が楽しく配信してくれるのがこれ以上ないご褒美になります」

 

「だそうだよ、礼ちゃん」

 

「むう……んううっ! ……わかった、わかったよ、もう。……たしかにそうだよね、自分がすっきりしたいがために安生地さんに負担を押しつけるのは間違ってるもんね。他のスタッフさんたちにも謝ったら、引き摺るのはそこまでにする」

 

「ありがとう、礼愛さん。それじゃ、そろそろ放してくれないかしら」

 

「…………」

 

「あの、礼愛さん? 冷静になって考えると今だいぶ恥ずかしいことになっていると気づいたから、できれば放してほしいのだけれど……」

 

 囚われの安生地さんがそう訴えるも、礼ちゃんはなかなか解放しようとしない。

 

 何をしているのだろうと思って盗み見た横顔から察するに、礼ちゃんはなにやら悪巧みしているようだ。

 

「私たち、仲直りできたってことでいいですよね?」

 

「え? ……ええ。礼愛さんがそう思ってくれているのであれば、私は嬉しいわ」

 

「これだけ胸襟を開いてお話ししたんですから、なんならかえって仲良くなったって言っても過言じゃないですよね?」

 

「そ、そうなのかしら? でもたしかに以前はこんなふうに話すことはなかったわけだし、仲が縮まったと言えるのかも……しれないわね」

 

「そうですよね? だから、これからは美影(みかげ)さんって呼んでもいいですか?」

 

「礼愛さん、それって……」

 

「私、もっと仲良くなりたいです。私たちが楽しく配信活動できるように親身に考えてくれて、罪悪感と自責で精神的に苦しくなるほどお兄ちゃんのことを大事にしてくれる優しい人と。これまで通りじゃない。これまで以上に、仲良くなりたいんです。……だめ、ですか?」

 

 ぎゅうっと安生地さんを抱きしめて囁くように礼ちゃんは言う。

 

 その礼ちゃんの腕に安生地さんは手を当てた。

 

「礼愛さん。腕、放してもらっていいかしら?」

 

 安生地さんの要望をどういうニュアンスで受け取ったのか、礼ちゃんは躊躇いがちに抱きしめていた腕を緩ませた。

 

 視線を斜め下に向けつつ、礼ちゃんは震える声を絞り出した。

 

「あ、あの……私、あ、安生地さんと……もっと」

 

「あら、美影さんと呼んでくれるのではなかったの?」

 

「っ!」

 

 礼ちゃんは下がっていた顔を勢いよく上げて安生地さんを見つめた。

 

「もう二度とこんなふうにお喋りできないかもしれないって、あの日は思ったわ。それがまさか、もっと仲良くなりたいと言ってもらえるだなんて、夢にも思わなかった。とても言葉では表現できないくらい……私、嬉しいのよ」

 

 言葉で表現できなかったからなのか、これまでとは逆に安生地さんが礼ちゃんを抱きしめた。身長的な意味でも年齢的な意味でも、やはりこちらのほうがしっくりくる。逆は逆でそちらも尊いけれど。

 

「わわっ……」

 

「ありがとう、礼愛さん。私、かなり面倒な人間だという自負はあるけれど、これからよろしくお願いするわ」

 

「ぐすっ……っ。えへへ、大丈夫。これでも面倒な人間にはお兄ちゃんで慣れてますから! よろしく、美影さん」

 

 そこからしばし和気藹々と、二つ隣の駅の近くにフルーツパーラーのお店があるからまた今度行こうだとか、服の好みも近そうだから休みの時買い物行きましょうだとか、それこそ姉妹のように二人はお喋りしていた。

 

 こういう時は、僕は息を潜めて存在感を可能な限りゼロにする。僕は壁だ。あるいは観葉植物だ。礼ちゃんが楽しそうに女子トークしている現場に立ち会えただけで満足である。

 

「ひと……じゃない、恩徳さんもありがとうございます。礼愛さんとの仲直りの橋渡しをしてくれて」

 

 黙って心暖まる会話に耳を傾けていたのだけど、安生地さんが気を遣って僕に話を振ってくれた。ほったらかしにしてしまったと思ったのかもしれないけれど、楽しそうにしている二人の邪魔をするくらいなら僕のことは年単位でほったらかしておいてくれてもいい。

 

 とはいえ、話しかけられた以上、残念だけれど僕も参加せざるを得ない。礼ちゃんも安生地さんとのお話には満足したみたいだし、頃合いだろう。

 

「いえいえ。僕がいなくてもきっと仲直りできてましたよ」

 

「私は、臆病なので……自分からは言い出せずに、もしかしたらずるずると長引いていたかもしれません。助かりました」

 

 実際、おそらく僕がいなくてもどうにかなっていた節はある。

 

 僕が事務所に行くと言った時に、僕からは『礼ちゃんも一緒に行く?』とは誘わなかったのだ。礼ちゃんは自分から一緒に行くと言った。自分から一歩踏み出したのだ。礼ちゃんには謝る意思があったのだから、そこまで大きく結果は変わっていなかっただろう。

 

 なんなら僕と安生地さんの親密度が修復されていないことのほうが、僕は気がかりになっている。

 

 炎上騒動前はもっとフランクだった安生地さんの話し方が、騒動が終わった後もお固いままなのだ。

 

 さすがに問題起こしすぎたから不信感が残っちゃってるのかな、と頭を悩ませていると、首を傾げていた礼ちゃんが口を開いた。

 

「美影さん。苗字で呼んでると私を呼んでるのかお兄ちゃんを呼んでるのかわかりづらいので、お兄ちゃんのことも名前で呼んだらどうですか?」

 

「え゛っ……」

 

 びくっ、と安生地さんは肩を跳ね上げさせた。体は礼ちゃんの方向を向きつつ、視線がちらちらと僕に近寄ってくる。視線が近寄ってくるだけで、僕の視線と交錯することはない。奇妙な動きだ。

 

 動揺している安生地さんに、礼ちゃんが続ける。

 

「時々お兄ちゃんの名前呼びそうになってるし、スタッフさんたちと話す時は名前で呼んでるんじゃないんですか?」

 

「え……あ、いや、あの……」

 

 言い淀みながら、安生地さんの顔はどんどん下に向けられていく。視線はとうとう僕に近寄りもしなくなり床を這いずっている。

 

 『New Tale』には僕と礼ちゃんの他にもう一組、苗字が同じ人がいる。そちらは兄妹ではなく姉妹だ。三期生の方なので、僕にとっては先輩であり、かつ礼ちゃんにとっては後輩のお二方である。

 

 双子の姉妹という設定でVtuberをやっている、本当に双子の姉妹だ。現実から設定に落とし込むパターンもあるらしい。僕と礼ちゃんのセットで『悪魔兄妹』と呼ばれているのと同様に、姉妹お二人が揃っている時は『ツインズ』や『ジェミニ』などの愛称で呼ばれている。双子座モチーフな様子。

 

 そちらの双子姉妹を呼び分ける時にスタッフさんたちは名前で呼んでいて、その流れを踏襲して僕たちのことも名前で呼び分けているのかもしれない。『恩徳さん』だけだと、僕のことを指しているのか礼ちゃんのことを指しているのかわからないだろうしね。

 

「構いませんよ、安生地さん。呼びたいように呼んでくれたらそれでいいですから」

 

 すごく躊躇っている安生地さんに助け舟を出しておく。

 

 たしかに名前呼びのほうが、どちらのことを指しているのか確認するという余計な手間が省けていいかもしれないけれど、知り合って間もない上に親しくもない男の名前を呼ぶのは抵抗があるかもしれない。

 

 別に普段通り『恩徳』呼びでも大丈夫ですよ、と予防線を張っておく。名前呼びを強制するつもりはないのだ。

 

「そ、そうですか? それなら……ひ、仁義君……」

 

 あ、そっちなんだ。

 

「はい、なんですか? 安生地さん」

 

「い、いえ……あの、呼ん──」

 

 名前を呼ばれたので返したのだけれど、『呼ん』の後は安生地さんが顔を覆いながら、か細い声で喋っていたのでなんと言っていたのか聞き取れなかった。

 

 無理をして名前呼びしているとかなら苗字呼びに戻してもらうところなのだが、僕から見た限りでは無理をしているとか嫌がっているとか、そういう様子は見て取れない。シンプルに恥ずかしがっているようにしか思えない。

 

 精神的に苦痛を感じていないのなら、あえて苗字呼びに戻す必要はないか。

 

「あ、そうだ。安生地さん、僕に敬語は使わなくていいですよ。僕のほうが歳下なんですから。前みたいに砕けた感じでいいですからね」

 

 ついでとばかりに言葉遣いもフランクなものに戻してもらおう。言葉遣いとか態度とかって、今日みたいな機会がないと言い出しづらいしね。

 

「は……え、ええ。わかったわ。ひとっ、仁義君」

 

「はい、安生地さん」

 

「こうなってくるとお兄ちゃんだけ『安生地さん』呼びって逆に違和感あるよね」

 

「ん? どういうこと?」

 

「私は美影さんって呼んでるし、美影さんは私たちのこと名前で呼んでるわけでしょ? それなのにお兄ちゃんだけ美影さんのこと苗字で呼んでたら、なんだかお兄ちゃんが美影さんに対して壁作ってるみたいじゃない?」

 

「え? ……そう、かな?」

「そうだよ」

 

 礼ちゃんの独特な感性に疑問を呈したのだけれど、なぜか自信満々な礼ちゃんは僕の疑問に食い気味で肯定した。

 

 僕自身はあまりそのあたりを気にしない性分だけれど、他人に対しての呼び方呼ばれ方というのはわりと神経質になる人もいる。

 

 安生地さんはどちらなのだろうと窺ってみると、礼ちゃんのほうを向きながら目を見開いていた。どちらなのだろう。見てもわからなかった。

 

「安生地さんは嫌だったりしませんか? 名前で呼ばれるのって」

 

「わっ、私は全然まったく、これっぽっちも嫌ではならりません。名前で呼ばれたほうが親しくなれたような気がしたような気がして嬉しいなのでぜひそうしていただけると嬉しいです」

 

「だってさ、お兄ちゃん」

 

 最初は動揺していたような挙動だったけれど、途中から安生地さんは感情を削ぎ落としたような固い顔と、捲し立てるような早口で言い切った。

 

 言語野の変調が若干どころではないくらい心配ではあるけれど、まあ言い間違いの一種なのだろう。言葉は乱れていても嫌悪感があるというわけではなさそうだからいいのかな。僕もできれば安生地さんとは仲良くやっていきたいと思っているし。

 

「それじゃあ……美影、さん?」

 

「──っ、これまで……何度も心が折れそうになったけど頑張ってきて、よかった……。もう後悔はない」

 

「えっと……すいません。いろいろと苦労も面倒もおかけしました」

 

「あはは、美影さんっておもしろい人だったんだねー」

 

 灰色に燃え尽きてしまいそうな勢いの安生地さん改め美影さんを見て、礼ちゃんはからからと笑っていた。車を降りた時とは表情が正反対だ。懸案事項を一つ片付けられてよかった。

 

 そろそろ美影さんには正気を取り戻してもらい、事務所のスタッフさんたちが集まっている場所へと案内してもらおう。おそらく最も迷惑をかけただろう美影さんには謝って仲直りもできたけれど、迷惑をかけてしまったのは美影さんだけではないのだ。スタッフさんみんなに謝罪しなければいけない。

 

「美影さん。廊下の真ん中でずっと立ち話を続けるのもどうかと思うので、そろそろ」

 

「え、ええ、そうね。ごめんなさい。話しておきたい事もいくつかあるのだし、行きましょう」

 

 目元の涙を拭ってから、美影さんは僕らに背を向けて歩き始めた。

 

 今日は事務所には謝罪にこさせてもらったわけだけれど、用事はそれだけではない。スタッフさんたちに相談があって、それも事務所に足を運んだ理由の一つである。

 

 なんと同期の一人、僧侶なんだかシスターなんだか判然としないイヴ・イーリイさんが配信中に、ジン・ラースとコラボしたいという旨の発言をされていたのだ。社交辞令の部類なのかもしれないけれど、仮に社交辞令だとしてもとても嬉しい。

 

 正直、この規模で問題を起こしてしまったので同期の方たちからは記憶からジン・ラースの存在を抹消されているかもしれないとすら思っていた。

 

 イヴ・イーリイさんが配信上でコラボしたいという旨を発信したのはリスナーの反応を見るためだろう。

 

 現在活動している中で言えば『New Tale』唯一の男性ライバー、そしてデビューしてからつい最近まで炎上していたジン・ラース。いつまたどこから火をもらうか、あるいは自然発火するかわからない危険物ならぬ危険人物。今回の炎上騒動は方がついたとはいえ、リスナーがどう感じるかはわからない。

 

 実の妹であるレイラ・エンヴィとコラボするだけ、という現状であれば『New Tale』を箱推ししているリスナーさんたちも落ち着いているように思えるけれど、他のライバーさんに接触しようとした時、リスナーがどんな反応をするか。

 

 配信上でジン・ラースとコラボしたい云々の発言をしたのは、そういった瀬踏みのような意味合いがあるのだろう。今の段階で過度な拒絶反応が現れればコラボを見送ることもできる。急に『この日にコラボします!』などと打ち出すよりよほど安全だ。

 

 僕のほうから同期の方たちに『コラボ配信しませんか?』などと誘うことはできないので、イヴ・イーリイさんのほうから申し出てきてくれたのは非常に助かる。

 

 もう少しリスナーがジン・ラースという存在に慣れてから礼ちゃん以外とのコラボ配信をしようと考えていたので、僕の計画では同期の方たちとコラボできるのはもっと先になると想定していた。こんなに早く機会が訪れるだなんて、とても嬉しい。

 

 コラボの時は何をしようかな。イヴ・イーリイさんはわりとゲームをされる方だからアイクリなどのゲーム配信でもいいし、お互いのことを知るということで雑談配信などでもよさそう。夢が膨らむ。

 

 いや、コラボ配信はリスナーの反応次第ではお蔵入りというか企画倒れになるし、スタッフさんたちと相談してから決めることになる。あまり期待して青写真を描くのは危険だ。控えておこう。

 

 そう。まずはスタッフさんたちへの謝罪からなのだ。先のことばかりに(とら)われず、目の前のことに集中しよう。

 

「……お兄ちゃん、嬉しそうだね?」

 

「そう? ……うん、そうかもね。前に進めてる気がして、ちょっと浮き足立ってるのかもしれない」

 

「……お兄ちゃんが喜んでくれてるなら、私も嬉しいよ」

 

「そうだ。ありがとね、礼ちゃん。あお、じゃないか……美影さんを説得する時に前に出てくれて。ああいう、気持ちに寄り添う、みたいなことは僕にはできないから助かったよ」

 

 そう礼ちゃんに感謝を伝えると、ぱぁっと表情を明るくさせて、事務所に入る前と同じように僕の腕に自分の腕を絡ませた

 

「くふふっ。まったくもう。お兄ちゃんは私がいないとだめなんだから」

 

「本当だよ。僕もまだまだ半人前だ」

 

「んっ、くふふっ……。大丈夫だよ、私が隣にいてあげるからね」

 

「それなら安心だ。ありがと、礼ちゃん」

 

 僕の腕を取っていなければスキップでもしてしまいそうなほど上機嫌に、礼ちゃんは僕の隣を歩く。

 

 どこかしょんぼりしていた雰囲気がなくなってよかった。やっぱり礼ちゃんには、なにより笑顔が似合うのだ。




不憫だった安生地さん(あーちゃん)の救済でした。

次はイヴ・イーリイ視点です。


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コラボの誘い

『配信の後でお疲れのところゴサンシューいただきありがとうございます! さて! 本日集まっていただいたのはほかでもありません。みんなとの約束を破ったイヴちの……イヴちの、えっと……処刑についてです!』

 

「裁判すっ飛ばしてすぐ処刑はあんまりじゃね?」

 

『……法治国家としてあるまじき行い』

 

『アイちゃん……。順を追って……順を追って説明してもらってもいいかな?』

 

 配信の後集まっておしゃべりしよー、とのメッセージを受けてコミュニケーションアプリのサーバーに集合したうちを待ち受けていたのは、ジン・ラースを除いた四期生の同期──アイニャことアイナ・アールグレーンと、ウィーレことウィレミナ・ウォーカー、エリーことエリーゼ・エスマルヒだった。

 

 サーバーに入った途端に処刑されそうになっているが、おそらくこの件について話をしたがっているのだろうな、というあたりはついている。

 

『ジンくんについてだよ! みんなで、四期生でコラボするって約束してたのに、なんで自分一人だけで遊ぼうとしてるの?! ずるいよ! あたしもジンくんとゲームしたりお喋りしたいのに!』

 

 やはりこの件についてだった。

 

「先に説明してなかったのは悪いと思ってるって。でもよく考えてみ? いくら炎上騒動が鎮静化したって言っても、まだ過敏に反応するリスナーはいる。炎上騒動が終わったばっかでピリついてる空気の中で『四期生でコラボします!』ってなったら、再燃しかねないだろ? だからうちが試しにジン・ラースと絡んでリスナーがどういう反応するか見るんだ」

 

『……一理はある』

 

『たしかに、また炎上したらラースさんにも、ラースさんの妹さんのレイラ先輩にもご迷惑になっちゃうもんね……』

 

『お試しでコラボするっていうんならあたしだっていいはずだ! イヴちがやるのはドクダンセンコーだ!』

 

「いや独断専行って言うけどな?」

 

『エコヒイキだ!』

 

「いや依怙贔屓(えこひいき)ではないな。それは断言できるな」

 

 イヴ・イーリイ処刑裁判が開廷してすぐでこの勢いとは恐れ入る。アイニャも配信が終わったばっかりだし、テンションが戻ってないのだろう。エンジンあったまってんなぁ。

 

『……でも、アイナの言い分も、筋が通ってる。試しで二人でコラボするなら……わたしでも、いいはず』

 

『そうだよね。それならイヴちゃんじゃなくて私でもいいんじゃないかな? 二人でのコラボでもだめだった時、イヴちゃんが燃えちゃうかもしれないし、私のほうが……』

 

「いや、うちがやるのが一番都合がいいんだ。都合がいいっつうか、波風立たない可能性が一番高いって感じか」

 

『波風立たない……どういう意味? なんだか、イヴち……ごまかそうとしてない?』

 

「してねぇよ。リスナー層の違いだ」

 

『……なるほど。たしかに』

 

 こういう時、いの一番に答えに気づけるのはやっぱりウィーレだった。

 

 そしてやっぱり、アイニャとエリーはピンときていない。

 

『り、リスナー層?』

 

『えっと……男女比の比率とかのこと?』

 

「エリーは当たらずとも遠からずだな。男女比もあるし、リスナーの性質とか、ふだんどういう配信をしていてリスナーとどういうやり取りをしているかとか、そういうことも加味してる」

 

 例えば、うちの配信とは対極であるところのエリーの配信だと、リスナーの多くは柔らかい言葉遣いであったり、丁寧な口調でエリーにコメントを送っていたりする。なんとも清楚でお上品な配信だ。エリーの声質もあいまって、配信を視聴していると心が洗われるかのよう。

 

 これがうちの配信となると、うちとリスナーとの煽り合い殴り合いになる。配信でRPGのゲームをやればリスナーは平気で間違った情報を教えてくるし、うちはうちでリスナーのコメントに誤字脱字勘違いがあればそれをあげつらう。リスナーとのプロレスが常日頃から行われている。

 

 配信者によって、視聴しているリスナーに違いが出てくるのは必然的なものなのだ。

 

「リスナーも男友だちに接するような感覚でコメント打ったり観てたりするから、ジン・ラースに絡みに行くならうちが一番問題になる可能性が低いってこった」

 

 アイニャもウィーレもエリーも女の子女の子した可愛らしい配信をしている。それを視聴しているリスナーは男と絡むことに後ろ向きな考えを持っている奴も多いだろう。たとえ同じ四期生だとしても、ジン・ラースとのコラボを喜びはしないはずだ。そのあたりのデリケートな問題は時間をかけて慣らしていかなければいけない。

 

 その慣らしに便利に使えるのがうちだ。

 

 うちの配信を観ているリスナーなら、ジン・ラースとのコラボに抵抗を示すリスナーがいないとは言い切れないが、三人よりかは絶対に少ないはずだ。

 

 実際、うちが『ジン・ラース、コラボしようぜ!』と言い出す前からリスナー側から〈ジン・ラースとコラボしたらおもろいんじゃね?〉〈イケボコラボしてくれよ〉と配信中のコメントでも匿名メッセージサービスでも届いていた。

 

 炎上騒動解決以後、ジン・ラースを容認するような雰囲気が醸成されつつあったからこそ、うちも配信中にジン・ラースにコラボの誘いをしたのだ。さすがに基本無鉄砲なうちでも時と場合くらいは考慮する。

 

『でっ、でもさぁっ! それは、イヴちとジンくんはコラボできるようになるかもしれないけど、あたしたちはいつまで経ってもできないよね?』

 

「……ん? どういう意味だ?」

 

『……ジン・ラースとコラボすることを嫌がるリスナーがいるのなら、四期生女子の中でコラボできるのはイヴだけで、わたしたちはずっとコラボできないのではないか……とアイナは言ってる』

 

「あぁ、そういう意味ね」

 

『なぜアイちゃんの通訳みたいなことをウィーレちゃんが……』

 

『あたしそう言ったよ!』

 

「言ってねぇよ。心配しなくても、近々できるようになるって。言っちまえば、うちは橋頭堡(きょうとうほ)みたいな役割なんだよ」

 

『キョートーホ……教頭先生の補佐するみたいなこと?』

 

「教頭補じゃねぇよ。うちは主幹教諭か。だから、んーと……つまりだな、うちが試しにジン・ラースとコラボしてみることで、ジン・ラースは女と繋がろうとしてるわけじゃねぇってことをリスナーにわからせるんだ。そうすりゃ、アイニャやウィーレ、エリーのとこのリスナーも考え方が変わってくるかもしんねぇし、安心材料にはなる。四期生でコラボする時はうちがジン・ラースとの橋渡しもできるしな」

 

『……橋頭堡、だけに』

 

「べつに上手いこと言おうとしたわけじゃねぇよ! 恥ずかしくなるからやめろ。……ま、そういう意味で、一番最初にジン・ラースとコラボするならうちが都合がいいってことだ。わかったか?」

 

『でもっ、でも……ずるいよ。あたしだって、ジンくんとお話ししたい。直接お話しして……助けてあげられなくてごめんなさいって、直接謝りたい……』

 

『アイちゃん……』

 

『…………』

 

「アイニャが後ろめたく思うのもわからんでもないけどな」

 

 うちらがデビューしてから、つい最近まで続いていた炎上騒動。その終幕は劇的なものだった。

 

 ジン・ラースは配信上で堂々と、誹謗中傷行為をしていた奴らに開示請求をすると言い放ったのだ。

 

 これまでなにがあろうと、なにを言われようと、動画を捏造された時でさえ淡々と事実を述べていたあのジン・ラースが──我関せずを貫いていたあのジン・ラースが、大々的に法的措置を宣言した。

 

 その動いた理由が、ジン・ラースの実の妹であるお嬢──レイラ・エンヴィのためだというのだから、SNSや匿名掲示板で美談扱いされるのもわかるというものだ。

 

 レイラ・エンヴィに誹謗中傷や脅迫をしていた人間には法的措置を、それ以外の人間には今後荒らし行為や誹謗中傷行為をしないのであれば法的措置をしない。そうわかりやすく線を引いて決着をつけた。

 

 一部の過激派を根絶やしにして、過激派未満の荒らしには首元に刃を突きつけるように警告し、荒らしに関わっていない一般リスナーには好印象を与えた。

 

 元はといえば件の男女Vtuberに巻き込まれた形の炎上騒動だったが、ジン・ラースは先陣を切って行動し、事務所のサポートもあっただろうがほとんど独力で炎上騒動を終わらせた。

 

 それ自体はいいことだ。炎上騒動の一件に方がついたのだから、喜ぶべきことだ。

 

 ただ、同期の立場としては心苦しい。そう感じるアイニャの気持ちもわかる。

 

 お嬢を除けば一番近い位置にいた同期のうちらがなにもできずに、ただ傍観することしかできなかった。その事実に良心が痛むのだろう。善良な精神を持っているアイニャやエリーなら、そう思っていてもおかしくない。

 

 でも、自分に罪悪感が残るからといって謝るのは、自己満足にしかなりえない。

 

「そういう気持ちを押しつけても、ジン・ラースは困るだろうよ。同期に謝らせたくて矢面に立ってたわけじゃねぇだろうし」

 

『っ……。で、でもっ……』

 

「せめて言うんなら『ごめんなさい』だけじゃなくて『ありがとう』も一緒にな。それでジン・ラースが納得できないってんなら、その時はまたなにか考えりゃいいんだから」

 

『……そのあたりが、妥当』

 

『そうだね……。まずは四期生全員でコラボできるところまで持っていかないといけないから』

 

『む……むぅ……。そんなの、いつになるかわかんないぃ……』

 

「でも急ぎすぎたらまたジン・ラースが燃えるかもしれないぞ? しかも今度はうちらのせいで。そんなの一番嫌だろ」

 

『それは絶対いや!』

 

「なら段階踏んでゆっくりやってくしかねぇよ。安心しろって。近いうちに必ず全員で集まれるようになるはずだ。それにジン・ラースとコラボする時に、うちらがどう思ってるかを伝えとく。ジン・ラースから伝言頼まれたらみんなにも伝える」

 

『……事を急いても、逆効果。リスナーが過剰反応したら、それこそ今後……四期生で集まれなくなる』

 

『このあたりは気を遣って遣い過ぎるってことはないだろうから、まずはイヴちゃんにお願いするのが一番いいんじゃないかな?』

 

『……イヴなら、リスナー面も比較的安全だし……エンヴィ先輩のファンっていう、共通の話題もある。適任』

 

『むぐぐ……。わかったよ……もう文句言わない。イヴち、ジンくんとコラボする日が決まったら教えてね。伝えてほしいこと、あたしいっぱいあるんだ』

 

「おっけ。決まったらまたグループで報告すっから」

 

 うちとは違う意味で直情型のアイニャだが、べつに人の言うことに耳を貸さないわけではない。納得できる道理があれば、自分の気持ちに折り合いをつけて人の提案を受け入れることもできる。仲間思いが強すぎて、この件では暴走しがちなだけだ。

 

 この後はアイニャが先輩とやったコラボの話をしたり、ウィーレがゲームの話をしたり、エリーが飼ってる犬の話をしたり、各々気ままにだらだらと雑談して、日付が変わった頃に解散となった。

 

「はぁ……いい子が多すぎる」

 

 コミュニケーションアプリを切った後、うちは項垂(うなだ)れた。

 

「嘘ついてるわけじゃねぇけど……なんだかなぁ」

 

 四期生全員でコラボする前にうちが先にジン・ラースとコラボするのは、もちろんアイニャたちに説明した通りの理由もある。

 

 いきなり四期生全員でコラボすれば、女配信者ばっかり観てるだろうアイニャたちのリスナーは拒否反応を示すかもしれない。だが、一度うちがジン・ラースとコラボしてどんな奴なのかをリスナーに示せば安心材料にはなる。いざ四期生全員でのコラボとなった時にも緩衝材としてうちがジン・ラースとの間に入れば、穏便に四期生コラボが実現できる可能性がある。

 

 これが一番穏便に四期生コラボを実現する方法だと本当にそう考えてる。そこに嘘はない。

 

 でも、理由はそれだけではない。

 

「…………数字がすべてってわけじゃねぇ。それはわかってるつもりだけどなぁ……」

 

 チャンネル登録者数。

 

 配信者としての人気や実力を示す指標の一つ。それに、早くも差が生まれ始めている。

 

 デビューして一週間くらいの時は、ジン・ラースは四期生の中でもっとも登録者数が少なかった。

 

 それもそうだろう。貰い火の真っ只中だったのだから。

 

 炎上の理由も相まって、箱推しを取り込めるという企業勢の利点も働かない。コラボも自由にできない。一人で配信していてもコメント欄は荒らされる。そんな中で、どうやって伸ばせと言うのか。

 

 だが、ジン・ラースは炎上の最中でも伸ばした。事務所の制止すら振り切ったお嬢とのコラボが抜群によかったというのもあったが、そうでなくてもジン・ラースには配信を観たいと思わせるだけの魅力があった。

 

 もちろん小豆真希先生が手掛けたガワも一因にはあるだろう。ぱっと見て目を引くデザインというのはそれだけで武器になる。

 

 声もよかった。単純に耳に心地いい声というだけではなく、滑舌のよさや喋る速度も聴き取りやすいし、いきなり大声を出したりもしない。視聴していてストレスがかからないというのは長時間観る上で重要度が高い。

 

 担当した絵師が有名で腕がよかったという運。声という天性の素質。お嬢との関係性。

 

 ふつうの配信者であれば人気が出るのに十分すぎる要素だが、ジン・ラースの置かれた環境ではそれだけ揃っていても逆境を跳ね返すことはできなかっただろう。炎上という激しすぎる逆風を押し退けられたのは、ひとえにジン・ラース本人の配信者適性と鋼のようなメンタルがあったればこそだ。

 

 うちは詳しくないジャンルだけれど、並の配信者よりもよほど上手いらしいFPSという特技。ゲーム中でもコメントを拾って、プレイしながら会話できる器用さ。過激な言葉を使わずに盛り上げる言葉選びの巧みさと、常人からずれた価値観が齎すユーモア。悪魔というキャラクターのロールがばっちりとはまるサイコパス味のある言動。どこからでも話を広げられる引き出しの多さと教養。配信中ずっと喋っていても失言しないモラルとネットリテラシーの高さ。どれだけ荒らされて煽られても激情したり動揺しない精神力の強さ。

 

 それらの要素があったからこそ、尋常ではない逆風の中でさえ数字を伸ばしていたのだ。

 

 炎上騒動を解決し、風向きが変わり、以前からお嬢の配信で話に上がっていた『ゆー』──今では『ゆきね』として活動している手描き切り抜きチャンネルと、超絶有能な切り抜き師という追い風を得れば、ジン・ラースが大きく飛躍するのは当然だった。

 

 気づけばジン・ラースはうちの頭を悠々と飛び越え、ウィーレを追い越し、エリーとアイニャをも抜き去って、四期生でトップのチャンネル登録者数を誇っている。なんならその増え方は衰えることを知らず、今では三期生の先輩方に肩を並べている。しかもまだ上昇ペースは鈍っていない。異次元的な伸び方だ。

 

 Vtuberだけに限らず配信者全般で言われていることだが、まず自分を知ってもらうという一番最初のハードルが高いのだ。ジン・ラースはそのハードルを、幸か不幸か炎上騒動をきっかけにして乗り越えた。

 

 だが、冷やかし気分で配信に訪れた物見遊山の野次馬たちをそのままチャンネルに定着させるのはシンプルに配信者としての実力があったからだ。

 

 デビューしたばかりの頃『炎上騒動が終わったら新人としてのスタート一歩目で躓いたジン・ラースとコラボして、うちらが引っ張り上げてやろうぜ』なんて意気込んでいたが、逆に水をあけられた。

 

 アイニャもウィーレもエリーも、きっとジン・ラースだって、チャンネル登録者数の多寡(たか)で見る目や態度を変えることはないだろう。気にしているのはうちだけかもしれない。

 

 だから気にすることはないんだ、なんて思おうとしても、そう思っている時点で気にしてしまっている。

 

「……ジン・ラースと二人でのコラボが、うちには必要なんだ」

 

 うちの性格やキャラクター的に、ジン・ラースのリスナー層のほうがおそらく性にあっている。

 

 もちろんアイニャたちのことは大好きだが、アイニャたちのリスナーとうちは相性が悪い。

 

 『New Tale』という、女ばかりが所属している箱の配信者を観ているリスナーは、かわいい女を期待して観ている男が多い。

 

 アイニャは観てて気持ちいいくらい元気溌剌としていて、ウィーレはどこか幼気(いたいけ)で物静か、エリーはヴァーチャルの衣装はとんでもなく過激だが性格は楚々として上品だ。

 

 女の子の魅力が詰まっているグループにうちみたいなヤンキー(まが)いの粗暴な女がぽつんといたら、そんなもの浮くに決まっている。

 

 うちだけ取り残されるに決まっている。

 

「……みんなから置いてけぼりにされたくねぇしな……」

 

 これからもジン・ラースは着実に知名度を高めていくだろう。

 

 そんな時『New Tale』のライバーの中で、身内であるお嬢を除いて一番ジン・ラースに近いという立場を確保しておくのは今後有利に働くはずだ。四期生全員揃ってのコラボは難しくても、うちとジン・ラースの二人でのコラボであればやれる機会も多くなる。

 

「はぁ……嫌だな。こっちでも結局こんなこと考えないといけねぇのか……」

 

 数字ばかり気にしていて、人を見ていない。そんな自分を嫌悪する。

 

 うちはもともと、今イヴ・イーリイとして活動しているプラットフォームとは違うところで、歌い手に近い活動をやっていた。

 

 しかし、どれだけトレーニングしても女らしい高い声や可愛い声は出せなかった。歌唱技術は身についても数字が伸び悩んでいた。ミキシングなど音楽分野の勉強にも力を入れたが、いくら努力を積んでも歌い手として人気は出なかった。

 

 大学卒業まで歌い手をやってみて、それで駄目なら諦めようと思っていた時にお嬢の配信を観た。

 

 配信者は人気商売だというのに、まるで媚びるような素振りのない低めの声と、いっそのことリスナーを突き放していくような冷たい対応。その上で自分の好きなことをやっていくという配信スタイル。時折出てくるブラコン気質なところもギャップがあってとてもよい。お兄ちゃんの話をしすぎてリスナーから注意されても、そんなもん知ったこっちゃないと続けるその意志の強さも素晴らしい。しばしば行われる選別作業のおかげでお嬢の眷属たちは精鋭揃いだ。

 

 自分は曲げない、お前が折れろ、と言わんばかりの姿を観て純粋に格好いいと思い、うちはレイラ・エンヴィ(お嬢)ファン(眷属)になった。

 

 大学生活を送りながら歌い手として活動を続けつつお嬢の配信を追っていると、お嬢が所属している『New Tale』で四期生の募集をしていると告知があった。推しと一緒に活動したいという欲もあったが、歌い手の活動に行き詰まっている現状の打開になることを期待して試しに応募してみたら、本当に受かってしまった。

 

 Vtuberとして人気を得て、いずれ歌に重心を置いて活動していきたいという展望があったが、Vtuberになってかわいいヴァーチャルの姿をもらっても中身に魅力がなかった。うち自身に人を惹きつける魅力がなかった。デビュー直後に炎上で躓いたジン・ラースよりも数字が低いのは、なかなかにメンタルにくるものがある。

 

「ままならねぇもんだなぁ……」

 

 お嬢のように一本芯を通した配信者になりたかったが、今のうちはぶれにぶれている。たとえイヴ・イーリイの振る舞いに齟齬(そご)がないとしても、うちの──入江(いりえ)(いく)の考え方に不整合が生じている。

 

 言うまでもないが、四期生揃い踏みのコラボを実現したいという思いはある。アイニャたちが望むように四期生での企画を立てたいとも思う。うち個人としてもお嬢の配信で頻出するお兄ちゃんのジン・ラースと話すのは楽しみだし、お嬢がふだん家ではどんな感じなのか一介の眷属として訊いてみたい。

 

 そんな耳触りのいい理由の裏側に、利己的な欲を隠している。ジン・ラースが大変だった時には知らんぷりしてたくせに、恥も知らずに擦り寄ろうとしている。

 

こんな自分に吐き気がした。

 




(当社比)

次はお兄ちゃん視点です。

誤字脱字報告してくれてる方ありがとうございます!
何度読み返しても見落とす時は見落とすんですよね……。


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『お前に責任なんてない』

 配信開始三十分前、僕はコミュニケーションアプリ内の指定されたサーバーに入った。

 

 今日は僕にとっては記念すべき、礼ちゃん以外のライバーとの初コラボにして初の同期とのコラボ配信の日だ。

 

 ちなみに、初の同期コラボということでどういう配信にするかメッセージ上ではいくつか相談をしていたけれど、ちゃんと通話を繋ぐのは今日が初めてだったりする。

 

 今後他の同期の方々とコラボできるようになるか、同じ『New Tale』所属の先輩方とコラボできるようになるかは、今日のコラボ配信の空気感にかかっている。『New Tale』での男女コラボでリスナーがどういう反応を示すか、とても重要な指標になるだろう。

 

 指標にする、という点で言えば、今回の配信のお相手であるイヴ・イーリイさんはコラボ相手としてはベストなキャラクターをしている。イーリイさんは他の同期の女性の方々とはリスナーとの関係が異なっているのだ。

 

 他の方々だとリスナーから可愛がられたり敬われたりといったふうに過保護気味な扱いをされている。

 

 反面、イーリイさんはリスナーといわゆるプロレスと呼ばれる、言葉で殴り合うような、男友だちと接するような関係なのだ。僕には男友だちがいないので『そのような雰囲気らしい』ということしかわからないけれど。

 

 そういったキャラクターでやっているのであれば、男であるジン・ラースと絡んでも問題が起きる可能性は低いだろうとの判断だった。これが天真爛漫で無垢なアイナ・アールグレーンさんや、小動物的な愛らしさのあるウィレミナ・ウォーカーさん、衣装以外は清楚そのもののエリーゼ・エスマルヒさんなどがコラボ相手だと、お相手のリスナーから反感を買う恐れがある。

 

 件の男女Vtuberから延焼した炎上騒動が終息したといっても、ジン・ラースはまだ『New Tale』全体を推しているリスナーからも、他の同期の方々を推しているリスナーからも認められたわけではないのだ。

 

 今日の配信如何(いかん)によって、今後『New Tale』に所属するライバーとコラボできるかが決まってくる。

 

 イーリイさんとですらうまく噛み合わなかったら、他の方々とコラボしてもうまくいくわけがないのだ。

 

 本格的に礼ちゃん以外とコラボできなくなってしまう。礼ちゃんに肩身の狭い思いをさせないためにも、今日の配信は頑張らなければならない。

 

 決意を新たにしていると、アプリから電子音が鳴った。イーリイさんの名前が表示された。

 

『おーっす。初めましてだな、ジン・ラース』

 

 女性にしては低めのハスキーボイス。一部の女性からも支持を得られそうな魅力のある格好いい声だ。

 

「ええ、初めまして。イーリイさん。今日はよろしくお願いします」

 

『おー……』

 

「おー……って、どうされました?」

 

『いや……配信で聴いてた通りのイケボだなって』

 

「いえいえそんな。それで言うならイーリイさんもイケボでらっしゃるでしょうに」

 

『お? そらサンキュー。……いやそれは褒めてねぇな?』

 

「褒めてます褒めてます。イケボというのは褒め言葉だと僕は聞きましたから」

 

『褒め言葉だとしても女に使う言葉じゃねぇよ』

 

「わあ。それは盲点でした」

 

『ぶふっ……ふっく、くくっ……。「わあ」ってなんだよ。うるせぇよ』

 

 くすくすと笑い声をもらすイーリイさん。思っていたよりも話しやすそうな人でよかった。

 

 イーリイさんは配信ではよくリスナーと語勢激しくやりとりをされている方だ。気性の荒い方だったらどうしようと心配していたのだ。

 

 常に荒っぽい喋り方をするわけではないし、なんなら勝ち気ではっきりとした物言いをしてくれるぶん、こちらとしても話しやすい。

 

「僕の配信観てくれたことあるんですね。ありがとうございます」

 

『まぁ、同期の配信はちょくちょく覗くだろ。観ててふつうにおもろいしな』

 

「同期……。そう思ってくれてるんですね」

 

『は? デビュー配信前からこれまで通話どころかチャットすらできんかったが、そんなん関係なく同期だろ。なに言ってんだ』

 

「僕が同期だったことで迷惑がかかったこともあったでしょうに」

 

『デビューしたばっかの時はちょくちょく訊かれることはあったが、それだって荒れるってほどじゃねぇよ。ったく、気にしすぎなんだよなー』

 

「『気にしすぎ』……というのは?」

 

『あ? そんなもん言葉通りの意味だ。ジン・ラースも、アイニャたちも、なんなら『New Tale』のスタッフも、どいつもこいつも悪いことなんかしてねぇのに、やれ『自分が悪い』とか『助けてあげられなかった』とか『謝らなきゃ』とか言い出して……なんなんだ。悪いとか謝るとか、そういうのは自分がマジでやべぇことした時だけでいいだろ』

 

「アールグレーンさんたちが、そういうことを仰っていたんですか?」

 

『んあ? アールグレーン?』

 

「アイナ・アールグレーンさん」

 

『……ああ、アイニャのことか。そうだよ。アイニャもエリーも……ウィーレだって少なからず後ろめたさみたいなのがある。あの時うちらはなにもしないことが正解だった。ジン・ラースがデビューしたばっかの時に関わらないようにするってのは、客観的に見ても間違いじゃなかった。事務所からもそういうお達しがあったわけだしな。正直、ジン・ラースだってあのタイミングでうちらに絡みにこられても迷惑だったろ?』

 

「迷惑、という表現は適切ではありませんけど……いろいろと予定を変更することになっていたとは思います」

 

 各々の配信でジン・ラースの名前を出してなんらかのアクションを起こされていたら、僕としては大変困ったことになっていただろう。

 

 実の兄妹というアドバンテージがあっても礼ちゃんからヘイトを剥がすのは一苦労だった。だというのに、他人である同期からジン・ラースにヘイトを移動させるとなると一苦労どころではなくなる。正攻法では解決策が思いつかない。

 

 もし実際に同期の方々に動かれていたら、僕はそれだけで窮地に陥っていただろう。

 

 沈黙を保つという対応は、僕らの置かれた状況においても、事務所の指示があったという点においても、疑いようがないくらい正しいものだった。

 

「炎上の真っ只中にわざわざ飛び込む必要もないですし、事務所からも所属ライバーは関わらないようにとのアナウンスがあったはずです。なのに、どうしてアールグレーンさんたちが後ろめたく思うんです? 僕に怒っていると言われるのなら納得できるんですけど」

 

 四期生メンバーはジン・ラースが原因で、本来ならしなくてもいい苦労を強いられた。

 

 恨み、とまではいかなくても、ポジティブな感情は持たれていないだろうなと推測していたのだが、どうにも話は違うらしい。

 

『巻き添えで炎上させられたジン・ラースに怒るってのはさすがにクズ過ぎるけど……でもまぁ自己嫌悪するよかそっちのほうがよっぽどまともだよな。なのに、あいつらは「ジン・ラースが困ってる時になにもできなかった」つって助けられなかったことを悔やんでんだよ。おかしいよな?』

 

「ええ、おかしいです。アールグレーンさんたちに責任はありませんし」

 

 僕が答えると、急にイーリイさんは声を張り上げて肯定した。

 

『そう! それだよ!』

 

 声の大きさに少々驚いた。イーリイさんの音量は控えめにしておこう。

 

「それ、とは……」

 

『お前がアイニャたちに「おかしい」って思ってる感覚。それをうちはお前に感じてんだよ』

 

「いや……アールグレーンさんたちと僕とでは話が違いますけど……」

 

『うるせぇ! 違わねぇよ! うちからすりゃ同じだ!』

 

 一喝されてばっさりと話を断ち切られた。なんとも強引で荒っぽいやり方だ。

 

『ジン・ラースが「New Tale」からデビューするのは違法でもなんでもない。実力を示して四期生としてデビューさせても大丈夫だって「New Tale」が判断したからデビューしたんだ。しかもお嬢経由で縁故採用してもらうっていう方法も狙えたのにしなかった。なんも問題ねぇ』 

 

「いや、まあ……違法性はないでしょうけれど……」

 

 あの時の状況を考えれば、違法でなくても不適切ではあったかもしれない。

 

『炎上したのだってジン・ラースがなんかやらかしたわけじゃねぇ。件の男女Vtuberの炎上の巻き添えだ。そこに「New Tale」から男がデビューするっつうことで杞憂したリスナーの反発が重なっただけ。配信じゃあコメ欄もバカほど荒らされてたけど、お前はそれにもキレたりしないで冷静に対処してたよな? お前はいつどこで悪いことしたんだ? 言ってみろ』

 

「そういう言い方をされると、たしかに悪いことはしてないですけど……」

 

『「けど」? 「けど」なんだ。言ってみろよ』

 

「いえ、悪いことしてないです」

 

 有無を許さぬ圧力があった。

 

『そうだよなぁ? 荒らしが配信に常駐している中でもお前は一切取り合わねぇでやってた。うちなら一回の配信で十回はキレそうなところをお前は我慢してたよなぁ?』

 

 それはコメント欄やSNSが荒れても何も響かないという、僕の感性が鈍かっただけの話だけれど。

 

「我慢、というほどのものでもないんですけど……。それにしたって十回キレるというのはあまりに怒りすぎでは……」

 

『なんだぁ?! 文句かぁ?!』

 

「なんでもないです」

 

 引っかかった点について訊ねると、僕の十倍くらいの熱量と声量で返ってきた。十回キレるというのもあながち冗談ではないのかもしれない。

 

『ならいい。……そんでお前は炎上騒動を自分で解決したよな。うちらからじゃどれくらいスタッフたちと協力してたのかはわからんけど、それでも配信上であんだけ派手にやったってことはお前が主導して片付けたんだろうなって想像はつく。完全な貰い事故だったってのに自分で片付けた。……おかしいよな? ジン・ラースに責任なんてどこにもないよなぁ?』

 

「…………」

 

『わかったか? お前がアイニャたちに責任がないって思ってるのと同じように、こっちだってお前に責任なんてないって思ってんだよ。なのになんだ? 自分のことを同期だと思ってくれてるんですか、みたいなこと言いやがって。思っとるわぼけ! 絶対アイニャたちにそんなこと言うんじゃねぇぞ! アイニャとエリーなんか、お前の配信が荒らされてるの観て、泣くくらい心配してたんだからな! 「同期なのになにもしてあげられない」とかって!』

 

「……ふっ、あははっ、ふふっ」

 

『なに笑ってんだ! 笑うとこじゃねぇよ!』

 

「いえ、すいません。イーリイさんって言葉遣いのわりに優しいんだな、と思ったもので。アールグレーンさんたちのこと、大好きなんですね」

 

『……あたりまえだろうが。同期なんだから』

 

「僕も同期ですけど、それ認めちゃっていいんですか?」

 

『お前のことは大好きじゃねぇけど、仲間意識くらいは持っといてやる。感謝しろ』

 

「あはは、ありがとうございます」

 

 話してみたらよくわかる。この人は激情家で友だち思いな人だ。

 

 言葉遣いは悪いし柄も悪い。その上短気。

 

 でも決して短慮ではない。

 

 ちゃんと周りを見る目を持っていて、語気の荒さとは裏腹に冷静で、状況を読んでどう動くべきか、どう動くとまずいかなどを考える判断力がある。

 

 こういう人を、頼れる兄貴分、と表現するのだろうか。周囲にそういう人がいなかったから僕にはわからないけれど、きっとそうなのだろう。

 

 いや、性別的には姉貴分かな。もしくは姉御肌と言うべきか。イケボ、と褒めたら怒られてしまったことだし、表現には気をつけなければ。

 

『あ、忘れるとこだったわ。コラボ配信、格ゲーで押し切っちまって悪かったな。うちFPSやったことねぇからさ』

 

「いえいえ。僕としてはいろんなゲームに触れていきたいとも考えていたので、教えてもらえるということで助かりました」

 

 今回のイーリイさんとの記念すべき初コラボは、初心者向けの格ゲー講座となったのだ。

 

 『Island(アイランド) create(クリエイト)』でコラボしようにも、同じサーバーでやっているのにお互いの拠点があまりにも離れている。先輩方の拠点や作品の近くに僕が近寄ってしまうと、先輩方のリスナーを刺激してしまうかもしれない。かといって、僕と礼ちゃんで少しずつ拡大していっている魔界建設予定地にイーリイさんを誘うというのも、よくわからないことになってしまう。魔界は建設途中だし、なによりイーリイさんは一応はシスターなのだ。魔界の生き物にとってはおそらく天敵である。

 

 それなら雑談でもするか、という話もあったけれどそれはそれで盛り上がりに欠ける恐れがあった。僕があまり他の先輩方や同期の方々について言及すると、話題に挙げた方へご迷惑がかかってしまうかもしれない。そうなると自然、イーリイさんも先輩方や同期の話を可能な限り避けざるを得なくなる。同期という間柄なのに『New Tale』に所属する他のライバーについて一切話をしないというのは、観てくれているリスナーさんに違和感を覚えさせることになるだろう。

 

 ならば話題に困らないであろうゲーム配信にしようとなり、イーリイさんが得意とする格闘ゲームをやることとなったのだ。

 

『あー……うちがFPS触ってりゃなぁ……。お嬢も呼んでもらって一緒にできたってのに』

 

「……イーリイさんは、やっぱり眷属なんですね」

 

『あっ』

 

「大丈夫ですよ。おそらくそうなんだろうな、と察してはいたので」

 

 眷属というのは、礼ちゃんのヴァーチャルの姿、レイラ・エンヴィのリスナーの名称だ。

 

 イーリイさんは配信中にもしばしばレイラ・エンヴィを指して『お嬢』と呼称していたので、薄々勘づいてはいた。きっとイーリイさんはデビューする前から礼ちゃんの配信をよく視聴していたのだろう。

 

『……気づかれてんならもういいか。うちがFPS上手かったら、いや上手いとまで言わんでもそこそこできるくらいの腕だったら、お嬢と一緒にゲームできたってのになぁ』

 

「これからやればいいじゃないですか。またコラボする機会があれば今度はFPSにしましょう。初心者向けのFPS講座ということで。格ゲー講座のお返しです」

 

『うちFPSはまーじで触ったことねぇんだって。お嬢の配信は観てたけど、FPSが理由で観てたんじゃなくてお嬢を観たくて観てたんだぞ? なんも知らねぇんだから』

 

「もちろん無理強いはしませんけど、もしかしたらFPS講座の時に妹も同席するかもしれませんよ? それに『New Tale』にはFPSを一緒にやってくれる人がいないって妹が嘆いていたので、FPSできるようになると遊ぶ機会が増えるかもしれませんね」

 

『ジン・ラース、次FPS講座よろしく頼むわ! いや、お嬢がどうとか関係ねぇんだけどな! うちもFPSやってみたいって思ってたとこなんだよ!』

 

「不安になるくらい動機が不純です」

 

『お嬢は関係ないって言ってんだろ! もしお嬢が関係してたとしてもそれは純粋な好意だ! 不純な要素はない!』

 

 あまり乗り気ではなかったのに礼ちゃんの名前を出した途端に驚くほど積極的になった。会話の流れやノリという部分もあるのだろうけれど、本当に礼ちゃんのことが好きなようだ。イーリイさんとの共通点が見つかって、僕も嬉しく思う。

 

「ふふっ、楽しみが増えました」

 

『……なーんかうまいこと乗せられた気がすんなぁ……。まぁ、お嬢と遊べるかもしれないんならいっか。そういやインストール済んでるとは思うけど、そっから触ったか?』

 

「いえ、完全初見のまっさらなところから教えてもらおうと考えていたので、何も触ってませんし調べてすらいません」

 

『おお、そりゃおもしれぇな。経験も知識もゼロスタートか』

 

「これまで触れてこなかったリスナーさんもいるでしょうし、そういった方々と同じ感覚で進められるのではと思って」

 

『初心者講座だからな。ゼロスタートのほうが一から順に教えられるしやりやすくもある。それに変な知識や癖がつく前のほうが上達も早ぇし、都合がいいや。っと、そろそろ準備しとくか』

 

 そう言われて時間を確認すれば、配信開始予定時間の五分前だった。イーリイさんはレスポンスが軽妙で楽しいし、率先して話をしてくれるので気も楽だ。なるほど、これが姉御肌。

 

「三十分前にサーバー待機の予定にしておいてよかったですね。配信の前にしっかり話せましたし」

 

『まじで事前に話しておいてよかったな。変にしこりを残したままだったら配信での喋りもスムーズにできねぇだろうし。ぶっちゃけると、サーバー入る前はちょっと不安だったよ、うち』

 

「不安? 初対面ですし、多少は感じても仕方ないですけど……」

 

『ジン・ラースは配信では礼儀正しくて優しそうだけど裏ではめちゃくちゃ嫌な奴だったらどうしようとか考えてた。暴言吐いてきたり下ネタ言ってきたらどうしてやろうかとか考えてた』

 

「想像上の僕、酷すぎません?」

 

『話もうめえし声もいい。うちも細けぇこと考えなくていいから気楽だわ。陰険な奴じゃなくてよかったー』

 

「想像上の僕をまとめると、陰湿で暴言吐いてセクハラする奴だったんですかね。それはもう悪魔っていうより化け物なんですよ」

 

『ぶふっ、だははっ! たしかにな! 悪魔よりもバケモンだわ! だはははっ、やめろばか、今準備してんだ、笑かすな。マウスカーソル震えちまうだろうが』

 

「人類の悪性かき集めて作りました、みたいな存在を想像するからでしょう。僕はゲームのタイトル画面で待機しておきますね」

 

『くっく、はははっ……っ。くっそ、お前の声で言うなよ! なんでもおもしろくなんのずるいって! だはははっ!』

 

「だって、想像上の僕があまりにも表と裏で性格かけ離れすぎているんですよ。表の顔が礼儀正しくて優しい、裏の顔が陰湿暴言セクハラ男……人格が分裂してないと使い分けできなくないですか?」

 

『ぶはははっ! やめっ、やめろばかやろう! もうすぐ配信時間なんだぞおい! 笑わせっ、だははは!』

 

 不明な点の説明を求めると、何がつぼを刺激したのかわからないけれどイーリイさんは大笑いし始めた。笑いの沸点が低い人なのかもしれない。ともあれ、気持ちよく笑っているのは好印象だ。問題はその気持ちのいい大笑いにこちらも釣られてしまいそうなこと。

 

「笑わせてないですって。イーリイさんが勝手に笑ってるだけですよ。あ、時間だ。配信開始していいですか?」

 

『待てぼけっ……ぐふっ、いいわけあるかはぁっ』

 

「ふっ……ふふっ。『いいわけあるかはぁっ』って、どうされたんです? ふふっ、もしかしてイーリイさん、今誰かとリアル格闘ゲームとかしてます?」

 

『ぶはっ、ははははっ! おま、お前、しばき回すぞ! なんだよリアル格闘ゲームって! ただの喧嘩じゃねぇか! てかお前声真似うますぎだろ! だはははっ!』

 

「あーもう。くすっ……うるさいですよ。早く落ち着いてもらっていいですか。三十分前に待機してたのに配信遅刻しそうなんですけど」

 

『はははっ、くふぅっ……っ、もう、いいや……。くぐっ、配信始めよ』

 

「それなら僕も始めますね。まだイーリイさんはちゃんと喋れなさそうなので僕から挨拶します。それまでに落ち着いててくださいよ」

 

『ふっ、んふっ……努力するわ』

 

 口元を押さえて喋るようなくぐもった音声でイーリイさんは返してきたが、努力すると言っているわりには笑い声を隠せていない。なんとも信用ならない努力宣言だ。

 

 とりあえず僕はつぼに入ったまま戻ってこないイーリイさんを放置し、アプリケーションを操作して配信を始める。音声も映像も問題なしだ。

 

「人間の皆様、こんばんは。『New Tale』所属の四期生にして悪魔のジン・ラースです。お忙しい中、足を運んでいただきありがとうございます。本日の配信はSNSでも通知していた通り、同じ四期生のイヴ・イ」

『だはははっ! す、すまっははは!』

 

〈楽しみにしてた〉

〈同期との初コラボ!〉

〈楽しくやれるのならそれがなによりだが〉

〈待ってた〉

〈めちゃくちゃわろとるやんw〉

〈どうしたw〉

 

「ーリイさんと……。挨拶終わるまで我慢できませんでしたか? せめて最初の挨拶くらいはさせてくださいよ」

 

〈スタートからエンジン全開で草〉

〈ヤンキーシスター爆笑しとるw〉

〈なにがあったんだ〉

〈草〉

 

『いやっ、待ってくれ。ぶははっ! ……待っ、んっ、待ってくれ。うちの話を聞いてくれ』

 

「ええ、いいでしょう。聞きましょう」

 

『んんっ、こほん。……これはお前が悪くない?』

「悪くない」

 

〈即答w〉

〈ばっさりで草〉

〈仲よ!〉

 

 このままではリスナーを置いてけぼりにしてしまうので、まずはリスナーにこれまでの説明をするべきだろう。説明が終わる頃にはさすがにイーリイさんもクールダウンしているはずだ。

 

「ご説明しますと、この配信が始まる三十分前からコミュニケーションアプリのサーバーに集まって話していたんですよ。デビューしてからこれまでお話どころかチャットすらしたことがなかった方と初めてコラボすることになったので、円滑に配信ができるように、と」

 

〈打ち合わせみたいなもんね〉

〈こんな笑い転げることある?w〉

〈同期とコラボするまでに時間かかったよな……〉

〈今日初めて話したとは思えんほど仲良いなw〉

〈これまで兄悪魔いろいろあったもんな〉

 

「そしたら途中でイーリイさんが通話を繋ぐ前は不安だった、みたいな話を始めたんです。ジン・ラースは配信中はまともそうだけど裏ではめちゃくちゃ嫌な奴だったらどうしようとか、暴言吐いてきたり下品なことを言ってくる陰険な奴だったらどうしてやろうかとか考えていたって」

 

『ぶふっ……くふふっ』

「イーリイさんうるさいんでミュートにしてもらってていいですか? 今みなさんに説明しているところなので」

 

『すまんって……くふっ。お前の説明で、おっ、思い出しちゃってへへっ』

 

〈コラボ相手にミュートしろは草〉

〈兄悪魔がこんなに雑に接してるのおもろい〉

〈てへへかわいい〉

〈イーリイさんかわい〉

 

「裏では陰湿で暴言吐いてセクハラする奴は悪魔っていうより化け物ですよって僕が言ってから、イーリイさんずっと笑って話にならないんですよね」

 

〈ばけものくさ〉

〈草〉

〈バケモンw〉

〈それはバケモン〉

 

『まははっ、まって、待ってくれよ! お前そのあと畳みかけてきただろ! 聞いてくれよリスナー! うち悪くねぇんだよ! こいつ、こいつがっ、人が笑って窒息しそうな時に「表の顔は礼儀正しい、裏の顔は陰湿暴言セクハラ男、それ人格が分裂してないと使い分けできなくないですか?」とかははっ!』

 

「わらっ、ふふっ……笑って言えてないんですよ。そろそろ落ち着いてくれませんかね。あははっ」

 

〈イーリイさん笑い方気持ち良すぎだろ!〉

〈やめてw〉

〈つられるw〉

〈草〉

〈こんなに笑う兄悪魔レアだ〉

 

『しかもジン・ラース、急にうちの声真似挟んできて、またそれが無駄にうめぇんだわ。そのせいでなおさらおもしろくなっちまって、もう戻れんかった。やっぱりお前のせいだ』

 

「勝手に笑ってただけでしょう。僕はただイーリイさんに返事してただけなのに」

 

〈初コラボとは思えない空気〉

〈テンポ良すぎw〉

〈まだ配信の本題入ってないのよw〉

〈声真似聞きたい!〉

 

『ジン・ラースリスナーの言う「淡々とボケる」っていう意味がわかった瞬間だった。……ん? 〈声真似やってほしい〉うちに言われても。ジン・ラース』

 

「いいですよ」

 

 イーリイさんのチャンネルでも声真似を希望するリスナーさんはいらっしゃるようだし、こちらでも聞きたがっているリスナーさんがいる。せっかくなので披露しよう。

 

 最近はボイストレーニングの延長で女性の声真似も練習しているのだ。イーリイさんの声は女性の中では低めなので、調整もすぐに済む。

 

『おお。よかったな、リスナー。ちなみにジン・ラース、うちはあんまり声真似されるの乗り気じゃねぇってことだけ先に伝えておくぞ』

 

「俄然やる気が出ました」

 

『お前やっぱり悪魔だよ』

 




ということで、ここから同期と格ゲー配信です。

しばらくお兄ちゃん視点です。

作品にはまったくこれっぽっちも関係ないんだけど、久々に花火見れていい気分です。夏を小さじ一杯ぶんくらいは味わえた気がしました。せっかく作中も夏なんだから、どこかのタイミングで花火の話もやりたいなと思うくらいのテンションです。


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『Strike Force』

 

『ちなみにジン・ラース、うちはあんまり声真似されるの乗り気じゃねぇってことだけ先に伝えておくぞ』

 

「俄然やる気が出ました」

 

『お前やっぱり悪魔だよ』

 

〈草〉

〈悪魔で草〉

〈配信前の打ち合わせはコントの打ち合わせやったんか?w〉

 

「んんっ……あー、あー。はい、大丈夫です。あ、こういう時ってキュー振りというのをしてもらうのがお約束なんですよね?」

 

『お約束言うな。たしかにそういうもんだけど。しゃあねぇな、やったるか。じゃあ、ジン・ラースの声真似まで……さん、に、いち、キュー』

 

「『初めましてぇ。今回「New Tale」の四期生としてデビューする、シスターのイヴ・イーリイですっ。よろし』」

『お前ごらぁぁっ!』

 

〈だれ〉

〈?〉

〈だれ?〉

〈えっ誰〉

〈すごw〉

〈これはw〉

〈だれ?〉

 

「なんで邪魔するんですか。まだ途中だったんですけど」

 

『よりにもよってなんでその声真似やってんだよ! 配信前にやってた声真似と違うだろうが!』

 

「やる気が(あふ)れてしまいました」

 

『あふれすぎだろ! サービス精神旺盛もたいがいにしとけよ!』

 

「知らない方もいらっしゃるかもしれないので補足説明しますと、イーリイさんの記念すべきデビュー配信の記念すべき第一声目でした。ぜひデビュー配信時の声と比較してみてください」

 

『うちのデビュー配信に誘導しなくていいんだよ!』

 

「この時はまだ声にお淑やかさが残っていましたね」

 

『うるせぇよ! この挨拶の五分後には影も形も残ってねぇんだよ! うるせぇよ!』

 

「そこまで言ってないのに」

 

〈イーリイさんご乱心〉

〈草〉

〈声量すごいw〉

〈やっぱり悪魔やった〉

 

『無駄にクオリティ高いのが腹立つ……ん?〈もっと乱暴な声だったぞ〉〈清楚すぎるわ〉〈ヤカラ感が足りないな〉うるせぇよ! お前らはうちの味方しろよ!』

 

 配信者によって視聴しているリスナーさんにも特徴が表れるとはいうが、なるほど。イーリイさんがノリのいい人だから、イーリイさんの配信を観ているリスナーさんたちもノリがいいようだ。おもしろいコメントを送ってくれているらしい。イーリイさんはコメントを拾っては吼えている。

 

「ふふっ、くくっ、あはははっ。いやあ……ふふっ、いいリスナーさんですね。僕も精進します」

 

『絶対にやめろ。精進すんな。もう……もう決めた。ジン・ラースには今後うちの声真似の許可は出さねぇ』

 

「これから僕の持ちネタにしていいですか?」

 

『話聞いてねぇのかお前は?!』

 

〈声真似うますぎ!〉

〈女声自然すぎだろ〉

〈いくら低めだとしても女声出せるのすごい〉

〈妹悪魔の時にはしない悪魔ムーブ草〉

〈レベルの高い一芸を意地悪するために使うのかw〉

〈悪魔の鑑w〉

 

「さて、ご本人様からの公認もいただけたというところで、そろそろ自己紹介してもらっていいですかね。配信が始まってからまだイーリイさんの自己紹介ができてないんですけど」

 

『勝手に公認にすんな! 許可してねぇよ!』

 

「なんなら代わりに僕がイーリイさんの自己紹介しましょうか? お任せください。んっ、こほん。『初めまし』」

『わかった! するから! 挨拶するから一旦黙ってろジンラスゥゥゥっ!』

 

「ご理解いただけてよかったです。それでは、皆様ご静聴お願い致します。清楚なイヴ・イーリイさんの可憐な挨拶まで……さん、に」

『やり(づれ)ぇ! そのキュー振り半端なくやり辛ぇわ!』

 

「ふふっ、あははっ」

 

『だって、ねぇもん! 清楚も可憐もうちの中に! どうにか掻き集めてやってみようかなって一瞬血迷ったけど、ねぇのよ! どっちも!』

 

「くふっ、血迷っ……ふふふっ。すいませ」

『……言わせんなよ! こんなこと!』

 

「くっ……あはっ、ふふっ……いや、でも、ご自分で」

『謝れよぉ! うちには清楚さも可憐さもないけど! 謝れよぉっ!』

 

「ごめ……んふふっ、ごめんなさい」

 

『ふぅっ、ふうっ……。わかればいいんだ、わかれば』

 

〈もうやめてw〉

〈腹痛え〉

〈これ台本あるだろw〉

〈お前らずっと雑談しててくれw〉

〈仕上がりすぎてて草〉

〈相性良すぎw〉

〈www〉

 

「えー、それでは気を取り直して、イーリイさん挨拶お願いします」

 

『ふっ、えー、はぁ……『New Tale』の、ふぅ……四期生の……えっと』

「かはっ……」

 

『おい邪魔すんなジンラスゥゥゥっ!』

 

「いや、だって……。イーリイさんっ、ふふっ……叫びすぎてっ、息、切れてるっ」

 

『息も切れるわこんなもん! 誰のせいだと思ってんだ!』

 

「あはははっ」

 

『笑ってんじゃねぇよ! 今のままだと配信終わる頃にはうち声嗄れてがっさがさになるぞ!』

 

「もう、もう邪魔しないのでっ……あい、挨拶をっ」

 

『配信の初っ端(しょっぱな)からカロリー高すぎんだろ……。ん、んんっ、ごほん。……ん? 〈元からがさがさやんけ〉てめぇごらぁっ! コメントできなくしてやろうか!』

 

「あはははっ」

 

〈格ゲー興味ないけど配信のぞいてよかったw〉

〈神回やw〉

〈草〉

〈腹つったw〉

 

『さっきコメントした奴、次会う場所はくぉうていだからな!』

 

「なんっ、ふふっ……今なんて言いました? 校庭(こうてい)? 校庭ですか?」

 

『ちょっと噛んだだけだろ見逃せよ! 法廷(ほうてい)だよ! 校庭で会ってなにすんだよ! 朝礼すんのかよ! うちは校長先生じゃねぇんだよ!』

 

「あははっ、くふ……えふっ。あの、朝の挨拶じゃなくて、配信の挨拶してもらっていいですか?」

 

『うまいこと言ってんじゃねぇよ! うちだってやりたいわ!』

 

「朝礼を?」

 

『配信じゃぼけぇ!』

 

〈もう配信タイトル変えちまえw〉

〈つっこみ鋭くて草〉

〈このまま雑談でも一向に構わん〉

〈幼馴染かよお前らw〉

〈空気よすぎだろw〉

〈二人でずっと喋れるやんけw〉

 

「くふふっ、あははっ。なくなる、なくなっちゃいますって、イーリイさん、時間が。今回の配信、一応二時間くらいの予定なんですよ。でももう二十分くらい使っちゃってるんですよ。格ゲー講座できなくなるんで早く自己紹介してもらっていいですか?」

 

『ふぅ、ふぅ、誰のせいだと思ってんだよ。はぁー……はい。『New Tale』所属、ジン・ラースの同期で四期生、シスターのイヴ・イーリイ。よろしく』

 

「もう疲れちゃってるじゃないですか。始まったばかりですよ。なんならまだ本題に入ってないですからね」

 

『うち、こんなコンディションで格ゲー教えれる気しねぇよ。疲れちったよ』

 

「奇遇ですね。僕もです」

 

『なんだよお前もかよ。だははっ!』

 

「あははっ」

 

『ばか言ってねぇではよ始めんぞ』

 

「ふふっ……んっ。こほん、ごめんなさい。それでは、遅ればせながら今回の配信の説明させてもらいますね」

 

『ようやく進めるぜ、まったく……』

 

「僕らやっとスタートラインに立ったところですからね」

 

『その事実に顎外れそうになるわ』

 

「さて、本日は配信タイトル通り、SNSでも通知があった通り、格闘ゲームの初心者講座です」

 

『うちが先生、生徒がジン・ラースだな』

 

〈二人とも疲れてて草〉

〈体力すでに赤ゲージっぽいけど大丈夫そ?〉

〈www〉

〈漫談じゃなかったんだ〉

 

「僕はこれまで触ってこなかったので、この機会に格ゲーに詳しいイーリイさんに教えてもらおうという配信です。格ゲーは難しそうでやったことがない、という人間様にも格ゲーに親しんでもらえるような内容になるといいですね。〈漫談じゃなかったんだ〉はい、漫談ではありません」

 

『ぶふぉっ……』

 

「配信が始まってしばらく経つのに最初の画面から動いていませんからね。そう誤解される人間様もいらっしゃるかもしれませんが、雑談配信ではないんです」

 

『なんっ、なんでお前、そんな声のトーン変えずに喋り続けられんの?』

 

「今のところは格ゲーに関連すること何もしてませんからね。雑談なんだ、と思ってしまうのもまあ、仕方ないな、と」

 

『仕方なくねぇよ。うちもジン・ラースもタイトル画面出てるだろ』

 

〈あ、ほんとだ〉

〈ストフォーやるんだ〉

〈気づかなくて草〉

〈視界には入ってたはずなのにw〉

 

「ちらほらと本当に気づいていなかった人間様がいらっしゃいますね」

 

『なんでだよっ! ……いやうちのリスナーにもいるわ。なんでだよ……』

 

「というわけで今回は画面にも映っておりますように『Strike(ストライク)Force(フォース)』をやっていきたいと思います。最初格ゲー配信にしようと決まった時、イーリイさんからおすすめの格ゲーのタイトルをいくつか挙げてもらったのですが、こちらにさせてもらいました」

 

滅閃(めっせん)Brave(ブレイブ)(りゅう)でもよかったっちゃあよかったけど、格ゲー初めてならストフォーはベストだ。いいチョイス』

 

「他にも格闘ゲームのタイトルはたくさんあると思うんですけど、なぜこの三作品だったんです? なにか理由が?」

 

『その三つが格ゲーの中では有名どころだからな。プレイ人口が多いってのは大事なんだわ。対戦相手が捕まらなかったら意味ねぇし。あとはトレーニングモードがしっかり作られてるかどうか、とか。まず基本の動きを練習できなかったらプレイヤーと対戦してもなんもできずにボコられて終いだしな。そんなんすぐ飽きるだろ。同じ負けでも、戦った結果負けるのと、ただボコられて負けるのじゃ天と地ほど差がある。トレーニングモードで最低限やりあえるレベルまで誘導できるかどうかってのは重要だ』

 

〈意外と理由しっかりしてる〉

〈めっちゃ考えてくれてる〉

〈ただ単に有名なやつ選んだだけじゃないんだ〉

 

「合理的な理由ですね。人間様もイーリイさんを賞賛しています。初心者の僕に配慮してくれたんですね。ありがとうございます」

 

『は、はぁ? いや、そりゃあ……格ゲー人口が増えるに越したことねぇし? ジン・ラースの得意なFPSを拒否してうちの都合を押しつけてるわけだし……ちょっとは考えてくるだろ、ふつう』

 

〈かわいい〉

〈かわいい〉

〈え、めっちゃかわいいやん〉

〈照れてるw〉

〈お口もごもごで草〉

 

「イーリイさん、こっちのコメント欄かわいいで埋め尽くされてますよ」

 

『わざわざ報告してくんな! でも待て、お前らもジン・ラースのリスナー見習えよ! 〈見直した〉じゃねぇよ、なんだと思ってたんだ! 〈めずらしく頭使ってる〉いつも使っとるわ!』

 

「イーリイさん、恥ずかしいからって子羊さんにあたっちゃだめですよ」

 

『ばっ、わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇ! てかなんで初配信から使ってないリスナー名知ってんだよ! それ誰も使ってねぇよ!』

 

「それはもちろんイーリイさんの初配信をしっかり観ていたからですけど。それはそれとして、子羊さん、イーリイさんのは照れ隠しですよ。怒っている声ではありませんからね。いざ子羊さんに褒められればきっと照れながら喜ぶはずです」

 

『ジンラスゥゥゥっ! 余計なことほざいてんじゃねぇよ! こいつらつけあがるだろうが! ああもう、リスナーが悪ノリしてんだよ! 〈かわいい〉とか、ふっ……ぇへ、ぉ、思ってないだろお前ら! 取ってつけたように言いやがって!』

 

〈よろこんでもうとるw〉

〈かわいい〉

〈かわいい〉

〈えへ、かわいい〉

〈かわいい〉

 

「口元にやけてますね。そういう声でした」

 

『くっそ、ジン・ラースの耳がばかほどいいの忘れてたっ……。リスナーもリスナーだ! 悪魔に(そそのか)されやがって! もうっ、もう知らん! 今日はもうコメント欄は見ねぇ! 決めた!』

 

「ちゃんと見てあげてくださいね。さて、初心者講座の続きです。このゲームとてもたくさんキャラクターがいるんですけど、どれを選んだらいいとかあるんですか?」

 

『ん? んー……キャラは別になんでもいいぞ。好きなのが一番いい。好きじゃないキャラ使っててもがんばれねぇしな』

 

「ほう……なるほど」

 

『どんなもんかなーつって全キャラを一回触ってみるってのがベストだが、それだと時間かかりすぎっからな。だいたい大まかにキャラ選びの基準を分けるとすると……勝つのが好きってタイプなら強いキャラ使ったほうがいいし、トリッキーなキャラが好きなら多少難しくてもコンボ練続けられるだろうし、逆にコンボ繋いだり覚えたりするのが苦手ならコマンドの数が少なめのキャラ使えばいい。もっと単純に見た目や声が好きとかって理由で使うキャラ選ぶやつもいる』

 

「いっそ端的に言ってしまえば、自分が楽しくプレイできるキャラを選べばいい、ということなんですね」

 

『そ。強い弱いとかもいっぺん打っ(ちゃ)って、ぴーんときたキャラ使(つか)やいいのよ。楽しくなきゃゲームなんてやる意味ねぇんだから』

 

「おー……。人間様、子羊さん、お聴きになりましたでしょうか? 『楽しくなければゲームをする意味なんてない』……いやはや、至言ですね。見失いがちになる物事の核心をついたお言葉です」

 

『おいばかやめろ。急に恥ずかしくなっただろうが。言っとくけど今うちの顔真っ赤だからな。あと声真似すんのやめろっつったよなぁ!』

 

〈この悪魔鬼畜で草〉

〈かわいい〉

〈やっぱり兄悪魔はSだよ〉

〈にっこにこでやる所業じゃない〉

〈性癖こじらせる人出てきちゃうって〉

〈声真似のクオリティたけえ!〉

 

「うーん、それでは今回は基本的なキャラクターを使わせてもらいましょう」

 

『ん、おっけ。それならシュウか暴威だ。……でも意外だな』

 

「そうですか?」

 

『うちはジン・ラースのことだから、これでもかってほどテクニカルなキャラ選ぶもんだと思ってた』

 

「いえいえ、さすがに素人の僕が難しいキャラクターをピックするのはちょっと。それに今回の配信の主旨が、僕と同じように格闘ゲームをやったことがない人間様にも役に立つ格ゲー初心者講座、ですからね。癖の強いキャラクターを選んでしまうと配信の意図がぶれてしまいます」

 

『めっちゃジン・ラースらしい理由だったわ。えら』

 

〈やさしい……〉

〈リスナーのことめちゃくちゃ考えてくれてる〉

〈虐めてからの優しさは効く……〉

〈手口がDV男と同じで草〉

 

「優しいつもりはありませんけれど……配信の本題が初心者講座なので。でも〈DV男と同じ〉というのは甚だ不本意です。自慢にもなりませんが、僕暴力は振るったことないんですよ」

 

『暴力()、ってとこが引っかかるんだよなぁ……』

 

「やめてください。揚げ足取りです」

 

『ジン・ラースは彼女とかできたら彼女の性癖(ゆが)ませそうで怖ぇよな』

 

「どうでしょう。パートナーができたことがないのでわかりませんね」

 

『そいつはまぁ……幸か不幸か。いや、この場合はいつも近くにいるお嬢の価値観を歪ませているのかも……』

 

「何を失礼な。礼ちゃんは清廉かつ健やかに育つよう、いつも僕が見守っているんです。歪むようなことはありません」

 

『いつもジン・ラースが見守ってるせいで歪んでそうなんだよなぁ……』

 

〈イーリイさん今お嬢って〉

〈イーリイさん眷属かよw〉

〈眷属仲間がおるやんけ!〉

〈妹悪魔なら健やかに手遅れだよ〉

〈お嬢はもう立派なブラコンに仕上がり切ってるから……〉

〈ヤンキーかと思ってたけど一気に親近感わいた〉

 

「ところでイーリイさん、ひとつお伝えすることがあります」

 

『おん? なんだよ』

 

「礼ちゃんが配信していない時は、僕のところの配信には頻繁に眷属さんたちがきてくださるんですよ。なので今のイーリイさんの『お嬢』発言に眷属さんたちが沸いています」

 

『しまった! ついいつもの呼び方がっ』

 

「いいんじゃないですか? 個人的に誰かのファンだったとしても。別に隠すようなことでもないでしょう。みなさん多かれ少なかれ影響された先輩はいらっしゃるでしょうし、礼ちゃんだって一期生の先輩のファンやってますからね。そのあたりは自由でいいんじゃないですか?」

 

『たしかにお嬢も照先輩の大ファンだしな。ほんじゃあ、うちもいっか!』

 

「大丈夫です大丈夫です」

 

『お嬢に蔑んだ目をされながら罵られたいとか思っててもいっか!』

 

「大、丈夫……」

 

『お嬢の黒ストに包まれたおみ足で踏まれたいとか思っててもいいってことだよな!』

 

「だい、じょうぶ……じゃないかも」

 

『虫以下の動く生ゴミに向けるような見下した目でめっちゃくちゃ嫌な顔されながらあの黒セーラーの膝下まである長いスカートたくし上げてもらいたいって思ってても、それもまた自由ってことだよな!』

 

「今日の配信はここまでのようです。ご視聴ありがとうございました。チャンネル登録や高評価をしていただけますと活動の励みになります。また次回、お会いできたら嬉しいです。それでは」

 

『なんでだよ!? おい、ジン・ラース配信閉じようとすんな! 話が違うじゃねぇか!』

 

「あなたの言う自由と僕の考えている自由には大きな乖離(かいり)があるんですよ。あなたの言う自由は、自由という言葉の枠組みからはみ出てます」

 

『お前も認めてくれたじゃねぇか!』

 

「やめてください。そんな人間としての尊厳をかなぐり捨てた行為を容認しているような言い方をしないでください」

 

〈わかる〉

〈わかる〉

〈わかる〉

〈わかる〉

〈そうなんだよパンツ見たいわけじゃないんだよクズみたいなお願いをしてこっちをくっそ蔑みながらスカートたくし上げてる時の表情を見たいんだよ〉

〈わかる〉

〈嗜みだもんな〉

〈わかる〉

〈眷属の闇は深い……〉

 

『なんだよリスナー! なんでちょっと引いてんだ!〈推しの兄によく言えたな……〉って、ジン・ラース公認だぞ?!』

 

「勝手に公認したことにしないでください。まったく認めてません。僕はこの場ではっきりと否認の立場を宣言します。あなたは絶対に礼ちゃんと二人っきりで会わないでください。同期を通報したくないので。眷属さんたちも〈わかる〉じゃありませんよ……初めて眷属さんたちが怖いと感じました」

 

 いつもは温かいコメントを寄せてくれる眷属さんたちが恐ろしく、いつもは手厳しいコメントを送りつける子羊さんたちがよそよそしくなるという逆転現象が僕らのチャンネルで観測された。礼ちゃんの教育によって規律を強めに締められている眷属さんたちは、(たが)が外れるととんでもないモンスターになってしまうようだ。緊箍児(きんこじ)かな。だとしたら、忙しい中申し訳ないけれど礼ちゃんには定期的に配信してもらわなければならない。リスナーを猿の化け物(意味深)にしないように締めつけてもらわないと。

 

「イーリイさんと、さきほどのイーリイさんの発言に共感した人間はお名前を控えておきましょうか。礼ちゃんの情操教育によろしくないのでコメントできなくしたほうがいいかもしれません」

 

〈やめてください〉

〈お嬢にこんなこと言うわけないやーん〉

〈お願い許して兄悪魔〉

〈絶対本人には言いませんから!〉

〈お兄様ごめんなさい〉

〈兄悪魔許して〉

 

「……今回は見逃しますが、礼ちゃんの配信で類似するコメントを僕が発見した場合、モデレーターとしてしっかりとアカウントをブロックいたしますのでお気をつけください。イーリイさんはブロックしておきます」

 

〈ああよかった……〉

〈兄悪魔は妹悪魔絡みだと容赦ないからな……〉

〈本人の前では綺麗な眷属だから〉

〈お嬢の配信では無害なんだよ俺たち〉

〈草〉

〈イーリイさん許されなくてくさ〉

 

『なんでだよ! コメント打たせてくれよ! あんな露骨な妄想をお嬢の配信で垂れ流すわけないだろ!』

 

「信用できません。今日の配信で信じさせてください。はい、続きやります」

 

『待って、待ってくれ。今のままだとうち、ブロックされんの?』

 

「キャラクターは決まりましたけど、やはり複数のキャラを平均的に使えるようになるよりも、一人のキャラクターを使い込んだほうがいいんですか?」

 

『なるほど、おっけ……真面目にやるわ。なるべくならメインで使うキャラを決めたほうがいいぞ。なんか性に合わねぇなぁとか気分転換でキャラ変えんのはありだけど、基本は一キャラを使いこなせるようになったほうがいい。自分のキャラがどういうことができて、どういうことができないのかを知ることが大事だ』

 

「なるほど」

 

〈急に真剣w〉

〈まじめスイッチ入った〉

〈妹悪魔なら兄悪魔に言われたら本当にブロックしそうだしな〉

〈不利を感じた瞬間の変わり身はやすぎw〉

〈見極め○です〉

 

『ストフォーならトレーニングモードをオンラインでできるから、こっちに招待くれ』

 

「わかりました。……どこからやればいいですか?」

 

『ん? あー、ちょっとややこしいんだよな。……コミュニケーションアプリでがめきょ(・・・・)飛ばしてくんね?』

 

「画面共有ですね。はい」

 

『ほいほい。おっけ。画面上で映っちゃいけないとこあるかもだから、一旦リスナーは待っててくれな』

 

「だそうです。人間様も少々お待ちください。その間、ゆーさんからいただいたイラストのほうをお楽しみください」

 

〈ゆきねチャンネルのイラスト!〉

〈手描き切り抜きで見たやつより綺麗になってる〉

〈これかっこいいんだよな〉

〈表情とかめっちゃ悪魔〉

 

 イーリイさんに都度操作を教えてもらいながら、配信用の画面に夢結さんと寧音さんから贈ってもらったイラストを表示する。

 

 画面を隠すことになるのでリスナーさんが暇にならないようにと思ってイラストを置いておいたけれど、ちゃんと楽しんでもらえているようだ。夢結さんと寧音さんのイラストには、人を惹きつける力がある。

 

『ゆーさん、ってあの人だよな? お嬢の親友で手描き切り抜きやってくれてるイラストレーターさん』

 

「そうですよ。頻繁にイラストをプレゼントしてくれるんです。僕のPCのホーム画面は、一番最初に描いてもらった僕と礼ちゃんが戦場で銃を構えているイラストを設定しています。お気に入りです」

 

『今配信に出してんの?』

 

「今映しているイラストは別のものですね。倒れている敵を踏みつけながら銃口を突きつけているシーンです。以前に投稿された手描き切り抜き時には描き切れなかった細かいところを加筆修正したらしく、ブラッシュアップしてプレゼントしてくれたんです」

 

『へぇー! 見たいなそれ!』

 

「あなたは早くトレーニングモードの設定の操作を教えてください」

 

『うっわ、かっけぇっ!』

 

「絶対配信観てるじゃないですか」

 

『うちこの人の絵好きなんだよ。お嬢をめっちゃかっこかわいく描いてくれてて。手描き切り抜きめちゃくちゃ観てんだよ、うち』

 

「え、そうなんですか? ありがとうございます。……僕が言うのもおかしな話ですけど」

 

『めっちゃ好き。再生回数の六割はうちが回してる』

 

「なんて大胆な嘘。でも、ゆーさんに今度伝えておきますよ。僕の同期がとても褒めてましたよって」

 

『おおっ、伝えといてくれ! ゆきねチャンネルさん、今日のコラボとか描いてくれねぇかなぁ?』

 

「余力があればもしかしたら、というところじゃないですか? ゆーさんも礼ちゃんと同じく学生さんなので忙しい方ですし」

 

『あー、そっか。お嬢と同い年なんだもんな。受験生か。残念だけど、しゃあねぇよな』

 

「でもよかったんじゃないですか? 今回のコラボだとイーリイさんのイメージ、プラスかマイナスかで言えば間違いなくマイナスですよ?」

 

『うっわ危ねぇっ! きもいとこばっかだったの忘れてた!』

 

「ふふっ。描いてもらえた時は、どうにかいいところだけ纏めてもらえたらいいですね」

 

『本当だぜ。どうにかうまいこと切り抜いてうちの印象良くしてくんねぇかな』

 

「ああでも、ないものを生み出すことはできないですもんね。厳しいか」

 

『ちょっとはあっただろ! たくさんあったとは自分でも言えねぇけど!』

 

〈自分を変えようとはしないのかw〉

〈『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』かわいいとこ描きます!〉

〈ちょっと隙見せたらすぐコント〉

〈まじめスイッチがオフになってるよー〉

〈ゆきねチャンネル!〉

〈ゆきねチャンネル見てたw〉

〈おるんちゃうかと思っとったらやっぱりおった〉

 

「あ、イーリイさん。ゆーさん配信観てくれてましたよ」

 

『えっ、まじで?! んっ、ん゛ん゛っ゛! あー、あー』

 

「チューニングしてる……」

 

『ゆきねチャンネルさんっ、よかったら手描き切り抜き描いてもらえるとうれしいですぅっ』

 

「初期イーリイさんだ……」

 

『初期やめろ』

 

〈きっつ〉

〈きっつ〉

〈きっつ〉

〈『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』それは解釈違い〉

〈きっつ〉

〈解釈違いw〉

〈草〉

〈一番辛辣で草〉

 

「ふっ、ふふっ……」

 

『なに笑ってんだこらジンラス。なにがおかしい。おいこらリスナー〈きっつ〉じゃねぇんだよ。かわいいだろうが』

 

「ゆーさんが〈解釈違い〉ってっ……ふふっ」

 

『ゆきねチャンネルぅぅっ!』

 

「そうこうしている間にトレーニングモードの設定もできましたね。さて、やっていきましょう」

 

『うちの体力ゲージ、ドット分くらいしか残ってねぇよ……弱パンで死ねる』

 

「ゆーさんが描くと仰ったのならいつか必ず描いてくれますから、僕らは手描き切り抜きが投稿されるのを待ちましょう」

 

『そっか……そうだな! こっからいいとこ見せれるようにがんばるわ!』

 

「その意気です」

 

〈ちょろすぎて草〉

〈草〉

〈かわいい〉

〈ちょろかわ〉

〈『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』かわいい〉

〈かわいい〉

 

「それで、格闘ゲームでトレーニングって何をやればいいんです? エイム調整ですか?」

 

『いっぺん銃捨ててこい。格ゲーにエイムなんざ必要ねぇよ』

 

〈FPSに脳内侵食されてて草〉

〈格ゲーでエイムw〉

〈銃使おうとすんなw〉

 

「冗談ですよ。コンボとかを練習するんですよね。格ゲーには『コマンド』なるものがあるという言い伝えは聞き及んでいます」

 

『昔話とか噂みてぇな言い方すんな。ちなみにコンボ練習は後だ。まずは通常攻撃からやってく。弱パンチとか強キックとかがどれくらいの距離までなら当たるのかを覚えてもらう。べつに厳密に覚える必要はねぇぞ。だいたいでいい』

 

「そういうものなんですか? 僕はてっきりコンボや必殺技のコマンドを練習するものだとばかり」

 

『そっちももちろん大事だ。でもコンボってのは攻撃が当たってから相手を追撃するためのテクニックで、必殺技だって相手に当てなきゃ意味がねぇ。コンボに繋ぐための始めの通常攻撃を(おろそ)かにしたら試合になんねぇ。変な癖のついてない最初の時こそ通常攻撃をしっかり把握しておくべきだ』

 

「おお……なるほど。基本的な操作を不足なくできるようになってから応用に進むべきだと。基礎を固めて土台を作ってから、その上に技術や知識を積み上げていく……深いなあ」

 

『やめろその(くだり)。恥ずかしいから』

 

〈ヤンキーみたいなのに意外と論理的なんよな〉

〈イーリイさん意外と段階踏んでくタイプなんだ〉

〈言葉遣い荒っぽいけど意外と教え方丁寧だね〉

〈意外すぎw〉

 

「ふふっ、すいません。人間様も感じているようですけど、でもやっぱり〈意外〉ですよね」

 

『んあ? なにが?』

 

「第一印象だと、コンボ教えられて、必殺技のコマンド教えられて、あとは実戦あるのみだ行ってこい、みたいな感じで戦場に送り出されるのかと思ってました」

 

『うちをなんだと思ってんだ!』

 

「すみません。でもその印象が今日で一変しましたよ。このゲームをしっかり楽しんでもらいたいという気持ちを感じます。ここまで親身に人から何かを教えてもらうことって僕初めてなので、とても嬉しいです」

 

〈まさしくそんなイメージだった〉

〈行ってこいされるんだと思ってた〉

〈めっちゃ考えてくれてるよね〉

〈兄悪魔……〉

〈お兄ちゃんさんの場合は器用すぎて教えることないだけじゃない?〉

 

『どんな環境で生きてきたんだお前……。つっても、うちのはあれだぞ。格ゲーやってくれる友だちが周りにいなかったから布教してるってだけだ』

 

「僕なんかつい最近まで友だちすらいませんでしたよ」

 

『うるせぇよ。なんで友だちいないってところで競ってきたんだよ。悲しくなるようなこと言わないでくれ。あとうちは格ゲーやってる友だちがいなかっただけで、遊びに行くような友だちはいるからな』

 

「裏切られました……こんな形で背中を刺されるなんて」

 

〈格ゲーやる人の布教活動はすごい〉

〈一度地獄を見てるからな〉

〈プレイ人口が激減した地獄を味わった〉

〈こうやって布教してくれるのは格ゲー好きとしてもありがたい〉

〈友だちいないw〉

〈手振り払われてて草〉

〈肩組もうとしたのにw〉

〈嘆かわしい……〉

 

『勘違いして肩組んできたお前が悪い。べつに裏切ってもねぇし』

 

「いいんです、今は一人いますし。……通常攻撃の練習というのはどういうことをすればいいのか早く教えてもらっていいですか!?」

 

『ぶふっ、なんでキレてんだよ! 自分から言ったんだろうがよ! くっ、ふふ……声張るだけでおもろいのずるいだろお前! っ、あははっ』

 

「ありがとうございます」

 

〈草〉

〈キレたw〉

〈初めて聞いたわw〉

〈草〉

〈珍しすぎるw〉

〈いいもんみた〉

〈怒ってるふうなの笑う〉

 

『うるせぇよあほ。んんっ……そんじゃまあ、攻撃も含めて操作全般の説明して、同時に画面上に出てるゲージや数字の説明もさらっとやってくぞ。べつに格ゲーやってなくてもゲーム触ってる奴ならだいたい察しはつくだろうけど、一応な』

 

「はい。よろしくお願いしますね」

 

 




もうちょいお兄ちゃん視点です。


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「出会い厨じゃないですか……」

イーリイさんへの熱い風評被害なサブタイトル。


 

『おらああぁぁっ! どんなもんじゃジンラスゥゥっ! うちのほうが強いんじゃい!』

 

「ちょっと! おかしくないですか?! 今日格ゲー始めた初心者相手に本気出すってどれだけ大人気ないんですか?!」

 

『うるせー!』

 

「あなたが一番うるさいんですけど?!」

 

〈うるせえw〉

〈騒がしいw〉

〈イーリイさん手加減なしw〉

〈わりと勝負になってんのすげぇけどな〉

〈兄悪魔の大声レアだ〉

〈いつもと雰囲気違うw〉

〈仲良すぎで草〉

 

 配信開始時からは比べるべくもないほど真剣に、僕らは格ゲー初心者講座を進めていた。

 

 ボタンを押せば出る通常攻撃や、スティックを倒しながらボタンを押して出す特殊技、スティックを下・斜め下・横方向など流動的に動かしてボタンを押して出す必殺技、他にもジャンプ攻撃やガード、ジャンプして近づいてきた敵に対して迎撃する対空などを教えてもらい、一通り全部出していき、全部問題なく出せるようになったらそれらの攻撃のリーチを把握する段階に上がった。

 

 攻撃のリーチのぎりぎりで当てる、イーリイさん曰く『先端当て』という技術。これができるようになるだけで間合いを計りやすくなり、戦局を有利に運べるようになるのだとか。

 

 『差し』やら『崩し』やら専門用語も交えつつ実地で教導してもらい、その後、プレイヤーとの対戦中に使いやすいコンボやダメージの出るコンボ、対空からのコンボなどをいくつか教えてもらった。これくらい憶えていれば、一応戦いの形にはなるらしい。

 

 そうやって教えてもらいながらも時折脱線もしていた。

 

 イーリイさんはツーリングが趣味、というかバイクが好きでいろんなところに走りに行ってるとか、ちょっと前には近場のゲーセンで初心者狩りしてる格ゲープレイヤーを叩き潰していたとか、僕は僕で最近庭の手入れに凝っているとか。

 

 そういう格ゲーにはこれっぽっちも関係ない雑談も挟みながら、基本的には真面目な格ゲー講座を一時間ほどこなしたら試合形式へとステージを移した。

 

 実際に対戦してみてその都度、動きや立ち回り、攻める時守る時に注意するポイントなどについても、その荒っぽい口調とは反比例するように丁寧に教えてもらった。

 

 このあたりまでは親切に、言葉遣い自体は変わらないけれど優しく細かく教えてくれていたのだ、このあたりまでは。

 

 イーリイさんの様子がおかしくなったのは、実戦練習で僕が一度勝ってからだった。

 

 それからは、わからないところを訊けば一応教えてはくれたけれど、質問した時以外は手加減している様子が見受けられないガチ対戦だった。非常に大人気ない。

 

 今回の配信は格闘ゲームというジャンルに触れてこなかった人たちにも格ゲーの楽しさを知ってもらおう、というのが主旨なのに、このままでは経験者に一方的に殴られ続ける初心者という図になる。それはあまりに絵面も印象も悪い。

 

「イーリイさんは格ゲーを布教するために配信してたんじゃないんですか?! こんなの観て格ゲー始めたいなんて思う人いませんよ!」

 

『うるせー! わかってんだそんなこと! でも今日格ゲー始めた奴に負けるわけにいかねぇんだよ!』

 

「初心者狩りみたいなことして恥ずかしくないんですか?! 良心が痛んだりしないんですか?!」

 

『痛まん! うちのプライドが傷つくことに比べれば大したことじゃねぇ!』

 

「あなた今最低なこと言ってますよ! くっ……これはもう、ひどい絵面にならないよう僕が勝つしかないっ」

 

『経験者が本気でやってんのに初心者に負けるほうが絵面はひどてめええぇぇっ! 弾見切って跳んでくるような奴が初心者とかよく言えたなああぁぁっ!』

 

 格闘ゲームではキャラによって有無や性能の差異はあるけれど、エネルギー弾のようなものを発射する技を持つキャラもいる。遠距離から攻撃できたり、ガードされたとしても牽制に使えたり、連続で使われたら単純に鬱陶しかったりでいろいろ便利に使えるのだ。そういった攻撃を飛び道具と言ったり、イーリイさんのように安直に弾などと呼んだりする。

 

 先程は強キックが届くか届かないかといった微妙な間合いで飛び道具を繰り出してきたイーリイさんの裏をかき、ジャンプして飛び道具を躱してからジャンプ攻撃、当たったことを確認してからコンボを繋げた。ポジションも良かった上必殺技を使うためのゲージもあったので、必殺技で〆る最大ダメージを出せるコンボを狙う。きっちりと繋いでイーリイさんのキャラクターの体力を吹き飛ばした。

 

『だあぁぁっ! しっかり火力出るコンボ決めてんじゃねぇよ! ちょっとは慌てろや! ミスれ!』

 

「初心者講座の(てい)を取っているのに『ミスれ』はおかしいでしょう。みなさーん、僕が勝てたのは指導してくれた先生が良かったおかげですよー」

 

『見え透いたヨイショはいらねぇんだよ! コンボ練もしてねぇのになんで繋げれんだ!』

 

「コンボ練習付き合ってくれたじゃないですか」

 

『コマンド教えただけだあんなもん! 数回やっただけでコンボ練とか言うな! コンボ練舐めてんのか!』

 

「褒めたのに」

 

『しかも練習の時と実戦とじゃ勝手も違うってのに! 臨機応変に動いてんじゃねぇよ! 戦況に応じて柔軟に戦い方変えんな!』

 

「あ、もしかしてこれはイーリイさんなりの賞賛なんでしょうか? だとしたらありがとうございます」

 

『煽ってんのかジンラスゥゥっ!』

 

「違ったようですね」

 

〈草〉

〈草〉

〈新手の煽りかと思ったw〉

〈イーリイさん草〉

 

 これで通算三度目の僕の白星だ。ちなみに白星の四倍から五倍くらい黒星をいただいている。イーリイさんのほうが圧倒的に勝率が良いのになぜこんなにお怒りになっているのか、不思議である。

 

『……ジンラス、言うなら今のうちだぞ』

 

 僕に負けてから荒れていたイーリイさんは、叫んだことで胸中の諸々を発散できたようだ。落ち着いた口調で問い(ただ)してきた。口調は落ち着いていても内容はよくわからない。

 

「言うなら、って何をです?」

 

『お前ほんとは格ゲー初めてじゃねぇだろ』

 

「いや、初めてですよ。見ていたでしょう、何も知らなかったし何もできなかったところ。基礎の基礎から順番に格ゲーを教えてくれたじゃないですか。紛うことなき初心者です」

 

『初心者はあの距離でモーション見てからジャンプして火力コンボとか入れらんねぇんだわ。うちのリスナーは格ゲーやってる奴も多いけど、そいつらの阿鼻叫喚でコメント欄は地獄絵図だ。ジンラスが初心者だって嘘をついてるか、半端なくセンスがいいかのどっちかだって言ってるけど、比率的には嘘ついててくれって言ってるリスナーが多い。たぶんこんな初心者がいるなんていう現実を認めたくねぇんだろうな。うちもそう』

 

「ええと、僕からはなんと声をかければいいか悩むところではありますが、配信の目的自体は達成できていますね。こうして初心者の僕が格ゲーを楽しめるくらいにはなったわけですので」

 

『信じらんねぇよ……嘘って言ってくれよ。こんな初心者いてたまるかよ……』

 

「でも、ここに実在しておりますので」

 

『いるんだなぁ……ほんとに、こんな奴が……。まだしばらくは負け越すつもりはねぇけど、ジンラスがやり込んだらすぐに勝てなくなりそうだ。なんだこの不条理。悪魔かよこの悪魔!』

 

「はい。当方悪魔です」

 

『ジンラスゥゥっ!』

 

〈煽ってるみたいで草〉

〈イーリイさんおもろすぎ〉

〈今日始めたとか嘘でよ嘘だといってよ〉

〈煽ってるつもりはないんだろうけどさぁw〉

〈この人まじで初心者なん?〉

〈実際飲み込み早すぎだよな〉

〈反応良すぎだろ〉

〈これで初心者マ?〉

〈なんのゲームでもうまいのすごい〉

〈ジンラスがあだ名みたいになっとるw〉

〈ふだん見てない人もきてるみたいね〉

 

 イーリイさんのリアクションがいいおかげでリスナーさんたちも盛り上がっている。いい空気感だ。僕はだいたい平坦なテンションと淡白なリアクションになりがちなので、イーリイさんのような観ていておもしろい反応や聴いていて釣られるような気持ちのいい笑い方は、配信においてメリハリという部分で非常に助かる。

 

 なにより、一緒にやっていてとても楽しい。こっちまでテンションが引っ張られてしまう。礼ちゃんとやってる時とはまた(おもむき)の違う楽しさだ。人と一緒にやるゲームというのは、こんなにも楽しいものなのか。

 

 でも悲しいことだけれど、配信である以上、終わりの時間はある。タイムリミットが迫っていた。

 

「そろそろ時間的に次がラストでしょうか。せっかくですから勝って終わりたいところです」

 

『生徒相手だからといって負けてやるような優しい先生じゃねぇぞこっちは』

 

「丁寧ではあるけれど優しい先生ではないことは、ここまでの試合で僕も、おそらく人間様も子羊さんもお気づきだとは思いますよ。生徒を叩きのめしにきてましたからね」

 

『長年格ゲーやってきた格ゲーマーとして負けるわけにはいかねぇんだ。そこでジンラス、どうだろう。最後の試合、賭けをしねぇか』

 

「ほう。ビギナー対ベテランという著しく公平性を欠くマッチメイクであることは一度脇に置いておきまして、勝敗の報酬をお聞かせ願いましょうか」

 

『うちが勝ったら、お嬢と会わせてほしい。オフで』

 

「……僕、知ってますよ。こういう人のことを『出会い厨』などと言うのですよね。出会い厨じゃないですか……」

 

『待って待って! なんもしない! ふしだらなことはなんもしない! 会ってお喋りしたいだけなんだよ! うちからは触らねぇから!』

 

「その必死すぎる釈明がさらに印象を悪くしています。いかがわしい想像が頭になければそんな釈明は出てこないんですよ」

 

『オフコラボしたいとかワガママは言わねぇよ! ただお喋りして、あわよくば買い物とか、近場で遊びに行けたらいいなってくらいのかわいいお願いだぜ?!』

 

「オフで会ったのにコラボもしないとなれば、本当にただ自分の欲求のために会いたいだけの人じゃないですか」

 

『べつに手を繋ぎたいとかハグしたいとか言ってねぇんだからいいだろうが! 先輩に会いたいって言ってるだけのかわいい後輩だぞうちは!』

 

「良いように言い換えないでください。僕目線の印象だと今のところあなたは恐ろしい同期です。それよりも大丈夫ですか? 今順調にイーリイさんの評価は下方修正されておりますが」

 

『ちっ、強情な……。まぁ落ち着けよ、ジンラス。お前が勝てばいいだけの話だろ? 安心しろって。お前が勝った時の報酬も考えてある』

 

「そもそもマッチメイクの時点で差がありすぎるんですよね。でもたしかに、僕が勝った場合の話は聞いてなかったですね。ちなみに僕が勝った場合は?」

 

『ジンラスが勝った時はほっぺにちゅーくらいまでならしてやろう』

 

「どっちに転んでも罰ゲームじゃないですか……」

 

『どういう意味だジンラスゥゥっ!』

 

「でも、礼ちゃんと会わせるのに比べれば遥かにましではあるか……」

 

『マシってなんだ! あ、もしかして照れ隠しか? ほんとは喜んじゃってんじゃねぇの?!』

 

「僕が勝った場合は権利を放棄すればいいし……」

 

『ほっぺにちゅーを投げ捨ててんじゃねぇよ! 独り言っぽく小声で喋ってるけどぜんぶ聞こえてんだぞこら!』

 

「ふふっ……ああ、ミュートになってなかったんですね、失礼しました。というか勝利の報酬は僕の裁量でどうにかできる範囲までにしてください。礼ちゃんの時間は礼ちゃんのものであって、僕に権限はないんですから」

 

『そこはお前……ほら、あれだよ。お嬢に交渉するっていう……』

 

「その場合、勝利報酬は『礼ちゃんとオフで会わせる』ではなく『礼ちゃんに時間を作ってもらえるよう交渉する』になりますが、それでいいですか?」

 

『えっ……いや、それだとジンラスのやりたいように細工できちまうんじゃ……』

 

「これが僕の最大限の譲歩です。配信に勉強にと非常に多忙な礼ちゃんの数少ない自由時間を強制的に奪うなんて僕にはできませんからね」

 

『くっ……そう言われたらなんも言い返せねぇ……』

 

〈今年入ってから明らかに配信頻度減ったもんなぁ〉

〈やっぱ忙しいんだお嬢〉

〈受験とか人生かかってるしな〉

〈寂しくはあるけどさすがに勉強優先すべきだ〉

〈『レイラ・エンヴィ』おもしろい話をしてるね〉

〈活動休止しないだけ感謝すべきなんだよな本来は〉

〈お嬢!〉

〈よう見とるいやほんとに〉

〈妹悪魔おるやんけ!〉

〈兄悪魔の配信を観てないわけなかった〉

 

「あ、礼ちゃんいますね」

 

『なにぃっ! なんと仰っている!』

 

「急に人が変わったみたいな口調になってる……。ちなみに〈おもしろい話をしてるね〉とコメントしてますね」

 

『違うんですお嬢! べつにうち下心があるわけじゃなくて!』

 

「真っ先に弁解から入るのやめませんか?」

 

 後ろ暗い考えがある人特有の反応速度で言い訳を始めたイーリイさんを宥めていると、ヘッドホン越しにかすかに、がちゃりと音が聞こえた。

 

 扉へと目をやれば、にこにこ顔で手をひらひらと振っている可愛い礼ちゃんがいた。唇の前で人差し指を立てている。非常に愛らしい仕草である。

 

「礼ちゃん」

 

『なんだ! またコメントがあったのか!』

 

「いや、れ……」

 

 礼ちゃんが直接僕の部屋にきました、と伝えようとしたら、ぬるっと音も立てずに近づいてきた礼ちゃんに口を塞がれた。

 

 僕の口を押さえたまま、礼ちゃんはマイクに近づく。イーリイさんの反応を聞きたいからか、礼ちゃんは髪が僕の顔にあたるくらいに顔を近くに寄せてきた。

 

「そんなに私と会いたかったんですか? イヴさん」

 

『ぇ、え、えっ、え゛っ?! な、なんっ、お嬢っ!? えっ! マジで?!』

 

 思いがけないタイミングで推しに出会えた、みたいなイーリイさんのリアクションだった。もはやただのファンである。まあ、イーリイさんはただのファンというにはあまりにも不審者寄りではあるけれど。

 

「あはははっ、イヴさんリアクションいいなあ」

 

〈お嬢!〉

〈相変わらず兄悪魔の配信にはフッ軽だw〉

〈楽しそうだなお嬢w〉

〈え、ここカップルチャンネル?〉

〈妹悪魔お茶目で草〉

 

「礼ちゃん」

 

 一言、(たしな)めるようなニュアンスを込めて名前を呼ぶ。

 

 僕にとっては礼ちゃんが遊びにきてくれるのは迷惑じゃないし、なんなら嬉しいくらいだけれど、みんながみんな嬉しく思っているはずだ、なんて考えるのは身勝手というものだろう。困惑するリスナーさんも出てきてしまうかもしれない。

 

 一人でやっている時の配信ならば発生する責任はすべて僕一人で負えるのでまったく問題はないけれど、今回はコラボ配信なのだ。イーリイさんの都合もある。そのあたりも考慮しないといけない。イーリイさんは礼ちゃんの大ファンなので困るどころか大喜びみたいだけれど。

 

「うん。ごめんなさい、お兄ちゃん。イヴさんも、リスナーさんたちも急にお邪魔してすみません。悪戯心で、つい」

 

『おいこらジンラスゥゥ! お嬢に謝らせてんじゃねぇ!』

 

「マナーや礼節を無視するような妹にはなってほしくないので」

 

〈ああ兄妹なんだ〉

〈イーリイさんリアクション良すぎw〉

〈眷属らしい喜び方で草〉

〈格ゲー配信観にきた人は驚くか〉

〈兄悪魔がちゃんとお兄ちゃんやってる〉

〈こういうところ厳しくしてるのめっちゃ兄でいい〉

〈てぇてぇ〉

〈悪魔兄妹てぇてぇ〉

〈お嬢かわいい〉

〈イーリイさん兄悪魔には当たりが強いw〉

〈お茶目なお嬢が見れるのは兄悪魔と一緒の時だけなんだよなぁ〉

〈やんちゃな妹悪魔かわいい〉

〈てぇてぇ〉

〈『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』てぇてぇ〉

〈悪魔兄妹てぇてぇ〉

〈てぇてぇ〉

 

「あ、ゆーもいる。絶対観てるだろうとは思ってたけどね」

 

「ゆーさんはさっきもコメントくれたよ。今回のコラボも手描き切り抜きやってくれるってコメントしてくれてたんだ」

 

「ゆーはちゃんと勉強してるのかなあ……不安だなあ」

 

「生活リズムは戻せたらしいけど……って、危ない。今日は礼ちゃんとのコラボじゃないんだった」

 

「あ! ……ごめんなさい、イヴさん。私静かにしてますね」

 

『いや、ぜんぜん大丈夫っす! いっぱい喋ってください! 声聞けるだけで幸せなんで! ……おいリスナー! 〈レイラちゃん逃げて〉じゃねぇんだよ! レイラ先輩、もしくはレイラさんだろうが!』

 

「ふふっ、くくっ……注意するところそこなんですね。『逃げて』の部分を否定するわけじゃないんですね」

 

『今日の発言振り返ったら否定できねぇからな』

 

「私さっきまで勉強してて、途中から配信覗いたのでどんな話をしてたのか知らないんですけど、イヴさんいったいどんなこと言ってたんですか?」

 

『え?! あ、いやぁ……うちの口からは、ちょっと……』

 

「まあ本人には言わないっていう話でしたからね。礼ちゃんに直接言おうとしたらその瞬間に配信を切ってイーリイさんのアカウントをブロックするつもりでしたよ、僕」

 

『あっぶねぇっ……』

 

「ちなみに人間様や眷属さんたちも同様です」

 

〈あっぶねぇっw〉

〈コメント入力する手を止めたわ〉

〈文章全部削除した〉

〈お嬢の配信コメントできなくなるところだった〉

〈危なかった……〉

〈妹悪魔の前では眷属大人しいの草〉

 

「むー……コメント欄ならなに言ってたか流れるかなって思ってたのに、誰も口を割らない」

 

「それはそうだよ。教えた瞬間に礼ちゃんの配信でコメントできなくするって事前に通達してあるからね」

 

〈眷属の団結力草〉

〈口かてぇなw〉

〈おれたち悪い眷属ではないので〉

 

「仕方ない。あとからお兄ちゃんかイヴさんのアーカイブを確認しよっと」

 

『ジンラス頼むアーカイブ非公開にしてくれ!』

 

「必死すぎです。いずれは礼ちゃんの耳にも届くことになるので、その日を覚悟しておいたらいいと思います」

 

『冷てぇこの悪魔! そそ、そういえば! ジンラスはヘッドホン使ってるって途中で話してたけど、どうやってお嬢も話聞いてんだ? イヤホン使ってんならまだわかるけど』

 

「単純に耳を寄せてきてますよ」

 

「うん。お兄ちゃんの顔にくっつく感じで盗み聞きしてます」

 

『ぐふっ……』

 

 イーリイさんは苦悶の声を漏らして黙ってしまった。誰かにナイフか何かを刺されたのかもしれない。

 

「イーリイさん? 大丈夫ですか?」

 

〈ああ……〉

〈てぇて〉

〈てぇt〉

〈t〉

〈あまりの尊さに心が耐えられなかったか〉

〈浄化してる〉

〈急にいいパンチ打ってくるなぁ〉

〈リスナー浄化してて草〉

〈悪魔兄妹てぇてぇ〉

 

「〈急にいいパンチ打ってくる〉〈悪魔兄妹てぇてぇ〉……これでてぇてぇって言われても、私からするとなんだかなーって感じだよ」

 

「人間様や眷属さんたちは、そういう日常的なエピソードが好きなんじゃない?」

 

「そういうものなのかなあ? ふだんからこんな感じだから、リスナーさんたちにどこで刺さるのかわかんないね」

 

「そうだね」

 

『ふだんからっ……くはっ』

 

 やっと喋ったかと思ったら、イーリイさんはまた苦痛に喘ぐような声を残して静かになってしまった。二本目でも刺されたのかな。

 

〈これが噂に名高い悪魔兄妹か……〉

〈あぶねー致命傷で済んだわ〉

〈死者多数〉

〈妹悪魔の破壊力やばいなw〉

 

「イーリイさん、時間が押してるんでそろそろ最後の試合やりましょうよ」

 

『くっ……こんな精神状態でっ』

 

「やっぱり、私がきたの迷惑だった……かな?」

 

『そんなことないっす! ずっといてください! すぐやるぞジンラス! お嬢に気を遣わせんじゃねぇ!』

 

「あなたがノックアウト寸前だったせいなんですけどね。まあいいでしょう。それではやりましょう」

 

「がんばってね、お兄ちゃん」

 

「うん、任せて。負けられないからね」

 

『お、お嬢! うちもっ、うちにも応援ください!』

 

「え? う、うん……イヴさんもがんばって」

 

『よっしゃあっ! 観ててくださいお嬢! 絶対勝ってきますからね!』

 

「きゅ、急にやる気が……。でも、これから二人が戦うのにどっちも応援するってよくわからなくないかなあ?」

 

「いいと思うよ。公式な大会とかそういうのでもない格ゲー上達のための練習試合なんだから」

 

『うちからすりゃ公式の大会よりも重要なもんがかかってるけどなぁっ!』

 

「ほら、礼ちゃんの応援のおかげでイーリイさんも元気出たみたいだし」

 

「元気出すぎだけど……そうだね。いい試合してくれるのならそれでいっか」

 

〈お嬢は負けた時の条件知ってるのか?w〉

〈イーリイさんも応援してて草〉

〈兄悪魔が勝つと確信してるのかな〉

〈兄悪魔が負けるとお嬢が危ない〉

 

 僕とイーリイさん、お互いに礼ちゃんから激励されたところで、ようやく本日の最終戦である。

 

 勝敗はベストオブスリー、いわゆるBO3(ビーオースリー)と呼ばれるもので、最大で三回まで戦って先に二回勝利した側が勝者となる形式だ。

 

 先生役であるイーリイさんの教え通り、僕はオーソドックスとされているキャラクターだけを使っているけれど、対するイーリイさんは一試合ごとにランダムなキャラクターを使っている。

 

 それだけイーリイさんはこの『Strike Force』という格闘ゲームをやり込んでいるのだろう。僕が一つのキャラクターに絞って学んでいても、勝率二割そこそこであることを考えると、複数のキャラクターを使いこなしているイーリイさんはとんでもない人に思える。

 

『絶対に負けられねぇっ!』

 

「……気負いすぎじゃないですかね?」

 

 イーリイさんの吐く気炎とともに、一本目がスタート。

 

 序盤はお互いにじわじわとヒットポイントを削り合っていたけれど、間合いや位置取りの部分で経験の差が現れた。格ゲーにおいて壁際は非常に不利になるということはコンボ練習の時に教えてもらっていたが、打開の術なく徐々に追い詰められて火力の高いコンボを決められた。わずかにヒットポイントは残されていたが、ちっぽけなプライドなんて犬にでも食わせとけ、と言わんばかりにそこからイーリイさんは無理に攻めることをしなくなり、防御と牽制に終始していた。僕は固く閉ざしたイーリイさんのキャラクターを攻め切ることができず、時間切れとなった。やり方があまりにも本気すぎる。

 

 ちなみに時間切れになった場合は、より体力が多く残っているほうの勝ちとなる。

 

 なので、一本目はイーリイさんの勝利。

 

 二本目は、序盤こそ一本目と同じような形だったが、試合が動き出してからは状況が一変した。イーリイさんがコマンドミスでコンボを中途半端に途切れさせると、そこから大きく調子を崩したのだ。

 

 おそらく自分でも驚くような、いつもなら間違えることのない簡単なミスだったのだろう。

 

 取り乱して振ったイーリイさんの不用意な攻撃を差し返して、僕はダウンを奪えるコンボを叩き込む。調子の戻っていないイーリイさんはキャラクターの操作も注意散漫になっている。起き上がった際の隙を見逃さずに攻撃を加え、コンボを繋げていくとコンボの終わりになる前に相手はスタンと呼ばれる状態になった。

 

 この状態(スタン)に陥ると、そのキャラクターの頭の周りに星がくるくると回るようなエフェクトが発生し、一定時間身動きが取れなくなる。攻撃も防御も何もできないという、自分がそうなったら一番危険な状態で、相手がなったら一番有利な状態だ。

 

 ゆっくり落ち着いて高火力コンボを叩き込み、二本目も終了。

 

 二本目は僕の勝利となった。

 

 お互いに一本ずつ取り合い、最終試合は三本目に突入する──前に一時停止を挟んでおく。

 

『っ、ぁぁ……コマンドミスったっ! あ゛あ゛ああぁぁ……っ、慌てちまった……うぅっ』

 

 聞いたことのない声色でイーリイさんが(うめ)いていた。

 

 動揺しているのがプレイにも表れていたので、一度休憩を挟んでリセットさせたほうがいいかもしれないと判断したのだ。最後の試合なのに混乱したままの精神状態で終わってしまったら悔いが残ってしまう。イーリイさんにとってはいろいろと大事な物がかかっているようだし、悔いの残るような試合にはしたくない。

 

「あれでリズム崩れちゃいましたね」

 

『崩れたわ。頭ん中ぐちゃぐちゃになったわ。なんも考えてなくても出せるぐらい手に染みついてるはずのコマンドミスるとかっ……ああっ、くそっ……』

 

「このままいけば勝てると思って気が(はや)りました?」

 

『そうだよ! そこまで理解してんなら言ってくんなよ! リスナーうるせー! 煽ってくんな! お前らも、この試合に勝てば推しに会えるとかってなったら半端ないくらい緊張すっからな!』

 

「あははっ」

 

『笑ってんじゃねぇよジンラスゥゥっ!』

 

〈それは焦るわw〉

〈手震えるだろうなw〉

〈草〉

〈推しに会えるかもとかなったら俺なら頭真っ白になる〉

〈イーリイさん余裕なくてくさ〉

 

 相変わらずリスナーさんと仲のいいイーリイさんである。二本目終わったばかりの意気消沈したテンションより、今みたいに語勢激しく叫んでいるほうが精神衛生上いいだろう。その調子で三本目は頑張っていただきたい。

 

「ね、お兄ちゃん。イヴさんって、けっこうおもしろい人なんだね」

 

 マイクに拾われないような囁き声で礼ちゃんが言う。

 

 僕はそれに無言で頷いた。

 

「私、けっこう怖い人なのかなって思ってた」

 

 もう一度大きく頷いた。イーリイさんは喋り方がね、ちょっと誤解されやすいというか。

 

 礼ちゃんの言う通り、イーリイさんは話してみるととても楽しい非常に愉快な人物である。いいリアクションを返してくれるからこそ、こちらとしても話を振りやすい。

 

『よし、よしっ! よーっし! まだ終わってねぇんだからな! 次勝ちゃいいんだから! よし、やるぞ』

 

「ええ、やりましょう」

 

『悪いな、ジンラス。さんきゅ』

 

「いえいえ」

 

 命運を左右する三本目が始まる。




ようやく格ゲー配信っぽくなりました。


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「コラボ誘ってくれて、ありがとうございます」

 一本目、二本目と同様に、最初は距離を置いての牽制だ。ほんの微かに相手に近づいたり、かと思えば遠ざかったり、飛び道具を振ってみたり、細かくしゃがんだり、間合いのぎりぎりから攻撃してみたり。読み合いと相手のモーションに注視する息の詰まる時間。

 

 このせめぎ合いに()れたほうが不利になる。鎬を削るような、主導権を争うような、こういったやり取りはFPSでも経験がある。似たような空気感だ。違うのは銃を使うか拳を使うかくらいのもの。

 

『……っ』

 

 先に動いたのはイーリイさんだった。

 

 射程の長い強キックでも届かないくらいの距離から跳び上がる。頭上から攻めてくるつもりだ。

 

 主要なコンボをいくつか教えてもらった時に、他ならぬイーリイさんから聞いた。格闘ゲームにおいて、ジャンプという行動は大抵のシーンで便利に使える、と。選択肢として優秀なのだそうだ。

 

 だからこそジャンプしてくる相手に対して迎撃する技や、そこから繋げるコンボを覚えて実戦で使えるようになると勝率がぐっと上がる。そうイーリイさんは教えてくれた。

 

 教わったことを実戦で発揮してこそ、良き生徒というものだろう。

 

「対空」

 

『ふざけっ……』

 

 僕が使っているキャラクターは対空技が優秀で、無敵時間なる攻撃を受けない瞬間が発生する。ジャンプして攻めてくる相手に対して圧倒的に有利に迎撃できるとイーリイさんが指南してくれた。

 

 カウンター判定で攻撃を加え、ダウンを奪う。

 

「距離取りたくなりますよね」

 

 イーリイさんが受け身を取ってすぐに離れるように起き上がろうとしたところを、僕は前ステップで距離を詰め、出の早い攻撃からコンボを始動。

 

『だあぁっ! おまっ……』

 

「経験の差は埋められませんが、読みなら僕自信がありますよ」

 

 きっちりとコンボを繋げて相手を再びダウンさせる。

 

 なぜこうも僕が相手をダウンさせることに執心しているかというと、相手が起き上がろうとしているところを攻めるのが有利になると教わったからだ。

 

 起き上がるところを狙いに行くことを起き攻めと呼ぶそうだが、起き攻めするほうがされるほうよりも取れる択が多い。なので相手がどういう対処を取ってくるか読み切ることさえできれば、攻めの手を緩めることなく試合を運べる。僕のような経験の少ない初心者だったとしても、イーリイさんのような格上を倒す可能性が生まれるのだ。

 

 今回も起き攻めから切り崩して、あとは火力の高いコンボを繋いで必殺技で削り切れるかな、などと考えていた時だった。

 

 イーリイさんの操るキャラクターが知らないモーションを繰り出し、僕のキャラクターを掴んだ。なんだこれ。

 

『くっそ……こんなダセェやり方したくなかったけど、うちはどうしても勝たなきゃいけねぇんだ!』

 

「わっ、なんですかそれ!」

 

『お前にはまだ教えてなかった「投げ」だあぁぁっ!』

 

「せめて教えてから使ってくださいよ!」

 

『どうせしばらく練習してりゃどっかのタイミングで意図せず投げが出てくるだろうから、その時に説明すりゃいいやって思ってたんだよ! お前のコマンド入力が正確すぎるのが悪いんだ!』

 

「どんな理由ですかそれ!」

 

 初めて見た投げ技により投げ飛ばされた僕のキャラクターはそこそこ痛いダメージを受けて倒れ込んだ。

 

 このゲーム、弱中強三種類の強度のパンチとキックがあり、それぞれ上段中段下段と三段階の出し方がある。それに加えてジャンプ攻撃もある。ゲージを使った技もあるのに、ここからさらに投げ技も考慮する必要があるとなると、格闘ゲームを始めてからまだ二時間ちょっとしか経っていない僕の頭では処理が追いつかなくなってくる。読み合いの択が多すぎる。

 

 僕のキャラが起き上がり、相手の動きを見て防御の構えを取る。一発目のパンチを防ぐと、イーリイさんのキャラはまた投げのモーションに入った。

 

 投げを防いでから、発生の早い攻撃を差してコンボに移行して流れをこちらに引き戻す、と計算していたのだが、何事もないような素振りでふたたび投げられた。防御はどこへ行った。

 

『ちなみにガードで投げは防げねぇんだわ』

 

「だからせめて先に教えてから使ってくださいよ!」

 

『パンチとキック同時押しで投げができる! 投げられそうになったら投げで防げる! はい教えた!』

 

「順番が逆なんですって!」

 

 起き攻めする側とされる側、完全に立場が逆転した。体力の残量では僕のほうがまだ優勢だが、このままではすぐにひっくり返される。

 

 現に、僕は防戦を強いられている。

 

 起き攻めを警戒して防御していたらパンチを打たれてほんのわずかな時間動けなくなっている間に、すぐに投げを入れられる。

 

 投げを警戒し、こちらも投げで抵抗しようとしたら相手に一歩下がられて投げを空振りさせられ、隙だらけのところにコンボを決められた。

 

『おらぁっ! 次で終わりだぁっ!』

 

「なんて大人気ない……」

 

『さぁさぁ! 次はどっちかなぁ?』

 

 マックスまで溜まると気絶状態(スタン)になりますよ、というゲージがほぼ満タンに近くなっている。次、投げでもコンボでもなんでも攻撃を受けてしまうと確実にスタンに陥る。

 

 ヒットポイントゲージはイーリイさんの火力コンボを耐え凌げるほど残されていない。ここで選択を誤ればイコール負けである。

 

「……ここっ」

 

『はあぁぁっ?! ワンガードバクステ?! ふざけんな教えてねぇよ!』

 

 起き上がり一発目の弱パンチをガードし、すぐにバックステップすれば投げがきても逃げられるのではと思って賭けてみたが、どうにかうまくいったようだ。

 

 イーリイさんのキャラクターは投げを空振っていてチャンスなのだが、とりあえず逃げることに専念していたせいで距離感を今ひとつ掴めていない。ここで焦って大振りの攻撃を振って届かなければ、かえってこちらがピンチになる。前にステップを入れて出の早い攻撃を振っても間に合うかわからない。

 

 ならば、と思い、僕はふたたび賭けに出た。

 

「これならっ」

 

『ガードは間に合うぞっ……』

 

 前方へのジャンプ。投げを空振ったことで対空は間に合わないだろうとの判断だった。

 

 ここで一度基本の動作について立ち返るのだけれど、格ゲーの攻撃ボタンや画面上のゲージや数字について教えてもらっていた時のことだ。そういえば防御のボタンがないなあ、と思って訊いたら、防御はボタンを押して出すものではなく、スティックを相手の反対側に入力して出すものだと答えてくれた。

 

 話を聞いたその時はただ単に、なるほどなあ、と納得したけれど、今になってふと思う。

 

 防御は相手がいる方向と反対側に入力する。であるのならば、真上はどちらの判定になるのだろうか。

 

 これでイーリイさんの判断が少しでも遅れてくれればラッキー、くらいの気持ちで頭上を飛び越えるか否かという曖昧な場所でジャンプ攻撃を振ってみた。そうしたら、ちゃんと防御していたはずのイーリイさんのキャラクターにヒットした。

 

「あ、当たるんだ」

 

『おまっ……めくってくんなやぁっ!? それも教えてねぇだろうがよぉっ!』

 

「前なのか後ろなのかどちらの判定になるか気になったもので」

 

『知らないで出すんじゃねぇよそんなもん!? あああ待って待って待って!』

 

 攻撃を受けて怯んでいる相手の背後に着地。

 

「すいません。勝負なので」

 

 発生した硬直が解ける前に急いで、しかし落ち着いてコンボを始動する。〆に必殺技を叩き込んでしっかりとヒットポイントを吹き飛ばした。

 

 僕が二本目を取り、最後の試合は僕の勝利となった。今日四つ目の白星である。着実に上達してきているのを肌で実感している。嬉しい。

 

『…………』

 

「イーリイさん、お疲れ様でした。白熱した、とてもいい勝負でした」

 

「イヴさん、GGです。最後までどっちが勝つかわからなくて、観ている私も手に汗握りました。すごかったです」

 

〈おおおおお〉

〈これ初心者は嘘だって!〉

〈うおおおおおおお!〉

〈ふつうむりやんこんなん!〉

〈すげえええ!〉

〈イーリイさん惜しかったなあw〉

〈gg〉

〈いい試合だった〉

〈コメント忘れるくらいだった〉

 

 最後の一本の正念場で教えられていない投げを繰り出された時は剣ヶ峰に立たされた気持ちではあったけれど、あれだけ追い込まれたからこそ、先生から教えられた通りのことを駆使するだけではなく、自分の頭で打開策を考えることができたのだ。基礎になる知識はもちろん大事だけれど、なによりもピンチになっても諦めずに勝つ方法を探し続けることが強くなる一番の近道であると、イーリイ先生は教えたかったのだろう。試合中のイーリイさんの発言を記憶から消去すれば、そう思わなくもない。

 

 なんにせよ、息を呑む試合になったことは確かだ。

 

 僕はとても楽しかったし、隣で観戦していた礼ちゃんも楽しめた様子。これで観ていたリスナーさんたちも楽しんでくれていたら、今日の格ゲー講座は大成功である。

 

『………………』

 

 感想を言い合おうと思ってイーリイさんに話しかけるが、返事がない。ミュートになっているのか、はたまた通信環境の問題か。

 

「イーリイさん? どうかされました? ミュートになってますか?」

 

「アプリの不調かなあ?」

 

『……ぐずっ、うっく……っ』

 

 かすかに聞こえた音は、まるですすり泣くような、泣き声を我慢して喉を詰まらせるような、そんな音だった。

 

「え゛……」

 

「あーあ……お兄ちゃん」

 

〈イーリイさん無反応〉

〈アプリ落ちたんか?〉

〈負けてへこんだのかなw〉

〈あ〉

〈あ〉

〈あ〉

〈oh……〉

 

「いや、あの……イーリイさん?」

 

「ほんとこういうところだよ、お兄ちゃん」

 

「だ、だって……手を抜くほうが失礼じゃない? 格ゲーにおいては僕の師匠だよ? 師匠に本気で向かっていくのが、弟子としてのあるべき姿じゃない?」

 

「自分はずっとやり込んでるのに始めたばっかりの初心者に負けたら誰だってへこむよ。私だってそうだよ」

 

「うぐっ……でも、本気の勝負なのにわざと負けるなんて相手に……」

 

『負げ……ま゛げだっ……っ。ぐぞぅ゛っ……ひっぐ』

 

「……お兄ちゃん」

 

「…………」

 

 冷え切った視線を送ってくる礼ちゃんから逃げるように僕は顔を逸らした。

 

〈あーあ〉

〈あーあ〉

〈あーあ〉

〈兄悪魔さぁ……〉

〈気にすんなジンラス〉

〈女の子相手に……〉

〈あーあ同期泣かした〉

〈真剣勝負なんだからしゃあなし〉

〈自信のある分野で未経験者に負けんのはメンタルくるよなぁ〉

〈負ける時は負けるそれが格ゲー〉

〈センスあるやつには負けることもあるんだからジンラスは悪くねぇぞ〉

〈負けて心折れるようなら格ゲーなんざやってないから大丈夫よ〉

〈格ゲは弱い奴が悪いんだ〉

〈子羊さんたちがフォローにきとるw〉

〈子羊さんイーリイさんに厳しくて草〉

 

「あの、イーリイさん。そう落ち込まないで……」

 

『だっでっ……負げだら゛っ……お嬢とあぞびに゛い゛げな゛い゛っ……』

 

「そこですか……」

 

〈お嬢とオフに命かけてんのかw〉

〈必死すぎw〉

〈www〉

〈草〉

〈すまんなジンラスこういうやつなんだ〉

 

「そんなに悲しむくらい、私と遊びに行きたかったんですか?」

 

『うぐっ、ずびっ……っ。うん……お嬢に会いたかった……』

 

〈すまんけどかわいいな〉

〈かわいい〉

〈イーリイさんかわいい〉

〈かわいそうかわいい〉

〈イヴ虐いいな……〉

 

 いつもの激しい口調は賭けに負けたことで角がなくなり、会話の相手が推しである礼ちゃんということでとても素直になっている。常には目にできないイーリイさんのか弱い姿に、リスナーさんたちは開くべきではない扉を開きそうになっていた。

 

 その扉は閉じた上で鍵をかけてもらおう。

 

 すぐ隣で顔を引っ付けている礼ちゃんを窺ってみる。

 

「ねえ、礼ちゃん。お勉強とかで忙しいとは思うんだけど、どこかで時間作れないかな?」

 

『ジンラス!』

 

「大丈夫だよ。というか、そもそもこんな賭けにしなくても予定が空いてたら遊びに行くのに」

 

『お嬢!』

 

「ふふっ。よかったですね、イーリイさん」

 

『ああ! ありがとなジンラス!』

 

「あ、でも一つだけ条件があるんですけど、いいですか?」

 

『なんでも言ってください! セミ食ってこいくらいの命令でも今ならギリギリ引き受けられます!』

 

「言いませんよ……。そういう酷いことをするタイプの悪魔じゃありませんから、私」

 

〈せwみw〉

〈草〉

〈バケモンで草〉

〈引き受けちゃうのかよw〉

 

『うちでできる範囲のことならなんでも聞きますよお嬢!』

 

「お兄ちゃんも一緒なら、遊びに行っても大丈夫です」

 

「え?」

 

『えっ?』

 

〈大丈夫なんか〉

〈おお〉

 

 当惑する僕とイーリイさんを尻目に、礼ちゃんは続ける。

 

「だってイヴさん、私のスカート捲りたいとかって考えてるんですよね? さすがにそういう人と二人きりは……」

 

『くっそおおぉぉっ! なんでうちは馬鹿な妄想を口走ったんだ!』

 

〈草〉

〈草〉

〈草〉

〈身から出た錆w〉

〈草〉

 

「二人きりだとなにされるかわからないというか……。身の危険が……」

 

『しないしない! しないっすよお嬢! しないし言いません! というか、なぜその話を?! お嬢はその話は聞いてなかったはずじゃ?!』

 

「お兄ちゃん専属の優秀な切り抜き師がクリップをSNSにあげてくれてたんです。さっきの試合中にそれを見ました」

 

「ああ、めろさんが……。相変わらず仕事が早いなあ」

 

〈メロウ切り抜きchか〉

〈めろさんって呼んでんのかw〉

〈めろさん草〉

〈ほんまやw〉

〈タイトル『イヴ・イーリイの自供』で草〉

〈草〉

 

『自分の迂闊な口が憎い……』

 

「どうします? お兄ちゃんの同伴ありなら私はオッケーです」

 

『ぐっ……で、でも、ジンラスが一緒だとっ……』

 

「お兄ちゃんが一緒だとなにか不都合があるんですか? やっぱり変なことするつもりなんですか?」

 

『しないしないしないっす! すんませんほんとすんません! もう忘れてもらえると助かるんすけど?!』

 

「どうします?」

 

『っ……わかりました! ジンラスも一緒でいいんで、どっか遊び行きましょう!』

 

「わーい」

 

〈妹悪魔強すぎて草〉

〈お嬢かわいい〉

〈わーいかわいすぎかよ〉

〈押し切られとるw〉

〈草〉

〈イーリイさん相手なら大丈夫そうか〉

〈杞憂しかけたわ〉

〈もう荒らしは一掃したんだし大丈夫だろ〉

〈『自供』カード強すぎw〉

 

 ジン・ラースが女性Vtuberとオフで会う。その一点について過剰に反応するリスナーもいるかと思われたが、僕の配信のコメント欄を見る限りでは、そこまで気にする必要はなさそうだ。また配信が荒れるのではないか、と心配していた様子のリスナーが幾人かいるくらいで、直接的に言及するリスナーはいない。

 

 僕とイーリイさんの二人で会うわけではなく、礼ちゃんのついでというか、保護者として僕がいる、という構図なのが荒立たなかった一因だろうか。イーリイさんの性格やキャラクターも大いに関係してそうだ。

 

「…………」

 

 炎上騒動という前例があるので仕方がないのだけれど、少し僕もそのあたりの空気感の変化に関して神経質になってしまっているのかもしれない。

 

 しかし、神経質になるくらいで丁度いいとも思う。なんせ、この問題が大きくなった場合、僕だけで留まらないかもしれないのだ。礼ちゃんもイーリイさんも巻き込むことになるかもしれない。いろいろと反応は注視しておくべきだろう。

 

「……ごめんね、お兄ちゃん……。勝手に決めちゃって……」

 

『おいごらジンラスゥゥ! お嬢謝らせんなっつったろが!』

 

「大丈夫だよ、礼ちゃん。遊ぶにしても、どう遊ぼうか考えていただけで」

 

「そう? ……そっか、ならよかった」

 

 これは事実だ。オフで会うにしても、ゲームの趣味はかなり分かれているし、イーリイさんはどちらかと言えばアウトドア寄りの趣味をしている。

 

 運動とかできる施設に遊びに行くのはありかも、なんて考えている時に思い出した。

 

「そうだ。ツーリングとかいいんじゃないかな?」

 

『お? ツーリング?』

 

「イーリイさん、バイクが趣味って言ってたじゃないですか。それならアプリで通話繋ぎながらツーリングとかしても楽しそうかなって」

 

「イヴさんバイクが趣味なんですか? かっこいいですね」

 

『えへぇっ、いや、そんなそんな! ただバイク転がすのが好きってだけっす! お嬢もバイク乗るんすか?』

 

「はい。よくバイクで適当に走ったり、暑かったり寒かったりする時はドライブしたりしてます」

 

『へぇー! けっこう意が……それって、お嬢が運転しているわけでは?』

 

「もちろんないですね。バイクだとお兄ちゃんの後ろ、車だと助手席が私の定位置です」

 

「急に夜に『バイクでどっか連れてって』って言い出すもんね、礼ちゃんは」

 

「やっぱり気晴らしする時間って大事だよね」

 

〈てぇてぇ〉

〈てぇてぇ〉

〈ほんと仲良いなこの兄妹〉

〈てぇてぇ〉

〈悪魔兄妹しか勝たんのよ〉

 

『う、うちのバイク、乗り心地いいって地元のツレにもよく言われるんす。お、お嬢も……』

 

「私はお兄ちゃんの後ろに乗ります」

 

『判断早すぎますって!』

 

「イヴさんの後ろに乗ったら、強く抱きついてもらおうとして無理にスピード出しそうで怖いです」

 

「すっごい偏見だね」

 

『でもその可能性は否めない! くそぅっ!』

 

「とりあえずツーリングに行くことは決定したわけだし、どこに行くかとか日程とか、細部はまた詰めていこうか。もう予定の時間を若干オーバーしちゃってることだし、今回の配信はこのあたりでお終いにしましょう。イーリイさん、それでいいですか?」

 

『おう。……まさか格ゲーの手解きしたその日に四回も負けることになるとは思わんかった。最後なんか卑怯な手まで使ったってのに』

 

「やはり先生の教え方が丁寧だった、ということが大きかったのでしょうね。初歩の初歩、基礎の基礎から一つ一つ地固めしていく重要性を再確認できました。今日の配信を観れば、今回遊ばせていただいた格闘ゲーム『Strike Force』での基本をマスターできます。断言します。僕が証拠です」

 

『お前みたいな奴がそうそういてたまるかよ。それに格ゲー講座を(うた)うんなら、うちらは雑談が多すぎんだよ。雑談全カットすりゃあ、格ゲーの入門編としてはいい教材になるかもな』

 

「雑談しない僕たちなんて、お米の入っていない雑炊みたいなものじゃないですか」

 

『出汁効かせたお湯じゃねぇかそれ』

 

「ふふっ、くくっ……イーリイさんの切り返しは本当に気持ちいいですね。ふふっ、癖になります」

 

『そんな理由でボケまくってんじゃねぇよ』

 

「イヴさん、これはすごいことなんですよ! お兄ちゃんがこんなに頻繁にネタに走るなんて、よほど信頼されてないとないんですから!」

 

『い、いや、お嬢……。うち、そんなの求めてないっす……』

 

「誇っていいですよ!」

 

『誇っていいと言われても……。怒っていいって言われたらぜんぜん怒れるっすけど』

 

「礼ちゃんも加わったら一時間くらい簡単に雑談で溶けちゃうから、もうお別れの挨拶しましょう。終われません、このままだと」

 

〈ずっと聞いてたいw〉

〈今度は三人で雑談してくれ〉

〈オフも気になる〉

〈あと二時間くらい延長しようぜ!〉

 

『ああ、そうだな。うちもけっこう疲れたし。なんなら格ゲー講座始める前から疲れてたし』

 

〈そういえばたしかにw〉

〈笑い疲れとツッコミ疲れな〉

〈草〉

〈よく持ったほうw〉

 

「へえ、そんなに盛り上がってたんだ? あとからアーカイブ観よっと」

 

『お嬢、アーカイブ観るならジンラスのほう観るといいっすよ。うちのほう、配信開始が遅れたんで』

 

「そうなんですか? わかりました」

 

「イーリイさんは笑い過ぎて手元震えて配信用ソフトの操作が遅れてたんだ」

 

『お前のせいだけどなぁっ!』

 

「ふふっ……だって、あれは僕悪くないですから」

 

『お前が畳みかけてくっからっ……』

 

「はいはい。二人とも、配信閉じるんじゃなかったの? 話し始めてたらまた終われなくなっちゃうよ」

 

『……うす。すんません……』

 

「あ、そうだった。危ない危ない。それでは、これで『Strike Force』の初心者講座配信を終わりたいと思います。格ゲーを触ったことのない人、始めたけど操作方法がよくわからない人の一助になっていたら幸いです」

 

『ちなみに言っとくけど、ジンラスの呑み込みが異常に早いだけで本来はもっと(つまず)くところめちゃくちゃあるからな。コマンドは出そうと思った瞬間に出せるようになるまでめっちゃ練習しないと出ねぇし、コンボなんて実戦で使えるようになるまでに何回失敗するかわからん。こいつがおかしいんだ。ふつうはまともな試合ができるようになるまで時間がかかる。そういうもんだ。そこだけは勘違いしないでがんばってくれ』

 

「長いコンボの練習は、部分部分で区切って練習して慣れてきたら繋げていく、という方法が効率よかったですよ。何度練習しても同じところでミスしてしまう、という場合におすすめです。それでは、ここまでご視聴ありがとうございました。イーリイさんも、今日は教えてくれてありがとうございました。新鮮でしたし、とても楽しかったです」

 

『そうかい。うち的にはいろいろあったが、楽しんでもらえたのならまあいいや。てかジンラスお前本当にセンスあるから続けたほうがいいぞ。いや続けてくれ。お前くらい骨のある相手が身近にいねぇんだわ』

 

「いやあ……さすがに格闘ゲームばっかりはちょっと……。僕、街を守るという仕事もありますので……」

 

「お兄ちゃんは絶対国防圏(絶望圏)しすぎでしょ。一人でゲームしてる時はずっと絶望圏やってるじゃん」

 

『絶望圏?』

 

「絶望圏はやめてね。知らない方のために説明しますと『Absolute(アブソリュート) defense(ディフェンス) zone(ゾーン)』……絶対国防圏っていう、FPSゲームがあるんです。それの俗称が絶望圏と呼ばれてるんですよ。時間がある時は僕そのゲームに忙しいのです。ああ、また話が逸れている……終わります。本日の配信は『New Tale』の四期生、悪魔のジン・ラースと」

 

『また今度ジンラスには格ゲー付き合ってもらうけどな。強制連行する。えーと『New Tale』四期生、シスターのイヴ・イーリイと!』

 

「…………」

 

「…………」

 

『…………』

 

「礼ちゃんの番だよ?」

 

「えあうわ私も言うの?!」

 

『くはっ、わうわう言ってるお嬢かわええ……』

 

「……勝手に紛れ込んでしまいました『New Tale』二期生の悪魔、レイラ・エンヴィでした」

 

「はい、ありがとうございました。また次の配信でお会いできるのを楽しみにしております。それではこのあたりで。おやすみなさい」

 

『うーい、またなー、おやすみー』

 

「私、枠取ってないんだけどなあ……。あ、概要欄にあると思いますので、よければお兄ちゃんとイヴさんのチャンネル登録や高評価、SNSのフォローもよろしくお願いします。それではみなさん、お邪魔しました。おやすみなさい」

 

 僕たちの先輩にしてベテランの礼ちゃんが綺麗に締めくくったところで、配信を終了した。

 

『うーい、ジンラスおつかれー。お嬢も途中参戦ありがとうございました!』

 

「お疲れ様です、イーリイさん」

 

「お疲れさまです、イヴさん。枠も取ってない勝手に乗り込んできた私が終わりの挨拶に加わってるのも、なんだかおかしな話ですけど……」

 

『いやいやいや、全然おかしくないっす! あれでいいんす! お嬢が参加してくれたおかげで、うちのリスナーも盛り上がってたんで!』

 

「そ、そうですか? 迷惑になっていなければいいんですけど」

 

『迷惑だなんて言う奴がいたらうちが説教しとくんで安心してください! そいつの頭蓋骨かっ(ぴら)いて直接脳みそにお嬢のよさを叩き込んでやりますよ!』

 

「イヴさん、表現がグロいです……」

 

「普通に生きていて使う表現方法ではありませんね」

 

『えぇっ?! いや、もちろん冗談すよ? 本当に頭蓋骨かち割ったりしないっすよ?』

 

「そうですよね? 冗談ですよね? うん、わかってましたよ?」

 

『そのわりには疑問符多いっすね……』

 

「そうですよね。イーリイさんは鼻から入れるんですよね」

 

『当たり前だろ頭蓋骨割るなんて片付けが大変なことするわけねぇだろ鼻からちゅるちゅるっと流し込ばかやろうが。やってること大差ねぇんだよ』

 

「ふふっ、くふふっ……」

 

「イヴさん、今日初めて話したとは思えないくらいお兄ちゃんと相性いいですね。こんなにお兄ちゃんが人に振るところなんて初めて見ましたよ。めちゃくちゃ笑ってますし」

 

『やめてくださいお嬢。そいつはきっとうちのこと守備範囲の広い球拾いくらいにしか思ってないっす』

 

「あははっ。好きだなあ、僕。イーリイさんのワードチョイス」

 

『褒められてこんなに嬉しくないことってあるんだな。初体験だわ』

 

 一旦落ち着くために一呼吸して、居住いを正す。

 

 イーリイさんと話していると楽しくなってしまって本題から離れていってしまうことが問題である。

 

「ふう……。ところでイーリイさん。一つ、お伝えしておいていいですか?」

 

『あ? なんだよ改まって……怖ぇな』

 

「コラボ誘ってくれて、ありがとうございます」

 

『……しっかり怖いこと言ってきやがった。なんだ、なにを企んでやがる』

 

「何も企んでませんよ。誘ってもらえたことが嬉しかったというだけの話です。どれだけ同じ箱の人と仲良くしたいと思っていても、まだ僕からは誘えませんからね」

 

『細かいこと考えんな、とは言えねぇからな……こればっかりは。不用意な発言すれば最悪、相手に迷惑がかかるかもしんねぇわけだし。ま、一旦うちとのコラボは成功したわけだし、まずはここからゆっくり同期連中とコラボできる機会を探っていこうや』

 

「やっぱりそういう目的もあったんですね。僕としてはとても助かります」

 

「そういう目的って?」

 

 礼ちゃんの質問に、コミュニケーションアプリのラグを感じさせない反応速度でイーリイさんが答える。

 

『ジンラスが急に四期生の女連中と絡み出したら、うるさく言ってくるリスナーもいるかもしれないじゃないっすか。うちとのコラボを挟んでいけばリスナーも慣れてくれるんじゃないかなっていう考えっす』

 

「急にやり方を変えれば驚いたり不安になったりするリスナーさんもいるだろうからね。段階を踏んで慣れていってもらえたらいいなって思ってたんだよ」

 

『その点、うちは便利な位置にいるんす。アーニャたちともジンラスとも近い。言えばアーニャたちとジンラスの中間地点にいるようなもんっすから』

 

「僕が直接関わりに行くと相手のリスナーさんたちは拒否反応があるかもしれないけど、イーリイさんに仲立ちしてもらえたらアールグレーンさんたちとも仲良くできるんじゃないかなってね」

 

「はー、なるほど。……あ! それなら私も、私の同期たちとコラボできる場をセッティングするよ!」

 

『いや……それは』

 

「二期生の先輩方とはまた話が変わってきちゃうかもね」

 

「えー、なんで? 一緒に遊ぶゲームがない、とかって意味じゃないんだよね?」

 

「うん。四期生とのコラボだと『ジン・ラースは同期だから』っていう名目を一応立たせられるけど、二期生の先輩方相手だと関係性が遠いんだ」

 

『妹を使って二期生に近づこうとしてる、とかは言われるかもしんないっす。一番悪いのはお嬢にヘイトが向くかもしれないとこっす。二期生にジンラスを繋げたとかって』

 

「そんなこと……ない、とは言えないですけど……」

 

「先輩方とコラボするのは、僕がもう少しリスナーさんたちから信用されてからだね」

 

「むう……」

 

『順序的にも同期とコラボしてからってのがふつうだしな。ジンラスの場合はイレギュラーだけど』

 

「同期は身内と考えるなら、捻りもなく実際に身内である礼ちゃんとコラボするのは道理ですね」

 

『はっは、それもそうだな。でも大丈夫っすよ、お嬢。ジンラスが自由にコラボできるようになった時には、先輩たちにジンラスを紹介することになるんすから』

 

「早くそうなったらいいなあ……。私、同期にもお兄ちゃんの話いっぱいしてるんですよ」

 

『あははっ、見たことあるっすよ。お嬢からめっちゃお兄さんとの惚気話を聞かされた、っていう同期の人たちの切り抜き』

 

「ゲームすっごい上手いんだよっていう話もしましたよ」

 

「また知らないところでハードルが上がってる……。期待を裏切ってしまいそうでお会いするのが怖くもあるよ」

 

『あんだけFPSできりゃ十分だろ。てか格ゲーも初めて触ってうちに勝てるくらいなんだからゲーム上手ぇよ』

 

「わあ、イーリイさんから太鼓判いただきました。これからは胸を張って格ゲー上手いですって言っていきます」

 

『おお、その調子でどんどんうちと格ゲーやってくぞ』

 

「すみませんでした」

 

『逃げんじゃねぇ。逃がさねぇぞ』

 

「ふふっ。よかったね、お兄ちゃん。同期の人と仲良くなれて」

 

「そうだね。格ゲーという沼に引き摺り込もうとしてくるのはどうにかしてほしいけど」

 

『仲良く……』

 

 仲良く、というワードにイーリイさんは引っ掛かったようだ。尻すぼみに声が小さくなっていた。

 

 僕自身、イーリイさんとは親しくなれたと思っていただけに衝撃的だ。

 

「えっ……な、仲良くなれて……ませんか? すみません……僕、人との距離感とか(はか)れなくて……」

 

「仲良くなれてたよお兄ちゃん! あんなに話盛り上がってたのに仲良くないわけないよ! ちょっとイヴさん! お兄ちゃんは人間関係に繊細なんですから発言には気をつけてください!」

 

 礼ちゃんのフォローも僕のメンタルを削ってきているのだけれど、本人は気づいているのだろうか。

 

『そうだよな……仲良くなった。配信も楽しかったしなぁ……頭痛くなるくらい笑ったし。たった一回……三時間程度話しただけなのに、こんなに距離が縮まるなんて思わなかったんだよなぁ……』

 

 少しマイクから口元を離したような音量の下がり方だった。

 

 まるで諦観するような、イーリイさんからは聞くことのなかった声音。

 

「どうしたんです? イーリイさん?」

 

「あの……イヴさん?」

 

 礼ちゃんからの声かけにも応えずに、イーリイさんは一つ大きく深呼吸して、熱量の下がった口調で言う。

 

『……悪い。うち、お前を利用しようとしたんだ』

 




次はイヴ・イーリイ視点です。


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『誰よりも気高く輝いている』


ちょっと長め。


「……悪い。うち、お前を利用しようとしたんだ」

 

 わざわざ言う必要はないのかもしれないけれど、それでも言わずにはいられなかった。

 

 Vtuberとしてデビューしてから何回も配信してきた。アイニャやウィーレ、エリーとも、他の先輩ともコラボ配信はしてきた。

 

 それでも、ジンラスとの配信が一番楽しかった。頭が痛くなるくらい、息切れしたくらい、声が嗄れるくらいに笑った。

 

 べつにアイニャたちや先輩たちとのコラボ配信がつまらなかったわけではない。一緒に『Island(アイランド) create(クリエイト)』で装備作ったり家を建てたり、パーティゲームとかをするのもおもしろかった。

 

 ただ、それ以上にうちの性格的に男とのほうが話しやすいというのが大きかった。そういう性分なのだから仕方がない。女の子相手だと乱暴な言葉遣いができないぶん、会話に気を遣ってしまうのだ。

 

 ジンラスが相手なら言葉遣いに神経質にならなくてもよくて楽だった。荒っぽくツッコんでも問題ないし、小ボケも拾って返してくれるので安心してふざけられる。ジンラスは『New Tale』を観ているリスナー層とは違う層を取り込んでいるので、リスナーを気にして話題を考えることもしなくていい。

 

 配信中ずっと会話が途切れることがなかった。格ゲーの操作を教えている時でさえ、気を抜けば話が脱線するほどに話を振ってくるのだ。格ゲーにはまったく関係がない、雑談でしかない話だったが、率先して喋ってくれるのはとても気が楽だった。楽しかった。

 

 コラボに誘った時の薄汚い考えを忘れてしまっていたくらい、とても楽しかった。

 

 ジンラスのコミュ力のおかげだが、すぐに打ち解けることができた。仲良くなることができた。

 

 ならば、黙ったまま付き合いを続けるのは裏切りにも等しいのではないだろうかと、そう考えてしまった。

 

 うちが企図していたことを打ち明けることで嫌われるかも知れないけど、それでも隠し事をしたままでは自分の気が済まなかった。

 

「……同期とコラボしたかったってのは嘘じゃあねぇし、四期生全員で集まりたいってのも本心だ。でもそれがすべてってわけでもねぇ。数字稼ぎのためにジンラスを利用しようと考えたのもたしかだ。姑息な算段があった。……悪い」

 

 デビューしたのは同じ日なのに、四期生の中で一番チャンネル登録者数が低い。なんならジンラスは界隈の歴史に名を刻むくらいの規模でデビュー配信から大炎上した。それにも拘わらず、うちが一番低い。でもうちの性格というか気性というか、有体に言えばキャラクター的に、かわいらしい女の子然としたライバーを観たくて『New Tale』のライバーの配信を観ているリスナーには受け容れてもらえない。それなら『New Tale』唯一の男ライバーで数字も持っているジン・ラースと絡んだほうが得るものがあるのではないか。そう考えてジン・ラースにコラボしないかと誘った。

 

 うちのそんな冗長な懺悔を、ジンラスもお嬢も黙って聞いてくれた。

 

 自分の弱くて醜い部分なんて他人に知られたいことではない。とくにお嬢なんて一番聞かれたくない相手だけれど、それでも黙ったまま隠し通すという判断はうちの中にはなかった。

 

 話し終わって、うちは断頭台に首を固定されたような気分で二人が口を開くのを待つ。

 

 先にうちの耳朶(じだ)に触れたのは、凛として冷淡なお嬢の声だった。

 

『私は』

 

「……はい」

 

『私は、嫌な気持ちになりました。お兄ちゃんを利用しようとした……ううん。利用したこと、おもしろくないです』

 

「……まぁ、そりゃそっすよね……」

 

 冷め切ったお嬢の言葉に、うちは声を震わせながらそう返すことしかできなかった。

 

 ジンラスが炎上していた時、その真っ只中へと真っ先に飛び込んで行ったのがお嬢だ。同じ箱の誰からも助けてもらえない中、独りっきりで矢面に立っていたジンラスを、自分も誹謗中傷に晒されることを理解していながらそれでも支えに行ったのがこのレイラ・エンヴィという女の子だ。

 

 一番苦しかった時期に手を差し伸べてくれなかったくせに、自分の利になるとわかった途端に擦り寄ってくる人間なんぞ、(わずら)わしくすらあるだろう。不快極まりないはずだ。

 

『利用っていう表現が適切じゃないと僕は思うけど。言い換えれば「数字の共有」ってことだよね。同じ事務所に所属するライバー同士で数字を共有するのはよくあるって、どこかのサイトで見たことあるよ? 僕のチャンネルの登録者だって眷属さんが多くいると思うし。そういう意味では、僕とイーリイさんは同じだよね』

 

 当の本人はなにも感じていなさそうなトーンで、雑談している時とまるで変わらない口調で、うちを擁護するようなことを言う。

 

 人並みの神経をしていれば『利用した』なんて言われたら多少は嫌悪感を抱きそうなものだが、一般人と同じ枠で語れないジンラスならば本当になにも気にしていないのかもしれない。

 

『「数字の共有」……それはたしかにあるとは思うよ、私の登録者数も増えたしね。眷属さんがお兄ちゃんのチャンネルを登録したのと同じように、お兄ちゃんの配信を観ているリスナーさんが私のチャンネルを登録してくれたんだと思ってる。それで言ったら私もイヴさんと同じだとは思うよ。でも……すぐに折り合いをつけられない感情があるんだよ。だって……だってっ、一番大変だったっ、時に……っ』

 

『それは配信の前にイーリイさんと話して、もう済んでるよ。あの時は沈黙が正解だった。何かアクションを起こされていたら、かえって僕が大変なことになってたからね』

 

『わかってるっ……わかってるよ。事務所からも通達があった。誰もお兄ちゃんに接触できる環境じゃなかったのも理解してる。あれだけ条件整えて兄妹って証明してもぎりぎりだった。お兄ちゃんがコントロールしてくれてなきゃ私だってたくさんひどいこと言われてたってこともわかってる。他の人が介入できる余地なんてなかった。わかってるっ。それでもっ……もやもやするのっ』

 

 条件だとか、証明だとか、コントロールだとか、よくわからない文言が並んでいる。うちは話についていけてないのだけれど、どうやら兄妹間では通じているようだ。

 

『もやもや……うーん。それはいったいどういう感情なんだろう。不快? 嫌悪? 辟易? 倦厭? 憂鬱、は違うか。怨恨、と言うと過剰みたいだね。なんだろう? もやもや……もやもや……』

 

『……お兄ちゃんには縁遠い気持ちかもね』

 

『気持ちの表現や感受って難しいね』

 

 まるで人の心を学びに人間界に降りてきた悪魔みたいなこと言ってんじゃねぇよ。

 

「あー……お嬢。オフで会うって話、あれナシってことにしましょうか」

 

 うちからお願いしたのにこんなこと言い出したくなかったけれど、うちから申し出たことだからこそ、うちからなかったことにするべきだとも思った。

 

 不快に思っている奴と出かけるなんて気分が悪くなるだけだろうし、いざ対面してぎこちなくなるのも悲しい。バラしたほうがお互い、精神的に楽だろう。

 

 オフで遊ぶことをリスナーにも言ってしまっているが、そこは予定が合わなかったとかどうとか理由をつけることにしよう。

 

『え? どうして? 遊びには行きますよ』

 

 せっかく推しに会えるまたとない機会だったのにな、などと内心へこんでいると、お嬢はそんな思いがけないことを言ってきた。

 

「いや、だって……嫌な奴と遊びに行っても、気分悪くなるだけなんじゃ……」

 

『……いつ私がイヴさんのこと「嫌な奴」だなんて言いましたか?』

 

 想定していなかった返答に動揺しながらお嬢に返答したら、さっきされた冷え切った声よりもさらに冷たい、凍てつくような声が返ってきた。音的には低くて重いのに、凛として鋭かった。お嬢、そんな怖い声出せるんすか。

 

 うちのパニックは最高潮に達している。でもお嬢に訊かれている以上、答えないという選択肢は眷属にはない。

 

 詰まりながらも、どうにか言葉を絞り出す。

 

「え、あ……いや、もやもやするって……」

 

『嫌いだったら「嫌い」って言うよ。遊びに行きたくなかったら「行きたくない」って言う。どっちつかずだから「もやもやする」って言ったんです! お兄ちゃんを利用したのはおもしろくないって思ったよ! 正直むってなった! でも、同期で一番チャンネル登録者数が少ない、みんなに置いてかれたくない、どうにかしたい、なんとかしなくちゃって悩んじゃう気持ちも私はわかるからっ! だから嫌いになれないのっ!』

 

「……あ」

 

 お嬢──レイラ・エンヴィは、ジンラスのデビュー少し前までは『New Tale』の中で特別目立った存在ではなかった。

 

 深窓の令嬢然としたお嬢の外見と、男受けをまるで気に留めない素っ気ない声音、リスナーへの冷淡な対応、それでいて嬉しいことがあった時には無邪気に喜ぶところにうちはどハマりしたわけだが、『New Tale』のリスナーの多くはそうではなかった。今でこそお嬢は一期生の大先輩たちに追随するほどの伸びを見せているが、ジン・ラースがデビューするまでは同期で一番下どころか、後輩にも追い抜かれていたくらいだった。

 

 お嬢は箱内での企画とかコラボ以外では自分の好きなように好きなゲームをしていたし、チャンネル登録者数なんて気にしていないのかと思っていた。ついてきてくれるリスナーだけで満足しているのかと。

 

 お嬢もうちと同じように、同期と見比べて悩んだりしていたのだろうか。

 

『人の感情なんて「好き」と「嫌い」の二つだけで分けられないでしょっ?! イヴさんまでお兄ちゃんみたいなこと言わないで!』

 

「お嬢……」

 

『え、どうして僕に矛先向いたんだろう……今関係なかったはずなのに……』

 

 うちなんてお嬢からしてみれば、一番辛かった時期は素知らぬ振りをしていたくせに都合のいい時だけ近づいてくる厄介者にも見えたはずだ。

 

 それなのに、嫌われてもおかしくないことをしたのに、お嬢はうちの事情を斟酌(しんしゃく)してくれた。気持ちを汲み取って、理解に努めてくれた。

 

 お嬢の優しさが、荒みそうになっていた心に沁みるようだった。

 

『イヴさんのこと「好き」とも「嫌い」とも言えない「わからない」っていう状態です。まだ全然イヴさんのこと知らないんだもん。だから今は判断保留! これから考えることにします』

 

『今度遊びに行くんだし、その時になにかわかるんじゃないかな、きっと』

 

『そうだね。同じ箱にいるわけだし、それにお兄ちゃんと仲良いんだから、これからは私とも長い付き合いになると思うしね。その付き合いの中で見えてくるものもあるよね』

 

「お嬢……ありがとうございます」

 

 今は判断保留というか、執行猶予処分みたいな感じなのだろうか。ジンラスを利用した輩のことを、お兄ちゃんのことが大好きなお嬢が許すなんて稀有な判例だろう。この処分は情状酌量してくれたかなりの温情なのだ。これからの行い次第で信頼を取り戻せるかもしれないというだけで、うちからすればありがたい話だ。

 

『仲、良い……仲良いで、い、いいんですよね? イーリイさん?』

 

「これで仲良くなってないんなら『仲良し』のハードルは相当高くなるぞ」

 

 うちとお前マブダチだぜ、みたいなことを直接的に言うのが気恥ずかしくて迂遠な言い方をしてしまった。

 

 だって、仲良くなったからといって『自分ら仲良くなりましたよね?』などと相手に確認したりなんてふつうはしない。『今この瞬間からあなたと私は友人です』みたいに宣言するものでもない。

 

 よく考えたことはなかったけど、友だちという関係はそういう曖昧なお互いの認識で成り立つものなんだなぁ。そういえば配信中、ジンラスは友だちがいないとかなんとかって言っていた。なんでコミュ力高いくせに友だちいないんだ。

 

『仲良い……ふふ。友人、二人目だ……ふふふ』

 

 口角が上がっていることがわかる声で、ジンラスは嬉しそうにしていた。独り言のように呟いていたので冗談ではないのだろう。その喜びようは微笑ましいものがあるけれど、内容は涙を禁じ得ない。

 

「お前はなにも思わないのかよ。おい、ジンラス。当事者だろ」

 

『思わないですね。数字の共有は当たり前のことだと考えていましたし。炎上していた時に何もしてなかったのに云々については配信前に話しましたしね』

 

「……数字のために利用されたって聞いて、むかついたりしないのかよ」

 

『利用という話なら僕もイーリイさんのことを利用したようなものです。おあいこですね』

 

「お前の言う利用ってのは、同期全員でコラボできるようになるまでの段階踏みってことだろ。うちのやってることとはまるで違ぇ……まぁ、お前は数字の多い少ないなんか大して気にはしないか」

 

『いえいえ、僕だって気にはしていますよ。たしかにデビュー当初はそうでもありませんでしたけど』

 

「へぇ、意外だな。いや、配信者なんだから気にしてるのは当然っちゃ当然なんだが……」

 

 内心では、ジンラスみたいな奴はチャンネル登録者数が何人増えたとか意識していないのかと思っていた。声やゲームの腕といった配信者としての魅力に加えて、こいつの振る舞いというか、やってきたことの規模が大きすぎるから、勝手に超然としたような人物像を作り出してしまっていたのかもしれない。

 

 とんでもない奴であることは確かだが、あくまでも人間には違いないんだ。数字が増えたことで満たされる承認欲求みたいなものもあるのだろう。

 

『チャンネル登録者数や同時接続数で、一定の水準まで意思が統一されているリスナーの数が可視化されているというのは、何かしらのアクションを起こす上で良い判断材料になりますからね』

 

 急に話がわからなくなった。途中までは数字について話していたはずなのに、いきなり内容がまったく頭に入ってこなくなった。

 

「……ん? それは、どういう……」

 

『い、イヴさん、あまり気にしないでください。お兄ちゃんはたまにこういう回りくどい言い回しをするので』

 

 ぱしっ、みたいな乾いた音とジンラスの小さな呻き声のあと、お嬢が説明してくれた。

 

「そ、そうなんだ……。まぁ……ジンラス変わってるしな」

 

『ええ、そうです。お兄ちゃんはちょっとだけ人とは違うんです。そういうところが出ちゃいましたね、えへへ』

 

『……と、とにかく、利用したとかどうのこうのっていうのは気にしてませんよ、ってことです』

 

「そう……そうか」

 

『今日の配信、とても楽しかったですよ。たくさん笑いました。楽しいのが一番です。そういうことです』

 

 つまりは、これ以上気にすんなよ、ということなのだろう。またコラボする時があっても罪悪感とかで言葉を選んだりせず、今日の配信の時と変わらない距離感で接してくれよ、と。

 

「ははっ、そうだな。……うちも楽しかった」

 

 人とちょっとずれてる感性を持つジンラスなりの気遣いなのだろう。いろいろと常識から外れてはいるけれど、基本的な性根は善良だ。兄妹そろって優しいというのは、育ち方によるものなのか。

 

『あ、でも一つイーリイさんに訊きたいんですけどいいですか?』

 

 しなきゃいけない話もし終わったし、そろそろお開きかと思っていたらジンラスが切り出してきた。

 

「お? なんだよ」

 

『僕をコラボに誘ってくれたのは同期全員でのコラボと数字のためってことでしたけど、そこまで数字に固執するのはどうしてですか?』

 

「っ……」

 

 どくんっ、と視界が揺れる。思いも寄らぬ方向からの追及に肩が跳ねた。

 

『それが同期の子たちと登録者の数が離されちゃったから、っていう理由だったんじゃないの?』

 

『僕もそうだと思ってたんだけど、僕たち四期生はまだデビューしたばかりだし、そこまで焦る必要もないと思ってたんだよね。以前の礼ちゃんみたいに同期と十万人とか二十万人とか差があるわけじゃないし、後輩がデビューして追い抜かれたってわけでもない』

 

『なに? 揶揄(やゆ)してる? 一時期後輩には追い抜かれ、同期とはダブルスコア差があった私のことを揶揄してるの?』

 

『ち、違う違う。深い意味はないよ。僕はただ、これからの活動次第で転機なんていくらでもあるだろうし、まだ焦燥感に駆られる時期には早いんじゃないのかなって言いたいだけだよ。その転機として僕が選ばれたっていうこともあるのかもしれないけど、少しだけ違和感があったんだ』

 

 同期と数字の差があって置いて行かれたくないから、と理由をつけられればふつう疑問を抱かないだろう。

 

 どうして他にも理由があるなどという考えに至るのか。

 

「……いや、あー、うー……」

 

 心臓が早鐘を打つ。心拍数が上がっている。

 

 言ったほうがいいのか。言わないといけないのか。誰にも言っていないのに、親にも地元の友だちにすら話していないのに、今日初めて通話したジンラスに話すのか。

 

『イヴさん……まさか、まだなにかあるんですか?』

 

 葛藤と戦っていると、疑惑の目を向けていると確信できる声色でお嬢に疑いをかけられた。

 

『言いたくないこともあるだろうし、そう無理矢理に聞き出そうとするものじゃないよ、礼ちゃん。僕の好奇心で訊いただけなんだから』

 

『むう……』

 

 ジンラスはフォローしてくれたけれど、そんな中途半端なフォローをするくらいなら端から質問しないでほしかった。これではうちの心証が悪くなっただけだ。

 

 今うちはお嬢の『好き』『嫌い』カテゴリのどちらに入るか選別途中みたいなものだ。あまり悪いイメージを持たれたくない。

 

「いや……おっけ。おっけおっけ。わかりました、話します」

 

『イーリイさん、抵抗があるのなら別に無理には……』

 

「うるせぇ。いい。話す」

 

 呼吸を整えて、覚悟を決める。

 

 鏡がなくても自分の顔が真っ赤になっているのがわかるくらい、顔が熱い。

 

「っ……夢が、あるんだ」

 

『……夢?』

 

 兄妹が完全に同じタイミングで復唱した。声のトーンといい、イントネーションといい、まるっきり同じだった。本当に仲がいいな。

 

 兄妹仲の良さに一瞬のほほんとしながら、意を決して話を続けようとしたら、うちがのほほんとしている間にジンラスが先に口を開いた。

 

『もしかして歌手になること、とかですか?』

 

『え?』

 

「なっ……」

 

 ジンラスはピンポイントで的を射た。なんなんだこいつ、どうなってんだ。

 

『違ってました?』

 

「い、いや……そうだよ。合ってる。でも……なんで、わかったんだ。配信でも言ってねぇぞ、うち」

 

 デビュー配信では『歌にも興味はある』くらいしか言及していない。歌とか音楽の話題についてはアイニャたちと同じ程度にしか触れていなかったし、これまでの配信でもゲームや雑談の配信ばかりで歌枠などは取っていなかった。

 

 うちが音楽に興味があることなんて仄めかしていないのに、どうして気づけるのだ。

 

『夢があって、Vtuberでも叶えられるかもしれないものとなると候補は絞られますからね。同期のアールグレーンさんたちをとても大事にしてますし、他者を蹴り落としてでも配信者として有名になってやる、というような野心も感じられませんでした。なにより、音響関係への気の使い方が並外れているように感じましたから』

 

「……音響への気の使い方?」

 

『PCもコミュニケーションアプリの設定もしっかりやっているみたいですし、マイクにも注意しているようですね。僕が驚いたのは、防音や吸音にとても気をつけているところでしょうか』

 

「わかんのかよ」

 

『配信中あれだけ声を張り上げていたのに音が反響することがなかったんですよね。逆に静かに格ゲーの操作について教えてくれている時にも、環境音が聞こえませんでした。お住まいが閑静だとしても、マイクが高性能なので少しくらいは音を拾うことがあってもよさそうなのに、まるで聴こえなかった。なのでおそらく今いらっしゃるお部屋には防音材や吸音材をしっかり設置されているのだろうな、と』

 

 自分の部屋をぐるりと見渡す。もとからそれほど広くはない配信用の部屋。壁には防音材を貼ってその上から吸音材で覆っている。そのせいで一回り以上狭くなっている。

 

 『New Tale』からデビューする前に、収録用として使っていたのがこの部屋だ。近隣住民に迷惑にならないように、収録した歌にノイズが入らないようにと整えた。

 

 こういう音周りの気配りは人一倍している自負はある。

 

 だとしても、通話を繋いで喋っていただけでそんなことがわかるものなのか。

 

「お前……どんな耳してんだよ」

 

『おや、当たってました? ふふっ、うれしいですね。聴覚には自信があるんです。ちょっと前に、切り抜きを作ってくれている方と通話していた時には相手の最寄駅を言い当てたくらいなんですよ』

 

『えっ……それは、お兄ちゃん……』

 

「こわ……」

 

『……あ、あれ? すごいなー、ってなる流れじゃない?』

 

『うん……。耳がいいのは私も知ってたしFPSとかでも有利になるけど、あまり深く突っ込んで話さないほうがいいかも……。苦手な人だとどん引きなんて騒ぎじゃなくなる』

 

「……怖ぇよ」

 

『……わかりました。なるべく言わないようにします……ごめんなさい』

 

 ジンラスのいつかの配信を切り抜いた動画のコメント欄に、ジンラスの聴覚の鋭敏さについて触れていたコメントがあったことを不意に思い出した。なるほど、たしかに人智を超越したレベルで聴覚が鋭いようだ。

 

 こいつがタチの悪い人物じゃなくてよかった。この耳のよさは悪用しようと思えば如何様(いかよう)にでも悪用できてしまう。まさしく人外じみた地獄耳だ。

 

『……いや、今はイーリイさんのお話を聞く時間です。それだけ設備が整っているということは、以前から歌を投稿していたんですか?』

 

「ん……まぁな。今活動しているプラットフォームとはべつのとこでやってた。そっちで芽が出なくて、試しに『New Tale』に応募してみたら通っちまった。それならVtuberとして知名度を上げて、そこから歌を主軸にやっていけたらな、なんて甘いこと考えてたんだよ。魅力がねぇから芽が出なかったってのに……うちの歌で人の心を動かしたいとか、そんな身の程知らずな夢を見てるんだ。結果はこのザマだ、情けねぇ」

 

 Vtuberとして有名になって、音楽をメインに活動していくのが目標だった。

 

 でも目標ばかり高くて、なにも成果は表れなかった。昔と同じだ。うち自身に、強烈に人を惹きつけるようななにかがないから、有り体に言えば魅力がないから、結果がついてこない。いくら歌の練習に励もうと、ミキシングの勉強を重ねようと、結局は凡人の域を出なかった。

 

 そして自分の力では現状の閉塞感を打開できないと諦めて、恥も外聞もなく、プライドも捨てて、一番苦労していた時に助けようともしなかったジンラスの人気に縋っている。

 

 ああ。本当に、情けない。

 

『……夢』

 

 ぽつりと、ジンラスが呟いた。

 

 誰に聞かせるつもりでもなかったように。これまで配信中にも、お嬢とお喋りしている時にも聞いたことのなかったトーンだった。

 

「なんだよ。なんか文句でもあんのか?」

 

『いい、なあ……』

 

 気のせいかもしれないほどわずかに、でもうちの耳がおかしくなっていなければたしかに、声を震わせながらジンラスはそう言った。

 

「いいって……なにが?」

 

『夢。自分の歌で誰かの心を動かしたい……そんな一途で美しい夢。僕は、感じたことがない。……羨ましいよ、本当に』

 

 羨望や嫉妬のような、あまりにもジンラスらしからぬ暗くて濁った感情が言葉に滲み出ていた。

 

 誰の目から見ても非凡なジンラスが、そういった凡庸な人間的感情を持ち合わせているだなんて思わなかった。あるいは平凡という枠組みから逸脱する異質な才能があるからこそ、普遍的な感性を希求するのか。

 

「……お前が言うほどに大層なもんじゃねぇよ。一途はさておくとして、美しくは絶対にねぇしな。血反吐撒き散らしながら地べた這いずり回って泥水啜るような思いでやっても、それでも自分の実力だけじゃどうにもならなくて……お前の人気のおこぼれに期待した。お題目は綺麗でも、やってることは汚ねぇよ」

 

『イーリイさんの性格を鑑みるに、できるのなら正々堂々自分の力で叶えようとしたはずだ。打ち明ける必要はなかったのにわざわざ僕を利用しようとしたことを話したくらい、一本筋が通った人だから。でもその信条を曲げてでも夢を叶えようとしている。それほどの熱量を傾けられる夢があること、僕は羨ましく思うよ。それほどまでに必死に形振り構わず目指すものがあることが、僕にとっては目がくらむほど眩しくて……羨ましい』

 

 ずっと飄々としていたあのジンラスが悔しさや苛立ちめいた感情をかすかに声に含ませて、それなのに途中で言い止めることなく続ける。

 

『魅力がないなんて、嘘や冗談でもそんなこと言わないでほしい。どれだけの苦労を負おうと夢を追うあなたの姿は、誰よりも気高く輝いている』

 

 恥ずかしげもなく、照れるそぶりもなく、言い淀むこともなく、ジンラスはそう締めくくった。

 

 うちの語る夢なんて、それこそ夢物語のように途方もなくて、取り留めもなくて、現実味もない。

 

 そんな無謀な夢を笑わずに、(こす)っからいやり方を非難もしないで、夢を叶えようとしているうちの努力を認めてくれた。

 

 いや、認めるどころか、という話だ。

 

 滑稽なくらい無様に足掻(あが)いている姿を見て、褒めてくれた。他人にどう思われようと、なにを言われようとも叶えたい大きな夢がある。そう理解してくれているからこその言葉だった。

 

 こんなふうに誰かに理解されて応援されたことなんてこれまでの人生で一度としてなかったものだから、なんだろう、感情の置き所に困る。

 

 端的に言えば。

 

 少し、泣きそうだ。

 

「っ……そんな恥ずいこと、よく素面(しらふ)で言えんなぁ、お前……」

 

 恥ずかしさがあった。照れくさくもあった。なによりジンラスの前で、ジンラスの言葉で泣きそうになってる自分を知られたくなくて強がった。

 

 だが、場の空気を冷やすようなことを言っても、ジンラスはなんら変わることがなかった。

 

『恥ずかしいこと……そういうものなのかな。黙っていても伝わるのならそれでいいんだけど、でも自分が何を思ってどう感じたかは……言葉にしないと人には伝わらないから。だから僕は、自分の気持ちを相手に伝える努力をするだけだよ』

 

 言葉にしても思っていることの全てが伝わらないこともあるし、みんながみんな額面通りに受け取ってくれるわけでもないけどね。などとジンラスにしてはめずらしく自嘲気味に付け足していた。

 

 誰しも思い出したくない過去とか、人生観を変えるきっかけみたいなものがあるかもしれないが、こんなふうに言うということはジンラスも相当な出来事が昔あったのかもしれない。

 

 これからさらに仲良くなれば、そんな昔話もしてくれるのかね。

 

「あぁ、はいはい。おっけ、わかったよ。つまりはうちの夢を応援してくれてるって捉えていいんだな?」

 

『うん。応援しているし、僕はイーリイさんが魅力のある人だとも思っている、ってことだよ』

 

「ぅあっ、だ、だあぁっ! うっせぇ! 黙れ!」

 

『……お兄ちゃん? お兄ちゃんはべつに同期の女を口説(くど)いているわけじゃないんだよね?』

 

『口説く? そんなつもりはないけど……もしかして昨今は、落ち込んでいる人を慰めたり頑張っている人を応援することを口説くって表現したりする? だとしたら口説いてるのかも……』

 

『いや、そんな昨今は私も知らない』

 

『そうだよね? よかった。それじゃあ胸を張って口説いてないって言えるよ』

 

「なんで言葉の意味が変わった可能性まで考慮してんだよお前は。『口説いてない』この一言で済む話だろ」

 

『お兄ちゃんは人付き合いが皆無に等しいのでたまに面倒なことになる時があります。イヴさん、気をつけてくださいね』

 

『乏しいとかじゃなくて皆無とまで思われているんだ僕……。たしかに最近までご近所付き合いくらいしかやってなかったけど……』

 

 問題の大部分はジンラスの交友関係の規模云々よりも、人付き合いの仕方にあると思う。

 

 ジンラスがうちにしていたように、落ち込んでいる時に慰めたり、本人が気にしている部分をべた褒めしたり励ましたりしていたら、まともな女ならころっと好意を寄せかねない。ジンラスみたいな奴、世に解き放ったらとんでもないことになる。よかったな、うちがまともじゃなくて。

 

「ジンラスは本当になんもねぇの? そういう、これだけは成し遂げたい目標、みたいなもん」

 

 自分だけ話して、挙句の果てに慰められたことが無性に悔しく感じてきたのでジンラスにも振ってみる。

 

『目標……すぐに思い浮かばない時点で、僕は目標や夢というものから縁遠い存在なんだな、ということを自覚してしまうけど……。あ』

 

『え? なにかあるの?』

 

「お、なんだ、思いついたか?」

 

『死ぬ前に礼ちゃんの花嫁姿は目に焼きつけたい』

 

『っ! っ!』

 

『礼ちゃんっ、黙って殴らないでっ……』

 

「だははっ! あはははっ!」

 

 ぼふ、どふっ、と質量感のある音がマイク越しでもわずかに聞こえる。どうやらお嬢に殴られているらしい。くぐもったジンラスの声も時折届いてくる。

 

『そういうのじゃなくて! お兄ちゃん自身の目標とかの話でしょ!』

 

『だって、思い浮かばないんだよ……』

 

 ジンラスは我欲みたいな欲望は薄そうではある。そうでなければお嬢の面倒を今の今まで見続けられなかっただろう。

 

「そんじゃとりあえずジンラスは考えとくとして、お嬢はなにかありますか? 夢とか目標とか」

 

『私ですか? 私の夢は昔から変わってないんですよね』

 

「そうなんすか! なんすかなんすか?!」

 

『ああ。ふふっ、あれね』

 

 おそらくお嬢の配信をすべて追えているうちでも、お嬢の夢の話は聞いたことがない。ジンラスが聞いたことあるような素振りなのは、幼い時にお嬢から聞いたことがあるからだろうか。

 

『私の夢は「かわいいお嫁さん」になることです』

 

『はは、小さい時から言ってるよね。その夢がすでに可愛いよ』

 

「そっ……すね。かわいい、いい夢だと思うっす。きっとお嬢なら、いいお嫁さんになれます、よ……」

 

 お嬢の夢は一見すると小学校低学年の女の子のようなかわいらしい夢なのだが、どうしてだろう。『かわいいお嫁さん』という本題よりも、その裏側に具体的にイメージされているだろう『お婿さん』のほうに意識が向いてしまう。しかもその夢を小さい時からジンラスには言っていた、というのがまた。

 

 いや、うちは応援するけれども。推しの幸せがオタクの幸せなのだから。うん、お嬢の夢が叶うように、応援。

 

『お兄ちゃん、わかる? こういうのだよ、夢っていうのは。お兄ちゃんも「かっこいいお婿さん」とかにしとく?』

 

『あはは、結婚願望は今のところ持ったことはないけど、それよりも問題なのは相手がいないことだね』

 

『…………』

 

「あーあー! えっと……そうだ! 子どもの頃とかは? 宇宙飛行士になりたーい、とかそういうのなかったのか? 配信者になった今なら、有名になりたい、みたいなそういうのは?」

 

 沈黙の圧が怖いお嬢から逃げるために強引に話題を変える。

 

 ジンラスは承認欲求とは対極に位置する精神性をしていそうだが、子どもの頃に憧れた職業とかならまだなにか絞り出せるのではないだろうか。

 

『この仕事に就きたいみたいなのは考えたことないかなあ。有名になりたいっていうのも、それほど……』

 

 絞り出せなかった。

 

 なんなんだこいつ、夢がねぇな。夢や希望に瞳をキラキラさせたジンラスっていうのも中々に不気味な画ではあるが。

 

『あ、でも強いて言えば……』

 

「おお! なんかあったか!?」

 

『お兄ちゃん教えて教えて!』

 

『…………』

 

「おい。だんまりはおかしいだろうが。言えや」

 

『気になるっ、ねえっ、お兄ちゃんっ!』

 

『いや、でも、さすがに……』

 

 ジンラスがこれほどまでに言い淀む夢とは、いったいなんだろう。これっぽっちも予想がつかない。まったくキャラではないけれど『女をはべらせたい』とか『金持ちになりたい』とか、そんな欲に塗れたこと言い出したらすっごいおもしろいんだが。

 

「うちも吐かされたんだからお前も吐けや」

 

『絶対笑わないしばかにもしないから! お願いお兄ちゃん!』

 

 うちとお嬢の太陽と北風論法(?)により、ジンラスは長い沈黙を破ってとうとう口を開いた。

 

『……友だちが、ほしい……』

 

『……と、とも……』

 

「とも、だち?」

 

 お嬢が小学校低学年女子みたいな夢を語ったかと思ったら、今度はジンラスは小学校に入学したばかりの男の子みたいなことを言い出した。人の心を震わせる歌手になりたいなんていう夢見がちな夢を掲げているうちがとやかく言えることではないけれども。

 

『は、はは……変だよね……ごめんね……』

 

 うちとお嬢が言葉に詰まったことで悪い方向に考えてしまったのか、ジンラスは笑いとすら言えない乾き切った掠れ声を漏らして謝った。全然謝ることでもないし、ジンラスの目標というか夢というか、そういうのをおかしい、変だ、と馬鹿にするつもりもない。

 

 ただ、(きょ)()かれたことで思考が一時停止してしまっただけなのだ。きっとお嬢もそう。

 

『へ、変じゃないよっ! ちょっと……思いがけないところだっただけで、うん! とってもいいよ!』

 

「友だち、がほしいってのは、それは夢……目標ってことでいいのか? とりあえず理由訊いていいか?」

 

『別に、あれだよ? 友だち百人ほしいとか、そういう話じゃないんだよ?』

 

「ああ、逆によかったわ。明日から小学校に入学する男の子の目標の話になるところだった」

 

『まず友だちっていう言い方がだめだね。この単語は傲慢だ。僕の目標はもっと謙虚なんだ。つまり友人がほしいってことだよ』

 

「うちは『友だち』と『友人』の二つにそんなに大きな違いを見出したことはねぇけど……」

 

『友だちって言っている時点で対象となる人物が複数人であることを前提としてるよね。さぞかしイーリイさんは「お友だち」がたくさんいらっしゃるのでしょうね!』

 

「おおう……。これまでにないくらい刺々しいな……」

 

 ジンラスの語調が激しくなった。地雷ってどこに埋まっているかわからないから恐ろしいんだな。『友人』という表現が慎ましさを表しているのも、うちにはない感覚だ。

 

『イーリイさんみたいにフレンドリーで会話がお上手ならよかったんだろうけどね、僕は違うからね。高望みはしないんだよ』

 

 フレンドリーかどうかは自覚はないし、なんなら初対面の人が相手だとうちは怖がられることが多い。それに話がうまいというのはまるっきりジンラスにも当てはまると思うのだが、本人はそうは思っていないらしい。

 

「そ、そうなのか……」

 

『そう。一人でもいてくれればいい。もちろんたくさんいるほうが好ましいことは否定しない』

 

「……ん? でもお前、配信中に友人が一人いるとかなんとか言ってなかったっけ?」

 

『そうだよ。夢結(ゆゆ)のことはどうしたの? 夢結からなにかセクハラまがいなこと言われて、とうとう友人の欄から除外しちゃったの?』

 

 お嬢の言う『ゆゆ』とは、もしかして手描き切り抜きもやっている『ゆー』さんの本名なのだろうか。配信で名前を出すのを避けるために『ゆー』というあだ名を使っているのかもしれない。

 

 ちゃんと紹介されたわけではないし、うちは聞かなかったことにしておこう。

 

『夢結さんはセクハラまがいなこと言ってこないし僕から友人認定を解除することはないよ。ただ、なんというか……僕の求める関係性はもっと親しいというか。それこそ、お互い暇だったら一緒にだらだらとゲームしたり、特に用事もないのに通話したり、その日の気分で遊びに行ったり、気軽に旅行に行ったりとか、そういう関係なんだよね』

 

「富士山の上でおにぎり食べたり?」

 

『友だち百人からは離れてもらって。日本中を一回り旅行するのは楽しそうだけど、世界を震わせるつもりはないよ』

 

 なんで三番の歌詞まですっと出てくるんだ。よく拾えたなこいつ。

 

『あー……なんか、わかってきた気がする。つまりあれなんだね。お兄ちゃんは男子中高生みたいな感じの、フランクで雑で気を遣わないような関係性がいいってことなんだね』

 

『そう、そうなんだよ。日常系のマンガやアニメで描写されてるような付き合い方に憧れがあるんだ。何をするわけでもないのにとりあえず集まってみたり、ゲームに熱中しすぎて流れでお泊まりしてみたりとか。いいよね、そういうの』

 

 お嬢曰く、ジンラスのできることは幅広い。

 

 家事もこなせて、箱内学力テスト殿堂入りのお嬢に教えられるくらいに勉強もできる。お嬢のお願いという名の無茶振りによってギターやらカクテル作りやら色々と多芸で、身内贔屓も入っているのかもしれないがお嬢が言うにはスタイルも良くて格好いいとのこと。配信者としても多才だ。耳に心地よい声で、話の引き出しも多い。ゲームのセンスは今日初めて触った格ゲーでも、お嬢とのコラボでよくやっているFPSでも証明されている。

 

 これだけ傑出した人物は、少なくともこれまでのうちの人生の中では出会ったことがなかった。なにをやらせても上手くいくんだろうな、と思わせられたのはジンラスが初めてだった。

 

 それほどまでにうちに大きな衝撃を与えたジンラスが焦がれるほど憧れているのが『友人』って。

 

「あはっ、ははっ、だはははっ」

 

『……うるさいなあ。イーリイさん、あなたにとっては特別なものではないかもしれないけど、僕にとってはとても貴重な存在なんだよ』

 

『イヴさん! 笑わないでください! お兄ちゃんは真剣なんですよ!』

 

「いや、お嬢。馬鹿にしてるわけじゃないんす。ただ、ジンラスの新しい一面を見れた気がして。お前……かわいいとこあるなぁ」

 

『うるさい』

 

「かわいいとこあるなぁお前!」

 

『うるさい』

 

 そう。ごちゃごちゃと言葉を並べても仕方がない。つまりは『かわいい』の一言に集約されるのだ。

 

 うちは無意識下でジンラスのことを特別視していたのかもしれない。なんでもできる奴、器用貧乏とは一線を画す万能タイプ。なんでも涼しい顔で器用にこなしそうな、人間を手のひらで転がして意のままに操ったりできそうな、まさしく悪魔のようなイメージ。

 

 だが、不器用なところがあった。かわいい夢があった。

 

 なぜだかそれだけで、ジンラスが身近に感じられた。

 

「なぁジンラスおいお前おい!」

 

『なんなんだ本当にあなたは……。急にテンション高くなって……』

 

 ウザ絡みみたいになってしまっているのは、多少は申し訳なく思わなくもない。でも仕方がないのだ、今は我慢してほしい。

 

 嬉しい気持ちが抑えられないのだ。

 

「これからよろしくなぁっ! ジンラスゥゥっ!」

 

『なん……ふっ、どうしたの? くくっ、本当にちょっとおかしっ、あははっ! うん。よろしく、イーリイさん』

 

『……イヴさんもけっこう……うーん、まあいいか……』

 

 女友だちと同じくらい男友だちもいたが、男に対してこれほどリスペクトとかわいいという感情を同時に抱いたことはなかった。いつの間にか仲良くなっていたことはあっても、知り合ったその日に、こいつとは仲良くなりたいと思ったことは初めてだった。

 

 特別視とはまた違う意味で、ジンラスは特別な存在かもしれない。




ということで同期のイーリイさんとのコラボでした。

更新の励みになるのでよかったら感想や評価などいただけるとうれしいです。感想すべてに返せるかわかりませんが、すべてありがたく読ませてもらってます。元気が出ます。

次はお兄ちゃん視点に戻ります。


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「超新星が如く」

 今日も今日とていつもと同じ時間にPCの前に着く。喉の調子を確かめて、マイクの位置や設定が適切かチェックする。

 

 そのあたりはいつも通りだが、今日はいつもと同じ配信ではない。

 

 なんと今日は、人様のチャンネルへとお邪魔することになっている。コラボのお誘いを受けているのだ。

 

『はーい! 今日もロロのチャンネルへようこそー! 今日はSNSでも通知してた通り、初めてのゲスト! 今この人を知らないのはモグリとすら言われている「New Tale」の……否! Vtuber界の超新星! ジン・ラースさんです! どうぞー!』

 

 口上にあったように、ロロさん──個人で活動していらっしゃる田品(たしな)ロロさんのチャンネルに、今日はお邪魔して配信することになっている。

 

 田品さんは個人での配信や仲の良い人と行うコラボ配信とは別に、人気のあるライバーさんや今ホットなライバーさんを自分のチャンネルに招待してお喋りするコラボを定期的にされている方だ。

 

 紹介にあった通り、僕もVtuber界隈をいろんな意味で、主に悪い意味でホットにしたので田品さんの目に留まったのだろう。

 

「田品さんの配信をご視聴中の皆様、初めまして。ただいまご紹介に(あずか)りました、デビュー初日にまさしく超新星が如く大爆発致しました『New Tale』所属の四期生、憤怒の悪魔、ジン・ラースです。よろしくお願いします」

 

『あー、えと、あの……ロロはジンさんが炎上してたから呼んだとか、そういうわけでは決してなくて、ですね……えっと、えっと……』

 

 しどろもどろになりながら田品さんは僕を招待した理由を説明しようとしてくれる。説明しようとしてくれているわりに呼んだ明確な理由は出てこないのだけれど、どういうことだろう。

 

 ともあれ本人曰く、悪い意味で界隈をホットにしたから呼ばれたわけではなさそうなので安心した。きっと派手な炎上で注目度が上がって、その時に僕の配信を観て『おもしろそうだからこいつ呼んでみよう』と考えてくれたのだろう。うん、そのほうが僕としては気が楽なのでそう受け取っておこう。

 

「はい、大丈夫です、わかってますよ。変な気を遣わせてしまってすみません。僕のチャンネルをいつも観てくださっている方なら炎上の経緯については痛いほど理解しているのでこういうことを言ったりしないのですが、本日はこうして田品さんのチャンネルへとお邪魔させていただいてるわけじゃないですか。下手に炎上の件を避けて田品さんのリスナーさんに誤解してほしくないので、もういっそのこと冒頭で説明させてもらおうかと」

 

『あっ、そうなんですね! ロロのほうこそごめんなさい、ちょっと動揺しちゃって……。もしかしたら、炎上で目立ってたから今日呼ばれたんだ、みたいにジンさんに思われちゃってたのかなって考えてしまって』

 

「あはは、そんなことありませんよ。それに僕も言葉足らずでした。申し訳ないです。田品さんは僕に直接連絡するのではなく、念を入れてわざわざ一度『New Tale』のほうにコラボのお誘いについての確認のメッセージを送ってくださるほどに気にしてくださっていると、僕も理解できているつもりですよ。少なくとも田品さんに対してネガティブな感情なんて一欠片も抱いてないことは確かです。僕はこの日をとっても楽しみにしていたんですから」

 

 以前、僕と礼ちゃんで菓子折りを持って事務所へ謝罪に赴いた日のことだ。僕らの独断専行についてスタッフさんたちへ謝罪した後にイーリイさんとのコラボの是非について相談をしていたのだけれど、そのイーリイさんの話の後に、外部からコラボの誘いが来ているということを美影さんから聞かされた。

 

 より具体的に言うと、ジン・ラースさんにコラボのお誘いをしたいのですがいいですか、といった内容だったらしい。ブランディングや経営方針などにも配慮された、とても丁寧な文章で届いていたそうだ。

 

 一旦事務所で預かって本人と、つまりは僕と話し合って結論が出次第追って返答します、というメッセージを返したあたりで僕が事務所に行く運びになったので、それなら事務所に来たタイミングで直接外部コラボをどうするかの話をすることにしたようだ。あの日は話す内容が多いし濃いしで中々にハードだった。

 

『たのっ、楽しみに? ほんとです?』

 

「ええ、もちろん。妹……レイラ・エンヴィ以外とコラボするというのがそもそもめずらしいことですし」

 

 楽しみにしていたのは事実だけれど、やろうと思えば田品さんとのコラボはもっと早くにやれる機会はあった。

 

 それなのになぜ今日まで延びてしまったかというと、イーリイさんとのコラボを優先したからだ。

 

 田品さんからコラボのお誘いがきている、との話を聞いた時、僕はすぐにでも受けようかと思っていたのだけれど、同席していた礼ちゃんから『先に同期とコラボしておいたほうがいい』というアドバイスをもらったのだ。少なくとも『New Tale』では厳密にそういうルールが定められているわけではないけれど、礼ちゃんが言うには同期がいる場合は先に同期とコラボしてから先輩や外部の配信者とコラボするものらしい。暗黙の了解のような、そういった風潮があるのだとか。

 

 なかなか礼ちゃん以外の『New Tale』所属ライバーとコラボはできないけれど、それでも一応は『New Tale』に所属していて、同期が四人もいる僕だ。なぜそういった裏ルールみたいなものがあるのかはわからないが、あえてどこかの誰かの反感を買う理由もない。なので、すぐにコラボできそうな同期がイーリイさん一人だけだとしても、先に同期とコラボしてから田品さんからのお誘いを受けることにしたのだった。

 

「 なにより田品さんとのコラボが初めての箱外のコラボなんです。なのでとてもわくわくしていました」

 

『ぁはっ! ……ごめんなさい、キモい声出ちゃいました。そんなに快く受けてもらえると思わなかったので、ロロもとても嬉しいです。そういえば妹さん……の話の前に、炎上についての説明からしたほうがいいですよね?』

 

 コラボする前の予習というか、田品さんの配信のアーカイブを事前に視聴したりもしていたのだけれど、僕と話している時の田品さんの声は少々重いというか硬い印象である。先ほどの『ぁはっ!』という奇声を発した時の声の高さくらいが田品さんの配信中の基本的なトーンだ。いやさすがに言い過ぎか。奇声の一歩手前くらいのテンション感が普段のトーンである。

 

 僕とは初対面ということもあって(もしくは一度炎上した相手ということもあって)緊張してらっしゃるのかもしれない。

 

 次いつあるかわからない田品さんとのコラボなのだ。この機に仲良くなれるように頑張ろう。

 

 だがその前に、まずは勘違いされないようにするために、勘違いされていたらそれを解くために、炎上騒動についての概説だ。

 

「話の腰を折るようですみません。少しだけお時間頂戴します」

 

 僕のデビューから始まった炎上の経緯(いきさつ)を、ざっくりとまとめてお話しさせてもらった。時間にして一分を少し超えた程度だ。

 

 時間的、個人的、プライバシー的な都合もあって裏側まで余すところなく詳らかに説明したわけではない。かといって脚色は一切していない。少なくとも嘘はない。

 

『……つまりは完全にもらい事故だったんですよね、あの炎上って』

 

「そうですね。僕が『New Tale』からデビューすることと件の男女の炎上が時期的に重なってしまったことで、さらに炎上の規模が大きくなってしまったという感じです」

 

 デビューしてから時間が経って僕の活動環境の地盤が固まった後であれば、件の男女Vtuberの騒動が起こっても影響は最小限に抑えられていたと思う。半年あればゆとりをもって、なんなら三ヶ月でも件の男女の炎上の時期が後ろにずれてくれていればやりようはあったのだけれど、皮肉なことにばっちり重なっていた。

 

 しかし視点を変えると、まだ時期が重なるくらいでよかったとも捉えられる。逆に僕のデビュー時期より件の男女の騒動が三ヶ月や半年早かったとしたら、その場合は手の施しようがなかった。

 

 そう考えれば、最高のタイミングではなかったにしろ、最悪のタイミングでもなかった。

 

『ジンさんはご自身のチャンネルでも説明してましたけど、意外と炎上の内容を知らない人が多いんですよね。ロロがジン・ラースさんとコラボしますって告知した時も、リスナーの中にも「炎上したライバーだしやめたほうがいい」って言ってる人がいて』

 

「僕に興味のない方ならそういう印象になってしまうのも仕方のないことです。『ジン・ラースは炎上に巻き込まれただけなんだな』と理解してくれているのは、配信を観てくれていた人と、今回の炎上にどういう事情があったのかを調べようとした人だけですからね。内容を知らなければ『ジン・ラースは炎上してたし何か悪いことした奴なんだな』くらいのイメージを持ってしまうのは当然といえば当然です」

 

『……つらくないです? そんなのって』

 

(つら)い? いえ、辛いと思ったことはないですね。仲良くしてくれる人もいますし、応援してくれる人もいます。励ましてくれる人も、支えてくれる人もいます。妹からも背中を押されてますしね。時の運には恵まれませんでしたけど人に恵まれ、いろんな人たちに助けてもらいながら活動しています。なので、起きてしまったことは起きてしまったことと割り切って、これから僕のことを知らない人にも知ってもらえるように頑張っていこうと考えてますよ」

 

 いつも傍にいてくれる礼ちゃんはもはや言うに及ばず、自分も忙しいのに時間を割いて力を貸してくれている夢結さんや寧音さん。仕事量が激増して疲れも溜まっているはずなのに一言も文句を言わず、僕の精神面を心配してことあるごとに気遣ってくれた美影さん。あえて炎上の件を話題には出さずに、ゲームしようぜ、と元気づけてくれた少年少女Aさん。

 

 優しい人たちの暖かい思いやりが、とても嬉しかった。

 

 炎上騒動が終息を迎えてからは、とんでもない動画編集技術を持つめろさんが活動を支援してくれている。最近ではイーリイさんともコラボできたし、友人になれた。

 

 多少スタート地点で(つまず)いたけれど特筆するほど困ったことはないし、これからのことを悲観する必要もない。地道だとしてもこうして配信活動を続けていることで、今まで勘違いしていた人たちにも理解してもらえている感触はある。

 

 今の僕を応援してくれている人がいるのだから、僕は僕のまま僕のペースでのんびりと活動するだけだ。その活動の中で、これまで僕を助けてくれた人たちに少しでも恩を返すことができたなら、それがベストである。

 

『すごいなぁ……強いなぁ。ロロなら……心折れちゃうかもしれないです』

 

「強くもすごくもないですよ。ただ人よりも感性が鈍いだけなので。それよりもなんだか申し訳ないです、田品さんにも田品さんのリスナーさんにも。せっかくこうしてコラボに誘っていただいたのに冒頭から気分の悪い話をしてしまって」

 

 いやはや全くもって気分の悪い話で申し訳ない限りである。楽しみたいからリスナーさんは配信を観にきてくれているというのに、これでは話の腰を折るどころの騒ぎではない。

 

『いえいえっ! コラボのお誘いしたのはロロのほうなので! それにリスナーの中にはジンさんのこと勘違いした人もいるかもしれないので、こうしてお話ししてもらえたほうが安心して配信観れると思います!』

 

 なんと優しい方だろう。

 

 経緯はどうあれ一度炎上した男というだけで田品さんからしてみたら触れづらいはず。だというのに、コラボ配信が始まって初っ端から暗い話を展開した僕にフォローまで入れてくれる。田品さん、人格者である。

 

「そう言っていただけると助かります。ありがとうございます。改めて、今日はよろしくお願いしますね。田品さんのリスナーさんも、よろしくお願いします」

 

『はいっ! よろしくお願いします! それでは始めていきたいんですけど、その前に一ついいですか?』

 

「はい、なんでしょう」

 

『田品さんっていう呼び方変えてもらうことってできます?』

 

 田品ロロさんのことを『ロロ』と呼ぶ人はいても『田品』と呼ぶ人は、コラボしていた配信者、視聴しているリスナー含めて誰もいなかった。

 

 やはり『ロロ』呼びのほうが本人も慣れているし、リスナーさんも馴染みがあるのだろう。

 

「田品様のほうがよかったですか?」

 

『ちがうちがうちがうっ! ちがうよっ! なんでそうなるの?! 名字じゃなくて下の名前で呼んでくださいってことですよ!』

 

「ああ、なるほど。そういうことでしたか」

 

『びっくりしちゃいましたよ……わぁって体が熱くなっちゃいましたよ』

 

「てっきり『さん呼びとか敬意が足りないだろうが』みたいな話なのかと」

 

『どんな人間だと思ってるんですかロロのこと!? そんなに権力欲強い人間じゃないんですけど!』

 

「僕もそんなタイプの人ではないと思っていました」

 

『それなら名前で呼んでほしいんだな、ってことに思い至ってほしかったです……』

 

「よかったです。ちゃんと拾ってくれる人で」

 

『よかったとこそこっ……。くぅっ……コラボするよって告知した時、ジンさんのところのリスナーさんっぽい人が言ってた「真面目な顔して淡々とボケてくるのでがんばってください」ってこのことかっ』

 

「ちょっと前にコラボした同期もそんなこと言ってました。どんなふうに思われているんでしょう、僕」

 

『イケボでボケるサイコパス悪魔、というフレーズはSNSで見かけましたけど』

 

 なんだかイーリイさんにも似たようなことを言われた記憶が蘇る。

 

「なかなかにボリュームのある肩書きですね。肩が凝りそうです。ところで田品さん呼びはどうしてだめなんですか?」

 

『話が急に戻ってきた……。えっと、ロロのこと名字で呼ぶ人いないんです。みんなロロって呼ぶので。なのでジンさんがロロのこと田品呼びするたびにリスナーが草生やすんです。〈田品草〉〈一瞬誰かわからんかった〉って』

 

「たしかに華やかで愛らしい外見的に、田品さんよりもロロさんのほうが呼び方として適切な気がしますね」

 

『えっ、あ、愛らしいです? それってかわいいってことですよね? えへ、へへへ……ありがとござます。ちょっとリスナー聴いた?! ロロかわいいらしいよ!』

 

 一応いただいていた田品さんの立ち絵を見直してみる。薄紫の髪を後頭部でお団子にして纏め、耳には近未来チックなデザインのお洒落なヘッドセット、衣装はフリルやレースで装飾が施されたような可愛らしい改造制服となっている。全体的に少し幼めな印象だ。

 

 これならば名字より名前のロロ呼びのほうがしっくりくるだろう。

 

「はい、わかりました。今日が初めましての人を名前で呼ぶのは馴れ馴れしい奴だと思われそうで抵抗があったのですが、ご本人様から許可が出たのなら安心ですね」

 

『ええ、はい! 全然大丈夫です! えへへっ』

 

「僕のせいでずいぶん前置きが長くなってしまいましたね。そろそろ予定していたコーナーのほう、やっていきましょうか田品さん」

 

『おっけー! リスナーからもらったメッセ……変わってない?! 呼び方! 変わってないっ! なんだったんですかさっきの「はい、わかりました」は!?』

 

「すいません、振りかと思って。一旦挟んでおこうかなって」

 

『振りじゃないですよ! なんかおもしろい話しろよ、みたいな無茶なこと言ってくる体育会系の先輩じゃないんですよロロは!』

 

「すいません。つい出来心で。ロロさん、ロロさんですね、はい」

 

『これでいいんだろ感が滲んでるんですけど。雑な感じが漏れてるんですけど』

 

「ロロさん、時間押してます。行きましょう」

 

『誰のせいだと思ってんだああぁぁっ!』

 

「あははっ。よかった、いつものロロさんっぽくなりましたね」

 

『い、いつもの?』

 

「普段の配信は今日より溌剌としていましたからね」

 

 今回のコラボに先立って予習ということで田品さんのアーカイブをいくつか視聴したけれど、それらを観た限りはロロさんは基本的にハイテンションで気持ちよく叫ぶ方、というイメージだった。

 

 ゲームをしていても、うまくいけば叫ぶように喜び、失敗したら叫ぶように嘆く。根から明るいテンションの高い女性だ。

 

 雑談がメインの配信でもそう。一人でやっている時はリスナーから送られてくるコメントを拾ってプロレスしたり、コラボの時はコラボ相手と陽気に話していた。初対面のゲストを呼んでいる時も、テンポのいいトークでゲストを引っ張るようなシーンが多かった。

 

 今日みたいに一歩後ろに下がるような距離感の人ではないのだ。

 

「やっぱり相手に突っかかったり元気よく叫んでいるほうがロロさんっぽさがありますよね」

 

『やべっ……アーカイブ観られてるっ』

 

「はい、もちろん観させてもらいましたよ。興味深い内容の配信もありましたね」

 

『ち、ちなみに、その興味深いというのはなんの配信かだけ……』

 

「僕の口からはあまり言えませんけど、とりあえず膀胱炎にならないように気をつけてください、とだけお伝えしておきます」

 

『一番観られたくない人に一番観られたくない配信観られてるううぅぅっ!?』

 

「そうやっていろいろこれまでの配信を観させてもらっていたので、今日実際お話しして『あれ、どうしたんだろう?』とは思ってました」

 

『ぅっ、うん、まぁ……リスナーからも〈猫被ってて草〉とか〈緊張しとるやん〉とかって大量に草生やされてますけど……』

 

「……もしかして僕って喋りにくかったりします? わりとコミュニケーションエラーが起きやすいタイプではあるんです、僕」

 

『いやっ、話しやすいです! 率先して話してくれててとてもやりやすいんですけど、そうじゃなくて。……えっと、ジンさんをコラボにお誘いした理由でもあるんですけど……』

 

「ほう? なるほど、お聞きしましょう」

 

『最初はリスナーから教えてもらったんですよ。おもしろい新人がNTにいるからゲストで呼んでほしいって。その時にはもうジンさんの名前は知ってたんですけど、どんな人なのかは知らなかったんです。えっと、あの……炎上してたっていうのだけ、知ってて』

 

「はいはい」

 

『調べてみたら炎上についてのことをまとめてるのがあって、それを見て「ああ、この人は被害者なんだ」……って』

 

「いやあ、とてもありがたいですね、まとめてくれている方の存在は。ジン・ラースというVtuberが炎上したという話は聞いたことがあるけれど実際はどういうことをしたんだろう、と気になった人が調べた時に、こうして事情を知っていただけるのですから」

 

 おそらくロロさんが見たというまとめは、めろさんが情報をまとめた記事のことだろう。ジン・ラースの炎上騒動について検索した時、炎上騒動の時系列や原因について詳細に取り上げたウェブサイトで一番上に出てくるのがめろさんが管理運営しているサイトなのだ。

 

 切り抜きとは別の名義でやっているウェブサイトのため、ここでめろさんの名前を出すことはしないけれど実に助かっている。きっと他にもロロさんと同じように調べた人もいることだろうし、調べてくれた人の誤解を解くのに役立っているはずだ。

 

 とてもありがたいことなのだけれど、活動内容が多岐に渡りすぎてめろさんの健康が心配だ。ちゃんと寝れているのか不安になる。

 

『うん、とても詳しくわかりやすく書かれていて助かりました。悪いことをして炎上したんじゃないんだ、って安心して、サイト内でおすすめされてた動画に飛んでみたら、ほんとにおもしろかったんですよ。そうだ、あれ観たんです! 途中でレイラちゃんが合流した「administrator(アドミニストレーター)」! あれはリスナーも観たほうがいいよ! ずっとおもしろいんだから!』

 

「ああ、あの時の配信。合流というか、自分のことを呼ばれていると思った礼ちゃんが僕の部屋に入ってきちゃったんですよね。僕の配信だとわりと礼ちゃんは飛び入り参加しがちなので、そうめずらしいことでもないですけど」

 

『ジンさん一人の時も独特な観点からの実況とかプレイングでおもしろかったけど、レイラちゃんが参加してからべつの種類のおもしろさが加わってて! なによりジンさんのボケにちゃんとツッコんでくれるのがすっきりしました! 悪魔じみたというか悪魔そのものな言動もたくさんあってとても楽しくて、気づいたらしっかり最後まで観ちゃってました!』

 

「わあ、ありがとうございます。……褒めていただけるのはそれはもう大変光栄なのですが、まだ観ていないリスナーさんに対してかなりハードルが上がってません? この話を聞いて、観てみようかな、と思ってくれたリスナーさんをがっかりさせるようなことにならないといいのですが……」

 

『大丈夫です! 上がったハードルを悠々と飛び越えていけますから! 後日投稿されてたゆきねチャンネルさんの手描き切り抜きもめっちゃよかったし!』

 

「そっちまで観ていただいてもう、ありがとうございます。僕が感謝するのもおかしな話ですけど。また今度本人に伝えておきます」

 

 あの日の配信内で、お着替えしたレイチェルの姿を見て礼ちゃんと『レイチェルの別バージョンのお洋服も見たいよね』と話していたのだ。後日夢結さんと寧音さんがやってくれている手描き切り抜きでは、しっかりその時のシーンを素晴らしいイラストで描いてくれていた。手描き切り抜きが投稿された時にも言ってはいたけれど、ロロさんからの感想と一緒に改めて夢結さんと寧音さんに感謝を伝えるとしよう。

 

『ロロにはチャンネル登録することくらいしかできなかったので、せめてありがとうございましたとお伝えください。そうやってジンさんがおもしろい人だってことはアーカイブや切り抜きでロロの腹筋に刻み込まれたわけなんですけど……』

 

「腹筋?」

 

『はい。笑いすぎて次の日腹筋が筋肉痛になりました』

 

「ふふっ、それは申し訳ないことをしました」

 

『とても幸せな筋トレでしたありがとうございます。それでもその時はコラボにお誘いするか迷ってたんです。ジンさんのことを知っているリスナーはおもしろい新人Vtuberがいるってことで教えてくれたわけですけど、やっぱり知らないリスナーにとっては、あの……炎上したVtuberっていう間違った印象を持ってるわけじゃないですか。勘違いしちゃってるリスナーをびっくりさせるんじゃないかなって思って』

 

「ええ、そうですよね。どうして誘ってくれたのだろうという疑問は僕も持っていました。リスナーさんの中には僕のことを自主的に調べて誤解を解いてくれる人もいるかもしれませんが、みんながみんなそんなふうに下調べしてくれるかはわかりませんから」

 

 つい最近派手に炎上していたよくわからない奴と推しがコラボしようとしていたら、真っ当なリスナーなら心配になるし、熱心なリスナーであればコラボを取り止めるように言うかもしれない。

 

 騒つく視聴者たちを宥めるという手間が発生することは想像に難くないのにどうして誘ってくれたのか、僕も不思議だった。

 

『ジンさん呼んだら楽しそうだけど、どうしようかなーって迷いながら配信追ってたんですけど……』

 

「あ、迷いながらもずっと観てくれてたんですね。ありがとうございます」

 

『ある日、衝撃的な配信に出会ったんです。あの寝かしつけ配信に!』

 

「『寝かしつけ』配信の評価に『衝撃的』という単語が並ぶ機会があることに衝撃を覚えました。眠れなさそうです。あ、でも、未だにちょくちょくあの寝かしつけ配信についてのコメントやメッセージをいただくことがあるので、ちゃんと役に立っているようですね。そのことについては純粋に嬉しいです。寝つきが悪い人のためにやったような配信なので」

 

『めっちゃくちゃに役立ってますよ! ロロ最近不眠症ぎみで、睡眠導入剤とか使ってたんです。でもジンさんの寝かしつけを聴いてからはお薬なしで寝れるようになりました! リスナーも不眠症で悩んでる人いたら聴いてみて! ほんとに効く! これはまじ!』

 

「まさか睡眠導入剤の代用品になるとは僕も思いませんでした……。たしかに衝撃的ですね……」

 

 自分なりに調べてああいう形で配信をしてみたけれど、まさかお薬代わりになるほどの効果を出していたとは驚きだ。そこまで強めの効能があると少々自分でも恐ろしくなるけれど、不眠症の治療としての薬物療法は可能な限り短期間の服用が望ましいと聞き及んだことがあるので、お薬に頼らずに快方に向かったというのであれば喜ぶべきなのだろう。

 

 ただなあ、SNSでも副作用的な症状の声がいくつか出ているのも知っているからなあ、純粋に諸手を挙げて喜べないんだよなあ。

 

『あの配信をしてもらってからロロお薬使ってませんからね! すごい効果ですよ! あ、たぶんあのASMRの内容的に女の子のほうが没入できると思う! すっごいよ! 不眠症とか睡眠不足とか関係なく聴いてみてもぜんぜんいい! 一聴の価値あるから!』

 

「とてもおすすめしてくれているところ申し訳ないんですけど、あれASMRじゃないんですよね。あの寝かしつけ配信自体思いつきだったということもありますし、僕はASMR配信をするつもりも予定もなかったので機材も用意していなかったんです」

 

『あっ、あっ、あの……専用のマイク送るんで次それ使ってやってみてもらえたり、とか……』

 

「いえ、結構です」

 

『あっ……そっ、ごめんなさい……。そっすよねぇ……。おいリスナーうるさい! 〈私欲丸出し〉とか言ってんじゃない。ロロみたいに不眠症で苦しんでいる人たちのための提案だったの! 下心はない! 〈本人に直接ぶつけていくタイプの厄介ファン〉〈断られてて草〉……うるさい!』

 

 僕が即座に断ってしまったせいで、もしかしたらロロさんやロロさんのところのリスナーさんが勘違いしているかもしれない。結構です、と言ったのはASMR配信をしないとかロロさんからのプレゼントを拒否しているとか、そういう意味ではないのだ。

 

「それがですね。もう送られてきたんですよ、マイク」

 

『やっぱり同じ考えの人いたんだっ!』

 

「専用のとてもお高いマイクをプレゼントしていただきまして」

 

『おおっ! それほどあの寝かしつけ配信が助かったファンなんでしょうね! 〈同類いてよかったな〉同類言うな。同胞だよ』

 

「ただ『New Tale』の規則で一定金額以上のプレゼントは受け取れないんです。送ってくれた方のお気持ちは嬉しかったんですけどね」

 

『ああ、企業勢だからこその落とし穴……。そ、それなら、ロロが送りますよ! ほ、ほら、配信者仲間的な? 友だちとしてならセーフですよね? ね?!』

 

「い、いえ、結構です……。やっぱり専用のマイクとなるとお高いものも多いですし」

 

『そんな、気にしなくてもいいのに……。〈必死すぎて草も生えん〉〈反面教師の鑑〉〈ゲストで呼ばれて相手がこれとか可哀想〉言いたい放題言ってくれるっ……。リスナーはあの寝かしつけ配信を聴いてないからわからないんだ。あれ聴いた人なら新作を聴きたいって思うはず。……最近耐性がついたのか効き目が弱くなった気がするんだよね……』

 

「僕の配信を違法ドラッグのように言わないでください。依存とか禁断症状とかありま……あり、そんなにありませんから。あとマイクを遠慮したのは、すでに持ってるからです。別にロロさんからのプレゼントを拒否しているわけではありませんよ」

 

『あ、今はもう持ってるんですね』

 

「はい。リスナーさんからのプレゼントは規定によりお返ししなければいけませんでしたが、プレゼントはプレゼントとして嬉しかったので同じマイクを購入しました。リスナーさんからこのマイクをプレゼントされたんだ、という気持ちで、次に機会があればそのマイクを使って配信に臨もうかと」

 

『わぁ……うわぁっ! ……ちょ、聞いた?! 聞いたーっ?! こんなの、ファン喜ぶよ! ファンサが半端ないよ! りすっ……マイク送ったリスナーさんっ! よかったなぁっ! お前の想いはっ! 無駄にならなかったよっ!』

 

「命懸けで戦って散っていった戦友にかける言葉くらいの熱量。そんなに声震わすほど熱いシーンですか、ここ」

 

『熱いよ! なに言ってんの! ファンなら魂震えるし目頭熱くなるよ! ぜぇぇったいそう! 断言する! 〈こればっかりは同意〉〈自分に置き換えたらすっげぇ嬉しいな〉〈ファンなら泣くところ〉ほら、ジンさん! ロロのとこのリスナーも同じ意見だよ! 今日初めてリスナーと意見が一致したよ!』

 

「ふふっ、あははっ。配信始まってからそこそこの時間経ってますけど、さっきのが初めてだったんですね」

 

『捻くれ者が多いんでしょうね、きっと。……えっと、なんの話だったかなぁ……』

 

「寝かしつけ配信が睡眠導入剤の代わりになってる、という話から脇道に逸れた気がしますね」

 

『ごめんなさい……そうでした。ちょっとテンション上がっちゃって』

 

「……ちょっと? ちょっとかなあ?」

 

『それでですね! ロロの不眠症という悩みを解消してくれたジンさんにどうにか感謝を伝えたい、そして炎上したVtuberみたいな誤解をされたままにしておいてはいけないと思いまして! ジンさんをコラボに誘ったんです! この場がイメージ改善の一助になったらいいな、と!』

 

「ロロさん……」

 

 知名度だけは一期生の大先輩たちと肩を並べている自負があるけれど、ロロさんの仰る通りにイメージの部分があまり芳しくない。箱推しのリスナーさんは意識的にジン・ラースから目を背けている節があるし、SNSでも『ジン・ラースってあんなに炎上したのにまだ謹慎になってないんだ』というような内容の投稿をたまに見かける。

 

 大局的な視点から見れば『ジン・ラース』に付随する印象は依然として『炎上したVtuber』に留まっている。

 

 僕は『配信者として人気になりたい』というような願望もないので別に構わないと言ってしまえばそれまでだ。しかし、あまりにも印象が悪いとジン・ラースの妹であるレイラ・エンヴィの評価にも関わるし、コラボしてくれる人が増えないかもしれない。めろさんも必要以上に気に病んでしまう。

 

 そういった意味でもイメージの改善は急務だった。

 

 そのイメージを良くしようという取り組みに、ロロさんは力を貸してくれるというのだ。

 

 いやらしい話だが、チャンネル登録者の数で比べれば僕よりもよほど上だし、ロロさんは個人勢ながらにこれまでの活動を通して大手企業勢のライバーとも人脈がある。礼ちゃんも含め『New Tale』の先輩方ともコラボしているので、コネクションという意味でもわざわざ僕に関わる必要性はない。

 

 非はないにしても一度炎上したという経歴がある僕に絡むメリットなんてあるかどうかもわからないのに、ロロさんは手を差し伸べてくれている。

 

 なんて慈悲深くて心優しい方だろう。これが人と接するということなのか。胸が暖かくなるのを感じる。

 

『〈厄介ファンが気取ってる〉〈職権濫用で草〉〈ASMR聴いてから仲良くなりたいってうるさかったもんな〉〈うまいことやったやん〉うるさいっ……。今だけは言うなっ……。コメント見られてたらどうするんだっ、いいとこなんだからっ……』

 

「…………」

 

『あっ……ミュート……』

 

 寝かしつけ配信をして本当によかった。どうやらこの場に招待されたこともすべてあの配信のおかげらしい。人間万事塞翁が馬、人生何が起こるかわからないとは言うけれど、まさかあの日の思いつきがここまで影響してくるだなんて思わなかった。

 

 夢結さんにはロロさんがイラストを褒めていたことを伝えた後、僕からも感謝の気持ちを重ねて伝えよう。寝かしつけ配信をするに至った理由の大部分は夢結さんなのだ。

 

「なにやらコラボの意図が透けてしまったようにも思えますが、そのお気持ちはとても嬉しいです。ありがとうございます」

 

『あ、よ、よかったです! そう言ってもらえて!』

 

「たしかリスナーさんから質問とかいただいているんですよね? そちらを見ていきましょう、田品さん」

 

『距離離れてるってええぇぇっ! 心の距離離れてるううぅぅっ! リスナーのせいだああぁぁっ!』

 

 こうすればこういう反応をしてくれるかな、と予想していたけれど、予想の倍くらい気持ちのいいリアクションをしてくれる。実に楽しい人だ。

 

 きっと今頃はリスナーさんから〈人のせいにするな〉みたいな内容のコメントが殺到していることだろう。ロロさんのリスナーさんへの接し方や、リスナーさんのロロさんへの扱いがだんだんわかってきた気がする。

 

 これからもっと仲良くなれば、リスナーさんを相手にするような強い語調を僕に対しても向けてくれたりするのだろうか。気の置けない間柄の友人という存在に憧れを抱いている身としては、いずれはロロさんからもぶつかってきてくれるくらい親しくなりたいものである。




祝・初外部コラボ。おまけに初雑談配信。

しばらくお兄ちゃん視点です。


感想や評価くれた方ありがとうございます。めっちゃうれしいです。更新も手直しも頑張ろうって思えます。
ここすきっていう機能を使ってくれている方もありがとうございます。たまに見てはにこにこしています。あれ見るの好きなんですよ。ありがとうございます。


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「これもまた、一つの優しさです」

雑談コラボ回の続きです。


 

『えー……話が脇道に四回くらい曲がってようやくもともと予定していた筋道に戻ってきたわけですが……』

 

「いやはや、長い道のりでした」

 

『ロロも悪いけどジンさんも片棒は担いでますからね? 率先していろんな話をしてくれるしロロも喋ってて楽しいけど、率先して話を脱線させるのは困ったものです……』

 

「炎上についての誤解を解いたらすぐにリスナーさんからの質問に答えるコーナーに行くつもりだったのに、ロロさんが寝かしつけ配信の話に興じるから」

 

『えっ、なっ……ロロ?! ロロのせいになるのこれ?!』

 

「なるべく多くの質問にお答えしたかったのですが、もしかしたらお答えできる数は少なくなってしまうかもしれません。止めることのできなかった僕の力不足です。代わって謝罪いたします。大変申し訳ございません。しかし、ロロさんにも悪気があったわけではないのです。どうかリスナー様の寛大なお心でお許しいただけますと幸いです」

 

『ちょ、ちょっ、ずるいずるい! 手慣れてるって! 罪の逃れ方が手慣れてるって! そんなのロロ一人が悪者になっちゃうよ! 〈ジンさん悪くないよ!〉〈謝ることない〉〈ロロってやつが全部悪いんだ〉騙されてるっ! さっそくばかなリスナーから騙されてってるって!』

 

「ふふっ、言い方っ、リスナーさんへの当たりが強すぎますよ、あははっ。ふふっ……ふう。大丈夫ですよ、みなさん安心してくださいね、冗談ですからね。観ていてお分かりの通り、僕が無駄話するの好きすぎるだけなんです」

 

『ほんとにちょっと気を抜いたら話が逸れる……。話しやすいのに進行しにくいって思ったのは今日が初めてです』

 

「雑談とかけまして」

 

『急になんか始まったって! リスナーたすけて!』

 

「散歩と解きます」

 

『ロロにはどうすることもできないんだ……。MCなのにロロは無力だ……。えっと……その心は?』

 

「寄り道が醍醐味です」

 

『今この時間がまさに寄り道だよ! なんのお題も用意してない雑談配信ならいいけどっ! コーナーがあるってっ! 質問に答えるコーナーがあるってっ! 事前に伝えたよねっ?!』

 

「はい、ごめんなさい」

 

『はぁっ、はぁっ……ふぅっ』

 

「…………」

 

『きゅ、急に黙ってどうしたんですかっ。次は何を企んでるんですっ』

 

「いえ。息遣いが艶っぽいな、と思いまして」

 

『んなうにゅりゃぅにぃっ!』

 

「僕の知る言語ではなさそうですね。出身は第何惑星でしょうか」

 

『やめてよもうっ! 言葉のキャッチボールで緩急つけないでよぉっ! 受け止められなかったじゃん!』

 

「ユニークな表現しますね。見習いたいものです」

 

『うあぁっ……くそぅっ。なにもおもしろい返しができなかった……。ふつうに照れちゃった……。なんだかもう二重の意味で恥ずかしい……』

 

「ロロさんの配信をご視聴中のリスナーさん、ここ切り抜きお願いしますね」

 

『やめてーっ! ロロの配信切り抜きの許諾とかいらないから絶対切り抜かれるっ!』

 

「そうなんですか? 僕のチャンネルに専属の切り抜き師さんがいるんですけど、その人に今日の配信の切り抜きやってもらってもいいですか? 今もきっと観てくれていると思うので」

 

『ああ、あの登場人物全員の発言が最初から最後まで全部字幕ついてる切り抜き師さん! 配信始める前に、今日の配信の切り抜きとか上がるのかなぁ、って実は考えてたんですよ! まさかこんな恥ずかしいシーンが作られるとは思わなかったけど!』

 

「許可が出たのでお願いしますね」

 

『やっていいとはまだ言ってなかったけどね! いやいいんだけど! 〈あの公認切り抜き師か〉〈めっちゃ丁寧なんだよな〉〈めろさんやね〉〈しかも速ぇんだ〉あ、やっぱり知ってる人は知ってるみたいですね。〈任された〉あっ、ほんとにいた! この「mellow:ジン・ラース切り抜きch」って方ですよね? ジンさんほんとにいました!』

 

「ええ、その人です。僕の配信では皆勤賞のめろさんですからね。今日は僕のチャンネルからの配信ではありませんが、観にきてくれていると思ってました」

 

 本業も忙しいはずのめろさんにさらに仕事を頼むのは少々申し訳ないけれど、僕の知っている中で誰よりも動画編集が巧みなのがめろさんなのだ。ここは甘えさせてもらうとしよう。

 

『めろさん?』

 

 めろさんとは時折メッセージのやり取りをしているし、切り抜き動画の細かい調整や相談、他にも単なる世間話で通話をしたりもしている。その時の感覚でつい『めろさん』と呼んでしまった。

 

「あ……えっと、あだ名、ですね。呼びやすいように縮めてめろさんとお呼びしてるんです」

 

『あははっ、仲良いんですね! めろニキー! ロロからもお願いしまーすっ! どうにかこうにかいい感じに切り抜いてアーカイブに誘導してくださーい! 〈任されました〉レスポンスはやっ! やったー! めろニキおなしゃーす!』

 

 ロロさんがめろさんに呼びかける時に使っていた『ニキ』というのは、兄貴(アニキ)の略称だ。Vtuber界隈で使われる専門用語を勉強した時についでに学んだ、いわゆるネットスラングである。補足すると『ネキ』の場合だと姉貴(アネキ)を示すらしい。

 

「切り抜きを上げてくれる速度もそうなんですけど、相談事でメッセージを送ってもすぐ返してくれるんです。几帳面な性格なのでしょうね。とても助かっています」

 

『それいい! めちゃめちゃいいですね! ロロの周りだけかもなんですけど、同業者に連絡してもどいつもこいつも返事返すまでに時間かかりすぎなんですよ!』

 

「あははっ、結構配信者の方って昼夜逆転されてる方多いらしいですしね。寝てらっしゃるのかも」

 

『いやいやいや! 起きてるの! 起きてるんだよ! なんかSNSに「いま起きたー寝すぎたー」みたいな投稿してたの! なのに返事返ってこないの! 起きてすぐに配信始めたのかなって思って調べても配信してないし! めずらしく外出してるのかなって思ったら、そいつふつうにゲームしてたんだよ! ロロにメッセージ返さずに! ひどいんだよほんとに!』

 

 相当腹に据えかねる出来事があったようだ。ロロさんの愚痴が止まらない。

 

「まあまあ、中にはそういったマイペースなのんびり屋さんもいらっしゃるでしょうけれど……」

 

『のんびり屋さん?! そんなに柔らかい言い方できるの?! いや、そうなんだろうね! ジンさんの近くにはそういう人がいないから、きっとそうやって優しく言えるんだろうね! でもっ、でもねぇっ、ロロの知り合いにはそういう奴が片手で足りないくらいいるんだよおおぉぉっ!』

 

「あはははっ」

 

『笑いごとじゃなーいっ! もうっ……もういいっ! リスナーさんからいただいた質問に答えるコーナー行きます!』

 

「おー。はてさて、いくつ答えることができるでしょうか。今の時点でこの調子だと、これからも話が脇道に逸れることが多くなりそうです。楽しみですね」

 

『なんで実況解説みたいな立場から物を言ってるんですっ、この悪魔っ! 時間が押してるのはおもにジンさんのせいなのにっ! 他人事みたいにっ!』

 

「これはロロさんの職業病が原因でしょう。投げつけられたボールは拾って投げ返さなければ気がすまないという、MCの(さが)が出ていますね」

 

『解説しないでっ! だめだ……ジンさんに構ってると進まない……。えーとえーと、ではまず一通目……』

 

「はい、ラジオネーム『田品をたしなめたい』さんからですね。お便りありがとうございます」

 

『匿名メッセージサービスに届けられたメッセージにラジオネームがあるわけないでしょうがっ! てかラジオやってるんじゃないよ! よく即座にラジオネーム思いついたね?!』

 

「本当に全部拾ってくれる」

 

『はぁっ、はぁっ……ジンさんとやってるとわずかな隙も見せちゃダメなんだ……。早くメッセージ出さなきゃ……まずは、これ! 〈よく観てるロロさんといつも観てるジン・ラースさんのコラボとても嬉しいです〉…………』

 

「わあ、ありがとうございます」

 

『ジンさんは「いつも」で、ロロは「よく」なんだ……』

 

「そこに引っかからないでくださいよ。深い意味はありませんよ、きっと」

 

『そうかなぁ……えっと〈ジン・ラースさんの初の雑談配信ということでとても楽しみです。もし質問として取り上げてもらえるのでしたら、ジン・ラースさんの得意料理について訊いてほしいです。あとジン・ラースさん的に料理のできない女ってどう思いますか? お二人とも応援してます! がんばってください!〉とのことです』

 

「お便りと応援、ありがとうございます。こういう形で声援をいただくのは、少々面映い思いもありますがやはり嬉しいですね」

 

『こういうメッセージはいつもらってもうれしいですよね! 質問の内容のほうも気になるんですけど、これまで雑談配信してないってほんとの話です? 今日が初?』

 

「はい、本当ですよ。これまで一度もやってませんでした」

 

 そういえば雑談オンリーの配信というのは不思議なほどやっていない。ゲームの実況配信やコラボ配信の後にVCを切って短時間の雑談をする配信者さんも中にはいらっしゃるけれど、僕はそれもしていなかった。

 

 どうしてやってなかったのだろう、と思い返してみると、ついこの間まで配信を荒らす人たちが常駐していたからだった。

 

 ソロでの雑談配信(雑談配信は基本的にソロでやるものだろうけれど)ならばリスナーさんからのコメントを見ながらやりたいと思っているのだけど、荒らしがコメント欄に住み着いている時では僕はコメントが見づらくなるし、リスナーさんも目を向けたくないコメント欄を開くかもしれない。善良なリスナーさんが気分を害する可能性があったので控えていたのだ。

 

 炎上騒動が鎮まってからも荒らし対策の感覚が抜けず、なんだかんだで雑談配信から遠ざかっていた。

 

『ジンさんのチャンネルでこれまで雑談がなかったから質問もたくさんきてたのかなぁ? ていうか記念すべき初の雑談配信なのにコラボ配信で、なんならジンさん本人は枠なしだし……ロロのチャンネルでやってもよかったんです?』

 

「僕側にはこれといって支障はありませんよ。これまではただ機会を逃してできていなかっただけなので」

 

『それならいいんですけど……。こんなに喋れるのに雑談配信してないということにロロ、戦慄してます』

 

「僕はお喋りが好きなだけで上手いというわけではありませんからね」

 

『こんなにどこからでも話を繋げられたら十分雑談でもやっていけると思いますけど……。欲を言えば第三者によるツッコミはほしいところです。ジンさん一人の時だとボケがそのまま垂れ流されてってしまいますから』

 

 やはり初対面のゲストを呼んでお話しする、という経験をたくさん積んでいるからか、ロロさんは会話の運びがお上手だ。適度な相槌もそうだし、嫌味とかしつこくなったりしない程度に自然に持ち上げたりもしていて、ゲストが気持ちよく話せる空気を醸している。

 

「第三者、なるほど。それなら雑談したくなったらロロさんのチャンネルに遊びにきますね」

 

『そう言ってもらえるのはとってもうれしいです! ……うれしい、んですけど、頻繁にお越しになられるとロロがツッコミ疲れで過労死する可能性があるので、そこそこのスパンを空けて遊びにきてもらえたら……』

 

「明日もお喋りしにお邪魔しますね」

 

『ごめっ、ごめんなさいっ! うれしいんですけどっ! うれしいんですけど二日連続はっ……胃もたれ、じゃない、明日はもう予定があって……』

 

「胃もたれと仰いました? 僕重いですか? 油っこいですか?」

 

『ああいやっ! ちがくて、油っこくはないんですけど……味が濃い』

 

「くふっ……ふふっ。『味が濃い』とは、いい例えですね」

 

 ロロさんのお話しがお上手なのはもちろんのことなのだけど何より、僕の投げかける冗談をしっかり打ち返してくれるところがいい。僕に冗談を投げかけてくれると尚グッドなのだけれども。

 

『楽しそうでなによりです……。じゃあその繋がりで質問にどうぞ。…………え、ジンさん料理できるんですか?』

 

「今ですか? お便り読んでたのに。料理しますよ。両親が忙しくて家を空けることが多かったので、家事はずっと僕がやっています」

 

『わ……すご』

 

「それほどすごくもないですよ。料理をし始めたころは味つけもよくなくて、わりと下手でした。ですが長くやっていますからね、さすがに上手くもなります。結局は慣れと経験です」

 

『ずっと続けてるのがすごいんですけどね。料理するのって手間も時間かかりますし』

 

 ご飯を作るとなると、食材を買って、それらを洗うなり切るなりして煮るなり焼くなり調理しなくてはならない。作ったご飯を食べるのはすぐなのに、使った調理器具やお皿などを洗うという手間もある。

 

 毎日続けるというのはたしかに大変ではあるし、時間もかかる。僕だって自分の分だけであれば毎日作ったりなど絶対しない。礼ちゃんがいない時は冷蔵庫内の期限が危ない物をフードプロセッサーで液状にし、胃に流し込むのが僕の食事だ。

 

「僕も自分の食事だけなら手を抜いちゃいます。やっぱりあれですね、料理を作る相手がいることが上達と持続の秘訣ですね」

 

『よかった、やっぱり自分のご飯だと手抜いちゃいますよね。てきとーでいっかぁ、ってなっちゃうんですね。……あー、リスナー。ジンさんの言ってる作る相手っていうのは妹さんのことだからね。〈彼女おんの?!〉とか〈公言してくタイプなんだ……〉って驚いてる人いるけど』

 

「そうか、知らない方もいらっしゃるんですね。僕のチャンネルだと周知されていますし、コラボ相手側のリスナーさんも存じてらっしゃる方が多いので盲点でした。簡単に説明しますと、僕の妹が『New Tale』二期生のレイラ・エンヴィなんです。礼ちゃんは以前にロロさんともコラボしていましたね。その節は、妹がお世話になりました」

 

『いえいえっ、そんなそんな……。大人びててかっこいい子で、ロロも楽しかっ』

「礼ちゃんは可愛いんですけど」

 

『はいすいませんかわいい子でしたっ! ……こわ、怖かったぁ……。食い気味だし聞いたことない声色だし……』

 

「ここばっかりは譲れません。あ、この流れでいえば、得意料理も礼ちゃんの好物が得意料理ですね。僕はこれといって好き嫌いがないので」

 

『レイラちゃんを中心にした生活なんですね……。それで、得意料理って?』

 

「礼ちゃんはお肉よりお魚のほうが好みなので、魚料理が得意です」

 

『得意の幅広すぎません? 魚料理全般? まじです?』

 

「比率的にお肉よりお魚のほうが扱う機会が多いので、その分経験してます。でも礼ちゃんは香辛料を使った料理も好みなので、イタリアンやエスニックもそれなりに、といったところでしょうか」

 

『エスニック?! 家で作れるんですかそれ?!』

 

「家でも作れますよ。キッチンの調味料棚はいろんなスパイスがひしめいてます。ただエスニック系の料理はレシピとして知っているだけで実際に本場の料理を食べたことがないメニューが多いので、ちゃんと作れているのかどうかわからないんです。なのであまり得意と胸を張ることはできないですね」

 

『いやいや、胸張ってもらって大丈夫です。ぜんぜん誇ってください。料理できるだけでも尊敬なのに、エスニック料理まで作れるんならもう、自信持っていいんです』

 

「それなら今後は得意なことはなんですかと訊かれたら、料理ですって答えますね」

 

 格ゲーもイーリイさんに太鼓判を()してもらえたし、最近得意なことが増えている。背はもう伸びないけれど内面は成長期かもしれない。

 

『うん、それだけ作れるのに得意って言えなかったら誰も得意だなんて言えなくなります。少なくともロロはこれからは料理できるなんて言いません』

 

「ロロさんも料理されるんですか? 配信者で自炊される方って珍しいと思いますけど」

 

『そうです。自炊するだけでめずらしいし、なんならえらいって褒められるのがこの界隈なんです。だからこれまで「ロロは料理できるんだぞ!」ってドヤ顔で言ってきてたんですけどね。ほんとにできる人を目の前にすると恥ずかしくて仕方ないです』

 

「恥ずかしいも何もないと思いますけど。ロロさんも実際に作られているわけですから。料理の経験やコツって作るメニューが変わっても案外応用が利きますから、きっとロロさんなら一度レシピ見れば大抵作れるようになりますよ」

 

『やめて、やめてください……優しいフォローしないで……。やめろ、やめるんだ……ロロのこれまでの発言を抜き出さないで……。〈ロロ『おみそ汁なんて簡単っしょ』〉〈ロロ『今日シチュー作ったんだよすごくなーい?』〉とか、捏造じゃないからなおさら苦しい……。ぜんぶ言った記憶があるのがなおさらつらいっ……』

 

「レパートリー、煮るお料理が多いんですかね」

 

『ぐふっ……』

 

「あ、いや、他意はないんです。焼いたり揚げたりとかだと油が跳ねてお部屋汚れたりしますし、お掃除大変ですもんね。蒸し料理は特殊な調理器具が必要だったりで挑戦するのもハードル高いですし」

 

『……煮る系の料理は、リカバリーが効くんで……』

 

「ロロさんはお忙しい中、日頃からお料理してるのがそもそもすごいんですから、気にしなくていいんです。偉いです、とっても偉いです」

 

『ありがとうございます……。ロロのガラスハートにヒビが入りましたけど、なんとか耐えてます……。それで質問の続きですけど、料理できない女ってどう思います?』

 

「そういえば質問は二つありましたね」

 

『世間一般の男性の声だと、やれ「彼女にはご飯作って欲しい」だとか「飯作れない女とかいるの?」だの、自分のこと棚に上げて好き勝手のたまってる人もいますけど』

 

「そうですね。やはり僕自身が作れるからかもしれませんけど、別にもしパートナーがご飯を作れなかったとしても問題ありませんね。相手が作れないのなら僕が作ればいいだけですし」

 

『わぁお……。おい、リスナー聞いた? 女の理想像がここに顕現してるよ。見習え? リスナー、見習ってけ?』

 

「ふふっ、そんな言い方をするとまたリスナーさんから手厳しい意見をいただくことになりますよ、ロロさん」

 

『大丈夫です。もうもらってます。〈お前も見習え〉って、正論カウンターパンチもらってます。……そうだ、ちなみにジンさん的には料理作れる女と作れない女、どっちがポイント高いです?』

 

「作れるか作れないかで言えば、それはもちろん作れたほうがいいでしょうけれど……僕も時間通り毎日ご飯作れるかわかりませんし、作れない日はパートナーに作ってもらえたらもちろん嬉しいですし」

 

『いやまぁ……そりゃそうですよね。……〈作れたほうがいいに決まってんだろ〉〈IQサボテンくらいの質問〉ってリスナーにも総ツッコミされてます』

 

「ちなみにサボテンはIQが二から五などと言われてたりしていますね」

 

『知性のある人間のIQとは思えない……』

 

「ロロさんのIQがサボテンと同じ、という話から料理の話に戻しますと」

 

『べつにロロのIQがサボテンと同じわけじゃないんですけどっ?!』

 

「僕としてはあまり料理に焦点は当てていませんね。パートナーがご飯作れないのなら僕が作りますし、お互いに料理ができるのなら一緒に作ったらいいんです。楽しいですよ、きっと」

 

『わぁ、わぁっ……完璧だ。答え完璧だよ……。こんなの、女性リスナーは好印象しか持てないよ。女性リスナーを取り込む音が聞こえたよ』

 

「どんな音ですか。それにもしお互いに料理できなかったとしても問題ないと思うんですよね。最近は宅配サービスも充実しているわけですから、料理を作る時間を省いて、そのぶんお喋りしたりゲームしたりするのも時間の効率的な活用方法と言えます」

 

『ジンさんは料理上手なのに宅配サービスは肯定的なんですね』

 

「ええ。実際に利用したことはありませんけど、非常に便利なサービスだなあ、とは思いますよ。ロロさんも仰っていましたけど、料理はどれだけ省力化しても手間と時間のかかる作業ですからね」

 

『それならジンさんはどうしてわざわざ自炊してるんです? レイラちゃんの分もご飯頼んでおけば、宅配サービスでもいいんじゃないですか?』

 

 住んでいる場所にもよるし、サービスを利用する時間帯にもよるけれど、家まで商品を届けてくれるのはとても楽でいいなとは思っている。家では作れなかったり作るのが面倒な料理なども気軽に注文できるし、配信者の利用率が高いのも頷ける。

 

 ただ、それでも僕は自分で作ることにこだわっている。

 

「栄養面さえ(おぎな)えていれば別に宅配サービスを利用してもいいかなとは思うんですけどね。端的に言ってしまえば自己満足です。いつも僕がご飯作ってるのに、礼ちゃんはいつも美味しそうに食べてくれるんですよ。その顔を見ながら一緒にご飯食べるのが好きなんです、僕」

 

 たまに礼ちゃんが夢結さんと遊びに行った日などは晩御飯を作ることがない日もあるけれど、基本的には毎日作っている。それに今は礼ちゃんが夏休みに入っているので朝昼晩と三食僕が作って三食とも一緒に食べているのに、毎回笑顔で食べてくれるのだ。

 

 前にこんなことがあったとか、配信でリスナーさんがおもしろいコメントしてたとか、他愛ないお喋りをしながら幸せそうに笑ってくれる。お兄ちゃんが作るご飯が一番おいしいと褒めてくれる。

 

 そんな礼ちゃんの笑顔を見たいがために、僕はキッチンに立つのだ。

 

 そうやって日常の小さな幸せをしみじみと噛み締めていると、唐突に苦痛に悶えるような声が届いた。

 

『ぐぅっはっ……。うあぁっ、んああぁぁっ!』

 

「え、なに、どうしたんです……? 大、丈夫……ですか?」

 

『なんか、なんかっ! すごく胸がどきどきする! めっちゃきゅんきゅんする! ロロっ……ロロ、こんな彼氏が欲しいよおおぉぉっ、うわああぁぁんっ』

 

「ああ、そういうこと……。何事かと思いましたよ。ほら、泣かないで、ロロさん。きっといい人が現れますよ」

 

『現れるかなぁっ?! こんなバケモンみたいなリスナーしかいないロロでも、優しくてイケボでゲームもうまくて料理のできる高収入高身長のイケメン、現れるかなぁっ?』

 

「あ、いや、んんと……ちょっと、あの」

 

 さすがに言い淀んだ。

 

 思っていたよりロロさんが求める彼氏の水準が高くて面食らった。高望み、だなんて口が裂けても言えないし思わないけれど、条件をすべて満たした彼氏さんを見つけるのはかなり苦労しそうだな、とは思う。

 

『現れるかなぁっ、ジンさん?!』

 

「ロロさんは妥協って言葉ご存じですか?」

 

『うわああぁぁっ! ありていにお前じゃ無理って言われたああぁぁっ!』

 

「ふふっ、言ってません言ってませんよ。大丈夫です、もしかしたらロロさんのリスナーさんにいらっしゃるかもしれませんからね。それに、無理そうだなと思った時は分相応という言葉を知っているか訊ねますのでご安心ください」

 

『怖すぎるよっ、言葉鋭すぎるよっ! ジンさんにそんなの言われたら泣いちゃうよ! 優しい嘘って言葉知らないの?!』

 

 イーリイさんとはベクトルが違うけれど、同じくらいリアクションがいい。僕やリスナーさんから求められたリアクションのハードルをしっかり越えてくる。

 

 漏れ出てくる笑いを噛み殺しながら、僕も返す。

 

「いやあ、優しい嘘があるのなら、嘘をつかない優しさもあっていいはずですからね。これもまた、一つの優しさです」

 

『あうっ……論破されたっ。言い合いで勝てる気がしないよ……』

 

「僕にロロさんを泣かせるような真似させないでくださいね」

 

『怖いよっ! ロロが調子乗ったことほざいたら、正論パンチで殴られるの?! メンタルボコボコにされて泣かされるんだぁっ?!』

 

「まあまあ……次のお便り行きましょうか?」

 

『濁した?! DV彼氏……は、発言には気をつけます……。つ、次いきまふっ!』

 

 



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「趣味ではなく生き甲斐なんですけど」

 

『濁した?! DV彼氏……は、発言には気をつけます……。つ、次いきまふっ! 〈兄悪魔が初の外部コラボってことで応援送ります。いっぱい楽しんでください。兄悪魔はお嬢のお世話以外になにか趣味とかあるんですか?〉』

 

「礼ちゃんの世話が僕の趣味になってることを前提に質問されてますね。お便りありがとうございます」

 

『ジンさん、兄悪魔というのはジンさんのことでいいんです? レイラちゃんがリスナーさんからお嬢と呼ばれていることは知ってるんですけど……』

 

「ああ、そちらの説明が先でしたね。礼ちゃんが僕と初めてコラボした時にお別れの挨拶で『悪魔兄妹』と名乗って、そこからリスナーさんから兄悪魔と呼ばれるようになりました。おもに礼ちゃんの配信をよく観てるリスナーさん、眷属さんたちにそう呼ばれることが多いです。礼ちゃんのところの眷属さんたちにもたくさん応援してもらってるんですよ。幸せなことです」

 

『兄妹どっちも悪魔だから兄悪魔呼びなんですね。なるほどなるほど。……リスナーさんもジンさんがレイラちゃんをとても可愛がっているのは知ってるんですね』

 

「礼ちゃんのところのリスナーさんはよく知っているでしょうし、長く眷属をされているリスナーさんはなおのこと詳しく知っていることでしょうね。礼ちゃんは前から配信でもよく僕の話をしてますし」

 

『すごい兄妹だ……。それで趣味ですけど、レイラちゃんのお世話とお料理以外でなにかあります?』

 

「礼ちゃんのお世話はみなさんの共通認識なんでしょうか。そちらは趣味ではなく生き甲斐なんですけど」

 

『趣味よりもぐっと重みが増しましたね……』

 

「それにしても趣味、趣味ですか。んんと……僕、特に趣味と言えるものがないんですよね」

 

『趣味ないんですか? 最近ハマってることとかでもいいですよ? ロロは最近アロマキャンドルにハマってます! いい香りするし、なんだか気持ちがゆったりしますよ!』

 

「アロマキャンドル、いいですね。僕も礼ちゃんに言われて一時期やってみたことあります。なかなか奥が深いですよね。香りによって期待できる効果が違ったりして」

 

『ロロも知ってる! リラックスするののほかにも気持ちを前向きにするのとか、やる気出るやつとか! ……って言っても、ロロは最初、ただリラックス効果があるからって言われて使ってたんだけどね。ゆらゆら揺れる火を眺めてるとそれだけで落ち着くよ』

 

「たくさん種類があるのもいいですよね。飽きないです。見た目もこだわれますし」

 

『めっちゃわかる! どれにしよっかなって悩むのも楽しいの! 飾ってるだけでもおしゃれなのあって、すぐにたくさん使ったりできないのに気になったのたくさん買っちゃって部屋のインテリアになってるよ!』

 

「置いておくだけで仄かに香るものもありますし、それでもいいんじゃないですか? ボタニカルキャンドルやジェルキャンドルとかは特にそういったインテリア向けなものが多い印象です」

 

『あ、それってお花とか入ってるやつでしょ! ロロ持ってる!』

 

「きっとそうですね。装飾に力を入れているキャンドル、というイメージがありますし。燃える部分と装飾が施されている部分が仕切られているものもあって、難しいですけどそういうものだと使い終わっても見て楽しめていいですよね」

 

『むず? ススとかが気になるってこと? あれ知ってる? スス出にくいの。なんだったっけなぁ……ハチのやつ!』

 

「ビーズワックスのキャンドルのことでしょうか? ロロさん、本当にお詳しいですね。蜜蝋(みつろう)から採られたビーズワックスだと(すす)が出にくいらしいですね。僕は自分で使って比較したことはないんですけど」

 

『ロロ比べたことあるよ! やっぱり賃貸だとススとか気にしちゃうから調べたことある。ほんとに少ない気がしたよ。なんで少なくなるのかは知らないけど』

 

「一般的なキャンドルに使われているのはパラフィンワックスだと思うんですけど、それは石油から作られているんです。パラフィンワックスは先ほど言っていたビーズワックスよりも含まれている炭素の量が多くて、なので完全に燃え切らなかった炭素が煤として出てきちゃうんですよね」

 

『ロロより詳しいっ!? もうアロマキャンドルが趣味の人だよそれは!』

 

「いえいえ僕なんてそんなそんな。少し前に作ってただけなので」

 

『……え?』

 

「え?」

 

『……今まで作る側で話してたんです?』

 

「作る側……まあ、そうですね。礼ちゃんが使っている場に同席はしてたので使ってもいますけど」

 

『飽きないとか、難しいとかってそういう……。ロロよりよっぽどアロマキャンドルが趣味って名乗れるくらいの人なんですけど……』

 

「どっちがアロマキャンドルを趣味と名乗るかの勝負じゃないんですから、作る側とか使う側とか関係ありませんよ。ロロさんだってお詳しいですし」

 

『そりゃそうなんですけどぉ、なんかちがうぅ……』

 

「僕は作る側で、ロロさんは使う側で趣味の人ですね。ちょうど分かれてていい感じじゃないですか」

 

『なにがどういい感じなのかわかんないです。でもジンさんがどんなの作ってるのか気になります。ほしいですもん、ジンさん作のアロマキャンドル』

 

「僕作と呼んでいいか怪しいんですけどね。オイルのノートの組み合わせというか、調整はかなり自信があるんですけど、デザイン面の才能が絶無でして」

 

 不思議なんだよね。ちゃんと見本として初心者でもできそうな資料を横に置いてドライフラワーの配置を確認しながら作ったはずなのに、なぜか完成品は奇怪な代物になっていた。そのアロマキャンドルを受け取った礼ちゃんは顔を引き攣らせていたし。

 

 でも実際に火を点けてみると礼ちゃんの表情は和らいだ。香りはいい、と褒めてもくれた。いや、正確には『香りだけ(・・)はいい』だったけれど。

 

『そんなことあります? デザインっていっても、キャンドルの外側にお花とかが見えるように、ロウを流し込む容器の内側に貼りつけていくだけですよね? 難しいとは思いますけど、そんなヘンテコなことにはならないような……』

 

「僕としては、結構いいんじゃないかな、と思いながら礼ちゃんに渡したんですけど、礼ちゃんからは不評で。部屋に置いてたら体に(つた)や根っこが絡みつく悪夢を見そうと言われました」

 

『逆にすごくないです? アロマキャンドルでそんなイメージを相手に植えつけられるって』

 

「なので最終的にアロマオイルのバランスやロウの部分を僕が、デザインを礼ちゃんが担当して作ったんですよ。合作にしたおかげでお互い満足できる仕上がりになりました」

 

『いいですね! 結局は好きな人と一緒に作れたらそれが一番いいって話だよ! 一緒に作って、一緒に使って、のんびりする……。はぁ……そんな相手いないよ……』

 

「まあまあ……一人だとしても部屋を薄暗くしてお茶なりお酒なり嗜みながらアロマキャンドルを焚くというのも、乙な趣味ではないですか?」

 

『独り身おつ、とかリスナーからは言われそうですね……』

 

「んっ、ふふっ。それは……それはそんなことを言うリスナーさんに非があります。アロマキャンドルなんて、基本的に一人でゆっくり楽しむものです」

 

『へ、へへ……そっすよね。独りで味わう趣味ですもんね……』

 

 なにやらロロさん、傷心のご様子だ。可哀想に。

 

 どうにか慰めてあげたいけれど、ロロさんの求める男性像に当て嵌まる知り合いなんて僕にはいないし、どうすることもできない。そもそも男性の知り合いが僕にはいなかった。可哀想に。

 

「そうだ。同じ趣味を持つ仲間として、アロマキャンドルプレゼントしていいですか?」

 

『えっ?! いいんですかっ?!』

 

「ええ。話していたら久しぶりに作りたくなってきたので。デザインは……お洒落なものを作ろうと思うと忙しい礼ちゃんの手とセンスを借りなければいけないので、デザインを凝ることはできませんが」

 

『シンプルなアロマキャンドルでもロロうれしいですよ!』

 

「最近お世話になっている方がたくさんいるので、何かお返しができたらなあ、と思っていたんです。アロマキャンドルを趣味と名乗ってもいいとロロさんからお墨付きをいただいたので、気持ちばかりのものですがプレゼントしたいなと」

 

 少し考えただけでも僕を助けてくれている人はたくさん思い浮かぶ。あまり高価だったり手の込み過ぎた物だと驚かせてしまうかもしれないし、感謝の気持ちを伝えるのにアロマキャンドルはいい塩梅かもしれない。

 

 夢結さんや寧音さん、美影さん、めろさんといった面々はとても多忙なこともあるし、贈るのならリラックス効果のあるアロマキャンドルが適切だろうか。日々仕事に追われている母さんや父さんにも心配をかけてしまったわけだし、この機会だ。お疲れ様とありがとうの気持ちを込めて作るとしよう。

 

『あー、お世話に……なった、方……あー、はい、なるほどなるほど。…………ロロはおまけかぁ……』

 

「住所を知られずに宅配してもらう方法もありますからね。僕に住所を知られる心配もありません。リスナーさんも安心してくださいね」

 

『おまけでももらえるのはうれしいけど……ん? コメント欄の流れが……。〈ギターは?〉とか〈声真似あるやん〉とか〈ドライブしてるって聞いたぞ〉〈バイク〉……これって?』

 

「ん? ……あ、そのラインナップはだいたい礼ちゃんにやったことのあるものですね。おそらく歴戦の眷属さんのコメントでしょう。僕の配信ではちょこっとドライブやバイクの話に触れたかなといったくらいで、ちゃんとやったのは同期の声真似くらいですからね」

 

『えぇ……。多趣味というか、多芸すぎませんか?』

 

「礼ちゃんに『これやって!』と頼まれたら断れない兄の(さが)です。やっていくうちに増えました。こればかりは仕方ない」

 

『……さっきの「これやって!」っていうのは誰かのマネです?』

 

「話の流れ的に礼ちゃんしかいませんよね?」

 

『レイラちゃんはそんなに声高くな……あ、めっちゃ似てるらしいですね。〈ばか似とる〉〈お嬢入ってきたかと思った〉って言ってる人いっぱい……え、そんなレベルで似てるの? いや、ていうかなに自然に女の子の声真似してるんです?! 男の人の喉から出る声じゃないですけど!?』

 

「まだ高い声で似せるのは練習中なんですけどね。でも礼ちゃんの声なら誰よりも聞いている自信があるので、ふふ、まあこれくらいは」

 

 女性くらいの声の高さだと声を寄せていくのに時間がかかってしまうけれど、礼ちゃんの声真似は会話の合間だろうとすぐにできる。礼ちゃんの声なら脳髄に刻み込まれているし、たまに礼ちゃんと話している時に遊びで声真似したりしているので咄嗟に出せるようになったのだ。

 

『いろんなことができることよりもレイラちゃんについて自慢してる時が一番活き活きとしてますね……。ちなみに声真似ってどんなのが……』

 

「ロロさんは以前、とあるギャンブルのアニメを観ていると配信で仰っていましたが、まだ好きですか?」

 

 もしかしたら雑談が弾まないかもしれないという状況を想定し、話の種にしようと思ってロロさんのアーカイブを視聴していたら、とあるアニメの話題があった。アニメの話とか共通の話題があれば多少空気は良くなるだろうと考えて、予習の一環でアニメにも目を通しておいたのだ。

 

 おもに僕のせいで時間が押してしまっているので話題にするタイミングはないかと思っていたけれど、巡り巡ってこんなところで披露する機会が回ってくるとは。

 

『え、えっ、うそっ! あのアニメ、わりとマイナーだよ? ……で、できるの?』

 

「アニメ一通り観てきましたので」

 

『ええぇぇっ! なんっ、えっ……』

 

「んんっ……『それでは早速やりますね』」

 

『もう似てるっ、もう似てるよぉっ……』

 

 今回声真似するキャラクター、というかそのキャラクターを担当されている声優さんは男性だし、声の高低も極端ではない。その声優さん独特の尖った個性なども薄いので、声を寄せるのにそれほど苦労はない。

 

「『後に退けないこの瞬間が、俺はッ、一番血が滾んだよッ!』」

 

『きゃああぁぁっ! わああぁぁっ! 本物だああぁぁっ!』

 

「いえ本物ではないですけども」

 

『やっばいっ、やっばいですって! アニメから直接切り抜いたんじゃないんですよね?!』

 

「ご安心ください、違いますよ。著作権の侵害になっちゃいますからね」

 

『あぅ、あ、疑うわけじゃないんですけどっ、ほんとにそのくらい似てて! びっくりして!』

 

「せっかく練習したので、もうワンシーンくらいやっときましょうか」

 

『っっっっ!』

 

「こちらに声が聞こえてないんですけど……ノイズキャンセリングがかかったのか、それとも声が出ていないのか。まあ、嫌がっている感じはないのでいいでしょう。んっ、んんっ『では、いきます』」

 

『っ! っ!』

 

「『……これで、俺の勝ちだッ! 返してもらうぞ、俺の相棒をッ!』」

 

『ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ゛……。ロロの一番好きなどごお゛お゛ぉ゛ぉ゛っ……』

 

「どうでしょう? 喜んでもらえました?」

 

『はちゃめちゃに嬉しいっ……。あ、あのぉ……』

 

「よかったよかった。準備した甲斐がありました。なんです、ロロさん?」

 

『ひとつ、わがまま……いいです?』

 

「はい、僕のできることなら」

 

『はっ、ぁっ、ぁの……こんなことお願いするのは、非常に恥ずかしいんですけど、ですね……。でも、こんな機会、もうないと思うので……』

 

「……何をお願いされるんだろう……。とりあえず内容を伺います」

 

『さっきのセリフの「相棒」の部分を、ですね……。「ロロ」に変えてもう一度言ってもらうことって、できたりとか……』

 

「ああ、なんだ。そういうこと……。はい、それなら大丈夫ですよ」

 

『わぁっ、ありがとうございますっ! ……うるさいリスナー! いいでしょ!〈欲望に忠実で草も生えん〉とか言わないでよ! 〈うわぁ〉とかシンプルに引かないで! 大事なのこれは!』

 

「あははっ、結構言われているみたいですね。でもリスナーさん? リスナーさんも、好きな俳優さんや女優さん、推しているアイドルの方や声優さんに自分の名前を呼ばれたら、きっと嬉しいですよね? そう考えると、ロロさんのお願いも致し方ない部分があるのではないでしょうか? もちろん、僕は本物の声優さんには遠く及びませんけども、寄せることだけならできますから」

 

『いやジンさんの声真似のクオリティ半端ないですって! ほんと自信持って……ってリスナー! 〈あーたしかに〉じゃないだろー! 〈ジンさんが言うならまあええか〉ってなんだ! ロロの時と態度違うなぁ?!』

 

「くすっ、ふふっ。リスナーさんと仲良いですね。あー、あー。『それではやりますね』」

 

『まっ、あっ、待って! 待ってください!』

 

「『ロロさん、どうかされました?』」

 

『んふっ……へへ。いや、あの……配信のBGMを、切るので……えへへ』

 

「『本気の度合いがすごい』」

 

『あはっ……もうっ、もうっ! その声やめてうそやめないで! ……はい、お好きなタイミングでお願いしますっ。……〈キモすぎ……〉とか言うなリスナー。こんな機会があったらオタクはみんなこうなるでしょうが』

 

「『……じゃあ、えと……やりますね? んんっ。……これで、俺の勝ちだッ! 返してもらうぞ、俺のロロをッ!』」

 

『かっ……ゅっ!』

 

「ははっ、あははっ、どう発音したんですか。『ゅっ』ってなんです? ふふっ、ロロさん、大丈夫ですか?」

 

『んくっ、んぐっ……っ。ぁ、あぃがどぅ……ございまずっ……』

 

「……泣いてらっしゃいません? 本当に大丈夫ですか?」

 

『ごのシーンは切り抜いて家宝にしまずっ……』

 

「なんだかもう、僕の声真似なのが申し訳なくなるくらいに感動してる……。本物の担当声優さんがやったんじゃないんですけど……」

 

『いいの! ロロには聞き分けられないから本物なの! だからいいの!』

 

「あははっ、わかりました。それならよかったです。喜んでもらえて」

 

『ロロも、ロロもなにかお返ししないと……』

 

「そのお気持ちだけで嬉しいですから結構ですよ。気になるようなら……そうですね。こうしてロロさんのチャンネルにお邪魔させていただいた手土産みたいなものだと思ってください」

 

『赤スパ投げときます』

 

「わー危なかったー。収益化まだだからセーフ」

 

『収益化してないんですかっ?! なんで?! 条件満たしてるですよね?!』

 

「敬語がおかしくなってますよ。というか、ロロさん、無理に敬語使わなくてもいいですよ。僕のほうが配信者歴浅いんですから」

 

『今それ関係ないです。収益化の話です。リスナーも言ってます。〈ほんそれ〉〈よく言ってくれた〉って。スパチャ投げれないじゃないですか!』

 

「まさか収益化してなくて怒られることがあるとは……」

 

『リスナーは推しにスパチャしたいものなんです。ファンは推しに貢ぎたい生き物なんです。ロロは感謝の意味も込めてスパチャ投げつけたかったんです。きっとジンさんを応援してるリスナーさんたちだってそう思ってる!』

 

「そ、そういう、ものですか……」

 

『そういうもんです!』

 

「な、なるほど……。それじゃあ、そうですね……また今度事務所のスタッフさんに相談してみます」

 

『はい! よろしくお願いします! ジンさんのチャンネルのリスナーさんたち! あなたたちの気持ちはロロが代わりに伝えておいた! 安心しろ!』

 

「なんだかロロさんが代弁者になってる……」

 

 でも、実際に配信のコメントやSNSでもリスナーさんからそういった『スーパーチャット投げられないんですけど……』とか『収益化しないんですか?』みたいな意見は寄せられてはいた。僕の個人的な考えの下、収益化は見送っていたのだけれど、こうやってリスナーさんサイド(ロロさんをリスナーさんサイドに入れていいかは疑問の余地が残るけれど)の感情を直接耳にした以上、そろそろ方針を転換させる時期がきたのかもしれない。リスナーさんの気持ちを無視してまで自分のやり方を貫く理由は僕にはないことだし。

 

 それに収益化を通したとしてもスーパーチャットなどの機能のオンオフはできると聞く。ならば一度収益化を申請しておいてもいいかもしれない。

 

 ともあれ、一度美影さんに相談してからだ。この人になら任せても大丈夫だと思えるスタッフさんが身近にいてくれるというのはとても頼もしいな。安心感がある。

 

『それで……えっと、なんだったっけ? なんの話だったっけ……ジンさんのセリフで頭沸騰してぜんぶ蒸発しちゃった』

 

「趣味の話からずいぶん転がっていきましたね」

 

『そう! 趣味だよ! ドライブとかよくするんです? バイクって単語も出てきてましたけど。アウトドア派なんですね』

 

「ん……どうでしょう? アウトドアかなあ? 基本インドアな気も……うーん」

 

 昔、僕が小学校低学年くらいだった頃は両親もまだ今と比較すると休みが多かったこともあって、家族でキャンプに行ったりもしていた。テントも設営はするのだけれど、念の為と言って父さんがキャンピングカーを借りて、それに乗ってキャンプ場まで行っていたのを鮮明に記憶している。

 

 今もそれが続いていればキャンプが趣味ともアウトドア派とも言えるのだけれど、最近はめっきり行けていない。

 

 ランニングはしているしドライブは礼ちゃんと行っているけれど、はたしてそれらでアウトドア派と自称していいのだろうか。

 

「あまりアウトドアとかインドアとか気にしたことがありませんから、どちらかって訊かれるとわからないですね」

 

『気にしたことが……ない? あ、そうな……ああ、陽キャ……なるほど……』

 

「ただ、車でもバイクでも、礼ちゃんの気晴らしで出かけていることが多いですね。礼ちゃんは勉強で疲れた時にふらっと、どこそこに連れてって、と言うので僕も、それじゃ行こっか、という感じで付き合ってます」

 

『うわぁっ! いいなぁっ! いいですね! そういうの!』

 

「僕としても助かっ」

『いいなぁっ!』

 

「発作みたいに『いいなぁ』が出てくる……。僕としてもそうやって誘ってくれるのは助かってるんです。礼ちゃんに誘われなければそうそう出かけることがないでしょうから」

 

『ジンさんが、というよりはレイラちゃんがかなりアクティブなんですね。なんだか、ロロの中にあったレイラちゃんのイメージからはかけ離れて行ってはいるんですけど』

 

「僕の印象だと、礼ちゃんはそんな感じなんですけどね。『風浴びたい!』って言ったら近場にツーリング行ってみたり『夜景見たい!』って言ったらドライブに行ってみたり。おそらくフットワークは軽いほうでしょうね」

 

『そういえば前にきてくれた時に、レイラちゃんは毎朝ランニングしてるとかって聞いたなぁ。そっか、アウトドアだしアクティブだし、文字通りにフットワーク軽いんだなぁ。それにしても……いいなぁっ! いい、いいなぁ……お願いしたら夜でもすぐにドライブデートしてくれるって、とんでもないなぁ……。……でも、レイラちゃんって学生だったよね。……今からこんなデートしてたら、同年代の男の子と遊びとか行けなくなっちゃうんじゃないかなぁ……』

 

「それは……きっと、大丈夫です。礼ちゃんを幸せにしてくれる人は必ず現れます。世の男性女性がほっとけないくらいの魅力が礼ちゃんにはありますので」

 

『男性だけじゃなくて女性も視野に入れてるんですね?!』

 

「このご時世、性別で選択肢を狭めるなんて合理的ではありませんからね。当人同士が幸せになれるのであれば、兄は応援するのみです」

 

『兄としてのプライドと覚悟が極まっている……。そういえばギターというのは? 趣味ではないんです?』

 

「趣味、と言っていいのかどうか。始まりは、礼ちゃんと晩ご飯を食べている時でした。『最近芸術の授業でギターやってるんだよー』という雑談からで」

 

『始まりの部分は変わることがなさそうですね。ずっとレイラちゃんだ。というかさっきからナチュラルにレイラちゃんの声真似挟んでくるのやめてください? どきっとするんで』

 

「テストもある、と話していました。授業だけだと時間が足りないかもしれないので、僕が教えられるようにと思ってギターをやり始めたんですよ。その時はまだ僕の生活にも時間的なゆとりがあったので」

 

 前の会社に勤めたばかりの頃はまだ礼ちゃんとゲームをする時間もギターを触る時間もあった。あったはずなのに、それが時間をかけてどんどん(こそ)ぎ取られていったのだ。職場の人間の数が目減りしていったのが原因である。怖い話だ。神隠しかもしれない。気づいたらいなくなっていた。

 

『その理由で音楽始める人たぶんジンさんくらいです。後半部分はちょっと闇を感じたので触れないでおきますね』

 

「危機管理意識が高いですね、賢明な判断です。なんだかんだでギターのテストは上手く乗り切ったとのことだったのですが、それ以降もたまにギター弾いてー、とお願いされることがあったので腕が鈍らないようにちょくちょく練習はしてます」

 

『もう趣味の欄に書いていいです、それは。ロロが断言します。料理とアロマキャンドルとドライブとツーリングとギターは書いていいです。いや、書いてください。書きなさい。書け』

 

「とうとう命令形に……。こんな半端な心持ちの僕が趣味と口にしていいのかと悩んでいたんですけど」

 

『そんなに重く考える必要ないです。ちょっと触ったら趣味って言っていいんです。……それで、ですね……。もしかすると、うすうす予感はしているかもしれませんが……ギターを披露してもらうことって……』

 

「はい、いいですよ」

 

『やったぁっ! ありがとうございますっ! もう手遅れなんでわがままになっちゃうんですけど、弾き語りとかって……』

 

「それは少し難しいですね」

 

『ご、ごめんなさい……。調子に乗りました……』

 

「え? ……あ、違います、違いますよ? 別に気に食わないからとか、疲れるからとか、準備が面倒とか、そういうことではないんです。ギターを弾くだけなら問題はなかったと記憶しているんですが、もしかしたら歌も一緒にとなると著作権周りのあれこれに引っかかるかもしれないので、念のために控えておくだけです」

 

『あ、なるほど……。ロロのほうが長く配信やっているのに盲点でした……すいません。音源を自分で用意していてもだめなんでしたっけ?』

 

「歌のほうは、また別に手続きがあった気が……こんなに早く配信上でやるとは思っていなかったので、楽曲を配信で使用する際の手続きをまだ把握できていないんです。事前に申請を出したり許可をもらわないといけないかもしれないので、申し訳ないんですが今回はギターだけでお許しいただけるとありがたいです。問題があってはいけないので」

 

『……ロロこそ適当なことを言ってしまってごめんなさい。注意が足りていませんでした。弾き語りは今後、ジンさんのチャンネルで行われることを期待して待機しておきます』

 

「あははっ、そうですね。配信でやれる機会があったらいいですね。それでは準備してきますので、少々お待ちください」

 

『あいっ! ごゆっくりどうぞっ!』

 




 
感想でも反響のあったAdministrator配信の回をどうにか前倒しできないかと模索したんですが、いろんな都合が絡み合って動かせそうにありませんでした。申し訳ないです。

ついででもありませんが。
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「霊験あらたかなチャンネル」

 準備の際に物音もしてしまうだろうからミュートにしてから席を外す。

 

 部屋の隅に置いているギターを手に取り、機材を引っ張り出して、PCの設定を行っていく。

 

 寝かしつけ配信以降、もしかしたらこれまで想定していなかった方向性の配信もするかもしれないと思って機材の手配をしておいて正解だった。

 

 なんなら機材の手配をした時にスタッフさんに歌配信などをする時の手続きも聞いていたら歌も一緒にできたのかもしれないと思うと、若干手抜かり感を覚える。

 

 オーディオインターフェイスやマイク、シールドやエフェクターなどは一応揃えて一通り使ってみたけれど、まだ歌配信などをやる予定はなかったのだ。『New Tale』のスタッフさんの中には音楽関係に詳しそうな方もいらっしゃったし、機材を触った時に流れで意見を伺っておくべきだった。反省点だ。

 

 ギターの調整もして、席に着く。

 

「お待たせしました」

 

『おかえりなさい! ぜんぜん大丈夫ですよ! ロロのとこのリスナーもわくわくしてるし、ジンさんのところのリスナーさんもジンさんのギターを初めて聴けるかもということで興奮しているみたいです。ロロ、リスナーさんから感謝されました!』

 

「ふふ、それならよかったです。ところで、ロロさんのチャンネルのリスナーさんと僕のチャンネルのリスナーさんの区別つくんですか? リスナーさんのお名前覚えてらっしゃるんですか?」

 

『いやぁ、さすがに全員は覚えてないです。頻繁にコメントしてくれてて、名前とアイコンが長いこと変わっていない人なら覚えてる人も何人かいますけどね。ちなみにジンさんリスナーを見つけるのは簡単です。ロロへの当たりの強さが違うんで』

 

「あははっ、見分け方そこなんですね。さて、それではそろそろやりましょうか」

 

『はいっ! お好きなタイミングでお願いしますっ!』

 

 歌は歌えないので、せめてギターが映える選曲をしようと考えて真っ先に思い浮かんだのは、先ほども脳裏を過った音楽関係に強そうなスタッフさんからリクエストされた曲だった。

 

「……ふふっ」

 

『どうしたんです?』

 

 事務所での出来事を想起していきなり笑うという不審なことをしていると、ロロさんに見咎められた。

 

「すいません。ちょっと思い出してしまって。事務所でギター弾いた時もいろいろあったな、と」

 

『事務所、というと「New Tale」さんの? またどういった経緯で……』

 

「デビュー前のことです。書類と動画の選考を通って事務所で面接があったんですけど、そこでギターの弾き語りをしたんですよ。……いや、その前に声真似もやりましたね。まさしくあの日の面接の焼き直しみたいだ」

 

『面接で……。ちなみに動画ってどんなものを送ったんです?』

 

「動画のほうはFPSの実況プレイとボイスドラマをかけ合わせたようなものになりました。礼ちゃんの親友にボイスドラマに造詣が深い方がいらっしゃるので、その方に台本を書いてもらったんです」

 

『ボイスドラマっ! あの、その動画って……公開、されたりとかって……』

 

「現時点では公開する予定はないですね」

 

『あ、そうですか……ですよね。あー、でも……ロロ、ちょっと謎が解けたような気持ちです』

 

「謎? 謎とは、どういう……」

 

『「New Tale」さんって、もう十分に知名度がある事務所じゃないですか。以前に男性のライバーさんが活動していたとしても、一般リスナーからしてみれば女性ライバーさんしかいない事務所って印象なわけで』

 

「そうですね」

 

 僕は礼ちゃんが在籍している事務所ということもあって一期生に男性ライバーがいることを知っていたけれど、ただ単に『New Tale』の中の一部のライバーの配信を視聴しているだけの人は男性ライバーの籍があることを知らないかもしれない。実際に僕がデビューしたばかりの頃は『女しか入れない箱でなんで男がデビューできるんだ』みたいな意見も多数見られた。

 

 創設初期から『New Tale』を観てきたような古参のリスナーしか一期生に男性ライバーが在籍していることを知らない状況だったのは確かだ。

 

『そんな感じの印象なのに、どうして男性のライバーさんをデビューさせたんだろうってロロは不思議だったんです。べつにそのままでもやっていけるだろうになぁって。でも今日でわかりました。ジンさんくらいの人がオーディション受けにきたら、多少リスクがあっても喜んでデビューさせるよね、って』

 

「うん? えっと……もしかして僕褒められてますか?」

 

『褒めてます。ベタ褒めしてます。声よくてゲームうまくて話おもしろくて芸達者。これで受からなかったら誰も受かりません。というかジンさんくらいいろいろできないとNTさんに受からない、と考えると末恐ろしくもありますね……』

 

「細かい審査基準は僕もわかりませんし、デビューしてそう時間も経っていない新人が知ったようなことは言えませんが、非常に狭い門だとは思います。正直な話、僕も動画を送った段階では受かるとは思っていませんでしたからね」

 

『ジンさんはもっと自信持っていいと思いますけど……でもまぁ、NTさんを箱推ししてるリスナーさんは安心できるんじゃないです? 変な男は絶対入れないってことがわかるわけですし。逆にNTさんに入りたいって思ってる男性は絶望ですけどね。男性がNTさんに入れる基準は、現時点ではジンさんになるわけですし』

 

「そんなに誉めそやされるほどの悪魔ではないんですけどね」

 

『いえ、実に悪魔です。「admini(アドミニス)strator(トレーター)」配信見直してください。実に悪魔でした。続き楽しみに待ってます』

 

「ありがとうございます。せっかくなんで『administrator』の続きを進める時は礼ちゃんも誘おうと思っていて、予定を合わせてるんです」

 

『それならまたジンさんとレイラちゃんの実況、というかかけ合いを観られるんですねっ?! やったー!』

 

「僕のほうは暇なんですけど、礼ちゃんは忙しい身ですから。なので気長に待っていてもらえるとありがたいです」

 

『いつまでもお待ちしてます! ロロは「待て」ができるタイプのリスナーです!』

 

「もうリスナーを自認してしまっている……。というか、まるで(しつけ)のなっていない犬もいるかのような口振りですね」

 

『全然いますからねー。「なんであのゲームやらないの?」とか「このゲームの続きまだ?」とか平気で言ってくる躾のなっていない犬』

 

「おお……なかなかに毒の利いた舌を持っていますね。それなら『待て』ができるリスナーさんはいい子ですね」

 

『ほわぁっ……わっ、わぁっ。な、なんか、魂の深いところに刺さるセリフだ……』

 

「『待て』って言ってお利口にじっと待っているところを見ていると、いつまで耐えられるのか試してみたくなりません? 徐々にむずむずして我慢できなくなるところをじっと見つめていたいです」

 

『ま、まずい……その発言はさっきとちがう意味でまずいですよっ! そんなこと言ってるとMっ気のある女が寄ってきますよ!』

 

「そんな虫が寄ってくるみたいな言い方しなくても。それに大丈夫ですよ。僕のところのリスナーさん……人間様は被虐趣味はないでしょうし」

 

『ジンさんだとそんな趣味がなくても強引にこじ開けてきそうなんだよね……。……ん? あっ、ギター!』

 

「忘れられていましたね。僕ずっとギター抱えたままです」

 

『なぜか話がすぐに脱線してしまう……ふだんのロロはもう少しちゃんとしてるんですよ?』

 

「すいません。僕、お喋りするのが好きなもので、取り留めのない話をつらつらとしてしまうんです」

 

『配信者適性高すぎますね。いつもならロロだってお喋り大歓迎なんですけど、今はちょっとっ……今はちょっとやらなきゃいけないこといっぱいあってっ!』

 

「あははっ、MCは大変ですねえ」

 

『大変にしてるのはおもにジンさんなんですけどね! それで、どの曲を演奏してくださるんです?』

 

 期待してくれている様子のロロさんに曲名を伝える。CMでも使われていた歌なので、曲名でぴんとこなくても弾き始めれば、ああこの曲か、となるだろう。

 

「一昔前の名曲ですが、せっかくなのでこちらを弾かせていただこうかと」

 

『せっかく、とは?』

 

「さきほど話した事務所で弾いた時に、とあるスタッフさんにリクエストされた曲なんです。とても難しい曲で、面接の場では満足に弾くことができなかったんですよ。なので面接の後に練習したんです。今回は聴くに値する演奏をお届けできると思います」

 

『おおー。ロロはその曲がどれくらい難しいのかぴんとこないんですけど、ギター楽しみです。……あ、めっちゃ難しいんですね。〈マジで言ってる?〉〈ライブ配信でいきなりやる曲じゃない〉ってリスナーが驚いてます』

 

「そうなんです。とても難しくて、たくさん練習しました。では、お聴きください」

 

 大きく息を吸って、ゆっくり吐き出す。最近では定期的にギターを触るようにしていたので、指もしっかり動く。

 

 摘んだピックでギターを掻き鳴らす。

 

 前に事務所でやった時は難曲であることに加えて弾き語りという形でやっていたので、どう前向きに捉えても満足できるべくもない演奏だった。

 

 しかし、今回は歌なしでギターだけ。しかも定期的にギターを触るようになってから練習の仕上げとしてこの曲を頻繁に弾いていた。前回、事務所で披露した時とは仕上がりが違う。

 

 素人の演奏だけれど、そこそこ楽しんでもらえる出来にはなるはずだ。

 

「…………っ」

 

 人としての感性に乏しい僕だけれど、演奏していて気分が良くなるという感覚はさすがに持ち合わせている。思わず歌い出してしまいそうになるのを寸前で堪える。

 

 まずいまずい。これが自分のチャンネルでの配信であれば責任は僕が負えばいいけれど、今日はロロさんのチャンネルなのだ。考えなしの行動は取れない。

 

『……っ、ぁっ……すごっ』

 

 ギターの音と重なって紛れるように、ロロさんの声が小さく聞こえた。

 

 どうやらロロさんにも楽しんでもらえているようだ。せっかくこうしてロロさんのチャンネルにお誘いしてもらったのだから、できることならロロさんにも、ロロさんのリスナーさんにも喜んでもらいたい。

 

「…………」

 

『わぁっ……』

 

 歓声はロロさんの声一つだけ、観客は見えない。でも、僕の目の前にいないだけで、たくさんいてくれている。

 

 礼ちゃんに弾き語りを披露するだけでも満足感はあったけれど、こうして大勢の人に自分の演奏を聴いてもらうというのはまた違うベクトルの楽しさがある。

 

 なんだろうか。

 

 少し。

 

「……っ!」

 

 昂揚してきた。

 

 空調は効いているはずなのに、体が熱い。

 

 演奏にも熱が入る。

 

 今までにないくらいに調子がいい。譜面を思い浮かべなくても、手が意思を持ったかのように勝手に動く。滑らかに、流れるように、指板の上で指が好き勝手にタップダンスをしている。体が思考を置き去りにしている。

 

 この音に声を重ねられたら、どれほど気分が良いのだろう。思わず歌い出してしまいそうになる衝動を下唇を噛み締めて押し殺す。

 

 僕の代わりとばかりにギターに音を歌わせてしばらく、そろそろ終わりが近づいてきた。

 

 最後の一音を惜しむように、丁寧に、それでいて力強く奏でる。音の振動を余韻まで味わって、息を吐いた。演奏中のどのあたりからかは自分でもわからないが、呼吸も忘れていたらしい。

 

「ご静聴、ありがとうございました」

 

 ああ、とても楽しかった。

 

 聴いてくれている人たちを楽しませるつもりが、おそらく僕自身が誰よりも楽しんでしまっていた。思い出してしまうと少し恥ずかしくもある。

 

『すっ……。すごっ……っ! すっごい……めちゃくちゃっ、めちゃくちゃだ……』

 

「そ、そうですね。ロロさんの言語野はめちゃくちゃになっているみたいです。自覚はあるようで安心しました」

 

『ジンさんですよ! ロロが言ってるのは! 音楽にもギターにも詳しくないロロが言うのもおこまが、おこがしまっし、おこまがしいですけどっ! めちゃくちゃうまいじゃないですかっ!?』

 

「新人の僕が指摘するのもおこまがしい(・・・・・・)ですけど烏滸(おこ)がましいが正しいですね」

 

『なんで配信でやらない?! これで趣味ですらない?! ジンさん! あなたもっと自信持ってけ?!』

 

「わあ、いいテンポ感と素晴らしい勢い。これがベテランの技ですか。参考に」

『ほんとにめちゃくちゃすごくてっ、ロロ感動してっ! リスナーも驚いて〈やば〉とか〈すご〉くらいしかっ、二文字三文字分くらいしかキーボード打てなくなってましたよ!』

 

「喜んでもらえたのなら僕も頑張った甲斐がありました。とはいえ、途中で僕のほうが楽しくなってしまって、リズムが走りそうになっ」

『ロロめっちゃ興奮してっ! でも邪魔しちゃだめだって思ってなるべく声出さないようにしてたのにリスナーが〈呻くな〉とか〈ノイズになっとる〉とか〈ロロ静かにしてくれ〉とか、ロロに文句言う時だけ長文打ってくるんですよ?! ひどくないですか?! だから途中から口に手を当てて音出ないようにがんばったんです! ほんとは手を上げて叫びたかったくらいなんですけどっ!』

 

「あ、ありがとうございます……。でもロロさんの息を呑むような歓声のおかげでこっちもテンションが上がって、いつもよりも調子良く弾くこ」

『こんな演奏を目の前で、しかも歌ありで聴けたとかNTの面接担当さん運よすぎじゃないっ?! 前世でどんな徳積んできたのっ! こんなのリスナーなら誰だってできれば生で聴きたいって思うよっ!? 生じゃなくてもいいからしっかりしたレコーディング環境で収録した演奏と歌を聴きたいよっ!』

 

「もしかして僕の声届いてなかったりします? ミュートになってますか、もしかして」

 

『聴こえてるからこんなにテンション上がってんですよぉっ!』

 

「ああ、よかっ……いや、逆に怖くなってきました。声が聞こえていたのにここまで会話が一方通行になることがあるなんて」

 

『はぁっ、はぁっ……。……今後は、もう少し歌配信やるとか、歌ってみたとか、上げてもらっていいですか』

 

「そう、ですね……。いろいろとハードルはあると思うので軽々にやります、なんて言えませんが……はい、検討はします」

 

『なんか、こう……お金がかかるとかいうことなら、こちらには払う用意がありますので』

 

「いや、言いませんって。仮にコストの面で多少問題があったとしても言えませんよ。『ここでこれだけ費用が発生するから出しといて』なんて。ヒモより(たち)が悪くないですか? 生活費出してもらうよりもステージが上ですよそれ」

 

『お金が障害になって歌が聞けないくらいなら、その障害を取り払うくらいわけないです。プラマイプラスです。きっとジンさんのリスナーさんも同じです。ロロが出資できる位置にいるのでロロが出すだけです』

 

「出資は丁重に遠慮させていただきます。スタッフさんと相談して前向きに検討しますので、いつになるかまでは明言できませんがお待ちください」

 

『待てない』

 

「あ、あれ? 待てができるタイプのいい子のリスナーはどこに行ってしまったんです?」

 

『わかってます……ほんとはわかってるんです。歌配信の準備も、歌みた上げるのも時間も労力も、なんならお金もかかるって……。でも、ロロはもう聴きたくて聴きたくて……』

 

「そこまで望んでもらえるのは僕としても嬉しいですしありがたいんですけど、こちらとしては配信や動画という形でしか提供する手段がありませんから……ご理解ください」

 

『……みんなに内緒でオフで会うことってできません? だ、だいじょうぶっ、大丈夫です! 歌聴いたらロロすぐ帰りますからっ!』

 

「その提案、破綻してません? 配信に乗ってるんですけどね、これ。ロロさんのリスナーさんに刺されたくないのでお会いすることはできません」

 

『むぅ……。ロロにガチ恋っているのかなぁ? 〈チャンスや〉とか〈よし行ってこい〉とか〈ようやく彼氏ができるのか〉とか、背中押してきてるんですけど。あ……〈お嬢はどうだろうね〉……レイラちゃんに刺されたくないのでやめておきまーす……』

 

「あははっ、礼ちゃんはそんなことしませんよ。きっと」

 

『しない、と言い切ってほしかったところではあります。あー……ロロの前に現れてくれないかなぁ……。優しくてイケボでゲームもうまくて料理のできる高収入高身長でドライブやツーリングにも快く連れて行ってくれるようなギターも弾けるイケメン、現れてくれないかなぁ……』

 

「っ! ロロさん」

 

『はい、なんです?』

 

「ロロさんは分相応って言葉ご存じですか?」

 

『こふっ……』

 

 吐血でもしたような音の後、(くずお)れるような音が続いた。まずい、言葉の刃が思ったよりも深く突き刺さってしまったようだ。

 

「ああ……違うんです、ロロさん。フリかと思って……てっきりフラグ回収しろよ、っていうフリかと思って……」

 

『な、るほど……。そうですね、話の流れ的に完全にフリになってしまってましたね……。ええ、しょうがないです……』

 

「冗談、もちろん冗談ですからね? 思ってませんからね? そんなこと」

 

『はい、大丈夫です……わかってます。ジンさんはそんなこと言うわけないってわかってるんですけど、ただ……油断してたところにがっつり刺さったってだけで……。あ、でもおかげで冷静になれました……。ありあとごじゃす……』

 

「だいぶメンタルにきてそうですけど……。時間的にもう少しなので頑張ってください」

 

『メンタルを正論パンチでぼこぼこにした本人が応援するってのもおかしくはあるよ……』

 

「頑張れたらまた声真似のリクエストとかも受けますからね。やる機会があれば、ですけど」

 

『くっ……うぅっ。鞭のあとに甘いアメっ……。DVのお手本かよっ……ロロがんばるっ!』

 

「嘘みたいに立ち直ってくれた。よかったよかった」

 

『ていうかほんとに予定の時間が迫ってたっ! 結局質問受けれたの何個?! 二つくらいしかできてないよね?!』

 

「まあ、二つですね。申し訳ない限りです。いただいたメッセージはあとからロロさんに見せてもらいます。ちゃんと読ませていただきます。ご安心ください」

 

『またゲストで呼んでいいですか? ちょっとロロ、予定が詰まってていつできるかとかははっきり言えないんですけど……』

 

「本当ですか? 嬉しいです。今日もとても楽しかったですから」

 

『ほ、ほんとです? 社交辞令とかじゃなく?』

 

「もちろんですよ。誘ってくれる人自体いなくて、それにロロさんはお話を(さば)くのもお上手でとても安心できました」

 

『えへへっ、そう言ってもらえるとうれし……それって言い方変えたらツッコミ係ってこと、では……』

 

「そんなことないです。ロロさんは打てば響くような返しが素晴らしい、ということです。褒め言葉です」

 

『それも、叩けば鳴るおもちゃ、みたいに聞こえる気が……』

 

「それは悪様に捉えすぎですよ。ロロさん、ネガティブになってません?」

 

『そ、そうですよね!? うん、そうだ、うん……。ちょっと……分相応事件が尾を引いていて、含めて聞こえるようになっちゃってるかもしれません……』

 

「本当にすいませんでした。まさかそこまで刺さるだなんて思わず」

 

『ロロが高望みすぎるのがいけないんです。現実を見せてくれてありがとうございます。えー、それでは時間もいいとこなああぁぁっ!』

 

「わあ。どうされました? 飲み物でも倒しましたか?」

 

『あっぶない! リスナーありがとう! えっとですね、初めてゲストで呼んだ人には毎回訊いてる恒例の質問があるんです!』

 

「ほう。お伺いします」

 

『今後の目標や叶えたい夢などあったら教えてください!』

 

「目標、夢……ですか」

 

『なんでもいいんです。べつに具体的じゃなくても。わりとご利益があるって評判なんですよ。ここで宣言した目標は達成できる、みたいな』

 

「へえ、そうなんですか?」

 

『はい! FPSゲームの高いクラスに行くって言ってた人は行けたらしいですし、チャンネル登録者数百万人目指すって言った人も達成しましたからね』

 

 FPSで高いクラスを目指すというのは自分の努力でなんとかなる範囲だけれど、チャンネル登録者数百万人というのは自分の努力だけでどうにかできるものではない。努力に加え、それを長く続ける体力と忍耐力、人を惹きつける魅力も兼ね備えた上で、人気を跳ね上げるのにはある程度運の要素も絡む。

 

 Vtuberのみならず、配信者にとって百万人という大台はそれほどに偉業だ。

 

「すごいですね。霊験あらたかなチャンネルだったんですね、ロロさんのチャンネル」

 

 まるで高額当選が出た宝くじ販売所みたいなニュアンスなのが引っかかるといえば引っかかるけれど、縁起がいいことは確かである。僕も何かお願いするだけしておいて損はないかもしれない。

 

『あ、でも素敵な旦那さんを見つける、とかなんとか寝言ほざいてたロロの知り合いはまだ見つけられてないんで例外もあります。やっぱり大勢の人の前で宣言することによって自分を追い込む、みたいな感じで、がんばれるようになる人もいるんだと思います!』

 

「お優しいロロさんがここまで棘の鋭い言い方をするとは。なんだかかえって、そのお知り合い様がどんな方なのか興味が湧いてきますね」

 

『優しいなんて、そんなそんな……。あ、でもジンさんは関わり合いを持たないほうがいいと、ロロは断言しておきます。つきまとわれそうで心配なので』

 

「ど、どんな人なんだろう……」

 

『被害に遭った時は同情とか憐れんだりとかしないですぐに通報していいので。ロロはすでに、彼女ならいつかやると思っていました、っていうコメントを用意してます』

 

「ふふっ、インタビューされた時の返答まで準備してるんですね。それなら行状を改めるように注意してあげたほうがいい気もしますけど、あははっ」

 

『まぁ、人としてのラインは反復横跳びしてるけど、法に触れるかどうかのラインを見極めるのと男をドン引きさせることだけはうまいんですよ、あいつ。だからたぶんきっとおそらく大丈夫です』

 

「……本当にどんな人間なのだろう。仲の良い人にそんなふうに形容される精神性はどうやって形成されたのか、非常に好奇心がくすぐられますね……」

 

『急に悪魔スイッチをオンにしないでください……ぞくぞくします。ジンさんの悪魔的好奇心が薄れないままだったら、いつかコラボでもしてみます? ロロも同席するので』

 

「それはとても楽しみですね。その日がくるのを楽しみに待っておきます」

 

『……そんなにうれしがるようなやつじゃないんだけどなぁ……。まぁ、あんなやつはほっといて、ジンさんは目標とか夢とか、あります?』

 

 目標。夢。

 

 つい最近、イーリイさんと話したことで明確に定まったものが、僕には一つだけあった。礼ちゃんが関係しない、僕個人の目標。

 

「あ、あー……えっと。ある、には……あるんですけど」

 

 ただあの時は、僕と礼ちゃんとイーリイさんだけだった。その二人に聞かれるだけでもなんだか肩身が狭いというか、決まりが悪いというか、表現しにくい感情を覚えたのに、ロロさんに加えて視聴しているリスナーさんにまで聞かれるというのは、なかなかに抵抗がある。

 

『なんですなんです?! 教えてくださいよ!』

 

「む……」

 

『なぁに照れてんだかわいいなぁっくそぉぅっ!』

 

 逆に考えると、その抵抗感を乗り越えて観衆の前で宣言することに意味があるのかもしれない。大勢の前で目標を掲げることで、目標に向かってより一層努力するように自分を追い込むようになる、という説もあったりなかったり。

 

 良くも悪くも変化がなければ進化はない。そのためなら一時の決まりの悪さくらい、耐え忍ぼう。

 

「あ、の……えっと」

 

『こんなに言い淀むジンさん初めてだっ! え、な、なに言おうとしてるんですっ?! あのっ、チャンネルがBANされるような内容ならコミュニケーションアプリのチャットのほうでお願いしたいんですけどっ……』

 

「これから、長く付き合っていけるような……友人、が……できたら、いいなあって」

 





世間的にはお盆休みらしいですね。読んでくださっている皆様はどうお過ごしでしょうか。
僕はせっかくなので(?)お盆休み期間中は二回行動でもしようと思います。
大丈夫、弾(書き溜め)はあるんや……あとは手直しが間に合うかだけや……。
というわけで次は十二時間後に更新します。よろしくお願いします。


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『ベッドの上じゃないと気持ちよくいけない』

悪意のあるサブタイトル。




「これから、長く付き合っていけるような……友人、が……できたら、いいなあって」

 

『っ────』

 

 かっ、と顔が熱くなる。限度を超えてお酒を飲んだ時の感覚を不意に思い出した。

 

 僕が目標を打ち明けてからというもの、ロロさんが一言も発していない。あまりの幼稚さに呆れ果てて言葉も出ないのかもしれない。

 

 いや、きっとそんなことはない。

 

 僕はロロさんのトーク力を信じている。想像を遥かに下回る目標を宣言されたとしても、ロロさんなら華麗に拾ってどうにか返してくれるはずだ。

 

 そのはず、にしたってあまりに長い。お互い沈黙してしまったら放送事故になる。苦しくても、どうにかコメントを絞り出してくれないものか。

 

「あ、あのロロさ……」

 

 ばんっ、と大きな物音が響いた。

 

 テーブルやデスクなどを叩く、いわゆる台パンと呼ばれる行為だ。言葉の代わりに台パンが出るほどに気に障ったのだろうか。

 

 と、思っていたら、勢いよく息を吸い込む音が聞こえた。

 

『「かあいすぎんだろおおぉぉっ!?」』

 

 大声で、しかしそのまま声を張り上げたら僕とリスナーさんの耳を破壊すると危惧したのか、なにやら布を口に押し当てたような不明瞭でくぐもったロロさんの声が聞こえた。ちなみに十二分にうるさかった。

 

「ロロさん、僕の答えで気分を害したわけじゃなかったんですね。よかった」

 

『気分害するわけないでしょっ! こんなっ、こんっ……「ああぁぁっ!?」』

 

 ロロさんは話の最後で言葉にならずに再び叫んでいた。タオルなのか服なのかわからないけれど、やはり布的なものを()ますことで僕とリスナーの耳を配慮しているようだ。配慮するなら布を嚙ますよりも前に、叫ぶのを我慢してほしいところではある。

 

「ロロさん、急に叫んだらまたリスナーさんに叱られてしまいますよ」

 

『だっ、だってっ! こんだけなんでもできるジンさんのっ、目標がっ……友人っ』

 

「改めて繰り返さないでください。僕にも一応羞恥心という感情はあったらしいので」

 

 ここまで恥ずかしいという気持ちを痛感したのは、もしかしたら初かもしれない。

 

『あんな、恥ずかしそうな照れくさそうな消え入るような声でっ、友人ってっ……っ!』

 

「解説しないでもらっていいですか?」

 

『きゅんきゅんを超越して心臓爆発したかと思いましたよっ! 一瞬意識ないなりましたよっ!』

 

 もしかしたら先ほどの、ばんっ、という異音は、テーブルを叩いた音ではなくてロロさんの心臓が破裂した音かもしれない。

 

「ロロさんの意識が戻って安心しました。沈黙とは別の意味で放送事故になるところでしたね」

 

『まだ心臓ばくばくしてる……。うあー、こんなに心拍数乱高下させてたら体悪くしちゃうよ』

 

「僕としては心臓に負担かけてやろうなんてつもりはないんですが……なぜか罪悪感がありますね」

 

『ううん、いいんです。心は幸せなんで。嗜好品なんてものは、心は幸せでも体には悪いものですからね』

 

「嗜好品扱いとは……。喜んでいいのか悲しんでいいのか、複雑な気持ちですね。僕なんてもっと雑にというか、フランクにしてもらっていいんですけど」

 

『ロロがジンさんを雑に扱うようになるにはまだ慣れる時間が必要そうですね……。ロロって声フェチだったんですよ』

 

「ん、ん? チャプター飛びましたか?」

 

『でもこの界隈って、長く続けていればいるほど声のいい人とお話しする機会が多いんです。そんなもんだから舌が肥えたというか耳が肥えたというか、ロロの声フェチが顔を出すこと減ってたんですけど、ジンさんは別格なんです。声がいい人には慣れてるはずなのに魂持ってかれかけましたからね』

 

「は、はあ……お褒めいただき恐縮です」

 

『ただでさえ聴き心地いいのに、時々Sっ気出してみたり弱気っぽい声出してみたり、プラスアルファでブーストして心くすぐられたら……そりゃあっ! 雑に扱うどうのこうの以前の問題です! 特別枠にカテゴライズしちゃいますよ!』

 

「……そう、ですか……」

 

 思わず声から力が抜ける。

 

 僕はもっと、対等で、気の置けない関係に憧れているのだ。ばしっと背中を叩いて肩を組むような、どちらかが冗談で生意気なことを言えばもう片方は罵倒で言い返すような、そんな近い立ち位置の友人がいてくれたらなと思っている。

 

 もちろん、ロロさんは女性ということもあって、僕の思い描いている友人像にそのまま当て嵌めるのは難しい。初対面のロロさんを相手に僕の友人像を押しつけて求めるのは間違っている。

 

 だけれど、間違っているにしろ、ロロさんの中での僕の区分けが『特別』の位置だと一般的な意味での友人にすらなれそうにない。

 

 せっかく、楽しくお喋りもできてリアクションもいい、面白い人と知り合えたと思ったのに。

 

 落胆しかけた僕の耳に、ロロさんの声が届く。

 

『だから、もうしばらく待ってください。必ずやジンさんの声に慣れて、雑にネタを振ったりツッコんだりできるようになりますので!』

 

「っ! ……ふふっ、そうですか。そう言われてしまうと次が楽しみですね」

 

『つっ……次、までに慣れてるかどうかはわかんないんですけどぉ……ジンさんの配信を追って努力します!』

 

「やってることは人間様と遜色ないんですよね」

 

『ジンさんのとこのリスナーさんっ! ロロも仲間入りするよっ! これからよろしくねっ!』

 

「配信者さんに、しかも僕より長きに渡って活動してらっしゃる方に観られながら配信すると思うとプレッシャーがありますね」

 

 ロロさんは『New Tale』の一期生の先輩方がデビューした頃と同時期に活動を始めていたはず。直接の先輩ではないにしろ、配信者としての括りであれば大先輩と呼んでも差し支えない。

 

 そんな大先輩が一リスナーとして僕の配信を観ることがあるかもしれないと思うと、さすがに多少は緊張しそうだ。配信者として至らないところも散見されるだろうし。

 

『とりあえず配信が終わったらジンさんのメンバーシップ登録してくるよ!』

 

「あ、僕メンバーシップ開設していません」

 

 メンバーシップというのは、僕らが配信しているプラットフォームで展開されているサブスクリプションサービスの一つだ。

 

 月額で料金を支払うことで登録したチャンネルごとに提供されているメンバーシップ登録者限定のサービスを受けられるという、ざっくり説明してしまうとファンクラブのようなものである。

 

 このメンバーシップというシステムを使うかどうかは配信者の判断で決めることができるので、メンバーシップを開設できる条件を満たしていても開設しない人もいる。

 

 配信者個人の判断に任せられているので、条件は満たしているものの僕は開設していない。たまにリスナーさんから『スーパーチャットできるようにしてください』という陳情と一緒に『メンバーシップも開設してもらえたらうれしいです』という要請も届いていたが、それらは心苦しくも見なかったことにして閉じてきた。ごめんなさいね。

 

『なんでっ?!』

 

 僕がメンバーシップを開設していないことを伝えると、ロロさんはボリュームを半分くらいに絞りたくなる声量で問い(ただ)してきた。

 

「収益化すらしていないので想像はついていたかとは思いますが……」

 

『そりゃあメンバーシップ開くかどうかは本人次第なので無理にやれなんて言えるわけないんですけどっ! どうしてっ?!』

 

 ロロさんは一言たりとも無理強いはしていないが、その声量に伴う圧はほとんど無理強いに近いものがある。

 

 しかし、僕も嫌がらせとか申請や開設にあたっての作業が面倒そうだから、みたいな理由でリスナーさんからのお願いを蹴っていたわけではないのだ。考えた結果のことである。

 

「メンバーシップは月額で費用がかかるわけじゃないですか。その費用に見合う内容の配信ができるかどうかわかりませんから」

 

 そう。メンバーシップはサブスクリプションサービス。メンバー限定の特典に不満があったとしても、少なくとも当月分の月額料金を支払ってしまえば返金などはされない。リスナーさんから支払われた月額料金に釣り合うような配信、もしくは動画を提供できる自信がない。

 

『はぁっ?! あの……あのね、ジンさん。そういう問題じゃ……ああ、待て、落ち着け。落ち着くんだ、同胞よ。気持ちはわかっている。痛いほどわかっている。だからここはロロに任せてほしい』

 

「な、なんだろう……。人間様から何か言われてるのかな……」

 

『ファンはね、出したお金に見合う配信を求めてるわけじゃないんだよ。もちろんなにかしらのコンテンツがあったらうれしいよ? おもしろかったり楽しかったり(ヘキ)に刺さる動画なり配信があればもちろん狂喜乱舞するよ。でもね、べつにそうじゃなくてもいいの。推しを応援したいからお金を出してるだけなの。ファンは推しを応援したいからお金を出したいだけなの。ここまでオーケー?』

 

「お、オーケー……」

 

 声を張っているわけでもないのに妙な迫力がロロさんにはあった。いたずらに意見するととんでもないことになりそうな予感をひしひしと感じるので、とりあえずロロさんの言い分を聞いておこう。

 

『べつに、観応(みごた)えのある配信してほしいとか考えてないの。ってかジンさんは声真似やらギターやらもできるし、リスナーさんからのタレコミによると歌もうまいらしいし、ばっちり観応え聴き応えもあるだろうけど……まぁ今はいいの。そんなに気を張ってやろうとしなくていいの。なんならジンさんなら雑談だけでメンバーシップの特典になるくらいなんだから』

 

「雑談するだけ、というのはさす……」

『いやっ! いけるね!』

 

 食い気味に、というか実際に僕のセリフを半分以上食ってロロさんが力強く断言した。

 

 勢いに呑まれている僕を尻目に、なんなら尻目どころか僕の様子なんて視界にも入れていないような気もするけれどとりあえず、ロロさんは続ける。

 

『ジンさんの場合は雑談配信のほうが逆に希少価値があるから、ゆっくり落ち着いてお話を聴きたいって人は喜んで観に行くよ! いやもうっ、なんならメンバー限定の配信をしてなくてもメンバーシップ入るよ』

 

「それはどう考えてもおかしいということくらいは界隈に疎い僕でもわかりますからね。さすがにそれは丸め込まれませんから」

 

 なぜかロロさんは僕にメンバーシップを開設させようとしているようで、どうにかこうにかあの手この手で誘導するけれど、さすがに疑わしい。

 

 一ヶ月分ではそれほど高くはないにしても、継続するとなれば安くはないお金を支払うことになる月額料金制度のメンバーシップ。それだけのコストを払う理由の最たる部分が、メンバー限定のライブ配信や動画だ。だというのに、特典のメインコンテンツとも言える部分を最悪排除してもいいとは、どういう了見か。

 

『メンバーシップに入っていればコメントの横にマークがつくの。それだけでも嬉しいの。そもそも推しの活動に貢献できるってだけで、メンバーシップに入る価値はあるの!』

 

 内容は荒唐無稽そのものなのに、そのあまりの堂々とした口振りによって『あれ? 僕が知らないだけでそういったものなのかな?』みたいに思わされそうになる。

 

 この界隈のことは一応調べはしたけれど、それは配信上のマナーであったり、専門用語であったり、スラングであったり、あくまで通り一遍の情報でしかない。さらにディープな部分、それこそ今ロロさんが熱弁しているようなリスナー視点やファン心理というものは理解できていない。まずい、流されかねない。

 

 だが、ファンが持つ感情の熱量や大きさはリサーチ不足だとしても、詐欺師の手口なら知識がある。相手の知らない部分を俎上(そじょう)に載せて、いやに自信ありげに話をすることで相手に『そういうものなのか』と思わせ、信じ込ませる。詐欺の常套手段の一つだ。

 

「だ、騙されませんっ……騙されませんから。限定配信をしないのにメンバーシップを開設するなんて、中身のない物を売りつけるのも同然。そんな真似は……ゆ、許されない……はず」

 

『ならジンさん。一度頭をリセットして考えてみて? ジンさんはレイラちゃんの活動を応援したいよね?』

 

 僕が頑なになったのを感じ取ったのか、ロロさんは切り口を変えてきた。

 

 ともあれ、例え話であったとしてもなかったとしても、僕の出す答えなんて一つしかない。

 

「それはもう、訊かれるまでもなく。当たり前のことです」

 

 なにがあろうと礼ちゃんを応援する。それ以外の選択肢なんて端から存在しない。

 

『だよね? そうだよね? ここで仮にジンさんはレイラちゃんの兄でもない一般リスナーだったとして、仮にレイラちゃんはスパチャをオフにしてたとしたら? レイラちゃんの活動を応援する方法はメンバーシップしかないとしたら?』

 

「もちろんメンバーシップに入ります」

 

 礼ちゃんの兄ではない僕、僕の妹ではない礼ちゃんというのは、想像するのも難しい条件設定だ。頭と心臓がついていない腕四本、足八本、体長十メートルの翼と尻尾が生えた人間がいたとして、と言われるのと同じくらい想像が難しい。そんな生き物は明らかに人間ではない。それと同じくらい、礼ちゃんの兄ではない僕は僕ではない。

 

 だが、仮に無関係な一人のリスナーだったとしても僕は礼ちゃんを応援するだろう。

 

 これは因果である。

 

 人間は生きている。だからご飯を食べて睡眠をとる。

 

 僕が僕であるならば、礼ちゃんの幸せを祈る。

 

 因果だなあ。

 

『でもレイラちゃんはとても忙しい子。メンバー限定配信の頻度は低いかもしれない。月に一度もないかも』

 

「それでも入りますし、抜けることもないです。限定配信が目的ではなく、ただ応援したいだけなので」

 

『ふへっ、そうだよねぇ? えへへっ、そう思うよねぇ?』

 

「な、なんです、その奇妙な笑いは……」

 

『ジンさんがレイラちゃんに(いだ)いた、ただ応援したいという気持ち……その気持ちを! ファンは推しに抱いているのだ!』

 

「はっ!」

 

『もうおわかりのようですね。ならば応援したくてもできないリスナーの苦しみも理解できることでしょう。ジンさんにとってみれば、レイラちゃんのお世話もできない、ご飯も作れない、配信活動を応援することもできないのと同じなのですから!』

 

「ぐっ……。それはっ、たしかに……っ」

 

 僕と礼ちゃんで推しとファンの関係を例えられてしまうと、あまりにも理解がしやすくてロロさんの言い分を納得せざるを得ない。

 

 礼ちゃんの生活や配信活動を応援できないなんて苦しいにも程がある。陸に打ち上げられた魚みたいなものだ。息ができなくなる。

 

 さすがにロロさんの説明は表現がオーバーになっているとは思うけれど、それに近しいものがあると考えると、安易に否定するなんて僕にはできない。

 

『なので、限定配信でメンバーシップの価値に見合う配信ができるかとか気にせず、ジンさんはとりあえずメンバーシップを開設すればいいのです』

 

「……なんだか良いように丸め込まれている気がしなくもないけれど、筋は通っている……。わかりました……。収益化の話と一緒に、スタッフさんや周りの人に意見を仰ぐことにします」

 

『ぜひお願いします。一考してみて、今回は見送ろうということになってもそれはそれでいいんです。いろいろ予定とかもあるでしょうし、開設の作業もありますから無理にとは言いません。ただ、推しの活動を応援したい、支援したいというファンがいることを知っててほしいんです』

 

「ふふっ、そうですね。考えてみます」

 

『あぁー……うぅ、なんかすいません……。興奮してジンさんの都合を考えずに勝手なこと言った気がします……』

 

「いえいえ、はっきり言ってくださって嬉しいです。実は僕自身がリスナーとして配信を視聴していた時間ってそう長くなくて、しかもだいたい礼ちゃんの配信の切り抜きを観てたんですよ。なのでどんな配信を期待されているとか、僕に求められているものとか望まれてるコンテンツとか、そのあたりがまだよく理解できてないんです。ロロさんみたいに理由つきで教えてもらえるととても助かります」

 

『そ、そうです? それなら、よかったです……』

 

 リスナーさんにはわざわざ時間を割いて配信を観てもらっているわけなので、どうせなら楽しんでもらいたい。

 

 でも僕はどういう配信が望まれているのかわからない。デビューする前に礼ちゃんの配信を観ていた時は、礼ちゃんには好きなことを好きなようにやってもらえたらそれだけで嬉しい、と思いながら観ていたので、今ひとつ需要というものをわかっていない。

 

 配信者側に移った以上『わからない』まま放置していては怠慢以外の何物でもないので、配信者としての僕にどんなことを望んでいるのか、訊いて回れる限りの人に訊いてみたことがある。

 

 礼ちゃんからは『お兄ちゃんのやりたいことをやればいいし、やりたくないことはやらなくていいよ』との言葉をいただいたし、それとなく夢結さんに訊いてみた時は『配信してくれてるだけでうれしいです』と言っていた。美影さんに相談した時は『配信のスタイルは今のままでいいと思います。万人受けする配信者はいません。なのでまずは得意分野で足元を固めて、それから違う分野にも目を向けていけばいいかと』と、めろさんは『配信者が楽しくできる配信。これに限る。義務感で配信してるんだなってわかるとリスナーもつらい』と答えてくれた。

 

 観ているリスナーさんの誰しもに当て嵌まる回答がある設問ではない。なので絶対的な一つの答えなんてものは存在しないし、四人の答えもそれはそれで真理なのだろう。

 

 ただ、それは理解している上で僕としては、礼ちゃんや夢結さん、美影さん、めろさんにとって、僕が配信するとしたらどんな内容だったら観てよかったと満足するか、参考にするための意見を聞きたかったのだ。

 

 めろさんは言う時は歯に(きぬ)着せずにはっきり言うのでともかくとして、礼ちゃんと夢結さんは僕に甘いくらいに優しすぎるので負担にならないよう踏み込んだ意見を避けてしまったのかもしれない。美影さんの返答は、さすが『New Tale』の敏腕スタッフさんだけあって簡潔にして具体的で、筋の通ったものではあったが、僕からの視点に立ち過ぎているようにも思えた。僕に寄り添って考えてくれていることがわかって嬉しくはあったけども、リスナーサイドの視点ではなかった。

 

 こういう時はかえってロロさんのようにノリとテンションでラインを踏み込んで踏み越えて、リスナーとしての視点からどんなことをしてほしいのか、どのようなコンテンツが嬉しいのか、剥き出しの欲望もとい願望をそのまま具体的に伝えてくれたほうが助かる。

 

 一般的な人のそれとは感情の動き方が異なるリスナー心理、ファン心理の理解はまだ僕には難しい。こうして手ずから教えてくれる存在は貴重だしありがたい。さすがは配信者の先輩だ。

 

 まあ、度を過ぎてしまえば口さがないリスナーから『声の大きいファン』みたいな揶揄(やゆ)をされかねないけれど、そのあたりは僕が注意していればいいだけのこと。コントロールできないことではない。

 

「これからもアドバイスをもらえると嬉しいです、ロロ先輩?」

 

『せっ、せんぱいっ?! いやっ、なんだか、それはっ……ときめくものがあるけどっ! なんで先輩?!』

 

「僕はまだ先輩らしい先輩と直接お話をしたことってないんですよ。『New Tale』の先輩方とはまだ交流がないんです。こんなふうに配信のアドバイスをくれる頼りになる先輩っていいなあと思いまして」

 

『びゃっ……ぃひや、ほらっ! レイラちゃん! レイラちゃんはNTの先輩でしょ?』

 

「僕は四期生、礼ちゃんは二期生なので先輩ですけど、礼ちゃんは先輩の前に妹ですからね。わからないところについて訊くことはあっても、あまり頼りすぎては兄の沽券に関わります。そのぶんロロ先輩を頼らせてもらおうかなって」

 

『うぇりぅゅっ……こまるっ、困る! 頼られても困るよ! いろいろ言いすぎた自覚があるから、そろそろジンさんリスナーがこわいっ……絶対そろそろ怒られるっ! 「お前あんま立場を利用して近寄んなよ」ってDMくる!』

 

「あははっ、リアリティのある心配ですね。でも大丈夫ですよ。僕の配信を頻繁に観てくれている人間様なら、僕にはコラボしてくれるような友人が少ないことをよく理解してくださっていますから。それなのに、そんな数少ない友人の一人を遠ざけようとするような酷い真似、人間様ならしませんよね?」

 

『こっわ! 声の温もりどこに落としてきたの?! 誰よりもジンさんが怖いよ! リスナーさんに首輪繋いでるのっ?! はっ……躾のくだりって、ここの伏線だったの?! リスナーさんドン引きしちゃってるんじゃないかなぁ……〈兄悪魔もお嬢と同じくらいいい鞭振るなぁ〉〈たまにあるこの冷たさがたまらない〉〈ぞくぞくする〉〈首絞めながら言ってほしいです〉……配信者が配信者なら、リスナーさんもリスナーさんだよ……。相当躾けられてるなぁ、これ……。なんかレイラちゃんのとこのリスナーさんも似たり寄ったりなコメントしてるし……。よかったね、ロロのリスナー。あんたらはまだマトモなほうだったよ……バケモンとか言ってごめんね』

 

「ロロさんはリスナーさんと更に仲良くなれたみたいで僕も嬉しいです。あー……いやはや、申し訳ないです。僕のせいで長引いてしまいましたね」

 

『まぁ……仕方ないです。予定時間より少々……いや、多少……うーん、多々オーバーしましたけど、ロロはこの後予定があるわけではないので。ジンさんのほうは大丈夫です?』

 

「はい。僕も全然大丈夫です。あと二時間くらいやりますか?」

 

『ロロの身がもたないっ! 終わりますっ! 今日のゲストは「New Tale」の四期生、ジン・ラースさんでした!』

 

「あら、残念です。それではロロさん、今日はお招きいただきありがとうございました。とても楽しく、かつ有意義な時間を過ごせました。ロロさんのチャンネルをご視聴中のリスナーさんも楽しんでいただけましたでしょうか。皆様にも楽しんでいただけましたら、僕としてはこれ以上ない喜びです。改めて、本当にありがとうございました」

 

『さっきまでしてた会話が嘘のような綺麗な締めの挨拶っ! 絶対これ印象よくしようとしてるよね?! 今さら好青年みたいな印象にはならないよ! 完全に手遅れだよ!』

 

「ちょっと、ロロさん? 風評被害です。やめてください。僕の爽やか好青年ブランディングが崩れます」

 

『だとしたらとっくに崩れてるよっ! リスナーさんを調教してる時点でそのブランディングは無理があるよっ! 今の印象はただのおもしろお喋りお兄さんだよ!』

 

「くくっ、くふふっ……。んんっ、長時間ご視聴いただきありがとうございました。またお会いできる日を心待ちにしております。それでは皆様、おやすみなさい(・・・・・・・)。さようなら」

 

『まっ……ジンさんの「おやすみなさい」は……き、く……ぅ』

 

「……おはよう(・・・・)

 

『にゅあぁっ?! あぶないっ! 寝落ちするとこだった!』

 

「……最近あのセリフを言うだけで睡眠状態に入ってしまう方もいらっしゃるみたいで、迂闊に最後の挨拶で言えなくなったんですよね……。自分のチャンネルじゃないなら大丈夫かと思ったんですけど、まさかコラボ相手がそうなるとは……」

 

 SNSのDMでは『申し訳ないんですけど、寝てしまうので配信の終わりのおやすみなさいを控えてもらえませんか?』という切実な陳情が届いていたり、アーカイブには〈気がついたら朝日が差してた〉などのコメントが寄せられていた。

 

 寝かしつけ配信は、たしかにその役目だけは果たした。昼夜逆転している学生さんだろうと強制的に眠りに落とし、寝つきが悪くて悩んでいる人には睡眠導入剤の服用を抑制させるという素晴らしい作用を(もたら)した。

 

 ただしその副作用として、寝かしつけ配信乱用者は僕が『おやすみなさい』と言うだけで睡魔に襲われるようになり、視聴者の体調や体勢によってはそのまま夢路へと旅立つようになってしまった。

 

 用法用量を守って正しく使わなかった人たちの末路である。

 

 もしかしたら僕が視聴上の注意を記載していなかったせいかもしれないが、誰がこんなことになると予期できるのか。僕の過失ではない。

 

『ロロがあの寝かしつけASMRビギナーだったら戻ってこれなかったでしょうけど、ロロはだてに聴き込んでいませんからね。おはよう、の声でちゃんと起きれました。危ないところです』

 

「起きた、ということはしっかり睡眠に入っていたということなのに、どうしてそんなに誇らしげなんだろう……。恥じ入るところではないんですね」

 

 なぜか得意げな口振りで起きれたという部分を強調して話すロロさん。真っ当な神経をしていれば、起きる以前に寝た部分を気にして恥ずかしくなるはずだ。逆説的に、ロロさんはすでに真っ当な神経を失ったということ。間違いなく乱用者である。

 

『もちろん。一リスナーとして誇りに思いますよ。でもやっぱり通話で耳に入ると効果が跳ね上がりますね……。アーカイブのほうだとここまで決まらないですもん。最近は慣れてきたと思ってたんですけど、生で入ってくると感じ方が段違いです。すぐに気持ちよくなって、頭がふわぁってなっちゃう。気づいたら落ちちゃってる』

 

「…………。こ、れは……えっと、どっちのニュアンスで拾うべきなのだろう……」

 

 寝かしつけ配信をセンシティブな言い回しで表現するという、新機軸を盛り込んだロロさん渾身のボケなのだろうか。

 

 それならそれでこちらも切り返すのだけれど、ロロさんがまるで意図せずにセンシティブな表現をしていた場合、僕が不用意につっこんでしまうとセクハラと捉えられかねない。

 

 セクハラで再炎上はさすがに礼ちゃんに顔向けできない。模様眺めして状況の判断に努めた。

 

『ベッドの上じゃないと気持ちよくいけないと思ってましたけど、まさかこんな不安定な体勢でも寝かしつけられるなんて、やっぱりジンさんすご、い……え? な、なに……この空気? え?』

 

 静観して正解だった。ロロさんは天然でラインのギリギリを掠める発言ができる奇才らしい。

 

「ああ、なるほど、了解です。僕の寝かしつけ配信を危ないオクスリみたいな言い方しないでください。ちゃんと合法なんですから」

 

『合法って言い方もどうなんですかそれ。てか……え? なんです? さっきの間は。さっきの絶妙に気まずい間は』

 

「いえ、いいんです。お気になさらず」

 

『え、な、なになに? 気になるよっ! なんなの?! ロロ、失礼なこと言ったかな?!』

 

「失礼なことは一言も口にしていませんよ、安心してください。ハレンチな発言をしただけです。……さあ、ロロさん。もう時間も遅いです。リスナーさんもそろそろお休みになりたくなる時間でしょう。配信を早く閉じましょう」

 

『う、うん……うん? はれっ、ハレンチってなにっ?! ロロしてないよ?!』

 

「そうですよね、はい、僕は理解しておりますよー。はーい、リスナーさんとお別れの挨拶をしましょうねー」

 

『う、うん……なんかあやされてる……。なんなのぉ……もう。……えっと、よかったら高評価やチャンネル登録、SNSのフォローしてください。ジンさんのチャンネルのほうもよろしくです。じゃあ、えっと……あ、ありがとうございましたー』

 

「ご視聴ありがとうございました。またお会いしましょう。良い夜を。さようなら」

 

『ありがとー、ばいばーい。……え、なに? ほんとになんなのぉ……』

 

 戸惑うロロさんのか細い声を最後に、配信は終了した。

 

 配信終了後、SNSでロロさんの名前をもじったワードがトレンド入りしていた。何が理由なのか、もちろん僕にはさっぱりわからない。

 




お兄ちゃんとロロさんの雑談コラボはこれにておしまいです。

感想や評価などいただけるとこれからのハードスケジュールの励みにもなりますので、よろしくお願いします。
あと誤字報告ありがとうございます。とっても助かってます。
なんであんだけ確認したのに見落とすのかわからない。きっと作者の目は節穴。

次はとある事務所の方。別視点です。

更新間に合ったぜ。案外なんとかなるもんや。
ということで次の更新は十二時間後です。よろしくお願いします。


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『壊斗』

昨日12時にも更新しています。お間違いのないようお願いします。


 

 

「明日雑談すっから、スパチャはその時に読むわ。スパチャくれた奴は待っててくれな。ほんじゃあ今日はこんなとこで終わりにするわ。またこいよー」

 

 APG主催のカジュアル大会も近いので、エイムやバトルの勘を取り戻すための『Noble(ノーブル) bullet(バレット)』配信をやっていた俺は、配信を切るとゲーミングチェアの背もたれに体を預けた。伸びをしながら呻き声をもらす。

 

「腹減ったぁ、飯……の前に投稿しとかないと」

 

 弾切れを訴える腹をさすりながら、SNSを開く。

 

 アカウントは『壊斗』。SNSのヘッダーには金髪で赤い虹彩のイケメン兄ちゃんが爽やかとは対極に位置する悪そうな笑みを浮かべて犬歯を覗かせている。これが俺のヴァーチャルの姿だ。俺のガサツな性格と壊斗のキャラクター性は非常にマッチしている。格好よく産み落としてくれた絵師(ママ)に感謝。

 

 ヘッダーの片隅にはVtuber事務所『Golden Goal』のロゴが小さく入っている。

 

 GGに入って、もうすぐ四年になる。所属する前から配信はやっていたが、GGに入る前は社会不適合者でしかない俺が事務所に入っても長く続かないだろうな、なんて思っていた。まさかこんなにも続けることになるなんて、GGに入る前の俺に聞かせたら驚くだろう。

 

 紆余曲折波乱万丈を経て、オンライン動画共有プラットフォームでのチャンネル登録者数は百万人を数えた。企業さんなどから案件をもらう機会も増えた。事務所の先輩よりも後輩のほうが人数も多くなった。そのわりに人間的に成長できている気がしないのはどうしてなのだろう。

 

 自身の精神性に疑問を抱えつつ、配信を観てくれてありがとう、という内容を乱暴に噛み砕いてSNSに投稿する。

 

 配信終了時のタスクをこなした後は、友人の投稿をぱらぱらっと流し見ていく。

 

「あ、ロロもちょっと前まで配信してたんか」

 

 ロロ。個人勢のVtuberの田品ロロとは、もうだいぶ付き合いが長い。俺がデビューして落ち着いた頃を見計らうようにコラボの誘いがあった。それからも年に数回パーティゲームなり雑談なり凸待ちなりで交流は続いている。メインでやっているゲームの方向性が合わないせいでがっつり一緒にコラボする、という機会はないが、付き合いは続いていた。

 

 ロロは配信が終わってリスナーへ感謝を告げるとともに、よくわからない投稿を連続でしていた。今日の配信がそれだけ楽しかったのか、テンションが上がっているようだ。まぁ、テンションの低いロロは見たことがないが。

 

 様子のおかしいロロのことは頭から放り捨て、席を立つ。

 

 晩飯が待っている。そろそろ空腹が限界だ。

 

 防音室から出て、ダイニングへ向かう。

 

 扉を開けてダイニングに足を踏み入れると、ダイニングテーブルの俺の定位置の対面で、妹がイヤホンで音楽かなにかを聴きながら座っていた。

 

「あ、お(にい)。やっと出てきた。遅いよ」

 

「わり。配信終わりの投稿してから軽くSNSチェックしてた」

 

 黒いショートボブの髪を弾ませながら席を立ち、妹──優空(ゆあ)はキッチンに回る。

 

 一応俺は都内のマンションに一人暮らしをしているが、あまりの生活力の欠如っぷりに怒りを通り越し、さらに呆れも通り越して感情の針が絶望にまで達した母親が俺の家へと優空を遣わせたのだ。

 

 優空が俺の食事を作ったり、掃除や洗濯などをしてくれる代わりに、俺は優空にお小遣いを渡す。やっていることは家事代行のバイトとさして変わらないと思う。

 

 俺は同年代と比べれば稼ぎはいいほうだし、バイト代を出すくらい問題はない。優空は医療専門学校に通っていて、いろいろお金も入り用になるが研修なり課題なりでバイトの時間が作りにくいらしい。

 

 金はあるが生活力がゴミの俺と、バイトはしたいが時間がない優空とで利害が一致したわけだ。

 

 優空は空いている時間に俺の家にきては家事をしてくれている。なんなら実家よりも俺の家のほうが学校に近いから、という理由でちょくちょく泊まったりもする。

 

 俺の自由気ままな一人暮らしが侵されている。まぁ、一人暮らしを続けていればいずれはゴミ屋敷待ったなしだろうし、部屋は余っているので問題ないといえばない。

 

 なにより、優空がきてくれていなければ俺は早死にしてた自信がある。優空がくるようになってからというもの、俺のQOLは明確に向上している。食事や住環境もそうだが、気を張らずに適当に話ができる相手がいるのは精神的にとても楽になった。

 

 俺にはなぁ、GGになぁ、オフで会って遊ぶような友だちがいねぇからなぁ。

 

「はい。どうぞ」

 

「おー、サンキュー」

 

 ことり、と音を立ててテーブルに置かれた白い皿には大きめのハンバーグが二つ。続いて茶碗いっぱいによそわれた白米。トマトと玉子が入っているなんかよくわからん、おそらくコンソメスープ。胃袋をダイレクトに殴りつけるような、俺好みのメニューだ。

 

 俺の妹だけあって俺の好みをよくわかっている。ハンバーグのソースが大根おろしの入った和風ソースなのもよくわかっている。そこまでわかっているのなら、俺の苦手な茹でたブロッコリーや、人参のグラッツェだかグラッセだかも省いてくれればいいのに。

 

「いただきまー……あ?」

 

「ご飯はまだ炊飯器にあるよ。電源は切ってるから、冷めたらラップして冷凍庫に入れといてね」

 

 一度キッチンに戻った優空が、盆を持ってふたたびテーブルまで来た。量を減らしているだけで、俺のと変わらない料理が盆に載っている。優空はそれをテーブルに並べた。

 

「俺そんなに食えねぇよ」

 

「ばかっ、これはわたしのご飯!」

 

「おん? 今日は飯食ってくのか」

 

 優空がこっちで飯食うかどうかは日によってまちまちだ。翌日学校が早ければすぐ帰るし、腹が減ってればこっちで食う。俺の家に泊まるかどうかもその時の気分で決まる。次の日友だちと遊びに行く予定があれば家事代行もさっさと切り上げるし、暇な時は娯楽の多い俺の家に泊まっていくこともままある。

 

 最近は実家に帰るのが面倒になってきたのか、じわじわと優空の泊まる比率が増えていっている気がする。気がするというか、着実に私物が増えつつある。俺はごく稀に衝動的にインテリアを買うくらいで、基本的には物欲に乏しい。なのであまり物を置いていない。その空いているスペースに優空がいろいろと自分の趣味のものを置いている。観葉植物や雑貨など、男の部屋に置いておいても違和感はないものばかりだから文句はないが、そろそろ俺の物よりも優空の私物のほうが数が上回りそうだ。

 

「お兄が部屋から出てくるの遅かったせいでわたしが帰るの遅くなるじゃん? 今から帰って、それでご飯食べてってなったら時間も遅いし太っちゃうでしょ。だからこっちでご飯食べてく」

 

「優空が作った飯だし、好きにすればいいんじゃね? いただきまーす」

 

 生返事しながらハンバーグを一口サイズに切り分け、口に放り込む。

 

 専門店のようなクオリティ、とはとても言えないが、昔から実家でも食べていた味とほぼ同じだ。母さんからレシピを教わったらしい。専門店や名店より、俺はよほどこっちのほうがいい。舌に馴染む。

 

 白米を空っぽの胃袋にかき込む。悪魔的なほどの幸せだ。

 

 優空が俺の家の家事代行を始める前は、宅配サービスか、通販で買い溜めしてる即席麺ばかりだった。自分のために作ってくれた料理を食べられるというのは、とても幸せで恵まれたことだ。実家にいる時には気づけなかった。

 

「お兄はジン・ラースってVtuber知ってる?」

 

 スープから口を離した優空が、唐突にそんなことを訊ねてきた。

 

 箸を伸ばそうとしていた二つ目のハンバーグから視線を上げて、優空を見やる。いやにご機嫌な表情だ。

 

「そりゃ知ってる。『New Tale』の新人だろ。あんだけ派手なデビューになったんだから、界隈の人間なら名前くらいは聞く。少なくとも企業勢なら確実に耳に入る。炎上が一番過熱してた時は事務所からも、どこの誰が、みたいな名指しはなかったけど、こういうことがあったから気をつけるようにっていう通達があったからな」

 

 長く活動をやっていれば、規模の大小はあれど炎上したり配信が荒れることはある。過半数の配信者が一度くらいは経験するのではないだろうか。俺はある。

 

 ただ、デビューしたその日にあれだけ派手に炎上するのは稀だ。少なくとも俺は初めて見た。ジン・ラースとやらはよくVtuberを続けられているものである。

 

「お兄も知ってるんだね。今日そのジン・ラースさんがロロさんとコラボしてて配信観てたんだけど、すごくおもしろい人でさ」

 

「……ロロと?」

 

「うん。ロロさんは新人さんとか話題になってる人をゲストに呼んでコラボするでしょ? それのゲストに今回ジン・ラースさんが呼ばれてたんだよ」

 

 若干聞こえが悪くなるが、ロロは人気が出そうな新人ライバーや、注目が集まっているライバーにはかなり早い段階で声をかけて繋がりを作っている。

 

 それはロロに合った生存戦略なのだろう。後ろ盾を持たない個人勢だからこそ、人との繋がりを大事にしている。そう活動してきて結果が伴っているのだから、ロロにとっては正攻法だったのだろう。トークスキルが高いという自分の長所を活かせているわけだし。

 

「へぇ……ロロにしては結構危ない橋渡ったもんだな」

 

 たしかにジン・ラースは知名度だけなら俺の所属している『Golden Goal』や『End Zero』に所属する人気ライバーに引けを取らない。

 

 だが、その知名度が上がった要因が炎上だったためイメージがよくない。

 

 俺はジン・ラースがなにをしたのか具体的な話を知らないから強くは言えないが、炎上するに足るだけの火種があったということだろう。

 

 ロロはいくら知名度が高かろうと巻き添えのリスクのあるゲストは呼ばないと思っていたのだが、方針の転換でもあったのだろうか。

 

 そんなことを考えていたせいで気づいていなかった。目の前の妹が、すっごい腹立つ顔をしていたことに。

 

「はーん? お兄、知らないんだぁ? Vtuberとして活動してるのに」

 

「は? なにがだよ。とりあえず人を馬鹿にしくさったその顔やめろ」

 

「へっへーん。実はねぇ……」

 

 Vtuber界隈のことで俺よりも詳しいというマウントが取れたからか、優空は心底腹立つ顔でドヤりながら説明し始めた。

 

 俺はたまに相槌を打ちつつ、残りのご飯をぱくつきながら黙って聞く。やはりご飯は温かいうちに美味しくいただかねばならない。

 

 出された料理をすべて平らげてお茶を飲んで一息ついたあたりで、優空の長口上が終わりを迎えた。

 

 喋っている間、優空はお箸を置いて身振り手振り交えて賑やかに話していた。おかげで食事はほとんど進んでいない。目の前に置かれたスープから湯気が立ち上らなくなって久しい。冷めてそうだ。

 

「……ってことは、あれか。ジン・ラースがなにか悪いことしたわけじゃなかったのか」

 

「そういうこと。完全に被害者なんだよ」

 

「はー。なるほどな……」

 

 配信者がとくに悪いことをしていなくても、残念なことだが荒れることはある。声が気に入らないとか、話し方が(かん)に障るとか、単純におもしろくないとか、推しに絡みそうだから排除したいとか、そういう身勝手な理由で一部のリスナーから手酷いコメントが届くケースも、あるにはある。

 

 上述の例でも悪質だとは思うが、ジン・ラースの場合はより一層に酷いものだったようだ。本人に非がないにもかかわらず長期間に渡って荒らされるというのは、かなりやり方が悪辣であると同時に稀有なパターンだ。少なくとも俺は他に例を知らない。

 

 そんな悲惨な炎上を乗り越えて今も続けていられているのだから、ジン・ラースは相当にメンタルが強いのだろう。不特定多数から厳しいコメントを受けて、それで精神的に不安定になる配信者だっている。

 

 リスナーからしてみればたった一言の悪口かもしれない。だが、その一言の悪口だって送ってくるリスナーが多くいれば、配信者からしてみれば百や二百、それ以上の数の悪口になる。心を病ませるだけの誹謗中傷になる。

 

「だから優空はそいつを応援しようと思ったってことか」

 

 得心がいった、というふうに俺がそう訊いたら、一口サイズに切り分けたハンバーグを口に入れた優空はきょとんとしたような顔をして、次いで首を振った。

 

 そういう大変な時期を経験しながらもがんばっているから優空はジン・ラースを応援しているのかと思いきや、別段そうでもないらしい。

 

「ぜんぜん違うよ? 可哀想だなーとは思うけど」

 

「いやそこは応援してる流れじゃねぇのかよ……」

 

「応援はしてるよ。これから時間が空いたらアーカイブ見返すつもりだし、機会があったらライブ配信も観ようと思ってる」

 

「……は? お前違うって言ってただろ……」

 

 話が噛み合わない。いや、もしかしたら噛み合っていないのは考え方かもしれない。女心なんてもんはいつまで経っても俺には理解できない。

 

 優空はこれ見よがしに、はぁ、とため息をついた。お箸を持つ手とは逆の手のひらを上に向けるアクションまでおまけでついてきた。お箸を無駄に動かさない常識があるのなら、そのいちいち腹が立つボディランゲージも控えたらどうだ。

 

「可哀想だから同情して応援するわけじゃないの。シンプルに話がおもしろかったから応援するの。ていうか、おもしろい人って最初に言ったでしょ?」

 

「んぐっ……」

 

 言われてみれば、話の冒頭に言っていたような気もしないでもない。しかし俺は目の前のハンバーグに意識が割かれていて、いまいち憶えていない。

 

 だがここで馬鹿正直に『話を聞いてなかった』などと反論すると『人の話もろくに聞けないの?!』と怒られるので、なんなら実際に以前怒られたので、賢明な俺は口を(つぐ)む。

 

「ジン・ラースさんは、なんか、こう、いっぱいできるんだよ」

 

「すっげぇふわふわしてんな……」

 

「うるさい。声真似とかもやってたし……そう! ギターも弾いてたよ! すごいんだから! お兄も時間あったらアーカイブ観てみなよ!」

 

「はー……声真似にギター、ね。すげぇ多才な奴が出てきたなぁ」

 

 Vtuberというジャンルが生まれて早数年。今では多くのリスナーに認知されて、それにつれてこの界隈も大きくなってVtuberの数も飽和状態となりつつある。そんな数多くいる同業者から抜きん出るためか、一芸を持つVtuberも増えてきた。

 

 今ではどこかの大手や中堅の事務所に入ろうと思ったら、相当に鮮烈な特色を持っていないと入れないくらいだ。もし仮に俺が今のGGのオーディションに応募したとしても、おそらく受からない。それくらいに競争は激化している。オーディションを勝ち抜けるくらいの素質がなければ、今のVtuber界隈で生き残ることは難しいという判断なのだろう。

 

「これまでは雑談配信とかは取ってなかったらしくて、しっかり声真似とかギター演奏とかはしてないみたいなんだけどね。チャンネル登録のついでに過去配信ちらっと見てみたら、FPSとかアイクリばっかりだった。声がすんっごい好みだったからゆっくり雑談してるのとか聴いてみたかったんだけどなぁ」

 

「そんだけ芸持ってて雑談配信やってねぇって、完全に宝の持ちぐ……あぁ、やってないんじゃなくてできなかったのか」

 

「そっか……きもい荒らしに粘着されてたんだもんね」

 

「言い方……いや合ってんだろうけど」

 

 ゲームのプレイ配信でもコメント欄はチェックするが、どうしたって頻度は下がる。だが雑談配信ならリスナーとやり取りする比重は増すだろう。

 

 配信者が話してリスナーがリアクションを返して話が膨らんでいくことなんてよく見られるし、リスナーから質問されてそれに答えるという場面も多々ある。ゲーム配信の時よりもコメントを拾いやすく、配信者とリスナーの距離が近くなるのが雑談配信の醍醐味みたいなところもある。

 

 リスナーからの反応をまるで意に介さずに配信者がだらだらと自分のしたい話をのべつ幕なしに叩きつけていくだけなら、そんなものはライブ配信でやる意味がない。動画で出せばいい。

 

 コメント欄を荒らされているのが常態化していたとすれば、雑談配信などやれる訳がない。

 

「これからは増えるといいなぁ。あ、でももしかしたらメンバーシップ限定とかになるのかなぁ。ロロさんも言ってたしなぁ。どうしよっかなぁ、メンシ入ろうかなぁ」

 

「まぁ、入りたかったら入ればいいんじゃね? 配信者への還元率は高いし。……で?」

 

「……は? 『で?』ってなんなわけ?」

 

 あからさまに気分を害したような表情で優空が俺を()めつける。こわい。

 

「い、いや……そのジン・ラースってやつの話をした理由がなんかあるんじゃねぇの? ただの世間話?」

 

「……あ、そうだった」

 

 若干のタイムラグの後、思い出したかのようにそう言った。

 

「完全に忘れてただろ、お前……」

 

 自分で目的を見失っておいて、それを指摘されたら機嫌悪くなるって、ほんと理不尽である。

 

 所詮兄に対する妹なんてのはこんなもんだ。姉や妹を持たない男は姉妹のいる男を羨ましがるが、兄や弟に優しい姉や妹なんていうのは幻想でしかない。夢見すぎ、もしくはアニメや漫画の見すぎである。兄に甘い妹なんていう幻想生物がいたら見てみたいものだ。

 

「お兄って友だち少ないでしょ?」

 

「んぐっげっほ、ごほ……っ」

 

 もう一度言う。幻想だ。

 

 俺が心ノーガードでゆったりお茶を飲んでる時になんてことを口走るのだ、この妹は。

 

「図星?」

 

「お茶が気管に入ったんだ! 友だちいるわ! GGに配信者が何人いると思ってんだ! 遊んどるわ!」

 

 ゲームで、だけど。オフであったことなんて案件の時くらいしかない。

 

「でも、お兄。今日の配信一人ぼっちだったよね」

 

「…………一人、では……あった。『ぼっち』つけんな。ソロクラスマッチ配信だったんだ」

 

「でも一緒にやってくれる人がいたら一緒にやってたんでしょ?」

 

「…………それは、そう」

 

「じゃあ一人ぼっちじゃん」

 

 なんだこいつ、レスバトルの階級ヘヴィ級なのかよ。言葉のストレートパンチ重すぎるだろ。

 

「違う。GGに近いクラス帯の奴がいないだけで……それに今日は英治も予定があったから……」

 

「英治って、 『Mad Boys』(MB)軽部(かるべ)英治(えいじ)、さん。だっけ?」

 

「そう。今シーズンのクラスで一番近いのはあいつくらいだ」

 

「……わたし、あの人ちょっと苦手。自信過剰っていうか、他の人を見下してるっていうか……」

 

 優空の言いたいことはわからないでもない。ライバーの配信スタイルが合う合わないというのは誰にでもあるものだ。

 

 それに加えてFPSというジャンルは言葉遣いが荒っぽくなりやすいジャンルのゲームでもある。とくにクラスマッチなどはポイントがかかっているのだ。撃ち合いや報告で価値観がずれると負ける可能性が高くなるし、負けたくないあまりに語気が激しくなることもある。野良でやると口の悪い(トキシックな)プレイヤーをちょくちょく見かける。

 

 英治はFPS歴が長いので毒されてきているのだろう。

 

「ああいうキャラでやってんだからしゃあねえだろ。それにそんなとこばっかじゃねぇよ。長いことやってりゃ向上心のある奴だってわかる。ノリもいいし」

 

「お兄の前では、ね。……ま、結局は軽部さんしかいないってことだよね?」

 

「友だちはいる。一緒に貴弾のクラスマッチ回せるフレンドは英治しかいないってことだ」

 

 GGは所属している人数が多いし、FPSをやっているライバーもいるにはいる。だが、貴弾のクラスマッチは、お互いにある程度クラスが近くないと一緒にクラスマッチに出られないのだ。それにあまりにFPSの腕に差がありすぎるとキャリーだブースティングだと騒ぎ立てる小うるさい厄介な外野も出てくる。あとは生活リズム。俺の場合、配信を始める時間帯が比較的遅いこともあって、時間の都合が合わない場合も少なくない。

 

 そういった複雑に絡み合った(しがらみ)によって、俺はあまり貴弾を二人とか三人でやれていない。

 

 そう。友だちが少ないわけではない。

 

「細かいなぁ……」

 

「細かくねぇよ。大事なとこだろが」

 

「でも! そんなお兄に朗報! ジン・ラースさんも貴弾やってるんだよ! それに上手いみたい!」

 

「そういやさっきアーカイブちらっと見たとか言ってたな」

 

「うん。ロロさんの言ってた『administrator(アドミニストレーター)』は確定で観るとして、他にどんな配信をふだんやってるんだろうって思ってね。そしたらお兄もよくやってる『Noble(ノーブル) bullet(バレット)』……貴弾だっけ? それがあったから、お兄が部屋から出てくる前に観てたんだ」

 

「ああ、イヤホンしてたな。上手いって言ってもどのくらいだよ」

 

「えっとねー、その配信は同じNT所属の妹さんとコラボでやってたんだけど、妹さんに指示出してたよ。わかりやすくて優しかった」

 

「……優しいってなんだ? しかしIGLできんのか。エイムはどんなもんよ」

 

「わたしはFPS詳しくないからなぁ。でも妹さんや一緒のチームになったもう一人からも褒められてたよ」

 

「へー……けっこうやれる感じなのか」

 

「観てた感じ、お兄よりも上手かった」

 

 オブラートって言葉を知らんのかこいつは。いや、絶対知っている。知っている上で、俺には使っていないだけだ。

 

「……それで、なんだ? ジン・ラースをコラボに誘えってことか?」

 

「そう! コラボ誘ったらいいじゃん! 一人でやるよりずっと楽しいと思うよ!」

 

「……一人ってのを強調すんな。コラボっつってもなぁ……。イベントとかで絡んだこともない。事務所も違う。数字にも差がある。FPSは上手いかもしれんけど、急にコラボって」

 

「ジン・ラースさんはお兄と違って愛想もいいしコミュ力も高いのになぜかお友だちが少ないらしいの。楽しくゲームできるお友だちを探してるんだって。お兄は友だち少な……FPS一緒にやってくれる友だちが少ないし、ぴったりじゃない?」

 

 友だちが少ないというのをほとんど言い切ってから、わざわざ言い直しやがった。憐れむんじゃねぇよ。それ以外は事実なので甘んじて受けるけども。

 

「つってもなぁ……」

 

「それにチャンネル登録者数ならジン・ラースさんはまだそんなに多いってほうじゃないけど、視聴者の数ならお兄と大差なかったよ。あくまでロロさんとのコラボの時の数字だけど」

 

「ま、じかよ……」

 

 曜日や時間帯、行う配信の内容によって同時接続数なんて増減するものだが、俺の場合はここ最近だとコンスタントに一万五千から二万は出ている。

 

 今の時期は学生が夏休み期間中ということもあって数字が上振れしやすい。それにロロとのコラボ配信でゲストとして呼ばれている時は自枠がないので、ロロとジン・ラースのリスナー両者がロロの枠に集中することになる。視聴者の人数──同時接続数は伸びやすいだろう。

 

 だとしても、デビューして数ヶ月でそこまでリスナーから期待されているのは途轍もないことだ。

 

 べつに明確な指標になるわけではないが、俺はチャンネル登録者数は人気の度合い、同時接続数は期待値だと考えている。

 

 リスナーは、わざわざライブ配信に立ち会わなくてもアーカイブからいつでも自分の都合のいい時間に観られるし、おもしろいシーンだけを集めた切り抜きで楽しむことだってできる。

 

 それでも配信の時間に自分の予定を合わせて視聴するのは、リスナーにライバーを応援したいと思わせていたり、おもしろいシーンを切り抜きよりも早く観たいと思わせているから。

 

 つまりは、絶対におもしろい配信になると『期待』されているからだ。

 

 デビューしたばっかりのライバーならまずは配信に慣れるところからだし、ゲームしながらトークも並行するのは存外に難度が高い。ゲーム配信で見所を作るような配信にするのは経験を積んでいてもそうできることではないし、それが雑談オンリーの配信となれば求められるスキルも変わってくる。たとえゲームのプレイスキルやトークスキルが十分にあったとしても、大勢のリスナーに観られていると緊張してふだんのパフォーマンスを発揮できないライバーだっている。

 

 ジン・ラースはそれらのスキルに加え、荒らしに誹謗中傷されても、数多くのリスナーから一挙手一投足を注目されていても自然体でいられるメンタルまで持ち合わせているようだ。

 

 デビューしたばかりで炎上したことといい、新人なのにとんでもない人気を集めていることといい、ジン・ラースは(ことごと)く異例尽くめだ。

 

「あー……GGに入ってきてくれてりゃ……」

 

 優空の性格的に、きっとジン・ラースは穏やかなキャラクターをしているのだろう。過激な言動や声を張り上げて盛り上げるようなタイプを優空はあまり好まない。つまり配信モードの俺は好まれていない。

 

 穏やかで、優空曰く声がよくて、FPSもできる。そんな後輩が入ってきたら俺ならめちゃくちゃかわいがるのに。配信で引き摺り回すのに。

 

 配信上のキャラクター的にも、うるさい俺と、推定穏やかだと思われるジン・ラースなら相性もいい。考えれば考えるほどに惜しい。

 

 もしかしたら、ジン・ラースはGGからデビューするのは難しいと思って応募を控えたのだろうか。

 

 GGはVtuber事務所としては二大巨頭と言われている。定期的に行われている新規ライバー募集では、とんでもない数の応募が舞い込んでくる、とマネージャーやスタッフから聞き及んだことがある。探したらGG所属のライバーが最近のオーディションについて言及している動画もあるかもしれないし、そういう動画やネットの記事を見て、GGには入れなさそうだなと諦めてしまった可能性は高い。

 

「うーん……仮にNTで受からなかったとしても、GGに入ろうとはしなかったんじゃないかな」

 

 俺の考察をぶった斬るような優空の言葉だった。

 

「なんでだよ。GGのほうが事務所としての規模は大きいし、男も多くいて活動しやすいだろ。……いや、そんじゃあなんでGGじゃなくてNTを受けたんだ? 女しかいねぇのに……」

 

 GGからのデビューは難しそうだから諦めよう。これはわかる。

 

 GGは難しそうだから、NTのオーディション受けよう。これはわからない。

 

 NTは女ばかりの事務所。そこに男が入ろうと思ったら、もしかしたらGGに入るよりも難しい。しかもNTなら推しが男と絡むのを嫌がる層が確実に一定数いるため、活動もしづらくなる。それなのに、大差があるわけではないにしろGGよりもNTのほうが事務所としての規模は小さい。

 

 NTが悪い事務所だなんて言うつもりは毛頭ないが、ジン・ラースがあえてNTに応募する理由って、あるのか。

 

 一度GGに応募してみて駄目だったからNTに応募してみた、とかならまだ理解できるが。

 

 首を捻る俺に、優空が説明してくれる。

 

「NTに妹さんがいるらしくて、それでNTに入ったみたい。ロロさんとの雑談の中でも事あるごとに妹さんの名前出てたし」

 

「はー、なるほどな。納得した。知り合いや身内繋がりで入ったってことか」

 

 オーディションはもちろんあるけれど、新しくデビューさせる時に関係者の知人に適した人材がいないか訊ねることはままあるらしい。

 

 いくら直接面と向かって話したとしても、本性を隠されてしまえばそう簡単に裏側の性格を暴くなんてできない。その点、事務所関係者の知人であれば、人柄や配信で映えそうな技能の有無もわかるわけだし、全部放り出して飛ぶという最悪なことにもなりにくい。問題として挙げるなら縁故採用と言われかねない外聞の悪さだけで、ほとんどの面で都合がいいのだ。

 

 ジン・ラースがGGに入る可能性は最初からなかったかぁ、と項垂れる。GGの後輩だったらコラボに誘いやすかったのに。関わりのない相手にコラボ誘うのは、俺にはハードルが高い。

 

 どうやって誘おうかと眉を寄せながら考えていたら、優空が満面の笑みをこちらに向けていた。

 

「んじゃそういうことで、ジン・ラースさんとのコラボよろしくね」

 

 俺がジン・ラースとのコラボを前向きに検討しているとわかったから、こいつは目が眩みそうになるくらいうざったい笑顔を浮かべていたのか。

 

「いや、よろしくって言われても……どうなるかはわかんねぇよ。事務所にも一応確認取らんとだし、相手の都合もある。……てか、なんでそんなにジン・ラースとコラボさせようとしてきてんだ?」

 

「…………」

 

 なんだか流されそうだったが、よくよく考えてみると不審な点が多い。

 

 話を聞いている限り、ジン・ラースが配信者として有能なのだろうことは俺も疑っていない。優空の感性は信用に値する。

 

 だとしても、だ。これからの活躍が期待できる有望株だとしても、優空のプッシュはあまりに強引すぎる。

 

 違和感を覚えて理由を訊ねてみれば、これ以上ないくらいわかりやすく目を泳がせた。これは、確実に裏がある。

 

「おい、目を逸らすな。顔逸らすな。なに企んでる」

 

「た゜っ、企んでなかんが……」

 

「その慌て方は企んでるだろ、どう見ても」

 

 ほぼ自白に等しい否定だった。なんなら否定すらできていない。なんなら日本語すら怪しい。

 

 もう白状するしかないと割り切ったのか、優空は肘をテーブルにつき、手を組んで口元を寄せた。どこぞの司令のようなポーズをするな。

 

「……もし、お兄とジン・ラースさんがコラボして仲良くなったら、もしかしたらお兄の家に遊びにきたりする、かも……とか」

 

「…………」

 

「もしかしたら、ジン・ラースさんに直接会えるんじゃないかなぁ……みたいな?」

 

「……出会い厨じゃねぇか」

 

 しっかり企んでいた。しっかりばっちり悪巧みしていた。呆れ果てるほどに見下げた(こす)っからい性根である。ジン・ラースのガチ恋勢に灰にされてしまえ。

 

「そんな言い方やめてよ! べつにジン・ラースさんに直接なにかするわけじゃないし! 仲良くなってカラオケ行きたいだけだし!」

 

「ちゃっかり顔合わせしてがっつり遊びに行こうとしてんじゃねぇよ。もし万が一ジン・ラースがいい奴で家に招待するくらい仲良くなったとしても、絶対にお前がいない日にスケジュールを設定する」

 

「なんでよぉっ! わたしがジン・ラースさんのこと教えてあげたのにっ!」

 

「それとこれとは話がべつだ。コラボの時に話のネタとしてお前のことを出すくらいはするが、直接会わせるわけねぇだろ」

 

「こっ……このやろう!」

 

 テーブルの対面から腕を伸ばして掴みかかってきた優空を避けるように俺は席を立ち、食器をシンクに持っていく。

 

「言葉遣いが悪い。だから男ができないんだ」

 

「ばっ……言っちゃいけないラインを越えたなっ! お兄だって女の一人もいないくせに! わたしはできないんじゃないっ、作ってないだけだ!」

 

 ぱたぱたとスリッパを奏でながら追いかけてきた優空は時折俺の背中を殴りながら、俺の服を掴んで猛抗議している。『恋人を作れないんじゃない、作らないだけだ』という言い回しは、男女共通で作れない奴の吐くセリフだ。

 

 顔は整っているのに優空に男が寄り付かないのは、確実にこの気の強さが一因になっている。男が一歩引いてしまうくらいに気も語気も強い。

 

「……あ、ロロに仲介を頼むのはありだな……」

 

「おい! 一人ですっきりすんな! 撤回しろ!」

 

 背中をぱかすかと叩いてくる優空を放っておいて、俺は自分の使った食器を洗う。食事は作ってもらったし優空のぶんも洗ってやろうかと思ったが、こいつはお喋りに興じるあまりに途中から箸が動きを止めていた。自分で片付けてもらうとしよう。

 

 俺は近々開催されるAPG主催の貴弾カジュアル大会のリーダー権を渡されている。三人一組なので、チームメンバーはリーダーである俺と、付き合いのいい英治で決めていたのだが、後一人を誰にしようか頭を悩ませていたのだ。優空情報によるとジン・ラースはIGLもできるみたいだし、コラボしてみてわりと動けそうならジン・ラースを誘ってみるのもありかもしれない。

 




ということで『Golden Goal』所属の壊斗視点でした。ちなみにしばらく出てきません。

次はお兄ちゃん視点です。

感想や評価ありがとうございます。やる気出ます。がんばります。
あと誤字報告もありがとうございます。いくらチェックしてもなくならないんですよね、不思議と。とても助かってます。
次も十二時間後に更新(予定)です。よろしくお願いします。


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二章『Absolute defense zone』
さあ、街を守る時間だ。


 

「わあ……やっぱり上手だなあ。とても派手だ」

 

 父さんからの頼まれごとをこなした後、僕は夢結さんと寧音さんが共同でやっている『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』の更新された動画を観ていた。

 

「ふふっ、きっとイーリイさんも喜んでるだろうね」

 

 今回投稿されていた手描き切り抜きは、以前イーリイさんとコラボした時の配信からだ。

 

 お二人の手描き切り抜きは基本的に、躍動感のあるデフォルメ絵と迫力のあるイラストで構成されている。デフォルメされた絵だけでも大変だろうに、ほぼ毎回力の入ったイラストを用意しているのはとんでもない労力がかかっているのではないだろうか。

 

 もちろん、色の塗りや背景まで完全に百パーセント全力で仕上げているというわけではないけれど、それでもかなりクオリティの高いイラストになっている。そう簡単に描き上げられるものではないはずだ。

 

 イーリイさんとのコラボの手描き切り抜き第一弾の時は照れて恥ずかしがるイーリイさんをとてもよく表現していて、第二弾の猫を被った初期イーリイさんモードも可愛らしく描いてくれていた。

 

 そしてついさっき投稿されたこの第三弾は、イーリイさんが礼ちゃんとオフで会えるかどうかがかかった試合に焦点を当てたもので、僕がイーリイさんの猛攻を凌いで反転攻勢に出て辛勝したところを格好良いイラストにしてくれている。必殺技で決着をつけたシーンだったので、派手なエフェクトと大胆な色使い、ダイナミックな構図になるよう意識されていた。

 

 デフォルメ絵でぴょこぴょこ可愛く動いているのももちろんいいけれど、やはり一枚絵のイラストがずどんと出てくるとインパクトがある。

 

 見応えもあって感動するが、観る側の満足感に比例するようにお二人には相当な負担がかかっているに違いない。一応お二人には礼ちゃんが依頼として手描き切り抜きをやってもらっているわけだけれど、これだけの頑張りには僕からもなにか応えてあげたい。

 

 何かしてあげたいけどすぐにいいアイデアは閃きそうにない。とりあえず保留として、夢結さんには動画を観た感想のメッセージだけ送っておこう。

 

 僕からこうして手描き切り抜きの感想を送るようにしたからか、夢結さんも僕の配信が終わった後はメッセージを送ってきてくれるようになった。

 

 少しずつだけれど、以前より親しくなれているような気がして嬉しい。

 

「相変わらずめろさんは仕事が早い……」

 

 『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』の後は『mellow:ジン・ラース切り抜きch』を覗いてみる。

 

 イーリイさんやロロさんとのコラボで名前を出したからか、めろさんの投稿する切り抜き動画の再生数の伸びが以前よりも上がっている。登録者数も順調に増えつつある。

 

 それもそうだろう。これほどに丁寧な切り抜きを観たら、言い方は悪くなるけれど他の切り抜きを観れなくなるくらいだ。

 

 当然のように字幕完備で、話し方やテンションなど状況に応じてフォントを使い分けており、動画に出てくる配信者ごとに色分けして誰が喋ったセリフなのかが一目でわかるようになっている。説明の足りない部分があれば画面端っこに注釈を加えてくれてもいる。とても配慮が行き届いている。時折フリー素材を使って、しつこく感じない塩梅でユーモアも演出している。なにより、これだけ手の込んだ編集をしているのに圧倒的に投稿するのが早い。

 

 本業とどうやって両立させているのか、睡眠はいつ取っているのか、これほど謎な人はいない。定期的にめろさんとは通話していることだし、また今度ちゃんと休日を作れているのか訊ねてみよう。

 

 なんならロロさんとのコラボの後、僕が炎上の件について説明していたからか、改めてめろさんから謝罪されていたのだ。

 

 まだ本人はあの一件を咀嚼はできても呑み込むところまでは割り切れていないのだろう。依然として気に病んだままだ。僕が気にしなくてもいいと言っても、本人の罪悪感が薄れるわけではない。時間が薬になってくれることを祈るばかりだ。

 

 めろさんはそうやってつい最近も謝るために通話を繋げてきてくれていたのだし、その時にでもちゃんと休めているのか確認しておけばよかった。人間は休息を取らないと倒れてしまう、脆い生き物なのだから。

 

「僕にはこの編集はできないなあ……」

 

 速度と丁寧さを兼ね備え、ユーモアを忘れず、切り抜きとして手軽に観やすいコンパクトさに纏める。センスと経験がなければできない芸当だ。

 

 配信から切り抜きや動画を作ったりするのは、本来であれば配信者本人がやるものだ。違う事務所だとやってくれるスタッフさんがいたりするらしいけれど、原則は本人がやる。自分でやらなければいけないからこそ、礼ちゃんだって動画の編集技術が高まったわけだし。

 

 配信者本人がしなければいけない作業を代わりにやってくれる公認切り抜き師なんていうありがたい存在は、普通ならもっと配信歴が長かったり人気のある配信者にしかつかない。僕みたいなデビューしたばかりの新人配信者には、本来縁遠い存在なのだ。

 

 なので縁云々で言うのなら、僕とめろさんの間には縁があった、ということなのだろう。縁は縁でも奇縁だが。

 

 めろさんによる丁寧な切り抜きとロロさんとのコラボの影響で、僕の過去配信の動画は再生数が増えていた。

 

 僕はリスナーさんがどういった配信を望んでいるのか知るために時折アーカイブの再生回数の推移を確認しているのだけれど、ロロさんとのコラボで触れた『administrator』配信と寝かしつけ配信が一段階ギアを上げるようにぐんっと回っていた。

 

 FPS配信だとFPSというジャンルに興味のない人、よくわからないという人を(ふる)い落とす形になってしまうけれど、ストーリー性のあるゲームだといろんな人が楽しめる。アーカイブでの伸び方の違いはこういう部分なのだろうか。

 

 ただ、同時接続数だとFPS配信のほうが数字が多くなりがちだ。FPS配信の時は基本的に礼ちゃんとのコラボでやっているので、僕と礼ちゃん、両方の視点で戦いを観たくて両方の配信を視聴しているリスナーさんが多くいる、といったところが理由だろう。

 

 このあたりはFPSとストーリーのあるゲームのどちらがより良い、というような差があるのではなく、それぞれの特徴であり傾向である、と受け止めておくくらいでいいのかもしれない。

 

 寝かしつけ配信は、もう、なんだろう。よくわからない。

 

 これまでも寝かしつけ配信だけはずっと同じペースで回っていたけれど、ロロさんとのコラボ後、再生の伸び率が『administrator』ほどではないにしろ上がって一定の割合で伸び続けている。不可解なことに回転数が衰えることがない。

 

 異常な推移だ。怖い。なんだこれ。

 

 通常、アーカイブなんて一回観れば満足する。特別おもしろかったりすれば何回か観返すこともあるかもしれないが、だとしても五回も十回も観ることは稀だろう。観ていてとても楽しいという動画でもない。画面の動きは少ないのだ。音声ベースの動画となっている。

 

 そういった諸々を鑑みると、よほど睡眠の浅さや寝つきに悩みのあるリスナーさんが多いということなのだろうか。寝つきが良くなるという最も望んだ効果が現れているのは嬉しい。

 

 ただ、聴き続けると耐性ができて効力が落ちてくる、などと怪しい発言をしたロロさんの例もある。もし睡眠に悩んでいる人が多くいるのであれば、新しい寝かしつけ配信も考えておいたほうがいいかもしれない。

 

 でもその割に『おやすみなさい』の一言で落ちてたりするんだよね。耐性とはなんだったのか。

 

「寝かしつけ配信の内容、礼ちゃんにも一度相談しようかな……」

 

 礼ちゃんで思い出し、時計を確認する。

 

 今日は夜に礼ちゃんとのコラボがあるのだ。『Island(アイランド) create(クリエイト)』で魔界創造計画の続きをすることになっている。

 

 晩御飯を食べて、少しゆっくりしてから配信するのがいつもの流れだ。晩御飯までまだかなり時間がある。

 

 礼ちゃんは今は部屋で参考書を片手に勉強中だ。数学Iや数学Aをおさらいする、と朝御飯を食べている時に話していた。解き方を忘れないように、あるいは思い出すように数をこなしていくのだろう。

 

 ならば僕の出る幕はない。わからないところがあれば質問してくるだろうから、出しゃばったりせずに礼ちゃんの頑張りを見守ろう。

 

 晩御飯まで時間を持て余すのでオンライン動画共有プラットフォームで面白そうな動画がないか観て回っていると、興味深いライブ配信を見つけた。

 

「あ、ADZの配信してる人がいる……めずらしい」

 

 僕は配信ではやっていないけれど裏では頻繁にプレイしているADZ──『Absolute(アブソリュート) defense(ディフェンス) zone(ゾーン)』をライブ配信でプレイされている配信者さんがいらっしゃった。しかも同業者、Vtuberの方だ。

 

「お名前は……美座(みざ)(あざみ)さん。『Next Princess』所属の方なんだ」

 

 その話し方や声色よりも、如実に冷淡さを示す切れ長の双眸は赤紫の虹彩。外はねの多い無造作なヘアスタイルで、髪の根元は濃い紫色だけれど毛先に向かうにつれて藤色のような淡い色合いになっている。画面の左下に胸元から上の姿しか映っていないので詳細はわからないけれど、ブレザーっぽい制服を着ているみたいだ。

 

 美座さんのことは寡聞にして存じ上げていないのだけれど、この方が所属されている『Next Princess』の名前は見識の狭い僕でも知っている。たしか『Next Princess』は『Golden Goal』ほどではないけれど所属しているVtuberの人数が多い事務所だ。この事務所も『End Zero』のように女性ばかりの事務所だけれど経営方針は異なっていて、男性配信者とコラボ配信することも頻繁にある。

 

 この事務所で特徴的なのが、所属している事務所は同じだけれど、活動内容によってグループが分けられているところだ。とはいえ、そのグループ分けはそれほど厳正なものではないようで、本人の意思によって別のグループに移動するケースもある模様。近い目標や似た考え方の人たちを集めることで活動のモチベーション向上や仲間意識を育むことに繋がるのかもしれない。

 

 概要欄を拝見するに、美座さんは『Now I Won』というグループに所属しているらしい。このグループはゲーム配信に力を入れていて、特にFPS系のゲーム配信を行う方が多く所属しているグループだ。

 

 NIWやニウなどと略されることもあるこのグループに鬼馬辻(きばつじ)椿(つばき)という方が在籍されていることは、僕の記憶に強く残っている。以前配信外で礼ちゃんと少年少女Aさんの三人で貴弾をやっていた時に、その鬼馬辻さんとあたったことがあったのだ。とてもお強かった。

 

 その時の鬼馬辻さんのパーティもフレンド三人でマッチを回す、いわゆるフルパーティ(フルパ)と呼ばれるパーティだったのだが、なんなら他のお二人も非常に上手だった。

 

 気になって調べて『Next Princess』という事務所や、同事務所のFPS系グループ『Now I Won』の存在を知ったのだ。FPS、あるいはTPSにも種類があるので一概には言えないけれど、このグループの人たちはみんなシューティング系のゲームにお強いようだ。

 

 プリンセスと言っても、城や塔で幽閉されるタイプでは決してない。武装して前線でごりごりに戦うタイプの『Princess(お姫様)』である。

 

『このビルの中にワークのポイントがあるはずだけど、こんなの入れないでしょ。ソロでどうやってやるのよ。全部倒さなきゃいけないわけ?』

 

 美座さんの操作するキャラクターが、目的地の建物から少し距離を置いた位置で建物周辺を警戒していた。

 

 美座さんの言っていたワークというのは、大まかに言ってしまえば他のゲームで言うところの任務やサブクエストに該当する。ただADZではこのワークの重要性というか、優先順位がとても高い。ワークをこなすのはADZを進めていく上で生命線の維持に等しいのだ。

 

 このADZというゲームはワークをこなさなければショップで購入できるアイテムのラインナップが充実されないし、使いやすい武器や弾薬を購入できない。『ワークなんて面倒なものほっといて敵ぶっ殺していけばいいや』というような猪マインドでは、行く行くは身動きが取れなくなる。最初のうちはゲームを順調に進められても、強い敵が現れるようになってきた時に必ず負けが込む。いずれ武器を失い、アイテムを失い、首が回らなくなるのだ。

 

 かなり面倒だし道のりは遠いけど、ちゃんとワークをこなそうとしている美座さんは偉い。

 

 その手間のかかるワークをこなすための目的地のビル付近には、今見える範囲でも敵兵士を二人視認できている。中にも配置されていることを考えると、ソロで正面から攻めるのはかなり難しい。

 

 なんならデュオやトリオでパーティを組んでいても、返り討ちに遭う可能性は全然ある。

 

 このゲームは、敵はすべてNPCなのだけれど、マップ上に湧いている一般的なモブ兵士であっても驚くほどに手強い。

 

 撃ち合っていてもちょっと顔を出しすぎたら簡単にヘッドショットしてくるし、狙撃兵が相手だと離れたところを走っていても頭を抜かれることがある。増援を要請したりもするし、遮蔽に隠れていたらグレネードなどの投げ物も使用してくる。

 

 ただのモブ兵士でこれである。

 

 ネームドと呼ばれるボスクラスになると、そのあまりの強さにプレイヤーたちからは『公式チート』なんて呼ばれたりもしている。絶対国防圏(ADZ)が俗に『絶望圏』などと言われる所以(ゆえん)である。

 

「そこのビルには隣の敷地から壁を乗り越えれば安全に入れるんだけど……」

 

 思わずキーボードに指を這わせたけれど、コメントを打つのを躊躇(ためら)った。

 

 リスナーが『こうすればいけるよ』みたいなコメントを例え善意で打ったとしても、配信者がそのコメントで気分を害すれば、それは厄介リスナーによる指示コメントと同じだ。このあたりは配信者にもよるし、状況によってもそのコメントが是か非か変わってくるとても難しい問題だ。

 

 なので、とりあえず見守ることにしよう。

 

『情報サイト見たら、たしかあのビルの隣から……〈周りから入れる〉知ってるよ。隣のブロック塀から入れるんでしょ』

 

 そう呟いた美座さんは正面からの突破は諦め、兵士に発見されないよう遠回りしつつ、目的地のビルと、その隣に位置する廃ビルの敷地を区切るブロック塀のところまで移動する。

 

 よかった、美座さんは知っていたようだ。

 

 今回美座さんが取りかかっているワークもそうなのだけれど、ADZはあまりにも知識ゲーなのだ。ワークしかり、アイテムしかり、敵が湧きがちなエリアしかり、知らなければ効率が良くないどころか二進(にっち)三進(さっち)もいかなくなる。

 

 なんならこのゲーム、画面上にマップすら表示されない不親切設計なのだ。プレイヤー本人がマップや建物の構造を記憶しておかなければいけない仕様になっている。各マップやアイテムを漁る場所を覚えきれていないうちは、情報サイトを常に開きながらプレイする他ない。

 

『兎と虎ならアビリティ使ってビルの横から安全に侵入できるってあったけど、できないじゃん。ウォールジャンプじゃないの?』

 

 ADZには現在、兎、虎、狼、熊の四種類のキャラクターがいて、その中からプレイヤーは自由に選択できる。それぞれのキャラクターに特性や得手不得手があり、この手のFPSゲームには珍しくキャラクターの種類によって扱える銃器に制限がある。

 

 美座さんの使っているキャラクター()はバランスの取れたパラメーターとアビリティを有しているオーソドックスなキャラクターだ。比較的ソロで進める人向けのアビリティ構成になっている。サブマシンガンなど取り回しのいいものからマークスマンライフルなど距離を置いても十分仕事ができる銃まで幅広く使用可能だ。

 

 虎は常時発動型(パッシブ)アビリティに『フットパッド』という、足音を小さくするものがある。そのおかげでブロック塀の前でどたばたと『ウォールジャンプ』を試していてもまだ敵兵士に見つかっていないが、発見されるのは時間の問題だ。

 

『〈WJでいける〉〈そこ兎だけだよ〉〈裏に崩れてるとこある〉〈キャラコンやね〉……もう、なに? どれ? 虎は行けないの? 裏に回らなきゃいけないの?』

 

 なんだかコメント欄では情報が錯綜(さくそう)している。どの情報が正しくてどの情報が間違っているのか判断できず、美座さんも混乱しているようだ。

 

 実は美座さんが拾った四つのコメントは、その内三つだけが正しい。〈そこ兎だけだよ〉というコメントだけが間違いである。

 

 ビルへの侵入経路は正面を除けば、美座さんがいる隣側のブロック塀を乗り越える方法と、ビルの裏側に回る方法がある。

 

 リスナーさんの言う通り、裏側のブロック塀には一部崩れているところがあって、そのルートであれば全種族入れる。ただ、裏側ルートは屋上にいる狙撃兵に見張られていることがあるし、ビルの裏口の前に兵士が立哨していることも多い。裏側からの侵入ルートは、正面よりかは安全、という程度だ。

 

 隣側のブロック塀は兎であれば『ハイジャンプ』というアビリティで難なく越えられる。

 

 虎の場合は、これまたリスナーさんの言う通り『WJ(ウォールジャンプ)』を使えばブロック塀の天辺(てっぺん)に手がかかる。しかし、アビリティを発動してから定められたタイミングで視点移動しないと、ただ壁を蹴ってジャンプするだけになってしまうのだ。キャラコンが必要というコメントはそういう意味である。

 

「うーん……大変そうだなあ」

 

 リスナーさんは美座さんに『こうすればいけるよ』と教えてあげたいのだろうけれど、そういった考えの人が多くてコメント欄は流れが速くなっているし、コメントだと詳しく説明もできない。文字だけだとニュアンスを伝えられなくて、一見すると命令しているような口調にも感じられてしまう。悪意はないのだろうけれど、誤った情報が含まれているのもたちが悪い。

 

 決して悪意はなかったはずなのに、コメント欄が少々荒み始める。指示するようなコメントを控えるように注意したり、誤った情報を流布しないよう指摘するリスナーが現れたのだ。

 

 自分の推し、好きな配信者さんの負担になるようなことをしないでほしい、という感情の表れなのだろう。その気持ち自体は真っ当だし好ましい。

 

 しかし、その気持ちを他のリスナーさんにぶつけることによって、巡り巡って美座さんへの負担になるということにまでは思慮が及ばないようだ。

 

 荒らしの生態系や習性に詳しいと自負する僕が観ていた限りにおいては、コメント欄には荒らしらしい荒らしはいなかった。

 

 リスナーさんはその多くが良かれと思ってコメントを送っているのに、どこかで歯車がずれてこんなことになってしまった。

 

 悲しいことだ。それもこれもゲーム内でまったくシステムの説明をしてくれないADZが悪い。

 

『ああもう……っ。なにが正しいのかわかんないっ。指示するコメントはやめて。……そうだ、こうしよう。DOCの順位が私より高ければ指示してもいいよ』

 

 厚意で教えようとしていたリスナーさんからすると少し悲しい気持ちになってしまうかもしれない突き放したような言い方だったけれど、そうでもしなければコメント欄は収拾がつかなかっただろう。致し方なし。

 

 ちなみに美座さんの言っていたDOCというのは貢献度のことで、プレイヤーが味方陣営にどれだけ利益をもたらしたか、どれだけ活躍できたかの指標である。

 

 ADZは広義的な意味ではCo-opゲーム、協力プレイに近いゲームなので、『Noble(ノーブル) bullet(バレット)』のようなクラスシステムは存在しない。その代わりにプレイヤー同士で競わせるために貢献度(DOC)ランキングというものが用意されている。

 

 どれくらいADZをプレイしているかわからないリスナーからの情報では正確性が担保できないので、美座さんはDOCのランキングで足切りをして情報の確度を上げようとしたのだろう。

 

『私、ソロ九位だからそれ以上の人だけね』

 

 ADZはCo-opっぽいゲームなので友人とパーティを組んで出撃することもできるし、もちろん今の美座さんや、裏で僕がやっているように一人でプレイすることもできる。

 

 一人でやっている時と複数人でやっている時では一長一短はあるにせよ難易度が変わってくるので、DOCランキングでは部門が三つに分けられている。『solo』と『mulch』と『total』の三種類だ。マルチやトータルだと強い人に引率してもらうという形でポイントを重ねることもできるが、美座さんの言っていたソロだとそういう誤魔化しも水増しも効かない。一人で出撃しなければDOCポイントが『solo』ランキングのほうに加算されないからだ。

 

 美座さんのプレイングや使用キャラ的に、おそらく普段からソロでプレイされているのだろう。困った時に友人に助けてもらうという手を使わずにランキング九位とは恐れ入る。美座さんもなかなかにやり込んでいるらしい。

 

 そのわりにビルの侵入経路やキャラコンを知らないというのは、どこかアンバランスな印象だ。

 

 もしかして、これまではすべて正面戦闘で乗り切ってきたというのだろうか。さすが『Now I Won』にいるだけのことはある。脳筋、もとい戦うタイプのお姫様だ。

 

「僕はコメントしても大丈夫そうだね。えっと……」

 

 ともあれ、美座さんが九位なのであれば、僕から情報を提供する分には問題なさそうだ。

 

 キーボードをかたかたと打ち鳴らしてコメントを送る。

 

『そういうことだからこれ以上指示コメする人は私より上ってことを証明……〈そろそろその場を離れたほうがいいですよ〉……話、聞いてなかった? このコメントした人、私より上なわけ?』

 

「……あれ?」

 

 なんだか想像していた反応と違う。美座さんがDOCの順位を口にしたのは、情報量を絞るためだと思ったのだけれど。

 

 とりあえず僕の順位と、美座さんの位置が危険になっていることを伝えておこう。

 

『これだけ言ってまだ指示コメしてくるんなら証明してよ。できるんだよね? ……〈二位です。そろそろ音で敵に発見されそうですよ〉……あなた、次のマップでパーティ組むから準備しといて。逃げないでね。ん……なに? ……〈NTの新人だ〉……NT? 「New Tale」? え、この……ジン・ラースっていうアカウント? これ本物?』

 

「あ、しまった……アカウント変えてなかった」

 

 ADZを配信している同業者の方がいたのが嬉しくてどうやら気持ちが浮ついていたらしい。ジン・ラースのアカウントのままコメントを打ってしまった。以前使っていたアカウントに変更しておいたほうがよかったかもしれない。

 

 美座さんの配信を視聴しているリスナーさんの中にも、僕の名前を知っている人がいたようだ。コメント欄がさっきとは違う意味で騒ついている。

 

 そうこうしている間に『Enemy is there!』と、ゲーム内の音声が聴こえた。これはプレイヤーを発見した際の敵兵士のボイスだ。ちなみに、このボイスの場合だと近くにいる敵兵士がプレイヤーを取り囲むような挙動を取る。

 

 まあ、敵を発見して、かつ味方が付近にいるのなら、味方に敵の位置を報告して包囲してから安全確実に仕留めようとするよね。美座さん、非常にまずいです。

 

『うわ、ばれたっ……。ビルの中に逃げ……れないっ。グレも飛んできたっ……』

 

 ブロック塀の近くに身を寄せていれば、背の高い塀が遮蔽物になって体を隠してくれる。

 

 しかしブロック塀から離れて廃ビル内に逃げ込もうとすると銃撃されるので、ブロック塀の側から体を出せなくなってしまった。上手い具合に目的地のビルの裏側に回る道にグレネードが放り込まれる。裏側に向かうルートは使えない。

 

 このマップの敵兵士はまだそれほど怪物じみたエイムはしていない。していないけれど、ブロック塀から体を出して、廃ビルの窓枠に手をかけて『よっこらせ』と体を持ち上げている間にプレイヤーを確実に殺すくらいの腕は持っている。三回は死ねる分の銃弾を撃ち込まれることにはなる。

 

 一度発見されてしまえば、完全に敵から姿を見られなくして一定時間経過しなければヘイトを剥がせない。しかしこういう状況に陥ってしまうと敵がわらわら集まってくるので、それら複数の目から完全に視線を切ることは不可能に近い。

 

「うーん。詰んだ、かな……」

 

 自分がプレイしているわけではないので敵の足音はよく聴こえないけれど、おそらく敵兵士は表側から一人、敷地を取り囲むブロック塀を逆から回り込むようにもう一人が攻めてくる。それだけなら、まずは表側から襲ってくる敵にだけ集中して戦い、どうにか短時間で勝てればまだ生き残れる可能性はあるのだけれど、もちろんそれだけでは済まない。

 

 ADZが『絶望圏』などという蔑称を冠するのは、それだけの(いわ)れがあるからこそだ。

 

『ビルの正面には二人はいたし、一人回り込んでくるのが奴らのパターンだから……とりあえず正面からくる奴を倒っ……上っ?!』

 

 このADZ、一応ストーリーが存在している。プレイヤーは元はとある大国の軍隊に所属していた軍人で、戦地に赴いたが敵軍から大規模な攻撃を受けたことで戦死扱いにされる。戦死扱いとなって戸籍上、宙に浮いた形となったプレイヤーはとある研究機関によって人体実験の実験台にされる。そこで動物のDNAを取り込ませて動物の特長と人間の器用さを併せ持ったスーパーソルジャーを作り出すという人間兵器開発実験、獣人計画『Hybrid beast』の被験体にされるのだった──という、ふわっとした舞台設定があるのだ。

 

 プレイヤー側のバックグラウンドがあるのは、別にいい。そういった経緯があって動物に由来するようなアビリティがあるのだな、と納得できる部分もある。キャラクター毎に用意されているアビリティもユニークだ。

 

 問題は、敵側にも同じような背景があることだ。

 

 今現在判明している情報だと、敵の兵士も境遇は似たり寄ったりである。戦死や行方不明扱いの兵士。研究機関に送られ実験体にされる。目的はスーパーソルジャーを人工的に作り出すこと。

 

 違うのは、スーパーソルジャーまでのアプローチの方法だ。

 

 動物と人間の長所を兼ね備えた兵士を作るのが獣人計画(Hybrid beast)。対して、敵兵士が受けさせられたのは、脳科学や生体工学を悪用し様々な薬品を投与することで人間の能力の最大限界値を超えて能力を引き出させる、という思想のもと始動した人間兵器開発実験。その名も、強化兵士計画『Enhanced soldier』。

 

 プレイヤーサイドも常人を遥かに凌駕する身体能力を有しているが、プレイヤーと相対する敵も同等かそれ以上に普通ではない。

 

 人間兵器開発実験の研究者たちには倫理的境界など微塵としてない。人道なんて目も向けなければ、人命だって歯牙にもかけない。科学的に被験体に暗示をかけ、身体的、認知的、知覚的、心理的能力を高める薬品を被験体の身の安全なんてこれっぽっちも気に留めることなく投与する。特殊な免疫抑制剤を定期的に接種しないと死より恐ろしいことになる、という情報までは開示されている。敵施設に潜入してレポートを掻っ払ったことがあったが、そう記されていた。

 

 何が入っていて、将来的にどんな悪影響があるかわからない薬品をどばどばと注ぎ込まれた強化兵士が、プレイヤーたち獣人兵士を排除するために街に送り込まれている。

 

 人間離れしている獣人兵士を駆逐するために送り込まれた彼らは、強化兵士の名に恥じぬくらい、やはり人間離れしているのだ。

 

 そう、先ほどまでビルの三階の窓から美座さんを撃ち下ろしていた強化兵士が、装備重量は三十キロを優に超えるはずなのに、ビルから十メートル以上離れているはずの細くて狭いブロック塀の上に飛び乗ってくる。そんな芸当を軽々とこなしてしまうくらい、人類の枠をはみ出しているのだ。

 

 ちなみに、これはボスでもなんでもない。ADZにおいて、マップのそこら中に湧いている一般的な兵士である。こんな身体能力をしていながら、美座さんが訪れている『市街地』と呼ばれるマップは他のマップと比べると、まだ敵兵士の強化レベルが低いのだ。まだ、これでも。

 

 本当に呆れ果てる難易度設定である。ADZの制作会社はFPS未経験者にこのゲームをプレイさせる気がないのかもしれない。

 

 そんなこんなで、正面道路からくる敵に集中しすぎた美座さんは、ブロック塀の上に飛び移ってきた敵兵士に気づくのが遅れてしまった。緊急回避のような生ぬるいアクションなんて存在しないので、美座さんは敵兵士の銃撃を避けることができずに撃ち据えられる。

 

 せめて歩くなり走るなり動いていれば、そこから加速してアビリティを使うことくらいはできていただろうけれど、撃ち合いを予想してサイトを覗いて(ADSして)いたことが裏目に出た。

 

『化け物がっ……うっ、あぁ……』

 

 耳を(ろう)するほど強烈な銃声。フルオートで敵兵士が持つ銃から弾丸が吐き出されるが、五発目の銃声が聞こえた段階ですでに美座さんのキャラクターは絶命してしまった。画面が暗転した。

 

 キャラクターがお亡くなりになってからの状況はわからないけれど、おそらく胴体も頭部もしっちゃかめっちゃかになるくらいの数の銃弾を受けただろうことは想像に難くない。距離も近かったし、敵兵士の持っていた銃はアサルトライフルだったし、しかもフルオートだったし。

 

 ちなみに強化兵士たち、リコイル制御のテクニックも中堅FPSプレイヤー並みに上手い。フルオートで引き金を引いても、多少ばらけるくらいで必要十分な水準には集弾させる技術を持っている。美座さんの仰る通り、紛れもなく化け物である。

 

『……さっきの人。ジン・ラース……さん、だっけ? ほんとにランキングが私より上だって言うんなら入ってきてくれない? 証明してよ』

 

 綺麗に敵兵士にしてやられたからか、どこか気落ちしたトーンで美座さんが言う。

 

「時間は……まあ大丈夫そうだね」

 

 なんだか話がおかしくなってきたけれど、言い方や声の印象はどうあれ、ともに街を守る同志である美座さんから招待されたのだ。受けない理由はない。

 

 なんならさっき美座さんが『次のマップでパーティ組むから準備しといて』と口走っていた時に僕はゲームを起動していたのだ。いつでも行ける。

 

『準備ができたら教えて。出発のタイミングはこっちで指示する。まさか、逃げないよね? 二位だとか大口叩いたんだもんね。知らないかもしれないから言っとくけど、二位のプレイヤーって使ってるキャラ……〈準備完了しました。行き先はお任せします〉……はっは、マップはさっきと同じ「市街地」ね。私から招待送るから待ってて。これで二位のプレイヤー本人じゃなかったら叩かれると思うけど、大丈夫?』

 

 ADZは最大で五人までパーティを組めるけれど、僕は一人でしか戦場に赴いたことはない。理由は単純にして明快、友だちがいないからだ。

 

「ソロでやる時とは動き方も違うだろうし、気をつけないとね。ふふっ」

 

 ADZはプレイ画面に地図が出ないというプレイヤー泣かせな、言い換えれば(いぶ)し銀なゲームだ。もはや言うまでもないくらいのことだけれど、フレンドリーファイアがある。たとえ同じパーティだとしても味方に弾があたればダメージを受ける。

 

 パーティを組むのは初めてでとてもわくわくするけれど、味方がいるからこそ気をつけなければいけないこともある。気を引き締めないと。

 

 マップは『市街地』。

 

 出撃待機中のプレイヤーの欄、その一番上に僕のキャラクター名が表示されている。

 

「〈名前はBlack Rabbitです〉と」

 

 ADZはパーティを組んでいる場合であれば、他のFPSと同様に報告がとても大事なゲームだ。まあ、報告が大事な理由は『敵にフォーカスを合わせるため』とかではなく『自分は敵じゃないから撃たないで』ということを伝えなければいけないからなのだけれど、どちらにせよ報告が大事なことには変わりない。

 

 いろいろと問題はあるけれどゲーム内にVCがあるので、それを使えばコミュニケーションアプリを介さなくても情報伝達はできる。なんとかなるだろう。

 

『……え、ちょっ……ほんとに二位の黒兎なんだけど……』

 

 美座さんの(おのの)くような声のすぐ後に、パーティに招待された旨を示すメッセージが表示された。Yesをクリックして、パーティを組み、出撃まで待機する。

 

 ともに街を守る仲間、美座さんのキャラクター名は『Azami』。美座さんのお名前が『美座(みざ)(あざみ)』なので、配信でもわかりやすいようにシンプルにしたのだろう。レベルは三十六。このシーズンの今の時期、ソロの虎でこのレベルは大したものだ。

 

 装備はアーマーだけは良いものを持ってきているけれど、それ以外はそこまで際立っているものはない。おそらく今回の出撃は前回クリアできなかったワークをこなすためだからだろう。ビル内に忍び込み、強化兵士との戦闘を考慮している装備構成だ。返り討ちにあってもいいように、戦闘に関わらない部分のアイテムは可能な限り削っているらしい。

 

 ADZは、マップに出撃して敵兵士に殺された場合、近接武器以外の装備、銃やアーマー、バッグやリグ、消耗品のアイテムに至るまで、持ち込んだものはすべてロストする。

 

 唯一、セーフティバッグという欄に配置したアイテムだけはロストしないけれど、このセーフティバッグは容量がとても少ない。貴重品を入れていたら隙間なんてほとんど空かないので、基本的には死んだらそのマップに持ち込んだアイテムのほぼすべてを失うことになる。

 

 前回の出撃では美座さんはアサルトライフルを担いでいたけれど、今回はサブマシンガンに変わっている。これは屋内戦闘を見越してのものなのか、それとも武器をロストして他になかったのか、どちらだろう。

 

 同志の装備を眺めているうちに出発の時間になった。画面が切り替わる。

 

「人と一緒にやるADZ、楽しみだなあ」

 

 さあ、街を守る時間だ。





先にお伝えしておきますと、ここからADZ配信とっても長いです。気長にどうぞ。

次から美座さん視点です。
十二時間後です。よろしくお願いします。


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『Absolute defense zone』

誤字修正送ってくれてる人本当にありがとうございます。
何度見返しても誤字脱字って湧いてくるんです。たぶん無から生まれてるんだと思います。助かってます。
配信中のリスナーからのコメント描写はたまに意図的に誤字らせてますので、そちらはお気になさらず。投稿するコメントを確認せずに慌てて入力した、みたいな表現です。


 

 元はと言えば、指示コメが鬱陶しかったのだ。

 

 もちろん、私が知らないことを教えてくれるコメントには助かっていたところはあるけど〈そっちの道危ない〉とか〈さっきの拾っといたほうがいい〉とか、そういうコメントがずっと続いているとフラストレーションが蓄積されていく。

 

 そんなことが続いたあとのことだった。情報サイトを見た限りでは『種族が兎と虎なら乗り越えられる』と書かれていたブロック塀を乗り越えられないでいた私に、まともに読めないくらいの量のコメントが投下された。

 

 予想外のハプニング。ああしろこうしろと指示してくるコメント。指示コメントを指摘するリスナー。それらによってさらに流れが速くなるコメント欄。

 

 プレイ状況もあいまって、精神的に負荷がかかった。端的に言うと我慢が限界に達した。

 

 その結果の『私より貢献度(DOC)ランキングが上なら指示コメントしていい』発言だったのだ。千人もいない私の配信に、私よりもDOCソロランキング上位のプレイヤーなんているわけがない。そう思ったからこその『黙って観てて』という気持ちを込めた言葉だった。

 

 これで落ち着いてプレイできる。

 

 そう思った矢先に、緩やかになったコメント欄の中で〈そろそろその場を離れたほうがいいですよ〉なんていう悪目立ちするコメントを見かけたものだから、ついカッとなって衝動的に『次のマップでパーティ組むから準備しといて』などと言ってしまったのだ。コメントの内容ばかりに気を取られ、ユーザー名なんて視界に入っていなかった。

 

 でも、しょうがない部分もあると思う。まさかあの『New Tale』の悪名高き憤怒の悪魔、ジン・ラースがそんなタイミングでコメントを送ってくるだなんて誰が予想できるというのか。引くに引けなくなったので我を突き通すほかなくなってしまった。

 

「……え、ちょっ……ほんとに二位の黒兎なんだけど……」

 

〈まじで苦労詐欺や〉

〈レベル嘘やんw〉

〈兎でこのレベルは草〉

〈マジモンで草〉

〈兄悪魔やっぱADZもうまいんかw〉

〈この前はありがとうございました〉

〈ブラックラビットさん!〉

〈レベルやっばw〉

〈幸運の黒兎さんだ〉

〈レベルたけぇ!〉

〈悪魔配信つけてくれよw〉

〈黒兎!〉

〈本物だ!〉

〈あざみんのリスナーやったんか?w〉

 

 ジン・ラースが送ってきたコメントと、出撃待機画面のプレイヤー一覧の一番上に並んでいる名前を見て度肝を抜かれた。

 

 ADZ配信をよくするせいか私の配信にはADZプレイヤーが頻繁に訪れる。私の配信を観ながらADZをプレイしているリスナーもたくさんいるらしい。だからだろう、リスナーもとても驚いている。

 

 Vtuber界隈でジン・ラースの名前が有名なのと同じように、ADZ界隈ではこのプレイヤー名『Black Rabbit』はとても有名なのだ。他のプレイヤーからは『Black Rabbit』の直訳を愛称にして『黒兎』と呼ばれている。

 

 情報サイトにあるプレイヤー同士の交流のためのチャット欄でも黒兎の名はよく出てくる。そこそこやってるプレイヤーなら黒兎を知らない人はいないと言われるくらいに目立っているのだ。

 

 他のプレイヤーに優しいという噂もあるけど、私はその種族のもの珍しさが目を引く一番の理由なんじゃないかと思っている。

 

 まず大前提として、四種類ある種族の中で兎は、頭一つ分どころか二つ三つ分くらい抜きん出て人気がない。人気のなさトップの種族だ。

 

 その原因が、あまりにも玄人向けというかトリッキーというかピーキーというか、とにかくパラメーターであったりアビリティの構成であったり、なにもかもが常人には扱いづらいのだ。

 

 運動性能、つまりは移動速度であったりジャンプの高さや距離、登攀能力などは虎をも抜いて堂々の一位だけれど、筋力と体力が恐ろしく低い。どのくらい低いかというと、ADZでは頭に一発でも銃弾をもらえばほぼ即死だけど、兎の場合は胸部に食らっても半ば以上死が確定する。それほどに体力が著しく低い。情報サイトの調べによると、出撃中に胸部に被弾し、傷を治療して生還できる確率は二十パーセントを切っているとか。

 

 体力がそもそも他のキャラより低い上、筋力まで心許ないので強いアーマーを装備できない。強いアーマーを装備してしまえば、出撃しても所持重量の制限によってアイテムを拾えなくなるし、制限を無視してアイテムを拾えば所持重量オーバーのペナルティで兎の数少ない長所である機動力を潰すことになる。

 

 結果、性能に不安が残る軽いアーマーか、コンビニにでも出かけるのかというようなジャケットで戦場に向かうことになる。

 

 そして、情報サイトやリスナーからの意見、ついでに私見も加えるけれど、兎の一番の難点として挙げられるのが、扱える銃器の少なさだ。

 

 満足に使用可能なのはナイフなどの近接武器、ハンドガン、サブマシンガン、以上。どう考えても異常だ。FPSゲームとして未曾有である。

 

 アサルトライフルも持てることは持てるけれど、リコイルやリロード、銃を構えたりサイトやスコープを覗くまでにかかる時間も増え、サイドアームへの切り替えにも手間取るという二重苦三重苦どころではない苦難のミルフィーユ。フルオートで撃ったらリコイルが半端なくて気がついたら天井を撃っていた、という逸話は兎の鉄板ネタになっている。

 

 ショットガンに至っては上記のデバフに加え、撃ったら反動でノックバックが発生するというとんでもない仕様だ。

 

 そんな自主的縛りプレイみたいなキャラクターを選ぶプレイヤーなんて、大勢いるわけない。

 

 私の知る中でソロで兎を使っていて、なおかつ活躍しているのはこの『Black Rabbit』だけだ。

 

 だからこそ、上位プレイヤーの中でもとくに異彩を放っている。

 

「なんで黒兎が私の配信なんか見ぶふっ、こほっ、ごほっ……レベル五十二? 嘘でしょ?」

 

 ADZは一応ジャンルの区分で言えばFPSだけど、どことなくMMORPGのような要素もある。そこはかとなくローグライクの風味もあり、部分的にハックアンドスラッシュの趣を感じる瞬間もあるけれど、それは今は置いておく。

 

 ADZにはMMORPGみたいに六種類の能力値を示すパラメータがある。STRであったりAGIであったり、キャラクター毎に傾向を持たされている。

 

 兎であればとくに筋力を示すSTRと体力を示すVITが可哀想なくらいに低いけど、キャラクターレベルをこつこつ積み上げれば、他の種族とは比べるべくもないほど(ささ)やかながらステータスが向上する。筋力は所持重量の上限を増やすために必要だし、体力は戦場を生き残れるかに直接関わってくる。

 

 キャラクターレベルによるパラメーターの向上は、もしかしたら元のパラメーターが低い兎に最も恩恵があるのかもしれない。

 

 あるのかもしれないけれど、それにしたって五十レベルを超えているのは、いくらなんでも常軌を逸している。私は結構ADZやり込んでるし、今シーズンはスタートダッシュが上手くハマったけど、それでもまだ三十六レベル。出撃時に他のプレイヤーの名前やレベルが見れるけど、四十レベル台すらごく稀に見かけるくらいのもの。五十二レベルは次元が違う。

 

「今のシーズンで五十レベル超えてるプレイヤーなんて初めて見たんだけど……」

 

〈五十二はやっばい……〉

〈ほんとにプレイヤーだったんだ〉

〈まぁ一人で敵倒しまくってるし〉

〈ゲーム側が用意したAIって噂あったの草〉

〈なんで兎で勝てるんだろうなw〉

〈前に黒兎が倒した敵兵一体もらったわw〉

〈俺なんて三十すら越えたことねぇよ〉

〈実在したのか黒兎……〉

〈ワイ市街地より向こう行ったことありません〉

〈『ジン・ラース』戦闘の仕掛け方と引き際を見極めれば意外といけますよ〉

 

「どうやってるの? ハンドガンやサブマシンガンの距離まで近づくだけでも大変でしょ、兎は」

 

 私は配信上で話しかけ、ジン・ラースはコメント欄から返す。

 

 コメント欄が盛況なこともあってジン・ラースのコメントを探すのも手間だ。

 

「探すの大変だからモデレーター権渡しとく。最低限の良識はあると思うけど、モデレーターで余計なことしないでよ」

 

 モデレーター権を付与するとユーザー名の隣にマークがつくので、流れの速いコメント欄にあっても目立って見つけやすくなる。ただモデレーター権を持っているとリスナーのコメントを消したり、一定時間コメントできなくするタイムアウトなどの処置ができるようになる。

 

 企業に属する配信者である以上、常識やネットリテラシーは弁えてるとは思うけれど念のために注意を促しておく。

 

〈『ジン・ラース』見つけやすくするためですよね。かしこまりました〉

〈言い方きついって〉

〈他事務所の配信者なんだから気をつけよ?〉

〈ニウのライバーじゃないんだぞー〉

 

 リスナーがちくちくと指摘してくる。どうしてわかりきったことについてわざわざ言及するんだろう。

 

「べつにジン・ラースが悪いことするなんて思ってない。でも私、ジン・ラースが炎上してたのは知ってるけどどんな理由で炎上したのか詳しくは知らないし。念のために言っただけじゃん」

 

〈炎上の件蒸し返すことないでしょ〉

〈ジン・ラースが原因じゃないぞ〉

〈炎上のこと言う必要なくない?〉

 

 私がモデレーター権をジン・ラースに渡したのだから、ジン・ラースがなにかやらかした場合、その責任は私が取ることになる。それで炎上なりなんなりで話が大きくなれば『Now I Won』のメンバーにも『Next Princess』全体にも迷惑がかかるかもしれなくなる。

 

 そのリスクの芽を摘んでおくのは合理的なはずなのに、なぜそう()(ざま)に受け取るかな。私の言動を勝手に解釈して、身勝手にコメントするリスナーに、苛立ちが(つの)る。

 

『あー、あー。聞こえますか? 聞こえているようですね。美座さんのチャンネルのリスナーさん、お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ。僕としても変に炎上の話を避けてぎこちなくなってしまうのは嫌ですし、話に取り上げてもらえるのはかえってありがたいくらいです。せっかく街を守る同志とパーティが組めたのです。どうせなら楽しくやっていきましょう。ね?』

 

〈黒兎ばかイケボで草〉

〈ゲーム内VCとは思えん声〉

〈ばちばちに兄悪魔w〉

〈やっぱり悪魔で草〉

〈声よすぎんか黒兎w〉

 

 いつの間にか読み込みが終わり、私たちはマップに降り立っていた。この地形と景色からするに、どうやら私たちはマップ『市街地』の東の外れ、郊外に湧いたようだ。

 

 コメント欄から短い文章を送っていては埒が明かないと判断したのか、ゲーム内VCを使ってジン・ラースが話しかけてきた。VCの音声が聞こえるように設定しておいてよかった。

 

『美座さんの目的地まで距離もあることですし、移動しながら話しましょうか。こちらから行きましょう』

 

「ん、わかった。……向いてる方角微妙に北東に傾いてない? ワークのビルはマップの中央からちょっと北西に行ったところなんだけど」

 

『この湧きから最短距離で直進しようとすると検問所を通る必要があります。検問所の兵士とやり合っている間に、ランダムでお散歩してる警邏や付近の建物で湧いていることの多い狙撃兵にちょっかいをかけられるリスクがありますから、そこを避けたいんですよ』

 

「……今日配信前にそこ通って、検問所の兵士と警邏部隊に囲まれてボコされた」

 

〈お散歩草〉

〈犬みたいにw〉

〈検問は守備硬いんだよなぁ〉

〈砂が狙ってくんのが一番うざい〉

 

 まさしく今日の配信開始前、この付近で湧いて市街地の中央に移動した時、ジン・ラースの言った通りの流れで囲い込まれ、身動きが取れなくなって遮蔽物に隠れたところをグレネードで爆殺された。なんの反論もできない。ぐうの音も出ない。

 

『こちらはソロなのに複数の敵に囲まれたりすると、なんだか寂しくなりません? 彼らには仲間がいるというのに自分は……って。そういう精神的なダメージを避けるためにも迂回したいんです。迂回ついでにここから北北東にあるキャンプ施設に寄ったらアイテムも手に入りますからね。キャンプ施設は納品ワークで必要になる医療品が出ることが多いんです。ついでに拾えれば手間が省けますよ』

 

「おー……さすが二位」

 

 『Black() Rabbit()』もといジン・ラースはマップの構造にも強化兵士の配置にも、そしてこれから追加されていくのだろうワークについても詳しかった。このあたりは間違いなく私よりも知識量が多い。

 

 『絶望圏』とすら呼ばれるほどに難しい『Absolute(アブソリュート) defense(ディフェンス) zone(ゾーン)』を私が始めたのが二つ前のシーズンで、そのシーズンでは操作方法や銃や弾、マップや建物の構造くらいまでを軽く触れたところで終わった。

 

 私がワークを真面目にがんばり始めたのは一つ前のシーズン、その途中からだ。

 

 他のFPSで培った経験もあるし、ちょっと変わり種であるADZでもふつうにいいところまではいけるだろうと調子に乗っていたら、今いる『市街地』より進んだマップでNPCのモブ兵士たちに物の見事に返り討ちにされた。

 

 次は行けるはずと意気込んでも、行けば行ったぶんだけ撃ち殺され、その度にお金をかけてカスタムした銃も、ティアの高いアーマーも、使い勝手の良いリグも、収納量の多いバッグも失い、気づけば序盤のマップですらまともに戦闘ができないほど装備とアイテムとお金を失った。

 

 そこで初めて、ワークを進めていなければまともに使える装備が店に売られないという仕組みを知ったのだ。

 

 そんな前シーズンの苦い思い出を糧に、私は今シーズンから本格的にワークを進めている。知識も経験も少ないので、要領が悪い自覚はある。

 

『配信外に一人でゲームやってる時はこればっかりやってますからね。さすがに知識はつきますよ』

 

「それ……いや、いいや。じゃ、行こうよ」

 

〈兄悪魔自分の配信でもやってくれよw〉

〈炎上した男と関わらないほうが良くね?〉

〈手慣れとる〉

〈黒兎背中でけぇw〉

〈さすが黒兎〉

〈まだ誤解してるやつもいるんだな〉

〈ランキング二位はだてじゃねぇな〉

 

 一瞬、配信でも配信外でもADZばっかりやっているのになにも知らない私への当てつけかと思った。でもこれはさすがに考え方が卑屈すぎると判断したので呑み込んだ。

 

 これまでのシーズンを通しての経験と、積み重ねてきたプレイ時間があるからこその知識。そしてその二つを兼ね備えているからこそ、自信があるのだろう。前シーズンからちゃんとやり始めた程度の新参者が経験と知識量でベテランに比肩できるべくもない。

 

 私の武器は撃ち合いの強さだ。強化兵二〜三人に包囲されると勝ち目は薄いが、一対一ならほぼ負けることはない。一対二でも状況次第で撃ち勝てる。

 

 どれだけ敵を多く倒せるか。その一点がFPSプレイヤーとして優れているかどうかのバロメーターだ。だから私は戦闘面で(まさ)ればいい。

 

『キャンプ施設に行く道中暇ですし、炎上の件について説明しますね?』

 

「ん? あ、うん」

 

 そういえば目的地であるビルまでのルート取りの話をする前にそんな話もしていたのだった。

 

『美座さんならもちろん知っているでしょうし、おそらくリスナーさんの耳にも入っているでしょうけれど、僕の炎上の一件の前に男女のVtuberの方の炎上がありまして──』

 

 そこから寄り道のキャンプ施設に着くまでの道中、炎上は決してジン・ラース本人に非があるものではなく、女ばかりの『New Tale』からデビューしたことと男女のVtuberの炎上の時期が重なったことで起きてしまった不運な出来事だったのだと、端的にわかりやすく説明された。

 

 情報量は多くて経緯は複雑なはずなのに、妙に説明が流暢で簡潔に纏められていた。ジン・ラースは、こういった釈明の場に立つ機会が多いのだろうか。

 

「まぁ、なんていうか……運がないね。ジン・ラース」

 

『運はいいほうだとは思ってますよ? 人に恵まれていますし、応援してくれる人間様……リスナーさんもいます。ただ、炎上の一件は……少々タイミングがよろしくなかっただけで』

 

「あれだけ炎上して本心でそんなこと言えてるんならすごいよ、メンタルが」

 

〈被害者やんけ〉

〈ヤベェ奴じゃないのか〉

〈デビュー早々に炎上とか可哀想すぎ〉

〈法的措置宣言の切り抜きは爽快だぞオススメ〉

〈メンタル強ぇw〉

 

『もともとそのあたりの機微に鈍いだけなんですけどね。誹謗中傷が寄せられても気にできないのです。……あ、この木の下に「へそくり」です。チェックしておきましょう』

 

「鈍いどうこうの問題なの? それって。『へそくり』……こんなのふつうにプレイしてたら見つけられなくない?」

 

『ねえ?』

 

「いや『ねえ?』じゃないよ」

 

〈迷わねーw〉

〈もしかしてぜんぶおぼえてんの?〉

〈二日三日たったら忘れるんだよなぁ〉

〈草〉

〈ねぇ草〉

 

 ジン・ラースの言う『へそくり』とは正式にはヒドゥンプロパティと呼ばれるもので、要するにプレイヤーに見つけさせる気がないくらい巧妙に隠匿された宝箱だ。

 

 だいたいの『へそくり』にはそこまで高価なアイテムは入っていないけれど、たまに高く売却できる希少な品だったり、強い弾や装備だったり、ワークやセーフハウスで必要になるアイテムだったり有用なものが出てくる時もある。意外と『へそくり』から出てくるアイテムはばかにできないのだ。

 

 近くを通りがかった時には漁っておきたい『へそくり』ではあるのだけど、場所を正確に記憶していないと絶対にわかるわけがないところに隠されている。情報サイトを見て、現地に向かって、そこから探し回ってようやく見つけられるような隠し方なのだ。目印もないなんて親切心のかけらもない。このゲームに親切心なんて求めるほうが間違いなんだけど。

 

 自分が今いる場所の地形や景色、建物の構造、レアなアイテムが湧く場所、敵が多くいるエリア、銃の種類や特性、弾薬の特徴や強さなど、ADZは暗記することが無数にある。ユーザーに優しい他のゲームのようにマップが出てくるわけではないので、なおのこと憶えにくい『へそくり』までは手が回らない。これについては迷わずに一直線に走って見つけられるジン・ラースがすごい。

 

 知識ゲーであり憶えゲーでもあるADZはプレイ時間がものを言う。ベテラン、やっぱり強い。

 

『キャンプ見えてきましたね。美座さんはキルワークって何か受けてます?』

 

「ううん。兵士倒す系のワークは出てる分はぜんぶ終わってる。そういうのは得意だから」

 

『「Now I Won」の方はやっぱり逞しい……』

 

〈たくましいw〉

〈草〉

〈女に使う言葉じゃねぇw〉

〈ニウは全員エイムがゴリラだから……〉

 

「誰だエイムゴリラって言ったやつ。本物のエイムゴリラはニウの中でもごく一部なんだけど」

 

 正真正銘のエイムゴリラは覚醒状態のサクラさんとキレた時のザクロくらいで、私は比較的まともなのに。なんならお淑やかな先輩だっていることはいる。その先輩たちもFPSはばか強いけど。

 

 ちなみに『Now I Won』の原点にして頂点であるツバキさんは、あの人はもうエイムゴリラじゃなくFPSゴリラだ。ツバキさんがすごいのはエイムだけじゃない。

 

『くふっ、ふふっ……。エイムゴリっ……言い得て妙ですね』

 

「ここで頭撃ち抜いてあげようかな」

 

 するすると銃口をジン・ラースの頭に向けていくと、ジン・ラースはその場で伏せた。

 

『すいませんでした。この通りです』

 

 どうやら謝罪の意思表示のつもりだったらしい。土下寝かな。あんまり謝っている感は伝わってこない。

 

「よろしい。それで?」

 

『キャンプに強化兵が湧いてるので、キルワークがあるのなら美座さんにお任せしようかな、と』

 

「ワークはないけど任せてくれていいよ。知識は足りてないけど、敵を倒すことだけは得意だから」

 

『……………………』

 

「やっぱりこいつエイムゴリラじゃねぇか、とか考えてるでしょ」

 

『ま、待って……やめてください。言いがかりです。そんなことまったく考えていません。頼りになるなあ、という安心感に包まれていたんです』

 

「それなら頼りになるなあ、って言えばいいじゃない。なに考えてたのか正直に言って。怒らないから。正直に言わなかったら怒る」

 

『聞きしに勝る脳筋エイムゴリラさんだなあ……と』

 

「…………」

 

〈草〉

〈辛辣で草〉

〈いろいろ付け足されとるw〉

〈草〉

〈これは事実陳列罪〉

〈たしかに脳筋だしなw〉

 

 私の想像よりもさらに失礼なことを考えていた。エイムゴリラに、言うに事欠いて『脳筋』まで付け加える必要性が果たしてあったのか。

 

 なので、伏せたままのジン・ラースの頭のすぐ近くを撃った。

 

 あたりに響く銃声が気持ちいい。この男の頭を撃ち抜いてやっていればもっと気持ちよかっただろうに。

 

『わあ、正直に言ったのに。……レベルのわりにワークが進んでいなかったりビルに侵入するためのキャラコンを知らないのは、全部エイムで叩きのめしてきたからなんだろうなあ、とかって思ってました』

 

「こいつっ……」

 

 的確に私に効く言葉を選んで刺してきた。この状況でどうして追い討ちをかけられるんだ。

 

 しかし、悔しいけれど事実その通り、ワークの報酬としてもらった経験値なんて雀の涙程度しかないと思う。このレベルに至るまでの経験値は、ほぼすべて敵兵をキルして稼いだものだ。ついでに言うなら貢献度(DOC)のポイントもほとんどキルで稼いでいる。

 

 反論はできない。だから代わりに銃弾で反論する。

 

 頭の右横と左横の地面に一発ずつ、たんたーん、とリズミカルに撃ち込んでおいた。非常に臨場感のあるサウンドを楽しめたことだろう。

 

『なんで撃つんですか! 正直に言わなかったら怒るって美座さんが仰っていたから、僕は思ってたことをぜんぶ正直に話したんですけど!』

 

「脳筋エイムゴリラからさらに付け加えて死体撃ちする必要はなかったよね」

 

『正直に言ったのに美座さんが怒ったので、もしかしたら美座さんに対して思ったことを全部言わないと怒られちゃうのかなと思って、配信を観てた時の感想を言っただけです。僕は悪くありません。美座さんは怒らないと約束したではありませんか』

 

「うるさい。私は怒ってなくても撃つ女なの」

 

『あ、これ怒ってないって言い張るんだ……。怒らないって言ったのに怒る人よりも、怒ってもないのに発砲する人のほうがよっぽど怖いですよ。こんな人に銃持たせたらだめです。誰かこの人から銃取り上げてくださーい』

 

〈戦場でやることじゃないw〉

〈悪魔ぶっ飛んでんなぁw〉

〈黒兎コミュ力たっかw〉

〈勝手なイメージだけど寡黙な仕事人だと思ってたw〉

〈撃たれててくさ〉

 

 この慇懃無礼な悪魔は今ここで処してやったほうがいいんじゃないかと思ってきた矢先だった。

 

「まだ物足りないなら頭から直接鉛弾食べさせてあげっ、痛っ……ちょっ、ちょっとっ。 撃たれたっ」

 

 連続した発砲音とほぼ同時にダメージを受けた。銃撃を受けたのだ。おそらくジン・ラースの言っていたキャンプ施設の敵兵だろう。

 

 すぐに伏せて、回復アイテムを使う。私たちがいる場所はキャンプ施設よりもわずかだが高さがある。姿勢を低くするだけで射線から身を隠せた。

 

『美座さん、育ちが良いですね。「鉛弾を喰らわせる」ではなく「食べさせてあげる」だなんて。なんだかほっこりしました』

 

 撃たれたことを報告したというのに、ジン・ラースはどこまでものんきなことを言う。なぜ銃声を聞いて戦闘モードに切り替わらないのか。

 

「違う、今は違うっ。ほっこりしてる場合じゃないっ、撃たれたのっ」

 

『はい、僕も撃たれましたよ。美座さんに』

 

「ちがっ、私は当ててなっ、このっ……。それはごめんっ、撃ったのはごめんなさいっ。謝るからっ、敵いるからっ」

 

『ふふっ、そうですね。どうにかしましょうか』

 

「……なんで私が謝らなきゃいけないの? おかしい……」

 

〈エンジンあったまってんねw〉

〈草〉

〈たしかにあざみんに撃たれてたなw〉

〈余裕あるなぁw〉

 

 ようやくジン・ラースも戦う気になってくれたようだけれど、かといってこの状況をどう打破するのか。

 

 わずかとはいえ高所の有利はこちらが握っている。

 

 しかし、その有利さを補ってあまりあるくらいの距離的不利を私たちは突きつけられていた。

 

 私はビル内の戦闘を想定していたので持ってきているのはサブマシンガンだ。兎のジン・ラースが何を持ってきたのかは見ていなかったけれど、そもそもまともに使える銃種がハンドガンかサブマシンガンしかない。そして今私たちがいる地点からキャンプ施設までは、おそらく二百メートル前後。

 

 まともに戦える距離じゃない。

 

『でも美座さん、よかったですね。相手がスナイパーだったらさっきの状況、一発で抜かれてましたよ』

 

「う、うるさいっ……」

 

『このマップの敵兵の強化進度がマイルドだけなのも救いでした。シビアとかだとこの距離でも平気で集弾させてきますからね』

 

「なにそれ? マイルドとか、シビアとかって」

 

『…………ご存知でない? 長い時間ADZをプレイされているご様子なのに、強化進度をご存知でない?』

 

〈強化進度知らんマ?〉

〈たしかにあざみんの口から聞いたことないな〉

〈さすが脳筋w〉

〈いらんねん知識なんか!〉

〈敵の強さよりまず自分の強さを語れよ!の精神〉

〈脳筋すぎて草〉

〈なんも知らんのに俺よりレベル高いんか……〉

 

 私が強化進度とやらを知らないことを知って、ジン・ラースはかなり戸惑っているみたいだった。なんなんだ、そんなに重要な情報なのか。

 

 どうせこのリアクションもさっきのおふざけの延長線で、ADZオタクのジン・ラースしか知らないようなマニアックな情報なんでしょ、とか思ってたらリスナーも動揺してる。やめてよ、私がおかしいみたいな空気にしないでよ。

 

「な、なにっ? いけないっ? 知らなくても銃は撃てるし敵は倒せるんだけどっ?」

 

『いや、まあ……それはそうなんですけど、頭に入れておいたほうが安定性は増すと思いますよ? 敵兵がマイルドだけなら大胆に前出ちゃおうかな、とか。シビアの敵兵も湧くのなら少し慎重に進もうかな、とか。僕はマップごとに立ち回りを変えてますし』

 

「そ、そんなの……全部倒したら同じじゃない」

 

『倒せたらそれが一番いいんですけどね。ADZがそう簡単にいかないことは、美座さんもよく存じ上げてらっしゃることでしょう。前回の出撃で美座さんを倒した敵兵、あれはマイルド・エリートと呼ばれているタイプです。エイムの性能や身体能力自体はノーマルと差はないんですが、エリートの場合はグレなどのアイテムを積極的に使ったり、付近にノーマルがいる場合はノーマルに指示を出すんです。強化進度や敵の兵種を判断できると、結果的に生き残りやすくなりますね』

 

「……す、姿も見えなかったのに、その……エリート? かどうかなんて……わ、わからないでしょ」

 

『ボイスが違うんですよ。接敵した時に何度か聞いたことがあると思うんですけど、兵士の種類毎にプレイヤー発見時のセリフが違うんです。そこで判断できますし、声が聞こえなかったとしても、敵兵とたくさん撃ち合っているとなんとなくわかってくるようになります。マイルドとシビアだと敵のムーブがあまりにも違いますからね』

 

「うっ、ううぅぅっ……」

 

〈ぼこぼこでくさ〉

〈もうやめてあげて!〉

〈ジン・ラース詳しすぎんよ〉

〈一旦あざみんの脳みそには収まりきらないかw〉

〈草〉

〈これが頭を使ってこなかった者の末路〉

 

 正論だ。正論の悪魔だ。なんて恐ろしい。反論さえ許されない。情報の濁流に呑み込まれた私は呻き声を漏らすことしかできない。

 

 リスナーにもばかにされている。絶対この中には知らなかったやつも混ざっているはずなのに。

 

『あ……ご、ごめんなさい。一気に話してもしょうがないですよね。情報サイトにも載ってるんで、時間がある時にでも目を通しておくとだいぶ変わってきますよ』

 

「ばかは座学から始めとけってことね、了解」

 

『違います違います。美座さんは……伸び代があるってことですよ! 今でも十分お強いのに、ここからさらに強くなれる伸び代がたくさんあるんです。素晴らしいことですね。未来は輝いてます』

 

〈カバーリングうますぎんか?w〉

〈そんなプラスに言い換えれんのかよw〉

〈頭の回転早くて草〉

 

「言葉を操るのはうまいね。さすが正論(ロジハラ)の悪魔」

 

『ロジハラなんてしてません、やめてください。そして当方、憤怒の悪魔です』

 

〈ロジハラw〉

〈ロジハラの悪魔草〉

〈草〉

〈今戦闘中なんだよねw〉

 




なんでこんなに面倒くさいゲームを小説にしようとしたんだ僕は……。
ちなみにこれでもだいぶ見直してがんばったほうなんです。

次の更新は十二時間後です。


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「一角兎」

 

 ジン・ラースにロジハラされながらも、どうにかこうにか撃たれた箇所を治療することができた。

 

 ADZでは回復アイテムを使ったからといって瞬時に体力が回復して元通り、とはならない。

 

 被弾すると体力の減少とはべつに出血というデバフが発生し、当たりどころによっては骨折などのデバフにもなる。体の部位ごとに体力が割り振られていて、部位ごとのゲージがゼロになると部位破壊状態となりまたデバフがある。デバフが多すぎる。

 

 発生したデバフごとに使わなければいけない回復アイテムも違うという厄介な点もある。とにかく一発銃撃を受けただけで不利になるし、治療することは多い。キャラクターのアビリティなどはどちらかというとファンタジー寄りなのに、こと戦闘面においてはどこまでもリアリティを追求している。こういった七面倒くさいところもライトユーザーを取り込めない理由なんだろうなって思う。

 

「やっとぜんぶ治せた……」

 

『安全に治療できるというのもパーティを組んでいる利点ですね。ソロだと遮蔽などで身を隠して、敵が詰めてくるかもと不安に怯えながら回復しないといけませんから』

 

「今のところはパーティを組んでるメリットよりもデメリットばっかり目に入ってきてるけど」

 

『なんてこと言うんですか。最近の敵兵士はプレイヤーが回復していたらがんがん前に出てくるんですよ。ここで追い討ちを恐れなくてもいいのはパーティできているからこそです』

 

「あんたと組んでるせいで私の心はダメージを負ってるんだけどね」

 

『……さて、あの敵兵を倒しましょうか』

 

「おい」

 

『アサルトライフル持ちですね。これがシビアだったら確実にやられていましたね。なんならサブマシンガンでもこの距離を削り切られることもあります。マイルドでよかった』

 

 シビアの強化兵士がどれくらいの強さなのか今ひとつ実感が湧かないが、これだけの距離がありながらサブマシンガンでも脅威になりうるなんて、とんでもない戦闘能力だ。やはり強化兵どもは化け物ばかりである。どんなエイムとリコイル制御だ。チーターと遜色ない。

 

「で、二位の黒兎サマはどうするの? サブマシンガンの交戦距離じゃないし、近づこうにも遮蔽がないけど」

 

 かろうじて高所は取れているおかげでとりあえずの安全は確保できているが、ここからでは近づこうにも近づけない。射線を切れる遮蔽がないのだ。木や岩は点々とあるけれど、その遮蔽を使おうと思うと移動する時に一度敵の射線に晒されることになる。強化兵士であればその短時間の間に反応して撃ってくるし当ててくるし、最悪の場合殺してくる。

 

 リスクが大きい。キャンプ施設を諦めて、目的地のビルがある中央区へと進むのも手段としてありだと思う。

 

 なんて考えていた私に対して、ジン・ラースの返答は一つの小気味よい発砲音だった。

 

『オリジン切りました。兎のオリジンはクールダウンが早いのでビル近辺に着く頃には湧いてます。ご心配なく』

 

「は? ……倒したの?」

 

『はい。頭なので一発です』

 

「……は?」

 

〈は?〉

〈は〉

〈草〉

〈?〉

〈なんだただの神業か〉

〈?〉

〈人力チートやw〉

〈黒兎の視点観たい〉

〈兎のオリジンってホーミングでもついてんの?〉

〈は?w〉

 

 目の前で起きたことに私は茫然としてしまった。

 

 伏せていたジン・ラースが急にすくっ、と立ち上がったかと思えば、ハンドガンを構えて一発放ち、屈んだ。頭を下げてすぐにジン・ラースの頭上を数発の弾丸が通り過ぎていったので、敵兵はジン・ラースの姿を捉えてすぐにアサルトライフルを撃ったのだろう。すぐに撃ち止んだのは、ジン・ラースに頭を弾かれたからだ。

 

「…………嘘でしょ」

 

 あっていいのか、こんなこと。この二百メートルの距離を、スコープも載ってないハンドガンを使いながらあの速さで敵兵の頭にエイムを合わせ、ワンタップで頭を撃ち抜く。こんなことがありえていいのか。

 

 ADZのトップ層のプレイヤーがみんなこんな感じなのだとしたら、そんな戦い私はついて行けそうにない。

 

 強化兵士が化け物なのは間違いなくそうだが、なにも化け物なのは強化兵士だけではなかった。私の隣にいるジン・ラースもまた、化け物だった。

 

『さあ、漁りに行きましょうか。ADZは漁ってる時が一番楽しいですからね』

 

 しゃがみ状態から立ち上がるや、声を弾ませてキャンプ施設へとジン・ラースは走っていく。その姿は無邪気でかつ、無防備だった。これだけ体を出しても撃ってこないということは、本当に一撃で仕留めたのだろう。

 

「……ねぇ。私、兎はまともに使ってないからよく知らないんだけど、兎のオリジンアビリティってどんな効果なの?」

 

 オリジンアビリティというのは、種族ごとに設定されたアビリティの中でもとくに凄まじい効果を持つアビリティのことだ。

 

 例えば、私が使っている虎のキャラクターであれば『狩猟(ハンティング)本能(インスティンクト)』というオリジンアビリティを持っている。一定時間視界が色褪せて敵兵の姿が赤く表示され、効果時間中は少しだけ移動速度が遅くなるけれど足音や銃を構える時の音など、ふだんなら動作を起こした時に生じる音が完全に消えるようになる。

 

 たしか狼だと『狩猟体勢(バトルオンゴーイング)』というもので、一定時間敵兵の銃口から半透明のラインが出て射線が視覚的に分かりやすくなるのと、あと銃を構えている時の移動速度上昇の効果もあったはず。

 

 いずれにしても、オリジンアビリティ自体に殺傷能力はなく、あくまで戦闘を有利に運べるよう強力にサポートしてくれるだけだ。

 

 もしかしたら兎はゲームシステム的に優遇措置が施されているのかもしれない。他の種族と比べて戦闘能力に乏しいというか、ハンドガンかサブマシンガンという選択肢ではどうしたって火力負けするので、オリジンアビリティにエイムアシストや軽い誘導性能を持たせるような、そんな救済をしてもらってるんじゃないか。

 

『あ、もしかして兎使いたくなりました?』

 

「いや、それはまったく思わないんだけど、どんな効果なのかなって」

 

 兎を愛用していながらDOCランキング二位まで上り詰めたジン・ラースには悪いけれど、使いたいとはまったく思わない。

 

 相手は針の穴を通すような精密射撃をばかみたいな距離からやってくる化け物の軍勢だ。兎ではスタート地点から不利である。私ではやってられない。

 

『兎の同胞はなかなか姿を見かけないので増えてくれると嬉しいんですけどね……。兎のオリジンは使用する銃種によって二種類ありまして、ハンドガンのほうだと一つの角の兎と書いて「一角兎(アルミラージ)」というオリジンになります。オリジンを使ってから初弾限定ではあるんですけど、重力や空気抵抗の影響を受けずに一直線に飛ぶようになるんです』

 

「……え? それだけ?」

 

『あと距離がどれだけ離れようとも威力が減衰されていないみたいです。飛翔速度は変わらないのに、不思議ですね』

 

「なんかこう……エイムが敵兵の頭に吸いついたり、弾丸が曲がって当たったり、みたいなことはないの?」

 

『あははっ、それだとチートじゃないですか。一発限定でオートエイムやホーミングのような射撃ができるオリジンというのもユニークですけどね。ふふっ』

 

〈しょぼくて草〉

〈しょっっっぱ〉

〈ぱっとしねぇw〉

〈そもそもハンドガンの時点できつい〉

〈たぶん兎なら許されるよw〉

〈エイムアシストくらいはつけてもいいだろw〉

〈なに笑とんねんw〉

 

 ころころと楽しそうに笑うジン・ラース。私が冗談を言ったとでも思っているのだろう。当然冗談で言ったつもりはない。

 

 オリジンアビリティを使って(もたら)される効果が、銃弾がまっすぐ飛ぶだけ。エイムアシストもホーミングもない。飛翔速度は変わらないと言っていたし、敵が動いていたら偏差も考慮しないといけなくなる。

 

 大層な名前の癖に効果が今ひとつぱっとしない。

 

「……微妙じゃない?」

 

 これは、あれだ。オリジンの性能じゃなくて、シンプルにジン・ラースの性能が高いんだ。

 

『なんてこと言うんですか! とても強力なオリジンなんですから! どう工夫しても遠距離の撃ち合いには分のない兎の切り札ですよ!』

 

〈あざみんの火の玉ストレート〉

〈うん微妙やねw〉

〈やっぱ黒兎ってやべーんだ〉

〈ハンドガンで遠距離戦おうとすんなよw〉

 

 ジン・ラースが声を荒らげた。こいつにとってオリジンの効果は譲れないポイントらしい。

 

 兎マスターのジン・ラースも、兎という種族の中遠距離戦闘の脆弱さはよく理解しているようだ。いや、正真正銘兎使いのトッププレイヤーだからこそ、弱点をしっかりと噛み締めて向き合っているのかもしれない。

 

「だって、結局は自分でエイムしなきゃいけないんでしょ? 撃った弾の落ちる量を計算しなくていいのは楽かもしれないけどさ」

 

『それは虎でも狼でも同じでしょう? オリジンも含めてアビリティというものは、あくまで戦闘の補助でしかないんですから。「一角兎(アルミラージ)」すごく助かるんですよ? ハンドガンでさっきの敵を倒そうと思ったら、二メートル以上の落下分を計算しないといけないわけですからね。どうしたってエイムに手間取ってしまいます』

 

「手間取るだけでできるんだ……。ハンドガンで二百メートルヘッドショットなんてふつう無理じゃん。弾道が一直線になるって言っても、相手が撃ち返してくる前にエイムなんて合わせらんないでしょ」

 

『猶予がどれくらいあるかわからなければ焦ってしまうと思います。でも敵の銃弾が飛んでくるまで、ざっくり二秒ほどあるとわかっていると落ち着いて合わせられませんか?』

 

「二秒? 二秒あったらまぁ……できそうな気も、してこないことも……。てかそれ、なんの二秒?」

 

〈弾道計算ないのは楽だろうけど……〉

〈オリジンの利点それだけじゃん……〉

〈そういうことなんだけど言いたいのはそういうことじゃないんだよなぁw〉

〈計算はっやw〉

〈できることはできんのかよw〉

〈黒兎もしかしてアビリティいらん?w〉

〈二百メートル先とかほぼ点やろ〉

〈二秒?〉

〈?〉

〈どっからきた二秒?〉

 

 戦闘状態に入っていて集中していれば、エイムを合わせるのに二秒は十分すぎる。それはあくまで敵の姿がはっきりと見えていれば、だけど。

 

 兎のオリジンの効果と、敵の位置が判明している状況であれば、たしかにジン・ラースの言う通りに二秒あれば落ち着いてエイムを敵の頭に合わせることはできるだろう。少なくとも、絶対に不可能だ、とまでは思えない。

 

 しかし、それはそれとして、ジン・ラースの言う二秒はどこからきた数値なのだろう。

 

 少し考えてみたけれど見当もつかなかったので訊ねれば、ジン・ラースは雑談と変わらぬトーンで穏やかに答える。

 

『美座さんが撃たれた時の銃声から、敵のアサルトライフルと使っている弾薬がわかりますよね? その銃弾が二百メートルの距離を飛翔するのは、およそ〇・二二秒。敵が美座さんを発見した時、僕はすでに伏せていたので未発見の状態でした。姿を完全に隠して一定時間経過したプレイヤーや、初めてプレイヤーを視認した際の強化兵士が撃ち始めるまでの時間は、これはまあ……周辺環境や距離にも()るんですが、視界を遮る草むらや霧などもない晴れた日中の二百メートルですので、おおよそ一・五秒から二秒の間。このマップの敵の強化進度はマイルドだから二秒くらい、かな? 所持重量が耐荷重未満の兎のしゃがみ動作は〇・一から〇・二秒だったので、平均して〇・一五秒としました。敵が僕の姿を捉え、発砲し、銃弾が届くまでにかかる時間は約二・二二秒。しゃがんで射線を切るまでにかかる時間の〇・一五秒を引きまして、約二・〇七秒』

 

「お、うあぁ……な、えっ……』

 

『長々と話してしまいましたけど、これがざっくり二秒の正体です』

 

 なにから話せばいいのかわからないくらいに、ジン・ラースの凄味を叩きつけられた。ふだんなら耳から耳に流れて脳みそまで入ってこなさそうな小難しい情報と数字の羅列も、ジン・ラースの妙に浸透力のある声のせいで頭の中に押し込まれてくる。

 

 私でもちゃんと頭を働かせれば撃たれた時に耳に届いた銃声がアサルトライフルの中の一挺(いっちょう)であることはわかる。そのアサルトライフルがどの弾を使っているかまでなら、記憶の引き出しを総当たりすれば思い出せないこともない。

 

 でも、一般的なプレイヤーであれば敵が使っている銃を特定した時点で満足してしまうんじゃないのか。いや、なんなら銃声で銃種を特定するだけでもよくやってるほうだと思う。

 

 そこから撃ち始めて自分に到達するまでの時間を計算して、他のデータと統合することで自分に許された猶予を導き出すなんて、ちょっとどうかしてる。強化兵士がプレイヤーを発見してから撃ち始めるまでの時間なんて私は初めて聞いたし、自分のキャラクターのしゃがむ等の動作にかかる時間なんて気にしたこともなかった。

 

「……さっきの一発撃つ前に、そんなたくさん考えてたわけ? ほんとに?」

 

『つい。手癖みたいなものです』

 

 ジン・ラースの知識量と計算力も私からすれば信じられないくらいすごいことだけど、なによりもそれらを片手間にやっていたという事実が、一番常識から逸脱している。

 

 オリジンアビリティを発動させてハンドガンを一射するまで、ジン・ラースはずっと私と喋っていた。無駄にいい声を無駄に無駄遣いして無駄にふざけ倒していた。私が撃たれた地点から距離を置くように這いつくばって動いていたのだから、計算機を用意して入力などをするタイミングも時間もなかった。

 

 会話に脳のリソースを割きつつ、頭蓋骨の内側に蓄えられている膨大な量の情報から必要な数値を引っ張り出して、どういった式を使えばいいのかも私にはわからないけれど、その計算すらおそらく暗算で弾き出している。

 

 なんだ、これ。

 

 度を超えすぎて、もはや衝撃すら感じない。

 

 ハンドガンで二百メートルヘッドショットを決めた時はまだ、私の理解の範疇におさまっていた。オリジンアビリティを使っていたとしてもその距離をワンタップは離れ業だけれど、まだ理解できる。試行回数にさえ目を瞑れば私でもできるかも、くらいの感覚だった。そんな感覚だったから、一発で決めたジン・ラースは半端じゃないくらいすごいと衝撃を受けた。

 

 しかしその裏側を説明されると、その威容を目の当たりにすると、もはや実感も理解もない。

 

 自分の物差しを超えた大きさの物は『大きい』ということはわかっても、どれくらい『大きい』のかはわからない。

 

 実感が持てない。理解ができない。

 

 だからこそ、殴りつけられるような衝撃すらも感じない。

 

 エイムが綺麗とか、キャラコンが上手いとか、知識量が多いとか、そういう誰の目から見てもわかりやすい項目では、きっとジン・ラースは測れない。

 

 炎上の一件の話をしていた時に感じたジン・ラースの精神面における違和感も、事ここに至るといやに腑に落ちてしまう。

 

 人間としてのステージというか、生物としての種類が異なっているように思う。なぜ会話が成立しているのかすら疑問を生じ始めてきた。自分とあまりにも違いすぎて比較すらできない。

 

 これだけ自分とかけ離れていればある種の拒否反応や抵抗感があってもおかしくないのに、どうしてなのだろう。

 

 私はそれが、妙に安心する。

 

「ねぇ。それって憶えといたほうがいいの?」

 

 比較対象にならないことが、私にとってはとても落ち着く。

 

『いいえ? ゲームをする上でこんなこと憶えておく必要なんて全くありません。リスナーさんも安心してくださいね。ADZはFPS初心者が始めるには難易度が高いし続けるには覚悟がいる、などと言われて久しいですが、このような細々(こまごま)としたことを憶えておかなければいけないほどハードルは高くありません。距離があった場合、敵がプレイヤーを発見してから撃つまでには若干のタイムラグがある。憶えておくのはこのくらいでいいんです。でもやっぱりごめんなさい、覚悟はしてください。FPS初心者にはハードルが高めのゲームです』

 

「なるほど、くふふっ、あははっ。無駄な時間だった」

 

『訊かれたから答えたんですけどね!』

 

 私が口にした失礼な発言は冗談なんだよ、とリスナーにわかりやすく説明するようにジン・ラースは声を張った。

 

 非常に気遣いが細かい。初めて話した相手とは思えない話しやすさ、居心地のよさだ。

 

 こんな居心地のよさ、気楽さは『Now I Won』のメンバーとコラボした時には味わったことがない。

 

「あぁ、楽しいなぁ」

 

 マイクを通さないよう、口の中でそう呟く。

 

 私は、あまり人と率先してコラボしようとしない。

 

 コミュニケーション能力が不足しているという事実は厳然としてあるけれど、理由はべつにある。

 

 負けず嫌い──だなんて美化するのは良くないか。

 

 私は、心が弱いのだ。

 

 対戦して負けて傷つくことを恐れている。人と比べた時、自分はこんなにも劣っているんだ、という息苦しくなるような劣等感をなによりも忌避している。

 

 私はもともとFPSには自信があった。そこらの女よりよっぽどうまいという自負があった。

 

 でも『Now I Won』には自分よりもセンスのあるメンバーがたくさんいて、グループに入った当初はかなりへこんだ。眠れなくなるくらいメンタルにきた。

 

 『Now I Won』という小さなグループの中でさえ、私は突出してうまいわけではない。

 

 これがVtuber界隈、配信者界隈、FPSプレイヤー全体と広がれば広がるほど、私の卑小さは際立っていく。自分は人よりも劣っているのだと再認識させられる。

 

 FPSでの勝敗という部分で勝てないのならば、どこか一つの分野だけでも、この要素で競えば誰にも負けないというような得意分野があればいいとも妥協したけれど、私には卓抜するような素質はなかった。遠中近距離戦闘、エイム、キャラコン、オーダー、立ち回り。どれだけ努力しても、どれだけ勉強しても実を結ばなかった。

 

 私は、どこまでいっても中途半端だった。

 

 『Now I Won』のトップ、ツバキさんは言うまでもなく、ヒナギクさんのようにカバーリングが行き届いているわけでもない。スモモさんほどの学習意欲や向上心もなく、スイッチが入った時のサクラさんのような華々しさや爆発力もない。レンゲさんみたいにパーティメンバーを活躍させるようなIGLもできないし、アヤメさんのように明るく人の懐に飛び込んで士気を上げることもできない。カキツバタさんみたいに苦境でも耐え忍んでチームプレイに徹することもできない。

 

 『Next Princess』という事務所の『Now I Won』という小さなグループ。そこに所属している先輩たちですら私より格上で、同期もみんな強い。

 

 上には上がいる。

 

 わかっていた、そんなこと。そんな簡単な世の中の仕組み、十数年生きていれば誰だって理解できる。

 

 理解していたけれど、直接的にまざまざと眼前に突きつけられると、頭で考えている以上にショックだった。

 

 劣等感を味わいたくなくて、次第にコラボの機会は少なくなった。私以外のメンバーはみんな仲がいいのでグループ内でコラボをすることが多いけれど、私はだんだんと減っていった。

 

 つらくて苦しい劣等感や敗北感を味わわされるくらいなら、一人でいいと思った。

 

 一人でも十分楽しいし、なにより気楽だ。今自分がやりたい配信をやりたいだけできるし、コラボ相手を気にしながら会話する必要もない。誰かと一緒にFPSをプレイして、目を逸らしたい自分の弱い部分を直視することもない。

 

 その影響か、同期と比べてもチャンネル登録者数などといった人気は伸びていないけど、それでもべつに構わなかった。

 

 精神的に安定して活動できるのなら、それが一番だと思っている。だからこそ、心を揺さぶられないように一人で配信していた。

 

 それでいいと思っていた。

 

 一人でもいいと、思っていたのに。

 

『この時間のキャンプ施設に兵士がいるということは漁られてはいないですね。ラッキーです。……あそこ、北のほう。中央に向けて走っている虎の同志がいらっしゃいますね。あの地点を警戒せずに走れるということはスナイパーは湧いていないのでしょう。しばらくは安全ですね。ゆっくり漁りましょう』

 

「ふっ……あははっ」

 

『なんです? どうかしました?』

 

「ううん、なんでもない」

 

『はあ……ならいいんですけど』

 

 こんなやつがいるだなんて、思いもしなかったのだ。

 

 『絶望圏』とすら揶揄される困難極まりないこのADZで不遇な種族を選んでもなおランキング二位になれるゲームセンス。正確無比のエイミング。膨大な知識量と、それらを最大限に運用するジン・ラースの人間離れした頭脳。

 

 一般人とは一線を画す類稀な才覚を持ち合わせていながら、本人はそれらを誇ることも威張ることもしない。なんらの感慨も抱いていない。

 

 ここまで自分と違いすぎると、もはや嫉妬すら感じない。敗北感も覚えない。

 

 それもそうだろう。大空を羽ばたく鳥に対して『どうして自分は飛べないのに鳥は飛べるんだ!』などと本気で理不尽を訴えるような奇特な人間なんていない。そのくらい私とジン・ラースは、プレイヤーとしてかけ離れていた。大空を翔る鷲と地を這う芋虫くらいかけ離れていた。

 

 比較できないくらいジン・ラースが傑出しているおかげで、私はなにも気にせず楽しむことができる。無粋な感情に邪魔されることなくゲームができる。

 

 FPSゲームでコラボしていて──いや、厳密にはこれはコラボではないのだけれど──こんなに気兼ねせず、心乱されず、劣等感を刺激されずに楽しめるなんて初めてだ。

 

 足が落ち着きなくぱたぱたと動く。自然と笑みがこぼれる。胸がざわざわするのに、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 

「ねぇ、ジン・ラース」

 

『はい、なんでしょう?』

 

 気づけば、私は口を開いていた。

 

「人とやるゲームって、楽しいね」

 

 そう言ってから、はっとする。

 

 こんな言い方、どれだけ友だちがいないんだとかって勘違いされそう。でも実際友だちと呼べるような友だちなんていない。勘違いされても勘違いにならないのが悲しい。

 

 それにジン・ラースのコミュ力が高いせいで忘れていたけれど、こいつとは今日が初対面なのだった。初めて喋った相手に恥ずかしいことを口走ってしまった。無意識的に言葉が口を()いた分、なおさら羞恥心に拍車がかかる。

 

 気まずい空気になったら嫌だなぁ、ばかにされるのはもっと嫌だなぁ、とか思っていると、くすっ、と笑みを堪えるようなジン・ラースの声が聞こえた。笑っていることには違いないのに、どうしてか気分を害するようなトーンではなかった。

 

『ええ、本当に。人と一緒にできるのは、とても幸せなことですからね』

 

 これだけ喋りがうまいのだからジン・ラースは友だちが多そうな印象だったけれど、私のことをばかにすることなく共感してくれた。

 

 共感、まぁ共感ではあるか。ただ、どこか噛み締めるような言い方が若干不穏ではあるけど。

 

 でも、そうなんだ。ジン・ラースも同じように感じて、楽しんでくれているんだ。

 

「あははっ、幸せってのはオーバーじゃない? おー、ついたついた。キャンプ施設入るよ」

 

『入って左のテントの中を見てから右回りにぐるっと漁ると効率いいですよ』

 

「おけ」

 

 他の人であればどうということはないだろうこんな気軽で気楽なやり取りができる相手も、私にとってはとても貴重で希少だ。

 

 この縁を大事にしたい。

 

 私にしてはめずらしく、そんな柄にもないことを思った。

 

 




人の価値観をぐちゃぐちゃにすることに定評のある悪魔。

しばらくあざみん視点続きます。
十二時間後にまた会いましょう。それでは。


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『ADZ同志の会』

 

「キャンプ施設で拾っといたほうがいいアイテムってなに?」

 

『SFAKです。いざ探そうとすると案外見つからないんですよ。納品ワークで必要ということもあるんですけど、回復アイテムとしても優秀なので見つけたらみんな持って行ってしまうんです。なので他のワークのついでにでも寄って、早めに見つけて倉庫に入れといたほうが気が楽ですよ』

 

 ジン・ラースと会話しているとつくづく思うけれど、こいつは人に物を教えている時でもひけらかすような素振りがまったく感じられない。

 

 自分よりも詳しくない人にとか、あるいは女とかに知識を披露する時とかは、男は多少は得意げに喋るものじゃないのかな。これまでの人生から私の中ではそんな固定観念が築かれていたんだけど、ジン・ラースからはそういった『こんなことも知らないの?』とか『どうだ? 俺すごいだろ?』みたいな嫌味な雰囲気が一切ない。

 

 ADZでこれだけ上手いのなら他のFPSタイトルでも相当な腕だろうに、悪い意味で強気になったり自惚れたりしないのは率直にすごいと思う。FPSなんてとくに人間の悪いところが表れやすいジャンルなのだ。無駄に自分の力を誇示しようとしたり、自己主張が激しい奴も多い。

 

 ジン・ラースには、自己顕示欲とか承認欲求とか、そういう感情はないんだろうか。

 

 これも悪魔という人外のキャラクターとして振る舞うためのキャラ作りの一環だとしたら、尊敬するに(あた)う人物だ。

 

「前のシーズンの時、納品ワークなかなかクリアできなくてすっごい苦労した記憶がある。持ってこいって言われたアイテムが出てくる場所も知らないし、場所がわかっても絶対に出てくるわけじゃないし」

 

『不親切なことにワークの説明文では教えてくれませんからね。まあ、地図も表示されないし教えようがないんですけど。その上納品ワークのアイテムってだいたいが「Survived」……生きて持って帰らないといけないですからね』

 

「ほんとそれ。セーフティバッグに入れといても死んじゃったら意味ないんだよね。余計に大変だった」

 

〈わかる〉

〈わかる〉

〈わかる〉

〈頷きすぎて頭取れそう〉

〈わかる〉

〈赤べこくらい首振ってる〉

 

 リスナーも赤べこも同意見のようだ。ADZをプレイしたら誰しもが通る道だから仕方ない。

 

 セーフティバッグというのは敵兵に倒されたとしても失われることのないアイテム収納欄のこと。このセーフティバッグに回復アイテムや施錠されている部屋や家に入るためのレアな鍵を入れておくと、殺されたとしても失わずに済む。過酷なシステムのADZにおいて、数少ない救済要素の一つだ。

 

 しかし救済要素はあくまで救済であって、甘えを許すわけではない。納品アイテムは生きて持って帰らなければ納品用アイテムと認められない。

 

 甘えを許さない繋がりでもう一つ言うなら、他のプレイヤー、例えばジン・ラースに納品で使うアイテムを持ってきてもらって、私がマップ内で譲ってもらったとしても、それは納品アイテムとして認めてもらえない。マップ内で手に入れて生きて帰れ、ということだ。

 

 まぁ、ADZを一緒にやってくれるような友だちが私にはいなかったので、その仕様がなかったとしてもできないんだけど。

 

 ADZで一番レアリティが高いのは一緒にやってくれる友人、とはよく言ったものだ。

 

『あ、あり……たよ。……AK。合りゅ…………』

 

「え、なに? ジン・ラース、よく聞こえない。えー……なんだろ。回線悪いのかな」

 

 急にジン・ラースの声が途切れ途切れになり、最後のほうは声がとても小さくて、聞き取れなかった。

 

〈アプリ調子悪いんか?〉

〈ピンは高くなかったよな〉

〈距離離れたからやね〉

〈インゲームvc使っとるんよ〉

〈草〉

〈忘れとったw〉

〈そういやアプリのVCじゃなかったんかw〉

 

 コミュニケーションアプリの不具合か、それともPCが重くなってるのかと思って確認しようとした時、コメント欄が目に入った。

 

 そこに並ぶコメントでようやく思い出した。

 

 私、ジン・ラースとアプリで通話してるわけじゃなかったんだった。

 

「……くふっ。ふふっ……あははっ、そうだ。ゲーム内のVCだった。すっかり忘れっ……はふっ」

 

〈ふつうこんなにインゲームVC使わんもんなw〉

〈忘れとって草〉

〈はふ草〉

〈犬かよw〉

〈あざみん今日よく笑うなぁかわいい〉

〈かわいいw〉

〈はふっw〉

〈いつもよりテンション高いなw〉

 

 ゲーム内VCはマップ内でプレイヤーと遭遇した時に簡単に会話ができるので便利だけど、その性質上お互いの距離が離れてしまうと声が聞こえなくなってしまう。キャンプ施設内を二人で効率よく漁るために別行動したので、VCが届く範囲を超えてしまったんだろう。

 

 プッシュトゥトークでジン・ラースと話していればすぐに気づいたかもしれないけど、ジン・ラースは私の配信を開いていて、そちらから声を聞いているようだったので私はプッシュトゥトークを使っていなかったのだ。そのせいで気づくのが遅れてしまった。恥ずかしい。

 

「小さく『合流』っぽい言葉も聞こえたし、漁り終わったら合流しよう的なことでしょ、きっと。漁っとこ」

 

〈はふ〉

〈SFAK見つけたみたいだったね〉

〈はふ〉

〈はふ〉

〈はいみたいに使うなw〉

 

「……『はふ』とかいう単語、禁止ワードに設定しようかな。それか『はふ』って言ったリスナーをコメントできなくするか、どっちがいいだろ」

 

〈ごめん〉

〈すんませんした〉

〈出来心で〉

〈ごめんなさい〉

 

「よろしい」

 

 一度リスナーの頬を叩いておき、漁りを再開する。

 

 キャンプ施設の反対側にジン・ラースが回ったのだとしたら、効率よく回収していったらこのあたりで合流かな、と考えていた地点ドンピシャにジン・ラースが立っていた。お互いADZをやり込んでいる者同士、意図せんことは伝わる。

 

『おかえりなさい』

 

「ん。ただいま」

 

〈やっぱイケボやなぁ〉

〈破壊力やばっ〉

〈ただいま可愛すぎだろ!〉

〈てぇてぇ?〉

〈これてぇてぇです〉

〈同棲中のカップルやんw〉

〈まさか先輩たちをさしおいてあざみんがてぇてぇ相手を見つけるなんて〉

 

 なんだかコメント欄が賑わっている。私の配信のコメント欄がこんなに盛況なのは初めて見た。おかげでまともに文字を追えない。

 

 放っておくか。ADZ狂いが集まるのが私のチャンネルだ。どうせ大したことは言ってないだろう。

 

『こちら先に渡しておきますね』

 

 そう言ってジン・ラースは屈み込み、目の前にアイテムを落とす。

 

 拾ってみると、もう少し先のワークで必要になるらしいSFAKだった。

 

「え? いいの?」

 

『どうぞ。僕はワーク終わってますから』

 

〈黒兎やさしい〉

〈やさしい〉

〈やってること黒兎だなぁw〉

〈同志あったけぇ〉

〈売ってもいい値するぞエスファク〉

〈交換にも使えるし〉

 

「でもワーク関係なしに回復アイテムとして便利って……」

 

『構いませんよ。僕はSFAKの上位互換みたいな医療キットをセーフティバッグに入れてますから』

 

「そう? それなら……」

 

『ええ。もらってください。それに兎の場合は撃たれた時点で手遅れみたいなものなんです。医療キットが減らないんで、僕が持って帰っても倉庫の肥やしになってしまいます』

 

「兎……か弱い」

 

〈ああ使う時間が……〉

〈さすがの髪装甲〉

〈また髪の話してる……〉

〈悲しいなぁw〉

〈食らったらほぼアウトだもんなw〉

 

 機動力は随一だしアビリティには範囲の広い索敵もあるらしいので一概に弱いなんて言えないが、やはり兎は一般人が使うには難易度が高すぎる。

 

 たしかに、銃弾を頭にもらえばどんなキャラであっても一撃で死ぬ。だけど、銃弾を受けた場所が胸や胴体であれば、回復して戦線に戻れる可能性が他のキャラには残されている。

 

 兎の場合はそれすら許されないなんて、どれだけ過酷なんだ。ADZは敵の弾を一つでも受けたらゲームオーバーの弾幕系シューティングじゃないのに。

 

『か弱……くない、とは言えませんが……いいんです、それでも。当たらなければいいだけの話です』

 

「……覚悟決まりすぎてない?」

 

〈かっこよすぎw〉

〈当たらなければどうということはない〉

〈それで二位なんだもんなw〉

〈黒兎にしか言えんw〉

〈説得力がちげぇよ〉

〈それっぽいセリフを吐いた奴の相方は戦死したんだよね〉

〈草〉

〈理論上無敵w〉

〈この場合戦死する相方はあざみんやね〉

 

『腕なら一旦身を隠して最低限出血を回復したら尻尾巻いてお家に帰ることもできるんですけど、足を壊されてしまうと生命線である敏捷性が失われますからね。死ぬ可能性が跳ね上がります。医療キットの音で敵兵が詰めてくるようになってからは、身を隠しても攻め寄られて潰されるパターンが幾分増えました』

 

「足でもほぼ死亡とかきっつ……。胸とかお腹は? やっぱり死ぬの?」

 

『良いアーマーなんて着てられないので胸でもほぼ即死ですね。すぐ近くに射線を切れる遮蔽物がなければ回復できずにお陀仏です。お腹は……腕よりも厳しいけれど足に受けるよりかはまし、くらいでしょうか。一歩踏み間違えたら谷底へ真っ逆さまなことには変わりありませんけど』

 

「よくそれでDOC二位行ったね。私ならそんなの続いたらマウス放り投げるよ」

 

 虎でやってても放り投げたくなる瞬間はある。ぽけぇっとしてて急に敵兵に出会(でくわ)して蜂の巣にされたり、仕留めるのに手間取って増援呼ばれて蜂の巣にされたりすると結構メンタルにくる。一番効くのは狙撃兵だ。相手の姿も視認できないままヘッドショットされると心が折れる。それで萎え落ちとかはわりとよくある。

 

『兎は死にやすいのはありますけど、他の種族と比べて命の値段が安いですから』

 

「うわぁ……すごい言い方するね」

 

〈命の価値は平等じゃねぇっ〉

〈世知辛いなぁ〉

〈実際兎は安上がりだよな〉

〈ランナーにはあたらんのか?〉

〈なお黒兎は命が安くても勝つ模様〉

 

『アーマーは着てられないので不要ですし、リグは軽さと収納量で選ぶので時期によってまちまちですが、僕の場合はメインがハンドガンなので武器は比較的安価です。一回の出撃あたりにかかる費用が他の種族とは段違いに安いんですよ』

 

「あれ? そういえば対策なかった? ランナー対策、だかなんだかっていうの」

 

『メインアームを持たなかったりナイフやハンドガンだけでマップに入った人に適用されるものですね。なんでも、付近にいる敵兵が大挙して押し寄せてくるのだとか。兎の場合はそもそもメインアームがハンドガンからサブマシンガンまでと極端に狭いからなのか、例外みたいですよ』

 

〈そらそうか〉

〈そう考えるとやっぱ兎ヤベェなw〉

〈常にサブ武器で戦ってるようなもんじゃねぇか〉

〈縛りプレイで草〉

 

「はぁ……なるほどね。たしかにそれでランナー対策に引っかかって襲われたら理不尽すぎるよね」

 

『僕も建物がなければ大人数を相手にするのは苦しいですから、例外で助かりました』

 

 つまりそれは、建物があれば大人数で攻められても勝てると言ってるようなものなんだけど。ジン・ラースが言うと冗談には聞こえないし、大言壮語にもならないのが恐ろしい。機動力のある兎ならではの発言だ。

 

「……ランナー対策も外れてるし、装備も整えやすいから出撃する回数で勝負できるってことなんだ」

 

『そういうことです。逃げに特化したアビリティもあるので、アイテムを漁り終えれば即座に脱出します』

 

 ジン・ラースは簡単そうに言ってのけるが、ふつうのプレイヤーならアイテムを漁ることがまずできないだろう。稼ぎを出そうとしたら漁りのポイントをいくつも回らないといけないし、動けば動くほど敵兵に見つかるリスクは上がる。交戦せずに漁るだけにしようと考えていても、そう楽には漁らせてくれない。ワークをこなそうと思えばなおさらだ。

 

 それに、アイテムを漁って逃げるだけならジン・ラースのレベルには達しない。敵兵を見つけ次第ぶっ殺して回るようなペースでなければ、キャラクターレベル五十二に届くわけがない。

 

 数で勝負できるのが強みの兎なのに、ジン・ラースの場合はそれでいて質が高いから、こんなチーターみたいなレベルの高さになっているんだろう。

 

 なんならチーターより強いかもしれない。

 

 なんとこのゲーム、チートを使っても敵に撃ち負けることでも有名だ。ウォールハックやオートエイムだけでは、ADZの誇る『公式チート』には勝てない。そんな相手に一般プレイヤーは生身で勝負を挑まないといけないんだから泣けてくる。

 

「プレイヤースキルの差か、これは……。あ、そうだ。さっき漁ってる時、途中でVCが切れたよね?」

 

『はふ。少々離れすぎましたね』

 

「はふやめて」

 

『ごめんなさい』

 

〈草〉

〈草〉

〈めっちゃいい声でw〉

〈イケボでやめろw〉

〈草〉

 

「別行動したら意思疎通できなくなるのは不便だし、通話繋ごうよ。SNSにDM送るから」

 

『いいんですか? そうしてもらえると僕も助かりますけど』

 

「べつに問題なんかないでしょ。ちょっと待ってて」

 

〈てぇてぇ〉

〈これって!〉

〈あざみんからだなんてっ〉

〈てぇてぇ〉

〈黒兎仲良くしたってくれ〉

〈ええやんええやんw〉

〈あざみんはコラボする相手おらんねん〉

〈面白くなってきましたねぇ!〉

 

『は、い。わかりました』

 

「踏みとどまれてよかったね? また『はふ』とか言ったら今度こそ頭を撃ち抜くところだったよ」

 

『あっぶないっ……』

 

〈本気やぞ〉

〈黒兎気をつけて〉

〈あざみんやる時はやるからなw〉

〈はふいいのになぁ〉

〈迫真の危ない草〉

〈敵と戦う時でもそんな声出てなかったぞw〉

 

 別画面からSNSを開いてジン・ラースを検索する。ついでにフォローもしておくか。ついでだし。

 

「ゲーム内VCは他のプレイヤーとその場で協力する時とかには便利だけど、離れたら声聞こえないのは不便だよね」

 

 メッセージの欄に打ち込んでいる間黙り込んでいるのも怪しいので話を繋げる。怪しいってなんだ。べつに怪しいことはしてない。配信中だから無音にならないようにするだけだ。

 

『そうですね。ゲーム内VCを使う機会がなかったので、どれくらい離れると聞こえなくなるか知りませんでした。同じキャンプ施設内でも意外とすぐに声が届かなくなるんですね』

 

 コミュニケーションアプリで通話を繋いだらすぐに動くつもりなのか、ジン・ラースは目的地の方角を見据えながら言う。敵兵が湧いていないか警戒しているんだろう。

 

 なんでも知ってるのかと思うほど知識量の多いジン・ラースの初めて知らないことというのが、検証するのに協力者が必要なゲーム内VCの有効範囲というのは、なんとも悲しい話だ。

 

「そうだね。私も使ったことなかったから知らなかった。あはは」

 

『はは、はは……。はあ……』

 

「やめてよ。私までつらくなるでしょ」

 

『一番貴重なのは一緒に遊んでくれる友人……。まさしくADZの至言ですね……』

 

「ほんとにやめて? 私もさっきまったく同じこと考えてた」

 

『くふっ、くくっ、あははっ。ソロでやってるプレイヤーなら考えることは同じようですね』

 

〈てぇてぇなぁ……〉

〈てぇてぇけど悲しいなぁ〉

〈周りにもいねぇんだよなぁ……〉

〈FPS人口は増えるのにADZの人口は増えない〉

〈貴弾とやってる人数があまりにも違うのつれぇよ〉

〈てぇてぇのに心が凍えそうだ〉

 

「はい、送った。確認して」

 

『少々お待ちくださいね。……ゲーム内VCだとビル付近で喋れなくなるので、内心ここからどうしようかと悩んでたんですよ。助かりました』

 

「ん? 喋れなくなるってなに?」

 

『ゲーム内VCで話していると、近くにいるプレイヤーに聞こえるわけじゃないですか。どうやらそれと同じように敵兵にも声が聞こえるようなんです』

 

「うぇ……なにそれ」

 

『言うなれば、ゲーム内VCはその場でキャラクターがぺちゃくちゃお喋りしている、という解釈になるみたいです』

 

「はー……ADZの世界観的に表現すればそうなるんだ。さすがADZ。ぜんぜん優しくない」

 

『ええ、全然優しくありません。強化兵士は聴覚まで強化されているので、周りが静かだと屋外でも二十メートルくらい離れていてもプレイヤーの声を察知します。そのわりにスタングレネードは普通の効果しかしないんですから理不尽ですよね』

 

「なんでそんなに詳し……あ」

 

〈あw〉

〈察し〉

〈やめたげて〉

〈草〉

 

 わりと重要なゲーム内VCの有効範囲は知らなかったのに、どうして敵兵の感知範囲はそんなに詳しいんだ。などと疑問を抱いたけれど、訊ねる途中でその理由に気づいてしまった。

 

 質問の後半は呑み込んだが、ジン・ラースを誤魔化すには判断が遅すぎた。

 

『ええ、そうですとも。プレイヤー同士のVCの距離と違い、敵兵が音を感知する距離を調べるのは友人がいなくてもできますから。ええ』

 

「ごめんってば……途中でまずいって思って訊くのやめたじゃん」

 

『大事な部分はほとんど言い終わってましたけどね。別に構いませんよ、同志の言葉ですから』

 

「それ『同志』って書いて『同じ穴の(むじな)』って読んでない?」

 

 そんな雑談をしている間にジン・ラースは私のIDを入力したらしい。電子音で通知が入った。

 

『申請送ったので承認してもらっていいですか?』

 

「うん。おけ」

 

『ありがとうございます。サーバーは作ってるので』

 

「うん。入る」

 

 サーバーへの招待が飛んできたので参加する。サーバー名は『ADZ同志の会』。同志の会と銘打っておきながら総員二名とは、名前負けもいいところだ。

 

『あー、あー、音量大丈夫ですか?』

 

「大丈夫そうかな? リスナー?」

 

〈イケボ〉

〈問題なくイケボや〉

〈インゲームVCの声も良かったけどね〉

〈音質はやっぱり通話だな〉

 

『大丈夫そう……なのかな?』

 

 まだ私の配信を開いていたのか、コメント欄を覗いたらしいジン・ラースが躊躇いがちに確認する。

 

 リスナーも問題があったらそう言うだろうから、言ってきていないということは問題ないんだろう。それはそれとして、音量について訊いているのにリスナーときたらジン・ラースの声についてしか言及していない。

 

 ゲーム内VCでもコミュニケーションアプリの通話でも、どちらでも変わらずイケボなのはわかってるから質問に答えてほしい。

 

「音量の話をしてるんだけどリスナー」

 

〈自然体でイケボってすげぇな〉

〈耳に優しい〉

〈すんませんいい感じです!〉

〈大丈夫っす!〉

〈ちょうどいいね!〉

 

「そ。ジン・ラース、大丈夫みたい」

 

『そうですか。安心しました。それでは参りましょうか。さっき北から中央に走って行った虎の同志が僕らと同じようにビルに用があったら、お仕事が楽になるんですけどね』

 

「ん? どういうこと?」

 

『ビルに用事があればビル周辺の敵を倒してくれているかもしれないじゃないですか。敵の数が減っていれば、ワークをこなしやすくなります』

 

「ああ、そういうことね。……一人でも二人でも倒しといてくれると助かるんだけどなぁ。ビル前に二人、ビル中にも最低一人はいるっぽいし」

 

 前回の出撃時には、ビルの正面玄関にいた二人の敵兵を避けるために横側に回り込んで、うまくブロック塀を越えられなかったところをビル内の敵兵に見つかって包囲された。

 

 結局のところ私を倒したのはビル内の兵士だったけど、私があんなに簡単に後ろを取られたのは正面玄関にいた二人に挟み撃ちにされると思ってそちらに注意力を割いたからだ。圧倒的に不利だったせいで警戒が追いつかず、撃ち殺された。敵の数が少なければもう少しどうにかなったんだ。せめて正面玄関に(たむろ)しているのが一人だけだったのなら、正面から一人ずつ叩き潰しながら進んだのに。

 

『けど、ううん……』

 

 なにやら言葉を詰まらせるジン・ラース。

 

 なにか支障でもあったのかもしれないけど、そういう不安になる反応はやめてほしい。

 

「なに?」

 

『いえ、さっきの同志が一人でも倒していてくれるとありがたいなあとは思うのですが……先程お見かけた時の陽気な疾走っぷりを(かんが)みると、少々難しいかな、と』

 

「ただマップを走ってるだけでなにかわかるものなの?」

 

『キャンプ施設の北、二百から二百五十メートル先あたりを元気よく駆けてらっしゃったんです』

 

〈元気よくw〉

〈公園で遊ぶ小学生みたいな言い方すんなw〉

〈草〉

〈警戒心……〉

 

「それが?」

 

『僕らがキャンプ施設の敵兵と戦った距離って憶えてますか?』

 

「うん。あんたがハンドガンでヘッショしたんだから強烈に憶えてるよ。二百……あっ」

 

『はい。二百メートルという距離は僕らにとっては十分に遠いと言える距離ですが、強化兵にとってはさほど遠くはないんです。もし僕らがいなくてキャンプ施設に敵兵が生き残っていたのだとしたら、陽気に野原を駆けていた虎の同志は撃たれていますね』

 

 僕らにとってというか、ジン・ラースを除いたプレイヤーにとっては遠い距離で、強化兵士とジン・ラースにとっては遠くない距離、と訂正を加えたいところだけど、なるほど。たしかにそれはそう。

 

 私たちが今回このマップに入らなかったら敵兵はこの場所に存命していたはず。不用心に見晴らしのいい原っぱを走っていれば、きっと虎の同志は私たちと同じように敵兵から撃たれていただろう。しかも、ここからさらに北となると、私たちの時とは違って傾斜もない。ぎりぎり下半身が隠れるかどうかといった岩と、細い木がちらほらあるくらいだ。身を隠して撃ち返すのは骨が折れる。

 

 ジン・ラースが見かけたという虎の同志は、なんとも能天気というか、楽天家のようだ。もしくはADZという過酷な戦場を理解できてないのか。

 

「マップが『市街地』っていうこともあるし、始めたばっかりなのかもね」

 

『そうでしょうね。今回は幸いにもいませんでしたけど、少なくはない頻度で狙撃兵も湧くというのにティアの低いアーマーで無防備に走っていたので、おそらくは街を守り始めて日が浅いのでしょう。これからの同志の活躍に期待です』

 

 アーマーまで確認できてたのか。ハンドガンにはスコープも載っていないし、双眼鏡でも持ってきていたんだろう。そう思いたい。そうでなければジン・ラース自身が強化兵士だ。

 

「これからって……今回の出撃の活躍にも期待してあげなよ。立ち回りは……ちょっとあれだけど、もしかしたら正面戦闘は強いのかもしれないじゃん」

 

『どのタイトルにも共通して言えることですが、FPSでは立ち回りが基礎になります。それはADZでも同じことが言えます。基礎がしっかり固まっていないうちは、漁りも戦闘も安定はしません。市街地の外縁のポイントを回るのであればともかく、内側の中央区に入ってしまったのだとしたら、残念ですがきっと生きて帰ってはこれないでしょう』

 

「うーん、耳が痛い……」

 

〈ぐはっ〉

〈胸が痛くなる正論だ〉

〈さすがロジハラの悪魔〉

〈はふ……〉

 

『ロジハラの悪魔やめてください。定着したらどうするんですか』

 

「はふやめて。鉄板ネタみたいになったらどうするの」

 

〈仲ええなぁw〉

〈てぇてぇ〉

 

 FPSをうまくなろうとしていろいろやっていた身としては、聞いていてつらくなる話だ。身に覚えがありすぎる。最初はエイムとかキャラコンとか、強い人の動画を見たらすぐわかるような部分を練習しがちだ。でもそれだと、戦闘には勝てても試合には勝てない。

 

 常人離れしたプレイヤースキルを有するジン・ラースでさえ立ち回りを重要視しているんだから、それだけ等閑(なおざり)にはできない要素なんだろう。

 

『せめて同志のドッグタグだけでも回収してあげたいものです。見つけられるといいのですが』

 

「やめてあげてよ。勝手に死んだことにしないであげて。その人も私と同じ虎だし、死んでほしくないんだけど。虎の本領は遮蔽物の多いところで発揮されるから、市街地の中心部のほうが、きっと……」

 

 虎のパッシブアビリティである『フットパッド』は移動時の足音を小さくしてくれる。その効果を活用しながら確実に仕留められる距離まで近づいて奇襲をかければ、初心者だろうと強化兵士を狩ることができる。足音は小さくなるだけで消えるわけではないし、視界に入ればふつうに見つかる。なので仕掛ける時は遮蔽物が周りにあったほうがやりやすい。遮蔽物によって元から小さな足音がさらに聞こえづらくなり、自分の姿も隠してくれる。

 

 今私たちがいるキャンプ施設周辺みたいな(ひら)けた原っぱよりも、市街地の中央付近のような遮蔽物がたくさんあるところのほうが虎は輝ける。

 

 そう。だから、きっと。その新米虎同志も大丈夫だ。ばったばったとまではいかずとも、敵兵の一体二体くらいは倒している。そのはずだ。そうだといいなぁ。

 

『では答え合わせと行きましょうか。答え合わせができないほうが、僕としては嬉しいですが』

 

 答え合わせができない、つまりは新米虎同志の亡骸が見つからない、ということか。

 

 うん、死んでないといいね。一応私と同じ種族なわけだし、生きて脱出できていてほしい。同じ種族の亡骸を見てしまうのは、次こうなるのはお前だ、と突きつけられている気分になるし。

 

 不穏な雰囲気を漂わせながら、私たちはキャンプ施設を後にした。

 

 





お盆休み終了に伴い二回行動も終了します。
これからは元のペースに戻ります。二回行動に付き合って感想たくさんくれた方々、ありがとうございました!


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〈絶望の街の守護者〉

 

『……あなたは、猫でしたか……』

 

「はふっ、んふっ……。ちょっとっ……もうっ、ほんとにやめてくれない? シリアスな声で、おもしろいこと言うの。んふふっ……」

 

〈猫w〉

〈草〉

〈猫やめたれw〉

〈はふ草〉

 

 キャンプ施設を出てマップの中央に進んだ私たちは、幸いなことに敵兵とばったり会うこともなくビルの周辺まで近づくことができた。

 

 安全に歩みを進めることができたのは兎であるジン・ラースの存在が大きい。『超聴覚(ハイパーアキューシス)』という探知系アビリティで敵の位置を割り出したり、先んじて接近に気づけるのだ。さすが兎、地獄耳。キャラクターのグラフィック的にはべつに耳が長かったり大きかったりするわけじゃないのに、どうして耳がいいんだろう。

 

 警戒しながら進み、そろそろ目的地のビルが見えてくるかなといったところで、例の虎の同志が息を引き取っていたのだった。

 

 その死体はビルの方角に背を向けていて、ビルの方角には血痕が残されている。

 

 おそらく、キャンプ施設の近くを走っていた時のテンションのままにここまでやってきて、警備員みたいにビルの正面玄関に立っている敵兵に撃たれたんだ。

 

 敵からの銃撃を受けて出血のデバフが入ると、キャラクター自身も血塗れになるし、通った道に血が滴ったような描写がされる。出血のデバフを可能な限り早く治したいのはスリップダメージが発生するからそれを解消したいという理由ともう一つ、仮にどこかに身を潜めたとしても垂れた血によって敵兵士に居場所が露呈してしまうから、それを防ぐためだ。

 

 新米虎同志はどうにか逃げようとここまで戻ってきたけれど、持続ダメージによってヒットポイントを全損したか、追いかけてきた強化兵士にとどめを刺されたか、といったところだろう。

 

『せめてドッグタグだけでも回収してあげましょう。同志の運が良ければ装備が戻ってくるかもしれません』

 

「戻ってくるかな?」

 

『……戻ってくる。その可能性が残されていることが、大事だとは思いませんか?』

 

 つまりはその程度の可能性ということだろうに。ゼロよりかはそりゃあましだけど。

 

 ADZでは死んでしまえば装備やアイテムはすべてロストするけど、そこにもお情け程度の救済措置は存在する。

 

 それがコーポラティブ。意味合い的には協同組合だとかそんな感じらしい。プレイヤーたちは保険だとかコオペだとか略しているし、口さがない人たちは出撃税と呼んでいる。

 

 私たちプレイヤーはゲームに参加した瞬間からそのコオペに組み込まれており、マップに出撃する際に毎回少額のお金を支払っている。その代わりに、自分が死んだ時、自分のドッグタグを誰か他のプレイヤーが回収して持ち帰ってくれたら幾許(いくばく)かのお金や、ジン・ラースも言った通り運がよければ装備まで戻ってくる、ことがあるらしい。

 

 ちなみに私は装備が返ってきた経験はない。お見舞い金のような額のお金が戻ってきたことは何度かある。

 

 実にCo-opゲーらしいシステムだけど、死体を見かけてもドッグタグを回収してあげようという心意気のプレイヤーはそうはいない。自分が死んでは元も子もないからだ。

 

 そこに死体があるということは、プレイヤーを撃ち殺した強化兵士が近くにいることのなによりの証だ。殺されてしまったプレイヤーが可哀想だから、などと正義感や義侠心を働かせ、ドッグタグを回収しようと近づいて自分が撃たれましたでは割に合わないどころの騒ぎじゃない。損でしかない。ミイラ取りがミイラを身をもって実演することになる。

 

 有志によって更新されている情報サイトでも『バッグに余裕があり、周囲が安全であることを確かめられた場合だけ回収してあげましょう』と記述されていた。いくらプレイヤー同士助け合うゲームといえど、まず優先すべきは自分の身だ。

 

 それで言えば、この同志は幸運な部類だろう。『市街地』の中央区という、このマップの中でも一二を争う危険地帯で殺されたにも拘わらず、こうしてドッグタグを回収してもらえるんだから。

 

「同志猫……んふっ、ふふっ」

 

〈同志猫は草〉

〈手遅れだったかw〉

〈草〉

〈ひどい〉

 

『笑ってはいけませんよ。僕だって、美座さんだって、リスナーさんだって、ADZを始めたばかりの頃はみんな猫であり犬なんですから。銃弾の雨に打たれ、グレネードの爆風に吹かれ、泥にまみれて地面を這いつくばるようにして何度も死線を越え、多くの死と経験を積み重ねてようやく虎や狼になれるんです。この同志は、ありし日の僕たちの姿なんです。笑っていいのは、ADZで一度も死んだことがない人だけです』

 

 冗談といった様子もなく、大真面目にジン・ラースは語る。

 

 思い返せば、倒れているプレイヤーを発見して『猫』と呼んだ時もジン・ラースは重く真剣な口振りだった。あくまでもジン・ラースは馬鹿にするつもりや笑いのネタとして言ったのではなく、経験の浅い虎プレイヤーというニュアンスで『猫』と表現したのだろう。

 

 そう諭されると、なんだか思い出してきた。

 

 まだADZの本質を体感していなかった頃のことだ。アビリティもろくに把握できていないままマップに出た私は、よくわからないまま道路を走り、敵兵を発見した。とりあえず目の前のモブを倒して一キルいただいておこうかなと、持ち込んでいた銃で意気揚々と敵兵の頭に照準を合わせようとした、その時にはすでに自分が撃たれていた。

 

 なにがなんだかわからない。

 

 暗転して真っ黒になったモニターに反射した自分の茫然自失とした顔には、ありありとそんな文字が浮かんでいた。

 

 目の前の同志猫は、あの日の私だ。

 

「ん……それもそうだ。この人は、始めたばかりの時の私……ん? いや、そういえば私ついさっき、ビルとビルの間の薄汚い路地で無様に野垂れ死んだじゃん」

 

〈最初から強いわけないんだもんな〉

〈俺も人のこと言えねー〉

〈八百時間プレイしてるけど市街地の兵士にぜんぜん撃ち負けるぞ〉

〈草〉

〈そういや一個前の出撃でやられてたなw〉

〈経験者だろうと負ける時は余裕で負けるのがADZ〉

 

 本当に人のことを笑っている場合ではなかった。懐かしいなぁ、みたいな感じでADZを始めたばかりの頃を思い出していたけど、経験を積んだ今でもふつうにやられてる。

 

 キャンプ施設にいた時『同じ種族の亡骸を見かけると次こうなるのはお前だ、と突きつけられている気分になる』とかどうとか考えていたけれど、この同志猫の前にすでに私が前回の出撃で死体を晒してる。次こうなるどころか、前になっていた。

 

 これはまずい。油断だ。慢心だ。戦場において一番遠ざけなければいけない心の隙だ。頼りになりすぎるジン・ラースがいるせいで、吹けば命が飛ぶような戦場に立っているというのに緊張感が薄れてしまっていた。

 

 気を引き締めないと。ADZは甘くも温くも優しくもない。明日は我が身、なんて悠長な気構えは許してくれない。明日どころか数分後、数秒後にも自分が冷たいアスファルトの上に横たわっているかもしれないのだ。一寸先に広がる闇に足首を掴まれないよう、危機感を持たなければいけない。

 

『僕も始めたばかりの頃は自分の(むくろ)をたくさんマップに置いてきたものです』

 

「ジン・ラースにもそういう時代があったんだ」

 

『もちろん。アビリティがなかった頃は三回に一回は死んでましたからね』

 

「逆にアビリティなしの兎でどうやったら三回に二回生き残れるの……」

 

 ちょっと前に大型アップデートが入って種族ごとのアビリティが本格実装されたけど、今となってはアビリティなしで戦うだなんて考えられない。そんなのプロボクサーと一般市民が喧嘩するようなものだ。強化兵士とアビリティなしの獣人兵士の力の差はそれくらい大きい。まぁ、アビリティ実装前の強化兵士は今ほど強くはなかったのでなんとかなっていたけども。

 

 虎や狼、熊ならまだ戦えていた。そう何発も受けてられないけどアーマーをつけていれば頭以外なら一撃で死ぬことはない。相手が使っている弾と自分が身につけているヘルメットのティア次第で頭に当たっても生きている時だってある。

 

 でも兎の場合はアビリティがなければ、他の種族より少し足が速いだけの一般人みたいなものだ。当たり判定を示すヒットボックスはどの種族のキャラよりも小さいけれど、致命傷ゾーンは胸部まで含まれるから他のキャラよりも広い。

 

 今でも兎はバランス調整ミスとして扱われているのに、アビリティなしの時代にどう立ち回れば勝てるというのか。その時のジン・ラースのプレイを観てみたかった。

 

『ともあれ、初心者の時代を通らずに経験者になる人なんていないのですから初心者を笑ってはいけませんよ、という話です。誰しもが最初は猫であり、犬であり、レッサーパンダだったのです』

 

「くふっ、ふふっ……レッサーパンダ。ずいぶんかわいいなぁ、あははっ。そういえば、兎は? 初心者時代はなにになるの? 子ウサギ?」

 

 虎、狼、熊がそれぞれ猫、犬、レッサーパンダになるのは感覚的にしっくりくる。それぞれかわいくなってる感じだ。でもその例だと、兎はそもそもがかわいいので、変化させようがない気が──

 

『ハムスターです』

 

 ジン・ラースを見くびっていた。

 

「ふふっ……はむすっ、くふふっ……種類がっ、ぜんぜんちがっ……んっ。あははっ」

 

『僕も始めたばかりの頃はハムスターでした』

 

「やめ、はははっ。はむっ、ちっさひ……くふっ、んんっ……んくふっ、やめてっ。い、いっかい、黙っふふっ」

 

『今では立派な兎です』

 

「けっ、結局っ、食べられっ……側っ。ふふっ、あははっ」

 

〈ずっと被食者w〉

〈草〉

〈いい声でw〉

〈草〉

〈草〉

〈ずっと食われる側やんけw〉

〈うるせぇよw〉

〈草〉

〈イケボってずるいw〉

 

『そろそろ勇敢なる初心者同志猫の仇を討ちに行きましょう。弔い合戦です』

 

「っ──っ……んくっふ──っ、あはっ、ふふっ」

 

 こいつ、ほんとになんなんだこいつ。

 

 配信でも配信外でも、さらに言えば私はこれまで生きていて呼吸ができなくなるくらいに笑ったことなんてない。畳みかけるな、せめて間を空けろ。私がこんな状態なのに戦いに行こうとするんじゃない。こっちは息を吸うのに精一杯で画面もまともに見れてないんだ。マウスを握る手も震えている。こんな調子で敵兵とまともに撃ち合えるわけがない。

 

『……なんだか美座さんが苦しそうなので一旦休憩がてら偵察しましょうか。はい、美座さん。こちらのアパートに入ってください。この棟なら敵兵はいませんから』

 

「ふふっ、あははっ……う、うんっ。ちょっ……待っんふふっ」

 

『美座さん。壁です、そこ。扉はこちらです』

 

〈草〉

〈草〉

〈あざみん画面ちゃんと見えてるか?w〉

〈ずっと笑っとるんよw〉

〈こんなに笑う子だったんだな〉

〈にこにこで草〉

〈笑顔かわええ〉

 

「ふぅ、ふぅ……。お水、飲む……」

 

『どうぞ。まだ危なくありませんので今のうちに回復しといてください』

 

 息を荒く継ぎながら、サイドテーブルに置いているミネラルウォーターに手を伸ばす。

 

 一人で配信している時よりも発言量は増えているし、配信者のくせに自分の枠で配信せずにここまでうるさいジン・ラースに笑わされて、私は疲労困憊だ。一旦水分補給しておかないとやってられない。

 

 アパートの三階、扉が開いている一室に二人してお邪魔させていただき、ジン・ラースは窓枠に身を寄せながら周囲に目を光らせ、私は射線が通らない部屋の奥で屈む。

 

 このポイントなら、仮に正面の建物の窓から敵兵に狙われても撃ち殺されることはない。

 

 安全を確かめた私はキャップを開けて、ペットボトルを傾ける。

 

「んっ、んくっ……ん?」

 

 画面内のジン・ラースのキャラクター『Black Rabbit』がこちらを振り返り、窓の外に視線を移し、もう一度、今度はばっと音がしそうなほどに勢いよく振り返った。

 

『……あ、美座さんが飲むのか……』

 

 ゲーム内のキャラの動きとジン・ラースの間の抜けた声の合わせ技に私は耐えられなかった。小さく呟きながら納得し、窓の外に再び顔を向けるところまで、一つの流れとして完成していた。

 

「んぷふっ」

 

 口に含んでいた水を噴き出した。

 

 さすがは悪魔、卑怯だ。人が飲み物を飲んでいる時に仕掛けてくるあたり、非常に卑怯だ。

 

『だ、大丈夫ですか? なんだか水音が聞こえましたけど……』

 

「あんっ、こほっ、けほっ……っ、あんたがっ。水飲んでる時にっ、けほっ、えほっ……笑わせるからっ」

 

〈草〉

〈ふいたw〉

〈二度見すんなw〉

〈これは笑うわw〉

〈これは黒兎が悪いわw〉

〈タイミング完璧で草〉

 

『ええ……僕のせいですか? 僕に非はないと思うんですけど。美座さんが水飲むって言うから』

 

「あんなにっ、芸術的なくらい綺麗な二度見してこないでよっ。けほっ、こほっ」

 

『そう言われましても。僕はてっきり、ここまで移動してきたから水分ゲージが減ったのかなと思ったんですよ。美座さん自身が飲むのならそう言ってもらわないと、二度見もしますよ』

 

「もう、最悪。水飛んだし……」

 

『美座さんもお手本のような綺麗な噴き方でしたね。音がこちらまで聞こえましたよ』

 

「このっ……デリカシーを働かせてくれないかな。セクハラの悪魔」

 

『いろんなハラスメントが追加されていく……。このままだと僕、ハラスメントの悪魔になってしまいます』

 

「ふん。名は体を表すっていうし、ちょうどいいんじゃない?」

 

『ひどい。風評被害です』

 

「そう呼ばれたくなかったら今度から気をつければ? 私、水飲むから今度は黙っててよ」

 

『さっき飲んでたじゃないですか』

 

「さっき飲ん──」

『ああ、全部噴き出しちゃってましたね』

 

「こいつっ……」

 

〈草〉

〈これはハラスメントの悪魔w〉

〈草〉

〈なんも学んどらんw〉

 

『少なくとも僕のせいではありませんし』

 

「あんた以外にいないの。いいから黙っといて」

 

 ジン・ラースに釘を刺してから、もう一度ミネラルウォーターに口をつける。水を噴き出してデスク周りが濡れたし、気管に入ったせいで咳き込んで水を飲む前より喉が渇くし、災難続きだ。

 

 なぜ水を飲むだけでこんなに時間がかかる上に疲れるのか。それもこれもジン・ラースのせいだ。

 

『ふう……。…………』

 

 当の本人はまるで、言いがかりだ、みたいに嘆息しているのが腹立つ。

 

 口は災いの元、なんて言うけど、どうしてジン・ラースの口のせいで私に災いが降りかかるんだ。理不尽だ。

 

 なにはともあれ、黙ったのならそれでいい。ジン・ラースが口を開けば碌なことにならない。そのまま閉じていてもらおう。

 

『…………。わかりましたよ、はふ猫さん』

 

「ぷふっふぃ」

 

 噴いた。

 

〈やると思ったw〉

〈はふねこw〉

〈www〉

〈草〉

〈そんなんネタ振りやんw〉

〈あざみんが隙見せるからw〉

〈草〉

〈はふ猫てwww〉

〈ぷふっふぃw〉

 

『ふふっ、あははっ。「ぷふっふぃ」』

 

「けほっごほっ、えふっ、こほっ……っ。ごいづっ、ゆ゛るざなぃっ、ごほっ」

 

 タオルが手元にないので口の周りの水を袖で拭いながら、私はマウスを力強く手で包む。

 

 許してはならない。この悪魔を、決して許してはならない。

 

 最初の二度見の件は偶然というかコミュニケーションエラーによる勘違いだったけど、こいつは今回、明らかに狙ってやったんだ。わざとらしいため息をついてから、次に言葉を発するまで奇妙なくらいに間があった。黙って音を聞いて、私が水を口に含んだ音を聴き取ってからあんなことを言ったのだ。

 

 そのせいで、三十秒ぶり二回目となる噴き出しをしてしまった。こんなペースで飲み物を噴く女なんておそらく歴史上私が初めてだ。

 

 許してはならない。私に恥をかかせたこいつを必ずや断罪せねばならない。

 

 こいつの血で私の恥を(そそ)ぐ。

 

『大丈夫ですか? 美座さん、落ち着いてください。深呼吸ですよ』

 

「あんたが言うなっ」

 

 真摯に謝ってきたら引き金を引く指も多少は重くなっていただろうけれど、これなら罪悪感を抱かずに撃ってあげられる。

 

 『はふ』とかいう謎の単語をもう一度口にしたら頭を撃ち抜くと、私は前もってジン・ラースに通達しておいた。宣言通り、そしてお望み通り、その頭を弾いてあげる。

 

『わあ。美座さん、仲間殺しはDOCの査定マイナスですよ』

 

「今はそんなの知らないっ」

 

 サブマシンガンを構える。サイトを覗き、兎の頭にエイムを合わせた。

 

 この部屋の構造はわかっている。

 

 私がいる扉側から見て右の壁側には執務用みたいなデスクがある。左側にはよくわからない紙が貼り付けられているだけで物はなにも置かれてない。正面側は窓と、窓枠の両隣にアイテムを漁れる棚があるだけ。身を隠せるような遮蔽物は、私の右側にあるデスクのみ。

 

 本当に撃たれるかもしれない状況で身を守ろうと思ったら、そのデスクの裏側に行くしかない。

 

 そして、私の正面に立っていたジン・ラースの体が一瞬、右に傾いた。

 

『本当に撃ちましたよこの人……』

 

「っ? くっ……」

 

 ジン・ラースが右に動いた瞬間、予想通りに動いたと私はほくそ笑んだ。

 

 兎の頭の高さに合わせて銃口を動かし、引き金を引く。そのまま右に進めば自発的にジン・ラースが銃弾を浴びにきてくれる。

 

 そう思っていたのに、ジン・ラースはもう一歩踏み込む前に左側に切り返した。背後の窓は粉々に撃ち砕いてガラスを撒き散らしたけど、一番の目標である兎の頭蓋を撃ち砕けていなければ脳漿(のうしょう)を撒き散らしてもいない。

 

「まだっ……」

 

 予測と反したけど、左側には身を隠せるものはなにもない。兎は移動速度が速いが、この距離で遮蔽物もなしに私のサブマシンガン、ワンマガジン分三十発の銃弾を躱せるほどではない。

 

『わお……完全に()る気だ』

 

「ドッグタグは拾ってあげるっ」

 

 右から左へと銃口を振ってエイムを調整し、細い体目掛けて再び引き金を絞る。

 

『反応いいですね』

 

 しかし、当たらない。

 

「しゃがみっ……」

 

 しゃがみの姿勢になったことで胸と頭の位置がその場で急に下がった。

 

 戦闘中に、敵兵もしゃがんだり伏せたりするけれど、それにしたって地面に沈み込んだのかと思うほどの速さではなかった。

 

 キャンプ施設の敵兵をハンドガンで狙撃した時に、ジン・ラースは兎のしゃがみ状態に移行するまでの時間を話していたが、敵兵と兎では動作の一つ一つにかかる時間に差があると気づいたからこそ、ちゃんと調べようと思ったのかもしれない。

 

 その学習意欲は賞賛に値するけど、それとこれとは話が違う。絶対に頭を貫いてやるんだ。

 

 しゃがみ状態では移動速度がとても遅くなる。立ち上がるにもタイムロスが生じる。十分にエイムを合わせられる。

 

『アビリティ切るか……』

 

 歩きよりも遅いしゃがみ状態の敵に照準を合わせられないようなお粗末なエイムコントロールでは『Now I Won』にはいられない。加えてこの距離だ。そんな速度の相手なら私にだってマガジンに残っている弾ぜんぶ命中させられる。

 

「もらっ……はぁっ?」

 

 そう思っていたのに、エイムが追いつかない。

 

 イメージしていた移動速度と実際のジン・ラースの速度が乖離を起こしていた。

 

 失敗した。迂闊だった。自分()や敵兵と同じ速度だと無意識的に思い込んでいた。兎の命綱は索敵と機動力で編まれている。ふつうの兵士と同等なわけがないし、それ専用のアビリティでも使われたらイメージしていた速度と差が大きくなるのは当たり前だ。

 

 でも、アビリティを使ったにしたって、いくらなんでも速すぎる。虎の走りと同等くらいに思える。

 

 キャラクターレベルが齎す基礎能力の高さ、スキルやアビリティの練度、それらの集大成がこの兎の機動力か。

 

『うむ……』

 

 しゃがみ状態とは思えない速度で駆けるジン・ラースは窓から離れて左奥へと移動する。

 

 ジン・ラースの動きに合わせて私は扉側から離れてデスクへと近づく。

 

 右のデスクに逃げることを私が警戒していると、ジン・ラースはわかっている。だからこいつはエイムを引き剥がすようにフェイントも絡めてデスクから離れて、左へ左へと移動しているのだ。

 

 デスクにさえ行かさなければ、いずれ必ずこいつの頭をぶち抜ける。たしかに私はまだ一発さえ当てることができていないが、残弾はまだある。右側に近づけさせないように警戒する私のやり方は間違ってない。

 

 しゃがみから立ちへと移行して、ジン・ラースの足が鈍った。正確には部屋の左側へと移動する速度が緩んだ。

 

「きっ……」

 

 きた。そう思った。

 

 このゲームは厄介なことに慣性が存在する。一方向に進んだ時、その方向への入力を止めても進んでいた方向へと体が流されるのだ。

 

 慣性で体が流れている時には移動速度が落ちる。逆方向へ動こうとした時は足が止まる。狙いはここだ。

 

 私から見てジン・ラースの少し左側、ジン・ラースの進行方向へとエイムを置いておく。

 

『ふふっ』

 

 足を止めたら蜂の巣にしてやる。そう目論んで引き金を引いたのに、私の放った弾丸はまたもや空を切った。

 

 ジン・ラースの足は止まらず、速度も若干落ちた程度でほとんど変わりなく。わずかに部屋の奥側へと動いただけで、一度たりとも動作を止めずにジン・ラースは反転した。

 

慣性キャンセル(慣キャン)っ……」

 

 移動時に発生する慣性を受けずに移動方向を変えるテクニック。格闘ゲームのコマンドじみた入力操作が必要な慣性キャンセルをいとも簡単にやってのけた。しかも、入力の方向やタイミングがさらに複雑になって難しくなる視線移動を加えた慣性キャンセル反転だ。

 

 冗談のようなキャラクターコントロール。ごく自然に、ごく当たり前に披露するような技術ではない。

 

 まずい。体の向きは完全にデスクへと向き直った。私のエイムもジン・ラースの左側についている。ここからは一直線で行けてしまう。

 

 でもまだ、兎の細い体をへし折る機会は残っている。私自身の体でジン・ラースの進路を塞げているのだ。

 

 兎の代名詞とも言えるアビリティ、道路から二階の窓へとひとっ飛びできるほどの大跳躍を誇るハイジャンプで私の横を突っ切ろうとしても、フルオートで弾をばら撒いておけばどれかは必ず当たる。いくら兎が速かろうと、銃弾よりは遅い。

 

『鋭いなあ』

 

 急いでジン・ラースにエイムを合わせ──撃ち始めた時にはジン・ラースの姿はなかった。

 

「連続慣反っ」

 

 反転して右を向いたジン・ラースが、さらに反転。再び壁側へと進む。急いで合わせに行ったエイムを振り切られた。画面内に収めることすらぎりぎりのこの挙動、すごいとかうまいとかを凌駕(りょうが)して、もはや気持ち悪い。

 

 どのような入力操作が必要になるかすら予想がつかない変態技術だ。こいつだけやってるゲームがADZじゃないのかもしれない。キャラクターが貴弾みたいな動きをしている。

 

 もしかしてこいつは、デスクという遮蔽物を使わずに私に全弾撃ち切らせるつもりなのか。キャラコンだけで凌ぐつもりか。

 

 やれると言うのならやってほしい。

 

 そして圧倒的な差を、比較できないほどの違いを見せつけてほしい。嫉妬も絶望もできないくらいの力の差で私を組み伏せてぐちゃぐちゃに蹂躙してほしい。

 

『フルオート……殺意が溢れてる』

 

 指切りせずに撃ちまくる。フリックエイムは苦手だけど、トラッキングエイムには自信がある。フルオートで撃っても、このサブマシンガンのリコイルは控えめで素直だ。十分に制御しきれる。

 

 広いとは言えないこの部屋の中、どんなスピードでどう走ろうと絶対に逃げられない。追いかけてくる銃弾の輝線から逃げ切って見せろ。

 

「っ……」

 

 ジン・ラースの背中を舐めるような銃弾が続いて、もうすぐエイムが追いつくと確信したその時、ジン・ラースが床を蹴って跳躍した。アビリティのハイジャンプではない、通常のジャンプだ。

 

 プレイしているゲームが貴弾であれば壁ジャンして移動することもできるが、ADZはアビリティを使用しないと壁ジャンはできない。そして壁ジャンできるアビリティを持っているのは虎だけだ。

 

 もらった。

 

 いかに兎といえど着地硬直くらいはあるだろう。他の種族と比べて硬直が短かったとしても、フルオートで弾を置いておけば避けられない。

 

 ジャンプまでの勢いと跳んだ時の角度から着地点を予測してエイムを置く。これで終わりだ。

 

『……もう一枚切るか』

 

 ジャンプして降りてきたところを撃つ。とても簡単な作業。それで終わりのはずだった。

 

 なのに。

 

「降りてこないっ」

 

 ジャンプしたのに、ジン・ラースが床に降りてこない。視線を持ち上げれば、その答えがあった。

 

『これが兎の戦い方です』

 

「か、べを……」

 

 天井ぎりぎりくらいの高さで、ジン・ラースは壁を走っていた。これも兎のアビリティの一つなのだろう。

 

 呆気に取られながらも私は銃を構える。

 

 意表は突かれた。でも結局のところは床を走っているか壁を走っているかの違いでしかない。壁を走っているときのほうが気持ち遅めなので、狙いやすいくらいだ。

 

 変わらない。変わりはしない。

 

 動揺する心を無理矢理に抑えつけ、サイトの中にジン・ラースを収める。

 

『っと、これで』

 

「あっ……」

 

 落ち着く暇もなく、ジン・ラースは動く。壁を走っていた状態からさらに跳躍、私の頭上を越えて壁の反対側へ。壁ジャンは虎にしかできないんじゃなかったのか。

 

 こんなにも上方向にエイムを合わせる練習なんてしたことがない。頭の上を越える相手なんて想定していなかった。

 

 悠々と跳んで行ったジン・ラースを追うも、あまりに遅すぎた。ジン・ラースの動線をなぞるように銃弾が天井を叩く。

 

 当たるわけもないのに無駄撃ちしながらエイムで追いかければ、そこにはジン・ラースの姿はなく、デスクが鎮座していた。弾はもう出なかった。

 

『ふう。なんとか生き残りました』

 

「は、ぁ……」

 

〈おおおお〉

〈うわああああ!〉

〈クリップや〉

〈まじかよw〉

〈動きやば!〉

〈うそやんw〉

〈神業〉

〈全弾回避!〉

〈これが黒兎〉

〈うおおおおお!〉

〈絶望の街の守護者〉

〈やばああああ〉

〈変態キャラコンやw〉

〈これがソロ二位の力ってわけ(震え〉

〈一発も当たらないとかありえんのかよw〉

〈クリップです〉

〈全部よけるマ?〉

〈神回避や〉

〈フルオートやぞ〉

〈あの距離で当たらんとか草もはえん〉

 

 リスナーも大興奮だ。コメント欄が氾濫している。読めるわけない量のコメントが流れている。

 

 それもそうだろう。ふつうのADZ配信では見ることのできない衝撃映像だった。

 

『こんなことしてる場合じゃないんですけどね』

 

 お祭り騒ぎのリスナーや呆然として声も出ない私とは裏腹に、ジン・ラースはどこまでもマイペースだった。

 

 あの一幕は、ジン・ラースにとって特別めずらしいことではないのだろう。

 

 さっきのシーンだけで三つ四つ解説動画が作れそうなほどに技術が詰まっていたのに、ジン・ラースにとっては胸を張るところでも熱くさせるところでもないのだ。

 

 常軌を逸してる。

 

 私の考えを読んでフェイントを織り交ぜ、単純な動作でミスリードを誘い、アビリティを効果的なタイミングで切って銃弾を避けていた。

 

 ただ激しい動きをして弾が当たらないことを祈るような安直な思考停止のキャラコンではない。偶然の産物ではない。

 

 それはつまり、さっきの神回避は恐るべきことに、再現性があるという意味になる。

 

 似たようなシチュエーションを用意されれば、ジン・ラースは近いことがもう一度できる。狙って考えて操作した結果がさっきの衝撃映像なんだ。もしかしたらもう一度全弾回避もできるのかもしれない。

 

 奇跡でも偶然でもない、シンプルな実力。

 

「は、ははっ……っ」

 

 なによりもその事実が、私の胸を高鳴らせた。

 

 マウスを握る手が震える。思考が纏まらない。体の中心が熱くなる。頭がぼんやりする。

 

 やはりジン・ラースは、怪物だった。

 

 私のような一般人とは違う。凡人の尺度では測れないくらいに、なにもかもが違う。桁が違う。比べられない。比べるべくもない。

 

 私よりもうまい人なんてたくさんいる。この人には追いつけそうにないと思う人だってたくさんいる。

 

 でもジン・ラースの視点から見れば、私の実力も、私よりうまい人の実力も、きっと大差なんてないんだ。高い高い空の上から地面を見下ろしても、歩いている人の身長差なんてわからない。どちらも等しく米粒だ。

 

 あまりにも違い過ぎて、比較対象にならない。比較する必要がない。勝手に比べて、勝手に傷つくこともない。劣等感に苛まれることもない。

 

 だって、みんな同じなんだから。ジン・ラースと比べれば、誰だって劣るんだから。

 

 隣にいてとても居心地がいい。やはりジン・ラースは、唯一の存在だ。

 

 



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小さな兎の大きな背中

感想や評価いつもありがとうございます。めちゃくちゃ励みになってます。
ここすきとかの機能を使ってくれてる人もありがとうございます。あれ見るの好きなんです、僕。


 

 デスクを遮蔽物にしながら、ジン・ラースが言う。

 

『その銃は何のためにあるんですか、美座さん』

 

 疑いようもない強者で、おまけに声もいいのに、言動がクソガキなことだけが玉に瑕だ。

 

 私女の子なんだけど。もう少し丁重に扱ってもばちは当たらないでしょ。

 

「……うるさいなぁ。マガジンぜんぶ撃ち切っても当たらないなんて思わないじゃん……」

 

『……ん? なんだか話が噛み合ってないような』

 

「なに? クソザコエイムを煽ってるんじゃないの?」

 

『そんなこと言いませんよ……。敵を倒すためにその銃を握ってるのではないのですか、ってことを僕は言いたかったんです』

 

 そうだったんだ。『下手な鉄砲数撃ちゃ当たるとは言うけど、数撃っても当たらないんじゃ銃なんて持ってる意味なくない? 棒切れでも握ってれば?』みたいな意味で煽ってるのかと思った。

 

「さっきはジン・ラースが私の敵だったから、まぁおかしくはないかな」

 

『うわあ……。だったら納得です。殺意すごかったですからね。……さて、ここからどうしましょうか』

 

「どうするって? ワークをこなしにきたんだけど」

 

『ええ、まあ……そうなんですけどね』

 

 ことあるごとにジン・ラースがふざけるせいで回り道を繰り返しているけれど、当初の目的は私に課されているワークだ。目的地はこのアパートではなく、ここから南西に見えるビルにある。

 

 いきなりなにを言い出すのか、と呆れていると、デスクの裏で隠れていたジン・ラースがすくっと立ち上がった。その手にはハンドガンが握られている。

 

 仕返しするつもりなのか。

 

「ちょっ、あんたっ」

 

『あれだけ銃声を響かせたんです。それはもう、当たり前のように寄ってきますよ』

 

 私を見ていたジン・ラースはくるりと体の向きを変えて窓に銃を向ける。

 

 銃を向けたとほぼ同時に、流れ弾によって割れていた窓から強化兵士が部屋に飛び込んできた。その強化兵士が銃を構える前に、どころか部屋の床に足をつける前にジン・ラースが敵兵の頭を撃ち抜いた。

 

「っ! えっ、なんで……」

 

 残っていた窓ガラスを砕く音と、すぐ近くで響いたハンドガンの銃声、ぼとりと崩れ落ちる敵兵。視覚的にも聴覚的にもジン・ラースの異様な反応速度にもびっくりする。いろんなことが同時多発的に起こりすぎていて、自分でもどれに驚いているのかわからなくなる。

 

『向かいの建物です。軽装備の強化兵なら助走をつければこっちまで届くんですよ。化け物ですね』

 

 それに気づいて反応できちゃうあんたも同類だよ、と私がツッコむ前に、ジン・ラースは動く。

 

 どこまでも落ち着き払った声で、ジン・ラースはまたも視線を即座に移動させる。真逆と言っていいほど振り返って、今度は扉に向けて撃ち放った。

 

「わっ……な、なに」

 

『敵はNPCですが侮っていい相手ではありません。エリートがいる場合、突入のタイミングを合わせてくることがあります。あと一人』

 

 私の立っている場所からでは姿は見えなかったけれど、ジン・ラースがそう言うということは敵がいたんだろう。

 

 窓から突入してきた敵兵に対してもそうだけど、扉の外にいた敵兵にも一発しか撃っていない。(ことごと)くフリックで頭を撃ち抜いている。どんな空間把握能力とエイムコントロールをしてるんだ。

 

「……わ、私、扉側見とく」

 

『ありがとうございます。お願いします』

 

 空になるまで弾を吐いたマガジンを交換して、私は扉の近くの壁へと体を寄せる。

 

 兎なら索敵で居場所を割れそうなものだが、こうしてなるべく音を立てないようにして最後の一人を探しているということは索敵のアビリティはクールダウン中なのかもしれない。もしかしたら私が気づかなかっただけで、定期的に使ってくれていたんだろうか。

 

 ここまで会敵しないように引率してくれてたのに、私が軽率に銃を撃ってしまったせいでここに居ることを敵に知らせてしまった。今でもあれはジン・ラースが悪いとは思っているけれど、それはそれとして私も申し訳ないことしちゃったな、と反省しつつ扉の外を警戒する。

 

 ADZはなにかアクションを起こすたびに、大小はあれど一々サウンドが発生する。歩いた時はもちろん、銃を構えても、マガジンを交換しても音が鳴る。なので敵が攻めてきている場合、装備が同等であれば待っている側の私たちのほうが有利だ。

 

「こっち、音はない……かな」

 

 屋内側からは、もう音はしない。少なくとも同階にはいないだろう。

 

 となると、最初の兵士と同じように向かいの建物から強襲するパターンだろうか。最悪、逃げた可能性もある。なんでも、プレイヤー側の人数が多い時は稀に撤退することがあるらしい。なんと小賢しいNPCだろう。

 

『こちらでした』

 

 ジン・ラースが端的に報告する。

 

 窓側。やはり外からだったのか。

 

 振り向くと、ジン・ラースの視線が上を向いていた。向かいの建物の上層階にいるんだろうか。

 

「……ん?」

 

 ジン・ラースがなにかごそごそしていると思ったら、マガジンを交換していた。接敵前だから念のために交換しているのか。

 

 でも、ジン・ラースはこれまで出会(でくわ)した敵は全員ヘッショで皆殺しにしていて、ワンショットワンキルを三セットで計三発しか使っていない。ジン・ラースの使っているハンドガンはマガジン十二発、あらかじめ装填しておけば十三発入る。まだ九発か十発残っているのに交換しておくなんて、抜かりがないというか、抜群の腕を持っているのに心配性というか。

 

『きた』

 

 などと考えていたら、ジン・ラースは一言だけ発して、いきなり窓枠の上の壁を撃ち始めた。一発二発ではない。全弾撃ち切るくらいの勢いで無闇矢鱈(むやみやたら)に連射した。

 

「えっ……ど、え……」

 

 いきなりどうしたんだ。ばかには見えない妖精さんでもいたのか、はたまた錯乱したのか。

 

 ジン・ラースの乱心に声をかけるのを躊躇していると、くぐもった呻き声が聞こえた。本当にばかには見えない妖精さんなのかと思いきや、なにか擦るような音のあと窓の外で人影が落ちていった。数瞬後、どすん、と中身の詰まった袋を高いところから落としたような音が私の耳に届いた。

 

『ここの壁はAP弾だと貫通してくれるんですよ。威力が大きく減衰するので距離が離れていると殺しきれなかったでしょうけれど、これだけ近かったので壁を貫通した後の弾でも削り切れたようですね。よかった』

 

「な、なるほど……憶えとく」

 

『ええ、貫通する壁を憶えておくと攻防両面で役に立ちますよ。今回みたいにこちらからリスクなしに先手を取れるケースもありますし、AP弾を使う敵兵もたまにいますから身を守ることにも繋がります』

 

 マガジンを交換していたのは弾数を気にしていたんじゃなくて、AP(貫通)弾を込めていたマガジンに交換していただけだったのか。なるほどね。

 

 いや、なるほどじゃないな。

 

 なぜこのアパートの三階と四階の中間あたりという中途半端極まりない位置の外壁にヤモリの如く敵兵が張りついてるとわかったんだ。

 

「ハイパー……ハイパーなんちゃらっていう索敵のアビリティ、もう湧いてたの?」

 

『いえ「(ハイパー)聴覚(アキューシス)」はまだクールダウン中です』

 

「それじゃあ、さっきの敵はなんで……」

 

『特徴的な音が上から聞こえたので、ラペリングで降りてこようとしているのだなと。彼らの場合はラペリングというか、力任せにロープを掴んで降りてくるものですけど』

 

「ラペリング、ロープ……。一つ上の階からロープにぶら下がって、ここに入ろうとしてたってこと?」

 

『はい。これまでちらほら少数ながら報告はあったんですけど、二つ前のパッチからラペリング強襲の発生件数が増えているらしいんです。まだどういうシチュエーションなら発生しやすいのかなど、細かい条件は絞り込めてないんですけどね。紐状のものを落とす音や擦る音、壁を蹴る音が聞こえたので、これはもしかしたら、と思ったんです』

 

 音の種類や違いがわかるくらいに聞こえていたのか。私はまるで聞こえなかった。扉側に立っていたから距離はジン・ラースよりも多少は離れていたけれど、私だって音には注意していたのに。

 

「ぜんぜん気づかなかった」

 

『そこは知覚スキルのレベルや、種族の差かもしれませんね。マスクデータみたいな感じで、種族ごとに明かされていない能力やパラメータもあるみたいですし。あとは、僕自身耳が良いほうなので、それもあるかもしれません』

 

「へぇ……」

 

 ADZはステータスとしてのSTRやAGIなどのパラメータやアビリティとはべつにスキルも存在する。

 

 スキルはアビリティのように戦闘時に状況に応じて使う種類のものではなく、常に効果が発揮されているタイプになる。その点ではパッシブアビリティと近いニュアンスになるかもしれない。

 

 数多くあるスキルの一つ、ジン・ラースが言っていた知覚スキルは、レベルが高くなるほどに音が聴こえる範囲、可聴範囲が広くなるという効果がある。

 

 そのスキルの恩恵もあったのかもしれないが、敵がロープで降りてくるという情報を持っていなければ壁越しに撃つなんてできなかっただろう。

 

 情報収集と、AP弾を装填したマガジン持ってきておくという事前準備の結果だ。ジン・ラースがすごかっただけ、という表面的な結論で片付けてしまうのは思考放棄でしかない。私も見習わないといけない。

 

『さて。移動しましょう』

 

「うん。さっさとビル行こう」

 

 これ以上ちんたらしてたら、また私が余計な真似をしてしまいかねない。

 

 速やかにビルに行って、速やかにワークをこなし、速やかにマップを出よう。生きて帰るまでが出撃だ。

 

『最終的にビルには行きますが、一旦迂回します』

 

「え? どうして?」

 

『ビルの近くで銃声を響かせたので、ビルの中に潜んでいる兵士たち、その付近にいる兵士たちの行動パターンが変わっているかもしれません。変化の有無の確認と、変化があるならどう変化しているのかを確認したいんです』

 

 私がかっとなって銃を撃ったせいで、ジン・ラースに余計な手間を取らせてしまっている。

 

「ごめん、なさい……。私のせいで……」

 

『どうして謝るんです? ビルに固まっている兵士に対して、安全な位置から刺激を加えて反応を観察する。これはとても有意義な調査です』

 

「ゆ、有意義? 調査?」

 

『ええ。前からこのワーク、というかあのビルですね。あのビルはいやに警備が厳重になったなと思っていたんです。どこからどう攻めるのが最も安全か試していたんですけど、どれもうまく嵌まらなくて。でも美座さんの発砲で独創的な切り口が生まれました』

 

「なにか、変わる……のかな? 無駄に自分たちの居場所を知らせて敵兵を誘き寄せただけの利敵行為だと思うんだけど……」

 

『敵兵を誘き寄せる。これが鬼手だったんですよ。安全を確保できる場所で銃声なり爆発音なりを響かせて周囲の敵兵の警戒心を刺激して誘き寄せることで、警戒網に穴を作れるのではないか、と。もしかしたらビルの敵兵の配置や人数、注意の方向を、プレイヤーが恣意的に偏らせることができるかもしれません』

 

「安全を確保って……道路とか脇道とかだと包囲されるし、建物の中だと逃げられずに追い詰められるでしょ? 敵の数が多いこのあたりで安全な場所なんて」

 

『このアパートもそうですが、ビル周辺の侵入可能な建物には最低一箇所は隣の建物に移れるルートがあります。ですので建物の中で大きな音を立てても敵兵に攻め込まれる前に退避すれば安全に移動できるんです』

 

 キャラコンは多少必要ですが、とジン・ラースはぽそりと付け足した。

 

「それじゃあ……私が銃撃っちゃったのもあながち失敗じゃ……ない?」

 

『ええ、とても興味深い試みになりました。とりあえず僕らの居場所は知られてしまっていますので一度移動して、それから検証してみましょう。ふふっ、楽しくなってきましたね』

 

 ADZはシビアなゲームだ。真剣にやっていても負けることが多い。そんな難易度のゲームでふざけられるのは、ジン・ラースみたいな一部のプレイヤーだけだ。強者以外にとっては自殺行為に等しい。

 

 べつにソロなら構わない。負けて、殺されて、装備一式と持ち込んだアイテム、獲得したアイテムを全部失っても、それはふざけた奴の責任だ。誰にも迷惑はかからない。

 

 しかしパーティを組んでいたら話が違う。

 

 パーティのメンバーが付き合いの長い友人などであれば冗談で済むだろうし、失った分の穴埋めを手伝えば喧嘩にもならないだろうけど、私たちはそうじゃない。私とジン・ラースは今日初めて話して、このマップがパーティを組んで初めての出撃だ。

 

 それなのに、手伝ってもらっている立場の私が軽率な行動でジン・ラースにも被害を与えたら、かなり気分が悪いだろう。ジン・ラース本人はもちろんそうだけど、観ているリスナーもおそらくそう。ジン・ラースの神回避のおかげで目立ってはないけど、その後に敵兵に攻め込まれた時には私の短慮を咎めるコメントもいくつか見受けられた。

 

 もしかしたらジン・ラースの検証云々の話は、コメント欄の空気が悪くなったのを察して、気にしなくてもいいと思わせるように提案してくれたのかもしれない。声を弾ませて本当に楽しそうにしていたので、それがジン・ラースの本心からのものなのか、それとも私へのフォローだったのかわかりづらい。

 

「っ……うんっ。行こう」

 

 どちらだったとしても、私はそう言ってもらえて助かったし、励まされた。その事実は揺るがない。

 

 こうしてワークも手伝ってもらっているわけだし、なにか恩返しできればいいんだけど、なにかあっただろうか。実力に差がありすぎて、私がお返しにワークを手伝おうにもおそらくジン・ラース一人でやったほうが楽だろうし。

 

 そういえば、ちょっと前に拾ったあれを倉庫に入れてそのままだった。私は魅力を感じなかったけど、ジン・ラースならもしかしたら使いこなせるかもしれない。

 

 あれをお礼にあげようかな。どうせ私には無用の長物だ。次に出撃する時にでも渡そう。

 

 そんなことを考えながら、私は小さな兎(ジン・ラース)の大きな背中を追いかけた。

 

 

 

 *

 

 

 

『やりましたね、美座さん。ビル内の人数減ってますよ。兵士の場所も北側に人数を多く割いていて南側が手薄です』

 

 兎のアビリティ『(ハイパー)聴覚(アキューシス)』で敵兵の位置を検知したジン・ラースが報告してくれる。

 

「ほんとに影響あったんだ……」

 

〈すげーw〉

〈まじか……〉

〈俺はパーティ組んで強引に行ったのに……〉

〈こんなやり方誰が見つけられんだよw〉

〈索敵ってやっぱいたら助かるな〉

〈黒兎ありがとう〉

 

 方角的にビルの北東に位置するアパートで私は一騒動を起こしてしまったわけだけど、まさかジン・ラースの推測通りにビル付近の敵兵の配置や人数に影響を及ぼすなんて思わなかった。

 

 なんとかいい方向に転がってよかった。私の罪悪感も多少は薄れる。

 

『あとは南側から侵入して、安全にワークを終わらせて撤退することができるかどうかですけど、それができたら美座さん、お手柄ですよ。これまで難所扱いされていたこのワークの攻略方法を発見したことになるんですから』

 

「お手柄って……ジン・ラースがうまく誘導してくれたおかげじゃん。お手柄はジン・ラースでしょ」

 

〈お手柄や!〉

〈やるやんあざみん!〉

〈あざみんないすー!〉

〈攻略法発見に立ち会えたのうれしいわw〉

〈黒兎先生ありがとう〉

〈あざみんお手柄ー〉

 

『そんなことありませんよ。僕は初期配置の状態を前提として、どこから切り崩していくかを詰めていたので美座さんのやり方は絶対思いつきませんでした。思いついたとしても初期配置からの攻略を試した後になるので、とても時間がかかっていたはずです。美座さんのおかげですよ』

 

「や、もう……もういいってば。これがうまく行くかはまだわかんないんだし、終わらせてからにしよ」

 

『ふふっ。ええ、そうですね。それではビルの南側のブロック塀を乗り越えるルートで侵入します。南側は注意が薄いですが、気をつけていきましょう』

 

「うん」

 

〈黒兎もやり方探してたのか〉

〈初期配置だとビルのあちこちにいて大変なんだよな〉

〈照れとるw〉

〈あざみん照れてて草〉

〈黒兎の褒め方効くわーw〉

〈照れ照れかわかわ〉

 

 ジン・ラースの先導で、ビルの南隣の建物へと移動する。

 

 あまりにもジン・ラースが褒め殺してくるものだから、気恥ずかしくなってしまって素っ気ない言い方をしてしまった。

 

 コメント欄の雰囲気や私の声音から、きっと私が落ち込んでいることをジン・ラースは見抜いていたのだろう。だから、このルート取りが私の功績かのように言ってコメント欄の雰囲気も明るくして、私のことも過剰に褒めて慰めてくれたのだ。

 

 他の人に同情されたり憐れまれたり、変に肩を持たれたりしたら気分が悪くなるが、ジン・ラースに慰められると胸が暖かくなる。不思議だ。

 

『さて、問題のブロック塀に到着しましたね』

 

 機動力偏重斥候タイプの兎と、ソロプレイヤー御用達隠密タイプの虎。そして二人ともプレイ時間は長い。移動で物音を立てて見つかるようなへまはしなかった。

 

「そうだ。前回はブロック塀を乗り越えられなかったんだった。前回死んだ理由の大半はこれのせいだよ。この高さのブロック塀ってほんとに越えれるの?」

 

〈動き方特殊部隊かよw〉

〈壁きたー〉

〈問題のブロック塀w〉

〈キャラコン知らんかったんよな〉

〈説明しないADZが悪い〉

〈アビリティの仕様とか自力でわかるわけないんや〉

 

 私の目の前に立ち塞がるのが、今やトラウマになりつつあるブロック塀だ。ジャンプしても塀の天辺に手がかからないので乗り越えられない、と思いきや情報サイトにはウォールジャンプでぎりぎり手がかかって登れる、とある。

 

 コメント欄でも〈ウォールジャンプでいける〉って言うリスナーもいれば〈そこ兎だけだよ〉と言っているリスナーもいて、キャラコンを指摘するリスナーもいた。

 

 もうなにが正しいのかわからない。

 

『今なら裏の崩れているブロック塀からでも安全に侵入できると思いますけど、せっかくなのでここでウォールジャンプを練習していきましょうか』

 

「っていうことは、ほんとに虎でも越えられるんだ」

 

『ええ。ちょっとしたテクニックがあるんです。虎のウォールジャンプって、壁面を蹴って壁の反対側に飛びますよね?』

 

「そうそう。ただ壁を蹴るだけだから、いまいち使い勝手悪いんだよね。どういうタイミングで使ったらいいのかもわかんないし」

 

〈黒兎もしかして虎も知ってんのか〉

〈えなんで知ってんの?w〉

〈ピッカーで使ってるのかな〉

〈黒兎ならピッカーもめちゃくちゃレベル上げてそうw〉

 

 敵兵に追いかけられて狭い路地とかに迷い込んだ時、右に左に蛇行しながら走って、たまにウォールジャンプを使ったりすると敵兵のエイムをいい具合に振り切れたりしたけど、使い方としてはそのくらいだった。兎のハイジャンプみたいに高く跳べるわけでもない。用途に困るアビリティなのだ。

 

『ああ……なるほど。あのですね、美座さん』

 

「ん? な、なに? 不安になるからその言い方やめてくれない?」

 

『ウォールジャンプって、壁を蹴ってからの跳ぶ方向を自分で決めれるんですよ』

 

「……嘘だ」

 

『嘘じゃないです。ある程度加速がついた状態でジャンプして、壁に接触する前にウォールジャンプのアビリティを起動させて、壁に接触した瞬間くらいにもう一度ジャンプする。そうすると、壁の反対側に視点が強制的に動いて、一瞬壁に引っ付いているような間があってから、ジャンプする。こういう流れですよね?』

 

「……う、うん。てかなんでジン・ラースは兎以外のアビリティにもそんなに詳しいの? あんたは他の種族まで知り尽くしてるの?」

 

『ピッカーでいろんなマップの危険地帯を偵察しに行ってますからね。その時に他の種族のアビリティには触れてます』

 

〈やっぱり……〉

〈あざみんエイムが強すぎてアビリティ使わないから……〉

〈エイムゴリラの悪影響がここまでw〉

〈黒兎詳しすぎやろw〉

〈ぜんぶのキャラ使ってんのかよw〉

〈やっぱピッカーか〉

〈ロケハンでピッカー使うやついんのかw〉

〈まぁ黒兎なら装備失うことなさそうだしな〉

 

 ジン・ラースの言うピッカーとはウェスト・ピッカーの通称で、これは装備も資金も底を尽きたプレイヤーのための救済措置だ。

 

 ピッカーモードでプレイすると、出撃する時の種族も毎回違うし、装備している武器やバッグもティアの低いものをランダムで貸し与えられてマップに送り出される。

 

 ピッカーでマップ内を探索し、アイテムを拾って生還できれば、そのアイテムはなぜか本キャラの倉庫へとしまい込むことができる。なんで本キャラとは関係ないピッカー用のキャラクターで出撃しているのに回収したアイテムは本キャラと共有できるのかはADZでも指折りの謎だけど、ピッカーは救済措置なのでそんなこと誰も気にしない。そういうものなのだ。

 

 このモードだと、本キャラを使ってプレイしているプレイヤーが一通り漁った後のマップに遅れて入り、漁り残しを回収することになる。なので基本的においしいアイテムは残されてない。ピッカー用のキャラはレベルやスキル、アビリティなどの経験値も本キャラとは別枠になっているので育っておらず、敵兵と戦闘するには心許ない。漁れるアイテムも身につけている装備もキャラのパラメータもしょぼいという踏んだり蹴ったりなピッカーだけれど、たとえ死んでもマイナスになることはないのだから文句は言えない。

 

 ちなみに、ピッカーでプレイヤーの死体に残されているドッグタグを拾うと、出撃時に渡された装備一式をもらうことができるという実にCo-opゲーっぽい仕様がある。ピッカーで渡される装備なんて基本的に弱いし、しかもなぜか装備の耐久値はよくて七十五パーセント、低いと五十パーセントくらい減っていて中古品もいいところだけど、本当になにもかも失った時にはありがたい。

 

 私も一つ前のシーズンで大変痛い目にあったので慣れるためにもこまめにピッカーをやってるけど、ピッカーはいつも使っている本キャラ()とは違う種族で始まることも多い。そのせいで種族ごとのムーブの違いに順応できず、なかなか生還率が上がらない。

 

 救済措置だからといって甘やかしてくれないのがADZ。本キャラと種族が違おうと関係なく使いこなせるジン・ラースがイレギュラーなだけだ。

 

「ピッカーまでやってるんだ……」

 

『自分の装備を失わないというのは利点として大きいですね。特に危険地帯への調査には重宝します。いくら兎の一回あたりの出撃のコストが低いといっても、毎回ロストするのは痛いので』

 

〈しっかりピッカーもやってんのえらい〉

〈こういうところでロケハンしてるから強いんだな……〉

〈二位になるだけの理由がある〉

〈一度調べとかないとわからんもんなぁ〉

〈たぶん俺より狼も詳しいんだろうな……〉

〈熊もぜったい俺より知ってる〉

〈黒兎(兎以外も強い)〉

 

「メインじゃないのに私より虎のアビリティに詳しいなんて……。で、でもっ、アビリティのテキストにジャンプする方向を変えられるとか、そんなの書かれてなかったんだけどっ」

 

 そう、アビリティの説明文にはジン・ラースの言うような効果は記述されていない。そんなことができるなんて、私は教えられてない。

 

『何言ってるんですか、美座さん。このゲームがそんなに事細かに全部説明してくれるわけないじゃないですか』

 

「ぐっ……」

 

〈ADZは不親切すぎるよねw〉

〈たぶんUIとかって概念を知らねぇからw〉

〈たしか説明二行もなかった気がするw〉

〈草〉

〈草〉

〈そうだよ説明してくれるわけないんだよw〉

〈プレイヤーに優しかったらもうちょい人口多いと思うんだよね〉

 

 元も子もないことを言わないでほしい。

 

『今日日、ミニマップが表示されないゲームなんてそうそうありませんよ。ADZはそういうゲームだと、美座さんは知っていたはずです』

 

「うぐっ……」

 

『たしかアビリティのテキストは、壁を蹴ってもう一度ジャンプすることができる、とかそのくらいだったはずですよね。一定以上の速度がないと発動しないとか、ある程度の高さがなければ発動しないとかも書かれていなかったはずです。そのくらい不親切なんです。そのくらい説明が不足しているのがADZなんです。使用条件すらまともに説明されていないのに、応用方法を懇切丁寧に教えてくれるとお思いですか? スキルレベルを上げるための経験値はどうすれば手に入るかさえゲーム内では記載がないんですよ?』

 

「わ、私が悪いの?」

 

『そうです。ADZに良心的なUIを求めた美座さんの落ち度です。ゲーム内では銃のアタッチメントがどうとか弾の種類がこうとかも教えてくれないんです。自ら学ぶ必要があります』

 

〈そういうもん〉

〈残念だけどこのゲームはそういうもんw〉

〈マップもないとかそうそうねぇよw〉

〈ボロクソで草〉

〈あまりにも正論w〉

〈事実陳列罪〉

〈草〉

〈火の玉ストレートやめれw〉

〈ロジハラの悪魔だw〉

〈ソロでやってるとわかんないよね〉

〈教えてくれる人いないと無理だよこのゲーム!〉

 

 ジン・ラースの言い方はどうであれ、その内容自体はリスナーも認めるところらしい。否定するような意見は出てこなかった。なんてゲームだ。

 

「プレイヤーに厳しすぎる……。ね、ねぇ……ジン・ラース。ここ、教えてもらっても……いい?」

 

『ええ、もちろん』

 

〈あざみんかわいいよあざみん!〉

〈頼み方かわいすぎでしょ〉

〈黒兎ありがとう〉

〈やってる人に聞くのが一番早い〉

〈黒兎以上にADZ詳しいやつなんかそうおらんからなw〉

〈人を頼れるようになったんだな……〉

〈頼りになるわ黒兎〉

〈成長しとる〉

 

 ふだんなら絶対に人の手は借りない。私のちっぽけな自尊心が許さない。自分で模索するか解説動画を観るか、あるいは情報サイトの知恵を借りるところだけど、ジン・ラースはべつだ。教えを請うのが恥ずかしいとか悔しいとか、そんなことを思える範疇にジン・ラースはいない。

 

「どのタイミングで向きを動かせばいいの?」

 

『アビリティを起動させて壁に接触した瞬間にもう一度ジャンプキーを入力すると、壁の反対側に視点が強制的に動きますよね? その後、ほんの一瞬くらい壁に引っ付いているような間があると思うんですけど、その時に向きを動かせるんです』

 

「ああ、あの妙な一瞬の間。あの時ね。……ジャンプと同時じゃないんだ」

 

『思っているタイミングとずれているところが厄介ですね。どういう仕様なのか、アビリティを発動してから強制視点移動の前までの間にマウスを動かしていると、アビリティの終了まで、つまり壁を蹴ってから着地する寸前までマウスの入力をキャンセルされるのでそこだけ注意しましょう』

 

「キャラコンしようとしてマウスを早く動かしちゃうとシンプルなウォールジャンプを強制される、ってこと?」

 

『その通りです。もどかしいのを我慢して強制視点移動を待ってから、壁を蹴る前に向きを変えなければいけません。とはいえ、一度タイミングを掴めたら後は慣れやリズム感でできるようになりますので、そう難しいことではありません。実際にやってみましょう』

 

「う、うん」

 

〈このゲームは直感操作と対極に位置してる〉

〈プレイヤーの負担でかすぎんよ……〉

〈黒兎詳しすぎやろw〉

〈タイミングまでしっかり把握しとるw〉

〈たしかに一回できたら感覚掴めそう〉

〈あざみんがんばれー〉

 

 言葉の上だとどうしても小難しく感じてしまう。実際にやってみたほうがどんなものかわかりやすいだろう。

 

 曰く、習うより慣れろ。ならば習いながら実践すればすぐに慣れるはず。

 

 一回目は向きを変えるのが遅れて失敗。これは改めてウォールジャンプの流れを再確認するためと、壁の反対側への強制視点移動のタイミングを計ることを重視した結果だから気にしない。

 

 二回目は気が急いてしまって失敗。マウスを早く動かしすぎて向き入力をキャンセルされた。走って移動、ジャンプ、壁に接触する前にアビリティ発動、壁に接触した瞬間にもう一度ジャンプと、ウォールジャンプ単体でも操作が忙しいせいで、発動してから向きを変えるまでの間なにもせずに待つというのが難しい。とてもそわそわする。

 

『どれだけ助走をつけていても向き変更入力までのタイミングは変わらないので、リズムで体に染み込ませたほうが楽かもしれません。画面上の動きで反応しようとすると気持ちが焦ってしまうでしょうし』

 

 キャラコンの悪魔からのアドバイスを聞き入れ、画面よりも音とリズムを重視する。

 

 三回目の挑戦はリズムを把握するのに神経を集中させる。走る、ジャンプキー、アビリティ発動、ジャンプキー、一拍待って、視線移動。よし。

 

 いざ、四回目。

 

「ここで、視線移動……あっ。できたっ、できたよっ、ジン・ラースっ」

 

『見てましたよ。お見事です、美座さん』

 

「うんっ」

 

〈タイミングむずいんよな〉

〈もうちょい早めか〉

〈成功!〉

〈おめでとー!〉

〈おめ!〉

〈かわいすぎんか〉

〈喜び方幼女やんw〉

〈あざみんかわええ〉

〈うんかわいすぎw〉

 

 四回目の挑戦でようやくウォールジャンプの視線移動に成功した。まだふつうのウォールジャンプより若干左に傾いたかな、くらいの変化だったけど、今回の成功でだいたいコツは掴めた。次はもっと上手くできる。

 

『あとは壁の斜め上あたりに視線移動できれば手が届いて登れるようになります』

 

「おけ、わかった」

 

『美座さん、吸収早いですね』

 

「えへへっ。んっ……そんなことないけどね。これだけ練習すればまぁ、さすがにね」

 

〈コーチ褒め上手やw〉

〈澄まし顔ちょっと手遅れかw〉

〈コーチのアドバイス効くなぁ〉

〈にやけとるんよw〉

〈黒兎のアドバイスあったけーw〉

 

 コメント欄がうるさい。思わず喜んじゃっただけじゃん。なんなんだ、幼女って。無視しとこう。

 

『マウスをどれだけ動かしたらどれだけ視線が動くのかを感覚で覚えたらいいと思います。フリックエイムと似たようなイメージです』

 

「フリックは苦手だけど……任せて」

 

 ジン・ラースの例えが分かりやすくてありがたい。壁の天辺に敵兵の頭があると想定して、その頭にフリックで照準を合わせるイメージでやってみると一発目で壁の天辺に手が届いた。

 

『もうウォールジャンプのキャラコン完璧ですね。呑み込み早いですよ、美座さん』

 

「ふふっ。まぁね、これでも一応ゲーム結構やってるほうなわけだしね。教えてもらえればこれくらいはね」

 

〈もうマスターしとるw〉

〈はえぇっ!〉

〈褒めて伸ばすタイプの先生だなw〉

〈あざみんにこにこです〉

〈褒めてもらえてうれしいねぇw〉

 

 ジン・ラースからすればこのくらいのキャラコンなんて難しいどころか簡単な部類だろうに、そんな気配は微塵も見せずに私のことを褒めてくれる。

 

 私はお世辞を使われるのは嫌いだけど、ジン・ラースが言うとそんなふうに聞こえないからか、とても気分がいい。ジン・ラースに褒められるのはとても気持ちいい。

 

 手をかけて、体を持ち上げる。ブロック塀の上に上がれた。

 

 前回はこのブロック塀によってワーククリアを(はば)まれたのだ。感動も一入(ひとしお)である。

 

『アビリティが湧いたら特に必要のない時でもウォールジャンプして練習するといいですよ。得意な方向や苦手な方向を作らないほうが応用しやすいですし、アビリティのレベルも上げていきたいですし』

 

「使って鍛えていったら距離とか伸びるんだっけ?」

 

『はい。最終段階までレベルを上げるとウォールジャンプのアビリティを二回分まで溜めることができて、二連続でウォールジャンプが使えるようになるみたいですよ』

 

「二連続? へぇ……おもしろそう」

 

『かなり立体的な移動ができそうで楽しそうですよね。キャラコンは大変でしょうけど』

 

〈使わないとアビリティに経験値入らんからなぁ〉

〈兎ほどじゃないけど結構かく乱に使えるね〉

〈影薄いけど虎だって兎の次に機動力あるからな〉

〈二連壁ジャン動画で観たなぁ〉

〈手元動画観たけどめっちゃ忙しそうだったw〉

〈キャラコン大変とかどの口が言ってんだw〉

〈黒兎が言えることじゃないだろw〉

 

 敵にも追われていない安全な状態で、しかも同じ方向からウォールジャンプしていても、かなり集中していないとできなかった。これが敵に追い詰められている時、逃げるために使うとなれば一発勝負になる。かなり難度が上がるだろう。

 

 一回使うだけでこれだ。これを二連続となると気が遠くなる。きっとトップクラスの虎プレイヤーはできるんだろうな。私もできるようになりたい。

 

「アビリティいっぱい使って鍛えるよ。ジン・ラースに二連壁ジャン見せてあげる」

 

『あははっ、楽しみにしてますね』

 

 敵を目の前にしている時は怖いくらいに無感情で、教えてくれている時は思わず姿勢を正してしまうくらいに真剣で、敵がいない時はとことんまでふざけ倒して、そしてたまに意地悪になる。

 

 なのに、笑うとどこか幼くて可愛げがあるのは、ちょっとずるい。

 





特にこれといってストーリーには関係ないんですが、黒兎が二位にいるせいでこのままだとDOC(貢献度)ソロランキング一位の人のハードルが爆上がりしてしまいそうなので、少しばかり説明をば。作中ではDOCの仕組みについて詳しく触れてませんからね。
DOCのランキングは獲得したポイント数で決まります。
ポイントを獲得するには一部の特殊な条件を除くと、ワークのクリア、強化兵士の撃破、倒されたプレイヤーのドッグタグを持ち帰る等で加算されます。
一位の人は長時間プレイすることで黒兎よりもポイントを稼いでいるのでランキング一位になってます。必ずしも純粋な戦闘能力で黒兎を上回っているということではありません。いやもちろん一位の人もめちゃくちゃ強いんですけどね。


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『悲しきモンスター』

 

「そういえば。兎って壁ジャンのアビリティないよね?」

 

『はい、ありませんよ』

 

「でもアパートで壁に走ってる時にジャンプしてたでしょ? あれってなに?」

 

『ああ、あれはウォールランですね』

 

「ウォールランのアビリティでジャンプできるの?」

 

『ウォールランの効果中は壁も地面扱いになるんですよ。なので普通に地面の上でジャンプするような感覚で壁を蹴ってジャンプできます』

 

「なにそれー……ずるい」

 

〈簡単そうにやってたけどウォールランもむずいからな〉

〈あれ使ったら方向感覚バグるよ〉

〈黒兎が使うと簡単そうに見えるから勘違いするわw〉

 

『そんなこと仰られましても。あれくらい動き回らないとすぐに殺されちゃうんですよ』

 

「んー……まぁ、兎なら仕方ないか」

 

『ありがとうございます』

 

〈生き抜く術やな〉

〈あんだけ使ってようやく生き残れるくらいなのやばいでしょ〉

〈兎過酷すぎ〉

〈SGが天敵だな〉

〈ありがとうございますは草〉

 

「じゃ、そろそろ潜入しよっか。兎はブロック塀なんて簡単に飛び越えられるから楽でいいね」

 

 兎ならブロック塀なんて気にしなくていい。キャラコンは必要だろうけど、そのままビルの二階の窓に侵入できるくらいのジャンプ力を兎は最初から持っている。

 

『跳躍力的には軽々越えられるんですけど、高く飛びすぎるとしっかり着地衝撃ダメージがありますからね。虎と違って音も発生しますし。なので控えめにジャンプして、美座さんと同じように乗り越えるのが一番です』

 

「あ、そっか。落下ダメがあるんだっけ。……この高さのブロック塀って、落ちたらまずいかなぁ?」

 

 今私のキャラが立っているブロック塀は地面から精一杯ジャンプしても手が届かないくらいの高さがある。三メートル以上はあるはずだ。

 

 これまで高いところから降りても落下ダメージは受けたことがなかったけれど、ここにくるまでにそこそこアイテムを漁っているのでバッグも重くなっている。重量が増えている分、着地衝撃が発生するかもしれない。

 

 着地衝撃があってもダメージを喰らうくらいならいいんだけど、運が悪いと脚部の骨が折れてしまう。骨折のデバフが発生してしまうのだ。デバフ多すぎる。

 

 骨折のデバフが発生していると、キャラクターが勝手に悲鳴のボイスを辺り一帯に撒き散らし始める。せっかくビル内の敵兵の注意を逸らせたのに、こんな静かなところで叫び始めたらアパートの時と同じようにまたもや注目を集めてしまうことになる。

 

 いっそのこと鎮痛剤飲んでおこうかな。

 

『虎なら大丈夫だと思いますよ』

 

「そ、そう? 結構高いよ?」

 

『兎が他の種族よりも音の聞こえる距離が広かったり細かな音の違いを聴き取れるのと同じように、虎にもそういうのがあるんです。虎は高いところから落ちても、他の種族よりも着地衝撃を受けにくいんですよ。着地衝撃の緩和という感じでしょうか』

 

「へぇ……だから私これまで落下ダメ受けなかったのかな」

 

『かもしれませんね』

 

〈猫やん〉

〈高いとこから落ちても平気って猫かよw〉

〈猫で草〉

〈草〉

〈猫やんけw〉

 

「うるさいなぁ」

 

『え、え……なんです? なにか気に障りましたか?』

 

「あ、や、ちが……リスナーが、なんか……〈高いところから落ちても平気とか猫やんけ〉ってうるさくて」

 

『ふふっ、たしかにそうですね。猫のイメージでそういう効果にしているのかもしれません』

 

〈はふねこ……〉

〈はふ猫草〉

 

「よーしっ。〈はふ猫〉ってコメントしたやつらは五分間さよならだ。五分後にまた会おうね。ばいばい」

 

『ああ……美座さん、なんだかごめんなさい』

 

 自分が『はふ猫』なんていう奇天烈なワードを生み出したせいで私が揶揄(からか)われていると思ったのか、ジン・ラースが謝ってきた。意外と気にするというか、心配性な一面もあるようだ。自分が言われるのは気にしないくせに。

 

「ジン・ラースはいいの。銃撃たれるっていう贖罪(しょくざい)をしたから。リスナーの贖罪はタイムアウト。だからこれでいいの」

 

『わあ……タイムアウトしたリスナーさんもごめんなさい』

 

〈草〉

〈無茶しやがって〉

〈あざみんならやる時はやるってわかってたろうに……〉

〈罪償ったらまた一緒にコメントしような……〉

〈草〉

〈チャレンジ失敗です〉

〈気にせんでいいぞ黒兎〉

〈自業自得で草〉

〈はふ猫チャレンジしたやつが悪いんだ〉

 

 一部のリスナーにタイムアウト措置を施して、ゲームに戻る。

 

 ジン・ラースの言う通り、ブロック塀から降りてもダメージは負わなかった。よかった、骨折らずに済んで。

 

 ビル側の敷地に降り立ち、ブロック塀を見上げればジン・ラースが立っていた。ちょうど降りるところだったようだ。

 

 ブロック塀から一歩踏み出し、すとんと体が落下する。

 

 そういえば兎はこの高さから降りても平気なのかな、軽いから大丈夫なのかな。一抹の不安が脳裏を過ぎった。

 

 ジン・ラースだし大丈夫なんだよね、などと無責任に考えながら見ていれば、ジン・ラースは着地と同時に前転していた。なんだそれ。そんなアクション見たことない。

 

「な、な、なにそれ……。兎にはそんなのあるの?」

 

〈前転?〉

〈?〉

〈兎のアビリティか?〉

〈なんこれ〉

 

 敵兵士の強化進度の話の時はリスナーにもとやかく突っ込まれたけど、今回の前転はリスナーも知らなかったらしい。

 

『え? どの種族でもできるキャラコンですよ』

 

「知らない知らない。そんなの見たことない」

 

『まあ虎であれば使う機会は少なそうですしね』

 

〈知らんかった〉

〈知らねぇ……〉

〈情報サイトには載ってんだよなコレ〉

〈キャラコン詳しすぎだろ兄悪魔w〉

〈やろうとして失敗して骨折したことならある〉

 

「リスナーの中にも知ってる人少ないよ。どんな意味があるの、それ」

 

『高所から落下した際の着地ダメージ軽減です。ダメージを受ける高さでも受けなくなったり、骨折するような高さでもダメージを受けるだけで済みます。兎だと高所から落下する頻度が他の種族よりも高いので必須テクニックですね』

 

「虎ならともかく、狼や熊にも便利なキャラコンじゃん……」

 

『熊はキャラの性質上荷物が重くなりがちでちょっとした高さでもリスクがありますからね。覚えておくと骨折のリスクを回避できます』

 

「そんなキャラコン前からあった? 私、情報サイトは頻繁にチェックしてるつもりだけど、そんなの見たことない気が……」

 

〈めっちゃ使えるやんけ!〉

〈こんなんどこに載ってんだ?〉

〈小技とかのとこ?〉

〈熊ワイぜんぜん知らなかった〉

〈キャラコン多いし専用のページがほしいな〉

 

『このキャラコン自体は少なくとも前シーズンにはありましたよ。それより前からできていたのかはわかりません。このゲーム、よくわからないところでよくわからない仕様が追加されていたりしますからね。数も多くなってきてますし、いっそのことキャラコンのページを新しく用意したほうがいいかもしれませんね』

 

「そうしてくれたらいいのにね。編集してる人観てくれてないかな。編集してる方ー、キャラコンのページ追加してくださーい」

 

『はーい。かしこまりましたー』

 

「あははっ、ジン・ラースが編集するの?」

 

〈急にコント始まるやんw〉

〈草〉

〈二人ともかわいくて草〉

〈ノリええなw〉

〈あざみんいつもよりテンションたっけぇw〉

 

『はい。僕もADZの情報サイトの編集と更新に携わってますよ』

 

「……え? ほんとに編集してるの?」

 

『はい。逆に情報サイトの兎のページを更新する人、僕以外にいなくないですか? 兎ユーザーなんてほとんどいないのに』

 

「…………たしかにっ」

 

〈ユーザー数の割に謎に充実してっからな情報サイト〉

〈コントかと思ったらすれ違いコントやったw〉

〈黒兎しか兎の情報更新できんのいねぇわな……〉

〈こうやってトップクラスのプレイヤーが更新してくれてたんか〉

〈とても助かってます〉

〈黒兎いつもありがとう〉

 

 兎をメインで使っているプレイヤーなんて滅多に見ない。出撃待機画面では同じマップに出撃するプレイヤーの名簿が出てきて、その名簿でどのプレイヤーがどの種族なのかマークで見えるようになっているけれど、兎のマークは五回出撃して一度見るかどうかといったくらい。しかも一番最初のマップ『避難地区』でその頻度だ。進めば進むほど、難しいマップになればなるほど兎プレイヤーは見かけなくなる。

 

 兎という種族は、そのくらい不遇で不憫で不便な、使用率の低いキャラクターだ。

 

 だというのに、情報サイトのページでは網羅されているのではと思うくらいに詳細な情報が記載されている。考えてみればおかしな話だった。

 

『兎のページの更新と編集をやっているのはほぼ僕だけだと思います。他のページについては同志に情報提供したり、ちょこちょこ手直ししたり、たまに編集と更新をするくらいですね』

 

「うわぁ、リスナーに編集してる人がいるならキャラコンのページ作ってもらえないかなって考えてたんだけど、まさか隣にいるなんて……」

 

『世の中というのは意外と狭いものですね』

 

「あんたがでかいのよ」

 

『くくっ、ふふっ……そんな返しっ、あるんですかっ、あははっ』

 

〈同志の献身に感謝〉

〈俺も手伝いたいけど手伝えるほど強くねぇのよね……〉

〈黒兎がでかいは草〉

〈ADZにおける黒兎の活躍はたしかにでけーなw〉

〈黒兎笑い声が色っぽいな……〉

〈他の種族全部足したのと同じくらい兎のページだけ充実してんの草なんだ〉

〈兎のページは英語版のサイトに情報輸出してるくらいだからな〉

〈草〉

〈やべぇリスナーもいます〉

 

 虎のアビリティのウォールジャンプもそうだし全種族共通のキャラコンもそうだけど、私は知らないことが多すぎる。エイムに頼って進めてきていたツケだ。

 

 マップを憶えて効率よく漁れるようにはなったし、敵兵士との対面勝負には負けないようにもなった。順調に強くなっていると思っていたけれど、私はまだまだ殻を破ったばかりの雛鳥みたいなものだった。

 

 これではジン・ラースの言うところの猫だ。

 

 虎になるためにはキャラコンも勉強していかないといけない。

 

「……キャラコン、教えてほしいな……」

 

 もちろん情報サイトのどこかにはキャラコンについても書かれているだろうけど、やはり文章よりも知っている人に直接見てもらって、その都度教えてもらうほうが理解も習得も早い。ジン・ラースに教えてもらえればきっとすぐできるようになると思う。

 

 でもそれだとジン・ラースにはなんのメリットもないし、無理に付き合わせるのも悪いよね、というぐだぐだとした面倒くさい後ろめたさがあった。そのせいで囁くような声の小ささになってしまった。

 

『それでは次の出撃はキャラコンと、ついでに漁りのルート取りや漁るポイントについてやってみましょうか』

 

 マイクが拾うか怪しいほど小さな声だったのに、ジン・ラースはちゃんと聞いてくれていた。

 

 聞き逃さないように私の声に耳を傾けてくれているのかなとか考えると、妙に胸がざわざわする。

 

「……いいの? ジン・ラース、時間大丈夫? さっきSNS見た時、今日何時から配信、みたいな投稿あったけど……」

 

『お気遣いありがとうございます。まだ余裕ありますから大丈夫ですよ』

 

「そう? それ、なら……うん。一緒にやろ」

 

『ふふっ。はい、やりましょう』

 

〈かっわ〉

〈なんやこのかわいい生き物〉

〈てぇてぇ〉

〈今日のあざみんかわいさ天元突破しとる〉

〈黒兎ありがとう〉

〈てぇてぇ〉

〈かわええw〉

〈てぇてぇなぁ〉

 

「……えっと、これからなにするんだっけ。そうだ、ワークだ」

 

『ちょっと美座さん? なぜ忘れているんですか? あなたのワークをこなすための出撃ですよ?』

 

「うっ、ううるさいっ、わかってるっ」

 

 ブロック塀を越えてから話が転々として、自分がなにをしていたのか一瞬飛んでしまった。

 

 なにもかもジン・ラースが悪い。たくさん話しかけてくるせいで頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。ジン・ラースは一度口を開くたびに出てくる情報量が多いのだ。そのせいで頭も心も掻き乱される。

 

『裏口の立哨(りっしょう)……いませんね。正面玄関の兵士が離れたので、その穴を埋めるために裏口の立哨が正面玄関に移動したようです。……なるほど、こんな形で展開を……』

 

 ビルの横側の壁に張りついているにもかかわらず、ジン・ラースは裏口の敵兵の動向を把握していた。おそらくアビリティを使ったのだろう。

 

「どうする? ふつうならビル横の窓から入ったほうがいいんだろうけど、裏口通れるんならそっちからのほうがワークのポイント近いんだよね?」

 

『そう、ですね。裏口を通れたほうが検証するにも都合がいいです。裏口から行きましょう』

 

「ん、おけ」

 

 少し考え込んでいた様子だったけど、すぐさま行動方針を打ち出す。ジン・ラースのこういうはっきりとしてわかりやすい指示は聞いていて安心感がある。

 

 ジン・ラースが前を進み、私は時折後方を確認しながらその背中についていく。

 

『いませんね。センサーなども仕掛けられてませんし、空き家も同然です。……攻略法はこれだったか』

 

「えっと、たしか……裏口から入った時は、最初を左に曲がって、部屋が……あれ、部屋どれだったっけ……」

 

『あ、美座さん。ワークのポイントならこちらですよ。奥から二つ目の部屋です。大きなPCとモニターが置かれたデスクがあるので、そこに近づいてください』

 

「うん、ありがと」

 

〈すっげw〉

〈ビル攻略だ〉

〈もぬけの殻や!〉

〈部屋多いんよな〉

〈漁るところもたくさんだ〉

〈ワークも完璧におぼえてんのかw〉

 

 ジン・ラースは周囲への警戒のためか廊下に残り、私は部屋に入ってデスクを探す。目的のものはすぐに見つけられた。一般的なそれよりも一回りくらい大きなデスクトップ型のPCがあった。

 

 近づくと、ワークが進んだことを報せるサウンドが鳴った。

 

『音鳴りましたか?』

 

「うん、鳴ったよ。これでいいの? ……なんかタイマー? みたいなのが出てきてるけど……逃げたほうがいい?」

 

『六十秒のカウントダウンですよね。それで大丈夫です。爆発とかはしないので安心してください。六十秒経ってからもう一度デスクに近づくとまた音が鳴りますので、二回目が鳴ったら後は帰るだけです』

 

「六十秒……長いなぁ」

 

『一旦その部屋を出て隣の部屋漁ってるといいですよ。今は安全なので』

 

「……余裕あるなぁ」

 

〈おーあった〉

〈爆弾とかじゃないよw〉

〈起爆スイッチちゃうねん〉

〈ふつうならいつ襲われるかドキドキなんだけどね〉

〈こんなに気楽に待てることないぞw〉

〈強者の貫禄だw〉

 

『美座さんの攻略法のおかげで人払いできてますからね。余裕を持って動き回れます』

 

「だから、べつに私はなにもやってないってば。あ、二回目鳴った」

 

『後は帰るだけですね。すぐに離脱……と、本来ならなるんですけども、今はビルの一階はフリーなんで漁りましょう。正面玄関近くの部屋さえ避ければ一階は漁り放題です』

 

「えっ、漁るの? ここを?」

 

『どうやら敵兵のアルゴリズム的に、プレイヤーを始末するまで警戒時の配置が変わらないみたいです。こんなにおいしいシチュエーションはありません。漁りましょう』

 

「う、うん……大丈夫なのかなぁ」

 

『ここの休憩室みたいなところには良い銃が湧くこと多いんですよ。サブマシンガンやアサルトライフル、前はマークスマンライフルが出てきましたよ』

 

「どこどこ。それ、どこ?」

 

『人間、素直が一番です。一度裏口のところまで戻ってきてください』

 

〈欲望抑えきれんw〉

〈欲に忠実で草〉

〈マークスマン出たらうまいぞぉ〉

〈さっきARなくしたしなw〉

〈ここでARゲットできたらうれしいが〉

〈休憩室のテーブルに湧く銃はランダムだからなぁ〉

 

 裏口の扉まで戻るとジン・ラースが立っていた。そこからジン・ラースの案内で右の通路を進む。

 

 その通路の右側の壁にも扉がいくつか並んでいるけれど、休憩室とやらは左側の壁の扉にあるらしい。ジン・ラースはその扉の前で待ってくれていた。

 

「ここなんだ。……入らないの?」

 

『……呼吸音が聞こえます。中に敵兵がいるみたいですね』

 

「えっ……ど、どうするの? ここでばれたら大変なことになるよ……」

 

『そうですね……周りの敵を倒さずに侵入してますから、居場所が露見してしまうと包囲されてたこ殴りですね……』

 

「……てか、ハイアクシス使ってたんじゃないの? なんでまだ中にいるってわからなかったの?」

 

『……「(ハイパー)聴覚(アキューシス)」です。あのアビリティは音を拾いやすくするだけで、敵の居場所がわかるものじゃないんです。動いていたり、銃の操作音がしていれば気づけますけど……建物の中の、さらに部屋の一つで、寝息みたいに小さな音がするだけだと……外からでは、察知できません……』

 

「……ねぇ。……なんでさっきからこしょこしょ話みたいに声小さくしてるの?」

 

『……寝起きドッキリ、というやつですよね、これ。僕、初めてです。わくわくします』

 

〈なんで声潜めてんだw〉

〈こしょこしょ話草〉

〈こしょこしょかわいい〉

〈背筋ぞくってきたわ〉

〈いい声すぎんだろ〉

〈寝起きドッキリ草〉

〈なんで楽しそうなんw〉

 

「ドッキリじゃないし、わくわくされても困るし、敵に起きられたらもっと困るんだけど。とりあえず囁き声やめて。耳がこそばい」

 

『……おはようございまあす……』

 

「んっ、ふぁっ……んぅ、やめっ、やめてってば……。なんかぞわぞわ? もぞもぞ? する……やめて」

 

『この度は大変申し訳ございませんでした』

 

〈えっ〉

〈無知シチュみある〉

〈えっっっっ〉

〈センシティブな声出とる〉

〈めっちゃえっ……な声〉

〈っっっっ!〉

〈やっぱやべぇリスナー混ざってんな……〉

〈っっろ!〉

 

「敵いるんなら、ここ漁れないの? アサルトライフル前回取られたから補充しときたい」

 

『アサルトライフルが出てくるかはわかりませんが、漁ることはできますよ。それでは美座さん、まずはしゃがんでください』

 

「うん? うん」

 

 私にそう促しながらジン・ラースがしゃがんだ。

 

 意図を掴めないまま、私もしゃがむ。

 

『キーバインドを変えていなければこれでできるんだけど……コントロールキーを押しながら、マウスホイールを下にころころっと転がしてください』

 

「Ctrl、ころころ」

 

『画面の左上に体のマーク出てますよね。撃たれた時にどこを負傷したのか確認したりする、全身のシルエットです』

 

 画面の左上には、ふだんならキャラクターの全身が立った状態で小さく表示されている。今はしゃがんでいるので、地面に膝をつけるような体勢で表示されていた。

 

 撃たれて出血なり骨折なり負傷すると、元は灰色のシルエットの負傷した部分が赤く色付けされるのだ。私はキャンプ施設近くで負傷したけど、治療が間に合ったので色は戻っている。ちなみに治療が間に合わなかったり不完全だったりすると壊死というデバフが発生する。デバフ多すぎ。

 

「うん。今しゃがんでるやつだよね」

 

『そうですそうです。マウスホイールを下にころころっとすると、そのシルエットの横に表示されてるバーのゲージが下がりますよね?』

 

「ん、下がった」

 

『そのバーはしゃがんでる時の移動速度なんです。それを下げ切った時はしゃがみ歩きがとってもゆっくりになって音が最小限になります』

 

「わっ、ほんとだ。すごっ。……でも」

 

『「虎だったら足音最初からほとんどしないんだけど」……と、思いますよね?』

 

「……私の言うこと先回りしないで。てか、なにその声真似。似てないし」

 

 まさしくその通りのことをジン・ラースに言おうと思っていたら先に言われた。しかも、私の声真似のつもりなのか女声で喋っていた。無駄に芸達者だ。ここで披露する必要はまったくないだろうに。

 

〈?〉

〈先回り?〉

〈前より声真似のバリエーション増えてて草〉

〈さっきの黒兎か?〉

〈どういうこと?〉

〈悪魔は性別を超越するんだ〉

〈あざみんじゃなかったのか?〉

〈声真似?〉

〈あざみんが喋ったんじゃないの?〉

〈似すぎやろ〉

〈女声だすのうますぎて草〉

 

『リスナーさんはどっちが喋っていたかわからなかった方もいらっしゃるみたいです。似てるんですよ』

 

「似てないっ……似てないっ。かわいげのないぶっきらぼうな女の声じゃん。似てないよ。女声出せるのはすごいけど」

 

〈あざみんおかしくなったんかとおもたw〉

〈めっちゃ似てるよw〉

〈自己紹介かな〉

〈黒兎一人でコラボできるやん〉

〈野良でその声やったら男釣れるぞw〉

 

『ほら、リスナーさんからも好評で……〈一人でコラボできるやん〉……そんな配信やった日には悲しきモンスターが生まれるんですけど。一度コラボの概念覆しますか』

 

〈草〉

〈草〉

〈一人コラボw〉

〈草〉

〈ソロコラボは草〉

 

「いいから、もういいからっ。雑談は安全なところでやってっ」

 

『すみません。僕、お喋りが好きなもので』

 

「だろうね。それで人と話すの嫌いとか言われても嘘にしか聞こえないよ。とっても配信者に向いてるよ、ジン・ラース」

 

『おはようございます』

 

「うん。おはよう。だからさぁ……わけわかんないこと言わないで。はやく教えて」

 

〈おwはっw〉

〈おはようございますw〉

〈草〉

〈黒兎w〉

〈わけわからんw〉

〈あざみんもおはよう返すんかいw〉

 

『ごめんなさい。ありがとうございます。一番遅くしてると足音もそうなんですけど、装備の揺れる音も最小限になるんです。一番遅くした状態であればなんと、かの強化兵士相手に真後ろを歩いても気づかれません』

 

「……あ、そっか。虎のフットパッドの効果は足音だけだもんね」

 

『いろいろと周りで音が鳴っている屋外でなら足音を隠せるだけで十分に強みですけどね』

 

〈屋内戦闘は銃の音がよく聞こえる〉

〈屋内はこえぇよ〉

〈とくにホラゲーや〉

〈ばったり出くわしたらやられるところもホラゲだな〉

 

「……たったこれだけの内容を話すのに、なんでこんなに時間かかるかな」

 

『しっ、美座さん。ターゲットが起きちゃいますよ。静かに』

 

「敵に声は聞こえないよ。そのためにコミュニケーションアプリで通話繋いでるんだから」

 

『……よく眠ってらっしゃいますねえ……』

 

「……さっきも言ったけど寝起きドッキリみたいなテンションやめて」

 

〈たしかにw〉

〈おしゃべりのほうが長くて草〉

〈楽しそうやな黒兎w〉

〈こんな楽しそうなADZしらねぇよ俺〉

〈これは希望の街〉

〈ドッキリw〉

〈ADZの宣伝大使でもやってんのかw〉

 

 ゆっくりと扉を開き、扉よりも緩慢な動作でジン・ラースが部屋に入る。その背中にくっつくようにして私も入る。直線で視界が通る通路にはあまり長時間いるのは怖いんだよね。こことは違うマップだけど、それで数回敗北したことがある。

 

 しゃがみながら部屋を見回す。

 

 まず敵の位置。簡素な二段ベッドの下段で敵兵が横になっていた。枕元にしっかりとハンドガンを用意している。なんとも用心深い。生きている状態の敵兵にここまで接近する経験なんてないので、とてもドキドキする。

 

 あとは安っぽいテーブルと、一人暮らし用みたいなサイズの冷蔵庫。本当に簡易的な休憩室という感じだ。戦場の真ん中でこんな設備では、私なら休める気がしない。

 

『今回ははずれですね。軽装兵です』

 

「軽装?」

 

『はい。キャラクターで言うと兎と虎の間くらいの装備を使う兵種ですね。サブマシンガンやソードオフ・ショットガンをメインにしていることが多いです。今回はサブマシンガンでしたね。ソードオフ・ショットガンよりはましでしょう』

 

 テーブルの上に置かれた銃を一瞥したジン・ラースが吐き捨てる。『まし』とか言われるなんて、奪われるほうからすれば我慢ならない発言だろう。

 

 まぁ、そんなの知ったこっちゃないけど。私だって前回の出撃でお気に入りのフルカスタムアサルトライフル奪われてるし。

 

「サブマシンガン……。ジン・ラース持ってく?」

 

『僕はサブマシンガンは使わないので、よければ美座さんどうぞ。あとはこのお休み中の兵士が何か良い物を持っていないか期待しましょう』

 

「それじゃ、ありがたくもらっ……ちょっと待って。この敵兵、どうやって倒すの? 銃、撃てないよ」

 

 サブマシンガンはこれはこれで使う機会が多いのでもらえると助かる、などとほくほく顔だったけど、思い出した。敵兵を倒す方法がないんだった。

 

 いや、あるにはあるというか、こんな隙だらけの敵兵なんて銃を使えば確実に倒せるんだけど、銃声を聞きつけた周囲の敵兵が殺到して大変なことになってしまう。あとのことを考えると銃を使えない。

 

『ふっふ……美座さん、お任せください』

 

 どうしよう、もういっそのことテーブルの上のサブマシンガンとか静かに漁れるところだけ漁って、敵兵は放置で退散しようかな。なんて思っていたら、ジン・ラースが自信ありげな雰囲気で前に出てきた。

 

 さすがジン・ラース、用意周到だ。

 

「なに? サイレンサー持ってきてたの? やるじゃん」

 

 すっ、とジン・ラースが取り出したのは、反射光を嫌ったのか艶消しされた黒い棒状の物体。

 

『どうですか、これ。お洒落でしょう?』

 

 ナイフだった。

 

「ばかやろうが」

 

 さすがに私の口も悪くなった。

 



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私の視界は黒く染まって

 

 コンバットナイフ。ポーチと同じく、プレイヤーが死んでも失われることがない近接武器。ロストはしないけど、仮にロストしたとしても大多数のプレイヤーは困ることはないだろう。

 

 だって、使う機会がないんだもの。

 

 ハンドガンやサブマシンガンでさえ射程が短いとされるADZにおいて、近接攻撃を試みるタイミングなんて存在しない。私は一度使って以降、あまりにも使わなさすぎてもはや近接攻撃をどのキーに割り振ったか忘れてしまった。

 

 キーバインドを忘れるくらい使われることのない近接攻撃だけれど、もう一つ致命的な難点がある。

 

 ダメージが低いのだ。ふざけるなと言いたい。

 

 一撃で倒せるのならまだ一か八かの突貫に賭けられるけど、装備の薄い場所や頭に命中させて二発で死ぬかどうか、アーマーの上からなら三発四発必要になる。しかもダメージはSTRと移動速度に依存するのだとか。走れない現状、STRの低い兎では弱点に当てても確実に二発は必要になる。

 

 障害物が多いエリアで乱戦になったのならともかく、ここで使うなんて話にならない。

 

〈ラバックやんけw〉

〈センスいいね!〉

〈RA-BAKいいよな!〉

〈シンプルなのが結局かっけーのよ〉

 

『そうですよね。コンバットナイフらしいシンプルなデザインと、過酷な環境にも耐えるタフな設計。とてもいいです』

 

「なんでリスナーも乗り気なの……ばかやろうたちしかいない……」

 

『それだけナイフには魅力があるのです』

 

〈一応ワークでも依頼されるし……〉

〈使えんくても格好いいよ〉

〈俺は倉庫に貯めてる〉

〈ADZはデザインがいいから……〉

〈ナイフに持ち替えるとバフがあるんや!〉

〈わざわざバッグに空き作って持って帰ってるぞ〉

〈男のロマンやね〉

 

「なによ、バフって。テンション上がってるだけでしょ……」

 

『バフとまでは言えませんけど、一応ありますよ』

 

「え……ほんとにあるの?」

 

『ナイフに持ち替えているとわずかですが走る速度が上がります。スタミナの消費もちょっとだけ抑えられますし』

 

〈ほ、ほら!〉

〈知らんかったw〉

〈そそそれを言いたかったんだ〉

〈せやろ(震え〉

 

「絶対知らなかったでしょ、リスナー」

 

『ただ、メインの武器に切り替える時に隙ができるので、その点に留意する必要はあります。移動する時限定の小技ですね』

 

「なんでそんなことまで知ってるの?」

 

『いろいろ試したくなる性分なので』

 

〈マジで有用なテクニックだな……〉

〈本当にバフじゃん〉

〈逃げ帰る時には便利〉

〈倉庫に眠ってるお気に入りこれから持って行くことにするわ〉

 

 ナイフへの持ち替えに利点があるのは初耳だったし、私もこれからはお守り代わりに軽いナイフの一本でも装備していこうと考えを改めたけど、今はそんな話をしてる場合じゃない。

 

「いや、そうじゃなくて、ナイフでどうするのって話なんだけど。音はしないかもしれないけど、殺し切る前に絶対ハンドガン撃たれるよ」

 

 強化兵士の反応速度を甘くみているようではこの街で生きていけない。たとえ寝ていようと、ナイフで攻撃されれば奴らは瞬時に飛び起きてハンドガンを手に取り、引き金を引くことができるだろう。最悪の場合ハンドガンだけで私か、兵士の近くにいるジン・ラースのどちらかが死ぬ可能性もある。

 

 仮に殺されるよりも先に兵士を殺すことができても、ハンドガンを撃たれた時点で私たちの負けみたいなものだ。発砲音で周囲に散開している敵兵に気づかれて包囲されることになる。

 

 結論。ナイフは役に立たない。

 

『言ったではありませんか。お任せください、と』

 

 そう言いながら、ジン・ラースは静かにナイフを構えて敵兵に(にじ)り寄る。

 

 限界まで接近したジン・ラースは音もなく立ち上がり、敵兵を見下ろした。

 

「えっ?」

 

 片手でナイフを持っていたジン・ラースが急に両手で握りしめた。かと思った時にはすでに白刃が敵兵の胸部に収められていた。

 

 ナイフを振ったり刺したりといった通常のそれとは違う、特別なモーション。

 

『「巨獣(ジャイアント)殺し(キリング)」という、ナイフ装備時限定のアビリティです。相手に気づかれていない場合、ナイフで音もなく一撃で命を奪えます』

 

〈うおおお!〉

〈強くて草〉

〈ナイフ活躍した!〉

〈ナイフの時代到来〉

〈いやどうやって使うんだよw〉

 

「すっご、一撃。強いじゃん」

 

『本当にそう思います?』

 

「ナイフで一撃はすごいでしょ」

 

『そもそもナイフの距離まで近づく時点で戦術としては破綻してますけどね』

 

「……それはそう」

 

〈たしかにw〉

〈草〉

〈近づけんのよw〉

〈距離詰める前に五回はやられるw〉

〈それはそうw〉

〈ナイフの時代終了〉

 

『まあ、使い勝手の悪いナイフだからこそ、アビリティの中では異色の攻撃的な効果を持たされてるんでしょうけどね。このアビリティはあまりにギャンブル性が高いので使う頻度は高くないです。屋内で複数人に囲まれた時にスモークを焚いて一縷の望みに賭けるか、奇襲で別行動している兵士を一枚落とす時に使うか、そのくらいですね』

 

「ちゃんとアビリティを活用するシーンを模索してるのえらいよ」

 

 私なら、ナイフの距離に近づくなんて自殺行為じゃん、でアビリティの存在を記憶から抹消する。

 

『一応そこから繋げられるようなアビリティもあるにはあるんですけどね。そんな切迫した場面にならないように立ち回るほうが重要だなって』

 

「確実に死と隣り合わせではあるもんね」

 

『隣り合わせどころか向かい合わせくらい近いです。圧を感じます』

 

「くふっ……ふふっ、意味わかんないっ……ふふっ」

 

〈黒兎考えて喋ってないやろw〉

〈草〉

〈向かい合わせ草〉

〈意味わからんw〉

〈あざみんにっこにこやんw〉

〈笑顔かわよ〉

 

『さあ、兵士の持ち物漁りましょう。碌なものはないと思いますが……あ、軽いリグだ。美座さん、リグだけいただいていいですか?』

 

「え? う、うん……もちろん」

 

 マガジンやグレネードなどのアイテムを収納しておく装備、リグを欲しがるジン・ラースに、思わず私は口ごもった。

 

『あれ? リグ必要でしたか? でしたら僕はそこまで逼迫してないのでこちらどうぞ』

 

「いや、ちがくて……。ジン・ラースが倒したんだから、私に訊かないで必要なのは好きに持っていったらいいのにって思って……」

 

 ここまでの道のりで撃ち倒してきた敵兵も、なぜか先に私にアイテムを漁らせて、その間敵が接近していないか警戒してくれていて、ジン・ラースはその後に漁るのだ。敵兵が持っているアイテムでも、道中で漁れるポイントでも、ヒドゥンプロパティ(へそくり)があっても、ワークで必要になるアイテムがあったら譲ってくれる。

 

 頼りになるし心強いけれど、ここまでしてもらうのは申し訳なくなる。

 

『ああ、なるほど。このあたりで拾える必要なアイテムならもうだいたい倉庫に入っているので、基本大丈夫なんです。資金にも余裕がありますしね。なにより兎は持てる量が少ないんです。せっかく発見したのに置いてくことになるのなら、なるべくたくさん美座さんに持って帰ってもらおうと思いまして』

 

「そう? 無理、してない?」

 

『とんでもない。ほしいものがあればその時は言いますよ。ADZは助け合いですからね。助けが必要な時には僕も助けてもらいます』

 

「そっか。うん、任せてよ。絶対助けるから」

 

 助けると言っても、ジン・ラースですら窮地に陥るような危機的状況下で私が生き残っているとは思えないけど、ADZはなにも常に戦闘で困るわけではない。必要な物資をこの量持ってこい、みたいなお使い系ワークなら兎よりも荷物を持てる虎が役に立てるだろうし、レアドロップ系の納品ならジン・ラースは持ってないけど私は偶然拾ってた、なんてこともあるかもしれない。そういう時に恩を返そう。

 

 そしていつか、ジン・ラースを手伝えるくらいに強くなるのだ。うん、いい目標ができた。

 

〈前俺も黒兎に兵士の死体譲ってもらったわw〉

〈へそくり探してたらフォロミーって言いながら誘導してもらったことある〉

〈この悪魔奉仕の精神が強い〉

〈ADZは助け合い……いい言葉だ〉

〈末永く仲良くしてくれ〉

〈あざみんレベルを姫扱いってやべぇな……〉

〈負け続いて心が荒んでたけど癒された〉

〈てぇてぇなぁ……〉

〈兵士に囲まれた時助けてもらったことあるw〉

〈あざみんどうした今日かわいいぞ〉

〈黒兎ありがとう〉

 

 リスナーの反応を見る限り、ジン・ラースは私にしているようなことを他のプレイヤーにもいつもしているようだ。なぜかちょっとむっとするけれど、言動が矛盾しない人は好きだ。

 

 ジン・ラースはずっと、この過酷な街で助け合いを標榜して、実行してきたのだろう。生き抜くのが難しいこのADZで高潔さを失わないのは素直にかっこいいと思う。

 

〈うさねこてぇてぇ〉

〈あざみんかわいいぞあざみん〉

〈うさねこは草〉

〈うさねこてぇてぇ〉

 

 コメント欄に突如として出現した『うさねこ』という謎の単語には若干引っかかったけれど、まぁ、悪い気はしないので気づかなかったことにしておこう。なんだか音の響きもかわいいし。『うみねこ』みたいで。

 

 *

 

『あの部屋の鍵はどこで拾えるんでしょうね。ビルに安全に侵入できる方法が確立された今なら漁りルートとして採用できそうなんですけど』

 

「鍵がかかってた部屋は武器とか医療品の保管庫なんじゃないかって私は予想してる」

 

 ワークを終えた私たちはビルを離れ、近場の脱出ポイントを目指していた。バッグに空きがあれば他のポイントを周ってもよかったけど、敵兵も(ジン・ラースが)たくさん倒したし、そこから得られた装備とアイテムでバッグはもうはち切れんばかりだ。これ以上は持って帰れないので帰還を優先することにした。ワークもこなしたことだしね。

 

 今話題になっているのはビル内にあった鍵のかかった部屋についてだ。私たちが入った休憩室の、ちょうど反対側にあたる。

 

『あははっ、それって予想ですか? 期待ではなくて? 美座さんの願望が混ざってません?』

 

「だったら最高だなぁ、とは思ってるけど……あながちありえなくもないんじゃないかなって」

 

『たしかにそうですね。あれだけ強化兵士が周囲にいるわけですから、拠点のようになっているのかもしれません。武器庫や医療室、整備室などの可能性はありますね』

 

「銃の部品とか落ちてたらおいしいよね」

 

『アタッチメントも購入しようとすると結構しますからね。あの鍵のかかった部屋で拾えるなら夢が広がりますね。自分で使えるものはそのまま使って、必要ないものは売却すればいいですし、漁りのルートとしてはとても魅力的です』

 

「でも鍵がいるんだよね。鍵、鍵かぁ……敵兵が持ってることってあるんだっけ?」

 

『ううん……ある、のかもしれませんけど、少なくとも僕は持っている兵士を見たことも、兵士が持ってたという話を聞いたこともないですね』

 

 おそらく私の五倍以上の人数の強化兵士たちを屠ってきたジン・ラースでさえ見たことがないのなら、やっぱり持っていないのだろう。

 

「リスナーの中に見たっていう人、いる?」

 

 せっかくだ、集合的知性にも協力を仰ごう。私の配信にはADZばっかりやってる変わり者のリスナーが集まっていることだし。

 

〈ないなぁ〉

〈フレからもそんな話聞いたことねぇや〉

〈見たことない〉

〈ネームドが確率で持ってたりすんのかな〉

〈だいたい固定の湧き場があるのが相場だけど〉

〈ワークビルの鍵は見たことない〉

〈だいたい拾う鍵ってボロマンションだわ〉

 

『ふむ、やはりリスナーさんも見覚えはないのですね。ビルの周辺のポイントはこれまでにおおよその情報は集まっています。ということは、もしかしたらビル内に鍵が湧くポイントがあるのかもしれませんね。リスナーさん、ご協力ありがとうございます』

 

〈ビル湧きだったら厄介だなぁ……〉

〈上の階を探し回るのはきっついぞ〉

〈ビル内全員倒さないといけなくなる〉

〈ええんやで〉

〈この攻略法は敵の配置を移動させてるだけだからな〉

〈なんでも言ってくれ〉

〈一般獣も役に立つやん〉

〈人海戦術ならできるなw〉

〈一般獣くさ〉

〈一般人みたいなw〉

 

 リスナーたちはとても好意的に情報提供している。それはジン・ラースの穏やかな物腰ゆえか、ジン・ラースがトッププレイヤーだからなのか、それとも情報サイトの編集や更新をしているジン・ラースへの恩返しのつもりなのかはわからないけど、なんにせよ好ましい循環だ。

 

 とかく情報量の膨大なADZ、いくらジン・ラースといえども一人ですべてを解き明かすことはできない。多くのプレイヤーが協力しないと情報は充実しないし、役に立つ情報も更新されなくなってしまう。自分が協力することで、結果として自分の身を助けることに繋がる。これぞジン・ラースの掲げる助け合いの精神だ。

 

「やるじゃん、一般獣たち。ありがとね。エリート一般獣の私からもお礼を言うよ」

 

〈リスナーの名前みたいになっとるw〉

〈定着しそうで草〉

〈はふ猫もがんばるんだよ〉

〈エリートとはいえあざみんでも一般獣の枠なのか……〉

〈エリートの上は黒兎だからなぁw〉

 

『くくっ、ふふっ……。一般獣、ADZの同志らしいネーミングですね』

 

「センスあるリスナーもいるね。まぁそれはそれとして、はふ猫とかコメントしたやつタイムアウトね。五分間ばいばい」

 

〈無茶しやがって……〉

〈チャレンジ失敗です〉

〈必要な犠牲だった〉

〈草〉

〈ばいばい〉

〈また五分後な〉

 

 あえてNGワードとして登録はしてないけど、べつに許しているわけじゃない。五分間の懲役でしっかりと罪を償ってもらおう。

 

『ああ……またも犠牲者が』

 

「仕方ないよ。罪を犯したのなら罰を受けなきゃね。そういえばさ、ビルの中央のところって、正面玄関の近くの部屋から入れるの?」

 

『休憩室や鍵部屋の隣、ビル中央の不自然に空いてる空間のことですよね?』

 

「そうそれ」

 

 私たちが入った休憩室はそこまで広くなかったし、ジン・ラースと見に行った鍵のかかった部屋の扉は休憩室と同じような作りだったので内部の構造も休憩室と似たり寄ったりなのだろう。

 

 ビルの中央にはまだ空間的に余裕があるはずだ。そのぽっかりと穴が空いたような空間にはなにがあるのだろうかと好奇心が疼いていた。

 

 私の(つたな)い説明ですぐに思いあたったということは、ジン・ラースも気がかりではあったようだ。

 

『正面玄関に面している部屋……検査室と呼んでるんですけど、あの部屋にも中央の空間を埋めるほどの奥行きはないんです』

 

「あ、調べたことあったんだ。兵士の目を掻い潜るの大変だったんじゃない?」

 

 ビル周辺は敵の目も多い。いろんな要素をちょっとずつ含んでいるADZに、ステルスゲーム的なフレーバーが足されそうな予感だ。

 

『はい。大変そうだったのでビル周辺の兵士を全員排除して調査しました。今ほど敵の数もいなかったので』

 

「うわぁ…………」

 

 ジン・ラースはそこらの一般獣とは次元が違うのを失念していた。

 

〈こっわ〉

〈急に悪魔やん〉

〈ビルの周りっていつからか敵の数増えたよなぁ〉

〈返り血浴びまくって体赤くなってんちゃうかw〉

〈赤兎〉

〈赤兎は草〉

〈赤兎はもはや馬〉

 

『検査室は休憩室の広さを二倍にしたくらいの面積しかありませんし、奥に通じるような扉もありませんでした』

 

「と、いうことは?」

 

『鍵部屋にビルの中央に繋がる扉が隠されているのであれば、鍵を手に入れれば謎が解けます』

 

「鍵部屋……繋がってるのかなぁ」

 

『ええ、僕も繋がっているとは思えません。鍵部屋と中央の空間は別でしょうね。なんならビルの二階にも中央に繋がる扉はないんです。……でもですね』

 

 急に声のトーンを下げた。肌が粟立つ。背筋がぞくっとした。

 

「な、なに? 急に低い声で喋らないで……こわい」

 

『……おかしなことに、三階の中央部には普通に部屋としてのスペースがあったんですよ。不審に思い、三階の中央付近の部屋を隅々まで調べましたけど、下の階層に続く隠し階段のようなものはありませんでした』

 

「それじゃあ、二階に隠し扉があるかもしれない……の、かなぁ……。でも二階もしっかり調べたんだよね?」

 

『その時はまだ精査していなかったんです。二階を探索してた時は五重塔の心柱(しんばしら)のような構造になっているのかなと思っていたので』

 

「……心柱って?」

 

『五重塔などの仏塔に見られる、建物の中央を貫く柱のことです。それのようにビルの中央の謎の空間は最上階まで続いているものだと思っていたのですが、三階までは続いていなかった。二階までしかなかったんです。その時点でこれは怪しいなと感じました』

 

「なのに二階は調べなかったの? ジン・ラースが?」

 

 そんな見るからに怪しい構造、疑わしい要素を目の前にして、ジン・ラースがそのまま放っておくのだろうか。渾々(こんこん)と湧き出る懐疑心の水源を追及しないまま捨て置くのだろうか。

 

 そうはならないはずだ。

 

 最後まで謎を解明しようと躍起になる。私の中のジン・ラースなら、間違いなく隠されたなにかを暴こうとする。ジン・ラースは知的好奇心が旺盛なタイプだ。(そび)え立つ山脈のような疑問が眼前に横たわっていれば、ジン・ラースは嬉々としてそれを切り拓いていくだろう。

 

 好奇心は猫を殺す、なんて言うけれど、ジン・ラースは猫でも人でもなく怪物だ。好奇心で謎を殴り殺すタイプだ。宝を目の前にしたも同然のジン・ラースが簡単に退くとは、私にはどうしても思えない。

 

 まるでジン・ラースを煽るような訊ね方になってしまったけど、気にした様子もなくジン・ラースは答えてくれる。

 

『調べたかったんですけどね……調べられなかったんです。急に敵の増援がやってきてしまって』

 

「そんなタイミングで増援? なんて怪しいタイミング……迎撃はできなかったの?」

 

『二パーティ来てたんですよ』

 

 貴弾の報告みたいな言い方するな。

 

 えっと、貴弾は三人で一つのパーティだから。

 

「二パ……えっ、六人?」

 

『はい……。それでさすがに……』

 

「あぁ……さすがのジン・ラースでもやられちゃったんだ」

 

『さすがに弾が足りなくなったので撤退しました。出撃時にはまさか弾薬が不足するなんて考えもせず……お恥ずかしい限りです』

 

「胸を張っていいよ。いや、誇って」

 

 相手が三人であっても、相当にうまく立ち回った上にエイムの調子がいい、かつ運がよくないと生き残れない。六人に攻められたのなら、ふつうなら戦闘という形にすらならない。ただの虐殺だ。あるいはプレイヤーが鹿狩(ししが)りの狩られる側にされる。逃げるしか打つ手がなくなる。六人に追われれば逃げ切ることすら至難だ。交戦なんて考えるべきではない。

 

 なのになんでジン・ラースは六人を相手に一人で返そうとしてるんだ。しかも撤退の理由が弾切れって。怪物にもほどがある。

 

〈草も生えん〉

〈獣人兵側のネームドやろこいつ〉

〈まぁ黒兎だしな〉

〈ネームドだったわw〉

 

『まさか弾数より敵の頭数のほうが多いとは』

 

「やっぱり反省して」

 

〈草〉

〈くだらねぇw〉

〈うまいこと言ってんじゃねぇよw〉

 

 そこらの一般強化兵ですら強いのに、もう一段階ステージの違う強さを持っている化け物の上澄みみたいな強化兵が、どのマップにも一人から二人存在している。その化け物界の精鋭たちには名前が与えられていて、そいつら公式チートたちは纏めてネームドと呼ばれている。

 

 その流れを踏襲するのならたしかに、強化兵側から見ればジン・ラースはネームドに該当するだろう。数多くいる獣人兵士の中で抜きん出て強いわけだし。

 

『二階は次の機会に徹底的に調べればいいやと思いましてその場は断念したのですが、その一件を境にビル周辺の敵兵の数が明らかに多くなったんです。リスナーさんの中にも急に数が多くなったことについて言及してる方がいらっしゃいましたね』

 

「え? あの数って最初からじゃなかったの?」

 

『ビルを攻めてから増えたんです。たしかに以前からこのマップの中では多いほうではありましたけど、今ほどの人数は絶対にいませんでした。ちょっと増える程度なら狩りの効率が上がるのでいいかもしれませんが、これだけ敵兵同士の距離が近いとせっかく倒しても漁る前に漁夫に襲われてしまいます。最終安地に四パーティ五パーティいるくらいの密集度合いなんですよ? まともな戦いにはなりません』

 

〈やっぱ増えたよな〉

〈ビルに行くワーク出るとこまで行けんから知らんかった〉

〈一方的に狩れるのは黒兎くらいだろw〉

〈漁夫w〉

〈草〉

〈途中から話が貴弾w〉

〈最終安地に五パーティは祭りやなw〉

〈しかも五パ全員敵とか吐くわw〉

〈わかりやすくて草〉

 

「ちょくちょく貴弾で例えないで。わかるのがいやだ」

 

『というわけで、まだ探索は済んでいないんです。鍵部屋のこともあるので調査はしたいんですけど』

 

「じゃあまた今度、時間がある時にゆっくり調べに行こうよ。私、手伝うから」

 

『いいんですか?』

 

「いいよ。私のワーク手伝ってもらったし、私もあの鍵部屋やビルの中央になにが隠されてるのか気になるし。もしかしたらあれじゃない? イベントフラグとかあるんじゃないかな」

 

『イベントフラグだとしたら、可及的速やかに真相を突き止めたいところではありますね。異変が起こり始めてからすでにしばらく経過していますし』

 

「『防衛作戦』のイベントが発生したのって二つ前のシーズンだったよね? 私あの時はまだADZ始めたばかりでよくわかってなくて、まともに参加できなかったんだ。だから今度はしっかり活躍したい」

 

『僕も前回のイベント時は身の回りがごたごたしていましたので、今度はしっかりイベントを楽しみたいです』

 

〈デートやね〉

〈お出かけの誘いやんw〉

〈俺は防衛作戦の時は後方支援かな〉

〈イベむずすぎんだよ〉

〈敵つえぇんだわ〉

〈こんな物騒なデートあってたまるかw〉

〈イベで前線出てる人らはDOCでよく名前見る人多いよやっぱ〉

 

「炎上に巻き込まれてたやつ?」

 

『いえ、それとは別のごたごたです』

 

「……ジン・ラースって、意外とトラブルに巻き込まれやすい体質?」

 

『……かも、しれませんね。不思議です。僕としては日々平穏無事に暮らせればそれで満足なんですけど』

 

〈炎上の話よく突っ込めるな……〉

〈本人全然気にしてねぇのなw〉

〈草〉

〈巻き込まれ体質……〉

〈おいたわしや〉

 

「そういう星の下にいるのかもね。でも安心して。もしなにかあっても私は公明正大にジン・ラースを裁くから」

 

『わ、わあ……こういうシーンで「絶対味方するからっ」みたいなセリフが出てこないパターンがあるんですか』

 

「ジン・ラースが悪いことしてたら私が直接叱るから。でも悪いことしてなかったら味方してあげる。……それより、その似てない声真似やめてくれない?」

 

『自信はあったのに』

 

〈さばくのかよw〉

〈味方したげてよw〉

〈これはヒロインにはなれないw〉

〈声真似w〉

〈やっぱ似てて草〉

〈そこまでかわいげはないかも〉

〈そういうとこやぞw〉

 

「ねぇ、リスナー。かわいげないってなにかな、リスナー、ねぇ。男の声真似よりもかわいげがないってなにかなぁ、リスナー」

 

『リスナーさん、ここは謝りましょう。頭を下げて許されないことなんて世の中にはそう多くありません』

 

「タイムアウト、っと……」

 

『世の中には謝れば許してくれる人と謝っても許してくれない人がいます。その事実をここで知れたのは学びと言えるでしょう。ええ、頭を下げるだけで許されるのなら法律も警察も裁判所も必要ないんです。法によって秩序が保たれる。いやはや、人間社会かくあるべし』

 

〈あ〉

〈草〉

〈まっずい〉

〈謝罪って大事よね〉

〈判断が早いっ〉

〈今日だけで何人が懲役くらったんだ……〉

〈言ってること真逆でくさ〉

〈手のひら返し全一かw〉

〈黒兎が言うと説得力が違う〉

〈口が回る回るw〉

〈二枚舌なんてもんじゃねぇw〉

 

「よし、執行完了。……あれ、ここどこだろ?」

 

『美座さん?』

 

 お喋りに脳のリソースを持っていかれて現在地を把握できていなかった。

 

 ソロで出撃している時でも配信中なら無言にならないようにある程度喋りながらやってるけど、人と一緒にやっているといつも以上に処理のリソースが会話に割かれてしまう。

 

 私が人と一緒にゲームする経験が少ないせいもあるだろうけど、ここまで集中力が途切れるのはジン・ラースの責任が大きい。つまり私は悪くない。

 

 だって、多すぎるのだ。ジン・ラースは、会話量が。

 

 よくこれだけ喋りながらゲームができるものだ。それでいて周囲への警戒は怠らない。無駄に器用なやつめ。

 

「大丈夫、大丈夫だから。えっと……あ、大通りの交差点あるじゃん。ってことは、ちゃんと南に向かって進んでる。一番近い脱出ポイントは、中央区と郊外の境にある地下道……だよね?」

 

『最寄りはそこですね。ここから先、知ってますか? 大通りに──』

 

「あたりまえじゃん。知ってるよ。ちゃんと頭に入れてる」

 

 意外と心配性なジン・ラースはここからの帰り道を確認してくる。あまりなめないでほしい。使ったことはなくてもちゃんと脱出地点の位置は記憶している。

 

 この道からだと、大通りを渡って、交差点を三つ進めば舗装されていない道に出る。そこが中央区と郊外の境目で、その境目を西に進んでいけば地下に続く階段が見えてくるはず。地下に降りた一番奥の部屋にある鉄製の扉の前で数十秒待機すれば、この血みどろの戦場からおさらばできる。うん、ちゃんと憶えてる。

 

『──そうですよね。ふふっ、それでは行きましょうか。「(ハイパー)聴覚(アキューシス)」の効果範囲には反応はありませんでしたが、ここの周辺は強化兵たちのお散歩コースです。それだけはランダムなので注意が必要です』

 

「お散歩やめて? 警邏部隊ね」

 

〈大通り気つけれ〉

〈お散歩草〉

〈犬の散歩じゃないんだわw〉

〈もうそろ止まっといたほうがいいんじゃね〉

〈黒兎油断しないな〉

〈危ないとこだしちゃんとチェックするわな〉

〈ちょっと待ったほうがいいよ〉

 

 ワークもこなしたし、戦利品もゲットできたし、アイテムもいっぱいバッグに詰まってる。今は命もバッグも重いのだ、早く帰りたい。

 

 警邏に遭遇したくないなぁ、なんてそわそわしながら走っていると、ジン・ラースが道を外れて交差点の手前の建物の窓付近に駆け寄った。

 

「へそくりでもあるの? そこ」

 

『え? いえ、ここで廃墟マンションの扉を──っ、美座さん待って!』

 

「え?」

 

 私はもうバッグがいっぱいで持てないから、ジン・ラースがヒドゥンプロパティ(へそくり)を漁ってるなら先に脱出地点まで向かっていようと思っていた。兎は虎よりよっぽど足が速いし、私が先に脱出地点に向かっていれば時間の節約になると、そう考えた。

 

 その短絡的な思考がいけなかった。

 

 このゲームは、幾人ものプレイヤーの心をへし折ってきた実績のあるADZ。そしてここは、慣れてきたと勘違いした間抜けや警戒心を鈍らせたうつけから呆気なく死んでいく戦場。自動車はちらほら横転しているけどそれ以外は見晴らしのいい、まっすぐと伸びた大通り。狙撃するならこれ以上ないくらい絶好の位置取り。

 

 ジン・ラースの緊迫感のある制止の声が聞こえた時には遅かった。

 

 振り向いた時に、かすかに視界に入った。

 

 東にうっすらと霞んで見える背の高い建物──廃墟マンションの屋上で、ちらと瞬いた閃光。

 

 ──あ、ネームドだ。

 

 そう認識した時には私の視界は黒く染まっていた。どこまでも無慈悲に、ヘルメットのバイザーが粉々に砕け散った音が響いていた。

 




感想や評価、ここすきありがとうございます。励みになりますし見てて楽しいです。
誤字報告してくれてる方にも感謝を。チェックはしてるのになぜか見落とすんですよねこの節穴アイは。

変則的ですが次はお兄ちゃん視点です。


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『ホーミングチーター』

 

 原因はコミュニケーションエラーだ。僕がしっかりと美座さんに確認しておけば、こんなところでミスは出なかった。

 

 マップ『市街地』の中央区の南にある東西に貫く大通り。そこに足を踏み入れる前に僕が交差点の手前の建物の窓に寄ったのは、そこからなら化け物スナイパーの有無を確認できるからだ。

 

 ここからおよそ六百メートル東に位置する廃墟マンション。

 

 その屋上で、彼は待っている。漁り終わって疲れたプレイヤーの足を掴み、絶望の底へと引き摺り込もうと手ぐすね引いて息を潜めて待っているのだ。

 

 彼の名はレビンソン。廃墟マンションの屋上に一定の確率で出現するネームドボスで、プレイヤーからは『ホーミングチーター』の名でも親しまれている名狙撃手だ。

 

 彼が廃墟マンションの屋上に陣取っている場合、スモークグレネードで身を隠すか、キャラコンでめちゃくちゃに動き回って弾を躱す運試しをする他に大通りを通過する手段はない。煙幕はない、かといって命をベットしたギャンブルもしたくないとなったら、大人しく遠回りをするしかなくなる。

 

 大通りに踏み込んだら死が待っているとさえ言われるくらいに強いレビンソン氏だけれど、そんな彼をリスクを負わずに察知する方法はすでに確立されている。

 

 それが廃墟マンションの扉が閉じられているか確認する、というもの。双眼鏡でも持ってきていれば容易に確認可能だ。

 

 スナイパーらしく神経質で几帳面なのか、あるいは単に常識があるのか、もしくは別に理由があるのか、なんでかはわからないけれどとりあえず、彼は扉をちゃんと閉めるのだ。彼がいない日の廃墟マンションはあちらこちらで扉が開け放たれているので、その違いはわかりやすい。

 

 今回の出撃が彼の出勤日と重なっているかどうかは、廃墟マンションの扉の確認をするだけですぐに判明する。そこさえ気をつけていれば死地に身を投じるような事故はなくなる。

 

 このことを美座さんも知っているものだと決めつけたせいで起こったコミュニケーションエラーだった。『ここから先、知ってますか? 大通りにいるネームドのこと知ってますか?』と言おうとした僕に美座さんは『知ってるよ。ちゃんと頭に入れてる』と食い気味に答えた。それを聞いて僕は『中央区大通りの死神、レビンソン氏のこともちゃんと知っているのだな』と思い込んでしまった。

 

 おそらく美座さんは脱出ポイントの場所について『知ってるよ』と答えていただけであって、レビンソン氏のことは知らなかった、あるいは忘れていたのだろう。ネームドの話をちゃんと出して確認しておくべきだった。

 

 僕が制止した時にはすでに、美座さんは遮蔽となる建物の影から出て道路を進んでいた。それはつまり、彼のキルゾーンに足を踏み入れたということ。

 

 どの脇道から大通りに入ったとしても、彼は人類を軽々と凌駕する反応速度で狙いを定めて即座に撃ってくる。プレイヤーの姿を視認してから引き金を引くまでにかかる時間は、六百メートル以上の距離があったとしても三秒を超えることは決してない。スナイパーライフルをどう扱えばこの距離をその短時間で狙えるのかわからないが、実際にやってくるのだから仕方がない。

 

 美座さんの命は風前の灯だ。助けに行かなければ明確に死が待っている。

 

 せっかくワークをこなして、今後出てくる納品ワーク用のアイテムも拾ったのだ。ここで死んでしまうのはもったいない。

 

「間に合うかな……」

 

 アビリティのハイジャンプを使って美座さんのすぐ近くまで移動する。このアビリティはただ上に大きくジャンプするというものではなく、頭頂部を向けた方向へと跳躍するという性質を持つ。視点を下げて頭頂部を美座さんのいる方向へと向ければ、地面を舐めるような挙動で高速移動することもできる。美座さんの近くで着地するように角度を計算するのは少々骨が折れるが、そこはなんとかなる。

 

 ここからが賭けだ。

 

 僕はレビンソン氏の狙撃の腕を信じている。

 

 美座さんと彼の間の射線に立ち塞がる。しかしそのままだと僕の頭が弾かれるのでその場で通常ジャンプ。被弾箇所をコントロールする。

 

 『奴の銃弾は間違いなくホーミングしている』とまで(うた)われた抜群の狙撃の腕を持つレビンソン氏であれば、正確に美座さんの頭を狙うと僕は確信している。頭を狙撃するという前提で、その射線上へと自分の体を置く。

 

 結果はまさしく想像通りで、彼の技術もまた悪名通りだった。三メートル以上にもなる銃弾の落下距離と、銃弾を発射してから美座さんが移動する距離の偏差まで完璧に計算された狙撃だった。獣人兵士みたいにアビリティもないのに素の能力だけでここまで精密な狙撃ができるなんて、やはり紛うことなき化け物である。

 

 ただ、一つだけ想定外があった。

 

「美座さん、生きてますか?」

 

『え……な、なんで? 生きてる……。いや、ジン・ラース、いつの間に私の前に……』

 

「それならよかった。近くの車まで走ってください。そこなら射線が切れます」

 

『ヘルメットのバイザー壊れたのに……なんで生きてるんだろ?』

 

「バイザーがなかったら死んでいましたね。ナイスです」

 

 体を盾にするつもりで射線に立ち塞がったのだけれど、兎の体は薄すぎたようだ。見事に貫通した。それでも一応薄いなりに壁としての機能は果たしたらしく、多少なり銃弾の勢いが弱まり、美座さんがつけているヘルメットのバイザーを破壊するに留まった。

 

 そうやって僕が美座さんへ指示を出している間も、彼は次弾の準備をしているだろう。ワンショットワンキルを信条に掲げるスナイパーだ。仕留め損ねた獲物を今度こそ始末してやろうと躍起になっているはず。

 

 しかし、僕も同様に反撃の準備をしている。

 

『ちょっ……ジン・ラース、はやくっ』

 

「『一角兎(アルミラージ)』──」

 

 オリジンアビリティで、レビンソン氏を狙う。

 

 自動車の影に隠れていれば狙撃はされないが、大通りの中央に転がっている車ではどうやっても美座さんが逃げる時に狙撃される。ここでネームドボスを排除しないと安全に抜けられない。一発撃って次発の装填に取りかかっている今が好機だ。

 

 廃墟のように荒れてしまっているマンションへと銃口を向ける。遠すぎてマンション自体薄ぼんやりと霞んでいる。

 

 屋上を見てもレビンソン氏の姿は見えない。当然だ。スコープなしで六百メートルもの距離、見えるわけがない。

 

 なんならこの距離だとプレイヤーは描画距離とも戦うことになる。描画距離の設定を上げておいてよかった。上げたところでスコープのないハンドガンだと姿さえ捉えられないのだけれど、それでもいい。

 

「──見えなくても、そこにいるのはわかってる」

 

 姿は見えない。でも、レビンソン氏のいる場所はわかる。

 

 彼は神経質で几帳面な性格だ。扉はいつもちゃんと閉める。狙撃銃のバイポッドを設置する場所も、いつもちゃんときっちり寸分違わず同じ位置だ。

 

 僕は見えないレビンソン氏に向けて発砲。

 

 その一秒後に氏は二発目を発射した。

 

 僕の放った銃弾が彼に届くまでには約一・八秒を要する。二発目の射撃阻止はできなかった。

 

 なんなら本来であれば、六百メートル先のターゲットにハンドガンを撃っても殺傷するだけの威力はない。しかしオリジンアビリティ『一角兎(アルミラージ)』は摩訶不思議な力で超常現象を引き起こし、発射された直後の威力そのままに、何かにぶつかるまでただひたすらに直進し続ける。

 

 兎の、遠距離狙撃に対する唯一にして最強の切り札。

 

「っ……」

 

 ちゃんと当たったかどうかの確認もできないのはもどかしいけれど、まずは生きていなければどうしようもない。

 

 彼の腕は嫌味なくらいに確かなものだ。基本的に頭優先で上半身を狙う。マンション屋上で霞みながらも見えるマズルフラッシュを確認したと同時にしゃがめば、僕の上半身を狙った彼の二発目は空を切る。

 

 レビンソン氏は六百メートルどころかそれ以上の超遠距離狙撃も、偏差撃ちだってお手の物だが、いくら氏といえど放った後の弾丸を操作する術は持たない。『ホーミングチーター』という称号は、あくまで反則じみた遠距離偏差撃ちに対して送られた蔑称であって、実際に追尾してくるわけではないのだ。

 

 彼に送り出された弾丸は、僕がしゃがんですぐに頭上を通り、少し先のアスファルトに着弾した。

 

 うむ、実に良い狙いである。あと〇・三秒でもしゃがむのが遅れていれば、僕の頭が原産地の真っ赤な花でこの大通りを彩っていたことだろう。

 

『その傷……もしかして、私を庇って……っ。ごめんっ……ごめん、なさい。ジン・ラース……。わ、私のせいで……っ』

 

「大丈夫です。ぎりぎり被弾箇所を腹部にできたので問題ありませんよ。美座さんがご無事でなによりです」

 

 横転自動車の影に移動して怪我を治療する。ついでにステータス画面を開いて被弾箇所の詳細を確認してみたら、胸部と腹部のぎりぎり腹部側に銃弾が貫通していた。

 

 美座さんには努めて余裕を持って返事をしたけれど、内心冷や汗ものだった。本当に賭けでしかなかった。胸部だったら即死だったし、使われている弾の種類によっては腹部でも死んでいた。今回は運が良かっただけだ。これもまた兎のパッシブアビリティ『幸運兎(ラビットフット)』のおかげかもしれない。いや違うか。

 

『ごめん、ほんとにごめんっ……。脱出することばっかりで、ネームドの影響範囲がこの道も入ってること頭から抜けてた……っ、私ほんとばかだっ……』

 

「気にしすぎですって。そんなに深刻になることありませんよ。人間はずっと集中し続けることなんてできないんですから。ただでさえそうなのに、これまでできなかったワークも終わらせて、後は脱出するだけともなれば気が抜けてしまうのも仕方ないです」

 

 悔しそうに辛そうに、今にも泣き出してしまうのではないかと思うほど美座さんは声を震わせていた。何がそんなに彼女を追い詰めているのかわからないのが余計に僕を動揺させる。かといって僕も慌てふためいてしまえば収拾がつかないので、いつも通りを装った。なんなら美座さんに落ち着いてもらうために、いつもよりゆっくりめを意識して話しかけた。

 

『だって、私っ……足引っ張ってばっかだ。なんもできてない……』

 

 なぜそんなに悲愴感を漂わせているのか。そこまで悩むことなんてないだろうに。

 

「持ちつ持たれつでいいじゃないですか。今は僕が持つ番、これから美座さんにも頑張ってもらうので問題なしです。パーティってそういうものでしょう? それに今回は美座さんのワークが目的でマップに入ったんですよ? あなたに死なれたら困ります。美座さんには何が何でも生きて帰ってもらわなければ」

 

 ワークの中には生還できなくてもクリア扱いになるものもあるけれど、美座さんがビルでやっていたワークは生きて帰らなければクリア扱いにならないのだ。死んでしまえば無論、ワークはやり直しとなる。

 

『っ……やさしいこと言わないで。泣きそう』

 

「泣かないでください」

 

『だって、っ……。あのネームドっ、芋スナイパーは遮蔽から出た瞬間私たちのこと撃ってくる……。ここから逃げようとしたら、絶対どっちかは犠牲に……でも……』

 

「あ。ちょっと待ってくださいね」

 

 話している間に出血だけは止めたので今すぐ命に別状はない。立ち上がって遮蔽物から頭を出して東の廃墟マンションをじっと見つめる。

 

『なっ、なにっ、なにしてんのっ?!』

 

「……大丈夫なようですね。ちゃんと当てられていたようです。よかった」

 

 五秒ほど頭を出してもレビンソン氏は僕を撃ってこなかった。兎の角はしっかり彼の頭を貫いていたようだ。

 

『だい、じょうぶって……も、もしかして……』

 

「はい。オリジンでやりました」

 

『さっき撃ってた一発……っ! ここから?! ネームドを?! どれだけ離れてるとっ……』

 

「およそ六百メートルです。僕も彼が相手でなければ当てることはできませんよ。あのネームド、レビンソンさんが射撃体勢を取る位置は固定されていますからね。見えなくてもどうにかなりました。どうです? キャンプ施設では微妙と仰っていた兎のオリジン、強いでしょう?」

 

『いや、はぁ……。強いのは、オリジンじゃなくてジン・ラースだよ……』

 

「オリジンあっての成果ですよ。オリジンの効果がなければこの距離で倒すことは不可能ですから」

 

『まだ信じられない。ほんっとにすごいんだ、ジン・ラース。すごいよ』

 

「ふふっ、ありがとうございます。ただ、次もヘッドショットできる自信はないので、賞賛はほどほどに受け取っておきますね」

 

『いや、ぜんぶ受け取ってよ。できるだけですごいんだから』

 

 どうやら美座さんが深刻に考え込んでしまっていたのはレビンソン氏の存在が頭にあったからのようだ。横転自動車の影から出たらどちらかは確実に撃たれる。ワークのある自分を優先して、僕が犠牲になると思っていたのだろう。

 

 彼を撃ち取れていなければそうするつもりだったけれど、幸いなことに頭を抜くことができたので誰も犠牲になる必要はない。一安心だ。

 

「あはは、褒めてもらえるのは嬉……っ。美座さん、こちらへ」

 

『えっ、急になに?』

 

 体力を回復したら脱出ポイントに向かおうと考えていたけれど、この絶望の街は簡単には逃してくれないらしい。鋭敏な兎の耳が異音をキャッチした。

 

 美座さんと一緒に横転自動車の西側から南側に移動して、すぐのことだった。

 

「……そんな脇道から出てくることあるのか……」

 

 僕らから北に五十メートルほどの脇道から強化兵士が顔を出した。しかも、一人ではない。

 

『強化兵! この数、もしかして……』

 

「ええ。おそらく警邏部隊だと思います。彼らは大きな道ばかり通っていると思っていたのですが、脇道から出てくることがあるとは……」

 

 三人一組で『市街地』でも一番のランドマークである中央区を練り歩く強化兵士の部隊だ。しっかりと連携まで取ってくるのでソロのプレイヤーが警邏部隊とぶつかった時には必然的に苦戦を強いられることとなる。

 

『撃ってきたっ……なんでもう居場所ばれてるの?』

 

「……もしかすると、さっきの銃声を聞いて、プレイヤーがレビンソンさんと戦っていると判断して、わざわざ回り道して脇道から挟撃しようとしにきたのかもしれません」

 

『あいつらそんなことしてくるの?』

 

「警邏は、プレイヤーを発見した時には三人のうち二人が遮蔽物を使って戦って時間を稼ぎ、一人が路地裏に回って挟もうとすることもあります。脇道に入って挟撃という考え方自体はプレイヤー発見時と同一のものです。ありえない話ではありません。美座さん、今は絶対顔出さないでくださいね」

 

 わずかに途切れた銃撃の合間を縫うようにピークしてグレネードを投げ込む。それを見た警邏は三人とも急いで脇道に戻っていった。グレネードを視認すれば安全な場所へとしっかり退避するという敵兵の習性を利用した。グレネードを見逃してうっかり爆殺されてくれればそれが一番ではあるけれど、彼らはそこまで愚かではない。

 

 一人だけでも持って行けたらラッキーくらいの心算だった。敵兵を倒すこともヒットポイントを削ることもできなかったが、とりあえず今は引っ込んでくれればそれでいい。

 

 三人に広がって攻められると、この横転した自動車程度の遮蔽では身を守れない。屋外戦闘時には、強化兵士はその化け物じみた身体能力を存分に振るって突飛な行動に出ることがある。脇道から出てこれないように頭を押さえておかなければこちらは数的不利を押しつけられる。

 

 ハンドガンではどうしても面的な制圧力に劣る。なのでこういう時のために僕はお守りとして常に投げ物を持参しているのだ。買おうとすれば決して安くはないグレネードだけれど、出費を抑えようとして死んでしまえばそちらの方が損害が大きい。

 

 生きるためなら物資は惜しみなく使っていく。ADZで生き抜くための基礎知識である。

 

『もう顔出しても大丈夫? この距離なら私だってっ……』

 

「美座さんは全速力で脱出ポイントへ。僕は彼らが追ってこないようにここで引きつけておきます」

 

『なっ、なんで? あいつら倒して、安全に二人で脱出すればいいじゃん』

 

「数的不利の状況で正面から戦うのは分が悪いです。奇襲か、せめて屋内であれば人数差を覆すこともできるんですけどね。屋外では彼らの撃ち合い以外のフィジカルの強さも発揮されてしまうので難しいです」

 

『二人で難しいならジン・ラースが一人残ったって勝てないんじゃないの?』

 

「いえ、勝てますよ」

 

『っ……わ、私みたいな足手纏い、なんて……っ。い、いないほうが……っ、やりやすい……って、こと?』

 

 とても傷ついたように、声を震わせて美座さんは言う。今にも泣き出してしまいそうな潤みを帯びた声色だったので僕も驚いてしまった。

 

「いや、いやいや、違いますよ。なんでそうなるんですか」

 

『だっ、だって! 私がいたら勝てないのにっ、一人なら勝てるって!』

 

「……ああ、なるほど」

 

 そう美座さんに叱られて、ようやく僕はまた言葉が足りなかったことに気がついた。

 

 何度同じ間違いを繰り返せば学習するのだろうか。不意打ちで言葉が抜け落ちるこの悪癖、いい加減なんとかしたい。こんなことだからコミュニケーションエラーが頻発するのだ。

 

『わた、私だってっ……役に、立てないのは、わかってるけどっ……』

 

「違います、違いますよ。勝てると言ったのは、僕らの今回の勝利条件が『ワークをこなす』ことと『美座さんの生還』だからです。美座さんが生きて脱出さえすれば、あとはどうなったって僕らの勝ちなんです」

 

『……それでジン・ラースが死んでも? それでも勝ちなの?』

 

「もちろん。最善の結果とは言えませんが、次善の結果とは言えます。貴弾などでしたら勝利条件はわかりやすいんですけどね。『最後まで生き残る』という、とても簡潔なものです。ADZは多少毛色が異なっていて、言うなれば『目的を達成する』というところでしょうか。目的によっては、生きて帰る必要がない、という点が大きな違いです」

 

 今回の美座さんの受けたワークでは生きて帰ることも条件に含まれているけれど、達成さえすれば死んでしまっても問題ないワークもある。

 

 『survived』を要求されていないアイテムであれば、出撃して手に入れたらセーフティバッグに入れて死んでしまっても極論問題はない。特定の敵兵をキルするワークであれば、仮にターゲットを殺した後、地雷か何かでプレイヤーが死んでしまってもワークは完了扱いになる。

 

 要は、目的さえ果たしてしまえばその後はたとえ死んでしまっても構いはしないのだ。

 

 言うまでもなく装備はロストしたくないので、なるべくなら生きて帰りたいという気持ちはある。でも生き残ることに必死になるあまり、優先順位や目的を見失っては元も子もない。

 

『そんなの……ジン・ラースが損するだけじゃん』

 

「損というほど損ではありませんけどね。僕としては、美座さんが死んでしまうほうが損が大きい」

 

 美座さんは厄介なワークを終えたし、バッグには売値の高いアイテムをしこたま詰め込んでいる。例のビルにてサブマシンガンも鹵獲できたし、今後出てくるワークで使う『survived』品しか認められないアイテムも拾えているのだ。前回の出撃よりかは若干見劣りするけれどロストしたくない程度には装備も整っているし、命の価値がとても重くなっている。

 

 対して僕はワークは受けていない。アイテムはそんなに大量には持てないし、持ってきている装備も安価。しかも自宅の倉庫には日の目を見る機会のない装備たちがまだまだ眠っている。

 

 足止めとして駒を置くのなら、どこからどうみても僕が適任だ。

 

『っ、そ……それは、ずるくない? そんなの、だって……私、なにも言えないじゃん……』

 

「さっきの一パーティ(ワンパ)を無視して二人で逃げようにも、どうしたって兎のほうが速いので虎を置き去りにしちゃうんです。なので美座さんに先に脱出ポイントに向かってもらって、あとから僕が追いかけます。地下通路の入り口に着いたら教えてもらってもいいですか?」

 

『……わかった。ジン・ラース、死んじゃだめだよ。すぐに追いついてね。危なくなったらすぐ逃げて。一人で逃げるだけなら兎ならできるでしょ? 死んじゃだめだからね』

 

「ふふっ、ありがとうございます。頑張りますね。死んでもいいとはいえ、僕だって死にたいわけではないですからね。地下通路でまた会いましょう」

 

『待ってるから。絶対だからね』

 

「あははっ、はい。絶対です。もう一度グレ投げるので、そのタイミングで走ってください」

 

『んっ』

 

 妙に念押しする美座さんに少し笑ってしまいながら、僕は敵兵が引っ込んだ路地へと目を向ける。

 

 彼らがピークし出したタイミングで、もう一つグレネードを放り込む。貴弾と違い、放物線も何も表示されないADZでは投げ物一つ使うのもコツが必要だけれど、こちとら銃を使うよりも投げ物を使うほうが多くなることもある兎なのだ。このあたりは慣れたものである。

 

 指示した通りに駆け出した美座さんの足音を聞きながらハンドガンを構える。構える方向は敵兵がやってきた北側ではなく、北北西方向。

 

「足を止めずに走ってください。大丈夫です」

 

『なにが……っ。わ、わかったっ』

 

 警邏部隊が姿を隠した路地は、交差点角の建物の裏を通って北北西の路地にも繋がっている。二つ目のグレネードを投げた時、敵兵からはグレネードへの注意喚起の声が二人分しか聞こえなかった。なのでもう一人は別のルートから射線を広げようとしているのだろうと予想はついていた。

 

 北北西の路地から姿を現した敵兵に照準を合わせる。美座さんを狙う敵の頭を撃ち抜きたいが、障害物が射線の邪魔をして頭は狙えない。自販機にしては小さいけれど、室外機にしては置く場所がおかしい。何だあれ、よくわからない。

 

 とりあえず美座さんの危険を排除するため、障害物で隠れていない敵兵の腕を狙って撃った。腕に二発、胸部か腹部かわからないけれど胴体に一発命中。

 

 敵兵はダメージに怯んで銃を撃つことなく再び路地裏の暗がりへと戻っていく。

 

 おそらく美座さんの視点だと右端のほうに敵兵の姿がちらりと見えただろうけれど、先んじて声をかけておいたおかげで動揺することなく走り抜けてくれた。

 

 路地は西側にも繋がっているけれど、虎の全力疾走と路地裏を通って追いかける敵兵なら、大量のアイテムを背負っていてもさすがに虎の足が勝る。敵兵が西側の路地から出た時には美座さんは遠く離れたところにいるはずだ。心配しなくても大丈夫だろう。

 

 今は美座さんよりも自分の心配だ。

 

「っ……」

 

 北側の路地から跳び出す人影。まさしく文字通りに跳んでいる。路地で助走をつけて、路地を抜ける瞬間にジャンプしてエイムを振り切るのが狙いなのだろう。

 

 二階くらいの高さまで跳んでいるのに距離も出ているあたり、強化兵士の身体能力の異常性が窺える。

 

 動きは激しくてもエイムは追える。武器の軽さと取り回しの良さがハンドガンの強みだ。

 

 一発二発と当ててこのまま削り切れるかな、とも思ったけれど横転自動車の影に引っ込む。足音を拾ったのだ。

 

 車に隠れるやすぐに銃弾の雨がボンネットを叩く。北の路地裏に残っていた敵兵のアサルトライフルだ。

 

 壁代わりに使っている車の燃料に引火して爆発しそうで怖い。着弾時の音の数がハンドガンとは比べ物にならない。一人倒せればここからの立ち回りが楽になる、なんて考えてさっきの敵兵を深追いしていたらここで死んでいた。危ない。

 

『ジン・ラースっ? そっち大丈夫っ? すごい銃声がここまで聞こえてるけど……』

 

「っ……はい、はい、こちらジン・ラース、ただいま『市街地』は中央区、南西の大通りの現場から中継しています。時折銃弾の雨が降っておりますが、事前の予報ほど荒れてはいないようです。風向きは北から南、僕への向かい風といった印象です」

 

『なっ、なんであんたはそんな余裕なのっ。ほんっ……ほんと、それで死んだら許さないからっ。ばかっ』

 

「はい、わかりました。気をつけて帰りたいと思います。現場からは以上です、スタジオにお返しします」

 

『うるさいっ……それにどちらかというと私のほうも現場みたいなもんだよっ』

 

「あははっ。現場っ、たしかにそうですね」

 

 美座さんの激励を受けながら遮蔽物の陰でマガジンを交換する。

 

 残りの弾薬はこのマガジンの十二発と半端に九発残っているマガジンのみ。

 

 死の足音は着実に僕に近づいている。

 





あってもなくても大して困らない補足説明を一応置いておきます。

『ホーミングチーター』ことレビンソン氏に撃たれた時のあざみん視点だと、廃墟マンションでちらっとだけマズルフラッシュが見えて、『あ、撃たれた』と思ったとほぼ同時に視界が真っ暗になり、ヘルメットのバイザーが砕かれました。(前話のラスト)
視界が真っ暗になったのは自分のすぐ正面に黒兎が立っていたから。バイザーが砕けたのは黒兎のお腹を貫通した銃弾が当たったからです。
最初黒兎に庇われたことにあざみんが気付いてなかったのは状況を把握できてなかったからでした。


次もお兄ちゃん視点です。


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『窮鼠は噛む』

 

 死の足音は着実に僕に近づいている。

 

「……ふう」

 

 美座さんとパーティを組んで出撃するということで多めに持ってきていたのだけれど、無駄撃ちはできないくらいに心許なくなってきた。

 

 アサルトライフルの銃声が止むのを待って顔を出そう。

 

 としたが、僕から見て右側へと射線を広げに行った敵兵のサブマシンガンが横腹に食らいつこうとしていた。回り込まれるとどうにもならなくなる。右側に跳んで行った時にダメージは与えていたのでこの際、アサルトライフル持ちがリロードしている間に右のサブマシンガンの敵兵を倒し切ってしまおう。

 

 かと考えたが、僕から見て左側、北北西の路地からもう一人が顔を出してきていた。長い時間出てきてなかったので仲間二人に任せていた間に回復していたはずだ。

 

 僕は胴体に一発でも貰えば確実に即死する貧弱状態。頭に一発入れれば倒せるから、などと楽観的に考えるのはまずい。こっちが一発撃つ間に向こうは数発から十数発も撃てるのだ。左の敵は倒せるかもしれないが、こちらも死ぬ可能性が高い。

 

 左の敵から射線が通らない角度に移動し、しかしこちらからは右の敵の射線が通るので顔を出してこないように牽制射を入れて、だが右と左の敵に対応している間に中央のアサルトライフル持ちのリロードが終わり、中央からの射線が──

 

「──っ、まっずい……」

 

 使える遮蔽物は一つ。残弾も少なく、体力も銃弾一発喰らえば消し飛ぶ程度。

 

 相手はアサルトライフル一人にサブマシンガンが二人。射線は三本。

 

 順調に追い詰められている。射線管理がままならなくなってきた。

 

 機械的な連携ではない。どんなAIを積んでいるのだろう。積極的に射線を広げる姿勢といい、裏を取る判断といい、カバーリングといい、中にプレイヤーが入っているんじゃなかろうか。

 

 そもそもこんな撃ち合いは兎の領分じゃない。基本的に戦うとしても一対一か、相手が複数人いたら奇襲して一人ずつ減らしていくのが兎の戦い方だ。兎はどっしり構えて撃ち合えるような装備構成じゃないし、そんなパラメータをしていない。死なないように気をつけて時間を稼ぐのが関の山なのだ。

 

『ジン・ラースっ、私もうすぐ着くから早く逃げてっ』

 

「そう、ですね……そろそろ」

 

『強化兵が追ってきてもカバーするからっ、はやくっ……』

 

「そろそろ冗談を言うゆとりもなくなってきていて……」

 

『おい、このっ……ばっ、ばかなこと言ってないと戦えないのあんたはっ』

 

「撤退します」

 

『その一言で済んだ話だよこれっ』

 

 三方へフリックエイムで銃弾をばら撒き、敵兵が遮蔽に隠れたり怯んだ間隙を縫って一度しゃがみ、もう一度同じキーを入力して立ち上がっているモーションの途中でアビリティ、ハイジャンプを使う。

 

 しゃがみ状態から立ち上がっているモーションの時にジャンプすると、ジャンプの高さや距離が伸びるという小技があるのだ。兎のハイジャンプでも、その小技は適用される。

 

 兎はしゃがみも、しゃがみから立ち上がる動作もとても速いがこのくらいの小技は慣れたものだ。問題ない。

 

 レベルアップによって向上したステータス、STRとAGIの恩恵。スキルのレベルとアビリティの熟練度の上に小技も乗せれば、二階の窓どころか三階建ての建物の屋上にも届く跳躍力になる。なお、使う場所を間違えれば落下ダメージで死ぬという諸刃の剣である。

 

 南西にある建物の屋上に着地して、ここからまっすぐと脱出地点を目指す。兎であれば、建物と建物の間の路地裏程度の距離など、走ってジャンプすれば飛び越えられる。

 

 生きて美座さんと合流できそうだ、などと気を抜いたわけではない。油断はしなかった。

 

 おそらくこれは、強化兵士としての矜持(きょうじ)だったのだろう。もしくは、意趣返しか。

 

 左側に展開していたサブマシンガン持ちの敵兵が、跳び去ろうとしていた僕を目敏く発見して銃を乱射していた。美座さんを狙っていたから僕が撃った、あの敵だ。

 

「うっ……」

 

 ばら撒かれた銃弾が、よりにもよって足に被弾した。いや上半身であればこの場で死んでいたのだから運には恵まれているほうだろうけれど、足をやられたのは正直痛い。こうなってしまうとあのアビリティに頼るしかなくなる。

 

 しかし、よく当ててきたものだ。これは敵の化け物っぷりを称賛する他ない。

 

 腕に二発は入っていたはずなので、あの敵兵はほぼ確実に骨が逝っている。出血や体力までなら回復する時間はあったろうけど、骨折まで治療はできていないはずだ。骨折のデバフはエイムの精度にも影響を与える。骨折してエイムが乱れている中、上に跳ねるという普通なら考えられない機動をする人間に、暴れ馬のような挙動のフルオートで一発とはいえ命中させるなんて驚異的なエイムコントロールだ。

 

 こんな化け物たちと戦ってなんていられるか。僕は帰らせてもらう。

 

『じ、ジン・ラース……っ、ま、まさか……』

 

「半分大丈夫です。まだ生きてます」

 

『半分ってなにっ』

 

「足撃たれました。骨も折れましたね。か弱いので」

 

『っ……待ってて。私、迎えに行くから』

 

 ともに街を守る同志を思い遣る美座さんの心はとても気高くて美しくて、僕としても嬉しいけれど、それはそれとして迎えにこられるのは今一番困る。

 

「だめですってば。大丈夫ですから、地下通路進んでてください」

 

『ゃっ、やだっ……っ。ジン・ラース見捨てて一人生き残るくらいなら、私っ、ここで死んでもあいつらに復讐しに行くからっ』

 

「やだって……ふふっ、なんでですか。またワークやり直しになっちゃいますよ」

 

『私の気が治まらないっ。死んだっていいっ。また今度、一人でワークやってやるっ』

 

 笑ってしまうのはとても失礼だけれど、どうしても笑みが溢れてしまう。

 

 美座さんはとても優しい人なのだろう。自分の目的のために誰かに負担を強いることを許せないのだ。一見、冷めた人なのかと思っていたけれど、そんなことない。情に篤い人だ。

 

「大丈夫、大丈夫ですってば。この時のために(あつら)えたかのような逃げ特化のアビリティがあるんです」

 

『……ほんと? ほんとに、大丈夫なの?』

 

「任せてください。使用条件が厳しくて熟練度はあまり上がっていませんけどね。『(コーラッド)(ラット)は噛む(ウィルバイト)』というものです」

 

『使用条件……こーらっど……なん、どういう効果なの?』

 

「残りの体力が半分以下の時にしか使えないんですが、このアビリティを使うと一定時間スタミナの減少がなくなって、AGIとDEXのパラメータが跳ね上がります。オリジンも含めた全アビリティのクールダウンの時間も半分になるんですよ」

 

『うぇっ、すっごい強いじゃん。なんでいつも使わないの?』

 

「いくつかデメリットがありまして、視界の端から赤黒く滲んでいって視野が狭くなっていくのと、あと体力も強制的にミリになるんですよ。しかも回復アイテム使っても回復しないというおまけ付きです。一発でも当たればお陀仏です」

 

『デメリットがほんとにデメリットすぎる……』

 

「兎なんて元から一発で致命傷ですし、それはまあいいんですよ。一番の問題は、効果時間が終了したら体力が残っていようと死亡することですね」

 

『……は? シボウ?』

 

「はい。体力が残っていようと撃たれてなかろうと、時間が経てば確定で死にます」

 

『はっ……はぁっ? な、なんで使ったのそんなのっ? 死ぬなら意味ないじゃんっ』

 

「このアビリティの死を回避する唯一の方法が、効果時間中にマップから脱出することなんですね。なので逃げ特化のアビリティなんです。その仕様のせいでアビリティの熟練度が伸びにくいんですよ」

 

『もう説明しなくていいからはやくきてっ。すぐ脱出……あっ、骨折の治療が……』

 

「ご心配には及びません。このアビリティの発動中は鎮痛剤を使っている時と同じように、泣き喚いたり走れなくなったり怯んだりすることがなくなるんです。なので今、全力でそちらに向かっています」

 

 腕に骨折のデバフが発生しているとエイムやリロード、漁りに影響するのだけど、足に発生していると走れなくなったり、普段ならなんてことない少しの段差でも降りたらダメージが発生するようになる。そしてなにより、キャラクターが悲鳴をあげまくる。とてもうるさいのだ。そのせいで敵に見つかりやすくもなる。

 

 しかし、このアビリティはそういったところにも効果が働く。

 

 ただ出血のデバフは無効化できない。撃たれました、逃げるためにアビリティ使いました、アビリティの効果で体力ミリになりました、出血のスリップダメージで死にました、という敗北を一回経験済みの僕は、美座さんと話している間にちゃっかり出血を治療済みだ。同じ轍は踏まない。

 

 ここは三階建ての建物の屋上なので屈んでいれば射線も通らないし、いかに化け物の強化兵士といえどジャンプでここまではこれない。

 

『ねぇジン・ラース、大丈夫そう? ほんとに私、行かなくても大丈夫?』

 

「ふふっ、ありがとうございます。大丈夫ですよ。全力で逃げる兎にはたとえ強化兵士といえど追いつけません。ただ僕には制限時間があるので、できれば美座さんには地下通路内のクリアリングをお願いしたいです」

 

『わかったっ』

 

 地下通路の中に敵兵が湧くことは稀だけれど、ないこともない。敵兵の排除に手を取られて『窮鼠は噛む』のタイムリミットがきてしまったら、それはあまりにもやるせない。

 

 なにより、美座さんはなぜかとても僕のことを気遣ってくれているのだ。何かしないといけない、というような使命感に駆られている。何かしら役割を与えたほうが美座さんの精神的にもいいだろう。

 

「地下通路見えてきました。もうすぐ到着しますよ」

 

『はっや……え、そんなに早いの?』

 

「そりゃあもう。荷物という重りこそありますが、これが兎の最高速度ですからね。ADZらしからぬスタイリッシュな動きになってますよ」

 

『ちょっと見てみたかった気もする。でもジン・ラース、建物の上にいるんでしょ?』

 

「はい。建物の屋上を飛び跳ねて直線的にそちらへ向かっています」

 

『高い建物ばっかりだけど、そのアビリティって着地のダメージないの? 降りる時は階段使うの? 時間間に合う?』

 

「屋根から降りる時はウォールランを使います。地下通路近くに街灯があるので、そこまでハイジャンプで跳んでウォールランを使って高度を下げて、安全なところまで下がってきたらジャンプで地上に降り立ちます」

 

『キャラコンお化け……』

 

「ウォールランとハイジャンプはよく使うアビリティの二大巨頭ですからね。この二つと着地のキャラコンを使いこなせてようやく、兎は街を守る同志の一員を名乗れるのです」

 

『兎だけハードル高すぎない?』

 

「食物連鎖の下層ですからね。仕方ないですね」

 

『世知辛い……。ジン・ラース、クリアリング終わったよ。中は安全』

 

「ありがとうございます。先に脱出してもらっても大丈夫ですよ」

 

『ううん、待つ。……一緒に帰ろうよ』

 

「くすっ、ありがとうございます」

 

 パーティメンバーと一緒に脱出してもしなくても、何も変わることはない。特別に報酬が出ることもない。なんならマップに残っている時間だけ敵兵に襲撃される確率が上がるので、言ってしまえばリスクにしかならない。

 

 それでも残って、僕の到着を待って、一緒に脱出しようとしてくれているのは、美座さんの気持ちの問題なのだろう。

 

 美座さんを生きて帰らせるのが僕たちの勝利条件だったとはいえ、美座さん本人は残って戦いたがっていた。僕を囮にするようなやり方を嫌がりながらも、僕の意を汲んで先に脱出ポイントに向かった。仕方なかったとはいえ、後ろめたさがあったのかもしれない。

 

 だからせめて、リスクしかないとは理解していても、ここまで共に戦ってきた同志の帰還を待とうとしているのだ。

 

 背中を預けた戦友の無事を祈る。街を守る同志のために脱出地点を確保する。そしてお互いがお互いに傷だらけになりながら、それでも同志に肩を貸しながら一緒に帰還する。

 

 いい。とてもいい。こういう胸に迫る熱い展開。少年漫画のような熱くて篤い友情、僕はとても好き。

 

 人と一緒にやるゲームって、やっぱり楽しいな。美座さんに感謝だ。

 

 地下通路の入り口からところどころ剥がれた外壁に沿って地下通路を一気に進む。誘導灯は半分以上が切れていて、残りの半分はちかちかと明滅していて、足元は瓦礫だったり廃材だったりゴミみたいなのも落ちている。そんな足場の悪い中を駆け抜ける。

 

 このアビリティの使用中は足音なども大きくなってしまうけれど、美座さんがクリアリングしておいてくれたおかげで安心して進むことができる。これも戦友が、同志がいてのこと。ソロでは味わえない安心感。良き。

 

 一番奥の扉。ここが脱出地点のある部屋だ。

 

 ここも本来なら開ける時に金属と金属が接触したような耳障りな擦過音を聞かなければいけないところだけれど、すでに開いていた。すぐにやってくるだろう僕のために、美座さんが開けて待っていてくれたのだろう。

 

 部屋に踏み込む。

 

 脱出準備が始まらないぎりぎりの位置に、美座さんがいた。

 

『おかえり、ジン・ラース。お疲れさま』

 

 やっぱり仲間っていい。とても良き。

 

「すみません、お待たせしました。ただいま戻りました」

 

『……ああ、ぼろぼろだ。血まみれだよ、ジン・ラース』

 

 このゲームは被弾箇所から出血のエフェクトも発生するし、グラフィックも出血に応じて赤黒く彩りが加えられる。すぐ死ぬ兎がこんな血だらけのグラフィックになっているのもめずらしいし、それでなお生きているのだからさらにめずらしい。

 

「そうですね。お腹には風穴が空きましたし、足も折れましたし……そう考えるとよく生きているものです」

 

『……ほんとだよ。兎って撃たれ弱いんじゃなかったの?』

 

「一発で死ぬことも多いんですけどね。運が良かったのでしょう。大通りで警邏とぶつかった時は不運だと思いましたが」

 

『……置いてってごめんね』

 

「いいんです。結果的には二人生き残るというベストな形に収まりました。それに格ゲー好きの同期がこんなことを口走っていました。『死ななきゃ安い』と。死んでないから、だからいいんです」

 

『くふ、ふふっ……うん、ありがと。じゃ、帰ろっか』

 

 部屋の奥へと移動して、脱出地点に近づく。

 

 脱出地点に辿り着いたからといってすぐに脱出できるわけではない。脱出地点ごとに必要な待機時間が設定されていて、その待機時間のタイマーがゼロになってようやくマップから脱出できる。

 

 ここは敵兵の侵入経路も一方に限られるし扉を閉めておけばさらに安全になるが、場所によっては視界が開けた脱出地点もある。そういうところだと脱出待機中に敵兵とばったり出会(でくわ)して殺されてしまうなどという悲劇も発生する。

 

 (セーフハウス)に帰るまでが出撃なのだ。最後まで気を抜いてはいけない。ADZの教訓である。

 

「ええ、早く帰りましょう。視界がもう真っ赤です。普段の三分の一くらいしか見えません」

 

『そういえば……ジン・ラースの目、赤くなってるよね。そういうエフェクトがあるんだ?』

 

 地下通路は全体的にほとんど誘導灯は死んでいるようなものだし、この部屋には生きている電灯がないせいで大変暗い。暗視ゴーグルをつけていない僕では美座さんの輪郭がぼんやりとしか見て取れない。

 

 そんな劣悪な環境でも兎の目の変化や出血によるグラフィックの変化に美座さんが気づけたのは、虎のアビリティ『猫の目(キャッツアイズ)』による恩恵だ。『猫の目』発動中は暗闇の中でもティアの高い暗視ゴーグルをつけている時と同じくらいに見渡せるようになる。クリアリングの際に使用して、まだ効果が残っていたのだろう。

 

「『窮鼠は噛む』のタイムリミットを表現してるんですよ。プレイヤー視点だと画面の端から徐々に赤黒く滲んできて、視野がどんどん狭まっていきます。画面の中央まで赤黒く染まったらアビリティの効果終了です」

 

『……アビリティと同時にプレイヤーの命も終了ってことでしょ、それ』

 

「タイムリミットのデザインが洒落(しゃれ)てますよね。これ以上ないくらいにプレイヤーの危機感と焦燥感を煽り立てています」

 

『それ考えた人、絶対性格悪いよ』

 

「僕はわりと気に入ってるんです。タイムリミットを表すと同時にプレイヤーの感情まで動かすなんて、秀逸なデザインだなって」

 

『感性尖りすぎだよ。作った人も、それをオシャレなんて言うジン・ラースも』

 

「ここまで長時間使ったことがなかったので知らなかったんですけどこのアビリティ、タイムリミットが近づくにつれてどうやらステータスの上昇倍率が上がっていくみたいなんですよ。下り坂を全速力で駆け下りるようなとち狂った仕様です。ぞくぞく……わくわくしますね」

 

『言い換えるにしても手遅れだし、言い換えたあともたいして変わってないから。そんなトチ狂った仕様でドキドキじゃなくてワクワクゾクゾクするようなやつは、そいつも同じくらいトチ狂ってんの』

 

「とてもユニークなのに。……あ、そろそろ帰れそうですね」

 

『あー、やっと出れるんだ。なんか……いつも以上に濃い出撃だった』

 

「ハプニングが断続的に起きましたからね。とても楽しい出撃になりました」

 

『生きて帰れるのが不思議なくらいいろんなことが起きたよ。……ねぇ、ジン・ラース。次の出撃とかって、まだ大丈夫そう?』

 

 時計を確認する。余裕がある、とは言えないくらいの時間になったけれど、次も今回ほど長くならなければ問題はないだろう。

 

「ここまでワンマッチが長くなるとは思いませんでしたね。でも、もう少しだけならできそうです」

 

『そ、そう? なら、次はハンドガン持たずに入って。……わ、渡したいもの、あるから』

 

「おや、なんでしょう? 楽しみです。あ、それなら美座さんもメインアーム持たずに入ってもらっていいですか? 僕もお渡ししたいものがあるんです」

 

『え? う、うん。わかった』

 

 脱出まで残り十秒を切ったところで部屋の外の廊下に一瞬、人影が見えた。美座さんがクリアリングしたし僕が通った時にも誰もいなかったので、僕らがこの部屋で脱出まで待機している間に湧いたのだろう。

 

 誘導灯が点滅しているので動きが分かりにくいが、どうやら僕らがいる部屋に近づいてきているようだ。

 

 これは配信的においしいタイミングだ。イベントというか、ハプニングが満載だった今回のマップの締めにちょうどいい。

 

「んんっ。……この戦場を生きて帰れたら、君に渡したいものがあるんだ」

 

『さっき聞いたよ。……てか、わざわざチューニングしてイケボで死亡フラグっぽいの立てるのやめてくれない? もうイベントはお腹いっぱいなんだけど。敵きたらどうすんの』

 

「大丈夫、敵なんてこないさ。妹が家で僕の帰りを待ってるんだ。こんなところで死ねないよ」

 

『こわいこわいこわいっ……。やめて、死亡フラグ乱立させないで。そんなこと言ってたら急に敵湧きそうで……うそ、音……ひゃあっ』

 

 会話を聞いていつ入るか見計らっていたんじゃないかというくらい、台本の存在を疑うほどベストなタイミングで敵兵が部屋に飛び込んできた。素晴らしいキャストである。美座さんの悲鳴もこの寸劇に彩りを添えてくれている。大変満足感のあるカットが作れた。

 

 美座さんにとっては驚きだっただろうけれど、僕はおそらく入ってくるんだろうなあと予想がついていたので、敵兵が撃ち始める前にしっかり頭を撃ち抜いた。部屋に入る前からあらかじめ敵兵のヘッドラインにエイムを置いておく徹底ぶりだ。これで美座さんが殺されてしまっては大変だからね、驚かせるにしても安全には万全に配慮しなければ。

 

「……ふう。良いタイミングでしたね」

 

『あんたがばかなこと言ってるからっ、ほんとにきちゃったじゃんっ。死ぬかと思ったっ』

 

「美座さん持ってますねー」

 

『私じゃないっ、絶対に私じゃなかったっ。あの狙い澄ましたかのようなタイミングは絶対ジン・ラースがコントロールしたんだっ』

 

「そんな、ひどい……僕は、僕はただ……」

 

『んむっ……いや、扉開いてるのに警戒してなかった私も悪かったけど……』

 

「僕はただ、美座さんに楽しんでもらおうと思って敵が湧いたのを確認してから寸劇を演じただけなのに……」

 

『ご、ごめ……って、はぁっ? やっぱわかってたんじゃんっ。やっぱそうだったっ。なんかおかしいと思ったもんっ。いきなり変な口調になるし、死亡フラグ立てまくるしっ』

 

「脱出間近で敵兵がポップしたとなれば、これは使わない手はないと思いまして」

 

『わ、私がどれだけびっくりしたとっ……はぁ。まったく、配信者の鑑だね』

 

「お褒めにあずかり光栄です」

 

『うん。これくらいおかしくないと配信者ってやっていけないんだろうなって。ちなみに割合、褒めと貶しで半々ね』

 

 どうやら毀誉褒貶(きよほうへん)相半(あいなか)ばだったらしい。五十パーセントも褒めてもらえてるのなら十分か。

 

 ソロだと退屈になる脱出待機時間も、仲間がいると賑やかな雑談になる。そうやって楽しく雑談に花を咲かせているうちにカウントがゼロになり、とうとう戦場から離脱した。

 

 生還しても途中で死んでしまったとしても、家に戻る前にその回の出撃で得られたキャラクターやスキルの経験値、アビリティの熟練度などが一覧で並ぶリザルト画面が表示される。

 

 今回は普段より戦闘行動が激しかったこともあり、獲得した経験値の量がとんでもなかった。大通りで遭遇した警邏部隊のうちの一人でも倒せていればさらに一つレベルが上がっていたのだけれど、残念ながら足りなかった。このレベルになると一つレベルを上げるのにも苦労する。

 

「はい、とりあえずお疲れさまでした。次の出撃の準備ですね。回復と弾薬の補充……そういえば銃は持って行かなくてもいいんでしたっけ」

 

『持ってこなくていいよ。サイドアームとして持ってるのはありだと思うけど』

 

「念のために持って行くだけ持って行きましょうか」

 

 このゲームには弾詰まりなどという現象まで実装されてしまっている。クリーニングやパーツ交換、耐久度をまめに回復させておけば確率は減らせるとはいえ面倒なので、弾詰ま(ジャム)り機能が実装されてからというものプレイヤーからの削除しろとの声が鳴り止む日がないくらいだ。

 

 弾詰まりを起こすといくつか手順を踏んで解除しないといけなくなる。戦闘中にそんな悠長なことをしていられないので、そういう時はサイドアームに切り替えるのだ。

 

 僕の場合はメインアームがハンドガンなので弾詰まりを起こすことはワンシーズンに一回二回あるかどうかくらいだけれど、戦闘中にリロードする時間も惜しい時にはサイドアームに切り替えることもなくはない。兎はDEXがAGIの次に高くてリロードも早いからサイドアームを持っていかないことも多いけども。基本的にヘッドショットに失敗したら逃走するし。

 

『とりあえず忘れないうちにワークの報告しといて……』

 

「拾えたSFAKはわかるところにしまっておいたほうがいいですよ。次のマップに持って入って死んでしまうと納品で使えなくなってしまうので」

 

『ん、わかった』

 

 さっきの出撃で得られたアイテムのうち、使う予定のないものは売りに出し、使う可能性のあるものは倉庫に保管しておく。念のために装備や医療キットなどは余裕を持たせているが、今のところそれらの予備装備、予備アイテムらが枯渇したことはない。アビリティの本格実装後は生還率が劇的に向上して装備を失うことは減少したし、医療キット等の回復アイテムは使う暇がない。被弾したと同時に死ぬこともあるし、ソロだと被弾しても回復する前に詰められる。最近だと売りに出すことのほうが多いくらいに使う機会が少ない。

 

 でもさっきの出撃では医療キットに助けられたことを考えると、やはりパーティを組むというのはそれだけで生還率の向上の一助になっているのだろう。ソロでは一回の出撃で二回も医療キットを使うなんてことは記憶にない。

 

 やはり戦友、同志が隣にいるというのは心強い。良き。

 

「次も『市街地』に……いや、ワークのついでにしましょうか。ワークで困ってるのありますか?」

 

 次の出撃はメインが『覚えていると便利なキャラコン』と、サブで『効率のいい漁りルート』を教えることが目的だ。漁りのルートは情報サイトにも載っているし、後から注意事項と纏めてテキストで送ったっていい。キャラコンについてはどこのマップでも教えられる。一人で攻略するのが難しい、あるいは情報サイトを見てもわかりづらいようなワークをお手伝いをしたほうが、美座さんもその後が捗るだろう。

 

『ワーク、はあるんだけど……ジン・ラースは私の引率ばっかりでいいの? そっちのワークは?』

 

「僕のほうは残っているのがネームドキルのワークだけなので、美座さんのワークをやっていきましょう。僕としても息抜きになってありがたいです」

 

『ネームドキル……。地獄みたいなワークだ……』

 

「やってることは貴弾で言うところのチーター狩りと大差ないです」

 

『くふっ……ふふっ、それはそうだね。あははっ、チーター狩りっ……』

 

 何がツボだったのか、美座さんはくすくすと笑っていた。立ち絵でも話し方でも、第一印象からでは美座さんがこんなにころころとよく笑う人だとは思わなかった。

 

 よく笑う人は好きだ。お喋りしていて相手が笑っていれば、相手の幸せを分けてもらえているような気持ちになれる。

 

 ちなみにこの場合における『チーター』とは動物を意味しているのではなく、チートという不正行為をする人を指す。具体的な不正行為の内容はゲームタイトルによって様々だけれど、自動的に照準が敵に合わせられるオートエイム、遮蔽物に隠れている敵を映し出すウォールハックあたりがFPSタイトルでは代表的だ。

 

 ネームドボスは、まるでそんなチートを使っているんじゃないかと疑いたくなるほど強いのだ。前回の『ホーミングチート持ち』との呼び声高いレビンソン氏がそう。弾丸の軌道を見れば、放たれた銃弾が誘導ミサイルが如くプレイヤーの頭蓋に吸い込まれている。実際には偏差を計算して撃ってきているだけだけど。

 

 ネームドボスたちは、だいたいがそんな感じの化け物たちだ。『公式チート』の看板に偽りなしである。

 

 そんな単体でも厄介極まりないネームドたちはなんと取り巻きまで侍らせている。周囲の取り巻きの兵士だって決して弱くはないのだ。まずは取り巻きを排除してからでないとネームドとは集中して戦えない。ネームドに至るまでの道ですら(いばら)で舗装されているのだ。集中して真剣に取り組まなければ勝負にならない。さすがに疲労を感じるので、ネームドには精神的にゆとりのある時に会いに行っている。

 

 美座さんのワークのお手伝いは良い気分転換になっているのだ。ぜひともお供させてもらいたい。

 

「ネームドボスを連戦なんてやってられませんからね。気が向いた時にゆっくり進めてます。なので美座さんのワークを消化していきましょう」

 

『ふふっ、うん。くふふっ……それじゃあ手伝ってもらおっかな。えっと……あ、SFAKのワーク出てる。これ三つもいるの?』

 

「はい、そうですよ。なので見つけた時に確保しておいたほうがいいんです。不思議なことに、いざ探すと出ないものですから」

 

『物欲センサーだなぁ。他には、ジェネレーターと……なにこれ? 「RBAR V700」を一つ? 銃?』

 

「わああ……」

 

『え、なにその反応……。取りに行くの大変なの? なんかリスナーも似たようなリアクションだし……』

 

「大変な部類のやつですね。とりあえず、次行くマップは『市街地』です」

 

『「市街地」で湧くんだ。どのあたり?』

 

「廃墟マンションの屋上です」

 

『ふんふん、廃墟マンションの屋じょ……え、ちょっと待って?』

 

「お察しの通りです」

 

『うそ、うそだ……ドロップ品とか言わないよね?』

 

「ドロップ品です。おめでとうございます」

 

『やだーっ』

 

「レビンソン氏が装備しているスナイパーライフルです。もちろん彼を倒さなければ拾えません。おめでとうございます」

 

『やだっ……やだーっ、あいつトラウマなんだけど……。私のせいでジン・ラース殺されかけたし……』

 

「兎は索敵の任務さえ果たせればお役御免みたいなところがあるので気にしなくていいですよ」

 

『そんなわけないでしょうが。絶対死なせないんだから』

 

「ふふっ、ありがとうございます。でも美座さん、安心してください」

 

『なに? またアルミラージで倒すの? あれってだいぶ危なくない?』

 

「僕、レビンソン氏を安全に倒す方法を編み出しています」

 

『……ほんとに? さっきのオリジンじゃなくて?』

 

「あれは再現性に乏しいですからね。あのようなやり方は賭けというのです。あれとは別に、確定で決まるのかちゃんと試して、その上で成功したやり方があるんです」

 

『すごいじゃんっ、そんな方法あるなんて知らなかった』

 

「やり方が少々特殊で、今のところはまだ兎限定なんです。なので兎のページにしか載せていません。他の種族のページなんて目を通す機会は少ないでしょうから、知らないのも無理はありませんね」

 

 どの種族でもできる方法を確立できれば情報サイトのネームドの項目に攻略方法として付記するのだけれど、兎以外の種族で試せないので更新できないのだ。武装の枠を一つ埋めることになるけれど、やろうと思えば他の種族でもできるんじゃないかなあ、という方法は思いついてはいる。

 

『今のところ兎しかできないけど、ジン・ラースがいるなら楽に攻略できるってことだよね。よかったぁ』

 

「レビンソン氏を安全に倒すやり方は見つけたんですけど、安全に倒すやり方を安全に実行するやり方はありませんでした」

 

『な、え、なに? 安全に、倒す……の、あん、安全な……あ、あんぜんを?』

 

「安全に倒すやり方は見つけましたが安全に倒すやり方を安全に実行するやり方は見つけられませんでした」

 

『あ、安全に、あんぜ……すんなり頭に入ってこない日本語使わないでっ』

 

「ふふっ、くふふっ……。ん、つまり多少の危険はありますので覚悟はしておいてください、ということです」

 

『それなら最初からそう言ってっ』

 

「ふふっ、ふっ、あははっ」

 

『笑うなっ』

 

 お喋りしている間に準備を済ませて『市街地』の出撃待機画面で美座さんを待つ。

 

 時間的に次の出撃が最後になるだろう。次はどんなハプニングが巻き起こるのか、とても楽しみだ。




外から見たら完全無欠にラブコメしてるんですけど、お兄ちゃん的には同志と協力し合って街を守るという熱血モノの気分です。認識の齟齬……。


ごめんなさい。もうちょい続きます。次はあざみん視点です。


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銃はおしゃれの道具じゃない。

感想をいただいてインスピレーションがわいたのでリスナーのコメントを書き足しました。
感想くれた方感謝っ! 


 

〈映画化決定〉

〈カプ厨じゃないけどうさねこてぇてぇ〉

〈末永くいちゃいちゃして〉

〈今のあざみんヒロインだよ!〉

〈^^〉

〈うさねこー〉

〈うさねこていてい〉

〈こんないい相手いないよあざみん!〉

〈あーきゅんきゅんするんじゃー〉

〈逃げ足早いけど黒兎逃すなよあざみん〉

〈さっきの出撃のラストは完全にヒロインのそれ〉

〈絵描ける人ファンアート頼むわ〉

 

 脱出してからというもの、ずっとコメント欄が騒がしい。勢いが衰えない。

 

 ろくに読めない量のコメントが流れているし、悪い内容のコメントがあるわけでもない。なので盛り上がっているリスナーたちは放っておいて、私は次の出撃の準備をしていた。〈うさねこ〉という文字は見えたけど、それはいい。〈はふ猫〉は処罰の対象だけど〈うさねこ〉はいい。対象外だ。べつに他意はない。

 

 マップを脱出する前も、脱出してからもジン・ラースがずっと話しかけてくるせいでちっとも進まなかった出撃準備をようやく終わらせ、私はマップ『市街地』の出撃待機画面に向かう。

 

 ADZは出撃待機してからが長い。他のプレイヤーのマッチング状況もあるし、マップのグラフィックは繊細だし、アイテムの配置や敵兵の湧きなんかもあるんだろう。それらの読み込みに時間がかかる。

 

 出撃の度に動きのない長いロード待ちの時間があると、次第に黙ることも多くなる。いつもの配信だと一人なのだ。リスナーに話すネタなんて尽きている。私はあまり雑談が得意なタイプじゃないし、リスナーとプロレスみたいなやり取りができる配信者でもない。

 

 だが、ジン・ラースは私とはまったく違うようだ。

 

 ずっと喋っている。手も頭も私以上に動かしているはずなのに、なぜ口もそれだけ動かせるのかわからないが、もうほんとに、ずっと喋っている。それだけ喋り続けられるのも配信者としての才能だ。

 

 しかも一人でのべつまくなしに喋り続けるんじゃなく、機を見て私にも話を振ってきてくれる。

 

 話を切り出して、まずはジン・ラースが話を膨らませて、いいタイミングで私にトスしてくる。打ちやすく上げられた会話のボールを私が返せば、ジン・ラースは綺麗に拾ってさらに広げてくれる。おかげで口下手で話下手な私でも楽しく話ができている。

 

 ジン・ラースはお喋り好きであると同時に聞き上手でもあるのだろう。

 

 なんだこいつ、絶対モテるじゃん。偏見だけど、変な女に付き纏われてそう。

 

『僕はだいたい十九時くらいから配信することが多いんですけど、美座さんはいつも早い時間から配信されているんですか?』

 

「わりとまちまちかな。今日みたいに昼過ぎから夕方をまたいでっていう時もあるし、深夜に配信することもあるし」

 

『夜の浅い時間とか、浅い時間っていう言い方も変ですけど、十九時とか二十時くらいにはあまりされてないんですか?』

 

「ううん、ふつうにやってることもあるよ。私は気が向いたら配信つけるって感じなんだよね。配信始める時間にばらつきが多くて、たまにリスナーから言われるもん。〈リアタイできない〉って」

 

『あははっ、たしかにリスナーさんからすれば配信を始める時間帯がばらばらだと大変そうですよね』

 

「まぁ、そんな文句受けつけないで好き勝手やってるけどね。一時間二時間前にSNSで『今日何時からやる』とかって通知してるだけマシだと思ってほしい」

 

〈黒兎健全な時間にやってんなw〉

〈めっちゃちゃんとしてて草〉

〈SNSみたら前日から通知してんぞ〉

〈ここではありえないな……〉

〈まじでリアタイさせる気ないでしょw〉

〈注意してやってくれ黒兎〉

 

『何時から配信するかは配信者の自由ですからね。僕だって、配信を始める時間をおおよそ固定しているのは、自分の生活リズム的にその時間がやりやすいと思った結果ですし』

 

「だよね。やっぱり自分のやりやすい時間にやるのが安定して続けられる秘訣なんじゃないかなって私は思ってる」

 

『僕も礼ちゃん……配信者の先輩に「やりたくないことはやらなくてもいい」と教えられていますし、もしかしたらそういう側面もあるのかもしれません』

 

「ほら、聴いてた? リスナー。ジン・ラースもこう言ってるんだよ」

 

『でも十九時くらいからでも配信できるのなら時間は合いそうですね。美座さんさえよければなんですけど、また今度コラボしてくれませんか? 一緒にやるADZがとても楽しくて』

 

 なるほど、ふだん何時くらいから配信をしているかという質問は、コラボの話に繋げたかったから出した質問だったのか。たしかに今日みたいな時間からいつも始めていたのだとしたら、ジン・ラースの配信時間には合わない。コラボできそうかどうかの確認だったわけだ。

 

 私もソロでやるADZとは比べ物にならないくらい楽しかったし、ジン・ラースとまた遊ぶ機会があればいいなぁ、なんて考えていた。

 

 でも頭の中で『楽しかったな』『また一緒に遊びたいな』と思うことと、それを実際に相手に伝えることはハードルの高さがだいぶ違う。

 

 ジン・ラースには気後れするような感情とか、素直に打ち明けることへの羞恥心とかないのだろうか。まぁ、なさそうではあるか、ジン・ラースだし。

 

「えぁ……お、あ、うん……お、おけ。や、やろうよ。私もADZの、なっ、仲間が増えるのは……うれ、うれし……よ」

 

〈テンパってて草〉

〈うさねこー〉

〈かわいい〉

〈かわいいw〉

〈いいやんいいやん!〉

〈てぇてぇ〉

〈末永く仲良くしてくれ〉

〈リアタイもしやすくなるしうさねこコラボ観れるかもだし最高だ!〉

〈どんどんやってけ〉

 

 ジン・ラースも私とやってて楽しいと思ってくれてたんだ、っていう喜びやら嬉しさやら照れやら、面と向かって言われた気恥ずかしさで舌が急に動かなくなった。しどろもどろもいいところだ。

 

『本当ですか? わあ、嬉しいな。僕コラボする人って、だいたい同じ事務所の妹か、格ゲーが好きな同期くらいしかいないんです。一緒に配信でADZしてくれる人ができて嬉しいです』

 

「そ、そうなんだ。少ないんだね。まぁ、私も基本はソロ配信だけど」

 

〈わあ草〉

〈黒兎配信もソロなんか〉

〈草〉

〈黒兎かわいいw〉

〈反応かわええなw〉

〈うさねこてぇてぇ〉

〈配信でADZやってなかったのか〉

〈ええやん〉

〈黒兎今配信つけてねぇのかよw〉

〈あざみん相手いないしちょうどいいじゃん〉

〈うさねこー!〉

 

 これだけ一人でも話せるし、私みたいな口下手相手にも話を振って盛り上げられるのだから、ジン・ラースは友だちが多くていろんなグループからコラボの誘いなんて引っ切りなしにあるだろうと先入観を抱いていた。単にADZを一緒にやる相手がいないだけだと思っていた。

 

 相手に友だちが多いと『私みたいなぼっちがコラボ誘っていいのかな……』っていう後ろめたさがあるけど、ジン・ラースも私と同じくらいぼっちなら誘いやすい。いいことを聞いた。

 

『気軽に声をかけてくださいね。ここ最近は午後に時間を持て余すことも多いですし、妹もお勉強が忙しくて僕一人で配信してることも多いので夜でも大丈夫ですから。深夜となると少々難しいですけど』

 

「へぇ……生活リズム整ってるタイプの配信者なんだ。めずらしい」

 

『夜寝て朝起きるだけでめずらしいと言われる配信者界隈ってやっぱりすごいですよね。おっと、始まりましたね』

 

「もう湧いたんだ。はやいね」

 

 ジン・ラースと話しているうちに長いはずのロード時間が終わり、マップに送り出された。

 

 待ち時間の多いADZなのにジン・ラースとやっていると退屈しない。それは些細なきっかけからでも話を拾って、繋げて、広げられるジン・ラースのトークスキルがあってこそだろう。その内容も人の気分を害するものではなく、過度に他人をいじったり煽ったりしないでこんなにも続けられるのはすごい。

 

 きっと、こういう配信者が人気になって、長く続けていけるのだろう。

 

 それは私の配信でさえ数字として表れている。

 

 ジン・ラースとやってからというもの、コメント欄がいつになく盛況だ。敵兵との戦闘前とかレアなアイテムを拾った時とかは一時的にコメントが増えることもあるけれど、今はコンスタントにコメントが投稿されている。

 

 同時接続数もふだんより多い。あんまり観る人がいない時間帯にやることが多いという理由もあるけど、いつもなら三桁くらいが通常で、千人に乗ることも稀だ。でも今はいつもの五倍近い。SNSかなにかでジン・ラースが私の配信にいることが伝わって、ジン・ラースのリスナーが流入しているのかもしれない。

 

 でもそのわりには、ジン・ラースリスナーであることをアピールするようなコメントは見当たらないのが不思議だ。急に同時接続数が増える理由なんてジン・ラース以外ないのに。これはジン・ラースのリスナーの民度がいいのか、それともジン・ラースがリスナーを躾けているのか、どちらだろう。

 

『美座さん、こっちに移動してもらっていいですか?』

 

「ふぁっ……あ、うん」

 

 コメント欄を見ながら、この中にジン・ラースのリスナーもいるのかな、などとぼんやりと考えている時に声をかけられたので変な声が出た。気を抜いている時に耳に忍び込んでくるジン・ラースの声は心臓に悪い。名前を呼ばれるとなお悪い。

 

『ふふっ、すみません。驚かせてしまって』

 

「ちょ、ちょっと考え事してただけだからっ」

 

〈かわいいw〉

〈草〉

〈驚きかたw〉

〈かわいい〉

 

 ジン・ラースについて行って、岩の影に隠れる。ここなら射線が限られるので安全だ。

 

 そういえばメインアームを持ってこないように言われていたので、私は丸腰だったわけだ。いくらマップに湧いたばかりだったとはいえ、気を抜きすぎていた。

 

『くくっ、ふふっ……そうですね、失礼しました。ではさっそくお渡ししますね。まずこちらです。カスタムはしてますけど、使いづらい部分もあるかもしれないので確認しておいてください』

 

 そう言いながらジン・ラースが落としたのは銃だった。

 

 アサルトライフルだが、しかしこの形状は。

 

「CR4U1……い、いいのっ?」

 

『どうぞ、受け取ってください』

 

「えっ、だって、これ……めっちゃ強いやつ……」

 

『どうせ僕には使えない銃なので』

 

 拾って確認すると、やっぱり最強格とされているアサルトライフルだった。しかもカスタムまでガチガチに施されている。アタッチメントを全部買ってここまで仕上げようと思ったらいくら費用が(かさ)むかわからないくらいのフルカスタムだ。

 

〈最強ARやんけ!〉

〈いやそりゃ兎だと満足に使えないだろうけど〉

〈CR4U1は売っても結構するのに売らんかったんか〉

〈よくこれあげれるな……〉

〈カスタムガチすぎて草〉

〈使えないのにカスタムしてるのなんでよw〉

〈こんなん俺もほしいわ〉

〈全部一から揃えたらあほほど金かかるぞこんなん〉

〈これ以外の銃いらん〉

〈もうほかの銃いらないなw〉

 

「使えないのになんで売らずに置いてんの。しかもここまでカスタムして」

 

『最初は妹が始めた時用に保管してたんです。でも忙しいですしADZやる機会もなさそうなので、それなら倉庫で埃被らせるよりも美座さんに使ってもらったほうが有意義だな、と。カスタムはですね、やってると楽しくなってきちゃいまして……銃のデザインも格好いいので』

 

〈わかるw〉

〈黒兎しすこん?〉

〈カスタム楽しいよなw〉

〈しっかり男の子で草〉

〈ジンラスはシスコンだぞ〉

〈かっこいいもんなわかるぞ!〉

〈めっちゃわかるわw〉

〈俺もカスタムしてモデル見てる〉

〈時間かけちゃうよねw〉

〈時間も金もかけてる〉

〈正直わかるw〉

 

「かっこいい、って……。そんな理由でここまでやる? ……あ、リスナーもわかるんだ。そういうものなの?」

 

『ロマンとはそういうものです。あとこちらマガジンです』

 

「わ、マガジンまで……。しかも弾も入って……こっちも高い弾っ」

 

 三十発入りのマガジンを三つ、しかも全部に高貫通高威力のAP弾が入っていた。

 

 ADZは銃や弾薬、アタッチメント、マガジンに至るまでぜんぶ拾うなり購入するなりしなければいけない。扱う装備すべてに費用がかかってくるのだ。言及しているリスナーもいたけれど、これらすべてを揃えようと思えばとんでもない額が必要になる。私のふだんの出撃四回分くらいの収入が吹き飛ぶ値段にはなると思う。

 

 揃えるのは大変だし費用もかかるのに、死んでロストしてしまえばそれまでなのだ。コオペ(保険)で返ってくるかもしれないなんて甘ったれた考えは捨てたほうがいい。

 

 どうしよう。この銃、私の命よりも価値が重い。

 

『資金も余っていたので、ここまできたらとことんまでこだわろうと思って弾薬もいいのを選んでおきました。どうせなので使い倒してもらえたら嬉しいです』

 

「こ、これ、私には重いよ……。こんなの使えない……」

 

『え? 筋力足りてませんでしたか?』

 

「所持重量的に重いって意味じゃないよっ。わかるでしょっ。こんなにいいものもらっても死んだらなくなっちゃう……荷が重いってことっ。なんでわからないのっ」

 

〈草〉

〈わかるやろw〉

〈たしかにこれはロストできないなぁw〉

〈筋力足りないは草〉

〈悪魔には人の心がわからないw〉

 

『ああ、そういう……これは失礼しました。でも、失くしてしまっても大丈夫ですよ。カスタムはできてませんけどもう一挺予備があるので、ロストしたらそちらを差し上げます』

 

「もらえるわけないでしょっ、ばかっ。返せるものないよ私っ。今回のこれだってお返しになるかならないかギリギリのラインなのにっ」

 

『別にお返しがほしくて美座さんにお渡しするわけじゃないですし。気持ちです』

 

「気持ちの問題だったら私だって気持ちの問題で受け取らないっ。なにかお返しが用意できたらその時にもらうからっ。物々交換っ」

 

『僕がアサルトライフルを使えないから美座さんに使ってもらおうとしているだけなんですけど……。無理に押しつけるのも悪いので、そう仰るのなら交換ということにしますけど』

 

「そうして。まったくもう……。えっと、私からは……これ」

 

 なにかにつけて尽くそうとしてくるジン・ラースを押しとどめて、私は持ってきたハンドガンを落とす。

 

 ジン・ラースの甘い囁きに乗ってしまうと自分がダメ人間になる気がする。

 

 いや、確実になる。

 

 ジン・ラースには妹がいるみたいだし、甘やかしスキルのレベルがかなり高い。あるいは悪魔としてのアビリティかもしれない。人を堕落させるのがうますぎる。こんなにドロドロに甘やかされては遠くない未来にダメ人間の烙印を押されることになる。

 

 能力的にはジン・ラースのほうが圧倒的に格上だけど、あくまで対等な関係を望んでいる。私は戦友になりたいのであって、お姫様扱いされるつもりはない。

 

 なのでお返しをする。お返しするにしてももらったものに対して見合っているとは言い難いけど、今の私にはこれが精一杯だ。

 

 私が落とした銃を、ジン・ラースが拾った。

 

『わっ、これRCh-50じゃないですか。ほしいなってずっと思ってたんですけど見つけられなかったんですよ。いただいていいんですか?』

 

〈前に拾ったって言ってたやつか〉

〈黒兎にはベストのハンドガンだな〉

〈ネックは弾代くらい〉

〈プレゼント交換会みたいw〉

〈ほのぼのするわw〉

〈てぇてぇやん……〉

 

「ん。引率してくれてるお礼と、CR4U1くれたお返し。……でも、あの……ごめん。弾は装填済みのぶんしか用意できなくて……。私はフルカスタムもらったのに、それカスタムもできてないし……」

 

 ここまでたくさん助けてくれたジン・ラースへのプレゼントなのでできればカスタムもしておきたかったのだけど、ここ最近は例のビルのワークのせいで何度かロストもあったし、配信外でも何回か死んだせいでお金も装備も底を尽きかけていた。前回の出撃分のアイテムでいらないものを売り払ってどうにか弾は用意できたけど、すぐに工面できたお金では装填分の五発が限界だった。

 

 RCh-50の弾はハンドガンの中では間違いなくトップクラスの破壊力を有しているけれど、お値段まで破壊的な価格をしているのだ。消費者にとって悪い意味で価格破壊を起こしている。

 

 くそう、配信外で死んでいなければ予備の弾も一リロード分くらいは買える余裕があったのに。 

 

『僕がカスタムしてたのは個人的にロマンを追い求めて楽しんでいたからなんです。なので全然気にされなくていいんですよ。それよりもほしいと思っていたハンドガンをいただけてとても嬉しいです。でも、本当にいただいていいんですか? 僕はアサルトライフルを使えないので美座さんにお渡ししましたけど、美座さんはサブとしてハンドガン使えるのに』

 

「いいの。ジン・ラースのほうが有効利用できるでしょ。それに……RChを日常的に使えるほど、私は資金的な体力がないから……」

 

『ああ……。これの弾、とても強力ではあるんですけど、フリーマーケットで買おうとすると高いですからね……。セーフハウスの機能を使うと多少はましになりますけど』

 

「そ。だからジン・ラースが使って。反動が強すぎて連射は難しいみたいだけど、ヘッドショット連発できるくらいエイムがいいジン・ラースならそのハンドガン使えばもっと楽になると思う。並のアーマーならぶち抜いて一撃で倒せるらしいし、無理に頭狙わなくてもよくなるよ」

 

『わあ……プレゼント、嬉しいな。絶対失くせないや。……セーフティバッグに入れとこっと』

 

「ん? ちょ、ちょっと待って? ぼそっと、セーフティバッグに入れとこう、みたいな声が聞こえたんだけど?」

 

『はい。ADZで初めて、しかも美座さんからいただいたものですからね。絶対ロストできません。何があろうとも持って帰って倉庫に大事にしまっておきます』

 

「いや、使ってよ。私はあんたみたいに予備持ってないけど、見つけたらまた渡すから。耐久値すり減って壊れるくらい使って。せっかくあげたのに使わなかったらもったいないでしょ」

 

『RCh-50が大事なんじゃないんです。美座さんからもらったこの銃が大事なんです』

 

「ぁぅ……あの、ちょっ……あのさぁ、恥ずかしくなること言わないで? 顔熱くなる……」

 

〈黒兎ピュアw〉

〈あ〜^^〉

〈うさねこー!〉

〈これはこれはw〉

〈照れとるw〉

〈かわいいw〉

〈これは誰でも照れるわなw〉

〈うさねこてぇてぇ〉

〈新たなコンテンツの誕生だ〉

〈うさねこー〉

〈うさねこ!〉

 

『初めてもらったんです。絶対失くせません。このシーズンが終わるまで倉庫で保管して、たまに取り出して眺めます』

 

「もっ……やめ、やめてっ。そんな辱め受けるくらいなら渡さないっ。返してっ」

 

『返しません。もう僕がいただきました』

 

「返せっ」

 

『返しません』

 

〈黒兎w〉

〈てぇてぇ〉

〈宝物だもんなw〉

〈草〉

〈あ〜うさねこ〜^^〉

〈うさねこ〜〉

〈うさねこてぇてぇ〉

〈どんどんいちゃついてもろて〉

〈これ今日が初対面ってマ?〉

〈コミュ力はんぱねーw〉

〈黒兎かわいいw〉

〈うさねこー!〉

 

 銃なんて使ってなんぼの代物だ。お気に入りの銃を持って出撃して、敵を倒して、敵に倒されて、ロストする。ロストするまでの流れを含めてADZだ。銃はおしゃれの道具じゃない。倉庫に飾るインテリアじゃない。

 

 なによりジン・ラースの倉庫でずっと晒し首のように安置されるなんて恥ずかしすぎる。

 

「むっ……返さないならここで処してでも取り返す。それが嫌なら使え」

 

『……さすがにここで全弾避けるのは難しいか……』

 

「ジン・ラースが死ななきゃいいだけの話でしょ。そうだよ、毎回死なずに持って帰ればいいの。だから、ちゃんと使って。わかった?」

 

『………………仕方ありませんね』

 

「すごい不服そう……」

 

〈すっごい長い沈黙だったなw〉

〈草〉

〈草〉

〈めっちゃ嫌そうで草〉

〈さすがに壁もないとこでは逃げきれんかw〉

 

『わかりました。そうですね、死ななければいいだけの話なのですから。……このゲームで死なないってほぼ不可能に近いんですけど』

 

「それはジン・ラースの努力次第だね。はい、そろそろワークやりに行こ。えーと、ここは……」

 

 ジン・ラースの言い分を強引に押し流し、私は今回の目的へと話を移す。

 

 メインがワークの消化、サブがキャラコンについてで、サブのサブが効率的な漁る場所だ。今回のワークの最大の難所はもちろん廃墟マンション屋上のネームドになる。

 

 さしものジン・ラースといえど毎回オリジンでキルするのは難しいらしいけど、ネームドの安全な倒し方には当てがあるみたいなのでそれに期待しよう。

 

 とにもかくにも、まずは移動だ。

 

 ここは山の麓っぽい地形で遠くに川も見えるので、マップの南西にあるランドマーク、俗に吊り橋と呼ばれている地帯、その周辺だ。ただこの吊り橋付近はどこも似たような景色なので、現在地がマップの南なのか西南西なのか判断がつかない。

 

 きょろきょろとあたりを見渡していると、すっとジン・ラースが動いた。

 

『行きましょうか。まずは北上します』

 

「ここ、南か西南西かわかるの?」

 

『はい。西南西に湧いたら川の音が聞こえます。向こうは川が近いですから。聞こえないので南ですね』

 

「……聞こえたっけ?」

 

 マップ南西の吊り橋からは川が流れていて、西のほうまで続いている。なのでたしかに西南西の湧きポイントは川が近いけど、水の流れる音なんて聞いた記憶がない。種族の違いによる可聴範囲の差だろうか。

 

『他には西南西は木が少なめの代わりに、伏せていると身を隠してくれるくらい背の高い草が多く生えている印象ですね。南は大きな岩や木が比較的多くて、草はそこまで伸びていない感じです。そのあたりを意識して景色を眺めると違いがわかってきますよ』

 

「へぁー……なにか目印になるものとかじゃなくて、全体的な風景で判断してるんだ」

 

『目立つ目印などがあればそれが一番ですけどね。そんなものをADZは用意してくれないのでこちらで判別するしかありません。頑張りましょう、慣れです、これは』

 

「そういうもんだもんね、このゲーム」

 

『そういうもんです』

 

〈そういうもん〉

〈そういうもんだもんなぁ〉

〈一番方角間違えるわここ〉

〈吊り橋で二回迷子になったことある〉

〈わかりにくいんだよ〉

〈マップほしいほんとに〉

〈悪いなそういうもんなんだ〉

〈一般獣たくさんいます〉

 

「南だったら……キャンプ施設は遠いね」

 

『SFAKはあそこ以外にも落ちてますので、いつかどこかで拾えるでしょう。ついでくらいでいいのです。そのうち出てきます』

 

「それもそっか。あんまり探してると物欲センサーで出てこないしね」

 

『そういうことです』

 

「RBARは廃墟マンションだから置いとくとして……ジェネレーターってあんまり見た記憶ない、かも。どこらへんに多いの?」

 

『ジェネレーターは西の加工場か、北の自然公園横の駐車場あたりが一番見かけますが、西だとかなり遠回りすることになりますし、北には移動範囲の桁違いなネームドボス、オウロさんがいますからね。出会(でくわ)したくないです』

 

「ああ……あの蛇ね。あいつ嫌い……」

 

〈あざみんのトラウマやんw〉

〈マウスぶん投げるくらい驚いたやつw〉

〈あれ以降自然公園に近づいてないの草〉

〈実際つえぇしなぁ〉

 

 一度だけ、奴と戦いに行ったことがある。

 

 北は自然公園のようになっていて、木々や草が鬱蒼としているエリアだ。そんなエリアなものだから視界が悪く、しかもネームドは迷彩のような服装をしていて、とても敵の姿を視認しづらい。気がついたら音もなく隣で高威力の拳銃を構えられていて、私は至近距離で撃たれた。驚きのあまり悲鳴を上げて半泣きになってからはあのエリアに足を踏み入れていない。わかりやすくトラウマだ。

 

『障害物も多くて、彼自身、動きも機敏で当てづらいですしね。強化兵士側から見る僕もあのような感じなのかもしれません』

 

「あははっ、それはそうかも。ちょこまか動いてハンドガンでズドン、だもんね」

 

『ちょこまかとは失礼な。生き残るための必死の抵抗なのです。きっとオウロさんも同じなのでしょう。シンパシーを感じます。ネームドの中ではもっとも装甲が薄いですし、彼』

 

「感じなくていいから。その二つの他に出やすいところってあるの?」

 

〈強化兵士版黒兎〉

〈なんならオウロより厄介〉

〈ピストルでスナイプするような奴はもっと嫌だわw〉

〈強化兵士がトラウマになるぞ〉

〈生き別れの兄弟かもしれんw〉

〈戦い方同じで草〉

 

『そうですね、検問所の車庫のほうを探しに行きましょうか。あそこのボックスに湧くことがあります。そこに賭けましょう』

 

「検問所、検問所かぁ……。あそこもあそこで危ないところだよね」

 

『はい、ソロなら近づかないよう努めるべきエリアです。でも他のエリアはもっと危険ですからね。危ないことに変わりはありませんが、危ない中では一番危なくないです。他のワークとの兼ね合いもありますからね』

 

〈検問所か〉

〈たしかに出てきたことある〉

〈詳しすぎやろw〉

〈なんでも知ってんな〉

〈きいたらなんでも答えてくれるやんw〉

〈頭に情報サイト入ってる〉

〈あざみんかわいいw〉

〈もらった銃眺めとる〉

〈大事にしないとなw〉

 

 ジン・ラースの話を聞く(かたわ)ら、もらったアサルトライフル、CR4U1をADSしてどんなふうに見えるのか、視点を振って取り回しの具合などを確かめる。今ついているマガジンに弾が込められているか最終確認して、装填して構え直す。これであとは引き金を(マウスを)引けば(クリックすれば)発射できる。

 

 私はこの銃を使ったことがないので他のアサルトライフルとの使用感の違いはわからない。こればかりは実戦で撃ってみないことにはどうしようもない。使い勝手がよくても悪くても、感覚の微調整は必要になる。

 

 でも気のせいかもしれないけど、サイトを覗いた感じも、エイムのしやすさも、他の銃よりいい気がする。早く使ってみたい。新しい銃にはこういうワクワク感があって、とても気分がいい。

 

「そうだよね。マンションのネームドにも用があるし。……よし、行こっか」

 

 すっ、とアサルトライフルを背中に回し、代わりにナイフを握りしめる。

 

 さっきの出撃でジン・ラースの言っていた小技を試すべく、倉庫の片隅に眠っていたナイフを持ってきていたのだ。

 

 ふだんまったく使わない、マップにすら持ち込まないのになぜナイフが保管されていたのかというと、おそらく交換か納品ワークの時に集めた余りものだ。もしかしたらまたどこかで使うかも、と思って倉庫に置いてそのままだったんだと思う。もう記憶にも残ってないけど、たぶんそんなところだろう。

 

『ナイフ持ってきたんですね。僕も今回違うの持ってきたんです』

 

 ハンドガンをしまったジン・ラースが取り出したのは、一つ前の出撃とは違うコンバットナイフだった。

 

 それは、ナイフなんてどれも同じでしょ、などと考えていた私には革新的なものだった。

 

「わーっ、かわいいっ。いいねそれっ」

 

 とてもオシャレなデザインだったのだ。全体的に細身で、刃の真ん中あたりが鋸状になっているのか、ウエストが締まっているようなシルエットになっている。余計なものを削ぎ落としたような素朴な美しさ、綺麗でかわいい。

 

 前回持ってきていたもっさりしたナイフとは大違いだ。いいなぁ。

 

『でしょう? きっと美座さんにはラバックよりエムツーベルガーのほうが好みに合うんじゃないかなと思ったんです』

 

〈え?〉

〈おしゃれ……〉

〈かわいいか?〉

〈けっこう残虐とか言われてるナイフ……〉

〈綺麗だとは思うけども〉

〈残虐性と表裏一体の美しさはあるか〉

〈あざみんのセンス……〉

〈女の好みまでわかるのか〉

〈黒兎モテます〉

 

「うんっ、これならほしくなるっ。……なんで一般獣はこの子のよさがわかんないの? かわいいでしょ」

 

『ま、まあ……好みは人によって異なりますから』

 

「ねぇ、ジン・ラース。このナイフってどこで手に入るの? 店売り?」

 

『先程話にも出てきたオウロさんの私物です』

 

「……この子は私とは縁がなかったみたいだね……」

 

〈前回の無骨なナイフのほうがかっちょいいのに〉

〈女受けはこっちなのか……〉

〈残念だが店では売ってない〉

〈草〉

〈私物w〉

〈たしかにそうだけどw〉

〈私物をかっぱらわないといけんからなw〉

〈あざみん取りに行けない……〉

〈もらうか〉

〈たぶん黒兎は何本も持っとるだろ〉

 

 ほろりと涙がこぼれそうになる。こんなことなら、美人でかわいいこの(ナイフ)と出会わなければよかった。

 

 ネームドボス、オウロの私物。ということは、奴のドロップ品だ。私にトラウマを植えつけた奴を始末しなければこのナイフは手に入らない。つまり奴を倒せない私は手に入れられない。悲劇だ。

 

『そんなに気に入ったのでしたら、僕は倉庫にあと二本ありますし、これと美座さんが今持っているナイフと交換しましょうか?』

 

 いいの、と口を衝いて出そうになった言葉を必死に呑み込む。

 

 ジン・ラースの気遣いはもちろん嬉しい。しかし、その優しさに甘えてばかりでは私はダメになる。戦友になるためには、もらってばかりではいけないのだ。

 

「っ……いい。ありがと。自分でっ、がんばるっ……」

 

『そんなに歯を食い縛るように言わなくても……』

 

「いいのっ……いつか、リベンジするつもりだったからっ……。また今度、リベンジしに行く」

 

〈えらい〉

〈えらいな〉

〈えらいんだけど苦しそうw〉

〈せやなw〉

〈リベンジしようなw〉

 

『ふふっ、そうですか。自分で頑張ろうとする姿勢はとても良いことですね。応援しています』

 

「でも、あの……私、あいつがトラウマで……。リベンジの時、ついてきてもらって……いい?」

 

『ええ、もちろん。ぜひご一緒させてください』

 

「あ……あり、ありがと……」

 

〈かわいい〉

〈黒兎が優しすぎる〉

〈うさねこてぇてぇ〉

〈こんなん甘えてまうって〉

〈あざみんかわいい〉

〈かわいいw〉

〈背中がデケェのよ〉

〈ばかかわいいやんけ!〉

〈黒兎の安心感ぱねぇ……〉

〈うさねこー〉

 

 甘えてばかりではいけないけれど、あのネームドがトラウマなのは事実なのだ。自然公園に入った途端に私がパニックにならないとも限らない。だから、精神安定剤としてジン・ラースを側に置いておくくらいは許してほしい。

 

 自分の持つナイフ然としたナイフに目を落として、やっぱりこれはかわいくない、などと思いながら目的地のある方角へと視線を上げる。

 

 私の数メートル先にジン・ラースが立っていた。

 

 周囲に目を走らせると安全だと確信したのか、後ろに──私に振り向いた。

 

『それでは行きましょうか。中央区、検問所付近まではそこまで危険ではないにしても、絶対に安全な場所なんてこの戦場にはありません。気を引き締めて向かいましょう』

 

 通話を繋いでいるのだから、ゲーム内でわざわざこちらに視線を向ける必要なんてない。それなのに、ジン・ラースは私のキャラクターを見て、それから話し始めた。律儀というか生真面目というか、プレイングの怪物っぷりとのギャップに笑いそうになる。

 

「んっ。行こっ」

 



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この出逢いはきっと、運命だったんだ。

 

『SFAKとジェネレーターは残念でしたけど、とりあえず一番終わらせておきたかったワークはできたのでよかったですね』

 

「ん、よかった。まさかあんな狩り方があるなんて思わなかったよ。隣の建物の屋上からグレ投げるなんて、よく見つけたね」

 

〈一人じゃ厳しいの終わらせられたのでかい〉

〈レビンソン56しの匠がおったw〉

〈納品アイテムは沼る時は沼るから〉

〈あんなやり方初めて見たわ〉

〈兎ならではだったw〉

〈あれはいろんな意味ですごかったなw〉

 

『遠くから眺めた時に、高さ的に届くかも、と思ったんですよ。それで何度か試したらうまくできました。狙撃銃を構えている場所が固定というのが一番大きいですね。今回役に立ってよかったです、あのやり方を発見するまでに何回も屍をあそこに置いてきたので』

 

「そんなに何回も死んでたの?」

 

『ええ。兎のハイジャンプの仕様が頭頂部を向けた方向に跳ぶというのはご存知ですよね?』

 

「うん。ピッカーで何度か使ったし」

 

 兎のハイジャンプといい、虎のウォールジャンプといい、妙に非感覚的なUIになっているのがこのゲームだ。

 

 まぁそのあたりの操作感は今に始まったことじゃないし気にしたってしょうがないけど。ミニマップさえ表示してくれないんだし。

 

『グレネードの投げる角度を意識するあまりにハイジャンプを使う前に投げる角度に向いちゃったんですよ。そんなものだからハイジャンプを使った途端に真後ろにぴょーん、と……』

 

「あはははっ、あははっ、くふっ……ふっ、あはははっ」

 

〈草〉

〈草〉

〈www〉

〈そんな事故があったのかw〉

〈あざみんの笑いつられるw〉

 

『あの時は僕も呆然としました。建物の高さもあいまってすごい滞空時間でした。昔の人が兎を鳥と同じように数えていた理由は空を飛んでいる僕を見たからなんじゃないかって思いました。そのくらい、僕も頭が働いていませんでしたね』

 

「あははははっ、ふくっ……んふっ、あははっ」

 

『どうにかウォールランでリカバリーしようと思ったんですけど、使うタイミングすらもらえずにそのまま地面までノンストップでしたよ。着地のキャラコンなんてあの高さの前では無力でした。他には投げる角度を間違えて真上に投げてしまって、降ってきたグレネードで自分を木っ端微塵にしたり』

 

「痛いっ、お腹痛いっ……もうやめて……っ」

 

『そうですか? まあそんな感じで、か弱い兎の命を積み重ねて見つけたのがあの方法だったのです。なので役に立ってよかったです。兎のハイジャンプを前提にしたやり方なので、今のところ情報サイトにも兎のページにしか載せてないんですよ』

 

「はぁっ、はぁっ……はぁ、はふ。うん、くふふっ……あれはたしかに、兎にしかできない芸当だった。兎を使っている人がいるパーティなら助かるかも」

 

〈悪いけどくっそおもろいわw〉

〈苦労があったんやなw〉

〈どうにかしようとしたのはすごいけどw〉

〈腹いてぇw〉

〈トッププレイヤーの努力のおかげで情報が充実してるんだなw〉

〈黒兎ありがとうw〉

〈腹痛くなるくらい笑うADZはほかで観たことないw〉

〈こんなに笑ってるあざみん初めて見るなぁw〉

 

 声フェチな女の子ならジン・ラースの声だけでファンになるくらいかっこいい声をしてるのに、そのままの声で失敗談を披露するのはずるい。

 

 話の内容によって抑揚をつけたり、かと思えば今みたいに淡々とした口調でその時の苦労を語ってみたり、どれだけ器用なのこいつ。

 

『さっきのやり方を試すにも、練習はしておいたほうがいいですけどね。ジャンプの際のキャラコン、グレネードの投げる角度、投げた後に着地のキャラコン。三つも続けて行わないといけませんから。特に着地のキャラコンは失敗すれば死が待っていますから注意が必要です』

 

「ふふっ、あははっ、ダメだ、思い出して笑っちゃうっ。ジン・ラースがネームドを爆殺して、私すごいって感動してたら、ジン・ラース足の骨を折ってたのっ。あれ思い出したらじわじわくるっ、ふふっ……」

 

 着地のキャラコンの話であの光景を思い出してしまった。

 

 建物の屋上で真上にとんでもない速度で大跳躍をして、空中でグレネードを投じる。ネームドボス・レビンソンのいる場所にグレネードが到達するのが起爆時間ぴったりという、計算し尽くされた調整。

 

 感動してジン・ラースを見たら、倒れ込みながら足の骨折を治療していた。神業スーパープレイからの情けなさ、あの落差は完全にギャグだった。

 

『直上ハイジャンプは着地に成功しても骨折を免れる術がありませんからね。不思議ですね。跳び上がるだけの力はあるのに、着地の衝撃を完全に吸収する力はないなんて』

 

「自傷アビリティだったね。でも、私がジン・ラースを見た時にはもう治療始めてたのは笑っちゃうって。仕事早すぎるよ」

 

〈くそ笑ったわw〉

〈振り返ったら足折ってんの草だった〉

 

『骨折することはわかってましたからショートカットキーに設定して準備してました。骨折することが前提の倒し方ですけど、レビンソン氏と堂々と真正面から戦うよりかは安全なんですよね』

 

「あのネームドを倒そうと思ったら、射線を避けるように迂回して、廃墟マンションに近づいて屋上まで上るくらいしかないかな? スナイパーライフル対決なんて話にもならないし」

 

 相手は『ホーミングチート』の異名を取る化け物だ。ネームドボス・レビンソンとの正面対決なんて勝ち目がない。挑むほうが悪い。それで勝てるのは同じ怪物のジン・ラースくらいだ。

 

 かといって廃墟マンションに忍び込んでこっそりレビンソンを殺そうにも、廃墟マンションの中にだって大量の兵士が詰まっている。マンションという構造ゆえに死角が多いし、急に出てこられて殺されるというパターンも多い。それにマンションに侵入して敵兵に見つかると無線かなにかで連絡が入るのか、レビンソンは屋上から移動して他のモブ兵士と協力しながらプレイヤーを奇襲してくるらしい。

 

 ネタみたいになっているけど、ジン・ラースが考案したレビンソン狩りの手法は間違いなく画期的だ。

 

『ただでさえ彼は化け物です。相手の土俵に立つのは自殺行為ですね。廃墟マンション侵入も悪くはないと思いますがなかなか安定しないので、あのグレネード爆撃は便利だと思いますよ。あとは兎以外でも使えるといいんですけどね。僕がハイジャンプグレネードをやった場所からグレネードランチャーを屋上に撃ち込めれば同じようなことはできるんじゃないかな、とは考えているんですけど……』

 

「あ、たしかに。使う機会がないからまったく思いつかなかったけど、たしかにできそうかも」

 

 グレネードランチャーはたしか拾ったことがある。記憶が正しければ、拾ってからバッグに入れて倉庫に保管してそのままのはず。使う機会がない、というか使い所がわからなくて放置している。

 

『武器のスロットを一つ埋めることにはなりますが、それなら他の種族でもできそうですよね』

 

「そっちは試してないの?」

 

『兎はグレネードランチャー使えないので……。ピッカーで試そうにも、ピッカーでは銃種の持ち込みはできませんし試せてないんです』

 

〈グレランも持てないのか〉

〈兎……〉

〈制限きっつ〉

 

「あぁ、なるほど。それなら代わりに私が試すよ。虎なら持てるしね、グレネードランチャー」

 

 ジン・ラースの研究のおかげで私のワークも終わったのだし、ジン・ラースのお手伝いをするくらいわけはない。

 

 というかジン・ラースのお手伝いをできる機会がこんなことくらいしかない。私にできることならなんでもする所存。

 

『いいんですか? 僕はとても助かりますけど』

 

「隣の建物の屋上まで行くのがまず大変だからジン・ラースも付き添ってほしいけど、試すこと自体はぜんぜんいいよ。きっとあのワークを終わらせられなくて困っている人もいるだろうしね」

 

『ありがとうございます。もちろん、その時は喜んで同行しますよ。……ふふ』

 

「ん? なに、急に笑って……怖いんだけど。なにか企んでんの?」

 

『何も企んでなんていませんよ。ただ、なんだかいいなあ、と思いまして。こうして誰かと一緒にゲームするの。もちろんソロでもADZは楽しいんですが、友人と「こういうこと試してみたい」とか「これ手伝って」とかってお喋りしながらやるのはそれ以上に楽しいです。とても……なんでしょう、こう……気持ちが高揚するというか浮き足立つというか……そう、わくわくするんです。僕、とてもわくわくしています。楽しいです、とっても』

 

〈なんやこのかわいい悪魔w〉

〈かわいいw〉

〈ピュア悪魔やんw〉

〈かわいい〉

〈属性多すぎだろw〉

〈かわいすぎw〉

〈かわいい〉

 

「なにそれ。ふふっ、そんなにめずらしいこと? あははっ。ほんともう、なに? 狙ってやってんの? コメント欄〈かわいい〉弾幕ですごいことなってるよ」

 

『ただの本心なんですけど……〈かわいい〉とは……。「可愛い」という言葉の概念は近年多様化され過ぎていますからね。何にでも使える便利な単語なのでしょう』

 

「たしかになんにでも『かわいい』って使われがちだけど、今回の『かわいい』は本来の使い方をされてると思うよ」

 

『だとするなら誤解されているかもしれませんね。当方、単純に友人が少ないだけの男です。……おっと、脱出地点こちらです』

 

「え……へ、へぇ。とも、友だち……い、いることはいるんだね……」

 

 これだけ社交性があるんだからジン・ラースに友だちがいないわけがない。ないんだけど、でもぼっち仲間だと思ってた分、動揺が大きい。

 

 私は友だちって呼べる相手はジン・ラースしかいないのに、ジン・ラースは私だけじゃないんだ。

 

『さすがにゼロではありません。……なんて、大きな顔をしながら言いましたけど、ちょっと前までゼロだったんですよね。それにあまりゲームをするタイプの友人ではありませんし、もう片方の友人はFPSは全然触っていなくて基本格ゲーになりますし』

 

〈なんでこんだけおもろいのに友だちは少ねぇんだよ〉

〈これで友だち少ないは嘘でしょw〉

〈こんな友だちほしいわ俺なら〉

〈あざみんショック受けてて草〉

〈格ゲーは同期のヤンキーかw〉

 

「趣味がちがうのに友だちなの?」

 

『趣味が違うと友だちになれないのですか?』

 

「……たしかに、関係ないか。ゲームやるやらない、外に出かける出かけない。趣味が違ってても、友だちにはなれるよね。……それもそうだ」

 

『それに自分と趣味が違うと、その人の持ってる知識や物事の捉え方、考え方も自分と違っているんです。自分とは違う立ち位置から自分とは違う景色を見ている人とのお喋りはとても有意義で興味深いです』

 

「……話してて楽しい、ってことでいいんだよね?」

 

『はい。そう言いました』

 

「いや、言ってないんだよね。なんかこう……あんたの言い方っていうか、言い回しっていうか、表現がどうにも人間味がないのよ」

 

『当方、悪魔です』

 

「そうだった……」

 

『ハラスメントの』

 

「憤怒の悪魔でしょうが。肩書き忘れるな」

 

『ふふっ、そうでした。ロジハラもセクハラもしないタイプの憤怒の悪魔です』

 

「悪魔の中にはするタイプがいるみたいな風評被害やめなよ。やなんだけど、そんな悪魔」

 

『でもパワハラするタイプの悪魔には人間社会でお会いしましたよ。大声で叱責したり怒鳴りつけたりしていたあの方は、きっと人間の皮を被った悪魔だったのでしょうね』

 

「やめてやめてやめて。なによりも人間の心が悪魔だった、みたいなオチはやめて。一番こわい」

 

『ちょっとした怪談のようですね。この季節には良いかもしれません。……ここ、この岩場に発煙筒があったら脱出できるというのはご存知ですか?』

 

「あ、それは知ってる。不確定なんだよね。ここは煙のありなしが遠くからでも見えるから、今回は脱出に使えるかどうかすぐ判断できて助かる。他の不確定の脱出地点だと近寄らないと使えるかわからなくて困るし」

 

〈一生雑談してるなw〉

〈こんな騒がしいADZも珍しいw〉

〈黒兎ずっと喋ってて草〉

〈コントかよw〉

〈怖い話までストックあんのかw〉

〈引き出し多いなw〉

〈兄悪魔は過労で倒れたことがあります〉

〈結局人間が一番怖いってわけ〉

〈マップの理解度もちゃんと高いな〉

 

 マップには確定で脱出できる地点の他にも、不確定で脱出できるようになっている脱出地点がある。今回は発煙筒がないので脱出に使えないけど、煙が立ち上ってなかったから使えないことはわかっていた。その分、精神的にショックはない。

 

 他のポイント、例えば地下鉄の入り口みたいな不確定脱出地点もあるけど、そこは実際に向かって入り口を見るまで使えるかどうかがわからない。命からがら脱出地点に向かったのにいざ着いてみれば入り口に鉄格子が下ろされていて今回は使えなかった、みたいなこともよくある。スナック菓子感覚で絶望を味わえるのがADZのいいところだ。ストレス耐性が身につく。

 

『そうなんです。不確定だった(・・・)んです』

 

「……だった? 変わったの?」

 

『このシーズンにいくつかアイテムが追加されたんです。そのうちの一つがこちら』

 

 テレビショッピングのような段取りでジン・ラースが取り出したのは、二十センチあるかないかくらいの棒だった。

 

「これってあれ? 車とかに載ってる……」

 

『それは炎と書くほうの発炎筒ですね。こちらは煙と書くほうの発煙筒です』

 

「えっ、車に載ってるのって煙じゃないの?」

 

『あ、そっちが気になっちゃうんですね。そうですよ、煙ではなく炎のほうです』

 

「火が出るのって危ないと思うんだけど、そんなのが車に載ってていいのかな」

 

『マッチのように擦って着火するので誤って火が出るようなことはほぼないと思いますよ。煙が出るほうだと視界が悪くなって二次被害の恐れがありますから、炎のほうじゃないといけないんです』

 

「ほぁ……詳しい」

 

〈なんでも知ってんのな〉

〈ゲーム以外でも博識だ〉

〈質問したらなんでも答えてくれるやん〉

 

『普段から車を使ってますからね、一応このあたりは知っておかないと。ということで、いざ発煙筒使ってみますね』

 

「もしかしてこれ使ったら」

 

『はい。この脱出地点で帰れるようになります。ちなみに他のマップの不確定脱出地点でも、発煙筒の有無で判断されているところなら使えます。見つけたら念のため拾っておくのも良いと思いますよ。屋内とかだと煙の広がりの悪いスモークグレネードのように使えないこともないですから』

 

「へー……すごい。初めて知った」

 

『地味に更新されてますからね。新しい情報に目を光らせておかないとおそらく気づけないです。ちなみに発煙筒を使うと敵が寄ってきやすいという統計データも出てるので、付近の警戒しましょうか』

 

「一番最初にそれ言ってっ……っ」

 

 ジン・ラースの背後、木陰から銃を構えていた敵兵がいることに気づき、すぐさま照準を合わせてその勢いのまま発砲。

 

『わあ、頼りになるなあ』

 

「のんきなっ……」

 

〈兵士きとるうう!〉

〈あぶねぇ!〉

〈黒兎w〉

 

 二発命中したが、まだ生きている。当たったのが腕と腹部だったので殺しきれなかった。

 

 腕を負傷した敵兵はサブマシンガンで応戦してくるも、あらぬ方向へと弾をばら撒いていた。被弾した衝撃もあるだろうけど、あのエイムの乱れ具合だともしかしたら骨折も入っているかもしれない。

 

『美座さん』

 

 近づいて一気に攻めかかろうとした私を、ジン・ラースが呼び止めた。

 

「なに? あいつが回復する前に仕留めたいんだけど」

 

『そのAP弾は、たいていの木材なら貫通できるんですよ』

 

 キルを取ることに躍起になった私を優しく(たしな)めるようなジン・ラースの言葉だった。

 

 木の真ん中の分厚いところだとさすがに貫通しないかもしれないけど、敵兵が隠れているのは体を横にしてもギリギリ隠れるか隠れないかというくらいの細い木だ。木の幹の端のほうを狙えば、たとえ当たる場所が末端部分だったとしてもさっき与えたダメージと合わせて削り切れる。

 

 この場所から動かなくてもいいよ、とジン・ラースは教えてくれたのだ。

 

 岩陰から離れてしまえば脱出のカウントダウンは止まってしまうし、離れて時間が経ち過ぎれば脱出までの待機時間がリセットされてしまう。それに発煙筒によって他にも敵兵が近くにきているかもしれないのだ。射線管理の容易な岩陰から出るのはリスクが勝ちすぎている。

 

 ジン・ラースの言っていた『目的』を忘れてしまっていた。勝利条件を履き違えるところだった。

 

 私にとっての勝利は、今この場でキル一つぽっちを上げるためにリスクを背負うことではない。納品ワークで使うアイテムを持ったまま、ジン・ラースと二人で生還することだ。

 

 勝利条件に敵兵のキルなんて含まれていない。それなら、身の安全を脅かす存在を振り払うくらいでいい。振り払って逃げ切れれば、それで私たちの勝利になる。

 

「……ふふっ。了解」

 

 ひとまず木の影に潜んだ敵兵を、ジン・ラースからもらった高価な弾を使って始末する。敵兵は死んだ時に呻き声を出して死ぬので、声が届く範囲なら死亡確認は取りやすい。あいつら、急に伏せたりすることもあるのでぱっと見では死んだかどうか分かりにくいのだ。声を聞くまでは安心できない。

 

 死亡確認を取った後は、もちろん漁りにも行かずに他に敵が寄ってきていないか周囲を警戒する。

 

 木と木の間で草が風で揺れたりしているだけで体がびくっとする。敵兵が出てきたら、少しでも撃ち始めが遅れればそのまま殺されかねないのだ。先に発見できれば御の字、せめてほぼ同時くらいじゃないとふつうに撃ち負ける。否応にも緊張が走る。

 

『良い判断ですね。このあたりはノイズが多くて「超聴覚」も精度が落ちますが……うん、近くにはいないようです。このまま出れそうですね。良かった良かった』

 

 さっきのはタイミング的に結構危なかったのに、ジン・ラースはほのぼのとした調子で言ってのける。

 

 こいつ今日、真剣に戦っていた時あったかな。建物の一室で私のサブマシンガンを全弾回避した時と、ネームドボス・レビンソンと戦った時くらいかもしれない。妙だな、敵と味方で一対一だ。

 

「……よし。ってか、ジン・ラース絶対に後ろにいた敵気づいてたよね。なんで私にやらせたの? ジン・ラースのほうが敵に近かったし、私が反応遅れてたらきっとやられてたよ?」

 

『いえいえそんなそんな。僕は美座さんの背後に集中していたので、気づいてませんでしたよ。ありがとうございました、助かりました』

 

「……ほんとかなぁ?」

 

〈絶対気づいてただろw〉

〈あの距離で気づかん黒兎じゃない〉

〈あれで兵士に気づかん奴がレベル五十とか行くわけないんだよね〉

〈疑っとるw〉

 

 怪しいだけ怪しい。

 

 可聴範囲や音の正確性に補正がかかる兎で、かつ本人も耳がいい。この付近は草が生い茂っていて、足音以外にも草むらに接触するような異音も発生しやすい。これだけ条件が整っていて十メートル程度まで近づいた敵を捕捉できないなんてことあるのか、ジン・ラースに。怪しい。

 

『ふふっ、本当ですよ? 僕の背後は美座さんが守ってくれていると信じてますので、僕は美座さんの背後にだけ警戒してました』

 

「うぉあ……あぅ」

 

〈口がうまいなぁw〉

〈あざみんw〉

〈うろたえんなw〉

〈照れてて草〉

〈かわいいw〉

 

『美座さん、知ってますか? 仲間って背中を預け合うものだそうですよ? 僕、ADZでそういう戦友に憧れてたんです。なので僕の背後は美座さんにお任せします。その代わり、美座さんの背後は僕に任せてくださいね』

 

「ん、んぁっ……わか、わかったからっ。わ、私のことは任せるっ。だから、あ、あんたのことは……わ、私に任せて……っ」

 

〈てぇてぇ〉

〈最高やん……〉

〈うさねこー〉

〈うさねこてぇてぇ〉

〈俺は決してカプ厨じゃないけどこれはいいもの〉

〈あーいっすね……〉

〈うさねこてぇてぇ〉

〈っぱうさねこっすよ!〉

〈いいやんいいやんw〉

〈かわいい〉

〈あざみん輝いてる!〉

〈今最高にヒロインやってるよw〉

 

 私に恥ずかしい思いをさせようとそんなことを言っているのか、本心から仲間を求めているのか、どちらなのかわからない。冗談で言ってきそうな気もするし、でも雰囲気からは冗談めかした感じがしないのだ。

 

 結局は私が恥ずかしいというか、照れくさいというか、なんだかもぞもぞとして落ち着かない気持ちにさせられるだけで終わる。

 

 不公平だ。ジン・ラースにも私と同じくらいに恥ずかしい思いを味わわせてやりたい。

 

 だが、羞恥心とかそういう人間らしい感情、こいつにあるのだろうか。仮にあったとして、ジン・ラースの羞恥心を刺激するまでに私は倍くらい恥ずかしい思いをする羽目になりそう。諦めたほうが傷は浅いかもしれない。諦めよう。先に私が恥ずか死する。

 

『いいですね。街を守る同志、仲間、戦友。良い響きです。わくわくします。おや、戻れましたね』

 

 脱出待機時間のカウントダウンがゼロになり、私たちは帰宅した。二人とも生還できたというのに、私の心拍数は戦闘時よりも上がっている。顔が熱い。いや、顔どころか全身が熱い。

 

「あんたはほんと、恥ずかしげもなくそういうことを……。まぁ、いいか……生きて帰ってこれたし」

 

『一つレベルが上がりました。やはりネームド討伐はポイントが大きいですね。美味です』

 

〈仲間に憧れがあんのかw〉

〈かわいいw〉

〈なんだこのかわいい二人〉

〈レベ五十三は草〉

〈確実にトップや〉

〈黒兎成長中〉

 

「え……てことは五十三? やっば……まだ上がるんだ」

 

『レベルによるパラメータの向上が最も直接的に筋力の向上に繋がりますからね。最初のほうは特に持ち帰れる量が少なくて大変でした』

 

「アビリティの数とか装備の整えやすさとか兎のメリットはあるけど、うまくいった時でも持ち帰れる量少ないっていうデメリットはきついよね」

 

〈デメリット少ないけどメリットも少ないのか〉

〈アイテム持てないのつらいな〉

〈目の前のアイテム諦めなきゃいけない時が一番苦しい〉

 

『そうなんですよね。いくら敵兵を倒しても奪える量には限界があるので。近くにプレイヤーがいれば代わりに拾ってもらうんですけど』

 

「……ん? 代わりに拾ってもらってもジン・ラースに得はないでしょ?」

 

『拾ったプレイヤーがアイテムを有効活用してもいいですし、持ち帰って不要なアイテムはフリーマーケットで流せば、そのアイテムを必要としている他のプレイヤーの手に渡ることになりますよね? それは我々獣人兵士勢の戦力向上に繋がって、敵兵の排除や防衛力の充実にもなります。なので間接的に僕にも利益があるんです。安全が確保できていれば他のプレイヤーに漁ってもらえるように誘導したりしてますよ』

 

〈黒兎に譲ってもらったことあります〉

〈前に黒兎見かけた時は建物の中で三、四人倒してたぞw〉

〈マークスマンライフルもらったことあるわ俺〉

〈他のプレイヤーの装備まで考えてんのか〉

〈悪魔なのか聖人なのかわかんねぇよ……〉

〈街の守護神だ〉

〈最後の砦黒兎〉

 

「……一兵士としての視点じゃないでしょ。幹部クラスだよ、考え方が」

 

『「防衛作戦」などのイベントとかでもそうです。たとえ志半ばで僕が死んだとしても、最終的に僕たちが勝てば、その時は僕たちの勝利です。言葉を交わしたことがなくても街を守る同志ですからね。敵を倒すだけではなく、同志に有益になるよう動いたほうがいいかなあ、と』

 

「いつでもそんなことしてるんだね。コメント欄でもちょくちょく見かけたよ、黒兎に助けられたって言ってたリスナー」

 

『お役に立てていたのなら何よりです。助け合いですからね。あ、美座さんもレベル上がってますね』

 

「ん。今回は私もちゃんと戦えたし、けっこう経験値入ってた。銃が強いし」

 

 前回と比べて今回の出撃は私に任せてくれる場面が多かった。とはいえその戦闘で活躍できたのは銃によるところが大きい。

 

 フルオートで撃っても反動は控えめで、弾の強さもあって敵兵も簡単に倒せる。精度もよくて、狙ったところにちゃんと飛んでちゃんと当たるというのは気持ちがいい。エルゴノミクスの数値も高いおかげですぐに精密な射撃に移れるし、スタミナも減りにくいので戦闘が長引いたり敵の増援がきても対処しやすい。

 

 ジン・ラースがプレゼントしてくれたCR4U1の力だ。これ以上いじる必要がないくらいにフルカスタムされているおかげで実戦で使ってもすぐに手に馴染んだ。

 

 こればかり使っていたら他の銃が使えなくなりそうなくらい高性能だ。こんなにも高い下駄を履かせてもらっているのだから、これで活躍できなければただのお荷物でしかない。よかった、少しは役に立てて。

 

『銃を使いこなせる美座さんが強いんですよ。剣豪が使えば(なまくら)も名刀になります。剣豪が名刀を振るえばもちろん良い結果が出るでしょう。技術のある人が良い物を使えば、結果がついてくるのは当たり前です』

 

 使いこなすだけの技術がある、と言ってもらえて一瞬喜びそうになったけれど、よくよく考えてみると単純に喜んでもいられない。

 

 剣豪が使えば鈍も名刀。それは裏を返せば、未熟者が使えば名刀も鈍になるということに他ならない。

 

 索敵もして、囮もして、カバーまでこなした上で片っ端から敵の頭を弾いて回るジン・ラース。その影に隠れながら、高性能な銃に頼って撃ちやすい敵ばかりを狙って狩る私。

 

 だめだ。こんな戦い方に慣れては間違いなく腕が落ちる。ぬるま湯に浸かっているようではいけない。

 

「っ……ん。銃が強いからって言われないように、がんばる。強い銃を強い私が使ってるから強いんだって言えるくらいにがんばる」

 

『素晴らしい向上心です。羨ましくすら思える。人間、進歩する意志を失えば、それは退化と同義ですからね』

 

「ジン・ラースは向上心ないの? いや、こっからさらに成長されるのも困るっちゃ困るけど」

 

『向上心……僕がそれを感じた記憶はありませんね。知的好奇心は旺盛なほうだと自己分析はしていますけど』

 

「ジン・ラースの場合は知的好奇心が結果的に自分の向上に繋がってるのかもね。うん、きっとそうだ。知的好奇心は強そうだし。……ん? くふっ……」

 

『どうかされました?』

 

「いや、あー、ちょっとコメント欄が……」

 

〈その好奇心が人間に向かなくてよかった〉

〈「人間の内臓、どんな感触なのか気になりますね」〉

〈黒兎「頭の中、覗いてみたいですねえ……」〉

〈「心臓がどういうふうに動いているのか、見せていただいていいですか?」〉

〈ガチ悪魔シリーズやめろw〉

〈「あなたの目、とても綺麗ですね。部屋に飾らせてもらっても?」〉

〈ガチ悪魔w〉

〈黒兎が言いそうで言わなそうなセリフw〉

〈言わねぇだろw〉

 

『コメント欄……なんだかとてもステレオタイプな悪魔に仕立て上げられてますね……。そのような軽率な発言をしていいのですか、リスナーさん。僕はSNSに投稿されている文章や写真から投稿者の住んでいる地域を特定できるタイプの悪魔ですよ?』

 

「こっわ……」

 

〈ひぇっ〉

〈怖すぎて草〉

〈すんませんでした〉

〈やっぱ悪魔か〉

〈現代日本に適応した悪魔や……〉

〈ごめんなさい〉

 

『謝れるのは偉いですね。ありがとうとごめんなさい、謝意はコミュニケーションにとって重要な役割を占めていますからね。助けてもらったらありがとう。悪いことをしたらごめんなさい。ちゃんと言えるリスナーさんは偉いです。良い子ですね』

 

〈まま……〉

〈母性がすごいw〉

〈ママやん……〉

 

「騙されてる……みんな騙されてるよ。典型的な飴と鞭なのに……」

 

『騙すだなんて人聞きの悪い。こうしたほうが良くなるよ、とリスナーさんに伝えているだけです』

 

「手口がDV彼氏みたいな……」

 

『なんて酷いことを言うのですか。僕はあなたのために言っているのです。悪い子は殴りますよ』

 

「ふふっ、DV彼氏っ……寄せにいってるっ、くふふっ」

 

『まずいです。僕の印象がまずいことになります。冗談ですからね、リスナーさん。冗談ですよ?』

 

「ふふっ、ジン・ラースが言うと妙なリアリティがあるよね。もしかしたらやってそう、みたいな。あははっ」

 

『やめてください。これ以上不名誉な肩書きが増えたら困ります』

 

「あははっ」

 

〈草〉

〈草〉

〈DV彼氏w〉

〈ボケないと気が済まないのかw〉

〈草〉

〈ハラスメント兼DV兼憤怒の悪魔〉

〈アクママ〉

 

 敬語口調で物腰柔らかなジン・ラースだからこそ、裏で悪いことしてるかもみたいな想像がおもしろい。

 

 実際、ジン・ラースはDVしそうにない。独占欲や支配欲も乏しそうだし、腹を立てて暴力や暴言というのも想像できない。すぐにキレるような奴なら炎上した時にどうにかなってしまうだろう。

 

 ただ、そんな独占欲や支配欲のなさそうな印象のジン・ラースだからこそ、いじめられたいとか束縛されたいと思う女が出てきてもおかしくはない。いや、すでにいるかもしれない。いるんだろうな、きっと、表に出てきてないだけで。

 

『こんな誤解されそうなムーブをしてすぐに言うとリアル感が増してしまうんですけど、そろそろ僕はお暇させていただきますね。晩御飯の準備をしなくてはいけませんので』

 

「あ、そっか。もう時間……晩ご飯、ジン・ラースが作ってるの? 配信の時間、間に合う?」

 

『仕込みは済ませてます。後は仕上げるだけなのでさほど手間はかかりません。大丈夫ですよ。ご心配ありがとうございます』

 

〈そういや黒兎はこれから配信あるんだもんな〉

〈晩ご飯大事やね〉

〈飯も作れるのか……〉

〈配信前に付き合ってくれてんだからとんでもないな〉

〈そういや黒兎は今配信してないんだったか〉

 

「そう、なんだ。……それなら、うん。……よかった」

 

『美座さん、短い時間でしたがありがとうございました。とても楽しかったです。美座さんのチャンネルのリスナーさんも、急にお邪魔してすみませんでした。暖かいコメント、とても助かりました』

 

「ん、私も楽しかったよ。いろいろありがとね」

 

『こちらこそです。ありがとうございました。それでは失礼します』

 

〈おつー!〉

〈ありがとう黒兎〉

〈楽しかったぞ!〉

〈観に行くからな!〉

〈配信がんばって〉

〈またあざみんとコラボしてくれよ〉

〈最高に笑ったわありがとう〉

〈黒兎おつかれさまです!〉

〈二人でまたADZやってほしい〉

 

 わりと時間的にギリギリだったのか、ジン・ラースはぱぱっと別れの挨拶をし始めた。早口になったりはしていないけれど、必要な挨拶を淡々とこなしているといった雰囲気だ。これまで無駄話が多かったぶん、味気なく感じてしまった。

 

「ぁ、っ……あ、あの」

 

 これからジン・ラースは晩御飯を食べて、配信の準備もしないといけない。忙しいのはわかっている。時間がないことは理解している。

 

 なのに、意思に反してジン・ラースを呼び止めてしまった。

 

『……っとと、はい? 美座さん、何かありましたか? あ、そうだ。ジェネレーターを取りに行くのなら検問所は一人では少々危険なので、西の加工場を狙ったほうが安全だと思います。加工場の大きな作業機械がたくさん並んでいるところの近くの箱に出やすいので』

 

「う、うん。ありがとう。で、でもそうじゃなくて……」

 

『おや、それではどういった……』

 

「ま、また……遊ぼうね。また一緒にADZ……しよ」

 

 ジン・ラースが楽しそうにしていたのはきっと演技ではなかったと思う。私と同じように、初めてパーティを組んでADZをプレイして、人と一緒にやる楽しさを心から堪能していたと、そう思う。

 

 重々わかっているけれど、確かめてしまった。

 

 不安、だったのだ。

 

 ジン・ラースはデビュー直後に(つまず)いただけで、本来ならもっとたくさんの人に知ってもらって、人気になっていてもおかしくない。なにかきっかけが、些細なきっかけ一つあれば、これまで興味がなかったり悪いイメージを抱いていたリスナーからも支持される。

 

 それは視聴しているリスナーからはもちろん、同業者である配信者からの人気もそうだ。他の配信者からも気に入られて加速度的に人気を増していくだろう。

 

 私みたいな話下手のつまらない配信者が相手でもこれだけ盛り上げられるジン・ラースなら、コラボの相手に呼びたいと思う人は多くいるはず。私よりもよほど数字を持っている人からも誘いがくる。

 

 きっとこれから、ジン・ラースの周りにはたくさんの人が集まるようになるんだろう。

 

 きっとこれから、ジン・ラースは遠い存在になっていくんだろう。

 

 今はその魅力が知れ渡っておらず、実力のわりに数字が伸びていないけれど、ジン・ラースはこれから絶対に伸びていく。

 

 その時、数字も実力も圧倒的に劣る私とまた一緒に遊んでくれるか、不安になってしまった。

 

 べつに一緒に配信ができなくてもいい。コラボ配信じゃなくてもいい。私のチャンネルの数字が増えようが減ろうが関係ない。

 

 ただ、私は、ジン・ラースと一緒に遊びたいだけだ。

 

 人と一緒にやるゲームは楽しいんだと教えてくれたジン・ラースと、もっと遊びたい。

 

 ジン・ラースはまた今度コラボしようと誘ってくれていたのに、私は疑心暗鬼になって確かめるようなことを口に出してしまった。

 

 なにもジン・ラースが早く終わりたがっているタイミングでこんな面倒くさい女ムーブなんてしなくてもよかっただろうに、言わなくてもいいことを口にしてしまった。

 

 こんな面倒な性格をしていたらジン・ラースに嫌われてしまうかもしれない。そう考えただけで涙が溢れそうになる。泣かないように、声が震えないように、でもマイクには音が入らないようにゆっくり静かに深呼吸する。

 

 気持ちが沈みそうになった私に、ジン・ラースは言う。

 

『まだまだ行きたいマップもやりたいワークも残っていますし、「市街地」のネームドの一翼であるオウロさんからナイフを掻っ払いに行く約束もあります。中央区のワークビルの調査だってやらなければいけません。美座さんが嫌だと言っても引き摺って行きますので覚悟しておいてくださいね』

 

 言葉に滲んだ私の不安と後悔を拭い去るような、ジン・ラースの強引さと明るさだった。

 

 これまで一度だって、ジン・ラースは自分の都合を押しつけるような言い方はしてこなかった。なのにここにきて初めてそういう強引な言い方をしたのは、私を安心させるためなのだろう。心細そうな、弱気な声になってしまった私を元気づけるために。

 

 人の考えていることは悪魔のようにわかるくせに、悪魔と自称するには無理があるほどに優しい。

 

「ふふっ、うん……うんっ。覚悟しとく」

 

『次の出撃が今から楽しみです。それでは僕はこのあたりで失礼します』

 

「ん。おつかれ。いや、ジン・ラースはこのあとに配信があるんだから、がんばってね、だね」

 

『ありがとうございます。リスナーさんも、急にやってきた僕を暖かく迎え入れてくださりありがとうございました。おかげでとても楽しい時間を過ごせました。またお会いできる時を心待ちにしております。それでは』

 

 一拍ほど間を置いて、コミュニケーションアプリの電子音が鳴る。ジン・ラースがアプリのサーバーを抜けた音だ。

 

 一人、抜けただけ。

 

 一人でやっていた配信に戻っただけ。

 

 それだけなのに、どうしてこんなに物悲しい気持ちになるんだろう。

 

「……お喋りの悪魔がいなくなっただけで、すごく静かになっちゃうね。どれだけ一人でうるさかったかがよくわかるよ」

 

〈あ〜効く〜^^〉

〈うさねk〉

〈うさねこてぇてぇ〉

〈うさねこー!〉

〈うさねこてぇt〉

〈てぇてぇ〉

〈末永く仲良くしろください〉

〈一般獣何匹か成仏してないか?w〉

〈おつかれやで〉

〈おつかれー〉

〈配信観に行くぞ〉

〈ほんとにありがとうな黒兎〉

〈お喋りの悪魔草〉

〈声寂しそうw〉

〈強がっててくさ〉

〈寂しそうやんけ〉

 

「……寂しくないし。もともと一人でやってたし、それにまたやるって言ってたし」

 

〈めっちゃ悲しそうな声してたくせにw〉

〈黒兎いい奴だった〉

〈おもしろかった〉

〈またコラボみたい〉

 

「そうだね。またコラボ……今回のこれ、コラボじゃないんだけど。私よりDOC上なら証明しろって言って呼んだらジン・ラースだったっていうだけで」

 

〈そうだったんだ〉

〈そういやそうだったw〉

〈忘れてたわw〉

〈ある意味奇跡w〉

〈偶然二位の黒兎が観てるの草〉

〈コラボっていう通知もなかったしねw〉

 

 思えば、とんでもない数奇な巡り合わせである。

 

 切羽詰まって精神的にいっぱいいっぱいになっていたあのタイミングでしか私だってリスナーをパーティに誘うなんていう暴挙はしなかっただろうし、ジン・ラースだって頻繁に私の配信なんて観てないだろう。私のプレイングを観ても得るものなんてないし、おそらく暇だったから偶然開いたとかそんな感じなんじゃないかな。まさしく奇跡のようなタイミングで噛み合った。

 

 いろんな偶然とたくさんの奇跡が重なった。

 

 それなら。

 

 この出逢いはきっと、運命だったんだ。

 

 胸に灯るぽやぽやとした不定形の感情はとてももどかしいけど、不思議と不快感はなくて、なにより暖かくて心地いい。視界が開けたような、心に絡みついていた重りが外されたような、どこかふわふわとした気分。

 

 まぁ、うん、そうだね。悪い気分ではないかな。

 

「……ふふっ。ま、ジン・ラースはおいといて……最後に一回出撃して終わろうかな。ジェネレーターを拾いに行かなくちゃ」

 

 ジン・ラースが入ってくる前から私は配信していて、かれこれもう五時間くらいは経っている。きりもいいしここで終わってもいいんだけど、ジン・ラースが抜けてすぐに私も終わるというのは、なんとなく決まりが悪い。

 

 納品ワークで持ってこいと言われているジェネレーターをジン・ラースのオススメ通りに西の加工場へ取りに行って、それで今回は配信を終えるとしよう。

 

 装備をつけ替えて、使った回復アイテムなども補充して、水分ゲージとカロリーゲージも回復して、マップの待機列に並ぶ。

 

〈銃使わんの?〉

〈せっかく強い銃があんのに〉

〈プレゼント使わんのかい〉

〈使ってあげてよ〉

〈倉庫の肥やしにするのか〉

 

 待機中暇なのでコメント欄に目をやれば、リスナーがなんだかんだと(くちばし)()れてくる。

 

 まったくわかっていないリスナーどもである。

 

「うるさいうるさい。あんなに強い銃使ってたらなにも学べないでしょ。あれはジン・ラースとやる時まで置いといて、それ以外は修行としてこれまでと同じレベルの銃を使うの。銃だけ強くても私が強くなれなきゃ意味ないの。ふっ、これだから一般獣は」

 

〈フルカスタムCR4U1ここに眠る〉

〈まぁ銃に頼りきりになるのもな〉

〈プレイヤースキル上げるのも大事か〉

〈立ち回り勉強しないと先にも行けないしね〉

〈一般獣エリートがうるせぇこと言ってるw〉

〈ネームドにも虎にもなれない猫がよぉw〉

〈黒兎が言うならわかるけどはふ猫に言われるのはちょっと……〉

〈一般獣草〉

〈口のでかい猫だな〉

〈黒兎からもらった大事な銃をロストしたくないだけだよこのはふ猫〉

 

「これからはただ戦うんじゃないの。立ち回りを見直して、余計な戦闘は避けて、必要な勝負にだけ力を入れるわけ。教えてもらったキャラコンもアビリティも練習したいしね。ちなみにはふ猫とか言ってる奴をタイムアウトにするのは変わんないから。五分間の懲役刑どうぞ」

 

〈まぁ通らんわなw〉

〈はふ猫チャレンジ失敗〉

〈出撃待ちだったら見る余裕あるんだからw〉

〈さよなら同志〉

〈いい奴だったよ〉

 

「仕方ないよね。罪には罰。ジン・ラースも言ってた。謝っても許されないことはある。そういうこと」

 

〈うさねこは通るのに〉

〈ちょっとこの裁判官恣意的では?〉

〈そらうさねこは別よ〉

〈うさねこてぇてぇ〉

 

「うるさい。あとわかってると思うけど、他の配信で話も出てないのにその単語出したらダメだからね。ここでならともかく、他の配信者に迷惑かけるのだけはダメ」

 

〈うさねこー〉

〈うさね了解です〉

〈うす〉

〈リスナーのマナーやね〉

〈一般獣の躾も大事〉

〈馬鹿な獣には鞭も必要だ〉

 

 こういうことを言うと(わずら)わしく思うリスナーもいるかもしれないけど、それでも一言注意はしておかないといけない。他のチャンネルでも無駄に騒がしくして、そのチャンネルを視聴しているリスナーに(うと)ましく思われたくない。厄介なリスナーを抱えているというイメージがつくのはマイナスにしかならないのだ。コラボを見送られることだけは避けたい。口うるさく言って私の配信を観るリスナーが減ったとしても、他の配信者に迷惑をかけるよりずっといい。

 

 リスナーだって、無法地帯のようになるくらいなら小うるさく注意されても治安が維持されているほうがいいだろう。ファンからすれば、他のマナーの悪いリスナーと一括りにされて『あそこのチャンネルのリスナーは民度が悪い』などと言われるほうが嫌なはずだ。

 

「言わなくてもわかってるリスナーのほうが多いとは思うけど、一応ね」

 

〈これでコラボが遠のいたらいやだしな〉

〈また観たいならリスナーも努力せんとね〉

〈注意するのは大事よ〉

〈あざみんなんだか頼もしくなった〉

〈あざみんかっこいいよあざみん〉

 

「ふふっ。はいはい。わかったわかった」

 

〈笑顔増えたね〉

〈かわいい〉

〈かわいい〉

〈黒兎ありがとう〉

〈あざみんかわいいよあざみん!〉

〈笑った顔かわいいわね!〉

 

出撃待機が終わり、マップに湧いた。湧いた場所は今回のワークにお(あつら)え向きにマップの西南西『吊り橋』だ。目的地の加工場はマップの西なので近い位置に湧いた。ラッキーだ。

 

「さ、ラストがんばろっかな」

 

 いつになく騒がしいコメント欄を軽くいなしながら、ワークビルの休憩室で拾ったサブマシンガンに弾を装填する。

 

 男がいなくなった途端に強化兵士に撃ち負けていては、キャリー女の(そし)りを免れない。きっちり依頼の品を確保して、しっかり生還してやる。

 

 ジン・ラースの戦友として、情けない姿は晒せないのだから。

 




これにてADZ配信終了です。
とりあえずやりたいこと全部やっとくか、の精神で書いたらばかみたいに長くなってしまいました。これでも投稿する前の推敲で冗長になりそうなところやくどくなりそうな説明を削ったんですが、この長さでした。わお。
お付き合いいただきありがとうございます。
僕が二章を書き始めたそもそもの理由が、お兄ちゃんが楽しくゲームしているところを書きたいというのが一つと、もう一つはこのADZ配信を書きたいがためでした。一章の時点で設定だけはあって、ちょくちょく雑談の中でも話題に上がってはいたものの、結局一章ではADZ配信をやる隙間がなくて見送ったんです。
もともとかなりクセのある拙作ですが、その中でもかなりクセの強めな配信になったような気がします。
今回しっかりと描写できて個人的にはとても満足ですが、読んでくれた方的にはどうなのか、正直なところ少々不安ではあります。楽しんでもらえていたら嬉しいんですが。
ともあれ長きにわたってお付き合いいただきありがとうございました。
よかったら感想や評価などしてもらえると嬉しいです。



なんだかこういう書き方をするとここで更新が終わるみたいな感じですが、ぜんぜん続きます。ただの一区切りです。ADZ配信のお話が終わっただけです。

次はお兄ちゃん視点です。二章に入ってからは少なかった配信外のお話になります。
これからもよろしくお願いします!


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二章『配信外』"映画・ゲームセンター・カラオケ"
映画を観に行く日


 

「礼ちゃん、準備できた?」

 

「できたー。いつでも行けるよー」

 

「それじゃ玄関で待っててね。車出してくるから」

 

「はーい」

 

 礼ちゃんの間延びした返答を背中で聞きながら、僕は玄関を出て車庫に向かう。

 

 今日はめずらしく外出だ。

 

 なんでも、礼ちゃんと夢結さんが観ていたアニメの劇場版が封切りされたのだとか。その話を礼ちゃんからされた時、僕は『そうなんだね。夢結さんとお出かけするの久しぶりだろうし、楽しんできてね』と送り出す気百パーセントでいたのだけれど、礼ちゃんは笑顔で頷いて『うん、だから一緒に行こ』と打ち返してきた。その眩ゆいばかりの笑顔には強制力が働いており、僕に断るという択は存在していなかった。もはやニュアンスとしては『一緒に行こ』というよりも『一緒にこい』に近しいものがあった。

 

 まあ、別にいいのだけれども。僕も礼ちゃんや夢結さんと遊びに行けるのは嬉しいし。

 

 そして今日、映画を観に行く日がやってきたのであった。この日のためにアニメ放映版のほうも予習してきた僕に抜かりはない。

 

 そのアニメ自体はタイトルは知っていたけれど観たことはなかったが、夢結さんがはまり、礼ちゃんがおもしろいよと僕におすすめしてきた理由がよくわかった。たしかに、とても良かった。作画はもちろん綺麗だったし、キャラクターも魅力的だった。ストーリーも深く作り込まれていて考えさせられる内容となっており、放映版を観終わった頃には僕も劇場版が楽しみになるほどだった。

 

 礼ちゃんが助手席に座ってシートベルトを装着したことを確認してから車を出す。

 

 ここから夢結さんのお宅へと向かって夢結さんを拾ってから目的の映画館が入っている大型複合商業施設に行く。おそらく夢結さんを拾った時にでも後部座席に移るのだろう。夢結さんを迎えに行くまでは助手席に着き、僕とのお喋りに付き合ってくれるようだ。

 

 最近はお勉強のほうに集中していた分、礼ちゃんは今日はゆっくり羽を伸ばすつもりらしい。今日の礼ちゃんの装いはとても夏らしくて華やかだ。ふわりとしてボリューム感のあるオフショルダーのブラウスとデニムのショートパンツ、ヒールの高めなウェッジソールのサンダルで涼やかさもある。ボトムスで締まりはあるけれど普段と比較すれば甘めのコーディネートだ。日頃から運動している成果が脚線美に表れている。礼ちゃんの魅力が如実に出ていた。

 

「ねえ、お兄ちゃん。昨日配信、一緒にしてたでしょ?」

 

「うん。やったね。とても楽しかったよ。やっぱり礼ちゃんは美的センスがあるよね。僕は礼ちゃんみたいにオリジナルで建築できないから、ああいった創作技術とか芸術面のセンスは本当に尊敬するよ」

 

 信号待ちをしている間に昨日礼ちゃんとやったアイクリのコラボ配信を思い返しつつ、冷房を調節する。車はガレージに停めているので直射日光には晒されていないけれど、それでもこの時期だと車内は暑くなる。エンジンをかけてすぐでは空調も効きづらい。せっかくのお出かけの日に礼ちゃんの体調に支障があっては台無しだ。冷房が効き始めるまで強めに設定しておこう。

 

「切り抜き観たんだけど」

 

「ん? 切り抜き?」

 

「『Next (ネクスト) Princess(プリンセス)』の美座さんと、とっても仲良くなったみたいだね?」

 

「……………………」

 

 急に冷房効き始めたな。肌が粟立つどころか心胆まで寒くなってきた。おそらくこれは冷房の影響ではないと思うけれど。

 

「コメントでも〈てぇてぇ〉っていっぱいあったよ。『うさねこ』っていうカップリング名までついてた。よかったね? 美座さんと一緒に配信して仲良くなれて。同棲中のカップルみたいな会話までするくらい、仲良くなれたんだもんね?」

 

 礼ちゃんの言った『昨日配信を一緒にした』というのは僕と礼ちゃんのコラボ配信のことではなくて、その前に美座さんの配信に僕がお邪魔した時のことだったのか。たしかに礼ちゃんは『コラボ配信』なんて一言も言ってない。僕は配信していなかったけれど、美座さんは配信していたのでたしかに『配信を一緒にした』とは言える。

 

 完全に早とちりした。とんでもないミスリードを埋伏させたものである。

 

「……同棲中のカップル、だなんて表現は不適切だね。悪意のある切り抜きかもしれない。そんなシーンがあったなんて、僕は記憶にないなあ……」

 

「と思って美座さんのアーカイブ観に行ったら該当のシーンはノーカットだったよ。そっくりそのまま切り抜きの通りに同棲中のカップルみたいな会話だった」

 

「ん……ううん……」

 

「なにか思いつく? 弁解」

 

 なるほど、これは逃げられない。言い逃れする隙間はすべて塞がれていると考えたほうがいい。

 

 こういう時は早々に白旗を振ったほうが傷が浅くなることを、僕は知っている。

 

「……人とやるADZが、楽しくて……」

 

 仕方ない。そう、仕方ない。

 

 とても楽しかったのだ。

 

 パーティを組んでいると出撃前の長いロード時間も気にならなくなるし、広大なマップの移動も喋りながらだとお散歩みたいな感覚になる。敵と遭遇しても仲間がいると心強いし、敵が強かったり多かったりしても射線がもう一つあるととても崩しやすくなる。倉庫で眠っていた武器を交換した時は仲間、戦友、同志との絆の暖かさを感じた。良き。

 

 ADZというゲームの面白さ、楽しさが倍増していたと言っても過言ではない。

 

「それでテンション上がっちゃって、ってこと?」

 

「うん。一緒に出撃できたのは二回だけだったけど、とても楽しかった。テンション上がってた」

 

「まあ、楽しそうにやってるなあ、とは思ったよ。……私は今新しくゲーム始めるとかできないし……仕方ないか。お兄ちゃんにはしっかりと貴弾に打ち込んでほしいところだけど」

 

「貴弾もたまに触ってるよ。心配しないで」

 

「お兄ちゃんの言う『たまに触ってる』って、それエイムの感覚忘れないようにしてるだけのやつでしょ? ほんとに触ってるだけじゃん。射撃訓練場行って帰ってくるだけだもん。クラスマッチやるとかじゃないんだもん」

 

「やるとしたらカジュアルマッチをやるくらいだね。クラスマッチ行き過ぎたら礼ちゃんとパーティ組んでクラスマッチ行けなくなっちゃうし」

 

「いいの、それでも。お兄ちゃんが実力相応のクラスに行くほうが健全でしょ。お兄ちゃんが行けなくなったらutacoさん誘ったり少年少女さん誘って貴弾やるから」

 

「え、その場合は僕も一緒にやりたいよ」

 

「お兄ちゃんは実力に見合ったクラスにどうぞ」

 

「見合ったクラス、って言われても。僕は上のクラスに行った経験もないんだから、今いるクラスが適正クラスなんだけど」

 

「ぜんぜん適正じゃないよ。やってないだけじゃん、お兄ちゃんは。『絶望圏』やってる時間の半分でも貴弾に割いたら絶対クラス上がるよ」

 

「僕の中でのゲームの優先順位は貴弾よりもADZだからそれはできないなあ」

 

 クラスだったりランクだったりゲームタイトルによってそれぞれ呼び方は違うけれど、貴弾以外でも対人戦闘要素のあるFPSゲームの多くではプレイヤー同士の等級が離れすぎているとパーティを組めなくなる。ブースティングと呼ばれる、極端に強い人と弱い人がパーティを組んで不当に等級を上げる行為を防止するためである。

 

 なので僕がクラスを上げる時は、そのシーズンの礼ちゃんのクラスに合わせて上げている。単純に対人系のFPSにそこまで熱中していないだけとも言えるけれど。

 

「なんでそこまで『絶望圏』に夢中なのかなあ……。PvEゲーのほうが好きなのは知ってるけど、でもいくらやってたゲームが『絶望圏』だったからって、お兄ちゃんが知らない人に(とつ)するってめずらしいよね」

 

「うーん……コメント打ったら一緒に出撃しましょうって誘われただけなんだけどね」

 

「いつものお兄ちゃんならそもそもコメントも打たなそうだよね。なのに女性配信者にあれだけ積極的に行くなんて……。相手のリスナーさんが寛容で私、安心したよ」

 

「あー……それはそうだったね。たしかに不用意すぎたかもしれない」

 

 美座さんが在籍している事務所である『Next Princess』は『Princess』の名の通り女性しか所属していない。

 

 その『Next Princess』のグループの一つである『Now I Won』の人たちは男性女性関係なく配信者の人たちと頻繁にコラボしてるみたいだけど、僕の場合は何がきっかけで荒れるかわからないし、後で調べたら美座さんはこれまで同性の配信者さんとしかコラボしていなかった。自己責任だし自業自得なので僕はどうなってもいいけれど、リスナーさんの考え方や美座さんの配信スタイル次第では美座さんにまで迷惑をかけるところだった。

 

 それに迷惑をかけてしまうのは美座さんだけではない。今日の朝には美影さんからも『今後は念の為、コラボの前に一報入れるように』という内容をかなり遠回しにして可能な限り柔らかい言葉に変換されたメッセージも届いていた。なにか問題が発生してしまった場合、美影さんの負担にもなってしまうのだ。

 

 しかも美影さんは美座さんの所属する事務所『Next Princess』に連絡を取って話を付けてくれていたらしく、僕が今後も美座さんとコラボできるように取り計らってくれていた。なんともはや、美影さんには頭が上がらない。

 

 いくら僕にコラボのつもりがなかったとしても、やっていたことはコラボと遜色がなかったわけだ。他事務所のライバーさんと行う初めてのコラボならそれ相応の手続きというものが必要になるし、しかも相手が何かにつけて厄介事を引き寄せる僕ともなれば尚のこと事情の説明も必要になる。

 

 ADZをやっている同業者がいて舞い上がってしまっていたが、僕は悪い意味で多くの人に注目されているのだから軽率な行動は慎まないといけない。今回何事もなかったのはただ運が良かっただけだ。

 

「そのあたりちょっと気にしたほうがいいかもだけど、向こうのリスナーさんも楽しめてるみたいだったから今回はよかったんじゃないかな。なによりお兄ちゃんも楽しそうだったしね」

 

「うん、本当に楽しかった。同じVtuberで、しかも上手い人とADZできる機会があるなんて思わなかったからさ。期待してなかった分、余計に嬉しいよね」

 

「声だけでお兄ちゃんが頬を緩ませながらやってるのが伝わってきたよ。……ところで、美座さんとは昨日の配信での絡みがほんとに初めましてだったんだよね?」

 

「そうだよ。SNSも相互フォローしてなかったくらいだし」

 

「なのに最後のほうはあんなに仲良くなってるって……ほんとコミュ力すごいなあ」

 

「コミュ力どうこうじゃなくて、ともに街を守っている同志だからっていう部分が大きかったと思うね」

 

 ADZは協力(Co-op)ゲーム。みんなで助け合わなければ街は守れない。

 

 その助け合いの精神が美座さんの中にも根付いて芽吹いており、お互いへのリスペクトが根底に確固としてあったからこそ、短時間で戦友と呼べるほど親しくなれたのだと僕は思っている。仲間、戦友、同志。良き。

 

「お兄ちゃんの『絶望圏』の同志に対する厚い信頼はなんなの……。正直さあ……お兄ちゃんが入ったばっかりのほうとか、美座さんの態度悪くなかった?」

 

「あの時はその少し前にコメント欄が慌ただしくなってたから、それでちょっとだけ気が立ってたんだと思うよ。実際、少し時間が経ったらすぐに態度は軟化して打ち解けられたしね」

 

「きっかけは時間じゃなくて遠距離ヘッショでしょ。あれで見る目が変わったんだと思うよ。いや、それにしたって距離縮まるの早すぎるけどね」

 

「あの配信を観てADZを始める人が少しでも増えたらいいなあ。兎を使ってくれる人が増えたらもっといいんだけど」

 

「あれを観て兎の種族を使う人が増えても、数日後には扱いの難しさに気づいてきっとやめちゃうだろうから長期的に見れば変わんないよ」

 

「なんてことを言うんだ。きっと中には兎のトリッキーさに夢中になってくれる人だって……いる、はずだよ」

 

「言ってるお兄ちゃんですら、駄目そうだな、って思っちゃってるじゃん。きっとすぐやめちゃうだろうなあ、って。なんなら兎以外の種族を使っても大して変わんないんだよ。他の種族だって簡単じゃない。『絶望圏』自体が難しいんだから」

 

「……FPSのライトユーザーが熱中できるようなタイトルかと問われたら、口が裂けてもイエスとは言えないしね……」

 

 これまで長い期間にわたってFPSに触れてきた僕でさえ、生還率が八十パーセントを少し超えるくらいだ。どれだけ調子が良かったシーズンでも九十パーセントには届かなかった。それがADZというゲームだ。

 

「私、美座さんの配信を観てびっくりしたよ。女の子であんなゲームにのめり込める人いるんだって思って」

 

「あんなゲームとは何さ、あんなゲームとは。僕も驚いたけど。でも、これからきっと……きっと、増えていくはずなんだ。前と比べればプレイしやすくなっているのは確かなんだし……」

 

「プレイしやすくなっても、未だに『絶望圏』と呼ばれている事実から目を背けないでほしいね。UIがよくなっても、根本的なゲームシステムが鬼畜すぎるってことに変化はないんだから」

 

「これから、これからなんだ……。これから僕と美座さんが配信で楽しくADZをプレイしていれば、きっと街を守る同志は増えるんだ……」

 

「その新兵から順番に死んでいくんだろうね。はたして何人が生き残ることやら」

 

「戦場は過酷だ……」

 

 美座さんの配信にお邪魔した時のことを話したり、昨日やった僕と礼ちゃんのアイクリコラボ配信のことを話したり、今やっている建築物が完成したら次はこういうのを作りたいね、なんて雑談をしているうちに夢結さんが住んでいるマンションの近くまでやってきた。

 

 マンションの前に停車し、礼ちゃんから夢結さんに連絡を取ってもらう。

 

 ここ最近はずっと暑いし、今日は雲一つない快晴。夢結さんを外で待たせてしまったら日に焼けてしまうだろうし熱中症にもなりかねない。なので、着いたら連絡するのでそれまではマンションの中で待っているように、と伝えていたのだ。

 

「すぐ行く、ってさ。そういえば、学校の帰りとかでは会ってたけど、それ以外で夢結と会うのってお兄ちゃん初めてじゃない?」

 

「あ、そういえばそうだね」

 

 夏休みに入る前などは礼ちゃんを迎えに行くと夢結さんも一緒にいて、夢結さんをお家まで送っていた。ちょくちょく顔は合わせていたしお喋りもしていたけれど、それ以外で会うという機会はこれまでなかったし、学校帰りということもあって常に制服姿だった。思えば夢結さんとは何回も会っているのに、私服姿を拝見するのは今日が初めてだ。

 

「きっと制服姿とは印象も違って見えるんじゃないかな。夢結はセンスいいし、楽しみにしてていいよ」

 

「あはは。夢結さん本人がこの場にいたら、無駄にハードル上げないで、って怒りそうだ」

 

「うん。だから、いないうちに言っとくの!」

 

 にぱっと悪戯っぽく笑って、礼ちゃんは車から降りた。

 

 あついー、と夏の日差しに文句をつける礼ちゃんはマンションのエントランスまで軽やかに駆けていく。わざわざマンションまで迎えに行かずとも、何度もこの車には乗っているのだから夢結さんだってすぐに気づけるだろうに。

 

 マンションの方へと目を向ければ、今まさにオートロックの扉から出てきた夢結さんに礼ちゃんが抱きついていた。

 

 ハグから始まる熱烈な挨拶が終わると、礼ちゃんは一歩下がって上から下まで夢結さんの姿を眺め、なにやらすごい勢いで夢結さんへと言葉を投げかけている。そんな礼ちゃんに夢結さんは慌てた様子で口を塞ごうとしていたので、きっとお洒落な装いをしている夢結さんを褒めちぎったりなどしたのだろう。

 

「……ふふっ、なるほどね」

 

 車を降りる前に礼ちゃんが夢結さんの服装について言っていたのは、きっとこういうことなのだろう。でも、直前にわざわざ念押ししなくても夢結さんと会った時に褒めるのになあ。

 

 一通り夢結さんを褒め倒して満足したのか、礼ちゃんは夢結さんと手を繋ぎながら車へと近づいてくる。

 

 車に乗ってしまえば夢結さんは後部座席に座るので、姿もちゃんと見れないしお話もしづらくなる。挨拶をするなら乗る前のほうがいいだろう。

 

 運転席から降りて歩道側へと近寄った。

 

「お兄ちゃんっ、ほらっ! 夢結っ、めっちゃ可愛いでしょっ?!」

 

「ちょっ、ちょっと礼愛っ……」

 

 僕の姿を視認した途端、礼ちゃんの背中に隠れようとしていた夢結さんを礼ちゃんは引っ張って前に押し出した。

 

 印象も違って見える、なんて礼ちゃんは言っていたけれど、まさしくその通りに全然違って見えた。

 

 いつもはサイドに結っている髪を下ろしているだけでも、かなり雰囲気が違うように感じる。トップスはTシャツかタンクトップかまでは見えないけれど、その上から薄手のジャケット。ボトムスはサロペットパンツで、足元はヒールが高めのスクエアトゥストラップサンダル。

 

 紫外線対策もあるのかもしれないけれど、これまで見ていた制服姿よりよっぽど肌の露出を抑えたコーディネートになっていた。私服のほうが控えめなパターンというのもあるのか。制服の時は心配になるほど足を晒していたが、今日は全然肌を出していない。肌色の面積で言えば、礼ちゃんと夢結さんで普段の真逆になっている。

 

 夢結さんも礼ちゃんとは違った意味でスタイルが良いのでとある一部分には視線を向けられないけれど、とても魅力的な装いだ。

 

「おはよう、夢結さん。うん、とっても可愛いね。でもそれ以上にどことなく大人っぽい落ち着きがあるよ。髪を下ろしてるところも初めて見た。とても似合ってる。綺麗だね」

 

「へぁっ、ひぇ……ぁ、あ、りがと、ござぃまひゅ……」

 

「あははっ、夢結顔真っ赤だよ! 大丈夫ー? 今からその調子だと、こっからもたないよー?」

 

「む、むりかも……しんぞう、はれつするかも……」

 

「んー、まあ喋れてるうちは大丈夫でしょ」

 

「あ、あたしには、まだ、はやかったんだっ……」

 

「体調不良、って感じじゃなさそうだね。照れてるのかな? ふふっ、夢結さんだったら褒められ慣れてるだろうに」

 

「ひや、そんなっ、あたしなんてぜんぜん……」

 

「二人で遊びに行ってたらよく声かけられるしね。やっぱり夢結は可愛いんだよ。おっぱい大きいし」

 

「そこかい」

 

「そこかいって言うけど、女の魅力を評価する要素の一つは確実に占めてるよね。だから夢結だってハイウエストで絞って強調させてるんでしょ? ずるいなー」

 

「黙って。あたしの戦略を事細かに説明しないで。……てか、お兄さんの前でそういうこと言わないでもらえないかなっ? ……お兄さんの顔見れなくなったでしょうがっ」

 

「もとから見れてないんだから変わんないじゃん」

 

「うるさいなあんたはっ! その通りだよ!」

 

「はい、続きを話すなら車の中でどうぞ。この炎天下はお喋りには向かないよ。早く乗ってね」

 

 スタイルの話に移った瞬間から僕は目を逸らしていた。僕がどのように言葉を選ぼうと、発言してしまえば行き着く先は非難しか待ち受けていないからだ。

 

 ちなみに言うと礼ちゃんだってスタイルはいいし、決して胸元に乏しいわけでもない。このくらいの年齢の女の子の平均くらいはあるとかなんとか、まるで自分に言い聞かせるように僕に熱弁していたのを憶えている。

 

 それでも礼ちゃんと夢結さんが並ぶと、少し言葉の響きが悪くなってしまうけれど貧相に見えてしまう。しかしそれは隣に立つ夢結さんが平均値から大きく逸脱しているからに他ならない。強調されやすいようなデザインでもない一般的なブレザータイプの制服でさえかなり目立っていた夢結さんのスタイルが、ハイウエストのサロペットパンツによって強調されればそれはもう、さもありなんという感じになる。羽織っているタイトなシルエットのジャケットはちゃんとボタンを留められるのか怪しいくらい、立派な山が(そび)えている。

 

 そのあたりに言及するとまず間違いなくセクハラの(そし)りは(まぬが)れないので、僕はその話から距離を取りつつ車内に誘導した。

 

 服装までならまだしも、女性の体型の、しかも特定の部位に焦点を当てた話となれば僕に生き残る道はない。撤退するか、存在を消すか、選択肢はそのどちらかだ。運転席に戻ったら、話題が移るまで存在感を消しておくことにしよう。




二章に入ってからは配信が多かったのですが、これからしばらく日常回です。だいぶ前にちょろっと出てきていた映画の話です。

お兄ちゃん視点が続きます。





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「『配信者はリスナーを楽しませられるように努力するべき』」

 後部座席に二人が乗り込んだことを確認して僕は運転席へと回る。

 

 後部座席では二人が小声で話を続けていたけれど、車を発進させてから二回ほど信号待ちで停止したあたりで、触れづらい話は終わったようだった。助かった。

 

「そういえば……あ、あの、お兄さん、昨日の配信なんですけど……」

 

「うん、何か気になるところあった? 夢結さんの視点は独特で僕にはないものだから、ぜひ意見を聞きたいな」

 

「は、はい。NP……『Next(ネクスト) Princess(プリンセス)』の方とのコラボ配信って枠なかったんですよね?」

 

「あ、夢結さんもそっちなんだ……」

 

「え? 『も』って?」

 

「夢結を拾う前に私がその件でお兄ちゃんを詰めてたんだよね。ずいぶん仲がよろしいことで、って」

 

「詰め方怖すぎでしょ……」

 

「ちなみにコラボ配信じゃないんだ、あれ。美座さんの配信に僕がコメントしたら『次の出撃ついてきて』って感じで誘われただけなんだよね。それでゲームをご一緒したんだ」

 

「はー……なるほど。そういう経緯があったんですね。だからお兄さんの枠はなかったんだ」

 

「なに? 夢結は美座さんのアーカイブ観てなかったの? 切り抜きだけ?」

 

「いやアーカイブ観に行ったけど、お兄さんがVCに入ってきたところから観始めたからその前の流れを詳しく知らなかったのよ」

 

「あー、はいはい。わかった。コメント欄にあったタイムスタンプから飛んだんでしょ」

 

「やめろ、あたしの考えを読むんじゃない」

 

「ちなみに私もそう」

 

「あんたもかいっ!」

 

 僕が美座さんの配信にお邪魔したのは出撃二回分だけだったのだが、礼ちゃんも夢結さんも当然のようにアーカイブを観に行ってくれていたようだ。

 

 礼ちゃんの言っていたタイムスタンプとは、動画内の指定した時間に飛べるリンクのこと。それをクリックなりタップなりすれば指定された部分から動画を観ることができる。DVDのチャプターのようなものだ。

 

 ちなみにコメント欄からもそのリンクは貼れるので、リスナーさんたちは自分のいいと思ったシーンを共有するためにコメント欄にも貼ってたりする。リスナーさんが面白いと思ったシーンがタイムスタンプとして表示されるので、僕としてもどういった内容がリスナーさんから好まれているのかわかりやすくていい。

 

 ただタイムスタンプでわかりやすくなっているのだけれど、タイムスタンプが貼られているシーンはだいたい深く考えずに言葉を発している場面だったりするので、あまり学習に結びついていない。意識していない部分を良かったと言われても、それは無意識的だからこそ好まれているのであって、無意識の言動を意識し始めたらそれは無意識ではなくなってしまう。気にせずに自然体でいればいいということなのだろうか。判断に困るところである。

 

「短時間だけゲームご一緒するつもりだったから配信つけなかったんだ。それがどうかしたの?」

 

「えっと、あの……お兄さんが合流してからの部分で、創作意欲を掻き立てられるシーンがいくつもあったんですけど……NPは切り抜きするの許可制っていうか認可制だったんで、どうにかできないかなぁ……と。お兄さんの枠があったのならそちらを使わせてもらおうと思ったんですけど……」

 

「あー……そっか。『Next Princess』は許可もらわないと切り抜きできないもんね。そのあたり事務所ごとに規約が違うから、ちょっとややこしいよね」

 

「そっか……ごめんね。僕が手間を惜しんだばっかりに」

 

「いやっ! 違うんですっ! そういうことじゃなくて、ただ自分たちの欲求っていうか! イラストにしたいなって思っただけっていうか……」

 

「そうだよ。お兄ちゃんが配信つけてればこんなに面倒なことにはならなかったのに」

 

「ごめんなさい……」

 

「ちょっ、ちがっ……お兄さん謝らないでくださいっ! まったく謝るようなことじゃないんですから! 礼愛もなに言ってんのっ!? 推しが表に出てきてくれたのに謝らせるようなことなんてあっちゃいけないの! こちとら観れるだけで幸せなんだ! そっから先を望むなんてのはリスナーの我儘、エゴでしかないっ!」

 

「さすがジン・ラースのファン第一号を自称するだけのことはある。しっかりときも……熱心なファンをしてるね」

 

「ゆ、夢結さんの熱量がすごい……」

 

 夢結さんはフォローしてくれたけれど、たしかに後々のことを考えれば僕も枠を用意するべきだったのかもしれない。

 

 しかし急に美座さんにお誘いいただいたというあの状況、出撃二回か三回行けるかどうかというあの時間で、配信をつける判断をするのは難しかった。

 

 他の人気のあるゲームをプレイするのと比べれば、リスナーさんもそこまで興味がそそられないだろうと思っていたのだ。

 

 想像以上に反響が大きかったことを僕が知ったのは昨日の夜。礼ちゃんとのコラボを終えて、観にきてくれたリスナーさんへご視聴感謝の投稿をSNSにした時だった。僕のチャンネルのリスナーさんや、美座さんのチャンネルのリスナーさんから『またコラボ観たいです』といった内容の言葉をたくさんもらっていたのだ。

 

 それを受けて僕は能天気にも『これでADZやってくれる人が少しでも増えたらいいなあ』だなんて思っていた。僕の枠がなくて困っていた人もいるというのに。自分が恥ずかしい。

 

「ふぅっ……。ということで、お兄さんは謝る必要ないんです。あたしからちゃんとNPのほうに許可もらいに行けばいいだけの話なので」

 

「う、うん。あ、ありがとうね、夢結さん」

 

 車に乗る前は会話が辿々しかった夢結さんだけれど、運転席と後部座席という位置関係だと気が楽なのか、僕に対してもたくさん話してくれる。車を降りてからもこの調子で話してくれるととても嬉しいけれど。

 

「夢結、夢結。ちなみにさ……どのシーンをイラストにするつもりなの? 私さあ、ぐっ……とくるシーンがいくつかあってさあ……」

 

 突然礼ちゃんが声量を落として夢結さんに(にじ)り寄り、ねっとりと話し始めた。

 

「はっ、礼愛お前そんなん……あたしもいっぱいあるに決まってんでしょうが。……とりあえず言ってみ?」

 

 そんな礼ちゃんの豹変ぶりに引くことも臆することもなく、なんなら夢結さんも礼ちゃんの肩に接するように近づいて声を潜めた。

 

「私はやっぱり最初のほうの……ハンドガンでヘッショしてたとこ、かな……。ハンドガンの交戦距離の外も外、十倍くらい遠くから一発で撃ち抜いたの、すごい……かっこよかった」

 

「たっはぁっ……わっかるぅっ……。めちゃくちゃわかるっ。あれさぁ、敵倒してからも平然としてるからなおさらかっこいいんだよねっ。誇らないっていうかさ」

 

「うんっ、うんっ。そうっ、そうなのっ! その後に美座さんにしてた約二秒の説明もお兄ちゃんらしくてね?!」

 

「あれ、悪魔のロールらしい人外じみた知的さがあって怖かっこよかったぁっ……」

 

「…………」

 

 もしかして僕が同じ空間にいること、忘れられたりしてるんじゃないかな。最初のほうこそ僕に聞こえないようにしようという努力が窺えていたのに、徐々に声が大きくなってきている。

 

 内容が内容だけに、僕からは口を挟みづらい。ただ内容が内容だけに気分は良い。褒め殺しされるのはこそばゆいけれど、褒めてもらえるのは嬉しいものだ。

 

「サブマシンガン全弾躱したとこもよかったなぁ。あれは美座さんの視点だからこそわかりやすかったよね」

 

「弾が飛んでくるとこわかってるみたいな動きだったよね! でも、あれをイラストで表現しようとしたら何枚描くことになるか……」

 

「あははっ、あのシーンはかっこよかったけどイラストには難しいね」

 

「あの神回避シーンを描き切る力は、まだあたしにはないなぁ……。イラストにして映えるシーンなら……」

 

「わかった、あそこでしょ? キャンプってとこの『おかえりなさい』か、地下の部屋の『ただいま』のどっちかでしょ?」

 

「あっは! やっぱわかる?! イラストにするなら絶対にあの二つは押さえとかなきゃいけないでしょ! とくに、とくにさぁっ! 地下の部屋のシーンがさぁっ! お相手の美座さんのセリフもあいまってめっちゃエモいんだよねっ!? 自分を守るために一人戦場に残ったお兄さんにゆっくり歩み寄ってさ、血だらけ傷だらけの体に手をあてて、目に涙を浮かべながら労わるイメージがありありと浮かんだよっ! あんなんっ、もうっ、尊すぎるわ……。シチュエーション最高かよっ……」

 

 やはり絵を描く人は感受性が豊かなようだ。地下通路の脱出地点での会話をそんなふうに捉えていたのか。

 

 『猫の目』のアビリティを使ってもなお部屋が暗かったので、おそらく美座さんは近づいて僕の被弾箇所とか出血のグラフィックを確認していただけだと思うけれど。

 

「……まあ、地下の部屋でのやり取りも……まあ、うん……よかったけどね。でもせっかくイラストにするならキャンプ地のほうでよくない?」

 

「なんでよ、おかしいでしょ。どっちも描きたいけど、どっちかしか描けないってなったら選ぶのは地下部屋のほうでしょ。あのシーンに繋がるまでのストーリーもスナイパーからの狙撃を庇ったり逆にピストルで超遠距離にいる敵を撃ち殺したりして劇的だったし、三対一の圧倒的劣勢から生き延びたっていうお兄さんのすごさも描写できる。お兄さんが追いつくまでの間、お兄さんの身を案じていた美座さんのヒロインっぷりはフィクションを凌駕してたし、そのあたりのかけ合いはシリアスだけじゃなくてユーモアもつけ足せる。合流してから命を賭して守ってくれたお兄さんに美座さんがお礼を言うところは感動的だった。お兄さんが傷だらけなのもそうだし、薄暗い部屋っていうのもデザイン的においしい。光の加減とかエフェクト、構図だって難しいところはあるけど、腕の見せ所でもある。これだけお膳立てされてて『ただいま』のシーンを描かなかったらそんなんなんのためにイラスト描いてるかわかんないでしょうが」

 

 やはり夢結さんは、絵に本気で打ち込んでいるのだろう。イラストのことになると熱の入り方が段違いになる。いつもは礼ちゃんに丸め込まれたり押され気味の夢結さんだけれど、この瞬間は礼ちゃんを圧倒していた。堂々と胸を張って自分の意見を主張している。

 

 それだけ絵を描くことに本気で向き合っているのだろう。ルームミラーで夢結さんに目を向ければ、礼ちゃんに真剣な表情で自身の考えを説いていた。

 

 夢結さんに限らずだけれど、一つのことにひたむきに努力している人の姿は、思わず見惚れてしまいそうになるほど美しい。

 

 まるで星を散らしたかのように夢結さんの瞳がきらきらと輝いていて、運転中でなければずっとその瞳を見ていたかったくらいに魅力的だった。

 

「うぐっ……だ、だってさあ……」

 

「だってもなにもない。手描き切り抜きが許可されなかったとしても、あのシーンはファンアートとして描く。絶対に描く。なにがあろうと描く」

 

「ううっ……。ゆ、夢結はなにも思わなかったわけ? なんか……なんかあんな、さ? 二人だけの世界、みたいな……さ? 物語の主人公とそのヒロインです、みたいな……あんなやり取り、もやっとしないの?」

 

「……んふふっ、んふふふっ」

 

「なんだその気持ちわっるい笑い方……」

 

「はっはぁん? なるほどね、なるほどなるほど。……礼愛、嫉妬したんだ?」

 

「はあっ?! ちがっ、そんなんじゃないし! 嫉妬なんてするわけないじゃんっ! 私が一番お兄ちゃんのこと愛してるし、お兄ちゃんは一番私のこと愛してる! あんなぽっと出の女に嫉妬なんてするわけないんだけど!」

 

「その自信はすんごいし、あたしもそうだろうとは思ってるけどさ……。滲み出てるよ、敵意が……」

 

「敵意も嫉妬もない!」

 

「一番だ、って思ってたらそんなにかっとならないよ。いい雰囲気だったから不安になったんでしょ」

 

「不安にもなってない! もやっとしただけ! もやっとしただけだから!」

 

 手を掴みながら強弁する礼ちゃんから夢結さんは体をのけぞらせて距離を取る。肺活量も発声もしっかりしている礼ちゃんだ、動揺して声量の加減ができてない状態ではさぞ耳に響いただろう。それは運転席にいる僕も例外ではない。車内という空間では逃げ場はなかった。

 

「この距離で声張り上げないでよ礼愛、耳が痛い。ほんとにこの子はまったく、しかたないなぁ。……お兄さん」

 

 可愛い生き物でも見るような表情で、でも口調だけは呆れたようなトーンで、夢結さんは僕を呼んだ。

 

「礼ちゃん」

 

 夢結さんの意を汲んで僕は礼ちゃんに話しかける。

 

「なにっ?! 私は今、夢結の勘違いを正すので忙し……」

 

「僕はなによりも礼ちゃんが大事だよ」

 

「……むう」

 

「礼ちゃんが嫌な思いをするのなら僕は礼ちゃんを優先するけど、どうする?」

 

「どうするの? 礼愛」

 

 意地悪そうに笑みを浮かべながら、夢結さんは礼ちゃんに問う。礼ちゃんなら道を誤るようなことはしないし言わないと信頼しているからこその、夢結さんの問いかけだ。

 

 普段は遠慮なく言い合っていても、お互いにリスペクトは忘れない。理想的な関係、良い親友だ。

 

「うう……ううっ!」

 

「唸んないでよ礼愛。犬じゃないんだから」

 

「違うっ、違うのっ! お兄ちゃんの交友関係を制限したいわけじゃないの! ただ、なんかっ、すっごい仲良くしてたから……それでちょっともやっとしただけ! お兄ちゃんに一緒にゲームする友だちができること自体は嬉しいのっ!」

 

「それじゃあ礼ちゃんは、これからも僕が美座さんと一緒にゲームしてても大丈夫?」

 

「うぐっ……ううっ、だい、じょうぶっ……。過剰にいちゃいちゃしなければっ……」

 

「いつも通りならいいってことだよね?」

 

「……そう、そうだよ。お兄ちゃんが美座さんにも他の人と同じように接するなら、なにも問題はないよ」

 

「これまで相手によって接し方を変えた自覚は僕にはないから、これまで通りで大丈夫ってことかな。ありがとね、礼ちゃん」

 

「ちょっと待って。美座さんへの接し方は明らかに違ったよね? 明らかに甘かったよ! 接し方も! 空気も!」

 

「そんなことないよ。他の人と違うっていうんなら、きっとADZが原因だね。きっと他のゲームよりも協力とか助け合いが重要なゲームだから、他のゲームでやっている時よりも友好的に接しているように見えちゃうんだろうね。これは仕方ないね」

 

「そ、そんな言い逃れなんて通用しないんだからっ」

 

「言い逃れでも屁理屈でも詭弁でもないよ。ゲームのシステムがプレイヤー同士の協力を推奨してくるのだもの。親しくするのは自然だよ」

 

「親しく、親しくっ……むうっ! 夢結はっ?! 夢結はどう思う?! もやっとしたよね?!」

 

「んわぁ、分が悪いからってあたしにきた。あたしはべつに? てぇてぇなぁ……って思いながら観てたけど」

 

「嘘だよ! 絶対に少しくらいは羨ましいなーって思ったでしょ!」

 

「思わないよ。あたしには投影法があるから」

 

「と……え、なに?」

 

「投影法。どんな状況でも楽しめるように自分を相手の人に置き換えるの。だから推しがてぇてぇするたびにあたしの心は潤うよ。相手が誰だろうと自分に置き換えるから、てぇてぇする相手が増えれば増えるほどあたしの人生は豊かになる」

 

「楽し、置き換え……。わ、ああ……そ、そうなんだ……」

 

 夢結さんから強烈にも程があるカウンターパンチを受けて、礼ちゃんは尻込みしていた。吐いていた気炎は鎮火してしまっている。さすが夢結さん、軽く発した言葉にすらとてつもない衝撃が乗っている。

 

「物理学や心理学以外の場面で投影法を聞くことになるとは思わなかったや……。リスナー心理学ってところなのかな……」

 

「リスナーみんながこの投影法をマスターしていればコラボ相手がどうとかで荒れることもないんですけどね。やっぱり人によって流派が違うので難しいんだと思います」

 

「りゅ、流派まであるんだね……。様式やしきたり、作法とかが違うのかな……。華道、みたいな……」

 

「言い得て妙ですね」

 

「気取らないで? 言い得て妙とか言わないで? 夢結はなんの専門家なの? 華道と肩を並べようとしないで」

 

「心の安寧を保つと同時に幸せにもなれる一挙両得の思考形態がこの投影法なの。まったく……常に生活が幸せに満ちている礼愛は精神的な刺激に弱くて困るなぁ。一般的なリスナーは推しからの限られた供給を最大限享受するためにいろんな方法を心得てるもんなの。寧音もそう」

 

「えっ?! 寧音ちゃんも?!」

 

「寧音は流派が違うけどね。あいつは妄想力で補完するタイプ。だから、まぁ……あたしと違ってそこそこダメージ受けてたね、ちょうど礼愛みたいに」

 

「やっぱりダメージ受ける人もいるんだよ! だから美座さんといちゃいちゃするのはだめだよっ、お兄ちゃん!」

 

「元から誰ともいちゃいちゃなんてしてないけどね、僕」

 

「ちょっと礼愛、やめなよ。推しに自分の理想を押しつけるのはマナー違反」

 

「マナー違反は……それはそうなんだけど……」

 

「リスナーなんてのは、推しの日常のワンシーンを覗き見させてもらってるに過ぎないの。配信してくれてるだけで感謝しないといけないの。礼愛はいつもお兄さんのすぐ近くにいるからその分思うところもあるのかもしれないけど、本来リスナーなんていう存在は配信者に関知されないものだし関与できないものなのよ。観させてもらってる分際で口を出すのが間違ってる。本人に文句言ったりコラボの相手を指定したり配信の内容を強制させるなんて、リスナー失格なのよ」

 

「いや、ゆ……夢結さん、僕はそこまで過激な考えは持ってないよ? 配信を観にきてもらってるわけだから、リスナーさんには楽しんでもらいたいと思ってるし……」

 

「『配信者はリスナーを楽しませられるように努力するべき』……そういった理念を『配信者』自身が掲げる分には構わないんです。ただ、その理念を『リスナー』がお客様目線で振り(かざ)すのがいけないんです。お兄さん、知ってますか? どんなにおもしろいコンテンツでも、大抵終わり方は同じなんですよ。エンタメを解さない自己主張の激しい厄介な外野が、コンテンツを殺すんです」

 

「っ…………なるほど」

 

 僕はVtuberとして活動するにあたってこの界隈のことを調べたり学んだりはしたけれど、それまではほとんど何も知らなかった。

 

 デビュー以前は、礼ちゃんの配信の切り抜きを観るくらいで、広げたとしても精々礼ちゃんとコラボした人の配信や切り抜きをちょこちょこ観る程度。Vtuber界隈、配信者界隈に興味があったわけでも、熱心にイベントを追っていたわけでもない。

 

 夢結さんがどれほどこの界隈にのめり込んでいたのか僕は細かくは知らないけれど、僕よりもよほど長く深く見てきているのだろう。

 

 いや、もしかするとVtuberや配信者というジャンルに限られてすらいないのかもしれない。一度話を区切ったあと、夢結さんはわざわざ『コンテンツ』と表現した。夢結さんが警鐘を鳴らす『コンテンツを殺す』という話はおそらく、配信者界隈のみに限定されてはいないのだろう。

 

 サブカルチャー分野について、僕では及ぶべくもない膨大な知識量と経験値を誇る夢結さんは、きっと望まれない結末で終わったコンテンツをたくさん見て聞いて触れて知ってきたのだろう。

 

 御姉妹でサークル活動をして漫画も出している夢結さんは、サブカルチャーの消費者でありながら同時に生産者の顔も併せ持つ。この分野における有識者にして専門家、娯楽を提供するという観点からみれば僕の先輩にもなりうる。

 

「差し出がましいことはわかってますけど、お兄さんはお兄さんのやりたい配信活動をやりたいようにしてください。誰の指示も、相手がたとえ礼愛であっても、聞かなくていいんです。楽しそうにしている姿を観れるのが、リスナーにとってなによりのファンサービスです」

 

 先達からの忠告、ありがたく頂戴しよう。

 

 あくまでこれは夢結さん個人の見解だけれど、しかしこの見解は、多角的な視点、多面的な真理への解答の一つのように、僕は感じられた。

 

「……うん、わかった。肝に銘じておくね。ありがとう、夢結さん」

 

 以前に、リスナーさんはどのような配信を求めているのだろうと考えて、僕は夢結さんにも意見を求めたけれど、夢結さんは『配信してくれてるだけで嬉しいです』と答えていた。あの時は僕に配慮してそう言っているのかと思ったけれど、夢結さんは自分の信条に従って真摯に答えてくれていたのだと、今なら理解できる。

 

 立場が変われば意見も変わってしまう人が多いというのに、夢結さんは一切揺るがず一貫している。礼ちゃんが夢結さんのことを大好きな理由がよくわかる。一本筋の通る実直なその人柄はとても好ましい。

 

「ううっ……ううぐうっ……。夢結の言葉が、痛いっ……」

 

「まぁ、そうだろうね。正論パンチってそういうもんよ」

 

「痛いけど、夢結の言ってることが間違ってるとも思えないからなおさら苦しい……。反論できない……」

 

「正論だなんて言ったけど、べつにあたしの言ってることがすべての状況で正しいなんて、あたし自身思ってないけどね。思考放棄した盲目的な全肯定信者だ、って言われても仕方ない内容だし」

 

「まあたしかに内容はあれだったけど、大筋は納得できるものだったからさあ……。一部の声の大きなリスナーの意見を取り入れてだめになっちゃった、ってパターンは私も聞いたことあるし、それで嘆いてたリスナーさんもSNSで見たことあるし」

 

「うん。あたしもある。何回もある。だからこそ、自分はそうならないようにって律してる。礼愛なら自分に置き換えて考えてみたらわかりやすいし、納得もしやすいんじゃない?」

 

「ん? 自分に置き換えて、って?」

 

「んーと……そうだなぁ。たとえば、礼愛のガチ恋リスナーが『レイラ・エンヴィとジン・ラースのコラボは気に入らない。やめるべきだ!』なんて言ってきたとしたら、どう?」

 

「え、なんでお前に指図されなきゃいけないんだって思う。ふつうに腹立つ」

 

「ちょっと言い方が素直すぎるけど……まぁ、そういうことよ。自分にはしたいことがあるのに、それが気に入らないからって文句つけられたら気分悪いでしょっていう、それだけの話。推しを推すことと、支配しようとすることは違うんだからね。あたしも礼愛も、お互い気をつけようねってだけの話よ」

 

「ためになる話だね。僕も心に留めておかないといけない」

 

「お兄さんが? あんまりお兄さんが他人の気持ちを無視して言うこと聞かせようとする姿はイメージできませんけど……」

 

「お兄ちゃんにはその『他人』と接する機会もないわけだしね」

 

「ぐふっ……」

 

「……お兄さんが頭ごなしに命令するようなタイプだったら、礼愛はこんなふうには育たないよね。お兄さんは気にしなくても大丈夫ですよ」

 

「私で判断しようとしないでくれないかな」

 

「あはは。ありがとう、夢結さん。ただ僕は、支配しようとか言うこと聞かせようとか思ってないんだけど……いつの間にかそうなってるってことがあって」

 

 僕が無意識下で他人を支配しようとしているのか、あるいは僕に従うように他人を誘導しているのかわからないけれど、それに近しい経験があった。それが原因で小学生の時と高校生の時、周囲と軋轢が生じた。

 

 何が一番困るかと言うと、それが無意識下で行われているから困るのだ。完全に支配してしまえば問題は起きないのに、僕としては支配するつもりがなく、だからこそ中途半端になって糾弾される隙が生まれる。

 

 そのせいで、僕はただ人と仲良くしたいだけだったのにうまくいかなかった。

 

 小学生時代も高校生時代も、最初の頃は順調に親睦を深められていた。順調、と僕が思い込んでいるだけでその頃から問題はすでに芽吹いていたのかもしれないけれど、少なくとも僕の視点からは順調に見えた。

 

 けれど、時間が経つにつれ、ぼろぼろと鍍金(めっき)が剥がれ落ちるように周りから人が離れていった。最初から最後まで、僕は態度を変えずに周囲の人たちと接していたはずなのに。

 

 意図せず発揮される支配欲をどう抑えればいいのか、治療法はまるで見当もつかない。けれど無意識的に支配欲が発露されているということは、僕の深層心理にはそういった欲望がある、ということなのだろう。

 

 支配欲なんてものは友人を作るという僕の目標を阻む障害でしかない。夢結さんの言葉を肝に銘じ、まずは意識することから始めて、いずれはどうにか克服したいものだ。

 

「……お兄ちゃんの場合は支配しようとしてるんじゃなくて、周りの人が支配されたがってるんじゃない? 周りの人の被支配欲を引き出してるんじゃないかな……」

 

「あぁ……それわかるぅ……」

 

 自分の行動を顧みてどうにか改善しようとしていた矢先に、二人は元も子もない話をしていた。

 

「……被、支配欲……」

 

 僕が自然体でいるだけで被支配欲を掻き立ててしまっているのだとしたら、それはもう僕にはどうしようもないのでは。

 

「他人にああしろこうしろって命令されるのは誰だって嫌な気持ちになるけどさ、お兄ちゃんがするのは命令じゃなくて提案でしょ? 『こうしたらもっとよくなるかもしれないね』みたいな」

 

「わーっ、お兄さん言いそうっ!」

 

「…………ま、まあ……」

 

 まるっきり、一言一句同じセリフを高校生の時にこの口から発した記憶がある。

 

 さすが礼ちゃん、産まれた時から僕の妹をやっているだけあって僕の言い回しをよく把握している。

 

「柔らかい感じの提案なら言われた人も素直に聞き入れやすいし『それじゃ一回やってみようかな?』ってなるよね。で、いざお兄ちゃんのアドバイス通りにやってみたら、大抵うまくいく」

 

「そのあたり、礼愛はたくさん実体験がありそうだね」

 

「あるよ、めっちゃある。私は強い意思を持ってお兄ちゃんになるべく甘えないように自制してるからまだなんとかなってるけど、きっとふつうの人なら簡単に堕落するよ。だってお兄ちゃんに従ってればうまくいくんだもん。ぜんぶ任せちゃおってなるよ」

 

「一般人目線から言わせてもらえば十分甘やかされてるし十二分に甘えてると思ってたけど……そう考えるとたしかに、盲目全肯定指示待ち操り人形にならなかっただけ礼愛はしっかり者の部類なのか」

 

「やばい単語を繋げてやばい新語を作らないで。とにかく、お兄ちゃんの甘やかしスキルと的確なアドバイスのせいで、思考停止した被支配願望のある人間が集まってきやすいってこと」

 

「ぜんぶ指示されて生きれたら楽だもんね。しかも指示されたことがぜんぶ正しくて従うだけで人生うまくいくんなら、なおさら依存しちゃうだろうね」

 

「そう。ふつうだったら堕落する。私だったから誘惑に耐えられたものの、並の妹だったら耐えられないよ」

 

「並の妹とかいうこれからの人生で聞く機会がもう一度あるとは思えない謎ワード。牛丼かよ」

 

「そ、その場合、僕はどうすればいいのかな? 僕としては甘やかしているつもりはなくて、あくまで常識の範囲内で手助けをしてるつもりだったんだけど……」

 

 困っている人を助ける、苦しんでいる人を少しでも楽にさせると思うことは、一般的な感性であれば自然な心の働きのはずだ。

 

 普遍的な倫理観や常識的な道徳観に則って、僕は僕にできることを周りの人にしてきた。人によって差をつけたり態度を変えたりもしてこなかった。もちろん、周りの人と仲良くしたいという下心もあるにはあったけれど、社会通念や一般論から大きく逸脱するほど特別なことをした憶えはない。

 

 二人は過剰に褒めちぎってくれていたけれど、他の人も同じようにやっているだろうことを僕もやっていたに過ぎない。

 

 それでも駄目なら、いったい僕は人とどう接すればいいのだろう。

 

「んー……お兄ちゃんはもう、あんまり人にアドバイスとかしたり相談とか乗らないほうがいいんじゃない? そのうちどこかでメンヘラ女でも引っかけそうで私心配だよ」

 

「お兄さんは依存先にはぴったりだしね……。お兄さんからはあまり率先してお手伝いせずに、頼まれた時に必要な分だけ手を差し伸べる、とかでいいんじゃないですか?」

 

「……なるほど。頭の片隅に置いておくことにする」

 

 いくら手助けといえど過度に干渉すれば相手の自立心や自主性を損なうことになるので、ある程度までに留めているつもりではあったけれど、その『ある程度』でさえ僕は手を出しすぎていたのかもしれない。

 

 気をつけなければいけない。悪意なく人を駄目にするところだった。

 

「あ、私にはこれまで通り甘やかしてくれていいからねお兄ちゃんっ! 私はそんじょそこらの妹じゃないから!」

 

「そんじょそこらの妹ってなんなのよ……。お、お兄さん、あたしにもこれまで通りでだ、大丈夫です……。じ、自制心のあるタイプのリスナーなのでっ」

 

「なんだか話が違うような……まあ、甘やかすつもりもないし本人がそう言うのならいいか。二人とも、もうそろそろ着くからね。降りる準備しといてね」

 

「はーい!」

 

「あ、もう着くんだ……。あっという間だったなぁ……」

 

 とりあえず話も一段落ついたちょうどいいタイミングで、とても大きな建物が見えてきた。

 

 僕たちの今日の目的地である映画館は、駐車場も併設されている大型複合商業施設の中にある。

 

 こうして三人で出かける機会が次いつあるかわからないので、せっかくだしお昼は施設内のお店で摂ることにしていたのだ。

 

 映画鑑賞の前に、まずはお昼御飯である。

 



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『スクールカーストの頂点』

すいません、中途半端になりそうだったので今回短めです。


 

「すいません。あたしの分まで出してもらっちゃって……ごちそうさまでした」

 

「さすがに出させてもらわないと。こんな僕にも一応歳上としての面目ってあるからね。おいしかったね、あのお店」

 

「夢結。男の人がお会計してくれるっていう時は、黙って譲って『ありがとう』ってお礼言うのも、大人の女の所作なんだって。私はお兄ちゃん以外とご飯食べに行くことないから必要のない知識だけど」

 

「あんたはほんと、どんな時でも変わんないね……」

 

「礼ちゃんはどうだった? あのお店」

 

「おいしかったけどお兄ちゃんの作るご飯のほうがおいしい」

 

「ふふ、うれしいこと言ってくれるね」

 

「払ってもらった立場でそれ言うって、ほんとどうなってんの、そのメンタリティ……」

 

「だってあのお店のパスタにはお兄ちゃんの愛が入ってないんだもん」

 

「そりゃ入ってないでしょうよ……」

 

「どうやっても僕の愛情が入る余地はないけど……わからないよ? もしかしたらコックさんの愛情は入ってるかも」

 

「それはそれで嫌だよ。知らない人の愛情とかアレルギー出そう。でも成分表示に入ってなかったし大丈夫でしょ」

 

「どうだろう? 栄養成分表示でもアレルギー表示でも愛情は表示義務品目外だから書かれてないだけかも」

 

「いやっ、あははっ、ふふっ……お、お兄さんっ、そういう話じゃなっ……あははっ」

 

 大型商業ビルに店舗を構えているイタリアンのお店で昼食を済ませた後、映画館のあるフロアへと向かう。

 

 行きの車内でのお喋りが良い具合に緊張をほぐしたのか、夢結さんは車を降りてからもたくさんお喋りしてくれている。あんまりお堅い雰囲気ではないお店を選んでよかった。

 

 三人でお喋りしながら歩いて、映画館のフロアに到着した。

 

 グッズ売り場のほうへ二人を誘導する。売られているグッズを見て回っているだけでも退屈にはならないだろうし、グッズ売り場の近くには上映時間までの間軽く休憩できるようテーブルと椅子も用意されている。

 

「それじゃチケット発券してくるから、このあたりでちょっと待っててね。ついでだし飲み物も買ってくるよ。何がいい?」

 

「私はアイスティーにしよっかな」

 

「えっと……そ、それじゃ、メロンソーダでお願いします……」

 

「はいはい、アイスティーとメロンソーダね」

 

「あ! 私ポップコーンも欲しい!」

 

「しょっぱいのと甘いの、どっちにする?」

 

「んー、ご飯食べた後だし、しょっぱいのはいいかな。甘いのがいい。なんかめずらしいフレーバーがあったらめずらしいので、なかったらキャラメルでもいいよ」

 

「うん、わかったよ。夢結さんはどうする? ポップコーン以外にもチュロスやクレープもあるみたいだよ」

 

「いえ、あたしはお腹いっぱいなんで大じょ……どうしてメニューも見に行ってないのに知ってるんです?」

 

「ネットで予約した時にメニューもちらっと見てたからね」

 

「お昼ご飯も予約してくれてたしね、お兄ちゃん」

 

「え、わ……あ、ありがとうございますっ……」

 

「ふふっ。どういたしまして。って言うほどのことはしてないけどね。お腹いっぱいなら飲み物だけにしておくよ。じゃあ行ってくるね」

 

「行ってらっしゃーい」

 

「い、行ってらっしゃい、お兄さん」

 

 グッズ売り場で一旦別れ、まず発券機に向かう。手が塞がる前にチケットを発券しておこう。

 

 三人分を発券して、次に売店へ。僕のものを含めて飲み物三つと、礼ちゃんのポップコーンを買い求める。もちろん定番のフレーバーもあったけれど、礼ちゃんの要望通りにあまり目にしないユニークなフレーバーがあったのでそれにした。

 

 購入して二人と別れたグッズ売り場付近に戻ると、礼ちゃんの姿は見えず、夢結さんしかいなかった。

 

 その夢結さんは、どうやらお知り合いに話しかけられているようだった。女の子三人が夢結さんの前にいる。

 

 見ている限り、三人いる女の子のうちの一人がお知り合いの方のようだ。華やかで煌びやかな頭と服装をしている少女が夢結さんと話していて、他二人は一歩引いた位置にいる。

 

 もしかして、と少しばかり期待を抱きながら、夢結さんに近づく。

 

「お待たせ、夢結さん」

 

 夢結さんに話しかけたのだけど、夢結さんより早く夢結さんの正面にいた少女が『み゛ゃ゛っ゛』と反応していた。尻尾を踏まれた仔猫のような鳴き声だ。

 

「あ、おかえりです。の、飲み物、ありがとうございます。持ちますよ」

 

 僕に振り返った夢結さんは丁寧にお礼を言ってくれて、さらに手を差し出してきた。

 

「ありがとう。それで、夢結さん。こちらの方は?」

 

 夢結さんの分のメロンソーダと、ついでに礼ちゃんのアイスティーを持ってくれた夢結さんに訊ねる。

 

 すると夢結さんは頬をぴくぴくっと痙攣させて、なぜか苦々しい表情を浮かべた。

 

「あー、えっと……これ、じゃない……こちら、妹の寧音で……」

 

 お話を聞いてきた限りそれほど交友関係が広くないらしい夢結さんが、人見知りを発動させずに歳下の女の子と親しげに話しているところを見てもしかしたらと思ったけれど、本当に妹さんだった。

 

 手が塞がったままというのも不恰好なので、手近にあったテーブルに飲み物とポップコーンを置かせてもらって、寧音さんに向き直る。

 

「寧音さん、お話は夢結さんから……お姉さんから伺ってます。初めまして、恩徳仁義です」

 

 そのまま手描き切り抜きについてのお礼も続けたかったけれど、後ろにいるご友人のこともある。この場で言うのは控えておいた。

 

「あ、はぁぅ、ぁ、えとっ……は、はじゅ……初め、ましてっ。ゆー姉のいっ、妹の、寧音……吾妻(あづま)寧音(ねね)ですっ。よろしくおねがいしますっ」

 

「ふふっ、はい。丁寧にありがとうね。よろしく、寧音さん」

 

「ふぁっ、ぁいっ」

 

 声は以前に通話で聴いたことがあったけれど、こうして直接顔を合わせるのはもちろん初めてだ。

 

 夢結さんとお喋りしている時に、寧音さんのお名前はしばしば聞いていた。

 

 寧音さんは中学校でも賑やかなグループに属していて、クラスメイトからも人気があるのだとか。夢結さんが『寧音はそこそこ見た目もいいんで、あたしと真逆でスクールカーストの頂点にいるんです。あたしと同じオタクのくせに……』とぼやくように言っていた。内容は恨みがましかったのに、声はどこか自慢げだったこともあって強く記憶に残っている。

 

 その言は事実だった。寧音さんの容姿はとても端整で愛らしい。

 

 夢結さんと同じくらい明るい茶色にピンクを差したような髪色。それを今は後頭部あたりでお団子にして纏めている。纏めた後にあえてほぐすように手を加えているのだろう、ラフ感がお洒落だ。

 

 顔立ちは整っていて、姉妹らしくところどころお姉さんである夢結さんの面影を感じる。姉妹揃って美人さんだ。

 

 デニムのホットパンツで綺麗な足を強調させ、視線を落とせば足首に巻かれたターコイズブルーのアンクレットが光る。ニット生地っぽいキャミソールの上にはロングのシフォンカーディガン。夏らしく涼やかでアクティブな、それでいて中学生とは思えない大人びた印象も与えるファッションだ。底が厚めのオープントゥのアンクルストラップサンダルを履いているのは、後ろの二人のご友人と比べても背が低いことを気にしているからなのかもしれない。

 

「夢結さんが言ってた通り、とても可愛いね。それに今のコーディネートは大人っぽくて格好いい」

 

「ふぃっ、ひやっ、寧音はそんなっ……ゆ、ゆーねぇっ」

 

「あたしに助けを求められても。よかったじゃん。褒めてもらえて」

 

「そ、そうだけどっ! 心の準備体操してなかったんだもんっ!」

 

「体は準備体操してきたみたいな言い方やめろ。なんだよ、心の準備体操って。あたしも教えてほしいよそれ」

 

 夢結さんも寧々さんも、姉妹で話している時は遠慮がなくなっているところに、二人の姉妹仲の良さを窺えて微笑ましくなってしまう。

 

「あはは、二人とも仲良いね。後ろのお二人も初めまして。恩徳仁義です、よろしくね。お名前訊いてもいいかな?」

 

 夢結さんの身内の寧音さんから話しかけるのは自然とはいえ、寧音さんのお連れのお二人をずっと放置していては申し訳ない。手持ち無沙汰だろうし、肩身も狭いだろう。

 

「あ、えと……ども。うちは由紀です。藤原(ふじわら)由紀(ゆき)

 

 茶髪と呼ぶには煌びやかすぎる色のウェーブがかった髪を肩甲骨あたりまで伸ばしている子が由紀さん。キャンディスリーブになっているオープンショルダーブラウスとスキニーパンツに、ヒールが控えめのオープントゥブーツ、シンプルなデザインのブレスレットと格好良い装いだ。勝ち気な瞳と、寧音さんやもう一人のご友人よりも高い背丈もあいまって似合っている。服装の色合いを寒色に寄せているので金髪がよく映えていた。

 

「由紀さん、よろしくね。それで、君のお名前は?」

 

 歳の離れた男に急に話しかけられるのは怖いかもしれないと思い、少し距離を置いた位置から近寄ることはせず、表情も声色も柔和なものになるよう努めていたのだけれど、効果は今ひとつ芳しくなかった様子だ。

 

 もう一人のご友人は視線を僕の顔から十センチほど右斜め上にずらした座標で固定していて、目が合うことがない。それに話を振ってからというもの瞬きもしていないし、寧音さんの小さな背中を遮蔽物にしようとしているのかじわりじわりと移動している。僕のこと野生動物か何かと勘違いしてらっしゃるのかな。

 

「ぁ、はっ、あ……ぁ」

 

「だ、大丈夫だよ? 僕、熊じゃないよ? そ、そんなにゆっくり逃げようとしなくても身の危険はないよ?」

 

「んふっ……っく。お兄さん、よくこんな気まずい空気の中でっ……」

 

 僕の隣で夢結さんが口を押さえて顔を背けながら笑いを噛み殺していた。

 

 ちなみに冗談を飛ばしたつもりはない。小動物のように怯えてしまっている少女の警戒心をどうにか緩めようとしているだけなのだ。

 

「ご、ごめんなさい、お兄さんっ。(あずさ)ちゃんはちょっと……ちょっと? ……けっこう人見知りで……」

 

「梓、あんた挨拶くらいしときなって……。すんません。こいついつもは……まぁ、一人の時はいつもこんなもんなんすけど、うちらといる時はもうちょっと喋れるんです」

 

「そう、なんだ……。なんだか、驚かせちゃったみたいでごめんね?」

 

「……いえ、お兄さんが悪いわけじゃないのでっ! でも、さすがに相手が悪かったね……」

 

「梓には荷が重かったかぁ」

 

 僕が話しかけた途端にフリーズしてしまったので責任は僕にあると自覚はしているが、それでも面と向かって『相手が悪かった』と言われるのは効く。子どもに怖がられるタイプではないと思っていたのだけれど。

 

「えっと……紹介します。この子は田中(たなか)(あずさ)ちゃんです」

 

「梓さん。うん……急に話しかけてごめんね。びっくりしちゃったよね」

 

「ぃ、ぃえっ……」

 

 空気が漏れるようなか細い声がかすかに聞こえた。梓さんは寧音さんの服を摘みながらぷるぷるしていて、なんだかとても申し訳ない気持ちになる。

 

 服装から、きっと寧音さんや由紀さんと似た感じの性格なんだろうと予想していた。

 

 手のひらまで隠れていてフリルをあしらったブラウスにショート丈のプリーツスカート、足元はスニーカーという、三人の中では一番年相応というか、中学生らしい可愛らしさがある。とはいえそのスカートの丈と、サイドに緩く結った茶髪の隙間からちらりと顔を覗かせるイヤーカフはなかなかに攻めていて、やはり寧音さんや由紀さんなど華やかな女の子グループの一員といった印象だ。

 

 そう。そういう印象を持っていたのだ。まさかこんなに人見知りだなんて思ってなかった。

 

 いや、人の性格を外見で決めるのは浅慮だった。普段派手な制服の着こなしをしているのに人見知りな夢結さんがいるのだから、梓さんみたいな子がいてもおかしくない。

 

 まったくもって僕の配慮が足りなかった。梓さんには悪いことをしてしまった。

 

 いたいけな少女の精神状態安定のために、立ち上がった動きのまま気づかれないよう一歩後ろに下がり、寧音さんへと目を向ける。

 

「寧音さんたちも映画観にきたんだね。何を観にきたの?」

 

「えと、寧音たちは恋愛小説が原作の映画を……」

 

「ああ、最近よくCM流れてるよね」

 

 礼ちゃんとリビングでくつろいでいる時に宣伝が流れているのをちらっと見た気もする。人気のあるらしい若い男女の俳優さんを起用したラブロマンス映画らしい。

 

 どういうストーリーなのかは頭に入ってこなかった。僕ではあの手の映画の魅力を理解できないのである。残念な感性だ。

 

「お兄さんは『ゆー姉と(・・・・)』なに観にきたんです?」

 

 『ゆー姉と』の後、一拍置いたように感じたけれど、気のせいだろうか。妙な間というか、妙な圧も一緒に感じた。

 

「あっ……えっと……」

 

 夢結さんが思わずといった感じで声を上げて、気まずそうに目を逸らした。

 

 初対面の歳下の子たちに言うには抵抗があるのか、それとも偏見などを気にしているのか。

 

 昔はアニメを好んでいる人、いわゆるアニメオタクと呼ばれる人のことを蔑むような風潮があった。あった、というと今はそういった風潮が綺麗さっぱりなくなったようにも聞こえてしまって語弊があるかもしれない。でももっと昔、二十年三十年ほど前まで遡ると犯罪者予備軍のような扱いを受けていた、とネットで見たことがあるし、その時代と比べれば相対的に風当たりは弱くはなったのだろう。

 

 最近では比較的穏やかになったとはいえ、未だに偏見は根強く残っている。映画化されたアニメを観にきた、なんて言ってしまうと『アニメオタクの姉がいる』みたいなレッテルを寧音さんが貼られかねない。寧音さんの学校での立場、グループでの立場を気にして夢結さんが口ごもる気持ちもわかる。

 

 僕の考えすぎかもしれないけれど、それで夢結さんの負担が減るのならまあいいか。きっと今後僕は寧音さんのご友人、由紀さんと梓さんに会うことはないだろうし。

 

「ちょっと前に深夜に放送されてたアニメが映画化されたから、それを観にきたんだよ」

 

「ちょっ、お兄さっ……」

 

「ね、ねぇ、二人って……」 

 

 口元に笑みを浮かべた由紀さんは、金色のセミロングを揺らしながら一歩二歩と僕に近づいてきた。

 

 努力家で真面目な良い子である寧音さんのご友人が先入観や偏見で人を悪く言うなんて思わないけれど、僕が由紀さんと話し始めたのはつい一分前のこと。自己紹介しかできなかったその短時間で、性格や人間性は読み取れない。

 

 由紀さんがアニメや漫画などのサブカルチャーに悪感情を持っていないことに賭けるより、僕が強引に夢結さんを映画に誘ったという話にしておいたほうが無難だろう。誤解されたくないのなら、相手に誤解される前に、誤解されるよりかはましな印象を相手に誤解させてしまえばいい。

 

 下世話なことを考えていますと顔に書かれている由紀さんから『二人ってアニメオタクなの?』と訊ねられる前に、僕は答えた。

 

「僕から夢結さんにお願いしたんだ。付き合ってって」



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「一緒に行きたいです」

 

 下世話なことを考えていますと顔に書かれている由紀さんから『二人ってアニメオタクなの?』と訊ねられる前に、僕は答えた。

 

「僕から夢結さんにお願いしたんだ。付き合ってって」

 

「っ……え?」

 

 もうだめだ、と覚悟していたら予想もしていない展開になって驚いた、という様子の夢結さん。

 

「えっ……」

 

 現実には起こり得ない現象を目の当たりにした科学者のような、呆然とした様子の寧音さん。

 

「っ────」

 

 梓さんは、なんだろう。もとからよくわからない子ではあったけど、リアクションもよくわからない。あなたの命は持って明日までです、と伝えるのを昨日言い忘れてましたと言われた患者さんみたいな感じなのだろうか。とりあえず嫌悪感などは表情や態度には出ていないので、梓さんはサブカルチャーに偏見はない子みたいだ。

 

 一番の懸念は、外見や立ち居振る舞いからグループのリーダー的貫禄のある由紀さんだ。

 

「え、えっ、えっ! (あん)ちゃんから言ったん?! 付き合ってって?! ってことは、兄ちゃんのほうが好きだったってこと?!」

 

 いくつか予想していたうちのどれにも該当しない反応が返ってきた。どうして由紀さんはそんな輝くような笑顔をしているのだろう。どこをどう()(ざま)に捉えようとしても、人を馬鹿にしたり見下すような表情ではない。

 

 由紀さんもアニメや漫画に偏見がないのか、それとも実は好きだったりするのだろうか。

 

 とりあえずこのまま続けて様子を見よう。偏見があるにせよないにせよ『僕がアニメ好きで夢結さんは付き合っているだけ』という体にしておけば大きな問題は起きないだろう。

 

 ところでその『(あん)ちゃん』という呼び方はなんなのだろうか。呼ばれ方に頓着はしないので構わないといえば構わないのだけれど。

 

「そうだよ、僕が好きだったんだ。夢結さんは最初はあんまり前向きじゃなかったけど、お願いしますって」

 

「えーっ!? 寧音の姉ちゃん……え、やっべ。こんな男に迫られるわけ? ……高校生ってすげー。兄ちゃん、そんなぐいぐい押したん?」

 

 なんだかこの話になってからというもの、由紀さんの距離感が大変なことになっている。精神的にも物理的にも恐ろしく近い。肘で僕の脇腹をつついてきたりもしている。君のほうがだいぶぐいぐい押してるよ。

 

 つい先程までの由紀さんは、歳上の初対面の男相手にどういう距離感で接したらいいかわからなくて猫を被っていたのかもしれない。もともとの由紀さんの性格は、こんな感じの陽気でフレンドリーな子なのだろう。

 

 いやフレンドリーにしたって距離感がとち狂っているけれども。僕との距離詰めすぎじゃないかな。

 

 はちゃめちゃなくらい親しげに接してくるし、ボディタッチも多い。声の高さや話し方から機嫌が良いのも窺える。その笑顔は目が眩むほどきらきらしているし、由紀さんのパーソナルスペースは壊滅的なまでに機能していない。

 

 何か決定的な間違いを犯している気もするけれど、とりあえず『夢結さんにはオタク趣味はない』という方向性で一貫させよう。あくまで『夢結さんはアニメには興味がなかったけど僕が強引に連れてきた』という話にしておけば問題は起こりえない。

 

「そうだね。押した。僕から頼み込んだ」

 

「へー、へぇっー! やるじゃん兄ちゃん! 出会いは? 歳離れてるっぽいけど、どうやって知り合ったん?」

 

 僕と夢結さんとは五つ歳が離れている。どうやって知り合ったんだという点は、たしかに疑問の余地が残る。

 

 僕の目的はあくまで夢結さんの印象を落とさないようにしてこの場を切り抜けること。オタク趣味を持っているとは思われなかったけれど、他の部分で印象を落としてしまったら意味がない。

 

 夢結さんとの出会いの部分は実話でいいか。話にリアリティも出るだろう。

 

「妹と夢結さんがとても仲が良いんだ。夢結さんが家に遊びにきてる時にお喋りして」

 

「はっはぁっ、それで知り合ったってわけね! うはぁっ、おもしろ! 少女マンガじゃん!」

 

「少女漫画?」

 

「でも兄ちゃんなら他にいくらでも選べそうなのに、なんで寧音の姉ちゃんなん? そりゃ寧音の姉ちゃんは美人だけどさ、歳近いのによさそうなのいなかったん?」

 

 たしかに、映画に誘うなら別に誰でもいいのではないか、とは考えるか。なぜか僕は周りの人からは友だちが多そう、というイメージを持たれがちだし同年代の友人を誘うほうが自然ではある。

 

 ただ、今回僕は礼ちゃんに誘われて映画を観にきたわけだけど、もし僕が誰かを誘うとして、映画を一緒に観に行こう、と誘える人って礼ちゃんを除外したら実際どれくらいいるのだろう。

 

 最近は仲の良い人もじわりじわりと増えてきたけれど、そのほとんどが配信者、同業者である。オフで会うことはできない。

 

 配信者を除くとすると、おや。もしかして僕、配信者以外で仲の良い人って、夢結さんと美影さん以外にいないのでは。

 

 美影さんは主に僕のせいでお仕事が忙しそうだし、プライベートでも付き合わせて休日を奪ってしまうのはあまりに申し訳ない。夢結さんもお忙しい身ではあるけれど、他の人よりかは誘うハードルは低い。

 

 考えれば考えるほど夢結さんしかいないな。

 

「夢結さんしか考えられなかった、かな。夢結さんしかいなかった」

 

 改めて僕には友人が少ないことがわかる。交友関係の乏しさを妹よりも歳下の中学生に語るというのは、大人としてどうなのだろう。少しばかり気まずい。

 

 いや、着眼点を変えてみると、友人が少ないなんて思うのは傲慢ではないだろうか。数ヶ月前までゼロだったんだ。ゼロには何を掛けてもゼロ。何倍以上とかで表現できないくらい急成長している。

 

 なにより、人間的に魅力ある友人が複数人いる。誇りこそすれ、恥じ入ることでは決してない。

 

「おっほほほ! いいじゃんいいじゃん!」

 

 どんな笑い方をしてるんだ、この子は。急にお嬢様みたいな笑い方になった。外見からのイメージでは勝ち気な目元と金髪の相乗効果で、シンデレラに冷たくする意地悪な姉といったところだ。

 

 ところで、さっきから僕と由紀さんしか喋っていないのだけれど、他の人たちは何をしているんだろう。

 

 そろそろ夢結さんや寧音さんからの助け舟がほしいな、と思って一瞥すると、夢結さんは顔を真っ赤にしてそっぽを向いているし、寧音さんは(うつろ)な瞳を姉である夢結さんに向けていた。梓さんはというと、顔面蒼白でぷるぷる震えながら寧音さんの服を摘んだままである。なにやら寧音さんからは不穏な気配が滲み出しているので、梓さんにはそのまま寧音さんの動きを制限していてもらいたい。

 

「そんなに面白い? この話……」

 

「なに言ってんの、おもしろいに決まってんじゃん! この手の話は大好物だし!」

 

「そ、そう。それならよかったよ……」

 

 友人が少ないという話が大好物とは、オタク趣味に偏見はなくても偏食ではありそうだ。自虐ネタかと思われたのかな。

 

「で?」

 

「……で? とは?」

 

「恥ずかしがんないでいいじゃんっ! だからさ、寧音の姉ちゃんにはなんて言って付き合ってもらったん? てか直接言ったんしょ?」

 

 僕の袖を掴んで揺らしながら由紀さんは質問を繰り返してくる。

 

 この話の何が由紀さんをここまで駆り立てるのだろう。人の心はわからない。この年代の女の子の心は殊更(ことさら)わからない。

 

「それはまあ、直接言ったよ」

 

 夢結さんと映画を観に行きたいな、と僕が思ったと仮定して。

 

 夢結さんに映画に付き合ってもらえないかどうかを訊ねるのに礼ちゃんを介することは、おそらくないだろう。直接本人に遊びに誘っても許される程度の親密さはあると恐れながら自負している。

 

 ただ、いざ僕が映画を一緒に観に行く連れを探すとなったのなら、まっさきに礼ちゃんに声をかけそうではある。なんなら礼ちゃんも夢結さんも忙しいだろうし一人で行ってこよう、となる確率のほうが高い。僕は単独行動することに心理的抵抗を感じないタイプだ。

 

「でっ? でっ?! なんて言ったん?! 好きだ、とかっ? 付き合ってください、みたいな?! みたいなやつ?!」

 

 僕も言葉が足りないほうだと言われるけれど、由紀さんもなかなかの圧縮能力持ちみたいだ。その部分だけ抜き取ると恋愛的な意味に捉えられかねないだろうに。全文だと『(アニメや漫画が)好きだから(アニメの劇場版を観に行くのに)付き合ってください』となる。圧縮率五十パーセント以上とは恐れ入る。

 

 そんなに圧縮してしまうと、意図が伝わらないどころか勘違いが生まれてしまうだろうに。

 

「由紀さん、その言い方だと相手に間違って伝わっちゃうでしょ」

 

「え? どゆことどゆこと?」

 

 僕が夢結さんを映画に誘うとしたら、意味を履き違えるようなことにならないようにはっきりと伝えるはずだ。

 

「夢結さんと一緒に()きたいですって、はっきりと言ったよ」

 

 はっきりと。などと言ってるそばから僕も『映画を観に』というワードが欠落してしまったけれど、まあ話の流れ的に行くところなんて映画以外にないのだから、圧縮しててもさほどの問題はないだろう。

 

 由紀さんは僕を見上げながら口をぽかんと開けて、次いで破顔した。

 

「なぁはっ! かっこいーっ! そうじゃんっ、好きとか付き合ってくださいとかだと、その程度の気持ちなんだって勘違いさせるじゃん! うんっ、うちがまちがってた! 兄ちゃんやるーっ!」

 

「うん。……うん?」

 

 なんだか薄々違和感は覚えていたけれど、ここにきて決定的にして致命的な読み間違いをしていたことに今更気づいた。

 

「もう恋愛映画とか観なくてよくね? 兄ちゃんと寧音の姉ちゃんの恋バナのほうがぜったいきゅんきゅんするっしょ! ぜったい楽しいじゃん。いいなー、寧音の姉ちゃん。こんなイケメンの彼氏に愛されまくってんでしょ? うらやましー、うちも彼氏ほしー。こんな恋愛したーい!」

 

 もしかすると、などと濁す必要もなさそうだ。

 

 由紀さんは僕と夢結さんの関係を勘違いしている。

 

 ちゃんと由紀さんの発言を聞き終えてから答えればよかった。直接的に訊ねられることで、もしかしたら夢結さんが嫌な思いをするかもしれないと焦ってしまった。

 

 由紀さんの言っていた『ねぇ、二人って……』というセリフの続きは、僕の予想していた『アニメオタクなの?』ではなく『付き合ってるの?』というような、交際しているのかと確認を取るようなニュアンスの言葉が続いていたのだろう。

 

 それもそうか。由紀さんは、努力家で勤勉で優しい寧音さんのご友人だ。人の趣味や好きな物を馬鹿にしたり蔑んだりするような人なら、寧音さんだって由紀さんと仲良くはなれなかっただろう。こうして一緒に映画を観にきている時点で、由紀さんは人の趣味で態度や見る目を変えるような人ではないと推測できていたわけだ。

 

 僕も由紀さんの容姿から性格を誤解していた、ということか。あの状況では由紀さんの内面は読み取りきれなかったし安全策を取ったのもそれはそれで間違いではなかったとは思うけれど。

 

 しかしまあ、お互い勘違いしたままよくここまで話ができたものだ。(こじ)れに拗れている。

 

 だが、拗れたままでもそこまで支障はないだろう。誤解されたくないのなら、相手に誤解される前に、誤解されるよりかはましな印象を相手に誤解させてしまえばいい。結果的にはその通りになったわけだ。

 

 アニメオタクというイメージがつくことだけは避けられた。当初の目的は達成している。

 

 僕と夢結さんが交際しているという誤解は、ある程度月日が経過した後、僕と夢結さんの話が出た時にでも寧音さんのほうから『別れたらしいよ』と一言言っておいてもらえればそれで済む。

 

 この場はいっそのこと、そのまま誤解しておいてもらったほうが話が早い。

 

「由紀さん、彼氏いないんだ。意外だね。男子からとても人気がありそうなのに」

 

「なんだ兄ちゃん。いつもそうやって女口説いてんの? だめっしょ、美人な彼女がいんだから」

 

「口説いてはないけどね。ただ単純に不思議だっただけだよ。由紀さん可愛いのに彼氏いないんだって思って。いないというよりは作らないって感じなのかな?」

 

「うぁっは、口説いてなくてこれは寧音の姉ちゃん苦労しそぉー。……んー、まぁ、そんなとこかな。たまに告られはするけど、クラスの男子ってなんか子どもっぽいし」

 

「子どもっぽい……まあ、年齢的に子どもだしね。精神的に成熟するのも女の子のほうが早い傾向があるし、そのあたりは仕方ないよ」

 

「えーっ! 兄ちゃんは子どもの時から大人だったんじゃね? 勝手なイメージだけど」

 

「あはは、そんなことないよ。僕だって子どもの時は……あれ、どうなんだろう? よく考えると子どもっぽいってどういうものなのか、僕知らないな……」

 

「あははっ、わかんないとかある?」

 

「両親の言うことを聞いて家のことを手伝うのって、子どもっぽいよね?」

 

「んーっ? 子どもっぽいかどうかで言えば素直な子どもっぽくはあんじゃね。でもうちの言ってる子どもっぽいとは百八十度ちがう」

 

「なるほど。話をまとめると、由紀さんの性格的に歳上のほうが相性が良さそうだね」

 

「えー? もしかして『俺とは気が合うんじゃね?』的な誘い? やめてくんない? うちイケメンは好きだけど、人の男に手ぇ出す趣味はないんだよね」

 

「あはは、僕も中学生に手を出す趣味はないかな」

 

「なんでだし! あと半年もたてばぜんぜん高校生なんだけど?! たいして変わんなくない?!」

 

「半年経ってないから全然中学生だね。それに僕は、可愛い女の子なら誰でもいいってわけじゃないから」

 

「んっ、んんっ……女のあしらい方までうまいってわけ? ふーん? ま、まぁ、気分いいから許す」

 

「ふふっ、ありがとう」

 

「ぜったい兄ちゃんモテるっしょ? うち無理だぁー、こんなのが彼氏だったらずっと不安になるじゃん。安心できないわ。新発見だし。イケメンだったらいいってわけじゃないんだ」

 

「褒めてくれてるのは嬉しいけど、全然そんなことないよ。一度も告白されたこともないし。それで言ったら由紀さんは告白されたことたくさんあるんじゃない?」

 

「一度もぉ? 兄ちゃんがぁ? ……怪しいなぁ。まぁうちも一度や二度じゃないけどさ。でもうちより寧音や梓のほうがモテるし。やっぱ男はちっちゃくてかわいかったり大人しい子のほうが好きなんじゃないの? そこんとこどうなん? 兄ちゃんは」

 

「僕は容姿にそれほどこだわりはないかな」

 

「美人でおっぱいでっかい彼女連れながら言われても」

 

 由紀さんとしては褒めているのだろうけれど、あまりにも褒め方が尖っていた。夢結さんは耳まで紅潮させながら胸の前に手をやって再びそっぽを向いた。

 

 いくら由紀さんは褒め言葉として使っていても、夢結さんは恥ずかしがっているようなのでその発言は許されません。罰します。

 

「悪い言葉を吐く口はこれかな?」

 

 お行儀の悪い言葉が頻繁に飛び出す由紀さんの唇を親指と人差し指で(つま)む。強制的に喋れなくする。

 

「んんっーっ!」

 

「そういうこと言っちゃだめだよ。いくら仲の良い友だちのお姉さんだからといって、初対面の歳上の女性に使う言葉じゃないからね。わかった?」

 

「んっ、んっ」

 

「ならよろしい」

 

 こくこく、と頷こうとしているのがわかったので釈放する。

 

「なにすんの兄ちゃんっ。こんなこと親にもされたことないんだけどっ! てかふつうにセクハラだかんねっ?!」

 

「優しくすることだけが優しさではないからね。駄目なことをしたら、それはしちゃ駄目だよと伝える優しさも、時には必要なんだよ」

 

「な、なんかむずかしいこと言ってあやむやにしようとしてる!」

 

「言いたかったのは『あやふや』か『うやむや』か、どっちだろう」

 

「うっさい! とにかくっ、さっきのうち以外にやったらふつうに捕まるかんね?! 気ぃつけなよ!」

 

「由紀さんは許してくれるんだ。懐が深いんだね」

 

「懐が深い? セクハラ!」

 

「それがセクハラにあたる世界なら僕は生きていけないかもしれないな……」

 

「懐が深いって、あれっしょ? おっぱい大きいみたいな意味っしょ?」

 

「懐が胸の谷間と同じものだって憶えちゃったのかな? 由紀さんの学校の成績と授業態度が僕はとても心配だよ」

 

「いくら同年代の中では大きいほうだっつっても、中学生に興奮すんのはまずいっしょ」

 

「さっきと言ってることが違うし興奮もしてないしそろそろその悪戯好きな唇を引き千切ろうかなと考えてる」

 

「ふ、ふふんっ! やれるもんならやってみればっ?」

 

 そう言って由紀さんは胸を張り、頬を赤らめながら唇を突き出してくる。恥ずかしいのならやらなければいいのに。

 

「どうして罰を受ける側が乗り気なんだろう?」  

 

「ふっ、くふっ、ふふっ……。んんっ。ねえ、お兄ちゃん、なにしてるの?」

 

 見計らったようなタイミングで礼ちゃんが戻ってきた。

 

「あ、礼ちゃん。おかえり」

 

「ぅわっ……び、美人が増えたし……」

 

「うん、ただいま。それでお兄ちゃん、かわいらしい女の子になにしてたの? というか、なにさせてたの?」

 

「品のないことを頻繁に口にするものだから、柄にもないけど少し注意しようとしてたんだよ」

 

「えっ……ちゅーしようとしてたっ?! 兄ちゃん、彼女の目の前で浮気はだめっしょ」

 

「……こういうことを平気で口走ってるから注意してたんだよね」

 

「あははっ、くふっ、ははっ。あー、おもしろい子だなあっ。なのにお兄ちゃんときたら、ちっとも動揺しないしつまんなーい」

 

「たぶんどこかで見てたんだろうなあとは思ったよ。あまりに遅かったしね。いつから見てたの?」

 

「んっとねー、夢結が寧音ちゃんたちに話しかけられてるところから」

 

「最初からなんてもんじゃない」

 

 僕が夢結さんと合流する前の時点から既にやり取りを眺めていたのか。我が妹ながら何をやっているんだ。

 

「夢結とお兄ちゃんが二人でどんな話をするんだろうって思って楽しみにしてたんだよね。そしたらもっとおもしろいことになってたから、遠くから見て笑ってた。とっても楽しかった」

 

「うん。顔を見ればわかるよ。楽しんでたんだろうなって」

 

「礼愛あんた……見てたんなら助けてよ……」

 

「おもしろいシーンはしっかり眺めてたくて。ごめんごめん」

 

「お兄ちゃんって言ってたってことは、こっちの美人はさっき話してた兄ちゃんの妹さん? 妹同伴でデートしてるわけ?」

 

「れー姉……ひさしぶり」

「うん、久しぶり寧音ちゃどうしたの寧音ちゃん……なんか前会った時から変わっ、ちゃったね……。げっそりしてるっていうか……」

 

「そ、それは、えっと……あたしがお兄さんと二人っきりだと、その……緊張するからっ! 礼愛にもついてきてもらったのよ」

 

「いろいろあって……へへ。今、生きる気力を失ってるとこなんだよね……」

「ああ……こんなに乾いちゃって可哀想に。夜にはちゃんと説明するからそれまでどうにかがんばって。それでそちらのかわいい子はどちら様かな? 遠かったから名前は聞き取れなかったんだよね」

 

「そりゃこんな男と、しかも歳上と二人っきりってなりゃ緊張すんのはわかるんすけど、それでも妹同伴させるのはあんまりじゃないすか?」

 

「た、田中梓、です……」

「梓ちゃんかわいいね! 足が綺麗だからミニスカ似合う!」

 

「え、あ、あんまり?」

「さすがにかわいそーでしょ。兄ちゃんだって期待してたんじゃねって思うんです」

 

「そ、そうですか? でも、お姉さんのほうが、きれいで……」

「え? そうかなあ? ふふっ、ありがと。梓ちゃんはいい子だねえ!」

 

「き、期待って……」

「そりゃ、オトナのデートで最終的に行くとこっつったら、ホテぅっ」

 

 再び教育上よろしくない発言をしようとしていた由紀さんの唇を捕まえる。基本的にこの子は頭の中がピンク色に汚染されているようだ。

 

 一度お喋りを中断させよう。収拾がつかない。それぞれがそれぞれ好きなように話をしているもんだから大変なことになっている。

 

「他のお客さんの迷惑になるかもしれないし、一旦ストップ」

 

「んぅっ!」

 

「由紀さん、君はこの場に適した発言かどうかを考えてから喋りましょう」

 

「んっ、んっ!」

 

「そう。それならよろしい」

 

「だからっ、兄ちゃん! これ、あはっ、ふつーにセクハラだかんね?!」

 

「なら注意されるような発言はしないでほしいかな」

 

「あはは、楽しくなっちゃってた。ごめんなさい」

 

「ほ、ホテ……でも、たしかにいずれはそういうことも……」

 

「寧音さんと梓さんもごめんね? お友だちと遊びにきてたのに、邪魔しちゃって」

 

「い、いえっ、寧音はっ、あのっ……もう少し」

 

「だい、じょぶです……」

 

 今にも消え入りそうなほど儚い声ではあったけれど、梓さんから初めてまともな返答をいただけた気がする。友だちとお喋りしている時はどんなふうに話して、どんな声で笑うのか、興味が湧いてくる。

 

「もう上映時間も近いから、僕たちはそろそろ行くよ。お喋りに付き合ってくれてありがとう」

 

「えー、兄ちゃんもう行くわけ? もうちょい喋ってかね?」

 

「由紀さんとはもう十分お喋りしたと思うけどね。なんにせよこれでおしまい。僕たちは映画を観にきたんだから」

 

「由紀ちゃん。お兄さんにも予定あるんだから迷惑かけちゃダメだよ」

 

「寧音ー、だってさー。んー……まぁ、それもそっか。妹さん同伴っつってもデートだし、仕方ないっか。じゃ、またね。イケメンの(あん)ちゃん」

 

「うん、また……ん? イケメンの兄ちゃんってなんだ……。う、うん、またね。寧音さんと梓さんも、ありがとね。じゃあね」

 

「寧音ちゃん、梓ちゃん、由紀ちゃん。ばいばいー」

 

「じゃ、じゃあ……あたしもこれで。寧音、夜帰ったらちゃんと話すから、だからそれまでちょっと……」

 

「うん。覚悟してなよ」

 

「ひぇっ……」

 

 剣呑な雰囲気を姉妹で醸し出していた。夜少しお話をしたくらいでは到底和解できそうにないけれど、大丈夫だろうか。もし寧音さんも由紀さん同様に誤解しているのだとしたら、僕からも後で釈明のメッセージを送っておいたほうがいいかもしれない。

 

 近くのテーブルに置かせてもらっていた飲み物を回収し、僕らはこの場を後にする。

 

 早めに映画館に着いたので上映時間までグッズを見ながら時間を潰そうかと思っていたけれど、それよりよほど有意義な時間を過ごせた。

 

 由紀さんのライン越え発言の数々は肝が冷えたけれど、僕にあんなふうに接してくれる人はこれまでいなかったし新鮮で楽しい時間だった。配信では絶対にできないし。

 

「礼ちゃん、夢結さん、チケット渡しておくね」

 

 目当ての映画が上映されるスクリーンに向かう道すがら、発券してから財布に挟まれたままのチケットを取り出す。

 

「はーい」

 

「あ、ありがとうございま……」

 

 チケットを渡す時に、夢結さんの指が僕の指に触れた。ただそれだけのことなのにまるで静電気がぱちっと弾けたような勢いで、夢結さんは手を引いた。

 

「ひゅぃっ……ご、ごめんなさいっ」

 

「う、ううん、気にしないで。それより、さっきはごめんね、夢結さん。僕と付き合っているみたいな話にしちゃって」

 

 あんな話をした後だし、ついでに由紀さんが駄目押ししたせいもあるのだろう。少なからず意識してしまっているのかもしれない。まあ気まずいよね、振りとはいえ付き合ってるように装うなんて。

 

「いえっ! いえ……とても、助かりました。たぶんお兄さんは、あたしが寧音の友だちにオタクだとかって思われないようにしようとして、ああいうことを言ってくれた、んですよね?」

 

 もう一度、今度は指にあたらないようにかチケットの端を摘み取るようにして、夢結さんはチケットを受け取った。

 

「うん。考えすぎだとは思ったけど、寧音さんの交友関係にも影響があるかもしれないと思って、念のためにね。……結果的に会話がすれ違って誤解が生まれたけど」

 

「あたしも最初、由紀って子は観にきた映画について話してるんだと思ってましたし仕方ないです」

 

「でも誤解したまま話を続けてたのはお兄ちゃんが言葉を圧縮するせいだけどね。わざとやってるのかと思ったもん、私」

 

「わざとやらないよ……。いや僕のせいだから大きな声では言えないけど……」

 

「あたし……うれしかったですよ」

 

「え?」

 

 驚いて夢結さんに視線を向ける。

 

 チケットを摘んだ右手を左手で包むようにして、夢結さんは微笑んだ。

 

「お兄さんがあたしのことを考えて、自分がどう思われてでもあたしのことを庇おうとしてくれたこと……うれしかったです。自分だけに悪感情を向けようとするお兄さんのやり方は、ちょっとだけ困ってしまいますけど……それでも、うれしかったです」

 

 少し悲しそうに笑みを作る夢結さんを見て、僕は自分で自分の感情がわからなくなった。

 

 夢結さんが心ない言葉で傷つくようなことがなくてよかったという安心はある。考えすぎではあったにしても、気遣いに気づいてくれていたという嬉しさもある。

 

 でも、それだけでは説明し得ない感情の揺れが、今僕を苛んでいる。苦みを噛み締めるような夢結さんの微笑みに、胸を締め付けられるような感覚を覚えている。

 

 あの場では、他にやり方を思いつかなかった。寧音さんの今後と夢結さんの心に影響を及ぼさないようにするには、あのやり方が一番合理的だし効果的でもあったはず。由紀さんがしようとしていた質問が予想と違ったことで結果的にそういった小細工は必要なかったわけだけど、予想通りだったとしたら僕のやり方が一番誰も傷つかなくて安全だった。

 

 言語化できない、説明し得ない感情の揺れが、今僕を苛んでいる。もどかしく、御し難い。

 

 あれでも駄目だというのなら、いったい正解はなんだったんだろう。

 

 少なくとも、夢結さんにこんな表情をさせている時点で僕のやり方は不正解だったことはわかる。

 

「……うん。そっか」

 

 あの場に正解はあったのか、僕の中に答えはあったのか、それはわからないけれど、夢結さんに悲しい思いはさせたくないという気持ちだけは確かにあった。

 



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知る幸福があるのなら知らない幸福だって存在する


きりのいいところで切ったらまた短くなってしまいました。申し訳ないです。
こういう日もあるということで一つ。


 

 映画を観終わって出てきた時には、当然だけれど寧音さんたちはいなかった。上映時間は作品によって違うので、僕たちとはタイミングが合わなかったのだろう。

 

 お手洗いに行った礼ちゃんと夢結さんを待っている間、ちょこちょこっと調べ物をする。せっかく外出したのだし、礼ちゃんはここのところ勉強漬けだった。久しぶりにたくさん遊びたいだろう。

 

 学生さんは夏季休暇かつこの時間帯、やはりお店はどこも相当混雑しているようだ。

 

 予約の手続きが終わったあたりでちょうど二人が戻ってきたので移動する。

 

「映画の感想も話したいし、カフェにでも入ろっか」

 

「うん!」

 

「いいですね。たくさん話したいことが……あ。でも、今って夏休みだし席空いてるのかな……」

 

「空いてるお店もあったよ。カジュアルめなお店だったから、ちょっとくらい声が大きくなっちゃっても大丈夫だと思う。先に予約も取っちゃったんだけど、そこでもいいかな?」

 

「わー! さすがお兄ちゃん、気が利くねっ! そこ行こうよ!」

 

「なにからなにまで……ありがとございますっ」

 

「いえいえ、どういたしまして」

 

 僕らがきているこの大型複合商業施設には、その名の示す通りいろんな種類のお店が軒を連ねている。到着して最初に行ったイタリアンのお店だったりファミリーレストランのような家族連れでも入りやすいお店、クレープやケーキなどスイーツを出すところやフルーツパーラーや紅茶やコーヒーの専門店などの飲食を取り扱ったお店の他にも、アパレルなどのファッション関連のお店、雑貨を扱うお店も入っているし、ついさっき観てきた映画館、カラオケ、ゲームセンターやボーリングなどアミューズメント施設も併設されていて、一日中楽しめるという触れ込みなのだ。

 

 ここにくればおおよその娯楽は楽しめるし、歩く距離もそれほど長くならないので疲れにくい。興味がなかった時は『一極集中してるなあ』などと評論家ぶって達観していたけれど、なるほど、これは楽である。

 

 なにより大きな駐車場があるのは本当に助かる。メインの移動手段が車の人間には一番大事なポイントだ。

 

 カフェに入り、そこからおよそ一時間ほどお喋りしていただろうか。お店に入って最初に注文した飲み物のお代わりがなくなるくらいは居座っていた。

 

 礼ちゃんも今回観た作品には詳しいし、夢結さんは視点がマニアック、もとい独特で話を聞いていて飽きない。自分からは出てきそうにない感想を持っていて楽しかった。

 

 僕はというと丁寧な心理描写に目を惹かれた。キャラクターの過去の出来事であったりトラウマ、抱えている問題や相手へ向けている感情、それらがテレビ放映版でしっかりと描写されていたからこそ、劇場版で繊細に表現されている感情の動きが如実に感じ取れて感動した。

 

 素晴らしい作品だった。素晴らしい作品に感動できる神経が僕にも通っていた。観にきてよかった。

 

 感想を言い合えて満足したのかほくほく顔の夢結さんと、そんな幸せそうな夢結さんを見て優しい笑みを浮かべている礼ちゃんを連れてカフェを出る。

 

「そういえば聞きそびれてたんだけどさ、あのポップコーンなんだったの? お兄ちゃんが買ってきてくれた無駄にカラフルなやつ」

 

「ああ、あれね。ミックスフルーツっていうフレーバーだったよ。イチゴやリンゴ、グレープ、オレンジとレモンと……たしかライムも入ってたはず。すごいよね」

 

「そんなポップコーンがあったんですか……」

 

「うん、初めて見た。期間限定らしいよ。だからもうこれしかないって思って」

 

「たしかに私の注文通りにめずらしいフレーバーだった。ただ最後のほうはポップコーンについてる、カラメルなのかパウダーなのかよくわかんないけど、それが混ざってて味がわかんなかった」

 

「最初はいろんなフルーツがミックスされていて、最後は一つのミックスされたフルーツになる、と。よく考えられた商品だね」

 

「きっとそこまで考えてないんじゃないですかね……」

 

「お兄ちゃんは深読みしがちだよね」

 

「商品開発部の苦労が偲ばれる……ん?」

 

 視界の端で、刺々しい電飾の光を捉えた。ゲームセンターである。

 

 入り口付近にあるプライズ商品を見て、不意に礼ちゃんの部屋を思い出した。礼ちゃんの部屋はぬいぐるみの一大生息地となっているが、それらは夢結さんの手腕によって乱獲してきたものだと聞いたことがある。夢結さんはプライズを取るのが好きなのであって、飾る趣味はないらしい。

 

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 

「ゲームセンターだ。たしか、夢結さんはクレーンゲームがお上手だとかって」

 

「えっ?! いや、他のゲームよりかはクレーンゲームのほうがまだできるかなぁ、くらいのもので……」

 

「夢結うまいじゃん、クレーンゲーム。私によくくれるし」

 

「取るのが好きなだけで、ぬいぐるみ自体にあんまり興味ないんだよね。持って帰っても寧音に邪魔って言われるし」

 

「同じ部屋だもんね、寧音ちゃんと。そのおかげで私の部屋に流れ着いてくるわけだ」

 

「そういえば礼愛に渡したぬいぐるみってたぶん相当な数になると思うけど、ちゃんと飾ってたりするの?」

 

「うん。吸音材としてのお仕事についてるよ」

 

「あぁ……吸音材。礼愛もぬいぐるみを愛でるような性格じゃないしね……役に立ってるだけましか」

 

「やけにいろんなところに並んでると思ってたら吸音材代わりだったんだね。……ん」

 

 眼球に刺さるような光を撒き散らす電飾に、店内に入ってなくても聞こえてくる何かしらのゲームのサウンド。色とりどりのプライズに、種々様々なゲーム機。コンシューマーとアーケードという違いはあるにしろ、ゲームを普段からよく触っている身としてはとても興味をそそられる。

 

 一度、見てみたい。

 

「入ります?」

 

「えっ?」

 

「いや、なんだかお兄さん、行きたそうな顔してるように見えたんで……」

 

「そういえばお兄ちゃんって、ゲーセン行ったことあるの?」

 

「あー、それが……恥ずかしながら行ったことなくて。どんな感じなんだろうなあって、ちょっと気になってはいるかな……」

 

 ゲームセンターなるアミューズメント系施設が存在しているのはもちろん存じ上げているけれども、しかし足を運んだ経験は未だなかった。

 

 ゲームをするとなると、僕は家庭用ゲーム機か、あるいはPCゲームが真っ先に思い浮かぶ。わざわざゲームセンターまで足を運ぶという発想が出てこないのだけれど、ゲームセンターで遊んでいる人たちはみんなどういうタイミングで行くのだろう。ゲームセンターにしか置いてないゲームがやりたくて行くのだろうか。

 

 礼ちゃんの話を聞いていると、よく夢結さんと服を見に行ったりカラオケに行ったりなど、遊びに行ったついでに寄って『夢結がこのぬいぐるみ取ってくれたんだー』というオチが多い。

 

 そこから推察するに、あまりゲームセンターをメインの目的として据えているわけではなく、あくまで出かけたついでに寄るというような──なるほど、理解した。友だちと遊びに行き、まだ帰るには早いけれど行きたいところには行ったしどこ行こうかな、となった際の選択肢としてゲームセンターが挙げられるのだ。

 

 つまり友だちと遊びに行くという初手の時点で詰んでいる僕に行く機会なんて端からなかったというわけか。知る幸福があるのなら知らない幸福だって存在するに決まっているのに、なぜ僕は知ろうとしてしまったのだろう。

 

「それなら入りましょう。お兄さんにとって楽しいかはわかりませんけど……」

 

「シューティング系のゲームもあるし、いいんじゃない? 行こうよ!」

 

「う、うん。……ありがとう」

 

「ふふっ、なにに対しての『ありがとう』なんです? このくらいなんでもないですから」

 

「あははっ、なんかっ、一般庶民の遊びを教えてもらう貴族のお嬢様みたいなリアクションっ。くふふっ、雑談のネタが増えるなあ」

 

 礼ちゃんは僕の左手を握りながらゲームセンターへとぐいぐい引っ張り、夢結さんは口に手を当ててくすくすと笑っていた。

 

 そうだ。僕はもう、一人も友人がいなかった頃とは違う。一緒にゲームセンターに行ってくれる人が二人もいるのだ。二人のうちの片方は妹だけれど、それはご愛嬌だ。もう片方はちゃんと友人なので良し。

 

 店内に入ると、光と音がより顕著に感じられた。

 

 音がいろんなところで跳ね返っていたり、それぞれのゲーム機がBGMなのか効果音なのかわからない音を出しているしで聴き取りづらいけれど、店内の奥のほうでメロディがかすかに聴こえる。リズムゲームもあるようだ。

 

「最初は……礼愛、どうする? お兄さんが得意そうなシューティングにしとく?」

 

「それでいいんじゃない? クレーンゲームを先に行くと荷物増えるでしょ」

 

「なにか取れる前提で進めないで……。設定とかポジションとかで取れる取れないの差が激しいんだから」

 

「よーし! ガンシュー行こう!」

 

 二人の相談によって行き先が決定した。シューティングゲームならよくやっているし、プレイ自体はおそらくできるだろう。難しかったり、操作がややこしくなければいいけれど。

 

 テンションの高い礼ちゃんに引き摺られながら店内を移動する。端っこの壁際に、目当ての筐体があった。

 

「おー……。銃を握って引き金を引くタイプのシューティングゲームだ……。初めて見た……」

 

「感動してるところに水差したくないけど、PCゲームみたいにマウスとクリックで銃撃つほうが特殊だと思うんだよね。ガンシューティングって言ったら、やっぱりイメージはこっちだと思う」

 

「ふふっ、なんだかかわいいなぁ……お兄さん」

 

 正面には大きなモニターがあり、モニターの手前にある台に銃が二丁収納されている。形状はハンドガンだけれど、なんだか一回りほどごつい。その台の下にはアクセルやブレーキの横幅を大きくしたようなペダルがある。何に使うのだろう。

 

「これって一人二ちょ……二人で協力してプレイすることもできるの?」

 

「拳銃を両手に持って一人でやろうと思ってなかった? 今絶対思ってたよね、お兄ちゃん?」

 

「いやっ、だって、知らないから……」

 

「お兄さん。これ、画面が半分に区切られて二人でできるようにもなるんです」

 

「ほあー、なるほど……」

 

「ほい、ほい……っと」

 

 後ろでにこにこしていた夢結さんに教えてもらっている間に、礼ちゃんがモニター前の台座の真ん中あたりにあるコイン投入口にお金を入れていた。

 

「ちょっと、礼ちゃん。お金は……」

 

「小銭が邪魔だったの。気にしない気にしない」

 

 礼ちゃんがお金を入れて、手にした銃を模したコントローラーの引き金を引くと、大音量とともにゲームが始まった。

 

 すぐに撃ち合いが始まるのかと思いきや、モニターに三つの枠が表示された。それぞれ『easy』『normal』『hard』とある。

 

 なるほど、初心者から経験者、玄人まで楽しめるようにするための難易度設定だ。FPSには慣れ親しんでいても、アーケードのガンシューティングというジャンルにおいては完全無欠の素人。僕みたいな初心者からすればとても助かる配慮だ。

 

 何度かプレイしたことがあるのだろう。礼ちゃんは淀みなく銃口をモニターに向けている。

 

 本来は空洞とライフリングがあるはずの銃口に触れてみると、ガラスか何かのような手触りがある。銃口にセンサーが内蔵されていて、モニターに銃口を向けることでエイミングするという形式のようだ。

 

 慣れた手つきで礼ちゃんが引き金を引いた。

 

 ハンドガンとは思えない爆発音にも似た発砲音とともに、難易度が表示されたポップアップメニューに風穴が空けられた。悩むそぶりもなく礼ちゃんは『hard』を撃ち抜いていた。

 

「礼ちゃん? 礼ちゃん? そんなにエイム悪かったっけ?」

 

「狙い通りだけど」

 

「『easy』はともかくとして、せめて『normal』じゃないかな? わかってる? 初心者一人抱えてるんだよ?」

 

「シューティングと名のつくものでお兄ちゃんにできないゲームはないよ」

 

「んー……期待してくれてること自体は嬉しいんだけどなあ……」

 

「あははっ! がんばれー、お兄さーん!」

 

 礼ちゃんとガンシューティングゲームは戸惑う僕を置いてけぼりにして進む。始まってしまった。夢結さんの応援だけが救いである。

 

「……エージェント? 何の? やってることテロリストでは?」

 

「気にしなくていいよ。ストーリーなんてあってないようなものだし」

 

 かいつまむと、エージェントらしい男女が潜入していた敵対組織のビルに何らかの破壊工作をした。しかし途中でエージェントたちのやっていることが敵対組織に露見してしまった。裏工作は既に済んでいるので、追ってくる敵対組織の末端構成員を蹴散らしながら決められたポイントへと向かえ。というものらしい。

 

「つまり、出てくる敵を全員倒してしまえばそれでいいってことなのかな?」

 

「そういうこと」

 

 ストーリームービーの終わり際に、視点がエージェントに溶け込むような演出があった。これからプレイヤーはエージェントとなってストーリー通りにここから逃げろ、ということなのだろう。

 

 ゲームは始まったが、僕視点のエージェントは遮蔽物から顔を出そうとしない。

 

「……ん? 移動ってどうするの?」

 

「移動はない! 敵を全部倒したら次のエリアに移るの! ペダルを踏んでなかったら遮蔽物から出ないから、ペダル踏んで!」

 

「わあ……りょ、了解」

 

 孤軍奮闘している礼ちゃんに教えてもらい、ペダルを踏む。するとようやく小心者エージェントは遮蔽物から出てきた。

 

 礼ちゃんに(なら)い、銃を構えてトリガーを引く。小気味よい効果音が鳴り、赤を基調とした派手なエフェクトが構成員の頭に現れた。おそらくヘッドショット判定なのだろうけど、構成員は倒れてなかった。

 

 構成員が銃を構えたので即座にペダルから足を上げて身を隠す。

 

「なんで隠れてるのお兄ちゃん!」

 

「いやだって、相手ヘッドショットしたのに倒れなかったよ。ヘルメットとか強化プラスチック製のバイザーでもつけてたら理解できるけど、頭剥き出しだよ? 人間じゃないよね、あの人たち」

 

「あははっ、くふっ、ふふっ。お、お兄さっあははっ!」

 

 ADZの強化兵士でさえ頭を撃たれれば基本死ぬ。ここの末端構成員のほうがよほど強化兵士の名に相応しい。

 

「ゲームの仕様に文句言わないで! 難易度『hard』だからヘッショでも二発必要なの!」

 

「ふむ、なるほど……」

 

 もしかしたらこのエージェントの使用している弾薬はゴム弾か何かなのかもしれない。ゴム弾も頭に当たれば死ぬことがあるけれども、きっとなるべく殺害してしまわないようにとの配慮なのだ。そう考えることにしよう。

 

 礼ちゃんの言われた通り、二発頭に入れるとようやく倒れた。装備は軽装なのに、いやに丈夫な体をしている。

 

 三人目を撃ち抜いたところで気がついたけれど、マガジンってどう換えればいいのだろう。

 

「わあっ、すっごい! お兄さんまだ一発も外してない!」

 

「やっぱりコントローラーが変わってもお兄ちゃんのエイムは活きてるんだ!」

 

「盛り上がってるところ悪いんだけど、これリロードってどうするの? マガジンどこ? 弾って落ちてたっけ?」

 

「このゲームにそんな要素はない! ペダルを離して隠れている時にリロードされるの!」

 

「へー……。隠れてないとリロードしてくれないのか……。アタッチメントあったらシグナルくれない?」

 

「だからないって! 貴弾じゃないからこれ!」

 

「あははっ」

 

「わかってて言ってるでしょお兄ちゃんっ!」

 

「ふふっ、あははっ、お兄さんも礼愛もっ、おもしろすぎっ……ふふっ」

 

 忙しなくハンドガンを振り回してる礼ちゃんが軽妙なテンポで返してくれるものだから、つい興に乗ってしまった。初心者ながら一応仕事はしているので大目に見てほしい。

 

「むっ……遠いなあ」

 

 画面の奥。かなり距離が離れているらしく、構成員は小さくしか見えない。でもこの距離ならなんとかなる。

 

 たたんっ、とトリガーを連続して二度引く。

 

「あれ?」

 

「お兄さんがミスショット……」

 

 僕が放った銃弾は構成員に命中しなかった。小さな人影のかなり上のほうで金属の板か何かに着弾して火花を散らした。

 

 驚きのあまり反応が遅れ、構成員からの銃撃を受けてしまう。画面右下にあった三つのハートのうち一つが灰色に染まった。あと二回受ければゲームオーバーということか。

 

「礼ちゃん礼ちゃん」

 

「んーっ。なにー!」

 

「このゲームってもしかして、弾道落下とかいう概念がない?」

 

「ない!」

 

「なんと……そういえばリコイルもないんだもんね、そりゃそうか」

 

「常識がFPSに毒されすぎてるよ!」

 

 そこからも都度礼ちゃんにゲームの仕様を教えてもらいながらストーリーを進めるも、ラストステージの一つ前のステージであえなくゲームオーバーになってしまった。ハンドガン型コントローラーの横についているボタンでアイテムが使えることにもう少し早く気がついていれば、もう一歩二歩くらいは食い下がることができていたかもしれない。

 

 でもこれはこれでとても楽しめたので良し。アーケードゲーム、面白い。

 

「あー、ごめん。マイバッドだ。でもとても楽しかった」

 

「ごめんなさーい! 私がお兄ちゃんの回復アイテムもらったせいでーっ!」

 

「いいのいいの。楽しかったから。夢結さん、待たせちゃってごめんね。退屈だったでしょ?」

 

 僕と礼ちゃんのプレイ中、夢結さんは他のゲーム機を見に行くでもなく、後ろでリアクションしつつずっと声援を送ってくれていたのだ。こんなに一プレイが長くなるとは思っておらず、申し訳ないことをしてしまった。

 

 ごめんねと伝えると、夢結さんは笑顔のまま首を横に振った。

 

「いえ、二人がわちゃわちゃ言い合いながらゲームやってるところ観るの好きなので。こうして直接見れてかえってラッキーなくらいです!」

 

「ラッキーって、ふふっ。ありがと、夢結さん」

 

「リスナー目線だなあ。でも安心して、夢結。次は夢結の番だよ! さ、クレーンゲーム行こ!」

 

「あたしの番って。クレーンゲームに協力プレイはないんだけど……」

 




悪魔兄妹のリスナーとしてはある意味最前列の特等席にいる夢結さん。


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「……カオスだなあ」

 

 礼ちゃんは夢結さんの後ろに回り、ぐいぐいと背中を押していく。クレーンゲームは入り口付近に並んでいたので、そちらに移動するのだろう。

 

 クレーンゲーム機が並ぶ一画にくると礼ちゃんは夢結さんと僕の前に立って腰に手をあてた。

 

 そして宣言する。

 

「協力プレイがない。なら競争すればいいじゃない!」

 

 よくわからなかった。

 

「競、争? クレーンゲームには対人戦モードがあるの?」

 

「ないです」

 

 きっぱりと夢結さんに否定される。ないんだ。

 

 礼ちゃんの口振り的に、一つのプライズを二つのクレーンで奪い合うようなモードがあるのかと思った。

 

「予算二千円でより多くの商品を取った人の勝ち! 勝者には敗者に公序良俗に反しない範囲でなんでも命令できる権利を進呈!」

 

 僕と夢結さんは強制参加っぽいのに参加者に一切許可を取らないでそんな権利を渡しちゃうのか。夢結さんはそれでいいのかな、と反応を窺おうとしたら、こくりと生唾を呑み込むような音がこの騒々しい空間でも聞こえた。

 

「な、なんでもっ……命令、だとっ。今なんでも命令できると言ったのか?!」

 

 夢結さんは乗り気らしい。

 

 男性女性混合でこの手のゲームが開催された場合、女性は難色を示すのがセオリーではないのか。これがジェンダーレスの時代か。

 

「公序良俗に反しない範囲で、とも言ってたね。つまり無茶なお願いはしちゃだめだよ、ということだね」

 

「あたりまえだよね。えっちなことは命令できません。あしからず」

 

「ししいししないがっ?! そんな、不埒(ふらち)破廉恥(はれんち)なこと考えてもないが?!」

 

「そのわりには声が震えてるけど、夢結」

 

「不埒を口語で使ってる人初めて見たかもしれない。それにしても、不埒で破廉恥。テンポ感が気持ちいいね」

 

「が、がんばるぞっ……」

 

 急にきりっと真剣な顔になった夢結さん。礼ちゃんの企画にやる気になってくれているのは嬉しいけれど、そのやる気はそれだけ強く命令権を欲しているという裏返しなので、何を命令されるかわからない僕にとっては恐怖と背中合わせだ。

 

 とりあえず僕への注意が初めて逸れたので、この隙をついて両替機へ。

 

 戻ってくると、とあるクレーンゲームのぬいぐるみに狙いを定めたのか夢結さんはミニハンドバッグからお財布を取り出そうとしているところだった。

 

 それを横から制止する。

 

「えっ?」

 

「夢結さん。手、出して」

 

「え、やっ、あ……あのっ、あたし……。……法に触れるような命令なんてするつもりはなくてっ……ちょ、ちょっと考えちゃっただけでっ……。すいませんでした……」

 

 そう言って項垂れながら夢結さんは両手の手首をくっつけるように近づけて僕に差し出した。

 

「いや逮捕じゃないよ」

 

 とんでもなくキレのある冗談だ。たまにすごいボケを打ち込んでくれるから夢結さんとお喋りするのは癖になる。

 

「夢結……あんたってやつは……」

 

「や、やめてよ……礼愛。そんな目で見ないで……」

 

「レギュレーションの予算二千円分。両替してきたから渡したかっただけなんだ」

 

「ひはぁっ……」

 

「なんちゅう声出してんのよ」

 

 手のひらを内側に向けていた夢結さんの手を掴み、上方向へと向きを変えて両替してきたお金を乗せる。

 

「って、え?! いや、さすがにもらえませんっ!」

 

「でもレギュレーションだから」

 

「『レギュレーションだから』で押し通せると思われてますかあたし?」

 

「この企画の協賛は僕だから企画にかかる費用を出すのは当然なんだよね」

 

「そうだよ。お兄ちゃんプレゼンツなんだよ」

 

「ええ……。礼愛のこの企画、参加人数二人しかいないのにスポンサーついてんの……」

 

 僕が折れないと察したのか、夢結さんは渋々といった様子だけれど諦めて受け取ってくれた。仕方ないね、レギュレーションなんだもの。

 

「ねえ、夢結さん。僕クレーンゲーム初めてやるんだけど、何かコツみたいなのってあるの?」

 

「あれ? これ競争だったはずじゃ……。いや、いいんですけどね」

 

 さっそく企画の趣旨から逸脱し始めた僕に夢結さんは動揺していたけれど、クレーンゲームで見るべきポイントはしっかり教えてくれるようだ。そうなんだよね、僕と夢結さん、企画の対戦相手なんだよね、本当なら。

 

「クレーンゲームもいくつか種類があるんです。景品の形だったり、クレーンの形だったり」

 

「あ、本当だ。たくさん種類があるね」

 

「景品の形によっても取りやすい取りにくいがありますし、クレーンのアームや、景品が置かれている台にも違いがあります」

 

「おお、たしかに。……ん?」

 

 たくさん並んでいるクレーンゲーム機を一つ一つ見比べてみると、それぞれ違いが見えてきた。クレーンのアームと呼ばれているのだろう部位、その先端にゴムのような素材がこちらではあるのに、あちらのクレーンではなかったりする。

 

「どうかしました?」

 

「アーム? っていうのかな? それの先端の色が違ってるのは、ただのカラーバリエーションなのかな、って思って」

 

「着眼点が天才ですお兄さん」

 

「褒めて伸ばすタイプの先生だ」

 

「安直に爪とかって呼ばれてるんですけど、爪にゴムっぽい滑り止めがあるのと、ついてないのとがあるんです。ちなみに台にもそういうのがあります。アームに滑り止めがついているほうがもちろん取りやすいですし、台に滑り止めがついていると景品をずらしにくいので取りにくいんです。ちらっと見ただけでよく気づきましたね!」

 

「この先生とっても気分が良くなるなあ」

 

「他には景品を落とすところかな。プラスチックのカバーがついてるものもあるんですけど、カバーがないものだとアームの閉じる動作を利用して景品を移動させて落とす、なんてこともできます。アームの開く角度を把握したり、爪の形にも違いがあるので景品のどの部分にアームを持っていけば取れやすいか考えたりします」

 

「先生詳しいですね。頼りになります」

 

「先生ですからね! 大事なところがもう一つありまして、アームの強さもそれぞれ違うことが多いんです。アームがあまりにも貧弱だとどうにもならないので、そういう時は諦めて違う台を狙ったほうがいいです。…………まぁ、今は確率機なんてものもあるけど……」

 

 先生が暗い顔でぼそりと呟いた。何か嫌な経験がフラッシュバックしたのだろうか。

 

「……確率機?」

 

「いえ、それは気にしてもしょうがないので気にしないでください! いいとこにアーム持って行ってもぜんぜん動かない、ってなったら見切りをつけるのが吉です!」

 

「なるほど……ありがとう、夢結さん。あとは試してみることにするよ」

 

「はい! お役に立てたならよかったです! やっぱり実際にやってみるのが一番わかりやすいですからね」

 

 クレーンゲームと一口に言っても、筐体ごとに違いがたくさんある。それもそのはず、プライズがまず違うのだ。大きいものだと幼稚園児と同じくらいのサイズのぬいぐるみがあったり、小さいものだとキーホルダーくらいのものもある。お菓子がたくさん流れているものも一応ジャンル分けすればクレーンゲームに分類されるだろう。

 

 夢結さんに教えてもらったことで、この企画のルール、勝敗条件設定の杜撰(ずさん)さが浮き彫りになってきた。

 

「……礼ちゃんはより多くの商品、って言ってたけど数だけが勝敗の基準なのかな? 大きいプライズ、ぬいぐるみとかのほうが難易度は高そうだけど」

 

「……そう、ですね。ぬいぐるみとかフィギュアとかのほうが取りがいがあるんですけど、この企画のルールだと数さえ取れればいいみたいになりますよね。それは盛り上がりに欠けるというか……一度主催者に確認を取らないといけませんね。礼愛はどこに……」

 

「あ、夢結さん。礼ちゃん向こうでクレーンゲームやってるよ」

 

「主催者……」

 

 主催者も主催者でゲームを人一倍楽しんでいた。みんな楽しめる企画だ。なんて素晴らしいのだろう。

 

 夢結さんと連れ立って礼ちゃんの下までルールの確認に行く。

 

 僕たちの接近に気づいた礼ちゃんは、いいところにきた、とばかりにぱぁっと表情を明るくした。

 

「れ……」

 

「ねえねえ! 見て! 『End(エンド) Zero(ゼロ)』の百済(くだら)ルカちゃんのフィギュアあった! めっちゃかわいくない?!」

 

 クレーンゲームの透明な板に指をつけるようにして主張していた。うん、めっちゃかわいい。礼ちゃんが。

 

「わあ、クレーンゲームのプライズにもなってるんだ。すごいね。とてもよくできてるし」

 

「『End(E) Zero(Z)』の……三期生か。ポージングもいいし細部もすごく丁寧に作られてる。造形手が込んでるね、レベル高い。かわいい」

 

 とても真剣な目をしながら夢結さんがフィギュアの評価を下していた。やはり芸術分野に携わっている人は目のつけ所が僕みたいな素人とは違う。

 

 腕を組みながらうんうんと礼ちゃんは頷いた。

 

「やっぱり『End Zero』くらい人気高いとこういう展開も多いよね。スマホゲームのコラボとか、商品のパッケージとか、中にはCMに起用されてる人もいるし」

 

「礼ちゃんもそういうの憧れたりする?」

 

「んー、私はいいかな。あんまり忙しいとやりたいことやれなくなっちゃうし。『New Tale』にはお世話になってるからお願いされたらなるべく引き受けたいけど、自分から率先して『企業案件ほしいです!』みたいなのはないや」

 

「あははっ、礼愛らしいなぁ」

 

「でもグッズとか、こんなふうにフィギュアとかは作ってほしい。お兄ちゃんの部屋にたくさん置くんだ」

 

「どんな野望よ……。お兄さん、部屋にお客さん呼べなくなっちゃうよ」

 

「礼ちゃん……レイラ・エンヴィのフィギュアかあ。それはほしいね」

 

「お兄さんも望んでたんだ……ならいっか。いや違くて。企画の勝敗条件について主催者に聞きにきたんだけど」

 

「えー? なに?」

 

「勝敗を決めるのは取ったプライズの数で決まるの? さっき夢結さんと話してたんだけど、お菓子とかなら比較的簡単にたくさん取れちゃうし、ぬいぐるみとかだと難しい。でもお菓子の数で勝敗が決まるのは盛り上がりに欠けるね、って」

 

「や、べつに配信映えとか撮れ高とかを気にするところでもないから、もっとゆるく取り組んでくれてもよかったんだけど……うーん、そうだなあ。それじゃこうしよう。二人が取ってきた景品の数や質を総合的に評価して、私が独断と偏見で白黒つけるよ。ぬいぐるみなら高評価、おっきかったらもっと高評価、みたいな感じ」

 

「……その評価って、公平にされるんだよね? 私情が入ったりしないよね?」

 

「ちょっ……審判は公正公平に下すよ! べつにお兄ちゃんに甘く採点したりしないから! あたりまえでしょ!」

 

「礼愛の場合万が一があるから……。でも、そうよね。いくら礼愛でも、こういうゲームの時はちゃんとフラットに判断するよね」

 

「礼ちゃんはこういう勝負で不公平なジャッジをするのが一番つまらないって知ってるもんね」

 

「そうだよっ。心配しなくて大丈夫! ……ところで夢結。このフィギュア取れたりしない? 照先輩も好きだけどルカちゃんも好きなの」

 

「さっそく主催者の私情が……あーでも、ちょうどいいか。お兄さんに実地でどういうものか見せられるし。礼愛、これ取れても取れなくてもノーカンってことでいい?」

 

「うん。それはもちろん」

 

「夢結さんがやって見せてくれるの? それは嬉しいね。エキシビションみたいなものかな」

 

「いやー、そんなに大層なものじゃないです……」

 

 アームの調子もわかんないですし、と弱気なことを呟きつつ、夢結さんはコイン投入口に硬貨を入れる。

 

「ああ、なるほど。順番に押していくんだね」

 

「そうですね。基本的にボタン操作はそれぞれ一回までで、今回のクレーン機の場合だと、横に動くボタンを押すとボタンから指を離すまで横に動き続けます。もし指が滑ったとかで狙ったところとは違う場所でボタンを離してしまってもやり直しはできないので注意してください」

 

「まずクレーンを横に移動させる、と」

 

「はい、次に奥に動かすボタンです。基本的には景品の真上に移動させることを意識すればいいです。これも押したら離すまで動き続けますから気をつけてくださいね」

 

「奥に動かす……横移動の時よりもプライズに合わせるのが難しそうだね。奥だと距離感が測りにくそうで」

 

「そうですね。一番狙いとずれてしまいやすいのがここかもしれません。あと、このクレーンにはついてるんですけど、アームを回転させるボタンで景品の傾きに合わせます」

 

「たしかに、フィギュアの箱が真正面じゃなくて向きをずらして置かれてるね。それで調節するんだ」

 

「見た感じしっかりアームが閉じそうだったので正攻法で挑戦してみます。お兄さん、フィギュアが入ってる箱、よく見たらてっぺんの蓋と側面の境目の隙間を透明なテープを貼って封じられてるの、わかりますか?」

 

「本当だ。でも……」

 

「そうなんです。全部きっちり貼られてないんです。その隙間にアームの爪が入るように狙います」

 

 そう言って、フィギュアの箱の向きとアームの向きが合わさったタイミングで、アームを回転させているボタンから手を離す。するとアームは回転が止まり、同時に降下していった。アームの回転と下がるボタンは連動しているようだ。

 

 フィギュアの箱の向きとアームの角度は驚くほどぴったり合っていた。しかもアームが降りた位置もフィギュアの箱のど真ん中。アームが動き、蓋と側面の境目のテープが貼られていないわずかな隙間に爪を差し込む。

 

「おー、ここいいお店だなぁ。アームが強いや」

 

 二本のアームはしっかりとフィギュアの重さを支えて持ち上げる。前後に揺れながらプライズを運ぶクレーンに僕と礼ちゃんはひやひやしていたけれど、アームはそんな心配をよそにしっかりと獲得口まで運んだ。

 

 アームが開かれ、フィギュアの箱ががたごとと音を立てて落ちる。

 

 取り出し口から取り出してプライズを手に取った夢結さんは、そのまま礼ちゃんに向いた。

 

「運がよかったね。はい、礼愛」

 

「わー! ゆゆーっ、ありがとーっ!」

 

「すごい、夢結さん格好いい。一発で取れちゃうんだ」

 

「あはっ、いやっ、そんなっ、た、たまたまですよぉ……。ここのクレーンの設定がよかっただけで……えへへ、そんな大したもんじゃないんでっ」

 

「やっぱり夢結うまいなあっ! 私じゃぜんぜんだめだったのに! 夢結は空間認識能力とかが高いのかな?」

 

「それはありそうだね。夢結さんは貴弾やっても伸びそうだ。空間認識能力と、あとは遮蔽の位置とか高さとかを頭に入れれば射線管理が得意になりそう」

 

 周囲の遮蔽物や、自分と他のプレイヤーのいる位置、高度を把握して俯瞰的にマップを認識することで、どの位置ならどこからも射線が通らなくて安全だとか、どの遮蔽物に隠れているとどこから射線が何本通るかが理解できるようになる。これは射線管理と呼ばれるテクニック、というよりは心得に近い感覚で、この感覚が鋭いと立ち回りの安定に繋がるのだ。

 

 普段のプレイ中での意識であったり、訓練次第で感覚を磨けるようにもなるけれど、人によってはどれだけやってもその感覚が掴めないという人もいる。空間認識能力の有無ではなく強弱の差なのだろうけれど、できない人はとことんできない。

 

 その点、夢結さんは大本の空間認識能力が発達しているようだ。

 

「えっ?! しゃ、しゃせ……管理……。いや、あたしきっと、そういうのは……できないかも。どちらかというと甘い性格ですし……無理に我慢させるのは、ちょっと……」

 

「…………ん?」

 

 甘い性格、無理に我慢とは何の話だろう。

 

 どういうことか夢結さんに説明を求めようと開いた僕の口を礼ちゃんが手で塞いだ。そのままずいっと礼ちゃんは一歩前に出る。

 

「『射線管理(しゃせんかんり)』ね? 『遮蔽物(しゃへいぶつ)』を使って相手から『射線』が通らないように、つまり相手から銃撃を受けないようにするってこと。夢結の考えてることではない」

 

「…………あっ?! うああぁぁっ、そういう……うあぁっ……。……もしかして、あれ? FPSの?」

 

「そう。FPSでよく使われる言葉。専門用語使ったお兄ちゃんもお兄ちゃんだけどさ、すぐソッチに変換する夢結も夢結じゃない?」

 

「いや、だって……っ、聞き馴染みなくて……っ」

 

「ソッチの専門用語には聞き馴染みあるって自白してるようなもんだけど」

 

「うぐぅっ……」

 

「なんで夢結は上げた評価をすぐ下げるかなあ……。好感度が必ずプラスマイナスゼロになるみたいな呪いにでもかかってるの?」

 

「わがんない゛っ……たぶんぞぅっ……ぐすっ。お(はら)い行ぎだい゛……」

 

「祓えるのかなあ……この呪い」

 

 礼ちゃんと夢結さんのリアクションから察するに、おそらく夢結さんがセンシティブなワードを口走ってしまったのだろう。

 

「だ、大丈夫だよ。どのワードがいけなかったのかわからなかったけど、誰も嫌な思いしてないんだし、迷惑かかってるわけでもないし。うん」

 

 顔を覆って小さくなる夢結さんの姿があまりにも憐憫を誘うので、何がライン越えだったのか理解できていないけれど理解できていないなりにフォローを入れる。僕の発言にも原因があったみたいだし、責任は僕と夢結さんで折半だ。

 

「お兄さん、知らなかったんだ……っ!」

 

「おい、お前なんか閃いただろ。ぴこんって、お兄ちゃんで閃いたなあっ! 電球マークついたなあっ!」

 

「ち、ちがっ……。思ってないっ、閃いてないっ!」

 

「『男女逆での無知シチュか……いいな』ってお前閃いたよなあっ!」

 

「あたしのこと理解しすぎだよ礼愛っ! なんであの一瞬だけでわかるのっ?! 怖いよっ!」

 

 礼ちゃんはフィギュアの箱を持っているほうとは逆の手で、縮こまった夢結さんの頭をわしわしと掻き回す。

 

 二人より長く生きていても知らないことってやっぱりあるみたいだ。どうやら僕が触れてこなかった界隈で使われている単語らしい。

 

 置いてけぼりになってるけど、僕としては二人が仲良く戯れているところを見られるだけで満足だ。

 

 *

 

 場がかなり混沌としたので飲み物休憩を挟んでコンディションを回復させてから企画を再開してしばらく。

 

 残りの軍資金は、あとプレイ一回分。現時点での僕の成果は大きめのぬいぐるみが二つ。

 

 どのクレーンゲームにしようか悩んで歩き回っている時に、夢結さんがプライズを入れるために店側で用意されている大きな袋を二つ提げていたのを目撃したので、今のところは五分五分。引き分けに近い状況だろう。

 

 仮に夢結さんの成果が大きなぬいぐるみ二つだった場合、最終的な判断は主催者に委ねられる。同点だった場合、オーバータイムみたいな制度はあるのかな。

 

 この最後のワンプレイで駄目押しの加点があれば、僕の勝利は近くなる。別に命令権がどうしてもほしいというわけではないけれど、どうせ勝負するなら勝って終わりたい。

 

「あ、山積みのやつ……」

 

 小さなぬいぐるみとかが山積みになっているクレーンゲームは、うまくやれば一回で複数個取ることもできる。獲得口のカバーが低ければ取れる可能性も上がる、と夢結さんが言っていた。この筐体はそのシチュエーションに近いかもしれない。

 

 ここで複数、たとえ二個でも取れれば、勝ちの目はとても大きくなるだろう。これにしよう。

 

 このプライズは小さなぬいぐるみ。それがキーホルダーになっているみたいだ。海洋生物がモデルのようだけれど、なぜかモデルのラインナップが全て深海生物という尖り具合。製作者のセンスが光るぬいぐるみである。

 

 僕がやろうとしているクレーン、その隣も同一のクレーン機になっている。ちょうどプレイしている人がいたので夢結さんからの教え通り、その人のプレイからアームの動きを把握し、僕のラストチャンスの糧にさせてもらう。

 

 アームの動きを確認し終えて、いざトライ。

 

 獲得口から近めで、拾い上げやすそうなぬいぐるみ山の頂上近くにアームを移動させる。

 

 狙ったところへうまい具合にアームの爪が刺さった。アームは二体の、なんだろう、細長いウナギとダンゴムシを拾い上げる。ダンゴムシは深海生物だったのかな。まあ取れればいいのである。

 

「あ……」

 

 取れればいい、とか考えていると、その推定ダンゴムシがアームからこぼれ落ちた。ウナギのほうはちょうど真ん中にアームがきているので奇跡的なくらいにバランスが取れている。こっちは大丈夫そう。

 

 とりあえず一つは確保できそうなのでよし、と頭を切り替えていたら、その落下した推定ダンゴムシがぬいぐるみの山の中腹あたりでバウンドし、ひとりでに獲得口へと落ちていった。ついでに、なんだろう、(つば)の端が刺々している帽子に目がついた、みたいな見た目のぬいぐるみが、推定ダンゴムシにぶつかられた衝撃で山から飛び出して獲得口まで転げ落ちた。

 

 アームで運ばれているウナギは何事もなく獲得口まで届けられ、結果的に三体が手に入った。ワンショットスリーキルだ。配信中であればクリップになるスーパープレイである。

 

 取り出し口から三体のぬいぐるみ、細ウナギとダンゴムシと帽子のゆるキャラを取り出す。

 

「……カオスだなあ」

 

 獲得したぬいぐるみたちを見下ろしながら(いぶか)しんでいたら、隣のクレーン機が目に入った。

 

「うぅ、うぅ……」

 

 幾つくらいだろうか。中学生ほど大きくはなさそうだから、小学校の高学年といったところか。そのくらいの年齢の女の子がクレーンゲームに挑戦するも苦戦していた。

 

「お姉ちゃんにプレゼントしたいのに……」

 

 聞こえよがし、なんて言ってしまうと皮肉が過ぎるだろう。独り言だ。深海生物どころか海洋生物でもない、さらには生物の枠すら超越した謎ラインナップの小さなぬいぐるみキーホルダーを求めて、この少女は必死になっているのだ。必死になるあまり、頭で考えたことがそのまま口からこぼれてしまっている。

 

「…………」

 

 隣の少女を見て、手の中にあるぬいぐるみを見て、再び少女を見た。

 

「まあ、いいか……」

 



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「ウミダンゴムシ」

 

「結果はっぴょーう!」

 

「わー」

 

「わ、わー……」

 

 ゲームセンターの外、自販機やテーブルが置かれている休憩スペースに僕たちは集まっていた。

 

 テーブルの上には企画参加者の成果が置かれている。大きなぬいぐるみがいくつも鎮座していて、かなり賑やかな絵面だ。

 

「夢結は大きなぬいぐるみ二つとアクスタ、お兄ちゃんも大きなぬいぐるみ二つで、あと小さいぬいぐるみ……キーホルダーかな?」

 

「そうだね。キーホルダーみたい。ところでアクスタって何?」

 

 僕が訊ねると、夢結さんはテーブルに並べられていた『アクスタ』なるものを手に取り、僕に見せてくれた。

 

「えっと……アクスタっていうのはこういう板にキャラクターとかの絵が描かれていて、それを付属されている台座につけて立った状態で飾れるものです」

 

「はー、なるほど。アクリル製のスタンドでアクスタなんだね。ありがとう、夢結さん」

 

「いえいえ。お兄さんの……ジン・ラースのこういうグッズもいつか出たらいいですね。絶対買います」

 

「あはは、そうだね。どんなふうに作られるのか、僕も興味があるよ」

 

「私もほしい! 同じ事務所所属ってことでもらえたりしないのかなあ……」

 

「駄目なんじゃない? きっと事務所に送られてくる分って、事務所に保管しておく用とか見本とかだろうし」

 

「買いなさい。売り上げに貢献するのよ」

 

「うわあ……厄介リスナーに目をつけられた……」

 

「誰が厄介だ。……お兄さんのキーホルダーは、なんです?」

 

 僕が取ってきた小さなぬいぐるみキーホルダーの存在に夢結さんが気づいてしまった。何か、と問われても、返す答えを僕は持ち合わせていない。

 

「……わからない。僕はダンゴムシだと思ったけど、でもこのぬいぐるみキーホルダーのコンセプトは深海生物らしいんだよね」

 

「……キモカワ、ですね……」

 

「うん。九対一くらい比率は偏ってるけど、キモカワだね」

 

 もちろんキモの部分が九である。

 

 ダンゴムシの甲殻っぽい殻と、わらわらと生えている七対十四本の脚。事前情報なしに、はい、と渡されて『これなんだと思う?』と訊ねられれば、僕は迷わずに『ダンゴムシ』と答えるだろう。そのくらいダンゴムシだ。

 

「ダイオウグソクムシじゃん、これ」

 

「だいおうぐそくむし……」

 

 しっかりと頭には入っていなさそうなイントネーションで夢結さんは復唱していた。

 

「そういう虫がいるの? でもこれ足が十四本もあるけど」

 

「ムシって名前についてるだけで甲殻類って聞いたけど。深海何百だか何千だかの海底にいる甲殻類だったはず」

 

「すごいね、礼愛。こんなことまで詳しいの?」

 

「昔急に人気が出て、テレビでもよく取り上げられてたよ。逆にあれだけ話題になってたのになんで二人とも知らないの?」

 

「あー……あたしテレビつける時はだいたいアニメ観てるかな」

 

「……とある時期だと、僕はテレビ観る時間が……」

 

 数ヶ月前を思い出す。今考えるとあの時の自分はわりとおかしかったなあ。

 

「ごめんっ! そうだよねっ、こんなウミダンゴムシなんてお兄ちゃんは知らなくてもしょうがないよ! 知らなくていいよ!」

 

「ずるいなぁ、おい。手のひら返しの匠かあんたは」

 

 前の会社に勤めていた時のことを回顧していた僕を、礼ちゃんはぎゅうっと力強く抱きしめてくれた。とくに心に傷を負っているわけでもないんだけどね。

 

「はい。ということで……勝敗どうしようね、これ」

 

 僕から離れて元の位置に戻った礼ちゃんは頭を抱えていた。

 

 獲得景品の数はお互い三つ。大きさで比較しても大きなぬいぐるみが二つずつで同数。残りは夢結さんがアクスタ、僕がキーホルダーで、やはり甲乙つけ難い。

 

「あたしは経験者でお兄さんは初めてクレーンゲームやったんだから、これはあたしの負けなんじゃない? 経験があって同数なんだし」

 

「でも夢結さんは丁寧にコツも知識も教えてくれたし、実際にやって見せてもくれたでしょ? それはお互い様だよ」

 

「はいっ、静粛に!」

 

 ぱんっ、と柏手を打って、礼ちゃんは僕たちを黙らせた。そこまでうるさくしてなかったんだけど。

 

 僕たちの注目を集め、そして主催者が判断を下す。

 

「これは……同点! 引き分け! お互いよくがんばりました!」

 

「え、えー……そうなるんだ……」

 

「これでは勝敗つけられないしね。記念すべき第一回は僕も夢結さんも健闘したのでドロー。こういう結果もあっていいんじゃないかな」

 

「ふふっ、それもそうかもしれませんね。……あっ! 礼愛! 命令できる権利はどうなるの?!」

 

「それは……対消滅してなかったことにすればいいんじゃないかな」

 

 僕の提案に、夢結さんは悲しげな表情をしながら礼ちゃんに向いた。

 

「ええっ?! れ、礼愛ぁ……」

 

「うわあ、夢結必死だなあ……。うーん……よし、こうしよう。勝者も敗者も出なかった。よって、主催者が参加者に命令できるってことで」

 

「わあ……これもコペルニクス的転回っていうのかなあ……。凡人には出せない発想だ」

 

「職権濫用でしょ! ずるいぞ礼愛!」

 

「久しぶりにカラオケ行きたい! なので二人はついてくること!」

 

「あたしはずっとあんたのこと信じてたよっ!」

 

「手のひら返し競技勢の方ですか?」

 

 そうと決まれば、とでもいうような勢いでぬいぐるみなど獲得したプライズを袋に放り込んでいく礼ちゃんと夢結さん。仕事が早い。

 

 僕も自分が取ったぬいぐるみを袋に詰める。カラオケに行くとしてもこれらは荷物になるので、途中でロッカーにでも入れておこう。たしかカラオケ店の近くにあったはずだ。

 

「あ、あの……」

 

 テーブルに広げられていた戦利品を全て片付けて、じゃあカラオケ行こっか、となった時、背後からか細い声で呼び止められた。

 

「はい? あ」

 

 振り向くと、ぬいぐるみのキーホルダーのクレーンゲームを隣でプレイしていた、あの少女がいた。

 

「お兄さん、知ってる子ですか?」

 

「いや、ついさっき……」

 

「やっぱりさっきのおにいさんだっ。お母さん! おにいさんいたー!」

 

 訊ねてきた夢結さんに答える間もなく、少女はお母様を呼んでいた。いやはやどういう状況なんだか。

 

「お、お兄ちゃんが新しい妹作ってる……」

 

「よくわからないけど人聞きの悪い表現なんだろうなあ」

 

「まさかお兄ちゃんが現地妹を作るようなお兄ちゃんだったなんてっ……」

 

「とりあえず外聞が悪そうなことは確かだからよそでは絶対使わないで」

 

 (へそ)を曲げた礼ちゃんに構っているうちに、少女のお母様がきてしまった。

 

「かなた、このお兄さんが?」

 

「そう! ぬいぐるみくれたおにいさん!」

 

「……ぬいぐるみくれた?」

 

「おおっと? お兄ちゃん、これは審議だね」

 

 夢結さんと礼ちゃんの懐疑心に満ちた声は聞こえなかったふりをして、かなたと呼ばれた少女と、そのお母様に体を向ける。

 

「君はさっきぶりだね。あなたは、この子のお母様、ですか?」

 

「はい。この子がお兄さんから二つもぬいぐるみをいただいたと聞きました。この子はお礼も言えていなかったそうなので、まだこのあたりにいるのならお礼を言いたいと思い、探してたんです」

 

「そうだったんですか。そんなにお気にされなくてもよかったのに……ご丁寧にありがとうございます。この子……かなたさん、でいいのかな?」

 

「はい! かなたです!」

 

「わあ、元気な挨拶ありがとう。僕は仁義と言います。よろしくね」

 

「はいっ、よろしくおねがいしますっ、ひとよしおにいさんっ!」

 

「ふふっ。元気で礼儀正しい、とてもいい子ですね。ぬいぐるみを渡した時、かなたさんはお礼を言おうとしてくれていたんですが、僕が急いでいたので言う暇がなかっただけなんですよ。なので本当にお気になさらず。僕が持っているより、かなたさんが持っているほうがよほどいいでしょうから」

 

「いえ、そんなことは……。ご親切にしていただき、ありがとうございました」

 

「ぬいぐるみ、ありがとうございましたっ!」

 

「ふふっ、どういたしまして。大事にしてあげてね」

 

「はいっ、だいじにしますっ」

 

 かなた少女は直視するには眩しいくらいに輝かんばかりの笑顔を僕に見せてくれた。

 

 ばいばい、と言い合って、そこで親子とはお別れした。

 

 小さなぬいぐるみのキーホルダーを二つもらったからと言ってわざわざお礼を言いにくるなんて、とても礼儀正しい親子だ。人の優しさを当然だと思わず、受けた厚意には感謝を示すことを大事にしているご家庭なのだろう。素晴らしいことだ。

 

「……さて、行こっか?」

 

「そうはならないよね?」

 

「ふふっ、お兄さんらしいですね」

 

 カラオケ店へと足を向けようとしたけれど、礼ちゃんに腕を掴まれて止められた。流せないか、それはそうか。

 

「いやだって……僕がキーホルダーを三つ取った隣で、お姉さんのために自分のお小遣いを使って一生懸命に取ろうとしているあの子がいたんだよ。僕は別にぬいぐるみのキーホルダーがほしくて取ったわけじゃないし、それならほしがってる子に譲ったほうが社会にとってプラスだよね?」

 

「社会にとってプラスってどういう理屈?」

 

「あはは……あれ? それでもお兄さんの手元には二つ残るはずですよね? かなたちゃんにどうして二つ渡したんです?」

 

「お姉さんの分とかなたさんの分で二つ。お姉さんのために頑張ってたかなたさんの分がないなんて、そんなの不公平だよね」

 

「はあ……もうっ、はあっ……。お兄ちゃんはこれだからほんとに……」

 

「あぁ……なるほどなぁ……。礼愛の気持ちがわかった気がするなぁ……」

 

「ち、違うよ? 勝負を蔑ろにしたわけじゃないよ? ただ、ぬいぐるみを持っていても嬉しくない僕と、ぬいぐるみに喜ぶかなたさんと、かなたさんのお姉さん。どっちがよりプラスになるかと言ったら、笑顔が二つ増える分かなたさんたちに渡したほうがプラスでしょ?」

 

 優先順位、と言ってしまうと勝負という名目でクレーンゲームをやっていた立場もあって多少語弊があるけれど、それでも天秤にかけた時に傾くのは確実にかなたちゃん側だった。僕が持っていても価値はないけれど、かなたちゃんたちが持っていたら価値が生まれる。ならば損得で考えても渡したほうが正しい。僕の判断は間違っていないはずだけれど。

 

「お兄ちゃんはいいことをしたよ。したんだけど、なんだかなあ……」

 

「考え方が心配になるんだよね」

 

「そう」

 

「な、何か間違ってるのかな……。でも礼ちゃんも夢結さんも、同じ立場ならそうしたでしょ?」

 

「きっとそうなんだろうけど、根本的な部分は違う気がするよ。いずれにしても企画の勝敗は変わらないけどね。カラオケ行こ!」

 

「よし行こう! お兄さんの歌楽しみだなぁ!」

 

「う、うーん……」

 

 煮え切らない礼ちゃんの言葉にもやもやした感情を抱きつつ、僕たちはカラオケへと向かった。

 

 *

 

 道中で見つけたロッカーにゲームセンターで獲得したプライズを預け、カラオケ店へと歩みを進める。

 

 お店が見えてくると、入り口付近に人が多くいるのが見て取れた。カラオケにきたけれど部屋が埋まっていて入れないお客さんたちだろう。

 

「……あれって、たぶん待ってる人たちだよね?」

 

「あー、夏休みだからね……。礼愛、どうする? 待ち時間半端ないと思うけど」

 

「入って大丈夫だよ」

 

「え? どうして? 待ち時間が長いようなら今日は諦めても」

 

「部屋予約しておいたから」

 

「えっ?! うそっ!」

 

「お、お兄さん、いつの間に……。だってカラオケ行こうってなったの、ついさっきなのに」

 

「せっかく久しぶりに遊びにきたんだし、カラオケとか行きたいって話になるんじゃないかって思って映画を観終わった時に予約しておいたんだ。やっぱり混んでるね。予約しといてよかったよ。カフェとゲームセンターでいい具合の時間にもなったし、ちょうどよかった」

 

「私の考え先回りしすぎでしょっ! もう大好きっ! ありがとっ!」

 

「ふふっ、どういたしまして」

 

「気が利くなんてレベルじゃないんだよなぁ……」

 

 腕に絡みつこうとする礼ちゃんをいなしつつカラオケ店へ。店内へ入ろうと自動ドアの前に立つと、見覚えのある人たちが中から出てこようとしていた。

 

「あ、寧音さんたち」

 

「わぁっ、お兄さんっ?!」

 

「おー! イケメンの(あん)ちゃんじゃん! 奇遇だし!」

 

 寧音さんたちご一行が、ちょうど僕らが入ろうというタイミングで出てきた。

 

「あれ? 寧音ちゃんたちカラオケきてたの? 入れ違いだね」

 

「あー、それがね、れー姉……」

 

「兄ちゃん。部屋埋まってっから入れないぞ。二時間から三時間待ちだってさ。さすがにそんな待てないじゃん? だからちょい早いけど帰ろっかって話してたんよ」

 

 僕を捕捉するや距離を詰めてぱしぱしと肩を叩いていた由紀さんが教えてくれる。

 

「二時間から三時間……すっごいなぁ」

 

 待ち時間の長さに戦慄する夢結さん。夏休みと時間帯もあいまってかなりの混雑具合だ。予約しておいてよかった。

 

 顔を引き攣らせていた夢結さんに、由紀さんが顔を向ける。

 

「ねぇ? やばいっしょ」

 

「ゆ、由紀ちゃんっ、寧音ちゃんのお姉さんにそんな口……」

 

「あ、はは……いいよ、べつに。梓ちゃん、だっけ? 梓ちゃんも話しづらくなるくらいなら、敬語使わなくたっていいからね」

 

「ほら、梓。大丈夫って言ったっしょ。いい女は器が大きいんだって。余裕があっからちっさいことにこだわんないのよ」

 

「この子……いい子だ」

 

「寧音さんたちもカラオケ入りたかったんだよね?」

 

「え? は、はい……そうです、けど……それが?」

 

「寧音さん、ちょっと待っててね。礼ちゃん」

 

「はーい、任せといて」

 

 この場は礼ちゃんに任せ、僕はカウンターに向かう。無人機のほうと店員さんがいるほうと二つあるけど、店員さんのほうへ。

 

 店員さんには事前に予約している旨を伝え、そこから予約している部屋についていくつかやり取りし、時間や料金についての説明を受けた。話はついたので、店員さんから部屋の番号が書かれた紙を受け取り、みんなのもとへと戻る。

 

「お待たせ。大丈夫だって」

 

「よかったあ。せっかく仲良くなれたのに、これでばいばいは寂しいもんね」

 

「え、え? どういう?」

 

 さすが妹歴の長い礼ちゃんである。圧縮されがちな僕の意図を即座に読み取ってくれた。

 

 僕が店員さんとやり取りしている間も寧音さんたちが気まずい思いをしないよう、礼ちゃんはお喋りしながら引き留めてくれていた。やっぱりいてくれるととても助かる。

 

「お兄さんはカラオケが混むことを予想して部屋予約してたんだって。それで店員さんに、予約してた人数から増えたけど、それでも入って大丈夫でしょうか、って聞いてくれたんだよ」

 

 夢結さんが噛み砕いて寧音さんたちに説明してくれた。夢結さんも理解が早いなあ。

 

「そういうこと。よかったら一緒にどう?」

 

「え、えっ、えっ?! い、いいんですかっ?!」

 

「寧音さんたちがそれでも問題なければ、だけど」

 

「も、問題ないですっ! あ、ありゅ、あり、ありがとうございますっ!」

 

「マジ?! イケメンの兄ちゃんはやることまでイケメンじゃん! あんがと!」

 

「恥ずかしいからその呼び方だけはやめてほしいな……どういたしまして。梓さんも、大丈夫?」

 

「ぁっ、ぅっ、っ……っ!」

 

 一番問題が発生しそうな梓さんに直接確認を取ると、口を開いて閉じて、もう一度開いて閉じて、最終的にこくこくと頷いた。僕としては不安だけれど、梓さん的には大丈夫らしい。

 

「そっか。よかった。それじゃ部屋に行こうか」

 

「いぇーっ! 歌うぞーっ!」

 

 部屋の番号も知らないのに、由紀さんは僕の腕を掴んでハイテンションで歩き始める。

 

 今日初めて知り合った相手ばかりだというのに、これっぽっちも物怖じせずに自分のスタイルを貫けるというのは、これはもう一種の才能だ。この容姿で、この性格。由紀さんにはカリスマ性がある。

 

「梓さん、こっちだよ」

 

「へぁっ……はひ……」

 

 おずおずと歩いていたので梓さんに呼びかけたのだけど、肩を跳ね上げさせるほど驚かせてしまった。仔兎のようだ。

 

 どうにか梓さんの緊張をほぐして、これからの時間を楽しいものにしてほしいのだけれど、どうやら僕には難しいらしい。声をかければかけるほどに梓さんの動きがぎこちなくなってしまう。僕からは動かないようにして、礼ちゃんにお願いしたほうがいいのかもしれない。

 

「あははっ。梓、あんた意識しすぎだってば」

 

「ゆ、由紀ちゃんっ……」

 

「意識?」

 

「ほら、うちら映画館のとこで別れたっしょ? そのあと、なんで兄ちゃんに緊張してたか訊いたんよ」

 

「由紀ちゃっ、やめっ……」

 

「そしたら、なんか梓の好きなマンガのキャラに兄ちゃんがめちゃ似てたんだって! それで緊張してんの! 梓かわいいっしょ?!」

 

「も、もう……うぅ」

 

「それは……光栄、と思っていいのかな? 僕は漫画のキャラクターほど人間ができてないから恐れ多いけどね」

 

「いえ……ほ、ほんとに……あの、はぃ……」

 

「梓ーっ! 次いつ会えっかわかんないんだから、ちゃんと喋っとけー?」

 

「由紀さん、無理させちゃいけないでしょ。自分のペースでいいからね、梓さん」

 

「ぁ、はぃっ」

 

「おー? なんか兄ちゃん、うちと扱いちがくね?」

 

「扱いに差はつけてないよ。僕はその人に合わせた話し方をしてるだけだからね。っと、この部屋だ」

 

 防音仕様の重量感のある扉を開いて僕が先に中に入る。扉を開けながら、部屋を見渡す。

 

 部屋に入ってすぐの右手側の壁にディスプレイがかけられており、その下には機器が置かれている。ディスプレイの正面側にUの字にソファが並んでいて、Uの間に差し込むような形でロングテーブルが一脚設置されていた。

 

 予約をした時には部屋の広さはそれほど気にしておらず、せっかくなら広いほうがゆったりできていいかなと思い選んだが、人数が増えた今ではこちらの広い部屋でなければ全員は入り切らなかっただろう。なんならこの部屋を三人で使うとなったら空席が目立って寂しいくらいだ。かえってこの人数になって良かった。

 

「私奥座るー!」

 

 入り口付近で固まっていた由紀さんと梓さんの脇をすり抜け、礼ちゃんは入り口から奥の座席にミニハンドバッグを置いた。歳上組に気を遣ってどこに座ればいいか悩んでいた由紀さんと梓さんへの配慮だ。

 

「それじゃ、あたしは礼愛の隣にしよっかな。寧音は私の隣でいいんじゃない?」

 

 礼ちゃんの隣を指定した夢結さんは、自分の隣に寧音さんがくるように誘う。隣に今日知り合った歳上がいると気まずい思いをするかもしれないので、それを避けるためだろう。歳上組との間にお互いの共通点である寧音さんを挟んだ。

 

 夢結さんは礼ちゃんの意を汲んで、こういう配置にしたのだろう。二人ともとても気を回してくれている。

 

「う、うん。わかった」

 

「んじゃ梓は寧音の隣、うちは梓の隣で端っこね! うちは扉に一番近いとこ! カラオケきたらおしっこ近くなるんだよねー」

 

「こら由紀ちゃん! 女の子がそんなこと言わないの!」

 

「わはーっ、ごめんってば礼愛お姉さん!」

 

 この中で一番人見知りの梓さんを寧音さんと由紀さんの間に配したのは、由紀さんの気遣いなのか、それともお手洗いが近いからという本音からなのか、どちらだろう。奔放な由紀さんなので判断に困る。なんなら反応にも困る。

 

 音響機器の隣、部屋の隅に置かれているマイクや曲を入力するためのタッチパネル式の機械、他には飲み物や食べ物のメニューと、フードメニューを注文するためのタブレットも一緒にテーブルに並べておく。

 

「フードメニューは好きなように注文していいからね。でも晩御飯もあるだろうから、食べ過ぎないようにだけ注意しようね」

 

「なんでもいいの?! いぇーっ! 兄ちゃん太っ腹! アルコールもいいの?」

 

「いいわけないよね。二十歳未満の飲酒は禁じられてます。そろそろ本当に悪いことばっかり言うその口、取っちゃうよ?」

 

「ちょっ、冗談じゃん! 本気にすんなし兄ちゃん!」

 

「いいよって言ったら本当に頼みそうだからなあ、由紀さんは。怪しい子がいるので改めて言っておくと、飲み物はソフトドリンクだけです。好きなように注文していいのはフードメニューだけです」

 

「もうっ、わかったってばーっ! さらしもんにすんなしっ!」

 

「あははっ! だめだよー、由紀ちゃん。お兄ちゃんはこういうところすごく厳しいからね。そうだ、夢結、パーティプレート注文しといてよ。ほら、前きた時気になってたやつ!」

 

「ああ、二人で頼むには量が多そうで諦めたやつね。了解。お兄さん、いいですか?」

 

「確認取らなくて大丈夫だよ。好きなの注文していいからね。寧音さんと梓さんも好きなもの頼んでね」

 

「それじゃ先に飲み物ぱぱっと注文しちゃいますね。はい、みんななに飲むか言ってってー」

 

「最初は私から歌うね。席順で歌ってこ!」

 

 夢結さんは手間取らないようにするため注文の取りまとめを、礼ちゃんは他の子たちが気後れしないように一番手を買って出た。

 

 普段僕が見ている二人とは少し違う姿だ。この場に歳下がいるからか、礼ちゃんも夢結さんも、寧音さんたちが尻込みしてしまわないよう率先して動いて声をかけている。頼り甲斐のあるお姉さんという感じだ。

 

 三人でカラオケに行こうという話から寧音さんたちにも参加してもらう運びにしたのは、言ってしまえば僕の独断だ。勝手に予定を変更してしまったことについては申し訳ないけれど、こうして二人の新たな一面が見れたのは嬉しい。

 

「食べ物はパーティプレートとみんなでつまめそうなデザート頼んでる。メニュー見て他にほしいのがあったら言ってね」

 

「ファミレスでもちょっと食べたし、それで十分かも? ありがと、ゆー姉」

 

「あいよ」

 

「あー、あー。ちゃんと歌うの久しぶりだ、声出るかな? あー、よし! 一曲目行くよー!」

 

「きゃー、礼愛ー、歌姫ー」

 

「夢結やめて? プレッシャーがすごい。棒読みだし」

 

「いぇーっ! 礼愛お姉さんいぇーっ!」

 

「歌う前からテンション高い子もいるなあ!」

 

「あはは……由紀ちゃんは誰と行っても変わんないんだなぁ……」

 

「す、すごいよね……。あたしにはぜったいできないよ……」

 

 歌う順番はとりあえず席順で回していくらしい。なので、礼ちゃん、夢結さん、寧音さん、梓さん、由紀さんときて、座席のスペース的に礼ちゃんの隣に座ることになる僕が一巡の最後となる。

 

 カラオケなんて礼ちゃん以外ときたことがない。ましてや大人数でなんて初めての経験だ。何を歌えばいいのか悩ましいけれど、こういう時はみんなが知ってそうな歌、かつ盛り上がりそうな歌を選ぶのが無難だと聞き及んだことがある。

 

 それらの条件に当て嵌まる歌が一曲、すぐに思い浮かんだ。

 

 『New Tale』の面接の時にも歌った、あの歌だ。季節的にもぴったりだし、それに今日はたくさん楽しいこともあった。今日起こった出来事を思い浮かべながら歌えば、きっと以前『New Tale』の事務所で歌った時よりもずっと感情を込めて歌えるはずだ。

 




ちなみに歌っているところが描写される予定はありません。

変則的になりますが、次は時間を少し巻き戻して寧音視点です。


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世界が凍りつく音が聴こえた。

寧音サイドのお話。


 

 家からバスと電車を乗り継いで、わたしは大型複合商業施設の最寄駅に降り立った。

 

 同じ中学校のクラスメイト、その中でもとくに仲良くしてる友だちの由紀ちゃんと梓ちゃんに、映画観に行こ、と誘われたので今日はお出かけだ。

 

 勉強も大事だしイラストも描きたかったけど、二人と遊びに行くのも好きなのだ。高校受験を控えた中学三年、これからはさらに遊ぶ時間を作るのは難しくなるだろうし、今のうちに遊べる時は遊んでおこうと思った。

 

 ちなみに映画は昼過ぎの上映で、今はまだ午前中。集合時間は由紀ちゃんが指定したのだけれど、あまりにも早い。どうせ映画の時間になるまで施設内のお店を冷やかして歩くつもりなのだろう。きっとそこまで大量に服を買ったり小物を買ったりはしないと思う。バイトもできない中学生は常に懐が寂しいし。

 

 ちなみにわたしはお母さんからもらうお小遣いとはまたべつに、きー姉のお手伝いでお小遣いをもらっているのでわりと余裕があるほうではある。高い物はお父さんに甘えれば買ってくれるし、イラストに関係する機材はきー姉にお願いすれば大部分を出してくれる。妹という立場はとても便利。

 

「おっ、寧音。もうきてたん? ごめーん、待った?」

 

「あ、由紀ちゃん、おはよー。ついさっきついたから大丈夫だよ。梓ちゃんもおはよー」

 

「寧音ちゃん、おはよう」

 

 待ち合わせの場所でスマホをいじりながら待つこと五分くらいで二人がやってきた。

 

 由紀ちゃんと梓ちゃんは幼馴染で家も近いらしいから一緒にきたんだろう。

 

「わーり。ほんとなら、もうちょい早くついてるはずだったんだけど、梓が起きんから」

 

「ご、ごめんなさい……。昨日、ちょっと夜更かししちゃって……」

 

「あははっ、いいってば。三十分も一時間も遅れたわけじゃないんだから」

 

 呆れる由紀ちゃんとは対照的に、梓ちゃんは申し訳なさそうに体を縮こまらせていた。

 

 べつに梓ちゃんは自堕落な性格というわけではないんだけど、朝にとても弱かったりする。由紀ちゃんは見た目の印象とは真逆でとてもしっかりしている。朝早くに起きて身だしなみを整えて朝食を摂り、その上で朝に弱い梓ちゃんの家まで行って起こしたり準備を手伝ったりするくらいしっかり者だ。

 

 陽キャギャルの幼馴染の女の子に朝起こしてもらうって、一昔(ひとむかし)二昔(ふたむかし)くらい前のラブコメマンガみたいだ。梓ちゃんが男の子だったらライトノベルだったけど、どっちも女の子なので百合マンガが始まりそう。二人との付き合いも長くなってきたのに、今のところそういう心が跳ねるようなエピソードやアクシデントはまだ聞いたことがない。起きてないのかなぁ、そういうイベント。

 

「寧音ちゃん……今日もおしゃれだね。やっぱりとっても足がきれい」

 

「えへへっ、ありがと。梓ちゃんもかわいいよ、ミニスカートにしたんだね」

 

「うん、由紀ちゃんが『これ着な』って出してくれてた」

 

「ちょ、寧音聞いてくんない? 梓さぁ、最初『ジーパンとTシャツでよくない?』とか言ってきてさぁ」

 

「うわぁっ! 寧音ちゃんには言わないでって言ったのにっ」

 

「あんたの手抜きグセを治すためだし。せっかくなんだからもっと服気にかけな」

 

「ううぅぅ……」

 

 遅れた申し訳なさに縮こまっていた梓ちゃんは、今度は恥ずかしさに縮こまってしまった。

 

 ところで由紀ちゃんの言ってた『せっかく』とはどういう意味なんでしょうね。『遊びに行くんだから』という意味なのか、それとも『あんたは可愛いんだから』という意味なのか。それによってだいぶポイントが変わってくるんですけど。

 

 ちなみにわたしの服装は自分の強みである脚線美をアピールするためのコーディネートだ。生足に視線を誘導しつつ、ロングカーディガンでこれから成長期に突入するはずの胸元をカバーしている。血筋的にはもっとあってもよさそうなものなのに、いまだに成長の兆しは見えない。

 

「まぁまぁ、由紀ちゃん。今の梓ちゃんはかわいいんだし、それでいいじゃん」

 

「しゃあなしね。午前中は梓に似合いそうな服見に行こ」

 

「えー……。あたし、おこづかいの使い道はもう決まってて……」

 

「そんなん言ってまたマンガにぜんぶ使う気なんっしょ? その半分でいいから服にも回しな。着回ししやすいの選んだげるから」

 

「あ、それならわたしもちょっと見てほしいかも」

 

 使えるお金には限度があるのだから、なるべくほかのコーディネートにも使いやすいものがあるとうれしい。

 

 由紀ちゃんはファッションに気を遣っているしセンスもいい。

 

 本人はかっこいい感じのカジュアルな服が好きみたいけど、梓ちゃんのためなのか手頃なお値段でかわいい印象の服を多く取り扱っているお店も知っているし、コーディネートにも詳しい。

 

 とりあえず困ったら由紀ちゃんに丸投げすれば問題ないんだよね。

 

「寧音も梓もガーリーとかフェミニン系が似合うと思うけど、寧音の好みは若干カジュアルにも寄ってんのよね。梓はまず興味を持ってくんないし。んー、けっこむずいけど……ま、見に行こっか」

 

「おー! 映画の時間までけっこうあるしね」

 

「お、おー……お手柔らかに」

 

 *

 

 いろいろ見て回ったけれど結局服は買わず、途中で見かけたお店で商品を三点購入すると割引になるという、取ってつけたようなサマーキャンペーンをしていたので、そこでアクセサリーをそれぞれ購入した。

 

 どうせなら似合いそうなのをお互いに選ぼうよ、と由紀ちゃんが提案したので、由紀ちゃんの分をわたしが、わたしの分を梓ちゃんが、梓ちゃんの分を由紀ちゃんがセレクトした。

 

 わたしはアンクレットだった。梓ちゃんが言うには足を大胆に出していることが多いから、らしい。ふだんからどういう服を好んでいるか考えてくれていてうれしかった。

 

 由紀ちゃんにはブレスレットを選んだ。由紀ちゃんは背が高くて手足がすらりとしているのが魅力なのに、素足を出してくれることが少ない。なので手や腕に目がいくようにブレスレットを選んでみた。

 

 梓ちゃんの分は由紀ちゃんが選んだのだけれど、なんとイヤーカフ。予想してなかったところだった。なんでも、梓ちゃんのコーディネートは甘めになりやすいからどこかでスパイスを足しておきたかったらしい。梓ちゃんの性格も考えたのか、そこまで派手なものではないけれど、たしかに雰囲気が引き締まった気もする。

 

 すぐに身につけるつもりだったので包装もしてもらわずに受け取る。店内でつけて騒いでも迷惑になると思ってアクセサリー店を出ようとしたけれど、店員のお姉さんが大きな鏡を持ってきてくれて『他にお客さんいないしいいよ』と言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。

 

 三人ともその場でつけて、感想を言い合ってお店を後にする。接客してる店員さんも置いている商品もよかったのに、なぜお客さんがこないのか不思議だった。この階の他のお店とターゲットにしている年齢層が違うのかな。

 

 そのあとファミレスでお昼ご飯を食べて、今日のメインの映画に向かう。映画を観る時間と比べても明らかにウィンドウショッピングのほうが時間が長かったけど、それでも今日の目的は映画館なのだ。

 

「んー、ちょい早かったかも?」

 

「かもだね」

 

 予約していたチケットを発券したはいいけれど、ちょっと映画館にくるのが早かった。上映時間まではそこそこある。この大型複合商業施設にはゲームセンターもあるし本屋さんもあるし、時間をつぶせるところはいくらでもあるけれど、またここから移動してゲームセンターで遊ぶ、というほどにはゆとりはない。微妙に空いた時間だ。

 

「……あっ。グッズ売り場、見に行っていい?」

 

 とある方向に視線を向けていた梓ちゃんがグッズ売り場を指差した。

 

 梓ちゃんが見ていたところに目をやると、とあるアニメの劇場版のポスターがでかでかと貼られている。

 

 そういえば前に『このアニメ、すっごく感動するんだよー』と目の下にクマを作った梓ちゃんが学校でわたしに話してくれていた。その時に話していたアニメの劇場版だ。ゆー姉もハマっていたし、なんならわたしも気になってたやつ。

 

 なるほど、梓ちゃんはどんなグッズが置かれているのか見たいのか。今日観る映画は違う映画だけど、劇場版アニメのパンフとか梓ちゃんなら買いそうだ。

 

「どうせ時間あっし、見に行っか。ちょっ……わっは! ……なぁなぁ。グッズ売り場んとこ見てみ?」

 

「え、なに、由紀ちゃん。グッズ売り場?」

 

 由紀ちゃんに言われるがまま目を向ける。

 

 グッズ売り場の通路側正面には、今やっている人気のある映画のポスターやポップ、グッズが目立つように出されているくらいで、とくにおかしなところはない。

 

「グッズ売り場の手前んとこ、休憩スペースみたいになってるとこあんじゃん?」

 

「それがどうしたの?」

 

 グッズ売り場の手前側は映画の上映時間を待つお客さんのためか、丸いテーブルとイスがセットでいくつか置かれている。今はそれほど人がいないようだ。

 

 何度かこの映画館にはきたことがあるけれど、前回きた時との大きな変化は見受けられない。梓ちゃんもそう思ったようで、由紀ちゃんに訊ねていた。

 

 わざわざこうして呼び止めるなんて、なにを見つけたんだろう。

 

「グッズ売り場と休憩スペースの間くらいんとこ、すっごいおっぱい大きい美人がいるっ」

 

「…………」

 

 無言で梓ちゃんが由紀ちゃんの肩を叩いていた。代わりにありがとね、梓ちゃん。わたしも同意見だよ。

 

 なにを急におじさんみたいなことを言い出しているんだ。

 

 よかったね由紀ちゃん、女の子に産まれて。性別を間違えて産まれてきてたら遅かれ早かれ捕まってる。

 

 こっそり指をさしている由紀ちゃんに呆れながら、わたしはその指の延長線上を辿る。

 

「……えっ?」

 

 驚きのあまり声が出た。

 

 わたしが出る時には家にいたはずのゆー姉が、見たことないくらいにおめかしして映画館の片隅で、むかつくくらい穏やかに幸せそうな微笑みを浮かべながら立っている。

 

 もちろんれー姉と遊びに行く時とかは気合い入った格好をしているけれど、今日の格好はあまりにも違う。

 

 今の時期は暑くて鬱陶しいから、という色気のない理由でふだんは結んでいる髪を今日は下ろして雰囲気をがらっと変えている。あんまりじろじろ見られたくないとかいう傲慢な理由でいつもは目立たないような服装を選んでいるのに、今はバストを強調させるような服を着ている。足が痛くなるし、とか甘えた戯言を吐いてふだんは底がぺったんこの歩きやすい靴を選んでいるのに、今はヒールの高いトゥストラップサンダルを履いている。そんなのを持っていたことすら初めて知ったくらいだ。

 

 全体的なコーディネートが、れー姉と出かける時のそれよりもずっと大人っぽい。姉であるということを記憶から抹消すれば美人でスタイルのいい女性に見える。そう見えてしまうことが腹立たしい。外見は取り繕えていても、中身はそうじゃないのに。

 

「寧音ちゃん? もしかしてあの人、知ってるの?」

 

 あまり自分からは率先して話を切り出したりはしないけれど人のことはよく見ている梓ちゃんに、わたしのリアクションを見られてしまっていた。

 

 そうだよね、あんなにわかりやすい反応していれば知っている人なのかな、とは思うよね。

 

 はちゃめちゃに興味深そうにわたしの顔を覗き込んでくる由紀ちゃんから逃げられる気はしない。なので仕方なく打ち明けることにした。

 

「あー……あれ、わたしのお姉ちゃん」

 

「えっ、そうなの?」

 

「そういえば姉ちゃんいるって聞いたことあった! よっし、挨拶しに行こ!」

 

「うぇー……なんでよ。べつにいいよ、しなくたって……」

 

「いいっしょいいっしょ! 紹介してよ!」

 

「とてもきれいで優しそうなお姉さんだね。あたしも挨拶したいな」

 

「……はぁ。それじゃ行こっか……」

 

 北風と太陽のような二人の押しに負けて、ゆー姉のもとまで歩く。ちなみに由紀ちゃんの強烈なお願いにも負けるし、梓ちゃんの慎ましいお願いにも負けるので、わたしに活路はなかったりする。

 

 売店のほうを見ていたゆー姉は近づいていたわたしに気づかなかったので、わたしから声をかける。

 

「……やっほ、ゆー姉。なにしてんの?」

 

 悪事がバレたみたいにびくっ、と大げさに驚いたゆー姉は、軋む音を幻聴するくらいにゆっくりとわたしに振り向く。

 

 驚くという動作をしただけで揺れる胸に、かえってこちらが驚いた。それだけで揺れるものなのか。()まわしさよりも驚愕が(まさ)った。

 

「っ?! ……ね、寧音? な、なんであんたがここに……」

 

 奇遇だね、同じ気持ちだよ。

 

「そんなの、友だちと映画観にきたに決まってるんだけど……。それよりゆー姉でしょ。その気合い入ったかっこといい、気合い入ったメイクといい、誰ときてんの? れー姉?」

 

「あ、うん……そう、だよ」

 

 ゆー姉は目線を下げながら言葉を詰まらせた。ゆー姉は嘘がつけないタイプではあるけど、それにしたって下手すぎる。なにか隠していると言っているのと同じだ。

 

「歯切れ悪っ! 絶対うそじゃん! ……ん? ちょっと待って?」

 

「やめろ、寧音。考えるな。そのまま踵を返して立ち去れ」

 

 なんの説得力もない忠告は無視して考える。

 

 ゆー姉は基本的に嘘をつけない性格だ。嘘をつかれた相手がどういう思いをするだろうか、などと余計なことを考えてしまうのか、嘘をつき通すことができない。絶対にどこかでぼろを出す。

 

 とくに他人を巻き込んだ嘘なんて一番できない。巻き込んだ人に迷惑がかかるかもしれないと考えて言葉に詰まってしまう。素直すぎるのだ。

 

 そのゆー姉が『れー姉ときたの?』というわたしの問いに、躊躇(ためら)いつつも肯定した。れー姉ときていないのなら、れー姉にかかるかもしれない迷惑を考えて肯定はしないはず。

 

 それはつまり、れー姉ときていることは事実なのだろう。そこに嘘はない。

 

 でもれー姉と二人で映画を観にきているのであれば、言葉を詰まらせることも濁らせる事もしなくていい。はっきりとそう言えばいい。

 

 言い淀んだのはれー姉と二人で(・・・)きたわけじゃないからだ。一緒にきたのがれー姉だけ(・・)じゃないから、歯切れが悪くなった。

 

 ゆー姉の交友関係なんて高が知れている。れー姉が同席していて、映画を一緒に観にくるなんていうそこそこ高い親密度の相手で、ゆー姉が過去に類を見ないほどおめかしをしている、となれば。

 

 わたしの脳内には、たった一人しか思い浮かばなかった。

 

「ゆー姉……もしかして」

 

「…………」

 

 ゆー姉は口を(つぐ)んで顔を背けた。もはやその反応は『正解です』と言っているのと同義である。

 

 なんだそれ許せない。ゆー姉を詰めようとしたわたしだったけれど、頭に血が上っているわたしの耳にすら不自然なくらいするりと、こちらに近づく足音が入ってきた。

 

 息を呑むような由紀ちゃんの声と、声にならない悲鳴のような梓ちゃんの声を、背中で聞いた。

 

 配信のマイク越しでも、スマホ越しでも、人の声というものは意外と変わるもの。生の音、肉声になった時、どう思うか、どう感じるかは、聞いた人間の耳に左右されるだろう。

 

 少なくとも『それ』は、わたしの耳にはとても心地よい音としてぬるりと滑り込んできた。

 

「お待たせ、夢結さん」

 

「み゛ゃ゛っ゛」

 

 尻尾どころか胴体を踏まれた猫のような音が聞こえた。どこから聞こえたのかと思えば信じられないことに自分の喉からだった。

 

 信じたくない。こんな声を推しの耳に入れてしまった事実を。

 

 でもなにより、信じられない。推しがこんな近くに顕現しているという僥倖を。

 

 おそるおそる、声の主を盗み見る。

 

 配信や通話で聴いていた声と、れー姉の整った顔立ちからイメージしていた通りの、否、イメージを上回る尊容(そんよう)だった。

 

 優しく温和そうな瞳と、筋の通った鼻。頬から顎にかけての美しいシャープな輪郭は惚れ惚れする。ジン・ラースを生み出したきー姉は、確実にお兄さんのイメージを取り入れて描いている。本人を目の当たりにして改めてきー姉の技術力と表現力を痛感すると同時に、きー姉ほどの腕を以ってしてもなおお兄さんの妖しげな色気を完璧にはジン・ラースに落とし込めない事実に絶望する。あるいは、お兄さんの声と重ねることでようやくジン・ラースが完成するのか。

 

「あ、おかえりです。の、飲み物、ありがとうございます。持ちますよ」

 

「ありがとう」

 

 お兄さんの大きな手と長い指で支えられていた飲み物を、ゆー姉が代わりに持つ。

 

 お兄さんに買いに行かせてんじゃねぇよ、なにしてんだお前が行ってこいよ。などと姉に対してごく当然の感想が湧いて出てくるけれど、それよりもまず比較的自然にゆー姉がお兄さんと会話していることに気づいて動揺を禁じ得ない。

 

 嘘でしょ。あのゆー姉がパニックにもならずに、どうしてそんなにお兄さんとお話ができるの。おかしいよ。

 

 いや、そんな瑣末(さまつ)なことはどうだっていい。今はお兄さんだ。

 

 お兄さんの顔と声に脳みそが侵されていて気づくのが遅れてしまったけれど、ゆー姉と並んだことでありありとわかる。とても背が高い。れー姉もそうだったし、遺伝的に背が高い家系なのだろうか。ゆー姉よりも二十センチはゆうに高い。

 

 スタイルもいい。七分丈のテーラードジャケットとシャツ、ルーズな印象を与えないようなタイトめのチノパンとカジュアルめなスニーカー。子どもっぽくはならないように演出しつつ、隣を歩くのが高校生ということを意識してお堅くなりすぎないように絶妙な塩梅で纏めている。

 

 ここにきてわたしはようやくゆー姉のコーディネートの趣旨を理解した。お兄さんと並ぶことを考えて、肌の露出を控えた服装にしたのだろう。それでいて自分の強みはしっかり強調させているのが憎い。

 

「それで、夢結さん。こちらの方は?」

 

 ゆー姉程度のゆー姉に丁寧な口調でお兄さんは訊ねた。

 

 どうしよう、どうしよう。お兄さんがやってきた以上いつかはご挨拶しなければいけない時がくるとは思っていたけれど、こんなにも早くきてしまった。まだ覚悟の準備ができていない。呼吸もままならない。心臓と肺が動き方を忘れてしまったようだ。

 

「あー、えっと……これ、じゃない……こちら、妹の寧音で……」

 

 お兄さんはその紹介を聞いて、手に持っていた残りの飲み物らしきものを近くの丸テーブルに置いた。

 

 その時点で、わたしは目線を下げた。

 

 ゆー姉から聞いていたのだ、お兄さんは人の目を真っ直ぐと見つめながら話をする、と。今のわたしはお兄さんの目を見つめて会話ができるようなコンディションではない。

 

 大変失礼だし、申し訳ないし、正直惜しいことをしているという自覚もあるけれど、わたしの生命と尊厳を維持するためにも許してほしい。

 

「寧音さん、お話は夢結さんから……お姉さんから伺ってます。初めまして、恩徳仁義です」

 

 足元を凝視していたわたしの視界に、お兄さんの膝と太ももが入った。

 

 ゆー姉と二十センチ以上背丈が違うのなら、わたしとは三十センチ以上身長が離れていることになる。それだけ身長差があると話しにくいだろうと気を遣って、お兄さんは屈んでくれたのだ。細かな気配りが魂の深いところに刺さる。

 

 推しが目の前で(おそらく)わたしの顔を見ながら、わたしの名前を呼んでくれている。スーパーチャットも送ってないのに呼ばせるなんて申し訳ない。今すぐ赤スパを送りたいくらいだ。でもお兄さんスーパーチャット受け付けてくれてないんだよね。この気持ちはどこに置けばいいの。

 

 ていうか聞き逃しかけたけど『お姉さんから伺ってます』ってなんだ。ゆー姉から、わたしのどんな話を伺っているというのか。わたしの話をしてくれていたらしいゆー姉には最大限の感謝の念を抱きつつも、余計なこと喋ってたらただじゃおかないぞという相反する感情が渦巻いた。

 

 お兄さんから自己紹介をいただいたのでわたしも挨拶したいのは山々なのだけど、心臓は宿主の指示を無視しているし肺はストライキを起こそうとしている。肺呼吸の人間が陸上でこれほどまでに呼吸に喘ぐことがあるのかと呆れ返るほどにあっぷあっぷと緊張の海に溺れながら、どうにか口を開いて喉を震わせる。

 

「はい、えっと……はじ……初め、ましてっ。ゆー姉の妹の、寧音……吾妻寧音です。よろしくおねがいしますっ」

 

 頭がくらくらしていて地に足がついていない感覚だけれど、推しを目の前にしたオタクにしてはまともに挨拶できた自信がある。

 

 緊張していてところどころ詰まりながらとはいえ、わたしもやればできるものだ。

 

「ふふっ、はい。丁寧にありがとうね。よろしく、寧音さん」

 

 穏やかで優しげでありながらどこか色っぽい笑い声をこぼし、お兄さんはそう言った。わたしの名を呼んで、よろしく、とそう言った。

 

「は、はいっ」

 

 もしかしてこれから『よろしく』されるような機会があるのかと、そんな期待をしていいのかと妄想を始めそうになった煩悩の塊を切って捨てる。邪念は消し去れ。でなければ、推しと直接お話する資格などない。

 

「夢結さんが言ってた通り、とても可愛いね。それに今のコーディネートは大人っぽくて格好いい」

 

 いやらしさなど微塵も感じさせずにお兄さんはわたしの今日の服装を褒めてくれた。下心とかないんだろうな、お兄さんは。それはそれで複雑だけれど。

 

 そして一応、わたしについてポジティブな話をしてくれていたらしいゆー姉には心の中で『ありがとう』を送っておく。ほんとにありがとう。これからはもう少し優しく接してあげられるよう心がけるよ。

 

「い、いやっ、寧音はそんなっ……ゆ、ゆー姉っ」

 

 耳に優しい声で褒めてもらったわたしが冷静になれるわけもなく、思わずゆー姉にパスした。

 

 あれほど優しい声だったのだ、きっと春の木漏れ日のような柔らかくも暖かい笑顔をわたしに向けてくれていたことだろう。それを見られなかったのは痛恨の極みだけれど、見ていたら脳みそが沸騰していた可能性も否定できない。避けるのは正しい判断だったろう。

 

「あたしに助けを求められても。よかったじゃん。褒めてもらえて」

 

「そ、そうだけどっ! 心の準備体操してなかったんだもんっ!」

 

「体は準備体操してきたみたいな言い方やめろ。なんだよ、心の準備体操って。あたしも教えてほしいよそれ」

 

「あはは、二人とも仲良いね。後ろのお二人も初めまして。恩徳仁義です、よろしくね。お名前訊いてもいいかな?」

 

 自分のことにいっぱいいっぱいになってしまって由紀ちゃんと梓ちゃんの紹介ができていなかった。

 

 慌てるとこんなになにもできなくなる子だったのか、わたしは。悲しくなる。

 

「あ、えと……う、うちは由紀です……。藤原由紀」

 

 自己紹介して、由紀ちゃんはぺこりと金髪の頭を下げた。

 

 気を回せなかったわたしが言えたことでは決してないけれど、由紀ちゃんがこんなに緊張しながら人と話しているところは初めて見た。由紀ちゃんは誰に対しても、歳上でも初対面でもまるで気にしないで自分の距離感でコミュニケーションを取るのだ。気圧されるような性格ではないと思っていたけれど、さすがにお兄さん相手には距離を測りかねているようだ。

 

「由紀さん、よろしくね。それで、君のお名前は?」

 

 由紀ちゃんににこりと微笑んで、お兄さんは梓ちゃんに水を向ける。わたしに目線を合わせてないので、今のうちにそのご尊顔を拝謁させてもらう。ずっと見ていたくなるくらい美形だ。目元は少し違うけれど、れー姉も美人なので、これはそういう血なのかもしれない。兄妹そろって美形って、前世でどんな徳を積んだらそうなるんだ。

 

「ぁ、はっ、あ……ぁ」

 

 お兄さんに気を取られているうちに梓ちゃんが小動物のように震えてしまっていた。

 

 まずい。梓ちゃんは人見知りなのだ。わたしと由紀ちゃんが近くにいるからどうにかなるかと思ったけれど、わたしたち程度の安心感ではお兄さんを相手にすることはできなかった。

 

 梓ちゃんはぷるぷると庇護欲をそそる動きで、わたしの背中に移動していく。

 

「だ、大丈夫だよ? 僕、熊じゃないよ? そ、そんなにゆっくり逃げようとしなくても身の危険はないよ?」

 

 思わず笑いそうになった。熊の対処法としては丸。

 

 よくこんな雰囲気で冗談をぶっこめるものだ。あるいはこんな雰囲気を払拭しようとしてくれていたのか。お兄さんは配信中でも、どんなにシリアスなシーンでも真剣な口調でボケることもあるので意図的なのか天然なのか判別が難しい。

 

「んふっ……っく。お兄さん、よくこんな気まずい空気の中でっ……」

 

 わたしと同じことをゆー姉も考えていた。無性に悔しくなる。

 

 このままだとお兄さんにも悪いし梓ちゃんも肩身が狭くなってしまうだろうから、ここはわたしがフォローに入る。

 

「ご、ごめんなさい、お兄さんっ。梓ちゃんはちょっと……ちょっと? ……けっこう人見知りで……」

 

「梓、あんた挨拶くらいしときなって……。すんません。こいついつもは……まぁ、一人の時はいつもこんなもんなんすけど、うちらといる時はもうちょっと喋れるんです」

 

「そう、なんだ……。なんだか、驚かせちゃったみたいでごめんね?」

 

「……いえ、お兄さんが悪いわけじゃないのでっ! でも、さすがに相手が悪かったね……」

 

「梓には荷が重かったかぁ」

 

 お兄さんが悪いわけでも、梓ちゃんが悪いわけでもない。ちょっと、なんだろう、噛み合わせ的ななにかが悪かったのだ。慣れれば梓ちゃんから話してくれることも多くなる。わたしの時がそうだった。

 

 わたしの肩に置いている梓ちゃんの手に触れながら、お兄さんに紹介する。

 

「えっと……紹介します。この子は田中梓ちゃんです」

 

「梓さん。うん……急に話しかけてごめんね。びっくりしちゃったよね」

 

「い、いえっ…………ごめんなさい」

 

 わたしはすぐ近くにいたので聞こえたけれど、はたしてお兄さんに梓ちゃんの声は届いただろうか。

 

 仲良い人にしか聞かせてくれないけれど、梓ちゃんはとても透き通った可愛い声をしているのだ。自慢の友人の美声を、ぜひお兄さんにも聞かせてあげたい。

 

「寧音さんたちも映画観にきたんだね。何を観にきたの?」

 

 申し訳なさそうに眉尻を下げて、立ち上がりながらお兄さんはそう言った。

 

 そこで、思考を甘く溶かしていくような柑橘系や石鹸にも似た香りが薄まったのを感じ取った。どうしてだろうと思えば、若干だけどお兄さんとの距離が離れていることに気づく。

 

 お兄さんは梓ちゃんが怖がっているとでも勘違いしたのだろうか。そうやって気にしてくれるのはとてもうれしいけれど、それはそれとしてお兄さんは自己評価が低すぎて困る。わたしたちはただ、かっこいい歳上のお兄さんが急に現れて緊張しているだけだ。

 

「えと、寧音たちは恋愛小説が原作の映画を……」

 

「ああ、最近よくCM流れてるよね」

 

 もちろん恋愛映画も観たかったことは観たかった。でも、おもしろかったアニメの劇場版が今上映されているので、度合いで言うとそちらのほうが観たかった。

 

「お兄さんはゆー姉となに観にきたんです?」

 

 わたしたちは女三人で観るというのに、これでゆー姉はお兄さんと(れー姉も一緒みたいだけど)恋愛物の映画を観るとか言われたら、嫉妬で体が燃え上がりそう。

 

 そのせいで少し言葉に力が入ってしまったけれど、幸いお兄さんには気づかれていないみたいだ。

 

「あっ……えっと……」

 

 ほんの一瞬、ゆー姉が由紀ちゃんをちらっと見て、すぐに目を逸らした。

 

 なんなのだろう。家に帰ってからお兄さんと映画を観に行っていたことについてわたしに詰問されたくない、ということで隠そうとするのならわかるけれど、それで由紀ちゃんを気にするような素振りをするのは、よくわからない。

 

 ゆー姉の謎行動に首を傾げているうちに、お兄さんは質問に答える。

 

「ちょっと前に深夜に放送されてたアニメが映画化されたから、それを観にきたんだよ」

 

 お兄さんたちはアニメの劇場版を観にきてたんだ。恋愛物じゃなかったので溜飲が下がった。

 

 ゆー姉がお兄さんと映画を観にきているという事実だけでもなかなかメンタルには響いているけれど、ほぼ確実にれー姉も同伴していることを考えるとまだ自分を慰めることはできる。流れ的にはおそらく、れー姉とゆー姉が映画を観に行くという約束を先にしていて、その後にれー姉がお兄さんを引っ張ってきた、という感じだろう。ゆー姉が自分からお兄さんを誘えるとは思えない。

 

「えっ?」

 

 背後で小さく、梓ちゃんの喜色混じりの驚きの声が聞こえた。梓ちゃんも好きだもんね、あのアニメ。劇場版も観たそうだったし。なんならわたしも観たいし。

 

「ね、ねぇ、二人って……」 

 

 明らかににやにやしているとわかる声で、由紀ちゃんはお兄さんに近づいていく。

 

 由紀ちゃんはお兄さんとゆー姉が二人で映画館にきていると思っているようだし、デートをしているとでも勘違いしているのかもしれない。

 

 おもしろい話が聞けるかも、と期待しているのだろう。

 

 好きなのだ、由紀ちゃんは、恋バナが。

 

 わたしも由紀ちゃんも梓ちゃんも、男子から告白される回数は多いわりに恋愛絡みの話が出ない。わたしは勉強と推し事でそれどころじゃないし、由紀ちゃんは同年代の男子は好みに合わないらしい。梓ちゃんは人見知りだし、二次元のほうに趣向が傾いている。

 

 三人そろって恋バナから縁遠いのだ。なので心ときめくような恋愛話に飢えている。

 

 そんなに心をときめかせたいのなら彼氏作ればいいのに、と本人に直接言ったら『試しで付き合ったことあっけど、きゅんきゅんせんし』と返された。同学年の男子では由紀ちゃんの琴線には触れないらしい。難しい。

 

 でも、期待しているところ残念だけど由紀ちゃん。その二人からはお望みの話は出てこない。

 

 お兄さんがゆー姉をどう思っているかは正直なんとも言えないけど、ゆー姉がお兄さんと付き合うのは現状不可能だ。ゆー姉の人間的経験値が絶対的に不足している。ゆー姉はきっとお兄さんの一挙手一投足にわたわたまごまごしてお兄さんを困惑させ、ゆー姉がお兄さんに慣れるまでの間にお兄さんはゆー姉に愛想が尽きるだろう。

 

 なにより、実際に付き合っていたとしたら、その付き合い始めの日にわたしが気づくはずだ。直情的なゆー姉が、わたしに黙り続けたり、これまで通りに過ごしたりできるとは思えない。急ににやにやしたり、急にベッドの上で悶え苦しんだり、急にスマホを指で撫でながら見つめたりするはずだ。そんな異常行動が一切なかったことから、ゆー姉はお兄さんと付き合っていないと結論づけることができる。QED.

 

 そんなこととは露知らず、由紀ちゃんは期待に胸を膨らませながらお兄さんに訊ね、お兄さんはみなまで言うなといった様子で由紀ちゃんの言葉を即座に否定──

 

 

 

「僕から夢結さんにお願いしたんだ。付き合ってって」

 

 

 

 ──世界が凍りつく音が聴こえた。



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銃を構えている恋のキューピッド

寧音さんが危うくぶっ壊れそうになる話。


 

「えっ……」

 

 ありえない。ありえていいはずがない。

 

 弛緩した意識で、現実味のない話をしているお兄さんと由紀ちゃんの声を拾い続ける。

 

「え、えっ、えっ! (あん)ちゃんから言ったん?! 付き合ってって?! マジで?! ってことは、兄ちゃんのほうが好きだった、ってこと?!」

 

 距離を測りかねていた由紀ちゃんだったけれど、上質な恋バナが聞けそうな予感にテンションが上がっていつものコミュ力が息を吹き返していた。

 

 どんなメンタルをしていれば初対面の歳上の男性に(あん)ちゃんなんて呼び方ができるんだろう。鍛え方があるなら教えてほしいよ。わたしのメンタルはすでに(ひび)が入りまくっていて今にも粉々に砕け散ってしまいそうだけど、こんな状態からでも間に合う鍛え方があるなら教えてほしい。

 

 わからない。わからないよ、もう。なにがなんだかわからない。

 

 ゆー姉からじゃなかったのか。お兄さんからゆー姉にアタックしたのか。どうして。そんなに二人の仲は育まれていたのか。取り持ったのはれー姉か。でもお兄さん大好きを公言しているれー姉がこんなに早く兄離れするのか。

 

 くるくると思考は空転する。もはや思考が空転しているのか、あるいは世界が空転しているのか、それすらわからない。

 

「そうだよ、僕が好きだったんだ。夢結さんは最初はあんまり前向きじゃなかったけど、お願いしますって」

 

 世界が空転しているか否かはわからないけれど、世界が間違っていることだけはわかった。

 

「えーっ!? 寧音の姉ちゃん……え、やっべ。こんな男に迫られるわけ? ……高校生ってすげー。兄ちゃん、そんなぐいぐい押したん?」

 

 だいぶ由紀ちゃんのエンジンは暖まっているようだ。頬を染めながらも笑顔になったり、目を丸くして驚いたり、内緒話をするように顔を寄せたり『やるじゃん』みたいなノリでお兄さんの脇腹を肘でつんつん突いたりと大忙しに絶好調だ。

 

 対してわたしは金縛りにでもあったように身動きが取れずにいた。もしかしたら体と魂が分離し始めているのかもしれない。分離していなければきっと膝から崩れ落ちていたのである意味よかったとも取れる。

 

 いや、全然よくない。

 

 なんだ、前向きじゃなかったって。お兄さんに言い寄られて、お願いしますって頼み込まれて、それでようやくオーケーを出したのか。なんだそれ何様だ血管切れそう。

 

「そうだね。押した。僕から頼み込んだ」

 

「へー、へぇっー! やるじゃん兄ちゃん! 出会いは? 歳離れてるっぽいけど、どうやって知り合ったん?」

 

 ゆー姉とれー姉が同い年で、たしか綺輝(きー)姉とお兄さんも同い年だったはず。ゆー姉ときー姉で五歳差があるので、二人の歳の差は五つだ。

 

 社会人になればそれくらいの歳の差なんて気にならないのかもしれないけれど、学生の五歳差はとても大きい。出会いという部分でも話題という部分でも違いが出てくるはず。

 

 しかし神様のいたずらか、お兄さんとゆー姉の間には共通の話題が数多くある。

 

 お兄さんもアニメは嗜んでいるらしいし話は合うだろう。配信を手描き切り抜きという形で支援しているのでそこでも連絡を取り合う機会は多い。

 

 なににつけても、れー姉という存在だ。れー姉の存在が一番大きい。

 

 ゆー姉とお兄さんが直接顔を合わせたきっかけがれー姉だし、アニメだってれー姉の影響で観ることが増えたらしいし、手描き切り抜きもれー姉からの依頼だった。

 

 れー姉という点が、お兄さんとゆー姉を線で結んだに違いない。

 

「妹と夢結さんがとても仲が良いんだ。夢結さんが家に遊びにきてる時にお喋りして」

 

 でしょうね。

 

 恋のキューピッドだ、れー姉は。弓矢の代わりに銃を構えている恋のキューピッドだ、強すぎる。

 

 れー姉がゆー姉と仲良しなことは知ってるし、まぁ、わたしもなんだかんだ言いつつゆー姉の性格がいいことはわかってるけど、それにしたって、だ。あのれー姉がなによりも、誰よりも大事にしているお兄さんをゆー姉に譲るなんて。お兄さんの隣をゆー姉に譲るなんて、にわかには信じられない。

 

 信じたくないだけかもしれない。

 

「はっはぁっ、それで知り合ったってわけね! うはぁっ、おもしろ! 少女マンガじゃん!」

 

 ほんとだよ。

 

 友だちの家に遊びに行って、そこで友だちのかっこいいお兄さんと知り合って、お兄さん(と、れー姉の配信活動)を支えて仲を深めて、最終的に付き合って夏休みに映画デート。

 

 マンガの世界だよ、こんなの。

 

「少女漫画?」

 

「でも兄ちゃんなら他にいくらでも選べそうなのに、なんで寧音の姉ちゃんなん? そりゃ寧音の姉ちゃんは美人だけどさ、歳近いのによさそうなのいなかったん?」

 

 そう、そうなんだよなぁ。ふつうはそう思うんだよなぁ。

 

 顔は整っていて声も素晴らしい。性格は優しく穏やかで気が利いていて、配信を観ている限り話の引き出しも多い。真面目だけど、それ一辺倒にはならずにユーモアもある。他の人とのコラボではボケまくって引きずり回しながらも相手の魅力を引き出すコミュニケーション能力まであった。

 

 これだけそろっていれば周囲に人が集まりそうだし、たくさん女も寄ってきそうだけれど、なぜかお兄さんには友だちがいないらしい。

 

 そんな不可解な現象が起こり得るのかわたしからすれば疑問でしかないけれど、メッセージアプリの友達欄を直接確認したらしいゆー姉は、ほんとに友だちがいなかった、と言っていた。

 

 お兄さんの唯一の友人で、れー姉の大親友。関わる頻度も桁違い。ついでにゆー姉も純朴な人間性をしていると、妹の贔屓目で付け足しておいてやる。

 

 恋敵のいない環境に加えて最強の味方がバックにいたからこそ、ゆー姉はお兄さんの一番近くに行けたのだろう。

 

 だからこそ、お兄さんの大事な存在になれ──これ以上考えるのはまずい。わたしの魂が精神的な負荷に耐えられない。

 

「夢結さんしか考えられなかった、かな。夢結さんしかいなかった」

 

 頭の中で考えるのと、お兄さんの口から聞くのとでは殺傷能力が違った。

 

 ぱきぃん、とわたしの中のなにか大事なものが欠けてこぼれ落ちた気がする。

 

 現実逃避でこれまで避けてきたジャンルに手を出してしまいそうになる。目を背けてきた扉を開きそうになる。

 

 いやだ。いやだ。こんな後戻りできなくなりそうな経験をきっかけにして新たな性癖に目覚めたくない。

 

「おっほほほ! いいじゃんいいじゃん!」

 

 一人だけすごく楽しんでいる子がいる。

 

 いいなぁ、由紀ちゃん。わたしもその立場に立っていたかったよ。

 

 わたしはもうだめだよ。お兄さんの隣に寄り添っているそこの女に背中から刺されたんだ。致命傷だよ。

 

 きっとお兄さんが恥ずかしげもなく披露する馴れ初めを聞いていられなくなったのだろう。ゆー姉は耳まで赤くさせて俯いている。

 

 せめて一言だけでも前もって伝えておいてくれたら、わたしの心はここまで渇き果てることはなかっただろう。心の準備体操ができていなかったことで、こんなにも荒んでしまった。

 

 いやそんなこともないか。茫然自失になるか暴れ散らかすかのどっちかだったと思う。周囲に迷惑をかけないだけ今のほうがマシかもしれない。

 

「そんなに面白い? この話……」

 

「なに言ってんの、おもしろいに決まってんじゃん! この手の話は大好物だし!」

 

「そ、そう。それならよかったよ……」

 

 すいませんね、お兄さん。由紀ちゃんはきゅんきゅんを燃料にして走る暴走機関車みたいな子なんです。

 

「で?」

 

「……で? とは?」

 

「恥ずかしがんないでいいじゃんっ! だからさ、寧音の姉ちゃんにはなんて言って付き合ってもらったん? てか直接言ったんしょ?」

 

 とうとう由紀ちゃんはメインディッシュに取り掛かった。馴れ初めを聞いたのなら、一番の盛り上がりを見せるのはもちろん告白のセリフだろう。恋バナにおいてはラスサビみたいなものだ。

 

 渇いたわたしの心にはもうなにも響かないので、ぜひとも由紀ちゃんにはふだん味わえない分も含めて存分に楽しいひと時を過ごしてほしい。

 

 それにしても、告白かぁ。想像していたよりも面と向かって告白してくる男の子って少ないんだよね。メッセージアプリの通話とか、中にはメッセージの文章だけで伝えてくる男の子もいる。直接言ってくる男の子もいることにはいるけど、少数派な気がする。実際に会って告白して振られるほうがつらいからだろうか。

 

 どちらにせよお断りさせてもらうので関係ないといえば関係ないけれど、告白される時に直接会って好意を伝えられたほうが断る時の申し訳なさは大きいので、やっぱりそれだけ人の感情を動かすことはできるんだと思う。

 

 もしかして実は歳の離れた親戚のお兄ちゃんだったりするのかな、などととち狂ってしまいそうになるくらいの馴れ馴れしさで、由紀ちゃんはお兄さんに催促する。

 

「それはまあ、直接言ったよ」

 

 由紀ちゃんに腕を揺らされながら質問攻めを受けるお兄さんは、戸惑いと呆れを混ぜたような複雑な表情で律儀に答える。

 

 また一つ心から破片が散った気がするけれど、もう痛みも苦しみも感じないのでまぁいいや。

 

 やっぱりお兄さんは直接言うよね。メッセージアプリで予防線張る、みたいなことはしないタイプだと思ってた。

 

 お兄さんなら告白する場所とかも厳選したのかな。れー姉と夜景を観に行ったりもするらしいし、告白するのに適したスポットはたくさん知ってそう。でも、お兄さんなら家でお喋りしている時に不意に告白したとしても違和感がない。どんなパターンでも具体的にイメージが湧いてくる。

 

 あぁ、どんな感じなんだろう。妄想がはかどるなぁ。セリフよりシチュエーションやロケーションを重視して訊いてほしいなぁ。

 

「でっ? でっ?! なんて言ったん?! 好きだ、とかっ? 付き合ってください、みたいな?!」

 

 由紀ちゃんのボルテージは最高潮だ。ここまで(たかぶ)っている姿は記憶にない。

 

 でもまぁ、そうなっても仕方はないよね。由紀ちゃんは同級生の男子相手だとときめかないから付き合わないだけであって、誰とも付き合う気がないわけじゃない。ときめかせてくれる相手がいたら付き合うし、なんなら相手が自分に興味を持っていなければ自分からアプローチしていく行動力がある。そのくらい女の子らしい一面のある子なのだ。

 

 そんな由紀ちゃんであれば、テンションが際限なく上がってしまうのも無理はない。自分の求めた『ときめき』を体現している人たちが目の前にいるのだから、行く末が気になってしまうのは当然だ。

 

 しかし暴走寸前の由紀ちゃんにストップをかけるように、あるいは()らすように、お兄さんはワンクッション置く。

 

「由紀さん、その言い方だと相手に間違って伝わっちゃうでしょ」

 

「え? どゆことどゆこと?」

 

 今だけは由紀ちゃんと同じ気持ちだ。まさしく、どういうこと、である。

 

 告白するのに、気持ちを伝えるのに、間違って伝わるもなにもない。『好きです』も『付き合ってください』も、告白する時には一般的な文言だ。

 

 なにも間違いはなさそうだけど、なにが違うと──

 

 

 

「夢結さんと一緒に()きたいですって、はっきりと言ったよ」

 

 

 

 ──なるほど。脳みそが爆発しそうだ。

 

 なるほどなぁ。たしかに『好きです』も『付き合ってください』も、ある意味では間違いになる。自分が抱いている気持ちが軽いものだと、相手に誤って伝わってしまう可能性がある。たしかにそうだ。ただの遊びではない、将来も見据えているという自分の気持ち、覚悟を伝えるのに、上述の二つの言葉では薄いし軽い。

 

 であるなら、お兄さんの選んだ言葉は他のどれよりも適切だ。これ以上、端的で真っ直ぐ飾り気なしに気持ちを伝える言葉はない。

 

 うん、なるほど。これは夢だな。あははは。

 

「────」

 

 わたしの意識はここでシャットダウンした。

 

 

 

 *

 

 

 

 

「んっとねー、夢結が寧音ちゃんたちに話しかけられてるところから」

 

「最初からなんてもんじゃない」

 

「────っ」

 

 名前を呼ばれた気がして意識が再浮上する。再起動とも言える。

 

 目をぱちぱちと瞬かせ、現実を確認する。

 

 わたしは今、映画館の片隅にいる。夢じゃなかったんだな。なんてことだ。

 

 いつのまにかれー姉もいた。やっぱりお兄さんとゆー姉、れー姉の三人で映画を観にきていたようだ。

 

 れー姉も一緒にきているのならこれは映画デートではないな、うん。

 

「夢結とお兄ちゃんが二人でどんな話をするんだろうって思って楽しみにしてたんだよね。そしたらもっとおもしろいことになってたから、遠くから見て笑ってた。とっても楽しかった」

 

「うん。顔を見ればわかるよ。楽しんでたんだろうなって」

 

「礼愛、あんた……見てたんなら助けてよ……」

 

「おもしろいシーンはしっかり眺めてたくて。ごめんごめん」

 

 三人で楽しげにお喋りしているけれど、なんの話をしているのかよくわからない。わたしの再起動中になにかおもしろい出来事でも起きていたのかもしれない。

 

 どんな愉快なイベントなりハプニングなりが発生していたとしても、きっとわたしの心はついていけてなかっただろうから大して変わりはないか。

 

 お兄さんは由紀ちゃんにまだ絡まれているし、お兄さんに事実確認する前にれー姉に挨拶しておこう。なんだかんだで会うのは久しぶりだし。できればもうちょっと元気な時に会いたかったけど。

 

「れー姉……ひさしぶり」

 

「うん、久しぶり寧音ちゃどうしたの寧音ちゃん……なんか前会った時から変わっ、ちゃったね……。げっそりしてるっていうか……」

 

「いろいろあって……へへ。今、生きる気力を失ってるとこなんだよね……」

 

 生きる気力とか、がんばる活力とか、そういった生命力的なエネルギーはすべてわたしの中からこぼれ出ていった。かぴかぴだ。搾りかすだ。むしろ、これだけのことがあってもまだ喋る力が残されている人体の神秘に感動している。

 

 ミイラに勝るとも劣らないコンディションのわたしに引き換え、れー姉は前会った時と変わらず、どころか以前にもまして美人になっている。どんな手入れをしたら肌と髪にそんな張りと艶が生まれるんだろう。

 

 さらさらと流れるような黒髪には天使の輪っかが浮かんでいる。こんな天使に迎えにこられたら、恨みつらみ妬み嫉みを煮詰めたようなわたしでも迷わずに成仏してしまう自信がある。

 

「ああ……こんなに乾いちゃって可哀想に。夜にはちゃんと説明するからそれまでどうにかがんばって」

 

「……ん?」

 

 れー姉の発言に引っかかりを覚える。わたしはれー姉から説明を受けなければいけない状況にある、ということなのか。

 

 そういえばわたしの再起動直後にれー姉たちがしていた話の中にも違和感はあった。由紀ちゃんとお兄さんの話を聞いていたらしいれー姉の口から『おもしろいことになってた』なんて、出てくるだろうか。お兄さん愛が深すぎるれー姉が、お兄さんとゆー姉の馴れ初め話を楽しく聞けるとはわたしには思えない。

 

 それにれー姉の実直な性格なら、二人の関係に納得していようとしていまいと、二人のデートに同行なんてしない気がする。

 

 そうだ、考えてみればおかしかったのだ。わたしがなにか早とちりしていると考えるほうが自然だ。ゆー姉はお兄さんと付き合ってなんていないと考えるほうが常識的なんだ。これは現実逃避ではない。論理的考察による仮説だ。断じて現実逃避ではない。

 

「それでそちらのかわいい子はどちら様かな? 遠かったから名前は聞き取れなかったんだよね」

 

 れー姉は思考の海に溺れるわたしの後ろに声をかけた。わたしの背中にはまだ梓ちゃんがくっついていた。

 

「た、田中梓、です……」

 

 お兄さん相手よりかは喋れるみたいだけど、れー姉も歳上だし、目元が鋭めの綺麗系の顔立ちで背も高い。梓ちゃんは若干尻込みしている。

 

 接してみると印象が変わるけど、美人にはやっぱり威圧感のような独特のオーラがあるのだ。

 

「梓ちゃんかわいいね! 足が綺麗だからミニスカ似合う!」

 

「そ、そうですか? でも、お姉さんのほうが、きれいで……」

 

「え? そうかなあ? ふふっ、ありがと。梓ちゃんはいい子だねえ!」

 

 知ってか知らずか、れー姉は目を細めて柔らかく笑いながら梓ちゃんを褒める。目元の印象が和らぐだけで、ずいぶん纏う雰囲気が穏やかになる。

 

 梓ちゃんもれー姉を『きれい』と称していたけれど、お世辞でもなんでもなくその通りだった。

 

 運動してることがわかる細くてしなやかな足は思わず視線が向いてしまう。長く伸びた足ときゅっと締まったお尻、ちらりと見えるウエストはふだんから気をつけていないと維持できない鍛えられ方だ。全体的なシルエットを崩さない適度な胸元の膨らみと美しいデコルテラインは同性でも見惚れてしまう。なんだ、これは。芸術品かな。

 

 さらにヒールの高いウェッジソールのサンダルによって、手を加えなくても魅力にあふれる美脚がさらに際立っていた。

 

 ヒールつきのサンダルともともとの身長。れー姉くらい背があれば、お兄さんの隣に立っても見栄えがいいんだろうな。

 

「他のお客さんの迷惑になるかもしれないし、一旦ストップ」

 

「んぅっ!」

 

 大きな声を出していないのに不思議と耳に届くお兄さんの声で、一度口を閉じる。人数が増えてから、たしかにちょっと騒々しくなってしまっていたかもしれない。原因の五割は由紀ちゃんの気もするけど。

 

「由紀さん、君はこの場に適した発言かどうかを考えてから喋りましょう」

 

 案の定というかなんというか、やっぱり由紀ちゃんがなにか失礼なことをしでかしたのか、お兄さんに唇を(つま)まれていた。

 

 なにをしたら温厚なお兄さんに実力行使されるのかわからないけれど羨ましい。推しから怒られたくないし嫌われたくないから由紀ちゃんと同じことはできないけど、その罰だけは執行してくれないかなぁ。

 

「んっ、んっ!」

 

「そう。それならよろしい」

 

「だからっ、兄ちゃん! これ、あはっ、ふつーにセクハラだかんね?!」

 

 叱られていたようだけど、由紀ちゃんはどこか嬉しそうでもあった。

 

 テンションの上がった由紀ちゃんと真正面から向き合える人なんてそうはいない。お兄さんは由紀ちゃんに向き合いつつ、だめなことはちゃんと指摘して、絡みには適度につきあって適度にいなしていた。

 

 話の主導権を握って相手を引っ張る、あるいは引きずることの多い由紀ちゃんには、お兄さんという存在は新鮮だったのだろう。

 

 由紀ちゃんに振り回されてお兄さんは困ってないかなと盗み見てみると、わたしの目にはどこか楽しそうに見えた。

 

 そういえばコラボ配信でも同期のやんちゃな人、イヴ・イーリイさんとやっている時、お兄さんは観ているこっちまで釣られるくらいとてもよく笑っていた。もしかしたらお兄さんは、わりとやんちゃな人がタイプなのかもしれない。

 

「あはは、楽しくなっちゃってた。ごめんなさい」

 

「ほ、ホテ……でも、たしかにいずれはそういうことも……」

 

「寧音さんと梓さんもごめんね? お友だちと遊びにきてたのに、邪魔しちゃって」

 

「い、いえっ、寧音はっ、あのっ……もう少し」

 

 もうここでお別れのような空気を感じて、思わず引き留めるようなことを口走ってしまった。

 

 いろんなことがあって、本当に衝撃的なことがいろいろあったせいでお兄さんと全然喋れてない。ゆー姉とのこともちゃんと聞きたいのに。

 

「もう上映時間も近いから、僕たちはそろそろ行くよ。お喋りに付き合ってくれてありがとう」

 

「えー、兄ちゃんもう行くわけ? もうちょい喋ってかね?」

 

「由紀さんとはもう十分お喋りしたと思うけどね。なんにせよお喋りはこれでおしまい。僕たちは映画を観にきたんだから」

 

 それはそうだ。映画を観にきたのにそれを放り出してお喋りに興じる理由はない。これだけ長い時間付き合ってくれただけでも感謝しなければいけないところだ。これ以上邪魔はできない。

 

「……由紀ちゃん。お兄さんにも予定あるんだから迷惑かけちゃダメだよ」

 

「寧音ー、だってさー。んー……まぁ、それもそっか。妹さん同伴っつってもデートだし、仕方ないっか。じゃ、またね。イケメンの(あん)ちゃん」

 

「うん、また……ん? イケメンの兄ちゃんってなんだ……。う、うん、またね。寧音さんと梓さんも、ありがとね。じゃあね」

 

「寧音ちゃん、梓ちゃん、由紀ちゃん。ばいばいー」

 

「じゃ、じゃあ……あたしもこれで」

 

 お兄さんは近くのテーブルに置いておいた飲み物を取りながら、れー姉はひらひらと手を振って、映画館の奥、スクリーンのあるところへと歩いていく。

 

 そのままゆー姉も二人について行くのかと思いきや、わたしに近づいて小声で話しかけてきた。

 

「寧音、夜帰ったらちゃんと話すから、だからそれまでちょっと……」

 

「うん。覚悟してなよ」

 

「ひぇっ……」

 

 怯えたような表情で一歩後退りして、ゆー姉はそのままお兄さんとれー姉を追いかけた。

 

 れー姉もゆー姉も同じようにそう言うってことは、お兄さんがしてくれたゆー姉との関係の話には、きっと偽っている部分があったのだろう。

 

 どこから嘘でどこまで本当かはわからないけれど、わたしの頭上にも一筋の光明が差してきた。

 

 あぁ、よかった。安心した。思わずこのまま回れ右して泣きながら帰るところだった。

 

「すっごい三人だったし! 顔面偏差値たっかぁっ!」

 

 お兄さんたちを見届けて、由紀ちゃんが言う。

 

 たしかにお兄さんとれー姉は言うまでもなく、ゆー姉だって外見だけは優れている。とてもきらきらした空間だった。

 

「由紀ちゃん、よくあんなに失れ……遠慮なく話に行けるね。わたし、怒られるんじゃないかって怖かったよ」

 

 お兄さんたちがいなくなったことで、梓ちゃんがわたしの背中から出てきた。

 

 由紀ちゃんらしいといえばらしいけど、お兄さんの温厚な性格を知ってないと見ていてひやひやする接し方ではある。ほんとにもう、親戚とかよりも距離感が近かった。あの距離の詰め方は由紀ちゃんにしかできない。

 

「梓? 失礼、って言おうとした? ん?」

 

「いやっ、ちがうよ? 歳上の人相手に、よく堂々とお話できるなぁ、って……感心。そう、感心してたの」

 

「ほんとかー? ……ま、いっか。兄ちゃんの恋バナ聞いてたら盛り上がっちゃった。でも、あの話はしょうみ、きゅんきゅんするっしょ! これまで聞いた恋バナの中でもトップクラスだったし!」

 

「知り合うところから展開が少女マンガみたいだったしね」

 

「なんか寧音も驚いてたっぽいけど、姉ちゃんの彼氏知らんかったん?」

 

「……うん、知らなかった。初めて見た」

 

「すっげーな、あんなイケメンの彼氏。寧音もよかったんじゃん? あんなかっけー義理の兄ちゃんできんだし」

 

「んぐっ……そ、そうだねっ。あ! わたしたちが観る映画もそろそろ開場始まるし飲み物買いに行こ!」

 

 義理の兄、つまりはゆー姉とお兄さんが結婚する──いけない、想像しただけで発作が起きる。

 

 大丈夫、落ち着けわたし。本当は二人は付き合っていない。きっとそう。絶望するのも乱心するのもまだ時期尚早だ。

 

 話を切り替えるために売店に行く。

 

「うわっ……なんかすごい色のポップコーン売ってんだけど……。そういや梓はなんであんなに兄ちゃんにガチガチになってたん? 人見知りは知ってっけど、さすがにビビりすぎじゃね? ちょっと兄ちゃん悲しそうだったし」

 

「うぅ……それは……」

 

「あ、それはわたしも気になってた」

 

 梓ちゃんは、いつもなら人見知りが発動してもれー姉と話す時くらいには会話ができるのだ。

 

 お兄さんとは初対面だし、歳上の男の人で背も高くて怖いなって思うかもしれないけど、柔和な雰囲気だし声も優しい。会話が成り立たないほどに緊張することもないはずだ。

 

 わたしと由紀ちゃんに挟まれて誤魔化せないと観念したのか、指と指を絡めてもじもじしながら恥ずかしそうに梓ちゃんは切り出した。

 

「それが……好きな、マンガのキャラがいて……そのキャラと、お兄さんが似てて……」

 

 なんだこの子、かわいいなぁ。

 

「それって、外見がってこと?」

 

「そ、そうっ。しかも、好きな声優さんに声が似てるんだよっ」

 

「あー……わかるぅ……」

 

「それで混乱して、頭真っ白になっちゃって、喋れなかった……」

 

 しょんぼりと肩を落とす梓ちゃん。

 

 気持ちはとてもわかる。推しが目の前にいると思ったらわたしも喋るので精一杯だった。

 

 梓ちゃんみたいに、好きなキャラに似ている、好きな声優さんに声が似ている、人見知りと重なれば、パニックになってしまうのも無理はない。

 

「あははっ、ほんっと梓かわいいし! 兄ちゃんはちょっとかわいそうだったけど、それなら許してくれるっしょ」

 

「もうっ……由紀ちゃんっ」

 

 快活に笑いながら、由紀ちゃんは梓ちゃんの頭を撫でていた。同い年なのに、どこか由紀ちゃんは姉っぽくて、梓ちゃんは後輩っぽいのだ。姉妹でも先輩後輩でもない。姉感の強い由紀ちゃんと、後輩味の強い梓ちゃんなのだ。

 

 売店で飲み物を買って、スクリーンへ移動する。

 

 その途中に、お兄さんたちが観にきた映画を上映中のスクリーンの前を横切った。

 

「兄ちゃんが観にきたって言ってた映画ってこれっしょ? アニメの劇場版? とかなんとかつってた」

 

 スクリーンの扉や壁に貼られたポスターを眺めていた由紀ちゃんが訊ねてきた。

 

「そうだよー。いくつかスクリーンが用意されてるみたいだから、お兄さんたちがこのスクリーンにいるかはわからないけどね」

 

「へー。兄ちゃん、アニメとか興味なさそーなのに観んだなぁ。梓、おもろいん? これ」

 

「んっ、おもしろいよっ。由紀ちゃんも興味あるっ?」

 

「兄ちゃんでも楽しめんなら、うちでも楽しめんのかなーって」

 

「うんっ、楽しめると思うっ。でも劇場版は放映版の続きになってるらしいからっ、まず放映版を観ようっ。うちきて一気見しようっ」

 

「お、おお……そんじゃそうしよっか」

 

 途端に元気になった梓ちゃんに押される形で由紀ちゃんが頷く。好きなものの話をするのは楽しいからね。かわいいなぁ。

 

「寧音ちゃんもよかったらきて? 劇場版観に行く前に一緒に見直そうよ」

 

「ありがと。お邪魔させてもらおっかな」

 

「うんっ。やったっ。たのしみだなぁっ」

 

 ご機嫌になった梓ちゃんを見て、わたしと由紀ちゃんは顔を見合わせて笑った。

 




誤字脱字修正のご報告本当にありがとうございます。前話の誤字の量が過去最多を記録していて自分の眼球の機能に不安を覚えました。ご報告とても助かってます。頭を床にこすりつけるくらいに感謝してます。


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一足先にわたしは上に行くぜ。

 

 映画を観終わったわたしたちは、ゲームセンターに足を運んだ。

 

 クレーンゲームで大きくてもふもふのかわいいぬいぐるみを見つけたけど、二、三回試して取れる気配がまったくしなかったので泣く泣く諦めた。こんなことならゆー姉にコツでも聞いておけばよかった。

 

 ゲームセンターの奥のほうには好きなリズムゲームがあったのだけど、二人はリズムゲームはやったことがないらしいし、わたしがゲームをやっている間待たせるのも悪いので今回は控えた。

 

 代わりに三人で比較的操作が簡単なレースゲームをした。

 

 この手のゲームは自信があったけど梓ちゃんがやたらとうまくて、三回やったけど一回も勝てなかった。由紀ちゃんには勝てたんだけどなぁ。

 

 由紀ちゃんはこの手のゲームが苦手らしい。小さい頃に梓ちゃんにぼこぼこにされたトラウマがあってあんまり触ってないんだとか。

 

 梓ちゃんのせいだった。接待プレイという言葉を知らないようだ。

 

 ゲームセンターで遊んだあとはファミレスで映画の感想を言い合ったり、ゲームセンターのクレーンゲームのアームにみんなでケチをつけたり、レースゲームのハンドルにもケチをつけ始めた由紀ちゃんに二人でツッコんだりして駄弁っていると、唐突に由紀ちゃんが歌いたいと言い出した。ストレスを発散したいのだろう。クレーンゲームのアームについては共感できるけど、レースゲームについては由紀ちゃんが下手だっただけなんだよね、わたしも人のことは言えない腕前だけど。

 

 でもわたしも最近行ってなかったし、久しぶりに梓ちゃんの歌も聴きたい。ということでカラオケ店に向かったのだけど、お店に入る前から今日はダメそうだなと思った。

 

「人やば多いじゃん……」

 

「夏休みだもんね」

 

「えっと……どうする? 時間どれくらいかかるか、一応お店の人に訊いてみる?」

 

「訊く前から答えは出てない? だって、お店の前にいる人たち、たぶん待ってる人だよ?」

 

「そ、それはそうだけど……」

 

「いやっ! わかんないし! もしかしたら団体なんかもしんないじゃん!」

 

「この人数が入れる部屋はパーティルームとかじゃないよ。ホールだよ」

 

「あはは……でも、訊いてみるだけ訊いてみようよ、寧音ちゃん」

 

 このカラオケ店はかなり規模が大きい部類だ。パーティルームはいくつかあったような気はするけど、さすがにホールまで備えていた記憶はない。というか待っている人たちは確実に同じグループの人じゃない。

 

 結果は見えているけれど一応訊いてみるようだ。由紀ちゃんは人波をかき分けてずんずんと進み、カウンターまで辿り着く。このお店の部屋数でお店の外まであふれるくらい人が待っているのだから、かなり望みは薄そうだ。

 

 店員さんに訊けば、予想通り部屋は満室だった。待ち時間は二時間から三時間。部屋が空く頃には中学生は追い出される時間になる。

 

「んー……店員さん、なんとかならん?」

 

「由紀ちゃん、店員さんを困らせない」

 

「そうだよ。待ってる人たちがいるんだから、今日は諦めて帰ろう?」

 

 どうあっても無理なのはわかるのに粘ろうとした由紀ちゃんをわたしと梓ちゃんでカウンターから引き剥がす。店員さんの引きつった苦笑いが忘れられない。ごめんなさい。

 

 外に出ようと扉に向かうと、同じタイミングで入ってくる人たちがいた。ぶつかりそうになったので、慌てて止まる。

 

 謝ろうとしたら、先に声をかけられた。

 

「あ、寧音さんたち」

 

「わぁっ、お兄さんっ?!」

 

 見上げれば、少しだけ目を見開いたお兄さんがいた。お兄さんはそこまで驚いた様子はなかったのに、わたしは声まで上げてしまった。恥ずかしい。

 

「おー! イケメンの(あん)ちゃんじゃん! 奇遇だし!」

 

 ついさっきまで不貞腐れていたのに、お兄さんを発見した途端に由紀ちゃんは元気になった。それどころか、たたたっ、と軽快にお兄さんに駆け寄って不躾にも肩をぺしぺしと触っている。なにしてるんだやめろ失礼だろ羨ましい。

 

「あれ? 寧音ちゃんたちカラオケきてたの? 入れ違いだね」

 

「あー、それがね、れー姉……」

 

「兄ちゃん。部屋埋まってっから入れないぞ。二時間から三時間待ちだってさ。さすがにそんな待てんし、ちょい早いけど帰ろっかって話してたんよ」

 

 お兄さんの後ろからひょこっと顔を出したれー姉にわたしが答えようとしたら、ボディタッチを繰り返している由紀ちゃんが先に言う。カラオケに入れなくて残念がっていたとは思えない満面の笑顔だ。クラスの男子が見てもきっと由紀ちゃんだと気付かないくらいに気が緩んだ表情をしている。懐きすぎでしょ。

 

「二時間から三時間……すっごいなぁ」

 

「ねぇ? やばいっしょ」

 

「ゆ、由紀ちゃんっ、寧音ちゃんのお姉さんにそんな口……」

 

 ゆー姉にもわたしたちと変わらない口調で話す由紀ちゃんの手を梓ちゃんが引っ張った。梓ちゃんの目は『相手は歳上なんだから敬語使ってよっ』と訴えている。雄弁な瞳だ。

 

 そんなに気にしなくてもいいのに。内心では思うところはあるかもしれないけど、ため口で話されたからといって語気を荒らげて怒るような姉ではない。

 

「あ、はは……いいよ、べつに。梓ちゃん、だっけ? 梓ちゃんも話しづらくなるくらいなら、敬語使わなくたっていいからね」

 

「ほら、梓。大丈夫って言ったっしょ。いい女は器が大きいんだって。余裕があっからちっさいことにこだわんないのよ」

 

「この子……いい子だ」

 

 そういえば由紀ちゃんはゆー姉とお兄さんが付き合っていると思い込んでいるんだった。だからすらすらと褒め言葉が出てくるのだろう。

 

 由紀ちゃんは相手を褒める言葉も相手を怒らせる言葉もすらすら言えちゃう子だ。裏表がない。それが長所になるか短所になるかはその時の状況次第。

 

「寧音さんたちもカラオケ入りたかったんだよね?」

 

 褒められたら気を許しちゃう姉の短絡さに呆れていると、お兄さんに訊ねられた。

 

「え? は、はい……そうです、けど……それが?」

 

「寧音さん、ちょっと待っててね。礼ちゃん」

 

 戸惑っているうちにお兄さんは歩き去ってしまった。なんだったのだろう。

 

「はーい、任せといて。……ここだと他のお客さんの邪魔になっちゃうし、端っこに寄ろっか。はい、寄って寄ってー。夢結ー」

 

「はいはい。由紀ちゃん、梓ちゃん、壁際に寄ってね」

 

 お兄さんとバトンタッチするように入れ替わったれー姉は、わたしたちをお店の動線から離れる位置まで誘導する。ゆー姉にも声をかけて、由紀ちゃんと梓ちゃんも移動させていた。

 

「映画どうだった? おもしろかった? 私も気にはなってたんだよね」

 

 端っこに寄って間髪を容れずにれー姉が切り出した。

 

 れー姉もああいう恋愛物に興味あるんだ。あの手の映画って、その時話題の俳優さんを起用して作られてたりするけど、れー姉は俳優さんとかには関心なんてないと思っていた。

 

「うん。おもしろかったよ。王道って感じがして。かっこいい人とかわいい人と美人な人しか出てこないし、画面映えはいいよね」

 

「いや、寧音……その言い方だとストーリーはそんなだったって言ってんのと同じだし」

 

 実際ストーリー展開は目を引くところはなかった。もう恋愛映画の設定や展開は出尽くした感がある。あまりに奇を(てら)うとターゲット層がぼやけるし、仕方ないところはあるけど。

 

「でもまぁ……実際そんなきゅんきゅんはなかったけど。映画の前に聞いた兄ちゃんと夢結の姉ちゃんの話のほうがきゅんきゅんしたくらい」

 

「うん……そっちの話のほうがインパクト大きかったもんね。ほんとに、なんだか物語みたいで、きらきらしてましたっ」

 

「や、やめて梓ちゃん……。そんな無垢な目であたしを見ないで……」

 

「あははっ」

 

「笑ってんな礼愛! もとはといえばあんたがおもしろがるからっ」

 

「あ、そういや礼愛お姉さんたちのほうはどうだったん? おもしろかったん?」

 

「っ……」

 

 由紀ちゃんがれー姉に劇場版アニメの話を訊いたら、なんでかゆー姉が妙な反応をした。なんなんだろ。

 

「うんっ! とってもよかったよ! 感動しちゃった! 由紀ちゃんは劇場版観る予定あるの?」

 

「梓に訊いてみたらおもろいって言うし、礼愛お姉さんたちもおもしろかったって言うし、そんじゃあうちも観てみよっかなーって気になってるとこ」

 

「おっ、そうなんだ? くふふ、それじゃああんまり私からは話さないほうがいいかなあ。ネタバレになっちゃうと楽しみ半減しちゃうしね」

 

「ちょっ、その言い方気になるし!」

 

「私から言えることは、放映版にしっかり目を通して劇場版を観るとより深く楽しめるよ、ってことだけかなあ?」

 

「気になるっ。梓、頼むわ」

 

 れー姉は好奇心をくすぐるような言い方で由紀ちゃんを乗せていた。うまいなぁ、そうやって言われたら気になってきちゃうもんなぁ。わたしも俄然劇場版を観たくなってきた。

 

「ふふっ。うん、あたしの家にきた時に一緒にしっかり観ようね。寧音ちゃんもね」

 

「うん。放映版観てから時間経ってるし、ちょこちょこ記憶抜けちゃってるかもしれないしね。れー姉がこんな言い方するんだから、予習しとかなきゃ」

 

「寧音は知ってたけど、梓ちゃんも放映版観てたの?」

 

 意表をつかれたような顔でゆー姉が梓ちゃんに問いかけた。

 

 梓ちゃんがアニメやマンガに詳しいと思ってなかったみたいだ。

 

 梓ちゃんは由紀ちゃんプロデュースでおしゃれなコーディネートをしているし、顔の作りはもともとかわいいし、そこからさらに由紀ちゃんが軽くメイクも施している。容姿だけならトップカーストの陽キャ女子だ。梓ちゃんのことも由紀ちゃんと同じようなタイプの子だとふつうは思うよね。アニメやマンガ、二次元沼にどっぷり浸かっているようには到底見えない。

 

 外見ではわからないで言うなら、由紀ちゃんを除いた全員がそうだけど。サブカル趣味持ちがここには揃っている。真の陽キャギャルは由紀ちゃんだけだ。

 

「は、はい。観ました……三、四周ほど」

 

「三、四周?! 二クールあるけど?!」

 

「観ました。観るたびに『ああ、ここはあの時の伏線になってたんだ』っていう新しい発見があって……」

 

「わかるっ! あれ気づいた? 主人公が家を出る時……」

 

「あ、わかりますっ。わかりますけど、由紀ちゃんはまだ観てないから言っちゃだめですっ」

 

「あっ、ごめんごめんっ」

 

「むー……。なんかうちだけはぶ(・・)みたいだし。礼愛お姉さんも寧音の姉ちゃんも観てんだなぁ……寧音も観てるっつってたし、梓からもオススメされてたし、うちもぜったい観る」

 

 自分だけ知らなくて話についていけないというのが寂しかったのか、少しいじけながら由紀ちゃんが言う。元気なところももちろんかわいいけど、いつも元気な分しょぼくれた由紀ちゃんもかわいい。ギャップがいいのだ。

 

 みんなで笑いながら由紀ちゃんを慰めていると、お兄さんが紙を手に持って戻ってきた。

 

「お待たせ。大丈夫だって」

 

「よかったあ。せっかく仲良くなれたのに、これでばいばいは寂しいもんね」

 

「え、え? どういう?」

 

「お兄さんはカラオケが混むことを予想して部屋予約してたんだって。それで店員さんに、予約してた人数から増えたけど、それでも入って大丈夫でしょうか、って聞いてくれたんだよ」

 

 ゆー姉が二人の会話を要約してくれた。なぜあの会話で伝わるんだ。よく読み解けるものだ。

 

 というか、え。それってつまり。

 

「そういうこと。よかったら一緒にどう?」

 

「え、えっ、えっ?! い、いいんですかっ?!」

 

「寧音さんたちがそれでも問題なければ、だけど」

 

「も、問題ないですっ! あ、ありゅ、あり、ありがとうございますっ!」

 

 なんということだろう。妄想すら超えた展開になった。手も声も震えている。ありがとうございます、ですら噛み噛みだ。

 

 お兄さんの歌を聴けるのか。れー姉が配信で絶賛していたお兄さんの歌を。同じ部屋という特等席で聴けるのか。どうしよう、すでに心臓が高鳴っている。

 

 おいおいおい、まじかよ。すいませんね田品ロロさん。お兄さんのコラボ相手にして名誉リスナーの地位を得た田品ロロさん。お兄さんとオフでカラオケに行こうとか画策していた田品ロロさん。あなたが切望していたお兄さんの歌声をわたしは一番近くで浴びさせてもらいます。一足先にわたしは天国()に行くぜ。

 

「マジ?! イケメンの兄ちゃんはやることまでイケメンじゃん! あんがと!」

 

「恥ずかしいからその呼び方だけはやめてほしいな……どういたしまして。梓さんも、大丈夫?」

 

「ぁっ、ぅっ、っ……っ!」

 

 お兄さんに確認を取られたけど、梓ちゃんは咄嗟に声が出てこない様子だった。

 

 致し方ない。好きなマンガのキャラに似てて好きな声優さんの声に似てるとなれば、推しの二乗みたいなものだ。時間をもらって幸せ空間に順応できたならコミュニケーションも取れるだろうけど、梓ちゃんには慣れるだけの時間が用意されていない。推しを目の前にすればオタクは平常心ではいられなくなるのだ。こうしてこくこくと頷いて意思表示できるようになっただけ、梓ちゃんはよくやっているほうだ。とってもがんばった。えらい。

 

「そっか。よかった。それじゃ部屋に行こうか」

 

 少しだけ成長できた梓ちゃんをお兄さんは笑顔で見届けて、あてがわれた部屋へと移動を促す。

 

「いぇーっ! 歌うぞーっ!」

 

 そんなお兄さんの腕を取り、由紀ちゃんは陽気に歩き出した。部屋の番号も聞いてないのに、どこに向かうつもりなのだろう。

 

 部屋の番号を知らない由紀ちゃんがなぜか先頭になり、お兄さん、梓ちゃんと並び、道幅の関係でわたしとゆー姉、れー姉が後ろに続く。

 

「まずいなぁ……アニソンとか以外だとまともに歌えるの限られるんだけど、あたし」

 

「べつに好きなの歌っていいんじゃない? 電波系以外なら。由紀ちゃんも気にしなさそうな子だったしね」

 

「まぁ、それもそっか。ほんと、寛容な子でよかったわ……」

 

「んー? なに? 由紀ちゃんがどうかした?」

 

 ゆー姉とれー姉が話しているところに混ざりに行く。由紀ちゃんの名前が聞こえたけど、どうかしたのかな。さすがに距離感や言葉遣いが目に余ったのかな。

 

「ああ、寧音ちゃん。あのね、お兄ちゃんも夢結も、由紀ちゃんはアニメとかマンガとか、そういうオタク文化に忌避感とか拒絶反応とかないのかなー、って心配してたんだよ」

 

「……まぁ、砕いて言えばそんなところかな」

 

「なにゆー姉の反応……煮え切らないなぁ。由紀ちゃんは自分から歩み寄ることはしないけど、極端にオタクを毛嫌いしてないよ? 由紀ちゃんと梓ちゃんは幼馴染なんだけど、昔から梓ちゃんがマンガとかアニメとか好きだから、梓ちゃんの部屋によく行く由紀ちゃんもある程度理解はあるみたい」

 

「はー……なんだ、そうだったんだ。そこまで気にしなくてもよかったんだ。なんかあたしとは違って本物のギャルっぽかったから、もっと否定的なのかと思ってたわ。オタク死すべし慈悲はない、みたいな感じで」

 

「あははっ、よかったよね。そういう子じゃなくて。お口は悪戯っ子だけど、根は真っ直ぐないい子みたいだし」

 

「れー姉は人を見る目があるよね! そうなんだよ、由紀ちゃんいい子なんだよ!」

 

「なんだ『れー姉()』って。なんで有り体にあたしを除外した」

 

「ゆー姉細かいなぁ……言葉の綾じゃん。由紀ちゃんはねー、ちょっと距離感バグってるとこあるし、考えたことがそのまま口から出がちだけど……その分変に気を遣わないでもいいし、ファッションにも詳しいからよく教えてもらったりしてるんだ。意外と面倒見もいいんだよ、由紀ちゃん」

 

「へえ、そうなんだ? 本当に意外かも。最初の印象だと、もっと女王様気質なのかと思ってたんだよね。お兄ちゃんに懐いてるとこ見てると、女王様っていうよりお転婆な王女様って感じだけど」

 

「あははっ、わかるそれ! わがまま言っても大抵のことは許されるけど、だめなことはしっかりだめって注意されてるとことか王女様とお付きの騎士みたいだわ! いいなぁいいなぁ、そういう設定もおいしいなぁ……」

 

「ゆー姉……きもい妄想だだ漏れなんだけど……」

 

「きもい言うな。これはあれだから。ブレインストーミングみたいなもんだから。自由な発想でイラストのアイデアを閃くトレーニング、みたいな。これも勉強なわけよ」

 

「そんな曲芸みたいな自己弁護ができるなんてゆー姉はほんとに頭が柔らかいなぁ……」

 

「褒めてないことはあんたの顔を見ればわかる」

 

「言葉と声でもわかってほしいところだね」

 

「生意気な妹だなこいつっ……」

 

「あははっ、二人は本当に仲がいいなあ」

 

「仲良くないよれー姉!」

 

「礼愛? よく見ろ? ただの小生意気なクソガキよ、こいつ」

 

 ころころとかわいく笑うれー姉に抗議していると、お兄さんが扉を開いているところが見えた。あの部屋のようだ。

 

 扉を開けて中に入ろうとしたら、お兄さんが扉を開いた状態で待ってくれていた。ごく自然に振る舞われる細やかな優しさにうれしくなる。

 

 舌を空回りさせながらお礼を言って中に入ると、わりと広めの部屋だった。六人で使ってもまだ少し余裕があるだろう。少なくとも、三人では広すぎる。

 

 まさか、お兄さんはわたしたちのことを誘う前提でこの部屋を予約していたというのか。わたしたちがカラオケに行くところまで行動を読んでいるなんて、お兄さんすごすぎる。

 

「私奥座るー!」

 

「それじゃ、あたしは礼愛の隣にしよっかな。寧音は私の隣でいいんじゃない?」

 

「う、うん。わかった」

 

 真っ先にれー姉が動いて席を確保し、れー姉に続くようにゆー姉も自分の席も決めていた。ゆー姉はわたしに隣に座るよう誘導してくる。どこに座ればいいんだろうと迷っていたので、こうして指示してくれるのは正直ありがたい。

 

「んじゃ梓は寧音の隣、うちは梓の隣の端っこね! うちカラオケきたらおしっこ近くなるんだよねー」

 

「こら由紀ちゃん! 女の子がそんなこと言わないの!」

 

「わはーっ、ごめんってば礼愛お姉さん!」

 

「由紀ちゃん……」

 

 わたしたちだけで行く時と言葉選びがなんにも変わらない由紀ちゃんに呆れつつ、大きな部屋にU字型に置かれているソファの真ん中付近に腰を下ろす。

 

 いざ座ってみて思ったけれど、考えようによってはわたしや梓ちゃんの位置って上座になるのでは。いいのかな、わたしたちが座ってても。

 

 わたしがきょろきょろあたふたしている間に、目の前のロングテーブルには手前側と奥側にマイクが置かれていたり、曲を予約するためのタッチパネル式の機械やフードメニューを注文するためのタブレット端末、飲み物や食べ物が載ってるメニューも、みんなが取りやすいように並べられていた。

 

 手際がいい。メニュー見たいなぁ、などと言う前どころか思う前に用意されている。

 

「フードメニューは好きなように注文していいからね。でも晩御飯もあるだろうから、食べ過ぎないようにだけ注意しようね」

 

「なんでもいいの?! いぇーっ! 兄ちゃん太っ腹! アルコールもいいの?」

 

「いいわけないよね。二十歳未満の飲酒は禁じられてます。そろそろ本当に悪いことばっかり言うその口、取っちゃうよ?」

 

「ちょっ、冗談じゃん! 本気にすんなし兄ちゃん!」

 

 由紀ちゃんはやんちゃな子だけど、悪い方向にやんちゃな子ではない。お酒も、もちろんタバコもやらない。やってる中で悪いことといったら、夜遅くまで遊んでいるくらいのものだ。

 

 なのでアルコール云々の話はお兄さんのツッコミ待ちみたいなところがある。

 

「いいよって言ったら本当に頼みそうだからなあ、由紀さんは。怪しい子がいるので改めて言っておくと、飲み物はソフトドリンクだけです。好きなように注文していいのはフードメニューだけです」

 

「もうっ、わかったってばーっ! さらしもんにすんなしっ!」

 

 迂闊な発言のせいでお兄さんに目をつけられていた。

 

 でもいじられて『やめてよー』って言ってるわりに、由紀ちゃんの表情は明るい。嫌がってたり、不快な感じの声でもない。もともとツッコミ待ちだったというのもあるけど、まるでお兄さんに構ってもらえるのがうれしいみたいに見える。犬なのかな。

 

「あははっ! だめだよー、由紀ちゃん。お兄ちゃんはこういうところすごく厳しいからね。そうだ、夢結、パーティプレート注文しといてよ。ほら、前きた時気になってたやつ!」

 

「ああ、二人で頼むには量が多そうで諦めたやつね。了解。お兄さん、いいですか?」

 

「確認取らなくて大丈夫だよ。寧音さんと梓さんも好きなもの頼んでね」

 

「ぴゃっ……は、はいっ、ありがとうございますっ」

 

 由紀ちゃんに向いていたお兄さんの目が急にこちらに向いた。油断していたせいで奇声を発するところだった。

 

「は、はい……」

 

「梓ちゃん、なに飲む?」

 

「えっと、あたしは……」

 

「それじゃ先に飲み物ぱぱっと注文しちゃいますね。はい、みんななに飲むか言ってってー」

 

「最初は私から歌うね。席順で歌ってこ!」

 

「食べ物はパーティプレートとみんなでつまめそうなデザート頼んでる。メニュー見て他にほしいのがあったら言ってね」

 

「ファミレスでもちょっと食べたし、それで十分かも? ありがと、ゆー姉」

 

「あいよ」

 

 飲み物とか歌う順番とか、こちらから言い出しづらいところをゆー姉とれー姉がぱぱっと手早く決めてくれた。

 

 れー姉がとても頼りになるのは知っていたけど、ゆー姉もここまで頼り甲斐があるなんて思わなかった。お兄さんがいるので気を張っているのか、それともわたしには見せていなかっただけで外では意外としっかりしていたのか。やるじゃんゆー姉。

 

「あー、あー。ちゃんと歌うの久しぶりだ、声出るかな? あー、よし! 一曲目行くよー!」

 

 最初に入れる曲はすでに決めていたようで、れー姉は端末を操作して一曲目を入れると端末をゆー姉の目の前のテーブルに置いた。

 

「きゃー、礼愛ー、歌姫ー」

 

 れー姉から回ってきた端末に目を落としながら、ゆー姉は感情のこもらない声で声援を送る。

 

「夢結やめて? プレッシャーがすごい。棒読みだし」

 

「いぇーっ! 礼愛お姉さんいぇーっ!」

 

「歌う前からテンション高い子もいるなあ!」

 

「あはは……由紀ちゃんは誰と行っても変わんないんだなぁ……」

 

「す、すごいよね……。あたしにはぜったいできないよ……」

 

 今日初めて会った人が多いこの環境下で盛り上げるような役回りを自ら担いに行くあたり、メンタルの強度が違う。気後れとかいう言葉はインプットされてないんだろうな。

 

 わたしは実姉と何度も会ったことのあるれー姉がいても、目の前に回ってきた曲入力用の端末を見ると緊張してどうにかなってしまいそうだ。

 

 歌う順番はれー姉が一番手、ゆー姉が二番手で、わたしは三番目に歌うことになる。もっともハードルの高い一番槍はれー姉が務めてくれたけど、三番目であっても緊張はする。お兄さんにわたしの歌を聴かせるなんて、緊張しないわけがない。こんな状態でわたし、声出るのか。

 

 でもわたし以上に梓ちゃんは緊張しているはずだ。部屋にいる人数の半分が初対面なのだ。人見知り属性を持っている梓ちゃんには精神的な負担が大きいだろう。

 

 最大限に照明を明るくしてもなお暗めのカラオケの部屋。そんな部屋の中でも梓ちゃんの顔色が悪いことがわかる。

 

 わたしが、梓ちゃんの緊張をほぐしてあげないと。

 

 そう意気込んでいるうちに、れー姉が入れた曲が始まった。最近動画共有プラットフォームで公開された、人気の音楽ユニットが出した歌だ。アップテンポでノリのいい曲だけど、キーの高低差が大きくて音程を合わせるのが難しそうな歌。

 

 自分の番がくるのは緊張するけど、それはそれとしてれー姉の生歌は初めて聴くのでわくわくしてしまう。

 

 イントロが流れて、れー姉がマイクを握る。

 

 すると、妙なタイミングでれー姉はちらりとわたしたちに一瞥を投げて、隣に座っていたお兄さんにぱちぱちと不自然な瞬きを送る。

 

 どんな意図があったのかわからないけれど、お兄さんはれー姉に慈しむような笑みを浮かべた。心臓がきゅぅって握り締められるような、そんな表情を見せたお兄さんはれー姉の頭に手を置いてぽんぽんと撫でて、席を立つ。

 

 由紀ちゃんや梓ちゃんは曲のタイトルとMVが流れているモニターを見ていたみたいで気づいていなかったが、不意打ち気味に見てしまったわたしはパニックだ。

 

 なんだ。なんなんだ。なんなんだ急に。てぇてぇが過ぎる。

 

 とても尊くて純粋な光景を盗み見てしまったような、そんな罪悪感すら覚える。二人は仕切りもない空間でやっているのだから盗み見るもなにもないんだけど、それでもなぜか見てしまったわたしが悪いような、目を背けなかったわたしが無神経だったんだと思い込んでしまうような感覚に襲われている。

 

 なんだこれ。よくわからないけど、とりあえずありがとうございます。

 

 席を立ったお兄さんは邪魔にならないように姿勢を低くしながらモニターの前を通り、U字のソファの反対側の席、由紀ちゃんの隣に腰を下ろした。

 

「お、兄ちゃんどしたん? うちらと喋りたかったん?」

 

「あはは、そうだね。みんなは歌う曲って何にするか決めたのかなって」

 

「うちはもう決まってっし! でも端末がまだ回ってこんのよね。寧音で止まってんの」

 

「あっ、ご、ごめん。ちょっと迷ってて……すぐ決めるから」

 

「まだ礼ちゃんの歌の途中だし大丈夫だよ。梓さんは?」

 

「ぁ、っ、あた、しは…………迷ってて……」

 

 端末を操作しながら、お兄さんの顔を覗き見る。明るいところで見るのもいいけど、影が差している表情もいい。

 

 お兄さんは少しだけ身を乗り出すように梓ちゃんの顔を見る。

 

 照明のあたり具合、なのだろう。梓ちゃんを見つめるお兄さんの瞳は吸い込まれそうになるほど綺麗なのに、どこか無機質で、心を見透かされそうな静かな迫力があった。

 

 姿勢を正したお兄さんは一拍置いて、口を開く。

 

「そうなんだね。ゆっくりでいいよ。そういえば映画館で別れたけど、その後ってどこか遊びに行ったりした?」

 

「えっと、映画観終わったあとは……ファミレスで感想言い合ったんだったかな?」

 

「その前にゲーセンな。うち二人にレースゲーでいじめられたし」

 

「えっ、梓さん、由紀さんのこといじめてたの?」

 

「ち、ちがっ。あれは……由紀ちゃんが勝手に壁に突っ込んでただけですっ。あたしたちが妨害アイテムを使う間もなく自分から壁にぶつかりにいってて……」

 

「そうだよね? あれは由紀ちゃんが自滅していっただけだもん」

 

「なんだか話が違うみたいだけど、由紀さん?」

 

「自滅って言うな! うち悪くないし! ハンドルが悪くて曲がれなかったんだし!」

 

「ハンドルがどうこうじゃなくて、由紀ちゃんはアクセルから足を離さないからそうなるんだよ……」

 

「ベタ踏みだもんね、由紀ちゃん」

 

「アクセル踏まなきゃ進まないじゃん! ちょ、兄ちゃん聞いて? 二人とも自分らはがんがん使ってんのに、うちにはドリフトのやり方とかも教えてくんなかったの。ひどくね?」

 

 由紀ちゃんからのタレコミに梓ちゃんは血相を変えてお兄さんに説明する。

 

「ち、ちがいますっ、お兄さんちがいますからね? 由紀ちゃんはまず、テクニックがどうとか以前の話だったんですっ。まっすぐ走れてない人にドリフトとかショトカなんてふつう教えませんよね? まずはまっすぐ走れるようになるまで待つと思うんです。あたしは由紀ちゃんを待ってたんです」

 

「待っててもこなかったみたいな言い方やめてくんね?! 最後のレースは寧音の後ろにつけてたし!」

 

「それは……ドリフトも知ってるのに遅い寧音ちゃんが悪いかな……」

 

「わぁっ! わたしにまでトゲが飛んできた!」

 

「あははっ、とても楽しかったみたいだね。僕もレースゲームすればよかったな」

 

「ん? 兄ちゃんもゲーセン行ってたん?」

 

「うん。僕たちのほうもゲームセンター行って、僕はガンシューティングとクレーンゲームやったんだ」

 

「えっ?! お兄さんがガンシューやってたんですか?!」

 

「そう。初めてやったんだけど、操作がわからなくて大変だったよ。銃にセーフティ以外にスイッチがついているだなんて思わなくて気づかなかった。それでも十分面白かったけどね」

 

 お兄さんがガンシューティングをやってただなんて、それはぜひ見たかった。

 

 銃を構えて敵を撃っているお兄さんは抜群にかっこよかったはずだ。ゆー姉、写真なり動画なり残してくれてたりしないかな。

 

「クレーンゲーム……ふふっ」

 

「梓さん、クレーンゲームがどうかしたの?」

 

「あっ……えと、クレーンゲームで大きなぬいぐるみがあって、ほしいなって思ってやってみたんですけど、やっぱり難しくて……。そしたらその後に行ったファミレスで、由紀ちゃんがっ、ふふっ……」

 

「ん? ああっ! たははっ、あれか! 兄ちゃん聞いて聞いて? クレーンゲームのアームがめちゃ弱くてさ、うちが『アーム弱すぎっしょ。じいちゃんばあちゃんの肩でも揉んでんのかよ』ってグチったら、梓飲んでた紅茶噴き出してたの。まじウケた」

 

「ふふっ、くっ……あははっ」

 

「だって、由紀ちゃんが怒った顔しながらわけわかんないこと言うからっ……」

 

「あれおもしろかったねっ、ふふっ。しかもね、お兄さんっ。その後、店員さんからそっと台拭きとおしぼり追加でもらったの。ばっちり店員さんに見られてたみたいで」

 

「すごく恥ずかしかったっ……」

 

「でも見てるうちらはめちゃおもろかったし」

 

「うん。めちゃくちゃ笑ったよ」

 

「ひどいっ」

 

「ふふっ、くくっ……とても、っ、とても楽しくお喋りしてたんだね」

 

「兄ちゃんっ、半笑いっ。たははっ」

 

「うぅ……」

 

「ごめんごめん。でも、だいたい行くところとかやることとか、僕らとそれほど違いはないみたいだね」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。僕らはファミレスじゃなかったけど、喫茶店で映画の感想とか言い合って、それからゲームセンターに行ったんだ。そこからカラオケっていう流れだったね。ほとんど同じだよ」

 

「へー。高校生もそこまで変わんないんだ」

 

 意外とでも言いたげな表情で、由紀ちゃんが呟く。

 

 由紀ちゃんのその言葉を聞いて、少し離れた位置に座るわたしや梓ちゃんにも聞こえるように、お兄さんは再び体を傾けた。

 

「そうだね。カラオケ行きたいって思うところまで同じわけだし、中学生も高校生も梓さんが思ってるほど大きな差はないんだよ。だから梓さんには、あんまり気にしないで好きに歌ってほしいな。寧音さんもね。楽しく歌ってるところを見れたらそれだけで僕は楽しいし、きっとみんなも楽しいよ」

 

 そう言って、お兄さんはわたしたちに微笑みかけてくれた。

 

 そうか、お兄さんがこちらのわざわざこっち側の席に移動してきたのは、緊張していたわたしと梓ちゃんをリラックスさせるためだったのか。それもそうか。お兄さんなら自分が近くにいないほうが落ち着けるだろう、とかって考えそうだし、あえてこっちに座る理由はない。

 

 気配りはもちろんうれしい。気にかけてくれてるんだなってことがわかるだけで、それだけでもうれしい。

 

 でもそれ以上にわたしたちに合わせてリラックスさせようとしてくれたのが、なにより胸に響く。

 

 梓ちゃんは誰かと一緒、誰かと同じっていうことに安心するタイプだ。わたしはこの部屋のメンツがどうこうというよりも、お兄さんに自分の歌を聴かせるなんて恐れ多いという気持ちから緊張していた。

 

 今日初めてあった人の性格なんて、ふつうわからない。それでもお兄さんは、どうやったら楽しい時間を過ごしてくれるかなと気遣ってくれて、よく観察して、たくさん考えて、わたしたちがどう思っているか、なんで緊張しているかを読み解いてくれたのだ。それがなによりも、心を揺さぶる。

 

「っ……は、はいっ、わかりましたっ」

 

「ありがとうございますっ。寧音ちゃん、寧音ちゃんのお姉さんの歌、もうすぐ終わるよ」

 

「あっ、ま、まずいっ……はやく入れとかなきゃ」

 

 お兄さんとの話に夢中で、端末を膝に乗せてそのままだった。

 

 歌いたい曲は思い浮かんでいるので曲名から検索をかける。

 

「っ?!」

 

 似た曲名が並ぶ検索一覧から目当ての曲を探していたら、隣から息を呑むような、心底驚いたような、あるいは絶句したような声がした。梓ちゃんだ。

 

 目をまん丸にした梓ちゃんの視線を辿ると、なんかお兄さんにばかほど密着している由紀ちゃんがいた。

 

 わたしたちにちゃんと聞こえるよう話すために前のめりになっていたお兄さんの首に、下から回すように由紀ちゃんは手を伸ばし、お兄さんの頭を引き寄せていた。お兄さんの側頭部に顔をくっつけるような、そんな近さだった。由紀ちゃんは距離感が絶対的におかしいけど、これまでの距離感とは確実にステージの違う近さだった。

 

「っ? っ??」

 

 声が出なかった梓ちゃんの気持ちが、今わたしはとても共感できる。一から十までわけがわからない混乱の極致に至ると、言語が飛ぶ。

 

 わたしの脳内がクエスチョンマークでひしめいている間に、由紀ちゃんはするりとお兄さんから離れる。今まで見たことのない表情で笑みを浮かべ、手の甲でぽんっ、とお兄さんの胸元を叩いた。

 

 言語機能がとっ散らかったままでもいいから、由紀ちゃんになにしてんだお前はと詰問したかったけれど、絶妙なタイミングで妨害が入った。

 

 こん、こん、と扉を叩く音のあと、がちゃりと重い音で扉が開かれる。

 

 ゆー姉が注文してくれた飲み物などを店員さんが運んできてくれたのだ。

 

 お兄さんは立ち上がって店員さんから受け取る。量が多かったからか、店員さんはカートで運んできていた。店員さんは勝手に閉まろうとする扉を足で押さえながらカートからお兄さんに手渡し、お兄さんは店員さんから受け取ってテーブルに並べるという分担作業をしていた。

 

 誰に対してもお兄さんは対応が変わらないようだ。お客さんなのに、なんならこの場で一番の年長者なのに、率先して動いている。なにやってんだ年少者三人は。

 

 飲み物はお兄さんとれー姉だけは同じだったけれど、それ以外はみんな違っていた。なのに一度も『これ誰の?』などと訊ねることなく、お兄さんは頼んだ人の近くに頼まれた飲み物を置いていく。注文を取りまとめたゆー姉ならともかく、なんでお兄さんが憶えているんだ。その時お兄さんははれー姉と話していたはずなのに。

 

「っ、ゆっ……」

 

「寧音。はい、マイク」

 

「っ、あ、ありがと、ゆー姉……」

 

「ん? うん、どういたしまして。由紀ちゃんも梓ちゃんも、適当につまんじゃっていいからね」

 

「いただきまぁーっす!」

 

「い、いただきますっ」

 

 店員さんが出て行ったので話を戻そうかと思ったら、出鼻をくじかれる形でゆー姉からマイクが回ってきた。

 

 自分の歌の番が回ってきてしまった。結局由紀ちゃんを詰めることはできなかったけど、むしゃくしゃした感情を乗せて歌ったことで緊張を一切感じずにいられた。

 



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わたしはどうやらここまでのようだ。

歌っているところは書かないと言ったな。あれは嘘だ。

こういう感じなら間に合うかなと思って休みを使って書いてみたら間に合ったので書き足しました。その分今回は長くなってしまいました。
ただ書いてみたはいいんですけど、求められているものがこういう形なのかはわかりません。楽しんでもらえるといいんですが。


 

 ロックバンドグループのバイブスが上がる名曲をお兄さんが歌って全身の血液が沸騰したり、お兄さんとれー姉の尊いが過ぎるデュエットを聴いたり、れー姉とゆー姉の息も声も合ったデュエットを聴いたり、ゆー姉と梓ちゃんのアニソンに合いの手を入れたり、わたしと由紀ちゃんと梓ちゃんでマイクを回しながら一緒に歌ったりもした。

 

 部屋を出なきゃいけない時間までもうそろそろ。あと二人は回らないな、次がラストの一曲だな、というタイミングで狙い澄ましたかのようにお兄さんにアンカーのバトンが渡された。

 

 最後にお兄さんの歌で〆る。どんな運命だ最高かよこれだけで神の存在を信じてもいい。

 

「お兄ちゃん、なに歌うの? 『誓い歌』?」

 

「最後の一曲で、しかもこの部屋でラブソングっていうのも、ね?」

 

「えー! うち兄ちゃんの『誓い歌』聴きたーい!」

 

「うーん……以前人前で歌ってみたらとんでもないことになったから、なるべくなら控えたいかなあ、って」

 

 『誓い歌』は、れー姉が配信でもしばしば『お兄ちゃんに歌ってもらったんだー』とリスナーに自慢している珠玉のラブソングだ。

 

 それが直に聴けるのであれば是非とも聴いてみたい思いはあるけれど、直接聴いてしまった場合ときめきすぎて心臓が活動を停止する恐れがある。

 

 この部屋には中学生の女の子がいるんです。由紀ちゃんはともかく、お兄さんを推してるわたしと、お兄さんのことを推しも同然の認識をしている梓ちゃんがいるんです。心臓に負荷がかかる行為はちょっとまずいです。

 

「あ、そうだ。お兄ちゃんあれは? 『青色花火』。音楽番組で流れてた時にこの曲いいねって言ってたよね?」

 

「そうだね、何度か聴いたしそれにしようかな。果たしてラストの曲に相応しいかはわからないけど……失恋ソングだし」

 

「そんなの言い出したらどの曲ならふさわしいのって話になるでしょ」

 

「そうじゃんそうじゃん礼愛姉の言う通りだし! テンション上げて終わってもしっとり終わってもそれはそれでいいっしょ!」

 

「まあ、それもそうか。というか、最後に歌う人って本当に僕でいいの? 歌いたい人がいるならその人に……」

 

「いやなに言ってるんですかお兄さん。最後に歌うのならお兄さん以外にいませんよ。お兄さんを押し退けて自分が歌う、なんて言える人間はここにはいません」

 

 わたしが言おうとしたことをぜんぶゆー姉が代弁してくれた。わたしも、隣の梓ちゃんも二人して同じようにこくこくと頷く。

 

 一曲目に歌っていた男性三人組ロックバンドの夏らしいアップテンポな歌もそうだし、れー姉とデュエットで歌ってた恋人同士の痴話喧嘩を綴ったような二曲目も、ゆー姉と梓ちゃんのリクエストによるアニメ主題歌の三曲目も、どれも半端ではない歌唱力で歌い上げてくれた。

 

 そんなお兄さんを差し置いて自分が歌おうというような自信家はこの部屋にはいないのだ。

 

「そ、そうなんだ……それじゃあ僕が歌わせてもらうね」

 

 お兄さんがゆー姉と話している間にれー姉は端末で曲を入れていたみたいだ。メロディが流れ始めた。

 

「ほい、(あん)ちゃん。ばっち歌ってね!」

 

「期待が重いけど……うん、ありがとう。由紀さん」

 

 一曲前に歌っていた由紀ちゃんからお兄さんはテーブル越しにマイクを受け取った。

 

 マイクを握り、大きく息を吸って一度目を(つぶ)る。再び目を開いたころには、まるで別人なんじゃないかと錯覚するくらいに雰囲気が変わっていた。

 

「『「今夜の花火大会、一緒に見に行かない?」溢れそうな不安、押し殺して君を誘った』」

 

 ディスプレイに表示される歌詞を見ながら、お兄さんは歌い始めた。

 

「『乗り気じゃない、顔見ればわかった。叶わない恋、前からわかってた』」

 

 眉を曇らせて、裏側に大きな悲しみを隠しながらも表面上は平気そうに振る舞うように歌う。

 

 歌はまだ始まったばかり、まだAメロなのに、お兄さんのその表情と声でわたしはすでにうるっときてる。

 

「『君の好きな人は僕の親友で、君がどれだけ、惹かれてるかも知ってるよ。わかっていたけど諦められなくて、君が街を出る前、これが最後のチャンス。自分に言い聞かせて、君の手を引いた』」

 

 この歌は、悲恋の歌だ。長い間好意を寄せていた人と少しずつ仲を深めていたはずなのに、いつの間にか親友と付き合っていて、自分の手の届かないところへ行こうとしている。もう手遅れなのはわかっているけど、最後に想いを伝えようとする歌。

 

 こういった失恋や悲恋を、お兄さんは経験したことがあるんだろうか。そんな経験はないんじゃないかってわたしは思う。お兄さんが振る側ならともかく、振られる側というのは想像がつかない。

 

 想いが実らなかったことなんてなさそうなのに、なのにどうして、お兄さんの歌声はこんなにも胸を締めつけるんだろう。

 

「『夜空に咲いた大輪の花は、赤、黄、緑、天を仰ぐ人たちの笑顔彩って。綺麗だねって呟く僕に、そうだねって答えた君の、俯いた顔照らす青色花火。今夜散った愛色花火』」

 

 まだ一サビの終わり。これで終わりなわけじゃない。これで終わりなわけがない。この歌はラストの大サビが一番涙腺に響く。

 

 言うなれば、今はジェットコースターの落ちる前だ。まだ上がっている途中だ。

 

「っ……」

 

 なのにもう、わたしは泣きそうになっている。お兄さんの顔がぼやけてちゃんと見えないくらい涙が溜まっている。

 

 やだ。いやだ。ちゃんと見ていたいんだ。目に焼きつけておきたい。配信でもまだ歌ったことのないお兄さんの生歌を聴く機会なんて今後あるなんて思えない。この記憶が決して薄れないように脳みそに刻みつけておきたい。

 

「『閉店まで飲み明かしたこともあったね、飲みすぎた君を家まで送ったっけ。映画を観に行ったこともあったね、お洒落なカフェにも詳しくなったよ。オールでカラオケとか数え切れないし、二人で買い物も何度行ったかわからない』」

 

 ああ、ずるい。この歌はPVも刺さるんだ。

 

 この歌『青色花火』が話題になったのは動画共有プラットフォームからだった。曲も歌詞もさることながら、PVが胸にぐさぐさ刺さるとバズった。

 

 サビでは花火大会に『君』と一緒に行っているシーンが流れていた。今は、アルバムを開いて懐かしむように、『君』との思い出を振り返っている。

 

 楽しかった時の二人の出来事を思い出しているシーンだからか、お兄さんの声も強がって無理をしてるような明るさで。それがなおさら、胸が痛い。

 

「『今君は僕の隣にいるのに、でも君の心に僕はいないんだ。一緒に過ごした時間って、なんだったんだろう。君にとって僕って、なんだったの?』」

 

 こんなにもたくさんの楽しい出来事があった。こんなにも一緒にいたのに、どうして僕じゃなかったんだろうと。切実に叫んで、悲痛に押し殺した。それでもわずかに口からこぼれてしまったような非難。

 

 歌声から、それらの言葉にしづらい感情が伝わってくる。そういう感情が、お兄さんの声には込められている。

 

「『僕の暗い人生を、鮮やかに彩った君色花火。ぱっと咲いて今夜散った、また独りに戻る灰色花火』」

 

 二サビが終わり、残るはCメロと大サビ。

 

 だめだ。耐えられる気がしない。心を一番揺さぶってくるのはここからなのに、もうわたしはいっぱいいっぱいだ。

 

 瞬きしたら涙がこぼれるのを確信している。ハンカチはバッグの中だ。取れない。鼻の奥のほうが沁みるようにつんと痛い。

 

 この際、紙ナプキンとかおしぼりでもいいやって思って、涙がこぼれないようになるべく顔を下に向けないようにして探していると、視界の端になにかが落ちたような気がした。隣に座る梓ちゃんをちらと盗み見る。

 

「っ……んくっ、すんっ……ぐすっ」

 

 ぽろぽろと、梓ちゃんは大粒の涙を滴らせていた。感受性豊かな梓ちゃんにはお兄さんの歌は効きすぎてしまっているようだ。

 

 心配しないでほしい。わたしもすぐにあとを追うことになる。

 

「『ぬるくなったビールには手をつけず、トマト嫌いなのに頼むカプレーゼ、好きな映画はラブロマンスとスプラッタ、ココアパウダー振ったカプチーノ、影響されて好きになったVOCALOID(ボカロ)、計画性のないショッピング、誕生日は八月二十日、君とのすべてが忘れられないけど』」

 

 Cメロに入って、Bメロで出てきたアルバムから一枚、また一枚と思い出の写真がひらりひらりと落ちていく。Bメロの時は静止画だった思い出がCメロでは動画になっているという演出がされている。

 

 動画みたいに枠の中で動いている思い出の写真がひらひらと舞いながらごみ箱に落ちていく。

 

「『クリスマスに作ったチーズケーキ、バレンタインで渡したガトーショコラ。今考えればわかるんだけどな、気がないことはわかってたのにな』」

 

 Bメロの時はアルバムを開いて懐かしむだけだった。これからもどうにかこんな日々を過ごせないかなと期待していた。

 

 なのにCメロでは、そのアルバムに入っていた写真を捨てている。もう内心では諦めてしまっているという心理描写だった。

 

 それを反映させるようにお兄さんの声色も悲愴なものになっていく。

 

 否応もなくわたしの心はぐちゃぐちゃに踏み潰される。

 

「『夜空に咲いた大輪の花は、赤、黄、緑、天を仰ぐ人たちの笑顔彩って。綺麗だねって呟く僕に、そうだねって答えた君の、右手には青く光るスマホ、映ってるのは『あいつ』の寝顔』」

 

 Aメロの時には映されていなかった、俯いていた『君』の手元。

 

 周りの人たちは見上げた顔が花火の色で鮮やかに彩られているのに、俯いている『君』が青色に照らされているのは『あいつ』との写真を表示しているスマホを見ているから。

 

「『年に一度の打ち上げ花火より、隣に立つ僕なんかより、俯いた君を笑顔にするのは、青く光る『あいつ』との写真か』」

 

 一緒に花火を観にきてるのに、横に『僕』がいるのに、『君』はいつでも見れる『あいつ』の写真を見て微笑んでいる。

 

 そのことに馬鹿にされたと怒るでもなく、『あいつ』へ嫉妬するでもなく、ただ『君』にとって『僕』は心の隅にも置いていないような存在なんだと知って悲しんでいる。

 

 かすかに顔を覗かせる独占欲や、もうどうにもできないんだなというような寂しげな諦念、最後に少しだけでもいいから振り向いてほしい恋心、もっと自分が押していたら結果は違っていたのかなという後悔も、その声はたしかに持っている。お兄さんの歌声にはすべてが乗っている。

 

「『わかってた、知っていた、僕なんかじゃ、ダメだって。それでも今日は、せめて今日だけは、僕を見ててよ、僕だけ見ててよ。……そんなこと、言えないや……。夜空に咲いた、大輪の花。今夜散った、愛色花火。せめて最後は、幸あれと祈るよ。君と『あいつ』の、青色花火』」

 

 この『僕』は『君』のことがとても大事で、とても大切で、『あいつ』のことは恨んでいても嫉妬していてもおかしくないのに、それでも最後は二人の幸せを願ってしまうような、そんな優しい『僕』。

 

 もちろん『君』に対しても『あいつ』に対してもいろんな想いがあった。絶対にポジティブな感情だけじゃなかった。それでも最後にはすべて呑み込んで二人の幸せを祈った。

 

 そんな相反するような感情も、白と黒では区別できない複雑な感情も、お兄さんは表現していた。

 

 叫ぶように、がなるように、声を震わせて振り絞るように。心の奥深くにまで突き刺さるくらい、表現していた。

 

 どうしてこんなにも感情豊かに歌えるのかわからない。

 

 一曲目ももちろん上手だったけど、一曲目はここまで痛切なほどには感情は乗っていなかった。

 

 この『青色花火』だけ、痛々しいまでに感情が込められていた。それはもう、聴いているこちらの感情がぐちゃぐちゃになるくらいに。

 

 気付けば、拭うこともできずに頬を伝って涙の雫が落ちていた。

 

 お兄さんの歌の余韻を味わいたい。その気持ちはとても強くある。でもこんな顔をお兄さんに見せられるわけがなかった。

 

 ゆー姉にこの場をどうにかしといてとお願いして、わたしと梓ちゃんは由紀ちゃんの手を借りながら部屋を出て、化粧室へと避難した。

 

 

 こうして、わたし史上最高のカラオケは終わった。

 

 本当に、この上なく幸せな時間だった。

 

 まるでライブに行った後のようなふわふわとした夢見心地に浸っていて、こんなのお金払わずに帰っていいわけがないと思った。

 

 でもお兄さんはわたしからお金を渡されても絶対に受け取りはしない。そのくらいはわたしでもわかってた。

 

 だからせめてお会計はわたしがしよう。

 

 そう思っていたのに。

 

「すいません、お兄さん。お会計まで……」

 

「僕から誘わせてもらったんだから、ここは払わせてもらわないとね」

 

 結局お兄さんが支払いを持ってくれた。わたしもこそこそと機は窺ったけど、お兄さんに隙はなかった。守りが堅すぎる。

 

 なんなられー姉に、例のアイコンタクトでみんなを外に連れ出すように指示していた。気を遣わせないようにという配慮まで施されていた。あまりにも如才ない。

 

 お会計の順番を待つ間に、お兄さんは歌もダンスも褒めてくれた。ダンスに関しては由紀ちゃんに無茶振りされただけなんだけど、お兄さんからたくさんかわいいと褒めてもらえたのでプラスマイナスで言えば大幅にプラスだ。顔から火が出るどころか体に火がついたような羞恥心を味わわされたけれど、直接かわいいと言ってもらえる対価だと考えれば安いもの。歌もダンスも本気でやりきっただけの甲斐はあった。

 

 お会計も終わり、お店の外で待っているゆー姉たちに合流しようと外に体を向けたけれど、お兄さんはこちらを向いた。

 

「あ、そうだ。僕、寧音さんに言いたいことがあったんだ」

 

 そう言って、お兄さんはわたしとの距離を詰めてくる。

 

「え? えっ? な、なんっ……です?」

 

 あまりにも躊躇いなく近づいてくるお兄さんに驚いて後ろに退がろうとするも、すぐに背中が壁についた。これ以上後ろに行けないってなってもお兄さんは接近し続け、体の一部すら接触していないのが逆に不思議なくらいの距離でようやく止まった。

 

 同時にわたしの思考能力も止まった。息も止まりかけた。どういう状況だ、これは。

 

「手描き切り抜きのこと、まだ直接お礼言えてなかったから。寧音さんもとても忙しいのに引き受けてくれて、本当にありがとう」

 

 誰かに聞かれたくなかったみたいだし耳元で声を潜めて話したかったのだろうけれど、身長差がありすぎた。お兄さんはわたしの頭のすぐ上に口を寄せて囁いた。

 

 鼻腔をくすぐるお兄さんの清涼感のある香りと、耳から入って脳を侵すようなウィスパーボイス。視界がお兄さんの胸元で埋め尽くされている分、余計にほかの感覚に意識が集中してしまった。

 

「ぴゃっ……ぃ、いえっ。ま、前に、通話でお礼言ってもらってますから、そんなの、ぜんぜんっ……ち、近っ」

 

 近い、近いのだ。離れてもらわないと、本当にそろそろ呼吸が怪しくなってくる。頭の中で考えていることが千々に散って溶けていく。言葉がまとまらない。もやもやとして不明瞭な頭の中で、お兄さんの声と心臓の拍動だけが鳴り響いている。

 

「直接顔を合わせられる距離にいるのに通話だけっていうのも、なんだかなって思って」

 

「ぜんぜん、気にしないでもっ、ぁいっ……。あん、あ、あふっ……あんなの、ファンからすれば趣味だからっ……だいじょぶれす」

 

 お兄さんの話している内容も今ひとつ理解が追いついていない。耳から注入された甘美な毒が脳を弛緩させる。耐え難いのに心地のいいぴりぴりとした痺れは耳と頭を蹂躙し、背筋に沿って全身へと回っていった。

 

「ふふっ、夢結さんと同じようなこと言ってる。姉妹だなあ。こうやってお礼を言うのも僕の自己満足かもね。ごめんね」

 

「はっ、んぁっ、ぃっ……いえっ、感謝っ、は……だいじだし、だいじなことだと思い、ます……」

 

 指の一本も、髪の一本も、お兄さんとは触れ合っていない。体温さえ届きそうな距離にいるのに、直接触れることはない。

 

 そんな時に、お兄さんが小さく笑みをこぼして、吐息がわたしの頭を撫でた。

 

 瞬間、ぱちっと火花が散るように視界の端が白く飛ぶ。背を走る電流と、内臓が持ち上がるような形容し難い感覚に襲われる。比喩でもなんでもなく、本当に一瞬息が止まった。

 

 もはやお兄さんと会話ができている気がしない。ぎりぎり脳みそまで届いた単語に対して、その場しのぎの言葉を装飾して返しているだけだ。

 

「寧音さんにとってはどうってことないかもしれないけど、僕にとってはとても嬉しいことで、なによりとても助かったんだ。だから僕にできることがあったらなんでも言ってね。お返しさせてほしいから」

 

「っ、ぁっ……だっ! っ……は、ぃ。あぃがとう、ごじゃしゃすっ……っ」

 

 『僕にできることがあったらなんでも言ってね』という言葉を頭で認識したその時には、わたしの意思を介する間もなく口が私欲にまみれた欲望を声に出そうとしていた。

 

 なけなしの理性を必死で掻き集めて抑え込む。

 

 お兄さんの優しさは知っている。義理堅いのも、慈悲深いのも、よく知っている。

 

 でも、あまりにも不注意がすぎる。考えがなさすぎる。その発言がどれだけ人の良心を試しているのか、お兄さんはまるで理解していない。

 

 きっと大抵のお願いならお兄さんは笑みを湛えながら快諾するのだろうけれど、してしまうのだろうけれど、だがしかしこれはそういう話ではないのだ。

 

 推しにささやかなお願いを聞いて欲しいという願望と、推しに邪な欲望をぶつけたくないという良心のせめぎ合いがオタクの心の中で勃発していることを、お兄さんには理解してもらいたい。

 

 迂闊な発言は控えてほしい。あと不用意な接近も避けてほしい。オタクにはオタクの矜持と葛藤がある。魔が差したらどうするんだ。

 

「あははっ、なんで寧音さんがありがとうなの? 僕がありがとうって感謝する立場なのに。それじゃみんなのとこ行こうか。待たせちゃってるしね」

 

「……ぁぃ」

 

 声を潜めなければいけない話が終われば、こうして身を寄せる必要もない。

 

 お兄さんがわたしから離れる。

 

 出口に向かおうとするお兄さんを追おうとするも、わたしの足は言うことを聞いてくれない。

 

 幸せの許容量を超えてしまったのだ。足ががくがくしている。膝が笑っている。おそらく誰も(れー姉以外は)聞いたことのないお兄さんの至福の生ASMRを脳髄に直で流し込まれたのだから当然だ。

 

 一歩でも足を踏み出せば、その場でかくんと膝を折って床にへたり込む自信がある。顔も、のぼせたみたいに熱い。だらしない表情をしてそうなのでお兄さんの顔も見れない。

 

 わたしはどうやらここまでのようだ。お兄さん、わたしのことは気にせず先に行ってくれ。

 

「調子が戻るまでどうぞ。僕の手でよければ、だけど」

 

 お兄さんが手を差し出してくれた。

 

「ありがと、ございます……」

 

 推しに文字通りの意味で手を(わずら)わせるなんてオタクとしてもファンとしてもあるまじき行いだけど、とてもうれしかった。

 

 大きな手のひらに、わたしの手を乗せる。本当に触れていいのか、このまま握ってしまってもいいのかとおっかなびっくりだったわたしの手を、お兄さんは包み込むように握ってくれた。

 

 その大きな手は少しひんやりしていて、火照って熱く感じていたわたしにはとても心地よかった。

 

 

 

 *

 

 

 

「ん……ふぁ、あふっ……」

 

 カラオケ店の前で由紀ちゃんと梓ちゃんとは別れ、わたしはお兄さんの車で送ってもらっていた。

 

 ちょうどいい車内の温度と、お兄さんの丁寧な運転によって最小限に抑えられている揺れ。抱き枕みたいになっている大きなぬいぐるみ。今日一日はしゃぎすぎた疲労が一気にきた。

 

 (まぶた)が重い。あくびがこぼれた。

 

「ん? ……ふふっ。寧音さん、疲れた?」

 

「んっ?! ご、ごめんなさいっ」

 

 油断していた。完全に気が(ゆる)んでいた。ぬいぐるみを両手で抱っこしているので口も押さえていなかった。恥ずかしい。

 

「あははっ、何に謝ってるの寧音さんは。そこまで時間はかからないと思うけど、お家に着くまで寝ててもいいよ?」

 

「い、いえっ、だいじょぶですっ」

 

 家まで送ってもらっているのに一人だけ寝こけるなんてできない。それにせっかくお兄さんの車に乗せてもらっているんだ。運転している姿を目に焼きつけておきたい。

 

「寧音ちゃん寝てたら? お家着いたら起こしてあげるよ。ほら、どうぞ?」

 

 隣のれー姉が肩をぽんぽんと叩きながら勧めてくる。

 

 わざわざ肩にかからないように、れー姉は綺麗な黒髪を耳にかけたり、反対側に流してくれていた。車には酔わなくてもれー姉の色香に酔わされそうだった。かっこいい。

 

「れ、れー姉っ、大丈夫だよっ! もう起きたっ」

 

「えー、そう? 歳下の女の子に肩貸すの、憧れだったんだけどなあ」

 

「礼愛あんたそれ、後輩の前で言っちゃだめだからね」

 

「なんでよ。いいでしょべつに。まあ、肩貸すなんて機会はそうそうないけどさ」

 

 れー姉とゆー姉がわたしの頭上を飛び越えて言葉のキャッチボールをしていた。

 

 ふと思ったけど、どうしてわたしが真ん中なんだろう。

 

 車に乗り込む時にれー姉に言われるがまま乗ったからなにも疑問に感じていなかった。よく考えるとわたしが後部座席の真ん中に座ってるのっておかしいよね。

 

「そうだ、寧音さん。後からメッセージで伝えようと思ってたけど、ちょうどいいから今言っとくね」

 

「え? なんです?」

 

「映画館でまるで僕と夢結さんが付き合っているみたいな話をしちゃったんだけど、あれ誤解なんだよね。ごめんね」

 

「ですよねぇぇっ?!」

 

 よかった。やっぱりゆー姉がお兄さんと付き合ってるなんて非現実的で非科学的な現象は発生してなかったんだ。

 

 薄々あれは嘘なんじゃないかなとは思っていたのだ。あのゆー姉がお兄さんと奇跡的に付き合えたとして、あんなにふだんの生活に変化がないなんておかしいし、お兄さんが話していた付き合うに至るまでの話にも不可解な点が散見されていた。

 

 わたしは最初から気づいていた。でもそれはそれとして神様ありがとう。

 

「声でっか……寧音うるさいって」

 

「あははっ! あれかあ! ふっ……くふふっ、あははっ」

 

「礼愛は笑いすぎでしょ……。あの時あたしがどれだけ焦ってたか……」

 

「でもどうしてあんな……付き合ってる、だなんて嘘を?」

 

「最初は付き合ってるって装うつもりはなかったんだ。僕が由紀さんの質問を勘違いしちゃったところが元凶だね。『二人って……』って訊かれた時に『アニメとか好きなの?』みたいな質問が飛んでくると思っちゃって。だから『僕から強引に夢結さんを誘って映画に付き合ってもらったんだよ』みたいに伝えるつもりだったんだけど、ちょっと僕の言葉が足りなくなっちゃって、でもなぜか会話がうまく噛み合っちゃって勘違いさせちゃったんだ。ごめんね」

 

 お兄さんはわたしたちにゆー姉と付き合ってるなんていう勘違いをさせるつもりはなかったらしい。それは構わないのだけど、そもそもどうしてお兄さんは『強引に夢結さんを誘って映画に付き合ってもらった』ということにしたかったのだろう。きっとアニメの劇場版を観たかったのはゆー姉、それとれー姉で、お兄さんは誘われたから同行したというくらいの熱量だっただろうに。

 

「い、いえ……それはぜんぜん、いいんですけど……。どうし、いってっ……え、なに?」

 

 お兄さんに訊ねようとしたわたしの脇腹に、ゆー姉が肘をぐっと食い込ませた。文句を言う前にゆー姉は先んじて耳打ちしてきた。

 

「……あたしと、あんたのため」

 

 短く、それだけ伝えてきた。

 

「……どういう?」

 

 ゆー姉の言葉に首を(かし)げるわたしに、れー姉がつけ足してくれた。

 

「由紀ちゃんが偏見とかなくてよかったよね」

 

「……あ」

 

 吐息混じりにれー姉はわたしの耳元で囁いた。

 

 その補足で、ようやく繋がった。

 

 お兄さんは映画館の時が由紀ちゃんと初対面で、どういう子なのかわかっていなかったんだ。

 

 由紀ちゃんは、その人がどれだけアニメやマンガを好きだろうと、それだけで見る目や接し方を変える子じゃないので、結果的に杞憂ではある。

 

 杞憂ではあるけど、一目見て、簡単に自己紹介しただけですぐにそんなことがわかるわけない。

 

 だからお兄さんは最悪の場合に備えて『強引に誘った』ということにしたのか。姉がオタクだということを知った時、もしかしたら妹であるわたしにまで悪印象が波及するかもしれないから。

 

 それならお兄さんの予想通りになってしまったとしてもわたしへの影響はほとんどないに等しいだろうし、付き合っただけのゆー姉は逆に同情の目で見られるかもしれない。わたしたちは嫌な思いをせずに済むかもしれない。

 

 でも、その分お兄さん一人だけが、嫌な思いを背負うことになるんじゃないだろうか。

 

 わたしたちに嫌な思いをしてほしくないとお兄さんが思ってくれて、あの短時間でいろいろ考えてくれたのは、もちろんうれしい。

 

 だけどわたしたちだって──わたしだって、お兄さんにはもう嫌な思いをしてほしくない。お兄さんはVtuberとしてデビューした時にあれだけ嫌な思いをしたんだから、これ以上嫌な思いをする必要なんてない。

 

「っ……?」

 

 お兄さんに、人のことより自分を大切にしてくださいとお願いしようと口を開いたら、声に出す前にれー姉に人差し指をあてられた。少し悲しそうな困り顔を浮かべていた。言っちゃだめ、ということなのだろうか。

 

 ゆー姉に目を向けても、嘆息とともに肩をすくめられた。

 

 もしかしたら、二人はすでにお兄さんにそう言ったのかな。

 

 であれば、わたしがもう一度言ってもあまり変わりはしないだろう。お兄さんなら注意されても、その場ではわかったよと言いつつ、いざとなれば結局同じことをしそうだ。

 

 お兄さんがそういう手段を取らざるを得ない状況に陥らないよう気をつけたほうが、効果はあるかもしれない。

 

 仕方ない、か。お兄さんはこういう人なんだろうし、こういう優しい人だからわたしは推してるわけだし。

 

 そのわたしの推しは安全運転のため前方を見据えながられー姉とお話ししていた。

 

 美形二人の美声は、自分が話に加われなくてもただ聴いているだけで耳と心が幸せになる。穏やかな口調で言葉を交わす二人の会話は気持ちが落ち着いて、とても聞き心地がよい。

 

「……ふぁ、っ、んん……」

 

「はい、どうぞ」

 

「ん。……ん? ちょっ、れー姉っ」

 

「あははっ、だって寧音ちゃん眠そうだったから、つい」

 

 目がしょぼしょぼして長めに瞼を閉じていた間に、れー姉に頭を支えられて肩まで誘導されていた。あまりにも自然な所作だったので、れー姉に体を傾けて肩を借りるところまでいってしまった。恐ろしいまでのお姉さん力。

 

「帰ったらすぐ休んでね、寧音さん」

 

「そうだよ、寧音ちゃん。今日はいろいろあって疲れただろうし」

 

 二人に優しい言葉をかけられて心が揺らぎそうになる。お風呂入ってベッドに飛び込んだらそのまま朝まで熟睡できる自信がある。

 

 しかし、わたしの脳内リマインダーにはやらなきゃいけないことが列を成しているし、やりたいこともその列の最後尾に続いている。

 

「うぅ……で、でも、勉強しとかなきゃ。イラストも描きたいし……」

 

「勉強も大事だし、そんなに疲れてても頑張ろうとするのはとても偉いけど、眠たい時にやろうとしても効率悪くなっちゃうんじゃないかな?」

 

「お兄ちゃんの言う通りだよ。早く寝たら早めに起きれるだろうし、起きてからやればいいんじゃない?」

 

「でも、でも……その日の分の勉強終わらせてからじゃないと、イラストに手をつけちゃだめって決めてて……」

 

 気晴らしに、みたいな考えでイラストを描き始めてしまえば最後、勉強に戻るなんてできなくなるし、眠気が限界に達するまで手が止まらなくなる。

 

 だからわたしは、その日の分の勉強を片付けなければイラストに取りかかってはいけない、というルールを定めた。そうすればイラストを描きたいという欲で勉強もがんばれる。一石二鳥だ。

 

 その代わり、なにか用事があって勉強の時間が削られてしまうと必然的にイラストを描く時間がなくなってしまうというデメリットもある。

 

「そのイラストって、手描き切り抜きのものだったりする?」

 

「っ……」

 

「あ、あのぉ……」

 

 てめぇ、余計なこと言いやがって。と言わんばかりの圧がゆー姉から発されている。わたしも口を滑らせた自覚はあるよ、ごめんって。

 

 どうにか言い訳の言葉を捻り出そうとするが、その前にお兄さんが続けた。

 

「手描き切り抜きをやってくれてるのはとても嬉しいし、二人の応援はとても僕の力になってるよ。新しいのが投稿されたら絶対に観るし、たまに観直してもくすって笑っちゃう時もあるし、イラストがどんって出てきたら、やっぱり夢結さんと寧音さんはすごいなって感動する」

 

 めっちゃくちゃ褒められてる。この上なく褒められてる。褒め殺しだ。大絶賛だ。手描き切り抜きの動画には悪魔兄妹の知名度のおかげでたくさんのコメントが送られてきているけど、本人に直接いつも観てるって言われて、本人に直接感動するって言われるのは誰に言われるよりもうれしい。

 

 うれしいのに、この後に続けられるだろう話がわかってしまうので素直に喜べない。

 

「でもまず何よりも最優先にするのは寧音さんの健康だよ。勉強とお友だちとの付き合いが優先、体力や体調との兼ね合いを見て休息を取る。手描き切り抜きは余裕があればでいいんだ。無理を言ってるのは僕たちなんだから、睡眠時間を削ってまで急ぐ必要はないよ。やってくれてるだけで僕たちは嬉しいんだ。だからゆっくりやってくれればいいんだよ」

 

「……ふぅ。まぁ、時期も時期だし、優先するべきなのはどっちかってことですよね……」

 

「そういうことだね。もちろん、頑張って急いで手描き切り抜きやイラストを描いてくれてるのは言うまでもないくらいとても嬉しい。次はいつ投稿されるのかなって楽しみにもしてる。でもそれで寧音さんの健康を害すことがあっちゃいけないから。これについては夢結さんもだけどね」

 

「えあうぇっ……あ、あたしも?」

 

「あたりまえだよ。なんで夢結さんは関係ないみたいな振る舞いしてるのさ。最近は規則正しい生活をしてくれているっていうリークは入ってるけど、無茶しがちなのは夢結さんもだからね」

 

「リーク……礼愛っ!」

 

「夢結ー、すぐ私のこと疑うのよくないよー」

 

「あんたしかいないでしょうがっ!」

 

「そりゃ私だけどさあ、真っ先に疑いをかけられるこっちの身にもなってよー」

 

「なんでリークしてる立場の奴がこんなに臆面もなく反論できるんだ……」

 

「うぅ、うぅ……」

 

 れー姉が車内に充満する真面目な空気を換気してくれている間、わたしは(うめ)いていた。

 

 たしかにお兄さんの言ってることは間違ってない。大事な時期だし、わたしには行きたい高校もあるので勉強を優先したほうがいい。睡眠不足や体調不良になれば効率も落ちるから、健康にも気をつけておくべきではある。中学校を卒業すれば今の友だちとも気軽に会えなくなるから、遊べる時には遊んでおいたほうがいい。

 

 それはわかるけど、でも今のわたしは、今のお兄さんの配信活動を応援したいのだ。お兄さんの助けになれるだなんて自惚れたことは言えないけど、趣味のイラストで応援することはできる。

 

 『今やるべきことなのか?』と訊ねられれば絶対にイエスとは答えられないけど、その代わりに『今やりたいことなんだ』とは胸を張って言える。

 

 そのくらいやりたいことだけど、最近は両立させるのも難しくなってきた。

 

「寧音ちゃんって塾とか行ってるの?」

 

「ううん、行ってない」

 

 お母さんには塾とか行きたかったら行ってもいいんだよ、と言ってもらえているけれど、わたしは行くつもりは微塵もなかった。独力で十分に事足りるという自信もあったし、塾にかかるお金だって安くはないわけだし、元から少ないイラストに割ける時間が塾でさらに減ったら困る。なによりも、わたしの隣に座っているゆー姉も塾には行っていなかった。これでわたしが塾に通うのはなんだか負けた気分になるので見栄を張って断ったのだ。

 

「一人で勉強してるんだ? 寧音さんすごいね。立派だ」

 

「ふぇへっ、えへへっ……」

 

「でも寧音ちゃん、一人でやってると困る時とかない? ここよくわかんないなーってなったら自分で調べるしかないわけだし」

 

「まぁ……それはあるかも。とくに数学と理科系……生物とか物理とかが苦手で……」

 

「寧音さんの隣に現役で進学校に通ってる高校生がいらっしゃるけど、夢結さんには訊かないの?」

 

「あー、えっと……ゆー姉の説明や解答は信憑性がちょっと……」

 

「なんでよ?! あたしに質問しろよ! たぶんまだ中学生の範囲ならいけるって!」

 

「信憑性が、ちょっと……」

 

「生意気な妹だなほんとにこいつは!」

 

「それなら私が勉強見ようか?」

 

「いや、いやいやいやっ! さすがに大学受験控えてるれー姉に頼めないよ!」

 

「私は大丈夫だよ? そこまで根を詰めてやってないし。さすがに頻度は減ったけど、配信も続けてるくらいだしね」

 

「礼ちゃんは高校に入学した時に用意したカリキュラムをずっと地道にやってきたからね。ゆとりは作れてるよ。今の調子を維持できれば問題な……ああ、その手があったんだ」

 

「ん? お兄ちゃん、その手って?」

 

「僕が教えればいいんだ」

 

 会話がわたしを置いてけぼりにしてあらぬ方向へと飛んでいっている。このままだと、わたしの妄想すら凌駕したところに結論が着地しそう。頭がついていけてない。

 

「あ、それいいじゃん。そうしよ、お兄ちゃん」

 

「えっ?! お兄さんがっ?! いやでもっ……お兄さんも忙しいし、寧音のためだけに時間作ってもらうっていうのは──」

 

「ん? 夢結もやるんだよ?」

 

「──お兄さんにあまりに申し訳な……あたし、も?」

 

「そうだよ。あたりまえでしょ。なんで自分は関係ないみたいな顔してるの。夢結だって勉強しとかないといけないでしょうが。いっそお兄ちゃんに勉強教えてもらう場を定期的に作ったほうがよさそうだね。勉強会だ。苦手な科目をその時にお兄ちゃんに教えてもらえば時間効率もよくなるだろうし。うん、決定!」

 

「そ、れって、あの……お兄さんはいいんですか? わたしはとてもありがたい、ですけど……」

 

 頭の中で情報を処理しきれていないまま、お兄さんの意思を確認する。

 

 きっと笑顔で言ってるんだろうなとわかるくらいのふわふわとした口調で、お兄さんは答えた。

 

「うん、全然大丈夫だよ。僕から提案したことだしね。任せといて」

 

「あ、いいんだ……そうなんだ。え、これ、現実(リアル)?」

 

 こんなにわたしに都合のいい話なんてあるわけない。度を超えた妄想をしすぎて夢でも見てるんだと思う。幸せメーターの暴走具合からすると、きっとカラオケ店あたりから夢なんだろうな。

 

 カラオケに誘われて、お兄さんの歌を聴かせてもらえて、わたしの歌を褒めてもらって、生ASMRをしてもらって、ぬいぐるみのプレゼントまでもらって、家まで車で送ってもらう上に勉強会の予定まで立てられている。

 

 夢だ。夢でしかない。夢だとしてもここまで傲慢なお願いなんてしないけど、きっとこれは夢なんだろう。よし、それならわたしは目覚めなくていい。これからわたしは夢の世界で生きていく。

 

 そう決意を固めているわたしの額に、パチンという音とともに突如として衝撃が走った。

 

「起きたか」

 

 ゆー姉がわたしの可憐なおでこにでこぴんしていた。

 

「いたいっ……なにすんのゆー姉。寧音が夢から目覚めたらどうすんの」

 

「あんたが現実を受け止めてなさそうだったから」

 

 くいっ、とゆー姉はあごで指し示す。

 

「時間帯は何時頃にする? 午前中とかからやる? 夜までやるか夕方で終わらせるかどっちがいいかなあ」

 

「僕は夜でもいいと思うよ。時間が遅くなっても家まで送るし、晩御飯もうちで食べてもらえばいいんじゃない? 配信の時間がきたらちょっとだけ席外させてもらうことになるけど」

 

「おー、それもそうだね。お兄ちゃんの配信の時間中は私が夢結と寧音ちゃんの勉強見ればいいし、後から合流する、みたいな形でもいっか」

 

「……もしかしてこれ、夢じゃない?」

 

「幸か不幸か、夢じゃないんだよね……」

 

 その後、結局勉強会の細かい日程や時間を決める前に家の前に着いてしまった。

 

 せっかくなら、いつにするかまでちゃんと決めたかった。このままお互い予定が合わないまま勉強会なんていう重要イベントが自然消滅とかになったら悲しすぎる。

 

 そんな悲観的なことをつらつら考えながら車から降りようとしていたら、れー姉がメッセージアプリ登録しとこうよ、と切り出してくれた。勉強会用のグループを作るらしい。

 

「こういうの得意だから任せて!」

 

 ここぞとばかりに言い放ち、手早くグループを作成し、まずゆー姉を招待する。

 

 すでにれー姉とお兄さんと友達登録しているゆー姉が二人を招待すれば、二人に手間を取らせることがなくなる。グループに追加された二人のアイコンからわたしが友達登録の申請を送れば、二人は承認を押すだけでいい。面倒な手間なんて与えない。

 

 無事、れー姉とお兄さんを登録できた。

 

「寧音さん、ありがとう。僕あんまり使わないからこういう操作わからなくて……。助かったよ」

 

「い、いえいえ……えへへ、慣れてるので」

 

「まあお兄ちゃんはそもそも登録されてる相手が少ないからね」

 

「うぐっ……。で、でも今日こうしてまた一人増えたし……」

 

「このペースで、前言ってたフレンド登録者数の平均まで目指すの? 平均まで到達するのにとんでもない時間がかかりそうだけど」

 

「うぐっ……」

 

「い、いいじゃんれー姉! こういうのは何人登録するかじゃないよ! 頻繁に連絡を取り合う人が何人いるかのほうが大事だよ!」

 

「たしかに寧音ちゃんの言う通りだね。登録した人数じゃないよね。うん、そうだ。お兄ちゃんの場合は頻繁に連絡を取り合う人も少ないけど……」

 

「たくさん連絡してきていいからね、寧音さん。メッセージでも通話でも、いつでも返すよ」

 

「あ、ふぁ、は……はいっ、あり、ありがとございますっ」

 

「量より質で勝負するつもりなのかな」

 

「たぶん寧音でもそう頻繁にはお兄さんに連絡できないとは思うけどね……」

 

 そこかられー姉とお兄さんに遊んでくれてありがとうと伝え、とくにお兄さんにはカラオケの支払いも持ってもらったし、ぬいぐるみももらったし、こうして家まで送り届けてもらったのでそのことも重ねて感謝を伝えた。

 

 離れていくお兄さんの車を見届けてから、マンションに足を向ける。

 

「……にやにやしすぎでしょ。キモい超えて怖いって」

 

「これで喜びを押し殺せるようなオタクはオタクじゃないよ」

 

 アプリの友達一覧を開く。そこに並んでいる名前を見るだけで、しばらくは頬が緩んでしまいそうだ。

 

 家に帰ったらさっそくお兄さんへお礼のメッセージを送ろう。文面を考えるだけで心が弾んだ。




『青色花火』歌:お兄ちゃん(めろさんの心インストール)

これにて寧音視点終了。次お兄ちゃん視点で配信外のお話はおしまいです。


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『Golden Goal』の看板ライバー

いつも誤字報告ありがとうございます!


 

 

「あーっ! 楽しかったーっ! 久しぶりにしっかり歌ったなあ。由紀ちゃん歌うまかったね! 聴き入っちゃったよ」

 

「や、礼愛(ねえ)のがうまいっしょ。うちもけっこう自信あったんだけどなぁ。まぁ、兄ちゃんがダンチだったけど……」

 

「最後の仁義さんの歌……すごかったね。……あたし、カラオケで初めて感動して泣いちゃった」

 

「あはは、あたしも一人で聴いてたら号泣してたと思う」

 

「や、やっぱりそうですよね? よかった、夢結さんも一緒で……あたしと寧音ちゃんだけじゃなかったんだ」

 

「前からうまかったけど、お兄ちゃん前よりうまくなってたなあ。表現力が上がってた。……ボイトレの成果なのかなあ?」

 

「ボイトレ? 兄ちゃんボイトレとかしてんの?」

 

「あっ……えっと」

 

「仁義さん、すごく声も綺麗ですよね……アニメの声優さんみたいな。声優さんとか目指してるのかな? それとも歌い手さんとかかな?」

 

「ど、どうなんだろうね? 声いいし、お兄さんならそっちの道目指してもいいとこまで行けそうだよね! そういえば梓ちゃんが歌ってる時に思ったんだけど、梓ちゃんも声すっごい綺麗だよね? 透明感があって、それでいて儚げで。とてもかわいかったよ!」

 

「えぅっ……。……そ、そんな夢結さん、あたしなんて……」

 

「でしょっ?! 梓の声めちゃかわいいっしょ! いい声してんだからもっと自信持って喋れっていつも言ってんのに梓はっ!」

 

「由紀ちゃんもうやめてぇ……」

 

 人数が人数だけに店内にいても他のお客さんの迷惑になりそうなので、礼ちゃんにみんなを連れて店の外に出てもらっていた。のだけれど、礼ちゃんの不用意な一言で危ういことになっていた。夢結さんの機転のおかげでことなきを得たみたいだ。

 

 カラオケの途中で各々知っている歌が流れたり、趣味が合うことを知ってデュエットしたりして、みんな距離感が縮まったようだ。由紀さんと礼ちゃんで曲のレパートリーが似通っていたことから一緒に歌ったり、梓さんと夢結さんで好きなアニメが同じだったらしくアニメの劇中歌を歌ったりもしていた。二人で歌うことを前提に制作された曲だったようだけれど、夢結さんと梓さんは一言二言相談しただけですぐにばっちり歌えていたのには驚いた。歌詞の色分けもされてなかったのに。

 

 もちろん礼ちゃんと夢結さんの二人でも歌っていたし、寧音さん、由紀さん、梓さんの三人でマイクを回して歌ったりもしていた。どちらも一緒に歌うことに慣れていて、聴いている僕もとても幸せな空間だった。

 

「すいません、お兄さん。お会計まで……」

 

 僕に付き添って店内に残ってくれている寧音さんが申し訳なさそうに言う。

 

 こちらから誘ったしあれだけ楽しい空間に居させてもらったのだから、払いは持たせてもらわなければ気が済まない。

 

「僕から誘わせてもらったんだから、ここは払わせてもらわないとね」

 

「寧音たち、なんだか押しかけたみたいな感じだったのに……」

 

「押しかけただなんてとんでもない。カラオケ一緒にどう、っていきなり誘ったのに受けてくれてありがとね。寧音さんたちのおかげで僕もとても楽しかったよ」

 

「そんな、えへへ……。寧音も楽しかったです。みんな歌うまくて、ちょっと緊張したけど」

 

「寧音さんもとても上手だったよ。そう、特にあれ。ダンスしながら歌ってたあの歌。すごく可愛かったよ」

 

「あ゛っ……あ、あれは、前に文化祭でやった歌で……。うぅ、恥ずかしいっ……由紀ちゃんが勝手に入れたせいだっ……」

 

「あははっ、そうだったんだ? それじゃあ、あの歌とダンスが見れたのは由紀さんのおかげだったんだね」

 

「由紀ちゃんのせい(・・)、ですっ! ほんとっ……なんでゆー姉もれー姉もいるところであの曲入れるかなぁっ!」

 

 恥ずかしそうに顔を赤くして手をぱたぱたと振りながら怒る寧音ちゃんには申し訳ないけれど、とても愛らしい一曲だった。甘い印象のある寧音さんの声は歌詞にもマッチしていたし、最初は嫌がっていたけれどいざ曲が始まれば手を抜かずにダンスを披露してくれた。

 

 そんな寧音さんを見て大笑いしつつもアイドルのコンサートみたいに歌に合わせてレスポンスして盛り上げていた由紀さんと、小さな体を目一杯大きく使って踊る寧音さんを見てテンションが跳ね上がっていた礼ちゃんがとても記憶に残っている。盛り上げ上手、とも言えるだろうか。

 

「あ、そうだ。僕、寧音さんに言いたいことがあったんだ」

 

 お店の外にみんなを待たせている。お会計も済んだことだし早く出なければと思ったけれど、この機会を逃すと次いつ寧音さんと二人でお話ができるかわからない。この場で伝えておこう。

 

「え? えっ? な、なんっ……です?」

 

 僕と寧音さんは端のほうに寄っているとはいえ、店内には他にお客さんもいるのでもう少し隅に移動してもらってなるべく声を潜めた。

 

「手描き切り抜きのこと、まだ直接お礼言えてなかったから。寧音さんもとても忙しいのに引き受けてくれて、本当にありがとう」

 

「ぴゃっ……ひぃ、ひぇっ。ま、前に、通話でお礼言ってもらってますから、そんなの、ぜんぜんっ……ち、近っ」

 

「直接顔を合わせられる距離にいるのに通話だけっていうのも、なんだかなって思って」

 

「ぜんぜん、気にしないでもっ、ぁいっ……。あん、あ、あふっ……あんなの、ファンからすれば趣味らからっ……だいじょぶれす」

 

「ふふっ、夢結さんと同じようなこと言ってる。姉妹だなあ。こうやってお礼を言うのも僕の自己満足かもね。ごめんね」

 

「はっ、んぁっ、ぃっ……いえっ、感謝っ、は……だいじだし、だいじなことだと思い、ます……」

 

「寧音さんにとってはどうってことないかもしれないけど、僕にとってはとても嬉しいことで、なによりとても助かったんだ。だから僕にできることがあったらなんでも言ってね。お返しさせてほしいから」

 

「っ、ぁっ……だっ! っ……は、ぃ。あぃがとう、ごじゃしゃすっ……っ」

 

「あははっ、なんで寧音さんがありがとうなの? 僕がありがとうって感謝する立場なのに。それじゃみんなのとこ行こうか。待たせちゃってるしね」

 

「……ぁぃ」

 

 他人に聞かれたくない話は終わったので離れる。反応が乏しいのでどうしたのだろうと心配になったが、項垂(うなだ)れるように視線を下げている寧音さんの表情は窺えなかった。ただ耳が赤くなっているのは見て取れたので、そこから察するにもしかしたら寧音さんは照れているのかもしれない。

 

 あれだけ素晴らしい手描き切り抜きとイラストを描いてもらっているのだから、僕が寧音さんや夢結さんに感謝するのは当然のことだ。なのに『ありがとう』を伝えられるだけでここまで照れてしまうなんて、寧音さんはとても純朴なのかもしれない。ファンとしてどうこうと言っていたし、感謝などの見返りは求めていない、ということなのだろうか。だとしたら高潔すぎる。

 

 その気高い精神には敬服するけれど、そんな慎み深い寧音さんだからこそ、手描き切り抜きやイラストという形で送ってくれている応援に僕はどうにか報いたい。

 

 寧音さんにも夢結さんにも、僕はもらってばかりだからなあ。何かお返しができればいいのだけれど。

 

 恥ずかしがって俯いてしまっている寧音さんをそのままにしておくと人とぶつかってしまいそうなので、その小さな手を取って一緒に店外に出る。

 

 礼ちゃんたちは僕たちを待っている間往来の邪魔にならないよう、道の端に寄ってお喋りしていたようだ。

 

「あっ、お兄ちゃーん! こっちだよ! 結構時間かかったね。お会計混んで……寧音ちゃん? どうしたの? 大丈夫?」

 

「あ……う、うん。れー姉、だいじょぶ。体調悪いとかじゃ、ないから……」

 

「ほんとか寧音? 顔真っ赤だし。帰りだいじょぶそ? うち、帰りついていこっか?」

 

「寧音ちゃん、あたしのお家近いし休んでく?」

 

「や、ほんと……ほんとに、大丈夫。ありがと、由紀ちゃん、梓ちゃん」

 

「……はっはーん。なるほどね」

 

「……なにかな? ゆー姉」

 

「べつに? だいたい想像ついただけ。同情はしないけど、しゃあないから腕くらいは貸したげる。お兄さんに迷惑かかるし」

 

「くっ……あ、ありがと……。お兄さん、手……ありがとうございました」

 

「うん。僕より夢結さんのほうが落ち着けるだろうからね」

 

「ち、ちがっ……ちがうけどちがわないっ。自分の根性のなさが憎いっ……」

 

「……なにがあったのかは家に帰ってからゆっくり聞かせてもらおうかな」

 

 僕の手を離れ、寧音さんは辿々しい歩みで夢結さんの隣まで歩き、差し出された腕にくっついた。わあ、なんだかとても胸の温まる光景だなあ。微笑ましい。

 

 照れ屋さんな寧音さんも、夢結さんの近くにいればそのうち心も落ち着いて紅潮も治まるだろう。

 

「それじゃ、学生さんも多いことだし今日はもう帰ろうか」

 

「えーっ! もっと遊んでかね? いつもはもっと遅くまで遊んでんだけど!」

 

「それなら普段からもっと早く帰るべきだね」

 

「くっ、兄ちゃんめ。減らず口をっ……」

 

「これは減らず口じゃなくて指摘って言うんだよ」

 

「ボウリングとか行かん? それかゲーセンとか。レースゲーやんない?」

 

「由紀ちゃん、どうしてレースゲームへたなのに誘えるんだろ……」

 

「梓? うっさいよ?」

 

「ボウリング……。みんなでレースゲーム……」

 

「お兄ちゃん?」

 

「だ、駄目だよね? うん、もちろんそうだよ」

 

 ボウリングという耳馴染みのないワードにも、みんなでわいわいやるレースゲームにも大変興味をそそられたけれど、礼ちゃんの優しいふう(・・)の喝により判断力を取り戻した。

 

 危ないところだった、この大型複合商業施設には誘惑が多すぎる。

 

「そうだよね? いくら由紀ちゃんが大人っぽいって言っても中学生だからね?」

 

「くっ……惜しかったのに。礼愛姉がいたし」

 

「あはは……由紀ちゃん、帰ろっか」

 

「そうしよっか」

 

「……あ」

 

「どしたん? 兄ちゃん」

 

 ここで解散という流れになって、ようやく思い出した。

 

 しかし思い出したはいいものの、僕が離れた間に帰られてしまうと困る。ここは頼りになる妹に助けてもらおう。

 

「礼ちゃん」

 

 礼ちゃんの名を呼び、少しだけ時間を稼いでほしいと念じながらぱちぱちと瞬きする。

 

 どうせならサプライズにしたいので口には出せない。だがさすがに礼ちゃんといえど、このような方法で意図が伝わるとは思え──

 

「ん。任せて」

 

 ──伝わるのだ。これが兄妹の絆である。

 

 礼ちゃんがみんなに話しかけて注意を引いたタイミングを見計らい、僕は息を殺してフェードアウト。

 

 ゲームセンターとカラオケ店とのルート上にあるロッカーまで駆け足で向かい、プライズが入った袋を回収。速やかに礼ちゃんたちの下まで戻る。

 

 カラオケの部屋で話していたことを思い出したのだ。

 

 あまり引き留めていては由紀さんや梓さんの帰りが遅くなってしまうので駆け足で戻る。

 

「あれ? お兄さん、いつの間に……。というか、いつからいなく……」

 

「まあまあ。はい、夢結さん。荷物、持ってきておいたよ」

 

「えっ、わっ……すいません、お兄さん。わざわざ……」

 

「ゆー姉、なにその袋? ん? ……ゲームセンターの?」

 

「そう。ゲームセンターのクレーンゲームで夢結さんとどっちがより取れるかって勝負してたんだ。ぬいぐるみも取れたんだけど、僕の殺風景な部屋だと寂しいだろうから、代わりに寧音さんたちに連れて帰ってもらえると嬉しいなって」

 

「あははっ、お兄ちゃんの部屋に飾るより寧音ちゃんたちのほうがよっぽど似合うだろうね!」

 

「本当にそうだよ。僕の部屋だと絶対に浮いちゃう。置かれるぬいぐるみが可哀想なくらいだよ」

 

 場を繋いでくれていた礼ちゃんと話しながら、ぬいぐるみを袋から取り出す。隣に並んだ礼ちゃんは僕の手がぬいぐるみたちで塞がらないよう、一体を持ってくれた。

 

「えっ、お、お兄さん。もらっていいんですか?」

 

「あっ……ゲームセンター行った時に寧音ちゃんとこの子かわいいねって言ってた子もいる……。仁義さん、ほんとにもらっちゃっていいんですか?」

 

 礼ちゃんが持ってくれていたぬいぐるみは梓さんへ、僕が袋から引っ張り出したぬいぐるみは寧音さんの手へと渡る。二人の胴体を覆うほどのサイズだ。二人はぬいぐるみの脇の下に手を通して抱きかかえている。自然と口元が綻んでしまうような、とても愛らしい光景だ。

 

「うん、どうぞ。みんなに……あっ」

 

 袋に手を入れて、重大な失敗に気づく。大事なことを失念していた。僕が取れたプライズは、大きなぬいぐるみが二つと、小さなぬいぐるみ(ウミダンゴムシ)のキーホルダーが一つの計三つ。数しか考えていなかった。数としては人数分あるけれど、大きさと可愛さにあまりに深い溝がある。

 

「最後にプレゼントってほんと兄ちゃん、やることイケメンすぎっしょ! よかったじゃん! 寧音も梓も、かわいー、ほしーって言ってたしね。もらっとけ! 甘えとけ!」

 

「でも、この大きなぬいぐるみ二つしか……」

 

「二つ取れてるだけでもすごいっしょ。ゲームもうまいんだ、兄ちゃん。うちはいいから、寧音と梓に渡したげて」

 

「で、でも由紀ちゃんは?」

 

「そ、そうだよ……」

 

「いやいや、うちには似合わんっしょ。ぬいぐるみ抱っこしてかわいーっ、とか。ぜんぜん似合わんし。こういうのはかわいい寧音と梓のほうが持ってたほうがいっから。今あんたたちめちゃかわいいし! 写真撮りたいくらい! 撮ってい? 撮るわ」

 

「くっ……僕がもう一つ大きいのを取れてたらこんなことには……。残ってるのなんて、こんなウミダンゴムシしか……」

 

 自分には似合わないだなんて嘯くけれど、由紀さんだってとても愛らしいのだから、二人と同じようにぬいぐるみを抱っこしていれば似合うに決まっている。

 

 だというのに、僕の手の中にはもう『こいつ』しか残っていない。失態だ。

 

「兄ちゃん、いいってば。寧音と梓のかわいいとこ見れただけでうちも満足……てかウミダンゴムシってなん?」

 

「これだけど」

 

 由紀さんの手のひらにキーホルダーのウミダンゴムシを置くと、由紀さんはもとから大きな瞳をこぼれ落ちそうなほど見開いた。

 

「わぁっ! ダイオウグソクムシじゃん! あははっ、きもかわー!」

 

 きゃっきゃと笑いながら、由紀さんはウミダンゴムシことダイオウグソクムシを横から見たり上から見たり下から見たり、()めつ(すが)めつ観察している。

 

 礼ちゃん以外に『こいつ』の正式名称を知っている子がいるだなんて驚きだ。

 

「由紀さんも知ってるんだね、それ。礼ちゃんしか知らないんだと思ってた」

 

「だから言ったでしょ。一時期話題になったんだよって」

 

「一時期っていうか、うちの中ではまだ話題だし」

 

「あ、そ、そうなんだ……。なんかごめんね……」

 

「由紀ちゃんは生き物好きだもんね」

 

「あ、そういえば前に散歩してるわんちゃん見かけた時も、種類、犬種? 教えてくれてたね」

 

「ん! かわいいかんね!」

 

「もしかしたら由紀さんなら、他にもあった細いウナギとか、刺々しい帽子に目がついた生き物もわかったのかなあ?」

 

「細いウナギ……とげとげの帽子? それチンアナゴとメンダコじゃね? たぶんだけど」

 

「すごい、由紀さん実物見なくても予想がつくんだ」

 

「や、たぶんね? これ海洋生物シリーズ、第二弾、深海生物って書いてっし。チンアナゴは深海生物じゃない気もすっけど。……ね、兄ちゃん。うちこれもらってい?」

 

「え? う、うん。由紀さんがいいなら、どうぞ?」

 

「えへへっ、やった! きもかわー! なんにつけよっかなー」

 

 ぬいぐるみのたくさんある脚の部分を、由紀さんはにこにこしながら指先でつんつんしていた。

 

 僕からすれば不要品を引き取ってもらったようなものだ。はたしてこれでいいのだろうか。

 

「あの、お兄さん。あたしのぬいぐるみを由紀ちゃんにあげたらどうです?」

 

「え?」

 

 本人が嬉しそうならいいのかな、と自分を納得させようとしていたら、夢結さんがそんな提案をしてくれた。

 

「でも、それは夢結さんが取ったものだし……」

 

「そうっしょ、夢結姉(ゆゆねえ)。うちは部屋にぬいぐるみって、なんか合わんし? 夢結姉が持ってたほうが」

 

「犬の大きいぬいぐるみなんだけど」

 

「でっかいわんこっ!」

 

 夢結さんがぬいぐるみを取り出すや否や、由紀さんは目を輝かせた。

 

 生き物が好きとも言っていたし、それが可愛い犬ともなればダイオウグソクムシよりもよほど魅力的だろう。

 

「ほんとにいいん? 夢結姉だって、ほしくてこの子取ったんじゃないん?」

 

「あたしはクレーンゲームで景品を取るのが好きなだけだからぜんぜんいいよ。いつも取ったぬいぐるみとかほかの景品も礼愛にあげてるくらいだしね」

 

「じゃ、じゃあ……もらってい?」

 

「ふふっ、うん。どうぞ」

 

「わーっ、かわいーっ! ふわふわだし!」

 

 夢結さんから大きな犬のぬいぐるみを受け取った由紀さんは、そのまま犬ぐるみ(・・・・)を正面からぎゅっと抱きしめていた。

 

 とても可愛い絵面なのに、由紀さんは指にキーホルダーを引っかけたままだったので犬の背中にダイオウグソクムシが引っ付いてしまっている。遠目では寄生虫にしか見えない。やはり今からでも返してもらったほうがいいかもしれない。

 

「かわいい」

 

「うん、かわいい」

 

「やっぱりかわいい……」

 

 礼ちゃんと寧音さん、梓さんが異口同音に『かわいい』と答えていた。由紀さんはぬいぐるみについて『かわいー』と言っていたけれど、おそらくこの三人は由紀さんに対して『かわいい』と言っている。でも仕方ない、僕も思う。かわいい。

 

「どうする? 持って帰る時大変だろうし、袋に入れとく?」

 

「んやっ、せっかくだし抱っこして帰る」

 

「なにがせっかくなのかわかんないけど、まぁ由紀ちゃんがそうしたいんならそうしたらいいよ。一応袋も渡しとくから」

 

「あんがと夢結姉」

 

「ふふっ、どういたしまして」

 

「梓さんにも袋渡しておくね。抱っこしてると両手が塞がっちゃうし、困った時は袋に入れて」

 

「はっ、はいっ……ありがとうございますっ」

 

「そういや兄ちゃん、今日はどうやってきたん? 電車? 車?」

 

「車だよ。もうちょっと大きい車だったら全員家まで送れたんだけど……ごめんね」

 

「いや、家まで送れなんて言わんし。そりゃそのほうが楽でいいけど。夢結姉のことはもちろん送って行くんしょ?」

 

「うん、そうだね」

 

「んじゃ寧音もついでに送ってやってくんね?」

 

「えっ?! 由紀ちゃんっ?!」

 

「帰りは同じなわけだしね。わかったよ」

 

「え゛っ?!」

 

 由紀さんの命により、寧音さんは僕たちと一緒に帰ることが決定した。夢結さんを家まで送るのだから、同じ家に住んでいる寧音さんも送るのは当然と言えるだろう。梓さんには帰る時に不便になるかも知れないからと袋を渡したのに、寧音さんには渡していなかったのはそういうことだ。最初から送るつもりでいた。

 

「それじゃ寧音ちゃんとはここでお別れだね。また遊びに行こうね。メッセージ送るから」

 

「う、うん……」

 

「あははっ、じゃね寧音。兄ちゃん、礼愛姉、夢結姉、今日はあんがとね。すっごい楽しかったし。ぬいぐるみも、ありがと」

 

「僕もおかげで楽しかったよ。ありがとう」

 

「うん! 私も息抜きできたしね!」

 

「大事にしてもらえるとうれしいよ」

 

「兄ちゃん、カラオケ誘ってくれてありがとね。ごちっした! また遊んでね。んーじゃ、ばいばいー!」

 

「あっ、ぬいぐるみもカラオケも、あのっ、ありがとうございましたっ。それでは、し、失礼しますっ」

 

 ばいばい、と手を振って、由紀さんと梓さんとはここでお別れする。離れてからも一度振り返って、由紀さんは片手で犬ぐるみを抱えながら最後に大きく手を振り、梓さんはぺこりと一礼していた。

 

「二人とも良い子だね」

 

 僕がそう言うと、寧音さんは照れくさそうにふにゃっと笑って、でも力強く断言する。

 

「はいっ、自慢の友だちです。あ、でも……梓ちゃんは優しくて物静かな子だけど、由紀ちゃんは誰に対してもあんな感じなので、たまにいろいろあるんですよね……」

 

「あー、たしかに……由紀ちゃんはまあ、ある程度付き合いが長くないと誤解されやすそうではあるよね」

 

「あたしも最初は由紀ちゃんのテンションに押されちゃってたわ。わりとセンシティブな発言も飛び出るし」

 

「でも、由紀さんは寧音さんのことも梓さんのことも大好きなんだなってことは伝わってきたね」

 

「あははっ! わかるわかる!」

 

「ふふっ、あたしも思いました」

 

「ま、まぁ……裏表のないところが由紀ちゃんのいいところですからね」

 

 由紀さんは普段からあの調子なのだとすると誤解もされやすいのだろう。あのはっきりと物を言う由紀さんの振る舞いは長所ではあるけれど、時に短所にもなり得る。

 

 そういうところも含めてちゃんと僕たちに友人の魅力が理解されているとわかって、寧音さんも嬉しいのかもしれない。由紀さんの話をする寧音さんは、どこか誇らしげだ。

 

「また遊べる機会があるといいね。それじゃあ、僕らもそろそろ帰ろうか。遅くなっちゃうからね」

 

「はーい」

 

「はい。妹ともども、帰りもよろしくお願いします」

 

「あ、お、お願いしますっ」

 

「あはは、そこまで堅くならなくてもいいのに。律儀だなあ。はい、お願いされました」

 

 *

 

「ただいまーっ! 楽しかったなーっ! 夏のいい思い出になったなーっ! 勉強しなきゃなー。ぬいぐるみとフィギュアどこに飾ろっかなーっ!」

 

 家に帰ってくるや、礼ちゃんはハイテンションのままぱたぱたと二階へ駆け上がっていく。それだけ今日のお出かけが楽しかったということなのだろうけれど、話の内容が二転三転ころころと、瞬く間に移り変わっている。『楽しかったんだね』とほんわかするより先に『大丈夫かな……』と心配になってしまうので一度落ち着いてほしいところ。

 

「礼ちゃん、情緒がおかしくなってるよ。今日の振り返りも勉強もぬいぐるみとフィギュアの配置も一旦後回しにして、先にお風呂入ってね。お風呂上がったら晩御飯にするから」

 

「うんっ! 私、今日は軽めでいいかな」

 

「そうだね。カラオケでもちょくちょく食べてたし、僕もそんなにお腹空いてないしね。少なめにしておくよ」

 

「うん、おねがーい。じゃあ先にお風呂入っちゃうね」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

「なんなら一緒に入ってもいいよ?」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

「ぷえ……お兄ちゃんが冷たい……」

 

 ゲームセンターで取ってもらったフィギュアに加えて、帰り際に夢結さんからいただいた大きなぬいぐるみを抱えながら、礼ちゃんは部屋に入った。

 

 僕もすぐにお風呂に入るけれど一度部屋着に着替えて、食事の準備をしておこう。

 

 カラオケでいろいろ摘んでいるのでそれほど量は入らないけど、だからといって食事の時間を後ろに大きくずらしてしまうと体内時計が乱れる原因になってしまう。礼ちゃんの健やかな成長と美貌を守るためにも、生活リズムを狂わせる要因は作りたくない。なので食事はなるべく決まった時間に摂れるようにしている。お腹が空いていない場合は時間を調節するのではなく、量を調節するのだ。

 

 量は減らしつつ、栄養のバランスを整えるにはどのメニューがいいかな、と作り置きの料理と冷蔵庫の中の材料を思い出しながら考えていく。ああしてこうして、と穴埋めするのはパズルに近い。

 

 着替え終わると一階に降りてスマホを見る。レシピを検索するわけではなく、今日は日中ほとんどSNSやコミュニケーションアプリを開いていなかったので、そちらのチェックだ。

 

「……え? 偽物、かな? あ、本物だ」

 

 SNSのほうに異常が発生していた。

 

 今のところ何の絡みもない、一切まったくこれっぽっちも接点のない、配信で名前を挙げたことすらないVtuberの同業者さんに、唐突にフォローされていた。

 

「『Golden Goal』の壊斗(かいと)さんが、どうして絡みもなければ事務所も違う僕に?」

 

 チャンネル登録者数は百万人を突破し、もうすぐ百十万人に達しようかというほどに人気も勢いもある『Golden Goal』の看板ライバー、壊斗さん。

 

 配信者として勉強させてもらおうと思い、壊斗さんの配信のアーカイブを観させてもらったことがある。

 

 ゲーム配信ではFPSの比率が高いものの、わりと様々なジャンルを触っている人で、何曲か歌ってみた動画も投稿されている。コラボは同じ事務所の人たちが過半数を占めているけれど、違う事務所の男性ライバーとFPSゲームでコラボしているのもあった。すらすらと流れるように出てくる軽口と、一風変わった独特な言い回し、コラボしている時は相手に合わせて配信の盛り上げ方を変えられる柔軟さと応用力が魅力の人なのだろうと感じた。とてもお顔が整っているし、お顔にイメージぴったりの格好良い声も人気を集める一因になっていると思われる。

 

 などと、Vtuber界隈の勉強の一環で壊斗さんを観させていただいた時には恐れ多くも分析していた。顔、声、ゲームの腕、喋りの上手さ、コラボ時は相手へのリスペクトを感じたし、配信の頻度も極めて高い。ついでにVtuber事務所として大手の『Golden Goal』に所属している、ということも付け加えていいかもしれないが、これだけ要素が揃っていて、なおかつ努力を積み重ねてきたからこそ、Vtuberとして、配信者としてあそこまで上り詰めることができたのだろう。並大抵の努力では成し得ない。

 

 そんなすごい方が、どうして僕をフォローするのか。単なる気まぐれや、あるいは押し間違いだろうか。そちらのほうがすんなり理解できる。

 

 フォローされた理由はわからないけれど、フォローを返さない理由はこちらにはないので、一応返しておく。

 

 そんな異常事態が発生していた僕のSNSのアカウントにはメッセージも届いていた。確認してみれば送り主はロロさんだった。

 

 どうされたのだろう。もしかして以前にロロさんと行ったコラボの時に話題に上っていた、例の大変愉快で独特な人間性をしているらしい例の友人さんの件だろうか。

 

 コラボ配信の後もちょっとだけ話していたけれど、例のご友人さんの名前は出していなかった。なので調べようにも調べられなかったのだ。

 

 配信中に、その人とお話をする場を設けてくれると仰っていたので、もしやその方とのコラボのスケジュール調整のお話かと思いきや、どうやら例のご友人さんではないようだ。

 

 しかし、ある意味ニアピンではあった。

 

「……んん? 壊斗さんと……コラボ?」

 

 ロロさんがコラボのセッティングをしてくれた。そこは推測通りだったけれど部分的に違いがあり、その相手が前に話していたロロさんのご友人ではなく壊斗さんだったこと。

 

 どうやらロロさんは壊斗さんから顔繋ぎを頼まれたらしい。

 

 なぜか壊斗さんはジン・ラースとのコラボを望んでいる。でも一度も絡んだことがない。なので共通の知り合いであるロロさんが橋渡し役を任された。

 

 メッセージの文面から読み取るにそういうことのようだ。

 

 僕から壊斗さんへ何かしらのアクションを起こしたことはなく、僕の知る限りでは壊斗さんも配信中などで僕へ関心を示したことはなかった。そういった切り抜きを観た記憶もないし、リスナーさんから『壊斗さんがジン・ラースにこういうこと言ってたよ』みたいなコメントが送られてきたこともない。

 

 壊斗さんからコラボしたいと思われるようなきっかけや経緯についてはさっぱり見当もつかない。けれど『一緒に遊びたい』とか『一緒に配信したい』と言ってくれる人がいるのなら、お誘いを受けない理由はない。

 

 ロロさんとまた配信できるのも嬉しいし、もしかしたらこれを機に友人が増えるかもしれない。

 

 僕の目標にまた一歩近づくことになるかもしれない。断る理由なんてない──が、二つ返事でロロさんに了承しましたと返答することはまだできない。

 

「ロロさんに返信して、美影さんに連絡っと」

 

 まずはロロさんにコラボのお誘いについて感謝と、あと事務所から確認と許可でお時間をいただく旨のメッセージを返信する。それから事務所の敏腕スタッフ美影さんへ連絡だ。

 

 美座さんとの実質的な突発コラボの後、美影さんには『念の為に、これからはコラボの前には一報ください』と一度注意されていたのだ。また初めての方とコラボできることに舞い上がりそうな気持ちを抑えつつ、美影さんへとメッセージを飛ばす。

 

 ロロさんとは一度コラボしているし、壊斗さんは『End Zero』と並ぶ二大Vtuber事務所である『Golden Goal』所属。よほどの事情がない限り、事務所から許可が下りないなんてことはないだろう。一報入れるのはあくまで報告であり確認だ。ほぼ確実に許可は出ると見ていい。

 

「コラボ、楽しみだな」

 

 コラボは純粋に楽しみだけれど、コラボを楽しむ前にまずは配信を成功させることが大前提だ。観ている側が満足して、やっている側も楽しい配信をする。僕の私利私欲を満たすのはその最低条件をクリアしてからである。

 

 何をするのか、ゲームをするのか雑談をするのかすら決まっていないけれど、僕はすでにわくわくしていた。

 




ちょっとコラボに誘われたことでお兄ちゃんの気持ちが先走ってしまっていたのでそのあたりを修正しました。感想で教えてくれた方、感謝です。


というわけで配信外のお話でした。

配信してる時以外、日常生活でのお兄ちゃんがどんな感じなのかをお伝えできていたら嬉しいです。

夢結さん寧音さんとの絡みをがっつり書こうと思うと、やっぱり配信外のほうが描写がしやすいのでこういう形になりました。書いてるうちに文章量までがっつりになってしまったのは少々反省点ですが……。

今回の配信外のお話で登場した寧音さんのお友だちの二人、由紀さんと梓さんですが、当初の予定では名前の設定もつけずにもうちょっとモブっぽいキャラになるはずでした。でも名前なしだとどうにも書き進められないな、と思って名前をつけたらとんでもないくらいに動き回りました。予想外。とくに由紀さんの躍動っぷりがどうにもなりません。書いててとてもおもしろい子になってました。

これにて配信外パートは終わりまして、次からまた配信パートに戻る形になります。

次もお兄ちゃん視点です。
以前にちらっと登場した『Golden Goal』所属のライバー壊斗さんと、再登場のロロさんとのコラボ配信になります。
これからもよろしくお願いします。


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二章 『Noble bullet』『Practice of evolution』
『貴弾お散歩配信です!』


前回の話のラストの描写を若干書き直しました。とはいえ、話の大筋に影響があるわけではないので気にされなくても大丈夫です。
感想で教えてくれた方、ありがとうございました!


 

 予定している配信開始時間の三十分前に、ロロさんが用意しておいてくれたコミュニケーションアプリ内のサーバーに入る。

 

 サーバー内にいるメンバーの欄を確認すると、すでに今日のメンバーは集まっていた。

 

「お疲れ様です。すみません。お待たせしてしまいましたか?」

 

『いえ! 大丈夫ですよ! 先に壊斗くんと話してただけなので!』

 

『三十分前って伝えた時間通りだ。謝る必要もないぞ。遅れてないしな』

 

「お気遣いありがとうございます。ロロさんは、こうして通話するのはお久しぶりですね。今日はお誘いいただいてありがとうございます」

 

 ロロさんと、今日初めてお会いする──というかお話する壊斗(かいと)さん。この二人が、今日のコラボ配信のお相手だ。

 

 思い返すと、三人でのコラボ配信というのは今日が初めてになる。礼ちゃんと少年少女さんと僕の三人で貴弾配信をすることはあったけれど、少年少女さんはコミュニケーションアプリの通話には入っていないのだ。いつもチャットでの参戦だし、そもそも少年少女さんは配信者でもない。

 

『いやいや、こちらこそきていただいてありがとうございますって感じです。ジンさんにきてもらえなかったら壊斗くんに(なじ)られるとこでした』

 

『詰らねぇよ。使えないなって言うだけで』

 

『詰ってるじゃんっ! いや詰ってるよりひどいよそれっ!』

 

 壊斗さんはロロさんに対して遠慮がないし、ロロさんも壊斗さんに当たりが強い。それだけ親しい仲なのだろう。

 

 今日のコラボ相手の壊斗さんのことを調べてみたけれど、アーカイブを観た限り壊斗さんはロロさんと三年前から交流があった。ゲームの好みが違うので頻繁にコラボ配信をするということは少なかったみたいだけど、半年に一回くらいはパーティゲームや雑談などの企画を立ててコラボをしている。

 

 人との繋がりというのは、繋がりを保つ努力をしないと意外とすぐに切れるもの。ゲームの趣味が違ってもこうして二人の交流が続いているのは、互いが互いに繋がりを切らさないように努力した証左でもある。

 

「あははっ、仲良いんですね。壊斗さんとは初めましてですね。お招きいただきありがとうございます」

 

『お、おう……』

 

「どうかされましたか?」

 

『そのキャラ、配信中だけかと思ったら配信外でもそんな感じなんだな……』

 

『そうだよー。ジンさんは表でも裏でも礼儀正し……裏なら礼儀正しいんだよ』

 

「ロロさん? どうして表の礼儀正しさは省いてしまったんです?」

 

『いや、だって……ジンさん、配信中だと礼儀正しさより悪ふざけが勝つから……』

 

「んふっ……ふふっ、否定できない」

 

『あー、観たわ。ロロとのコラボ配信。ジン・ラースが喋り倒してたやつな。くっそ笑った』

 

『笑うなぁっ! すごく楽しかったけど質問コーナーはまったく進まなかったんだからぁっ!』

 

『ふだん喋り倒してるロロが喋り倒されてて、いい気味だって笑ってた』

 

『最低だっ! 最低な人がいますここにっ! 今日セッティングしたのロロなのに! 敬意がたりない!』

 

『おいやめろ。その話やめろ』

 

『喋ったことない人にコラボ誘えないとかコミュ障発揮してたからロロがジンさん呼んできたのに!』

 

『ばっ、おまっ! やめろ! 言うなって言っただろうが! 事務所は違うけど配信者歴で言えば俺はジン・ラースの先輩なんだぞ! 威厳がなくなったらどうしてくれんだ!』

 

『ほかの事務所の配信者に先輩風吹かす気だったの? めんどくさい先輩の典型じゃん、そんなの』

 

『てっめ……。ん……ま、たしかに……』

 

「ふふっ、くくっ……ふふふっ。論破されてるっ」

 

『ジン・ラース! 笑ってんじゃねー!』

 

『壊斗くんは威厳なんて初めから持ってないんだから諦めなよ。無理だよ』

 

『お前がたった今ぶち壊したんだよ!』

 

「あははっ」

 

 今日配信前に集まろうと言っていたのは、僕と壊斗さんが初めましてだからだ。いきなり集まって『はい、配信開始』では不安が残るので、念のために集まって話すことにしていた。

 

 でもこの調子なら配信前に集まっていなくてもよかったかもしれない。三人が集まった瞬間から配信を開始していても、この二人のトークスキルなら十分リスナーさんにも観てもらえる内容になるだろう。

 

『くっそ……もしかして俺は今日、ロロに頭が上がらないのか……』

 

『ふっはっは! ほれ壊斗くん、こうべを垂れよ!』

 

『こいつに貸し作ったのは間違いだったか……』

 

「やはり付き合いが長いからか、ロロさんは壊斗さんに心を開いてるんですね」

 

『心を開いてるって言われると、無性に拒絶反応が出るんですけど……』

 

『俺だって嫌だわそんなん。ジン・ラース。俺とロロが付き合い長いって言っても、年に一回二回コラボするとかそんなもんだぞ』

 

「年に数回でこれだけ親しいというのも、それはそれですごいですけどね。ロロさんはまだ僕には壁を作ってますし、羨ましいです」

 

『びゃっ! 壁って言い方やめてください?! 壁じゃないです!』

 

『そういやロロはジン・ラースには敬語使ってんな。言葉も丸いし。なに猫被ってんだお前。いまさらヨゴレ系脱却は無理があんぞ』

 

『ヨゴレなんて自認した覚えはないよ! 口が裂けても清楚なんて言えないけどヨゴレを担当したつもりもないから!』

 

「僕にはこんなふうに話してくれないんですよね、ロロさんは。未だに僕のこと『さん』付けですし」

 

『あ、そういやそうだわ。ジン・ラースお前気をつけろよ、ロロに狙われてんぞ』

 

『壊斗くん? おい壊斗? お前いい加減にしろ?』

 

「そういえば前、オフでカラオケ行こうとかって……」

 

『狙われてるそれジン・ラース狙われてるって!』

 

『やめてやめてやめてーっ! あの時のコラボ配信でロロいろいろジンさんに言っちゃったけど、カラオケオフ会の件だけはほんとにDMきたんだからぁっ!』

 

「あははっ、DMくるかもってロロさんが怖がってたやつっ……ふっ、ふふっ」

 

『だっはははっ! ほんとにきたのかよ! だははっ!』

 

『笑いごとじゃないよっ! もちろん収益化とかメンバーシップについて触れてくれてありがとうのDMもきたけどっ、感謝DMくれる人でさえカラオケの件は許してくれてなかったんだよぉっ!』

 

「あはははっ、ロロさん……か、可哀想っ……あははっ」

 

『だははっ! そりゃそうだろうなぁっ!』

 

『笑いすぎだからぁっ!』

 

 しばらく笑い続けたり、(へそ)を曲げてしまったロロさんを慰めて、一度落ち着く。

 

「ふふっ……はあ。このままだと配信する前に疲れてしまいます」

 

『ほんとですよ、もう。声嗄れちゃいますって』

 

『ロロは叫ぶからだろ。自業自得だ。にしたって、三十分も前に集まるんじゃなかったな。途中でバテるぞ、これ』

 

 リスナーさんが観ていて楽しい配信をするため、かつ僕らもやっていて楽しい配信をするために事前に集まって挨拶の場を設けたけれど、まるで必要なかった。

 

 でも壊斗さんに訊いておきたいことが一つあったので、今のうちに訊いておくことにしよう。配信で言っていいかもわからないことだし。

 

「そういえば壊斗さん、どうして僕をコラボに誘ってくれたんです? 絡みもありませんでしたし、僕の名前のイメージは悪いままでしょうし」

 

『あ、それロロも気になってた。ロロとジンさんのコラボ配信を観てくれてたのかと思ったけど、たしかその日って壊斗くんの配信と時間かぶってたよね?』

 

『あー、それな。リアルタイムでは観てないな。実は、妹がそのコラボ配信観てたんだよ』

 

「壊斗さん、妹さんがいらっしゃるんですね」

 

『ジンさんジンさん。壊斗くんの妹さんはですね、とってもいい子なんですよ。壊斗くんのご飯作ったり、身の回りのお世話してくれてるらしいです』

 

「本当にいい子ですね! 壊斗さんとしては自慢の妹さんなのでは?」

 

『いや、べつに……助かってはいるけど、その分の小遣いも渡してるしな。バイトみたいなもんだぞ?』

 

「お小遣いを渡しているとしても、ですよ。誰かの手料理を食べられるというのはとても幸せなことです。料理を作るのは想像以上に労力のかかることですから」

 

『いつもレイラちゃんにご飯を作っているジンさんが言うと説得力がちがいますね!』

 

『そういやコラボの時にそんな話してたな。……って、今はその話はいいんだよ。妹がロロとジン・ラースのコラボ配信観てて、おもしろい人がいるからコラボしたら? ってせっつかれたってわけ。ジン・ラースは貴弾もやってるみたいだし? 貴弾しっかりやってるやつが俺の身近にあんまいねーからさ。貴弾わりとやってて、それでおまけにおもしろいってんなら一度誘ってみようかなってな』

 

「それでは壊斗さんの妹さんと、橋渡し役を担ってくださったロロさんのおかげで今回のコラボが実現したということなんですね。壊斗さん、妹さんへ僕が感謝していたことを伝えていただいていいですか? ロロさんもありがとうございます」

 

『おー……まぁ、一応言っとくわ。……あいつはあいつで企んでたんだけどな……』

 

『いえいえ、えへへ……そんなそんな。ジンさんが言うことじゃないですから! 本来なら壊斗くんが言うべきことで……というか壊斗くんっ! なんかまるで自分で誘ったみたいな言い方してた! ロロに丸投げしたくせにっ』

 

『うるせーな。細けーよ。はいはい。ロロに頼んで誘ってもらいました。これで満足か?』

 

『敬意がたりない! 誠意もたりない!』

 

「そういえば今日やるゲームは貴弾ですけど、ロロさんって貴弾されてたんですか?」

 

『へぁっ?! え、えぇと……最近、ちょくちょく触ってまして……えと、えと……』

 

『ほぼこいつは素人だ。だからクラスマッチには行けねー。今日はカジュアル回すだけになる。悪いな』

 

「いえいえ。カジュアルでも楽しいですからね。ポイントを気にしなくていいのも気が楽ですし」

 

『うぅー……ごめんなさい。あんまりFPSゲームってやったことなくて慣れてないんです……』

 

「いいんですいいんです。一緒にゲームできるだけで楽しいんですから。ロロさんは始めたばっかりなんですか?」

 

『こいつはジン・ラースとのコラボでは貴弾やりたいって俺が言った日に始めたからな。始めたばっかだ』

 

「ということは今日のコラボのために? ありがとうございます、ロロさん。教えられるところは教えていきますから、ゆっくり楽しんでやっていきましょうね」

 

『う、うん……ジンさんありがとっ。壊斗くん! こういうところだよ! 見習いなよ!』

 

『俺だって感謝はしてるって。サンキュ』

 

『軽いなぁっ! 言葉がさぁっ!』

 

「ふふっ。これからパーティ組むんですよー、仲良くしてくださいねー。っと、そろそろ時間ですね。配信開始しましょうか」

 

『ん? おお。もう時間か。配信開始っと』

 

『はーい。ロロも配信始めまーすっ』

 

 

 貴弾──正式名称『Noble(ノーブル) bullet(バレット)』のコラボ配信が始まった。

 

 各々自己紹介して、今回のコラボが決まった経緯の説明を壊斗さんがした。説明自体は配信前に話してくれたものと大差はなかった。

 

『コミュ障の壊斗くんに無理矢理コラボのセッティングさせられたけどロロは貴弾始めたばっかりでクソザコです! なのでカジュアルにしか行けません! 今日はお散歩です! 貴弾お散歩配信です! よろしくおねがいします!』

 

〈兄悪魔の貴弾ひさしぶりだ〉

〈ロロさん貴弾やってたのか〉

〈やってなかったw〉

〈お散歩配信きたー〉

〈コミュ障呼ばわりで草〉

 

『悪いって! すまんて! 配信前にも言っただろうが!』

 

 ロロさんはしっかりと配信前に僕たちに言っていたことを配信にも載せていた。自分のことは卑下するけれど、それでも壊斗さんにも文句を言って道連れにするあたりロロさんである。

 

「お散歩しながらゆっくり操作に慣れていきましょう。……そういえば配信前に集まったわりに、エイム調整とかやってませんでしたね」

 

『だはは、ほんとそれな。ただくっちゃべってただけだったわ』

 

〈配信前のお喋りも配信して〉

〈この三人の雑談はふつうに見てーわw〉

〈GGの壊斗とやるほど兄悪魔でかくなったんやな〉

 

『ロロはエイム調整いらないかな』

 

〈初心者w〉

〈始めたばっかのやつのセリフじゃないw〉

〈強気で草〉

 

『一番の初心者が一番口がでけぇ』

 

『どの銃持ってもエイム悪いからっ! 変わらない!』

 

「無敵の人がいますね」

 

『ほんとに散歩になっちまうぞ……。ジン・ラース、どうすんだこいつ』

 

〈今日はお散歩日和だなw〉

〈カジュアル雑談か〉

〈ロロさん開き直っとるw〉

〈無敵草〉

 

 このゲームは他のFPSタイトルと比べると操作も比較的直感でわかるのでやりやすいほうではある。でもそれは他のタイトルと比べれば、という話であって、ロロさんのように貴弾からFPSを始めたのであれば要領を掴めない部分もあるだろう。

 

 銃の種類も多いし、銃によって使用する弾薬の種類も違うし、アタッチメントも複数ある。装弾数やリコイルの癖もそれぞれ違いがある。いきなりそれら全部を頭に入れろ、などというのは酷な話だ。一つずつ進めていったほうがわかりやすいし憶えやすいだろう。

 

「えー、そうですね。まず新兵ロロさんは得意な武器、使いやすい武器を作っていきましょうか。それから覚えて、使える武器を増やしていきましょう」

 

『はいっ! まかせてくださいっ!』

 

〈かわいいw〉

〈新兵w〉

〈新兵返事はいいなw〉

〈かわいい〉

〈活きがいい新兵だw〉

 

 射撃訓練場に並べられている銃を見ながら、初めてFPSを触る人でも使いやすそうな物を見繕う。

 

 練習中には落ち着いて狙えるけれど戦闘が始まると慌てたりもするだろうし、なるべく装弾数の多い銃がいいだろう。あとはリコイルが控え目なものが望ましい。

 

 お勧めの銃と、それに使う弾薬をわかりやすいところに置いておく。壊斗さんも運ぶのを手伝ってくれた。まずはアタッチメントなしで使ってもらい、その後にアタッチメントありの銃を使ってもらったほうがアタッチメントの恩恵と重要性を肌で感じやすいだろう。

 

〈優しい〉

〈先輩たちやさしいな〉

〈準備してあげとる〉

〈新兵こないな〉

 

「……ロロさん、今どこにいます?」

 

『へ? カジュアルの出撃待機画面で待ってますよ?』

 

 元気よく返事してくれたものの、待っていてもロロさんは射撃訓練場に入ってこなかった。

 

 何をしているのだろうと訊ねてみれば、ロロさんはもう戦いに行く気でいるらしい。なんて強気なのだ。

 

『いやほんとに訓練場で練習しねぇのかよ! 大物かよお前は! だははっ』

 

『え、え、えっ?! なに?! 二人とも訓練場いるの?!』

 

〈新兵さぁw〉

〈これは死亡フラグ〉

〈確実にやられるやつやw〉

〈やる気だけはだれよりもあって草〉

〈一番弱いはずなのにw〉

 

「行くのはカジュアルマッチですからね。クラスポイントがかかってるわけじゃありませんし、もう行っちゃいますか」

 

『だな。一回やったほうがなにが足りねーとかもわかるだろ。よっしゃ行くぞー!』

 

 射撃訓練場を出て、カジュアルマッチに向かう。

 

 三人並んだ待機画面でマッチングを開始する。

 

 この三人だと実力差、クラス差がかなり開いているけれど、貴弾はADZと違ってプレイ人口の多いゲームだ。きっとすぐにマッチングするだろう。

 

『訓練場行くなら行くって言っといてよぉっ!』

 

「いや、さすがにすぐに戦いに行くのは不安だろうし、訓練場にくるだろうなって思ったんですよ。まさかすでに待機所で仁王立ちしてるだなんて思わなくて」

 

『だははっ、に……仁王立ちっ、たしかに自信満々で立ってたな!』

 

『だ、だってぇ……リスナーも〈やりゃあわかる〉って言ってたし……』

 

『おお? リスナーのせいか?』

 

『そうだよ! ロロの背中を押したリスナーが悪い!』

 

『最低なこと言ってんなこいつ!』

 

「あははっ、ロロさん。またリスナーさんから厳しく言われてしまいますよ。それにいいことですよ、バトルに前向きなのは。戦うことを怖がって尻込みしてしまうよりもよっぽどいいんですから」

 

『わあぁぁっ……ジンさんっ』

 

『おいこらジン・ラース! あんま甘やかすな! ふつうは座学をしてから実戦だろうが!』

 

〈仁王立ちは草〉

〈またコメ欄で叩かれるぞw〉

〈教官優しい〉

〈楽しくやりゃいいのよ〉

〈お散歩しながらおぼえよっかw〉

〈草〉

〈新米兵士にいっぱい言ってもね〉

〈お散歩しましょ〉

 

「ふふっ、意外と壊斗さんって慎重派ですよね」

 

『意外とってなんだ! 俺は基礎とかちゃんと固めてからやりたい性分なんだよ』

 

「僕もそのほうが結果的にいいとは思いますが、FPSを始めたばかりの人に基礎練習や座学ばかりさせるのも可哀想かなあ、と。やはりFPSの醍醐味といえば撃ち合いですからね。まずは楽しみを知ってもらって、何も知らないままだとこの先勝てないな、ってなってからでも、基礎練習や座学は遅くないと思いますよ」

 

『ロロのことあんまりちゃんと育てる気ないのかと思ったら、しっかりFPS沼に沈める気だったわ……』

 

『ひ、ひぇ……』

 

〈教官の教育学〉

〈楽しさ知ってからやね〉

〈はまったら自分で勉強するしな〉

〈沼に引きずり込むつもりで草〉

〈あわよくばADZまで連れてく気かw〉

 

「沼に沈めるだなんて、そんなそんな。僕はただ、ロロさんに楽しんでもらいたいだけですよ」

 

『やっべ……。よかれと思ってやってるタイプだ。人を駄目にするタイプだわ、これ。さよなら、ロロ。達者でな』

 

『見捨てるまで早すぎるよ! 少しは迷いなよ!』

 

「沼に沈むで言うのなら、貴弾をやり込んでる壊斗さんはすでに沈んでしまっているのでは?」

 

『暴言と銃弾が飛び交うクソッタレな世界へようこそ。これからよろしくな』

 

『言ってること変わりすぎじゃない?! ま、まずい……この二人、相性がよすぎる……。ロロばっかり疲れるやつだ……。こんなのおかしいよ。今日はジンさんの相手は壊斗くんに任せようと思ってたのに……』

 

〈手のひらぐるぐるで草〉

〈変わり身がはやすぎるw〉

〈仲良!〉

〈これロロさんはさばくの大変だなw〉

 

 ロロさんがまだ始まったばかりの配信に戦慄しているうちにマッチングが終わった。

 

 マップの上空を横断する飛行機から降り立つ。

 

「ロロさんは一応何回かはプレイしたんですよね?」

 

『うん。しましたよ。最高で五位くらい。だいたい二桁順位で死んでるけど……』

 

「飛行機から降下してからの動きがわかっているのならよかったです。まずは武器やアイテムをそろえましょう」

 

『はいっ! わかりましたっ!』

 

『そんじゃあ降下はジン・ラースに任せて……ちょっ! 降下軌道えげつねぇって! 最上位帯かよ!』

 

「うわあ……」

 

〈やばw〉

〈公侯帯じゃん〉

〈マッチングどうなってんだ〉

〈ほぼデュマ帯とか終わっとる〉

〈最低でもアールとか草枯れるわ〉

〈カジュアルじゃないじゃないですかやだー〉

 

 プレイヤーが飛行機からマップへと降下していく際、体の後方から光の尾を発しながら降りるように設定できる。その光を降下軌道と呼ぶのだけど、その降下軌道の光の色を見れば、そのプレイヤーがどのくらいの実力を有しているかをある程度判別できる。降下軌道の光はそのプレイヤーの到達したクラスによって違うからだ。

 

 ゲーム内最高位である公爵(デューク)だと血のような赤黒い禍々しい色、次点の侯爵(マークィス)だと青みがかった金色というように差別化が図られている。

 

 マッチの一番最初、スタートの時点で『あのプレイヤーは上位のクラスなんだな』と見ればすぐに違いがわかるので、他のプレイヤーはそういった特別さに憧れて上位のクラスを目指しているのだ。

 

 実力のあるプレイヤーしか持てない降下軌道が、今まさに僕らが降りた飛行機から続々とマップの各地へと散らばっている。

 

 おかしいなあ。なんでこんなに強い人たちばかりいるマッチに放り込まれたんだろう。

 

『ちょっとぉっ! あの赤くて黒い軌道って一番強いクラスの人じゃない?! なんで初心者がそんなマッチに入れられてるの?! 振り分けおかしいよ!』

 

『……まぁ、デュークとか俺も相手にならんから、初心者がどうとか気にせんでいいぞ。俺とロロで違いなんかない。変わらずに踏み潰されるだけだ』

 

 貴弾のカジュアルマッチに参加するプレイヤーの振り分けの基準は、実は詳細な部分は明かされていない。だが有志の方々が繰り返しプレイと検証を重ねて『たぶんだけど、このあたりの成績を参照してるんじゃない?』という、ある程度信頼性のある検証結果を公表してくれている。

 

 その検証結果によると、直近の数試合、あるいは十数試合で出したダメージ数やキル数、ヘッドショット率、順位などの成績をスコア化して、そのスコアに近いプレイヤーをマッチングしている。とのこと。

 

「おかしいですね……。近い実力の人があたるは──」

 

 あれ。もしやこれ、原因は僕なのでは。

 

 いや、まだ壊斗さんが不均等なマッチングの原因の一端を担っている可能性は残されている。

 

『これもしかして、原因はジン・ラースなんじゃね?』

 

 駄目そう。

 

「……どうして僕なんですか? 僕のクラスは最高で伯爵(アール)ですよ? 真ん中よりも少し高いくらいなのにこんな……」

 

 言い訳を口からつらつらと垂れ流しながら、どうにか猛者を避けてマップに降り立つ。あんまり物資のおいしいエリアではないけれど、初動から猛者と戦うよりかはよほどいい。

 

『ロロのところには〈あの悪魔は貴弾やってないだけ〉ってコメントがきてますね』

 

『俺がジン・ラースの配信のアーカイブ観た時は、ふつうに俺より上手かったぞ。内部レートばかほど上がってるんじゃないのか?』

 

〈すくなくともアールの腕じゃないな〉

〈やってないだけや〉

〈内部レートだいぶ反映されてそう〉

〈なんか今日マッチングおかしいって話はあるんだよな〉

〈だからってこんなマッチはひどすぎる〉

〈こっちには新兵が一人いるんですよ?!〉

 

「ぐっ……。リークされている……」

 

『逆に貴弾やってないのになんであんな上手いんだよ。いつもFPSなにやってんだ?』

 

「ADZですね。貴弾は妹とやる時くらいしかやってません」

 

『……ADZ?』

 

『あー……たしか「Absolute(アブソリュート) defense(ディフェンス) zone(ゾーン)」……でした?』

 

「はい。それです。おそらくADZの同志以外には『絶望圏』と言ったほうが伝わりやすいかと思います」

 

『あー! 「絶望圏」か! なるほどな。貴弾やれよ』

 

「ADZが好きなんですよ」

 

〈ADZ草〉

〈貴弾やれw〉

〈ロロさん覚えてくれてたんだ〉

〈貴弾やれはそうw〉

〈ADZも貴弾もやれ〉

〈またコラボして〉

〈うさねこまた観たいぞ〉

〈ADZのネームドを貴弾に連れて行かないでください……〉

〈自枠でも配信してくれよw〉

〈あの街には黒兎が必要なんです……〉

〈同志の腰が低いw〉

 

『なんか……おそらくADZやってるリスナーだと思うんですけど〈同志を連れて行かないで〉って懇願されてます……。どんなゲームなんですか』

 

『俺んとこじゃ〈ADZのプロやぞ〉とか言われてんだけど……。「絶望圏」にプロとかあんの?』

 

「いいえ? ランキングに名前があるというだけです」

 

『ランカーかよっ! どんだけやってんだよ! 貴弾やれよ!』

 

〈ADZプロ()〉

〈プロシーンはないなぁw〉

〈でもまだランク二位なんだよね〉

〈どんだけやってんだw〉

〈配信でもやってよ!〉

〈ADZやってるおかげで貴弾うまいまである〉

 

「そう言われましても……貴弾はそこまで熱が入らないんですよね。さて、武器揃いましたか? 移動しますよ」

 

 建物やボックスを漁り、銃とアイテムを拾って装備を整える。

 

 この降り立った地点からだと、安全地帯内の有利なポジションを確保するには相当急がなければならない。ロロさんという初心者もいることだし、安地の(きわ)からこそこそと進むことも候補に入れておくべきか。

 

『んー、もうちょい』

 

『あっ……』

 

〈漁りはえー〉

〈ちょこちょこキャラコン挟んでんな〉

〈壁ジャンでどんだけ飛ぶんだよ〉

〈シンプルに動きが速い〉

 

「なんですか? ロロさん? そうだ、得意だったりよく使ってる銃があるのなら教えてもらっても……」

 

『あの、えっと……お喋りに夢中で拾ってなかっ、た……』

 

『ロローっ! 散歩しにきてんじゃねぇんだぞーっ!』

 

『ごめんなさいぃっ!』

 

〈草〉

〈安地遠いな〉

〈草〉

〈草〉

〈草〉

〈新兵w〉

〈新兵お散歩で草〉

〈お喋りに夢中www〉

 

「んー……よし。安地先入りは諦めて安地の端からこそこそ行きましょう」

 

『大丈夫そうか?』

 

「……大丈夫です。どうせ先に入ってようと周りは強い人たちばっかりです。大して変わりません。それなら端っこでハイドしつつ漁夫を狙ったほうが勝ちの目が見えます」

 

『おー! ジンさん頼りになるっ!』

 

『その頼りになるジン・ラースのIGLを初手から潰したのがお前な?』

 

『ひどいっ! 初心者に向かって言う言葉じゃないよ! 初心者をバカにするようなコンテンツは廃れるのが常なんだよっ?!』

 

『やめろ、おい。急に深いこと言うな』

 

「もう、すぐ喧嘩する。はいはい、やめてください。壊斗さんもそんな言い方をしてはいけません。誰だって最初は初心者なんですから」

 

『んぐっ……』

 

『やーい! 壊斗くん怒られてるーっ! ぷふふっ』

 

「はい。ロロさんもすぐ煽り返さない。始めたばかりでムーブがどうしても遅れてしまうのは仕方ないですけど『お喋りに夢中で漁るの忘れてた』は擁護できませんよ」

 

『ふぐぅっ……』

 

〈まわりガチ勢ばっかだしなw〉

〈カジュアルだしみんな戦いに行くんじゃね?〉

〈IGLがんばれ〉

〈草〉

〈新参を排除する界隈は実際そう〉

〈草〉

〈ロロさんw〉

〈新兵レスバトルは強いw〉

〈草〉

〈漁るの忘れてたやつが煽るのは草〉

 

『くっ、くははっ。漁るの忘れてたとか聞いたことねぇよ』

 

『むっ……ぐぬぬっ』

 

「ロロさん」

 

『びゃっ?! は、はいっ! 怒りません! ロロはいい子です!』

 

「いや、あの……違います。使いやすい銃は見つけられたのかなって思いまして」

 

〈教官は大変だなぁw〉

〈いい子です!〉

〈ロロいい子です!〉

〈かわいすぎw〉

〈喧嘩しちゃダメって言われたもんなw〉

 

『あぅ……あの、はい……一個ありました』

 

「そうですか。それならよかったです。欲しいのがあったら気にせず言ってくださいね?」

 

『だははっ! びゃっーはっは! 「ロロはいい子です!」ってぶっふぁっ』

 

『ジンさーんっ!? 壊斗くんが! 壊斗くんがばかにしてくるぅっ!』

 

『いや、だってっ……だははっ』

 

「壊斗さん?」

 

『ごめんなさい』

 

「そうですよね? だめですよね? ロロさんは今学んでるところなんですからね?」

 

『はい。すんませんした』

 

『誠意がないー!』

 

〈壊斗さんw〉

〈くそ笑っとるw〉

〈草〉

〈年の近い兄妹を持った親みたいだなw〉

〈パパ悪魔〉

〈壊斗のほうが圧倒的に先輩なのにw〉

〈パパ悪魔草〉

〈クソガキがおるw〉

 

「はい。それではみなさん移動しますよー。……そういえばIGLは僕でいいんですか? クラス的には壊斗さんのほうが高いですけど」

 

『ジンさんがやって! ロロ、こんなやつの指示には従えない!』

 

『こんなやつってなんだよ! でもジン・ラースがやってくれ。俺は前に出がちだし、なによりこんな環境でオーダー出せる気がしない』

 

〈IGLできるのいいよな〉

〈オーダーうまいんだよ〉

〈ロロさんw〉

〈ロロさん草〉

〈こんなやつ呼ばわりw〉

〈喧嘩しかしないw〉

〈壊斗にはバトル任せとけばいいよ〉

〈このマッチでIGLはやりたくないわな〉

 

「あはは、わかりました。それでは僕がさせてもらいますね」

 

『はい! まずはなにをしたらいいですか!』

 

「何かできることを探そうとするその姿勢、ロロさん素晴らしいですね」

 

『えへへっ』

 

『おい大丈夫か。この教官甘いかもしれないぞ』

 

「まずは安全地帯が途方もなく遠いので走りましょう。ついてこれなかった場合は置いていきますのでご注意ください」

 

〈新兵声出てる〉

〈ロロさんやる気だけはあるからw〉

〈教官優しい〉

〈パパ悪魔やさしいw〉

〈やっぱり悪魔で草〉

〈軍曹だった〉

 

『えっ……じ、ジンさん? 冗談……ですよね?』

 

『あ、大丈夫だわ。鬼教官だ』

 

「鬼じゃないです、悪魔です」

 




壊斗さんもロロさんも喋りまくってて草。お喋りばっかりが集まっちゃったので止まらないです。

ということで、このお話から壊斗さんとロロさんとの三人コラボのお話になります。よろしくお願いします。

次もお兄ちゃん視点です。


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戦況を変える一手

 

『がんばれジンさーんっ!』

 

『だーっ! くそっ、わりぃ! ショットガン(SG)! コートは剥いでる!』

 

「はい、了解です」

 

 ロロさんと壊斗さんがダウンして、残るは僕一人。

 

 相手のパーティの一人はロロさんと壊斗さんがダウンさせた。残りはほぼ無傷が一人と、外部装甲であるエナジーコートを失った敵の計二人。

 

 僕が牽制し続けていた敵の一人は常に飛来する銃弾に怯み、一度岩陰に隠れた。

 

 そこを見逃さずにグレネードを投げ、敵がすぐには顔を出せないようにしておく。

 

 その間に僕はロロさんと壊斗さんが削ってくれていた敵に向かう。

 

 岩の裏へと追いやった敵が戦線に戻れば一対二になる。このマッチに参加しているプレイヤーのレベルを考えると、真正面から一対二で戦って勝てる道理はない。

 

 ここは多少無理を押してでも倒し切る。

 

 ショットガン持ちの敵と目が合った瞬間、横にスライディング。数瞬前まで僕がいた場所に複数の弾丸が通過した。

 

 即座にエイムを敵に合わせてスウィングワンの引き金を引く。

 

「っ……避け切れはしないか」

 

 頭、胴体と撃ってダウンを取ったけど、ダウンする寸前にショットガンを撃たれた。照準を合わされにくくするために小刻みに動いてはいたが、拡散する子弾全てを回避することはできなかった。弾が体の末端を掠め、そのダメージで損傷していた僕のエナジーコートは耐久値を全損し、効力を失った。

 

『わぁっ! ジンさんないすぅっ!』

 

『あと一人! 一対一(ワンブイワン)!』

 

 最後の一人。岩陰に隠れている敵を倒すため、岩に接近する。

 

 さっきまでいた場所では遮蔽物がなかったのだ。相手は体力がほぼフル、対してこちらはコートを失って本体にまでダメージが入っている。

 

 そんな状況で遮蔽物なしで撃ち合うなんて自分で自分の首を絞めるのと同じこと。

 

 体力が削れているため接近するのは抵抗があるけれど、勝つためにあえて肉薄する。

 

「っ……」

 

 グレネードを放り込んだ岩の反対側から回って出てくるかと思ったけれど、この敵はグレネードの爆発から距離を取ってやり過ごしてから、同じところから出ようとしてきていた。予想が外れた。

 

 ただ、相手も僕がこんなに間近まで近寄っているとは思っていなかったようだ。エイムが乱れていた。

 

『ひぁっ……』

 

『こっちから出んのかよっ』

 

 残弾の心許ないスウィングワンから、近距離では圧倒的な威力を誇るショットガン──ビースウィーパーに持ち替え、まず一発。散らばった弾の全てが当たったわけではないけれど、この距離だ。相手のコートにそこそこダメージが入った。なので良し。

 

 そのまま撃ち合えばエナジーコートと本体のヒットポイントで差がある分、僕が撃ち負ける。なので一度エイムを振り払うため、スライディングからジャンプして岩を蹴る。

 

 ところで、この周辺には岩や切り立った岩壁がたくさんある。切り立った岩壁はそのままではどうキャラコンを駆使しようと登れないのだけど、その岩壁の向こう側に行くためにところどころ地面から上方向にワイヤーが張られている。ワイヤーを掴めば、キャラクターは自動的に勢いよく上へと運ばれる。

 

 この動きを利用した。

 

 遮蔽物に使っていた岩を蹴ってジャンプ、ワイヤーを掴み、追いかけてくる敵のエイムから逃げつつ、高度を稼ぐ。十分高さを確保できればワイヤーからジャンプする。

 

 すると敵は、遮蔽に使っていた岩に乗るつもりだ、と思い込む。実際そうしたほうが安全で確実だ。高所は有利。常識である。

 

 でもこのマッチに入ってきている猛者たちであれば、僕が岩の上を取ろうとしたところをしっかりとエイムを合わせて撃ってこれるかもしれない。

 

 相手は発射レートの高いサブマシンガンを構えている。今の僕のヒットポイントでは岩の上を取る前に削り切られる恐れがある。

 

 だから、その裏をかく。相手が猛者だからこそ意表をつける。

 

 ワイヤーからジャンプして、遮蔽の岩から真逆へと方向転換。自由落下しながら敵をショットガンで撃ち据える。

 

「っ……エイムがいい」

 

 予想していた動きと反したことでエイムが振られた敵はしかし()る者、抜群の反応速度で以って再度捕捉してくる。

 

 勝敗は武器が分けた。

 

 サブマシンガンが僕のヒットポイントを削り取る前に、一発一発が重いビースウィーパーが敵のヒットポイントを吹き飛ばした。

 

 敵が全員ダウンしたので、全員が一斉に箱になる。ぽんっ、と一度上に跳ねてから地面に落ちる箱の動きにはユーモアを感じて結構好きだったりする。

 

「……はあっ。なんとか勝てた……。強かった……めちゃくちゃ強かった……」

 

〈おおおお〉

〈うおおおお!〉

〈勝ったー!〉

〈つよおおおお〉

〈キャラコンやっば!〉

〈エイムびたびたやったな〉

〈強すぎいいい!〉

〈ワイヤー使うの頭柔らけええ!〉

〈ワイヤーは痺れたまじで!〉

〈お嬢との貴弾ではこんなにキャラコンしてないよな〉

〈こんなに空中機動使えたんかよ!〉

〈もっと貴弾やれよw〉

 

 息の詰まる戦いだった。相手のパーティも三人全員が強かった。今回は僕らのパーティが勝利を掴み取ったけれど、もう一度やったら次はどうなるかわからない。ふつうにぼろ負けしてもおかしくない。なんなら、よーいどんで戦えば確実にぼろ負けする。

 

 そんな強い相手が、まだ十パーティ以上残ってる。目を背けたくなる現実だ。

 

『わああぁぁっ! ジンさん強おおぉぉっ!』

 

『うおおぉぉっ! 強すぎいいぃぃっ! 嘘だろ?! 勝てんのかよ! ほとんど一対二(ワンブイツー)じゃねぇか! このマッチでワンブイツー返せんの?! 強すぎだろ!? 貴弾やれよ!!』

 

〈盛り上がりやばいw〉

〈強すぎいい!〉

〈勝つんかい!〉

〈コートない状態からひっくり返したもんなー〉

〈壊斗w〉

〈壊斗さん荒ぶってんなぁw〉

 

 味方のダウンを回復させる前に、先に敵の棺桶からコートを拝借して交換しておく。今のままだと漁夫にこられたら銃を構える暇もなく地面の染みにされてしまう。体力も回復させておきたいところだけれど、こちらを回復させようと思うと時間がかかるので後回しだ。

 

 壊斗さんよりも前に倒れていたロロさんを先に回復し、ロロさんに壊斗さんのダウンを回復してもらう。その間に僕は本体ダメージの回復をしたり、敵の棺桶を漁って物資を整えて漁夫警戒だ。

 

「……戦ってる時、全然喋れませんでした。配信者としてあるまじき姿です」

 

『志高すぎだろお前! あんな限界バトルで喋れるやつはどうかしてるぞ!』

 

『ほんとだよっ! 強かったよジンさん! かっこよかった! すっごいかっこよかった! ロロなんか壊斗くんと二人でかかってもすぐやられちゃったのに!』

 

「僕だけの勝利ではありません、チームの勝利ですよ? 僕らは三人で一つのパーティなんですから。みんな自分のやるべきことをやった結果です。誇りましょう。……こんなに強い相手がこれからも続くのかと思うとぞっとしますけどね、さすがに」

 

『それはそう。やっぱ最高位帯のプレイヤーって強いんだな。エイムめちゃくちゃよかったわ。動きやべぇし。ロロと二人で挟んでなかったらマジで一人も落とせてなかったぞ』

 

〈謙虚だなぁおい!〉

〈ぜんぜんテンション変わらんの草〉

〈こういうとこお嬢と似てるわw〉

〈まじでデュマ帯やばすぎ〉

〈あんだけ動いてんのにあててくんのバケモンだろ〉

 

『だよね。ロロ、たぶん五十か六十くらいしか入れれてないよ、ダメージ』

 

『いや、ロロはよくやった。マジでよくやった。ロロの削りのおかげですぐに一人落とせたから、もう一人コート剥ぐまでいけたんだよ』

 

「そうですね。削ってもらえてなかったら、僕は二人に囲まれてたでしょうから絶対に負けてました。ロロさん、お手柄です」

 

『そっ、そんなこと、ないけど……えへへっ。FPSって楽しいね!』

 

〈ロロさんがんばったな〉

〈新兵働いた〉

〈ムーブについていけてるだけで偉いわ〉

〈始めたばっかとは思えんくらい強いよw〉

〈照れとるw〉

〈照れてて草〉

〈かわいい〉

〈ゲーム楽しいねぇw〉

 

『単純かよ! でもわかる。楽しい。フルパでやるのが一番楽しいわ』

 

『一人でやってる時はこんなに楽しくなかったもん。友だちとやったらこんなに楽しいんだね』

 

「これはFPS、というよりは貴弾の魅力でしょうか。全員で連携を取って勝てた時は面白さががくんと増しますよね」

 

『んお、おお……「がくん」って効果音は下がる時のやつ!』

 

『くふっ、ふふ、ジンさんの独特な感性出てるっ』

 

 さっきの戦いでも、まともにぶつかればひとたまりもないと判断したので策を講じた。

 

 敵パーティの内の一人が離れていたので、そちらを壊斗さんとロロさんにやってもらった。残った二人に回り込まれて射線を作られたり挟まれたりしないよう、僕は足止めに徹して時間を稼いでいた。僕らは敵パーティよりも総合力では劣っていたかもしれないけれど、作戦と報告とフォーカス、連携で力の差を補った。

 

 こういうチームプレイはソロでマッチに入っているとそうそう経験できない。フルパ──フルパーティでやっているからこそである。

 

『あー……だめだ。さっきのバトルの熱冷めねぇよ。最後のジン・ラースのキャラコンやばかっただろ! 弾除けスラジャン、壁ジャンからのワイヤー、高所取ると見せかけて空中機動でフェイント! どうなってんだよ! 脳みそ何個ついてんだよ!』

 

「右と左で二個ですね」

 

『ぐっ、ふふっく……くっそ、こんなのでっ……だあははっ、悔しいっ』

 

『ふっ、んふっ……なんでジンさんっ、平然とそんな冗談言えるの? ふふっ。壊斗くんとのテンションの落差っ、すごすぎるっ、あははっ』

 

〈やっぱフルパよ〉

〈フルパやるフレがいねぇんだよ!〉

〈はやくクリップ見たいわ〉

〈キャラコンえぐかったからな〉

〈草〉

〈右脳と左脳やそれ〉

〈草〉

〈持ちネタかよw〉

〈お嬢の時も言うとったなw〉

 

「まだ一回勝っただけですからね。気を引き締めて行きましょう。目指すはもちろん、一位なんですから」

 

『お……おっしゃあ! 一対一で勝てる気はしねぇけどやったらぁ!』

 

『うん! せっかくだし一位取ろうよ! ロロが役に立つとは思えないけど!』

 

「気合の入り方と言ってる内容が噛み合ってないんですよね」

 

〈強気かと思ったらぜんぜんネガティブで草〉

〈勢いはいいw〉

〈言ってることネガティブなんだよなw〉

〈声のテンションで勘違いするわw〉

 

 とても明るい元気な声でネガティブなことを言っている。思わず聞き流しそうになった。

 

 自信はないけど、弱気だと勝てるものも勝てなくなるから声を張っている、という感じだ。相手は全員が僕らよりも圧倒的に格上なので仕方がない。

 

 ノリとテンションでどうにかなるような甘い戦いではないけれど、腰が引けてしまうと勝てるものも勝てない。虚勢でも強気なほうがいい。弱気になって投げ出してしまうよりよほど健全だ。

 

「敵のボックス漁ったらまた移動しますよ。安地が遠いので」

 

『おっけ』

 

『はーい!』

 

 僕らが飛行機からの降下で降り立ったのはマップの右上の端。

 

 安全地帯の第一収縮はマップ中央から少し南西寄りといったところ。一回目の収縮だと安全地帯外のダメージはそれほど重くはないので、回復アイテムに余裕があれば気にする必要もないけれど、二回目の収縮以降は話が変わってくる。安全地帯外のダメージを受けながら戦闘とか絶対にしたくないので、なるべくなら安全地帯内に入っておきたい。

 

 順調に移動を続けていたけれど、視線の先に大きな川が見えるエリアでとうとう行く手を阻まれた。

 

『あーっ! うぜーっ! ちくちくちくちくとスナイパーがよぉっ!』

 

「彼らの狙い、いいですね。弾道をよく理解されてます」

 

『いやジンさん、相手を褒めるのはいいですけど……ここからどうするんです?』

 

〈壊斗さんご乱心〉

〈やらしいポジション取ってるな〉

〈SOがなんでそんなにあたる?〉

〈兄悪魔スウィングワンうますぎだろ〉

〈一人でダメージ返してるw〉

 

 このマップは西から中央を経由して南東へと川が流れている。その川には橋が架けられているのだけど、その橋まで遮蔽に使えそうなものがない。

 

 しかも川には河港水門と呼ばれる建物が設置されており、そこに敵が陣取っていた。河港水門は身を隠せるブロックがあり、しかも位置が高くなっているので橋周辺を見渡せるのだ。そこに敵パーティは立て篭り、橋を渡らせまいとスナイパーライフルで牽制してきている。下手に顔を出すとダウンどころか確キルまで取られかねない。

 

 僕らは決断を余儀なくされていた。

 

 安全地帯の収縮が背後に迫っているので移動しないと安全地帯外ダメージで焼け死んでしまう。けれど、遮蔽物から乗り出して無計画に橋に向かえばスナイパーライフルに風穴を開けられる。

 

 僕の遠距離用の武器は倍率の低いスコープが載ったスウィングワン。スナイパーライフルを持った猛者相手にピストルは厳しい。ダメージトレードは良くてもとんとんだろう。待ち構えているパーティはスナイパー二人だけだけれど、一気に撃ってこられたら簡単にダウンまで運ばれかねない。

 

 はてさて、どうしたものだろうか。

 

『お、救援物資だ』

 

「救援物資……あれ(・・)、入ってたりしないですかね」

 

『ここであれ(・・)入ってたらシチュエーションは完璧だな』

 

『ん? あれってなに?』

 

『救援物資の中にはたまに化け物みたいなスナイパーライフルが入ってんだよ。相手の防具にもよるけど、頭に入れれば一発でダウン取れるくらいのやっばいのがな』

 

「それが入っていればこの状況を打破するきっかけになるかもしれません」

 

〈入ってたらひっくり返せるかも〉

〈化け物対物ライフル〉

〈対化け物ライフルだ〉

〈草〉

 

『そうなんだ! ならぜったい取らなきゃ! ロロ見てくるよ!』

 

『待て待て待て! ロロ、待て。救援物資が落ちてくるとこ、スナイパーライフルの射線がぎり通ってる。だからあれが落ちてくるまで待ってろ』

 

「僕とロロさんで牽制しておきますから、壊斗さんが回避行動を取りながら救援物資を見に行きましょう。スナイパーライフルが入っていた時のためにここに武器一本置いていったほうがいいです」

 

『おっけ』

 

「ロロさんは僕と一緒に牽制しましょう。体を出しすぎないように注意しましょうね。あの人たち上手なので」

 

『むぅ……わかった』

 

〈新兵!〉

〈自分から動くのはいいこと〉

〈ロロさんえらい!〉

〈危ないからねw〉

〈新兵お留守番〉

〈フォローするのも大事だから〉

 

「ロロさんのことを信用していないということじゃありませんからね? 被弾を少なくするためのテクニックがあって、それをまだロロさんには教えられていないので、今回は壊斗さんに救援物資を見に行ってもらうんです」

 

『こんなことでいじけんなよ、ロロ。適材適所ってやつだぞ。牽制するのはエイムがいいジン・ラースがやったほうがいいし、救援物資を見に行くならキャラコン知ってる俺のほうがいいってこった。ロロはジン・ラースと一緒に、俺がやられないように牽制手伝っててくれ』

 

『うん……。ただ、ロロは……武器取りに行って壊斗くんがキル取られる可能性があるんなら、代わりにロロが行ったほうがいいんじゃないかなって思っただけ。一番弱いから、キル取られてもここからの戦闘に影響ほとんど出ないだろうし……』

 

「何を言ってるんですか? このゲームは三人一組で動くゲームですよ。三人生存しているというのはそれだけで強いんです。三人いるってだけで相手に圧力をかけることができますし、射線が一本増えるだけで戦闘は有利になります。いなくてもいいパーティメンバーなんていません。ロロさんには、いてもらわなければなりません」

 

『っ……うん』

 

「今はまだできることが少なくて、それで思うところもあるかもしれませんけど、始めたばっかりなんですから仕方ないんです。これだけオーダーを聞いて動けているだけでとてもすごいんです。ロロさんはとても頑張っています。だから焦らないで、できることを一緒にゆっくり増やしていきましょうね」

 

『うんっ……ぐすっ。……ごめんなさい、がんばるっ!』

 

『気にすんなロロ! こんなバケモンの巣窟みたいなマッチだったら俺も大して変わんねーから! ジンが強いだけなのに、俺なんか腕組んでどや顔してんだぞ。俺つえーって! 向上心あるだけ俺よかましだ!』

 

『うんっ、ぐすっ。もうっ、わかったってばぁっ……。二人してやさしくしないで……泣いちゃいそう』

 

〈新兵……〉

〈ロロさんもできること頑張ろうとしてんだよな〉

〈やさしすぎ〉

〈ロロさんいい子すぎて泣きそう〉

〈味方を犠牲にして勝ったってしゃあないんだから〉

〈もっと気楽に楽しんだらええのよ!〉

〈自分だけなんもできなかったら悔しいよなぁ〉

〈ロロさん十分働いとる〉

〈始めたばっかでこんだけできてりゃすげぇよ〉

 

「あはは、泣いちゃだめですよ。泣くならこのマッチが終わった後です」

 

『だははっ! いーや、泣け! わんわん泣け! 向こう一年はそれでいじってやる!』

 

『泣かないっ、ぜぇったい泣かないっ!』

 

「ふふっ、人間様もロロさんのこと応援してくれてますよ。〈いい子すぎ〉とか〈十分働いてる〉〈始めたばっかりなのにすごい〉って」

 

『だははっ! ちなみに俺んとこのリスナーも言ってんぞ! 〈がんばってんじゃん〉〈よくやってる〉〈見直した〉だってよ!』

 

『やめ、やめてぇ……っ、やっと引っ込んだのにっ……また涙出てくるからぁっ……』

 

『はっは! よっしゃ、救援物資見てくるわ。牽制頼むぞ』

 

「ええ。お任せください。ロロさん?」

 

『ぐすっ……うんっ、大丈夫! 壊斗くんがやられちゃわないように、でも自分もやられちゃわないようにあんまり体を出しすぎない!』

 

「完璧です」

 

 僕は遠距離にも対応できるスウィングワンで、ロロさんはマークスマンライフルのEヘヴンクラウドで、河港水門の上に陣取るスナイパーに攻撃していく。

 

『やったやった! どっちも一発あたったよ!』

 

「ナイスです。一人はコートを剥いで肉まで入りましたけど……どちらも遮蔽に隠れましたね。やはり距離があるので立て直されてしまいますか。ですがこれでしばらくは安全が確保されました」

 

〈この距離でどんだけあてんだよ……〉

〈スウィングワンあてすぎいいい!〉

〈ダウン取れそうでくさ〉

〈ダウン取れても隠れられて回復されるからなぁ〉

〈新兵がんばってる!〉

〈ロロさんナイス!〉

〈新兵やるやんけ!〉

〈すごいぞ!〉

 

 できればこの隙をついて橋を渡りたいところだけど、僕らがいる遮蔽から、橋の遮蔽まではかなり距離がある。

 

 今みたいに削って一度引っ込めさせても、河港水門の敵は受けたダメージをゆっくり回復させてから狙撃してくる。対して僕らは回復する暇もなく移動しなければいけないので、移動途中に狙撃されたらダウンする可能性が高い。

 

 違うパーティが河港水門のパーティに攻めかかってくれないかと期待していたけど、それより先に安地収縮がきてしまいそうだ。

 

 やはり状況を大きく変える一打が必要だ。

 

『おらぁっ、喜べ! 今日の俺たちはついてるぞ!』

 

 ぴこん、とシグナルが発された音がした。

 

 そのシグナルが示しているのは、武器がここにあるよ、という情報共有だ。報告のログには、『「ブレイカー」を発見』とあった。

 

「願った通りの銃がきましたね。ナイスです」

 

『この「ブレイカー」っていうのが、さっき言ってたすっごい強い銃?』

 

「そうですよ。発射レートは低いですし、マガジンにもあまり弾は入りませんし、用意されている弾も少ないですけど、当てさえすればほぼ瀕死に追い込めます」

 

『よっし。水門のところは大丈夫そうだな。他のパーティが寄ってきてないかも見といてくれ』

 

『んー、大丈夫そうだよ。見えない』

 

「ここは安地の際も際ですからね。他のパーティは先に安地内に入っているのかもしれません。はい、おかえりなさい」

 

『うい。ただいまっと。そんじゃジン・ラース、一発ぱこんと頭撃ち抜いてやれ』

 

『ジンさんやったれー!』

 

「そんなに簡単に当てられるものでもないんですけどね……」

 

〈きたー!〉

〈ブレイカーきちゃ!〉

〈あとは当てるだけ〉

〈当てれたら最強なんだから!〉

〈あたらんやんけ!で捨てるまでがワンセット〉

〈ブレイカーは強いけど弾道がなぁ〉

〈弾遅いんだよこれ〉

〈強い(あたったら)〉

 

 壊斗さんからゲーム中最高威力を誇るスナイパーライフル、ブレイカーを譲り受ける。代わりに僕の相棒スウィングワンとはここでお別れだ。ブレイカーとスウィングワンでは武器構成が悪くなってしまう。

 

『そんじゃ、どうする? ジン・ラースが一枚落としたら逆に水門のとこ襲いに行っちまうか?』

 

『あそこのパーティの人は一人落ちてるみたいだしね』

 

「いえ、やめておきましょう。河港水門までは距離があるので乗り込む前にダウンの回復が間に合います。それに、川を越えた向こう側からなら水門の近くにも遮蔽がいくつかあるんですが、こちら側には遮蔽が少ないんですよ。投げ物で簡単に返されてしまうので、僕らから水門に攻めに行くのは控えましょう。三人同時に橋に向かって走って、相手の狙いが散ったところを僕が一枚落とします。相手はダウンの回復に専念するかもしれませんし、たとえさらに撃ってきたとしても射線が一本だけなら、みんなで撃ちながら進めば橋までは到達できます」

 

『橋についたら回復して仕切り直しだな。おっけ』

 

『うー……こっち、けっこうポジション的に不利なんだね……』

 

「僕らのポジションが不利なのはもちろんですけど、河港水門が川のこちら側、北東側に対してかなり有利なんです。高さもありますしね。でも川のあちら側、南西側に対してはわりと不利なポジションではあるんです。南西側には高さのある建物が多くて射線も開いてますから。なのでバランスは取れてますね」

 

『へー、そうなんだ!』

 

〈へーそうなんだ〉

〈そうなんだ〉

〈へー知らんかった〉

〈新兵と同じリアクションで草〉

 

『詳しすぎだろ。なんで貴弾やってないのにそんなマップ構造詳しいんだよ』

 

「まったくやっていないわけではありませんから。エイムの感覚を錆びつかせないように気まぐれにカジュアルマッチやってます」

 

『クラスマッチやれ。そんで適正クラスに行け。そんで俺と一緒にクラスマッチしろ』

 

「最後のが本音のような……。安地きてるんでそろそろ出ます」

 

『はいっ!』

 

「いい返事」

 

〈ほんとマップ理解度高いな〉

〈貴弾やれw〉

〈なぜカジュアル〉

〈クラスマやれ〉

〈壊斗さんw〉

〈壊斗さんと組んで今シーズンマークィス狙えよw〉

〈がんばれー〉

〈新兵元気いい!〉

〈ロロさん返事はデュマ帯あるw〉

 

 一斉に遮蔽から飛び出し、橋へと向かう。

 

 やはり予想通り、河港水門のパーティは顔を出してきた。

 

 狙われたのは一足分出るのが早かった壊斗さんだった。

 

 全力疾走していても、弾道や偏差を考慮してエイムを合わせてきている。少しでも壊斗さんのスライディングが遅ければ当たっていた軌道だった。

 

 このマッチ、本当に強い人しかいない。

 

 僕の狙撃が当たらなくても三人で同時に出ていれば、橋の遮蔽まで一人か二人は辿り着くだろうと予想していたけれど、運が悪ければ三人全員撃ち抜かれかねない。

 

 やっぱり僕が一人は確実に落としておかないといけない。

 

 スライディングで地面を滑りながらブレイカーを構え、スコープを覗く。

 

 偶然にも、水門の敵は二人ともさっきまで同じ遮蔽物に隠れていて、二人とも同じ遮蔽物の左側から体を出して撃ってきていた。僕からの視点だと、手前の敵と奥の敵で体が重なっていた。

 

 この機を逃さず、手前の敵の頭を狙う。スライディングが終わって体が止まった瞬間に引き金を引く。

 

 ブレイカーが火を噴いた。他の銃とは異なる独特な重厚感のある発砲音を轟かせる。

 

 思い描いていた弾道をなぞるように、弾丸は空気を引き裂きながら飛翔して手前の敵の頭に吸い込まれる。血に飢えた弾丸は一人食い破っただけでは飽き足らず、貫通して後ろの敵の胴体にもヒットした。

 

 手前の敵はヘッドショット一発でダウン。奥の敵も、エナジーコートをやすやすと引き裂いて本体にもダメージが食い込んだ。

 

 望外の成果だ。予定とは違うけれど、ここで方をつけるべきである。

 

「二枚抜き。一人ダウン。奥の敵肉ダメ。足止めて撃っていいです」

 

『うおおぉぉっはっは! ナイスぅぅっ!』

 

『に、二枚抜き? え? ……あ、ふぉーかす、ふぉーかす……』

 

〈あたれー〉

〈うおおおお!〉

〈やりよったw〉

〈ないすううう!〉

〈二枚抜き草〉

〈店主! クリップもう一丁!〉

 

 二人に指示を送り、僕はブレイカーの次弾装填だ。

 

 ブレイカーは一発撃ったらコッキングして再装填するというモーションが入る。しかもADS──スコープを覗いたままだと装填してくれないという聞かん坊の問題児だ。威力だけは高いが、威力以外の部分があまりにもお粗末である。

 

 でも、戦況を変える一手にはなるんだよね、これ。攻める時の起点作りにもなる。

 

 今の僕たちのように周りが格上相手ばかりだと、一手で盤上を覆す強力な銃はたとえ取り回しに難があろうと手放せない。

 

 ブレイカーを再装填してスコープを覗いた時には、すでに生き残りのもう一人の敵は壊斗さんとロロさんに撃たれて倒されていた。お見事だ。

 

「ナイス。やっぱり水門は一欠けでしたね」

 

『いやナイスううぅぅっ! ブレイカーうますぎだろ! ここで二枚抜きかよ! SRも使えんのかお前は!』

 

「ふふっ、二枚抜きは出来過ぎてました。ちょうど重なってたんで、あれに関しては完全に偶然ですよ」

 

『一人目を一発で倒したのは偶然じゃない……んです?』

 

「一人目はしっかり狙いました。壊斗さんがヘイトを買ってくれてましたからね。あれで当てられなきゃ僕にブレイカーを持たせてくれている意味がなくなってしまいます」

 

〈神ショット〉

〈二枚抜ききもちいい!〉

〈草〉

〈壊斗さんの褒め方気持ちいいなw〉

〈兄悪魔の分もテンション上がってるw〉

〈しっかり狙いました……?〉

〈狙って当てれたら苦労しないんだよ!〉

 

『どんだけ自分にプレッシャーかけてんだよ。もっと気楽にやってくれ。そのためのカジュアルだぞ』

 

『す、すごぉ……。ろ、ロロも、いつかこんなふうに……』

 

『おい、ロロ。あんまこいつ参考にすんなよ。こいつを基準にすると求めるハードルが上がりすぎる。最初の目標は一対一で勝てるようになるとかそんなもんでいいんだ』

 

〈カジュアルのひりつきじゃないんだよな……〉

〈ほぼデュマ帯だからな〉

〈兄悪魔は見習うべきじゃない〉

〈ロロさん引き返せ〉

〈教官には最適だけど目標にするにはあまりにも不適切〉

〈壊斗さんありがとう〉

〈これ目指すとかプロシーン目指してんのかって話よ〉

 

「そうですよ。目の前の階段を一段一段丁寧に上っていけば、いつかいろんなことができるようになりますよ。それに自分一人でなんでもできるように、なんて思う必要もありません。苦手なところは仲間にカバーしてもらえばそれでいいんです」

 

『はいっ! がんばりますっ!』

 

「とてもいいお返事ですね。一緒に頑張りましょう」

 

『……一人でなんでもできるやつがそれ言うのか?』

 

「なんです? 壊斗さん?」

 

『ああいやごめんごめん、なんでもない』

 

「そうですか。それでは次に進みましょう」

 

『水門のボックス漁りてーな』

 

「補給したいところなんですけどね。ここはやめておきましょう。遠回りになりますし、あのパーティも僕たちとの戦闘で物資はおそらく枯渇しています。警戒しながら進んで漁り残しを拾っていくほうが生き残れる可能性は高そうです」

 

『それもそうだな。節約しながら進むか』

 

〈新兵がんばれ〉

〈ゆっくりうまくなったらいいんだから〉

〈たしかになんでもやってんな〉

〈IGLやってワンブイツー返してブレイカーで二枚抜きするバケモン〉

 

『あ! 残りの部隊数九だ! 一桁順位!』

 

「おー、案外他のエリアでもバトルしてるみたいですね。減りが早いです。まさかこんなに生き残れるだなんて思ってませんでした」

 

『なに言ってんだジン』

 

『そうだよ! なに言ってるのジンさん! 弱気はだめだよ!』

 

『俺は降下軌道見た時にはすでにこのマッチを抜けてやろうかと考えてたぞ』

 

「ふふっ、あははっ。誰よりも諦め早い人いません?」

 

〈とうとう折り返しだ〉

〈ようやっとる〉

〈生き残れてるのやばいな〉

〈弱気発言絶対許さない新兵〉

〈ロロさんの元気は万病に効く〉

〈壊斗さん草〉

〈たしかに抜けたくはなるw〉

 

『壊斗くん! 弱気じゃ勝てないよ!』

 

『なんだよ。今は勝つつもりでやってんだからいいだろ』

 

『それならいい!』

 

「素直ないい子もいます。さて、ここからですが──」

 

 僕の計画では河港水門の敵をどうにか一枚落として牽制しつつ、橋に移動。安全に回復してから川の対岸に渡り、回り込んで河港水門のパーティとバトル、と目論んでいた。

 

 想定以上にうまくことが運んでしまったのでかなり計画からは外れてしまった。でも手間が省けたのでよし。時間をかけすぎて漁夫に襲われるリスクを消せたのはよかった。

 

 全体マップの南西に寄っているリング収縮を考えると、北東の端にいる僕らがこれから取れるルートは三つある。

 

 一つは南西の安全地帯内へと一直線に向かうルート。このルートで行くには見通しのいい平原を突っ切る必要がある。平原にも遮蔽物はあるとはいえ、視線も射線も通しやすい。バトルの起きやすいエリアだ。化け物みたいな猛者たちが闊歩しているこのマッチでバトルが起きやすいエリアに行くということは、つまりほとんど勝ちを諦めているようなものである。

 

 二つ目は北西大回りルート。平原のバトルに巻き込まれないよう、北から北西に伸びている大きな岩山に体を擦りつけながら迂回するルートだ。平原横断よりかはリスクは少ないけれど、平原での戦いに敗れたパーティとムーブが被ったり、そういうルートで安地内に入ろうとしているパーティを狩るために有利なポジションで待ち伏せしているパーティもいる。一つ目よりかは相対的に安全かな、といったルートだ。

 

 三つ目はまたもや安全地帯のリングの(きわ)、リングの(ふち)をなぞるように東から南へとすれっすれを掠めて大きく迂回するルート。平原の南東にあるコンテナ集積場から北上するパーティとぶつかる可能性もあるけれど、うまくやればやり過ごせるし、位置取りとタイミング次第で北に追いやることもできる。このルートだと、平原の南に寝そべるように連なる岩山に肩を擦りながら西へと進むことになる。その先は、岩山と岩山に挟まれた一本道になっているので、ここで待ち構えられたらリングの収縮もあいまって僕たちは大変窮地になるけど、待ち構えているパーティさえいなければ安全地帯内に入ることは容易になる──

 

「──といったところなんですが、どうします? 僕としては三つ目のこそこそルートがお勧めです」

 

『んー、そんじゃ三つ目でいいんじゃねーの?』

 

『ロロも、そう思います。まだ安地はわりと広いのに、残りのパーティ数は九。パーティ数が少ないなら、こそこそルートの先で待ち構えているようなパーティもいないんじゃないかな? って』

 

「ロロさん偉いです。そうですね。どのルートを選んでもどうなるかはわからない。わからない中でも今持っている情報を参考にしてどのルートが安全だろうかと考える。とても大事な考え方です。偉いですよ」

 

『えへっ、いやぁ、そんなっ……えへへ』

 

『おいやめろよ! そんなん言ったら「三つ目でいいんじゃね?」って言った俺がなんも考えてないばかみたいになるだろ! やめろよ!』

 

〈平原は避けたいよな〉

〈クラスマでもカジュアルでも激戦地帯だ〉

〈ロロさん考えてる〉

〈新兵急成長〉

〈やっぱり教官にするには兄悪魔は最適だ〉

〈壊斗……〉

〈壊斗さんw〉

 

「ふふっ、比較的に思考停止した答えではありましたね」

 

『笑いながら言うセリフじゃねーな?!』

 

『ロロが壊斗くんに勝つ日もそう遠くないかもね?』

 

『一対一ではすぐに負けねーだろうけど、パーティとしてなら負ける日近そうで怖いな……』

 

 このマッチがカジュアルということを踏まえれば、ロロさんの考え方は的外れなものではないだろう。

 

 カジュアルマッチはどれだけ早く負けてもポイントの減少はないので、新しいムーブを試してみたり、クラスマッチに行く前にアップとしてプレイする人もいる。シンプルに撃ち合うのが好きな人や、クラスを気にせずに気楽に遊びたい人だっている。

 

 そういう人たちは目の前で繰り広げられているバトルに飛び込んでいきがちである。それが目的でカジュアルマッチをやっているのだから、当然といえば当然だ。

 

 銃を撃って敵の血を浴びにきたトリガーハッピーなバーサーカーさんたちが、あえてリングの端っこでじっと待ち構えている可能性は低いだろう。そんなところで息を潜めて待ち構えてでも勝ち残りたいのなら、安全地帯の内側のもっと有利なポジションを確保しておいたほうが賢明だ。

 

 三つ目のルートは、かなり遠回りにはなるけれど安全度は高いだろう。

 

「それでは三つ目のルートで行きましょう。南東からパーティがきてなければ一番嬉しいですね」

 

『なんで言った? フラグじゃねーかそれ』

 



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「先輩……待っててね」

お兄ちゃん視点、後半ちょこっと別視点です。


 

 こそこそルートで安全地帯を目指した僕らは、幸いなことに南東のコンテナ集積場でも敵パーティに遭遇せず、その先の岩山と岩山の一本道でも待ち伏せされなかった。

 

 順調に歩みを進め、僕らは三回目の安全地帯収縮も乗り切ることができた。

 

 最終安地はマップの南西に位置する港湾都市、ここのおそらく北か東になる。

 

 化け物スナイパーライフルのブレイカーに最初から搭載されている高倍率スコープで有利になりそうなポジションを確認する。しかし安地内に入ったのが遅かったため、高所や守りやすい建物の中は取られていた。

 

 ここまでは覚悟していたので潔く諦め、次いで安全に立ち回れそうなポジションへ移動する。

 

 移動していた、その最中だった。

 

「っ! 北東。近くまできてます」

 

 周辺でも銃声が間断なく鳴り響いているせいで気づくのが遅れた。

 

『うっお……まっずいな』

 

『わっ……え、壁にっ』

 

「ロロさん、戻っちゃだめ。南西から射線通る。前に行きましょう。倉庫の壁沿いに奥進んで」

 

『は、はいっ』

 

『だぁっ! 見つかった! そっち行けん!』

 

「わかりました。こっち、左の倉庫の中にも一パーティいるんで、窓には気をつけてください」

 

『おっけ』

 

〈どこで気づいたんだ?〉

〈相変わらず耳いい〉

〈ここで戦いたくないな〉

〈上からの射線怖い〉

 

 戦況はかなりまずい。

 

 移動中に敵に発見されたので壊斗さんは手近な遮蔽物、左と右で二つ並んでいるうちの右の倉庫の東側に隠れるしかなかった。

 

 僕たちは左側の倉庫の西の壁に張りつく。分断されてしまった。

 

 敵が一パーティだけなら離れてしまっていても射線を広げるという考え方で組み立てられたけれど、敵は一パーティだけではない。

 

 平原を抜けて入ってきた北東のパーティと、僕とロロさんが隠れている左の倉庫の中にいるパーティ。そしてもう一つ、南西の建物の二階に陣を構えているパーティ。最悪の場合、三パーティから狙われることを想定しないといけない。

 

 特に、体を出しすぎると南西のパーティから確実にちょっかいをかけられるのが厄介すぎる。動きがかなり制限される。

 

「まずは北東のパーティを狙います。倉庫の北側には窓があるんで倉庫内のパーティも牽制してくれるかもしれません。壊斗さんは南西の射線は通らないので左倉庫の東にある窓からの射線だけ注意を。被弾は最小限に。現状、そちらまでカバー行けません」

 

『了解』

 

「ロロさんは南西、建物の二階からの射線に気をつけましょう。倉庫内のパーティは、きっと僕たちか北東のパーティのどっちかが負けるまで出てきません。ロロさんは倉庫内は無視でいいです」

 

『はいっ』

 

 安全地帯の収縮の四回目が始まっている。

 

 北東のパーティは安地外ダメージで死ぬくらいなら華々しく戦って散ってやる、という気概で攻めてくる。多少の不利は無視して突っ込んでくる。

 

「撃ちます。先頭」

 

 河港水門戦から武器を変えることができていないのが痛い。

 

 僕の今の装備はスナイパーライフルのブレイカーと、ショットガンのビースウィーパー。近すぎず、離れすぎずというこの距離で戦うのは苦しい。

 

 倍率を最小限にしたブレイカーで狙う。

 

『やった! ダウン取った!』

 

「ナイスです、ロロさん」

 

『おお! ロロナイス!』

 

 倉庫の角から顔を出してブレイカーを撃った。先頭のプレイヤーの胴体を貫いてコートを剥ぎ、壊斗さんとロロさんの射撃でとどめを刺した。キルはロロさんに入ったようだ。これが自信に繋がってくれると嬉しい。

 

〈武器やべえ〉

〈あてるんだよなぁ!〉

〈新兵ナイス!〉

〈新兵が取り切った!〉

〈ロロさん!〉

〈ないすうう!〉

 

 北東から走ってくるパーティの一人がダウン。北東のパーティは残り二人。倉庫内のパーティも北を向いている窓から撃ってくれているのは助かる。

 

 ブレイカーから持ち替え、ビースウィーパーで狙う。弾が拡散して大ダメージは期待できないけれど、たとえ少なくてもダメージを与えることができれば今の敵のヒットポイント状況を知ることができる。

 

 近くで撃った時と比べればダメージは塵に等しいけれど、被弾が重なっていたのか運良くコートを剥ぎ取れた。

 

 しかしこちらの倉庫からの弾幕が厚すぎたせいで、北東からのパーティは壊斗さんがいる右の倉庫へと進路を取ってしまった。

 

「壊斗さん。そっち二人行きました。一人はコートないです。SMGとSGは見えました」

 

『んんっ、マジか……おっけ』

 

「ロロさん、窓に近づきすぎなければ北には移動しても大丈夫です。投げ物は飛んでくるかもしれませんので注意を」

 

『はいっ!』

 

 ロロさんには、壊斗さんがいる右倉庫へ向かう生き残り二人を狙ってもらう。こちらには目もくれずに右の倉庫へ急いでいるので落ち着いて狙えるだろう。

 

 僕はブレイカーの再装填をしつつ、南西のパーティの様子を確認する。

 

 有利な位置にいることに笠を着てちょっかいをかけてきていたけれど、あのポジションは奪い合いになりやすい。こちらに目を向けて警戒が薄くなっていたのか、あちらはあちらで襲撃されている。南西の射線はもう考慮しなくていい。

 

 ここで一気に攻勢をかけるべきだ。

 

「ロロさん、壊斗さんのカバーへ。南西の射線はもう大丈夫。北側の窓はスライディングで、あとはまっすぐ走ってください」

 

『えっ、でも、倉庫の東側にも窓があるって……』

 

「それはこっちで防ぎます」

 

『あ゛あ゛あ゛無理ごめん! 一人やって一人三十九! 最後SMG!』

 

「ナイスです!」

 

『うわぁ! すごい!』

 

〈壊斗さんつええ!〉

〈一人持って行ってる!〉

〈強い!〉

〈壊斗もほんとはつえーんだから!〉

〈おおおお!〉

 

 倉庫内の敵は三人ともが北と東の窓に張りついている。扉側は警戒されていなかったのでこっそりと倉庫の扉を開き、フラググレネードを東向きの窓付近に、扉にはインセンディアリーグレネード──通称火グレを投げつける。北側の窓はスライディングで通り過ぎれば射線が切れるし、グレネードを警戒して東の窓から撃つことはできなくなるし、火グレの効果で炎が噴き出し続けている扉から出ることに抵抗が生じる。

 

 これで壊斗さんのいる右の倉庫に北側から向かうロロさんも、南側から向かう僕も安全にカバーに行ける。南西のパーティがバトルになっていなかったら、こうは動けなかった。

 

「ロロさん同時に。イチ、ゼロ」

 

 倉庫の角から体を出してビースウィーパーを一発。ダメージを受けた敵がSMGを乱射する前に僕は身を隠して再装填。

 

『んっ……やった! やったやったぁっ!』

 

 僕に警戒していた敵の残りのヒットポイントをロロさんが背後から削り取ってくれた。

 

『ナイスぅぅ! よくやった! よくやったぞロロ!』

 

〈さばいた!〉

〈取ったああ!〉

〈まじで脳みそ二つあるんちゃうか……〉

〈ロロさん大活躍やん!〉

〈オーダーえぎぃ〉

〈投げ物うまい〉

〈つよすぎいいい!〉

 

 北東から入ってきたパーティの最後の生き残りは僕とロロさんの挟撃により倒れた。コミュニケーションアプリのラグも踏まえて少し早く出たのがいい具合に敵の注意を逸らした。

 

「ナイスです! ロロさんは壊斗さんのダウン回復を。倉庫内のパーティはまだ出てきては……」

 

 倉庫内の敵パーティが無理に出ようとすれば、扉で燃え続けている火グレにひっかかる。ダメージが入ればサウンドも発生するしダメージの数字も出てくる。漁夫にこようとしているかどうかがそれで判断できる。

 

 そう、思い込んでいた。油断していた。

 

 このマッチにいるプレイヤーの実力を、過小評価していた。

 

 火グレの燃焼時間が終われば出てくるはずだから、そこを狙い撃とうと倉庫の角から身を乗り出したら、扉の真下で燃え続けている火グレを、ごくごく細い扉の枠の部分で壁ジャンして乗り越えている光景を目の当たりにした。

 

 しかも、そんなキャラコンを披露しているのは一人だけじゃない。もう一人はすでに倉庫を出ていた。僕たちのいる右の倉庫の北側へと回っている。

 

 さっき僕とロロさんがやったのと同じだ。右の倉庫の東側にいる僕らを、北と南から挟み撃ちにするつもりだ。

 

「ごめんなさい出てきてる! 一人北から回ってる!」

 

『ロロ回復間に合わん! リロードして待ち構えろ!』

 

『う、うんっ!』

 

 敵が扉の枠を壁ジャンして火グレを乗り越え、着地したところをビースウィーパーで撃ち()える。再装填してもう一度撃とうとしたけれど、左倉庫の扉から火グレを踏みながらARを構えて出てきたのが見えたので、右倉庫の東側に移動して射線を切る。

 

 再装填したビースウィーパーからブレイカーに持ち替え、角で敵が現れるのを待つ。

 

 スライディングジャンプで勢いよく姿を現した敵のすぐ間近で、ブレイカーを腰撃ちで放つ。ブレイカーはいくらエイムを敵に合わせていても、腰撃ちだと当たるかどうかは運試しみたいなところがある。そんな運試しにならないよう、画面いっぱいに敵が映るくらいのゼロ距離で撃ち放った。

 

「ワンダウン」

 

『ナイスぅぅっ!』

 

『っ……っ!』

 

 ロロさんの声は聴こえなかった。後ろで銃声が鳴り続けているので、北から回り込んだ敵が僕を挟み撃ちにしないように必死で耐えてくれているのだろう。報告できないくらい集中している。頑張って、ロロさん。

 

「もう一人……っ」

 

 さっきダウンを奪ったようにブレイカーは切り札になりうるけれど、ここでブレイカーを再装填する時間はもうない。

 

 再びビースウィーパーに持ち替えて駆け出す。

 

 待っていたら挟まれる。相手は猛者だ、ロロさんだっていつまでも耐え続けられない。逆にこちらからARを構えていた敵に強襲をかける。

 

 倉庫の角ぎりぎりで壁を蹴り、跳び上がりながら角を出る。

 

 上から撃ち下ろすように一発。

 

 僕のほうから攻めにきたのが予想外だったのか、あるいは高く跳び上がりながら出たのが意表をついたのか、相手は反応が遅れている。

 

 着地と同時にスライディングで被弾を減らして再装填し、近距離からの射撃でフルヒット。あと一発でダウンに持ち込める。

 

『うあぅっ……ごめんなさい! ぜんぜん削れてないっ』

 

『ジン! そっち行った!』

 

「っ……よく持ち(こた)えました。ナイスです」

 

 とうとう右倉庫の北側を守ってくれていたロロさんが落ちた。デュークやマークィスなどの最上位帯のプレイヤー相手に、つい最近始めたばかりのロロさんがこれだけ粘ったのは大健闘だ。

 

 あとは僕の仕事だ。

 

 北から回り込んでくる前に、目の前の敵を倒し切らなければならない。

 

 そういう焦りがあったのか、あるいは集中しきれていなかったか。

 

「っ、(はず)……」

 

 (はず)した。

 

 敵の動きを見誤った。壁ジャンで跳び上がるのを予期できず、一発外した。

 

 空中機動を挟んだり左右に小刻みに動いて被ダメージを最小限に抑えながら再装填、胴体に撃ち込んでダウンを取る。

 

 リロードしたかったけれど、その前に北から倉庫をぐるっと回った敵、最後の一人が現れた。

 

「ぐっ……」

 

 たった一発、されど一発だった。

 

 一発外したせいでキルタイムが長くなり被ダメージが増え、最後の一人がくる前にやっておきたかったリロードの時間も失われた。

 

 相手がスライディングでエントリーしてきたところを撃つもフルヒットならず。再装填中に壁ジャンスライディングで被弾を抑えようにも相手のエイムを振り切れず。

 

 結果、最後の一人のコートを剥いで肉ダメをいくらか与えたところで、あえなく撃ち取られた。

 

 一つのミスショットが明暗を分けた。

 

「くっ、ああっ……ごめん。負けた! やられたっ……」

 

『いやナイファイ! ナイファイだった!』

 

〈惜しいいい!〉

〈いやすげえよ〉

〈なんで勝ちかけてんだw〉

〈ゼロ距離ブレイカーは震えた〉

〈ナイファイだったわ〉

〈あまりにもGG〉

〈ナイスファイト!〉

〈動きやば〉

〈こーれはクラス詐欺ですね〉

 

『うわああぁぁっ……ロロがっ、もう少しっ……っ』

 

「いやロロさんっ! すごかったですよ! あんなに時間を稼いでくれるなんて、正直思ってませんでしたよ!」

 

『いやマッジでそう! 倉庫の角の使い方お前っ、めっちゃくちゃうまかったぞ! よくあんだけ粘ったなぁっ、おいっ!』

 

 ロロさんの声が震えていたことを感じ取ったのか、壊斗さんも続いてくれた。

 

 相手との実力差やプレイ時間の差を考えればロロさんの功績は大金星みたいなものだ。へこむ必要なんて何もない。

 

「音聴いてましたけど、なるべく時間が空かないように撃ち続けて相手が出てこないようにしてたんじゃないですか? あれとてもよかったですよ」

 

『ぐすっ……っ、ん。きっとジンさんならどうにかしてくれるって思って、とにかくロロは足を止めさせようって思って……』

 

『へこむなへこむな! あれマジでよかったぞ!』

 

「壊斗さんの言う通りです。時間を稼いでくれていたおかげで倒しきれたんですから。最後のシーンは僕が外したせいで(しの)げなかったんです。ロロさんは何も悪くありませんよ。やれることを全部やれてました。すごいですよ」

 

『うんっ、ぐすっ……でもっ、ひっぐ……っ、勝ちたかったぁっ! くやしいっ! あんなに、ジンさんがっ……ジンさっ……が、がんばってくれだのに゛ぃっ……』

 

「ふふっ、そうですね……勝ちたかったな。でも、勝てるのは二十もパーティがある中で一つだけですからね。力が及びませんでした。みなさん本当にお強い」

 

『さいご、さいごにどうして怖がっちゃったかなぁ……っ。ジンさんも怖がって尻込みするより強気に前出たほうがいいって言ってたのになぁ……ぐすっ』

 

「その判断が間違っていたかどうかはわかりませんよ。強気になりすぎるあまり、前のめりになって撃ち負ける、なんてこともありますからね。大事なのは、他にどんな方法が自分に残されていたか考えることです。同じようなことがシチュエーションの時に、次はもっと上手く立ち回れるように、次に活かせるように考えることです。ロロさんはそれができてます。とても立派ですよ」

 

『っ……次に、活かすっ。うんっ! あーっ! 一生懸命がんばってると、勝った時うれしい分、負けると悔しいんだ……っ、もっとがんばるっ』

 

〈めっちゃがんばってたよ〉

〈ロロさんがんばってた〉

〈いい子すぎ泣く〉

〈始めたばっかでこんなマッチとか俺ならなんもできないぞ〉

〈初心者でこれはようやりすぎとる〉

〈くやしいよな〉

〈ロロさんはうまくなるタイプだ〉

〈ワンマッチで新兵卒業〉

〈もう新兵とは呼べないなw〉

 

「一緒に頑張りましょう。わからないことがあったら何でも訊いてくれていいですからね。……壊斗さん?」

 

『……いや、最後まで戦ってたお前らがそんな調子だと、その前に死んでる俺の立つ瀬がねーよ……。初心者のロロ抱えて二対三(ツーブイスリー)勝ちかけてんだぞ。俺どんな顔すりゃいいんだよ!』

 

 湿っぽい空気を取り払うように壊斗さんが自虐っぽく言う。へこんだロロさんを元気づけるためだろう。

 

 壊斗さんは煽ったりもするし言葉遣いも荒っぽいところがあるけれど、落ち込んでいる人がいたら慰めようと思える優しい心を持っている。しかも、慰めたいと思うだけではなく、自分を下げてでも励まそうと行動できる人だ。

 

 ならば、僕も壊斗さんのやり方に付き合おう。

 

「あははっ、壊斗さん生きてたら勝ててましたね」

 

『ジンさんっ?!』

 

『傷に塩塗り込んでんじゃねーよぉっ! ロロの活躍を地面にへたり込みながら見てた俺に言う言葉かそれがぁっ! 俺だって思ってたわ! 「あれこれもしかして俺が生き残ってたら勝ってたんじゃね?」って思ってたわ!』

 

『……ああ。二人して……もう。ひっく、ふふっ、ぐすっ……あははっ。でも、壊斗くんの指示で冷静に対処できたんだよ。ありがとね』

 

「その前に壊斗さんは一対二をやってましたからね。そこで奮闘してたんですから十分に活躍してますよ。あそこで一人落としてたの、とても大きかったんですから」

 

『そ、そうか? そうだよな? 俺もがんばれてたよな? 健闘を称えあってるお前らの輪に俺も入っていいんだよな?!』

 

『あははっ、くふっ、ふふふっ。うん! 壊斗くんもとてもがんばってた! すごかったよ!』

 

「格好よかったですよ。一人落としただけにとどまらず、もう一人もコートを剥ぐくらいにダメージ与えてて」

 

『そうだよな?! ああよかった! ナイファイ! 俺もナイファイ!』

 

〈壊斗さんも強かったw〉

〈めちゃ気にしてたw〉

〈壊斗さんかっこよかったよw〉

〈強かったよ壊斗さんw〉

〈なんだかんだで一人落としてもう一人も削ってんだからな〉

〈向こうの配信も開いてればよかった〉

〈同時に戦闘起きすぎて目が足りない〉

 

「ナイスファイトでした。それにしてもカジュアルとは思えない熱さでしたね。限界バトルの連続でした」

 

『ナイファイです! カロリー高すぎですよね。これが一戦目って信じられます? 敵強すぎですよ』

 

『ジンがいなけりゃあのマッチには放り込まれてないわけだけど、ジンがいなけりゃあそこまで生き残れてなかったよな。お前さっきのマッチだけでいくつ切り抜き作る気だよ。クリップ見てーよ』

 

「僕の配信の切り抜きをやってくれてる方にも少々苦労をかけてしまうかもしれませんね」

 

『あ、めろニキさんです? あの切り抜き師さん、すごいですよね。ロロとジンさんのコラボも切り抜きたくさん作ってくれてましたけど、ぜんぶ字幕ついてるし色分けされてるし注釈入ってるし、概要欄でしっかり誘導もしてくれてるし』

 

「しかも仕事が早いんです。いつ休んでるのかわからない人です」

 

『いい切り抜き師だな』

 

〈今も観てんのかな〉

〈ぜったい観てるだろうなw〉

〈『mellow:ジン・ラース切り抜きch』こんなのどこ切り抜けって言うんだ〉

〈絶対いる〉

〈やっぱりいたw〉

〈切り抜くとこないw〉

〈ぜんぶ名シーンだったからw〉

〈たしかに〉

〈アーカイブ観たほうがはやいわw〉

 

「やっぱり観てくれてますね、めろさん」

 

『あははっ、さすがめろニキ! いつもいる!』

 

『なんか言ってたんか?』

 

「〈こんなのどこ切り抜けって言うんだ〉って言ってます」

 

『あははっ、ふっふ、あははっ!』

 

『だはははっ! ああ、たしかにな! ほとんど見どころだわ! 逆に切るシーンのほうが少ないかもしれねーくらいだ! だははっ!』

 

〈『mellow:ジン・ラース切り抜きch』お前の切り抜き作るの難しいよ……〉

〈くさ〉

〈草〉

〈草〉

〈切り抜き師泣かせだなw〉

 

「〈お前の切り抜き作るの難しいよ……〉……僕に言われましても、まあそうですよねとしか言えないです……」

 

『あはははっ、めろニキかわいそっ……ふふっ』

 

『っ、っ、ふぅっ、ふぅっ……腹痛えっ! なんでそんな他人事でっ……いっつつ』

 

「そういえば、お二人ともリザルト画面見ましたか? 僕たち四位ですよ。すごいですね。あれだけ強い人たちがいた試合で四位なんて」

 

『んっ、ふふっ。はい、すごいです。負けたのは悔しいですけど、それでも四位はうれしいです。なにげにロロの最高順位更新です! やったー!』

 

『このマッチで四位はよくやれたほうだな。全力で勝ちには行ってたけど、正直ここまで勝てるとは思ってなかったし。ただ……次はもうちょっとクラス差のないマッチでやりてーよ……一マッチの疲労感じゃねーよこれは』

 

「そうですね……お散歩カジュアルなんて言ってた頃が懐かしいです」

 

『まさかお散歩が望まれるだなんて思いませんでした。つ、次は、大丈夫……ですよね? さっきの試合は、マッチングがおかしかった、だけ……ですよね?』

 

 二人とも、先のマッチでの疲労が抜けていない印象だ。それもそうだろう。どの戦闘シーンを振り返っても、一歩間違えれば落とされていた戦闘が多すぎる。毎戦毎戦綱渡りだった。

 

 手に汗握るひりつく試合はリスナーさんにとっては観応えがあったろうけれど、やる側は体力を使う。特にロロさんはどう抗っても実力差に開きがあるのでつらいところだろう。

 

「次の試合はもっと気楽に、それこそカジュアルに楽しめるはずですよ。さっきの試合は、きっと振り分けで上振れてしまっただけです」

 

 マッチングには内部レートも影響するけれど、パーティの人数でも振り分けられていると聞く。

 

 パーティメンバーが全員ソロのパーティと、意思疎通のできる三人組のパーティでは、よほど大きな要因がない限りは意思疎通できるパーティのほうが強い。貴弾は三人一組で戦うチーム戦だ。フォーカスする相手を決めたり、攻めるタイミングを合わせるだけでも戦いやすさ、勝ちやすさは段違いになる。ソロ三人とフルパーティでは差が大きいのだ。

 

 おそらくさっきのマッチでは、カジュアルを選んでいる三人組のパーティが僕ら以外におらず、仕方なく僕らが振り分けられたのだ。きっとそのはずだ。

 

 だから次のマッチはもう少し穏やかに、ロロさんにも手解きしながらプレイができる。そのはずだ。

 

 仄かな不安をみんなで感じながら、カジュアルマッチに並ぶ。

 

 しばし待つとマッチングが完了し、マップを眼下に収める飛行機の中に移動していた。

 

 目的地を目指し、飛行機を降りた僕たちが目にしたのは、飛行機から散開してマップの各地へと降りていく赤と黒の禍々しい色や、青みがかった金色をした神々しい光の尾。デュークやマークィスといった最上位勢の降下軌道。

 

 集中力の切れていた僕たちは近くに降り立っていたパーティと戦闘になり、実に呆気なく全滅した。

 

 *

 

『勝てるかーっ! 誰が勝てんだよあんなんっ!』

 

『正面から戦ったらどうにもならないよぉぉっ!』

 

 二試合目を驚きの早さで終わらせ、ロビー画面に帰ってきて放った第一声がこれだった。

 

 一試合目で死力を尽くせたのは、あんなマッチはあの一試合だけだと思っていたからだ。壊斗さんもロロさんも一試合目で自分の実力以上の力を振り絞って精も根も尽き果てていた。僕だってどこか精彩を欠いていた気がする。

 

 一試合目わりと行けたみたいだから次もよろしく、みたいな感じで二試合目も同じパフォーマンスを期待されるのは困る。

 

「いやあ、小細工を挟む隙もありませんでした。それに、僕もそうだったんですけどみんな明らかに集中力が切れてましたからね。仕方ないです。また最高位帯でしたし」

 

『そこが一番の問題だろ! なんでずっとデュマ帯に連れてかれんだよ!』

 

『ほんとだよっ! ロロみたいな初心者抱えて入っていいとこじゃないよっ!』

 

『安心しろ、ロロ。あのクラス帯のマッチなら俺だって初心者に毛が生えたみたいなもんだ。まともにやり合えるのはジンだけ……ん?』

 

「壊斗さん? どうかしました?」

 

『なんか今日、カジュアルだけじゃなくてクラスマでもマッチングおかしいらしい。リスナーが言ってる』

 

『へー、そうなんだ? クラスマッチでもこんなことになってるんだとしたら大変だよね』

 

〈SNS見てる限りはここまでひどいのはそうはないみたいだけどね〉

〈不具合出てるみたいだ〉

〈クラスマッチでこんなんなったら禿げるわ〉

〈しかもデュマ帯プレイヤーもクラス差ありすぎたらポイントまずいっていう地獄〉

〈メンテ入るっぽい〉

 

「一試合目の降下の時にそう仰ってる人間様もいらっしゃいましたね。おや〈メンテ入るっぽい〉ですか。情報ありがとうございます。僕も運営会社のホームページやSNSを確認してみますね」

 

 配信画面はロビーの待機状態のまま放置して、別のページで検索する。

 

『おー、ジン頼むわ。しっかし、メンテ入んのかー。カジュアルはともかく、クラスマはポイントかかってるからしゃあないか』

 

『メンテ……メンテナンスって入ったら、ゲームってできないよね?』

 

『まぁ、できんわな』

 

『それじゃあこれからどうするの? 一試合目の濃さで忘れがちだけど、まだ一時間ちょっとしか経ってないんだけど。もうおしまい?』

 

『せっかく集まったのにちっと早すぎるよな。んー……なんか探しとくか』

 

〈もう終わりは早いよー!〉

〈公式HPに出てるぞリンク置いとく〉

〈SNSに投稿されてるわ〉

〈不具合のことSNSのトレンド乗ってたぞ〉

〈やっぱ緊急メンテみたいだ〉

〈雑談でもいいからやってほしいなー〉

 

 公式のホームページにも、SNSのアカウントにもメンテナンスについて発表されていた。

 

 自分の目でも確認したし、リスナーさんも同じ内容のコメントをしてくれている。間違いないだろう。

 

「やっぱりメンテナンスに入るみたいですね。教えてくれた人間様、ありがとうございます。助かります」

 

『やっぱメンテかー』

 

『ジンさんもジンさんのところのリスナーさんも、調べてくれてありがとうございます!』

 

〈ほかに三人でもできるゲームってなんかあるのか?〉

〈かまへんで〉

〈いいってことよ〉

〈リスナーの動き早かったな〉

〈いい子やねぇ〉

〈情報の集まり方すごかった〉

〈ロロさんいい子〉

 

「ふふっ、構いませんよ。人間様も〈いいんだよー〉って言ってくれてます」

 

『ありがとーっ』

 

『なぁ、ジン。こんな時間で解散ってのも味気ないよな?』

 

「え? そうですね、人間様も〈まだ観たいよ〉って言ってますし」

 

『ロロもまだ時間あるよな?』

 

『うんっ、ぜんぜんいっぱいあるよ!』

 

『そんならいいゲームがあるんだけど、やらね? 今日のカジュアルで荒んだ心を癒せるようなゆったりしたゲームがあんだよ』

 

「なるほど。ADZですね?」

 

『はっ倒すぞ。あのゲームのどこが癒しなんだよ。リスナーからは〈ストレス耐性テスト〉って言われてたんだぞ』

 

〈ADZですねは草〉

〈なわけねぇだろw〉

〈ADZは心荒ませるほうのゲーム〉

〈ホラーゲームなんよ〉

〈なにがなるほどなんだw〉

 

『あははっ、しかもなんで「ADZですか?」じゃなくて「ADZですね?」なんです? まるで決定事項を確認するみたいにっ、ふふっ』

 

「ADZ以外となると……すぐに思いつかないですね」

 

『お前は「絶望圏」やりたいだけだろ……。自然豊かな島でサバイバル生活を過ごしながら……うん、サバイバルしながらあれやこれやするゲームがあるんだよ。「Practice(プラクティス) of(オブ) evolution(エボリューション)」っつうゲームなんだけど』

 

 

 

 

 

 

「あはっ。……やっぱり先輩だ」

 

 戦闘中でも優しくて気持ちを急かさないゆっくりとした、それでいて簡潔でわかりやすいオーダー。敵の頭に張りつくような正確無比なエイム。壁が透けて見えているみたいな相手のピーク読み。マルチタスクにも程があるキルログ管理。神視点でも観ているかの如きエリアコントロール。マップの構造を把握した上で空間認識に長けていないとできないレベルの高精度な射線管理。

 

 観ていて気持ちのいい、でも指示されて動いたらもっと気持ちがいい先輩のIGL。

 

 これまでは回してるクラス帯が低かったからほとんど観られなかったけど、今回は相手が強かった。だからこそ観ることができた、相手を翻弄する壁ジャンプや空中機動。意表をついてエイムを置き去りにするキャラクターコントロール。先輩ならこのゲームでもできると思っていた。

 

 投げ物で射線を潰し、建物の入り口に火グレを置いて漁夫にこさせないよう閉じ込めた発想の柔軟さとセンス。戦況を頭の中で考えていながら自分も撃ち合って、それでいて味方に指示を出せる情報処理能力の高さ。

 

 でもなによりやっぱり立ち回りと味方へのカバー意識、味方が動きやすいようにフォローするところが、先輩の先輩たる所以(ゆえん)だ。

 

 パーティメンバーの実力を引き出し切って、その上でさらに一段押し上げる。

 

 それこそが、先輩の真骨頂だ。

 

「……先輩。またお話ししたいなぁ……。わたし、強くなったよ……。ねぇ、先輩……」

 

 コラボ相手と仲睦まじくお喋りする先輩は、とても楽しそうだった。

 

 たくさん笑って、たくさんお喋りしている先輩を観れるのは幸せだけど、同時に心が壊れそうなほど締めつけられる。

 

 本当なら、そうやって笑ってお喋りしているのはわたしたちだったのに。

 

 先輩の隣にいるのは、もしかしたら──わたし、だったのに。

 

「でも、まだ遅くない……。取り返せる。たしか今回のコラボ相手は……」

 

 代表にお願いして回してもらっている大会の参加メンバー表を見る。

 

 このメンバー表は対外的には知られていない。開催日に近づいてもメンバーが決まっていなければ、チームに所属するストリーマーや参加できると意思表示している配信者をブッキングするためのデータだ。

 

 まだ参加メンバーが決まっていないところは空欄に、すでに決まっているところは配信者の名前が入力されている。

 

 先輩のコラボ相手にはリーダー権が渡されているが、まだメンバーは一つが空欄になっている。絡みがなかったのに突然行われた先輩との今回のコラボは、もしかしたら大会の出場メンバーを決めるための試金石なのかもしれない。

 

 そうであれば、まだわたしにもチャンスがある。

 

 このチームはメンバーだけではなく、コーチも決まってない。すべてのチームがコーチを依頼するわけじゃないけど、チームの平均的なクラスや、他のチームとの相対的な実力差を(かんが)みてコーチをつけることを考えるかもしれない。

 

「ふふっ、んふ……コーチとして出会って、自然な成り行きで仲良くなれば……」

 

 このチームのメンバー最後の一枠に先輩が収まれば、リーダーの人に連絡して他のチームとのポイント差について言及して、コーチをつけるように勧めよう。今からスケジュールが合う人を探すのも大変だろうとかなんとか言って、わたしがコーチとして名乗り出る。それならわたしがこのチームのコーチになれる。

 

 練習期間は長い。配信中でも配信外であっても、練習と言っておけば一緒に遊んでいてもなんらおかしくはない。

 

 今回の大会のチームでお喋りして仲良くなったってことにすれば、これからは先輩と配信でも遊べるようになる。また関係を戻せる。

 

 もしかしたら、もしかしたら。

 

 またもう一度、先輩に会えるかもしれない。

 

「先輩……待っててね」

 

 先輩からもらったプレゼントを撫でながら、わたしは画面の向こうの先輩に呟いた。

 




ということで貴弾配信でした。
次からは壊斗さん視点になりまして、『Practice of evolution』というゲームをします。よろしくお願いします。


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俺たちのサバイバル生活

貴弾配信ではとても真面目にやってたので、お兄ちゃんにはこちらのゲームで自由に遊んでもらいましょう。


 

 『Noble(ノーブル) bullet(バレット)』──通称貴弾では、不具合のせいで化け物同士が血を啜り肉を喰らう蠱毒みたいなマッチに放り込まれてばかりだった。

 

 あんなマッチにはいられるか俺たちは抜けさせてもらう、ということで違うゲームでコラボを継続することとなった。まぁ、メンテナンスで強制的に抜けざるを得ないわけだが。

 

 ロロはFPSに慣れていない。でもジンは得意なFPSのほうがやりやすいだろう。

 

 得意分野が真逆な二人だが、どうにか二人の条件を満たすようなゲームがないかと考えて、一つ思い当たった。少し前に同じ事務所()の後輩とやったゲームだ。

 

「『Practice(プラクティス) of(オブ) evolution(エボリューション)』は、二人はやったことあるか?」

 

『ロロは聞いたことはあるくらいかな。なんかグロいとかって聞いたから……』

 

『僕もやったことありませんね』

 

『壊斗くん、これどういうゲームなの?』

 

「ロロは『Island(アイランド) create(クリエイト)』はやってたよな?」

 

『うん。仲良いの集めてやってるけど、そんな感じのゲームなの?』

 

「おうよ。ほとんど変わんねーよ。リアリティのあるグロいアイクリみたいなもんだ」

 

『やっぱグロいんじゃんっ!』

 

『グロテスクなのが苦手な人でもできるものなのでしょうか? 苦手なのにやっていくというのはつらいでしょうし』

 

『ジンさんっ!』

 

「大丈夫大丈夫。グロいアイクリっつったろ? 戦闘分野がグロいだけで、建築のほうに回れば大丈夫だって」

 

『なるほど。それならロロさんには建築を頑張っていただいていいですか?』

 

『はいっ! まかせて! 得意だよ!』

 

『ふふっ、僕は建築などのセンスが欠落しているのでとても心強いです』

 

「このゲーム一応サバイバルだし、色とか材質とかそんなこだわれないぞ? センスなんて出ねーだろうけど……まぁ、グロが苦手なロロが拠点作りやったほうがいいだろうしな。役割分担すりゃいいか」

 

〈ロロはグロだめそうだもんな〉

〈解釈一致だわ〉

〈悪魔は全然平気そうで草〉

〈悪魔はこっちでも頼りになりそう〉

 

 このゲームは建築やクラフト要素のあるFPSホラーアクションサバイバル、といったところだ。

 

 FPSやアクションが苦手なロロは拠点作りにあたればいいし、FPSが得意なジンはそのエイムを活かして戦闘要員になればいい。俺は進捗状況を見ながらその都度二人の手伝いをすればバランスが取れるだろう。

 

 そう思って、二人には急遽このゲームをダウンロードさせた。

 

 拠点作りには個性が出るし、戦闘ではプレイヤースキルが出るし、サバイバル生活では性格が出る。プレイする側も楽しいし、リスナーも観ていておもしろいと感じるはずだ。

 

「ダウンロードできたか? ゲーム開いたか?」

 

『できたよー』

 

『はい、開きました』

 

「そんじゃマルチプレイってあるからそれ選んでくれ」

 

 二人に説明しつつ、俺はホスト側で準備を進める。

 

『わあ……』

 

『ん? ジンさん、どうしたんです?』

 

「なんかわからんことでもあったか?」

 

『いや、この手のソロもマルチもできるゲームで、ソロを一回も触らずにマルチプレイで遊ぶのが初めてで、感動してます』

 

『ジンさん……』

 

「いきなり悲しいカミングアウトすんじゃねーよ……」

 

〈わかる〉

〈つら〉

〈基本ソロ……〉

〈友だち多そうなのになんでソロでやってんだ〉

 

『みんなでサバイバル生活、楽しみです』

 

 心なしかジンの声が弾んでいる。ソロ云々の話で俺のメンタルにも刺さったが、楽しんでくれたらそれが一番いい。

 

「たぶんジンは楽しめるだろうよ。あ、そういや難易度とかあんだけど」

 

『難易度? ノーマルとかがいい! のんびりやろうよ!』

 

『そうですね。貴弾では忙しかったですし、こちらではのんびりほのぼのサバイバルでも』

 

「一番難しいのにしといた」

 

『事後報告?! そういうのは決める前に言ってよ!』

 

『初めてやるゲームなんですけど……大丈夫でしょうか?』

 

「大丈夫だろ。ちなみに前やった時は今と同じ人数で、一つ下の難易度でやった」

 

『ほあ。その時一個下の難易度だと簡単だったから上げたってこと?』

 

「いや、そん時は拠点ぶっ壊されて壊滅した」

 

『なんで難易度上げたの!?』

 

『どうやらほのぼのサバイバルにはなりそうにないですね……』

 

「いけるいける。俺は一回経験してるしな」

 

〈草〉

〈三人で至難いける?〉

〈前にやった後輩の子たちとのやつなw〉

〈あれは最後ぐちゃぐちゃになったねw〉

〈無謀で草〉

〈これ歯茎出てます〉

〈慢心してんなー〉

 

 前回の失敗の原因は難易度じゃなくて仲間にあったと思う。もちろん敵は強くて難しかったが、それ以上に口ばっかり動かして手を動かさない仲間を連れて行ったのが間違いだった。

 

 今回は前回とはメンツの安心感が違う。

 

 ロロは戦闘にはほとんど参加できないだろうけど、真面目な性格をしているので後方で兵站と拠点固めをしっかりこなしてくれるだろう。

 

 ジンはアーカイブを観た感じだと一旦悪ふざけのスイッチが入ったら止まらないが、戦闘面においては誰よりも信頼できる。強大な敵がラッシュをかけてこない限りは沈まない。

 

 これならいける。なにも問題ない。

 

「ほい。招待送ったから入ってくれ」

 

『うぅ……怖いなぁ……』

 

『ゲームの難易度として設定されているのですから、クリアできないほど難しくはないでしょう。ロロさん、きっとなんとかなりますよ』

 

『そ、そうです? そうかなぁ……』

 

「ロロは基本的に後方で拠点を作って、あとは食糧とか水とかの確保だ。俺とジンで前に出るんだから、ロロのとこは安全だぞ」

 

『そっか……。それなら安心だ。頼りにしてるね──』

 

「おうよ。任せろ」

 

『──ジンさん』

 

「俺じゃねーのかよ!」

 

『え、ああ、僕ですか? 僕もロロさんと同じく初心者なんですが、はい。ロロさんのところまで敵が……このゲームって敵がいるんですよね? 敵が行かないようにしっかりと仕留めますね』

 

「おいロロおい! 俺経験者なんだが?!」

 

『でも……頼りになる感はジンさんのほうがあるし……』

 

「おまっ…………それはそう」

 

〈草〉

〈それはそうw〉

〈落ち着きがね〉

〈頼れる男感の差が開きすぎてんだわ〉

〈どっちか選ぶならジンだもんなw〉

 

『おそらくその感覚は気のせいなんですけどね。あ、始まりましたよ』

 

 用意したロビーに全員が集まったので開始を押す。しばらくロードがあり、ゲームが始まった。

 

 ゲームの冒頭はストーリームービーから始まる。これはスキップもできるけど、初めてプレイする二人がいることだし、せっかくなのでもう一度観ておくことにした。

 

 プレイヤーは捜査官だ。怪しい噂が流れている研究所があるので、その研究所がある島へと向かってくれと上司から命令される、という回想シーンが終わって、船の上。端末に送られてきていた指令が書かれているメッセージに目を通していた途中のこと。乗っている船がぐらりと大きく揺れた。

 

 船の上を見回すと、似たような制服を着た人たちが何人もいて、彼らは揺れる船の上から振り落とされないよう手すりに掴まっていた。

 

『みなさんで離島に旅行でしょうか。こんなにたくさんいたら賑やかで楽しそうですね』

 

『明らかに事件の導入ですけどね?!』

 

「どう見ても旅行の空気じゃねーよ」

 

 ジンは本当に同じムービーを観てるのか疑わしい。

 

 プレイヤー視点の捜査官も手すりを掴んで耐えていたが、船の揺れはいっそう激しくなる。大きな音とともに船体は傾き、捜査官たちは海に放り出された。

 

『嵐だったってわけでもないのに、なんであんなに船揺れてたのかな? 故障?』

 

『船に異常が生じる前に爆発音などはありませんでした。ただ、平べったい物体で水面を叩くような音が聴こえたので、もしかしたら大型の鯨類(げいるい)と接触したのかもしれませんね』

 

『ほあー、なるほど』

 

『この規模の船がそう簡単に接触するとも、そう簡単に転覆するとも思えませんが、ゲームのストーリーです。そういうものなのかもしれません』

 

「ほーん」

 

 これでこのムービーを観るのは二回目なのに音にはまったく気づかなかった。なんでこんなでかい船がひっくり返るんだとは思ったが。

 

〈なんだこの悪魔耳よすぎだろ〉

〈ここでフラグはあったわけか〉

〈耳いいな〉

 

 コメント欄を見ると、意味深なコメントがちらほらあった。ストーリーに関わってくるのかもしれない。

 

 俺は一度プレイしたことがあるとはいえ、途中でゲームオーバーになっているのでストーリーをすべて把握しているわけではないのだ。いずれ解き明かされるのだろうか。

 

 ムービーでは、捜査官が海に放り出されて波に揉まれているところでブラックアウト。目を覚ますと、目的地の島に漂着していた、というところでストーリームービーは終了する。

 

 ここからはプレイヤーが操作できるようになる。

 

『わっ、島! 島にきてるよ!』

 

 ロロが元気に騒いでいる。

 

 無人島、ではないか。離島の海岸線でゴミのように打ち上げられていたプレイヤーは起き上がった。

 

 近くにロロとジンの姿も見える。早めに集まっておきたい。前回は後輩の一人が勝手に歩き回ったせいで合流するだけで手間取ったのだ。あんなタイムロスはしたくない。

 

「ロロ。こっちだ。説明するから集まってくれ」

 

『島に流れついたみたいですね。船上にも同じ制服を着た人たちがいたのに、生きて流れ着いたのは僕たち三人だけのようです』

 

 海岸線に視線を振って、ジンが含みのあることを言う。実際言葉通りだ。生きて(・・・)流れ着いたのは、俺たちだけ。死んで流れ着いたのはちらほらいる。

 

「ソロでやると一人で流れ着くぞ。三人助かっただけ多いほうだな」

 

『なるほど。あの大きさで、あの船が客船だったとすると……乗員乗客合わせて百五十人前後くらいでしょうか。あの状況で二パーセントも助かったと考えると幸運な部類ですね』

 

「残りの九十八パーセントを目の前にして、やったー助かったぜラッキー! とは言えんわ」

 

 俺の近くの波打ち際にその九十八パーセントのうちの一人が流れ着いている。諸手を上げて喜ぶのは人としてどうだろう。

 

『ねぇねぇ! なにしたらいいの?!』

 

「はいはいはい。まずは持ってるアイテムの確認を……」

 

『わあっ、大変です! 見てください!』

 

「なんだっ、どうした?!」

 

 開いていたインベントリを急いで閉じて、ジンが操作するキャラクターに視点を合わせる。ジンは海の方向を見ていた。

 

『海がとっても綺麗ですよ!』

 

『わー! ほんとですっ!』

 

「遊びにきたんじゃねーんだよ!」

 

〈草〉

〈旅行気分やw〉

〈エモい〉

〈三人並んで海岸線はエモい〉

〈青春やなぁw〉

 

 沈んでいく船でも見えるのか、それとも違う生物でも見えたのかと思ったら、ジンがのんきなことを言い出した。

 

 さっきもムービー鑑賞中に『旅行でしょうか』みたいなことを言っていた。こいつもしかしたらサバイバルを離島旅行かなにかと勘違いしているかもしれない。

 

「大変ですじゃねーよ! 島に流れ着いたことのほうが大変だろーがよ! 『うわぁ、大変だ……これからどうしたら……』ってなるとこだろが!」

 

『壊斗くんっ、小芝居っ……くふふっ。「うわぁっ……」あははっ』

 

「お前もうるせーなぁ!」

 

〈小芝居草〉

〈ロロかわいいなw〉

〈うわぁw〉

〈草〉

〈草〉

 

『これから……あっ。もしかして枕が変わると眠れないタイプですか?』

 

「枕より先に考えることあるだろうがぁっ!」

 

『あははっ、枕っ、はははっ、きゅぃっ……くふっ、あははっ』

 

「なんだよ『きゅぃっ』って……イルカかお前は」

 

『ははっ、ふふっ……。ロロさん、もしかして、流されている時にイルカ飲んじゃいましたか?』

 

「海水飲んだ? みたいな言い方すんじゃねーよ」

 

『あはははっ! ふふぃっ、きゅふふっ……いるかっ、のんでないっ』

 

「わかっとるわ。言わんでも」

 

〈ジンラースwww〉

〈貴弾の時の頼り甲斐どこいったw〉

〈トロールスイッチ入っとるw〉

〈草〉

〈草〉

〈イルカw〉

〈喉にイルカ住んでる〉

〈この悪魔w〉

〈ふざけ倒しとるw〉

〈進まんw〉

 

 ロロのキャラクターがぷるぷると小刻みに動いているし、なぜか空を見ている。たぶん笑って操作すらおぼつかないんだろうな。息も絶え絶えだし。スポーン地点から動いてないのにロロが激ローだ。ダウンしそうになっている。なにも進んでないのに。

 

『大変です壊斗さん! 見てください!』

 

「お前の『大変です』は信用ならねーのよ……」

 

 ずっとぷるぷるしているロロからジンに視線を動かす。今度は海と反対側を見ていた。

 

 浜辺から数十メートル離れると、そこからは鬱蒼と繁った森が広がっている。

 

 その手前に、人影があった。

 

「ってキメラントきてるじゃねーか!? マジでたいへ……」

 

『とても深い森です! 奥には山もありますよ! 自然が豊かですね! 綺麗な海に深い森、高い山! 楽しそうな場所が多くて大変です!』

 

「節穴かお前は! 森の前に! 文字通りに森の前にっ! 大変なもんが見えてるだろうが! あれ敵だから! キメラミュータント! あいつらは襲ってくるんだよ!」

 

『あはははっ、ははふふっ、きゅひぃっ……ひっ』

 

「お前はいつまで笑ってんだロロぉっ!」

 

〈のんきすぎるw〉

〈キャンプにきたんかw〉

〈おるおる!〉

〈キメラントきてるやんけ!〉

〈草〉

〈敵より観光で草〉

〈楽しみ尽くす気やんw〉

〈ロロw〉

〈ロロずっとわろとる〉

〈引率大変だなこれw〉

 

 深く暗い、広大な森の手前に見える人影。あれはプレイヤーを見るや襲いかかってくる敵、キメラミュータント。長いので略されてキメラントだ。

 

 プレイヤーを発見すれば襲いかかってくるのはキメラントにおいて共通事項だが、奴らにも種類はある。森の前に見えているシルエットが人影なのでキメラントの中ではもっとも倒しやすいヒト型だ。

 

 ヒト型は個体によって足が多かったり腕が多かったり、どこかしら人間よりもパーツが多くなっている。今視界に入っている奴は腕が二本、足が一本多い。キメラントの中でもヒト型は一番倒しやすいが、増えている部位によって危険性も上昇していく。操作に慣れていない段階ではたとえ一体だとしても油断はできない。

 

 ということを、どこまでも旅行気分のジンに殴りかかるように説明した。ロロにも向けているが、おそらく聞こえてはいないだろう。ロロはどうせ戦わないし、聞いてなくてもいい。

 

『わあ……大きな声。……何をそんなに怒ってらっしゃるのでしょう。お腹が空いて苛立ってしまっているのでしょうか』

 

「ふぅっ、ふぅっ……そうだな。でかい声出してすまんかった。あー、でもそうだな。まだ腹は減ってないけど、食料と水の確保は急がねーと……」

 

〈大きな声びっくりするよねw〉

〈かわいいw〉

〈怖いよね〉

〈やめたげてよ!〉

〈苛立ちの原因がそれ言うんかいw〉

 

『ちょうどいいところに肉がいますよ? 食べますか?』

 

「キメラント!? しかもヒト型だぞ!? ヒト型を指さして肉って言うなよ! あれを食うか考えるのはもっと食い物探した後だろ?!」

 

〈水と食いもんありゃまずなんとかなる〉

〈肉www〉

〈草〉

〈草〉

〈悪魔で草〉

 

 ジンはまるで『バッグにチョコレートが入ってたけど、食べる?』と(たず)ねるような気軽さで、視線を森の前に立つヒト型キメラントに向ける。

 

 早すぎる。この島に順応するのがあまりにも早すぎる。なんだこいつ。人じゃないな、さては。

 

 まずは生き物を殺さなくても空腹を凌げるようなものを探して、それだけじゃ足りないから動物を狩って、動物が見当たらないけど今にも空腹で倒れそうでどうしようもない、というくらいの窮地に陥ってようやくあのヒト型に目を向けろよ。生き抜く努力を尽くしてどうにもならなくなった時の最後の砦だろ。少なくともスタート地点の海岸線で吐くセリフじゃない。

 

『ジンさっ……っ、きゅひゅっ……』

 

『ロロさん? 大丈夫ですか? 先程から呼吸が荒いですが』

 

「お前が言うなよ。原因の八割お前だろ」

 

 笑い続けていて気息奄々といったロロが、呼吸困難になりながらもなにかを伝えようとしていた。

 

『じ、ジンさ……うみにもおどろいて、もりや、やまにもおどろいたのにっ……ひぇふっ、あのてきには、ぜんぜんっ……あははっ、ひぁっ!』

 

〈ロロしゃべれてないw〉

〈どうすんだよこれw〉

〈もうめちゃくちゃだよw〉

〈くさ〉

〈草〉

〈景色驚いて敵驚かんの草〉

〈観光客だよもうw〉

 

「お前そうじゃねーか! 海と森に『大変! すごーい!』とか言ってる場合じゃねーだろ!? まずキメラントの姿に一番驚けよ! 腕も足も多いじゃねーか!」

 

『もしかしてさっきの「大変! すごーい!」というのは僕の真似……ですか?』

 

「ばっ……そ、そこは拾わんでいいんだよばかがぁっ!」

 

『い、いや……えっと。あはは……と、とても似てるなあって……』

 

〈似とらん〉

〈似てねぇw〉

〈絶望的に似てない〉

〈笑い声乾きすぎだろw〉

〈苦笑いw〉

 

「気ぃ遣ってんじゃねーよ!! 気ぃ遣うんならっ! ボケずに一回ちゃんと話を聞けよぉっ!」

 

『あはははっ! くふっ、はははっ!』

 

『かはっ、はぁひっ、はひゅっ! きゅぃーっ!』

 

「イルカ吐けぇぇっ!」

 

〈草〉

〈草〉

〈勢いwww〉

〈くっそw〉

〈進まんw〉

〈イルカw〉

〈こんなんむりやんw〉

 

 ばんばんばんっ、とテーブルを叩く音が聴こえる。しゃくり上げるような呼吸がイルカの鳴き声と一緒に聴こえているから、たぶんロロだ。テーブルを叩くくらい笑い転げているのか。

 

 なに笑ってんだ。こっちはずっと説明しようとしてんだぞ。

 

『はっ、ふふっ……うん、はい。そうですねっ、多いですっ……腕も、足もっ、あははっ!』

 

「半笑いで言ってんじゃねーよ」

 

『可食部位が多そうで何よりです』

 

「あくまーっ! 急にっ、急に冷徹にっ! あくまーっ!」

 

『はい、当方悪魔です』

 

『っ、っ……ぃっ、きひゅっ』

 

 人間の口と倫理観から出てくるとは思えない発言に思わず叫んだ。

 

 怖いよ、こいつと話するの。ロロは相変わらず笑ってて使い物にならないし。

 

「おまっ、人の心がないのかお前はぁっ! まだサバイバル始まってもねーのに順応早すぎんだよ!」

 

『人の心、ですか。しかし旅のしおりの持ってくる物のところにはそんなこと一言も……』

 

 そう言いながらジンはインベントリを開いた。ジンのキャラクターの両手の上にはツールキットが広がって、まるで旅のしおりを確認するみたいに見える。

 

 もうやめてくれ、ここからの物ボケは追いつかんって。

 

「おっまははっ! インベントリ開いてんじゃねーよ! だはははっ! かっはっ……ひぐっ! それっ、旅のしおりじゃねーっへっはっははっ! 作ってねーよ! 旅のしおりなんかぁっ!」

 

『もっ、やめっ……っ、ジンさっ……っ。しぬっ、ロロしんじゃぬっ……』

 

『死んじゃぬ?』

 

『きひゅっ──』

 

 テーブルを叩く音がどんどん弱々しくなってきている気がする。このままだと本当にロロが死んじゃ()かもしれない。

 

「ロローっ!? ジンお前っ、だはははっ! ロロ殺す気かよぉっ?! 人の心はないのかぁっ!」

 

〈だw〉

〈kすあ〉

〈この悪魔やべーってw〉

〈ロロやばいw〉

〈しんじゃぬw〉

〈ぬってなんやねんw〉

〈ろろー!〉

〈だめだ壊斗w〉

〈もう進まんw〉

 

『そうは仰られても……僕今持ち合わせがないんですよね』

 

「現金下ろし忘れたみたいに言うんじゃねーよ! みんな最初から持ってんだよ!」

 

『現地調達でも大丈夫ですか? ちょうどいいところに人の形をした生き物がいますし。あれの心臓で代用って()きます?』

 

「あくまーっ! このっ、このっ……あくまーっはははっ! だーはははっ!」

 

『あははっ、ふふっ……くふふっ。はい。ごめんなさい。冗談ですよー。本気で言ってませんからねー。冗談ですよー。大丈夫ですよー』

 

 悪魔ロールプレイがハマりすぎている。本気でこいつ悪魔なんじゃないかと思い込むリスナーも現れそうだ。

 

 誤解させないようにか、ジンは冗談ということを強調して触れ回っている。本当に触れ回っている。言いながら俺のキャラクターの周りをぐるぐる歩き回っている。

 

 もうだめだ。俺一人じゃ手が回らん。

 

 こいつと雑談コラボしたロロの苦労がようやく俺にもわかった。身に沁みて理解できた。エンジンがかかったこいつは一人では止められん。

 

『あ』

 

「くっふ……だははっ! ふぐぅっ……てっ……腹いてぇっ……」

 

 ジンが小さく呟いていたが、もう俺には確認することもできない。俯きながら、笑いすぎて痛む脇腹を押さえてテーブルをばんばんと叩くことしかできない。ロロもこんな気持ちだったんだな。

 

『これ、を……こうして、こう』

 

「ふっ、ふぅっ……くっ、ふぅ……」

 

 一人でジンがなにかやってる音を聴きながら、俺は呼吸を落ち着けて目を擦る。泣くほど笑うとか何年振りだかわからない。

 

 ところでさっきからロロの声を聴けてないのだが、あいつ本当に大丈夫なのか。

 

「あーっ、くそっ。ばかほど笑った。汗かくくらい笑ったわ」

 

『あ、壊斗さん動いた。おかえりなさい』

 

 マウスに手があたっていたのか、俺の視点はあらぬ方向を向いていた。

 

 ジンを探して視点を振る。俺がダウンしている間に移動していたらしく、ジンは森の方角から歩いてきていた──

 

「おー……もう笑い疲れたわ。んでお前はなにだはぁっははっ!」

 

 ──ヒト型のキメラントを肩に担いで。

 

『やっときました』

 

「なんでキメラントっ……倒してんっ……かっ、ははっ! どうやったんだよお前ぇっ!」

 

〈こいつw〉

〈草〉

〈自由すぎるw〉

〈ツッコミも追いつかんww〉

〈どうやったんだよw〉

〈武器拾ってないだろw〉

〈やっぱバケモンやw〉

〈ロロしんだ?w〉

 

 砂浜で打ち上げられた直後ではプレイヤーは簡単なツールキットと、あとは防水加工されているらしい端末しか持たされていない。

 

 最低限の武器やら工具やらは船からプレイヤーたちと同じように漂着したボックスの中に入っている。俺たちはまだそれを漁っていないので武器もなにもないはずだ。

 

『転がっている手頃なサイズの石ころがあったのでそれを投げました。やはり投擲(とうてき)こそ人類最大の武器』

 

「お前悪魔だろうが」

 

『僕が操作しているキャラクターは人類ですからね』

 

「やってることは悪魔だよ。まぁせっかく確保してきてくれたんだし、持ってくか。……ロロー? 大丈夫かー? 生きてるかー?」

 

『ロロさーん? 応答がありませんね……イルカを吐きに行っているんでしょうか?』

 

『もとから飲んでないよ』

 

「おお、生きてた。よかった」

 

『おかえりなさい、ロロさん。途中からお声が聴こえなかったんですけど、どうされたんですか?』

 

『これ以上は命に関わると思ってヘッドセット外してた』

 

「だははははっ! 外してたぁ?!」

 

『ふふっ、まさかそこまでしてたなんてっ……申し訳ないですっ。くふふっ』

 

『うん。配信者としてさすがにそれはどうなんだろうって葛藤はあったけど、さすがに命は惜しかったから』

 

「ああ、ああ……っ、そうだなっ、だはははっ! ロロ、お前の判断は大正解だ。あのまま聴いてたらっ、たぶんっ、帰ってこれなかっだはははぁっ!」

 

『よかったよ。また二人に会えて。ただいま』

 

『あははっ、ふふっ。ロロさん、おかえりなさい』

 

「あー……。なぁ、どうすんだよ。なんも進んでねーのに日が暮れ始めたぞ」

 

 ジンはキメラントを実に原始的な方法で討伐していたからまだ動いているが、俺とロロに関しては本気の本気でスポーン地点から動いていない。向きが変わっただけで、もしかしたら一歩も動いていないかもしれない。

 

 驚異的な進捗具合だ。後輩二人とやった時でさえ、太陽が真上にある状態で合流して作業ができた。あれより酷いことがあるだなんて思わなかった。

 

〈腹いてぇw〉

〈めっちゃ笑ったわ〉

〈ありがとう壊斗w〉

〈悪魔の真価を垣間見た〉

〈コメント打てんかった〉

〈草〉

〈マジで暮れてるw〉

〈浜から動いてねぇw〉

 

『まずいですまずいです。まず拠点作りでしょうか? 木を切り出すところからですか? 石……では難しいですよね』

 

「その石ころでやるつもりか? 石器時代でももう少しマシだろうよ。派手な色した箱が漂着してるはずだからまずそれ探すぞ。そん中にいろいろ道具が入ってんだ」

 

『あ。向こうにあるよ。ジンさん、こっち』

 

『夕暮れに溶けるような色味ですね、この箱。ロロさん、ありがとうございます』

 

『ううん。いいよ』

 

 こいつ、本当にロロだろうか。

 

 一度笑い死にしかけて離席して戻ってからというもの、声のトーンが違う。ジンに対しての距離感も変わっている。

 

「……なんか、ロロ……調子おかしくね? 落ち着きすぎてるっていうか……」

 

 もしかして、俺たちの知っているロロはさっき笑い死にして、声がそっくりな別人が入れ替わっているのでは。

 

『そういえばそうですね。僕への敬語も取り払ってくれていますし。どうかされたんですか?』

 

『…………まぁ、悟り開いたような感じだよ』

 

「悟り開いたってなんだ? 臨死体験で悟り開いたのか?」

 

『……配信中にさ。男性二人相手にさ。しかも推しもいるのにさ。こんなこと言うのどうかと思うんだけどさ』

 

『は、はあ……ひとまず、お話お聞きします』

 

「なんだよ。もったいぶりやがって」

 

〈テンション振り切れたのか〉

〈妙に落ち着いてる〉

〈悟りw〉

〈ジンにも敬語使ってないわ〉

〈もとから敬語か怪しかったけどな〉

 

 一つ、ロロは長めに呼吸を挟んだ。

 

 

 

『さっき笑いすぎておしっこ漏らしちゃったんだよね』

 

「だああぁぁっっははっはっ! ははぁっはひっ、だはっははは!」

 

 ここまで引っ張った時間に見合った強烈な爆弾(カミングアウト)だった。

 

 笑い疲れて今日はこれ以上は笑えないと思っていたのに、簡単に限界点をぶち壊してくる。

 

『おお……それは、ええと……なんというか、僕も悪ふざけが過ぎましたと言いますか……』

 

〈草〉

〈草〉

〈草〉

〈なんしとんねんw〉

〈草〉

〈もらしてwさwとwりw〉

 

『ジンさんは悪くないよ。おしっこ我慢企画とかやってたロロがまさか企画とはまったく関係ない配信で漏らすなんて思わなくて、今精神状態がフラットになってるだけ』

 

「だぁはぁっははっ! ひぃっ、ひぃっ、死ぬっ……っ。そんでっ、さっきヘッドセット外したって言ってた時に、ぶふはっ……着替えたのかっ?」

 

〈笑いすぎやろこいつw〉

〈ジンは反省してるってのに壊斗は〉

〈悪魔のほうが人の心があった〉

〈人の心はあってもデリカシーがないw〉

 

『下ぜんぶ脱いでタオル巻いてるだけ。ノーパンだよ。今のロロはノーパン配信者だよ』

 

「だぁっははっひ! ははははっ! はっーーっははっ!」

 

『あの……とりあえずロロさん。ゲームのほうは仕切り直しましょう。それで、ロロさんは一旦席を外して、お着替えしましょう。僕たち待ってますから。ゲームも、他のことも、一旦全部仕切り直しましょう』

 

「ああ! そうだはぁっ! ひぃひっ……はぁっ……んっ! ジンの言う通りだ! ロロ! 俺たち待っとくから! 雑談でもして繋いどくから! ぱぱっとシャワー浴びるなりして着替えてこい!」

 

『いい? リスナーからも〈行ってこい〉ってめちゃくちゃ言われてるんだよね』

 

『どうぞ行ってきてください。こちらは全然大丈夫ですから』

 

『ごめんね。ちょっと離席するね』

 

 こうして、俺たちのサバイバル生活は一日目のスタート地点で頓挫(とんざ)した。




こんなんクリア無理や。


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「二回目のサバイバル生活一日目」

 

「さて! それでは『practice of evolution』を始めていきたいと思いまーっす!」

 

『はい。頑張っていきましょう』

 

『う、うんっ! がんばってこーっ!』

 

「二回目のサバイバル生活一日目でーっす!」

 

『くふふっ』

 

『ごめんってばぁっ! ロロだって悪気はなかったんだもんっ! 許してよぉっ!』

 

「だーっははははっ!」

 

 ロロが離席して、俺とジンでだらだらと雑談して十数分。もっと時間がかかるかと思われたが、ロロは案外すぐに戻ってきた。

 

 戻ってきたロロはテンションも戻っていた。開いたとか(のたま)っていた悟りはシャワーを浴びている間に閉じたらしい。

 

『いえ、ロロさんは悪くありません。僕が悪ふざけしすぎたのが悪いんです。それで時間の大部分が浪費されましたし、ロロさんが笑い苦しんでいた原因の八割は僕にあると壊斗さんも言っていました。僕が悪いんです』

 

『違うよっ! ジンさん悪くないよ! ロロがちゃんと締めてなかったのが悪いの!』

 

『いえ、僕の責任です。それはそれとして、締めてなかったという言い方はやめていただいて』

 

「そうだぞ。漏らしたのはロロ自身の責任だぞ。ロロが悪いんだ」

 

『壊斗くんはなんでそうなの?! っていうか漏らしたって改めて言わないでくんないかなっ?!』

 

「お前だって締める云々言ってるだろうが」

 

『もうやめましょうよ、壊斗さん。触れずに流しましょうよ』

 

「おしっこはトイレに流せなかったのにか?」

 

『くふっ、ふふっ』

 

『やめてよぉっ! なんでロロは推しと一緒にゲームしてる時に漏らしたとか言っちゃったんだぁぁっ?! うわああぁぁっ!?』

 

『壊斗さん、壊斗さん。これ以上はロロさんの心が壊れてしまいそうです……やめてあげましょうよ』

 

「仕方ない。ジンに免じて許しておいてやるか」

 

『ジンざん゛ぅぅ……』

 

『はい、はい。大丈夫です、大丈夫ですよ、ロロさん。誰にでもミスはあるものですからね。程度の大小はあれど、誰にだってミスはあるんです。気にしちゃだめですよ。切り替えていきましょう』

 

「そ、そうだよね? そうだよねっ!」

 

「……大のほう漏らしたらミスではすまないような……」

 

『う゛わ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛っ! ジン゛ざん゛ぅ゛ぅ゛っ゛!』

 

『壊斗さんっ! やめてあげてって言ったのに!』

 

「いや違っ……さっきのはお前の振りが悪いだろ!?」

 

『振ってませんよ!』

 

〈草〉

〈草〉

〈こいつ最低だw〉

〈クズで草〉

〈最低でくさ〉

〈さすがのノンデリw〉

〈悪魔より人間のほうが悪魔じゃねぇかw〉

〈ロロ……〉

〈すまんロロおもろいわw〉

〈悪魔を見習えよ人間〉

〈すまんやで悪魔〉

 

 一応俺だって、さすがにロロ可哀想だしな、とは思ったよ。でも、ジンが振ってくるから。

 

 さっきのは確実にジンのアシストだった。ロロをフォローするふりしてパスを俺に出してきていた。ゴール前でパスを受け取ったら、そんなもんシュートするしかないじゃないか。

 

 ジンが振ってきたのになぜか俺が怒られて、なぜかリスナーからもこき下ろされている。

 

 一番不可解なことになぜかジンの評価が上がっている。納得いかない。ロロが漏らした原因の八割はジンだぞ。

 

 貴弾でもコミュニケーションでも立ち回りが上手いな、などと不公平な世の中を嘆きながら、やっとゲームを始めていく。

 

 ムービーは前回観たのでスキップ。

 

「はい、帰ってきました俺たちの海岸線」

 

『ほんとにロロたち動いてなかったんだね』

 

「そうだぞ。動いてたのはジンだけだ。あいつキメラント倒してたしな」

 

〈とてもよく見た気がする海岸線〉

〈海綺麗だなw〉

〈深い森だなーw〉

〈今回は肉きてないなw〉

〈悪魔に洗脳されてるリスナーもいます〉

 

『えーっ!? ジンさんすごい! どうやったの? 武器持ってないよね?!』

 

「もうその話やったんだわ」

 

『うるさい! ロロは知らないの!』

 

『ほら、ロロさん。このあたり石ころ落ちてるじゃないですか? これを拾って、アイテム欄を開いて石ころのアイコンをキャラクターの手のところにドラッグすると装備扱いになって投げれるようになるんです。六個ほど頭にぶつけると倒せました』

 

〈ここらの石って装備できたのか〉

〈とりあえずやってみるの精神すげー〉

〈これが差だぞ壊斗〉

〈そういうとこだぞ壊斗〉

 

『おー! すごーっ! やっぱジンさんしか勝たん! こういうとこなんだよ壊斗くん!』

 

「そういえばお前椅子とかどうしたんだ? 濡れてないの?」

 

『そういうとこだっつってんだ壊斗ぉぉっ!』

 

〈見習えよ〉

〈カスで草〉

〈なんで掘り返したw〉

〈なぜ今それをw〉

 

「いやごめん。急に気になって」

 

『気になったこと、どうにかして呑み込めなかったんですか……』

 

「悪い。呑み込めんかったわ」

 

『こいつっ……いいけどさっ! 当然だめだったから部屋の隅に寄せてる。今は前使ってた椅子つかってる』

 

『以前使っていた物は処分していなかったんですね』

 

『うん。めんどいからまた今度でいいやーって思って、使ってない部屋に置いてたの。まさかまた使う日がくるなんて思わなかったけど』

 

『いやもう本当に申し訳ないです。配信終わった後、ほしいゲーミングチェアの商品名教えてください。以前言っていたアロマキャンドルと一緒にお送りしますので』

 

『いやいやっ! いいってば! 気にしないで! アロマキャンドルはしっかり送ってもらいますけどっ!』

 

「おん? アロマキャンドルってあれか? ロロとの雑談コラボの時に言ってたやつか?」

 

『そうですよ。材料揃えたんで、近々作ろうと思ってます』

 

「ジン、俺のも作ってくれよ。俺もほしい」

 

『なんでよ。壊斗くんはいらないでしょ。アロマキャンドルとか使うような繊細な性格してないじゃん』

 

「お前に俺のなにがわかるってんだ!」

 

『あははっ、いいですよ。材料には余裕がありますからね』

 

『ジンさん優しすぎるよ! こんなのに作らなくていいよ!』

 

「ほらロロ、こういうとこだぞ。もっと人に優しくなれよ?」

 

『ぜったい壊斗くんにはそんなこと言う資格ないからぁっ!』

 

〈悪魔とは思えんほど優しい〉

〈それに比べてこの男は……〉

〈やっぱジンさんかっけーっす〉

〈こんなのw〉

〈アロマキャンドル?〉

〈ジンロロコラボで言ってたやつ〉

〈女子力たっかw〉

〈お前いらんやろw〉

〈こいつら喧嘩しかせんw〉

 

 一回目では足を縫い止められていた海岸線から俺たちは移動し、派手な色の箱まで走る。一回目の時はたったこれだけの道すら踏破できなかったと思うと、二回目の進捗っぷりに感動を覚える。

 

「んで、この箱を漁れば最低限必要なものはそろう」

 

『箱の中身ってみんなと共有なの?』

 

「これに関しては入ってる物資はぜんぶ拾っていい。みんな同じ箱漁ってるけどこれだけは一人一人別になってんだよ」

 

『よかったー。これ三人で分けるって大変だもんね』

 

『不思議な箱ですね。あ、食料と水も入ってます。この非常食がなくなる前にサバイバル生活を安定させろ、ということでしょうか』

 

「そういうこったな。……難易度が高いからか、食い物と飲み物の数が少ないな」

 

『たくさん準備されてるーって思ってたのに、なんかそれ言われたら急に不満感が湧いてきたよ』

 

「ばっかお前、これからサバイバル生活すんだぞ。甘えたこと言ってんじゃねー」

 

『勝手に難易度決めた人の言うセリフじゃないっ! ていうか、一回仕切り直したんだからその時に難易度も変えられたんじゃないの?!』

 

『はいはいはい、喧嘩はやめましょうねー。これからともに生きていく仲間なんですからねー』

 

『うぅー……』

 

〈草〉

〈一回目と大差なくて草〉

〈壊斗さぁ……〉

〈後輩に気を遣わせんなよ……〉

 

『あーロロさん偉いですねー。我慢できて偉いですよー』

 

『うんっ……我慢するっ』

 

「おしっこは我慢できなかったのにな」

 

『う゛わ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛っ! ジン゛ざん゛ぅ゛ぅ゛っ゛』

 

『壊斗さんっ!』

 

「いや、だって……お前が振ってくるから……」

 

『だから振ってませんよ!』

 

〈草〉

〈天丼はマナー〉

〈クズすぎるw〉

〈性格終わってんのかよw〉

〈なんも成長しとらんw〉

〈天丼で草〉

〈お前はほんとにもう……〉

〈どうしようもねぇなこいつw〉

 

 今回も確実にジンがトスを上げていた。コート際でそんなに綺麗に高くボールを上げられたら、俺としてはスパイクを打つしかないだろうさ。

 

 絶対にジンが振ってきていたのに、なぜかまた俺が怒られている。おかしい。こんな理不尽あっていいのか。

 

『うぐっ……えぐっ……うぅっ』

 

『ロロさん、ロロさん。大丈夫です、大丈夫ですよ。僕もわかってますし、リスナーさんもみんなわかってますから、大丈夫です。本を正せば僕が悪いんですからロロさんは気にしなくていいんです。気を取り直しましょう。拠点、どこに作りたいですか? ロロさんの好きなところに作りましょうよ』

 

「あ、拠点作るんならキメラントに攻められにくくて資材の回収しやすいとこが……」

 

『ロロさんの好きなところに作りましょう』

 

「おいジン。拠点作りは大事なんだぞ」

 

『味方の精神状態安定のほうが大事です』

 

「…………それはそう」

 

『だそうです。ロロさん、どこがいいですか?』

 

『うん……えっとね』

 

〈ロロ……〉

〈ロロかわいそう〉

〈ロロいじめんなよ〉

〈悪魔のメンタルケア手厚いな〉

〈ジンの優しさしみるわ〉

〈こんなの好きになる〉

〈見習えよ〉

〈【悲報】唯一の経験者ハブにされる〉

〈それはそうw〉

〈それはそう草〉

 

『あ、ロロさんロロさん。あの崖の端とかどうです? 見晴らしいいですよ。オーシャンビューです。あそこにお家建てたらきっと気持ちがいいですよ』

 

『おーしゃんびゅー! あそこがいい!』

 

『ふふっ、そうですね。あそこに拠点を築きましょう』

 

「……おー」

 

 感嘆のため息がもれた。

 

 こいつ、人の扱いがばかほどうまい。

 

 ジンがロロに勧めた場所は、ジンが言っていた通り崖になっていて、キメラントが攻めてくる方向を限定できる。それはつまり、拠点防衛用の柵とか罠の設置箇所の節減に繋がるわけだ。一方向に重点的に資源を回せる分、防備を固められるしトラップも充実させられる。松明とかを設置しておけば夜間に見張っておく場所も少なくて済む。

 

 防衛に適した立地であることに加え、海が近いのも飲食料確保に好都合だ。波打ち際で魚を取ってくることもできるし、雨水を溜めるためのアイテムをドロップする生き物もいる。海岸線には漂着物としてクラフト用のアイテムも湧きやすい。

 

 メインとなる拠点を構えるのに好ましい地形だ。

 

 その都合のいい場所へと、まるでロロが自分で望んだように誘導した。これが悪魔の技か。

 

〈オーシャンビューw〉

〈別荘建てるんじゃないんだから〉

〈いいとこ見つけたな〉

〈誘導うめー〉

〈口がうまいんだ〉

〈ロロかわいいw〉

〈サバイバルなんだがw〉

〈旅行気分で草〉

〈一瞬悪魔いた〉

 

『それでは拠点は崖の上に築くとして、資材集めですね。壊斗さん。資材はどうやって集めればいいんですか?』

 

「んっ、おう。さっき箱から斧拾っただろ? それで木をしばけばいい」

 

『なるほど。人手が必要になりそうですし、ロロさんも一緒に行きましょうか』

 

『うんっ。かわいいお家建てたいです!』

 

「いずれ、な? 物資が整ってからにしてくれ? 最初は生活基盤を整えるためにいろんなことに資材使うから大変なんだよ」

 

『ぷぇー……しかたないなぁ……』

 

『斧……これで敵、キメラントでしたか? こういう武器でキメラントと戦うんですね』

 

「そう。本来はな。武器も早めに整えたいところだな。斧はダメージはそこそこなんだが、連続して振れねーんだよ。ダメージだけ狙うんなら棍棒使ったほうがいいし、安全にキメラント倒すんなら槍使ったほうがいい」

 

『なるほど。回復手段に乏しい今は槍のほうが良さそうですね。遠距離武器ってないんですか?』

 

「弓矢があるぞ。ただ、矢が消耗品だからな。なるべく早く作りてーけど、まずは槍だけ作っとこうぜ。最低限必要な武器だけ作って先に飲みもんと食いもん、とくに飲みもんの確保を優先しとかねーとマジで簡単に死ぬ」

 

『そのために、木を()りに行くってことですね』

 

『こり?』

 

『木を切りに行きますよーってことです』

 

『ほえぇ……』

 

 三人全員斧を握り締め、建設予定地から一番近いところの木を切り倒していく。

 

「木を切り倒す時気をつけろよ? 倒れた方向に建築したものがあったらぶっ壊れるし、プレイヤーがいたらダメージ入るんだよ。だから人がいない方向に切り──」

 

『あっ……』

 

 こつんこつんと使い勝手の悪い斧で木の幹を叩きながら説明していると、ロロの情けない小さな声が聴こえた。

 

 なんだ、と思ってロロのいる方向に視線を向ければ、視界いっぱいに木。

 

 倒れてきた大木が、くちゃっ、と俺のキャラクターを踏み潰した。

 

「ロロぉぉっ!」

 

『ごめんなさぁぁいっ! でも、どこに倒れるかなんてわかんないしっ……』

 

『ほう、なるほど。こんなふうに事故になる、と。そして倒れた仲間に近づけばダウンを回復させるためのボタンが表示されるんですね。安全な時に知れてよかったです』

 

〈さっそく事故発生〉

〈言ってるそばからw〉

〈これ事故か事件かわかんねぇなw〉

〈ロロw〉

〈やらかすと思ってた〉

〈怨恨からの犯行かw〉

 

 ジンは倒れた俺にすぐに駆け寄り、ダウン状態を回復してくれる。仕事が早い。

 

 ちなみに加害者のロロは犯行現場でおろおろしているだけだった。助けろよ。

 

『そ、そうだよね? ダウンの回復の仕方をここで知るためにやった、みたいなところもあるにはあるよ』

 

「ねーよ。人の命を対価にするほどのでかい情報じゃねーよ」

 

『壊斗くんが教えるの遅いのが悪いよ! 切り終わった時に言われたってどうすることもできないじゃん!』

 

「俺のせいにすんのはどう考えてもおかしいだろ! まず謝れよ!」

 

『最初に謝ったじゃん! ごめんなさいって!』

 

『はいはいはい。喧嘩やめましょうねー。せめて拠点を作ってからにしましょうねー。まだ木を切ってしかないですからねー』

 

「だってジン! こいつが人のせいにしてくるんだぜ?!」

 

『ジンさんっ! ロロ悪くないよ! 教えてもらってないことで怒られたってロロもどうしようもないもん!』

 

『そうですね。誰も悪くないですからね。ロロさんは頑張って伐採していただけですし、壊斗さんはまさに説明していたところだったわけですから。誰も悪くないんです。ちょっと運が悪かっただけですね。さ! ある程度伐採できましたし拠点作りに行きましょう! 使いやすい武器とかも作れるといいですね!』

 

『うんっ! 拠点作りに行こ!』

 

「そうだな! 材料あったっけか?」

 

〈すーぐ喧嘩〉

〈仲良しかw〉

〈だいたい皺寄せはジン〉

〈悪魔の仕事多いなぁw〉

 

 ジンに(なだ)められて溜飲が下がる俺とロロ。実に単純な脳みその構造をしている。

 

 三人そろって伐採した木材を担ぎ、建設予定地へと向かう。

 

『海見えるところにベンチ置きたいなぁっ!』

 

「ばかやろうが。まず拠点だっつってんだよ」

 

『言い方おかしくないっ?! いいじゃん! すぐ作るよ拠点もっ!』

 

「寝るとこもない。飲みもんもない。食うもんもない。なのにまずベンチはおかしいだろ」

 

『うっ、うぅっ……。も、もっと優しい言い方っていうのがっ、人にはあると思う!』

 

「優先順位どうなってんだよ。お前絶対テスト勉強する時部屋掃除してたタイプだろ」

 

『なっ、なにそれっ! 関係ないよね今それ! いいじゃん! 部屋掃除したほうが集中できるんだから!』

 

「やっぱそうだ。絶対ショートケーキのイチゴはすぐに食うタイプだ」

 

『だっ、だからなんなの?! だめなの?! 食べたい時に食べるのが幸せなんだよ! なんなのさっきからちくちくちくちく! ぜぇったい壊斗くん彼女いない!』

 

「今俺に彼女いないの関係ないだろ!」

 

『ぜぇったい壊斗くん彼女できないっ!』

 

「これから俺に彼女できないかはわからないだろっ!」

 

『あーもう……。どこからでも口喧嘩できる天才なんですかお二人は。木材運ぶだけのことでどうやったらそんなに言い合いできるんですか……』

 

〈初手ベンチは草〉

〈はじまったw〉

〈どっからでも喧嘩始まるやんw〉

〈まーベンチは使えるけど〉

〈彼女できんw〉

〈たしかにこれは彼女できないw〉

〈こんなに口うるさいやつに彼女いるわけないんだからw〉

 

『ジンさんっ! ベンチいいよね?! 海見ながらゆっくりくつろげるベンチいいよねっ?!』

 

「ジンありえないよなぁっ?! まず作るとしたら拠点か、効率アップのための作業台だよな?! な?!」

 

『支給品でもらった建築一覧表を見るとベンチはそこまで資材を使いませんし、スタミナの最大値を回復させる効果もあるようです。これからたくさん動けば最大値も減少するんじゃないでしょうか。それなら回復用としてベンチはあってもいいでしょう』

 

『やったぁっ! ジンさんっ! わかってくれると思ってた!』

 

「はああぁぁっ?! おかしいって! たしかにまだ飲みもんも食いもんも薬草とかもねーから、無駄にはならねーだろうけどさぁっ!」

 

『疲れたらベンチで休憩しましょう。でも他にも必要な建築物はたくさんありますから、今はベンチだけで我慢してもらえますか? ロロさん?』

 

『うんっ! わかったっ! 今はベンチだけでいいよ! ベンチに座って今後の快適な無人島ライフに思いを馳せることにします!』

 

『ふふっ、そうですね。楽しみは後に取っておきましょう』

 

「……大人だ」

 

〈選ばれたのはロロでした〉

〈折衷案〉

〈バランスとるのうめー〉

〈悪魔いないと進まねーなw〉

〈一回目は悪魔のせいで終わったのにw〉

 

 島から突き出たように伸びている崖の、その先端部分。大海原を眺望できる絶好のポジションに、このゲーム初の建築が行われた。

 

 ベンチである。拠点でもなく、焚き火でもなく、作業台でもなく、ベンチである。効率厨が観たら発狂しそうな配信だ。ちゃんと海を向くようにベンチの方向もしっかり整えているのが憎たらしい。

 

『なるほど。建築はこのガイドブックに載っているものを選んで、どこに建設するかを指定して、資材を持ってくるという形で作るんですね』

 

〈建築を学ぶって意味ではベンチはありだったな〉

〈ロケーション最高で草〉

〈エモいw〉

〈初建築がベンチw〉

 

「そうそう。おいロロ、どんなもんが作れるかぱらっと見とけよ。一回配置したやつは動かせないからな。どこにどんなものを建築していくかざっくり考えながら建てていってくれ」

 

『はーい。あっ! 畑も作れるんだ! 家庭菜園作りたいなー!』

 

『家庭菜園ですか。いいですね。自給自足の生活って感じがしてきます』

 

「実際畑はありだな。そこで薬草とか育てたら回復アイテムも作れるようになる。まぁ、種拾ってこなきゃ植えらんねーけど」

 

『それじゃ種が手に入ってからだね。まずこのあたりに拠点作ってー、作業台は適当なところに置いといて……〈乾燥棚〉? リスナーから乾燥棚ってのを作るといいって聞いたんだけど、これってなにができるの?』

 

「乾燥棚は保存食作るやつだ。肉とか魚とかをそこで乾燥させると腐らなくなる」

 

『それならその乾燥棚もいくつか置きたいですね。食料はそれで当面解決として、飲料水はどうすれば?』

 

「海岸にはたまにでっけーカメがいんだよ、ウミガメ。そいつをしばいたら甲羅が手に入るから、甲羅を使って雨水を溜める貯水器ってのをクラフトする。貯水器は置いとけば雨が降った時に勝手に溜まる。これもいくつか作って並べておきたいな。こまめにウミガメいないか見といてくれ」

 

『おー、壊斗くん詳しい!』

 

『とても頼りになりますね』

 

「お、おお! まぁ、一回やってっからな! 任しとけ! 雨が降らないと飲めるくらいに水が溜まらねーし、ほっといたら乾いてなくなるから、早いうちに水筒とかもほしいな!」

 

〈最初はやること多いよなぁ〉

〈いっちゃん楽しいとこや〉

〈経験者みたいなこと言ってる〉

〈すぐ調子乗るw〉

〈のせられやす〉

〈草〉

〈二人とも褒め上手なんだからw〉

 

 なんだかようやく経験者らしいことができた気がする。頼られると気分がいい。器用でいろんなことができるジンに言われると自己肯定感が爆上がりする。

 

『飲み物が特に重要と言ってましたよね?』

 

「そうそう。限界まで空腹になっても死ぬまでは時間がかかるんだけど、脱水になったら体力ががんがん減ってくんだわ。だからまずはウミガメを探しに……」

 

『ぴゃあっ?! も、森っ! 森のほうに、なんかいる?!』

 

『森のほう……一回目に僕が倒したのと同じヒト型のキメラントですね』

 

「んー……けっこう出てくるんだな……」

 

〈水は最優先〉

〈カメは肉も取れるしちょうどいい〉

〈いくつか用意したいよな〉

〈鳴き声草〉

〈湧くのはやいな〉

〈ヒト型ならセーフ〉

 

 俺が前回後輩たちとやった時よりもキメラントの出現頻度が高い気がする。

 

 前回は足手纏い二人のせいでかなり時間がかかったのに、それでも一体目とエンカウントしたのは拠点の設営が終わってからだったはずだ。

 

 ジンが倒した一回目でもゲームが始まってわりとすぐ、海岸線近くの森から出てきていた。そして今回、事故で時間は食ったとはいえ伐採してすぐ拠点作りを始めた。それなのにもう出てくるとは。

 

 難易度によってキメラントの出現率が変わっているのかもしれない。

 

『それではあれは僕と壊斗さんで(さば)きましょうか。ロロさんはそのまま拠点作りを始めちゃっててください』

 

『だ、大丈夫? ろ、ロロも手伝ったほうがいい?』

 

『ふふっ、大丈夫ですよ。僕たちだけで手は足りてます。拠点作りのほうが大事なので、ロロさんはそちらをお願いします』

 

〈そのまま解体しそうな言い方w〉

〈ロロは行かんほうがよさそう〉

〈バトルに強いのが二人いるしな〉

〈悪魔やさしい〉

〈声がもうやさしい〉

〈ロロ無理すんな〉

〈悪魔あったけぇな〉

 

『う、うん、わかった。……気をつけてね』

 

『ご心配なく。石ころをぶつけるだけで勝てる相手です』

 

「だははっ、発言が(つえ)ーんだよ。んじゃ、ロロは建築よろしく。行くぞジン!」

 

『ええ、行きましょう。貴重な食料です』

 

「食う気かよ」

 

〈ロロかわいい〉

〈かわいい〉

〈ロロってこんなにかわいかったんか〉

〈めちゃいい子〉

〈実際石ころで勝ってんだよなw〉

〈安心させるためなのかただの事実なのか〉

〈食うなw〉

〈もう少し葛藤を見せろw〉

 

 まだ新しい武器はクラフトしていないので、俺たちの武器は支給品の斧だ。

 

 連続して攻撃することはできないが、俺とジンでヒト型を挟み込んで、一発斧で殴ってスイッチを繰り返せばおそらくノーダメージで倒し切れる。

 

「ジン、挟んで交互にあいつしばくぞ。先に俺が……」

 

 作戦を伝えようとしていたら、進行方向にいるキメラントへと勢いよく飛翔する物体が視界に入った。

 

『ほう……なるほど。こういうテクニックもあるんですね』

 

「おいジン! 俺のすぐ横をなんかが通り過ぎてったぞ!」

 

『ダッシュ中に物を投げるとモーションと勢いも変わるんですね。ダメージのほうも調べたいのでやらせてもらっていいですか?』

 

「お、おう……」

 

〈石投げとる〉

〈真横通ったw〉

〈あぶねぇw〉

 

 耳元でひゅんっ、ひゅんっ、と風切り音が続く。恐ろしい。俺に当ててくれるなよ。フレンドリーファイアがデフォルトなんだぞ、このゲーム。

 

 怖いのでジンの隣に移動した。

 

『ダッシュと投擲で二重にスタミナを消費するのは痛いですが、弾道が山なりになりにくい分だけ狙いやすくなりますね』

 

「ほー……ん?」

 

 キメラントは石ころに怯みながらもこちらへ接近し続けているが、ロロの発見が早かったおかげでかなり距離がある。かなり距離があっても、びしっ、びしっ、と一発も外すことなく、ジンは石ころをヒト型に命中させていく。エイムが活きるゲームならなんでもうまいのかこいつ。

 

 一定のリズムでヒト型から発生するダメージエフェクトの小気味よい効果音は、もはやヒーリングミュージックだ。

 

 音に意識を傾けすぎて気づくのが遅れたが、ダメージエフェクトはずっと頭に出続けている。俺が見学し始めてから、ずっとだ。

 

「お前っ、ずっとヘッショしてんのかよ!」

 

『いえ、ダッシュ投擲一投目は外しましたよ』

 

「それ走り投げ知らなかっただけだろ……。走り投げ知ってからは外してないのかよ」

 

『まあ……空中機動もしない、回避行動も取らない、ただ一直線に近づいてくるだけ。これだけ条件が揃っていれば外しません』

 

「そんなぎゅいんぎゅいん動くキメラントいたらキモすぎるな」

 

 空中機動とかのキャラコンは貴弾みたいな人間のシルエットでもぎりぎりなんだ。『practice of evolution』の敵は総じて見た目がキモいのに、空中で急に方向転換したり左右に小刻みに揺れだしたらキモさ倍増どころじゃない。

 

『今日はすでにエイムが暖まっていますからね』

 

「貴弾やったあとだもんな、それもそうか。……いや、んなわけあるか」

 

〈ただでさえキモいのにキャラコンしてきたらさらにキモいわw〉

〈キャラコンしてくる敵とかいてたまるかw〉

〈エイムやばいw〉

〈ずっと頭〉

〈ヘッショ率たっか〉

〈もう武器石ころでいいやんけ〉

 

『五発ですね。威力も変わるようです。ただ、一回目の時と距離が違うので検証は中途半端ですね。このゲームに距離によるダメージ減衰があるのなら数値が変わってきてしまいます』

 

「あーあ、また石ころの犠牲者が……」

 

『倒せたのっ? 二人とも怪我はない?』

 

『ええ。ご心配ありがとうございます。僕も壊斗さんも無傷ですよ』

 

「ああ。ジンのエイム力の前ではヒト型なんて無力だった」

 

 二人で挟めば斧でもノーダメージで勝てるとは思ったが、まさか斧を振る距離にもならないとは思わなかった。

 

〈ばかつええ〉

〈銃どころか弓矢もいらんのかw〉

〈これ弓矢持たせたら敵おらんやろw〉

〈石ころ強くてくさ〉

〈ロロだけが心のオアシス〉

〈結構当てにくいのに〉

〈ダメージ減衰ないぞ〉

〈絶望圏の住人だわ〉

 

『二人とも怪我がないのはよかった! 気をつけて帰ってきてね!』

 

『ふふっ、ありがとうございます。ついでに伐採して、あと海岸見てから戻りますね』

 

『はーい』

 

「ん? おおー。ジン。〈ダメージ減衰ない〉ってリスナー言ってるわ」

 

『そうなんですか? とても有用な情報ですね。壊斗さん、壊斗さんのところのリスナーさんもありがとうございます』

 

「……ところでダメージ減衰ってなんだ?」

 

『銃とかだと、弾丸を発射した直後と、しばらく飛翔してからだと速度が違うので殺傷力や貫通力が変わってしまうんです。ゲームによっては距離が離れれば離れるほどに与えるダメージが減ってしまうシステムが導入されてるんですよ』

 

「ああ! 距離によるダメージ減衰ってそういうことか!」

 

『はい。ADZだとそのダメージ減衰がしっかりと働いておりまして、いろいろ大変なんです。ですがこちらのゲームではないようなので安心しました』

 

「なるほどな。近かろうが遠かろうが、ダメージはおな、じ……ジンお前、はちゃめちゃに遠投しようとか考えてないか?」

 

『…………ふふっ』

 

 妙な間を置いて、ジンは不敵に笑った。

 

 距離でダメージが変わらないのであれば、ジンからすれば実質射程距離無限みたいなものだ。

 

 キメラントがどれだけ攻撃力が高かろうと、奴らは貴弾の敵のように銃を持っているわけではない。手の届かない距離のプレイヤーを攻撃する手段は持ち合わせていない。

 

 ジンなら、想像を絶するほどの遠距離から、一方的にキメラントを攻撃できる。

 

 しかも投擲用の小さな石ころはこの島中、どこにでも落ちている。弾もいくらでも補充できる。

 

 こいつ、エイムだけでこの島の頂点に立つ気かよ。石ころで。

 

「やばいって! こいつと遠距離武器の相性やばいって!」

 

『怖いものなしです。……と、言いたいところなんですが、そう簡単でもないんですよ。どれだけ走り投げで飛距離を飛ばそうとしても、さすがに人間の肩では飛距離に限界があるようですね。残念です。飛距離を伸ばそうとして上を向きすぎると、敵の姿が見えなくなってしまいます。それだとさすがに弾道と偏差を合わせられません』

 

「姿さえ見えてりゃ合わせれんのかよ……エイムの悪魔だ」

 

『憤怒の悪魔です』

 

『ジンさん! 建築で物見……もくぎょ? なんか難しい漢字がついてるけど、見張り台みたいなの作れるみたいだよ! ジンさんにぴったりじゃない?』

 

物見櫓(ものみやぐら)でしょうか? いいですね。高さがあれば飛距離が伸びますし』

 

「一人だけ兵器みたいになってんぞ……」

 

〈エイムの悪魔w〉

〈たしかに悪魔的なエイム〉

〈もくぎょてなんやねんw〉

〈もくぎょw〉

〈悲報ロロ漢字が読めない〉

〈やぐらは難しいよなw〉

 

『防衛面も希望が見えてきましたね。さて、倒したキメラントを回収しましょう』

 

「……そうだな。貴重な資源だ。今はまだ食いもんには困ってねーし、ここで燃やして骨にするか」

 

『そうですね。ロロさんにお見せするわけにはいきませんし』

 

『う、うん……。で、でもっ、避けられないならロロもがんばるよっ』

 

「そこまで切羽詰まってねーからまだいいだろ。資源のほうが大事だ」

 

〈一人分の戦闘力じゃない〉

〈悪魔ならロロの分も働けるな〉

〈マジでさばく気だったのか〉

〈骨は使うしな〉

 

『燃やす……火はどうするんです?』

 

「建築一覧表から焚き火を建築すんだよ。材料はたぶん伐採した時にでもついでに拾えてんじゃないか? 木の棒と木の葉を使う。なかったら森に入って適当に斧振り回してりゃ、このあたりはすぐ手に入る」

 

『なるほど。たしかに持ってました』

 

 死体を火葬する準備を始める。

 

 建築一覧表から焚き火を選んで、設置場所を適当な場所で決定。消費するアイテムを放り込み、建築開始。

 

 焚き火にも種類があるが、死体一つを燃やすだけなので無駄に高性能なものを用意する必要もない。簡易的なものを選んだ。

 

「箱から漁ったライターを装備して、建築した焚き火に近づけばキーが表示される。入力すればライターで着火して焚き火完成だ。ちなみにダメージ判定がある。入んなよ」

 

『そうですね。生きたまま火炙りはもうごめんです』

 

「経験があるみたいな言い方すんな」

 

〈燃やすだけならこれでいいな〉

〈森の近くだし材料もたくさんある〉

〈けっこう炎上ダメ痛いんだよな〉

〈草〉

〈悪魔裁判にかけられたかw〉

〈火炙り経験者w〉

〈生きてんの強すぎだろw〉

〈悪魔が言うとブラックジョークやw〉

 

『……何もボタンの表示は出ないんですけど、これそのまま焚き火の上に放り捨てたらいいんですか?』

 

「おう。投げちまえ。しばらくしたら骨になる」

 

 ジンが焚き火の上にキメラントを放り込んだ。置いてからちょっとすると火勢が盛んになり、キメラントの色が黒く変色し始めた。順調に火が通ってきている。

 

 ふつうの焚き火だと人間大以上の大きさと重さの物体を放り込めば火が消えてしまいそうだが、まぁゲーム的要素だ。深く考えてはいけない。

 

『あ、出てきました。骨に、頭蓋骨まで。これらもクラフトに使うんですよね』

 

「クラフトで武器にも防具にもなるし、なんなら建築でも使う。用途は幅広いな」

 

『たくさん必要になりそうですね……』

 

「いることはいるが、拠点にいても探索しに行ってても奴らはそこらへんにうじゃうじゃいるからな。出てきた奴らを狩ってりゃ気づいた時には余ってるくらいだ」

 

『意識して狩りに行く必要はないんですね。それなら資材集めに戻りましょうか』

 

「だな。せっかくこっちまできたし、さっきロロに言ってた海岸に立ち寄るルートで戻るか」

 

『木材足んないよー!』

 

『はーい、持って帰りますよー』

 

「足んない、じゃねーよ。お前も伐採しにこい。キメラントはもう片づけた」

 

『……うぃ』

 

『ふふっ、嫌そう』

 

「サバイバル舐めんなぁっ!」

 

 




ようやくサバイバル生活が始まりました。


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「命大事に」

 

 拠点最寄の森で細めの木や下草を刈り取り、大木を()って担いだりして資材を回収し、その足で崖下の海岸へ向かう。

 

 幸いなことに浜辺にウミガメが打ち上がっていたので、担いできた木材を一旦下ろし、斧でウミガメを叩く。ただ日向ぼっこしていた無垢なウミガメを処すのは良心が痛むが、しかしこちらも命がかかっている。これも生存競争だ。恨まないでほしい。

 

 ジンが生物に斧を振るっているところを見たのは、ウミガメ相手が初めてだった。使い勝手の悪い石ころを愛用するジンといえど、さすがにウミガメに石ころは使っていなかった。

 

 それもそうか。ジンは安全にキメラントを狩るために石ころを使っているだけ。反撃してこないウミガメが相手なら、時間も手間もついでに石ころ()も無駄にかかる手段は選ばない。

 

 ウミガメをしばき回し、そこからさらに解体して、素材を入手する。

 

 貯水器用の甲羅もしっかりゲット。まだ安心できる量ではないが、飲料水確保の目処(めど)が立っただけよし。

 

「うっし。甲羅とついでに肉も手に入ったし、戻るか」

 

 忘れずに木材を担ぎ直す。崖上の拠点設営地へ戻ろう。

 

『このゲーム、所持数に上限はありますけど、所持重量に制限などはないんですね』

 

「重量? たぶんないんじゃねーの? 見たことねーよ」

 

『助かりますね。何度も往復しないで済みそうです』

 

〈重量?〉

〈そこまで細かくないな〉

〈絶望圏に脳みそ侵食されとる〉

〈ADZ民はこのありがたみに気付ける〉

 

「はー、なるほど。『絶望圏』には重量制限ってのがあんのか」

 

『リスナーさんが何か言ってらっしゃったんでしょうか? そうなんです。ADZは所持重量による上限のせいで、アイテムの取捨選択という名の理性と欲のせめぎ合いが行われるんです』

 

「それ聞いて『わー! やりたくなってきた!』とは絶対ならんぞ……」

 

『そのシビア加減がいいんですけどね。でも、重量制限というシステムがないのは本当に気が楽でいいです。見つけたものをたくさん持ち帰れるのは気持ちがいいですね』

 

「お前もわりと嫌がってるじゃねーか」

 

『貴重な銃やアイテムを見つけても泣く泣く諦めることだってありましたからね。しかしそれもまたADZの醍醐味(だいごみ)です。そのシステムのおかげで独特の緊張感とひりつきが味わえるんです』

 

〈うっわわかるぅ〉

〈わかりみが深い〉

〈相当なコアプレイヤーだな……〉

〈黒兎だぞこいつ〉

〈やり込んでるなんてレベルじゃねぇからな〉

〈ソロランキング二位のBlack Rabbitとはこいつのことだ〉

 

「ギャンブルの感覚に(ちけ)ぇな……。ロロー、木材は拠点の近くに置いとくぞー」

 

『うんっ、ありがとー』

 

 崖上に戻ると、建築途中の拠点があるだけでロロの姿は見えなかった。ちゃんと自分で木材を取りに行ったようだ。

 

『あ、ロロさん乾燥棚作っててくれたんですね。ありがとうございます』

 

『うんっ! 食べ物取ってきてくれた時、ないと困るかなーって』

 

〈ロロいないな〉

〈ちゃんと自分で伐採行ってるw〉

〈敵さえいなきゃ行けるもんな〉

〈乾燥棚あんじゃん〉

〈ロロ!〉

〈できる女なのかロロ〉

〈気が利く〉

 

「すぐに食うなら焼きゃあいいが、それだと保存が利かねーからな。助かる。さっそく肉置いとこうぜ。これ、わりと時間かかんだよ」

 

『そうですね。置いときましょう。乾燥棚の隣に貯水器も設置しましょうか』

 

「だな。貯水器は建築一覧表から作れるぞ」

 

『わかりました。……これで生きる上での最低限のインフラはできた感じでしょうか』

 

「んー……まぁいいんじゃねーの? 水は心許ないし食料も不安だが、これだけありゃすぐには死なねーだろ」

 

 拠点はまだ建築途中だが、他はなんとかなりそうだ。

 

 水は雨に依存しているせいで安定供給とは程遠いが、脱水の危険域に到達する前に一度くらいは雨が降るだろう。折を見てもう一度ウミガメをしばきに行って貯水器の数を増やしていれば問題はなさそう。

 

 食料も現時点では三人で分けるにはひもじい量しかないが、ウミガメは甲羅と同時に肉もドロップする優秀なmobだ。あれを狩ってれば食い繋ぐことはできる。

 

 まだ余裕はないが、必要最低限のラインには到達しただろう。

 

『ふむ……。拠点作りのほうはもう少し人手があったほうがよさそうですし、分担しましょうか。僕が森の中を探索しつつ素材集めと食料確保。壊斗さんはロロさんの護衛をしつつ、拠点周りの充実をお願いしていいですか?』

 

『えっ?! ジンさん一人で森入るのっ?! 危ないよっ、怖いよ! ロロのことはいいから、壊斗くんと一緒に行ったほうがいいよ!』

 

〈ロロは戦えないからな〉

〈このままじゃ間に合わんか〉

〈まぁジンならいけるやろ〉

〈たぶん一人で根絶やしにできる〉

〈ロロいい子だ〉

〈建築回ったほうがいいか〉

 

『いえ、ロロさんのためだけ、というわけでもないんです。日が暮れるまでには拠点作りを終わらせたくて。今のところ夜にも活動できるような光源もないことですし。木を切って、運んで、建築して、となるとロロさんお一人では手が回らないでしょうから、そこを壊斗さんにも手伝ってもらうんです』

 

「んー……そうだな。どっちか一人が森に入るってなるんなら、まだ武器の更新ができてねーわけだし石ころで安全に戦えるジンのほうがいいだろうな」

 

『で、でもっ、森の中だよ? 木がいっぱいあるのに、石ころで戦えるの?』

 

『遮蔽物がたくさんある貴弾でも動き回るプレイヤーに弾を当てれますし、問題ないかと』

 

『…………たしかにっ!』

 

「実際にやっちまうんだからやべーよな」

 

〈草〉

〈草〉

〈たしかになw〉

〈デュマ帯のプレイヤーに比べりゃ怖くねぇわw〉

〈パンチしかしてこないようなもん〉

〈ヒト型くらいなら石ころでワンブイスリー返せそう〉

 

 拠点作りとウミガメしばきに専念する間は他の素材を取りに行くゆとりがない。使い勝手のいい武器を作るにも、森を進んだところで拾える素材を使うのだ。

 

 拠点を完成させて、その後でみんなで森に探索に入って素材を集めて、一度拠点に戻ってクラフトして、装備を整えて森のさらに奥に探索となると時間がかかる。

 

 ここで作業を分担して行えたら時間の短縮になる。

 

 単独行動するとなったら、戦闘力と生存力に秀でたジンが適任だろう。

 

「そんじゃ、ジン。任せた」

 

『ジンさん、気をつけてね。危ないって思ったらすぐ帰ってきてね』

 

『ふふっ、はい。ありがとうございます』

 

〈ロロが尊い〉

〈生きて帰ってこいよ〉

〈ロロの可愛さ限界突破してる〉

〈ロロが愛くるしい〉

〈まぁ悪魔はやられんやろ〉

 

「マジで引き際大事だぞ。このゲームは拠点にリスポーンが設定される。まだ拠点が作れてねーから、確死入れられたらリスポーンできねー」

 

『おお……なかなかハードですね……』

 

「ダウンしてから確死までのリミットはそこそこ(なげ)ーけど、単独行動中だとすぐにダウン回復に行けねー。まじで死なねーようにな」

 

『先にそれを聞けてよかったです。よく注意して進むことにします』

 

〈くそみたいな難易度だな〉

〈リスポン不可ま?〉

〈誰かが確入ったら即終了か〉

〈まぁジンならいけるか〉

〈きっつ〉

〈この悪魔がmob相手に負けるとも思えんけど〉

〈逆に悪魔のいない拠点が危ない〉

 

 乾燥棚で干していたカメ肉の加工が間に合ったので非常食として干し肉を持たせ、森へ単独調査に向かうジンを俺とロロは二人で見送った。

 

 ふつうに考えれば、拠点もできてないうちにこの難易度でキメラントが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する森の中に一人で向かわせるなんて自殺行為に等しい愚策だが、俺はそれほど心配はしていない。

 

 並のプレイヤー二人分くらいの戦闘力を誇るジンですら森の中を探索できないのなら、端的にこの難易度のクリアは不可能ということになる。さすがに人間にクリアできるくらいの難易度には調整されているだろう。まぁ、この難易度の推奨プレイ人数と俺たちの人数には開きがあるが、それはそれだ。

 

 コメント欄を見る限り、リスナーも心配していない。口さがないリスナーに至っては、一人で森に入るジンより、拠点と海岸と森の入り口を行き来するだけの俺とロロのほうが危険だと思ってやがる。俺のところのリスナーだというのに、なんて舐めくさった奴らだ。

 

「森の資源収集はジンに任せて、俺たちは拠点の完成を目指すぞ」

 

『おー!』

 

「ロロは基本、森で木材を確保して建築だ。大量に必要になるから、先に木ぞりを作ったほうが効率上がると思うわ」

 

『うん、わかった。壊斗くんはなにするの?』

 

「俺もほとんど同じだな。ついでに海岸に立ち寄るくらいだ。漂着物とかウミガメとかいないか見る。キメラント出てきたら言ってくれ」

 

『はーい!』

 

 返事は二重丸のロロの声で、俺たちも作業に戻る。

 

 森の入り口までジンの見送りにきていたので持ち運べる分だけ木材を確保し、ロロは拠点へ、俺は海岸へ行く。

 

 ウミガメが一匹リポップしていたのでありがたくいただいて、海岸線を眺める。ジンのように景色を楽しんでいるわけではなく、漂着物の有無の確認だ。

 

 漂着物からはクラフトで使う頻度の高い素材だったり、クラフトでは作れないような素材、他では手に入らないアイテムが取れる。まめに回収にくるのが大事だ。

 

 俺たちが今やっている難易度だと、早め早めに装備をアップグレードしていかなければ、いずれキメラントに蹂躙されることになる。

 

 漂着物を一つ回収して、建築途中の拠点へと帰宅する。

 

「お、早速木ぞり作ってんじゃん」

 

 拠点の近くに担いできた木材を下ろすと、少し離れたところでロロがクラフトしているのが見えた。さっき言っていた資材運搬用の道具だ。

 

『うん。すぐにもう一つ作るから、壊斗くんそれ持ってっていいよ』

 

〈ウミガメはほんと序盤の救いだな〉

〈ウミガメ優秀すぎる〉

〈漂着物あんじゃん〉

〈ゴミ拾いだ〉

〈酒がありゃラッシュも安心なんだけど〉

〈ロロ働き者だ〉

〈ロロはいい子だなぁ〉

 

「さんきゅー。ジン、そっちどんなもん?」

 

『はい。ワンパやりました』

 

「強すぎて草」

 

『ほんとに一人で勝ってた……』

 

〈悪魔強すぎ〉

〈草〉

〈言えよw〉

〈つよすぎてくさ〉

〈バケモン混じっとるw〉

〈ワンパは草〉

〈まじでワンブイスリー勝ってたw〉

 

『先ほど発見したんですけど、これ後ろ向きにもダッシュできるんですね』

 

「そうそう。前向いてようが後ろ向いてようが走る速度に大差ねーんだよな」

 

『そういうの先に言っといてよ壊斗くん! ジンさんの生死にかかわるんだからっ!』

 

「お、おおう……ごめん」

 

〈後ろダッシュは弓使いの基本ムーブだな〉

〈教えてないの戦犯だろw〉

〈知ってたのに伝えてなかったのはアウトw〉

〈ロロも怒るよそりゃあ〉

 

『お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよー。それで、後ろ向きにも走れることに気づいて試してみたんですが、後ろ向きに走っていても不思議なことに走り投げできたんですよ』

 

『そうなの? 逃げながら投げれるならもっと安全になるね!』

 

「それは知らんかった。え、じゃあお前最強じゃん。引き撃ちしてるようなもんじゃん」

 

『はい。引き撃ちしてました。今のところヒト型は脅威ではありませんね』

 

「おいおい、石ころナーフ入っちまうぞ」

 

〈後ろ走り投げw〉

〈そもそもそんなに投げる奴おらんのよ〉

〈草〉

〈メインアーム石ころ〉

〈石ころで無双すんなよw〉

〈悪魔止めらんねぇ〉

〈ヒト型程度じゃ相手にならん〉

〈石ころナーフは草〉

〈石ころつえー〉

 

『でも、ヒト型、と呼んでいるということは、ヒト以外のキメラントもいるということですよね?』

 

「おう。オオカミだったりクマだったりイノシシだったり、トリ型ってのもいるぞ」

 

『それら相手に石ころがどこまで通用するか……楽しみです』

 

〈天敵はクマとイノシシあたりだな〉

〈クマは体力多いのがだるい〉

〈防御硬いイノシシも面倒なんだよなー〉

〈序盤のうちは勝ちそうだなw〉

〈草〉

〈石ころへの信頼たかw〉

 

「石ころ握り締めて戦いに行こうとすんな。お前だと勝ちそうでいやだ」

 

『だめだよジンさん! せめて弓矢作ってからだからね!』

 

『ふふっ、冗談ですよ。石ころでは時間効率が悪そうですし』

 

〈中盤でもイヌやネコ相手には勝ってそう〉

〈勝ちそうで草〉

〈弓矢あってもしんどいんよw〉

〈時間があれば勝つぞこいつw〉

〈敵は時間だけだった〉

 

 自分が負けることを一切考慮していないあたり、強者の風格が漂っている。やっていることは石ころ投げてるだけなのに。一芸を極めたらここまで強くなるんだな。

 

『そうだ、ウサギやシカも倒して(さば)いておきましたよ。皮が手に入りましたけど、これは防具とかに使えるんでしょうか』

 

「おー! ナイス! そこらへんの動物の皮はアーマーにはならんが、クラフトに使える。素材の所持上限が上がるアイテム作れんだよ」

 

『持てる量が増えたらもっと効率よくなるね!』

 

『ほう、袋に。だとすると人数分ほしいところですが……』

 

「獲物探してあんま奥行きすぎても帰ってくんのが大変だろ。空腹も水分もフルにしてから探索行ったわけじゃねーし、動き回ってると減りも早い。キリのいいとこで一回戻ってこいよ」

 

『そうですね。無理をするところではありませっ……お』

 

「ん? なんか見つけたのか?」

 

〈ナイスー〉

〈仕事人かよ〉

〈袋作れたらいいな〉

〈仕事がはえーんだ〉

〈マタギやん〉

〈銃なしで猟師やってるw〉

〈悪魔がダウンしたら終わりみたいなもん〉

〈安全第一でな〉

〈もう帰ってもええやろ〉

〈十分仕事した〉

 

 木ぞりを使って木材運びの効率を上げたおかげで、拠点はもう完成間近だ。日が暮れる前には完成するだろう。

 

 一度ジンには帰ってきてもらい、俺たち三人が持っている素材を全部かき集めてクラフトして、装備をアップグレードしていったほうがいい。探索の効率も上がるし、安全にもなるはずだ。ジンが回収できたらしい皮から袋をクラフトすれば、ロロの後方支援もできることが増える。

 

 なにか発見したみたいだし、それを回収したタイミングで戻ってきてもらおう。

 

『イノシシが出てきました。牙がとてもご立派です』

 

「イノシシ型じゃねーか! 逃げろ逃げろ! アーマーなしだと三発も耐えらんねーぞ!」

 

『ジンさん逃げてっ!』

 

〈なんか見つけたか〉

〈住居跡か?〉

〈まっずい〉

〈あ〉

〈言ってる場合かよw〉

〈まずいまずい〉

〈草〉

〈牙立派じゃねぇんだよw〉

〈フラグになったか〉

〈一日目で出んの?〉

〈ごみくそみたいな難易度だ!〉

〈突進一撃で瀕死だぞ〉

 

 ついさっき話していたヒト型以外のキメラント、それが現れてしまった。しかも単独行動中のジンが遭遇する最悪の事態だ。

 

 ヒト型のキメラントよりも、動物型のキメラントは単体性能が段違いに高い。ヒト型は斧を適当に振り回しているだけでも勝てるが、動物型はそうはいかない。本来ならもっと装備を整えるか、頭数を揃えるかしてから戦う相手だ。

 

 森の中に足を踏み入れているからといっても、まだ今日はゲーム内時間一日目だ。まさか本当に初日から動物型が出てくるなんて思わなかった。

 

 前回後輩らとやった時に初期装備でもイノシシ型は倒したが、三人で囲んでターゲットを取りながら回復を回してどうにか倒した。一人で戦うのは無謀極まりない。

 

 逃げることを勧めたが、当の本人は平静そのものだった。

 

『んー……動き自体は単調なんですよね。危なそうなら引き返しますね』

 

「なんでそう冷静か? ちょっとは慌てろ?」

 

『た、戦っちゃだめだよジンさん! 怒らせちゃうよ!』

 

『ですが、目と目が合った瞬間から彼、いえ牙が立派なだけでもしかしたら彼女かもしれませんが、すでに怒ってらっしゃるんですよね』

 

「性別はどうでもいいわ! なるべくイノシシの正面に立つなよ! そいつの突進ばか速えぞ!」

 

『平野では出会いたくない敵ですね。森の中では大木が壁になるので非常に戦いやすいです。はい、はい。パターン読めてきました』

 

 なんでこいつ一人で戦えてるんだろ。

 

 難易度によってプレイヤーが受けるダメージも違うらしく、前回やった時は突進二回喰らうとヒットポイントがミリになっていたが、リスナーが言うには今の難易度だと一撃で危険域に達するようだ。そんな生きるか死ぬかの瀬戸際で、どうしてこうも平然としていられるんだ。

 

『か、壊斗くん! ジンさんのとこ向かってあげて! ダウンしちゃったらジンさん助けられなくなっちゃうよ!』

 

『戦っている最中に漁夫がこないとも限りませんし、カバーお願いできますか?』

 

「おう、すぐ行く。漁夫って言うな」

 

〈なんでこんな余裕そう?〉

〈ジンの画面やばくて草〉

〈向こうもはや作業だw〉

〈パターン読み切ってて草〉

〈漁夫w〉

〈カバーいるんかこれw〉

〈草〉

 

『突撃二回で大木を倒してしまうんですね。恐ろしい威力です。でも攻撃のパターンは多くありませんね。近づいたら右に左に頭を振って、最後振り下ろし。はい』

 

『ジンさんがんばって!』

 

『ご心配なく、大丈夫ですよー。……ん? 岩……なるほど』

 

「ジン、あんま攻めすぎんなよ! 命大事に、だからな!」

 

『はい。命は大事にいただきます』

 

「くふっ、そっ、そういう意味じゃねーよっ! だははっ!」

 

〈ロロの応援効くw〉

〈読み切っとる〉

〈草〉

〈草〉

〈圧倒的捕食者目線〉

〈意味変わってもうとるw〉

〈狩る側の思考なんよw〉

〈そんな物騒な意味にw〉

 

 森の中を駆け抜けると木材が散らばっている開けた空間に出た。

 

 中央に大きい岩があり、その岩を挟んでジンとイノシシ型が対峙している。

 

 ジン視点だとイノシシ型は岩の真裏にいるので見えないはずだが、ジャンプしながら岩の横に出て、空中で石ころを投げて、再び岩の裏に戻って着地していた。

 

 このゲームでそんなキャラコンあんのかよ。

 

「おまっははっ、だはっはっ! ジャンピすんなよ! このゲームに必要ねーだろ!」

 

〈ジャンプピークwww〉

〈いらねぇだろw〉

〈余裕かよw〉

〈キャラコン化け物だな〉

〈ちゃんとイノシシの鼻にあててる〉

〈弱点わかってんのかよ〉

 

『あ、壊斗さん。もうきてくれたんですね。ありがとうございます』

 

「だははっ、お前っ、よそ見すんな! ははっはっ! こっち見なくていいんだよ! あはははっ! お辞儀すんなっ! 集中しろよ!」

 

 俺がきたことに気づいたジンはイノシシ型から視線を外してわざわざ俺に向いて視線を下げた。その動作が『ありがとうございます』と同時に行なわれたせいで、俺の視点からだとまるでお辞儀したみたいに見える。どんだけ余裕あるんだよこいつ。

 

〈こっち見るなw〉

〈お辞儀www〉

〈おじぎすんなw〉

〈戦闘中にやることじゃねぇw〉

 

『壊斗さん、手伝ってもらっていいですか? 突進が岩で止まるとイノシシは少し怯むんです。その時に足を斧で攻撃してください』

 

「お、おお! おっけーっ!」

 

『何回かジャンプピークで攻撃しているとたまに突進するので、そのタイミングでお願いします』

 

 再びジャンプピーク──遮蔽から一瞬顔を出して、イノシシ型を捉え、石ころをあてて、ジンは岩に戻る。

 

「このゲーム、ジャンピとかできたんだな。くふはっ、はははっ! はたから見てるとおもろいわ」

 

『やってみたらできて僕も驚きました。いいですよ、これ。突進は完全に防げますし、こっちは一方的に攻撃できますし。このゲームは走っててもジャンプ中でも弾が真っ直ぐ飛んでくれるのでありがたいですね』

 

「だはははっ! くははっ……石ころのことっ、弾って言うなっ」

 

『僕にとってこの石ころは、威力が低くて射程距離の短い銃みたいなものです。入りました。突進きます』

 

「おけ!」

 

『二人ともがんばれーっ!』

 

『はい。もう少し待っててくださいね、晩御飯は牡丹(ぼたん)鍋です』

 

「今日の晩飯はご馳走だ!」

 

 三度目のジャンプピークでイノシシ型がこれまでとは少し違う鳴き声を発した。ジンに言われなければ気づけない程度のかすかな違いだ。イノシシ系モンスターの定番みたいな後ろ足で地面を蹴るような予備動作じゃないのに、よく突進の予備動作を見つけられたものだ。

 

 横から見てるととてもよくわかる。イノシシ型がほんの一瞬静止し、その巨躯が霞むほどの速さで前方へと突貫する。

 

 人間が直撃すれば掠っただけでばらばらになりそうな衝撃だろうが、しかしその運動エネルギーはジンが遮蔽物に利用している岩にすべて受け止められた。

 

 遠雷のような衝突音があたりに響いた。

 

『ここです』

 

「よっしゃあっ!」

 

 安全なところから眺めていた俺はここぞとばかりに参戦する。

 

 岩に突進したイノシシ型は二、三歩よろめいてへたり込んだ。あの勢いでぶつかったのだから当然だろう。逆にあの速度で頭から岩に突っ込んで死んでいないのが不思議なくらいだ。なんて強靭な頭蓋骨をしているのだろう。

 

 気絶(ピヨり)状態みたいなイノシシ型の足に斧を振る。なにかしらのアップデートがあったのか、ヒットエフェクトやサウンドエフェクトが前と違う気がする。気持ちのいい感覚だ。

 

 起き上がって暴れ出すまでにできるだけダメージを稼いでおこうと斧を振り回していると、ちょうど俺の一撃でヒットポイントの底に届いたようだ。イノシシ型が断末魔のような鳴き声を上げた。

 

 俺が援護にくるまでの間に相当なダメージをジンは一人で与えていたらしい。イノシシ型はその絶叫を最後に動かなくなった。ほぼ一人で倒したじゃん、こいつ。



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拠点完成イノシシ焼肉パーティ

 

 俺が援護にくるまでの間に相当なダメージをジンは一人で与えていたらしい。イノシシ型は断末魔のような絶叫を最後に動かなくなった。

 

『わあ、大きな声ですね。なんです?』

 

 驚いているふうのセリフと、驚いているとはまったく思えないジンの声。こいつの驚きの声には微塵も切迫感というものがない。

 

「断末魔だな。イノシシがお亡くなりだ。……俺、ほとんどなんもやってねーよ」

 

〈わあw〉

〈断末魔えぎぃ声してる〉

〈義務びっくりで草〉

〈悪魔驚いてねぇやろw〉

〈イノシシ討伐!〉

〈石ころつえええw〉

〈悪魔つええええ!〉

 

『いえいえ、壊斗さんのおかげで最後畳みかけることができました。ありがとうございます』

 

「まぁ、ジンがいいんならそれでいいんだけどさ」

 

『わぁーっ! すごいっ! ほんとに二人で勝っちゃったんだ!? すごーいっ!』

 

『最後は壊斗さんが決めてくれたんですよ』

 

『壊斗くんやるじゃん!』

 

〈トドメ奪ってるやん〉

〈いいとこ取りしやがったw〉

〈キルパクしとる〉

〈キルパクやんけw〉

 

「いや、待って……待ってくれ。それだと俺、ラストアタック()(さら)っただけのクソ野郎になっちまう……。ほとんどジンが一人で削ってたんだ……俺は最後ちょちょんって小突いただけだ」

 

『みなさーん! みなさん聞いてくださーい! 壊斗さんが! 壊斗さんが僕の窮地に颯爽と現れて! イノシシをやっつけてくださいましたよー!』

 

『わーっ! 壊斗くんかっこいーっ! わーっ!』

 

「やめてくれっ! やめてくれよ! 俺はこんな形で喝采は浴びたくない! ちゃんと活躍して褒められたいっ!」

 

『ふふっ、くくっ』

 

『きゃははっ! きゅふっ、きゅっ、あははっ!』

 

〈新人の努力の成果を先輩が持っていくんですねなるほど〉

〈LA泥棒だ!〉

〈草〉

〈草〉

〈この悪魔w〉

〈隙見せるからw〉

〈壊斗にも良心が残ってたかw〉

〈まだ人の心はあったんだなw〉

〈イルカ鳴いてるw〉

〈イルカ帰ってきてて草〉

 

『はあ……ふう。なにはともあれ勝ててよかったです』

 

「マジでなんで勝ってんだよ。しかももしかしてノーダメか?」

 

『はい。一発でも受けて怯んだら終わりだと思ってましたからね。攻撃を受けないように安全第一で立ち回ってました』

 

「安全第一ならそもそも一人で戦うことが間違ってんだよ」

 

〈イノシシ初見ノーダメまじ?〉

〈初期装備でアーマーもなしだもんな〉

〈この難易度で一人で勝つのはバケモン〉

〈それはそうw〉

〈戦うのがもう安全じゃないのよw〉

 

『怪我なくてよかったね、ジンさん』

 

『ありがとうございます。ロロさんの応援のおかげで気合が入りました』

 

『そっ、そんなことないよぉっ! まったく! 帰ってくる時も気をつけてね!』

 

「あ、ロロ! 森と拠点の中間あたりに木ぞり置きっぱなしなんだ。回収して使っといてくれ」

 

『はーい』

 

〈しれっと褒める〉

〈ジンぜったいモテますこれ〉

〈見習え〉

〈照れロロ〉

〈ロロがかわいい〉

〈ロロってかわいかったんだな……〉

 

 倒したイノシシ型をジンと二人で解体する。解体といっても死体に斧を振り下ろすだけだ。キメラントをしばき回して死体にして、解体する時は死体をさらにしばき回す。やってることは死体撃ちみたいなもん。

 

『イノシシ硬かったです。早くも石ころの限界が見えました』

 

「そもそも石ころを武器にしてんのはお前だけなんだよ。てか動物型には効き目が浅くても、ヒト型には変わらず使えるわけだしな」

 

『そうですねえ……これはこれで使い勝手が良いので、やはり相手によって使い分けることが大事なようです。ヒト型ならともかく、イノシシには時間がかかりすぎますから』

 

「時間さえありゃあどうにかするんだもんな、お前は」

 

〈エイムとキャラコンで石ころを武器にした男〉

〈イノシシやクマ相手はきついだろうな〉

〈ネコやイヌならまだ使えそう〉

〈石ころの運用方法考えてんの草〉

〈ふつうは焚き火の材料くらいにしか使わんのよw〉

〈注意そらす時に一回使っただけだわ〉

 

『時間効率もそうですけど、先に弾がなくなりそうでしたよ。弱点に当てても比較的防御の薄い部分を狙っても、大してダメージ入っているようには見えませんでした。途中でなるべく斧を使うようにシフトしたくらいです』

 

「……弱点? 防御の薄い部分? なにそれ」

 

『イノシシにもヒト型でいうところのヘッドショット判定みたいなものがあったんです。ヒト型と違って頭は頑丈だったんですが、鼻先が弱点でした。あと胴体は毛皮や脂肪で装甲が厚いみたいです。足を狙っていたのはそういう理由です』

 

「攻撃箇所によってダメージ違うのか……」

 

『ダメージエフェクトの色味や大きさで判別できるようになってるみたいですよ』

 

〈おい経験者〉

〈知らんかった〉

〈まじかよ〉

〈適当に殴ってても勝ててたから……〉

〈ちゃんとジャンピの時弱点あててたぞ〉

〈ディフ出てます〉

〈難易度で弱点ダメに補正かかる〉

 

『なんで壊斗くん経験者なのに知らないのー?』

 

「いや、知らねーもんをなんで知らねーんだって言われても知らねーもんは知らねーよ! リスナーにも知らなかったやついるし! 〈難易度で弱点ダメに補正〉? 難易度が高いほうが弱点ついた時のダメージ倍率が上がる、って意味でいいのかこれ?」

 

『難易度が高いと敵の体力も多いらしいですし、ちゃんと弱点を狙えてたらダメージがたくさん入るから難易度が高くても倒せるよ、ということなのかもしれませんね』

 

「はー……なるほどな。しっかり弱点とか防御の薄い部分を狙っていくキャラコンを要求されるわけだ。サバイバル生活に慣れてもバトルが不慣れだったら、難易度上げたら生きていけないってことか。アクションっぽい難易度調整だな」

 

『そういえばこのゲームってアクションゲームでもあったんだっけ? なんにしたってロロはあんまり得意なジャンルじゃないけど』

 

『僕はロロさんとは反対で建築が苦手なので、そのあたりは役割分担ですね』

 

『うんっ! 後方支援は任せてね! はやく家庭菜園作りたいなー! 作れたらもっと役に立てるのに』

 

「薬草とか木の実を使った時にたまに出る種が必要だからな。薬草とか木の実を収穫するのに袋がいるから、まず袋を作るとこからだ」

 

『道のり長いよぉ……』

 

『ふふっ。いくつか皮は拾えています。それで袋を作りましょうね、ロロさん』

 

『いいのっ? やったーっ!』

 

「……まぁ、回復アイテムになるからいるっちゃいるけど、ジンはロロに甘くねーか?」

 

『そんなことありませんよ? やれることがないと退屈してしまうでしょうし、回復アイテムならいずれ必要になりますからね。先行投資です』

 

〈薬草は探索し出したら大事だな〉

〈悪魔甘いw〉

〈甘やかしてんなぁw〉

〈回復アイテム使う機会あんのか?w〉

〈未だノーダメの悪魔がなにか言ってます〉

〈こいつ体力ゲージ減るんか?w〉

 

「先行投資……まぁ、大事だしなぁ……」

 

『解体もできましたね。イノシシの頭……何に使うのでしょう? 防具ですか? ヘルメット代わり、みたいな』

 

「なんだろうな。インテリアにでもなるんじゃね?」

 

 前回でもイノシシは何度か倒したが、イノシシの頭なんていうアイテムは見た覚えがない。俺が拾ってなかっただけなのかもしれないが、後輩らからもそんなのを拾ったとは聞いていなかった。

 

『あー、そういうの豪邸とかにあるイメージですね。剥製とか飾る感覚で頭も飾るんでしょうか』

 

〈レアじゃん〉

〈焼いて骨にして防具だ〉

〈イノシシヘッドはあんま出ないぞ〉

〈運いいな〉

〈頭部破壊ボーナスみたいなんもあんのか?〉

 

「あ、防具になるらしいぞ。なんか知らんがレアらしい」

 

『防具ですか。防具ってつけたらキャラクターの見た目も変わるんですか?』

 

「おう、変わるぞ。アーマーとかも装備したら胴体部分が変わったりする」

 

『あははっ、それは見てみたいですね。他に何か素材が必要なんでしょうか。すぐに作れたらいいですけど』

 

「作業台で見てみないとわかんねーな」

 

『ねーっ! お喋りは戻ってからにしなよーっ! もうすぐ暗くなっちゃうよーっ!』

 

「うおっ、やっべ。ジン、戻ろうぜ」

 

 日が出ているうちでも森の中は薄暗い。これで日が暮れてしまっては本気で帰り道がわからなくなる。なんなら今の時点で帰り道の記憶は黄昏時くらいに輪郭がぼんやりとしてきている。記憶が生きているうちに帰りたいところだ。

 

『待ってください。もともとこの開けた空間にきたのはイノシシと戦うためじゃなくて、焚き火を設置できる場所を探してたからなんです。倒したヒト型を火葬したくて。壊斗さんは焚き火作っててもらっていいですか? 僕は遺体を拾ってきます』

 

「おっけ。ぱぱっとやっちまおう」

 

 燃やした時に出てくる骨は建築からクラフトまでありとあらゆるところで要求される。日暮れ間近というこの状況ではもちろん時間は惜しいが、素材も惜しい。回収できる時に回収しておきたい。

 

 俺が焚き火を作っている間にジンが俺のすぐ隣にヒト型の亡骸をぽんぽんと並べていっていたので、それを近いものから順に火の中へと放り込んでいく。

 

 急いでるにしたって無言で置いてくなよ。暗い森、冷たい地面の上で落ち窪んだヒト型の眼窩(がんか)が俺を見つめてたんだけど。超怖い。

 

 一つ、二つ、三つ、四つと軽快に放り込んだ。

 

「……四つ? えっ……一つ、増えてる……」

 

 なんだこれ、ホラーか。ジンはワンパ倒したとか言ってたから、ヒト型の死体は三つのはず。なぜ四つあるんだ。山小屋で夜が明けるのを待ってたら一人増えていた、みたいな怖い話なのか。

 

『燃やしておいてくれたんですね、ありがとうございます。追加はこれで最後です』

 

 まさかの五つめを担いできていたジンは、歩みを止めずに焚き火に近づいて遺体を放り込んだ。

 

「ってやっぱお前かよ?! 追加ってなんだよ!」

 

『最後の一体を回収しに行った時、遺体の前でヒト型がうずくまっていたんですよ。悲しそうな声を出していました。倒された同じ種族の死を(いた)むという感覚がヒト型にはあるんですね』

 

「おお、お前……なんてことを」

 

『周りをまったく警戒できていなかったので、後ろから斧を振り下ろしておきました。頭一発です』

 

「ほんとに人の心がないなお前は!」

 

『戦場で仲間の死に動揺するなんていう愚かなことをしているからこうなってしまうのです。死を悼むのは仲間の(むくろ)を安全な場所まで連れ帰ってからするべきです。そんなことだからミイラ取りがミイラになってしまうのです。同情はできませんね』

 

「言ってることは正しいんだろうけどっ! でも俺の心の奥のほうがその考えは間違ってるって叫んでる!」 

 

『死んでしまった彼らはそう主張することもできないのです。負ければ賊軍。敗者は追われ、奪われるのみ。僕らも装備を整えなければいずれそうなります。彼らの命を無駄にしないためにも、僕たちは精一杯生きなければなりませんね。命大事に、です』

 

「お前の『命大事に』は意味が違うんだよ……」

 

〈慈悲はない〉

〈戦場で気を抜いたらそうなるよ〉

〈やりにくるんだからやり返される覚悟はあるでしょ〉

〈命大事にw〉

〈間違ってないんだよなー〉

〈不利なのはこっちだしな〉

〈なにかが違う命大事にw〉

〈悪魔の言う命大事には完全に勝者側の考えなんだw〉

 

『ねーねーっ! 今二人とも帰ってきてるんだよね?! もう周り真っ暗だけどっ、帰ってきてるんだよねっ?!』

 

「うおっ?! マジで真っ暗じゃん!」

 

 ヒト型を処分していく焚き火を眺めていたせいで日が沈んだことに気づいていなかった。

 

 焚き火の火や音にはリラックス効果があるとかって聞いたことがあったが、こういうことか。深い森の中にいるという状況も忘れて無駄に落ち着いてしまっていた。

 

 まずい、帰り道がわからない。

 

『だからお喋りは帰ってきてからにしてって言ったのにっ!』

 

「ちげーって! ジンが仕留めたヒト型を焼いてたんだよ! 焼いてる間に真っ暗になってたんだ!」

 

『もーっ! 森の入り口に焚き火置いとくから、火の光を目指して早くこっち帰ってきてよ!』

 

〈あるあるや〉

〈真っ暗です〉

〈焚き火の灯りしかないw〉

〈ロロ怒ってる〉

〈ずっと待たせてるしなw〉

 

『あはは、すいません。もう素材も回収できたので、今から戻りますね』

 

『気をつけてねー』

 

「俺の時とは態度が違うよなぁ!?」

 

〈悪魔には優しくて草〉

〈悪魔はちょっとトロールしてもこれまでの功績貯金があるからな〉

 

 人によって態度を変える狡猾なロロに噛みつきながら、俺は辺りを見渡した。

 

 焚き火の光によってイノシシとの戦場になったこの小さな広場は照らされているが、少し広場を外れると森の奥は真っ暗だ。ロロが森の入り口に焚き火を置いてくれているらしいが、ここからは見えない。この広場は入り口から結構踏み込んだ場所なので大木によって遮られているのだろう。

 

 どうしよう、迷子だ。

 

〈あーあw〉

〈きょろきょろで草〉

〈母親探してる小学生かよw〉

〈悠長なことしてるから〉

 

『壊斗さん、ついでなのでイノシシが伐採してくれた木材を持って帰りましょう』

 

「あ、ああ……そういやイノシシの突撃で木がぶっ倒れたとか言ってたな。いや……それはいいんだけど、帰り道わかんのか? 真っ暗だぞ」

 

『ふふふ……マップが表示されないADZでは、プレイヤー本人が各ステージの地形や道、建物や漁る場所を記憶しておかなければならないんです。脳内マッピングはADZ民の必須技能です。こちらです』

 

「マジかよ! ADZ民すげーっ!」

 

〈ADZ民すげー!〉

〈まじかよ〉

〈ADZすげーw〉

〈ADZ民すげー!〉

〈ADZ民でまとめないで……〉

〈ずっと攻略サイト開きながらやってる民もいます〉

〈黒兎が特殊なんです……〉

 

 木材を担いだジンは迷うことなく広場を抜け、森の中へと駆け出した。

 

 ジンの異常としか表現できないプレイヤースキルは『絶望圏』──いや、ADZで(つちか)われたものだったのか。ADZやってればFPSうまくなんのかな。俺もやろうかな。

 

 ジンの背中を追いかけ続けること数十秒、大木の隙間から焚き火の光がちらちら見えてきた。本当にまっすぐ森の入り口まで走っていたらしい。どんな方向感覚してんだこいつ。

 

『あー、帰ってきました。光を見ると安心しますね』

 

「やっぱ暗闇って怖いな。どこにキメラント潜んでるかわかんねーし。どっかで襲われんじゃないかってびくびくしてた」

 

『きっと夜行性の種類もいるでしょうし、夜戦うのは怖いですね。見えないとどうしようもありません』

 

『やっと帰ってきたーっ! 遅いよっ!』

 

「わりーわりー」

 

〈コンパス持ってんのか?〉

〈正確すぎる〉

〈まっすぐかよ〉

〈完成しとるやん!〉

 

 拠点で待機していたロロは、拠点入り口の近くに置いた焚き火の前で仁王立ちで待っていた。

 

 揺らめく炎に照らされた拠点は、しっかり屋根まで木材で覆われている。俺がジンの援護に向かう前にはまだ建築途中だったが、あの後ロロは完成させていたようだ。

 

『すみません、ロロさん。お待たせしました。拠点完成したんですね。とても立派なお家です』

 

『でしょー?! がんばったよ!』

 

『すごいです。ありがとうございます』

 

『えへへっ』

 

「建築しかしてないんだから、こんくらいしてもらわんとな」

 

〈ロロがんばった〉

〈やるじゃん〉

〈ほんとこいつw〉

〈どうしようもねぇな〉

〈そういうとこだってw〉

 

 斧を振りかぶったロロを見て、俺は即座に後退した。

 

 ぶぉん、と斧が俺のすぐ目の前を通過していった。動いていなかったら確実に当たっている軌道だった。俺を大木で一回ダウンさせただけじゃ足りなかったのか。

 

「あっぶねぇっ?! お前っ、何回俺を殺す気だよ!」

 

〈惜しいw〉

〈もうちょい早ければな〉

〈頭狙え頭〉

 

『素直に褒めるってことができないのっ?! みんなで喜んでる時にわざわざ水差してさぁっ! もっかいくらい死んっ……あ゛っ゛』

 

『はーい、やめましょうねー。せっかく拠点が完成し……あ』

 

〈あ〉

〈あ〉

〈草〉

〈ああーw〉

 

 俺を庇うように間に立ったジンだったが、二回目の攻撃に備えて振りかぶっていたロロは攻撃を止めることも方向を変えることもできなかったらしい。そのままジンの胴体目がけて斧を振り抜いた。

 

 がしゅっ、という音と血飛沫が舞う。

 

 ジンの記念すべき初めてのダメージはロロの攻撃だった。すごいな、イノシシ型やヒト型フルパでさえジンにはダメージを与えられなかったというのに。

 

「ロロ、お前……ジンまで手にかけるのか……」

 

『うわああぁぁっ?! ごめんっ! ごめんなさいジンさんっ!? ロロ、ロロそんなつもりじゃっ……ジンさんを殺すつもりなんてなくてっ!』

 

「俺を殺すつもりではあったのかよ」

 

『大丈夫、大丈夫ですよ。命に別状は……ない、こともないですが、死んじゃうダメージではないですから』

 

『お薬っ! 最初の箱でお薬あったから、これ使おう!』

 

〈悪魔初ヒット〉

〈ろろつえーw〉

〈こいつのせいでw〉

〈壊斗が諸悪の根源〉

〈ロロはイノシシよりつよいw〉

〈おくすりw〉

 

『ロロさん、ロロさん? 大丈夫ですよ。今は敵もいませんからね。お肉を食べれば体力も回復するそうですし、これから晩御飯を食べれば減った分の体力ゲージも元に……』

 

『ジンさんっ、ジンさん死んじゃうっ……お薬、手に持って……これで使えるのかなぁ? すぐっ、すぐ治すからっ!』

 

〈回復ここで使うんかw〉

〈拠点でw〉

〈涙目ロロかわいい〉

〈パニックw〉

〈ロロ必死w〉

〈かわいすぎる〉

〈壊斗が悪い〉

〈あかんかわいいが過ぎるw〉

 

 テンパってるロロがおもしろいので眺めていたら、右手に斧を持ったまま、左手に薬剤っぽいアイテムを握った。

 

 敵のいないこんなところで保存も利く上に回復量も多い貴重な薬剤を使う理由なんてまったくないのだが、おもしろいので黙って鑑賞しておく。

 

 このゲームでは回復アイテムは自分だけでなく仲間にも使える。お腹のあたりを血まみれにさせているジンに薬剤を使おうと、ロロは奮闘していた。

 

『ロロさん、回復アイテムは使わなくてもお肉食べれば回復するらしロロさん? ロロさんっ?!』

 

『え、えっ、えっ! えっ?!』

 

〈先に斧しまったほうが〉

〈斧直しとけ〉

〈斧はずそう〉

〈あ〉

〈あーw〉

 

 左手に包まれた薬剤はそのままに、ロロは右手に握った斧を振り上げ、ジンの頭部めがけて振り下ろした。たぶんクリックなりキー入力なりの操作を間違えたんだろうな。

 

 キメラントに弱点部位があるのだから、プレイヤーにもあるのだろう。ヒト型と同様にプレイヤーも頭が弱点なようで、斧の振り下ろしによって頭蓋を叩き割られたジンはダウンした。

 

「だぁっあっははっははははっ! だははっ! おまっ、ロロお前っ! 味方どんだけ殺すんだはぁっははっはっはっ!」

 

〈ロロw〉

〈草〉

〈だwうwんw〉

〈お前のせいだろ!〉

〈しっかり頭はいったw〉

〈味方ダウン二回ともロロw〉

〈ロロが最強だw〉

〈悪魔を倒すのはロロだったかw〉

 

 口を挟まずに傍観しておいてよかった。最高のシーンを画角に収めることができた。

 

『いやああぁぁっ!? ジンさんっ!? ジンさんっ!?』

 

『ロロさん、落ち着いてください? いいですか? ダウンを回復させるキーが表示されると思うので、まずそれを落ち着いて押しましょう。まだダウンしただけですから』

 

『ロロっ……ロロ、そんなつもりじゃ……っ。うあぁっ……っ、ロロが、ジンさんを……っ! 償うっ! ロロっ、死んで償うからっ!』

 

『待ってロロさん! ダウンしただけですから! 死んでませんから! 壊斗さんっ、回復してもらってもいいですか!』

 

「だはははっ、ひっひゃはははっ! や、やってる……やってるぅっ、くははっ……」

 

『なにそんなに笑ってんですか! ロロさーん! 死んでませんから僕! ロロさーん!』

 

「血まみれにはっ、かははっ! なってるけどなっ!」

 

『うるさいですねあなたはっ! ロロさん! ……崖、見づらいけどっ……』

 

〈ロロがこのパーティでいっちゃん強いんだからw〉

〈パニックで草〉

〈なにわろとんねん〉

〈確死はいってないぞ!〉

〈ロロー!〉

〈ただのダウンやw〉

〈身投げw〉

〈つぐなうw〉

〈判断がはやいっ〉

 

 頭からも腹からも血を流したジンが起き上がり、ロロが走っていった崖のほうを向く。

 

 一瞬走るモーションが入ったかと思えば、すぐに投げに移った。

 

 投擲する際のキャラコン、走り投げだ。走り投げを最初に発見した時は一歩二歩分くらい動いていたのに、今は半歩分くらいしか動いていない。効率よく使えるようになってる。

 

『痛っ……え、石ころ? ジンさんっ?!』

 

「うええぇぇっ!? マジかよ! 当たってんのかよ!?」

 

〈は〉

〈うそやんw〉

〈あてたんか?〉

〈見えてないぞ〉

 

 松明も置いていない真っ暗闇に走っていったロロの背中に、ジンはどうやらしっかり石ころを当てたようだ。

 

 いやどうやって当てたんだよ。

 

 距離のあるここから、姿の見えない真っ暗闇の中で崖に走っていくロロに当てるって、神業かよ。

 

『そうですよー、ロロさーん。僕死んでませんよー』

 

『う、うっ……うわああぁぁんっ! ジンさーんっ!? ごめんなざい゛ぃ゛ぃ゛っ゛……っ、んぐっ、回復ぅっ、ぐすっ、回復しようとっ、思ったらぁっ、ぐすっ……勝手にこいつがぁっ、勝手ぐすっ、勝手に斧振ってぇっ……ひっぐ』

 

『大丈夫ですよー。みんなわかってましたからねー。きっと間違えちゃったんだろうなってことは、みんなわかってますからねー、大丈夫ですよー』

 

「だっはははっ! あー、腹いてー。大丈夫だって。キー入力とクリック間違えたんだろうなーって、みんなわかってっから!」

 

〈石ころの神様かこいつw〉

〈ロロ!〉

〈ロロのせいじゃないぞ〉

〈ロロ悪くない〉

〈かわいそかわいい〉

〈ロロ号泣〉

〈目の前に味方いるのに斧振るキャラが悪いw〉

〈FFあるのが間違い〉

〈わかりにくいゲームが悪いよなw〉

〈あんなんクリックしちゃうよ〉

〈泣き声刺さる〉

〈ロロへの庇い方がすごいんよ〉

〈笑ってんじゃねーよ〉

〈お前のせいだろw〉

〈画角完璧だったなw〉

〈反省しろよw〉

 

 俺はロロから攻撃されかけた被害者なのにリスナーからの罵倒がすごい。なんでだ。うちのパーティのエース・ジンを二回も攻撃してダウンまでさせたロロは論理を無視したフォローのされ方をしてるというのに。おかしい。

 

『大丈夫、大丈夫ですよ。死んでませんからね。ほら、晩御飯にしましょう。イノシシのお肉ですよ。鍋はないので牡丹(ぼたん)鍋はできませんが、牡丹焼肉ならできます。焚き火で焼いて食べましょうね』

 

『うん、うんっ……ぐすっ。……食べる』

 

『はい、食べましょう! 拠点完成のお祝い、落成祝賀会です!』

 

『ら、らく、せ……お祝いだぁっ!』

 

「いえー! 食おうぜー!」

 

『壊斗くんは干したカメの肉でも食べてなよっ!』

 

「なんでだよっ?! 俺も手伝っただろ!」

 

『離れたとこで食べてっ!』

 

「なんでだよっ?!?! 俺らチームだろっ?!」

 

『仲良くみんなで食べましょうよー』

 

 ジンが間に入って取りなしてくれたおかげでどうにか俺も一緒に拠点完成イノシシ焼肉パーティに参加することができた。マジで俺だけハブにしようとしやがってロロのやつめ。

 

 一回目の一日目と同じくらい大量のハプニングが発生しながらも、どうにか俺たちはサバイバル生活一日目(二回目)を乗り切ることができた。

 




とても賑やかなサバイバル生活です。


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〈光のメンヘラ〉

 

 二日目の朝である。

 

『まずはクラフトして装備を整えるところからでしょうか』

 

「そうだな。俺たちは武器と防具、ロロは収集用のアイテムと、拠点設備の増築ってとこか。海岸で魚取る用の槍も一本作っとくか」

 

『魚も干せるの?』

 

「魚も干せるぞ。ウミガメいたらウミガメしばくほうが甲羅も肉も手に入っていいんだが」

 

『う、うみがめ……お、斧で叩くの?』

 

〈二日目だー〉

〈素材はけっこうあるんじゃない?〉

〈悪魔の働きでかい〉

〈ロロにウミガメは無理か〉

〈ちょっと罪悪感がな〉

〈男どもは心がないから平気だけど〉

〈ロロは優しすぎた〉

 

『お魚取るだけでいいんじゃないですか? ロロさんにはお魚取るついでに海岸線で漂着物も見てもらえたら』

 

『う、うん……ごめん。あんまり大きい生き物は……』

 

「人は斧でしばけるのにウミガメはしばけねーの?」

 

『ジンさぁぁんっ!? ロロは水に流したのにぃっ! 壊斗くんがぁっ!?』

 

『壊斗さん……』

 

〈草〉

〈草〉

〈すぐ喧嘩w〉

〈人はしばけるのにw〉

〈ファイっ!〉

〈朝一からやんのかよw〉

 

 ロロがジンに擦り寄るせいで俺が悪者みたいな図式になる。なんて(こす)っからい手を使って味方を増やすんだ。

 

 正々堂々一人でかかってこいよ。そうなれば俺はジンを味方につけるけど。

 

「待て待て待てっ! 違うっ! シンプルに疑問だったんだ! こいつ、俺にはふつうに斧振りかぶってきたんだぜ?! それなのに『大きい生き物はかわいそうだから殺せなーいっ』とかなんとかほざくから! 」

 

『そっ、そんな言い方してないっ! 誇張しすぎっ!』

 

「俺のことは平気で殺そうとしてきたくせにそんな甘えたこと言う? これも食物連鎖だぞ」

 

『壊斗くんはかわいそうじゃないもん』

 

「なんてこと言うんだお前はっ! そんなこと言われてる俺が一番可哀想だろ!」

 

〈壊斗にはしゃあない〉

〈振りかぶっただけじゃん〉

〈当たらなかっただろ〉

〈お前がいらんこと言ったから〉

〈草〉

〈やられてから文句言え〉

〈可哀想じゃないw〉

〈草〉

〈ならこれも食物連鎖だなw〉

 

『クラフトやっていきましょうよー。なんなら僕勝手に探索行っちゃっていいですか? 石ころと斧で十分ですし。森の奥見に行きたいんですよ』

 

「ごめんごめんごめんっ! やる! クラフトするから!」

 

『ジンさん見捨てないでぇっ……ごめんなさいぃっ……』

 

〈悪魔w〉

〈とうとう諦めたw〉

〈今ある分で戦えるしなw〉

〈一人のほうがはやいかもしれん〉

〈ロロの泣き声刺さる〉

 

 ジンが緩衝材の役目を放棄してしまったら、俺とロロでは言い争いばっかりでなにも進まなくなる。

 

 見放されないように俺とロロは真面目にクラフトし始めた。

 

 素材の数とほしいアイテムを天秤にかけ、武器は俺とジンが強化した槍、ロロには魚取りと最低限の護身用に木製の槍をクラフト。ジンと相性抜群の弓矢も作りたかったが、矢を作るのに必要な素材がまだ安定供給できないので今回は見送られた。

 

 防具は、レアらしいイノシシの頭を焼いてイノシシの頭蓋骨にし、イノシシの頭蓋骨を使って頭部用の防具を作った。他にもヒト型を燃やした時に出た骨で胴体用の防具もクラフト。ウミガメの甲羅から両手持ちの大盾を、余ったウサギの皮を使って足用の防具である靴を作った。大盾はロロの護身用、ウサギ皮の靴は移動速度が微増するのでロロの資材収集兼緊急避難用となった。

 

 その他には収集できる量の上限が増える袋類を作れるだけ作った。水筒は遠出することの多い俺とジンが、薬草や木の実などを収集するための袋はロロが持つ。

 

 ロロが薬草や木の実を採取して種を取って家庭菜園で栽培し、俺とジンで探索して鍋を発見できれば回復アイテムや薬膳スープの生産ラインを確立できる。ヒットポイントやスタミナの上限回復のアイテムは探索において貴重だし、薬膳スープは通常の食事より効果が高かったりバフが付与されたりする。探索にも戦闘にも役に立つ心強い味方だ。

 

〈なんでお前が持ってんだ〉

〈イノシシヘッドお前が持つんかい〉

〈ジンラース防具ないw〉

〈悪魔の戦利品だぞ〉

〈防具全取りで草〉

 

『……なんで壊斗くんが防具つけてるの? とくにそのイノシシ兜、ジンさんがほとんど一人でイノシシ倒して手に入れたアイテムなんじゃないの?』

 

「うるせーっ! そんなん言ったらウサギ皮の靴なんかロロいらねーだろ! なんで後方支援のロロが装備してんだよ! 前線で戦う用の防具だぞそれ!」

 

〈ほんとにそうw〉

〈イノシシヘッドもらってんじゃねーよw〉

〈悪魔に譲れよそこは〉

〈靴も靴でおかしくはあるw〉

〈ロロのこと甘やかし気味だからなw〉

 

『ジンさんがくれたんだもん! 襲われても逃げれるようにって! ロロより壊斗くんのほうがおかしいよ! ジンさんは防具なしなのに壊斗くんは頭にも胴体にも防具つけてるじゃん!』

 

「これはジンがくれたんだ! 俺のほうが近接武器で戦うことが多いからってな! 防具で言ったらお前だっておかしいんだからな! ジンは防具ゼロなのに、靴とはいえロロだって防具つけて……」

 

『…………。行ってきまーす』

 

〈悪魔防具なしは草〉

〈あんだけ働いて裸は草〉

〈悪魔離脱〉

〈見捨てたw〉

〈とうとうさじ投げたw〉

 

『ごめんなさいぃぃっ……。ジンさんぅぅっ……ロロのこと諦めないでぇぇっ。壊斗くんとも仲良くしてみせるからぁぁっ』

 

「待って待って! ジン悪かったって! ロロが突っかかってきたから!」

 

『ロロのせいにしないでっ! 壊斗くんが言いがかりつけてきたのにっ!』

 

〈ロロの悲鳴は効く〉

〈草〉

〈二人とも反省してなくてくさ〉

〈喧嘩延長戦w〉

 

『…………。さて、サバイバル生活は今日で二日目なんですけども、ソロサバイバル生活は今日が一日目となります。心機一転、頑張っていきたいと思います。安全なところに拠点を構えたいですけれど、森の中はやはり危険でしょうか? 先日は森の中を進んだ先にちらっと住居のようなものが見えたので、そこに住めないかなあ、なんて期待しているんですが、昨日みたいにイノシシ型のキメラントなどに逃げ場のない場所で襲われたらひとたまりもありません。キメラントが入ってこれないような安全な場所があるといいですね。川などが近くにあると飲み水に困らなさそうで安心なんですけど』

 

〈悪魔のソロキャン始まるw〉

〈ソロ配信になったw〉

〈【悲報】チーム解散〉

〈しゃあないw〉

〈ジンラース離脱〉

〈森の中の住居暮らしw〉

〈スリリングで草〉

〈たぶんジンラースのほうが長生きすんだろな〉

 

「ソロ配信みたいな喋りすんなよ! 待て待て待て! 俺も行くから!」

 

『ジンさぁぁんっ、捨てないでぇぇっ! ロロっ、ロロもっとがんばるからっ、もっと働くからぁっ……帰ってきてよぉっ! 捨゛でな゛い゛でぇ゛ぇ゛っ゛!』

 

「そんな言い方だとジンがまるでヒモ男みたいじゃねーか」

 

〈ロロw〉

〈必死で草〉

〈典型的貢ぎ体質w〉

〈解釈一致w〉

〈合いすぎやろw〉

 

『やめてくださいやめてください。だめな男に貢いでる女性みたいになってますよロロさん。いろいろまずいです』

 

『捨てないでぇっ……お願いっ、お願いだからぁっ……』

 

『わかりました、わかりましたから。ちゃんと仲良くしてくださいね』

 

『うん……がんばるからっ。たっ、たくさん働くからっ』

 

「そういう言い方すんなってロロ。ジンのDV男みが増すだろ」

 

『元からDV男みなんていう不名誉な成分が僕に含まれてるみたいな言い方こそやめてください。ないです』

 

〈昨日の夜といいメンヘラ感ある〉

〈昨日はヤンデレ今日はメンヘラだ〉

〈ハイブリッド草〉

〈絶対ホストとかはまったらやばいタイプ〉

〈まぁその気配はあるよw〉

〈イケボだし優しいのにDV男みあるんだよなw〉

〈依存はされやすそう〉

〈沼感ある〉

 

 どうにかこうにか収拾をつけて、俺たちは今日の作業に入る。

 

 俺とジンは森の中の探索の続きを行う。

 

 探索の中で素材を拾ったり、ヒト型を主としたキメラントの討伐を副目標とした。キメラントを解体した時に出る素材は装備の強化に直結するし、キメラントの肉は食べ続けているとマスクデータのパラメータが上がるという真偽不明の噂がある。

 

 ロロは仕事の内容が幅広い。

 

 拠点の増築、薬草や木の実の収集、海で魚取り、海岸線で漂着物拾いだ。どれがメインでどれがサブというわけではなく、並列で作業しつつ、それぞれを満遍なくこなしていくという形。

 

「よし。そんじゃやってくぞ。森の探索はさっきジンが言ってた住居っぽいところをまず見に行こうぜ。だいたいなにかしらアイテムが湧いてるはずだ」

 

『わかりました。案内します。ではロロさん、行ってきますね。こちらにもキメラントがくることはあると思うのでお気をつけて』

 

『うん。ジンさんも気をつけてね』

 

「……ん? 俺は?」

 

『キメラントが攻めてきたらまずは逃げて隠れて、逃げられないと思ったら盾で時間を稼いで下さいね。耐えてもらえたら僕らが倒しにこれますから』

 

『うんっ、ジンさんありがとう!』

 

「いやなんでジン名指し? 俺も助けにくるんだけど? なんで?」

 

 バグかなにかでロロの視点には俺が映ってないのかもしれない。もしくはロロがバグっていてロロの耳には俺の声が届いていないのかもしれない。

 

 依怙贔屓(えこひいき)が過ぎるロロに疑念を抱きつつ、作りたてほかほかの槍を握り締めて俺とジンは森を進む。

 

 散発的に遭遇するヒト型なんてもはや倒して焼却処分するところまで流れ作業のように片づけて、ジンの先導についていく。

 

『…………』

 

 イノシシ型と激闘を繰り広げた広場に辿り着いた時、これまで同じような景色が続く深い森でも迷いなく進んできたジンの足が初めて止まった。

 

 目印になるものを探して周りをきょろきょろしているわけではないので、道に迷ったのではないのだろう。広場でヒト型を燃やしていた時の焚き火跡をじっと見下ろしている。

 

「ん? どうした」

 

『……いえ、焚き火……』

 

「ああ。どれくらい燃え続くのかはわかんねーけど、しばらくしたら消えるみたいだぞ」

 

 焚き火など火を発生させるものは時間経過で徐々に火が弱まっていずれ消える。火を強くしたり燃焼時間を延長したい時は追加で燃料を投下しなければいけない。

 

 ここの焚き火は夜になる前に着火していたので、おそらく俺たちが拠点前でイノシシ肉パーティをしている時くらいには消えたのではないだろうか。

 

『……そうですか。ちょっと気になることがあるので住居への探索は後回しにしていいですか?』

 

「お? おお。いいぞ。今回は水も食料もあるしな」

 

 探索のタイムリミットになるのは水分だ。動けば動くほどゲージを消費する。

 

 前日の探索でジンが皮をゲットしておいてくれたのは大きい。水筒を二人分用意できたおかげで多少寄り道しても探索を継続できる。

 

 足元に視線を落としながらジンはゆっくりと進んでいく。ジンがなにかを探している間、俺は周囲の警戒をしたり目についた資源を回収しながらついていく。

 

『……ありました。やはりこういうのが近くにあったんですね』

 

「おおっ、洞窟じゃん! これ探してたのか?」

 

『焚き火跡の周囲に僕たち以外の足跡が複数あったので、焚き火の光に誘われてヒト型が寄ってきたのかなと思ったんです。足跡を辿ったらここでした』

 

「へあー……。『やはり』ってことは、ジンは洞窟があるって思ってたのか?」

 

『洞窟なども含めて、他のキメラントが入ってこれないような場所が近くにあるんじゃないかなとは思ってました。最初のスポーン地点、拠点近くの森の入り口、森の中の広場と、この近くで頻繁に遭遇していましたし、あのイノシシ型とヒト型が仲良く暮らしているようなイメージはありませんからね』

 

〈焚き火見てたなそういや〉

〈頭もいい〉

〈終盤まで生かしておきたくないタイプだからな〉

〈洞窟むずい〉

〈暗いしまじホラゲー〉

〈道も狭いし〉

〈どこにいるかわからんなるのやめてほしい〉

〈帰り道もわからんくなるし〉

〈準備いるわ〉

 

「キメラント同士で戦ってることもあるからな。前回はイノシシとクマが戦い終わったところを見計らって漁夫ったわ。ヒト型とオオカミ型以外は同種でも戦うらしいし」

 

『共喰いなどもしてるんでしょうか? ……いや、そもそもキメラントというだけで仲間と考えるのが間違いなんでしょうね。それはそれとして、この洞窟はなるべく早くクリアリングしたいですね』

 

「洞窟攻略かー……。中は真っ暗だからな。洞窟攻めるための準備してからじゃねーときついぞ」

 

『やはりそうですか……。であれば、洞窟攻略を次の目標にしたいですね。拠点の近くにヒト型のコミュニティがあるのは不安材料でしかありません。大挙して拠点に攻め込まれないとも限りません』

 

「洞窟の中には貴重なアイテムがあることも多いし、ヒト型の素材も大量に手に入るし、ありだな」

 

〈悪魔は今後を見据えてんな〉

〈拠点の安全確保だ〉

〈考え方が違いすぎるw〉

〈悪魔と正反対だなw〉

〈壊斗は楽天的すぎるw〉

 

『壊斗さんは前回やった時には洞窟って攻略しました?』

 

「おう、ずたぼろになりながらやったぞ」

 

『その時どんな装備を用意しました? あったほうがいい武器や、アイテムなどあったらその素材集めも今日やってしまいましょう』

 

「そうだな……中が真っ暗だから地面に置く用にもほしいし松明は持てるだけ持っていって、追加の燃料代わりの素材も一緒に持って行ったほうがいいな。あと道が狭いから二人並んでカバーし合うみたいな戦い方はできんかった。前衛と後衛で別れたほうがいいかもな。後衛をジンがやるんだとしたら、俺は後ろに通さないようにだけ気をつけりゃいいから大盾持ってタンクするって手もある」

 

『なるほど。光源の準備をしっかりしておかないとどうにもできなさそうですね。それに後衛を務めるとなると、石ころでは火力が……』

 

〈洞窟攻略は回復もほしいとこ〉

〈防具充実させてからでもよさげ〉

〈松明はいくらあってもいい〉

〈懐中電灯拾ってないんだよな〉

〈タンクはあり〉

〈後衛が最強だからな〉

〈これ最適解だろw〉

〈遠距離無敵な悪魔が後ろにいるからw〉

〈タンクとスナイパーいいじゃん!〉

〈となると弓矢だ〉

〈火矢作れりゃ光源にもなるぞ〉

 

『ねーねー。クラフトで強化ってのがあってさー』

 

「ちょい待ってくれ。今こっから先集める素材の話をして……」

 

『だから言ってるのー! 甲羅の盾置いて強化ってやつ選んだら、盾に松明くっつけれるみたいだよ。洞窟で助かるんじゃない?』

 

『ナイス報告です、ロロさん』

 

「……つけれんの? これまで盾使ったことなかったから知らんかった……」

 

〈盾につくんかよw〉

〈知らんかった〉

〈壊斗は前回アタッカーだったしな〉

〈盾使う機会ねぇもんなw〉

〈報告でかい〉

〈ロロナイス!〉

 

 ロロの報告のおかげで洞窟の攻略方法が決定した。

 

 今日の探索は攻略のための素材集めに使えば、明日にでも洞窟内に踏み込むことはできそうだ。

 

 ただ、一つ懸念がある。

 

「ロロ、拠点の端にでも鳥小屋作っといてくれ。矢のための羽根を用意しとかねーと」

 

 矢をクラフトする時に必要になるのが木の枝と羽根だ。木の枝は木を切り倒しているうちにいつの間にか拾ってたりするが、羽根はそうはいかない。

 

 弓矢で使う矢は回収もできるが、使った矢をすべて回収できるかどうかもわからないし、戦闘中には回収なんてできない。現実味のない話だが、仮に射った矢をすべて回収することを前提にしても、一つの戦闘を乗り切れる程度の数の矢は用意しないと弓矢を戦術に取り入れることは難しいだろう。

 

 数が必要になる矢を作るために便利なのが鳥小屋だ。そこらへんの留まってたり飛んだりしている鳥を攻撃しても羽根は手に入るが、一羽一羽攻撃していくのはあまりにも効率が悪いし安定もしない。鳥小屋を建築しておくと自動的に羽根を回収してくれるようになるのでこれが一番手っ取り早いのだ。

 

 今から建築して翌日の洞窟攻略までにどれだけ貯まるんだろうなー、間に合うんかなー、などと考えていたら、ロロが即座に返答する。

 

『それならもうあるよ。リスナーが教えてくれたんだ』

 

『すごい。ロロさん、言われる前に用意しておくなんて。すごいですよ』

 

『そ、そう? ロロ、役に立ってる?』

 

『はい、とてもパーティの役に立ってます。ロロさんのところのリスナーさんもありがとうございます』

 

『ほ、ほんと? え、えへへっ……もう、もう捨てられないよね?』

 

『はい、捨て……捨てられないってなんですか。捨てませんってば。すみません、本当に。二人を置いて先に行こうとしたことをこんなに気にしていただなんて思わず』

 

〈ロロできる女やん〉

〈いい女なのにヘラってるw〉

〈悪魔のこと推しって言ってたもんなw〉

〈嫌われたくないんやなw〉

〈結果嫌われる行動を取ってて草〉

 

「……めんどくせー女は嫌われんぞ」

 

『うわああぁぁっ!』

 

『だ、だい……大丈夫ですよロロさん! そんなことありませんよ! 壊斗さんっ、なんてこと言うんですか!』

 

「いや……だって、めんどくせーなって思うじゃん。内心ジンだって思っただろ」

 

『……思ってませんよ』

 

『じ、ジンさん……? さっきの微妙な間はなに……?』

 

『い、いえ……。あの……水を、水を飲んでて……』

 

「あからさまに嘘ついてんな」

 

『ごめんぅぅっ、もっと働くからああぁぁっ!』

 

『ああ……ロロさんがどんどんおかしな方向へ……』

 

「前からおかしかったから大丈夫だ。ちょっとこれまでとはおかしさのベクトルが違うだけで」

 

〈ジンフォロー失敗〉

〈悪魔のカバーリングにも限界ってもんはある〉

〈ロロへらってるw〉

〈俺にはわかるこれは光のメンヘラ〉

〈取り返そうとはするんだなw〉

 

 強迫観念に駆られている感は否めないが、働き者になってくれたロロのおかげで矢も洞窟の探索分は用意できそうだ。

 



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『それなら逃げられませんね』

誤字脱字等の報告本当にありがとうございます!


 

 強迫観念に駆られている感は否めないが、働き者になってくれたロロのおかげで矢も洞窟の探索分は用意できそうだ。

 

 武器のほうはなんとかなりそうだから、あとは探索しながらアイテムの素材を集めて、帰りにウミガメしばいて甲羅を回収すれば、簡易的だが装備は整う。

 

「ジン、まずは見つけたっていう住居を見に行くぞ。道中で素材拾いながら行ってりゃいい感じに集まるだろ」

 

『そう、ですね。……ロロさん? あまり思い詰めずにゆっくり作業してくださいね?』

 

『がんばるっ! ロロがんばるよっ! うんっ!』

 

『だ、大丈夫ですか? なんだか、背中に銃でも突きつけられてそうなくらい声が逼迫(ひっぱく)してるんですけど……』

 

「働いてくれんなら問題ねーな。よし行くぞジン!」

 

『どうやら壊斗さんも人の心を持ってくるの忘れたみたいですね……。はあ……行きましょうか。こちらです』

 

 森のどこを歩いていようと方向感覚が狂うことがないジンの後ろに続いて進むことしばらく、目的の建物が見えて来た。

 

〈ロロの必死さに胸が痛い〉

〈がんばってから回るロロ尊い〉

〈やっぱ人の心ないなこいつ〉

〈まじで頭の中に地図入ってんのか〉

〈一直線で草〉

〈マッピング完璧かよw〉

 

「住居……ってよりは、住居跡だな」

 

『ですね。住居跡にくっつけるような形で建築はできるようなので、ここを仮の拠点にすることはできそうです。今はまだ仮拠点を設営する余力はありませんが』

 

「言ってまだ二日目だからな。たぶんのんびりプレイしてたらまだ拠点周りでちょこちょこやってるくらいの時期だ。俺たちはだいぶ生き急いでんだよ」

 

〈そういえば二日目(三日目)〉

〈サイレン鳴らないなって思ってたらこれ二日目か〉

〈幻の一日目があったからなw〉

〈難易度至難とは思えんくらいの進み方〉

 

『それもそうですね。もっとゆっくりやってもよかったかもと思い始めてます。敵が強いと聞いていたので抵抗する力が必要だと思って焦っちゃってましたね』

 

「まさか石ころでキメラントに対抗できるやつがいるなんて俺の想像の埒外(らちがい)だった」

 

『ていうかっ、生き急いでるのは壊斗くんが難易度一番高いのにするからじゃん! ロロもジンさんものんびりキャンプ生活するつもりだったのにっ!』

 

〈バトル強いやついるだけで安定感が違う〉

〈石ころ強すぎんよw〉

〈そういえばそう〉

〈それはそうw〉

〈貴弾で傷ついた心を癒すためのサバイバル生活だったのにw〉

 

「うるせーなー! 俺が気を利かせて難易度上げてなかったらジンだけで無双して終了だったんだぞ! ちゃんと配信が成り立つような難易度に合わせた俺を褒めてもいいくらいだ!」

 

『……たしかにっ! ナイス壊斗くんっ!』

 

『認めちゃうんですね』

 

「おーっ! さんきゅーっ!」

 

『なんだかどんどん僕のハードルが上がっていってる気がします……』

 

〈至難以外だと手応えねえわな〉

〈ひりつきがないもの〉

〈まじでただのキャンプになるw〉

〈ぬるくなるよな〉

〈ハードルもくそもないw〉

〈石ころの価値を変えたやつがなに言ってんだ〉

 

 誰もがハードル走のハードルを想像していたのに、勝手に棒高跳びくらいの高さのバーを飛び越えているようなバケモンがジンだ。なんの心配をしているのか知らんが、そのままふつうにプレイしていればジンなら期待を超える活躍はできる。

 

 気にする必要のないプレッシャーを感じているジンを尻目に、俺は住居跡周辺を漁る。

 

「布にロープ。ここらへんは助かるな。入手場所が限られてっから」

 

『鍋がありましたよ。これで次イノシシを倒したら牡丹鍋ができますね』

 

『やったーっ!』

 

〈ロープあつい〉

〈ロープまじで使うからな〉

〈鍋!〉

〈スープ作れるようになるのでかい〉

〈ぼたんなべw〉

〈のんきw〉

〈一応強い敵なんだわ……〉

〈ろろかわよ〉

 

『他にも空き瓶というのもありました。これには先ほども言っていた、鍋を使って作るという回復アイテムを入れるのでしょうか?』

 

「そうそう。あとは使い捨てになっちまうけど、油と布を足してクラフトしたら火炎瓶にもなる。ラッシュの時には切り札になるぞ」

 

『それじゃその、空き瓶? たくさんほしいねー。鍋もゲットできたんならこれから回復アイテムも作れるようになるし』

 

「回復アイテムの場合はその前に薬草を畑で作れるようにしときたいな。いざという時に使い惜しみそうだし」

 

『薬草は畑で育ててるよー。今も広げていってるところで、薬草のあとに木の実植えていこっかなって考えてるけど』

 

〈ビンなんかいくらあってもいい〉

〈いくらあっても足りないんだ〉

〈今後ラッシュでばかほど使うしな〉

〈回復持ち運べんのでかい〉

〈やっぱ住居跡は物資おいしいな〉

〈探索は危険な分物資うまい〉

〈ロロ!〉

〈ロロナイスすぎんか?〉

 

『ロロさんっ!』

 

『ぴゃあっ?! なにっ?! ロロちゃんと働いてますっ!』

 

『すごいですよっ! 大活躍じゃないですか! 矢を作るための鳥小屋に、回復アイテムのための畑。弓矢は僕のメインになりますし、回復アイテムは戦闘の生命線です。ロロさんっ、大活躍ですよ!』

 

「いやこれはマジでロロ、大戦果だぞ。まさか二日目で畑が稼働するとは思わんかったわ……」

 

〈草〉

〈ちゃんと働いてます草〉

〈ロロ大活躍〉

〈二日目で畑やってんの草〉

〈そうかそのための鳥小屋か〉

〈仕事がはええ!〉

 

『ふへっ……ほ、ほんと? へ、へへっ……役に立ってる?』

 

『え、ええ。も、もちろん。はい、役に……とても活躍してますよ』

 

『へっ、ふへっ……やったぁっ!』

 

「いや笑い方きもっちわるっ……」

 

〈いや笑い方w〉

〈笑い方の癖強〉

〈こんな綺麗なオタク笑い聞いたことない〉

〈ジンドン引きで草〉

〈初めて壊斗に同意した〉

 

『はぁ?! がんばった人にそんな言い方なくないっ?! 壊斗くんはジンさんを見習いなよっ! 女の子との話し方を学べっ!』

 

「いや……ジンも引いてたぞ。男がどうとか女がどうとか言いたくねーけど、少なくともかわいい女の子なら絶対しない笑い方してた。それだけは確実」

 

『ひ、ひどいっ! みんなのためにがんばった女の子に対して言うことじゃないよっ! ジンさんっ、壊斗くん言いすぎだよねっ?! ねっ?!』

 

『…………そう、ですね。言葉を選ぶことはできたはずですし……』

 

『じ、ジンさん……? フォローにもなってないけど……? オブラートに包めよって話になってない? ジンさん……?』

 

「さっきより間が長くなってたしな」

 

『……水飲んでました』

 

『つまり本心ってことじゃんっ! うわああぁぁんっ! 誰かかわいい女の子の笑い方教えてよーっ! ロロそんなの知らないよーっ!』

 

「あーあ。ジンがロロ壊した」

 

〈いや……〉

〈こればっかりは……〉

〈さすがの悪魔もこんな悪送球拾えん〉

〈ヘラったw〉

〈ロロw〉

〈今日のロロ情緒不安定で草〉

 

 ジンが絡むとロロはおかしくなりやすいみたいだ。

 

 そういえば雑談コラボを組んだのもロロの私的な理由が主だったみたいだし、シンプルに推しなんだろうな。今回のコラボ配信前にロロと二人で話していた時も、自分の立場を利用した職権濫用みたいなコラボを計画していた。ジンのことを知った今、ロロの私欲を満たすようなあの計画は白紙に戻すべきだと俺は思うが。

 

『えっ、ちがっ……。ろ、ロロさん、あれはあれで可愛いと思いますよ』

 

『…………』

 

「だはははっ! 疑ってるっ、ジン全肯定信者のロロがジンのこと疑ってんぞ!」

 

『うるさい人がいますね……。さっきは初めてあの独特な笑い方を耳にしたものだから、ちょっと驚いてしまっただけなんです。それ以外に他意はありませんよ』

 

『……ほんとに? 引いたんじゃない? 嫌いになってない?』

 

『引いてませんし、そんなことで嫌いになったりしませんよ。笑い方一つ奇抜だっただけで、ロロさんの本質が変わったわけでもないのに』

 

『んふっ……ふ、ふへへっ……。それならいいやっ! よっし、お仕事するぞー!』

 

「扱いうまいなー」

 

 ロロが単純な思考回路をしているのは事実だが、それでも転がすのがうまい。

 

『壊斗さんが余計なこと言うせいなんですけどね……そちらは漁り終わりましたか? こちら、住居跡の中は全部見ました』

 

「こっちも周囲は終わった。ここらへんの枯れ草や枝を刈り取ったら戻るか」

 

『そうですね。海岸線にも寄らなければいけませんし、戻りの途中で動物がいれば狩りもしておきたいですし』

 

「あ、その前に丘を見に行こうぜ」

 

『丘? 何かあるんですか?』

 

「トリ型のキメラントが丘に出てくることがあんだよ。トリ型を倒せば肉はもちろん、確率で(くちばし)も出てくるし、なによりこれから俺たちには必要になる羽根を大量に提供してくれる」

 

『鳥小屋は作ってもらっていますけど、鳥小屋でどれだけ貯まるかわからないので余分に確保しておきたい、ということですか』

 

「そういうこと。んー……いない! 撤収!」

 

『あははっ、撤収しましょう。長居していられません』

 

 森から少し外れたところにある丘へとトリ型を求めて足を運んだが、姿がなかったのですぐに引き返した。

 

 丘には、森に生えている大木とは比にならないくらい馬鹿でかい木がぽつんと(そび)えており、そこにトリ型が巣を作っていることがある。その馬鹿でかい木に巣があるかどうかでトリ型がポップしているかどうかが確認できるのだ。

 

〈おらんかったか〉

〈いやいたらどうすんだよ〉

〈遠距離武器持ってないだろ〉

〈飛ばれたらなんもできなくなるぞ〉

〈悪魔の石ころ頼みかよ〉

〈槍が届く相手じゃないんよ〉

 

「ん? ……ぶふっ! た、たしかに……っ」

 

 手が空いたのでコメント欄をちら見したら、リスナーが正論をぶつけていた。思わず笑ってしまった。

 

『どうしました?』

 

「いや……リスナーに言われて気づいたんだけど。トリ型って飛ぶんだよ」

 

『はあ……まあ、トリ型ですもんね。ニワトリやダチョウみたいな種類でなければ飛びますよね』

 

「飛ばれたら、遠距離武器で攻撃しねーと降りてこないんだわ」

 

『空にいたほうがトリは安全ですしね。敵の頭を押さえるのは戦の常……ん? それって……』

 

「トリいても戦えるのジンだけだったわ!」

 

『危なすぎるでしょ! なぜそれで戦いに行こうなんて言い出したんです?!』

 

〈なにわろとんねん〉

〈ぜんぶ悪魔に任せんなw〉

〈歴でいえば後輩なんだぞ!〉

〈トリ相手にも石ころは無謀で草〉

〈なんなら弓矢でも一人じゃきついからw〉

 

「だはははっ! いやぁっ、忘れてた! 羽根が手に入るってことしか考えてなかったわ!」

 

『あまりに油断しすぎではっ? 基本的な身体性能はキメラントのほうが圧倒的に上なんですからね! イノシシの時は僕らが有利になるよう立ち回っただけなんですから!』

 

「わりわり。なんかジンがいたらどうにかなんだろーって感じだったわ」

 

『いや……それはもう期待というより無茶振りですよ……』

 

〈勝った時のことしか考えてないなw〉

〈なんとかなりそうではある〉

〈たしかにw〉

〈やってくれそう感はあるよなw〉

〈ワンチャンある気がしてきて草〉

〈よく考えたらありえねえよw〉

 

 幸か不幸かトリ型と遭遇しなかった俺たちは帰宅の道中で素材を持てるだけ貯め込み、小鳥を発見した時には(ジンが石ころを当てて仕留めて)羽根も回収した。

 

 今回の探索では動物型のキメラントとは遭遇せず、ヒト型と散発的に出会っただけだった。槍は交戦距離が斧よりも離れている分安全だし、IGL(ジン)の的確なオーダーがあるおかげで立ち回りも不安はなかった。

 

 日課になりつつある海岸線のチェックをして、拠点へ帰還する。

 

「ただいまー。なんかいろいろ増えてんな!」

 

『あれは物見櫓(ものみやぐら)ですか? ロロさんありがとうございます。作ってくれていたんですね』

 

『うんっ! 〈三日目に備えて作っといた方が安心だぞ〉ってリスナーが言ってたから。なんかラッシュっていうのがあるらしいよ』

 

〈増えとる〉

〈拠点っぽくなってる!〉

〈ロロほんとに働いてたw〉

〈貢いでんなぁw〉

〈家の後ろに畑があんのか〉

〈やぐらもあるw〉

〈あと壁があればちゃんと拠点だな〉

〈ロロやるじゃん!〉

〈できるメンヘラ女やw〉

〈ラッシュ対策か〉

〈弱いラッシュなら悪魔だけでいけるなw〉

〈悪魔と弓矢とやぐらがあれば勝つる〉

 

『ラッシュ? そういえばちょくちょくラッシュがどうのというコメントを見かけましたね』

 

「ああ。サバイバル三日目にはラッシュっつー、キメラントが大量に押し寄せてくるイベントがあるんだよ。たしか……三日目と、七日目、十三日目、とかだったか」

 

『……イベントの発生する日が素数なのは、何か関係があるんでしょうか?』

 

〈最初は簡単だしいけるいける〉

〈たぶんいって三か四だろ〉

〈三日目のラッシュで三以上は引いたことないな〉

〈素数w〉

〈草〉

〈たしかに素数w〉

 

「素数? たぶん関係ないんじゃね? ちなみにラッシュの日は朝に島中どこにいても聞こえるくらいのサイレンが鳴るんだ。そのサイレンの鳴る回数でラッシュのレベルがわかる。ちなみに前回は七日目のラッシュでサイレンが四回鳴って全滅した」

 

『え? 拠点があればリスポーンするんですよね?』

 

「ラッシュで押し寄せるキメラントは拠点をぶっ壊しにくるんだわ。拠点を守るために戦って、キメラントに囲まれてダウンして、その間に拠点ぶっ壊されてリスポーン地点消滅、ゲームオーバーってコンボだ。しかもラッシュの時は種類が違ってもキメラント同士協力して襲ってくる」

 

『ひ、ひどすぎる……やだっ! お家壊されたくないっ!』

 

〈人数少なかったからな〉

〈焦らなかったらいけたんだけど〉

〈七日目でレベル四は引き悪いほうだった〉

〈ゾンビアタック不可〉

〈いっそのこと拠点捨てるって手ならある〉

〈拠点壊されたくないよな〉

〈ロロの気持ちはわかる〉

〈いやだよなー〉

〈拠点愛着湧くんだよなぁ〉

 

『……ダウンした時に、ダウンの回復を待つか、すぐに死んでリスポーンするか選べたはずですよね? ダウンされてもすぐにリスポーンすれば』

 

「一回ダウンしてリスポーン選んでも復活まで時間かかるし、仮にラッシュ中にリスポーンできたとしてもダウンの前に持ってたアイテムや装備は死体に残ったままだ。装備を取りに行こうにもラッシュ中は周りは敵でいっぱい。漁れずに死ぬ。あるいは漁ってる最中に死ぬ」

 

『……予備の装備を拠点に置いておけば、そこからでも戦えるのでしょうけど……』

 

「ああ。今はまだそんな余裕はないからな。死ぬこと前提で装備やアイテムを出し渋って拠点に置いとくなんて考えも本末転倒だ。一回死んだら終わりだと思っといたほうがいい」

 

 こんな仕様がある以上、死に戻りしてもう一度戦いに行く、みたいなゾンビアタックはできない。死なないように全力の装備とアイテムで戦い、拠点の周囲を罠や柵で固めて立ち回ったほうが堅実だ。

 

『……ラッシュのキメラントは、プレイヤーを狙うんですか? それとも拠点を?』

 

『どういうこと? プレイヤーを狙ってるから拠点にくるんじゃないの?』

 

「いや、ロロ。ぜんぜん違うんだわ。プレイヤーを狙ってラッシュがくるんなら、プレイヤーは拠点から離れてりゃ拠点は守れる」

 

『はっ! なるほど!』

 

「でも残念なことにラッシュは拠点狙いだ。拠点をぶっ壊しにくる。その邪魔をするプレイヤーがいればプレイヤーを攻撃するって感じだった」

 

『……ああ、そうですか……。それなら逃げられませんね』

 

「だっは! お前優しいなーっ」

 

〈すぐ気づく〉

〈頭回るなー〉

〈そうなんだよな〉

〈拠点狙いなのよ〉

〈最悪逃げりゃええ〉

〈そんな強いのこんだろうけど〉

〈ロロに甘すぎんかw〉

〈あくまっ〉

〈優しすぎw〉

 

 拠点を狙うかプレイヤーを狙うかという点に気づけるジンならすぐにラッシュの対応策に気づいただろうに、その策は考慮すらしなかった。優しいやつめ。

 

『え? え? なに? どういうこと?』

 

「プレイヤーよりも先に拠点を狙うから、ラッシュを捌けないなって思ったら拠点を捨てて逃げれば死ぬことはねーんだ。ラッシュが終わってからまた拠点を建築すれば、手間はかかるが立て直せる。でも、建築したやつは全部ぶっ壊されて更地にされる。それだとロロが悲しむだろうから、逃げることはできないなってジンは言ってんだよ」

 

『せっかくロロさんがここまで頑張って建築して、たくさん設備を増やしてくれたんです。壊されるなんて嫌ですからね』

 

〈逃げソッコー捨てるやん〉

〈かっこよ!〉

〈あくま……〉

〈頼り甲斐ありすぎる〉

〈レベル三までなら悪魔一人でいける〉

〈至難はレベル上限ないけどいけるのか〉

〈言ってみてぇ〉

〈かっこええ……〉

 

『じっ、ジン゛ざん゛っ゛……』

 

「つっても三日目のラッシュだ。そうそうやばいレベルはこないだろ。前回やった時は三日目はサイレン三回だったけど、それでもレベル高いほうだったし。ジンがいりゃあどうにかなる」

 

『ジンざんごべんねっ……(だよ)りにじでばずっ……』

 

『あははっ、いえいえ。気にしないでください。みんなのお家ですからね。頑張って守りましょう』

 

〈それをロロに言わないのもかっけーわ〉

〈ロロ感涙w〉

〈何回泣くんだw〉

〈ロロの涙腺はぼろぼろ〉

〈今回は悪魔がおる大丈夫や〉

〈悪魔と壊斗おりゃなんとかなるやろ〉

 

 難易度もあいまってラッシュイベントはかなり脅威だが、サバイバル生活の日にちが浅いうちは高レベルのラッシュは発生しにくいという話も聞いたことがある。低レベルならヒト型が多いくらい、あるいは動物型が一体出てくるくらいのものだ。

 

 仮にヒト型と動物型の混成部隊でラッシュがきても、俺が動物型のヘイトを買って時間稼ぎに徹していれば、ジンならその間に一人でヒト型を殲滅できる。ヒト型を片づけられたら、あとは俺とジンで動物型を挟み討ちにしてタゲを交換し合えば遮蔽物のない拠点近くでも倒し切れるだろう。

 

 問題はない。余裕だ。駄目押しで罠でも仕掛けておけば、午前中は洞窟攻略に行けるくらい余裕だ。

 

「よっし。そんじゃ今日は飯食ってさっさと寝るぞ! 帰りにシカ取ってきたから! ジンが!」

 

『ぐすっ……取ったのジンさんなのに、なんで壊斗くんがどや顔……』

 

「いいだろが。俺も手伝いはしたんだ」

 

牡丹(ぼたん)鍋にはできませんでしたが、紅葉(もみじ)鍋にはできました。お肉取れてよかったです』

 

『もみじ鍋?』

 

『シカ肉を使ったお鍋ですよ。木の実があるんでしたっけ? 人間様によると鍋にお肉と木の実を入れると効果が高くなるそうです』

 

『そうなんだ? それじゃあ作ってみるねっ!』

 

「薬膳スープっつって、回復量とか、あとバフもつくんだわ。あ、でもロロ気をつけろ。薬膳スープって名前のわりに、薬草使うとなぜか効果が落ちる。木の実しか使えねーんだよ」

 

『薬膳なのに……』

 

『名ばかり薬膳スープですね。それではロロさん、こちら食材と、あとお鍋。お渡ししますね』

 

『うんっ。二人ともちょっと待っててね。……焚き火の上に置いたらいいのかなぁ』

 

「建築でかまどってのがあんだろ。それ作りゃいい」

 

『そういえば焚き火のページのところにあったね。わかった。薬膳スープにもいろいろ種類があるみたいだし、ぜんぶ試したいなぁ』

 

『いずれは全部作りたいですね。他のお肉も取ってきますね』

 

『ジンさんありがとーっ!』

 

「とうとうキメラントのこと肉として扱うようになったな……」

 

 そうしてお喋りしながらできた薬膳スープを食べてスタミナの最大値とカロリー、加えて水分ゲージまで回復し、二日目終了。次の日に待ち受ける洞窟攻略にわくわくし、ラッシュにはちょこっとびくびくしながら、俺たちは眠りについた。

 



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「──もう、ジンは外さねーよ」

 

 翌日。サバイバル生活三日目。

 

 肉ならば干したものだろうとスープにぶっ込めるみたいだったので、保存食として置いといたカメ肉と余った木の実を鍋に放り込んで朝ご飯にした。

 

〈腹減る〉

〈この時間に鍋はつらい〉

〈うまそう〉

〈シカ鍋の時もお腹すいてきつかったよ〉

〈鍋囲むのいいなw〉

 

 配信を観ているリスナーへ盛大な飯テロをした後は恒例のクラフトの時間だ。

 

 三人で前日に集めた素材を持ち寄り、今日の行動予定と照らし合わせながら作るアイテムを選んでいく。

 

 そうしている時に、とうとうサイレンが鳴り響いた。

 

『ぴゃあぁっ?! な、なにっ?!』

 

「さっき言ったイベントだ。ラッシュ前のサイレン」

 

〈お〉

〈うお〉

〈サイレンの音ビビるよなw〉

〈高校野球思い出す〉

〈甲子園感あるw〉

〈今の時期だからな〉

〈壊斗音下げてて草〉

〈前回くそびびってさげてたからなw〉

 

 ゲーム内の音量設定にもよるが、このサイレンはなかなかに音がでかいのだ。島全体に聞こえるという設定なのだから仕方ない。俺は前にこのサイレンでびっくりしたから前もってボリュームを絞っておいた。

 

『このサイレンが鳴る回数でラッシュのレベルがわかるんですよね』

 

「そうそう。次で二回目だ。さすがに一回なんてことはなかったか」

 

『みんながなに言ってるかわかんないくらいうるさいんだけどサイレンーっ!』

 

『音の設定のところでサイレンの項目があります。そこで調整すると良いですよ』

 

「これで三回目。ここで終わってくれるとありがたいんだけどな」

 

『あ、これだよね?! これを動かしびゃああぁぁっ?!』

 

〈二回はさすがにないか〉

〈レベル三くらいかな?〉

〈ロロw〉

〈ロロが一番うるせーw〉

 

「なんなんだお前はさっきからっ! サイレンよりよっぽどうるせーわ!」

 

『おそらくボリューム調整のバーの動かす方向を間違えてしまったんでしょうね』

 

『耳がぁ……。動かす方向まちがえたぁ……』

 

「マイナスとプラスでわかりやすくなってるだろ! どうやりゃ間違えんだよ」

 

『マイナスとプラスは書いてるけどっ! そもそも他の設定が多くて文字がきゅってなってて読みにくいの! うるさいなぁっ!』

 

「お前が一番うるせーんだよ!」

 

『これで四回目……。最初のラッシュではそうそう高レベルのラッシュは発生しないと伺っていましたが……』

 

「……そうだな」

 

〈ちゃんと書いてんだろw〉

〈サイレンおわんねー〉

〈四回目だ〉

〈十分ゲームオーバーレベルだろこれ〉

 

 ロロがけたたましく騒いでいる間にも、ロロの次にうるさいサイレンはその回数を伸ばしていく。

 

『え、えっ……こ、これ、五回目、だよね? 四回目じゃないよね?』

 

『……五回目、ですね』

 

 おかしい。サバイバル生活三日目、つまり一番最初のラッシュイベントでは、どれだけ運が悪くても最大でレベル四までだったはずだ。

 

 サイレン五回目なんざ、前回七日目で壊滅した時のレベルをすでに上回っている。

 

「六っ……おい、サイレン止まんねーじゃんか! どうなってんだよ!」

 

『どうなってるのはこっちのセリフなんだけどっ?! 話がちがうよぉっ』

 

『…………』

 

〈上限どこいった?〉

〈バグか?〉

〈難易度至難は上限ない〉

〈難易度高いと日数浅めでもラッシュ高めになる〉

〈かなり運悪いほうではある〉

〈上限ないマ?〉

〈くそみたいな難易度だなおい〉

 

「七回目……ようやく止まったか。終わってんなぁ……」

 

『どどどどうするの? どんな数くるのこれ? お家っ、お家守れる……?』

 

『…………。とりあえず洞窟攻略は延期です。クラフトの前で助かりました。残っている木材と今から木を切りに行った分でなるべく多く壁を用意しましょう。壁でキメラントの動きを止めている間に、罠を使って可能な限り数を減らします』

 

 サイレンが鳴り響いていた間建築一覧表を(つぶさ)に確認していたジンが提案する。

 

 正直、これまでに集められた資材と装備でレベル七のラッシュを捌けるとは思えないが、ジンが落ち着いてやることを一つ一つ明確に言葉にしてくれるおかげでなんとかなりそうな気がしてくる。

 

「ふつうの木の壁だと動物型にはすぐ壊された。馬防柵ってのを置いといたほうがいいらしい」

 

『キメラントの数ってどのくらいなんでしょう? 動物型もいるみたいですが』

 

〈レベル七は草枯れる〉

〈サバイバル生活終了のお知らせ〉

〈三日目で七は無理やろ〉

〈拠点……〉

〈お家は厳しいか〉

〈悪魔やるつもりなのか〉

〈かっこよ〉

〈罠と壁と火でなんとかならんか〉

〈ノーマルだとヒト型九〜十二で動物二体〉

 

「レベル四でどんくらいだったか……ヒト型が合計三パくらいで、トラ型が一体いたと思う。七でどれだけ増えるかはわからん。……リスナーが教えてくれたわ。ヒト型が三から四パ、動物型が二体だとよ」

 

『助かります。……壊斗さん動物型抑えれますか? 攻撃は考えずに、時間稼ぐだけでいいんですけど』

 

「い、いや……さすがに二体は……。んーっ、やるしかねーか……」

 

〈くっそてき多いやんけ〉

〈ヒト型だけでも無理じゃん〉

〈まだ弓矢もないんだぞ〉

〈動物型二体は抑えられねーでしょ〉

〈悪魔だけでヒト型片づける計算な時点でガバガバ〉

〈ワンブイツー凌げるんか〉

 

『っ……ロロっ、ロロもっ! ロロも盾でがんばるよっ!』

 

『動物型を一体引きつけてもらえたら助かりますが……大丈夫ですか?』

 

「けっこう動物型は迫力あるぞ? 怖いの無理だろ、お前は」

 

『だっ、だって……みんなのお家守るのに、ロロだけなんにもしないなんてできないしっ……。が、がんばる……。ロロは、戦えないんだもん……盾で時間稼ぐくらい、できなきゃっ』

 

〈ロロ!〉

〈だいぶ怖いぞ大丈夫か〉

〈ロロ無理すんな〉

〈おうち守りたいもんな……〉

〈健気で泣ける〉

〈ロロ……〉

 

『……ふふっ、ありがとうございます。頼りにしてますね』

 

「はっは! よっしゃ、俺と一緒に時間稼ぎがんばろうぜ。動物型さえ抑えときゃあ、あとはジンがどうにかする」

 

『どれだけ持ちこたえられるかわかんないけど、が、がんばる……。ジンさんは大変だけど……大丈夫?』

 

『ええ。任せてください。ヒト型を一掃したらすぐに動物型のほうも倒しますからね』

 

〈悪魔の負担えぐない?〉

〈一人だけ倒す量やばいんだが〉

〈やる気で草〉

〈できるんか悪魔!〉

 

 動物型キメラントのタゲを一人で取るというのも過酷な役割だが、俺とロロには大盾がある。両手持ちの盾だから動きは鈍くなるし武器は持てないが、その分防御範囲が広くて敵の攻撃は防ぎやすい。動物型キメラントは迫力がとてつもないし、間近だとかなり恐怖心を煽るだろうが、盾の後ろにいる限りは安全だ。

 

 対してジンは敵を倒していかないといけない。俺たちが動物型を引きつけている間にヒト型を速やかに鏖殺(おうさつ)し、その上で動物型を倒さなければならない。

 

 圧倒的にハードだが、それでもジンは気負いせず、気圧されず、どこまでも自然体でかつ強気な発言だった。

 

「頼りになりすぎるなぁっ、おいっ! 勝とうぜ! すぐ準備すんぞ!」

 

『うんっ!』

 

『ええ、勝ちましょう』

 

〈悪魔心強い〉

〈安心感ぱないわw〉

〈ロロがんばれ!〉

〈あつくなってきたw〉

〈絶望的だけど熱い展開〉

 

 作戦の大筋は固まった。

 

 あとはどれだけ準備できるかにかかっている。

 

『まずは壁と馬防柵……だったよね?』

 

「ああ。どれだけ木材必要になるかわからん。取りに行くぞ」

 

『作業しながら聞いてください。作れるのなら森から近いところに馬防柵と罠を置いて数を減らす第一ライン、拠点の近いところで一方的に攻撃できるように再び馬防柵を並べる第二ラインを作りたいです。それが壊されたら動物型のターゲットを二人に受け持ってもらう、という形にしたいところですが、木材が足りるかわかりません。足りなかった場合は馬防柵と罠の第一ラインだけにします』

 

「おっけ!」

 

『わかったっ!』

 

『僕は必要になる木材の量の確認と必要になるアイテムのクラフトをします』

 

 俺とロロは無心で大木を切りまくって木ぞりに載せて運ぶ。

 

 木ぞりは二つあるので一つをジンの近くに置いてジンはそこから木材を使って馬防柵を建てていき、もう一つの木ぞりは俺たちの近くに置いて伐採し次第載せていく。木材を満載にした木ぞりはウサギ皮の靴で移動速度が若干速いロロがジンのところに持っていき、木ぞりを交換して空になった木ぞりを引いて森の入り口に戻る。

 

 高回転で資材を供給していたが馬防柵にはかなりの量の木材が必要なようで、防衛線を二つ作るには時間が足りなかった。

 

 ロロが作ってくれていた物見櫓(ものみやぐら)の森側に、馬防柵のラインを築いた。

 

『馬防柵のラインを二つ作るのは難しそうだね……』

 

「さすがに時間足んねーか。ジン、こっからは罠か?」

 

『はい。木の葉の罠を設置します。今持っている分では心許ないので、森で拾ってきてもらっていいですか?』

 

『行ってきまーすっ!』

 

「速ぇっ……」

 

 森の中で斧を横薙ぎに振り回し、適当に破壊した草むらや小さな木から素材を回収。これを繰り返す。馬防柵の前でジンの指示に従いながら木の葉の罠を設置する。

 

 何度か繰り返しているうちに、ラッシュの時間が目前まで迫っていた。

 

 自然と家の前に三人集まっていた。家の前から陣容を見やる。

 

 ここから見て一番奥、森側に木の葉の罠、その手前に馬防柵が並び、馬防柵の手前左端にはジンの舞台である物見櫓が立っている。目の前に広がる光景は、俺が前回やって壊滅した時よりもよっぽど堅牢だ。

 

『このあたりが限界でしょう。ラッシュが始まるのは昼過ぎでしたよね?』

 

「ああ。太陽が真上になったらもう一回サイレンがなる。そっから押し寄せてくる」

 

『…………』

 

『木を切ったり走り回ったりでカロリーも水分も減ってるでしょうし、食事にしましょうか。ロロさん、お願いできますか?』

 

『っ……ん。わかった!』

 

 ジンは緊張してそうなロロに話しかけ、食事の準備を促した。手持ち無沙汰でただ待つより、なにかやっているほうが気が紛れると考えたのだろう。

 

〈なんか緊張するわ〉

〈こっちまで緊張してきた〉

〈ここまで頑張ったんだから大丈夫〉

〈どこまで粘れるか〉

〈クマこなきゃすぐには壊れん〉

〈イヌかネコで頼むっ〉

〈こええ〉

〈勝ってくれ〉

〈ゲージはフルにしときたいしな〉

〈最後の晩餐〉

 

『壊斗さんにはこちらを。大盾です。あと立ち回りが少しでも楽になるかと思い、ウサギ皮の靴も作っておきました』

 

「おお! 助かる! あっぶねー、盾忘れてたわ」

 

『今日は僕がクラフト担当ですからね。ちゃんと作っておきましたよ』

 

「さんきゅー。……作戦的にはどんなもん?」

 

『壊斗さんには、まず馬防柵に近づいてきた動物型を馬防柵の隙間から槍で攻撃してもらいます。馬防柵が壊れそうになったら僕が火矢で罠に点火するので、そのタイミングで一度退がって武器を盾に切り替えてください。馬防柵が壊れたら盾でタンクですね』

 

「だっは、わかりやすいわ」

 

『ロロは? ロロはなにしてたらいい?』

 

『ロロさんは最初から盾を持っててくださいね。盾を持ったまま建築したオブジェクトの情報を見れることは確認済みですので、ロロさんには動物型が攻撃してくる馬防柵の耐久値を報告してほしいです。僕は弓矢で、壊斗さんは槍で攻撃していると思うので、あとどれくらいで壊れるかのチェックができません。そこをロロさんにお願いします』

 

『はい! わかりましたっ!』

 

〈クラフトもやってたんか〉

〈作戦は整ってる〉

〈準備できてんな〉

〈オーダー助かる〉

〈IGL完璧なんだから〉

〈ロロがんばれ〉

〈ロロも大事な仕事がある〉

〈がんばれ!〉

〈悪魔は?〉

〈お家壊されんのいやだなー〉

 

「一応訊いとくけど、ジンはなにすんの?」

 

『僕は敵を見つけ次第弓矢で攻撃ですね。ヒト型を優先して倒し、その後に動物型の攻撃に移ります』

 

『簡単そうに言ってるけど、たぶんジンさんが一番ハードだよね……』

 

「そらそうだろ」

 

〈言うなら簡単だけど……〉

〈言ったことを実行するのが悪魔〉

〈群れで出てきたら意外とパニくるぞ〉

〈ラッシュはふだんとちがう〉

〈ずらっと出てきたら圧迫感ある〉

 

 これ以上ないくらいジンはシンプルに自分の役割をまとめたが、やることは一番プレッシャーがかかる部分だ。

 

 なにしろ、この作戦はジンがキメラントを速攻で仕留めるという前提で立てられている。仕留められなければ作戦が成り立たない。結果を出すことが求められるポジションだ。俺なら嫌だ。パーティ全員の命を背負うなんて。

 

『僕は目の前の敵を射抜くだけです。そう大変なことでもありませんよ。なるべく早くそちらに合流できるようがんばりますね』

 

「だははっ! 言うことが強いんだよなお前は。歴戦の猛者かよ!」

 

〈かっけーよ〉

〈こともなさげに言うのがかっこいい〉

〈男でも惚れる〉

〈ご飯できた〉

 

『かっこい……。あ、スープできたよ。みんなでご飯食べてがんばとらいね!』

 

『はい、がんば……え?』

 

「だはははっ! な、なんてっ? もっかいっ、ロロっ、もっかい言ってくれんかっ? だぁっははっ!」

 

『ち、ちがうっ! なんかっ、なんかいろいろ混ざっちゃったのっ! がんばらないとねとか、勝とうねとか、がんばろうとかが! 笑うな壊斗ぉっ!』

 

「ひやっ、これ笑うなはっ、むりっ……っ、だはっははっ!」

 

〈草〉

〈なんて?w〉

〈草〉

〈がんばとらいねwww〉

〈がんばとらいね!w〉

〈はっきりがんばとらいねってw〉

〈噛んだっていう長さじゃないwww〉

 

『たしか中国地方あたりで使われる方言に似たような言葉があった気がしますが……ロロさん出身とかって公表されてます?』

 

『ロロ生まれも育ちも関東だよ! 言い間違えちゃっただけだよ! そっとしといてよぉ!』

 

「やめっ、くふふっ……ジン、やめとけ。これから戦いが始まるんだから。だっはっ……早く飯食って、がんばとらいねっ! だぁっははは!」

 

〈がんばらいなら聞いたことある〉

〈がんばとらいねは知らんw〉

〈初耳すぎるw〉

〈壊斗w〉

〈こいつw〉

〈いじる気まんまんだっただろw〉

 

『壊斗ぉっ! お前はご飯なしだぁっ!』

 

『ふふっ。たしかに言葉はぐちゃぐちゃに合わさってしまってますけど、でもどことなくポジティブな響きですよね。「がんばとらいね」……いいですね、これから使っていこうかな』

 

『気に入らないでよジンさんっ! ただ噛んだだけだからぁっ!』

 

「だははっ、くっふふふっ……。いい、いいよな? ジン。だってっ、使われてる言葉っ、ぜんぶ前向きな言葉だしひぃっはははっ!」

 

『ジンさんは本気でいいと思ってるみたいだけど、壊斗くんはばかにしてるだけじゃん! ……いや本気でいいと思ってるほうがだめじゃん』

 

〈悪魔気に入ってて草〉

〈それはロロの造語なんよ〉

〈日本の言葉としてインプットしないでw〉

〈たしかに〉

〈なんかポジティブな気するよなw〉

〈ポジティブわかる〉

 

 ロロの造語に笑い転げているうちにサイレンが鳴ってしまった。ラッシュの始まりを報せるサイレンだ。

 

 やばいやばい、ロロのせいで薬膳スープをまだ食べていなかった。

 

『ほらーっ! 遊んでるから壊斗くん出遅れてる!』

 

「出遅れてねーよ! 持ち場につくのは間に合ってる!」

 

『はいはい、みなさん戦いが始まりますよ。これは僕らのお家を守る戦いなんですからね』

 

〈拠点が守れるかどうかの戦いなんだぞーw〉

〈笑ってたから遅れとる〉

〈悪魔はいつのまにか持ち場ついてるし〉

〈いつやぐら登ったんだよ〉

〈怒られててくさ〉

〈叱られてやんのw〉

 

『うぐっ……』

 

「悪かったって。準備できてる」

 

『それでは、諦めずに最後まで立ち向かいましょう。がんばとらいね』

 

『がんばっ……ジンさぁぁんっ!?』

 

「がんばっはっはっ! なん、なははぁっは!」

 

〈草〉

〈草〉

〈あくまw〉

〈がんばとらいね!〉

〈気に入ってもうとるw〉

〈負けるな!がんばとらいね!〉

〈がんばとらいねw〉

〈なんでそんな真面目な声で言える?w〉

〈ばかほど真剣な声で草〉

〈みんながんばとらいね!〉

 

 逃げられない戦いなのに装備は弱く、ラッシュはレベルが高い。ロロほどではないにしろ、俺も少し緊張して手が(かじか)んでいるみたいに動きが悪かったが、めちゃくちゃに笑ったおかげで緊張は吹き飛んだ。万全のコンディションだ。しっかり戦える。

 

『っ! 見えました』

 

 ジンの一言で、空気は一気に戦闘モードに切り替わる。

 

 ぴしゅんっ、と風を切る音が聞こえた。同時に視線の先の森の暗闇へと、白い線が飛び込んだ。ジンが矢を射ったのだろう。

 

〈撃った〉

〈悪魔頼むぞ〉

〈外した〉

〈さすがに遠いか〉

 

『ど、どう? ジンさん……』

 

『石ころの走り投げよりよほど速く、弾も落ちにくいですね。把握しました』

 

『う、うん、がんばってね……』

 

「不安がんなよ、ロロ」

 

 物見櫓にいるジンなら見やすいのかもしれないが、俺の視点からだとまだ敵は木の影に隠れて見えない。

 

 そもそも、物見櫓に登っていようと登っていまいと、そんなこと関係なくまず距離が遠い。倍率高めのスコープをつけたスナイパーライフルか、せめてスコープ付きアサルトライフルがほしい距離だ。弓矢で狙う距離ではない。

 

 物見櫓に視点を向ければ、ジンは次の矢を(つが)え、森を見据え、二射目を放った。

 

 他のやつになら『もっと敵が近づいてきてから撃てよ』と注意するところだが、ジンにはそういう心配はいらない。

 

 ジンの一射目は、弾道をしっかりと見極めるための一射だ。当てることよりも弾道を見ることを優先した一射。

 

 目に焼きつけて、脳に刻みこんで、次からの射撃を外さないようにするための、一射。

 

 だから、もう──

 

「──もう、ジンは外さねーよ」

 

『まず一つ』

 

 森の入り口の大木。そこから飛び出したヒト型の一体目を、ジンはヘッドショットした。

 

〈壁あるし近づいてからでもいい〉

〈矢もそんなに作れてないだろ〉

〈予備少ないし壁に寄ってからでいい〉

〈まてまてmて〉

〈どんだけ距離あると〉

〈へっしょ?〉

〈二発目で〉

〈バケモンで草〉

〈ないすー!〉

〈ワンダウン!〉

〈やばあああああ〉

〈かっけえええ〉

〈お前ならやってくれると思ってた!〉

〈悪魔あああああ!〉

 

『わああぁぁっ! ジンさんナイスっ! すごいよっ! すっ……。ひっ……っ』

 

「ここからがラッシュだからな。気ぃ抜くなよ! ロロ、盾装備して柵の耐久見といてくれよ!」

 

『うっ、うんっ』

 

 飛び出してきたヒト型の一体が地面に倒れ込んだとほぼ同時のタイミングで、まるで打ち合わせしていたかのようなそのタイミングで、森からキメラントが大挙して押し寄せた。

 

 ヒト型は俺たちから見て左側、ちょうどジンのいる物見櫓側に偏っていて、動物型は俺とロロのいる右側に寄っていた。

 

 ほぼ同時に大木の影から巨躯を曝け出すキメラントの大群というのは、かなり精神的に気圧される。視界一面に自分より強い生き物が並んで、自分を殺すつもりで怒濤の如く攻めてくる絵面は絶望感がある。

 

 ロロが怯むのも無理はない。俺だって、これがもし俺一人だけだったら立ち向かう気が失せる。回れ右して崖からダイブする。

 

 でも、絶望してすべて投げ出すにはまだ早い。

 

 絶望を(うちはら)うように、風切り音が連続して響く。

 

『二つ……三つ』

 

 ジンが弓を射るごとに数え上げる。

 

 そのたびに、糸を切られた操り人形のようにヒト型は一人、また一人と崩れ落ちていく。

 

「ナイスううぅぅっ! エルフかよお前は!」

 

『悪魔です』

 

『わああぁぁっ! ジンさんナイスぅ!』

 

〈ヘッショ!〉

〈まじでエルフみてーな弓の使い手w〉

〈簡単に倒してく〉

〈悪魔ですw〉

〈はいw悪魔ですねw〉

〈すごすぎいいいい!〉

〈ヒト型壁までこれねぇよw〉

〈寄せつけないw〉

〈弓矢持たせたら止まんねぇよ!〉

 

『森の中とは違いますね。想像以上に足が速い。動物型はイノシシとクマです。四つめ。もしかしたら馬防柵でもそう持たないかもしれません。ご注意を』

 

「っ……了解!」

 

『ひぅっ……っ、うんっ!』

 

〈最悪だイノシシだ……〉

〈イノシシとクマは不運すぎる〉

〈壁もたんぞ〉

〈がんばとらいね〉

〈三人ともがんばとらいね!〉

〈がんばとらいね!〉

〈ほんとに応援の言葉みたいになってる〉

 

 イノシシ型はジンとの戦いの時、プレイヤーなら斧を十回以上振らないと切り倒せない大木をたった二回の突進で倒していたらしい。最低でも石の壁くらいの強度の壁を用意しないとあの突進は止められないだろう。

 

 何回かは持つだろうが馬防柵には期待できない。

 

『五つ……ヒト型なら大丈夫。イノシシが速すぎる……もうすぐ当たります、さん、に、いち、今』

 

「っ、おお……一発は耐えたか。ロロ、耐久値は?」

 

 柵の隙間から槍を差し込み、イノシシ型の弱点らしい鼻を突き刺す。

 

 イノシシ型は苦痛の声を上げていたが、はたしてどれくらいダメージが入ったのか。その巨躯に比して、人が扱う槍はあまりにも細く、頼りなく見えた。

 

『三分の一くらいなくなったよ!? 攻撃一回で?!』

 

『三回耐えるとは思わないほうが良さそうですね……。補修剤を用意できたらよかったんですが……』

 

「素材がねーんだからしゃあない。この日数じゃ用意できねーもんのほうが多いんだ」

 

『そうですね……仕方ありません。六つ。あとワンパ。クマがそろそろそちらに到着します。に、いち、今』

 

 四足で駆けてきた勢いのまま、クマは馬防柵に突撃した。突撃の衝撃を語るような轟音が響いた。生き物とは思えない音だ。大きさもあいまって自動車みたいな感じだ。

 

 ミニバンみたいなでかさしてやがる。

 

「交通事故みたいな音したぞ……」

 

『と、突進で半分近く耐久減ったっ! まずいよ!』

 

『立ち上が……っ、二人とも下がってください! 罠使います!』

 

〈イノシシとクマだと突破力が高すぎる〉

〈一発の威力おかしいだろ〉

〈ヒト型の対処はええええ〉

〈ヒト型だけなら楽勝だったのに〉

〈まじでクマの攻撃力狂ってる〉

〈ナイス判断〉

 

 イノシシ型は突進したあと、後ろにゆっくり下がって助走をつける距離を空けてから突進のモーションに入っていた。

 

 クマ型は、突進した位置からほとんど動かず、後足で立ち上がり、大きく長く太い前足を振り上げた。

 

 ナイフが並んでいるかのような鋭い爪を輝かせたクマの手が馬防柵を破壊するその間際に、ジンはいつの間にか切り替えていた火矢用の矢に火をつけ、馬防柵の前に並ぶ罠に向けて放つ。

 

 火矢と接触すると木の葉の罠は瞬時に燃え上がり、隣接する木の葉の罠にも引火する。一気にごうっ、と燃え上がった。まさしく火の壁だ。

 

 この難易度のキメラントに火がどれだけダメージを与えてくれるかはわからないが、燃え移ったクマ型とイノシシ型は悶えるように見当違いな場所目がけて攻撃している。

 

 炎上による錯乱状態だ。この状態ならたとえ近寄ろうとプレイヤーを狙って攻撃してくることはない。

 

 だが、クマ型はやたらめったら強靭な腕を振り回しているし、イノシシ型はがむしゃらに巨大な牙を振り回している。暴れているせいでパターンが掴めず、おいそれと近づけない。しかも木の葉の罠をプレイヤーが踏めば当然プレイヤーも炎上ダメージを負うし、燃えている敵に接触すればこちらにも燃え移る。

 

 そして火は、なにも生物だけに効果を示すわけではない。近くにある馬防柵にも炎上ダメージを加える。

 

 クマ型に攻撃された部分、イノシシ型に攻撃された部分、それぞれ別の馬防柵だったが、与えられた損傷が大きかったことに炎上ダメージが重なり、燃え落ちた。

 

 とうとう、キメラントと俺たちを(へだ)てる壁がなくなった。

 

『盾を準備してください。火が消えたらタゲ取りお願いします。……炎で見えない。七つ』

 

「よしっ。ロロやるぞ! 俺はまだモーションのわかるイノシシにつく。ロロはクマを頼む」

 

『っ……んっ、わっ……うぅっ』

 

〈判断早い〉

〈立て直せ〉

〈がんばとらいね〉

〈まじがんばとらいね〉

〈こっからが仕事だぞ〉

〈悪魔がくるまで粘ってくれ〉

〈ロロがんばれ〉

〈ロロ……〉

〈ロロがんばとらいね!〉

 

 壁のない状態でキメラントを見て、完全にロロは怖気づいていた。尻込みしている。

 

 仕方ない。実際、近くで見ると怖い。俺だって怖い。

 

 もう少し作り込みが浅かったり、ポリゴン数が少なくてかくかくしてれば恐怖感は薄まっただろうけど、リアルなのだ、無駄に。

 

 無駄にリアルで、不必要なくらいに細部までこだわっている。生き物としてのリアリティを持たせつつ、キメラントらしい化け物っぽさも内包している。

 

 人なんてワンパンで絶命させられるほどにぶっとい腕や、よだれでぬらぬらと妖しく光る鋭利な牙。爪は軽く振るわれただけで三枚に下ろされそうだし、ひと(かじ)りされるだけで骨ごと喰われるんだろうなとありありと想像できる大きな口。

 

 しかもサイズは縦にしたミニバンだ。もしかしたらもう少し大きいかもしれない。疑いようがないくらい化け物だ。

 

 自分を殺そうと襲いかかってくるその姿はまさに殺戮者。抵抗する気力が尽きるくらい絶望するのも、理解できる。

 

 でも、ここでは気力を振り絞って立ち上がってもらわないと困るんだ。

 

「ロロ! 正念場だぞ!」

 

『大丈夫です。ロロさん。ロロさんならできますよ』

 

「そうだ! お前ならできる! 盾構えてりゃいい、そんなに時間稼げなくたっていいんだから! 少しでもタゲを取ってくれりゃそれで助かる!」

 

『うぅっ……んっ、ひぅっ……っ』

 

〈怖いよな〉

〈観てるだけの俺も怖い〉

〈がんばとらいね〉

〈家守るためだぞ!〉

〈無理すんな〉

〈壊斗に任せてもいい〉

〈ロロの分もがんばれ壊斗〉

〈泣かないでロロ〉

 

 ふだんゲームはアクションもFPSもしない。のんびりぽわぽわした『Island(アイランド) create(クリエイト)』やパーティゲームをしてるロロだ。たまに罰ゲーム的にホラーゲームをやることはあっても、幽霊が急に出てきて驚かしてくるような、そういう一般的な意味のホラーだ。こんなふうに生き物が自分を喰おうと襲ってくるタイプのホラーゲームではない。

 

 慣れてない、バイオレンスホラーに耐性がないんだ。怖くて動けなくなっても仕方ない。

 

 ロロは完全に心が折れている。画面すら見れてないんじゃないかとすら思った。

 

 そんなロロに、ジンは優しく、だが甘やかすことなく背中を押す。

 

『大丈夫です。ロロさんは強いんです。始めたばかりの貴弾で、とても上手なプレイヤー相手にも戦えたロロさんなら大丈夫。戦って、ダウンまで奪えたロロさんなら、絶対大丈夫。がんばとらいね、ロロさん』

 

『っ……ふふっ、あはっ……ぐすっ。がんばるっ! がんばとらいね!』

 

『あははっ、がんばとらいね。ロロさんならできるよ』

 

〈あくまああああ〉

〈悪魔が尊い〉

〈かっこい〉

〈うおおおおお〉

〈ロロ!〉

〈ロロがんばとらいね!〉

〈もうそれだけで十分すごいだから!〉

〈クマなんかデュマ帯のプレイヤーより弱いから大丈夫!〉

〈なく〉

〈てぇてぇ〉

 

 あれだけ怖がって震えていたロロの声に力が戻った。

 

 心が折れてしゃがみ込んでしまった人間を、こうも即座に立ち上がらせることができるのか。言葉だけで、人の心をこれほど動かせるものなのか。

 

 ただ立ち上がらせただけじゃない。励まして、自信をつけさせた上に笑わせて緊張まで解した。元気まで取り戻させるなんて、口がうまいどころの騒ぎじゃない。

 

 若干引くくらいの、マインドコントロールのようなメンタルケアだ。ジンの本質が優しいやつでよかった。精神構造まで悪魔だった場合、洗脳じみたことまでできそうで恐ろしい。

 

「はっ……はっは。役割果たすぞロロ!」

 

『うんっ!』

 

 ロロ持ち前の明るい返事が帰ってきた。キメラントと対峙できる状態にはなったようだ。

 

 馬防柵があるうちにもう少しダメージを与えたかったが、予想していたよりも早く壁がなくなってしまった。

 

 少し分が悪いが、しかしジンがヒト型を掃討するのも予想以上の早さだ。

 

 これならなんとかなるかもしれない。

 

 大盾を構えて、馬防柵があったところを見据える。

 

 木の葉の罠の燃焼時間が終了し、火が消えた。

 

 煙が晴れると、見る限りダメージが入っているとは思えないくらいぴんぴんしているイノシシ型とクマ型。ジンの手が空くまでこいつらのターゲットを取り続けていれば、勝てる。

 

『炎上状態終わります。タゲ取り、お願いしますね』

 

『まかせてっ!』

 

「だっはっはぁっ! 今日の晩飯は豪華になるなぁっ!」

 

 大盾を握りしめ、俺は前に出た。

 



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最後の砦

 

『あ……そ、そういえばロロ、盾の使い方知らないっ……』

 

「大丈夫だ! 俺も知らん! わかったこと共有してくぞ!」

 

〈試してなかったなw〉

〈どんなもんか使うべきだった〉

〈ここで慣れりゃいいのよ!〉

〈がんばとらいね〉

 

 これまでこのゲームで盾自体使ったことないし、大盾も同様。この場でいろいろ試して把握していくしかない。

 

 使ったことはないにしても、どうせ武器と操作感が大きく変わることもないだろう。

 

 俺の姿を捕捉したイノシシ型が、一度聞いたことのあるかすかに違う鳴き声を発する。突進の予備動作だ。

 

 武器を振るのと同じようにクリックする。大盾を構えたが、すぐ下ろしそうになったのでクリックし続ける。すると、大盾を構えたままになった。

 

 盾を構えた状態でイノシシ型の突進を受ける。

 

「ロロ、左クリック押しっぱで盾構えれる。でも盾構えたままだとスタミナが回復しねー。攻撃してくる時だけ構えたほうがいいぞ!」

 

『む、難しいこと言わないで!』

 

「言ってねーよ!」

 

〈スタミナ管理〉

〈回避優先に〉

〈立ち回り気をつけて〉

〈がんばれ!〉

 

 盾なし無防備で突進をもらうと瀕死状態になるらしいから、盾の効果はかなり大きい。だが盾を構えていてもアーマーゲージが少し減っていた。盾を貫通してダメージが入っている。

 

 可能な限り避けて、避け切れない攻撃だけガードしたほうがいい。

 

「イノシシ相手は、離れすぎないように……」

 

 森の広場でジンがイノシシ型と戦っているところを観察していてよかった。パターンはまだ読める。

 

 イノシシ型の正面を避けて、横に回る。

 

「牙を振り回す……右、左、で……叩きつけるんだよなぁっ!」

 

 ジンが言っていたのを思い出して立ち回る。牙の叩きつけ読みでイノシシ型の脇腹に接近した。

 

 一応このゲームもアクションゲームなら盾を使う攻撃手段があるもんだ。

 

 イノシシ型の脇腹目がけて右クリック。大盾を突き出した。

 

「おらぁっ! シールドバッシュぅぅっ! 舐めんじゃねー! ロロ、右クリで盾で攻撃できるぞ!」

 

〈うまー!〉

〈壊斗!〉

〈やるやんえk!〉

〈壊斗だってやる時はやるんだ!〉

〈無茶言うんじゃない〉

 

 どっ、という鈍い音がした。それほどダメージを与えているようには見えないが、ヘイトを稼ぐことはできる。無視して拠点を破壊しに行かれると困るのだ。

 

『そんなのするよゆうないよぉっ!』

 

〈ロロ十分やれてる〉

〈無理すんな〉

 

 ロロの声がへろへろしている。本当に余裕がなさそうだった。

 

 クマ型の攻撃モーションも見ておきたいし、できるならロロの手助けもしてやりたいが、よそ見してイノシシ型にやられたら元も子もない。俺も一体を相手取るだけで精一杯だ。

 

「ジン! ヒト型は?!」

 

『九つ。終わりました。まずはロロさんのフォローにっ……増援です。今のところ見える範囲ではヒト型がワンパ。もう少し耐えてください。……一つ』

 

〈一人で片づけてるw〉

〈強すぎて草〉

〈弓矢との相性がガチ〉

〈悪いほう引いた〉

〈くそ難易度!〉

〈下振れ引いたか……〉

 

「増援?! 追加があんのかよ! っ……ああくそっ、三から四ってそういうことか!」

 

『ねぇっ、ねぇっ! ガードしてもっ、ダメージ受けるんだけどぉっ!』

 

「少しだけど入るぞ! なるべく攻撃避けて、避けられないのだけガードしろ! スタミナ持たないぞ!」

 

『そんなの言われたってぇっ! 怖いしっ、いっぱい攻撃してくるしっ、ガードしても後ろ下がっちゃうしっ、下がってる時動けないしぃっ!』

 

「ノックバックまであんのか……」

 

『もうっ……スタミナがっ……』

 

「ジンっ!」

 

『二つ……こちらもすぐ片づけます!』

 

『もうだめっ……ごめんっ、ごめんなさいっ……』

 

〈悪魔が合流するまで耐えろ!〉

〈がんばとらいね!〉

〈クマ相手はしんどい〉

〈盾構えずに〉

〈至難はプラスにだぞ油断すんなよ〉

〈スタミナ回復できんか〉

〈壊斗がんばれ!〉

〈よくがんばった!〉

〈ロロ頑張った!〉

 

 ちらとロロに視点を動かすと、腕を振った姿勢のクマ型と、その正面には倒れ込んだロロがいた。

 

 イノシシ型のモーションを少しでも知っている分、俺がイノシシ型を受け持ったが、これはミスだったか。どうやらクマ型のほうが攻撃手段や動きにバリエーションが多いようだ。アクションゲームに不慣れなロロには荷が重い。

 

『ナイスファイトです、ロロさん』

 

「そうだぞ! ナイファイだ、ロロ! もうすぐジンもヒト型を片づける。そこまで時間を稼げたのはでかい!」

 

『っ、うんっ……ぐすっ、二人ともがんばって!』

 

「オッケー! 任せろ!」

 

『三つ! 増援も終わりました! すぐそちらに合流します!』

 

〈ロロよくやった!〉

〈ロロがんばった〉

〈ナイファイ!〉

〈あとは壊斗と悪魔に任せろ〉

〈苦手なのによく耐えた〉

 

 馬防柵のラインの左端に物見櫓(ものみやぐら)は建てられていた。俺がいるのは馬防柵のラインの右側。合流までおそらく数十秒程度はかかる。その間は、イノシシ型とクマ型の相手を一人ですることになる。

 

「落とされねーように……」

 

 なるべく視界にイノシシ型とクマ型が入るように立ち回る。見えていれば、避けるのは難しくてもガードは間に合うはず。

 

 ここで俺もダウンしてしまえば、ジンは大盾も防具もない状態でイノシシ型とクマ型相手に一対二(ワンブイツー)を強いられる。戦うのなら、せめて一対一で戦わせてやりたい。

 

「クマっ、このクマっ……手数が多いのに一撃が重いっ!」

 

『パンチは防ぐの成功してもダメージ入って後ろに下げられちゃうよ! あと正面に立っちゃだめだよ! 掴んで噛みついてくる! 盾で防げない!』

 

「まっ、じかよっ……っ。報告ナイスっ……あ、でもこいつ、動きはそこまでっ……イノシシぃっ!」

 

〈範囲狭いぞ〉

〈うおおおおお〉

〈クマの攻撃力まじでバグだろ〉

〈ノックバックがうざいのよ〉

〈声出てる〉

〈ほうこくいいよ!〉

〈突進くる〉

 

 クマ型のパンチはガードしてもダメージが入るしノックバックも発生する。しかし予備動作は読みやすいし、攻撃範囲も広くない。一度攻撃を受ければノックバックから一気に押し込まれそうだが、受けないように立ち回れば対処はできる。

 

 そう思って、クマ型の攻撃範囲から外れたら、クマ型の脇からイノシシ型が瞬間移動じみた速度で突進してきた。

 

 少しクマ型に注意力を割いたらイノシシ型の突進の予兆を聞き逃す。ワンブイツーとかできる相手じゃない。

 

「突進一発でアーマー全損で肉まで削れたぞっ……ふざけんなっ!」

 

『お待たせしました、クマやります』

 

「ほんとに待ってたぞ! 任せた!」

 

〈アーマーあってよかった〉

〈威力おかしい〉

〈至難のダメージ頭おかしい〉

〈難易度調整間違ってんだろ〉

〈悪魔きた〉

〈ツーブイツー〉

 

『がんばって……っ。二人とも、がんばってっ!』

 

「任せっ……起き攻めは卑怯だろぉっ?!」

 

〈クマ倒すまで耐えおr〉

〈いけええええ〉

〈まっずい〉

〈やばーい!〉

 

 突進で吹き飛ばされ、俺が転がったところに突進で移動したイノシシ型がいた。イノシシ型の近く、かつ正面から左にずれたところにいたせいで近距離の攻撃モーションに入っている。

 

 盾を構える間もなく牙の振り回しを受けた。

 

『壊斗さん、生きてますか?』

 

「ぎりっぎりっ……ミリもミリなくらい残ってる! 奇跡!」

 

 一番多くキメラントを倒しているジンが防具なしで、なんで俺が二つも防具を装備しているんだという指摘がコメント欄でもあったが、答えはこれである。やはり俺が防具をもらっておいて正解だった。もらってなければここで終わっていた。

 

『ナイスです。死んでないなら安いです』

 

「お前格ゲーもやってんの?」

 

『同期が格ゲー好きで、対戦した時よく言ってます』

 

〈しなやす〉

〈しなやすだ〉

〈生きてりゃでかい〉

〈まだ舞える〉

 

 ジンの同期は全員女だったはずだが、女で格闘ゲームにどっぷり浸かってるやつがいるのか。格闘ゲームも性別比で言えば男ばっかりなのでめずらしい。

 

 というか『死ななきゃ安い』が出るということは、その同期の女が劣勢になっているということだろう。その同期の女がどれくらいうまいのかは知らないが、そいつといい勝負になるくらいジンは格闘ゲームもできるのか。FPSだけじゃないのかよ。

 

「っ、っ! っづあぁ! 怖え! 一発もらったらもう終わりだっ……っ!」

 

『壊斗くんがんばってっ! ジンさんがクマ倒すまでっ……』

 

「おけ、おけ……任せとけロロ。みんなで家守んだからな」

 

〈ワンミスでアウト〉

〈ダメージエグすぎる〉

〈こわいこわい!〉

〈壊斗お前輝いてるよ!〉

〈おうち守るんや!〉

〈かっこいいぞ壊斗〉

〈壊斗輝いてるぞ〉

 

『っ……ぅんっ……』

 

『……持ちそうですか?』

 

「こんなこと言いたかねーけどっ、自信はねーよっ!」

 

『急ぎます』

 

〈ロロ泣かないで〉

〈草〉

〈三秒前までかっこよかったのにw〉

〈輝き曇ったw〉

〈悪魔頼む!〉

 

 イノシシ型の攻撃のモーションとパターンはおそらく出切った。条件も掴めている。

 

 距離が離れていればプレイヤーが正面にくるように方向転換して突進、近くにいたら牙の振り回し。基本はこれだけだ。たまに距離を取るみたいにイノシシ型の近くにいても突進することはあるが、正面にいなければあたることはない。

 

 威力でも速さでも、脅威なのは突進だけだ。その突進は近くにいれば封じることができる。だが突進を喰らわないためとはいえ、牙が届く距離にまで近づかなければいけないのは本能的に怖い。

 

 プレイヤーがイノシシ型の左右どちらにいようと、牙の振り回しは右からだ。だからイノシシ型の左側にいればいい。牙の振り回しのモーションに入った瞬間に離れるなり移動するなりすれば回避は容易い。

 

 攻撃の条件は割れている。モーションにも慣れた。

 

「シールドバッシュは諦める……。今は生き残ること優先だ……っ」

 

〈無理しなくていい〉

〈タゲ取れたら十分〉

 

 動きは読めても、一発も攻撃を受けられないのはプレッシャーがかかる。

 

 後を託すことになるジンのために少しでもイノシシ型のヒットポイントを削っておきたいが、スタミナを消費するのも必要以上に近づくのもリスクが高い。牙振り回しの反応が遅れれば一発アウトだし、大事な時にスタミナが枯渇してしまえば動けなくなる。

 

 安全策を、と考え、牙を振り回すイノシシ型の背後に回った。

 

 イノシシ型は牙を右、左と振った後は正面の地面に打ちつける。予想通りだと思ったら、この大事な局面で動きが変わった。

 

 牙を打ち下ろしてから妙に動かないな、と眺めていたら、イノシシ型の尻が飛んできた。

 

「はあああぁぁっ?! ヒップドロップ?! そんなん知らねーって!」

 

〈は?〉

〈はw〉

〈草〉

〈こんなんあんの?w〉

〈死因プリケツ〉

 

 こういう攻撃なのかどうかもわからない。

 

 牙を地面に打ちつけた後に一定確率で発生する特殊なモーションなのか、それともイノシシ型の背後に立っていたら発生する攻撃なのか。

 

 いずれにせよ、原因はわからなくても結果はわかっている。

 

 どんな攻撃を受けても一発で死ぬくらいにミリだった俺のヒットポイントは、イノシシ型のでかい尻に踏み潰されてゼロになった。

 

『じっ、ジンさんっ、壊斗くんダウンした!』

 

「悪いっ! 知らん攻撃きた! イノシシの真後ろもたぶんダメなんだ!」

 

『っ、了解』

 

〈悪魔だけだ〉

〈クマイノシシ相手にワンブイツーは詰み〉

〈難易度終わってる〉

〈誰が勝てんねん〉

〈こんなん無理やんけ〉

 

 ダウン状態の視界の端が赤く染まった画面で、ジンの奮戦を見守る。

 

 ジンはうまく距離を取りながらクマ型相手に戦っていた。字面ではかわいくても威力はちっともかわいくないクマパンチをひらりひらりと(かわ)しながら、小さな隙を見つけてはクマ型の顔面に穂先(ほさき)を突き刺す。

 

 見ればクマ型は血まみれだった。ずっとジンはそうやって紙一重でクマパンチを回避し続け、その度にカウンターで攻撃を重ねてきたのだろう。

 

 時間を稼げていれば、ジンは一対一(ワンブイワン)なら勝てる。

 

 勝てていたはずなのに。

 

「ジン後ろだっ! イノシシっ!」

 

『これって……キメラント同士でフレンドリーファイアってあるんでしょうか?』

 

「わからん! ラッシュの時は一緒に行動してるし、ないと思っといたほうがいい!」

 

〈いつもは食い合ってるくせに〉

〈ラッシュの時だけ仲良ししやがって〉

〈FFあったらワンチャンあんのに〉

〈戦いにならんやろこんなもん〉

 

 ラッシュではヒト型も動物型も仲良く(くつわ)を並べているが、ラッシュ以外では全員敵同士だ。共通点はキメラントというだけで、あいつらは本来協力し合う生き物ではない。なのにラッシュの時だけはヒト型も動物型も手を取り合ってプレイヤーを襲ってくる。

 

 ラッシュを、対プレイヤー用のイベント、という意味で捉えるのなら、キメラント同士のフレンドリーファイアも期待できない。

 

 クマ型を相手にしているジンに、イノシシ型の面倒まで見る余裕はない。

 

 背後からイノシシ型の突進を受けて終わりか、と諦めかけた時、ジンは武器を切り替えた。

 

『……ここなら、当たらないはず……』

 

『弓っ?!』

 

 武器を槍から弓に取り替え、ジンはぐるんと勢いよく振り向いた。その状態で後ろ向きに走りながら、矢を放つ。矢は吸い込まれるようにイノシシ型の鼻先に刺さった。

 

 だがイノシシ型の突進はキャンセルされてないし、ジンが後ろ向きで走っているのはクマ型がいる方向だ。イノシシの突進がキャンセルされていたとしても、クマパンチでやられる。

 

「さすがに無理か……ってうおおぉぉっ! くぐれんのかよっ!」

 

『隙間があるようだったのでもしかしたらと思っていました。当たってたら死んでました。当たらなくてよかった』

 

〈反転速射でなぜあたる〉

〈弓矢!〉

〈この密集地帯で!〉

〈どっちか倒せたらあるぞ〉

〈頭上w〉

〈こええええ〉

〈上通ってったw〉

〈終わったかと思ったわ〉

〈なんで生きてんだ〉

 

 立ち上がっているクマ型が振るった左腕、その下にもぐり込むようにジンは入っていた。クマ型の脇の下をくぐり抜けて、クマ型の背後に回る。背後に回る間にもう一射してイノシシ型に矢を喰らわせていた。

 

『でもイノシシが……あれっ?! 曲がっていった!?』

 

『フレンドリーファイアはないようですが、進行方向に仲間がいた場合は迂回するようです。クマの懐にいる限りは突進されませんね。ずっと立っててくれないですかね、このクマ』

 

「一番の危険地帯だけどなぁっ! 防具もねーから一発くらったら瀕死だぞ!?」

 

『いえ。瀕死ではありません』

 

 クマ型のパンチを懐に入って回避しながらイノシシ型の弱点を的確に撃ち抜くジンは、寿命が縮まりそうな立ち回りをしながら続けて言う。

 

『一発もらえば即死です。すでに一発もらっているので体力ミリなんですよね』

 

「なおさら危ねぇっ!」

 

『あっ、ジンさんっ! それっ……』

 

『はい、報告ありがとうございます』

 

〈突進は防げるけど〉

〈どきどきなんだが!〉

〈離れたらイノシシにやられる〉

〈イノシシ邪魔すぎる〉

〈クマの腕すぐ横すぎてったw〉

〈こっちも瀕死w〉

〈クマ倒すのに急いでたっぽいしな〉

〈まずい〉

 

 ロロが言い終わる前に、ジンはクマ型の懐からジャンプして飛び出した。

 

 クマ型が両手を上に掲げていたのだ。それは大きな両腕で敵を叩き潰す攻撃と同時に、四足歩行に戻る予備動作だった。

 

 クマ型のモーションを見てすぐに反応して走ったジンは、ダッシュジャンプでクマ型の攻撃範囲を出て、視点を振って即座に空中でイノシシ型の鼻先に照準を合わせて矢を放った。

 

『っ! イノシシダウン』

 

『ないすっ……ナイスぅっ! ジンさんっ!』

 

「ナイスぅぅっ! ラスト!」

 

〈あぶねえええ〉

〈はんのうはあyい1〉

〈反応はえええ!〉

〈生きててくさ〉

〈イノシシとった!〉

〈ないすううううう〉

〈ないすううう!〉

〈エイムびたびたやんけ!〉

〈鼻にしかあてとらん〉

〈視界の外のイノシシに反転してなんであたんの?w〉

 

 これまで積み重ねてきたダメージが、ようやくイノシシ型の命を喰い尽くした。

 

 ふつうならクマ型一体の相手をするのも一人じゃきついが、そこはジンだ。二足歩行から四足歩行にスタイルチェンジしたクマ型相手でも、まるで動揺することなく冷静に対応している。

 

『頭が低い分……こちらのほうがやりやすいです』

 

「はっ……はっはっは! 手玉に取ってんなぁ!」

 

『ジンさんっ! すごいよジンさんっ!』

 

〈ワンブイワン!〉

〈いけえええ!〉

〈クマだけだ!〉

〈もはや余裕で草〉

〈当たる気せんやんw〉

 

 攻撃する時のモーション自体は、四足歩行の今のほうがわかりやすい。前足の片方を地面につけて、もう片方を振るうという性質上、地面につけているほうの前足に移動していれば攻撃範囲から逃れられる。

 

 だが、クマ型は二足歩行の時よりも攻撃のペースが速くなっている。ジンはその速さに惑うことなく、回避と同時にクマ型の顔面に槍を突き刺していく。

 

 何度か繰り返している時、バックステップで距離を取ったクマ型のモーションが変わった。両手両足で地面を掴み、姿勢を低くした。

 

「なんだっ?!」

 

『っ! 飛びついてくる! 横にも逃げられないやつだよっ!』

 

『っ……ありがとうございますっ』

 

 (たわ)んだバネが圧力から解放されるように、クマ型の巨体が宙に浮く。

 

 腕を左右に大きく広げ、大きく鋭い牙が並んだ口を開いて、怖気を震うような唸り声を上げてジンに飛びかかった。

 

「っ……」

 

『ひっ……』

 

〈おわった〉

〈一発〉

〈うあああああ〉

〈確定だ〉

〈一撃確定攻撃〉

〈あと一発だったのに〉

〈回避不能だ〉

 

 クマ型の目の前にいるのは俺じゃなくてジンなのに、俺は離れたところから眺めているだけなのに、それでも怖いほどの迫力だった。飛びかかってくるモーションだとロロが報告してくれてなかったら俺もロロと同じように悲鳴を漏らしていた自信がある。

 

 そんな(おぞ)ましい殺戮者を前にしてジンは──

 

『……高いですね』

 

 ──至って平然と吐き捨てた。

 

 クマ型の真正面にいたジンは、その場で(かが)んだ。

 

 クマ型は顔をジンに向けて伸ばしていたが、その牙は屈んだジンには紙一重届かず、頭上を通り過ぎていく。

 

 晒け出されていたクマ型の腹に、ジンは落ち着いて槍を突き出した。

 

 深々と抉り込む穂先はその土手(どて)っ腹を切り開き、血飛沫が舞うようなダメージエフェクトをいっそ綺麗なほどに撒き散らした。

 

 攻撃して即座に立ち上がったジンは、背後に着地したクマ型へと瞬時に振り返る。

 

 追撃に移ろうとしたジンの足が、止まった。

 

『……クマ、ダウン』

 

「っ、おっ、おおぉぉっ! ナイスううぅぅっ!」

 

『っ……ないすぅぅ……ジンさぁぁぁん……っ』

 

〈うああああああ〉

〈うおおおお〉

〈ええええええええ〉

〈回避できんのかよあれ!〉

〈初見で?!〉

〈ないすううう〉

〈ナイスす!〉

〈勝ったあああ!〉

〈あくまあああ!〉

 

 着地したクマ型は、そこから立ち上がることなく(くずお)れた。

 

 倒した。倒し切った。

 

 たった三人で、ばかみたいな難易度で、ばかみたいな量が攻め寄せたラッシュを捌き切った。

 

『はぁっ……。勝った、勝てた……。ぎりぎりだ……』

 

「ナイスナイス! よく勝ったなぁっおいっ!」

 

『わああぁぁっ……っ、ジンさああぁぁんっ!』

 

『いや、本当にもう、全員死力を尽くしましたね……。疲労感が……』

 

「すげぇよ! マジで! イノシシもクマもどっちも……」

 

〈全員がんばった!〉

〈タゲ取ってなかったら悪魔でもできてなかったんだからみんなの努力だ!〉

〈まだ終わってない〉

〈ジンラースやばすぎんだろ!〉

〈悪魔いてよかった〉

〈サイレン鳴ってない〉

〈指南は造営る〉

〈ぞうえんあrぞ1〉

〈増援あるぞ!〉

 

 ラッシュを攻略できた歓喜に湧いていたが、ぞくりとした寒気とともに、不意に前回後輩らとやった三日目を思い出した。

 

 あれが終わった時は、たしか。

 

『すごいよっ! ジンさん一人でぜんぶ倒しちゃったよ!』

 

『いえ、ヒト型を片づけるまでロロさんと壊斗さんがクマとイノシシを引きつけていてくれたおかげです。筋力極振りみたいなクマ相手にロロさん、よく耐えましたね。壊斗さんも、イノシシのタゲ取りありが……』

 

「終わってない……まだ終わってねーぞ!」

 

『え?』

 

『でも、壊斗くん。ぜんぶ倒したよ? ヒト型十二体と、クマとイノシシで動物型二体。これでぜんぶだよね?』

 

「ラッシュが終わったらスタートの時と同じようにサイレンが鳴るはずなんだ! まだ鳴ってない!」

 

〈レベル七なら終わりだろ?〉

〈難易度によって増援がある〉

〈サイレン鳴ってないな〉

〈まだあるとか嘘だろ〉

 

 前回やった時の三日目。あの時はラッシュを(しの)ぎ切ったあと、サイレンが鳴っていた。ラッシュのイベントは始まりと終わりでサイレンが鳴る仕組みになっているのだ。

 

 ジンがクマ型を倒してから、まだサイレンは鳴っていない。

 

 まだ、ラッシュは終わってない。

 

 ジンは俺の言葉にすぐに反応して森の方角に目を向ける。

 

『っ……ヒト型、しかも二パーティ……っ!』

 

 ヒト型六体が、もうすぐそこまで迫ってきていた。

 

 完全に油断していた。クマを倒して、もう安全だと気を緩めていた。

 

 森のほうなんて誰も見ていなかった。

 

「迎撃間に合うか?!」

 

『ジンさんっ……』

 

『っ、回復……無理か。迎え撃ちます』

 

〈プラス二パ?〉

〈は〉

〈ふざけてる〉

〈難易度やばすぎ〉

〈至難はラッシュ増援でヒト型六体くる〉

 

 先に削れた体力を回復したかったようだが、あまりにもヒト型との距離が近い。回復が間に合わないリスクがあるくらいなら離れているうちに数を減らそうと考えたようだ。ジンはすぐに弓を構えて矢を放つ。

 

 一つ、二つと軽快にヘッドショットで落として、引き撃ちすれば間に合うペースで落としていたが、ここにきて矢が尽きた。

 

『もう、少しなのに……っ』

 

 ヒト型の群れに包囲されながらも槍を構えてうまく立ち回り、どうにか二体倒したがそこでとうとうスタミナが切れた。ダッシュができなくなり、槍も振るえなくなり、ヒト型の魔の手から逃れられなくなる。

 

 最後の砦であるジンが、奮闘虚しく崩れた。

 




次でコラボ配信終了です。


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「一緒に出ねーか?」

 

 俺たち全員がダウンしている間にヒト型二体の手によって拠点を破壊された。リスポーン地点が消滅し、俺たちはゲームオーバーとなった。

 

 失意の中、タイトル画面に戻される。

 

 ロロは最初に倒されてしまったし、ラッシュ前から責任を感じていたみたいだった。ジンはずっと活躍していたが最後自分が勝てていたらという気持ちがあるだろう。

 

 せめて俺だけでも明るくしておかないと。

 

 間違いなくいい戦いだったんだ。誰も責めないし、頑張った俺たちは胸を張るべきだ。

 

「うわああぁぁっ! どんまい! いやぁ、ナイファイだった! マッジでナイファイ! 惜しかった!」

 

『スタミナ管理が杜撰(ずさん)でした……もう少しどうにかできたはずなのに』

 

「いや、動物型二体倒した後の増援はマジできつかった。ジンがいなかったらもっと早い段階で詰んでたんだから、気にすんな」

 

『悔しいですね……尽くせる限りの手は尽くしましたがそれでも勝てませんでした』

 

〈最後の最後に〉

〈ドンマイ!〉

〈ノーマルなら終わって勝ってたんだよな〉

〈いやナイファイだった〉

〈よくがんばったよ〉

〈難易度ゴミすぎんか?〉

〈あんだけやったあとに増援は無理やろ〉

〈詰んどるやんけ〉

〈過酷でプラス三体至難でプラス六体くる〉

〈三日目でさばける量じゃない〉

〈攻撃力も高くなってんのに数も増えるってどうなってんの〉

〈ないふぁい!〉

〈資源がたんねーのよ〉

 

「あー……なるほどな。運がよけりゃヒト型三パ、運が悪けりゃ四パで、動物型二体ってのは難易度が標準ならってことか。難易度によって増援ってのがあって、俺たちがやってる至難だとヒト型がプラス六体くるってことね。なるほどな。勝てるかぁっ! こんなもん!」

 

 そういえば前回やった時の三日目でもこういうことがあった。

 

 前回三日目のラッシュでは、サイレンの数は三回だった。リスナーからの情報では動物型が一体出てくるって話だったが、実際には動物型を倒した後にヒト型が一パーティ追加で襲いかかってきた。

 

 前回やった時の難易度は、今回よりも難易度が一つ下の過酷というモードだった。だからラッシュで攻めてきた動物型一体と、難易度による増援で追加されたヒト型一パーティだったということか。

 

 リスナーから教えてもらった情報の、難易度が標準(ノーマル)だったら、という注釈をしっかり確認していなかった俺の落ち度だ。

 

『動物型の突破力を過小評価していました。とんでもない攻撃力でした。……ごめんなさい、ロロさん』

 

『ジンさっ……ありがとっ……ぐすっ。壊斗くんもっ……ぃがとっ』

 

「悔しいよなぁ……悔しいなぁ。うまくいってた分、なおさらなぁ……」

 

〈クマとイノシシは最悪の種類だった〉

〈オオカミやトラならもうちょい壁も持ってたよ〉

〈いろいろ運悪かったよなー〉

〈ロロ泣くなよくやった〉

〈ロロ……〉

〈お家守りたかったよな〉

〈胸張れロロがんばってた〉

〈がんばったよ〉

〈悔しいよな〉

〈どうあっても無理だろあれは〉

 

『ロロがっ、んぐっ、ぐすっ……ロロがっ、わがまま言゛っ゛だがら゛ぁ゛っ゛……っ』

 

『わがままなんかじゃありませんよ。僕もロロさんが作ってくれたあのお家が気に入ってましたからね。あのお家を捨てるくらいなら、あの場所で骨を埋めたほうがいいくらいです』

 

〈それだけ大事だったんだよな〉

〈さすあくいいこと言う〉

〈死ぬか守るかどっちかだった〉

 

「そうそう。そういう縛りがあったほうが楽しいんだ。リスナーも盛り上がってたしな」

 

『やざじい゛ぃ゛……ぐすっ、すんっ……こういう時に限ってっ、リスナーも優しいしぃっ……ぐすっ』

 

〈たしかに盛り上がったw〉

〈楽しかったわw〉

〈あれだけがんばっててきついこと言えんだろw〉

〈いつもなに言われてるのw〉

 

『あははっ、なんだかんだ言ってもリスナーさんは優しいですね。……僕の力不足でこんな結果になってしまって申し訳ないです』

 

『そんなことないよっ! ジンさん、一人でたくさんがんばってくれたのにっ! そんなこと言ったらっ、ロロなんてぜんぜん役にたてなくてっ』

 

『いえ、ロロさんはしっかり役目を果たしてくれて……』

 

「はいはい。おしまいおしまい。全員がんばったけどあと一歩力が及ばなかった。それでいいだろ。もともと三人でやる難易度じゃねーわけだし」

 

『でもっ、ジンさんはキメラントをみんな倒してくれて、壊斗くんもちゃんと時間稼いでっ…………ちょっと待って? なんて言ったの?』

 

 まずい、余計なことを言った。

 

〈悪魔で無理なら人類には無理やろ〉

〈ロロもできることやったろ〉

〈難易度的に無理があった〉

〈壊斗おしえてなかったんか?〉

 

「……全員がんばったけど」

 

『壊斗くんもそこじゃないってわかってるよね』

 

「……え、えーっと、三人でやる難易度じゃない、っていう……」

 

『は? ……えーっと、は?』

 

『あはは、やっぱりそうですよね? おかしいなあとは思ってたんです』

 

〈そうだよな〉

〈三人で至難はおかしいと思った〉

〈推奨は六人以上だったりする〉

 

『ふつうは何人でやるの?』

 

「一応推奨人数は……六人から八人って、書いてた……」

 

『か、壊斗さん? 僕たち半分以下なんですが……』

 

「いや、ちがっ、いけるかなーって思って……。てか実際、一発目のラッシュでレベル七を引かなかったらいけてたよな?」

 

『おかしいでしょっ!? アクション不慣れで戦えないロロがいるのにっ?! ジンさんの負担やばかったじゃん!』

 

〈正直レベル七は不運だった〉

〈あのラッシュは五、六人いても苦しかったよ〉

〈ラッシュ下振れ引くしクマとイノシシだったし手詰まり感はあった〉

〈悪魔が二人分以上活躍してもクリアできない至難がくそではある〉

 

「俺とジンでフォローしていきゃなんとかなるかなって……」

 

『なんともならなかった結果がこれだよ!』

 

『僕もバトルのひりつきは楽しめましたけどね。とても楽しかったですよ』

 

〈悪魔が楽しめたのならよかったけど〉

〈大変だったろ〉

〈壊斗そんなだったしな〉

〈壊斗は時々役に立った〉

 

『ロロも楽しかったは楽しかったけどっ! 建築とか、家庭菜園作ったりとか、っ……お家の、ぐすっ……まえ、で……ひっく、みんなでっ……ごはんたべたり……ぐすっ。たのし、かったなぁ……っ』

 

〈やめて泣く〉

〈声が刺さる〉

〈壊斗のせいだ〉

〈ロロ泣かないで〉

〈お家には思い出が詰まってたんだよ〉

〈もらい泣きしてる〉

〈だから逃げたくなかったんだもんな……〉

〈壊斗が悪い〉

 

「悪かったって! 俺が悪かった! ごめんっ!」

 

 上から下へと水が流れるように、リスナーのヘイトが自然の摂理のように俺に集まっている。仕方のないことではあるんだけど、でもロロがあんなに拠点を大事にするだなんて開始時点では思わないだろうよ。

 

『ロロさん、ロロさん』

 

『ぐすっ、ひっく……なに? ジンさん……』

 

『また今度、リベンジしましょうよ。同じところに建てても同じお家にはならないけど、また似たようなところにお家建てて、次はキメラントを駆逐しましょう』

 

「い、いいじゃん! リベンジしようぜ!」

 

 ここぞとばかりにジンの提案に乗っかる。

 

『でも、また三人だとっ……ぐすっ。ロロが(よあ)いがらっ……またおうぢっ、ごわ゛ざれ゛る゛ぅ゛っ゛……ひっぐ』

 

 まずい。ロロは心に傷を負ってそう。次なさそう。

 

〈悪魔ナイス〉

〈壊斗は慰めもなんもできん〉

〈これはモテない(確信)〉

〈俺たちもリベンジするとこ見てーよ〉

〈また鍋囲んでるとこ見せてくれ〉

〈たしかに三人はきつそうではある……〉

〈トラウマになってるじゃねーか!〉

〈壊斗のせいで!〉

〈また大事なお家壊されたくないもんな……〉

〈クマよりもお家壊されたことがトラウマなのかよw〉

〈壊斗のせいだな〉

 

 ここで再挑戦する約束を取りつけられなかったら、あとでリスナーからどれだけ叩かれるかわかったもんじゃない。

 

 これまでリスナーはロロのことをノリがよくて喋りのうまい女くらいのイメージしか持ってなかったはずなのに、今日のコラボ配信でやけに気に入ったようだ。ロロはお前らの姪っ子かなにかなのか。

 

 ロロがこんな状態で配信終了、はい解散、ってなったら絶対DM飛んでくる。たぶんロロのリスナーからじゃなくて俺のところのリスナーから飛んでくる。『ロロが可哀想!』というようなDMで集中砲火されてしまう。

 

 どうにか、どうにか俺に汚名返上する機会をくれ。よし、後輩の名前を借りよう。なんか問題があったら頭を下げればいいだけだ。

 

「そうだ! 前回やった時の朱莉(あかり)美月(みつき)にも頼んどくから! 口ばっか動かす後輩たちだけど、頭数にはなるから! ロロ、リベンジしようぜ?! な?!」

 

『次やる時には僕も助っ人呼びます。礼ちゃんを、妹を誘っておきます。きっと力になってくれるはずです』

 

〈勝手にw〉

〈強制参加で草〉

〈後輩ちゃんずきた!〉

〈働き者だぞ口だけは〉

〈レイちゃん?〉

〈悪魔の妹か〉

〈妹悪魔もFPSうまいらしい〉

〈NTの二期生だな〉

〈戦力倍増やんけ〉

 

『ぐすっ、朱莉ちゃんと美月ちゃん、レイラちゃんも……?』

 

『今日ロロさんとまたコラボするんだよって伝えたら、礼ちゃんもまたロロさんと遊びたいなって言ってました。きっと喜んできてくれます』

 

「ジンの妹っつったらレイラ・エンヴィだろ? 前にジンと二人で貴弾やってたアーカイブ観たわ。FPS強えし、即戦力になる。ロロ! 六人だぞ! 次は負けねーよ!」

 

『うん……うんっ。ふふ、あははっ、次はご飯作るの大変そうだねっ』

 

『作る量倍ですからね。でも大丈夫です。僕と礼ちゃんで狩りしますから』

 

〈ロロは三人とコラボ経験あんのか〉

〈改めて人脈すげーな〉

〈大型コラボになるな〉

〈実現してほしい〉

〈兄妹そろってFPS強いのか……〉

〈かわいいぞ〉

〈後輩ちゃんずも日の目を浴びる〉

〈ロロ!〉

〈元気になった!〉

〈よかった〉

〈お母さんで草〉

〈みんなのご飯作らんとねw〉

〈悪魔兄妹頼りになる〉

 

 よかった。どうにかロロが元気を取り戻してくれた。俺のSNSのアカウントは焼け野原にならずにすみそうだ。

 

「それじゃ、そろそろ終わるか。貴弾やってからのプラエボだったから、そこそこ時間経ってるしな」

 

『貴弾も次はちゃんとカジュアルマッチやりたいけどね』

 

『二試合とも大変なことになってましたからね。いずれ貴弾もまたやりましょう』

 

「それもそうなんだよな。貴弾のバケモンたちに轢き殺されたから今日はプラエボに移住したわけだし」

 

『こっちでも大変な目にあったけどね。ゆっくりサバイバルキャンプ生活を送れるのかと思ったら、壊斗くんのせいで……』

 

「悪かったって! ごめんて!」

 

『あははっ。次はもっと賑やかなサバイバル生活になりますね』

 

『うんっ! すっごく楽しみだっ! それじゃあこのあたりで終わります! 長い時間観てくれてありがとね!』

 

〈めっちゃおもしろかったぞ〉

〈おつ!〉

〈リベンジ楽しみにしてる!〉

〈配信おつー〉

 

『概要欄にお二人のお名前も貼ってありますので、チャンネル登録や高評価、SNSのフォローなどしていただけたら嬉しいです』

 

「次いつやるとか日程はぜんぜん決まってないけど、いずれ近いうちにコラボもすると思うからそん時はまた観にきてくださーい」

 

〈聞き慣れなくて草〉

〈なんだどうした?w〉

〈敬語モドキw〉

〈敬語みたいで敬語ではないなにか〉

 

『……なんか壊斗くんの敬語、すごく違和感……』

 

「なんでだよ! ふつうに敬語使う時もあるわ俺だって!」

 

『ふふっ、きっと自分のところのリスナーさんにはふだん敬語は使っていないでしょうけど、今日は僕とロロさんのところのリスナーさんがいますから、そちらへ向けての敬語での挨拶だったんでしょうね』

 

「んんっ……な、なんかっ、そこまで理解されてるとそれはそれで恥ずかしいわ! 解説すんな!」

 

『ああ……そういうこと……。ロロはてっきり、終わりだけでも礼儀正しく見せていればぜんぶ丸く収められるとでも思ってるのかな、って』

 

「印象最悪だなおい! そんな腹黒いこと考えてる時点でロロのほうが頭ん中汚れてんだからな!」

 

『壊斗くんと同じ扱いだなんてひどい! 撤回してよ!』

 

「言われたことにじゃなくて俺と同じ扱いが嫌って意味かお前?! ロロが先にその失礼な発言撤回しろよ!」

 

『はいはい、終わりまでこんなやり取りしてると締まらないです。少々強引ですが終わらせます。それでは皆様、長い時間ご視聴ありがとうございました。お……お疲れ様でした』

 

『はーい! おつかれさまでしたー! みんなばいばーい! おやすみなさーい!』

 

「はい、おやすみー。……そういやジンのとこのリスナーは……」

 

〈おつかれー〉

〈おやふみー〉

〈悪魔はおやすみ言えないからw〉

〈草〉

〈おやすみキャンセル草〉

〈おつかれさま!〉

〈リベンジ待ってるからなー!〉

 

『……ええ。その単語を発すると人間様は強制的な眠りに入ってしまうので、僕はもう寝かしつけ配信の時にしかその単語を口にすることができなくなりました』

 

『ちなみにロロもだよ』

 

「知っとるわ。コラボの時に寝落ちしてたの観たわ」

 

『寝落ちはしてないよ。ちゃんと起きたよ』

 

『起きた、ということは一度寝たことを自白しているようなものなのでは……』

 

『ジンさんから直接「おやすみなさい」をもらったのに眠りに落ちないなんて、そんなのはもう失礼に値するんじゃないかってロロは思ってる』

 

「なんで若干ドヤ感出してんだ……ただのASMR中毒者だろ……」

 

『不思議なことに、聴き込んでくれている人間様ほど眠りに落ちることを誇ってらっしゃるんですよね』

 

『うん。胸を張ってるよ』

 

「張るような胸もないくせに」

 

『見たことないでしょぉっ?! ロロが脱いだとこなんて見たことないでしょぉっ!?』

 

 やかましいロロに適当に相槌を入れつつ、配信がちゃんと終了されてるか確認する。

 

 たまに配信を切っていても、回線の不具合なのかプラットフォーム側の問題なのか、配信が終わっていないこともあるのだ。

 

 ここからはまだリスナーには聴かれたくない話をする。自分の配信も、ロロとジンの配信もしっかりと確かめておかないといけない。よし、大丈夫だな。

 

「……ジンはAPGのカジュアル大会のこと、知ってるか?」

 

 APG。プロゲーミングチームだが、元プロのストリーマーも数多く擁している事務所だ。ストリーマーとVtuberの垣根を越えてコラボ配信したり交流もしていて、定期的にいろんなゲームでカジュアル大会を開催している。

 

『はい? ええ、知ってますけど』

 

『壊斗くん、なに? 急に。あとにしてもらえない? ロロはジンさんと新しい寝かしつけ配信についてお話ししたいんだけど』

 

「それこそ後にしてくれ。……いやあとにする以前にそんな話すんなよ。ジンの好きにやらせてやれよ。厄介口でかリスナーかよ」

 

『セクハラ男に言われたくないけどっ!』

 

「は? いつロロにセクハラなんかしたよ」

 

『張る胸ないって言ったでしょっ?!』

 

「あれはセクハラじゃなくて指摘だろ」

 

『こいつっ?! 信じられない! 配信つけてればよかった! ねぇジンさんっ、壊斗くんがぁっ!』

 

『あー……そうですね。今回ばかりは壊斗さんに過失がありますね。身体的特徴を(あげつら)うのはいけません』

 

「おまっ、すぐジンを味方につけようとすんなよっ……はい、すいませんでした。……で、話は戻るんだが」

 

『絶対壊斗くん反省してないっ!』

 

「もうすぐAPGのカジュアル大会があるんだよ、貴弾の。それ一緒に出ねーか?」

 

 俺が最近真面目に貴弾をプレイしているのはそのためでもあるし、今回のジンとのコラボは一緒に大会に出られるくらいの腕があるかどうか見るためでもあった。俺よりはるかに強いのは望外の結果だったが。

 

『大会……APGの』

 

『APGのカジュアル大会? ゲームうまい人ばっかり出る大会だよね。壊斗くんも出るの?』

 

「なんだよ、その『お前弱いのに出れるの?』みたいな言い方」

 

『弱いとまでは言わないけど、強くもないんじゃない?』

 

「言っとくけどなぁ! 俺だって強いほうなんだよ! GGの中じゃ俺はトップなんだぞ! ロロはジンのプレイ見てるから感覚おかしくなってんだよ!」

 

『壊斗くんは強いっていう話は匿名掲示板でも配信のコメントでも見たけど、ロロはそんなイメージないかなぁ』

 

「比べる相手がおかしいんだよ! Vtuberの中じゃ俺だってトップクラスなんだ! でもジンは配信者の中でトップクラスなんだ! ジンが抜きん出てるだけだ!」

 

『それで、その大会のメンバーにジンさんを誘いたいってことなの?』

 

「まぁ……そういうことだ」

 

 いくら俺がVtuberの中ではFPSがうまいほうだといっても、APGの大会の参加者の中だとどうしたって埋もれる。それは事実だが、ロロに言われるのはなんとなく認めたくない気分だ。

 

 俺は弱くない。ジンが異常に強いだけ。

 

『壊斗くんが勝手にパーティメンバー決めていいの?』

 

「ああ。俺がリーダー権をもらってるから、俺がメンバーを決めることになってる」

 

『壊斗くんが……リーダー?』

 

「おいやめろ! 『こいつ弱いのにリーダーなの?』みたいな言い方すんな! ……俺の場合は数字があるからリーダー権渡されてんだよ。強い人を誘うもよし、自分と同じくらいの強さのメンツで平均的に揃えるもよし。そんな感じだ」

 

『ほぁー、なるほどね』

 

「どうだ、ジン。一緒に出ねーか?」

 

 口数が減ったジンにもう一度(たず)ねる。

 

 APGの大会参加メンバーの選出はリーダー権を持つ人間が決められるが、かといって自由に決められるわけではない。

 

 貴弾で到達したことのあるクラスによってポイントが割り振られ、パーティごとにポイント上限があるのだ。パーティ全員を強いプレイヤーばかりで固めることはできないルールになっている。

 

 ジンは最高到達クラスは俺より下だ。もう一人誘ってるやつは違う箱のVtuberだが俺より一個上のクラス。このメンツだと、クラスポイント的な意味で言えばポイントが余るくらいだ。

 

 ただジンは個人的な理由からクラスマッチを回していないだけで、実力は到達クラス以上のものを持っている。あとからポイント詐欺だと文句をつけられないようにするためにも、余らせておくくらいがちょうどいいだろう。

 

 俺は何度かAPGのカジュアル大会に出させてもらっているが、毎回IGLの不在という弱点を抱えていて順位が伸びなかった。ジンのIGLでパーティを導いてもらえたらもっと高順位を目指せるはずだ。

 

 パーティに持ってこいの人材なのだ、ジンは。

 

『……僕は、遠慮させてもらおうかなと』

 

「……え? えっ? えっ?! な、なんで?!」

 

 カジュアルといっても最大級に大規模な大会だ。なんせ一定数以上のチャンネル登録者数やSNSのフォロワー数がなければ参加できない。界隈で有名なストリーマーやVtuberが集まる大会なのだ。

 

 多くの視聴者の目に留まる可能性がある。ここで活躍すれば一気に人気に火がつくこともある。あまり絡みのない人との交流の場にもなる。知名度を上げ、人脈を広げる絶好の舞台。出たいと思っても出られない配信者だって多い。

 

 ポイント調整で呼ばれてそんなにうまくないのに出たみたいな配信者だと、パーティの負けが込んだ時にいろいろ言われて苦しくなることもあるだろうけど、ジンはそうじゃない。実力がある。

 

 FPSの腕を見せつけて名を売るいい機会になるのに、まさか断られるとは思わなかった。

 

「おまっ、お前、大会だからって緊張するようなタイプでもないだろ?!」

 

『ジンさん嫌がってるんだから無理に誘うのやめなよー』

 

「うるせーロロ!」

 

 ロロはどちらかというと、ジンにはFPS分野よりも雑談やASMRのほうに比重を置いてほしいと思っている節がある。大会に出てジンの実力が知れ渡ると配信がFPS偏重になると感づいたのだろう。

 

 だが邪魔はさせない。俺は交友関係が狭いんだ。ジンほど適した人材を俺は他に知らない。逃せない。

 

「な、なんで? パーティでのポイントも余らせてるし、あとから叩かれるなんてこともないぞ?」

 

『……取り立てて隠すことでもないのでお話ししますと、昔いたんですよ。APGに』

 

「はっ……はあぁっ?! じゃ、じゃあ、元プロってことか?!」

 

『いえ、APGがプロチームとして立ち上げされる前ですね。僕がいたのはゲーム好きが集まるサークルだった時です。大会には、出ていませんし……』

 

『ジンさん、ゲームうまいなーって思ってたけど、APGにいたんだ……なんか納得』

 

「でも、それでなんで大会には出たくないんだ? 前所属してたからって出ちゃいけねーって決まりもないだろ」

 

『……ただ僕が気まずいというだけです』

 

『それなら出ないほうがいいよね! 嫌な思いをしてまで出ることないんだし!』

 

「待て待て待て! ちょっと待とうぜ!」

 

『……なに? まだなにかあるの? 終わったよね、この話』

 

「APGの大会は注目が集まる! ジン・ラースを知ってもらえるチャンスだぞ? 知名度も上がる可能性がある。数字も増えるかもしれねー。まだお前のことを誤解している奴も多いはずだ。大会に出ればジンに悪い印象を持っている奴らのイメージを変えるいい機会になるかもしれない」

 

『誤解を晴らすいい機会になるかもしれませんが、それは大会に出なくても果たせますからね。事務所的にはチャンネル登録者数が増えたほうがいいのでしょうけど、僕個人は固執していません。ゆっくりマイペースに活動していけばいいかな、と』

 

『そうだよね! 今のままでもジンさんが活動し続けていれば評価は簡単にひっくり返せるよ!』

 

 ロロが余計な口を挟んでくれる。言い返したいけれど、承認欲求も自己顕示欲も薄そうなジンの心に響く大会参加理由なんて俺は持っていない。

 

 配信者ならふつうはチャンネル登録者数や同時接続数を増やしたいと思うものだろう。それは可視化された自身の人気であって、そのまま自分の収入にも繋がるのだから。

 

 まぁ、ジンは金銭に執着するようなタイプにも思えないんだけど。なんでこんなに無欲なんだこいつ。

 

「頼むって! お前と大会に出たいんだよ! お前となら優勝も狙える! 練習とかで拘束時間も長いけど、だからこそ熱も入る!」

 

 もうなにも手がない。素直に頼み込む以外に方法がない。

 

 ジンと大会に出たい。そうお願いするしかできない。

 

 絶対に楽しくやれるはずなんだ。ジンと出る大会なら。

 

 『practice of evolution』ではサバイバル生活一日目(一回目)をぶっ壊したほどのユーモアがある。

 

 でも真剣な時にはどこまでも真剣に取り組めるのがジンだ。貴弾のカジュアルマッチ一試合目に見た意気は本物だった。本気で、同じ熱量でがんばれて、技量に差があってもパーティメンバーを責めることなく、メンバー全員でどう戦えばいいかを考えてくれる。

 

 大会に出るなら、俺は、ジンと出たい。

 

「絶対楽しいから、出ようぜ! 俺はお前と一緒にやりたいんだよっ!」

 

『あ、まずい……』

 

 呟いたロロの声が、かすかに聴こえた。なんだ、まずいって。

 

『楽しい……楽しいんですか?』

 

「え? お、おお! 絶対楽しくなる! リスナーのコメントにあったけど、部活動みたいだって書かれてた。青春だって。パーティメンバーで一緒に練習して、作戦考えて、それで勝てたらすっげー楽しいぞ!」

 

『部活動、青春……。楽しいのなら、出たいです。僕』

 

「よおおぉぉっしゃああぁぁっ!」

 

『で、でもさ、けっこう荒れてることも多くない? 厳しいこと言われてる人もいたし……』

 

 ロロの言ってることは紛れもない事実なのだが、今言わないでくれ。ジンの意思が揺らいでるいいところなんだ。

 

「そりゃリスナーだって真剣に観てて、真剣に応援してんだ。熱が入ってくれば言葉も強くなっちまう。そんな中でもがんばって、工夫して努力するから勝った時うれしいんだろうが」

 

『僕は荒れていようと気にできないんでいいんです。観てくれてるリスナーさんには申し訳ないですけど、でも乱暴なこと言わずに応援してくれているリスナーさんも、きっと勝った時はその分喜んでくれるんじゃないでしょうか』

 

「そう! 戦況や相手パーティの動きを見て作戦を修正したり微調整したりして、それで勝った時の盛り上がりは半端ねーぞ! めちゃくちゃ熱いんだよ!」

 

『……出たいです。僕もその熱を感じたい』

 

「おおっ! 一緒に優勝目指そうぜ!」

 

『……はぁ。ジンさんに一番効果的なお願いの仕方をするなんて……』

 

 ロロめ。こいつ、わかってやがったんだな。

 

 そういえばロロとジンの雑談コラボの時、ジンの目標は友だちを増やしたいとかそんな感じだった気がする。チャンネル登録者数百万人とかでもなく、地上波のCMに出たいとかでもなく、有名企業から案件欲しいとかでもなく、彼女欲しいとかでもなく。友だち。

 

 ジンは金銭欲も物欲も、権力欲も名誉欲も、色欲もない。いや色欲はわからないが、表でも裏でもロロと話している時に下心がありそうな絡み方はしていなかったし、おそらくそれほどないんだろう。

 

 そんなジンが、数字も金も女にも関心を示さないジンが、唯一欲したのが友だちだった。きっとリアルが充実しているから、わかりやすい欲望なんか興味がないんだ。友だちと楽しく遊んで、それが配信活動に繋がればそれでいいという考え。

 

 他の奴らとは違う。数字があるからと近寄ってくる奴らとも、俺のところのリスナーは荒っぽいからと怖がっている奴らとも、事務所の中で人気が極端に高いからと勝手に優劣を決めて(へりくだ)って距離を置く奴らとも違う。

 

 他の奴らとは違う。

 

 欲も遠慮もないからこそ、純粋に楽しみたいという感情が伝わる。きっと、観ているリスナーにも伝わっている。

 

 ゲームや喋りのうまさ以外の部分にあるジンの魅力が、人を惹きつけるのだろう。

 

 なんでジンは『Golden Goal』にきてくれなかったんだ。きてくれてれば、もっと頻繁にコラボもできたし、グループ組んで活動もしていけたっていうのに。

 

 いや、事務所の垣根を超えてグループ活動していくのは不可能だって決めつける必要もない。さすがに移籍だとかって話は無理があるけど、事務所を跨いでグループを作ることくらいはできるはずだ。グループとしての認知度が上がって人気が出れば、GGのイベントとかにもゲストとして呼べるかもしれないし、もしかしたら案件も一緒にやれるかもしれない。

 

 夢が広がる。チャンネル登録者数百万人という目標を達成してからは配信活動に張りがなくなっていたところだったんだ。

 

「はっ、あっははっ! 楽しもうな、ジン!」

 

 やる気が出てきた。おもしろくなってきた。

 




ということで、貴弾『Noble bullet』からのプラエボ『Practice of evolution』配信でした。ご視聴ありがとうございました。

構想段階ではお兄ちゃんが発見した洞窟を探索したり、キメラミュータントのキメラの部分について触れたりしてたんですけど、半端じゃないくらいに長くなりそうだったのでサバイバル生活三日目で一区切りとしました。その他の部分はまたやる機会がもしあればいずれ、といったところです。なんだかんだでちょうどよかったかもしれません。

次からは悪魔兄妹による配信になります。お兄ちゃん視点です。『administrator』配信のおさらいというか、軽い振り返りを挟みます。おさらいしつつ、その他のお話もぱらぱらっとやる感じです。

一区切りということで、感想や評価などいただければ幸いです。

またここからもお付き合いいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。


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二章『administrator』
「小豆真希母上」


 

「人間の皆様、こんばんは。『New Tale』所属の四期生にして悪魔のジン・ラースです。本日もお忙しい中、足を運んでいただきありがとうございます。昨日の配信も観てくださった方はまたお会いできて光栄です。今日初めて観にきたよ、という方は初めまして。どうぞごゆっくりお寛ぎいただければと思います。本日は『admini(アドミニス)strator(トレーター)』の続きをやっていきますが、その前にご紹介させていただきましょう。はい、どうぞ」

 

「はい、えっと……お兄ちゃんの配信をご視聴中のリスナーのみなさん、こんばんは。お兄ちゃんの妹にして『New Tale』の二期生、悪魔のレイラ・エンヴィです。今日はお兄ちゃんの配信を観にきてくれてありがとうございます。『なんで妹のほうも?』と思われているリスナーさんは多くいらっしゃるでしょうけど、私もわかりません。お兄ちゃんからは『せっかくだから』と言われて連れてこられました」

 

「せっかくだからね」

 

「なにがせっかくなの、なにが」

 

〈やったー!〉

〈待ってたー〉

〈お嬢!〉

〈妹悪魔のほうは枠ないんか〉

〈前回と同じやりかたなのねw〉

〈ツッコミ担当の妹悪魔〉

〈続き待ってた〉

〈よかったレイラ嬢もいる〉

〈悪魔兄妹コラボ!〉

〈実況と進行の兄とリアクションとツッコミの妹〉

〈強制連行で草〉

 

 本日の配信はDMやアーカイブのコメントでも続編が待たれていた『admini(アドミニス)strator(トレーター)』をやっていく。

 

 前回やった時、ちょっとしたハプニングで自分の名前を呼ばれたと勘違いした礼ちゃんが僕の部屋に入ってきた。礼ちゃんは『administrator』をプレイしたことがあり、僕と礼ちゃんのゲームの進め方にはかなり違いがあったそうで、おもしろそうだからという理由で僕の配信に途中参加したのだ。

 

 僕の配信を観ているリスナーさんには、礼ちゃんの配信を観ることが多い眷属さんも大勢きてくれている。せっかく『administrator』の続きをプレイするのだから、どうせなら前回と同じように礼ちゃんにも同席してもらおうと思って誘ったのだ。僕が淡々とシナリオを進めることもあって、礼ちゃんのリアクションがほしいという声もたくさんあった。僕からは出てくることがない賑やかな反応とツッコミ役としての抜擢である。

 

 礼ちゃんがいてくれると、しっかり拾ってくれるという安心感から僕も悪ふざけしやすい。きてくれてよかった。

 

「さて、それではさっそく始め──」

 

「お兄ちゃん」

 

「──させてもら……礼ちゃん、どうしたの? まだ何か言っておきたいことあった?」

 

「お兄ちゃんはストーリーの続きをしっかり憶えているかもしれないけど、前回の配信からそれなりに時間が経ってるでしょ? どんなお話だったか忘れちゃってる人もいるだろうし、今日初めて観にきたよーって人だとストーリーがわからないからさ。軽くおさらいしておいたら?」

 

〈前回はモール終わったとこだったか〉

〈ちょいちょい忘れてんな〉

〈レイラ嬢たすかる〉

〈お嬢ありがとう〉

〈みんながみんな何周も観てるわけじゃないもんね〉

〈前回のまだ観てないから助かります〉

 

 失念していた。礼ちゃんの言う通りだ。前回の『administrator』配信から意外と日が経ってしまっているし、初めて観にきたという人もちらほらコメントしてくれている。危うく観にきてくれたリスナーさんを置いてけぼりにしてしまうところだった。

 

 さすが礼ちゃん。よく気が回る。

 

「なるほど。たしかにそうだね。教えてくれてありがとね。やっぱり先輩は頼りになるなあ」

 

「えっ? べ、べつにそんなことないよ。お兄ちゃんより先に私が気づいたってだけだし……。……えへへ、先輩……」

 

〈悪魔は人間の記憶力を過信してる〉

〈レイチェルがかわいかったってことしか覚えとらん〉

〈さすが先輩!〉

〈そういえば先輩なんだよなw〉

〈レイラ先輩かっけーっす〉

〈かわいい〉

〈かわいすぎ〉

〈えへへかわいい〉

〈先輩かわいい〉

 

 ということで、しばしざっくりとした説明の時間を作った。

 

「主人公が目覚めた時には、もうすでに街は元人間様で溢れかえっていたのです。それはそれとして我関せずとばかりに自室を漁っていました」

 

「街がゾンビに襲われてるのに気にせずにマイペースに漁るあたり本当にお兄ちゃんって感じだね。漁るって言わないで」

 

「すると知り合いらしい主任研究員さんからお電話がかかってきました。なんでも、研究員さんは仕事で手が離せない。でも街がこんな状態だと不安だから、娘を連れてきてくれないか、と。こんな得体の知れない主人公に娘を託すだなんて、なんて親なんだろうと思った僕は、最初はぜんぜんスルーしようとしていたのです」

 

「その内容の話を聞いてスルーっていう選択肢を選べるんだ……」

 

「しかし、研究員さんは言ったのです。『礼ちゃんはきっと一人で心細い思いをしているはず。守ってやってくれないか』と」

 

〈でたw〉

〈あったw〉

〈ぜんぜんレイチェルだったんだよなw〉

〈草〉

 

「レイチェルね? 私は出てきてないよ。レイチェルだからね。みなさーん、レイチェルですー」

 

「礼ちゃんが不安がっている……? ならば、お兄ちゃんが守らなければいけない。そう思った僕はすぐに向かおうとしたのですが、先にお隣さんとの騒音問題を片づけろとシステムがうるさかったので仕方なくお隣さんの部屋で問題を解消し、意気揚々と礼ちゃんを迎えに行きました」

 

〈これお嬢おらんかったら真実がわからんなるぞw〉

〈お兄ちゃんが過ぎる〉

〈空耳で草〉

〈お隣さんは見捨てられたのだ〉

 

「捏造されてるなあ……。ストーリーというか、記憶が改竄(かいざん)されてるんだよね……ここまで詳細に憶えているのに。ていうかお隣さんとの騒音問題ってなに? そんなの私は記憶にないんだけど……」

 

「物音がするからお隣さんの様子を見てこいって感じのタスクだったね。このゲームがどういうものなのかを説明するチュートリアルみたいな感じのものだよ」

 

「ああ! あったあった! お隣さんを助けるみたいな選択肢があった記憶が」

 

「すぐに研究員さんのお家に向かいたかったからどっちも撃ったんだけどね」

 

「人まで撃ってるの?! せめて撃つのはゾンビだけにしなよ!」

 

〈あったあったw〉

〈くそ笑ったわ〉

〈フリックで綺麗にヘッショだった〉

〈頭ど真ん中だったからなw〉

〈殺意しかなかった〉

 

「僕がお隣さんの部屋に向かった頃にはすでに手遅れだったみたいだから、安全確保しなきゃと思って。ほら、映画とかではゾンビに噛まれるとゾンビになる、みたいなのあるでしょ? 確死は取れる時に取っておかなきゃ」

 

「考え方はわかるけど……でも先に一番大きな理由を白状しちゃってるんだよね。レイチェルに早く会いに行きたかったからっていう」

 

「……まあ、そうだね。結果的に元人間様にやられちゃってたから、人間様からは〈死体撃ち〉って言われちゃったよ」

 

「あははっ、たしかにっ。死体撃ちだ。マナー違反だよ、お兄ちゃんっ」

 

〈漁るしフレンドリーファイアするし〉

〈死体撃ちしてたw〉

〈チーミングとか言ってたの思い出した〉

〈キャラコンはあの時からすごかったけどw〉

 

「しっかり謝ったからお隣さんも許してくれているよ、きっと。そしてそんなこんなでアパートを出て、研究員さんお家に急行したのです」

 

「道中でも頼み事とかされたでしょ?」

 

「そうそう。たくさん言われたよ。小学校が孤立してるから生徒たちを助けるのに手を貸してくれだとか、子どもがまだ家にいるのに近くにゾンビがいて助けに行けないから手伝ってくれだとか、避難所になっている学校を守るのに協力してくれだとかって」

 

「結果はわかってるんだけど、一応訊いておくね? お願い受けた?」

 

「一つも受けてない。受けるつもりは微塵もなかった」

 

「うん。だと思った」

 

「あまり長く引き留めてくるようなら、いっそのこと撃っちゃおうかとすら思った」

 

「やめてあげてよ!」

 

「礼ちゃんを迎えに行くという僕の崇高な目的を邪魔するなんて、もしかしてこの人、敵なのかなって思って」

 

〈考えずに断ってたからな〉

〈まじで第一回のアーカイブ観たほうがいい〉

〈悪魔のピストルは引き金が軽いから〉

〈セリフ覚えてるコアリスナーいて草〉

〈敵認定まで早すぎるw〉

 

「あまりにも目的に一心不乱すぎる……。ちなみにあのお願いを受けてたら銃の弾とか回復アイテムとかもらえたんだよ?」

 

「いらないかな、って。使わないから」

 

「使うよ! ゾンビゲーで使わないことないでしょ!」

 

「しっかりと銃を撃ったのって……アパートのお隣さんの部屋で二発と、この後に行くことになるショッピングモールでワンマガジン(ワンマガ)撃ったくらい、かな? ショッピングモールでは使う必要もなかったし。実質二発となると、弾はいらないよね。投げ物があったら嬉しいくらいかな」

 

「回復アイテムも持ってたら安心でしょ」

 

「使わないからいらないよ。荷物になっちゃう」

 

「回復アイテムのこと邪魔者扱いしないで! ふつうは使うのっ!」

 

〈実際使ってねーもんなw〉

〈いまだにノーダメ継続中〉

〈荷物草〉

〈回復アイテムは重り〉

〈RTAかよw〉

〈勝手に回復なし縛りしてんのかw〉

 

「今のところ銃の弾より投げ物より一番使ってないよ、回復アイテム。小さい礼ちゃんの休憩には使えたから、ありといえばありだけど」

 

「いつ攻撃喰らうかわからないのに、なんであげるかなー……。でも、お兄ちゃんのルート取りに影響がないからここでネタバレしちゃうけど、お願い事を受けてたらレイチェル(さら)われちゃうんだよね」

 

「やはり僕の判断は正しかった」

 

「結果的に血も涙もない選択が正しいのが救われないよね」

 

〈そういや唯一の回復あげてたなw〉

〈喉渇いてるだろうからっつってなw〉

〈振り返ると覚えてるもんだな〉

〈インパクト強えのよ〉

〈ルート条件そうなんだ〉

〈ちなみに一回目から通るようなルートではない〉

〈悪魔の配信楽しみたくて他の配信は観てなかったんだよな〉

〈これがお兄ちゃん力〉

〈ほかを切り捨てる判断が早すぎて草〉

 

「礼ちゃんが一番大事だからね。他の何よりも優先するんだよ」

 

「そう言ってくれるのは私はとってもうれしいけど、今お兄ちゃんが言ってる『礼ちゃん』は『レイチェル』であって私じゃないんだよね」

 

〈てぇてぇ〉

〈なんだかんだ悪魔兄妹が正義なんよ〉

〈てぇてぇなぁ〉

〈愛が深いんだ〉

〈草〉

〈レイチェルで草〉

〈お兄ちゃん……〉

 

「……さて、そうして一直線に研究員さんのお家に行きました主人公ですが、世の擾乱(じょうらん)に乗じて強盗が入っていました。なんと恥知らずなのでしょう。人と人とが助け合わないといけない非常事態だというのに」

 

「お願いをぜんぶ拒否してきたお兄ちゃんが助け合いとか言うと、言葉の重みが違うよね」

 

〈強盗のシーンはリスナーの心が一つになった〉

〈全員がやってよしだったからなw〉

〈たすけ、あい?〉

〈?〉

〈助け合いとは?〉

〈草〉

〈妹悪魔の正論パンチ〉

〈鋭い皮肉が刺さったw〉

 

「くふっ……ふふっ、たしかに。言葉の重みが違うね。軽いって意味だけど。えー、そして強盗は先手必勝で打ちのめし、どうにか小さい礼ちゃんを救い出すことに成功したのです」

 

「小さい礼ちゃんやめて。打ちのめしって、いや、お兄ちゃんなら間違ってないか。きっと頭一発で撃ちのめしたんだろうしね」

 

「うん? 銃は使ってないよ?」

 

「え? そうなの?」

 

「当たり前だよ。暴漢のすぐ近くに小さい礼ちゃんがいたんだから。すぐ間近で頭弾いたらびっくりしちゃうよ」

 

〈そういや銃使ってないんだよな〉

〈銃なくても強かった〉

〈サンドバッグだった〉

〈いっそ可哀想に見えるくらいフルボッコだったなw〉

〈気遣いがすごすぎる〉

〈自分の命よりもレイチェル〉

〈銃使えば一発だったもんな〉

 

「やさしっ……ほんともう、守る対象とそれ以外とで扱いの差がとんでもないよね、お兄ちゃんは」

 

「優先順位を決めることが判断の速さに繋がるんだよ。そういえばこの後くらいに礼ちゃんが合流したんだったね」

 

「だった、かな? 名前を呼ばれたから部屋に入ったら『本物の礼ちゃんだ』って言われて、なにを言ってるんだろうって思ったよ。偽物がいたのかよ、って思ってたんだけど、ある意味では偽物がいたね」

 

〈妹悪魔には別格に優しい〉

〈お嬢には吐くほど甘いからw〉

〈愛がすごい〉

〈てぇてぇ〉

〈合流おもろかったw〉

〈ふつうに配信に加わってたよねw〉

 

「偽物なんて呼ばないであげて。レイチェルは在りし日の礼ちゃんだよ」

 

「あんなにわがままじゃないし。それに好き嫌いもなかったし」

 

「そうだね。ニンジンとピーマンが苦手だっただけで」

 

〈ニンジンきらいっ〉

〈ピーマンやだ!〉

〈ニンジンきらいっ〉

〈ニンジンきらい!〉

〈ピーマンやだっ〉

〈ここのリスナーアーカイブ何周しとんねんw〉

 

「んああっ!」

 

「やめっ、暴れないで礼ちゃんっ……」

 

「私のほうが優位なことを忘れないでもらおう。たしかレイチェルのお家の中を見て回って、それから研究所に向かったんだったね。車を使えないから徒歩で」

 

〈草〉

〈んあー!〉

〈お嬢暴れるw〉

〈むああかわいw〉

〈ところで二人はどうやって今配信を〉

〈てぇてぇ〉

〈また膝に乗ってるのかなw〉

〈強くてくさ〉

 

「多くの自動車が横転してしまっており、道が塞がっていたのです。そのせいで小さい礼ちゃんには過酷な道のりになってしまいますが、徒歩で向かうことにしました」

 

「その途中でね。問題が発生したんだよね」

 

「……問題?」

 

「どうして忘れられるの? 途中にあったガンショップなんか見向きもせずにアパレルショップに寄ったこと、なかったことにはならないよ」

 

〈おめかしや〉

〈あのデートのやつねw〉

〈あれはアパレルショップが正解だったからw〉

〈ゆきねさんの手描き切り抜きよかった〉

 

「ああ、おめかしのシーンか。あれは問題じゃないよ。選択肢一つしかないみたいなものだったし。説明いたしますと、ガンショップとアパレルショップのどちらに入るかの選択の前に、レイチェルが肩を抱いて凍えていたのです。周りの服装を見るにゲーム内の季節は冬のようで、しかしレイチェルの部屋には強盗犯が転がっていましたからね。パジャマから着替えることもできずに家を出てしまっていたのです」

 

「服抱えて部屋の外で着替えればいいじゃないって話だよね」

 

「研究所までの道のりは長い。それなのに小さい礼ちゃんに寒い思いなんてさせられません。なので、アパレルショップでお洋服を見繕ったわけです。せっかくなのでお洒落に着飾ってもらいました」

 

「ほんっとうに悔しいけどあの格好はとんでもなくかわいかったよ。そのレイチェルのかわいい姿はすぐあとに出てくるので、リスナーさんは楽しみにしててくださいね」

 

〈あの一瞬はアイドルゲーだった〉

〈お嬢もノリノリだったよw〉

〈なんなら一番テンション高かったのお嬢w〉

〈楽しみ〉

〈コーディネートめっちゃ凝ってるんだよな〉

 

「アパレルショップでのやり取りは僕の切り抜き師をしてくれているめろさんが動画を投稿してくれてますし、手描き切り抜きを描いてくれているゆきねさんのほうだと、僕と礼ちゃんがお願いしたゴシックロリータ姿やストリート系ファッションも描いてくれています。概要欄にリンクもありますのでぜひそちらからどうぞ」

 

「すっごくかわいいから今日の配信を観たあと、時間があれば観てみてくださいね。そこから鬼門のショッピングモールだったね」

 

〈悪魔兄妹が好きならメロニキとゆきねさんはチャンネル登録しておくべき〉

〈配信みて切り抜き観て忘れてきた頃に手描き切り抜きくるから三度美味しい〉

〈まじで切り抜き師レベル高い〉

〈観てみよ〉

〈サポート体制万全なんだから〉

〈イラストのクオリティやばかった〉

〈ショッピングモールw〉

〈惨劇の地ね〉

 

「そう。小さい礼ちゃんにお着替えしてもらったあとは、イベントムービーでショッピングモールへと強制的に運ばれたのです。そこには無数の元人間様たちがウィンドウショッピングを楽しんでらっしゃいました」

 

「あははっ、ウィンドウショッピングやめてっ。あははっ、それっぽく思えてきちゃうからっ」

 

〈ウィンドウショッピング草〉

〈のんきw〉

 

「ピストルとナイフで敵う相手ではない、そう判断してなにか抜け道はないだろうかと捜索しました」

 

「ふふっ、最初はもう詰んだと思ったよね」

 

「本当にね。僕だって諦めかけながら、この制作会社様ならそんな無慈悲なことはしない、って自分に言い聞かせて探してたくらいだし」

 

〈ピストルとナイフでどうにかできる数じゃなかったねw〉

〈アサルトライフルでもむずいからな〉

〈防具もないし〉

〈レイチェルの装備だけ充実していくの笑ったわ〉

 

「そうやってお兄ちゃんが一生懸命探してるとマネキンを見つけたんです。ポンチョを着たマネキンを」

 

「その前から元人間様は少なからず知能を有しているのではないかと疑っていた僕は、そのポンチョとマネキンにヘイトを集めればいいのでは、と思いつきました」

 

「お兄ちゃんとレイチェルが入ったショッピングモールの中央には大きな広場があったんです。そこにゾンビたちを集めてスモークグレネードで一旦姿を消す。マネキンにポンチョを返してマネキンは広場の中央に置いて、お兄ちゃんはその場を離れました」

 

「スモークグレネードの煙が晴れると元人間様はマネキンに駆け寄っていったので、集まったところをグレネードで一網打尽にした、という顛末(てんまつ)です。こうしてどうにかショッピングモールを抜けることに成功したのでした」

 

〈あの閃きまじすごかった〉

〈考察刺さってた〉

〈序盤で気づいてたのまじ悪魔だわ〉

〈他のルート知らんくて気づくのはびびった〉

〈広場はお祭りでしたねw〉

〈盛り上がってた〉

〈ライブ会場だったからw〉

〈血祭りだったよ〉

 

「惨劇って呼ばれてたけどね。そのあとも酷かったよ。そう! リスナーさん、聞いてくださいよ! お兄ちゃん、レイチェルと別行動する時にわけわかんないことに回復アイテム渡してたんです。それも十分おかしいんですけど、そのあと薬局で回復アイテム補充できそうだったのに、レイチェルの朝ご飯がまだだからっていうわけわかんない理由でフードコート行ったんですよ?!」

 

「わけわかんなくないよ。研究員さんのお家にも食べ物なかったし、僕も飲み物しか持ってなかった。小さい礼ちゃんは水分補給しかできてなかったんだよ? 育ち盛りでそれはあまりにかわいそう。健やかな成長を義務づけられている小さな礼ちゃんに朝ご飯を食べさせてあげるのは、僕の責務だったんだよ」

 

〈レイチェルはあの惨劇を見てないからな〉

〈貢いでたw〉

〈あの死体の山見てたら飯なんか喉通らんw〉

〈フードコート直行やったな〉

〈ドラッグストアなんか目にはいってなかったw〉

〈草〉

〈水分補給w〉

〈いらんねん回復なんか!〉

〈減らないからな体力〉

〈めちゃくちゃお兄ちゃんで草〉

 

「わけわかんないっ! レイチェルと主人公は親しいのかもしれないけど他人だよ!」

 

「でも小さい礼ちゃんと僕は兄妹だよ」

 

「レイチェルとお兄ちゃんは兄妹じゃないよっ!? 勝手に妹作らないで!」

 

「す、すごいセリフだ……『勝手に妹作らないで』」

 

〈草〉

〈それはそう〉

〈草〉

〈勝手に兄妹になるなよw〉

〈パワーワードw〉

〈レイラ・エンヴィ「勝手に妹作らないで」〉

〈愛が減っちゃうもんな〉

〈てぇてぇ〉

〈てぇてぇんだけどなんか笑う〉

 

「お兄ちゃんはすぐべつの妹作ろうとする。そうだリスナーさんっ!」

 

「待って? ちょっと待って礼ちゃん? なんの話をしようとしているのかな?」

 

「前映画観に行った時の話」

 

「礼ちゃん? しなくてよくない? だって今日の配信、雑談じゃないんだからね?」

 

〈前にもあったみたいな言い方〉

〈なんの話?〉

〈妹作ろうとしてたのか?!〉

〈えいが?〉

〈お嬢が雑談で話してたやつか〉

〈悪魔兄妹とゆきねさんで映画観に行ったって話〉

〈こっから雑談でも一向にかまわない〉

〈くわしく〉

 

「私を呼んだ時点でこれは既定路線。素直にゲーム配信ができると思ってること自体が間違いなの。それにお兄ちゃん、リスナーさんに映画観に行った話ってしたの? してないよね?」

 

「し、してないけど……。結局まだ一度も雑談配信はしてないし……」

 

「いつもの配信のあとにでもちょろっとでもいいからしてあげたらいいのに。前に私が雑談で触れた時、悪魔兄妹で推してくれてるリスナーさんたちが驚いてたよ。兄悪魔のほうではそんな話一切聞かなかった、って」

 

「い、いやあ……人間様はそんな話興味ないかなーって思って……」

 

〈これを望んでるまである〉

〈二人のお喋りならずっとききたいが〉

〈ゲームそっちのけで草〉

〈まだタイトル画面から動いてないんですよね〉

〈映画の話聞いてません!〉

〈レイラ嬢言ってやってくれ〉

〈雑談も結局ないよな〉

〈ロロさんとのコラボでは言ってたのに〉

〈ロロさんとこで雑談させてもらうかw〉

〈興味あるわ!〉

〈してくれよ!〉

〈需要しかないんだから!〉

 

「推しがなにしてるとか、遊びに行ったとか、そういうのオタクは聴きたいもんだよ! 私ならそう! だからきっと他のオタクもそう! でもリスナー側からは言えないの! プライベートの詮索はマナー違反だから! お兄ちゃんが一回もリスナーさんから訊かれてないってことは、お兄ちゃんのところのリスナーさんはしっかり自制してくれてるんだよ! だからお兄ちゃんから話せるところは話してあげなきゃダメなの!」

 

〈助かる〉

〈オタクの必須栄養素なんだから〉

〈レイラ嬢ありがとう〉

〈もっと言ってやってくれ〉

〈そうなのよ〉

〈言えないのよ……〉

〈そういう話は毎秒ほしい〉

〈まったくきいてない〉

〈お嬢からのリークw〉

〈映画なに観に行ったんだ〉

〈兄悪魔からはその手のプライベート話まったく出てこん〉

〈妹悪魔ありがとう〉

〈言ってくれてありがとうございます〉

〈話してくれるのを待つのがリスナーのあるべきスタンスだから〉

〈少しでも話してくれたらうれしいよ〉

 

「そ、そうなんだ……。そっか、我慢させてたんだ」

 

「べつになんでもかんでも話したらいいってわけじゃないけど、話せる範囲で『こんなことがあったんだよ』って話してもらえたら、リスナーはうれしいよ。少なくとも私はうれしいもん」

 

〈がまんってわけじゃないよ〉

〈話してくれたらうれしいってだけだよ〉

〈お嬢の言う通り〉

〈レイラ嬢がリスナーの代弁者すぎる〉

〈ぜんぶ言ってくれる〉

 

「なるほど……。僕の想像力の欠如によって人間様にはご負担を強いてしまっていたようです。申し訳ございませんでした」

 

〈ちがう……ちがう……〉

〈謝らせたいわけじゃないんです〉

〈知りたいっていうオタクのエゴだから気にしなくていいんだ〉

〈話せる時に話してくれたらいいなってそれだけよ〉

〈謝ることじゃないよ〉

〈そんな重い話じゃなああああい!〉

〈身バレとかも怖いし話さなくてもいいし話せる範囲で話してくれたらうれしいってだけなんだ〉

 

「ふつうは雑談とかだと、最近こんなことがあってー、みたいなのを話題にするけど、お兄ちゃんの場合は引き出し多すぎてそういうのを話題にしなくてもお喋りできちゃうからね。人間界調査用の姿がばれちゃう可能性もあるから、そういう話は避けようってなるのもわかるよ。最初に事務所からも気をつけるように言われるし」

 

「もちろんリスクのほうも考えたけど、それ以上に需要があると思ってなくて……。どうでもいい話を長々とされても人間様も迷惑だろうし、って」

 

「んー……お兄ちゃんはリスナー目線を持ってないっていうのもあるけど、なによりも問題なのは自己肯定感の低さだよね。やっぱり定期的にロロさんとコラボして、リスナーはなにを求めているのか直接言ってもらったほうがいいのかもしれないね」

 

〈雑談待ってる〉

〈やりたい時にやりゃいいのよ〉

〈ロロさんとの雑談コラボおもろかった〉

〈話広げるのうまいんだもんな〉

〈身バレは気をつけてほしいしね〉

〈需要ある〉

〈需要しかない〉

〈兄悪魔はもっと自信持ってええぞ〉

〈傲慢も担当していけ〉

〈ロロさんは必要だった〉

〈口でか厄介リスナーだけどロロは役に立ってたんだなよかった〉

 

「ロロさんは直接的に言ってくれるからとても助かるんだよね。あ、その件で人間様にご報告を。事務所のスタッフさんと相談いたしまして、収益化とメンバーシップ開設を決定しました」

 

〈やったー!〉

〈ロロさんありがとう!〉

〈ロロさんが言ってくれたおかげだ!〉

〈役に立ってるじゃんロロ〉

〈今まで収益化してなかったのか……〉

〈収益化してなかったんだよね〉

〈メンシまで!〉

〈絶対入る〉

 

「やったーっ! いつするの?!」

 

「な、なぜ礼ちゃんが……え、メンバーシップ入るの?」

 

「入るよ! あたりまえじゃん! 一番最初に入る! で? いつするの? 前もって言っといてもらわないと初スパチャと初メンシ私が取れないんだけど」

 

〈妹悪魔スタンバイ〉

〈初スパ狙っとるw〉

〈両取りする気で草〉

〈いつから強欲まで担当したんだw〉

 

「どうしてそこまで前のめりなのかわからないけど……まだ詳しい日取りは決めてないんだ。収益化とメンバーシップは同時にやりたいと思ってるんだけど、収益化するのなら最初くらいは収益化に見合うような配信をしたいと思ってて、今いろいろ計画を立てているところなんだよね」

 

「えーっ! 計画?! なにそれ?! 私そんな話聞いてないよ!」

 

「そりゃそうだろうね。言ってないもの」

 

〈収益化あわせる必要ないでしょ〉

〈そんなに意気込んでやるもんでもないよ収益化〉

〈気楽にやってくれ〉

〈こっちは推しに感謝を送ってるだけなんだから〉

〈スパチャさせろー〉

〈もっと軽率に収益化しろ〉

〈そんなかしこまることないよ〉

〈配信は慈善事業じゃないんだから金もらえ〉

〈貢がせろー!〉

〈お嬢も知らんかったんか〉

〈レイラ嬢にも内密に?〉

 

「なんでよっ! 教えてくれてもいいじゃんっ!」

 

「だめ。内緒。きっと礼ちゃんなら僕の収益化の配信も観にきてくれるんだよね?」

 

「当然。三日寝てなくても観るよ」

 

「さすがにそんな状態だったら観る前に寝てほしいけど……」

 

「ごめん嘘。しっかり目に焼きつけたいからコンディション整えて準備万端にして観る」

 

〈妹悪魔にまで教えないとは相当だな〉

〈どんな配信するんだ〉

〈もしかして歌とか?〉

〈期待高まる〉

〈詮索するのはNGだよな〉

〈その日を楽しみにしようぜ〉

〈三日w〉

〈それは寝てw〉

〈ぜったい記憶残らんてw〉

〈心配なるわw〉

〈お兄ちゃんさんガチ勢〉

〈正味それはそう〉

〈記念すべき日だからな〉

〈体調整えてしっかり観たいもんね〉

 

「そこまでやられると逆にプレッシャーが……。でもそうやって配信を観てくれるんなら人間様もそうだけど、礼ちゃんのことも驚かせたいからね。教えちゃうと驚きが減っちゃうでしょ? だから黙ってたんだ。サプライズにしたいからね」

 

「んーっ! もうっ……好きっ!」

 

「うん。僕も好きだよ。あとはメンバーシップの特典の内容とかスタンプとかをスタッフさんと詰めてるところなんだ」

 

〈レイラ嬢にもサプライズにするんだ〉

〈お嬢大事にされとるね〉

〈しっかり考えてんだな……〉

〈リスナーのことめっちゃ大事にするやん……〉

〈すきw〉

〈シンプル好きw〉

〈告白草〉

〈兄は兄であっさり返す〉

〈照れたりもしないあたりガチです〉

〈悪魔兄妹しか勝たんわ〉

〈てぇてぇなんてもんじゃに〉

〈メンシは準備いるわな〉

〈楽しみすぎる〉

 

「特典かー。メンシ限定配信とかの内容をってこと?」

 

「そっちも相談はしたけどね。メンバー限定の配信は僕がやることだから、そっちはそこまで深く気にしてないんだ。それよりもスタンプとかの相談だったね。スタンプは僕にはどうしようもできないから」

 

「お兄ちゃんの絵は……あれはあれで味があるんだけどね」

 

「味、っていうか雑味だよね」

 

「くふっ……ふふっ、雑味じゃないよ。どちらかというと珍味かな? 数十年後か数百年後くらいには評価されるんじゃないかな?」

 

「つまり現代の価値観ではごみということでは……」

 

〈限定配信なにするんだろ〉

〈雑談の希少価値あげようぜ〉

〈メンシ限定で雑談しようw〉

〈兄悪魔の雑談は価値あるな〉

〈いまだにコラボで一回しか雑談してないからな〉

〈スタンプか〉

〈依頼だよな〉

〈ゆきねさんがやってくれそうw〉

〈ゆきねさんという最強の味方がおる〉

〈兄悪魔はセンスが……〉

〈アイクリの家はひどかった〉

〈芸術的な感性がしんでもうとるんや〉

〈そこまで言うほどなのか〉

〈逆に見たい〉

〈いっそそれスタンプにしようぜw〉

〈お兄さんが描いちゃえw〉

 

「時代が追いついてないだけだよ。それで? スタンプは依頼するんだよね?」

 

「そうだね。誰に依頼出すかは僕が決めていいって言われたから、今はいろんなイラストレーターさんの絵柄を見させてもらってるところだね」

 

「リスナーさんも言ってるけど、ゆーに頼む? たぶんゆーなら喜んで引き受けると思うけど」

 

「ゆーさんはだめだよ。今でも忙しいのにこれ以上お願いはできない」

 

〈お兄さんの芸術に触れるには現代の人間では未熟だったか〉

〈一つ二つくらいでいいから描いてくれんかなw〉

〈絵師名乗り出たら採用されるかもよ〉

〈ゆきねさん適任でしょ〉

〈ゆきねさんなら誰も文句言わんな〉

〈リスナーなら全員ゆきねさんの絵知ってるし〉

〈そうだった……〉

〈お嬢と同じく学生だった〉

〈考えたら受験勉強しつつ手描き切り抜きやるってやばい人だな〉

〈こちらイラスト描けます〉

〈ゆきねさん忙しかったか……〉

〈すぐ納品できます〉

〈わたし無償で渡せますが!〉

〈なんだここ絵師多いんか?〉

 

「んー……まあ、たしかに……。ゆーには勉強しといてもらわないといけないから……。それなら裏をかいてママに頼むってのはどう?」

 

「裏をかくって何なの……。ママっていうと、小豆真希母上?」

 

「一度駄目元(だめもと)でお願いしてみようよ。スケジュールに余裕があったら受けてくれたりしないかな?」

 

「母上も母上で多忙を極める人らしいから難しいんじゃないかな……」

 

〈ゆきねさんはお勉強か〉

〈お嬢と同じなら受験生だもんな〉

〈ママ?!〉

〈てことは小豆先生?〉

〈今一番仕事抱えてるイラストレーターじゃない?〉

〈予定詰まってそう〉

〈めちゃくちゃ忙しい人でしょ〉

〈『小豆真希』やります。描かせてください〉

〈無理そうで草〉

〈さすがに厳しいんじゃないかなw〉

〈え〉

〈え?!〉

〈かたり?〉

〈本人なのこれ〉

〈本物?〉

 

「えっ?! こ、これ……うそ、本物? 本人なの?」

 

「……母上?」

 

「お、おに、お兄ちゃん! ちょっ、ちょっと待っててっ! リスナーさん私ちょっと席外しますね!」

 

「……あはは、礼ちゃんが確認しているみたいなので、少々お待ちください。しかし、え……母上? 本当なのかな? 母上ご本人なら、僕のデビューについてご迷惑をおかけしてしまって本当に申し訳ございませんとお伝えしたいところではありますが……」

 

〈ママ配信観てんのかw〉

〈なんでROMってんですかw〉

〈コメントしてくださいよw〉

〈ママも観てます〉

〈お嬢離脱で草〉

〈確認ってどうとるの?〉

〈本物?〉

〈悪魔に責任はねーでしょ〉

〈あんなんもらい事故やんけ〉

〈被害者なんだから気にすんな〉

〈『小豆真希』あなたのせいじゃないんですから謝らないで。私も助けることができなくてごめ〉

〈悪いのは荒らし定期〉

〈荒らしてた馬鹿どもが悪い〉

〈まま……〉

〈そうだ謝るな悪魔〉

〈ママ途中で切れてます……〉

〈ママも大変でしたよね〉

〈勝手なこと言う奴らが多すぎるんだよ〉

 

「本当ならもっとお話とかもしたかったんですけどね。母上のお仕事について触れたり……そういえば最近画集出されてましたよね。買わせていただきましたよ。イラストについて僕は詳しくはありませんが、それでも圧倒されるような迫力がありました。とても素晴らしい画集でした。ネット販売もありますし、ネットのほうだと収録されている作品をいくつか観ることもできますので、興味のある人間様はぜひご検討くださいませ」

 

〈お嬢以外と配信できんかったからな〉

〈同期とすらコラボできないって異常だったよ〉

〈今もイーリイさん以外は厳しいけどね〉

〈画集?〉

〈小豆真希先生の画集買いました!〉

〈めっちゃよかったぞ〉

〈『小豆真希』ありがとうございます。言っていただけたらお送りしましたのに〉

〈見たくなるわw〉

〈営業か?w〉

〈口がうまいんだ〉

 

「ただいまーっ!」

 

「はい、おかえりなさい」

 

「本物です! 本人でした!」

 

「やっぱり本当に母上だったんだ……。モデレーター権渡しておきますね。ところで、礼ちゃんはどうやって確認したの?」

 

〈お嬢元気に帰還〉

〈おかえりー〉

〈おかえりなさい〉

〈レイラ嬢おかえりなさいませ〉

〈このテンション本人だったのか?〉

〈まじで本物で草〉

〈小豆ママ配信観てくれてるんだな〉

〈がちで本人w〉

〈どうやって確認したのw〉

 

「んー、本人から許可もらったしいっか。……騒動も終わったわけだし隠す理由もなくなったんだよね……。ゆーが小豆真希先生の妹だから、直接確認してもらったんだよ」

 

「そうなんだ?!」

 

「あれ? お兄ちゃん知らなかったんだ?」

 

「うん……。御姉妹で創作活動をされてるのは知ってたけど……」

 

〈そうだったんだ?!〉

〈悪魔も知らんかったんかw〉

〈ゆきねさんのお姉さんなのかよw〉

〈小豆先生の妹だったのかw〉

〈やけにイラストうまいと思ったよ〉

〈てことは姉妹で関わりあんのかすげーな〉

 

「そういえば名前まで教えてなかったっけ? そうなんだよね。でも言ってみるもんだね。ママに描いてもらえるなんて」

 

「それはそうなんだけど、でも本当に大丈夫なのかな? お忙しいはずだけど……」

 

〈ママ忙しいけど仕事が早いことでも有名〉

〈今は同人の作業もあるはずだしな〉

〈確実に忙しいはずだけど〉

〈『小豆真希』任せてください。完璧に仕上げます〉

〈時間あるのかな?〉

〈ママ!〉

〈小豆ママ心強すぎる〉

〈コンペ勝てない〉

〈小豆先生と競争は無理か……〉

〈メンシスタンプめっちゃ豪華やんw〉

 

「ゆーから小豆先生はめちゃくちゃ筆が速いって聞いたことあるよ」

 

「んん……それなら、ご本人から言ってもらえたわけだし、母上を頼らせてもらおうかな。母上、あとで連絡させてもらいますね」

 

「スタッフさんにも話しておかなきゃね、お兄ちゃん」

 

「そうだね。……まさか人間様に進捗の報告をしたら、母上にスタンプ描いてもらえることになるとは思わなかったな……」

 

「やっぱり言ってみるもんなんだよね。……あれ? もともとなんの話をしてたか忘れちゃったなあ……」

 

「もともとの話をするなら、今日の配信は雑談じゃなくて『administrator』配信なんだよね」

 

「きゃははっ、忘れてたっ!」

 

〈雑談でも構わん〉

〈そういえばアドミニ配信だったw〉

〈ほかに妹作ってた件は?〉

〈話が盛り上がりすぎるw〉

〈悪魔兄妹雑談強すぎで草〉

〈お嬢かわいい〉

〈声かわよ〉

〈ソロ配信では聴けない声w〉

〈兄悪魔といる時限定ボイスw〉

〈笑い方かわいすぎやろ〉

 

「忘れないで……。えっと、ショッピングモールのフードコートでレイチェルとご飯を食べてたところでしたね。モールを出たところで前回は終わったのでした。今日はその続きからとなります」

 

「前回の振り返りだけでこんなに時間かかるなんてびっくりだね」

 

「本当だよ。まさかこんなことになるだなんて。えー……それでは、長時間タイトル画面のままで大変お待たせしました。『administrator』始めたいと思います」

 

「始めまーす!」

 

 礼ちゃんの可愛らしい声で、ようやくゲームがスタートした。




ということで、次回から悪魔兄妹の『administrator』開始です。
あんまり長くはなりません。三話か四話分くらいかな? 
よろしくお願いします。


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『administrator』の続き

評価や感想ありがとうございます。やっぱりもらえるとうれしいです。
あとここすき機能を使ってくれてる人、誤字脱字等の報告をしてくれてる人にも感謝を。ここすき見るのおもしろいです。誤字脱字については本当にもう、何度読み返してもゼロにならないのでめちゃくちゃありがたいです。


 

 『admini(アドミニス)strator(トレーター)』の続きはイベントムービーから始まった。

 

「ほら! リスナーさん見て! レイチェルの服! めちゃくちゃ可愛いですよね!」

 

「前回の振り返りの時に話したお洋服です。小さい礼ちゃん、とても愛らしいですね」

 

「小さい礼ちゃんって呼ぶのやめて」

 

「やめない」

 

「んむあっ」

 

「礼ちゃん暴れないでっ……」

 

〈かわいい〉

〈うんwかわいいねw〉

〈お嬢がかわいくて草〉

〈レイラ嬢が一番かわいいw〉

〈めっちゃかわいいよな〉

〈外見だけは完璧なレイチェルだからな〉

〈まじでかわいい〉

〈お洋服気合い入りすぎだろw〉

〈また怒られてて草〉

〈やめないw〉

〈悪魔兄妹しか勝たんw〉

〈拒否したw〉

〈てぇてぇ〉

〈てぇてぇなぁ……〉

〈勝たんしか悪魔兄妹〉

 

 ショッピングモールを命からがら脱出した主人公とレイチェルの二人は、ゾンビの目を掻い潜るようにしてさらに歩みを進める。途中、ゾンビの数が多すぎて隠れて進むことができない道があったので、その道を迂回するように工場地帯に入った。

 

 工場地帯にはゾンビの数は比較的少なく、かつ姿を隠すような遮蔽物も多くあったので安全に進んでいたが、ここにきて見るからに怪しい第三勢力が現れた。

 

 暗い色彩の迷彩服に身を包み、その上からベストやアーマーなどを装備して、主人公とは比較にならないほど強力な銃器を持った集団。連携の取れた動きから察するに、この手の展開にはお決まりの特殊部隊だろう。

 

 主人公とレイチェルが逃げ込んだ工場地帯に第三勢力の特殊部隊の隊員たちも参戦してきた、というところでムービーが終了。主人公の視点になった。

 

「……きっとあの隊員さんたちも敵だよね?」

 

「さあ、それはどうだろ? お兄ちゃん次第じゃない?」

 

「むっ……礼ちゃんが含みのある言い方で誤魔化す。ということは、おそらくルートによってはあの隊員さんたちと共闘することもある、というところかな?」

 

「察しがよすぎるっ! 察しがよすぎるよお兄ちゃんっ! 私そんなネタバレになるようなこと言ってないよね?! ねえリスナーさん?! 私ヒントになるようなこと言った?!」

 

〈怪しくて草〉

〈確実に悪い奴らやん〉

〈敵かなー味方かなー〉

〈どっちだろうねー?〉

〈するどw〉

〈読み鋭くて草〉

〈大正解w〉

〈お嬢悪ないわこれw〉

〈お嬢は悪くないよw〉

〈相手が悪かったw〉

 

「これからは元人間様に加えて特殊部隊の隊員さんにも見つからないように進むことになるようですね。頑張ります」

 

「がんばってね、お兄ちゃん。大変だろうけど」

 

「隠れながら進めばいいだけでしょ? スニーキング系は普段やらないけど、見つからないようにするなら射線管理と考え方は同じだよね。さ、小さい礼ちゃん、気をつけて進もうね」

 

「今だけだよ、そうやって優しくできるのは。今のうちに小さい礼ちゃんとやらをかわいがってるといいよ」

 

〈隠れんぼがどこまで続くかな〉

〈兄悪魔なら行けそうな気はするw〉

〈ここ進める配信者見たことない〉

〈声優しすぎw〉

〈まじで声やさしいw〉

 

「大きい礼ちゃんのことは気にしないでいいからね。ゆっくり進んだらいいからね」

 

「私のこと大きいって言うのやめてよ! 大きい小さい以前に私しかいないよ礼ちゃんは!」

 

「あははっ、ふふっ」

 

〈お嬢辛辣で草〉

〈気持ちはわかるけどw〉

〈大きいレイちゃんw〉

〈草〉

〈それはそうw〉

〈大きいも小さいもないのよねw〉

 

 レイチェルの隣に立つと、レイチェルは主人公の顔を見上げながら小さな手を伸ばした。その手を包むように握る。手を繋ぎながら歩き始めた。

 

「わあっ……小さい礼ちゃん可愛いっ」

 

「ふ、ふんっ! はたしていつまでその優しい態度が持つかな?! その余裕がいつ崩れるか、楽しみだよ!」

 

「なんで急にそんな小悪党みたいなことを……」

 

〈かわいい!〉

〈かわいっ〉

〈レイチェルこんなにかわいかったんか〉

〈お嬢妬いとるやんけ!〉

〈あんまりレイラ嬢いじめないであげて〉

〈やられ役やw〉

〈いつ見限るか見ものではあるw〉

 

 レイチェルの手を引きながら、工場のパイプやコンテナで視線を切って進んでいく。

 

 礼ちゃんやリスナーさんはなにかのイベントを期待していたみたいだけれど、特にこれといってアクシデントが起きることもなく、順調に工場地帯を攻略していく。スニーキングやステルス系の要素もあったのかこのゲーム。

 

「…………」

 

「あっちから視線があって……こっちの元人間様が邪魔だから石ころ投げて、向こうに誘導して……よし。さ、小さい礼ちゃん行こうねー」

 

〈なかなか足止めないな〉

〈ずっとついてきてる〉

〈なんで?〉

〈ご飯食べたからか?〉

〈めっちゃ順調で草〉

〈射線管理技術が効いてる〉

〈判断早いな〉

 

「なんなの!」

 

「わあ。なんなのはこっちのセリフだよ。どうしたの、礼ちゃん。急に大きな声出して」

 

〈びっくりした〉

〈なん〉

〈びっくりしたw〉

〈なんだどうした?〉

〈兄悪魔なんで驚かんねんw〉

〈義務わあやめろw〉

〈わあ草〉

〈義務びっくりやんけw〉

 

 突然大声を出して怒りだした礼ちゃんに驚いて(たず)ねた。リスナーさんもびっくりしてしまっている。

 

「だって! だってこいつっ、お兄ちゃんといる時だけ素直に言うこと聞いてる!」

 

「こいつって言うのやめてあげて。……ん? 素直に言うこと聞いてる? どういうこと?」

 

「私がやってる時はレイチェルぜんぜん言うこと聞いてくれなかったの! こいつっ、人を見てる!」

 

「そんなことないでしょ。小さい礼ちゃんは頑張り屋さんのいい子だよ」

 

〈こいつ呼ばわりw〉

〈でもたしかに素直だな〉

〈めっちゃ言うこと聞いてる〉

〈もっと動き止まってたはずだけど〉

〈人見て指示に従うのは草〉

〈イケメンの指示には従うのか……〉

〈ほんなら俺の言うこと聞かなかったの納得だ……〉

〈カメラとマイク使うゲームだったのか〉

 

「お兄ちゃんに色目使ってるんだっ!」

 

「もっとないよ。どういうこと色目使ってるって」

 

「お兄ちゃんの好感度稼ごうとしてるんだっ!」

 

「僕がレイチェルの好感度稼ぐんじゃなくて、レイチェルが僕の好感度を稼ぐんだ……。斬新だなあ……」

 

〈色目www〉

〈相手子どもやぞw〉

〈そういえばこれだけ甘やかしてるのにロリコンっぽくないなこの悪魔〉

〈必死で草〉

〈兄悪魔は子どもが好きなんじゃなくてお嬢が好きなだけ定期〉

〈これはエンヴィです〉

〈嫉妬の悪魔w〉

〈レイチェルがデレてるな〉

 

 礼ちゃんが言うには、レイチェルはプレイヤーの言うことを聞かない我儘(わがまま)な子らしい。リスナーさんも礼ちゃんの言い分を支えるようなコメントをしていた。

 

 きっと礼ちゃんもリスナーさんも嘘をついてはいないのだろうけれど、主人公と手を握っているとっても可憐なレイチェルは一度も我儘なんて言ったことがない。僕が知っている限りのレイチェルの我儘は前回やった時の回想シーンにしか存在しなかった。

 

 どういうことなんだろうと考えて、一つの可能性に思い至る。

 

「この泥棒仔猫! お兄ちゃん離れたほうがいいよ! きっと貢がせようとしてるんだ!」

 

「お洋服なら貢いでるけどそんな子じゃないってば」

 

「ほら! 貢がせようとしてるんだ! 今すぐ別れるべきだよお兄ちゃん!」

 

〈泥棒こねこw〉

〈泥棒猫にしては小さいもんねw〉

〈草〉

〈かわいさ響いてるんだよなw〉

〈貢ぐってなんだよw〉

〈貢いでて草〉

〈服あげてたわw〉

〈悪い女に騙されてるのよ!〉

〈草〉

 

「別行動しろってことかな? 交際してるわけじゃないからたぶんそういうことだよね。いや別行動もしないけど。いくつか訊きたいんだけど、レイチェルが素直に言うこと聞かないっていうのは、具体的にどんな感じで?」

 

「具体的にって……ついてこいって指示してもついてこなかったり、急に視線の通る開けた道で立ち止まってしゃがみ込んだり、とか。逆に待てって言ったのについてきたりとかもあったかな」

 

〈完全に付き合ってるかのような言い方で草〉

〈歳の差いくつよw〉

〈ここで別行動は悪魔こえて人〉

〈予兆もなく停止するから困るんだ〉

〈時間なのかと思ったけど違ったんだよなー〉

 

「ふむふむ……。礼ちゃんの時はレイチェルにお洋服買ってあげた?」

 

「買うわけないよね。当たり前にガンショップ行ったよ」

 

「なるほどなるほど……。ショッピングモールの時、フードコートには寄った?」

 

「寄るわけないよね。ぜんぜんドラッグストア行ったよ」

 

「うーん……それじゃない?」

 

「なにそれっ?! レイチェルの好感度稼いでないと言うこと聞かないのっ?! 私たちは善意で研究所まで送ってあげようとしてるのに!」

 

〈まぁアパレルショップは寄らんねw〉

〈ふつうの人間は銃なかったら進めないんだ〉

〈フードコート寄るの兄悪魔くらいだろw〉

〈一般人はモールの敵の数見てびびって回復アイテムほしがるんだわw〉

〈なんならモールの二階を通らなきゃ選択肢も出てこないし〉

〈マスクデータがあるのか〉

〈好感度w〉

〈ギャルゲーで草〉

〈たしかに命がけで運んでるってのにな〉

 

 礼ちゃんは好感度と表現したけれど、僕の推察だとその表現は適切ではない。言うなれば、サバイバルゲームでいうところのスタミナゲージなどに近いのではないかと考えている。

 

「好感度みたいな感じじゃなくて、もっと人間っぽい理由だと思うんだ。可視化されてないけど、もしかしたら内部データでレイチェルにはスタミナとかエネルギー、体温とかが設定されているんじゃないかな」

 

「人間っぽいっていうわりに使われてる単語には人間味がないんだね……」

 

「他の人たちの服装からしてゲーム内の時季は冬みたいで、最初のレイチェルの服装は明らかに部屋着だったよね。そんな服装ではとても体温の漏出を防げない」

 

〈急にゲーム的な考え〉

〈シンプルにお腹空いたからって言えんのかw〉

〈悪魔には人間の体調はパラメータにしか見えないのかもしれない〉

〈説明に血が通ってないんだよね〉

 

「まぁ……そうだね。お兄ちゃんもレイチェルが寒そうにしてたからアパレルショップ寄ったわけだし」

 

「そう。そしてあの家には見た感じ食材が用意されていなかった。きっと普段はハウスキーパーさんが食材を買ってきて調理してたんじゃないかな。でもこんなパニックホラーみたいな騒動が起きちゃったからハウスキーパーさんは研究員さんの家には行けなかった。だからレイチェルは朝ご飯も食べられずに家を出ることになった」

 

「たしかあの時、お兄ちゃん探してたもんね。レイチェルの朝ご飯。だけどあのお家にはなかったから諦めて出発した、って感じだったはず」

 

〈言ってたわ〉

〈ご飯ないねーって言ってたな〉

〈繋がんのか〉

〈意味があったのか〉

 

「よく憶えてたね。そうだよ。ここで礼ちゃんのルートのレイチェルの状態を再確認すると、防寒具なしの部屋着で食事も摂れずに長時間活動していた、ということになる。エネルギーを補給できてないから体温を上げられない。きっと長時間歩いた疲れなんかも考慮されてるんじゃないかな。そりゃあ疲れ果てて屈みこんじゃうよね」

 

「はあー……だから好感度よりもスタミナとかエネルギーってことなんだね。実は家を出た時から目には見えないけどレイチェルのスタミナだか体力だかのゲージは徐々に削られてて、このマップで体力が尽きて立ち止まったりしていた、と」

 

「そういうことなんじゃないかなって僕は思ってるよ。そう考えると、僕のルートでレイチェルが言うこと聞いてくれてることへの辻褄は合うしね。お洋服で体温の減少を抑えて、フードコートでカロリーの補給。ついでにショッピングモールのアパレルショップで休憩もできてたしね」

 

「そういえばお兄ちゃんあのお店でレイチェルに回復アイテム渡してた! うわーっ! そういうことなの?!」

 

〈いろいろ考察してたもんな〉

〈兄悪魔ドアノブとかも見てたしな〉

〈はー考えてんなー〉

〈何周もしてるんじゃないんだぞこれ〉

〈モールの休憩は意味があったのか〉

〈回復渡してたわ!w〉

 

「実際はわからないけどね。そう考えることもできるよねってだけで。だから何が言いたいのかというと、小さい礼ちゃんは我儘な子じゃないよってこと」

 

「結論はそこに着地するんだ……」

 

〈レイチェルの風評被害を防ぎたかったんだなw〉

〈いい子だよって言いたかったわけねw〉

〈結論レイチェルに甘いお兄ちゃんで草〉

 

 たくさんのルートがあって選択肢によって枝分かれしていくこのゲームを、僕はまだ一周しかしていないから裏づけは取れていない。確証はないけれど、礼ちゃんの話と照らし合わせるとこういう見方もできる。

 

 僕は違うルートを進むつもりはないので、検証は他の人にお任せしよう。

 

 なんなら情報サイトにはルートの条件などは載っているんじゃないのかな。きっとコアゲーマーがすべてのルートを解明してくれているはずだ。雑談の件でも多くのリスナーさんが自制してくれていたことだし、おそらく知っているリスナーさんはネタバレ防止という意味でコメントを控えてくれてるんだろう。

 

「ん? なんだか(おもむき)が違うところにきたね」

 

「ゾンビにも軍人たちにも見つからずにここまでこれるんだ……」

 

 似たような風景が続いていたけれど、それが途切れるように広い空間に出た。ここまでの隠密潜入とは雰囲気が変わっている。

 

 イベントが発生するポイント的な気配を感じていると、予感は的中した。プレイヤーの操作を離れ、イベントムービーが流れた。

 

「やっぱりイベントなんだね」

 

「スニーキングはここでおしまい。いや本来ならもっと早くに終わってるんだけどね」

 

「礼ちゃんの時はどんな感じだったの?」

 

「私の時はこのマップに入ってわりとすぐにレイチェルが軍人に見つかって、ばちばちの銃撃戦になったよ。レイチェルは泣き出して指示をさらに聞いてくれなくなるし、ゾンビもたくさんくるし、隊員たちは武器強いしアーマーあるし回り込んでくるしで大変だった」

 

「へえ……ルートによっては展開がそんなに違うものなんだね」

 

「ぜんぜん違うよ。今もぜんぜん違っててびっくりしてる」

 

 そんな話を礼ちゃんとしている中、画面では主人公とレイチェルが一緒に物陰に身を隠すところが流れていた。

 

「……鉄錆(てつさび)と砂埃で全体的に褐色っぽい画面の中で、小さい礼ちゃんの服はだいぶ目立つね……」

 

「ほんとにね。場違い感すごいよ。街に出かけるみたいな服してるのに」

 

〈ここからどう立ち回るんだ〉

〈ピストルでしのげるのか?〉

〈草〉

〈目立つw〉

〈ばか浮いてて草〉

〈かわいいけどw〉

〈工場でその服はあかん〉

〈ひっかけそうで怖い〉

〈めっちゃ目立つやんw〉

 

 小休止を挟んでいた主人公とレイチェル。二人が潜んでいたその物陰は地上からは死角になっていて安全かと思われたが、高所からは容易く見つかってしまう場所だった。

 

 頭上にいくつも通っている太いパイプの上にいる隊員に、二人は気づかなかった。

 

 高所を陣取る隊員は仲間に主人公の位置を報告しながらライフルの銃口を向ける。

 

 主人公は咄嗟(とっさ)に射線が通らないところへレイチェルを突き飛ばして、ここでイベントムービーは終了した。

 

 レイチェルを守ったのは評価するけれど、高所への警戒を怠った主人公には辟易(へきえき)する思いである。高所にいる敵との戦闘なんて分が悪いにもほどがあるのだから、もっとも警戒しなければならないポイントだ。僕は移動しながらも工場の屋根や、工場と工場を繋いでるパイプにも注意を払っていたというのに。

 

 しかも小さい礼ちゃんを突き飛ばしている。これでは僕的な評価はプラマイでマイナスだ。小さい礼ちゃんになんてことするんだ。

 

 プレイヤーの技術や警戒がまるで関与できないところで劣勢に追い込んでくるのはやめてほしい。

 

「イベントムービーが挟まるたびに窮地に追い込まれてる気がするよ」

 

 アクションらしい選択肢がポップした。久しぶりに見た気がする。

 

 選択肢は『銃を構える』と『隠れる』と『前進する』の三つ。

 

 最後の『前進する』というのはあえて遮蔽から出て隊員さんに近づくということだろうと判断し、真っ先に候補から除外した。

 

 本当なら銃は使いたくなかったけれど、使う以外に選択肢がなかった。

 

 『隠れる』というのは一見安全策なように思えるが、頭を抑えられている状態で相手の姿を見失ってしまうとこちらの動きが制限される。ここからはおそらく遮蔽物の少ない広場に出ないといけない上、こちらは小さな女の子を抱えているのだ。走ってしまうとレイチェルがついてこれない。

 

 撃ち始めが遅れているし地形も不利だけれど、敵が姿を見せているここで確実に仕留めておかないとジリ貧になる。

 

 操作できるようになった瞬間に銃を構えて引き金を引いた。

 

「はやああっ! ヘッショ早すぎるよっ! お兄ちゃんっ!」

 

「撃ちたくなかったんだけどね……。でも隊員さん相手にもヘッドショットで一発なのを知れたのは収穫かな」

 

〈ええええ〉

〈は〉

〈はっや!〉

〈すごすぎいい〉

〈一瞬やんけ〉

〈えぎい腕だな……〉

〈神エイム〉

〈相変わらずの腕〉

〈ここまで撃ってこなかったのによく頭合わせたな〉

〈うますぎいいいい!〉

〈すげええええ!〉

〈フリック一発かよw〉

〈クリップ級のエイム〉

〈相手一発も撃っとらんw〉

 

 これまでゾンビの足音くらいしか聴こえなかった工場地帯に炸薬の爆ぜる音が鳴り響いた。遅れて、どさっと軍人が地面に落ちる音。

 

 銃声にすぐさま他の隊員たちは反応した。パイプの上にいた隊員はすぐに撃ち殺したけど、それでも報告は届いていたのだろう。確実にこちらの居場所を把握した上でライフルを乱射してきた。

 

「まずいなあ……。足止められると、元人間様から逃げられない……。隊員さんたちをすぐに排除したほうがいいかな」

 

「ピストル一丁で戦えるのー?」

 

「ADZでもピストル一つで戦ってきたんだから戦えるし、それに守るよ」

 

「かっこいい……」

 

〈装備差えげつないぞ〉

〈弾幕えぎいw〉

〈人数も銃もアーマーも差がある〉

〈いつ顔出せるんだこんなの〉

〈お嬢w〉

〈がちかっこいいが出てもうとるw〉

〈がちトーンで草〉

〈これはかっこいい〉

〈イケボ注意!イケボ注意!〉

〈こーれ男でも効きます〉

〈めちゃくちゃかっけーよ〉

 

 ADZでの基本戦術『同じ場所から顔を出さない』に則って遮蔽に沿って、警戒されてなさそうな位置へと移動する。

 

 銃を構えながら顔を出す。一発受けた時のダメージを僕は知らない。もしかしたら銃弾一発でゲームオーバーになる可能性を踏まえ、ADZの強化兵士と同じレベルだと想定して動く。

 

 ピークして、敵を見つけて、エイムを合わせて、銃を撃って、相手が撃ち返してくる前に遮蔽に隠れた。

 

「とりあえず一つ」

 

 やることの一つ一つはFPSの基本的な操作だ。それに銃弾の一発も受けられないというシチュエーションはADZで慣れている。

 

 なにより小さい礼ちゃんという守るべきものを背負い、目の前というか膝の上で礼ちゃん本人が僕のプレイを見守ってくれている手前、負けられない。いつも以上に集中している。難しいことではない。

 

「えっ……さっきの倒したの?」

 

「倒せたよ。頭入ってる」

 

「画面見てても見えなかった……」

 

〈?〉

〈はやすぎ〉

〈見えん〉

〈FPS配信か?〉

〈ピストルの動きじゃない〉

〈草〉

〈バケモンで草〉

〈撃った弾あたるまえに隠れてね?〉

〈はやすぎる〉

〈兵隊の反撃遅すぎやろw〉

〈悪魔が速すぎる〉

 

 さっき顔を出したところが銃弾の雨に打たれている音を背中で聴きつつ、またポジションを移動する。

 

 やることは同じだ。遮蔽から出て、敵を見つけて、照準を合わせて、撃ったらすぐに隠れる。

 

 二人目を取れたけど、嫌な光景も見てしまった。

 

「二つ。……増援は厳しいなあ」

 

「そう、そうだよっ! 兵隊たちはいくらでも出てくるし、それに敵は兵隊たちだけじゃないよー!」

 

「元人間様もいるんだもんね。……弾、足りるかな」

 

「ぜ、全員殺す気だ……」

 

〈時間かけりゃまじで勝てる〉

〈増えんのかよ〉

〈無限湧きだ〉

〈目的地着くまで出続ける〉

〈ゴリ押しが正義なんだよなー〉

〈ゾンビもいるしな〉

〈強すぎて草ぁ!〉

〈ゾンビ呼んでない〉

〈草〉

〈ピストルで全滅させる気かよw〉

〈泣いてねーな〉

〈全員やりかねん〉

〈やれそうで草〉

〈不安とかないんかw〉

〈びびる〉

〈兄悪魔は銃持つゲームに強すぎる〉

〈レイチェル泣かない?〉

 

「また移動して……撃って、三つ。どこかで打って出ないと状況が変わらないか……」

 

「ほんとだ……レイチェル泣いてない」

 

「ん? どういうこと?」

 

「兵隊たちと戦い始めたらレイチェル泣いてたの、私の時。なのに泣いてない。なんでー?」

 

「……それって、ショッピングモールの時は? 泣いてた?」

 

「いや……泣いてなかったはずだよ。このマップにきて兵隊たちと戦い始めたら泣き出してゾンビ湧きまくって、なんだこいつっ……って思ったからよく憶えてる」

 

「間近で銃撃戦始まったら普通の感性してる子どもは泣いちゃうと思うから許してあげて……。それにしても、ここでってことは……」

 

〈弾が減るだけや〉

〈ノーミスで草〉

〈ヘッショ外さんな……〉

〈ノーダメかよw〉

〈そういえば泣いてない〉

〈泣かないパターンあるんだな〉

〈これも好感度上げたおかげか〉

〈草〉

〈わかるw〉

〈ヘイトたまるよなw〉

〈いらっとするよねw〉

 

 特殊部隊の隊員がこちらに近づいてこないよう一人ずつ摘み取りながら考える。

 

 礼ちゃんと僕では取った選択肢がまるっきり違うようだし、ショッピングモールや工場地帯など同じ道を通ってはいても、ストーリー的な意味でのルートはおそらく同じではない。

 

 それを念頭に置いて、選択肢のあったポイントを思い浮かべ、レイチェルが泣き出すことと銃というワードが重なるところ。そんなの一箇所しかない。

 

「お兄ちゃん? なにかわかったの?」

 

「うん。礼ちゃん、研究員さんの家にいた強盗犯、銃で撃ったでしょ」

 

「え? う、うん。そうだけど……。銃で撃つっていう選択肢があるんだし……」

 

「きっとそれが理由だね。トラウマになっちゃってるんじゃないかな」

 

「えっ?! PTSD?! 私のせいで?!」

 

〈考察の悪魔〉

〈なんで喋りながらこんだけ撃てんだ〉

〈特殊部隊無限殺戮編〉

〈ピストル一本で抑えてんの草〉

〈見えないんだけどw〉

〈エイム早すぎだろw〉

〈あー〉

〈あったね〉

〈兄悪魔は殴ったな〉

〈トラウマかー〉

〈そこでフラグがあったのか〉

〈でもあそこのアクションむずいし……〉

〈クリアするだけなら銃が一番楽〉

〈PTSD……〉

〈おおう〉

 

「PTSD‥…うーん、この場合は急性ストレス障害だと思うけど、まあ細かい話はいっか。礼ちゃんのせいっていうか、そもそもの原因はあの強盗してた男だけどね」

 

「で、でもなんでショッピングモールでは泣かなかったの? 結局銃撃ってるし、お兄ちゃんほどじゃないけど私もヘッドショットしてたのに」

 

「それは僕もわからないや。精神的なストレスが積み重なって工場地帯で爆発したのか。一番ありえそうなのは、元人間様なら言葉が通じないからまだセーフ判定なのかなって。元人間様になっていない、言葉が通じる相手を撃つのがダメなのかもしれない」

 

「あー……それはありそう……。でもしょうがないじゃん! ふだんはFPSやってて、選択肢に銃が出てきたらそりゃ銃選ぶよ! 得意なんだもん!」

 

「あははっ、たしかにね。先手が取れる状況だったし、十メートルもないあの距離だしね。あの選択肢は、FPSに自信があればあるほどひっかかっちゃいそうだ」

 

〈トラウマにもなるか〉

〈目の前で頭弾けたらそりゃあな〉

〈でもあっこのコマンドむずいんだよ〉

〈どっちもありそうだね〉

〈選択肢次第でここ通れるか決まるって感じか〉

〈このゲーム工場通す気ねーからな〉

〈情報サイトでは関所って呼ばれてる〉

〈FPS得意なら撃ちたくなるよねw〉

〈実際お嬢強かったしw〉

〈兄悪魔も銃使ったら秒だったろうな〉

〈ゲームうまくないと進めないのにうまいと引っかかる〉

〈罠だろあの選択肢〉

〈兄悪魔が特殊な例すぎる〉

 

 礼ちゃんとのお喋りを楽しみつつもどうにかこの状況を打開する策を考えていたけれど、どうにも難しそうだ。

 

 隊員たちを近づけさせないことはできるけど、裏を返すとそれしかできない。

 

 レイチェルを連れて遮蔽物から出られるほどには数を削れないのだ。削ってもすぐに補充される。隊員の数を減らさなかったらもしかしたら数は増えていかないのかもしれないけれど、牽制し続けなければ接近を許すことになる。あの隊員たちのエイムはADZの強化兵士ほどに研ぎ澄まされていないけれど、距離を詰められればそれだけ被弾の可能性は上がる。

 

 隊員を殺さずに放置して増援がくるのかどうか検証したいけれど、その場合隊員に接近を許すことになり、ひいてはレイチェルの身が危険に晒されることに繋がる。

 

 そんなリスクは冒せない。

 

「……こんな博打みたいなことに使うの嫌なんだけどなあ……」

 

「ここからどうするの?」

 

「こういう時のための投げ物だよね」

 

 牽制してた時と同じように遮蔽物から顔を出し、今回は銃ではなくアイテムを使用する。レイチェルに服を貢いだ時にもらったスタングレネードを投げ、再び遮蔽物に隠れた。

 

 工場地帯とはいえ屋外で、しかも装備を整えてそうな特殊部隊の隊員にどれほど効果があるかわからないけれど、効果があると信じる。

 

「あっ、それってレイチェルからもらったやつ?」

 

「そう。敵の数を減らしても減らした端から補充されるから、それならいっそ減らさないで足を止めたらいいのかなって」

 

「どうなんだろ? これでも増援くるのかな?」

 

「わからない。でももう他に手段はないからこれで進む」

 

「えっ?!」

 

 隊員たちがどうなったか確認もしないまま、レイチェルに話しかけてついてきてもらう。

 

 スタングレネードが効いている前提で動かなければ、結局のところ手詰まりなのだ。増援がくるかどうか、スタングレネードが刺さっているかどうかの確認に時間を使ってしまえば、その時間で隊員たちは閃光と音による混乱状態から復活してしまう。

 

 混乱から復活してしまえば、アイテムを消費した状態でさっきの千日手に逆戻りだ。それこそ打開の方法がなくなる。行き着く先は緩やかな死だ。

 

 それなら、ここで動くのは分の悪い賭けでもなんでもない。勝ちの目を追い求める挑戦だ。

 

「あんまり無理はさせたくないけど……小さい礼ちゃん、ここだけ頑張って」

 

「がんばれ! 走れレイチェル!」

 

〈まじか〉

〈進むんか〉

〈がんばれ!〉

〈レイチェルがんばれ!〉

 

 ゾンビにも狙われ、助けにきてくれたのかと思いきやなぜか特殊部隊からも狙われ、精神的にも肉体的にも疲労は限界にきているはずだがレイチェルは頑張って走ってくれた。

 

 しかも、どうやらしっかりとスタングレネードは特殊部隊の目と耳に刺さっていたらしく、遮蔽物から出てきた主人公とレイチェルが撃たれることもなかった。

 

 これが正攻法かどうかはわからないけどスタングレネードが攻略の鍵になってくれた。これまで使うタイミングがなかっただけなのだけど、使わずに置いておいてよかった。

 

「工場地帯突破。ふう。小さい礼ちゃんよく頑張ったよ」

 

「レイチェルっ……ふ、ふんっ。まあ……やるじゃん。ちょっと見直した」

 

「ふふっ、よかったよ。礼ちゃんの中のレイチェル評価が見直されて」

 

「いくら印象悪くたってがんばりは正当に評価するよ、私は」

 

〈おおー!〉

〈突破!〉

〈難関突破!〉

〈レイチェルがんばった!〉

〈兄悪魔うますぎだろ〉

〈強いのはエイムだけじゃなかった〉

〈お嬢ちょっと感動してるでしょw〉

〈ようがんばったなぁ〉

〈レイラ嬢声震えてたよw〉

〈そういやゾンビ寄ってこなかったな〉

〈ゾンビはぜんぶ特殊部隊がヘイト買ってくれたのが助かった〉

 

「そうですね。元人間様はすべてが隊員さんのほうへと駆けて行きましたね。あれだけ乱射していれば、さすがに注意を引いてしまうでしょうから」

 

「うん? ああ、コメントね。んー? そういえばそうだね。ぜんぜんゾンビに狙われなかった……。そりゃ兵隊のほうが目立ってたけど……あれだけ狙われないのも不自然だなー」

 

「狙われなくて助かったよ。ピストルでは苦しいし」

 

「私の時はゾンビも兵隊もどっちも相手したんだけどっ! 不公平だー!」

 

「不公平と言われても。元人間様からヘイト買いすぎたんじゃない? たしか礼ちゃんはアサルトライフルを持ってたんだよね?」

 

「うん。ARじゃないとモールも工場も突破できなかったよ」

 

「銃声で呼んじゃったんじゃない? 撃ちすぎるから」

 

「そんなことないよ! 私じゃなくて、レイチェルが泣き叫んでたからその声にゾンビは引き寄せられたの! 私のせいじゃないから!」

 

〈不思議なくらいこなかったな〉

〈兵隊のほうが人数も音もあるしな〉

〈ピストルだけで兵隊捌いてるのもおかしいよ〉

〈不公平w〉

〈大変だったもんねw〉

〈草〉

〈銃声で呼んだか〉

〈撃つ数違うしな〉

〈認めないw〉

 

「ふふっ、本当かなあ?」

 

「ほんとっ、絶対そうだよ! 絶対!」

 

「それじゃあそういうことにしておこっか」

 

「信じてないでしょ! 疑ってるっ!」

 

「信じてるよ信じてる。ほんとほんと」

 

「ほんとに私のせいじゃないからっ! お兄ちゃんっ!」

 

「あははっ、信じてるってば」

 

〈なんこれw〉

〈てぇてぇ〉

〈いちゃいちゃすんなw〉

〈ずっといちゃいちゃして〉

〈てぇてぇ〉

〈草〉

〈ずっと見てたいw〉

〈空気よすぎw〉

〈兄妹とは思えんくて草〉

〈末永く仲良くしてください〉

〈なんでスパチャできないんだ!〉

〈スパチャさせてよ!〉

〈てぇてぇ〉

〈尊いを超えた波動を今感じてる〉

 

 だだっ子になった礼ちゃんをあやしながら、そしてその様子をリスナーさんに見守られながら、僕たちはストーリーを進めた。

 

 



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「……どれも違うから」

 

 断続的に銃声が聴こえ続ける工場地帯から距離を取るように、主人公はレイチェルの手を引いて早足で進む。

 

 工場地帯を抜け、主人公が目を向ける先には街が広がっている。しかし、それは平穏な日常とは隔絶された風景だった。自動車はひっくり返り、道端には人が倒れている。どこかで火事が起きているのか、煙も立ち昇っていた。

 

 ここまではなるべくレイチェルには残酷な光景を見せずに進められていたけれど、ここからはそうも言ってられそうにない。主人公は心配そうな表情を見せるが、レイチェルは健気にも微笑んで見せた。

 

 このゲームはサウンドもそうだけど、表情や身振り手振りなどの動作がとても細かくて、その分レイチェルが強がっていることが余計に伝わってきてしまう。すでに疲労困憊だろうに、それでもレイチェルは主人公に心配をかけまいと虚勢を張る。

 

 とてもいい子だ。

 

 絶対に。主人公の身に何があろうと、この子だけは絶対に幸せにしなければならない。

 

 このマップのイベントムービーが終了して、一人称視点になる。

 

〈レイチェルいい子だな〉

〈こんなにいい子だったなんて〉

〈めっちゃ健気……〉

 

「小さい礼ちゃん、本当にいい子だなあ……。絶対に疲れてるはずなのに、心配をかけないようにって僕を気遣って……」

 

「うん……ルートによってこんなにもレイチェルの態度が違うなんてびっくりした。それはそれとして、お兄ちゃんを気遣ってるんじゃなくてこの主人公を気遣ってるんだよ。お兄ちゃんじゃないよ」

 

「小さい礼ちゃんっ、僕が絶対に安全に親御さんのところまで連れて行ってあげるから!」

 

〈お嬢のルートだとわがまま娘だったのに〉

〈他の配信ではヘイトタンクだったぞ〉

〈まじでアクシデント要員なのにな〉

〈妹目の前におるやろw〉

〈頼りになるお兄ちゃんだなw〉

〈安心感ぱないわ〉

〈どこよりも安全な場所やw〉

〈悪魔の隣が一番安全なんだから〉

 

「のめり込んでる……。帰ってきて、お兄ちゃん。お兄ちゃんの唯一にして至高の妹はここにいるよ」

 

「自分で至高って言っちゃうんだ……」

 

「よかった。ちゃんと帰ってきた。でもむかついたからお仕置きね」

 

「痛い痛いっ、ふとももつねらないでっ……。そうです、至高にして究極の妹ですっ」

 

「だよね? よかったー」

 

〈レイラ嬢w〉

〈草〉

〈妹の自負強w〉

〈至高の妹w〉

〈ワードセンスの癖すごいな妹悪魔w〉

〈ところで今二人はどういう体勢でゲームを……〉

〈膝にでも乗せてるの?w〉

〈お仕置き草〉

 

 二人は荒れ果てた街を進む。

 

 精神衛生上よくない光景が広がっているのでレイチェルにはなるべく見せたくない。できることなら抱きかかえて進みたいくらいだけれど、それはシステム上できなかった。

 

 なにしてるんだ主人公の男(ウィリアム)は。小さい礼ちゃんの情操教育に悪影響だろう。疲れも溜まっているはずだし、小さい礼ちゃんをおんぶくらいしてほしいものだ。おんぶしていればこんな地獄のような景色を視界に収めずに済む。

 

「ん……」

 

 こんな地獄絵図をレイチェルに見せない努力をしろよ、と主人公に対して頭の中で悪態をついていたのだけれど、不意に違和感を覚えた。

 

 違和感に気づいたのは僕だけではなかったらしい。礼ちゃんも首を傾げていた。

 

「おかしいねー」

 

「礼ちゃんもそう思う?」

 

「うん。ゾンビが少ないよね」

 

「あ、そこなんだ。でも、それもそっか。礼ちゃんは一度別ルートでやってるわけなんだしね」

 

〈ぜんぜんおらん〉

〈出てこんな〉

〈こんな静かなの怪しい〉

〈絶対後から大量パターン〉

 

「あれ? お兄ちゃんもゾンビが少ないことに引っかかってるのかと思ってた」

 

「たしかに元人間様が少ないとは思った。僕が見てたのは死体のほうだけど。元人間様と人間様って、死体になったら見分けがつかないんだよね」

 

「あ、それはたしかに」

 

「それで考えてたんだ。主人公のアパートから研究員さんの家に行くまでの間に見た死体と、この周辺に転がっている死体……その違いを」

 

「え? なにか違う?」

 

「死因が違う。このあたりの死体は出血箇所が首からじゃないんだ。頭や胴体から血を流してる。しかも、おそらく銃創」

 

 この街に入ってからというもの、首から派手に血を流している死体をまだ見ていない。主人公のアパートから研究員の家に向かうまでの道中では、喉笛を噛み千切られたような死体のほうが多く転がっていたのだ。その違いを考えると、この街の死体は異様だ。

 

「それって、どういう……」

 

「このあたりにいた元人間様は……あるいは人間様も、銃火器を装備した人間様に掃討されたってことかな。一番可能性としてありえそうなのは特殊部隊の方たちがこの街に入ってクリアリングしたってところじゃない? だからそのうち」

 

 考察しながら進んでいると、すぐ近くの商店の扉から人影が突然飛び出してきた。

 

「ぴっ?!」

 

「やっぱりきたね」

 

〈さすが考察勢〉

〈めっちゃ見てるな〉

〈気にしたことなかった〉

〈周りのシタイってグラフィック違ったんだ〉

〈読んでる〉

〈読みやば〉

〈どんぴしゃやんけ〉

〈ひよこ踏んだ?w〉

〈小動物踏んだみたいな声w〉

 

 ボタン操作を要求してくるくせに相変わらず猶予時間が短い。とくに不意打ち気味の一回目のアクションは前もって予測しておかないと対応するのが難しい。

 

 僕はそろそろ出てくるだろうと予想できていたので急なアクションにも対応できたけれど、予想してないところでこれをやられると初見では厳しいだろう。

 

「反応はやっ」

 

「建物の中だったからナイフを持ってたのかな? 取り回しが悪いとしても、せめてピストルを持ってワンマガ分吐いてれば主人公のことは殺せただろうにね」

 

 商店の入り口、照明の落ちた暗がりからナイフを構えながら飛び出してきた隊員の手を右手で払う。間を空けずに左の拳で隊員の顔面を強かに打った。

 

「お兄ちゃんの反応速度もおかしいけど、この主人公もたいていおかしいよね?」

 

「反撃まで入れちゃうんだよね。なんたって、元軍人さんだから」

 

〈反応よすぎ〉

〈反応速度二歳児やん〉

〈主人公強すぎて草〉

〈カウンターw〉

〈元軍人だからな〉

〈元軍人の強みや〉

〈元軍人の肩書き便利すぎるだろw〉

 

 いくらボタン入力を成功したにしても、あれだけ不意をつかれた攻撃に対してここまでカウンターを入れられるのは化け物だ。この主人公、死の恐怖とかそういう概念を持ち合わせていないのかもしれない。

 

 しかし相手も()る者、奇襲が大失敗に終わっても動揺した様子はなく、しっかりとナイフを構え直して向かってくる。

 

 奇襲された時よりほんの少しだけゆとりのある猶予時間のおかげで押し間違えることなく、ぽんぽんぽんと軽快に(さば)いていく。刺突を何度も防いだことで()れた隊員が大振りになったところを、主人公は冷静に腕を取って投げた。

 

 アスファルトに背中から叩きつけられていたので一般人ではすぐには動けないはずだけれど、相手は一般人ではない。アーマーで衝撃が緩和されたかもしれないし、受け身も取っているかもしれない。

 

 まだ安心はできない。

 

 ということで地面に叩きつけられて息が詰まって悶えているうちに隊員の首にナイフを突き立てて(とど)めを刺した。

 

「確キル、っと」

 

「の、喉に……容赦ない」

 

「大声出されたら困るからね。……とはいえ、大して変わらないと思うけど」

 

〈確キルの精神〉

〈取れる時に取っとくの大事〉

〈喉いくんか……〉

〈声出させないよう声帯ぶった斬るの草〉

 

 銃声などのわかりやすい音は立たせていないけれど、死体が転がっていること以外は至って普通の閑静な住宅街で殴り合いは十分騒音だった。

 

「あっ! 建物の窓!」

 

「うん。うーん……。思ったより、多いかな……」

 

〈ないす〉

〈めっちゃおる〉

〈こわ〉

〈一気にこっちみんな〉

〈ホラーかよw〉

 

 異音を聴きつけた隊員たちがそこら中で顔を出してきた。高所を取られているし、こちらにはめぼしい遮蔽物もない。

 

 装備にも劣り、地の利もなく、人数でも負けている。不利にもほどがある。

 

 ここで選択肢が表示された。『銃を構える』と『逃げる』と『建物に入る』の三択だ。

 

 たとえ銃を構えて一人二人倒せたところで、見える範囲だけでも他にも隊員は四人いるし、おそらく今見えてないところにも隠れているはずだ。どうやっても相手が撃ち始める前にこれだけの人数の頭を弾くのは不可能だ。この場で反撃するのは無謀でしかない。

 

 『逃げる』と『建物に入る』で選択肢が分けられているということは、『逃げる』というのはこのまま歩道を走って逃げるということなのだろう。歩道には遮蔽物は街路樹や植木くらいしかない。高所を取られていて、かつ射線が複数通っているこの歩道を走って逃げたとして、銃弾の雨を躱し切るのは奇跡が起きない限り不可能だ。

 

 選択肢はもはや一つだった。選択肢の中から選ぶのではなく選ばされるというのは、あまり気分の良いものではない。

 

「お、お兄ちゃんっ!」

 

「これは立て篭もるしかないかな……。援軍もない戦況で籠城したって未来はないんだけど……」

 

〈他に逃げ道ない〉

〈射撃の腕を過信しない〉

〈ここは延命やね〉

〈外に活路はない〉

 

 裏口から出れるかどうかも確認できていない状態で建物の中に入るなんて追い込まれたも同義だけれど、外にいたら確実に蜂の巣にされる。

 

 仕方なく、奇襲してきた隊員がいた商店の中へとレイチェルを連れて入った。

 

 身を隠したとほぼ同時に四方八方から銃声が鳴り響く。商店の中に入らなければ確実に死んでいただろう、そう確信できるくらいの轟音だった。

 

「扉の近くだと危ないから奥に……っ」

 

「ぞっ、ゾンビっ……」

 

〈びくりしあ〉

〈びっくりした〉

〈なんでおんねん〉

 

 流れ弾や跳弾が怖いのでレイチェルを商店の奥へと移動させようと近寄ったら、連れて行こうとした商店の奥からゾンビが姿を現した。

 

 ふざけてる。何をしていたんだ、さっきの隊員は。どうしてちゃんとクリアリングしていないのだ。

 

 いや、商店の中で待機するなら必ずクリアリングはしていたはず。もしかしたらこの商店にはすぐには気づかない侵入口があるのかもしれない。だとしたらそこから脱出できるかも。

 

 そこまで現実逃避していると、またもや選択肢が現れた。

 

 今回は『レイチェルを隠す』と『ナイフを隠す』の二択だった。

 

「どういう……っ」

 

 ゾンビからレイチェルを守るのなら確実に『レイチェルを隠す』を選ぶべきだ。選択肢が『ナイフをしまう』なら銃に持ち替えるのかなと次の動作を想像もできるけれど、そうではない。ゾンビを排除するのに『ナイフを隠す』を選んでしまうとワンテンポ遅れる。

 

 理解に苦しむ選択肢が現れて思考にノイズが混じるが、これまで組み立ててきていた推測とゾンビの習性、選択肢の傾向を合わせて考え、決断する。

 

「ええっ?! ナイフ選ぶのっ?!」

 

「きっと……大丈夫なはず」

 

〈選択ミスか?〉

〈あえて選んだのか〉

〈アーマーも回復もないんだぞ〉

〈一発でも喰らったらやばい〉

 

 メタ読みになってしまうけれど、このゲームは戦闘になる時の選択肢はボタン入力のタイムリミットがとても短い。いつもよりタイムリミットが長かったということは、これは戦闘になるタイプの選択肢ではない、はずだ。

 

 体の後ろにナイフを隠す。

 

 これでゾンビに襲いかかられると確実に一手遅れる。アーマーも装備していないこの主人公であれば、ゾンビに先手を譲った時点で致命傷みたいなものだ。

 

 自分の推測は信じているけれど、それはそれとしてどんな操作を要求されるか画面を注視する。きっとゾンビが襲ってきてもアクションに移行してボタン入力になる、はずだ。信じてる。

 

「きゃあっ! やっぱりだめだったっ!」

 

 レイチェルと主人公の前にいるゾンビは弾かれるような速度でこちらに駆け出す。

 

「…………っ」

 

 信じた通りに選択肢が表示されるが、その内容はさらに頭を悩ませるものだった。

 

 選択肢は『銃に持ち替える』と『ナイフを振る』と『タックルする』の三つ。僕の組み立てていた推測からは外れる内容だった。

 

 しかし、前回に引き続き今回も選択肢を選ぶタイムリミットは長い。これまでの傾向と照らし合わせると、必ずしも戦闘に入るとは限らない。

 

 ぎりぎりまで悩み抜いて、覚悟を決めて、そして選んだ。

 

「え、ちょっ、お兄ちゃん?! なにしてるの?!」

 

「……どれも違うから」

 

〈おいおいおい〉

〈どうした悪魔〉

〈時間切れや〉

〈終わったか〉

〈違うてなんだ〉

 

 僕は悩み抜いて、そして選んだ。

 

 三つある選択肢のどれも選ばないという選択をした。

 

 だめなんだ。僕の考えている通りだとすると、()ゾンビに攻撃しちゃだめなんだ。

 

 何も選ばなかったらどうなるのかわからないが、僕は時間が切れるまでそのまま放置した。

 

「違うって……え?」

 

 放置したままでもイベントは進んだ。

 

 ゾンビはそのまま駆け寄り、棒立ちしている主人公を手で払いのけ、商店の出入り口へと全速力で向かう。そして、出入り口から侵入してこようとしていた特殊部隊の隊員へと掴みかかった。

 

「……っ、はあっ……よかった」

 

〈?〉

〈?〉

〈は?〉

〈どういうこと〉

〈選ばないとかあんのこのゲーム〉

〈まじかよ〉

〈見たことない〉

〈なんだこれ〉

 

「ど、どういう……? なんでゾンビに襲われなかったの?」

 

「元人間様には知能がある、っていうのは前回ショッピングモールでも話したよね? それの延長線の話なんだ。元人間様は、攻撃する相手に優先順位をつけてるんだと思う」

 

「優先順位? 主人公よりも先に兵隊を狙うように、って?」

 

「うん。おそらく、隊員さんたちはこれまで大量に元人間様たちを倒してきたんだよ。だから元人間様は何をおいてもまず真っ先に、隊員さんを排除しなきゃいけないって考えた。その結果、目の前にいる丸腰の主人公よりも、主人公の奥にいた銃を構えている隊員さんに襲いかかったんだ」

 

「……お兄ちゃんは、後ろにいた兵隊には気づいてたの?」

 

「え? うん。足音してたし」

 

「あの状況で足音聴いてたの……?」

 

「常に音を意識するのはね、ADZでは必須技能なんだ」

 

「マルチタスクにしかできないゲームなのかな?」

 

〈ゾンビに襲われないとかあんのか……〉

〈前回言ってたな〉

〈ゾンビの知能を利用して爆破してた〉

〈優先順位?〉

〈でも兄悪魔もやりまくったよな〉

〈悪魔も爆破で大量にぶちころがしたのに〉

〈なんでそれを共有できんだ〉

〈足音〉

〈あの状況で音にまで注意できねーよw〉

〈目の前のゾンビで精一杯だわ〉

〈黒兎の発言で一般獣涙目です〉

〈無茶言うなw〉

〈ADZのハードル爆上がり〉

〈黒兎の影響でADZ民は超人集団みたいな扱いされてるんですよ!?〉

〈ADZやってればこうなるのか?〉

〈ADZ民もこの風評被害には苦笑い〉

 

 ゾンビに襲いかかられた隊員はアサルトライフルを盾にしながら必死に抵抗して、その隙にピストルを抜いてゾンビの腹を撃っていた。だがその程度ではゾンビの力はそう簡単には衰えない。数発撃って動けなくなるまで損傷させれば絶命するだろうけれど、たとえ致命傷であろうと即死する傷でなければゾンビはすぐには行動不能にならない。腹部では足りない。

 

 片手で防いでいたせいで力比べに負けた隊員はアサルトライフルを払われ、首元に噛みつかれた。あとはもう、主人公のアパートの隣人と同様の末路だろう。死出の旅だ、行ってらっしゃい。

 

 隊員を旅立たせたゾンビもただでは済まなかった。追い討ちをかけるようにしばらくがぶがぶと噛んでいたが、出血量が限界に達したらしく隊員に重なるように倒れ込んだ。

 

「なんとかなったね。こんな賭けはなるべくならもうやりたくないや」

 

「なんでお兄ちゃんがそんな危ない賭けをやろうとしたのかわかんないけど……。お兄ちゃんなら銃を持ってゾンビ倒して、反転して兵隊もやれたんじゃないの?」

 

〈賭けで試すな〉

〈どんな度胸してんだ〉

〈銃でどっちも倒せそうw〉

〈ハート強すぎで草〉

 

「元人間様を攻撃したくなかったんだ。少なくともさっきの状況ではね」

 

「なんで今さら優しいっぽいことを。ショッピングモールで大量虐殺したのに……ていうか、そうじゃん! 大量虐殺したのになんでゾンビはお兄ちゃんを襲わなかったの? 兵隊たちがどのくらい倒してきてるかはわかんないけど、一人でショッピングモールのゾンビ全滅させるくらいに倒す人間なんて一番危ないでしょ!」

 

「あれをやったのは僕、というか主人公じゃないからね」

 

「……え? いやいや……そうはならないでしょ」

 

〈そうやん〉

〈モールで惨劇生んどるんよw〉

〈一番の危険人物で草〉

〈一人で全滅させるやつが一番ヤベェのよ〉

〈などと供述しており〉

〈犯行を認めないw〉

〈あの時は悪魔に囁かれて……悪魔本人やったわ〉

〈リスナーに指示されたからなw〉

 

「あの大量虐殺の惨劇を生み出したのは『フードを目深に被った恰幅の良いポンチョ姿の男』であって、主人公じゃないんだ」

 

「……ああ! そういえばそんなこと言ってた! ゾンビからのヘイトを全部受け持ってもらうとかなんとか!」

 

「そういうこと。元人間様目線なら、あの危険人物はショッピングモールで自爆したんだ。だから主人公自身にはヘイトは向いていないんだよ」

 

「そこまで考えてたの?!」

 

「いや、あの時はショッピングモールを抜けることだけを考えてたから偶然だよ。結果的にこうなったってだけ。僕だって知らないことまではわからないんだから」

 

「ほんとかなあ……」

 

「どうして疑うのさ。本当だよ」

 

〈祭りを望んだリスナーの責任〉

〈フード!〉

〈被ってたなぁ!〉

〈繋がんの?〉

〈どんだけ読んでんだよ……〉

〈ぜんぶわかってそうなんだよな〉

 

「またイベントだね」

 

「このあたりって礼ちゃんがやった時とストーリーは同じ?」

 

「ステージ自体は同じだけど、話は私の時とは違う展開になってる。どうなるのか楽しみっ!」

 

「ハッピーエンドで終われると良いよね」

 

〈進み具合的にはもうちょいか〉

〈なにエンドになるんだ?〉

〈縛りプレイにもほどがある〉

〈こんなんほかに誰ができんねん〉

 

 息絶えた隊員から何か装備を漁れないだろうかと近寄ると、また新たなイベントが発生した。このゲームも終盤に差しかかっているらしいし、イベントラッシュなのかもしれない。

 

 隊員が持っている無線機から声が聞こえていた。覆い被さっているゾンビを横たわらせ、無線機を手に取る。

 

 無線機からは逼迫(ひっぱく)した声色で大量のゾンビがその地に向かっている、という報告がされていた。

 

「……まずくない? 今のうちに逃げたほうが……いや」

 

「うん。この場を離れるのはその大量の元人間様がここに到着してから、だね。さっき見た通り、元人間様は主人公よりも先に隊員さんを狙う。この街の至る所にいる隊員さんを元人間様に相手してもらっている間にレイチェルを連れてこの場を離れよう」

 

〈ゾンビに片づけてもらうのか〉

〈バケモンにはバケモンぶつけんだよ〉

〈こんなやり方あんのか〉

〈これってサイトに載ってんの?〉

〈少なくとも配信では観たことないな〉

〈兄悪魔が一番バケモン定期〉

〈バケモンの三つ巴なのよねw〉

〈まさかのゾンビが増援とは〉

 

 ゾンビの群れがきて隊員たちと戦い始めるまではこの商店で籠城だ。レイチェルを店の奥に連れて行って物陰で屈んでいてもらう。

 

 建物の中に逃げ込んだ相手には投げ物を使うと相場が決まっているのだ。グレネードが飛んできても逃げれるような位置を取りつつ、銃を構える。

 

 定石通りで予想通りに小さい物体が投げ込まれた。からんころんと音を立てて転がってくる。

 

「投げ物! グレ?!」

 

「違う。スタングレネードだ。……ん」

 

「わあっ! 撃てるんだ?!」

 

「試しで一発やってみたけど、撃ち抜いたらキャンセルできるみたいだね。良心的なシステムで助かるよ」

 

「いや……当てれるんだって意味なんだけど……」

 

〈立て篭もった敵にはグレ〉

〈FPSの基本だな〉

〈見分けつくのかよ……〉

〈なんでわかんねん〉

〈なんで撃てんねん……〉

〈頭より小さい投げ物をフリック一発は草〉

〈撃てるんだってそういう意味じゃないw〉

〈草〉

〈キャンセルできんだな〉

〈当てれたらの話〉

〈当てにいくより目を逸らしたほうがふつうは安全なんだけどな……〉

〈力業でどうにかする悪魔〉

 

 店内に入ろうとするなら出入り口しかないが、歩道に面している壁はガラスが嵌め込まれている部分もある。銃弾を撃ち込むだけならガラスの部分からでもできる。

 

 どこから顔を出してきても対応できるよう壁の両端のちょうど中間にエイムを置いておく。これなら壁の右端左端どちらからピークされても撃ち抜ける。

 

「フリックでヘッショっ! お兄ちゃんかっこいーっ!」

 

「あははっ、盛り上げ上手だなあ礼ちゃんは」

 

〈反応早すぎて草〉

〈相手が撃ってくる前に撃っとる〉

〈エイムびたびたやんw〉

〈吸いついとる〉

〈チート使ってるって言われたほうが安心すると思ったのは初めて〉

〈オートエイムみたいな吸いつき方で草枯れる〉

〈同時にピークしない特殊部隊が悪い〉

〈そら盛り上がるw〉

〈きゃっきゃしとるw〉

〈お嬢が楽しそうでなによりw〉

〈レイラ嬢はしゃいでらっしゃるw〉

 

 問題なく隊員は退けることができているけれど、どうにも違和感を拭えない。

 

 投げ物はある程度の頻度で投げてきているけれど、どれもスタングレネードだ。フラググレネードは投げてきていない。ただ目撃者を始末したいだけならフラググレネードをぽいぽい投げ込んだほうが早いだろうに。

 

 それにゾンビの大群が押し寄せてきていると連絡があったはずなのに、特殊部隊は撤退しない。どれだけ装備が優れていたとしても、相手は命知らずのゾンビだ。仲間が目の前で倒れようと構わずに迫りくる死の暴徒だ。数で押し潰される。

 

 特殊部隊の任務が目撃者を消したいだけなら放っておいてもゾンビがやってくれる。

 

 だというのに特殊部隊が無理をしてでも攻めてきているのは、下されている任務が目撃者の始末とかそんな瑣末(さまつ)なものではないからだ。

 

「……アドミニストレーター。なるほどね」

 

 だいたい読めてきた。

 



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「礼ちゃんのほうが大切だよ」

 

「……アドミニストレーター。なるほどね」

 

「え? なになに?! なにがなるほどなの?!」

 

「それは進めてからのお楽しみだよね。人間様も一緒に、みんなでストーリーを楽しもうね」

 

「なんでなんで?! なにか見当ついたんでしょ! 教えてよお兄ちゃん!」

 

「きっと最後のほうには説明してくれるだろうし、僕の口から説明するよりよっぽどいいよ」

 

「教えてよーっ! この進み具合だと最後のステージはまた次の配信になっちゃうじゃんっ!」

 

〈なにがわかったんだ〉

〈教えてー〉

〈頭回るとかってレベルじゃない〉

〈マジで読めたんか?〉

〈やばすぎ〉

〈戦闘中によく考えれるな〉

〈今日最後までは難しいか〉

 

「それじゃあ次の配信も礼ちゃんにはきてもらうことになるね」

 

「むーっ、んーっ、むーっ!」

 

「ちょ、ちょっとっ、礼ちゃんっ。腕、腕揺らさないでっ。エイムが、エイムが乱れるっ……」

 

〈レイラ嬢次回も内定〉

〈お嬢次もやねw〉

〈結局アドミニ配信全部くることになりそうで草〉

〈かわいいw〉

〈かわいすぎ〉

〈だだっこw〉

〈お嬢かわいい〉

〈草〉

〈かわいい〉

 

 ピークしてきた隊員の頭を弾き、礼ちゃんを落ち着かせ、投げ込まれるスタングレネードを壊し、礼ちゃんをあやし、侵入してこようとした隊員を撃ち殺し、礼ちゃんを宥める。

 

 別に嫌がらせで隠しているわけではない。僕から中途半端に教えてしまったらラストの感動が薄まってしまうだろうからという配慮なのだ。ここまで観続けてくれたリスナーさんにも申し訳がないので黙っておきたいだけなのだ。理解してもらいたい。

 

「はい、礼ちゃん静かに」

 

「あうゅっ……っ、んんっ……」

 

 冷静になってもらうために、というよりも暴れないようにさせるために、コントローラーを礼ちゃんのお腹に密着させ、背中を丸めて礼ちゃんの側頭部に僕の顔を寄せる。強引に動けないようにさせた。あんまり暴れると礼ちゃんが椅子から落ちるかもしれないからね。

 

〈どうなんてるんせう〉

〈なになになに?〉

〈なにやってるんですお二人?!〉

〈どういう体制か教えても粗利りえ〉

〈てぇてぇ〉

〈てl〉

〈てぇてぇ〉

〈悪魔兄妹しか勝たんのよ〉

〈ずっと仲良くしてもろて〉

 

「礼ちゃんが暴れるので動かないように抱きしめてるだけですよ。……遠くでアサルトライフルの銃声がしますね。数も多い。元人間様が大挙して押し寄せてくるという例の件がようやく始まったのかもしれません。そろそろここを出る準備をしましょうか」

 

〈だきしめ?〉

〈だっは〉

〈?〉

〈リスナー何人かしんでないか?w〉

〈これは破壊力がすごい〉

〈ゆきねさんここ頼みます〉

〈『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』描くしかない〉

〈だれかイラスト描いてくれ!〉

〈ファンアートたのむよ!後生だから!〉

〈大丈夫だ我々にはゆきねさんがいる〉

〈ゆきねさん!〉

〈頼もしい神がいた!〉

 

「んー……。がんばれー……」

 

「礼ちゃん? 寝ないでね?」

 

「んー……ねないよー……」

 

〈お嬢おねむw〉

〈かわいい〉

〈レイラ嬢かわいい〉

〈安心感がちげーのよ〉

〈兄悪魔の懐で寝落ちw〉

〈かわいすぎ〉

〈『ゆきね:手描き切り抜きチャンネル』くふっ……〉

〈ねむねむw〉

〈とろけてて草〉

〈ゆきねさんやられたw〉

〈死因尊死〉

〈威力高すぎ〉

〈ゆきねさん殉職w〉

 

 商店の中からでも見えるくらい、数体どころか数十体と道路にもゾンビが溢れて、今なお増えている。サウンド的に隊員たちはゾンビの侵攻を喰い止めようとして撃ち続けていたのだろうけれど、とても止められるような数ではない。

 

 これならもう隊員たちは僕らにちょっかいを出せないだろう。ちょっかいを出そうとしてこちらに注意を向けようものなら、その瞬間に横面をぶん殴られるようにゾンビに喉笛を噛み切られることになる。

 

 安心材料としては必要十分なので特殊部隊の方々のお相手はゾンビたちにお任せし、僕は店の奥で待たせていたレイチェルに話しかけてついてきてもらう。

 

「あ、礼ちゃん礼ちゃん。ゆーさん観にきてくれてるよ」

 

「ゆーならどうせ今日も最初から観てるよ。ふだんROMってるだけで」

 

「……それもそうか」

 

〈コメント気づいた〉

〈よくこのコメントの量で見逃さないな〉

〈こんだけ戦っててコメント見る余裕があるの?w〉

〈どうせw〉

〈どうせ草〉

〈なんで小豆先生もゆきねさんもROMってんだ……〉

〈リスナーとしてのエチケットもしっかりしとる〉

〈もっと不用意にコメントしてもろて〉

〈納得しちゃうんだよねw〉

 

 商店の外に出ると、なかなかどうして凄惨な有様だった。

 

 建物の二階や三階でも銃声が轟いている。ぱぱぱっとマズルフラッシュが連続したかと思えば、ぱたりと音沙汰がなくなる。中にいた隊員はやられてしまったのだろう。複数のゾンビと室内戦はあまりにも相性が悪い。

 

「……建物の壁を這うなんてこともできたのか」

 

 建物の高層階にいればかなり時間を稼げるのではと思っていたのだけど、ゾンビは建物の壁に取りついて力任せによじ登っていく。文字通りに人間離れした筋力をしていればできないことはないのか。ゾンビじゃなくてもできる人間だっているのだし。

 

「あんなのもうずるいよね。建物の中に閉じこもることもできないじゃん……」

 

「部屋の中にいるのが隊員さん一人だったとしたら、警戒しなきゃいけないポイントが増えるとどうしたって苦しいね」

 

 違う建物では屋上で戦闘になっている。一体を倒す前に二体、三体と続けて攻め寄ってこられるのでどんどん後退していったようだ。道路から姿が見えるくらいぎりぎりまで下がっている。掴みかかられたところでさらに後ろに下がろうとして、段差に踵が引っかかったらしい。ゾンビに押された勢いに加えて足を引っかけて、バランスを崩して屋上から落っこちた。

 

 落っこちた隊員の真下には、同じく特殊部隊の人たちが三人いた。その三人は壁に背中を預け、分担して銃を構えて死角をなくしていたが、大変不運なことに三人のうちの一人に落下してきた隊員が接触した。そこまで高い建物ではなかったので落ちた隊員も、落ちてきた隊員に押し潰された隊員ももしかしたら死んではいないかもしれない。でも、どちらもそこで死んでいたほうがましな思いをすることになるのは確定した。三人で死角を潰し、フォローし合っていたことでようやく保たれていた均衡が崩壊した。砂浜に作った山が寄せる波で崩れるように、徐々に近づかれて弾切れを起こし、ゾンビの波に呑まれた。

 

「……あらら、なんとも運の悪い……。結局のところ、数があまりにも違うので頭を狙って弾の消費を減らしつつ後退するしかないんですよね。足を止めた時点で肩まで沼に浸かっているのと同じなんですよ。ご愁傷様です。ご冥福をお祈りします」

 

「ヘッドショットが当然みたいな言い方やめて。お兄ちゃんならどうする? あの状況」

 

「今の装備でああなったら終わりだから、ああいうふうに囲まれないように立ち回りを考えるかな。特殊部隊側で考えるとしたら、元人間様が大量に押し寄せると聞いた時点で撤退するし、撤退が許されないならなるべく部隊の人間を一箇所に集めるかな。元人間様の強みはなんといってもその数なんだ。分散して配置するのは対人間には有効かもしれないけど、元人間様相手には各個撃破されちゃうから悪手だね」

 

「集めて弾幕作るってこと?」

 

「それもあるけど、正面で戦う人と回り込まれていないか様子を見る人、リロードとかで交代する人って感じで役割分担して、隙をなくすために配置したいね。まあ、この光景を見ると殺し切る前に弾が尽きそうだけど」

 

〈ヘッショが常識になっている悪魔は言うことが違う〉

〈まぁ追い込まれた時点で秒読み始まってるよね〉

〈人力チート使いは簡単に言ってくれる〉

〈お嬢の前だとさらにヘッショ速度上がるからなw〉

〈立ち回った結果の今だから説得力ある〉

〈特殊部隊は装備はいいのに腕が悪い〉

〈悪魔の腕が異常定期〉

〈固まってりゃ違ったのかな〉

〈三段撃ちみたいなもんか〉

 

 ゾンビたちに特殊部隊の相手をしてもらおうなどと考えていたけれど、このままでは早々に隊員を全員喰い尽くしてしまいかねない。

 

 主人公のほうが排除する際の優先順位が低いだけであって、優先順位の高い特殊部隊が全員いなくなってしまえばいずれこちらも狙われかねない。早くこのマップのゴールに向かわなければ。

 

「小さい礼ちゃん、ゆっくりでいいから進もうね。こっちだよ。……なんでこういうところに限って選択肢が出ないんですかね、このゲーム。他の部分も細かいんですから『おんぶする』みたいな、小さい礼ちゃんを気遣うような選択肢も出してくださいよ……」

 

「これまで選択肢で怒るところたくさんあったはずなのに唯一怒るところそこなんだ」

 

〈レイチェルへの声優しすぎてとける〉

〈選ばない選択肢でも怒らなかったのにw〉

〈怒るところ特殊すぎんか?w〉

〈レイチェル至上主義過激派〉

〈草〉

〈甘やかすなw〉

〈大事にしすぎやろw〉

〈絶対ここに選択肢いらんくて草〉

〈戦闘になったらどうすんのw〉

 

 指示されたポイントへ進むとガソリンスタンドがあった。ここでどうしろと、と思ったら車が用意されている。どなたの車かは存じ上げないけれど、ここに捨て置かれているということはきっと所有者はすでにお亡くなりされていることだろう。それならこちらで有効活用させていただこう。

 

 しかしなんだろう、次は特殊部隊の人たち相手にレースゲームでもするのかな。

 

「なるほど。車に乗って移動し……ここから先の道が塞がっていないとも限らなくない?」

 

 これなら少しはレイチェルを休ませてあげられる、などと一瞬のんきなことを考えてしまった自分が恥ずかしい。

 

「おー。お兄ちゃんってばすぐ気づいちゃうんだ」

 

「だって、ここまでわざわざ小さい礼ちゃんに歩いてもらったのは、車が横転してて道が塞がってたからだからね。そのせいで無駄に体力を使わせちゃったんだよ。そりゃあここから先、車が通れるだけの道が用意されてるのかって疑うよね」

 

「あははっ。そうなんだよね。車が使えなかったから歩いてきたのにね。私がやった時はまったくなにも思わずに乗ったのになー。でも安心して、お兄ちゃん。車は乗っても大丈夫だよ。ていうか、乗らないとストーリー進まないから」

 

「ああ、そうなんだ。よかった、安心したよ。ありがとね」

 

〈たしかにw〉

〈それはそう〉

〈車使えたらここまで車できてるんだよなw〉

〈俺やった時はなんも思わんかったw〉

〈さすが考察班〉

〈レイチェル守るために神経尖らせてんなw〉

 

 もし車に乗って進んだ場合、後ろから特殊部隊の方々に追いかけられ、進路は横転した車に阻まれ、挟まれてゲームオーバー、みたいなことが起きるんじゃないかと疑ってしまった。さすがにそんな血も涙もない初見殺しのような所業はしてこないか。それはそうか。

 

「いいの。ただ……えっと、教えてあげたからってわけじゃないんだけど……その、奥のほう、見てもらえない?」

 

「奥?」

 

 視点をすっと動かすと、ガソリンスタンドの奥にバイクがあった。

 

「バイクで……やってみてくれない?」

 

「バイク? いいけど、何か違いがあるの?」

 

「攻略サイトとか見た限りでは……結果にはなにも影響しないって話だね」

 

「バイクでも車でも変わらないんだ。操作感が変わるだけなのかな」

 

「操作方法もそうだし、難易度も変わる……かな?」

 

〈バイクやらすんかw〉

〈見てみたくはある〉

〈悪魔なら行けそうなんだよな〉

〈むずいぞ〉

〈まぁミスってもやり直しできるし〉

〈ノーミスクリア見たい気持ちとバイクルートやってほしい気持ちどっちもある〉

 

「……まあ、運転するところもプレイヤーがやるってなったら……きっとそういうことだよね? ある程度カーチェイスチックなあれこれがあったり、運転しながらの銃撃戦があったりなかったり?」

 

「そうだね。まるっきりそういうのがあるね」

 

「……じゃあ車のほうが良いんじゃない? 絶対に車のほうが安全だよね? バイクだと後ろに乗ることになる小さい礼ちゃんも寒い思いをするだろうし」

 

〈たしかにレーシングってよりカーチェイスだわなw〉

〈バイクのほうが銃狙いやすいって利点はある〉

〈バイクだと銃撃ちやすいほかはデメリットしかないからなー〉

〈草〉

〈レイチェルの心配で草〉

〈バイクは寒いぞーw〉

〈冬のバイクは地獄だからな……〉

 

 ゲームの結末にも影響がなく、ただ危険度が上がるだけなのであれば、僕は車を選びたい。

 

 今のルートはわりと難しめのルートらしいけれど、僕は難しいルートをやりたかったわけではなく、やりたいようにやったら結果的に難しいルートになっていたというだけなのだ。僕は限界ぎりぎりくらいの難易度に挑戦しないと生の実感が得られないとかそういうタイプではない。

 

 簡単快適に進める方法があるのならそちらを選ぶ。

 

「そう、そうなんだけど……。バイクでクリアするお兄ちゃんを見たいってだけで……」

 

「それならバイクで行こうか」

 

〈お嬢しょんぼり〉

〈レイラ嬢が尊い〉

〈意見変えるのはえーw〉

〈さすが兄悪魔よ〉

 

「えっ! いいの?! なんにも、ほんっとになんにも変わらないらしいよ? 銃撃ちやすかったり障害物躱しやすくはあるけど、車と違ってぶつかってこられたらすぐこけるし、撃たれても防げないし……」

 

「デメリットばっかりじゃないならいいんじゃない? 一長一短あるってことでしょ」

 

〈障害物も避けやすいか〉

〈バイクの操作に慣れてりゃいけるけど〉

〈むずいぞー?〉

〈相当細かいぞ操作〉

〈ギアチェンジくそ大変だけど大丈夫か〉

〈銃防げないのがきついんよ〉

〈兄悪魔ならやってくれるんじゃないかっていう勝手な期待〉

 

「で、でも……お兄ちゃんが大切にしてるレイチェルが寒がるかも……」

 

「レイチェルより礼ちゃんのほうが大切だよ」

 

「……あ、あり……あ、ありがと」

 

「どういたしまして。といっても、ここから先は次回に持ち越しかな」

 

〈わあ〉

〈くわ〉

〈死んで成仏して転生したあともう一回死ねるくらいの威力〉

〈言われたい〉

〈うわああああああああ!〉

〈自分もこんなん言ってくれる兄がほしかっただけの人生だった〉

〈レイラさんお兄さんを私に……いえどうかお幸せに〉

〈少女マンガやん〉

〈二人で完成されてる〉

〈世界はこんなにも美しい〉

〈なんでその速さで返せる〉

〈当然みたいに言うな惚れる〉

〈慣れたと思ってたのにイケボが刺さった〉

〈悪魔兄妹は心臓に悪い〉

〈ここまできて次回?!〉

〈この気持ちどう処理したらいいの〉

 

 配信時間もいい具合に経っているし、もう一マップ進むと長くなってしまうだろう。このあたりで終わっておいたほうがきりがいい。

 

「それじゃあ小さい礼ちゃんをバイクに乗せ……ん?」

 

 妙に強調されていた気がする足音を聴き取り、そちらへと目を向ける。

 

 特殊部隊の隊員、その生き残りが目測七十から八十メートルくらいの距離にいた。

 

 聴覚の鋭敏さには自信があるけれど、さすがに付近でこれだけ大勢のゾンビが走り回っている状況下で、八十メートル弱も離れた足音を的確に拾う自信はない。これはゲーム制作側の何かしらの意図なのか、それとも単純にサウンド面のバグなのか。

 

 よくわからないけれど、とりあえず銃を構え、撃った。

 

「この距離をピストルで狙撃……すごいけど、倒さなくても逃げれてたよね? どうしたの?」

 

「これといって理由はないんだけどね。小さい礼ちゃんを安全にこの街から脱出させられるのは一応元人間様のおかげだから、手が届く分くらいは恩返ししておこうと思ってね」

 

〈ついでみたいに遠距離ヘッショすなw〉

〈見かけたから摘んだw〉

〈弾道完璧か〉

〈恩返しだったんだ〉

〈兵隊への嫌がらせかと〉

〈籠城してた時にいじめられたから仕返しかと思ったw〉

〈悪魔の手は長い〉

 

 視線の先の隊員が手にしていたピストルでゾンビを撃とうとしていたから、先に僕が隊員の頭を撃ち抜いておいた。

 

 ヘッドショットで一発すこんと撃たれた隊員は、頭だけでなく体ごと仰け反った。引き金は引かれていたが仰け反ったせいで銃口が上がり、ゾンビの頭をぎりぎり掠めただけに留まる。

 

 気持ちの問題でしかないけれど、これで義理は果たせたと言ってもいいだろう。

 

 満足して銃をしまうと、撃たれそうになっていたゾンビがこちらに振り向くのが見えた。

 

「こ、こっち見ちゃったよ! お兄ちゃんっ!」

 

「睨まれちゃったね。はい、逃げます」

 

〈うわ〉

〈草〉

〈完全に目が合った〉

〈こっち見てて草〉

 

 余計なお世話はここまでにして、そそくさとレイチェルをバイクの後ろに乗せる。そういえばこのバイクの鍵持ってないや、と内心焦ったが不用心なことに鍵はささったままだった。

 

 探しに行く手間は必要ないようだ。気の利いたゲームである。

 

「お兄ちゃん急いで!」

 

「大丈夫大丈夫。わ、ギアチェンジもやらなきゃいけないんだこれ。これがアクセルで、こっちがブレーキで、ギアチェンジがこれで、クラッチが……」

 

「あ、あっ、足音近づいてないっ?! お、おにっ、おにっ……」

 

「鬼じゃないよ、ゾンビだよ」

 

「知ってるよ! 前も聞いたよ!」

 

〈お嬢テンパるw〉

〈ホラー苦手だもんねw〉

〈兄はマイペースで草〉

〈操作方法は確認しとかんとね〉

〈半クラだるすぎ〉

〈足音したかな?〉

〈レイラ嬢恐怖で幻聴が聞こえる〉

〈鬼w〉

〈前も言ってたなw〉

〈好きだねそれw〉

 

「自分のバイクでもないしクラッチが壊れたっていいんだけど、後ろに小さい礼ちゃんが乗ってるからゆっくりスピード上げていこうかな」

 

「後ろのレイチェルよりもまず前にいる私に優しくしてっ!」

 

〈他人のバイクだからってw〉

〈考え方が悪魔で草〉

〈お嬢必死の嘆願w〉

〈妹悪魔を優先しないとw〉

〈レイチェルの優先度が高いのよw〉

 

「はーい出発しまーす。しっかり掴まっててねー」

 

「う、うっ、はあーっ……抜けれたー……」

 

 バイクで勢いよく発進して、そこで画面が切り替わる。ここでオートセーブがされているはずなのでセーブの完了を待ってからタイトル画面に戻った。

 

「今日の配信はここまでですね。『administrator』でした。おそらく次やる時には最後まで行けるかな? もうだいぶ終盤らしいし」

 

「そうだね。あとはもうカーチェイスと……っと危ないっ。ネタバレするところだった!」

 

「ストーリーの展開自体は細部が変わっているみたいだし、そこまで気にしなくてもよさそうだけどね。人間様も、内容を知っている方もいらっしゃったでしょうに自制してくださりありがとうございます」

 

〈あー終わりかー〉

〈次でアドミニもラストか〉

〈シリーズでいつまでも続いてほしかった〉

〈悪魔兄妹のアドミニ楽しいんだよ〉

〈FPSより雑談の比率も多いしな〉

〈危ないw〉

〈ネタバレはだめだぞー〉

〈こんなルート知らないからネタバレもできない〉

〈ちなみに知らない〉

〈わざわざ礼言ってくれるとこ悪いけど知らないんだ〉

〈知ってるやついなくて草〉

 

「んー、リスナーさんも知らないみたいだね。ある意味ネタバレが絶対に起きない状況だよね」

 

「あははっ、そんなことないよ。きっと僕に気を遣わせないように『知らない』って言ってくれてるんだよ。情報サイトや他の配信者さんのところで観た人は絶対にいるはずだからね」

 

「そうかなあ?」

 

〈草〉

〈まじで草〉

〈マジで知らんくて草〉

〈他のとこでもこんなルート選ぶやつなんていなかったんだよな〉

〈ただでさえむずいのにこんなルートできるわけねーのよ〉

〈悪魔が涼しい顔でクリアしてんの信じられん〉

 

「さて、時間が遅くなっちゃうしこのあたりで配信を閉じようかな。今日も配信を観てくださりありがとうございました。次『administrator』をやる時にもきていただけると嬉しいです」

 

「お兄ちゃんの配信にきてくれてありがとうございました! きっと次の『administrator』配信でも私がお邪魔することになると思います! よろしくお願いします!」

 

「おもしろかったなーと思っていただけましたら兄妹ともどもチャンネル登録や高評価、SNSのアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします」

 

「そうだそうだ。概要欄のところに専属切り抜き師のmellowさんのチャンネルのリンク置いてます。手描き切り抜きをやってくれてるゆーのチャンネルも並べて貼ってますので、一度動画を観てみてください! よかったなーって感じたらチャンネル登録などお願いします!」

 

「それじゃ、いつもの挨拶かな?」

 

「やったー! こほんっ……『New Tale』の悪魔兄妹! 妹のほう! レイチェルよりも私のほうがお兄ちゃんに愛されてることを再確認できて内心ご満悦の嫉妬の悪魔、レイラ・エンヴィと! 使えるものはゾンビでも使う、バケモンにはバケモンをぶつけんだよの精神で結果的にどちらの勢力も削って一人勝ちしたー……こちら!」

 

「『New Tale』の悪魔兄妹、兄のほう。敵の命は必要経費がモットーの憤怒の悪魔、ジン・ラースでした」

 

「わーっ! ありがとうございましたー! おやすみなさーい!」

 

「ご視聴ありがとうございました。またお会いしましょう。それでは良い夢を」

 

〈おやすみですー〉

〈お兄ちゃんさんが一番バケモンで草〉

〈おつかれさまでしたー〉

〈やっぱ小さいレイちゃんより大きいレイちゃんよw〉

〈嫉妬の悪魔の面目躍如で草〉

〈楽しかったよー〉

〈いつものきたー!〉

〈お疲れ様っした〉

〈おもしろかった!〉

〈おやすみなさいは言わないの草〉

〈二人のコラボはこれがないと〉

〈必要経費w〉

〈おやすみなさい〉

〈やっぱ悪魔ですw〉

〈次も必ずきます〉

〈おつですー〉

〈おやすみー!〉

〈配信ありがとう!おやすみ!〉

 

 観てくれたリスナーさんへとお別れの挨拶を二人でして配信を閉じた。最近は配信を観にきてくれている人も増えているし、コメント欄も賑わっていた。もしかしたら見逃しもあるかもしれないけれど僕が確認していた限りでは乱暴な、有体に言ってしまえば荒らしのようなコメントもなかった。

 

 一時期はできなかったことだし、こういった平和な配信がいつまでも続けられると嬉しい。

 

「ありがとね、礼ちゃん。配信につき合ってくれて」

 

 いまだに僕の足の間に収まっている礼ちゃんに感謝を伝える。

 

 悪魔兄妹の二人で『administrator』の続きをしてほしいとリスナーさんから要望はあったけれど、何より僕が礼ちゃんと一緒にやりたいと思ったから誘ったのだ。

 

「私も楽しかったからぜんぜんいいよ! お兄ちゃんのプレイは観てるだけでわくわくするからね!」

 

 礼ちゃんは椅子から降り立って、笑顔で僕に振り向いた。艶やかな黒髪がふわりと弧を描くように広がる。天使かな。天使だった。

 

「そう言ってもらえると嬉しいな」

 

「勉強もそこまで切羽詰まってるわけじゃないしね。いい息抜きになったよ」

 

「なにかわからないことがあったらいつでも言ってね」

 

「うんっ! それならさっそくこれから……あ」

 

 礼ちゃんの言葉を遮るように、コミュニケーションアプリにメッセージが入った。

 

 視線がPCのモニターに向かい、礼ちゃんは僕を見て口を閉じた。

 

「いいよ、礼ちゃんの話を聞いてからで」

 

「だめだよ。つい最近できたお友だちからなんだから」

 

 礼ちゃんはモニターに目を向けていたので誰から届いたのか見ていたようだ。

 

 すたたたっ、と軽やかに僕の背後に回った礼ちゃんは、僕の肩に手を置いてゲーミングチェアを回転させてモニターに向けさせた。強引である。

 

「ん、ごめんね。……ちょっと待ってね」

 

 早くメッセージをチェックしろと遠回しに言われた気がしたのでまずは届いたメッセージを確認する。

 

 送り主はやはり壊斗さんだった。

 

 メッセージを読んで、僕は思わず苦笑いを浮かべた。

 

「あ、あの……礼ちゃん。本当に申し訳ないんだけど……」

 

 くす、と礼ちゃんは呆れたように笑う。

 

「うん。私はいいから。勉強で困ってる部分もとくにないし。せっかくなんだから、お兄ちゃんは楽しんできて」

 

 礼ちゃんのお願いならなんでも聞くつもりでほんの十数秒前に『いつでも言って』と口にした手前居た堪れない思いではあるのだけど、礼ちゃんは快く送り出してくれた。

 

 まさかこんなタイミングでくると思わなかった。今回は礼ちゃんの気遣いに甘えさせてもらおう。

 

「ありがとう、礼ちゃん。お呼ばれされたことだし、行ってくるよ」

 

 壊斗さんからのメッセージ。その内容は、とあるゲームへのお誘いだった。

 




ということで、悪魔兄妹による『administrator』配信でした。
正直に言うと読者様からの『administrator』への期待がかなり高かったので期待に応えられるようなクオリティに仕上がっているのかとても不安でした。楽しんでもらえてたらうれしいです。

お兄ちゃん視点はここで終わって、次は壊斗さん視点に変わりまして別のゲームをやります。よろしくお願いします。


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二章『exodus』
〈あかいつき〉


「だからっ……朱莉! 先に木ぃ切らねーと動けねーんだって!」

 

『うるさいなーっ! かいとくん細かすぎるんだけどーっ! 加工しないと木材動かせないでしょーっ!』

 

「原木の状態でもトラックは通れるから! すぐ後ろに影迫ってんだからまずは木ぃ切って通れるように……美月ぃっ! サボんなーっ!」

 

『いや、もう詰んでるでしょ。それなら体力回復しとこっかなって』

 

「最後まで諦め……あぁ、呑まれた……」

 

〈草〉

〈このメンツで協力は無理ゲー〉

〈詰んでるんだよな〉

〈草〉

〈諦めは草〉

〈クリアできる未来が見えないw〉

 

 どこまでも要領の悪い朱莉と諦めの早すぎる美月に文句を言っている間に、俺が運転するトラックは後方から迫っていた影に呑み込まれた。ゲームオーバーだ。

 

『ちょっとーっ! トラックはかいとくんしか運転できないんだからさー、ちゃんとやってよー』

 

「やってただろうが! 一番働いてたわ! お前がちゃんと道作らねーからだろ!」

 

『うわー……出た出た。失敗したら自分は悪くない、自分はちゃんとやってた、って言い訳するやつだ。みんなちゃんとそれぞれ働いてるんですけどー』

 

「言い方はよくなかったかもだけど実際その通りだろうが! てか、朱莉はやることの順番が間違ってただけで働いてはいたけど、美月はマジで最後働いてなかったじゃねーか! 諦めてただろ!」

 

『みっきのこといじめないでよ! みっきは砕ける岩がもうなかったからスタミナ回復してただけじゃん! やることがなかっただけなのに働いてないなんてひどいよ!』

 

『ちょっと。朱莉は間違ってないんだけど。木材作れなきゃ結局あの先に進めなかったんだよ。それに手持ち無沙汰になったわたしにやることを作ろうと思って朱莉は加工してたの』

 

「うるせーうるせー! 二人で肩組んでんじゃねーよ!」

 

『もっと言い方優しくすればいいのにっ!』

 

『壊斗、わかってる? これ協力ゲーなんだけど』

 

「ならちょっとは俺にも協力して優しく言えやっ!」

 

 俺は今日生意気な後輩二人、蛍火(ほたるび)朱莉(あかり)宵闇(よいやみ)美月(みつき)とコラボ配信していた。

 

 やっているゲームは『exodus(エクソダス)』というリアルストラテジーとかローグライクの要素のあるパーティゲームだ。護衛対象のトラックを守りながら、山を越え谷を越え、木を切り岩を砕き、時には襲ってくる野生動物を狩り、這い寄ってくる影からどこまでも逃げていくゲームである。

 

 それぞれ木を切る役だったり岩を砕く役が決まっていて、各々協力し合いながら進めるゲームなのだが、この後輩二人とのコラボに協力ゲームを選んだのがそもそもの間違いだった。前にやった『Practice of evolution』ではどんな目にあったか、俺には経験があったはずなのに。

 

 いつもなら多少進みが悪かったとしても口うるさく言うことはしないが、今日は困るんだ。今日はだらだら進められると困る。

 

 明日は案件が入っていて、午前中に打ち合わせがある。早めに寝ておきたい。

 

 なのにこいつらときたらいつまで経っても真面目にやろうとしない。この間どこに出かけただの、最近これにはまってるだの、前遊びに行った時に立ち寄ったカフェのケーキがとてもおいしかっただの、ゲームの報告や情報共有そっちのけで雑談を繰り広げる。それを俺が注意すれば二対一の構図を作って口数で反抗してくる。

 

 このままだとクリアできるまで延々と続ける耐久配信になってしまう。さすがにやってられない。

 

「もういい。お前ら不真面目過ぎる。助っ人呼ぶわ。あいつならきっとすぐにきてくれるはずだ」

 

 二人足してようやく一人前みたいな後輩二人を抱えてもクリアまで導いてくれそうな友人は、俺には一人しかいない。

 

 憤怒の悪魔、ジン・ラースである。

 

 助っ人というか、白状すると救援要請だ。メッセージに『助けてくれ』と書いた。がつがつに助けを求めた。

 

『不真面目ってなにさー! あたしもみっきもがんばってるのにー!』

 

『は……は? 助っ人? し、知らない人?』

 

〈てこ入れかw〉

〈草〉

〈このメンツでやってくれよー〉

〈壊斗も諦めてて草〉

〈せっかくのあかいつきコラボなのに〉

〈助っ人って誰だ英治か?〉

〈三人でいいって〉

〈英治はFPSしかできんだろ〉

〈悪魔だったら最高〉

〈悪魔呼んでくれ〉

〈ゲームなんでもできそうなやつ一人知ってるな〉

〈英治この手の協力ゲーはできねーでしょ〉

〈ちな悪魔配信中です〉

〈悪魔なら許す〉

 

「三人でがんばっても無理だってことは証明されてんだろうが。だからもう一人呼ぶんだよ。美月が知ってるかどうかは知らんけど、今回が初めましてになるだろうな」

 

『初めましてだったら知らない人じゃん……』

 

「名前は知ってると思うぞ」

 

『かいとくん明日用事あるらしいし、クリアするためなら仕方ないけど……みっき、大丈夫そう?』

 

『だ、大丈夫……じゃ、ないかも……』

 

「安心しろって。コミュニケーション能力の高さが人外なやつだから」

 

〈美月はコミュ障だもんな〉

〈仲良くないと喋れない美月〉

〈だめそうw〉

〈このコラボに途中参加ってだいぶ人選ぶぞ〉

〈ぜったい悪魔で草〉

〈確実にジンラースw〉

〈コミュ力もゲームセンスも人外とか悪魔しかおらんくて草〉

〈ついさっき終わったとこだけどきてくれんのか?〉

 

 今日ジンが配信していることは知っていた。でもジンは長時間配信はしないから、メッセージを送っておけば終わったタイミングで手伝いにきてくれるはずだ。

 

『こ、怖い人? 怖い人じゃないよね?』

 

「怖くねーよ。人の心はないけどめっちゃいいやつだから大丈夫だろ」

 

『かいとくんのお友だちはふだんはなんのゲームしてる人?』

 

「貴弾やったぞ。貴弾、知ってるよな? FPSだ」

 

〈根暗がでてもうとる〉

〈朱莉は誰がきても問題ないだろうし余裕だな〉

〈いいやつだけどサイコでもあるんだよね〉

〈人の心がないなら悪魔確定〉

〈人の心はないはそうw〉

〈悪魔きたーー!〉

〈配信終わったばっかだろうけどがんばってくれ〉

〈妹さんの勉強見てるとかはあるかもしれない〉

 

『……FPS? ……怖い人じゃん』

 

「おいおいおい。FPSプレイヤー全員を怖い人のカテゴリーに入れんじゃねーよ。美月の先入観だろ。全員が全員そうじゃねーよ」

 

『全員じゃないの? 一部の人だけが怖い人なの?』

 

「いや一部の人は優しい」

 

『やっぱり大多数は怖い人じゃん……。わ、わたし、場合によっては回線が悪くなって落ちちゃうかもしれないからそのつもりでよろしく……』

 

「逃げようとすんな。大丈夫だって。そんじゃ、助っ人から連絡くるまでもう一回……お、返ってきたわ。はや」

 

〈まぁFPS人格破綻者も多いけど〉

〈心が荒むんだよ〉

〈草〉

〈正しくて草〉

〈たしかに一部だなw〉

〈優しいやつはたしかに一握りだわw〉

〈逃げる気だろw〉

〈回線悪くなる読み草〉

〈悪魔頼む!〉

〈悪魔!〉

 

 多少時間がかかるだろうし、リスタートしてても大丈夫かと思っていたら、想像以上にすぐにジンから返事が返ってきた。まめで几帳面な性格なんだろうな。解釈一致だ。

 

 メッセージを送ってもすぐには返信がなく、数時間経ったあとに『ごめん、今起きた』なんて返ってくるのがめずらしくないこの界隈でこのレスポンスのスピードは奇跡。

 

 ジンからのメッセージには『つい先ほど配信を終えたので大丈夫ですよ。招待もらってもいいですか?』とあった。あいつの物腰の柔らかさは文面でも伝わってくるのが不思議だ。

 

「おっけおっけ! きてくれるって! ちょっと待っといてくれ!」

 

『おー、どなたなんだろー? GGの人、じゃないんだよね?』

 

「違う箱のやつ。GG所属だったら名前出してるわ」

 

『べつの事務所……うっ、なんかお腹痛くなってきた……』

 

『みっきーっ?!』

 

「回線は冗談ってわかるけど、腹痛くなってきたってのは冗談なのかマジなのかわからんって」

 

 コミュニケーションアプリのサーバーにジンを招待するとすぐに電子音が鳴る。ジン・ラースの名前がサーバーのメンバー参加リストに追加された。

 

『お疲れ様です』

 

「おー! ジンお疲れー! 悪いな急に呼んで。もう配信終わったのか?」

 

〈悪魔きたああああ!〉

〈くっそイケボ〉

〈やっぱ声いいなw〉

〈仕事から帰った時に聞きたいセリフ〉

 

『はい、終わりましたよ。終わってすぐにメッセージがきたので、タイミングよかったです』

 

「終わってたのか。こっち配信ついてんだけど、ジンはどうすんの?」

 

『閉じてしまったので枠なしでやろうと思うんですけど、いいですか?』

 

「おっけ。そんじゃ、ジンのリスナーの中にも観たいってリスナーはいるだろうし、SNSでこの配信にいるっての投稿しとけよ? 壊斗の配信に遊びに行ってますーとかって言ってりゃたぶん伝わるだろ」

 

『壊斗さんのお名前借りてもいいんですか?』

 

「おう、使え使え。俺がむりやり引っ張ってきちまったんだしな」

 

〈悪魔いつも配信時間短いけどこっからできるのか?〉

〈もう閉じてたんだな〉

〈悪魔の配信おもしろかったよ〉

〈悪魔兄妹めっちゃよかった〉

〈二窓してたリスナーもいますと〉

〈悪魔枠なしか〉

〈壊斗数字稼ぎかよw〉

〈今日同接伸びるぞーw〉

〈同接稼ぎで草〉

〈爆速タイピングw〉

〈キーボード壊れるw〉

 

 ジンはキーボードの悲鳴のようなタイプ音を掻き鳴らしながら、おそらくSNSに投稿する用の文章を入力する。すぐにSNSに投稿された。

 

 ついさっき『配信を観ていただきありがとうございました』的な投稿がされていたのだが、その投稿から五分もしないうちに『壊斗さんのチャンネルにお邪魔させていただいてます』の投稿が続いている。少しおもしろい。ジンのリスナーからすれば『何事?!』って感じだろうけど。

 

『お待たせいたしました。自己紹介が遅れて申し訳ありません。初めましての方もいらっしゃいますのでご挨拶させていただきます。「New Tale」の四期生、憤怒の悪魔のジン・ラースと申します。よろしくお願いいたします』

 

 俺から紹介しなきゃいけないところだったのに、いらんことを考えていたせいで失念していた。

 

『わっ、うあっ……。か、かいとくんのお友だちって聞いたから、もっとおちゃらけた人を想像してたっ……。めちゃめちゃしっかりしてる人だっ……』

 

「どういう意味だ、おいこら朱莉」

 

〈よそいき悪魔〉

〈悪魔はだいたい丁寧だぞ〉

〈親密度合いによって敬語の中でも変えてるんだな〉

〈壊斗から紹介してやれよ〉

〈もうちょい砕けた喋り方するもんな壊斗には〉

〈ロロにもたまに敬語なくなってた〉

〈草〉

〈壊斗の友人にしてはできすぎてるかw〉

 

『あ! あたしは蛍火朱莉ですっ! 一応かいとくんの後輩です! よろしくお願いしますっ!』

 

「一応ってなんだよ。ぜんぜん後輩だろうがよ。三年違うんだからな?」

 

『三年もデビューが違うのにこんなに親しげに接することができるのは壊斗さんの人徳のなせる(わざ)ですね』

 

〈朱莉は初対面関係ないなw〉

〈物怖じしねーw〉

〈草〉

〈一応な〉

〈三年も違うのか〉

〈この人懐っこさがいい〉

〈カバーうめーw〉

〈物はいいようだw〉

 

「そんなとこまで拾えんだお前? すっげーよそのカバーリング意識。じゃ、はい、次。美月」

 

『うぇっ……え、あ……。あ、よ、宵闇、美月……す。おじゃじゃしゃす……』

 

『宵闇美月さん。よろしくお願いしますね。急にお邪魔してしまってすみません』

 

『あ、い、いや、はい……よろしく、おにゃしゃす……』

 

〈FPSで培われたカバーリング〉

〈草〉

〈守備範囲広すぎw〉

〈美月だめそうw〉

〈声出てなくて草〉

〈かみかみだしw〉

〈きてくれた悪魔に気ぃつかわせんなよー〉

〈壊斗なんとかしろ〉

 

「ジン、気にしなくていいぞ。美月は人見知りなんだ。誰に対しても慣れるまではこんな感じだから、べつに嫌われてるとかじゃねーよ」

 

『そうなんですね、よかった……。お三方のグループ「あかいつき」のコラボに突然割り込んでしまったので、もしかしたらお気を悪くされたのかもしれないと思ってしまって』

 

『ぜ、ぜんぜんっ……そ、そういうの、ないんで……はい』

 

〈美月はこれが平常運転〉

〈初対面のスタートラインがこれ〉

〈初めましての距離遠くて草〉

〈悪魔リサーチ済みなのか〉

〈あかいつきw〉

〈そんなんあったなw〉

〈ちなみに朱莉も美月も配信タイトルにあかいつき入ってます〉

〈壊斗だけだぞ入れてないの〉

 

「そういやそんなコラボ名もあったな……」

 

『あるよっ! ずっとあるよっ! 「あかいつき」大事にしてないのかいとくんだけだよっ!』

 

「人聞き悪いこと言うんじゃねーよ! 美月、そんな緊張することねーぞ。所属してる事務所こそ違うが、配信歴はお前のほうが長いんだ。歴だけは先輩だぞ」

 

〈忘れんなよw〉

〈グループ大事にしろ〉

〈コラボしてくれる友だち少ねぇ理由こういうとこだろ〉

〈配信歴はな〉

〈壊斗は歴だけは長い〉

〈悪魔が新人って聞いて驚いたわ〉

〈これでも意外とデビューしたばっか〉

〈大型新人すぎるだろw〉

 

『そうですよ。僕なんてデビューしてから一ヶ月ちょっとしか経ってないど新人なんですから、敬語も敬称も必要ありません』

 

「そうそう。ジンなんか一ヶ月しか経ってな……え? デビューそんな最近だったっけ? マジでど新人じゃねーか……嘘だろ……」

 

『ジン・ラースさんデビューして一ヶ月なのっ?! 落ち着き方がベテランだよっ!?』

 

『……一ヶ月? わたし、デビューして一ヶ月の頃なんてまともにコラボする相手もいなかったんだけど……』

 

『いろいろと……そう、荒波に揉まれるという経験をしたものですから。なので雑に扱っていただいて大丈夫ですよ』

 

〈?〉

〈?〉

〈いっかげつ?〉

〈新人詐欺じゃなかったのか……〉

〈貫禄ありすぎやろw〉

〈こんな新人いてたまるかw〉

〈まじでベテランみたいな落ち着き〉

〈配信慣れしすぎとらんか?〉

〈確実に美月よりかは配信者しとる〉

〈話に安定感あるしなw〉

〈新人感なくて草〉

〈風格出すぎw〉

〈数字も持ってるしな〉

〈ああ……〉

〈悪魔はいろいろあったね〉

〈だいぶ揉まれたな〉

〈こんな態度のやつ雑に扱えるわけなくて草〉

 

『そう? それじゃー、じんくんね! あたしのことも朱莉って呼んでいいよ!』

 

『ふふっ、ありがとうございます。では朱莉さんで』

 

『わ、わたしは……すぐ名前呼びは無理なんだけど……』

 

『大丈夫ですよ。ジンでもラースでもジン・ラースでも、お好きな呼び方をご自由にどうぞ』

 

『そう? そ、それじゃ……ラースさんって呼ぶ』

 

『はい。では僕は宵闇さんとお呼びさせてもらいますね』

 

〈朱莉は距離の詰め方はえーなw〉

〈踏み込み早くて草〉

〈美月がんばれ〉

〈この流れでジン呼びしとけ〉

〈名前の呼び方は最初が重要って〉

〈ラースw〉

〈声ちっせーw〉

〈誰それ感すごい〉

〈声細くて草〉

 

 朱莉は初対面相手だと多少言葉は丁寧になるくらいで、わりと誰に対しても変わらず平気で接していける。人によっては馴れ馴れしいと思われかねないが、相手はジンだ。心配はいらない。ジンからすればこうやってがんがん詰めてきてくれる相手のほうが好ましく思ってそうだ。

 

「一人だけ距離遠いな……。てか、マイクも遠くなってね? うるせー状態を基準にして音量調整してっから声小さくされたら聴こえねーよ」

 

 美月は初めましての人だと露骨に違ってくる。話し方もそうだし、なにより声量があからさまに下がる。ジンと話している時の声に合わせると、朱莉と組んで俺を叩く時の声が大きくなりすぎる。もうちょい声を張ってほしいところだ。

 

『ほんとかいとくんってデリカシーとか優しさとかそういうのないのっ?! みっきががんばって話してるのにさっ!』

 

『壊斗はこういうところがほんとにダメ。だからロロさんにもモテないって言われるんじゃないの?』

 

「モテないとは言われてねーよ! 彼女できないって言われただけだ!」

 

〈美月の精一杯だった〉

〈いらんことしか言わんな!〉

〈がんばってるだろ〉

〈確かに声は小さいけど!〉

〈デリカシーとか壊斗に求めるな〉

〈壊斗に期待するほうが間違ってるまである〉

〈モテないw〉

〈草〉

〈絶対モテませんw〉

〈言われてそうなんだよなw〉

〈言ってた気がしてくる〉

〈脳内再生余裕〉

 

 この前ジンとロロと三人でやったプラエボ配信観てるのかよ。うるせえよ。あのコラボでロロに『彼女できない』って言われた後、優空にも『そんなんじゃ彼女できないよー』とかってからかわれたんだぞ。

 

 モテるわ、俺だって。彼女は作れないんじゃなくて作らないだけだ。

 

『くくっ、ふふっ……やっぱり「あかいつき」のみなさんは仲良しですね。「モテない」とか「彼女できない」っていうのはあの時のですよね? 僕と壊斗さんとロロさんで「Practice of evolution」やった時の』

 

『あ、そ、そう。わたし、き、切り抜きで観ておもしろかったから……アーカイブ、観た。よ』

 

「なんで最後カタコトなんだよ」

 

『かいとくんだまっててっ!』

 

 俺を叩く時は引くほど舌が回るくせに、ジンと話している時はたどたどしくなる美月にちょっとちょっかい入れただけで朱莉から怒られた。

 

 配信中に黙れだなんて言われる日がくるとは思わなかった。

 

 朱莉的には、ここはジンと美月が仲良くなるためのお喋りパートなのかもしれない。

 

『面白いと思っていただけたのなら嬉しいです。どなたの視点で観られました? 視点によってだいぶゲームの印象が変わると思いますけど』

 

『あ、切り抜きのコメントでロロさんの視点が三人の中では一番平和っていうのを読んだから、ろ、ロロさんのを……』

 

「いや俺のじゃないんかい」

 

『かいとくんっ!』

 

〈ロロ視点は画的に平和だった〉

〈視点まとめおもしろかったんだよなー〉

〈悪魔の視点が基本グロなの笑った〉

〈先輩の視点は観ない美月〉

〈そりゃロロ視点よ〉

〈だぁってろ〉

〈静かにしてて〉

〈微笑ましいお喋りしてるんだからさぁ……〉

 

 ツッコミを入れるのもNGなのか。なんなら朱莉だけでなくリスナーからも黙ってるように言われている。

 

 なんてやつらだ。俺のチャンネルのリスナーとは思えない。いや、俺のチャンネルのリスナーらしいか。いつもこんなもんだったわ。

 

『ロロさんの視点もとてもいいと思います。何もなかった崖の上に拠点が作られて、どんどん大きく立派になっていくところは観ていてとても楽しそうです。壊斗さんの視点だとキメラントとの戦闘もあり、素材回収もあり、拠点のお手伝いもありというバランスのいい視点になっていますので、まだご覧になっていない方はそちらも是非どうぞ』

 

「うおお……宣伝まで。さんきゅさんきゅ」

 

〈へー〉

〈観たいな〉

〈壊斗の視点観てたからな〉

〈おもしろそう〉

〈がんばって建築してたから壊された時悲しかったんだろうな〉

〈おー〉

〈さす悪魔〉

〈壊斗はうろちょろしてただけだぞ〉

〈どっちも楽しめるわけか〉

〈気がきく悪魔だ……〉

〈まじで口がうまいな〉

 

 ジンは『Practice of evolution』配信のロロ視点の魅力を伝えるだけにとどまらず、俺の視点のオススメまで流れるようにしてくれた。相変わらず如才ないやつだ。

 

『ほんとにラースさん、デビューして一ヶ月……? 新人感がいい意味でないよね……』

 

『ほんとそうっ! 落ち着き方すごいよねっ! 一ヶ月とかふつうはやっと配信に慣れてくるってくらいなのにっ!』

 

『え? そう、でしょうか? あまり言われ慣れていないので、少し照れくさいですね……』

 

GG(うち)の事務所は人数が多いぶん、新人だと甘やかされがちだしな。ジンはいい意味で新人らしいかわいげがない」

 

〈新人感はないなw〉

〈こんな新人入ってきたらやだなーw〉

〈貫禄すげーよ〉

〈大御所みある〉

〈落ち着きがあるんだよ〉

〈変にテンション上げたりしないしな〉

〈草〉

〈かわいくてくさ〉

〈照れとるw〉

〈新人は声張ればいいと思ってるとこある〉

〈悪魔は新人には酷すぎるハードルを越えてきてるからな〉

〈肝のすわりかたがちげーよ〉

〈かわいげがないは草〉

〈壊斗「ジン・ラースはかわいげがない」〉

〈急に刺すやんw〉

 

 先輩からすれば、知らないことやわからないことで手間取る新人に『ここはこうするといいぞ』って教えたりしたくなるものだ。

 

 俺の前だけかもしれないが、ジンのそういった手間取ったり戸惑ったりするところは見たことがない。配信機材やPCの設定、配信に使う数多くのアプリをしっかり勉強して使いこなせるようにしたんだろう。

 

 先輩や後輩関係なく、対等な配信者として振る舞おうとしているのはえらいとは思うが、先輩風を吹かせることができないことだけは不満だ。ジンにいろいろ教えたりしたかったのに。

 

『可愛げがない……。ま、まあ……たしかに後輩っぽさはないですし、先輩から可愛がられるタイプではないかもしれません……』

 

『かいとくんっ! かわいげがないにいいも悪いもないでしょっ! 悪い意味しかないよっ!』

 

『その失言の多さがコラボ相手を少なくしていることにそろそろ壊斗は気づいたらいいのに。いや、いっそのこと気づかなくていいかも』

 

「お前らと同じようなことしか言ってないだろ!? なんで俺だけ責められるんだよ!」

 

〈しょんぼり悪魔〉

〈かわいそう〉

〈落ち込むなあくま〉

〈これだから壊斗は……〉

〈悪魔は立派だが配信者としてはまだひよこなんだぞ〉

〈いい意味でをつければいいと思ってんだよ〉

〈すべてを誤魔化せる魔法の言葉じゃないぞ〉

〈袋叩きで草〉

〈総スカンw〉

〈これこそ壊斗の立ち位置〉

〈同じこと言ってねーよw〉

〈ぜんぜん違ったぞw〉

 

『あははっ、お二人のフォーカスの速さは見習うべきものがありますね』

 

『ほめられたっ!』

 

『褒められちゃったね』

 

「見習うなこんなもん。褒めてもねーし」

 

〈揚げ足取る時の反応速度野生動物並や〉

〈フォーカスw〉

〈フレンドリーファイアで草〉

〈FPS脳w〉

 

 ジンにはこの二人をあんまり調子に乗せないでほしいな。このばかな後輩二人はどこまでもつけ上がる。

 

『そういえば、朱莉さんと宵闇さんは前に壊斗さんとプラエボをされたんですよね?』

 

『うん、やったよー。かいとくんの小言が多かったのを覚えてる!』

 

「それは朱莉が口ばっか動かして手を動かさねーからだろうが!」

 

〈あかいつきのプラエボはちがうおもしろさがあったw〉

〈壊斗が言ったことめっちゃ憶えてんだな〉

〈壊斗なんかの話をちゃんと聞いてるのか悪魔〉

〈作業効率はごみだったw〉

〈たくさん働いてたぞ口はな〉

〈手の三倍口が動いてたw〉

 

『次やる時にはお二人をお呼びするとも壊斗さんが仰ってましたけど、お話伺ってますか?』

 

『あ、うん。……なんか、そうみたいで』

 

「いや配信のあと言ったじゃん。また今度プラエボリベンジコラボやるからそん時頼むって」

 

『なにも聞かされてなかったもんねー。せめて一言くらい言っといてほしかったよねー?』

 

『そうだよね? 知らない人もいるのに、コラボするからって決まってから言われてもね?』

 

「その時に決まったのに一言言っとけるわけねーだろ……」

 

〈リベンジ楽しみなんだよな〉

〈待ってる〉

〈いつまでもプラエボコラボ待つ〉

〈今度こそお家を守ってほしい〉

〈ロロの笑顔を守ってくれ〉

〈あのタイミングで先に言うのは無理で草〉

 

 あの時は自分の保身のためにプラエボリベンジコラボを約束させたのだ。ロロに笑って配信を終えてもらうための方便でもあった。

 

 リベンジに後ろ向きだったロロをその気にさせることだけに意識を集中させていたのだ、こいつらの予定を聞かないと、みたいなことはまるで考えてなかった。こいつらなら事後報告でも問題ないし。

 

『また今度やる予定のプラエボコラボの時には僕もご一緒させてもらうことになっているんです。なので今日のゲームもそうですが、プラエボコラボの際にもよろしくお願いしますね』

 

『じんくんなら安心だっ! プラエボもよろしくね!』

 

『他の人よりもぜんぜん気楽にできそうでよかった……。よ、よろしゃしゃす……』

 

〈安心最強の悪魔〉

〈丁寧だなぁ〉

〈こういうとこや〉

〈美月w〉

〈コミュ障が出てもうとるw〉

〈草〉

 

「ほんとお前ら俺の時とは態度違うなぁっ!」

 

『それはそうでしょう。僕とお二人は今日が初対面ですし、壊斗さんのように気兼ねなくぶつかっていくのは難しいですよ。どれだけプロレスをしかけてもきっちりやり返してくれるという信頼感あってこそなんですから』

 

〈そら態度も変わるよな〉

〈これフォローできるの?〉

〈言い回し一つでここまで変わるのか〉

〈人騙すの得意そう〉

〈そんな綺麗な解釈できんだ〉

 

『んー……なんだかかいとくんへの信頼って言われると、背中がぞぞぞってするー……』

 

『朱莉、信頼だよ、これは。なに言ってもいいっていう』

 

「なに言ってもいいわけねーだろ。しばき回すぞ。ジン、こいつらは俺を舐めてるだけだ。信頼もくそもねー」

 

〈拒否反応出てて草〉

〈アレルギー出るよ〉

〈ぼろくそやw〉

〈先輩後輩とは思えないよなw〉

 

 わりと大先輩になるはずなのに、こいつらからはリスペクトを感じない。きっと敬意とかいう概念を知らないで育ったんだろうな。後輩的なかわいげがないとジンに言ったが、朱莉と美月にもそういったかわいげはなかったわ。

 

『そんなことないと思うんですけどね。そうやって言葉で殴り合うような間柄、僕はとても羨ましく思いますよ。……さて、お待たせしました。ゲームのインストールができたので、そろそろそちらに合流しますね』

 

「インストールまでの繋ぎだったのかよここまでっ?!」

 

『わぁ……。じんくん、お喋りもうまいんだぁ……』

 

『プロレスするような間柄よりもそのトークスキルのほうがわたしは羨ましい……』

 

〈そういや悪魔の目標は友だち作ることだもんなw〉

〈目標小学生並みで草〉

〈時間稼ぎやったんか〉

〈親睦深めるにしてもえらい雑談するなと思ったら〉

〈そういやずっと話回してたな……〉

〈雑談で繋ぐにしても自然すぎやろw〉

〈さすがお喋りの悪魔〉

〈ずっと雑談してくれていいよw〉

〈俺もほしいわそのスキル〉

〈困んの壊斗だけだしもうちょい雑談しよ?〉

〈初対面二人もいてこんだけ話し続けられんのかよw〉

 

『僕のこれはトークスキルではなくて、ただのお喋り好きなだけなんですよね。以前雑談コラボした時には僕が無駄に喋りすぎて、ロロさんから「胃もたれする」と太鼓判を()されました』

 

「あのお喋りなロロからそんな言葉引き出させんのお前くらいだろうな。ゲームのタイトル画面に行ったらちょっと待っててくれ。ロビーに招待する」

 

〈十分すぎるスキルや〉

〈お喋り好きも高じるとここまでなんのか〉

〈配信者適性高すぎ〉

〈胃もたれw〉

〈言われとったなw〉

〈味が濃いとかなw〉

〈ふだんはロロが言われてるくらいなのに〉

〈雑談コラボの企画を壊すくらい雑談してたぞ〉

 

 休む暇を与えないくらい話をしてくるお喋りモンスターのロロにそこまで言わしめるほどとは、もはや恐怖を覚えるレベルだ。

 

 前回コラボした時は、貴弾では敵が強すぎてIGLで手一杯だったし、プラエボではゲーム内で別行動していたことも多かったのでお喋りは控えていたのか。お喋り好きでも時と場合を選んでくれる分、朱莉と美月(ばかふたり)よりよっぽどいい。

 

『ありがとうございます。そういえばなんだか「助けてくれ」みたいなメッセージで僕呼ばれたんですけど、大丈夫なんですか? さっきゲームをインストールしたことからもお察しの通り、僕やったことないんですけど』

 

「大丈夫だ。何回かやってるこいつらよりもファーストタイムのジンのほうが絶対に動ける」

 

〈なんとかなるやろ〉

〈助けてくれw〉

〈悪魔なら一回二回軽くやればわかるよ〉

〈助けてくれw〉

〈SOS送ってたんだなw〉

〈それはそう〉

〈なんなら朱莉はやるたびに遅くなってたぞ〉

〈お喋りタイムが多すぎるんよw〉

 

『協力ゲームでしょー!? なんでテンション下げるようなこと言うのーっ!』

 

『自分の非を棚に上げてこの物言い。壊斗はチームプレイっていうのを致命的に理解してないね』

 

「うるせーよ! 二人合わせて一人前がよぉっ!」

 

『ふふっ、くくっ、チームワークはばっちりみたいですね』

 

〈協力ゲー(協力するとは言ってない)〉

〈協力ゲーだけど協力できるかどうかは別〉

〈協力w〉

〈これに関してだけは壊斗間違ってないからなぁ〉

〈二人合わせて一人前草〉

〈草〉

〈一人で〇・五人分〉

〈チーム崩壊してんだよねw〉

〈二人と一人と一人やね〉

 

 朱莉と美月の場合、大目に見積もって二人で一人前だ。状況によっては二人で一人前にも満たない可能性がある。甘めの採点をしてやったんだから感謝してほしいくらいだ。

 

「チュートリアルとかもあるけど、まぁいらねーだろ。やってみりゃわかる」

 

『そう、でしょうか? なるべくみなさんに迷惑をかけないよう頑張りますね』

 

『迷惑なんて気にしないでいいよっ! 楽しかったらそれでいいのっ!』

 

『そ、そうです。困るのは壊斗くらいだし』

 

「お前らがそんな態度だから俺はジンを呼んだんだよ、このばかどもが」

 

 このゲームは意外と奥が深いしスキルとかアビリティとか、どの作業を優先するべきかとかいろいろあるから説明をしたほうがいいだろうけど、俺の付け焼き刃な知識で先入観を与えるより、ジン本人が感じ取って理解したほうが効率がよさそうだ。俺もこのゲームを隅から隅まで知り尽くしているわけじゃないし。

 

 それにジンとやったプラエボは最高難度だったが、今回やる『exodus』は上から二番目の難易度。ジンにとってはそこまで手こずるような難しさでもないだろう。

 

「んじゃ、とりあえずジンが合流して一発目、スタートだ!」

 

 





『Practice of evolution』の時にも名前だけ出てきていた壊斗さんの後輩ちゃんずと一緒に『exodus』スタートです。よろしくお願いします。


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『exodus』

 

「まずはキャラ選択だな。四種類ある。ジン、どれでもいいぞ」

 

『ランバージャック、ストーンメイスン、レンジャー、プロフェッサー……なかなか異色な役職が並んでますね。プロフェッサーが浮いてますけど……。みなさんはどれをされてたんです?』

 

〈ようやくゲーム開始〉

〈初心者は木か石だな〉

〈こんなん狩人か教授の二択やんw〉

〈朱莉と美月は固定だしな〉

 

「俺はレンジャーだな。このゲーム野生動物が出てくるんだよ。その野生動物を狩ったり、防衛対象のトラックを運転したりクラフトしたり、まぁやることはいろいろだな」

 

『エイムって関係あります?』

 

「いやー……マップを上から見てキャラを動かす感じのゲームだから、あんま関係ねーな」

 

〈レンジャー忙しい〉

〈シングルタスクには厳しい〉

〈悪魔ならいけんことないか〉

〈経験ある壊斗のがいいぽいな〉

〈エイムw〉

〈FPSじゃないのよw〉

 

『なるほど。それなら僕はあまり貢献できそうにありませんね……。朱莉さんはどれを?』

 

『あたしは木こりやってたよっ! 木を切るのが仕事でー、加工したり、あと……邪魔になる木も切るんだよ!』

 

〈エイム自信ニキ〉

〈木こり(半人前)〉

〈切る(二回目)〉

〈切ってしかないw〉

〈運んで……〉    

 

 木を切るという説明が二回行われているが、これはツッコミ待ちなんだろうか。朱莉のことだからボケでもなんでもなく本気で言ってそうだ。トラックの邪魔になっている木と、それ以外の資源としての木でわけて考えてるんだろうな。

 

『木こり、なるほど。ランバージャックとかわかりにくいですもんね』

 

『らんばー……それは知らないかも。木こりだよ!』

 

『ふふっ、ええ。木こりですね』

 

〈わからないんだよねw〉

〈木こり!〉

〈かわいい〉

〈自信まんまんw〉

〈かわいい〉

 

「すまんな。朱莉にランバージャックとか通じるとは思わなかったから木こりって説明したんだよ」

 

『なに? なんなの?! 木こりだよっ!』

 

『ほら壊斗が言わなくていいこと言うから朱莉が拗ねちゃった。朱莉、朱莉は悪くないよ。壊斗が悪い』

 

『ランバージャックなんてわかりにくいですよね。最初から木こりとか、せめてウッドカッターとかって書いておいてほしいものです』

 

『そうっ! そうだよ! わかりやすくしといてほしいよ! あたしまちがってないよねっ!』

 

「おーいーっ! 甘やかすなーっ! お前らが甘やかすから朱莉がこんなんになったんだぞっ! リスナーもだぞーっ!」

 

〈草〉

〈通じるわけないしなw〉

〈木こりだけわかりにくいんよ〉

〈おこっちゃったw〉

〈美月と朱莉のラインが強いw〉

〈フォローw〉

〈悪魔のカバーあったけーw〉

〈こうやってモンスターが生まれるんだ〉

〈朱莉甘やかされがちw〉

〈愛されキャラやからなw〉

〈しゃあない〉

〈草〉

〈かわいいもんw〉

 

 朱莉と美月が常に徒党を組んでたからジンを呼んだけど、忘れていた。ジンはどこまでも中立の立場を維持するやつだった。どちらかの肩を持つということがない。客観的に見て正しいと思ったほうの意見を尊重するんだ。

 

 くそ、無条件に俺の味方をしてもらおうと思っていたのに。

 

『それでは宵闇さんがストーンメイスン、石工さんなんですね』

 

『そ、そうだよ。邪魔な岩砕いたり……あ、あとは石材を加工して道作ったり、とか……する』

 

『なるほど。……みなさんそれぞれの役職を使い慣れているでしょうし、僕は余っているのにしておきましょうか』

 

「べつにプロフェッサーじゃなくても、レンジャー二枚積みもありだぞ」

 

〈教授はなぁ〉

〈器用貧乏なんだよな〉

〈正直代用きくしな〉

〈なんでもできてなんにもできない〉

〈レンジャーが手堅いな〉

 

『でもみんな違う職のほうが面白そうですよね。どんなことができるのか気になりますし』

 

『ラースさん配信映えまで意識してるんだ……』

 

『かいとくんなんか二枚積みもあり、とかって意識低いこと言ってたのにっ!』

 

「う、うううるせーよ……。ゲームのクリアしか視界に入ってねーんだよ……」

 

〈配信映えw〉

〈配信してねーのにw〉

〈悪魔配信してないやんw〉

〈枠ないのにw〉

〈草〉

〈新人が一番意識高いw〉

 

 明日のスケジュールで頭がいっぱいになっていて配信のことは二の次になっていた。たしかに同じ役職が二枚よりも全員ばらばらのほうが観ている側はおもしろいかもしれない。

 

 でもリスナーも言っている通り、教授は役割的に微妙なんだ。こういうのは満遍なくできるゼネラリストよりも、一つの分野のスペシャリストのほうが使い勝手がいい。

 

 安定してクリアするならレンジャーのほうがいいはずなんだよなぁ。言われてみればたしかに配信的に見栄えは悪いけど。

 

 配信の枠も取ってない一番の新人が一番配信のこと考えてるの、ほんとどうかと思う。箱は違えど三人も先輩が雁首並べてるっていうのに情けない。

 

『いえいえ、僕が単純に教授はどんなことができるんだろうなって気になっただけですからね。ただの好奇心ですよ。お待たせしました、それではいきましょうか』

 

「ういー。いくぜー。このゲームがどんな感じで進めるのかっていうのをジンに教えるためにこの回はお試しって感じだけど、べつにこのお試し回でクリアしたっていいんだからな! 手は抜くなよ!」

 

〈これは新人らしくねーわw〉

〈新人は自分のことだけでいっぱいいっぱいになれw〉

〈気遣いまでできる〉

〈先輩たち情けないなぁw〉

〈いくぜー〉

〈やるぜー〉

〈始まるぜー〉

〈別にこれでクリアしてしまっても構わんのだろ?〉

〈フラグ草〉

 

『はい、手は抜きません。気は抜いていいんですよね?』

 

「気も抜くんじゃねぇよ! 集中してけや!」

 

『あははっ! そうだよーっ、どっちかは抜かせてよーっ!』

 

〈それ無理なやつやw〉

〈草〉

〈そんなん言うやつは気が抜けてるんよw〉

〈悪魔ダメモードかもw〉

〈プラエボ幻の一日目の悪魔かもしれんw〉

〈若干未来見えて草〉

 

 とんでもなく恐ろしいコメントを見つけてしまった。〈プラエボ幻の一日目の悪魔〉とかいう、これからまともにプレイできそうにない不吉な言葉を発見してしまった。

 

 いやだ、あんなことになったら絶対朱莉も美月も共鳴しておふざけしかしなくなる。クリアする頃には朝日を拝むことになってしまう。最悪の場合クリアできずに諦める可能性すらある。

 

「引き締めてくれよーっ! 頼むぞーっ! 俺の明日がかかってんだぞおおぉぉっ!」

 

『それならいっか』

 

「美月てめええぇぇっ!」

 

 キャラを選び終わり、しばしのロードを挟んでマップに出た。

 

 このゲームには一応ストーリーがある。とある怪しげな研究機関に囚われていた子どもたちをトラックに乗せて脱出させて逃げる、みたいな感じだったはず。ストーリーなんてそこまで大事じゃないからうろ覚えだ。

 

 大事なのは子どもたちを乗せているという設定のトラックを守って逃げ続けることだ。

 

『あ、始まりましたね。ところでこれは何をどうすればクリアになるんです?』

 

「急に真面目になんじゃねーよ……。えっとな、進行方向の先に四角く光ってるとこが……」

 

『木を切ってもらわなきゃわたし仕事できないよ』

 

『あれ? あれ? 斧どこー?』

 

『このトラックはいったい何に使うものなんですか? キャンピングカーでしょうか?』

 

「光ってるとこ……キャンプしにきてるんじゃねーよ。キャンプはプラエボだけにしとけ。このトラックに子どもたちが乗ってて、これを守るっていうストーリーで……」

 

『プラエボはキャンプにはなりませんでしたけどね』

 

「野生動物がトラックを攻撃……プラエボの話はすまんかったって! で! えーっと、なんだったか……」

 

『ねー、朱莉ー、木切ってよー。わたしいつまで経っても仕事できないんだけどー』

 

『や、だって……あたしだって斧なかったらお仕事できな……みっき! みっきが持ってるのピッケルじゃなくて斧だよっ!』

 

『あ……。あははっ、ごめんごめん。ずっとピッケルだと思ってた』

 

『いくら探しても見つからないはずだよー! あはははっ!』

 

『あははっ、ふふっ、あははっ。持ってたわ、わたし。ごめん朱莉っ、あははっ』

 

『僕のキャラ、ランタン持ってますよ。これ明るい時に役に立つんですかね?』

 

「ああぁぁっ! うわああぁぁっ! 一回黙れお前らああぁぁっ!」

 

〈草〉

〈www〉

〈草〉

〈これむりやw〉

〈こんなんクリアできんw〉

〈道具の見分けついてないの草〉

〈フラグ回収はやすぎwww〉

〈ボケモードの悪魔だったw〉

〈壊斗の負担倍増〉

〈明日の壊斗を壊しにきてるw〉

〈これ寝れません〉

〈耐久確定演出〉

 

 ジンは初心者だからいろいろ気になってるだけで悪気はないのかもしれない。俺の返答を待たずに矢継ぎ早に被せてきてる時点で悪ふざけな気がしてならないけど、まだいい。

 

 だけど朱莉と美月はふざけてる。確実にふざけてる。こいつらはすでに何回もやってるんだ。これが初めてとか二回目三回目ってわけじゃないんだぞ。なのに斧とピッケルの区別もつかないとか前途多難なんてもんじゃない。

 

『あはははっ、ふふっ、あははっ。すいません、つい……ふふっ』

 

『あははっ、きゃははっ! だってっ、みっきがぁっ! あははっ!』

 

『わ、わたしゅふふっ……わたし悪くないでしょ! ただの勘違いじゃん!』

 

「いいいいっかい黙れええぇぇっ! 朱莉とっ、美月はっ! 作業しとけええぇぇっ! 俺がジンに説明しとくからああぁぁっ!」

 

〈めっちゃわろてるしw〉

〈つられるわやめれ〉

〈終わる未来見えんw〉

〈最高すぎ〉

〈幸先いいなw〉

〈不憫な壊斗を見るのが一番いいんだw〉

〈叫んでる壊斗は輝いてるw〉

〈テンションやばすぎて草〉

〈振り回されてる壊斗からしか摂取できない栄養がある〉

 

『い、勢いっ……ふふっ、声どうしたんですかっ……あははっ』

 

『あはははっ、はいっ、はいいぃぃ……っ、いははっ』

 

『くふふっ、ふふっ……。うるさすぎでしょっ、何時だと思ってんの!』

 

「お前らがうるさいからだろうが! だから声張ってんだ! なんで案件前日に喉使わなきゃいけねーんだよ!」

 

 このままだと俺、もし万が一早く寝れたとしても終わる頃には声嗄れてんじゃないかな。

 

『わかっ、ははっ、わかった! やるよっ! あたしとみっきで道切り開いとくから、かいとくんはじんくんに説明してあげてて!』

 

「ふぅ、ふぅっ……最初からそう言ってんだよ……」

 

『ぶふっ、ふっ……。もう疲れてるじゃんっ』

 

「そら疲れもするわ……」

 

『あははっ、お疲れ様です。それではご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします』

 

「……ああ。もうちょっと真面目モードに切り替えるのが早かったら俺も体力持ってかれずに済んだんだけどな……」

 

〈やっとやる気になったw〉

〈ばかほど時間かかってて草〉

〈この回は説明して捨てやねw〉

〈壊斗過労死するんじゃねーかなw〉

〈案件の時声枯れてたらおもろい〉

 

 ようやくゲームの説明をするフェイズに入った。おふざけを挟まないと話を聞く姿勢にすらならないとか、スタート地点から心折れそうだ。

 

 息を整えながら、俺はジンに解説し始める。

 

 この『exodus』というゲームはマップの先にある四角く光っている建設地点と呼ばれるエリアに木材と石材を一定量持って行ってセーフハウスを建て、そのセーフハウスに隣接するように護衛対象のトラックを止めることで一つのステージをクリアしたことになり、次のステージに進めるようになる。

 

 セーフハウスを建築できるゾーンまでの間には木や岩が行く手を塞いでいるので、それらを木こりや石工の人に切ってもらったり砕いてもらったりしてトラックを進める。

 

 トラックを運転できるのはレンジャーと、一応教授もできることはできる。ただ教授の場合はレンジャーが運転する半分くらいの速度しか出せないから、基本はレンジャーの手が空いていない時に代理で進めておくくらいの認識だ。

 

 というのを、実演しながらざっくり教えた。

 

「とりあえずこのくらいわかってりゃ、あとはなんとなく感覚でできるだろ」

 

『ありがとうございます。スキルとかもあるんですね』

 

〈大雑把だ〉

〈まぁ伝わるか〉

〈実際にやってみるのが一番早いしな〉

〈スキルどれから上げてくかは大事〉

〈教授はどれからあげんのが正解なんだ〉

〈教授のテンプレは確立してないな周り次第〉

〈必須キャラじゃないから〉

 

「そうそう。ステージ一つクリアするごとにポイントもらえて、いくつかある項目のどれかに振れんだよ。ちなみにステージのどっかに光ってる玉が最低一つはあって、それ拾うとプラスでスキルポイントもらえるぞ」

 

『なるべく忘れずに拾っておかないと後半が厳しくなってしまうんですね』

 

「そういうことだ。ただステージの端っことか取りに行くのが大変なとこにあっから、作業の進捗と資材のゆとりを見ながらになるな」

 

 光る玉は建設地点とは離れた方向に配置されがちだ。建設地点までの道と、セーフハウス用の資材を用意できてから光る玉を目指すのが安全ではある。取るのを忘れなければ。

 

 でもなぁ、このばか二人(朱莉と美月)はなぁ、取りに行くのを忘れて時間が足りなくなることが多いんだよなぁ。

 

〈ゲームIQ高いしすぐ理解できそう〉

〈ボーナス取れるかで後半のやりやすさ変わってくる〉

〈三人の時は半分くらい取れんかったw〉

〈先にセーフハウス作ると忘れがち〉

 

『取りに行くのが大変……このステージだと木と岩を排除すれば建設地点につけそうですが、やはりステージが進んでいくと難しくなっていくんですね』

 

「そうなんだよ。谷があったらそこは橋を()けないといけねーし、沼があったら足場作らねーとトラックが通れんとか、ステージギミックが出てくる」

 

 トラックが通れるほどの道幅が確保できていないからといって木を切っても、ギミックの先で岩が大量に道を塞いでいたら結局岩を砕くのに時間がかかる。そうならないようにするために、先にキャラが通れるだけの道を作って石工を向かわせて同時並行で岩を砕かせて木を切っていく、というふうに道の先の障害物も見据えて考えなければならない。

 

 朱莉も美月も目の前のことしか考えられないから、ギミックのたびに俺が、先にああしろその次にこうしろ、と指示を出さないととても効率が悪くなる。でも俺がそうやって指示を出しているととても機嫌が悪くなる。どうしろってんだ。

 

『そうじゃないとゲームが単調になってしまいますもんね。……木や岩を破壊した直後の素材は加工しないといけない、と仰ってましたよね』

 

『そうだよじんくん! 木を切ったら原木っていうのが出てきて、原木を加工したら木材っていうのになるの! 木材にしとかないとクラフトとか足場とかにもできないんだよ!』

 

『とてもわかりやすく教えてくれてありがとうございます。やっぱり朱莉さんは木こりに慣れてるだけあってお仕事早いですね』

 

『えへへっ、頼りにしていいよっ! じんくんのお勉強が終わるまではあたしとみっきで進めとくから任せといて! ね、みっき!』

 

『うん。任せといて』

 

『ふふっ、ありがとうございます。頼りにさせてもらいますね』 

 

〈褒めんのうまw〉

〈よいしょうまいw〉

〈かわいい〉

〈ちょろすぎw〉

〈かわいい〉

〈頼もしくなった〉

〈先輩風すごいw〉

〈先輩だもんねw〉

 

「……態度違いすぎん? 俺が言った時なんか二言目には文句が出てきてたのに」

 

 俺がやれって言ってもぜんぜん熱心にやらなかったし、仕事のスピードもめちゃくちゃに遅かったくせに、なんだこいつら。初対面のジンからの印象をよくしようとしてんのか。アーカイブ観られたら一発でばれるぞ。

 

『これが言い方のちがいだよっ!』

 

『この機に人との接し方を学んだらいいんじゃない?』

 

「人見て態度変えてるお前らのほうが醜いぞ」

 

『そういうこと言うからまた文句言われるってことがなんでわかんないのっ!』

 

『女の子に醜いとか言う? だからモテないんだよ』

 

「女同士で肩組んで文句言うやつのほうが絶対モテないけどなぁっ!」

 

『ひどいこと言った! かいとくんがひどいこと言いましたぁっ!』

 

『うわー傷つけられましたー先生に言いつけますー』

 

「じゃあ先生とやらを呼んでこいやぁっ!」

 

『せんせーっ! じんせんせーっ! かいとくんがーっ!』

 

『はいはい。壊斗さん、お友だちに乱暴な言い方をしてはいけませんよ』

 

「先生いんのかよっ?! てかマジで役職も先生じゃねーか!」

 

〈コントばっか仕上がるw〉

〈たしかに先生だわw〉

〈めっちゃ偉い先生で草〉

〈教授だからな〉

〈いつネタ合わせしたんだよw〉

〈ゲーム外のチームワークはいい〉

〈草〉

〈新人に先生やらすなよ先輩たちw〉

〈悪魔先生〉

 

『せんせー、かいとくんがー』

 

『先生、わたし酷いこと言われましたー』

 

「ジン違うよなぁっ! 俺言われたから言い返しただけなんだけど?!」

 

『んー……そうは仰いますが、朱莉さんも宵闇さんも壊斗さんに酷いこと言ってましたよね?』

 

『むぅ、でもぉ……』

 

『それは……そう』

 

「ジン信じてたぞっ! お前らが悪いんだよっ!」

 

『ですが壊斗さんも朱莉さんと宵闇さんに酷いこと言いましたよね?』

 

「…………」

 

『ほらーっ!』

 

『やっぱ壊斗だよ。壊斗吊ろうよ、追放しよ』

 

「人狼やってんじゃねーんだよ!」

 

『はいはい、喧嘩しないでくださいね。どちらも酷いことを言ってしまったので、今回はどちらも謝りましょう。さんはい』

 

『ごめんなさいー』

 

『……ごめんなさい』

 

「え、俺も謝んの……? ……さーせんした」

 

『はい、これで仲直りです。これから一緒に頑張りましょうねー』

 

『おー!』

 

『がんばろー』

 

「小学校の先生かよ……」

 

〈アドリブ?〉

〈草〉

〈仕込みだろこんなんw〉

〈小学校あるあるやめろw〉

〈ネタ合わせしてただろw〉

〈初めましてでやることじゃねーよw〉

〈草〉

 

 朱莉と美月がへそを曲げかけていたが、ジンの機転のおかげでどうにか収拾がついた。

 

 押さえつけようとすると二人はさらに反発するのだ。こうして二人の暴走を制止してまとめてくれるだけで呼んだ意味はあった。俺も謝らされたのは微妙に納得がいかないが。

 

『質問なんですけど、このゲームって時間制限もあるんですよね? 制限がなかったら絶対にクリアできるでしょうし』

 

『そうだよー! 画面の左からねー!』『制限あるよ。黒いのが左から影くるんだ』「もちろんある。元きた道、画面の左側だな。そっから影が迫ってきて」『黒くてどろっとしたのが追いかけてくるよ!』『黒いのにあたったらゲージが減るんだよ』「その影は研究所から漏れてきてるって設定らしい。それに捕まったら体力ががりがり減ってくんだわ」『最初はおそいからいいんだけど、あとのほうだと木も岩も多くてねー』『体力がなくなってもダウンするだけですぐに死んじゃうわけじゃないの。仲間にダウンの回復はしてもらえるんだけど、そのまま黒いのに呑まれちゃうから実質助けられないんだよね』「プレイヤーが影に覆われてもゲームオーバーにはならねーけど、人数が減ったら結局は進めなくなることが多いからほとんどゲームオーバーみたいなもんなんだよ」『そうだ! 谷とかね、湖とか出てきたら進むのも時間がかかるのっ! それで追いつかれちゃうんだー』『進めなくなってプレイヤー全員が呑み込まれたらその時点でゲームオーバーになるよ。あとプレイヤーが生き残っててもトラックが呑み込まれたらゲームオーバーになっちゃう』「護衛対象のトラックには研究所にいた子どもが載ってるとかで、影に覆われた時点で一発アウトだ。だからトラックを運転できるやつはトラックの位置を……同時に喋んなぁっ!」

 

〈制限あるよー〉

〈最初のステージでは見えないからな〉

〈影が見えてきたらカウントダウンみたいなもん〉

〈朱莉率先して説明しようとすんのかわいいw〉

〈自分から話しかけにいくなんて美月も成長してる〉

〈おら説明係出番だぞ〉

〈全員で喋んなw〉

〈草〉

〈誰か話すのやめろよw〉

〈みんな説明したがるやんw〉

〈なに言ってんのかわからんw〉

〈頭おかしくなる〉

〈草〉

〈わからんわからん!〉

〈なんでずっと喋り続けられるんだよw〉

〈誰も止まらんw〉

 

 俺がジンに説明するから朱莉と美月は作業しとけって言ったのに、なぜか二人も教えようとしていた。三人が同時に話すせいでわけがわからないことになっている。

 

 でも、少し意外だ。人懐っこくてお喋りな朱莉はともかく、人見知りでコミュ障の美月まで自分からジンに教えようとするとは。

 

『あははっ、ふふっ、やっぱり仲良いですね。えー、つまり……研究所から湧き出した影が後ろから迫ってくるんですね。プレイヤーはちょっとくらいなら捕まっても戻ってこれるけれど、トラックは影に呑まれたらだめ。ギミックなどで道を作るのが遅れることもあるので余裕を持って進んだほうがいい、ということなんですね。教えてくださってありがとうございます』

 

『どういたしましたっ!』

 

『ま、まぁ……ちょこっとだけ長くやってるからね。知ってることなら教えられるよ』

 

「いやなんでさっきの聴き取れてんだよ……」

 

〈この配信で切り抜き何個作る気だw〉

〈音重なりまくっててわけわからんかったぞw〉

〈あかいつきの絆()〉

〈聴き取ってて草〉

〈やっぱバケモンです〉

〈聖徳太子か?〉

〈もしかしてAIだったりする?〉

〈悪魔的聴力〉

〈悪魔AI説〉

 

『ふふっ、僕耳の鋭さにはちょこっとだけ自信があるんです』

 

『へー! じんくんは耳が敏感なんだねっ!』

 

『ぶふっ……。あ、朱莉、聞き方っ……』

 

「くはっ……」

 

〈めっちゃ耳いいよな〉

〈尖ってるからな〉

〈とがってる草〉

〈いつかの配信で悪魔も言ってたなw〉

〈いいかたぁっ!〉

〈言い方草〉

〈表現が最悪ではある〉

〈意味変わってくるw〉

 

 突然ジンにぶっ込んだ質問をした朱莉に、俺と美月は噴き出した。

 

 朱莉の訊き方だと、なんだかまるで性癖とか性感帯みたいな話にも聞こえてしまう。たぶん本人はそんなつもりは微塵もないんだろうけど。

 

『敏感というとどこか語弊があるような、ないような……。イエスかノーかで言えばイエスですけど。鋭敏ですし』

 

『えいびん……敏感とどうちがうの?』

 

『ほとんど同じです。ほんの少しニュアンスが変わってくるだけで』

 

『じゃあ敏感でまちがいじゃないんだね!』

 

〈すまんやで悪魔〉

〈ちょっとこの子天然なんだわw〉

〈この手の話題悪魔に振れるの朱莉くらいだわw〉

〈路線変更ならずw〉

〈言い換えようとしたけど通じなかったw〉

〈悪いな悪魔この子はあほなんだ〉

〈そんな難しい言葉知らないんです〉

 

『はい、間違いじゃありませんよ、ええ。これがおかしな意味に聞こえる人のほうがおかしいんですからね』

 

『おかしな意味?』

 

『耳が敏感だって言うと、おかしな意味に聞こえる人がいるらしいんですよ。不思議ですね?』

 

『そんな人いるんだ? ふしぎだねー?』

 

『くっ……』

 

「…………」

 

〈ずるいw〉

〈立ち回りうまい〉

〈朱莉側に立つのかよw〉

〈突っ込まれるの封じた〉

〈黙ってるのおるなぁ!〉

〈これは言えん〉

〈なんも言えんなったw〉

〈いやらしく聞こえた人こそいやらしい人だ〉

〈黙っとるw〉

 

 めずらしくツッコミどころを見せたジンを茶化したかったのに、この話題に触れたら逆に自分の立場が悪くなる。カウンターで俺が恥ずかしい思いをしそうだ。

 

 こういう時は沈黙を保つのが正解だ。朱莉や美月とのやり取りを通して、余計なことに手を出したら時に火傷することもあると俺は学んでいる。

 

 俺は静かに作業に集中した。

 




ちゃんと作業も並行してます。たぶん。


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お楽しみタイム

 雑談を挟みながらもゲームは進んでいく。

 

 朱莉と美月が進路の障害物を排除し、俺がノンアクティブの野生動物を狩っていると、ゲームの仕様を確かめていたジンが口を開いた。

 

『これ僕のキャラクターもトラックを運転できるのなら、運転は僕がやって壊斗さんが野生動物を狩りに行ったほうがいいかもしれませんね』

 

「んー、それもそうだな。トラック動かしといてもらえたら俺も資材運べるしな。クラフトする時間も作れるし」

 

『そういえばクラフトもあるんでしたね。ちょっと確認しておきます』

 

〈日が落ちないとやることのない教授〉

〈ランタンなくても松明でいいんだよなー〉

〈たしか教授だと資材少なくクラフトできる〉

〈スキル上げてなかったらやれることない〉

 

「へー。〈資材少なくクラフトできる〉……か。リスナーさんきゅー。クラフトもジンにやってもらったほうが得になるっぽいな」

 

『リスナーさん、情報提供ありがとうございます。それではクラフトも僕がやっていきますね。……斧とかピッケル、弓も作れるんですね』

 

「作れるぞ。修復しなかったら壊れるし、加工することに気を取られて斧とかピッケルが影に呑まれることもあるからな。そういう時はしゃあなしでクラフトしたりする」

 

〈クラフト安くなるのは助かるか〉

〈作れる種類も多くなる〉

〈デフォだとそれぞれ一個ずつしかないから教授もやろうとするともう一個作らないといけない〉

〈二つ作って使い回すほうが修復もやりやすいんじゃない?〉

〈草〉

〈何回か前に呑まれたなw〉

〈二敗してる〉

〈修復忘れと置き忘れで二デスしてる〉

 

『しゃあなしってなんなのーっ! 文句があるならはっきり言いなよーっ!』

 

『ふふっ、経験があったんですね』

 

『うん。あったよ。朱莉が一気に木を切って一気に加工してたら気づいた時には斧がどこかいってたのと、斧の耐久値見ないで木を切ってて壊したのと』

 

『や、やめてよみっき! じんくんにばらさないでっ!』

 

「自分のヘマを隠そうとしてんじゃねーよ。あと道具のアップグレードとかあるぞ。もしかしたらそれも必要になる資材減ってるかもな」

 

〈かわいい〉

〈かわいいけど実際そうだしw〉

〈ゲームオーバー済みなんだ〉

〈リークw〉

〈背中撃たれた〉

〈まさかの美月からw〉

〈道具の修復も強化も安くなる〉

〈言ったら教授はサポート役か〉

 

 ジンが教授を選んだのはクリアを目指す上でも当たりだったのかもしれない。運転とクラフト全般をジンに任せられるのなら、俺は野生動物の狩りをしながら指示出しと木材や石材の回収ができるし、この先出てくるギミックに足場を置く余裕も残る。

 

「ジン、手が空いたら朱莉と美月が加工した資材をトラックに詰め込んどいてくれ」

 

『おや、トラックに溜めておけるんですね』

 

「溜めておけるってか、トラックに資材入れて、トラックで谷とか沼のギミックを越える時に必要な足場をクラフトするわけだからな。トラックに入れとかなきゃいけねーんだ」

 

『なるほど。それなら早めにこの荷台というのも作っておきたいですね。トラックに積載できる資材の量が増えるみたいですし』

 

「そうそう、そうなんだよ。斧とかの道具を強化していったら、後々トラックのデフォルトの積載量を超える量を要求されっからな。作っておきてぇな」

 

〈おー〉

〈提案いいよ〉

〈はやくもサブIGLだ〉

〈資材溜めときたいしな〉

 

 ゲームのシステムとだいたいの流れを把握しただけでもう理解できているようだ。ジンは発想も考え方も柔軟だし、俺から説明しすぎないようにしたのは正解だった。

 

『序盤に資材を貯蓄できたほうが後々も良さそうですしね。んー……やはり道具は修復のことを考えるとそれぞれ二つあったほうが時間のロスはなさそうですね。修復のたびに木を切る手が止まってしまうのは非効率ですし、お二人の手間にもなってしまいます』

 

『そうしてもらえたらこっちも楽かもっ!』

 

〈交換制はあり〉

〈情報サイトにも載ってたな〉

〈ゲームIQたけー〉

〈センス光ってんねー〉

〈おー気がきく〉

〈優しすぎて草〉

〈悪魔あったけー〉

 

『朱莉さんと宵闇さんのお仕事は優先順位高いですからね。耐久値が危なくなってきたらその場で道具を交換して、僕が修復している間は予備の道具を使ってもらう、という形でいいですか?』

 

『それ助かるね。移動したり修復の間待ってるのも手持ち無沙汰になっちゃうし』

 

〈初プレイのジンがもう引っ張り始めてる〉

〈そうなんだよわかってるなぁ〉

〈木こりと石工の手を止めさせないのがコツ〉

〈教授は強化も修復も安いから二本あってもぜんぜんプラスになる〉

〈草〉

 

『じんくんはやさしいなぁ。あたしたちのことをちゃんと考えて疲れないようにしてくれてるんだよね』

 

『ほんと気が利くよね。わたしたちの仕事を尊重してくれてるし。こういう細やかな気配りがモチベーションを上げてくれるんだよ』

 

〈ちくちく〉

〈ディスってるw〉

〈ちくちくで草〉

〈悪魔と対照的すぎるんだよなw〉

 

『壊斗さんのオーダーとても助かってますよ。どの道から進んでいくとかって指示出してもらえるのとても気が楽になります。ありがとうございます』

 

「あーもう、ジンだけでいい。いっそのこと朱莉と美月はミュートにしててもいいかもな」

 

『そういうことをさーっ!』『何回同じ失言を』

 

『みなさん頑張ってますからね! 僕もスキル上げたらみなさんのお仕事を手伝えるみたいなので早くスキル上げていきたいところです! あっ、朱莉さん。マップの上のほう、小さな池みたいになっているところに光の玉があるので木を切り開いてもらってもいいですか? 足場持っていきますから』

 

『おっ? おーっ! まかせてっ!』

 

〈優しくて草〉

〈味方は悪魔だけ〉

〈誰よりも優しいw〉

〈また余計なことを〉

〈いらんこと言うなw〉

〈ミュートは草〉

〈喧嘩キャンセル〉

〈割って入ったw〉

〈新人に気を遣わせんなw〉

〈先輩三人いるとは思えない体たらく〉

 

 マップの上のほうにちらっとだけ見えた光を目敏く発見したジンは朱莉に指示を出して木を切りに行かせた。よく見つけられたもんだ。

 

 先にジンはクラフトで足場を作っておき、それを抱えて朱莉の近くまで走っていく。まだ教えていなかったダッシュまでいつの間にかしっかり活用していた。いやぁ、ジンだなぁ。

 

『じんくんできたよー』

 

『ありがとうございます。これを置いて……はい、取れました』

 

『ないすーっ!』

 

『ナイスー』

 

「うい。ないすー」

 

 朱莉が木を切って作った道を通り、足場板というクラフトアイテムを使って水を越えて光玉をゲットした。

 

 さっきジンがクラフトを確認しておくと言っていたが、本当にしっかりと確認していたらしい。

 

 池とか湖とか水を越える時に使えるクラフトアイテムは、さっきジンが使った足場板と、水上道路の二種類がある。その二つの違いはその上をトラックが通れるか通れないか。もちろんトラックが通れる水上道路のほうが必要になる資材が多い。プレイヤーが光玉を取りに行くだけなら、わざわざコストの高い水上道路を使う必要はない。だからジンはコストの低い足場板を選んだのだろう。俺みたいにアイテムの名前に気を取られて水上道路を使うような失敗はしないらしい。一番最初のステージの時点でもう頼りになっている。

 

『朱莉さん、斧交換しておきましょうか』

 

『もう作ってたんだ?! あ、でもまだこの斧耐久値残ってるよ?』

 

『次はいつ朱莉さんの近くまでこれるかわからないので、念のためです』

 

『念のため! わかった! ありがとっ!』

 

『いえいえ』

 

〈交換はや〉

〈まだ結構耐久残ってそうだけど〉

〈仕事が早い〉

〈なにかのついでに修復の交換していくつもりなのか〉

〈効率厨的思考〉

〈むだなこと省いていくつもりだ〉

〈初見でそこまでがちがちに攻略してくの?w〉

〈一回目のやり方じゃないのよw〉

〈かわいい〉

〈二人のやり取りかわいい〉

〈ほほえましいなw〉

 

 そう言ってジンと朱莉は斧を交換した。ついでとばかりに朱莉が加工した木材も抱え、ジンはトラックに戻っていく。動きに無駄がない。

 

『壊斗ー。アクティブ出てきてるー。倒してー』

 

「はいよ」

 

〈お仕事だ〉

〈やっぱ四人だと多いな〉

〈たおしてーw〉

〈だらー〉

〈かわいい〉

 

 美月の要請に応じて俺は弓を握り締めて野生動物を狩りに行く。

 

 野生動物にはアクティブとノンアクティブの二種類がいる。ウサギやシカといったノンアクティブは放っておいてもプレイヤーを攻撃してこないが、美月の近くに出たイノシシや、他にはオオカミやクマといったアクティブの野生動物はプレイヤーを発見するや即座に襲いかかってくる。アクティブは見つけ次第狩りに行かないといけない。

 

 今は昼なので周囲が明るく、野生動物も発見しやすい。だがこれが夜になると発見が遅れやすくなるし、気づいたら隣にいるみたいなこともぜんぜん出てくる。

 

 俺は使ったことがないのでどんなものか詳しくはわからないが、教授のランタンは暗闇でこそ真価を発揮すると聞く。夜を楽しみにしておこう。

 

 ぱしゅぱしゅっ、と矢を放ってイノシシを仕留めた。

 

 忘れないうちにイノシシを解体しておく。解体は木こりや石工で言うところの加工だ。野生動物の死骸はそのままでは使えない。死骸を解体して骨や皮、肉にして始めて資材になる。

 

「ジンー、矢をいくつか作っといてくれー」

 

『はーい。わかりましたー。壊斗さんがトラックに入れてくれている骨や皮って、何に使うんです?』

 

「強化用の素材だな。斧とかピッケル、弓もだけど、最初は木材と石材だけで強化できるけど強化し続けてると骨とか皮も必要になってくんだよ」

 

 道具をアップグレードすれば効率が跳ね上がる。ただ効率と比例して必要になる資材の量も跳ね上がる。

 

 木材や石材は比較的集めやすいが、どのタイミングでポップするかわからない野生動物からしか手に入らない骨や皮は、こまめに集めておかないと枯渇してしまうのだ。

 

『ほう、なるほど。さっきのイノシシとの戦いを見ていた限りでは、弓はそこまですぐに強化する必要性はなさそうですね』

 

「んー……まぁ……」

 

〈先に斧とピッケルやね〉

〈弓は後でええな〉

〈悩むなw〉

〈ちゃんと教えろよw〉

〈楽しようとすんなw〉

 

 ステージが進むにつれて野生動物の体力は増えていくが、まだ序盤なら強化してなくても問題なく狩りはできる。

 

 でもそれはそれとして狩りの労力を減らしたいので早めに強化はしてほしいところ。

 

『先に斧おねがいしまーっ!』

 

『それよりも先にピッケルおなしゃー』

 

『斧が先ーっ! 先におねがいしまーっ!』

 

『斧よりも先にピッケルおなしゃー』

 

『斧とピッケル一緒に強化しましょうね』

 

「くそ……弓は後回しか。お、開通したな。さっさと資材入れて家作んぞ」

 

〈わがままおるw〉

〈だだっこおるなw〉

〈どうしても先にやってほしい子たち〉

〈どっちでもいいだろw〉

〈競争じゃないんだから〉

〈先生しとるな〉

〈引率の悪魔先生〉

〈声が優しいんだ〉

〈弓後回しは基本〉

〈弓矢は急がんでいい〉

〈おー〉

〈ステージ一はなにごともなくクリアか〉

 

 なんだかんだで順調に進み、建設予定地まで道が切り開かれた。あとは建設予定地に木材と石材を指定の個数納入してセーフハウスを建築し、セーフハウスにトラックを横づけすればこのステージはクリアになる。

 

『木材と石材をこの四角い光の枠に持ってくればいいんですよね?』

 

「そう。その枠の中に落とせば勝手に建築に使ってくれる。先に家作って、余った資材はトラックに放り込んでからトラック移動させんぞ」

 

『わかりました』

 

『まだ木は切っといたほうがいい?』

 

「そうだな……ジン、トラックにはあとどのくらい入る?」

 

『荷台をクラフトしたのでまだまだたくさん入りますよ』

 

『荷台? もう作ってたんだ。早いね。必要になる資材が減ってるからかな』

 

「それもあるし、ジンは資材をぜんぶ拾い集めてっからじゃね? 朱莉と美月が加工したやつぜんぶ回収してんだぞ」

 

『おー! そういえば後ろに木材取り残されてないね!』

 

『あ、ほんとだ』

 

『他にお仕事できませんからね。それくらいはしておかなければ』

 

「あんだけ話しててなんでしっかり動けてんのか謎だわ。俺とジンでこの周りの資材集めて建築しとくから、朱莉と美月は木と岩やっといてくれ」

 

 ジンの時とはまるで違う二人の生返事を聞き流しながら、散らばっている資材を回収して回る。

 

 ジンが加わってプレイ人数が増えている分、三人でやってた時よりもセーフハウスを建築するのに必要な資材の量は増えてはいるが、ジンがダッシュを使いこなしているおかげでそこまで時間はかからなかった。

 

 朱莉と美月が追加で切った分もトラックに積み込み、このステージを終わらせた。

 

『これでクリアですね。まずは一つ、お疲れ様です』

 

『おつかれーっ! なんの問題もなかったね!』

 

〈まず一面クリア〉

〈おつー〉

〈ないすー〉

〈ナイス〉

〈おつーまぁここはチュートリアルみたいなもんか〉

〈でも三人の時は一回危ない時あったけどな〉

〈一面で危なくなるのは草〉

 

『ナイス。すっごい順調だね。今回は行けるんじゃない?』

 

「一回二回は試しでって思ったけど、想像以上にジンの適応力が高かったな」

 

 ジンは一つ教えたらそれに付随して次々と理解を進めていく。途中からは時折ジンから質問が飛んでくるくらいで、ほとんど教える手間もなくなったくらいだ。

 

『ほんとそうっ! じんくんすごいねっ!』

 

『すぐに自分で考えて動けるようになってたし。ゲーム理解度が高いんだね』

 

『ふふっ、ありがとうございます。先輩方が丁寧に教えてくれたおかげですね』

 

『えへへっ、そんなことないよーっ! えへへっ』

 

『んふっ……い、いや、へ、ふへへっ……』

 

「口がうめぇ……。後輩力あったわ、こいつ。詐欺師適性かもしれんけど」

 

〈今んとこ完璧な働き〉

〈すごい〉

〈一回目とは思えん〉

〈FPSだけじゃないのね〉

〈先輩立てるなぁw〉

〈どっからでも褒めれるのすごい〉

〈先輩たちちょろすぎてw〉

〈かわいいw〉

〈オタク笑い聞こえるw〉

〈おたくみたいな笑い方すなw〉

〈後輩力かは怪しいところ〉

〈詐欺師のほうが似合ってんなw〉

〈外見も詐欺師みある〉

 

 ステージ一をクリアして、ステージ二に行く前にお楽しみタイムだ。

 

『あ。ステージとステージの間でスキルポイントを振る画面があるんですね』

 

「おう。楽しいところだ。最初はスキルも上げやすいし」

 

 お楽しみタイムこと、スキルポイント振りだ。

 

 ポイントを振ってスキルを上げて、どんどんやりやすさや効率が上がっていくのを味わうところが、このゲームのおもしろいところの一つと言ってもいい。とても気分が上がる。

 

『わー! ポイントおいしーっ!』

 

『そうだね。先生が……あ。ち、違くて、ラースさんが光玉を……』

 

〈ボーナスおいしい〉

〈スキルけっこう上げれそう〉

〈ポイントうまうま〉

〈悪魔が光玉見逃さなかったおかげだ〉

〈先生てw〉

〈先生呼びw〉

 

『はいはい先生ですよー』

 

「とうとう先生って呼び始めてんじゃねーか」

 

『ラースさんっ! ラースさんがっ! 光玉をっ……』

 

『あははっ、みっきっ、ふつうにせんせーって呼んでたっ! あははっ、きゃははっ!』

 

『朱莉っ! 違うっ! あ、あるでしょっ?! 呼び間違えることくらい!』

 

「女の先生のこと『お母さん』って呼んじゃう男子小学生かよ」

 

『んーっ、だからーっ! もうっ!』

 

『ご自由にお呼びくださいと言ったのは僕なので構いませんよ?』

 

『それじゃあたしもせんせーって呼ぶーっ!』

 

『はいどうぞー』

 

〈先生w〉

〈ふつうに先生って呼んだなw〉

〈小学校に帰ってきたw〉

〈悪魔先生馴染んでるんだよなw〉

〈自由すぎて草〉

〈朱莉はなんでやw〉

〈草〉

〈それでいいんだw〉

 

「センセ、スキルでわからないやつとかあるか?」

 

『なんで壊斗までラースさんのこと先生って呼んでんの! もういいってばっ』

 

「いや乗っかっといたほうがいいかなって」

 

『いいから! 乗っからなくて!』

 

〈壊斗のイントネーション草〉

〈完全にセ↑ンセ↓やったやんw〉

〈ここぞとばかりにいじるなぁw〉

〈隙見せたやつが悪いw〉

〈天丼は礼儀〉

 

『あれ? 宵闇さん、僕のこと先生とは呼んでくださらないんですか?』

 

『なぅっ……ラースさんまで!』

 

「なんでお前は呼ばれたがってんだよ」

 

〈草〉

〈こういう時畳みかけるのが悪魔〉

〈なう草〉

〈かわいいw〉

〈まさか悪魔にまでいじられると思わんかったんやなw〉

 

『あだ名みたいでいいじゃないですか。そういうのに憧れがあります』

 

『じゃ、じゃあ……先生、で……』

 

〈いじりじゃなかったw〉

〈シンプルに呼んでほしかったんだな〉

〈悪魔はこういうとこがかわいいのよ〉

〈美月の言い方かわいすぎだろ!〉

〈なんか青春っぽい〉

〈甘酸っぱいやりとりで草〉

 

『はい、美月さん』

 

『ふひっ……ふへへっ』

 

〈ここでしれっと名前呼びする悪魔かっけー〉

〈イケボやめろw〉

〈女心もてあそぶなw〉

〈ふひマジ?〉

〈青春閉店〉

〈オタク笑い草〉

〈台無しすぎるw〉

〈笑い方終わってるw〉

 

「……オタク笑い出てんぞ」

 

『みっきはかわいいけど、その笑い方はかわいくない……』

 

『わっ、わたしだってっ、出したくて出してるんじゃないし! 勝手に出てくるんだから仕方ないじゃん!』

 

『あははっ、ふふっ……くふっ、あはははっ』

 

『先生笑い過ぎでしょ! これまで見せた上手なフォローを見せるとこだったじゃん!』

 

『いやっ、ふふっ……っ、か、かわいい、と……あははっ』

 

『最後までフォローしてよ!』

 

『あははっ、せんせーずっと笑ってるーっ!』

 

「さすがにジンでも拾えなかったか。んで、いつまでジンは笑ってんだよ」

 

『だって、お、お手本みたいなオタク笑いでっ……』

 

『んーっ! もうっ、先生!』

 

『はい、ごめんなさい。……ふうっ、失礼しました』

 

〈悪魔ツボってて草〉

〈やめろつられるw〉

〈こんな薄っぺらいかわいいはないw〉

〈美月がこんなにすぐに仲良くなるとは〉

〈勢いで先生呼びしとる〉

〈今日初めて話したとは思えんw〉

〈空気うめー!〉

 

 俺と朱莉と美月の三人が集まった時の『あかいつき』コラボでは毎回やかましいが、初対面のジンが加わったら多少は落ち着いてくれるんじゃないかと思っていた。朱莉はあほだし天然だが礼儀知らずではないので一定のラインを守って喋るだろうし、美月は人見知りだからコミュ障を遺憾(いかん)なく発揮して口数が減るだろうと。

 

 時間が経てば、好奇心旺盛な子犬みたいな性格の朱莉はジンにはすぐ懐くだろうとは予想していたが、しかしまさか美月までこんなにも早く心を開くとは予想外だった。

 

 予想外だし、計算外だ。もう少し仲良くなるまでに時間がかかると思っていた。

 

 まずすぎる。仲良くなればなるほど雑談に興じるのがこいつらだ。

 

 無駄口を叩く才能だけはある朱莉と美月に、スイッチが入ったら悪ふざけしかしなくなるお喋り好きのジンが組み合わさったら終わってしまう。明日の俺が死んでしまう。

 

 どうにか話を戻す。寄り道回り道をしようとするこいつらの腕を引っ張って強引に本筋に戻らなければ、本当にずっと雑談し続けるかもしれない。

 

 雑談はまた後日、雑談配信として枠を取ってやってほしい。今雑談しないなら俺もその雑談配信観させてもらうから、なんなら俺もその雑談配信に参加してもいいから、せめて今日はやらないでほしい。

 

「この画面でよかったわ……ステージ中にこんなんなってたらゲームオーバーなってたって……」

 

『あははっ、たしかにー! でもまだ二十二時前だし、時間はいっぱいあるよ!』

 

『そうだね。まだ何回かゲームオーバーしても大丈夫そう』

 

「そんな何回もゲームオーバーしてたまるか。ジンは配信終わりに駆けつけてくれてんだからな」

 

〈それはそれでおもしろかったな〉

〈草〉

〈笑ってゲームオーバーは草〉

〈見たかったなw〉

 

 スキルポイント振る画面は時間制限はないので、いくら時間をかけようと問題ない。ステージ中にジンが笑い転げてしまっていたら、クラフトや資材の回収が追いつかなくなって終わっていただろう。なんでゲームと関係ないところでひやひやしないといけないんだ。

 

『僕のことはお気になさらず。リスナーさんをお待たせしてしまっているでしょうし、早く次のステージに行かないといけませんね』

 

「話脱線させにかかってたお前が言うのかよ」

 

『ふふっ、すみません。楽しくなってしまって』

 

〈待ってないよー〉

〈ずっと話してくれていいぞw〉

〈こっちは気にせず喋っててくれ〉

〈気にすんなw〉

〈聞いてて楽しいからええよw〉

〈途中で終わったとしても楽しかったらそれで満足だそ〉

〈盛り上げてくれてんだよ〉

〈そんな真面目に進めんでいい〉

〈喋ってるだけでおもろいならそれでいいんだよ!〉

〈そのままでいいぞ悪魔〉

〈楽しいのが一番なんだからw〉

 

『えへへっ、楽しいよねっ! あたしも楽しいよっ!』

 

『そうそう。楽しんでやるのが一番いいの』

 

「お喋りだけじゃなくてゲームにも集中力割けるんなら俺も文句は言わねーよ」

 

 違う事務所の人間しかいないコラボに急に呼んだのにきてくれて、こうして『楽しい』とジンが言ってくれるのは俺としても嬉しい。楽しく配信できるんならそれが一番いい。

 

 ただ、ジンは喋りながら並列的にゲームもできるだろうけど、シングルタスクの朱莉と美月は口を動かすと手が止まるんだ。

 

 楽しんでくれるのはもちろんうれしいが、それでクリアが遠のいてしまうと元も子もなくなってしまう。ちっとも喋らないより万倍もいいのはわかっているし、盛り上げてくれてるのも助かるんだけどもう少し、もう少しだけ控えめにお喋りしてもらえるとありがたい。

 

『スキル……どれにしましょうか。スキルを上げた先の効果を知らないので難しいですね』

 

「んー……教授のスキルなー。俺も使ったことねーからわからんな。ジンの好きなように上げりゃいいぞ。ジンの立ち回りだったらスキルなくても役に立ってんだし」

 

『五つもあると迷ってしまいますね』

 

「ん? 四つじゃねーの?」

 

『え? 五つありますよ?』

 

『ほえー。せんせーは五つなんだね。たしか他は四つなんだよね?』

 

『わたしも四つだよ。スタミナ消費軽減と採掘効率強化、加工効率強化、アビリティ』

 

〈教授は一つ多いんだよ〉

〈他の職のカバーのぶん〉

〈ちょっと特殊だからね〉

〈アビリティがないんだったか〉

〈アビリティの代わりにランタン強化があるね〉

 

『教授だけ一つ多いんですね』

 

「木こりも石工もレンジャーもスキルは似たようなもんなんだよな。スタミナ軽減と、それぞれの仕事の効率強化と加工の時間短縮、あとアビリティって感じで。教授はなにがあんの?」

 

『えー、ランタン性能強化、クラフト効率強化、あと皆さんの職業のサブとしてのスキルがありますね』

 

『それって、たとえば木こりのサブのスキルを取るとするでしょー? そしたらせんせーも斧持ってたら木を切れるようになるってことなのかな?』

 

『そうなんじゃない? 加工ってどうなんだろ? 加工もできるのかな』

 

〈ランタンそこそこクラフトをメインにってのが一番いいみたいだけど〉

〈サブは加工まではできねーんだよな〉

〈夜にはいいけど松明置いたらカバーできるのがな〉

〈サブ職取っても本職には届かないからレベル一か三止めでいいらしいよ〉

〈好きに上げても問題ないでしょ〉

〈使ってる悪魔がうまいからどうとでもなりそう〉

 

 俺たちが今やっているこの『exodus』というゲームは、難しい操作はないのに奥が深くておもしろいので幅広い層から人気がある。だからリスナーにも経験者が多くいるようだ。リスナーの中でコメントを頻繁にするのは一部分だが、その一部分の中だけでも詳しいリスナーが多くいるようだ。訊いた時に教えてくれるのは助かる。

 

「おっ、有識者さんきゅー。〈サブは加工まではできない〉らしい。結構レベル上げても〈本職には届かない〉って言ってるやつもいるし、サブはポイントに余裕があったらでいいんじゃね?」

 

『そうですね。有識者の方、ありがとうございます。木や岩が多くなってきたらサブを取ってもいいかもしれませんけど、今は手が回っていますし後でも良さそうですね。役割的にサポートに回ることが多いのでクラフトと、あと気になっているランタンを強化しておきますね。最後まで上げるとどうなるんでしょう? とても興味があります』

 

〈かまへんで〉

〈自分で調べろ〉

〈悪魔のためならまあええか〉

〈クラフト優先は失敗がないな〉

〈クラフトなら損はない〉

〈理解が早いんだから〉

〈役に立てたならよかったよ〉

〈悪魔の時だけリスナー優しすぎん?w〉

〈壊斗との態度の差でかすぎて草〉

〈悪魔好きよ〉

〈不快感ないしな〉

〈嫌う理由ないもの〉

〈ランタン気になってんのかわいいw〉

〈でもランタンあんま役には……〉

 

「ジンがクラフト上げんだったら、俺たちは先に加工効率とアビリティ上げてったほうがいいな」

 

『どれから上げてもいいけど、どうして?』

 

『先生がクラフトの効率上げたら道具を強化してもらいやすくなるじゃん? 道具の強化で仕事しやすくなるんだから、先に加工のスキルレベル上げといたほうが進むのが楽になる。ってことなんじゃない?』

 

「そういうこと。スタミナ余らせるのももったいねーからアビリティも取っとくぞ」

 

〈せやね〉

〈ないす〉

〈ナイスオーダー〉

〈切るほうはあとでいい〉

〈加工とアビリティとって後からスタミナと作業上げが効率いいんじゃない?〉

 

『皆さんにはアビリティなんてものがあるんですね。それはどういった効果が?』

 

『あたしだと一直線にずばぁって切ったり、周りの木をしゅいぃんって切ったりするよ!』

 

〈そういや教授はアビリティなかったな〉

〈教授はランタンと一緒になってる〉

〈朱莉w〉

〈擬音w〉

〈かわいい〉

〈伝わるならええかw〉

 

『石工もそんな感じのアビリティだね。あとは少しの間、岩を砕くのが早くなったりとか、加工にかかる時間が減ったりとかかな』

 

「レンジャーは弓矢の威力が上がったり、射程が伸びたり、野生動物のいる方向を知らせてくれるアビリティがある」

 

〈ばらけたとこに配置されてる時あるしな〉

〈アビリティの使い分けが後半は大事〉

〈加工がね〉

〈加工にかかる時間もどかしいわ〉

〈ソナーは夜めっちゃ助かる〉

〈射程伸びても射速は上がらんから偏差むずい〉

 

『アビリティ、面白そうですね。一気に木や岩を壊したりするの、とても気分が良さそうです』

 

『うんっ! とってもきもちーよ! アビリティ使ったらばらばらーって散らばるのっ!』

 

『ふふっ、いいですね。今度やる機会があれば、木こりや石工もやってみたいです』

 

『うん。おすすめだよ。気分いい』

 

「いや……一緒にやる相手にもよるかもだけど、ジンは教授かレンジャーやったほうがいいんじゃね? お前のIGL腐らせるのはもったいねーよ」

 

〈一気に切った時気持ちいい〉

〈切った音いいんだよな〉

〈悪魔が木こりはどうだろうなw〉

〈他大丈夫か不安になるけどw〉

〈たしかにw〉

〈それはそうw〉

〈単純作業させるにはポテンシャルが高すぎる〉

 

 視野が広くて臨機応変に動けるジンを一箇所に留めておくのはさすがに惜しい。優秀な人材には就くべきポジションというものがある。

 

『せんせーにも好きなことやらせたげてよーっ!』

 

『強制するのよくないんじゃない?』

 

『教授も楽しいですよ? 楽しくやらせてもらってますからね?』

 

「いや……俺もやりたいようにさせてやりてーけど、今日はしゃあねーだろ。考えてもみろよ。仮に俺とジンが木こりと石工、朱莉と美月がレンジャーと教授やってみ? たぶん破綻するぞ?」

 

〈やさしい〉

〈壊斗には見せない優しさ出てきてるw〉

〈忙しいけど教授もいいぞ〉

〈目立たないけど助かる職なんだなー〉

〈終わるわw〉

〈それは終わる〉

〈あかりだったら弓矢当たらん可能性あるw〉

 

『できるよっ! あたしとみっきのコンビネーションでなんとかなるよっ!』

 

『……今日はやめとこっか』

 

『みっきっ?! あたしたちならできるよっ?!』

 

『……朱莉がオーダー出す光景がイメージできない』

 

『できっ……で……んんっ』

 

「はっきり言えよ、おい。できないですって、おい」

 

〈できるかなー〉

〈できそうにはないなー〉

〈背中刺されたw〉

〈裏切られてて草〉

〈オーダー無理やろなw〉

〈濁したw〉

〈詰めたるなよw〉

 

『もしかしたら朱莉さんもできるかもしれませんよ? やってない以上、可能性だけはありますからね。さあ、皆さんもスキルポイント割り振れたみたいですし、次のステージ行きましょうか』

 

『そうだよねっ?! 可能性はあるんだよっ! せんせーはわかってくれてる!』

 

〈できるかなぁ?w〉

〈無理そうだけどw〉

〈可能性は捨ててないw〉

〈否定はしないんだよね〉

〈カバーの鬼だ〉

〈先生は生徒を見捨てないw〉

〈成長するかもしれないし……〉

 

『どこからでもフォローできるのすごいね、先生』

 

『どういう意味かなっ?! みっきそれどういう意味なのかなっ?!』

 

「できる可能性だけ(・・・・・)はあるってのがミソだな。んじゃ、次行くぞー」

 

『そんなことないよ! ね?! せんせー!? ね?!』

 

『次のステージも頑張りましょうねー』

 

『せ、せんせー? せんせー?!』

 

〈美月w〉

〈明言は避ける〉

〈嘘はつけないもんね〉

〈あか虐はいいもの〉

〈あか虐助かる〉

 

 FPS以外のゲームもうまいジンが加わったのだから、簡単で単純なギミックが多い序盤の数ステージは詰まることなんてないだろう。この先もテンポよくクリアしていきたいところだ。

 



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『手のかかる生徒ほど可愛い』

 

『せんせー今日ごはんなに食べたー?』

 

『そういえば先生には訊いてなかったよね』

 

「さっそく雑談しようとしてんじゃねーよお前らは」

 

〈入りました〉

〈悪魔の晩ご飯気になる〉

〈今日も自分で作ったのかな?〉

〈雑談だー!〉

〈壊斗じゃますんじゃねー!〉

〈雑談聞かせろー!〉

〈もっとゆるくやろうよー〉

〈クリアできなくてもいいじゃないの〉

 

 新しいステージがスタートし、各々の職場に移動して真面目に作業し始めたかと思ったら早々に朱莉が雑談を切り出して美月が乗っかった。雑談じゃなくて木を切り出してくれ頼むから。

 

『晩御飯ですか?』

 

「やめろ答えるんじゃねー。作業が遅れる」

 

『効率厨じゃないんだから、そんなに作業作業言わなくてもいいじゃん。ちゃんとわたしたちもやるってば』

 

「話してるうちに手が止まるから言ってんだよ」

 

『あ、晩ごはんだけじゃなくてもいいよー』

 

「せめて晩飯だけで終わらせてくれ?」

 

『今日の晩御飯はぶりの照り焼きにしましたよ』

 

「うまそうなのが一番きついわ……。晩飯まだなんだよ俺……腹減った」

 

〈お喋りに熱が入ったら動かなくなるからなw〉

〈壊斗のツッコミが冴え渡る〉

〈ぶりいいね〉

〈腹減る〉

〈ぶりは照り焼きか煮つけが一番なんだから〉

〈塩焼きもうまい〉

 

『ぶりの照り焼き……いいなぁ、ずいぶん食べてないや。買ってきたの?』

 

『はい。礼ちゃんに和食をリクエストされてましたので切り身を買ってきて、半分は煮つけにして、もう半分を照り焼きにしました』

 

〈あー食いてー〉

〈めっちゃ食いたくなる〉

〈やっぱ自分で作ってんだよね〉

〈ほんと器用だな〉

〈煮つけと照り焼きどっちもやってた〉

〈煮つけいいな〉

〈めっちゃ腹減るわ〉

〈晩飯食ったけど腹減ってきた〉

〈れいちゃん?〉

〈かかくかかくかのん彼女つとかじ〉

 

『レイちゃんさん? どなた?』

 

「あー、ジンの言う『レイちゃん』ってのは『New Tale』のレイラ・エンヴィさんのことで、ジンの妹さんだ」

 

『失礼しました。先にそちらの説明をすべきでしたね』

 

〈草〉

〈妹悪魔のことやね〉

〈一瞬彼女かとw〉

〈兄妹でやってんだ〉

〈彼女いるのかと思ったびっくりしたよかったー!〉

〈ガチ恋っぽいのもいます〉

 

『先生……自分で晩ご飯作ってるの? スーパーとかでお惣菜買ってきたとかじゃなくて?』

 

『自分で作ってますよ。礼ちゃんには出来たてのものを食べてもらいたいですからね』

 

〈毎食作ってるらしいしな〉

〈こんな執事ほしいw〉

〈家事スキル高すぎて草〉

〈理想の旦那すぎるっ!〉

〈こんなのモテないわけなくない?〉

〈悪魔俺と結婚してくれないか?〉

〈妹のためってのがまたいい〉

 

『すごっ! せんせー料理できるんだ?! ぶりの照り焼き難しくない? くさみが残ったりとか、身がかたくなったりとか』

 

『昔からやってて慣れてるだけですよ。でもそういうところに気づかれるということは、朱莉さんも結構料理されるんですね』

 

「めちゃくちゃ意外だけど朱莉は料理できるらしいんだよな。俺はいまだに疑ってんだけど」

 

『いやなんで疑ってんの。嘘じゃないから。それにちゃんとおいしいし。わたしも何回か食べさせてもらったよ』

 

『えへへーっ、できるんだよねー! お母さんのお手伝いしてたからね!』

 

〈朱莉もできるんだよね〉

〈イメージと違うけどなw〉

〈前に二人はオフコラボやってたな〉

〈お手伝いは解釈一致〉

〈親孝行めっちゃしてそうw〉

 

『お手伝いしながら覚えるというのが一番いいですね。朱莉さんは今日の晩御飯は何にされたんですか?』

 

『親子丼っ! 卵が残ってたんだー』

 

『おー、冷蔵庫の中の余ってる食材で作る料理を選ぶあたり慣れてらっしゃいますね。壊斗さんは晩御飯まだらしいので……美月さんは食べましたか?』

 

「やめてくれー腹減るってー」

 

〈たしか悪魔は独学だったっけか〉

〈なにもわからないとこから一人でやるってすごいよな〉

〈親子丼いいよな〉

〈宅配頼もうかな〉

〈この時間に飯の話はきちー〉

〈リスナー全員に効いてるw〉

〈朱莉みたいな嫁がほしい〉

〈女子力あるんだよな〉

〈壊斗きついなw〉

〈飯まだでこの話はつらいw〉

 

『わたしは……牛丼』

 

「……この流れで牛丼て。しかもどうせ宅配だろ?」

 

『なに?! 宅配使って牛丼食べたらいけないの?! 言いたいことがあるならはっきり言ったらどう?!』

 

「かたや自炊、かたや宅配で牛丼。女子力の差がすげーよな」

 

『ちょっとは言い方考えたりしないのっ?! だから言いたくなかったのにっ!』

 

「お前がはっきり言えっつったじゃん」

 

〈牛丼w〉

〈先に言った二人がねw〉

〈配信者的にはおかしくないんだけどw〉

〈宅配使う人多いしね〉

〈二人が例外なだけなんだよなぁw〉

〈流れが悪かったw〉

〈草〉

〈ここでためらわずに失言できる壊斗が好き〉

〈はっきり言いすぎw〉

 

『牛丼いいですよね? おいしいですし、すぐ食べれますし。それに僕だって自分一人の食事なら適当に済ませてますよ』

 

『そうだよ。あたしだっていつも作るってわけじゃないよ』

 

『聴いたか壊斗! そういうことだよ!』

 

「いや……料理できるやつがたまに手を抜くのと、料理できないやつが毎回宅配頼んでるのはぜんぜん違うだろ」

 

『先生ーっ! 壊斗がっ、壊斗がゴミみたいなこと言ってきますーっ!』

 

「ゴミってなんだよっ!」

 

〈悪魔も牛丼食うのかな〉

〈悪魔は自分で作ってそうw〉

〈一人分作るのはめんどいよ〉

〈惣菜買ってくるほうが経済的なんだよね〉

〈壊斗w〉

〈めっちゃ殴るやんw〉

〈草〉

〈言葉強すぎw〉

〈ゴミは草〉

 

『うーん……そうだ。この機に美月さんは朱莉さんに料理を教えてもらったらどうです?』

 

『おー! せんせーナイスアイデアだよっ! みっき、あたし教えるよっ!』

 

『えー……でも、一人の時とか絶対作らないし……』

 

「なんで後ろ向きなんだよ。やるかどうかはおいといて、ここまで言われたらせめてやる気は出しとけよ」

 

『キッチンにマイクを置いたら配信もできるんじゃないですか?』

 

『いいねそれ! やろうよみっき!』

 

『んー……やる? どうせだし、応用が利く料理でお願いね』

 

〈いいこと言う〉

〈いいじゃん〉

〈料理オフコラボしてくれ〉

〈美月が自炊は無理そうだなw〉

〈観たいわw〉

〈声だけでいいからやってくれ〉

〈悪魔も通話で参加してくれんかな〉

 

『それなら比較的簡単でリメイクもしやすい肉じゃがならいいかもしれないですね』

 

『肉じゃがいいねっ! カレーにもシチューにもしやすいし、調味料足してみっきの好きな丼物にもできるよっ!』

 

『丼物ばっか食べてる女みたいに言うのやめて? 恥ずかしいって』

 

「実際そうだろ」

 

『うるさいな!』

 

〈肉じゃが!〉

〈肉じゃがいいじゃん〉

〈作ってほしい料理ランキング上位〉

〈肉じゃが作れたらレパートリー増えるよ〉

〈リメイクすぐ出てくるのすごいな〉

〈まじでちゃんとやってんだ〉

〈丼w〉

〈丼系女子はさすがにいやかw〉

 

『お料理に慣れてきたらコロッケやグラタン、味つけ次第で具沢山のスープとかにもできますね』

 

『よーし! みっきとのお料理コラボは肉じゃがに決定!』

 

『コラボって、配信することも決まっちゃってるんだ……。いいけどね』

 

〈グラタンもあるんだ〉

〈レパートリーすげーな〉

〈女子力たっか!〉

〈女子力とは違うなにかだろこれw〉

〈コラボ配信楽しみ〉

〈朱莉動いてないw〉

〈お料理教室オフコラボだ!〉

 

「手が止まってんぞー! 言っただろー! 喋ってもいいけどせめて手も動かしてくれってー!」

 

 ご飯話で異常に盛り上がっているところに水を差したくないが言わせてもらう。

 

 雑談に花を咲かせながらもジンは常に動いているが、朱莉と美月は極端に動きが鈍るのだ。

 

 三人仲良く喋ってるしリスナーの反応もいい、こいつらの雑談は撮れ高になる。配信的においしくなるなら、この際多少動きが鈍るくらいはいいかと目を瞑っていたが、とうとう朱莉が動かなくなったのでさすがに口を挟んだ。

 

『あははっ! はーい! はたらきまーすっ!』

 

『ちょっと壊斗こっちオオカミいるー』

 

「はいはい。ジン、進んだ先が段差に……持ってきてんだよなぁっ! ナイスー!」

 

『ふふっ、見えてましたからね』

 

〈夢中になっちゃってんだから〉

〈雑談楽しすぎたなw〉

〈壊斗もお仕事だ〉

〈段差出てきたか〉

〈クラフト持ってこんと〉

〈もう持ってきてて草〉

〈同じくらい喋ってんのにw〉

〈仕事早くて草〉

 

 道を塞いでいた岩を美月が砕いたら、進んだ先が段差になっていた。

 

 段差があるとトラックは進めないのでクラフトアイテムのスロープを配置しないといけない。ジンにクラフトしてもらって、段差の手前に配置してもらうために指示を出そうとしたら、すでにクラフトしてスロープを持ってきてくれていた。

 

 仕事が早い。助かる。

 

『はい、美月さん。ピッケル交換しておきましょう』

 

『わ、ありがとう。そろそろ耐久危ないかもって思ってたんだよね』

 

〈教授使いこなしてんな〉

〈修復もやってんだよね〉

〈木も石も回収してるし〉

〈視野広いな〉

〈さすが貴弾でIGLやってるだけある〉

 

『減りが大きいですね。アビリティ使うと道具の耐久値の減少は早くなるのでしょうか?』

 

『あー……アビリティで岩を壊す数が増えるから、それで減ってるのかも』

 

『そっか、アビリティがあるんでしたね。なるほど……それも考慮して修復を回していきますね』

 

〈アビリティ使い始めると減り早い〉

〈壊した時に減る〉

〈アビリティで気持ちよくなって斧壊れるとかよくある〉

〈強化してるの壊したら結構絶望なんだよなぁ〉

 

『そうしてもらえると助かる。ありがと』

 

『ふふっ、どういたしまして。こちらこそ、教えていただいてありがとうございます』

 

『ど、どういたしまして……』

 

〈この二人の会話なんか好きだわw〉

〈なんかいいな〉

〈なんだろうなこの甘酸っぱさw〉

〈てぇてぇとは違う感情を味わってる〉

〈てぇてぇってかきゅんきゅんに近いのよw〉

 

『あ。朱莉さん。もう少し先に行ったところのステージ中央少し下側に光玉があるので、そちらの木を切ってもらっていいですか? 破壊不能オブジェクトの下側から回ったほうが早そうです』

 

『わかったっ! すぐ行くよーっ!』

 

〈発見はや〉

〈ランタン強化したら光玉の位置探すのあるけどまだ使えないはずなんだよな……〉

〈返事いいw〉

〈壊斗のオーダーの時と違うなw〉

 

『朱莉さんが道を作ってくださるので、美月さんは朱莉さんが出てきた後にその道を通って岩を壊してもらえますか? 僕はスロープ持っていきますね』

 

『ん、了解』

 

〈指示出し的確だ〉

〈道が一直線だから通れなくなるんだよな〉

〈めっちゃ丁寧〉

〈これIGLディフ出てます〉

〈美月も素直に聞いてるw〉

 

「……あれ? 俺IGL降格?」

 

『光玉を取った後は資材拾って修復やクラフトをしますので、ここからのオーダーは壊斗さんにお任せしてもいいですか?』

 

「お、おう! 任せろ!」

 

〈降格です〉

〈降格w〉

〈悪魔;〉

〈メンタルケアまで〉

〈悪魔だけ仕事量多くね?w〉

 

『先生、道確保できたよ』

 

『ありがとうございます。取りに行ってきますね』

 

〈いいね〉

〈順調順調!〉

〈常にダッシュしてんなw〉

〈できるキャラコンはやってくスタイル〉

〈アビリティないのにスタミナ使いまくってんだろうなw〉

 

「朱莉、トラックを通すほうの道の先の木を切ってくれ」

 

『んあー』

 

〈IGL壊斗〉

〈テンション下がってるw〉

〈明らかに声落ちてて草〉

〈かわいい〉

〈むあー〉

〈かわいいw〉

〈嫌そうw〉

 

『光玉取りました。ここからは建設予定地を目指して頑張りましょうね』

 

『ナイスー。がんばってこー』

 

『おーっ! ないすーっ!』

 

「こいつらジンの時は声量も報告量も違うな……」

 

〈うぇぇい〉

〈ないすー〉

〈光玉おいしい〉

〈ナイスー〉

〈声出だしたw〉

〈草〉

〈違いがw〉

 

 俺のほうがつき合いは長いはずなのに、俺が迫害されている気配がする。

 

 俺とジンでなにが違うんだろう。どっちもイケボで、どっちもかっこよくて、どっちも優しい。

 

 うん、違いはなさそうなんだけどな。

 

『話戻るんだけどさー』

 

「あ? なんだ?」

 

『せんせーはつけ合わせなに作ったのー? あたしはねーっ!』

 

〈はなし?〉

〈つけ合わせw〉

〈晩御飯の話かw〉

〈なにかと思ったわw〉

〈戻ってきたw〉

 

「飯の話に戻すなよ! また作業にならなくなるだろ!」

 

『ちゃんとやってるからいいでしょっ!』

 

『でもあんまりご飯の話ばっかするのもよくないかも……』

 

〈ご飯の話してよ〉

〈真面目にすんなー〉

〈晩ご飯の話聞きたい〉

〈美月?〉

〈美月も牛丼の話ししたらいいのにw〉

 

『えーっ! みっきまで?! なんで?!』

 

『晩ご飯食べたのにまた食べたくなっちゃうじゃん。太るって』

 

『いいじゃんっ! また食べたらいいの! 親子丼宅配しようよ!』

 

『よくないって……。またリスナーに丼女(どんじょ)とか言われる』

 

『あははっ、きゃははっ! どっ、どんじょっ……にゅふふっ』

 

『笑いすぎでしょ朱莉は』

 

〈美月はまた女子力低いとか言われるかもしれんもんなw〉

〈腹は減るなw〉

〈俺もなんか食いたくなったわ〉

〈太るw〉

〈この時間に親子丼は太るわw〉

〈がっつり食う気やんけw〉

〈どんじょw〉

〈草〉

 

 ファストフードチェーン店ならこの時間でも宅配サービスが使えるだろうけど、この時間からしっかり丼物を食べるのはなかなか罪深い行為だ。しかも晩飯で牛丼を食べたあとの話である。

 

 デリケートな部分もあるだろうからと思ってさすがの俺でも口を(つぐ)んだが、率直に言ってしまえばデブの所業だ。キレられそうだから黙っとこう。

 

『ほうれん草と小松菜のおひたしと……』

 

「待て待てっ! ジン待て! 晩飯の話をしようとすんな!」

 

〈話続けんのかw〉

〈ここで乗っかってくのが悪魔〉

〈おひたしいいな〉

 

『ふふっ、あははっ。いやあ、悩ませてしまうくらいなら背中を押してあげようかな、と』

 

「食う方向で背中押してんじゃねーよ!」

 

『あー、おひたし……。スーパーのお惣菜じゃなくて誰かが作ってくれたおひたし食べたいな……』

 

〈背中押さないで……〉

〈この時間の間食はまずい〉

〈ダイエット中なんですこちら!〉

〈谷底に突き落とすような悪行〉

〈悪魔の甘言w〉

〈お惣菜じゃないんだよね〉

〈作ってくれたやつ食べたいのわかる〉

 

『いいねおひたし! ほかにはほかには?!』

 

「うわああぁぁっ……っ、腹減るって! なんか簡単につまめるもんあったかな……」

 

『タコときゅうりにわかめを入れた酢の物と、汁物がないなと思ってトマトを入れたお味噌汁を作りましたよ』

 

『うわーっ、わたしトマトのお味噌汁めちゃくちゃ好きなんだけど』

 

〈レベルたけーw〉

〈品数多くて草〉

〈酢の物苦手だけどタコのやつは好き〉

〈そこらの女よりよほど料理できて泣ける〉

 

『酢の物作ってるの?! わかってるーっ! 夏だもんねっ! トマトのお味噌汁もおいしそうっ!』

 

『礼ちゃんもおいしいと褒めてくれました。朱莉さんは何作られたんですか?』

 

『ネットできゅうりのわさび漬けっていうのがあってね、それをちょっと前に漬けてたからそれとー。あとキャベツ塩もみしてツナ缶とマヨネーズと混ぜたサラダ作った! おみそ汁も作ろうと思ったんだけど時間なさそうだったからそこはインスタントのにしちゃった』

 

『インスタントのお味噌汁もおいしいですし、夏のキッチンは暑いんでインスタントでも全然いいと思いますよ。それだけ作ってたら時間もなくなっちゃいますし。サラダにお漬け物まで作ってるなんてすごいですよ。しっかり料理されてるんですね』

 

『えへへっ、ありがとーっ! ちゃんと意外とお料理やってるんだよっ!』

 

〈うわー日本酒のみてー〉

〈朱莉もめっちゃ料理してんじゃん〉

〈もっとそういう話してけ?〉

〈だいぶ印象変わるw〉

〈こんな感じなのに家庭的なのいいな〉

〈幼妻のFA待ってます〉

〈お料理教室コラボに悪魔も入ってくれ〉

 

「なぁ、次のスキルポイント振りの時に小休憩しね?」

 

『ふざけんな。絶対ご飯食べる気じゃん。ずるいでしょ。わたしもお腹減ってるんだってば』

 

 こんな話をされて耐えられるわけがない。タイミングが悪くて俺はまだ晩飯食べれてないんだぞ。

 

「そんなら今のうちに宅配頼んどけよ。親子丼」

 

『だからーっ! この時間に食べれるわけないって! しかももうご飯食べたのわたしは!』

 

〈ご飯食べるつもりで草〉

〈これはがまんできないよねw〉

〈美月も食うかw〉

〈親子丼頼んどきなよw〉

〈牛丼からの親子丼はやばいw〉

〈太るぞー〉

 

『驚いたなぁ、配信者であたし以上にお料理してる人初めてだ! 朝ご飯はー? 朝ご飯なに食べたー?』

 

「まだ飯の話すんのかよ!」

 

〈次朝ごはんw〉

〈ずっとご飯の話w〉

〈飯テロにもほどがある〉

〈なんか食うか……〉

 

『昨日礼ちゃんに和食を食べたいと言われてたので、今日一日和食で統一したんですよ。今日の朝御飯はシャケの塩焼きとだし巻き玉子とお味噌汁です。日本の朝御飯って感じしません?』

 

『一人暮らしして長いから、起きた時にそんな朝ご飯が食卓に並んでたらわたし泣くかもしれないな……』

 

『あははっ! わかるっ! 和って感じするっ! お昼は? お昼ご飯はなににしたの?』

 

〈和食もできちゃうんだよね〉

〈魚料理得意っつってたな〉

〈朝飯でシャケとか最高かよ〉

〈泣いちゃうねこれ〉

〈一人暮らししてたらご飯作ってもらえるだけで嬉しいよ〉

〈あさからそんな手の込んだもの作れないって〉

〈そりゃ次はお昼なんだよw〉

〈お昼ごはんのターンw〉

 

『お昼御飯はお蕎麦にしましたよ』

 

『おそばいいなぁっ! 暑い時のざるそばおいしいよね! でもおそばって薬味とかがあってもなんだかちょっと物足りなくならない? 実家にいる時はからあげとかあったよ!』

 

『揚げ物や味の濃いものがほしくなるのわかります。僕も朝に使って余っていたシャケを使ってフライを作って、あと鶏肉と根菜を甘辛く炒めたものも用意しましたよ』

 

『おいしそーっ! あははっ、あたしもお腹すいてきちゃった!』

 

〈うっわw〉

〈蕎麦かー!〉

〈夏に食うそばがいっちゃんいいんだから!〉

〈からあげわかるわw〉

〈食いてー〉

〈悪魔のお家の子になりたい〉

〈応用力半端ないって〉

〈おいしそう〉

〈お腹がすきました〉

〈ついさっき晩飯食ったのに腹減ってきたw〉

 

「俺が一番つれーよ……。晩飯食ってねーっつってんじゃん……。やっぱ次小休憩しようぜ」

 

〈つらいだろうなぁw〉

〈逆にこれから食えるんだからいい〉

〈休憩してみんなで軽くご飯食べようよw〉

 

 ジンの晩飯のぶりの照り焼きもそうだったが、蕎麦も同じくらい食いたくなってきた。そんなの作るんなら先に言っといてくれよ。ジンの家にお邪魔して昼飯ご馳走になればよかった。家知らねーけど。

 

 なにか冷蔵庫に手軽に食べれそうな作り置き入ってなかったかな。優空がくるようになって以降、インスタントラーメンとかの買い置きをしなくなったんだよなぁ。

 

『おしまい! 余計な話は終わり! ほら朱莉! 早く木を切って道作って! トラック待ってるから! 壊斗も! 朱莉の左上のほうにシカがいるから狩っといて!』

 

『あははっ! はーいっ!』

 

「どうにか気を紛らわせようとしてんな……」

 

〈あーそば食いてーな〉

〈ぶりの照り焼きでビール飲みたい〉

〈止めるの遅いよ……〉

〈もう完全にスイッチ入ってんだよね〉

 

 とうとう耐えかねたのか、ゲームに集中させるように美月が()き立て始めた。

 

 まったくもって同意見だし、ゲームに集中してもらえるのなら俺も好都合だ。好きにさせておこう。

 

『ふふっ、建設予定地ももうすぐですしね。集中していきましょう。朱莉さん、斧交換しましょう。強化しておきました』

 

『やたーっ! ありがとーっ』

 

「あともう一段上がった先が予定地だ。朱莉と美月は道幅広げといてくれ。ジンは」

 

『用意できてますよ。やっておきます』

 

「ナイス。さんきゅ」

 

〈いつのまに強化してたんだ〉

〈ほんとちょうどいい時に交換するなぁ〉

〈作業班ノンストレスだ〉

〈サポートが手厚い〉

〈二マスだと人いたらトラック通れないもんな〉

〈クラフトできてんだよね〉

〈?〉

〈悪魔のやることはやすぎてわからん〉

〈主語がないよ主語が〉

〈それで伝わってんの?〉

〈なんだ?〉

 

 建設予定地までのことはジンに任せ、俺はステージの下のほうへと移動する。

 

 道具のアップグレードで最優先にすべきは斧とピッケルなのは理解しているが、そろそろ弓のほうもやっていってほしい。

 

 弓は強化したら威力も射程もどちらも増加する。攻撃を受けないように立ち回ることは簡単だが、未強化だと威力が低くて倒すまでに時間と矢がかかるのが多少面倒だ。一本当たりのコストは低いとはいえ、矢をクラフトするにも資材を消費するし、矢を持てる量にも限りがある。

 

『壊斗さんトラック寄ってください。作って置いてます』

 

「おっ! 助かるっ! 今ちょうど考えてたんだよ。ナイスナイス!」

 

〈人読みの極地か?〉

〈頭の中見えてんの?〉

〈強化した弓あるわw〉

〈矢まで置いてる〉

〈なにも言ってなかったよな?〉

 

 ステージ下に向かう途中にトラックに立ち寄って荷台を見てみれば、ほしいなと思っていた強化された弓と、ついでに矢もクラフトしてくれていた。そこまで長くはないがクラフトするには若干の時間がかかるのでこうして作って置いといてくれるのはタイムロスがなくて助かる。

 

『え? え? なになに?』

 

『ちゃんと人に伝わるように喋ってもらっていい?』

 

「なにが? 伝わるように喋ってんじゃん。なぁ?」

 

『意思疎通はできてましたよね?』

 

『言葉がたりないよーっ! なんのお話ししてるのかわかんなかった!』

 

『逆になんで二人はそれで伝わってんの? 先生に指示出そうとしてたのってなに?』

 

〈そらそうなる〉

〈こっちもわからん〉

〈壊斗喋っとらんやろw〉

〈なにか言う前に悪魔が用意しとる〉

 

 なんか二人がよくわからないことを言い出した。俺とジンの会話を聞いてたらわかるだろうに。聞いてなかったのか、こいつら。

 

「指示? だから、あれだろ? 朱莉と美月に道幅広げさせて、そのあとにトラックが段差を越えるためのスロープが必要だから、ジンにクラフトしといてくれって」

 

『言ってないじゃん』

 

「言ってなかったっけ? 言っただろ?」

 

『ぜんぜん言ってないよっ!』

 

『スロープはもうクラフトしてますよって答えた後、ステージの下のほうに野生動物が出てきたので、壊斗さんに先に狩ってきてくださいってお願いしたんですよね』

 

『先生、言ってないって先生』

 

『あれ? 言いませんでしたっけ?』

 

『野生動物の話なんて一つも聞いてないよせんせーっ!』

 

「んで、トラックの運転と狩りどっち先にしようかって悩んでたらジンが運転やってくれるっつったから、トラックはジンに任せて俺は下に移動したんだ」

 

『それも言ってないよね』

 

『壊斗さんと僕は別々の場所で動いていることが多かったので強化した弓を渡せてなかったんですよね。なので狩りに行く道中でトラックの倉庫から強化済みの弓と、ついでに矢も補充しといてくださいっていうのを伝えて』

 

『伝えてないよーっ! 言ってないよっ! 弓も矢も出てきてなかったよっ!』

 

『というか……なんで先生は壊斗が弓替えたいって思ってることがわかったの?』

 

『僕、今別画面で壊斗さんの配信開いてるんですよ。そしたら矢の数をちらっと確認してたので、威力が低くて矢の消費量が多いことを気にしてるのかな、と。それがなくても壊斗さんがトラックに近づくタイミングで伝えてはいたでしょうけどね』

 

「あれ、言ってなかったのか……? なんかすっげぇいいタイミングでジンが言ってくるからてっきり口に出してると思ってたけど、頭で考えてるだけだったのか……」

 

〈ぜんぜん言ってないんだよね〉

〈なに考えてるのか読んでんのかよ〉

〈やばすぎ〉

〈マジモンのバケモンで草〉

〈ガチ悪魔じゃん〉

〈思考読まれてる〉

〈頭ん中見られてんぞ〉

〈これだけ動き回って配信も観てんの?〉

〈目何個ついてんだよw〉

 

『壊斗さんの画面も観ているようなものなので、何がほしいのか気づいただけですよ』

 

『せんせー、そんなにかいとくんに気をつかわなくてもいいんだよ?』

 

『そうだよ。壊斗が言ってきた時にだけやればそれでいいんだから』

 

「いいや! このままでいいぞ! 人を思いやる精神こそが潤滑にチームゲームを進めるコツだ! このままでいい! そのままのお前でいいんだ!」

 

〈配信観ててもわからんよ〉

〈そうだぞ〉

〈壊斗に気をつかうな〉

〈気遣う相手じゃないぞ〉

〈草〉

〈嫌々やってるみたいな言い方w〉

〈ならお前も思いやれ〉

〈いいこと言ってるふうの搾取ですこれ〉

 

『かいとくんは自分が楽したいだけでしょっ!』

 

『先生にあんまり負担かけないでくれない? ただでさえ朱莉とわたしのサポートで先生は頭悩ませてるんだから』

 

〈楽したいだけw〉

〈バレてて草〉

〈そうだ!〉

〈どんだけ頭使ってると思ってんだw〉

〈草〉

〈ほんとそうw〉

〈二人のカバーで手一杯なんだからw〉

 

「自分たちが負担かけてることは自覚してんだな」

 

『あははっ、負担じゃないですよ。これがサポート職の醍醐味みたいなところありますからね。それに手のかかる生徒ほど可愛いと言いますし』

 

『せんせーっ!』

 

『先生っ……』

 

「……お前ら一応、歴で言えば先輩だってこと忘れてねーか? っておい! また手が止まってんじゃねーか! 目の前にゴール見えてんだからそこまで行けよ!」

 

〈自覚あり〉

〈ならもうちょい楽させてあげてw〉

〈悪魔っ〉

〈先生!〉

〈めっちゃいい先生〉

〈悪魔先生に教育実習にきてほしいだけの人生だった〉

〈どう転んでも手は止まる〉

〈ご飯話が終わっても進まねーw〉

 

 優秀なサポートであるジンがいてこの調子とか、三人の時はどれだけ無理ゲーだったのかという話だ。まぁ、ジンが加わったことで雑談の時間も増えていることは否めないが。

 

 なにかと動きを止める二人のけつを叩きながら進め、どうにかこうにかこのステージもクリアした。

 

 



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墨で塗り潰すように、

誤字脱字の報告ありがとうございます。当方節穴なのでとても助かってます。



 

 この『exodus』というゲームには、いくつかのモードがある。

 

 定められたステージ数をクリアする『シンプル』。制限時間内にどこまで進められるかの『タイムアタック』。ゲームオーバーになるまでにずっと逃げ続ける『エンドレス』の三つだ。

 

 俺たちがやっているのがこの『エンドレス』というモードで、このモードの一定のステージ数に到達するまで終わらない耐久配信が配信者界隈ではよく行われている。集まったメンバーによって難易度を調節できるというのも配信にちょうどいい。こういうところも『exodus』がよく配信に使われる理由だ。

 

 今回の難易度は上から二番目で結構難しいほうだが『Golden Goal』の中ではゲームがうまいほうの俺たち『あかいつき』なら、真面目にやれば、という前提条件さえ満たせればなんだかんだでクリアできるんじゃないかと、配信を予定した時には思っていた。

 

 順調にゲームを進めて、目標としていたステージ十の一つ手前、ステージ九まできた今、当初の目算があまりに甘かったことを思い知らされていた。

 

「っ、俺が狩るからジンはトラック動かしといてくれ!」

 

『わかりました。朱莉さん、トラックに斧の替え置いてるので交換しておいてください』

 

『んっ、ちょっと待ってねっ……。ここだけ切りたいっ……せんせー! 足場ってトラックに入ってる?!』

 

『あります。美月さん、申し訳ないんですけど川に足場板置いて反対側回ってもらえますか?』

 

『わかっ、わかったっ。壊斗! 川の対岸にアクティブいる!』

 

「待っ……おっけ! すぐやるからそのまま進んでてくれ!」

 

 ぎりぎりだ。ぎりぎりで(しの)いでいるような状態だ。

 

 俺が進路を指示してジンが後方で支えてくれているからなんとか回っているが、この難易度を三人でやろうとしていたのはかなり無理があったようだ。

 

『石材が少ないので、なるべく地続きの道を通りましょう。この先の谷で橋を架けることを考えると、あまりゆとりがありません』

 

「うっ……おっけ」

 

『あははっ、苦しそうです』

 

『なんでせんせー、笑うよゆーあるのっ……』

 

『ふふっ、ひりついてきましたね』

 

『この状況でひりつきを楽しめちゃうんだ……』

 

〈きっついな〉

〈難易度えぎー〉

〈ハードでこんな大変なのか〉

〈ちょくちょくミスはあったしな〉

〈資材管理ナイス〉

〈直進しようとして資材枯渇とかある〉

〈悪魔ゆとりあるなぁw〉

〈落ち着いてんねー〉

〈ひりつきw〉

〈猛者感あるw〉

 

『光玉は……美月さんが迂回した川の対岸のところです。朱莉さん、トラックが進むルートの木は僕が切っておくので、朱莉さんは光玉を囲んでる木のほうをばっさり切ってもらっていいですか?』

 

『え?! 取りに行くのっ?!』

 

〈ランタンのアビリティか〉

〈教授って意外と強いんだな〉

〈使う人によって合う合わない激しそう〉

〈縁の下できるやつしかやれなさそうだ〉

〈これレンジャーより考えること多いね?〉

〈シングルタスクにはむずい〉

〈取りに行くのか!〉

 

「無理していく必要はないんじゃね? とりあえずこのステージの突破目指そうぜ」

 

『光玉取らないと次のスキルポイント振りでランタンの強化ができないんです。このキャラクターが僕の想像通りなら次のステージで役に立つと思います。取りに行きましょう』

 

〈間に合うんか〉

〈ランタンの最大強化ってどんなんなの〉

〈キャラ読みもしてんのか〉

〈アドミニでも考察してるくらいだからw〉

〈スキレベMAXでランタンがとっても光るようになります〉

〈この回が初見だったよな?〉

〈ゴミで草〉

〈ランタンピカピカは草〉

〈明るい時にランタンいらんだろw〉

〈夜だったら役に立っただろうけどw〉

 

 日が暮れてからのステージならともかく、明るいステージでランタンがそこまで効果を発揮するとは思えないが、ここまでステージを進んでこれたのはジンの尽力あってこそだ。なにか成算があってこそなんだろう。

 

「……賭けるだけの信頼はあるからな。取りに行くぞ」

 

『あはっ! おーっ、行くぞーっ!』

 

『ちょ、ええ……間に合うの?』

 

〈スキルポイントもいるっちゃいるしな〉

〈拾えるなら拾っときたい〉

〈すぐ背中まで迫ってる〉

〈影ちけー!〉

〈ひりついてきた!〉

〈がんばれ〉

〈やり直し時間かかるし今回で行きたいな〉

 

『朱莉さん、光玉までの道はアビリティで真っ直ぐ開けてもらえればそれでいいです。美月さん、そこからの岩をやってもらっていいですか?』

 

『岩の先に段差あるし、先生がスロープ持ってこっちまできて、岩砕いて進んだほうが早そうじゃない?』

 

『石材の貯蓄が尽きそうなんです。次のステージの岩の数によっては危ないので、なるべく補充しておきたいんですよ』

 

『あ、そうか。加工までは先生のキャラはできないんだったっけ』

 

『加工まで考えたら、いっそのこと僕よりも砕くのが早い美月さんにやってもらったほうがいいな、と』

 

〈資材偏りがちになるんだよな〉

〈石材も取っときたいし丁度いいか〉

〈急がんと〉

〈オーダー聞こうぜ〉

 

『うん、わかった。……いちいち訊いてごめんね』

 

『僕も言葉を圧縮してしまいがちですからね。構いませんよ。気になることがあったらいくらでも訊いてください』

 

〈ぴりぴりしてんな〉

〈落ち着いて応援しようぜー〉

〈悪魔冷静だ〉

〈よくあんだけ動きながら説明できるな〉

〈ぜんぜん焦らねーw〉

〈声優しくて落ち着くわ〉

〈オーダーもゆっくり言えるのすげー〉

 

 貴弾だとIGLの指示に疑問を(さしはさ)むタイムロスは致命的だ。 FPSをやってればIGLの指示にはとりあえず従うことが染みついているが、美月はあまりやりこんでいない。気になって思わず訊ねてしまったのだろう。

 

 そのあたりのフォローもジンはうまい。美月のことは任せておいてもいいだろう。

 

 俺は俺のことをやっておかないといけない。

 

 ステージもここまで進むと野生動物は体力も数も多い。耐久値に不安が出てきた。

 

「ジン、弓の修復って終わってるか?」

 

『まだ七割から八割くらいです』

 

「こっちは三割切ってるから交換させてもらうぞ」

 

『わかりました。また修復しておきます』

 

 ノンアクティブは無視してアクティブの野生動物だけを攻撃していても数が多くて耐久がすり減っていく。四人でやってる分難易度が上がってるというのもあるんだろうが、かなり忙しい。ジンがまめに修復してくれていなければ間に合っていない。

 

『みっき! 道できた!』

 

『わかった。すぐ行く』

 

〈いいぞ!〉

〈朱莉まだまだ元気だw〉

〈声出てるねー〉

〈報告いいよ!〉

 

『朱莉さん。たくさん頼んでしまって申し訳ないんですが……』

 

『トラックが進むほうのルートの木を切るのと加工だね! いいよっ!』

 

『ありがとうございます』

 

『うおー急げ急げーっ!』

 

〈やることもわかってるw〉

〈朱莉成長してるぞw〉

〈かわいいw〉

〈いそげー!〉

〈うおー〉

〈うおおおお!〉

〈とことこかわいいw〉

〈声は急いでんだけどなw〉

〈うおー!(とことこ)〉

 

 口では急いでいる感じがしているが、朱莉はダッシュの存在をよく忘れる。そのせいであまり速くはない。

 

 やる気だけはあるようなので『ダッシュ使えよ』なんていう興醒(きょうざ)めな口出しは控えておこう。

 

『先生、段差までの道できたよ』

 

『すぐ行きます』

 

『あとは周りの岩から石材回収してわたしもトラックのほう戻るね』

 

『はい。お願いします』

 

「谷に着いた! ジン!」

 

『橋は必要分作っています。トラックの倉庫に入っているので置いてもらっていいですか?』

 

「ナイス! やっとく! 朱莉はトラック通れる道幅にしといてくれ!」

 

『おーっ!』

 

『わたしも橋の設置手伝うよ』

 

「まだ道幅狭いからぶつからないようにな! 半分置けたら俺はトラック動かすから残りの橋の設置は美月に任せるぞ!」

 

『おっけー』

 

『光玉取れました。僕も戻ります』

 

「ナイスー!」

 

『おーっ! せんせーないすーっ! 回せるもんなんだねっ!』

 

『ナイスー。……案外いけてて驚いてるよ』

 

〈ないす!〉

〈ナイスうううううう!〉

〈取れてるw〉

〈フォローしあってなんとかなったな〉

〈でかい!〉

〈ここで取れるのマジでナイス〉

〈いけるぞ今回〉

 

「影も近いから家建てるとこまで気を抜くなよーっ!」

 

 谷にクラフトアイテムの橋を設置する。谷や裂け目などのギミックには橋を架けなければトラックが通れない。

 

 ジンがうまくやりくりしてくれたおかげで紙一重のところで石材が足りた。石材が不足していたらここでゲームオーバーだったことを考えると背筋が寒くなる。

 

 ここまできて一からやり直しになったら確実に集中力が切れる。俺の睡眠時間のためにも、緊急参戦してくれたジンを解放するためにも、この回でクリアしたいところだ。

 

『壊斗、橋できたよ。わたしは先にいって周りの岩砕いとくから』

 

「おっけ! いくぞぉっ!」

 

『朱莉さんは加工に入ってください。できるだけ木材持っていきましょう』

 

『はーいっ!』

 

 谷に架けられた橋を渡って反対側へと移動する。

 

 あとはこのまま進めば建設予定地だ。

 

 画面の左側から侵蝕してくる影はじわりじわりとその勢力を拡大している。あれが俺の睡眠時間を奪う魔の手だと思うと恐怖を禁じ得ない。早く次へ進みたい。

 

 建設予定地周辺にある岩を根こそぎ砕いて石材を確保し、どうにかセーフハウスの建築ができた。

 

 ステージ九、クリアだ。

 

「おーし! おーっし! お疲れ! ナイス! あと一つだ!」

 

『やたーっ! ないすーっ! あといっこだーっ!』

 

『うわぁ、うわぁっ……ここまできたらミスりたくないなぁっ……』

 

『お疲れ様です。とうとうあと一歩のところまでこれましたね。途中危ういところもありましたがどうにか耐えられました。ナイスです』

 

〈クリアー!〉

〈ないすー!〉

〈ないっすうううう〉

〈あとひとつだああああ!〉

〈こええw〉

〈結構ぎりぎりだぞw〉

〈もうちょいだ!〉

〈がんばれ!〉

 

 ステージ十はやったことがないのでどんなギミックが出てくるのかわからない。でも、きっと行けるはずだ。

 

 三人でやっていた時の最高到達点がステージ七までで、八も九も初見ステージだった。それでもクリアできたんだ。次も攻略できる。きっと、たぶん。

 

「こっからも集中していこうぜ! んで、ジンはランタンのスキル強化できたのか?」

 

『できましたよ。実際に使ってみなければ効果はわかりませんが……おそらく想像通りでしょう』

 

「想像通りって、どんな効果なんだ?」

 

『ふふっ、それは使ってみてからのお楽しみにしたほうがいいでしょうね』

 

〈ランタンのために無理して取りに行ったんだったなw〉

〈めっちゃ光るらしいけどどんなもんなんだ〉

〈想像通り?〉

〈予想はついてるのか〉

〈言わないんだよねw〉

〈笑い声がお上品〉

〈関係ないけど悪魔の声えっちだ〉

〈じらすなーw〉

 

「いや教えてくれてもいいだろうよ」

 

『えーっ?! せんせー、教えてよー!』

 

『ここで教えてしまってはつまらないではないですか。それに……この特殊効果は使う機会がないほうがよさそうです。使う機会がなければ、次のスキル画面の時にお教えしますよ』

 

『うわー、引っ張るー。めちゃくちゃ配信者してるー』

 

『配信者たる者、リスナーさんにはわくわくしてもらわなければいけませんからね』

 

「意識たけー……一番新人のはずなのに」

 

〈気になる〉

〈どんななんだろうな〉

〈どんだけ光るんだろ?〉

〈配信者だなーw〉

〈リスナー思いで草〉

〈ちな悪魔枠ありません〉

〈悪魔配信してねーじゃんw〉

〈唯一配信してないやつが一番意識高いw〉

 

『次のステージは岩が多めにあると助かるんですけどね』

 

『そうだね。岩がないとわたしは手が空いちゃって、なにしたらいいかわからなくなる。先生に指示してもらってばっかりだと悪いし』

 

『気にしなくてもいいんですよ? 率先して木材の回収やクラフトアイテムの設置をしていただいたのはとても助かりました』

 

『へへ、うんっ。……できること探してたんだ』

 

『みっき働き者だったよねっ! いっぱい動いてたよ!』

 

『朱莉もね。木がいっぱいあって大変だったでしょ』

 

『うん、大変だったー。でもアビリティでばさああぁぁって切れて楽しかったよっ!』

 

『あははっ、楽しそうでしたよね』

 

『きゃははっ! うんっ! テンション上がっちゃった!』

 

「よっし。その調子で頼むわ。全員準備できたか? ラストがんばるぞーっ!」

 

『やーっ! れつごーっ!』

 

『これで終わるといいなー』

 

『これで終われたら壊斗さんの寝る時間もたくさん作れそうですね。頑張りましょう。……必ず皆さんをクリアさせなければいけませんね』

 

 妙な言い回しをするジンに言及したかったが、ステージ十の初期配置の衝撃で頭から吹っ飛んでしまった。

 

「川っ……ふざけんなっ! 石材ねーって!」

 

『えーっ! 川ーっ?!』

 

『……フラグになっちゃった。ごめん、わたしのせいだ』

 

〈くそみたいな配置〉

〈終わったか……〉

〈このやり方は性格悪いな〉

〈あしばだ〉

〈フラグ回収はえーよw〉

 

 ステージの上から下へと川が流れていた。画面左側に位置する俺たちと、建設予定地のある画面右側を綺麗に分断するような配置になっている。

 

 前のステージで作った橋は、そのコストのほとんどをトラックの倉庫に貯蓄していた分から捻出したのだ。セーフハウスの建築はステージの端にある岩も砕いてどうにか掻き集めて作った。もうトラックの倉庫には川を渡るための水上道路をクラフトする石材はない。岩は対岸にはたくさん並んでいるのに、こちら側にはちらほらと見えるだけ。まるで足りない。

 

 終わった。詰んでいる。

 

 俺たちが慌てふためいている中、ジンのキャラクター、教授がランタンを掲げた。カメラのフラッシュのようにぱぁっと、一瞬光が広がった。

 

 それはこれまで見てきたオレンジ色ではなく、眩しいくらいの真っ白な光だった。

 

 初めて見た白い光。もしかしたらランタンのスキルを上げて手に入れた新しい特殊効果だろうか。試しで使ったのか。

 

 なんにせよ、その輝くような白い閃光は動揺していた俺たちを驚かせ、一瞬黙らせる効果があった。

 

 その間隙を縫うように、ジンが落ち着いた声を響かせる。

 

『……なるほど。壊斗さんが足場板を作って、朱莉さんと美月さんで川の上に足場板を置いていきましょう。向こう側に渡れたら、美月さんはとりあえず水上道路を作れる分だけの石材を確保しましょう。僕はこちら側の岩を砕いておきます』

 

「あぁっ、くそっ……そうじゃん! 足場板で渡れんじゃんか! ナイス、ジンっ! すぐやる!」

 

『あ、そっか! ありがとせんせーっ!』

 

『パニックになっちゃうと視野が狭くなっちゃってだめだ……。落ち着かないと、落ち着かないと……』

 

〈うおおおお〉

〈悪魔ナイス!〉

〈落ち着いてんねぇ!〉

〈やっぱIGLは冷静じゃないと〉

〈クラフトは悪魔がやらんでいいんか〉

〈トラック動かさないとすぐやられんぞ〉

〈間に合うか〉

 

 ジンの指示に従い、俺たちは各々散らばった。俺はクラフトするためにトラックに。足場板がクラフトされ次第、朱莉と美月は急いで川の上に並べていく。

 

 ジンはというと、まだ動いていなかった。どうしたんだ、ラグか、と思っているとすぐ動き出した。

 

『壊斗さんはクラフトできたらルート確認しつつお二人を守ってあげてください。朱莉さんには申し訳ないですが、美月さんを優先で』

 

 ここからの動きやどうオーダーを出すかを考えていたのか。

 

「ん? おお、おっけ」

 

『いーよっ、大丈夫っ! 石材がたりないんだもんね、わかってるよっ!』

 

〈安心感ぱない〉

〈オーダー神だ〉

〈美月がやられたら石が終わるからな〉

〈優先はしゃあない〉

〈えらい〉

 

『あ、ごめっ……前のステージでスタミナの上限回復するの忘れてたっ……』

 

「おっ……っ。おぉっ……とう」

 

〈まっずい〉

〈回復する時間あったでしょ〉

〈なんでー〉

〈ケーショク!〉

〈一番まずいポジション〉

〈こんな時のための携帯食料〉

〈怒鳴りかけてて草〉

 

 声を張り上げそうになって、途中でどうにか押し留めた。

 

 美月だってふざけてるわけではない。今は真剣にやっている。やることが重なったせいで回復を忘れていただけだ。

 

 とくにスタミナの上限回復は頭の中のリマインダーから抜け落ちやすい。スタミナの上限は、トラックの荷台を開き、端にある食事のボタンで回復させる。すぐに目につくところに食事ボタンが配置されていないせいで、倉庫を確認しても自分のスタミナ上限が減っていることを思い出せないことも多い。

 

 ステージが進んでいって忙しくなってくるとやりがちなミスだ。このミスは誰でもありえる。それが今回はたまたま美月だったというだけだ。

 

『お渡しした携帯食料は?』

 

 教授のスキルにあったクラフト効率強化のレベルを上げた結果、新たにクラフトできるようになったのが携帯食料だ。倉庫内に入れた肉を材料にしてクラフトする。トラックでの食事と消費する肉の数は同じだが、回復量は携帯食料のほうが少ない。

 

 しかし、このアイテムの最大の利点は、通常はトラックに接して食事しないと回復できないスタミナ上限をトラックから離れた場所でも回復できることだ。回復量としては物足りないが、緊急時のつなぎとしては十分に役目を果たせる。

 

『……使っ、ちゃった。……ごめん』

 

 使っちゃってんだよね。なんなら俺も使っちゃってんだけど。

 

『大丈夫です、大丈夫ですよ美月さん。問題ありません。計算上……いけます。スタミナが半分もあれば川を越える分くらいは集められます。石材をトラックに持ってきた時にでも回復してくださいね』

 

『ごめんねっ?! あたしも使っちゃってもう持ってないっ!』

 

「わり。俺もねーわ」

 

〈んー〉

〈まっずい〉

〈報告ー〉

〈すまんやで悪魔……〉

〈使ったら言おうぜ〉

〈落ち着いてこう〉

〈悪魔がんばってくれ〉

〈GGの報連相はズタボロ〉

〈みんなないんだよねw〉

〈報告しろー!〉

 

『……皆さん、気を遣ってくださってるのは理解していますが、報告してくださいね? 壊斗さんが序盤からこまめに補充してくれていたおかげで肉の量には心配いりません。使ったよ、と言っていただけましたら作りますからね』

 

「……すまん」

 

『ごめんなさいぃ……』

 

『ごめんっ、ごめん……っ』

 

〈悪魔おこ〉

〈キレていいw〉

〈間があったなw〉

〈これ悪魔がいつキレるかのドッキリ?w〉

〈がんばってくれ!〉

〈せっかくきてくれたのに申し訳ない〉

〈助っ人が一番働き者で草〉

 

『大丈夫ですよー、先生怒ってませんからねー』

 

『くふゅっ、んふふっ……』

 

「おまっ、だははっ! やめろお前、そういう先生が一番怖いんだよ!」

 

『っ…………』

 

〈先生こわw〉

〈メンタルケアまで〉

〈空気清浄機かよw〉

〈どんまい!〉

〈こっからこっから〉

〈まだ舞える〉

〈影がくるまでには間に合うぞ!〉

 

『切り替えていきましょうね。ドンマイですよー』

 

「おお! まだ行ける! もうちょいなんだからなぁっ!」

 

『おーっ! 最後までがんばろーっ! ねっ、みっき?』

 

『っ……うん』

 

〈声出して〉

〈盛り上げてんだから〉

〈声出してけ〉

 

『朱莉さんは岩までの道の邪魔をしている木から切っていってくださいね』

 

『みっき……う、うんっ! わかった!』

 

『美月さんはスタミナがなくなったら加工をして回復させて、スタミナが回復したら岩を砕いていってください。なるべく手が空かないようにしましょう。僕もそっちにすぐに回ります。川の左側にある岩は全部砕いたので、トラックに食事に行く時についでに加工してもらえると助かります』

 

『っ、うん……』

 

『大丈夫ですよ。全然取り返せますからね。心配しなくて大丈夫です、クリアはできますよ。一つ一つ、順番にやっていきましょうね』

 

『ごめんっ……うんっ、がんばるよ』

 

『ふふっ、頼りにしていますからね』

 

「気にしすぎんなよー! まだまだ間に合うぞー!」

 

〈IGL降格〉

〈壊斗には無理だったか〉

〈しれっとオーダー変わっとるw〉

〈めっちゃ励ましてくれるやん〉

〈天使みたいな悪魔だ〉

〈先生優しすぎ〉

〈悪魔あったけぇ……〉

〈こんなにフォローされたら泣いちゃう〉

 

 ジンは俺の配信画面を観ていると言っていたし、もしかしたらコメント欄にも目を通していたのかもしれない。

 

 耐久配信になるかもしれない今日の配信で、ようやくステージ十に辿り着いた。終わりが見えたのだ。

 

 リスナーも今回で行ってほしい、がんばってほしいと思っている人が多いようで熱が入っている。熱が入っているせいで、クリアに影響のありそうなミスがあった時、投稿されるコメントにも棘のあるものが増えてしまう。

 

 そういうコメントはどうしたって出てくる。リスナーの数が多い以上、否定的なコメントを完全に防ぐのは不可能だ。仕方ない部分はある。

 

 ジンはコメント欄のそういう気配を感じ取っていろいろ気を回してくれたのだろう。場を和ませようとしたり、美月が気にしているようだから励ましの仕方も変えた。

 

 いや、さすがに指示を出して自分も動いてとなるとコメント欄まで観る余裕はないか。タイミングがよかっただけなのかもしれない。

 

 いずれにせよ、落ち込んでいるやつがいたら放っておけないくらい優しい悪魔がジンなんだろう。どこが悪魔なんだ。悪魔の定義が揺らいでいる。

 

『壊斗さん、手が空いたら石材をトラックに持ってきてもらえますか? 僕はもうクラフトしていきます』

 

「おっけ。朱莉、ルートは真ん中から斜め上に進んでいく形で頼む」

 

『わかったーっ!』

 

 クラフトにかかる時間を考慮すると、石材を全部回収してからだと影に呑まれるかもしれない。作れる分から順次作っていくのが最善だ。

 

 ジンにはクラフトに注力してもらい、俺は石材の回収と完成した水上道路を川に敷いていく。

 

 画面の左側から影が湧き出したとほぼ同時に、川を越えるための道が完成した。どうにか間に合った。

 

『トラックの運転は壊斗さんにお任せします。僕では遅すぎます』

 

「任せろ。ジンはルート切り開くの手伝ってやってくれ」

 

『わかりました』

 

〈あぶねええええ!〉

〈ないす!〉

〈危ねえw〉

〈ぎりぎりやw〉

〈盛り上がってきたああ!〉

〈ひりついてんねーw〉

〈ナイス〉

 

 間一髪で川を渡り、影の魔の手から逃れる。

 

 少しでも遅れていたらトラックが影に呑み込まれていた。

 

 可能な限り影から離れ、トラックを停車する。相変わらず余裕はないが、わずかに時間は確保できた。

 

「うっ、おおぉぉっ……あっぶねー……」

 

『あははっ、ぎりぎりでしたね』

 

「お前は心底楽しんでんなぁ……」

 

『ええ、それはもう。こうして大人数でゲームができるだけでとても楽しいですから』

 

〈草〉

〈危なかったw〉

〈悪魔w〉

〈楽しそうw〉

〈悪魔だけウキウキで草〉

〈かわいいw〉

〈イケボでかわいいこと言うなw〉

〈かっこいいとかわいいのギャップで風邪引くわw〉

 

『あはっ! せんせーいいこと言うーっ! お友だちと遊べたらそれだけで楽しいもんねっ!』

 

『わたしは、楽しめる余裕はないかもっ……』

 

〈友だち作るのが目標だったっけ〉

〈朱莉もそのタイプだもんなw〉

〈悪魔くらいじゃないと楽しめねーよw〉

〈余裕はないw〉

 

 ジンはいつの間にかIGLをやりながら、隙を見つけてはクラフトや修復も続け、サブ職のスキルを活用して木や岩の処理もしている。脳みそが焼き切れそうな作業量だが、ジンはさらに楽しみながら笑ってやっている。どうやら積んでるCPUが違うらしい。

 

『かいとくんっ! こっち動物出てきた! オオカミ!』

 

「わかった、すぐ行く。朱莉もジンも切り続けといてくれ。間に合う」

 

『わかりました。お任せします』

 

〈オオカミならセーフ〉

〈動きが早いのはだるいけどあたればすぐ倒せる〉

〈今は朱莉が生命線だからな〉

〈道ができないとトラックでアウトになる〉

〈影から逃げる空間はほしい〉

 

『壊斗! こっちにも近くに出てきた! クマだ! ちょっと下がるよ!』

 

「っ、同時かよっ!」

 

〈まっずい〉

〈あっ……〉

〈しかもクマ〉

〈きっつい〉

 

 ステージの中央から斜め上にルートを進行させていっているのが朱莉とジンだ。木が密集しているので朱莉がメインで切り進め、補助でジンも手を貸している。

 

 二人と離れて美月は下側にいた。いまだ不足しがちな石材を回収する重要な役割を担っている。この先に崖や裂け目、湖などのギミックがあればまた石材が枯渇する。

 

 ルートを作っている朱莉も、石材を取りに行っている美月も、どちらも手を止めさせるわけにはいかない。

 

『壊斗さんは先にクマを倒してください。僕がオオカミを相手します』

 

「レンジャーのサブも取ってたのか……。悪い。任せる」

 

〈全ステージで光玉取ったかいがあった〉

〈スキル充実しとる〉

〈弓矢もちゃんと持ってんのえらい〉

〈オオカミなら倒せそう!〉

〈がんばれ!〉

〈悪魔ならいける!〉

 

 教授のスキル、サブレンジャーを取得していれば弓矢を扱えるようになるが、あくまでもサブでしかない。ジンがどの程度スキルを強化しているかわからないが、本職のレンジャーよりも威力も射程もはるかに劣る。

 

 だが相手がオオカミであればサブ職でも十分倒せる。オオカミは動きが早くて矢を当てづらいが、体力は多くない。威力が低くても当てられるのなら倒せる。

 

 朱莉の護衛、オオカミ退治はジンに任せ、俺はクマ退治に向かう。

 

 すぐ背中に影が迫りつつある中、ここで美月がダウンしたら致命的だ。ダウンの回復の間、俺も美月も身動きが取れなくなる。美月がクマに攻撃される前に速やかに仕留めなければいけない。

 

 クマは素早さはそこそこで体力は多め。それだけならただの(まと)なのだが、こいつの脅威は一撃の重さだ。二発は絶対に耐えられない。難易度とステージの進み具合によっては、一発受ければそれだけでダウンしかねない攻撃力を有している。

 

 だが、レベルを上げたレンジャーのスキル、狩猟効率強化とアップグレードされている弓。さらにアビリティも重ねればクマでもすぐに始末できる。

 

 野生動物たちには遠距離にいる俺を攻撃する術はない。安全な位置から一方的に矢を撃ち込んでやろうと攻撃モーションに移った。

 

 その時だった。

 

「……は?」

 

 墨で塗り潰すように、ステージの中央を上から下へと影が走った。

 




感想くれてる方、ありがとうございます。ちょっと返す余裕なくて返せてないんですが、すべてありがたく楽しく読ませてもらってます。
あと前話の飯テロは申し訳ないです。でも僕も書いてて空腹に苦しんだので、おあいこですね(にっこり)


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『勝ちましたねこれは。お風呂入ってきます』

感想読んでて、そこでようやく前話が100話目だったことに気付きました。わお。
特にこれといって何かやるでもないんですけど、記念すべきというか一つの節目みたいな感じですね。お祝いの言葉たくさんありがとうございました。


 

『えっ?! なになになに!?』

 

『見えなくなった! クマの場所わかんないよっ!』

 

「は、はぁっ?! な、なんだこれ! どういうギミックだふざけんなぁっ!」

 

 ステージ中央の広い範囲を影が縦断した。ヒットポイントゲージを見る限りダメージはないみたいだが、影が走った場所には黒いもやが残されていて、キャラクターの周囲数マスほどの範囲しかわからなくなった。周囲数マスの外は黒く塗り潰されていて、そこには木があるのか岩があるのか、はたまた野生動物がいるのか、なにも知ることができない。

 

 この黒く塗り潰されるギミックがどういう条件で発生するのかはわからないが、もし時間経過によって発生するのだとしたら運が悪すぎる。

 

 ジンと朱莉の近くにも美月の近くにも野生動物がいるのだ。周囲数マス程度の視野では相手の接近に気づくのが遅れる。野生動物の攻撃を許すことになる。

 

 そこまで攻撃力の高くないオオカミならばともかく、一撃死もありえるクマの姿が見えなくなったのはあまりにも痛い。

 

『動いても見えたまま……(もや)は払える。範囲は、夜と同じ。なるほど……なら』

 

 ジンが囁くような小さな声でいくつか呟いた。

 

 なんと言ったのか(たず)ねる前に、ジンは行動で返した。

 

 ぱぁっ、と黒いもやが円状に払われる。その円のほぼ中心に、黒いもやのせいで見失っていたクマがいた。その中心の直上には光り輝く球体が浮かび上がっている。

 

 この光は教授の持つランタンの特殊効果だ。いくつか前の夜のステージで見た、ジンが『照明弾』だとか呼んでいた光。離れたところからでも半径十マスくらいの範囲を光で照らせる。俺たちが使ってる役職で言うところのアビリティみたいなものだ。

 

「おぉっ! ジンっ! マジナイスっ!」

 

『やはり効きましたね』

 

『なになにっ?! なんなのーっ?! せんせーどういうことっ?!』

 

『もしかしてさっきのギミックは、昼でも部分的に夜みたいに真っ暗にする、みたいなこと?』

 

『そのようです。視覚的な変化は激しいですが、慌てる必要はありません。ダメージも受けませんし、黒い(もや)から影が湧き出すわけでもなく、ただ画面の一部が真っ暗になるだけです。しかもキャラクターが動いてもランタンの光で照らしても靄は払えますし、一度払えば再生もしません。びっくりさせるだけのギミックです。落ち着いて対処しましょう』

 

〈解くのはやすぎー!〉

〈対応完璧だ〉

〈初見の反応速度じゃない〉

〈先にクマ照らしてくれるの助かるなぁ〉

〈的確すぎて草も生えん〉

〈動揺とかいう機能は悪魔にはついてないらしい〉

〈立ち止まったりしねーのw〉

〈光撃つ前からオオカミに矢当ててたぞw〉

〈視界三マスもあればいいみたいw〉

〈いや落ち着きすぎでしょw〉

 

 穏やかに俺たちに説明しながら、ジンは続けてランタンの特殊効果を発動した。ランタンの光がジンを中心にして波のように広がり、今度はジンの周囲のもやが大きく払われる。

 

 ランタンのスキルレベルを上げて一番最初に獲得していた特殊効果、明るくする範囲を広げる照射距離拡大だ。

 

 自分よりも先に俺のほうに照明弾を使ってくれたのは、オオカミよりもクマのほうが脅威の度合いが強いからか。舌を巻くほどの冷静さだ。

 

『わーっ! すっごいよっ! せんせー頭いい!』

 

『すっご……』

 

〈草〉

〈いやたしかにすごいんだけどw〉

〈朱莉が言うと笑っちゃうw〉

〈すごい!(小並感)〉

〈すごくすごいのよ〉

〈でもすごい以外に出てこん〉

 

『僕としては、このギミックは教授がいなくても発生するのかどうかが一番気になります。教授を編成に入れておかなければ進むのが困難だと思うのですが……。松明を用意しておけばどうにかできるのでしょうか? しかし資材の浪費に繋がりますし、靄が出てからでは手遅れですし……』

 

「んんんやっ! 今考えることじゃねーだろそれっ! クリアすることだけを考えといてくれ?!」

 

『ふふっ、それもそうですね。クリアすることだけ考えておきます』

 

〈なんかいらんこと考えてるw〉

〈考察班だからね〉

〈今考えることちゃうw〉

〈知的好奇心は今は抑えてくれw〉

 

 脳みその処理速度に余裕がありすぎる弊害か、ジンが余計なことまで考え始めた。興味をそそられる物事に対して考察するのはある種の悪魔らしさがあるが、今はそんな悪魔らしさは引っ込めておいてほしい。

 

 黒いもやの攻略法を暴いたとはいえ、影がすぐそばまで迫っている現状に変わりはないのだ。なんならお邪魔モンスターと暗闇びっくりギミックのせいで作業が遅れている。

 

 影は徐々に近づいてきているのだ。思考のリソースを他のどうでもいいことに割り振っている場合ではない。

 

「クマ倒した。美月、戻っても大丈夫だ」

 

『わかった。あんがと』

 

『こちらも倒せましたよ』

 

『わー! せんせー守ってくれてありがとーっ!』

 

『いえいえ。朱莉さんこそ信じて作業し続けてくれてありがとうございます』

 

〈ないすー〉

〈乗り越えた〉

〈もやも動物もクリア〉

〈いけるぞ!〉

〈ほんとに先生と生徒みたいになってんなw〉

〈仲ええw〉

〈かわいい〉

〈かわいい〉

 

 俺はレンジャーとしてのスキルレベル分に加えてアビリティも駆使しながらクマを射殺したが、ジンは弓本体の攻撃力分でしか戦えない。いくら相手がオオカミとはいえ、倒す速度がほとんど同じってどうなってんだ。

 

 貴弾やプラエボと違ってキャラコンの差なんてほとんど出ないと思っていたが、ジンは『exodus』でもキャラコンの腕を見せられるらしい。ちょこまかと動き回るオオカミ相手でもミスショットしてない可能性がある。

 

『えへへっ、せんせーは安心感あるからねー』

 

「まるで俺には安心感ないみたいな言い方やめろよ!」

 

『あっ、せんせー! 少し先に段差あるよ!』

 

「答えろや」

 

〈わかるー〉

〈安心感あるわw〉

〈やさしいしな〉

〈声がいいから〉

〈草〉

〈しゃあないw〉

〈壊斗は言い方きついんだよw〉

 

『わかりました。ここから先の木は朱莉さんにお任せしても大丈夫ですか? 僕はクラフトしておきます』

 

『うんっ! 任せといてっ!』

 

「…………。おいこら朱莉、答えろや。一瞬、俺ミュートにしたっけか? とか心配になって確認しちまっただろうが」

 

『くひゅっ! けほっ、こほっ! もうっ、かいとくん笑わせないでよ! むせちゃったじゃん!』

 

「お前が答えねーからだろうが」

 

『あははっ、ごめーんっ!』

 

〈草〉

〈急にミュートならんやろw〉

〈むせた〉

〈咳き込んどるw〉

〈たぶん反省はしてないw〉

 

『先生、石材取れた分は全部入れといたよ』

 

『ありがとうございます、美月さん』

 

『わたしはちょっと手が空くし、他のばらけたところの岩とかも砕きながら木材の回収しとくね』

 

『わあ、助かります。お願いしますね』

 

『うん。あ、壊斗。少し手前から上に上がったところにイノシシ出てる。すぐにはこないと思うけどトラックに近めだから倒してー』

 

「んあー……ちょい待ってくれ。先にルート確認する」

 

〈石材補給できたか〉

〈ナイス〉

〈でかいぞ〉

〈クマすぐやれたのでかかったな〉

〈できること探すのえらい〉

〈美月がんばっとる〉

〈イノシシか〉

〈遠いし放置できんか〉

〈はよ行け〉

〈道の確認か〉

〈このやり方自力で見つけんの頭柔らかいよな〉

 

 アクティブの野生動物が出てきたみたいだが、距離があるのなら先に進む道の確認から済ませておきたい。

 

 レンジャーのアビリティ、探知と曲射を合わせたテクニックでどの道を進んだら一番簡単に行けるかを見極める。

 

 探知のアビリティを使うと通常時よりもステージの見える範囲が大幅に広がり、野生動物の位置を矢印のアイコンで教えてくれる。近くに寄ってきていないか警戒する時とか、手が空いたタイミングで野生動物を狩りに行く時に使うのがこのアビリティの本来の用途だ。

 

 曲射は威力は落ちるものの、野生動物の姿が見えていれば障害物の上を飛び越えて攻撃ができるようになるというアビリティだ。通常の攻撃や他のアビリティだと、キャラクターから直線上にいる野生動物しか狙えない。木や岩、破壊不能オブジェクトが間にあると使えなくなる。曲射は点での攻撃で、他の攻撃は線での攻撃、というイメージだ。

 

 前のステージで俺がアビリティを使っているところを観ていたジンが『探知の効果時間内なら曲射で遠くまで狙えません?』と言ってきて、そこからルートの確認にも使えそうだな、という話がきっかけである。

 

 よくもまぁ、初めてやるゲームで応用を考えつくものだ。

 

「さっき朱莉が言ってた段差のあと、少し進んだら裂け目がある。その先は木が密集してて……おぉっ! 木の向こう側は建設予定地だ! クリアが見えてきたぞ!」

 

『おーっ! もうちょっとだーっ!』

 

『緊張感やっばいんだけど……。ここまできたら行きたいなぁ……』

 

〈ギミック多いけどなんとかなるか〉

〈あとは時間だー!〉

〈急げ急げ〉

〈がんばれ!〉

〈クリア見えてんじゃん!〉

〈もうちょいだああああ!〉

〈観てるだけなのにドキドキするw〉

〈何事もなく終わってくれ!〉

〈慢心ダメゼッタイ〉

 

『油断せず行きたいですね。美月さんが石材を集めてくれていたおかげで裂け目も越えられますよ。ナイスです』

 

『ふっ、ふへへっ……あ、ありがと』

 

「なんでお前……」

 

『壊斗やめて。言わなくてもわかってる。やめて』

 

〈気抜くなよー〉

〈もうちょいだ〉

〈がんばれー〉

〈美月ナイスだった〉

〈石材集めが効いてる〉

〈笑い方w〉

〈オタク笑いやめぇw〉

〈台無しにするの上手だなぁw〉

〈きもすぎw〉

〈自覚はあるんやねw〉

 

 なんで美月はジンと話していると頻繁に笑い方がキモくなるんだろう。ソロ配信の時とかにオタク笑いが出てきているのは切り抜きで観たことがあるが、コラボの時にここまで出てくることはなかった。美月のオタク心にジンの声が刺さっているのか。

 

『スロープと裂け目の分の橋も作っておきます。クラフトが終わったらトラックを動かします。壊斗さんは先程美月さんが仰っていたイノシシの駆除をお願いします』

 

「了解。やってくるわ」

 

『朱莉さんは段差のところまで木が切れたら加工に入ってくださいね。美月さんはスロープを設置したのち、木材の回収をお願いします』

 

『はーいっ!』

 

『うん、わかった』

 

『慌てる必要はありませんからね。ゆっくり確実にこなしていきましょう』

 

 ジンのオーダーでそれぞれが動く。

 

 朱莉はここまでに切った木から出てきた原木を木材に加工。

 

 美月はジンがクラフトしたスロープを段差の手前に配置してトラックが通れるようにして、そこからは木材の回収。

 

 ジンはクラフトをしながらスロープの設置を待ち、通れるようになったらトラックの運転に入る。レンジャーをやっている俺が運転するよりもトラックの進みは遅いが、どうせ進行ルートの先は詰まっている。さほど急ぐ理由もない。

 

 俺はきた道を少し戻ってイノシシ退治だ。

 

 影に呑まれればキャラクター同様に野生動物も体力が削られ、そのまま時間が経てば死に至る。皮や骨、肉などの資材の量にも心配がないので放っておけるのなら放っておきたいのだが、このイノシシは影に触れないぎりぎりを駆けて俺たちが切り開いた道を登ってきそうだ。

 

 背後から攻められたら厄介極まりない。イノシシは影に呑まれて自滅するかも、なんて希望的観測は捨てて、後顧の憂いを断つ安全策を選ぶ。

 

『先生、段差上がったらすぐに裂け目に橋架けちゃっていいの?』

 

『目の前の位置は控えておいてください。段差を上がって正面の位置だと裂け目が広くて橋の数が足りません。遠回りになりますが、裂け目に沿うように下のほうへ移動すると裂け目と裂け目の間が狭くなっている部分があるので、そこを……』

 

『えっ……』

 

〈裂け目乗り越えたらクリアみたいなもんや!〉

〈勝ったな〉

〈耐久ってほど時間かかってないな〉

〈裂け目の下なら狭くなってた〉

〈よく見てんねー〉

〈橋はコスト重いんだよな〉

〈石節約して家建てんのに回したいな〉

〈まっずい〉

〈どうした〉

〈やらかした?〉

〈壊斗視点じゃ見えん〉

 

 不意に漏らした朱莉の戸惑うような声に、とてつもなく嫌な予感がする。

 

 イノシシと激闘を繰り広げている俺は裂け目から離れているのでなにが起きているのかわからないが、どうやらまずいことになったらしい。

 

『……置い、ちゃったんですね』

 

『ご、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……っ』

 

『いえ、いいんです。いいんですよ、朱莉さん。大丈夫です。手伝おうとしてくれたんですよね? 大丈夫です、みんなわかってます。僕がトラックを動かしている間に、先に裂け目を通れるようにしようとしてくれていたんですよね? お気持ち、とっても嬉しいですよ』

 

〈裂け目の中央に橋置いたんか〉

〈やらかした〉

〈まっずい〉

〈まずい〉

〈足りるか?〉

〈がんばってるのはわかるけど〉

〈やる気空回ったか〉

〈悪魔;;〉

〈やさしい……〉

〈みんなわかってる!〉

〈こっからがんばろう!〉

〈取り返しゃいいのよ!〉

 

『ど、どう、どうしようっ……これ、置いちゃったら取れないんだっけ……?』

 

『一回設置しちゃうと取れないね……。大丈夫。朱莉、大丈夫だよ。段差と裂け目の間の道にもいくつか岩があるっぽいから、それ回収するよ。岩までの木を切ってくれる?』

 

『ど、どうしようっ……あ、あたしのせいでっ……』

 

〈取れない〉

〈取れないのなかなかひどいよな〉

〈置きミスとかあるしな〉

〈作る分足りるか〉

〈おつちいてけ〉

〈冷静に〉

〈テンパるとだめだぞ〉

 

 さっき俺が確認したルートを頭に浮かべる。

 

 段差の乗り越えた先には裂け目のギミックがあった。

 

 おそらく裂け目に架けるために作っていた橋を設置する場所を間違えたという話だろう。ステージギミックの谷と裂け目を勘違いしていたのか、最短ルートを通ろうとしていたのか。

 

 谷と裂け目のギミックは、どちらもトラックを通すために橋を使わないといけないという部分は同じだが、細かい部分で違いがある。

 

 谷は画面の上下にばっくりと通れない空間が伸びている。その通れない空間に橋を架けることでトラックが通れるようになる。どの位置から架けようとしても必要になる橋の数は同じ。

 

 だから俺とジンは谷があった場合、谷の向こう側の状況を見て、どこに橋を架けるか決めていた。

 

 これが裂け目になるとルート選びの基準が変わってくる。

 

 裂け目は谷のように画面を縦断するような長さはしていないが、横に広がっている部分があるのだ。裂け目の中央は、通れない空間が左右に広がっているため必要になる橋の数が多くなるが、裂け目の端っこだと当然必要な橋の数は少なくて済む。

 

 できれば裂け目を迂回するルートを取りたいが、だいたい迂回はできないように破壊不能オブジェクトが設置されている。だからなるべく俺たちは、コストの重い橋を多くクラフトしなくて済むように裂け目の端を選んで渡って進んできた。

 

 石材の量に乏しい現状で、要求される資材の量が多い橋をさらに追加で作るというのはだいぶ苦しくなる。

 

『朱莉さん!』

 

 ここまできてゲームオーバーとなると心が折れそうだな、なんて諦めかけていた俺の耳にジンの鋭い声が刺さった。

 

 無闇に大きな声を出さないジンの大声だ。俺の名前が呼ばれたわけでもないのになぜか心臓がひゅっとした。

 

『ふぁびゃっ! ひゃいっ!?』

 

 自分の名前を呼ばれた朱莉ははちゃめちゃに驚いていた。

 

『大丈夫ですよ。クリアできますからね、朱莉さん』

 

『っ……はいっ』

 

〈びっくりした〉

〈兄悪魔のでかい声初めて聞いた〉

〈朱莉もめちゃくちゃびっくりしとるw〉

〈そら驚くわなw〉

〈やさしい……〉

〈なんとかなるんか悪魔〉

〈がんばれ!〉

〈朱莉落ち着いてけ!〉

 

 最初の朱莉を呼ぶ声だって、声量こそあったものの、怒鳴っているようには聞こえなかった。自分の話を聞いてもらうために朱莉の顔を掴んで自分に向けさせるような、そんな強引で力のある声だった。そのすぐ後に、優しく寄り添うような穏やかな声で語りかけるのは、ミスをした人間にはとても効くだろう。

 

 気が動転している朱莉を落ち着かせるには十分だった。

 

『朱莉さんはまずは裂け目のこちら側の岩の手前で邪魔をしている木を切りましょう。僕と壊斗さんで足場板を裂け目に置くので、足場板を置けたら向こう側に渡って建設予定地までの道を切り開いてください。今は人が一人通れる幅で結構です。建設予定地まで行けば、その周辺にはきっと岩もいくつか見つかるはずです』

 

『先生、裂け目のこっち側にある岩だけじゃ足りない?』

 

『足りません。ですがトラックに残っている分と裂け目のこちら側の岩の分でいくつかはクラフトできると思います。なので朱莉さんが裂け目の向こう側の木を切り開くまで美月さんはこちらで岩を砕いてください。僕が足場板をクラフトするので、壊斗さんは裂け目に足場板の設置をお願いします』

 

「おっけぇっ! 諦めんなよ! まだいけんぞぉっ!」

 

〈時間足りんのか……〉

〈影きてるぞ〉

〈石がたりねぇ!〉

〈まじでぎりぎりじゃね?〉

〈無理ぽ〉

〈がんばれー!〉

〈悪魔オーダー!〉

〈悪魔どうにかしてくれ!〉

〈背中でけーw〉

〈がんばってくれ〉

〈まだいける!〉

〈諦めんなー!〉

 

 こんな危機的状況だというのにこれまでとなんら変わらないジンのオーダーに、もしかしてなんとかなるのか、という安心感を覚える。

 

 俺はジンがクラフトした足場板を順次裂け目に設置していく。クラフトするだけだったらレンジャーでもできるが、教授のほうが資材の消費が抑えられる上にクラフトにかかる時間もわずかばかりとはいえ短縮される。

 

 これまでは気にしてこなかったクラフトにかかる時間も、すぐ近くに影が這い寄ってきている今では貴重な時間だ。そのわずかばかりの時間の差で、クリアできるか否かが分けられるかもしれない。

 

「朱莉! もうすぐ向こう側行けるぞ! こっちきとけよ!」

 

〈向こう側に岩あんのか?〉

〈がんばれ!〉

〈なかったら詰み〉

〈家建てるのにも使うから基本ありそうだけど〉

〈セーフハウス周辺の資材の分布はどこのステージでも変化しない〉

〈予定地の周りには絶対いくつかは置かれる〉

 

『で、でもっ、こっちの木がまだ、切れてないっ』

 

『構いません。僕が代わります。朱莉さんは向こう側に渡って建設予定地までの道を作ってください』

 

『っ……はいっ、ごめんなさいっ……』

 

『ふふっ、慌てないで大丈夫です。笑顔ですよー、朱莉さん。この絶品のひりつきは味わわなきゃ損ですよ。楽しみましょう』

 

「今笑顔で楽しめるようなやつはお前くらいだ」

 

〈急げ急げー〉

〈反対側行ってすぐ道作ったらワンチャンある〉

〈向こう側優先だろ〉

〈急げ〉

〈こっち少ないんだから粘ってもしゃあない〉

〈悪魔にも任せれるでしょ〉

〈テンパりすぎ〉

〈朱莉落ち着け〉

〈悪魔はもうちょい焦れw〉

〈なんで悪魔のんきなのw〉

〈楽しんでるなーw〉

 

 なんなんだ、ひりつきを味わうって。どれだけこのゲームを味わい尽くそうとしてるんだ。美月だって無言で必死に動いてるってのに。

 

『あは、は……せ、せんせぇっ。い、今、ちょっとあたし、笑えそうにない……』

 

『安心してください、絶対クリアできますよ。それに万が一ゲームオーバーになったとしても何か罰ゲームがかかってるわけじゃないんですから、気楽にやっていいんです。楽しまなきゃもったいないですよ、困るの壊斗さんくらいなんですから』

 

〈気負うな〉

〈もっと気楽にいけー〉

〈楽しんでこー〉

〈まだ行けるぞ!〉

〈そうそう〉

〈いいこと言う〉

〈気楽にやろう〉

〈草〉

〈それはそうw〉

〈壊斗しか困らんからねw〉

 

 こういう時に率先して俺を絡めて、あるいは俺をいじって話を広げようとする美月は作業に手一杯になっている。そのせいで朱莉のフォローができない。

 

 だから、ジンが代わりに俺に振ってきたのだろう。

 

 企画クリア目前で致命的とも言えるミスをして、自責の念で悲愴感すら滲ませている朱莉をジンは元気づけようとしているのだ。

 

 緊張感ならあっていい。緊迫した展開なんてどんとこいだ。配信的においしい。

 

 でも苦しい思いをしたままというのはいただけない。

 

 たとえクリアできたとしても、朱莉がこんなに痛々しい状態のままでは、それはクリアとは呼べない。喜べない。

 

 ジンがこの湿っぽい空気を変えようとしているのなら、俺も乗っかってやろう。

 

「おい朱莉マジで気楽にやんなよ! 引き締めていけ! 俺の睡眠時間がかかってるんだぞ! 明日の俺が困るんだ! 頼むぞ!」

 

『ふふっ、ははっ……』

 

『朱莉さんお料理よくされてるみたいですけど一番得意な料理は何ですか? 僕は魚料理なんですけど』

 

「ここにきて料理の話に戻んじゃねーよ! 今やる話じゃねーんだって! うしろ振り返ってみろお前! 影! 影きてんだぞ!」

 

『くふっ、あははっ』

 

『特技は人と魚をさばくことです』

 

「うまいこと言ってんじゃねーよ! 悪魔が人を(さば)くなよ! (さば)くのは魚だけにしとけよってか魚捌けんのかよ器用だなお前はほんとに! これで死んだら許さねーからなぁっ!」

 

『あははっ! きゃははっ!』

 

〈もう一回最初からで雑談やってくれていいぞ〉

〈またご飯の話するかw〉

〈必死すぎて草〉

〈あwくwまw〉

〈話帰ってきたw〉

〈料理の話だー!〉

〈たしかに人もさばいてて草〉

〈魚料理いいねw〉

〈影も空気読んでくれよ!〉

〈ちょっと前の炎上の時裁いてたなw〉

〈雑談聞きたいw〉

〈さかなw〉

〈器用だねw〉

〈草〉

〈絶対今やることじゃないw〉

 

『ふっ、くふふっ……先生と壊斗は、ふふっ、いつ打ち合わせしてたの?』

 

『せ、せんせーも、かいとくんもっ、きゅふふっ……お、おもしろすぎっ! あははっ!』

 

「してねぇわ! 打ち合わせしててわざわざこのタイミングにやるとか馬鹿野郎だろ! なんで一番油断しちゃいけねーとこでこんなコントみたいなこと打ち合わせすんだよ!」

 

〈まじめにやれw〉

〈オーダーどこいったw〉

〈どこでネタ合わせしたんだw〉

〈仕込みだろこんなんw〉

〈やるタイミング最悪で草〉

 

 ほんとに器用なやつだなこいつは。あれだけ凹んでいた朱莉を声をあげて笑わせるくらいにしっかり明るくさせやがった。

 

 ずっと喋り続けているくせに、それでいてちゃんと自分のこなさなければいけない作業はちゃんとこなしているところが抜かりがないし憎たらしい。

 

 俺はボケるジンにツッコんでるだけなのに作業が遅くなっている。会話に脳のリソースを持っていかれているのだ。

 

 とはいえ、朱莉を元気づけることはできたし、言葉数が減っていた美月も、思わず口を挟む程度には緊張が解れたみたいだ。目的は達成した。あとはゲームクリアに集中するだけ──

 

『もうゴール見えてません? 勝ちましたねこれは。お風呂入ってきます』

 

 ──まだ終わらないのか、この茶番。

 

〈だめそうやねw〉

〈モード入ってるw〉

〈誰か悪魔のスイッチ切ってー!〉

〈勝ったな風呂入ってくる〉

〈そういうのもちゃんと知ってるんだねw〉

〈なんだよ余裕じゃん畑の様子見てくるわ〉

 

「フラグ立ててんじゃねーよっ! 頼むから余計なことしないでくれ! お前がこのパーティの屋台骨なんだぞ!」

 

『せっ、せんせっ……あた、もうだいっ、だいじょうぶっ……くふゅっ、ふぐっ、ふふっ』

 

『あっ……』

 

「やめろやめろやめろ! フラグ回収早すぎなんてもんじゃねーって! 不吉な声出すなよジン!」

 

〈勝ったなガハハ〉

〈この屋台骨骨折してるぞ〉

〈朱莉死にかけてるw〉

〈一人呼吸困難になってるけどw〉

〈ないんい1〉

〈なんだなんだ〉

〈悪魔やらかしたか〉

 

『配信の前にお風呂入っちゃってました……』

 

「おまっ……深刻そうな声で言ってんじゃねーよっ! めちゃくちゃびびったわ! 知るかよ! もっかい入ってこいや! 二度風呂しろ!」

 

〈最速フラグ回収〉

〈もう入ってたんだw〉

〈緊迫感出すなよw〉

〈やらかしたか思ったわw〉

〈びびったーw〉

〈声だけで笑かすのやめろw〉

〈草〉

〈二度風呂とは〉

〈www〉

〈ちなクリア目前です〉

 

『あははっ! せん、せんせーっ、もうやめてっ! くひゅっ、ぐるしぅっ』

 

『くふっ……ふふっ、か、壊斗さん』

 

「んあぁっ! なんだよ!」

 

『あの、ふふっ……二度風呂ってなんですか? あははっ、ふふっ……くくっ』

 

「だはっ……っ、知らねぇよっ! そこ引っかかるなよ俺だって知らんわ! なんかっ、口から勝手に出てきたわ! なんだよ二度風呂って!」

 

〈壊斗必死w〉

〈朱莉元気こえて倒れそうw〉

〈笑ってもうとるw〉

〈にどぶろw〉

〈つっこんでやるなよw〉

〈聞いたことないワードw〉

〈壊斗もいっぱいいっぱい〉

〈謎ではあるw〉

 

『くくっ、ふふっ……あのお客様、当店二度風呂禁止してまして……』

 

「串カツ屋かっ!? 二度づけ禁止みたいに言ってんじゃねーよっ! もうっ、もういいだろジンっ! もうそろそろいいだろぉっ……」

 

『あはははっ、くくっ……あははっ! ふふっ……こほん。すいません。やってるうちに楽しくなっちゃいまして』

 

〈www〉

〈草〉

〈こいつw〉

〈悪魔全開だw〉

〈壊斗切れてるねー〉

〈串カツ屋で無理だった〉

〈一回エンジンに火がついたらフルスロットル〉

〈ゴールもうすぐなのに遠いw〉

 

 ゲームオーバーの瀬戸際限界ぎりぎりで作業と並行してジンの相手をするのは、俺にはまだ早かった。頭がオーバーヒートしそうだ。脳内パニックで自分でも聞き覚えのない単語まで飛び出した。なんだよ二度風呂。聞いたこともやったこともないわ。朝と夜で入るのか。勝手に入れ。

 

『ひっ、あははっ、はひゅっ……せ、せんせぇ、あ、ありがっ……ありがとっ』

 

『朱莉さん、元気出ましたか?』

 

『うんっ……でたっ、あははっ、くきゅっ……ひっ、げんきでたぁっ』

 

『わあ。それならよかったです。最後まで楽しんでいきましょうね』

 

「これなら凹んでる時のほうがまだ動けてただろ……」

 

『ふふっ、くふっ……いやでも、落ち込んでるより笑ってるほうがいいじゃん。やっぱり朱莉は笑顔じゃないと』

 

「……それもそうか」

 

『さあ、皆さん。影も迫っているのでさくさくと作業やっていきましょうか』

 

「お前が言うなやぁっ!」

 



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「嗜虐の悪魔」

 

『みっき! もうすぐ道できるよ!』

 

『わかった、そっち向かう。先生』

 

『はい、残っているのは僕がやっておきます。美月さんはどうぞ行ってください。どこかのタイミングで加工してもらえるとありがたいです』

 

『うん、了解』

 

『壊斗さんは出てくる野生動物を駆除しながら石材を持ってきてもらえますか?』

 

「おっけ!」

 

〈がんばれー!〉

〈朱莉いいよー!〉

〈きっと間に合う〉

〈行ける行ける!〉

〈どきどきだ〉

〈こえーw〉

 

 裂け目を越えた先の木々を切り倒し、朱莉は建設予定地に続く道を繋げた。まだこの道はキャラクター一人分しか道幅がないが、今はこれで構わない。なにより大事なのは石材の確保だ。石工の美月を可及的速やかに通らせるために、ひたすら一本道を作らせた。

 

 ジンは裂け目の手前側で回収できる石材は回収して、作れる分だけでも橋を作って設置している。橋が完成した時にすぐにトラックを動かして影から逃げられるようにしているのだろう。

 

『岩あるっ! みっき! 岩あるよーっ!』

 

『うっわ助かる……これなら橋作れそう。家つくる分もあるね』

 

『あたしはじゃまになりそうな木を切ってく! じゃまな木があったらみっきも言ってね!』

 

『うん、ありがとう朱莉』

 

〈やばそう〉

〈諦めるなー!〉

〈最後までがんばろう〉

〈いそげー!〉

 

 ジンの悪ふざけスイッチが入ったおかげで朱莉も活力を取り戻した。声も出ているし、率先して動いている。

 

 雰囲気はいい。盛り上がっている。

 

「…………まずいか」

 

 この雰囲気を壊さないように、口の中で独りごちた。

 

 俺の画面からでは確認できないが、建設予定地の周辺には岩が豊富にあったようだ。橋を作り、セーフハウスの建築に十分な石材は回収できるだろう。

 

 ジンは橋のクラフトをやり終えたようで、裂け目の先でトラックの通行の邪魔になる木を切り始めている。朱莉が美月のサポートを終えれば、すぐにトラックの進路も作れる。

 

 野生動物のポップも対処できるレベルだ。加工された石材をトラックに運び入れながらでも間に合っている。

 

 ただ一つ。唯一にして最大の障害が俺たちの行く手を阻む。

 

 後ろから這い寄る影が、あまりにも近過ぎた。

 

 橋を架けるのは、もしかしたら紙一重で間に合うかもしれない。裂け目の先の木々もジンと朱莉で協力して切り倒していけば、トラックを動かす頃には道ができているだろう。

 

 建設予定地までトラックを移動させることはできる。

 

 だが、ほぼ確実にセーフハウスの建築が間に合わない。

 

 美月が砕いている岩から回収できた石材はすべて橋のクラフトに注ぎ込んでいる。ここから改めてセーフハウス建築用の石材を集めなければいけない。

 

 石工(ストーンメイスン)のサブ職を持っているジンが岩を砕く仕事を手伝っても時間が足りない。石材を集めている間に影がトラックも俺たちもすべてを呑み込んでいく。

 

『橋のクラフト終わりました。僕は橋を設置して道を広げます。壊斗さんが運転を、朱莉さんはトラックが通れるように道を広げるのを手伝ってください』

 

「やっと橋完成したか! すぐ進めてくぞ! 道を開けろーい!」

 

『う、うんっ! 最後までやりきるよっ!』

 

『岩っ……もうちょっと固まっててくれたらもっと早く砕けるのにっ』

 

『大丈夫ですよー、絶対クリアできますよー』

 

〈橋完成したー!〉

〈橋のコスト重すぎ〉

〈どんだけ資材食うんだよ〉

〈諦めんなー!〉

〈ぎりぎりなのになぁ〉

〈もうちょっとだってのに〉

〈影近すぎる〉

〈岩が少なすぎるのが悪いわ〉

〈悪魔めっちゃ励ましてくれるのつれぇ〉

〈間に合わんなぁ〉

 

 トラックのケツまであと一マスという、首の皮一枚のところでどうにか影から逃れて移動することができた。

 

 急発進させ、できたてほやほやの新品の橋を越え、トラック一台分しかない木々の間の道を通り、建設予定地の枠に隣接するように停車させる。

 

 影の位置を確認してみれば、すでに橋の中間あたりまで進んでいた。

 

「ジン。トラックには石材はどれくらい残ってんだ?」

 

『綺麗に使い切りました。余裕がなかったので裂け目の左側の原石は加工できずに置いてきてしまいましたし』

 

『ごめん……ここから動けなかった』

 

『いえ、正しい判断です。美月さんが加工するために裂け目の手前まで戻ってきていたら、時間が足りなくなって橋の手前で影に捕まっていたでしょうからね。ですが、この周りにある岩で足りそうですね。美月さん、お願いしますね』

 

『え? う、うん……わかった、けど……』

 

『朱莉さんは切った原木を加工してください。トラックに入っている分は持ち出さなくても結構です。原木を加工した分で必要数には届きます』

 

『で、でもっ……』

 

〈トラックにも残ってないか〉

〈惜しいなぁ〉

〈ミス出るのは仕方ないしな〉

〈ナイストライ〉

〈どんまい〉

〈惜しかった!〉

〈ないとらー〉

〈やりきろう〉

 

「最後までやりはするけど、でもこれ間に合わねーよ」

 

『せ、せんせー……ごめんね。あっ、あたしが……っ』

 

『問題ありませんよ。言ったじゃないですか、クリアはできますよって』

 

〈もうちょっとだったのにな〉

〈切り替えていこう〉

〈もう一周だー!〉

〈雑談だー!〉

〈喜んでるリスナーもいます〉

〈朱莉だけが悪いわけじゃない〉

〈チームの責任だ〉

〈こういうこともあるナイトラ〉

〈こっからは無理やろ〉

〈なんで知ってんだ〉

〈初見じゃないの?〉

 

 ジンはそう言って、影のほうへと近づいていく。

 

「おいジン! 影にっ」

 

『最初に役職を聞いた時から気になってたんです。四つの役職で教授だけ浮いてるなって』

 

「……浮いてる、ってなんだよ?」

 

『木こり、石工、狩人……自然に関連する役職が並ぶ中で教授だけが浮いていますよね。彼らは研究所から逃げているそうですが、これは教授だけは研究所側の人間である可能性を示唆しています』

 

〈嘘だろ〉

〈自力で?〉

〈アドミニで見た兄悪魔だ〉

〈考察班きたー!〉

〈教授は研究所側の人間だったのか〉

〈そういやたしかに〉

〈言われないと考えねーな〉

 

『うん? ……い、言われてみれば、そうかも……?』

 

『ってことは、教授は研究所の人ってことなの? でもそれならどうして逃げる必要が……』

 

『それはわかりません。何か理由があったのかもしれません。トラックに乗っているのは子どもたちとのことなので、良心の呵責(かしゃく)に耐えかねて研究所から逃げ出したのかもしれませんね。このゲーム、ストーリーモードとかあるのでしょうか?』

 

「んで、それがなんだってんだ? てかそっちはもうすぐ影がくる……こっち戻ってこい、ジン」

 

『そう。影です。研究所から湧き出したという影と、研究所の関係者と(おぼ)しき教授。持っているランタン。影に対する光。きっと、こういうことなんだろうと思っていました』

 

 迫りくる影のすぐ間近でジンは立ち止まり、ランタンを掲げ、特殊効果を発動させる。

 

 その光はステージギミックの黒いもやを払った時のようなオレンジ色とは違う。このステージに足を踏み入れたばかりの時に放った光と同じ、純白の光だった。

 

 谷だろうと裂け目だろうと川だろうと、松明があろうと昼間だろうと、なにをしてもなにがあろうと進行を止められない影を、ランタンから照射される白い光は食い止めた。

 

 それどころか、だ。

 

『えぇっ!? す、すごいっ! 影が離れてくっ!』

 

『えっ……ランタンで影を払えるの?』

 

 食い止めるどころか、ランタンの白い光は影を後退させていく。

 

『ランタンの性能をある程度強化しても使えなかったので、きっと影の進行を妨げる特殊効果が使えるようになるのは最後まで上げ切った時なんだろうなと予想してました。前のステージで無理して取りに行った甲斐があったというものですね』

 

「マジかよ! おいおい先言えよ!」

 

『……ふふっ、驚かせたくて。どうやらとても驚いていただけたようですね』

 

「サプライズのつもりなら大成功だ、ばかっ! おらぁっ! クリアすんぞぉっ! 美月はさっさと岩砕けぇっ!」

 

『は、ははっ、うん! すぐやる!』

 

『やったーっ! クリアできるーっ! やったやったーっ! いっそげーっ!』

 

〈配信者やなぁw〉

〈リスナーどころか壊斗たちにもサプライズw〉

〈光玉でけぇ!〉

〈自分枠ないくせにw〉

〈配信はしてないけど配信者はしてるw〉

〈悪魔すまんな〉

〈全取りしたのが効いてるぞ!〉

〈マジか〉

〈悪魔ありがとう〉

〈クリアできるの〉

〈朱莉のテンションの上がり方草〉

〈ミス気にしてたもんなw〉

〈悪魔ないすぅ!〉

〈悪魔;;〉

〈悪魔お前〉

 

『……長時間は使えそうにないので、なるべく影を押し込んでおきますね』

 

「おう! 頼んだ!」

 

『せんせーおねがいーっ! すぐこっちも終わらせるからねーっ!』

 

『先生、もうちょっとだけ時間ちょうだい。あと加工していって、運べばいけるから』

 

『はい。構いませんよ。ごゆっくりどうぞ』

 

 ジンのサプライズによって影の進行を遅らせることができた。足りなかったはずの時間を生み出した。

 

 しかも、どうやら走ることはできないようだが白い光を照射しながらでも動くことはできるらしく、ここまで攻め寄せてきていた影を逆に押し返している。

 

 効果時間がたとえ短くとも、可能な限り影を追いやっておいてくれればそれだけ時間を稼げる。

 

 クリアできる。ゴールに手が届く。

 

「もうちょい、あとこれだけか? 美月」

 

『これだけ!』

 

『やったーっ!』

 

 美月は今までにない機敏な動きで散らばっている原石を加工して回っていく。加工された石材は、セーフハウスをすぐに建てるために朱莉が逐次建設予定地に放り込んでいる。

 

 俺たちを苦しめ続けた石材。最後の一つが、美月の手によって生み出された。

 

「ジン! もういいぞ! これが最後の一つだ! 戻ってこい!」

 

『せんせーっ! 最後のいっこ、せんせーが入れちゃってよーっ!』

 

『クリアできるのは先生のおかげなんだから、ゴールテープを切るのは任せるよ』

 

『…………』

 

〈ないすうううう〉

〈ラスト一個!〉

〈終わるうううう〉

〈クリアできる!〉

〈悪魔マジでナイス〉

〈MVPや!〉

〈悪魔ありがとう〉

〈最強の助っ人だ〉

〈ヒーローはお立ち台に上がらないとな〉

〈最後決めたれw〉

〈悪魔;;〉

〈こんなにがんばったのになぁ……〉

〈悪魔戻ってきていいぞ?〉

〈ここまできたのに〉

〈一つ入れたら終わるんだからもう影止めなくていいのに〉

〈お前のおかげだ〉

〈いい人から犠牲になる〉

〈つらいなぁ……〉

〈なになになんなの〉

 

 あとは目の前の石材を回収して、建設予定地の枠の中に投入すればセーフハウスは完成する。すでにトラックは横づけしているので、あとは完成したセーフハウスに入ればステージクリアだ。

 

 影も十分押し返しているし、ジンが戻ってきて石材を拾い、枠内に投入する時間はある。

 

 なのに、どうしてジンは戻ってこない。どうして、返事をしない。

 

「ジン、おいジン。もう大丈夫だって」

 

『せんせー? どうしたの?』

 

『……先生?』

 

『……すみません。僕は一緒には行けません。皆さんでクリアしてください』

 

「……は、はぁ? なに言ってんだよ。この期に及んでまた茶番か? さすがに今は……」

 

『このランタンの特殊効果は、いくつか代償があるんです』

 

〈なんだ?〉

〈回線悪いのか?〉

〈悪魔どうした〉

〈もうクリアだぞ〉

〈すぱっと終わらせようぜ〉

〈悪魔?〉

〈みんなでステージクリアだよな?〉

〈代償?〉

〈そんなのあんの?〉

 

 代償。まったく予想もしていなかった。少なくとも俺の使う狩人(レンジャー)のアビリティには、代償を支払うような類のアビリティは存在しない。

 

 いや、ある意味では支払ってはいたのか。アビリティを使う時、俺たちはスタミナを消費している。それは見方を変えれば、アビリティという強力な効果の代償とも取れる。

 

 そうであるなら、影を払うなどという唯一無二にして強力無比な効果を誇る白い光には、どれほどの代償を支払わなければいけないのか。

 

『……せ、せんせぇ、代償……って?』

 

『この白い光を使っていると、体力とスタミナ、どちらも削れていくんです。スタミナは上限ごと削れてます』

 

『え、そん……え? そん、なの……』

 

「ま、待て……待て。影は追いやってんだから、特殊効果を切ってもすぐには影には捕まらない。ダッシュを使わなくてもこっちまで間に合う」

 

〈ここまできて……〉

〈悪魔もクリアしようよ〉

〈どうにかならんのか〉

〈代償重すぎる……〉

 

 自分で言っていて、きっとこんなやり方はダメなんだろうなとわかってしまう。こんな誰にでも思いつく方法で助かるのなら、ジンなら考えるまでもなく気づいているはずだ。

 

 それでも、ジンが気づいていない小さな可能性にかけて、祈るように提案する。

 

いくつか(・・・・)代償があるって、言いましたよね。そのいくつかのもう一つが、数秒ほど動けなくなるというものなんです』

 

 祈りは容易く手折られた。

 

『このステージが始まってすぐの時に一度使ったんですけど、ほんの一瞬使っただけでも五秒は身動きが取れませんでした。特殊効果の使用時間によって動けない時間が延びるのかどうかまではわかりませんが、今回も動けない時間が五秒だとしても、体力が減っているので死んでしまいます。だから』

 

『だめっ! せんせーも一緒じゃなきゃだめだよっ!? だって……だって! 一番っ……いち、ばん……がんばっ、たのにっ……』

 

『……そうだよ。わたしがミスした時も先生が役割分担してくれて、わたしのこと気を遣って励ましてくれた。それなのに先生だけクリアできないなんて、そんなのありえない』

 

「待て、待てよ……考えっから。なんか、やり方あるはずだろ。……そうだ。プレイヤーなら影に呑まれてもすぐには死なない。ジンが影に呑まれてダウンしたらすぐに起こして、そっからすぐに逃げれば……」

 

〈そういう使い方なんだよな……〉

〈ここまでがんばったのに〉

〈一人だけ置いてくなんて〉

〈悪魔がんばったのに〉

〈朱莉の声が涙腺に効く……〉

〈全員のフォローずっとしてくれてたのに〉

〈すまん悪魔〉

〈一人だけゴールできないなんてひどい〉

 

『ふふっ、ありがとうございます。でも、ダウンの回復をしてもらえたとしても僕はスタミナの上限も一緒に減ってしまっているので、おそらく影から逃げられません。ダウンの回復中も影は進むでしょうから、もしかしたらダウンの回復にきてくれた人まで巻き添えになってしまうかもしれません。なので、皆さんでクリアして……』

 

『やだぁっ! ぜったいやだぁっ! せんせーもっ、せんせーもいっしょじゃなきゃっ……んぐっ。だっで、っ……あ、あだしの、せい……っ。はっ、あ……っ、あたしがっ、ミス、しだがらっ……』

 

〈一人だけ……〉

〈影からは逃げらんないか〉

〈生贄みたいじゃんそんなの〉

〈壊斗なんとかしてくれよ!〉

〈朱莉……〉

〈朱莉の純粋さで心が痛い〉

〈なく〉

〈ないた〉

 

『……大丈夫。そんなことないですよ、朱莉さん。きっと教授はこういう役回りなんです。それに皆さんがクリアできるのならそれでいいんですよ。「あかいつき」のお三方で始めたこの企画、僕はあくまで助っ人です。皆さんのうちの誰かが脱落しなくてよかった』

 

『先生、いやだよ……っ。い、一緒にゴールしようよ。ここまでこれたの、先生のおかげだよ……』

 

『ひっぐ……やだよ、せんせー……っ。んくっ……ひっ、ぐすっ……。せ、せんせーがなぐさめてくれたから、はげましてくれたから……っ。ひ、っ……ひっぱってくれたから、あたしたち……ここ、までっ……』

 

〈一番頑張ったやつが犠牲で終わっていいのかよ〉

〈悪魔がずっと盛り上げてくれてたのに〉

〈いまさら助っ人とか関係ねぇって〉

〈全員で笑って終わりたいよ〉

〈悪魔がカバーしてくれたおかげなのに〉

〈;;〉

〈二人は先生に助けてもらったもんな……〉

 

『……っ! 皆さんが生き残ってくれてよかった。……ここで死ぬのが、僕でよかった』

 

『っ……せ、先生も一緒に生き残れないならっ、クリアする意味ないっ! 壊斗は先出といて! 一人でも家入ってたらクリアにはなるんでしょっ?!』

 

『やだぁっ! はっ、ふぁっ……はっ、んくっ……っ! うあぁっ、あだしものごるぅっ! うぐっ、ひっぐ……せんせーひといぼっぢでおいでかない゛ぃっ!』

 

『壊斗さん……後のことお願いします。もう、体力も尽きそうなので』

 

「ああ、わかった」

 

『壊斗っ! まだ、先生がっ!』

 

『ここまで、とても楽しかったですよ。たくさん大変なこともありましたが、それ以上にたくさん楽しいことがあって、たくさん嬉しいことがありました。短い時間でしたが……皆さんとご一緒できてとても幸せでした』

 

『あっ……あぁっ。ひっく……ひぐっ、うぐっ……せんせーっ……』

 

『どうか皆さんは生き残って、この長かった旅を終わらせてください。……さようなら、ありがとう……っ、楽しかったよ』

 

「…………」

 

 ジンは最期にそう言い残して、そして。

 

 白い光が、消えた。

 

 どこまでも落ちて沈んでいってしまいそうな影に、ジンは呑み込まれた。

 

 ジンの発言からして、つまりはそういうことなのだろう。

 

『せ、先生っ……あっ、あぁっ……っ』

 

『うああぁぁっ! せんせーっ、せんせーっ! うぐっ、ぐすっ、ああぁぁっ! あ、はぁっ、はっ、あ、あだしがぁっ……あだじのぜいでっ、ぜんぜーがああぁぁっ……ひっぐ、うわああぁぁっ』

 

〈悪魔;;〉

〈一人だけそそくさクリアしてんじゃねーよ〉

〈最後までやり遂げたな〉

〈朱莉の声でもらい泣きしてる〉

〈罪悪感やばいだろこれ〉

〈悪魔の分も生き残ってくれ〉

〈泣いてる声が刺さる……〉

〈働きすぎだろ悪魔〉

〈もらい泣きしてるのに朱莉の声で興奮してる自分がいる……〉

〈ゴミリスナーもいます〉

 

 影に呑み込まれたジンを見て、美月は絶句して、朱莉は絶叫し、重なるようにアプリから電子音が鳴った。

 

 ジンはミスをした時はカバーしてくれて、作業をすれば後ろからサポートしてくれて、なにをすればいいか悩めば的確に指示も出してくれていた。『せんせー』という呼び方通り、恩人のような立ち位置だった。

 

 そんなジンが最後の最後、自身の命を(なげう)ってまで生き残らせてくれたのだ。単純で、しかし純粋な朱莉の心を苛むには十分すぎた。

 

 やりすぎだろ。あいつは自身の親愛度と演技力を理解していない。

 

「んじゃ、クリアすっか」

 

『なんでそんなに簡単に切り替えられるの?! ここまでっ、先生ががんばってくれたからこれたのにっ……』

 

「いや……だってあいつ、いつ抜けようかタイミング見計らってただけだろ……」

 

〈壊斗w〉

〈お前はタイミングがゴミすぎるんだ〉

〈もうちょい言葉選べんかw〉

〈最低で草〉

〈あまりにも気を遣えない男〉

 

 消える直前のジンのセリフ。あの状況であんなふうに言っていると、まるで『ここまで一緒に逃げてきたが最期に自分の身を犠牲にして仲間を生き残らせる善人』のようにも聞こえるが、実はそうじゃない。

 

 あれはただの配信終わりの挨拶だ。言い回しを捻じ曲げて、それっぽく演技しただけのもの。

 

 今回の配信は一応、俺と朱莉と美月の三人の『あかいつき』での企画だった。ジンのことだからどうせ、自分は部外者だから最後はどこかのタイミングで自然に退席しようとか考えていたんだろう。

 

 ランタンの特殊効果をこのステージの序盤で教えなかったのもこの小芝居のためだ。使う必要がなければ使わなかったのかもしれないが、いい具合におもしろくなりそうな展開になったから、ストーリーを持たせて仲間との悲しい別れを演出した。コミュニケーションアプリのサーバーからわざわざ抜けるあたり、芸が細かい。

 

 この中で唯一配信してないやつがなんで撮れ高作ってんだ。

 

『ぐすっ、ひっぐ、せんせーっ……うあぁっ、せんせー……ひっく』

 

「早く家入ってくれって。せっかくジンが時間稼いでくれたのに影に呑まれるぞー」

 

『壊斗サイテーすぎる……。朱莉、泣かないで』

 

『あだしがぁっ、あだじがミズじながっだらぁっ……ぐすっ、ひっぐ……うああぁぁっ』

 

「おいジン帰ってこい! どうせ観てんだろ! 収拾つかんから帰ってきてくれ!」

 

〈朱莉……〉

〈ボロ泣きです〉

〈朱莉号泣〉

〈悪魔は仕事したんだからあとは壊斗の仕事だぞ〉

〈慰めろよ〉

〈サイテーすぎる……〉

〈もうちょっとなんかあったでしょw〉

〈朱莉のトラウマになっちゃうよ〉

〈声枯れちゃいそう〉

〈やっぱり壊斗じゃだめだ〉

〈すまん悪魔!〉

 

 まだジンは俺の配信を観ているはずなのにアプリのサーバーに帰ってこない。

 

 ジンとしては別れの挨拶まで綺麗にやって出ていったから気分よく終わったつもりなのかもしれないが、取り残された俺はたまったもんじゃない。ジンの演技が刺さりすぎているやつが二人もいるんだ。最後まで面倒を見てもらわなければ困る。

 

「おい! ジン! 聴いてんだろどうせ! おいサディスティックデビル! 鬼畜エンターテイナー! ハートブレイカー! 嗜虐の悪魔! トラウマメイカー!」

 

『はいはいはい、わかりましたよ。人聞きの悪いことを言わないでください』

 

〈壊斗じゃだめなんだよ悪魔ー!〉

〈悪魔助けてー〉

〈草〉

〈ぼろくそで草〉

〈案外言ってること間違ってはないなw〉

〈悪魔おかえり〉

〈復活の悪魔〉

〈おかえりー〉

 

 ジンがVCに帰ってくるまであることないこと叫んでやろうと思って並べ立てていたらようやく帰ってきた。あることないことというか、よくよく考えると事実しか並べていなかった。

 

『せんせーっ! せんせー、ごめんっ、ごめんねっ……あたしがっ』

 

『朱莉だけじゃないよ。わたしもミスしたんだから。先生、ごめんなさいっ』

 

『いいんですいいんです。気にしないでください。時間稼ぎ用の能力なので、あれは』

 

〈朱莉復活した〉

〈誰かがミスっても取り返してくれてたからなぁ〉

〈先生は頼りになる〉

〈教授の終盤の使い道はまじで時間稼ぎなんだよな〉

〈初見プレイで気づくのやばいだろ〉

 

『えへっ、えへへっ……。すぐ、すぐ追いかけるからね? ちょっと待っててね、せんせー……』

 

『待って待って待って! 朱莉さん待ってください! せめてクリアしてください! ごめんなさい、僕が悪ふざけしちゃっただけなんですごめんなさい!』

 

〈朱莉のメンタルはぼろぼろ〉

〈ヘラったw〉

〈こんな朱莉は初めて見るw〉

〈笑顔だけどたぶん目に光はないなw〉

〈闇落ち朱莉は他では見れないw〉

〈悪魔w〉

〈後追いされそうになったら焦るわなw〉

〈信頼度が高すぎたw〉

 

 迫りくる影に自らとことこ歩いていく朱莉を見て、めずらしく慌てて声をかけていた。どれだけ切羽詰まっていようと落ち着きを保っていたが、今日初めてジンの動揺している声を聴けた。気分がいい。

 

『……いいの? あたしたち、せんせーを置き去りにしたのに……』

 

『いいんです、全然いいんです。クリアするために白い光を使ったんですから。ほら、美月さんも早くお家に入りましょう』

 

『ごめんね……先生。……わたしたちだけで』

 

「影すぐそこまできてんじゃねーか……あっぶねー」

 

〈壊斗は一人だけクリアしてんだよね〉

〈企画完遂のことしか考えてない〉

〈おかげで朱莉視点に飛べたしええか〉

〈美月も朱莉も申し訳なさそうにしてるってのに……〉

〈性格終わってるって言われません?w〉

 

 ジンが自らの口でクリアするように言ってようやく朱莉と美月はセーフハウスに入った。

 

 ちなみに俺はジンが小芝居の空気を漂わせたあたりでそそくさと石材を回収し、一足先にセーフハウスに逃げ込んでいた。

 

 最悪一人でも入っていれば、残りのプレイヤーが影に呑まれた時にクリア扱いになる。ここまできてゲームオーバーとかちょっと洒落にならないので、俺は配信映えを無視して安全策を取らせてもらった。

 

『皆さんがクリアしてくれたおかげで白い光を使った意味が生まれました。ありがとうございます。……ふう、よかったあ』

 

 安心したようにジンはため息を吐いていた。

 

「これもう因果応報だろ……。お前が余計な小芝居打つから……」

 

〈一安心やねw〉

〈ちょっと演技が迫真すぎたかw〉

〈悪魔やりすぎですw〉

〈小芝居w〉

〈またこいつは余計なこと言うw〉

〈先生の生徒に怒られるぞ〉

 

 ジンの白い光のおかげで時間を稼ぐことができてセーフハウスを建築できた。でもジンが茶番を繰り広げたせいで朱莉と美月がクリアを放り捨てるところだった。

 

 ジンがいなければクリアできなかったのは事実だが、どうにも素直に褒められない。功罪両取りしないでほしい。

 

『因果応報ってなにそれ! 先生はわたしたちのために犠牲になったんだよ?!』

 

『かいとくんひどいよ! ひどすぎるよっ! あんなにいっぱいがんばってくれたのに、せんせー今いないんだよっ?!』

 

 俺たちの目標がさっきクリアしたステージ十。スキルポイント振りの画面ではちょうどよくパーティメンバーが表示されているので、ここで止めている。

 

 影に呑まれるなり野生動物に攻撃されるなりしてダウンし、回復されずにそのまま死んで、でもステージはクリアできた場合、復帰は次のステージからになる。なので、ステージとステージの合間にあるスキルポイント振りの画面には死んだキャラクターは表示されないのだ。

 

 四人揃って画面に並んでいないことに朱莉と美月は思うところがあるのだろう。

 

 まぁ、そう思わされている時点でジンに思考を誘導されているわけだが。

 

「騙されてるー、この嗜虐の悪魔に騙されてんぞーお前らー」

 

『嗜虐の悪魔やめてください否定できません』

 

「せめて否定しろよ」

 

『本当ならもう少しあっさりとお芝居を終わらせるつもりだったんですけど、あまりにもお二人の反応がよかったことで悪魔的な嗜虐心が顔を覗かせてしまいましたね』

 

「ほんとに嗜虐の悪魔じゃねーか……」

 

〈やっぱり生徒に怒られたw〉

〈そりゃそうよ〉

〈二人は悪魔のこと慕ってるんだからさぁ〉

〈先生のおかげでクリアできたこと忘れんなよ!〉

〈しぎゃくのあくまw〉

〈Sっ気まで持ってんのね〉

〈あまりにも属性過多w〉

〈これはサディスティックデビル〉

〈完全に悪魔で草〉

 

『せ……先生?』

 

『ど、どういうお話? せ、せんせー?』

 

『朱莉さんと美月さんが即興劇にうまく合わせてくれたおかげで僕もお芝居に熱が入ってしまったというお話ですよ。ありがとうございました』

 

『なんだ、そういうことか……。まぁそうだよね。先生だしね』

 

「美月嘘だろ……ちょろすぎんか? この聖人の皮をかぶった悪魔のこと信じすぎてね?」

 

〈すぐ言い訳出てくるのさすがすぎるw〉

〈誤魔化すのうめーw〉

〈信じちゃうんだよね〉

〈それでいいんだw〉

〈だって先生だし(天下無双)〉

 

『……え? お芝居って?』

 

『えっ……そ、そこからですか? ですから、あの……僕が白い光を使って影を追い払ったところあったじゃないですか。「ここは俺に任せて先に行け」みたいな話をしましたよね。あのお芝居のことですよ』

 

『あぁっ! あれのこと?! あれお芝居だったんだ……』

 

『いや、そりゃあ……命かかってるわけじゃありませんし、本気では言いませんよ……?』

 

〈わかってない子もいます〉

〈ピュアすぎる……〉

〈朱莉はそのままでいて〉

〈朱ちゃんやん〉

〈あかちゃん草〉

〈悪魔もびっくりしてるw〉

〈予想外すぎるよなw〉

 

 理解が追いつかなくて戸惑っているジンは貴重だな。

 

 やるじゃん、朱莉。悪魔の慧眼を()(くぐ)ったぞ。潜ったという言葉通りに、おそらくジンの予想の斜め下をいったんだろうけど。

 

『そっかぁ、お芝居だったんだね。よかったぁっ! なんだかせんせーの声をきいてたら、ほんとのことみたいに思っちゃったよっ! そっかそっか、よかったぁ』

 

『…………』

 

 たしかにジンが芝居している時の声色は、どこか真に迫っているというか、胸を突くようというか、そんな迫力がある。ジンがただ優しいだけの聖人じゃなく、人を手のひらの上で転がしてけらけら笑うような悪魔であることを知っている俺でも空気に当てられそうになった。

 

 それを加味しても朱莉は純朴が過ぎるけど。

 

 こういう根の無垢さが朱莉の特色でもあるから、長所にはなっているんだろう。天然で純真で元気がいいから、先輩後輩リスナー問わず可愛がられている。GG()内にも友人が多いのだ、俺と違って。

 

 とはいえ、先輩後輩からはよしよしいい子いい子と甘やかされているから、あまりプロレスみたいなやり取りはしていないようだ。勿体ないよなぁ、朱莉は叩けばいい音が出るのに。

 

「悪いな、ジン。朱莉はこういうやつなんだ」

 

 素直すぎて少しひねった冗談とかは通じない時もある。

 

 今回のジンの茶番は、朱莉が素直過ぎて真に受けてしまったおかげで余計迫真の仕上がりになったわけだが、通じなかったらボケが潰れることもある。

 

『……クク』

 

 朱莉にネタを振ったりボケる時はわかりやすくトスしないといけないぞ、という意味で注意をしたら、思わず姿勢を正すくらいにぞっとする声でジンが笑みをこぼしていた。

 

「怖い怖い怖いっ! おいこの悪魔! なんの笑いださっきのは!?」

 

〈こわ〉

〈悪魔?〉

〈おい先生……?〉

〈今まで聞いたことない声が聞こえたぞ……〉

 

『あ……失礼しました。朱莉さんは……そう、素直ないい子なんだなあ、と』

 

『えへっ、あたしいい子? にへへっ、せんせーにほめられたっ』

 

『はは、褒められてよかったね。朱莉はいい子だもんね』

 

『えへへ、ありがとーっ! みっきもいい子だよっ!』

 

『はは……ありがと、朱莉。でも、いい()って言ってもらうには、わたしはちょっと大人になりすぎたかな……』

 

〈素直ないいこで誤魔化せるのかこれは〉

〈さっきの笑い方はそういうのじゃなかった気が……〉

〈誤魔化せちゃうんだよねw〉

〈Sっ気あふれてんよ……〉

〈朱莉はこれでいいんだからw〉

 

 ジンの言い訳を額面通りに受け取った朱莉はのん気に喜んでいたが、絶対にそういう意味じゃなかった。なにかよからぬことを企んでいるような、まさしく悪魔的な笑い方だった。

 

 朱莉のこの純粋さを目の当たりにして、それでもなおさっきの茶番で泣かせたことに罪悪感を抱かずにさらに悪巧みできるって、こいつの精神構造はいったいどうなっているんだ。さすがは心の持ち合わせがない悪魔である。

 

「……やっぱ嗜虐の悪魔だ」

 

『やめてください。信じてしまうリスナーさんがいたらどうするんですか。僕のブランディングに影響してしまいます』

 

「今さら影響ねーだろ、お前のブランディングはしっかりばっちり悪魔じゃねーか。お前の配信をよく観てるリスナーならよく知ってるだろ。ここ最近コラボ相手泣かせすぎだしな」

 

〈たしかロロも泣かせてたしな〉

〈嘘じゃないのがまたw〉

〈お前もいただろ〉

〈てか責任の大半壊斗だろ〉

 

『えっ……せ、せんせー……?』

 

『先、生? ……どういうこと?』

 

『悪意のある表現やめてくださいよ。誤解されてしまいます。前に「practice of evolution」をコラボ配信でやった時にロロさんが泣いてしまわれましたが、あれは客観的に見て、難易度を故意に引き上げて本来六人以上でプレイすべきモードを独断で選択した壊斗さんに責任があるのでは?』

 

「はぁっ?! いやまぁ、そりゃあ俺も悪いけど……それにしたって言い方ぁっ!」

 

『あー、ロロちゃんとコラボしてた時の……あれ? それじゃかいとくんが泣かせたってことじゃないの? せんせーは悪くなくない?』

 

『見方によってはそうとも言えますよね』

 

『うっわー……自分がロロさん泣かせたくせに、その罪を先生になすりつけようとしてたんだ。壊斗サイテー』

 

『かいとくんさいてーっ!』

 

〈反論されてて草〉

〈はい論破!〉

〈事実壊斗のせいだしな〉

〈なんで三人なのにあの難易度選んだのか謎だし〉

〈壊斗さいてー〉

〈悪魔味方作るのうめぇなw〉

〈かいとさいてー〉

〈一気にワンブイスリーだw〉

〈これは返せないw〉

 

「ジン出てるぞーっ! 人を操って誘導する悪いところが出てるぞーっ! お前ら騙されてるぞーっ!」

 

『ふふっ、騙しているだなんてとんでもない。あくまで僕は一般論を説いただけですよ』

 

「ほんとかよ……。絶対俺が悪くなるように印象操作してただろ……。まぁいいや。そろそろ配信終わるとすっか。ジン、今日は急に呼んだのにきてくれてさんきゅーな」

 

 まさかジンが合流して一回目のプレイでステージ十まで行けるとは思わなかったが、それでもやはりある程度は時間がかかってしまった。ジンは合流前に配信して、配信終わりに付き合ってくれたわけだし、そろそろ解放してやらないといけない。

 

『せんせーありがとうっ! せんせーがいなかったら絶対クリアできてなかったよっ!』

 

『先生、ありがとうね。とても楽しかった。お喋りもおもしろかったし』

 

『いえいえ、こちらこそお誘いいただきありがとうございました。僕もとても楽しかったです』

 

〈耐久ならず〉

〈もう一周二周くらいしてくれてもよかったのに〉

〈もうちょい雑談聞きたかったw〉

〈悪魔ありがとうな〉

〈そういや配信終わりにきてくれてたんだよな〉

〈おもしろかったぞ悪魔〉

〈やっぱ悪魔最高だわw〉

〈あかいつきにこんだけ馴染むのもすげーよ〉

〈おつかれー〉

〈おつかれさまでした〉

 

「これでお開きなんだがその前に、一つお知らせだ」

 

『みんなー、ばいばー……い? お知らせ?』

 

「おう。ちょっと俺のことでな。もうメンバー発表していいらしいから伝えとく。近々あるAPGのカジュアル大会、それに俺も出ることになってんだ」

 

『へー。壊斗も出るんだね。暇だったら観とくよ』

 

『そうだねっ! ひまだったら応援しよっか!』

 

〈んお?〉

〈貴弾の大会か?〉

〈もうそろそろだしな〉

〈他のチームも発表始まってるな〉

〈周りが強いから順位伸びねーよな〉

〈壊斗も強いほうなんだけど〉

〈Vの中では強いほうってだけだしな〉

〈周りのパーティがFPSガチ勢ばっかりだしさすがにきちぃよ〉

〈悪魔に入ってもらったらなんとかなるんじゃね?〉

〈応援する(暇なら)〉

〈観るよ(ひまなら)〉

〈草〉

 

「長時間になるから配信自体は時間があれば観るとかでいいけど、応援するのは暇じゃなくてもしとけよ。んで、一緒に出るメンバーとの顔合わせが明日あるんだ。だからよければ観にきてくれよ、ってお知らせだ」

 

『がんばー』

 

『がんばってー』

 

『そうですね。ぜひお時間があればきていただけると幸いです』

 

『……ん? なんで先生が?』

 

「こいつも参加すっからだ。俺のパーティのメンバーは、英治とジンだからな」

 

〈スクリムも時間長いしな〉

〈全部観るのは厳しいよ〉

〈応援はしてる〉

〈がんばれー〉

〈え悪魔でんの?!〉

〈ま?〉

〈きたー!〉

〈これまじでいいとこまでいけんじゃね?〉

 

『そうなのっ?! せんせーも出るんだっ?!』

 

『はい、そうなんです。壊斗さんからお誘いいただいて、この度出させていただけることになりました』

 

『APGのカジュアル大会って参加人数も多い大きな大会だよね。すごいね、先生。がんばってね、応援してる』

 

『すごーいっ! ゲームうまい人しか出られない大会なのにっ! せんせー、がんばってねっ! 本番はぜったいに配信観て応援するからっ!』

 

『ふふっ、ありがとうございます。精一杯頑張りますね』

 

「おい、熱量が違うなぁ、おい。応援の熱量が、おい」

 

〈だから前コラボしたのか〉

〈楽しみになってきた〉

〈いいじゃんいいじゃん!〉

〈これは応援するわ〉

〈悪魔ならやってくれそう〉

〈二人の反応w〉

〈壊斗の時と違うなぁw〉

〈そりゃそうだよねw〉

 

『あれ? そういえば壊斗、明日は案件があるって言ってたよね。顔合わせの時間は大丈夫なの?』

 

「たぶん……大丈夫だろ。案件の配信は始まる時間早めの予定だし。なんかイレギュラーがあったらもしかしたら合流遅れるかもしれん、っていうのを先に言っとくわ、ジン」

 

『あははっ、わかりました。そのつもりでいますね』

 

〈顔合わせ遅刻とかすんなよ〉

〈予定だと顔合わせのだいぶ前に終わるっぽいしいけんじゃね?〉

〈遅れたところでメンツは仲良いのばっかりだし多少ならよさげw〉

 

「他になんかあるか? ないなら終わるぞ。今日のコラボは俺、壊斗と」

 

『……え? わたし? よ、宵闇美月と』

 

『蛍火朱莉とーっ!』

 

『助っ人のジン・ラースでした。よろしければチャンネル登録や高評価、お願いいたします』

 

『せんせーのチャンネルも登録よろしくねーっ! 概要欄に貼ってますっ!』

 

『SNSのフォローもよろしくー』

 

「スーパーチャットはまた今度読む時間作るから、ちょっと待っといてくれな。じゃ、今日はこれにておしまい! また観にこいよー!」

 

『ばいばーいっ! またきてねーっ!』

 

『ありがとねー、おやすみー』

 

『ご視聴ありがとうございました。またお会いいたしましょう。良い夢を。さようなら』

 

〈ありがとー〉

〈おつかれー〉

〈配信ありがとうございました〉

〈お疲れ様ですー〉

〈おやすみなさーい〉

〈おつー〉

 




『……っ! 皆さんが生き残ってくれてよかった。……ここで死ぬのが、僕でよかった』
お兄ちゃんはこの『……っ!』の時に閃いて悪巧みのスイッチが入りました。


これで『exodus』配信も終わりまして、ここからはシリアス展開に入るわけなんですけど、ラストまで書き終わってません。
幾らかは書いてるんですがどうにも気力が保てず、筆が止まってます。目処も立ってません。
ラストまで書き切れるかわかりませんし、中途半端にシリアス展開に入っても気持ち悪い感じになるので、ここで更新を終わります。申し訳ないです。
ラストまで書き切れなくても、せめてadministratorだけは終わらせたいとは考えてますが、それもどうなるかはわかりません。

楽しいとか面白いという感想、とても嬉しかったです。ここまで続けられたのは、そういう励ましの言葉があったからこそでした。ありがとうございました。
誤字脱字の報告もとても助かってました。ありがとうございました。
評価してくれた方、ありがとうございました。
別の作品でお会いすることがあれば、その時はまたあたたかく迎え入れてくれると嬉しいです。
ここまで応援してくださり、ありがとうございました。


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