生徒たちが幸せになったり曇ったりする話 (まにまに先生)
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早瀬ユウカは先生に依存する①


ユウカちゃん可愛いですよね。
初めは冷静沈着キャラと思ったのに、怒ったり照れたりコロコロ表情が変わるので見てて飽きないです。

二次創作でもよく見かけるユウカ、ノア、先生の三角関係が美しすぎますね。どっちも負けヒロインが似合いすぎる。



 

 〜ミレニアムサイセンススクール・生徒会室〜

 

「何よこれ...幾ら何でも多すぎるでしょ!?」

 

 自身の机の上に積み上げられた書類の山を見て、思わず驚嘆と苛立ちが混ざった声を上げる。

 その傍ではノアが苦笑いをしながら、書類を摘んでペラペラとめくっていた。

 

「予算申請書に開発計画書、それにミレニアムプライスで出品する作品の費用に関する書類。どれも早めの処理が必要ですね」

 

「うぅ...まさかミレニアムプライスと予算審議会の時期が被ってしまうなんて...」

 

 ミレニアムで定期的に開催される生徒会、その中で最も重要なのが予算審議会だ。各部活の開発・研究計画を提出してもらい、それが実用性の保証されるものであれば予算を増やす。ミレニアムにとって非常に重要な会議...のはず。

 

 

「また変なもの出してくるつもりじゃないでしょうね...。"やわらかセメント”とか"圧縮ガス噴射装置付はたき”とか」

 

「サッと見た限りではどの計画書もしっかり書いていましたよ。ミレニアムプライスが近いから、どの部活も張り切っているのかもしれませんね♪」

 

「まぁ、それは良いことなんだけど...」

 

 

 ミレニアムのみんながやる気を出してくれるのは喜ばしい。問題は予算審議会とミレニアムプライスの日程が近いことだった。

 審議会はもちろん、ミレニアムプライスも審査員は別にいるが学園内のコンテストなので、参加申請や出品作品の費用申請などなど生徒会に多少なりとも仕事が入ってくる。

 普段ならこの2件はある程度離れた日程で行われるはずだった。

 

「なんでこんな時に限って会長がいないのよ! だいたいこんな日程になったのも会長のせいじゃない!」

 

 アリスちゃんの一件の後、リオ会長は突然姿を消してしまった。

 組織の頭を失ったセミナーは当然混乱に陥り、C&Cの協力があったものの軌道に乗せるまでかなりの時間を要してしまった。

 そのためいくつかの行事日程がズレてしまい、その結果がコレだ。

 

 

「会長に思うところがあるのは同じですが、こうしていても仕方ありません。とりあえず出来る限り進めましょうか」

 

「待ってノア。貴方はこれからシャーレの当番でしょ? こっちは私がなんとかしておくから行ってきなさい」

 

「え...」

 

 

 書類を掴もうとした彼女の手が止まる。

 私の言葉が想定外だったのか、ノアは目をぱちくりさせながら私と資料の山を交互に見る。

 

 

「流石にユウカちゃんでも1人でこの量は...」

 

「確かに多いけど大体は数字関連でしょ? だったら私の役目だし、それ以外の書類が見つかったらノアに回すわ」

 

「無茶したら駄目ですよ?」

 

「大丈夫よ。ほら、早くシャーレに行ってあげないと先生が書類の山に埋もれるわよ?」

 

 

 今頃、大量の書類を前にしてうんうん唸っているであろう先生の姿がハッキリと脳裏に浮かぶ。ノアも同じことを考えていたのか、クスクスと笑い声を漏らしていた。

 

 

「ふふっ、それもそうですね。早く終わったら戻ってきましょうか?」

 

「それならC&Cから貰った調査票の確認をお願い。エリドゥの近辺らしいから早めに対処したいけど、私の方は動けそうにないし」

 

「分かりました。それでは行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

 

 ノアが生徒会室から出て行ったのを確認して書類の山へと向き直る。埋もれそうなのはこっちも同じだが、書類整理は慣れているし自信もある。

 

「やってやろうじゃない」

 

 自分を鼓舞するように呟き、私は椅子に腰を下ろして最初の一枚を手に取った。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

「う〜ん...」

 

 作業を始めてから数時間、窓から見えるキヴォトスの青空は夕焼けに変わり始めていた。

 カタカタと愛用の電卓を叩き続ける音と自分の独り言だけが支配する生徒会室。自分だけの空間というもの悪い気はしないが、夕焼けという時間も相まって少し寂しさも感じる。

 

「思ってたより時間かかるわね..」

 

 まだまだ山のように重なっている書類を見て溜息を吐く。

 ここの生徒たちは変わり者の集まりだと思う。変なものに興味を持ち、本気で開発に取り組む。予算審議会でも却下する事が殆どで、申請書類も抜け漏れや滅茶苦茶な申請内容で突っ返すことが多い。今回積み上げられた書類もどうせ殆どが適当なものだろうと思っていた。

 が、予想に反して電卓を叩く指が止まらない。今までみたいな門前払いになる書類が見当たらなかった。

 

「いつもこれぐらいしっかりと書いてくれればいいんだけど。ミレニアムプライス...みんな本気で取りにきてるのね」

 

 生徒会の決定により、ミレニアムでは各部活に実績を求めるようになった。その直後のミレニアムプライスでは応募数が最多を記録。ここでの入賞は分かりやすい実績になるのだから、当然と言えば当然かもしれない。

 過去の受賞作を思い出しながら書類を片付けていくと、一枚の予算申請書で手が止まった。

 

「これは...ゲーム開発部じゃない」

 

 ユズの名前が書かれた書類に目を通し始める。記載漏れ無し、申請内容も予算額も...まあ大丈夫。予算審議会での詳細にもよるけど、今のゲーム開発部ならこれぐらいの予算は与えてみても良いかもしれない。

 

「ふふっ、今度はどんなゲームを作るつもりかしら?」

 

 思わず頬が緩んでしまうのを自分でも感じるが、今ここにはノアもいないし揶揄われる心配はない。

 ゲーム開発部には過去に厳しいことを言ったり、彼女達が大暴れした影響でこちらに多大な被害が出たりとぶつかる事は少なくないけど、彼女たちが嫌いというわけではなく妹のように感じている。

 

「今度こそ正式な受賞、出来ると良いわね」

 

 傍目から見れば贔屓と言われてしまうかもしれない。

 ただ、前回のミレニアムプライスで作った彼女達の作品に心を動かされたのは紛れもない事実。

 私だけじゃない、多くの人の支持を得た結果掴み取ったのが前回の“特別賞”。きっと今頃、4人が騒ぎながら開発に取り組んでいるのだろうと思うとまた頬が緩んでくるのだった。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

「はぁ...」

 

 あれから更に数時間、今日何度目かも分からない溜息を吐く。ノアがいたら『ユウカちゃん、○○分振りの○○回目ですよ?』なんて茶化してくれるのだろうが、この場にいない人物に期待しても意味はない。

 積み上げられた書類は未だに山を形成しており、自分の作業効率が悪すぎたのかと勘繰ってしまう。

 

「こんなに時間がかかるなんて計算外だわ...」

 

 書類はどれもしっかりとした内容で、1枚1枚の処理に時間がかかってしまったのは間違いない。やる気があるのは結構な事だけど、このままだと身体が持ちそうになかった。

 今度は何があっても予算審議会とミレニアムプライスの日程が被らないようにしよう。そう心に決めてグッと背筋を伸ばすとポキポキと骨が鳴る音がした。

 

「ん〜っ...一旦、休憩した方が良さそうね」

 

 また溜息を吐いて書類を退かした机の上に突っ伏す。誰にも見られたくないだらし無い姿だけど、身体を持ち上げようと思わないくらいズンと疲労がのしかかってきた。

 とりあえず今日中に全ては無理だから明日以降に回す量を決めて、そこから明日の分の仕事も逆算して...。あぁ、そういえば今月はシャーレとしての依頼同行と当番もあった。その日はノアに任せるとして彼女に任せる書類の選定も────────

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 始めに感じたのは匂いだった。

 香水とかそんなキツめの匂いじゃない。何か嗅ぎ慣れた、包まれているだけで安心する暖かい匂い...そう、シャーレに行く度に同じ匂いが────

 

「はっ...!?」

 

 ぼんやりとしていた意識が覚醒し、ガバっと身体を起こすと寝起き特有の気怠さが襲ってくる。どうやら寝落ちしてしまっていたらしい。

 

「今何時!?」

 

 慌てて手元の時計を確認すると、あれから1時間以上経過していることを示している。ちょっと休憩するつもりが余計な時間を消費してしまった。このままだと今日予定していた分も終わらないかもしれない。

 

「ん?」

 

 ふと、覚醒の原因になった匂いと共に何かが身体を覆っているのを感じ、背中に手を回して掴んでみる。明らかに私のサイズよりも大きいそれは見覚えのあるスーツだった。

 

「これ、先生の...」

 

 何でこんなところに先生のスーツがあるのだろう。

 落ち着く匂いにポーッとしながらスーツを眺めていると、ふと視界の端で誰かが応接用のソファに座っているのが見えた。

 

 

「おはよう、ユウカ」

 

「せ、先生っ!?」

 

 

 和やかな笑顔でこちらへ向けて手を振ってくる先生。脳がそれを認識した途端、僅かに残っていた眠気が完全に吹き飛んだ。

 

「どうしてここに────」

 

 待て、今の私はどうなってる? 

 突っ伏して寝てたので前髪が跳ねてるし、まだ目は開ききっていない。何より机には涎と思わしき液体が...。

 

「〜〜〜〜っ!?」

 

 瞬間、顔から火が出そうになるほど熱くなる。飛び出しかけた言葉を途中で飲み込むと、急いで備え付けの化粧室に飛び込んだ。

 

「ユウカ?」

 

「ちょ、ちょっと待っててください!」

 

 背中越しに声をかけてくる先生に声を張り上げて返事をしつつ、急いで顔を洗い、櫛で髪を整える。

 

「また可愛くないところ見せちゃった...」

 

 起きた時に先生のジャケットが背中にあったのは、私が寝冷えしないように被せてくれたんだと思う。という事は間違いなく自分の寝顔も見られている。よりによって1番無防備な姿を見られるなんて...。

 嬉しさと恥ずかしさがごっちゃ混ぜになってしまい、鏡に映る私は百面相のようになっていた。

 変なところがないか入念に確認をして、最後に気合を入れるように両手でパンと頬を挟むように叩き、化粧室を出て先生の向かい側のソファに座る。

 

 

「お、お待たせしました。それとご無沙汰してます」

 

「おかえり。最後に会ったのは1ヶ月前だったかな。色々大変そうだけど無理したらダメだよ?」

 

「お見苦しいところをお見せしました...。それで先生はどうしてこちらに? シャーレの仕事は終わったんですか?」

 

「今日はいつもより量が少なかったんだ。ノアもいたし、夕方には片付いたよ。彼女はすぐにエリドゥの調査があるっていなくなったら手持ち無沙汰になってね。ユウカは晩御飯は食べた?」

 

「いえ、ご覧になられた通り寝落ちしてしまっていたのでまだ...」

 

「だったらちょうど良かった」

 

 

『それなら』と前置きして、先生は鞄から包みを取り出し私の前に置いた。

 

「ユウカに差し入れを持ってきたんだ」

 

 先生からの差し入れ。その単語だけでドキリと心臓が高鳴り、恐る恐る包みを解いて中身を確認すると小さな箱が入っていた。

 一度、先生の方を見ると笑顔のまま頷いてきたので箱の蓋も開けてみる。

 中は半分に限られており片方に白米が、もう片方には焼き魚やポテトサラダ等が敷き詰められていた。

 

 

「これってお弁当...」

 

「ノアが『ユウカちゃん、今日は遅くまで生徒会室に篭ることになりそうです』って言ってたからね。夜食にどうかと思って作ってみたんだ」

 

「作ったんですか!? 先生が自炊を!?」

 

「そ、そんなに意外?」

 

「シャーレでは菓子パンしか食べてないイメージだったので」

 

「否定できない...」

 

 

 私の言葉に項垂れる先生を尻目に、弁当の中身をもう一度見てみる。

 こんな事が出来たなんて普段の先生からは想像もつかなった。誰かから教わったのだろうか? 

 美味しそうに彩られた中身に思わず喉が鳴ってしまう。思い返せば作業を始めてからこの時間まで何も口にしていない。それを意識した途端に空腹感が襲ってきた。

 

 

「これ、私が食べて良いんですか?」

 

「もちろん。良かったら感想も聞かせてくれると嬉しいかな」

 

「ちょうどお腹が空いていましたので、それでは遠慮なく...いただきます」

 

 

 ニコニコと見てくる先生の前で少し緊張しながら焼き魚を一つ口に運んで咀嚼する。

 

「....美味しい!」

 

 反射的に出てきた言葉だった。

 程よく焼き目のついた魚がお腹を満たしてくれるのをハッキリと感じる。先生の方を見ると安堵したような笑みを浮かべていた。

 

「それは良かった。他の物も食べてみて」

 

「はい、有り難く頂きます」

 

 空きっ腹に何か入れ始めると止まらなくなる。それが先生の作ってくれたお弁当となれば尚更なこと。先生の生暖かい視線を受けながら、下品にならないよう気を配りつつ次々におかずと白米を口に放り込んだ。

 

 

「頂いておいてなんですが、どうして急にお弁当を?」

 

「以前ユウカが弁当を作ってくれた事があったから、そのお礼」

 

「あれは練習ついでだったのでお礼までされるような事では...」

 

「それだけじゃないよ」

 

 

 そこで一度言葉を区切った先生は、フニャッと子供のような崩した笑顔で再度口を開いた。

 

「ユウカにはいつも助けてもらってるからね。少しでも何かお礼がしたかったんだ」

 

 あぁ、本当にこの人はいつもこうだ。普段は不摂生で無駄な出費を繰り返すだらしない人なのに、こういう事を当たり前のように言ってくる。その度に心が掻き乱される私も大概なのだろうけど。

 熱くなってくる顔と心を誤魔化すように大袈裟な咳払いをしてみる。

 

 

「だ、だったら少しは領収書の整理も自分でやってください。今月まだシャーレに行けてませんが溜まってませんよね?」

 

「....」

 

「せ〜ん〜せ〜い〜?」

 

「明日! 明日からやるから!」

 

「それ絶対にしないやつじゃないですか!」

 

 

 

 

 ☆☆☆☆

 

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 空になった弁当箱を丁寧に包み直して頭を下げる。

 味はどれも美味しかった。それ以上に先生と2人きりの時間を過ごせた事で、書類との格闘で荒み気味だった心が満たされるのをハッキリと感じた。

 

 

「お粗末さまでした。ユウカはこれから書類整理?」

 

「そうですね。寝落ちした分も取り返さないといけないですし、日付が変わる時間までは頑張ってみようかと」

 

「夜遅くまで学校に残るのは私の立場上あまり看過できないかな」

 

「先生に言われたくありません」

 

「ははっ、それもそうだね」

 

 

 肩をすくめて笑う先生。

 そのまま帰るのかと思いきや、鞄からパソコンと書類を取り出して机に広げ始めた。

 

 

「先生? 一体何を?」

 

「私もここで明日の分の仕事も前倒しで片付けようかなって。夜遅くまで残る不良生徒が帰るまで見張っておかないと」

 

「誰が不良ですか」

 

 

 不良扱いされたことに唇を尖らせながら自分の席へと戻る。

 チラッと先生の方を見ると既に作業を始めていた。どうやら本当にここに残るつもりらしい。

 自惚かもしれないけど私の心配をしてくれているのだと思う。実際、寝落ちするくらいには疲労が溜まっていたのだから返す言葉は無い。

 

 

「あまりミレニアム()に肩入れしすぎると、他の学園から苦情がきますよ?」

 

「それは困るね。だからこれは2人の秘密って事で」

 

 

 精一杯出してみた小言もあっさりと撃ち落とされた。そういう言い方はズルい。

 でも正直嬉しかった。私がペンを走らせる音も電卓を叩く音も先生にしか聞こえない。逆に先生のタイピング音を聞いてるのも私だけ、今この瞬間を私だけが独り占めしている。

 

「本当にこの人は...」

 

 釣り上がる口角を見られないように口元を覆って呟く。

 でもおかげでさっきよりずっと頑張れそう。

 軽くなった指先を動かしながら日付が変わるまで作業を行なうのだった。

 





幸せEDに見えますがまだ①です。つまり②があります。
このままだと依存とは言えませんし、依存させるには一度叩き落とす必要がありますよね。苦手な方は次回ご注意ください。
推しキャラの曇らせは書いててしんどいです。でも書きたい曇らせたい。

ちなみにユウカの後は全くの未定です。勢いって怖い。
イチャラブでも曇らせでも何か良さげな題材があったら書こうと思います。


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早瀬ユウカは先生に依存する②


独占欲を隠しきれないしっとりユウカちゃん概念についてノアと5時間ぐらい議論したい。



 

 先生と2人の秘密を作った日から数日が経った。

 久しぶりに会えただけでなく、少しでも一緒に時間を過ごせたことで調子は絶好調。寝不足ではあるものの、それ以上に湧いてくる活力が背中を後押ししてくれていた。

 

「ユウカちゃん、こちらは終わりました」

 

「ありがとう。じゃあ次はこっちをお願い」

 

「はーい」

 

 私から書類を受け取ったノアが自分の机に戻って作業を始める。

 激務に追われながらもノアにいつもと変わった様子は見られない。しかし、書類の受け渡しの際に彼女の目元のメイクがいつもより濃いのを見逃さなかった。

 

「ノア、ちゃんと休めてる? 目の下にクマができてるんじゃないの?」

 

 私の指摘に作業をしていたノアの手がピタリと止まる。そのままこちらは顔を向けるとおどけたように舌を出して苦笑いをしてきた。

 

 

「気づかれちゃいましたか。ユウカちゃんの目は誤魔化せませんね。ちょっと寝不足気味です」

 

「やっぱりそうよね。私も人のこと言えないけど」

 

 

 大きな溜息を一つ吐いてみる。

 あれからひたすら書類作業に追われる毎日。後から後から追加される書類が新たな山を作っていき、終わりが全く見えず疲れが溜まっていく一方だ。この疲れは溜息を何回吐いたところで吹き飛んでくれそうにない。

 

「ユウカちゃん、区切りが良いようでしたら少し休憩にしませんか?」

 

「そうね。確かお菓子がまだ残ってたはず...」

 

 

 

 

 ☆☆☆☆

 

 

 

 

 コーヒーを淹れ、戸棚からお菓子を取り出して向かい合わせに座る。

 お菓子による糖分補給も出来るし、コーヒーの苦味とカフェインで目も覚める。ここまで順調だけどこれが終わったらもうひと頑張りしなくては。

 

 

「ふぅ...ユウカちゃんも寝不足なはずなのに元気ですね」

 

「そう?」

 

「はい、私がシャーレの当番に行った翌日から明らかに機嫌が良くなってましたよ。何かいい事でもあったんですか?」

 

「いい事...」

 

 

 真っ先に脳裏に浮かんだのはあの夜の出来事、というかそれしかない。先生に会えた嬉しさでその日はなかなか寝付けなかったけど、そんなにわかりやすく態度に出ていたのだろうか。

 無論、2人の秘密なのでノアが相手でも他言するつもりはない。

 

 

「まぁ、少しね」

 

「へぇ〜少しですか。ふ〜ん」

 

 

 適当に誤魔化そうとしたがニヤニヤしながらこっちを見つめてくる。見透かされているような気がして、余裕の笑みを見せる彼女を咄嗟に睨みつけてしまう。

 

 

「な、何よ」

 

「その割には随分と顔がニヤけてますよ?」

 

「嘘!?」

 

「嘘です♪」

 

「なっ...ノ〜ア〜っ!!」

 

 

 やっぱり見透かされていたらしい。

 カッと熱くなる顔を誤魔化すためにノアに詰め寄ろうと立ち上がる。

 その瞬間、生徒会室の扉が大きく開け放たれた。

 

 

「ユウカ! 頼まれてた追加の書類を持ってきたよ!」

 

 

 道場破りのように豪快に扉を開け放った犯人が、小走りで近寄ってくると私へ向けて書類を差し出してくる。

 

「モモイ、生徒会室に入るときはノックをしてちょうだい。とりあえず預かるわね」

 

 注意をしつつモモイから受け取った追加書類に目を通す。うん、問題なし。隅っこにジュースの染みがあるけど見なかったことにしておこう。

 

 

「ありがとう。こっちで処理しておくわ。新作の方は順調?」

 

「うっ...ま、まぁそれなりかな!」

 

 

 しどろもどろな上に目が泳いでる。この反応は恐らく全くと言っていいほど手付かずと見た。素直なのは彼女の長所なのだが、ここまで嘘が下手な子もそういないだろう。

 

 

「あのねぇ...まだゲーム部の廃部は保留の段階なんだから、油断してるとまた危機に晒されるわよ」

 

「だ、大丈夫だよ! この後は先生とレトロゲームの展示会に行くんだから、絶対にいいアイデアが出るって!」

 

「...え、先生と? 」

 

 思わず“先生”という単語に反応して聞き返してしまった。すぐ隣からノアの生暖かい視線が飛んで来るのを感じたが無視する。

 だがそこであることを思い出した。

 

「あれ、でもこの前も別のゲーム展へ一緒に遊びに行ってたわよね?」

 

 つい1週間くらい前だったか、モモイが紙袋を抱えて生徒会室へ突撃してきたことがある。

 中にはたくさんのゲームソフトが入っていて、『福袋で被ったからお裾分け!』なんて強引に手渡された。確かその時も先生と一緒に行ったとか言ってたような...。

 私は先生と久しぶりに会えて喜んでいたのに、この子はこの短期間で2回も先生に会えているの? しかもプライベートで遊びに行ってたって。

 

 

「そう! 先生に『また一緒に来て欲しい』ってお願いしたら、『良いよ、楽しみにしてる』って言ってくれたんだ!」

 

 

 羨ましい。

 

 

「そ、そう...良かったわね。でもあまり迷惑をかけたらダメよ? 先生だって忙しいんだから」

 

 

 いいなぁ。

 

 

「1、2時間くらいの予定だから大丈夫! あ、でも近くで“英雄神話”のコラボカフェがあったからそっちにも行きたいな〜」

 

 

 ズルい。

 

 

「はぁ...せっかく先生の時間を貰うんだから、ちゃんと新作開発に結びつけなさいよ?」

 

 

 お出かけなんてズルい。

 

 

「分かってるよ〜。ユウカはいっつもお母さんみたいなことを言うんだから」

 

 

 私だって先生と2人で遊びに行きたい。シャーレや生徒会室とかじゃなく、プライベートで会って色んなところを回ってみたい。

 

「あ、もうすぐ約束の時間じゃん! じゃあね!」

 

 扉が閉まり、パタパタと足音が遠ざかっていく。遠ざかる少女の背中に手を振っていた私は上手く笑えていただろうか。

 

「...」

 

「ふふっ、相変わらず元気な子ですね。...ユウカちゃん?」

 

 ずっとその場に立ち尽くしていたからか、ノアが不思議そうに覗き込んで来た。表情を見られないように顔を背け、自分の机へ向けて歩き出す。

 

「さぁ、作業を再開しましょう」

 

 あの時交わした2人きりの約束という優越感は、無邪気な後輩によって容易く塗りつぶされてしまった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 あれから作業を続けたものの作業効率が低下。今日終わらせる予定だった分を自室に持ち帰って進めることにした。

 

「...」

 

 時刻は既に深夜1時。ようやく最後の一枚を処理し、ずっと動かし続けて感覚がなくなってきた左手からペンを離す。支えを失ったペンはコロコロと転がって床に落ちてしまったが、今はそれを手に取ろうという気も湧いてこない。

 

「先生...」

 

 モモイの話を聞いてから、彼女と先生が仲良く歩いている姿を想像してしまって頭から離れない。

 所詮はただのお出かけだ。先生は人気者だからモモイ以外にも沢山の子達と交流がある。お出かけした回数なんて数えきれないはずだし、今更嫉妬するような事じゃない...大した事じゃないのに。

 

「もっと逢いたい...」

 

 会って間もない頃はよくシャーレに通っていた。私がいないと領収書の整理もできないし、すぐ仕事をため込んでしまう人だったから放っておけなかった。

 でもそんな時間を重ねているうちに、シャーレに行くことが目的になっていた。仕事合間にお喋りしたり、時には仕事終わりに外食へ行ったり、より忙しくなったけど自分にとって大きな楽しみだった。

 ノアから通い妻みたいだと茶化されていた頃が懐かしい。否定しながらも嫌な気はしなかったし、ずっとこの生活が続けばいいなんて思っていたりもした。

 

 なのに────

 

「2週間後...ね」

 

 自室のカレンダーに一箇所だけ大きく赤丸で囲まれた日付を見る。そこが私のシャーレ当番日。楽しみも今ではたった月一回になってしまった。その一回がない月もある。

 昨日も今日も明日も他の誰かが先生の手伝い、私はこうして書類作業に没頭する。

 

「先生...先生...」

 

 醜い嫉妬だって分かってる。重い女だと思う。そもそも仕事終わりに会いに来てもらえた私は恵まれている方だ。その上、今月はシャーレに出していた依頼が来週に迫っており、そこに私も同行するので仕事で2回も会う機会がある。

 でも、モモイみたいに短期間で2度も一緒に遊びに行けている人がいるのを知ってしまった。

 

「セミナー所属じゃなかったら、もっと逢えたのかな」

 

 そこまで言って自分の発言に後悔した。

 セミナー所属でなければ出会うタイミングはもっと遅くなっていただろうし、下手したら交流がないままだったかもしれないのに。ノアや他の人たちに対しても失礼だ。

 

「...寝よう」

 

 たったあれだけの出来事でここまで思い詰めるなんてどうかしてる。きっと疲れているせいだ。

 そう決めつけてベッドに潜り込み、未読のメッセージがないか確認するためにスマホでモモトークを開く。

 1番上にノア、次に書類を頼んだモモイ、その下に“先生”の文字があった。先日のお礼を改めて伝えたのだから履歴の関係で上の方に来るのは当然だ。

 徐に個別トークを開いてみるとメッセージの羅列は《どういたしまして。いつかまた作ってみるね》で終わっていた。

 

「...」

 

 無意識だったのかもしれない。

 手が勝手に動き、気がついた時には先生にメッセージを送ってしまっていた。

 

《先生、まだ起きてますか?》

 

 何をしているんだろう。こんな時間にメッセージを送るなんて迷惑にも程がある。

 消さなきゃ。そう思い削除ボタンに手を伸ばした瞬間、着信音と共にスマホが震え出した。

 

「ひゃっ!?」

 

 変な悲鳴が出た。ビックリしたのもあるが、それ以上に発信者を知らせる画面には大きく“先生”の文字が写っていたから。

 ただの通話だから必要ないのに急いで周りに変なものがないか確認し、少しよれていたパジャマを整える。

 最後に咳払いをして喉の状態を確かめ、ゆっくりと通話ボタンを押してスマホを耳に近づける。

 

「も、もしもし?」

 

 少しだけ声がうわずってしまった。ノアに見られていたら格好の餌食にされていたかもしれない。

 

『もしもし。ユウカ、何かあったの?』

 

 開口1番に私の心配をしてくれる先生の声。

 先生の声を聞いて少し胸が温かくなるが喜んでいる場合ではない。早く何か話題を切り出さないとただの迷惑行為になってしまう。

 

「え、えっとですね...その...。そう! モモイが先生とまた遊びに行くって言っていたので、ご迷惑をおかけしなかったかな〜なんて...」

 

 我ながら苦しい話題だ。どう考えてもこの時間にわざわざメッセージを送ってまで話すような事じゃない。モモイより私の方が迷惑をかけてしまっている。

 冷や汗が流れ始めている私に対し、電話口から先生の笑い声が聞こえてきた。

 

 

『あははっ、気にしなくても大丈夫だったよ。こっちも息抜きとして充分楽しませてもらったしね』

 

「そ、そうでしたか。結局何かいい案は浮かんでいそうでしたか?」

 

『展示会では微妙そうだったけど、その後で寄ったカフェでアイデアが浮かんだみたいだったよ。フードファイトとシューティングを掛け合わせたRPGを作るって言ってた』

 

「それ、どんなゲームを作るつもりなんでしょうか...?」

 

『後はね...レトロゲームのキャラぬいぐるみのクレーンゲームがあったけど、なかなか取れなくてモモイがヒートアップしちゃって────』

 

 

 モモイとの今日の思い出を語る先生の声は終始弾んだままで、こっちも笑顔になってしまうくらい凄く楽しそうだった。

 ただその反面、心の中で黒い渦が再び大きくなっていく。こんなに楽しそうな時間を過ごせていたモモイが羨ましくて、書類作業に追われてばっかりの自分が憎くて────私だって

 

 

『ユウカ? ユウカ?』

 

「は、はい!」

 

『さっきから反応が無かったけど大丈夫?』

 

 

 どうやらかなりの時間を黙り込んでしまっていたらしい。せっかく先生と話せる機会なのに勿体ないことをしてしまった。

 

 

『ごめんね、こんな時間なのに長話になっちゃって』

 

「と、とんでもないです! 私から振った話題だったので気にしないでください」

 

『そっか。...あれからミレニアムの方はどう?』

 

「ミレニアムプライスへ向けてまた一段と熱気が高まってきた感じですね。ノアも目の下にクマが出来ているくらいなので、みんな無茶しないか心配です」

 

『...ユウカは?』

 

「え」

 

『ユウカは大丈夫? 寝落ちしてる姿なんて初めてみたから、相当無理してるんじゃないかって思ってさ』

 

 

 優しい声色に渦巻いていたモヤモヤが晴れていく。先生が真っ先に私を気遣ってくれたのが凄く嬉しい。

 

 ちょっとだけ甘えてしまってもいいかもしれない。ここで私が弱音を吐けば、先生はどんな声をかけてくれるのだろうか。『頑張ってるね』、『いつもお疲れ様』そんなありきたりな言葉でも、先生から言ってもらえれば私にとっては最高の褒美だ。

 

 

「実はその...」

 

『リオもいなくなって余計忙しくなっちゃったと思うし、今度の依頼同行と当番も別の人に────』

 

「い、嫌ですっっ!!!」

 

『えっ』

 

「あっ...」

 

 

 慌てて口を塞ぐがもう遅い。想定外の言葉に考えるより先に口が動いてしまっていた。

 違う。こんな言葉を聞きたかったわけじゃない。ただちょっと先生に構って欲しかっただけで、優しい言葉をかけて欲しかっただけで、先生自ら私から離れていく言葉なんて聞きたくない。

 先生、なんでそんな事言うんですか? 貴方と会う時間は私にとってかけがえのないものなんです。だからそれを奪おうとしないでください。もっと私を頼ってください。

 

 

「失礼しました...とにかく私の方は大丈夫なので、依頼も当番も予定通りにお願いします」

 

 

 作業は山積みだ。やることは沢山あるなんてものじゃない。シャーレ関連の業務もこなしていたら、もっともっと後が辛くなってくる。本来なら誰かに代わってもらうべきだ。

 

 でも私がここで交代を頼んだら、次会うのはいつになる? 

 この前みたいに生徒会室に来てくれるなんて稀だ。この先そんな事が起きる保証なんてない。

 もっと先生と逢いたい。生徒会としての仕事に追われてプライベートの時間も減って、ちょっと前みたいにシャーレに通い詰める事ができない今、先生と一緒に過ごせる時間は限られている。

 このチャンスを手放したくない────誰にも渡したくない。

 

 

『本当に大丈夫なんだね?』

 

「心配しすぎですよ。確かに普段より忙しいですけど、もうすぐひと段落しそうなので」

 

 

 だから嘘をついた。

 

 

『分かった。じゃあまた今度ね』

 

「はい、夜遅くまでお付き合い頂き、ありがとうございました」

 

 

 先生、不良生徒でごめんなさい。でもちゃんと仕事は片付けます。

 今からもう少し睡眠時間を削ればできないことはないはずだ。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 1週間後

 〜廃墟〜

 

 あれから1週間が経ち、予定通り先生に同行する形でミレニアムの一角にある廃墟へと足を伸ばしていた。

 同行者は私、アリスちゃん、モモイの3名。どうやらこの廃墟はアリスちゃんと関わりがあるらしく、あの事件の後にもう一度確かめてみたいとモモイが言い出したのがきっかけだった。

 

 此処に何があるのかは分からないけど、アリスちゃん自身が賛成したこともあって、万が一に備えてシャーレにも来てもらうよう依頼していた。

 

 

「アリス、もう少し前に出れる?」

 

「分かりました! アリス、前進します!」

 

「モモイはアリスの横につく形で、側面からの奇襲に警戒して」

 

「おっけー、任せてよ!」

 

 

 そして危惧していた通り戦闘に突入していた。こんな誰もいない廃墟なのに人型のロボットが警備をしていたらしい。

 私が最前線で敵を引き付け、後ろからモモイとアリスちゃんが掃討していく布陣。先生の指示もあって順調に敵の数は減らしている。

 順調のはず、なんだけど────

 

 

「ユウカ...ユウカ!! 聞いてる!?」

 

「は、はいっ!」

 

 

 まただ。また先生の指示を聞き逃してしまっていた。戦闘中なのに集中できない。先程から身体が変に熱くて頭がボーッとする。先生の声もノイズがかかったように聞き取りづらい。

 

 

「左側から敵の接近している。正面は2〜3機しかいないしそのままアリス達に片付けてもらうから、左側の牽制をお願い。数十メートルの距離まで近づいてきているから急いで」

 

「りょ、了解です」

 

 

 鉛のように足が重い。普段より被弾回数も多い気がする。頭が回らない。とにかく遮蔽物を探して牽制を入れたら少し休まないと────

 

「あっ...」

 

 一瞬、視界がグルリと回ったかと思うとガクンと膝から崩れ落ちてしまった。急いで立ち上がろうとしても踏ん張れない。

 やってしまった。いつも先生に自己管理について小言を言ってたのに、こんなタイミングで自分に返ってくるなんて。

 

 

「「「ユウカ!!」」」

 

 

 3人の声が聞こえた次の瞬間、頭に衝撃が走りそのまま私の意識は闇に落ちた。

 






ユウカから重たい愛を向けられたいよぉぉぉお!
そしてユウカを甘やかして依存させた後にノアとイチャイチャしてる姿を見せつけて絶望してる顔を見たい。
ガチでやらかしてしまったユウカちゃん、書いてて辛いけど凄く楽しい...。脳がぐちゃぐちゃになりますね。でもそれが良い。

可哀想な目に合わせてますがユウカは最推しの1人です。ホームメモロビはここ数ヶ月ずっとユウカ→ユウカ(体操服)→ユウカのループです。
真面目で不器用な子だからこそ、それを爆発させてゲームにない絶望展開にしたいんです。多少のキャラ崩壊や戦闘描写が下手くそ、設定ミスはご勘弁を。
でも推しの笑顔が1番好きですよ?


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早瀬ユウカは先生に依存する③



こんな性癖垂れ流し小説にお気に入り登録、評価、感想を頂きありがとうございますm(_ _)m

先生と一緒にいたい頼られたいユウカちゃん
怪文書度マシマシな気がします
最後に次に書く話のアンケートがあります




 

 

『先生は私がいないと駄目なんだから』

 

 負担なんてどうでも良かった。書類の山に埋もれて助けを求めてくる先生に小言を放ちながらも、彼に頼られて隣にいられる事が嬉しかった。私が先生の世話をしているという優越感に浸っていたのかもしれない。

 

『ユウカ、来月からシャーレに来るのは月1回ぐらいで大丈夫だよ』

 

 でもシャーレ所属の生徒が増え、私がこなしていた手伝いも他の子が出来るようになっていった。先生に頼られる回数がどんどん減っていった。

 当番の日数と共に会う時間がどんどん減っていく事に焦っている自分がいた。特別だと思っていた居場所がなくなるかもしれないという恐怖。

 

『い、嫌ですっ!!』

 

 だからあの夜、思わず大声を出して拒否してしまった。ここで代わったら先生に必要とされなくなる気がして、会える時間がさらに減ってしまう気がして、先生の厚意を跳ね除けてしまった。

 少しでも先生と一緒にいたかった。先生に頼って欲しかった。出会ったばかりの頃のようにたくさん役に立ちたかった。

 そんな私利私欲で動いた結果、私は大失態を犯した。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

「んっ...」

 

 鈍い頭痛で目が覚めた。重たい瞼をゆっくりと開き、ズキズキする頭を動かさないように目だけを動かして周囲を確認する。

 

「ここは...」

 

 ちょっと無機質な部屋に薬の匂い、いつもより深く沈むベッド。間違いない、ミレニアムの保健室だ。

 

「あ、ユウカ起きた?」

 

 名前を呼ばれて声がする方へと顔を向ける。そこには心配そうにこちらを見る先生の姿があった。

 

「せ、先生っ!? 痛っ...」

 

 飛び起きようとしたところを強烈な頭痛に邪魔される。

 そうだ。廃墟の探索をしている最中に眩暈がして、それから頭に何かが当たったところまでは覚えてる。

 

「まだ動いたらダメだよ。頭に銃弾を受けて気絶したんだから」

 

 そう言うと先生は半分だけ身体を起こしていた私の肩をトンと軽く押す。大した力じゃないのに、私の身体は素直に従いそのままベッドに横たわった。

 まだ身体が熱くて頭痛もする。気怠さも取れていないし、無理に動こうという気力がそもそも湧いてこない。

 

 

「過労が原因の発熱らしいよ。数日間は安静にしておくこと」

 

「分かりました...。その、依頼の件は...」

 

「流石にあの時点で撤退したよ。また後日にしようって事になった」

 

「そう...ですよね...」

 

 

 分かってはいたが改めて結果を聞くと罪悪感がのしかかってくる。私のせいだ。私が睡眠を犠牲にして業務をこなしてたから、仕事を片付けて先生と一緒にいたいという自分勝手な考えで最悪の結果を招いてしまった。

 

 

「アリスとモモイにはちゃんと謝っておくこと。2人とも心配してたよ」

 

「分かりました...。先生にもご迷惑をおかけしました」

 

 

 今の私には謝ることしかできない。アリスちゃんとモモイの時間を無駄にしてしまい、せっかく先生にも時間を作ってもらったのにこんな事になるなんて。いつか何かしらの形で償わないと。

 なのに近くで先生が看病していてくれたのを嬉しく思っている自分がいる。

 

 

「それでユウカ。私から大切な事を一つ聞いてもいいかな?」

 

「え...」

 

 

 空気が冷え込むのを感じた。

 気のせいじゃない。明らかに先生の声が低くなり、今まで見たことのない雰囲気に思わず背筋が伸びる。

 真面目な姿は何度も見た事あるが今回は明らかに違う。

 

 

「どうして嘘をついたの?」

 

 

 たった一言だった。私の瞳を真っ直ぐ捉えて尋ねてきた簡潔な質問。でも────

 

「ぁ...ぇっと...」

 

 私を硬直させるには充分すぎる一言だった。

 “嘘”がどれを指しているのかは考えるまでもない。全部先生は分かってるんだ。その上で私に対して怒っている。

 

 

「ノアから聞いたよ。『ユウカちゃんが夜残って作業する日が増えた』って」

 

「...」

 

「過労の原因はこれだよね? 学生で女の子の君が無茶な生活リズムを続けたらどうなるか、ユウカなら分かってたんじゃない?」

 

 

 先生からの問いに応えられなかった。頭の中が真っ白になって、何も考えられなかった。なのに両目は先生から逸らすことができない。

 

 怖い。

 

 先生に怒られたのは初めてだから、あんな表情を見たのは初めてだから。そして今、それが私だけに向けられている。

 でも、それ以上に下手な事を言って先生に嫌われることが怖い。

 

「その...」

 

 理由を正直に話せば許してもらえるのだろうか。

 自分の行いは先生に対する裏切りだ。先生は好意で交代を提案してくれたのに、私欲のためにそれを払い除けた。

 先生との時間が欲しくて自分を犠牲にし、それが原因で先生達に迷惑をかけてしまったと知られたら。先生は失望してもっと離れてしまうかもしれない。そんな想像はしたくもない。でも今の先生にその場凌ぎの嘘が通じるとは思えない。

 

「ぅ...ぁ...」

 

 積み上げた信頼が崩れ去っていくような気がした。信頼を積み上げるのは難しいが失うのは一瞬だ。

 嫌われたくない嫌われたくない嫌われたくない。

 でも言葉が出てこない。頭の回転の早さが自慢なのに頭痛もあって全く働いてくれない。

 自分の情けなさと罪悪感、様々な恐怖で目頭が熱くなってくる。

 

「ごっ、ごめ...んな...さ...いっ」

 

 溢れそうになる涙を堪え、やっと思いで絞り出せたのは言い訳ではなく子供でもできる謝罪だった。

 本当に最低だ。先生に嘘をついてまで強行した私が全て悪いのに。その理由すら話さないで乗り切ろうとしている。

 

「ふぅ...ユウカ」

 

「っ...はい」

 

 先生の溜息にビクッと肩を揺らしてしまう。理由も説明できない生徒に失望してしまったかもしれない。

 もうこの先は聞きたくない。耳を塞いで布団を被って全て遮断してしまいたい。

 

 

「言いたくないことがあるなら無理には聞かないよ。ただし、私と約束をしよう」

 

「ぇ...?」

 

「シャーレの仕事と被っていてもミレニアムを優先すること。ユウカの本来の所属はミレニアムなんだから」

 

 

 先生の顔はいつの間にか柔らかい笑みに戻っていた。でも先程までの怒った顔が頭から離れず、本当はまだ怒っているんじゃないかと思ってしまう。

 

 

「シャーレの仕事に熱心なのは嬉しいけどね」

 

 何も言えなかった。

 仕事熱心というより先生に逢いたい、頼られたい気持ちの方が大きかった私にとって、先生のフォローは深く胸に突き刺さるだけだった。

 

 

「ユウカは真面目だから背負い込みすぎないようにね。今度の当番も有事の際はミレニアムを優先すること。こっちは何とかなるから気にしないで」

 

「はい...分かりました」

 

 これ以上先生にがっかりされたくなくて反射的に返事をしていた。

 先生は笑顔だ。でも本心はどうなんだろう。本当はもう完全に見限られているかもしれない。嫌だ、そんなの嫌だ。

 

「じゃあ、そろそろ行くね。お大事に」

 

「あっ...」

 

 立ち上がる先生に向かって思わず手を伸ばしそうになり、慌てて引っ込める。これだけの事をしておきながらまだ先生に居て欲しいなんて烏滸がましい事を考えている。

 

『先生はまだ私の事を必要としてくれますか?』

 

 そんな言葉が口から出そうになった。でも答えが怖くて言えなかった。もし必要無いなんて言われたら私は...。

 そんな私に気づく事なく先生は帰って行った。今もまだあの顔が頭から離れない。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 〜1週間後〜

 

「ユウカちゃん、こっちは終わりましたよ」

 

「こっちも終わったわ。これで完璧! 疲れた〜」

 

 最後の一枚に判を押して机に身を投げ出す。長かった書類との格闘にもようやく終わりを告げた。厳密にはまだ残っているが猶予のあるものばかりで、ミレニアムプライスや予算審議会には影響はない。

 

 

「ふふっ、お疲れ様でした」

 

「ノアの方が大変だったでしょ? 私が倒れたばっかりに迷惑かけちゃつたし...」

 

「もう、それは何度も聞きましたよ? ユウカちゃんが無理してるのを見過ごしてしまった私も悪いんです。お互い様、ですよ?」

 

「ノア...ありがとう」

 

 

 あれだけ迷惑をかけたのに笑って許してくれるノアの優しさが少し辛い。後日謝罪にゲーム開発部部室へ行ったが、モモイとアリスちゃんも私を責めるどころか心配してくれた。

 トラブルがあっても終わらせる事ができたのは彼女が優秀だから、ノアがいなかったらとうの昔に潰れていたと思う。

 ミレニアムプライスが終わったらケーキでも奢ろう。トリニティの方に新しい喫茶店ができていたはず。事前に調べた値段ではちょっと出費が痛いけど、彼女にかけた迷惑を考えれば大したことでは無い。

 

 

「ほら、ユウカちゃん。今日はシャーレの当番でしょう? 早く行ってあげてください」

 

「あ、そうね。急がないと」

 

 ノアに言われて急いで机の書類を片付け、出かける準備を始める。

 仕事も片付けた、体調も万全、今日は確実に先生の役に立てる。1ヶ月振りのシャーレでのお仕事だから頑張らないと。完璧にこなして失態を取り返して、先生からもう一度信用されたい。ありがとうって言われたい。

 

 ────でも、まだ怒ってたらどうしよう。

 

「ユウカちゃん」

 

 名前を呼ばれて顔を上げると、いつの間にかノアが目の前に立っていた。何か心配するように目尻を下げ、いつも記録を続けているその両目がしっかりと私を捉えている。

 

 

「何か思い詰めてませんか?」

 

「え...?」

 

「いつも通りに振る舞ってるようですが、空元気なのはバレバレです」

 

 

 ノアの両手が私の頬を挟むように触れる。とても優しくそっと割れ物を触るような手つきで、労わるように頬を撫でてくる。

 

「自分では気づいていないかもしれませんが、今にも泣きそうな顔をしています。倒れた日からずっとですよ?」

 

 少しだけ彼女の両手に力がこもる。話してくれるまで逃さないと言わんばかりに顔の向きを固定され、紫色の瞳が私の心を見通そうとしているように感じた。

 ノアは温厚な反面、強かな部分もある。こうなった彼女から隠し切るのが不可能なのはよく知っている。

 

「先生にね、怒られたの...」

 

「先生が...ですか?」

 

 至近距離だからノアの目が見開かれたのがハッキリと分かる。彼女の中にも先生が怒っているイメージは無かったのかもしれない。

 でも私ははっきりと見た。自分に向けられたあの顔、怒らせてしまったと気づいた瞬間の全てが終わったような感覚。

 

「ねぇノア。今の私って────」

 

 私の言葉を遮るようにスマホから着信音が鳴り響いた。仕事中はマナーモードにしているから、普通なら音までは鳴らないはず。

 つまりこれはC&Cからの緊急連絡。画面には“ゼロスリー”の文字があった。

 

 

「もしもし? 何があったの?」

 

『あ、ユウカ! 今時間は大丈夫ですか?』

 

 

 僅かな焦りの含まれたアカネの声。緊急連絡自体が久々なのもあるが、普段冷静でC&Cのまとめ役である彼女が焦っているという時点で嫌な予感しかしない。

 

 

『カリンから連絡を受けたのですが、ミレニアム郊外の廃墟に複数のミレニアム生が入って行ったそうです』

 

「ええっ!?」

 

 

 廃墟といえばこの前先生達と向かった場所だ。連邦生徒会から原則立ち入り制限を課されており、それこそ先生ぐらいの権限がないと入れない。ミレニアム生ならまず立ち寄らない場所だ。

 

 

「すぐに対象を拘束して! 他のメンバーは!?」

 

『現在他の任務にあたってまして...ここに戻ってくるには少々時間がかかるかと...』

 

「くっ...」

 

 

 思わず時計を見る。

 ここで自分とノアが行けば戦力的な部分はともかく人数は補える。でも、そうすればシャーレに行く時間が大幅に遅れ、先生と過ごす時間がまた減ってしまう。

 今日で失態を取り返そうと思っていたのに今度は遅刻するなんて...でもこっちを放置しておくわけにもいかない。

 その時、先生に言われた事を思い出した。

 

『シャーレとの仕事が被っていてもミレニアムを優先すること』

 

 そうだ。私はミレニアムの生徒会なんだから、ミレニアムを優先するのが当たり前だ。ここで私欲に傾いたらこの前の二の舞になりかねない。

 これが原因で遅刻しても先生なら許してくれる...わよね? 

 

 

「...っ! 今からこっちも廃墟に向かうわ。アカネとカリンは先に突入しておいて」

 

『分かりました。合流して突入します』

 

 

 電話を切ってすぐに愛用のサブマシンガンを携帯する。手入れしたばかりだし、その後に使ったのもあの時だけ。何も問題はないはずだ。

 

 

「ユウカちゃん...」

 

「ノア、ヴェリタスへ連絡して。監視カメラの履歴を漁って出来る限り身元と侵入ルートを洗ってもらってちょうだい」

 

「でも、シャーレの当番は...。あんなに張り切っていたのに...」

 

「いいの。先生には遅れるって連絡しておくから、それに私たちはシャーレ所属以前にセミナーでしょ?」

 

「...分かりました。すぐに向かいましょう」

 

 

 ノアが武装を整え終えたのを確認して2人で生徒会室を飛び出す。

 彼女が走りながらヴェリタスへ連絡をしている隣で、私はモモトークで先生にメッセージを打ち込む。

 

《すみません、ミレニアムで早急に対処が必要な事態が起きました。大幅に遅れてしまうかもしれません》

 

 しかし、そこまで打っておきながら“送信”ボタンがなかなか押せなかった。

 本当に送信してしまっていいのだろうか? このメッセージを見た先生になんて思われるのか? 

 今の判断は合理的で間違いのないものだという自信はある。普段の先生なら理解してくれるはずだ。

 

 でも、私は一度先生を裏切っている。私が遅刻する事でさらに迷惑をかけるんじゃないか、それはそれでガッカリされるんじゃないか。そんな思いが押し寄せてきて最後の一押しができない。

 

「ヴェリタスへの連絡完了しました」

 

 結局ノアの声を聞いてから慌てて“送信”ボタンを押し、返信から逃げるように電源を切ってスマホをポケットにしまい込んだ。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 〜3時間後〜

 

「はぁっ...はっ...はあ...っ」

 

 息を切らしながらシャーレの部室があるビルへ転がり込む。

 エレベーターを待つ時間が焦ったい。もういっそのこと階段を駆け上がった方が早い気がしてくる。

 

 廃墟への侵入者事件は結果的にミレニアムの不良生徒によるものだった。C&Cに身柄を引き渡して暫く反省部屋に入れることになったから、後はノアが上手く処理してくれるだろう。

 それでも3時間かかり、既に空は真っ暗で自分が大幅に遅刻してしまった事を物語っていた。

 

「謝らないと...」

 

 ようやく降りてきたエレベーターに乗り込み、指定の階層ボタンを扉が閉まるまで連打する。

 まずは遅刻したことへの謝罪。それからあの時の事ももう一度きちんと謝ろう。思い返せば保健室では軽く謝っただけでその場が終わってしまったのだから、しっかり自分の言葉で謝ってこれからは信用を裏切るような事をしないと伝えよう。

 

 今なら素直に言える気がする。そして、ミレニアムの生徒会で1番忙しい時期が終わったから、もう少し当番を増やして欲しいとお願いしてみよう。烏滸がましいかもしれないけど、やっぱり先生ともっと一緒にいたい。必要とされたい。

 

 エレベーターの扉が開くと同時に飛び出して部室へ向けて走り出す。

 まだ電気はついている。自分がいなかったせいだ。だから取り戻す、遅れた作業も先生からの信頼も。

 部室の前へ立ち、身だしなみも整えず扉に手をかけて────

 

「先生、こっちは終わったわ」

 

 開けようとする手が止まった。先生以外に誰かがいる。一体誰? 

 早く入らなければいけないのに、私はそこから動かず聞き耳を立ててしまっていた。

 

「ありがとうヒナ。急なお願いでごめんね」

 

「別に気にしてない。それにしても当番の子が来れなくなって大変だったんじゃない?」

 

 ヒナ...間違いないゲヘナ学園の風紀委員長、空崎ヒナだ。

 なんでここに彼女が?

 ふとスマホを切っていた事を思い出し、電源を入れてみるとモモトークが新着メッセージの受信を知らせてきた。

 送り主は────先生

 

《連絡ありがとう。こっちで代わりの生徒に声をかけてみるから、ユウカは自分のところの問題に専念して》

 

 ...そっか、別に私である必要は無いんだ。私じゃなくてもシャーレの手伝いは出来る代わりはたくさんいる。出会ったばかりの時とは違う、今の先生には私がいなくても問題ない。

 やっぱりあの件で先生から失望されて、今日もこうなる事を見越して始めから代替の生徒が用意されていたんじゃないか。

 

 こうなったのもあの時の私が嘘をついて迷惑をかけたから。たくさんの生徒がいる中で嘘つきが信用されないのは当たり前だ。

 そんな疑念が頭の中を渦巻いて私自身を否定していく。

 

 

「ヒナが来てくれたから何とかなったよ。お詫びに今度何か手伝うよ」

 

「大丈夫、私も先生に頼ってもらえるのは嬉しいから」

 

 

 私はその場から逃げた。

 





ぶっちゃけ泣きユウカと最後の展開をやりたかっただけな回

先生がそんな事でユウカの事を嫌いになるわけないやろがーい!と思いながら書いてました。
でもユウカちゃんは今までかんぺきーだった分、一度のやらかし+嘘つきで自分が先生に失望されたと思い込んでます。可愛いね。

精神ボロボロなユウカとか怒る先生とかゲームでも滅多にないから、書いてると「あれ、なんか変じゃね?」って自分でもツッコミどころ満載になっちゃいますね。
前2話よりも勢い重視で書いたので、明らかにおかしい解釈違いがあったらメッセージでも構いませんので教えていただけると助かります。



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早瀬ユウカは先生に依存する④


サクラコ様の情報をTwitterで眺めてたらいつの間にか天井まで回してました。
アロナ、石ちょうだい♡


 

 頼られる事で側にいたかった。ただそれだけなのに

 

「はぁっ...! はあっ...!」

 

 突然降り始めた雨にも構わず、シャーレから逃げるように出てきた私はそのまま駅まで走り続けた。シャーレに向かうまでも走り続けていたから体力は限界で、肺が酸素を求めて痛くなってくる。

 それでも駅まで足を止めなかった。自分の中にある悪い考えを振り払いたくて、頭の中を空っぽにしてしまいたかった。

 改札を抜けて人の少ないホームの端っこでしゃがみ込む。

 

「はぁっ...ゲホッ...エホッ...」

 

 酸欠状態の肺に酸素を取り込もうとして深呼吸すると逆にむせて咳き込んでしまう。こんなに無我夢中で走ったのは晄輪大祭のリレー以来かもしれない。

 でも、今はあの時のような充実感なんて皆無だ。

 

「何やってるんだろう...」

 

 急用が終わったから本来の予定だったシャーレ当番に向かっただけだ。何もおかしな事ではない。そのまま入室すれば良かっただけなのに、あの場所から逃げ出してこうして蹲っている。これじゃ本当に当番をサボっただけだ。

 

 でも入室したところで意味はあるの? 

 

 あの空間に私の居場所があっただろうか。私がいなくても他の誰かが代わりを務めればいい。先生の隣にいるのが私である必要は無い。

 頭の中では分かっていた。でも今日それをハッキリと見せつけられてしまい、心に入っていたヒビが砕け散った気分だ。

 

「もう無理なのかな...」

 

 ちょっとした嫉妬と私欲から全てが崩れてしまった。嘘をついて迷惑をかけて怒られて、その上で挽回のチャンスすら無くなって...1番欲しかった先生からの信頼を自分から手放してしまった。

 もう、当番の話は回ってこないかもしれない。私が先生の立場なら、こんな不良生徒は信用できない。先生にとって私はいらない子になってしまったかもしれない。

 

「何でこんな事になっちゃったんだろ...」

 

 こうなるくらいなら始めから先生の提案に乗って代役を頼めば良かった。そしてセミナーの作業がひと段落してから、堂々と先生へ会いに行けば良かったんだ。

 そうすれば失態を犯すことも先生に怒られることも無かったのに。

 

 じわりと涙が浮かんでくる。

 空崎ヒナ、彼女は私の代役として先生に指名されていた。頼りにされているんだ。少し前までは私がその役割だったのに。先生の近くにいたのは私なのに。

 誰でも先生の手伝いが出来るようになった今となっては他の子たちにはできないような、私だけが先生に頼ってもらえることなんて────────

 

 

「...あった」

 

 

 ひとつだけ、たったひとつだけある。私だけにしか出来ない、自分でも最も自信のある唯一無二の武器が。

 一縷の望みに賭け、すぐにスマホを取り出してモモトークから先生との個別ページを開く。

 

《お疲れ様です。先生、今日はご迷惑をおかけし大変申し訳ございませんでした。今日予定していた領収書の整理をしたいのですが、明日シャーレに伺ってもよろしいですか?》

 

 平常心を意識したが手の震えが止まらない。誤字と修正を繰り返し、何度も見直してから文章を送った。

 これが私と先生を繋ぐ最後の手段。きっと私だけが先生にしてあげられること。今回の件でシャーレの仕事がなくなっても、これだけは先生が私を頼りにしてくれるはずだ。

 

 送信してからまだ数分も経っていないのにモモトークを凝視し続け、意味もなく更新ボタンを連打する。

 答えは分かりきっているけど、早く返信を見てまだ私を頼りにしてくれると安心したかった。

 

 そこからさらに数分、スマホからポンと音がして新着メッセージの到着を告げる。

 

「きた...!」

 

 

《ユウカもお疲れ様。領収書の整理だけど出来る限り自分でもやってみようと思うんだ。毎月ユウカに迷惑をかけるのも申し訳ないしね》

 

 

 そのメッセージと共に領収書と家計簿の画像が送られてきた。

 

「...ぇ」

 

 何が書かれているのかしばらく理解出来なかった。本能が理解を拒んだのかもしれない。

 何で先生が自分から領収書の整理を? 

 日頃から何回言っても面倒くさがって放置してたのにどうして今になって? 

 

「は...ははっ...」

 

 乾いた笑い声が出た。

 良い事じゃないか。普段から領収書の整理を口うるさく言ってきたんだから、ようやく実行に移してくれた事を喜ぶべきだ。なのに...。

 

「どうしてですか先生...」

 

 ちっとも嬉しくない。大切なものを取り上げられてしまったような喪失感が襲いかかり、空っぽになった心を虚しさだけが埋め尽くしていく。

 

 終わった。これでもう先生が私だけを頼ってくれる事はない。先生の近くにいる理由が無くなった。

 きっとこれは天罰だ、嘘をついて大好きな人を裏切った私に対する罰なんだ。こんな私にあの人の近くにいる権利なんて無いんだ。

 

「嫌...そんなの嫌...っ!」

 

 もう何もしたくない。この先も先生と過ごせない生活なんて考えたくない。

 仕事をする先生の姿をもっと眺めていたい、もっとお話ししたい、一緒に買い物に行きたい、したい事なんて山ほどあるのに。

 

 いつの間にか逆になっていたんだ。

 “先生は私がいないと駄目”なんじゃなくて、“先生がいないと私が駄目”になってしまっていた。

 

 私の中で何かがプツリと切れる音がした。

 フラフラと立ち上がり、電車には乗らずそのままホームを出て歩き始める。降り始めた雨なんてどうでも良かった。

 

「先生...」

 

 私を頼ってください。

 

「先生...先生...」

 

 私のことを嫌いにならないでください。

 

「先生...私は...」

 

 貴方がいないと駄目なんです。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 翌日

 〜シャーレオフィス〜

 

「凄い雨だ...」

 

 今日は昨晩から引き続きキヴォトス各地で雨予報らしい。どんよりとした雲が青空を覆い、薄暗くなった街並みが気分を沈ませてくる。

 こういう朝は今日の仕事のことを考えるだけで溜息が出てくる。尤も、私の仕事が生徒たちの為になるのだから頑張るしかないのだが。

 エレベーターに乗り込み、シャーレのある階層のボタンを押す。

 

「今日は何時に帰れるかな...」

 

 昨日、当番の予定だったユウカからミレニアムでのトラブルで大幅に遅れるとの連絡があった。彼女が来れないのは痛かったが、リオの件もあって尋常じゃないくらい忙しい立場だから仕方ない。

 偶然にもゲヘナの重要書類を直接持ってきたヒナに頭を下げて代役をお願いし、ミレニアムの方に注力できるようユウカには当番のお休みを言い渡した。

 

《おはよう先生。困ったことがあったらまたいつでも呼んで》

 

 先程来たヒナからのメッセージに感謝のスタンプだけ送って、スマホをポケットにしまう。

 ユウカの方はとりあえず、夜に領収書に関するメッセージが来たからミレニアムのトラブルは解決できたのだろう。

 

 心配なのは彼女の体調だ。真夜中に電話をした時からどうにも様子がおかしい。

 依頼同行人の交代を拒否された時は驚いた。合理的な判断を大切にする彼女らしくなかったし、私に嘘をついていたと知った時は衝撃的だった。

 保健室で怒った時は涙ながらに謝罪するだけだったが、きっと言い出せない何かがあったのだろう。面倒見が良くて責任感が強く、抱え込みがちな子だから余計に心配ではあるが。

 

 ずっと無理をしていたユウカを少しでも楽にしてあげたくて、今月の領収書整理は試しに自分なりにやってみた。やり方なんてほとんど知らないし、ユウカの見よう見まねだから色々とおかしいかもしれないけど、来月の当番の時に見てもらおう。

 

『ぜんっぜん出来てません! もう...私が教えてあげますから一緒にやりましょう』

 

 なんて言われたりするかもしれない。プンプンと怒っている姿が簡単に想像できてしまうのは、何度も彼女に怒られている私が駄目な大人の証拠だ。

 なんだかんだ言いながら手伝ってくれるユウカは将来理想的な上司になるだろう。まだ2年生だが雑談ついでに進路についての相談に乗ってあげても良い時期かもしれない。

 

 そんなことを考えているうちにエレベーターが止まり、扉が開く。

 エレベーターからフロアに足を踏み入れた瞬間、ポケットのスマホがブルブルと震えた。このバイブレーションは着信だ。

 

「えーと...ノアから?」

 

 こんな時間から連絡が来るなんて珍しい。しかも電話という事はかなり緊急性の高い案件かもしれない。部室へ向かいながら電話に応答する。

 

 

「もしもし?」

 

『先生。すみません、こんな朝から』

 

「珍しいね。何かあったの?」

 

『はい、それが...ユウカちゃんは昨日そちらの居住区に泊まりましたか?』

 

「え? 昨日ユウカは来てないよ?」

 

『ぇ...』

 

 

 ノアの消え入りそうな声が聞こえてきた。彼女のこんな反応は珍しい、と思うと同時に嫌な予感が頭の中を駆け巡った。

 

『ユウカちゃん、昨日から連絡がつかないんです。ミレニアムにも戻っていないみたいで、今朝もまだ誰も見ていなくて...』

 

 つまりは行方不明。

 そんな馬鹿な。よりによってあのユウカがそんな事をするなんて想像できない。

 

『ヴェリタスからも昨日の夜からユウカちゃんが戻ってきた痕跡が無いと...先生...もしかしたらユウカちゃんの身に何か...』

 

 ノアの声に焦りの色がハッキリと現れている。品行方正な友人が失踪だなんてことになればパニック気味になるのも無理はない。

 落ち着かないと。確かにあまりにも想定外の事態だが、ここで大人の私が動揺してはいけない。

 

 

「とりあえずノアは心当たりのある場所を片っ端から探してみて。私も協力するか...ら..」

 

『先生?』

 

「部室が開いてる...」

 

『え?』

 

 

 視界の先にあるシャーレの部室の扉が明らかに開け放たれていた。

 ゾクリと悪寒が身体中を駆け巡る。この先に何か危険なものが待っているような気がしてならない。

 そこでようやく気がついた。部室からずっと非常階段の方へと水滴が続いている。

 

『まさか侵入者...ですか?』

 

 いや、シャーレ周りのセキュリティがアレなのはチヒロに指摘されていたが、生徒以外が簡単に入れるような場所じゃ無い。ここまでも強引に突破したような痕跡は一切無かった。

 

「とりあえず覗いてみるね...」

 

 万が一の際にすぐ気づいてもらえるようノアとの通話をつなげたまま、忍足で部室の入り口へと歩み寄る。そのままそっと顔だけ覗かせる形で中を覗き込んでみた。

 

 デスク周り────異常なし

 仮眠室付近────異常なし

 ホワイトボードや棚周りも一切荒らされた痕跡はない。

 

「誰もいない...」

 

 安堵と不気味さを感じながらゆっくりと全方位を警戒したまま部室に入ってみる。

 その瞬間、視界の端に人影が映った。

 

「っ!?」

 

 反射的に後ろへ退がって身構える。

 しかしその影は動いてくる様子は無かった。小さく丸くなるように膝を抱えている。

 少し離れた位置からでも分かるのは、ミレニアムの制服にツーサイドアップの髪型、そして黒に青い線が入ったヘイロー...

 

「ユウカ!?」

 

 どう見てもそれは失踪したと思っていた早瀬ユウカだった。膝を抱えて頭を埋めているので顔こそ見えないが、見間違えるはずがない。

 

 

『先生、もしかしてユウカちゃんがそこにいるんですか!?』

 

「部室の中にね...何でここに...」

 

 

 疑問点こそあるがとりあえず不審者では無かったことに安堵し、未だに顔を上げないユウカに近づいて様子を伺う。

 近づいてようやく気づいたが髪も制服も湿っている。そして部室から非常階段へと続いていた水滴。

 

「ユウカ、もしかして昨晩からここに...?」

 

 今朝来たばかりならこんな半端な濡れ方じゃなく、もっとびしょ濡れになっているはずだ。よく見ればカタカタと身体が震えている。濡れたまま一晩過ごしていたのなら、風邪をひいてしまっているかもしれない。

 

「ユウカ、立てる?」

 

「...」

 

 至近距離で声をかけてみても反応がない。あのユウカがこんな状態になるのだから、理由こそ分からないが彼女に何かあったのは間違いない。

 とりあえず立ち上がらせるために彼女の肩に触れる。

 

 

「いったん着替えよう。以前、居住区に泊まったときに置いていった着替えが────」

 

 

 言い切る前にユウカの手が素早く伸びてきて私の腕を掴んだ。女の子らしからぬ握力に身体が危険を知らせるが時はすでに遅く、次の瞬間には足を払われて私の身体は無様に床へと叩きつけられた。

 

「ぐっ...!?」

 

 咄嗟の受け身も取れずに全身へ走る痛みで顔を歪める。

 

『先生!? 何があったのですか先生っ!?』

 

 少し遠くからノアの声が聞こえてくる。顔を横に向けてみると少し離れた位置にスマホが転がっていた。どうやら叩きつけられたときに手放してしまったらしい。

 

 何故だ。どうしてユウカがこんな事を。

 普段の彼女とはあまりにもかけ離れた行動に頭の処理が追いつかない。

 とにかくこのままでは危険だと立ち上がろうとするが今度は両手首を押さえられ、ユウカが倒れた私の身体へ馬乗りになってくる。

 

「一体どうしたんだユウ...カ...!?」

 

 抗議しようとして言葉を失った。

 目の前には生気を感じない濁った瞳で、両目に涙を浮かべた彼女の顔があった。

 

 





ユウカぁ...書いてて辛いよぉ。でも楽しいよ...ボロボロになってるユウカ綺麗だよ...。
という事であと1話だけ続くんじゃよ。ユウカを泣かせた先生は責任とって♡
短編集なので始めは3話くらいで終わらせる予定だったのにどうしてこうなった。推しだから仕方ないな!

前回のアンケートご協力ありがとうございました!
ユウカ依存シリーズ終了後は「ムツキが先生に大怪我をさせてしまう」話になります。(2〜3話くらい)
ムツキちゃん、半分近い得票率でした。これアレですよね、ムツキが曇って精神ボロボロ展開を期待されてますよね。分かる。私も生意気なムツキが曇ってる姿を見てみたいです。
性癖に従いながら頑張って書いてみます! まだ内容は大して考えてませんけどね!

書きはじめるとアイデアは出てくるんですけど、選択肢が多いと最初の題材を決めるのに時間が掛かるタイプなので、誰かからお題をもらうor自分から選択肢を絞って追い込む必要があるわけですハイ。


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早瀬ユウカは先生に依存する⑤


いきなり今週生放送があるってマジですか?
覚悟をキメた直後だから石ないんですけどぉ!?

うぅ...ユウカ、いつか返すからお金貸して...3万円くらい。




 

 

 目の前の彼女は一言で言えば異常だった。

 何も言わずにこちらへ向けてくる感情の失った瞳は、気を抜いたらこちらが引き摺り込まれてしまいそうなほどドス黒い。

 

「ユウカ...一体どうしたの!?」

 

 力を入れて脱出を試みても、掴まれた手首はピクリとも動かない。

 キヴォトスの外から来た私と生徒達の力の差は圧倒的だ。それは分かっていたつもりなのに、こんな状況でも何も出来ない自分が情けなくなってくる。

 

「ユウカ...っ」

 

 何度呼びかけても応えてくれない。

 こちらの声が聞こえていないというより意図的に遮断しているような、これだけの至近距離でありながら彼女との間に大きく分厚い壁があるように感じる。

 

『先生っ! ...ユウカちゃん! 聞こえますか!? 返事を...返事をしてください...っ!』

 

 離れた位置に転がっているスマホから、通話を繋げたままだったノアの必死な声が聞こえてくる。

 今のユウカから目を逸らすのは怖いが、音以外の情報を得られないノアの不安は計り知れない。とりあえずノアを安心させないと...。

 

「ノア...こっちは何とかするから、君は──っ!?」

 

 途中で手首にかかっていた圧力がフッと抜けた。

 突然のことにユウカの方へと向き直った私は、ノアにかけようとしていた言葉を飲み込まざるを得なかった。

 

「ユウカ!? 何をしているの!?」

 

 思わず声を張り上げていた。

 いつの間にかユウカは制服を脱いで上半身がシャツだけの状態になっている。そして手首を抑えていた彼女の両手が、今度は私のワイシャツのボタンを外し始めていた。

 これから彼女が何をしようとしているのか、答えを弾き出すのに時間はかからなかった。

 

「やめるんだユウカっ...!」

 

 このままだとユウカが庇いようのない犯罪者になってしまう。

 自由になった両手で彼女の腰を掴んで押し退けようとすると、素早く両腕を掴まれて再び床に叩きつけられた。

 

「く...っ!」

 

 抵抗しようとすれば押さえつけてくるのでユウカの動きも制限できる。ただこれでは埒が開かないし、何よりユウカが道具を使って拘束をしてきたらもう手の打ちようがない。

 まともに動かせない首を左右に振って周囲を確かめてみるが、ノアの声が聞こえてくるスマホがあるだけでそれすらも手の届かない位置にある。

 

「先生」

 

 自分を呼ぶ声に反応してユウカの方を向くと真っ黒な瞳が私を捉えていた。

 本当にこれがユウカなのか? 

 全くの別人と向き合っているような感覚に恐怖を覚えながらも、冷静さを保つように意識しながら口を開く。

 

 

「ユウカ、今ならまだ間に合う。何があったか教えて」

 

「私、先生との繋がりが欲しいんです。私には何もないから不安なんです」

 

 

 会話が噛み合っているようで噛み合っていない。

 よく見てみれば目の焦点もブレている。まるで私ではなく自分に言い聞かせているようだ。

 

 

「私は不良生徒ですけど先生なら受け入れてくれますよね? もしそうなったら責任をとってくれますよね? 先生は優しいですから」

 

「ユウカ、それ以上は戻れなくなる。自分を大事にするんだ。とりあえず手を離して...!」

 

「先生...私の先生...離れないでください。貴方がいないとダメなんです。貴方がいない生活に意味なんてないんです。もう理由なんてなんでも良い、貴方の側にいたい」

 

 

 全くこちらの言葉が届いていない。ブツブツと独り言のように呟き、掴んでいる私の手首を自身の指で愛おしそうに撫でてくるだけだ。

 これがユウカの本音? 

 

「先生...先生...」

 

 どうして気づいてあげられなかったんだ。

 ヒントはあった。あの夜の電話やその後の保健室でのユウカの姿。今まで見せたことのない彼女の姿に違和感を覚えていたはずなのに。

 

 ユウカなら大丈夫だと思って甘く見ていた。物事をうまく運べる子だから、彼女の負担を軽くしてあげられれば何とかなると思っていた。

 彼女の言葉が本音なら私にも責任の一端はある。

 

「先生...」

 

 若干の艶が混ざりながらも感情が抜け落ちた声で私を呼び続けるユウカ。手首を抑えつけていた両手がスルスルと動き、こちらの手を握るように掴んでくる。

 

 転がっているスマホからノアの声は聞こえてこない。代わりにバタバタと走るような音が微かに聞こえてくる。

 きっとこれまでの音声で何が起きているのかある程度察してくれたのだろう。

 でも、こちらへ向かっている途中なのかもしれないがミレニアムからここまですぐに来れるような距離じゃない。

 

「先生...大好きです」

 

 顔を両手で挟まれて固定され、ユウカの顔がゆっくりと近づいてくる。

 こちらの声が聞こえていない以上、力で圧倒的に劣る私に打つ手はもうない。早朝だから今日の当番が助太刀に入る可能性もゼロ。

 ノアが来るまで耐えるしかない。せめて物の抵抗として彼女と目を合わせないように目線を逸らす。

 

「ユウカ...ごめんね」

 

 もうその言葉しか出てこなかった。今まで気づいてあげられなかった事、そしてこれからの凶行を止められず犯罪者にしてしまう事。

 先生として大人として情けない気持ちでいっぱいになっていく。

 

 ポタリ

 

 しかし、落ちてきたのはユウカの唇ではなく水滴だった。いや、水滴にしてはやけに暖かい。

 ポタリポタリと止めどなく私の頬に暖か水滴が落ちてくる。違和感を感じてユウカの方へ視線を戻すと

 

「うっ...ううっ...ぅぁっ...やっぱり...無理っ...」

 

 嗚咽を漏らしながら大粒の涙を溢れさせているユウカの顔があった。

 

「嫌...こんなの...こんな事しても...意味..ないのに...っ! 先生...にっ...もっと嫌われる....だけっ..なのに...!」

 

 しゃくりあげながら言葉を綴る彼女の声に、先ほどのような無機質さは皆無だった。

 正気を取り戻したと言っていいのか分からない。でも今のユウカになら私の声も届くはずだ。

 

 

「ユウカ、ごめんね。こんなに抱え込んでるだなんて気が付かなくて」

 

「違うんですっ!! 私が...私が全部悪いんです!!」

 

 

 私の言葉にユウカが涙を左右に散らすように大きく首を振って否定してくる。

 

「他の人に嫉妬して、先生と一緒にいたいからって自分勝手な理由で先生に嘘をついて裏切って迷惑をかけて...! 挙げ句の果てに先生にこんな事...っ」

 

 堰を切ったように彼女の口から言葉が溢れ出てくる。彼女の両手は私の頬から離れて自分の顔を隠すように覆っていた。

 

「どうして...どうしてこうなっちゃったんだろ...」

 

 涙でグシャグシャになった顔を拭いながら後悔の念を口にする姿はひどく痛々しい物だった。

 やっぱりユウカは優しい子だ。だからこそ、暴走しても自力で正気を取り戻せたし、今回の事も全て自分のせいしようとしている。

 

 

「でもやっぱり...先生に嫌われたくないっ...。私を...見捨てないでください...っ」

 

 

 そんな彼女を放っておくわけにはいかない。

 抑えつけられていた影響でジンジンと痛む腕を彼女の背中に回し、優しく力を入れて自分の方へと引き寄せた。

 

 

「せん...せい...?」

 

「ユウカ、確かに嘘をついた事と今回の件は反省が必要だね。一歩間違えれば、事と次第によっては矯正局行きもあったかもしれない」

 

「っ...」

 

 

 抱きしめた彼女の身体がビクッと反応する。

 矯正局は各学園での退学処分を受けた生徒たちの更生するための場所。そんな場所に収監されてしまう自分を想像したのかもしれない。

 

 

「でも1番残念だったのは、私のユウカに対する信頼を甘く見られたことかな」

 

「ぇ...?」

 

 

 私の言葉が予想外だったのか、ユウカが泣き腫らした顔を上げてこちらを見てくる。

 その目には確かに光があった。顔は色々と大変なことになっているが、わたしのよく知る早瀬ユウカだった。

 

 

「確かにユウカは間違えたよ。でも、この程度で君を嫌いになったり信頼しなくなるなんて有り得ない。キヴォトスに来た時からずっと色々と助けてくれたユウカには、まだまだ返しきれていない借りがたくさんあるからね」

 

「...」

 

「ユウカは駄目な子じゃないよ。相手の事を第一に考えられる優しい子。だからセミナー会計という憎まれがちな立場でも、みんなから慕われているんだ」

 

「せんせぇ...っ」

 

 

 誰だって間違える事はある。その理由は人によって様々だ。

 騙されて友人に取り返しのつかないことをして、自分で抱え込んで暴走した子もいる。悪い大人に支配されて本来受けるべき教育を受けられず、多くの人と学園を巻き込む大規模テロを起こした子達もいる。

 

 でも、彼女たちはそれを受け止めて新たな道を歩んでいる。学生である彼女たちはまだやり直すだけの猶予がある。

 

「だから、私が信頼している早瀬ユウカをこれ以上悪く言わないであげて欲しいな」

 

 そしてこのキヴォトスで間違えた生徒をフォローするのは私の...大人の役目だ。

 

 

「先生...ごめんなさいっ、ごめんなさいっ...!!」

 

 

 また大粒の涙を溢れさせながらユウカが胸に顔を埋めてくる。

 ノアが到着する頃には泣き止んだものの、彼女の抱擁を受けながら失踪騒ぎと暴行未遂を犯した事によるお説教をたっぷりと浴びていた。

 

 また、ずぶ濡れになっていたユウカとそんな彼女と密着していた私は、翌日2人仲良く盛大に風邪をひく事になった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 1ヶ月後

 〜ミレニアム生徒会室〜

 

「よいしょっ...と」

 

 時刻は夕方。生徒会としての仕事がひと段落した頃、ユウカちゃんは鞄から分厚い書類を取り出して自身の机の上に広げ始めた。

 

「それが今週の書類ですか?」

 

「そう。ここ1ヶ月でシャーレが各地へ依頼同行した時に発生した経費と、早めに仕分けておきたい書類。そろそろ纏めておきたかったのよ」

 

 

 あれから1ヶ月、ユウカちゃんは普段通りの生活を送っている。

 先生が今回のユウカちゃんの暴走を不問にしたことや、私を含めた3人しか詳細を知らない事もあって大きな騒ぎにはならなかった。

 

 ユウカちゃん自身は自分のやってしまった事を全て覚えているらしく、1週間くらいは今まで見たことのないくらい落ち込んでいた。それでも私なりに一生懸命励ましたり、何かを察した周りの人たちの手助けによって今は笑顔を取り戻している。

 

 

 

 

 それでも、先生に対する歪んだ感情は治らなかった。

 

 

 

 

「何これ、また変なことにお金使ってるじゃない...」

 

 ユウカちゃんが今手に取っている書類だって、本来なら彼女が当番の時にシャーレで毎月処理していた物だ。

 3週間前からユウカちゃんは週の始めにシャーレへ赴き、先生に仕事を貰うようになった。お金関連だけでなく他学園に干渉しない程度の書類など、色々と持って生徒会室に顔を出す。そして翌週の始めに終わらせた仕事を持っていき、また新たな仕事をまとめて貰ってくる。

 

 端的に言えば当番の有無に関わらず、週一でシャーレに通っているようなもの。

 そうしないと先生との繋がりが感じられなくて不安になってしまうらしい。一度抱いてしまった負の感情はユウカちゃんの心の奥底に巣食ってしまっていた。

 

「う〜ん...これもここも不要な出費よね。依頼同行中におやつ代って何?」

 

 先生とも数日に一回は決まった時間に電話をするようになった。本人は貰った資料の進歩報告だなんて言っているが話している内容はほとんど雑談だ。

 しかし先生だって多忙の身。時折、電話に出られない時だってある。

 そんな時、ユウカちゃんは必ず不安げに私へ尋ねてくる。

 

『先生も忙しいだけよね? 別に私が嫌いになった...とかじゃない...わよね?』

 

 怯えの混じった瞳で私に対して問いかけてくるのだ。先生に嫌われたと思い込んでいた感情が蘇ってきてしまうのだろう。

 当然、後から電話がかかってくれば嬉しそうに飛びつき、普段と変わらないユウカちゃんに戻ってくれる。

 

「はぁ...もう、また変なアプリに課金してる...。仕方ないわね。今度行ったらお説教なんだから」

 

 怒っているように見えてユウカちゃんは笑顔だった。

 とても幸せそうで、とても歪な、少し間違えれば壊れてしまいそうな笑顔だ。きっとその笑顔の下には、先生に見捨てられたくないという不安や恐怖が隠れている。

 とりあえず見ているだけというわけにはいかない。私は懐からいつもと違うメモ帳を取り出し、ユウカちゃんを見ながらペンを走らせる。

 

 

「ノア? どうしたの?」

 

「いいえ、楽しそうなユウカちゃんを観察しておこうかと思いまして」

 

「まぁ...いいけど。いつもの事だし」

 

「はい♪ ユウカちゃんは気にせず作業を続けてください」

 

 

 嘘はついていない。これは間違いなくユウカちゃんの行動を記録するメモ帳、そうユウカちゃん“だけ”を記録するためのもの。

 別に歪んだ愛とかそういうものではない。このメモはユウカちゃんの変調にいち早く気づくためにある。

 日頃の行動を記録して、彼女の言動におかしな部分がないかを調べるため。前兆にいち早く気づき、凶行に走る前にそれを阻止するためだ。

 

 今のユウカちゃんは砕けた心を無理やりセロハンテープで繋ぎ合わせた状態。徐々に修復できているけど完治には程遠い、何かの拍子にまた粉々になってしまう可能性があるかもしれない。

 

 もちろん先生だってこの事は気づいている。このままでは良くないと思っているのも私と同じ。

 それでも今はユウカちゃんの好きにさせてあげていた。

 

『今回の件は予兆を感じながら何もしなかった私にも責任がある』

 

 そう先生は仰っていたけど普段のユウカちゃんを見ている人ほど、彼女なら自力でなんとかしてくれると思ってしまうのは仕方ない。

 それは私も同じで、ユウカちゃんの様子がおかしいと分かっていながら何もしなかった。しなくて大丈夫だと甘えていた。

 

 ユウカちゃんが壊れてしまったのは1番近くにいながら手を打たなかった私のせいでもある。

 

 壊れてしまった心は簡単には戻らない。

 

 だから、先生と連携を取りながら今できることを精一杯やるだけだ。

 いつかユウカちゃんが本当の笑顔を取り戻してくれるその時まで。

 

 

 

 

早瀬ユウカは先生に依存する 《完》

 

 






ここまで読んでいただきありがとうございました。
先生は無事でした。ユウカに笑顔が戻りました。
かんぺきーなハッピーエンドですねヨシ! これはヒフミさんもニッコリでしょう。

因みにバッドエンドルート期待してた方もいると思いますが、ここまで来ると私の想像力では、ユウカちゃんデッドエンドもしくは廃人化エンドしか思い浮かばなかったので無しになりました。
曇らせとは言ってもそれはちょっと私の好みとは違ったのでご容赦ください。前後に平和(歪)な日常を挟んでこそ曇らせは輝くんだよぉ!というのが私のスタンスです。

次の予定はムツキの話(まず間違いなく曇らせになる、というか曇らせる。)
の予定でしたが、先日のアリスの「先生、ちょっとお時間いただきます!#4」にて唐突なユウカ×アリス供給に脳を揺さぶられましてね...。
やべぇ、ユウカとアリスのバレンタインストーリーめっちゃ書きたい!となってしまったんですね。(1〜2話くらい)

ムツキの方も進行中です。でもユウアリのバレンタインストーリーも書きたいんです!
妄想を形にして自給自足したいんです!
という事で書きます。ダメと言われても書きます。
平和なのを書いたっていいじゃないか、にんげんだもの。

というわけで同時進行中です。
どちらが先になるか、交互に投稿するかもしれませんがのんびりお待ちいただけますと幸いです。


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先生、ちょっとお時間いただきます!〜ユウカside〜


ハッピーバレンタイン!(激遅)
今回は平和なお話ですよ!
ムツキのお話はもうちょいとお待ちくだせぇ...。

※注意
短編集なので、前作の「依存ユウカちゃん」とは全く関係のないお話です。別の世界線みたいな感じでお読みください。


 

 

 2月12日。まだまだ寒い季節が続くなか、キヴォトスは間近に迫った特別な日に浮き足立っていた。

 バレンタインデー。お世話になった人や大切な人にチョコを贈る日なのだがその種類は様々だ。

 女の子同士で交換しあう友チョコ、異性の友人に対して贈る義理チョコ、自分自身へのご褒美として購入するマイチョコなんてパターンもあるらしい。

 

 

 〜ショッピングモール〜

 

「う〜ん...」

 

 自分と同い年くらいの女の子たちでごった返している売り場で、多種多様なチョコレートが並べられたショーケースを前に思わず唸り声を上げてしまう。

 選択肢が多くて困るというのも一つの原因だが、それよりも困っていたのが...

 

「どれも高すぎないかしら...?」

 

 その値段だった。

 一年で最もチョコレートが売れるタイミングなので、多少値段を上げてくるのは商売としては至極真っ当な戦略なのは理解している。

 ただ、問題なのは去年のこの時期よりも更に値段が上がっていることだ。去年私が注文したのと同じタイプを見つけたが2割も値段が上がっていた。

 

「もうちょっと安い物を...いやいや、先生に贈る物なのに去年よりグレードダウンはありえないわ。でも高すぎる物を買って重い女だと思われるのも嫌だし...」

 

 金銭面での余裕はある。この日に備えて1ヶ月前から学食で1番安い定食を選んでたし、徹底的に節約しておいたから予算は2万円ある。

 ただ、日頃の癖なのかいざ高い物を買おうとすると手が止まってしまう。そうして売り場をウロウロしているうちに気づけば1時間が経過していた。

 

「ん...?」

 

 うんうん唸っていると、ふと視界の端にやたらと群がっている人だかりが映った。人が多い割に騒がしくなく、集まっている人は揃って真剣に何かを見つめている。

 

「そんなに良いものがあるのかしら?」

 

 余り人混みは好きではないが、ここまで一際目立つ人だかりがあると気になってしまう。

 そう考えているうちに自然と足が動き、いつの間にか比較的見えるポジションを探して人混みの中心を覗いていた。

 そこでは1人のエプロンをつけた女性がテーブルの上でボウルの中に入っている溶けたチョコレートを見せたり、それを型に流し込んで説明したりしていた。

 

「なるほど、手作り教室ね」

 

 周りの人を観察してみれば興味半分で見ている人、真剣にメモを取りながら聞いている人、家族連れやカップルと思わしきペアなど様々だった。

 傍には材料になる板チョコや調理グッズ、レシピ本も物販として置いてある。実演してそのまま買ってもらおうという戦略なのだろう。

 

「まぁ、日頃のお礼ならわざわざ作る必要もないわね」

 

 そもそも先生は今年もたくさんチョコを貰うのだから、わざわざ凝ったものにする必要もない。

 市販の売り場に戻ろうと踵を返した瞬間、上の方からぶら下げているポスターの文言が目に入った。

 

 

《手作りチョコは貰った側の心に強く残ります! 一年に一度の機会を掴んでみませんか?》

 

 

「...ちょっとだけ見ていこうかしら」

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 〜1時間後〜

 

「これは衝動買いじゃない。そう、ちゃんと考えた上で買ったんだから衝動買いじゃないわ...」

 

 手に持っている紙袋の中には数種類の板チョコとレシピ本が入っていた。ポケットにはコツをビッシリと書いたメモ帳も入っている。

 結局、ガッツリ実演を見た後に物販で購入していた。私だけじゃなく他の大勢の人も買っていたから、実演の人が上手かっただけだ。

 

「だいたい、市販で何万もするチョコを買うくらいならこっちの方が数千円で収まるし、その分貯蓄もできるから私のためにもなる。うん、完璧に計算通りなんだから」

 

 自分に言い聞かせながら売り場を出た途端に身体に纏わりついていた熱気が冷えていく感じがした。

 他のテナントを見渡してもチョコレート売り場が1番混んでいる。この熱気は人混みだけでなく、集まっている人たちの本気度のせいもあるのかもしれない。

 とりあえずミレニアムの誰かに見つかったら揶揄われそうだし、さっさと帰らないと。

 

「いましたユウカ!!」

 

「はいっ!?」

 

 ミレニアムへ戻ろうと歩き始めた瞬間に大声で名前を呼ばれ、思わずビクッと肩が跳ね上がる。

 後ろを振り返るとパタパタと小走りで寄って来る、床に付くくらい黒く長い髪をした小柄な女の子がいた。

 

 

「あら、アリスちゃん。こんなところで偶然ね」

 

「はい! 今日のクエストのランダムエンカウントはユウカでした!」

 

「クエスト中? ゲーム開発部で何かあったの?」

 

「コレです!」

 

 

 アリスちゃんが嬉しそうに両手で見せてきた物は、何やら少しレトロな雰囲気がするグラフィックをしたゲームのパッケージだった。

 そういえばこの前ゲーム開発部の部室へ行った時に、壁に貼ってたポスターの画像がこんな感じだった気がする。

 

 

「今日発売の新作パーティゲームです! 発売前から注目されていたのでみんなと手分けをして探していたところ、人混みに紛れたユウカを見つけました!」

 

「なるほどそういう事ね。じゃあ今から一緒に帰る?」

 

「はい! 因みにユウカは何を買っていたのですか?」

 

「わ、私は...えっと...」

 

 

 思わず口籠もってしまう。計画的にじっくり考えて買ったとはいえ、手作りチョコレートの材料を買ってたと言うのは少し恥ずかしい。

 と言っても相手はアリスちゃんだ。ミレニアムの変な部分に染まりきっていない純粋な彼女なら、特に見せたところで問題はないだろう。

 何より目を輝かせながら興味津々と言わんばかりに聞いてくる姿には抗えない。

 

 

「手作りチョコレートの材料を少しね...」

 

「チョコレート...なるほど、もうすぐバレンタインだからですね。手作りだなんて凄いです!」

 

「そ、そう?」

 

 

 何の含みもない真っ直ぐな褒め言葉に思わず照れてしまう。

 とりあえず買った以上は徹底的にやろう。お弁当を作ったこともあるし、それに比べたらチョコ1つ作るぐらいなんて事ないはずだ。

 

 

「よかったらアリスちゃんの分も作ってあげるわよ?」

 

「本当ですか!? また一つチョコをゲットできるフラグを立てることが出来ました!」

 

 

 どうやら他にもチョコをもらう予定があるらしい。

 ミレニアムのみんなに可愛がられているアリスちゃんの事だから、先生ほどではないだろうけど相当な量を貰えそうな気がする。

 

 一段とご機嫌になったアリスちゃんがはしゃぎすぎないよう、手を繋ぎながらミレニアムへ引き返すのだった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 〜翌日〜

 

 

「ユウカちゃんは今年も先生にチョコを贈るんですか?」

 

「な、何よ急に...」

 

 

 唐突な質問に電卓を打っていた手を止めて顔を上げると、ニコニコと笑みを浮かべたノアがこちらを見ていた。

 この表情はよく知っている。ノアが私を揶揄いにきている時の顔だ。

 

 

「だってもうすぐバレンタインですよ? 今年も贈るんですよね?」

 

「分かってて聞いてるでしょ...。まぁ、その予定だけど。そういうノアだってそのつもりでしょ?」

 

「はい、お世話になった方と言えばまずは先生に贈るべきですから♪」

 

 

 バレンタインが間近に迫り、キヴォトス中が浮き足立っている原因の1つは先生にあると思う。正確に言えば先生にチョコを贈ろうと躍起になっている生徒が大勢いる。

 昨日買い物をしていた私もその1人なので人のことを言えた立場ではないけど。

 

 

「因みに、今年は何円のチョコを買う予定ですか?」

 

「生々しい話はやめなさいよ...」

 

 

 去年のバレンタインで先生には1万円のチョコを送った。2分割払いで。

 5000円を超える買い物は相談しろと言っている立場上、分割決済で5000円の領収書を2枚作り、そのうちの1枚を先生に見られて5000円のチョコだと主張したのは我ながら狡い真似だったと思う。

 でも先生にいいチョコを贈りたかったのは事実だし、だからといって高級チョコを贈りつけてくる重い女だと思われたくなかったから仕方ない。そう、仕方ないのだ。

 

「って、何で私が去年チョコを買ったって知ってるのよ!?」

 

 おかしい。あのチョコは一人でいる時にネットで買って、先生に渡した時も他の人はいなかったはずだ。ネットの履歴を完璧に消去したのも間違いなく覚えている。

 

 

「ユウカちゃんが先生にチョコを渡しに出て行く時に、たまたまお財布から5000円の領収書が見えてましたから。ブランド名もしっかり覚えてます」

 

「ぐっ...。そんな凡ミスをしていたなんて...」

 

 

 どうやら分割決済していた事まではバレていないらしいが、自分の支出情報をましてやバレンタインチョコの購入歴を知られるのは流石に恥ずかしい。

 

 

「それと...手作りするなら日持ちのことも考えて、なるべく直近のタイミングで作る方がおすすめです」

 

「確かに実演の人もそんなこと言ってたわね。どうせ今年も先生は沢山もらうから、すぐに食べてくれるとは限らないし────ん? ちょっと待ってノア、今なんて...」

 

「ふふっ...手作りチョコ、心がこもってて良いと思いますよ♪」

 

 

 バレてる、全部バレてる。少し自爆した気もするがノアは分かっていたうえで私のことを弄っていたらしい。

 楽しそうな友人を睨みつけてみるが、そんな彼女の手のひらで転がされっぱなしな自分も大概だ。

 そんな時、生徒会室の扉がノックされる音が耳に入り、ゆっくりと開けられたドアの隙間からひょっこりとアリスちゃんの顔が見えた。

 

「ユウカ、いますか?」

 

 珍しい来客に席を立って入口の方へと向かう。

 

 

「アリスちゃん? どうしたの急に?」

 

「今日のシャーレ当番、ユウカですよね。アリスも付いて行って良いですか?」

 

「それは全然大丈夫だけど...先生に何か用事でもあるの?」

 

「先生に以前貸していたゲームが終わったと連絡があったので、早めに受け取りに行こうかと!」

 

「そういうことね」

 

 

 ノアに目配せをすると彼女は何も言わず頷いてきた。今日の仕事はほとんど片付いているし、残りの分は任せてしまっても大丈夫らしい。

 

「分かったわ。すぐに準備するからちょっと待っててね」

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 〜シャーレ部室〜

 

「先生、明日はバレンタインデーです! 経験値アイテムでもあるチョコをゲットできる大事なイベント! アリスも色んな人にもらいに行く予定です!」

 

 私が机に向かって書類作業をしているなか、向かい側では一緒についてきたアリスちゃんが先生と楽しそうに談笑していた。

 先生には仕事して欲しいところだが、今日の分はもうほとんど片付いているし、アリスちゃんの相手をしているのだから大目にみることにする。

 

 

「そっか、もう明日だったかぁ。アリスはたくさんクエストを受注してるみたいだね」

 

「フラグ管理はバッチリです! あ、もしかして先生はチョコ入手のフラグを立ててないんですか?」

 

「う〜ん...こっちが忙しくてなかなかね...」

 

 

 アリスちゃんに話を合わせて残念そうに頭を掻いているけど、そもそも先生の場合は何もしなくても超がつくほど大量のチョコレートを渡されるのだから、そもそもフラグ管理とやらが不要だ。

 去年、シャーレの部室の一角がチョコで埋まり、しばらく先生の食費が飲料系を除いてほぼ0円になるくらいだったのだから、本人も多分それは自覚していると思う。

 

 

「...ユウカー! 素材分けてください!」

 

「...え?」

 

 

 唐突に名前を呼ばれて顔を上げると、目の前で何か欲しがるように両手を差し出してくるアリスちゃんの姿があった。

 

 

「えっと、ごめんなさいアリスちゃん。途中から聞き逃しちゃったから何の素材か教えてくれるかしら?」

 

「チョコの素材です! アリスも先生に手作りチョコを渡すクエストを受注しました!」

 

「あぁ...確か多めに買ってたから多分大丈...夫...」

 

 

 言いながら別の視線を感じ、そちらの方へ向くと先生がニコニコしながら私の方を見ていた。

 

「ユウカは今年は手作りに挑戦するの?」

 

「あ...」

 

 

 ちょっと待った。

 今、アリスちゃんはハッキリと手作りチョコの素材と言っていた。そしてその材料を私に要求してきた。よりによって()()()()()()で。

 つまり私が手作りチョコの材料を買って作るつもりだったということも先生にバレて...。

 

「あ....ぁぁ...」

 

 首を傾げて頭上に『?』が浮かんでいそうなアリスちゃんを尻目に、一気に顔が熱くなるのを感じた。

 

「ユウカの手作りかぁ。きっとみんなも喜んで────」

 

「ち、違いますから! 今回も先生にお渡しするのは去年と同じものにする予定だったのですけど、値段が予想以上に上がってしまっていまして...。いや、それでも買えるぐらいにはお金に余裕もありましたし、そのために節約をしていたわけですけど!? ってそうじゃなくて! わざわざ高いものを買うよりも手作りの方が価格は抑えられますし! 何よりも気持ちがこもってるかな〜なんて...あ、気持ちと言っても感謝の気持ちですよ! バレンタインは感謝の気持ちを伝える日でもあるんですから、日ごろからお世話になっている先生には、やはり手作りでお礼を伝えるべきだと思いまして! ミレニアムのセミナー会計として当然のことをしただけです、何も変な意味はありません! いいですね!?」

 

「う、うん...とりあえず落ち着こうか...」

 

「おぉ〜、晄輪大祭の時もそうでしたが、ユウカは高速詠唱のスキルを持っているんですね! 今度ぜひ伝授して欲しいです!」

 

 

 結局この後の業務には全く集中できなかった。

 

 





ユウカの早口しゅきぃ...もっと耳元で囁き高速詠唱して...。
アリスの先ちょを見た時から最後の高速詠唱を妄想してた同志は絶対にいるはず。
という事で「先生、ちょっとお時間いただきます!#4」の補完エピソード的な感じでした。後編を書いて渡す展開までやるかどうかは迷ってるところです。これはこれでオチがついてますからね!

では、これを見てホッコリとした気持ちになった先生方は「ユウカちゃん依存シリーズ」を見直しましょう。
ボロボロなユウカちゃんを見て、もう一度この話を見る。そしてもう一度依存ユウカちゃんを見る事で感情のジェットコースターを楽しめます(多分)。ヤバいですね☆

あ、因みにアリスおりゃん勢です...どうしてウチのシャーレに来てくれないんだよアリスぅぅぅぅ!
一緒にバランス崩壊したいよぉ(謎)


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浅黄ムツキは先生に傷を負わせる①


お待たせ致しました(待っているとは限らない)
曇らせシリーズ第2弾です。
ムツキのキャラの解像度が低かったらすまぬ...すまぬ...。

うちのシャーレのムツキがなかなか振袖を着てくれないので痛い目にあってもらいます。
そんなことより限定2人ってマジですか?
大人のカード使いすぎてゲマトリアになるんだが?



 

 〜シャーレ部室〜

 

 最後の書類にシャーレの承認印を押して大きく伸びをする。

 

「ん〜、今日は早く片付いたし、ゆっくりしようかな」

 

 時刻はまだ昼過ぎ、いつもと比べたら早すぎるくらいの時間に今日の仕事が終わった。

 というのも昨日の当番がカヨコだったのだが、途中から別件で訪ねてきたユウカとアヤネが加わり、今日の分まで前倒しで進めることが出来たからだ。

 

 椅子に深く腰掛け、仕事の締めに少し温くなったコーヒーを一気に喉奥に流し込む。

 さて、ゆっくりするにしてもこのままボーッとして1日が終わるのは勿体無い気がする。ただ何かしようと考えてみたところで、日ごろから仕事ばっかりな生活を送っているから、こういう時に何も思いつかないのが悲しい。

 どうしたものかと考えていると、机の上に置いたスマホが震えてモモトークの受信を伝えてきた。差出人はムツキだ。

 

《先生、今日暇だったら遊びに行こ! すぐそこのコンビニで待ってるね!》

 

 狙い澄ましたようなタイミングでのメッセージに、思わず周囲を見渡してみるがどこかに潜んでいる様子はなかった。

 昨日の当番がカヨコだったから、今日の仕事が早めに終わりそうだと聞いていたのかもしれない。

 

《今からそっちに行くよ》

 

 簡単に一言のメッセージを返すと即座に喜びを表すスタンプが送られてきた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

「あ、先生! 早かったね〜。くふふ、そんなに私に会えるのが嬉しかった?」

 

 ビルから少し歩いた位置にあるコンビニの前でムツキは待っていた。手にはコンビニ袋を持っているので何か買っていたのだろう。

 こちらを見つけるなり手を振りながら悪戯っぽく笑う少女。顔立ちは幼いが大の悪戯好きなのだからまさに小悪魔という言葉がふさわしい。

 

 

「ちょうど仕事が終わったところだったからね」

 

「えーっ、そこは肯定するところだよ?」

 

「それで、今日はどこに行きたいの?」

 

「くふふ、そ・れ・は・ね〜ココ!」

 

 

 そう言ってムツキが袋から取り出した一枚のチラシを見せてくる。デカデカと『OPEN!!』の文字が書かれており、メニュー表のようになっていた。

 

 

「ゲヘナの自治区付近に新しい出店が出来たみたいでね、折角だから先生と行ってみようかな〜と思って」

 

「私は勿論いいけど、便利屋の子達とじゃなくて良かったの?」

 

「うん、これはアルちゃんより先生の方が面白そうだから!」

 

「?」

 

「まぁまぁ、とりあえず付いてきてくれれば解るから行こ!」

 

 

 “面白そう”という言葉が引っかかったが、グイグイと手を引っ張ってくるムツキに抗うつもりもなく、そのまま目的地まで共に向かうことにした。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 〜ゲヘナ自治区付近〜

 

「確かこの辺に〜...あった!」

 

 ムツキと共に移動すること数十分、少し広めの公園に隣接する形で見慣れない屋台があった。

 そこそこの人数が集まっておりゲヘナ学園以外の制服も見えることから、学生たちの間ではそれなりに話題になっていた事が伺える。

 

「さ、私たちも並ぼっか」

 

 ムツキに促されるまま屋台に並ぼうと近づいたところで、屋台に取り付けられている旗の文字が目に入った。

 

「なるほど、そういうことか...」

 

 どうりで付き添いの相手に私を選んだわけだ。

 その旗には『運試し!』とか『激辛かも!?』等いかにもムツキが好きそうなワードが並んでいた。

 私の呟きが聞こえていたのか、ムツキが嬉しそうに顔を覗き込んでくる。

 

「気づいた? ハズレは激辛だけどそれ以外のたこ焼きも店主さんがランダムでアレンジしてくれるみたいだから、一度でいいから試してみたかったの!」

 

 ムツキが先ほど見せてきたチラシのあるメニューを指差す。やはりそこには『運試し!』と書かれた複数個のたこ焼きが載っている。

 大方、これで私に激辛たこ焼きを食べさせてリアクションを見たいという魂胆なのだろう。

 

 

「という事はムツキが勝つ前提って事だね..」

 

「あはは! 安心してよ先生〜。今回はこの場で購入するんだから私は何も細工できないよ」

 

 

 ムツキには私の考えていた事が伝わっていたらしい。

 以前、ムツキに呼ばれて便利屋の事務所へ行った時、バレンタインだからと言われてロシアンルーレットチョコで対決したことがある。

 ムツキが同じものを複数購入して全て激辛チョコに入れ替えるという細工を施していたため、先に食べた私だけが被害を受けて、悪戯の張本人には逃げられるという結果になってしまっていた。

 

 その時に限らず度重なる悪戯の餌食になり続けている原因は、ムツキが事前に細工を加えたものを持ち出してきているから。

 そう考えると今回はその場で店主が作ってくれるのだから、彼女が何かしらの手を加える事はできない。フェアではあるだろう。

 

「それに、ちゃんと救済措置も用意してきたよ!」

 

 そう言うとムツキは会った時から持っていたコンビニ袋に手を入れて、『じゃ〜ん!』と全体がラベルに包まれたペットボトルを取り出して見せた。

 

 

「なるほど、ヨーグルトドリンクだね」

 

「そう! 激辛を食べちゃってもコレがあるから何とかなるよ」

 

 

 激辛料理を食べた後で水を飲む人がいるが、あれは辛さが口全体に広がるだけでむしろ逆効果らしい。唐辛子や山椒が水に溶けにくい性質を持つのが原因だとか。

 普段なら悪戯する側のムツキがわざわざ保険として準備してきたのだから、今回は本当に彼女自身が激辛の餌食になる可能性があると言う事だろう。

 

 

「激辛に当たっちゃったらどうしよ〜。その時は先生がヨーグルトを口移しで飲ませてくれる?」

 

「しません」

 

「え〜、つれないなぁ」

 

 

 ちょこちょこ揶揄ってくるムツキを適当にあしらいながら雑談をしているうちに、すぐに自分達の番まで回ってきた。

 

 

「注文は私がしていい?」

 

「うん、ムツキに任せるよ」

 

「くふふ、りょーかい。じゃあこのロシアンルーレットたこ焼きをーーーー」

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

「先生、奢ってくれてありがと〜」

 

「ううん、思ってたより安かったら気にしないで。飲み物はムツキが用意してくれたしね」

 

「オープンセールだったから2割引きなんだって。ラッキーラッキー♪」

 

 完成したたこ焼きを持って公園内のベンチに並んで腰を下ろす。

 ムツキは例のたこ焼きに加えて普通のたこ焼きも注文していた。本人曰くチラシにオススメNO.1と記載されていたらしく、純粋にこの出店の味も知っておきたかったらしい。

 

 

「じゃあ、メインの前に普通のたこ焼きを食べよっか?」

 

「そうだね。それじゃあいただきます」

 

「いただきまーす」

 

 ムツキと同時にたこ焼きを口へ運ぶ。

 オススメ品だけあって味は純粋に美味しかった。あの長蛇の列を捌きながらこれだけの味を出せるのだから、料理で商売をする人の腕前はやはり大したものだと改めて思う。

 

「ん〜♡」

 

 隣で頬張っているムツキも満足そうに目を細めて口元を緩ませていた。どうやらお気に召したらしい。

 悪戯好きなど子供っぽいところもたくさん見てきてが、こういう表情は初めて見たかもしれない。新鮮な気持ちだが、こんな一面を見れただけでも付いてきた価値はあった。

 そんな私の視線に気付いたのか、ムツキがこちらを見てサッと目を逸らした。

 

 

「も、もう〜先生、乙女の恥ずかしいところをそんなにジロジロ見ちゃダメだよ?」

 

「言い方」

 

 

 色々と誤解を招きそうな発言だが、確かに女性の食べる姿を見つめるのは失礼だ。

 揶揄い気味な発言をしておきながら、その彼女の顔が赤くなっていた事は黙っていた方がよさそうだ。いつもの仕返しとして指摘してみるのもアリかもしれないが、その後の報復悪戯が怖いのでやめておく事にした。

 

「さてさて〜それではお待ちかねのメインだよ〜♪」

 

 そんなことを考えているうちに食べ終わったムツキがもう一つのたこ焼き、ロシアンルーレットたこ焼きを取り出した。

 数は4個、うち1つは激辛で残り3つは店主がランダムで味付けしたものらしい。ランダムとはいえ流石に残りの3つがとんでもない味付けという事はないだろう。

 

 

「さぁ先生、先に取っていーよ?」

 

「じゃあ遠慮なく」

 

 

 今回はその場で購入しここまで持ってきたので、ムツキが何かしら手を加えているタイミングは無かった。

 つまり完全な運試しなので選択肢が多いうちに貰っておこう。1手目はハズレを引く確率が25%なので有利なはず...多分。

 見た目では全く判別がつかなかったので、適当なものに爪楊枝を刺して口に放り込む。

 

 

「くふふ、どう?」

 

「うん、美味しい。チーズがトッピングで入ってたよ」

 

 

 中から出てきたのはチーズの独特な味。こういうトッピングは初めて食べたが意外とイケる。少なくとも辛味は一切感じなかった。

 一方で私がハズレを引かなかったことが不満だったのか、ムツキが頬を膨らませていた。

 

「むー、じゃあ私はこっち!」

 

 躊躇いなく爪楊枝を突き刺して自分の口に入れる。2、3回ほど咀嚼した後に笑顔で親指を立ててきた。

 

 

「セーフ! アボカド入りだったよ」

 

「そっか...じゃあ2択だね」

 

 

 リアクションを見ても痩せ我慢で嘘をついているわけではなさそうだった。

 1週目はどちらも回避。そうなると残っている2つのどちらかが激辛ということになる。

 ここはじっくり考えておきたいところだ。先程から女子生徒の『辛ーっ!』と悲鳴らしきものが時々聞こえるが、恐らくはロシアンルーレットでハズレを引いたのだろう。声に出してしまうくらい辛いのは間違いないらしい。

 

 

「じゃあ私はこっち!」

 

「あっ!?」

 

 

 そんなことを考えている隙を突かれ、ムツキがヒョイっと片方のたこ焼きに自分の爪楊枝を突き刺した。

 先行をもらったのは私のはずなのに、ここでいきなり彼女が順番を無視して動いたということは、先に選ぶ必要があったのかもしれない。つまりムツキはどれがハズレか分かっていて、残っているたこ焼きがーーーー

 

 

「ちょっと待ってムツキ、それはズルい!」

 

「いただきまーす」

 

 

 こちらの静止も聞かず、ムツキの口にたこ焼きが放り込まれてしまった。これで私が残る一つを食べるしか選択肢が無くなってしまい、激辛が確定したことに肩を落とす。

 いや、そもそもルール違反だから罰としてハズレも食べてもらおうか。

 が、しかし

 

「〜〜〜っ!?!?」

 

 その直後にムツキが声にならない叫びをあげて悶え始めた。

 アワアワと手を動かし涙目になりながら、コンビニ袋からペットボトルのヨーグルトドリンクを取り出して一気に飲み始める。

 

「ム、ムツキ?」

 

 いきなり豹変した彼女の動きに驚いたが、このリアクションは間違いなく激辛を食べた時のものだった。

 ゴクゴクと喉が動いている事から凄い勢いで飲み干しているのが分かる。

 やがて、ペットボトルから口を離すと盛大に咳込み始めた。

 

「ゲホッ...えほっ....辛〜っ!」

 

 飲み物を一気飲みしたうえで、未だにやや悶えている様子から相当辛かったらしい。

 

「じゃあこっちが正解...?」

 

 ズルをしておきながら自爆するとはムツキらしくないが、彼女がハズレを引いたということは残る1つはまともなトッピングということだ。

 半信半疑になりながらも最後の一つに手を伸ばして口に入れてみる。

 その直後だった。

 

 

「!?!?!?」

 

 

 脳天を貫くような刺激と共に、痺れるような感覚が口内へ一気に広がっていく。刺激に対して反射で涙が出てくる。やや遅れて漸くそれが“辛い”という感覚だという事に気がついた。

 

「なっ...これ...辛...っ!?」

 

 まともに口も動かせず途切れ途切れになりながら、口の中のたこ焼きを吐き出しそうになるのを手で押さえて我慢する。

 

「あっははは! 引っかかった〜!」

 

 笑い声が聞こえて隣へ目を向けると、嬉しそうに笑うムツキの姿があった。まるで先程のことが無かったかのように。

 

 

「どお? 名演技だったでしょ?」

 

「ゲホッ...始めから...知って...」

 

「店主さんが作ってる時に激辛ソースを入れる瞬間が偶々見えたんだ〜。本当に偶然だけどね」

 

 

 まさかこんなパターンまで用意してくるなんて思わなかった。偶然とはいえ勝負は始めから決まっていたらしい。

 いや、彼女のことだからそもそも偶然という言葉も嘘で、何かハズレを見分ける手段を用意していた可能性もある。

 

「そうだった。はい、先生の分」

 

 思い出したようにムツキが袋からペットボトルを取り出して手渡してくる。

 とりあえずこの辛さをどうにかしないとまともに会話もできない。断る理由もなく手に取って一気に口内へ流し込む。

 その瞬間、口内の刺激が爆発した。

 

「ぶっ...! っ〜!?!?」

 

 辛さが引いていくどころか更に悪化し、思わず水を噴き出してしまった。その隣では再びケタケタと笑う少女の姿があった。

 

「あはははっ! もう先生ったら必死すぎ〜。ちゃんと中身は確認しないと、ね♪」

 

 そう言われて慌てて中身を確認してみると、ヨーグルトのような白っぽい色ではなく透明だった。さらに甘い匂いは全くせず無臭だ。ーーーーつまり今ムツキから貰ったのは相性最悪な水だったらしい。

 

 見事な2段構え。だが、このまま舐められっぱなしなのもアレなので、多少はお灸を据えておいた方がいいかもしれない。

 

 

「ム〜ツ〜キ〜?」

 

「きゃあっ♪ 先生が怒っちゃった、逃げろ〜!」

 

 

 立ち上がってムツキの方へと詰め寄ると、彼女は軽やかに躱して公園の出口へ向けて走り始めた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

「あははっ! こんなにあっさり引っかかっちゃうなんて先生可愛いな〜♪」

 

 チラリと後ろを振り返ってみると先生がこちらを追ってきているのが見える。

 ちょっと怒らせちゃったかな。でも先生は優しいから最終的には許してくれるだろう。先生が追いかけてくるなんて珍しいからちょっと楽しんでみたい。

 

「ム...! そっ....見,..!」

 

 先生が何か言っているけど周りの喧騒や車の音でよく聞こえない。

 お互いの距離差が縮まるどころか開いているような気がする。先生もデスクワークばっかりで身体が鈍っているのかもしれない。

 

「先生〜! そんな調子だと永遠に追いつけないよ〜!」

 

 折角だからハンデとして後ろを向きながら走ってみよう。そして追いつかれそうになったらまた全力で逃げて引き離してみればいい。

 そんなことを考えながら後ろ向きで走っていると先生との距離が縮まってきた。やっぱり大人だから私と比べて一歩の歩幅が大きい。

 

「ここまでおいで先生!」

 

 ちょっと挑発混じりに手招きをしてみる。先生は必死な顔で追いかけてくるけど、この状況を楽しんでいるのが自分でも分かった。

 そして互いの距離がさらに縮まったタイミングで、漸く先生の声がハッキリと聞こえた。

 

 

「ムツキ! そっちは危ないから前を見て!」

 

 

 その時だった。

 後ろへ踏み出したはずの右足がそこにあるはずの地面を捕らえられず、ガクンと身体のバランスが大きく崩れる。

 

「うわわっ!?」

 

 反射的に足元を見るとそこは段差になっていた。気が付かずに足を踏み外してしまったらしい。

 急いでバランスを整えようと不恰好なステップを踏みながら正面を向こうとするが、もともと不安定な走り方をしていたこともあってなかなか勢いを抑えられず、そのまま車道へ身を投げ出す形になってしまった。

 

「ヤバっ...!」

 

 冗談ではない焦りの声が口から出た。

 ーーーーその瞬間、大きなクラクションが耳に入った。目を向けた先にあるのは猛スピードでこちらに向かってくる1台の車。

 

「ぁ..」

 

 情けない声が漏れた。

 まだ崩れた体勢を整えきれていない。死にはしないだろうけど、受け身も満足に取れないこの状況で車がぶつかったらただの怪我では済まない。

 そんな冷静な分析はできる癖に身体は満足に動かせず、ただ迫り来る鉄の塊を見つめることしかできなかった。

 

 

「ムツキっっ!!」

 

 

 もうダメだと思った瞬間、先生の声が聞こえてグイッと腕を引っ張られ、私の身体は歩道へと投げ出された。

 何かが衝突する爆音が耳を襲ったのはその直後だった。

 

 

 

 





傷ってレベルじゃねーぞ!
という事で今回は導入まででございます。

どうやって先生に傷を負わせるか悩みました。
始めはムツキらしく爆発物を考えたんですけどね、ムツキってなんだかんだ賢いのでその辺のやらかしは無さそうというのが私の見解です。
ついでに言うとちょっとやそっとじゃメンタル崩れない子なので、先生には盛大にやられてもらう必要があるわけですよ。

じゃあどうすんの?という事で、シンプルに“ムツキちゃんのせいで”事故らせることにしました。
いつまでも振袖で復刻してくれないから先生が犠牲になりました。あーあ、どうしてくれんのムツキちゃん、責任とって絶望して♡


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浅黄ムツキは先生に傷を負わせる②


限定ガチャですか?
400連回したらトキとナギサを無料で貰えたので致命傷で済みました!
許さんぞ陸八魔アル



 

 

 私を呼ぶ先生の声、腕を掴まれて投げ飛ばされ、直後に聞こえてきた衝突音。

 起き上がった私の前に広がっていたのは、車体が凹んだりガラスが割れたりしている数台の車と倒れたまま動かない1人の男性だった。

 

「え...ぇ...?」

 

 何が起きたのか理解できなかった。或いは脳が理解を拒んだのかもしれない。

 車が壊れているのも、誰かが倒れているのも学生が銃を持ち歩くキヴォトスでは珍しい光景ではない。

 なのに息が苦しい、胸が締め付けられるように痛い。脚が震えて力が入らない。

 

 少し遅れて聞こえてきた悲鳴が耳に入ったところで、目の前で倒れている男性が先生だと理解した。

 

「せ、先生...?」

 

 悲鳴や怒号が入り混じった耐え難い雑音が響く。

 両手をついた四つん這いで恐る恐る先生に近づく。先程まで追いかけっこしていたのが嘘みたいに地面に伏したままピクリとも動かない。

 変なところがある人だけど、こんな路上で寝るなんて先生らしくない。早く起こさないと。

 

「ね、ねぇ...先生? 何でそんなところで寝てるの? 危ないよ...?」

 

 ────べちゃり

 先生に触れた手から嫌な音が聞こえた。同時にぬるりとした生暖かい感触と鉄臭い匂いを身体が感じ取る。

 

 ゆっくり手を離して見ると、掌は真っ赤に染まっていた。

 

「ひッ...!?」

 

 小さな悲鳴が口から漏れる。

 血ぐらい見慣れているはずなのに、今まで仕事をしている中で何度も見てきたのに────どうして先生から血が流れてるの? 

 

「ぁ...」

 

 そうだ。

 先生と追いかけっこをしていた私が車に轢かれそうになって、先生がそれを庇ったんだ。

 じゃあ先生が倒れているのは車に轢かれたから? 犯人はどこ? 先生をこんな目に合わせるなんて許さない。見つけ出して徹底的に潰してやらないと。

 

 

 いや、違う。根本的な原因は他にある。

 

「ぁ...あぁ...!」

 

 私だ。

 私が調子に乗って後ろを確認しなかったから、段差に気づかず足を踏み外したから、そんな私を先生が庇ったから。

 ────私のせいで先生が轢かれたんだ。

 

「いやあぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁっ!!!」

 

 再び目に映った先生は手足がありえない角度に捻じ曲がり、血溜まりの中に沈んでいた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 ××××年××月××日

 

 ゲヘナ近郊の公園に面する車道にて交通事故が発生。

 被害は軽傷者4名、重傷者1名、容疑者の乗用車が起こした追突などによる車の破損8件。

 車の破損については軽い凹みから走行不可まで様々であるが、幸いにも乗っていた人たちは無傷か軽傷で済んだ。

 

 ただし、たった1名の重傷者がシャーレの先生であり、奇跡的に一命を取り留めたものの現在もまだ意識不明である。

 事故当時の現場では複数の生徒が確認されているが、その中にゲヘナ学園の浅黄ムツキの姿があったことが確認されている。

 当時は気絶していた状態で外傷が無かったことから、事故の瞬間を見てしまったことによるショックで気を失ったと考えられる。

 

 事故を起こした容疑者は事故を起こす前から規定を上回る速度で走行しており、D.U.にてヴァルキューレが取り締まろうとしたところ逃走を開始、後の事故につながった。

 

 容疑者の供述によると、先に飛び出してきた女子生徒を庇う形で先生が車道へ出てきたとのことだが、現在他の目撃証言が事故直後のものばかりであるため真偽の程は定かではない。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 〜ゲヘナ学園〜

 

「ヒナ委員長。以上が現段階で判明している情報です」

 

「はぁ...なるほどね。アコもお疲れ様」

 

 アコからの報告を聞き終わってから大きく溜息を吐く。

 先生が事故にあったと聞いたときは頭の中が真っ白になり、思わず立場を忘れて取り乱しそうになった。

 直接現場に急行したときは先にいたヴァルキューレが処理を進めていたので、平静を装いながら引継ぎなどを進めていたが先生の事しか頭になかったのは内緒。

 今もまだ先生の意識は無いままなので油断はできないが、とりあえず手術は無事に成功したそうなので一安心ではある。

 

 

「それにしても言い方は少しアレかもしれませんが、情報を見る限りよく先生は助かりましたね。こんなスピードの車とぶつかれば、私たちでも相当なダメージは受けそうですけど..」

 

「後方とはいえ戦場に立つこともあるんだから、何か咄嗟に身を守る手段があったんじゃない?」

 

「なるほど...まぁ、悪運の強い方ですから簡単には死なないと思っていましたが」

 

 

 そんなことを言っているけど、当時のアコもかなり動揺していたのは知っている。彼女がパニック気味に部下達へ変な指示を出している様子を見てむしろ私の方が落ち着いたぐらいだ。

 ただ慌てていたのは私も同じだし、彼女も気持ちも充分理解できるので、それについては指摘しないでおこう。

 

 

「そういえばチナツからの連絡は?」

 

「まだ何も。とっくに用事は終わっていると思いますが…」

 

 

 現在、イオリは風紀委員達を連れて見回りへ向かっており、チナツは先生の入院している病院へ向かってもらっている。

 余計な混乱を避けるために先生に関する事故の情報は『命に別状なし』という点以外はほとんど伏せられていた。面会はもちろん、先生がいる病院に立ち入るのも受診などの利用目的がある人以外は禁止。

 ただし、各学園の生徒会もしくはその代理組織には“組織外には広めない”という条件のもとで詳細な情報が入るようになっており、面会を目的とした病院内への立ち入りも許可されている。

 

 ゲヘナでは先生の生死が分かったタイミングで万魔殿の代理として風紀委員会がその立場になった、というか役割を押し付けられた。

 でもそれに対して不満はなくむしろ感謝している。先生の情報をいち早く知ることができ、面会にも行けるのだから。万魔殿が色々仕事をこちらへ投げ込んでくるのが今回は役に立った。

 

 

「まぁ、そのうち帰って来るからいいわ。肝心の浅黄ムツキはどう?」

 

「現在は便利屋68のメンバーと共にいるようですが、その...」

 

「まだ塞ぎ込んでる?」

 

 

 私からの問いにアコが無言で頷く。

 この事件において容疑者と被害者を除けば、最も近くにいた人物はおそらく彼女だろう。恐らく先生が庇ったという女子生徒も。

 もともとスピード違反に加えてヴァルキューレからの逃亡、遅かれ早かれ人身事故は起きていただろうから容疑者に同情の余地はない。しかし、ゲヘナの生徒が関わっているのだから事実確認ぐらいはしておきたいところだ。

 

 

「どうしますか委員長? 便利屋からの報告が確かとも言えませんし、やはりこちらから突撃して多少無理矢理にでも..」

 

「逆効果だからやめなさい。彼女が塞ぎ込むということは相当な精神的ダメージを負っているはず。その辺りの情報で嘘をつくとは思えない」

 

 

 どちらにせよ、現時点ではこれ以上の情報は見込めそうになかった。

 浅黄ムツキの様子が少々気掛かりではあるが、こちらが下手に動くよりも便利屋の面々に任せておいた方が得策だろう。

 容疑者は受けるべき罰を受け、先生はいずれ復帰する。それが分かっているだけでも充分だ。

 

 気持ちを切り替えようと別の書類へ手を伸ばしたその時、部屋の扉が大きく開け放たれた。

 

「ヒナ委員長...!」

 

 その犯人は先生のいる病院へ訪問していたチナツだった。よほど急いで来たのか息を切らし、肩で呼吸する彼女の姿はかなり珍しい。

 先程まで病院にいたはずのチナツがここまで急いで来たという事は先生関連で何かあったのかもしれない。状況が状況なだけに少し悪い考えが頭の中に浮かんでしまう。

 

 

「すみません...スマホの充電が切れてしまっていて...!」

 

「何があったのチナツ?」

 

「先生の...っ、先生の意識がっ...戻りました!」

 

「「!」」

 

 

 すぐ近くでアコが息を飲む音が聞こえる。かくいう私も思わず手を止めてしまい、意味もなくチナツを数秒凝視してしまった。

 先生の意識が戻った。それだけでホッとして全身から力が抜けていき、意図せずして椅子の背もたれに寄りかかってしまう。とりあえず最大の懸念点はこれで無くなった。

 だが、そうと分かればすぐにやらなければならない事がある。緩みそうになる頬をキュッと引き締めて大きく深呼吸、席から立ち上がってアコに声をかける。

 

 

「アコ、急で悪いのだけど」

 

「こちらは私が片付けておきます。先生によろしくお伝えください」

 

「ありがとう」

 

 

 たった一言でこちらの意図を読み取ってくれるのだから、やはり彼女は優秀だ...変なところはあるけれど。

 ウチの生徒を庇ってくれたのだからお礼を言いに行くのは当たり前。ついでに少しくらいお喋りしてもバチは当たらないだろう。

 

 

「じゃあ行ってくる。チナツ、先生のいる病室は変わってない?」

 

「はい。...ただ...その...」

 

「?」

 

「えっと..」

 

 

 やけに歯切れが悪いチナツを見てまた嫌な予感がした。考えてみればここに駆け込んできてから彼女に笑顔がない。

 私みたいに意図的に感情を伏せる性格ではないので、この時点で意識の回復とは別に何か悪いことがあったとすぐに確信できた。

 

「教えて」

 

 正直ここからまだ何かあると考えるだけで不安になってくるが、冷静を装ってチナツに応えを促す。

 

「はい、その...」

 

 よほど話しにくい内容なのか、それとも私以外に話すのを躊躇ったのか、チナツが顔を近づけてくるので私は耳を彼女の方へ傾ける。アコが怪訝な表情をしているが後で教えてあげれば良い。

 私にしか聞こえない小さな声でチナツが口を開いた。

 

「ぇ...?」

 

 ────何を言っているの? 

 そんな言葉が口から出そうになったが、目に映ったチナツの顔はとても苦しそうで、彼女の発言が冗談ではないことを物語っていた。

 まさかそんな...。

 目の前が一瞬暗くなり、足の踏ん張りが効かず、ヨロヨロと壁に全体重を預けるようにもたれかかる。

 

「「委員長!?」」

 

 アコとチナツが心配そうに駆け寄って来る。こんな姿を見せたのは初めてかもしれない。それぐらい彼女から聞かされた事は衝撃的だった。

 しかし、ここで倒れては話にならない。これが事実なら尚更先生の様子を確かめに行く必要がある。

 

 

「大丈夫、少しふらついただけ...その情報は確かなの?」

 

「はい...私も今日初めて知らされました。先生の状態によっては面会謝絶の可能性もあるかと...」

 

「...とりあえず行ってみる。今の事はアコとイオリにも伝えておいて、それ以外は一切他言無用で」

 

 この情報は簡単に漏らして良いものではない。恐らくミレニアムやトリニティもごく少数にしか共有しないだろう。

 どっと湧いてきた汗を拭い、私は急いで病院へと向かった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 2週間後

 〜便利屋事務所〜

 

 あれからずっと何もしていない。

 食事はまともに喉を通らず、目を閉じるだけであの光景が蘇ってくるからまともに睡眠も取れていない。時折、睡魔に勝てず気絶するように寝落ちしているのが唯一の睡眠時間になっていた。

 

 あの事件の後、目が覚めたら既に事務所で寝かされた状態だった。

 あの後気絶してアルちゃん達に引き取られたらしい。目が覚めるとアルちゃんとハルカちゃんが抱きついてきて、少し離れた位置でカヨコちゃんが呆れながらも安堵した笑みを浮かべていた。

 でも、私はその場ですぐに吐いてしまった。

 

 

『あ゛あっ...! 私が...私が...っ! 違うのっ! そんなつもりじゃ...!』

 

『ムツキ!?』

 

『ど、どどどどうしたんですか!?』

 

『様子がおかしい...取り押さえて!』

 

 

 自分のやってしまった事、血に濡れた先生の姿を思い出して取り乱す私を3人がかりで押さえつけてきたのを覚えている。

 

 この数日間、私の状態がある程度落ち着いた事を確認した後、他の3人はほとんど外に出ていた。理由は分かっている、私に気を遣って1人にしてくれているんだ。

 何があったのかほとんど話していない。でもみんなは私に何かあると察してくれたのだろう。1人になる時間をたくさん作ってくれた。

 

「先生...」

 

 先生が生きている事は知っている。てっきり死んでしまったと思っていたから、それを知った時は心底安心したし、涙が止まらなかったくらいだ。

 病院側から面会許可の連絡も来た。事故の当事者として特別に許可が降りたらしい。

 

 でも、あれから1週間経った今でも病院どころか事務所の外にも出ていない。

 怖かった。私が原因で先生が事故にあったと知れ渡っていたら、下手したらキヴォトス中の生徒が私の事を恨んでいるかもしれない。

 

《ムツキが良ければ元気な顔を見せて欲しいな》

 

 つい数日前に来た先生からのモモトークにはそう書かれていた。

 順調に回復しているようで安心したけど、先生と顔を合わせるのが怖い。怒られるからとかじゃなく、どんな顔をして会いに行けばいいのか分からない。

 

「ムツキ」

 

 誰かが私の名前を呼んだ。いや、何度も聞いたことのある声だから誰なのかは分かってる。帰ってきたことにも気づかないくらい、自分の世界に閉じこもっていたらしい。

 反射的に顔を上げるとそこには見慣れた幼馴染の姿があった。

 

 

「アルちゃん...」

 

「漸く顔を上げたわね。酷い顔、いつものムツキとは大違いよ」

 

 

 発狂した後ずっと閉じ籠っていたから、まともに顔を合わせたのも久しぶりな気がする。

 優しい笑みを浮かべる幼馴染は、愛用の銃を置いてそのまま私の隣に腰を下ろした。

 

 

「先生のところに行かなくていいの? 面会許可が降りているんでしょう?」

 

「...」

 

「事故の前後に何があったのか無理に聞き出すつもりはないわ。今のムツキを見れば何となく分かるもの」

 

「...」

 

「確かに一歩を踏み出すのって難しいと思うわよ。何かしら負い目を感じているのなら尚更」

 

 

 私を楽しませてくれる普段のアルちゃんとは違う。とても真面目で歳下の子供に言い聞かせるような優しい声色に返事はしなくても、自然と耳を傾けていた。

 

 

「でもね、ムツキ。恩を返さないままでいいの?」

 

「...っ」

 

 

 心にズキリと痛みが走った。いつからアルちゃんはこんなに鋭い子になったんだろうか。昔はあんなに大人しいタイプだったのに。今でも周りに振り回されがちな、面白くてちょっと頼りない子なのに。

 今の彼女は全て見透かしてるかのようにズバズバと斬り込んでくる。それでも言い返さないのは図星というだけじゃない、誰かに背中を押して欲しい、そんな考えが私の中にあったからだ。

 

 

「このままは嫌なんでしょう? だったらその怖さに立ち向かいなさい。最初の一歩が踏み出せないなら、病院の入り口まで私達がついて行ってあげるわ」

 

「アルちゃん...」

 

 

 そうだ。面会できる人が限られているからアルちゃん達は病院の入り口までしか行けない。便利屋を代表して行けるのは私だけだ。

 アルちゃん達だって先生がどんな状態なのか詳しく知りたかったはずなのに、私を急かさずにこうして待ってくれていたんだ。

 

 

「受けた恩を返すのもまた、真のアウトローを目指すために必要なことよ」

 

「ぷっ...」

 

 

 最後の一言で思わず吹き出してしまった。やっぱりこの子は変わっていない。

 どこまでも真っ直ぐで、どんなに格好をつけても最後の最後で締まらない────だからこそ心の底から信頼できる。

 

 

「な、何で笑ってるのよ!?」

 

「んーん、なんでもない」

 

 

 ほんの少しだけ心が軽くなった気がした。

 ここまでして貰いながら立ち上がれないようじゃ、アルちゃん達にも先生にも失礼だ。

 まだ恐怖心は拭えない。でもとりあえず先生に会ってみよう。何も話さずに終わっちゃうかもしれないけど、頭が真っ白になるかもしれないけど、何もせず閉じ籠っているよりはマシだから。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 〜病院前〜

 アルちゃんに励まされた私はカヨコちゃん、ハルカちゃんと合流して4人で先生が入院しているという病院へ向かった。

 誰かしらに絡まれるかと思っていたが何のトラブルもなく目的地へと辿り着くことができ、今までの心配はなんだったのかと拍子抜けしてしまうくらいだった。

 

 

「じゃあ私達はここまでね」

 

「先生によろしく」

 

「が、頑張ってください!」

 

 

 3人が笑顔で送り出してくれる。私はきっとぎこちない笑みを返しているのだろう。3人に背中を向けて入り口の前に立つ。

 

 でも脚が動かない。

 後は入り口を潜って病室に行くだけ。なのに引き返したい気持ちでいっぱいだった。

 アルちゃんの言葉に決心してここまで来たけどやっぱり怖い。心臓の鼓動が速くなり、呼吸が荒くなってくる。意識すればするほどあの記憶が蘇ってきそうで────

 

「ムツキ」

 

 名前を呼ばれると同時に背中に手が置かれる。誰の手なのかは考えるまでもなかった。

 

「きっと大丈夫よ」

 

 たった一言と共に軽く背中を押される。でもその一言が私の背中をグッと押してくれたような気がして、硬直したように固まっていた脚が前に出た。

 

「アルちゃん...みんな、ありがとう」

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 入り口を潜ってからはトントン拍子で進んだ。

 受付で学生証を見せ、病院側から面会許可の連絡を受けた旨を伝えると、係員の人がすぐに通してくれた。

 

「えっと、ここの通路の突き当たりを...」

 

 3人から預かった見舞いの品を抱えて通路を進む。先生の病室は当然というべきか少し離れた場所にあった。

 静かな場所に私の足音が響く。同時に心臓の鼓動がこれ以上ないくらいに速くなってくる。それでも引き返さない引き返すわけにはいかない。

 この先を曲がったら病室だ。少し深呼吸して気が変わらないうちに一気に入ってしまおう。

 そう考え、壁にもたれかかって呼吸を整えていると

 

 

「...カさん、少し....いて...さい」

 

「えー、私....るよ?」

 

「顔が....く...って...けど..」

 

 

 向かう先から2人組の話し声が聞こえてきた。

 落ち着いてきた心臓がまた跳ね上がる。この先が先生の病室ならこの声は間違いなく先生の知り合いだ。それも学園のトップに君臨する人物の可能性が高い。

 息を潜めるように呼吸が止まり、じっと通路の曲がり角を見つめる。やがて声の正体であろうトリニティの制服を着た2人組が姿を現した。

 

「あら? ご機嫌よう」

 

 そのうちの1人が私の方にいち早く気づき、挨拶をしてくるので慌ててこちらも頭を下げる。

 見るからに穏やかで気品のある女性。直接会うのは始めてだがリストで見た事がある。

 トリニティ総合学園の生徒会“ティーパーティー”の現ホスト、桐藤ナギサ。

 そして────

 

 

 

「...へー、ゲヘナの生徒...ね」

 

 

 

 真顔で見つめてくる一際綺麗なヘイローを持つ桃色髪の女子生徒。こちらもリストで見た事がある。

 名前はそう────聖園ミカだ。

 





ミカ「来ちゃった☆」

Q.何故先生は生きてるの?
A.スーパーアロナちゃんがいるじゃないですか!

でもアロナが完璧に守っちゃったら面白くな...こちらとしては困るので、先生の咄嗟の行動にアロナが急いで防御したけど完全にはマモレナカッタ...みたいな感じです。

アルとムツキの友情って素敵ですよね...このまま立ち直って先生にも許されてハッピーエンド!!
...んなわけあるかぁ! 冒頭と回想でちょっと発狂して引きこもりになっただけで済むと思うでないぞ!

あ、ヒナちゃんの出番はこれで終わりです。ムツキがメインですからね!
ヒナ...君にはクソデカ感情を先生に向けるシナリオを考えてるから楽しみにしてて...。
とか言いながらほとんど考えてないです。思いつきで書いてるので。
そのうち感想を書いて下さってる皆さんの良質な妄想ならぬアイデアを使わせてもらうかもしれないです。
想像力の乏しい、だらしない先生ですまない。


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浅黄ムツキは先生に傷を負わせる③


超真面目モードのムツキ書くの難しすぎん?
キャラ崩壊してたら、皆さんの優秀な妄想力で補ってください(丸投げ)

最後にアンケートあるので良かった投票してください



 

 いきなりトリニティの大物2人と対面し、思わずその場で固まってしまった。

 普段の私なら適当に挨拶だけしてさっさと通り過ぎるくらい出来るはずなのに、この人も“私のせいで”怪我をした先生の見舞いに来ていたと思うと、適当で済ませていいような気にはならなかった。

 

「えっと...確か浅黄ムツキさん、でしたよね?」

 

 桐藤ナギサが和やかな笑みを浮かべながら口を開くが、いきなり名前を言い当てられて心臓がドキリと跳ね上がる。

 

 

「...どうして私の名前を?」

 

「あ、すみません。私は桐藤ナギサ、トリニティ総合学園の生徒会“ティーパーティー”のホストをしております。こういう立場なので、ムツキさんの事も含め今回の件をある程度は調べさせて頂きました」

 

「...っ!」

 

 

 さらに心臓の鼓動が速くなった。

 向こうは私のことを知っている。いや、トリニティのトップにもなれば調べ尽くしていてもおかしくない。あの場には少数だがトリニティと思われる生徒もいた。事故の前後に周囲で何があったのか、独自で聞き取り調査をしている可能性は充分にある。

 ────もしかしたら、先生が事故にあった原因も分かっているのではないか? 

 

「...はっ...はっ..」

 

 自分でも分かるくらいに呼吸が速くなる。

 もし目の前の彼女が全てを知っているとしたら、今から私は何をされるのか。事務所に引きこもって案じていた事が現実になろうとしている。

 桐藤ナギサが近づいてくるのに後退りすらできない、まるで足の裏を床に縫い付けられたように一歩も動けない。

 

 だが、予想に反して彼女はゆっくりと優しく手を握ってきた。

 

 

「自分を庇ってくれた先生が事故にあう瞬間を目撃した事、とても辛かったと思います」

 

「...ぇ?」

 

「先生から聞きました。不注意で風に飛ばされてしまった先生のお札を取りに行って、勢い余って車道に出てしまったと」

 

「...」

 

 

 何それ? 

 私の記憶と大きな食い違いがある。先生のお金が飛ばされた事もそれを取りに行った覚えもない。私がふざけていたのが原因なのに、これでは私だけでなく先生にも非があるように聞こえる。

 この人は確かに『先生から聞いた』と言った。つまり先生が嘘の情報を話しているという事だ。

 

 

「確かに1番悪いのは事故を起こした容疑者でしょう。ですが、ムツキさんも色々と責任を感じてしまっていると思います。今の貴方の表情を見ればよく分かります」

 

「...」

 

 

 この人は私の心配もしてくれている。根が優しい人なのだろう。でもそれは嘘の情報を吹き込まれたから。存在しない理由で気遣われるのは胸が痛くなってくる。

 もしこの人が、今回の件は私が全て悪いと知ったらどうなるのだろう。

 

 

「私がこのような事を言うのは勝手かと思いますが、まずは落ち着いて今の先生と向き合ってあげて下さい。きっと先生も貴方のことを待っているはずです。それでは、私たちはこれで」

 

 

 そこまで言うと彼女は私から手を離し、一礼をして横を通り過ぎていく。その少し後を追うようにして終始無言のままだった聖園ミカも通り過ぎて行った。

 

「...ふぅ」

 

 身体から力が抜けていく。大きな仕事をやり遂げた後のような感覚だった。トリニティのトップとあったのだから、ある意味では大仕事かもしれないが。

 まともに話せなかったが、先生が誤情報を流していることは分かった。恐らく意図的に流しているのだろう。理由はなんとなく分かる、恐らく────

 

 

「ねぇ」

 

 

 すぐ真後ろから誰かに声をかけられた。たった一言なのに無機質で、底冷えするような声にゾクリと悪寒が走る。

 身の危険を感じたが反応しないわけにもいかず、ゆっくり後ろをゆっくり振り向くとそこには

 ────光を失ったドス黒い瞳で私を捉える聖園ミカの顔が目の前にあった。

 

 

 

「本当に飛ばされたお金を取りに行って轢かれそうになったのかな?」

 

 

 

 声も出なかった。

 彼女の身体から溢れ出るこちらへの憎悪、もはや殺気にも感じてしまうその威圧感に、心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。

 

「なんとなくだけど先生が嘘をついてるような気がしたんだ。先生は優しいよ、私みたいな問題児にも手を差し伸べてくれるくらいにね。だから貴方を悪者にしないために嘘をついてる可能性もあるんじゃないかなって思うの」

 

 互いの唇がくっつきそうな、息遣いがハッキリと伝わるくらいの距離まで詰め寄られる。

 彼女の濁った瞳から目を逸らす事ができない。多分、私が呼吸すらできていない事も相手にバレている。

 

「ね、本当の事を教えてよ。どうして先生があんな身体になっちゃったのか。そもそも不注意で飛び出した事実は変わらないよね。下手したら死んじゃってた可能性だってあるんだよ? ねぇ────」

 

 彼女の手が私の両肩に乗せられる、いや掴まれている。答えるまで逃がさないと言わんばかりに力が込められていく。

 

 

「ミカさん、何をしているのですか! 大人しくするという条件で特別に先生のところへ連れてきたはずですよ!」

 

 

 向こうから走ってくる音と共に桐藤ナギサの声が聞こえてきた。その瞬間、肩にかかっていた重みがフッと消え去った。

 

「...なーんちゃって☆ ごめんね? ちょっとピリピリしちゃっててさ、怖がらせるつもりはなかったんだけど...ほんとにごめんね?」

 

 聖園ミカから発せられていた押し潰すような威圧感が消え去り、舌をだしたり目尻を下げたりコロコロと表情を変えながら謝罪してきた。

 まるで別人と会話をしているような豹変ぶりに戸惑ったが

 

「う、うん...大丈夫」

 

 その一言だけ返すのが精一杯だった。

 

 

「そっか、それなら良かった。じゃあ色々と気をつけてね!」

 

「あ、ちょっとミカさん!?」

 

 

 満足したように満面の笑みを浮かべて走り去って行き、桐藤ナギサが急いでその後を追う。

 2人の背中が見えなくなるまで目で追い続け、ようやく足音も聞こえなくなったところで、ヘナヘナとその場にへたり込んだ。

 

「はぁ...っ」

 

 聖園ミカは私に原因があると確信して問い詰めてきた。仕事柄、殺気を向けられる事は何度もあったのに、今回は一歩も動けないどころか呼吸すら忘れていた。

 今まで戦ってきた人とは格が違う、桐藤ナギサが止めに入らなかったらどうなっていたか分からない。

 

 でも、彼女は何も間違っていない。どちらにせよ私が原因なんだから責められるのは普通だ。

 

 もし先生が嘘をついてくれなかったら、その先にある結末を想像するだけで立ち上がる気力が湧いてこなくなってしまう。

 しかし現実は非常なもので、すぐ近くで扉の開閉音が聞こえ、コツコツと足音がこちらへ向かってくるのを知らせた。

 

「...っ」

 

 また誰かが来る。早く立ち上がらないとこの姿だけで不審に思われる。それは分かっているのに脚に力が入らず、ただ曲がり角からその誰かが見えるのを見つめることしかできない。

 

「あ、あれ? ムツキさん...ですよね?」

 

 姿を現したのはアビドスの学生証に、赤縁のメガネをかけた女の子。何度も会ったことのある見慣れた子だった。

 

 

「...眼鏡っ娘ちゃん?」

 

「アヤネです! もう、そろそろ名前で呼んで────って大丈夫ですか!?」

 

 

 私の様子に気づいたのか、眼鏡っ娘...アヤネちゃんが側まで駆け寄ってきて私に手を差し伸べてきた。

 知り合いにこんな姿を見られるのは恥ずかしかったが、このままへたり込んだままなのもアレなので、彼女の手を借りて立ち上がる。

 

 

「ありがと...そっちも先生のお見舞い?」

 

「はい、アビドスを代表して先生のお見舞いに来たんです。5人一気に押しかけるのは先生に悪いので、順番に面会へ行くようにしてまして」

 

「そっか、アビドスはみんな知ってるんだね」

 

 

 言われて思い出したがアビドスは生徒会が無い。全校生徒である彼女たち5人が所属する対策委員会が実質的な生徒会なので、今回の件は自然と全員が知ることになる。

 

 

「一応、今回の件の詳細についてもある程度は...ムツキさんは大丈夫ですか?」

 

「私は...先生が庇ってくれたから」

 

「いえ、そうではなく」

 

 

 私の言葉を否定すると、アヤネちゃんは握りっぱなしだった手に力を込めてくる。

 

「私が心配なのは今のムツキさんです。とても辛そうな顔をしているので...」

 

 覗き込んでくる彼女の顔は本気で心配しているようだった。

 よほど酷い顔だったのだろう。ただでさえ精神的に余裕がない状態だったのに加え、さっきの尋問で心が折れそうになったのだから。アヤネちゃんが来なかったら、このまま引き返してしまっていたかもしれない。

 

「私は...」

 

 この子も先生から嘘の情報を吹き込まれているのだろう。私のおふざけが事故の原因だなんて微塵も思っていない。だからこそ、その優しさが逆に辛い。

 でも、ずっとテンションが低いままだと勘づかれる可能性がある。普段の私を少しでも知っているこの子なら尚更だ。

 先生が私のためについてくれた嘘を無駄にするわけにはいかない。だから頑張っていつも通りに振る舞ってみせることにした。

 

 

「もー、そんなに心配しなくっても大丈夫だって。じゃ、私は先生のところに行ってくるから、眼鏡っ娘ちゃんも気をつけて帰ってね!」

 

「あ、ムツキさん!」

 

 

 呼び止めようとする彼女を無視して、そそくさと角を曲がって小走りで進んでいく。後ろから追ってくる様子はない。

 その勢いのままに先生の病室へと辿り着いた。

 

「...っ」

 

 ノックしようと手を扉に当てるが引っ込めてしまう。この先にいる先生がどういう状態なのか、想像するだけで胸が痛くなってくる。

 でも向き合うと決めた。引き返したところでアヤネちゃんと合流するだけだし、便利屋のみんなの見舞いの品も預かっている。

 ここまで来たらもう扉を開けるしかない。

 

「すーっ...はーっ..」

 

 ネガティブな思考を吐き出すように何度も何度も深呼吸をする。

 大丈夫、先生は生きているんだ。面会ができるレベルまで回復もしている。

 先生ならきっと許してくれる。しっかり謝って、できる限りの償いをして、またいつも通りの日常に戻るんだ。

 

「...よしっ」

 

 最後に自分を鼓舞するように小さく気合を入れ、扉をノックした。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 入った病室は想像よりも広かった。先生がキヴォトスにおける重要な人物だからか、それとも沢山の人がお見舞いに来る事を想定してなのか。アヤネちゃんが最後だったのだろう、幸いにも私以外に面会の人はいなかった。

 

「ムツキ、いらっしゃい」

 

 その部屋のベッドに先生が上半身を起き上がらせた状態で座っていた。

 頭だけでなく、首や手首など見える部分にも包帯が巻かれている。布団を被っているので下半身は分からないが、きっとそこも包帯が巻かれているのだろう。

 

「せ、先生...」

 

 思わず言葉が詰まる。入ったらどう話そうか考えていたのに、いざ目の前に来ると頭の中にあったシナリオが全部吹き飛んでしまった。

 

 ────私のせいでこうなったんだ。

 今の先生を目の当たりにした事で改めてそれを実感してしまい、その場に立ち竦んでしまう。

 

「その...えっと...」

 

 意味のない言葉だけが口から出てくる。こんな姿を見せたところで困惑させるだけなのに。

 謝るのが今回の目的なのに謝罪の言葉すらも出てこず、頭を下げる事も出来ずに固まっている自分が嫌になる。

 

「ムツキ、こっちに座って話そう」

 

 そんな私を見かねたのか、先生がベッドの傍にある椅子を指差した。

 先生の声を聞き、弾かれたように身体が動く。一歩また一歩と近づく度に心臓の鼓動が大きくなっていくのを感じながら、ゆっくりと椅子に座った。

 

 

「先生...」

 

「良かった、その様子だと巻き込まれてなかったみたいだね。でも少し痩せた? ちゃんと食べてる?」

 

「...どうしてみんなに嘘を教えたの?」

 

 

 先生の問いを無視して言葉が出てきた。

 違う。こんな事を言いたいんじゃない。その答えは聞かなくたって分かっているじゃないか。

 

 

「本当の事を知ったら、ムツキが恨まれて狙われる可能性だってあり得るからね。ちょっと気性の激しい子とかもいるから」

 

「...私が悪いのは事実だよ」

 

「ムツキの不注意だったのは確かにそうだね。でもここまでの大怪我になったのは車が原因だよ。子供が集まる公園の近くなのにあんな猛スピードで走っていたんだから、ムツキの飛び出しがなくても遅かれ早かれ────」

 

「違う!! 私が悪いのっっ!!」

 

 

 思わず大声を出してしまった。

 アルちゃん達も桐藤ナギサもアヤネちゃんも、みんな私のことを心配してくれた。でも、それは私がふざけていたのが原因だと知らないからであって、その気遣いがまるで私の首をジワジワと締めてくるように辛かった。

 

 聖園ミカの反応が1番正しいと思ってしまった。先生が死んでしまう可能性だってあったんだから、原因である私は責められるべきなんだ。

 

 

「私が先生を揶揄って調子に乗ってたからっ...遅かれ早かれとか、車の速度の問題じゃない、先生が事故にあったのは全部私が悪いのっ! なのに...っ」

 

 

 さっきまで言い淀んでいたくせに、今まで誰にも言い出せなかったことがスラスラと口から出てくる。

 恨まれるのが怖くて周りの人には事実を知られたくないのに、気遣われるとそれはそれで辛いだなんてとんだ自己中だと思う。

 私のために嘘をついてくれた先生の優しさが辛い。知られたくない気持ちと気遣われたくない気持ち、2つの感情がごちゃ混ぜになっている。

 

「ムツキ」

 

 名前を呼ばれて先生の顔を見ると私に向けて手招きをしていた。

 頭でも叩かれるのだろうか。いや、そんなの先生の受けた傷に比べれば安すぎる罰だ。

 そんか事を思いながら椅子から腰を浮かせて恐る恐る先生に顔を近づける。

 

 すると、先生は私の頭を撫でてきた。

 

 

「ムツキが無事でよかった」

 

「っ...どうしてっ...!」

 

 

 先生が優しいのは知ってる。でもこんな状況になっても自分より私の心配をしてくれるなんて、幾ら何でも優しすぎる。

 普通なら怒られるような事をしてしまったのに、怒るどころか私の心配をしてくれる。どうして? 先生が大人だから? 

 

 

「ムツキは私の大切な生徒だからだよ」

 

「ぁ...」

 

 

 気がつけば涙が頬を伝っていた。こんな私でもまだ大切な生徒だと言ってくれた。その事実が私の中にあった棘を取り払っていく。

 先生の一言で今まで耐えてきた涙腺が決壊してしまい、自分の顔がくしゃくしゃに崩れていくのが分かる。

 もう我慢の限界だった。

 

 

「ごめんなさいっ...! ごめんなさいっ...! 私のせいでこんな事にっ...私がっ..」

 

 

 ずっと言いたかったことがようやく口から出てきた。一度溢れた感情は止まることなく、私は顔も隠さずに先生へひたすら謝罪の言葉を投げることしか出来なかった。

 

「いいんだ、ムツキ。反省は必要だけど、君が背負い込む必要はないんだから」

 

 先生はその間ずっと私の頭をひたすら撫でてくれていた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 盛大に泣きじゃくった後、1時間くらい先生と雑談していた。話していくうちに以前のような軽い話し方も出来るようになっていき、先生も嫌な顔ひとつせずに聞いてくれる。久しぶりに心が晴れるようなひと時だった。

 

 

「ムツキ、そろそろこの辺にしておこうか」

 

「えーっ、まだ先生と話し足りないのにーっ」

 

「そろそろ身体を拭いたり、包帯を取り替えるために看護師さんが来る頃だからね」

 

 

 言われて気づいた。確かに全身包帯の状態ではまともに動く事もできない。

 

 

「あ、じゃあ包帯がない場所だけでも私が拭いてあげる!」

 

「え、いや流石にそれは...」

 

「これぐらいさせて」

 

 

 自分でも驚くくらい低い声が出た。今の私はたぶん凄く真面目な目をしているのだろう。

 いくら先生が許してくれたからって、自分のやってしまった事がなくなるわけじゃない。罪の意識はしっかり私の中に根付いている。

 少しでも何かほんのちょっとでも良いから先生の役に立ちたかった。そうする事で少しでも気を楽にしたい。

 

 

「じゃあ、布団捲るね?」

 

「ムツキ! ちょっと待って!」

 

 

 先生の静止を尻目に私は一気に布団を捲り上げた。

 そして

 

 

「ぇ...なに.....これっ...」

 

 

 目の前の光景を見て思わず声が漏れた。包帯だらけの痛々しい脚があることぐらいは覚悟していたのに。

 

 無かった。そこにあるはずのものが無い。

 

 

 

 

 

 

 

 先生の左脚が無い。





これ次で終わらせる予定ってマジですか?
普通なら先生が大怪我とかしたら色々と大変なことになるけど、ある程度のところで終わらせないと長過ぎたらエタる未来が見えてるからね(1敗)

はい、曇らせシリーズ第2弾で早くも先生の左脚が消し飛びました。
切り札使うの早くね? でもまだ右脚と両腕に頭も残ってるので、まだまだ曇らせパターンは作れますね。
失明や耳だけが都合よく千切れて音が聞こえなくなる展開だって作れるわけですから。音を失った世界でアツコと2人で過ごしてぇ〜。

まぁ、ここまでムツキの曇らせ要素少なかったからね。派手に取り乱していただきましょう。
簡単に許されてハッピーエンドなんて甘っちょろい展開は無いんだヨォ!
先生は一生消えない傷を負いました。ムツキちゃんのせいです、あーあ。

アンケートの選択肢はノアかヒナです。トリニティはどこ...?
今回はどちらが選ばれても、もう片方もその後に書きますので先に見たい方を選んでね♡


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浅黄ムツキは先生に傷を負わせる④


前回の感想にて質問をいただきましたので、この場でもご説明させて頂きます。
この小説は短編集ですが“キャラ毎に違う世界線”と考えて頂けると助かります。

なので次回のヒナのストーリーでは先生の左脚は無事ですし、ユウカにも依存されてません。
全部繋げちゃうとフラグ管理が大変になって100%エタる自信がありますからね。長編もの書いてる人たち凄ぇよ...。



 

 

「なに...これっ...」

 

 声を絞り出すのが精一杯だった。

 先生の左脚が無い。何かの見間違いかと思ったが反対の右脚はある、左脚だけが切り取られたように綺麗さっぱり無くなってしまっていた。

 

「...どうして?」

 

 予想もしていなかった出来事に頭の中が真っ白になり、布団を捲り上げた状態で固まってしまう。

 左脚が無い。そう左脚だけが無い。何度見ても同じだ、先生の左脚が無い。

 

「ムツキ...」

 

 名前を呼ばれて我に帰り、錆びついた機械のようにゆっくりと頭を動かし先生の方を見る。

 先生の顔はとても悲しそうだった。それに加えて申し訳なさそうな、私を気遣うような様子も感じられる。

 

 

「ムツキ、見てしまった以上は仕方ない。ちゃんと説明するから────」

 

「も、もう〜先生ったら...流石にコレはちょっとドッキリでもやり過ぎじゃないかな?」

 

 

 これ以上聞いてはいけないような気がして先生の言葉を途中で遮った。

 そうだ、これはタチの悪い悪戯なんだ。私が日頃から先生にいろんな悪戯を仕掛けていたから、先生も少しはやり返したくなったに違いない。

 

「ね、左脚はどうやって隠したの? 凄いね...こ、こんな...手品がっ...あるな..んてっ..」

 

 褒めながらも先生の顔を一切見る事なく必死に左脚を探す。

 布団の中を弄ってみても左脚らしきものが見当たらない。ベッドの下を探してみても無い。試しに備え付けの衣装ケースを開けてみても先生の着替えがあるだけだ。

 

 

「そろそろ...ねっ? その...タネ明かしをっ...して欲しい..かな」

 

「ムツキ」

 

「あ! そうだっ! 今度それっ、アルちゃんにもやって見せてよ! きっと白目を剥いて倒れるんじゃないかな〜...っ。ハルカちゃんもそうだし、意外とカヨコちゃんもいいリアクションが────」

 

「ムツキっっ!!」

 

 

 先生に一喝されて動きを止める。顔を見てみるが怒っているわけではない、凄く真剣でジッと真っ直ぐ私の方を見てくる。

 ふざけている訳じゃないんだ。ドッキリとかじゃなくて本当に左脚が無くなっちゃって...誰のせいで? 

 

「ぁ...あぁ...」

 

 それを考えた途端、身体が震えてきた。呼吸が浅くなり、ヨロヨロとふらつきながら壁にもたれかかる。胸を抑えるように手を当ててみれば異常な速度で脈を打っているのが分かった。

 息が苦しい、胸が痛い、頭が締め付けられそう。

 

 

「ムツキ、まずは話を────」

 

「やめてっ!!」

 

 

 先生の声を大声で掻き消し、両耳を塞いでその場に蹲る。

 

 

「聞きたくない聞きたくない聞きたくない!! こんなの嘘だよっ! 私への日頃の仕返しなんでしょ!? やり過ぎたのは謝るから! これからは悪戯しないって誓うからぁっ!!」

 

 

 ここが病室だということも忘れて半狂乱になりながら声を張り上げる。

 今すぐにでも嘘だと言って欲しかった。どうせ何処かに『ドッキリ大成功!』だなんて言葉が書かれたプラカードを隠し持っていて、私の反応を楽しんでいるんだと信じたかった。

 

 

「嘘じゃないわよ」

 

 

 そんな私の惨めな希望を別の声が打ち破った。

 耳を塞いでいても隙間から微かに聞こえてきたその声に釣られて顔を上げると、ミレニアムの学生証を付けたツーサイドアップの髪型をした女の子が入り口に立っていた。

 

 この人もリストで見たことがある。ミレニアムの生徒会“セミナー”の早瀬ユウカだ。

 

「貴方が浅黄ムツキさんね。その様子だと先生の状態を知ってしまったみたいだけど...」

 

 彼女はため息を吐くと私の前を素通りして、さっきまで私が座っていた椅子に腰を下ろした。

 

 

「先生、身体の具合はいかがですか?」

 

「術後の感染症も幻肢痛も無いよ。思ったより受け入れる事が出来てる自分にビックリしてる」

 

「本当に落ち着き過ぎですよ...。盛大に取り乱してた私たちが馬鹿みたいじゃないですか」

 

 

 蹲ったままの私を尻目に先生と早瀬ユウカが会話している。

 でも会話の中で聞こえてくる単語が、内容が先生の脚がどうなったのかをハッキリと表していて、現実を受け入れていくと同時に身体が震えが止まらなくなっていく。

 

 

「それでユウカ、君が今来たということは...」

 

「はい、以前お話しした件についてです。ある程度の目処が立ったので今日はざっくりと説明を、お医者様の許可が出れば数日後にでも試してみたいのですが」

 

 

 そこで言葉を区切って早瀬ユウカが私の方を見る。

 

「ひっ...」

 

 いきなり視線を向けられて思わず悲鳴が出てしまった。

 別に何か害を加えられたわけじゃないのに、彼女の目がまるで私を蔑んでいるような気がして、目を合わせるのが怖いのに顔を背ける事が出来ない。

 

 

「彼女にはどこまで説明を?」

 

「まだ脚を見られたところだよ。出来ればソレに慣れるまで隠しておきたかったけど...」

 

「そうでしたか...見られた以上、むしろ彼女もこの件を話しておいた方が精神的に良さそうですね」

 

 

 そう言うと早瀬ユウカは椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらへ向かって近づいてくる。

 壁際で蹲っている私を追い詰めるように、一歩また一歩と距離を詰められるたびに頭の中が真っ赤に染まっていく。

 

「こ、来ないでっっ!!」

 

 この人は私が原因で先生の脚が無くなったと知っている。そうだとするなら、このまま捕まったら何されるか分からない。そんな恐怖が私の中で一気に膨れ上がった。

 ついに我慢ができなくなり、差し出された手を払い除けて転がるように部屋を出る。

 

「あっ、ちょっと!」

 

 後ろから呼び止める声が聞こえてきたが構わず走る。

 来た道を戻りながらもアルちゃん達と鉢合わせないように裏口から飛び出し、そのまま何も考えずにひたすら走った。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 1週間後

 〜とあるビルの屋上〜

 

 夕暮れの日が当たるビルの屋上で、今日何回目かも分からない溜息を吐く。

 病院から逃げるように飛び出してから数日、あれから事務所には戻っていない。

 鳴りっぱなしだった電話も充電が無くなると同時に途絶えた。直前に見たモモトークの通知はたぶん100件は超えてたと思う。

 

 アルちゃん達もきっと心配してるだろう。私が逆の立場でアルちゃんが行方不明になったら必死に探し回ってるはずだ。

 でも、みんなの所へ戻る気が起きない。

 

「先生...」

 

 食事も取っていない、睡眠も取れていない。宿に泊まらずこうして人気の無い屋上で蹲って寝落ちしては、左脚を失った先生の姿を思い出して目が覚める。

 

「こんなつもりじゃなかったのに...」

 

 いつもみたいに揶揄っていただけなのに先生の脚を奪ってしまった。

 ただの怪我とは訳が違う。もう一生、先生は自由に歩き回る事が出来ない。

 それを引き起こしたのは私だ。事故を起こしたのが車でも、先生が犠牲になる原因を作ったのは私だ。

 

「ごめんなさい...ごめんなさい...っ」

 

 いくら謝ったところで伝えるべき相手がいなければ意味がない。そもそも謝ったところで許されるような問題じゃない。

 一生を賭けてでも償わなければいけない事を私はやってしまったのだから。

 

 でも、私はあの場から逃げた。

 

 自分のやった事による結果を認めたくなくて、現実を受け入れると狂ってしまいそうで、早瀬ユウカの差し出した手を払い除けて惨めに逃げてきた。

 だから償う方法が分からない。どうすれば許してもらえるか先生に聞く事が出来ない。

 

「は...ははっ...何考えてるんだろ私...」

 

 この期に及んで許してもらえる方法を探している自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。

 脚という掛け替えの無いものを奪った人間が許されようなんて烏滸がましいにも程がある。私は先生と違って両脚が健在なのだから────

 

「そっか...同じになれば良いんだ...」

 

 私も左脚を失えば先生と同じになれる。同じ立場になれば先生に許してもらえる可能性が見えてくるかもしれない。

 携帯していた愛用のマシンガン“トリックオアトリック”を取り出す。悪戯が好きだから付けた名前なのに、その悪戯があんな結末を呼んでしまうなんて思いもしなかった。

 

「痛いかな...痛いよね...きっと」

 

 銃口を左脚に近づける。

 いったい何発撃ち込めば再起不能になるのだろう。先生と違って撃たれてもある程度は大丈夫な私たちだけど、肉体的ダメージがない訳じゃ無い。頑丈さの個人差はあるけれどずっと撃ち続ければ相応の影響は出るはずだ。

 

 怖い。

 今から自分の意志で左脚を失う事になる。きっとそれまでに相当な激痛も伴うだろう。

 

「はぁ...はぁっ...」

 

 緊張で息が荒くなってくる。銃を持つ手が震える。トリガーに指をかけようとして離し、またトリガーに指を近づけては離す行動を繰り返す。

 でも...先生が受けた痛みを少しでも理解できるなら...

 

「っ...!」

 

 目を固く閉じ、意を決してトリガーに指をかける。

 ────そのまま人差し指に力を入れると同時に銃声が鳴り響いた。

 

 

 

 

「ぇ...?」

 

 左脚に痛みはなかった。あるのは手の痺れと離れた位置に転がっている私の愛銃。そして

 

「やっと見つけたわよ、ムツキ」

 

 屋上の入り口で銃口から煙を吹いている狙撃銃を構えた幼馴染の姿だった。

 ずっと走っていたのか彼女の頬を汗が伝い、雫となって地面へ落ちる。

 

 

「アルちゃん...」

 

「いきなりいなくなって、やっと見つけたと思ったら自分に銃を向けてるなんて、いつからそんなに手のかかる子になったのかしら?」

 

「来ないで!」

 

 

 近づこうとするアルちゃんを声で制し、転がった自分の銃には目もくれず屋上のフェンスに寄りかかる。

 

 

「ねぇ...ここから飛び降りれば脚を切り落とすくらいの怪我になるかな?」

 

「何を言っているのムツキ!? 馬鹿なことはやめなさいっ!」

 

「先生はね、私のせいで左脚が無くなっちゃったの。だから私も同じ目に合わないといけない。そうしないと先生に許される権利を貰えないのっ! いくらアルちゃんでも邪魔したら許さないから...!」

 

「ムツキ...貴方そこまで...」

 

 

 大声で捲し立てる私をアルちゃんは何も言わずに見つめていた。その瞳に映るのは同情とかじゃない、まるで憐れんでいるようだった。

 2人しかいない屋上で距離を取りながら見つめ合う時間が続く。

 やがてアルちゃんは銃を降ろして私に背中を向けた。

 

 

「先生、ごめんなさい。格好つけたけど私じゃもうムツキは止められそうに無いみたい....だから後はお願いするわ」

 

「え?」

 

 

 彼女が何を言っているのか一瞬理解できなかった。まるでアルちゃんは既に全てを知っているような口振り、そしてすぐそこに先生がいるように語りかけている。

 次に聞こえてきたのは私たち以外の足音、少しリズムがおかしい音と共に現れたのは

 

 

「せ、先生...!?」

 

 

 間違いない。数日前まで病院で横になっていたはずの先生がそこにいた。

 その姿を見た瞬間、あの事件からの色々な事が頭の中に蘇り、両脚の力が抜けてその場にへたり込んでしまう。

 

「ムツキ、ちゃんと話をしよう」

 

 真剣な瞳をした先生が一歩ずつ近づいてくる。そう、何も道具を使わずに自身の両脚を使って近づいてくる。

 

「せんせっ...! 左脚、なんで...っ!?」

 

 それはあり得ない事だった。

 だって、先生の左脚は事故の影響で切断を余儀なくされたはず。切断した話を直接聞いたわけではないが、左脚が無かったのはこの目で確かに見たし、早瀬ユウカとの話からも明らかだった。

 

 なのに先生は両脚で立っている、明らかに歩き方がおかしいけど自分の脚でこっちに向かって来ている。

 脳の許容量を超える出来事を目の当たりにしてパニックになっているうちに、先生が私の姿の前まで来ていた。

 

 

「ミレニアムの生徒達がね、義足を作ってくれたんだ」

 

「義足...?」

 

「そう、ほらコレ」

 

 

 そう言うと先生はズボンの裾を捲って見せてきた。そこにあるのは確かに人の脚だった。パッと見ただけでは作り物だと分からないくらい忠実に再現された人間の脚。

 

「ユウカが話そうとしていたのも義足についてだったんだ。まだ取り付け始めて数日しか経っていないから歩くのも一苦労だけど、エンジニア部の子達が色々と補助機能をつけてくれたから思ったより馴染んでるよ」

 

 先生が話している間も、私は目の前にある義足の左脚から目が離せずにいた。先生が歩いている事が、この場に立っている事が未だに信じられない。

 でも先生がこの場にいる事が何よりの証拠だった。

 

 

「だからムツキ、怖がらなくて大丈夫だよ」

 

「なんで...」

 

「ムツキ?」

 

「なんで怒らないのっ!? 私のせいで左脚が無くなったんだよ!? 私が調子に乗らなかったらこんな事にはならなかった! 義足で何とかなってもあの事故が無かったことにならないのに...私が先生の左脚を奪ったのに...っ!」

 

 

 先生がまた歩ける。それを知って少し胸のつかえが取れたと同時に溜まっていた感情が一気に溢れ出した。

 ただ事故で怪我したという次元の話じゃない。四肢の一部が欠損なんて事態になりながら、それでもなお私のことを気遣ってくれる理由が分からなかった。大切な生徒だからなんて理由で納得出来るようなものじゃない。

 

 しかし、そんな私に対して先生は穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 

「ムツキに...生徒達にそんな顔をして欲しくないからかな」

 

 

 同時に私の身体が包まれる。先生が抱きしめてくれているのだとすぐに分かった。

 

 

「そりゃあ左脚の切断が決まった時は動揺したけど、あの時の自分の選択に後悔はしてないよ。何度も言うけど、あの事故でここまでの怪我になったのは車が原因なんだ。ヘイローを持つ君でもあの事故の被害者になっていたら、何かしらの後遺症が残っていたかもしれないからね。それを防げたのなら充分だよ」

 

「おかしいよ...先生、絶対おかしいよ...優しすぎるって...」

 

「おかしくても良いよ。私が変な人である事で君が...大切な生徒がまた笑顔になってくれるなら、喜んで変人になるさ...それが私の覚悟だから」

 

 

 私の笑顔のために変人になるとか何を言っているのか分からない。もともと変わった人だと思ってたけど、ここまで理解不能な人だったなんて。

 

「まぁ、それはそれとして飛び出したムツキには罰として義足の歩行訓練を手伝ってもらうけどね」

 

 ついでみたいな感じで私への制裁を言い渡してくる。

 でも、その一言一言が私の中に溶け込んでいった。固まっていた身体と心が温かくなっていき、気がつけば涙を流しながら先生の背中に手を回して縋りついていた。

 

 

「せんせ...うぁ...ぁぁあぁあああぁあぁぁ!!」

 

 

 先生が許してくれる、それだけで充分だった。

 幼馴染が遠目から見守っているのを気にする余裕もなく大声をあげ続けた。先生の服が汚れるのも気にせずに泣き続け、多分この日の私は一生分の涙を流した。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 1ヶ月後

 

「ふぅ...」

 

 最後の書類を確認し終えて一息つく。

 退院して数週間、すっかり普段通りの日常に戻っていた。始めの1週間はいろんな生徒が押しかけてくるものだから、ヴァルキューレ等の力を借りて入館制限をしたりとそれはそれでカオスだったが。

 

「せ〜んせっ。仕事の方はどう?」

 

 ソファに座っていたムツキが寄ってきて後ろから覗き込んでくる。

 あれから徐々にではあったが彼女も普段通りに戻りつつあった。もしあの時ムツキを見つけられなかったらと思うと冷や汗が出てくる。

 

 

「うん、丁度終わったところだよ」

 

「そっか、じゃあ今日はどこまで行く?」

 

 

 あれからムツキには義足に慣れるための手伝いをしてもらっている。

 歩くという動作に関してはある程度慣れてきた。ただ、長時間や長距離の歩行はまだまだ困難で、毎日のようにムツキとの散歩がてらに歩行訓練を行なっていた。

 

 

「今日は少し距離を伸ばしてみようかな。行き先はムツキにお任せで」

 

「くふふ、りょーかいっ! ちょうど行きたいところがあったんだ〜」

 

 

 身支度を整えてシャーレの部室を後にする。

 エレベーターで降りている最中もムツキはご機嫌だった。どうやら新しいスイーツ店がオープンしたらしく、そこに行く日を心待ちにしていたらしい。

 ビルの入り口から外に出ると、あの事故が起きた日と同じような快晴が私たちを出迎えた。

 

 

「それじゃあ行こうか」

 

「待って、先生はこっちだよ」

 

 

 ムツキに袖を引かれて立ち位置を入れ替え、彼女が車道側に立って歩き始める。

 女の子に車道側を歩かせるのは、男としても大人としても情けない気持ちになってくる。しかし、ムツキがこれだけは譲れないと言い、彼女なりの気遣いだということも分かっているので大人しく言う通りにしている。

 

「それでね! 新しいビックリ系の爆弾を使ってみたら、アルちゃんが泡を吹いて倒れちゃってね────」

 

 今日のムツキはいつにも増して上機嫌だ。よほど今日が楽しみだったのだろう。彼女の心境を表すように歩くのがいつもより速い。

 

 

「ムツキ」

 

「なーに?」

 

「ごめん、ちょっとだけ休憩してもいいかな?」

 

 

 頑張って歩いていたけど限界が思ったよりすぐに来た。補助機能があるとはいえ、まだまだ早歩きすらまともに出来ない。

 大した距離を歩いたわけでもないのに息が上がり、ムツキに声をかけて近くの壁へと寄りかかる。

 

「あっ..」

 

 その瞬間、先程まで幸せな笑みを浮かべていたムツキの顔が明らかに曇った。

 血の気が引いた顔を義足に近づけて様子を伺い、私の方を見てくる。

 

 

「ごっ、ごめんなさい...! 先生の事も考えないで私っ...」

 

「大丈夫。少し休めばすぐに歩けるはずだから」

 

「ごめんなさいっ...ごめんなさい...」

 

 

 何かを思い出したかのように、ひたすら謝り続けるムツキを見て自分の発言を後悔する。

 こういう姿を見るくらいなら適当に喉が渇いたと嘘をついて、近くの自販機でジュースでも買いながら休憩すれば良かった。

 

 未だにあの事故を引きずり続けているこの子のためにも、早く義足に慣れなくてはならない。

 私がまた走れるようになって、そこでようやくムツキは心から笑えるようになるのだろう。

 

 でも、その時はまだ先になりそうだ。

 

 

 

 

浅黄ムツキは先生に傷を負わせる 《完》






先生がまた歩けるようになりました。ムツキも許されました。
うーん...これはハッピーエンドですね! ヒフミさん、あなたの大好きなハッピーエンドですよ!!

曇らせシリーズ第2弾、ここまで読んで頂きありがとうございました!
ひたすらアルちゃんがカッコいい話になってしまった...もっと白目を剥かせなきゃ...。
ゲーム本編では見られないであろう錯乱状態のムツキちゃんを堪能していただけたのなら、性癖を共有したい私としてはとても嬉しいです。

術後から義足装着までの期間が短いとか、先生が義足に慣れるの早すぎるとかツッコミどころはあると思いますが...キヴォトスの技術力ならなんとかなるやろ(適当)

次の話がヒナになる訳ですが...まだ構想3割程度です。
まぁ、ムツキを書き始めた時も『先生を事故らせたろ!』以外は考えてなかったのでね。ミカやアヤネが出てきたり、先生の左脚がぶっ飛んだのもその場の思いつきですハイ。意外となんとかなるもんです。
アイデア〜アイデアよ、私のもとへ降りてこーい!


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空崎ヒナは過保護になる①


ヒナの頭の匂いを嗅いで殴られて、それが原因で骨折して泣きながら謝ってくるヒナを慰めながら頭の匂いを嗅ぎたい人生だった...。
ヒナ、石を全部捧げるからヒナ吸いさせてくれ。



 

〜???〜

 

「くっ...」

 

 銃声が鳴り止まない中で、私の身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。倒れ込んだところにあった瓦礫が身体を刺してくる。

 身体中は傷だらけで視界を阻害する血を拭うどころか、指一本も動かすことすらできない。もうすぐそこまでセナを乗せた救急車が来ているはずなのに。

 

「ヒナっ!!」

 

 私を呼ぶ先生の声もどこか遠くから聞こえてくるようで、だんだんと自分の意識が遠くなっているのが分かる。無論、返事をする余裕なんてあるはずもない。

 不意打ちの爆発だけでなく、倒しても倒しても無限に湧いてくる幽霊もどきを相手にし続けた身体はとっくに悲鳴をあげていた。

 

 ここまで疲弊したのは初めてだった。

 正義実現委員会から先生を託されたのに、いくら自分に喝を入れようとしてもその気力すら湧いてこない。

 

「シャーレの先生...貴様が計画の一番の支障になりそうだと、彼女は言っていたからな」

 

 霞んでいく視界の中で、先生が額に銃口を突きつけられる姿が映った。

 先生は一歩も動かない、というより動けないのかもしれない。先生だってあの爆発で生きていただけでも奇跡だ、身体へのダメージは相当なはず。

 

 ────私が動かないと先生が殺される。

 そう思った途端、今までピクリともしなかった身体が動いた。

 

 

「ああぁあぁぁぁっ!!!」

 

 

 自分を奮い立たせるように声を上げ、勢いに任せて敵へ向けて愛銃を乱射する。そのうち幾つかは命中したらしく、敵が先生から距離をとった。

 

 

「...っ! まだ動けるのか、空崎ヒナ!」

 

「セナっ! こっち!!」

 

 

 敵が怯んだ隙に仲間を呼ぶ。

 私の声に応え、救急車がすぐ近くで止まると扉を開けたセナが先生へ向けて手を伸ばした。セナへ向けて駆け出し、その手を取って救急車へ乗り込む先生。

 助かった。状況は最悪のままだけど私は先生を護りきったんだ。希望を繋ぐために最低限やるべき事は達成できた。

 ────そう思っていた矢先、背後から銃声が聞こえた。

 

「ぁ....」

 

 すぐ近くで先生の身体から赤い液体が飛び散り、私の視界を更に赤く染めた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

「先生っ...!」

 

 勢いよく上半身を起き上がらせる。慌てて周囲を確認するが、さっきまでとはまるで違っていた。

 見慣れた家具に真っ暗な夜空。先程とは真逆の静かな空間の中で私は寝間着を着てベッドの上にいる。

 そこまで確認して、ようやく自分が寝ていたことに気がついた。

 

「また...この夢...」

 

 先程までの光景が夢だったと分かり、安心すると同時にどっと疲れが押し寄せてきた。手の甲を額に当てながら力なくベッドへ倒れ込む。貴重な休息が台無しだ。

 

 最近、よく夢を見る。

 内容は必ず先生が撃たれる瞬間だ。エデン条約の調印式で起きた大事件、灰と火に染まったあの日、私は先生を守ることが出来なかった。

 結果として先生は一命を取り留めたし、そのおかげで最悪の事態を回避することが出来た。後で先生にいっぱい褒めてもらったことも覚えてる。

 

 でも、私がもう少し頑張っていれば先生が撃たれる事はなかったんじゃないか。

 

 最善は尽くしたつもりだ。そもそも先生の護衛という役目を引き受けて気を抜くはずがない。限界まで頑張ったと今でも思う。

 それでも、後ほんの少しだけ早く行動できていれば、あそこで倒れずに耐えていれば何か変わったかもしれない。

 

 私はまだあの事件を引きずっている。

 

 

「まだこんな時間...」

 

 枕元に置いてある目覚まし時計の短針は2を指していた。さっさともう一度寝るべき時間だがしばらく眠れそうにない。

 あの夢を見た夜はいつもそうだ。目が覚めてしまうだけでなく、その後また目を閉じると脳裏にあの光景が再び蘇ってくる。

 

「先生...」

 

 先生は無事だろうか? 誰かに襲われたりしていないだろうか? 

 この夢を見るといつも余計な不安に駆られてしまう。

 初めて先生が撃たれる瞬間を夢で見た時は思わず電話をしてしまった。深夜だということを全く考慮せずにその場の勢いで、先生の安否を確認せずにはいられなかった。

 

『大丈夫だよヒナ、心配してくれてありがとう』

 

 少し眠そうな声で、それでも私の行動を笑わずに温かい声でそう返してくれた。

 でも私の行動が迷惑だったことには変わりない。あれから悪夢を見た後は先生とのモモトークを見て心を落ち着かせている。

 だから、今日もモモトークを開く。

 

《明日はよろしくね》

 

 先生からのメッセージはそれが最後だった。それに対して私は可愛らしいスタンプを返している。...ちょっと私に似合わないスタンプな気がして恥ずかしくなってきた。

 

 そう、明日────ではなく日付を跨いでいるので、今日は私がシャーレの当番だ。

 最近、風紀委員としての仕事が忙しかったから直接会うのは久しぶりな気がする。そう思うと先程まで荒み気味だった心がポカポカと暖かくなってきた。

 

「ふふっ...」

 

 思わず笑い声が漏れる。きっと今の私の頬は緩みきっているのだろう。絶対に他の人には見せたくない顔、先生が関わるといつもこうだ。

 

「おやすみ、先生」

 

 今ならしっかり眠れそうな気がする。

 この場にいない先生に声をかけ、瞳を閉じれば心地よい眠気と共にあっさりと私の意識は底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 〜翌日〜

 

 あれから睡眠をとり、寝不足を回避できた私は朝イチでシャーレの部室へ向かっていた。

 ゲヘナの方はアコ達に任せてある。もちろん、いざという時は連絡するように言っているけど。

 

「すーっ...はーっ...」

 

 部室の前で深呼吸をする。

 久しぶりに直接会うので緊張しているのもあるが、それ以上に昨日の悪夢を少しだけ引きずっていた。

 もし扉を開けた先で先生が倒れていたらどうしよう、なんて悪い方に考えてしまう自分がいる。それならそれでさっさと入室するべきなのだが。

 

「先生、いる?」

 

 少し緊張気味に行なったノックと共に僅かに開いた扉の隙間から声をかける。

 

「いるよ、入って」

 

 返事はすぐに返ってきた。聞き慣れた先生の声にホッと胸を撫で下ろしながら、ゆっくりと扉を開けて部室へと足を踏み入れる。

 

「久しぶり、ヒナ」

 

 座ったまま椅子を回転させて先生がこちらを向いた。

 ────挨拶をする前に思わず先生のお腹の方へ視線が動いてしまう。

 太っているとかそういう訳ではない。そこはあの時、先生が撃たれた場所だから。夢の中で何度も何度も先生が撃ち抜かれ、その光景を見せつけられた。

 でもあれは夢の中での出来事で今の先生はピンピンしている。無事であったことに安心し、改めて先生に自分なりの笑顔を向けてみた。

 

 

「久しぶり、先生。...ちゃんと仕事は進んでる?」

 

「みんなのおかげで何とかね。早速だけど今日は仕事以外にもやりたい事があるからお願いしていいかな?」

 

「任せて」

 

 

 久々の当番だ、気合を入れていこう。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 あれから数時間後、そろそろお昼時に差し掛かる頃にはある程度の仕事が終わろうとしていた。

 

「はい、先生。ブラックで大丈夫?」

 

「ありがとう、ちょうど無くなったところだから助かるよ」

 

 部室に置いてあるコーヒーメーカーで作ったコーヒーを先生の前に置く。

 他の生徒達も愛用しているらしいが確かに美味しいと思う。値段を先生に聞いた事があり、その時は遠い目をしながら

 

『ユウカに凄く怒られたよ...』

 

 と言っていた。よく分からなかったが高い買い物だったという事なのだろう。生徒に財布事情を知られているのはどうかと思うけど、先生はそういう人だからと自分を納得させた記憶がある。

 

 

「あと、こっちの書類は終わったわ」

 

「ありがとう、じゃあ今度はこっちをお願いしてもいいかな?」

 

「分かった」

 

 

 先生に終わった書類を手渡し、また新たな書類を受け取って向かい側に座る。

 もともと私があまり喋るタイプではないから無言で黙々と作業する時間が多く、お互いのペンを走らせる音やタイピングの音が小気味良いBGM代わりになっていた。

 

 もっと先生と色んな話がしたいという気持ちもあるが、こういう時間も嫌いじゃない。

 所属しているゲヘナが生徒間の争いだのテロだの爆発だの温泉開発だので騒がしすぎるので、むしろ落ち着いて作業できる時間が幸せに感じるくらいだ。自分でも驚くくらいに作業が捗る。

 

「これをこうして...ここは後回しにして...」

 

 向かい側ではうんうん唸りながら先生が考え事をしていた。いきなり頭の匂いを嗅いでくる変な人だけど、こういう姿を見ると先生は大人なんだと実感する。

 

 そう、先生はここ1番で頼りになる人だ。どうしようもない時、心が折れそうになった時に手を差し伸べてくれる。

 ずっと力を入れて進めていたエデン条約が台無しになり、先生も守りきれずに折れてしまった私をもう一度立ち上がらせてくれた。

 

 だから、先生は私の支えでもある。きっと私だけじゃなく色んな生徒が先生のおかげで今の生活を送れているのだろう。

 いつか、先生みたいに慕われて頼れる大人になりたい。

 

「ヒナ」

 

 名前を呼ばれて顔を上げると先程ので自身の作業に区切りがついたのか、穏やかな笑みを浮かべた先生の顔があった。

 

 

「なに?」

 

「ひと段落したら買い物に行かない?」

 

 

 それはとても魅力的な提案だった。思わず胸が高鳴るくらいには。きっと先生が朝言っていた仕事以外の事とはコレだったのだろう。

 買い物に行けば先生と一緒にいられる時間も増える。仕事だけのつもりで来ていた私にとっては願ってもない話だった。

 ただ、つまらないプライドなのかは分からないが、気持ちに反して私は冷静を装って返事をしていた。

 

 

「...どうして?」

 

「少し買い足しておきたい備品とか生活用品があってね。手伝ってくれると嬉しいけど、ヒナに別の用事があるなら1人で────」

 

「行く」

 

 

 今度は即答した。

 先生の役に立てるのなら行かないという選択肢はない。...いや、本当は私がついて行きたいだけだ。

 私も先生も仕事関連以外ではあまり会う機会がないから、こうした貴重な時間を自ら手放すわけにはいかない。

 

「ありがとう。じゃあ昼ごはんを食べたら行こうか。お腹すいたな〜」

 

 そう言いながら先生が立ち上がり、空腹をアピールするようにお腹をさする。

 

「...っ」

 

 その姿を見て思わず全身に力が入ってしまった。まるであの時の傷を庇っているような気がして、あの光景が再び脳裏をよぎる。

 本当に傷は完治しているのだろうか、そんな考えが私の中で芽生えてくる。セナから聞いた限りでは急所を外していたが、相当な血の量だったらしい。もしかしたら跡が残ってしまっているかもしれない。

 

「ヒナ? どうしたの?」

 

 ハッと気がつけば先生が心配そうにこちらの顔を覗き込んでいた。

 身体中の力が抜けていく。そこでようやく無意識のうちに握り拳を作り、奥歯を強く噛んでいた事に気がついた。

 

「...なんでもない」

 

 顔を合わせるのが何だか気まずく感じ、そっぽを向いてぶっきらぼうに答えてしまう。

 先生はあまり気にしていないようですぐに昼ごはんの準備を始めていたが、私はしばらくその背中を眺めているだけだった。

 





今回は導入なので短めでごじゃります。ボリューム不足だったらすまぬ。
次回は平和なデート回かもしれませんねぇ...平和な回ですよ?

ヒナが終わったらノアのお話になりますが、その更に次はフウカに決定いたしました。トリニティはどこ...? 5キャラ書いてトリニティ無しってマジ? マリー辺りをターゲットに考えるかぁ....。
でも更新されたストーリー見たらもうシロコの曇らせも書きたくなってきたし、ホシノおじさんも書きたいし、でも仕事があるからペースアップは出来ないし、マジで分裂してくれませんかね私の身体。


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空崎ヒナは過保護になる②


平和なデート回です!
平和なデート回です!(大事なことなのでry



 

 

 部室で昼食を取った私と先生は、その後すぐにデパートへと足を運んだ。

 デパートがD.U.に位置しているからか色んな学園の制服を着た生徒が集まっているが、その中にゲヘナ生徒の姿はない。それに人の数もそれほどでもない。

 たぶん先生は私に気を遣ってわざとここを選んだのだろう。

 

 

「来たのはいいけど何を買うの?」

 

「色々あってね...はい、これ」

 

 

 先生が取り出したメモ用紙を受けとり目を通す。衣類関連の日用品から収納ボックスといった雑貨まで様々な品物が書かれていた。

 量自体がとても多いわけではないけど、嵩張る物がチラホラあるのでいくら先生が大人でも全て抱えて帰るイメージが湧かなかった。

 

 

「これ、私が来なかったら1人で持ち帰れたの...?」

 

「その時は流石に自分が持てる範囲にするつもりだったよ。ヒナが来てくれたから、念のために買いたかった物も揃えておこうかなって」

 

 

 要は荷物持ちの手伝いみたいなものだ。もともと先生の買い物に付き添う時点でその役割は確定しているから文句はない。

 

「なら手っ取り早く終わらせよう」

 

 先生と一緒にいたいという理由で同行したとはいえ、口数の少ない私と仕事以外で長時間一緒にいてつまらない女だと思われたくない。以前にこういう場に来た時も先生はそれを許容してくれたのだが、私自身はどうしても気にしてしまう。

 一緒にいたい気持ちと早めに終わらせたい気持ち、相反する2つの感情の混在に戸惑いながらも先生にメモを返して先を促す。

 

 しかし、先生はすぐには動かず私の方を見て笑みを浮かべて口を開いた。

 

 

「ついてきてくれて助かったよ。せっかくだからヒナと2人きりで買い物を楽しみたかったしね」

 

「っ...!?」

 

 

 一瞬で身体中が沸騰するのかと思うくらいに熱くなる。きっと今の私は顔が赤くなっているに違いない。

 何故この人はいつも私の欲しい言葉をかけてくれるのだろう。先生の優しい笑顔を直視できなくて、思わず顔を背けてしまう。

 ドクドクと音が聞こえてくるくらいに心臓が早鐘を打っている。ちょっと前に似たようなことを言われた時は軽く受け流してたはずなのに、私ってこんなに単純だったのだろうか? 

 

「またそんなこと言って...っ。最初はどこにいくの...?」

 

 先生がこういうことを平気で言う人だって分かっているはずなのに、上擦った声を誤魔化すのも忘れて少しだけ先生を睨む。そんな私の攻撃も全く効いていないようで、ニコニコと微笑ましそうにこちらを見ていた。掌で転がされているようで少し悔しい。

 

「そうだね...じゃあ最初は────」

 

 そこまで言うと先生は一度言葉を区切って、メモ用紙をポケットの中にしまい込んだ。

 

 

「ヒナの洋服でも見ようか」

 

「...え?」

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

「別に私の服なんて見なくても良いのに...」

 

 先生の突然の決定に戸惑っている間に、私はエスカレーターを上がった2階のアパレルショップまで連れて来られていた。

 

 

「今回の買い物は当番の仕事の範囲外だし、それをわざわざ手伝ってもらうんだからそのお礼ってことで」

 

「でもファッションとかよく分からないから....前も言ったでしょ?」

 

 

 服に大してこだわりを持った事はない。風紀委員長になってからは私服を着る機会がめっきり減ったから尚更だった。

 以前一緒に買い物へ来た時も、気になる服を聞かれて答えられなかった。それを分かってて連れて来るんだから、きっと私に年相応の楽しみ方を知って欲しいのだろう。

 

「でもまぁ...一着だけなら...」

 

 少しだけ間を開けて渋々頷いた。

 好意を無下にしたくなかったし、先生が買ってくれた物ならたまに着ることもあるかもしれない。ちょっとだけ先生に女の子として見てもらいたい気持ちもある。

 

 

「じゃあ改めて、ヒナはどんな服装が好き? 色とかでも良いよ」

 

「....自分でもよく分からない」

 

「じゃあ今まで買ってみた中で気に入った服とかは?」

 

「なんとなくで決めて、あまり気にせず買ってたから...」

 

「街を歩いてて気になる服とか無かった?」

 

「....無い」

 

 

 先生の質問も悉くはたき落としてしまう。

 嘘をついている訳ではない。水着と同じように、昔買った服を未だ着続けているから。同い年の子たちが興味を持つものに見向きもして来なかった。自分を飾る物を最後に買ったのはいつだろうか。

 

「う〜ん...なるほどね...」

 

 先生は困った顔をしていた。ここまで会話が成立しないとは思っていなかったのだろう。困らせている原因は私だ。

 

「っ...ごめんなさい」

 

 ほら、やっぱりこうなった。

 自分磨きとか流行りとかそういうのに疎いから、仕事以外での会話が碌に続かない。つまらない女になってしまう。それでも良いと先生は言ってくれたけど、気を遣ってくれているだけで話の合う子の方がいいに決まってる。

 先程まで暖かかった心が急速に冷え込んでいくのが分かった。先生への申し訳なさと自分への嫌悪感が心を埋め尽くしていく。

 

「謝らないで。私の質問の仕方が悪かっただけだから」

 

 違う、先生の質問は何もおかしくない。私が答えられないのが悪いんだから。こんな事になるくらいなら色々な事に興味を持ってみるべきだった。

 今の顔を見せたくなくて、俯き気味になっていく。

 

 

「じゃあ、ヒナはなりたいものとかある?」

 

 

 先生の声にハッと顔を上げた。視線の先ではこれだけの仕打ちをされながら、全く笑顔を崩さない先生の顔がある。

 

 

「...なりたいもの?」

 

「そう、今ヒナがなりたいもの...目標にしているものでも良いよ。服って自分のなりたい姿になれるものだからね」

 

 

 なりたいもの...なりたいもの...。

 頭の中で復唱しながら思考を巡らせる。先生のためにも『無い』とは答えたくなかった。私のためにわざわざここへ来てくれているのだから、自分で考えた答えを返したい。

 

 

「先生...」

 

「え?」

 

「いつか先生みたいに....なりたい」

 

 

 自然と口が動いていた。

 それが大人への憧れなのか、先生だからなのかは分からない。

 変なところはあるけど大事なところで頼れる存在になってくれる先生。こんな私でも根気強く寄り添ってくれる先生。

 そんな先生に救われたし、褒めて欲しくていっぱい頑張ってきた事もある。

 面倒臭いのは嫌だけど、頼られるのは嫌いじゃない。今の私が目標にするのなら、先生みたいな窮地でも諦めず頼れる、そして誰にでも慕われる存在になる事かもしれない。

 

「そっか...」

 

 短く返答してきた先生の顔はどこか嬉しそうだった。ちょっと照れているように見える。

 

 

「じゃあ、大人っぽい服装を探してみようか」

 

「...うんっ」

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 あれから先生と一緒に店内を見て周り、マネキンに着せられている服を参考にしたり、店員にオススメを聞いてみたりと2人で試行錯誤しながら服を選んでいった。

 

 

「ヒナ、どんな感じ?」

 

「ちょ、ちょっと待ってて...!」

 

 

 試着室の外から聞こえて来る先生の声に返事をしながら鏡に映る自分をもう一度見る。

 

「これが...私....?」

 

 シャツはいつも通りの白だけど、その上にブラウンのジャケットを羽織っている。スカートは短めで足を隠すように黒タイツとブーツも履いていた。

 少なくとも普段の自分よりは大人っぽく見える。店員の力も借りたから当然といえば当然かもしれないけど。

 

 初めに感じたのは違和感だった。

 悪い意味ではない。今まで見たことのない自分への違和感に戸惑い、同時に自分でもよく分からない胸の高鳴りにも戸惑う。

 

「先生...開けるね?」

 

 この姿を見てどんな反応をするのだろうか。全部自分で選んでコーディネートしたわけでもないのに期待と不安が混ざり合う。

 そんな感情を吐き出すように深呼吸を一回入れ、勢いよくカーテンを開けた。

 

 

「...」

 

「ど、どう....?」

 

 

 先生は無言でじっと見つめてきていた。恥ずかしさを誤魔化すようにその場でグルリと一回転して見せる。

 

「な、何か言ってよ...」

 

 未だに無言のままこちらを凝視してくる視線に耐えられず、スカートの裾をぎゅっと握って先生を軽く睨みつける。

 もしかして似合ってなかったのだろうか、それとも何か着方に変な部分があったのか。無言の時間が続くほど私の中で不安の方が大きくなっていく。

 その時、先生の手が私の肩の上に置かれた。

 

「凄く似合ってる。雰囲気が一気に大人っぽくなってて、思わず見惚れちゃったよ」

 

 顔を近づけてそう言ってくれる先生。その目と声は真剣なもので、普段の先生を知っていればそこに一切のお世辞がない事が分かるくらいだった。

 

「あ、ありがとう...」

 

 顔が熱くなり、視線を逸らしてつっかえながら一言を絞り出すのが精一杯だった。

 同時に満たされるものがあった。褒められたからというだけではない。少し自分に自信がつくような、先生に一歩近づけたような感覚が私の心を埋めてくる。

 

 

「ヒナはどう?」

 

「え?」

 

「その服、気に入った?」

 

 

 先生に言われてもう一度鏡で自分の姿を確認する。鏡に映っている自分は恥ずかしそうに顔を赤くして...でも無意識に口角が上がっている事に気づいた。

 私、こんな顔もできたんだ。

 その顔を崩さないようにしながら先生の方を向く。

 

「これなら...たまには着ても良いかなって思えるかも」

 

 少し素直じゃない言い方になったけど、自分を飾って気分が高揚するなんて初めてだった。小さい頃ならあったかもしれないけど少なくとも記憶にはない。何より先生に褒められたこの服装を気に入らない訳がなかった。

 すると先生は嬉しそうに頷いて財布からカードを取り出した。

 

 

「じゃあ全部買おうか」

 

「ぜっ、全部!?」

 

 

 まさかの発言に思わず大きめの声が出てしまった。確かにこの格好を気に入ったのは事実だけど、一式全て購入すると相当な値段になるはずだ。

 もともと一着だけの予定だったから、全部先生に負担させるのは流石に気が引ける。

 カードを持ったまま店員を呼ぶ先生を、慌てて腕を掴んで引き留める。

 

 

「ま、待って! 別にそういうつもりじゃ...!」

 

「いいんだよ。せっかくヒナが興味を持ってくれたんだから」

 

「でも値段が...」

 

「何とかなるから、これぐらいは格好つけさせて」

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 結局、あの後先生がカードで支払いを行い、店員にタグを取り外してもらって私服のまま店を出た。

 合計金額を見た時に先生の笑顔が若干引き攣っていたけど、ここでまた私が止めたところで同じ流れを繰り返すだけなので心の中で謝罪をした。

 

 そこから数分後

 

「その...ありがとう。アイスまで奢ってもらって」

 

 歩きつつ、先生の横顔を見ながらコーンの上に乗っかったバニラアイスを舐める。

 移動中にたまたま見つけたアイス屋を見ていたら先生が奢ってくれた。これ以上奢ってもらうのは流石に申し訳なくて全力で止めたけど、結局押し切られてしまい意外と自分は押しに弱いのだと思ってしまう。

 

 

「気にしないで。こういうのもあまり経験ないでしょ?」

 

「それはまぁ...確かにそうだけど...」

 

 

 風紀委員の活動として見回りとかしている時に食べ歩きや買い食いをしている生徒はよく見る。

 正直、別に羨ましいとか思ったことはなかった。食べ歩きとか行儀の悪いイメージが強かったから。でも────

 

「意外と悪くない...かもしれない」

 

 風紀委員長の自分がこんな行動をするのは良くないと分かってるけど、同い年の子達が食べ歩きをしたくなる気持ちがちょっとだけ分かった気がする。また一つ、自分の中で新しいものを見つける事ができた。

 

 それに私服で先生とこうして食べ歩きをしているなんて、本当にデートをしているみたいで...。

 

「ヒナ...ヒナちゃん? 大丈夫?」

 

 名前を呼ばれて横を向くと、私の身長に合わせて屈んでいる先生の顔が目の前にあった。

 原因は分かってる、私の顔が赤くなっているから心配したのだろう。変な想像をしたせいで全身が熱い。

 

 

「だ、大丈夫だから。...そう言えば先生、時間は大丈夫?」

 

「え? ...あ」

 

 

 時計を確認した先生がその場で固まった。そのリアクションだけで当初の予定からだいぶ時間が押しているのが分かる。

 思わずため息が出そうになったが、こうなったのは私の買い物に付き合ってくれたからだ。時間管理が甘いのは良くないけど新しい発見もできたし、感謝の気持ちが大きいので責める気は全くない。

 

 

「メモの内容だと手分けをした方が良さそうだし、私はこっちに行くから先生はこっちをお願い」

 

「面目ない...」

 

 

 頼りになる先生も良いけど、抜けている部分がある今の先生も見てて安心する、なんて思っている私は随分と先生に絆されているのだろう。

 少ししょんぼりしている先生と別れ、足早に目的地へと向かった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 先生と別行動を取ってから1時間近くが経過した。いくつかの買い物袋を持ったまま最後に雑貨屋へ立ち寄り、案内板を頼りに必要なものを探す。

 

「あった。これと...後これね」

 

 手頃な大きさの収納ボックスを2つ持ってレジへ向かう。

 メモに必要な収納ボックスの大きさを単位付きで明記してくれていたので、思いの外あっさりと見つける事ができた。

 カウンターに商品を置いて、先生から買い物用として借りているお金を取り出す。

 

「ぁ...」

 

 店員が会計作業をしている最中、レジのすぐ近くに吊り下げられているキーホルダーが目に入った。特にこれと言った特徴がある訳ではない、鳥の形をした小さなキーホルダー。

 少しだけ考えた後、私はそれに手を伸ばした。

 

「これも...ください」

 

 キーホルダーを2つレジカウンターに置いて、キーホルダー代は自分の財布からお金を取り出して払う。

 衝動買いするなんて私らしく無かったけど、ここまでしてくれた先生に何かお礼がしたかった。

 キーホルダーぐらいなら変に先生に気を遣わせる事も無いと思う。2個買ったのは...こっそりお揃いにしたかったから。

 

 店を出て、ショーウィンドウで自分の服が乱れていないか確認してから足早に先生と決めた合流地点へ向かう。

 

 

「何...?」

 

 

 広いフロアを5分ほどほど歩き続けた頃、向かう先に人だかりが出来ていた。先程通った時はこんなに人はいなかったのに何か催し物でもあるのだろうか。

 ────いや違う。人だかりの隙間からヴァルキューレの姿が見える。両手を広げて道を封鎖する姿勢だった。

 ヴァルキューレがD.U.で出勤するということは何か事件があったということを意味する。それも封鎖しなければならないような何かが。

 

「っ...」

 

 嫌な予感がした。

 痛いくらいに早くなる心臓を抑えながら走り寄り、雑音の混じる群衆を掻き分けて前へ前へと進む。

 そうであって欲しくないと願いながら。頭の中で蘇るあの夢を払い除けたくて、騒ぎの正体を確認するために群衆の最前列へ出る。

 

「ぁ...」

 

 目の前にあったのはちょうど誰かが担架で運ばれる姿だった。

 顔まではハッキリ見えなかったがあの体格、あの服装は見間違えるはずがない。1時間前までずっと一緒にいたのだから。

 そしてその近くではヴァルキューレに取り押さえられた生徒と...かなりの量の血溜まりがあった。

 

「嘘....っ」

 

 荷物をその場に落とし、急いでスマホをポケットから取り出す。

 格好は酷似してたけど顔は見えなかった。まだあれが先生と決まった訳じゃない。

 震える手でスマホを操作して連絡帳から先生へ電話をかける。

 

「嫌...嫌っ...先生...お願いだから出て...っ」

 

 その時、着信音が聞こえた。

 ハッとして辺りを見渡してみる。でも誰かがスマホを触っている様子はない。視線を事件現場へと戻す。

 

 

 ────着信音は血溜まりのそばに転がっている鞄の中から聞こえてきた。

 

「あ....ぁぁあ...っ...」

 

 全身に震えが走る、目の前が真っ赤に染まる、頭の中が焼き尽くされるぐらいに熱くなる。

 

「先生ぇぇぇええぇぇっっ!!」

 

 次の瞬間には勝手に身体が動き、封鎖を突破して担架の方へ駆け出していた。

 

 





ヒナちゃんの私服は偶然Twitterで見かけたイラストを参考に文章化しました。実装はよ。

実に幸せなデートでしたねぇ。ヒナの絆ストーリーを妄想マシマシで膨らませる形にしました。ヒナちゃんはもっと女の子らしいことに興味を持って欲しい。
Q:なんで幸せに終われそうなのに曇らせるんですか?
A:性癖だからです。

あっ...あっ...ヒナちゃんの曇らせは辛い...でも素敵...
デートに浮かれて油断するから先生が撃たれちゃいました。ずっと一緒にいれば良かったのに...。
ヒナちゃんさぁ、何で離れちゃったの?

フヒヒ...シロコの曇らせストーリーがいい具合に頭の中で組み上がっております。ヒナとかシロコとかトキみたいな基本無表情の子が取り乱す瞬間っていいよね...。
まだノアとフウカが控えてるのでしばらく先になりますけどね!
最終目標はクズノハを曇らせることです(嘘)


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空崎ヒナは過保護になる③


よく考えたらこれ過保護というより過干渉では?
ま、別に良いか(適当)

そういえば便利屋正月の復刻決まりましたね。
ようやくムツキが振袖を着てくれるんやなあって...なんでゴズの前に来てくれないんですか...。



 

 

 先生が撃たれた。

 

 恨みを持つ誰かに狙われたと思ったが違うらしい。

 原因は生徒同士の衝突によるものだった。些細なことから喧嘩に発展し、最終的には銃を用いるまでの事態へ。

 

 その結果、流れ弾が先生に命中してしまった。

 

 運良く急所は外れたものの、弾丸が体内に残っているため摘出手術が必要であり、出血量も含めて非常に危険な状態である。

 

 

 ここまでが救急車の中で聞いた内容だった。

 他にも何か言っていた気がするが、盛大に取り乱して泣きながら先生へ呼び掛けていたため覚えていない。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 〜D.U.シラトリ区病院〜

 

 人がほとんど通らず静まり返った病院。『手術中』のランプが点灯する扉の前で、私は椅子に座りながら両手を握って祈っていた。

 もう何時間経ったか分からない。3時間かそれとも5時間か、もっと経っているかもしれない。

 

「先生...先生....っ」

 

 救急車ではあんなに流していた涙がもう出なかった。悲しみ以上に恐怖が巨大な影となって私の心を覆い尽くしている。今度こそダメかもしれない、そんな悪い考えが押し寄せてきた。

 

「先生なら大丈夫...っ、そんなことあるわけない....あるわけないっ....! あの時だって大丈夫だったんだから...!」

 

 呪文のようにブツブツと自分は言い聞かせる。そうでもしないと気が狂ってしまいそうだったから。

 幸せだった時間が一瞬で壊れてしまった。あんなに楽しかったのに、喧嘩した生徒が銃を使ったりするからこんな事になってしまった。

 

 ────本当にそれだけが悪いの? 

 

 先生が目の前で撃たれるという経験をしておきながら、それを何度も夢で見てうなされておきながら、先生がお腹へ触れるたびに神経質になっておきながら、どうして私は先生と別行動をとって1人にしてしまったのだろう。

 

「私は...っ」

 

 浮かれていたからだ。もっと先生の事に注意を払うべきだったのに、あの時間が楽しくて軽率な判断をしてしまった。

 消耗していた調印式襲撃とは違って、あの場に私がいれば少なくとも先生への被弾は防げたはずなのに。

 

 あまりにも無力だった。

 医療の知識なんてほとんどないから先生が撃たれても何もできない。ただこうして座りながら祈るだけ。役立たずという現実を突きつけられ、奥歯を強く噛み締める。

 

 その時、『手術中』のランプが消えた。

 

「...っ!」

 

 ドクンと心臓が鳴った。身体中から冷や汗が出てくる。

 席から立ち上がり、扉が開くと同時に運び出させるストレッチャーへと駆け寄った。

 

「先生っっ!!」

 

 普通なら怒られるであろう大声をあげて先生の顔を覗き込む。

 

 ────反応がない。

 

 一瞬ギョッとしたが先生の口元から息遣いが聞こえてくる。それに胸が上下しているのは今この瞬間は先生が生きている証拠だ。

 

「あの...っ、先生の容態は...!?」

 

 それでも確かな保証が欲しくて、執刀を担当したと思われる者に視線を向ける。

 その人が笑みを浮かべて口を開いた瞬間、私は全身から力が抜けてまた溢れてくる涙を拭う余裕もなくその場にへたり込んだ。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 〜病室〜

 

 時刻は既に22時。窓から見えるのは夜空と街明かりだけで、人の声はほとんどしない。

 あれから個室へと移された先生はしばらくしたら目が覚めた。

 ただ、重傷だった事には変わりないのである程度の入院は必要らしく、動けない先生の代わりに私が居住区から着替えなど必需品を持ち運び、必要な場所へ置いていく。

 

「ごめんヒナ。色々と手伝ってもらっちゃって」

 

 ベッドで横になっている先生に声をかけられ、痛々しいその様子を見ながら頑張って笑みを浮かべてみる。

 

「ううん、気にしないで」

 

 手術成功を知ってから先生が起きるまでずっと泣き続けて涙を出し尽くしたからか、今は比較的いつも通りの雰囲気を出せていると思う。

 先生が目が覚めた時はまた泣きそうになったが、手術明けの先生を困らせたくなくて感情を押し殺して何とか堪えた。

 

 

「これで必要なものは揃えたと思うけど、何か欲しいものはある?」

 

「ありがとう、大丈夫だよ」

 

 

 こうして会話をしているだけで安心する。先生が私を見て、目を合わせて話をしている。場所は違えどいつもと変わらない。

 先生は生きているんだって実感できて、先生に背中を向けてまた少し込み上げて来た涙を手で拭う。

 

 

「ヒナ」

 

「なに?」

 

「ちょっとこっちに来てくれる?」

 

 

 何かあったのだろうか。

 真面目な声に応じて恐る恐る先生に近づくと、更に手招きをして来るので顔を近づける。

 

「ごめんね、心配かけて」

 

 先生の手が私の頬に触れた。親指で涙の跡をなぞるように、ゆっくりと優しく労わるように撫でて来る。

 どうやら先生にはお見通しだったらしい。

 先生が起きるまで泣き崩れていたのでそもそも隠しきれていなかったのかもしれないが、見透かされると少し恥ずかしくなってくる。

 

 でもそれ以上に、先生に謝られるのが辛かった。

 完全に被害者で謝る必要なんてないのに、私を心配させたからって謝ってくる。先生がそういう人だっていうのは分かっているけれど、その言葉がチクチクと私の心を刺してくる。

 

 

「またヒナに心配かけちゃったね」

 

「謝らないで、あれは私が────」

 

 

 私が側にいなかったのが悪い。

 そう言いかけた言葉を途中で飲み込んだ。これを言ったところで先生はきっと優しく否定してくる。

 

 でも、私がいれば防げた怪我だったのは事実だ。

 そもそもの原因は銃を使用した生徒にあっても、私が離れてしまった事で起きた悲劇なんだから私にも原因の一端はある。

 そう、先生が撃たれるという経験をしておきながら浮かれて警戒を怠っていた私も悪い。

 

 ────先生はキヴォトスにおいて脆い存在だから、私がもっと気を配らないといけなかった。

 

 

「ごめん....なんでもない」

 

「そう? もうこんな時間だしヒナもそろそろ帰らないと」

 

 

 先生に言われて時計を確認すると23時になろうとしていた。本来ならとっくに帰らないといけない時間だ。

 それでもこの時間まで先生や病院の人が何も言わなかったのは、きっと私に気を遣ってくれたから。

 

「...」

 

 でも、帰りたくなかった。

 また私が離れると何か起きてしまうのではないか。そんな考えが頭の中で浮き沈みを繰り返して、身体が私の脚を動かしてくれない。

 本当に帰ってしまって大丈夫か、この病院のセキュリティで先生を守り切れるのだろうか。

 

「ヒナ?」

 

 先生に声をかけられてビクリと肩が震える。

 不安な種はいくらでもあるけれど、これ以上の長居は先生に迷惑がかかるのでとりあえずこの場は帰るしかない。

 でも、何か万が一の備えはしておかないと落ち着かなかった。

 

「先生、これ渡しておくから」

 

 そう言って先生に1枚のメモ用紙を渡す。

 

 

「これは?」

 

「風紀委員会で使ってる緊急用の電話番号。私の方に繋がるから、何かあったらいつでも連絡して」

 

「これって機密情報にあたらないかな? 流石にこれをもらうのは...」

 

 

 先生の反応は当然のものだ。シャーレという立場を考えれば、特定の学園の緊急回線を知るなんて肩入れしているようなものだから。万が一、他校に知られる事となればゲヘナが色々と追及される側になる可能性だってある。

 

「...お願い、持ってて」

 

 でも、私は押し切った。

 先生なら恐らく使わないと分かっていても、万が一の備えは必要だから。いつか先生のためになるかも知れない、そう思ったから。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 1週間後

 〜ゲヘナ学園〜

 

 あれから早くも1週間が経過した。

 意外にも先生の怪我はそこまでの騒ぎになっていない。恐らく連邦生徒会がクロノスを含めた各報道系への情報統制を徹底しているのだろう。

 事件現場が比較的人の少ないデパートだったというのも幸いだった。現場にいなかった人からすれば、また誰かが喧嘩で銃をぶっ放した程度にしか思わない。その程度ならキヴォトスでは日常茶飯事だ。

 

 私は風紀委員の仕事を終わらせて病院へ通う毎日を繰り返している。早く先生の様子を見に行きたいという一心で仕事に取り組んでいると、作業効率がいつもより上がっていた。

 そして今日も早く終わらせるためにスピードを意識して次々と投げ込まれる書類を片付けていく。

 

「ヒナ委員長、大丈夫ですか?」

 

 ふと声をかけられ書類から目を離して横を見ると、アコが心配そうに私の顔を見つめていた。

 

 

「何が?」

 

「ここ最近ずっと顔色が優れないようでしたので...」

 

 

 思い当たる点はもちろんある。一番の原因は寝不足だ。

 仕事が終わったら先生のいる病院へ通う毎日を繰り返しているので、ここ最近は碌に休めていない。

 何より、あの事件があってからまた寝るのが怖くなってしまった。今度はどんな悪夢が待っているのかと考えるだけで目が冴えてしまう。

 

 

「心配してくれてありがとう。私は大丈夫だから」

 

「委員長...」

 

 

 そう答えてみたものの、アコの表情は晴れない。

 当然だ。目に見えて疲れているのに説得力なんてあるわけがない。でも相談する気にもなれなくて、心配する彼女の視線から逃げるように立ち上がる。

 

 

「アコ、少し席を外すから」

 

「定期連絡ですね、わかりました」

 

 

 アコに見送られて部屋を出る。

 定期連絡、そう言う名の先生への電話だ。先生の状態を確認したり必要なものを聞いたりするための電話だから、定期連絡という名はある意味間違ってはいないけど。

 

 この定期連絡は入院翌日から毎日続けている。

 理由は簡単、先生が心配だから。出来ればもっと間隔を短くして連絡したいくらいだけれど、それは流石に先生に迷惑がかかるから朝と昼の2回で我慢している。

 

「...繋がらない」

 

 でも、今日は電話に出てくれなかった。

 いつもならすぐに応答してくれるのにコール音が虚しく耳に響くだけだ。

 何かあったのだろうか。嫌な予感が駆け巡ったが、深呼吸して一度頭を冷やす。

 電話を切って、もう一度かけてみる。

 

「....」

 

 やはり繋がらない。私の中で不安がムクムクと大きくなっていく。

 別に入院しているからといって常に暇とは限らない。誰かが面会に来ているのかもしれないし、看護師や医者と何か話している最中かもしれない。

 それは分かっているのに、分かっているはずなのに心臓が早鐘を打っている。

 

「...後でかけ直そう」

 

 偶々だ。ちょうど別の用事と重なっただけで先生なら後からかけ直してくれる。そうでなくても少ししたらもう一度電話をしてみればいい。

 そう自分に言い聞かせて部屋に戻り、未だに心配そうに見てくるアコを尻目に作業も再開するのだった。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 3時間後

 あれから先生に電話しても一切繋がらなかった。折り返しもない。こんな事今まで無かったのに、本当に何かあったのではないか。

 不安と焦りが限界まで大きくなってきていた。アコが電話のために少し離れているのを見計らって大きな溜息を吐く。

 

「先生...」

 

 10分おきにモモトークと着信履歴を繰り返し確認していたが何も動きはない。確認する度に焦りを生む悪循環に陥っていた。

 今すぐにでも病院へ向かいたいところだが、自分の役目を投げ出すわけにもいかない。

 

 

「委員長、うちの不良生徒と他校の生徒で喧嘩が始まってしまい、撃ち合いになっているそうですが...」

 

「はぁ....」

 

 

 戻ってきたアコの報告を聞いて盛大に溜息を吐いてしまう。

 どうせ大したことのない理由なのだろう。こちらは気が気でないというのに呑気なものだ。

 ただ、ここである程度処理しておかないと学校間での関係悪化につながる可能性もある。

 

 

「風紀委員で動ける部隊を送っておいて。場所はどこ?」

 

「はい、D.U.シラトリ区です」

 

「...は?」

 

 

 時間が止まったような気がした。シラトリ区といえば先生が入院している病院もその区域だ。

 なんでそんなところで戦闘が? 

 いや、そんな理由なんかどうでもいい。報告の内容が直近のものとは限らないし、もし先生が巻き込まれていたら────

 

「....っ!!」

 

 ぞわり、と悪寒が身体中を駆け巡った。

 勢いよく立ち上がって倒れる椅子に目もくれず、愛銃を手に取って乱暴に扉を開け放つ。

 

「委員長!?」

 

 後ろからアコの声が聞こえたが、返事をする余裕もなく私は勢いよく学園を飛び出した。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 〜D.U.シラトリ区病院〜

 

 私がついた頃にはヴァルキューレによって問題の生徒たちは鎮圧されたらしく、何事もなかったかのようにいつもの日常があった。

 ただ、その光景を見ても安心はできなかった。まだ先生が無事と決まったわけじゃない。

 

 病院内も特に問題なかったようで通常通りに機能していたが、それでも今日一日連絡がつかなかった不安は拭いきれなかった。

 

「先生っっ!!」

 

 廊下を走って進み、ノックも忘れて扉を開けて先生の病室に転がり込む。

 

「うわっ!?」

 

 そこに先生はいた。

 昨日と変わらず、ベッドに座った状態で驚いた表情をしながら私の方を見ている。

 それを確認した瞬間、私は壁に寄りかかってズルズルと座り込んだ。

 

「先生...っ、良かった...!」

 

 息も絶え絶えに呟く。

 安堵すると同時にドッと疲れが押し寄せてきた。こんな姿を先生には見せたくなかったが、これまで蓄積されていた疲労もあってしばらく動けそうになかった。

 

 

「ヒ、ヒナ? 急にどうしたの?」

 

「シラトリ区で..戦闘が起きたって聞いて...っ、先生と連絡っ...つかなかったから...っ」

 

「あ...」

 

 

 どうやら定期連絡の件を忘れていたらしい。

 先生はハッとしたように自身の携帯を確認すると、座った姿勢のまま私へ向けて頭を下げてきた。

 

 

「ごめんヒナ、さっきまで寝ていたから気が付かなくて..」

 

「ううん、大丈夫。先生が無事だったならそれで...っ」

 

 

 今はその事実だけで充分だった。

 そもそも定期連絡自体が私が安心したいためにやっていることだ。電話に出られないからといって先生を咎める権利はない。

 

 ただ、やっぱり怖い。

 この一件は私の精神を大きく消耗させることになった。

 





焦って病室に転がり込んできたヒナを後ろから抱きしめて、汗の匂いたっぷりのヒナ吸いを堪能したい。
あ、冗談です。本音だけど冗談なのでヴァルキューレに通報しないでください。


いつも後書きで変な文章を載せていますが、せっかくなのでちょこっと最終編の感想を書きたいと思います。
そろそろいいですよね?

※未読の先生はネタバレ注意かも!!※

と言いながらも本気で感想を書くと1万字を余裕で超えそうなので、プレナパテス先生(以下、プレ先生)についてネタバレし過ぎない程度に書いていこうと思います。

先生はどこまでも先生だった

この一言に尽きると思います。
キヴォトスが崩壊した絶望的な状況でも、その中の最善手を考えてあんな行動を取るとかカッコ良すぎんか?
色彩の嚮導者になった後の行動も、別世界線の自分の取る行動に絶対の自信がないとできんよあんな真似。

先生の義務を全うし、大人としての責任を果たす

先生の行動に絶対的な信念があるというのがより伝わる話でした。
最終決戦でクロコを庇うように前に出て、戦闘に入った時はお願いするようにお辞儀してるし、HPを2だけ残して耐えてたのはプレ先生にとって残っている生徒の数説(クロコとプラナ)とか、最後のお願いとか

どんだけこっちの涙腺破壊すれば気が済むんだよ!!

最後のお願いを思い出すだけで涙が出てくる身体になっちまったよ。
あまり熱が入ると無限に書けそうなのでこの辺にしておきます。
ブルーアーカイブ最高すぎる...まさかソシャゲでここまで感情をぐちゃぐちゃにされるとは思わんかった...

私をこのゲームに導いてくれた太もも...本当にありがとう...。
だからその太ももで私の顔を挟んでくれ。


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空崎ヒナは過保護になる④



ヒナちゃんが色々と考えちゃう回。




 

 D.U.シラトリ区での戦闘から翌日

 〜ゲヘナ学園〜

 

 D.U.シラトリ区での戦闘があった夜のうちに私はある計画書を作り上げた。

 疲労困憊だったが今日と同じ思いをしたくなかったから、疲れた身体に鞭を打ってひたすら作業に打ち込んだ。

 

 

「そういうわけだからアコ、人員の選定と手配をお願いできる?」

 

「...」

 

 

 その計画書を見ていたアコは無言のままだった。頻繁に瞬きをしながら私と書類を交互に見てくる。

 

 

「アコ? 何か不備でもあった?」

 

「あ、いえ...そういうわけではありませんが..」

 

 

 妙に歯切れが悪かった。明らかに私の顔色を伺いながら自分の意見を言うべきか迷っている。基本的に私の意見には賛同してくれる彼女にしては珍しい反応だった。

 

 

「なら、どうしたの?」

 

「その...ここまでやる必要があるのでしょうか?」

 

「ある」

 

 

 彼女の疑問に食い気味に即答した。

 アコが見ていた計画書には『入院中の先生の警備について』と書かれている。表題の通り、私が昨晩のうちに考えた先生が入院している間の警備について書かれた書類だ。

 

 内容は単純なもので

・入院中はこちらがすぐ非常事態を察知できるように、日中は病院の敷地範囲外で付近を十数名の風紀委員で警備し、有事の際は先生の保護と初期対応を行う。

・それを私が夕方頃に病院に着くまで各部隊、数時間交代で行う。

 

 というものだった。

 

 

「シャーレの部室があるビルとは違って、病院は一般向けでもあるからその分警備システムが薄くなりやすい。だからその分を人員で賄う必要がある」

 

「確かに仰ることは尤もですが入院期間は後1週間ほどですし、他の患者もいるような病院でそこまでの事態にはならないかと....。昨日のような小規模の戦闘は日常茶飯事ですし..」

 

「アコ」

 

 

 一言で彼女の発言をピシャリと遮る。

 

 

「先生は私たちと違うの」

 

 

 そう、先生は私たちと違って脆い。

 各学園の生徒が銃を持つのが当たり前のキヴォトスにおいて、たった一発の銃弾が致命傷になる先生は異質で脆弱な存在だ。

 昨日のような小規模の戦闘でも運悪く病院の付近で起こってしまえば、先生へ生死に関わる被害が出るかもしれない。

 

 考えすぎ? 

 

 そんな事はない。実際、先生は流れ弾で大怪我したばかりだ。

 私たちにとっては大したことのない事でも、先生にとっては非常に危険な事なのだ。

 だから私たちの常識で測ってはいけない。特に先生は有名人なのだから少し過剰なぐらいが丁度いい。

 何よりも先生は今、最も無防備な状態だ。普段なら出来るような自己防衛すらも不可能だろう。

 

 本当は私が1日中そばにいたいし、病院内も風紀委員の警備を入れたいぐらいだ。

 でも立場というものがあるのである程度は弁える必要がある。その辺を踏まえて考えたのが今回の計画書だった。

 

 

「先生を守るために出来ることをやっておきたいの」

 

「...わかりました。こちらで早急に進めます」

 

「ありがとう」

 

 

 そう、これは先生のためなのだから。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

「応急処置のやり方を教えて欲しい?」

 

 目の前にいるセナが不思議そうに私を見てくる。いきなり保健室に来た風紀委員長が応急処置について聞いてきたのだから、こんな反応になるのも無理はない。

 

 

「軽傷とかは対応できるけど搬送が必要になるような重傷はあまり知識がないから。出来れば怪我の種類毎に詳しく知りたい」

 

「私は構いませんが...やはり先生の一件が理由ですか?」

 

 

 セナの質問に無言で頷く。

 今回の件は私がその場にいなかったため応急処置以前の問題だった。だが、仮にいたところで処置ができたとは思えない。だって、誰かが大怪我をした時の対応なんてしたことがなかったから。

 

 調印式で先生が撃たれた時もセナが初期対応を行なってくれた。その時の様子なんてほとんど覚えていない。

 でも、また先生が私の前で大怪我をしてしまうかもしれない。幾ら気をつけていても先生は脆いから、簡単なことで致命傷になってしまう。

 

 そんな場面に出来れば遭遇したくはないが、いざという時の備えをしておくに越したことはないだろう。

 

 

「分かりました。お互いの時間がある時に少しずつ教えていきましょう」

 

「ありがとう。ここにある応急処置関連の本も借りていい?」

 

「はい、特に今すぐ使う予定はないので」

 

 

 セナから許可を得たので遠慮なく戸棚の本を手に取る。似たような本が何冊もあるが私の体格だと全部持っていくのは面倒なので、数冊だけ借りて読み終わったらまた新しいのを借りることにしよう。

 本の厚さも様々だが少しでも早めに知識をつけておきたいので、とりあえず薄めの本から手に取っていく。

 

「ヒナ委員長」

 

 呼ばれて振り向く。

 もともと表情があまり変わらない子なので何を思っているのか測れないが、今は何を考えているか何となく分かった。

 

「気持ちはわかりますが、あまり無理だけはなさらないように」

 

 予想通りだった。

 私が思い詰めていると考えているのだろう。いきなり医療知識を身につけようとしているのだから、セナがそう考えるのも当然と言える。

 

「大丈夫。それじゃあ、また来るから」

 

 そう一言だけ返事をして5冊ほど本を持って保健室を出る。

 無理をするなと言われたが多少は仕方のない事だ。今できる限りの事をやっておかないと、有事の際に対応できずに今度こそ先生が死んでしまうかもしれない。

 大丈夫、無理をすることには慣れている。これも先生のためなんだから。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 〜D.U.シラトリ区病院〜

 

 セナから本を借りた後、私はすぐに先生の病院へと向かった。

 シラトリ区についた時には既に風紀委員の子達が何名か巡回をしていて、私の方を見るなり慌ててお辞儀をしてきた。アコがすぐに人員を手配してくれたらしい。

 

 見張りを行なっていた子達に労いの言葉と撤収指示を伝え、私は先生のいる病室に向かった。

 

 

「はい、アコ達からのお見舞いの品。中身はまだ見てないけど果物みたい。先生の内臓は傷ついてないみたいだから食べても大丈夫...だと思う」

 

「ありがとうヒナ、折角だから食べようかな」

 

 

 先生に果物を渡そうと箱を開けて気がついた。アコ達から預かった果物はカットされているものではなく皮付きの丸ごとだ。しかも皮を剥かないといけないものがほとんど。

 つまりこのままだと食べられないものがいくつかある。

 

 

「えっと...私が剥くから」

 

「大丈夫?」

 

「なんとかなる...たぶん」

 

 

 事前に確認してアコやチナツに剥いてもらえば良かった。

 そう思いながらスマホで剥き方を調べ、見よう見まねで作業に取り掛かる。

 ただその辺の知識も経験も素人な私がそう上手く出来るはずもなく

 

「えっと...こうして、あっ...」

 

 一人で果物とスマホ画面をキョロキョロしている慌ただしい私を、先生は横から微笑ましそうに見つめていた。

 子供扱いされているようでちょっと悔しいし恥ずかしいけど、自分で言い出したからには途中で投げ出すわけにもいかない。

 

 こうして何とか切り終えて個性的な形になった果物を皿に乗せて先生に差し出す。

 

 

「...ごめんなさい」

 

「私のために切ってくれたんだから謝らなくて良いんだよ。ありがとうヒナ」

 

 

 美味しい美味しいと言いながら次々と口に運んでいく先生の姿を見て、少しだけホッとする。

 目の前には果物を頬張るいつもと変わらない先生の姿。

 油断はできないが傷口もだいぶ塞がってきたらしい。後1週間もすれば退院して元の日常に戻れる。

 

 ────でも、このままではまたどこかで先生が怪我をしてしまうのでないだろうか。

 

 いつどこで銃撃戦が始まるか分からないのがキヴォトスだ。退院してシャーレに戻ったところで屋内セキュリティが少しマシになるだけで、外が危険であることには変わりない。

 別に先生の行動を制限したいとかそういう訳じゃない。ただ何かしらの対策は考える必要がある。例えば外出時は必ず誰かが同行するとか...。

 

「────ナ...ヒナ! 大丈夫?」

 

 肩を掴まれてハッとする。目の前には心配そうにこちらをみてくる先生の顔があった。思い耽るあまり、先生には私が虚空を見つめているように見えたらしい。

 

 

「心配しないで、ちょっと考え事をしてただけ」

 

「なら良いけど...そう言えばヒナ」

 

「なに?」

 

「今日の昼頃からだったかな、少し遠いところにゲヘナの風紀委員の子達がいたみたいだけど何かあったの?」

 

 

 心臓がドキリと跳ね上がった。

 先生の表情は特に変わりない。ただ純粋に疑問に思ったから私は疑問をぶつけてきただけなのだろう。

 

「えっと...」

 

 でも、私は答えに詰まった。まるで悪事を働いた子供が親に問い詰められた時のように。

 

 

 ────なぜ? 

 

 

 別に悪い事をしている訳じゃないのに。病院の敷地に入っていないから迷惑もかけていない。それなりに広いシラトリ区内で部隊を分散させていたから固まって目立つような行動をしてた訳でもない。

 

 ただ単に退院するまでの警備であって、先生のためにやっている事なのに...どうしてこんなに緊張しているのだろう。

 

 

「昨日、シラトリ区で戦闘があったのは知ってるでしょう? そこにウチの生徒が関わっていたから、また変な事を病院の近くで起こさないように一時的に見回りを強化しているの」

 

 

 口から出た言葉は嘘じゃない。シラトリ区で戦闘があったのも、ゲヘナの生徒が関わっていたのも、病院の近くで戦闘を起こして欲しくないのも嘘ではない。

 

 でも本心は違う。

 この警備は先生のためだ。だから私はある意味先生に嘘をついた事になる。

 なぜ嘘をついたのか自分でも分からない。ただ咄嗟に口から出ていたのがさっきの言葉だった。

 

 

「そっか、ヒナは偉いね」

 

 

 そう言って微笑んでくれる先生の顔を見てズキリと胸が痛んだ。咄嗟に誤魔化してしまった事への罪悪感もあるがそれ以上に

 

 ────どうして先生のための警備なのに、こんなに悪い事をしている気分になるのだろう。

 

 

「別に...風紀委員長として当然のことだし、実行してくれてるのは他の子達だから」

 

 先生の褒め言葉を素直に受け止める気になれず、ぶっきらぼうに返事をすることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 〜ゲヘナ学園〜

 

 病院から戻った頃にはもうすっかり日も落ちて、学園内にほとんど人は残っていなかった。日中はあれだけ騒がしかった校内が嘘のように静まり返っている。

 考え事をするのには最適な時間だ。誰もいなくなった風紀委員の執務室で自分の椅子に座って紙とペンを手に取る。

 

 

「先生が退院した後のことを考えないと...」

 

 

 紙をメモ帳の代わりにしながら、退院後に必要な事を箇条書きで書き込んでいく。病院にいた時も考えていたが、やはり常になにかしらの備えは必要だろう。

 

 外出時は当番の子を同行させる、なるべく1人で行動しない、依頼で他の地区に行く時も必ず依頼元の生徒が迎えに上がる...。

 思いつく限りの対応策を紙に書き込んでいき、あっという間に紙の余白が埋まっていく。

 

 

「後は先生の許可をもらって...」

 

 

 そこでペンを走らせる手が止まった。

 そう、考えついたことは全て先生が了承してくれないと実行できないことだらけだ。

 

 果たしてこれを先生が了承してくれるだろうか? 

 

 出てきた答えは『否』だった。

 先生は優しいから自分のために生徒を巻き込むことは嫌うはずだ。先生が安心して生活を送るための案なのに、先生に気を使わせてしまっては意味がない。

 何よりこれでは先生を監視しているみたいではないか。

 

 

「これも、これも...これもダメ...」

 

 

 先生が気を遣ってしまいそうな案を片っ端から消していく。するとあっという間にほとんどの案が潰れてしまった。

 例え気を遣わせる事になってでも押し通すべきか。いや、先生のストレスになるような事は避けなければならない。

 

 そこでやっと病院で感じてた罪悪感の正体が分かった。

 先生に嘘をついたからという事だけでは無い、先生の了承を得ずに私の独断で勝手にD.U.の警備をしていたから。

 

 事前に先生がこちらの警備の事を知ったら、感謝をしながらも優しく拒否するだろう。

 それが嫌だから個人の判断で動き、指摘された時も嘘をついた。正直に話したところで先生に気を遣わせるだけだと分かっていたから。

 その結果、余計に罪悪感が募るだけだった。

 

 一度冷静になって考えてみれば、アコの言う通りこれはやり過ぎだ。でも何とか先生の安全を確保したいという気持ちがおさまらない。

 ペンを投げ捨てるように置いて机に突っ伏す。

 

 

「何でここまで心配になってるんだろう私..」

 

 

 先生が心配なのは本音だ。

 でも先生が拒否すると分かっているから、了承を得ずに独断で警備をしているのは正しい行いなのだろうか。ただの独善的な行動になってしまってないだろうか。

 

 本当に私は先生のためを考えて動いているの? 

 

自分の行動の疑問を拭えないまま、私は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 一本の電話があった。

 電話をしてきた相手は先生が入院している病院。

 内容は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先生の容体が急変した、その一言だけを告げられた。

 

 





先生を守ろうとして脳内がカオス状態なヒナちゃん。

次で最終回予定ですが、今考えてる時点では「最低かコイツ?」と自分で自分にツッコミを入れてるぐらいの内容が埋め込まれそうな予感がががが...。
なるべくね、やり過ぎない程度にしようと思ってます。
あ、でもやっぱり抑えられないかも...だってここまで曇らせ成分薄めだったし、なんならコレを書かないと最後の最後でプロット崩壊するし。

多分、前作のムツキよりエグい描写を一部入れる事になります(個人比)

ヒナを救い隊の人達許して...許して...。
あ、でもここまで読んで下さってる方々なら、ここでヒナを絶望の淵に叩き落としても大丈夫ですよね。

ヒナは個人的に甘やかしたいキャラNO.1になるくらい好きです。(唐突な保身)
別に嫌いという訳じゃないですよ!


それはさておき、ヒフミの曇らせを見たいというリクエストを頂きました。
ハッピーエンドの化身でもあるヒフミさんを曇らせろと!?
まぁ、でもウチの小説も基本的にハッピーエンドだし問題ないな!
頑張って考えてみます〜。


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空崎ヒナは過保護になる⑤


年度末ということもあって私生活でどったんばったん大騒ぎした結果、予定よりめっちゃ遅くなりました...。





 

 

 先生の容態が急変したと聞いた次の瞬間には病院の入り口にいた。

 身体はすぐに動き、乱暴に入り口の扉を開けて、誰一人いない真っ暗で静かな通路を走る。

 

「はぁっ...はぁっ.....!」

 

 私の頭の中で膨らみ続ける嫌な予感を振り払うように、病院内にも関わらず全力で走る。不気味なくらいに人気のない通路で私の足音だけが響いていた。

 もう後1週間も経たずに退院できるくらいに回復していたはずなのに、容態が急変するなんて思っていなかった。いくら外の警備を万全にしたところで、先生の身体に異常が出てしまったら手の打ちようがない。

 

「先生っ...せんせぇ...っ!」

 

 息が苦しい、身体が思うように進まない、先生の病室がとても遠く感じる。

 まるで私自身がその病室へ行くのを拒絶しているかのように、病室へ近づくにつれて胸の痛みが激しくなっていく。

 それでも立ち止まるわけにはいかなかった。ここで止まったら一生後悔しそうな気がしたから、嫌がる自分の身体に鞭を打って足を動かす。

 

 そしてようやく辿り着いた目的の病室の扉、呼吸を整える事もせずに私は勢いよく開け放った。

 

 

「先生っっ!!」

 

 

 ノックもせずに部屋へと転がり込む。

 電気はついていなかった。窓から差し込む月明かりだけが光源としての役割を果たしている。

 誰もいないと勘違いしてしまうくらい暗くて静かな部屋に、ベッドで横になっている先生だけがいた。

 

「あ...」

 

 その姿を見た瞬間に全身の力が抜けてその場にへたり込む。

 私の知らない機械が先生の身体に取り付けられている。こんなの昼間には無かったはずだ。

 その機械の先にはモニターがあるが、そこに表示されてる文字は何が書かれているのかよく分からない。

 でもこの機械が何かを測定するもので、快復に向かっている者が取り付ける機械でない事ぐらいは私にだって分かる。

 

「ヒナ....?」

 

 呆然としていた私の耳に掠れるような先生の声が届いた。弾かれたように身体が動き、急いで先生が寝ているベッドへと駆け寄る。

 

 

「先生っ!! なんでっ...どうしてこんな...っ!」

 

「ヒナ...ごめんね...私はもう...」

 

「そんな事言わないでっ!!」

 

 

 涙で視界が滲んでくる。

 いつもみたいに『大丈夫だよ』とその一言が欲しかったのに、こんな弱気な先生なんて見たくなかった。

 でも、その様子が余計に先生はもう助からないのだという現実を私に突きつけてくる。

 

 

「げほっ...ゴホ..ッ....!」

 

「先生っ!?」

 

 

 不意に先生が咳き込んだ。明らかに異常があると分かる重い咳に、頭の中が爆発したようにパニックになる。

 原因は怪我の悪化? 傷口から細菌が侵入した事による感染症? それとも別の要因? 

 

 最低限の応急処置程度の知識しかない私には見当もつかないし、医者もこの場にいないのでは何も分からない。

 散り散りになった理性を必死にかき集め、今この状況で自分にできることを考える。

 

 

「ナ、ナースコール...誰か呼ばないと...っ」

 

 

 導き出した答えは病院関係者を呼ぶ事だった。私ではとても手に負えないのだから、誰か医療に携わる人に任せるしかない。

 

 早くしないと先生が死んでしまう。

 焦りで身体中から汗が吹き出してくる。未だにパニック状態な頭を動かしながら先生の枕元を探る。

 

 しかし、緊急ナースコールのボタンを探していると、私の腕を弱々しく掴んでくる手があった。その手の主が誰なのかは考えるまでもない。

 

 

「先生...?」

 

「ヒナ...最期に...君に聞きたい事が....」

 

「嫌っっ!!」

 

 

 多声を張り上げ、駄々っ子のように首を振る。

 言い方がまるで遺言みたいだ。これを聞いてしまったら終わってしまいそうな予感がした。

 これが現実だなんて認めたくない。今すぐにでもドッキリだと言って欲しかった。もう少しで取り戻せそうだった日常が音を立てて崩れ落ちていく。

 

「ヒナ」

 

 やけにハッキリと先生の声が聞こえた。顔を向けて見ればこちらをしっかりと捉えてくる2つの瞳がある。

 

 

「お願い...」

 

「.....っ!」

 

 

 心が揺さぶられた。

 先生の目は覚悟を決めた人の目をしていたから、もう残された時間が少ないのだと嫌でも理解させられてしまう。

 ほんの数秒ほど見つめあい、私は枕元を探っていた手で椅子を引き寄せて先生の隣に腰を下ろした。

 

 

「分かった...っ、なんでも...聞いてっ...」

 

 

 こぼれ落ちる涙を拭うこともなく両手で先生の手を包み込む。

 いつも世話になっていた先生に今の私がしてあげられるのは、彼の願いを聞いてあげる事だけだ。

 本当はこんな結末を受け入れたくないけど、どうせ間に合わないのならせめて最期は二人きりで過ごしたい。先生をこの瞬間だけは独り占めしたい、そんな我儘が私の中にあった。

 

「ありがとう...」

 

 そんな私を見て先生は微笑み、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

「どうして私を守ってくれなかったの?」

 

 

 

 

 

 

 

「....え?」

 

 時が止まったような気がした。先生の言っている意味が理解できなかった。

 てっきり遺言を聞かされるのかと覚悟していたのに、あまりに想定外な言葉に溜まっていた涙が引っ込む。

 

 今、先生はなんて言った? 

 

 理解が追いつかなくても、心臓がキュッと締め付けられたように苦しくなる。雑音もない空間で沈黙が続き、瞬きも忘れて先生の顔を食い入るように見る。

 

 

「せ、せん...せい...?」

 

 

 その一言を絞り出すのが精一杯だったが、言葉を口にしたことで少しづつ頭が働き始める。

 先生の言葉を咀嚼し、意味を理解しようとした。

 しかし、それと同時に身体の至るところから汗が吹き出し、頭の中が警告を示すように赤く染まっていく。

 

 先生の言ったことは私に対する非難だと気づいてしまったから。

 

 

「調印式で撃たれた時も、この前のデパートで撃たれた時も凄く痛かったよ」

 

 

 先生の目は真っ黒に染まっていた。僅かな光もない、まるでもう既に死んでいるかのような目だ。

 頭が痛い。この空間に私と先生だけが取り残されたと思ってしまうくらい、周りの景色がグニャグニャと歪んでいく。

 これ以上聞いたら危険だと脳が警笛を鳴らしてくる。しかし、私は吸い込まれてしまいそうなくらい純粋な黒い瞳から目が離せなかった。

 

「ほら、見て...」

 

 そう言いながら先生は衣服を捲ってお腹を見せてきた。

 

 

「ひっ...!?」

 

 

 それを見た瞬間に悲鳴をあげ、椅子が倒れるのも気にせず、金縛りが解けたような動きで反射的に後退りをしていた。

 先生が見せてきたのは傷跡なんて生易しいものではなかった。

 

 ────お腹に空いた幾つもの穴。まるで撃たれたばかりのような空洞から血が今もなおドクドクと流れ出ていた。

 

 止血もされずに垂れ流しになっている血が、真っ白なベッドのシーツを赤く染めていく。

 

 

「あ...あぁ...っ」

 

 

 あまりにも異様な光景にまともな言葉が出なかった。

 不思議と気持ち悪いと感じなかった。それ以上に押し寄せてきたのは恐怖と罪悪感。

 だってそこは、先生が調印式とデパートで撃たれた箇所だから。

 

 

「調印式の時はヒナがもう少し耐えてくれたら撃たれなかったかもしれないよね?」

 

「いや...」

 

「デパートの時はヒナが別行動を言い出さなければ撃たれなかったかもしれないよね?」

 

「やめて...っ」

 

 

 先生の言葉が私の心を蝕んでいく。

 針でチクチクと刺すのではなくナイフで抉ってくるように、容赦なく言葉の刃物を突き刺してくる。

 こんな事を先生が言う訳がない、何かがおかしい。頭ではわかっているつもりなのに、目の前の異常な光景から目が離せない。耳を塞ぎたいのに身体がうまく動かない。

 

 

「ヒナ、君が守ってくれていたら...こんな事にはならなかったのに」

 

「....っ!」

 

 

 頭を撃たれたような衝撃が走った。

 そう、私がもっとしっかりしていれば先生は撃たれなかったんだ。撃った犯人は別にいるけれど、撃たれた原因の一端は私にもある。

 

 でもそれを先生に言われたのがショックだった。

 いつも優しくて生徒のためなら自分の犠牲と厭わない、失敗しても立ち上がれるように手を差し伸べてくれる。そんな先生から恨みごとをぶつけられた事が信じられなかった。

 でも、目の前の先生は憎悪の籠った瞳で私の方を見ている。こんな表情は見た事がない。

 怖い────そんな目で私を見ないで。

 

 

「ぅ...あ...」

 

 

 口がうまく動かない。目の前の光景と先生の言葉で脳内が再びパニックに陥る。

 先生の容態が急変したと聞いて駆けつけ、もう助からないと思い遺言を聞こうとしたら、出血が止まらない傷口と共に恨み言をぶつけられ、もう何が何だか訳がわからなくなっていた。

 

 それでも、これが私のせいならば言わなければいけない事がある。

 

 

「ご...ごめっ...ご...めんなっ...さ...」

 

 

 唇が震える。歯がカチカチと鳴り、言いたい言葉が出てこない。全身が震え始め、立っていることすら苦しくなってくる。

 頭が焼けるように痛い。罪悪感と恐怖が私の心臓を挟み込み、押し潰そうと左右から圧迫してくる。

 

 逃げたいのに、耳を塞ぎたいのに...。

 自分の身体なのに言う事を聞いてくれない。まるで先生の言葉に合わせて身体がゆっくりと崩壊を始めているようだった。

 

 

「今さら警備を増やそうとしても、色々と対策を考えようとしても、君が守りきれずに撃たれた事実は変わらないんだ」

 

 

 先生の言葉が追い打ちをかけるように私の心を抉ってくる。何度も念入りに突き立てるようにザクザクと、本当に心臓から血が流れて口から飛び出てきそうだ。

 でも先生の言う通り、どんなに取り繕ったところで私のやってしまった失態は未来永劫消えることはない。────私は責められるべき存在なんだ。

 

 

「ぁ...か...はっ...」

 

 

 呼吸の方法も忘れてしまったように息が詰まり、酸欠で視界と頭の中が真っ白に染まっていく。

 涙も涎も流したまま、無様にその場で苦しむことしかできない。本当に先生に首を絞められているような感覚に陥る。

 自分の身体を抱きしめるように両腕を回し、その場にペタリと座り込む。

 

 

「空崎ヒナ」

 

 

 苦しむ私の両肩を誰かが掴んだ。いや、誰かなんて考えるまでもない。この場には二人しかいないのだから。

 顔を上げると、ベッドから降りてきた先生の顔がすぐ目の前にあった。

 とても人の顔とは思えない憎悪と薄ら寒い笑みが混ざった表情を浮かべ、瞬きも忘れて目を見開く私に向けて口を開く。

 

 

「私は君を許さない」

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

「いやぁぁああぁあぁっっ!!」

 

 耳をつん裂くような叫び声は自分の口から出たものだった。静かで誰もいない部屋に私の声だけが響き渡る。

 

 

「はぁっ...!! はあっ...! あぁ...っ!」

 

 

 苦しいままの胸を抑え、必死に深呼吸をして息を整えようとするも、激しく動く心臓の鼓動が呼吸リズムを整えるのを邪魔してくる。汗でべったりと張り付いた服のせいで余計に息苦しく感じた。

 

 

「かはっ....はーっ...はーっ...」

 

 

 そこから数分ほど深呼吸を繰り返し、ようやく本来の正常な呼吸を取り戻す。

 何があったのか、もうある程度見当はついている。私がこれまで何回も苦しめられてきたのだから。

 

 改めて確認すると今の私は椅子に座っていた。周りの景色も先ほどまでいたはずの病院ではなく、私の部屋でもない。見渡してすぐに風紀委員が使ってる執務室だと気がついた。

 窓から見える月明かりと静かな校舎。そして妙に節々が痛い、大量の汗と共に気怠さもある。おまけに口の端に涎の感覚があった。

 

 やはりあのまま寝落ちしてしまったらしく、あの地獄のような光景は夢だったようだ。

 

 

「...っ」

 

 

 それでもまだ安心出来ずに室内にある固定電話、そして自分のスマホの着信履歴を確認してみる。

 最後の発着信は先生への定期連絡で終わっていた。

 

 

「はぁっ...」

 

 

 ようやく夢だったと言う確信を持つ事ができ、椅子から滑り落ちそうなくらいにズルズルと脱力する。

 

 最悪という言葉では足りないくらいの悪夢だった。

 

 あの時の先生の恐ろしい表情、私に投げかけられた言葉の数々、思い出すだけで吐き気がしてくる。

 今まで見ていた“先生が撃たれる夢”とは違い、今回は実体験のないただの妄想みたいなものだ。先生があんな事を言う訳がない、悪い夢だったと早く忘れてしまいえば良い。

 

 それなのにあの光景が、あの言葉が私の頭の中で反響し続けて消えてくれそうにない。

 何故なら────

 

 

『調印式の時はヒナがもう少し耐えてくれたら撃たれなかったかもしれないよね?』

 

『デパートの時はヒナが別行動を言い出さなければ撃たれなかったかもしれないよね?』

 

『ヒナ、君が守ってくれていたら...こんな事にはならなかったのに』

 

『今さら警備を増やそうとしても、色々と対策を考えようとしても、君が守りきれずに撃たれた事実は変わらないんだ』

 

 

 あの夢で先生が私に言った台詞は全部...全部全部全部、私が抱えていた気持ちだったから。

 私は2度も先生を守る事が出来なかった。1番近くにいながら大切な人を傷つけてしまった。私の行動ひとつで未来が変わったかもしれないのに。

 そんな私の想いを先生が代弁するという最悪の夢だった。

 

 

 ────本当に夢で済むのだろうか? 

 

 

 正夢なんて言葉もあるくらいだ。先生の容態が急変する可能性だってまだあり得る。

 そして、あの言葉の数々を私に向けてくる可能性だってゼロじゃない。先生が酷い言葉を言うなんて思わないし思いたくもないけど、あまりにもあの夢を鮮明に覚えているせいか、悪い方へとどうしても考えてしまう。

 

 

「あっ...か...はっ....!」

 

 

 そんな事を考えていたらまた苦しくなってきて、暴れようとする心臓を抑えつけるように両手を胸に当てる。夢で投げかけられた言葉が私の中で反響して頭を掻きむしりたくなる。

 

 苦しい...苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい

 

 

「先生っ...」

 

 

 スマホの連絡帳を開き、“先生”の文字をタップする。

 今すぐに声を聞きたかった。優しい先生の声を聞いてあの悪夢を上書きしたかった。

 

「っ....何しようとしてるの私..」

 

 通話ボタンを押す直前で思い止まった。

 今の時刻は深夜2時、こんな時間に電話だなんて迷惑もいいところだ。ただでさえ万全の状態じゃない先生にこれ以上負担を掛けるわけにはいかない。

 電話帳アプリを閉じ、代わりにモモトークを開いて先生との個別ページを見る。

 

 “大丈夫? ”、“何か必要なものはある? ”

 

 そんな私の質問と先生の回答ばかりが履歴に残っていた。

 改めて見てみると迷惑だったんじゃないかと思ってしまう。同じような事を1日に何回も聞かれ、毎日のように押しかけてくる私が鬱陶しかったのではないか。

 

 私の独善的な行動に嫌気が差している可能性だってある。

 

 先生のためだなんて言っておきながら、私が勝手に自分やりたい事を許可なくやっていただけなんだから。

 先生は優しいから口に出さないだけで、心の中ではどう思っているかなんて誰にも分からない。

 

 苦しい、身体中がバラバラになってしまいそう。

 でも先生は私が守ってあげられなかったせいで、もっと苦しい思いをしている。

 これ以上、先生に迷惑をかけたくない。

 

 

「先生....助けて...っ」

 

 

 本人には一度も言ったことのない言葉を誰もいない部屋で、無意味な独り言として呟くことしかできなかった。

 





5話目で終わらせる予定だったのに6話までもつれ込みました。
今回でほどほどに曇らせて先生が解決(?) で終わらせるつもりだったんですけどねえ。楽しくなっちゃいました()

ヒナちゃん、トラウマ抉りまくってゴメンよ...ゴメンよ...。
でも、理性的な子が思い込みとかで自分から曇ってくのが好きなの。最高に性癖ドストライクで、それをつまみにお酒何杯も飲めます。

夢の中で好きな人に責められて精神ボロボロになる展開って最高じゃないですか...?
これを書きたくてヒナちゃんのストーリーに手をつけたんですよ!

あ、正月ガチャはムチュキが20連で来てくれました。曇らせたおかげだな!
なお、ハルカとカヨコで無事に2天した模様。ついでにコユキがオマケで来てくれました。
コユキぃ...笑い方とか煽り顔とか最高に生意気じゃねぇか...。お前がカフェに来たら必ずノアを呼び出してやるからな。


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空崎ヒナは過保護になる⑥



先生を守るつもりが自分の方が大変な事になっていたヒナちゃんのお話最終回。
ビナー君強化されすぎじゃないですかね?




 

 

 〜ゲヘナ学園〜

 

「ふぅ...」

 

 書類作業に一区切りをつけ、ため息を吐くと瞼が重くなってきた。

 明らかな睡眠不足を知らせるように倦怠感が襲ってくるが、頬を両手でペチペチと叩いて無理やり意識を覚醒させる。

 

 

「委員長、やはり少し休まれた方が...」

 

「大丈夫、気にしないで」

 

「しかし...」

 

 

 食い下がろうとするアコを一瞥して黙らせる。

 別にアコの発言が鬱陶しいという訳じゃない。彼女が私を気遣ってくれているのは分かっているし、それ自体は嬉しいとすら思っている。

 

ただ、彼女の言う“休む”は“寝ろ”という意味なのだ。

 

 それは私が今、最も取りたくない行動だった。

 あの最悪な夢を見てから約1週間、再び同じ夢を見るのが怖くて碌に寝れていない。

 時々、気絶に近い形で寝ていることはあるがすぐに目が覚めてしまう。私の意志だけでなく、身体全体が寝るという行動そのものに拒否反応を示しているようだった。

 

「そう言えば先生はどう? 確か昨日はイオリが当番だったでしょう?」

 

 結局、先生は何事もなく予定通りの日に退院ができた。

 夢で起きたように突然悪化したりしないかビクビクしていたが、無事に退院したと本人から連絡が来た時は全身の力が抜けるくらい安堵したのを覚えている。

 

 その後、先生はすぐにシャーレへ復帰した。

 事情を知る生徒からはしばらく安静にするよう止められたそうだが、それでも仕事に打ち込むのは良くも悪くも先生らしいと言える。

 

 

「イオリからの報告では特に問題なかったそうです。いつも通りで全く違和感はなかったと」

 

「そう、それなら良かった」

 

 

 その報告を受けてまた安心する。

 イオリにはいつも以上に注意深く先生を観察するように伝えておいたから、それで特に問題なかったのならこの件についてはこれ以上の心配は無用だろう。

 

 

「...その、今更いうのもなんですが本当によろしかったのですか?」

 

「何が?」

 

「昨日の当番、本当はヒナ会長が入るはずだったのでは...?」

 

 

 眠気覚ましのためにコーヒーを啜っていた動きを止めてアコの方を見る。

 彼女の言う通り、イオリが当番に入った昨日は本来なら私がシャーレに向かうはずだった。

 あんなにも先生に対して過剰なくらい気を配っておきながら、ここにきて当番を回避した理由、それは──────

 

「先生が入院してる間、病院に通いすぎて仕事が溜まりがちだったから、その分を早めに処理したかったの」

 

 

 嘘だ。本当は先生に会うのが怖かったから。

 あの夢を見てからお見舞いには行かなかったし、モモトークでやり取りしているけれど退院してから一度も会っていない。

 

 先生に会って、もし夢で見たような事を言われたらどうしよう。

 そんな思いもあったが、それ以上に私が先生に対して負い目を感じている。

 

 あの夢に出てきた先生は、的確に私の抱えていた負の感情を抉ってきた。私の夢だから当然と言えば当然かもしれないが、あれでハッキリと自分が想像以上に引き摺っている事を自覚してしまった。

 

 だからこそ、あり得ないくらい僅かな可能性であっても先生から同じ事を言われるのが怖い。

 もしそうなったら私は生きていけない気がする。

 

 

「...そうですか」

 

 

 アコはそれ以降口を開かなかった。何となく察しがついているのかもしれない。

 定期連絡もほとんどしない、お見舞いにもいかない。あの夢を見てから私の行動があからさまに変化したから、これで何も思わない方がおかしいけど。

 

 それでもこれ以上何も言わないのは、言ったところで意味がないと分かっているからだろう。

 再び襲ってきた眠気をコーヒーで無理やり吹き飛ばし、書類との格闘を再開するのだった。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 〜ヒナ自室〜

 

「はぁ...」

 

 今日何度目かも分からない溜息を吐く。

 カーテンの隙間から覗くキヴォトスの景色は既に真っ暗で、枕元にある時計の短針は2を指していた。

 

 今日もベッドの上に座ってから何度も寝落ちしたが、その度に目が覚めては寝落ちするの繰り返し。

 そんな状態で体力が回復するはずもなく、繰り返すたびに疲労が無駄に蓄積されていくだけだった。

 

「....こんな事、いつまで続ければ....」

 

 自分に質問したところで答えが返ってくるはずもなく、膝を抱えて頭を埋める。

 寝たいのに寝たくない。相反する2つの気持ちと身体の反応が余計に精神を削り取ってくる。

 

 先生に会えば解決するかもしれないのに怖くて会えないし、こんな自分勝手な事情なんて誰にも相談できない。

 抱え込むのは自分の悪い癖だと自覚しているけれど、簡単に治るのならそれは癖と言わないだろう。

 

「....っ」

 

 目尻に涙が溜まってくるのが分かる。

 このままじゃ永遠に苦しみ続けるだけなのに、殻に閉じこもろうとしている自分が嫌になる。

 

 今日もまた、眠れない夜を耐え続けるしかない。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 〜翌日〜

 

 あれから当然のようにまともな睡眠を取ることができなかった。

 睡眠不足で頭が痛い、瞼が重い、眠気で違和感を感じる両目から見えた窓から差し込む朝日が煩わしい。

 

「...行かなきゃ」

 

 申し訳程度に着ていた寝巻きを脱ぎ捨てて制服に着替える。

 鋼鉄でも背負っているのかと勘違いするくらい身体が重い。シャツのボタンをとめるだけでも面倒臭く感じるし、愛銃を取ろうとして何度か掴み損ねる。

 

「...これでいいか」

 

 戸棚から適当にお菓子を取り出して口へ運ぶ。

 これが今日の朝食だ。もともとそんなに食への興味が無いのもあるが、ここ最近は食事を取ろうとしても喉を通らなかった。

 

「今日の予定は...」

 

 お菓子を咀嚼しながらアコから事前にもらっていた予定表を確認する。

 風紀委員なのだから書類作業ばかりではない。定期的に見回りだったするし、だいたいはその度に不良生徒の鎮圧をすることになる。

 

 ──────予定表に目を通していると、いきなり文字がぐにゃりと曲がった。

 

 

「っ...!?」

 

 

 同時に身体がよろめき、バランスと支えを失ったままフラフラと壁にもたれ掛かる。

 

「これは...ちょっと危ない...かも」

 

 明らかな目眩だった。

 原因は起きたばかりだからとかじゃない、考えるまでもなく睡眠不足のせいだ。まともに食事を取らなかった事による栄養不足もあるのかもしれない。

 当然の結果だ。むしろここまで眠気程度で済んでいたのが奇跡なくらいなのだから。

 

 それでも自分の身体に鞭を打って歩き、未だにふらつく足取りで靴を履いて玄関の鍵を開ける。

 その時だった。

 

「あっ...」

 

 視界が大きくグルリと回転した。

 再びバランスを失った身体は、今度は壁にもたれ掛かる余裕もなくその場に崩れ落ちる。

 

「ぐっ...!」

 

 受け身もまともに取れず、身体中に走る痛みに顔を歪めるが、起きあがろうとしても手に力が入らない。それどころか指一本も動かせる気がしなかった。

 私が思っていた以上に身体は限界を迎えていたらしい。それを証明するように、こんな状態にも関わらず睡魔が襲ってくる。

 

 

「せんせ...っ」

 

 

 その言葉を最後に私の意識は闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 手が温かいものに包まれている感触があった。とても大きくて包まれているだけで安心する。

 この感覚を私は知っている。だってこれは私が1番好きな感覚だから、何よりも欲しがっていたものだから。

 

「....はっ!」

 

 目を開けて身体を起き上がらせる。私の身体は硬い床の上ではなく、ベッドの上にあった。

 そして部屋の中が暗い。倒れた時は朝だったはずなのに、まるで昨日の再現かのようにカーテンの隙間から月明かりが差し込んでいる。

 

「いったい何が...」

 

 寝起きのせいでほとんど機能しない頭を動かして状況を整理する。

 倒れた後の記憶が一切なく、目が覚めたらこの状態だったのだから本当に時間が飛んでしまったような感覚だった。

 

「起きた?」

 

 傍から声が聞こえてきた。

 その優しい声は混乱している脳へ溶け込むように馴染み、一方で私の心臓をドキリと跳ねさせる。

 

 そんな馬鹿な、こんなところにいるはずがない。咄嗟にそう思ったが、私がこの声の正体を間違えるはずがなかった。

 恐る恐るゆっくりと顔をそちらへ向けると

 

「せ、先生!?」

 

 なんとなく分かっていたのに、いざ目の前に先生がいるとハッキリ理解した瞬間、思わず大声が出てしまった。

 どうしてこんなところに? 

 そんな疑問が口から出そうになるが嬉しさや驚き、そして今まで避けていただけに気まずさが一度に押し寄せ、頭の中に浮かんだ言葉を押し流してしまう。

 

 

「アコから君が倒れたって連絡が来たんだ。“不本意ですがヒナ委員長をお願いします”だってさ」

 

「アコが...」

 

 

 枕元に置いてあった鞄からスマホを取り出して着信履歴を確認する。

 アコやイオリ、チナツにセナと他にもたくさんの人から不在着信が入っていた。モモトークの方にもメッセージが来ている。

 恐らく何かあったと察したアコが様子を見に来たのだろう。そして鍵が開けっぱなしになっていたから玄関で倒れている私を発見できた。

 

 そして先生に連絡を取り、今この状況が出来上がっているのだろう。

 何時間眠っていたのか分からないけど、とっくに夜になっていることは分かる。

 アコ達は大丈夫だっただろうか? 

 

 

「っ...!」

 

 

 そんなことを考えていると鈍い頭痛が襲ってきた。睡眠不足だけでなく、倒れた時に頭を打ち付けたせいもあるのかもしれない。

 

 

「とりあえず今日はゆっくり休んで。熱はないみたいだから、しっかり休めばすぐに良くなると思うよ」

 

 

 そう言うと先生が両手で私の肩を押してベッドに横たわるよう促してくる。倒れるほど体力を失っていた身体はあっさりとベッドの上に転がった。

 先生にこんな姿を見られる恥ずかしさは多少なりともあるが、近くに先生がいるという安心感の方が大きい。

 

 やっぱり私は先生に会いたかったんだ。

 

 色々と負い目を感じて自ら遠ざけていたけど、こんな状況だからこそ改めて自分にとって先生は大きな存在なのだと実感する。

 

 

「ねぇ、先生」

 

 

 そう思うとこのまま目を閉じてしまうのは少し勿体無い気がして、首を動かして先生の方を見る。

 1週間も会えていなかったから、もう少しだけお喋りをしていたい気分だった。

 

 

「なに?」

 

「その...」

 

『どうして私を守ってくれなかったの?』

 

「っ!?」

 

 

 一瞬、先生の顔が歪んだような気がした。そして頭の中に響いたのはあの夢で聞いた悪魔の声。

 

 先生に会えた嬉しさですっかり忘れていた。

 まだ、先生が私のことを恨んでいる可能性が消えたわけじゃない。先生は今、自分の勤めを果たしているだけで内心では私にガッカリしているのかもしれない。

 

 いや、そんな事はあり得ない。先生が生徒に対して酷いことを言うなんてあるはずがない。生徒を恨んだりするなんてあり得ない....はずなのに....。

 

 

「ヒナ?」

 

 

 目の前にいる先生が心配そうに私の顔を見てくる。

 いつもの優しい先生だ。私が憧れる頼れる大人の先生、そんな先生の顔を見るとあの夢に出てきた悪魔を思い出してしまう。

 

 

「あ...ぁ...」

 

「ヒナ!? どうしたの!?」

 

 

 涙が出てくる、唇が震える、胸が苦しくなる。先程まであった安らかな気持ちが一瞬で霧散し、恐怖が再び私を支配してくる。

 今すぐこの場から逃げ出したいのに先生の顔から目が離せない。まるで“逃げるな”と脅されているように身体が硬直している。

 

 

「ご...っ、ごめ...んなさ..っ...い」

 

 

 気がつけば口から謝罪の言葉が飛び出していた。

 先生が目を丸くしているのが分かるが、一度決壊した言葉の波は止まらなかった。

 

 

「守れなくてごめんなさいっ...勝手に行動してごめんなさいっ....役立たずでごめんなさいっ....!」

 

 

 流れる涙が枕を濡らしていく。滲む視界から微かに見える先生は明らかに困惑していた。

 当然だ。いきなり目の前で謝りながら泣き始めたら誰だって混乱する。今すぐ泣き止まないといけないのに、あの時みたいに自分の感情が抑えられない。

 

 すると先生の手が伸びてきて、ポンと私の頭の上に置かれた。

 

 

「せ...んせ...?」

 

 

 ゆっくりと優しく髪を梳かすように手を動かしてくる。

 くすぐったいけどそれ以上に温かい。先生は目を細めていてまるで赤子を相手にしているような表情だった。

 

 

「ヒナは頑張ってるよ。謝ることなんて何もないんだ」

 

「でも...先生が2回も撃たれたのは私のせいで...」

 

「調印式の時はヒナがいなかったら間違いなく死んでたよ。デパートの時は結果論にすぎない。それだったら警戒を怠っていた私の方に責任がある。それに、入院中の私を守ろうと色々と手を回してくれていたんだよね」

 

 

 勝手に警備していた事がバレていたらしい。いや、もしかしたらアコが伝えたのかもしれない。

 

 夢で先生に言われた言葉を、目の前にいる先生が一つ一つ否定してくれる。グズグズに腐り落ちそうになっていた心の隙間を埋めるように、先生の言葉が私を満たしていく。

 こぼれ落ちていく心が満たされていくのと同時に、いつの間にか涙は止まっていた。

 

 

「....怒ってないの?」

 

「まさか」

 

 

 先生は笑顔を見せると頭を撫でていた手を離し、代わりに私の手を握ってくる。

 

 

「ヒナはとても頼りになる生徒だよ。いつもみんなのために、私のために頑張ってくれてありがとう」

 

「っ...!」

 

 

 言葉に詰まった。せっかく止まった涙が再び溢れてくる。でもこの涙は悲しみによるものじゃない。

 私のした事は間違いじゃなかった。いや、厳密には正しいと言い難い行動もあるけれど、先生が私を肯定してくれたことで自身に打ちつけられていた杭が外れて身体が軽くなっていく感じがした。

 

 顔も隠さずに泣き続ける私の頭を再び先生が撫でてくれる。

 

 

「頑張ってくれたヒナに何かご褒美をあげようと思ったんだけど...」

 

「ご褒美...?」

 

「うん、でも良いのが思いつかなくてね...」

 

 

 本当に変な人。ご褒美ならもう服を買ってもらったのに。

 警備やお見舞いに対するご褒美なのだろうか。それはそれで私が勝手にやった事だから、何か見返りをもらうのは気が引ける。

 とは言え、先生はこのまま引き下がるような人でもない。だからひとつだけこの場で出来る事をお願いしてみることにしよう。

 

 

「じゃあ、手」

 

「手?」

 

「このまま眠れるまで手を握ってて欲しい。そうしたら良い夢を見れそうだから」

 

 

 思い返せば倒れてから目が覚めるまで、長時間寝ていたはずなのに嫌な夢を見ていない。あんなに散々苦しめられていたのに、嘘のように目覚めがよかった。

 

 それはきっと先生が手を握ってくれていたからだと思う。目覚める直前に感じた手の温もりはまだしっかりと残っている。

 こんな事を頼むのは少し恥ずかしかったけど、先生は笑わずににっこりと微笑んで少しだけ強く手を握ってくれた。

 

 

「分かった。お休み、ヒナ」

 

「お休みなさい、先生」

 

 

 たった一言だけの会話でも心がさらに満たされる。

 寝ることへの恐怖心は無かった。だって、先生が側にいてくれるから。何かあっても先生が助けてくれる。

 

 先生みたいな頼れる大人になるにはまだまだ道のりは長そうだ。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 1ヶ月後

 〜シャーレ部室〜

 

「よし、これで良いかな」

 

 今日の業務も一通り終えて当番の子が帰った後、明日の準備を終えて一息つく。

 身体の傷もほとんど完治し、幸いな事に傷跡もほとんど残らなかった。改めて幸運だったと思う。

 

「流石に何か考えた方がいいかな」

 

 これで撃たれたのは2回目だ。危なかった事も含めて数え始めたらキリがない。

 キヴォトスにおいて脆弱すぎるのはもう致し方ないとしても、無策でいるのはまたヒナみたいに傷つく子を生み出しかねない。

 

 

『ん、先生が望むなら24時間365日一緒にいる』

 

『怪我をしたらいつでも呼んでくださいね。どこにいても何百キロ離れていてもすぐに駆けつけますから』

 

『やはりここはエンジニア部に頼んで専用の全身アーマーを...いやでもこの前の爆発騒ぎで予算が...だったら来年分の予算を注ぎ込めば...』

 

 

 こんな感じで他の生徒達にも心配されている。

 生徒達に迷惑をかける手段は論外だが、やはり何かしら策は考えておくべきだろう。アロナ任せにしてしまうと不測の事態に対応できない事だってある。

 

 そんな事を考えていると部室の扉をノックする音が聞こえた。

 

 

「どうぞ」

 

「こんばんは、先生」

 

 

 入ってきたのはヒナだった。

 特に驚きはしない。あの夜から彼女は1週間に数回シャーレに通うようになったのだから。

 

 

「この前より少しクマが目立ってるね。何かあったの?」

 

「美食研究会がひと暴れしてくれたせいで対応に追われてたの」

 

「あぁ...なるほど」

 

 

 そんな会話をしながらヒナと共に備え付けの仮眠室へと向かう。

 部屋に入るなり制服を脱ぎ、楽な格好になったヒナがベッドに横たわる。

 

 

「いい夜ね...先生は今日はもう大丈夫?」

 

「うん、やる事は終わったから気にしないで」

 

「ありがとう。じゃあ...お願い」

 

 

 ヒナの言葉を合図に彼女の手を握る。すると1分もたたないうちに彼女の口から寝息が聞こえてきた。

 

 

「お疲れ様。頑張ったね」

 

 

 そんな言葉をかけると、彼女が少し微笑んだような気がした。

 

 ヒナがシャーレに来る目的は寝るためだ。

 あれからも一人の夜はなかなか寝つくことが出来ず、睡眠不足になりがちらしい。ただ、こうして私が手を握っていると不思議なくらいに熟睡できるのだとか。

 

 来る度にクマが出来ていて、今もこうして実際にすぐ寝てしまったのだから嘘ではないのだろう。

 今この時間が彼女にとっては数少ない安眠の時間なのだ。素直に頼ってくれるのは嬉しいけど、生活リズムがガタガタなのは間違いない。

 

 このままではまた別の理由で倒れかねない。今はまだこのままにしておくとしても、何かしら考えておく必要はある。

 彼女の穏やかな寝顔を眺めながら、自分もベッドに頭を乗せて目を閉じた。

 

 

 

 

 

空崎ヒナは過保護になる 《完》

 

 





圧 倒 的 ハ ッ ピ ー エ ン ド
ヒフミさんも大喜びですね!

ここまでお読みいただきありがとうございました!
嘘をついて倒れたユウカや事故を誘発させたムツキと違い、今回はヒナに全く非がなかったので書くのが難しかったです...!

ヒナを甘やかしまくった後に「あはは...楽しかったですよry」して絶望させたい...その後さらに目一杯甘やかすんだ...!
これで自然に依存させることが出来る! かんぺき〜。

次回はノアのお話になります。
その後はフウカ(確定)→マリーorヒフミorシロコorおじさん
の4択になってるのでそのうちまたアンケートすると思います。リクエストをもらったヒフミが優先されるかも...?



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生塩ノアは先生を失う①


お待たせしすぎて申し訳ない...!

やっと仕事の方が落ち着いてきました...! そして来月からまた忙しくなるという地獄....。
でもこの2ヶ月よりはマシなのでチマチマ進めていけると思います。
ユウカ...土下座するからマジで仕事手伝って...。





 

 

 〜シャーレ部室〜

 

 15時53分12秒、先生が本日5回目の欠伸をした。

 

「じーっ...」

 

 自分のやるべき仕事を片付けて、お気に入りのメモ帳を手にしながらペンを走らせる。

 初めはユウカちゃんから話を聞いただけで、その時の彼女が少し楽しそうに話していたから興味本位で近づいてみたのだが、想像以上に観察しがいのある面白い人だった。

 

 書類整理をしているのに、毎回わざわざ一度ペンを置いてコーヒーカップを手に取ったり、考え事を始めるとボールペンで頬をペチペチと叩いたり、探せば探すほど些細な癖が見つかる。

 

 

「...」

 

 

 無駄な雑音がない静かな空間だからこそ、目の前にいる先生に集中できて細かい動きが良く分かる。

 時折、顔の向きを変えずに目だけでチラリと私を見てきていること、ペンの動きから何の文字を書いているのか、どんな書類に対応しているのか。

 他の人ならどうでも良いと思うであろう事も、私は全てメモ帳に事細かに書き込んでいく。

 そんな私だからすぐに気がついた。

 

「先生、わざとですね?」

 

 私が指摘すると先生は左手で持っていたコーヒーカップを机に下ろす。そして観念したように苦笑いをコチラへ向けてきた。

 

 

「やっぱりバレるかぁ...さりげなくやってみたつもりだったんだけど」

 

「いつも見てますから。普段よりソワソワしてたので何か企んでいるのも分かっていましたよ?」

 

「ノアには敵わないね」

 

 

 そう言うと先生は右手に持っていたペンを置いてコーヒーカップを掴んだ。やはりこっちの方が見ている側としてもしっくりくる。

 

 ここまでじっくり観察したくなるのはユウカちゃんみたいに特別な感情を持っているからなのか、それともただの興味本位なのか自分でも分からない。むしろ親友でもある彼女の恋路を観察しながらも応援しているつもりだ。

 でも、今のは記憶力に自信のある私だからこそ出来る先生とのやり取り、特別な会話だと思うと少しだけ優越感が湧いてくる。

 

 

「もう私の行動もほとんど把握されちゃったかな?」

 

「そうでもありませんよ? 最近になってようやく分かってきたこともありますから」

 

「それなら、いつかはノアに一泡吹かせられるかなぁ...」

 

「ふふっ、楽しみにしてますね」

 

 

 半ば諦めたように呟く先生に笑みを返す。

 先生と初めてあった時から何度もこうして一緒に仕事をしている。そのたびに新しい発見があって、彼の一挙一動が頭の中にある先生へのイメージに色をつけてくれる。

 当番の日は先生の手伝いと言うより、こっちの方がメインになっているかもしれない。未だに好奇心が尽きる事は無いし、観察すればするほどその意欲は湧いてくる。

 

「そう言えばノア、ひとつ聞いても良いかな?」

 

 メモ帳に視線を戻そうとしたところで名前を呼ばれ、再び顔を上げて先生を見る。

 それが億劫だとは微塵も思わない。先生と話す度に新しい発見があるから、今度は何があるのだろうかと逆に自然と笑みを浮かべてしまうくらいだ。

 

 

「なんでしょうか?」

 

「ノアなら私の癖も大体は把握できてるんだよね?」

 

「そうですね...全てではありませんけど、先生本人よりも把握できている自信はあります。それがどうかされたのですか?」

 

 

 

 この先生の声のトーンは真面目な時のものだ。心なしか表情も普段の穏やかな笑みではなく、偶に見せてくれる真剣な表情になっていた。そんな彼の姿を見ていた私も自然と顔が強張るのを感じ、返ってくる先生の言葉を待つ。

 

「もし気になる癖があるなら教えて欲しいかなって。それで生徒達に不快な思いをさせたくないから」

 

 出てきたのは実に先生らしい言葉だった。それを聞いた途端に顔の緊張がほぐれていく。

 常に生徒のことを第一に考えている先生の姿に思わず笑みを浮かべそうになったが、相手が真剣そのものなのでこちらも真面目に考えてみる事にした。

 

「気になる癖ですか。そうですね...」

 

 ボールペンのノックカバーの部分を唇に当てながら思考を巡らせる。が、間も無く一つの単語が頭の中に浮かんできた。

 

 

「浪費癖でしょうか」

 

「ゔっ...」

 

 

 心当たりがあると言うレベルではないくらい露骨に視線を逸らされた。

 この癖を知っているシャーレの部員がどれくらいいるのかは分からない。ただ私はユウカちゃんと同じセミナーだから散々その件については彼女の口から聞かされているし、なんなら先生の第一印象を聞いた時にユウカちゃんの口から飛び出したのも無駄遣いに関する事だった気がする。

 

 

「ちゃんとアプリへの課金は抑えてますか? 5000円以上の買い物は事前にユウカちゃんに許可をとっていますか? 領収書もしっかり保管しておいてくださいね」

 

「やめて...ユウカがもう1人増えた気分になるから...」

 

「ふふっ」

 

 

 耳を抑えて机に突っ伏す様を見る限り、今月もユウカちゃんのお説教コースは確定しているのかもしれない。

 先生自身、ユウカちゃんに対して反抗的な気持ちがあるとか、嫌いだとかそういう不の感情は微塵も無いだろう。むしろ全幅の信頼を寄せているのは間違いない。

 だからこそ彼女の言いつけを守れない先生の浪費っぷりは、誰が見ても疑いようもなく悪い癖と言える。

 

 生徒会室でプリプリ怒りながら先生の出費を話すユウカちゃんも可愛いので、そういう点では先生の浪費癖を治すのは勿体ない気もするが口には出さないようにした。

 

 

「浪費癖は良くない事ですが、それ以外については気にする必要ないと思いますよ。それに治すべきものは別として、行動の関する癖というのは大事なことだと思います」

 

「どうして?」

 

「誰だって自覚が無い癖の一つ二つはあります。個人的な考えにはなりますが、その癖は個人を結びつけるために必要なものだと思うんです」

 

「う〜ん...」

 

 

 目の前にいる先生が腕組みをして唸り始めた。少し言い方が遠回しすぎたのかもしれない。最近読んでいた本の表現を使ってみたのだが、いざ言葉にしてみるとなかなか使い所が難しい。

 

 

「“癖”というのは言い換えればその人の“特徴”の一つでもあります。例えば話し方一つでも語尾を伸ばしがちだったり、特定の言葉を良く使ったり、イントネーションも含めてその人ならではの話し方をする人、先生の周りにもいらっしゃいませんか?」

 

「確かに思い当たる生徒は結構いるかも」

 

「その生徒達がもし、いきなり癖のない普通の話し方を始めたらどうでしょう?」

 

「それは...違和感を感じるかな。何かあったのか心配になるかもしれない」

 

「それは先生の中で“この話し方=この生徒”という形で結びついているからだと思います。話し方に限らず歩き方や相槌、会話以外の日常的な癖もその人らしさが出てくる部分ですから。癖はその人を認識するための大事な要素の一つ、私はそう考えてます」

 

 

 当然、先生の癖もたくさん記録してあるし頭の中にも刷り込まれている。

 その本人が無意識にとっている行動のどれもが些細であっても大事な事。特に人一倍記憶力がある私だから、その一挙一動を鮮明に憶えてしまっている。

 今から無理矢理にでも癖を修正されたら、脳が先生を先生だと認識してくれなくなってしまうかもしれない。

 

 

「だから、癖は無理して治す必要は無いと思いますよ。治した分だけ先生らしさが無くなってしまいますから。もし治した方がいい癖が見つかったらお伝えするのでご安心ください」

 

「分かった。ありがとうノア」

 

「あ、でも浪費癖は治してくださいね」

 

「...頑張ってみるよ」

 

 

 また視線を逸らされたがこれ以上は追求しない。この件に関しては私じゃなくてユウカちゃんの領域だから。

 今度からユウカちゃんに先生の毎月の使用金額を聞いてみよう。金額によって怒り方がどう違うのか観察してみるのも面白いかもしれない。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 翌日

 〜セミナー生徒会室〜

 

 シャーレの当番から一夜明け、普段通りに生徒会室の扉を開けると先に来ていたユウカちゃんが唸りながら書類と睨めっこをしていた。

 

「お疲れ様です、ユウカちゃん」

 

 こっそり近づいて耳元で囁いてみようかと悪戯心が湧き上がってきたが、真面目なところに水を差すのは気が引けたので普通に声をかける。

 やや遅れて彼女が顔を上げて、フリフリと手を振ってきた。

 

 

「ノアもお疲れ様。昨日はどうだった?」

 

「先生と情熱的な1日を過ごしました♪」

 

「そう、順調だったのね」

 

 

 軽い冗談もあしらわれてしまい、せめてもの抵抗としてムッとした表情を向けてみるが彼女は再び書類に視線を落としていた。

 ちょっと前まではこの程度の冗談でも動揺していたのだが、揶揄いすぎたせいで慣れてしまったのかもしれない。もしくは機嫌がよろしくないのか、また新しい内容を考えよう。

 そのままユウカちゃんの前まで歩き、上から覗き込むように書類を見てみる。

 

 

「ユウカちゃん、先程から唸っていたようですが何の書類ですか?」

 

「ん? あぁ、これの事なら別に大したものじゃないわよ」

 

 

 そう言うと彼女は私へ紙を差し出してきたので、遠慮なく受け取って文字列に目を走らせてみる。

 几帳面な彼女らしく丁寧に書かれた金額と思われる数字と文字、その内容を見た途端にこの書類の意味を理解して苦笑いする。

 

 

「ユウカちゃんも苦労してますね」

 

「やりたくてやってる事だから良いけど...ここまで苦労するとは思わなかったわ...」

 

 

 ユウカちゃんが唸っていた原因である書類。それは先生の毎月の出費金額と内容をまとめたものだった。

 ただ一覧を書いてるだけでなく、毎月の最高出費額や部門毎の出費額、購入回数など彼女なりにいろんな側面から統計を取っている。

 

 

「もう、どうして毎回毎回こんなにも衝動買いするのよ...。これを抑えるだけで大幅に出費を減らせるのに」

 

「ストレスが溜まると衝動買いしたくなる人もいるみたいですね。先生も日々激務に追われているので、それが原因だったりするかもしれませんよ?」

 

「ストレスね...。それこそ私達に出来ることってあるのかしら?」

 

「ユウカちゃんが通い妻になって先生を癒してあげれば良いと思いますよ♪」

 

「かっ...通いづ..」

 

 

 “通い妻”と言う単語に反応したのか、先程とは違って彼女の顔が明らかに赤くなっていく。もしかしたら、そうなった時の自分と先生のやり取りを想像してしまったのかもしれない。

 なるほど、どうやらそういう弄りはまだまだ良いリアクションを期待できそうだ。大袈裟に咳払いしてコーヒーを飲む姿が可愛らしい。

 

 

「さ、流石にそこまで時間は取れないから無理ね。それに先生の事だからokを出さないでしょ」

 

「えぇ、私もそう思います。今のは咄嗟の思いつきなので忘れてください」

 

 

 そう、この案は誰よりも先生が許可してくれないだろう。

 生徒第一に考える先生の事だから、シャーレに通い詰める事でその分だけ生徒の時間を奪ってしまうと考えるはずだ。

 

 そしてもう一つ、特定の生徒がシャーレへ頻繁に出入りすれば先生がその学園へ肩入れしているという誤解を招く可能性。

 シャーレは基本的に中立的な存在なので、先生の立場を危うくするだけだ。“誰か”の先生ではなく、“みんな”の先生なのだから。

 

 

「明日はユウカちゃんが当番の日ですよね。その時に探りを入れてみてはどうでしょうか?」

 

「そういうのあまり得意じゃないのよね...。ま、一緒に買い出しへ行く予定だから観察してみるわ」

 

「あら、デートですか?」

 

「先生が無駄遣いしないためのお目付け役よ」

 

 

 やっている事はどう見ても通い妻のレベルを超えているような気がする。ただ、目の前のユウカちゃんは少し不機嫌気味なので、これ以上は弄らないようにしておこう。

 なんだかんだ言いながら当番翌日の彼女は機嫌が良いので、今回もきっとそうなるはずだ。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 翌日

 〜セミナー生徒会室〜

 

 ユウカちゃんが当番の日は私が代わりに彼女の仕事を行う事が多い。と言っても計算能力やお金のやりくりは彼女の方が上手なので、私がやる事といえばお金関連の仕事を整理しておく事ぐらいだ。

 

「ほらよ! 今回の請求書だ!」

 

 目の前に勢いよく突き出されたレシートの束を受け取る。やたらと長い請求書、その10項目あたりまで目を通したところで全て読み切るのを諦めた。

 

 

「これはまた...ユウカちゃんが頭を抱えそうですね」

 

「あ? 別に前回より減ったからマシだろ?」

 

「ネル先輩、普段の請求金額から考えると1000円の増減は誤差の範囲ですよ?」

 

「〜♪」

 

 

 お世辞にも上手とは言えない、露骨に誤魔化すような口笛を吹きながらネル先輩が生徒会室から出ていった。と言うより逃げた。

 特に追いかけるつもりはない。ここで何か行動を起こしたところで請求額が減るわけではないし、C&Cはしっかり与えられた任務をこなして帰ってきた。

 請求書の束をクリップで止め、ユウカちゃんが指定した引き出しの中へしまい込む。

 

 この後は他の部活は顔を出しながら提出書類の確認、ついでに“おいた”をして再び反省部屋に放り込まれたコユキちゃんの様子も見に行こう。

 頭の中でこの後のスケジュールを立てながら自分の仕事を片付けていく。そんな時、机の上に置いていた携帯から着信音が響いた。

 

「っ!?」

 

 それを聞いた途端ドクンと心臓が跳ね上がり、先程までリラックスしていた全身に力が入った。

 この着信音はセミナー所属生徒間でのみ使用されている緊急回線の音だ。リオ会長はどこかへ行ってしまわれたので、この緊急回線の発信者は1人しかいない。

 

「ユウカちゃん...!」

 

 今、ユウカちゃんは先生と一緒にいるはずだ。なのに緊急回線がかかってくると言う事は、彼女1人では対処出来ないレベルの事態が起こったという事。

 身体の硬直を振り切り、慌てて机へ駆け寄って携帯を引ったくるように手に取ると、深呼吸を入れて通話ボタンを押す。

 

「ユウカちゃん、どうしましたか?」

 

 出来る限り冷静な声を出すように意識した。嫌な予感しかしなかったが、受け取る側であるコチラが慌てていたら更なる動揺を与えかねない。

 

『ノア..』

 

 一瞬だけ別人かと思ってしまった。

 聞こえてきた声は掠れていて震えている。間違いなく通話越しのユウカちゃんは泣いていた。

 

『ノア...どうしよう...』

 

 今まで聞いたことのない彼女の声。この状況で新たな一面の発見を喜ぶほど、非道な人間になったつもりはない。

 嫌な予感は大きくなる一方だが、だからこそ冷静にならなければならない。一度、携帯を離して深呼吸をしてから再び携帯を耳に当てる。

 

 

「ユウカちゃん、落ち着いてください。何があったのですか?」

 

『先生が...先生が...!』

 

 

 その後の言葉を聞いた私はこの後の予定を全てキャンセルし、生徒会を飛び出した。

 

 





期間が空きすぎてキャラが崩壊していないか心配ですねぇ!

まーた先生が犠牲になってるよ...。
そろそろ兎隊の続編も来るだろうし、出来ればミヤコを庇って狐隊に撃たれて欲しい。
そして涙を流しながら絶望するミヤコとブチ切れる他3名、そして想定外の出来事に動揺する狐隊(特にニコ)を見たいんだ...。



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生塩ノアは先生を失う②


今年の夏はセミナーの水着を拝みたいですなぁ。
そしてノアの水着を褒めまくって赤面した姿を観察するのと同時に嫉妬するユウカが見たい。




 

 

 〜D.U.シラトリ区病院〜

 

 ユウカちゃんからの緊急連絡を受け、ミレニアムから飛び出して交通機関を使い夕日が沈み始めた頃、ようやくシラトリ区の病院に辿り着いた。

 受付でユウカちゃんの名前を出し、ミレニアムの学生証を見せると係の人がすぐに案内してくれた。

 

 通された場所は手術室の前、未だに『手術中』の赤いランプが光っており、それを目にした途端により一層強く心臓が跳ね上がる。

 そして、その扉の前で私の大切な友人が蹲っていた。

 

 

「ユウカちゃん!」

 

 

 病院内であることも忘れて大声で名前を呼び、彼女の元へと駆け寄る。

 近寄った彼女の制服は少し汚れており、髪も少し乱れていて几帳面なユウカちゃんらしくない姿だった。

 

「ノア...」

 

 力なく顔を上げた彼女の顔は悲しみと後悔に染まっていた。それだけで先生が非常に危険な状態である事が分かる。

 

 

「どうしよう...私っ....がいたのにっ....先生がっ....あ、頭から血が止まらなくて....っ」

 

「ユウカちゃん...」

 

 

 目に涙を浮かべ、つっかえながら話す彼女の姿は見ていられないくらい痛々しかった。素直な性格で顔に出やすいからこそ、その表情が語る悲痛な彼女の精神状態にこちらも心臓が締め付けられそうになる。

 こんな状態のユウカちゃんをこれ以上傷つけるような真似はしたくない。でも、今のままでは状況が把握できないのも事実だ。

 

「何が...あったんですか?」

 

 私は意を決して彼女に尋ねた。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 本日の当番だったユウカちゃんと先生は予定通りに備品の買い出しに出かけた。その帰り道に対立していた不良生徒グループ同士による大規模な抗争に巻き込まれたらしい。

 生徒達が銃を撃ち合う事自体はこのキヴォトスでは珍しいことでもない。実際、ユウカちゃんと先生は冷静に激戦地を避けながら行動していたそうだ。

 

 しかし、不良生徒が戦車を持ち出した事で状況が一変。

 強大な範囲攻撃によって吹き飛ばされた大きな瓦礫が死角から飛んできて、運悪く先生の頭に直撃してしまった。

 先生は意識を失って頭から大量の血が流れ続けていたらしい。そして叫ぶように先生を呼ぶユウカちゃんの声を聞き、近くにいた人が救急車を呼んでくれた結果今に至る。

 

 

「何も出来なかった...っ! 頭が真っ白になって...身体が動かなくて...ずっと先生を呼んでただけで私っ...」

 

「違いますよ。ユウカちゃんが叫んでいたからこそ、近くにいた人が気づいてくれたんです。思うように動けない状態で、ユウカちゃんは出来ることをしたんです」

 

 

 延々と後悔を口にするユウカちゃんを抱きしめながら、彼女の言葉を出来る限り優しく否定する。

 実際、私がその場にいて冷静な対処が出来たかと問われれば自信はないと答える。いきなり先生が血を流しながら倒れたとなれば、パニックに陥るのはおかしな話ではないだろう。

 そんな中でユウカちゃんの叫びは人命の危機を周囲に知らせる役割を果たした。彼女は何も出来なかった訳じゃない。

 

 そんな想いも勿論あったが、それ以上にどんどん後悔の底に沈んでいく彼女の姿を見ていたくなかった。

 

 

「....っ」

 

 

 泣き続けるユウカちゃんの背中をさすりながら手術室の方を見る。『手術中』のランプは点灯したままだ。

 もう何時間も経ったような気がする。到着した時間を記録していないから、実際にどれくらい経過したのかは私でも分からない。ただただ長い時間をこの場で過ごしたような感覚だった。

 

 

「ユウカちゃん、大丈夫...大丈夫ですから」

 

 

 簡潔で何の根拠もない気休めだ。今まで色んな文学に触れて得た語彙力はどこに行ったのか。

 何も出来ずにひたすら待つ事しか出来ない時間が苦しい。余計なことまで考えてしまいそうになる。

 もしかしたら、先生はもう────なんて最悪な考えが浮かんでしまう自分を引っ叩きたくなった。

 

 時間が経つにつれて自分でも落ち着きがなくなっていくのが分かる。それでも取り乱さずにいられるのはユウカちゃんがいるから。今の私の役目は崩れ落ちそうになっている彼女を支えること。その役目が私を支えてくれていた。

 

 

「あ...っ」

 

 

 永遠に続くのかと思える時間を過ごしていると突如、腕の中でユウカちゃんがピクリと動いた。

 

 

「ユウカちゃん?」

 

「ノアっ...消えた...」

 

「消えた?」

 

 

 まるで幼児のように単語だけで話す彼女へ首を傾げたが、その視線は私の方を向いていなかった。

 釣られるようにユウカちゃんの視線を辿ってみると光の消えた『手術中』の看板があった。

 

「あっ...」

 

 図らずも同じ反応をしてしまった。その光が消えたということは手術が終わったことを意味する。

 しかし、その先に待っている結果が必ずしも望んだものになるとは限らない。命に関わる怪我をしたというのなら結果は天国か地獄かの2択だ。天秤は必ずどちらかに傾く。

 

「っ...!」

 

 ユウカちゃんが私の服をギュッと握ってきた。怖がっている。この先に待っている結果を聞くのを恐れているんだ。

 それは私も同じだ。『きっと大丈夫ですよ』、そんな一言だけでも掛けてあげられれば良かったのに、言葉が喉で詰まってしまいユウカちゃんを励ます余裕が無かった。

 

 手術室の扉が開け放たれ、執刀を務めたと思われる人が出てきた。

 そしてその後方、手術室の中に先生を乗せたストレッチャーがあるのが見えた。今すぐにでも駆け寄れば結果が分かる。

 しかし、それを見ようとせずに私は執刀医の方へと向かった。

 

「あ、あのっ...先生は────」

 

 冷静になろうと努めたのにそこから先の言葉が出てこなかった。まるで言葉が喉にへばりついているように、この先を聞けば悪い答えが返ってきてしまうような気がして。

 

 言葉に詰まった私と後ろで座ったまま不安そうに見つめているユウカちゃん。執刀医は私たちを交互に見ると、疲れ切った顔で口を開いた。

 

 

「...一命は取り留めました」

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 翌日

 〜ミレニアム生徒会〜

 

 寿命が縮まるような思いをした一件から一夜が明け、私とユウカちゃんはいつも通り生徒会室で業務に励んでいた。

 昨日は途中で仕事を放り出してしまったのでその分も片付けなければならない。ならないはずなのに────

 

 

「ユウカちゃん、少し休暇にしませんか?」

 

「え? う〜ん...もうちょっとだけ頑張るわ」

 

「ダメです。さっきから集中できていませんよね?」

 

 

 私の指摘にユウカちゃんの手が止まった。いや、ほとんど動いていなかったから止まるという表現はおかしいのかもしれない。

 効率よく時間配分も考えて動く、そんな普段の彼女からは想像もつかないくらい業務が進んでいなかった。

 

 

「先生の事が気になるんですよね? 気持ちは分かりますが今のままでは効率が落ちるだけですよ」

 

「...そうね」

 

 

 思いの外あっさりと彼女は業務を中断し、重い足取りでまだ半分も残っているコーヒーのおかわりを注ぎに向かった。

 結果として先生の命は無事だった。手術の時間や担当した方々の疲弊しきった様子からも相当な激闘だった事が分かる。結果を聞いたユウカちゃんは再び泣き崩れ、私も零れ落ちそうになる涙を堪えて彼女を支えていた。

 

 しかし、未だに先生の意識は戻らない。

 

 今の時間を考えれば事故が起きた日からちょうど丸一日経ったぐらいだろう。意識が戻りしだい病院から連絡が来る手筈になっているのだが、ユウカちゃんの携帯が鳴る事はなく、こまめにスマホを確認する彼女の姿を見るたびに私も辛くなってくる。

 頭部への大怪我なのだから多少は仕方ないと分かっている。でも、時間が経つにつれて不安が大きくなっていくのも事実だ。

 

「私の方に連絡が...なんてある訳ないですよね..」

 

 ユウカちゃんにはああ言ったけど集中できていないのは私も同じだ。彼女よりは進んでいるものの普段の6割程度のペース。先生の件を引きずっているのは一目瞭然だった。

 私ですらこの様なのだから、当事者のユウカちゃんの心境は計り知れないものだろう。きっと恐怖や不安だけでなく、あの時の後悔や自身への憤怒に押し潰されそうになっている。

 

 出来る限り表に出さないように努めているのは良くも悪くも彼女らしい。そしてそれが上手く実行できず、側から見ても調子の悪さが丸分かりなところも彼女らしかった。

 

 

「...少し外の空気を吸って来ますね」

 

 

 やけに小さく見える彼女の背中に声を掛けて、返事も待たずに扉を開けて生徒会室から出る。

 外の空気を吸いたかったのは本当だが、それよりも今のユウカちゃんをこれ以上見ている事に耐えられなかった。彼女が1番苦しんでいるのだから、こういう時こそ私が支えてあげないといけないのに。

 

 

「先生...先生ならこういう時どうしますか?」

 

 

 返ってくるはずもない疑問を誰もいない空間に投げかける。

 答えが見つからない。彼女の事は自分が1番分かっているつもりなのに、彼女が落ち込んでいる時にどうすれば良いのか記録していたのに、ここまで追い込まれているユウカちゃんにどう対応すれば良いのか分からない。

 

 こんな時に先生がいれば、なんて都合の良い考えしか浮かばない今の私は無力だ。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 1週間後

 〜D.U.シラトリ区〜

 

 何も策を見出せないまま、時の流れに身を任せるだけの日常は早くも1週間が経過した。

 そして今日は先生が入院している病院へお見舞いに行く日。ユウカちゃんは既に3、4回ほど通っているが私は今回が初めてだ。

 

「ユウカちゃんからの連絡は無し...と」

 

 スマホの通知を確認し、何もない事に少し落胆しながらポケットにしまい込む。

 仮に先生の意識が回復したのなら、すぐに私にも連絡をくれると思う。だから何もないという事はそういう事だ。

 あれからユウカちゃんの笑顔を見ていない。他の生徒と話すときは笑顔を見せるが、それは無理して貼り付けたような薄っぺらいものだった。

 きっと病院にいるユウカちゃんは暗い顔をしているのだろう。そう考えただけで適当な口実を作って引き返したくなってくる。

 

 

「おや〜? そこにいるのはセミナーの書記さんかな?」

 

 

 悪い思考に浸っている私を呼ぶ声があった。

 ハッと顔を上げてみると桃色髪にピンと目立つ大きめのアホ毛、黄色と青のオッドアイ 、そして小さな体にアビドスの校章。

 目の前にいる人が誰なのか見間違えるはずもなく、私は咄嗟に笑顔を貼り付けてお辞儀をする。

 

 

「ホシノさん、お疲れ様です。先生のお見舞いですか?」

 

「そうそう。いや〜、アビドスから結構距離あるからね〜。おじさんに長旅は辛いよ〜」

 

「...歳はほとんど変わらないはずでは?」

 

 

 女子学生らしからぬ発言に思わず首を傾げるが、『うへ〜』なんて言いながら欠伸している姿を見て、先程のおじさん発言は彼女なりのジョークだと気がつくのにさほど時間は掛からなかった。

 

 

「あ、そうそう。入れ替わりでそっちの会計さんが来てたよ。当事者とはいえ随分と暗そうだったけど大丈夫なの?」

 

「大丈夫、とは言い難いですね...。ユウカちゃんにとって先生はとても大きな存在ですから」

 

「ま、気持ちは分かるよ。大切な人を守れないのは辛いよね」

 

 

 気怠そうな表情から一転、閉じかけていた彼女の瞳が開かれて綺麗なオッドアイが私を見据えてくる。

 急に真面目な雰囲気を纏った彼女の姿に思わず息を呑む。過去に何かあったと思わせるような言葉だ。いや、この言い方は実際にあったのだろう。恐らくこの人は誰かを守れずに失っている。

 そんな私の思考を読み取ったのか、ホシノさんは再び表情を崩してニヘラと緩い笑みを見せた。

 

 

「そう言えば思ったよりココも騒ぎになってないね〜。しっかり情報統制は出来てるんだ?」

 

「えぇ、トリニティやゲヘナ、他の学園も連邦生徒会の指示を守って下さっているようですね」

 

「意外と協力的なんだね? どこかは指示を無視すると思ってたけど」

 

「私もそれは危惧していましたが、今回は対象が先生ですからどの学園も従わざるを得なかったのでしょう」

 

 

 事件の翌日、事態の全容を把握した連邦生徒会は各学園の上層部にのみ事実を通達。同時に他の生徒には一切口外しないよう緘口令を敷いた。

 当然と言えば当然の措置だ。この事実がキヴォトス中に知れ渡れば各学園が混乱を極めるのは目に見えている。それだけ先生の存在は大きいのだから。

 ふと、彼女は腕時計に目をやり、目を瞬かせて「ありゃりゃ」と声を上げた。

 

 

「もうこんな時間だ。病院で時間を使いすぎたかな? そろそろ帰らないとセリカちゃんに怒られそうだし、おじさんは帰るね〜」

 

「はい、お気をつけて」

 

「気遣いありがと〜。アイスでも食べながら帰ろっかな〜」

 

 

 寄り道する気満々な彼女の背中へ向けて手を振り、私もユウカちゃんと先生の待つ病院へ急足で向かった。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 〜シラトリ区病院〜

 

 病院からの指示通りに受付から少し離れた案内所でミレニアムの学生証を見せ、自身がセミナーである事と先生の見舞いに来た件を伝える。

 病院でも情報統制はしっかり行われているようで、そのまま先生の病室へと案内してもらえた。

 

 先生が入院しているのは人通りが少ない病院の最奥。まるで隔離されているような感じだ。

 案内されるまま辿り着いた扉の前に立ち、係の人が離れた事を確認して遠慮がちにノックをしてみる。

 しかし、返事がない。

 

「ユウカちゃん? 先生?」

 

 声をかけてみても返事は無かった。

 おかしい。ユウカちゃんはとっくに到着しているはずだ。それに先ほど会ったホシノさんもユウカちゃんとすれ違ったと言っていた。この場にいないはずがない。

 先生は当然としてユウカちゃんの声も聞こえない事に、思わず嫌な予感が頭の中をよぎる。

 

 その時、扉の向こうからバタバタと駆けてくる音が聞こえ、次の瞬間には目の前の扉が勢いよく開かれた。

 

「ノア...」

 

 扉を開けたのはもちろんユウカちゃんだった。

 私が来るのを忘れていたのだろうか、少し驚いたようなら表情を見せている。そんな彼女の姿を見て少なからず安堵する自分がいた。

 

 

「ユウカちゃん、居たなら返事をしてください」

 

「ごめん。ちょっと...考え事をね」

 

 

 ちょっと怒ってみたがユウカちゃんの反応は鈍いものだった。本当に別の何かを考える事に気を取られているようで、謝りながらも視線は病室内の方に向いている。

 

 

「ユウカちゃん?」

 

「...とりあえず入って」

 

 

 答えはそこにある、と言わんばかりにユウカちゃんはさっさと室内へ戻って行ってしまった。

 落ち込み続けていた今までとは違う、また見たことのない新たな彼女の様子に困惑しながらもその背中を追う。

 そしてそこで私が目にしたものは

 

 

「先生...!?」

 

 

 ベッドから上半身を起き上がらせていた先生の姿だった。

 全く想定していた無かった光景に息が詰まる。見えている範囲で観察してみるが間違いない、私の知っている先生がいま目の前で確かに起きている。

 

 その事を認識した途端にドッと疲労感と歓喜が同時に押し寄せてくる。少なくともこれで一安心だ。ここから退院までまだ時間を要するかもしれないが、時間が解決してくれる問題なら焦る必要はない。

 ようやく目を覚ましてくれた先生に色々とかけたい言葉はあるが今は冷静を装い、こちらを凝視してくる彼の側へと寄って口を開く。

 

 

「良かった...いつの前に目を覚まされたのですか? とりあえず連邦生徒会と各学園にも報告を────」

 

 

 スマホを取り出そうとした手の動きが止まった。

 別に不測の事態が起きたわけじゃない。今も先生は変わらず私を凝視している。

 

 ────いや、それがおかしい。

 

 私の知っている先生は『心配かけてごめんね』や『お見舞いに来てくれてありがとう』と何かしらの一言は言ってくれる人だ。

 なのに目の前にいる先生は私をただ見ているだけだった。まるで小さな子供が初対面の相手を観察するような動きに見える。

 今の先生が普通じゃないのは明白だった。

 

「...ユウカちゃん?」

 

 先生の異常を感じた私はユウカちゃんの方を見てみるが、彼女は先生へ視線を向けたまま微動だにしない。怒りか、困惑か、悲壮か、全てがごちゃ混ぜになっているようなその表情から感情を読み取る事はできなかった。

 だが、恐らく彼女は答えを知っている。そう考えれば先程の彼女の様子にも説明がつく。

 

 そして彼女が私を室内へ招き入れたということは、その答えを今から私へ見せようとしているという事になる。

 

「あ、あの...先生?」

 

 もう一度先生へ呼びかけてみる。出来ればこの嫌な予感が気のせいであって欲しいと願いながら。

 そんな小さな願いに応えるように先生が口を開き────

 

 

「君は...誰?」

 

 

 粉々に打ち砕いてきた。

 





いつも余裕を崩さないノアのメンタルを揺さぶるついでにユウカも曇らせる。
4つお話を書いて3回入院とか先生貧弱すぎませんかね?
ワンパターンになるのはあまりよろしくないのですが、曇らせるのに最も手っ取り早い手段がこれなので...。次(フウカ)とその次(未定)は別パターンで行きたいところですねぇ。




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生塩ノアは先生を失う③



また投稿間隔がかなり空いてしまった...。
人手が足りないのが悪いんだ...便利屋を雇ってアルちゃんに面倒な仕事を全部押し付けて白眼を剥かせてあげたい...。




 

 

「君は...誰?」

 

「え...?」

 

 疑問に疑問で返してしまう。先生が言い放った言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。

 この台詞は聞き覚えがある。いや、見覚えがあると言うべきか。

 少し前まで読んでいた小説、その中で事故にあって倒れた登場人物が入院先の病院で同じ言葉を言っていた。

 

 先生のそれは記憶喪失の人が言う台詞だ。

 

 なぜ先生がそんなことを言うのか。持ち前の記憶力を頼りに過去の発言を思い出してみても、そんな言葉は今まで一度も言われていない。

 

 

「先生? 流石に...冗談が過ぎますよ?」

 

 

 少しだけ怒気を込めて言い放った。少しだけ呼吸が苦しくなっている自分に目を背けながら、目の前にいる先生が次の瞬間には笑顔を見せてくれることを祈りながら。

 しかし、先生の表情は崩れることなく無表情のまま私を見つめてくるだけだった。

 

 

「...そういえばこの前お渡しした資料はご覧なられましたか? 次のミレニアムで行われるイベントでは先生のお力を是非お借りしたいと考えておりまして」

 

「...」

 

「こ、この前の当番でお話しした先生の癖についてなんですが、もし先生がよろしければ浪費癖の治し方を伝授しますよ?」

 

「...」

 

 

 きっと今の私の姿は酷く滑稽なことだろう。

 何を話しかけても先生から応えが返ってこない。自然と手にギュッと力が入って爪が掌に食い込む。室内は冷房が効いているはずなのに額から汗が流れてくる。

 

「ユウカちゃん...その..」

 

 助けを求めるようにユウカちゃんの方を見る。

 もしかしたら彼女も先生と組んで私を脅かそうとしているのではないか。日頃から私に弄られている仕返しとして、こんなタチの悪い芝居をしているのではないか。

 

 

「先生...ノアを見ても思い出せないんですね」

 

 

 小さな希望は彼女の発言によって再び無惨に打ち砕かれた。

 更に荒くなってくる呼吸を抑えつけて平静を装う。それに対してユウカちゃんは比較的冷静に見えた。ある程度気持ちに整理をつけているのか、それとも私と同じか。

 

「...」

 

 唖然として口を開くことすらできなくなってしまった私を見て、申し訳なさそうな表情を浮かべながら先生が口を開いた。

 

「...ごめん」

 

 冗談の色を微塵も感じない謝罪の言葉。

 先生は私たちのことを忘れてしまったのだと認めざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 3日後

 〜セミナー生徒会室〜

 

 先生の記憶喪失が発覚してからは怒涛の日々だった。普段の業務に加えて今回の件を連邦生徒会と各学園への伝達、今後の対応など2人で手分けをしながら進めていき気がつけば3日が経過していた。

 

 病院側からの話によると、会話や生活行動、知能面に記憶障害の影響は見られず日常生活を送るだけなら問題は無いらしい。数日の検査を受ければすぐに復帰できるとのこと。

 自己認識に関しては一人称の混濁など多少の忘却はあるが、名前を含めて自分自身に関する質問はだいたい回答できたそうだ。

 

 しかし、私たちの記憶────正確に言えばキヴォトスに来てからの記憶は綺麗さっぱり抜け落ちてしまっていた。つまりキヴォトスに来る前の状態に戻ってしまったということだ。

 

 それが致命的だった。

 

 このままではシャーレへ復帰したところでキヴォトスでの記憶が丸ごと失った状態なのだから、これまでと同じようにシャーレでの業務に励むのは不可能だ。

 しかし、長期間の入院は他の生徒たちに不信感を与えかねないから可能であれば早めに復帰する必要はある。

 現時点で今回の件を知っているのはごく僅かな人間だけだが、ただの入院とは違って記憶喪失は簡単に公に出来るような問題ではない。

 

 リスクを承知で思い切って公表してみてはどうか。そんな意見もあったが先生の影響力を知っている者、その全員が善人とは限らないので却下。この数日はひたすら連邦生徒会を含め各学園と会議を重ねた。

 

 

「ノア、ちょっとこれを見て欲しいんだけど」

 

 

 ユウカちゃんに呼ばれて彼女の前へ行き、机越しに彼女が差し出した紙を受け取る。

 それはスケジュール表だった。先生の退院予定日から数ヶ月後までのシャーレ当番の生徒の名前が書かれている。

 

 会議で決定したこと。それは先生の記憶が戻るまでこの事実を知る生徒のみでシャーレ当番を回すことだった。

 不満をなるべく抑えるために、表向きは重要な会議を重ねるために各学園のトップがしばらくの間シャーレ当番に入ると公表。実際に先生の業務のサポートをしながらその間に何とか先生の記憶を取り戻すという作戦。

 

 しかし、それで不満を抑えられる期間にも限界がある。結果的に数ヶ月分の当番を抑える事に成功したが説得に苦労した学園もあったとか。いわゆる悪い大人が勘付く可能性も考えると実際は数ヶ月も猶予はないかもしれない。

 先生が記憶を取り戻す可能性も含め、策とは言えないぐらい不確定要素の多い考えだが今はこれに賭けるしかない。それぐらいこちらにも余裕はなかった。

 

 先生のキヴォトスにおける影響力の大きさが、今この状況では大きな足枷になってしまっていた。

 

 

「....あら?」

 

 

 ユウカちゃんからスケジュール表を受け取って間もなく、ある違和感に気がついた。いや、違和感と表現するにはあまりに露骨だ。

 

 先生復帰初日から最初の2週間、全て私が当番になっていた。それだけではない、その後も明らかに私の当番の回数が多い。

 

 

「ユウカちゃん、これはいったい...?」

 

「会議で決定したことよ。毎日入れ替わるよりも、1人が集中的に教えた方が効率よく仕事を覚えられる。だから最初の2週間は貴方に任せることになったの」

 

「それは確かにそうですが、その後も当番の回数が多くありませんか?」

 

「あぁ、それはね...」

 

 

 そこで一度言葉を区切り、ユウカちゃんは作業を行なっている手を止めて私の方をジッと見つめてくる。

 数日前まで悲壮に染まっていた瞳も今はもう私の知る普段のユウカちゃんのそれになっていた。先生が助かったという事実が大きいのだろうが、そんな彼女の姿を見る度にいちいち安心してしまう。

 

 

「ノアなら先生の細かい行動まで記憶してるでしょ?」

 

「それは...確かにそうですね」

 

「先生が記憶を失う前後での違いは私でも分かるけど、貴方ならより細かい違いに気づくことが出来る。同時に変わっていない部分にも気づけると思うの」

 

「つまりそれを見つけ出してほしいと?」

 

「それが先生が記憶を取り戻すヒントになるかもしれないわ」

 

 

 記憶を取り戻す方法が分からず時間もない。少しでも多くの情報を得ることで何かしらの手がかりにしようということだろう。

 そういう意味では先生の些細な行動パターンや癖まで記憶している私が指名されるのは必然と言える結果なのかもしれない。

 

「よく他の学園が納得してくれましたね」

 

 思わずそんな言葉がポツリと漏れた。

 先生は基本的に中立の立場だから特定の学園に肩入れするような真似はしない。それは学園側も同じことでシャーレの当番は基本的に各学園が平等に入るようになっている。

 だから一部の学園の生徒がシャーレに頻繁に出入りするような事があればすぐ噂となり、シャーレを引き込もうとしているのではないかと変な憶測が立てられることもある。

 

 それなのに私が2週間も続けてシャーレの当番になるというのは明らかな不平等だ。恐らくこれに反発していた学園だってあっただろう。

 では何故、各学園が最終的に納得してくれたのか

 そんなの考えるまでもなかった。

 

 

「それだけ手段を選んでる余裕は無いという事よ」

 

 

 ユウカちゃんが呟くように吐いた言葉が全てだった。

 連邦生徒会も含めてキヴォトスに存在する学園が今回の件を重く見ている。平等という暗黙の了解を破る事すらも厭わないくらい。

 つまり、私の役目は非常に重要ということになる。もちろん私に任せるだけでなく様々な形で記憶を取り戻す手段を探るだろうが、一番近くで先生を見る機会をこれだけ与えられているのだから収穫なしという結果は許されないだろう。

 

「ごめん...ノアに負担をかける形になって...」

 

 私の考えを汲み取ったのかそれとも顔に出てしまっていたのか、ユウカちゃんが申し訳なさそうに謝罪をしてくる。

 正直言って不安だらけだった。記憶力に自信はあってもそれが果たして今回求められている結果に結びつけることができるのか。仮に成果を出せなければ私を推薦したであろうユウカちゃんにも迷惑がかかるかもしれない。私次第でキヴォトスの行先が左右される可能性もある。

 今まで感じたことのない極大な重圧が身体にのしかかってくるような気がした。それでも────

 

「ユウカちゃんが気にする事ではありませんよ。私に任せてください」

 

 彼女の悲しむ顔をこれ以上見たくない。私に期待してくれている彼女の想いに応えたい。そして先生を元通りにしたいのは私も同じ。

 だから自分を鼓舞し不安に蓋をするように、自信ありげな表情を顔に貼り付けて見せた。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 数日後

 〜D.U.シラトリ区〜

 

「そろそろ予定の時間...ですね」

 

 指定の時刻5分前。普段ならとっくに部室へ入って先生と談笑している時間だ。

 学生証をかざしてビルの入り口を潜る。ボタンを押してからエレベーターの到着、乗ってから目的の階層までの待ち時間がやけに長く感じた。

 普段は気にしない静かなエレベーターの動作音が耳に入り、自分が普段よりも集中していることを自覚させられる。

 

 初めてシャーレに来た時と同じ、いやそれ以上に今の私は緊張していた。

 先生と会うのは記憶喪失が発覚したあの日以来だ。だから記憶喪失後の先生がどう変わっているのか全く予想がつかない。

 エレベーターの扉が開き、少し間を開けて足を踏み出す。通路の先に見えるシャーレの部室から明かりが漏れているので、既に先生は到着しているという事なのだろう。

 

「....ふぅ」

 

 胸の奥底に溜まっている負の感情と一緒に息を吐き出す。部室の前まで歩き、もう一度深呼吸してから扉をノックした。

 

 

「どうぞ」

 

 

 聞き慣れた声が扉の先から聞こえてきた。幾度となく繰り返してきたやり取りが変わらず行われた事に安堵し、緊張が少しだけほぐれた気がする。

 そう、この先にいるのは先生なのだから緊張する必要などない。記憶を失って少し違うところがあったとしても、先生であることには変わりないのだから。

 

「失礼致します」

 

 その勢いで扉に手をかけて横にスライドさせる。

 扉を開いた先にあったのは見慣れた部屋、見慣れた家具、見慣れた書類の山。そして見慣れた人物がそこには立っていた。

 

 

「先生...」

 

 

 当然といえば当然なのだが、いつも通りの服装を身に纏う姿はどう見ても私の知る先生だった。何も変わっていない光景にまたホッと心の奥底で一息つく。

 そんな先生は私の方を見て少し驚いたような表情を浮かべていた。

 

 

「君は確か病院に来てくれた...」

 

「はい、生塩ノアと申します。ノアと呼んで頂けると嬉しいです。これからしばらくは仕事のお手伝いをさせて頂くので、改めてよろしくお願いしますね」

 

「うん、よろしくね。僕の事は...自己紹介しなくても君の方がよく知ってるかな?」

 

「...っ!?」

 

 

 一瞬、背筋が凍るような感覚に襲われた。

 先生は今、自分自身のことを“僕”と言っていた。私の知っている先生は常に自身を指す一人称は“私”を使っていたのに。

 たった一つの単語、一人称なんて人によっては状況に合わせて変えたりすることだってある。この程度の変化なんてそこまで深く気にしてはいけない。

 なのに私の目に映る先生が全く知らない別人になってしまったような気がした。

 

「ノア、どうかしたの?」

 

 すぐ近くで聞こえてきた先生の声にハッとなる。ボーッとしてしまっていたのか、いつの間にか先生がすぐ目の前まで来ていて心配そうにこちらを覗き込んでいた。

 

 

「いえ、すみません...」

 

「何か気に障るところでもあったかな? 自分自身のことも少し忘れちゃってる部分があるみたいだから、何かあったら遠慮なく言ってね」

 

「お気になさらないで下さい。こうして先生とシャーレでまたお話しできるのが嬉しかったので少々浸ってしまっただけですから」

 

 

 そうだ、自己認識にも多少の影響があったと病院からの報告にもあった。だから今のように私の先生に対する認識とズレが生じてしまうのは仕方のないこと。きっと記憶が戻れば一人称も元通りになるはずだ。

 

「では早速始めましょうか」

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 1時間後

 

「────と、ここまで何かご不明な点はありますか?」

 

「ううん、今のところは大丈夫」

 

 仕事を1から教え直す。それが一体どれほど大変なことなのかと身構えていたが、想定よりもトントン拍子で進めることができていた。

 先生が大人だからなのか、それとも記憶を失う前にやっていた事を身体が覚えているからなのか。どちらにせよ仕事における基本的なスキルはそこまで失われていないようで、この調子なら今後のシャーレ業務は予定通りに進められそうだった。

 

 

「少し不安だったけど何とかなりそうだよ。ノアの教え方が丁寧なおかげかな」

 

「ふふっ、お上手ですね」

 

 

 お世辞かどうか分からない言葉に自然と笑みが溢れる。いや、先生のことだからお世辞ではなく本音なのだろう。

 ここまでの先生は一人称以外の違和感がない。資料を見る時間が多かったので先生をまじまじと観察していたわけではないが、そもそもの声が変わっていないからか記憶を失う前の先生と話している時と同じ感覚だった。

 

「あら、もう1時間も経っていたみたいですね。少々お待ちください」

 

 大きな懸念点が一つ解消できたところで時計の短針が一つ進んでいたことに気づく。

 先生に一声かけてその場から離れると事前にセットしておいたコーヒーメーカーから2人分を注ぎ、零さないようにゆっくりと先生の右側にカップを置いた。

 

「先生、コーヒーをお持ちしました」

 

 いつもなら業務が始まる前に私が準備しているのだが、今日は色々と余裕がなかった為ここまで忘れてしまっていた。今更ながらそれに気づいたのも心に余裕が出来たからなのかもしれない。

 

「ありがとうノア。早速頂くよ」

 

 

 そう言うと先生は“右側にあったコーヒーカップを左手で持ち上げた”。

 

 

「え...」

 

 

 再び悪寒が背筋を震わせる。

 私の知る先生はどんな時でも必ず右手でコーヒーカップを持ち上げる。ペンを持っていたとしてもわざわざ置いてから手に取っていた。それは先生自身も自覚している癖だったはずだ。

 

 

「先生...左手だと持ち辛くないですか?」

 

「うん? まぁ、こっちの方が飲みながら作業もできるからね」

 

 

 さも当然のように返事をして、先生は空いた右手で私から受け取ったマニュアルを捲っている。

 前に似たような会話をした時は『ペンを置いてでも右手で取った方が飲みやすくて良い』と言っていたのに。

 

 

 何かが切れたような音がした

 

 

 実際に聞こえたわけではない。私の中にある先生と目の前にいる“先生”を繋げていた何かが切れたような感覚。

 

「...私も少し休憩にしますね」

 

 少し上擦った自分の声に気づきながらも色んなものを流し込むようにコーヒーを啜る。

 自己認識に多少のズレがあると報告があったからこれも仕方の無いことだ。一人称の違いに気づいたさっきと同じこと、別に動揺する必要なんてない。

 

 頭では分かっているはずなのに以前の先生の姿が頭から離れなくて、悪い意味で心臓の鼓動が速くなっている。目の前にいる先生が私の知らない行動をしている事に動揺してしまっていた。

 

「うーん...」

 

 そんな私の動揺などつゆ知らず、先生は考え事をしているようでボールペンのノックカバーの部分を頬にグリグリと押し当てていた。

 

「違う...」

 

 三度襲ってくる悪寒。先生に聞こえない程度だったが思わず否定の声が漏れた。

 私の知る先生は考え事をする時、ノックカバーで頬をペチペチと叩く癖があった。グリグリと押し当てるような行動なんて見たことがない。

 

 またプツリと切れる音がした。

 

 この二つの癖はシャーレに来る度に必ず目にしていたものだ。記憶違いだなんてあるはずがないし、私にとっては先生らしさを感じ取れる行動だった。

 なのに目の前の先生はそれを否定してくるかのように私の記憶とは違う行動をしてくる。

 

 

 もしかして姿が同じなだけの別人なのではないか? 

 

 

 そんな愚かな疑問が頭の中で首をもたげる。

 

「ノア? ちょっとこの部分で聞きたいことがあるんだけど」

 

 それでも変わらない先生の声を聞いて反射反応の如く身体が跳ねるように動く。

 

「あ、はい。どの部分でしょうか?」

 

 笑顔と声を作って側へと駆け寄る。その人に対して大きくなっていく不信感から目を逸らしながら。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 数時間後

 

「よし、これもだいぶ理解できたよ。ありがとうノア」

 

「...」

 

「ノア?」

 

 

 変わってしまっていた。

 今まで見て記憶してきた先生の持つ癖の数々、それに仕事や行動のパターンまで変化してしまっている。

 変化に気づく度に何度も自分に言い聞かせてきた。

 先生は記憶喪失の影響で変わってしまっているだけだと、だから仕方のないことであって深刻に捉える必要はない。

 

 

 でも、そう簡単な話ではなかった。

 

 

 理想と現実の乖離。

 記憶通りに先生なら次はこう動くと視界にイメージを作っても、この人は全く違う動きをしてくる。その度にイメージの先生との距離が離れていく。

 

 記憶力に自信があって一度見たものを詳細に把握できてしまうからこそ、以前の先生の動きが脳に焼き付いてしまっていて、今ここにいる彼が違う動きをする度に私の中にある先生とこの人を結びつけていたものが無くなっていく。

 違う部分に気づけば気づくほど結びつけていたものは次々と切れていき、この時すでに完全に切れる一歩手前まで来ていた。今はもうこの人が私の知る先生とは別人に見えてしまう。

 

 

「知らない...こんな先生は知らない...」

 

「ノア?」

 

 

 彼が私の名を呼んでいる。気づいているのに私はジッと彼の目を見つめていた。

 癖や行動パターンはその人らしさを表す重要な要素の一つ。この人には私の知る先生らしさを表す行動や癖が無かった。

 

 

 ────先生は記憶喪失だから仕方ない。

 ────この人は私の知る先生じゃない。

 

 

 理性と感情が頭の中で喧嘩して、脳がミキサーでかき混ぜられているような感覚に吐き気がしてくる。

 

「“僕”の顔に何かついてる?」

 

 再び聞いた先生なら言わない一人称。それを聞いた途端、ギリギリ繋ぎ止めていたものがプツリと切れてしまった。

 

「あの...一つ伺ってもよろしいでしょうか?」

 

 

 ────やめろ。

 

 

「どうしたの?」

 

 

 ────相手は記憶喪失なんだから。

 

 

「貴方は...」

 

 

 ────変化があるのは仕方のない事だ。

 

 

「貴方は本当に...先生ですか?」

 

 

 自分の感情に抗えなかった私は最悪の言葉を口にしてしまった。





完璧に記憶してしまっているかつての先生の姿と今の先生のギャップに苦しむ様を書きたかったけど難解になってしまった気がががががが。抽象的な表現が多いから上手く伝わらなかったら申し訳ねぇ...。
超が付くほど理性的なキャラだから崩すのが難しいですわ...。

それはそれとして今回のハフバ限定キャラはハナコでしたね!
予想外ではありましたがストーリー上ではトリニティ内でもトップクラスの人物なので納得と言えば納得ですし、強いハナコを使えるのは素直に嬉しいですなぁ(お迎えできるとは言ってない)。

とりあえず水着キャラはゲマトリア化も覚悟で全員引く予定です。
理由? もれなくエッチだからだよぉ!


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