後藤ひとりの英霊召喚 (TrueLight)
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うんめいのひ
あるところに一人の少女がおりました。
「ちゅうがくさんねんかん……けっきょくバンド組むどころか友達すらできなかった……」
少女の名前は後藤ひとり。中学校の卒業式を終え、同級生たちが別れを惜しんで遊びに繰り出す中で、誰からも声をかけられず、寄り道一つせず帰宅した女の子です。
さめざめと涙を流しながら、特に感慨も無さそうに中学の制服を脱ぎ、そして飾り気のない部屋着に着替えました。すると、ひとりは指先にかさりと。上着のポケットの中で紙片が触れるのを感じました。
「……は、は、ハハ……」
それを取り出し、正体を確認したひとりは渇いた笑いを漏らします。広げられたそれは正方形の紙。奇怪な模様が描かれたそれは、見る人が見ればこう表現できるでしょう。魔法陣であると。
数日前に、誰あろう彼女本人が描き上げたものでした。ノートPCに張り付き、あるWEBサイトに記載されたものを丁寧に描き写したものです。ちなみにそのサイトのタイトルは、【使い魔召喚! 君だけのお友達を呼び出そう!】という胡散臭いものでした。
それなりの時間をかけて描いたものの、「わたしなにやってるんだろう……」と我に返り、ポケットに突っこんだまま放置していたのです。こんなもので友達が出来るなら苦労しない、と。
しかし、この時の少女は精神的にキていました。進学する高校が違っても連絡を取り合おうと番号を交換したり、あるいは同じ進学先だと手を合わせて再会を約束するキラキラした同い年の少年少女を目にして。音もなくその場を離れたひとりは己を卑下しながら現実逃避しようとしていたのです。
「じゅうごねんも生きてきて、友達ひとりもいないどころか、こんなの描いちゃうなんてどうかしてるよね。いないよこんな女子。きしょうせいぶつだよ……つちのこ。そう、わたしは後藤つちのこ……」
手元の紙片を死んだ魚のような目で見やり、ひとりは自らをUMAと定義しつつ自室の足元、畳の上にそれを放りました。
「わたしがつちのこだったら、それって都市伝説てきな存在ってことだよね……だからこの都市伝説てきな召喚魔法もきっとうまくいくはず……」
ひとりはついに現実から目を背けました。同級生の子たちが。周りが当たり前に持っている
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公──」
もちろん、ひとりは本当にそれでキセキが。自分だけのお友達だなんてものが呼び出せるなんて欠片も信じてはいません。いわばこれこそが、彼女の卒業式なのです。在校生の送辞も、先生方の祝辞も、卒業生の答辞も。何ひとつ心に響かず、体育館の床を眺めるに終始したあれは、彼女にとっては断じて人生の区切り足りえないのです。
だから彼女は、どうか、何かしら、些細でも良いことが起こったらなぁ、だなんて曖昧な願いを抱きながら。それ以上に、これまでの自分との決別を祈っていました。仲の良い同級生一人作れず、図書館でばかり過ごしていた過去の自分にさようならをするために、ひとりは馬鹿馬鹿しい儀式を行おうとするのです。
「
繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する──」
そういえば、この魔法だか儀式には……触媒? 生贄、みたいなものが必要だったなぁ、などと今更になって思い返したひとりは、視界に入っているちょうどよく不要なもの、先ほどまで自分が中学生だった証である
そして、それはいよいよ
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ……!」
瞬間、ひとりは自分の身体から不可視の何かがどこかへ流れるのを実感しました。じわじわとその身が虚脱に包まれていく感覚。彼女にとっては、そう。体育祭のクラス対抗リレーで走っている時のような。クラスメイトからかけられる
「高校でもあるのかな……無いといいな……」
ひとりの部屋は、
ゆえに、しばらくの間。自室に見知らぬ男性が、どこからともなく現れたことさえ視界に入らなかったのです。
「──フン、貴様か。不届きにも
「もしあったら今度こそ仮病で……あぁむりだ、嘘ついて休むなんてできないから今までも参加したんだし。氷風呂でも入ってほんとに風邪ひくしか……」
「……
その男は尊大で、そして明らかに普通の人間ではありませんでした。逆立った金髪に、同じく黄金の鎧で身を包んだ美青年。紅い瞳は鋭くひとりを見下ろし、その背後には何やら光り輝く波紋が広がっていました。口調からは微かに苛立ちが滲んでいます。
「──はっ。いけないいけない、これから変わるって決めたんだ……」
そこでひとりが意識を取り戻したのは奇跡だったでしょう。畳に落としていた視線をがばっと上に向けます。結局この儀式でお友達を呼び寄せることは出来なかったけど、自分が孤独な存在から卒業するための区切りとしては十分だ。高校ではせめてバンドを組めるよう、今日もギターの練習をするんだ──そんな決意から、彼女は無意識に立ち上がったのです。
そして仰いだ先には、無表情に腕を組んだ金の美青年。この時、ようやくひとりは自室に不審者がいることを認めたのでした。
「……どっ。どっどっどちゅらしゃまでしょぅきゃ……」
ガタガタと震えながら、ひとりはなんとか口を開きました。涙目で。卒業式に参じてくれた家族は階下にいるはずでしたが、助けを呼ぶことは思いつきもしませんでした。それほど、目の前の人間(?)から目を背けることは危険だと本能が警鐘を鳴らしていたのです。
それはきっと、どうにかひとりが首の皮一枚で生還した理由のひとつでしょう。
「──愚にもつかぬ惰弱な凡骨の類だったか……」
男は、哀れみを以て目の前の小動物に首を振りました。
30分ほどが経ち。男の威光にあてられ、ただでさえ低い言語能力が幼児レベルまで後退したひとりと、当の威厳たっぷりな彼はどうにか現状の把握に成功しました。つまりひとりが紙片の魔法陣により男を呼び出したのだと。少女は召喚者で、男は使い魔であると二人が認識したのです。結果。
「くっ、くっ、くっ……クハハハハハハハハ!! 魔術の素養もない凡愚が!
男は心底面白いと、天井を仰いで大きく笑い声を上げました。
「ククク……己を畜生に貶め、よもや不要になった装束如きでこの
何がそんなに楽しいのか分からないひとりは、びくびくと肩を震わせながらも男を諌めようとします。
「あっ、あっ、あの……家族にき、聞こえちゃいますから……」
「
そう言えば、とひとりは廊下に繋がる障子を見ます。それなりの年月を過ごしている家ですから、男の声量であれば両親が不審がって部屋を訪れてもおかしくありません。と言いますか、男を諌めた時点で手遅れだったでしょう、間違いなくひとりを心配して訪ねてきたはずです。
しかし、それはありませんでした。不思議な儀式で呼び出された不思議な男が、言葉通り不思議な力で部屋に人を近づけず、そして音すら漏らさないようにしていると納得するのです。
「じゃ、じゃあどれだけギター練習がうるさくても怒られない……?」
ひとりは真っ先に頭に浮かんだそれを思わず口にしました。それを聞き漏らさず、ぴくりと耳を震わせた男はひとりを見下ろしました。
「なんだ貴様、楽器をやるのか。良かろう、奉ずることを許す。ヒトの形を模した爬虫類の演奏だ、多少の無様は見逃してやろう」
ギターという言葉に興味を惹かれたらしい男は、どこからともなく取り出した、嫌味はなくとも華美な椅子に腰を下ろし。腕を、足を組んでひとりに命じます。
「そら、奏でてみせよ」
「──────えっ。えぇ!!??」
男が現れてからジェットコースターに乗っているかのような展開に。パニックに陥ったひとりはついに叫びました。
「もう一度だ」
「ひゃ、ひゃぃ……」
男の有無を言わせない物言いに、もたもたと準備を整えてギターを弾き始めて、すでに1時間が経っていました。一度ひとりの演奏を耳にした瞬間から男は神妙な表情を浮かべ、何度もひとりに命じます。
人前で演奏したことが無いだとか、1対1で見つめられ続けながらだと気まずくて集中出来ないだとか。不格好な演奏を謝りつつも、もにょもにょと実力を発揮できない言い訳を口にするひとりを、意外なことに男は叱責しませんでした。
ただただ、もう一度弾けと。それだけをひとりに求め続けました。
もう終わってくれと祈りながら、ひとりはそれに従い続けます。そうしてまた幾ばくかの時間ギターを奏でると、ようやく男は別の言葉を口にしました。
「……不細工な音色だ」
「すっ、すみません……」
椅子に腰掛けた顔色の読めない男が、畳に座り込む泣き出しそうなひとりを見下ろします。
「不甲斐ないとは思わんのか?」
それは初め、目の前のどうやら偉いらしい男性に不出来な演奏を見せていることに対する説教かと思われました。しかし。
「貴様がどれほどその楽器に親しんだか。どれほど音に向き合ったかなぞ容易に分かる。ゆえに解せんな……確かに貴様は畜生にも等しいほどに矮小よ。しかし、貴様の積み上げた過去はその道のヒトにも劣るまい」
迂遠で古風な物言いもあって気づくのが遅くなりましたが、確かにそれはひとりの腕に対する評価でありました。
「貴様は恥じるべきだ。この
「──っ」
それは間違いなく、尊大な男の激励でした。お前がもっと上手に弾けることはわかったから。緊張して失敗して、それを繰り返して辛いだろうけれど。今までの練習を、重ねた時間を思い出して頑張れ、と。そのような応援の言葉でした。
「…………っ」
ひとりはどうしてだか、さっきまでの息苦しさからではない、熱くなる胸から雫がこみ上げてきました。ですが泣く訳にはいきませんでした。なんとなくではありますが、それは言われたように自分も。そして励ましてくれた男をも貶めるような気がしたのです。
だから、ひとりは自分を奮い立たせるために、退路を絶ちました。
「──もう一度。もう一度だけ、弾かせてください!」
「良かろう、己の吐いた唾だ。最後の好機だと心得よ」
「はいっ!」
そしてひとりは。一部でギターヒーローと呼ばれる、プロと遜色無い腕前を誇るギタリストは。出会ったばかりの黄金の男に、自身の限界を叩きつけたのです。
「ぜぇ、ぜぇ……」
魂を燃やし、少女は肩で荒く呼吸を繰り返しました。
対して男は──胸がすいた様な面持ちで、どっかりと椅子に背を預けました。男もこの時、自身が前のめりに少女を見ていたことに思い至ったようで、口元に弧を描きます。
「──喜べ雑種、褒めてやろう。この
呼吸を整えながら、ひとりは男の顔を仰ぎ。そこに楽しげな表情を見つけてへにゃりと笑いました。自分の演奏は、この人を楽しませられたのだと。
その心を察することなど、出来ようはずもありませんでしたが。
「クク、この世界が
「あ、あの……?」
顎に手を当て、ニヤニヤとなにやら口走る男に、どこか不穏なものを感じたひとりはおずおずと話しかけました。
ですが、またも強制搭乗のジェットコースターは急発進します。
「もはや無聊を慰めるには貴様の生態を観察する他無い。友を求めて儀を行ったと抜かしたな? あぁ勘違いするな、
「──えっ。えぇ……?」
こうして後藤ひとりは、奇妙な金色の男とともに、高校生活に臨むことになったのでした。
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やさしいおうさま
中学校卒業の日、後藤ひとりはインターネットの怪しげなサイトを参考にオトモダチ召喚の儀式を行い、全身が黄金に包まれた男を呼び出しました。残念ながら友とはなれませんでしたが、男を使い魔として主従契約し。その後無事に高校へ進学してしばらくが経ちます。
その中である日、そういえば名前を聞いてないなと思い至ったひとりは、なけなしの勇気を振り絞って男に尋ねましたが。
『貴様のような雑種に
そう袖にされ、結局教えてもらうことは出来ませんでした。しかし、ひとりはちょっぴり嬉しくなっていました。自称が発端とは言え、つちのこ、と呼ばれるのはニックネームのようで可愛らしく思えましたし(当社比)、王様と呼ぶのも浮世離れした特別感がありました。
まぁほとんどは貴様とか雑種と呼ばれるのですが。どんなに尊大だろうと、ひとりは自分を愛称で呼んでくれる王様に少しずつ親しみを覚えていきました。それ以上に恐ろしくもありましたが。
中学の卒業式以来、ひとりが王様について知り得たことはさほど多くありません。しかし、王様に限らず召喚した使い魔というのがどういう能力を備えているかについては理解が深まったでしょう。
例えば霊体化。これにより王様は完全に人間から不可視となり、壁をすり抜けて移動したりできます。幽霊状態ですね。反して実体化。これはほとんど人間と同じような状態に移行します。
また、召喚者と使い魔の間には魔力的な繋がりがあり、ある程度離れていてもテレパシーのようなもので会話が出来ます。王様によれば彼は特別とのことで、なんと学校と自宅ほど離れていても念話が可能でした。ひとりが家から高校へ通うのに2時間かかると言えば便利さが伝わるでしょう。
スマホで良いじゃんなどと思ってはいけません、何せ肉声を発することなく意思疎通出来るのですから。最初はひとりも不慣れでしたが、イマジナリーフレンズとのお話が功を奏し、早い段階で念話することが叶いました。
さて、これらの能力により、王様はひとりに憑いて学校へ同行し、彼女が友達を作れるか見守ったり、あるいは手助けをしようとしました。しかし。
『なにをジッとしている。今は小休憩なのだろう? そこな生徒にでも話しかけよ』
『あ、あぅ……』
『昼餉か……むっ。貴様同様に一人寂しく食事する者もいるではないか。群れるには丁度良かろう、誘うがいい』
『あぅあぅ……』
ひとりは王様の予想を大きく超えたコミュ障でした。陰キャでした。助言とは聞く側にそれを実行する能力が求められます。それがひとりには致命的に欠けていたのでした。
『見下げ果てた雑種よな……道化役すら貴様には荷が重いか。まぁよい、雌伏の時というヤツよ。この世界は
そんな言葉と共に、ただの一回で学校には憑いて来なくなった王様でしたが。以降、連日ひとりが肩を落として自宅に帰ると、それはもう毎日のように彼女の話を聞いてくれました。
『体育の授業がバドミントンなんですけど……女子が奇数だから余っちゃって、先生と……』
『羽根突きの類か。体調が優れぬからと休む者も居ただろう、そこに入ることは無かったのか?』
『あっ、見学する人がいると、一緒に休んじゃって……みんなで、お喋りしてて、こえ、かけられなくて……うぅ』
『同調圧力とやらか……いや、余りモノが加わることを嫌ったか? どちらにせよ下らん、取るに足らんうつけ共よ。そのような連中に交わっては貴様の底が知れる。しばらくは孤高を気取っていろ』
これはひとりにとって予想外のことでしたが、王様は決して彼女を見限りませんでした。学校に来てくれることこそ無くなりましたが、それは一緒に居たとしてもひとりの友達作りやバンドメンバー募集という目標に対して意味がないからで、家に帰ればそれなりに世話を焼いてくれました。
表面上は小馬鹿にした態度を見せますが、ひとりを心底から軽蔑するようなことは無かったのです。王様にとっては、優れた技術を持つ芸術家ほど常人離れした欠陥があるという既知に基づいた対応でしかありませんでしたが。
でしたが、そう。王様はひとりを、優れた演奏家だと認めていたのです。素直に口にすることはほとんどありませんでしたが。なのでひとりには、何故か自分を見捨てないで相手をしてくれる、ちょっと怖いけど良いお兄さんという印象に落ち着きました。
『いいんです、わたしはつちのこ……つちのこがラケットを振り回すこと自体おかしいんです。あっ、先生には悪いことをしましたね、わたしみたいなのとバドミントンだなんておかしな人と思われたかもしれませ……』
『チッ、また
『あっ。あいたっ。へぶぅ!?』
ひとりが落ち込んで自分の世界に入り込むと、往復ビンタで現世に連れ戻そうとするのが難点でしたが。王様は基本的に、彼女が現実逃避するのを見逃してはくれませんでした。例外は、ひとりがギターを持っているとき。煩わしい現実に目を、耳を塞ぐことが、ひとりの新たな表現に繋がることもあったからです。
『あぅ……いたぃですぅ……』
『
『はぃ、ぐす……ありがとぅごじゃいましゅ……』
涙目で。両手でほっぺたをもにゅもにゅと揉みながら、ひとりは王様に感謝をささげます。切なそうに唇を尖らせますが不満は漏らしません。反論を許してくれるお人でないのは明らかでした。
とまぁ、そんなこんなありつつ。でこぼこながらも、卑賎な召喚者と高貴な使い魔はそれなりに上手く主従関係を続けました。
「あっ。おっ、王様いますか……? こ、これどうですか? かか、かっこよくないですか……?」
そうして高校に入学してからひと月が過ぎた某日。テレビ番組の特集に影響されたひとりは、普段通学に着ている制服とジャージに加え、ギターを背負い。様々なバンドグッズを装備した格好で王様を呼びました。ちなみに王様は、ひとりが何も言わずともプライバシーを侵害しかねない状況下では霊体化してくれています。もっとも、王様の気分でそれは容易く崩壊するのですが。
と言うわけで、ひとりの着替えに気遣って紳士に姿を消していた王様は、彼女の呼び声に応じて姿を現してくれました。そして。
「ハーッハッハッハッハ! なんだその珍妙な格好は!? 美的センスの欠片も感じられんわ!!
紳士らしさは吹き飛び。王様、大爆笑。額に手を添えて天井を仰ぎながら哄笑しました。可笑しな装いそのものというよりは、その出で立ちをかっこいいと自賛する滑稽な
「あっ、えっ。へっ、変ですか……? へへ……」
王様の言い回しに褒められているのか
「変だなどという言葉では生温いわ! その姿で学び舎を跨いだが最後、
呵々と笑む王様の言葉にようやく馬鹿にされていると気づいたひとりは、どんよりと背を丸めながらバンドグッズをその身からパージしていきました。
そして最後にギターケースを下ろそうとすると、それまでニヤニヤとひとりを見ていた王様が、ふと真率な表情で待ったをかけます。
「ふむ……雑種。貴様の奇行は先のテレビとやらが発端であろう? であれば小道具とは違い、その楽器は多少なり
「あっ、いいんですか……? わたしみたいなつちのこが調子のってると思われませんかね……」
「えぇいそう卑屈になるなっ。
どんよりと前髪の隙間から王様の顔色を窺うひとりに対し、王様は鬱陶しそうに言いながら片手で彼女の顔面を掴みました。ひとりの顔はとても他人には見せられない、哀れなタコと化していました。
「ぷぎゅっ」
「よいか雑種……貴様は誰がなんと
無理やり重ねられた視線に。その紅い瞳に、最初は恐れを覚えました。しかしひとりは、彼の苛立ちが垣間見える眼を見て、それ以上に言葉を聞いて、申し訳なさが湧き上がりました。
羨ましいほどに自信満々で、言動の至る所からカリスマを感じる人が。王を自称するような、ひとりの目を以てして高貴な身分なんだろうなと察せられる男性が。自分を認め、発破をかけてくれることが不思議でなりません。果たして自分以外のギタリストを見て、演奏を聞いて、その上で自分を認めてくれるのだろうかと。
自分が運よく機会を得られただけで、王様が知見を広げれば取るに足らない存在だろう己が、身の程を弁えずに時間を奪ってしまっているのではないかと。
ですが、そんな考えをこそ口に出す訳にはいきません。王様の感性に口を出すなんて命知らずな真似はひとりには出来ませんでした。と言うか、彼女が少しそんな思考をしただけで、王様の眼光が鋭くなったのが分かりました。偉大なる王様には矮小な小動物の考えることなどお見通しのようです。
なのでひとりは結局のところ、王様の言葉を素直に受け入れ、こう口にするしかないのでした。
「はひ……。お、王様にみとめていただけたギターに誇りをもって学校いきましゅ……」
まぁあれやこれやと卑屈に思いながらも、王様が認めてくれて、そしてひとりの目標が達せられるのを応援してくれることは純粋に嬉しくありました。べちゃっとだらしなく笑いながら言うひとりに、王様は再び偽悪的な笑みを浮かべます。
「よくぞ宣ったぞ雑種。では楽器を携え出陣するがよい。ゆめ忘れるな、貴様は仮にも
「はっ。はい!」
王様の言葉をすべて理解はしていませんでしたが、それらを応援と受け取ったひとりは大袈裟に頷き。高校生活で初めてギターを背に家を出たのでした。
「──さて、どう転がるか……
二階の窓から外を見下ろし呟く王様の声は、もちろん玄関を出たひとりには聞こえませんでした。そして次の瞬間、王様の姿は掻き消えていたのです。
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ほごしゃづら
「きえてしまいたい……」
学校帰り。後藤ひとりは公園でブランコに座り、どんよりと肩を落としていました。その理由はもちろん学校での出来事に起因します。
『わっ、後藤さんギター持ってる。軽音部だっけ?』
『えっ!? あいやその違うんですけどぉ……』
『違うんだ?』
『じじじつはバンド組みたいなと思っててあっもちろんギターは弾けますへっ、へへ……』
『そ、そうなんだ。頑張ってね……』
テレビの特集と、使い魔たる王様の感想を参考にギターを背負って登校したひとり。それに対し、目論見通り席が近い女子生徒が話しかけてくれました。しかし、ひとり自身も振り返るに、明らかに気色の悪い笑みで対応してしまった結果、特に話が広がることもなくイベントは終わってしまったのでした。
楽器を携えるひとりに関心を抱いた生徒はその女子に限りませんでしたが、もちろんそのやり取りに彼ら彼女らは耳を傾けていた訳で。ぼそぼそと小さな声で、その上早口に語るひとりの不審な挙動を見聞きしてしまった同級生たちは、暗黙の了解が如くひとりへの接触を避けたのでした。
「おうさまに報告したらなんて言われるかな……笑われるかな……もしかしたら怒られるかも……せっかく話しかけてもらえたのに……うっ、うぅ……」
放課後を迎えて、逃げるように学校を出たひとりでしたが。ギターを持って行くよう背中を押してくれた王様のことを考えると、何の成果もなしに帰宅するのも躊躇われました。さりとて、高校を後にしてしまえばギターを背にした女子高生に話しかけてくれる人間なんてそう居る訳もなく、うじうじと公園で時間を浪費しているのです。
「……もう、帰ろう。王様も雌伏の時って言ってたし、こんなところで落ちこむ時間があったら練習しなくちゃ……」
ですが、しばらくするとひとりは顔を上げます。
かの尊大な王様を召喚してからというもの、ひとりは彼に認められながら罵られるという評価の乱高下に晒されてきました。楽器を褒められて、でもそれは矮小なつちのこにしては、という前提のもので。舞い上がってはいけないと、落ち込みつつ自戒すれば、されどその音は王様が耳にするに遜色ない出来だ、と褒めて貰えて。
自分の世界に閉じこもる悪癖からテンションのアップダウンが激しかったひとりに対するそれは、彼女に対する取扱いとして奇跡的なまでにマッチしたのです。つまり、ひとりは中学までに比べると多少打たれ強く、そして失意から立ち直るのが早くなっていました。
「これいじょう遅くなるとなに言われるかわかんないし……」
頬を王様の手が往復した記憶が脳裏を
(最近は動画投稿についても相談に乗ってくれるし、帰ったらその方向に話を逸らそう……)
呼び出したばかりの頃は現代の電化製品にさほど興味を抱いていなかった様子の王様でしたが、ひとりがPCで撮影や投稿をしているところを見て関心を持ったらしく。彼女が学校に行っている間にいつの間にやらパソコン操作をマスターしていました。
そして当然のようにひとりがネット活動をする上で使用している「ギターヒーロー」アカウントの運用に口出ししてくるのです。ひとりをして納得するような指示ばかりなので、彼女に否やはありませんでしたが。問題があったとすれば、数々の虚言がバレて死にたくなった程度でしょう。
ギターを持参して登校しても、特に友達が出来たりバンド仲間が見つかると言った成果が無かったことは一旦記憶から削除しつつ。帰宅してからはギターヒーローの活動について話すことで追及を避けようと狡いことを考えながら、ひとりは公園を後にしようとして──。
「あ! ギターーーーーーッッ!!!!」
背後からの大声に、肩を跳ねさせては転げました。
「そういえばひとりちゃんはバンド組んでないの?」
「メンバーが集まらなくて……」
ギターを携えたひとりをライブにと勧誘した金髪の少女は
──そして、そんな二人を後ろからにやにやと眺める不審な男が居ました。
(クク……十全とは言えぬまでも、やはり
お察しの通り、霊体化して一日中こっそりとひとりの傍に控えていた王様です。彼は多種多様な能力を宿した
「一人気になってる人がいるんだよね。ギターヒーローって名前で──」
ひとりに声をかけた少女はいかにも人の好さそうな娘で、しかもひとりの動画サイト上での活動名であるギターヒーローについても知っているようでした。
ひとりが偶然目にしたテレビ番組。それを受けて気まぐれ同然で家から持ち出したギター。背負ったままに放課後訪れた公園で、示し合わせたようにギタリストを探しているという少女との邂逅。それも彼女は、別名義とは言えひとりの別の顔を知っていました。
(雑種がこの
それから先を行く
例えば、薄暗いライブハウス内を唐突に
「私の家!」
「ここあたしの家なんだけど!!」
と自分のテリトリー扱いし始める
「ぃぃぃぃイキってしゅみましぇん……」
スタッフと顔合わせをする際に、気後れして無様に縮こまる道化っぷりであったり。
「……ド下手だ」
「!?」
ギターヒーローを知っている
「どっ、どうもプランクトン後藤です……」
「売れないお笑い芸人みたいな人出てきた!!」
心折れ、ついに
「きょっ、今日のところはおかえりください──っ」
「ここあたしの家なんだけど!?」
そして王様の腹筋は限界を迎えました。
「くっ。クックックック……」
ライブハウスどころか可燃ゴミを捨てる箱の中に籠城し、ライブ出演を拒否しだしたひとり。本心ではどうにか
「怖いならこれに入って演奏したら?」
「いっ、いつも弾いてる環境と同じです!」
「どんな所に住んでんの?」
「みっ皆さん下北盛り上げていきましょう!」
「ハーッハッハッハッハ!!」
ついには大きな声で笑い声を上げた王様でしたが、抜かりなく何らかの能力を行使していた彼は見つかることなく観察を続けました。
初対面とは思えないほど小気味良く漫才を繰り広げるひとりと
「初めまして! 結束バンドでーす!!」
勿論のこと、この後に行われた彼女たち結束バンドのライブを、王様は口元に弧を描きながら鑑賞しました。完熟マンゴーと印字された段ボールをガタガタと揺らしながら演奏する
これが王様自らに
約一名の奇行を除いてトラブルもなくライブを終え、ステージから控え室に三人が
「ミスりまくった~!」
「MC滑ったね」
「──あっ。あのっ!!」
(……ふむ。この辺りが頃合いか)
気が抜けた声色の
しかし、だからこそ王様はそれを盗み見ることを良しとはしませんでした。それは相応しい役者にのみ同席することが許されるべきであり、彼が耳にするには語り部が必要であると判断したのです。
「貴様、この店の
「えっ? あぁーっと……日本語通じるのか。はい、店長ですけど」
用は済んだとばかりに王様は店を出ようとしましたが。途中でドリンクカウンターに背を預ける女性の姿を見ると、霊体化を解いてその姿を現します。これも彼の異能によるものか、唐突に出現した金髪の美青年に驚く人間は居ません。もっとも、その
彼が声をかけたのは、ひとりがこのライブハウスに訪れる契機となった少女、
彼女も王様の整った容姿に思うところはありましたが、責任ある立場としてそれを表に出すことはありませんでした。
ちなみに王様は実体化する際に服装を現代のモノに切り替えており、輝かしい鎧によって不信感を煽ることはありません。白いシャツに前を開放したライダースーツの外国人が、果たして自然に受け入れられたかは
「そうか。
「チップですか? ありが──えっ!?」
王様が無造作に財布から取り出したソレを受け取ろうとして、海外の文化かと納得しかけた
王様は、ひとりのあずかり知らないところで衣類や相当の金銭を素知らぬ顔で調達していたのです。これも彼の有する異能を以てすれば簡単なことでした。
「えっと、気持ちは嬉しいんですが。ちょっとこれは……受け取れません」
極めて常識的に遠慮しようとした
「なぁに、この程度
そんな詭弁で納得できる訳もなく、困った様子の
「ふむ、そうさなぁ……。腑に落ちんと
「あの年の頃であればまとまった金を稼ぐのも容易ではあるまい。楽器なぞ触れておれば特にな。だが芸術と言うのはとかく金のかかるモノ。ゆえに、幸運にも
小難しい言い回しをしていても、ある程度の意思は
「──それじゃあ、預からせてもらいます。……ちゃんと全部、あの子たちのために使わせてもらうんで」
「ふはははっ、疑うべくもない誓言は要らん。あぁそれと、
今度こそ王様はSTARRYを後にしました。その背中が見えなくなるまで
誰も、王様がチケットの代金を払っていないことには気づきませんでした。
「そっ、それで私バンドを組んでライブすることになったんです。王様がギターを持って行けって言ってくれたおかげで……!」
夜。人生において最も輝かしい記憶の一つに数えるだろう一日を終えたひとりは、いつものように自室で今日の出来事を振り返っていました。報告相手はもちろん使い魔たる王様です。
「下らん、
「あっ、でもっ、わたし王様に感謝して……」
「
「はっ、はいっ。それでその、
椅子に腰を下ろし、気怠そうに。肘掛けに預けた腕で頭を支える王様へ、ひとりは焦った様子で報告を続けます。しかし表情はすぐに喜色を浮かべ始め、たどたどしく口を開くたびに顔が緩んでいきました。
ギターを始めて数年、今日までに何度も妄想し、
「でででも、ステージの後……次のライブまでには同級生に挨拶できるようになるって勢いで約束しちゃって……」
当然、願望が現実に起こったところでひとりのコミュ障が治った訳ではないので、その中でのやらかしを思い返しては顔を青くしたりもありましたが。
「
椅子に背を預けた王様に対し、ひとりは畳の上に
へにゃへにゃと頬を緩めたり、かと思えばサッと顔を青ざめるひとりの面相を見下ろしながら、彼女にとってみれば波乱であった一日の報告を聞いて。
王様の面持ちは、誰がどう見ても──。
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ほしがまたたくこんなよる
一応の
伊地知
例えば、バンドの活動費を稼ぐためにバイトを始めたり。インストバンドから脱却するために探していたボーカル担当をひとりが勧誘したり。その加入が叶ってからというもの、ギターを指導するために先生役となったり。
それらを帰宅したひとりから報告され、そのこと自体は
しかし、であればこそ王様は余計に解せませんでした。彼の知る世界とは似て非なるこの
「あっ、ただいま帰りました王様、へへっ……」
そうして物思いに耽っていると、卑屈な様子にも喜色を浮かべながらひとりが帰宅しました。もはや室内の畳間に似つかわしくない華美な椅子でくつろぐ王様に疑問を覚えることは無いようで、えへえへぺこぺこ頭を上下させながら彼の目前に腰を下ろします。
ちなみにひとりはいつも通りのジャージ姿で、王様はカジュアルな現代の服に身を包んでいます。この期に及んで鎧を始めとした武装が不要なのは明らかでした。
「えへ、へへっ……」
ちらちらと、緩んだ顔を隠そうともせず。その理由を尋ねてほしいなと前髪の隙間から王様の顔色を窺うひとり。
「……」
対して、じろり。王様は眼前の不躾な畜生を見下ろしました。機嫌の良い時には
なので態度で示していました。言いたいことがあるならはよ話せ、と。
「ぴっ──!?」
紅の眼光に射抜かれたひとりは、出し惜しみせず鞄から封筒を取り出しました。触らぬ神に祟りなし、不機嫌な王様に無用な言動は
「ききききょうはお給料日でぇ……はっ、はじめてバイト代をいただけたんですぅ……」
ぶるぶる震えながらひとりが見せた封筒。そこから頭を覗かせる
「ふん、貴様がそれほど労働に精を出していたとは思わん。活動費とやらにあてれば即座に底を突こうに」
「そっ、それが、学生バンドのノルマを負担するキャンペーンをするって店長さんが……他のお店の迷惑になるから夏休みが終わるまでってことらしいんですけどっ、それでしばらくは無理にバイトを増やしたり徴収はしなくて良いって
要領を得ないひとりの説明に、王様はひとつ頷いて理解を深めました。
彼が放った札束を、ライブハウスの店長である
結果として店のキャンぺーン費用として計上することで、結束バンドの面々が稼いだバイト代をそのまま還元し、間接的に彼女たちの活動費としたのだろう、と。その額がいずれ尽きることを考えれば
「ほぅ、それは
頬杖を突きつつ不機嫌そうに瞳を鋭くする王様。もっとも、これはただのポーズでしたが。ひとりが
それがいつまで経っても為されない以上、客観的に見て王様は機嫌の一つも損ねて然るべきでしたし、案の定ひとりも疑問には思わなかったようで、気まずそうに目を逸らしました。
「そっそれが、お店のオーディションを受けないと出してもらえないらしくて、来週の結果しだい、らしいです……」
初の給料を抱えてルンルンで帰宅したひとりでしたが、そこには多分に現実逃避がありました。店長の
結局、オーディションで合格すればライブに出演できるということで話はまとまりましたが、ひとりを含むギター二人の実力に難があるという事実を突きつけられて今に至るのです。
王様に報告することで現状を再認識したのか、ひとりの表情には少し焦燥感が浮かんでいました。実力は十二分でしたし、そこに多少の自信はありましたが。結局のところ、バンドのメンバーと肩を並べたとき、それは半分も発揮できては居ないのです。リーダーである
「……なるほど。さしたる用途もあるまいが、今の貴様にはその
「ふぐっ」
ひとりの表情からある程度の事情を察した王様は、呆れたように彼女を見下ろします。それを受けて、王様から目どころか上半身をぐぎぎと逸らし、ひとりはだらだら汗を流しました。王様を招待するどころか、ライブへの参加すら危ぶまれている現状、どんな折檻をされてもおかしくないと思っていたのです。
プルプルと哀れに震える
「あっ」
「まぁよい、この程度の紙切れも貴様のような雑種には過分と見える。ゆえにこの
「えっ──しょ、しょんなぁ……」
人生で初めてのバイト。その対価。ひとりの血と汗と涙の結晶。それを無慈悲に取り上げられ、ひとりは涙目で王様の顔を仰ぎました。さすがの
「うっ、うぐぅ……」
まぁ口答えなど出来るわけもなく、王様に上目遣いで潤んだ瞳を向けるくらいが関の山でしたが。
「ふっ。そう愉快な視線を寄越すでないわ、いずれ返してやるとも。しかしそうさなぁ……対人
一万円札そのものがチケットってとんな闇イベントなんだ、とは思いましたが。それよりも興味が勝ったひとりは小首をかしげます。
「体験、ですか?」
「只人には格別の、だ。比して地を這う
「あっ、えっ、はっはい」
何に遠慮することもなくスタスタと部屋を出る王様を追って、ひとりも後に続きます。途中で家族とすれ違いビクリとしましたが、ひとりどころか王様にも気づいた様子はなく、無事に家の前の通りに出ることが出来ました。辺りはすっかり闇に包まれています。
「あ、あの、いったい何を……?」
おずおずと問いかけるひとりを肩越しに振り返ると、王様はにやりと笑って正面に向き直り──その瞬間、アスファルトに金色の波紋が広がりました。
「えっ!?」
驚き後ずさるひとり。同時にまばゆい光が刹那彼女の瞳を焼き、ですがそれもすぐ収まります。ひとりが再び目を開けると。
「あっ、えっ。ば、バイク、ですか……?」
そこには月の光を意にも介さず、それ以上の輝きを纏う大型の二輪車が鎮座していました。それもサイドカー付きの。
「
「思考で至高……」
「何ぞ抜かしたか?」
「ひっ!? ひぇっ、なななにも言ってましぇん!!」
最近は作詞に悩んでいたひとりは王様の言葉から無意識に韻を踏みましたが、当の王様の耳にはつまらないダジャレ未満でしかありませんでした。
しかし今回はあくまで、王様による未熟な
「戯れ言は見逃してやる。そら、乗るが良い」
「あばばばばばばば」
数分後、ひとりは空を飛んでいました。
金沢は平潟湾を超え、八景島シーパラダイスを眼下に東京湾へ向けて飛行していたのです。王様が騎乗する黄金のバイク、そのサイドカーの上で。王様のバイクは空飛ぶバイクだったのでした。
「ひえぇ……」
怖いもの見たさで地上に視線を向け、やっぱり後悔するひとり。ジェットコースターはおろかテーマパークのアトラクション経験も皆無に等しい彼女は、吹き付ける風を顔面に浴びながら蒼白の顔で空を見上げました。
「わーきれい……人生最後の景色にはピッタリ……」
がくんがくんと揺れる頭は、そして視界は明らかに夜空を捉えてはいませんでした。どうやら死期を悟って今際の言葉をさえずっているようです。それも仕方がないでしょう、肌に風を浴びながらの上空300メートル飛行は、間違いなく彼女の人生において最も死に近しい体験でした。夏といえどジャージで強制夜空の旅は控えめに言って殺人未遂です。
「ちっ、惰弱な……そら」
傍らの
「あぅあぅあ──あっ、あれ? なんだか気分が楽に……」
「多少は余裕も戻ったか。そら、もう
有無を言わさない口調の王様にごくりと唾を飲み、ひとりはもう一度視線を眼下へ。そして──。
「う、わぁ……っ」
そこに、たくさんの輝きを見ました。夜の帳は下りていましたが、月明かりに照らされて。それが無くとも行き交う車が、連なる家々に灯った温かな光が。まるで夜空を映す水面のように、眩くひとりの瞳に輝きます。
十数秒も目を奪われて、ふとひとりは思い返しました。地上の星々。それらは比喩に過ぎません。であるならば、頭上に瞬く本物に考えが及ぶのは当然のことで。
「────」
今度こそ言葉を奪われて、ひとりは大きな光を放つ
つい先ほど、死に瀕して本能的に口を衝いた言葉は。確かに彼女の奥底に眠る願望を滲ませていたようです。
「とっても……とっても、きれい、です。本当に……もし死ぬときも、こんな満天の星を見ながらだったら、きっと幸せな最期ですよね……」
それは月の魔力と、星芒の魔法と言えたでしょう。ひとりに散り際の幸福を想像させるほどに、頭上に描かれた綺羅星は美しかったのです。
「戯けが」
そんなひとりの寝言は、やはり王様の一言にバッサリと切り捨てられました。
「
「大地を……」
どこか神聖さを伴って口にされた言葉に。月に、星々に魅入られていたひとりは我に返り、言われるまま再び地上を見やります。空は夜闇に包まれど、やはり大地は小さな明かりが集い、一つの星図を模していました。
「貴様が目を奪われた天上の光ではない。ただの輝きではない、ヒトの営みよ。貴様のような雑種が死を思うのであれば、それは闇に差す月明かりの下ではなく。あれらヒカリの中で、貴様の
王様の神妙な語り口に、ひとりは頭上と眼下の光を思いました。星空は確かに綺麗で、けれど言われてみればそれらの正体なんて知りようもなくて、手を伸ばすなんて無意味に決まっています。
対して地上の光は、間違いなくそこに誰かが居る証拠で。そして手を伸ばす手段も、その意味もひとりには十分にありました。
いつかこの、眼下に広がる光の一つ一つが。結束バンドのライブに来てくれて、みんながサイリウムやペンライトを振ってくれたら……きっと。自分が目を奪われた満天の空にも劣らない、美しい星々を描いてくれる──。
(結束バンドがペンライトとかサイリウムを採用するかは分からないけど……禁止してるアーティストとかライブハウスもあるし……)
なんて現実的な問題にも考えを巡らせてしまい、我ながら台無しだとひとりは苦笑しました。けれど、現実的な問題を考えるほどに、ひとりにとってそれは、いずれ訪れたら幸せだと思えるような未来図だったのです。
王様が言った格別の体験は相違なく。ひとりに得難い経験と、それ以上に価値ある知見を与えてくれました。いつか私も──
「──王様、わたし、がんばります。もっと頑張って、絶対にオーディションに受かってみせます……!」
ひとりは自分をいつだって見守り、そして励ましてくれる
「阿呆が、それで事足りると思うなよ? 雑種。
「ぴ、ぴゃぃ……」
けれどやっぱり、ひとりの精一杯の宣誓はぶった切られます。どころか足りないと凄まれる羽目になりました。涙を浮かべて情けなく返事をすると、王様は悪戯っぽく笑みを浮かべました。どうやら発破をかけるための冗談だったようです。
(も、もう王様ってばぁ……じょ、冗談だよね? 本気じゃないよねっ? ね!?)
えへえへと笑いつつも心のどこかに、この御方ならやりかねないと畏怖を残し。
それでも、それからしばらくの時間。ひとりは王様とともに夜空の旅を満喫するのでした。
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