Ⅰ
「………俺たちは、分かりあうことが出来たんだ………」
刹那・F・セイエイとマリナ・イスマイール。
共に姿は変わってしまったけれど、長い歳月を経てようやく分かりあうことが出来た二人。マリナはまるで五十年前に戻ったような気分で、刹那がいない間に世界で起こったことを語った。
エルスの侵攻を退けた後も世界から争いはなくならなかったこと。
些細なすれ違いと誤解から大戦にまで発展しかけたこと。
そしてその歪みを正すために、ソレスタルビーングが再び戦火に身を投じたこと。
刹那は口を挟むことなく、穏やかな表情で彼女の話に耳を傾けた。
そしてどれくらいの時間が経っただろう。
一時間か、あるいは二時間だろうか?
盲目となったマリナには分からなかったが、それは彼女にとって幸せな一時であることに疑いはなかった。
だから、この言葉を紡ぐことに躊躇した。
だが、聞かない訳にもいかなかった。
「刹那………あなたはこれからどうするの?」
視力は失ったが、それ以外の感覚は随分と鋭敏化した。
だからこそ、刹那が僅かに反応を示したことがマリナにはわかった。
「………俺は」
遠い回り道の末、ようやく分かりあうことが出来たのだ。
出来れば一緒にしてほしい。
だが、刹那の口から零れたのはマリナの願いとは正反対の言葉だった。
「俺には、まだやるべきことがある」
「そう………」
心のどこかでは、こうなるんじゃないかと言う確信染みたものがあった。
イノベイターとしての能力などという大層なものではなく、単なる女の勘。
わかっていたから聞くのを躊躇した。
でも、それも終わり。
シンデレラの魔法が十二時で解けてしまうように、楽しかった時間は終焉を迎える。
マリナは気配を頼りに刹那を見つめる。
光を失った彼女には見えないが、刹那もまた虹彩が金色に輝く目でマリナを見つめていた。
「刹那………いつになったらあなたに安らぎは訪れるの?」
「………俺には生きている意味があった。だからこそ、俺はこれからも戦い、そして対話を続けていかなければならない」
「一人で全てを抱え込むのは、とても悲しいことだわ」
「それでも、俺は立ち止まるわけにはいかない」
確固たる意志の籠った声。
やはり昔と変わらないのねと懐かしく思う一方で、同時にそれが哀しくもある。
マリナは無言のまま、刹那の身体に手を回す。
刹那もまた、何も言わずにマリナの身体を優しく抱きしめる。
マリナは薄らと涙を流し、そっと囁くように呟いた。
「本当はあなたに一緒にいてほしい。でも、あなたはそれを望まない。だけど覚えていて刹那。あなたは一人じゃない。例えどれだけ離れていても、あなたの傍には多くの人達の心がある」
「あぁ………」
マリナには分かっていた。
これが最後になるだろうと。
もう、二度と会うことがないということを。
Ⅱ
マリナとの別れを告げた刹那は、花畑の下でガンダムを見上げた。
『GNT―0000ダブルオークアンタ』。
対話のために創られ、五十年以上も共に歩み続けたもう一人の自分。
パイロットと同じくELSと同化したその機体の表面には、色とりどりの花が咲き誇っている。
ELSと刹那にとって、理解と平和の象徴であるあの花が。
「………喜んでいるのか」
自然の花畑を前にしてはしゃぐELSの声が刹那の脳裏に流れ込んでくる。
刹那は僅かに頬を緩ませて機体へと乗り込んだ。
◇
『もういいのか、刹那?』
「ああ」
自分以外いるはずのないコックピットから突然聞こえた第三者の声にも驚くことなく、刹那は淡々とシステムを起動させていく。
花へとその姿を変えていたELSは刹那の脳量子波を受けて元のダブルオークアンタの一部として戻り、以前に比べて遥かに出力を増したツインドライブが起動を始める。
脳量子波コントロールシステムの準備シークエンスが完了すると、コンソールパネルから立体映像として三〇㎝ほどの黒紫髪の小人が浮かび上がる。
ティエリア・アーデ。
刹那と同じく元CBのガンダムマイスターの一人にして、ヴェーダによって作られた生体端末イノベイド。ティエリアの肉体自体は既に存在していないが、意識データーとしてダブルオークアンタと共に刹那と歩んできた。
『もう少し一緒にいても構わなかったんだぞ? これから外宇宙を巡ることを考えれば、僕達が再び地球に戻ってこれるのは早くとも百年以上先のことだ。イオリアの計画が最終段階まで来た今、それほど急いで旅立つ必要は………』
「既に決めたことだ」
『ふぅ。何十年経っても君の頑固さは筋金入りだな………わかった。こちらもヴェーダ本体との通信は既に完了している。いつでも発進可能だ』
「了解。量子ゲートから外宇宙に出る」
ダブルオークアンタの左肩に設置されたGNシールドから六基のソードビットが前方に展開し、ゲートを創り上げる。その先に繋がっているのは、刹那とELSが長い対話と旅の末に見つけた新たなるELSの母星。
ダブルオークアンタが、ゆっくりとゲートへと触れる。
その時だった。
「っつ!?」
『どうした刹那!?』
ゲートに触れた瞬間、突如として停止したダブルオークアンタにティエリアは声を荒げる。刹那は虹彩が金色に輝く目を大きく見開き、
「………叫びが……聞こえる……」
『なに?』
まさかイノベイターとしての直感が何かを感じ取ったのかと、ティエリアはヴェーダを介して刹那の意識とリンクする。
そして聞こえてきたのは、
――――助けて
『これは………』
かなり小さいが、間違いない。
正しくこれは叫びだ。
それも、この脳量子波は、
『人間のものか!』
「………だが、この世界のものではない」
もっと遠く。
それこそ外宇宙の遥か先から発せられたものだと言う確信が、刹那にはあった。
恐らくは物理的距離が意味を成さない量子空間を介して流れ込んできたのだろう。
『………どうする刹那?』
「決まっている」
ゲートが向こうの脳量子波を感知している今、それを辿れば向こうの世界に行くことは容易。だが、それは一方通行。帰ってこれると言う保証はない。
それでも、
「俺は行く」
そのために自分は生きているのだから。
愚問だったなと、ティエリアは微笑を浮かべる。
ダブルオーは、青白いGN粒子を振りまきながらゲートをくぐる。
最後に刹那に聞こえたのは、
―――――タケルちゃんを助けてっ!
誰かの名前を叫ぶ、少女の叫びであった。
そう。これが全ての始まり。
これから先、真のイノベイターは遭遇することとなる。
分かり合えぬ存在に。
本当の意味での敵に。
そのことにまだ、刹那達はきづいていなかった。
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第二話
Ⅰ
ゲートをくぐると、そこに広がっていたのは漆黒の海。
果てなく続く闇の中に、ダブルオークアンタのGN粒子が青白い光点を作る。
「………ここは」
『どうやら、宇宙空間らしいな』
刹那の呟きにティエリアが答える。
本当ならば声の下に直接ゲートを開くはずだったのだが、距離が長すぎたのかこんな所に出てしまった。
ティリアはダブルオークアンタのセンサーを利用して周囲の情報を集め、そこから自分達が置かれている状況を把握しようとするが、
『なっ!?』
「どうした?」
『………各種センサーからの情報を統合してヴェーダ内のデーターと比較した結果、現在位置がわかった。今僕達がいるのはポイントA08093………火星圏のすぐ傍だ』
「っ!」
刹那は絶句し、無限に広がる闇に目を落とす。
ここが火星の近くと言うことは、ワープは失敗したのだろうか?
そんな刹那の思考を読み取ったティエリアは、否定の言葉を返す。
『いや、少なくともここは僕達の知る太陽系ではないようだ』
「………なぜそう言いきれる?」
『ワープの後から僕とヴェーダ本体とのリンクが途切れている。脳量子波を通じてリンクを行っている以上、同じ太陽系内で僕とヴェーダ本体のリンクが途切れることは理論上有り得ない。それに火星付近にもかかわらず、センサーに探査衛星の影すらも見当たらないことも不自然だ』
先程まで刹那達がいた西暦二三六四年では、人類の太陽系内の進出はほぼ完了しており、惑星にはそれぞれ無数の無人衛星や有人コロニーが設置されている。
それが一つも見当たらないと言うのは、確かにおかしい。
『刹那、あの少女の声はまだ聞こえるか?』
「………いや」
『そうか』
声が未だ聞こえているならばそれを道標することもできたが、途絶えた以上そうもいかない。手がかりがあるとすれば、
『確かあの少女は誰かの名を呼んでいたな?』
「あぁ。タケル、と」
『タケル………仮にこの宇宙が僕達の世界のものと酷似していると仮定するならば、やはり地球人だろうか?』
「その可能性はある」
そもそも本当にここが自分達の世界の太陽系と酷似しているのかさえ定かではないのだ。
あの少女の声が人間のものであった以上、この世界に人間がいることはまず間違いない。
だが、この世界にも地球が存在するのか?
もしあったとしても、人類は地球に住んでいるのか?
この世界の人類は既に異種との対話を終えたのか?
仮定ならばいくらでも作れるが、結論を出すには情報が不足しすぎている。
『どうする刹那? やはり地球方面へと向かって見るか?』
「………いや、先に火星に向かう」
『火星へ?』
幾ら距離が近いとはいえ、人類のいる可能性が高い地球を差し置いて先に有るかどうかもわからない火星に向かうなど普通は有り得ない。
ということは、
『また何か感じたのか?』
「………はっきりとはわからない。だが、俺はそこに行く必要がある様に思う」
『イノベイターとしての直感か………』
「それに、ELSも行くべきだと言っている」
ELSとの対話の中で、刹那はELSの一部をその身体に受け入れた。
言うなれば今の刹那は人間とELSの両方の性質を備えた新たな種族であり、彼には自然とELSの意思というものがわかる。
ティエリアは少々悩むような仕草を見せ、
『………イノベイターだけでなく、ELSまでもが火星を意識している。この世界の火星には何かあるのか?』
「だからこそ、俺達はそれを知る必要がある」
量子ゲートによる長距離ワープはマーカーが無いと使えないため、刹那は元の世界での座標を頼りにダブルオークアンタを翻す。
目標は火星。
未知の存在の遭遇とまで、後もう少し。
Ⅱ
ダブルオークアンタが火星方面へと進路を取って数時間。
宇宙ロケットすらも凌駕する速度を持つダブルオークアンタは、瞬く間に予定ポイントまでの距離を詰めていた。
『そろそろだな』
ここまで元いた世界との大きな座標のズレはない。
順調にいけば後数分もすれば火星の姿を拝むことが出来るだろう。
だが、火星までの距離が近くなればなるほど、刹那は言葉に出来ない何かを強く感じ取っていた。
リボンズ・アルマークと戦った時とも、ELSと遭遇した時とも違う。
そう。もっと、根本的な所で―――――
『見えてきたぞ、火星だ!』
「………」
ティエリアの声で思考を中断し、メインモニターに視線を送る。
まだ小さいながらも確かに映る第四惑星、火星。
望遠カメラがその火星を拡大し、
『なっ!?』
「っつ!!」
それに、刹那とティエリアは息を呑んだ。
人類が到達していなければ岩石に覆われている筈の地表。
そこに、塔が立っている。
いや、これを塔と呼んでいいのだろうか。
金属でありながらも岩、そんな何かを幾重にも積み重ねて作られた奇妙な建築物。
そんなものが、間隔を置きながら火星の表面に無数に聳え立っている。
『望遠カメラの倍率から推測するに、あの構造物の高さは低い物でも千五百………高い物だと三千を超えているな。だが、一体誰がこんなものを?』
「………急ごう」
刹那はダブルオークアンタの速度を上げる。
違和感はここにきて更に強くなっている。
ダブルオークアンタが火星の重力圏内へと突入し、地表の姿がここにきてはっきりとモニターに映る。
『これは………』
「………」
天高く聳え立つ奇怪な塔。
そして塔の周囲の地上には、望遠カメラではわからなかった無数に蠢く影。
『………なるほど、どうやらこの建造物は彼らの住処の様だな』
ティエリアは平坦な声でそう述べるが、やはり動揺しているのがわかる。
だがそれも仕方ないだろう。
何せ蠢く影の姿は、醜悪の一言に尽きる。
影にも種類があるのか大小様々な形をしているが、そのいずれも生理的な嫌悪を呼び起こすには十分すぎる程の醜さである。
『………数は付近の地表部分だけでも軽く三十万。その上更に増大中か』
ダブルオークアンタに反応したのか、続々と地下から無数の影が波となって現れる。
このペースでいけば、恐らくは後十分もすれば地表は影によって埋め尽くされるだろう。
ただ、地表に集まった影がダブルオークアンタに対して攻撃を仕掛ける気配はない。
空中に浮かぶダブルオークアンタへの攻撃手段が無いだけなのか、それとも攻撃する意思(意思を持っているのかは定かではないが)が無いのか。
『刹那、君はどう思う?』
「………」
『刹那?』
再度ティエリアが呼びかけるが反応が無い。
刹那は半ば呆然としたまま確認した中で最も高い塔へとGNソードⅤの銃口を向け、操縦桿のトリガーに手をかけようとして、
『刹那!!』
「っつ!」
ティエリアの叱責に刹那は我に帰る。
トリガーが引かれる一歩手前で踏み止まったために、何も状況は変わっていない。
だがもしも気付くのが後一歩遅ければ、今頃高出力ビームが巨大な塔を貫いていただろう。
『何をしようとした刹那! 彼らは僕達に対して敵対行動をとっていない。ここで僕達が攻撃を仕掛けるようなことがあれば』
「………すまない」
『なぜ彼らを撃とうとした?』
確かに影の外見はお世辞にも良いとは言えないが、刹那はそんな事で本質を見間違うような人間ではない。そうでなければ、ELSとの対話など不可能だった。
刹那は険しい表情を浮かべ、
「………わからない。だが、奴らを見た瞬間、敵だと言う確信があった」
『なに?』
人類に対して攻勢を見せたELSすらも敵と判断しなかった刹那が、何もしていない彼らに対して敵という判断を下したというのか。
ティエリアは形の整った眉を潜め、ある意味で彼らに近い存在に聞くことにした。
『ELSは何と言っている?』
「………未知の存在に対し、判断を保留している」
『ELSすらも知らない生命体………元からこの世界の火星に住んでいた固有種であるのか、それとも他から移住してきた異星体であるのか………いずれにせよ、このままでいるわけにもいかないな』
「ああ」
『刹那。彼らから何らかの意思を感じ取ることは出来るか?』
「………微かには感じる。だが、何か違うような気がする」
『違う? それが僕達やELSと比べてということか?』
「………トランザムによる簡易接触を試みる」
刹那自身、その違いが何なのか、はっきりとはわかっていない。
なぜ奴らから感じ取れる意思がこんなにも微弱なのか。
なぜそれらの意思が全て同じなのか。
そしてなぜ、自分は奴らと呼び、こんなにも警戒しているのか。
答えを求め、刹那はシステムを起動させる。
「トランザム!」
ダブルオークアンタの胸部の太陽炉を中心にして、一気に機体が赤色化する。
刹那の強力な脳量子波と連動することによって、その稼働率を爆発的に上昇させたツインドライブから莫大なGN粒子の波が洪水となって周囲に溢れだし、瞬く間に火星全土を呑みこんでいく。
クアンタムバーストには及ばないまでも、高濃度のGN粒子が火星を取り込み、一時的な意識共有空間を作り出す。
刹那はヴェーダとELSを用いて数多の情報を処理しながら、流れ込んでくる声に耳を傾けた。
――――観察
――――収集
――――報告
聞こえてくるのは断片的なキーワード。
声は全て画一化されており、そこに個性などというものは存在しない。
刹那は直感する。
これは擬似的なものだと。
そう。つまりは、
『彼らはある意味で僕らイノベイドと同じ………肉体に意思という名の命令を植えつけられた生体端末だったのか!』
人間と殆ど変らぬ意思を宿すイノベイドとは違い、彼らに植えつけられた意思は余りにも脆弱。それこそ、命令通りに従う機械と何ら変わらない。
ティリアが驚愕する間にも、刹那は更に深く声の奥底へと潜って行く。
そこにいる筈なのだ。
意思を与えた大元が。
答えを知る存在が。
細い糸を辿るかのように、刹那は無数の声の奥底へと進んでいく。
そしてそれに触れた瞬間、圧倒的な情報の奔流が、刹那の脳を蹂躙した。
「がっ………がああぁぁあっ!?」
『馬鹿な! まだ表層意識に接触しただけだぞ!?』
ヴェーダとリンクが繋がっているにもかかわらず、処理しきれない情報の海が大挙として刹那に襲いかかる。人の意識など瞬く間に消え失せてしまう程の深い深い海。
ELSとの同化によって情報処理能力が上がっていなければ、刹那の意識は崩壊していただろう。
「くっ……情報を………」
『わかった!』
ティエリアはヴェーダの処理能力を最大限にまで引き上げ、ELSと共に刹那に襲い来る情報の海をかき分ける。ティエリアとヴェーダ、そしてELSのバックアップを受けて刹那は未知の存在との接触を試みる。
「………教えてくれ。お前達は何者なんだ?」
答えはない。
代わりに、幾重もの情報が刹那の脳裏を横切っていく。
―――――広間
¬¬―――――存■
―――――聳え■■大な■座
―――――上■■在
―――――■■■
『っつ! 刹那! これ以上の接触はトランザムでは無理だ! 飲み込まれるぞ!!』
「トランザム解除!」
赤色化していたダブルオークアンタが、本来の青と白の姿へと回帰する。
ツインドライブはその稼働率を通常状態まで落とし、形成されていた一時的な意思共有空間が解除される。
刹那は荒い息をつきながら、戦慄と共に呟いた。
「今のが………」
『彼らの中枢………つまりは、意思の本体だ』
眼下に広がる無数の影に意思という名の命令を与えた大元。
それこそ、ELSにも匹敵しかねない程の圧倒的情報量だった。
だが、刹那を戦慄させたのはそんなことではない。
彼を戦慄させたのは、
「あれは、俺達を生命だとは認識していなかった」
『あぁ』
僅かに繋がった意識の中で感じたのは、友愛でも敵意でもない。
まるで実験動物や自然現象を見るかのような、ねっとりとした観察の眼差し。
分かりあうとか、対話の以前に、そもそも同じテーブルについていない。
ティエリアは表情を険しくし、
『これが君が彼らを敵と感じた正体か………まずいな、これでは』
クアンタムシステムによる『対話』とは、高濃度GN粒子と脳量子波を触媒にした意思の共有。簡単に言えば、本音同士の会話といった所だろうか。
思いこみや先入観に捕らわれることなく、言語や種族の壁すらも越えて互いの本質を理解し、分かり合う。それこそがイオリア・シュヘンベルグと刹那が求めた『対話』である。
だが、
『対話の前提は、分かり合おうとする意思だ。それが無ければ』
「分かり合うことは出来ない」
『幸い、彼らはまだ何も反応を示していない。今ならば離脱することも出来るが』
どうすると、ティエリアが問いかける。
刹那は暫くの瞼を閉じ、そして再び開く。
虹彩を金色に輝かせながら、イノベイターは決意を込めて宣言する。
「行こう。中枢へ」
『例え分かり合うことが出来ずに戦闘になってもか?』
「それでもだ」
そもそも『対話』を成そうとしている刹那自身が敵意を完全には拭いされないでいるのだから、分かり合うことが出来よう筈もない。
だが、
―――――たとえ矛盾をはらんでも存在し続ける、それが生きると言うことだと!
―――――生きて未来を切り開け!
自分は生きているのだ。
ならば、例え矛盾を抱えることになっても未来へと進まなければならない。
それが、人なのだから。
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第三話
Ⅰ
GN粒子の充填を待ってから、ダブルオークアンタは目的地に向けて飛翔する。
向かうは刹那が撃とうとした火星で最も高い塔。
その遥か地下深くに求める存在がいるのだと言うことを、刹那は簡易意識共有の中で直感していた。
『刹那。これが先程流れ込んできた情報とセンサーからの情報を統合させて導き出した地下構造の見取り図だ』
中空モニターが刹那の前に立ち上がり、そこに図を映し出す。
塔から直下に降りる巨大な縦穴を中心とし、そこから派生するようにして無数の横穴と空間が複雑に入り乱れた構造は、アリの巣を彷彿とさせる。
『彼らの中枢がいるのは深度約一万五千メートル。縦穴の最下層だ。そしてこれが』
図の中の一部が赤く染まる。
色の濃度は縦穴の部分が最も高く、深度が深くなればなるほど濃度は高くなっている。
『彼ら――――つまりは生体端末の出現予測数だ』
色が最も薄い所でも数万単位。
縦穴に関しては、最早計測すら不可能な程の数だ。
対話のためにGN粒子の消費を抑える必要がある以上、戦闘は極力避ける必要がある。
「遭遇率が最も低いルートは?」
『これだ』
図の中の一本のルートが浮かび上がる。
確かに他のルートに比べれば少ないが、それでも中枢に到達するには最低でも数百万単位の奴らと遭遇する必要がある。
だが、刹那の眼に恐れはない。
『ポイント到着まで後十秒を切った。刹那!』
「了解。ポイント到達と同時に予定ルートへと突入する」
『時間をかければそれだけ相手の数も増えてくる。短時間で決着をつけるぞ!』
「了解!」
ダブルオークアンタが地表に向かって疾走する。
それに気付いた地表を埋め尽くす無数の影達はダブルオークアンタの元に集まろうとするが、数が多すぎるために迅速な行動がとれていない。
ダブルオークアンタは右手に持ったGNソードⅤを予定ルートの入口へと向ける。
そこに左肩から射出された六基のGNソードビットが次々と合体していき、バスターライフルを形成。
刹那はトリガーを引いた。
バスターライフルの銃口から光が膨れ上がり、巨大なピンク色の柱が大地を貫く。
入口周辺にいた影とその奥に潜んでいた影は瞬時に蒸発。
一瞬ながらも、影の波で埋め尽くされていた地表に空白の道が開いた。
『今だっ!』
ダブルオークアンタが地下へと侵入する。
そしてここに、戦いの火蓋は切って落とされた。
Ⅱ
広間の中に幾重もの閃光が走る。
閃光は行く手を塞ぐ巨大な体躯を持つ影を抵抗もなく貫き、その背後にいた百近い中・小型種を纏めて消滅させた。
だが、広間に存在する影の数は未だ膨大。
上下左右から押し寄せてくる無数の影に舌打ちし、刹那はGNソードビットに命を下す。
脳量子波によってコントロールされた六基の刃が牙を向き、影からの攻撃を悠々とかわしながら貫き、穿ち、焼き払い、蹂躙する。
六対数万という圧倒的な戦力差でありながらも、完璧に統制された守護者を前に影達はダブルオークアンタに触れることが出来ないでいる。
影達が攻めあぐねている間に、ダブルオークアンタは再度ライフルモードのGNソードⅤからビームを連射し、横杭を塞ぐ影を一掃。
影が群がるよりも早く横杭へと先行して、機体を反転。
役目を終えて戻って来たGNソードビットをGNライフルⅤに装着させバスターライフルと為し、入ってきた横杭の入口の上壁に照準を合わせる。
『―――――十時方向、X67、Y164、Z254』
「了解」
算出されたポイント目がけてビームを発射。
閃光が周囲を照らすと同時に振動が大地を駆け巡り、ビームを受けた横穴の入口が崩落する。落盤に巻き込まれないようGNシールドの上部に取り付けられたGNビームガンで横杭内の小型種を払いのけながら、機体を奥へと進める。
刹那は入口が完全に閉ざされた事を確認し、小さく息を突く。
『今の広間で二十万………やはり段々と数が多くなってきたな』
「あぁ」
ダブルオークアンタが地下へと侵入してから一時間が経った。
現在の深度は5448メートル。
つまりは約三分の一まで来た計算になる。
刹那達は極力戦闘を避けて一心不乱に中枢へと向かっているのだが、深度三千を超えたあたりから予想以上に遭遇する数が増加し、中々先に進むことが出来ないでいる。
『まずいな………』
今の所ダブルオークアンタには何ら損傷はなく、また刹那にも大きな疲労の色はない。
だがこのまま時間をかけていれば、そう遠くない内に影達が落盤を突破して追いかけて来るだろう。
全方位を億単位で囲まれれば、幾らダブルオークアンタと言えども苦戦は必至。
これならば多少無理してでも、中央の縦穴から直接降下した方がよかったかもしれない。
ティエリアが歯噛みしていると、刹那はダブルオークアンタを突如として止めた。
『何をする気だ?』
「このままでは埒が明かない。トランザムを使う」
『そうか! ELSの時の様に中枢までの道を作るのか!』
このまま進んでも、いずれは数に押されてトランザムを使わざるをえない。
ならば、トランザムで中枢までの直通ルートを作った方が効率がいい。
刹那はGNバスターライフルから、一点集中型のGNバスターソードへと変形させる。
こうすることでGN粒子の密度を上げて威力を高めると同時に、粒子拡散の余波による地下構造崩壊の危険性を下げることが出来る。
『粒子減少率とこの地下構造の強度を考慮すれば、中枢を破壊せずに道を通すにはライザーソードの威力を30%程度にまで抑える必要がある。それに対話のためにも、トランザムはそう長くは使っていられないぞ』
「わかっている。通路を確保した後、最大加速で中枢へと向かう」
『僕とヴェーダで割り出した中枢へ通じる直線ルートはここだ。そう何度も繰り返している時間はない。一度で決めろ!』
「了解! トランザム!」
機体が赤く染まり、同調したツインドライブが唸りを上げる。
ダブルオークアンタの両手で握られたバスターソードに粒子が収束し、超高密度に圧縮されたビームが閃光となって大地の中を突き進んでいく。
「うぉぉぉぉおおっ!」
『―――粒子ビーム、中枢フロアへの到達を確認!」
ティエリアの報告を聞くと同時、刹那は即座に砲撃を中止して今しがた開けたばかりの穴に飛び込んだ。
範囲を絞って密度を上げたために穴の直径はダブルオークアンタが何とか通れる程度。
僅かでも操作をミスれば横壁に激突する中を、ダブルオークアンタは全速力で駆け抜けていく。
『深度八千を通過………九千、一万………』
トランザムにより通常の三倍強にまで跳ね上がった機体は、秒単位で目的地までの距離を縮めていく。途中、幾つかの広間を通過することとなったが、刹那はダブルオークアンタを一切減速することなく、行く手を阻もうとする影達を瞬時に斬り捨て、吹き飛ばしながら再度穴へと突入していく。
そして最後の広間を通過して中枢までの距離が五百を切った時、刹那は僅かにセンサーに目をやるとトランザムを解除する。
元の色を取り戻したダブルオークアンタが速度を落として降下する中、ティエリアは訝しげな声を漏らした。
『………妙だな』
「あぁ」
『なぜ彼らは追ってこない?』
小型モニターに映るのは、先程通過した広間で右往左往する赤い斑点。
上階から穴伝いに赤が絶え間なく流入しているために広間は既に赤一色に染まっているが、それがこちらへ向かってくる様子はない。
それに、妙なことはもう一つある。
『僕達が突入してから一時間弱。それだけの時間があったにもかかわらず、中枢フロアにある反応はたった一つ』
その一つが何なのかは言うまでもない。
ELSの時の様にこちらを迎え入れようとしているのか、それとも何か別の思惑があるのか。ティエリアはイノベイターである刹那の表情を窺った。
刹那は険しい表情で、メインスクリーンを見つめている。
そして、遂にダブルオークアンタは中枢エリアへと到達した。
Ⅲ
そこは、ある種幻想的なまでに青白く光り輝く巨大な大広間だった。
これまで通過してきた広間もダブルオークアンタが悠々と戦闘が出来る程大きかったが、ここは更に輪をかけて広大。
かつて刹那達が所属したCBの秘密ファクトリー程度ならば軽々収まってしまうだろう。これ程までに広大な敷地が地下一万五千メートルに存在していると言うだけでも驚愕に値するが、刹那達の関心はそんな所にはない。
二人が見つめるのは、広大な敷地の中央。
そこに悠然と聳え立つ台座が支える、全ての大元。
『………あれが』
「やつらの、中枢」
望遠カメラがその姿を捉える。
透明がかった縦長のフォルム。
頭部と思われると部分には複数の蒼いガラスの様な物が埋め込まれ、周囲には幾重もの触手が漂っている。
「っつ!」
直接対面したためか、刹那の中で燻っていた敵意がここに来て最大限にまで燃え上がる。
“あれは敵だ、倒さなければならない存在だ”
イノベイターとしての――――――――否、人としての本能がそう訴える。
今にもトリガーを引きそうになる刹那を抑えたのは、これまで沈黙を保っていたELSだった。
リンクを通し、刹那の中にあるイメージが流れ込む。
それは白い花。
刹那とELSにとっての、理解と平和の証。
……そうだ。俺達は分かり合うためにここまで来たんだ。
例え攻撃をするにしても、それは今ではない。
トリガーにかけられた指を外し、ヘルメットの中で大きく息を吐き出す。
『やれるか?』
「問題ない。クアンタシステムを起動させる」
『わかった。では僕とヴェーダ――――――刹那!!』
ティエリアの叫びと同時、コックピット内に警報音が鳴り響く。
刹那はそれらが発せられるよりも早く、ダブルオークアンタを上昇させていた。
ダブルオークアンタの回避に遅れること数秒、数十メートル下方を何かが通り抜けていく。それは、三本の触手だった。
目標を失った触手は僅かに減速し、軌道を上方へと修正させて再度ダブルオークアンタに襲いかかる。
が、遅い。
光速に等しいビームの雨や超高速で動き回るファングすらも回避する刹那にとって、高々音速が三本、それもほぼ直線の攻撃を避けることなど造作もない。
易々と触手から逃れるダブルオークアンタに業を煮やしたのか、中枢から更なる触手がダブルオークアンタへと殺到する。
その数、六十七。
広大とは言っても宇宙空間の様に果てしなく距離を取れるわけではない以上、幾ら刹那でもいつまでも逃げ切れるわけではない。
GNシールドから六基のソードビットが射出され、触手を迎撃する。
ビームコーティングが為された三対の剣は容易く触手を切り裂き、瞬く間に赤い雨を降らせていくが、斬られた切り口から次々と新たな触手が伸びてくる。
「ちっ!」
『回復………いや、これは再生能力か』
ELSの時がそうだった様に、この手の能力を持つ存在を相手にする時は火力で焼き払うのが一番なのだが、そうすると中枢本体まで巻き込んでしまう。
クアンタシステムを使おうにも、相手の攻撃がある以上それもままならない。
苦虫を噛み潰しながら、ティエリアは打開策を刹那に求めた。
『どうする刹那?』
「………GNフィールドでクアンタシステム起動までの時間を稼ぐ」
『確かに、それしか方法はないな………』
それまで縦横無尽に宙を舞っていた六枚の刃がダブルオークアンタを取り囲み、球状のGNフィールドを形成する。
攻撃を受けなくなった触手はここぞとばかりにダブルオークアンタに疾走するが、高濃度GN粒子の壁に阻まれてそれ以上先に進むことが出来ない。
『相手の力は強力だ。僕とヴェーダ、そしてELSが流れ込んでくる全ての余分な情報を処理する。だから刹那、君は本質だけを追いかけろ』
「了解」
刹那はコンソールパネルを操作し、クアンタシステムの起動シークエンスを完了させる。
そう。ここからが本番だ。
刹那は己に言い聞かせるように心の中で呟いた。
「クアンタムバースト!!」
直度、コクピット上部に設置されていたスキャンセンサーが刹那の両目を走査し、クアンタシステムが発動する。
ダブルオークアンタは瞬時に赤色化。
粒子放出の効率を上げるために外装が外れ、左肩のGNシールドも分離する。
GNシールド内部に搭載されていたオリジナル太陽炉が露出し、背中の接続部へと滑りこんでもう一基の太陽炉と直結。
深緑の粒子の奔流がダブルオークアンタを包み込み、GNフィールドを覆っていた触手を全て吹き飛ばす。
触手が近寄れない中、GNソードビットはGNフィールドの展開を止めてダブルオークアンタの足元に集まり、そこに円状のフィールドを発生させる。
フィールドから浮き上がった光の輪が腰元から頭上へと抜けて天使の輪を彷彿とさせる輝きを放ち、同時に各部のGNコンデンサーがせり出すように展開して放出効率を上げる。
最後に胸部からせり出したパーツが四本のアンテナをX字に展開。
これで準備は整った。
ダブルオークアンタからトランザムすらも比較になりえない程のGN粒子が溢れだし、広大な広間を光で埋め尽くしていく。
「ダブルオークアンタ、刹那・F・セイエイ………未来を切り開くっ!」
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第四話
Ⅰ
潜る、潜る、潜る、潜る――――――
数多の情報が駆け巡るそこは、意識という名の暴風。
生物の素の部分が、大挙となって刹那に襲いかかる。
「ああああっっ!」
気を抜けば、今にでもこの大嵐に飲み込まれそうになる。
そうなれば二度と帰っては来れないと言うことを、刹那は理解していた。
クアンタムシステムとは、諸刃の剣。
トランザムすらも遥かに凌駕する超高濃度粒子域を形成することで異種との『対話』さえも可能にさせる反面、そこには常に自我の崩壊という危険性が突き纏う。
何せ人間とは全く異なる思考形態や情報量を持つ存在と深層領域での意識共有を行おうとするのだ。いくらヴェーダとELSによるバックアップがあると言っても、刹那自身に相手を受け止められるだけの器がなければ瞬く間に精神が崩壊する。
『ELSとの対話を思い出せ………本質を………それだけを追い求めるんだ』
「くっ!」
目を閉じていては何も見ることは出来ない。
目をそらしていては何も知ることは出来ない。
それを知っているからこそ、刹那はこの嵐の中でもしっかりと前だけを見据えていた。
そして、光が、全てを包み込んだ。
◇
いつ生まれたのか、どこで誕生したのかはわからない。
けれど、自分達が作られた意味だけは理解していた。
外宇宙における資源の回収。
それが創造主――――珪素生命体より与えられた命令であり、同時に存在意義でもある。
『上位存在』の符号を持つ彼らは知的生命体が存在しない星へ着陸し、手足となる『存在』を駆使して進出範囲を広げながら、その星の資源を回収。
回収した資源は特殊な元素へと変換され、ある一定の段階になると創造主の元へと送られる。そんな事を繰り返してあらかたその星の資源の回収が完了すると、上位存在は己のコピーを別の星へと射出。
そうして、元々数える程でしかなかった上位存在は急速に数を増やし、今や10の37乗という天文学的な数字にまで跳ね上がった。
その様子を、全方型のスクリーンを眺めるようにして、刹那とティエリアが見つめていた。
「そうか………上位存在である彼らもまた、資源回収のために作られた生体端末だったのか」
存在がイノベイド、上位存在がヴェーダ、そして創造主がイオリア・シュヘンベルグ。
本当に自分達の関係によく似ていると、ティエリアは呟く。
映像は、火星に到着した上位存在が勢力を広げていくシーンに移っている。
外敵が存在しなかった上位存在は瞬く間に勢力を広げ、新たに火星に着陸した別の上位存在達と同期、万一の時のバックアップとして指揮系統に組み込みながら、資源回収を続けていた。
「そしてそんな時、僕達が訪れた」
上位存在にとって、情報接触を行ってきた三つは非常に奇妙であった。
金属と炭素が融合した存在と、未知の金属、そして創造主とは似て非なる珪素の物体。
未確定要素を排除するためにも、それらを調査する必要があった。
「だから僕達をここへ招き入れた………そういうことなんだな?」
確認の言葉と共に、刹那とティエリアは背後を振り返った。
そこにいるのは、この意識の主。
僅かな間を置き、翻訳された上位存在の声が耳からではなく、直接二人の中へと入ってくる。
『肯定する』
「ならば問おう。君達上位存在は、僕達をどう判断する?」
『創造主によって作られた希少種と、進化の過程で屈折変異を遂げた珪素物』
「つまり、僕達は生命体ではないと?」
『肯定』
「………君達上位存在が珪素生物以外を知的生命体と認めないと言うのは理解している。だが、僕達は意思を持った生命なんだ」
『否定』
「君達の本質を知った様に、君達もまた僕達の本質を理解した筈だ。それでも尚、僕達はあくまでも現象でしかないというのか?」
『肯定』
どこまでも機械的で分かり合おうとしない返答に、ティエリアは顔を顰める。
深層領域下での意識共有によって、お互いの本質を知ることは出来た。
だが、こうも食い違う。
誤解や偏見などではなく、そもそも自分たちとは根本から違う。
予め予測していたとはいえ、分かり合えない存在がいるというのはやはり辛い。
けれど、ここで諦めるわけにはいかない。
何か糸口を探ろうと、創造主に近いであろうヴェーダを話題に上げる。
「………ヴェーダを屈折変異を遂げた珪素物だと言ったが、それはどういう意味だ? 珪素で出来たヴェーダは君達が定義する生命体に該当するはずではないのか?」
『否定。安易に変化、化合する炭素とは異なり、珪素が自己形成、自己増殖する散逸構造を持つに至るまでには数多の条件と莫大な時間が不可欠。ゆえにこの宇宙に置いて知的生命体が発生する確率は極めて低く、殆どが進化の過程で何らかの変異を遂げ、知的生命体になりえない』
「ヴェーダもその変異したものの一つだと?」
『肯定』
つまり人間が同じ炭素で構成されている虫や動物を知的生命体とはみなしていないのと同様に、珪素で構成されていても特定の構造を持っていなければ知的生命体とは見なさないようだ。
考えてみればある意味当然のことではあるが、それを知った所で手詰まりの状況は何一つ変わっていない。
ティエリアが唇を噛むと、これまで沈黙を保っていた刹那が初めて口を開いた。
「………俺は、お前達に対して敵意を抱いている」
「刹那!?」
全てを台無しにしかねない唐突な言葉にティエリアは驚愕の声を上げるが、刹那は意に返さなかった。
そもそも、この世界で隠しごとは不可能なのだ。
ならば、自身の思う通りに伝えるだけだ。
止めようとするティエリアを制し、刹那は続けた。
「俺とお前達では全てが違う。お前達が俺達を生命だと見なさないように、俺もまたお前達を敵だと感じている」
上位存在は定められた行動しか取れないが故に刹那達を知的生命体だと見なすことはなく、それを感じ取る刹那もまた上位存在達を敵だと認識する。
恐らくこの連鎖は永久に変わることはないだろう。
断ち切るには、どちらか一方が滅ばなければならない。
そんなことは、痛いほど分かっている。
全ての存在と分かり合えるなんて言うのは、実現不可能な理想でしかないということは誰よりも刹那自身が理解している。
けれど、
「………俺は知っている」
国を失って尚も争いを否定し、他者と分かり合おうとした王女を。
誰よりも人類の未来を憂い、分かり合わせようとした孤独な科学者を。
「すぐには無理かもしれない。それでも、分かり合える可能性が微かにでも残っているのなら………俺はそれに賭けてみたい」
「………刹那」
偽善だと、傲慢だと罵られても構わない。
矛盾を抱いているということも理解している。
それでも、信じてみたいのだ。
可能性という名の希望に。
「だからもう一度答えてくれ、上位存在。微かでもいい。俺達と分かり合う………共に歩む気はないのか?」
自身の思いを脳量子波に乗せて、言葉を紡ぐ。
意識を共有し、超高濃度のGN粒子で埋め尽くされたこの世界では、刹那の強力な脳量子波は神託とも呼べるほどの力を持って相手の本質の中に入り込んでいく。
『理解』という段階すらも越えたそれは、半ば『同化』に近い。
ELSと同化した刹那だからこそ出来る『対話』における最大にして最後の切り札。
上位存在は即答を避け、まるで悩むかの様な沈黙を保つ。
静寂の間。
そして、
『………緊急事態発生。創造主の絶対則への干渉を確認。創造主に対する造反の危険性あり。緊急コードに従い対象を第二級観察対象から特級排除物へと移行。混乱情報の拡散を防止するため全情報同期を解除。『存在』の統帥権を『上位存在』へと譲渡する』
ぞくりと、刹那とティエリアの背筋に冷たい物が走る。
違う。
これまでとは、決定的に違う。
かつて、戦場でよく感じていた感覚。
刹那が拭い去れないでいる感覚。
そう。これは、
『………排除を開始する』
敵意だ。
「刹那!!」
「っつ!?」
意識共有空間から、現実のコックピットの中へと意識が引き戻される。
警報アラームが耳を焼かんばかりに鳴り響き、『対話』の間動きを止めていた触手が数を増やしてクアンタへと錯綜する光景がメインモニター一杯に広がる。
刹那は咄嗟にクアンタムバーストを中止し、足元に展開していたGNソードビットで球状のGNフィールドを展開する。
百近い触手がGNフィールドへと叩きつけられ、物理的な衝撃と剥き出しになった敵意の両方が刹那を襲う。
「くっ!」
余りにも不用意な己の行動に、刹那は大きく顔を歪める。
あのまま『対話』を続けていても分かり合える可能性は殆どなかったとは言え、上位存在は刹那達に対して敵意は抱いてはいなかった。
それを抱かせたのは、他ならぬ刹那自身。
……考えて見ればわかることだった。
自身がELSと『同化』しているために忘れていたが、『同化』とは『浸食』。
それを拒もうとするのは意思を持つ者としては当然。
どうやら自分で考えていた以上に、ELSの影響を受けていたらしかった。
より強く自身の気持ちを伝えるために行ったことが、最悪の結末を招いてしまったと刹那は己の浅慮を悔やんだ。
『刹那、後悔は後だ。今は』
「わかっている!」
最早こうなっては分かり合うことは不可能。
討つしかないと、苦渋の表情で操縦桿を握りしめる。
GNフィールドの出力を瞬間的に増大させて纏わりつく触手を強引に吹き飛ばし、後方へと距離を取る。
六基のGNソードビットがライフルモードのGNソードⅤへと装着してバスターライフルを形成し、その銃口が向かってくる触手―――――そしてその後方に控える上位存在を直線に捉える。
顔を歪ませながらも、刹那はトリガーを引いた。
バスターライフルの銃口から光が膨れ上がり、巨大な光線が迸る。
それは文字通り刹那の速さで襲い来る触手を消し飛ばすと、そのまま触手を操っていた上位存在を呑みこむ――――――ことはなかった。
直進しか出来ない筈のビームは上位存在に触れる直前で何故かその軌道を変え、対象に当たることなく広間の天井を貫いた。
「『なっ!』」
予想外の光景に刹那とティエリアは絶句する。
だが、呆けている暇はなかった。
上位存在の周囲に浮遊する一本の触手がクアンタへとその先端を向ける。
「っつ!」
言葉に出来ない何かを感じ、刹那は咄嗟に機体を動かした。
直後、一筋の光線がその横を駆け抜ける。
『ビーム………いや、これはレーザー!?』
「くっ!」
レーザーの照射は一度では終わらなかった。
上位存在を囲む無数の触手の内、数十本の先端がクアンタを捉え、次々と光線が広間を白く照らしていく。
クアンタはまるで未来予知でもしているかの如く僅かなレーザーの隙間を掻い潜り、お返しとばかりに上位存在にビームを放つが、やはり当たる直前でその軌道を 変えて届かない。
空間を曲げているのか、それともGN粒子に干渉しているのか………ヴェーダが弾き出した可能性は百以上にも及んだが、上位存在から流れ込んできた情報と照らし合わせた場合、その答えは一つに絞られた。
『………重力偏差による屈折場』
回収した資源から創られる特別な元素は、大きく分けて二つに分類される。
一つは、存在や上位存在といった生体端末の作成や、この建造物などを建築することなどに必要な運用のためのもの。そしてもう一つが、『創造主』へ送るために作られるもの。
後者に関しては『創造主』からのプロテクトがかかっているようで詳しいことは分からなかったが、前者に関しては多くの情報を手に入れることが出来た。その中には確かに抗重力作用を持つものや、少し応用すればレーザーを放てるものもある。
だが、上位存在はそれを兵器として運用することは想定していなかった。
それを覆したのは、
『――僕達か』
深層領域下での意識共有によって刹那達は上位存在達の本質を知り、数多の情報を得ることができた。
だが、それは相手も同じ。
上位存在もまた刹那達の本質を知り、記憶という名の情報を獲得した。
そして人間が本来意思伝達物質であるGN粒子をビームやフィールドに応用した様に、上位存在もまた元素を兵器として運用することを学習したのだ。
ビームをレーザー、GNフィールドを重力偏差場として、上位存在は刹那達に牙をむく。
「ちっ!」
クアンタムバーストによって粒子残量が心許ない以上、GNフィールドやトランザムをおいそれと使うわけにはいかない。
刹那は光の雨を極力かわし、どうしても間に合わない時は左肩のGNシールドで防ぐ。
幸いなのは無数にある触手の内、レーザーを放てるものは限られているということ。
恐らくはまだレーザーが作られて間もない影響だろうが、同時に撃てる数は最大で五本。またレーザーの照射中は触手が伸びて襲ってくることもなく、一度撃てばその触手が次発を撃つまでには十秒程のタイムラグがある。
まぁ。とは言っても常にレーザーが降り注いでいるという状況に違いはなく、障害物の無い密閉空間で落とされないでいるのは一重に刹那の強力な脳量子波と反射能力、更にはそれに追従出来るだけのダブルオークアンタがあるからこそ。
『だが、このままでは………』
「あぁ」
ビームが効かない場合は接近戦による攻撃がセオリーだが、何せバスターライフルすら通さない程強力な重力場だ。
EカーボンとELSの複合素材であるダブルオークアンタは何とか耐えられるかもしれないが、ELSと同化していても半分人間である刹那は確実にミンチになる。
これがレーザーと重力場を同時に使えないならば幾らでもやりようはあるのだが、どうやら完全に重力場を制御している様で重力場を常時展開したままレーザーを使用している。
撤退が頭にない以上、妥当な選択肢は時間をかけて攻略の糸口を見つけることだが、それも余り時間をかけ過ぎれば今度はレーザーが進化する危険性がある。
正に八方ふさがり。
これといった活路を見出せないまま、三分が経過。
ティエリアは険しい表情で次々とレーザーを放射する上位存在を睨む。
『どうすれば………』
「………方法はある」
『なに?』
広間にはクアンタムバーストの名残として未だ高濃度のGN粒子が溢れており、クアンタの粒子残量も回復した。
条件がそろったことを確認すると、刹那は自身の考えを話した。
『………不可能ではないな。だが、成功する確率は決して高くないぞ』
「わかっている。だが、これしか方法はない」
『確かにこのままではジリ貧か………わかった。細部の演算処理は僕とヴェーダで引き受けた。やれ、刹那!』
「了解! トランザム!」
機体が赤色化する。
三倍にまで性能が跳ね上がる『トランザム』を使用した以上、短時間の間だがレーザーを回避することは容易になる。
だが、何故かクアンタはそれまでの回避行動を止め、空中で停止する。
防御をするわけでも、攻撃をするわけでもない。
ただただ、浮かんでいるだけ。
一秒の間も置かず、全ての触手がクアンタへと照準を合わす。
それでも尚、クアンタは動かなかった。
五本のレーザーが、クアンタを貫いた。
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第五話
Ⅰ
五本の光線が違うことなくクアンタを貫いた。
だが、ここで疑問が残る。
クアンタの装甲は、こんなにも脆いものだっただろうか?
先にも述べたが、ダブルオークアンタに使われている装甲はEカーボンにELSが同化した特別装甲。
膨大なGN粒子の強化もあって実弾攻撃にはほぼ無類の、光学兵器に対しても高い防御能力を持つ。無論多数のレーザー照射を受ければ大破は免れないが、それでも何の抵抗もなく貫かれたという事実には些か疑問が残る。
その疑問の答えは、すぐに明らかとなった。
レーザーに貫かれた後、クアンタが跡形もなく“量子となって”その場から消え失せたのだ。
それに驚いたのかどうかは定かでないが、突然消えた『敵』に対して触手の先端は目標を見失い、あてもなく上位存在の周囲を徘徊する。
その時だ。
上位存在の背後に、赤色の機体が現れたのは。
急襲をいち早く捉えた数本の触角は、すぐさまクアンタへと疾走。
コックピット目がけて伸びた槍は、機体を“すり抜けて”通過する。
腹部が量子となって霧散しているにも関わらず、クアンタはGNソードⅤを横薙ぎに振り抜いた。本来ならば重力偏差場に阻まれて届かない攻撃。
だが、振り抜かれたグリーンの刃は何の影響を受けることもなく上位存在を切り裂いた。
根元から斬り飛ばされ、宙に舞った上位存在のガラスの如き眼がクアンタの深緑のアイカメラと重なる。
GNソードⅤの刀身をピンクの光で染め上げ、クアンタは舞った。
「うぉぉぉぉおおお!!」
振るわれた一撃は斬撃ではなく、爆撃。
圧倒的破壊力と速度を持って、上位存在は抵抗する間もなくこの世から消滅した。
Ⅱ
「はぁ、はぁ、はぁ……」
『大丈夫か、刹那?』
「あぁ……」
そう答えるも、刹那の呼吸は荒い。
鈍痛が脳を焼き、脂汗がじっとりとヘルメットの中を濡らしている。
リンク越しに伝わってくる刹那の状態にティエリアは難しい顔をし、
『やはり、負担が大きかったか……』
刹那が行ったのは機体の量子化。
だが、過去に何度も行ってきた単なる量子ジャンプとは違う。
行ったのは、不定確率状態での現実干渉。
そもそも量子化とは、機体が粒子となって別の場所で再構成することではない。
それは、因果律の操作なのだ。
ダブルオークアンタという存在確率を曖昧化させ、再びその確率を決定することで因果を改変、ワープを可能にする。
ツインドライブを持つ機体のみに許された究極の回避システム。
とは言え、量子化も万能ではない。
量子となっている間はいかなる物理的攻撃も意味を成さないが、確率を確定して実体化すれば当然現実の干渉を受ける。
実際、かつてのリボンズ・アルマークとの戦いにおいては実体化した直後を攻撃され、太陽炉を失うと言うこともあった。
今回の場合、上位存在が重力偏差場と言う鎧を纏っている以上、例え量子化してレーザーを回避したとしても、その後実体化しては重力偏差場の影響を受けることとなる。
故にダブルオークアンタは現実に干渉できる『実体』でありながらも、現実の影響を受けない『量子存在』であるという矛盾存在でいる必要があった。
勿論、そんなことはいかに刹那でも本来不可能だ。
だが、クアンタのバックアップに回されているヴェーダの高い演算処理能力が全て『実体』と『量子』の狭間における確率計算に費やされたこと、クアンタに予め量子ジャンプのシステムが搭載されていたこと、広間に高濃度のGN粒子が溢れていたこと、そして実行に移せるだけの能力がELSと同化した刹那にあったこと。
様々な要因が組み合わさった結果、僅か数秒間だけ、不可能は可能へと変わったのだ。
……一度発動すれば攻撃も防御も回避すらも絶対不可能。だが、刹那の負担が大きすぎる。
量子化を超えた技であるために只でさえ刹那の負荷が大きく、またヴェーダを持ってしても計算しきれなかった分が更に刹那の負担を大きくしていた。
……くっ! ヴェーダ本体があったなら!
ダブルオークアンタに積み込まれている小型ターミナルユニットの演算処理能力は、オリジナルの約四割。
情報処理に関してはヴェーダと匹敵する能力を持つELSと共に行うことでヴェーダ 本体にも匹敵する処理能力を発揮できるが、こと計算に関してヴェーダが一手に引き受けるためにどうしても本体に比べて劣る。
勿論、劣るとは言ってもMS一機に搭載するには余りにも破格であり、世界規模の情報統制やハッキングすらも可能なのだが、それでも既存の物理現象を超越した計算を行うにはまだまだ足りない。
後悔にも似た願望がティエリアの中に過るが、ないものねだりをしていても始まらない。
『行けるか、刹那?』
「問題ない」
そう言う顔色はまだ少し悪いが、このまま留まっていれば存在が流れこんでくる可能性もある。早々にここから離脱すべきだと進言しようとした、その時だ。
――――――――排除失敗
『「っつ!?」』
クアンタムバーストの余波がまだ残っていたのか、GN粒子を通じて伝わって聞こえてくる声に刹那とティエリアの顔が強張る。
クアンタを翻すと、そこにあるのは主を失った巨大な台座だけで上位存在の姿はない。
けれど、刹那は未だに痛む頭の中で確かにその存在を感じ取っていた。
―――――――特級危険物拡大の危険性あり。絶対側に従い、惑星における全資源を強制破棄。対象物の排除を優先する。
台座から発せられている青白い光が急激に大きくなる。
メインモニターに映っている空間が歪み、各種センサーが異常な数値を次々と叩きだしていく。
それが何を意味しているのかを、ティエリアはすぐに理解した。
そして理解するが故に、戦慄する。
『まさか………自爆する気か!?』
エネルギー出力を強引にオーバーロードさせ、強力な爆発現象を引き起こす。
かつて、ELSとの戦いにおいて擬似太陽炉搭載型のMSが取った手段と同じ。
恐らくは先のレーザーや重力偏差場と同じ様に刹那達から学習したのであろう。
だが、
『規模が違う。僅かな余波だけで空間すらも歪める高エネルギー体が暴走すれば………』
少なくとも半径数百キロは消滅。
下手をすれば火星の地軸に影響を与え、火星そのものが崩壊しかねない。
味方殺しを禁じられている生体端末が、刹那達を排除するためだけに火星の存在すべてを消滅させかねないこの様な手段を取る。
つまりは、
……それだけ僕達を――刹那を恐れているということか!)
逆に言えば、それだけ『創造主』の絶対則が重いとも言える。
僅かな干渉でもあれば、いかなる犠牲を払ってでも排除しようとする程に。
既に光は小さな太陽の如き光量を持つに至り、いつ爆発してもおかしくない。
『刹那!』
「わかっている!」
縦穴を通って脱出したのでは到底間に合わない。
GNシールドからビットが展開し、円状の量子ゲートを構成する。
目的地は、ここに来るまでに通った火星の衛星軌道。
今の刹那の状態を鑑みれば些か不安は残るが、それでもやるしかない。
ゲートの形成と同時にクアンタがその中へと飛びこんでいく。
そして、白が、世界を塗りつぶした。
◇
―――――――■那
声が、聞こえる。
自分を呼ぶ声が。
真っ白な世界。
朦朧とした意識の中で、ノイズを含みながらも自分を呼ぶ声が刹那には確かに聞こえた。
――――――刹―――――那
誰なんだ?
疑問が浮かぶが、わからない。
この声を知っている筈なのに、わからない。
近いようで遠い。
まるで分厚い透明な壁が、自分と声との間に立ち塞がっているかのようだ。
―――――――――刹那―――――
声は段々とその透明度を増していくが、やはり壁に阻まれて誰なのかはわからない。
けれど確信があった。
声はいずれ壁を残り越えてくる。
そしてその時こそ、自分は――――――――
◇
「うっ………」
ゆっくりと、刹那は瞼を開く。
飛びこんできた映像は、見慣れたコックピットの中。
『起きたか、刹那』
「ティエリア………状況は、俺達はどうなったんだ?」
量子ジャンプをした所までは覚えているが、それから先の記憶がない。
何だか夢を見ていた気もするのだが、どうもはっきりとしない。
『落ちつけ刹那。多少の座標のズレはあったが、量子ジャンプは問題なく成功した。今僕達がいるのは火星の衛星軌道上だ』
「そうか………」
一先ずは無事に脱出できたことに胸を撫で下ろす。
その時、ふと刹那は自分を蝕んでいた鈍痛が消えていることに気づく。
「俺は一体どのくらい寝ていた?」
『十二時間と言った所だな。久しぶりの実戦に『対話』、それに量子化を多発したんだ。精神の疲労がピークに達したんだろう』
『対話』と聞いて刹那の表情に苦い物が浮かぶが、まずは状況確認が先決。
「クアンタの状況は?」
『爆発の余波に巻き込まれた幾つかのビットが消失したが、現在は既に再生している。システム、ハード共に問題はない』
「………火星はどうなった?」
『それは見た方が早いな』
サブモニターが立ち上がり、望遠カメラの映像が映し出される。
映し出されたのは今から十四時間ほど前には巨大な塔が聳え立っていた場所。
だがそこに塔の姿はなく、ただただ巨大なクレーターが広がっているだけだった。
「これは………」
刹那の声に驚きの色が混じる。
しかし、それは巨大なクレーターに圧倒されたわけではなかった。
むしろ、その逆。
「………爆発の範囲が小さすぎる」
『あぁ』
ティエリア程の正確な推定は出来なかったが、刹那もまた優れた感覚から暴走したエネルギーの脅威を感じ取っていた。
モニターで映し出されているクレーターの直径はおよそ五〇~六〇キロ前後。
巨大なことに間違いはないが、それでも予想していたモノと比べると余りにも小さい。
『君が眠っている間に出来る限りの情報を集めて見たが、今の所火星全域に大きな変化は出ていない。詳細な分析を行えばまた違う結論が出るかもしれないが、それでも火星の崩壊だけは避けられたようだ』
「爆発が弱まった原因はわかるか?」
『不明だ。権限を譲渡された上位存在が何らかの干渉を施したと言う可能性が最も高いが、推論の域を出ないな』
肩を竦めるティエリアに刹那は暫しの間思案し、
「………存在の動きは?」
『クレーター内部に一時集まっていたが、すぐに元の巣へと戻って行った。懸念事項としては僕達から流出した情報が広まっている可能性があるということだが、今の所その様子はない』
もっとも、今の所その様子が見えないからと言って、情報が漏れていないと断定するのは早計だ。確証を得るためには巣内部へと再び潜る必要があるのだが、万一情報が漏れていたら、
『密閉空間での無数のレーザー照射と重力偏差場………迂闊に飛び込むのは無謀だな』
自爆があった以上、存在は味方同士では攻撃しないと言うことは当てにならない。
エネルギーや元素を多く消費する関係からレーザーや重力偏差場を使えるのは少数に限られるだろうが、それでも全体の一%でもいれば大きな脅威となる。
刹那は現状を理解し終えると、固い表情でシートに身を任せた。
『気にするなと言っても無理だろうが、余り自分を責めるな。『創造主』の絶対則への干渉が不可能だと判明した以上、どの道『対話』は失敗していた』
ティエリアの言うことは正しい。
あのままではどう転んでも分かり合うことなど不可能だった。
けれど、敵意を抱かせたのは、対話の直接の失敗の原因は自分だと言う思いが刹那の心に重くのしかかっていた。
……俺は間違っていたのか?
僅かな可能性でもあるなら、分かり合える可能性に賭けてみたいと思った。
だが結果としてそれは相手に敵意を抱かせ、こちらの危険を増大させることとなった。
分かり合えないと感じた時点で『対話』などせずに、消滅させておくべきだったのか?
ELSは何も言わない。
静かに、刹那を見守っているだけ。
暗い思考の海に陥りそうになった刹那を見かねたティエリアは、話題を変えた。
『そう言えば刹那。周囲を探索中に、面白い物を発見したぞ』
「……おもしろいもの?」
ティエリアは首肯し、いくつかのサブモニターを新たに立ち上げた。
「これは………」
『そう、人工衛星だ』
刹那の知っているものとは大分フォルムが異なっていたが、間違いなくそれは人工衛星だった。そして刹那は、拡大された衛星の表面に刻まれた文字を読み上げる。
「U……S…A」
『ユニオン―――いや、アメリカか。火星に来た時は距離が離れていたためにEセンサーに映らなかったが、ほかにも国連所属と思われるものを数機発見することが出来た』
「……クアンタが衛星カメラに映った可能性は?」
『無いな。見た所、人工衛星に使われている技術はかなり古い上に、配備されている数も極めて少ない。クアンタのレーダー領域外からの撮影はまず不可能だ』
「そうか……」
だがこれで分かったことがある。
「地球には………人類がいる」
『その可能性が濃厚になったな』
技術が古いことと、配備されている人工衛星の数が極めて少ないことから考えて、恐らくこの世界の人類はまだ宇宙に進出できる程の技術力がないのだろう。
もしくは、
『技術はあっても、それだけの余力がない……か』
刹那とティエリアの脳裏に浮かぶのは、『存在』の姿。
人類を生命体と見なすことがない以上、存在が地球に進出している可能性は大いにある。
もしも、この世界の人類が存在に抗うだけの力を持ってないとしたら――――
「行こう、地球へ」
『あぁ』
火星をこのままにしておくことに不安はあるが、何も出来ない以上留まっていても仕方がないと判断。クアンタのスラスターに光が灯り、深緑の輪を作って飛翔する。
目的地は地球。
邂逅まで、後もう少し。
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第六話
Ⅰ
わかり合えると思っていた。
その可能性が殆どないとは理解しつつも、最後にはきっとわかり合う事が出来るのだと、心の底では信じていた。
人々がわかり合えたように。
ELSと自分がわかり合えたように。
もしかすると、驕っていたのかもしれない。
ELSと対話を為した自分ならば全ての生物とわかり合える―――――そんな驕りが無意識の内にあったのかもしれない。
だからこそこんな結果を招いた。
元々不可能だったと言うのは免罪符になりえない。
この様な最悪の結果を生んだのは、間違いなく自分のエゴだ。
そしてそのエゴがこの世界を歪めようとしている。
何とも滑稽なことだ。これまで散々他人の行為を歪みとして駆逐してきた自分が、逆に歪みとして世界に危機をもたらしている。
こんな自分のどこが人類の革新なのだろうか?
変わっていない。
遥か昔、神を信じていた頃の自分と何一つ変わっていない。
教えてくれ、ロックオン。俺は……
◇
そこで、目が覚めた。
表情が自然と硬くなり、額に薄らと汗が浮かんでいるのがわかった。
刹那は一言も発さないままチラリとレーダーに目をやり、続いてメインモニターに視線を移す。映っていたのは、薄暗い世界の中で悠々と目の前を通過していく魚の群れ。
変わりない事を確認するとそのまま重い体をシートに投げ出した。
『大丈夫か?』
「問題ない」
そう言う刹那の表情は硬い。
嘘をつけとティエリアは内心で溜息を吐くが、言った所で頑固な相棒が己の苦悩を吐露しないことはこの五十年でよくわかっていた。
……やはりまだ引きずっているのか。
火星における上位存在との対話の失敗。あれから一週間弱の時が流れた今も刹那はその事を悔やんでいる。勿論、上位存在が創造主の絶対則に縛られている以上『対話』の失敗は必然であったし、相手の敵意を招いてしまったのも不可抗力だ。
恐らく刹那とて頭では理解しているのだろうが、心が納得していない。
上位存在の敵意を招いたのは自分のせいだと言う責任感、この世界に新たな歪みを生んだ事への罪悪感、人類のためには『存在』を駆逐するしかないと分かっていながらも未だ分かり合うことを心のどこかで求めてしまう己への苛立ち。
そういったものが混ざり合い、刹那の精神を追い詰めている。
不味い傾向だと思う。
ただ、こんな時どんな言葉をかければいいかティエリアにはわからない。
刹那の状態は把握できてもそれに対処することが出来ない。
五十年も共にいてこの様かと内心で己を嘲るが、元々誰かを説得することには向いていないのだろう。ロックオンのように誰かを導くことは自分には出来ない。
ならば、刹那が己の力で立ち直るまで待つしかない。
ティエリアはそう結論付けるとそれ以上刹那の内面には触れず、当面の方針へと話を変えた。
『刹那。これまでに集まった情報を報告しておく』
「あぁ」
火星を出てからおよそ一週間。
トランザムと短距離ジャンプを駆使して驚くべき速度で地球へと到達したダブルオークアンタが一先ず太平洋の真ん中に身を隠したのがつい昨日のこと。
何をするにもまずは情報が必要なため、海の中に身を潜めた後は刹那が休息を取る間、ティエリアはヴェーダを介してこの世界の情報を集めていた。
『まずは懸念事項だったこの星についてだが、やはりここは地球で間違いなかった。ただし現在の暦はグリニッジ標準時で西暦1999年8月16日。つまり、僕達の世界から見れば350年程過去のことになる』
「過去? だが、それにしては……」
『あぁ、僕達の世界とは歴史が食い違っている。これは私見だが、恐らくここ異世界の可能性が高い』
「異世界……」
ある程度予感はしていただろうが実際に聞くとまた異なるのだろう。
刹那は同じ言葉を繰り返し呟いた。
『異世界とは言っても僕達の知識が全く通用しない訳じゃない。色々な所で差異はあるが、共通する事柄も多い』
地理的事柄や言語といった風土的なことは勿論、使われている科学技術も一部を除けば概ねかつて刹那達の世界で昔使われていたものだ。
だからこそヴェーダはこの世界のネットワークに簡単に侵入することが出来た。
この時代のセキュリティーなどヴェーダにしてみればあって無い様な物なので、瞬く間に世界中のネットワークを掌握し、世界各国から情報を収集、分析を行っていた。
刹那はサブモニターに表示された情報に目を通しながら、この世界についての知識を頭に入れていく。
ソ連、日本帝国、大東亜連合、戦術機、衛士―――――
軽く把握しただけでも刹那の知る歴史とは食い違っている。
だがやはり最も目を引かれるのは、
「……BETA」
Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race(人類に敵対的な地球外起源種)。『存在』のことをこの世界の住人はそう呼んでいる。
一先ず他の情報は後回しにし、刹那は最も気になるBETAについての情報を読み進めていく。
1958年、火星探査衛星ヴェイキング一号(米)が火星で生物を確認。
1959年、火星の地表に複数の巨大建造物を確認。火星生命体が知性を持つ可能性が示唆され、コミュニケーションを取るための研究が開始。
1967年、ブラトー1の地質探査チームが月面のサクロボスコクレーターを探査中に火星の生物と同様の存在を確認した後、消息を絶つ。
同年、第一次月面戦争勃発、謎の生物はBETAと命名される。
1973年、中国の新疆ウイグル自治区カシュガルにBETAの着陸ユニットが落着。それを受けて大一次月面戦争は人類の敗北を持って終結。中国は国連軍の介入を拒否してソ連と連携し『紅旗作戦』を実行。作戦当初は優位に戦況を進めていたが、落着から二週間後光線級属腫の出現により戦況は一変。戦術核を用いた焦土作戦を余儀なくされる。
1978年、大規模反攻作戦として『パレオロゴス作戦』が東欧州で決行。一時は戦線を押し返すも、作戦の失敗と共にBETAの攻勢が激化。戦線を大きく後退させる結果となる。
1992年、敗戦を繰り返す人類の勢力挽回を懸けてインドで大規模反攻作戦『スワラージ』作戦が決行される。様々なハイヴ攻略のセオリーが確立させるも作戦は失敗。
1993年、全欧州がBETAの完全支配下となる。
1995年、世界の人口がBETA襲来前の5割にまで減少。
1998年、『光州作戦』が決行するも失敗に終わる。
軽く目を通しただけでもいかに人類が追い込まれているかがよくわかる。
元々人類の劣勢自体は予想していたがこれ程とは正直考えていなかった。
険しい表情で情報へと目を通していく刹那だったが、最後までその表情が晴れることはない。BETAを確認してから四十年、交戦を始めてから二十五年。
それだけの年月を費やしたにもかかわらず人類はBETAに対して殆ど何も知ることも、有効な対策を取ることも出来ないままでいる。
BETAに対抗するだけの技術がないからだと言えば確かにその通りだろう。
実際この世界には刹那の様に『対話』をする術もなければガンダムの様な圧倒的戦力もない。だがそんなことより、こんな状況において尚も人類が内部で火種を持っていることこそが最大の問題だった。
『この世界の人類は未知の存在と遭遇するには余りにも早すぎた』
ティエリアがそう嘆くのも無理はない。
地球連邦と言う政府の下で拙いながらも一つに纏まっていた刹那達の世界とは異なり、この世界では国家同士が利益と体面のために足を引っ張り合っている。
後300年―――イヤ、100年もあれば状況は変わっていたのかもしれないがそれを言った所で詮なき事。
『刹那、これからどうする? やはりまずはあの少女を探すか?』
「そう……だな」
正直、何をしたらいいのか刹那にはわからなかった。
この世界の人類と共にBETAと戦うべきなのか、この期に及んでも『対話』を続けていくべきなのか、それとも別の方法を模索すべきなのか。
果ての無い迷路に放り込まれたかのような閉塞感。
少しでも行く手を照らす光を求めて刹那は声の持ち主を探すことにした。
『問題は少女を探す方法か。この世界の人口が減少したとは言え、それでも二十億はいる。そこから声しかわからない少女を探すとなると』
「彼女が言っていた『タケル』という単語から絞り込めないか? この世界が俺達の世界と類似しているならば日系人の名前の可能性が高いが」
主に男性に使われる名前であることや文脈から考えればタケルと言う名前自体が直接少女自身のことを指し示すとは思えないが、あんなにも必至で叫んでいたのだ。家族か恋人、あるいは親友か。
少なくとも少女と深い関係にあったのは間違いない。
ホログラムのティエリアは苦い顔で小さな唇をかんだ。
『正直難しいな。各国の戸籍データや国連の情報ベースからある程度絞り込むことは出来るが、それでも1000が限度だろう』
「1000……」
『しかもこれは戸籍があり、かつ現在生きている人物の合計だ。難民や何らかの理由で戸籍がない、あるいは既に死亡している数まで含めれば更に何百、何千倍にも膨れ上がる。更にここから交友関係を洗うとなると最早どのくらいの数になるか想像もつかない』
それこそ『タケル』が愛称という可能性さえある。
元の世界ならばイノベイドという世界中に散った生体端末を利用することでリアルの情報を集めることもできたが、ここではそうもいかない。更には電子ネットワークの普及がまだまだ未成熟であるという点も探索を難しくしていた。
『刹那。彼女の声は―――脳量子波は感じるか?』
この世界に降りたった直後は駄目だったが地球に降りた今ならばどうか。
一抹の期待が込められた問いかけに対し刹那は静かに首を横へと振った。
ある程度予期していたその返答にティエリアは静かに息を吐いた
。
『地球に降りても駄目か。それほどまでに脳量子波が微弱なのか、それとも……』
その先をティエリアはあえて言わなかったが何を言いたいのかは刹那にもわかっていた。すなわち、少女がもうこの世にはいないという事。
何せ常に死の危険が隣り合わせの世界だ。余り考えたくはないが、刹那達が地球に来る前に死亡したと言う可能性も大いにあり得た。
「……トランザムはどうだ?」
『火星と同じく一時的な簡易意共有空間を作り出すのか。確かにこれならば地球全土を覆える上に生存していれば彼女の脳量子波を探り当てることも出来なくはない。だが止めておいた方がいいな』
「なぜだ?」
『先にも言ったがここは僕達から見て数百年も前の世界だ。当然、科学水準も一部を除きそれに見合ったものとなる』
GN粒子はその特性の一つとして電波やレーダー機器の作動を妨害するというものがある。かつて刹那達CBがあれだけ大規模な活動にも関わらず追撃の手を逃れえたはこの特性による所が大きい。今回の大気圏突入、及び地上での潜伏においてもその特性はいかんなく発揮されている。
が、
『光通信や有視界通信、Eセンサーすらも存在しない世界だ。電波を通信や索敵手段のメインとしている以上、大量の高純度GN粒子を散布すれば世界中の軍事機能が一気に麻痺するぞ』
いや軍事機能だけではない。
経済、政治、都市機能、その他様々な分野において大混乱が起きるのは明白。
ただでさえ余力がない世界だ。
そこにそんなことが起きればどうなるか。
――ヴェーダが導き出した試算結果を見る気にはなれなかった。
「ということは……」
『あぁ。超広域に超高濃度粒子を放出するクアンタムバーストは勿論だが、通常のトランザムの使用も極力控えた方がいいな』
「っつ!」
『まさかELSと同化した弊害がこんな形で現れるとはな』
ELSと同化したことによりクアンタのツインドライブは火星全土をGN粒子で覆えるまでの出力を持つにいたった。
それ自体は歓迎するべきものだ。
実際、ELSと同化した後のダブルオークアンタの粒子生産量は同化前の1.75倍。これは西暦2364年における最新鋭MSと比べても何ら遜色ない数値である。だが、その圧倒的な粒子量が逆に足枷となっていま現れている。
『手詰まり―――だな』
「………」
『こうなれば一つ一つ情報を洗っていくしかないか……』
とんでもなく時間がかかる上に見つかる保証はないが仕方ないと、ティエリアが候補者のリストアップを行っていく。サブモニターに流れていく情報を視界の隅に入れながらも刹那の思考は別の所にあった。
……本当に何もないのか?
何か、そう何かを見落としているような気がする。
それはイノベイターとしての直感。
刹那はもう一度少女の声を思い出した。
マリナと今生の別れを告げた後、外宇宙に出ようと量子ゲートを開いた所で彼女の声が聴こえてきた。助けてと。
それに応えるために刹那達は外宇宙所か次元の壁すらも突破して―――
「……なぜ俺達は声を聴くことが出来た?」
『なにを言っている?』
今更過ぎる疑問にティエリアの呆れた声が飛んだ。
だが刹那の顔は真剣だった。
「俺はあの時外宇宙に出るためにゲートを開いた。そしてこの世界から発せられた“声”を聞いた」
『あぁそうだ。量子空間では距離の概念など存在しない。だからこそ僕達も次元の壁すら超えることが出来たんだ。それのどこに疑問を挟む余地が―――』
そこまで言ってティエリアもまた気づいた。
物事の不可解さに。
量子空間に彼女の脳量子波が流れ込んできた。
それはいい。間違いない。
だが、
『そもそもどうして異世界の脳量子波が僕達の世界に流れ込んできた?』
量子空間においては距離の概念は存在しない。それこそ地球から太陽系を超えて外宇宙に出ることすら容易、一瞬だ。だがそれはあくまでも同一次元世界内での話。
次元の壁を超えようとするならばどうしたって何かしらの目印は必要になる。
実際刹那達は脳量子波という目印を頼りに世界を渡ったのだから。
『何の道標もなくクアンタのゲートが次元の壁を越えて情報を受け取る可能性は限りなく低い。もしも可能ならばこれまでにも同様の現象が見られている筈だ』
つまりあの時、少女の脳量子波はおよそ間違いなく世界の壁を越えて刹那達の世界に流れ込んでいた。そしてそれを偶然クアンタの量子ゲートがキャッチしたのだ。
『だがどうすればそんなことが可能になる?』
「……彼女の“声”は決して強いものではなかった」
『あぁ。あの程度の脳量子波で分厚い次元の壁を越えられるとは到底思えない。なら間違いなく他の要因があったはずだ。微弱な少女の脳量子波を僕達の世界に届けた、世界の次元に穴をあけた要因が』
それが一体何なのか。
その答えに近しいものを二人は既に稼いで目撃していた。
「……存在、いやBETA」
『あの大広間での爆発か』
空間を歪めた圧倒的なまでのエネルギー。あの上位存在の自爆は本来例外に該当するものだが、何も全く同じ必要はない。ようは次元に脳量子波を送り込めるだけの穴を生み出せればいいのだ。
そしてそれが可能な兵器がこの世界にはある。
メインモニターにその兵器の名称が映る。
刹那は険しい眼差しでこの世界の大量破壊兵器を睨んだ。
「G弾……」
G11―――重力操作を可能とするBETA由来の元素から創られた対BETA決戦兵器。高重力の海によって空間に歪を生み出すこの兵器ならば、世界に一瞬の穴をあけるぐらいは十分に可能。
この兵器が実践に用いられたのはたった一度。
そしてその一度というのが、
『今から一週間前の『明星作戦』、僕達がこの世界に来た日だ』
こうなるともう無関係だとは考えられない。
だがそうなるとあの声の少女はG弾の重力場の近くにいたということになる。
『不味いな。これでは』
「……G弾の重力場範囲内に生存者は?」
『確認されていない。事前通告なしに投下されたため当時横浜ハイヴ周辺にいた相当数の兵士が巻き込まれたようだが全てKIA、もしくはMIAが通告されている。またハイヴ内でも生存者は……』
そこまで言ってティエリアの表情が苦いものへと変わる。
それに刹那が眉を潜めるとティエリアは固い声音で続きを紡いだ。
『……いや、一人いる』
ピッと、新たに立ち上がった画面。
そこに映し出されていたものに刹那は暫しの間言葉を失った。
「これ……は?」
『……ハイヴ内で発見された唯一の“生存者”だ』
「っつ!?」
画面一杯に映し出されたのは、脳だった。
青白い液体に満たされた入れ物の中に浮かぶ、人間の脳と脊髄。
『G弾投下後、ハイヴ内に侵攻したアメリカ軍が撮影したものだ。他にも映像と同様のものが全部で187確認されたが生体反応が確認されたのはこれ――いや、この人物だけだ』
「………」
ぐっと握った刹那の拳に力が籠る。
なぜこんなものがという質問は愚問でしかない。
炭素を資源としか、人間を生命とみなさないBETAがこんなことを行う理由など一つしかないではないか。
「人類の調査………」
『あぁ』
重い空気が二人の間に漂う。
そして静かに、刹那は呟いた。
「行こう」と。
みんなが忘れている頃にひっそりと更新。元々が一発ネタの作品だけに理論とか、話の整合性とかには目をつぶって頂けるとありがたいです。
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