モンスターハンター ≪新世界≫ (南波 四十一)
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プロローグ

 ゲーム内の設定やストーリーにそって描かれるモンハンではなく、ゆうきりん先生がお書きになられたモンハン小説第一作目のような、そこから少し外れたモンハンストーリー(王国兵ともめたり、特殊な大砲を作り、それでリオレウスを一撃で撃ち落としたり等)が描けたらと思っています。
 オリジナル設定のものがほとんどになってしまいますので、イメージの合わない方もいらっしゃるかとは思いますが、大目に見ていただけると幸いです。


 カーシュナーは見上げた。そこには新しい空が広がっていた。青く、高く、輝きながら。

 

 カーシュナーは飛び込んだ。そこには新しい海が広がっていた。碧く、深く、ゆらめきながら。

 

 カーシュナーは泳いだ。その先には新しい砂浜が広がっていた。白く、熱く、焼けつきながら。

 

 カーシュナーは踏みしめた。まっさらな砂に足跡を刻む。一歩、一歩、確かめながら。

 

 カーシュナーは深呼吸した。大気が肺を満たす。吸って、吐く、大気を味わいながら。

 

 カーシュナーは振り返った。自分を追いかけて来てくれた仲間たちがいる。一人、一人が、期待に眼を輝かせながら。

 

 カーシュナーは微笑んだ。追いついた仲間たちが笑顔を返してくれる。こぶしと、こぶしを合わせながら。

 

 カーシュナーは両手を上げ、叫んだ。

 

「新世界だあぁぁぁ!」

 

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「勝手なことするんじゃないよ!」

 雄たけびをあげる少年の後ろ頭を、ペシッ!、と仲間の一人が軽く叩く。

「ごめん。姉さん」

 姉に叱られた少年は素直に謝った。上陸間近の船の甲板から、いきなり海に飛び込んだのだから怒られて当然である。甲板上から見た限りでは周辺にルドロスなどの水生獣の姿は見当たらなかったが、安全の確認ができていない海へ、まだ12歳になったばかりの少年が飛び込むのは無茶を通り越して無謀と言えた。

 少年の名前は、カーシュナー。同年代の少年と比べると小柄だが、手足が長く、顔が小さいため、隣りに並ぶまでわからない。癖の強い髪は濃い茶色をしており、今は濡れて重そうに顔や首に張り付いているが、普段は海の湿気のせいもあって、ところどころクルクルとはねている。大きな瞳は陽に映える若葉のような美しい緑色をしており、少し下がった目尻が優しげな印象を与える。すっと通った鼻筋と、薄く小さな唇は型良く整い、細い顎も相まって、少女と間違えられることが多い。

「ごめんじゃない! こうしてやる!」

 そう言うと姉は、カーシュナーのびしょ濡れの髪の毛に手を突っ込み、グシャグシャとかき回した。弟と同じ色をした瞳には、あふれんばかりの愛情が満ちている。

 姉の名はハンナマリー。4歳年上の16歳で、カーシュナーとは反対に同年代の少女どころか、並の大人よりも頭一つ大きい大女だった。だが、カーシュナー同様長い手足に小さな顔のおかげで、一人で立っているとその大きさがわかりずらく、言い寄ろうと近づいてきた大抵の男たちが、凄味の効いた笑顔に見下ろされて呆気にとられるのが定番であった。髪は癖のない真っ直ぐな金髪で、無造作に肩口辺りまで伸ばしてある。瞳の色はカーシューナーと同じだが、目尻は対照的に切れ上がり、鋭くすらある。鼻筋、唇、顎の形は瓜二つと言っていいほどよく似ており、二人から受ける印象はまったく似ていないのだが、二人が姉弟なのだと感じさせる。

 じゃれあって、と言うより姉が弟に一方的にじゃれついていたのがピタリと止まる。ハンナマリーは眉間にしわを寄せ、救いを求める視線を仲間の一人に向けた。

「リド…。手が抜けない…」

「またかよ! カーシュがハゲるからやめろって言ってるだろ!」

 リドと呼ばれた少年が大げさに嘆く。

 彼の名は、リドリー。歳は17歳。ハンナマリーに劣らぬ長身の持ち主で、無駄のない引き締まった身体をしているが、常に猫背で歩くため、引き締まっているのではなく、ヒョロヒョロとやせ細っているように見られ、侮られることが多い。艶のない黒髪は毛量が多く、顔の半分が隠れるほどボサボサに伸ばしているため、目が全く見えない。これでは本人も目が見えないのではないかと思われるのだが、まったく不自由していないらしい。鼻は竜人族のように高く、ボサボサの前髪の中から突然ニョキリと現れており、大きく常にニヤケている口元と顎髭のせいで、その顔は犬のように見える。

「いいから早く取ってくれ!」

 ハンナマリーがカーシュナーの頭を鷲掴みにして左右に振りながら催促する。いくら小柄とはいえ、少年一人を楽々とぶら下げている。宙吊りにされているカーシュナーも慣れたもので、下手に逆らうとかえって首を痛めるのでおとなしくブラブラと揺れている。

「切るか?」

 見かねたのか、それまで黙って様子を見ていたもう一人の仲間が剥ぎ取り用のナイフを取り出しながら尋ねる。

「お願~い」

 ブラブラと揺られながら、軽~い感じでカーシュナーが答える。

「ふざけんな! 絶対ダメだ! そのナイフしまえ、ジュザ!! カーシュも、お願~いじゃない!!」

 怒られて渋々ナイフを鞘に納めた彼の名は、ジュザ。歳は17歳。平均的な身長にリドリー同様引き締まった身体をしており、一見さして目立たない印象を受けるが、インナー姿の剥き出しになっている手足には、いくつもの刀傷が見られ、潜ってきた修羅場の数をうかがわせる。鋼のような光沢を持つ髪は長く、飾り紐を使って後頭部で一つにまとめられている。細く切れ上がった眉に、切れ長の目は閉じているのか開けているのかわからないほど細く、不機嫌そうに見える。鼻筋は細く通り、口は真一文字に結ばれている。ハンナマリーが「ジュザの顔は棒6本で画ける!」と、ふざけて似顔絵をいたずら書きするが、他の誰にも真似できない空気を纏っている。

「切るのは最後にしようぜ」

 そう言ってニヤリと笑うと、リドリーはハンナマリーの指に絡まった髪の毛を、驚くほどの速さと正確さで解いて見せた。

「助かった~。ありがとう。リドって本当に器用だね」

 宙吊りから解放されたカーシュナーが笑顔で礼を言う。カーシュナーは信頼に値する人間にしか笑顔を向けない。そしてその笑顔には、狩猟笛の演奏効果のような不思議な力があり、向けられた者の心に癒しと誇りをもたらしてくれる。普段は皮肉っぽく歪んでいるリドリーの口元に、素直な笑みが広がる。

「しかも速い」

 ジュザもリドリーの手際を褒める。基本口数が少なく、お世辞などまったく言えない不器用な性格の上に、手先も不器用なジュザは、リドリーの神業とも言える器用さに、崇拝に近い敬意を持っていた。

「やめろよ、二人とも! ケツが痒くなるじゃねぇか!」

 照れ隠しにリドリーが派手に尻をかいてみせる。その姿を見てカーシュナーが大笑いする。

「あんたら、はしゃぐのはその辺にしておきな。じーさん達が降りてくるみたいだから、周辺の警戒をするよ!」

 4人が後にしてきた巨大な外洋型撃龍船から小船が降ろされ、揺れる縄梯子を猿のようにスルスルと、危なげなく数人の小柄な人影が伝い降りて乗り移る。何か叫んでいるようだが、滑舌が悪くてさっぱり聞き取れない。とりあえず、かなり怒っていることだけは伝わってくる。

「おじいちゃんたち怒ってるねぇ…」

 カーシュナーがぼやく。

「お前が怒らせたんだけどな」

 リドリーが追い打ちをかける。

「無駄口たたいてないで、気を引き締めな!」

 ハンナマリーの一言で、全員が周辺警戒に集中する。一見すると特にモンスターの姿は見当たらないが、甲殻種は砂の中に身を潜めて獲物が近づいて来るのをジッと待つことがあり、小型の鳥竜種は周囲の背景に溶け込むような体色をしていることが多いので、油断していると不意を突かれることになる。

「わかっていると思うけど、あたしら全員手ぶらのインナー姿で来ちまったんだから、油断するんじゃないよ! あたしとジュザは砂浜と海で甲殻種と水獣類の確認! カーシュは目がいいからリドと二人でその辺の茂みに保護色で紛れている鳥竜種と、擬態している甲虫種がいないか確認しな! 未開の土地だから、それ以外の得体のしれないモンスターもいるかもしれない。もう一度言う! 油断するんじゃないよ!」

「おお!」

 ハンナマリーの激に、男どもが答える。このメンバーのリーダーは、年上のリドリーやジュザではなく、ハンナマリーなのだ。

 

 岸を目指して漕ぎ進む小船のなかで、小柄な老人が満足げに頷く。まだそれなりに距離があるにもかかわらず、カーシュナーたちの会話を聞き、その状況判断に満足したのだ。常人離れした聴覚だが、それもそのはずで、小船に乗っているのは全員竜人族だったのだ。小船には5人の竜人族の老人が乗り込んでおり、1人が舵を操り、残りの4人が櫂を漕いで進んでいる。他の船員が心配して止めるのも聞かずに漕ぎ出したが、小さな子供ほどの背丈しかない背中の曲がった老人達が、普段「いつ、お迎えが来てもおかしくない老人じゃぞ! もっと敬わんか!」と、二言目には口にする、面倒くさい老人とは思えない漕ぎっぷりで岸に向かって行く。

「うんむ。やはりあやつらは拾い物じゃったのう」

 自分の背丈の倍以上ある櫂を、全身を使って漕ぎながら、老人の一人が言った。

「ほんに、見所のあるええ子達じゃて」

 舵をとっていた老人が答える。しわくちゃ過ぎて外見では分かり辛いが、舵をとっている老人だけは女性のようである。

「じゃからと言って、こんな安全の確認も出来ておらん海に、いきなり飛び込むのはけしからんわい!」

 小船が降ろされる際に叫んでいた老人が、カリカリしながら言う。

「誰か、ちゃんと叱らにゃいかんぞい!」

 先ほどの老人が言う。

「自分で言えばよかろう! わしは嫌じゃからな! カーシュちゃんに嫌われとうないからのう」

 別の老人が答える。

「ずるいぞお前さん! わしだっていやじゃ!」

「みんな嫌に決まっておろうが!」

「わしゃ、絶対お断りじゃからな!」

 櫂を猛烈な勢いで回しながら、口々に責任転嫁し合う。

「そんなに心配せんでも大丈夫ですよ。賢い子じゃ。わたしらがいちいち叱らんでも、もう二度とこんな危ない真似はしまんせよ。あの子は同じ失敗をしたことがありませんからねぇ」

 舵をとっていた老婆が仲裁する。

 老婆の言葉に、他の4人の老人が顔を見合わせる。

「それもそうじゃの! では、誰も小言は言わんでええということで良しとしようかの!」

 最初に叱ると言い出した老人が、あっさりと手のひらを反して言う。

「お前さんが言い出したくせに、何を上手くまとめておるんじゃ!」

「調子良過ぎるぞい!」

 他の老人たちが次々と文句を言う。

「し、仕方なかろうが! 心配し過ぎて、ちぃとばかり興奮してしもうたんじゃ!」

「もうその辺にしなさい! あの子達に聞こえてしまいますよ! カーシュちゃんに格好悪い所見られますよ!」

 老婆のこの一言に全員がピタリと黙る。

「みなの衆、ここは一致団結して、カーシュちゃんに格好良いとこ見せるぞい!」

「猛スピードで浜に乗りつけるんじゃな!」

「そして颯爽と飛び降りて!」

「ポーズじゃな!」

「おお!」

 この様子に、老婆は大きなため息を吐いた。

 

 カーシュナーたちは拍手喝采していた。

 予想以上のクオリティで、上陸、着地、ポーズ、が決まったためである。先程は一人大きなため息を吐いていた老婆が、ちゃっかりセンターでポーズを決めている。

「…勝手なことをして、ごめんなさい」

 5人がポーズを解いたのに合わせて、カーシュナーが頭を下げる。

「あのさ、カーシュのことはあたしらがちゃんと怒っておいたからさ。本人も反省してるし、勘弁してやってくれよ!」

「無事だったんだしさ! じっちゃん達のために先行偵察に出たと思ってさ!」

「頼む」

 ハンナマリー、リドリー、ジュザのそれぞれがカーシュナーを弁護する。

「うんむ。反省しておるならもうええわい」

 嫌われたくなくて始めから怒る気などなかった老人たちは、ハンナマリーたちの弁護にこれ幸いと頷いてみせた。当然態度だけは厳しいふりをしている。

「普段は大人よりも冷静なカーシュちゃんが、いきなり無茶をしよったから肝が冷えたわい。じゃが、ハンターになろうと志す者が、未知の領域を前にして高ぶるのは至極当然。素質がある証拠じゃ!」

「うんむ。腰が引けているようでは、この先は無いからのう」

「おぬしら3人もたいしたもんじゃ! 正式な狩猟はまだじゃというのに、周囲に対する警戒と、連携しての偵察は様にやっておったぞい!」

 老人たちは他の3人にも労いの言葉をかける。

「スラムで生きるには、必要なスキルだったからね」

 ハンナマリーが答える。その声にはどこか自嘲めいた響きがあった。

「生きるために懸命に身につけたものは、お前さんの味方じゃ。大事にせい」

 老人は、しわの中から小さな目を光らせてハンナマリーを見つめる。人間よりも遥かに長い寿命を持つ竜人族の老人は、人の身ではけして蓄えられない多くの物事を見てきた。その目が認め、後押ししてくれていた。

「…ありがとな。じっちゃん」

 言葉ではない肯定が、ハンナマリーにはかえってありがたかった。

「さて、無事も確認出来たことじゃし、船に戻るぞい!」

「このまま上陸しないんですかい?」

 リドリーが疑問を口にする。

「そうしたいのはやまやまなんじゃが、いかんせんこの辺は浅すぎる。下手に近づくと船底が海底に乗り上げて、海の中で立ち往生しかねんからな。船の修理もせねばいかんから、上手いこと嵐や高波を防げる入り江を探しておかんと、船を失う危険があるんじゃよ」

 カーシュナーは、右の海岸線を見て、次に左の海岸線を見た。どちらも白く美しい砂浜が続いている。

「どっちに行こうか迷うね」

 そこは未知の大陸。誰も正しい行先を知らない。船の物資は底を尽きかけている。特に水が限界に近い。ここでの判断が、航海の成否を分けかねないのだが、非常に判断が難しい場所についてしまったのだ。せめて河口でも確認できれば真水が確保出来るのだが、竜人族特製の望遠鏡でも、この長い海岸線の果てを確認することは出来なかった。

「今は海も穏やかじゃが、いつ荒れださんとも限らん。とにかく早く船に戻って進路を決めねば身動きが取れん。じゃからお前さんたち、早う小船に乗れ!」

 老人たちに急かされて、カーシュナーは小船に乗り込んだ。ジュザが舵をとり、ハンナマリーとリドリーが小船を海に押し出し乗り込む。行きは4人の竜人族の手で運ばれた小船を、ハンナマリーが一人で漕ぎ進む。漕ぎ進む力が強すぎて、櫂は折れそうなくらいにしなり、小船もきしんで異様な音を立てる。

「ハ、ハンナや! そこまで急がなくていいよ! 小船がバラバラになってしまうよ!」

 老婆が慌てて止める。

「ん? 速かったかい? 普通に漕いでたつもりだったんだけどね」

 鼻歌交じりに漕いでいたハンナマリーが、漕ぐのをやめて問い返す。

「その力、頼もしい限りだけれど、今は必要ないから後にとっておいておくれ。リド、ジュザ。二人で漕いでおくれ。舵はあたしがとるから。ハンナは念のために舳先でモンスターがいないか警戒していておくれ」

 3人は素直に指示に従い移動する。ハンナマリーはそこまで力を入れた自覚がないらしく、小首をかしげながら、力試しに小船の縁を握ってみた。ミシッ! と、嫌な音がして小船の縁にひびが入る。

「最近一段とパワーアップしておるのう」

「ほんに先が楽しみじゃて」

 慌てて縁から手を放すハンナマリーを見ながら、老人たちが頬を緩める。カーシュのことは特別に可愛いが、他の3人もずば抜けた才能を持っており、自慢の孫のように可愛く思っている。

「止まって!」

 漕ぎ手を交代してしばらく進んだとき、カーシュナーが不意に声を上げた。その目は、かなり遠くなった海岸の、さらにその先に注がれている。全員がカーシュナーの視線を追ったが、砂浜の先に広がる乾いて干上がった大地に立ち上る蜃気楼が揺れているだけだった。

「…呼んでる」

 一点を見つめながら、呟く。

「リド、ジュザ! 引き返すよ!」

「了解!」

 何が起きたかわからずに戸惑う老人たちを尻目に、リドとジュザは巧みに櫂を操て、船を回す。そしてハンナマリーと瞬時に場所を入れ替わり、代わったハンナマリーが、岸を目掛けて漕ぎ進む。

「な、何事だい! ハンナや!」

 舵をジュザに預けて老婆が尋ねる。

「あたしもわからない! でも、カーシュが何か見つけた! こういう時は何かある!」

「何かとは、なんじゃい!」

「だから! あたしにもわかんないってば! でも、カーシュを信じて!」

 ハンナマリーの、根拠もなければ、説明にもなっていないこの言葉を、老人たちは信じた。カーシュナーには、なんの担保もなしに信じさせる不思議な何かがあった。

 猛スピードで砂浜に乗り上げると同時に、カーシュナーが飛び降りる。それを護るようにハンナマリーが前に立ち、リドリーとジュザが左右を固める。さらにその両側に老人たちがさり気なく立ち、何かを待つ。

 太陽に焼かれた大地の上を、地熱によって歪められた大気がゆれる。焼けた大地が延々と続いているため、今見ている景色が、すぐ目の前のものなのか、それとも遥か先の歪められた景色を見ているのか判断できない。全員が息を殺して待つなか、それは不意に目の前に現れた。

 まるで、揺らめく陽炎を、布でもめくるように、何もない空間から、2メートルを遥かに上回る白い巨体がゆっくりと近づいて来る。

 カーシュナー以外の全員が、驚愕に身を震わせる。特に竜人族の老人の反応は顕著だった。老いたりとはいえ、五感の鋭さは人間の比ではない。その竜人族を持ってしても、その存在を感知できなかったのだ。緊張は瞬時に頂点に達し、殺気が満たされる。

 白い巨体は歩みを止めると、ジッとカーシュナーを見つめ、そのまま静かに佇んだ。カーシュナーも無言で見つめ返す。両者は周囲の緊張にも気づかないほどの集中力で互いを量り続けた。

「あ~びっくりした~!」

 白い巨体が不意に集中を解き、言った。すると、それまで白い巨大なシルエットのようだった姿が、細部まではっきりと窺えるようになり、これまでに見たこともない種族が姿を現した。

 それは明らかに獣人族の姿だった。全身を白く長い毛が覆い、簡素な作りの白い長衣を身に着け、長く尖った耳を持っている。例えるなら、純白のアイルーの毛足を長くし、その身長を2メートル以上に引き延ばしたかのような印象だ。だが、その骨格は人のそれに近く、手足の指も5本あり、全身の毛がなければ竜人族よりも遥かに人間に似いているだろう。だが、頭部だけが明らかに異なる。竜人族と違い、長く尖った耳は側頭部ではなく、アイルーやメラルーと同様の位置にある。鼻と顎は前に突き出しており、アイルーたちによく似ているが、横に広く、力強い形をしている。長い毛に覆われて隠れがちな目は、黄金に輝き、穏やかな知性を感じさせた。

「僕も驚きました!」

 白い獣人に答えると、カーシュナーは満面に笑みを浮かべた。

 カーシュナーの笑顔と、白い獣人の目を見て、ハンナマリーたちと老人たちが緊張を解く。

「間に合ってよかった~。みんなすぐに帰っちゃうんだも~ん。あせっちゃったよ~」

 威圧とは異なる圧倒的な存在感を放つ白い獣人は、見た目とまったく釣り合わない話し方で言葉を続けた。2メートルをはるかに超す巨体が、真っ直ぐに背筋を伸ばし、直立不動の体制で、若干頭が悪そうに話す姿のあまりの異様さに、竜人族の老人たちは思考停止状態に陥り、言葉が出なくなっている。

「すみません。もともと上陸する予定じゃなかったんです。ぼくが勝手に海に飛び込んでしまったので、やむなく上陸しただけなので、すぐに引き返してしまったんです」

 ただ一人、まったく動じていないカーシュナーが対応する。

「そうなんだ~。確かにこの辺りは大きい船が上陸するのにはあんまり向かない場所だからね~。チ~ちゃん別の場所で待ってたから変だと思ったんだ~」

 白い獣人はそういうと、穏やかに笑った。話し言葉と貫録のある笑い方のギャップが激しすぎる。

「待っていてくださったんですか? 僕たちのことを?」

「そうだよ~。前に来てくれた子たちがねぇ。また来るねぇって言ってたからさ~。待ってたの~」

 白い獣人の話に一人納得したカーシュナーが、老人たちに言う。

「おじいちゃん達! たぶんこの人が船長さんを助けてくれた人じゃないかな?」

「!!!!!!」

 彼らがここまでの航海で乗船してきた外洋型撃龍船の船長は、別の撃龍船でこの大陸に流れ着き、一人の現地の住民に助けられ、奇跡的に生還したのだ。船長の話では、「なんか~。でっかくて~。白い~。神様みたいなおじいちゃんだったよぉ~」 と言う、なんともイライラさせられる説明しか受けていなかったので、老人たちはまったく思いつかなかったのである。

「同族をお助けいただいた御仁に、何のあいさつもなく、失礼をいたした。わしらは今回の遠征調査を取りまとめておる者ですじゃ。竜人族を代表して、ご助力頂いたことに感謝を申し上げますじゃ」

「オッケ~。気にしなくていいよ~」

 あまりに軽い返答に、カーシュナー以外の全員がこける。

「…つ、つかぬ事を伺いますが、こちらでは、みな、そのような話し方をされるのじゃろうか?」

「ちがうよ~。前に来た子にぃ。教えてもらったの!」

「船長さんと同じしゃべり方だね」

 カーシュナーの指摘に、老人たちは眉間に寄ったしわを摘まんで頭痛に耐える。

「…あの馬鹿娘。帰ったら説教じゃ!」

 老人の一人が呻くように言った。

「お会いして早々申し訳ないのですが、僕たちの船は食料と水が不足してるんです。特に水がほとんどなくて困っています。どこかで補給できる場所があれば教えてもらえませんか?」

 白い獣人に対して抵抗なく馴染んでいるカーシュナーが、老人たちに代わって尋ねる。先程の無言の量り合いで、直感的に信頼できると判断したらしい。カーシュナーの人を見抜く目は確かで、ハンナマリーたちも白い獣人に対しては、もはや何の警戒も示していない。今は念のため、周囲に気を配りながらカーシュナーの会話に耳を傾けていた。

「オッケ~。案内してあげる~。そのために待ってたしぃ~」

 老人たちは、同族の若者による大いなる過ちに、ただただ首を振るだけだった。

 

 こうして一行は、人類未踏の大陸に到着早々、僅か12歳の少年の才覚に助けられ、強力な助力を得た。この後、白い獣人への対応を、結果としてカーシュナーに任せきりにしてしまったことに対して、竜人族の老人たちはひどく落ち込んだが、それをカーシュナーが何とも思わず、今まで通りに老人たちを慕ったことで、老人たちのカーシュナーに対する溺愛ぶりは、さらに深まったのであった。

 

「あのね~。そろそろね~。見えてくるよ~!」

「ええ~! ホントに~! どこどこ~!」

 若干頭の悪そうな会話が甲板上に響く。

 外洋型撃龍船に戻った一行は、白い獣人の案内により、水と食料の補給が可能で、なおかつ船を安全に停泊しておける場所に向かっていた。白い獣人が乗船してからというもの、船長は白い獣人にべったりで、この大陸に流れ着いてから、奇跡的に故郷に帰りつき、再びここまで引き返して来るまでの出来事を話し続けていた。誰もが辟易としている船長のおしゃべりに、白い獣人は嫌な顔をすることもなく、嬉しそうに耳を傾け、船長と同じ少し頭の悪そうな口調で返していた。白い獣人の迷惑を考えた老人たちが、たまに船長を注意したが、再開の喜びにテンションがハイになってしまった船長の暴走を止めることは出来なかった。

 最初の上陸地点からここまで、丸1日船を走らせてきた。初めのうちは、植物は乏しいが、白く美しい砂浜が緩やかな曲線を描きながら続いていた。だが、ある地点を境に海岸線は急激に折れ曲がり、砂浜は切り立った崖に代わった。それに伴って、徐々に草木が増え始め、生命の気配を色濃く感じさせはじめた。

「あ~。見えてきたよ~」

 白い獣人が言葉とともに前方を指さす。そこは大きな入り江になっており、その奥に、遠目からでは分かりずらいが、明らかに人の手によって作り出された港の跡があった。大半が自然に飲まれてしまっているが、陸地間際までの水深も十分あり、機能としては申し分ない。

「チ~ちゃん、ここ初めて~! 前来た時に教えてくれればよかったのに~」

 船長が、ふざけ半分に頬を膨らませて抗議する。ちなみに、船長の名はチヅルといい、自分のことをチ~ちゃんと言うのだが、それが自分を指す言葉と勘違いした白い獣人が、自分のことをチ~ちゃんと呼ぶようになったことを知った老人たちが、船長を叱りつけたのがつい先程のことである。

「前はね~。もっと南の~。隣りの大陸に来たんだよ~。だから教えなかったの~」

 白い獣人の何気ない説明に、甲板上がざわつく。

「なんと! 大陸は一つではなく、二つあるのですか!」

 老人の一人が興奮して尋ねる。

「二つじゃないよ~。三つだよ~」

「!!!!!!」

 白い獣人の答えに、甲板上のざわめきは、爆発的な興奮に変わる。そんな中、カーシュナーが冷静に指摘する。

「それは、どれくらいの規模の大陸なんですか?」

 白い獣人が高い知能を持ち、言葉使いこそ変だが、問題なく意志の疎通が出来ることから、誰も気づいていなかったのだが、白い獣人は、竜人族の歴史にも僅かしか登場しない未知の大陸の住人なのだ。こちらの常識と、白い獣人の常識は違って当然であり、彼が島を大陸と表現している可能性を考えて、カーシュナーは質問したのだ。

 カーシュナーの質問で初めてその事実に気付いた老人たちは、互いに顔を見合わせた。年甲斐もなく興奮し、本来もっとも冷静であることを求められている立場にありながら、冷静に状況分析することが出来なかった自分たちを恥じ入るとともに、改めて、僅か12歳の少年の利発さに、これから先の成長を夢見たのであった。

「そうだね~。チ~ちゃんに見せてもらった地図を参考に説明すると~。三つ全部合わせるとね~。カーシュ君たちが来た大陸より少し小さいくらいかな~」

「失礼じゃが、わしらの地図の縮尺が理解出来るのですか? わしらの大陸の者でも、地図と言うものを正確に理解できている者は少ないのですが?」

 老人の問いに、白い獣人は目だけで柔らかく微笑むと、隣りにいる船長の肩に大きな手を置いた。

「先生が~。超優秀だったから~。大丈夫~」

 しゃべり方のせいで頭が弱く見られがちだが、船長の航海術、知識、判断力は飛び抜けて高く、彼女の実力に並ぶ程の船乗りは、人間の中にはいなかった。とてもそうは見えない船長は今、白い獣人に褒められて、後ろ頭をかいて照れていた。

「もしや、こちらの大陸の地図など……」

 老人がさらに質問をしようとしたところを、白い獣人が片手を上げて途中で遮る。先程までは柔らかく微笑んでいた目が、厳しく前方を凝視している。

 何事かと白い獣人の視線を追いながらも、老人を含む何人かのハンターたちは、空気が変化したことを本能で感じ取っていた。

 興奮状態だった甲板上が、老人やハンターたちの発する気配に気づき、不意に静まり返る。

「ごめんね~。ちょっと予定外のお客さんがいるみたい~」

 まだ目視では何も確認できていないが、白い獣人はそれの存在を確信していた。狩場の空気をよく知るハンターたちも、それぞれが武器を身構えて警戒態勢に入り、警備担当以外のハンターたちが、暑さのせいで外していた装備類を身に着けるため、慌てて船室に飛び込んで行く。

「ハンター及び戦闘要員以外の船員は、ただちに船内に戻るのじゃ! 相手の様子が知れん! 許可があるまで決して船室から出るでないぞ!」

 老人から指示が飛び、甲板上には大砲が引き出され、大砲やバリスタの弾が戦闘要員らの手によって準備される。船室にとって返し、身支度を終えたハンターたちが次々と甲板に飛び出し、戦闘態勢が整う。

 カーシュナーたちも、インナー姿から一変、頭の上から足の先まで装備に包まれて甲板に飛び出す。もっとも、老人たちから贈られた初期装備なので、上から下まで全て足しても、その防御力はたったの5しかない。なので、見た目こそかなり変わったが、身の安全性では、インナー姿とさして変わらなかった。

「カーシュちゃん、その装備では不測の事態に対応できんから、手出しするでないぞ! ハンナたちはカーシュちゃんの護衛をしつつ、先輩ハンターたちの活躍から、見て学ぶんじゃ!」

 老人の言葉に4人は素直に頷く。これまでの航海の中でも何度か海竜などの水生モンスターに襲われることがあったが、今回の調査遠征には特別腕の立つハンターが乗り込んでいるので、4人が実戦に参加することはなく、甲板中央の比較的安全な場所からG級ハンターたちの実戦の技術を見て学んでいた。

「来るぞ!」

 一人のハンターが警告の声をあげる。その直後、船底に下から突き上げるような衝撃が走る。そして、左右の手すりを越えて、5本の甲殻種とも甲虫種の脚ともとれる、先端が鋭く湾曲した

脚が現れ、抱き着くように甲板に叩きつけられた。その1本ずつが剥ぎ取り用のナイフ程もある棘を無数に持ち、それらが深く甲板に食い込み、とても振りほどけそうになかった。

 数人のハンターが手すりを飛び越え海中に身を躍らせる。カーシュナーたちが慌てて手すりに駆け寄ろうとするのを老人が制する。

「心配せんでもええ! 一人一人が英雄と謳われる程のハンターじゃ! 中でも今飛び込んで行った連中は水中戦の達人じゃ! モガ村や水没林で鍛え上げておる! ここは陸に近いから、万が一この船にもしものことがあっても、自力でなんとかするわい!」

 水中での狩猟は話には聞いていたが、これまで水生モンスターに襲われた際には甲板上からの迎撃及び撃退が主で、モンスターを追って水中に潜り、討伐するといったことはしてこなかった。そのため、今現在モンスターに襲われている中、そのモンスターがいる海中に飛び込んで行くという行為は、狩猟経験のないカーシュナーたちには恐怖に近い光景だったのだ。

 甲板上に残ったハンターたちが、脚に取り付き攻撃を加える。それぞれが手にしているのは、火もしくは雷属性の武器で、大半の水生モンスターが苦手としているものだ。

「今回は撃退ではなく、討伐じゃ! この港跡をしばらく拠点に調査をせにゃならん! 下手に逃がして仕返しに来られては厄介じゃ! みんな頼むぞい!」

 老人の激にハンターたちが吠えるように答える。せっかく用意したバリスタと大砲だが、バリスタは外向きに固定してしまっているため回頭してもモンスターの脚に照準が絞れず、大砲は脚が甲板に密着しているため、船を傷つける危険性が高いので使用出来ないでいた。大ダメージが期待できる撃龍船の装備が使用できないので、ハンターたちは各自の武器を必死に振るっている。

 そこに、海中に飛び込んだハンターの一人が、梯子を伝って戻ってきた。

「報告します! モンスター本体は脚と比較するほど大きくはありません! おそらくは甲虫種と思われます。巨大なオルタロスのような顎を持ち、現在船底に食いついています。なんとかこれを引き剥がそうとしておりますが、思いのほか手強く、苦戦中です!」

「船底に穴を開けられてはかなわん! なんとか怯ませるなりして船から引き剥がすのじゃ!」

「脚へのダメージでは怯みませんか?」

「うんむ! ダメージは通っておるようなのじゃが、脚の形状のせいで甲板に引っかかって滑り落ちはせんじゃろう! なんとか自分から脚を放させにゃあならん!」

 老人の言葉に、甲板上の戦況を見て取ったハンターは頷くと、再び海に飛び込もうとした。

「待ってください!」

 飛び込む寸前の背に、カーシュナーが声を掛けて呼び止める。

「このモンスター少し変だと思うんです!」

「どう変なんだ? 変と言うか、まったく初めて見るモンスターだぞ? どんな違いがわかるんだ?」

 呼び止められたハンターが問い返す。普通なら、たった12歳の新人ハンターの言葉など捨て置かれるところだが、老人たちと同様、このハンターもカーシュナーの才能に一目置いているため聞くことにしたのだ。

「まず、脚が5本しかありません! 手足の数が奇数のモンスターはいません。未知のモンスターですが、その巨大な身体を支えるのに5本脚ではバランスが悪く、本来5本脚とは考えられません! その5本の脚ですが、無数にある棘の多くが、攻撃前からかなりの数折れていました! おそらく、ここでぼくたちと遭遇する前に、何らかの戦闘か、自然災害に遭い、脚を1本失う程のダメージを、すでに受けているのではないでしょうか?」

「確かに、その考えは理に適っている」

 話を聞いたハンターは、改めてモンスターの状態を確認する。甲板上のハンターたちは、モンスターを船体から引き剥がすために、甲板に食い込んでいる脚の先端部に攻撃を集中している。だが、カーシュナーの指摘通り、攻撃を受けていない部分の棘もかなり折れている。そして、カーシュナーには気づけなかった事実に、狩猟経験豊富な目が気づく。

「あの棘の折れ方は、間違いなく爪や牙による攻撃を受けた後に違いない!」

「大型のモンスターは、飛竜種に限らず、巣などに戻って睡眠をとると、かなりの傷が超回復するんですよね?」

「そうだ! だが、このモンスターは、比較的浅い傷がふさがっていない! つまり、ダメージが蓄積されたまま、この船を襲っていることになる!」

 カーシュナーは頷くと、戦闘の邪魔にならないように避難していた白い獣人に尋ねた。

「このモンスターは、この辺りを縄張りにしているのですか?」

「違うよ~。この辺りの海には~。エサになる草食の水生獣がいないから~。本当は~。こんなに大きなモンスターはいないの~」

 カーシュナーは、やはりと頷く。

「これはぼくの推測ですが、このモンスターは縄張り争いに敗れて、自分の縄張りから逃げてきたのではないでしょうか?」

「その可能性は高いな。そうでなければ、捕食されかけて逃げてきたかだが、ダメージを負っていることに変わりはない。あの脚が攻撃に使われないのなら、本体に集中攻撃して一気に討伐してしまった方がいいかもしれんな」

「一つ、試してみたいことがあるんです」

「なんだ? 手負いとはいえ、大型モンスターだ。のんびり実験している暇はないぞ?」

 ハンターの言葉に、カーシュナーは笑顔でペイントボールを取り出すと、脚の1本に投げつけた。そして、じっとモンスターに視線を合わせる。

 カーシュナーの行動の意味に気づいたハンターが、あっ! と、声を上げる。

「お前、まさか…!」

「はい! じつは、以前頂いた観察眼+10の護石を装備しているんです!」

 防具や装飾品には、スキル値と言うものがあり、それらの数値が一定値に達すると、スキルと呼ばれる、狩猟を有利に進めるために不可欠な特殊技能が使えるようになる。スキルには豊富な種類があり、誰が使うのか首をひねりたくなるようなものもあれば、大半のハンターが発動させる有効なものもある。

 ≪観察眼≫もスキルの一つで、ペイントボールや別のスキル≪千里眼≫と併用することで、モンスターの体力が一定値以下になり、捕獲が可能になると、それを見極められるようになるのである。

 ただ、特に捕獲指定されたクエストでない限り、モンスターは討伐されることが多く、古竜種などの強力なモンスターは、そもそも捕獲することが不可能なので、あまり好んで使われるスキルではない。まして、一流と言われるハンターたちは、長年の経験による勘で、≪観察眼≫に頼らずとも、捕獲タイミングを見極めてしまうため、装備するだけで≪観察眼≫のスキルが発動する護石も、使用する機会はないのである。

 必要ないが、装備するだけでスキルが一つ発動する護石を、ただ捨ててしまうのがもったいなくて、新人には便利だろうと、カーシュナーは目の前にいるハンターから誕生日にもらっていたのだ。

「やっぱり! このモンスター捕獲可能です!」

 カーシュナーが嬉しそうに報告する。

 使い道がないと見切りをつけて気まぐれに贈った護石を身に着け、それを活用して未知のモンスターの捕獲を見極めてしまった少年に、ハンターは自分が忘れてしまっていたものを見た。

「カーシュナー! お前は最高だ!」

 ハンターは片腕でカーシュナーを抱き寄せると、大声で吠えた。いらないと切り捨てたものが、自分では思いつけなかった活路をひらく。英雄などと言われて持ち上げられて、いつの間にか天狗になっていたことが恥ずかしく、また、未知の新大陸を前にして、己の驕りを払うことが出来たのが無性に嬉しかった。初心に帰るというよりも、ハンターであることに慣れきってしまっていた自分が、新たなハンターとして生まれ変わったような、そんな清々しさがハンターを満たしていた。

「でも、他の誰かじゃダメだったな! お前だから気づけたんだろうな!」

 ハンターのこの言葉は、カーシュナーにはわからなかったが、二人のそばでやり取りを聞いていた竜人族の老人たちには、ハンターの気持ちが理解できた。カーシュナーの心には曇りがない。その晴れやかな心が、周囲の人の心を照らすのだ。

「後はシビレ罠と捕獲用麻酔玉が効くかどうかです!」

 ハンターに締めつけられながら、カーシュナーが叫ぶ。

「そうだな! 捕らぬケルビの何とやらだ! すぐに試してくる!」

 カーシュナーを放してシビレ罠と捕獲用麻酔玉を取りに行こうとしたハンターの前に、カーシュナーがシビレ罠と捕獲用麻酔玉を差し出す。ハンターはニヤリと笑うとシビレ罠と捕獲用麻酔玉を受け取り、ポーチに押し込んだ。そして、こぶしをカーシュナーに突き出す。

 英雄と称えられる程の男が、僅か12歳の少年を同格と認め、こぶしを求めていた。その意味の深さをまだ理解できないまま、少年は笑顔でこぶしを合わせた。

「行ってくる!」

 力強い言葉を残して、ハンターは海へ戻って行った。

 その後、すぐにモンスターは長い足を痙攣させ、船底を打つ衝撃が止まるとともに、全身から力を失った。捕獲成功である。

 甲板が歓声で満たされる。特に未知のモンスターの捕獲に、王立古生物書士隊や古龍観測所から参加していた竜人族の老人二人は、互いに手を取り合って小躍りし、早速甲板に引っ掛かっているモンスターの脚を観察を始めた。

 捕獲を成功させたハンターが海中から戻り、他のハンターたちから取り囲まれる。咄嗟の機転を褒め称えられていたが、そんなハンターたちを押し退けると、老人たちと一緒にモンスターの脚を観察していたカーシュナーを捕まえ、ことの顛末を他のハンターたちに語ってきかせた。

 名立たるハンターたちの間から感心の声が上がり、先程のハンターと同様に、力押しにばかり頭がいき、柔軟な発想が出来なくなっていることを反省する声も少なくなかった。

 そんなハンターたちの様子を見て、老人たちは満足気に微笑む。未知の世界に飛び込む上で、ハンターたちの人選は、腕前はもとより、人間性を重視して厳選してきた。このハンターたちの中に、プライドは高くとも、驕りが高い者は一人もいなかった。より高みを目指すために、目を、心を、しっかり開いた者たちばかりだ。だから反省できる。だから成長できる。

 竜人族が、その優れた知識と能力で人間を支配するのではなく、常に導いてきたのは、人間の可能性の輝きに魅かれたからだ。多くの愚かな者の中から、どれ程貴重な鉱物、レア素材などよりも価値ある成長を遂げる人間に出会い、導き、その才能を開花させたときに、彼らは言葉では決して言い表せない幸福を得られるのだ。

 竜人族にとっての宝の山が目の前にいる。新たに人類の前に開かれた新大陸の調査は、竜人族にとって、神話と呼ばれる程の太古から求めて続けてきた謎に対する答えを得られる可能性を秘めていた。だが、その知的好奇心を魅了する謎さえも、今、目の前に広がる可能性の輝きには敵わなかった。

「新大陸で何が手に入るかわからんが、今すでに目の前におるこのお宝ちゃんたち以上に価値あるもんは手に入らんじゃろうなぁ」

 老人たちが愛おしげに見つめるハンターたちの中心で、誰よりも大きな可能性を持つ少年は、もみくちゃにされながら笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




まだ始めたばかりなので、未完で投げ出さずになんとか最後まで書き上げたいと思います。


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新大陸発見!

 全ての始まりは、4年前の悲劇からだった…。

 シュレイド地方の南東。人類の生活圏の遥か外の大海原で、星のめぐりを変える程の規模の、海底大地震が発生した。その激震は津波を呼び、大陸沿岸部を襲った。また、海底だけでなく、大陸各地の火山帯の起爆剤ともなり、止まぬ噴煙が陽光を遮り、降り続く灰が、人々の身体を痛めた。

 そして、何よりも深刻な打撃を世界に与えたのは、海流の変化だった。それにより、今まではぶつかることのなっかた海流同士が衝突し、暖流と寒流によって運ばれた大気もぶつかり合うことになった。結果、かき乱された大気が止むことのない嵐となり、世界中を暴れまわった。空はどこも厚い雲に覆われ、陽の光の届かない大地は急速に熱を失い、世界は氷河期に突入するかに思えた。

 北方や高地に暮らしていた人々は、大雪に閉ざされた故郷から追われ、津波の被害から逃れた人々も、嵐に逆巻く波に追われ、移動を余儀なくされた。火山帯周辺の住民も、止まぬ噴火と火山性地震、降り続ける灰から逃れるために家を捨てた。大河に寄り添い生活していた多くの人々は、洪水に呑まれた街をただ茫然と見つめ、途方に暮れていた。

 誰もが希望を失いかけた時、奇跡が起きた。

 それは決して救済ではなかった。それは凶暴なまでの力の怒りであった。多くの災害は人類だけに襲い掛かった訳ではない。当然この世界に生きる全ての生命の上に襲い掛かってきた。

 ━━モンスターの上にも。

 モンスターの中には天候をも操る力を持った存在がいた。彼らは、自らに従わずに猛り狂う自然に対し、怒り、逆らう自然を力でねじ伏せた。それが結果的に世界を救うことになったのだ。

 空を覆い尽くしていた黒雲が割れ、陽の光が再び地上を照らした。発生し続けていた嵐も収束し、豪雨が、豪雪が降り止み、海に穏やかさが訪れた。噴火活動も収まり、地震と火山灰の被害も収まった。人々はそれぞれの生活圏に戻り、故郷の再建に着手した。

 

 それから再建の日々が続く中、まるで幽霊船にしか見えない程傷ついた一隻の撃龍船が、とある港に現れた。

 当時、多くの船が津波の被害を受け、ほとんどの船が応急処置を施しただけの姿で港を出入りしていたので、誰も気に留めなかった。しかし、この船がもたらした情報が、人類に新たな世界を開いた。

 東西シュレイド王国が版図を記す大陸の南には、不機嫌な大洋が広がっていた。南から北へ向かって流れる海流は強く、南へ行くほど天候は荒れ、縄張り意識の強い海竜が多く生息していた。

 終わりのない夢を持つ冒険者や船乗りたちが幾人もこの不機嫌な海の先に新大陸を発見しようと船を漕ぎ出したが、そのほとんどが悪天候と荒れる波間に呑まれ、どうにか嵐を抜けても、縄張りを護る海竜に沈められて港に帰ることはなかった。

 また、調査の足掛かりとなるような島もないため、南の海の探索はなかなか進まず、大陸沿岸沿いの比較的安全な航路が開かれてからは通商や人の行き来に支障が生じなくなったため、人々の意識の中から『南の海の先』は消え去り、本腰を入れての調査は行われなくなっていた。

 そんな中、傷ついた一隻の撃龍船は、誰も辿り着くことのなかった『南の海の先』から帰ってきたのだ。

 

 世界が、大激震の苦痛にのたうち荒れ狂っていた時、この撃龍船は不幸にも、南の海を航海していた。大陸沿岸に沿って進む通常の航路からそれ、波と風に恵まれれば3日は日程を短縮出来る南の海を一直線に横切るルートをとっていたのだ。海竜に襲われる危険性が高いルートのため、好んで使う船乗りは少ないが、速足自慢の船乗りは、必要とあらば少しも恐れず航行した。

 船乗りの中でも屈指の実力を誇る竜人族の女船長チヅルは、この南の海を横断するルートを好んで使っていた。周囲から止められていなかったら、一か八かの賭けになっても『南の海の先』を求めて航海の旅に出ていたはずの、今では絶えて久しい終わらない夢の持ち主だった。心中覚悟でともに航海に出てくれる船乗りたちがいたら、周囲の言葉など聞かず、飛び出していただろう。しかし、残念なことに、これまでの不幸な実績が、他の船乗りたちの冒険心を曇らせていたため、チヅルの呼びかけに答えるものはいなかった。

 南の海の横断は、そんなチヅルの未練でもあったのだ。

 だが、その未練が、チヅルを『南の海の先』へと運ぶことになった。

 海底大地震による津波の影響は沖合の方が小さかった。津波は沿岸に向かいながら、海底の地形の影響を受けて巨大化して行くからだ。海底大地震発生から津波の到達まではかなりのタイムラグがあり、家族を心配した一部の水夫が港に戻りたがったが、港に着く寸前に津波に追いつかれたら、いかな撃龍船といえども耐えることは出来ないこと、何より津波の規模が予測不可能な規模になることなどから判断し、このまま海原で待機し、巨大化する前の津波をやり過ごすことにした。

 そして、波が来た。

 それは、影響が小さいはずの沖合で、経験豊富な船乗りたちが顔面を蒼白にし、茫然と立ち尽くすほどの規模の波だった。

 モンスターの咆哮が、どれ程狩猟を重ねたハンターでも、体の硬直から逃れられないように、本能の根底を揺るがす恐怖は、人の心を縛る。

 巨大な波を前にした水夫の多くが恐怖にすくみ、混乱に支配され、津波から逃れようと船を回頭させようとした。

 その時、船長のチヅルが大きく手を打ち合わせた。津波の唸りが不気味に響く中、その音は不思議とよく通り、混乱の中にある水夫たちの視線を瞬時に集めた。次の瞬間指示が飛ぶ。

「波に船首を向けるの~。舷側とか船尾を波に向けたら、呑まれちゃうんだよ~」

 この気の抜けるような指示が、水夫たちに日常の空気を思い出させ、津波の恐怖を払い、混乱を鎮める。

「逃げ道はないよ~。真っ直ぐ、波を切るしか方法はないんだから~。みんな覚悟決めちゃって~」

 混乱が去った船上が機能し始める。元来が優秀な腕の立つ船乗りばかりが集まった船である。恐怖でいまだに青ざめていようとも、その働きは確かだ。

 撃龍船が最初の波に乗り、波頭を撃龍槍を備えた船首が切り裂く。あまりにも波が高く、撃龍船が波頭に届く時には船は垂直近くまで傾き、そのまま転覆して波に呑まれるかと誰もが思っていた時、チヅルは舵輪にぶら下がりながら、沿岸からはるか遠いこの沖合で、これ程の規模の波が岸に辿り着く時、沿岸部に及ぼす被害がどれ程のものになるのか考え、波飛沫に濡れた体を震わせていた。自身の死など微塵も考えておらず、大波に揉まれている中、本能的にこの波を越えられると悟っているのだ。

 事実撃龍船は波頭を割り、巨大な波の山を越えた。その後も波の山が次々と押し寄せて来たが、始めの波を越えるほどの規模の波は現れず、チヅルの操る撃龍船はなんとか海底大地震の影響による津波被害から逃れることに成功した。

 当面の命の危機を脱した水夫たちが、安堵のあまりへたり込む。しかし、チヅルただ一人が、目の前に広がる海原に現れた波とは違ううねりを認め、表情を曇らせた。

 大波を前にしても揺るがなかったチヅルの平常心が、呼吸と共に乱れる。勘働きのいいチヅルには、うねりの正体はわからなくとも、それが自分の手に余るものであることが感じられるのだ。

 チヅルは空を見上げた。甲板にいた他の船員たちもみな空をふり仰ぐ。不意に陽が翳ったように思えたからだ。だがそこに、太陽の光を遮るような雲はなく、肌を焼く日差しは少しも変わらず降り注いでいた。にもかかわらず、影にのまれた感覚が消えない。

 チヅルは舵輪を甲板長に任せると手すりに駆け寄り、海を覗き込んだ。

 全身に鳥肌が立ち、産毛が逆立つ。

 船の真下。巨大な撃龍船をはるかに上回る黒い影が、そこに有る。

 周囲に目を転じると、先程チヅルの表情を曇らせたうねりの真下にも同様の影が確認できた。

 船首へ、左右の舷側へ、最後は船尾に走り海を確認する。船長の異常とも取れる行動に、船には再び不安が広がり始める。

 チヅルの撃龍船は、視界が届く限りの海面を、うねりと影に囲まれていた。

「あ、あの、船長…」

 不安に耐えかねた水夫の一人が、チヅルに声を掛けようとするが、目も向けずに手振りで黙らせる。

 海面を覗き込むチヅルの頬を、一滴の冷汗が伝い、落ちる。

 その汗が海面を打った瞬間、それを合図としたかのように、海面が爆発した。

 見渡す限りの海面に、ナバルデウス級の超巨大水生モンスターが躍り上がり、落下して水面を打つ。船の真下にあった影も蠢き、チヅルの撃龍船を弾き飛ばすようにして海中から水面を割って跳ね上がり、巨大な2本の角を持つ黄金の巨体で大きな弧を描いて撃龍船を飛び越すと、再びその身を海に投げ出した。

 先程の大波とは違う上下左右から襲い掛かる波に、もはや誰も、何もすることも出来ず、周囲で跳ね狂っている山ほどもある巨体が船に叩きつけられないことを祈るしかなかった。

 どれほど待ったかチヅルにはわからなかった。船を叩き潰されるような、直接的な恐怖よりも、周囲を埋め尽くすモンスターたちが発する狂の氣が大気を満たし、精神を圧迫してくることの方が恐ろしく、心が麻痺してしまったからだ。

 チヅルが我に返った時には周囲のモンスターたちは静まり、大気に充満していた狂気もわずかながら薄まっていた。しばらく放心していると、頬に風を感じ始めた。思わず風の流れに目を向ける。

 船は走っていた。流れに乗って━━。

 船の周囲を取り巻く超巨大モンスターたちが、一斉に移動を始めたのだ。

 山ほどもある巨体を持ったモンスターの群れが生み出す力は自然現象に匹敵した。その移動は強い海流となり、チヅルたちの乗る船を軽々と運んだ。

「船長。俺たちこれからどうなるんすかね…」

 甲板長が放心状態のまま尋ねてくる。そこらじゅうアザだらけで、おでこに大きなコブを作っているが、骨折などの重傷は負っていないようだ。

 舵輪を確かめ、舵が効かないことを確認すると、チヅルは大きく肩をすくめて答えた。

「わかんな~い。まずは~。みんなのケガの具合を確認して~。それから~。帆をたたもっか~」

「あの、なんで帆をたたむんです?」

「舵が効かないから~。操船できないじゃ~ん。帆を張ってると~。風に流されちゃったときに~。近くを泳いでいるモンスターにぶつかるし~。そしたら~。みんな死んじゃうじゃ~ん?」

 この言葉に甲板長は周囲を見回し、超巨大モンスターの群れの中にいる現実を再確認して、気絶した。

 大の字に倒れている甲板長に大きなため息を吐くと、チヅルは情け容赦なく甲板長の股間を蹴り飛ばして起こした。

「もう~。玉袋さおの助持っているなら~。ちゃんとしてよね~」

「せ、船長…。た、玉は、勘弁し、てくだ、さい…」

「2個あるんだからいいじゃ~ん。それより~。早くみんなの~。ケガの状況確認してよね~」

「せ、船長…。個数の問題じゃ…」

 もがく甲板長を無視して、チヅルは近くにいる水夫たちに声を掛けて回る。倒れていた者たちは甲板長の二の舞は御免とばかりに跳ね起き、股間を蹴り起こされるのを回避した。

 確認が済むと、周囲の状況とは裏腹に、重傷者は一人もなく、起き上がれずにいるのは甲板長ただ一人ということがわかった。正直この状況で命に関わるような負傷を負っていたら、まず助からなかっただろう。

 その他の被害状況の確認が済むと、チヅルは船員たちを全員甲板に集め、今後の対応を指示した。舵が壊れており、操船できないためモンスターたちが生み出す海流に乗り、このまま進むしかないこと、流れから外れてモンスターに接触すると、それが攻撃でなくても船体がもたないだろうこと、水、食料ともに無事だったが、これから先の状況が全く読めないため、節約が必要なこと等を指示し、各員を持ち場に戻した。

 誰の顔も絶望を浮かべる中、チヅルだけが笑顔でいた。乗組員たちはそれを自分たちを元気づけるためのものと解釈していたが、事実、チヅルは嬉しくて笑っていたのだ。

 傷ついた撃龍船が、真っ直ぐ『南の海の先』へと向かっていたからだ。

 

 

 チヅルを除いた全乗組員の不幸と引き換えに、船は順調に南へと流されていた。

 ナバルデウスを含む超巨大水生モンスターの群れは、ひと時も休むことなく、ひたすら南に向かって進んでいた。チヅルの乗る撃龍船は、このモンスターの群れが進む際に発生する海流に流されている。脱出しようにも舵が効かない上に周囲をモンスターに囲まれているため、身動きできずに漂流している状況だ。

 心配されていた水と食料だが、適度な雨に恵まれ、壺やタル、水を溜めれるものなら回復薬の空き瓶まで全て使って溜めたおかげで、航海用に積み込んだ元々の水量以上に確保でき、食料に関しては、今回の積み荷がたまたま元気ドリンコなどの回復系アイテムだったことと、大型の魚からの捕食を避けるために周囲の超巨大モンスターの影に集まった小型の魚の群れを釣り上げることで十分に補えていた。

 本来なら警戒が必要な水生モンスターも、周囲を取り巻く超巨大モンスターのおかげでルドロス一匹見かけていない。

 危機的状況の中にあるのだが、実はやれることと言えば食料確保の釣りくらいで、それも天敵がいないせいか竿をたらせばすぐ釣れる入れ食い状態の為、当初は大いに盛り上がったが、作業的になってしまってからは1日の目標釣果を設定し、それ以上釣ることはやめていた。

 極度の緊張を強いられた後に切られた緊張の糸を再び結ぶのは難しく、水夫の誰もが腑抜けた状態に陥っていた。そんな中、チヅル一人が活動的に船上を飛び回っていた。

 船の速度を細かく記録し、昼は太陽、夜は星を頼りに、速度と合わせて現在位置を割り出して航路図を作成した。島影を確認した時には、発見の歓喜と調査できないもどかしさに同時に襲われ、島に向かって雄たけびを上げたため、周囲の超巨大モンスターが反応しないように水夫たちから取り押さえられたりもしていた。

 この恐ろしいほどの前向きな姿勢が、腑抜けた水夫たちの気力を呼び戻し、この南下を漂流と捉えるのではなく、これまでどれ程優秀な船乗りを持ってしても叶わなかった『南の海の先』を調べる航海なのだと考え、身体を動かし、頭を働かせて各自が行動するようになった。

 最初の島影を発見してからは、左右に大小様々な島が姿を現し、これまでの南の海にはただ海原が広がっているだけという常識を覆した。これらの島々を拠点とすることが出来れば、南の海の調査を一気に進めることが出来るだろう。

 チヅルの撃龍船はついに赤道にさしかかり、強烈な日差しにさらされた。日差しを遮るものもなく、雨のない苦しい日々が続いたが、チヅルの竜人族特有の豊富な知識と正確な判断で乗り切った。その際、事前に溜め込んでおいた水がおおいに役立ち、体調を崩す者は一人も出なかった。

 救助はもとより、周囲を超巨大モンスターに囲まれて船の進路すら選べない絶望的な状況であるにもかかわらず、人的な被害は打撲程度しかない。おまけに心配されていた水と食料は減るどころかむしろ航海初日よりも増えている。ここまで来ると誰もが思い始めた。自分たちは、いや、正確には船長のチヅルが『南の海の先』へ導かれているのではないかと━━。

 甲板長がその考えをチヅルに話すと、

「それはない」

 と、いつもの間延びした口調ではなく、そっけなく返されてしまった。

「みんな夢見ちゃだめよ~。現実的に行動してよね~」

 誰よりも『南の海の先』を夢見ていた者の言葉とは思えない発言に、甲板長を筆頭に水夫全員の「ええぇぇーーー!!」の声が響いた。

「幸運には感謝するけど~。あてにした瞬間から逃げて行くんだからね~。みんな不幸に備えるんだよ~」

 何気に厳しいことを笑顔で言う。そこに希望的観測はない。あるのは現実に適切に対処し、必ず生きて戻るという固い意志だった。その中には、乗組員全員の命も含まれている。

 何よりも望んだ夢の中にありながら、船長としての現実の責任に重きを置いているチヅルの態度に、水夫たちは改めてチヅルの度量に惚れ直した。元々がチヅルの船乗りとしての実力に惚れ込んで集まった男たちである。全員が、命に代えてもチヅルを無事に北の大陸に送り届けることを腹に決めた。

 

 さらに南下を続ける中、チヅルたちは多くの超自然現象に遭遇した。しかも、その全てがチヅルたちに有利に働いていた。世界中に嵐が襲い掛かっている中、チヅルたちの行く先々でも嵐が発生し、荒れ狂った。だが、それ以上に怒り狂っているモンスターによって力ずくでねじ伏せられ、結果としてチヅルたちを嵐の暴威から守ってくれた。そして僅かに残った雲からは、まるでチヅルたちに水分を補給するかのような雨を降らせては風の中に溶けて行った。

 海も波高く荒れ狂っていたのだが、周囲を囲む超巨大モンスターたちの壁に阻まれ、チヅルたちの撃龍船を脅かすことはなかった。

 黒々と空を覆っていた雷雲が弾け飛ぶように消失し、小山のような無数の波が、砂の山を払うように消えていく様を遠くに見て、チヅルを含めた全員が、改めてモンスターの力に畏敬の念を抱いた。

 モンスターたちに導かれるように南下を続けているうちに、状況が少しづつ変化し始めた。

 空を嵐の黒雲が覆い続けたために低下していた気温が、モンスターによってあらかた消されると徐々に温かさが回復し、遠目からもはっきり確認できていた波の山もいつのまにかなくなり、海は平穏を取り戻していた。

 周囲を囲んでいたモンスターの群れも徐々に数を減らし、チヅルたちを強制的に運んでいた海流もその力を失いつつあった。

 そして、不意に静寂が訪れ、モンスターも海流も消え去り、チヅルたちは未知の海原に取り残された。

 不意に訪れた静寂に誰もが戸惑う中、チヅルはメインマストの頂きに上ると自慢の望遠鏡を取り出し、四方の様子を注意深く観察した。優れた視力と、竜人族の技術が注がれた高性能望遠鏡の力が合わさり、チヅルの目は海原の先に細い線のような影を確認した。点ではない、線を。

 チヅルはほとんど落ちるような勢いでメインマストを滑り降りると、不安気に自分を見つめる水夫たちに極上の笑顔を向けた。

「陸~。陸があったの~。島じゃないよ~。陸なの~。チ~ちゃん超うれしい~」

 チヅルは一人一人抱きしめながら喜びを爆発させた。見た目はスラリとしているが、船を護るためにハンターも務めるチヅルは竜人族ということも相まって、かなりの怪力の持ち主であった。抱きしめられた水夫たちが残らず悲鳴を上げたがおかまいなしに抱きしめて回り、最後に残った甲板長を、熊の背骨折り程の勢いで締めつけた。

 哀れな甲板長は悲鳴すら上げられずにアワを吹いて気絶し、大の字にのびてしまった。

「情けないなぁ~。君は~」

 チヅルはそう言って笑いながら、大の字にのびている甲板長の股間を容赦なく蹴り上げて起こした。

「ハウッ!!」

 甲板長は小さく呻くとクンチュウのように小さく丸くなり、ゴロゴロともがき苦しんだ。

「だ、だから、せ、船長…。股間は、やめ、て…」

 もがきながら抗議する甲板長を見て、チヅルがゲラゲラ笑う。陸地発見の興奮のせいでハイテンションになっているためツボにハマったらしい。

 そんなチヅルを見て、甲板長の痛みを理解できる水夫たちは、この痛みを知らない女性の無邪気な恐ろしさに震え上がるとともに、甲板長に心の中で深く深く同情したのであった。

 

 周囲の超巨大モンスターがいなくなったので、泳ぎ達者な水夫が海に潜り、船体と舵の破損状況を調べて回った。船体は巨大な波にもまれた割にはさしたる損傷はなかったが、舵は舵輪の操作を舵へと伝えるパーツとの接続部分が破損していた。

 応急処置として舵を固定すると、チヅルは風を読んで巧みに帆を操り、発見した陸地目指して撃龍船を進めた。

 望遠鏡なしでも目の良い者には陸地が遠望できるようになったころ、風が凪いだが、陸を前にした水夫たちは、緩い風でのろのろと進むことにいら立っていたので、率先して櫂を繰り出すと、全力で漕ぎ進めていった。

 陸の地形を見ながら何度か軌道修正し、チヅルは手近な入り江に船を着けた。

 そこは密林に似た植生を持つ土地だった。本来なら美しい姿を持つであろうその土地は、海底大地震の影響で発生した大嵐の影響で、多くの樹木が倒れ、浜には一度は海に飛ばされた多くの枝葉が波に運ばれ流れ着いていた。

 途方もない力に蹂躙された大地を目の当たりにした船乗りたちは、誰もが言葉をなくし、ただ茫然とその様に見入った。チヅルも例外ではなく、まるでラオシャンロンが荒れ狂ったかのような惨状を見て、改めて今回の災害の規模に背筋を寒くし、故郷の家族の無事を心配した。

 気は晴れなかったが、いつまでも呆けてばかりもいられないと、チヅルは気合を入れると周辺探索を行うことにした。入り江は比較的狭く浅い地形をしており、大型モンスターの心配はいらないが、小型の水生獣などが潜んでいる可能性があるので、上陸前に徹底的に周辺水域の調査を行うことにした。

 嵐の名残で濁った海と漂うゴミのため、船上からは小型モンスターを確認することが出来ないため、チヅルは持てる限りの酸素玉と増息薬を持つと、ハンターではないが、ハンター以上の水中活動能力を持つ甲板長と二人の水夫を引き連れ、海に飛び込んだ。水の濁りは水没林を少し濃くした程度だったので、チヅルは十分調査可能と判断し、他の三人に合図を送った。そして偵察に甲板長と二人の水夫が船の左右に散るのを確認すると、チヅルは水深が深くなる入り江の入口へと向かった。

 設備もなく撃龍船を陸に上げるのは不可能なので、舵の修理は水中で行うしかない。船員たちを降ろしてからモンスターに襲われましたでは船長失格なので、チヅルは時間をかけてじっくりと海底を調べて行った。

 本来は太刀使いであるチヅルは、愛用の『天雷斬破刀・真打』は持たず、抜刀状態でも道具が使える片手剣『冥剣エントラル』を装備し、潜ていた。海底は嵐の影響も大きいのだろうが、かなりの砂や泥が堆積しており、チャナガブルのように海底に潜る性質を持つモンスターや大型の肉食魚類が潜んでいる可能性が高いので、チヅルは音爆弾をいつでも取り出せるようにしながら、狩猟で培った感覚で、何かが潜んでいそうなふくらみを見つけると、切れ味が鈍るのも構わず、『冥剣エントラル』を突き刺して行った。

 大抵がエイのような大型の肉食魚類だったため、最高級の片手剣である『冥剣エントラル』の一撃で息絶えてしまった。無駄な殺生を嫌うチヅルは、荷物になるが仕留めた肉食魚類を食料として持ち帰るため、丈夫な縄付きの鉤に引っ掛けて腰に括り付け、引きながら調査を続けた。

 海底を突きながら入り江の口に近付いていくと、不意に肌に触れる水が変わった。

 まるで水の重みが増したような、あるいは水温が下がったような、不快で緊張を強いるような水に…。

 濁った海水を押し退けるようにして、大きな影が近づいて来る。

 チヅルは一瞬魚竜種のモンスターかと思った。しかし近づいて来る影のシルエットが、その正体をチヅルに明かした。

 大きく左右に張り出した目を持つ独特の頭部は間違いなくハンマーヘッドタイプのサメだった。しかも20メートルは遥かに超える巨大ザメだ。

 ハンターにとってサメは、魚の一種であり、けして油断は出来ないがモンスターという感覚ではない。その証拠に2メートルを越えるようなサメを漁師が平気で捕らえてくる。しかしチヅルの前に現れたこのサメは、間違いなくモンスターの領域にいる。

 サメは大きくなりすぎると泳ぐ速度が鈍るため、大抵は海竜種に捕食されてしまう。目の前に現れたハンマーヘッドシャークのように20メートルを超えることなどない。しかし、現に目の前にいる。つまり今目の前にいる個体は、自然が定めた摂理を越えた強者ということだ。

 チヅルは目の前の個体をサメと侮らず、飛竜と同等のものとして捉えた。油断はしない。しかし、チヅルにはある考えがあった。

 ハンマーヘッドシャークは本来外洋に生息している。しかもサメには珍しく、ランポスなどのように群れで生活する習性を持っている。目の前にいる個体のように、単独で、しかもこれ程陸に近い場所にいることはない。

 おそらく荒れ狂う波に連れ去られて、ここまで迷い来たのだろう。濁りで確認できないが、波にもまれて海底などに打ちつけられ、ダメージを負っているはずだ。でなければ、海の怒りが収まった今、本来の生息区域に戻らず、いつまでもこんな陸に近い浅い海にいるはずがない。

 チヅルはハンマーヘッドシャークに出会ったほんの一瞬の間に、そこまで推測していた。水夫たちが心酔する海洋に関する豊富な知識と判断力のなせる業だ。

 飛竜たちがある一定以上のダメージを負ったとき体力を回復するために捕食することがある。このハンマーヘッドシャークもおそらくダメージの回復を図るために獲物を探していたのだろう。サメは鼻が良い。チヅルが仕留めた肉食魚類から流れ出た血の臭いをたどって来たに違いない。

 時がたてば外洋に帰る保証はないので、チヅルはやむなくこのハンマーヘッドシャークを狩ることにした。

 チヅルの推測が正しければ、このハンマーヘッドシャークは捕食することで頭がいっぱいになっているはずだ。これを利用し、隙を作る。

 チヅルは腰に括り付けておいた縄を引き寄せると、鉤に掛けておいた肉食魚類を外し、ハンマーヘッドシャークの方に押し流してやった。

 案の定ハンマーヘッドシャークは肉食魚類に喰らいつき、首を激しく振りながら獲物の肉を食いちぎっては飲み込み始めた。チヅルはスーッと近づき、この巨大なハンマーヘッドシャークを観察した。油断するつもりはないが、これまで見たこともないモンスタークラスの巨大ザメに対する好奇心がチヅルの攻撃の手を止めたのだ。

 近づいて細部まで確認出来るようになると、チヅルは改めて気を引き締めた。それは太古の昔からその姿を変えることのなかったサメが、想像をはるかに超えて進化していたからだ。

 体全体を甲殻と鱗が覆っている。それはガノトトスではなく、明らかにリオレウスなどの飛竜種を思わせる攻撃的な形状をしていた。それでいて泳ぎを阻害しないように尾びれ付近はゲリョスのゴム質の皮のように変化している。それらは逃げるのではなく、明らかに戦い勝ち取るための進化だった。

 チヅルは場違いな興奮に震えた。

 それでいて冷静な頭は、チヅルの推測を裏付ける証拠を確認していた。

 全身を覆う甲殻や鱗の多くがひび割れ、剥がれ落ちている箇所が見受けられる。チヅルの推測通り、このハンマーヘッドシャークは嵐の海にもまれて幾度となく海底や障害物に叩きつけられ、大きなダメージを負っていたのだ。おそらく全身を覆う甲殻や鱗がなければ、今自分で噛み千切っている肉食魚類の肉片よりも細かく砕かれ、小魚のエサになっていただろう。

 観察を済ませたチヅルは、自分には目もくれずに肉食魚類をむさぼり食っているハンマーヘッドシャークの鱗を伝いながら、エラに取り付いた。進化し、甲殻に覆われたこのサメの唯一にして最大の弱点がここだ。エラの内側は無防備だった。20メートルを超えると、2メートルにも満たない人間は、このサメにとって敵という認識ではないのだろう。まして人類未踏の海の外洋に住むため、当然人間と争ったことなどない。人の知恵が生み出す破壊力を知らないのだ。

 チヅルは念のため酸素玉を使ってから『冥剣エントラル』を大きく振りかぶると、一気にエラの奥へと突き刺した。

 研ぎ澄まされた刃が肉を切り裂き、秘められたイカヅチが雷光を発しながら焼く。

 チヅルは刃を外側に向けると切り払うように引き抜く。エラを護っていた甲殻と鱗がはじけ飛ぶ。

 外部からの攻撃から幾度となく護ってきた強靭な甲殻と鱗が、皮肉なことに内側から破壊される。対人を考慮に入れることなく進化した唯一の隙をついた攻撃が、一撃で部位破壊を成功させる。最高級クラスではあるが、一撃の威力に劣る片手剣で、未知の初見のモンスターの部位破壊を達成する。チヅルのハンターとしての実力が垣間見える一撃だ。

 人間に例えるなら、片方の肺を潰されたことになるハンマーヘッドシャークが苦痛に身悶える。チヅルは素早くハンマーヘッドシャークの脇腹を蹴ると間合いをとって身構えた。

 ハンマーヘッドシャークは苦痛から逃れるように海面に躍り上がると、大量の血をまき散らして再び海中に沈む。この瞬間を息継ぎのために浮上していた甲板長と二人の水夫が目撃し、慌てて溺れるように撃龍船に避難した。

 撃龍船の船尾に水夫たちが集まり、ハンマーヘッドシャークが沈んだ場所を見守る。海に戻ったハンマーヘッドシャークは、自身から流れる血と濁りをかき乱して暴れた。その中から時折雷光が閃き、船尾から水中を見守る水夫たちに戦闘の様子を知らせる。勇気ある幾人かの水夫たちが漁獲モリを手に飛び込もうとしたのを甲板長が止める。

「馬鹿野郎! 足手まといになりてぇのか! 引っ込んでろ!」

 怒鳴りながら甲板長にある考えが閃く。

「野郎ども! 船を回せ! 左舷を入り江の口に向けろ!」

 甲板長の指示に従い、水夫たちが櫂を操って船の向きを変える。甲板長は戦闘の影を片目で追いながら左舷に走るとバリスタに取り付いた。

「誰かバリスタ用拘束弾持って来い!」

 すぐそばにいた水夫が素早く船内に走る。

 船が旋回を終える前に、船内に走った水夫は驚異的な速さで目的の物を回収すると引き返し、甲板長に手渡した。

 甲板長は素早くバリスタ用拘束弾を装填すると射角を海面の少し上に調整した。

「もう一度飛び出しやがれ、化け物サメめ! ふん捕まえてやる!」

「船長に当てないで下さいよ!」

「誰が当てるか! 万が一当ててみろ! キンタマ蹴り上げられるどころか踏みつぶされちまうだろうが!」

「…確かに」

 緊張をほぐすための無駄口を叩いていると海面が盛り上がり、次の瞬間海面が割れると特徴的な頭部が現れ、巨体が宙に踊る。甲板長は僅かに軌道修正すると迷わず引き金を引いた。

 ジエン、ダレンのダブルモーランですら簡単には引きちぎれないワイヤー付の拘束弾が空中を走り、ハンマーヘッドシャークの腹部を見事に捉えた。周囲の水夫たちから歓声が上がる。

 動きを制御されて混乱したのか、ハンマーヘッドシャークはめちゃくちゃに暴れまわった。だが、強靭なワイヤーはびくともせずにハンマーヘッドシャークを拘束し続けた。

「いい仕事したの~」

 少し離れた水面から顔を出したチヅルが手を振る。そして再び海中に姿を消すと、チヅルと思しき影がハンマーヘッドシャークへと向かう。

 その後数度雷光が閃き、のたうち回る影が動きを止めると海面いっぱいに血が広がった。血の海の中からチヅルが顔を出し、笑顔で手を振る。

 本人にはわからないだろうが、血まみれ状態で晴れやかに微笑まれても怖いだけである。チヅルの壮絶な笑顔を見て甲板長は呟いた。

「船長に逆らうつもりなんかはなっからねけどよ。怒らせるのだけは絶対にしたくねぇな…」

 この呟きに水夫全員が頷く。

「みんな~。討伐したから引き上げるの手伝って~」

「喜んで!!」

 いつも以上にきびきび働く水夫たちを不審に思いながら、チヅルは返り血を洗い流すためにその場を離れた。

 

 入り江の安全が確保されると、船上に少数の留守番を残してチヅルたちは上陸した。ハンマーヘッドシャークとの戦闘で体力を消耗しているはずのチヅルだが、テンション高く誰よりも働いた。

 水の中の探索が終われば、次は陸だ。

 嵐と津波に洗われたせいか、入り江の周囲に生き物の姿はなく、安全ではあるのだが、未知のモンスターを期待していたチヅルは肩を落とした。そんなチヅルに、目を輝かせた船医が声をかける。この撃龍船に乗るチヅル以外の唯一の竜人族で、人間の老人程の年齢でも若者にしか見えない竜人族にしては珍しく、実年齢も二十歳を僅かに過ぎたばかりの青年だ。

「船長! これを見てください!」

 そう言って若い船医は手にした草の束を差し出した。

「…薬草かな~? どうしたの~?」

「すぐ近くで採取したんです! そしてこっちも見てください!」

 もう片方の手に握っていた薬草を差し出す。こちらは先程の薬草と比べると一回り程こぶりだ。

「見比べてください! 小さい方は船のプランターで栽培していたものなんですが、大きさが全然違うんです!」

「よく似た別の品種じゃないの~?」

「いいえ! まったく同じ品種とは言いませんが、系統は同じだと思います! もし花が咲けば交配して種を得ることが出来るくらいに近い品種です!」

「世界の裏側ほど離れた場所で~。同じものを見るとはね~。がっかりだよ~」

「同じじゃありませんよ! 早速薬効を調べてみたんです! なんと驚いたことに、その回復量が薬草単体で、回復薬に匹敵するほどあるんです!」

 これにはハンターでもあるチヅルも食いついた。

「うそ~。ありえないよ~。どうやって調べたの~」

「ケガをしていた水夫たちに食べさせました」

「ちょっと~!! うちの子たちで実験しないでよ~!」

「大丈夫です! まず最初に自分の腕を切って試しましたから!」

「やだ! キモイ! 引くぅ~」

 チヅルの発言にいくらか傷つきながらも、船医はめげずに続ける。

「それ以外の全ての植物を見てください! 基本的に全て大きいんですよ!」

「ど~ゆ~こと~? おとぎ話の巨人の国~?」

「違います! 実験してみないと断言出来ませんが、おそらく大地の栄養価が、僕らの住む大陸よりもかなり高いのではないかと思います!」

「つまり~。いっぱい食べて~。大きく育った感じ~?」

「表現の仕方に若干引っかかりますけど、そうです! ここは豊穣の大地なんです!」

「おお~! 大発見じゃ~ん!」

 今一つ事の重要性を理解していない感じの歓声をチヅルが上げ、船医は小さく肩を落とした。

 

 その後再度海に潜って貝類などの採取を行った。結果は船医の仮説を裏付けるような大物ばかりが採取でき、大地から溶け出した栄養分が海を豊かにしているのだろうと結論付けた。

 その夜は、採取した山菜や魚介類をふんだんに使い、アイルーの料理長が腕を振るっての大宴会となった。討伐したハンマーヘッドシャークは特徴的な頭部を防腐処理して宴の真ん中に飾り、甲殻や鱗などの素材を採取すると半分を食用に取り分け、残りは命に感謝を込めて海に還した。

 甲板長はバリスタ用拘束弾の腕をチヅルに褒められ、周囲の水夫たちからも褒めそやされておおいに浮かれ、まだろくに飲んでもいないのに裸踊りを披露してチヅルに蹴り上げられていた。

 誰もが浮かれ、芸達者な水夫が一芸を披露し、仲間たちを笑いに誘う。誰よりも大きな声でチヅルが笑い、隣りに座る白い毛むくじゃらの巨人の背中をバシバシと叩いてはしゃいでいた。

 ……隣りに座る白い毛むくじゃらの巨人?

 その場にいたチヅル以外の全員が驚愕のあまり一瞬凍りつき、次の瞬間飛び上がって逃げ出した。

 それはまるで純白のアイルーを2メートルをはるかに上回る巨体に引き延ばした様な姿をしていた。それを見た料理長のアイルーが声を震わせながら叫んだ。

「か、神様にゃあーーーー!!!!」

「マジでぇぇぇえ!!!」

 アイルーの叫びを追いかけるように、水夫たちの絶叫が響く。

 まるでその声に応えるかのようにチヅルの隣りに座る白い毛むくじゃらの巨人は軽く片手を上げ、

「よっ!」

 と、言った。

  



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白い獣人との出会い

チヅルの隣りに、いつの間にか現れた白い毛むくじゃらの巨人が、軽く片手を上げて 「よっ!」 と、あいさつらしきものをする。

 その手には串に刺してきつね色に揚げられた三連の巨大な貝柱が握られており、その一つにかじりついた白い毛むくじゃらの巨人が、その旨さに身震いして笑った。

 けむくじゃらの全身は、よく見るとアイルーの骨格よりもはるかに人間に近く、身に纏った白い長衣は簡素ではあるが作りのしっかりとした物で、けしてチャチャブーのような原始的なものではない。長い毛に隠されているため定かではないが、身体の厚みから想像するに、その肉体は相当強靭なものと思われる。

 全身を覆う白い毛よりも特徴的なのが、その頭部で、こちらはアイルーに非常によく似ており、違いと言えば、アイルーよりもかなり長い耳と、顎の骨格が横に広いため、顔全体が力強く見える点だろう。

 体の大きさ以上に威厳に満ちた存在感があり、水夫たちは突然の出現にももちろん驚いたが、それ以上にその圧倒的存在感に精神が麻痺し、驚いて飛びのいたままの姿勢で硬直していた。

 チヅルも表面上は特に大きな反応こそ見せなかったが、人間など足元にも及ばない程の鋭い五感をもつ竜人族である。その気配をまったく感じさせずに現れた白い毛むくじゃらの巨人に驚いていた。それでいて、自分の本能が身構えようとしない。不思議に思ったとき、白い毛むくじゃらの巨人と目が合った。

 黄金色の大きな瞳には、深い知性と悠久の時が映っていた。

 そこには微塵の敵意もなく、ウソもない。チヅルは意識する前に、自分の本能がこの白い毛むくじゃらの巨人を敵ではないと確信していたことに気がついた。

 チヅルは白い毛むくじゃらの巨人を神と思い込み、いささか失礼な感もあるが、腹を見せて服従の証を立てている料理長に声を掛けた。

「料理長~。お客様のために~。じゃんじゃん料理の腕ふるってね~」

「神様、料理食べるのかにゃ~?」

「貝柱の串揚げ気に入ったみたいだよ~」

「本当かにゃ!! 感激なのにゃ! ボク頑張るにゃ!」

「よろしく~」

 このやり取りのおかげでようやく我に返った水夫たちが、口々にチヅルに質問を浴びせてくる。そんな水夫たちを笑顔でなだめると、手にしていた大ぶりのロブスターを掲げ、肉厚の身にかぶりついた。

「今日はもう考えな~い。食べて、飲んで、歌って、笑お~う! 考え事は全部明日~!」 

 チヅルはこの一言で、ロブスターの身と一緒に周囲の混乱も飲み込んでしまう。

「積んであるお酒もどんどん出しちゃって~。帰りのお酒をとっておこうなんてせこいこと考えちゃダメだよ~」

 このとどめの一言で水夫たちの疑問は消し飛び、大宴会に突入した。

 

 

 これまで水夫たちに蓄積されていた肉体的、精神的疲労は重かった。並の人間なら正気を失ってもおかしくない状況の連続を無事に乗り切れたのは、ひとえにチヅルに対する深い信頼と忠誠が心を支えてくれたからだ。

 その重圧が一時的ではあるが取り除かれ、解放された体に、この日の酒は芯まで染み渡った。朝まで飲み明かすと豪語していた水夫たちだが、深夜を待たずに全員が大いびきをかいてのびていた。本来酒に強い水夫たちが、簡単に酒に飲まれる様子を見て、チヅルは疲労の深さをおして頑張ってくれた乗組員に感謝した。チヅルが船乗りとしてどれほど優れていようとも、一人ではここまでたどり着けなかっただろう。

 隣りに座る白い毛むくじゃらの巨人の膝の上では、この夜一番の功労者である料理長のアイルーが丸くなって眠っていた。白い毛むくじゃらの巨人がその丸い背を愛おしげに撫でている。そのしぐさだけで、心根の優しさがうかがえる。

 チヅルも料理長の頭を撫でてやりながら、白い毛むくじゃらの巨人に話しかけてみたが、当然言葉は通じなかった。チヅルは酒樽に向かうと残り少なくなった酒をジョッキに二つ満たし、片方を白い毛むくじゃらの巨人に渡して一息で飲み干した。それを見た白い毛むくじゃらの巨人も同じように一息で飲み干し、いい顔で笑った。

 その笑顔に満足すると、チヅルは晴れた夜空を見上げた。そこには太古の天文書でしか見たことのない星座たちが瞬いていた。海底大地震に遭う前までに見ていた夜空とのあまりの違いが、チヅルに今いる場所が『南の先の海』を越えた大地なのだと改めて実感させる。アクシデントの結果とはいえ、夢にまで見た場所に辿り着いた喜びがチヅルの全身を満たしていた。チヅルは心地よい満足感に浸りながら、いつしか深い眠りへと落ちて行った。

 

 

「船長! 船のことはオレらに任せておいてください! 船長は白い獣人のお相手をお願いします!」

 甲板長が必要以上に大きな声で告げる。酔いの回りが早すぎたため、たいした量も飲まずに長時間爆睡したので体力が有り余っているようだ。本人も、「飲んだ次の朝に二日酔いじゃねぇなんて、初めてですわ!」 と驚いていた。

「よろしくね~。みんな頼りにしてるよ~」

 チヅルに信頼されること以上に誇らしいことのない水夫たちは、この一言で朝から晩まで全力で働ける。水夫たちは一声気合を入れると、割り振った各々の仕事に散って行った。

 そんな水夫たちを見送ると、チヅルは白い獣人に向き直った。その隣には料理長がいる。ちなみに水夫たちは白い毛むくじゃらの巨人を客と見なし、いつまでも白い毛むくじゃらの巨人と呼ぶのは失礼だし、なにより長くて面倒だということで、『白い獣人』と呼ぶことにした。もっと短く『シロ』にしようという意見もあったが、いざ本人を目の前にすると、その圧倒的存在感がペットにつけるような呼び名で呼ぶことをためらわせたため、敬意を込めて『白い獣人』と呼ぶことに決まったのだ。

 チヅルは言葉の問題を解決するために、アイルーである料理長を間にいれる方法を試すことにした。もちろんアイルーだから言葉が通じる訳ではない。もっと動物的な、ニュアンスでのやり取りからコミュニケーションを進めて行こうと考えたのだ。実際昨夜は料理の出来に白い獣人が満足しているか知りたい料理長が、おそらく本能からそうしたのだろうが、狩場で見かける野生のアイルーのように、のどを鳴らすような鳴き声で問いかけ、これに対して白い獣人が同様にのどを低く鳴らして答えていた。言葉のやり取り程細かい情報を伝えることこそ出来ないが、喜怒哀楽は十分伝わるようで、料理長は白い獣人の満足気な唸りを聞いて小躍りして喜んでいた。

 アイルーにしても、チャチャブーにしても、文化レベルでは劣っても、言語能力は高く、人と交わって生活した者は、会話の語尾こそ独特ななまりが残るが、意思疎通は問題なく行えるレベルまで言葉を習得できる。その瞳の輝きから、外見こそ獣人のそれだが、知能は竜人族に匹敵するものがあると見込まれる白い獣人ならば、すぐに意志の疎通が可能になるのではないかとチヅルは期待していた。可能ならばチヅル自身が白い獣人の言葉を覚えられればいいのだが、残念ながらのどの構造の違いのために話すことが出来ないのだ。もっとも、話せないだけなので、せめて聞くことだけでも出来るようになるつもりではあった。

 そして、アイルーの通訳を挟んでの、三人? の奇妙な会話が始まった。にゃあにゃあ、ぐるぐる、~なの~。はたから聞いていると奇妙な動物たちが集まって騒いでいるようにしか聞こえない。唯一人間の言葉を話す船長がものすごくクセのあるしゃべり方をするので、聞いているとかえって混乱する。

 言葉を教え始めてわずか数時間。予想をはるかに上回る理解力で白い獣人は言葉を覚えていった。

 元々本人がチヅルたちとコミュニケーションを取りたくて接触してきたこともあって、積極的に言葉を覚えようと努めたことが大きかった。単語は二、三度繰り返すだけで覚えてしまい、苦労すると思っていた文法も難なく身につけてしまった。そして驚いたことに、陽が沈むまでに日常レベルの会話をマスターしてしまったのだ。

 ただ一つ、大きな問題を残して…。

「ねぇ~。チーちゃ~ん。これなぁに~」

 船長の口調がそっくりそのままうつってしまったのだ。

 2メートルをはるかに上回る厳つい巨体をした毛むくじゃらの巨人が、よく響く魅力的な低音で、頭の足りなさそうな子供のような口調でしゃべるのである。

 作業から戻った水夫たちは頭を抱えた。

「船長! なんてことしてくれたんですか!」

 竜人族の船医が、ことの重大さに気づき、なんとか白い獣人の口調を矯正しようと試みて、見事に失敗してからチヅルに詰め寄った。

「なんてことって、なにが~?」

「その話し方ですよ!」

「話し方~?」

 船医は一日中密林を探索して、葉っぱやら、小枝が刺さった頭をかきむしった。話が通じない。口調に問題こそあれ、言葉を覚えたばかりの白い獣人の方が、はるかに会話になる。

「…はあっ。僕が怒られるんだろうな~」

「よろしくねぇ~」

「全部わかっててとぼけているでしょ!」

 未知の大陸の住人に、間違った言葉使いを指導してしまったことが竜人族の長老たちに知れたら、監督不行届きで責められるのは間違いない。何が悲しくて自分よりもはるかに年上の竜人族の監督をしなければいけないのかと思い、若い船医は乱れた頭をさらにかきむしった。

 

 

 意思疎通が可能になると、白い獣人は情報の宝庫だった。

 彼の口から語られる事実は、現実よりも夢物語を感じさせた。それほどに突拍子がなく、巨大な飛竜を一人の人間が狩猟してしまうようなとんでもない世界に生きているにもかかわらず、それはあり得ないと思ってしまうような内容だったからだ。

 まず始めに、白い獣人は身の上を語った。自分がたった一人であること。名前を持たないこと。悠久の時を存在し続けていることなどを。誰かの「仲間は滅んだのか?」という問いに対して、白い獣人は、水夫たちのような同族の種は生み出された時から存在しないと答え、「親がいたはずだ」「でなければそもそも生まれていないはずだ」と言い、「名前も憶えていないくらいだから、物心つく前に家族をなくしたんじゃないか」という意見が出たところで、この件に関してはこれ以上深入りすることはやめようと、勝手に納得していた。なので、世界の行く末を見届けるという使命だけが初めにあったことを説明した時、これをまともに聞いていたのは、チヅルと船医の二人だけだった。

 生まれたのではなく生み出されたのか…。

 遺跡などに名残りを見る、古代文明が関係しているのか…。

 二人の間で声に出さない会話が交わされた。竜人族の中には、人類に開示していない古代史、竜人族の歴史がある。その中には古代文明やチヅルたちが今いる南の大陸についての伝承もあった。白い獣人の話は、まだ人類への開示が許されていない内容に触れかけていたので、水夫たちが親切心から勝手に不幸な身の上を想像してそれ以上の追及をやめてくれたのは正直大助かりだった。

 悠久の時を存在し続けていることに関しては、長命な竜人族を知る水夫たちには特別以外ではなく、言われても、やっぱりなと思っただけだった。しかし、竜人族の二人は、白い獣人が、『生きて』ではなく、『存在して』と表現したことに、大きな可能性を感じていた。白い獣人ほどの知能を持ち合わせていれば、この二つの言葉の意味も、その違いも理解できているはずだ。そのうえで、あえて存在し続けていると表現したことの意味は大きかった。チヅルと船医はこれ以上白い獣人自身のことを尋ねるのは、触れてはいけない情報を引き出しかねないと判断して、話題を大陸の情報へ変えた。

 昨日飲みきれなかった酒と、料理長渾身の夕飯に舌鼓を打ちながら、白い獣人の話は続いた。まず、今いる場所が大陸の北西部の先端辺りであること、大陸は南東へ向かって広がり、南下するにしたっがって、大きな河を挟んで密林から緑豊かな森林へと変わっていることを知った。火山地帯はあるが砂漠はなく、毒液の滲むような沼地もほとんどないらしい。標高の高い山はこの近辺にはなく、大陸南東の末端部辺りでないと雪もさほど降らないらしい。動植物にとっては楽園のような大陸であった。

 生命が育まれやすい環境は、モンスターにとっても生きやすい環境であり、多くの動植物以上に様々なモンスターが生息していることがわかった。

 文明を持った自分たちのような種族がいないか尋ねると、白い獣人は残念そうに首を振り、はるかな昔に滅びてしまったと答えた。以来白い獣人はただ一人、広い大陸を旅してまわり、世界を観察し続けてきたと語った。人情味豊かな水夫たちがこれにいたく同情し、孤独を癒すには酒しかないと、残りの酒を全て白い獣人に振舞った。酒好きのくせに無理をしてと思いつつ、チヅルは自分の船の仲間を誇らしく思った。

 ハンターでもあるチヅルは、白い獣人のたくましい身体から、その強さも相当なものと考え、狩りの方法を尋ねてみた。しかし、返ってきた答えは意外なもので、狩り自体行わず、食料はもっぱら、水と少量の木の実で十分なので肉は滅多に口にしないのだと言う。だから料理長の料理を食べた時はあまりのおいしさに驚いたと語ると、これに気を良くした料理長がさらに腕を振るって、美しくも食欲のそそる香りを放つ大皿をよたよたと運んで白い獣人の前に放り投げて追加した。

 狩猟方法は聞けなかったが、モンスターに関する情報は多く、今上陸している場所の近辺にも、本来は大小様々なモンスターが生息していたことがわかった。チヅルにとっては残念なことに、この辺りは津波と嵐の影響が大きかったため、大半のモンスターが南東部へ避難し、逃げ遅れたものたちは全て命を落とし、土に還ったという。

 モンスターの種類を聞いて驚いたことに、この大陸の、特に密林地帯では、甲虫種のモンスターが、数だけでなく、種類も豊富で、草食種はもちろん鳥竜種や飛竜種タイプのモンスターもいるらしいのだが、大型の甲虫種はそれらのモンスターさえも捕食してしまうため、大型の甲虫種が密林の食物連鎖の頂点にいるのだという。

 北の大陸で大型の甲虫種と言えば、クイーンランゴスタ、アルセルタスとゲネル・セルタス、及びその亜種くらいしか確認されていない。もっとも、鋏角種のネルスキュラやその亜種、甲殻種のアクラ・ヴァシムやアクラ・ジェビアはモンスターの分類に詳しくない者には甲虫種と誤認されていることが多く、大雑把なハンターは、モンスターの分類などそもそも気にしていないため、大型の甲虫種が少ないということを認識している者が少ないのだ。

 そもそも甲虫種のあり方が特殊なのである。環境の影響はもちろん大きいだろうが、大元の種である昆虫が、大型化に向いていない。すべての生物が同じサイズで争ったとき、昆虫こそ最強だと唱える学者がいるが、では何故昆虫は巨大化しないのかという疑問が生まれる。巨大化すれば食物連鎖の頂点に立てるにもかかわらず、甲虫種以外は小さなままで存在している。昆虫の種類の多さから考えれば、進化の過程でモンスター化する昆虫がもっといてもいいはずなのだ。しかし実際にはランゴスタ、カンタロス、ブナハブラ、オルタロスなどの小型甲虫種サイズにまで巨大化することもない。

 少ない食料で生命を維持し、短い命のサイクルの中で環境に適応するために進化し、多種多様化して種を存続していく。昆虫が生き残るために選択した答えが大型化しないことなのだ。

 昆虫種と甲虫種はそもそも根本的に異なる、似て非なる存在なのかもしれない。大型化のメリットは、外敵に対して捕食対象からの脱却による生存確率の向上になるが、確保できる食料の絶対数に限りがあるため、巨大化した身体を維持するために必要な1匹当たりの食料数の増加と反比例して個体数の減少につながる。

 昆虫は数を頼りに捕食や自然災害などの死の手から逃れることを目的に繁殖し、甲虫種は力を頼りにあらゆる外敵から生存を勝ち取ることを目的に巨大化する道を選んだのかもしれない。

 その道は険しく、北の大陸での成功例は、アルセルタスとゲネル・セルタスだけである。クイーンランゴスタは蜂や蟻の女王と同様で、繁殖のための大型化でしかなく、基本サイズはあくまで狩場でよく見かけるランゴスタが基準になる。もっとも多くの種類が繁殖している飛竜種とは比べるべくもない。甲虫種は種としての強さで他の種に敗北したのだ。

 その事実を踏まえて考えると、この大陸のモンスターの生態系には並々ならぬ興味が湧いてくる。飛竜が存在してなお生態系の頂点に君臨するということは、種としての強さで飛竜種を上回ったという何よりの証拠だからだ。もっとも、チヅルたちの知識と感覚が、白い獣人の知識と感覚と一緒ではない以上、言葉の意味が正確にやり取りできていない可能性があるので決めつけるのは危険であった。

 チヅルがモンスターの生態系に想像を働かせている隙に、船医が昨日の薬草を持ち出して白い獣人に自説を披露すると、白い獣人は北の大陸に関する知識がないので断言は出来ないと前置きしたうえで、船医から聞いた植物の成長速度、サイズの違いから大地の栄養分がかなり異なるという考えを認めた。また、北の大陸で甲虫種があまり繁殖していないことの理由に大地の質が影響しているのではないかとも言った。

 チヅル個人としては大陸の情報をもっと学びたかったが、船長として乗組員を全員無事に北の大陸へ連れ帰るという責任があるため、周辺海域のモンスターを含めた情報と、季節ごとの天候について尋ねた。もっとも、海底大地震の影響で海流が変わってしまったため、天候に関しては過去のデータは役に立たない可能性が高かった。

 

 

 上陸から一週間。チヅルたちは船の修繕及び、故郷へ帰るための長い航海に備えての食料確保に努めた。

 災害の影響で草食種が内陸に移動してしまったため、生肉の調達はかなわなかったが、海底の砂中に逃れていた海の幸を確保できたので、船の食料庫は瞬く間に埋め尽くされた。

 また、密林の多くの樹木が災害の影響でなぎ倒されていたが、倒れた樹木を苗床にしてキノコ類が大繁殖しており、北の大陸でも見られる成分をより多く含んだキノコを入手することが出来た。その中で船医を特に喜ばせたのが、ビタミンを豊富に含んだキノコだった。人間は、ビタミンが極度に不足すると壊血病を発症する。これは特に長期の航海をする船乗りにとっては深刻な問題で、ビタミンは長期保存が難しい野菜や果物等から主に摂取しなくてはならないため、備えのあまい船の船乗りが壊血病を発症する事例が後を絶たない。

 遭難中は積荷の元気ドリンコや回復薬のおかげで無事過ごせたが、帰りの航海がどれ程の期間に及ぶのか、また補給は出来るのか、という答えの出しようがない問題が山積みで、壊血病の回避は頭の痛い問題になっていた。

 そんな時に発見されたビタミンを豊富に含んだ新種のキノコは、天の恵み以外のなにものでもなかった。香りも味もまるで甘酸っぱい果実のようで、これを調合によってドリンク状にし、空き瓶に詰めたものは一級品の果実酒のように美味で、水夫たちのつまみ飲みが問題になるほどだった。

 他にも異常なまでの吸水性を持つスポンジ状のキノコも発見された。これは天日で乾燥させたキノコや薬草の類を湿気から守るのに大いに役立つ上に、キノコとは思えないほど頑丈で、食用には適さないが、キノコをしぼることで吸水した水分を飲料用に採取することが出来るという優れた性能を持っていた。これは白い獣人に教えられたキノコで、白い獣人はこれを雨の少ない乾燥地帯に赴く際に、大気中の水分を集めるのに利用している。吸水量の限界まで水分が溜まると自らの身体を苗床に胞子を飛ばして腐敗してしまうが、適度に水分をしぼって使用すると、腐ることもなく、一年近く使用出来るらしい。唯一の弱点は凍ることで、一度凍りついてしまうと解凍してもボロボロに崩れてしまい、再生することはないという。

 他にも航海の助けとなるアイテムが数多く採取できた。丈夫でいてしなやかなツタは、上質のロープのように使いやすく、倒木からは可燃性の高い樹脂や接着力の高い樹脂、布などに染み込ませると高い防水性を発揮する樹脂等が多く採取され、海底からは地上ではほとんど採掘できなかった鉱石と、船の補修材として重宝する大小の竜骨を採取することが出来た。

 チヅル本人はあてにしてはいけない幸運と言って否定するが、まるで帰りの航路を手助けしてくれているかのような幸運がこれだけ続くと、水夫たちだけでなく、現実的であろうと居続けている船医ですら、神がかったものを感じずにはいられなかった。

 

 

 船の修理が終わり、積荷の整理が済むと、チヅルたち一行はいよいよ北の故郷目指して帆を張ることになった。

 水夫たちは口々に白い獣人を航海に誘ったが、白い獣人は「使命があるの~」と言って、残念そうに首を横に振った。特に白い獣人と仲良くなったチヅルと料理長が粘りに粘ったが、帰りの航海の安全性と南の大陸発見とその大陸の住人である白い獣人の存在が北の大陸に及ぼす影響が計り知れないため、最後には船医に諭され諦めた。

 ただ強欲なだけで、奪い、荒らすだけの人間が大挙して押しかければ、白い獣人から受けた恩をあだで返すことにしかならないからだ。

 チヅルが未練がましく白い獣人と会話していると、風に乗って鼻の奥を突くような、鋭い腐敗臭が二人の嗅覚を刺激した。チヅルのハンターとしての勘が危険を告げ、白い獣人の表情の変化がチヅルの勘を裏付ける。同じ臭いに気づいた船医が不安気な視線をチヅルに投げる。

 チヅルの眉間に、縦に1本しわが刻まれる。これまでが幸運過ぎたのだ。北の大陸では、広くはないが人類の領域があり、大型のモンスターでも滅多に近づかない。それは人類の先人たちが戦って勝ち取り、子孫たちに残した領域であり、人類の歴史の始まりから与えられていた訳ではない。ここ南の大陸は、戦って敗れ、領域をモンスターたちに奪われた、いわば人類の領域が存在しない大地なのだ。

 油断したつもりはなかった。これは油断と言うよりも、未知への好奇心が呼び込んでしまった脅威と言えるだろう。チヅル一人ならそれでもよかった。しかし今は護らなければならない仲間たちがいる。上陸初日に遭遇したハンマーヘッドシャ-クのように、完全な水生モンスターならば船上ないし陸に上がっていれば安全を確保出来たが、今近づきつつある脅威に対して、安全と言える場所はない。出港準備が整った時点で出発していれば避けられた脅威だった。

 水夫たちも鼻を刺す臭いと、何よりも濃厚に密度を増していく狩場の空気に気づき、ざわざわと落ち着きをなくし始める。チヅルの耳には踏み砕かれる樹木の音が届き始めており、その気配に、不意に初めて怒り喰らうイビルジョーと遭遇した時の記憶がよみがえった。

「チ~ちゃん! 今すぐ出発するの~!」

 白い獣人が叫ぶ。

 おそらく間に合わない。チヅルの感がそう告げていた。下手に背を向けるより、真っ向から迎え討とうかという思いがチヅルの判断を迷わせていたのだが、白い獣人の忠告がチヅルの迷いを断ち切った。

「全員乗船~! 甲板長は乗船後最終点呼を取って報告~!」

 さすがのチヅルもいつもの間延びした調子ではなく、語尾が伸びる程度の早口で指示を飛ばした。

「シロちゃんも危ないから一緒に行くの~!」

「大丈夫~! それよりも、この前教えてくれたこやし玉持ってる~?」

「こやし玉が効くの~?」

「たぶん~」

「じゃあ、チ~ちゃんがこやしてくるから~、シロちゃんは避難して~!」

 チヅルの言葉に白い獣人は首を横に振ると、大人の頭さえも軽く鷲掴みに出来るくらい大きな手を差し出した。こやし玉を渡せということらしい。

「ダメだよ~。これはチ~ちゃんの義務なんだから~」

 チヅルは白い獣人が自分たちを逃がすために危険な役回りを引き受けようとしていると思い、こやし玉を渡すことを拒んだ。

「違うの~。今近づいてきているモンスターには~、こやし玉はぶつけても効果がないの~」

「ええ! 効くんじゃないの~?」

「こやし玉って~、嫌な臭いで追い払うんでしょ~?」

「そうだよ~」

「たぶんだけど~。このモンスターはね~。こやし玉の臭いが好きだと思うの~」

「!!!!」

 チヅルが驚いている間に、モンスターの足音は、耳の良い竜人族だけでなく、この場にいる全ての者にハッキリと聞こえるようになっていた。一歩ごとに距離が詰まっていることが、音の大きさと伝わってくる振動の変化でわかる。それだけでかなりの大きさのモンスターだと予測できる。

「このモンスターは雑食性で~、基本は樹木を口から出す強力な腐蝕液で溶かして食べるんだけど~、他のモンスターの死骸とか~、排泄物も溶かして食べる密林の掃除屋でもあるの~。だからこやし玉の臭いも全然嫌じゃないはずだし~、ぶつけて追い返すのは無理だと思うの~」

「じゃあ、どうするの~?」

「嗅覚が発達しているモンスターだから~、ここから離れた場所でこやし玉を使って~、そっちに誘導してみるの~。この辺りにいないモンスターのフンの臭いだから~、上手く誘導出来ると思うの~」

「危なくない~?」

「大丈夫~。このモンスターは好奇心が強いから~、嗅いだことのないみんなの臭いに反応して近づいてきているだけなの~。だから一人になれば追いかけて来ないの~。それよりも~、ここに来ちゃうと~、船を食べようとする可能性が高いから早く出発した方がいいよ~」

 慌ただしい別れになることを悔やみつつも、チヅルは決断を下すとこやし玉を渡した。受け取った白い獣人は腰のあたりの毛をめくると金属製のポーチのようなものを出し、その中に手早くこやし玉をしまった。

 チヅルは白い獣人がこやし玉をしまい込むのを確認すると、飛び上がって白い獣人を思い切り抱きしめた。

「絶対に戻ってくるから、元気でいてね~!」

「チ~ちゃんも気をつけてね~!」

 チヅルとは対照的に、白い獣人は力強い笑顔と共に、そっと抱き返した。

 二人は離れると、振り返ることなく別方向に走り出した。チヅルは撃龍船に、白い獣人は倒木だらけの密林の奥へと向かって。

「船長~! 全員無事乗り込みました~!」

 甲板長が大声を張り上げる。チヅルも劣らぬ大声で指示を飛ばす。

「出港~~~!」

 チヅルは自身が乗り込まない内から撃龍船を走らせた。舷側から垂れる縄梯子に飛びついた瞬間、背筋に悪寒が走り、縄梯子に揺られながら無理やり背後を振り向いた。

 チヅルの揺れる視界の中に、大災害を生き残った樹木たちをなぎ倒しながら、光を受けて黄金に輝く巨体が姿を現した。光から外れた甲殻が、黄金から翡翠色へと色を変えて怪しく輝いている。その巨体にチヅルは思わず息をのみ、甲板上から悲鳴が上がる。

 言葉で表しえる表現だけであれば、非常に美しいモンスターに思えるかもしれない。しかし、その輝きは、外敵から身を隠す必要のない圧倒的強者の傲慢の輝きであった。

 アカムトルム、ウカムルバスに匹敵する巨体を誇る甲虫種は、撃龍船に頭を向けると、動きを止めてジッと観察してきた。輝きにのまれてわかりにくいが、6本ある脚のうち、後ろの4本が強靭に発達しており、ゲネル・セルタス以上に昆虫離れした、もはや脚と言うよりも、巨大な建築物を支える柱を組み合わせたようにしか見えない。それに対して、前の2本の脚は、まるで人間が合掌するように体の前で組まれ、しきりにすり合わせている。形状も後ろの脚と全く異なり、細くしなやかで、後ろの4本の脚が巨体を支え移動することが役目なのに対し、前の2本の脚は細かい作業を行う手の役目を果たしていることがわかる。もっとも、身体と後ろの脚が大きすぎるせいで細く見えるが、実際は陸の女王と称されるリオレイアの脚よりもはるかに太いはずだ。

「なんか、でっかいハエみたいだ…」

 甲板にいた、一人の水夫が呟いた。

 チヅルは不安定に揺れる縄梯子を甲板まで一気に伝い上ると、落ち着いてモンスターを観察した。確かに、ハエを思わせる。羽は当然退化してもうない。頭部も小さくなり、胴体とほぼ一体化され、頭部のほとんど全てを占めていた複眼もなくなっている。おそらく巨大化する過程で攻撃により傷つきやすいことと、エサや天敵を探す必要性がなくなったことで、巨大な複眼は個眼の数を減らし、クモのように複数の小さな眼で周囲の状況を把握するように進化したのだろう。頭部がこちらを向き、自分たちを観察しているのはわかる。消えない鳥肌が見られている何よりの証拠なのだが、飛竜種などと違い、目が合う感覚がないのが証拠だ。

 全体のシルエットはハエをまったく連想させないのだが、前足をすり合わせ、時折身体や頭部などの前足が届く範囲を掃除するせわしないしぐさが、この巨大な甲虫種とハエを重ね合わせた。

 巨大甲虫モンスターは小首をかしげたかと思うと、不意に前進を再開した。巨体に反して驚くほど速い。入り江の口付近まで撃龍船は来ているが、このままでは間違いなく追いつかれる。

 チヅルが戦闘を覚悟した瞬間、巨大甲虫モンスターは不意に足を止め、密林の奥へ向かって触角をうごめかせた。そしてそのまま身体の向きを変えると、チヅルたちに対する興味を急速に失い、密林の奥へと向かって行った。

 緊張が解けた水夫たちがその場にへたり込む。無理もない。漂流中もナバルデウス級の超巨大水生モンスターの群れに囲まれていたが、ターゲットにされたことは一度もなかった。古龍に匹敵するほどの強さを持つ捕食者に的にされて恐慌状態に陥らなかっただけたいしたものである。

「シロちゃん…。ありがとう…」

 チヅルが小さく呟く。巨大甲虫モンスターの急な心変わりは、間違いなく白い獣人のおかげである。

 しかし、とチヅルは思う。こやし玉の臭いに魅かれて自分たちをあっさり見逃すとは、どれほどウンチが好きなのだろうか?

「拘束攻撃だけは受けたくないな~」

 チヅルは場違いな呟きを漏らした。

 



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南の大陸調査隊結成!

チヅルたち一行の故郷である北の大陸を目指す航海の旅は、漂流することしか出来なかった南下とは逆に、自由に行動できるようになってからの北上の方が、はるかに困難を極めた。

 チヅル曰く。

「運が尽きたの~」

 と、言うことらしい。

 それでも、漂流中に作成していた航海図のおかげで、大小様々な島を経由して北上を続けた。

 時には海竜の襲撃に遭い、撃龍船を破損し、時には突然の嵐に行く手を遮られて引き返すことが度々あった。もっとも、引き返す先があるおかげで、チヅルたちは危険な航海を無理に続ける必要がなかったため、時間こそかかったが、確実に北上を続けることが出来た。

 水夫たちを無事家族のもとへ帰した後、再び南の大陸を目指すつもりのチヅルは、可能な限り中継地点となる島々の情報を集めた。真水の有無。採取可能な素材の有無。地形。そして、モンスターの有無。これらがあればかなり綿密な航海計画を立てることが出来るからだ。

 確かな腕を持つ水夫たちに支えられ、チヅルの指揮する撃龍船は赤道を越えて北の海へと入り、ついに最後の中継地点となる島へとたどり着いた。

 ここからが本当の試練だった。ここから北の大陸までの間には、補給も避難もできない広い海が広がるだけで、島は一つもないからだ。これまで北の大陸から『南の海の先』への探索がことごとく失敗した最大の原因が、中継地点となる場所が存在しないことにあった。今いるこの島を漂流中に確認できていなければ、チヅルたちは敗色濃厚な賭けに出ざるを得なかっただろう。北の海岸線に人工的な漂着物が見られないことから、潮の流れに乗っているだけではけしてたどり着けない位置にあるのだ。

 ここで時間をかけてしっかりと補給と補修を行い、つぎはぎだらけになってしまった撃龍船を最後の航海に押し出して、チヅルたちは故郷を目指した。

 以前は荒れることが多かった海域も、随分と穏やかになっており、航海は予想を上回る順調さではかどりった。順調に進めば2、3日の内に故郷へと帰りつける位置まで何事もなくたどり着くと、ここでもチヅルの神懸った幸運に恵まれたと思い、水夫たちの間に油断が生じた。

 まるでその油断を待っていたかのようなタイミングで、撃龍船は希少種、亜種、通常種の三種のラギアクルスに連続して襲われるという、歴戦のハンターでさえも青ざめるような不運に見舞われた。主に陸上生活を送っているラギアクルス亜種にまで海で遭遇するのだから、よほどのことである。

 結果として、チヅルたちはこの最悪の困難を乗り切り、故郷の港へと帰り着くのだが、そのとき港に姿を現した撃龍船は、ラギアクルスたちによって散々に痛めつけられ、幽霊船のような有様であり、下船してきた水夫たちも不眠不休の逃走劇で疲労困憊し、幽鬼さながらの様子であった。

 それでもついに持ち帰られたのだ。人類を新世界へと導く、無限の可能性を秘めた航路がー。

 

 

 チヅルたちの生還は竜人族の間に、海底大地震並の激震を呼んだ。

 水夫たちにはただちに箝口令が布かれ、人類への情報の遮断が行われた。水夫たちからの反発が予想されたが、復興途中の故郷のあまりの惨状と、にもかかわらず人的被害を奇跡的にゼロに抑え、家族を護ってくれた竜人族の指導者たちに対する深い感謝の念から、水夫たちは箝口令に従ってくれた。交流のあった近隣の漁村が、軒並み壊滅し、流れ着いたおびただしい数の死体が弔われて出来た新しい丘を前にするたびに、水夫たちとその家族は改めて竜人族の偉大さを想い、その導きにあずかれる幸運に感謝し、南の大陸に関する情報は一言たりとも漏らすことはなかった。

 箝口令が布かれると、チヅルは早速新たな出港計画を立てようとしたが、文明世界が受けた傷のあまりの大きさに断念せざるを得なかった。世界は今日を生き残るのに必死だったからだ。

 海底大地震による被害、その後の氷河期に突入しかねないほどの異常気象は、農耕と畜産に壊滅的な打撃を与え、世界規模の食料危機を迎えていた。災害で生き残った人々が次々と餓死してゆく。民を護るべき東西のシュレイド王国の権力者たちは、国の食料庫を開いて国民を救うべきところを、逆に城門を閉ざして自身の保身に走ったため、逆上した難民たちが食料庫を襲撃する事態に発展した。

 鎮圧に向かった王国軍が見せしめを兼ねて情け容赦ない制裁処置を行ったが、結果として無秩序に起こっていた暴動を組織化することになり、両王国は内乱状態に突入した。

 王権を至高のものとする王都周辺部には、指導者たる竜人族はいない。人間よりも優れていることを認めてしまうことは、玉座が至高の座ではないと公言するに等しく、支配階級者たちにとって、はなはだ都合が悪いからである。また、支配することに慣れきった人間の傲慢な耳は、竜人族の苦言をまったく容れないので、支配者たちが竜人族を遠ざけたというより、竜人族から愚者と見限られたと言うのが現状である。

 過ちを正す存在のいない王都周辺部の混乱は復興を遅らせた。内乱の戦火が拡大するにしたがい、辺境との交易ルートを持つ行商人たちは、王都と辺境とを繋ぐ道から得られる利益に早々と見切りをつけ、王都を離れて辺境の村々を渡り歩くようになった。そのため物資の流通は滞り、治安はさらに乱れ、多くの有能な人材が、辺境へと流出していった。

 負の連鎖に飲み込まれ、復興の進まない王都周辺部に対し、辺境に位置するハンターズギルドの管轄下にある城塞都市や、直接の繋がりはなくとも、指導者である竜人族同士の繋がりがある村々は、急速に復興を遂げていった。

 チヅルも自身の夢を脇に押しやり、継ぎはぎだらけの撃龍船を操って、人と物資を運び、復興に尽力した。今操っている撃龍船では、再び『南の海の先』にある、南の大陸を目指すのは不可能なため、新たな外洋型の撃龍船を建造する必要があるのだが、物資も人的資源も復興に充てられているため、設計図面をひいている時間すらない状態だった。

 誰もがかつての暮らしを取り戻すために必死で働き続け、4年の歳月が経った。

 その間チヅルはその機動性を買われ、物資などの運搬を行うかたわら、各ギルド間を渡り歩き、南の大陸の調査隊の派遣計画を進めて行った。

 狩場を管理するハンターズギルドはもとより、行商ばぁちゃんたちが束ねる商業ギルド、竜人族の秘儀を身につけた凄腕の鍛冶職人たちが参加する鍛冶ギルド、抜群の成功率を誇る調合の達人集団である調合師ギルドや、古龍観測所と王立古生物書士隊の長である竜人族の間を忙しく行き来した。

 調査計画の立案同様、チヅルにとって重要な外洋型撃龍船の建造も、復興3年目にしてようやく着手した。土竜族の職人たちの協力や、旧知のG級ハンターに依頼を出して必要素材を集めてもらうなど、多くの助けがあったおかげで、チヅルの外洋型撃龍船は急ピッチで建造されていった。

 それに合わせるように調査隊派遣計画も最終段階に入り、各ギルドや主だった竜人族の実力者たちが、計画の最終調整のために秘密裏に集まった。

 計画の主要目的は以下の通りである。

 

1、南の大陸の調査及び、南の大陸までの航路の整備。

2、中継地となる各孤島への拠点の設置。

3、各地の生態系、素材、地形の調査。

 

 チヅルの持ち帰った情報の補足と安全な航路の確保が主な目的となった。

 一度の調査で全てを知ることなど不可能である。第二次、三次と調査隊を安全かつ確実に派遣できる土台作りが必要なのだ。

 計画のために必要な人材の選定も、各ギルドの長達の働きにより、精鋭が集められた。拠点設置に必要な各種の職人。生態系、素材、地形の調査のため、古龍観測所と王立古生物書士隊及び調合師ギルドから経験豊富な人材。そして、遭遇するであろう未知のモンスターに対処するためのハンター。

 それら全ての者が、無事帰還できる保証のない航海であることを理解している。機密保持のため、竜人族以外の種族の者は、全員家族のない者、もしくは血縁者全員が調査隊参加が確定しているものでしめられていた。

 災い転じて福となすという言葉があるが、海底大地震による大災害の影響で、多くの者が家族を失い、王都周辺の混乱が、辺境への優秀な人材の流出を招いた結果、有能な人材がさしたる苦労も無くの確保出来たことは、大いなる皮肉と言えるであろう。

 これらの調査隊を率いるために、ハンターズギルド、商業ギルド、調合師ギルドのギルドマスター、古龍観測所と王立古生物書士隊の長が代替わりを行い、元ギルドマスター3人と元古龍観測所所長と元王立古生物書士隊隊長が調査隊に加わった。

 大陸各地を大荷物を担いで渡り歩いた「行商ばあちゃん」こと、商業ギルドのギルドマスター曰く。

「死んでも惜しくない5人」

 だそうだ。

 調査隊の規模は、外洋型撃龍船10隻。船員、職人、ハンター、総勢1500人の大船団が組まれることになった。さらに、500人の移民希望者も乗船可能となっており、それらも合わせると、2000人を超える規模になる。

 これらが一堂に出港すれば、嫌でも注目を集めることになる。これまで極秘裏に計画を進めて来た意味もなくなってしまう。そこで、それぞれの撃龍船が異なる目的地を設定して別々の港から出航し、遭難を装って姿を消す。この時点で遭難の原因をモンスターによるものとし、ハンターズギルドにより、一般の商船、漁船の外洋の航海を制限し、その間に調査隊員と必要物資を撃龍船へと運び、乗船及び積み込みを行い陣容を整える。これを各撃龍船で行い、最終的に外洋の集結座標にて船団を組み、第一の孤島を目指す計画が立てられた。

 迂遠に思えるかもしれないが、東西シュレイド王国の干渉を避けるためには必要な処置だった。内乱による混乱の中にあるが、それでも王国による辺境の、特に強力なハンターたちを数多く抱えるハンターズギルドへの監視は厳重だったからだ。

 

 かつて内乱が始まった当初、辺境の各ハンターズギルドへ王国から出兵命令が下った。ハンター各自にも徴兵が掛かったが、

「ハンターは傭兵にあらず、王国の民にもあらず」

 と、勅使の目の前で書状を破り捨ててしまった経緯があった。

 これまでは王国との無用な軋轢を嫌った竜人族の配慮もあり、各ハンターズギルドは王国との摩擦を極力さけてきた。わがままな王女の狩猟依頼や財を誇示し合う貴族の捕獲依頼など、王族や貴族からの依頼は、近隣住民からの討伐や採取依頼よりも、緊急依頼などにすることによって優先してハンターに依頼し、処理してきた。食料、物資が不足する中、依頼料をギルドが負担し、生肉の納品や素材採取依頼をハンターたちに出して王国へ献上したりもした。

 長きに渡り恭順の意を示してきたハンターズギルドが、突如として強硬な姿勢に打って出てきたことに、ハンターの矜持を知らない東西シュレイド王国の両国王は激怒した。

 そして、ハンターズギルドの自治権を剥奪し、ギルド討伐の兵を上げ、進軍を開始した。そこまではよかったのだが、狩場の縁を走る街道を考えなしに進軍したため、縄張り意識の強い大型モンスターに発見され、ミナガルデやドンドルマ、メゼポルタといったギルド管轄の辺境都市へとたどり着く前に、モンスターによって軍は壊滅し、ほうほうの体で敗走しているところを反乱軍に襲撃され、二重のダメージを負って王都へ引き返すはめになった。

 かつて一度、軍内部の一部の部隊がドンドルマを占拠し、試作した強力な大砲をもって、リオレウスとラオシャンロンに挑んだことがあった。大砲の性能や運用が実戦に耐えなかったため失敗に終わり、最後には拘束していたはずのハンターたちの助けによってモンスターの襲撃から助けられたが、ドンドルマの占拠自体はたやすく行えたため、ハンターを侮っての軽挙だった。

 加えて、反乱軍の襲撃を受けたことで、ハンターズギルドと反乱軍が手を組んだのではないかという疑念が湧き上がった。実際はモンスターに蹴散らされて逃げてきた王国軍を反乱軍が襲撃しただけで、ハンターズギルドはなんの関係もないのだが、次々と上がる反乱の火の手に、王宮は疑心に包まれ、正常な判断がつかなくなっていた。

 一人の下級士官がその旨を指摘すると、

「平民出の分際で、差し出がましい口をきくでない!」

 と、一喝され、それでも自身の意見を主張すると、

「では、おぬし自身がハンターズギルドへ赴き、その真意をただしてまいれ! 一人でな」

 と、言われ、叩き出すように使者に発たされた。

 一軍を退ける強力なモンスターが跋扈する地へ、ただ一騎送り出す。それは言外に死ねと言われているも同然だった。

 使者に発たされた下級士官は、固く閉ざされた城門を見上げて呟いた。

「民衆の反乱を招いた原因は、己らの愚昧さ故であろう。その愚かさを持って平民出の俺に腹いせというわけか。従う者のいない国で、裸の王でも気取っておるがよい」

 怒りと不満に満ちた思いを吐き出すと、下級士官はそれでも自身の任務を果たすためにドンドルマへと向かい、ハンターズギルドから内戦に対する中立を確約して王都に還り、その日の内に王都を出奔した。

 このような経緯を経て、王国とハンターズギルドとの間には一時の相互不可侵が成立した。だが、一度生まれた疑念は拭い難く、王国はハンターズギルドの監視を強化したのだった。

 

 細心の注意を払ったおかげで、大規模な船団の結成は王国に気取られることなく、無事に外洋の集結地点で合流を果たした。もっとも竜人族の長老格の老人たちを乗せた一隻だけ1日遅れで合流したため、船団に緊張が走ったが、事の仔細を聞いた他の船団員たちは、その痛快劇にニヤリと笑った。

 ハンターズギルドの元ギルドマスターは心底嬉しそうにチヅルの船の船医に言った。

「思わね拾い物をしたわい。こりゃあ下手をすると南の大陸の全てを集めたものより価値あるお宝かもしれんて」



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ギルドナイツ グエン

大陸各地を渡り歩いた男は、数年ぶりに立ち寄った港町のあまりの荒廃ぶりに眉をひそめた。

 海底大地震による大災害から4年。王都周辺部の復興は内乱の影響で遅々として進んでいないが、それにしても荒れ方が酷い。

 東シュレイド王国に属するこの港町は、立地のおかげで津波の被害がほとんどなく、そのため港の機能回復が早かったため、一時は復興の拠点として多くの物資と人材が流通して栄えた。不謹慎な商人が「こんなに儲かるなら、災害も悪くない」などと口にし、袋叩き遭う事件があったが、前歯を折る程度の被害で済んだため、当時は本人以外にとって笑い話の種になった。不謹慎な発言が、最終的には笑い話になる。それほどに活気に満ちた目覚ましい復興を遂げていた港町だった。

 本来ならば、王都の都市機能が麻痺していることを考えれば、商業の一大中心地として発展していただろう。だが、残念なことに、災害と内乱によって大量に発生した難民が流れ込み、折悪しく王都より赴任してきた都督が私腹を肥やすことにかまけて港の秩序維持、治安回復に努めなかった。そのため、港町のはずれにはとても家とは呼べないあばら家が建ち並び、スラムを形成して犯罪者の巣窟と化してしまった。

 もちろんそこには犯罪者たちばかりでなく、住む場所を失った老人や女子供も多く含まれており、安全とは無縁の世界で、恐怖にすくみながら暮らしていた。ある者は、絶望からただ死を待つだけのように無気力に暮らし、ある者は生き残るために、純粋だったはずの心をスラムに蔓延するどす黒い空気の色に染めていった。

 治安の悪化と、他の港町の遅れていた復興が進んだことで、安全を求めた商人たちが港町を離れ、富が集まり栄えていた港町には、すさんだ空気だけが残された。

 それでも、王都と辺境を繋ぐ幾本かの交易ルートが内乱の影響で事実上封鎖されているおかげで、王都との交易ルートが比較的安全なこの港町は完全に利用価値がなくなる訳ではなく、港町はどれほど荒れても閉鎖されず今日に至っている。

 事情を知った男は、大きくため息を吐いた。災害前の穏やかな港町を思い出したからだ。

 男はすっかり様変わりした港町を、不慣れな足取りで歩き回った。ハンターズギルドの出張所を探しているのだが、ついでに港町の新しい地形を頭に入れておきたかったからだ。

 荒廃しているとはいえ、露店が立ち並び、値段こそ高いが品数も豊富に揃えられている。一時の隆盛こそ失われて久しいが、それでも物資と人の流れはそれなりにあるようだ。治安、秩序が正常に機能していれば、活気に包まれていてもおかしくない。品物を見て回る客も、露店の店主の目にも猜疑の色が濃く、客引きの声も聞こえない、あるのは互いをなじる罵り合いの声ばかりであった。

 男は前方の人混みの中ら、ボロをまとった痩せこけた少年がすり抜けて来るのを視界の隅にとめた。周囲の露店には目もくれず、通りを歩く客をさりげなく観察している。きょろきょろと周囲を見回している男を見た少年は、スッと男に近付き、懐に手を伸ばしてきた。そこには男の財布がしまわれてある。

 懐に伸びた手を、男が掴もうとした瞬間、別の手が脇から伸びて捕まえた。

 手首を取られた少年が驚きに目を見開き、必死に掴んだ手を振り解こうとしたが、掴んでいる相手の正体に気づくと抵抗をやめ、気まり悪げにうつむいた。

 男はスリを働こうとした少年を捕らえた相手を見た。こちらも少しばかり年長なだけの子供だった。華奢な身体つきでフードを目深に被っているため男か女かわからない。

「おいで」

 声を聴く限り、どうやら少年のようだ。

 フードの少年はスリの少年の手を引くと、人混みの中へと紛れて行った。誰ともぶつからず、注意を引くこともなく人の間を流れていく。二人ともたいした身ごなしだ。

 好奇心に駆られた男は二人を見失わないうちに後を追った。先程までの不注意そうな挙動が一転、少年たち以上の身ごなしで人の間を縫って行く。

 通りの脇道を少し入ったところで、スリの少年がフードの少年に叱られていた。男は脇道の入口の影に身を潜めると気配を消した。

「スリはもうしないって約束したのを忘れちゃったのかい?」

 フードの少年は、目深に被っていたフードを後ろへ降ろしながらスリの少年に話しかけた。クセの強い濃い茶色の頭髪と顎の細い顔が現れる。ひどくこけた頬が栄養不足をうかがわせる。

「だって…」

 スリの少年は口を尖らせて抗議しようとする。

「ぼくの目を見て」

 斜めに視線を落として目を合わせようとしないスリの少年の肩に優しく手を置くと、フードを降ろした少年は片膝をつき、視線の高さを合わせて待った。

「…ごめんなさい」

 目を合わせた瞬間、スリの少年は謝った。自分を真っ直ぐ見つめる翡翠色の瞳に抵抗する術はなかった。

「リンにお腹一杯食べさせてあげたかったんだ」

「わかってる。ぼくの方こそ謝らないとね。食料の調達は僕たちの仕事だ。僕たちの働きが悪いばっかりに、リンやルッツにひもじい思いをさせてしまっている。本当にごめんね」

「謝らないで、カーシュ! オイラ知ってるよ。カーシュたちが自分たちの食べる分もオイラたちに分けてくれてるの! だから、自分で何とかしなきゃって思ったんだ!」

 言いながら、ルッツの腹が盛大に鳴る。

「ありがとう。その気持ちだけで十分だよ。さあ、これを食べな」

 そう言いながら、カーシュと呼ばれた少年は懐から一切れの干し肉を取り出し、ルッツに差し出した。干し肉を差し出されたルッツは慌てて両手を身体の後ろで組むと、激しく首を横に振って拒む。

「もらえないよ! カーシュこそ食べないと死んじゃうよ!」

 そこでもう一度ルッツの腹が鳴る。

「鳴るな! 鳴るな! オイラの腹め!」

 そう言って自分の腹を叩くルッツの手を、カーシュが優しく掴んで止める。そして、ルッツの手に干し肉を渡した。ルッツは先程から自分を見つめる翡翠色の瞳に浮かぶ、揺らぐことのないやさしさに観念して干し肉を受けっ取った。

「今日の分の食料、リンにあげたんだろ? 遠慮しなくていいから食べな」

 ルッツは干し肉に噛り付くと半分に引裂き、二つにした干し肉を片方カーシュに返した。

「カーシュも食べるなら、オイラも食べる! カーシュが食べないなら、オイラも食べない!」

「わかった。ぼくも食べるよ。二人で食べよう」

 そう言うとカーシュは先に干し肉を食べて見せた。それを見たルッツは安心して自分も干し肉を口にする。

「固いけどおいしい!」

「そうだね」

 二人は笑顔で干し肉を食べた。

「約束破ったのは悪かったけどさ、さっきのオッサンすごいトロそうで、絶対上手く行ったと思うんだよな~」

 ルッツが先程のスリの話をする。そんなルッツのおでこをカーシュが軽く小突く。

「気づかれてたよ」

「ウソッ!!」

「本当だよ。そうですよね?」

 カーシュは影に身を潜めていた男に声を掛けた。

 男が影から姿を現す。

 男の存在に気づいていなかったルッツが驚くのは当然なのだが、出てきた男を見てカーシュも驚いた。男が鼻水まで垂らして声もなく号泣していたからだ。

「お前ら大人を泣かせるんじゃねぇよ~。そしてオレはまだ20代のお兄さんだよ~」

 どうやらカーシュとルッツのやり取りに、こらえきれずに泣いてしまったらしい。涙腺のゆるさはおじさん並である。

 男は財布が入っている方の懐とは反対側の懐を探り、何やら取り出すとカーシュたちに差し出した。

 不意に男の肩に手が掛かる。

 虚を突かれた男が反射的に掛けられた手を取ろうとして動きを止めた。肩に手を掛けた人物とは別の誰かに、脇腹にナイフを押し当てられたからだ。

「うちの可愛い弟に何のようだ?」

 その声は美しかった。しかし、それ以上に揺るがぬ殺気がこもっていた。

 男の全身に冷汗が噴き出す。相手を刺激しないようにゆっくりと首だけを振り向けて声の主を見る。180㎝を超える男よりもさらに高い位置にある翡翠色の瞳と目が合う。

「その人は大丈夫だよ。姉さん」

 カーシュの言葉に、姉は疑わしそうに片方の眉を器用に釣り上げて男をにらむ。男はわざとらしい愛想笑いでそれに応えた。

「…ジュザ。もういいよ」

 自身も男の肩を放しながら、ナイフを脇腹に当てていた仲間に声を掛ける。

「本当に大丈夫なのか、カーシュ? な~んかこいつウソ臭いんだけど」

 解放されてホッとする間もなく、男はギクリとして振り向いた。カーシュとルッツの背後にいつの間に現れたのか、ひどく猫背なひょろ長い男が立っていた。

「君らとんでもないな。気配がまったくしなかったぞ。オレこれでも結構鋭い方なんだぜ」

「そうですね。でも、お兄さんも相当ですよね」

「まあ、それほどでもあるな。オレ、ハンターだからさ。気配が読める、消せるは出来て当たり前。出来なきゃモンスターのエサだからな」

「なるほど、それにしては人の目を上手に避ける術をよく心得ているみたいですね」

 カーシュの追及に、男は再びギクリとする。狩場でモンスター相手に気配を消す動きと、街中で気配を消す動きはまったく別物だからだ。

 狩場でモンスターから気取られないようにするには視覚、聴覚、嗅覚の網にかからないように立ち回ることが重要だが、これが人間相手となると、まず相手の意識に立ち入らないことが重要になる。極論すれば、対象人物の目の前にいても、相手に自分を意識させなければ、それは相手の認識から隠れたことになる。これは狩場で身につく技術ではない。人の群れの中でしか生かせず、人の群れの中でしか身につけられない裏の技術だ。

「ギルドナイツの方ですね?」

 男はもはや驚かなかった。代わりに降参の証に両手を上げて首を振った。

「御明察の通り、オレはギルドナイツの構成員だよ。見破られたのは初めてだぜ」

「ほかの街で出会っていたらわからなかったと思います。あなたの目にはこの港にいる人間にはない希望がありましたから」

 カーシュの言葉に男は苦笑いを浮かべて後頭部を叩いた。

「いや~、そこも含めて見破られちゃあダメなんだよな。本当は」

「カーシュ、ギルドナイツってなんだ?」

 カーシュの後ろにいた男が尋ねる。説明しようとするカーシュを遮って、男が口をはさむ。

「その辺は自己紹介がてらオレが説明しよう。まずオレの名前はグエン。ハンターズギルドに所属するイケメンギルドナイツの一人だ。歳は27歳。絶賛恋人募集中だ。ここまでで何か質問あるか?」

「イケメンギルドナイツなのになんで恋人がいないの?」

「…そ、それはだな…」

「性格か?」

「性格だ!」

「性格だな」

「性格が悪いんですか?」

 ルッツとカーシュ以外の3人が決めつけ、カーシュが確認する。

「違ーーう!! 性格は自分で言うのもなんだが、良い方だ! みんなオレのことをお人好しだと言ってくれる!」

「それ褒め言葉じゃないですよ」

「なに!! そうなのか!!」

「そうですけど、性格が良いのは伝わりました」

「そうか! 伝わったか! なんだか釈然としないが、伝わったのなら良しとしよう」

「浮気性か?」

「浮気性だ!」

「浮気性だな」

「浮気ばかりするんですか?」

「だあああああ!! さっきからなんだ! その連携攻撃は! 浮気はしない! されるけどオレはしない! モテない理由はオレにもわからない!」

「そうろ…」

「早漏でもない!! 断じてな!!!」

「ムキになるところが怪しい」

「ソウロウってなに?」

 ルッツが無邪気にカーシュに尋ねる。カーシュもよくわからないらしく、姉に尋ねてみる。

「それは…」

「子供にそんなこと教えなくていい!!」

 グエンが肩で息を切らしながらさえぎる。

 そんなグエンの姿を見て、カーシュとルッツ以外の3人が腹を抱えて大笑いする。

「カーシュ、確かにこいつは大丈夫だ」

 笑いながら姉が弟の言葉を認める。

「囲んじまって悪かったな。いまだに人さらいが後を絶たないもんだから、こっちも神経質になってたからさ」

 そう言って姉はグエンの背中に平手を入れた。思った以上の怪力にグエンの目が涙目になる。

「あたしの名前はハンナマリー。みんなはハンナって呼んでる。弟はカーシュナー。通称カーシュだ。カーシュの後ろにいるのがリドリーで、あんたの横にいるのが、ジュザ。一番ちっこいのがルッツだよ」

「オイラはちっこくないよ! ハンナが大き過ぎるんだよ!」

 小さいと言われたルッツが抗議する。それも無理はない。ハンナマリーは2メートル近い大女だからだ。

「さっきから手に持っているのは何なの?」

 ルッツが、先程グエンがカーシュとルッツの二人に渡そうとしたものについて尋ねる。

「これか? これは携帯食料って言って、味はいまいちなんだけど、栄養価が高くて腹持ちが良い、ハンターの狩りのお供なんだ! やるから食えよ!」

 そう言うとグエンはひとかけらちぎって自分の口に放り込んで見せた。毒見のつもりらしい。それを見たハンナは笑顔でカーシュとルッツに頷いた。

 携帯食料を一つずつ受け取ったカーシュとルッツは、恐る恐る口にする。

「美味しい!」

 ルッツが笑顔で声を上げ、カーシュも頷く。

「そうか? 無理しなくていいんだぞ?」

 グエン自身携帯食料はあまり好まず、表の狩猟の際には元気ドリンコやこんがり肉を持ち込むので、喜んで食べてくれる二人の姿が今一つピンと来ないのだ。

「喜んでくれたならまあいいか。ちょうど人数分あるから君たちもどうぞ!」

 グエンは懐からさらに4つ取り出すとハンナマリー、リドリー、ジュザの3人に手渡し、自分も一口かじった。

「おっ! 意外とイケるな!」

 一口かじったハンナも同様の感想を漏らす。

「気を使わなくていいぞ?」

「気なんか使ってねえよ。普段あたしらが口にしている物は生ごみと区別がつかないようなもんばかりだからな。腐ったりカビてないだけ上出来だよ」

 この一言に、グエンは再び号泣した。

「おっさんが泣くなよ」

 リドリーがグエンの隣りに行って肩を叩く。

「…おっさんじゃない。にいさんだ」

 グエンは泣きながらもしっかり訂正した。

「…話がそれちまったな。ハンターズギルドはわかるだろ? ギルドナイツってのは、要はギルドのルールを守らない連中に仕置きをするのが役目なんだよ。それに公式にはその存在が認められていないから、一般人はギルドナイツの名前さえ知らないはずなんだけど、カーシュ君はよく知っていたな!」

「ハンターズギルドに詳しいおじいさんに教えてもらいました」

「う~ん。そのおじいさんもおそらく元ギルド職員なんだろうけど、守秘義務守ってもらわないと困るな~」

「無理無理。カーシュと仲良くなって秘密を守れる奴なんていねえよ。にいさんだって話してるじゃんか」

 リドリーがグエンにツッコミを入れる。

「だから、にいさんじゃない! おじさんだ!」

「グエンさん。逆です」

 カーシュの指摘に、グエンは耳まで赤くなる。そんなグエンを見て、グエンを含めた全員が大笑いした。

「まあ、なんだ。依頼料を踏み倒そうとする貴族様や、ギルドを通さないで勝手にモンスターを狩猟するような密猟者たちをやっつけるために、カーシュ君には見抜かれちまったけど、裏の技術も持っているってわけよ」

「だが、油断し過ぎ」

 それまで一言も口をきいていなかったジュザが初めて口を開いた。

「君に言われると言い訳のしようもないな! オレの生殺与奪権握っていたの君だからな~」

「でも良い腕。反応良かった」

「そうか~? なんか嬉しいな~」

 照れてグエンが後頭部を叩く。どうやらクセらしい。

「今日はスゲェしゃべるな、ジュザ」

「これで!! けっこう片言だよ!!」

「ジュザは必要がないと滅多にしゃべらないから、これでも多い方なんだよ」

 ハンナマリーの説明に本人が頷く。

「そ、そうか、まあ、人それぞれだしな! それより、オレのこと話したんだし、君らのことを教えてくれよ。出来ればこの港町の裏事情とか。オレ海底大地震の大災害前の港町のことしか知らないから、噂話以上のことは知らないんだよ!」

 しょうがないな、と言いつつ、ハンナが大災害以降の港町の裏事情をグエンに説明し始めた。

 

 まず始めに、ここにいる全員が4年前に難民としてこの港町に流れ着いたことを話した。

 当時は多くの船が物資の運搬で出入りし、表向きは華やかに栄えていたのだが、裏では船乗り相手に一儲けしようと、酌婦や娼婦に使うために、難民の中から多くの女子供がさらわれていた。港町の監督を任されている都督府に訴え出たが、娼婦街を取り仕切る組織から多額の賄賂を受け取っていた役人たちはまともに取り合おうとはせず、逆に訴え出た家族たちを不法居住者として捕らえ、港町から追放してしまった。

 都督府があてにならないため、男たちは妻を、娘を取り戻すために娼婦街に殴り込みをかけた。しかしそこにはハンター崩れの用心棒たちが巨大な武器を片手に待ちかまえていた。手には石や棒切れしか持たない男たちが用心棒に敵う訳もなく、ひどい手傷を負わされ、殴り込みを指揮したリーダー格の男たちが家族の目の前で処刑された。そのうえ死体は無残に切り刻まれ、見せしめにスラム街の入口に投げ捨てられた。夫や父を殺された女たちは悲嘆にくれ、食事もとらなくなって衰弱した。すると、組織はさらった女たちへの見せしめに、絶望に打ち沈んだ女たちを拷問にかけてその悲鳴を他の女たちにさんざんに聞かせてから殺した。稼げない者には容赦はしないという意味だ。

 いくら多額の賄賂を積まれているとはいえ、死人まで出ては都督府も黙認は出来ない。それは、道徳的理由からではなく、力関係の逆転を許さないためだ。あくまでも都督の目こぼしの範囲でということである。しかし、処刑そのものは港町の中ではなく、スラム内で行われた。都督府はスラムを港町の一部と認めていない。以前に誘拐被害を訴え出た難民家族を不法居住者として処罰する際に、公式にスラム及びその住民は、都督府の治安対象外としていた。そのため、リーダー格の男たちの処刑も、港町の住民に対する不法居住者からの暴力行為に対する正当防衛として処理され、娼婦街を取り仕切る組織はなんの咎めも受けなかった。女たちへの拷問は当然都督府の耳には入らない。

 それからは、誘拐や暴行が昼間から公然と行われるようになり、スラムに身を寄せる弱い人々は、恐怖に震える日々を送った。

 ハンナマリーとカーシュナーも、この時人さらいに誘拐されそうになったことがある。ハンナマリーも今でこそ2メートル近い男顔負けの体格をしているが、当時は年相応の体格と力しか持ち合わせていなっかた。カーシュナーに至っては、まだ7歳の小さな子供だった。

 人さらいたちに追い回され、スラムの奥に追い詰められた時、二人を助けたのがリドリーとジュザの二人だった。二人は処刑されたリーダー格の男たちの子供だった。

 助けたといっても、相手は武装した大人である。ハンター崩れの用心棒程の実力はないが、子供が敵う相手ではない。助けに入ったものの、リドリーは頬から顎にかけてザックリと切り裂かれ、ジュザは全身数カ所に切り傷を作っていた。

 暴力に酔った人さらいたちがリドリーとジュザにとどめを刺そうとした瞬間、二人の前にカーシュナーが飛び出し、小さな身体で立ち塞がった。

 苛立った人さらいの一人が容赦なくカーシュナーを殴り飛ばす。

 それまで暴力の恐怖に怯えていたハンナマリーの中で闘争の本能が弾け、眠っていた力を呼び覚ました。それは、一般人ではけして振るいえない、身の丈ほどもある巨大な剣を振るうハンターだけが持つ、根底からの力だった。

 そこからは刹那の出来事だった。3人いた人さらいたちは、足元にあった石を手にしたハンナマリーに一瞬で詰め寄られ、何が起きたのかもわからない内に、二人が顔面を殴り潰されて即死し、残る一人は慌ててハンナマリー目掛けて山刀を振り下ろしたが、山刀を持つ手をカウンターで殴りつけられ、指をへし折られた手からこぼれ落ちた山刀を脳天に叩きつけられて死んだ。

 ハンナマリーは血まみれの石を投げ捨てると、倒れたままのカーシュナーに駆け寄った。幸いハンナマリーが助け起こす前に自力で立ち上がり、ハンナマリーを安心させた。カーシュナーも頭に大きなコブを作った程度で済んでいた。普通なら大泣きしてもおかしくないところだが、カーシュナーは心配する姉を押し退けると、傷ついたリドリーとジュザのもとへ行き、二人に礼を言った。ハンナマリーも慌てて二人に礼を言う。

 そこからはカーシュナーが活躍する番だった。カーシュナーはハンナマリーに二人の面倒を頼むと、自分は難民の中で信頼のおける人たちの間を回り、人手をかき集めると、事件の隠ぺいをはかった。大人しいと思われていた性格は不動の冷静さであり、その聡明な頭脳は、組織の人間に手を掛けたことが発覚すれば、自分たちばかりでなく、見せしめの報復がスラム全体に及ぶと予測していた。

 幼くして多くのむごい現実を見せられて来たカーシュナーに、現実は子供でいることを許さなかった。力なき者が生き残りたければ、思考を働かせる以外に術はないのだ。そしてカーシュナーは聡明な頭脳と、人を見抜く目を持っていた。

 集められた人々は、一目見てその場の状況を理解した。カーシュナーがそれぞれの適正に合わせ作業を割り振る。ここに集まった人々は、漠然とではあるが、カーシュナーの聡明さに気づいていたが、それはあくまで子供の範ちゅうであって、まさか大人をしのぐほどとは思っていなかった。

 カーシュナーの指示で死体がかたずけられ、現場が整理される。ほどなくして、血なまぐさかった現場は、ゴミや汚物などの集積所と化していた。

 後日組織が戻らない3人を不審に思い、仮に捜索に来たとしても、ここで組織の人間が殺害されたことも、現場がここだったということも突き止めることは出来ないだろう。

 完璧な隠ぺい工作に満足した参加者たちは、抑圧され続ける日々の中で積りに積もった憎しみを吐き出し、小さな復讐の満足感に満たされつつ、しかし表面には1ミリも出さずにそれぞれの居場所に戻って行った。どんな些細な油断も弱者である自分たちには許されないのだ。

 それから、ハンナマリー、カーシュナー、リドリー、ジュザの4人はともに行動するようになる。闘争本能に目覚めたハンナマリーは恐るべき早さで強さを身につけ、それに引っ張られて、リドリー、ジュザも実力をつけて行った。戦闘力ではさすがにまだ幼いカーシュナーは他の3人にはとても及ばないが、その卓越した頭脳と人を見抜く目でスラムの武装組織化を進めて行った。

 スラムに潜り込んだ組織のスパイは一人残らずカーシュナーに看破され、人知れず闇に葬られた。幾人かの行方不明者を出し、組織に不気味な不安を与えつつも決定的な証拠を握らせないうちに、カーシュナーたちは組織に対抗できるだけの力を蓄えていった。

 これには港町の衰退もカーシュナーたちに有利に働いた。資金源である船乗りたちの減少で、娼婦街のあがりは激減し、都督府へばらまいていた賄賂の工面も苦しくなっていった。上納金のつり上げが行われ、それが結果として反発と内部分裂を呼び、組織力は縮小していった。

 苛立ちと不満のはけ口に、スラムの住民をいたぶりに来たハンター崩れの男たちが、ハンナマリーたちによって捕らえられた。そして、その日の内に組織の実力者の幾人かが誘拐された。それらは全て、リドリーとジュザの家族の処刑と拷問に関わった者たちだった。復讐は果たされた。

 組織の実力者たちを全て排除しなかったのはカーシュナーの指示によるものだった。対抗するだけの力を身につけたとは言っても、それは圧倒するほどの力ではない。せっかく内部分裂を始めているのに、共通の敵となって団結させてやる必要はない。下手をすれば都督軍が介入してくる可能性もある。カーシュナーたちは、都督府に対しても、組織に対する憎しみと変わらないだけの憎悪を持っていた。組織に対抗して、都督府の懐柔など行うつもりはない。真っ向から対立するにはまだ早すぎた。それに、カーシュナーたちが空席にしてやった地位をめぐってより細かく派閥を分裂させてやれば、組織力は減少するからだ。後は待てばよい。

 カーシュナーの予測通り内部抗争の結果、組織内の少数派は淘汰され、組織が一本化された時にはカーシュナーたち反抗武装グループは組織を上回るだけの力を身につけていた。

 娼婦街に囚われていた女たちの解放が、話し合いによって行われた。もっとも、無条件解放というわけではない。たとえそれが強制によるものであっても、生活の安定であったことに変わりはない。本心から望んでいなくても、娼婦街を離れてスラムに行って、明日の生活が保障されるわけではない。離れたくとも離れられないという現実があるのだ。

 そこを踏まえて、解放を望むものだけに限り、娼婦街を抜けるという条件のもと、話し合いが行われた。かつてのように、暴力による鎖はない。それを上回る力でカーシュナーたちが鎖を断ち切ったからだ。ハンナマリーは女たち全員が解放を望むと考えていたが、そうはならなかった。半数以上の女たちが残ることを選択したのだ。

 これにより、解放された女たちは家族のもとへ帰った。残った女たちはその大半がいわゆる売れっ子であるため、組織は女たちが組織を離れないようにするために女たちの待遇を改善した。また、客足の減少により人気のない女たちを持て余していた組織もいい厄介払いが出来たとして、不満はなかった。誰も大きな損をしない形に納めたのだ。ただ、圧倒的支配権を失ったことに対する組織の怒りは残ったが…。

 完全武闘派に転向したハンナマリーなどはしばらくの間、「あんな連中根絶やしにしてやればよかったんだ!」と、文句を言っていたが、カーシュナーに「これ以上を手に入れようといたら、自分を守れない弱い人たちが犠牲になる」と、諭されて嫌々ながら自分を抑えていた。

 それからしばらくは、貧しいながらも平穏が続いた。しかし、内乱の激化に伴い、さらに難民が流れ込み、難民だけでなく、王国軍の脱走兵や犯罪者たちも多く流れ込んで来た。

 その中のある一人の男が、脱走兵や犯罪者、組織の派閥争いに敗れて身を潜めていた者たちを短期間の内にまとめ上げ、一大組織を作りあげた。

 カーシュナーたちも手をこまねいて放置していた訳ではないのだが、その勢いはカーシュナーの予測を大きく上回り、男のカリスマ性もあって、組織化を阻む前に一つの勢力として確立してしまった。

 娼婦街をまとめ上げていた組織が都督府との対立を避けたのに対し、新たに台頭してきた組織は都督府を意に介さなかった。それどころか、ハンターズギルドからの救援物資や王都への補給物資などを搭載した商船を襲い、積荷を強奪、横流しし、公然と反意を示したのである。

 当然都督府はこの海賊行為に対して兵を上げた。しかし、内通者がいるらしく、何度かアジトを襲撃するも港町の外に逃げられた後で空振りに終わり、捕らえることは出来なかった。

 その後も海賊組織と都督軍のイタチごっこは続き、逃げ回るばかりの海賊組織に対して兵士たちの中に油断が生じた。元々勤勉さとは程遠い兵士たちであったため、出兵する兵士たちも、都督府の守備に残る兵士たちも、真剣に職務を遂行する気がなっかた。その根底には、あくまでも自分たちが支配する側であるという大きな驕りがあったからだ。

 何度目かの真剣みにかける出兵が行われ、都督府はそれまでの油断のつけを利息付きで支払わされることになった。

 守りの手薄になった都督府に逆に攻め込まれたのである。この時驚いたことに、都督府を取り囲む城壁の上には新人の兵士がただ一人見張りに立っているのみで、残りの兵士は新人に仕事を押し付けて詰め所で賭けごとに興じていた。

 たった一人しかいない見張りの死角をつくことなど造作もなく、新人の兵士が異変に気がついた時には城壁を乗り越えた賊に城門を内側から開けられ、武器とたいまつをを掲げた敵が雪崩を打って攻め込んでくるのを、城壁の上からなすすべなく見守ることしか出来なかった。

 襲撃はあっという間だった。兵士の詰め所が襲われ、中で賭けごとに興じていた兵士たちが、人生の賭けに、自分たちの命を支払わされた。

 奇襲に成功したとはいえ、出兵した兵士たちが戻ってくれば数で劣る賊たちは優位を逆転されてしまう。賊たちは手にしたたいまつで各所に火を放ち、混乱と炎と煙を味方に暴れるだけ暴れると素早く撤収していった。

 襲撃に対して何の対処もせず、隠し通路から避難していた都督は、事態の沈静後、都督府に戻って愕然とした。

 地下にあった宝物庫が破られ、すっかり持ち去られていたからだ。それでいて火災の被害こそ甚大であったが、人的な被害は軽微で、詰め所にいた兵士と宝物庫の警備についていた兵士以外の死者は僅か5人に留まった。

 襲撃の規模を考えればその10倍の死者が出てもおかしくない状況であったが、都督府に勤める一般の役人たちの保護、避難誘導を指揮した一人の部隊長の活躍により、被害は最小限に抑えられた。本来ならば称えられるべき功績であったが、宝物庫を破られて怒り狂っていた都督は、この部隊長の行動を、海賊組織の襲撃に対する守備を放棄し、一般役人と共に逃亡したとして降格処分にしてしまったのである。

 部隊長から一兵士へと降格させられた元部隊長は、怒りを通り越して呆れはて、元部隊長の活躍で命拾いした役人たちの方が、自分たちの命よりも宝物庫の守備こそ重要であると言い捨てた都督に対して激しい怒りを覚えていた。

 このことには実は裏があった。降格された元部隊長と同格の部隊長が、自身の部隊の敵前逃亡を隠匿するために、都督に元部隊長の行動を、保護、避難に見せかけた敵前逃亡ではないかと訴えたのだ。怒りのはけ口を求めていた都督はつまらない流言にまんまとのせられ、その結果有能な人材を失ったのである。

 また、宝物庫を破った賊の手並みのあまりの見事さに、都督は内部の者の手引きによるものではないかと疑った。その疑惑は事実であったが、買収され、賊の手引きを行った裏切り者の宝物庫の守備兵はもうすでにこの世にいないため、真相を究明することはかなわず、都督の中で疑心だけが肥大化していった。

 都督にとって幸いだったのは、彼の個人資産はまったくの無傷であったことくらいであろう。これ以降疑心に縛られた都督は都督府を空けることが出来なくなり、守備を固めて海賊組織の討伐には一度も出兵せず、港町に少数の兵士を型だけの巡回に回らせるだけになった。

 港町は、薄汚れた権力による支配から、単純な暴力へと支配権をゆずったのであった。

 都督軍を退けた海賊組織は、ここで商船を襲う海賊行為をやめた。何故なら、商船の武装化もあったが、都督軍を誘い出すために立てた作戦の一つとして商船を襲撃していたにすぎないからだ。

 首領の目的は港町ではなく、港の機能の支配権だった。そのため、首領は商船に対し、通行料などは一切求めなかった。普通海賊は海賊行為を行わない代償として、金品を納めさせる。商人も全てを失うリスクを背負ってまで海賊と争うことはせず、通行料と思って金品を納める。しかし首領はそれをしなかった。ではどうやって自分たちの利益を上げたかというと、密輸である。ちなみに他の商人たちから通行料を取らなかったのは、彼らを隠れ蓑にする目的があるからだ。なまじ欲をかいて通行料を納めさせ、結果商人たちが他の港に拠点を移して密輸が行えなくなったら元も子もなくなってしまう。

 東西シュレイド王国では、共通して国内への持ち込みを禁止している物がある。それらの品々を息のかかった商人に運ばせ、独自のルートで都督府の関所をかいくぐり、国内へ運び込んで売りさばくのだ。

 海底大地震による大災害以前でさえ、禁制品であったため流通量は少なく、一部の富裕層の間にだけ出回っていたものが、内乱で国内の多くの通商路が遮断されたおかげで国内に新たに持ち込まれることはなくなってしまった。

 そのため流通価格は10倍をはるかに超え、しばらくの間は少ないながらも備蓄分がさばかれていたがついに底を尽き、東西シュレイド王国内では入手不可能な状態になった。

 そこに目をつけたのが海賊組織の首領で、港を支配して以降禁制品や武器の密輸、食料品の横流しで瞬く間に財を築き上げていった。

 禁制品は貴族や豪商に売りさばき、武器と食料は反乱軍に流して国内の混乱を助長した。首領は世の中を混沌とさせることにより、さらに勢力を伸ばしていった。

 始めの内、カーシュナーたちと海賊組織が衝突することはなかった。首領にとってスラムの住人など、大災害後の混乱を支配して成り上がる途上に転がる石ころでしかなかったからだ。

 しかし、首領が切り開いた道を後からついていくだけの小物たちには気に障る存在だった。

 都督府の襲撃に成功し、都督軍が守備のために都督府にこもるようになってからは港に都督軍の兵士がほとんど姿を見せなくなった。それまで首領の命令もあり、港での派手な行動を控えていた手下たちが大きな顔をして理不尽な振る舞いをするようになった。

 組織の勢力拡大が増長を生み、抑止力であった都督軍の圧力がなくなったいま、愚かな無頼漢どものとる行動は、快楽としての暴力であった。

 スラムは都督軍にとって治安保護対象外である。かつてはそれを理由に娼婦街組織が恐怖で支配していたが、カーシュナーたちの力により、娼婦街組織のならず者たちが撃退され、スラムはカーシュナーたち住人のものになった。だが、自分たちは都督府の犬だった組織の用心棒たちとは違い、力で都督軍をねじ伏せたこの港町の真の支配者である。その自分たちの下にもつかず、生意気に自治を主張する難民どもに本当の支配者が誰なのか教えてやろうと、ヒマを持て余していた海賊組織のならず者どもがスラムに押しかけてきた。

 油断というにはあまりにも不運であった。海賊組織の横流しの影響で、ハンターズギルドからの援助物資がほとんど入らなくなってしまったため、カーシュナーたちは港町の外でハンターまがいの食料調達を行っていたのだが、ならず者たちが思いつきでスラムを襲撃した時、主力であるカーシュナーたちは食料調達のためにスラムを離れていたのだ。

 スラムの守りについていた者たちは、女子供や老人たちを逃がすことを優先しつつ、スラムの奥へと後退しながら上手く守っていた。だが、主力のカーシュナーたちを欠く状況では撃退することはかなわなかった。

 逃げ遅れた者たちがならず者たちに捕まり、子供と老人はわざと逃がしてそれを追い回していたぶり殺し、女たちは散々嬲り者にされた挙句殺された。その者たちの中には、娼婦街の組織からようやく解放され、貧しいながらもやっと家族共に暮らせるようになった女たちが大勢いた。ルッツの母親もその一人だった。

 殺戮には飽き足りないが、思いつきで攻め込んで来たならず者たちは糧食などの準備は一切せずに攻め込んできていた。暴れるだけ暴れたならず者たちは腹が減り、体力が尽きかけてきたので反撃を受ける前に引き上げていった。

「次の遠足にはみんなおやつを持参すること!」

「おやつはいくらまでですか?」

「300ゼニーまでです!」 

 殺戮に酔ったならず者たちは引き揚げながら低レベルで悪質な冗談を口にし、馬鹿笑いしながら血に汚れた武器をぶら下げて去って行った。  

 翌日食料採取から戻ったカーシュナーたちは、スラムの惨状と状況報告を受けた。カーシュナーは自分の胸に飛び込み泣き続けるルッツとリンの二人を抱きしめながら両目に冷たい光をたたえて思考を廻らした。

 血気にはやり復讐を叫ぶ者は少ない。それは襲撃に打ちのめされて心が挫けてしまったからではない。現実の戦力比をあやまたずに把握し、不利な状況下でも必殺の復讐を果たす覚悟でいるからだ。大兵力をもって一時に正面から打ち破るような戦いは出来ない。自分たちに出来る戦い方で、どれだけの時間を掛けようとも、流された血の代償を払わせるのだ。

 カーシュナーはまず、かねてから行っていたスラムの迷路化を急ぎ、各所にトラップをしかけ、守りを固めた。女子供と老人たちをスラムの奥に移し、最悪の場合も想定して、港町の外へ一時的に避難できる場所とルートを作った。そこはもはや人間の領域ではなく、モンスターの領域になるのでかなりの危険を覚悟しなくてはならない。

 元々完成間近だったこれらの作業は、再度の襲撃に備え、生き残った者全てが総出で作業を行い、僅か2日で完了させた。

 夜を徹しての作業に疲労困憊している女子供と老人たちを守るために、カーシュナーたちを含めた少数の精鋭以外の全員を守備に残し、ついに復讐が始まった。

 最初の一撃でどれだけの戦力を削げるかが今後の戦い方の鍵になる。守備は固めた。組織立った攻撃でない限り突破される心配はない。敵に打撃を与え、かつ組織立った反撃をさせないようにする必要がある。

 では、どうするのか?  

 頭を潰すのである。

 海賊組織の強みは、ひとえに首領の能力の高さとカリスマ性による統率力に他ならない。その統率も、皮肉なことに都督軍を退けたことでゆるみ始めた。でなければ、配下のならず者どもが暴走し、スラムを襲うことはなかっただろう。

 これまで首領の居場所は謎に包まれていた。日ごとに居場所を変え、場合によっては1日の内に数回も居場所を変える徹底ぶりだった。その慎重さゆえに娼婦街の組織とカーシュナーたちの組織に阻まれる前に海賊組織を立ち上げることに成功し、都督軍を出し抜いて宝物庫を破り、今もって捕らわれることもなく組織を運営している。

 潰すにしてもまずその頭を見つけることが困難な相手だった。

 カーシュナー以外にとっては…。

 これまではガードが固く、首領を見つけ出して排除するためには多くの仲間を危険にさらす必要があったため、カーシュナーは首領とその組織の活動を放置してきた。その活動目的がカーシュナーたちに対して大きな害にはならなかったのも放置してきた理由の一つだ。おそらくカーシュナーたちのスラムが襲撃された今でも、首領はカーシュナーたちにはなんの興味もないはずだ。それどころか、襲撃の事実すら耳に入っていないだろう。カーシュナーたちの報復に備えた動きがまるで見られないことが何よりの証拠だ。

 仲間たちが首領を見つけ出すための案を出す中、カーシュナーは何気なく港町の中を歩き回り、たったそれだけで首領の居場所を突き止めてみせた。

 誰もが呆気に取られた。その顔すら知られていない首領の居場所を、1時間ほど港を歩き回っただけで見つけ出して見せたのだから当然である。首領の顔を知る者は海賊組織の幹部の中でもごく一部の者に限られている。カーシュナーたちはもちろん、娼婦街の組織も都督軍も突き止められなかった極秘事項だ。首に『首領です』とネームプレートでも下げていてもらわなければ目の前にいてもわからないはずなのだが、カーシュナーの目は、首領が身を潜めるために幾重にも巻きつけた慎重さをいとも容易く看破してしまったのである。

 そしてカーシュナーたちは音もなく忍び寄り、僅かな護衛と首領を、短いが激しい戦いの末に討ち取ってみせた。本来なら敵の総大将の首級を上げたのだからおおいに誇示すべきである。海賊組織に与える精神的打撃は計り知れないものがあるはずだ。しかし、カーシュナーは首領の死を隠した。それは海賊組織を壊滅し、都督軍と娼婦街の組織を含めた港町全体の歪みを根底から覆すためだった。

 それがほんの一月ほど前の出来事である。

 

 話をここまで聞いて、グエンはぽかんと口を開けてカーシュナーを見つめた。ハンナマリーたちも、いま会ったばかりのよそ者に隠さず全て話してしまったカーシュナーを驚いて見つめる。

「…オレ、ここまで聞いて良かったのか?」

 話を聞きたがったグエンが、逆にハンナマリーたちに聞き返す。

「あたしも、まさかここまであんたに話すとは思わなかったよ」

 答えるハンナマリーも戸惑い顔だ。

「消すつもりか、カーシュナー?」

 ジュザが細い眉をしかめて尋ねると、この発言にグエンがぎょっとする。

「やめてよ、ジュザ。すぐにそういう発想に行きつくのはジュザの悪い癖だよ」

 カーシュナーに笑顔で指摘されて、ジュザは額をぽりぽりと掻いた。

「じゃあ、どういうつもりなんだよ!」

 ハンナマリーが焦れて苛立つ。

「グエンさんがこの港町の歪みを一掃する切り札になるんだよ」

 驚きと、それ以上に疑わしげな視線がグエンに集中する。

「…まいったな。君はいったいどこまでお見通しなんだ?」

「全部だよ!」

 グエンの問いかけに、ルッツが答える。そこにはなんの根拠もない。ただ大好きなカーシュナーの凄さを自慢したくて発しただけの言葉であったが、誰もがその言葉に素直に頷いた。

 カーシュナーはルッツに茶目っ気のあるウインクをしてみせた。



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ギルドマスターとの邂逅?

「カーシュナー君。聞きたいんだけどさ。どうやって首領の居場所を見つけたんだい?」

 グエンはハンターズギルドの出張所へ案内してもらいながら、細かい内容を省かれた首領発見の経緯を尋ねた。問われたカーシュナーがこんがり肉を上手に焼き上げるコツを話すような軽い感じで説明する。

「首領の統制が緩んだことで、海賊組織の構成員たちが港町の中で横柄な振る舞いをするようになったからです」

「うん。そうか。なるほど。それだけじゃオレにはわかんないな」

 グエンの受け答えにカーシュナーが笑う。

「それだけで誰が構成員なのかわかるようになります。それから今度は構成員内の上下関係を観察します。上下関係がわかれば情報の流れ方を追うことが出来るようになり、最終的に首領のもとへとたどり着けるんです」

「簡単に言うな~。それが出来ればとっくに都督軍が探し出してるよ~」

「わかるようになったのは最近なんですよ。今まではしっかりと統制がとれていて、居場所を探ろうと思ったら、かなり危ない橋を渡らなければいけませんでしたから。それに、これまで他の組織から潜り込んで無事に帰ってきたスパイは一人もいませんでしたからね」

「マジで?」

「見せしめにさらすようなまねはしませんけど、消されたことがわかるだけの痕跡は残していましたから」

「そっちの方が怖いな」

「そうですね。人一人、時には複数の人間が、いつ、どこで、どうやって消されたのかまったく分からない。でも、消されたことだけははっきりとわかるわけですからね。都督軍の密偵たちは、組織としての実力の違いを見せつけられたと思いますよ」

グエンは眉間にしわを寄せて考え込む。カーシュナーの言葉は、とても幼い少年のものではない。多くの修羅場をくぐった男の言葉だ。いったいどれほどの苦汁をなめてきたのか。先程聞かされた話だけではないはずだ。

 ギルドナイツの彼は、命を懸けて巨大なモンスターたちとしのぎを削るハンターたちはもとより、ハンター崩れのならず者たちすら見たことのない、人間の深い闇を知っている。それでも海底大地震以降の世界に重く溜まった人間の闇は、グエンの想像を上回って苦痛に満ちていた。彼がこれまでに目にしてきた闇は、薄汚く淀み、腐敗臭を放っていたが、狂気を纏ってはいなかった。

 辺境を回ることが多かったグエンは、辺境に住む人々が、生態系の頂点に君臨する存在を、常に意識して暮らしていることを知っている。ハンターのように直接対峙することはなくとも、モンスターが持つ圧倒的強さと恐怖を彼らは絶対に忘れない。それは善人も悪人も同じだ。強大なモンスターの前では人間個人の意思など、それが善意であれ悪意であれ、一飲みにされてしまう。

 人間を上回る存在と隣り合いながら生きているせいか、辺境での悪事は少ない。人間同士で争っている余裕などないからかもしれない。それでもまったく犯罪が起こらない訳ではなく、この港町と同じように窃盗や強盗もあれば、殺人も起こる。しかしそのどれもが突発的な理由から起こることが多く、辺境の都市や村々で起こる殺人の大半が、ケンカの際打ち所が悪くて死亡してしまったケースがほとんどで、始めから明確な殺意を持って起こる殺人はほぼない。これは辺境の都市、それと繋がる村々を指導する竜人族のおかげと言えるだろう。

 その証拠に、竜人族の管理するハンターズギルドに所属するハンターたちは、小型のモンスターなら一振りで葬り去るほどの威力を持つ武器を手にしていながら、それを他者に向けるようなまねはしない。新人ハンターであろうが、G級ハンターであろうが、その矜持にかわりはない。

 王国同様辺境地域も海底大地震の被害を受けている。人的、物理的被害が大きすぎて復興を諦めなくてはならない村が数多く存在する。当然港町と同様故郷を失った難民たちが大災害をくぐり抜けた都市や村に流れ着いたが、彼らはみな温かく迎えられ、少ない食料を分け合い、自分の飢えを満たすために他者に犠牲を強いるようなまねは幼子でもしなかった。ハンターでなくとも、それが人としての矜持だからだろう。

 圧倒的存在であるモンスターはなく、より良く導いてくれる竜人族もいない。人間がただ人間のみで生きている場所にのみ狂気が溜まっていく。

 人間の闇の中で、闇を纏って生きるカーシュナーを見て、グエンは無性に悔しかった。

 カーシュナーは光だ。闇の空で孤独な星のように微かに瞬くような、そんな小さな存在ではない。

 晴れ渡った青空で、人々を温かく照らす太陽になるべき存在だ。

「カーシュナー君。仮に君にこの港町を支配するだけの力があったとしても、君はここを出て行くべきだ」

 グエンの言葉をカーシュナーは黙って受け止める。

「ここに溜まる狂気は君がどれほど正しくあり続けようとしても、いつか君を狂わすはずだ」

 言葉以上に真摯なグエンの眼差しを受けて、カーシュナーはにっこりと笑った。

 裏の組織と戦い、多くの理不尽と暴力の中をくぐり抜けて来たとはとても思えない澄み切った笑顔を見て、グエンは気づいた。自分もハンナマリーやリドリー、ジュザたち同様、カーシュナーに魅了されてしまったことに。

 

 

ハンターズギルドの出張所には、不機嫌さを隠そうともしない男が、受付カウンターの奥で椅子に浅く腰掛けてだらしなく座っていた。グエンの方を見ようともしない。

「補給品がないってどういうことだ!」

 グエンが声を荒げても、男は小揺るぎもしない。

「口の利き方に気をつけろよ、若いの。この港町じゃあよそ者の一人や二人すぐにいなくなっちまうんだぜ」

 ギルドナイツを名乗れないグエンは、身分を明かす際、男に対してギルドの職員と名乗っていた。ルッツが見誤ったように、グエンは顔こそ少し濃い目の男前だが、全体の雰囲気は隙だらけに見える。そのため出張所を管理している男になめられているのだ。

 この港町にあるハンターズギルドの出張所はかなり特殊で、辺境の小村などに設けられる本来の出張所とは異なり、ハンターズギルドの管轄下にありながら、そこに勤める職員は王国から派遣された者が業務を行っている。これは王国がハンターズギルドの自治を辺境に限定して認めているためで、王国内にハンターズギルドの施設を設けることは認められていない。この港町も王国領であるため本来ならば出張所は置けないのだが、ハンターに対する依頼が王国内から出されることがあるため、この港町のように辺境との境近くにある町や村には特例として出張所を設置することが許可されている。ただし、それはあくまで王国主導のもとで行われるものとし、業務に当たる者は王国の任命を受けた者に限られていた。

 人心が王家ではなく、高度な技術と高い知性を有する竜人族に傾くことを嫌った支配者たちの醜い都合による結果と言えるだろう。

 グエンの目の前でふんぞり返っている男は、ハンターズギルドから給料を受け取り、ハンターズギルドに所属しているが、中身は王国役人なのである。

 カーシュナーから男の人となりは聞いていた。元来は生真面目で勤勉な性格であり、海底大地震直後は復興に貢献しようと懸命に働いていたらしい。ハンターズギルドからの信頼も厚く、王国との潤滑油的役割を果たしていた。しかし、海賊組織がこの港町で力を得て以後は、まず家族を人質に取られ、やむなく従うと、今度は多額の報酬を受け取ることが出来た。強烈なアメと鞭、そして時代が撒き散らす狂気が男の心を狂わせるのにさしたる時間は必要なかった。

 かつてはハンターズギルドに欠くことの出来なかった男が、いまではけして好きになることは出来そうもない男に成り果ててしまった姿を見て、グエンは改めてこの港町に淀む狂気に恐怖した。

 そんな内心はかけらも表には出さず、グエンは単なるハンターズギルドの職員を演じて問い詰めた。

「仮にオレがいなくなれば、ギルド本部が調査に動くだろうね。補給品も消えているとなれば、なおのことね」

 男は舌打ちすると、ようやくグエンの方に顔を向けた。

「とにかく、ないものはないんだよ!」

「ないで済むか! どう責任取るつもりだ!」

「さあな、とりあえず本部に帰ってお前が聞いて来い! もっともオレはギルドのルールじゃ処分出来ねえけどな!」

 男は王国から派遣されてギルドの仕事を行っているため、ギルドが男を解雇しようと思ったら、王国に解雇理由を提出し、王国の審査で妥当と判断されない限り、解雇することはできない。まして今回のように損害が発生している場合の被害請求は、王国が男の賠償責任を認めない限り請求できない。これはギルドとの関係で主導権を握りたい王国の思惑によって取り決められた理不尽なルールだった。

 グエンは怒りに顔を真っ赤に染めるときびすを返し、出張所の扉を力任せに叩きつけて後にした。出張所の中から男の罵声が通りに響く。たいした大声だ。

 通りに出たグエンの形相を見て、近くにいた人たちが道をあける。しかし、グエンの怒りはあくまで演技で、内心は見た目とは違い、少々ムカついている程度だった。

「探るまでもなかったな。あっさり脅迫してきやがった。あれじゃあ自分から海賊組織と繋がっていますって言っているようなもんだ」

 カーシュナーから情報は得ていたが、立場上鵜呑みにするわけにはいかない。そこでグエンは確認のため、出張所の男に探りを入れていたのだ。もっとも、入って1分とたたずに確認出来てしまった。

 視界の隅に入るぎりぎりの場所でルッツが合図を送って寄越す。プロの密偵顔負けの位置取りだ。

 合図を送るとルッツは脇道に消えて行った。グエンはしばらく怒った振りをして、出張所を訪れた男が怒って帰って行った印象を周囲に植え付けると徐々に気配を消し、引き返すとルッツが消えて行った脇道に入った。

 カーシュナーとルッツ、そして二人の護衛役のジュザが待っていた。

「おじさんって本当はすごい人だったんだね」

 グエンの周囲を騙す技術を見ていたルッツが驚きに目を見開きながら感心する。

「お兄さんな! まあ、あのくらいは出来て当然だ」

 おじさん呼ばわりをめげずに訂正しつつ、グエンは答えた。

「あの隙だらけな感じが本当にすごいよ! 何も考えないで生きてるみたいだもん!」

「お、おう。そうだろ! ああやって相手を油断させるんだよ!」

 怒ったこと以外はまったく演技していなかったグエンは、少しうろたえながら胸を反らす。

「あれは、素」

 ジュザがグエンのウソを指摘する。その脇腹をカーシュナーが肘で突いて黙らせる。

 幼い少年の尊敬の眼差しと、気遣いの両方を受けていたたまれなくなったグエンは、後頭部を叩きながら話を逸らした。

「それより何か話があるんだろ?」

「話逸らした」

 再度カーシュナーがジュザの脇腹を小突く。

「確認は出来たみたいですね」

「ここまで聞こえて来ただろ?」

「ええ、もはや隠す気もないみたいですね」

「どうして首領がいないのに海賊組織は機能しているんだ? 本当に死んでいるのか?」

「死んでる」

 ジュザが短く答える。

「オレがとどめ刺した」

 淡々と語るため、一般人が聞けば冗談に聞こえるかもしれない。しかし、数多くの修羅場をくぐってきたグエンには、言葉の裏に潜む鬼の気がはっきりと感じ取れた。

「なのに何で海賊組織は機能しているんだ?」

「カーシュが操っているから」

 ジュザの言葉にグエンは驚きの目を向ける。

「どうやって?」

 カーシュナーは苦笑しつつ説明した。

「首領の目的は王国内での勢力の拡大でした。この港町は、首領にとっては計画の始めの一歩でしかなかったんです。だから、港町での目的を達成してからは内陸へ出向くことが多くなりました。そのため内陸から港町を管理することが増え、指示書が内陸と港町を行きかうようになりました」

 そう言うとカーシュナーは一枚の書面を取り出しグエンに見せた。 

「その指示書には首領のものであることを証明する印が押されます」

 文章の最後に押された複雑な模様の印を指さす。 

「その印は、いまボクの手元にあるんです。だから海賊組織は、大きな部分はボクの出した指示で動いているんです」

 最後にいたずら含みの笑顔で締めくくる。殺人など当たり前の犯罪組織を意のままに操っているのにまったく邪気がない。本当にいたずら感覚でやっているのではないかと疑いたくなる。

「いや~、なんて言ったらいいんだろうな。もうこの際だから君がこの港町を支配すればいいんじゃないか?」

「グエンさん。さっきと言ってることが逆ですよ」

「本当に支配するだけの力があるとは思わないだろ!」

「実際にはそんな力はありませんよ。首領の力を利用しているにすぎません。こんなごまかし、ずっとは続きませんよ」

「そうだとしても、いまこの港町の実質的な支配権は君にあるわけだろ。もしかして、ギルドの補給品がどうなったのか調べられたりするのかな?」

「ええ、調べるというか、補給品の集積所を変えるように指示したのはボクですから」

「えええっ!!」

「災害復興支援のために食料などがハンターズギルドからこの港に送られることはいままでに何度もありましたけど、この港から運び出すために物資が集められたのはボクが知る限りではこれまで一度もなかったことでした。いままでにない動きだったのでかなり重要な意味を持つ補給品だろうと思ったので、横流しされてしまう前に密輸・横流しルートから外しておいたんです」

「天使!! いや、神!!」

 グエンはカーシュナーの前に跪き、両手を合わせて拝んだ。

「大げさですよ」

 潤んだ瞳で自分を見上げるグエンに、カーシュナーは苦笑した。

「グエンさんをギルドナイツじゃないかと思ったのも、実はこの補給品があったからなんです。物資の集め方が緊急性を感じさせたので、おそらく補給品の受け取りは1、2週間以内だろうと思いました。それに、この港町の治安に関する噂は辺境にも広まっているそうなので、補給品の受け取り確認にはハンターの方が来るのではないかと思い港で網を張っていたんです」

「なるほど! 道理でタイミングがいい訳だ。でもルッツのスリは偶然だろ?」

「はい、偶然です。でもそのおかげでグエンさんがただのハンターではなくギルドナイツだとわかりました」

 グエンは思わず苦笑した。カーシュナーに会うまで、本当にただの一度も正体を見破られたことなどなかったのだ。ギルドナイツ同士でも互いの正体を見抜くのは困難なのに、たいした眼力だと思う。

「大事な補給品を守ってくれた上で、オレを、と言うよりギルドの人間を探していたってことは、ハンターズギルドと何らかの交渉をしたいってことなのか?」

「そうです」

 グエンは立ち上がると大きく胸を反らし、力強く叩いた。

「そういうことなら全部オレにまかせてくれ! ギルドのお偉いさんと一席設けてやるよ!」

「お願いします」

「実は時間があまりないんだ。本来なら一度上に確認を取って場所と日時を決めてからじゃないとダメなんだけど、今回は補給品の件もあるし、いきなり行ってみようぜ!」

「雑」

「だ、大丈夫だよ! いざとなったら補給品を盾に取ってこっちの要求を飲ませればいいんだからよ!」

 ジュザのツッコミにグエンがうろたえる。カーシュナーも正直雑だな、と思ったため、ジュザに対して肘打ちは入れなかった。

「それ脅迫」

「そうですね。こちらも無理に交渉したい訳ではありませんし、補給品の保管場所ならお教えしますから、先に補給品を受け取ってからでもかまいませんよ」

「いや、待ってくれ! それじゃあ義理が通せねえ! 筋と義理を通してなんぼのハンターズギルドが、不義理を働いたなんて言われた日には、辺境の秩序が崩壊しちまう!」

 補給品の場所を教えようとするカーシュナーを、グエンが必死で止める。

「義理を欠く連中を成敗するのがオレたちギルドナイツの仕事なのに、そのオレが恩知らずなことしちまったらギルドマスターに顔向けできねえ! 頼むからここは何も言わずにオレに任せてくれ!」

 あまりにも必死なグエンの様子に、カーシュナーとジュザは顔を見合わせ肩をすくめた。義理ではなく、裏切りが横行するこの港町で生きるカーシュナーとジュザには、グエンの必死さがいま一つピンと来なかった。

「グエンさんがそれで構わないならボクらに反対する理由はありません。ハンターズギルドで緊急の用件が発生しているようですし、早速伺わせていただきます」

「待て、カーシュ」

 ジュザが鋭い声で止める。

「オレたちが首領の印を持っていること知られた」

「備えもなく行くのは危険」

「印と支配権と命奪われる」

 長文を話し慣れていないせいか、何回かに分けて危険性を指摘する。ある意味アイルーより会話に苦労する。

「待ってくれ! ハンターズギルドは犯罪組織じゃない! この港町の支配権に興味なんてない! 仮にあったとしても、王国領のこの港町に手を出したりしたら、王国とギルドの間で戦争になっちまうよ!」

 ジュザの言葉にグエンが慌てて割って入る。普通に考えたらジュザの言葉は当然の懸念であり、グエンもそれがわかるから余計に必死になって弁明した。

 そんなグエンの肩をカーシュナーがやさしく叩き、押し留める。

「ジュザ、グエンさんのことよっぽど気にいったんだね。ジュザがこんなにしゃべるの初めて聞くよ」

 カーシュナーの隣りでルッツも驚きに目を見張りながら頷く。

「ごめん。試した」

「!!!!」

「あんた久しぶりに見たいい大人」

「大人がみんなあんたみたいだったら」

「オレたち家族失わずにすんだ」

 ジュザはほんの少しだけ寂しげに笑った。

「カーシュの目に狂いない」

「オレたちの仲間は全員あんたを信じる」

 ジュザの言葉にグエンは早くも涙目になる。

「お、お世辞とかよせよ」

 露骨に照れるグエン。

「お世辞じゃない」

「身につけてる技術は一級品」

「オレらに囲まれた時も、腹の中冷静だった」

「たいした胆力」

「仲間に引き抜きたい」

 ジュザの褒め言葉の連続に、グエンは身をくねらせて照れる。

「マジで勘弁してくれ! オレ褒められるの苦手なんだよ!」

「でもバカ」

「オオイッ!!」

 グエンのツッコミに、全員腹を抱えて笑った。

 

 

 それは海底大地震による大災害以降、どこの港でもよく見かける老朽化した商船だった。大津波により多くの船舶がただの木片と化し、難を逃れた廃船たちが応急処置を施され、老体に鞭打って海原を行き来している。

 カーシュナーたちはそんな一隻の商船の渡し板を歩いていた。ルッツはハンナマリーへの伝言を頼まれてここにはいない。一緒に行くと言ってきかなかったが、伝言が届かなかったとき、ハンナマリーがどれ程の勢いでブチ切れるかわからないからと説得するとようやく納得してくれた。何度か間近で見たことがあり、その時のことを思い出したルッツは青ざめながら走って行った。

 甲板に上がると、水夫たちが掃除や損傷箇所の補強に働いている。乗船してき自分たちに対して、さして興味もなさそうに一度視線を投げると、再び作業に戻った。

 カーシュナーは黙々と働く水夫たちを見て思った。まじめに働きすぎていると。

 もう少し手を抜いて作業しないと本職の水夫には見えない。水夫がけして不真面目だというわけではないが、港について酒場に繰り出さずに船の掃除をするなど、航海中によほどのヘマをやらかしでもしない限りあり得ない光景だからだ。それに、罰として働かされている人間は、それが自業自得であったとしても不平を表に出さずに黙々と働くことなど出来はしない。

 間違いなくこの船に乗船しているハンターズギルドの要人の護衛だろう。その数から判断するにかなりの大物のようだ。

 グエンが片目の水夫に来意を告げると、水夫は音もなく船内へと姿を消した。その足取りは波に揺れている甲板の上を平地のように歩いて行く。それは波の揺れに慣れた水夫の足取りではなく、身体能力に優れた者のバランスのとり方だった。

「あの方も?」

 カーシュナーは言外に片目の水夫もギルドナイツなのかと尋ねた。不用意に言葉にはしない。

「オレの上司だよ」

 グエンも口を動かさずに小声で答える。唇の動きを読まれるのを警戒しているのだろう。

 ほどなくして先程の水夫が現れ、カーシュナーとジュザは船内に通された。入るとすぐに武器の提出を求められ、その後で入念な身体検査が行われた。驚いたことに、グエンまで同じ扱いを受けている。

「何らかの理由で脅迫されてやむなく裏切るってことを想定しての処置なんだよ」

 怪訝そうなカーシュナーの視線に気づいたグエンが説明する。

 二重スパイの可能性なども考慮に入れれば、単独で任務をこなしていた者に対しては当然の処置と言えるだろう。仲間を信頼することと、警戒を怠らないことは全くの別物なのだ。

 奥の船室に入ると周囲の音が完全に消えた。カーシュナーにはわからないが、この部屋には防具に施されるスキル<耳栓>の技術が使われているのだ。

 窓のない船室内には僅かばかりの明かりがあるだけで、室内の様子は中央に大きな固定式のテーブルと椅子が数脚あるのが確認出来る以外はよくわからない。おそらく暗がりの奥に護衛が潜んでいるのだろう。

 テーブルに近付くと影の中から大柄な男が姿を現した。長身なだけでなく身体の厚みもある。そこにいるだけで他を圧する迫力がある。男は身体に合わない小さな椅子に腰を下ろすと、体格によく合う野太い声で椅子を勧めた。

 カーシュナーは男の正面の椅子に腰を下ろしたが、ジュザは勧めを断りカーシュナーの後ろに立った。

 これに男は驚いた。若くとも百戦の気を放つジュザを面会者だと思い込んでいたからだ。それが従者か何かだとばかり思っていた少年が席に着き、ジュザが従者としてカーシュナーの後ろに立ったのだから無理もない。

「これは何の冗談だ?」

 男はカーシュナーを無視するとグエンに問いただした。その口調は質問ではなく詰問のそれだった。

「私はこの港町の外れで生活している者たちを代表して来ました。カーシュナーと申します」

 男の態度は無視してカーシュナーは礼儀正しく名乗った。

「大人の会話に口をはさむな、小僧!!」

 男の一喝に、ジュザが眉間に青筋を浮かべて詰め寄ろうとする。それをカーシュナーがスッと手を差し出して止める。しかしここで予定外の人物がブチ切れた。

「てめえ! どこのギルドのもんだ! 口のきき方に気をつけろや! コラッ!!」

 今にも飛び掛からんばかりのグエンを片目の水夫が必死に抑える。暗がりの中から慌てて飛び出してきた護衛たちが剣を突き付けてもグエンはまったく引く気配を見せない。

「この子はなあ! なりは小さくてもギルドの恩人だ! なめた態度取ってるとその無駄にでかい身体三枚におろすぞ!」

 <耳栓>並の防音効果を持つ船室の外に漏れ聞こえるほどの大声に全員が耳をふさいだ。火竜の咆哮並の大声である。グエンを抑えていて唯一耳をふさげなかった片目の水夫だけが三半規管をやられてふらついている。それでもグエンを放さないのはさすがギルドナイツと言ったところである。

「落ち着け」

 ジュザもグエンを抑えにまわる。

「よく考えたら仕方ない」

「オレらカーシュのすごさに慣れ過ぎてた」

「普通に見たらただのかわいい子供」

 ジュザになだめられてもグエンの怒りはまだ収まらない。

「そうだとしてもだ! ギルドナイツのメンバーがギルドの恩人として案内して来た人物に対して、ギルドの代表として出てきた者の態度かって話なんだよ!」

「それ納得。もう止めない」

 グエン同様男の態度に腹を立てていたジュザはあっさり止めるのをやめる。

 さらにグエンが怒鳴り散らそうしたとき、男の後ろから小柄な影が飛び出し、テーブルに飛び乗るとそこから一っ跳びでグエンに飛び掛かると、グエンの頭に平手打ちをくらわせた。

「ギルドマスター!!」

「猿!」

「グエン、いい加減にせんか! と、グエンを叱る前に、そこの細目の若いの!」

 そう言うとギルドマスターはジュザをビシッと指さした。

「誰が猿じゃ! 先にグエンがギルドマスターと言うておったじゃろうが!」

「失礼。つい見た目で判断した」

「なおさら悪いわい!」

 事態が収拾するかと思いきや、余計に混乱が加速する。

「何故出てこられたのですか! ギルドマスター! ここはお任せください!」

 男がなんとかギルドマスターをなだめようとする。

「やかましわい! お前こそなんじゃあの態度わ!」

「ギルドの代表として威厳を示そうと…」

「たわけが! あれのどこが威厳じゃ! ただの嫌な奴でしかないわい! それともなにか? お前にはわしがあんな風に見えておるのか!!」

「め、滅相もない! 全ては私の不徳の致すところです!」

「まったく! お前が安全のためにとしつこく言うから任せてみたのに、とんだ失態じゃい!」

「返す言葉もありません」

 どうやら男はギルドマスターの影武者として出て来ていたらしい。元来組織のトップ同士が直接顔を合わせることは少ない。基本はある程度の権限を与えられた者が代理として折衝するものである。

「ギルドマスターがいながら、ギルドの恩人に対して影武者を出したんすか!」

 若干落ち着きを取り戻したグエンが、今度はギルドマスターにかみつく。

「仕方なかろうが! そっちの細目の若いのがあまりにもするどい気を発しておったもんじゃから、護衛の連中が言っても聞かなかったんじゃい! それよりも、誰の見た目が猿なんじゃい!」

 その場にいたカーシュナー以外の全員がギルドマスターを指さす。

「キィ~~!!」

 グエンやジュザだけでなく、影武者役の男と護衛たちからも指さされたギルドマスターが、顔を真っ赤にして悔しがる。

「ギルドマスター。怒ると余計に猿のように見えます」

 影武者役の男が余計なことを言う。

「貴様~! 先程叱責されたことを根に持っておるな~!」

「め、滅相もございません! つい思っていたことを素直に口にしてしまっただけです!」

「なおさら悪いわい! 何なんじゃお前らさっきから! 貴様も、護衛の連中も引っ込んでおれ! それとグエンと細目の若いの! お前らは口を開くな! これ以上ゴチャゴチャぬかすならわしゃもう一言も口をきかんからの!」

 ギルドマスターはかんかんに怒るとむくれてその場に座り込んでしまった。

「おじいちゃん。床は腰が冷えるから椅子に座りましょう」

 むくれているギルドマスターにカーシュナーが手を差し伸べる。

「…おじいちゃんなんて言われるのは何十年ぶりじゃろうか。わし、ちょっとキュンとしてしもうたわい」

 カーシュナーの邪気のない瞳に見つめられて、ギルドマスターは何故か頬を染めて立ち上がった。そして先程影武者役の男が座っていた椅子に腰をおろす。

「改めて、わしがギルドマスターじゃ。先程は手の者が失礼をした」

「いえ、お気になさらずに。こちらこそ突然押し掛けまして失礼いたしました」

「失礼じゃがおいくつかな? かなりお若く見受けられるが?」

「11です」

「!!!!」

 ギルドマスターはカーシュナーのことを成長障害などにより子供の内に身体の成長が止まってしまったのだと思っていた。見た目に反してその言動は落ち着いた大人のものだったからである。ところが見た目通りの幼さだと言うから驚きである。ギルドマスターは思わずことの真偽をグエンに目で問いかけた。

「本当です。彼らは生き残るためには子供でいることが許されない地獄の中で今日まで生き延びて来たんです」

 ギルドマスターは再びカーシュナーに目をやり、次いでジュザに目をやった。

「この港町はそれ程の状態じゃったのか。細目の若いのが纏う鬼の気にもこれで納得がいく。例え古龍と差しでやりあったとしても、そんな気は纏えんじゃろうて。よう生き延びた」

 ギルドマスターの言葉にグエンが胸を張る。二人が認められて嬉しいらしい。そして港町の状況と、カーシュナーたちがギルドのためにしてくれたことを報告した。

「これはわしらの見識が甘かったのう。ハンターズギルドは王国から目をつけられておるからな。極力情報収集なんかは控えておったんじゃ。密偵が捕まりでもしたらえらいことになるからのう。まさかギルドからの援助品が横流しされておったとは知らんかったわい。お前さんの機転がなければわしらの補給品も危ういところじゃったわ」

「お役に立てて何よりです」

「ほんで、わしゃどうすればこの恩に報いることが出来るんかいのう」

「その前に補給品の保管場所を説明しますので回収に向かってください」

「カーシュナー君。それはさっきも言ったけど、まず受けた恩を返してからだよ」

「そうじゃよ。横流しを防いでくれただけでも大助かりなんじゃ。まずはその恩を返してからでないと受け取れんよ」

「お気持ちはありがたいのですが、そう長く海賊組織の目をごまかし続けるのは難しいので、ウソがばれる前に回収していただきたいんです」

「そういうことなら話は別じゃ。早速回収に向かわせるとしよう」

 カーシュナーは懐から偽の指示書と保管場所の地図を取り出すとギルドマスターに渡した。受け取ったギルドマスターは影武者役の男に指示書と地図を渡し後を任せた。

「これで落ち着いて話が出来ます」

「うんむ。してどのような要件なんじゃ?」

「私たちはこの港町で4年間生き抜いてきました。戦って生きる場所をなんとか勝ち取りましたが、元々この港町で抱えきれる人口をオーバーしていたので、生活は苦しいものでした。改善の余地はおおいにありますが、それでも人口が多すぎるんです。私たちはこの港町を出て、辺境への移住を希望しています。そこで私たちはハンターズギルドに辺境移住への協力をお願いしたいんです」

「どれ程の規模で移住をするつもりなのかね?」

「100人弱です」

「以外に少ないのう」

「病気で死んだり、殺されて減った」

 ギルドマスターの言葉にジュザが答える。

「…そうか。ちと軽率な口をきいたかのう。申し訳ない」

「いえ、自分たちだけが苦しんでいる訳ではありませんから。戦火を逃れて流れてくる難民はいまだに後を絶ちません。みんなが苦しんでいるんです」

「王族どもは何をしておるのじゃ!」

「徴税と徴兵と戦争です」

「子供にこれを言わせるとはのう。なんと嘆かわしいことか! いや、すまん。話が逸れてしもうた。移住の件じゃな。これはお前さんたちがどんな形で移住しようとしているかで難易度が変わるのう。例えば、100人全員で同じ土地へ移住するのは不可能じゃ。ドンドルマのような規模の城塞都市は収容できる人数に元々限りがある。ハンターや行商人、またその家族などがおるから人は多いが、定住者は意外と少ないんじゃ」

「それ以外の町や村はどんな感じなんでしょうか?」

「辺境の町や村はほとんどがどこも開拓途中じゃ。移住はどこも大歓迎じゃろう。じゃがな、基本自給自足が出来るだけの能力がないとやってはいけん。もちろんやる気さえあれば身に着けられるんじゃが、それまでの間面倒をみてやれるほどの余力はどこもないじゃろう。辺境は海底大地震の被害からようやく脱してそれまでの日常に戻ったような状況じゃからな。みなそれぞれの生活で手いっぱいなんじゃ」

「それでもすごいことです。王国の外れにあるこの港町でさえ、王国領であるせいでいまだに何の改善もされていません。内戦が収まるどころか、戦火が広がり続けるのは、誰もが自分のことだけ考えて行動しているからです。全体的な視野と計画性を持って行動しなければ、世界規模の災害で受けたダメージから回復することなんて不可能なんですよ」

「そうじゃな。その当たり前のことが出来なくてこの王国は苦しんでおるのじゃ」

「苦しんでいるのは王国ではありません。力のない民衆です。だから私たちはこの王国を出ようと思うのです。自給自足の能力は問題ないと思います。現在私たちはどこからの保護も援助もない状態で、自給自足で生活しています。さすがに能力別に作業を分担しているので一人で何もかもこなせる者は少ないですが、最少5人で1グループを組めば自給自足を無理なく行えます」

「うんむ。準備は申し分なく整っておるようじゃの。その人数ならばどこの町村でも受け入れ可能じゃろう。むしろこちらからお願いしたいくらいじゃ」

「そう言っていただけると助かります。こちらとしては移住先への口利きと、移動手段の確保をお願いできれば十分です。もちろんその際必要となる経費は少々時間が掛かってしまいますが、必ず適正な金利もお付けしてお支払いたします」

 ギルドマスターは感心しきりの表情で何度も頷いた。暗がりの奥からも、補給品の受け取りの手配を済ませた影武者役の男が戻ってきており、先程の非礼を何度も詫びてきた。

「始めはこんな小さな子が代表なのが不思議じゃったが、うんむ、間違いなく長の器じゃ。費用にまで気をくばってくれるのはありがたいが、気にすることはない。どうせ移動は物資と一緒になるはずじゃ。普通に働いてくれれば十分じゃよ」

「ありがとうございます。実はもう一つお知恵をお借りしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「何でも聞いておくれ。知っておることならいくらでも答えるぞい」

 カーシュナーは首から下げていた小袋を引っ張り出すと中から乾燥した葉とキノコを取り出した。

「これなのですが、海賊組織の首領が扱っていた禁制品の中で唯一正体がわからなかったものなのです。これが何かお分かりになりますか? どうやらかなり高価な物のようなのですが、使い道がよくわからなくて困っていたんです」

「どれ、ちょっと拝見させて…!! こ、これは!!」

 ギルドマスターは血相を変えて葉とキノコを観察した。

「行商ばあさんや! すまんがこれを見てくれんか!」

 ギルドマスターが暗がりに声を掛けると、一人の老婆が現れた。ギルドマスター同様かなりの高齢に見えるが足取りはしっかりとしている。テーブルまで来るとギルドマスターの隣りに座り、葉とキノコを受け取った。そして一目見るなり驚きすぎて椅子から転げ落ちてしまった。

「こ、これは龍幻草と九尾茸ですよ! 何でこんな物がここに!!」

「やっぱりか! カーシュナー君や! これはとんでもない代物じゃよ! ハンターズギルドではこの二つは採取禁止指定しておって、もし見つけたら必ず報告するように義務づけられておる超危険素材なんじゃ! 万が一その義務を怠れば、場合によってはギルドカードを剥奪されるくらい厳しい措置がとられるほどなんじゃよ!」

「ゲンリュウソウとキュウビダケですか。いままで素手で触っていましたが大丈夫でしょうか?」

「それは問題ない。このままならさして害はないからのう。実はこの二つは強力な幻覚剤の材料なんじゃ。このままでも焼いてその煙を吸い込んだりすれば、リオレウスでさえ錯乱状態に陥るほどの危険性を秘めておる代物でのう。処分するのも難しい素材なんじゃ」

「なるほど。首領はこれを幻覚剤として王国内で売りさばいていたということですね。辺境ではよく採れるんですか?」

「とんでもない! 辺境では昔から根絶やしにしようと努力し続けてきた太古の素材でね、最近じゃあ、あたしでもお目に掛かったことのない素材ですよ!」

 なんとか椅子に座りなおした行商ばあちゃんが説明してくれる。

「カーシュナー君。これらの入手経路はわかるかね?」

 ギルドマスターが深刻な表情で尋ねてくる。

「首領が禁制品を特定の商人たちに運ばせていたことまではわかっているのですが、そこから先はさすがに難しいです。首領は禁制品の扱いに関してはかなり慎重を期していたようで、証拠になるような書類は残っていないんです」

「商人はわかるのかね?」

 カーシュナーは6人の商人の名前を上げた。幾人かの名前に驚きの反応が返ってくる。

「これは思った以上に根の深い問題のようだねえ」

「うんむ。このまま見過ごす訳にはいかんのう。一歩間違えば辺境でも広まりかねんからのう」

 二人の老人が難しい顔をする。

「それ程の大事なのですか?」

 幻覚剤の本当の怖さを知らないカーシュナーにはいま一つ龍幻草と九尾茸の危険性がピンとこなかった。

「下手をすればお前さんたちが移住する予定の町村が壊滅しかねんのじゃ」

「それは困ります」

「わしも困る。長年見守ってきた辺境に暮らす連中が幻覚剤で壊れていく姿なんぞ見たくないからのう」

 カーシュナーは一瞬だけ考えて新たな計画を立てた。

「実は私たちはある計画を実行することになっています。それを少し修正すれば禁制品に関わっている商人たちも一網打尽に出来ると思います」

「聞かせてもらえるかのう」

 カーシュナーは元々の計画と修正点の説明をした。

「…カーシュナー君や。君が悪に染まらなんだことは人類にとっておおいなる幸運だったと言えるじゃろうて」

 計画を聞き終えたギルドマスターは感嘆のため息をついた。そして勢いよく椅子の上に立ち上がると叫んだ。

「久しぶりに燃えてきたわい!」

「元気な老人」

 全身からエネルギーを発散させているギルドマスターを見てジュザが感心する。

「この港町の老人みんな死にたがってる」

「希望がないから」

「そうだね」

 ジュザの言葉にカーシュナーも頷く。

「これがうわさの猿人族か。驚き」

「誰が猿人族じゅあ! そんなものおらんわい! 竜人族じゃ! 猿じゃなくて竜!」

「見た目で勘違いした。失礼」

「なおさら悪いわい! 誰の見た目が猿なんじゃ!」

 その場にいたカーシュナー以外の全員がギルドマスターを指さす。行商ばあちゃんと影武者役の男は若干食い気味にギルドマスターを指さしていた。

 これに怒り狂ったギルドマスターは顔を真っ赤にしてテーブルをバンバン叩いて悔しがる。つい先程掛かった笑いの罠に再度引っ掛かったため、その怒りは2倍増しになっている。

「興奮するのは別にかまわんが、ババコンガみたいに屁をこくのだけは勘弁しておくれよ」

 行商ばあちゃんのツッコミに全員が大笑いする。特に影武者役の男が涙を流して大笑いし、ギルドマスターに平手打ちをくらっていた。



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旅立ち前の大掃除

 港町を治める都督は生まれながらの金運の持ち主だった。一代で財を成した豪商の四男で、いまある地位は偉大な父が権力拡大のために無能な息子に買い与えてくれたもので、努力と能力で獲得したものではない。

 あふれんばかりの才能を持つ父親の、うっかりあふれ出てしまった才能を拾い集めて作ったようないびつな人間で、若い芽を摘むこと、人の顔色をうかがうこと、薄汚い金銭に対する嗅覚だけは人よりも優れていた。

 これが父親ならば、競争相手を出し抜き、相手の心理を見抜いて商談を有利に運び、まだ誰も気づいていないビジネスチャンスを逃さず手に入れるのだが、不肖の息子はただの小狡い公金横領者が限界だった。

 自身の人間性による求心力の欠如を棚に上げ、部下たちの不忠ぶりを嘆く港町の都督は、海賊組織の宝物庫襲撃以降一人の部下も信用していなかった。事実海賊組織討伐の情報漏えいと宝物庫襲撃は、都督軍に内通者がいることを示していた。もっとも、そのおかげで本来ならば王国の国庫に納めなくてはいけなかった税金を賊に持ち去られたことに対する厳罰を受けるところだったのだが、父の働きかけと、内通者を言い訳に都督軍軍隊長に責任を押し付けることでなんとか回避し、いまも都督の地位を確保している。

 幸い自身の資産は無事だったため、都督は結果の出ない海賊組織討伐をあっさり諦め、自身の資産を守ることに専念した。万が一都督軍の一部と海賊組織が手を組んでいたら、討伐隊を出して手薄になった隙に今度こそ都督自身は囚われの身となり、無事だった資産も奪われるという妄想が彼を支配していた。

 都督府にこもりきりで暇を持て余していたところに、都督の個人的密偵から報告が入った。都督軍にも当然密偵はおり、以前はこき使っていたのだが、討伐情報の漏えいと宝物庫襲撃の責任を取らせ、全員を処罰していた。彼らが軍内部の内通者を割り出せていれば、海賊組織の討伐は成功し、宝物庫が破られることもなかったからだ。

 父親から借り受けた密偵がもたらした報告は驚くべきものだった。

 それは憎き海賊組織から都督個人に対する海賊組織への加入要請だった。これを聞いた当初は怒り狂わんばかりだったが、密偵からの海賊組織の現状を聞かされると、一転青ざめて震え始めた。

 密偵の報告は、始めから都督の度肝を抜いた。密偵は上着を脱ぐと都督に背中をさらす。そこには都督に当てたメッセージが刺青として彫り込まれていたのだ。それは同時に密偵が海賊組織に捕らえられたことを意味していた。偉大な父が選りすぐって育て上げた一流の密偵すら見抜き、捕らえてしまう。これ程の組織力を持っていたことに今更ながらに気づいたのだ。

 メッセージの内容は都督の個人資産の保管場所と、その内訳が事細かく記されていた。これは都督本人しか知らないことで、その正確さに都督は恐怖を覚えた。自分のことを自分以上に知られているのは気分の良いものではない。メッセージの最後は都督の最も恐れている言葉で締めくくられていた。

「奪えなかったのではない。奪わなかったのだ」と、それはいつでも奪えるということである。

「組織の末端にいる者たちは単なる海賊にすぎませんが、組織の中枢はもうすでに何人もの大貴族と繋がりを持ち、宮廷内に組織の構成員を送り込むまでに勢力を拡大しているようです。これはもはや一地方の犯罪組織などという枠組みを超えた存在です」

 密偵は衣服を正すと報告を続けた。

「そ、それでは、奴らはすでに父上以上の権力を有しておるということではないか!」

「確実な裏付けはこれからになりますが、海賊組織が捕らえた私に開示した情報は、とても田舎の海賊風情が入手できるものではなく、お父上に関する情報は驚くほど正確であったことを考え合わせますと、王国中央でそれなりの力を有していることは疑いようもないかと思われます」

「このことは父上には…」

「まだ報告はいたしておりません。海賊組織は若様を通してお父上と交渉したいのではなく、あくまでも若様を組織へ招き入れることが目的なのです」

「それがわからん! なぜ私なのだ!」

「お父上の組織と繋がることは海賊組織にとってもおおいに益をもたらすことですが、お父上は決して従わないでしょう」

「己が頂点でなくては気の済まぬご気性だからな…」

「海賊組織はお父上と兄君たちを排除し、若君を商会の長に据える考えです」

「!!!! …私に犯罪者共の傀儡になれと言うのか!」

「先程も申し上げましたが、王国中央に確かな基盤を築いた彼らは、もはや単なる犯罪組織ではないのです。彼らが表舞台に立つとき、一族の長として共に立つか、一族もろともに排除されるか、どちらかを選ぶようにとのことでした」

「従わなければ滅ぼすというのか!!」

「いいえ、お父上の商会ではなく別の組織と手を組むということです。内乱のため商業は安定しません。これまで資本力の差で従わせてきた傘下の商人などを引き抜かれたら、それだけで商会の組織力は大幅に低下してしまいます。これまで他の商人にしてきたことを、より大きな規模で商会が受けるということです」

「…一商人に成り下がるというわけか」

 人間性は劣悪だが、金勘定にだけは聡い都督は、海賊組織からの提案を吟味した。懸けてみる価値はある。偉大な父と優秀な兄たちから疎外され、商売とは関係ない役職を買い与えられ、王国の外れの港町へと遠ざけられた現実が、暗く冷たい手で都督の背中を裏切りのラインの向こう側へと押しやる。

「父上がどれ程偉大でも、兄上たちがどれ程優秀でも、この時代の混乱を乗り切れなければ、その能力には何の意味もない。ましてやその能力が生むプライドが障害になるのなら、それは無意味を通り越して害悪に他ならない。貴様もそのように考えたからこそ、父上に報告せずにいたのであろう?」

「我ら密偵の役目は商会の発展に寄与することでございます。われらの忠誠はお父上個人に捧げられたものではなく、商会に対して誓われたものです」

 密偵は遠まわしに都督の言葉を認めた。それは同時に、必要とあらば都督個人も見限るということだ。

 都督は自分に都合のいい部分だけを受け入れ、意を決して密偵に命じた。

「海賊組織に伝えよ。提案を受け入れるとな」

 

 

 娼婦街を取り仕切る組織のボスは、薄くなった頭髪をかき回してため息を吐いた。

 上りは最盛期とは比べ物にならないが、それでも横ばいで安定している。しかし、都督府への上納金に加え、今では海賊組織にも上がりの一部を納めなくてはならない。スラム街の組織との条約のため、娼婦たちへの待遇改善も大きな出費となっていた。

「あのガキ共さえいなければ…」

 娼婦街のボスは何度繰り返したかわからないセリフを無意識に呟いていた。

 海底大地震による津波の被害を立地により奇跡的に回避できこの港町は、一時は復興の一大拠点として栄えた。多くの船乗りたちが集まり、彼らは酒と女を求めた。

 それまでこの港町に娼婦街などなく、酒場兼宿屋が数軒あるだけだった。当然娼婦宿などなく、港に足を降ろす男たちにとっては、この港町では酒を呑むだけ、女がほしけりゃさっさと次の積み荷を見つけて出港するだけの、長居は無用の田舎の港町だった。しかし、突然大量の船乗りたちが集まることになり、裏の商業チャンスが港町に訪れた。

 これに目をつけたのが、かつて酒場兼宿屋を2軒経営していた前娼婦街のボスだった。

 男は都督府を懐柔し、ならず者たちを手なずけ、一度は港町の裏の支配者にまで上り詰めた。だが、やりすぎた男はカーシュナーたちの逆鱗に触れてしまい、全身の生皮を剥がされた上で海に捨てられ、溺れる前に激痛で悶絶死するという壮絶な最後を迎えた。

 2代目になる現在のボスは、その時の光景をいまでも夢に見てうなされることがある。先代がやりすぎなければ、いまでも組織はこの港町を裏から支配していたかもしれないと思うと、壮絶な最後を迎えた先代に対して、憐れみよりも激しい怒りが湧いてくる。

 2代目のボスは、以前は酒場兼宿屋の経理を任されていた。これと言って特徴のない外見で、腕が立つわけでもなければ、頭が切れるわけでもない。本来ならばボスの座につけるような器ではないのだが、幹部内に突出した人物がいなかったため、派閥争いからの内部分裂を避けるために選ばれた、ゼニーの集計と公平な分配を行うためのボスだった。

正直損な役回りである。主だったならず者たちが一掃され、その後も流れ込んでくる荒事慣れした男たちは海賊組織に吸収されてしまうため、手駒を増やすことが出来ず、権力の拡大も図れない。そのため各派閥の実力者たちの顔色を常にうかがいながら立場を守らなくてはならなかった。

 すっかりクセになってしまったため息を吐いていると、数少ない手下の一人が血相を変えて駆け込んできた。

「ボス! 大変です!」

「やかましい!! いきなりでかい声出すんじゃねえよ!! あ~あっ、どこまで計算したかわからなくなっちまったじゃねえか…」

「それどころじゃないんですって! デンさんとこの若い衆が、ガドンさんとこの若い衆をやっちまって、抗争が始まっちまったんですよ!」

「なんだと! 冗談じゃねえぞ! なんでそんなことになった!!」

「はっきりしたことはまだ…。でも、デンさんとこの若い衆は、日頃ガドンさんとこの若い衆に頭押さえつけられていたっすから、ついにキレちゃったんじゃないすか?」

「キレちゃったで済むか! これ以上うちの規模が縮小しちまったら、海賊組織に吸収されちまうじゃねえか!!」

「そんなことあっしに言われてもわかりませよ! それより、どうするんすか? 他の幹部のところの若い衆も殺気立っていて収拾がつかないんすよ!」

「…仕方ねえ! とりあえずデンとガドン以外の幹部のところに出向くぞ! 他だけでも抑えとかねえとそれこそ手の打ちようがなくなっちまう! それと女共の確保だ! バカどもに勢いで傷物にされちまったら商売にならねえ!!」

 ボスは計算途中だったゼニーの山を皮袋に詰めながら指示を出した。

「じゃあ、あっしは足の用意をしてきます!」

 手下はそう言うと、開けっ放しにしていた扉から飛び出していった。

 金庫を開けて中に皮袋を入れようとしていると、ボスは背後から体当たりをくらわされた。皮袋の口が開いてしまい、中身のゼニーが床に飛び散る。

 一瞬押し込みかと思いキモを冷やしたが、背中に寄りかかっているのが先程部屋を飛び出して行った手下とわかり、ボスは苛立たしげに手下を押し退けた。

「何を蹴つまづいていやがるんだ! さっさと足を用意しに行かねえか! バカ野郎!!」

 この男はあまりにもドジで、どこの幹部からも相手にされなかったどうしようもない男だった。押し付けられたボスも手を焼いていたが、妙に自分になついてしまったため、これまで仕方なく使ってきた。いままでも運んできた食事や酒を何度かぶちまけられたり、いまみたいに蹴つまづいて巻き込まれたことは数えきれないほどあった。

「何でお前はいつも蹴つまづくたびにオレを巻き込むんだ! 一人でひっくり返りやが…」

 ボスはそこまで言って異変に気づいた。手下の男は目を見開いたまま、焦点の合わない目を天井に投げていた。いつもバカ丸出しの濁った目をしているが、さすがにこれは異常である。

「おい! どうした、バカ野郎! 打ち所でも悪かったのか?」

 手を伸ばして揺すろうとしてボスは慌てて手を引っ込めた。手下の男の首が180度回転していたからだ。フクロウでもない限り人間にこんな真似は出来ない。手下の男は首をねじ折られて死んでいたのだ。

「お久しぶり」

 ボスは反射的に声のした方向へ振り向いた。

「!!!! お、お前は!!」

 振り向いたボスの視界に、まったく予想していない人物の姿が飛び込んできた。

「バイバイ! 元ボス」

 ボスは何かを叫ぼうとしたまま息絶えた。何を言いたかったのかはわからないが、のどに深々と突き刺さった剣がふたをしてしまったため、誰にも伝えることは出来なかった。

 

 

 海賊組織の幹部たちは、内陸から届く首領の指示に、なんの疑問も抱いていなかった。相変わらず≪千里眼≫のスキルが生まれつき備わっているかのように、的確な指示を送ってくる。

 都督を仲間に引き入れる指示に対しては始めのうちは疑問に思ったが、都督個人ではなく、一族が運営する商会をまるごと引き入れようというのだから驚いた。都督府などもはやどうでもいいのだ。

 首領の目には、もうこの港町は小さすぎて視界に入らないのかもしれない。でかい男の下に付いたものだと幹部の一人は思った。

 新しく届いた指示書の封を開ける。中身を一読すると他の幹部に手渡した。表情が一気に引き締まる。

 受け取ったもう一人の幹部がサッと内容に目を通し、他の幹部にもわかるように声に出して内容を読み上げた。

『中央での次の計画に着手する。その手始めとして、港町を都督府も含めて完全に支配下に置く』

 幹部たちの間からどよめきが起こる。

「いよいよ都督府と白黒つけるってことか!」

「お互い腹の中は真っ黒だけどな!」

「おいおい、あんな善人面した極悪人どもと一緒にするな! オレたちの腹の中は黒いだけだが、都督府の連中の腹の中は底の方まで腐りきっているんだからよう」

 この言葉が皮肉な笑いを誘う。

『娼婦街及びスラム街に関しては、こちらから人材を派遣して事に当たらせる。必要が生じた場合のみこれを支援すること』

「つまりオレたちは都督府に集中しろってことか?」

「だろうな。うがって考えるなら、その派遣されて来る連中の実力もはかりたいんじゃねえのか?」

「新しい幹部候補ってか! オレらの足引っ張りやがったらぶち殺すぞ!」

「せめて返り討ちにだけはならんでほしいもんだ。後始末が面倒でいけねえ」

 この皮肉は意地の悪い爆笑を誘った。

『また、都督個人と都督府は完全に切り離して考えるものとし、都督は時機を見て別の人物を派遣するものとする』

「都督の首をすげ替えるってことか?」

「すげ替えるってより、都督は商会に戻ることになるから、うちの息の掛かった人間を都督に据えるってことだろう」

「それは都督の人選をコントロールできるってことだろ? うちの首領はもうそこまでの影響力を中央で手に入れったってことなのか!!」

「…そういうことになるな。こりゃあ喜んでばかりもいられねえぞ」

「なんでだよ?」

「組織がでかくなれば人も集まる。オレたちも幹部だなんだと浮かれてばかりいて、肝心の仕事にしくじれば容赦なく切り捨てられるぞ。代わりの人材はいくらでもいるんだからな」

 一人の幹部の冷静な分析に、水を打ったようにその場が静まりかえる。

「その辺に関しても一言あるから読み進めるぞ」

「ええっ! 切り捨てられるのか!!」

「黙って聞け! 見当外れなことばかり言ってると本当に切られるぞ!」

『都督府を支配下に置くに際して、排除すべき人材をリストアップする…』

 この後幹部が読み上げた人物名は膨大な数にのぼった。

「主要な役職に就いている連中が多いな。それに、一度にこれだけの数の人間を消すのは不可能だぞ!」

「よしんば出来たとしてもだ。これだけの数の人間を消したら軍の連中もさすがに独断で動きかねんぞ! あの都督では抑えきれんだろう」

 ここで指示書を読み上げている幹部が議論を制する。

「それに関しては細かい指示がある。ほとんどの連中は謀略で始末することになるみたいだ。オレたちはそのための下準備が主な仕事になる」

「謀略? オレたちが手を下さないなら誰が都督府の連中を始末するんだ?」

「都督府の連中だよ」

「仲間割れをさせるってことか?」

「そうじゃない。前にオレたちが成功させた都督府の宝物庫襲撃の内部共犯者に仕立て上げて、処罰という形で始末するんだ。オレたちはそのためのニセの証拠をでっち上げればいいんだよ」

「都督は承知しているのか?」

「いや、この件に関しては一切かかわらないことになっている。自分たちで犯人を見つけ出したと思い込ませておいた方が、下手に演技させるよりもいいはずだ。都督の裏切りに気づいたら、さすがに連中も黙っていないだろう」

「確かにな。都督なんかを当てにして万が一にもしくじろうものなら、オレたちが責任を取らされるんだからな」

「だが、思ったよりは楽そうな仕事じゃねえか」

「バカ野郎! のんきに構えているんじゃねえ! これはオレたちにとっても、ある意味ふるいに掛けられる仕事なんだぞ!」

「どういう意味だよ!」

「最後にこう書いてある」

『もはや我々に裏の権力は必要ない。表の権力を手に入れ、臭い路地裏に身を潜めるのではなく、王宮内を飛竜種のように堂々と歩くのだ。諸君らが共に真紅の絨毯に足を埋めてくれることを期待している』

 幹部たちの胸の内を静かな興奮が満たしていく。混乱の時代に生き残り、身一つでここまで来た。今更自分一人置いて行かれるつもりはない。ならば行きつくところまで行くまでだ。これまで自分たちを家畜のように扱ってきた貴族たちの上に行けるなら、これほど痛快なことはないのだから…。

 

 

「こんなに見事に踊ってくれるとはねえ」

 見事な肢体を真紅の東方風ドレスに包んだ女が、腰までスリットが入っているにもかかわらず、大胆に脚を組んで感心する。肩まで剥き出しの腕も、豊かな胸を強調するような形で組んでいるため、室内にいる他の男たちは視線のやり場に困っていた。

「みなさんの協力のおかげです」

 カーシュナーがただ一人、目のやり場に困ることなく女に頭を下げた。豊満な胸でもなければしなやかな腕でもなく、すらりと伸びた脚線美にも視線を奪われることなく女の目を見て話しているからだ。

 女ががっかりしてため息を吐く。

「カーシュ。このドレス気に入らないかい? せっかくあんたに見せようと思って選んできたのに、全然関心を持ってくれないんだから」

「よく似合っていますよ。リンダさんには赤が合いますからね」

「なんだかとりあえず褒めておけって感じがするわねえ。そんな言葉じゃ私は満足しないわよ。カーシュ」

「ボクに女性の上手な扱い方なんて期待しないでくださいよ」

 カーシュナーは苦笑しながら答えた。

「私のところに来れば全部教えてあげるって何度も誘ってるじゃない。カーシュならもちろんタダでOKなんだから、帰りに店に寄って行きなさいよ。予約入れておくから」

 そう言うとリンダは、服装の割に化粧っ気の少ない顔に艶めかしい表情を浮かべてウインクした。きめの細かい赤銅色の肌に波打つ艶やかな黒髪。大きなアーモンド型の目は琥珀色に輝き、高く通った鼻筋に、厚みのある唇は薔薇色をしている。下手な化粧は彼女本来の美しさを覆い隠すだけでなんの意味もなさないだろう。自分の見せ方を知り尽くしているに違いない。

 カーシュナー以外の男たちが思わず見とれる中、凄まじい剛腕がテーブルに叩きつけられた。周りにいた男たちがビクッと震える。

「うるさいわねえ。静かに出来ないのハンナマリー」

 室内に響いた轟音に欠片も動じることなくリンダが口を尖らせた。

「黙れ。しゃべるな。消えろ。頼むから消えてなくなれ。なんなら私がこの手でこの世から消してやろうか? いや、消そう。今すぐ消そう。一日一善って言葉もあるしな」

 ハンナマリーがどすの利いた声で淡々としゃべり続ける。

「ちょっと! 人を道端のゴミでも片付けるみたいに言わないでくれる?」

 ハンナマリーの様子に、雑用係として来ていたルッツが、不意に激昂したラージャンに遭遇したハンターのように硬直する。放出された殺気が目に見えるのではないかと思えるほど、ハンナマリーの放つ殺気は鋭かったが、リンダはそんなものはどうでもいいと言わんばかりの態度で流している。尋常ならざる胆力だ。

 その態度が余計に癇に障るのか、ハンナマリーのこめかみに太い青筋が浮き上がる。

「口をきかない分道端のゴミのほうがはるかにましなんだよ! カーシュにつまらないこと吹き込むなって何回言わせればわかるんだい!」

「つまらないとは失礼ねえ! 確かにあんたが相手じゃどんな男もつまらないかもしれないけど、私はどんな相手だって満足させるわよ」

「そういう話がつまらないって言ってるんだよ! カーシュの耳がけがれるからとにかく黙れ! っていうか、子供に手を出そうとするな! このド変態!」

 リンダはやれやれと言わんばかりに手を広げると、ため息を吐いた。

「私だって子供になんか興味ないわよ。私はカーシュだから誘ってるの。カーシュならシワくちゃのおじいちゃんだってかまわないわよ。こんないい男に手を出さないなんて、女に生まれた甲斐がないでしょ?」

「あんたの事情なんて知らん! とにかくうちの弟に手を出そうとするな!」

「お・こ・と・わ・り。 てへ!」

「殺す!!」

 椅子を蹴りつけんばかりの勢いで立ち上がったハンナマリーを、カーシュナーとリドリー、ジュザが飛びついて止める。大の男二人と子供一人をぶら下げながら、びくともせずにテーブルを乗り越えようとする。呆気に取られていた他の男たちが慌てて3人に加勢する。

「落ち着け、ハンナ! それとリンダさん。おふざけはその辺にしといてくんねえか。話し合いになんねえだろ」

 リドリーが面倒臭さ全開で抗議する。

「はいはい。わかりました」

 リンダも面倒臭そうに答えるとカーシュナーにウインクしてみせた。それが余計にハンナマリーの怒りをあおる。

 話し合いにならないので、仕方なくハンナマリーを外に出し、ジュザが見張りにつく。

「リド! わかってるね!」

「わかっているから早く行けよ!」

 部屋を去り際にハンナマリーが、カーシュナーにちょっかいを出させるなという意味で念を押した。リドリーが長い鼻を引っ張りながら答える。

「セナートさん、フォロエさん、お騒がせして申し訳ありませんでした。グエンさんも、ご迷惑をお掛けしました」

 リンダ同様テーブルに着いていた他の参加者にカーシュナーが謝罪する。グエンには手を合わせて頭を下げた。ハンナマリーを取り押さえる際に、強烈な肘打ちを顎にくらったのだ。グエンも顎を抑えながら手を上げて応える。

「相変わらず君のお姉さんとリンダ氏は仲が悪いねえ」

 セナートと呼ばれた男が苦笑交じりに言う。

「リンダさんに問題があるんです。いつか刃傷沙汰になりますよ!」

 フォロエと呼ばれた男は、生真面目な視線で抗議しているが、先程までリンダの美貌に見とれていたので今一つ説得力がない。

「ごめんなさいねえ。今度は二人っきりの時に口説くから~」

 かけらも反省していないリンダだった。

 

 カーシュナーはハンターズギルドの協力を得てこの港町を去る前に、溜まった膿を全て除去する計画を進めていた。

 膿を出すためにはその上の肌を切り開かなくてはならず、せっかく膿を出しても、切り開いた傷口をふさがないと再び化膿し、罪悪という名の膿が溜まってしまう。この港町を健全化するために選んだ人材がこの場に集まっていた。もっとも、リンダの言動を見ていると、本当に健全化されるのかと疑問に思わずにはいられない。

 ここは港の倉庫街にあるハンターズギルド所有の倉庫の地下の一室だった。簡素な作りだが、防音処置が施されている。出張所にいたギルド職員の男はこの地下室の存在を知らない。とある商人の屋敷の地下に入口が設けられており、ハンターズギルドが王国の目を避けて会合などを開く際に利用されている部屋だ。

 ここに集まっているのは、かつて都督軍で部隊長を勤めていたセナートと、前都督のもとで行政を取りまとめていたフォロエ、そして到着早々騒ぎを起こした娼婦街の一番人気リンダの3人だった。

 セナートは海賊組織の都督府襲撃の際に行政職員を守り、無事都督府から退避させたが、敵前逃亡をした別の部隊長の策略により失脚させられた人物である。

 フォロエは前都督の任期中に行政を取りまとめていた人物で、前都督の信認も厚く、高い能力と真面目な仕事ぶりで、30代の若さで前都督府のナンバー2にまで上り詰めたが、現都督赴任後はその真面目な性格が災いして閑職に遠ざけられている実力者である。

「しかし、驚きです。計画を聞かされたばかりだというのに、こんなに早く娼婦街の組織を壊滅して支配下に置いてしまうとは、リンダさんはいったい何者なんですか?」

 セナートが心底感心して言う。

「何者かは内緒よ。いい男でいたいなら女の秘密を知りたがったりしないことね」

「これは失礼した。詮索するつもりではなかったのだが、海賊組織程ではないにしてもそれなりの勢力を誇っていた連中をたった一晩で壊滅させた手腕があまりに見事なものだったので、つい…」

「私も是非お聞きした! もちろんリンダさんの秘密ではなく、どうやって今まであなた方を支配していた組織を壊滅させたかをです!」

 フォロエも興奮気味の口調で尋ねてくる。

「そんな大袈裟なものじゃないわよ。元々カーシュちゃんたちに負けてからは組織なんてガタガタで、幹部同士でいがみ合って崩壊寸前だったのよ」

「それでは何故今まで連中をのさばらせておいたのですか?」

「海賊組織の連中に好き勝手させないためよ。都督軍は全然守ってくれないから、用心棒代わりに置いておいたの。それと、経理としては役に立っていたしね」

 都督軍に所属しているセナートが情けない顔で頭を下げる。

「セナートさんが謝ることないわよ。どっちかって言うと、偉そうにうちらの上前はねている役人連中の方がムカつくわ」

 そう言ってリンダはフォロエを一瞥した。閑職に追いやられ、贈賄の汚職を防ぎようのないフォロエは、同じ行政職員としておおいに恥じ入り、セナート同様情けない顔で頭を下げた。

「いい訳にしかなりませんが、私にかつての権限さえあれば、こんな腐敗は許さなかったのですが…。本当に申し訳ありません」

「そうやって娼婦に頭を下げられるんだから、それだけで上出来よ。見下しながらうちらを利用する兵士や役人ばかりだからねえ。まあ、こっちも商売でやっている以上文句は言わないけどね」

 二人の男を楽しげにやり込めているリンダの姿を見て、リドリーは「ドSだな~」と思ったが、口には出さなかった。下手なことを言って、カーシュナーが後で意味を知りたがったりしたらハンナマリーにぶち殺されるからだ。

「それに、カーシュちゃんが用意してくれた危ない薬のおかげね。あれがびっくりするくらい効いて、あっという間に同士討ちが始まったから仕事が楽だったわ」

「危ない薬?」

 セナートとフォロエが同じ疑問を口にする。

「海賊組織の首領が扱っていた禁制品から作られる幻覚剤です」

 リンダに代わってカーシュナーが説明する。

「幻覚剤には詳しくないが、同士討ちをさせるような効果はないのではないかな?」

 セナートがさらなる疑問を口にする。

「そうです。幻覚剤の本来の効果では同士討ちなどさせられません。ですが、その副作用を利用すれば可能になるんです」

「中毒性以外に副作用があるのですか?」

「はい。この副作用こそが、この薬物を禁制品にしたんです」

「危険なのかね?」

「確かに効果そのものも危険ですが、王家にとってもっとも危険な作用があるんです」

「王家に?」

「この副作用は人の反骨精神に強く働き掛けるのです。不当な扱いに対する反発。抑圧への抵抗といった反抗の意思を刺激するんです」

「なるほど、王家が禁制品にするのも頷けますね。内乱のいま、この幻覚剤が王国軍にひろまれば、反旗を翻した王国軍によって、王家など簡単に滅ぼされてしまうでしょうな」

「これを派閥争いで勢力的に劣る幹部の部下たちに使用したんです。ついでにリンダさんたちに男としてのプライドを思いっきり煽ってもらいました」

「…なるほど。元々不満が溜まっていたのだから同士討ちを始めるのも当然だな。誰か一人の忍耐が尽きればそれまでだったということか。しかし、つくづく思うよ。君は敵に回したくないとね」

 セナートの言葉にフォロエも頷く。カーシュナーは困ったような笑顔でそれに応じた。

「何言ってんの二人とも。本番はこれからだし、感心してばかりいないで、しっかり働いてもらうよ」

「お任せいただきた。これまで家族を養うためとはいえ、多くの非道に目を背けてきました。私は卑怯者になりたくて兵士になったのではない。民衆を守るために兵士になったのです。この港町の状況を変えるためなら、私は今度こそ命を懸けて戦う所存です」

「気持ちは私も同様です。私にはセナート殿のように剣を持って戦うことは出来ませんが、不正によって腐敗した行政を立て直し、この港町にかつての治安を取り戻してみせます」

「私はお二人みたいなかっこいいセリフは言えないけど、弱い女が泣きを見ないですむように、娼婦街を管理してみせるわ」

 3人の言葉にカーシュナーは力強く頷いた。

「それでは今後の作戦を伝えます。まずセナートさん。あなたを失脚させて都督軍守備隊長の座に就いた男が、都督府行政職員と都督軍兵士が海賊組織と繋がりがあるという膨大な数の証拠を入手します。先にその人物リストをお渡ししておきますので、けして取り逃がさないようにしてください」

 リストを受け取ったセナートは一読するとリストをすぐにカーシュナーに返した。

「覚えた」

「助かります」

 リストを受け取ったカーシュナーは照明用のランプに近づくと覆いを外し、リストに火をつけた。燃えやすい素材で出来ていたため、すぐに燃え尽きる。

「フォロエさんは都督と海賊組織の構成員が全員拘束されたら、セナートさんと連携して王国軍への引き渡しと、行政の立て直しに着手してください」

「了解した。混乱に乗じて不正を働くものが出ないようにしっかり管理しよう」

「よろしくお願いします」

 フォロエを見つめるカーシュナーの視線には深い信頼があった。そこに笑顔が加わると、フォロエは自分の中に不思議な高揚感が湧き上がるのを感じた。

 そんなフォロエの前にリンダが顔を出す。カーシュナーの笑顔を横取りしようとしたのだ。

「リンダさん! あなたという人は、本当に何をしているんですか!」

「だって、フォロエさんってばカーシュに見つめられたデレデレしてるんだもん」

「デ、デレデレなんてしていません!!」

「フォロエ殿。申し訳ないがデレデレしていました」

「!!!!」

「仕方ないって。男に関しては百戦錬磨のこの私だって、カーシュの笑顔にはメロメロなんだから。まだ免疫のないフォロエさんじゃあ惚れるでしょ」

「ほ、ほ、惚れてなどいません!!」

「リンダさん」

 悪乗りしてきたリンダをカーシュナーが抑える。

「惚れるか腫れるかは別として、カーシュナー君に信頼されることの誇らしさは私もわかります。ここに集まっている者は皆、彼の信頼に応えたくて集まっているようなものですからね」

 リンダにからかわれていたフォロエは、セナートの言葉に慌てて頷く。少年趣味などと思われてはと焦ったのだろう。こういうところにもフォロエの真面目さがうかがえる。

 カーシュナーは最後にリンダをじっと見つめた。リンダが大袈裟にまつ毛をパチパチさせて見つめ返す。

「リンダさんは思う通りにしてください。突発的な暴力にだけは気をつけてください。弱い女性たちが泣かずに暮らしていくためにはあなたが必要なんです」

「私はカーシュに必要とされたいんだけどなあ」

 カーシュナーは苦笑した。この人には敵わない部分が多すぎる。

「あてにしていますよ」

「まかせといて~」

 

 

 動き出していたカーシュナーの計画は、海賊組織が扱っていた禁制品の正体を掴んだことで一気に加速した。

 海賊組織がねつ造した証拠により、娼婦街組織と結託してカーシュナーたち難民を虐げた役人と兵士は捕えられた。彼らは無実を訴えたが、都督と共に娼婦街組織から賄賂を受け取っていた事実が彼らの強欲ぶりを自ら証明していたため、都督は彼らの言葉に耳を傾けることはなかった。彼らの処遇は守備隊長の進言により即日処刑されることになった。

 この時守備隊長の腹の中では、主だった行政役人が排除されることで空席となる役職を文官に転じることで手に入れ、都督に次ぐナンバー2の地位を手に入れようと画策していた。そのために即日の処刑を、裏切りの怒りで冷静な判断力を失っている都督の気が変わらないうちに提案、実行したのだ。

 しかし、守備隊長の行動は、カーシュナーに読まれていた。

 カーシュナーが排除したかった都督府側の人間を守備隊長に全て処刑させ、最後に守備隊長の海賊組織との繋がりを証明する証拠をセナートの手によって提出させた。

 守備隊長はこれをセナートによる陰謀だと訴えたが、フォロエによって海賊組織襲撃の際の敵前逃亡と、それを隠匿するためにセナートを貶めた事実を暴かれ、逆上して剣を抜いたところをセナートにより一刀のもとに切伏せられた。

 都督府の掃除を終えたカーシュナーは、海賊組織の幹部たちと構成員を都督府の要職につけるためと称して都督府に集めて宴を催した。

 指示通りにねつ造した証拠によって都督府の行政役人と兵士が処刑されたことで、計画が半ば成功したと確信した幹部たちは、疑うことなく都督府に集まった。処刑終了後ただちに都督府に入り、行政機能を支配下に置くようにと指示を出されていたため、むしろこれからが本番と考えていた。

 しかしここで、かねてからの懸案であった都督府内の裏切者が一掃されたことを記念して、盛大な宴が催された。その席で、幹部たちは今回の証拠発見の経緯を都督に説明した。

 都督に対する反抗勢力を一掃するための計画だったと告げたのだ。当然証拠ねつ造の事実など告げない。自分たちと通じ、都督を裏切っていた者たちを、都督のために排除したように見せかけたのだ。そして自分たちは行政機能が麻痺しないために都督を支援するために来たのだと説明した。

 海賊組織の組織力に恐れをなしていた都督は、この説明を受けて改めて震え上がった。自分は完全に彼らの掌の上で踊らされていたのだ。

 都合のいいウソを信じて青ざめている都督を見て、幹部たちは笑いをこらえるのに必死だった。

 そこに、都督の密偵から報告が入った。父と兄たちが反乱軍に捕らえられ、処刑されたと。

 この報告に、都督はもとより、幹部たちも驚いたが、表面には出さず、都督に対して余裕たっぷりにうそぶいてみせた。

「商会の長、就任おめでとうございます。都督府のことはわれらに任せて、明日にでも荷物をまとめて商会にお帰りください。代わりの都督はもうすでにこちらに向かっているでしょう。これからお互い忙しくなりますな」

 内心首領の行動の速さに舌を巻きながら、幹部たちには笑った。そんな幹部たちにつられて、都督は頬をひきつらせながら一緒に笑った。

 そして夜が明けて海賊組織と都督は愕然とすることになる。

 身体にあれ程ため込んだ酒気が一気に吹き飛ぶ。

 彼らは目が覚めた時、縄を掛けられ捕らえられていたのだ。

「おはようございます。前都督殿」

 フォロエが目覚めた都督に声を掛ける。

「なんだこれは! どういうつもりだ! 今すぐこの縄を解かんか、この無礼者が!」

「それは致しかねます。海賊組織構成員殿」

「!!!!」

「ご安心ください。あなたが海賊組織の構成員として裁かれることはありません。あなたの身柄はお父上に引き渡されることになります」

「ど、どういうことだ! 何がどうなっておるのだ! 父上は死んだのではないのか!!」

「何の話でございましょうか? お父上なら今朝方こちらにご到着されましたよ」

「!!!!」

 都督は声にならない悲鳴を上げると泡を吹いて卒倒した。

 

 

 カーシュナーの全体の計画はこうだった。

 海賊組織、娼婦街組織、都督府及び都督軍内の犯罪組織内通者、これら全ての人間の排除と、港町の秩序回復である。

 まず、首領からの指示を装って都督を組織に引き込む。

 娼婦街組織、スラム街へは新しい人材を向かわせると偽り、海賊組織には都督府攻略に専念させて娼婦街組織の混乱への介入を阻止する。

 排除する人物のねつ造証拠を作成し、守備隊長に入手させる。

 処刑により空席となった役職に就き、都督府の行政機能を支配下に置くように指示を出し、都督府におびき寄せたところを一網打尽にする。

 娼婦街組織は、幻覚剤を利用して不満を一気に爆発させて内部抗争を誘発し、生き残りを討伐して組織を壊滅する。

 秩序回復のために、都督府の人事権を手に入れる。

 そのために、都督の実家の商会の力を利用する。

 海賊組織による禁制品密輸の事実と顧客リストの提示で商会の王国内での権力の強化を提案するとともに、実の息子が海賊組織の構成員である事実の公表をネタに脅迫する。

 内乱状態の王国内において、反乱の意志を刺激する禁制品を使用した幻覚剤の国内への持ち込み及び使用は反逆罪に匹敵する重罪であるため、商会としては顧客リストを盾に多くの貴族を従属させらる反面、都督が海賊組織の構成員であるという事実が商会全体の反逆を問われかねない危険性を秘めていた。

 そこで都督を商会に引き渡し、海賊組織の構成員である事実をもみ消す見返りとして、新たな都督の人事権を要求した。

 商会にとっては元々落ちこぼれの息子を遠ざけるために金で買った地位でしかなく、惜しむ理由などなかったため、この要求をのみ、交渉は成立した。

 これからしばらくの後、フォロエが都督に就任し、セナートは都督軍軍隊長に就任することになる。

 

 都督と海賊組織の構成員全員が都督府にて捕らえられたころ、水平線から顔を出したばかりの朝日を浴びながら、カーシュナーは夜の名残りの中に浮かび上がった港町を見渡していた。

「お前さんにしか出来ん大仕事を成したな」

 カーシュナーの背中にギルドマスターが声を掛ける。

「ボクがしたことなんて些細なことです。実際に行動してくれた人たちのおかげです」

「うんむ。確かに行動した人々の功績は大きいじゃろう。しかしな、お前さんがおらなんだら、誰も何も出来なかったじゃろう。謙遜などせんでいい。ドンと胸を張れい!」

 ギルドマスターはそう言うと、カーシュナーの背中を叩いた。

「じいちゃん、うちの弟に手荒なことするなよ!」

 それを見たハンナマリーが口を出す。

「馬鹿もん! 気合を入れてやっただけじゃい!」

 すかさずギルドマスターが言い返す。

 元気な竜人族の老人を見てハンナマリーは苦笑し、カーシュナー同様港町を見渡した。

「本当はこの手でみんなの敵を討ちたかったなあ…」

「馬鹿を言うでない! お前さんたちにこれ以上人を殺めさせんためにカーシュナー君はこの計画を立てたんじゃろうが!」

「…わかってるよ。でもさあ、きれい事だけじゃあ浮かばれない想いもあるんだよ」

「仮に敵を討ったとしても、浮かばれるものなんか何もありゃせんわい! 咎の重石が沈むだけじゃ!」

「…そうだね」

 港町を見つめるカーシュナーたちに、ギルドマスターは港中に響くような大声を張り上げる。

「いつまで後ろを眺めておるつもりじゃ! 前を向け! 海の向こうを見つめんかい!」

「朝日が眩しくて無理」

「ジュザ! 話の腰を折るでない! わしゃ今かっこいいことを言おうとしていたんじゃ!」

「それ言ったら台無し」

「お前が台無しにしたんじゃ!」

 カンカンに怒るギルドマスターをカーシュナーがなだめる。

「それより、どうするんじゃ? わしの提案を少しは考えてくれたのか? 他のもんはお前さんについて行くと言うておるんじゃからそろそろ決断せい!」

「はい。もしご迷惑でなければ、お世話になりたいと思います」

「迷惑なもんかい! わしゃ嬉しくて踊りだしたい気分じゃ!」

 ギルドマスターはそう言うと、本当に踊りだした。

「猿回し」

「誰が猿じゃあ!!」

 ジュザの一言にギルドマスターがぶち切れ、杖を振り回して追いかける。

 逃げ出したジュザが停泊している船に逃げ込む。その後を追ってカーシュナーたちも船に乗り込んだ。

 流血と狂気の過去と決別し、カーシュナーたちスラム街の住人達は、大陸辺境ではなく、人類未踏の地、南の大陸へと旅立つ。後々まで彼らは、今日の選択を誇らしげに語るのだった。自分たちは偉大な英雄と共に人類の新たな歴史を切り開いたのだと…。



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王立古生物書士隊新人隊員、ファーメイとの出会い?

 --時は戻って新大陸。

 

 未知の甲虫種の捕獲に成功した調査団一行は、港跡地に上陸した。

 まったく未知数の大型モンスターを相手に、無傷の完全勝利を収めての上陸はお祭り騒ぎであった。カーシュナーの機転で捕獲せず、討伐まで戦っていたら撃龍船かハンターのどちらか、下手をすればその両方に被害が出ていた可能性があるだけに、喜びもひとしおであった。

 そんな中、もっとも大はしゃぎしたのが、王立古生物書士隊の元隊長である。

 シェンガオレン並の巨体のため陸上に引き上げることが出来ず、やむなく海中に潜って調べることになったのだが、若手の書士隊員よりも先に海に飛び込んでいた。高齢のため背中は丸まり子供よりも小さくなってしまった身体で、海中を自在に泳ぎ回っている。カーシュナーが飛び込んだ海域よりもかなり南下しているため、水温はかなり低いはずだが、なんともないようだ。

「海猿」

 この様子を見たジュザがぼそっと呟く。そばにいたギルドマスターがこれを聞き、腹を抱えて大笑いする。

「上手いこと言いよるのう。確かにあれでは新種のモンスターか、珍獣じゃわい。泳いでる猿は見たことがないが、きっとあんな感じじゃろうて」

 自分が猿呼ばわりされると怒るが、他人が猿呼ばわりされる分にはかまわないらしい。むしろ喜んですらいるようだ。竜人族の老人はクセのある人物が多いが、ギルドマスターも負けてはいない。

「貴様ら! 聞こえんとでも思ったか! 二人して人を猿扱いしおって! 後で覚えておれ!」

 海面から顔を出した隊長が怒鳴りつける。ジュザとギルドマスターは顔を見合わせ舌を出した。

「逃げよう」

「うんむ。けっこう本気で怒っておったのう。しばらく近づかんでおこう!」

 二人は声を上げて笑いながら逃げて行った。

 

 港町から新大陸を目指す航海の旅は、スラム街から調査団に参加した人々に大きな変化をもたらした。

 彼らを苦しめていた最大の原因は仕事不足だった。港町が正常に機能する範囲を超えて多くの難民が戦乱を避けて避難してきたため、何もかもが不足していた。働く意思も能力もあるのに、それを生かす場がなかったのだ。

 カーシュナーが娼婦街そのものを壊滅させずに残したのは、本人が進んで選んだ仕事ではなくても、すでにそこが生活の起点になってしまっている人々から生活の糧を得る手段を奪わないためだった。ハンナマリーなどは建物を含めた全てを破壊しようと主張していたが、潔癖なだけでは生きてはいけない環境だったのだ。

 調査団に参加した彼らには多くの仕事が待っていた。労働に見合う正当な報酬と共に。

 険しかった表情は日ごとに明るさを増し、笑い声が増えて行った。港町では不当な暴力を警戒しながら、息を潜め、身を潜めて生きてきた彼らにとって、陽の光を存分に浴びて暮らす生活が、彼らに纏わりついていた混迷の時代が生み出した狂気を浄化してくれたのかもしれない。

 彼らが港町で味わった苦渋の数々を聞いた調査団の面々は、彼らの変化を、当人たち以上に喜んだ。当初参加予定のなかったグエンも、ギルドマスターに無理を言って急遽参加していたが、ルッツやその妹のリンが楽しそうに過ごすのを、まるで父親のように嬉しそうに眺めていた。

 カーシュナーとその姉のハンナマリー、二人の親友、リドリーとジュザも変化していた。

 カーシュナーだけではないが、ギリギリの生活を送っていた彼らは全員ひどくやせていた。グエンなどはさして上手くもない携帯食料を本当に美味しそうに頬張る姿を見ていたので、とにかく食べさせた。小さな子供も含めて全員食べる分以上に働くので、ハンターから船員にいたるまで、みな快く食料を提供した。

 そのおかげで、枯れ木のようだった彼らの身体は瞬く間に一回り大きくなった。

 ハンナマリーとリドリー、ジュザの3人は、一回り大きくなったことで戦士の風格が増していた。G級のハンターたちも、おそらくケンカになったらこの3人には敵わないだろうとその実力を評価していた。ハンナマリーは圧倒的に、リドリーはさりげなく、ジュザは抜身の刃物のように、百戦の気を纏っていたからだ。

 カーシュナーはこけていた頬がふっくらとし、海の湿気でクルクルと巻いた頭髪も相まって、微笑むと天使のような姿へと変わっていた。

 これまでスラム街の住民の精神的支柱を、その幼い肩で担ってきたカーシュナーは、その重すぎる荷を下ろしたことで、歳相応の少年らしさを取り戻していた。

 カーシュナーの変化がハンナマリーとリドリー、ジュザの三人にも影響し、彼らも肩ひじ張らず、素直に周囲の大人たちに馴染んで行った。

 その中でもジュザとギルドマスターは特に親しくなった。知らない者が見ると、ギルドマスターが癇癪を起してジュザを追い回しているようにしか見えないが、最後には二人して笑っていた。家族を失ってからは声に出して笑うことなどカーシュナーたちの前以外ではなかったジュザは、始めは自分が笑っていることに戸惑っていたが、何も語らず、それでいて理解の色をたたえた目で一緒に笑ってくれているギルドマスターに、心を開いていった。

 

 隊長に怒られて逃げ出した二人は、朽ちて久しい井戸とおぼしき物の前で調合師ギルドのメンバーとチヅルの船の若い竜人族の船医が顔をしかめている現場に合流した。井戸の向こう側にいたリドリーが、ジュザとギルドマスターに気づき声を掛ける。リドリーの声で二人の存在に気づいた調合師の長が、ギルドマスターに手招きする。

「お前さんひまそうじゃのう。ちょっとこの穴に潜ってくれんか」

 調合師の長が、かたわらの積み石の崩れた穴を指しながらギルドマスターに頼む。

「なっ!! 何を言っているんですか! いま水からど…」

 慌てて口をはさむ船医の口を、調合師の長が文字通り手でふさぐ。

「余計なことを言うでない! 適当におだててやれば喜んでやるんじゃ…」

 ギルドマスターは、船医に小言を言ってる最中の調合師の長の肩をむんずと掴むと無理やり振り向かせ、ラ-ジャンそっくりの形相でにらみつけた。

「誰が、何を、適当におだてればやるじゃと?」

 調合師の長は一切ギルドマスターとは視線を合わせず愛想笑いを浮かべてごまかそうとしたが、ギルドマスターの目が、今度はナルガクルガのように赤く輝くのを見て観念し、本当のことを話した。

「ど、毒が検出されたんじゃよ! わしらは目下水不足に悩まされたおるから、原因を早急に調べたかっただけなんじゃよ!」

「毒じゃと! 貴様、そんなところにはガスも充満しておるかもしれんではないか! うっかり入って行ったらイチコロじゃろうが!」

「じ、じゃからお主に頼んだんじゃろうが」

「どういう意味じゃ!」

「この中でお前さんが一番惜しくない…」

 言葉の途中でギルドマスターは調合師の長の首を絞めて黙らせた。

「やりすぎですよ、ギルドマスター! 確かに調合師の長も正直に言い過ぎですけど…」

「正直に言い過ぎとはどういう意味じゃ! お前さんも絞められたいのか!」

 こちらも正直に言い過ぎてしまった船医がギルドマスターの真紅の瞳ににらまれて言葉を飲む。

 怒り狂っているギルドマスターの肩をジュザが叩く。

「止めるでない! ジュザ! このじじいに引導を渡してやるんじゃ!」

「もったいない」

「このおじいちゃんを穴に入れればいい」

 どうせ引導を渡すなら、有効利用しようとジュザは提案したのだ。

「なるほど! お前さん冴えとるのう。よし、ロープを用意せい。括り付けて叩き落としてくれるわい!」

 この後、悪ノリしたリドリーとジュザが、泡を吹いてのびている調合師の長に、本当にロープを巻き付けている途中で調合師の長が目を覚まし、暴走したゲリョス顔負けの勢いで大騒ぎしたため、調査のために散っていたハンターや手の空いている者が全員集まってしまった。

 事の次第を聞いた行商ばあちゃんが呆れて二人の竜人族の老人を叱りつける。ついでに、悪ノリしたリドリーとジュザもお説教を受けるはめになった。

「毒は致死性の強いものですか?」

 行商ばあちゃんに4人が叱られている隣りで、カーシュナーが船医に尋ねる。

「いや、水で薄められているからそこまで強いものではないんだけど、ここで検出されたものはランゴスタなどにみられる麻痺系の毒で、少し離れた井戸ではゲリョスやガブラスなんかにみられるダメージ系の毒が検出されたんだよ。普通こんなことはあり得ないんだけどね」

「シロちゃんは何か知ってる~?」

 リドリーたちがお説教されているのを面白そうに眺めていたチヅルが、カーシュナーたちの会話を耳にし、隣りにいた白い獣人に尋ねる。

「ごめんね~。知らないの~。地表に溜まって~、腐った水が~、毒を持つならわかるんだけど~。この辺りは大地の浄化作用が強いから~、地下水が毒を持つなんて~、あり得ないの~」

 二人の会話にうんざりしながらも、船医はこの情報から一つの結論に達した。

「つまり、地下に浸透した後で複数の毒に汚染されているってことですね」

「そう考えると~、納得できるの~」

 白い獣人も船医の意見に賛同する。

 カーシュナーは周囲を調査していたハンターたちに、周囲の状況を細かく確認してまわった。

 どうやらここは、港を中心とした都市国家であったことが推測された。カーシュナーたちが海底大地震による災害後に身を寄せていた港町の優に10倍はあろう大都市である。もっとも、いまでは緩やかな登り傾斜で広がってく視線の先で、崩れ残った僅かな建物の壁が、植物の群れに飲み込まれながら、申し訳程度に顔をのぞかせているだけだった。

「毒が湧いたせいでこの都市は滅んじまったのかな?」

 グエンが自分の調査結果をカーシュナーに説明しながら尋ねてくる。

「それはないと思います。この土地は毒が湧く条件を何一つ備えていませんから」

「でも、実際に毒は湧いているぜ? 未知の大陸だ。オレたちには及びもつかない地下深くで、毒の地底湖みたいなものに繋がっちまった可能性もあるんじゃないか?」

 グエンにしては珍しく、少し考えた発言をする。そのことをチヅルに指摘され、グエンは苦笑した。

「人をババコンガか何かみたいに言わんで下さいよ~。カーシュナー君が考える材料を少しでも多く提供しようとがんばっているんですよ~」

「それはいいことなの~。でも、本気で思ってる?」

「まさか! 井戸まで浸透するくらいなら、周りにわんさか茂っている植物がこんなに瑞々しい訳ないじゃないですか。間違いなく毒を吸い上げて禍々しい感じの、沼地の植物みたいになっていますよ」

「確かに~。どう考えても不自然なの~」

 一同が考え込む中、カーシュナーが誰にともなく尋ねる。

「これだけの規模の都市なら、地下水道が整備されていた可能性はありませんか?」

 船医が首をひねりながら答える。

「これだけの規模の都市が、ここまで自然界に飲まれるには、100年や200年じゃ無理だから、おそらく500年以上は経っているはずだと思うんだ。この都市が建造されたのはそれよりも前になるから、下水道や上水道の整備なんてまだ行われていなかったんじゃないかな?」

「そうですよね…」

「もしかして、何か思いついたのかい? だったら遠慮しないで言いなよ」

 グエンが考え込むカーシュナーを促す。

「夢みたいな話なんですけど、いいですか?」

「おうとも! どうせ誰もいい考えなんて思い浮かんでいないんだから、どんどん言いなよ!」

「それじゃあ話しますけど、まず、地下水道が整備されていると仮定します」

 カーシュナーの周りにいつの間にか人垣が出来る。ついさっきまでギルドマスターたちが、行商ばあちゃんに怒られるのを面白そうに眺めていたハンターやそれ以外の調査団のメンバーが、カーシュナーたちの会話に魅かれて集まったのだ。行商ばあちゃんもお説教を中断してカーシュナーの言葉に耳を傾ける。

「これだけの大都市の地下水道ともなれば、それはもう迷宮といってもおかしくない規模だと考えられます。また整備などの面から考えても、人間が十分動き回れるだけの広さを持っていると思います」

 グエンが真剣な表情で頷く。

「加えて、どう考えても毒が湧く自然環境下にないにも関わらず、複数の種類の毒が検出されています」

 周囲に集まった人たちも、面白半分に聞いていたはずが、固唾をのんで聞き入っている。

「毒は何者かによって、都市の地下に持ち込まれているのではないでしょうか? いまこの瞬間も」

「こえーよ、カーシュ! そういうのやめ……」

 リドリーが身震いしながら言いかけたその瞬間、井戸の底から、野太い生き物の警戒するような鳴き声が響いたのであった。

「きぃいやあああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」

 その直後に上がったチヅルの悲鳴に、全員が背中をビクッと震わせ、心臓が10拍ほど停止したのであった。

 

 

 全員が瞬間の仮死状態から復活すると、チヅルに抗議が殺到した。

「こりゃ! チヅル! あんたワザとやったね!」

「空気読んで下さいよ! ふざけていい場面じゃないでしょ!」

 行商ばあちゃんが怖い顔で詰め寄れば、船医もこめかみに青筋を浮かべて文句を言う。

「ちょっと待った! ギルドマスターと調合師の長の二人が息してないぞ!」

 抗議に混じってグエンが慌てて叫ぶ。

 そんな混乱をしり目に、チヅルは泣くほどの勢いで腹を抱えて笑っていた。

「あ~びっくりした」

 カーシュナーが大きな翡翠色の目をいっぱいに広げて呟く。頬がふっくらしたおかげで少女のような顔立ちになったカーシュナーは、何気ない仕草が抜群に可愛くなった。チヅルの悪ふざけに怒っていた人たちも、カーシュナーのびっくり顔に癒され、落ち着いていく。

「驚きの癒し効果」

「まったくだ。港町を出てから、存在感による癒し効果が増してく一方だな」

 ジュザとリドリーが顔を見合わせる。

「私の弟だからな」

 ハンナマリーが胸を反らす。

「いや、ハンナの弟って意味なら、癒し効果はないはずだぞ」

「どういう意味だよ!」

「ハンナに癒し効果ないから」

「あるだろ!」

「どこに?」

 リドリーとジュザが揃って首をかしげる。

「てめえら!」

 ハンナマリーがリドリーとジュザを追い回しているかたわらで、カーシュナーは自分の中にある引っ掛かりを捉えようと思案していた。いまのこの状況にではなく、この状況に関連している何かだ。

「モンスターかはまだわからないけど、毒に汚染された井戸の奥に何かがいるのは間違いないな。オレは正直カーシュナー君の推測が的中していると思うぜ」

 グエンの言葉にチヅルも賛同する。

「そうだね~。複雑な地下水道があって~。しかもそこに~、毒を持ったモンスターがいるのが~。一番最悪なの~」

「そうっすよ。とりあえず、最悪の事態に備えて行動しましょう」

 そこに船医によって蘇生したギルドマスターが、チヅルを杖で軽く小突いてから話に加わる。

「痛いな~」

「やかましい!! お前は後で説教じゃ! それよりも、お前さんらの言う通り、ここは最悪の状況を想定して行動せねばならん。ハンター1パーティに王立古生物書士隊員か古龍観測所職員を1名同行して、地下への入口を探すんじゃ! 見つけたらまず報告。決して先走るでないぞ! ここはハンターズギルドに管理された狩場ではないということを、肝に銘じて行動するんじゃ!」

 ギルドマスターの指示が飛び、超一流のハンターたちが迅速に行動に移る。王立古生物書士隊員と古龍観測所職員たちは、指示される前に同行するパーティを見つけて散って行った。

 その場に残ったのは、護衛担当のハンターたちと、新人ハンターであるカーシュナーたちだけだった。

「よし、わしらは一旦船に戻るぞい。護衛が散ってしまうと一般職の連中の守りが手薄になるからのう。カーシュちゃんたちは装備が整うまでは無理をするでないぞ」

「わかってる。私等も護衛かい?」

「そうじゃのう。とりあえずわしらと…」

「みんな来て!」 

 ギルドマスターの言葉を遮って、カーシュナーが突然走り出す。少女のような顔立ちが、いまは厳しく引き締められて、男の顔になっている。

「やばいのか、カーシュ?」

 カーシュナーの行動に即座に反応してついて来たリドリーが尋ねる。ハンナマリーとジュザも当然ついてきている。

「港湾都市の地下水道なら、間違いなく海に繋がってる」

「そりゃそうだ。地下水道の出口を見つけて入ろうってのか? いいアイデアだけど、血相変えるほどのことか?」

「いま港には、捕獲したモンスターを調べるために王立古生物書士隊のおじいちゃんたちが潜っているんだよ」

「!!!!」

「万が一地下水道があって、そこにモンスターが生息していたら、ボクたちの上陸に気がついたモンスターが縄張りを守ろうとして攻撃してくるかもしれない!」

 ハンナマリーが、戸惑っているギルドマスター一行にカーシュナーの推測を大声で伝える。

「いかん! あやつらのことをすっかり忘れておった! カーシュちゃんや! とりあえず安全が確認できるまであやつらを陸に上げておいてくれ!」

 ギルドマスターの声が背後で響く。捜索に向かったハンターのパーティを何組か呼び戻すようにと指示する声も聞こえてくる。

「三人とも気合入れていくよ! 正直嫌な予感しかしないからね!」

「さっきの鳴き声も仲間に警告してたっぽいよな」

「同感」

「ボクもそう思うッスよ!」

 ハンナマリー、リドリー、ジュザの会話に、もう一人の声が加わる。もちろんカーシュナーではない。

「誰!!」

 4人の声が見事にハモる。

「いやあ、実は以前からみなさんには興味があったんッスよ! でも、なかなか話しかけるタイミングがなくて…」

 そこまで言うと声の主は4人を抜き去り、前に出た。そして、くるりと振り向き、驚いたことに後ろ向きに走りながら自己紹介を始めた。

「ボクは王立古生物書士隊の新人隊員、ファーメイっていうッス!仲良くしてほしいッス!」

 状況がわかっているのかと疑いたくなるくらいほがらかにあいさつをしてくる。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 カーシュナーも厳しく引き締めていた表情を緩め、笑顔であいさつを返す。

「おおっ! これが噂のカーシュナー君スマイルッスか! 確かにこれは絶対無敵の可愛らしさッス! 近くで見ると本当やばいッスね!」

「そうだろ! ファーメイさんだっけ? あんたわかってるねえ」

 弟を褒められたハンナマリーがにやける。

「ボク18歳なんでみなさんより少しだけ年上ッスけど、さんづけしなくていいッスよ! 呼び捨てか、ファーって呼んでほしいッス!」

「ハンナもカーシュもちょっと待て。いきなり打ち解けてるけど、その前に片付けときたい事があるだろ」

「えっ?」

 ハンナマリーとカーシュナーが小首をかしげる。

「ファー、足早過ぎ」

 ジュザが代わりに指摘する。

 これまでの会話の間も、彼らは全速で駆けていた。そしてその間、ファーメイはずっとバック走のまま4人の前を走っていたのだ。

「ボク防具装備していないッスから! その分軽いんッスよ!」

「オレらだって防御力5の服みたいな装備だぜ。むしろ大荷物背負ってるファーメイの方が重いだろ」

 ファーメイの背中には、5日は野外生活が出来そうなほどの荷物が背負われている。武器と防具のみで、アイテムポーチがほぼ空のカーシュナーたちの方がおそらく軽いはずだ。

「なんでそんなに足早いんだよ? もしかして竜人族なのか?」

「違うッスよ! ほら、耳とんがってないっしょ!」

 そう言ってファーメイはぼさぼさの髪をかき上げて片方の耳を見せた。

「どうッスか? けっこうセクシーッスか?」

「…ファーメイってもしかして女なのか?」

 リドリーが眉をしかめながら尋ねる。

「あああっ! ひどいッス! また男の子と間違われたッス!」

 寝ぐせだらけでぼさぼさの黒髪、真っ黒に日焼けした肌。髪と同じ黒い瞳に極端に下がった目尻。鼻筋は通っているが鼻の頭は丸くそばかすが散っており、大きな口と相まって愛嬌のある顔をしている。背丈は女性であることを考えれば、少し高めの170cm強である。丈夫そうな作業服の上下に包まれた体は、女性であることを考えれば、かなり凹凸の少ないスリムな体型をしている。正直な話、外見だけで見れば男女の区別がつきにくい見た目をしている。

「その口調がいけないんじゃねえか?」

 どう間違っても人様の事など言えない口調でハンナマリーが指摘する。もっとも、ハンナマリーの場合、どれ程口汚くても男性に間違われるような外見ではないので自覚がないのだろう。

「やっぱりッスかあ! この口調が原因ッスか! 見た目はバッチリなのに、この口調のせいッスかあ!」

「いや、見た目と口調が原因だろ」

「一人称がボクなのがいけないッスかあ!!」

 リドリーの指摘をあっさり無視して、ファーメイが苦悩の叫びをあげる。

「見た目8割、口調2割が原因だって」

 リドリーが逃がさず指摘する。

「リドリーさん! 女の子の見た目をしつこく指摘するなんてひどいッス! 自分だって人間なのか竜人族なのかよくわからない見た目しているくせに!」

 リドリーは顔の上半分が隠れるほど、毛量の多い頭髪を長く伸ばしており、整えてこそいるが、濃い頬髭と顎髭をしている。その毛だらけの顔の真ん中から竜人族顔負けの長く尖った立派な鼻が飛び出しており、かなり特徴的な顔立ちをしている。

「悪かったよ。怒んなって。でもなんで自分のことボクなんていうんだよ?」

「子供のころからのくせッス!」

「直さないのか?」

「いまさら自分のこと「わたし」とか「わたくし」とか、気持ち悪くて言えないッスよ!」

「じゃあ、諦めろ」

「リドリーさん冷たいッス!」

「オレも呼び捨てかリドでいいよ。さん付けは、なんか気持ち悪くていけねえ。それより、女なのはわかったけど、本当に竜人族じゃないのか?」

「リドが竜人族じゃないってこと以上にないッス! リドこそ本当に竜人族じゃないんッスか?」

「正直自分でも時々疑わしくなるけど、一応人間だ。そうするとやっぱりとんでもない俊足だな」

「そんなに速いッスか?」

「速い。オレ後ろ向きでそこまでのスピード出せない」

 ジュザが感心しながら言う。

「これでも全力じゃないんッスけど」

「マジか!」

「はいッス!」

「ならひとっ走りして、自分とこの元隊長のじいちゃんに事情を伝えて避難させておいてくれ!」

「まかせてほしいッス!」

「あっ! ちゃんと前向いて走れよ!」

「がってん!」

 言うが早いかファーメイは体勢を入れ替えると一気に加速した。カーシュナーたちをグングン引き離すと、その大荷物を背負った背中があっと言う間に見えなくなる。

「…もしかして、世界で一番足の速い人なんじゃないかな」

 カーシュナーの言葉に、他の3人は大きく頷いた。

 

 カーシュナーたちは、途中で何回かスタミナ切れを起こして足をゆるめたが、それでも一度も立ち止まらずに港跡に到着した。視線の先にファーメイの後姿を捉えた瞬間、4人は事態が最悪の方向に向かっていることを悟った。

 へたり込むファーメイに追いついたとき、4人は目を覆う光景を前にした。

 引き揚げきれなかったモンスターを係留していた場所は、まるで土砂でも流れ込んだかのように、一面淀んだ茶色に染まり、その中にモンスターを調査していた男たちの硬直した身体が浮いていた。当然王立古生物書士隊の元隊長の小柄な体も濁った波に揺られていた。

 ジュザが隊長目掛けて飛び込もうとするのを、カーシュナーが必死でしがみついて止める。

「入っちゃだめだ、ジュザ! 海は間違いなく毒に汚染されているよ!」

「まだ動いている!」

 いつにない大声を上げてカーシュナーを振りほどこうとする。

「動いてる?」

 ハンナマリーとリドリーにジュザを任せて、カーシュナーは隊長を観察した。確かに動いている。しかもそれは意思を感じさせる動きだ。

 カーシュナーは周囲を見回した。海に入ることは出来ない。撃龍船まで戻り、小船で戻ってくるのが一番確実ではあるが、毒では死ななくてもこのままでは窒息死してしまう。浮いている人数は、調査していた人数と合っている。引き上げられればまだ望みはある。

「ファーメイ! 荷物の中を見せて!」

 カーシュナーは仲間が全員死んでしまったと思い、放心しているファーメイから、引き剥がすようにバックパックを降ろすと調べ始めた。

 虫あみにピッケルというハンターの採取クエスト御用達アイテムはもとより、落とし穴やシビレ罠、ペイントボールにブーメラン、また、その調合素材となるアイテム類と、王立古生物書士隊の必須アイテムであるノートと筆記用具、野外生活に必要な肉焼きセットに防水性の高い布、丈夫なロープなどが出てきた。

「いける! リド、手伝って! 姉さんとジュザは周辺の警戒をお願い!」

「カーシュ!」

 ジュザが表情で問いかけてくる。

「任せて! 助けてみせる!」

 カーシュナーの言葉にジュザは力強く頷くと、普段の冷静なジュザに戻り、周辺の警戒に就く。

「オレは何をすればいい?」

「ネットの調合と、落とし穴を分解して可能な限りのネットを用意して! その後、ネットを全部繋ぎ合わせて大きな一つのネットにしてから、石ころとロープを追加で調合して投網を作ってほしいんだ!」

「そんな調合やったことねえぞ!」

「わかってる。でもこの中で成功率が一番高いのはリドだから、何とか頑張って!」

 カーシュナーは信頼に満ちた視線でリドリーを見つめると、ニッコリ微笑んだ。

「お前さんにそう言われちゃあ、もえないゴミには出来ねえな。いっちょやるか!」

「ボクはなぞの骨を繋ぎ合わせて竿を作るよ」

「大丈夫か?」

「調合書もあるから大丈夫!」

 カーシュナーは手早く竿を調合すると、ファーメイに声を掛けた。しかし放心状態が解けないファーメイは、カーシュナーの声に答えない。

「どけ、カーシュ」

 リドリーはそう言うと、近くにあったブーメランを無造作にファーメイに投げつけた。

「ぎゃん!」

 ブーメランの直撃を顔面に受けたファーメイが犬のような悲鳴をあげてひっくり返る。

「いつまで呆けてやがる! シャキッとしやがれ!」

 リドリーの怒声が飛ぶ。

 鼻血を手で押さえながら、ファーメイは起き上がると、状況を思い出し、表情を暗くする。

「ファーメイ! 撃龍船まで全力で解毒薬と漢方薬を取りに行ってきて!」

「…えっ? いや、でも………」

「さっさと行け!!」

「は、はい!!」

 リドリーの再度の怒声にファーメイが飛び上がる。そして撃龍船に向かいかけて振り返る。

「あ、あの、…助かるんッスか、みんな?」

「オレらが上手くやれても、お前がもたもたして間に合わなければ、全員死ぬけどな」 

「!!!! 絶対に間に合わせるッス! たとえ脚が千切れたって間に合わせてみせるッス!」

「カーシュ! 気合い入れてやれ!」

 カーシュナーはファーメイに近づくと、思いきり背中に平手打ちを入れた。悲鳴を上げてファーメイがのけ反る。

「こちらはボクたちに任せてください。でも、本当の意味で助けられるかは、ファーメイ、あなただけが頼りです。お願いします」

 カーシュナーの真摯な瞳に見つめられたファーメイが頬を染める。

「はいッス! 気合い注入ありがとうッス! 行って来るッス!」

 気合十分のファーメイは、一瞬でカーシュナーの前から姿を消した。大荷物を下ろしたことで本来の全速力を出せたからだが、最初の一歩で最高速度に達している。人間の一線を越えた、神速の域である。

 根拠はないが、カーシュナーはファーメイが間に合うことを確信した。後は自分次第だ。ファーメイ以上の気合いがカーシュナーの全身を満たす。

「カーシュ! 出来たぞ! だけど船はどうする? 港からじゃ投網は届かねえぞ!」

 リドリーの疑問に、カーシュナーはある一点を指さした。そこには引き揚げられずに係留されているモンスターがいた。

「!!!! モンスターを船代わりにしようってのか! よくそんな事思いつくな! でもよ、あんなデカブツ動かせるのか?」

「姉さん次第!」

 カーシュナーの言葉の意味を悟ったハンナマリーが、両手で顔面に気合を入れる。並の人間の顔面なら骨折しかねない勢いだ。ハンナマリーはカーシュナーが調合した竿を手に取り、カーシュナーに向かって大きく一つ頷いて見せた。そこに余計な言葉はない。

「ジュザは投網をお願い! リドは港から援護! ボクは一緒にモンスターに乗り込んで投げナイフで同じく援護!」

 カーシュナーの指示が飛び、ハンナマリーが一同を見渡す。

「行くぞ!! 野郎ども!!」

「おおぅ!!」

 ハンナマリーの号令一下、リドリーはクロスボウガンを構え、ハンナマリーはモンスターに飛び乗ると竿を港の石造りの桟橋に当て、力を込める。その間にジュザとカーシュナーの二人はモンスターを係留している鎖を解きに掛かった。

 鎖が解けるのとほとんど同時にモンスターの巨体がゆっくりと動き出す。ハンナマリーは顔を真っ赤にしながら全身の筋肉を震わせて竿に力を込めていた。

 浮力があるとはいえ、シェンガオレン並の巨体である。ここに運ぶにも、途中までは撃龍船で引き、最後には幾本も鎖を掛けてハンター総出で港につけたのだ。本来人一人の力でどうにか出来る問題ではないのだ。それを考えると、ファーメイの俊足が神速の域ならば、ハンナマリーの怪力は、東方神の持つ金剛力の領域である。

 ゆっくりとではあるが、臨時のモンスター船は着実に海面に漂う王立古生物書士隊員たちに近づき、ジュザが即席の投網で次々と救出して行った。

 最後に王立古生物書士隊の元隊長を救出しようとした時、茶色く濁った海中を黒い影が横切り、海面に躍り上がって隊長に襲い掛かった。その数5体。投網と竿を操るジュザとハンナマリーは当然どうすることも出来ない。

 リドリーのクロスボウガンが二度火を吹き、カーシュナーの手が三度ひるがえる。共に狙いは逸れることなく命中する。

 この時、カーシュナーの投じた投げナイフを受けた個体が爆裂した。つい最近なぞの粘菌の解析に成功した王立古生物書士隊が、調合師ギルドと共同で開発した新たな投げナイフ、『爆裂投げナイフ』である。培養したなぞの粘菌と爆薬と投げナイフを調合するもので、調合成功率55%の高難度調合アイテムである。ちなみにいまカーシュナーが手にしている爆裂投げナイフは、誕生日に今まさにモンスターに襲われる寸前だった王立古生物書士隊の元隊長から送られたものだ。隊長はある意味自身の厚意によって救われたことになる。

 ジュザが投網で隊長を引き上げていると、リドリーとカーシュナーに撃退され、一度は海中に逃れたモンスターが2体、再び顔を出す。先ほどの攻撃で学習したのか今度は不用意に飛び掛かっては来ない。代わりに大きく口を開くと、カーシュナー目掛けて毒液を吐きかけて来た。

 カーシュナーは軽く身を捻るだけで毒液をかわすと爆裂投げナイフを投じた。再び爆裂投げナイフを頭部に受けた個体は、おそらく気絶したのだろう。腹を上にして海面に浮かび上がった。もう1体はリドリーのクロスボウガンの一撃を目に受けて海中に逃げ込む。

 浮かび上がったモンスターはブルファンゴ程の大きさで、カエルのような姿をしていた。

「ジュザ! あれも捕獲して!」

 カーシュナーがとっさに指示する。

 隊長を引き上げ終わっていたジュザが、一発でモンスターを捕らえる。

 全員を救出することに成功したカーシュナーたちはモンスター船を桟橋に返し、再び係留すると王立古生物書士隊員たちを陸に移した。

 全員息はあるが、麻痺系とダメージ系の毒を受けており、このままでは体力が尽きて死んでしまうだろう。

 手持ちに薬草すらないカーシュナーたちに出来ることは、モンスターの襲撃に備えることだけで、彼らを救うために出来ることはもはやなかった。後はもう、ファーメイが間に合ってくれる事を祈るしかない。

 程なくして、カーシュナーの根拠のなかった確信が現実になった。ファーメイがはるか手前からブレーキを掛け、所々穴の開いた港の石畳の上を滑って来たのだ。

「持ってきたッス!」

「解毒薬を出してください! 麻痺のせいで漢方薬は飲み込めません! 解毒薬をのどに流し込んでやってください!」

「みんな焦るなよ! ゆっくりと流し込め! 肺に流れ込む危険性があるからな!」

 カーシュナーの指示とリドリーの注意が飛び、ジュザ以外の3人は慎重に解毒薬を隊員たちに飲ませていった。ジュザはツインダガーを構えて周囲を警戒している。

 最後に隊長に解毒薬を飲ませ終わると、一同はようやく一息入れることが出来た。

「…死ぬかと思ったわい」

 しばらくして麻痺が解けたのだろう。隊長がいきなり起き上がる。

「隊長じいちゃん、大丈夫か?」

 リドリーが心配げに声を掛ける。

「隊長、秘薬ッス!」

 ファーメイが体力を全回復する秘薬を差し出す。

「いや、それには及ばん。カーシュちゃんたちに持たせておくんじゃ」

「隊長じいちゃん、無理よくない」

 ジュザが背中越しに心配する。

「ありがとうよ。ジュザや。しかしのう、まだ何も終わっておらんのじゃ」

「終わってない?」

 ハンナマリーが尋ねる。

「そうじゃ。わしらはとりあえず助かったが、問題は何も解決しておりゃせん。わしらを襲ったモンスターのことはまだ何もわかっておらんし、何よりこの港跡地の地下は得体がしれん。いつどこからモンスターが出てきてもおかしくない状況じゃ」

 隊長の言葉に一同は思わず唸った。すでにそのことに気づいていたカーシュナーだけが冷静に構えている。

「地下のことはわかりませんが、先ほどのモンスターなら1体捕らえていますよ」

「なんじゃと!」

 カーシュナーの言葉に先ほどまで死にかけていた隊長が歓声をあげる。それまで倒れていた他の隊員たちもふらふらと起き上がってくる。

「調べましょう、隊長」

「やった。新モンスターだ」

 その不気味な迫力に、さすがのカーシュナーも若干気圧されながら、捕らえたまま海に沈めておいたモンスターを回収に行く。一人では無理なのでハンナマリーも手伝いに行く。

 いざ引き上げてみると、それは不細工で不可思議なモンスターだった。

「どうやら両生種のようじゃのう。ファーや。両生種はわかるかのう」

「はいッス! 両生種はテツカブラやザボアザギルなんかがそうッス!」

「ザボアザギルには幼体がおたことは覚えておるかな?」

「あっ! うっかりしてたッス! ってことは、これの成体がいるってことっすか!」

「断言は出来ん。このサイズで成体ということもありうるからのう。じゃが、ここはおると考えて警戒するべきじゃろう」

「そうッスね! それより…」

 ファーメイが何か言いかけた時、それまでひっくり返っていたモンスターが突然身じろぎし、起き上がった。

 それを見た隊長が、手近にあった石畳の破片でモンスターの頭をスコーン!と殴りつけた。哀れなモンスターは再び気絶し、ぐったりと伸びてしまう。

「あ~、びっくりしたッス! それよりこのモンスターの背中に生えてるのは何なんッスかね?」

 それまで腹を上にしてひっくり返っていたためよくわからなかったのだが、体の上面全体に長さが20cm程の細長いものがびっしりと生え、首の真後ろあたりに何かを幾重にも包んだ様なコブがある。

 隊長は近くの木から小枝を折ると、枝を使って背中に生えたものを調べ始めた。毒を持っていることがわかっている以上素手で調べるわけにはいかない。皮手袋があればよかったのだが、手元にないためやむを得ず手近にあるものを利用して調べるしかない。

 背中に生えているものをかき分けて皮膚を調べようとしたが、かなりびっしり生えているため皮膚は調べられなかった。次に生えている細長いものを一本だけ持ち上げ、太陽にすかしてみたり、触れないように気を付けながら匂いなどを確認してみた。

「…葉っぱのようじゃのう」

「葉っぱって、木とか草とかの、あの葉っぱッスか?」

 葉っぱと聞いて安心したのか、ファーメイが不用意に手を伸ばす。隊長がその手をピシッと小枝を持っていないほうの手で叩く。

「油断するでない! 毒草だったらどうするつもりじゃ!」

「す、すみませんッス! あ、だから小枝で叩かなかったんッスね!」

「当たり前じゃ! 万が一毒草じゃったら小枝にも毒が付着しておるかもしれんじゃろう!」

「お、恐れ入りましたッス!」

「まあよい。お前さんはまだまだ若い。これからしっかり学んでいってくれればよいわい。ただし、わしらの扱う物は一歩間違えば命を奪いかねん物が多いことを肝に命じておくんじゃぞ。自分の命ばかりではなく、人様の命を奪ってしまってからでは、いくら後悔しても取り返しがつかんのじゃからな」

「はい! 肝に命じるッス!」

「隊長。これが葉っぱだとすれば、この首の後ろにあるものは、もしかして、つぼみか実なんでしょうか?」

 周りで一緒に観察していた隊員の一人が質問する。

「かもしれんのう。じゃが、ここに毒を蓄えておる可能性もある。どちらにしろ、こんな現象は初めて見るわい」

 隊長を含めた隊員全員が首を捻る。

「隊長おじいちゃん。小枝を貸してもらえますか?」

「何か気づいたのかい、カーシュちゃんや?」

「ちょっと確かめたいことがあるんです」

 そう言うとカーシュナーは受け取った小枝で葉っぱの根元を探るように、背中全体と頭部に小枝を走らせた。そして何かを確信して頷く。

「首の後ろにあるものを中心にして何かが背中全体と頭部に広がっています。太くて固い血管か、まさかとは思いますが、根っこのようなものが」

「根っこ!!」

 カーシュナーから小枝を返してもらうと、隊長は同じようにモンスターの上面を探ってみる。それから他の隊員たちに小枝を渡し、それぞれに確認させ、最後にファーメイが確認してから隊員たちに意見を求めた。

「隊長! これ、絶対にカーシュちゃんが言うように、根っこッスよ! こんな固い血管ありえないッスもん!」

「我々もそう思います」

 ファーメイと他の隊員たちもカーシュナーの意見に賛成する。

「うんむ。わしもそう思うんじゃが、体内に、しかもこれ程の範囲で異物が広がれば、どんな生き物でも激痛で発狂して死んでしまうじゃろう。自分に置き換えて想像してみればわかりやすいはずじゃ」

「ほおおおっ! た、隊長! 怖いこと想像させないでほしいッス! 背中がムズムズしてきたじゃないッスか!」

 他の隊員たちも同意見なのだろう。非難の目を隊長に向ける。

「これ! そんな目でわしをにらむな! 気持ち悪かったかもしれんが、わかりやすかったじゃろうが? いかなモンスターといえども、こんな状態には耐えられないはずなんじゃ…」

「でも、いま目の前にいます」

 どこまでも現実的な意見をカーシュナーが言う。

「……うんむ。これ以上は悩むだけ無駄じゃ。解剖してみんことには何もわからんわい。ファーや。すまんが解剖器具のセットを持って来てもらえんか」

「了解ッス! 実は必要になるんじゃないかと思って解毒薬を取りに行った時に、撃龍船に待機していた先輩たちに持ってきてくれるように頼んでおいたんッスよ!」

「でかした! いい判断じゃ!」

「もうすぐ到着すると思うんで、ひとっ走り行って受け取って来るッス!」

「お、おい! すぐに来るなら無理していかんでも…」

 隊長が止めるのも聞かず、ファーメイは走り出した。たとえ新人でも、ファーメイは王立古生物書士隊の隊員である。未知のモンスターに対する好奇心が抑えられないのだろう。1分1秒でも早くモンスターを調べたいのだ。

 しかし、そんなファーメイを予想外の事態が襲う。

 石畳に開いた穴の中から、何か長いものが飛び出すと、ファーメイに一瞬で絡みつき、穴の中に引きずり込んでしまったのだ。

「きゃいいん!」

 ファーメイは犬のような悲鳴を残すと、どこへ続くとも知れない穴の中に消えた。

 誰もが突然の事に驚き、声も出せずに硬直している。

「行こう!」

 ただ一人取り乱すこともなく、カーシュナーが声を上げる。その声には、カーシュナーをよく知る者にしかわからない怒りがこもっていた。

「おおっ!」

 ハンナマリー、リドリー、ジュザの3人が、カーシュナーの声に答える。その声にも、仲間に手を出されたことに対する静かな怒りがこもっていた。  

 



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新種モンスター?

「行ってはならん。危険すぎる」

 王立古生物書士隊の元隊長が、厳しい表情でカーシュナーたちを止める。

「隊長じいちゃん。私等は別にモンスターを討伐しに行こうってんじゃない。仲間を取り返しに行くだけだよ」

 ハンナマリーが、隊長の厳しい視線を真っ向から受け止めて答える。そこには強い反発ではなく、けしてひるがえさない決意がある。視線の強さは竜人族の実力者である隊長をはるかに凌駕していた。

 強い意志の力に押され、隊長は思わずのけ反った。

「…正直に言えば、わしも助けに行ってほしい。じゃが、わしらには何の情報もない。あまりに危険すぎる。だいたいそんな初期装備では何も出来んぞ」

「なあ、隊長じいちゃん。ハンターが活躍する狩場ってのは、じいちゃんたちみたいな書士隊や観測所の人たちが調べつくして安全が確認されてからハンターたちに解放されたのかい?」

「…いや、いま北の大陸で広く知られておる狩場のほとんどはハンターたちが切り開いてくれたものじゃ。もちろんわしらが最初に調査を行った狩場もあるが、いまも、これから先も、調べつくすことなど出来はせんじゃろう。じゃからと言って、お前さんたちが、そんな貧弱な装備で行っていいことにはならん。いわゆるハンターランクが足りておらん状態じゃ」

 ハンナマリーの意図を察した隊長が、先回りして止める。

 全ての言葉が自分たちを心配してくれてのことだとわかってはいる。すぐ隣にG級ハンターたちがいる状況ならば、ハンナマリーも隊長の言葉に素直に従っただろう。しかし、現実にいま、ファーメイを救出に向かえるのは自分たちだけなのだ。これはもはや、出来るか出来ないかの問題ではない。やるかやらないかの、意志の問題なのだ。

「私たちは、自分のために命なんか懸けない。死にたくなければ逃げればいいんだからね。だからこそ、私たちは仲間のために命を懸けるんだよ。権力もなければ組織力もなかった弱っちい私たちが生き残るには、仲間しかいなかったからね。背中に目は付いてないから自分の背中は守れない。私たちは互いの背中を守り合い、仲間が自分の背中を守ってくれることを信じて今日まで生き抜いてきた。だから、これからも私たちは仲間を見捨てない。だから、行く!」

 静かに、だが、力強く語られた言葉は、隊長だけではなく、他の隊員たちにも届いた。それでも止めたい隊長の肩を年配の隊員が叩く。それ以外の隊員たちは、ファーメイが持ってきてくれた荷物を整理し、カーシュナーたちの持ち込みアイテムを整え始めた。

「行ってもらいましょう! わしらもみんな命の危険は覚悟の上でこの調査隊に志願しています。それはファーも同じです。でも、ここで仕方ないと切り捨ててしまうのは、ファーがあまりに不憫でなりません。あの子は……」

「みなまで言わんでもええ。ようわかっとる。じゃがな、そのためにハンナたちの命を危険にさらすわけにはいかん。もう間に合わん可能性もあるんじゃ…」

「助けられる可能性なら、私は五分五分だと思うよ。だから行くんだ。私だって仲間を諦めたことはある。…何回もね。諦めなくちゃいけない命と、望みのある命の線引きは出来るつもりだ。そういう立場だったからね」

 二人のやり取りの間に、リドリーはファーメイの荷物の残りからたいまつを見つけ出し、ファーメイが引きずり込まれた穴を慎重に調べていた。地下水道に繋がる正規の入口があるはずだが、探しているひまはない。モンスターとの遭遇は避けられないが、ここから追いかけるしかないのだ。

「うんむ。ならばこれ以上は引き止めまいて。王立古生物書士隊の責任者として、ファーメイを頼む。じゃがな、退き際だけは間違えてくれるなよ」

「わかった」

 拭いきれない苦悩をたたえた隊長の目を、真っ直ぐに見つめてハンナマリーが答える。カーシュナーの瞳に、心のくもりを晴らす力があるように、姉であるハンナマリーの瞳には、心の迷いを払う力があった。

(これから未知の危険に臨もうというのに、こんなじじいの重荷を気遣ってくれるとはのう…。あれだけの才覚を持つカーシュナーや、年上のリドリーとジュザが自然と従うのは、この器の大きさ故じゃろうな。)

 ハンナマリーの瞳から、無言のやさしさを感じた隊長は、心の中で感心した。

 漢方薬や回復薬などのアイテムが整えられ、ハンナマリーに手渡される。ジュザとカーシュナーにも手渡され、リドリーにも渡そうとした瞬間。細長いものが再び穴から飛び出し、リドリーに絡みついて押し倒した。

「リド!!」

 ハンナマリーの絶叫が港跡地に響く。

 絡みついた細長いものにリドリーも引きずり込まれるかに見えたが、意外なことに、リドリーは穴の中に引きずり込まれることなく、細長いものに絡みつかれたままもがいていた。

「死ぬかと思ったッス!!」

 突然細長いものが絶叫する。先ほどのハンナマリー以上の大声が港跡地に響いた。

「……ファーメイ!?」

 その場にいたリドリー以外の全員が叫ぶ。リドリーは耳元で咆哮並の絶叫をくらったため、軽いめまい状態に陥っている。

 細長いものの正体は、連れ去られたはずのファーメイだった。粘液状のもので全身ぬったぬたになっている。

「…帰って来おったのう」

「…帰って来たね」

 つい先程まで重いやり取りをしていたハンナマリーと隊長は、何とも言えない微妙な気恥ずかしさに襲われていた。

 うっかり目を合わせてしまい、顔を赤くしてお互い目を反らした。普段は表に出さないようにしている部分を出したので、恥ずかしさ倍増なのである。

「油断して連れ去られるでないわ!!」

 いまだにリドリーにしがみついているファーメイの頭に、隊長のげんこつが飛ぶ。照れ隠しがバレバレの行動だが、命からがら逃げてきたファーメイにしてみたらたまったものではない。

「痛いッス!! 隊長!!」

 手についたぬたぬたを嫌そうに振って落とそうとしている隊長に、ファーメイが抗議する。

「やっかましわい!! お前に文句を言う資格などないわ!」

「隊長がひどいんッスよ! リド!」

 そう言ってしがみついているリドリーに泣きつく。

 リドリーは胸元で顔をすりすりしてくるファーメイの頭を容赦なく鷲掴みにすると、引き剥がして放り投げた。

「泣きつく振りしてぬたぬたをオレにこすり付けてくるんじゃね!」

「バレたッスか!」

 まったく悪びれることなく言うと、ファーメイは大笑いした。

「いや、ほんとヤバかったんッスよ! 1回マジで丸呑みにされたんッスから! でも、あれ間違いなく両生種ッスよ! 暗くてよく見えなかったッスけど、牙のないテツカブラみたいだったッスよ!」

 恐怖以上に好奇心が優っているらしく、興奮しながら自分を連れ去ったモンスターのことを説明してくる。丸呑みにされたにもかかわらず、好奇心の方が上回っているとは見上げた根性である。王立古生物書士隊の隊員に、なるべくしてなったと言える。

「ここから一度撤退しましょう。大型モンスターの存在が確認された以上ここに留まるのは危険です。みなさんもまだ毒のダメージからまったく回復していない状況で、ファーを取り逃がした大型モンスターが引き返して来たら、今度こそ犠牲者が出ます」 

 興奮してしゃべりまくるファーメイを遮って、カーシュナーが提案する。

「うんむ。カーシュちゃんの言う通りじゃ。皆の衆、とっととずらかるぞい!」

 隊長の号令に全員が答える。

「ファーメイや。お前は少し離れて歩け!」

 全身ぬったぬたのファーメイの周りから、他の隊員たちが一歩引く。

「リドも少し離れてついて来な!」

 ファーメイにしがみつかれたせいで、ファーメイ同様ぬたぬたになっているリドリーも、ハンナマリーから距離を置かれた。

「ファーのせいで巻き添え食ったじゃねえか!」

「しょうがないっショ! 暗かったからリドが持ってたたいまつの明かりだけが頼りだったんッスよ!」

「だからってしがみつくことねえだろ!」

「必死だったから自分がこんなにぬったぬたになってるなんて気づかなかったんッス! 不可抗力ッス!」

 二人が言い合いをしているところに、カーシュナーが困ったように口をはさむ。

「二人とも。そのぬたぬただけど、強酸性はないみたいだけど、おそらく唾液のはずだから消化作用があると思うんだ。だから早く洗い落とした方がいいよ」

「!!!!」

 二人は同時に海に向かい、いまだに毒の影響で茶色く濁っていることに気づいて飛び込む寸前で急停止した。

「撃龍船の停泊場所まで行った方が安全だよ!」

 カーシュナーの忠告を聞いたファーメイとリドリーは、全速力で撃龍船へと向かった。ファーメイにあっという間に引き離されたリドリーの怒鳴り声が、ファーメイの神速を追いかけ、これもあっという間に置き去りにされた。

 ファーメイの高笑いと、少し遅れたリドリーの罵声が、カーシュナーたちの前を流れ、その後を王立古生物書士隊の隊員たちと、それを支えて歩くカーシュナーたちの笑い声が続いた。

 

 

 ファーメイの指示で解剖セットを運んで来ていた書士隊員と合流したカーシュナーたち一行は、彼らが念のために持ってきていた回復薬グレートで体力を回復させると、引き返しながらこれまでの経緯を説明してやった。

 その中の一人が調査団参加の直前まで氷海でザボアザギルとスクアギルの生態調査を行っていたため、捕獲した小型の両生種モンスターに強い興味を示した。

 移動する間も持参した皮手袋をはめて、歩きながら可能な限りモンスターを調べていた。

 撃龍船に到着した一行は医療団の判断により、毒を受けた者は竜人族の隊長も含めた全員が強制的に船内の医療施設に収容された。休みもせずに捕獲した小型モンスターを調べると言ってきかなかったからだ。

 そのため、解剖は先程から小型モンスターを調べていた氷海帰りの隊員の手に任されることになった。

 カーシュナーは捕獲に成功した功績もあるので、特別に解剖の過程を見学させてもらえることになった。ハンナマリーとジュザは、戻ってきたギルドマスターやハンターたちに捕まり、事の顛末を事細かに説明させられていた。先に到着していたリドリーとファーメイは海でぬたぬたを洗い落としてさっぱりしていたが、まだ若干周囲から距離を置かれていた。

 互いの調査報告と、カーシュナーたちの何気に大事だった事件を聞き終えたギルドマスターとハンターたちは、カーシュナーたちの機転と行動力に改めて感心していた。

「投網を調合したじゃと! リドリーや、お前さんはやっぱり調合の才能があるのう。後で調合レシピを教えておくれ」

 調合師の長がリドリーを褒めれば、

「即席の投網で書士隊隊員を全員救出して、おまけに小型モンスターまで捕獲したんだって? 大活躍じゃないか、ジュザ!」

 グエンも手放しで褒めそやした。

「いや、何といっても圧巻なのが、ハンナマリーだろう! シェンガオレン級の大型モンスターをたった一人で動かしったって言うんだから、間違いなくこの調査団一の金剛力だぜ!」

 狩猟の腕なら大陸中にその名を轟かすハンターたちが、ハンナマリーの基本能力のあまりの高さに手放しに感心する。

「いや、私たちなんて全然たいしたことないよ。全部カーシュの指示あってのことなんだから」

 やることはやったという自負はあるが、カーシュナーがいなかったら、同じだけの成果などとても出せなかったという思いが強いハンナマリーが、周囲の褒め言葉に対して謙遜する。リドリーとジュザの二人も賛同する。

「それはオレたち全員わかってるよ。カーシュナーに関しては、もう、褒めるっていう次元を超えているんだ。褒めるなんて上から過ぎてとてもじゃないけど出来ないよ」

「まったくだ。自分が12歳のころを思い出すと、カーシュナーが自分と同じ歳になったときはどこまで行っているのか想像すら出来ないな。ハンターなら、レジェンドを超えて、神の領域にいるんじゃないか?」

 ハンターたちはカーシュナーに関しては、感心を通り越して、感服しているらしい。

「とにかくお前さんたちのおかげで死者を出さずにすんだわい。ありがとうな」

 ギルドマスターが全員を代表して礼を言う。

「やめてくれよギルマスじいちゃん。そういうの照れくさいんだよ」

「何を照れる。隊長じじぃと何やらかっこいいやり取りをしたそうじゃないか。書士隊の連中から聞いとるぞい」

 ギルドマスターが、ファーメイ救出に対して隊長とハンナマリーの間で重いやり取りがあったことを持ち出す。ハンナマリーとしては、助けに行く前にファーメイが自力で脱出してきたため、本音を言っただけなのだが、まるでかっこつけたように感じられてしまい、早く過去に封印してしまいたい出来事であった。

「ほれぼれするほどのかっこよさだったと言うておったわい」

「ハンナは男前。伝説もある」

 ギルドマスターの言葉にジュザが乗っかる。

「ジュザ。余計なこと言うんじゃないよ!」

「ええ~! ボク、ハンナの男前伝説聞きたいッス!」

 ファーメイがジュザの言葉に食いつく。

「オレ口下手。リドリーに頼んで」

「仕方ねえな~。ここは一つハンナマリー伝説でもしてやるか」

 頼まれる前にリドリーが割り込んでくる。

 そんな3人に、ハンナマリーのげんこつが飛ぶ。

「やめい!」

まるでハンマーで杭を打ち付けるような勢いのげんこつを受けた3人は、めまい状態に陥り、無様なダンスを踊ることになった。

 めまいから正気に戻ったファーメイに、ハンナマリーは怪訝な表情で問いかけた。

「いまさらだけどさ、ファーなんでここにいるの? うちの弟でさえ捕獲したモンスターの解剖に立ち会ってるのに、書士隊員のファーは見なくていいのか?」

「ええっ! いま解剖してるんッスか! 聞いてないッスよ!」

「たしか二人が身体を洗っている間に始まった」

 驚くファーメイに、ジュザが説明する。

「そんなあ! ひどいッス! てっきり隊長たちが回復してからみんなで調べると思っていたッス!」

「そんな時間ねえだろ? オレたちは水と食料の補給が目当てでこの港跡地に来たんだ。食料はまだしも、水が確保出来ねえんじゃ、移動するしかないんだから、その判断材料として急いで調べているんだと思うぜ」

 リドリーが言えば、

「そうだね。だからカーシュも頼んで見学させてもらっているんだと思う」

 ハンナマリーも同意する。

「水とモンスターって何か関係ありましたっけ?」

 ファーメイが首をひねる。

「カーシュの推測では、何かが水を毒で汚染にていることになっているだろ? 隊長たちは麻痺毒とダメージ毒の両方をくらって死にかけていたし、複数の井戸の跡からは麻痺毒とダメージ毒がバラバラに検出されてることを合わせて考えれば、あのモンスターは水の汚染に関係していると思うぜ」

「確かにそおッスね! でもそう考えると、モンスターに丸呑みされたボクが毒を受けてないのは不思議ッスね!」

 リドリーの説明に、一瞬納得しかけたが、新たな疑問が湧き上がる。

「ファーを丸呑みに出来るってことはそもそもサイズが違うってことだろ? 捕獲したのはブルファンゴくらいの大きさだったから、モンスターとしての特性がでかいのと小さいのでは違うんじゃないか?」

「こりゃ! お前たちだけで話を進めるでない!」

 ファーメイの疑問にハンナマリーが考えを説明しているところに、ギルドマスターが割り込んでくる。

「未知のモンスターに関する情報は全員で共有せねばいかん。ファーメイ、お前はこっちに来てモンスターに連れ去られて以降のことを細かく説明せい」

 ギルドマスターはそう言うとファーメイの手を引っ張り、ハンターたちの中心に連れて行った。

「ボク、解剖見に行きたいッスよ~」

「いまさら行っても邪魔になるだけじゃ! 後で結果を教えてもらえ!」

「そんな~」

 ファーメイはぼやきながら、連れ去られた時の状況を説明し始めた。

「まず最初に断わっておくッスけど、暗くてほとんど見えなかったんで期待しないで聞いてほしいッス」

「少しは見えたのかい? それとも完全な暗闇だったのかい?」

 説明する前から質問が飛んでくる。

「完全な暗闇じゃなかったッス。ボクが引きずり込まれた穴ほど大きくはないけど、天井にところどころ穴が開いていたんで少しは見えたッス」

「地盤が薄いってことか?」

「いや違うだろう。もしそうだったら、とっくに崩壊していたはずだ」

 ハンターたちが口々に疑問を交し合う。

「これ! 勝手に議論を始めるでない! 話が進まんじゃろうが!」

 ギルドマスターの一喝で場が静まり、ファーメイは説明を続けた。

「ボクは引きずり込まれた後、真っ直ぐに奥へと引きずられて行ったッス。後ろ向きに引きずられていたんで、残念ッスけど、モンスターの姿はほとんど確認出来なかったッス。その後身体に巻き付いていた舌が一気に引っ張られて丸呑みにされたんすけど、足は自由だったんで思いっきり暴れてやったんッス! そうしたら吐き出されて、拘束も解かれたから全力で逃げたんッス!」

 ファーメイは一息つくと興奮が静まるのを待ち、極力細部まで思い出しながら再び語りだした。

「ボクを拘束していたのは触手じゃなく、間違いなく舌にあたる部分だったッス。オオナズチがアイテムをかっぱらっていく感じに近いッス。これはボクの予測ッスけど、拘束してすぐに飲み込まないで奥まで引きずり込んだのは、モンスターの性格が比較的臆病なためじゃないかと思うッス」

 ギルドマスターがファーメイの言葉に頷く。

「安全と思えるところまで移動してからボクを食べようとしたことから、このモンスターには食事中の隙を突かれると危険なモンスターが存在していると思うッス。白い獣人さんが言っていたことッスけど、ボクたちが上陸しているこの大陸は、主として甲虫種のモンスターが生態系の頂点に君臨しているッス。それも含めて考えると、この港跡地の地下水道に生息しているモンスターは生態系の下位に属しているモンスターだと考えられるッス」

「うんむ。的を射た考察と言えるのう」

 ファーメイの考えをギルドマスターが指示し、周囲のハンターたちも賛同して頷く。

「ただ、一つだけ気になったことがあって、モンスターと遭遇した時の、あの、身がすくむ感覚が、ない訳ではないんッスけど、薄いというか、敵意がちゃんとこっちに向けられていないっていうか、食べられかけたのに、恐怖よりも不快感の方がはるかに上だったんッス!」

「!!!!」

 ギルドマスターを含むその場にいた全員が、ファーメイの言葉に驚愕する。ファーメイの語ったことは、モンスターに相対したことのある者ならば、誰もがあり得ないと断言することだったからだ。そして、その場にいる誰一人として、ファーメイが冗談などではなく、本気で言っているとわかっていた。

「その感覚は正しいかもしれませんよ」

 いつの間にかモンスターの解剖から戻ってきていたカーシュナーが、ファーメイの発言を肯定する。

「どういうことじゃな、カーシュちゃん? ファーメイが、感じたことを素直に言っておるだけじゃということを疑うつもりはないが、大型モンスターと遭遇して恐怖よりも不快感の方が勝るなどありえんことじゃ。これは人としての本能よりもさらに深いところにある、食われるという生命の危機に対する生物としての本能がもたらす恐怖なのじゃ! こればかりはどれほど訓練を積んでも、スキルなどの補正に頼らん限りはけして克服できんものなんじゃよ」

「その疑問は、捕獲した小型モンスターの解剖結果が説明してくれると思います」

 カーシュナーの言葉に応えるように、解剖をまかされた氷海帰りの書士隊員が進み出る。

「みなさん、おおまかではありますが、驚異的な事実が判明したので報告させていただきます」

 隊員の言葉に、全員が無意識に姿勢を正して注目する。

「捕獲した小型モンスターは、肉体構造から、テツカブラやザボアザギルなどと同様の両生種であることが確認出来ました。また、体内には麻痺袋があり、胃の中からマヒダケと同種と思われるキノコ類が検出されたことから、食料として摂取したキノコから毒の主成分を抽出し、麻痺袋に蓄えていることがわかりました。捕獲した超大型モンスターの調査にあたっていた書士隊員たちを襲った状況から推測するに、毒袋を体内に持つ個体も存在すると考えられます」

「鳥竜種で例えると、フロギィとゲネポスみたいなイメージでいいのかな?」

 一人のハンターが確認する。

「絶妙の例えですね。違いがあるとすれば、フロギィとゲネポスが近縁種であるのに対して、捕獲した両生種は同種のモンスターが、摂取するキノコ類を食べ分けることにより、一つの種族間で複数の毒能力を身につけているということです」

「ちょっと待った! 捕獲したのは1匹だけで、その1匹は麻痺袋を持っていたんだろ? どうして同種で毒袋を持った個体がいるって断言できるんだい? 確かに襲われた状況を考えればダメージ毒を持ったモンスターがいたことは理解できるけど、別の両生種の可能性はないのか?」

 別のハンターが疑問を唱える。

「確かにその可能性は排除しきれませんし、私も断言するつもりはありません。ですが、同じ鳥竜種だからといって、ランポス、ゲネポス、イーオスを1カ所に集めたときに共存するかといえば、しません。テリトリーが隣接することはあっても、重なった時点で争いになります。また、2種類の毒が検出された井戸の位置は数か所ありますが、それらの距離は近く、それでいて検出された毒の位置に規則性がないことから、仮に種類の異なる両生種が存在していた場合、テリトリーは完全に重なることになり、調査中の書士隊員を襲ったことからもわかるように縄張り意識が強いことからどちらかが排除されていたはずです」

「なるほど。書士隊員たちが麻痺毒とダメージ毒を持ったモンスターに襲われた時点で、同種族間で2種類の毒を持っていると判断したわけか」

「はい。そうでないと、フロギィとゲネポスが、外敵に対して共闘して襲い掛かってくるような事態が、この大陸では起こるということになります」

「そいつはゾッとせんのう」

 ギルドマスターが顔をしかめる。

「モンスターによる共闘はこの際考慮に入れなくていいと思います。ただ、今回のケースのように、同種族で2種類以上の能力を有するモンスターが存在し、連携して襲い掛かってくると考えていた方が賢明かと思われます」

「これはいきなり狩猟のハードルが上がったな!」

「睡眠属性攻撃とダメージ毒属性攻撃の連携とか、そうぞうしたくないな~」

「そうなってくると、小型モンスターでもかなり危険だぞ!」

 思った以上に深刻な状況に、G級ハンターたちも顔をしかめる。

「ちなみに、これが驚異的な事実ではありません」

 伝える書士隊員も、聞かされたハンターたちも、何とも言えない表情になる。

「先程ファーメイが言っていたことに通じることなのですが、今回捕獲した小型の両生種モンスターは、寄生植物によりコントロールされていた可能性があるのです」

「はっ?」

 聞かされた全員が、理解不能といった様子でポカ~ンとする。

「理解できないのも無理はありません。私自身いまだに信じられない思いですが、これは紛れもない事実なのです!」

「もっとわかりやすく説明して。正直全然わかんない」

 ハンナマリーがお手上げといった仕草をする。

「捕獲した小型のモンスターが、背中にびっしり生えていた草に支配されているってことッス! 草が戦えって命令すればモンスターがそれに従うみたいな感じッス!」

「草が命令するって言われてもな~。ピンとこねえよ」

 興奮して説明するファーメイに対し、リドリーが冷静に返す。

「いやいや、これは納得ッス! ボクはおおいに納得したッス!」

 興奮の収まらないファーメイの後頭部を、ギルドマスターがかなり強めに殴りつけて黙らす。

「いまファーメイが言いましたが、これは共生関係の一つである寄生、つまり、片方だけが利益を得て、相手方が害を被るという形が発展したものと考えられます。捕獲したモンスターの背中には笹葉型の細長い植物が密生しており、首のつけ根あたりに葉を何重にも巻いたようなこぶ状の物がありました。また、このこぶから身体の上面一帯に根が張り巡らされ、それぞれが神経と深く絡み合っていました」

 捕獲した際に、このことを確認していたハンナマリーたち以外の全員が、背中にムズかゆさを感じたらしく、もぞもぞと身動きした。

「隊長じいちゃんが言っていたけど、それじゃ苦痛のあまり死んじまうんじゃなかったっすか?」

 リドリーが隊長の言葉を思い出して尋ねる。

「そうです。本来なら苦痛に耐えきれずに発狂して死んでしまいます。なのに何故あのモンスターは生きていられたのか? その答えこそが、私がこの植物を寄生植物と判断した理由なんです! この植物は根の先端から強力な幻覚作用をもたらす物質を分泌し、痛覚を麻痺させると共に、場合によっては神経を直接操り、モンスターの意思を無視して行動させることも出来るのです。加えて脳が幻覚物質漬けになっているため、モンスターの意思そのものが極端に弱く、その意志は幻覚物質によってもたらされる快感に浸っていて、寄生植物の支配から脱しようとすることもありません」

 場が静まり、誰も口を開こうとしない。

「植物にそこまで出来るのか?」

 いま一つ上手く飲み込めないジュザが、カーシュナーに尋ねる。自分に上手く理解できないことでも、この少年ならば理解できると信じているからだ。

「植物が意志を持って、ボクたちがするようにモンスターに指示を出しているみたいに考えるとややこしくなるけど、本当は少し違っていて、食虫植物を思い出してもらえると説明しやすいんだけど、ハエトリグサは二枚貝みたいな葉が昆虫を捕まえるよね? これはボクたちが昆虫を発見して手で捕まえるようなものではなくて、葉の内側に生えている感覚毛に昆虫が接触し、その刺激に反応して葉が閉じて捕まえる反射行為なんだ。獲物を見つけて狩猟するのがボクたちだとしたら、罠を仕掛けて待ち伏せているのが食虫植物なんだよ。でも、結果だけを見れば、どちらも獲物を手に入れている」

 ここまでの説明を理解した証にジュザは大きく頷いた。

「次に思い出してほしいのが、ヤドリギ。木に丸い玉みたいになって生えていることが多い植物なんだけど、これは地面に根を張らないで、木の樹皮に根を張って、木から養分を吸い上げて成長する。その結果、ヤドリギに養分を吸われてしまった木は枯れてしまうことがある。これも、結果だけを見れば、ヤドリギに枯らされたとも言える」

 これまで報告説明を行っていた書士隊員も、周囲のハンター同様カーシュナーの説明に聞き入り、大きく頷く。

「例えに上げた二つの例は、どちらも陽の光を浴びて大地から栄養を吸収して成長する一般的な植物とは異なる方法で成長に必要な養分を得ているだけで、攻撃の意思自体はそこにないっていう点で共通してるんだ。でも、結果だけを見ればどちらも攻撃行為と同等の結果を生み出していることになる」

 全員が一斉に頷く。

「この寄生植物は、ヤドリギの様にモンスターに寄生して養分を吸い上げ、宿主から効率よく養分を吸収するために、宿主を太らせる目的でその行動を制御しているんだよ。おそらく外敵から身を守る行為も、反射行為が発達した結果で、このモンスター自体は、本来なら生存競争の中では生き残ることが出来なかった極めて弱い種であり、寄生植物は自分たちが生き残るためにこのモンスターの不足していた生存本能を補っているんだと思うんだ」

「つまり、なまけ者の旦那が働き者のかみさんの尻に敷かれているようなもんってことか?」

 リドリーが微妙な例えで確認してくる。

「そうだね。そのイメージでいうなら、気の弱い旦那さんが鬼嫁の言いなりになって、肩身の狭い思いをしながら暮らしているようなものかな」

「でもよ。元々はおしとやかで控えめな奥さんだったってことだろ?」

「うん。でも旦那さんがあまりにも頼りないから、奥さんが強くなるしかなかったって感じかな」

「ようやくわかった」

 カーシュナーとリドリーのやりとりのおかげでようやく理解できたジュザが頷いた。

「文字通り旦那の首根っこを押さえているってことか」

 モンスターの首の付け根あたりにあったこぶを思い出したハンナマリーが呟く。

「その例えだとずいぶん軽くきこえるけど、小型のモンスターを支配下に置くことが可能なレベルにまで発達した以上、その能力はモンスター級の危険度と判断しなければならない。条件が限定されるけど、人間をコントロ-ルすることも理論上は可能なんだからね」

 話がおかしなところに着地してしまったため、書士隊員が慌てて警告する。

「限定される条件てなんッスか?」

 ファーメイが興味津々で尋ねる。

「抵抗力が極めて弱い幼児期にでも寄生されない限りは、人間がこの植物に寄生される可能性は極めて低いってことだよ。ただ、肺に入って寄生されると死ぬかもね。大人でも」

「ひいいぃぃ!! そういう気持ち悪い話はやめてほしいッス!」

「冗談だよ。大人なら激しく咳き込む程度だろう。でも、狩猟の最中に咳が止まらなくなるのはかなり危険な状態異常と言えるだろうね」

 リアクションの大きいファーメイを見て書士隊員が笑う。

「この種の植物は、この大陸では一般的なものじゃと思うかのう?」

 隣りで身もだえするファーメイを無視してギルドマスターが尋ねる。

「ないと思います。周辺に生えている植物を見て頂ければおわかりいただけるかと思いますが、多少の違いこそあれ、北の大陸で見られるものと同系統の植物が繁殖しています。ですが、今回問題にしている植物は、さらに詳しく調べてみないと断言出来ませんが、北の大陸では、龍幻草と九尾茸以外絶滅してしまった古代種の植物に極めて近い種の植物だと思われます」

「やはりそうか。いきなりとんでもなく貴重な物に出くわしてしもうたのう」

「そうですね。周囲の植物形態から大きく外れる植物ですから、ここ南の大陸でもかなり希少性の高いものだと考えられます」

「マスター、この後はどうしますか?」

 ハンターの一人がギルドマスターに尋ねる。

「この両生種が寄生されることによって発揮される能力変化の見当はつくかの?」

 ハンターの質問を一旦わきに置いて、ギルドマスターは書士隊員に尋ねた。

「能力が向上するようなことはありませんが、痛覚が極めて鈍く、ひるみにくいこと。また、両生種が気絶していても、寄生植物の反射行動により、神経を一時的に代行操作して攻撃してくることが予想されます」

「代行操作?」

「はい。解剖を行おうとしたところ、麻酔を使っていたにもかかわらず、気絶したまま暴れだしました。止む無く腱を切断して動きを封じて解剖を行いましたが、仮に意識があったとしても麻酔で完全に全身が麻痺していたので指1本動かせなかったはずです。神経を外部から直接操作でもしない限り動くことは出来ない状況でしたので、宿主の生命の危機に際して代行操作が行われたのは確実かと思われます」

「狩猟ではひるみも気絶も期待できんということかのう?」

「難しいと思われます。気絶は取れるでしょうが、追撃しようとすると代行操作で暴れるので、大型モンスターの場合捕獲も困難かもしれません」

「厄介ですね。マスター」

「そうじゃのう。カーシュちゃんや。何か良いアイデアはあるかいのう?」

 自身にも考えがあるようだが、ギルドマスターはあえてカーシュナーに話を振る。

「この港跡地の拠点化は考えない方がいいと思います。でも、ボクたちには水の補給が緊急に必要です。地下水道内を確認して船着き場に一番近い場所の井戸だけ浄化出来ないか確かめて、無理ならこの港跡地を離れるしかないと思います」

「そうじゃな。今回発見されたモンスターは極めて希少性が高い可能性がある。これをわしらの飲み水を確保するためとはいえ、討伐する訳にはいかん。モンスターは撃退し、カーシュちゃんの言う通り、最低限の水源を確保することにしよう」

「では、早速潜りますか?」

「うんむ。潜るのは少数のグループに限定して、残りで港跡地の地上部分と周辺海域の調査を行う。どちらも未発見のモンスターに遭遇することを前提に調査を行うこと。また、地下水道に潜るハンターは王立古生物書士隊員か古龍観測所職員に加え、オトモアイルーと奇面族にも同行してもらうこととする」

 ギルドマスターの号令を受け、ハンターと王立古生物書士隊員及び古龍観測所職員がそれぞれグループとなり、一度集めた情報をもとに探索領域を割り振り、広大な古代港湾都市跡に散って行った。

 ギルドマスターのもとには、比較的ハンターランクの低いハンターたちが残った。もっとも、カーシュナーたちを除けば、ランクが低いとはいえ、全員凄腕と呼ばれる実力者ばかりである。

「ハンナや。お主らにも地下水道の探索に行ってもらうぞい」

「いいの?」

「厄介な特性を持っておるようじゃが、能力自体は下位のテツカブラを上回ることはあるまい。加えて、討伐ではなく撃退じゃから問題はないじゃろう。ただし、これから呼ぶ者たちを連れて行ってもらうぞい」

 ギルドマスターは撃龍船に向かって大声で呼び掛ける。

「ヂヴァ! モモンモ! 出番じゃ!」

「はいニャ!」

「おう、だモ~ン!」

 ギルドマスターに呼ばれて撃龍船から飛び降りて来たのは、1匹のオトモアイルーと1匹の奇面族の子供であった。

 アイルーには様々な色や模様の者たちがいるが、このオトモアイルーは、一見すると亜種のメラルーにしか見えない白黒柄で、額に三日月形の傷を持つ、古強者といった風情のアイルーだった。どんぐりネコメイルを身に纏い、小脇にメイルとそろいのどんぐりネコヘルム抱えている。背中にはボーンネコハンマーが括り付けられていた。

 奇面族の子供は、派手な柄のふんどし一丁で、ドテカボチャのようなお面を被っている。背中にはブーメランが括り付けられ、手にはお手製であろうマカネコピックのような武器を持っている。

「この二人はお主らのお目付け役じゃ。二人のどちらかが引くと言ったら従うように!」

「マジ?」

 ジュザが尋ねる。

「マジじゃ。お主らは下手をするとギリギリまで無理をしよるからのう。無茶が必要な時もあるが、不必要に無茶をするのは愚かなことじゃ。この二人に万が一のことがないように注意しつつ行動するくらいが、お主らにはちょうどええんじゃ」

「わかった。約束するよ」

 ハンナマリーがギルドマスターに同意している隣りで、カーシュナーが二人にあいさつをする。

「ボクはカーシュナー。よろしく」

 差し出された手を取ると見せかけて、奇面族の子供はスルスルとカーシュナーの肩に登るとあいさつを返した。

「おいらは、モモンモだモン! よろしくだモン!」

 奇面族の子供のモモンモは、そのまま肩車をしてもらい、大はしゃぎした。

「オレの名はヂヴァニャン。よろしくニャン」

 アイルーには珍しい、美しい低音でオトモアイルーは名乗った。

「ちょっと名前がやばくないかい?」

 ハンナマリーが顔をしかめる。

「いや、名前自体はヂヴァなんだし、ギリセーフなんじゃないか? 語尾がニャンだからちょっとやばそうだけどよ」

「色も赤毛じゃなくて黒毛だし」

 リドリーとジュザがフォローを入れる。

「お主たち、何の話をしていのニャン?」

「ごめんね。ヂヴァ。こっちの話だから気にしないで」

 不思議そうに尋ねるヂヴァに、カーシュナーが苦笑しながら答える。

「アイテムはわしが万全の用意をしてやるから、くれぐれも無茶をするでないぞ」

「気前いい」

 ジュザが茶化す。

「隊長じじいを助けてくれた報酬みたいなもんじゃ」

 ギルドマスターは照れくさそうにそっぽを向いた。

 普段はいがみ合っているようにしかみえない竜人族の老人たちだが、百年以上の付合いから生まれた絆は、人間が思う以上に固い。ただそれを表に出すのが照れくさいだけなのだ。

「よし! 準備が整ったら出発だ!」

 ハンナマリーの号令に、全員が気合をみなぎらせて答えた。

「あの~。ボクも一緒に行きたいッス」

「…………」 

「ちょっと~!! 無視しないでほしいッス!」

 ファーメイの絶叫がその場のいる全員の笑いを誘った。



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大型モンスター撃退作戦!

 浄化するための井戸の位置は、捕獲した超大型モンスターを係留した船着き場から一番近い井戸に決定した。撃龍船も本来ならばこの船着き場に停泊させたかったのだが、超大型モンスターの生態調査のためにスペースが必要だったため、やむなくかなり崩壊している少し離れた船着き場に停泊させていたのだ。

 発見した地下水道への入口は、崩壊してしまったうえに大木が根を張って半分覆ってしまっていたので修復は断念され、結局ファーメイが引きずり込まれた穴を拡張して探索を行うことになった。

 まずは先輩ハンターたちが先に探索に向かい、目的の井戸の位置を確認し、ルート確保が行われた。

 地下水道は都市全体に張り巡らされているため分岐点が多く、入口から井戸までのルートを中心に、枝分かれしているルートを次の分岐点まで探索し、必要最低限のエリアの確定が行われることになった。

 カーシュナーたち一行は、入口から海側に広がる分岐エリアの探索が任され、潜ることになった。

 当初はギルドマスターが、奇面族の子供であるモモンモにたいまつ代わりのランプのお面を装備させようとしたが、性格が攻撃的になることをヂヴァに指摘され、慌てて取りやめになった。カーシュナーたちのブレーキ役であるはずのモモンモにイケイケの性格になられては元も子もないからである。

 たいまつを片手に一行は、まず、入口から井戸までのルートの確認を行った。入口の位置さえ把握できていれば問題ないのだが、ファーメイがどうしても井戸の状況確認をしたいと言い張ったからだ。

 他の王立古生物書士隊員と古龍観測所職員たちも確認を希望し、カーシュナーも興味があったので、結局全グル-プで一度井戸の調査を行うことになった。ルート確保を行ったグループは、奥へとつながる分岐エリアの確認に向かい、残りのグループで井戸の調査を行うことになった。

 どうやら井戸は上水道の起点になっているらしく、カーシュナーたちが侵入に使っている下水道とは完全に設計が分けられていたのだが、長年の風化と、モンスターによる破壊行為によって、つながってしまったことがわかった。

 そして、井戸の底は、一面びっしりとキノコに覆われていた。ファーメイの見立てによれば、それはドクテング茸の一種で、北の大陸で見られるものよりもはるかに大ぶりで、毒性も強いだろうとのことだった。

 キノコの一角は派手に食い荒らされており、ここが両生種のエサ場の一つである可能性を示唆していた。

「これってもしかして、栽培しているんじゃないかな?」

 カーシュナーが疑問を口にする。

「まさか!! モンスターがキノコ栽培ッスか?」

「今回発見した両生種は、生態系の下位に属するモンスターだって言ってたでしょ?」

 ファーメイが頷く。これは彼女自身の体験を踏まえて導き出した答えだ。

「港跡地の地上部分に両生種の痕跡が見られなかった以上、ここ、地下水道が両生種の限定された生息エリアなんだと思うんだ」

 ファーメイがふんふんと頷く。

「本来臆病なのに、寄生植物の幻覚作用で縄張りを荒らすものには好戦的な姿勢を示すのも、ここでしか生き延びられないからだと思うんだ」

「それとキノコ栽培がつながるんッスか? キノコが生えているからここに生息しているのかもしれないッスよ?」

「入口からここまでの間にキノコが生えていた場所ってあった?」

「そういえば、全然生えてなかったっすね?」

「でしょ? これはボクの推測だけど、このキノコはある程度の光と新鮮な空気が必要なんじゃないかなって思うんだ。これは他のルートと井戸の底を調べないと断言できないけどね」

「仮にそうだとしても、井戸の底にキノコが生えるからここに生息しているんじゃないッスか?」

「井戸がある上水道とボクたちが通ってきた下水道は本来つながっていなかったんだ。でも、ここはモンスターの手によってつながれている」

「キノコが生えていたからつなげた可能性はないっすか?」

「もっと基本的なことを考えて。ここはいまでこそ滅びてしまっているけれど、かつては巨大な港湾都市であり、おそらく都市国家だった場所なんだ。そんな場所の井戸の底に毒キノコが生えるような環境だったら、これほどの規模にまで都市が発展することはなかったと思うんだ。水は生活の中心だからね」

「なるほど! 両生種のモンスターが地下水道に住み着いたのは、この港湾都市が滅びた後のはずッス! その前に住み着こうとしたら、住人たちの手で討伐されていたはずだし、そもそも両生種の食料であるキノコが生えるような環境なら、ここに地下水道が発展するほどの都市は誕生しなかったはずッス! そう考えると、このキノコ類は都市滅亡後に持ち込まれたことになり、繁殖環境に適した井戸の底と通路をモンスターが意図的につなげた可能性が高くなるってことッスね!」

「あとはキノコを食べてる位置をよく観察して」

 ファーメイはカーシュナーの言葉に従い、井戸の底を見渡した。そして一つの規則性に気がついた。

「キノコの成長が一定じゃなく、何段階かに分かれて広がっているッス!」

「食べる範囲を決めて、キノコの成長に合わせて食べる場所を変えている証拠だね。これは牧場のシステムといっしょなんだよ」

「すごい観察力ッス! カーシュ君! ハンター辞めて王立古生物書士隊に入るべきッス!」 

 ファーメイが感嘆の叫びをあげる。

「ファーの目が節穴なんじゃないのか?」

 リドリーのツッコミが入る。

「偉そうに言っているッスけど、リドは気づいたんッスか?」

「カーシュほど深いところまではわかんねえけど、キノコの成長が均等に分かれていて、なんだか人工的な感じだな~くらいには思ったぜ」

「…マジッスか?」

「みんなも気づいていただろ?」

 リドリーの問いかけに、カーシュナーたち4人以外のハンターは一様に首を横に振った。王立古生物書士隊員と古龍観測所職員の中にも正直に首を横に振る者が多数いる。

「お主ら4人はハンターとしての経験こそ浅いようだが、資質は極めて優れているようだニャン」

 腕組をしたヂヴァが感心して言う。アイルーらしからぬバリトンボイスが地下水道の壁に反射し、無駄に良い声を響かせていた。

「どうでもいいけど、早くキノコを採集してしまうモン。これじゃ、いつまで経っても探索が進まないモン」

 それまで黙って一同の話を聞いていたモモンモが口をはさむ。単純に飽きたらしい。

「ごめんね。モモンモ。確かに君の言う通りだよ。早くキノコを取り除いて水源の浄化が可能か確認しないといけなかったね」

「そうだモン! お前ら無駄口が多すぎるんだモン! それとキノコは丁寧に採集するんだモン! この採取の鬼と謳われたモモンモ様の目の黒い内は、雑な採取は許さないんだモン!」

「は~い」と全員が素直に答え、早速キノコの採取が行われた。

 

 

 採取後素材を無駄にすることを絶対に許さないモモンモの厳しい指導により、一同は一旦採取したキノコを撃龍船に運搬し、1グループが水源の浄化を確認するために残されると、他のグループはようやく地下水道の探索に向かった。

 カーシュナーたちの主たる目的は、超大型モンスターの生態調査を行っていた王立古生物書士を襲撃したモンスターがどこから港内に侵入したのかを調べることだった。地下水道の地図作製と状態の把握も当然の目的ではあるが、今後もこの港跡地は水の補給地として利用することになるので、井戸を含めた港までの地下水道の安全確保は絶対なのである。

 海が近いせいか、先程までは膝丈程度だった水位が胴体近くまで上がってきている。オトモアイルーであるヂヴァと奇面族の子供であるモモンモは当然すでに水没し、一番小柄なカーシュナーもほとんど泳いでいるような有様になっていた。

「ここまで来たら、もう水中戦のつもりで行くよ! 足がつくからって地上にいる感覚で動くんじゃないよ!」

 ハンナマリーの指示が飛ぶ。各自がギルドマスターが持たせてくれたアイテムポーチの一番上に酸素玉を移動させ、いつでも使えるように準備する。

 しばらく進むと地下水道は瓦礫にふさがれて行き止まりになったが、水位はさらに上がり、水面に顔を出せているのは長身のハンナマリーとリドリーだけになっていた。

「ちょっと潜って様子を見て来てやるモン」

 泳ぎに自身があるのか、モモンモが偵察を買って出る。

「一人では危険だニャン。オレも一緒に行くニャン」

 ヂヴァが同行を申し出る。

「ヒゲが濡れても知らないモン」

「フッ。そこいらの子猫と一緒にしないでもらおうかニャ」

 言うが早いか、ヂヴァはモモンモを置いて先に潜ってしまった。ネコかきと言うべきか? 以外に泳ぐのが速く、あっという間に見えなくなってしまう。

「ちょ! ちょっと待つモン! おいらが先だモン!」

 慌ててモモンモがヂヴァの後を追う。

「お目付け役が先行しちまったけどいいのか?」

 リドリーがぼやき口調でリーダーであるハンナマリーに尋ねる。

「このくらいはギルマスじいちゃんの計算の内ってことだろう。うちらの仕事は、後はモンスターの侵入経路を見つけるだけだし、歩いてきた感覚だと、この辺りが隊長じいちゃんたちが襲われた港の正面くらいなんじゃないか?」

「おそらく」

 方向感覚に優れるジュザが答える。

「ボクも見に行っていいッスか?」

「ダメ!!」

 好奇心を抑えきれないファーメイに全員がダメ出しをする。

「トラブルメーカーは大人しくしていろ」

「ひどいッス! たった1回丸呑みにされたくらいでトラブルメーカー扱いはないッスよ~」

「丸呑みをたった1回って言えるその神経の太さはどこからくるんだよ」

 リドリーが呆れて首を振る。

「いや、そんな、それほどでも…」

「褒めてねえよ!」

 照れるファーメイにリドリーが鋭くツッコミを入れた時、ヂヴァが水面に勢いよく顔を出した。

「申し訳ないニャン! オレがついていながら、モモンモがモンスターに丸呑みにされてしまったニャン!」

「ええぇ~」

 やっぱり、といった視線がファーメイに突き刺さる。

「ま、待つッス!! これは濡れ衣ッス! ボクのせいじゃないッス!」

 全員両手を上げると、お手上げの仕草で首を振った。ちゃっかりヂヴァまでお手上げポーズで首を振っている。

「よし! 助けに行くか! ヂヴァ! モモンモを呑み込んだのは小型の方か? それとも大型の方か?」

 ハンナマリーがヂヴァに尋ねる。

「大型ニャ! この下は砂地がえぐれたようになっていて、おそらくそのまま港に続いているようニャンだけど、その真ん中辺りの砂地に潜って隠れていたのニャ!」

「了解! 全員酸素玉はすぐに使えるようにしてあるね? 息継ぎ出来る場所なんてないと思いな!」

 ハンナマリーの号令を受け、全員が酸素玉の確認を行った。そして、水中用ランプにたいまつの火が移される。これはイキツギ藻で作られた芯を用いて作られた特殊なランプで、密閉空間でも自身が排出する酸素を燃焼材料にして燃え続けることが出来るのである。

 彼らは一斉に潜ると、ヂヴァを先頭に大型両生種のもとへと向かった。

 しばらく潜ると、ランプの明かりの中に巨大な両生種のシルエットが浮かび上がった。その周りには4体の小型モンスターの影も見える。

 さらに近づくと大型両生種ののどの奥で何かが暴れまわっているのが確認出来た。すでに胃袋に納められ、新たな犠牲者が出たのでない限り、モモンモはまだ生きているようだ。

 周囲に水の濁りがないようなので、毒はまだ吐かれていないらしい。それだけでもかなり立ち回り方を考えなければならないのでありがたかった。

 ハンナマリーが手信号で合図を送る。スラム街時代に身につけた技術がおおいに役立つ。

 ハンナマリーの意図を理解した3人がそれぞれ行動に移る。火力が弱い片手剣のカーシュナーとライトボウガンのリドリーは小型両生種の排除に向かい、大剣のハンナマリーと双剣のジュザは大型両生種に向かった。

 ハンナマリーたちの接近に気づいたモンスターたちが動き出す。両生種の割に、水中での動きはそれほど速くはない。

 全力で泳いで近づくカーシュナーを、リドリーの放ったLv2通常弾が追い抜き、一番手前にいた小型両生種に命中する。一瞬動きの止まった小型両生種にカーシュナーが追撃を入れ、そのままの勢いでモンスターと交差するように泳ぎ抜ける。一カ所に留まると毒攻撃の餌食になりやすいため、攻撃の手数よりも回避を優先したのだ。

 毒攻撃の反撃を受けるかと思ったが、以外にもモンスターは毒による攻撃は行わず、直接攻撃を加えようと、カーシュナーを追ってきた。その動きにはどこか精彩さが欠けている。

 カーシュナーはとある可能性に思い至り、リドリーに手信号で合図を送ると、港へ続いていると思われる方向に全力で泳いで行った。

 進んでみるとそこには、小型両生種がようやく通れる程度の穴が瓦礫と岩場の間に口を開けていた。

 カーシュナーは納得して一つ頷くと、再び全力で泳ぎ、引き返した。

 そこではリドリーが孤軍奮闘し、小型両生種を一人で引きつけて立ち回っていた。カーシュナーは早速手近にいた1体に盾攻撃からのバックナックルを入れていく。この攻撃により、ダメージを受けた個体は途端に動きを止める。疲労状態に陥ったのだ。

 カーシュナーはそれ以上の追撃は避け、リドリーにも手信号を送り、自分と同様に追撃を控えるように指示を出すと、別の小型両生種に同様の攻撃を叩き込んでいく。

 不思議なことに、盾攻撃からのバックナックルコンボを受けた小型両生種たちは全て疲労状態に陥り、動きを止めてしまった。

 カーシュナーが推測したことは、小型両生種がかなり体力を消耗しているのではないかということだった。その理由が、港内が大量の毒に汚染されていながら、港内には大型両生種が侵入出来るだけのスペースがなかったことにある。つまり、港内を汚染した毒は、全て小型両生種の仕業ということになる。あれだけの範囲に毒をまき散らしたら、小型両生種の毒袋は一時的に空になる。毒の原料が食料の毒キノコであることから、現在小型両性種は毒袋の補充のために食事から得られるエネルギーの全てが消費されている状態で、体力の回復は行われていないのではないかと推測したのだ。

 その推測は正しく、大量の毒をまき散らして体力を消耗していた小型両生種たちは、カーシュナーのスタミナを奪う攻撃であっさりと疲労状態になってしまったのだ。

 さすがにこれだけの情報を手信号で伝えることは出来ないので、カーシュナーはリドリーへの説明をすべて省いてしまった。いくら説明しようとするだけ無駄だとしても、その全てを迷わず切り捨てられる思い切りの良さは並ではない。

 状況が今一つ理解出来ないリドリーだったが、カーシュナーのすることに疑問を挟むことはしなかった。会話が出来ない以上細かいことはわからない。解決できない疑問を持ち続けることは、単に思考を鈍らせることにしかならないからだが、それは理解は出来ても実践することが非常に困難なことである。にもかかわらず、それをごく自然にこなしている。カーシュナーとリドリーの信頼関係の深さがうかがえる連携だった。

 二人は小型両生種にとどめは刺さず、放置してハンナマリーたちに合流した。

 カーシュナーはすかさず手信号で立ち回り位置の変更を指示する。ハンナマリーたちはこれまで、最悪の場合撤退することを考慮に入れて地下水道側を背にして立ち回っていた。だが、カーシュナーはそれを反転させ、港側を背にして立ち回ることにしたのだ。それは脱出経路の間に大型モンスターを入れることになる。それは常識で考えれば避けねばならないリスクの高い立ち回りだったが、他の3人は迷わず指示に従った。

 ジュザが手信号で攻撃を身体の裏側に行うように指示してきた。背中を覆う根がモンスターの肉質を固くしており、はじかれてしまうからだ。これは事前に予測していた事態であり、万が一遭遇した際には最初に確認することになっていた。

 しかし、カーシュナーはジュザの指示に首を振ると、ジュザには脚への攻撃を指示し、ハンナマリーには顔への攻撃を指示し、リドリーには首のコブを攻撃するように指示を出した。そして地下水道の方向を片手剣の先で指し示す。これだけでカーシュナーの意図は3人に伝わった。

 希少性の高いモンスターのため、討伐が禁じられているので、撃退するために大型モンスターにとっては行き止まりになっているこの場所から追い出す事が先決なのだ。

 ジュザへの指示は、脚にダメージを蓄積させて攻撃の手を緩めさせることが目的であり、ハンナマリーへの指示は、大型両性種の口を開けさせてモモンモを救出することが目的である。そして、リドリーにあえて固いとわかっている背中に攻撃するように指示を出したのは、モンスターの心を折る以上に寄生植物の生存本能を、戦う方向から、逃亡する方向にへし折らない限り、この大型両性種を撃退することは不可能だと判断したからだ。

 カーシュナーはダメもとでこやし玉を投げつけてみた。結果は予想通りで、幻覚物質で全身の感覚が麻痺した大型両性種には効果を示さなかった。せめてモモンモを吐き出してくれればと思ったのだが、上手くいかなかった。

 腹を決めた一同は、指示された部位に攻撃を集中させていく。

 モンスターの攻撃は、その大半が強靭な後脚を使った突進攻撃だけなのだが、直撃しなくても、攻撃よって発生した水流に巻き込まれると身体が翻弄されてしまうため、思ったように攻撃を入れることが出来ない厄介な攻撃だった。たまに動きが止まった時に左右の前脚を振り回して来るが、水の抵抗のため、有効な攻撃にならず、逆にカーシュナーたちに攻撃のチャンスを与えることになっていた。

 脚へのダメージが蓄積したのだろう。突進攻撃の威力が極端に弱まった。

 一瞬、大型両生種がエリア移動の仕草を見せたが、不意に大型両生種の目が光を失い、めちゃくちゃに暴れ始めた。

 一度は力を失ったはずの突進攻撃が、さらなる勢いを持って繰り返される。

 スピードと攻撃力がはるかに増し、初期装備のカーシュナーたちでは受けきれないレベルの攻撃になる。

 こうなってしまうとさすがのカーシュナーたちでも打つ手がない。しばらくは回避に専念し、観察を続ける。

 大型モンスターとの戦闘経験がほとんどないためカーシュナーたちにはわからなかったが、大型両生種の行動は、怒り状態に酷似していた。だが、これこそが寄生植物による代行操作だった。宿主である大型両生種の本能はカーシュナーたちの攻撃に嫌気がさし、エリアチェンジをしたがっているのだが、生息圏を守ろうとする寄生植物によって、逃走に傾いている本能が闘争に書き換えられ、無理矢理暴れまわっているのだ。

 本能と行動の不一致。これこそが、ファーメイに本来ならば全身を縛るはずの恐怖ではなく、それ以上に不快感を強く感じさせた要因であった。

 攻撃が不発に終わり業を煮やしたのか、大型両生種は突進をやめると、それまでずっと閉じられれていた大口を開け、周囲の水を飲み込んでいった。それはチャナガブルの吸い込みかみつき攻撃によく似ていたが、ハンターを吸い込む意図はなく、ただ大量に周囲の水を取り込むだけの行動だった。

 取り込める量が限界に達したのか、一瞬大型両生種の動きが止まる。

 そのわずかな隙を突いて、モモンモが囚われていた大口から飛び出してきた。

 全身に絡みついているぬったぬたの唾液を、まるで火属性やられ状態になったときのように水中を回転して振り払うと、カンカンに怒り狂い、何やら不思議なダンスを踊りだした。しかし、ダンスは最後まで踊られることはなく、酸欠に陥ったモモンモは不意に動きを止め、スーッと浮かび始めた。

(い、意味がわからん!!)

 声にならない突っ込みを全員が入れる。

 珍しく場の空気を読んだファーメイがモモンモの回収に向かい、お面の下に酸素玉を無理矢理押し込んだ。

 意識が回復したのだろう。きょとんとしているモモンモの両脇をファーメイとヂヴァが掴み、安全圏に引っ張っていく。

 間一髪、ファーメイたちがいなくなった空間から、カーシュナーたち目掛けて、濃厚な毒液が混じった水流ブレスが襲い掛かってくる。

 水の吸い込みからブレスまでの間隔が若干開いたのは、おそらく毒液を水に混ぜ込んでいたためだろう。場合によっては単なる水流ブレスが時間差なく襲い掛かってくる可能性がある。思い込みでタイミングをはかると痛い目に遭いかねない。

 吸い込んだ以上吐き出すのはわかりきったことなので、事前に武器を納めて身構えていたカーシュナーたちは、この水流毒ブレスを回避することに成功した。だが、厄介なことに、吐き出されたブレスはその勢いを失った後、毒液を残していった。そのため、エリア内で移動出来る範囲が制限される。

 状況の打開策を考えていると、安全圏に避難していたファーメイが、興奮してなにやらしきりと合図を送ってくる。カーシュナーたちの様に手信号での意志疎通が出来ないため、ただ身をくねらせている様にしか見えない。

 見かねたヂヴァとモモンモがファーメイに協力して、ジェスチャーを送ってくる。

 今度はわかった。背中のコブがどうやら開いているらしい。

 カーシュナーがハンナマリーに視線を送ると、それだけで理解したハンナマリーが上昇して行く。逆に残った3人は左右に散りながら大型両生種の下へと潜って行く。

 注意を引きつけるために、リドリーは時折攻撃しながら潜り、ジュザは一気に水底まで潜ると底を蹴り、勢いをつけて後脚へと武器出し攻撃を叩きこんでいった。カーシュナーは大型両生種の視界の隅に常に入るように位置取りし、誰か一人に大型両生種の意識が集中しないように立ち回った。

 ハンナマリーは大型両生種の真上を取ると酸素玉を使い、攻撃のタイミングを待った。真下に潜ったリドリーの攻撃が続けざまに大型両生種の腹部にヒットした瞬間、大型両生種の動きが止まる。

 ハンナマリーはこの隙を逃さず一気に潜行すると、花というより、獣が大口を開けているように開いているコブに武器出し攻撃を叩きこんだ。

 開いていたコブが驚いたように瞬時に丸まり、元の形状に戻る。それまで暴れまくっていた大型両生種が怯えたように振り向き、大剣を背負うように構えて溜め攻撃の大勢に入っていたハンナマリー目掛けて毒液を吐き掛けた。

 ブレストとは違い、タコが墨を吐き掛けるような攻撃だったため、物理ダメージはほとんどないが、それでも毒液に触れた瞬間からハンナマリーの体力は徐々にけずられ始めている。にもかかわらず、ハンナマリーは一瞬も怯むことなく巨大な大剣を振り下ろすために力を溜め続けた。大型両生種に据えられた目が、全身に力が満ちて行くごとに鋭さを増していく。練り上げられた闘気と、数々の修羅場をくぐって身に纏った百戦の気が混じり合い、水を伝って大型両生種をからめとる。

 まるでガララアジャラににらまれたテツカブラの様に射すくめられた大型両生種が、ハンナマリーのアイアンソードが振り下ろされる寸前に、異様な動きでその場を離れると、上手く泳ぐことすら出来ない有様で逃走に掛かった。

 おそらく、これまで逃走ではなく闘争を指示し続けていた寄生植物が、ハンナマリーの放つ気にのまれ、元々逃げたがっていた大型両生種に逃走の代行操作を行ったため、二つの系統から同様の指示が飛んだ身体が上手く反応出来なかったのだろう。両生種にもかかわらず、平泳ぎではなくバタフライのような泳ぎで地下水道の奥へと逃走して行く。疲労状態から回復していた小型両生種も後を追ってエリアチェンジして行く。

 吐き掛けられた毒液の靄の中から、ハンナマリーが沈み込むように抜け出してくる。

 急いで泳ぎ寄るカーシュナーたちの目の前で、ハンナマリーの身体が微かな光のようなものに包まれる。

 ハンナマリーは顔を上げると、ダメージ毒の影響で幾分青ざめているが笑みを浮かべ、ガッツポーズを決めているモモンモの方を指さした。

 どうやら先程ハンナマリーを包んだ微かな光は、モモンモの踊り効果だったらしく、そのおかげでハンナマリーが受けた毒は解毒されていた。続けざまに回復効果のある踊りをモモンモが踊り、全員の体力が回復する。

 

「依頼達成ッス!!」

 

 ファーメイが水中にも関わらず叫ぶ。その大声は水を伝わり、ファーメイの喜びまで運んできた。

 自然と全員の頬もゆるみ、モンスターの撃退達成の喜びが湧き上がる。

 互いが吸い寄せられるように集まり、水中で肩を組んで輪になると、器用にクルクルと回り始めた。

 笑いがあふれ、笑うために酸素玉を使うという、なんとも贅沢な酸素玉の消費が続く。一緒になって笑い転げていたモモンモが不意に笑いやめると輪を崩し、怒りはじめた。

「こんなことしている場合じゃないモン!! お前ら周りをよく見るモン! 落し物だらけだモン!」

 モモンモに指摘されて周囲を見回すと、モンスターの素材らしきものがそこかしこに漂っていた。

「早くするモ~ン! 流されて見失うモン! もったいないモン!!」

 井戸の底でキノコを採取した時もそうだったが、どうやらモモンモは素材を無駄にすることが嫌いなようで、素材採取に関しては鬼の厳しさになってしまうようである。それでいて、酸素玉の贅沢使用は気にならないらしく、人一倍笑い転げては酸素玉を消費していた。こうなるともはや、子供のわがままと大差ない。

 突然、理不尽な採取の鬼軍曹と化したモモンモが、手にした武器を振り回して全員に迅速な素材採取を促す。

「早く採取するモン! もし素材が流されでもしたら、お前ら全員を島流しにしてやるモン!」

「うおっ! あぶねえだろ! やめろよモモ!」

 頭をピック状の武器がかすめたリドリーが文句を言う。

「口じゃなくて手を動かすモン! 目の前にあるだろモン! それを採取できなかったら、よく見えるように丸刈りにしてやるモン!」

 これを聞いたリドリー以外の全員がニヤリと笑う。

 頭髪の危機を鋭く察したリドリーは、いつにない真剣さで素材採取に奔走した。その姿を笑って眺めていたカーシュナーたちの背後に鬼軍曹が音もなく近づき、ピック状の武器を振り上げる。

 殺気に気づいたカーシュナーたちは、慌ててリドリー同様素材採取に奔走したのであった。

 

 その後撃退された両生種モンスターたちは、他の先輩ハンターたちの働きにより、地下水道の奥へと去って行った。

 調査団一行は、この港跡地を希少種モンスターの生息地と認定し、水源として確保された最低限のエリア以外を立ち入り禁止区域に指定した。

 エリア確保に際しては、土木・建築分野の専門家とした参加していた土竜族の男性が監督となり、水源エリアと繋がる水路を、崩壊した都市の瓦礫を利用して塞ぎ、港とつながっていた穴も、外から入り込めないように格子を設けて封鎖した。

 この作業の際、王立古生物書士隊が小躍りするような発見があった。

 両生種の卵が発見されたのだ。それは飛竜種や鳥竜種のものとは異なり、固い殻には守られてはおらず、細長い寒天状のものの中に、握りこぶし程度の大きさの卵が約50個、等間隔に並んでいた。この卵の数からも、この両生種が生態系の下位に属することがよくわかる。

 絶対ではないが、生存確率が低い生物ほど、産卵数が多く、年間の産卵及び出産回数も多くなる。大型に分類されるモンスターで、一度の産卵数がこれほど多いモンスターは、北の大陸にはなく、例外的にギギネブラが存在しているのみである。もっとも、ギギネブラの場合産卵期というものがなく、雌雄同体であるため、際限なく生み続けることが可能であり、その産卵はもはや種の保存を目的としているというより、戦闘の手段の一つと思える場合がある。実際、戦闘中に産みつけられた卵塊からはおそろしい早さで幼体であるギィギが生まれ、こちらは戦闘が目的ではないが、生存本能に従って、ハンターに襲い掛かってくる。

 ギギネブラとは根本的に違い、この両生種は純粋に種の保存のために、一度に約50個もの産卵が必要なのであろう。

 王立古生物書士隊は研究のため、この卵を5個だけ採取し、残りは水路を封鎖する前に奥のエリアへと移動した。

 カーシュナーたちは、この水源エリアの確保作業は免除され、周辺海域の採取活動が許可された。ここまで大活躍を見せたカーシュナーたちへの特別報酬である。

 海中食料の調査の際、この港周辺の海域には鉱石を採掘できる場所が以外に多いことがわかり、初期装備の彼らが武具をランクアップさせるにはもってこいの場所だったのだ。

 フィールドワークにたけているファーメイと、採取の鬼軍曹ことモモンモの協力のおかげで、カーシュナーたちは採取箇所の見極め方や、一カ所の採取箇所でより多く採取するコツを教わり、多くの素材を手にすることが出来た。

 水源の確保に成功し、海中食料が豊富だったおかげで調査隊一行はしばらくこの港跡地を拠点に周辺調査を行うことにした。

 その間にカーシュナーたちは、採取した素材を使って装備の強化を図ることにした。新人でありながら、カーシュナーたちは伝説の鍛冶職人の手で装備を作成してもらえることになった。北の大陸から南の大陸までの間に点在している島に拠点を築くために、ほとんどの鍛冶職人が各島で降りてしまい、南の大陸まで調査団に同行してくれた鍛冶職人が伝説の鍛冶職人と、まだ未熟なその弟子たちしかいなかったおかげである。もっとも、他に鍛冶職人がいたとしても、航海の間にすっかりカーシュナーに惚れ込んでしまった伝説の鍛冶職人が、カーシュナーたちの装備作成を他人にゆずりはしなかっただろう。

 調査の結果、この港湾都市は、ラオシャンロンのような超大型モンスターの襲撃を受け、その痛手が癒える前に、不幸にも他の大型モンスターの襲撃を受けて滅んだ可能性が高いことがわかった。これは北の大陸でもよくあることで、いくつもの街や村が興されては滅んでいる。しかし、それは住人の数がせいぜい100人から1000人程度の小さな規模のもので、都市国家の規模にまで成長した人類の生活圏が滅ぼされるなど考えられなかった。この港湾都市の住人は、おそらく3万人を越えていたはずである。

 調査結果に一部の者が戦慄を覚えていたころ、新装備を手に入れたカーシュナーたちを祝って宴会が行われることになった。実際は調査が一段落したので、みんなが大騒ぎするためのダシにされたのだが、カーシュナーたちには何の不満もなかった。

 これまで、大騒ぎすることなど許されない環境で生き抜いてきたカーシュナーたちにとって、それは初めて経験する開放感であったからだ。

 朝まで飲んで食べ、歌って踊り、生きているという当たり前のことをおおいに楽しんだ一同は、太陽が中天にさしかかるまで眠ると、本格的な活動拠点の設置場所を求めて再び海へと乗り出したのであった。



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新武器種!?

 新大陸は、海底大地震の被害を差し引いても、豊富な資源に恵まれていた。当初は港湾都市の跡地のような、かつて栄えた文明社会の跡地を利用して拠点を定めようと調査を進めていたが、滅びるには相応の理由があり、仮に文明跡地に拠点を定めても、同様の理由で拠点が滅んでは何の意味もないので、拠点は北の大陸との航路も考慮に入れた場所に、一から開拓されることになった。これは南の大陸が豊富な資源に恵まれているからこそ出来た選択であった。

 拠点の建設に際し、スラム街からの移住者たちは貴重な戦力となった。

 今回の調査団の遠征は、あくまでも調査が主体であり、移住はその結果を見て判断することになっていた。そのため、拠点の設置は北の大陸と南の大陸間の航路確保がメインであり、南の大陸には調査団用の仮拠点を設営し、調査終了後はすべて解体して北の大陸に戻る予定だった。

 そのため、乗船しているのは探索、調査のスペシャリストばかりで、拠点の建設、管理を行える人的資源には乏しい船出だったのだ。だが、予定外に移住を希望して参加してくれたスラム街の住人たちのおかげで、一気に本格的な拠点建設まで行えることになったのだ。

 場所の選定がすみ、環境調査がすむと拠点の建設が始まった。

 ハンターは3グループに別れ、それぞれが周辺域の調査、拠点周辺の警護、食料系をメインに、それ以外の素材採取と、役割を3つにわけ、週替わりで行うことになった。

 作業が1ヶ月を過ぎ、拠点がさまになり始めたころ、予想外のトラブルがハンターたちに襲い掛かった。

 もっとも、ハンター全てにではなく、ある武器をメインに使用するハンターたち限定で、そのトラブルは襲い掛かったのである。その武器とは、

 

 ≪操虫棍≫

 

 近年開発された非常に優秀かつ強力な武器種で、かなりの数のハンターが、メイン武器をこの操虫棍に持ち替えたほどのすぐれものである。同時期に開発されたチャージアックスも強力な武器種なのだが、ハンターへの普及率では操虫棍には及んでいない。

 操虫棍の最大の特徴といえば、段差などを利用せずに、武器そのものを使って繰り出されるジャンプ攻撃と、猟虫と呼ばれる様々なタイプの虫を使い、ときに攻撃し、ときにモンスターからエキスを採取してハンターを強化する、他の武器種とは明らかに性質の異なる二つの攻撃だった。

 この特徴の一つである猟虫が、日を追うごとに主人であるハンターの指示に従わなくなってきたのだ。

 昨日など、飛ばしたが最後そのまま飛び去ってしまい、丸一日探し回って、ようやくのんびり樹液を吸っているところを発見し、保護するというさわぎが起きていた。

 程度の差こそあれ、操虫棍を使うハンター全員が、猟虫の制御がきかなくなる事態に直面しており、今では腕にとまらせておくことすら困難になっているハンターもいた。

 事態を憂慮したギルドマスターが、王立古生物書士隊と古龍観測所に加え、操虫棍の製造経験が豊かな伝説の鍛冶職人に依頼し、原因の究明をはかった。

 様々な意見が出され、多くの憶測がなされたが、答えには辿り着かず、伝説の鍛冶職人の、

「試しに猟虫をほったらかしにしてみたらええ」

 の一言で、実験が始まった。

 所有者の決まっていない予備のボーンロッドが実験に供され、付属のマルドローンが野に放たれた。

 始めは困惑し、ボーンロッドを普段点検整備し、マルドローンに変化を与えない虫餌を与えていた伝説の鍛冶職人の弟子の周りをぐるぐると回っていたが、特にこれといった指示が出ないことを確認すると猟虫は森へと姿を消していった。見失ってしまうと意味がないので、猟虫にはペイントがされており、効果が切れる前にペイントが追加されることになっている。

 始めのうちは食事時間になると戻ってきていたのだが、次第に戻らなくなり、3日もすると完全に戻らなくなってしまった。その後さらに4日間放置してから捕獲してみると、マルドローンはたったの1週間で二回り以上大きく成長し、人間の指示は完全に受け付けなくなっていた。

 猟虫はおそろしい速度で野生化してしまったのである。

 白い獣人に尋ねてみても、外部から生物が持ち込まれたのはこれが初めてのケースであるため答えることが出来ず、ファーメイが思いつきで言った、

「甲虫種が支配している大陸ッスから、虫の刺激になる何かがあるんじゃないッスか?」

 の一言に、判断が落ち着いた。

 この結果に、言ったファーメイ本人が一番驚いていたが、最終的に全員が支持したのにはそれなりの根拠があった。

 北の大陸で与えられる虫餌では、姿かたちの変化や能力の向上はあっても、巨大化したことはこれまでなく、実験に使用したマルドローンは、自力で餌を確保するようになってから、短期間で巨大化したことが理由だった。

 ギルドマスターはただちに操虫棍を使用するハンターたちを、大陸手前の島で拠点建設の防衛に当たっているハンターとの入れ替えを指示した。

 彼らは全員G級ハンターであり、当然ながら彼らが手にしている操虫棍はどれも最終形まで強化された貴重な逸品ばかりだった。このまま南の大陸で調査に当たっていると、彼らの猟虫も野生化してしまい、操虫棍としての機能は大きく低下してしまう。

 幸いなことに、一つ手前の島にいるハンターの中には操虫棍使いはおらず、人数分の入れ替えを行うだけですむが、入れ替えが完了するまでの間、戦力ダウンするのは大きな痛手だった。

 一つ手前の島に戻らなくてはならないハンターたちも、南の大陸を去らねばならないことを無念に感じていた。

 その一つ手前の島にはカーシュナーたちの仲間のルッツとその妹であるリンが残っている。二人のことをとても気にかけているグエンが、各島に建設中の拠点の状況把握を理由に、二人の様子を見に戻ることになった。実際各拠点の状況次第では、一度南の大陸での調査を中止し、引き返すことになるので、かなり重要な役回りである。

 野生化したマルドローンは、放置して南の大陸の生態系に悪影響をもたらしてはまずいので、マルドローンも無理やり一つ手前の島に運ぶことになった。環境の変化がどう影響するかを見ることもできるので一石二鳥である。

 操虫棍使いのハンターとグエンとマルドローンを観察する王立古生物書士隊員を乗せ、撃龍船は短い航海に旅立った。

 

 

 数日後、入れ替えのハンターたちが到着し、一人の少女をいっしょに運んできた。

 豊かな黄金の髪に深い青色をした瞳を持つ少女は、まるでハンマー使いのハンターの様に、大きな金槌を肩にかつぎ、南の大陸に降り立った。

 少女はカーシュナーを探し出すと、グエンからの手紙を差し出した。カーシュナーは少女に礼を言うとさっそく読み上げた。カーシュナーの周りには、姉のハンナマリーとリドリーにジュザ、王立古生物書士隊の新人隊員であるファーメイ、オトモアイルーのヂヴァと奇面族の子供のモモンモが集まっていた。地下水道の冒険以来、ほぼこのメンバーで行動している。

 グエンの手紙の中にはルッツとリンの近況がつづられていた。これといったトラブルもなく、平和に日々を過ごしていることがわかり、カーシュナーは手紙を送ってくれたグエンに感謝した。手紙の中ほどで、カーシュナーたちを爆笑させた一文があった。

「リンがオレのこと間違えて、お父さんって呼んでくれたんだよ! オレは不覚にも泣いちまったぜ!」

 グエン本人は不覚と思っているようだが、カーシュナーたちにはその時の光景が目に浮かぶようだった。こんなにやさしい人間が、どうやってギルドナイツの職務を果たしてきたのか不思議でならない。

 手紙の最後には、手紙を運んでくれた少女に協力してほしいという内容が記されていた。

「カーシュナー君、君同様新しい時代に不可欠な、面白い女の子だよ」

 グエンの評価がかなり高いことがうかがえる。

 周囲を見回すと、先程の少女がギルドマスターに手紙を渡しているところだった。

 カーシュナーたちが歩み寄ると、少女は笑顔で手を差し出してきた。カーシュナーも満面の笑みで少女の手を握り返した。心の全てを溶かしてしまいそうなカーシュナーの笑顔に、少女は耳まで真っ赤になってしまう。

「手紙を運んでくれてありがとう。ボクはカーシュナー。よろしく」

「……グエンさんの言う通りだ! すごい破壊力だね! カーシュナー君の笑顔って!」

 強く握りしめられた手は、愛らし顔とは裏腹に、手のひらに固いたこのある職人の手だった。

 カーシュナー以外の全員もそれぞれ名乗り、握手をかわしていく。

「わたしは土竜族のレノ。鍛冶職人として修行中で、伝説の鍛冶職人の弟子です」

 全員と握手を交わしたレノは、元気よく自己紹介した。

「あれ?レノって土竜族なの?」

 カーシュナーが小首をかしげて尋ねる。どう見ても人間か海の民にしか見えないからだ。

「そう! 土竜族! 生んでくれた両親は人間だけど、赤ん坊だったわたしを引き取って育ててくれたのは土竜族のみんなだから、わたしは土竜族なの!」

「了解!」

 レノの説明に全員があっさり納得する。

「えっ? …今の説明でいいの?」

 あまりにもあっさり納得されてしまったので、言ったレノの方が戸惑う。

「レノを育てた土竜族の人たちは、レノを人間として意識せず、仲間として育ててくれたんでしょ?」

「うん。行商人のおじさんに教えてもらうまで、自分が人間なんだって知らなかったし、わたしが尋ねるまで、村のみんなもわたしが人間だってこと忘れていたの」

「それならレノは間違いなく土竜族だよ」

「うん!」

 これまで、自分が持つ土竜族としての誇りをなかなか理解してもらえなかったレノは、初めてその誇りが満たされるのを感じた。村のみんなは当たり前に受け入れてくる。レノが土竜族であることに誇りを持つことは当たり前のことだと思っている。しかし、この感覚が、村を一歩出るとまったく通用しない。むしろ忌避の目見られることさえある。それはレノにとって、仲間である土竜族を侮辱されているように感じられ、悔しい思いを何度もしてきた。仲間の土竜族を誇りに思うからこそ、レノはこれまで主張を貫いてきた。

 カーシュナーたちは、レナの仲間を誇る気持ちを含めて受け入れてくれたのだ。

 グエンの言った一言がいま初めて理解できた。

「彼らは最高だよ」

 修行のために村から旅立って以来初めて、村には一人もいなかった同世代の理解者をレノは得たのだった。

 

 

 彼らが打ち解けるのに時間はいらなかった。感覚が出会った瞬間から互いを受け入れていたからだ。

「グエンさんの手紙に、レノに協力してやってほしいってあったんだけど、何をすればいいのかな?」

 カーシュナーが、エメラルド以上の輝きで、翡翠色の瞳を好奇心に輝かせながら尋ねる。

 レノは担いでいた金槌をおろすと、真っ白な歯を光らせて笑った。

「新武器種の開発!」

「おおぉ!!」

 全員が驚きの声をあげる。

「武器種って決まっているんじゃないのか?」

 リドリーが尋ねる。ハンターとしてのキャリアの短い彼らは、ハンターの武器の歴史など知らない。いまある武器種が始めからあったものだと思うのは当然と言えた。

「決まってないよ。武器種は、ハンターという職業が生まれた時からずっと、より強力な武器を求めて開発が続いているんだよ」

「いまある武器じゃダメなのかい?」

 ハンナマリーが尋ねる。

「ダメじゃないけど、新しい狩場が増えるたびに、いままで遭遇したことのない新種のモンスターが発見されて、新しい素材が次々と鍛冶職人のもとに持ち込まれているの。それだけでも新しい武器の派生先の研究が必要だし、何より、今まで有効だった戦略が、新モンスターには通用しないことがあるんだよ。大抵は、狩猟に持ち込む武器をモンスターと相性の良い武器に持ち替えたり、持ち込む武器の属性が有効な武器に持ち替えたり、罠とかタル爆弾を併用するとかの工夫をして、新しい戦略を組んで対応するんだけど、それだけじゃ厳しいこともあるの!」

「つまり、それぞれのモンスターに合った武器種が本当は必要ってことッスか?」

「うん。でも狩猟には大連続狩猟なんていうタイプの異なるモンスターたちを一回のクエスト中に討伐しなければいけないものもあるから、ある程度の汎用性が不可欠なんだよ。1種類のモンスターはあっという間に討伐できても他の種類のモンスターを全然討伐できなくて制限時間をオーバーしちゃったら、クエスト失敗になっちゃうからね」

「大連続狩猟はよくあるのか?」

 ジュザが眉間にしわをよせて尋ねる。想像しただけでも、大連続狩猟の困難さがわかるからだろう。

「下位のハンターだと滅多に依頼は回ってこないけど、上位以上に上がれば多いみたいだよ。大連続狩猟じゃなくても、モンスター同士の縄張り争いは頻繁に起こる厄介ごとだから、2頭同時討伐クエストでも、まったくタイプの異なるモンスターを討伐しなくちゃいけないことは多いから、どちらかに有効な装備編成で挑むと、クエストを失敗することはよくあるんだよ」

 全員黙り込んでしまう。レノは慌てて言葉を足した。

「だから、片方のモンスターに対しては相性のいい武器種で挑んで、もう片方のモンスターには有効な属性になるように武器を選んだりするし、そのためにも、選べる武器種は多い方が戦略の幅も広がって、ハンターの助けになるんだよ!」

「おおぉ!」

 今度は感嘆の声があがる。

「それで今回は、大陸の特性で操虫棍が使用不可能になっちゃったから、それに代わる武器種を開発しようって訳なんだ」

 全員おおいに納得したようで拍手が沸き起こる。レノは照れくさそうに頭をかきながらも、拍手には嬉しそうに応えた。

「新しい武器種のアイデアとかは、もうあるの?」

「あるよ! 撃龍船に試作品が積んであるから、取ってくるね!」

 言うが早いか、レノは撃龍船に向かって駆けでした。

「ボクも手伝うッス!」

 その後をファーメイが追いかけ、あっという間に追いついてしまう。

「ボクらも積荷の荷卸しを手伝おうか」

 駆け去るレノとファーメイの後を追って、カーシュナーたちも撃龍船に向かって歩き出した。

 

 

「じゃ~ん! 奏双棍≪ソウソウコン≫と演舞棍≪エンブコン≫で~す!」

 レノは厚手の布で丁寧に包まれた二組の包みを開くと、カーシュナーたちに新武器種の試作品を披露した。

 どちらも二振りの棒状の武器で、素材にはなぞの骨をメインに作成されていた。おそらく機能確認が目的のもので、攻撃力や切れ味は考慮されてはいないであろうことが素人目にも見て取れた。

「操虫棍は猟虫の存在を抜きにしても、非常に優れた武器種です。全武器種の中で、唯一自力でのジャンプ攻撃が可能で、他の武器種よりも多く乗り攻撃のチャンスが生まれます。これに加えて猟虫によるエキス採取からのハンター自身の強化による能力上昇は強力な火力を有しましたが、猟虫が使用出来なくなってしまったため、このままでは乗り攻撃による転倒狙いのサポートがメインになってしまいます。これではソロでクエストに挑む際には火力不足に陥り、パーティを組んでモンスターに挑む際は、下位のモンスターならばさしたる問題はありませんが、強力なモンスターに挑む際には、他のハンターの負担が大きくなってしまいます。そこでわたしは猟虫がいない操虫棍の機能改善と、追加効果を考案しました」

 一息でここまで説明する。たいした肺活量である。

「まずはこちら! 奏双棍!」

 レノはどちらかというと若干細身の二振りの棍を取り上げた。そして、奏双棍といっしょに包んであった手のひらサイズのアイテムを取り上げ、片方の奏双棍に取り付ける。

「これはマウスピースというもので、奏双棍に装着することで、各種笛や狩猟笛の演奏効果に近い効果を発揮することが出来ます。これらには、狩猟笛のような演奏技術は必要なく、各効果ごとに存在するマウスピースを付け替えることで、誰でも使用が可能です」

 説明するとレノは早速奏双棍を吹き鳴らしてみせた。とたんにカーシュナーたちの体力が回復する。

「回復笛だモン!」

 いまの回復で元気が余ってしまったモモンモが小躍りしながら叫ぶ。

「次はこれ! 演舞棍! モモンモちゃん、そのまま≪強走≫効果の踊りを踊って!」

 レノは奏双棍を演舞棍に持ち替えると、一定の型で演舞棍を振り始めた。その姿は武術の型を披露する演武のようであり、王宮で披露される美しき踊り子たちの演舞のようにも見えた。

 レノが演舞棍を振るのに合わせて、演舞棍から笛のような音が流れてくる。奏双棍もそうであったが、この演舞棍も内部が中空になっているようだ。

 レノの舞いが、ある一定の繰り返しを経た時、カーシュナーたちのスタミナが一気に湧き上がった。これに合わせてモモンモの≪強走≫の踊り効果が加わる。

「なんだこれ! まるで一晩中でも走り続けられそうだ!」

 ハンナマリーが驚きの声をあげる。

「鬼人化し放題」

 ジュザも驚きを隠せない様子で呟いた。

「この演舞棍は、奇面族の踊りを参考に、狩猟笛を演奏する代わりに一定の型を舞うことで、その効果を得られるように作られています。また、この舞いで得られる効果は、オトモアイルーや奇面族のサポート効果と重複せず、重ね掛けが出来るんです」

「うおおおぉ! 最高だモン! おいらもほしいモン!」

 演舞棍が気に入ったらしく、モモンモはレノの周りをクルクルと飛び跳ねて回った。

「それ盲点! 確かにこの演舞棍を小型化出来れば、奇面族にはうってつけの武器になるわ! 奇面族はお面に比重を置くせいで、自身の装備は結構いい加減だったりするから、上手く行けばすごい戦力アップになるわ!」

 新しい思いつきに浮かれたレノが、モモンモといっしょになってクルクルと回り始める。

 リドリーはレノの予想以上の新武器種の効果に感心しながら、隣りで翡翠色の瞳をきらきら輝かせながら、感心しつつも頭では冷静に新武器種を吟味してるカーシュナーに感想を尋ねてみた。

「そうだね。いままで猟虫で行っていた強化を、笛や演奏効果、踊り効果で代用しようってことだね」

「しかも、奏双棍か? これは使用者に熟練度が求められない分、効果が単調なのに対して、演舞棍? の方は熟練が必要な分、狩猟笛並に豊富な効果が期待できる。操虫棍が使用できなくなってからたいした時間もなかったのに、こうやって比較できる武器種を2種類用意してくるんだから、本気で新武器種の開発を考えているのが伝わってくるよな」

「後は猟虫効果による移動速度のアップと、攻撃の手数の増加による火力アップに代わる何らかのアイデアが必要になるね」

「今のアイデアだけじゃ不足か?」

 リドリーが意外そうに尋ねる。リドリーにはどちらも十分魅力的な武器に思えていたからだ。

「各種笛の効果は、それぞれの効果を持つマウスピースが必要になるでしょ?」

「いいじゃんか、狩猟ごとに使いそうなマウスピース? とかいうのを持ち込めばすむ話だろ?」

「環境不安定の狩場じゃ事前に必要なものは吟味出来ないよ。それに、アイテムポーチを圧迫するのもマイナス要素だね」

「アイテムポーチか! すっかり忘れてた! そうか、そう考えると、笛とか鬼人薬とかを持ち込むのと大差ないか。むしろ武器に装着したり、付け替える手間が発生する分マイナスか。全体に効果があるのがメリットかもしれねえけど、それは防具のスキルとか、回復なら生命の粉塵で補えるもんな」

「舞いの方も狩猟笛と同等の効果で、扱いにも同等の技術が必要だとすれば、攻撃力で上回る分狩猟笛の方が性能は上ってことになってしまう。そうなると武器種として新しく採用されるのは難しいね」

「その辺を踏まえて協力しろってことかねえ?」

「そうだね。いまボクが言ったことはレノもわかってるはずだからね。使ってみてわかることもあるはずだから、まずは実戦で使用してみることだね」

「よろしく頼むぜ」

 リドリーが髭に埋もれた口をニヤリと曲げる。

「やっぱりボク?」

 カーシュナーが苦笑を返す。

「いや、基本はカーシュと誰か一人で使用して、その一人もオレとハンナとジュザが交代で使用して感想をカーシュに上げるのが効率がいいんじゃねえかな。4人全員で狩猟に持ち込むのは危険すぎるだろ」

「確かに」

「悪いな。分析力でお前さんの上を行く人間なんて、オレには想像もつかねえからな。お前さんにやってもらうのが一番なんだよ」

「正直に言うと、すごく楽しみなんだ」

「実はオレもだ」

 二人は笑いながらこぶしを合わせると、奏双棍に手を伸ばした。

「ちょっと待った、お二人さん!」

 モモンモとクルクル回っていたレノが、カーシュナーとリドリーに待ったを掛ける。

「まだ説明していない武器性能があるから、試すのは説明を聞いてからにして」

「説明の途中で遊ぶなよ」

 リドリーがクレームを入れる。

「ごめん。いいアイデアが浮かんだから、つい、はしゃいじゃったよ」

 レノが舌を出しつつ謝る。

「どんな武器性能なんですか?」

「この2種類の武器は、どちらも操虫棍の特徴であるジャンプ攻撃が出来る新しい武器種の開発が目的で試作したものだから、当然長い棒状のものでないと意味がないの。こんな操虫棍の半分しか長さのない2本の棍じゃ、もちろんジャンプは出来ない。それをあえて二つに分けたのには意味があるんだよ」

「どんな?」

「理由の一つは攻撃の手数。操虫棍は猟虫に赤エキスを採ってきてもらわないと、どうしても連続攻撃の回数が少なくなる。でも、この大陸にいると猟虫たちが野生化して指示に従わなくなるから、赤エキスを手に入れることは出来ない。これは白エキスによるスピードアップもそうなんだけど、猟虫がいないと得られない効果なんだよ。他の攻撃力や守備力のアップ、体力の回復はアイテムの持ち込みで対応出来るけど、こればっかりはどうにもならない」

 レノはお手上げの仕草で首を振る。

「白エキスによるスピードアップは、狩猟笛の演奏同様、舞いによる自分強化でなんとか対応出来たんだけど、赤エキスによる攻撃回数の増加だけは、猟虫による赤エキスの採取以外に手段は見つけられなかったんだ」

「じゃあ、ダメなのか?」

「そこで根本的な考え方をかえてみたの。武器の形状を長い棒状のものにこだわらず、手数の多い双剣と同様の形状にしてみようって」

 この意見にカーシュナーが賞賛の笑みを向ける。

「見事な発想の転換だね。ジャンプ攻撃を生かすために操虫棍の機能を開発の大元にしたのに、全体的な性能の向上のために、あえてその棍を半分にするなんて、そう簡単に思いつけるものじゃないよ」

 カーシュナーの褒め言葉にレノが照れる。

「思いついたのは偶然なの。操虫棍と同じ長いタイプの棍を試作していたとき、材料にしていたなぞの骨に不良品が混ざっていて、出来たと思って性能を試していたら、真ん中で真っ二つに折れちゃったの。それを見て、可変機能をつけて、スラッシュアックスとか、チャージアックスみたいに二通りの攻撃手段を織り込むことを思いついたの」

「思いつくところがさすがだね」

 ハンナマリーも素直に感心する。

「そこで、半分にした棍でも鬼人化出来ないかと思って試してみたら、出来たの! さすがに長さが半分になる分攻撃力は落ちるんだけど、攻撃の手数が多い分、トータルダメージでは赤エキスの強化を受けない状態での操虫棍の攻撃ダメージ総量を上回ることが出来たの」

「すごい発見だよ!」

「ただね。双剣と違って、鬼人化までしか出来ないの、真鬼人解放とか、鬼人強化みたいな、鬼人化の上位性能は発揮されなかったから、双剣の開発初期の性能しか持っていないんだよね」

「でも、乱舞が出来るのは大きい」

 双剣をメイン武器にしているジュザが感想を口にする。

「あっ、乱舞の事なんだけど、双剣と違って棍での攻撃は打撃攻撃になるから、わたしは棍による乱舞攻撃のことを区別しやすくするために≪乱打≫って呼んでいるの」

「≪乱打≫!!」

 全員なぜか言葉の響きがハマったらしく、声をそろえて叫んだ。

「すごく乱暴そうな響きだね」

 カーシュナーが苦笑する。

「意外とレノって暴力的な性格なんじゃねえか?」

 リドリーが若干引き気味に言う。

「そんなことないよ! 実際に使用すると太鼓の乱れ打ちみたいな動きになるから≪乱打≫って命名したんだよ!」

 レノが必死に説明する。

「めった打ちに殴り殺すから≪乱打≫なのかと思ったッス!」

 ファーメイが混ぜっ返す。

「違うよ~。そんな凶悪なイメージじゃないよ~」

「話がそれるんだけど、太鼓の乱れ打ちってなに? 太鼓って知ってはいるんだけど、実際に演奏してるところ見たことないんだよ。太鼓も実物は見たことないしさあ」

 途方に暮れるレノに、ハンナマリーが質問する。

「あっ! そうなんだ! 太鼓があれば説明できるんだけど…」

 言いつつ周囲を見回すレノに、モモンモが助け舟を出す。

「小タルを使えばいいモン! おいらが男気あふれた乱れ打ちを披露してやるモン!」

「さすがモモンモちゃん! ナイスアイデアだよ!」

 二人は撃龍船に行くと小タルを運びだし、拠点建設に使用した木材の端材をバチ代わりにして演奏を始めた。

 自ら演奏を申し出ただけあり、モモンモの腕前はたいしたものであった。いつの間にか周囲に見物人が集まり、 レノがモモンモの演奏に合わせて舞い、強走効果を得ると、モモンモの太鼓の乱れ打ちに合わせて、手近にあった倒木に、≪乱打≫を叩きこんで見せた。

 確かにレノの言う通り、その動きは非常によく似ており、レノが≪乱打≫と名付けたのもうなずけた。

 演奏と≪乱打≫の共演が終わると、見物人たちから拍手が沸き起こった。ちょうどいい休憩の余興になったようだ。

「ありがとうな。二人とも。いいもの見せてもらったよ」

 ハンナマリーが手を叩きながら感謝する。

「話はそれたけど」

 ジュザが小声でツッコむ。それを聞きつけたカーシュナーがくすくす笑いながら話の軌道を修正する。

「攻撃の手数の問題を、双剣の鬼人化の応用で解決しようとしたことはよくわかったけど、他にも棍を二つに分けた理由があるんでしょ?」

「えっ? ああ、あるよ。それは、手数も問題だったんだけど、攻撃力の低下がそもそもの問題なの」

 モモンモとの共演に夢中になっていたレノが、我に返って説明する。

「鬼人化からの≪乱打≫で十分なんじゃないのか?」

 リドリーが首を傾げて尋ねる。強走効果に加えて、攻撃力や防御力を上昇させてから叩き込む≪乱打≫には、十分な破壊力があったからだ。

「双剣をメイン武器にしているジュザならわかると思うけれど、≪乱打≫は隙の大きい攻撃だから、モンスターが罠に拘束されていたり、麻痺や気絶状態みたいな、≪乱打≫を打つのに十分な条件が整っていないと、モンスターの反撃を受けるリスクの大きい攻撃なんだよ」

「確かに、乱舞は注意して使わないと危ない」

 レノの説明にジュザが大きくうなずく。

「そうなると、通常攻撃時のダメージ蓄積量が足りなくなるの。それは狩猟時間が長引くことになり、ひいてはハンターの身に及ぶ危険の増加につながるの」

「そうだね。大型モンスターとの戦闘は、たった一撃で戦局が大きく変わるからね。狩猟時間が長引けば、それだけクエストを失敗する可能性は高くなるね」

 ハンナマリーが厳しい表情でうなずく。

「そこで思いついたのが、棍を二つに分けることで、棍を双属性武器化することなの!」

「双属性武器化?」

 自信満々のレノとは対照的に、カーシュナーたちはピンと来ない表情で首をひねる。

「みんな属性のついた武器持ってる?」

 レノの問いかけに全員首を横に振る。

「そっかあ! みんなハンターになったばっかりなんだよね。たたずまいが一流ハンターみたいだから、つい忘れていたわ!」

 一流と言われ、全員もれなく照れる。なぜかファーメイ、ヂヴァ、モモンモの3人も照れている。むしろカーシュナーたち以上に一流という言葉に過剰反応していた。

 ファーメイたちに冷たい視線を投げているカーシュナーたちに、レノは双属性武器について説明した。それは双剣の一部の武器にのみあるもので、火と氷など、異なる二つの属性を有している特殊な双剣だった。

「そんな双剣があるのか!」

 双剣をメイン武器にしているジュザが、驚きの声をあげる。

「これは大連続狩猟なんかだとかなり有効なんだけど、逆にどちらかの属性に対して強いモンスターの1頭討伐狩猟とかだとむしろマイナスに働いて、火属性のみとかの単独属性の双剣の方が有効だったりするの」

「使いどころ次第ってわけか。それを取り入れるのか? マイナス要素があると新武器種として認定してもらうのは難しくなるんじゃないのか?」

「さすが、リドリー。よくわかってるね。そこで出てくるのがわたしが考案した新技術!」

「おっ! まだなんかあるのか?」

 レノは一度大きく胸を反らすと、演舞棍の包みにいっしょに入っていたパーツを取り上げ、持っていた演舞棍に装着した。

「これはカートリッジといって、本来なら武器に属性を付与する上でとても重要な、≪○○袋≫、麻痺袋とか火炎袋を、脱着可能にしたものなんです!」

 そういうとレノは、カートリッジを装着した演舞棍を自慢げに掲げた。

「…ごめん。レノ。たぶんすごい発明なんだと思うんだけど、そのすごさがわかるだけの知識がないんだ」

 カーシュナーが申し訳なさそうに言う。

 会心のネタだったのだろう。レノは一瞬しょんぼりしつつも、

「問題ないです! そういうものだと理解してもらえれば十分です!」

 無理矢理自らをを奮い立たせて答えた。その際、レノの目の下の皮膚がビクビクッと痙攣するのを、カーシュナーは見なかったことにした。

「属性を付け替えられるようにして、汎用性を持たせたってことか! そのカートリッジを開発したことのすごさはいまいちピンとこねえけど、これなら通常攻撃時のダメージ率も、属性効果で上がるんじゃねえか?」

「…ピ、ピンとこないですか。他のことはそこまで理解できるのに、これだけ……ま、まあ、そういうことです。双剣にも言えることですが、どうしても一撃の物理ダメージが弱いので、属性ダメージが非常に重要になってきます。そして双剣と一番違う改良点は、同種のカートリッジを装着することで、単独の属性値に特化し、その属性値を引き上げられるという点です」

「それは奏双棍も同様なのかな?」

「はい。メインの攻撃機能を同じにして、補助機能の実戦における有効性を比較しようと考えて2種類の武器を試作したんです」

「なるほど。本当によく考えられているね。それで一つ確認しておきたいことがあるんだけど、奏双棍も演舞棍も武器系統が打撃になっているけど、この武器重量で気絶取れるの?」

 気になって奏双棍の重さを確認していたカーシュナーが尋ねる。打属性の代表的な武器にハンマーがあるが、その派生武器である狩猟笛も共に超重量を持つ武器である。片手で振り回せる武器で、人をはるかに上回る巨体を持つモンスターを、果たして気絶させられるのかと思うのは当然であった。

「大丈夫。気絶は取れるよ。ハンマーと比較して考えると到底不可能に思えるもんね。人間に例えるなら、ハンマーが棍棒で、奏双棍や演舞棍だと小枝で頭を叩かれるようなイメージになるのかな? 人間いくら手数多く叩かれても、小枝で気絶はしないからね」

 レノが腕まで組んで何度もうなずく。

「これも何か秘策があるの?」

「確かに、新しい技術を組み込んで気絶を取れるようにはしたけど、気絶の取り方には色々な手段があって、武器だけでも、大剣の横殴りとか、片手剣の盾攻撃だったり、弓による曲射でも気絶は取れるんだよ。大剣の横殴りはハンマーの攻撃にイメージが近いから納得出来るかもしれないけど、片手剣の小さな盾や矢が命中することで気絶が取れることを考えると、必ずしも超重量攻撃でモンスターの脳を揺さぶらなくても気絶は取れるんだよ。これが、防具のスキルと組み合わせれば、双剣でも気絶させることは出来るんだよ。超一流の狩猟テクニックが必要だけどね」

「ということは、その新しい技術のおかげで、超一流の狩猟テクニックがなくても気絶が取れるようになったってことなのかな?」

「そうだよ。双剣で気絶を取ろうと思ったら、抜刀術【力】を発動させて、その上で武器出し攻撃を頭部に当て続ける必要があるからかなり難しいんだけど、この技術を組み込むことで、全攻撃で気絶値を蓄積させられるようになったの。おまけに、頭部だけじゃなく、首に攻撃を入れても気絶値が蓄積されるから、かなり気絶を取りやすくなるはずだよ」

「首に攻撃して気絶するの!」

「当て身?」

 カーシュナーが驚き、ジュザが思いつきを口にする。

「当て身かあ~。発想がすごいね! 大剣の背でモンスターの首筋を叩いて気絶させられるかな~? 今度王立古生物書士隊に研究依頼出してみようかな。……って、また話がそれちゃった! 実際は、音波を使って気絶とめまいを起こさせるんだよ!」

「音波?」

「みんなは大きな音でめまいを起こしたことってある?」

 レノの問いにリドリーが大きくうなずく。

「ファーにやられた! 耳元でバカでかい声出されて目が回ったことあるわ!」

 リドリーの言葉に、なぜかファーメイは照れくさそうにする。

「なんで褒め言葉として受け取れるんだよ! お前の大声でオレは目を回したんだぞ!」

「!? まるで火竜の咆哮のような素晴らしい声って意味じゃないんッスか?」

 リドリーのツッコミに、ファーメイが真顔で問い返す。

「……もうそれでいいや。お前さんの天然には敵う気がしねえよ」

 リドリーがお手上げの表情で首を振る隣で、ファーメイがヂヴァとモモンモとハイタッチを交わしている。彼女は何かに勝ったのだ。

「…音でめまいを起こせることはわかったよ。身に染みているからな。でも、モンスター相手に本当にそんなこと出来るのか? 仮に出来たとして、そんなでかい音ハンター自身も耐えられないだろ?」

 隣りでどや顔をしていたファーメイの首を絞めながらリドリーが問いかける。

「大きい音で気絶させるんじゃなくて、音による振動で、モンスターの脳と三半規管を揺らして気絶させるんです」

「脳はわかるけど、三半規管ってなんだい?」

 耳慣れない言葉にハンナマリーが首をひねる。

「耳の奥にある、平衡感覚なんかをつかさどる大事な器官ッスよ! 三半規管が異常をきたすと、人間ならめまいや吐き気とか、他にもいろいろな障害が発生するんッスよ!」

 新人とはいえ王立古生物書士隊の隊員であるファーメイが説明する。

「奏双棍も演舞棍も、打つと同時に強い音波を発生する仕組みになっていて、打撃による衝撃との相乗効果で、モンスターに気絶値を蓄積していく仕組みになっているの。ちなみに首を打っても気絶値が溜まるのは、骨伝導と言って、振動が骨を伝わって行くからなの。モンスターの頭部は甲殻や鱗に守られていて非常に硬くて、打属性武器では弾かれちゃうことが多いから、比較的肉質が軟らかい首への攻撃でも気絶が取れるのは、実は狩猟をスムーズに進める上で非常に重要なことなんだよ」

「なるほど。笛や演奏の技術を取り入れたのは、猟虫に代わる強化システムとしてだけじゃなく、メイン攻撃の強化も考えてのことだったんだね」

 カーシュナーが心底感心する。グエンが高く評価するのもうなずけた。

「じゃあ、さっそく使い方の練習を始めようか。ある程度使いこなせないと実戦での正しい評価が出来ないからね」

 カーシュナーが奏双棍を取り上げ、リドリーがレノから演舞棍を受け取る。

「強化必要。このままだと狩猟にならない」

 ジュザが指摘する。

「そうだね。操虫棍が使えないこの大陸でこそ必要になる新しい武器種だからね。生産素材は全部この大陸産のものでまかなった方がいいね」

 ハンナマリーがジュザの意見に賛同する。まったく新しい試みに、カーシュナーと同じ翡翠色をした大きな瞳が好奇心に輝いている。

「新モンスターの素材がどんな風に使われるのか、いまから楽しみッス!」

 興奮するハンナマリーたちの隣りで、二つに分割されていた棍を1本の長い棒状の棍に変形させたカーシュナーとリドリーが、さっそくジャンプの練習を始める。

 棍の先端が地面をしっかりと捉え、一瞬しなった棍が二人の身体を宙に持ち上げる。

「うわぁ!!」

 二人の悲鳴が交錯し、続いて派手に木の枝に激突する音が響いた。

 木の枝に引っかかった二人の助けを求める声に、ハンナマリーたちの笑い声が重なった。



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不測の事態!

「わああぁっ!! また、やっちゃったー!!」

 頭脳明晰、冷静沈着、優秀を絵に描いたようなカーシュナーとはとても思えない叫びが、豊かな流れをたたえる≪大河≫を中心とした狩場に響いた。

 陸に上がった大型水生甲虫種モンスターに乗り攻撃を決め、転倒させたまでは良かったのだが、この隙に乱打を叩きこもうとして棍を変形二分割した際に、誤って片方の棍を掴み損ねて放り投げてしまったのだ。

 間の悪いことに、放り投げた片方の棍が走り込んできたジュザの顔面に飛び、当たりこそしなかったものの、回避行動を1回はさんでしまったため、せっかく転倒させたモンスターにとりつくのが遅れてしまい、乱舞を決める隙を逃してしまった。当然片方の棍を失ったカーシュナーに乱打を叩き込むことなど出来る訳もなく、やむなく棍の回収に走ることになった。

 棍を拾い上げた時には大型水生甲虫種モンスターはすでに起き上がる体制に入っており、いまから駆けつけたのでは反撃を受けに行くようなものなので、カーシュナーは効果の切れていた硬化マウスピースを取り出し、鬼人マウスピースと付け替えて吹き鳴らした。

 狩場にいた全員の防御力が上がる。

 起き上がった大型水棲甲虫種モンスターが怒り状態になる。

「みんな! 一旦退こう!」

 カーシュナーは叫ぶとペイントボールを投げつけ、続いて閃光玉を投げつけて撤退の隙を作りだした。

 

 隣りのエリアに避難すると、カーシュナーはジュザに頭をさげた。

「気にするな、これで改善点確定だ」

 ジュザは気にした風もなく、肩をすくめてみせた。

「もっと武器熟練度を上げれば解消出来るかもしれないけど、この変形二分割からのすっぽ抜けは、武器選択の大きなハードルになりかねないね」

 珍しく同じ失敗を繰り返したカーシュナーが眉をしかめる。

「オレなんか、もう3回もやらかしてるぜ」

 演舞棍(エンブコン)を使用しているリドリーがぼやく。

「リド! ウソはだめだよ! ボクはちゃんと見ていたからね! 本当は5回でしょ!」

 ファーメイが勝ち誇ったように指摘する。

「余計なとこ見てんじゃねえよ! ちゃんとモンスターの観察していろ!」

 リドリーがわずかに露出している頬を赤くして言い返す。

「いつ5回も失敗したんだい? 私が見ていた限りじゃ3回しか失敗してなかったと思うんだけどね」

 ハンナマリーが片方の眉だけをきれいに釣り上げて尋ねる。

「ジャンプ攻撃しようとしたら、エリア移動されてしまったんで双棍(ソウコン)タイプに戻そうとしたときに、地味に失敗していたのニャン」

「その後に腹を立ててかっこいい感じにやり直して、また失敗してたモ~ン!」

 ヂヴァとモモンモが告口をする。

「お前らもそんなとこばっか見てんじゃねえよ!」

 告口されて怒ったリドリーが二人を追い回す。

「リド、ダサ」

 そんなリドリーをジュザがバッサリ切り捨てる。

「なんだと! お前だってこの前の狩猟の時に失敗していただろ!」

「失敗の事じゃない」

「失敗をごまかそうとしたことがダサい」

「ぐあぁ!」

 返す言葉のないリドリーがうめき声をあげる。

 そんなやり取りを見ながら、カーシュナーは苦笑しつつフォローを入れる。

「すっぽ抜けは仕方がないよ。扱いに慣れていないこともあるしね。すっぽ抜けの対策が確立されるまでは、一旦性能テストは中止にしよう。今回は前回と違って大型モンスターの討伐依頼だからね。些細なミスが大惨事につながりかねないから、討伐に集中して、双棍と長棍(チョウコン)の可変操作は控えよう」

「そうだな。補助機能とメインの攻撃性能は優秀なんだから、基本双棍状態で立ち回って、ジャンプ攻撃は飛ばれた時だけに限定して立ち回るか」

 リドリーが毛量の多すぎる頭髪をかき回しながら提案する。

「そうだね。その場合もジャンプ攻撃が得意なリドだけに限定して、ボクはこの狩猟中は双棍状態で立ち回ることにするよ」

 カーシュナーの提案にリドリーもうなずく。

「性能テストの件はそれでいいとして、立ち回り方を考えよう。ファー、モンスターの確認は出来たかい?」

 ハンナマリーがファーメイに尋ねる。

「ばっちりッスよ! でも、この狩場≪大河≫は似たような大型水棲甲虫種モンスターが多くて、見分けるのが一苦労ッス!」

「今回遭遇したのはどんなタイプだい?」

「今回の大型水生甲虫種モンスターは、一番発見例の多いタイプで、名前は≪潜影虫≫(センエイチュウ)に決まったッス。薄曇りの日に出来る影のような、微妙な色をしてるッス。その微妙な色のおかげで、水中の暗がりの中に見事に溶け込むッス。主に水中に身を潜め、近づいた水生草食種等を鎌状になった前脚で捕獲し、口針で消化液を注入して体外消化して吸収するッス。でも、口針とは異なる強力なアゴも持っていて、固い殻を持つ甲殻類や小型の甲虫種をかみ砕いて捕食することもあるッス。どちらもハンターに対する攻撃にも使用され、アゴは当然強力な物理ダメージを与えて来るし、消化液は防御力ダウンの効果があるッス」

「まいったな。忍耐の種なんて持ってきてないぞ」

 リドリーがぼやく。

「ボクはアイテムポーチがいっぱいで持ってこれなかったよ」

「カーシュはマウスピース持ってきすぎなんだよ。性能テストをする必要があるからって全種類持って来ることないだろ」

 ハンナマリーが指摘する。

「プラス、カートリッジ」

 ジュザも口をはさむ。

「そうなんだよ。奏双棍≪ソウソウコン≫は機能をフル活用しようとすると、アイテムポーチが半分埋まるんだよな~」

 奏双棍の使用経験があるリドリーが思い出してぼやく。

 カーシュナーたちが使用している新武器種の試作品は、当初性能確認を目的になぞの骨を使って生産されていたため、攻撃力、切れ味ともに実戦での使用のたえるレベルではなかったので強化することになった。その際に故障や破損を考慮して、予備をもう一組生産していた。前回は大量発生している小型甲虫種を討伐するという難易度が低いクエストだったので、思い切ってカーシュナーとリドリーとジュザの三人で新武器種を狩猟に持ち込んだのだ。その際、素材採取の調子が良かったリドリーは、途中でアイテムポーチがいっぱいになってしまうアクシデントに見舞われた。運よく数少ないタル配便のスタッフがクエストに同行してくれていたおかげでモモンモにブチ切れられずに済んだが、アイテムポーチの圧迫は頭の痛い問題だった。

「そこ! ごちゃごちゃ言うのは後にするッス! いまはモンスターの説明を聞くッス!」

 ファーメイに注意され、全員静かになる。

「水中での活動がメインみたいッスけど、飛行能力にも優れていて、アルセルタス並の動きをみせるそうッス! お尻に細長い呼吸器があるッスけど、陸上と飛行中はこの呼吸器を飛竜の尻尾のように振り回して攻撃してくるそうなんで気をつけてほしいッス! まれに水ブレスで攻撃してくるそうなんで、油断しないでくださいッス!」

「動きは全体的に遅いよね? 水中での突進攻撃も、前に撃退した両生種の方が速かったと思うんだけど…」

「そうッスね! 捕食自体がじっと待ち構えるタイプッスからね。脚も泳ぐよりもつかむことに重点を置いた構造になっているッスから、水中と陸上ではそれほど速くはないッスね。ただ、さっきも言ったッスけど、飛行能力が高くて、ショウグンギザミみたいに前脚の鎌を大きく広げて突っ込んでくる広範囲攻撃は、回避が難しいうえに威力も高そうなんで、ガードが出来るハンナ以外は特に気をつけてほしいッス! ちなみに、この攻撃は怒り状態にならないと出さないそうなんで、怒り状態になったら要注意ッス!」

「ありがとな。ファーメイ。みんな立ち回りの確認をするけど、基本正面には立たない。身体の割に頭部が小さいし、甲虫種には飛竜種みたいな首もないから、思い切って気絶は捨てる。だから、火属性がついているカーシュとリドは後脚に攻撃を集中させてモンスターをコケさせることに専念して。私とジュザは部位破壊。優先順位はぶん回しが厄介なケツの呼吸器の破壊からで、次が前脚の鎌。翅(はね)も壊せるらしいけど、攻撃出来る隙が少ないから、無理に部位破壊を狙うと狩猟時間が長引いて私たちがやられる危険性が増すから、翅に関しては壊せたらもうけものくらいの認識で行こう」

「おいらたちは何をすればいいモン?」

「モモンモとヂヴァは、変わらずファーメイの護衛。小型甲虫種が集まってきたら、出来るだけ注意を引きつけて≪潜影虫≫と合流しないようにしてくれ」

「承知したニャン」

「任せるモン! なんなら全部狩りつくしてやるモン!」

 ヂヴァとモモンモが、ドン! と胸を叩いて請け負う。

「やりすぎて≪潜影虫≫の注意をまで引くなよ」

 モモンモの意気込みを、ハンナマリーが苦笑交じりにたしなめる。

「正直水中の方が狩りやすいから、水中へ移動しようとしたら攻撃を中断すること。ファーメイたちは水中での行動にはくれぐれも注意すること。じゃあ、みんな行くよ!」

 ハンナマリーの号令に、全員気合のこもった声で応えた。

 

 

 カーシュナーたちのエリア移動の間、≪潜影虫≫の怒りは静まったらしく、静かにたたずんでいた。もっとも、警戒を解いたわけではないので、カーシュナーたちがエリアに戻って来たとほぼ同時に、身体ごとカーシュナーたちに向き直り、前脚の鎌を広げて威嚇してきた。

 カーシュナーたちは作戦通り正面は避け、左右に展開して≪潜影虫≫の側面と背後を取りに行く。

 おそらく右利きなのだろう。左の前脚より若干大きい右の鎌を、丈の高い草でも刈るように振り回してくる。

 ≪潜影虫≫の右側面を狙って移動していたハンナマリーとリドリーが、慌てて緊急回避で身をかわす。全体的な動きはそれほど速くはないのだが、鎌を振り回す速度だけは段違いに速かった。加えて、ショウグンギザミのように縦方向の攻撃ではなく、攻撃範囲が広い横方向に攻撃してくるので回避が難しく、ガードが可能な武器種でない限り、武器をかまえた状態で接近するのは非常に危険だった。

 左の鎌での攻撃が飛んでくる前に攻撃範囲を突破したカーシュナーとジュザだったが、≪潜影虫≫が細かく左右に移動を繰り返すため、武器のリーチが短い二人はなかなか≪潜影虫≫に取りつけないでいた。

 状況を判断したジュザが、あえて≪潜影虫≫の左の鎌の攻撃範囲ギリギリに移動し、囮役を買って出る。この隙に右の鎌の攻撃範囲を潜り抜けたハンナマリーが、武器出し攻撃を胴体に叩き込み、すかさず前転して納刀するとその場を離れた。

 側面に取りつかれて苛立った≪潜影虫≫が一瞬力を溜めてから、一気に身体を半回転させ、尻から長く伸びている呼吸器を振り回した。内部が中空になっているため、野太い悲鳴のような音が辺りに鳴り響く。

 溜め時間と呼吸器の向きから攻撃を予測したカーシュナーたちは、≪潜影虫≫の胴体の下を前転で通り抜けると、呼吸器のぶん回し攻撃の範囲外に脱出し、ぶん回しの反動で硬直している≪潜影虫≫に、一気にダメージを叩き込んだ。カーシュナーとリドリーの集中攻撃を受けた脚が力を失い、≪潜影虫≫は大勢を崩して倒れ込む。

 カーシュナーは鬼人化すると乱打(らんだ)を別の脚に叩き込み、リドリーは演舞棍を攻撃力強化の型で舞いながら叩き込んで全員の攻撃力を底上げする。呼吸器に近い位置にいたハンナマリーが溜め攻撃を叩き込み、左前脚近くにいたジュザは、無理に呼吸器の方には回り込まずに目の前の鎌に乱舞を叩き込んでいった。

 もがいていた≪潜影虫≫が大勢を立て直して起き上がる。起き上がり際に照準をしぼって長棍(チョウコン)をかまえていたリドリーがジャンプ攻撃を叩き込み、そのまま乗り状態になる。

 ≪潜影虫≫は乗られると鎌と呼吸器を振り回して暴れるので、リドリー以外のメンバーは≪潜影虫≫の動きを見つつ、攻撃範囲のギリギリに位置取り、転倒と同時に攻撃出来るように待ち構えた。リドリーが乗り攻撃に失敗することなどまったく考えていない。それもそのはずで、新人ハンターであるにもかかわらず、勘の良いカーシュナーたちは乗り攻撃のコツを瞬時にマスターしてしまい、これまで一度も振り落とされたことがなかったからだ。

 しばらくの間≪潜影虫≫とリドリーの一騎打ちが続き、リドリーが余裕で勝負を制して見事な受け身を決める。

「ハンナ! いまの乗り攻撃で甲殻が破壊出来た! 上手く翅まで破壊出来れば飛ぶ前に飛行攻撃を封じられるぞ!」

「いい判断だよ、リド! 翅は任せな!」

「呼吸器オレ行く!」

「リド! ボクたちは脚に攻撃しよう!」

「おうよ! コケさせてやろうぜ!」

 全員が的確に状況判断が出来ているため、攻撃が流れるように決まって行く。≪潜影虫≫は始めに右の鎌での攻撃でハンナマリーとリドリーを慌てさせて以降、有効な反撃が出来ないままカーシュナーたちに押し込まれていた。

 それぞれの攻撃が決まり、≪潜影虫≫は高い飛行性能を生かす間もなく半死半生の体にまで追い込まれてしまった。呼吸器は根元から切断され、鎌はカーシュナーとリドリーの集中攻撃で再び転倒させられた際に破壊されている。もう一押しで討伐完了である。

 傷ついた身体を引きずり、≪大河≫へと向かう≪潜影虫≫追おうとしたとき、突然河原が弾け飛び、石つぶてがカーシュナーたちを襲った。

 石つぶてからファーメイをかばったヂヴァとモモンモが、めまいを起こしてふらついている。

「ぎぃやああぁぁ!!! ら、乱入ッス!」

 それは≪潜影虫≫によく似た大型甲虫種だった。身体自体は≪潜影虫≫よりも小柄だが、脚は太く頑丈で、特徴的な尻の呼吸器が極端に短くなっている。その代わりなのか、左右の鎌は背にあたる部分が非常に分厚く、左右非対称になっており、この大型甲虫種もおそらく右利きなのだろう、右の鎌が左の鎌の3倍近い大きさを持っていた。

 突如乱入してきた大型甲虫種は、めまいを起こしているヂヴァとモモンモに狙いを定め突進を開始した。≪潜影虫≫とは比べ物にならないスピードで距離を詰めていく。

「ファー! 離れろ!」

 ハンナマリーの絶叫が狩場に響く。しかし、ハンナマリーの声は大型甲虫種の立てる地響きに飲み込まれ、ファーメイの耳には届かなかった。

 ファーメイがその場を離れず、めまい状態のヂヴァとモモンモに蹴りを入れる姿を確認したジュザが、大型甲虫種を引きつけるために飛び出した。

 大型甲虫種の視界にジュザの姿が入る。大型甲虫種は脚を止め、ジュザに向き直った。

 注意を引きつけ、足止めすることに成功したジュザが、距離を取ろうとした瞬間、身体の前で、まるで腕組みでもしているかのように組み合わされていた鎌が、とんでもない速度で外側に向かって開いた。

 後退しようとして足を止めた最悪のタイミングで、乱入してきた大型甲虫種の巨大な右の鎌がジュザに襲い掛かる。

 誰も、カーシュナーですらも、一言も発する間もなく、ジュザの身体が弾け飛ぶ。

 ジュザの身体は、一度河原に叩きつけられ、そのまま≪大河≫に飛び出し、まるで小石で水切り遊びでもするかのように水面を二度跳ね上がり、三度目に水面に叩きつけられてゆっくりと沈んでいった。

 防具をまとった一人の人間が、放物線を描いて飛ばされるのではなく、撃ち出されたボウガンの弾の様に真っ直ぐに吹き飛ばされたのである。その攻撃の尋常ならざる威力がうかがえる。

「リド! ジュザをお願い! 姉さんはファーメイたちを逃がして!」

 叫ぶが早いか、カーシュナーはアイテムポーチの底から虎の子の≪爆裂投げナイフ≫取り出し、乱入してきた大型甲虫種に突進して行く。

 突っ込んでくるカーシュナーを狙って、ジュザを弾き飛ばした右の鎌が返ってくる。

「カーシュ!!」

 ハンナマリーが悲鳴に近い絶叫をあげる。

 カーシュナーの胴体を刈り取るかに思えた攻撃は、しかし、何もつかむことなく空を切った。カーシュナーが右の鎌による攻撃のリーチを完璧に見切り、攻撃の間合いに入る寸前に、大型甲虫種の左側に突進の向きを変えたからだ。

 鎌による攻撃が空振りに終わると同時にカーシュナーの右腕が振りぬかれる。カーシュナーの右手を離れた≪爆裂投げナイフ≫が狙いはあやまたずに頭部をとらえる。

 爆音と爆炎が≪潜影虫≫の頭部を包み、舞い上がった黒煙が晴れる前に、さらにもう一発≪爆裂投げナイフ≫が頭部に突き刺さる。

 再度の爆発に大型甲虫種が怒り状態になり、口から蒸気のようなものを吹き始め、後脚で地面を引っかき身を沈めた。そして、カーシュナー目掛けて突進しようとしたが、カーシュナーが横移動しているため突進のコースから逸れてしまい、苛立たしげに体の向きを変えた瞬間、前脚の鎌の隙間からのぞいた頭部に、3本目の≪爆裂投げナイフ≫が突き刺さった。

 爆音とともに大型甲虫種の巨体が崩れ落ちる。立て続けに頭部に爆発を受け、気絶してしまったのだ。

 カーシュナーは大型甲虫種が倒れるのを確認するとすぐさま大河へと走り、ジュザを救出したリドリーの手伝いに向かった。

「撤退!!」

 ヂヴァとモモンモを両脇に抱えたハンナマリーが、口惜しさと怒りのにじんだ号令を狩場に響かせた。

 

 

 ベースキャンプまで引き返してきた一行は、ジュザの身体を簡易ベッドに横たえると、新調したばかりのアロイメイルを外した。≪潜影虫≫と対峙していたときは傷一つなく磨き上げられていたアロイメイルが、いまでは外すのにも苦労するほどに変形している。

 途中で目を覚ましていたジュザが、自分のアイテムポーチを指さす。

 カーシュナーがジュザの元まで運んでポーチの口を開けてやると、ジュザは以前に王立古生物書士隊の元隊長からもらった秘薬を取り出し、ゆっくりと飲み干した。紙のように白かった頬にうっすらと赤みが戻る。

 一同の間に張りつめていた緊張の糸がゆるみ、それぞれがホッと息を漏らした。

 秘薬を飲み終ったジュザの身体をカーシュナーがそっと押してベットに戻す。一瞬だけジュザはカーシュナーの手に逆らったが、カーシュナーの瞳を正面からとらえると、悔しさを押し殺して従った。ジュザの受けたダメージは、もはやベースキャンプの簡易ベットで一度休んだくらいではとても狩猟に復帰できるようなものではなかった。

「あばらと胸骨をやられている。残念だけどジュザはここでリタイアだよ」

 カーシュナーの言葉に、リドリーが鼻息荒く答える。

「ジュザの敵だ! あの乱入野郎、どこの誰に絡んだか骨の髄まで思い知らせてやる!」

「待て」

 右のあばらと胸骨を痛めたため、右腕を胸の前で折りたたんでファーメイに固定してもらっていたジュザがリドリーをいさめる。

「待っていられるか! お前を痛めつけてくれたあのバカを放っておけるかよ!」

「準備が足りていない」

 今回の狩猟はけして不安定な環境での依頼ではなかった。狩猟対象が未確認ではあったが、確認数の多い大型水生甲虫種一匹であり、それは≪潜影虫≫の近縁種で、より水深の深い場所を主な生息域にしている≪深潜虫≫(シンセンチュウ)か、≪潜影虫≫のどちらかはっきりしていない程度の問題でしかなかった。この2種は生態が非常によく似ており、外見こそ≪深潜虫≫の方が細長く、≪潜影虫≫が薄平べったい身体をしているが、行動パターン、弱点属性及び弱点部位は同様で、狩猟に際して特別な準備を必要としないため、装備、アイテムともに特化した内容になっており、汎用性の高い装備やアイテムの持ち込みはしていなかったのだ。

「いつだって準備万端で狩猟に行けるわけじゃないだろ!」

「リド! あんまりジュザにしゃべらせるな! 胸の骨がいってるんだぞ…」

 ハンナマリーがたしなめる。

「…わりぃ。でもよ、ハンナだってこのまま黙っているつもりはねえんだろ!」

「当たり前だ」

 リドリーと違い、反応が静かな分、ハンナマリーの怒りの方がより深いことがわかる。

「カーシュ、止めろ」

 頭に血がのぼっている二人に話しても意味がないと理解したジュザが、カーシュナーに話を振る。

「二人ともボクの話を聞いて」

「つまんねえ説得なら、聞くつも…」

「黙って聞け!!」

 素直にカーシュナーの話を聞こうとしないリドリーを、ジュザが一喝する。普段声を荒げることなどないジュザの言葉に、頭に血が上っていたリドリーもさすがに押し黙る。

 大声が響いたのだろう。ジュザは身体を折り曲げてうめき声を漏らす。

「リド、姉さん。ジュザがここまでして止める理由がわからないわけではないでしょ? ジュザはあの一撃で、あのモンスターがいまのボクたちの手には負えないことを悟ったから止めてるんだよ」

 カーシュナーの言葉に、ハンナマリーとリドリーが悔しげにうつむく。

「…でもよ。このままおめおめと引き返すなんて情けねえだろ」

「ボクも引き返すつもりはないよ。でも、いまの状態であのモンスターを討伐出来ないことは、事実として認めなきゃいけない」

 リドリーが怪訝そうに眉をしかめて尋ねる。

「引き返さないで何をするんだよ?」

「依頼を達成する」

「依頼?」

「そう。今回ボクたちが引き受けたのは、大型水生甲虫種1匹の討伐依頼なんだよ。あの乱入してきた大型甲虫種は依頼の対象外なんだ。あのモンスターをかわして、なんとか≪潜影虫≫を討伐する」

 腕組をして考え込んでいたハンナマリーが、苛立たしげに髪をかき回す。

「確かに依頼そのものをあのバカのせいで失敗するのは、他のハンターたちに余計な負担をかけることになる。でもな、依頼を達成出来てもあのバカに借りを返したことにはならないんだぜ」

「依頼も達成できなくて逃げ帰るよりはいい」

 ジュザが苦しげにカーシュナーの意見に補足する。

「私はあのバカに一泡吹かせてやりたいんだよ!」

「諦めろ。時間も足りない」

 ジュザの言葉に、ハンナマリーは返す言葉もなく、ただ呻いた。

「一泡は吹かせるよ。そのために、まず≪潜影虫≫を狩るんだよ」

「どういうことだ!」

 予想外のカーシュナーの言葉に、リドリーが食いつく。

「今回狩場の環境は不安定じゃなかった。でも、実際にはモンスターの乱入を許して、ジュザがリタイアに追い込まれている。もともと、ここ≪大河≫は、北の大陸の狩場と違って、まだまだ情報が不足しているんだよ。本当なら環境不安定として発注されなければいけなかったクエストが、ノーマルのクエストとしてボクたちのもとへ来てしまった。なら、今回のクエストを、これから環境不安定のクエストとして処理すればいいのさ」

「そんなこと許されるのか?」

 リドリーの疑問に、ファーメイが答える。

「危険すぎると判断されない限りは許されると思うッス。そもそも、ここ≪大河≫は狩場としてどこのギルドにも属していないッス。元ギルドマスターさんがクエストの管理、決定をしているッスけど、実はルールなんかの細かいことはまだ何も決まっていないのが現状ッス。乱入に関しても、モガ村近辺だと、メインのクエスト内で狩れる様なら狩っていいッスけど、クエストの時間が乱入モンスターの狩猟のために延長されることはないッス。これがユクモ村近辺になると、乱入クエストとして新たにクエストが追加発注されるッス。もちろん別クエスト扱いなので時間は始めからになるッス。ただし、力尽きた回数は引き継がれるので、前の狩猟で2回力尽きていれば、乱入クエストで1回力尽きた時点でクエスト失敗ッス。これはハンターが無理をして命を落としたりしないための処置なので仕方ないッス。その救済処置として、もともと一つのクエストが終了した直後に準備もなく始まるクエストなので、無理だと思ったら途中で引き返すことが出来るッス。その場合、クエストはリタイア扱いにはならず、乱入モンスターの部位破壊に成功していればちゃんと報酬がもらえるッス。正直言って今回のケースがどの事例に属するのか元ギルドマスターさんにもわからないと思うので、無茶をし過ぎなければ、現場の判断で処理できると思うッス」

「無茶ではない範囲ってどこまでになるんだい?」

 ハンナマリーが当然の疑問を口にする。

「どうなんッスかね? 本来なら皆さん新人ハンターなので、クエストを中断してギルドに報告し、クエスト自体を取り下げるべきなんでしょうけど、そんなつもりはまったくないわけッスから、これ以上大きなケガをしないようにするしかないんじゃないッスかね?」

 ファーメイも、断言出来る問題ではないので難しい顔で首をひねる。

 自然と全員の視線がカーシュナーに集中する。

「討伐出来ないことはわかっている。その上で無茶ではない範囲で出来ることと言えば、部位破壊しかない。あのバカでかい右前脚の鎌をへし折ってやろう。ジュザにこれだけのことをしてくれたんだ。落とし前として、腕の1本は置いていってもらう」

 全員の視線に、カーシュナーは翡翠色をした瞳に普段とは違う冷徹な光を込めて返した。

 カーシュナーの厳しさを初めて目の当たりにしたファーメイ、ヂヴァ、モモンモの三人は、思わずのけ反ってしまう。

「作戦を立てよう」

 いつもの笑顔に戻ったカーシュナーに、吸い寄せられるように全員がカーシュナーの周りに集まった。

 

 

 ≪大河≫の一角にあるモンスターの休息場所で、カーシュナーたちは傷を癒すために眠っていた≪潜影虫≫を発見し、これを八つ当たり気味に討伐してのけた。剥ぎ取りも無事終わり、驚いたことに剥ぎ取りをするためだけに、採取の鬼モモンモとヂヴァの即席担架で強引に連れてこられたジュザが、つい先程剥ぎ取り終わってベースキャンプに戻って行ったところであった。

 残ったメンバーは、作戦会議の際に受けた乱入モンスターの説明を改めて思い出す。

 

「さっきの乱入モンスターは、おそらく≪潜影虫≫の亜種もしくは希少種にあたるモンスターだと思うッス。確認例が、まだ、たったの1件しかないので、亜種なのか希少種なのか、その認定はまだ下されていないッス。そのため、仮称としてなぜか≪潜影虫・姫≫(センエイチュウ・ヒメ)と呼ばれているッス」

 空白ページだらけの真新しいモンスター図鑑を開きながらファーメイが説明する。

「行動の特徴として、≪潜影虫≫とは真逆の陸戦型で、水に潜ることはないそうッス。その証拠にお尻の呼吸器が極端に短くなっており、当然呼吸器のぶん回し攻撃もないッス。加えて、翅はあるんッスけど、退化してしまったのか、まったく飛ばないッス。空も海も捨て、完全に陸上使用になっており、特化した分手強くなっているッス。攻撃の特徴としては、片側の巨大化した鎌を攻撃の主軸に、突進及び周囲を薙ぎ払う回転攻撃もよく使ってくるらしいッス。それと、水ブレスの代わりに泥団子を吐き出してくるので注意が必要ッス」

 

 ファーメイの補足では、攻撃のパターンはゲネル・セルタスに似ているらしいが、航海中にギルドマスターから知識として教えられたゲネル・セルタスしか知らないので、あまり参考にはならなかった。

 カーシュナーたちは≪大河≫を泳いで横切ると、≪潜影虫・姫≫の捜索を開始した。気絶させた際にペイントボールをぶつけておけばよかったのだが、いまさら後悔しても意味はない。

「そういえば、カーシュは狩猟中に≪潜影虫・姫≫の気配とか感じたか? オレは全然気がつかなかったんだけどよう」

 リドリーが不意に問いかける。

「気がつかなかった。違和感もなかったよ。姉さんは?」

「私もまったく気がつかなかったよ。いつから河原に潜んでいたんだろうね?」

「これって結構重要なんじゃないか? 完全に不意を突かれたせいで対応が後手に回ってやられちまったけど、ほんの少しでも警戒出来ていたら、あそこまで一気にやり込められることはなかったはずだ」

「そうだね。ファー。その辺のことは何かわからいかな?」

 問われて再びモンスター図鑑を開いてみたが、ファーメイは首を横に振った。

「唯一の発見例では、フィールドを移動中にばったり遭遇していて、そのまますぐに戦闘になり、フィールド条件の悪さもあって撤退出来なくて、やむなく討伐しているんッス。なので、通常時の行動についてのデ-タは全くないんッスよ」

 この答えに、カーシュナーは何の不満も示さずうなずいた。

「そのくらい難しい相手じゃないとね。ジュザがやられた相手がたいしたことなかったりするのは、矛盾しているかもしれないけど嫌だからね」

 カーシュナーの言葉にリドリーとハンナマリーが思わず苦笑する。言われてみれば確かにその通りだと思ったからだ。

「今回は討伐は諦める。でも、いつか討伐するために、出来る限りのデータを集めよう」

「そのためにも、まずは見つけないとね」

 ハンナマリーの言葉に、一同はうなずいた。

 

 カーシュナーたちは、遭遇した河原から上流に向かって捜索を始めた。

 どうやら移動の基本は地上を歩いて行うらしく、わかりやすい痕跡が上流に向かって残されていた。これが飛行能力に優れたモンスターや地中を移動するタイプのモンスターだったら捜索は難航した可能性が高かった。

 しばらく進むと、後方からモモンモが勢いよく駆けてきた。ジュザをベースキャンプに送り届けた後、ジュザの面倒をヂヴァに押しつけて戻ってきたのだ。

「お~い! モモンモ様が駆けつけて来てやったモ~ン! これで…」

 最後にどんな言葉をつけ足そうとしたのか定かではないが、それは途中で遮られ、本人は空高くへ吹き飛ばされてしまった。つい先程通り過ぎた場所から、≪潜影虫・姫≫が突き上げ攻撃をモモンモにぶちかましたのだ。

「なっ!!」

 これにはさすがのカーシュナーも言葉が続かなかった。他の3人も同様で、思わず硬直し、クルクルと宙を舞うモモンモの姿を茫然と目で追っていた。

「散って!」

 いち早く正気に戻ったカーシュナーが、≪潜影虫・姫≫の左側面に向かいながら声を掛ける。

 事前の打ち合わせ通りに、ガードが出来るハンナマリーが右側面に向かう。リドリーは乗り攻撃を狙うため、大きく迂回して≪潜影虫・姫≫の背後に向かう。ファーメイは吹き飛んでいったモモンモの回収に向かった。

「姉さん! デコピンに気をつけて!」

 カーシュナーが反対側にいるハンナマリーに向かって声を掛ける。

「あいよ!」

 威勢のいい答えが返ってくる。

 デコピンとは、ジュザが一撃でリタイアに追い込まれた攻撃のことで、この攻撃は巨大な右前脚の鎌を左前脚の鎌で押さえて力を溜め、それを一気に解放することで爆発的な攻撃力を得るものだった。原理がデコピンと同じことからカーシュナーたちはこの攻撃をデコピンと呼んでいた。

 ≪潜影虫・姫≫は、モモンモを吹き飛ばして地上に姿を現してからすぐに、右前脚に力を溜めこんでいたので、いつデコピンが飛んで来てもおかしくないのだ。

 カーシュナーは他の攻撃も警戒しつつ、奏双棍で防御力強化効果のある音色を吹き鳴らした。そして2本の棍を頭上で交差させると、鬼人化状態になり、一気に≪潜影虫・姫≫の懐へと潜り込んだ。

「姉さんいくよ!」

 カーシュナーは姉に一声掛けると、大胆にも左の前脚に近づき、右前脚の鎌を抱え込んでいる部分に奏双棍を叩き込んだ。

 カーシュナーの見切りは完璧で、右と左の力のバランスを崩された≪潜影虫・姫≫は、右前脚に溜め込んでいた力を暴発させ、誰もいない空間を薙ぎ払った。

 カーシュナーは素早く鬼人化を解除すると、自らの力の反動で足元をグラつかせている≪潜影虫・姫≫の懐から脱出し、≪潜影虫・姫≫の動きに合わせて立ち位置を調整しつつ、鬼人化で削られたスタミナの回復をはかった。

 ≪潜影虫・姫≫の右側面に移動していたハンナマリーは、右前脚のつけ根付近に位置取ることで暴発によって振り回された右前脚の鎌によるダメージを回避し、限界以上に伸ばされて悲鳴を上げている鎌の関節部分に強烈な武器出し攻撃を入れた。

 カウンターで叩き込まれたハンナマリーの大剣≪ブレイズブレイド改≫が、関節を保護していた甲殻に、一撃で亀裂を発生させる。タイミングと攻撃を叩き込んだ位置、このどちらかでもずれていたら、ハンナマリーの攻撃は弾き返されていただろう。≪潜影虫・姫≫の甲殻はそれだけの強度を誇っていたのだが、ハンナマリーの力量が、その上を行ったのだ。

 それ以上を欲張らずに前転回避からの納刀でその場を離れたハンナマリーに続いて、カーシュナーが残り2本となった≪爆裂投げナイフ≫を投げつける。頭部を爆炎に包まれた≪潜影虫・姫≫が怒り状態に突入した瞬間、背後に回り込んでいたリドリーがジャンプ攻撃を叩き込み、そのまま乗り状態に突入する。

 怒りに任せてリドリーを振りほどこうとする≪潜影虫・姫≫の暴れっぷりは尋常ではなく、さすがのリドリーも今回は振りほどかれるかと思われたが、最後は片手でしがみつき、なんとか転倒させることに成功した。

 ≪潜影虫・姫≫が大暴れしている間も立ち位置の調整をしっかり行っていたカーシュナーとハンナマリーは、転倒するとほぼ同時に、カーシュナーは頭部の左前に、ハンナマリーは右前脚の鎌の関節部に取りつき、カーシュナーが気絶を狙って鬼人化からの乱打を叩き込むと、ハンナマリーは渾身の溜め攻撃を叩き込んでいった。

 ≪潜影虫・姫≫の転倒の際に放り出されたリドリーが、わずかに遅れてカーシュナーに合流し、右頭部に乱打を叩き込んでいった。カーシュナーとリドリ-は互いの攻撃が干渉し合うのもかまわず、力押しで気絶を取りに行く。

 互いの身を削り合いながらの攻撃が功を奏し、≪潜影虫・姫≫は転倒から起き上がる間もなく気絶に追いやらる。スタミナ切れで鬼人化が解除されてしまったカーシュナーとリドリーは、通常攻撃でさらにダメージを追加し、≪演舞棍≫による強走効果のある型を舞いつつリドリーが攻撃を行ったおかげで、カーシュナーたちは≪潜影虫・姫≫の気絶が解ける前に強走効果を得ることに成功した。この間ハンナマリーの溜め斬りを幾度となく受けた右前脚の関節はズタボロになっていたが、破壊するまでには至らなかった。

 起き上がってからの≪潜影虫・姫≫の反撃は常軌を逸していた。ダメージの深い右前脚の鎌を容赦なく振り回し、距離を取るために離れようとすればすかさず突進で距離を詰められ、近づきすぎると大木のような脚で繰り出される回し蹴りのような回転攻撃が襲い掛かってくる。特別クセのある攻撃ではないのだが、それだけに攻撃性能が高く、1ランク上のモンスターであることを感じさせられる。

 完全に回避に専念していても、わずかに引っ掛けられただけで回復薬が必要なほどのダメージを受ける。それでも辛抱強くかわし続けていると、さしもの≪潜影虫・姫≫も体力の限界に達したのだろう。疲労状態に陥り、極端に動きが悪くなる。怒りにまかせて振り回されていた巨大な右前脚の鎌も、疲労のためか、はたまた痛みのためか、力なく地面に投げ出されている。

「一気に攻めるか?」

 リドリーが確認してくる。

「いや、もう一度デコピンを打たせよう!」

 カーシュナーが≪潜影虫・姫≫から一瞬も視線を逸らせることなく答える。

「使うか?」

 地面に投げ出されている右前脚の鎌を見ながらハンナマリーが疑問を口にする。

「使わせるしかない。どうも怒り状態ではデコピンは使わないみたいだからね。チャンスはここしかないよ!」

「そうだな。次の怒り状態をかわしきれるか、正直言って自信ねえよ!」

 リドリーが苦笑しつつ答える。

「でも、どうやって使わせるんだい?」

 ハンナマリーが尋ねる。

「疲労状態のいまなら、むしろ使わせやすいと思う。足が止まっているからね。右前脚の鎌が届くギリギリの距離から挑発すれば、おそらく使ってくると思う」

「なるほどな。歩けばいいのに、横着して離れたところにある物に無理矢理手を伸ばすみたいなもんか! よし、まかせとけ! オレがバッチリ挑発してやるよ!」

 意気込むリドリーにカーシュナーは首を横に振ってみせた。

「ボクがやる」

「危険すぎる!!」

 ハンナマリーとリドリーが、声をそろえて抗議する。

「この挑発を成功させるには、デコピンの間合いにかならず一歩踏み込む必要がある。その一歩が深ければ、誘ったデコピンに引っ掛けられるし、浅ければ無視して回復に専念される。ギリギリの見極めが必要なんだよ」

「なんとかしてみせる!」

 リドリーが食い下がる。

「これがボクらが強引に始めた乱入クエストじゃなければまかせるよ。仮に失敗しても次を狙えばいいんだからね。でも、このクエストは大きなケガは許されない。大ケガをしたらその時点でクエスト失敗になる。デコピンを一度も間近で見ていないリドには絶対の見切りは出来ないよ」

 カーシュナーの言葉に、リドリーは何も反論出来なかった。

「それとも、ここまでやったけれど諦める?」

 カーシュナーはリーダーである姉に確認する。

「ここで諦めてもペナルティは受けないと思う。姉さんがボクには無理だと思うなら諦めよう」

 ハンナマリーは一瞬も迷わなかった。

「カーシュがやれると思うんならやろう!」

 カーシュナーはいつもの抜群の笑顔でうなずいた。

「リド。左前脚の鎌を叩く位置の見極めに気を付けて! 姉さんは最後の仕上げをお願い! 成功してもしなくても、この勝負で拠点に引き返そう!」

「なら、成功させようぜ!」

 リドリーはそう言うと、≪潜影虫・姫≫の左側面に向かって移動を始めた。

「ほんの少しでも迷いが生じたら中断するんだよ!」

 ハンナマリーが、カーシュナーを信頼しつつも身の危険を心配するあまり、払拭しきれない不安のこもった声を掛ける。

「姉さんこそ迷わないで。相手は格上だよ。全神経を集中して」

「わかった」

 ハンナマリーは答えると、≪潜影虫・姫≫の右側面へと向かった。急ぎつつも≪潜影虫・姫≫の注意を引き過ぎないように移動する。

 二人が離れると、カーシュナーは無造作に≪潜影虫・姫≫との距離を詰める。はたから見ているハンナマリーとリドリーの方が冷や汗をかく程の大胆な動きだった。当然≪潜影虫・姫≫の意識がカーシュナーに集注する。

 カーシュナーはアイテムポーチに手を突っ込むと、ペイントボールを取り出し、≪潜影虫・姫≫に投げつけた。見事なコントロールで頭部に命中する。始めは疲労のためか意に介さなかった≪潜影虫・姫≫だが、続けて2発、3発と命中すると、苛立ちをあらわにする。

 カーシュナーはデコピンのギリギリ外にあった足を、一歩前へと踏み出した。

 途端に投げ出されていた右前脚を引きつけると左前脚で抱え込み、巨大な鎌に力を溜め込んでいく。ハンナマリーに傷つけられた関節部分がギシギシと嫌な音を立てるが構わず力を溜め続けていく。

 力が満ちる寸前。それを気配で感じ取ったリドリーが気合いと共に左前脚の鎌に演舞棍を叩き込んだ。

 ストッパーになっていた左前脚の鎌から解き放たれた巨大な右前脚の鎌が、力を暴発させて振り抜かれる。

 尋常ならざる速度で振り抜かれた鎌が、カーシュナーに襲い掛かる。暴発の瞬間にバックステップを踏んだが、ギリギリのタイミングだ。

 離れた位置から全体を観察していたファーメイの目には、カーシュナーの頭が吹き飛ぶかに見えた。モンスターの注意を引かないために、狩猟中に声をあげない訓練を積んできたファーメイだが、思わず悲鳴が漏れる。

 巨大な右前脚の鎌の先端が、唸りをあげて近づくが、カーシュナーの目にはコマ送りのように見える。自身の動きも時間の流れ方が変わってしまったかのようにゆっくりと流れ、一瞬のはずの恐怖にさらされ続ける。カーシュナーはそれでも目を閉じず、鎌の先端を翡翠色の瞳で追い続けた。

 紙一重の差で、巨大な鎌の先端が、カーシュナーの目の前を通過し、一拍遅れて突風が襲い掛かってくる。役目を果たし終えたカーシュナーは、ここでようやく目を閉じた。

 リドリーが、可愛い弟が、見事な仕事で自分に繋いでくれた。ハンナマリーの集中力は極限まで高まり、カーシュナー同様時間の流れを置き去りにする。

 絶妙な位置取りに成功していたハンナマリーが、そこからさらに一歩踏み出し、コマ送りのように近づいてくる巨大な鎌の関節部分を目掛けて≪ブレイズブレイド改≫を振り下ろした。

 途方もない力の攻防が一瞬だけ行われる。ハンナマリーは全身の骨に深く響くような衝撃を受けたがなんとか耐え抜き、人の身の丈ほどもある巨大な剣を振り抜く。

 ≪ブレイズブレイド改≫が大きく大地を穿った時、≪潜影虫・姫≫の巨大な右前脚の鎌は持ち主を離れ、宙を切り裂いて飛び去って行った。

 部位破壊を通り越して、部位切断をやってのけたのだ。

 まるで帰ってこないブーメランのように空を飛んだ巨大な鎌が、派手な水飛沫を上げて河面に沈む。

 前脚を切り飛ばされて激痛にのたうち回る≪潜影虫・姫≫をしり目に、カーシュナーたちは≪大河≫へと身を躍らせた。そして沈んで行く巨大な鎌を引き上げる。

「取ったモ~ン!!」

 不意打ちを食らい吹き飛ばされただけのモモンモが、巨大な鎌の上に登り、美味しいとこ取りの雄たけびをあげる。

 始めはツッコもうとしたリドリーも、得意げに鎌の上で奇妙なダンスを踊るモモンモにバカ負けして大笑いする。それにつられてカーシュナーたちも笑いの発作に飲み込まれていく。

 一行は笑い声を≪大河≫に響かせながら、文字通りの大きな成果を手に、ジュザとヂヴァの待つベースキャンプへと引き上げたのであった。



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中休み?

 ≪潜影虫≫(センエイチュウ)討伐のクエストから拠点へと帰還したカーシュナーたち一行は、当然ながら、成功報酬を受け取り、何事もなくそのまま放免とはいかなかった。

 クエスト中にファーメイが指摘していたが、前回の狩猟は、依頼で提示されたクエスト内容と実際のクエスト内容があまりにも食い違っていたため、本来ならばクエストは一時中断し、実態の報告を行い、発注されたクエストそのものを取り下げてもらうのが常識的な対応であった。これは発注を行ったギルドマスター側の完全な落ち度であり、それによって発生した被害については全て補償されるものであったので、カーシュナーたちは無理をせずにクエストを中断すべきであったのだ。

 だが、カーシュナーたちは想定外のトラブルを乗り越えて正規の依頼内容をクリアした後に、認証されてもいない乱入を独断で乱入クエストとして対応、処理してしまった。

 これが、ベテランのG級ハンターのしたことならば、臨機応変な対応として、成功報酬を実際のクエスト内容に訂正して支払い、発注上の手落ちの埋め合わせをして終わりだったであろう。

 しかし、カーシュナーたちは下位の新人ハンターであり、その装備もキャリアに見合ったものしか身につけていない。むしろ、装備は実力に比するとかなりランクの劣るものになるだろう。本来ならば避けるべき格上の相手を、そのセンスだけで退けているような状態だった。それはけして評価すべきことではない。カーシュナーたちの行動は、あえて薄氷の上を歩いているようなもので、クエストの失敗がそのまま死につながる危険性が高かった。

 事実、今回ジュザが大けがを負い、1ヶ月は狩猟から離れなくてはならない状況になっている。

「受けたのが身体の強いジュザではなく、カーシュちゃんじゃったらどうなっていたと思うとるんじゃ!」

 と、元ギルドマスターに言われた時は一言も返せなかった。

「今回の件はこちらの手落ちじゃし、その上で≪潜影虫≫を討伐してくれたことには感謝しておる。≪潜影虫・姫≫(センエイチュウ・ヒメ)に関しても、貴重な情報と素材を持ち帰ってくれたことも高く評価するし、独断で乱入クエストを処理してしもうたことについては問わん」

 ギルドマスターは疲れたように言うと、カーシュナーたちを拝み倒しにかかった。

「じゃから、頼むからもう少しマシな防具を装備してくれんか?」

 もはや土下座せんばかりの勢いである。

 その言葉の全てが自分たち(と言っても主にカーシュナーのことだが)を心配してのものであるとわかっているカーシュナーたちは、素直に装備の強化が図られるまでは上位クラスの強力なモンスターには挑まないことを約束した。

 そんな理由もあって、カーシュナーたちはジュザの傷が癒えるまでの間、のんびりと採取に専念することになった。

 南の大陸に上陸して以降、全速力で駆けるように生きてきた彼らに、ようやく中休み的な時間が訪れた。

 

 

「お~い! 待ってくれだモ~ン! ヂヴァ~!」

 レノに作成してもらったばかりの演舞棍(エンブコン)もどきの武器を振り回しながらモモンモが追いかけてくる。いつでもどこでも騒々しいヤツだ。

「隙あり、だモ~ン!」

 そう言って打ち込んできた演舞棍もどきを、オレは白羽取りで受け止めてやった。かぼちゃのお面越しでもモモンモがひどく驚いているのがわかる。わざわざ呼び止め、その上で正面から打ち込んできておいて、どこに隙が出来るというのか、相変わらずわけのわからないヤツだ。

「危ないニャン!」

 抗議するオレに対し、モモンモは偉そうに答える。

「試し斬りだモン!」

「ふざけるニャ!」

 オレはモモンモの手から演舞棍もどきを奪い取ると、ハンマー投げの要領で思い切り遠くへ投げ飛ばしてやった。演舞棍をもとにして作成されてるだけあって、意外ときれいな音色を奏でて回転しながら飛んで行く。それを見たモモンモが慌てて全速力で追いかける。

 木の枝に当たり落下地点が変わった演舞棍もどきが、ものの見事にモモンモに直撃する。良くも悪くも何かを持っているヤツだ。

「ひどいことをするなモン!」

 まるでオレが悪いかのように抗議してくる。正論で言い合うとこちらがバカ負けするので、オレはさっさと話題を逸らせることにした。

「いったいなんの用だニャン? しばらくは自由行動と決まったはずだニャン」

 演舞棍もどきについた泥を払いながら、まだ若干恨めし気にこちらを見ながらも、モモンモは用件を切り出した。

「オトモアイルーには、モンニャン隊とかいうのがあって、ハンターと一緒じゃなくてもクエストに行けるって聞いたモン!」

「確かに行けるニャン。でも、ハンターたちと同じクエストじゃなく、モンニャン隊専用のクエストになるニャン」

「ハンターと同じじゃなくても、素材の採取は出来るかモン?」

 興奮してきたらしく、やたらと近づいて来る。距離感がおかしいのか、異様にでかいかぼちゃのお面がオレの顔をグイグイと押してくる。

「お面が邪魔ニャ! ぶつかってることに気づくニャン!」

 オレはなかなか離れないモモンモを張り倒して押し退ける。うっかりしていた。このお面はかぼちゃとは思えない程の防御力があったのだ。張り倒した手がジンジンと痛む。

 それを見たモモンモが声を殺して震えながら笑っている。心底おかしいと声も出ない程の激しい笑いの発作に襲われるようだが、笑われるこっちは腹が立つ。

 オレは腹いせに、かぼちゃのお面の目の辺りに思い切り息を吹きかけてやった。

「ぎゃああぁぁ!! め、目が~! 目が~! 乾くモ~~ン!」

 何故かはよくわからないのだが、モモンモはこの攻撃がひどく苦手らしく、目を抑えて転げまわっている。オレはうっとうしいので、かぼちゃのお面に腰を下ろして転げまわるのを阻止した。

「だ、誰だモン! オイラのお面に座る不届き者は!」

 オレ以外に誰がいる? オレはお面から腰を上げると少し距離を取り、モモンモが起き上がるのを待って声を掛けた。

「モモンモがもたもたしているから、犯人が逃げてしまったニャン」

「くぅ~~! 悔しいモン! いつか絶対に見つけてやるんだモン! ヂヴァは犯人を見たかモン?」

「真っ黒い塊みたいなヤツだったニャ」

「ま、真っ黒いカタマリ!! お、恐ろしいモン! やっぱりこの大陸には何か得体の知れないものが潜んでいるモン!」

「絶対に見つけるんだニャ?」

「…執念深いのも男らしくない気がするモン。ここはオイラの広い心で許してやるモン」

「モモンモって男だったのかニャ?」

「ええぇっ!!」

「ええぇっ!! って、驚く意味がわからないニャ!」

 このまま会話を続けると頭が悪くなりそうなので、オレは話を本筋に戻すことにした。

「それよりも、モンニャン隊がどうしたのニャ? 何を知りたいのニャ? ちなみに素材の採取ならちゃんと出来るニャン」

「オイラも行きたいモン!」

「モモンモはオトモアイルーじゃないニャン。無理言うなニャン」

「アイルーだけずるいモン! 差別だモン!」

「仕方ないニャン。もともとハンターと奇面族のつながりは薄くて、アイルーみたいに組織もしっかりしていないから無理なのニャン」

「ヂヴァがリーダーになって、奇面族とアイルーのモンニャン隊を作ればいいモン!」

「なんでそんなにモンニャン隊にこだわるニャン?」

「カーシュにすんごい素材を見つけてきてやりたいんだモン!」

 無茶苦茶で意味不明なところがほとんどなのだが、基本いいヤツなのだ。迷惑なことの方が多いが。

「そういうことならギルドマスターに相談してみるニャン」

「相談するモ~ン!」

 

「5人集められれば、≪大河≫になら行ってもいいぞい」

 ギルドマスターが、草団子をもぐもぐしながらあっさり許可を出す。もの欲しそうにモモンモが見ていると、モモンモとオレに一つずつ勧めてくれた。

 二つある草団子に両手を伸ばすモモンモの手をピシッと叩き、オレは自分の草団子を死守した。基本行動が本能の赴くままのモモンモに、食べ物のことで隙を見せたら確実にやられるのだ。

「カーシュちゃんたちとは上手くいっておるか?」

 シワシワの顔をさらにくしゃくしゃにして尋ねてくる。たぶん笑っているのだろうが、人間や竜人族の老人の顔はシワだらけなのでわかりにくい。

「上々だモ~ン!」

 食べかけの草団子を高々とかかげて答える。いつも思うのだが、相変わらず奇面族のお面を外さずにものを食べる技術はたいしたものだ。アゴすら見ることが出来ない。

「そうか! 上々かっ!」

 モモンモの言葉の選び方がおかしかったのか、「カッカッカッ」と笑い声を上げる。

「どうしても5人いないとダメかニャン?」

「危ないからのう」

 確かに、この前のクエストでも想定外の乱入でジュザがケガをしたばかりだ。ギルドマスターが慎重になるのも無理はない。

「手の空いているオトモが3人もいるかニャア?」

 オレはつい、グチをこぼしてしまった。この南の大陸までやってきたオトモアイルーの大半が、旅立つご主人と離れたくなくて参加してきた者がほとんどで、オレのようにフリーのアイルーの参加者は少ないのだ。

「あと一人いれば充分だモン!」

「えっ!」

 モモンモの予想外の一言に、オレは思わず聞き返してしまった。

「モモンモ! オレの他にアイルーの知り合いがいるのかニャン?」

「アイルーじゃないモン。奇面族の友達だモン!」

「モモンモって友達いたのかニャン!!」

「失礼だモン! 友達くらいいるモン!」

 早くも草団子を食べ終えて、プリプリと怒っている。

「あの二人なら、お面の材料が手に入ったとかで、伝説の鍛冶職人のところに行っておるぞい」

 どうやらギルドマスターはモモンモの友人を知っているようで、居場所を教えてくれた。

「ギルドマスター。平八がどこにいるか知っているかニャ?」

 オレは心当たりのあるフリーのアイルーの居場所を尋ねてみた。

「そういえばさっき、調合師の長に頼まれたとかで、近くに採取に出かけて行ったぞい。しばらくすれば戻ってくるじゃろう」

 オレはギルドマスターにことづてを頼むと、一人で勝手に行ってしまったモモンモを追いかけた。

 モモンモは移動の基本が「走る」なので、追いつくために四足歩行で走らなければならない。本当に面倒くさいヤツだ。

「鍛冶屋ってどっちだったかモン?」

 追いついたオレに尋ねてくる。よくわからないまま走り回っていたのか。付き合わされるこっちの身にもなってほしい。

「連れてってやるから、おとなしくついて来いニャ」

「わかったモ~ン」

 言うが早いか一人で走って行ってしまう。何もわかってないじゃないか!

 オレはモモンモを無視して伝説の鍛冶職人の元へ向かった。

 

「おう! ヂヴァじゃねえか! こないだ作ってやった新しい装備はどうだった?」

 歩いてくるオレに気がついた伝説の鍛冶職人が、気軽に声を掛けてくる。伝説と謳われる割に、偉そうなところがなく、実に付き合いやすい人物だ。オレは手を振りつつ答える。

「防御力がかなりあが……」

 オレは最後まで答えることなく、背後から体当たりを受けて顔から地面に突っ込んだ。

 オレは擦りむいた鼻の頭をさすりながら抗議する。

「いきなり何するニャ!!」

 振り向いたオレの、瞳孔が縦長になっている瞳に異様な姿が飛び込んでくる。

 それは頭一つに身体が二つの化け物だった。

「ニャニャニャニャニャア~~~!!!」

 悲鳴を上げて怯えるオレに、化け物はその魔手を伸ばしてくる。

「見つけたモン!」

 そこに、陽気な声と共にモモンモが現れ、化け物に体当たりをする。

 その結果、モモンモに押された化け物が、オレに覆いかぶさってくる。

「押すなッチー!」

「危ないッチョ!」

 化け物がオレの上からもたもたと起き上がりながら抗議する。

「ホヘ? そんなところにひっくり返って何してるモン、ヂヴァ?」

 そう言いながらオレが起き上がるのを手伝ってくれる。

「紹介するモン。オイラの友達で、双子の家来、チッチキとチョロンボだモン」

「誰が家来だッチー!」

「調子に乗るなッチョ!」

 化け物が二つの声で言い返してくる。冷静になってよく見ると、それは巨大なひょうたんをお面に改造して被っている二人の奇面族だった。

 二人三脚が足を結ぶとしたら、こちらは頭を結んでいるような状態だ。何の利点があるのだろうか?

「その新しいお面イケてるモン!」

 オレにはその価値観がさっぱりわからないが、モモンモにはいいものに見えるらしい。

「でも、動きにくいッチー!」

「いまもそこでアイルーに思いっきりぶつかってしまったッチョ!」

 何の利点もなかったのか!

「そのぶつかったアイルーがオレだニャン! ちゃんと謝るニャン!」

 オレの言葉に二人は素直に頭を下げようとしたのだが、動きが合わず、互いの動きで首を痛めてしまう。ついには二人とも怒り出し、ケンカになってしまった。

「もういいニャン! 怒ってないからケンカはやめるニャン!」

 オレは慌てて止めたが、お面が邪魔をして、二人が振り回す腕は互いに届かず、結局ケンカにならなかった。

「なんなのニャ、こいつらは…」

「ただのバカだモン!」

 モモンモに言われてはお終いだ。

【挿絵表示】

 

 

 おそらく何も考えていないのだろう。チッチキとチョロンボはモモンモの誘いを二つ返事で引き受けた。

 これで残すは一人である。オレは心当たりのあるフリーのアイルー、平八を探すために調合師の長の元へと向かった。モモンモたちはついてくると言いつつ、それぞれ勝手にどこかへ行ってしまった。もう、好きにすればいい。

「久しぶりニャン!」

 オレはよく働く丸まった背中に声を掛けた。フラスコを両手に調合師の長が振り返る。

「おう! ヂヴァじゃないか! 久しぶりじゃのう! 元気にしておったか?」

「身体は元気ニャン! でも、気苦労でハゲそうだニャン」

 主にモモンモのおかげで!

「お前さんはやさしいからのう。自分の事より人の心配をし過ぎなんじゃよ」

「そ、そんなことないニャ…」

 褒められるのは苦手だ。どうにも照れくさい。

「そ、それより、平八はまだ戻っていないかニャ?」

「おっ? ついさっき戻って来たはずじゃが…」

 調合師の長が周囲を見回すが、どこにも見当たらない。

「変じゃのう?」

 平八をよく知るオレは驚かなかった。むしろ溜息が出る。

 オレは足元の小石を素早く拾い上げると、真新しい調合所の天井目掛けて投げつけた。

「あいたっ!!」

 天井から悲鳴が降り、続いて悲鳴の主も降ってくる。

 ドサッ!

 アイルーのくせに背中から落ちやがった…。

 受け身に失敗した平八に、調合師の長が、手にしていたフラスコの中身を飲ませてやる。薬草を煎じている途中のものらしく、背中の痛みがやわらいだ平八がなんとか立ち上がる。

「久しいニャ、ヂヴァ」

 そして、何事もなかったようにあいさつをしてくる。かわいそうなので、なかったことにしてやろう。

「久しぶりニャン! シノビの平八!」

 オレのあいさつに、平八が嬉しさを押し殺そうとして上手くいかず、気持ちの悪い顔でにやける。東方の隠密集団、シノビに憧れている変わり者で、機嫌を取りたいときは名前に”シノビの”を付けてやると、ウソ臭く感じるくらい喜ぶ。

「ヂヴァ。拙者がシノビであることは秘密なのニャン。あまり大きな声で呼んでくれるなニャン」

 シノビとは常に冷静で、感情を表に表わさないものらしく、平八自身もそれに倣い冷静な態度でかっこつけているつもりでいるようだが、嬉しさがダダ漏れで、まったくかっこついていなかった。

「平八。採取から戻って来て早々申し訳ないのニャけれど、モンニャン隊を結成するためにメンバーを集めているんだニャン。”助っ人”に来てほしいニャン」

 平八は”助っ人”という言葉にも弱い。

「そんなにも頼られては断るわけにもいかないニャン。ブシの情け、協力してやるニャン」

 お前は、シノビじゃないのか? オレは心の声は表に出さず、素直に感謝する。平八は東方の文化がごちゃごちゃになっているので、下手に指摘せず、こちらで上手く理解してやらないとすねるので面倒くさいのだ。

「して、拙者で何人目でござるかニャン?」

「5人目ニャン」

「おおっ! よく集まったニャ!」

「半分以上は奇面族だがニャ」

「なんと!! そんなことが許されるでござるかニャン?」

「ギルドマスターの許可は、もう、もらっているのニャ」

 オレたちは調合師の長に別れを告げると、ギルドマスターの元へと向かった。道々、平八に事情を説明する。

 

「ヂヴァよ。苦労が目に見える面子ばかり、よう集めたのう」

 ギルドマスターが同情口調で言う。

「その辺は考えないようにしていたニャン。現実に引き戻さないでほしいニャン」

 オレも疲れた声で返す。

「ギルマスじいちゃん! これで、行っていいかモン? オイラ早く出発したいモン!」

 意味もなく演舞棍もどきを振り回しながら、モモンモがギルドマスターに迫る。近づきすぎてカボチャのお面でギルドマスターの顔をグイグイと押している。

「うんむ。気をつけて行くとええわい」

 オレのようにムキになって押し返したりせず、顔をグリグリされてもまったく意に介さずにギルドマスターは答えた。オレもまだまだ修行が足りないようだ。

 ギルドマスターの許可を得たオレたちは、拠点の船着き場に係留してあるモンニャン隊専用のタルいかだを目指した。ここには狩場≪大河≫へと向かうためのハンター用のいかだも数多く係留されている。

 カーシュたちとクエストに出発するときは、桟橋の一番手前にあるいかだにすぐ乗ってしまうため気がつかなかったが、桟橋の一番端に、モンニャン隊専用のタルいかだが揺れていた。

 桟橋からいかだに乗り移る際、そのわずかな隙間に、それが当たり前のようにモモンモたち奇面族の3人がハマる。もはや慌てる気にもならない。

 オレはバシャバシャと水を跳ね散らかすモモンモたちを無視していかだに飛び乗ると、見送りに来てくれたギルドマスターに手を振り、緩やかな河の流れにいかだを漕ぎ出した。ちなみに、平八はスイトンとかいう術を使ってついてくるらしい。

 泳ぎの達者な奇面族の3人は、いかだの後ろに取りつくと乗り込まず、そのままバタ足でいかだを押し始めてくれた。水面に突き出た竹筒も、ヒューヒューいいながらついてくる。

「ターボ全開だモ~ン!」

「了解だッチー!」

「了解だッチョ!」

「お、おい! お前たち余計なこと…」

 オレは嫌な予感に襲われて、慌ててモモンモたちを止めようとしたが間に合わなかった。

 猛烈な勢いで進みだしたいかだにオレはしがみついた。そして、拠点がかなり小さく見える辺りまで来たときに、オレは一人宙を舞わされ、派手な水柱を上げていた。

 

 

 水浸しで重い身体を、なんとかベースキャンプまで運び上げると、オレは全身を激しく振って水を振り飛ばした。幸先の悪いスタートだ。

「とりあえず、採取優先で全エリアを回るかニャン?」

 オレは、今回のアイルー・奇面族混成隊を発案したモモンモに尋ねてみる。

「採取もするけど、一番の目的はモンスターのレア素材だモン!」

「強気だッチー! モモンモ!」

「これは負けてられないッチョ!」

 チッチキとチョロンボが、モモンモの言葉に興奮する。ちなみに、ひょうたんのお面は動きにくいということで、チッチキがテカテカに磨き上げられた巨大な栗を加工して作られたテカ栗のお面を被り、チョロンボはピスタチという木の実の殻を加工して作ったピスタチのお面を被って来ている。

「じゃあ、まずは大型モンスターを探すんだニャ?」

「そうだモン! できればこの前逃がした激強モンスターがいいモン!」

「…それは強気が過ぎるニャン。クエスト失敗になったら、ろくな素材が持ち帰れないニャン」

「男なら志は高く持つモン!」

 士気が高いのは結構だが、実力と現実の見極めが出来ていないところが問題だ。

「激強のモンスターとはどんなモンスターなのでござるかニャン?」

 それまで、木の模様が描かれた布の後ろに隠れていた平八が尋ねてくる。シノビの術らしいが、ベースキャンプでやることか?

「前回カーシュたちのクエストに乱入してきたモンスターニャ。オレは負傷したジュザの面倒をみていたからほとんど知らないのニャ。モモンモ、平八に教えてやってくれニャン」

「平八がいまやってたみたいに、地面に化けて隠れる名人だモン! 見た目も気配も完全に消すから、攻撃されるまでわからないモン!」

「なんと! 隠密モンスターでござるかニャン! それはぜひ拙者も手合せ願いたいでござるニャ!」

「前脚の巨大鎌をハンナがぶった切ってやったから、たぶんこの辺りにはもういないニャン」

「じゃあ、仕方ないモン」

 あっさり諦める。こだわっていたのではないのか?

「それよりも、さっさと出発するモン!」

 モモンモの一声で、オレたちは狩場へ飛び出していった。

 

 狩場≪大河≫は変化の少ない狩場だった。

 定期的に増水するのだろう。流れの両側にはかなり広めの河原があり、そこからさらに森林へとつながっている。河原と水中、左右の森の何か所かの開けた場所が、ここ≪大河≫の各エリアとなっている。

 モンスターのレア素材が目的と言いつつ、モモンモは手近にあった薬草などの採取箇所に座り込んでいる。チッチキとチョロンボもそれぞれ採取可能カ所をみつけて採取に励んでいた。

 オレは採取をモモンモたちに任せて水中を覗き込んでみた。≪大河≫は≪水没林≫程度の透明度なので、擬態している大型モンスターの見極めは正直難しい。それでも、水面に長い呼吸器の先端を出しているので、それを見つけられればなんとかなる。

 オレは平八と手分けしてエリア1内の川面を慎重に確認したが、呼吸器らしきものは確認できなかった。≪大河≫の怖いところは、水生大型モンスターのほとんどが、全エリアに出没するところにある。ベースキャンプを一歩出た瞬間に遭遇することもあるのだ。

「お~い、モモンモ。そろそろ移動す…」

 振り返ったオレは、エリア内のどこにもモモンモたちの姿がないことに気がついた。

「先程となりのエリアに移動して行ったでござるニャ」

 驚くオレに平八が教えてくれる。出来ればそのときに声を掛けてほしかった。

 オレは大きなため息を吐くと、エリア2へと向かった。

 

 モモンモたちの姿は、エリア2にもなかった。ここから森の中にエリア3へと続く道もあるので、完全にはぐれてしまったことになる。

「奇面族とはいつもこんな感じでござるかニャ?」

 平八が面白そうに尋ねてくる。振り回されるこっちは少しも面白くない。

「こんなもんニャ。心根はいいヤツニャンだが、本能で生きる自由人だから行動が読めないのニャ」

 オレは平八に答えつつ、エリア内を見渡してみた。モモンモたちが素通りするくらいだから、おそらく大型モンスターはいないだろう。

「オレたちはとりあえず水生大型モンスターを探すから、このまま川沿いを進むニャ」

「心得たニャン」

 オレたち二人は、エリア2を素通りし、エリア4へと向かうことにした。だが、そのとき、不意にエリア境の川面が波立ち割れると、チッチキとチョロンボが飛び出し、続いて大型水生甲虫種が飛び出して来た。大型水生甲虫種はすでに怒り状態になっている。

 こんな短時間で何をやらかしたんだ!

 河原に泳ぎ着いたチッチキとチョロンボに状況を尋ねようとしたが、二人共怒り狂っていて話にならない。

 理由はどうあれ、探していた大型モンスターに遭遇できたのだから良しとしよう。

 チッチキとチョロンボを追いかけて、大型水生甲虫種も河原に上がってくる。どうやらこのモンスターは、前回討伐した大型水生甲虫種≪潜影虫≫とよく似た生態を持つ、≪深潜虫≫(シンセンチュウ)のようだ。

 行動はよく似ているらしいが、外見はまったく違う。≪潜影虫≫を木の葉に例えるなら、≪深潜虫≫は小枝のような体型をしている。鎌の動きもかなり違い、≪潜影虫≫は横方向に攻撃してくるが、≪深潜虫≫は縦に鎌を振るってくる。

 平八がペイントボールを取り出し、”シュリケン”の要領で投げつける。そんな変な投げ方では当然命中しないので、オレが代わりにペイントボールを投げつける。平八はこういうところで手のかかるヤツなのだ。

 陸では速く動けない≪深潜虫≫は、ハンターよりも小柄で素早いオレたちに手を焼いていた。≪潜影虫≫の様に横方向からの攻撃だったらオレたちも苦戦したかのしれないが、相手を点でとらえなければならない攻撃では、的の小さいオレたちをとらえることは早々できない。

 防御を無視した怒り任せのチッチキとチョロンボの攻撃が功を奏し、怯んだ≪深潜虫≫の怒りが解ける。

 冷静になったおかげか、オレたちの相手をまともにすることがバカバカしくなったようで、≪深潜虫≫は大きく翅(ハネ)を広げると、エリア移動するために飛び立った。その脚に、こちらはまだ怒りが治まらないチッチキとチョロンボがしがみつき、一緒に飛び去ってしまった。

「…マジでかニャン」

 オレは、5人全員で拠点に帰る苦労を思い、ため息をこぼした。もちろんチッチキとチョロンボの心配などしていない。どうせ奇面族の連中は、何があってもケロッとした様子で帰ってくるのだ。

 

「そういえば、モモンモの姿が見当たらないが、どうしたのかニャ?」

 平八が当然の疑問を口にする。

「わからんニャ!」

 オレは半分キレ気味に答えた。

 オレたちはペイントボールの臭いを追って、≪深潜虫≫の後を追っていた。いまのところチッチキとチョロンボの二人はころがっていないので、まだ≪深潜虫≫にしがみついているのだろう。

「たぶんモモンモはチッチキとチョロンボとはとっくにはぐれていたんだニャ」

「大丈夫でござろうかニャン?」

「気にするだけ無駄ニャン!」

 そう! 気にするだけ損なのだ!

「…なにやら遠方で大きなもの音がしているようでござるがニャ~」

 言われて耳を澄ましてみると、確かに遠方で樹木の折れるような音が微かに響いてくる。身体にも時折振動が伝わってくる。

「ま、まあ、大丈夫ニャン。…多分」

 オレは一抹の不安を感じつつも、そう思うことにした。

 

 オレたちがチッチキとチョロンボに合流した時には、≪深潜虫≫は再び怒り状態で暴れまわっていた。あれだけしつこくまとわりつかれれば当然だ。

 逆に怒りの解けたチッチキとチョロンボは、≪深潜虫≫の足元をちょこまかと移動しながら、振り下ろされる鎌の鋭い先端をかわしては、逆に鋭い攻撃を入れていた。

「これはなかなかの腕前ニャ! 拙者たちも負けてはおれんニャ!」

 言うが早いか、平八は背負っていた十字に交差させたブーメランを手にすると射程距離まで近づき、”シュリケン”投げでブーメランを放った。

 そんな投げ方では当然当たらない上に、ブーメランをおかしな形に加工してしまったため、戻ってすらこなかった。

「…ああっ」

 平八の口から、悲しげな吐息が漏れる。

「あの武器を使いこなすには、まだまだ修行不足ニャ! 通常のブーメランでさらに腕を磨くニャン!」

 オレは平八のノリに合わせて、上手く行動を誘導した。普通にダメ出しをするとスネて使い物にならなくなるのだ。取扱注意物件なのである。

「生涯これ修行なり。と、どこかのなんとなく偉そうなシノビっぽい人が言ってたのニャ! 拙者も修行あるのみニャ!」

 気を取り直した平八が、明後日の方向に飛んで行ってしまったブーメランを拾いに走る。意気込みに反比例して引用した言葉の出所がうろ覚えなところが平八らしい。本人は無自覚なのだが、本当は大体なんとなくそんな感じで生きているヤツなのだ。

 オレは平八の背中を見送ると、出来立てのアイアンネコソード≪影≫を構え、戦いの輪の中に飛び込んで行った。

 始めの内は4人による攻撃は連携こそなかったものの、効果的にダメージを与えていった。大型モンスターを相手にほぼ一方的な展開になったが、≪深潜虫≫がその薄い翅を使いだしてからは状況が一変した。ファーメイの話していた通り飛行能力が極めて高く、なかなか攻撃するチャンスが訪れず、今度はこちらが一方的に体力を削られ番になった。

 それぞれ何度か地中に逃げ込み体力の回復を迫られる展開になったが、粘り強く耐え抜き、一度も全員が落とされることなく切り抜けた結果、平八の投じたブーメランが会心の当たりを見せて≪深潜虫≫を叩き落とすことに成功した。チョロンボを狙って急降下して来ていたタイミングだったため、落下のダメージは大きく、片方の鎌に亀裂が入り、≪深潜虫≫自身も頭部を強打して目を回している。

 オレたちはここぞとばかりに攻め込み、≪深潜虫≫が立ち上がるまでの間に鎌と頭部の部位破壊を成功させた。

 立ち上がった≪深潜虫≫が水ブレスを吐き出してオレたちとの間に距離を作る。下手に鎌で攻撃されるよりも狙いが正確な分はるかに厄介な攻撃だ。

 ≪深潜虫≫は充分な距離を稼ぐと翅を広げ、大空へと舞い上がって行った。それはエリア移動時の高度よりもはるかに高く、ペイントボールの臭気も届かない距離だった。

 ≪深潜虫≫は、ここ≪大河≫そのものから移動したのだ。

 撃退成功である。

「もう少し追い込みたかったでござるニャ~」

 平八が残念そうに唸る。

「充分だッチー!」

 チッチキがニヒッと笑う。

「そうだッチョ!」

 チョロンボもニヒッと笑う。

 オレも平八もニヒッと笑い、戦いの最中にぶんどった獲物を掲げてみせた。

「なかなかの成果だッチー!」

「ヂヴァも平八もやるッチョ!」

「いやいや、お主らの獲物もたいしたものでござるニャ」

 全員ニヤニヤ笑いが止まらない。

「褒めあうのは一旦後回しにして、落とし物を拾うニャン! 万が一にも拾いそびれたりしたら、後でモモンモに何を言われるかわかったもんじゃないニャン!」

 オレの一言に、チッチキとチョロンボが慌てて落とし物集めに走る。その姿を見て平八がオレに尋ねてきた。

「そんなに厳しいのかニャ?」

「採取の鬼ニャ」

 オレは平八に答えると、急いで落とし物を集めに走った。

 一拍遅れて平八も慌てて落とし物集めに走った。

 

「お~い! モモンモ~! どこにいるニャ~!」

 ≪大河≫の奥へと向かいながら、オレは呼びかけ続けていた。≪深潜虫≫との戦闘の前まで聞こえていた遠方の物騒な物音は、もう響いていなかった。

 ≪深潜虫≫を撃退した喜びは消え失せ、不安が胸中に広がる。

 ≪大河≫の最奥部。エリア12へと続くエリア10にさしかかったとき、エリアの反対端に、小さな影が確認できた。モモンモである。

 オレは大きく膨らんだアイテムポーチを背負い直すと、急いでモモンモに駆け寄った。

「返事くらいするニャ! 心配したんだニャ!」

 こちらに気づいたモモンモは、わずかに視線を上げただけで、また、うつむいてしまう。

 よく見るとモモンモは全身傷だらけで、ボロボロの状態だった。

「あの強いヤツ、やってやったモン…」

 力のない声でモモンモが言う。体力が限界なのだ。

「≪潜影虫・姫≫をかニャ!! ……お前、無茶し過ぎニャ!!」

 オレは心配のあまり、つい怒鳴りつけてしまった。

「これを見るモン」

 オレの声などまるで無視して、引きずっているアイテムポーチの中から、琥珀色の結晶を取り出してみせた。それは明らかにレア素材であった。

「…カーシュに良い土産が出来たモン」

「そうだニャ。大手柄ニャ。ちょっと待っていろニャン。さっき採取した薬草を出してやるニャン」

「出すなモン」

「何言っているニャ! つまらない意地を張るニャ! ボロボロなんだニャン!」

「その薬草はカーシュたちに持っていってやるモン」

「…………」

「こんなダメージは寝て起きればすぐに治るモン」

「…ケチもほどほどにするニャン」

「オイラをそこら辺のケチと一緒にするなモン。オイラは使いどころを心得たケチだモン」

「…薬草をケチるなら、せめてベースキャンプに着くまではゆっくり眠るニャ」

 オレは自分のアイテムポーチを平八に頼むと、モモンモの前に片膝をついて背を向けた。

「荷車がないからおぶって行ってやるニャン」

「報酬が三分の一減るのは勘弁してほしいモン」

 オレは思わず苦笑いした。

「特別サービスニャン。だから、さっさとおぶさるニャン」

「…ありがとうだモン。お言葉に甘えるモン」

 モモンモはオレの背に寄りかかった途端に意識を失ってしまった。引きずっていたアイテムポーチのヒモはするりと手の中から落ちたが、琥珀色の結晶はしっかりと握ったままだ。

「お前はどこまでも自由で自分勝手で無茶苦茶だけど、いいヤツだニャン」

 オレのアイテムポーチとモモンモのアイテムポーチを引きずる平八たちと一緒に、オレは親友を背負ってベースキャンプに向かった。大きすぎるカボチャのお面がオレの後頭部をグリグリと押しまくったが、この時だけは少しも気にならなった。

 

 

「ギルマスじいちゃん! 早く鑑定してくれだモン!」

 相変わらず大きすぎるかぼちゃのお面でギルドマスターの顔をグイグイと押しながら、モモンモがギルドマスターをせかす。身体はボロボロのままだが、体力が回復しているため、異常に元気がいい。本当に心配するだけ損なヤツだ。

「これ! そんなにせかすでない!」

 ギルドマスターは、モモンモに鑑定を頼まれた琥珀色の結晶を陽の光に透かしたり、光に角度をつけて結晶を当てて表面の状態などを細かく観察した。

「うんむ。これは間違いなく上位のレア素材じゃ。≪潜影虫・姫≫の生態がまだほとんど不明じゃから、はっきりしたことは言えんが、この結晶はおそらく体内で長い年月掛けて生成された貴重な素材じゃろう。例えるなら、≪火竜≫リオレウスの≪火竜の紅玉≫並のレア素材じゃのう」

 オレたちはギルドマスターの言葉に歓声を上げた。チッチキとチョロンボがモモンモを胴上げする。オレと平八もすかさず参加し、4人掛かりで高々と放り上げた。そして、誰もキャッチしない。

 かなりの高さから地面に落下したモモンモは、一度バウンドすると、ゲラゲラと笑い出した。本当に頑丈なヤツだ。

「カーシュ! カーシュ! カ――シュ—―!!」

 とんでもない大声でモモンモがカーシュを呼んだ。

 しばらくすると奏双棍(ソウソウコン)を鎖でつないだものを手にしたカーシュが走ってきた。すっぽ抜け対策として鎖でつないだようだ。

「なんだい、モモンモ?」

「これをお前にやるモン!」

 モモンモは苦労して手に入れた琥珀色の結晶をカーシュに差し出した。かけらの迷いもない。

 カーシュは差し出された琥珀色の結晶ではなく、モモンモ自身を見つめた。その視線はオレたちにも向けられる。そして、カーシュは一つうなずくと、琥珀色の結晶を受け取った。

「嬉しいか? 嬉しいかモン?」

 カーシュは言葉ではなく、オレたちをまとめて抱きしめることで喜びを表現した。

「ありがとう。みんな」

 感謝の言葉に極上の笑顔がついてくる。言葉にこそしないが、オレたちの頑張りのすべてが伝わっていることがわかる笑顔だ。

 面識の薄いチッチキとチョロンボはもちろん、平八もカーシュに魅了されている。カーシュが大好きなモモンモは、演舞棍もどきを振り回しながら、喜びを踊りで爆発させていた。

 人間や竜人族の表情は、いまだによくわからないが、カーシュの笑顔だけはよくわかる。オレも大好きな最高の笑顔だ!



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新武器種、完成!!

 伝説の鍛冶職人の弟子、レノは、愛らしい顔立ちに不似合いな深いシワを眉間に刻み付けていた。それは、カーシュナーたちから持ち込まれた奏双棍(ソウソウコン)と演舞棍(エンブコン)の問題点に頭を悩ませていたからだ。

 問題点は次の二つ。

 1、長棍(チョウコン)状態から双棍(ソウコン)状態への形態変形の際、上手く二分割された棍を掴むことが出来ないこと。

 2、奏双棍の補助機能である笛効果の大元である、各種効果を持つマウスピースがアイテムポーチを圧迫するため、狩猟に必要なアイテムの持ち込みが制限されてしまうこと。

 以上の2点が大きな問題になっていた。

 当初障害になるのではないかと考えられていた演舞棍の≪型の舞い≫だが、そもそも型の数が演舞棍ごとに四つしかなく、後はその組み合わせと効果を覚えるだけだったので、カーシュナーたちはあっという間に覚えてしまい、何の障害にもならなかったのだ。

 レノもマウスピースがアイテムポーチを圧迫する可能性は気づいていたのだが、鬼人笛や回復笛などのように、使用していると一定の確率で壊れてしまうものと違い、奏双棍は何回使用しても壊れないので、アイテムポーチを圧迫するデメリットよりも、笛を好きなだけ使い続けられるというメリットが上回ると考えていたのだ。

 しかし、カーシュナーに指摘されるまで気がつかなかったのだが、鬼人笛や回復笛などをそもそも狩猟に持ち込まないハンターが結構な数いるという現実が、奏双棍の存在価値を低くしていた。

 鬼人笛と鬼人薬グレート、どちらを持ち込むかと言われれば、ほとんどのハンターが鬼人薬グレートを選ぶだろうし、回復笛と生命の粉塵、どちらを持ち込むかと言われれば、ほとんどのハンターが生命の粉塵を選ぶだろう。どこの誰が好き好んで持ち込みたいアイテムを諦めて、それほど優先順位の高くないアイテムを持ち込むというのか。

 奏双棍を切り捨てようかと考えた時、カーシュナーはその決断は早すぎると待ったをかけた。実際に使用したからこそわかる。奏双棍は優れた武器であると。

 苦心いて開発したレノとしては、カーシュナーにそこまで言ってもらえるのならば、どれ程苦労しようとも、諦めたくはなかった。

 さらには、奏双棍、演舞棍、両棍に共通する致命的欠陥であるすっぽ抜けも何とかしなくてはならない。

 しかし、新しい発想が浮かんでこない。眉間のシワは深くなるばかりであった。

 

「マウスピースって効果ごとにかなり構造が違うの?」

 悩んでいるレノにカーシュナーが問いかける。

「そんなに構造は違わないわよ」

「じゃあ、どうやって発揮される効果を変えているの?」

「マウスピースに取りつけるリードが大きく影響しているの」

「リード?」

 カーシュナーが小首をひねる。それを見たレノが、可愛いな~、と思いながら、マウスピースから小さな板状のパーツを取り外してカーシュナーに手渡した。

「こんな小さなパーツで効果が変わるの?」

「各効果ごとに、リードは使用する材質も違えば、加工処理の仕方も全く違うのよ。鬼人マウスピースに回復マウスピース用のリードをつけて吹き鳴らしても、ただ音が鳴り響くだけで、何の効果も発揮されないの」

「マウスピースの構造はほとんど一緒なのに?」

「そうなのよ。リード9割、マウスピース1割、くらいな感じの役割分担なんだけど、この1割が重要なのよ」

 レノの説明を受けて、カーシュナーが考え込む。

「その1割は他の方法で補うことは出来ないの?」

「出来ないのよ。その1割を最小限にまとめたのがマウスピースの交換システムだったの。奏双棍本体にマウスピースを取り付けることは可能よ。狩猟笛は、もともとマウスピースが一体になっている構造だらね。でも、奏双棍で同じことをすると、1種類の効果しか吹けなくなっちゃうのよ」

「それじゃあ、新武器種としては説得力に欠けちゃうね」

「そうなの! その説得力を求めて開発したマウスピースの交換システムが上手くいかなかったのよね~。やっぱり奏双棍は無理なのかな~」

 レノは作業場の床に大の字になって倒れると、大きなため息を漏らした。

「ハンターがその1割を負担出来ないか?」

 それまでレノとカーシュナーの会話を黙って聞いていたジュザが、全身でお手上げ状態を表しているレノに問いかけた。

「ハンターが?」

「そう」

「……出来ないことはないと思う。リードって草笛の草みたいなものだから、演奏者の技量次第でいくらでも音色は変えられるの。扱う人の技量さえ確かなら、マウスピースの構造を平均的なものにすれば、リードを交換するだけで、各効果を吹き分けられると思うわ」

「それではダメなのか?」

「でもそうすると、吹き鳴らすだけで、練習なしで誰でも扱えるっていう利点がなくなっちゃうのよ」

「狩猟笛使いは演奏の練習はしないのか?」

「もちろんするわよ。大雑把に見えるかもしれないけれど、狩猟笛って使いこなすにはかなりの技量が必要なんだから」

「何故そこまでする?」

「えっ?」

「武器として考えるなら、ハンマーで十分だ」

「……それは…」

 即答できないレノに代わってジュザが答える。

「それだけの価値があるからだ」

「…………」

「扱いが難しくても、努力に値する価値があれば、ハンターは必ずその武器を手にするはずだ」

 そこまで話すとジュザは胸を押さえて顔をしかめた。

「普段しゃべらないくせに、どうしてしゃべるのがつらい時に限ってよくしゃべるんだよ」

 ハンナマリーが苦笑しながらツッコむ。

「まあ、ジュザの言う通りだろ。扱いが簡単なのも確かに利点かもしれないけどさ、上位やG級に上がるようなハンターに、努力を惜しむような人間はいないって。命掛かっているんだから」

「価値を求めようよ。そのための努力ならボクたちがするからさ。その上でまた問題が出てきたら、みんなで考えよう」

 カーシュナーたちの言葉に、レノは床から跳ね起きた。

「みんなありがとう。考えすぎて逆に思考が停止していたよ。わたしは職人なんだから、手を動かして試行錯誤するべきだったよ!」

 レノの眉間からシワが消え、全身に気合がみなぎる。

「よし! さっそく試作してみよう!」

「あ~、せっかく気合入ったところ悪いんだけどよう。すっぽ抜けの対策の方が先だろ?」

 リドリーが申し訳なさそうに口を挟む。

「はうっ! 忘れたかった現実!」

「いや、忘れんなよ…」

 すっぽ抜けの対策がクリアされない限り、どれだけ奏双棍の改良を進めても、演舞棍共々実用化の目途は立たないのである。

「そうだね。そっちが先だよね。私だけはまだ実戦で奏双棍も演舞棍も使用していないんだけど、練習と実戦ではやっぱり扱いの難易度が違うのかい?」

 全員で開発段階の武器を狩猟に持ち込むと、クエスト自体を失敗する可能性があったので、最も火力の高い大剣を使うハンナマリーだけは、保険の意味で新武器種を使用していなかったのだ。

「そうだね。そんなに違いはないと思う。実際練習でもかなり激しい動作の中で形態変形をすれば失敗するよ。ただ、同じ失敗でも、練習中ならただのすっぽ抜けで済むんだけど、実戦だと間違いなく二次災害が起こるんだよ」

 カーシュナーがよく考えながら説明する。

「だな。すっぽ抜けたせいで攻撃チャンスを不意にしたり、攻撃そのものをミスしたりするからな」

 リドリーがかつての失敗を思い出しながら、顔をしかめて同意する。

「ボクなんか、この前の狩猟で、すっぽ抜けた片方の棍をジュザにぶつけるところだったからね」

 カーシュナーも珍しく顔をしかめている。

「練習でもすっぽ抜けるのかい? 私はまだすっぽ抜けたことがないけど、モンスターと相対していないのにミスが出るってことは、使用法に根本的な問題があるね」

「そうかもしれないね。熟練度の問題かと思ってそのまま使用していたけれど、武器としての使い方そのものを、一度見直してみるべきなのかもしれないね」

「形態変形の機構に問題があるのかな?」

 レノが若干不安そうに尋ねる。

「いや、変形機構は優秀だと思うぜ。南の大陸への航海の途中で、スラッシュアックスとチャージアックスを試させてもらったけど、この二つの武器種よりもはるかに構造がシンプルで、その分変形にかかる時間が短いから、一瞬で長棍と双棍を行き来できてオレは好きだけどな。変形にストレスを感じないのがいいよ」

「やっぱり? わたしも変形のストレスを極力なくすことを考えて変形機構を考えたんだよ。スキル≪抜刀術≫、≪納刀術≫が標準装備されてるんじゃないかって思えるくらいの傑作が出来たと思ったんだけどね~。それが扱いの邪魔をするとは思わなかったよ」

 レノが残念そうに首を振る。

「そこまで悲観しなくていいと思うぜ。オレが使ってみた感じでは、後ひと工夫って気がするんだけどな」

「そうだね。ここですっぽ抜けないために変形速度を落としたりしたら、いいところが一つなくなるだけだと思う」

 リドリーの意見に、カーシュナーも賛同する。

「良さを殺さずに改良か~。でも、そのくらいじゃないと、ハンターズギルドも師匠も、新武器種として認めてくれないよね~。アイデア~。降りて来~い」

 レノが天に向かって両手を差し上げる。

「なあ、レノ。素人丸出しで聞くけど、棍をヒモで結んじゃダメなのか? そうすればすっぽ抜けてどっかに飛んでくこともないだろ?」

 ハンナマリーが聞きにくそうに尋ねる。あまりにも短絡的な考えなことを、ハンナマリー本人がわかっているからだろう。

「立ち回りに支障が出ちゃうんだよ。ねえ、ジュザ。例えば、双剣をヒモでつないでも普段と変わらずに立ち回れる?」

「難しい。ヒモが短いと双剣が上手く振れない。逆に長いと体捌きの邪魔になる」

「そうだよな~。ごめん! つまんないこと聞いた!」

 ハンナマリーが手を合わせて頭を下げる。

「やめてよ! ハンナ! 一緒に考えてくれてるだけですごく助けられてるんだから!」

 頭を下げられて、かえってレノは困ってしまう。

「あのさ、立ち回りって、変えちゃいけないの?」

 カーシュナーが不思議そうに尋ねてくる。

「えっ?」

「棍を双棍状態にしたときの立ち回り。双剣の立ち回りをそのまま取り入れているけど、どうしてもそうじゃないといけない理由ってあるの?」

「…あ~、そうだね、どうしてもって訳じゃないけれど、もうすでに一つの武器種として認定されている武器の立ち回りだから、無駄なく洗練されている訳だし、それにあえて手を加える必要はないと思うんだけど?」

 答えつつも、レノ自身も何か引っかかるものを感じていた。

「双剣は切断武器だけど、双棍は打撃武器でしょ? この違いを上手く活かせないかな?」

 カーシュナーのこの一言に、レノは雷に打たれたような思いがした。

「降りてきた~!! っていうか、思い出した~!! 昔、東方出身だって言うハンターさんから、モンスター用じゃない、対人用の武器で、2本の棒を鎖でつないで、ものすごい勢いで振り回す変な武器見せてもらったことあったよ!」

 一人で大興奮している。

「いいヒントになりそう?」

「イメージはもう浮かんでる!」

 レノは勢いよく答えると、昔、見せてもらったという変な武器の試作に取り掛かった。

 

「あだああぁぁっ!!」

 リドリーが立派過ぎる竜人族並の鼻を押さえてうずくまる。レノが試作した変な武器を試していたら、振り回した棒が鼻に直撃したのだ。

 レノ自身この変な武器の特性は、過去に一度見たことがあるだけなので把握できていない。そのため、「こんな感じ!」と、言って試作したばかりの変な武器をブンブン振り回し、ものの見事に側頭部を痛打していた。

 その姿を見てリドリーが、「情けねえなあ」と、言いながら、レノが差し出した変な武器を受け取った数分後に訪れた悲劇兼喜劇であった。

 悲劇が喜劇を呼び、喜劇はさらなるいけにえを求めた。

 次に変な武器を手にしたハンナマリーが、すねを押さえてうずくまる。大きく振り回し過ぎた棒の先端が、ハンナマリーのむこうずねを叩いたのだ。

 涙目のハンナマリーから変な武器を受け取ったカーシュナーが、ゆっくり振舞わしながら、動きの特性を確かめて行く。

「これは遠心力をいかに活用するかで、発揮できる性能が大きく変化する武器だね。これは難しいけれど、かなり面白そうな武器かもしれない」

 カーシュナーは、新しいおもちゃをもらった子供の様に笑うと、一心不乱に扱い方の試行錯誤を始めた。

 その動きは次第に複雑さを増していく。身体の前でのみ振り回していたものが、身体の後ろを回り、右手に握られていたと思ったら、いつの間にか左手に握られている。扱いにくいかと思われていたその形状は、恐ろしいほどに無駄がなく、単純に見えた構造は、複雑な動きを可能にしていた。

 不意にカーシュナーが一連の動作の速度を速めた。それはもはや、動きを目で追うことすら難しい領域に達していた。

 速度を増そうとすれば正確性はどうしても低下する。幾度となくカーシュナーの身体から、肉を打つ鈍い音が響き、その都度インナー姿の身体にアザが刻まれていく。弟に激甘のハンナマリーが一度止めようとしたが、その声も届かないほど深く集中している。

 そんな修練が、1時間以上続き、気がつくと鈍い音の響きは消え、代わって空気を切り裂く音がカーシュナーの周囲を包んでいた。

 百戦錬磨のハンナマリーたちが、自然と戦いの気を腹の底に溜め込むほどの力が、いまのカーシュナーにはあった。

 みんなで変な武器などと呼んでいたものは、極めて殺傷能力の高い優秀な武器だったのだ。

 修練に一定の納得がいったのだろう。カーシュナーは最後に武器を脇で挟むようにキャッチすると、腹の底から長くゆっくりと息を吐き出し、動きを止めた。それは腹の底に溜まった戦いの気を逃がす作業であり、戦士が日常に還るための儀式でもあった。人を魅了してやまない笑顔と思いやりに満ちたやさしさが印象的なカーシュナーだが、カーシュナーという人間を形作る骨格は、まぎれもなく”戦士”であった。

「レノ。これ、今度鉄の棒と鎖で作ってよ」

 首にタオルを掛けるように武器を引っ掛けたカーシュナーがレノに依頼する。

「うん。わかった。後で作っておくね。……それにしても、カーシュすご過ぎるでしょ!!」

「思わず見入った」

 ジュザもうなずく。こちらはまだ無意識にまとった百戦の気が抜けていないので、切り裂くような迫力がある。

 鼻血が止まったので、鼻の中に残った血の塊を取りながら、リドリーもうなずく。こちらは途中で戦いの気を抜いていたので、普段の飄々としたリドリーのままだ。

「カーシュ。こっちに来な」

 いつの間にか応急セットを持ってきていたハンナマリーが、カーシュナーを手招きする。

「アザだらけじゃないか! まったく!」

 口では文句を言いつつも、大きく優しいその手は、打ち身によく効く軟膏を塗りこんでいた。

「骨はやっていないだろうね?」

「大丈夫だよ」

「拠点にいてまで傷だらけになっていたら、お前そのうち、じいちゃんたちに檻にでも入れられちまうぞ」

 ハンナマリーは苦笑交じりに冗談を言った。言ってる途中で、あの竜人族の老人たちなら本当にやりそうだなと思ってしまったのだ。弟が周囲の人々から愛されるのは姉として素直に嬉しいが、自分も含め、過保護になり過ぎる傾向が強いのだ。

「でも、この武器の持っている性能はかなり理解出来たよ。これがもっと前に手に入っていたらなあ…」

 カーシュナーが、長くもない人生を振り返りながらこぼした。スラム時代の苦闘の日々を思い出しているのだ。

「私はなくてよかったよ。こんなもんがあったら、お前大人しく後方で控えてなんかいなかったはずだからな」

 ハンナマリーが、カーシュナーのクセの強い髪の毛をクシャクシャにかき回しながら言う。

「カーシュの言いたいことはわかるけどよ。言ったところでどうにもならねえんだ。それよりも新武器種の良い案とかは出たのか?」

 リドリーが、取り戻せない過去の後悔の中からカーシュナーを現実に引き戻す。

「今までの武器種にはない動きが可能だからね。双剣の立ち回りを完全に白紙に戻して、立ち回りを新たに考案すれば、棍をすっぽ抜けないようにヒモなんかでつなぐことは、欠点の修繕だけじゃなくて、新しい可能性につながると思うよ」

「カーシュの言う通りだよ! わたし、今まで新武器種の開発が結構順調に進んでいたおかげで、かえって今までのアイデアに捕らわれ過ぎていて、新しい発想に否定的になってたことがよくわかった! 新しい武器種を作ろうとしているのに、新しい発想を否定していたら、良いものなんて出来るわけがなかったんだよ! いや~、お恥ずかしい! わたしもまだまだだね。何年も故郷や師匠の下で修業してきたのに、こんな基本的なことがいまだに身についていなかったんだから」

 悔しそうであり、それ以上に嬉しそうに、レノは言った。

 その様子を少し離れたところからうかがっていた伝説の鍛冶職人が、満足そうな笑みを口元にたたえる。

 弟子の成長を確認した師匠は、金床を鎚が打つ音と、溶岩地帯をを思わせる熱気に満たされた自分の居場所へと帰って行った。

 

 ジュザの回復を待つカーシュナーたちは、二手に分かれて行動することになった。ハンナマリーとリドリーは、周辺地域での採取を担当し、療養中のジュザとカーシュナーは、新武器種の開発に専念することになった。

 南の大陸では様々なことが規制緩和されているが、特徴的なものの一つに、仲間内でのアイテムの共有が認められ、アイテムの譲渡に関するレア度による規制がなくなっていた。

 これはハンターズギルドが存在しないことによるサポート体制の弱体化を補うためのものとして取り入れられたものではあるのだが、それは建前で、カーシュナーたち新人ハンターを支援するための方便であった。

 事実、カーシュナーたち以外のハンターたちは、北の大陸で用いられているルールを順守している。アイテムは当然個人管理だし、レア度の高いアイテムの受け渡しは行っていない。

 わかりやすく説明すると、カーシュナーたち(特にカーシュナー)を気に入っている調査団一行が、彼らを甘やかしたくて一致団結して作ったマイルールなのだ。

 さすがに、上位、G級素材を気前良く分け与えてしまうと、カーシュナーたちの狩猟技術の向上の妨げになってしまうので、下位素材のみの譲渡に制限しているが、本心では、自分に特に必要なければ、≪古龍の大宝玉≫クラスのレア素材をプレゼントして喜ばせたいと、全てのハンターたちが考えていた。

 人間性を重視して集められた調査団の構成員たちではあるが、人が良過ぎである。と、言うよりも、カーシュナーがとんでもない、女たらしならぬ”人たらし”なのであった。

 そんな周囲の環境のおかげで、カーシュナーたちは二手に分かれても、採取に赴かないメンバーの素材不足に悩まずにすむのである。ちなみに、カーシュナーたちは先輩ハンターたちによるモンスター素材のプレゼントは、すべて丁重に断っていた。

 余談ではあるが、そのせいで、ハンターたちの間では、カーシュナーたち(主にカーシュナー)は、どんなものならプレゼントを受け取るのか、また、何が好きなのかといった情報が、≪雪山深奥≫や≪霊峰≫、≪溶岩島≫や≪禁足地≫といった、ハンターにとっては知る者とて少ない幻の土地並の価値を持ってやり取りされていた。

 

 ハンナマリーとリドリーを見送ったカーシュナーたちは、奏双棍の改良という問題もあったが、その奏双棍と演舞棍に共通する変形機構に関する改良を優先的に行うことにした。

 まず、ギルドマスターに教えてもらい、正式名称がわかった変な武器こと”ヌンチャク”の操り方の中で、カーシュナーが有効と思える一連の動きを双棍状態で再現できるかを確かめた。そして、再現できるものと出来ないものとに分け、そこからさらに再現できないものを、棍と棍の連結に使用している鎖の長さを調節することで、ヌンチャクの動きを再現できるものと出来ないものとに振り分けていった。

 次に、再現可能な動きの中から、威力、操作性を考慮して、鎖の適正な長さを求めていった。その結果、鎖を長くすることで得られる利点は、より高い遠心力を利用して、一撃の威力を高めることだけと判断し、それらの動きは排除することになった。どれ程威力を高めようと、所詮は軽量の打撃武器である。重量を利用して繰り出されるハンマーや狩猟笛の一撃には敵わない。威力の代わりに犠牲になる攻撃の手数とコンボの連続性の方が、はるかに重要だった。

 それでもすべての動きが無駄になったわけではなく、発想の転換で、いくつかの動きは長棍状態で繰り出されることになった。

 鎖の長さを短く設定したことで、双剣の動きを模倣した鬼人化からの乱打攻撃は再現不可能になってしまったが、鬼人化そのものは発動できるので、乱打の放ち方に手が加えられることになった。もっともこれに関しては、カーシュナーに腹案があり、いざ試してみると、その攻撃スピード、威力共に、これまでの乱打を超える威力を発揮した。これまでが、太鼓をバチで叩くように放っていた乱打を、身体の周囲を回るように振り回し、回転力を利用しての超連続攻撃へと昇華させたのだ。レノはこの攻撃に改めて名前をつけた。

 ≪乱打・回天≫(ランダ・カイテン)と――。

「ずいぶん大袈裟な名前をつけたね」

 カーシュナーが苦笑して言えば、

「ハンターはね。結構こういうのが好きなんだよ」

 と、レノが、ニヤリとしながら答えた。

 猟虫による強化からの火力アップの代案として中心に据えられていた乱打の実用化の目途が立ってからは早かった。

 カーシュナーからの提案で、奏双棍と演舞棍の機能の一体化が図られた。

 奏双棍は笛効果からの強化が目的であり、演舞棍は、型を舞うことで、狩猟笛の演奏効果と同等の強化を図ることを目的として試作されていた。前者が扱い方を簡便にすることで、新人ハンターでも即対応出来ように図られたのに対し、後者は扱いを複雑にする代わりに、高い機能を持たせたものであった。

 レノの考えとしては、このどちらが実戦でより有効的かを見極めて、どちらか1本を、新武器種としてハンターズギルドに申請するつもりでいた。しかし、実際に使用したカーシュナーにより、どちらの機能も有効であること、有効とわかっているものをどちらか一方だけ排除することは、ハンターにとって損失でしかないと説かれ、機能の一体化と、奏双棍機能の改善に昼夜を問わず取り組んだ。

 レノの体調を心配したカーシュナーとジュザが休憩を勧めたが、

「アイデアが湧いて来ている内に形にしないと、まとまらなくなるから」

 と、言って作業に没頭した。

 その甲斐あって、奏双棍と演舞棍の機能を併せ持った試作棍が完成した。

 ここからは、カーシュナーの出番であった。

 自身の提案によって、笛効果をマウスピースの内部構造に頼らず、ハンター自身の演奏の技量で吹き鳴らすための訓練を始めた。参考になればと、非番の狩猟笛使いに頼み込み、狩猟笛の練習まで行った。ここで練習につき合ってくれた狩猟笛の名手、G級ハンターのヨーコの指導力が光った。

 もともと、どんなことでもその要点を掴む能力に優れているカーシュナーは、ヨーコの指導上手も手伝って、瞬く間に奏双棍の演奏技術のみならず、狩猟笛の演奏技術まで身につけてしまった。

 この練習を通してG級ハンター、ヨーコが、新武器種に興味を持ち、狩猟笛と新武器種の二刀流になるのはしばらく後のことであった。

 奏双棍の笛効果が、ハンターの演奏技術で補えることが証明されたおかげで、アイテムポーチを圧迫していたマウスピースは棍そのものに装着固定され、リードと呼ばれる小さなパーツのみの交換で演奏効果の変更が出来るようになった。また、このリードと呼ばれるアイテムのクエストへの持ち込みは、ガンナー用の弾専用ポーチにセットしての持ち込みが許可されたおかげで、通常のアイテムポーチへの負担は完全に取り払われることになった。

 演舞棍の”型の舞い”も棍をつなぐ鎖の影響でそれまでの型で舞うことが出来なくなってしまったため、新しい型を見つける必要が生じた。

 このころにはモンニャン隊を結成してクエストに出ていたヂヴァたちが帰ってきていたので、奇面族の三人に協力してもらい、新しい型を見つける作業が始まった。

 ケガの状態が一番重いモモンモは、ジュザの膝の上に座り、指導者気取りでチッチキとチョロンボにダメ出しをしていた。

「お前らがそんなことじゃ、カーシュの練習にならないモン!」

「うるさいッチ! 余計な口出しするなッチー!」

「そうだッチョ! 差し出がましヤツは嫌われるッチョ!」

 身体以上に口を動かしつつも、3人はよくカーシュナーを助け、新しい舞いのための型は出来上がっていった。

 補助機能が大詰めを迎えた後は、立ち回り方の精査となった。

 ここで意外な人物が力になった。フリーのオトモアイルー、平八である。

 平八はもともと東方文化に憧れて、シノビの道を目指したアイルーであった。しかし、生来の”なんとなくそんな感じ”な性格のせいで、東方文化の知識がごちゃまぜで、シノビの世界とは関係のない、ヌンチャクに対する造詣が深かった。

 レノにさっそくアイルー使用のヌンチャクを作ってもらい、その奥義を伝授していく。

 カーシュナーの独自の修練で極まったかと思われたヌンチャクの扱いが、さらに練度を増していく。その都度双棍の扱い方も修正され、さらに深く、鋭く磨きが掛かっていった。

 ジュザの胸のケガが癒えるころ、改良と修正作業が終わりを迎えた。

 

 日を改めて、ギルドマスター及び伝説の鍛冶職人と、G級ハンターの主だった実力者が集まり、レノから申請された新武器種の認定審査が行われることになった。

 非番のハンターと手の空いている調査団員も、一目見ようと次々と集まってくる。

 まずはレノが進み出て新武器種の補助性能の説明が行われた。レノの説明に合わせてカーシュナーが実演してみせる。

 伝説の鍛冶職人の弟子とはいえ、年若い少女が作った武器ということで、軽く考えていた人々の間から、感嘆の呻きが漏れる。中でもレノの同僚に当たる伝説の鍛冶職人の弟子たちの間から漏れ聞こえた呻きには、賞賛と同量の嫉妬が込められていた。

 それは猟虫に代わる補助システムを作り出そうと、細部まで考え、練られ、工夫が凝らされていた。ことに、笛による強化は発動までの時間が極めて短く、型の舞いによる効果は幅広く、より強力にハンターを強化してくれる。状況に合わせて2種類の強化方法が選択できることは、紙一重の実力を持った強敵と相対するとき、そのたった一枚の実力差を補ってくれるものであった。

 続いて、長棍、双棍状態での立ち回りが披露された。モンスター代わりの丸太に次々と攻撃が繰り出される。長棍状態での立ち回りは、猟虫による強化前とほぼ一緒だったが、片側が刃物ではないことを利用した、自身の身体に巻きつけるようにして繰り出される叩きつけ攻撃は、モンスター代わりの丸太を見事に粉砕してみせた。使用者が軽量小柄なカーシュナーであることを考え合わせると、尋常ではない破壊力である。

 一瞬の変形の後、カーシュナーの両手には、ヌンチャク形状になった双棍が、右肩から背中を通り、左脇を抜けて、たすき掛けの要領で渡され、握られていた。

 この一瞬の変形に、もはや呻きではない、抑えようもない驚愕の声が上がった。伝説と呼ばれる鍛冶職人も、思わず目を丸くする。見事な形態変形機構だった。

 ここからのカーシュナーの双棍状態の実演は見事の一言に尽きた。

 遠心力を利して振り回される双棍を、棍が霞むほどのスピードで操り、それでいて遠心力によって生じる巨大な力に振り回されることなく2本の棍を操ってみせる。凄まじい体捌きであった。

 当初は宮女の華麗な舞のような演舞だったものが、いまでは武人の雄々しき演武へと変わった新しい型が舞われ、舞の効果がカーシュナーを包み、強化する。

 ここに鬼人化が加わり、≪乱打・回天≫へとつながる。

 ≪乱打・回天≫のために用意されていた特大の丸太が、木端微塵に弾け飛ぶ。

 ≪乱打・回天≫を収めたカーシュナーが、双棍の回転を止め、全身に満ちた戦いの気をゆっくりと吐き出す。少女のような顔立ちが、いまは厳しく引き締められ、戦士の表情を浮かべていた。

 戦いの気を吐き出し終えたカーシュナーは、棍を長棍状態に戻すと、深々と頭を下げた。実演終了である。

 いつの間にか息を殺して見つめていた人々が、歓声を爆発させる。それは、G級を極めし超一流ハンターをも魅了するほどの、見事な実演だったのだ。

 いつまでも贈られる鳴り止まない拍手の嵐に、レノとカーシュナーが照れくさそうに手を振って応えていた。

 見物客と同様に拍手を送っていた認定審査員たちが、自分たちの仕事を思い出して協議に入る。

 拍手がようやく鳴り止むころ、審議も終わり、代表としてギルドマスターが前に出る。

「協議の結果、鍛冶職人レノが考案した新武器は、威力、性能共に文句のつけようのないものであるということで意見が一致した。しかし、その性能故に、一般的な新人ハンターが最初に手にする武器としては極めて扱いが難しく、使いこなすことは不可能であり、むしろ狩場に無用の危険を持ち込む結果になるものと、我々は判断した」

 周囲の観衆がどよめき、レノの表情が一気にこわばる。

「よって、鍛冶職人レノより申請された今回の新武器は、穿龍棍同様、G級解禁の特別武器扱いとし、ここに新武器種として認定する! なお、特例として、修練を修め、見事新武器を習得したカーシュナーに限り、ハンターランクに関係なく、この新武器の使用を認めるものとする!」

 ギルドマスターの声が拠点に響き渡り、続いて先程をはるかに上回る歓声が爆発した。今度の歓声の中心は、もちろんここまで苦労して新武器種の開発に携わってきたレノたちだった。

 伝説の鍛冶職人の弟子たちが集まり、レノを胴上げする。なぜか調子に乗ったモモンモが胴上げに紛れ込み、一緒になって宙を舞っていた。例によってモモンモは誰にもキャッチされずに地面に叩きつけられていたが、レノは多少荒っぽくはあったが無事地面に下ろしてもらった。見物人たちもレノとカーシュナーの周囲に集まり、祝福の言葉を贈る。

 仲間にもみくちゃにされながらも嬉しそうに笑うレノに、ギルドマスターが尋ねる。

「レノや。この新武器種、なんと名付ける?」

「≪演武・奏双棍≫(エンブ・ソウソウコン)と名付けます!」

 レノの答えに、周囲にいた人々が歓声で応えた。もはやお祭り騒ぎである。

 この日新たに生まれた新武器種、≪演武・奏双棍≫は、これからさき積み上げられていくカーシュナーの数々の伝説を共に歩む相棒になるのであった。



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最凶最悪?

 入手可能な限りの鎧玉を注ぎ込んで強化された新品の防具に身を包んだカーシュナーたちは、ギルドマスターの前に、これまた下位で可能な限り強化された各々の武器を手にして立っていた。

「ギルマスじいちゃん。約束通りちゃんと装備を整えたぜ」

 ハンナマリーが胸を張って報告する。

「うんむ。この短期間でたいしたもんじゃ。これなら少しは安心して送り出せるわい」

 ギルドマスターが、もともと開いているのか閉じているのかよくわからない細い目を、さらに細めて満足気にうなずく。

「寝てるの?」

 そんな様子を見たジュザが、ギルドマスターをからかう。

「起きとるわい! いま、ちゃんとしゃべっておったじゃろうが!」

 ギルドマスターがムキになって言い返す。

「立ったまま急にこっくりしたから、つい」

「それで本当に寝ておったらお終いじゃ!」

「終わったと思った」

 ジュザの返しに、ギルドマスターは顔を真っ赤にして怒り、追いかけまわした。

「細目のお前に、寝ているとか言われとうはないわ!」

 いつも手にしている杖をブンブン振り回して追いかける。杖を持つ意味があるのだろうか? どうせなら棍棒でも持ち歩いた方が目的に適っているように思える。

 ジュザもギルドマスターも、しばらくは口もきけなくなるほど呼吸が乱れるまで追いかけっこを続けてようやく戻ってくる。

 二人は呼吸が整うと、がっちりと手を取り合い、互いの身体を引き寄せると肩をぶつけ合い、最後にこぶしを合わせて元の立ち位置に戻って行った。ただの仲良しである。

「…相変わらずだな、二人とも」

 リドリーが呆れたように言う。

 ジュザからすれば、高齢であるギルドマスターの体調をはかることになり、ギルドマスターからすれば、ジュザの負傷の加減をはかることになる、いつものじゃれ合いだった。その割には本気度の高い追いかけっこではあるが。

「それでは、いよいよお前さんらに、このモンスターの討伐依頼を出すとしようかのう」

 ギルドマスターの言葉に、全員が不敵に笑って応える。

「下位最凶最悪のモンスター、≪爆臭虫≫(バクシュウチュウ)じゃ!」

 

 

 狩場≪大河≫を離れ、内陸の森林地帯に、あまりにも不自然な、巨木の群れがあった。拠点から南下すると、豊かな広葉樹の森が広がっている。雄大な流れに沿って進めば狩場≪大河≫に行き着き、≪大河≫と逆方向に進むと、不意に森が開け、その先に、1本1本が、砦ほどの太さの幹を持つ、巨木の群れが姿を現す。

 ――狩場≪巨木林≫(キョボクリン)である。

 巨木に日光を遮られてしまうため、土壌がいくら豊かでも、さすがに樹木は大きく育たず、巨木が長く伸ばす影の手を逃れるように、≪巨木林≫の周辺には奇妙な空白地帯が存在した。

 北の大陸の狩場≪樹海≫にも、中ほどでへし折られた巨大な樹木の名残が存在するが、こちらは天を覆い尽くすほどの枝葉が、太陽を捕まえようとでもするかのように、豊かに茂っている。

 その結果、巨木の足元に下生えは、1本も芽を出していなかった。

 枯れ落ちて積り、腐敗した腐葉土の上を、カーシュナーたちは、ベースキャンプを目指して歩いていた。

「すごいフワフワするモン!」

 モモンモが足元に厚く積もった腐葉土の上を楽しそうに飛び跳ねている。

「ここにそびえ立っている樹木は、古代種だそうッス。どんどん南下していけばたまに見られるらしいッスけど、群生しているのはここだけらしいッス」

 首が痛くなるほどの高さに広がる枝葉を見上げながら、ファーメイが説明する。

「古代種ってことは、ここに積もっている腐葉土の厚さは相当なんだろうね」

 飛び跳ねて遊んでいるモモンモをキャッチしながらカーシュナーが尋ねる。

「先輩方が掘って確かめたらしいッスけど、5メートル掘っても地面にたどり着かなかったらしいッス!」

「なんだ、途中で諦めちまったのか?」

 リドリーが意外そうに尋ねる。王立古生物書士隊の好奇心と知識欲を満たそうとする貪欲さを知っているだけに、地面にたどり着くまで掘り返さなかったことに驚いたのだ。

「そこまで掘ったら、周りが崩れて生き埋めになったらしいッス。ちゃんと調べるには、それなりの準備をしないとダメみたいッスね。でも地上で他に調査しないといけないことが多すぎて残念ながら当面は手がつけられないらしいッス」

「なるほどね。王立古生物書士隊も古龍観測所も本当に大変だね。あんた私たちと一緒にいて大丈夫なのかい?」

 ハンナマリーが本気でファーメイに尋ねる。

「1パーティに最低1名の調査団員の同行は義務ッスから! ぜんぜんOKッスよ! それに、みんなのおかげでボクが提出するレポートの評価ってけっこう高いんッスよ! みんなが予想外の無茶をするから、他のパーティでは収集出来ないようなデータが多いんッス!」

「予想外の無茶は、たいていファーが巻き込まれたトラブル処理のためだろ?」

 リドリーがツッコむ。

「ってことは、斬新なデータはすべてボクの功績ってことことじゃないッスか!」

「…お前、どんどんモモンモに似ていくな」

 ツッコむ気も失せたらしく、リドリーは呆れ口調で言う。

「あれっ!! どうしたッスか!! いつものツッコミは!!」

 放置されてしまったファーメイに、モモンモの演舞棍(エンブコン)もどきが振り下ろされる。間一髪で身をかわしたファーメイが抗議の声をあげる。

「いきなり何するッスか! モモンモ!」

「ツッコみだモン!」

「モモンモ。それじゃあ、ただの暴力ニャン」

 モモンモの自称ツッコみに、ヂヴァがまともなツッコみを入れる。

 その様子を見ていたリドリーが、ニヤリと口角を釣り上げて見せた。

「!!!!」

 ファーメイは気がついた。ここまで計算ずくでリドリーは放置したのだ。

「お前ら~! おふざけでケガだけはするなよ~!」

 ハンナマリーから注意されたリドリーたちは、素直に「は~い!」と、答えたのであった。

 

「この上にベースキャンプがあるッス!」

 ファーメイが1本の巨木の前で足を止める。

 その巨木だけは周囲の巨木と様子が異なり、奇妙にねじれ、ところどころに大きな洞が口を開けている。

「この巨木は、何らかの植物特有の病気を持ったまま成長しているらしいッス! 生き物には何の影響もないので心配無用ッス!」

 そういうとファーメイは、率先して巨木の上にあるというベースキャンプに登り始めた。よく見ると、手足を掛けるためにUの字型の鉄の取っ手のようなものが打ち込まれている。

 ファーメイに続いて他のメンバーも巨木を登る。大枝に隠れて下からは見えなかったが、入口が狭い洞があり、その中にベースキャンプが設置されていた。

「おおっ! なんか秘密基地みたいだな!」

 以外に広い内部の様子を見て、リドリーが感嘆の声をあげる。中には簡易ベッドが設置され、暖を取れるようにと小型のストーブも設置されている。煙突は当然屋外に出され、換気も出来るように工夫がなされている。お決まりの赤と青のボックスも設置されいる。

 さっそく青いボックスから支給品を取り出し、4人で分配する。消臭玉のみ取り出さずに残しておく。今回のターゲットである≪爆臭虫≫の狩猟に際して必需品であり、消費も激しいとのことで、調合素材も含めて全員満タンまで持ってきていた。手持ち分を消費してから、支給品に手をつける予定である。

 事前に集めた情報では、≪爆臭虫≫は尻尾のないゲネル・セルタスのようなイメージらしい。先輩ハンターに聞けばいくらでも情報は集められるのだが、狩猟技術向上のために、下位で得られる最低限の情報のみで狩猟に来ていた。

「この≪巨木林≫には、小型モンスターとして、クュンチュウの近縁種にあたる、≪棘盾虫≫(トゲタテムシ)と、現時点では、ここ≪巨木林≫でのみ確認されている、ネルスキュラの小型版のような鋏角種モンスター≪狩蜘蛛≫(カリグモ)が確認されているッス」

 ファーメイが支給品の分配が終わるのを待って説明する。

「≪棘盾虫≫は何度も狩っているから問題ないけど、≪狩蜘蛛≫の方はどんな感じなんだい? 狩猟の邪魔になりそうかい?」

 ハンナマリーが、ヂヴァののどをくすぐりながら尋ねる。ヂヴァは気持ちよさそうにのどをゴロゴロと鳴らしていた。

「かなり邪魔になるみたいッス! ネルスキュラみたいに、糸を張り巡らして巣を作ったりはしないらしくて、前の2本の脚で器用に糸を操って、獲物を捕食するらしいッス! 動きもかなり速いらしくて、ヤオザミやガミザミみたいに、横方向の動もかなり速いらしいッス! おまけに脚力がかなり強いみたいで、ジャンプ攻撃もしてくるらしいッス!」

「ヤオザミやガミザミが、糸を吐くは、ジャンプ攻撃はしてくるはみたいな感じってことか?」

 リドリーが嫌そうに尋ねる。

「いい例えッスね! まさしくそんな感じッス!」

「かなり強いんじゃない?」

 カーシュナーも思案深げに問いかける。

「強いッスね! ただ、縄張り意識がかなり強いらしく、いても一つのエリアに1匹だけらしいんで、大型モンスターと一緒に相手取らなければ問題ないそうッス!」

「見つけ次第狩っておけば問題ないな」

 ハンナマリーが、一同に確認するように言った。

 ちなみに≪棘盾虫≫は、クンチュウとほぼ変わらず、身体が一回り大きく、甲殻に生えている短い棘が、丸まって転がる際の突進力を上げるようで、クンチュウにはコケさせられるが、≪棘盾虫≫には弾き飛ばされるので、イラつき方は倍以上である。クンチュウがモスだとすれば、≪棘盾虫≫はブルファンゴのような存在であった。

「じゃあ、とりあえず、一狩り行こうか!」

 ハンナマリーの号令で、全員勢いよく立ち上がった。

 

 

 肉を打つ鈍い音が、連続してエリア内に響く。

 背後からカーシュナーに襲い掛かった≪狩蜘蛛≫が、カーシュナーの繰り出した、長棍(チョウコン)からの武器出し変形攻撃による双棍(ソウコン)で迎撃され、下からの打ち上げ攻撃の連打を柔らかい腹部に受けて、地に落ちることも許されないまま、空中で絶命する。

 カーシュナーの覚醒したかのような強さに、リドリーが思わず口笛を鳴らす。

「演武・奏双棍(エンブ・ソウソウコン)、もう完璧に身についたみたいだな」

 ハンナマリーも、声に頼もしさをにじませて微笑んだ。

 ジュザも、同意見だとうなずく。

「そういうのは、剥ぎ取りの後にするモン」

「は~い」

 一同は、採取の鬼の言葉に素直に従った。

 

「カーシュ。今回はどんなカートリッジを装着してきたニャン?」

 剥ぎ取りの終わったカーシュナーにヂヴァが尋ねる。

 演武・奏双棍は、属性カートリッジと呼ばれるレノが独自開発した属性付加装置により、メイン素材が適応可能な属性であれば、カートリッジの交換により、武器の属性を変更することが出来る。また、双剣の一部の武器にのみ見られた双属性、片方の剣が火属性、もう片方の剣が氷属性といった、他の武器種には見られなかった特殊な武器属性を簡単に再現し、加えて、別種の属性カートリッジをアイテムとして持ち込めば、クエスト中でも武器の属性を変更することができ、同種の属性カートリッジを持ち込めば、属性値を強化することが可能な使用になっている。

 ちなみに、属性カートリッジは火炎袋や毒袋といった袋系素材を基礎としているため、残念ながら龍属性カートリッジは存在していない。演武・奏双棍に龍属性を付加させたかったら、他の武器種と同様、龍属性を持つ素材を使用して作成し、属性値を固定しなくてはならない。当然、属性変更は出来ないが、片方の棍の属性を固定しなければ、双属性化のみ可能になる。その代わりに、龍属性を強化することは出来ない。

 カーシュナーは現在、港跡地で入手した毒袋と麻痺袋、≪潜影虫≫から入手した水袋の3種類の袋系素材を利用したカートリッジを所有している。レノが試作用に全種類のカートリッジを用意していたが、カーシュナーは自身が入手した素材で作成したカートリッジのみを使用していた。

 自分に厳しく、自分に甘えを許さないカーシュナーたちの姿勢は、先輩の超絶ハンターたちから高い評価を得ていた。それは、ハンターとしての高みへとたどり着くためには欠くことのできない資質であったからだ。だが、カーシュナーたちが、その資質を得るに至った経緯を知ってしまった彼らは、ついつい甘やかしたくなってしまうのだ。あまりにも重く、苦しかった過去を助けることは、どれ程彼らが優れた技量を有していても不可能だが、いまと未来を手助けすることは出来る。すぐ隣にいるからだ。

 カーシュナーは長棍状態に戻した演武・奏双棍を背中に戻すと、ヂヴァの質問に答えた。

「麻痺カートリッジの2個着けだよ。水属性も良く効くらしいけど、麻痺もかなり通るらしいから、麻痺の耐性が上がって蓄積値が下がるまでは麻痺攻撃に徹してみんなをサポートするつもり。その後で水カートリッジと交換してダメージ優先で立ち回る予定だよ」

「毒カートリッジは持ってこなかったのかニャン?」

「毒は耐性が高いみたいで、通りが悪いらしいから、思い切って持ってこないことにしたんだ。アイテムポーチが圧迫されるからね」

「なるほどニャン」

 カーシュナーは、ヂヴァと会話しつつ、エリア内をつぶさに観察していた。それは、会話相手のヂヴァも同様で、ここ≪巨木林≫は、彼らにとって初めて訪れる狩場だからだ。

 ≪巨木林≫は≪大河≫になかった二重構造になっているエリアがほとんどで、これまでの狩猟と違い、頭の上にも警戒が必要となってくる。採取できる素材の多くが樹上にあり、腐葉土に厚く覆われた地上では、キノコの類しか採取できるものはなかった。

「なあ、ファー。ここってなんで≪巨木林≫って名前になったんだ?全然林じゃねえじゃん。森だろ?」

 リドリーが、隣を歩きながら器用にスケッチとメモを取っているファーメイに尋ねる。

「いい質問ッス! 確かに、葉が茂りすぎて昼間とは思えないくらい薄暗いここが、林って言われてもピンと来ないッスよね! でも、ここはやっぱり林なんッス!」

「なんで?」

「ここ≪巨木林≫は、狩場全体の広さが、北の大陸の狩場の≪樹海≫と同じくらいの広さがあるんッス! それだけ広大な面積の中に、この巨木は、100本もないんッスよ!」

「マジでかっ!!」

 ファーメイの言葉に、リドリーは思わず驚きの声を上げる。

「それくらい、この巨木は1本、1本が大きいんッス!」

「なるほどな~。そりゃあ、確かに林だわ。100本もないのに、森とは言えねえよな」

 カーシュナーたちは、探索と採取を行いながら、≪巨木林≫を進んで行った。めぐり合わせが悪いのか、ターゲットである≪爆臭虫≫とは出会えないまま、ほとんどのエリアを回り、ベースキャンプ近くにまで戻って来てしまったので、一度カーシュナーたちはベースキャンプに戻ることにした。

 ベースキャンプに戻ってみると、そこにはタル配便のスタッフが到着していた。

「他のG級ハンターさんたちのクエストに同行していたんニャけど、カーシュたちのクエストに行ってやれって言われたから、急いでやって来たのニャン!」

 被っていた帽子を取ると、タル配便スタッフのアイルーが事情を説明してくれた。

「G級ハンターさんたちの方は大丈夫なの?」

 カーシュナーが心配そうに尋ねる。

「それはわからないのニャ。でも、G級ハンターさんが言うには、初めての≪巨木林≫なら、絶対アイテムポーチがぱっつんぱっつんになっているはずだから、手伝ってやってくれって言ってたニャ!」

 事実、カーシュナーたちのアイテムポーチは、ぱっつんぱっつんになっていた。≪巨木林≫には、ここでしか採取できない特定素材が豊富だったのだ。モモンモ曰く—―。

「とりあえず採取しておけばいいモン。そうすればいらないものから置いていけるモン」

 と、いうことらしい。その言葉のおかげで、カーシュナーたちは、ここまでの間で素材を諦めることなく採取し、タル配便のおかげで全て持ち帰ることが出来るのだ。

「帰ったら、G級ハンターさんたちにお礼を言いに行こうな」

 G級ハンターたちに気を遣わせてしまい、申し訳なく思っている弟に、ハンナマリーが声を掛ける。

「そうだね」

 今さらタル配便のスタッフに引き返してもらっても、おそらくG級ハンターたちのクエストには間に合わないだろう。それでは、ただ、好意を無にすることにしかならない。ここはありがたく好意を受け取ることにして、カーシュナーは納得した。

 採取した大量の素材をタル配便に託し、身軽になったカーシュナーたちは、携帯食料で簡単な食事を済ませると、再度≪爆臭虫≫の探索に向かった。

 おおまかに1周し、≪巨木林≫の全体像を掴んだので、二手に分かれて探索を行おうかという案も出たのだが、ファーメイの補足説明で、≪爆臭虫≫は、ペイントボールの効果をすぐにかき消してしまうらしいことがわかった。仮に手分けをして発見しても、それを他のハンターに伝えることが難しく、下手をすれば各個撃破されてしまい、クエスト失敗に陥りかねないらしい。

 カーシュナーたちは手分けして探索することを素直に諦め、今度は逆ルートで回ってみることにした。

 途中≪狩蜘蛛≫と≪棘盾虫≫に襲われたが、なんなくこれを退け、逆回転で≪巨木林≫を半周程探索した。

 ここで、始めに≪巨木林≫を探索した時に回らなかった≪巨木林≫の中心エリアに行ってみることにした。中心エリアには採取できる素材が何もなく、エリア間を行き来するための、単なるショートカットエリアに過ぎないため、始めに≪巨木林≫を回った時は、モモンモの鶴の一声で無視したのだ。

 中心エリアには、ものの見事に何もなかった。

 他のエリアに多く見られる二重構造もなく、当然上下の行き来に利用していた≪宿り蔦≫(ヤドリツタ)もない。

 ちなみに、≪宿り蔦≫とは、宿り木の様に巨木に寄生し、その上で、地面にまで蔦を伸ばして地面からも養分を吸い上げる貪欲な植物で、≪巨木林≫の各所に見られ、大枝の上に広がる上部構造と地上部とを行き来するのに利用されていた。

 何もない空間に、かすかな軋みが伝わる。

 全員が身構え、周囲に視線を飛ばす。

 カーシュナーの鋭い目が、目的のモンスターをとらえた。

 巨木の根元近くの樹皮に、それは静かに張りついていた。≪爆臭虫≫である。

 巨木の樹皮に溶け込むような、暗いこげ茶色に、苔によく似た深緑色の斑点が散っている。気がつけば見分けることはさして難しくないが、保護色が見事な働きをしているため、気がつくこと自体が難しい。身動きした際に微かに立てた軋みを聞き逃していたら見落としていたかもしれない。

 身体の構造はファーメイの説明通りで、尻尾のないゲネル・セルタスのような形をしている。サイズ的には一回り小さく、大きな違いとしては、巨大な翅(ハネ)を持っているので、背中の構造が異なっている。

 全員が息を殺して見守る中、≪爆臭虫≫は不意に樹皮から剥がれ落ち、厚く積もった腐葉土の上に落下した。

 丸まっていた脚が、ビクッ、と伸び、ジタバタもがくと、その反動を利用して器用に裏返ってみせた。

 身体に比して極端に小さな頭部が、きょろきょろと周囲を見回す。足元もどこか覚束ず、ふらふらしているように見える。

「……あいつ、もしかして寝てたんじゃねえのか?」

 リドリーが胡散臭げにつぶやく。

「酔っ払いが椅子なんかで眠りこけてて、寝返りうった拍子に落っこちて、状況が理解出来なくて混乱している姿によく似てるな」

 ハンナマリーが、その状況が目に浮かぶような感想を漏らす。

「確かに」

 ジュザが口元をヒクヒクさせながら同意する。かなりウケているようだが、大型モンスターを前に爆笑するわけにもいかないので我慢しているのだろう。

「みんな、油断しない方がいいッスよ。まがりなりにも下位最凶最悪と呼ばれるモンスターッス。…正直、間抜けなおっさんみたいッスけどね」

 ファーメイも、自分が言ってる言葉の内容に不審を持っているのがありありと伝わってくる。最後に素直な感想を付け足しているのがその証拠だ。

「王立古生物書士隊の先輩や、他のハンターさんの助言では、5分以内に討伐できなければ、100%狩猟失敗するそうッス。行くときは、一気に行くッス」

 それだけ言うと、ファーメイはエリアの端ギリギリまでさがって行った。いつもならモンスターをなるべく近くで観察したくて、モンスターの注意を引く程の距離に近づくのに、今回は珍しく殊勝な態度である。ファーメイの護衛が主な仕事のヂヴァとモモンモも、仕方なくファーメイに従いエリアの端に移動する。

 移動したモモンモが攻撃力強化の舞いを踊りだす。それに合わせてカーシュナーも双棍を吹き鳴らす。鬼人リードが装着されていたので、全員の攻撃力が上がる。すかさず、リードを硬化リードに付け替えて、再度吹き鳴らす、全員の防御力が上がったところに、モモンモの踊り効果が加わり、攻撃力がさらに上がった。

 笛の音を聞きつけ、ようやくカーシュナーたちの存在に気づいた≪爆臭虫≫が、腹部を大きく膨らませる。次の瞬間、≪爆臭虫≫の腹部が破裂したかと錯覚するほどの勢いで、臭気ガスが噴出された。

 それは単なる臭気などではなかった。悲鳴を上げることすらできないほどの強烈な臭さだったのだ。

 鼻の良いヂヴァが、エリアの端にいながら、鼻を押さえて悶絶している。

 爆臭とはよく言ったものだ。その威力は、臭いの対巨龍爆弾と言ってもいいだろう。

 より臭いの爆心地の近くにいたカーシュナーたちは、あまりの臭さに涙が止まらず、咄嗟に消臭玉を足元に投げつけて、悪臭を退けようとした。しかし、吹き上がる消臭玉の白い煙が、一瞬の内に悪臭に汚染され、カーシュナーたちにまとわりつく臭いを消し去るどころか、いたずらに悪臭をかき回しているだけの状態になってしまう。

 カーシュナーたちは、ハンターになって初めて、手も足も出せないまま撤退を余儀なくされた。

 

 エリア移動し、とにかく悪臭を追い払おうと消臭玉を使う。本来なら共有できる消臭効果が、互いがあまりにも臭すぎて近づくことが出来ず、やむなくそれぞれで消臭玉を使用しなくてはならなかった。どうやらこの臭気は他の臭いと融合することで、さらに悪臭の度合いを高めるらしく、臭いに慣れることがないのだ。

 3個も消臭玉を消費して、カーシュナーたちはようやくまともに口がきけるようになった。

 ハンターに消臭玉とその調合素材を限界まで持ち込ませ、その上で支給品に消臭玉が加えられた意味が、文字通り身に染みてよくわかった。互いにまとわりついた臭気は、残念ながら消臭玉の効果では完全に消し去ることが出来ないようで、カーシュナーたちは、それぞれ一定の距離を保たないと身体に染み残った臭気が混ざり合い、悪臭が悪化する一方なので、離れて作戦会議を開かなくてはならなかった。

 エリア移動する間も、激しい嘔吐にみまわれ、カーシュナーたちのスタミナは限界まで低下し、走ることもままならなくなっている。

「一旦ベースキャンプに戻ろう」

 ハンナマリーが青い顔で提案する。

 全員素直にうなずく。答えようとして口の中に臭いが入ってくることを警戒して、全員口を開こうとしない。

 カーシュナーたちは走ることもままならない状態で、ベースキャンプへと引き上げていった。

 

 少し時間を置いたおかげで、臭気が落ち着いたのか、鼻が麻痺したのか、どちらかわからないが、とにかくまともに会話が出来るところまでは回復した。しかし、とても携帯食料などを口に運ぶ気にはなれず、カーシュナーたちのスタミナは、相変わらず低下したままだった。

「ペイントボールが効かない理由がよくわかったよ。あと、5分以内に討伐しないといけない理由もね」

 カーシュナーが珍しく声に疲れをにじませながら言った。

「あの臭いじゃペイントボールの臭いなんか飲み込まれちまうわなあ」

 リドリーがカーシュナーの言葉に同調する。

「やられる前に、やらなきゃダメだった」

 ジュザもカーシュナーの言葉に心底うなずいた。

「くらっちまったもんは仕方がない。みんなどうする? 続けるかい? それともリタイアするかい?」

 ハンナマリーが意見を求める。

「ここはリタイアしても恥ではないッスよ! 皆さんの成長のためとはいえ、今回は情報が少な過ぎたッス! 出直してもいいと思うッス!」

 ファーメイが、かなりの距離を取り、鼻をつまみながら発言する。

 鼻の良いヂヴァは、とてもカーシュナーたちと同じ空間にはいられず、ベースキャンプの外にいる。それにつき合っているモモンモもこの場にいないので、彼らの意見は聞けない。

「せめてスタミナが回復すればなあ。この状態じゃあ踏ん張りが利かねえし、回避行動だってまともに出来ねえからなあ」

 リドリーが頭を抱える。基本全員負けず嫌いなので、手も足も出せないまま引き返すことが嫌なのだ。せめて一矢報いてからでないと帰れない。

「でも、無理をし過ぎないと約束した」

 リドリーの気持ちを理解したうえで、ジュザがギルドマスターとの約束を思い出させる。

 ハンターの撤退の見極めは、状況によって判断しなくてはならない。感情に引きずられて引き際を誤れば、命を落としかねないからだ。

「カーシュ。何か策でもないか?」

「あるよ」

 あっさりと答える。

「ただ、絶対じゃないんだ」

 カーシュナーが眉をしかめながら付け足す。

「一か八かの作戦か?」

 リドリーが尋ねる。

「もっと雑かな~」

「ないよりまし」

 先程はリドリーの攻め気を押さえたジュザが言う。本心ではやられっぱなしで帰りたくないのだ。

「話しな。カーシュ」

 ハンナマリーが促す。

 カーシュナーの作戦は、こうであった。

 携帯食料や、こんがり肉を食べることが出来ないため、減少したスタミナを回復することが出来ない。ならば、スタミナが減少した状態で走りまわればいいのだ。

 演武・奏双棍の強走効果のある舞いと、モモンモの強走効果のある踊りを二重掛けするのである。

 あとは、強走効果が切れるまでの間に、無呼吸状態で一気に討伐するのみである。

「確かに雑だなあ」

「カーシュがためらうのもわかる」

「でも、もう一戦出来そうだな」

 ハンナマリーたちは、退く理由ではなく、戦う理由が欲しかったのだ。雑だろうが何だろうがかまわない。

「討伐しきれなかったらリタイアしよう」

 カーシュナーが念を押す。

「決まりだな。どのみち時間的にあと一戦が限界だろ。回復薬も吐き気がひどくて飲めないから、時間的に余裕があっても、誰かがでかいダメージを受けた時点でリタイアする。これで行こう」

 作戦が定まり、カーシュナーたちは再びベースキャンプを後にした。

 

 

 中央エリアに戻ると、そこにはすでに≪爆臭虫≫の姿はなかった。

「時間がないときに限ってこれか!」

 ハンナマリーが肩を落とす。

「それにしても、あれだけの悪臭が完全に消えてるね」

 カーシュナーが驚きに大きな目をさらに大きくする。

「≪巨木林≫の浄化作用のおかげッスね!」

「ペイントボール代わりに臭いで追えればって期待したんだけどね」

 カーシュナーが残念そうに言う。

「静かに!」

 突然ジュザが声を上げる。その場の空気が一気に緊張する。

「ヂヴァ、羽音が聞こえないか?」

 耳をすましながらジュザが尋ねる。

「…聞こえるニャ! きっとさっきまでここにいたのニャ!」

 ≪爆臭虫≫の羽音をとらえたヂヴァが興奮する。

「追うぞ!」

 一行はジュザとヂヴァを先頭に、≪爆臭虫≫の追跡を開始した。

  

 羽音は全員の耳に届いていた。幸運にも、すぐ隣のエリアに≪爆臭虫≫は降りていった。

 すかさずカーシュナーが舞い、モモンモが踊りだす。

「今度はさっきみたいに様子は見ない。全力で詰めて、一気に叩く!」

 ハンナマリーの指示が飛ぶ。

「また目をやられるだろうから、バラけようぜ! オレは≪爆臭虫≫の左後ろから攻める!」

 リドリーがライトボウガンの装填を確かめながら言う。

「オレは右前」

 ジュザが言う。

「じゃあ、私は左前だね! カーシュ! 右後ろはまかせたよ!」

 ハンナマリーの言葉に、カーシュナーは舞いながらうなずいた。

 カーシュナー、モモンモの強走効果が連続して発揮される。

「時間がない! 行くよ!」

 カーシュナーたちは、≪爆臭虫≫の待つエリアへと飛び込んだ。

 カーシュナーがすかさず、鬼人効果を吹き鳴らす。エリア内に飛び込んできたモモンモも、ファーメイのかたわらで攻撃力強化の踊りを始めた。

 それ以外の強化行動は一切行わない。大ダメージを受けたらそこで終わりの制限時間付きサドンデスの始まりだった。

 リドリーが、背中を見せる≪爆臭虫≫を射程内に捉えた瞬間、水冷弾が速射され、背中を守る甲殻に直撃する。

 リドリーの攻撃でようやくカーシュナーたちの存在に気がついた≪爆臭虫≫が、慌てて振り向く。

 その小さな頭部に、カウンターのように、≪潜影虫≫(センエイチュウ)と≪深潜虫≫(シンセンチュウ)の鎌を素材に作成された大剣が振り下ろされる。こちらも≪爆臭虫≫の苦手な水属性を帯びているため、大きなダメージを与え、一撃で≪爆臭虫≫を怯ませる。

 その隙にジュザが一気に距離を詰めると武器出し攻撃を叩き込み、強走効果を利用して、鬼人化状態に入る。頑丈な太い脚の内側に入ると、比較的防御力の低い脚裏を乱舞で切り刻む。こちらもハンナマリー同様≪潜影虫≫と≪深潜虫≫の鎌を素材に作成された水属性を持つ双剣のため、≪爆臭虫≫の脚の耐久値をみるみる削っていく。

 その間カーシュナーとリドリーは≪爆臭虫≫の身体を迂回し、背後に回り込む。

 慌てて対応が後手に回る≪爆臭虫≫を尻目に、ハンナマリーが≪爆臭虫≫が体勢を崩すであろう地点に先回りし、大剣を肩に担ぎあげると力を溜め始める。ジュザが≪爆臭虫≫をコケさせてくれることを1ミリも疑っていない行動だ。

 ジュザもハンナマリーの期待を裏切らず、見事に≪爆臭虫≫の右前脚を崩してみせる。

 体勢を崩して下がった頭部に、今度は渾身の力が込められた一撃が振り下ろされた。もしハンナマリーの手にしていた武器がハンマーだったならば、間違いなく一撃でめまい状態に出来たほどの強烈な斬撃に、≪爆臭虫≫はもがき苦しみのたうち回る。

 ダメージの大きさに≪爆臭虫≫が起き上がれないでいるうちに、各自がありったけの攻撃を叩き込む。ここでカーシュナーの演武・奏双棍が≪爆臭虫≫を麻痺させ、集中攻撃がさらに続く。

 散々に痛めつけられながらもようやく起き上がった≪爆臭虫≫に、カーシュナーが絶妙のタイミングでジャンプ攻撃を繰り出す。身体に巻きつけるようにして放たれた叩きつけ攻撃は強烈で、リドリーの速射でダメージが蓄積していたこともあり、翅を守る甲殻が大きくひび割れ砕け散る。カーシュナーはそのまま乗り攻撃に移行すると、≪爆臭虫≫との攻防を制し、見事転倒させた。

 ここまで一瞬たりとも≪爆臭虫≫に主導権を与えずにきたカーシュナーたちであったが、全身ズタズタになりながらも立ち上がった≪爆臭虫≫が、怒り状態から腹部を膨らませることを阻止することは出来なかった。

 先程の倍近い大きさに腹部を膨らませた≪爆臭虫≫は、脚が地面を離れてしまったため、身動きすることが出来ず、倒立のような体勢で、大きく膨らんだ腹部を真上に向けている。

 この間カーシュナーたちは、怯まず攻撃を加えていく。引くことは、そのまま負けを意味するからだ。

 しかし、この根競べに勝ったのは≪爆臭虫≫の方だった。

 腹部の先端と両側にある排気口が口を開け、臭気を撒き散らす。頭部を支点に、噴き出すガスの勢いを利用して倒立したまま回転する。おかげで臭気ガスが周囲にまんべんなく振り撒かれてしまった。

 すでに呼吸は限界まで吸い込み止めてある。おかげで、まだ、悪臭に苦しめられることはないが、その強烈な刺激に涙があふれて止まらなくなる。

 回転を終え、腹部をしぼませた≪爆臭虫≫が転倒する。どうやら回転で目を回したらしい。

 涙で狙いの定まらない攻撃を、カーシュナーたちはさらに叩きこんで行った。

 正気に戻った≪爆臭虫≫が、不意に後脚を大きく広げ、脚の先端どうしを打ち合わせた。

 それまで気づかなかったが、脚の先端に火打石があり、まるでクルペッコのように巨大な火花を飛び散らせた。

 まず、閃光玉を10個ほどいっぺんに炸裂させたかのような光が生まれ、これまで経験したことがないほどの衝撃が全身を打ち、鼓膜が破れんほどの爆音に包み込まれる。これらが一瞬の内にカーシュナーたちに襲い掛かり、4人は天地の区別もわからなくなるような勢いで、エリアの端まで吹き飛ばされていった。

 それぞれが巨木に打ちつけられてようやく止まる。

 ギルドマスターの懇願に従い防具を強化していなければ、カーシュナーたちは1回のクエストで4回落ちることになっていただろう。

 それぞれが、もうこれまでと諦めて目を開けると、巨大なガス爆発を引き起こした張本人が、自ら引き起こした爆発の衝撃で昇天していた。

「…なんだそりゃ」

 ハンナマリーのつぶやきは、全員鼓膜を痛めていたため、つぶやいたハンナマリー本人の耳にも届かなかった。

 

 強走効果が切れたカーシュナーたちは、限界まで体力とスタミナを削り取られた重すぎる身体を引きずりながら、剥ぎ取りを行うために≪爆臭虫≫の亡骸に取りついた。

 エリアの端にいてさしたる被害を受けなかったモモンモが軽快な足取りで近づいて来る。

「爆風のおかげでくさい臭いが吹き飛ばされて助かったモン!」

 モモンモの言葉通り、最後にばら撒かれた臭気は、爆発の影響で消し飛んでいた。おかげで目の痛みもやわらぎ、涙も止まってまともに視界が開ける。

「なんとも締まらねえ最後だったな」

 リドリーが脱力しながら言う。

「でも、助かった」

 言葉とは裏腹に、ジュザもどこか納得いかない表情で言う。

「お前ら、口じゃなくて、手をうご…」

 採取の鬼のカミナリが落ちかけた時、どこからか、小さな破裂音がした。

「何の音だニャン?」

 聞きつけたヂヴァが不審げに辺りを見回す。

 音の正体は、確かめる前に、カーシュナーたちの聴覚にではなく、これまで散々な目に遭ってきた嗅覚にやって来た。

「く、くさ…」

 そこまでしか言葉にできず、カーシュナーが気絶する。

 音の正体は、≪爆臭虫≫の体内で臭気の元となっていた袋が破れる音だったのだ。

 これまでが、まるで春のそよ風であったかのような悪臭が、≪爆臭虫≫の身体から流れ出る。ファーメイとヂヴァが、慌ててカーシュナーを引きずり逃げる。ハンナマリーたちも、走って逃げたいのだが、スタミナがまったくないため、酔っ払いのような足取りで≪爆臭虫≫から離れて行く。

 そんな中、ただ一人モモンモが≪爆臭虫≫の亡骸に取りつき、剥ぎ取りを行っていた。

 止めたくても、あまりの臭さに口を開けることが出来ず、連れ戻しに行くだけのない体力が残っていないハンナマリーたちは、やむなく避難することに全力を注ぐ。

 ようやく素材をはぎ取ったようで、モモンモは何かを小脇に抱えて引き返して来る。その足取りはまるで、重力が10倍にでもなったかのように重い。数歩ごとに立ち止り、立ち止まっては歩き出す、そして最後には動かなくなり、とうとう前のめりに倒れてピクリとも動かなくなってしまった。

「あの、おバカ!」

 カーシュナーを隣りのエリアに避難させて戻って来たヂヴァが、語尾の”ニャン”も忘れて四足歩行でモモンモに駆け寄る。本当なら、鼻の良いヂヴァにはこのエリアにいることすらとんでもない苦痛なのだが、それを押して親友の救出に向かったのだ。

 ヂヴァは、涙だけでなく、鼻からも大量の鼻水を噴き出しながらモモンモの元に駆け寄ると、足首をくわえ、猛然と引きずり始めた。口を開けた途端、口内の粘膜に焼けつくような激痛が走ったが、気力で痛みと吐き気を抑えつけ、けしてモモンモの足を放さなかった。

 引きずられるモモンモもたいしたもので、採取した素材は、意識を失っても、まだ、しっかりと脇に抱え込んでいた。

 ヂヴァが顔とモモンモの足をベトベトにしながらようやくエリア移動すると、そこでは新たな地獄絵図が展開されていた。

 あまりの臭さに全員吐き気が治まらず、空っぽの胃を痙攣させてうずくまっていた。そこまでの被害を受けていないはずのファーメイは、もらいゲロで悶絶していた。

 エリア移動して気が抜けたのだろう。ヂヴァも地獄絵図の仲間入りをし、何とも嫌な、「エレエレエレエレエ」という嘔吐のハーモニーを≪巨木林≫に響かせたのであった。

 

 

 フラフラになりながら拠点に戻ったカーシュナーたちは、拠点のはるか手前で出迎えに遭遇することになった。

 ギルドマスターを含む全員が、モガピスカノーズを装着しており、手には長い刺又(さすまた)を持っている。

「緊急クエスト達成おめでとう。よう頑張ったのう」

 口元から角を生やしたような顔で、ギルドマスターがもごもご言う。正直何を言っているのかよくわからない。

「疲れて休みたいじゃろうが、すまんがお前さんらを拠点に入れるわけにはいかんのじゃ」

 カーシュナーたちはげんなりと肩を落とした。モモンモだけがいきり立っている。

「なんだモン! ひどい態度だモン! それじゃあ、オイラたちがまるでくさいみたいだモン!」

 怒って飛び掛かろうとするモモンモを、ギルドマスターが刺又で必死で食い止める。

 爆臭の中心にいたモモンモは、消臭玉の効果を弾き返すくらい臭かったのだ。

 暴れるモモンモを、カーシュナーが抱き上げて回収する。

「…ギルマスおじいちゃん。ボクのこと嫌いになったの?」

 カーシュナーが計算ずくの悲しげな表情で訴える。

「グハッ! 頼むからそんなことを言わんでおくれ」

 本当に吐血しかねない勢いでギルドマスターが苦悶する。とんでもない破壊力だ。

「そういう冗談はしない! お前のその表情は威力がありすぎるんだよ」

 ハンナマリーがカーシュナーの頭を軽く小突く。

「ギルマスじいちゃん。私らはどうすればいいんだい?」

「すまんが、3日ほど河に浸かっていてくれんか。≪爆臭虫≫を討伐に行ったハンターは全員そうして臭い抜きしてもらっているんじゃよ」

「はいよ~」

 リドリーが力のない返事を返す。

「河の中で寝ても溺れん特殊な設備を用意してあるから、それを使ってくれ。船着き場の上流にあるからこのまま河沿いに下っていけばわかるわい。その状態でも食えるものを用意してあるからゆっくり休むんじゃぞ!」

「は~い」

 みんなが疲れた返事を返す中、モモンモ一人が、「納得いかないモン!」とぷりぷり怒りながら、カーシュナーに手を引かれて歩いて行く。

 不意に何かを思い出したらしくファーメイが立ち止まる。

「隊長~! ≪爆臭虫≫の素材採取、成功したッスよ~!」

「なんじゃと!」

 元王立古生物書士隊隊長が驚きの声を上げる。これまで、狩猟を極めたG級ハンターたちをして、叶わなかった偉業を成し遂げたからだ。

「あんな悪臭の中どうやって剥ぎ取りしたんじゃ!」

「モモンモが、根性で~!」

 ファーメイが声を張り上げると、それにかぶせてモモンモが声を上げる。

「ヂヴァがいたから持って帰ってこれたんだモ~ン! オイラの手柄じゃないモ~ン!」

 意外と謙虚にモモンモが補足する。その肩をヂヴァが、わかったからと言いたげに叩いて黙らせる。

「クルペッコの火打石みたいな素材ッス!」

「そうか~。後で調べさせてくれ~」

「コラァ!! この素材はカーシュにあげるんだモン!! 勝手は許さないモン!!」

「心配せんでも取ったりせんわい! お手柄のモモンモとヂヴァには特別報酬で団子をやるからのう! 早く臭いを落としてくるんじゃぞ!」

 隊長が苦笑交じりに声を張り上げる。

「すぐ食べたいモン!」

「いま食おうとしても、団子に自分の臭いが移って食っても上手くなんぞないわい! いいから早く河に行け!」

「わかったモ~ン! 楽しみは後にとっておくモン!」

 出迎えに見送られながら、カーシュナーたちは身体に染みついてしまった臭いを落とすために河へと向かった。

 ギルドマスターの説明通り、簡素な作りの小屋が河に張り出して建てられていた。中に入ると床がなく、足場が渡され、そこにカヌーと網を組み合われたような水中ハンモック用意されており、溺れる心配もなく河に浸かっていられるようになっていた。

 用意されていた食事を済ませると、カーシュナーたちは早速河に浸り、疲れと臭いを洗い流す。

「とんでもないモンスターだったな」

 リドリーがしみじみとこぼす。

「まったく」

 ジュザも器用に顔だけを水面に出しながら同意する。

「基本バカっぽいモンスターだったけど、ただひたすらくさいってだけであんなに手強くなるとは想像も出来なかったよ。モンスターってのは、やっぱり奥が深いんだな」

 ハンナマリーが用意されていた特殊な石鹸で身体を洗いながら言う。

「まさに、最凶にして、最悪のモンスターだったね」

 カーシュナーの言葉に、同意の沈黙が流れ、全員が同時に同じ感想をこぼした。

 

「……二度とごめんだ」



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≪鉱山都市≫

 ≪巨木林≫からさらに南へ下ると、この大陸では珍しい山岳地帯が現れる。比較的なだらかで、広大な森林地帯が広がる南の大陸には、白い獣人の情報によれば、北の大陸にあるような、狩場として認定される程の規模の≪砂漠≫や≪沼地≫は存在せず、大陸全般を見渡しても、雪もほとんど降らないという。

 山頂に雪が降るほどの標高を持つ山も少なく、例外的に、大陸の南端付近に極端に標高の高い円錐形の山が、すそ野に小山を従えてそびえている程度であった。

 ここ大陸中部には、豊富な鉱石を産する大陸では数少ない山々が連なっている。

 その一角に、古代都市の跡地があった。

 ≪鉱山都市≫

 山一つを掘り抜き、地下深く、広く築かれた広大な空間を、調査団は≪鉱山都市≫と名付けた。

 居住区画の多くが、都市を囲む岩壁に掘り抜かれており、岩壁に囲まれた中心部には、おそらく公共施設であったであろう石積みの建築群の残骸がみられる。

 都市の入口は、崩落のためにわずかな隙間を残すだけとなっているが、岩石に押しつぶされた一部を除いて、隙間なく舗装された幅広の石畳が、ゆるやかな傾斜を描きながら都市中央へと続いており、当時の繁栄ぶりを想わせる。

 ≪鉱山都市≫は、北に入口を構え、その左右に半円を描くように岩壁が続き、崩壊した建築群を抱きかかえるような形をしている。入口の丁度反対に、さらに地下深くへと続く坑道が口を開いている。

 坑道に一歩足を踏み入れると、そこには全く別の世界が開かれる。

 そこは製鉄・鍛冶のための広大な工業空間になっていた。残念ながら、長い年月の影響で腐蝕し、≪鉱山都市≫の文明レベルを推し量れるような設備は残されていなかったが、隅々まで活用されていた形跡のある広大な空間は、それだけで文明レベルが高かったことが推測できる。

 調査初期の段階で≪鉱山都市≫を訪れた土竜族の男性は、終始言葉を忘れて、高度な技術の名残りを眺めていたという。

 初期調査を終えて拠点に戻った土竜族の男性は、ギルドマスターにこう言った。

「さびた塊からのみ生産可能な武器の謎が、ここに眠っているのかもしれない」

 調査団は、大陸全般に広げていた調査の手を、一度≪鉱山都市≫へと集中させたのであった。

 

 

「ようやくオレたちにも開放されたな~」

 ≪鉱山都市≫の入口を前にして、リドリーが大きな伸びをする。北の大陸と違い、村や都市が存在しないため、大陸の北端に構えた拠点から、カーシュナーたちはやってきたのだ。それはもはや、狩猟に向かうというよりも、一つの旅だった。

「ファーメイも初めてなんだよね?」

 カーシュナーが、わくわくが止まらなくなっているファーメイに尋ねる。

「はい! ボクも初めてッス! 初期調査からも、その後の集中調査からも外れてしまったので、超~楽しみにしていたんッスよ!」

「ここにはG級ハンターでも手こずるようなモンスターがいたんだって?」

 ハンナマリーが、入口を前にしてテンションが上がったのか、ストレッチを始めながら尋ねる。

「そうなんッス! 以前狩猟した≪爆臭虫≫(バクシュウチュウ)みたいに、特殊な能力があって厄介なんじゃなくて、体力、攻撃力、守備力、敏捷性、そして凶暴性の全てが高いレベルで融合した超強力モンスターだったらしいッス!」

「まだいるのか?」

 ジュザが早くも百戦の気をまといながら尋ねる。

「いないッス! いなくなったから、うちらに狩場として≪鉱山都市≫が開放されたんッスよ! だいたい、今日は採取ツアーで来ているんッスから、変なやる気出さないでほしいッス!」

 カーシュナーたちは、今回は狩猟依頼ではなく、初めて解放された≪鉱山都市≫に採取ツアーで来ていたのだ。当然狩場を知ることも大きな目的の一つである。

「狩っちゃいけない決まりはないぜ?」

 リドリーがニヤリとしながら言う。いたずらを考えているときの顔だ。

「そうッスけど、G級クラスのモンスターッスから、もし乱入してきたら、今度は現場の判断なんて言い訳通らないッスよ! 素直にクエストを中止して撤退しないと、下手したら≪鉱山都市≫の開放そのものが取り消されかねないッスからね!」

 ファーメイが厳しくたしなめる。カーシュナーたちが≪鉱山都市≫を出入り禁止になると、同行担当であるファーメイも、結果として≪鉱山都市≫に入れなくなってしまうからだ。

「ボクは集中調査でも調べきれなっかた場所を調べてみたいけどね」

 カーシュナーのこの言葉に、ファーメイが食いつく。

「ボクもッス! ボクも! くぅ~~! 早く調べたいッス!」

 鼻血を噴き出さんばかりの勢いで、ファーメイが興奮する。

 その様子を見たハンナマリーが、お手上げの仕草で首を振った。

「今回はファーメイにつき合ってやるか」

「やったーッス!」

 ファーメイのバカでかい声が、周囲の山々にこだました。

 

 

「ファーメイ! 狩場で不用意に大声を出すんじゃない! 中にまで聞こえて来たぞ!」

 ≪鉱山都市≫駐留調査団員が、ファーメイを叱る。

 怒られたファーメイが全力で謝るのだが、その声もまたバカでかかった。

「うちの新人が迷惑かけてすまんな」

 ファーメイを叱っていた駐留調査団員は王立古生物書士隊員で、ファーメイの先輩だった。

「まったくですよ。どんな教育しているんですか」

 リドリーが、ファーメイを見て、ニヤニヤしながら抗議する。

「リド! その裏切りはダメッス! シャレにならないッスよ!」

 今度はファーメイが、リドリーをポカポカ叩きながら抗議する。

「こんな感じで楽しくやってます」

 そんな二人を見ながら、ハンナマリーが後ろ頭をかきつつ駐留調査団員に言った。さすがに緊張感がなさ過ぎるとでも思ったのだろう。ここは仮にも狩場の中なのだ。

「先輩! その後の調査はどんな感じなんッスか?」

 問われた調査団員は、口の前に指を一本立てると静かにするように促してから説明した。

「都市に関する情報はほとんど進展なしだ。聞いてるとは思うけど、文明が発達していたおかげで、情報はすべて書類で管理されていたんだ。そのせいで、全部風化して残っていないんだよ。生き残った書物でもないかと中央の施設群をひっくり返してまわったけど、成果はなかったよ」

「岩壁の居住区はどんな感じなんッスか?」

 ファーメイが、今度こそ、ちゃんと声を落として問いかける。

「これからじっくり調べるところだよ。もっとも期待は薄いけどな」

 調査団員は両手を広げて首を振ってみせた。

「狩場としてはどうなんですか?」

 ハンナマリーが尋ねる。

「都市部には、素材の類は何もないことが確認されたよ。メインの狩場になる坑道は細分化されてい過ぎて危険だから、区域制限を設けてある。それでも採掘できる鉱石は豊富だよ」

「鉱石以外の採取素材はないのかモン?」

 採取の鬼が尋ねる。問われた調査団員は、モモンモをたかいたかいしながら説明した。

「キノコの類が採れるけど、良質のものはほとんどないね。それと、地底湖ってほどじゃないけど、坑道の一部が浸水していて、その近くでだけ珍しいコケが採取出来るよ」

 最後に高々と放り上げてからおろす。

「そいつは楽しみだモン!」

 たかいたかいしてもらって嬉しかったモモンモがはしゃぐ。

「モンスター情報はどうなているのかニャン?」

 今度はヂヴァが問いかける。調査団員は同じようにヂヴァをたかいたかいしようとしたが、サッとかわされてしまった。少し残念そうにしながら調査団員が答える。

「大型モンスターでは≪尖貫虫≫(センカンチュウ)が時々現れて、小型モンスターでは≪化け蜘蛛≫(バケグモ)と≪飛甲虫・黒≫(ヒコウチュウ・クロ)が結構出現する感じかな」

「手強いんですか?」

 ハンナマリーが尋ねる。

「どうかな? うろついていても採取ツアーが認められるくらいだから、問題ないんじゃないかな? 問題があれば討伐依頼が出ているはずだからね」

「なるほど」

 ジュザが納得してうなずく。

「先輩。ここにいたすごいモンスターのことは聞けないんッスか?」

「悪いな。G級にならないとこのモンスターに関する情報は開示できないんだ。まだ、上位に上がったばかりだろ?」

「やっぱりッスか…」

「ファーメイがカーシュ君たちとの同行をやめて、G級ハンターの同行になれば開示できるぜ」

 調査団員がニヤリとしながら言う。

「さよなら、ファー」

 リドリーが手を振る。

「冗談じゃないッスよ!」

「さよなら」

 他のメンバーたちがリドリーに乗っかる。

「絶対にやめないッス! ボクも一緒にG級に上がるッス!」

「すぐに興奮するクセを直せ。好奇心は熱く。冒険心は高く。観察する眼は常に—―」

「平常心で!」

 大きな声で答えたファーメイのおでこを、調査団員は爪で小突いた。これがけっこう痛い。

「わかっているなら実践しろよ。いくら仲が良くても、ハンターの足を引っ張るようなら交代させられるんだからな」

「わ、わかったッス」

 ファーメイは額を押さえつつ、神妙な面持ちでうなずいた。

 

 

「ファー。モンスターの特徴を教えてよ」

 妙に大人しくなってしまったファーメイに、カーシュナーが尋ねる。

 カーシュナーたちは駐留調査団員たちと別れて、坑道に足を踏み入れていた。

「そうッスね。先に遭遇しそうな小型モンスターから説明するッスかね。まずは、≪飛甲虫・黒≫ッス。このモンスターは名前が示す通り、北の大陸でも確認できるブナハブラの近縁種ッス。身体が一回り大きいことを除けば、その生態はブナハブラと何も変わらないッス。頭部が小振りで、ブナハブラの体色が赤いのに対して、この飛甲虫は艶のある黒色をしているッス」

「麻痺針に気をつけていれば大丈夫だね」

「そうッスね。次が鋏角種の≪化け蜘蛛≫ッスね。大きさは≪巨木林≫にいた≪狩蜘蛛≫(カリグモ)と同じくらいッスけど、つがいで行動することが多く、遭遇するときは、常に2匹いると思った方がいいッス。名前に現されている通り、体色を変化させて周囲に擬態していることが多いッス。単体での能力は≪狩蜘蛛≫の方が上なんッスけど、使う糸まで周囲に擬態させる能力を持っていて、ハンターでいうところのシビレ罠のような感覚で使用してくるので要注意ッス」

「そいつは厄介そうだな。大型モンスターを相手取っているときに足を取られたら、回避に失敗しちまうぜ」

「確かに」

 リドリーの意見に、ジュザも真剣な表情でうなずく。双剣使いのジュザはガードすることが出来ないので、回避行動を妨げられるのことは、狩猟の危険度が一気に跳ね上がることに直結するのだ。

「そうッスね。G級のハンターさんたちも、この≪擬態糸≫(ギタイシ)には手を焼いたって聞いているッス」

「要注意だね」

 ハンナマリーも難しい顔でうなずいた。

「ただ、≪擬態糸≫の粘着力は短時間で効果が切れるらしいッスから、他のモンスターと同時に相手取らなければ、それほど脅威ではないそうッス」

「討伐順序はこれで決まりだな」

「まず、≪化け蜘蛛≫」

 リドリーの言葉に、ジュザがうなずく。

「最後の≪尖貫虫≫ッスけど、このモンスターはこの山岳地帯で一番よく見られるモンスターで、一応甲虫種に分類されているんッスけど、甲殻種の特徴も合わせ持っている変わり種ッス」

「それは厄介な特徴なのかい?」

「厄介って程ではないッスけど、腹部が海老みたいに進化していて、脚での移動も行うッスけれど、戦闘になると、この独特の腹部をバネみたいにしならせて、移動及び攻撃をしてくるッス」

「なるほど、確かに話を聞く限りじゃ、突進力が優れているくらいの印象しか受けないね。でも、上位モンスターに位置づけされているってことは、それなりの理由があるんだよね?」

 カーシュナーが尋ねる。

「そうッス。基本的な攻撃力が高くて、攻撃のバリエーションもかなり豊富な上に、防御力も体力も高いんッス。はっきり言って、下位とはモンスターとしての格が違うッス」

「腕が鳴る」

 ジュザがニヤリとする。リドリーが悪ふざけするときのニヤリと違い、ジュザのニヤリには、まるで周囲の空気を圧迫するかのような迫力がある。気の弱い人間なら、それだけで逃げ出すだろう。

「≪尖貫虫≫の攻撃方法は、強力な前脚によるものと、名前の由来となった鋭く頑丈な長い一本角によるものがあり、これに加えて、睡眠ガスまで使ってくるッス」

「動きはどうなの? 素早いの?」

「前後にかなり速く移動するッス。その反面横方向の動きが鈍く、その辺が攻略の糸口になるみたいッスね」

「なるほどな。上手く遭遇できればいいんだけどな」

 採取ツアーで来たことなど忘れたかのように、ハンナマリーは言った。

「まあ、とりあえずは坑道をぐるっと一回りして、地形と採取ポイントを覚えるッスよ」

 ファーメイのの一言で、一同は坑道を奥へと進んで行った。

 

 坑道は想像していたよりもはるかに広々としていた。そして、そこかしこに枝道が伸びている。

 換気機能が生きているようで、空気の淀みも少なく、どのような原理でそうなっているのか理解できないが、天井の一部が淡い光を発しており、たいまつがなくても不自由はしない。

「ファー、何で天井光ってるんだ? ヒカリゴケでも生えているのか?」

 リドリーが素直に尋ねる。あまりにも不思議なのでいつもの冗談も出てこない。

「調査団で一部を切り取って調べたんッスけど、はっきりしたことは何もわかっていないそうッス。わかったことは、岩盤の表面にこの発光物が塗られていること、岩盤そのものが発光しているわけではないことと、この発光物は、太陽光に触れると光を失い、暗闇に戻すとまた発光するってことだけッス」

「古代の技術ってこと?」

 カーシュナーが尋ねる。

「まさしくその通りッス。そして、古代の技術の方が、ボクたちの持つ文明技術よりもはるかに高度だったってことッス」

「なるほどな。それより、区域制限ってどうやって判断すればいいんだい?」

 ハンナマリーが尋ねる。

「光っているエリアが、狩場として公認された指定区域で、暗いエリアが立ち入り制限区域ッス」

「なるほどね。そりゃ、わかりやすくていいね」

 軽口を叩きつつ、カーシュナーたちはエリアを探索していった。調査団員の言葉通り、鉱石の採掘箇所が驚くほど多くあり、モモンモを狂喜乱舞させた。

 どうやら天井に塗られた発光物は、照明の役目の他に、主要採掘箇所を案内する役目も果たしているようだった。それを考えると、狩場を区域制限したこともうなずける。

 採掘を続けながら進んで行くと、坑道が二つに分かれている箇所にさしかかった。これまでだと発光物が見られなかった枝道に、光の道しるべが続いている。

「水の臭いがするニャン」

 ヂヴァが枝道の方を指さす。

「珍しいコケだモン!」

 調査団員の言葉を思い出したモモンモが興奮する。

「よし。行ってみよう」

 ハンナマリーの号令で、カーシュナーたちは枝道を進むことになった。

 

 枝道の奥は、湧き出た地下水によって塞がれ、行き止まりになっていた。水際周辺に大量のコケが生えている。

 どうやらこのコケは、精算素材のようで、食材として用いられるらしい。

「料理長へのいいお土産だニャン」

 拠点の厨房を取り仕切るアイルーとヂヴァは仲が良く、これまでのクエストでも、よく食材用素材を採取していた。

 ヂヴァだけでなく、全員料理長にはお世話になっているので、取り過ぎに気をつけながら採取する。

 コケを採取するカーシュナーたちの背後の水面がゆらりと波立ち、音もなく黒い影が近づいてくる。

 水際まで近づいた影は、一転、それまでの静寂をけたたましい水音で破り、カーシュナーたちに襲い掛かってきた。

 採取に夢中で気づいていないかのように見えていたカーシュナーたちは、全員余裕の前転回避でモンスターの不意打ちをかわす。陸に上げるために、わざと気づいていない振りをして誘いをかけたのだ。

「やっぱり≪尖貫虫≫ッスね」

 姿を現したモンスターを見て、ファーメイが確認する。先輩のお灸が効いたのか、冷静に状況判断している。

 現れた≪尖貫虫≫は、確かに特徴的な姿をしていた。

 その名の由来となった一本角は、いまは背中に収まっている。これが攻撃の際にはまるで頭部に兜を被るように移動してくるというのだから驚きだ。岩盤を簡単に掘り抜く前脚は大きく、ショウグンギザミのように鎌状になって折り曲げられている。もっとも、鎌の刃にあたる部分がのこぎり状になっており、より凶悪な印象を与える。鎌の刃の背の部分は分厚く広く、小手をはめているように見える。ダイミョウザザミのように、防御に使われたらかなりの性能を発揮しそうだ。

 そして、もっとも特徴的なのが、まるで海老の腰のように変形している腹部だろう。

 先程水面から飛び出してきたのも、脚の力ではなく、この特徴的な腹部をバネのようにしならせて攻撃してきたに違いない。腹部の先端は扇のように広がり、地面をしっかりと捉えられるようになっている。

 ファーメイの説明通り、甲虫種にも甲殻種にも見える。背中に退化した翅の名残がなければ、甲殻種と判断されていたかもしれない。

「どうするんッスか? 狩るんッスか? 別に無理に狩らなくてもいいんッスよ」

 討伐依頼のクエストではないので、素材を集めたなら無視しても構わない状況だった。

「軽く手合せ」

 言葉とは裏腹に、やる気満々でジュザが言う。

 この先討伐依頼がかかった際に、≪尖貫虫≫の動きを知っていることは狩猟成功の大きな助けになる。狩る狩らないは別にして、ここで少しでも多くの生の情報を集めておくことは、けして無駄にはならない。

「よし! 様子見優先で立ち回ってみるか。みんな、油断するんじゃないよ!」

「おう!」

 

「おっと! やっぱり身体は硬いな!」

 大剣の一撃を弾き返されながらハンナマリーが声を上げる。

「脚はいける!」

 ジュザが吠えるように報告する。

「腹はどうだ!」

 自身は頭部から腹部にかけて貫くようにLv2貫通弾を撃ちながら、リドリーが問いかける。

「ゴム質の皮みたいな手応えだよ! 斬撃は通ると思うけど、打撃はダメージが通りにくい感じ!」

 演武・奏双棍をいろいろな位置、角度で叩き込んでいたカーシュナーが報告する。

「カーシュ! 交代だ!」

 双剣を持つジュザが、カーシュナーに声を掛ける。打撃の演武・奏双棍では相性が悪いのならば、斬撃の双剣の出番である。

「姉さんも腹部を狙ってみて! ダメージの蓄積がどんな影響を与えるか確認したいから!」

 リドリーの射線に入らないようにしつつ、≪尖貫虫≫の頭部近くで注意を引きつけていたハンナマリーがうなずき、カーシュナーと位置を入れ替える。

「注意を引くことに専念しな! 前脚の攻撃は、鎌として使われるよりも、甲の部分をパンチの要領で繰り出してくる攻撃の方が動作が小さいうえに素早くてヤバイからね! 引っ込めて守っているように見えても、不用意に飛び込むんじゃないよ! カウンターがくるからね!」

「わかった! 注意を引きつつ、前脚には打撃の方が効果的か探ってみるよ!」

「まかせる!」

 カーシュナーたちは、初見の≪尖貫虫≫を、情報と言う意味で次々と丸裸にしていった。途中怒り状態になり、腹部を使ってエビが逃げるように瞬時に後退してみせたかと思えば、後退することによって生じた空間を利用して、腹部で地面を蹴りつけて、巨大な一本の槍のように突進してくる。

 ここがメイン坑道並の広さを持っていたら、かなり脅威になる攻撃だっただろうが、狭い枝道ではカーシュナーたちハンターをはるかに上回る巨体を誇るモンスターにとっては、動きを極端に制限されてしまうため、突進の軌道が簡単に読める単調な攻撃になってしまい、≪尖貫虫≫最大の攻撃力を誇る突進攻撃は、全て虚しく空間を貫くだけの結果になった。

 怒りが納まると≪尖貫虫≫は疲労状態に陥り、カーシュナーたちの集中攻撃を受けることになった。

 どうやら腹部は部位破壊出来ないようだが、斬撃の通りがよく、ダメージの蓄積量が上がるほどに怯みやすくなっていった。

 カーシュナーが狙っていた前脚は、予想通り打撃に弱く、両前脚とも部位破壊されていた。それでも攻撃力が落ちないところはさすがと言えるだろう。

 そして、もっとも≪尖貫虫≫に大きなダメージを与えていたのが、リドリーの貫通弾による攻撃だった。有効射程距離の取り方から、射撃ポイントに至るまで、ここまで一発も撃ち損じがない。ダメージ重視で立ち回っていたため、正面に近い角度からでは一本角に弾道を逸らされてしまうので、一本角を避けて狙撃していたが、一本角の破壊を優先して立ち回っていたら、≪尖貫虫≫は今ごろ、自慢の一本角をへし折られていたことだろう。今日のリドリーの射撃はそれ程に冴えわたっていた。

 下位のモンスターならばとうに力尽きていただろうが、さすがに上位クラスのモンスターともなると体力が違う。カーシュナーたちを振り払うと、固い岩盤を掘り抜いてエリア移動していった。潜りきる前にペイントボールを当てておくことは忘れない。

「追うよ!」

 ハンナマリーが噴き出す汗をぬぐいながら言う。

「このままいけそうだな」

 消費した弾を調合で補充しながらリドリーが言う。絶好調なため上機嫌だ。

「リド一人でもいけそうだ」

 こちらは、砥石で双剣の切れ味を直しながらジュザが言う。

「確かに手強いけれど、やりにくくはない相手だね」

 カーシュナーも同意する。

「そうだね。でも、おそらく広さのあるエリアに移動するだろうから、そうなってくると、あの一本角の突進は厄介なことになるんじゃないかい?」

 ハンナマリーが油断しないように釘を刺す。

「一本角をへし折るモン!」

 モモンモが飛び跳ねながら主張する。カーシュナーたちが狩猟している間、モモンモは踊り効果でサポートし、ヂヴァはうるさく飛び回る≪飛甲虫・黒≫を駆除してまわっていた。

 ちなみに、この辺りの地下水の溜まりは≪飛甲虫・黒≫の産卵場所のようで、水中には半透明の幼虫たちの姿を見ることができる。エリアに足を踏み入れた際、≪飛甲虫・黒≫を狙って待ち伏せていた≪化け蜘蛛≫に遭遇したので、一瞬で討伐していた。

 ここにもコケ以外に採掘箇所があったので、≪尖貫虫≫を慌てて追わず、全て採掘してから追跡に入った。

 ペイントボールの臭気を追ってたどり着いたエリアで、≪尖貫虫≫は鉱石をむさぼり食っていた。どうやらグラビモスと同様、鉱石から栄養を得ることが出来るらしい。

 カーシュナーたちの存在に気づいた≪尖貫虫≫が、背中に回っていた一本角を頭部に引き寄せ被る。そして、姿勢を低くすると腹部に力を溜めこみ、一気に弾いて突進して来た。

「一本角はオレにまかせろ!」

 リドリーがLv3通常弾が装填されたライトボウガンを振ってみせる。

「よし、まかせた!」

 ハンナマリーが答える。

 全員突進の軌道から離れると、狩猟が再開された。

 

 ハンナマリーの予想通り、≪尖貫虫≫の突進攻撃は、広い空間を手に入れたことで厄介なものになった。突進中も前脚で軌道修正してくるため、非常にかわしにくいのだ。先程の枝道ならば、なまじ軌道修正すると、壁に激突してしまうので、ただ真っ直ぐに突っ込んでくるしかなかったが、十分な広さがあれば、思いのほか小回りが利くことがわかった。

 始めのうちは距離を取って回避しようとしていたが、追尾性能が高いことを理解してからは、逆に足元付近に位置取ことによって上手くかわしていった。それでも、人間の移動能力と巨体を誇るモンスターでは比べるまでもなく、一度目の突進をかわしたことで生じる距離を上手く利用され、カーシュナーたちは何度も危険な場面に遭遇した。

 そんな中で力を発揮したのが、リドリーだった。カーシュナーたち他のメンバーが派手に動き回っておとりの役割を果たしてくれたおかげで、リドリーの放つ弾丸は、≪尖貫虫≫の一本角に確実にダメージを与えていった。

 どれ程激しく動こうとも、動きの先を呼んだ精密な射撃は的を外すことはなく、ほどなくして≪尖貫虫≫自慢の一本角は、根元でへし折られることになった。頭部を守る役割の果たしていた一本角を失ったことにより、≪尖貫虫≫の頭部がむき出しになる。

 怯んだ隙にカーシュナーがジャンプ攻撃を行い、露わになったばかりの頭部に演武・奏双棍を叩きつける。その勢いのまま乗り攻防に持ち込み、カーシュナーは見事に転倒させてみせる。

 ここぞとばかりに攻撃を集中させる。≪尖貫虫≫の背から投げ出されたカーシュナーは受け身から一転立ち上がると≪尖貫虫≫の頭部に駆け寄り、双棍状態にした演武・奏双棍を頭上で交差させると鬼人化し、≪乱打・回天≫(ランダ・カイテン)を叩き込む。

 棍こよる物理的ダメージと、特殊構造によって発せられる音波により、≪尖貫虫≫の脳が激しく揺さぶられ、≪尖貫虫≫は目を回して倒れ込んだ。

 さらなる追加攻撃が加えられ、≪尖貫虫≫はついにその生命活動を停止した。

 冷汗をかく場面は何度かみられたが、上位モンスター相手に完勝と言っていい内容だった。

 ハイタッチが繰り返され、採取の鬼が振り回す演舞棍もどきに追い立てられて慌てて剥ぎ取りが行われる。そのかたわらでファーメイが、≪尖貫虫≫の細部をスケッチしていた。

 剥ぎ取りも無事終わると、ほぼ満タンになったアイテムポーチを抱えて、カーシュナーたちは坑道を引き返し始めた。採集はもうほとんど出来ないが、まだ回っていないエリアを探索しながら戻ることにする。

 大きな満足感で満たされたカーシュナーたちの足取りは、激闘の後だというのに、ずいぶんと軽かった。

 

 

 空気の流れが不意に変わり、カーシュナーの鼻を血の臭いがかすめた。

 一瞬ではあったが、それは濃い血の臭いだった。過去に多くの仲間を無情に失ったときに嗅がされた、大量出血の臭いだ。

 カーシュナーの気配が一気に険しくなる。血の臭いに触れなかった他のメンバーが驚いて振り返る。

「どうした、カーシュ?」

 ハンナマリーの問いかけにも答えず、カーシュナーは嫌な予感に突き動かされて、臭いの元を探した。

 微かな物音が、張り詰められていたカーシュナーの神経に触れる。

 物理的な理解を超えた超感覚がカーシュナーを導く。

 それは、張り出した大岩に隠されるようにして存在していた枝道だった。

 そこに、小さな影がうずくまっている。

 カーシュナーは一瞬アイルーがいるのかと思った。しかし、頭部の形状がかなり異なる。大きく広い額はアイルー以上に大きく、いまはカーシュナーを鋭くにらみつけている瞳は、アイルーの倍近くある。鼻と口の形状は頭部全体から見るとかなり小さく、アイルーと違い前に突き出している。その小さな口から鋭い牙がのぞき、警戒の呻り声が漏れている。

 それは、見たこともない獣人だった。

「こいつ、誰だモン?」

 モモンモの声に反応し、獣人は警告の声を強くした。

 カーシュナーがスッと横に手を伸ばし、他のメンバーを抑える。

 カーシュナーの意図を察したハンナマリーたちは、数歩退き息を潜める。濃く漂う血の臭いが、ハンナマリーたちにも獣人の状態を理解させた。目の前に現れた獣人は、深手を負っているのだ。それも今すぐ治療が必要な程の深手を。

 カーシュナーは何も言わなかった。ただ、狩場の真ん中で、武器を外し、防具も外し、インナーだけの姿になる。

 寸鉄帯びない姿になったカーシュナーは、ゆっくりと獣人に近づいていく。一歩ごとに獣人ののどから発せられる警告音が危険な色を帯びてくる。

 最後の一歩を、カーシュナーは予想に反して素早く近づいた。そして優しく頬に手を添える。

 常識で考えたら、手首を食い千切られかねない危険な行動だ。

 しかし、あまりの素早さと、予想外の行動だったため、傷ついた獣人は驚きのあまり反撃をためらってしまった。これが野生動物だったら、仮に触れることに成功したとしても、カーシュナーは手ひどい反撃を受けていたことだろう。本能による反射反応をしないということは、そのまま、この獣人の知能レベルの高さを表していた。

 触れた手からは震えと冷たさが伝わってくる。獣人には、カーシュナーの温かさが伝わったのだろう。いつの間にか呻り声が治まっている。

 気が抜けてしまったのだろう。獣人はカーシュナーの手に、頬をあずけるように意識を失った。

 

 それはひどい傷だった。背中を一撃で切り裂かれ、尻尾は根元からなくなっている。モンスターの強烈な一撃を受けたことは疑いようもなかった。

 獣人は小柄な見た目に反して頑丈な身体を持っている。そうでなければ、アイルーにしても、奇面族にしても、ハンターに同行して狩場に足を踏み入れることなど許させるわけがないのだ。

 その獣人に一撃で重傷を負わせている。先程討伐したばかりの≪尖貫虫≫には不可能だろう。上位モンスターの中でもトップクラスか、G級モンスターの仕業に違いない。

 その場で施せる限りの治療を施す。スラム街時代はケガや病気をしても医者のかかることなど出来なかったカーシュナーたちは、現場の叩き上げの技術ではあるが、下手な町医者以上の腕を持っていた。

 この中ではずば抜けた器用さを誇るリドリーが治療にあたる。ファーメイの巨大な背負い袋の中に、各種回復アイテムが入っていて助かった。今回は採取ツアーで来ていたため、回復薬グレートしか持ち込んで来ていなかったのだ。ここまでの重傷になると、回復薬や回復薬グレートでは気休めにもならない。

 意識を失っている内に、リドリーは傷口を回復薬グレートで丁寧に洗い、それぞれの髪の毛で作った臨時の糸と、≪化け蜘蛛≫からはぎ取った牙を加工して作った針を使って傷口を縫合していく。切り飛ばされてしまった尻尾の傷口は、わずかに残った尻尾の付け根を縛って止血し、タオルに回復薬グレートを染み込ませて、包帯代わりにもう一枚のタオルで固定した。

 一応の応急処置が終わったところで、リドリーはファーメイから受け取ったいにしえの秘薬と秘薬2本を、口の隙間からゆっくりと、時間をかけて飲み込ませていった。

 全ての処置が終わった時、獣人のまぶたが震えながら開き、濡れた大きな瞳が現れる。

 一瞬の混乱は、カーシュナーの笑顔と出会って静まった。言葉が通じないどころか、種族も違う獣人をなだめてしまうカーシュナーの笑顔の威力に、一同は改めて驚かされた。

 姉のハンナマリーが、半分呆れながら感心する。

「お前は天使か」

 ハンナマリーの言葉は全員の感想であった。

 意識を取り戻した獣人はなんとか起き上がろうともがく。止めたいが言葉がわからないので対応が出来ない。ヂヴァとモモンモがそれぞれの種族の言葉で止めるが、やはり通じなかった。

 仕方なく、カーシュナーは支えて立ち上がらせてやった。

 獣人は、カーシュナーの防具の袖を掴んで弱々しく引く。そして、傷の痛みに震えながら、か細い声で何事かをカーシュナーに訴えた。

 言葉など通じなくても、今この時、この獣人が伝えたいことは一つしかない。

 助けを求めているのだ。自身が重傷を負いながら、その上で、自分ではない誰かを助けるために、獣人は必死に想いを伝えようとしている。

 その姿に、カーシュナーはかつての自分を重ねていた。幼く、弱く、己自身の力では、何一つ変えることが出来なかった無力な自分の姿を—―。

 獣人は倒れていた枝道を指し示している。

 カーシュナーは大きくうなずくと、獣人を背負い立ち上がった。

「おい! カーシュ!」

 思わずリドリーが声をかける。

「この先に何があるのかはわからない。でも、ボクは行くよ」

「今度こそ現場の判断なんて言い訳は通らないッスよ!」

 ファーメイが慌ててカーシュナーを制止する。

「せめて、ちゃんと報告してから、指示を受けて行動すべきッス!」

 ファーメイの言葉は紛れもない正論だった。カーシュナーも言われるまでもなく理解している。ギルドマスターがカーシュナーたちに課している義務は、あくまでも未開の地で、ハンターを含めた調査団員の誰一人危険にさらされることがないように、全員を守るために課しているものであって、けしてギルドの権威を振りかざしてのものではないことを。

 カーシュナーはゆっくりと首を横に振った。

「助けてもらえない辛さを、ボクは知っている」

 カーシュナーの気持ちは、この一言で充分だった。ハンナマリーたちも、同じ苦しみを味わって、いまここにいるのだから。ファーメイも、ヂヴァも、モモンモも、海底大地震によって引き起こされた大災害によって家族を失い、これまでの生活の全てを壊されてしまった。今でこそカーシュナーたちとふざけ合い、笑って過ごしているが、大災害後の生活は、笑い方を忘れてしまう程の苦しさだった。

 握り返してもらえないとわかっていても、それでも助けを求めて伸ばした手が掴んだ現実の冷たさを、カーシュナーたちは一生忘れないだろう。

「助けられるだけの力があるのに、このまま何もしないでここから立ち去ることはボクには出来ない」

 さらに言葉を続けようとしたカーシュナーを、ヂヴァが遮る。

「みなまで言わなくていいニャン。カーシュの気持ちは痛いほどわかるニャン。オレも一緒に行くニャン。モモンモ、悪いけど今回採取した素材は破棄するニャン。こんな大荷物担いでは行けないからニャ」

 振り向いたヂヴァの視線の先で、モモンモがアイテムポーチをひっくり返して空にしていた。

「モモンモ!!」

「オイラも行くモン」

 お面で表情はわからないが、声がいつになく真剣である。採取の鬼が素材を捨てるのだから、本気でないわけがない。

「ファー。回復アイテムくれだモン」

 モモンモがアイテムポーチの口を開けて催促する。

「なに言ってるッスか! こうなったらボクも行くッスよ!」

 ここまで冷静でいようと勤め続けていたファーメイが、一気に興奮する。

「バ~カ。ファーはオレと一旦報告に戻るんだよ」

 リドリーが興奮するファーメイの肩を叩く。

「えっ! リドは行かないんッスか?」

「自分でさっき言っただろ。ちゃんと報告して、指示を受けるべきだって。ファーの言っていることが一番筋が通っているし、何より、ものすげえ嫌な予感がする。これはオレたちだけで処理しきれる気がしねえ。報告を後回しにしたせいで、他の調査団員に危険が及ぶ可能性だってある」

「でも、リドが行かないと戦力ダウンになるッスよ?」

 ここでリドリーは、いつものニヤリ笑いをファーメイに向けた。

「オレがいなけりゃ、逆に冷静でいられるだろ。全員そろっていると、どんな状況でも何とか出来そうな気がしちまうからな」

「そうだな」

 ジュザが苦笑する。

「ここは二手に別れよう。リドとファーは≪鉱山都市≫の入口にいた調査団員にこのことを報告に行ってくれ。その後は調査団の指示に従う。残りの私たちは、獣人の案内に従ってこの枝道を行く」

 ハンナマリーが決定を下す。

「みんな、無理しちゃダメッスよ!」

 ファーメイが、心配を顔いっぱいに浮かべて言う。

「安心して、ファー。ボクたちは戦いに行くんじゃない。助けに行くんだから」

 カーシュナーがファーメイの不安を和らげようと笑顔を向ける。

「カーシュ。オレたちはあのころよりも強くなった。誰かを助けられるくらいにな。でもな、それでも出来ないことはまだまだある。出来ることを全力でやろうぜ」

 リドリーの言葉に、カーシュナーは大きくうなずいた。

「リドこそ無茶するんじゃないよ。あんたが言ってた嫌な予感ってやつ。私もするからね」

「オレたちより、リドたちの方が大変かも」

 ハンナマリーの言葉にジュザもうなずく。自分たちこそ、これから明らかに危険だとわかっている事態に向かうにもかかわらず、引き返すリドリーたちの事が気に掛かって仕方がないのだ。

「心配すんな。お前らがいないのに無茶なんて出来るかよ。いざとなったら上手く逃げ回ってやるよ」

 スラム街時代は、確かな力を身につけるまでは上手く不当な暴力をかわしていた。力を身につけた後も、勢力としての全体的な力では、最後まで最大の力を得ることはなかった。自分たちよりも大きな力の扱い方は、この南の大陸の調査に参加している誰よりも心得ている。

 カーシュナーは獣人を片手で背負いながらリドリーにこぶしを差し出した。リドリーが応え、全員が二人のこぶしにこぶしを集める。もちろんヂヴァとモモンモとファーメイのこぶしもある。

「行こう!」

 カーシュナーの、静かだが、気迫に満ちた声が坑道内に響き、繰り返されるこだまが、まるで声援のように聞こえた—―。



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狂乱の谷!

 ≪鉱山都市≫の地中深く、主要坑道から長く伸びた枝道を、カーシュナーたちは進んでいた。

 ファーメイの巨大なリュックから受け取ったたいまつを片手に、ハンナマリーが先頭を務める。男顔負けの長身を誇るハンナマリーにとっては、身体のサイズに合わない枝道を、長時間歩き続けるのはつらい作業だった。それでも集中を切らさず、前方の警戒を続けている。

 ハンナマリーのすぐ後ろからヂヴァが続き、枝道が分かれるたびに斥候に赴き、獣人がカーシュナーたちと出会うまでに流した血の臭いをかぎ分けて、正しい道へカーシュナーたちを導いていた。

 途中までは枝道が分かれる都度、カーシュナーに背負われた獣人が道を示していたが、今は意識を失っている。出会った地点から、現在地まででもかなりの距離を移動している。枝道が下り勾配になっていることを考えると、獣人は重傷を負ってから、長い登りを助けを求めてひたすら傷ついた身体を引きずり上げたことになる。先程まで意識があったことの方が驚異的なことなのだ。仲間を助けたいという想いだけが、傷ついた身体を支えていたのだろう。

 その想いはカーシュナーたち全員に伝わっている。普段はあまり細かいことを考えないモモンモも、何か出来ることはないかと考え、獣人のお尻を下から支えてカーシュナーの手助けをしている。しんがりはジュザが務めているおかげで、他のメンバーは前方にのみ集中できていた。

 途中、つがいではない≪化け蜘蛛≫(バケグモ)と遭遇した。武器が大剣のため、特別狭いこの枝道の中では武器を思うように振るえないハンナマリーに代わって、ヂヴァとモモンモが咄嗟に前に出ようとしたが、それより早く、低い天井を支えにして、ハンナマリーが強烈な蹴りを≪化け蜘蛛≫にお見舞いし、一撃で頭部を粉砕して仕留めてしまった。

 グシャリと潰れた≪化け蜘蛛≫の頭から体液に濡れた足を引き抜くハンナマリーを、ヂヴァとモモンモは呆気に取られて見上げていた。

 それ以降はモンスターとの遭遇はなく、カーシュナーたちは着実に距離を稼いでいった。

 山を一つ突き抜けてしまうのではないかと思い始めた時、人工的に掘り抜かれた洞窟は、天然の洞窟へと姿を変えた。

 そこには濃い血の臭いが充満している。

 ハンナマリーが手にしたたいまつで、周囲をぐるりと照らしてみせる。

 たいまつの明かりが照らし出す限られた範囲の中でも、6人の獣人の遺体を確認することが出来た。空気中に満ちた血の濃度が、犠牲者の数がまだまだ存在することを、視覚より先に嗅覚に伝えてくる。

 仲間の血の臭いに刺激されたのか、カーシュナーに背負われていた獣人が意識を取り戻す。

 大きくて先のとがった耳がピクッと動き、カーシュナーに方向を示す。

 獣人に従い暗闇の中を進んで行くと、一際小柄な獣人が横たわっていた。微かにだが、身動きしている。カーシュナーたちは慌てて駆け寄った。

 獣人の年齢、性別は人間には見分けにくいのだが、カーシュナーたちの目から見てもはっきりとわかる程、その獣人は年老いていた。背中には助けた獣人同様深い傷があった。

 カーシュナーの背から降りた獣人が、仲間の老獣人に何事か問いかける。始めは朦朧とした意識しかなかった老獣人は、明確な反応を返してくれなかったが、獣人は諦めずに声を掛け続けた。

 白く濁っている大きな瞳が焦点を取り戻し、獣人を認識する。

 弱々しく伸ばさられた細い手を、獣人は優しく両手で包んでやる。身体の下敷きになっていたので気づかなかったが、左腕は失われたいた。切り口をきつく縛って一応止血処置をしているが、背中の傷と合わせて考えると、もう助けることはかなわないだろう。

 獣人は己の無力に歯噛みする。

 カーシュナーは何も言わず、ただ、ずっと、細かく震える小さな身体を支えてやっていた。

 老獣人が何かを口にする。カーシュナーたちにはわからないが、何か貴重な情報が伝えられたらしく、獣人は何度も何度もうなずいた。

 老獣人が最後に何かを語ろうとしたが、それは声になるだけの力を持たず、まるで魂が苦しみから解き放たれるように、静かに最後の息を吐き出して終わった。

 獣人の両手の中で、老獣人の手が力を失う。老獣人の命が去ったことを感じた獣人が大きく一つ身震いする。

 大きな黒い瞳に大粒の涙があふれ、ぽろぽろとこぼれ落ちていった。

 声を殺して震えながら泣く小さな身体を見ると、そっとしておいてやりたくなるが、カーシュナーはあえて、獣人の涙を遮った。

「まだ、助けられる命があるかもしれない。だから、ボクは行く。君はどうする? ここに残るかい?」

 言葉が通じないことは承知の上で、カーシュナーは語り掛けた。

 カーシュナーに言われるまでもなく、獣人も理解していた。いま悲しみに飲み込まれることは、単なる逃げでしかないことを――。

 獣人は止まらない涙を何度も両手で拭うと立ち上がった。カーシュナーは、自身の強い心を分け与えるかのように強くうなずくと、獣人を再び背負った。

 獣人に導かれて、カーシュナーたちは天然の洞窟から抜け出した。そこは狭いが豊かな峡谷の底に繋がっていた。どうやら本当に山一つ突き抜けてしまったらしい。

 本来なら、柔らかく心地よいはずの風が、異様な気配を運んでくる。

 死の気配を――。

 全員が低く身構え、武器に手を掛ける。

 一瞬の沈黙の後、カーシュナーたちは構えを解いた。あまりにも濃い死の気配に、本能が身構えてしまったのだ。

 カーシュナーが獣人を促す。獣人は先程の老獣人から得た情報により、明確な目的地を得たようだったからだ。

 カーシュナーたち以上に、濃い死の気配に飲まれていた獣人が正気に戻る。獣人はカーシュナーたちに細かく指示を出すと、峡谷の切り立った崖に穿たれた、一本の細い道に案内した。

 峡谷は、巨大な地割れの跡のようにジグザグに何度も折れ曲がっており、見通しが悪い。崖に穿たれた細い道も、途中で途切れているように見える。

 そのとき不意に、峡谷の先の方で轟音が鳴り響いた。激しい振動が同時に伝わり、峡谷の切り立った崖から、崩れた土砂が降り注いでくる。

 カーシュナーに背負われている獣人が、慌ててカーシュナーを急かす。

 今度は道幅が狭いので、ヂヴァを先頭にジュザが続き、カーシュナー、モモンモ、ハンナマリーの順で崖に穿たれた細い道を登って行った。あまりにも狭いため、身体の大きいハンナマリーは、上半身を横にして、崖に張り付くようにして歩かなくてはならなかった。

「すっごく小さな穴が開いてるニャン!」

 先頭を歩いていたヂヴァが後ろに報告する。

 その瞬間、再び轟音が鳴り響き、峡谷上空に、腹部と胸部の境目で真っ二つにされた≪尖貫虫≫(センカンチュウ)が舞い上がった。

「!!!!」

 あまりのことに全員その場に釘付けになる。

 ゆっくりと宙を舞い、峡谷の崖に叩きつけられた≪尖貫虫≫の身体が、シモフリトマトのように、嫌な音と振動を響かせて潰れる。我に返ったカーシュナーたちは、慌ててヂヴァが見つけた穴へと飛び込んだ。

 穴の奥から、複数の呻り声が響く。

 カーシュナーの背中で、獣人が歓喜の声を上げた。

 

 

 カーシュナーたちが飛び込んだ穴は、入口はしゃがみ込まなければ入れなかったほど小さかったが、奥には広い空間があった。もっとも、獣人基準で広いという話なので、ハンナマリーには窮屈なことこの上ない。

 カーシュナーがここまで背負ってきた獣人は、痛む傷をおして、仲間たちのもとへと駆けた。一人の獣人が警戒する仲間たちの間から駆け出し。負傷している獣人を抱きとめる。

 抱きとめた獣人が何事かを語り掛けると、緊張の糸が切れたのか、負傷した獣人は声を上げて号泣した。

 反響する獣人の声には、安堵の響きがあり、突然の侵入者に対して、獣人たちが抱いていた警戒心を、いくらか和らげてくれた。

 穴の中は天然の洞窟になっていた。入口だけ手を加えて出入りしやすくしたのだろう。入るときは余裕がなかったので気がつかなかったが、小さな入口を岩でふさげば、知らない者には簡単には見つけられないだろう。にも拘らず、入口が開いたままになっていたことが、獣人たちの動揺の大きさを表していた。もっとも、そのおかげでカーシュナーたちは入口を探す手間が省けたのだが。

 号泣しつつも必死で自分を取り戻そうとしていた獣人が涙を拭って、肉球付きの手のひらで、顔をぽにゅぽにゅと叩く。いまいち気合が入らなそうに見えるが、一応は効果があるようで、獣人はなんとか泣き止み、呼吸を整えた。そして、これまでの状況を伝え始める。

 話の途中で獣人たちが一斉にカーシュナーたちを見る。おそらく≪鉱山都市≫の坑道で出会った経緯を説明しているのだろう。仲間たちに背中の治療跡を見せている。仲間たちはこの時初めて獣人が尻尾を失っていることに気がついたのだろう。口々に心配そうな声を掛けている。

 先程負傷した獣人を抱きとめた獣人が仲間たちから進みだし、カーシュナーの前まで来ると、ぺこりと頭を下げた。どうやら礼の尽くし方は北の大陸と変わらないようだ。

「たぶんニャけど、ケガしていた獣人のお母さんニャ。匂いが似ているニャ」

 ヂヴァが周りを刺激しないように小声でカーシュナーに説明する。

 カーシュナーは母親獣人に丁寧に礼を返すと、他の獣人たちを安心させるために笑顔を向けた。獣人たちのみならず、まったく状況が分からない中で、極度の緊張を強いられてきたハンナマリーたちの心までも一緒に溶かしてしまう程の、それは慈愛に満ちた笑みだった。

「本当に天使なんじゃないか?」

 ジュザが今更ながらに感心してハンナマリーに言う。

「まったくな」

 これまで、物理的な脅威からは護ってきたが、精神的な苦痛からは、逆に護られたきたのではないかとハンナマリーは思い、苦笑した。その考えは、おそらく正しいのだろう。だからこそ、もっと強くなり、母親獣人がしたように、カーシュナーが苦しいときにはしっかりと受け止めて、安心して泣けるような存在になりたいと思った。

 カーシュナーの笑顔はいとも容易く獣人たちの警戒心を解いてみせた。先程まで壁に張りついて距離を取っていた獣人たちが、カーシュナーの笑顔に吸い寄せられるように集まってくる。

 その数はおおよそ20人。大半が子供であった。

 獣人はカーシュナーたちに出会って以降のことも説明したのだろう。自身が涙をこらえて説明している隣りで、母親獣人がぽろぽろと涙をこぼす。話を聞いている少数の大人たちも同様に声を殺して涙を流している。子供たちはまだ、聞いた話と感情が上手く繋がらないのだろう。互いに抱き合い不安そうにしている。

「たぶん、さっき洞窟で出会ったお年寄りの獣人のことを話しているんだろうね」

 ハンナマリーが沈んだ声で言う。仲間を失う悲しみは、よく知っているからだ。

 カーシュナーたちは無言でうなずき返し、獣人たちが落ち着くまで辛抱強く待った。

 負傷した獣人が話し終えると、今度は仲間たちが口々に何事かを訴える。それを聞いた獣人は、うつむくと、残念そうに首を振った。

 一通り仲間たちの話を聞いた獣人は、意を決したように顔を上げると再びぽにゅぽにゅと顔を叩いた。そしてカーシュナーの手を取ると、外を指し示した。

 子供の獣人が、負傷している獣人の前に立ちふさがる。そして、何事かを訴える。

 負傷している獣人は首を横に振ると警告するようにうなる。子供の獣人はそれでも退かず、立ちふさがり続けた。獣人のうなり声に苛立ちが紛れ込んだとき、母親獣人が背中の傷を軽く叩いた。

 獣人は、途端に痛みに負けて膝を折る。

「たぶん、あの子供はケガしている獣人の兄弟ニャ。きっと自分が兄貴の代わりを務めるって言っているのニャ」

 ヂヴァの説明で状況が理解できた。カーシュナーは自分の手を引く獣人の手をそっと外すと、獣人の目を真っ直ぐに見つめ、首を横に振った。そして、膝をついた身体を母親に託し、カーシュナーは弟獣人の手を取り立ち上がった。

「外の様子を探りに行こう」

 ジュザとハンナマリーが勢いよく立ち上がり、頭頂部を強打したハンナマリーが頭を押さえてうずくまる。

 カーシュナーは声を立てて笑った。つられてジュザが、モモンモが、ヂヴァが笑う。笑いは伝播して、獣人たちの間にも広がっていった。

 苦しいときこそ笑いが必要だということを、カーシュナーは経験で知っていた。

 

 

 獣人たちの住処であった峡谷は、死臭に埋め尽くされた墓場と化していた。

 異常な数のモンスターが、互いを殺し合い、広くもない峡谷を、屍の山で埋め尽くしている。

 カーシュナーたちは、峡谷の崖に沿って作られた細い道を伝い、峡谷の様子を上から見下ろしていた。ジグザグに折れ曲がった地形のため全体は見渡せないが、見なくとも状況は知れた。峡谷のあらゆる場所から巨体がぶつかり合い、争う音が聞こえてくるからだ。

 峡谷を埋める屍の山は、大半が≪尖貫虫≫であった。こんな状況でも、素材がもったいないと考えてしまう自分に、カーシュナーは苦笑した。ハンターの生き方が、身体に染みついてきた証拠である。

 屍の中には見たことのない甲虫種のものも多々見られた。その屍の多くが、胴体を両断されている。おそらくカーシュナーたちが目撃した≪尖貫虫≫が両断されて宙を舞う瞬間を演出したモンスターの仕業だろう。

「やばそうなのがいるね」

 ハンナマリーが呟く。

「それよりも、なんでこんな事態になったかだよね」

「何年かに一度あるみたいなやつじゃないか?」

 カーシュナーの言葉に、ジュザが答える。

「一定周期で訪れるラオシャンロンみたいなこと? いや、それは違うと思うよ」

「なんでだ?」

「モンスターは本来縄張り分けをきっちりしている。互いに殺し合わないためにね。数が増えて縄張りの奪い合いに発展することはあるけれど、この峡谷は、大型モンスターが縄張りにするには、どう考えても狭すぎる。こんな風に屍に埋め尽くされる程の価値はないよ」

 カーシュナーの説明に、ハンナマリーがうなずく。

「確かにね。この幅じゃあ片側の脚は壁を蹴らなきゃまともに前進することも出来ないね」

「本来大型モンスターが目もくれないような場所だったからこそ、この子たちはここに住み着いたんだと思うんだ」

 カーシュナーはかたわらで震えている獣人の肩に、そっと手をやりながら説明した。

 話している間に、新たな≪尖貫虫≫が、仲間の屍を押し退けながら、地中から姿を現した。怒り状態とは違う、何か別の感情に支配されているように見える。例えば、恐怖。

 ≪尖貫虫≫の出現を察知したのか、けたたましい羽音が峡谷に響く。両側に切り立つ崖を削り取る音も同時に響いてくる。

 音の正体を知っている獣人が、尻尾を股の間に丸めて震えだす。

 急激に折れ曲がっている地形のため、崖に身体をぶち当てながら、モンスターは姿を現した。

 これまでの甲虫種と違い、頭部がかなりの大きさを持っている。そのおおきな頭部と比較しても倍近い大きさを持つアゴが目を引く。これまでの甲虫種も鋭いアゴをし、ハンターに対する攻撃にも使用されてきたが、本来の目的は、食料を噛み切ることを目的としたものだった。しかし、いま眼下に現れたモンスターのアゴは、明らかに対モンスター用の凶悪さを感じさせる。身体は全体的に細長く、いまは飛行しているが、陸戦になったとしても、かなりの機動力を感じさせるたくましい脚をしている。この巨体を運ぶ強靭な翅は、左右の崖に削られてボロボロになっているが、それでも苦もなくモンスターを運んでいた。

 カーシュナーたちの存在にはまるで気づかないまま、謎のモンスターは新参者の≪尖貫虫≫に襲い掛かっていった。

 けたたましい羽音に気がつかないわけがなく、≪尖貫虫≫は上体を持ち上げると鎌状になっている前脚を構えて、迎撃の体勢を取った。

 謎のモンスターは、本来ならば飛行能力を最大限に生かして、≪尖貫虫≫の真上ないし、背後から急襲したかっただろうが、大型モンスター1匹分程度の幅しかない峡谷では小回りが利かず、真正面から突っ込んで行く。

 そこに狙いすました≪尖貫虫≫のカウンターが繰り出される。カーシュナーたちが手こずった、威力が高い上に攻撃速度も異常に速い厄介な攻撃だ。

 鎌の背の、分厚いこぶしのような一撃が、謎のモンスターの顔面に打ち込まれる。鈍い音が空気を走り、カーシュナーたちの鼓膜を打つ。

 並のモンスターならばこの一撃で昏倒しただろうが、謎のモンスターは、顔面に深いヒビを入れられながらもおかまいなしに突っ込み、胸部と腹部の接合部に食いついた。

 この接合部は、胸部や腹部に比較してかなり細いことが多いのだが、ハンターが攻め込めるような部位ではないためハンターの間ではあまり知られていない弱点部位だった。

 対モンスターの弱点部位に食いついた謎のモンスターは、突進の勢いを利用して、身体を前転する要領で回転させると、≪尖貫虫≫を地面から引き剥がし、強靭なアゴの力で宙吊りにしてしまった。

 ≪尖貫虫≫も必死になって足掻くが、宙吊りにされてしまっているため、せっかくの強力なバネも虚しく空をかくだけで、謎のモンスターのアゴから抜け出すことは出来なかった。それどころか、足掻けば足掻くほど、謎のモンスターの巨大なアゴは、弱点部位に深く食い込んでいった。

 謎のモンスターも、ただ宙吊りにしているのではなく、より深くアゴを食い込ませるために、強靭な足を屈伸運動させて≪尖貫虫≫を揺さぶり、どんどんアゴを食い込ませていった。

 アゴが深々と≪尖貫虫≫をくわえ込んだとき、謎のモンスターは脚に力を溜めると一気に跳ね上がった。重量と慣性により、≪尖貫虫≫の身体はさらに深くアゴに食い込むことになり、巨大なアゴが、ブヅッ! という嫌な音を立てて閉じ合わされた瞬間、≪尖貫虫≫の身体は、見事に真っ二つにされ、宙を舞って崖に叩きつけられた。

 両者が接触してから、時間にしてわずかに1分程度の出来事であった。

 つい先程、その実力の程を知った≪尖貫虫≫が、いともたやすく葬り去られる有様を見せつけられて、カーシュナーたちは、声もなく見入っていた。

 立ち回りやすいモンスターであり、ほぼ完勝と言っていい内容で狩猟してのけたが、その根本的な強さは体感した。こんなにあっさりとやられるようなモンスターではないのだ。謎のモンスターが上手く立ち回ったとも言えるが、先制攻撃を入れたのは≪尖貫虫≫の方である。本来ならば、戦いの主導権は≪尖貫虫≫のものだったのだ。それを何事もなかったかのように跳ねのけ、最適の攻撃で、最速で葬ってみせたのだ。これまで出会ったどのモンスターよりも、謎のモンスターは強かった。

 そのとき不意に、もう一つの羽音が、峡谷の狭い崖に反響しながら迫ってきた。

 もう1匹の謎のモンスターが姿を現す。

「なんだあれ?」

 ジュザが思わず声を漏らす。

 それもそのはずで、姿かたちは同じなのに対して、色がまったく違うのだ。≪尖貫虫≫をあっさり葬り去った謎のモンスターは、艶のない黒地に白い筋模様が入っていたのに対して、新たに出現したモンスターは、異様なまでに光沢のある真紅に、全身を包まれていたのだ。

 新たに現れた謎のモンスターに対して、先に現れたモンスターが、アゴを大きく開いて威嚇する。飛竜種のように咆哮はあげないが、甲殻がこすれ合って異様な軋みをあげる。

 頭上を取られることを嫌ってか、≪尖貫虫≫を葬ったモンスターが、再び翅を広げて飛び上がる。そして、その勢いのまま、真紅のモンスターに襲い掛かった。

 この攻撃を予測していたのだろう。真紅のモンスターも急降下して迎え撃つ。

 二つの巨体が空中で激突し、互いの堅い甲殻がこすれ合って火花を散らす。そのまま両者はもつれ合って屍の山の上に落ちる。

 両者ともに弾かれるように起き上がると、激しく互いを食い千切り始めた。

「このまま見物していてもあまり意味がない。他の場所の様子を見に行こう」

 モンスター同士の激しい殺し合いに見入っていた一同に、我に返ったカーシュナーが声を掛ける。

「そうだね。正直どっちが勝つのか見ていたいけれど、他にもどこかに避難している獣人がいるかもしれないからね。そっちの確認を済ませよう」

 ハンナマリーが同意する。

「赤い方が勝つ」

 ジュザがぼそっと呟く。

「やっぱり?」

 ジュザのつぶやきを聞き取ったカーシュナーが尋ねる。

「まとっている空気の格が違う」

 ジュザがうなずく。こころなしか表情が硬い。

「あれに手を出すのは、やめておこう。いまのところはね」

 ハンナマリーが、猛々しい笑みでジュザに片目をつぶってみせる。

「ああ、いまのところは」

 ジュザも同じように笑って応えた。

 二人の獣は、次なる標的に、真紅の甲虫を選んだのだ。

 

 

 とある崖の一角を指し示しながら、案内の獣人は震えていた。大きくえぐり取られた崖の上に、小さな穴が見える。獣人たちが避難していた洞窟の入り口によく似ている。

 そこは峡谷の終わり付近の崖だった。えぐられた崖には大きな穴が口を開け、先程とは別の謎のモンスターが、穴に頭を突っ込んで、なにやら一心に探し回っている。

 不意に謎のモンスターの脇から何かか飛び出す。謎のモンスターは驚くべき俊敏さでその何かを捕らえると、あっさりと両断し、飲み込んだ。

 断末魔の叫びが峡谷に響く。

 それを聞いた案内の獣人は、耳を押さえてうずくまる。必死に声を殺しているが、嗚咽が外に漏れてくる。

 カーシュナーのこめかみに血管が浮き上がる。普段は少女のように愛らしいカーシュナーの表情が、厳しく引き締まる。

 弱々しい泣き声が、カーシュナーの耳をとらえた。怒りで真っ白になりかけた視界に、幼子を抱えた獣人が、一瞬の隙を突いて穴から逃げ出す姿が飛び込んでくる。

 謎のモンスターの前脚が、獣人を捕らえる。

 足をモンスターの前脚で押さえつけられてしまった獣人は、抱えていた幼子を放すと、必死で逃げるように促した。しかし、幼子は泣きじゃくるばかりで立ち上がろうとしない。

 幼子の目の前で、おそらく母親であろう獣人は、モンスターのアゴに捕らえられ、高々と持ち上げられる。文字通りの死の口へと運ばれながら、獣人は必死に幼子に声を掛け続けていた。

 誰もがどうすることも出来ず、歯を食いしばって事態を見守る。

 鋭い悲鳴のような声が響き、幼子はようやく立ち上がると逃げ出した。その幼い背中を、母親の断末魔が追い抜いていく。

 母親を租借し終えたモンスターは、今度は幼子を捕らえようと、追い始めた。

 幼子は泣き叫びながら、カーシュナーたちのいる側の崖へと逃げてくる。だが、いかんせん距離がありすぎる。例えここから飛び降りたとしても、幼子を救うには間に合わないだろう。

 全員が、己の無力に怒り震える中、カーシュナーは演武・奏双棍(エンブ・ソウソウコン)を長棍(チョウコン)状態にすると、狭い崖道を駆け抜け、長棍をわずかに張り出している岩の先端に突き立てると、高々と宙に身を躍らせた。

「行けえぇぇぇぇぇっ!!」

 カーシュナーの意図を悟ったジュザが、珍しく声を張り上げる。そして自身も崖から身を躍らせた。

 ハンナマリーとヂヴァも、ジュザに続いて宙に身を躍らせる。

 つられて飛び降りそうになる獣人をモモンモが引き止め、狭い足場でカーシュナーたちを支援するために踊り始める。

 ジュザたちがたいした飛距離も稼げずに落下していく中、見事な放物線を描いて宙に舞ったカーシュナーは、身軽さも手伝って、峡谷を吹き渡る風に乗り、驚異的な距離を飛行する。

 自然とは残酷なものだ。死力を尽くしても、人の想いなど汲み上げてはくれない。それでも行動しない限り、奇跡の手は差し伸べられないのだ。

 いまこの瞬間に追い風が吹いていること。カーシュナーの手に、唯一のジャンプ攻撃可能武器が握られていたこと。幼子の母親が、身を捨てて我が子を逃がしたこと。数々の偶然が、カーシュナーに奇跡の1秒をもたらす。

 死の大アゴが、幼子をつまみ上げる。母親をそうしたように、真っ二つに切り裂き、租借するために、大アゴに力を込めようとした刹那、とんでもない距離から繰り出されたカーシュナーの叩きつけ攻撃が、謎のモンスターの脳天に叩き込まれた。

「よっしゃああぁぁっ!!」

 着地と同時に謎のモンスターがぐらつき、幼子を放すのを確認したハンナマリーたちが、歓喜の雄たけびを上げる。

 カーシュナーはモンスターの顔面を蹴りつけると、空中で幼子を受け止め、受け身一転起き上がった。

 カーシュナーは一瞬の迷いも見せず、幼子を抱えて逃走する。峡谷の奥へと向かって。

 ここからは時間の勝負だ。ハンナマリーたちは、謎のモンスターが頭を突っ込んでいた穴に駆け込む。カーシュナーが囮になっけくれている内に、生存者の確認と救助をしなくてはならない。

 穴の中は地獄の釜のような有様だった。ここに居合わせたのがハンナマリーたちではなく、他のハンターたちだったら、恐怖に駆られて逃げ出していたかもしれない。

 しかし、スラム街時代に酷い現実を生き抜いてきたハンナマリーたちは、無残に食い散らかされたバラバラの獣人たちの死体の中から、かろうじて生き残った者たちを探し出し、血の泥沼から引きずり出した。

「ニャニャア!! あんなところにもいるニャア!!」

 全身血まみれになりながら、ハンナマリーたちが引きずり出してくる獣人を受け取っていたヂヴァが、崖を見上げて声をあげる。

 視線の先に、この洞窟の入り口であっただろう小さな穴があり、そこから子供の獣人が二人、顔を出していたのだ。穴の位置はかなりの高さで、そこに至るまでの道はすでに崩されている。

「ハンナ!! 頼むニャ!!」

 言うが早いか、ヂヴァは数メートル後退し、猛ダッシュをかける。

 ハンナマリーは向かってくるヂヴァの前に立ち、腰を落として両手を組むと、オトモアイルーのトレンド技である≪ネコ踏み台≫の逆を行った。

 まるで大砲で撃ち出されたかのような勢いでヂヴァが飛んで行く。

「…チー、フー、待ってるニャ。父ちゃんがいま行くニャ」

 極限状態の中で、ヂヴァはまぼろしを見ていた。海底大地震によって引き起こされた大災害で失った、我が子のまぼろしを――。

 抜群のコントロールで獣人たちの前に着地したヂヴァは、幼い獣人には恐ろしく見えた。仲間たちの血にまみれ、死臭をまとったその姿は、半端な大型モンスターの比ではなかっただろう。怯えて穴の奥へと逃げ去ろうとする。

 しかし、ほんの数歩で道は失われていた。足を踏み外した獣人たちが滑り落ちる。

 穴の縁から消えかけた2つの小さな手を、ヂヴァはしっかりと掴み、素早く引き上げる。そして二人の幼子を強く強く抱きしめた。

 体温が伝わり、二人の獣人の中から恐れが消えていく。

 言葉は通じなくても、助けたいと強く願う心は届いたようだ。

 ヂヴァは二人の獣人を両脇に抱えると、躊躇なく飛び降りた。とにかく時間がない。迷っている余裕などないのだ。下ではハンナマリーが待ち受け、3人になった獣人を受け止める。そして反対の崖目掛けて放り投げた。ハンナマリーの後ろに広がる地獄の釜を見せないための配慮だ。

 ハンナマリーはヂヴァを放り投げた直後に、足元でぐったりとしている獣人たちを抱き上げた。ギリギリまで生存者の確認をしていたジュザが穴から上がってくる。

 ジュザも残りの獣人を抱きあげると、先程飛び降りた崖へと向かって走り出した。全部で9人の獣人を救出することに成功していた。

 全力で走り続けるハンナマリーたちの目の前に、最悪のタイミングで地面を突き破って新たな≪尖貫虫≫が現れる。

 スタミナが尽きてフラフラになっているため、かわすことが出来ない。

 どうする? 迷いが頭をよぎった瞬間、モモンモの強走効果を持つ踊りが発動した。

「モモンモ、最高っ!!」

 7人もの獣人を抱えて走っていたハンナマリーが叫ぶ。

「いい仕事したモン!」

 案内の獣人と小躍りしながらモモンモが応えた。

 ハンナマリーとジュザは、≪尖貫虫≫に気づかれる前に脇を駆け抜けると、モモンモたちの待つ崖下に辿り着いた。

 さっそくハンナマリーが崖を背にして≪踏み台≫の体勢に入る。戸惑う獣人たちを導くように、ヂヴァが子供たちを抱えたまま走り、ハンナマリーに高々と放り上げられると、見事にモモンモたちが待つ崖上に着地してみせた。

 崖の上から案内の獣人が仲間たちに声を掛ける。ヂヴァは再び飛び降りると、別の子供の獣人を抱えて飛んでみせた。迷える状況ではないことは、獣人たち自身がよく知っている。ヂヴァをまねて、大人の獣人が子供の獣人を抱えて、次々と崖上に避難していった。最後にハンナマリーとジュザが、自力で崖を這い登る。

 突如出現した≪尖貫虫≫が気づいた時には、ハンナマリーたちは攻撃範囲外にまで辿り着いていた。

「カーシュ!!」

 何とか崖上に辿り着いたハンナマリーは、呼吸を整える余裕もないまま、カーシュナーが逃げた峡谷の奥へと視線を投げた。

 

 

 幼い獣人を何とか救い出したカーシュナーは、謎のモンスターを穴から引き離すために、峡谷の奥へと走った。自分一人の命ではない。この極限状態の中で、一つのミスも許されなかった。

 戦うことなど考えてはいない。グラつかせるほどの強烈な一撃を叩きつけることには成功したが、こんなものは単に運に恵まれたにすぎない。奇跡を起こしたなどと思っていると、今度はこちらが強烈なしっぺ返しを叩きつけられるのがオチだ。

 カーシュナーはひたすら走った。モンスターの死骸はゴロゴロ転がっているので走りにくいが、謎のモンスターから身を隠すにはうってつけだった。本来ならば鋭敏なはずのモンスターの五感も、これだけの死の気配とにおいに包まれていては、力を発揮しない。頼りになるのは視覚くらいのものだ。

 逃げるカーシュナーを、謎のモンスターは執拗に追った。

 カーシュナーが、途中スタミナ切れを起こさないように足を緩めるが、見失うことが多いため、その差はなかなか縮まらない。苛立った謎のモンスターが、狭苦しい峡谷で翅を広げて飛び上がる。

 崖の岩肌を翅が削り、鋭い岩の切っ先が翅を削り返す。

 岩屑と轟音が降り注ぐ中、カーシュナーは懸命に足を動かした。平坦ではない分距離が稼げず時間ばかりが掛かる。先程とは違い、上空から追われるため、身を潜めることが出来ない。当然足を緩めるような余裕はなく、カーシュナーのスタミナは一歩ごとに削られていった。

 謎のモンスターが狙いを定めて急降下をかける。

 間一髪、緊急回避でかわしたが、ついにカーシュナーのスタミナは限界を超え、足をもつれさせて倒れ込む。

 アゴが刺さった地面を強引にえぐり飛ばして、謎のモンスターが自由を取り戻す。

 飛ばされた土砂が礫(つぶて)となってカーシュナーに襲い掛かる。身を挺して幼子をかばったため、カーシュナーはかなりのダメージを負ってしまった。

 窮地に立たされたとき、モモンモの強走の踊りの効果がカーシュナーに届く。

 もつれていた足に力が戻り、カーシュナーは再び走り出した。懸命にしがみついてくる獣人の幼子を抱えなおして、カーシュナーはさらに峡谷の奥へと進んで行った。

 カーシュナーには一つの考えがあった。賭けに近いが、可能性はかなり高いと踏んでいる。

 謎のモンスターは再び飛び立ったが、峡谷が急激に折れ曲がっている箇所にさしかかり、曲がり切れずに無様に崖に激突すると墜落した。

 おかげで距離を稼いだカーシュナーの耳に、もう一つの羽音が、前方から迫ってくることを告げる。狙い通りの結果が転がり込んでくる。後は上手くモンスター同士が鉢合わせるのを待つだけだ。

 カーシュナーは周囲を見回すと、咄嗟に岩陰に身を潜め、幼子の口をふさぎ、自分も息を殺す。全力で駆けてきた直後に息をこらえるのは、意識が飛びそうになるほどの苦痛だった。

 それでも懸命に物音を消して身を潜めていると、二つの巨大な影が、峡谷の角から顔を出した。

 1匹は墜落した謎のモンスター。もう1匹は、峡谷の急激な曲がりを上手くすり抜けた真紅のモンスターだった。

 カーシュナーを探していた謎のモンスターは、すぐさま迎撃の体勢を取る。

 真紅のモンスターは、幅の狭い峡谷を、巨体を斜めに傾けながら器用に飛び抜けていく。カーシュナーが身を潜める岩陰を、真紅の反射光がなめる。

 目が合った――。

 合うはずのない視線が、一瞬交差するのを、カーシュナーは確かに感じた。

 獣人の幼子を抱く腕に、鳥肌が立つ。

 飛竜種などのように、明確な瞳を持つモンスターとなら、目が合うことはある。しかし、目の構造が根本的に違う甲虫種は、むしろ直視されていても、どこを見ているのかわからないのが普通だ。

 カーシュナーは直感的に確信する。この峡谷の狂乱を支配するのは、この真紅のモンスターだと。

 そして、もう一つ確信する。自分はいま、運よく命を拾ったのだと――。

 カーシュナーは、背後で凄まじい衝突音が響く中、振り向きもせず逃げ出した。

 

 

 カーシュナーたちは、救出した獣人たちを連れ、先に発見していた獣人たちと合流した。

 互いの情報が交換されたのだろう。新たな悲しみに襲われ、獣人たちは大きな瞳から、ぽろぽろ涙を流して悲しんだ。

 言葉は通じないが、獣人たちに先程まであった警戒心はもうない。大袈裟な言い方になるが、一族滅亡の危機に現れたカーシュナーたちは、救いの神そのものであった。

 カーシュナーたちは獣人たちを避難所から連れ出すと、≪鉱山都市≫へと通ずる洞窟に連れていった。

 ここには多くの獣人たちの遺体が弔われることもなく、酷い姿のまま遺棄されているので、正直連れて来たくはなかった。だが、今日初めてこの地域に足を踏み入れたばかりのカーシュナーたちに土地勘などあるわけもなく、比較的安全と思える道はここしかなかったのだ。

 重い気分で洞窟へと向かう途中、またしても新たな≪尖貫虫≫が姿を現した。カーシュナーたちは抱えられる限りの獣人たちを抱え、残りは自力でしがみついてもらい、洞窟の中を一気に駆け抜け、≪鉱山都市≫へと繋がる枝道に逃げ込んだ。

「≪尖貫虫≫、ナ、ナイスだモン」

 モモンモが息を切らせながら言った。その腕には、獣人の子供を二人抱えている。

「た、たまには役に立つニャン」

 同様に息を切らせたヂヴァが同意する。こちらは、助け出した二人の子供と、年老いた獣人一人を背負っていた。

 ≪尖貫虫≫に追われたおかげで、残酷なだけの対面を回避することが出来たのだ。

「進もう。休ませてやりたいけど、モンスターたちにあれだけの勢いで暴れまわられたら、この枝道も、いつ崩れるかわかったもんじゃないからね」

 ハンナマリーが、全身獣人だらけになりながら言う。その言葉を裏付けるかのように、後にしてきた洞窟の天井の一部が崩落する。

 枝道はかなり狭いため、獣人たちには自力で歩いてもらうことにし、一行は慌てて枝道を登って行った。

 ここからは≪化け蜘蛛≫を警戒する必要があるため、先頭をジュザが歩き、嗅覚でヂヴァがサポートする。一行の中間を、負傷した獣人を背負ったカーシュナーが歩き、背負われた獣人が周りの仲間に声を掛けて励ます。

「あの異常事態は何だったんだろうね?」

 ハンナマリーが、先を歩くカーシュナーに問いかける。

「…これはボクの完全な推測だけど、モンスターたちは、あの峡谷を奪い合っていたんじゃないかと思うんだ」

 カーシュナーの言葉に、ハンナマリーが首をかしげる。

「モンスターの縄張り争いはよくあることだけど、あれはちょっと違うだろ? 北の大陸であった、狂竜症が原因の暴走みたいなもんなんじゃないのか?」

「その可能性もあるね。南の大陸特有のウイルスが存在していてもおかしくはないからね」

 ハンナマリーの意見に、カーシュナーもうなずく。

「それでも、カーシュはあれがモンスターの縄張り争いだって思うのかい?」

「うん。あの峡谷は、大型モンスターにとっては、まったく魅力のない土地のはずなんだ」

「それじゃあ、余計におかしいだろ?」

「でも、あの峡谷じゃないといけないんだと思う」

「なんで?」

「謎のモンスターたちだけど、みんな翅を痛めるのもおかまいなしに峡谷の中を飛び回っていたよね?」

「そうだな。でも、それはウイルスとかで頭がおかしくなっていたからじゃないのか?」

「かもしれない。でも、最後に見た真紅のモンスターは、あの狭い峡谷の中を、上手く飛び回っていたんだ」

「つまり、頭はおかしくないってことかい?」

「うん。もっと言えば、暴れまわるにしても、峡谷の上空に出てから飛び回った方が簡単なんだよ。なのに飛んでも低空飛行ばかりで峡谷の外に出ようとしない」

「そうだな。そう言われると、異常なまでにあの狭いエリアにこだわっていたように見えるな」

 ハンナマリーが眉をしかめて唸る。

「何らかの理由で、この周辺のモンスターが、あの峡谷をどうしても手に入れないといけない状況になっているんじゃないかって思うんだ」

「何かって、何だい?」

 ハンナマリーの問いかけに、カーシュナーは残念そうに首を振った。

「わからない。でも、これだけは確かだよ」

 言葉を切ったカーシュナーの背中を、ハンナマリーが黙って見つめる。そこには、強い緊張があった。

「あの峡谷を手に入れるのは、真紅のモンスターだよ」

 カーシュナーの言葉は、このしばらくの後、現実となった。



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超大量発生!!

 カーシュナーたちと別れ、≪鉱山都市≫駐留調査団への報告に、リドリーとファーメイは急いでいた。

 坑道内を徘徊していた大型モンスターである≪尖貫虫≫(センカンチュウ)は、すでにリドリーたちの手により討伐されているため、小型モンスターの≪化け蜘蛛≫(バケグモ)の不意打ちにだけ気をつければいいおかげで、二人はほとんど走りっぱなしで移動していた。

 リドリーも、猫背のせいで分かりにくいが、ハンナマリーに並ぶほどの長身の持ち主で、長い脚を持っている。運動能力も極めて高く、当然足も速い。

 そのリドリーも、ファーメイの前では、見失わないようについて行くのが精一杯だった。

「先に行きすぎだ! パッパラパーメイ!」

 見えなくなりかけたファーメイの背中に、リドリーが呼びかける。

「だ、誰がパッパラパーメイッスか! ってか、リドが遅すぎるんッショ!」

 ファーメイが、バック走体勢に切り替えてから憤然と言い返す。後ろ向きに走っていても、リドリーとの差は徐々に開いていく。

「遅くねえよ! お前の足についていける人間なんているわけねえだろ! オレからあんまり離れるんじゃねえよ! 守り切れねえだろ!」

 リドリーが、息を切らせながら言い返す。

「おおっ! 聞きようによっては、ちょっとした告白の言葉にも聞こえるッスよ! オレの隣りにいろ! オレが一生守ってやるから! 的な! いやぁ~ん。リドってば肉食系!」

 ファーメイが頬に手をやり、くねくねと照れる。それでいてさらに加速するのだから化け物じみている。

「前半部分を無視すんなよ! 全然そんな意味につながらねえだろ! っていうかいい加減に…」

 リドリーは言葉途中でライトボウガンを身構えると、簡易照準すら定めずに発砲した。撃ち出されたLv2通常弾が、ファーメイの顔のすぐわきを通過する。

「わっ、わっ、わあああぁぁっ!! 人殺しッス~~!!」

 ファーメイの絶叫は、背後からぶち当たってきた≪化け蜘蛛≫によって中断された。擬態していた岩から姿を変えて飛び掛かったところを、リドリーに狙撃されたのだ。

 続けざまにリドリーのライトボウガンが火を噴く。つがいのもう1匹が襲い掛かったのだ。

 こちらも空中に飛び上がったところを撃ち落とされたため、もがいているファーメイにぶち当たっていった。

 素早くLv1通常弾に装填し替えると、ファーメイの上でもがく≪化け蜘蛛≫に、的確にとどめを刺していく。弾を替えたのは、間違って≪化け蜘蛛≫の身体を貫通してファーメイを傷つけないための配慮だ。もっとも、≪化け蜘蛛≫の身体を通して撃たれる衝撃を感じるファーメイはたまったものではない。しかも、弾の威力が落ちた分、撃ち込まれる弾の数は増えるのだから、恐怖倍増である。

 リドリーがライトボウガンを背負いなおしていると、声も出ない有様で≪化け蜘蛛≫の死体の下からファーメイが這い出して来る。

「だからオレから離れるなって言っただろうが」

 立ち上がるファーメイに手を貸しながら、リドリーがニヤリと言った。

「…リド。≪化け蜘蛛≫が飛んでから撃ったッショ!」

 こちらは、ジロリとにらみながらのファーメイの言葉だ。

「んんっ? 何のことだ?」

 リドリーがニヤリとしたままとぼける。

「本当はボクに飛び掛かってくる前に撃てたのを、飛び掛かるまで待ってから撃ったッショ! わかってるんッスよ!」

 ファーメイが指を突きつけて食って掛かる。

「あの一瞬でそんな余裕あるわけねえだろ」

「あるッスよ! リドの腕前なら、あの一瞬で悪ふざけを考えつけるって、ボク確信しているッスから!」

「そんな風に信用されてのな~。まあ、信頼に応えたってことで」

「キィ~~~ッ!! 言ってやりたいことはいくらでもあるッスけど、まずは報告が先ッス! あとで覚えてるッスよ!」

 本来の目的を忘れていなかったようで、なんとか自制する。そして、再び走り出そうとする。

 その首根っこを、リドリーが素早く掴む。

「ファーは、オレの後からついて来い」

 リドリーはそう言うと、ファーメイを自分の後ろに押しやった。

「おおっ!! 女は男の三歩後からついて来いってやつッスか! 亭主関白ッスか!」

「どんな脳内変換してんだよ! もう、それでいいから、黙ってついて来い!」

「了解ッス! 正直ちょっと気が焦っていたッス! 頭冷えたッス!」

「そいつぁ、なによりだ!」

 リドリーの後ろに立ったファーメイが、リドリーの背中に両手を置く。

「さあ! 行くッスよ!」

 言うが早いか、ファーメイは全力でリドリーを押し始めた。

「うわっ! バカッ! やめろって!」

 思いのほか強い力に押されて、リドリーは危うく突き倒されそうになる。ハンターではないということで、つい弱いと思ってしまいがちなファーメイだが、ハンター以上の大荷物を常に背負い、その上で≪神速≫などと呼ばれる程の足を持っているのだ。力が弱いわけがない。

「ちょっ! ちょっと待った! ファー! お前やっぱり前を走れ!」

 早くもリドリーの限界速度までスピードがあがる。ファーメイの押す力は、まだまだ限界には程遠い。足がもつれだしたリドリーが悲鳴をあげる。

「ボクに三歩後からついて来てほしかったら、ボクより三歩速く走らないとダメッスよ!」

「さ、三歩後とか、オッ、オレは言ってねえだろが! 勝手に話をすり替えんなよ!」

 リドリーの当然の抗議は、あっさり無視された。

 珍しく主導権をファーメイに握られてしまったリドリーの絶叫が、長い坑道を響いていった。

 

 

「お前ら狩場で騒ぎ過ぎだ!」

 スタミナの限界まで出し切って≪鉱山都市≫駐留調査団に合流したリドリーとファーメイに、調査団員のカミナリが落ちる。

「せ、先輩。ち、ちが、違うんッスよ!」

 ファーメイが、荒い呼吸の合間に、なんとか言葉をしぼり出す。

 眉間にしわをよせて二人の呼吸が整うのを待っていた調査団員は、初めての狩場にリドリーたちがはしゃいでいるものと思い込み、二人からの報告を始めは適当に聞き流していた。だが、事の重大さに気づくと、二人の話を一旦遮り、慌てて駐留調査団の団長を呼びに走った。近くにいた他の団員にも声を掛ける。

「ご苦労さん。二人とも悪いが、もう一度始めから話してもらえないだろうか?」

 駆けつけた駐留調査団団長が、リドリーたちに声を掛ける。

 二人の前に立つ団長は、リドリーに負けず劣らずの見事な鼻を持つ、竜人族の青年だった。

 南の大陸調査団の全体的な指導者は、5人の竜人族の老人である。5人とも、背こそ丸まり小柄だが。頑健な身体を持ち、いくらでも大陸を歩き回れるだろうが、基本拠点で調査全体の指揮を執っている。

 団長は老人たちに代わって、前線で大陸調査を行っている実働部隊の指揮を執る責任者であった。北の大陸でも、ハンターズギルドが手掛ける事案の中で、けっして表には出ないような、一般には自然災害として処理されるような事態への対応を主な仕事としている超一流のハンターだった。

 狩猟を極めたと謳われるG級ハンターの英雄たちも、彼からはいまだに教えを受けている。

 その他に集まった人たちも、王立古生物書士隊や古龍観測所に所属している兼業ハンターだった。狩場の中に留まって調査をするため、調査能力以上に自衛能力が求められるので当然と言えた。

 そのころには呼吸も整っていた二人は、獣人と出会った経緯と、その時感じた嫌な空気感について細かく説明した。

 一般的には空気感などという漠然としたものなど取り合われないが、命のやり取りで磨かれるハンターの感覚には無視できない神がかり的な鋭さがあるため、五感から得た情報と同等の価値を持って扱われていた。

 ファーメイの説明を、リドリーが時折補足する形で報告は行われた。

 聞き終えると、団長は大きく唸り、他の団員は互いに顔を見合わせる。

「この辺りに獣人種がいたのか…。この山岳地帯は、≪鉱山都市≫だけでなく、周辺地域一帯くまなく調査したつもりでいたんだが、ずいぶんと大きな見落としをしていたもんだなあ」

 団長は腕組みをして唸る。

「この地域の外側から来たのかもしれませんよ?」

 団員の一人が意見をのべる。

「それはないだろう。ファーメイたちの話を聞いた限りでは、その獣人は重傷を負っていたことになる。そんな状態で長距離の移動は不可能だ。仮に体力的に可能だったとしても、血の臭いを追われてモンスターに捕食されてしまうはずだ」

 団長の説明に、他の団員も、なるほどとうなずく。

「しかし、君たちは本当にすごいな! オレなんか周辺調査の段階からずっとこの地域にいるが、割りと多く見られるモンスターくらいとしか遭遇したことないぞ! どうだ! 4人全員王立古生物書士隊に入らんか? 君たちは絶対向いてると思うぞ!」

 王立古生物書士隊に所属している団員の一人が、興奮気味にリドリーに声を掛ける。未知の獣人種の発見に好奇心が刺激され、興奮しているのだろう。その隣でファーメイが、同意のしるしに激しくうなずく。

「おい、おい、王立さん! 抜け駆けはよしてくれ! リドリー君たち4人のはうちだって目をつけているんだぜ!」

 古龍観測所所属の団員が口をはさんでくる。

 カーシュナーが、ハンターに専念すると宣言したのでいまのところは落ち着いているが、一時カーシュナーたち4人の勧誘合戦はとんでもない盛り上がりをみせていた。彼らの生い立ちと、それを乗り越えた心の強さ、人柄、何よりずば抜けたその能力を、彼らは正確に理解し、評価していたのだ。

 勧誘合戦が再燃しかけた時、団長が苦笑いしながら割って入る。

「いい加減にしないか。下手に彼らがどこかのギルドに所属したら、それ以外のギルドの長老たちが大騒ぎするだろ!」

 団長の言う通りで、カーシュナーにべた惚れな竜人族の老人たちが、カーシュナーの独占を許すはずがないのだ。独占に成功した一人が、他の4人に自慢しまくり、嫉妬の炎に油を注いで回る光景が、その場にいる全員の脳裏に、まるでいま目の前で起こっているかのような鮮明さで映し出された。

「確かに、大騒ぎになるッスね~。ギルドマスターたち、そういうところは大人気ないッスからね~」

 ファーメイがうんざりしながら唸る。

「商業ギルドのばあちゃんも、カーシュのことになると、案外見境ないからなあ」

 リドリーも、ファーメイの言葉にうなずき、うんざりする。

「そんなことよりも、今後の対応を検討しよう」

 団長が、一つ手を打ち鳴らすと、途端にその場の空気が引き締まる。厳しさを表に出すことはない人だが、くぐってきた修羅場の数と質が段違いであるため、ごく自然に周囲をまとめてしまうのだ。

「遺跡の調査は中断して、カーシュ君たちの支援に向かうべきじゃないですか? 白い獣人以来の、意志疎通が適うかもしれない知的種族の発見なんですから、出て来るかもわからない遺跡の資料は、後回しでいいでしょう」

 団員から意見が出る。

「そうだな。念のため一部の者を≪鉱山都市≫の守備に残して、カーシュ君たちの支援に向かおう。周辺調査に出ている調査団員を呼び戻せば、守備人員は足りるだろう。例の卵塊も気にはなるが、いまは人命を最優先にする」

 団長の判断が下る。

「卵塊ってなんッスか?」

 好奇心の塊であるファーメイが口をはさむ。

「そうか! お前さんたちは初耳か! 実はこの周辺の谷で、それまで見かけなかった巨大な袋状の物体が発見されたんだ。始めはそれが何なのかさっぱりわからなかったんだがな。実は卵塊だったんだよ」

「卵塊って言うと、ギギネブラが産み出すやつみたいなものッスか?」

「あんな規模じゃない! 初めて見た時は、中にグラビモスでも入っているのかと思ったくらいでかいんだ!」

「ええっ!!」

 黙って聞いていたリドリーまで、思わず声を上げる。

「でっかいモンスターの卵が入っているんッスか? それとも、たくさんの…」

 ファーメイが恐る恐る尋ねる。

「たくさんの方だ」

「やっぱりいいぃ!!」

 ファーメイが青ざめながら絶叫する。どうやら、ギィギが超大量に生まれてくるところを想像したらしい。北の大陸で、初めて狩場の調査に出た際、ギィギにさんざん吸いつかれてひどい目にあったことがあるらしい。

「それって、ヤバくないんですか?」

 リドリーが説明してくれた団員に尋ねる。

「正直なんとも言えんなあ。一度に大量に孵化するタイプの生物は、モンスターに限らず、共喰いすることが多いからね。生まれてきたモンスターのすべてが、我々の脅威になる可能性はかなり低いと見ているよ」

「なるほど! じゃあ、いまは単に生態観察している状況なんッスね?」

「ああっ。だから、いま卵塊のところにいるのは、護衛のハンターと王立古生物書士隊の隊員の二人だけだよ」

 二人だけと聞いて、ファーメイとリドリーの表情が曇る。先程坑道内で感じた嫌な予感がよみがえったのだ。

「だ、団長~!!」

 ≪鉱山都市≫の入口から、絶叫が響く。

 思わずリドリーとファーメイは顔を見合わせた。予感的中である。

 全員≪鉱山都市≫の入口へと駆けつける。

「今日はいったいなんなんだ! いま話したばかりの書士隊員だよ!」

 走りながら先程の団員が説明してくれる。

「一人きりか…」

 リドリーがつぶやく。

 ≪神速≫のファーメイが真っ先に駆け寄り、ふらつく先輩書士隊員を支える。

 リドリーの脳裏に、背中を切り裂かれた獣人の姿がよみがえったが、幸いにも大きな負傷はしていなかった。

「状況は?」

 無駄な会話は一切省き、団長が尋ねる。

「ふ、孵化が始まってすぐに、どこからともなく、≪拳虫≫(コブシムシ)の大群が現れました! 孵化したのは鋏角種モンスターで、≪拳虫≫は孵化したばかりの鋏角種に次々と襲い掛かりました!」

 書士隊員はここで息がきれ、差し出された水筒から、浴びるような勢いで水を飲んだ。

「そこまでは予測の範疇だったんですが、どうやら我々が発見出来なかっただけで、鋏角種の卵塊は他の場所にも大量に産みつけられていたらしく、≪鉱山都市≫周辺は、数千匹の鋏角種の幼体と、それを狙って現れた数百匹の≪拳虫≫によって囲まれています!」

「!!!!」

 衝撃の事実に、団長すらも声が出ない。

「≪拳虫≫ってなんだ?」

 その中で比較的冷静さを保っているリドリーが、初めて聞くモンスターについてファーメイに尋ねる。

「あ、≪拳虫≫ッスか! 大陸の中部以南によくみられる中型モンスターで、頭部が人間の握りこぶしのような形状をした外甲殻に覆われているのが特徴ッス。モンスターの区分は、本来小型と大型の二つなんッスけど、この大陸では、3メートル前後の甲虫種が多いため、北の大陸でハンターたちが、ドスランポスなんかの大型モンスターに分類されているんッスけど、飛竜種なんかの大型モンスターとは明らかに一線を異にする実力のモンスターを指すのに用いていた俗称を正式に採用して、新しく設けられた中型に分類されるモンスターなんッス。特別際立った攻撃方法はなくて、突進、かみつき、腐蝕液による防御力の低下など、大抵の甲虫種にみられる攻撃のみッス。群れを作る習性はなく、基本単独で行動するッス。他のモンスターと異なる点って言えば、個体ごとの体色が違い、同じ色、同じ模様の個体は存在しないって言いてもいいくらい多種多様な色をもっていることぐらいッスかね」

「それでも同じ種類のモンスターなのか?」

「正直断定できないのもいくらか混じっていると思うッス。同系異色の個体しか発見できないから全部の個体を細かく解剖でもしない限りは本当のことはわからないと思うッスね」

 リドリーは、なるほどとうなずいて納得した。

「1個体の実力はたいしたことがなくても、数百匹もいたらどうにもならねえな~」

 リドリーがお手上げの仕草をする。

「一緒にいたハンターはどうなった?」

 我に戻った団長が尋ねる。

「途中までは一緒だったんですが、大量の≪拳虫≫に遭遇した際に、オレを逃がすために囮になって、そのままはぐれてしまいました」

 書士隊員がうなだれて報告する。

「気に病むな。よく無事に戻ってくれた。ご苦労さん」

 団長はそう言って、励ますように書士隊員の肩を叩いた。

「あいつなら大丈夫でしょう。上手く≪拳虫≫どもをまいたら、そのうちひょっこり戻ってきますよ。それよりも、周辺調査に行った連中のほうが心配ですね」

 囮になったというハンターの知り合いらしい団員が気軽に請け負う。強がっている様子はなく、どうやら本当にそれだけの実力の持ち主なのだとわかる。むしろ何も知らないでモンスターの大群と遭遇するであろう他の団員の方が心配なようだ。

「団長、これはオレの推測なんですけど、≪拳虫≫に追い立てられた鋏角種の幼体は、ここに逃げ込んでくるかもしれないです」

 書士隊員が不安気に自分の予測を報告する。

「あり得るな。囲い込むように追われているとなると、ほぼ確実にここに押し寄せてくるだろう。鋏角種の幼体だが、その大きさと能力はどれくらいのものだった?」

「モスくらいの大きさで、幼体とはいえ、充分小型モンスターと言えるだけの力がありました。ただ甲殻が未発達なようで、≪拳虫≫に簡単につぶされていました。姿は頭部とアゴが特徴的で、甲殻が変形したのか、頭に2本の角のようなものがあり、おまけにテツカブラやアカムトルムのような大きな牙を持っています」

「なんか東方の物語に出てくる鬼みたいッスね」

 ファーメイが何気なく感想を漏らす。

「鬼!!」

 意外なことに、ファーメイの独り言のような感想に、団長が食いつく。

「…可能性はある。まずいな」

 自分の考えに没頭しながらつぶやく。

 全員が沈黙し、団長の邪魔をしないように気をつけて待つ。さして待つことなく、団長は決断した。

「最悪の状況を想定して行動する。事態がこうなってしまっては、もう、カーシュ君たちの支援に向かうことは出来ない。向こうでどんな状況に陥っているかわからないが、無事でいることを願うしかない。そして、カーシュ君たちが何らかの決断を下し、戻ってくるとしたら、ここ≪鉱山都市≫になるはずだ。となれば、我々は≪鉱山都市≫を放棄するわけにはいかない。彼らが戻るまで、何としてでも死守しなくてはならない」

 団長の言葉に全員がうなずく。ここにいるハンターは、リドリー以外全員が、北の大陸では二つ名を持つ強者ばかりだ。ハンターではない者も、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた猛者ばかりである。新米のファーメイも腹を決め、かけらほどの怯みもみせない。

「幸い、≪鉱山都市≫は堅固な岩盤のなかにあり、瓦礫にほとんどふさがれている北の入口と、狩場である坑道口を固めればモンスターの侵入を防ぐことが出来る。この両方に防護柵を築き、モンスターの侵入を防ぐ。ただし、我々は少数だ。外にいる全員と合流できたとしても、30人程度しかいない。守るにしても限界がある」

 団長はそこで言葉を切ると、ファーメイに視線を移した。

「この事態を北の拠点に報告し、救援を求めなければならない。ファーメイ。君に行ってもらいたい。もちろん危険な…」

「まかせてほしいッス!!」

 団長の言葉を遮ると、ファーメイは腹の底から声を出して答えた。気合がこもっている。そして何よりばかでかい。

 団長は思わず口元をほころばせた。

「リドリー。君にはこのまま継続してファーメイの護衛にあたってもらいたい。カーシュ君たちのもとへ向かいたいだろうが、状況を大局的に判断してほしい」

 リドリーが、団長の言葉にニヤリと笑みを返す。

「別れ際にカーシュのやつと約束をしたんですよ。出来ることをやりきろうってね。誰かが救援を求めに行かなきゃ、オレたちは全滅でしょう。この中じゃあ、一番装備が貧弱なオレが残ったところで出来ることなんてたいしてありゃしない」

 リドリーはここで得意のニヤリ笑いを納めると、真顔になって頭を下げた。

「必ず救援を連れて戻ります。カーシュを、あいつらをお願いします!!」

 4人の中でも特に、普段周囲に対して斜に構えていることが多いリドリーの真摯な姿は、団長や周囲の大人たちを笑顔にした。同時に気合がみなぎる。幼いころから苦汁を舐め、大人に対する不信感を持って育った男が示してくれた信頼に、応えられなくて何が大人かという話である。

 リドリーの隣りで、ファーメイも頭を下げている。短いつき合いではあるが、濃度が違う。カーシュナーたちはファーメイにとって、もはや家族以上のつながりなのだ。

「まかせてくれ」

 二人の想いを受け止めて、団長が答える。短い言葉に不退転の決意がこもる。

 団長の言葉を受けて二人は頭を上げると、それ以上の言葉は一切きかず、水と食料の準備に入った。

「私もリドリーたちに途中まで同行する。可能性でしかないが、事態はまだ、最悪の一歩手前だ。最悪の一手が我々に迫っているのかを知るために、外部の様子の確認と、リドリーたちのモンスターの囲みの突破を手助けしてくる。他の者はその間に防護柵の準備に取り掛かってくれ!」

 団長の指示に、団員たちから気合の乗った答えが返ってくる。

 ≪鉱山都市≫を取り巻く事態は急転し、予測不可能な方向へと転がり始めた――。

 

 

「団長!! なんッスか、あれ!!」

 ファーメイの呆気に取られた声が響く。

 北の拠点へ救援要請へと向かうリドリーとファーメイの二人の前に、無数の鋏角種の幼体と、それを捕食しようと躍起になって飛び回っている≪拳虫≫、そして、その≪拳虫≫を捕獲してまわっている、2匹の巨大な鋏角種の姿があった。

 2匹の巨大な鋏角種は、それぞれが尻尾のないアカムトルム程の巨体を誇り、どちらも頭部に威圧的な2本の角を持ち、下アゴからはアカムトルム以上の長さと鋭さを持った2本の牙が、敵意むき出しで伸びている。サイズこそ違うが、その姿は≪拳虫≫たちに追い回されている鋏角種の幼体と瓜二つであった。

「最悪の一手は、もう指されていたみたいだな。どうも、今回は厄介ごとが連れだって≪鉱山都市≫を訪問予定だったみたいだ」

 人格が変わると言うほどではないが、モンスターを前にして、若干テンションが高くなった団長が、事態の悪化を皮肉る。

 その間にも巨大な鋏角種は≪拳虫≫を捕獲し、≪拳虫≫は鋏角種の幼体を捕食してまわっている。

「あの2匹はG級に属するモンスターだ! 二人は手を出すんじゃないぞ!」

 囲みを突破できる場所を探しながら、団長がリドリーたちに警告する。

「…そんなことだろうと思ったぜ」

 リドリーがため息を漏らす。

「こんなに凄いことが起こっているのに、じっくり観察できないなんて~~!!」

 ファーメイが、王立古生物書士隊隊員らしい不満を口にする。何気に生きるか死ぬかの瀬戸際であるにもかかわらず、たいした胆力である。

「団長! ここしか突破する道はないんじゃないですかい?」

 そう言ってリドリーが指し示した場所は、2匹のG級鋏角種が陣取る一角だった。

 そこだけは、当たり前だが他のモンスターはいない。この2匹を突破出来れば、後は豊かに葉を茂らせた森林地帯が広がるだけだ。

「あ、あそこッスかあ!!」

 ファーメイが悲鳴を上げる。

「…そうだな。一番な危険な場所だが、一番確率の高い場所でもある」

 G級の鋏角種は、自分たちの子供を守るために≪拳虫≫を捕獲している訳ではない。あくまで幼体に群がる≪拳虫≫を、せっせと捕獲してまわっていた。

「ちなみに、あれはどういうことなんだ?」

 G級鋏角種の行動がいま一つ理解できないリドリーがファーメイに尋ねる。

「たぶんッスけど、自分の子供をエサに≪拳虫≫を集めて、一気に食料を大量確保しているんじゃないッスかね」

「おそらくそうだろう。もっと言えば、食料として確保している≪拳虫≫を利用して、子供たちのふるい分けをも行っている可能性がある」

 ファーメイの意見にうなずいた団長が、情報を補足する。

「G級に関する情報なのであまり多くは説明してやれないが、白い獣人殿から警告を受けているモンスターが4体いる。あれはおそらくその内の1体である≪鬼蜘蛛≫(オニグモ)だろう。雄の個体は全体的に青みがかった体色をしていて、雌は赤みがかった色をしている。個別に≪青鬼蜘蛛≫(アオオニグモ)、≪赤鬼蜘蛛≫(アカオニグモ)と言ったりもする」

 団長の説明通り、目の前にいる2匹の鋏角種は、青と赤の体色をしていた。白い獣人が事前に警告するだけあって、中型モンスターである≪拳虫≫が、次々と糸にからめ捕られていく。まるで農作物を収穫するかのような容易さだ。≪拳虫≫の抵抗など、あってないようなものである。

「二人とも、≪鬼蜘蛛≫の糸には絶対にからめ捕られないように注意してくれ。糸そのものに猛毒が染み込んでいて、捕らえられると回復することも出来ないまま、一気に体力を削り取られてしまうからな」

 リドリーとファーメイは、思わず顔を見合わせた。

「ヤバ過ぎるッスよ!」

「…団長。よく考えたら他にも囲みを突破出来る場所があるんじゃないですかい?」

 リドリーが、無意味と知りながら提案する。

「いや、どこも事態の流れが本能的過ぎて予測が立たない。あの2匹を突破するのが一番確実だろう」

 リドリーの意見を、予想通り団長がさくっと却下する。

「…ですよねえ」

 リドリーは情けない声で引き下がった。

 口では怯えているように見せているが、実際にG級モンスターを目の前にしても、かけらも気圧されてはいない。この期に及んで、また悪ふざけしているのだ。もちろんファーメイもそれに乗っかっているだけである。

 リドリーたちなりの、緊急時に平静さを保つ方法に、団長は頼もしさを感じた。北の大陸に戻ればハンターは数多くいるが、この事態に直面して、平静を保てるハンターがどれ程いるだろうか。最後に立ち寄った港町で、これだけの人材と出会えた事実が、今回の調査団派遣に人知を超えた存在の祝福を感じる団長だった。

「戦う必要はない。とにかく気取られずに君たちは突破してくれ。注意は私が引きつける」

「無理はしないでくださいよ。あんたはこの調査団になくてはならない人なんですからね」

「君だって同じくらい必要だ」

 そう言って笑うと、団長はリドリーにこぶしを差し出した。リドリーはいつものニヤリ笑いでこぶしを返す。

「それじゃあ、行くッスよ!!」

「お前が指揮執るのかよ!」

 リドリーのツッコミを合図に、3人は≪鬼蜘蛛≫へと突進した。

 

 甘くはなかった。

 さすがはG級に列せられるだけのことはある。≪拳虫≫の捕獲の隙を突いて突入を図ってみたが、あっさりと阻まれてしまった。

 とにかく視野が広い。そして、2匹いることが思いのほか厄介だった。片方の隙を突くことに成功しても、もう1匹が行く手を阻む。

「≪拳虫≫だけで満足してろよ! なんでオレらまで捕まえようとするんだよ!」

 理不尽に怒りながら、リドリーが怒声を投げつける。≪鬼蜘蛛≫からすれば、≪拳虫≫もリドリーたちも、等しく食料なのである。

 ≪鬼蜘蛛≫に追われた≪拳虫≫こそいるが、無数に存在する≪鬼蜘蛛≫の幼体がいない分立ち回りやすいが、いかんせん隙がない。下手に攻撃して注意を引きすぎると、突破どころか最悪撤退することすらままなくなる。

「≪拳虫≫邪魔ッスねえ! せっかくそれた注意も、こいつらがうろちょろするせいで、全然突破出来ないッスよ!」

 ファーメイも癇癪を起す。それも無理のない話で、隙を突いて飛びしたら、近くにいた≪拳虫≫が派手に暴れて注意を引き、その巻き添えで≪鬼蜘蛛≫に発見されるということが再三続いたからだ。

「団長! こりゃあ賭けに出るしかないですよ!」

 リドリーが提案する。

「勝算はあるのか?」

 団長が大声で返す。≪鬼蜘蛛≫と≪拳虫≫の暴れまわる音がうるさすぎて、怒鳴らないと声が届かないのだ。

「まず、オレと団長の二人で2匹の注意を同時に引いて、その間にファーメイを突破させます!」

「護衛の君なしでは意味がないぞ!」

「このまま団長が2匹の注意を引いて、その隙にオレたち二人が突破するのを待っていたら、いつになるかわかりませんぜ! 遅くなり過ぎれば団長が戻る前に≪鬼蜘蛛≫の幼体が≪鉱山都市≫に辿り着いちまいます。北の入口が封鎖できなければ≪鬼蜘蛛≫の幼体が入り込んじまうし、幼体が入り込めば≪拳虫≫も追って中に入ろうとするはずです! そうなればここで暴れている≪鬼蜘蛛≫も入口に向かっちまう! いくら瓦礫でふさがれているって言っても、これだけのモンスターが本気でほじくり返したら防ぎきれないですよ!」

「・・・・」

「ファーメイの足なら絶対に突破できます。オレもファーメイを守りながらでなければ、1匹引きつけながら、なんとか逃げ切ってみせますよ!」

「わかった! 無茶をさせてすまん!」

 リドリーは、離れているため、いつものニヤリ笑いが届かないので、あえて声を上げて笑ってみせた。

「こんなもん、無茶の内には入りませんよ!」

 リドリーに応えて団長も笑う。

「よし! その策で行こう!」

「ウィッス!」 

 答えるリドリーの声に、負けじとファーメイの馬鹿笑いが加わってきた。根本的に声がでかいので、周囲の喧騒をついて響き渡る。

「お前は笑うな!! なんで隙突いて突破しなくちゃならねえやつが、人一倍注意引いてんだよ!」

「ここは、ボクも笑うべきかと思って!」

「思うなあぁ!!」

 またもやリドリーのツッコミを合図に、突破が開始された。

 

 作戦は見事に功を奏し、ファーメイはモンスターの囲みを見事に突破した。後はリドリーだけである。

 ここまで、リドリーは騒ぎつつも、冷静に≪鬼蜘蛛≫の動きを観察していた。小山のような巨体がウソのような俊敏さに、狡猾とも言える冷静さを持っている。≪拳虫≫の大漁に浮かれるでもなく、包囲の外に出さないように幼体の方に追い立てつつ、手近な≪拳虫≫を捕獲している。優秀な狩人だ。常に狩る側であり、狩られる側にはいない。絶対者の自信のようなものが感じられる。つけ入る隙があるとすれば、そこだろう。

 リドリーは、赤い体色をしているので雌だと思える≪鬼蜘蛛≫の注意を引いたまま、≪鬼蜘蛛≫目掛けて突進した。逃げるものを追うことに慣れていた≪鬼蜘蛛≫が、一瞬虚を突かれて逡巡する。

 凶悪な顔面を押し退けながら隙間を抜けると、リドリーは何とか突破に成功した。

 と、思った刹那。もう1匹の≪鬼蜘蛛≫が無意識に繰り出した大木ような脚が、リドリーの身体を横殴りに弾き飛ばした。不意を突かれたため、受け身も取れず倒れ込む。

「リドッ!!」

 ファーメイの悲鳴が響く。

 ≪赤鬼蜘蛛≫の糸がリドリーに襲い掛かろうとした瞬間。≪赤鬼蜘蛛≫の頭部で爆発が起こった。

 その隙に、リドリーはすばやく立ち上がると、一気に突破してみせた。そして振り返る。

 そこには、自身も≪青鬼蜘蛛≫の注意を引いているにもかかわらず、≪赤鬼蜘蛛≫に≪爆裂投げナイフ≫を投げつけた団長の姿があった。それは、当然大きな隙を作ることになる。それを見逃す≪青鬼蜘蛛≫ではなっかた。

 小振りな撃龍槍程もある≪青鬼蜘蛛≫の牙が、団長に襲い掛かる。

 リドリーは流れるような動作でライトボウガンを構えると、簡易照準も出さずに引き金をしぼる。

 撃ち出された銃弾は、狙い過たず、≪青鬼蜘蛛≫の牙の先端を、連続してとらえた。

 巨大な牙の軌道がわずかにそれ、串刺しにするはずだった牙は、団長の防具の表面を、火花を散らして削っただけに終わる。

 直撃は避けられたものの、団長の身体は強力な牙の一振りで弾き飛ばされる。かなりの勢いで飛ばされたにもかかわらず、団長はきれいに受け身を取るとすばやく立ち上がり、それ以上の追撃をくわえる隙を与えない。

「あいつ…。G級を極めたハンターのみが開眼すると言われる秘伝の扉を、上位に上がったばかりで開くかよ」

 団長は、自分に強烈な一撃を叩き込んだ目の前の≪青鬼蜘蛛≫すら目に入らない様子でつぶやいた。

 リドリーが咄嗟にしたことは、技術極まるハンターの、それぞれの個人差によって現れる神技のようなものだった。訓練を積めば誰にでも出来るというものではない。持って生まれた才能の、一つの昇華と言える。

 ハンターたちは、非公式にこう呼んだ。≪個人技・極み≫(コジンギ・キワミ)と――。

 リドリーが行ったものは、その中の一つで、ボウガン個人技・極み≪針穴穿弾≫(シンケツセンダン)というものだった。これは、ライトボウガン、ヘビィボウガン、弓、の3種類の武器を使用する、いわゆるガンナーの間で発現される業である。読んで字のごとく、針の穴を貫き通す程の正確さを持つ狙撃のことで、スコープなどを利用した照準合わせを一切行わず、感覚のみで照準を合わせ、高速で動くモンスターの一点を、正確に集中攻撃する業であった。

 そんなことは何も知らないリドリーが、さらに援護しようとしたとき、救いの手が突進しながら現れた。

 ≪青鬼蜘蛛≫の顔面に、強烈な突進攻撃が突き刺さる。

「大丈夫ですか、団長!!」

「おおっ! 無事だったか! 助かったぞ! それと、君が逃がしてくれた書士隊員は、無事≪鉱山都市≫に辿り着いたからな!」

 どうやら≪鉱山都市≫に急を知らせてくれた書士隊員を護衛していたハンターのようだ。

「本当ですか! よかった!」

 バックステップで距離を取りながらハンターが答える。

 リドリーは危機が去ったと判断し、ライトボウガンを素早く背負い直すと走り出した。団長の危機は去ったが、リドリー自身はいまだに≪赤鬼蜘蛛≫の目の前にいるのだ。

「ファー! 先行してくれ! オレは途中までこいつを引っ張っていく!」

 自分を待って必死に手招きしているファーメイに、指示を出す。リドリーを追う≪赤鬼蜘蛛≫は、おそらく一定以上の距離は追ってこないはずだ。≪鬼蜘蛛≫2匹が作る包囲網に隙間が出来れば、幼体と、それを追う≪拳虫≫の群れが、無秩序に拡散してしまい、捕獲効率が極端に悪くなるからだ。

 リドリーは時に逃げ足を緩め、隙があればわざと引き返すなどして≪赤鬼蜘蛛≫をさんざん引きずり回して時間を稼いだ。

 角笛の音が、混雑した生存競争の場に鳴り響く。

「よっしゃ。頃合いか…」

 リドリーはつぶやくと、≪赤鬼蜘蛛≫を引きずり回すのをやめ、その場を離脱する。角笛の音を、団長が退却した合図と判断したのだ。

 予想通り、≪赤鬼蜘蛛≫はリドリーを深追いしたために生じた包囲のほころびから≪拳虫≫たちが飛び出してくると、リドリーの追跡を諦めて引き返して行った。

 巨大な背中を見送って、リドリーは一息つく。

「団長、角笛なんか吹いて大丈夫か?」

 角笛は、離れた場所にいる仲間に合図を送るときなどに使われることがあるが、基本はモンスターの注意を自分に引きつけるためのアイテムだ。モンスターだらけのあの場所で、そんなアイテムを使用すれば、どんな事態が引き起こされるか想像もつかない。

「まあ、あの人のことだから大丈夫だろう。自分の面倒が見られないような人じゃねえからな」

 リドリーはファーメイと合流すると、北の拠点へ向けて出発した。

 

 二人の背中を、竜人族の優れた視力で見送りながら、団長は微笑した。

「…まったく。頼りになるやつらだ」

「団長! 何か言いました?」

「いや、何でもない。周辺調査に出掛けていた連中を探そう」

 ハンターの問いかけに、団長は表情を引き締めて答えた。

 事態はまだ何も好転してはいない。むしろ、混迷はこれからさらに深まるのだった――。



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最強の救援!!

 ≪鉱山都市≫の北、歩いて4日の森林地帯の一角に、中継用の拠点がある。規模としては、ベースキャンプの5倍程度の小規模のものだ。4人のハンターが常駐し、1ヶ月交代で人員が入れ替わる。広大な面積を誇る南の大陸で、情報交換をすばやく行うために、ホルクが備えられており、北の拠点及び大陸各地に設けられた同様の中継拠点を行き来している。

 こうした中継拠点は、比較的大型モンスターの少ない場所でなければ設置することが難しいため、狩場と認定されているような場所からは、かなり離れて設置されている。そうしないと、本来野生の下で育つと凶暴なホルクが常にストレスにさらされることになり、よくなつき、訓練されているホルクでも、ハンターに対して反抗的になることがあるからだ。ハンターの入れ替えが行われるのは、ホルクのケアも含めてである。

 ここ1週間ほど小型モンスターすら目にしていなかったハンターの目に、疲弊しきった二つの人影が飛び込んできた。まるで二人三脚でもするかのように、互いを支えに歩いてくる。

 見張りに立っていたハンターは、慌てて仲間に伝えると、中継拠点から飛び出した。

 駆け寄って支えようとしてハンターはギョッとした。身体中の全てのエネルギーを使い果たしているにもかかわらず、落ちくぼんだ眼だけが異様に強い光を放っていたからだ。

「おい! 早く手を貸してくれ!」

 駆け寄ったハンターは我に返ると、拠点の仲間をせかし、自分は棒のようにひょろひょろとしている人物に肩を貸す。肩にかかる腕にはまるで力がない。限界をとっくに超えているのだ。

 もう一人のハンターが、見事な鼻を持つ大柄な若者を支える。こちらはカラになった体力の代わりに、命をしぼり出すように、連れを支えていた。

「大丈夫だ! もう支えなくていいぞ! 力を抜け! そうだ! オレに寄りかかれ!」

 ハンターは肩を貸すのではなく、そのまま若者を背負って中継拠点へと走る。もう一人のハンターも、同様に背負って走り出した。

 ベースキャンプに設置されているものと同じ簡易寝台に、休ませようとして二人を横たえたが、二人は言うことを聞かず、休もうとしないので、ハンターは二人に白湯を差し出してやった。疲労しきった身体でも、これなら受けつけるからだ。

 緊急事態が起こったことはその様子を見れば一目でわかる。これ程までに自分を追い込んでここまでたどり着いたのだからよほどの事態だろう。本人たちに自覚はないだろうが、この後の処置を誤れば、二人は過労死しかねない。それ程までに身体を酷使しているのだ。

 白湯を飲んで人心地ついたおかげで、なんとか声をしぼり出せる程度に回復した二人から、衝撃の事実が伝えられる。≪鉱山都市≫が大量のモンスターに包囲されてしまったこと。新獣人種の発見と、その危機的状況の二つだ。

「お前ら、リドリーとファーメイなのか!!」

 ハンターたちが始めに驚いたのが、そこだった。カーシュナーたちは、≪鉱山都市≫へ向かう途中、この中継拠点に補給物資を届けるために立ち寄り、一泊していたのだ。当然その時ハンターたちとは顔を合わせている。それでもわからないくらい、リドリーとファーメイの人相は過労に歪められていたのだ。

「たった1日半で≪鉱山都市≫からここまで来たのか!! 普通4日は掛かるぞ!!」

 リドリーたちのあまりの無茶に唖然とする。この場にいるハンターは、4人共にG級の、二つ名付きの実力者ばかりだが、リドリーたちのマネは、例えしようとしても、とてもではないが出来ない。

 それ以降の状況の激変に対しては、冷静に受け止めていた。リドリーたちにとっては予想もつかないような出来事であったが、彼らはこれ程の事態に対しても心構えが出来ていたということだ。

「北の拠点に、早く連絡を…」

 リドリーがかすれた声で訴える。

「あとはまかせろ! お前たちはもう休め! 冗談抜きで死んじまうぞ!」

「いや、戻らねえと…」

 そう言って立ち上がろうとしたが、リドリーの身体はピクリとも反応しなかった。それどころか、意志に反して倒れ込んでいく。ハンターの一人がその背をやさしく受け止め、ゆっくりと寝かせてやる。

 リドリーの隣りでは、すでに意識を失ったファーメイが横になっている。

「…カーシュ。オレ、やりきれ、た、かな……」

 遠く離れた仲間に問いかけながら、リドリーは意識を失った。

「…充分だよ」

 ハンターのかけた言葉は、カーシュナーの言葉となって、消え去る意識の下に滑り込む。

 安定した呼吸に、ハンターたちは一安心した。このまま止まってもおかしくないほどの疲労だったのだ。

 寝息を立てる二人の顔は、憑りついていた危機感が落ちたおかげで、安らかなものになっていた。

 

 

「オレたち二人が≪鉱山都市≫に向かう。お前らは中継拠点の防衛と、リドリーたちの世話を頼む」

 4人のリーダーと思われるハンマー使いのハンターが指示を出す。その背中では、最高級品のハンマー、≪テスカ・デル・トーレ≫が異様な存在感を放っている。

「見張りの交代要員がいなくなるから、休めなくてきついだろうけど頼むよ」

 リ-ダーに同行する太刀使いのハンターが、残ることになる二人のハンターを気遣う。こちらの背中も、名刀≪叛逆刃ジールレギオン≫が、鋭い刀身を見事なこしらえの鞘の中に納めて飾っている。

「リドリーたちの前でそう言われてもねえ。この二人に比べたら、苦労の内にも入らないよ」

 そう言って笑ったのは、以前カーシュナーに狩猟笛の使い方を教えてくれた狩猟笛使いのG級ハンター、ヨーコであった。クシャクシャになったファーメイの頭を、やさしくなでてやっている。

「あとのことはまかせてください! ヨーコさんとオレだけで充分ですよ!」

 一人歳の離れたハンターが、快活に胸を叩く。他の3人と比べると、武器も防具も、どこかまだなじまないように見える。背負ったチャージアックスは手入れもいいのだろうが、まだ傷も少なく、新品同様に光っている。

 リーダーは、年下の仲間の様子に、つい笑みをこぼした。

「ああ、頼むぜ」

 リーダーから信頼の眼差しを向けられたハンターは、嬉しそうに笑った。

「よし! まずはホルクに飛んでもらおう。四羽共にいたのは幸運だった。ヨーコのホルクに北へ飛んでもらう。一番速いからな。天候次第だが、今日中にギルドマスターに情報を届けたい。残りは近場の中継拠点に救援を呼びに行ってもらう。オレたち二人が加われば、残りの救援が来るまでなんとかなるだろう」

「そうですよ!」

 リーダーの言葉を、なぜか若いハンターが請け負う。先輩ハンターたちに対する尊敬がそうさせるのだろう。こういった若さがこのハンターの実力を低く見せるが、若くしてG級まで上り詰めた実力者である。年齢を考えれば、ハンターとしての才能は先輩たちの上をいくかもしれない。しかし、いまはまだ、先輩たちの領域には達していない。それは、G級の世界をこなして初めて身につく空気のようなものが足りていないのだ。

「おそらく北の拠点まで連絡が届けば、最速で中継拠点の交代要員が来るはずだ。そうしたら二人にもすぐに駆けつけてもらうからな! オレたちがやられちまう前に助けに来てくれよ」

 リーダーはそう言うと、茶目っ気のある笑顔を後輩ハンターに向け、さっそくホルクの準備に取り掛かった。

 

 

「なんじゃとおおぉっ!!」

 ギルドマスターの絶叫が拠点に響く。ホルクを頭上で旋回させているハンターから受け取った救援要請書に目を通したのだ。

「ちょいと、そんなに大きな声を出すもんじゃありませんよ。頭の血管が切れてしまいますよ」

 補給物資についてギルドマスターと打ち合わせをしていた商業ギルドの元ギルドマスター、通称”行商ばあちゃん”が、興奮するギルドマスターをやんわり諌める。

「これが大声を出さずにおれるか! カーシュちゃんが大ピンチじゃ!」

「それを早くおっしゃい!!」

 先程までのやんわりとした口調はどこえやら、ギルドマスターの手から救援要請書をむしり取ると、すばやく目を通す。普段は閉じているのか開いているのかよくわからない目を、クワッと見開いている。

「こりゃ、えらいことですよ!」

 長老二人の大騒ぎに、周囲の者が様子を見に来る。これがギルドマスターと調合師の長あたりのやり取りなら誰も気になど留めないのだが、五大老の最後の良心と謳われる行商ばあちゃんが取り乱しているとなればただ事ではない。

「なんじゃ! あの好色じじぃ、ついに色ボケしてばあさんに手を出しおったか!」

 王立古生物書士隊の元隊長が、ニヤニヤしながらやってくる。

「誰が好色じじぃじゃ! ちゃんと聞こえとるぞ!」

「おおっ! どうやらばあさんの貞操は無事だったようじゃな」

 ギルドマスターの怒鳴り声を、あっさり無視して隊長じいちゃんが続ける。

「貞操! そんなもんとっくの昔になくなってるわい!」

 隊長じいちゃんにギルドマスターが言い返した直後、二人は強烈なフックを続けざまに叩き込まれ、地面に這いつくばっていた。

「何事だい?」

 地面に這う二人の老人をわざと踏みつけて、調合師ギルドの元長がやってくる。その後ろには、分厚い眼鏡を掛けた古龍観測所の元所長がいる。

「これですよ! 見てくださいな!」

 そこに行商ばあちゃんが加わり、三人でギルドマスターと隊長じいちゃんの上で救援要請書を開いた。

「そ、そこを退かん…か。おま、お前ら、見た目より、重いん……」

「あひぃ~~!!」

 最後まで言葉が続かなかったのがギルドマスターで、世にも奇妙な声を上げたのが、行商ばあちゃんに股間を踏み抜かれた隊長じいちゃんだった。

 下の二人が動かなくなってもおかまいなしに救援要請書に目を通していた三人は、読み終わると二人の上から降り、真顔で二人を引きずり起こした。

「こりゃあ、ふざけとる場合じゃなかったわい」

「うんむ。急いで手を打たんと死人が出るぞ!」

「い、いま出かかったわい」

 息も絶え絶えに、ギルドマスターがツッコむ。

 隊長じいちゃんは、近くにいたハンターに腰を叩いてもらっていた。

「わしゃ気球の準備をしてくるわい」

 そう言うと所長じいちゃんがその場を離れる。操縦者を入れて3人しか乗りこめない小型のものだが、それでも地形に関係なく移動できる気球は最速の移動手段だった。

「頼むぞい!」

 所長じいちゃんの曲がった背中にギルドマスターが声を掛ける。

「現場にはわしと隊長の二人で出向く。非番のハンターを緊急招集じゃ! それと、チヅルと白い獣人殿を探してくれ! 確か周辺海域を一緒に調査しておったはずじゃ! あと、赤玲(セキレイ)の居場所はどこじゃ!」

 ギルドマスターが矢継ぎ早に指示を飛ばす。最後の問いかけに、かつて受付嬢を務めていた女性調査団員が答える。

「≪六花湖≫(リッカコ)の調査に一昨日向かいました」

「しめた! 途中で拾えるぞい! 中継拠点にホルクを飛ばして、赤玲が来たら待たせるように伝えるんじゃ!」

 ≪六花湖≫とは、≪巨木林≫の南東。≪鉱山都市≫の東に位置する狩場で、巨大な湖であった。複雑な形状をしており、上から見るとまるで六枚の花弁を持つ花のように見えることから≪六花湖≫と名付けられた水中主体の狩場である。ここにしか生息しないモンスターが多く、現在≪鉱山都市≫と並んで調査に重点が置かれている。

「あのフーテン娘が捕まえられれば一安心じゃろう。天の配剤とはこのことよ。カーシュちゃんの日頃の行いが良いからじゃろうな」

「そうですねえ。あとは時間だけが問題ですよ」

 調合師の長の言葉に、行商ばあちゃんがうなずく。

「さあ、私たちは補給品の手配をしてしまいましょう」

 そう言うと行商ばあちゃんと調合師の長の二人は、足早に作業の監督へと向かった。

「お前さんは後から白い獣人殿を連れて合流してくれ」

 ようやく下腹部の痛みから解放された隊長じいちゃんに、ギルドマスターが声を掛ける。ギルドマスターは気球で≪鉱山都市≫に急行するのだ。

「任せておけい。中継拠点でハンターを入れ替えて、最速で≪鉱山都市≫へ駆けつけてやるわい」

 隊長じいちゃんが、先程までの醜態がウソのように頼もしく請け合う。

「よし! 後は大陸最強のハンターを拾うだけじゃ!」

 

 

「あたし、いつまで待っていればいいの~」

 先程から、同様の不満の声が中継拠点で連発される。

「もう少しの辛抱だ。それにギルドマスターの緊急要請なんだから我慢しろ。気球で迎えに来てるんだから、もうすぐ来るだろ」

 不満の主を、年配のハンターがなだめる。

「さっきもそう言ったじゃん!」

「5分前にな! そんな間隔で聞いてこられても他に言い様なんてあるわけないだろ!」

 ピシャリと言い返されて、不満の主は子供のように頬を膨らませて不満の意を示した。

 不満の声の主は、見たこともない素材を用いて作成された大剣を背負った竜人族の女性だった。長い耳の先端に、大ぶりのピアスが着けられ、その重みでペロッと垂れ下がっているのが何気に可愛らしい。頭部の防具はどうやらそのピアスだけのようで、ヘルムはどこにも見当たらない。それ以外の首から下の装備は、特にこれといった共通のデザインが見られないことから、スキル構成重視で選ばれた、別々のモンスター素材で作成された防具のようだ。どの装備も赤を基調としているので、燃えるような赤髪と相まって、全体的な印象は特にちぐはぐとはしていない。デザインがバラバラの装備は、その全てが武具工房がハンターに提示している装備とは異なっており、おそらく、G級ハンターにすら公開されない災害クラスのモンスター素材で作成された一点ものだと考えられる。

 装備品の全てがハンターズギルド管轄外の、特別な武具に身を包んだこの人物が、北の大陸で最強のハンターとして知られる赤玲であった。もっとも、正確にはハンターズギルド所属のハンターではないので、赤玲の存在を知る者は少ない。赤玲はただ一人で、一個のハンターズギルドと同等の権限を有する存在なのだ。

「もういい! ギルマスなんか待ってるくらいなら、走っていった方が早いよ!」

「ここから先は山越えになるんだから早く行けるわけないだろ! 頼むから待っててくれ! 気球が来た時にお前を探し回っているような時間はないんだからな!」

「だって~。カーシュ君が心配なんだよ~」

「オレだって心配だよ! 本当ならな、赤玲、お前さんじゃなくてオレが助けに行きたいんだよ!」

 二人の苛立ちの原因は、どうやらカーシュナーを心配するあまりのもののようだ。≪鉱山都市≫の状況を聞いたうえで、行動ではなく待機を言い渡されれば、苛立つのはやむを得ないことと言えた。

「早くこいよ~! じじぃ~~!!」

 忍耐が限界に達した赤玲が、苛立ちを空に放つ。

「あっ!」

 その時、真上に点にしか見えないものが、竜人族の優れた視界に飛び込んでくる。

「誰がクソじじぃじゃあ!!」

 晴天の空から、落雷並の怒号が降ってくる。

 気球に気がついた赤玲は驚かなかったが、一緒にいた年配のハンターはぎくりとして空を振り仰ぐ。ハンターの目には、気球の姿はまだ確認できない程の上空にあった。

「なんだ!?」

 ハンターが当然の疑問を口にする。

「ギルマスが来たみたいだね。じじぃのくせにとんでもない地獄耳だな~」

 二人が見上げる中、気球は徐々に高度を下げ、中継拠点へと降りてくる。上空はかなり風が強いようで、何度も煽られるが、最後にはピタリと中継拠点へと降りてくる。たいした操縦技術だ。

 気球から固定用のロープが投げ下ろされ、3メートルほどの高さで固定されると、今度は縄梯子が降りて来る。それを伝ってギルドマスターが猿のような身軽さで降りてくる。

「誰がクソじじぃじゃあ!!」

 降りて来たと思ったら、第一声がこれである。

「クソはつけてないよ」

「そうじゃったか?」

「うん。じじぃって言っただけ」

「なら、ええわい」

「いいんですか!!」

 二人の会話の着地点に引っかかったハンターが、思わずツッコむ。普段の彼を知る者なら、誰もが驚いただろう。そんなキャラではまったくないのだ。

「無駄口叩いとらんでさっさと燃料持って上がってこんか!」

 ゴンドラの縁から顔を出した古龍観測所の所長が、下に向かって怒鳴りつける。普段の分厚い眼鏡をゴーグルに付け替えているおかげで、カエルのような顔になっている。

「所長自ら操縦ですか! ご苦労様です!」

 目の上に手でひさしを作りながら、ハンターがあいさつする。彼は一流のG級ハンターであると同時に、古龍観測所の職員でもあるのだ。

「おおっ! お前さんこそご苦労じゃったのう。フーテン娘が手をかけたじゃろう?」

「あと半時も遅ければ飛び出していたと思いますよ」

 所長じいちゃんの問いかけに、ハンターは苦笑と共に言葉を返した。

「しょうがないじゃん! ギルマスが遅いのがいけないんだよ! じじぃのくせにしゃしゃり出て来ないで、チヅルあたりに任せればいいんだよ!」

「やっかましいわい! あれは周辺海域の調査に出ておったから無理じゃ! それに、いたとしても誰がまかせるか! あれは責任感はあるかもしれんが、基本どんぶり勘定で物事を測るから安心できんのじゃ!」

 ギルドマスターから”あれ”呼ばわりされているチヅルとは、ここ南の大陸を発見した海上商人兼ハンターの竜人族の女性で、独特のリズムでしゃべる、かなりクセの強い人物である。

「チヅルで思い出した! あれと一緒に白い獣人殿も陸路で来られるからのう。ここに情報を集めるように指示を出しておいたから、着き次第状況説明出来るようにしておいてくれ!」

「わかりました。それじゃあ、燃料はオレが上げますね」

 気球の燃料を入れた瓶を示しながらハンターが言う。

「心配いらん。これぐらい軽いもんじゃい!」

 そう言うと、ギルドマスターは自分の身体程もある瓶を背負って、降りて来た時以上にスルスルと縄梯子を登って行った。

「みんなを頼む」

 ギルドマスターに続いて縄梯子に手を掛けた赤玲に、ハンターが声を掛ける。

「ま~かせといて!」

 ウインクを一つ返すと、赤玲もまるで体重がないかのようにスルスルと縄梯子を登って行った。

 縄梯子が引き上げられ、ハンターが係留していたロープを外すと、気球はズンズン上昇して行き、風を上手く捉えたのか、あっという間に南の山向こうへと姿を消してしまった。

「…頼むぞ、最強」

 見送ったハンターが、最後に尊敬と信頼を込めてつぶやいた。

 

 

 瓦礫の隙間から、無理矢理身体をねじ込もうとしていた≪拳虫≫(コブシムシ)の頭部が、巨大な刀身がしならんばかりの勢いで振り下ろされた大剣に、頭部を護っていた頑丈な外甲殻もろとも叩き割られ、周囲を体液で汚す。

 頭部を失った後もしばらく足掻いていた≪拳虫≫が動くことをやめ、≪鬼蜘蛛≫(オニグモ)の幼体に引きずられて去って行く。≪鬼蜘蛛≫の幼体が、この後地上から胃袋へ、きれいに掃除してくれるはずだ。

 前線から一旦退き、ハンナマリーは大剣に砥石をかける。

「自慢の怪力に、さらに磨きがかかったんじゃないか?」

 若干あきれた様子で、携帯食料にパクついていたハンターがハンナマリーに声を掛ける。

「そうかい?」

 自覚がないので他に言い様がない。

「そうさ! いくら中型モンスターって言っても、上位武器で一撃で仕留めるなんてことは出来ないぜ」

「団長はほとんど全部一撃だよ?」

「団長は特別だよ。ハンターとしての技量が違うからな。それに、同じ大剣でも性能が根本的に違う。ハンナマリーの大剣って”白”ないだろ?」

「ないよ。上位に上がって1段階強化したから”青”は付いたけどね」

「それ、ほとんど下位武器と変わらないだろ! よくそれで立ち回れるな! 弾かれまくるだろ?」

 切れ味について質問していたハンターが、大袈裟に驚く。てっきり武器は上位で強化可能な限界まで鍛えてあると思っていたからだ。実際ハンターの言う通りで、下位最大強化の武器と、上位強化したての武器の性能差は、攻撃力が若干上がり、切れ味が僅かばかり上昇する程度で、体感的にはちょっと立ち回りやすくなった程度の差しかない。

「弾かれない場所を攻めればいいのさ」

 難しいことを簡単に言ってのける。

 携帯食料をもう一つパクついていたハンターが吹き出しそうになる。

「…普通は、それが難しいから強化するんだぞ」

 のどに詰まった携帯食料を水で流し込みながらハンターが言う。

「最初から腕が立ちすぎるのも考えものだな。ギルドマスターが、お前らが紙みたいな装備で狩猟に行くって嘆いていた気持ちがようやくわかったぜ」

「これでも気をつけるようになったんだよ」

「ギルドマスターに頼み込まれたからだろ? 自分では武器や防具の強化の必要性をたいして感じていなかっただろ?」

「まあね。でも、獣人たちの故郷を荒らしまわっていた真紅のモンスターを見てからは違うよ。生物としての根本的な強さの違いを痛感させられたからね。いまの装備で勝つのは難しいってことはわかるよ」

「ものすごく遅いけど、わかっただけマシだな。普通は下位の時点で気がつくことなんだけどな」

 そう言うとハンターは立ち上がった。砥石を掛け終わったハンナマリーも立ち上がる。

「おい、スタミナもついでに回復しておけよ。そのくらいの時間はちゃんと稼いできてやるからよ」

 一緒に前線に戻ろうとしたハンナマリーを、ハンターが止める。ハンナマリーは素直に従い礼を言った。

 狂乱の谷から戻って3日目の朝になる。

 ≪鉱山都市≫の外側は、相も変わらず生存競争の地獄絵図を、新たなモンスターの体液で上書きしていた。

 当初はモンスターが≪鉱山都市≫に一気になだれ込んでくるかと思われていた。事実≪鬼蜘蛛≫の幼体が殺到して来たときはとんでもない圧力だったらしい。

 ハンナマリーたちが≪鉱山都市≫に帰還した時には一段落着いた後だったので、どれほど大変だったかわからないが、瓦礫で作った防護柵の隙間から無理矢理入り込もうとして来る≪鬼蜘蛛≫の幼体を、片っ端から叩き潰していったらしい。甲殻と呼べないほどにもろい外殻をしているので、≪拳虫≫でなくてもハンターが蹴りつけるだけで潰すことが出来るので、討伐すること自体は簡単だった。しかし、いかんせん数が多すぎる。それは次第に狩猟ではなく、完全な駆除作業と化し、終わりの見えない無間地獄の始まりとなった。

 潰れた幼体の身体から体液が流れ出し、雨水が入り込んでこない構造になっている≪鉱山都市≫の入口に、生臭い小川を作って流れ下って行った。

 当然ハンターも体液まみれになる。幼体の一波が去ったと思ったら、今度は体液の臭いに誘われた≪拳虫≫が殺到し、ハンターに襲い掛かって来る。≪拳虫≫は幼体と違って防護柵を崩そうとしてくるので、すばやい対応が必要だった。

 これを、もう、都合4日間繰り返していた。

「ふう! お疲れさん」

 携帯食料に手を伸ばしていたハンナマリーに、団長が声を掛けてくる。

「休ませてやれなくてすまんな」

 大剣≪ブラックミラブレイド≫を下ろし、砥石を取り出しながら団長が言う。どうやら団長の大剣も切れ味が鈍ったらしい。

「いや、適度に仮眠とか取らせてもらっていますよ。団長こそ、不眠不休で大丈夫なんですか? みんな心配していますよ」

 携帯食料を頬張りながら、ハンナマリーが答える。

「まだ、大丈夫だ。1週間くらいなら問題ないからな。思ったほど集中的に攻め込まれなかったおかげでだいぶ助かったし、体力が限界に達する前に援軍が来てくれるだろう」

「間に合いますかね?」

「大丈夫だろう。リドリー君たちも今日ぐらいには中継拠点に到着するだろうし、そうなれば、中継拠点のハンターが、おそらく二人抜けてこちらに駆けつけてくれるはずだ。そうすれば≪鬼蜘蛛≫をかく乱してくれるだろうから、包囲の輪がほころんで、幼体と≪拳虫≫が拡散されるだろう。そうなれば、我々に掛かる負担はかなり軽減されるはずだ」

「そうですね。じゃあ、もう一仕事こなしてきます」

 二つ目の携帯食料をほうばると、ハンナマリーは立ち上がった。

「頼むぞ」

 砥石をかけ終った団長が、携帯食料を出しながら答えた。

 団長はスタミナの回復を終えると、たいして休むこともなく立ち上がった。前線に戻るとハンナマリーが新たに現れた≪拳虫≫に大剣を振り下ろす瞬間に出くわす。

 振り下ろされた一刀が、見事に≪拳虫≫の頭部を断ち割る。

「!!!!」

 団長は驚きに目を見張った。

「ハンナマリー! 今日は絶好調だな!」

 ハンナマリーの隣りで≪鬼蜘蛛≫の幼体を一度に4体葬っていたハンターが、ハンナマリーに声を掛ける。

「毎日こいつらの相手だからね。慣れもするさ」

 彼らには、まだ、団長の驚きの理由はわからないだろう。ハンナマリーが当たり前のようにしていることが、上位を越え、G級すらも超えた先で、限られた者にのみ開眼しうる境地であることを――。

 大剣使いとハンマー使いにのみ開眼しうる業――。

  

 ――大剣、ハンマー個人技・極み≪撃砕≫(ゲキサイ)

 

 急所を重量武器で一撃で破壊する、ハンターの常識を打ち破る攻撃である。無条件で発動する超能力のようなものではもちろんなく、甲殻や鱗の隙間、部位破壊された傷口などの、点のようにしか存在しない脆弱な箇所に、モンスターの力を利用するカウンターでクリティカル攻撃を叩き込み、力の全てを最も弱い箇所に集中することによって初めて可能となる神業である。

「リドリーといい、ハンナマリーといい、どうなっているんだ? ハンターの常識が、新大陸と出会ったことで変わり始めているのか?」

 ハンター歴わずか1年にも満たないハンナマリーたちの飛び抜けた成長に、団長は驚きを通り越して呆れかえってしまった。

「何か言いましたか?」

 ハンナマリーが声を掛けてくる。

「なんでもない! みんながあまりに頼りになるものだから、少し抜けさせてもらおうかと思ったんだ!」

「ぜひ、そうしてください!」

 周囲のハンターが声をそろえて答える。団長はそれだけの働きをしているのだ。

 団長はずいぶんと周囲に心配をかけていたことに苦笑する。

「ここはまかせる。一度坑道口の様子を見てくる」

 団長は、リドリー、ハンナマリーの他にいる、もう一人の逸材の様子を見に向かった。

「さすがにカーシュ君はまだだろうな…」

 口では、そう言いつつも、心のどこかで、(まさかな…)と、完全に否定できないでいる自分に、団長は気がついていた。

 

 

 団長の予想に反して、もう一人の逸材であるジュザは、開眼することもなく、割り当てられた坑道口の持ち場から離れ、獣人たちの面倒をみているカーシュナーを手伝うために、≪鉱山都市≫中央の公共施設の跡地に来ていた。

 坑道口からもモンスターが押し寄せて来るかと思われていたが、その気配は全くなく、1日に1匹、≪尖貫虫≫(センカンチュウ)が出現する程度で、坑道口があるエリア1に姿を現すことも滅多になかった。

 だからといって、絶対に≪鉱山都市≫内に侵入して来ないとは言えないため、警戒を解くわけにもいかないので、4人のG級ハンターとジュザの5人で警備に当たっていた。だが、あまりにも何も起こらないので、G級ハンターたちがカーシュナーの手伝いに行くことを勧めてくれたのだ。

 カーシュナーはと言うと、カーシュナーが離れると獣人たちが不安がるので防衛戦には加わらず、負傷した獣人と、幼い獣人たちをヂヴァとモモンモに手伝ってもらいながら面倒をみていた。

 ジュザに気がついたヂヴァが声を掛けてくる。

「そっちの様子はどうだニャン?」

「変化なし。そっちは?」

「子供たちの好奇心が強すぎて、見失わないようにするのが一苦労ニャ!」

「落ち込むより良い」

「そうだニャ」

「手伝えることはあるか?」

 ジュザの問いかけに、答えの代わりに獣人族の子供が3人放り投げられる。全員器用にジュザに取りつくと、さっそく頭と肩に陣取った。

「子守を頼むモン!」

 放り投げた張本人が言う。モモンモ自身も、その小さな身体で3人の獣人族の子供を頭と背中に乗せて面倒をみていた。

 ヂヴァは助けた二人の子供に両手を取られている。

「ジュザ! 手伝いに来てくれたの?」

 こちらも身体中に獣人族の子供を張りつけたカーシュナーが、ジュザに気がつきやって来る。その腕には、謎のモンスターに母親を奪われた幼子が抱かれ、静かな寝息を立てている。

「ヒマだから」

「忙しい方が困るけどね」

 ジュザの答えに、カーシュナーが笑顔で応じる。

「何で坑道の方にはモンスターが現れないと思う?」

 ジュザがこれまでの疑問を口にする。

「≪鬼蜘蛛≫の幼体が入ってこないってことは、きっと坑道の枝道は外とつながっていないんだろうね。ボクたちが使った枝道は、自然洞窟と枝道の間が崩落して偶然つながったみたいだし、他に入口がないのなら、≪拳虫≫なんかも入ってこないのは理解できる」

 カーシュナーの言葉に、ジュザがうなずく。

「でも、峡谷にいたモンスターたちが出現しないのはおかしいよね。真紅のモンスターとかが、地下を移動する能力がないんなら少しは理解できるんだけど、≪尖貫虫≫は基本地下移動だからね。あの狭い峡谷で、あきらかに自分より格上のモンスターを相手に縄張り争いなんかしなくても、坑道に来ればいい。他に強力なモンスターがいるわけじゃないんだからね」

「オレもそれがずっと気になってた」

「来れるのに、来ない。峡谷の異常事態に、何か関係があるのかもしれないね」

「わかるか?」

「さすがに無理。情報が少な過ぎて推測も立てられないよ」

「だな。とりあえずは表の騒ぎが治まってからだな」

「うん」

 二人の会話は、じゃれついて来た獣人族の子供によって中断された。

 

 

 この日の深夜。≪鉱山都市≫入口に掛かっていたモンスターによる圧力が、突然軽減された。入口に殺到して来るモンスターの数が明らかに減少したのだ。

 山岳地帯を埋め尽くした≪鬼蜘蛛≫の幼体は、時間差で孵化したため、実は混乱当初よりその数を増していた。おそらく1万をはるかに超え、各地を埋め尽くしている。リドリーたちが遭遇したつがいの≪鬼蜘蛛≫だけではなく、別の≪鬼蜘蛛≫ファミリーも、この生存競争のバカ騒ぎに参加しているのだ。

 ≪鬼蜘蛛≫の幼体が、蹴りつけられただけで死んでしまうほど甲殻が軟らかいのには訳があった。それは、異常なまでの成長速度に関係があり、当初はモスほどの大きさしかなった幼体が、4日を経過した時点で、もっとも大きく育った個体が、ネルスキュラ程のサイズにまで達していた。

 この生存競争は、共喰いが基本である。弱い個体が強い個体の糧となり、≪拳虫≫の胃袋から逃れることに成功した幸運な個体が、今度は≪拳虫≫を捕食する側にまわる。この喰い合いは、個体数が一桁に達するまで続き、生き残った僅か10匹にも満たない≪鬼蜘蛛≫が、この大陸の絶対者の椅子に座ることになる。

 我が子の厳選が終わるまで、親の≪鬼蜘蛛≫の包囲が解かれることはない。絶対数が減るどころか、増えているにもかかわらず、≪鉱山都市≫入口の圧力が軽減したのは、リドリーたちの急報を受けて駆けつけたG級ハンターの二人が、≪鬼蜘蛛≫をかく乱し、包囲の輪を緩めることに成功したからだ。これまで≪鉱山都市≫方向に流れていたモンスターたちが、包囲のほころびを突いて拡散する。

 怒り狂った≪鬼蜘蛛≫が猛反撃に移ったが、二人のハンターは欲張らず、さっさと後退して≪鬼蜘蛛≫の怒りをいなしてしまう。そうなると包囲の輪が再び締まり、≪鉱山都市≫入口の圧力も再度上がるのだが、≪鬼蜘蛛≫の怒りが治まる絶妙なタイミングで二人のハンターが再度≪鬼蜘蛛≫に攻撃を仕掛け、包囲の輪をけして締めさせず、ゆるゆるのままにすることに成功していた。

 明け方にはついに押し寄せてくる幼体は姿を消し、≪鉱山都市≫入口の防衛戦に一旦区切りがついた。たった二人のハンターが加勢に来ただけで、事態がこれほどまでに好転する。G級ハンターの実力を示す出来事だった。

 防護柵の一部を取り除き、ハンターたちは5日ぶりに日の光の下へと出る。見渡してみると生存競争の混沌はいまだに収まる気配はなく、単に騒動の中心が、≪鉱山都市≫の入口から移動しただけであった。

 遠くで≪鬼蜘蛛≫が、小山のような巨体で暴れまわっているのが見える。どこかから、ライトボウガンの銃声が響いてくる。

「リドだ!」

 朝の空気に、カーシュナーの声が響く。獣人たちが外に飛び出してしまったため、追いかけてきたのだ。その隣にはジュザもいる。

「本当か? カーシュ君。リドリーなら昨日あたり中継拠点に到着したはずで、今ごろは疲労困憊しているはずだが…」

 団長がカーシュナーに尋ねる。

「間違いないです。もし昨日リドリーたちが中継拠点に到着したのなら、昨日の内に救援が来ているはずがありません。予定よりかなり早く救援要請を届けてくれたはずです。であれば、リドが任務を達成したと言ってゆっくり休むはずがありません。最低限の体力が回復次第引き返して来るはずです」

「なるほど。確かにそうだな」

 団長も、リドリーがとんでもない早さで中継拠点に辿り着いてくれたことは、予想よりもはるかに早く到着した救援で悟っていた。だからこそ、身体は極限まで酷使され、とてもではないが引き返して来るような力はないと思っていたのだ。

「今回は、あいつが一番無茶したみたいだね」

 ハンナマリーの言葉に、どこかから、ファーメイのバカでかい声が風に流されカブってくる。

「あと、ファーメイもね」

 カーシュナーが苦笑しながら、姉の言葉に付け足す。

「まったくだ」

 ジュザも笑いながら同意する。

 その時、北の空に気球が姿を現した。

「カ~シュちゃんや~い!」

 ファーメイも顔負けの大声が、まだ夜の名残りを残した藍色の空から降ってくる。

「ギルドマスター!?」

 これに驚いたのは、名前を呼ばれたカーシュナーではなく、団長の方だった。

 上空は風の流れが速いのだろう。グングンと気球が近づいて来る。高度を下げていた気球が不意に向きを変え、暴れまわる≪鬼蜘蛛≫の上へと向かう。≪鬼蜘蛛≫は射程距離の長い攻撃を有しているので、下手に近付くのはかなり危険なのだが、ここからでは警告のしようもないので、固唾を飲んで見守るしかない。

「あっ!! 誰か飛び降りた!!」

 目の良いカーシュナーが叫び声をあげる。

 高度を下げたとは言え、狩場の断崖から飛び降りるよりもはるかに上空である。いくら頑丈さが売りのハンターでも限度というものがある。その高さは、冷静なカーシュナーが思わず声を上げる程の高さだったのだ。

「赤玲か!? 無茶をしおって! 全員≪鬼蜘蛛≫の討伐に向かうぞ!」

 カーシュナーよりさらに目が良い団長が、投身自殺に等しいダイブを敢行したハンターに気づき、その場の全員に号令を下す。

 先頭を切って走り出した団長の背中に全員が続く。途中うろついていた≪鬼蜘蛛≫の幼体と≪拳虫≫が絡んできたが、どれも一刀のもとに切伏せてしまう。

 飛び降りたハンターの影が≪鬼蜘蛛≫の上に落ち、ゆっくりと拡大されていく。

 影と実体が再会した瞬間――。

 団長も含めた全てのハンターが足を止め、棒立ちになって目の前の光景に見入る。

 赤玲は気球から≪鬼蜘蛛≫目掛けて飛び降りると、空中で抜刀し、ジャンプ斬りの要領で武器出し攻撃を≪鬼蜘蛛≫に見舞った。そして、その一刀で大陸屈指の強力モンスターの首を跳ね飛ばしてしまったのだ。

 太刀のように切れ味鋭く切断するのではなく、重量を利用して断ち割る大剣の一撃を受けた≪鬼蜘蛛≫の首は、首の付け根で巨龍爆弾でも爆発したかのような勢いで宙を飛んで行く。

 

 ――大剣個人技・極み≪断頭≫

 

 同じ竜人族の超一流ハンターである団長にも出来ない、赤玲のみが操ることが出来る大剣の秘技である。赤玲の他に、この業を使用した公式記録は、大老殿にその巨体を構える大長老が、かつてラオシャンロンの首を一刀のもとに切り落としたいう伝説があるのみである。

 その後≪鬼蜘蛛≫は驚くべき生命力でしばらくの間暴れまわっていたが、そこに明確な意思はなく、滝のような勢いで流れ出ていた体液が身体から流れ出てしまうとついに動きを止め、山が崩落するかのように8本の脚が力を失い倒れた。

 連れ合いを倒された≪青鬼蜘蛛≫が赤玲に的を絞って攻撃してくるが、その攻撃を全てギリギリで見切ってかわしてしまう。離れて見ていると当たっているようにしか見えないのだが、ミリ単位の見切りで、河面を流れる木の葉が水面に突き出た岩などに当たらず、その周囲に沿って流れ抜けるかのように、するりとかわしていく。

 初見のモンスターを相手にこれをやってのけるのだから、赤玲の実力がハンターの枠から、はるかに突き抜けているのが良くわかる。

 

 ――ハンター個人技・極み≪一重・流れ木の葉≫(ヒトエ・ナガレコノハ)

 

 優れた動体視力だけではなく、空気の流れ、音、においなど、五感を駆使し、気配を読む六感をも含めた予測から導き出される一瞬先の未来を、完全に支配できる身体能力があって初めて実現可能な業である。

 G級ハンターの中には無意識の内に体得、使用している者が多数いる個人技であるが、赤玲レベルで体得している者はさすがにいない。超凄腕の竜人族ハンターである団長も、1センチ以下での見切りはさすがに不可能であり、普段は不測の事態を憂慮して、10センチ以上は距離を取るようにしている。

 初見の強力モンスターをミリ単位の見切りで捌きながら、赤玲は巨大な脚の間をすり抜け、巨体の下をかい潜り、いつの間にか≪青鬼蜘蛛≫の側頭部付近に現れると、抜き放った大剣の腹でしたたかに殴りつける。驚いたことに、その一撃で≪青鬼蜘蛛≫は目を回し、気絶してしまった。

 赤玲はそのまま”溜め”に入る。一段階、二段階、そして三段階を過ぎてもさらに力が蓄えられていく。段階で言えば七段階まで高められた力が、気絶してもがいている≪青鬼蜘蛛≫の首筋に叩き込まれる。

 ほんのわずかな隙間しかない頭部と胴体の連結部に、1ミリの狂いもなく赤玲の大剣が振り下ろされ、大木が山崩れで一瞬にしてへし折られるような、圧倒的な力を感じさせる音と共に振り抜かれる。

 

 ――大剣個人技・極み≪開錠・七星門≫(カイジョウ・シチセイモン)

 

 大剣の溜め攻撃は本来三段階までである。三段階目を超えて力を溜め続けようとしても、集めた力は拡散してしまい、威力は下がってしまう。それは自らの肉体を自らの力で傷つけないために設けられた力の流れを司る門が、肉体を守るために閉じることによって引き起こされる現象である。

 この力の流れに気づき、門の存在を認識できた者が、意志の力で本能を説き伏せ、門を開錠することにより、より多くの力を引き出すことが出来る大剣秘技の秘中の秘である。引き出された力を制御するには、持って生まれた強靭な肉体を極限まで鍛え上げ、力を溜める肉体の器を広げることが重要である。

 もし、引き出した力が肉体の器からあふれると、自らの力で全身の筋肉を引き千切ることになる。人間よりもはるかに優れた肉体を持つ竜人族ですら、四星門を開ける者は稀の高難度な業だ。

 赤玲は、そんな高難度業である≪開錠・七星門≫を使いつつ、≪断頭≫を行うという超高難度な複合技を使ったのだ。

 人知を超えた業の前に、大陸屈指の強さを誇る≪鬼蜘蛛≫のつがいは、夫婦ともに一刀で首をはねられ討伐されたのであった。

「……あんな強さがあるのか」

 同じ大剣使いであるハンナマリーが、茫然とつぶやく。

 カーシュナーもジュザも、離れた場所から同じ光景を目の当たりにしたリドリーも、声も出せずに目の前の光景に見入っていた。そして異口同音につぶやく。

「あそこまで行けるのか…」

 その言葉を耳にした団長が思わず振り返る。

 そこには好奇心と憧れを混ぜ合わせた興奮に、頬を上気させた顔があった。

 正直、団長には自分と赤玲の実力差の距離を測る感覚はない。自分と赤玲の間には、努力では越えられない高い壁の存在が感じられるだけだった。しかし、カーシュナーたちは、赤玲と自分たちとの距離を認識し、そのはるかな距離に驚嘆し、素直に憧れていた。そして、赤玲のいる場所まで行こうとする明確な意志を、ごく当たり前に持っている。

 自分が追いかけることを諦めた背中を、嬉しそうに追いかけようとする若きハンターを前にし、団長は泣きながら大笑いした。当の昔に忘れたと思っていた悔しさが、いまも自分の中にあることを見つけてしまったからだ。

「…ボクも強くなりたい」

 カーシュナーが無意識にこぼした言葉に、団長も大きくうなずく。

 ≪鉱山都市≫を包囲した超大量発生による危機は、赤玲によって、ものの1分もかからずに収束されたのであった。



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新しい絆

「なんということじゃ…」

 普段はエネルギーの塊のようなギルドマスターは、全身の活力を失い、見た目通りの小さな老人に戻ってうなだれた――。

 

 

「王立古生物書士隊! このでかい蜘蛛の素材保存頼むよ! 絶対数が少ないから、今後討伐許可なんて当分おりないよ! このチャンスを逃したら、後から来る隊長に大目玉を食らうからね!」

 あっという間に2匹の≪鬼蜘蛛≫(オニグモ)を討伐してみせた赤玲(セキレイ)が、自身も素材をはぎ取りながら≪鉱山都市≫から駆けつけてきたハンターたちに声を掛ける。

 神業を目にして興奮状態だった王立古生物書士隊の隊員たちが、ことの重大さに気がつき、幾人かが≪鉱山都市≫へと保存液を取りに戻って行く。

「あっ! カーシュ君いるじゃん! 無事だったんだね!」

 ハンターの中にカーシュナーの姿を見つけると、赤玲は嬉しそうに声を掛けた。

「お久しぶりです。赤玲さん」

 外に飛び出した獣人族を引き連れて、カーシュナーはあいさつを返した。

「君も早く剥ぎ取りな!」

 赤玲に剥ぎ取りを勧められたが、カーシュナーは首を横に振った。

「せっかくですが、遠慮させていただきます。ボクたちは実力に見合った素材を集めて強くなりますから」

「ああ、そう言えば、カーシュ君たちは素材をもらわない方針だったっけ。そんな人北の大陸には滅多にいないから忘れていたよ。じゃあさ、研究用素材の剥ぎ取り保存手伝ってよ。素材の細胞分解が進んじゃうと保存液が効かなくなっちゃうからさ」

「そういうことなら喜んで」

 カーシュナーは赤玲の隣りに行くと、さっそく剥ぎ取り用ナイフを取り出し解体作業に入る。それを見た獣人たちも、石ナイフを用いて手伝い始める。

「わぁお! 何この子たち! 剥ぎ取りメチャクチャ上手いじゃん!」

 周囲にいたハンターたちも、思わず手を止めて見とれるほど、獣人たちのナイフさばきは見事なものだった。カーシュナーは剥ぎ取り用ナイフをしまうと、獣人たちが解体していく素材に保存液を塗り付ける作業に専念することにした。その様子を見た他のハンターたちも、剥ぎ取りの手を止め、素材の保存作業に移って行く。

 剥ぎ取り作業があらかた終わった時には、周囲の生存競争はその中心を≪鉱山都市≫のかなり北に移していた。間がいいのか悪いのか、全体の流れから取り残された≪鬼蜘蛛≫の幼体が、ちらほら見受けられる程度で、≪拳虫≫(コブシムシ)にいたっては1匹も見当たらない。

 ≪鉱山都市≫の安全が確保された途端、好奇心が復活した王立古生物書士隊の隊員と古龍観測所の職員が、この異常とも取れる生存競争の調査のため、ろくな休憩もしないで調査に向かって行った。ギルドマスターと共に気球を操作してやって来た古龍観測所の所長じいちゃんも、二人の助手を乗せて空へと向かっていた。

 リドリーはカーシュナーたちとまともに合流も出来ないうちに、≪鬼蜘蛛≫の生存競争の調査に向かうファーメイに強引に連れていかれてしまう。

 ギルドマスターが、改めて獣人族にあいさつと、解体を手伝ってくれたことに礼を言う。言葉は通じないが、思いは正しく伝わったようで、獣人たちから歓迎している空気が流れてくる。

「カーシュちゃんや。とんでもないトラブルの連続でまともに休養出来ておらんじゃろう? この獣人たちもゆっくりと休ませてやりたい。≪鉱山都市≫に戻ってから話を聞かせておくれ」

 カーシュナーはうなずくと、獣人たちを連れて≪鉱山都市≫へと向かった。獣人の子供たちに両手を引かれて、ギルドマスターはデレデレしながらその後に続く。モモンモたちにも甘かったが、どうやらギルドマスターは、子供や小型の獣人たちにかなり甘いようだ。

 まだ、地平線から顔を出したばかりの朝日に照らされながら、長い影を引き連れて、ハンターたちはそれぞれの目的に向かって移動するのであった。

 

 

「やっとついた~」

 超大量発生による危機から脱して数日後、後続の救援隊が≪鉱山都市≫に到着する。

 防具と言うより、東方の着物にしか見えない装備をまとった竜人族の女性が、≪鉱山都市≫の入口で間延びした声をあげる。その隣には、2メートルをはるかに超える巨体を誇る獣人が立っている。

「わっ! わっ! なに~。なんなの~」

 のんびりとした奇声を上げるという器用な真似をする竜人族の女性の脇を、獣人たちが駆け抜け、隣りにいる巨大な獣人に抱き着いていく。

「おおっ! 来おったか! チヅルに白い獣人殿! 待っておりましたぞ!」

 獣人たちを追いかけてきたギルドマスターが、入口にいた人物に気づき声を掛けてくる。

「ひどいですよ、ギルドマスター! オレたちもいるのに~」

 リドリーが救援要請を届けた中継拠点にいた若手G級ハンターが、白い獣人の後ろから文句を言う。その声に驚いた獣人族の幼子が、怯えてギルドマスターに駆け寄った。

 ギルドマスターの目が、ナルガクルガのように赤く光って若手ハンターをにらみつける。

「でけえ声出すんじゃねえ…」

 普段人一倍大声を出している自分のことは置いといて、地獄の使者のようなどすの利いた声でギルドマスターが注意する。下手に逆らうと、本気で殺されかねない殺気をはらんでいる。

「……はい」

 ちっさい子に対する甘さ爆発である。

「わぁ~! か~わ~い~い~!」

 ギルドマスターの殺気を軽く無視して、チヅルが足元近くにいた獣人の子供を抱き上げると、頭上へ思いっきり放り投げた。

「高~い、高~~い!」

 ≪鉱山都市≫の高い天井すれすれまで放り上げられた獣人族の子供が、突然のことに硬直し、石のように頭から落ちてくる。

 ギルドマスターが真っ青になって落ちてくる獣人族の子供を跳躍して受け止める。着地と同時にチヅル目掛けて凄まじい旋風脚をみまうが、チヅルは難なくこれをかわしてみせる。

 チヅルを怒鳴りつけようとギルドマスターが大きく息を吸い込んだ瞬間、腕の中で硬直していた獣人の子供が、声をあげて笑い出したのだ。

 それを見た他の子供たちが、一斉にチヅルへと駆け寄り、チヅルは片っ端から放り投げていった。

 子供たちの歓声が、下から上へ、上から下へと打ち上げられては降ってくる。

 これに慌てたのがチヅル以外のハンターたちだった。落ちてくる子供たちを受け止めると下ろし、新たに放り投げられた子供を受け止めに走る。厄介なことに、下ろされた子供たちは再びチヅルの元へと駆け寄り、大喜びしながら放り投げられるのだった。

 チヅルを含めた全員の体力が尽きるまでこの遊びは続き、最後にギルドマスターが、

「……そろそろ、死人が、出るから、やめい」

 ふらふらになりながら注意して終わった。

 しかし、この危険すぎる高い高い遊びのおかげで、当初は新しく現れたハンターに怯えていた獣人族の子供たちが、いまではすっかりなついていた。

「計算通~り~!」

「…ウソを、言うで、ない! ま、まあ、今回は、勘弁、して、やるわい」

 誰よりも多く駆けずり回っていたギルドマスターが、息もきれぎれの状態でツッコみをいれる。

 スタミナ切れを起こしているハンターたちのかたわらで、無尽蔵のエネルギーを持つ獣人族の子供たちが、声をあげてはしゃいでいた。

 

 ≪鉱山都市≫の仮説拠点でお茶を飲んで一息ついたギルドマスターたちは、細かい状況報告を白い獣人に行った。中継拠点に可能な限りの情報を送っておいたおかげで、白い獣人はほぼ全ての状況を把握していたので話は早かった。

 白い獣人が来て新たに判明したことは、カーシュナーたちが救い出した獣人たちに関することだった。言葉が通じないために滞っていた意思の疎通が図られ、彼らの故郷である峡谷で、実際には何があったのかと言うことが明らかになった。

 まず、彼ら獣人族の名が、人間の言葉に直すと≪テチッチ≫と言う名であることがわかった。アイルーやメラルーと身長はほぼ同じなのだが、アイルーたちと比較すると頭部がかなり大きく、反対に手足が短い。アイルーフェイクを被った奇面族のような体型を想像すればかなり近いだろう。ようするに、かなり可愛い見た目をしているということだ。

 そんなテチッチたちは、≪鉱山都市≫がまだ廃墟となる前、古代文明が栄えていた当時に峡谷に移り住み、つい最近まで平和に暮らしていた。

 テチッチたちは≪鉱山都市≫の住人の一部と交流し、獣人族としては極めて異例な、農耕を中心とした生活を行っていた。農耕に関する知識と道具は全て≪鉱山都市≫の住人が、無償で提供してくれた。そして、峡谷を守るためにと、奇妙な形をした石柱を、お守りとして峡谷に据え付けてくれた。

 峡谷は他の森林部と比較すればやせた土地と言えたかもしれないが、それでも北の大陸の一等農耕地を上回る土壌を持っていたので、少数部族であるテチッチたちの生活を支えるには充分だった。

 ある時不意に≪鉱山都市≫との交流が途絶えた。

 テチッチたちは、面倒をみてくれた人々から、≪鉱山都市≫には悪い人間がたくさんいるから決して近づいてはならないと言い含められていたため、心配しつつも≪鉱山都市≫を訪れることはしなかった。この素直さが彼らを≪鉱山都市≫を襲った運命に巻き込まなかったことを、彼らは現在も知らない。

 ≪鉱山都市≫が滅びた後も彼らは生き延び、大陸の他の文明都市が次々と滅んでいく中、その存在は忘れられ、結果的に、テチッチだけが古代文明の名残を残す唯一の存在となった。

 大陸の行く末を観察することを義務付けられた存在である白い獣人も、この死角となった峡谷の存在は知らなかったため、他のテチッチ族が滅んだ際、テチッチは絶滅したものと思い、今日までその存在を知りえないでいた。

 その日テチッチたちは、峡谷を取り巻く空気に、異様な気配を感じていた。農耕中心の生活とはいえ、狩猟も若干は行う。峡谷の外には≪尖貫虫≫(センカンチュウ)のような大型モンスターが生息していることは承知していたし、出会ったときに本能を圧迫する、ヒリつくような緊張感も経験していた。

 その日の空気は、そんな緊張感が何倍にも圧縮されたような、濃い霧がヒゲを濡らすような不快感に満ちていた。

 誰もが不安に駆られ、雲一つなく晴れ渡っている空を、不安に曇った気持ちで見上げていた。

 そして、それは何の前触れもなく、轟音を引き連れて、突然空を割って落ちて来た。

 それに悪意はまったくなかった。ただ、飛行中に身体の制御を失い、墜落しただけだったのだ。運悪く、それは≪鉱山都市≫の住人が据え付けてくれた石柱に激突し、石柱を破壊すると、逃げるように飛び去って行った。

 その数日後に、峡谷に大型モンスターが次々と出現するようになったのだ。

 一度だけ、墜落してきたモンスターが、峡谷の上空に姿を現したことがあった。その時、峡谷で猛威を振るっていた謎のモンスターが、峡谷の上空へ飛び出した。するとそこへ、モンスターの常識をはるかに超えた速度で接近してきたモンスターが、突進攻撃によって謎のモンスターを一撃で粉砕してしまったのだ。

 それ以後墜落してきたモンスターは一度も峡谷には寄り付かず、峡谷に現れる飛行可能なモンスターは、峡谷上空へは飛び立たなくなった。

 テチッチたちは異様な数の大型モンスターにあっという間に峡谷を占拠されてしまい、峡谷から逃げ出すこともままならなくなってしまった。各所に設けられていた避難用の洞窟は次々と発見され、テチッチたちはモンスターの餌食となっていった。

 このままでは全滅を待つだけだと判断した一族の長老と男たちが、≪鉱山都市≫へと通じる自然洞窟への避難路の確保に乗り出したが、あえなく失敗し、カーシュナーに助けられた獣人1人を残して全滅してしまった。

 そして、いま、テチッチたちの峡谷は、狂乱の宴を制した真紅のモンスターによって支配されている。

 悲しみを呼び起こされたテチッチの大人たちが、ぽろぽろと涙を流す。声を殺し、こらえきれずにこぼれる涙が、ハンターたちの同情を余計に深くする。

 テチッチたちからおおまかな説明を聞いた白い獣人は、残念そうに首を振った。

「白い獣人殿、こういったことは、この大陸ではよくあることなのですかな? 北の大陸でも、以前話したような狂竜ウイルスによって引き起こされる狂竜症という凶暴化現象により、一つのエリアに生息していたモンスターたちが、全滅するまで殺し合ったという記録がありますが、これと似たような現象なのでしょうかな?」

 ギルドマスターが白い獣人に尋ねる。

「今回の事態は、そういったウイルスなどの影響により引き起こされる混乱とはまったくの別物です」

 白い獣人が、唸るように答える。

 白い獣人は、しゃべり方にひどくクセのあるチヅルに言葉を習ったせいで、身の丈2メートル半の、威厳に満ちた雰囲気をぶち壊しにする、間延びした頭の足りない子供のような話し方で言葉を覚えていた。

 見た目と言葉使いの違和感がありすぎて、会話の内容が頭に全く入ってこないため、ギルドマスターが頼み込んで言葉使いを改めてもらったのだ。もっとも、チヅルが寂しがるので、二人で会話をするときは、クセの強い話し方を使っている。

「別物ですか。狂竜ウイルスは人にも感染するので、正直、ウイルスでないのはありがたいのですが、そうすると、他にどんな原因があれば、これほどの異常事態が起こるのでしょうかな?」

「≪鬼蜘蛛≫(オニグモ)がここ≪鉱山都市≫周辺で発生したことと、テチッチたちの峡谷をモンスターが襲ったことは、直接的な関係はないのです。たまたま同時期に発生してしまったことで、事態をより異常なものに見せているにすぎません」

「ほう?」

「≪鬼蜘蛛≫は本来、あなた方が≪六花湖≫(リッカコ)と名付けた巨大な湖よりもさらに南に生息しているモンスターです。≪鬼蜘蛛≫クラスの力を持つモンスターは、他の大型モンスター以上に、互いの縄張りを尊重し、決してその境を犯すようなことはしません。ひとたび対峙したら、どちらかが死ぬしかないからです。他のモンスターの縄張り争いのように、負けた方が逃げるといったことは、絶対者としてのプライドが許さないのです」

「では、何故≪鬼蜘蛛≫は≪鉱山都市≫に現れたのでしょうか?」

「それは、≪鉱山都市≫を縄張りとしていた4強モンスターの一角である≪噴流蟲≫(フンリュウチュウ)を、あなた方が撃退したからです」

「なんと!!」

「それにより、この≪鉱山都市≫近辺は≪噴流蟲≫の縄張りではなくなり、結果として≪鬼蜘蛛≫を呼び込むことになったのでしょう。≪鬼蜘蛛≫は他の4強モンスターと比較すると高い繁殖能力を有しており、種としての絶対数を増やすために、空き家となった縄張りで”厳選”を行ったのだと思います」

「…なるほど」

 ギルドマスターが、顔をしかめてうなずく。ハンターズギルドは、自然と人間が共生出来るように調整することを目的とした組織である。クエストの発注も、増えすぎたモンスターが人間社会に害を与えると判断した時に、討伐必要数のみクエストが発注される。けして人間の利益を優先させてモンスターを絶滅するようなまねはしない。そのため、密猟者には厳格な処置をとる。そのための専門機関として、ギルドナイツが存在している。

 ギルドマスターが顔をしかめたのは、≪鉱山都市≫の調査のために、この地に陣取っていた≪噴流蟲≫を撃退した結果、自然環境に大きな変化をもたらしてしまったと知ったからだ。

「…まさか」

 カーシュナーが顔色を変えて白い獣人を見つめる。

 両者は初めて出会った時から、言葉以上に目で会話することが巧みな関係だった。白い獣人は、カーシュナーの目を見ただけで、言葉にしなかった残りの言葉を悟る。

「テチッチたちの峡谷にモンスターたちが現れたのは、おそらく≪噴流蟲≫が原因でしょう」

「!!!!」

 白い獣人の言葉がもたらした衝撃に、ギルドマスターは声を失う。

「これには二つの不幸が重なりました。一つは、≪噴流蟲≫が縄張りを追われてさまよっているときに、峡谷に古代文明人が設置した≪虫除け石≫の柱の効力で墜落したことです」

「≪虫除け石≫?」

「はい。≪鉱山都市≫の人間たちが作り出したもので、製法及びその原理は私にはわかりませんが、甲虫種や鋏角種といった≪鉱山都市≫近辺に生息するモンスターたちを遠ざける力を持った石です」

「それが≪噴流蟲≫に作用し、その影響で墜落、運悪く≪虫除け石≫に激突した…」

「はい。もっとも、壊れた≪虫除け石≫の柱は1本だけだったので、本来ならここまでの被害には発展しなかったはずなのですが、もう一つの不幸の原因が、テチッチたちの峡谷にモンスターたちを集めてしまったのです」

「それは…?」

「新たな住処を求めた≪噴流蟲≫が、この近辺のモンスターたちの縄張りを荒らして回ったからです。身体こそ≪鬼蜘蛛≫とは比較にならない程小さいですが、その凶暴性と俊敏性は飛び抜けて高く、他のモンスターたちとは全く異なる飛行能力を有しており、これとまともに対峙出来るモンスターは、≪霊峰・咲耶≫(レイホウ・サクヤ)を根城にしているモンスターのみです。私は皆さんに注意すべきモンスターとして4体のモンスターの情報を伝えましたが、これは4体の実力が拮抗しているという意味ではなく、一定水準以上の実力であるという意味であり、≪霊峰・咲耶≫に住むモンスターがけして≪霊峰・咲耶≫を離れないことを考慮に入れると、≪噴流蟲≫はこの大陸最強のモンスターと言えるでしょう」

 全員が生唾を呑み込む。

「それを撃退したんですか…」

 カーシュナーが赤玲を見つめる。

「あっ! それあたしじゃないから!」

 視線の意味に気づいた赤玲が、パタパタと手を振って否定する。

「私を含む4人のG級ハンターで撃退したんだよ」

 代わりに団長が答えるが、撃退した結果が周辺地域へ及ぼした影響の深刻さを思って表情が曇る。

「≪虫除け石≫の効果は≪噴流蟲≫には効果が絶大だったのかもしれません。墜落以降一度も峡谷へ降りていないことを考えれば間違いないでしょう。この結果、≪噴流蟲≫によって追い出された周辺のモンスターたちが、唯一≪噴流蟲≫が近寄らないテチッチの峡谷にひしめき合うことになったのだと思います」

「≪鉱山都市≫の坑道部分にモンスターがほとんど現れなかったことにも、その≪噴流蟲≫は関係があるんですか?」

「≪鉱山都市≫は長い間≪噴流蟲≫の縄張りだったので、まだ、かなりの濃度で残留気配が漂っているのだろう。いきなり縄張りから追い出されたモンスターたちには、我々が知りえているような事情はわからないからな。≪鉱山都市≫の坑道部分にはなかなか近づかないだろう」

「……わしの責任じゃ」

 ギルドマスタ-が声を絞り出すようにつぶやく。

「わしが≪噴流蟲≫の撃退を指示したばかりに、テチッチたちにとんでもない被害を出してしまった…」

「こうなることは誰にも予測できんかったことじゃ。そんなに自分を責めるでない」

 チヅルたちと一緒に到着した王立古生物書士隊の元隊長が、うなだれるギルドマスターの肩に手を置く。

 膝の上からテチッチの子供を降ろすと、ギルドマスターは首を横に振った。

「それは言い訳じゃ。あらゆる可能性を考慮し、判断を下すのがわしの務めじゃ。それにのう。白い獣人殿から≪噴流蟲≫に関する警告を受けていたわしは、撃退後の≪噴流蟲≫がもたらす影響をまったく考えなかったわけではないんじゃよ。周辺調査で個体数の少ないモンスターが確認されなかったことで、わしは安易に撃退を指示してしまった」

「獣人たちの住む峡谷を調査段階で見落としたのは、調査の前線指揮を担当していた私の落ち度です。ギルドマスターの判断ミスではありません」

 団長が痛恨の面持ちで言う。

「いいや、そうではない。調査に本来必要な期間も必要人員も用意せず、お主ら前線の者に大きな負担をかけた上で出された結果報告で状況を判断したのはこのわしじゃ。お主から、さらなる調査機関の延長と、調査員の増員要請を受けていたにもかかわらずじゃ。≪鉱山都市≫の調査を少しでも早くしたいというわしの欲が、判断を誤らせたのじゃ」

 うなだれるギルドマスターに、もう誰も声を掛けることは出来なかった。

 膝から降ろされたテチッチの子供が、うなだれるギルドマスターを心配そうに見上げる。その小さな手が、自らの膝を強く握りしめているギルドマスターの手の上に、そっと置かれる。

 自分には、この子のやさしさを受ける資格などないという自責の念がギルドマスターの心を締めつける。

 ギルドマスターは、流れる涙を止めることが出来なかった。

 

 

 白い獣人から事のあらましを聞いたテチッチたちは、一様に首を振った。そして、カーシュナーが助けたテチッチの若者の母親が進み出ると、ギルドマスターに向かって語り始めた。言葉が通じないので白い獣人が通訳する。

「私たちの一族は、かつてもモンスターに襲われ、各地をさまよいあの峡谷に辿り着きました。ですが、あの峡谷で得たものの全てが、善意ある方々に与えられたものでした。安定した食料も、モンスターが寄り付かない安全な場所も、自分たちが勝ち得たものではありませんでした。私たちは本来なら、はるかな昔に滅んでいたはずの種族なのです」

「ということは、わしはお前さんたちに救いの手を差し伸べた善意ある人々の想いまでも踏みにじってしまったということじゃな」

「いいえ、違います。私たちは、いまここに、こうして生きています。あなた方に助けられて」

「確かに助けたかもしれん。じゃがのう、助けなければいけない原因を作ったのも、わしなんじゃよ」

「それは違います。≪鉱山都市≫が滅びるほどの事態が起こった時点で、こうなる可能性はあったのです。私たちはむしろ、一族が滅びの時を迎えた時、再びあなた方のような、善意ある隣人に出会えたことを幸運と考えています」

 ギルドマスターが、涙にぬれた顔を上げる。

「私たちはとても弱い種族です。自分たちの力だけでは、安心して眠れる場所を見つけることも出来ないでしょう。他者の善意が、私たちを生き延びさせてくれました。私たちにお返しできるものは些細なものしかないでしょう。それでもどうか、私たちテチッチの良き隣人でいてくれることを、我々は願います」

 テチッチの母親はそう言うと、ギルドマスターの手を取った。

 ギルドマスターは、新たにあふれ出した涙に顔をぬらしながら、言葉に出来ない感謝を伝えるために、何度も何度も頭を下げたのであった。

 

 

「ギルマスおじいちゃん!」

 しばらくしてギルドマスターの気持ちが落ち着くと、カーシュナーが声を掛けた。

「ボクは、ボクに出来ることをテチッチのみんなにしてあげたいと思うんだ」

 翡翠のように美しく輝く瞳が、ギルドマスターを真っ直ぐに見つめる。

「何をするんじゃ?」

「峡谷を取り戻す」

「取り戻しても、あの峡谷で暮らすことは、もう出来ないぞ。残っていた≪虫除け石≫も、全て破壊されてしまったそうだからな」

 カーシュナーの言葉に、白い獣人が言葉をはさむ。

「テチッチたちも、無理はしないでほしいと言っている」

 カーシュナーの言葉を通訳されたテチッチたちが、心配そうにカーシュナーの周りに集まる。

「例えもう帰ることが出来ないとしても、亡くなった方たちを弔うことは出来るよ」

 テチッチたちが、打たれたように顔を上げる。

「取り戻すことに意味はないのかもしれない。でも、テチッチたちはボクたちを責めることなく、隣人としていてほしいと言ってくれた。その言葉にボクが返せる誠意は、亡くなった方たちを弔えるように、あの峡谷を取り戻すことくらいなんだよ」

 テチッチの大人たちは、カーシュナーの言葉に大きな瞳を潤ませて、丁寧に頭を下げた。

「いいよね。ギルマスおじいちゃん」

「うんむ。任せる。と言いたいところじゃが、その装備ではのう…。 他のハンターに任せてもよいのではないかね?」

「そうですね。白い獣人さん、通訳をお願いできますか? ボクたちが装備を整えるまで、待ってもらえるか聞いてください。すぐにでも故郷を取り戻したいのであれば、先輩方にお任せします」

 白い獣人がカーシュナーの言葉を伝えると、カーシュナーが助けたテチッチの若者が声をあげた。若者の言葉に、他の大人たちもうなずく。

「待つそうだ。故郷を取り戻してくれるのならば、カーシュナー、君に頼みたいと言っている。ずいぶんと信頼されたものだな」

 通訳しつつ、白い獣人は微笑んだ。その獣人に、テチッチの若者が何事かを告げる。

「それまでの間に傷を治して、自分も同行すると言っている」

 黒く潤んだ大きな瞳が、カーシュナーを真っ直ぐ見つめてくる。

 テチッチの想いを受け止めたカーシュナーは、極上の笑顔で応えた。

「待ってるよ。え~と…」

「彼の名はクォマだ」

 カーシュナーが言葉に迷った意味を悟った白い獣人が、名前を教える。

「よろしくね。クォマさん!」

 言葉と共に右手を差し出す。

「クァ~シュ!」

 おそらく”カーシュ”といったのだろう。彼らもアイルー同様覚えれば人間の言葉を話せるようで、覚えたばかりのカーシュナーの名を、まだ上手く回らない舌で発音したのだ。

 カーシュナーが差し出した手を、クォマがしっかりと握り返す。その周りに、テチッチたちが集まり、いつの間にか手をつないだ輪になってクルクルと回り出す。

「新しい時代に、新しい絆を築くのは、若者ということなんじゃのう」

 多くのテチッチたちを死に至らしめる遠因を作ってしまったギルドマスターが、救われた思いでつぶやく。

「ほんにのう。じゃがな、わしらじじぃにしか出来んことはまだまだある。若い衆を少しでも手助けしてやろうじゃないか」

 隊長じいちゃんがギルドマスターに声を掛ける。

「お前さんの当面の仕事は、テチッチたちの新しい生活を支援することじゃぞ!」

 そう言って隊長じいちゃんが茶目っ気のあるウインクをした。

「うんむ。良き隣人となれるように、残りの人生を使わせてもらうことにするわい」

「来年の今ごろには、面倒をみるどころか、逆に介護されているかもしれんがのう」

「やっかましいわい!!」

 いつもの大声で隊長じいちゃんを怒鳴りつける声が、≪鉱山都市≫に響き渡る。

 輪になってクルクルと回っていたテチッチたちの中から小さな手が伸び、ギルドマスターの手を取る。先程ひどく気落ちするギルドマスターを心配していたテチッチの子供の手だった。

 もう片方の手をクォマが取り、ギルドマスターはテチッチの輪の中に招き入れられた。そして、テチッチたちが歌を歌い出す。その声は、高く高く澄み渡り、≪鉱山都市≫の天井に当たって跳ね返り、全員の上に降り注いだ。

「ボクも混ぜてほしいッス!」

 興奮気味のファーメイが輪の中に混ざってくる。続いてチヅルとモモンモが加わる。その場にいたハンター全員が加わり、大合唱の輪が出来上がった――。



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六花湖の双竜!

「やっぱり≪六花湖≫(リッカコ)じゃないの?」

 テチッチたちの故郷である峡谷を取り戻すため、装備を強化することになったカーシュナーたちに、赤玲(セキレイ)が言う。

「そうだろうな。ここ≪鉱山都市≫で採掘できる高品質の鉱石と、≪六花湖≫独自のモンスターの素材を組み合わせれば、かなり効率よく装備が強化できるだろう」

 赤玲の意見に、団長も同意する。

「カーシュ君たちが挑もうとしている真紅のモンスター。≪断切虫≫(タチキリムシ)希少種は、G級に匹敵する力を持つ、上位最強のモンスターだ。これに挑めるかを試す意味でも、≪六花湖≫の主、≪氷花竜≫(ヒョウカリュウ)を討伐して素材を手に入れるべきだろう」

「≪氷花竜≫!! ≪六花湖≫には魚竜種とか海竜種がいるですかい?」

 団長の話の中に出てきた≪氷花竜≫に、リドリーが食いつく。

「違うッス! ≪氷花竜≫はれっきとした水生甲虫種ッス!」

 リドリーの質問に、ファーメイが答える。

「甲虫種なのに≪氷花竜≫なのか?」

「はい! これにはまわりくどい理由があるんッス!」

「まわりくどい言うな!」

 ファーメイの言い回しに、王立古生物書士隊の元隊長のげんこつが飛ぶ。

「痛い! ひどいッス! だって本当のことじゃないッスか!」

「何を言うか! ナイスネーミングじゃろうが!」

 どうやら≪氷花竜≫という名前は、隊長じいちゃんがつけたものらしい。

「これを見るがええ!」

 隊長じいちゃんがモンスター図鑑を取り出し、≪氷花竜≫のページを開いて見せる。そこには、とても甲虫種には見えないラギアクルスのような姿をしたモンスターが描かれていた。

「なにこれ?」

 ハンナマリーが首をかしげる。

「これはッスねぇ、小型の甲虫種である≪飛竜虫≫(ヒリュウチュウ)の幼体が、成体にならないまま育ったモンスターなんッスよ。ちなみ、≪飛竜虫≫は、これッス!」

 ファーメイが開いたページに、カゲロウトンボを凶暴化させたような小型甲虫種の姿が描かれている。翅を除けば細長い腹部がリオレウスの尻尾によく似ており、小さな飛竜に見えなくもない。

「これは南の大陸特有のモンスターなの?」

 カーシュナーが質問する。

「そうッス!」

「見たことない」

 ジュザが首をひねる。

「無理もないッス! ≪飛竜虫≫は警戒心が強くて、ハンターに襲い掛かってくることは絶対にないッス! 気配を感じただけで逃げてしまうので、正直捕まえるどころか、その姿をまともに見ることさえ一苦労ッスよ!」

「これの子供が、さっきの≪氷花竜≫なのか? 調査ミスなんじゃねえの?」

 リドリーが眉をしかめる。

「ど突いてやりたいをころじゃが、これに関しては仕方がないのう」

 リドリーの失礼な発言に隊長じいちゃんが腹を立てたが、報告を受けた際に自分も似たような反応をしたものだから、怒るに怒れない。

「≪飛竜虫≫の幼体が≪氷花竜≫に変異するのは≪六花湖≫だけなんッス! 他の水中主体の狩場である≪大河≫にも生息しているんすけど、ここではちゃんと幼体から成体になるんッス! ≪六花湖≫ほどの規模ではない湖にも生息していますし、ある程度の深さがある河川ならどこにでも産卵するので大陸でも最も繁殖しているモンスターのはずッス! でも、≪氷花竜≫になるのは、≪六花湖≫に生息する、ごく一部の≪飛竜虫≫の幼体だけなんッスよ!」

「かなり強いの?」

「強いッス! ≪六花湖≫の中でも水深が深く、水温がかなり低い水域を中心に活動しているので、ホットドリンクが必須ッス! 環境に適応した結果、氷属性の攻撃を使用し、海竜種並のブレス攻撃までしてくるッス! ≪飛竜虫≫の幼体は、泳ぐことに適した身体の構造をしてないッスけど、≪氷花竜≫は腹部が発達し、ナバルデウスみたいに泳ぐッス! スピードは比較にならないくらい速いッスけどね! 基本動きは海竜種に出来ることは全部できるッス! その上でエラがあるので呼吸のために水面に浮上する必要がなく、甲虫種特有の発達した下あごが、獲物を捕食するためにとんでもないスピードで伸びてくるッス! 6本の脚も強力で、水中で拘束攻撃をしてくるので、窒息させれらる危険性もあるッス!」

「地味に最後の拘束攻撃が一番ヤバイな。向こうはエラ呼吸できるのに、こっちは定期的に水面に出なきゃならないからな。おまけに拘束されたままだと酸素玉も使えねえし」

「陸には上がらないの?」

「あがらないッス」

「釣り上げるのは?」

「無理ッス」

「じゃあ、完全水中戦?」

「最初から最後まで水中戦ッス!」

 カーシュナーは納得してうなずいた。

「まずは下準備をしっかりしてからだね」

「そうだね。アイテム忘れが命取りになりかねない相手だから、確認はしっかりやろう」

 ハンナマリーの言葉にリドリーもジュザもうなずく。

「ちなみに、≪断切虫≫希少種の弱点属性は氷だから、≪氷花竜≫を狩れば完璧ッスよ!」

「水中戦で≪氷花竜≫を狩れれば、≪断切虫≫に後れを取る心配はないだろう。テチッチたちの峡谷を任せるのだから、確実にクリアしてくれ」

 団長がそう言ってカーシュナーの肩を叩く。

「カーシュナー君。テチッチたちが≪鉱山都市≫での採掘を任せてほしいと言っている」

 白い獣人が、テチッチたちの言葉を通訳してくる。

「いや、でも…」

「自分たちを救出に向かうために、せっかく採取した鉱石や剥ぎ取った≪尖貫虫≫(センカンチュウ)の素材を捨てさせてしまったことへのせめてもの償いをしたいそうだ」

「償いとかはやめてください。そういうことなら、峡谷を取り戻すために協力してもらうってことで! テチッチの皆さんには、まず、自分たちのために行動してほしいんです」

「わかったそうだ。その上で、テチッチたちは、カーシュナー君のことが好きだから、君の役に立ちたいと言っている」

「…ありがとうございます」

 カーシュナーが照れながら感謝する。

「う~ん。我が弟ながら、恐ろしいまでのモテっぷりだな」

「仕方ない。カーシュはそれだけの事をする男だ」

 呆れる姉に、ジュザが得意気に説明する。

「違いねえ。テチッチたちが≪鉱山都市≫の方を受け持ってくれるんなら、オレたちもカーシュに負けじとそれだけの仕事をしようや」

 リドリーがニヤリとしながら言う。

「そうだね。もう充分休んだし、さっそく≪六花湖≫に向けて出発しよう」

 ハンナマリーの言葉に全員が気合いのこもった返事を返す。

 一行は団長や赤玲からアドバイスを受けながら、必要となるアイテムの準備に取り掛かった。

 

 

 ≪六花湖≫は、ある意味人工的に生み出させた巨大な湖であった。

 そこは≪鉱山都市≫をはるかに上回る規模を誇った巨大都市のなれの果てだったのだ。原因は一切不明だが、本来は地上にあったはずの都市部が、まるで大地に巨大な六花の刻印を刻むかのように地の底まで押しつぶされ、都市の水源となっていた河川からの流れが溜まり、現在の≪六花湖≫が誕生した。

 湖底には多くの都市の瓦礫が散乱し、水深が深く水温が低い場所には当時のままの姿を残した都市の廃墟が、いまでは低水温に強い小型の生物に絶好の隠れ家を提供している。

 ≪鉱山都市≫も初めてだったが、ここ≪六花湖≫も初めてのカーシュナーたちは、フィールドになれるために、まずは採取ツアーを受注し、フィールドの特徴を身に着けていった。

 北の大陸にある狩場の≪孤島≫や≪水没林≫、南の大陸の≪大河≫など、水中での活動がある狩場と≪六花湖≫が根本的に違うのは、その深さにある。

 比較的水温が高く、生物の活動が活発な表水層域と、ホットドリンクなしではあっという間にスタミナを奪い取られてしまう深水層域とに分かれており、採取できる素材も全く違う。全体的な規模は通常のフィールドと大差ないが、フィールドが縦に広いため、その活動領域は通常フィールドの1.5倍におよぶ巨大な狩場なのだ。

 そのため、非常に珍しいことに、≪六花湖≫にはベースキャンプが二か所設置されており、狩猟時間と支給品は狩場の規模を考慮して、2倍に設定されていた。

 巨大な狩場をめぐる途中、≪六花湖≫特有の大型モンスターとも遭遇した。

 言葉がおかしいかもしれないが、完全な魚竜種と呼べる魚型の大型モンスターが豊富に生息しているのだ。外見はガノトトスやヴォルガノスによく似ているのだが、陸上に上がってもその巨体をしっかりと支えてくれる頑丈な2本の脚がないのだ。捕獲して解剖した結果、これは退化したのではなく、陸上生活に適応しようとしなかった結果だということがわかった。外見はよく似ているのにガノトトスやヴォルガノスなどと違い肺がなく、エラ呼吸であることも大きな違いであった。

 北の大陸の魚竜種が、飛竜種に酷似した姿をしているのは、共通の先祖がそれぞれの環境に適応した結果ではなく、異なる種が同じ環境下に適応しようとした結果生じた収斂進化(シュウレンシンカ)なのだが、≪六花湖≫ではこの収斂進化をしなかった魚類の進化の終着点とも言える独自の進化を果たしたモンスターが生息しているのだった。

 王立古生物書士隊は、この独自の進化を遂げた魚竜たちを、北の大陸の魚竜種と同一種として扱うには肉体構造があまりにも違い過ぎると判断し、新たな種として認定、これを≪竜魚種≫(リュウギョシュ)と名付けることにした。竜に進化した魚という意味らしいが、単に言葉をひっくり返しただけではないかという意見が多く出た。だが、調査が忙しく、これといった代案も出なかったため正式に採用されてしまった。

 これが北の大陸の王立古生物書士隊の本部に報告が届いたときにどうなるかは、まだ、誰も考えていない。

 カーシュナーたちは採取ツアー終了後、≪剣角魚≫(ケンカクギョ)という、額にモノブロスのような立派な一本角を持ち、おまけにベリオロスのような巨大な牙を持つ、あからさまに攻撃的な外見を持つ≪竜魚種≫の討伐を依頼された。

 外見通り攻撃的な性格を持つ≪剣角魚≫が異常発生し、調査の邪魔をするため、他の小型魚類の保護もかねて、個体数の調整をすることになったのだ。素材的にもかなり優れているということで、カーシュナーたちはこの依頼を受け、ごくあっさりと達成してしまった。

 上位に上がったばかりだというのに、≪鉱山都市≫とテチッチたちの峡谷で遭遇した異常事態が、カーシュナーたちの技量を一気に上げたのだ。

 素材を集めつつ、調査団の手伝いをしながら≪六花湖≫に慣れたころ、深水層域での調査中に2匹の≪氷花竜≫に襲われた調査隊から、2頭同時討伐の依頼が来た。

 

「2頭狩りになったのは予定外だったけど、おかげで素材は倍手に入るってことだから、これで素材が足りなくなることはないだろ」

 ハンナマリーが肩をすくめながら言う。

「確かにね。それじゃあ、狩猟に行く前に、≪氷花竜≫の攻撃方法をおさらいしておこうか」

 カーシュナーがファーメイに講師役を振る。それに応えて、ファーメイがモンスター図鑑を引っ張り出す。南の大陸に着いたばかりのころは真新しかったファーメイのモンスター図鑑も、ページが次々と埋まって行くに従い、年期を感じさせる風合いを帯びてきた。

「≪氷花竜≫が氷属性を持ち、ブレス攻撃も使ってくることはもう説明したッスよね! ≪六花湖≫に来てから先輩たちに教えてもらった新しい情報では、≪氷花竜≫の名前の由来になった水を一瞬で氷らせて真っ白な大きな雪の花のようなものを作る氷結攻撃は、ハンターを雪だるま状態にするそうで、受けると身動きが取れなくなるのはもちろんッスけど、水属性やられと氷属性やられまで同時に受けるらしいッス!」

「ウチケシの実は限界数まで持ち込むべきだね」

「だな。その上で、酸素玉かウチケシの実のどちらかが尽きたら、一旦ベースキャンプに戻る的なルールを決めておいた方がいいな」

 カーシュナーの意見に同意したリドリーが新たな提案をする。

「それならモモンモのお面を先に決めた方がいい」

 ジュザがさらに提案する。

 モモンモは、ギルドマスターからいくつかのお面を借りてきており、酸素の供給が受けられる古代のお面や、属性やられを治してくれるウチケシのお面などはかなりのサポート効果が期待できる。

「その辺のことは、新しい情報を全部聞いてから考えよう」

 ハンナマリーの言葉に、ファーメイが先を続ける。

「単体での攻撃は突進攻撃と、リオレイアがよく使うサマーソルトの逆回転攻撃があるッス! 人間で例えるとあびせ蹴りみたいな感じッス! 前転してかかとを叩きつけるような!」

「物理攻撃は割と普通だね。トリッキーな動きがないならかなり楽になるね」

「残念! これはあくまで単体でのことッス! これが2匹同時になると連携攻撃を使ってくるようになるッス!」

 ファーメイの言葉に全員嫌な顔になる。

「腹部の先端、飛竜で言うところの尻尾の先端をからめて連結し、2匹でグルグル回転して大渦を発生させてハンターを引きずり込んだり、さっき説明したあびせ蹴りを連結したままの状態で使用してくるッス! とんでもなく攻撃のリーチが長くて、おまけに追尾性能が高い回避しにくい攻撃ッス! さらにこの攻撃は回転途中で連結を解除することにより、振り回される方の≪氷花竜≫が倍速突進してくる攻撃へと派生することもあるッス!」

「こりゃ、思ったより苦労しそうだね。素材が2倍になるなんてのん気なこと言っていられない感じになってきたね」

 ハンナマリーが苦笑する。

「1匹に集中攻撃」

「まあ、2頭狩りの定番だな! 奇をてらった作戦はいらないだろ。基本をきっちり押さえて立ち回れば問題ないと思うぜ。なあ、カーシュ」

「そうだね。むしろ準備が整ってすぐに討伐依頼が出てくれたから、集中力が切れるような変な間が出来なくてよかったんじゃないかな」

 カーシュナーの言葉に、リドリーだけでなく、全員がニヤリとする。

 絶妙なタイミングでの≪氷花竜≫の出現に、カーシュナーたちは幸運に感謝しつつ、≪氷花竜≫の待つ、凍てつく暗い水底へと潜って行った。

 

 

 モモンモは結局、古代のお面を装備して狩りに参加することになった。表水層域には酸素補給ポイントがあるのに対し、深水層域には酸素補給ポイントがほとんどないからだ。

 カーシュナーたち一行は、≪氷花竜≫が≪竜魚種≫などを捕食する目的以外では表水層域には上がってこないということなので、調査団の被害が最も多かった≪六花湖≫中央の深水層域へと向かっていた。

 ≪六花湖≫は、花弁に見立てられた六つの湖と、それらが交わる中央部で構成されている。それぞれが洞窟などでつながっている湖もあれば、中央部以外にはどこの湖ともつながっていない単独の湖も存在する。それぞれの湖が、水深が急激に深くなる中央で二分され、さらに水深が深くなる側のエリアが表水層域と深水層域とに二分されて各エリアを形成している。巨大な≪六花湖≫は、全部で20ものエリアに分けられて調査されていた。

 ≪六花湖≫にはベースキャンプが2か所存在するが、それ以外に、≪巨木林≫の倒木を利用して作られた、継ぎ目一切なしの彫りだし船が移動用兼臨時ベースキャンプとして狩猟に用いられている。

 彫りだし船の特徴として、船尾に≪爆臭虫≫(バクシュウチュウ)の臭いエキスを希釈したものを定期的に垂らすことにより、モンスターの接近を防いでいる。うっかり船尾方向から彫りだし船に近づくと、消臭玉を1つ無駄にすることになる。

 

 カーシュナーたちは≪六花湖≫中央に到着すると、船頭アイルーを残して湖面へと身を躍らせた。

 体力温存のために、本来ならば石などを抱いて潜水すると楽なのだが、湖底に置き去りにすることになるので禁止されている。そのため、湖底の遺跡や環境を荒らさないために地道に泳いで潜らなくてはならない。

 カーシュナーは急激な水温の低下と水流の向きの変化で、深水層域に達したことに気がついた。アイテムポーチから支給用ホットドリンクを取り出すと、特殊構造になっている飲み口から一気に吸い出した。水中でも使用できるように、容器そのものに特殊な加工が施されている。

 無駄のない泳ぎで潜ってきたので、まだまだ酸素玉は必要ない。

 ≪六花湖≫中央の湖底には、広い≪六花湖≫の中で、ここでしか採掘できない貴重な鉱石の鉱床があるので、やみくもに≪氷花竜≫を探して回るより、採掘をしながら待つことになっていた。この案を提案したのは採取の鬼、モモンモである。

 カーシュナーたちが湖底に辿り着き、ピッケルを振るってしばらくすると、ピッケルが鉱床を打つ音を聞きつけたのか大型竜魚種の≪千牙魚≫(センガギョ)が現れた。

 深水層域で活動する数少ない竜魚種で、名前の通り巨大な口の中には、千本の針を植え込んだかのように、鋭い牙がびっしりと生えている。大きく張り出した下アゴのせいで、身体の半分が頭部のような印象を見る者に与える。

 ≪千牙魚≫に気がついたカーシュナーたちは、採掘をやめると≪千牙魚≫を迎え撃つべく散っていく。

 ここでカーシュナーたちは、今までと違う位置取りをした。

 これまではモンスターの攻撃対象を分散させるために均等な距離を4人が保って散っていたが、今回はカーシュナーが囮になるように動き、他の3人は一カ所に固まっていた。今までも誰かが囮役を務めることはあったが、危険度が高い役回りのため、カーシュナーが務めることはなかった。あまりにも自然にハンター業をこなしているため忘れがちだが、年齢的にはまだ養成所で訓練を受けている年齢である。無理をさせないのは当然だった。

 にもかかわらず、今回は当たり前のようにカーシュナーが囮役を務めている。ハンナマリーも特に心配しているようには見えない。

 カーシュナーは誘うように泳ぐと細かく位置を変えることで≪千牙魚≫の位置を誘導し、待機しているハンナマリーたちの目の前に上手く誘導してみせた。竜魚種の共通の弱点部位である腹部が無防備で目の前にさらされている。

 ハンナマリーたちはこの隙に、それぞれの最大火力を叩き込んだ。

 腹部が破れ、あふれ出た鮮血で冷え切った湖水が赤く染まる。

 勝負はこの一瞬で決していた。その後しぶとく≪千牙魚≫も反撃してきたが、逆転の目を見出すことはついになく、あっさりと討伐された。

 カーシュナーたちは剥ぎ取り後に≪千牙魚≫の身体をさらに切り開いて血を水に溶かした。≪氷花竜≫をおびき寄せるためのエサにするのだ。

 全員モモンモから酸素を補給してもらい、再び鉱床にピッケルを振るっていると、ついに待望の≪氷花竜≫が姿を現した。

 想像を上回るその巨体に、全員が一瞬息を飲む。

 ≪冥海竜≫ラギアクルス希少種を思わせるその姿は、全長が40メートルを優に超える。海竜種のようにとぐろを巻かないため、余計に大きく見える。

 ゆっくりと近づいて来たかと思うと、不意に下アゴが大タル爆弾で吹き飛ばされたかと思うほどの勢いで伸び、≪千牙魚≫を捕らえて引き寄せた。≪氷花竜≫の強力な物理攻撃の一つで、場合によってはそのまま拘束攻撃に持っていかれることもある。

 冷たい水を通して、鱗が割れて肉がつぶれ、骨が砕ける音が振動となって、耳ではなく全身に伝わってくる。

 ≪千牙魚≫が食われる音だけが響き続け、不気味な緊張感が場を支配する。

 初見でこの緊張感を出されたら、並のハンターならば気持ちで負けてしまったかもしれない。しかし、先に≪断切虫≫希少種の狂乱状態のプレッシャーを経験していたカーシュナーたちにとっては、気を引き締めるための程よい緊張感でしかなかった。

 捕食中に一撃でも多く攻撃を入れるべきなのだが、カーシュナーたちはまだ動かなかった。別方向からより大きなプレッシャーが近づいて来ていたからだ。

 薄暗い湖底の影の中から、プレッシャーの主が近づいて来る。先に現れた≪氷花竜≫よりも一回り大きい個体が、カーシュナーたちの上にその巨体で影を落とした。2匹揃うと広いはずの湖底が狭く感じられる。

 ≪氷花竜≫たちは、まだカーシュナーたちの存在に気づいていない。カーシュナーは仲間たちを制して大きい方の個体にスッと近づくと、巨大な顔面目掛けてこやし玉を投げつけた。

 薄暗い深水層域で活動していることが多い≪氷花竜≫は、臭いを感じ取る触覚器官が発達している。≪爆臭虫≫の臭いエキスで強化されたこやし玉の威力は、もはやこやし玉グレートと呼んでもいいぐらいの効果を持っており、これを触覚付近で受けてしまった≪氷花竜≫は、合流したと思ったとたんにエリア移動を余儀なくされた。

 すかさずペイントボールも投げつけてマーキングしておく。

 この騒ぎでカーシュナーたちの存在に気がついた小さい方の≪氷花竜≫が、≪千牙魚≫をかみ砕きながら意外な素早さで振り向き臨戦態勢に入る。

 不意打ちを諦めていたので、こちらにもペイントボールを投げつけておく。

 食事の邪魔をされたのがよほど頭にきたのか、その一撃でいきなり怒り状態に突入する。身体の各所にある氷結液の分泌箇所に、水中に雪の花が咲いたかのように氷結玉が次々と出現する。≪氷花竜≫は長大な腹部を蹴りつけるように動かして水流を発生させると、人間ほどの大きさを持つ氷結玉を流れに乗せてカーシュナーたちに放ってきた。

 強い水流と共に襲い掛かってくる氷結玉は思いのほかかわしにくく、脚に引っかけてしまったハンナマリーとジュザが、氷結玉に捕らわれて雪だるま状態になってしまう。

 だが、それも一瞬のことで、リドリーの放った銃弾が二人の氷結玉を撃ち砕き、見事に開放していた。

 水属性やられと氷属性やられを同時に発症している二人に回復の時間を与えるために、カーシュナーが閃光玉を投げつける。暗さに慣らされていた≪氷花竜≫が、強烈な光を浴びてのたうち回る。

 ただそれだけでこちらの動きを制限してくる強烈な水流が発生する。地上の狩りとは一味違う水中ならではの想定外の事態に、カーシュナーはせっかくの攻撃チャンスに近づけないでいた。

 マイナス要素ではあるが、攻撃手段としての閃光玉の使用は控えた方がいいことが確認できた。

 そんな中で、一人気を吐いたのがリドリーだった。

 複雑にうねる水流の中で、感覚だけで流れを読み切り、立て続けに火炎弾を放ち命中させる。以前≪爆臭虫≫からモモンモが剥ぎ取って来てくれた火打石をキー素材に作られたライトボウガンで、≪氷花竜≫が苦手とする火属性の火炎弾を速射することが出来る。

 暗がりに慣れていた影響か、閃光玉の効果は通常のモンスターの2倍近く続き、その間にリドリーはかなりのダメージを≪氷花竜≫に蓄積していった。

 視力の回復した≪氷花竜≫がいきなり氷結ブレスを放てくる。ちょうどリロードタイミングだったリドリーを狙って放たれたが、カーシュナーの指示で念のため装填作業は行わず、回避態勢を整えていたおかげで、リドリーは余裕でかわすことができた。

 怒りにまかせた突進攻撃が連続で襲い掛かってきたが、カーシュナーたちは無理に反撃をしようとはせず、回避と観察に専念する。

 早くも動きを見切ったのか、カーシュナーが≪氷花竜≫の正面に位置を取る。通常の狩りならば、ブレス攻撃でもない限りは安全な間合いなのだが、≪氷花竜≫にはとんでもないリーチを持つ下アゴによる攻撃がある。カーシュナーが漂い進んだ位置はからり危険な場所であった。

 当然そんな位置に現れたカーシュナーに対して≪氷花竜≫が遠慮などするはずがない。とんでもないスピードで下アゴが水の壁を切り裂いてカーシュナーを狙ってくる。

 カーシュナーはほんのわずかな距離を沈み込むことでこの攻撃をかわし、下アゴが伸びきって動きを止める刹那の瞬間に下アゴにつかまると、引き戻す動きを利用して≪氷花竜≫の懐に一気に潜り込んでしまった。

 自ら死角に引き入れてしまった≪氷花竜≫には、カーシュナーが突然消えてしまったように感じられただろう。実際に混乱したような動きをみせている。

 この隙を逃すようなカーシュナーではない。演武・奏双棍(エンブ・ソウソウコン)を双棍(ソウコン)状態で引き抜くと、一気に鬼人化して下アゴに≪乱打・回天≫(ランダ・カイテン)を叩き込む。

 打撃の衝撃以上に、特殊構造の棍から発せられる音波により、≪氷花竜≫の脳が激しく振動する。水中であることも助けになって、この攻撃だけでカーシュナーは≪氷花竜≫をめまい状態にすることに成功した。

 そのまま勢いを止めることなくカーシュナーは攻撃を叩き込み、毒属性のカートリッジの属性効果で≪氷花竜≫を毒状態に追い込んでみせた。

 ウチケシの実で属性やられ状態から回復していたハンナマリーとジュザも加わり、一気にダメージを叩き込む。

 リドリーは動きの止まっているうちに火炎弾から貫通弾Lv2に弾を替え、巨体を逆に利用して貫通による連続ダメージを稼いでいる。

 このまま何もさせないまま1匹目を討伐できるかと思ったとき、先程こやし玉で追い払ったもう1匹の≪氷花竜≫が戻ってきた。

 ペイントの臭いの動きで接近に気がついていたカーシュナーは早めに攻撃を切り上げ、目の前の≪氷花竜≫にこやし玉を投げつける。戻って来たのなら、今度はこちらの≪氷花竜≫を移動させればいいだけの事だ。

 カーシュナーの意図を正確に把握している他の3人も、移動に備えて攻撃を中断する。

 ここで予想外のことが起こった。

 ダメージの大きい≪氷花竜≫が、こやし玉の効果を無視してもう1匹の≪氷花竜≫と合流したのだ。

 パワーアップしたこやし玉の効果を考えるとありえない行動だ。だが、実際にはこやし玉の臭気を無視してエリア移動を行わずに合流している。どうやら一定以上のダメージを被ると分断することは不可能になるらしい。これもマイナス要素ではあるが、新しく知ることが出来た事実だ。

 もはや合流を阻止することは叶わない以上強引に狩猟を進めることに意味はない。ペイントボールの効果はまだ充分続くので、カーシュナーたちは表水層域へとエリア移動し、態勢を整えることにした。

 

 ≪雪山≫や≪凍土≫、≪氷海≫や≪極海≫といった極寒の地でもホットドリンク片手にたくましく狩猟してのけるハンターといえども、身体に負荷が掛からないわけではない。カーシュナーたちは身体の芯が冷え切る前に彫りだし船へと引き返し、簡易ストーブで暖を取っていた。

 よく気のつく船頭アイルーがベースキャンプから支給品を運び込んでくれていたので、先程の戦闘で消費したアイテムを満タンまで補給する。ついでにかさばる≪千牙魚≫の剥ぎ取り素材を預ける。

「強いね。やっぱり」

 カーシュナーが感嘆をにじませてつぶやく。

「そうだね。上手く立ち回れたからたいした被害は受けなかったけれど、一回のミスが狩猟を大きく左右するだけの強さがあるよ」

 ハンナマリーがうなずく。

「分断出来ねえとなると、いよいよ連携攻撃のおでましってことになるな。噂のトータル100メートル近い化け物とやりあうってことになるな」

 リドリーがニヤリとする。

 2匹連れの≪氷花竜≫は腹部の先端同士をつなぎ合わせ、人間でいうところの背中合わせになって互いの背後を守りあうような状態を作り出す。小さい方でも40メートル以上あるので、2匹が合わさると100メートル近い長さになるのだ。

「つなぎ目壊せないか?」

 ジュザがファーメイに問いかける。

「えっ!! そ、それは考えたことなかったッスね~。連結した状態でかなり激しく動き回るらしいッスから、どんな構造をしているのかわからないッスけど、それなりにしっかりした構造の連結機関があるはずッス。もしそれが破壊可能なものなら、連携攻撃を封じる手段になるはずッスから、試してみる価値はあると思うッス!」

 ファーメイが興奮気味に答える。

「カーシュは≪氷花竜≫の腹部の先端を確認したか?」

「したけど、それっぽいものは見られなかったよ。おそらく蜂の針みたいに普段は腹部の中に収納されているんじゃないかな?」

「やっぱりか」

「実際に連結してからしっかり確認するべきかもしれないね」

「だな。その上で連結時にその連結機関ってのを攻撃可能か見極めて、いけそうなら試してみるしかねえだろ」

「そうだね。攻撃する隙が仮にあっても、頑丈で物理的に破壊不可能なものかもしれないからね。連携攻撃の見極めをしたうえで、確認してみよう」

 新しい攻略の糸口が見えたことで、全員の口元に不敵な笑みが浮かぶ。

「よし! それじゃあ、狩りの続きを始めるとしようか!」

 ハンナマリーの気合いの乗った号令に、全員勢いよく立ち上がった。

 

「くそっ!!」

 秘薬をがぶ飲みしながら、ジュザが頭の中で悪態をつく。身にまとった上位個体の≪潜影虫≫(センエイチュウ)の素材で作られた防具には、機能を損なうほどではないが、大小無数の傷がついている。

 もっとも危険とみられていた連結してからの高速回転による渦巻攻撃に、連結部に攻撃を行おうと突っ込み過ぎた結果巻き込まれてしまったのだ。

 攻撃を受けている間にリドリーの回復弾とモモンモの回復の踊りの効果が発動していなければ、ジュザはこの一撃で戦線からの離脱を余儀なくされていただろう。その上で回復薬グレートではなく秘薬を飲まなければ回復が間に合わないほどの威力が渦巻攻撃にはあった。

 予定外の大ダメージに、秘薬によって表面的な体力は回復しても、身体の芯には軋みが残る。恐怖心を植え付けられても不思議のない状況の中で、むしろジュザは興奮の方が勝っていた。

 渦巻に巻き込まれる前のほんのわずかな時間ではあったが、ジュザは≪氷花竜≫の腹部の先端の連結部分に攻撃を入れることに成功していたのだ。その時の手応えが、ジュザに部位破壊の可能性を確信させていた。後はどうやって攻撃を叩き込むかだ。

 ジュザはわずかなジェスチャーだけでカーシュナーに自分の確信を伝える。攻略の糸口は見つけられたが、いまの自分の実力では一人で攻略することは不可能だった。悔しいが現実的な確信も同時にある。一人で無理なら仲間たちとこちらも連携していくまでである。

 しばらくの間は回避に専念し、攻撃の隙を見極める。

 回避に専念していても、半径50メートル近い攻撃リーチはとんでもなく厄介だった。中でも片方の≪氷花竜≫があびせ蹴りの要領で振り回した相方を投げ飛ばしてくる倍速突進攻撃は、ゲネル・セルタス亜種によるアルセルタス亜種を投げ飛ばす≪甲虫撃砲≫によく似ているが、いかんせん飛んでくるのが10メートルにも満たないアルセルタス亜種とは違い40メートルを超す≪氷花竜≫なのだからたまったものではない。攻撃動作が大きいので予測することは簡単なのだが、突進後の追尾性能が高いため回避が非常に困難で、危険度が高い攻撃だった。

 始めはこの攻撃による分断を考えたのだが、倍速突進攻撃後、両者が突進並のスピードで合流してしまうので隙を見出すことは出来なかった。なまじ距離を取ると倍速突進攻撃と氷結ブレス攻撃が襲い掛かり、距離を詰めると渦巻攻撃で吸い寄せようとしてくるので、位置取りもかなり難しかった。

 もっとも、いかに強力なモンスターと言えども生物である。体力が無尽蔵に続くわけではない。己の40メートルを超す巨体と相方の巨体を振り回せば、すぐに疲労状態に陥った。

 本来ならば攻撃のチャンスなのだが、厄介なことに疲労回復を待つために動きを止める前に体の周りに大量の氷結玉を発生させるため、うかつに近づくことが出来ないのだ。下手に近づき氷結玉に触れてしまうと、疲労状態から回復した≪氷花竜≫の前に、雪だるま状態になった無防備な姿をさらすことになる。

 わずかな隙間からリドリーが火炎弾を撃ち込むが、漂う氷結玉に射線を塞がれてしまい思うようにダメージを叩き込むことが出来ないでいた。

 同じような攻防を何度か繰り返した後、カーシュナーが近くにいたジュザに近づき指示を与える。水中でも距離が近ければ会話は可能なので細かい打ち合わせができる。

 作戦を決めるとカーシュナーは酸素玉を口に放り込み、ゆっくりと氷結玉の一つに近づいて行った。うっかり触れないように慎重に距離を取り、その場で待機する。ジュザも指示された位置へと素早く泳いでいく。

 疲労状態から回復した≪氷花竜≫が動き出し、それによって生じた水流に流されて氷結玉が散っていく。

 カーシュナーが身を隠していた氷結玉がダメージを蓄積している方の≪氷花竜≫の背後へと漂っていく。その動きに合わせてカーシュナーは移動すると、大きな動作で氷結玉の影から姿を現した。

 それはもう1匹の≪氷花竜≫にとっては不意にカーシュナーが出現したように映り、相方の背後を守るために連結している≪氷花竜≫の氷結ブレス攻撃を誘った。

 ≪氷花竜≫もバカではない。ブレスの射線の先に相方の身体はない。あればブレスを放たずに別の攻撃方法を取っていただろう。しかし、カーシュナーの存在に全く気づいていないもう一方の≪氷花竜≫が、目の前を横切ったジュザを追いかけて、氷結ブレスの射線の先に頭を出していた。

 絶妙なタイミングで氷結ブレスが相方に襲い掛かり、ダメージの蓄積していた頭部を部位破壊してしまう。痛みにひるんだ≪氷花竜≫がのたうち回る。

 ここでカーシュナーはすかさず氷結ブレスを放った方の≪氷花竜≫に閃光玉を投げつける。こちらは強烈な光に視界を焼かれて激しくのたうち回ることになる。

 それぞれが連動せず、別々の方向に動いたため、鉤状になった互いの連結部が引きずり出されてむき出しになる。

 この機を逃さずジュザとカーシュナーが連結部に取りつき、ハンナマリーとリドリーはダメージが蓄積している≪氷花竜≫に集中攻撃を浴びせていく。

 ここが狩猟の決定機と判断したジュザは、鬼人化からの乱舞を連結部に叩き込んだ。その反対側では同じく鬼人化したカーシュナーが≪乱打・回天≫を叩き込んでいる。

 ジュザの直観が、このままでは部位破壊が間に合わないと告げていた。いまは苦痛にもがいている≪氷花竜≫たちだが、徐々に回復してきている気配が伝わってくる。本来ならここからは離脱のタイミングを誤らないために攻撃の手数を計算し始めるべきなのだが、ジュザは内から湧き上がる力に後押しされ、さらに攻撃に意識を集中し始めた。

 周囲の音が締め出されていく。肌を刺す冷水の感覚も失われ、ジュザは純粋な攻撃の意思だけになっていく。

 何もかもが無くなり、ジュザは鬼人から阿修羅へと昇華し、連結部を切り刻む両腕の速度を上げていった。

 

 ――双剣個人技・極み≪阿修羅・千刃≫(アシュラ・センジン)

 

 気力を高めることで一時的に限界を超える力を引き出す鬼人化状態で、さらに力の流れをコントロールすることにより気力を加速させ、両腕の回転速度を上げる荒業である。本来ならば両腕の筋肉がズタズタになってしまう程の力を引き出しているのだが、ラージャンの闘気硬化状態のように、刀身だけでなく両腕も赤いオーラに包まれて守られ、腕を破壊することなく、振るう双剣がまるで千本あるかのように見えるほどの攻撃回数を可能にする。

 その攻撃に特化された姿が東方の荒ぶる闘いの神、三面六手の阿修羅を思わせることからその名がつけられた双剣の神技の一つである。

 ジュザとカーシュナーの猛攻を受け、≪氷花竜≫の連結部に不意に亀裂が入る。その亀裂はのたうち回る≪氷花竜≫自身の力も加わり、まるで鋼が砕けるかのような甲高い音を水中に響かせて千切れ飛んだ。

 互いを引き合っていた力から解き放たれた≪氷花竜≫たちが、自身の力で吹き飛ばされていく。

 頭部の部位破壊に続いて連結部の部位破壊による苦痛に襲われた≪氷花竜≫に向かってカーシュナーはこやし玉を投げつけた。

 確実に分断しようという意図なのかと思ったハンナマリーたちを身振りで制すると、カーシュナーはタイミングを計り2匹の≪氷花竜≫の真ん中で閃光玉を炸裂させた。

 再び光に敏感な両目を焼かれた二匹の≪氷花竜≫が怒りを通り越して狂乱状態に陥る。

 カーシュナーは2匹の中間地点に泳ぎ着くと、演武・奏双棍を双棍状態にし、互いを打ち合わせて独特の音色を暗く冷たい≪六花湖≫の湖底に響かせ始めた。

 こやし玉を受け、臭気を嗅ぎ分けていた触覚を封じられ、閃光玉で視界をなくしている≪氷花竜≫が、カーシュナーが打ち鳴らす演武・奏双棍の響き目掛けて氷結ブレスを放つ。まともに狙いもつけられないうえに狂乱状態に陥っている≪氷花竜≫は、破壊衝動に従って氷結ブレスを乱発する。そのほとんどが、カーシュナーの側らを通り過ぎ、その先にいるもう1匹の≪氷花竜≫に命中する。

 こちらは視界を失っているだけで、鋭い嗅覚が健在なため、自分を傷つける攻撃が誰から向けられたものなのかがわかる分混乱に拍車が掛かる。

 氷結ブレスが鳴り続けるカーシュナーの演武・奏双棍の音色に命中しないことに業を煮やした≪氷花竜≫が、苛立ちのわかる突進攻撃を仕掛けてくる。しかし、これもカーシュナーの演武・奏双棍の音色に誘導されて、相方の≪氷花竜≫に命中してしまう。

 この時点で攻撃を受けまくっていた方の≪氷花竜≫の本能が弾け、強烈な同士討ちが始まった。

(おいおい、なんだこりゃ…)

 予想もしなかった光景に、リドリーが目を丸くする。

(…これをカーシュが狙ってやったのかい?)

 ハンナマリーも、狩猟の真っ最中だというのに、狩りを忘れて目の前のあり得ない光景に目を見張る。

(さすが)

 初めて開眼した≪個人技・極み≫の興奮が、ジュザに目の前の光景がなんなのか、本能的に理解させていた。

 

 ――ハンター個人技・極み≪狂言回し≫(キョウゲンマワシ)

 

 正確無比な状況観察と、それに基づく推理力と判断力とで、これから起こりうる全ての事象を、まるであらかじめ定められていた物語を語るかのように、正確にコントロールし、狩場を支配する絶対者の力。

 多くのハンターが、狩猟を重ねることにより、モンスターの生態や習性を学び、次の行動を予測する。それはエリア移動したモンスターの移動先であったり、行動パターンの先読みであったり、多かれ少なかれ誰もが行っている行動である。

 この予測に意図的な誘導が加わったものが、≪狂言回し≫である。

 狩場のどの位置に立つのか。どの方向へ走るのか。そこで何をするのか。一つ一つの行動がモンスターに与える影響を理解し、ハンターの意図する行動をとらせることにより、狩猟をハンターに有利なものへと導いていく。この業が極まれば、ハンターはその武器をモンスターに一度も振るうことなく討伐することも可能となる。ハンターの個人技の中でもっとも習得率が高く、それでいて神の領域に届きうる程にその能力の可能性は深く、高く、無限の広がりを持つ究極の個人技の一つである。

 ≪狂言回し≫を極みつきで習得しているハンターは、実のところG級ハンターの中にすらもいない。大陸屈指の強剛モンスターである≪鬼蜘蛛≫(オニグモ)を圧倒的強さで退ける最強のハンター赤玲ですらも、状況に対応しているだけであり、支配下に治めている訳ではない。

 いまここに、誰にもそうと知られることなく、唯一にして無二のハンターが誕生したのだ。

 激しい同士討ちは、元々の地力の差と、蓄積されていたダメージ量の差から短時間でけりがついた。

 ≪氷花竜≫同士が争っている間に、カーシュナーたちは次の攻撃に備えて≪氷花竜≫の上に移動していた。そして、決着と同時に頭上から攻め込んで先手を取る。そして、カーシュナーの誘導で他の3人が立ち回りやすい位置に≪氷花竜≫を動かすと、連携攻撃を受けていた時の苦戦がウソのような簡単さで、もう1匹の≪氷花竜≫を討伐してのけた。

 その巨体ゆえ、剥ぎ取り箇所と剥ぎ取り回数の多い≪氷花竜≫は、カーシュナーたちに大量の素材をもたらした。

 これで、上位最強にして、G級ハンターへの昇格最後のモンスターとなる≪断切虫≫希少種との戦いの準備が整ったのであった。もっとも、カーシュナーの心にG級という言葉はない。あるのはテチッチたちに対する思いだけだった。



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真紅の悪夢!

 ≪六花湖≫(リッカコ)での≪氷花竜≫(ヒョウカリュウ)狩猟を無事終えたカーシュナーたち一行は、≪鉱山都市≫へと引き返して来ていた。

 ≪鉱山都市≫にはこれまで、ベースキャンプに多少手を加えた程度の規模の設備しかなかったが、≪鬼蜘蛛≫(オニグモ)と≪拳虫≫≪コブシムシ)の大量発生の際、少数のハンターでも充分防衛可能な機能を現在でも有していることが実証されたことを受け、ここに第2の本格的な拠点を設けることが決定した。

 これには南の大陸調査が予想以上に順調なことが大きく影響していた。

 北の拠点建設が決定となり、予備調査後の一時帰還の計画を取り止め、本格的な定住を前提とした本格調査が開始された。この時点で北の大陸にある各ギルド本部への報告が行われ、南北航路の整備が本格始動し、より多くの人員が投入されることになった。当然調査の対象である南の大陸にはより多くの調査団員が派遣された。

 東西シュレイド王国の干渉を警戒して秘密裏に行われている南の大陸調査であったが、カーシュナーたちのように王国内の戦乱を避けて非難してきた難民の数があまりにも多く、これまで王国との摩擦を考え難民に対して正式な対応を避けてきていたギルドであったが、カーシュナーたちの過去の窮状を伝え知った結果、ついに大々的な難民の受け入れを開始した。その中から人格を厳選された人々にだけ南の大陸の存在が公表され、南の大陸への移住希望者が募られた。シュレイド王家と貴族たちの腐敗ぶりに心底嫌気のさしていた人々は故郷の地を捨て、その結果多くの優秀な人材が南の大陸へとやってくることになった。

 これにより人的資源に余裕が生まれたおかげで、≪鉱山都市≫は再びその機能を回復することになったのである。

 カーシュナーたちが≪六花湖≫から戻ったのは、往復で約3週間後のことであった。

 新たに増員された調査団員の手で≪鉱山都市≫の都市部の瓦礫の多くが撤去され、拠点建設のための資材として再利用されていた。

 その作業中、都市中央部に大きな穴が開いていることがわかった。しかし、穴は瓦礫で埋め尽くされており、いまだに掘り返し作業には入れていないため、都市部の地下には何らかの施設が存在していたのではないかという予想だけが飛び交い、生粋のハンター以外を興奮させていた。

 建築資材の鋳造作業のために、土竜族の職人と鍛冶職人も多く≪鉱山都市≫に移ってきていた。その中には、伝説の鍛冶職人とその弟子のレノも含まれており、北の拠点から≪鉱山都市≫へと移ってきていた。

 南の大陸に始めに建設された北の拠点の防衛任務についているのはG級を極めたハンターがほとんどで、その手に握られている武器や身につけている防具はすでに最終段階まで強化された超一級品ばかりであった。新素材の研究のために新しい武具の試作が行われてはいるが、鍛冶職人たちの主な仕事は修繕ばかりだった。そのため、鍛冶職人たちの責任者である伝説の鍛冶職人が北の拠点から離れても、何の問題もなかった。

 弟子と言う言葉で見習いを想像してしまうため、残されるのが弟子ばかりになり、大丈夫なのかと心配した者も中にはいたが、南の大陸に同行を許された弟子たちは、それぞれがすでに充分な実力を持ち、独り立ちできるだけの技量を持った一流の鍛冶職人たちばかりだった。彼らは一流から超一流を目指すために、竜人族の秘伝の技術を学ぶために伝説の鍛冶職人に弟子入りした玄人の集団だったのだ。武具の修繕など彼らにとっては片目を閉じていても簡単にこなせる仕事であり、暇を持て余していた鍛冶職人の全員が≪鉱山都市≫への移動を希望したため抽選会を行うことになった。

 この抽選を、≪鉱山都市≫での建築資材鋳造の監督責任者という名目で伝説の鍛冶職人がちゃっかりまぬがれ、レノはカーシュナーが扱う演武・奏双棍の最先端製造技術をもつ鍛冶職人ということで、上手くまぬがれて≪鉱山都市≫行を確定させたのだった。

 このおかげで、カーシュナーたちは北の拠点まで戻ることなく、新しい武器と防具を制作してもらえることになったのであった。

 建築資材の鋳造は、職人の作業レベルが現場作業者の数をはるかに上回ったため、作業に必要な数はすでに充分足りていた。そのため、特注品の製造が主な作業となってからは土竜族の職人たちだけでまかなえる状況になり、その結果、腕の立つ鍛冶職人たちが大勢余ってしまった。おかげでカーシュナーたちの装備は鍛冶職人たちが総出で作業に当たってくれることになり、3日とかからず出来上がったのであった。

 久々のまともな鍛冶仕事だったため、職人たちが師匠である伝説の鍛冶職人にその技で挑み、その上で弟子同士が互いの腕を競い合ったおかげで、出来上がった装備一式の完成度は上位装備にしてG級に匹敵するほどの超一級の仕上がりとなった。

 これを見たG級ハンターたちがその出来栄えを絶賛したため、しばらくの間伝説の鍛冶職人と弟子たちは、頬がゆるむのに耐えなくてはならなかった。

 職人たるもの、へらへらしている訳にはいかないからだ。

 ≪氷花竜≫の装備に身を包んだカーシュナー一行は、青白く透き通った≪氷花竜≫の装備の影響で、まるで月光の戦士のような出で立ちとなった。

 装備の中で、特にカーシュナーを喜ばせたのが、≪氷花竜≫からはぎ取った凍結袋から、演武・奏双棍に属性付与できる氷属性のカートリッジを作成することが出来たことだ。

 南の大陸に多く生息している甲虫種と鋏角種は、状態異常系の毒袋や麻痺袋をもっているモンスターは多いのだが、火炎袋や電気袋といった属性ダメージ系の袋を持つモンスターがなかなかおらず、演武・奏双棍の特徴の一つである属性カートリッジの変更のよる武器付属属性の変更機能をなかなか生かせないでいた。

 演武・奏双棍の発案者であるレノが試作した各属性カートリッジを譲ると申し出たが、カーシュナーたちがハンターとしての技術向上と、北の大陸のハンタールールにこだわったため、あくまでも自分たちが狩猟したモンスター素材から武具を作成した結果、なかなか属性カートリッジが集まらなかったのである。

 準備が万全に整ったところに、傷が癒え、テチッチサイズの武器と防具を装備したクォマが現れた。

 こちらは≪鉱山都市≫の坑道エリアで採掘した良質な鉱石素材の端材を元に作られた装備で、頭でっかちの体型にヘルムを装備した結果、子供のおもちゃのようなシルエットになってしまっている。

「…頭、重くないのかニャ?」

 見かねてヂヴァが尋ねる。

「大丈夫だアン! 思った以上に軽くて丈夫で助かるアン!」

 クォマが嬉しそうに答える。かなり熱心に人間の言葉を勉強していたが、カーシュナーたちが狩猟に出掛けている間に相当努力したのだろう。もはや会話に困ることはない。

「語尾が”ワン”じゃないんだね」

 カーシュナーがおかしなところに感心する。

「あっ! オレも思った。てっきりワンワン言うんじゃないかと思ってたよ」

 ヘルムに覆われたクォマの大きな頭をなでながら、リドリーが同意する。

「どういうことだアン?」

 クォマが小首を傾げる。

「ごめんよ。こっちのちょったしたおふざけだから気にしないでおくれ」

 リドリーと同じようにクォマの頭をなでながらハンナマリーが謝る。丁度良い高さにクォマの頭があるので、ついなでたくなるのだ。

「わかったアン! 気にしないアン!」

「すごい素直だ!」

 あまりの素直さにジュザが驚く。こちらもある意味素直な反応である。

「新装備かっこいいアン! こんなに早く準備を整えてくれるとは思わなかったアン!」

「クォマの方こそ、あれだけの深手だったのに、約束通りボクたちが戻ってくるまでにケガを治して、装備まで整えるなんてすごいことだよ!」

 クォマ以上に感心しながらカーシュナーが答える。

「みんなが手伝ってくれたおかげだアン!」

 照れくさそうに謙遜する。

「それはボクたちも一緒だよ。装備がこんなに早く完成したのは、鍛冶職人さんたちのおかげだからね。おかげでいますぐテチッチのみんなの谷を取り戻しに行けるよ」

 クォマはカーシュナーの言葉に大きくうなずいた。愛らしい顔に気合がみなぎる。

「ボクはすぐにでも行きたいけれど、カーシュたちは狩りから戻って来たばかりアン。大丈夫なのかアン? ゆっくり休まなくていいのかアン?」

 クォマが気遣って尋ねる。

「装備を新調している間に充分休んだ」

「おうよ! どっちかっていうと、これからが本番で、≪六花湖≫での狩りはそのための下準備に過ぎねえからな。正直早く狩りに行きたくてしょうがねえぜ!」

 クォマの気遣いを、ジュザとリドリーが笑って吹き飛ばす。それは強がりなどではなく、初めて出会った本気で勝ちたちと思える存在に対する、強く抑え難い衝動に近い想いだった。

 リドリーはハンナマリーやジュザの話から、テチッチたちに対する同情の気持ちももちろんあるが、認めている仲間たちがはっきりと、いまのままでは勝てないと断言したほどの強敵を早く見てみたいという気持ちが強かった。だが、谷の狂乱の中で失われた多くの命と、流された濃すぎる血の臭いの記憶が鮮明なジュザは、カーシュナーと同じく、かつての幸福な生活を取り戻してやることは出来ないが、狂気による破壊衝動の結果、何の必要もなくむごたらしく殺されたいったテチッチたちを、せめとその魂が迷わないように、迷っているのならば、幸福な来世を願って送り出してやるために、テチッチたちの故郷を取り戻してやりたかった。

「全員準備が出来ているなら、ここでお互いの新しい装備を褒め合っていても時間の無駄だからね。さっさと出発しようじゃないか」

 ハンナマリーが全員に声を掛ける。時間の無駄と言われてしまうとレノたち鍛冶職人たちがかわいそうだが、この中で一番装備の外見に無頓着なのがハンナマリーなので仕方がない。それでいてハンナマリーが一番似合っているのだから皮肉なものである。

 テチッチ族であるクォマが肉球でぽにゅぽにゅと頬を叩き気合を入れる。逆に気合が抜けそうな気がするが、大きな傷を負った背中には、緊張のこわばりがある。

 カーシュナーはしゃがみ込むとクォマの背中に手を置いた。

「いまから緊張していると、いざっていうときに身体が動いてくれないよ」

 振り向いたクォマの目の前に、やさしく微笑むカーシュナーの翡翠色の瞳があった。

 メイル越しにでもはっきりわかる程、クォマの緊張が解けていく。

 二人の様子を見ながらハンナマリーは口元をほころばせると、出発の号令をかけた。

「取り返しにいくよ!」

「おおっ!!」

 大声ではないにもかかわらず、カーシュナーたちの声は≪鉱山都市≫の壁や天井に跳ね返り、拠点建設に汗を流す人々とテチッチたちに届いたのであった。

 

 

 坑道の枝道を抜け、テチッチたちの谷と繋がる自然洞窟に辿り着くと、カーシュナーたちはまず、この地に倒れたテチッチたちの亡骸を丁寧に集め、弔った。

 亡骸と言っても、北の大陸以上に細胞の分解作用が高い南の大陸では、骨さえも残らず分解されてしまう。ひと月近く時間が経ったいま、残されていたのは頑丈なテチッチたちの頭骨だけであった。

 テチッチたちに墓という概念はない。死ねば大地に還るのが、彼らの感覚であり、ただ土に埋めるだけである。光の届かない洞窟の土に埋めるつもりのなかったカーシュナーは、葬儀の際に焚かれる≪霊前香≫(レイゼンコウ)の煙で一度頭骨を包むと、用意してきた大きな布に包んで安置した。

 谷を取りも出した後で、見晴らしのいい場所に、≪鉱山都市≫でカーシュナーたちの無事を祈ってくれているテチッチたち全員と一緒に埋葬するのだ。

 クォマが積み上げられた仲間たちの頭骨に、テチッチたちの言葉で何事かを語る。言葉はわからないが、今際の際に、クォマに仲間たちを託した老人の頭骨にその後の出来事を語ったのであろう。その小さな背中から、これまで気づいてやれなかった重荷が取り除かれていくのが、幼いころから仲間たちの命を背負ってきたカーシュナーにはわかった。

 その後姿に、モモンモとファーメイがぼろぼろと涙を流す。

 モモンモもかつて、海底大地震によって故郷の集落を失っていた。自分だけのお面を探す旅に出ていたおかげで集落を襲った悲劇から難を逃れたモモンモを待っていたのは、大規模な山崩れに飲まれた集落の跡と、そこから掘り出された家族のお面。そして、孤独だった。

 ≪樹海≫の中でギルドマスターが発見したときには、泣きながらさまよった後らしく、無残にやせ細り、骨と皮ばかりの状態だった。

 孤独の中で苦しんでいた時に差し出されたギルドマスターの、節くれ立ち、シワだらけになっている手の温かさを、モモンモはいまも忘れていなかった。

 ファーメイは辺境の小さな漁村の生まれで、豊かな海の自然に恵まれ、平和に暮らしていた。海底大地震の直前までは――。

 壁という表現では生ぬるい、断崖のような大津波が海のかなたから恐ろしい早さでせまり、波の高さから逃れられるような高台のない地で暮らしていたファーメイたちは、一人の例外もなく大津波に飲まれてしまった。

 ファーメイの命を救った奇跡は、その代価として命以外の全てを奪って行った。

 意識を取り戻りた時、ファーメイは20キロ近く内陸に流された場所にいた。どうやら波に飲まれた際に流木に引っ掛かり、溺れる前に津波の上に引き上げられ、海の侵略が限界に達した先で置き去りにされたのだ。

 見知らぬ場所で目覚めたファーメイは混乱に襲われ、続いて記憶の混乱が解かれるにつれ、恐怖に支配された。

 ファーメイは家族を探して本能的に海へと向かった。この時はまだ自慢の神速は目覚めておらず、この時に襲われた極限の焦燥感がファーメイの脚から枷を外し、驚異的な脚力をもたらすことになった。

 村のあった場所に辿り着いたファーメイを待っていたのは、海岸に打ち寄せられた村の残骸と、その間で見わけもつかないくらいに膨れ上がってしまった家族と村人たちの死体だった。

 ファーメイは泣いた。絶望と恐怖と孤独。心を蝕む全ての感情に締めつけられ、声が枯れて泣き声も上げられなくなるまで泣き続けた。その時、余震による再度の津波が襲い掛かり、ファーメイの家族を再びさらっていった。

 規模がかなり落ち着いたこともあり、ファーメイは岩にしがみついて難を逃れたが、家族の命ばかりか亡骸まで奪われて、空っぽだった心に怒りが生まれた。

 その日からファーメイと波の戦いが始まった。ファーメイは波の届かない内陸まで村人の遺体を運ぶと埋葬を始めた。家族の亡骸はそんなファーメイの元に波に運ばれ再び帰り、娘の手で大地に還ることが出来た。

 埋葬は、岩ばかりのこの地域では深く穴を掘ることが出来ないため、木切れで可能な限り掘り返した浅い穴に横たえ、その体をわずかばかりの土と石で覆ってやるので精いっぱいだった。

 粗末な墓が50を数えてすべてが終わった時、ファ-メイの心は完全にすり減り、感情は失われていた。死者たちの列の隣りに座り込み、自分の順番が来るのを、ただ待った。

 そんなファーメイを見つけたのが、生き残った被害者たちを探して歩いていた王立古生物書士隊の元隊長だった。

 隊長はファーメイの手を見て驚いた。岩場のわずかばかりの土を集めるために爪のほとんどが削れて失われ、荒れた手に出来たひび割れは肉にまで達していた。やせ細りヒョロヒョロとした少女が築いた墓の列を眺めて、かける言葉も出てこない。

 隊長は、家族も生活も、感情さえも失い、死を待つだけの少女の手を引き、ファーメイが心を取り戻す日まで片時も離れずかたわらに居続けた。書士隊員の多くも、何も語らずそばに寄り添い、ファーメイの居場所を作った。

 無償で寄せられた温かい心に支えられ、抜け殻からいまの自分にまで辿り着けたのは、すべて王立古生物書士隊の仲間たちのおかげだった。ファーメイは心も温かさの持つ本当の意味を深く理解していた。

 クォマの小さな背中は、本人よりも周りの者の方が涙を誘われる後姿だった。

「さあ、行くアン!」

 振り向いたクォマの顔には、新たな決意と晴れやかな笑顔があった。

 

 

「頭をしっかりと狩猟に切り替えるために、一度≪断切虫≫(タチキリムシ)希少種の生態をおさらいしておこうか。遭遇したら最後、仕切り直しは出来ないからね」

 カーシュナーがファーメイに話を振る。

 テチッチたちの故郷である峡谷は、狩場に例えると1エリア分の広さしかない。亀裂が走ったかのように地形は何度も急角度で折れ曲がっているが、基本1本道の単純な作りであり、一度モンスターと対峙したが最後、エリア移動などによる狩猟の仕切り直しは出来ない。狩場というより闘技場での狩猟に近い。状況の確認や整理が出来るのはいまが最後であった。

「じゃあ、改めて≪断切虫≫希少種というか、≪断切虫≫について説明するッス!」

 ファーメイはリドリーが差し出してくれたハンカチで涙を拭くと、盛大に鼻をかんでから説明に入った。鼻水だらけのハンカチを無造作にリドリーに返す。

「≪断切虫≫には他に亜種と希少種が存在するッス。亜種は原種と大差がなくて、一回り大きいことと、体色が黒地に白い筋が入っているのが原種で、亜種は黄色い筋が入っているッス。希少種は大きく異なり、輝く真紅に全身が染め上げられているッス」

「なんでそんなに希少種だけ違うんだ?」

「単純な突然変異の結果なんで特別な理由はないんッスけど、これがモンスターの世界で起こるとより強力な個体として生まれることが多くて、種としては同一のものなんッスけど、狩猟対象としてはきちんと分けて管理しないと、実力に見合わないハンターに希少種の狩猟依頼が出てしまう危険性があるので、モンスターのというより、ボクたち人間の都合で亜種とか希少種って分けているだけッス。ただ、これは≪断切虫≫にのみ言えることなんで、生息環境の影響で攻撃方法ががらりと変わったり、生態そのものが変化しているモンスターもいるんで、亜種とか希少種で区別することは本来はすごく意味があることなんで勘違いしないでほしいッス!」

「了解! ≪断切虫≫希少種に関しては、たまたま赤いってだけのことな!」

「はい! その認識で大丈夫ッス! 生息域も生態にもこれといった違いはないッス! その生態についてなんッスけれど、属性攻撃は一切なしの、甲虫種には珍しい純粋な肉体派モンスターッス!状態異常攻撃に対する耐性が非常に高く、よほど連続で状態異常攻撃を叩き込まないと、体内の抗体ですぐに分解されてしまうため、なかなか状態異常に持っていくのが難しいモンスターッス! ダメージ属性に対する耐性もどれも高く、氷属性以外はほとんど通らないッス!」

「正面からの力比べで勝つしかないってことだね」

「そおッス! 甲殻の内部が他のモンスターと若干異なるんッスけど、そのおかげで軽い上に頑丈な甲殻を持っているので、素早くて硬いのが特徴ッス。その上で筋力も優れており、最大の武器である大アゴを動かす筋肉のおかげで、他の甲虫種と比べて非常に大きな頭部をしているッス」

「顔のほとんどがアゴの筋肉ってことかい?」

「人間で想像するとなんか怖い例えッスけど、まさしくその通りッス。それと飛行能力に優れているんッスけど、脚も恐ろしく強く、6本あるどの脚からも強烈な蹴りが飛んでくるので要注意ッス! ただし、蹴るときは最大でも左右のどれかの脚1本ずつからしか蹴りは飛んでこないので、2本の脚に注意していればそれ以上脚が飛んでくる心配はないッス」

「普通攻撃に使われるのは前脚だけど、真ん中と後ろの脚にも気をつけないといけないんだね」

「初めてのパターンだから、ちゃんと頭に入れとかないとやべえな」

「オレ、特に蹴られそう」

「双剣はリーチが短いからね。懐に飛び込むタイミングの見極めは大事だよ」

 ハンナマリーの言葉にジュザがうなずく。

「攻撃パターンは、実は噛む、蹴るの2種類だけで、これに優れた飛行能力と素早い動きを組み合わせてくるだけのきわめてシンプルな強さを持ったモンスターッス!」

「その分大きな隙も穴もないね」

「望むところ!」

 ジュザが鼻息荒く答える。どうやらかなり気に入っているらしい。

「シビレ罠と落とし穴は効果時間が短く、まともに使えるのは閃光玉だけなんで、捕獲は諦めた方が、変な隙が生まれなくていいかもしれないッス」

 ファーメイが注意事項として最後に付け加える。

「基本立ち位置はカーシュナーの動きに合わせて各自調整。ただし絶対に正面に立たないこと。いくら新装備の防御力が高いって言っても、破られれば真っ二つにされると思って立ち回るんだよ。いいね!」

「おおっ!」

「行くよ!」

 ハンナマリーが号令と共にとんでもない力で両頬に張り手を入れる。顔に≪断切虫≫希少種に劣らない真っ赤な手形と気合を入れて、力の戦場へと足を踏み出した。

 

 

 遭遇はあっという間であった。自然洞窟に到着した時点で存在に気づかれていたのかもしれない。

 ≪断切虫≫希少種は狭い谷の間を器用に飛行し、カーシュナーたちに襲い掛かって来た。

 飛行突進は食い止めようがないので、カーシュナーたちはジグザグに折れ曲がった地形を利用するため、谷の曲がり角へと走った。≪断切虫≫希少種がいかに飛行能力に優れているとはいえ、ギリギリの旋回飛行を要求される曲がり角に陣取られるとまともに攻撃することが出来ない。やむなく着地しようとした瞬間、≪断切虫≫希少種の思考を読んだかのようなタイミングで閃光玉が投じられ、≪断切虫≫希少種は無様に墜落させられてしまった。

 いくら頑丈とはいえ、墜落の衝撃からそう簡単に回復出来るわけもなく、≪断切虫≫希少種は横倒しになって足掻いていた。墜落位置まで計算して投じられた閃光玉のおかげで、カーシュナーたちはすぐさま大きな隙をみせた≪断切虫≫希少種に攻めかかった。

 弾かれるかと思った攻撃は、予想以上に通り、ダメージを与えていく。伝説の鍛冶職人たちのおかげだ。

 このまま一気にダメージを与えようと思った瞬間、むなしく宙をかいているだけかと思われた脚が、視界と思考の二重の死角をついて襲い掛かってきた。

 最大の武器である巨大なアゴの破壊と、アゴ伝いに音波による脳への気絶値の蓄積を狙って頭部に陣取っていたカーシュナーと、腹部へ乱舞を叩き込んでいたジュザが狙われる。

 完全な死角からの攻撃だったが、それまでと異なる身体の動きからギリギリで攻撃を察知したカーシュナーが身をひねって直撃を避ける。それでも完全にかわしきることは出来ず、無理な体勢で攻撃がかすめたため、派手に吹き飛ばされてしまった。

 それよりひどかったのが、攻撃に気づけなかった上に乱舞中でかわしようのなかったジュザだった。大木のような中脚の一撃が背中を襲い、鬼人化中だったおかげでなんとか倒れ込まずにすみ、その後の追撃をかわすことが出来たが、回復薬グレート1瓶分のダメージを受けることになってしまった。

 倒れ込んだ状態だったので、完全に脚の力だけで繰り出された攻撃だったにも拘らず恐るべき攻撃力である。

 翅の部位破壊を狙っていたので、≪断切虫≫希少種の背後に位置取りをしていたハンナマリーが、攻撃を受けた二人から注意をそらすために、体勢を立て直した≪断切虫≫希少種に薙ぎ払いと斬り上げ攻撃を繰り返し叩き込む。そして、≪断切虫≫希少種の注意が向く寸前に大剣の分厚い腹を盾代わりに構えた。読みが的中し、ギリギリのタイミングでガードした大剣に、巨大なアゴが襲い掛かる。下位レベルの大剣ならば噛み切られてしまうのではないかと思えるほどの一撃に、ガード性能が高いはずの大剣を持つハンナマリーがガードしきれず、大きく体勢を崩された。それだけでなく、体力も少なからず削られる。

 ハンナマリーの窮地を、リドリーのライトボウガンが救う。倒れ込んでいる間はLv3貫通弾で腹部の先端から頭部に一直線に弾が抜けるように狙撃していたが、体勢を立て直すのに合わせ、≪断切虫≫希少種が苦手としている氷結弾に切り替えて後脚の付け根部分に速射を一点集中したのだ。カーシュナーとジュザが回避しきれないほどの足クセの悪さを目にし、機動力と攻撃力の双方を低下させようと考えたのだ。

 リドリーの攻撃に注意がそれている隙にハンナマリーが位置取りを調整する。連続攻撃が可能な範囲内にいると、下手に攻撃をガードした際に一気に追い詰められかねないからだ。

 それぞれが体勢を整え、隙をうかがい身構える。

 ≪断切虫≫希少種も急襲して来た時の勢いがウソのように、カーシュナーたちの様子をうかがっている。一連の攻防で容易ならざる相手であることに気がついたのだろう。

 カーシュナーが身振りでリドリーに合図を送る。膠着状態でも攻撃のチャンスを作りやすいのがリドリーの持つ遠距離武器の強みなのだ。

 ≪断切虫≫希少種の視線を誘導するためにカーシュナーが動く。カーシュナーの動きを警戒して身体の向きを変えたことにより、先程リドリーが集中攻撃した箇所がリドリーの前に現れる。リドリーは一瞬も遅れることなく氷結弾による速射を叩き込んだ。

 ダメージの蓄積を嫌い、≪断切虫≫希少種がリドリーの方に振り向く。その脚を払うようにハンナマリーが薙ぎ払いを打ち込む。地面につく寸前にすくわれた脚が流れ、≪断切虫≫希少種はたたらを踏まされる。そのわずかな隙を突いてカーシュナーとジュザが一撃ずつ攻撃を叩き込んだ。

 追撃は考えず、すぐさま≪断切虫≫希少種の攻撃範囲から離脱する。それを追いかけるように、≪断切虫≫希少種がティガレックスばりの回転攻撃を繰り出し、周囲を薙ぎ払う。ティガレックスと違い、長い尻尾ではなく巨大なアゴが空を斬って旋回する。

 蹴つまづく程ではないが、かなりの風圧が二人の背中押す。欲をかいてもう一撃入れていたら、二人ともいまごろは谷を狭くしている両側の岩壁に叩きつけられていただろう。

「こいつ面白い!」

 ≪断切虫≫希少種の強さに興奮したジュザが、珍しく狩猟中に歓声をあげる。

「お前らがヤバイって言っていたのがよくわかるぜ!」

 4人の中で唯一≪断切虫≫希少種と遭遇していなかったリドリーが叫ぶ。

「装備を強化していてもギリギリだね。耐えれて2発が限度と思いな! 3発目を受けたら死にかねないよ!」

 納刀して隙を窺っていたハンナマリーが警告する。

 その警告を無視するかのように、カーシュナーが無造作に距離を詰める。それに素早く反応した前脚の攻撃が襲い掛かる。これを見切っていたカーシュナーが寸前でかわし、空振りに終わった脚に演武・奏双棍の長棍状態の叩きつけを入れ、素早く距離を取る。同じ攻撃を3度繰り返した結果、苛立ちから早くも怒り状態になった≪断切虫≫希少種が大アゴを開いて突進してくる。

 この間カーシュナーの攻撃に、実際に加えている攻撃以上の意図を察した3人は攻撃の手を控える。リドリーなどはいくらでも攻撃するチャンスがあったが、下手にダメージを与えると≪断切虫≫希少種すらも予期していない動きをみせる可能性があり、それはカーシュナーの見切りを誤らせることにつながるので用心のためライトボウガンを背中に戻していた。

 ≪断切虫≫希少種の突進攻撃を最小限の動きで回避したカーシュナーは、振り向いて自身の狙いの成果を確認する。

 ≪断切虫≫希少種は峡谷の岩壁に、まるでディアブロスのように大アゴを突き立てて身動きできなくなっていた。

「さすが!」

 様子を窺っていた3人が、好機を逃すまいと殺到する。

「みんな、さがって!!」

 カーシュナーの絶叫が峡谷の壁に当たって響き、その響きをはるかに上回る破砕音が轟く。

 ≪断切虫≫希少種が、突き刺さった岩がまるで粘土か何かであったかのように無造作に断ち切り、身体の自由を取り戻しのだ。

「マジか!」

 しばらく拘束されると見込んで氷結弾から貫通弾に切り替えていたリドリーが驚きの声をあげる。

 その声を聞きつけたわけではないだろうが、リロードのため大きな隙を作ってしまったリドリーが狙われる。

 ガンナー装備のリドリーは当然防御力が低い。まともに攻撃を受ければひとたまりもないかもしれない。

 かわせないと判断したカーシュナーたちが生命の粉塵に手を伸ばしたとき、クォマの口から甲高く、軋るような音が発せられた。

 これを聞いた≪断切虫≫希少種がぎくりと身をすくませ、急停止して身構える。

 やった本人も知らないことなのだが、クォマが発した音は≪断切虫≫希少種を本来の縄張りから追い出した≪噴流蟲≫(フンリュウチュウ)が発する警告音にそっくりだったのだ。

 この隙にリドリーは素早く安全圏に移動する。

「サンキュー! クォマ!」

 リドリーが礼を言う。

「テチッチ秘伝のびっくり音だアン!」

 クォマが叫び返す。

 テチッチたちは奇面族の踊りのような特殊能力を持っていた。それはドンドルマやメゼポルタにいた歌姫たちのような特殊な歌や、自然音や生物の鳴き声などの再現といった声を使った特殊能力であった。

 クォマが使ったのは、テチッチたちが峡谷の外に出た際に遭遇するモンスターを追い払うのに使用している音で、はるかな昔に先祖の一人が≪噴流蟲≫が発する警告音を聞いて一族に持ち帰り、伝えたものであった。

 この音は≪断切虫≫希少種に留まらず、≪霊峰・咲耶≫(レイホウ・サクヤ)に生息するモンスター1種を除いて、大陸中のほぼ全てのモンスターに効果がある。真似をされてる≪噴流蟲≫の基本的な性格が、”臆病でキレやすい”という面倒なもので、実はもっとも効果があるモンスターは≪噴流蟲≫なのである。

 欠点としては、モノマネであることがモンスターに知られると怒り状態にしてしまうことであった。

 幸いにもモノマネであることがバレなかったようで、≪断切虫≫希少種は身構えたまま周囲をうかがっている。

 ここでの攻撃は無用に怒らせる可能性があることに気がついたカーシュナーが攻撃を控えるように合図する。

 この隙にハンナマリーが岩壁を登り、≪断切虫≫希少種の真上を取る。

 ようやく警戒態勢を解いた≪断切虫≫希少種の上に、ハンナマリーがジャンプ攻撃を敢行する。

 それは、≪鉱山都市≫を包囲した強豪モンスター≪鬼蜘蛛≫を、たった一撃で仕留めてみせた個人技をマネたものであった。

 大剣個人技・極み≪断頭≫は、重量武器の一つである大剣を、料理人が黄金魚の活け造りをさばくような繊細さで扱わなければならない超高難度な業である。ハンナマリーが繰り出した武器出し攻撃は、かなりの精度で≪断切虫≫希少種の頭部の連結部に吸い込まれていったが、わずかな軌道の狂いで通常ダメージを与えるにとどまった。このわずかな狂いを制御できるか否かが、神技と通常攻撃とを隔てているのであった。

 ≪断頭≫こそ逃したが、ハンナマリーの攻撃は弱点部位である連結部に氷属性の大きなダメージを与えることに成功した。ハンナマリーはその勢いを駆って乗り攻撃に移行する。

 ハンナマリーが剥ぎ取り用ナイフを突き立てた瞬間、≪断切虫≫希少種が尋常ではない勢いで暴れ出した。

 ハンナマリーはナイフを突き立てることをやめて必死でしがみつこうとしたが、≪断切虫≫希少種の真紅の光沢を放つ甲殻は、見た目通りのなめらかな表面を持ち、まともに手を掛けておける場所がなかった。

 攻撃時よりもはるかに激しく暴れた結果、ハンナマリーが宙に放り出される。

 空中に投げ出され、回避も防御も出来ないでいるハンナマリー目掛けて≪断切虫≫希少種が大アゴを開いて襲い掛かる。

 ≪断切虫≫希少種の大アゴがハンナマリーを捕らえる直前に、カーシュナーが投げた≪爆裂投げナイフ≫がハンナマリーに命中する。小型のモンスターならば一撃で気絶させるだけの威力を持つ爆風に弾かれて、ハンナマリーの身体が浮き上がる。

 大剣同士で切り結んだかのような激しい衝突音を響かせて、≪断切虫≫希少種の大アゴがハンナマリーがいた場所を通過し、空振りに終わる。

 ここで驚きの動きをみせたのが、≪爆裂投げナイフ≫で吹き飛ばされたハンナマリーだった。

 爆風のおかげで空を向いていた身体が反転し、≪断切虫≫希少種に向き直ることが出来たのだ。新品の防具の防御力を無視して身体に蓄積された≪爆裂投げナイフ≫のダメージにも怯まず、ハンナマリーが大剣の柄に手を掛ける。そのとき、モモンモが踊ってくれた回復の踊りの効果がハンナマリーを包む。心の中で感謝を叫びながら、苦痛の呪縛から解放されたハンナマリーの集中力が一気に跳ね上がり、落下する身体を見事に操って、≪断切虫≫希少種の大アゴの付け根に武器出し攻撃を叩き込んだ。

 

 ――大剣闇技・極み≪太刀斬り≫(タイケンヤミワザ・キワミ≪タチキリ≫)

 

 それは、ギルドナイツが対人戦に用いるハンター禁忌の武器破壊業であった。商売として密猟を行うようなハンターは、ハンターの矜持である、”人に対して武器を用いず”という不文律など歯牙にもかけない。強大なモンスターに対して用いられるべき武器を、平気で人に向けてくる。この業はそんな外道の手から武器を奪うだけでなく、心をへし折る目的で振るわれる。古龍のレア素材をふんだんに使用して作成された名刀を、そのほとんどを鉱石素材を元にして作成された武器で破壊するのだ。強度、性能共にはるかに上回る武器を破壊するその剣技は闇技と称され、精鋭揃いのギルドナイツの中でも、ほんの一握りの者にしか扱えない幻の業であった。

 ハンターとして極め業をも開眼するに至ったハンナマリーの実力と、スラム時代に散々流した敵と自身の血の暗闘の経験が、本来ならば会得しえない技をハンナマリーにもたらしたのであった。

 偶然とはいえ、≪断切虫≫希少種相手に≪太刀斬り≫で突破口を開くとは、皮肉が効きすぎている。

 ハンナマリーの放った≪太刀斬り≫は、大アゴの付け根の駆動部に吸い込まれていった。この場所は大アゴを180度以上開くために厚い甲殻は存在していない。吸い込まれた大剣は弾き返されることなくアゴの筋肉と腱を半ばまで切断し、振り抜かれた。

 アゴから多量の体液を吹き出しながらも≪断切虫≫希少種は怯みも見せずに着地し、ハンナマリー目掛けて復讐の突進攻撃を敢行する。

 一度開いた突破口をさらに拡大するために、立ち位置的に恵まれていたリドリーが大アゴの傷口に氷結弾を討ちい込んでいく。

 ボウガン個人技・極み≪針穴穿弾≫(シンケツセンダン)。団長を≪鬼蜘蛛≫の牙から救う際に開眼した超精密早撃ち集中攻撃である。

 大きく開いた傷口に、速射される氷結弾が、突進しているにもかかわらず全弾同じ個所に吸い込まれていく。これにはさしもの≪断切虫≫希少種も怯みをみせて突進の速度が鈍る。

 緊急回避の態勢に入っていたハンナマリーが、ここをチャンスと判断し、いつでも抜刀出来るように大剣の柄に手を掛けて待ち受ける。

 それを確認したカーシュナーがジュザに合図を送り、≪断切虫≫希少種の後方の死角に潜り込ませる。そして、自分はハンナマリーの真後ろにつき、≪断切虫≫希少種の意識がハンナマリーからずれないように立ち位置の調整を行う。

 ≪断切虫≫希少種らしからぬ迷いの見える動きを見切るのは容易だった。ハンナマリーは大剣・ハンマー個人技・極み≪撃砕≫(ゲキサイ)を、突進してきた≪断切虫≫希少種の大アゴにカウンターで叩き込む。

 突進を誘ってから、激突寸前でかわすと同時に絶妙の立ち位置へと移動する足さばき。リドリーがさらに広げてくれた傷口へ、≪断頭≫を狙った以上の精度で叩き込まれる大剣。全てがかみ合ったハンナマリーの一振りは、見事に≪断切虫≫希少種の大アゴの片方を斬り飛ばし、永遠に何物をも断ち切ることのできない姿に追いやってみせた。

 過去最大の苦痛に、さすがの≪断切虫≫希少種ものたうち回って苦しむ。

 あまりにも激しく動き回るので近接武器を持つ3人は迂闊に近づくわけにはいかず、追撃はリドリーに一任される。

 リドリーが恐るべき技の冴えで、予測しようのない動きでもがき回る≪断切虫≫希少種の後脚の付け根に氷結弾を撃ち込んでいく。ようやく正気を取り戻した≪断切虫≫希少種が態勢を立て直した時には、ダメージの蓄積により、後脚の片方は自由が利かなくなっていた。

 いよいよ大詰めかと思われたとき、それまで陽光を反射して真紅に輝いていた身体の周りに、それよりもはるかに濃い赤を帯びた揺らめきが加わった。そして、身体の節々から鋭利な棘が飛び出してくる。

 激昂状態である。

 まるでラージャンのように真紅のオーラをまとい、凶器の塊と化した全身を、細かい狙いなど完全に無視して、とにかくカーシュナーたちを傷つけることを最大の目的に叩きつけてくる。

「守りに入っちゃダメだ!! さばききれない! やられる前にやろう!」

 冷静なカーシュナーが賭けに出る。それほどに状況は切迫していた。

 斬り飛ばされた大アゴの傷口から噴き出す体液の量は激昂状態に入ったことにより、さらにその量を増している。≪断切虫≫希少種にとってもこれは大きな賭けなのだ。

 威力も速度も先程までの比ではない。動きの鈍い後脚をただの荷物か何かのように無造作に振り回し、突進からの回転攻撃を多用してくる。残された大アゴも、巨大な刃物と化して全員に襲い掛かってくる。まるでラージャンが投身に見合うサイズの大剣を手にぶん回し攻撃をしているかのような迫力と危険性である。

 それでも全員が驚異的速度で繰り出される攻撃をギリギリのところでかわし、反撃を入れていく。技術レベルに個人差はあれど、もうすでに全員がハンター個人技・極み≪一重・流れ木の葉≫(ヒトエ・ナガレコノハ)を体得していた。もし、ギリギリの見切りが叶わなければ緊急回避に頼らなければならない。しかし、≪断切虫≫希少種の攻撃の連続性と攻撃精度を考えると、緊急回避後の追撃は間違いなくカーシュナーたちを捕らえていたことだろう。

 激しくも短い我慢比べのような攻防は、≪断切虫≫希少種のスタミナ切れで幕が下りた。これだけ暴れ、これだけのダメージを受けてようやくである。その体力とスタミナの量には驚かされるばかりであった。

 カーシュナーたちも、深手こそ負うことはなかったが、ギリギリの見切りでは完全にかわし切ることはできず、新品だったはずの防具はまるで百戦を戦い抜いた後のように傷だらけになっていた。

 全身に飛び出していた棘が引っ込み、赤いオーラが散っていく。動きの鈍った≪断切虫≫希少種が本能的に翅を広げ、離脱をはかる。

「ヂヴァ!」

 ≪断切虫≫希少種の行動を先読みしていたカーシュナーが、≪断切虫≫希少種とは全く関係ない岩壁目掛けて走り出す。ファーメイを護衛するために距離を置いた場所にいたヂヴァがカーシュナーの言葉に答え、弾丸のような速度で駆けつけてくる。

「掴まって!」

 カーシュナーはどういう理由からか、岩壁目掛けてジャンプ攻撃の態勢に入る。それを追って、1ミリの迷いもなくヂヴァがカーシュナーに飛びつく。

 カーシュナーはヂヴァを背負う形で高々と舞い上がると、岩壁の窪みに再度長棍状態の演武・奏双棍を突き立て、器用に態勢を入れ替えると、三角飛びの要領で、翅を広げて舞い上がった≪断切虫≫希少種目掛けて二段ジャンプ攻撃を敢行したのであった。

 見た目以上に頑丈な翅の間をすり抜けて、外甲殻よりははるかに薄い甲殻に覆われた腹部に演武・奏双棍を叩きつける。そして、そのまま素早く乗り攻撃に移行する。

「ヂヴァ! お願い!」

 たったそれだけで、ヂヴァはカーシュナーの意図を察し、なめらかすぎて人間ではしがみつくことが出来ない≪断切虫≫希少種の腹部に、カーシュナーの脚を抱え込むようにして、アイルー自慢の鋭い爪で固定してしまったのであった。

 剥ぎ取り用ナイフが突き立てられ、≪断切虫≫希少種がカーシュナーを振りほどこうと暴れ始める。反転飛行をしたり、身体を岩壁にぶつけるなどして必死で振りほどこうとするが、スタミナ切れのタイミングで乗られてしまったことが響き、ハンナマリーを振りほどいて見せた時ほどの勢いはない。

 カーシュナーは、本来ならば振り落とされないようにしがみつかなくてはならないタイミングでもお構いなしにナイフを突き立て、≪断切虫≫希少種を地面に叩き落とすことにのみ集中していた。それは、ヂヴァが絶対に自分を≪断切虫≫希少種の背に繋ぎとめてくれるという信頼の証でもあった。

 カーシュナーの気持ちをしっかりと受け止めたヂヴァが根性をみせる。その姿を見たモモンモ、クォマ、ファーメイの3人が、モンスターの注意を引くわけにはいかないのであまり声を出すわけにはいかないのだが、この時ばかりはのどがつぶれんばかりの勢いでヂヴァに声援を送る。

 暴れていた≪断切虫≫希少種の翅から不意に力が失われ、地響きを立てて墜落する。その衝撃で投げ出されたカーシュナーとヂヴァが見事な受け身を取ると一転、すぐさま立ち上がった。しかし、ヂヴァはここまでが限界であった。その小さな体で、暴れ回る≪断切虫≫希少種との根競べに勝利してみせたのだから無理もない。手足の力が抜けてへたり込む。その様子に気がついたモモンモとクォマがすかさずヂヴァの回収に駆けつける。

「カーシュ! とどめだニャン!」

 ヂヴァの声に後押しされて、カーシュナーは力なくもがく≪断切虫≫希少種目掛け、駆ける。今度はクセの悪い長い脚の邪魔はなさそうだ。

 カーシュナーが≪断切虫≫希少種に取りついたときにはすでに、ハンナマリー、ジュザ、リドリーの猛攻撃が始まっていた。

 リドリーがLv3貫通弾で連続ダメージを与えていけば、ジュザが残った大アゴ目掛けて乱舞を叩き込む。ハンナマリーは背後に回ると、墜落の衝撃で上手くたたむことが出来なかった背中の甲殻の隙間から、翅と腹部目掛けて溜め切りを叩き込んでいた。

 カーシュナーは大アゴが斬り飛ばされたおかげで攻めやすくなった頭部に取りつくと、鬼人化からの≪乱打・回天≫を叩き込んでいく。

 この状況で人一倍気を吐いたのがジュザとハンナマリーであった。

 ジュザは先の狩猟で開眼したばかりの双剣個人技・極み≪阿修羅・千刃≫(アシュラ・センジン)を振るいつつ、さらに集中力を研ぎ澄ましていく。両腕を包んでいた赤いオーラに加えて青いオーラが絡まるように這い上り、赤いオーラと混じり合うと紫紺のオーラへとその色を変じていく。オーラは腕だけにとどまらず、ついには上半身全てを包み込む。揺らめくオーラと目で追うことすら困難な斬撃を振るうその姿は、まぎれもなく東方の闘いの神、阿修羅そのものであった。

 

 ――双剣個人技・極み≪阿修羅王・三千刃≫(アシュラオウ・サンゼンジン)

 

 それは、乱舞の最終到達域。竜人ならざる者でこの領域に足を踏み入れたのは、この数世紀で、わずかに7人。現存するハンターなし。ジュザはG級の扉を開く前に、双剣使いの極みに達したのであった。

 極限の乱舞を受けて≪断切虫≫希少種の大アゴに亀裂が走り、砕けるのではなく、すっぱりと切り落とされる。

 激痛が活を入れる結果となり、≪断切虫≫希少種の脚に力が戻り、立ち上がろうとする。その寸前に、全力で舞い続けていたカーシュナーの≪乱打・回天≫が功を奏し、めまい状態に陥り崩れ落ちる。

 目の前で崩れ落ちた強者の背中に、ハンナマリーが介錯の一撃を振り下ろす。

 ハンナマリーの脳裏には、ひと月ほど前に目の当たりにした赤玲(セキレイ)の大剣個人技・極み≪開錠・七星門≫(カイジョウ・シチセイモン)があった。はるか高みにある強さ。あの日、あの瞬間から、ハンナマリーの頭から離れたことはない。同じ大剣使いだからこそわかる彼我の距離。それでも追い続けた成果が、この時早くも発揮されることになる。

 強力な一撃を叩き込むために、振りかぶった大剣に氣を溜めていく。1段階、2段階、3段階…。集めた力が行き場を求めてハンナマリーの体内で暴れだす。本来ならばここで拡散していく力を閉じ込めることで、全身を内側から針で突かれるかのような苦痛が襲い掛かってくる。

 暴れる力の流れを読み、その行先を探し出す。ハンナマリーの脳裏に、存在しないはずの門が現れる。開くカギは自身の意志の力のみだと、ハンナマリーは本能で悟っていた。意志の両手を門の扉に掛ける。

『開け!』

 命じるとともに、押し開く。意識の中に現れた力の門の扉は、ハンナマリーに逆らうことなく開いていく。それまでとはけた違いの力が身体中に満ちていくのが感じられる。力があふれて破裂するのではないかと思った瞬間、ハンナマリーは、カッ! と両眼を見開くと、一気に大剣を振り下ろした。

 

 ――大剣個人技・極み≪開錠・四星門≫(カイジョウ・シセイモン)

 

 大剣の溜め攻撃は3段階。それ以上に氣を溜めようとしても拡散してしまい、威力は逆に低下してしまう。それは溜めた氣から導き出される力に肉体が耐えられないため、自衛処置として起こる現象なのだが、力に耐えられるだけの強靭な肉体と、氣をコントロールし、限界を定めている力の門を開くことが出来れば、3段階以上に氣を溜めることが可能となる。

 開錠可能な門の数は全部で七つ。八つ目の門も存在すると言われているが、それは死へと通じる門とされ、本当に存在するのか、存在するのならばどうやって開くのか、その全ては謎に包まれ、求めることを厳しく禁じられていた。

 竜人族ですら開錠することが難しいとされる第四の門をハンナマリーは開いてみせたのであった。

 振り下ろされた大剣の刃が翅を断ち、腹部を深々と切り裂く。大量のモンスターの体液が噴き出し、ハンナマリーの防具に飛び散った。

 それまでむなしく宙をかいていた脚がビクッと痙攣し、糸が切れた操り人形のように落ちた。

 狂乱の谷を征した真紅の悪夢は、ついに終わりを迎え、覚めたのであった。

 一拍の間をおいて、クォマの感無量の雄たけびが、住人を失った峡谷を、岩壁に反響しながら隅々まで響き渡ったのであった――。

 

 

 そこは、峡谷の小高い場所にある日当りのいい元耕作地の外れだった。

 生き残ったテチッチ族たちと、多くの調査団員たちで埋め尽くされている。

 こんもりと盛り上がった土の下にはテチッチたちの頭骨が眠り、その上には職人たちが作ってくれた慰霊碑が建てられている。周りには沢山の花束が供えられ、霊前香が焚かれていた。慰霊碑の前で、ギルドマスターがいつまでも手を合わせている。

 少し離れたところから、カーシュナーたちはこの光景を眺めていた。そこに喜びはないが、これから先も生きていくための心の底に重く溜まっていた想いを下ろすことが出来た安堵があった。

 大型モンスターの出現地域になってしまったため、取り戻したとはいえ二度と帰ることが出来なくなってしまった故郷を、カーシュナーの隣でクォマが見下ろしている。その小さな肩に、カーシュナーは優しく手を掛けていた。

 結局は何も取り戻せていないのだ。それでも、心に決着をつけることの大切さを知っているカーシュナーたちは、目の前の光景に満足していた。

 ついにG級へとたどり着いたという事実よりも、それは、はるかに意味のあることであった――。



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≪霊峰・咲耶≫

 世界の南半球に存在する南の大陸では、北の大陸と違い、南下するほど気温が低下する。もっとも、調査団員が始めに上陸し、調査を開始した大陸は、南に3つ存在する大陸の中で、最も安定した気候と豊かな土壌に恵まれた大地であるため、平地で降雪が観測されるのは南端部のみであった。

 大陸に広く繁殖している甲虫種であるが、≪六花湖≫(リッカコ)からさらに南へと下った先にある大陸最大の大河を超えると、その繁殖勢力に衰えがみられ出し、草食種や鳥竜種、飛竜種や牙獣種などの姿が多く見られるようになる。それでも、各エリアの生態系の頂点に君臨するのは常に甲虫種の強力モンスターたちだった。

 ≪生命の大河≫と名付けられた大陸最大の大河は、その名が示す通り、モンスターに限らず、数多くの生物が繁殖し、生命の起源の謎を解き明かせるのではないかと期待されるほど豊かな可能性を秘めた狩場だった。しかし、≪生命の大河≫には上位最強クラスやG級クラスのモンスターが生息しておらず、独自の進化をとげたモンスターも生息してはいないため、北端部から南下してきたハンターにとっては、これと言って注目する価値のある狩場ではなかった。

 この≪生命の大河≫を渡河してさらに下った先に、≪南の森丘≫と名付けられた狩場が広がり、その先には広大な草原地帯が広がっていた。

 ≪南の森丘≫も名前が示す通り、北の大陸にあるココット村からほど近い狩場である≪森丘≫に非常によく似た環境を持つ自然豊かな狩場で、多くの草食種が繁殖していた。ここには小型の鳥竜種と中型の飛竜種が生息していた。

 北の大陸には存在しない中型の飛竜種は、体長が10メートル未満で、ちょっと大きいガブラス程度の飛竜であり、けして狩場の所有権を主張するようなことのない存在であった。万が一にもその存在感が、縄張りのボスの危機感を煽るようなことがあれば、容赦なく駆逐されてしまうため、それ以上大きい個体は生き残れないのだ。

 ≪小火竜≫と名付けられたリオレウスの子供のような飛竜が生息しているのだが、これをホルクのように手懐けられないかという研究が進められ、それなりの成果を発揮しているという。これがもし調教可能となれば、ハンターは強力な戦力を手に入れることになる。

 ハンターにとっても非常に興味深い要素を持った狩場ではあるのだが、大陸屈指の強豪モンスターである≪鬼蜘蛛≫(オニグモ)が生息していること以外は特別なモンスターに遭遇することはなく、その≪鬼蜘蛛≫も繁殖数の関係で狩猟禁止指定が出てしまっているため、採取や生肉などの狩猟とは別の目的でもない限りは、G級揃いの南の大陸のハンターたちには重要性のかなり低い狩場となっていた。

 ちなみに≪小火竜≫は下位クラスのモンスターであり、これまで研究のために数匹が捕獲されたのみで、討伐されたことはない。

 ≪断切虫≫(タチキリムシ)希少種を討伐し、あっという間に上位を卒業してG級ハンターに昇格したカーシュナーたちは、先に上げた二つの狩場は勉強のために採取ツアーを受注して隅々まで狩場を把握しただけにとどめ、さっさと通過してしまった。

 新しい狩場と生物に喜んだのは王立古生物書士隊員であるファーメイと採取の鬼モモンモだけであり、他のメンバーはこの二人のために同行したようなものであった。

 新しい狩場を軽く流して通過すると、カーシュナーたちは風の強い草原地帯を横断し、大陸南端部にある最後の狩場、≪霊峰・咲耶≫(レイホウ・サクヤ)へとやって来た。

 標高の高い山脈が存在しない南の大陸で、唯一5000メートル以上の標高を誇る美しい山である。貴婦人のドレスを思わせる優美で緩やかな曲線を描きながら広がる裾野は、過去に流れ出した溶岩を抱え込んだ緑濃く美しい、惑わしの樹海へと流れ込んでいる。かつては荒れ狂う狂気の山であったが、休眠期に入ったいまでは、白く輝く美しい姿と、内に秘めた暴力的な狂気とで、眠れる樹海の魔女などと揶揄されることもある。

 鉱物資源も豊富で、この地でしか採取できない鉱石が何種類かあり、それらを求めて足を運ぶだけでも充分な価値のある狩場である。

 カーシュナーたちにとっても希少な鉱物資源は魅力的であったが、それ以上に彼らが期待しているのが、≪霊峰・咲耶≫にのみ生息し、≪噴流蟲≫(フンリュウチュウ)と並んで大陸2強モンスターと謳われるG級モンスター、≪煉狼龍≫(レンロウリュウ)ラヴァミアキスの存在だった。

 かつて世界に破滅の恐怖をもたらし、≪厄海≫の底深くで眠っていると言われる≪煉黒龍≫グラン・ミラオスが持つとされる≪不死の心臓≫を持ち、同様に灼熱核によって制御されたマグマが身体中を体液として循環している驚異のモンスターである。

 ジンオウガと同じ牙竜種に分類されているが、キングサイズのグラビモスを上回る30メートル近い巨体を誇り、それでいて機動力はまるで衰えをみせない驚異的な身体能力をも誇る。肉体の骨格及び基本構造が牙竜種のものであるだけで、その存在は古龍となんら変わることはない。

「やっと着いたね」

 カーシュナーが嬉しそうに振り向く。

「まだ、樹海を通らないといけないッスから、着いたとは言えないッスよ! 迷いやすいんで油断は禁物ッス!」

 ファーメイが注意を促す。

「≪霊峰・咲耶≫がデカ過ぎるから距離感がおかしくなるな!」

 目の上に手でひさしを作って眺めていたリドリーが感嘆に近い感想をもらす。

「ファーメイの言う通りだね。ここまで来たんだ。つまらない理由で引き返すことにならないように、気を引き締め直してもう一頑張りしようじゃないか」

「またここまで出直すかと思うとゾッとする」

 ハンナマリーの言葉に、ジュザが嫌そうに顔をしかめる。

 ≪鉱山都市≫から≪霊峰・咲耶≫までは2か月以上の道のりだった。万が一出直すようなことになれば、一年の半分が無駄になる。その事実に思い当たった全員が、ジュザ同様嫌な顔をした。

 全員が荷物と装備の点検を自主的に行うと、カーシュナーたちは惑わしの樹海へと踏み出した。

 

 

 ベースキャンプは天然洞窟の中に設置させていた。中は二段構造となっており、入口に近い上段に簡易ベットと赤い納品ボックスが用意され、驚くほど気温の低い下段には大量の支給品が保管されていた。これは北の拠点にある調査団本部から最も遠い位置に狩場があり、細かい管理が困難であるため、訪れるハンターがベースキャンプの管理も行うことになっているのである。手間は増えるが、おかげでG級クエストには珍しく、クエスト開始時点から支給品を受け取ることが出来るのである。数をごまかす気になればいくらでも出来るが、南の大陸に来ることを許されたハンターたちの中にそのような不心得者はいないというギルドマスターの信頼が裏切られることはなかった。また、北の大陸ほど狩場の管理が行き届かないことと、不測に事態が発生しやすい環境であることから、緊急時に消費した規定数以上のアイテムは、狩猟後に報告書を提出すればその内容に応じて認められ、万が一使い過ぎと判断されたときは余剰消費分の代金を支払えばこれといったペナルティが与えられることはない。

 カーシュナーたちは運んできた補充分の支給品を保管場所に運び込むと、今回のクエストで使用が許可されている大量の支給品を取り出して青い支給品ボックスへと移した。おそらく竜人族の老人たちの気遣いなのだろう。どう考えても多すぎる支給品を全部アイテムポーチに詰め込んだりすれば、薬草1本採取することも出来なくなってしまう。

 カーシュナーたちは心遣いに感謝しつつ、携帯食料と応急薬グレートと支給用ホットドリンクだけを取り出し、アイテムポーチに詰め込んだ。

「さて、出発前の準備は済んだことだし、いつものおさらいをしようか」

 カーシュナーが落ち着いた声で提案する。テチッチ族の故郷を牛耳っていた≪断切虫≫(タチキリムシ)希少種をはるかに上回る強さを持つ、狩猟可能なモンスターの中ではおそらく最強と言っても過言ではない実力の持ち主を前にしても、少しの緊張も見られない。

 ちなみに同等の実力を持つと言われている≪噴流蟲≫は、撃退以前のかなり軽めの蓄積ダメージを受けた時点で、好き放題暴れた上でさっさと逃げ出してしまうただの厄介者なので、まともな狩猟は不可能と考えられている。

 カーシュナーの言葉に従い、分厚いモンスター図鑑をファーメイが取り出す。

「じゃあ、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスについて改めて説明するッス! おそらくその火属性の強さで並ぶ存在は、北の大陸では”歩く災厄”と言われる超大型古龍、≪煉黒龍≫グラン・ミレオス意外に存在しないと言い切れるほどの突出した破壊力を持っているッス!」

 ファーメイがここで一拍置く。最近ではモンスターの説明というよりも怪談話に近い感覚になって来ている。

「大木のように太く発達した四肢を持ち、30メートル近くある巨体を支え、完全にコントロールするッス! 力も素早さも、これまでのモンスターとは比較にならないッス! あの≪断切虫≫希少種ですらも、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの前では霞むどころかいないも同然ッス!」

「そんなに差があるのか?」

 ジュザが尋ねる。

「≪断切虫≫希少種も20メートル以上あり、充分大きかったし、その上で早かったッスけど、根本的な重量感が違うんッスよ! カーシュ君も充分鍛えてあって引き締まった身体をしてるッスけど、ハンナとは比較にならないのと一緒なんッス! 美少年とラージャン(雌)みたいなもんッス!」

「ものすごくわかりやすい例えだな!」

「まったくだ」

「誰がラージャン(雌)だ!」

 ハンナマリーはそう言いつつも、ラージャンの両腕ぶん回し攻撃をマネて3人にツッコミを入れる。ツッコミというより、もはやただの制裁にしか見えない。

「……と、とにかく、大きさそのものも上回っているッスけど、縦横の比重が全然違うんッス!」

 ファーメイがふらふらになりながらも本能的に説明を続ける。目の焦点がモンスター図鑑に全くあっていない。よく説明できるものだ。

「あれ以上ってことになると、ちょっと想像しにくいね」

「そうッスね。ボクも言ってていまいちピンと来ていないッス。遭遇したら、始めは動きに慣れることに集注した方がいいかもしれないッスね」

「それ、確定だね」

「肉弾戦だけでもとんでもなく強いんッスけど、属性攻撃はそれ以上に強力で、ブレス攻撃は追尾性能が高く、体液として体内を流れているマグマを全身から噴き出しながら繰り出してくる肉弾攻撃は、物理ダメージと属性ダメージの合わせ技になるので、受けるダメージは2倍以上になるッス! 全員火属性の耐性が高い≪断切虫≫希少種の素材で作ったG級防具を装備しているッスけど、それ込みで2倍ッスから、決して油断しないようにしてほしいッス!」

「この装備でも2発もたないかもしれないってことか?」

「リドはガンナー装備だから余計にそうッスね! 前の≪氷花竜≫(ヒョウカリュウ)装備は火耐性が極端に低かったッスから、もし装備を新調していなかったら、間違いなく一撃でオチるッスよ! でも逆に、弱点となる属性は龍、氷で、最も効果があるのが龍属性による攻撃なんッスけど、残念なことに、南の大陸には強力な龍属性を持ったモンスターがいなかったせいでみんな龍属性武器を持ってないッス! けど、G級にまで強化した≪氷花竜≫の武器が持つ高い氷属性値なら、充分ダメージを与えられるはずッス!」

「装備新しくしといてよかった~」

「たぶん前の装備のままだったら、ギルドマスターがクエストの受注を許可してくれなかったと思うッス!」

「ってことは、ギルマスじいちゃんがこの装備ならイケるって判断してくれたってことか!」

「心強いな」

 ジュザがつぶやく。

「その強さから、もし≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが、≪霊峰・咲耶≫以外でも生息できていたら、南の大陸は甲虫種を中心とした生態系にはなっていなかったと考えられているッス!」

「なんでここにしか生息していないの?」

「それは、強さの根源になっている≪不死の心臓≫が生み出す膨大な熱エネルギーが、自身の身体をも焼き続けているからッス! ≪不死の心臓≫を持っているとはいえ、その機能はどうやら不完全なものらしく、同じ≪不死の心臓≫を持つ≪煉黒龍≫グラン・ミレオスのように、生み出されるエネルギーを生かし切ることが出来ず、余った灼熱の力が外ではなく身体の内側に向かってしまうみたいなんッス! だから、寒冷な気候を持つ大陸南端部の、それも標高が一定以上で一年を通して極寒の、≪雪山≫のエリア8のような環境で常に身体を冷やし続けないと死んでしまうため、≪霊峰・咲耶≫の中腹以上に生息しているんッス!」

「≪不死の心臓≫を持っているのに死んじゃうの?」

「そうッス! 言葉が矛盾しているッスけどね。これは1頭だけ捕獲できた≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの幼体の情報から推測されたことで、確認された事実ではないんッスけど、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは、幼体の時期には体内に≪不死の心臓≫を持っていないんッス。おそらく死んでも≪不死の心臓≫だけは残り、それを見つけて体内に取り込んだ個体のみが成獣にまで成長することが出来るのではないかと考えられているッス!」

「なるほど、手に入れられなかった個体は大きく成長できないから、他のモンスターに捕食されてしまい、結局成獣になれた≪煉狼龍≫ラヴァミアキスだけが残るってことなんだね。…でも、それだと≪不死の心臓≫はどうやって出来上がるのかが疑問だよね。仮に幼体のうちは持っていなくても、成長に従って体内で精製されるならわかるけど、死んで残された≪不死の心臓≫を若い個体が受け継いでいくってことは、自分じゃ精製出来ないってことなのかな? だとしたら、始めに誕生した≪煉狼龍≫ラヴァミアキスはどうやって≪不死の心臓≫を手に入れたのかだよね」

「たまごが先か、ガーグァが先かの話みたいだね」

「そうッスね! そもそも≪不死の心臓≫自体がいまだに謎に包まれた部分の多い素材ッスからね。これはあくまでボクの推測ッスけど、ものすごく低い確率で≪不死の心臓≫を持って生まれてくるか、体内で精製出来る個体が現れているんじゃないッスかね? それなら一般的な≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの幼体が≪不死の心臓≫を持っていないことと、≪不死の心臓≫の継承の説明がつくと思うんッスよ!」

「なるほどな~」

 ファーメイの説明にリドリーが感心する。しかし、カーシュナーの中にはいくつかの疑問が残った。大陸南端部は寒冷な環境の影響で、根本的に甲虫種の繁殖率が低い。大型の甲虫種は他の地域に比較するとかなり少なく、主に繁殖しているのは小型の甲虫種ばかりである。しかし、それでも”いる”のである。≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは、いまでこそ≪霊峰・咲耶≫の中腹以上に留まっているが、それは≪不死の心臓≫が原因のやむを得ない理由からであり、そうなる前までは平地に生息していたはずなのである。何といっても火属性を持つモンスターである。誰がすき好んで弱点属性の一つである氷の世界のような≪霊峰・咲耶≫に生息するだろうか。だが、大型甲虫種が生息する地域で、≪不死の心臓≫を得て大型化を始めていたら、≪南の森丘≫に生息する≪小火竜≫のように、エリアを牛耳るボスによって力をつける前に排除されしまい、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは誕生していなかったはずである。

 弱肉強食という鋼の掟をすり抜ける何かが、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスにはあるのだ。

 攻略の糸口になる可能性もあることなのだが、いかんせんそのほとんどが推測に推測を重ねた上での考えなので、これ以上考えを推し進めるだけの価値があるのか、根本的な部分がはっきりしないのである。カーシュナーはここで考えることをやめ、この疑問を記憶の中にしまい込んだ。下手な思い込みは判断を誤らせるだけでしかないからだ。

「胸と肩と背中に灼熱核、マグマのコアのことッスね。が、あり、部位破壊できるッス! 破壊に成功すると攻撃の属性値が大幅に下がるので積極的に狙っていくといいと思うッス! ただ、怒り状態になると蓄積されていたダメージが回復してしまうので、一気に破壊しないと逆に無駄な努力になってしまうッス!」

「その辺は動きと動きのクセを見てからだね。全部破壊したいところだけど、狙い過ぎて、結果深追いすることになったら余計な反撃をもらうことになるだけだからね」

「だな。あんまりでかいなら下手すると届かないかもしれねえからな。二人以上で攻め込めねえなら割り切って立ち回った方がいいな」

「状態異常はどれも有効ッス! 罠も効くッスけど、落とし穴は焼き切られてしまうので拘束できる時間が短いッス! シビレ罠はまともに効果があるので、どう使うかが勝負の分かれ目になるかもしれないッスね!」

「よっしゃ! おさらいはこんなもんだろ。まずは採取ツアーに出て、≪霊峰・咲耶≫の地形を頭に入れるとしようか」

 一通りの説明が終わったところで、ハンナマリーが勢いよく立ち上がった。ファーメイとモモンモが嬉しそうにハンナマリーに続く。ファーメイは新しい狩場の探索が目当てであり、モモンモは新素材の採取が楽しみなのである。他のメンツも新しい狩場を前にして気持ちが高揚してはいるが、それ以上の緊張感が気持ちの頭を抑えつけているため、ファーメイやモモンモほどにははしゃげなかった。

「二人ともホットドリンクの予備忘れるんじゃないよ!」

 競うようにベースキャンプから飛び出したファーメイとモモンモの背中にハンナマリーが声を掛ける。

 二人とも早くも何か興味を引くものを発見したらしく、答えもせずに歓声を上げると走って行ってしまった。

「もう少しモンスターの心配しろよな!」

 リドリーが文句を言いながら後を追うと、残りの全員がその後に続き、≪霊峰・咲耶≫へと足を踏み出したのであった。

 

 

「意外と洞窟が多いな!」

 天井から釣り下がる無数の剣のようなつららを見上げながら、リドリーが感想をもらす。

 遠くから見ていた時には気がつかなかったが、≪霊峰・咲耶≫には無数の洞窟が走っていた。それもかなり手の込んだ人口の洞窟だ。≪鉱山都市≫の奥に広がる坑道のように、採掘の結果出来上がった洞窟とは違い、どのような道具を使用すればこのような加工が可能なのか想像も出来ない程、床は平らにならされ、壁も幻獣バターやロイヤルチーズをナイフで切り取ったかのように、真っ直ぐなめらかになっている。それら全てが、長い年月をかけて吹き込んできた風雪により覆われている。

 どうやらそれぞれの自然洞窟の間を人工的につなげているらしく、しばらく進むと不意に開けた採掘場のような場所に出ることがあり、モモンモをおおいに喜ばせた。ファーメイとしては氷漬けになった古代モンスターあたりを発見しようとしていたようだが、いまのところそういった気配はなかった。

「ファー、このクンチュウみたいなのなに?」

 ジュザが質問しながら飛び掛かってきた丸い物体を蹴り飛ばす。

「ああ、それは≪飛弾虫≫(ヒダンチュウ)ッス!」

 ファーメイが答えている間に、ジュザに蹴り飛ばされた≪飛弾虫≫はハンナマリーによって再度蹴り飛ばされ、洞窟の隅で弾んでいる。

「クンチュウの仲間で、全身がゴム質の皮に覆われた小型モンスターッス! ゲリョスを狩らなくてもゴム質の皮が手に入るお得なモンスターッスよ!」

「カーシュ! ゴム質の皮って必要だったっけ?」

 少し離れたところで獣人トリオと一緒に採掘をしていたカーシュナーに尋ねる。

「必要ないよ! 南の大陸だとゴム質の皮の上位以上の素材が手に入らないから、攻撃してこない限りは狩らなくていいよ!」

「おい! カーシュ! ふざけるなモン! ゴム質の皮だモン! 肌にぺったりくっつけると気持ちいいゴム質の皮だモン! 必要だろうが!」

 最後には興奮のあまりお決まりの”モン”を付け忘れるほどの勢いでモモンモが抗議する。

「そんなつまらん理由でモンスターを狩るんじゃニャい!」

 ヂヴァが興奮するモモンモをたしなめる。

「つまらん理由とはなんだモン! ぺったりくっついて、ぺりぺりはがれるあの快感をバカにするなだモン!」

「モモンモってなんだか変態みたいだアン!」

 興奮するモモンモに対し、クォマが3歩ほど引く。

「誰が変態だモン! お前らみたいな毛むくじゃらにはこの快感がわからないんだモン! カーシュならわかるモンな!」

「……いや~、南の大陸に来てからハンターになったから、ゲリョスを狩ったことがないんだよ。だからゴム質の皮も実際に触ったことがないからわからないんだ」

「なんてことだモン! カーシュは人生の楽しみの8割を損しているモン! よしっ! オイラが≪飛弾虫≫を狩りまくって、カーシュのために全身ぴったりフィットなボディスーツを作ってやるモン!」

「うちの弟に変なこと教えるんじゃないよ! あぶない趣味に目覚めたらどうするんだい!」

 興奮するモモンモの頭をハンナマリーが軽く小突く。上手いこと半回転したおかげで、モモンモは突然視界を失いジタバタともがいた。

 そんなモモンモのお面を元の位置に戻してやりながら、カーシュナーはモモンモに声を掛けた。

「ボクのボディスーツは別として、モモンモがそこまでお勧めする素材なら、せめてモモンモのボディスーツが作れるくらいのゴム質の皮を集めてみようか」

「話がわかるモン! だからカーシュは好きだモン!」

 言うが早いか、モモンモはハンナマリーが蹴り飛ばした≪飛弾虫≫を追いかけて行った。

 なかなかに強力な一撃を叩き込んだが、持っている武器が打撃属性の演舞棍(エンブコン)もどきであったため、たいしたダメージを与えられなかった上に、思い切り弾き返されて全身を細かく震わせてしびれている。

 身動きできなくなったところに仲間を助けようと他の≪飛弾虫≫が転がり襲い掛かり、モモンモを滅多打ちにする。

「何を遊んでいるにニャ! 仕方のないヤツニャン! クォマ、手伝いに行くニャン!」

「了解だアン!」

 見かねたヂヴァがクォマと一緒に助太刀に向かう。ヂヴァはピッケル状の切断武器を、クォマはソードタイプの切断武器をそれぞれ装備しているので、モモンモよりもはるかに効率よく≪飛弾虫≫を狩っていった。

 カーシュナーたちが見守る中、エリア内に生息していた≪飛弾虫≫が狩りつくされ、モモンモは無事ボディスーツを作れるだけのゴム質の皮を手に入れたのであった。

 ≪霊峰・咲耶≫の探索は順調に進んでいった。始めは古代モンスターの氷漬けのような大発見を期待していたファーメイも、今では王立古生物書士隊員らしく、エリアごとの採取可能なアイテムや、生息していた小型モンスターの種類や数などの地味な調査に精を出している。ほとんど調査が手つかずの≪霊峰・咲耶≫では、いまファーメイが集めている情報が今後のさらなる調査の土台になるので、以外に責任重大な採取ツアーなのだ。

「だいぶ登って来たね。ここを抜ければおそらく中腹地帯に入るはずだから、油断するんじゃないよ」

 斜め上から射し込む光を見上げながら、ハンナマリーが注意をうながす。

 たいまつのおかげでそれ程でもないが、外に出れば一面白銀の世界である。暗さに慣れた目が強烈な反射光に焼かれるのを防ぐために、カーシュナーたちはすぐには外へ出ず、支給用ホットドリンクを飲み直しながら、光に目を慣らしつつゆっくりと洞窟の外へと移動した。

 白さが違った。

 北の大陸でも、比較的冬場の積雪量が少ない地域で育ったカーシュナーたちは、本当の意味での雪を見るのはこれが初めてだった。雪と水が混じり合ったみぞれのような雪しか知らなかったので、目の前を舞う雪の結晶は、腕の立つ職人が作ってばら撒いているのではないかと思わせるほど美しかった。

 思わず手を伸ばして受け止める。手のひらに乗るとほんの一瞬だけ形をとどめ、水になってしまう。作り物ではなく本物の雪だ。

「これは意外と苦戦させられそうだね」

 カーシュナーが照り返しと白一色の世界に眉をしかめる。それは死を招く可能性を秘めた美しさだった。

「やばいな~。距離感が狂うぜこりゃあ」

 カーシュナーの言葉に、試しにスコープをのぞいて見たリドリーが愚痴る。

 距離感をつかむための対象が何もないので、自分がいま見ているものが近くにあるのか遠くにあるのか、大きいのか小さいのかがわかりにくいのだ。

「安心してくださいッス! 保護具仕様のシャドウアイ持ってきているッスから大丈夫ッスよ!」

 そう言うとファーメイは大きな背負い袋から人数分のシャドウアイを取り出した。モモンモはお面のおかげでいらないらしいが、ヂヴァとクォマ用のシャドウアイまである。

「ギルドマスターからのさし入れッス!」

「珍しく気が利く」

 受け取りながらジュザがつぶやく。さっそく掛けるとなかなかによく似合っている。

「リド必要なの?」

 カーシュナーが尋ねる。前髪がもっさりとしてい過ぎるリドリーがシャドウアイを掛けても、前髪に埋もれてしまって見た目の変化がまったくなかったからだ。

「いや、これはすげえいいぜ! 地形も見分けやすくなったから、これで斜面から転がり落ちる心配もしなくてすむだろ!」

 全員ギルドマスターの心配りに感謝しつつ、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの生息域の探索を始めた。それぞれ言葉には出さないが、先程までの砕けたような感じはなくなり、どこか緊張感が漂っている。

 素材的な収穫に恵まれ、モモンモがホクホク顔で歩いていると、雪の一部が突然飛び跳ね、モモンモに飛び掛かった。ここまでカーシュナーたちと一緒に数々の修羅場をくぐり抜けてきただけあって、完全な不意打ちであったにもかかわらず、とっさに身体を開いてかわす。反応は良かったのだが、さすがに腰まで雪に埋まっているせいで動きが制限されるため、かわしきることが出来ず、引っ掛けられて雪の中に倒れ込んでしまう。

 モモンモに襲い掛かったモンスターが、雪の中を飛び跳ねながらけたたましい鳴き声を上げる。

「あっ! その子は小型鳥竜種の≪白雪鳥≫(ハクセツチョウ)ッス! なりは小さいッスけど、好戦的だそうッスから気をつけてくださいッス!」

 ファーメイが解説している間に、とがったくちばしの先端と、短い前脚、それに反して太く大きく発達した後脚の先端部分だけが黒く染められた≪白雪鳥≫の仲間が集まってくる。けたたましい鳴き声は、どうやら仲間を呼んでいたらしい。

「ファー、この子たちの素材ってわかる?」

「鳥竜種の牙がメインで、≪白雪鳥≫の鱗に皮、後は竜骨【小】みたいッスね。上位素材も出るらしいッス」

「装備類は開発されていないよね?」

「いないッスね! 南の大陸には鳥竜種がほとんどいないんで、試作後の派生先も開発出来なくて、確か見切りをつけられちゃった記憶があるッス」

「じゃあ、狩ってもあんまり意味ないね。姉さん。追い払えるかな?」

「モモンモが≪飛弾虫≫を狩りまくったからね。素材が使えないならこれ以上は無駄な殺生はしたくないから、いっちょやってみるか」

 ハンナマリーはそう言うと、わめきたてる≪白雪鳥≫の群れの中に無造作に踏み込んで行った。そして大剣を背負うように構えると、氣を溜め始める。

 1段階、2段階、3段階、…そして4段階まで力を溜める。そして、大剣個人技・極み≪開錠・四星門≫(カイジョウ・シセイモン)を、群れの真ん中に叩き込んだ。

 地中に大タル爆弾Gでも埋め込まれていたかのような勢いで雪が吹き飛び、≪白雪鳥≫たちを飲み込む。

「死にたくないだろう? 早く帰りな」

 どすの利いた声でハンナマリーがつぶやく。当然言葉は通じないが、異様に似合うシャドウアイが威圧的に光を反射し、圧倒的な力の差と、明確な殺意を伝える。

 先程のものとは響きの異なる、悲鳴に近い鳴き声を上げながら、≪白雪鳥≫の群れは逃げ散っていった。

「さすが、我らが雌ラージャン! とんでもないこと……」

 リドリーがハンナマリーをからかおうとしたとき、雪崩でも起こったのかと思わせる野太い咆哮が≪霊峰・咲耶≫に響き渡った。そこには、己のテリトリーに侵入してきたものへ対する、絶対者だけが持つわずらわしげな苛立ちがこもっていた。

「いまので気がついたな」

 咆哮が響く空を見上げながら、ジュザが凄味のある笑みを浮かべる。一瞬で臨戦態勢に入っている。

「まあ、ハンナのあれだけでかい百戦の気を感じ取れないような鈍ちんじゃねえわな!」

「どうする?」

 ハンナマリーがカーシュナーに問いかける。

「いまのであいさつは充分だよ。せっかくギルマスじいちゃんが採取ツアーと討伐クエストを連続で発注してくれたんだから、今日はこのまま残りのエリアを調べて帰ろう」

「そうだね。採取ツアーで討伐したなんて言ったら、またギルマスじいちゃんにどやされそうだからね」

 牙竜種特有の長く尾を引く咆哮が大気を揺らし、ハンナマリーが舞い上げた雪の結晶たちをきらめかせる。

 つい先程まで騒がしかった≪白雪鳥≫たちが、姿どころか気配まで消してしまっている。

 その後はどのエリアに入ってもモンスターの姿を見ることは出来なかった。≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの振るった威に打たれ、身を潜めてしまったのだろう。

 ≪霊峰・咲耶≫は、巨大な一つの力と巨大な一組の力が出会う前に、戦場の様相を呈したのであった――。



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≪煉狼龍≫ラヴァミアキス 

 見事な円錐形をした≪霊峰・咲耶≫(レイホウ・サクヤ)の山頂に、厚い雲がかかる。自然が遊び心を起こしたのか、その姿はまるでユクモノカサをかぶっているかのようであった。

 ベースキャンプから足を踏み出したカーシュナーたちに、麓付近にもかかわらず昨日とは違う冷たい風が吹きつける。これから起こるであろう激闘を予感してか、天候も荒れ始めたようだ。

「天気が荒れた場合どっちに有利になるんだ?」

 リドリーがかけらの緊張もにじまない声で問いかける。

「向こうだよ。本格的な吹雪が初めてのボクらと違って、≪煉狼龍≫(レンロウリュウ)ラヴァミアキスは、≪霊峰・咲耶≫の住人だからね。吹雪なんてうちわであおられているようなものなんじゃないかな」

 こちらも緊張した様子の見られないカーシュナーが答える。ハンナマリー、リドリー、ジュザの3人よりもはるかに幼いころから修羅場を潜って来たカーシュナーは、冷静であることの重要性が骨身にしみている。

「それにしても静かだね。草食種1匹いないじゃないか。≪煉狼龍≫ラヴァミアキスがワンワン吠えてた昨日ならわかるけど、今日もいないってのはどういうことだい?」

「上に≪煉狼龍≫ラヴァミアキス。下に雌ラージャンじゃあ、大概のモンスターは逃げ出すだろ」

「あっ、その条件ならオレも逃げたい」

 ハンナマリーが無言で軽口をたたくリドリーとジュザの二人に両腕ぶん回し攻撃による制裁を加える。もはやツッコみの領域を完全に突き抜けている。

「まあ、つまんない邪魔が入らないんならそれでいいさ」

「まだ決めつけないほうがいいと思うよ。ボクたちが不利な状況になった途端に昨日の≪白雪鳥≫(ハクセツチョウ)辺りが出てくるかもしれないからね」

「出て来たければ来ればいいさ。後悔させてやるだけの話だよ」

 そう答えたハンナマリーの目は、完全に肉食獣のものだった。

「さあ、無駄話はこのくらいにして、そろそろ≪霊峰・咲耶≫の主にあいさつに行くとするかい」

「そ、その前にベースキャンプで一回休ませてくれ」

「早くも大ダメージ」

 制裁からようやく立ち上がった二人が懇願するのを無視して、ハンナマリーたちは≪霊峰・咲耶≫の中腹を目指したのであった。

 

 

「このシャドウアイは便利だねえ。光だけじゃなくて雪避けにもなるんだから」

 たどり着いた中腹は、予想通りの吹雪だった。横殴りに吹きつけて来る風が、大粒の雪のかけらを石つぶてのように叩きつけてくる。昨日は芸術作品を思わせた雪の結晶がウソのような変わりようである。

 ハンナマリーが絶賛しているシャドウアイは、本来ならば頭部用の防具なのだが、防具としての機能を排除し、保護具として改良されたものであるため、他の頭部防具との併用が可能になっている。当然ゲリョスの閃光などを防ぐような高機能は持ち合わせていないが、雪の照り返しや吹雪などから目を守るには充分だった。

「さて、どこから探そうか」

「クォマがモノマネすれば来るかもしれないモン!」

 ハンナマリーの問いかけにモモンモが提案する。

「クォマ、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスのモノマネ出来るの?」

カーシュナーが驚いて尋ねる。

「出来るアン! 昨日試しにやってみたらいけたアン!」

「ダメもとでやってみりゃあいいじゃんか。せっかくクォマが練習してくれたんだからよ」

 カーシュナーたち同様≪断切虫≫(タチキリムシ)希少種の端材を使って作成されたG級ヘルムに包まれたクォマの大きな頭をなでながら、リドリーが後押しする。

「そうだね。クォマいっちょ頼むよ」

「任せてほしいアン!」

 ハンナマリーの頼みを快く引き受けると、クォマは大きく息を吸い込んでいく。

 胸が膨らみ腹も膨らむ。あばら骨が外側に折れるのではないかと全員が心配し始めた時、クォマがのどどころか全身で音を響かせながら、とんでもない咆哮を上げたのであった。

 ここまでとは思っていなかったカーシュナーたちは、反射的に耳を押さえて座り込む。

 長く尾を引く牙竜種特有の咆哮が、細くなって途切れた瞬間、モモンモが怒り狂って抗議する。自分が提案したことなどすっかり忘れているようだ。

「ここまで本格的とは思わなかったよ!」

 カーシュナーが苦笑いしながら言う。

「くらくらする」

 ジュザも自分の油断に顔をしかめつつ苦笑した。

「なんだっけ? モモンモが前に似たようなことができるお面つけて来なかったけ?」

「れうすのお面かモン?」

「お~、それそれ! あれより威力あるだろ!」

「テチッチ族と奇面族じゃ肺活量が違うみたいだモン。どんなに無茶しても、あんなに深く息は溜められないモン! っていうか、昨日練習していた時と違い過ぎるモン!」

「練習していた時は迷惑にならないように抑えていたんだアン。びっくりさせてごめんだアン」

 クォマがしょんぼりして頭を下げる。

「しょげるようなことじゃないよ! すごい技じゃないか! 使いどころしだいで、大型モンスターを怯ませることも出来るかもしれないよ!」

「確かに。もっと大きな音も出せるのか?」

 ジュザもうなずき尋ねる。

「もう少し出せるアン」

「耳の良いモンスターなら至近距離でくらえば確実」

「だな。牙竜種って聴覚が発達しているんだろ? ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスに効果があるんじゃねえか?」

 リドリーに問われてファーメイが答える。

「どうッスかねえ? 確かに聴覚は非常に優れているッスけど、ジンオウガやその亜種に音爆弾が効くことはほとんどないッスよ。強いてあげるなら、眠っているときに投げると起きるくらいッスから、効果はあるんッスかね?」

「音爆弾って確か高周波をモンスターに叩きつけるんだよね? ボクらの近くで音爆弾がさく裂しても、誰も気絶したりしないでしょ? それと一緒で、ジンオウガには高周波が効きにくいんじゃないのかな?」

「それはあるかもッスね! 今度隊長に確認しておくッス!」

「高周波が単に効きにくいだけだとしたら、聴覚自体は優れているんだから、耳元での爆音は効果があるんじゃないかな?」

「それそれ! オレがずいぶん前にファーにやられたみたいに、かなり効くんじゃねえか?」

「…うん。効くと思うッス! これは大発見かもしれないッス! 試してみる価値があるッス!」

 テチッチ族の特技にこれだけの能力があるとは思っていなかったファーメイが興奮する。

「でも、危ないからやっちゃダメだよ」

 周囲の盛り上がりを制して、カーシュナーがクォマに釘を刺した。

「あ~、確かに危ないッスね。仮に効果があったとしても、めまい状態になるくらいの効果がなければ、反撃を受けるだけッスからね」

「そうだニャン! クォマがそんな一か八かの賭けに出なくても、いまのカーシュたちの実力なら問題ないニャン。中途半端な手助けはかえって足を引っ張ることになるニャン」

「…う~ん。残念だアン。せっかく新しい大技が出来るかと思ったけど、諦めるアン」

「なに、今回はやめておくってだけの話さ。もう少し安全に立ち回れる相手で腕を磨けばいい。慌てることなんてないさ」

 クォマの頭をぐりぐりなでながら、ハンナマリーが励ました。

「わかったアン!」

 クォマが気持ちを切り替えて元気よく答える。

 そこに突然、巨大な雪玉が襲い掛かってきた。

 ハンナマリーが咄嗟にガードし、クォマたちを守る。

「来た!」

 ジュザがシャドウアイ越しでもわかる程の鋭さで目を見開く。それは一瞬本当に光を放ったかと思うほどの気迫に満ちていた。

「どこだ!」

 雪玉が飛来してきた方向に目を凝らしながら、リドリーが不審げに尋ねる。肉眼で見つけられず、スコープを使って探したにもかかわらず、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの姿を捉えられなかったからだ。

 聴覚や嗅覚に優れるヂヴァとクォマが五感を駆使して≪煉狼龍≫ラヴァミアキスを探すが、それでも気配を捉えることが出来ない。

「どういうことだアン!」

「クォマもわからニャいか! プレッシャーはこんなに感じるのに、全然見つけられないニャン!」

 いままで経験したことのない事態に、全員の背筋に冷たい汗が流れる。体温が、極寒の大気よりも下がったのではないかと錯覚する。

「……まさか、エリア外攻撃!!」

 自身の発想に自分でも驚きが隠せず、カーシュナーが珍しく叫び声をあげる。

「!!!!」

 カーシュナーの言葉に全員声も出せずにカーシュナーを見つめる。

「ジエン・モーランの岩飛ばしって、かなりの距離を飛んでくるんでしょ?」

 カーシュナーに問われてファーメイが答える。

「確かにそうッスけど、それでも同一エリア内ッスよ!」

「でも、他に考え……!! 来た!!」

 雪玉の第2弾が飛来してくる。

「おっ! 今度はだいぶそれてるぞ! どこ狙ってんだ?」

 リドリーが不審そうに、自分たちのいる位置からかなり山頂側にそれて飛来する雪玉を見送った。

「カーシュの言う通り、隣りのエリアから適当に雪玉をなげてるのかねえ?」

 ハンナマリーも首をかしげる。

 その時、山肌に着弾した巨大な雪玉が、砕けて雪のつぶてを降らせてきた。着弾の衝撃も大きく、耐震スキルを持たないカーシュナーたちはかわすことが出来ず、つぶての雨をまともに受けることになった。

 これが意外に威力が高く、ガンナーの放つ散弾並の威力があり、カーシュナーたちは動きを封じられてしまった。そこに、雪玉の着弾の振動によって引き起こされた雪崩が追撃を掛けてくる。

 カーシュナーたちは必死で身体の自由を取り戻そうともがく。

 雪崩がカーシュナーたちの頭上に襲い掛かる寸前に、なんとか身体の自由を取り戻した一同は、雪崩を回避するために緊急回避で身を躍らせた。

 洞窟の入り口付近にいたリドリー、ジュザ、ファーメイ、モモンモ、ヂヴァの5人は、とっさに洞窟に飛び込み振り返る。

 そこで目にしたのは、カーシュナーとクォマを抱えながら雪崩に巻き込まれるハンナマリーの姿だった。

「こっちはまかせろ!」

 一瞬だけ目が合い、雪崩の轟音を割ってハンナマリーの声が届く。

「ハンナ!!」

 反射的に飛び出そうとしたモモンモとヂヴァを捕まえたリドリーとジュザが、同時に叫ぶ。だが、その声がハンナマリーに届いたかはわからない。大量の雪に阻まれて、リドリーたちはハンナマリーたちと完全に分断されてしまったのだ。

 出口をふさいでしまった大量の雪を、リドリーが苛立たしげに蹴りつける。

「…やべえ。嫌な予感しかしねえ」

「行こう。時間がもったいない」

 未練がましく雪の壁を見つめるリドリーを、ジュザがうながす。

「掘ってみたらどうかモン! オイラとヂヴァなら、こんな雪くらいどうってことないモン!」

「いや、掘っても潰れて生き埋めになるのがオチだ。とんでもない量の雪だからな。重さなんて見当もつかねえぜ」

「でも、オイラカーシュが心配だモン! クォマも!」

 ハンナマリーは何故か心配してもらえなかった。

「オイラの村は山崩れに飲まれて全滅したモン! あんなのもう嫌だモン!!」

「それなら大丈夫だ。ハンナが二人をしっかり捕まえていたし、何よりまかせろって言っていた。あいつは言ったことは絶対守る! それより心配なのは、オレたち抜きで≪煉狼龍≫ラヴァミアキスと遭遇することだ!」

「そう言うこと。別の出口に急ごう」

「か、かなりの大回りになるッスよ!」

「だったらなおさら急ぐニャン」

 全員が焦る気持ちを抱えて走り出す。中腹へ出るための洞窟はここ以外にもあるが、いかんせん入り組んでいてすんなり移動することが出来ない。

 並大抵のモンスターなどよりもはるかに手強い焦りと苛立ちを同時に相手取りながら、リドリーたちは中腹へ向かうため、洞窟を一旦下り始めたのであった。

 

 

「ううぉおぉりゃああぁぁぁっ!!」

 雄たけびと共に、カーシュナーとクォマの二人を両脇に抱えながら、ハンナマリーがドドブランゴのように勢いよく雪の中から飛び出してくる。ここまでくると雌ラージャンという揶揄もあながち的外れではなくなってくる。

 助けてもらいつつも、クォマはハンナマリーの桁外れのパワーを体感して、そのうちハンナマリーは地中を掘ってエリア移動できるようになるのではないかと場違いなことを思った。

「二人とも、ケガはないかい?」

 抱えていた二人を降ろすと、ハンナマリーはすかさず周囲に警戒の視線を走らせながら尋ねた。

 鼻や耳に雪が詰まってしまったカーシュナーとクォマが、しきりに頭をとんとん振ったり鼻をかんでいる。

「何とか大丈夫だよ。姉さん」

 こちらも警戒態勢に入りながらカーシュナーが答える。

 クォマも、身体中の毛にまとわりつく雪をぶるぶる振るわせて振り落し、元気よく返事を返す。

「他のみんなは大丈夫かな?」

「大丈夫だろ。最後にちらっと見た時は洞窟の中に飛び込んでいたからな。あいつらなら自分の面倒くらい自分でみられる。私たちは自分たちのことに集中しよう」

「そうだね。想定外のことが起こり過ぎたからね」

 ハンナマリーの言葉に、カーシュナーは改めて周囲を見回しながら、ため息交じりに答えた。

 巨大な雪玉が引き起こした雪崩は単発で終わらず、流れ下る振動が連鎖的な大雪崩を誘発し、エリア内の地形をすっかり変えてしまったのだ。

 不幸中の幸いと言えば、カーシュナーたちを巻き込んだ雪崩が、その後に発生した大雪崩と合流しなかったことだろう。さすがのハンナマリーでも、崩れた全ての雪の流れに飲み込まれていたらどうなっていたかわからない。

「ケガがないなら早めに移動しよう。移動可能な道を雪崩でふさがれちまったからねえ。残った道までふさがれる前にこのエリアから出ちまうよ」

 ハンナマリーたちのいるエリアは、本来ならば地下洞窟へと通じる通路と、中腹の他のエリアに通じる2本の山道があった。しかし、雪崩の影響で、ハンナマリーたちが登ってきた地下通路と、中腹別エリアに通じる山道の片方が封じられてしまったため、袋小路になっているのだ。そして、唯一残された山道は、巨大な雪玉が飛来してきた方角と一致していた。

「たぶん、いるね」

「いるだろ。プレッシャーだけは半端ないからねえ」

「そしたら、先に対応を決めちゃおうか。仮に隣りのエリアにいたとして、遭遇しても気づかれずにさらに先のエリアに避難できれば問題ないけど、そんな隙を≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが与えてくれなければ、隙が生まれるまでは立ち回らないといけないからね」

「そうだね。護衛対象のファーもいないことだし、クォマにもしっかりと働いてもらうよ」

「任せてほしいアン!」

 カーシュナーたち同様、≪霊峰・咲耶≫に生息する全ての生物が狩場に姿を現すことなく身を潜め、息を潜めてやり過ごそうとしているほどのプレッシャーを感じながらも、クォマの答える声に怯えはなかった。

「それじゃあ、おおまかな手順を決めておこうか。エリア移動したら、まず、エリア内の地形の確認。ここと同じように雪崩が起こって地形が変わっている可能性があるからね。エリア移動がさらに可能な状況だったら、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの状態の確認をして、隙があればそのままエリア移動。なければ立ち回りながら立ち位置を調整してエリア移動する。そして、地形の変化で隣りのエリアも袋小路になっていてエリア移動が出来ず、隙の無い状態で待ちかまえられていたら、この唯一残った山道側で立ち回って、いざとなったらこのエリアに戻って体勢を立て直せるようにしよう」

「最悪それしかないね」

「最悪はこれじゃないよ。本当に最悪なのは、エリア移動した後でこの山道も雪崩でふさがれて、1エリア内に≪煉狼龍≫ラヴァミアキスと一緒に閉じ込められることだからね」

「そ、そうなったらどうするアン?」

 クォマが不安そうに尋ねる。

「狩る!」

 ハンナマリーとカーシュナーが、声をハモらせて答えた。こういう時の二人は本当に姉弟なのだと感じさせるほどよく似ている。

 クォマが不安も忘れて思わず吹き出す。

「だったら頑張るアン!」

 3人は腹を決めると、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが待つであろう隣りのエリアへと歩み出したのであった。

 

 

「えっ? こいつ?」

 ジュザが拍子抜けしたと言わんばかりの表情でつぶやく。

 そこは昨日モモンモが≪飛弾虫≫(ヒダンチュウ)を狩りまくった広い自然洞窟内であった。

 昨日とは違い、≪飛弾虫≫の姿がない代わりに、熱気と喧騒が満ちている。

 喧騒の主は≪白雪鳥≫(ハクセツチョウ)と、昨日は遭遇することのなかった牙獣種≪飛鼠獣≫(ヒソジュウ)の群れで、これらが熱気の主に対して警戒の鳴き声を上げているのである。

 ≪飛鼠獣≫はコンガ程度の大きさのケチャワチャに見える牙獣種で、前脚と後脚の間に飛膜を持ち、大きく広げて滑空出来るだけでなく、軽量な身体と、モンスター特有の力を生かし、不器用ながら自ら羽ばたいて飛ぶことも出来る。ケチャワチャのような長い鼻はなく、代わりに夜行性であるため、大きな目と、ケチャワチャの様に顔面を守る機能はないが、鋭い聴覚を誇る大きな耳を持っていた。

 ≪白雪鳥≫と≪飛鼠獣≫。この両者の群れからわめきたてられているのは、13メートルほどの全長を持つ、1頭の牙竜種モンスターだった。

 胸と肩、そして、背中に光り渦巻く炎の塊のような特殊な部位を持っている。熱気は身体全体から立ち昇り、洞窟天井部分から無数に伸びているつららからは早くもしずくがしたたり落ちていた。

「これが≪煉狼龍≫ラヴァミアキスなのか?」

 こちらもいささか呆れ気味にリドリーが言う。

 30メートル近い巨体を誇ると聞いていたが、その半分ほどしかない。そうは言っても同種のジンオウガとさして変わらないサイズなのだから充分脅威であるはずなのだが、つい先程感じたプレッシャーがあまりにも大きかったせいで感覚がマヒしているらしく、わめきたてている小型モンスターたちとたいして変わらないように思えてしまう。

「最小金冠サイズってわけではなさそうッスね? もしかして、≪不死の心臓≫を手に入れたばかりの幼体かもしれないッスね! これは貴重なモンスターッスよ!」

「子供に用はない」

「まったくだ! ガキは小屋で丸くなって寝てろ!」

「いや、牙竜種だから雪見てはしゃぐはず」

「面倒くせえヤツだな!」

 自分たちが未成年であることは棚に上げて、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの幼体をこき下ろす。急いでいるところを邪魔されて苛立っているようだ。

「とりあえず、無視してかわせないかやってみるニャン!」

 ヂヴァが提案する。

「…ちょっと無理っぽいな。向こう側の通路の口をこいつらが完全にふさいでいやがるからな~」

「グダグダ言ってないで蹴散らせばいいモン! オイラはカーシュのところに行きたいんだモン!」

 言うが早いかモモンモが突撃していく。

「二、ニャニャア!! 無茶するんじゃニャい!」

 その背中をヂヴァが慌てて追いかける。

「あいつら! リド、ファーを頼む」

 護衛対象のファーメイを放り出して行ってしまった二人を、ジュザが慌てて追いかける。

「しゃあない! ファー! オレらは下がって援護だ!」

「がってんッス!」

 こうして想定外の乱戦の幕が開いたのであった。

 

 

「ほぼ最悪の状況だね」

 見渡したエリア内は各所で雪崩が起き、後にしてきたエリア同様袋小路状態になっていた。その中央に、≪霊峰・咲耶≫が休眠から目覚め、不意に火山噴火でも起こしたかのような姿が、霞の向こうで赤熱しながらこちらを見据えている。

「こりゃあ、想像していた以上にでかいね」

 ハンナマリーが活火山の火口を覗き込んだかのような、畏怖に打たれた声で言う。

「…かっこいいアン」

 クォマが場違いな感想を漏らす。

 そこには王者の威厳があった。常に肉体を焼かれ続け、苦痛の中にあるはずなのに、そんな気配は微塵も見せない。

 一歩前に踏み出す。振動と共に新たな蒸気が足元から吹き上がる。≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの熱気に退けられたのか、いつの間にか弱まった吹雪が、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスに触れることなく空中で霧になって吹き流されていく。とんでもない熱量である。

 二歩、三歩と歩み、足を止める。巨大な胸郭いっぱいに冷え切った大気を吸い込むと、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは咆哮した。

 静かな怒気を含んだ咆哮が、周囲に降り積もっていた雪を弾き飛ばす。ティガレックスと同様その咆哮は暴力的なまでの力を持ち、衝撃波によって周囲の物体を破壊する。クォマのモノマネもたいしたものであったが、本家の怒りを含んだ咆哮にはとてもかなわなかった。

 この破壊的な咆哮を、カーシュナーたちはいともあっさり回避する。威力はあるが、ここまでわかりやすい動作の後の咆哮では、いまのカーシュナーたちを捉えることは難しかった。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスのまとう空気が変わる。

 これまで、≪怒気はらむ咆哮≫を放った後に、ひれ伏さなかった存在は皆無であった。それがどうしたことであろうか。ひれ伏すどころか堂々と頭を上げ、不敵ににらみ返してくる。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの中で渦巻いていた怒りの方向性が変わる。先程までは生意気にも挑発的な咆哮で挑んできた侵入者に対し、仕置きをくれてやろうと考えていたものが、対等な挑戦者に対する戦いの意思へと変わったのだ。

 身を焼く苦痛を吹き飛ばすほどの興奮が、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの中で高まっていく。それに合わせて、胸でひときわ大きく赤熱する灼熱核が光を増し、加速したマグマが両肩の灼熱核に火をともし、それは肩を伝って背中の灼熱核に達する。

 先程の咆哮とは違う、遠吠えのような鳴き声を上げながら、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの全身を灼熱のマグマがめぐり、全身に熱を溜め始める。

 遠吠えは不意に止み、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの全身から炎が噴き出す。赤黒かった体色が、いまではまるで太陽を飲み込んだかのように、内側から赤銅色に輝いている。

 ≪帯焔状態≫(タイエンジョウタイ)である。

「つい、見とれちゃったアン! これってけっこうヤバいアン!」

 燃え上がる≪煉狼龍≫ラヴァミアキスを前に、声を失っていたクォマがわれに返って叫ぶ。

「本気にさせちゃったみたいだね」

「いいじゃないか! 望むところさ!」

「動きを確かめたかったから、通常状態から手合せしたかったんだけどね。ファーに報告もしてあげたいし」

 気を抜いているわけではないが、この状況下でも微塵も負けるとは思っていないことがカーシュナーの言葉からわかる。

「こっちの都合を聞いてくれるモンスターなんていやしないさ」

 言外ににじむカーシュナーの自信を感じ取ったハンナマリーがニヤリとしながら答える。

「これからどうするアン?」

 二人の自信に感化され、落ち着きを取り戻したクォマが尋ねる。

「予定通り、まずは動きを見よう。ボクが正面付近を取るから、姉さんとクォマは一緒にいて、側面と背後の隙を観察してよ」

「了解! だけど、無理はするんじゃないよ。初見のモンスターを完全に見切れるのなんて、赤玲さんくらいのもんだからね」

「うん。気をつけるよ」

「じゃあ、狩ろうか!」

「おおっ!」

 ハンナマリーの号令に、カーシュナーとクォマが気合のこもった返事を返す。

 そこへ、まるで3人のやり取りが終わるのを待っていたかのように、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが襲い掛かってきた。

 速い!!

 巨体であるが故の鈍重さはかけらもなく、まるで小型モンスターのような身のこなしである。それでいて1歩の移動距離が長いため、あっという間に距離を詰めてくる。

 スピード自体が脅威なのだが、それ以上に巨体が迫りくる圧迫感は恐怖を呼び起こし、手足に重い鎖のように巻きついてくる。並のハンターならばこの時点で勝負は終わる。いや、勝負にすらならないだろう。だが、カーシュナーは全身の神経に重くのしかかってくるプレッシャーを精神力で断ち切り、恐怖と興奮にふたをして、冷静に現実をさばいていった。

 距離を詰めた≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが前脚の叩きつけ攻撃を5連発で放ってくる。5発目で攻撃が止まるなどと知りようもないのに、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの呼吸や、筋肉の膨張、弛緩のわずかな違いを感じ取り、攻撃を見切っていく。

 カーシュナーのハンター個人技・極み≪一重・流れ木の葉≫(ヒトエ・ナガレコノハ)のレベルは、最強のハンター赤玲の見切りに何ら劣らない高みにまで達していた。もはや足りないのは、見切りを生かしきるだけの身体能力だけである。

 カーシュナーを幼くしてG級の高みにまで押し上げたものは、その冷徹なまでの現実認識力であった。もちろん才能そのものも飛び抜けているが、才気に恵まれた者は、往々にして自身の才能におぼれ、それを生かすことなく些細なミスで人生を棒に振る。何が出来て、何が出来ないかの振り分けが出来ず、すべてを手に入れたかのように錯覚するからだ。

 カーシュナーは研ぎ澄ませれていく見切りの感覚と、それについていけない自身の未完成な肉体の不均衡を正確に把握していた。優れている見切りを軸に立ち回るのではなく、いまだ成長段階にある未熟な身体能力を軸に立ち回っているので、ミスをすることがない。

 出来ないことはしない。その代わりに、出来ることに全力をそそぐ。それは、いまも、そして、これからも変わることのない、カーシュナーの成長の原動力だった。

 5連撃をかわし、生じた隙に一撃を前脚に叩き込んでみる。生物ではなく、まるで鉱石の採掘でもしたかのような硬い手ごたえが返ってくる。全身を覆う様に冷え固まっているマグマは思った以上の強度を誇るようだが、打撃属性と相性がいいことが、いまの一撃でわかった。おそらくダメージを蓄積していけば破壊することが出来るだろう。

 一撃離脱で距離を取ったカーシュナーに、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが追撃を掛ける。まるで巨人の手のような形状をした巨大な尻尾が、リオレイアのサマーソルトの要領でカーシュナーに襲い掛かってくる。

 巨体のため、攻撃リーチが測りにくいにもかかわらず、カーシュナーは後方へわずかな距離を移動しただけで攻撃をかわす。しかし、あまりにも巨大であるために発生した風圧の威力までは読み切れず、カーシュナーはかわしたその場に風圧で縫いつけられてしまう。この辺りの読み間違いは経験の差が出る。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは、すくい上げるように放った尻尾が天を指すと、全身の筋肉を収縮させ、宙返りの速度をさらに加速させた。そして振り下ろされた尻尾を垂直に足元の踏み固められた雪に突き刺した。そして、後方回転の勢いを止めるどころかさらに加速させ、雪中に突き刺した尻尾をスコップのように使い、途方もない量の雪を、カーシュナー目掛けて投げつける。先程カーシュナーたちを襲った巨大な雪玉の正体がこれであった。

 風圧の拘束を受けていたため、カーシュナーの回避が一瞬遅れる。巨大な雪の塊がカーシュナーをかすめ、小柄な身体をコマのように弾き飛ばした。

「カーシュ!!」

 ハンナマリーとクォマが同時に叫ぶ。

 しかし、二人の心配は杞憂に終わった。カーシュナーは弾き飛ばされながらも冷静に対処し、演武・奏双棍(エンブ・ソウソウコン)を長棍状態で凍りついた雪原に器用に何度も突き立てて勢いを殺し、きれいに受け身を取るとサッと立ち上がったのだ。この辺りの反射神経と平衡感覚は突出して優れている。

 カーシュナーの無事を確認したハンナマリーとクォマが、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの注意を引きつけるために陽動に出る。

 ハンナマリーとクォマが巨人の手のような尻尾の先端に武器出し攻撃を叩き込んだが、紫の切れ味を持ってしても弾かれてしまう。

「硬いアン!」

「ここは打撃じゃないと無理っぽいね! クォマ! つけ根の方を狙うよ!」

 二人が時間を稼いでくれている間に、カーシュナーはウチケシの実と応急薬グレートを飲み干す。大ダメージこそ追わなかったものの、氷属性やられとそこそこのダメージを受けたのだ。もし直撃を受けていたら、いくら伝説の鍛冶職人が丹精込めて作り上げてくれた防具といえども、基本体力が少ないカーシュナーでは、おそらく体力の半分以上を削られていたはずだ。

「これは、一筋縄じゃいかないかな…」

 冷静なカーシュナーが、内からこみ上げてくる熱い感情に、姉によく似たニヤリ笑いを浮かべる。日頃はその冷静さと明晰な頭脳で参謀役を務めることが多いカーシュナーだが、心の奥に眠る本質は、姉同様単純なまでに強さを求める強者の魂であった。

 絶対者≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの強さに呼び覚まされて、カーシュナーの闘いの本能が研ぎ澄まされていく。

 カーシュナーは無言で立ち上がる。そして、≪煉狼龍≫ラヴァミアキス目指して音もなく走り出す。強さを高めるために不要な思考をすべて削ぎ落としながら――。



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≪霊峰・咲耶≫の主

「無駄弾使わせんじゃねえよ!」

 リドリーの怒声が洞窟内に反響する。しかし、それもわめきたてる≪白雪鳥≫(ハクセツチョウ)と≪飛鼠獣≫(ヒソジュウ)によってすぐにかき消されてしまう。

「リド! 腹をくくろう!」

 適当に追い散らそうとしていたリドリーたちだが、小型モンスターたちが仲間を呼び集めるためきりがなく、なかなか目的を果たすことが出来ずにいた。おかげでカーシュナーたちと合流するためのエリア移動が出来ない。

 地下洞窟内へは≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは移動してこない。巨体がつかえてしまうからだ。そのため小型のモンスターたちは≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの怒りが静まるまでの間は洞窟の奥深くで身を潜めている。事実、リドリーたちが中腹へ向かって通過した時には1匹のモンスターもいなかった。それが、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの幼体が侵入してきたおかげで、ハチの巣を突いたかのような大騒ぎになっている。

 ジュザは、モンスターをかわして通り抜けるのではなく、騒ぎの元凶である≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの幼体を狩ってしまおうと提案しているのだ。

「しゃあねえな! このままじゃ時間食うだけだからな! モモンモ! ヂヴァ! ファーを頼む!」

 ファーメイを守りながら援護射撃に徹していたリドリーが、本来の護衛役である二人を呼び戻す。

「時間がないモン! まきで頼むモン!」

「焦ってドジ踏むニャよ! このちっさいのを本命と合流させないのも立派な仕事だニャン! 確実にここで仕留めるニャン!」

 ファーメイの護衛を交代しながら二人が声を掛けてくる。モモンモが煽り、ヂヴァが火を消す。このやり取りのおかげで、リドリーとジュザの頭に登っていた血が引き、冷静さを取り戻す。

「このメンツになると、オレが冷静でいなくちゃならないからたいへんだニャン!」

「サンキュ~、ヂヴァ! 愛してるぜえ!」

「リドの愛なんていらないニャ! 早く狩れニャン!」

 ヂヴァの罵声を背に受け、ニヤリと笑いながらリドリーは立ち回り位置を修正する。小型モンスターの数が多すぎるため、乱戦は必至だ。立ち位置に気を配らないとまともな狙撃は出来ない。ガンナーにはきわめて不利な状況だが、リドリーは気に留めていなかった。

「ジュザ! 小型モンスターどものせいで≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの動きが読めねえから気をつけろよ!」

「リドこそ、とばっちりでやられるなよ!」

 二人は軽口を叩き合うと狩猟を開始した。

 まずはジュザが、邪魔な小型モンスターたちを間引いていく。≪煉狼龍≫ラヴァミアキスに合わせて氷属性の双剣を装備してきているため、氷属性の耐性値が高い≪白雪鳥≫と≪飛鼠獣≫に対しては不利になるが、そんな事などおかまいなしに狩っていく。

 その乱戦の中に、見事な跳躍で岩壁に張りつき、その壁を蹴りつけて、三角跳びの要領で≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが体を浴びせてきた。

 跳躍の瞬間を視界の端で捉えていたジュザは、この攻撃を難なく回避し、腹を出してころがっている≪煉狼龍≫ラヴァミアキスに斬撃を叩き込んだ。柔らかい腹部に鋭い斬撃と、高い氷属性ダメージが入り、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは痛みに怯んで飛び起きた。

 ジュザが小型モンスターを相手にしていた時も、三角跳びで攻撃を加えていた間も、リドリーは一発も撃ち漏らさず、背中の灼熱核を狙撃し続けていた。本命の≪煉狼龍≫ラヴァミアキス用に氷結弾を温存したりせず、最大火力でダメージを与えていく。その甲斐あって、早くも背中の灼熱核の部位破壊に成功する。

 連続で大ダメージを受けた≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが悲鳴を上げて怯む。このまま退いてくれるかと期待したが、幼体と言えども絶対者の末席に連なる者だけあって、退くどころか怒り状態に突入して全身に熱を廻らし始める。

「帯焔状態(タイエンジョウタイ)になろうとしているッス! 厄介だから阻止するッス!」

 遠吠えを上げ、体内を廻るマグマを加速させている≪煉狼龍≫ラヴァミアキスを指さしながらファーメイが声をあげる。

 ジュザが、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが発する灼熱に皮膚を焼かれるのもかまわず正面に取りつき、目の前で赤熱に輝く一際大きな胸の灼熱核に乱舞を叩きこんで行く。

 リドリーは灼熱核ではなく怯みを狙って頭部に狙撃を集中する。まだ発達しきっていない短い一本角に、速射で放たれる氷結弾がすべて吸い込まれていく。

 ジュザの双剣個人技・極み≪阿修羅・千刃≫(アシュラ・センジン)が胸の灼熱核を切り裂き、リドリーのボウガン個人技・極み≪針穴穿弾≫(シンケツセンダン)が一本角をへし折る。

 怯みどころかダメージのあまりの大きさに、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは転倒し弱々しくあがく。

 ジュザが尻尾に張りつき、リドリーが肩の灼熱核に狙撃を集中する。あっという間に尻尾が斬り飛ばされ、肩の灼熱核が破壊される。

 この時、ヂヴァが機転を利かせてシビレ罠を抱え、瀕死状態の≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの懐に飛び込んだ。そして、素早くシビレ罠を設置する。

 なんとか起き上がった直後に≪煉狼龍≫ラヴァミアキスはシビレ罠を踏み抜き、全身を細かく痙攣させて動きを封じられてしまう。

「いい仕事するぜ、ヂヴァ!」

 狙撃の手は一瞬も休めることなくリドリーがヂヴァに声を掛ける。

「二人に負けていられないニャ!」

 答えしな襲い掛かってきた≪飛鼠獣≫の一匹の顔面に蹴りを入れる。乱戦の最中、リドリーとジュザがここまで≪煉狼龍≫ラヴァミアキスに集中できたのは、ヂヴァとモモンモの二人がファーメイを守りながら小型モンスターたちを牽制してくれていたからである。

 ジュザが残り1つとなった灼熱核に乱舞を叩き込み、リドリーは再び頭部に集中攻撃を入れる。

 シビレ罠の効果が切れると同時に≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの全身から赤熱の光が失われ、ぐらりと傾いたかと思うと音を立てて倒れる。

「いっちょ上がり!」

 ジュザが双剣の刃先に固まりついたマグマを打ち払いながら雄たけびを上げる。そして、周囲でやかましくわめきたてている小型モンスターたちの方に鋭い眼光を向けた。

 喧騒が一瞬やみ、種類の異なる喧騒が再び洞窟内に反響する。それは強気な威嚇から弱気な悲鳴に変わり、鳴きわめきながらそれぞれのねぐらへと散っていく。

「さっさとはぎ取るモン! 幼体をただ殺しただけで終わっちゃダメだモン!」

 この中で誰よりも先を急ぎたいはずのモモンモが剥ぎ取りをうながす。普段の採取の鬼とは違い、それは命に対する礼であった。

 この言葉に反論する者はなく、各自が急いで剥ぎ取りを行う。

「……これ、≪不死の心臓≫か?」

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの体内からはぎ取った素材を、ジュザは無意識にうやうやしく捧げ持ち、ファーメイに尋ねた。

「……間違いないッス。ボクも実物は初めて見るッスけど、これは素人でも間違えないッス」

 ≪不死の心臓≫が放つ無属性の大きな力に圧倒されながら、ファーメイが答えた。

 それは、善でもなければ悪でもない。純粋な力の結晶だった。

「こいつぁ…、カーシュならまだしも、オレたちが素材として持っていていいもんじゃねえな。ファー、そっちで管理しといてくれや」

 ≪不死の心臓≫が放つ力に圧倒されながらも、リドリーは物欲に飲まれることなく、一抱えほどもある宝玉のような≪不死の心臓≫をファーメイに託した。

「わ、わかったッス。狩猟の妨げにもなるし、一時的にボクが預かるッス」

 ファーメイは受け取った≪不死の心臓≫の手触りに、思わず悲鳴のような声を漏らす。見た目から水晶玉のような感覚で受け取ったが、触れた≪不死の心臓≫は、それが生物の一部であることを告げていた。それは背を丸めた幼児のような手触りであり、無機物のような冷たさではなく、血の通った温かみを持っていた。

 モモンモに頼んで背中の大きな背負い袋から毛布を取り出してもらい、ファーメイは毛布にしっかりと≪不死の心臓≫をくるむと、たすき掛けにして身体の前に持ってくるとしっかりと抱えた。運搬クエスト時のハンターのような体勢になる。

「よっしゃ! やることはやった! 早いとこカーシュたちと合流しようぜ!」

 リドリーが号令をかけ、一行は≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの幼体の亡骸が横たわる洞窟を後にしたのであった。

 

 

 立ち回りの最中、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが不意に動きを止めた。風に乗る遠方のにおいを嗅ぎ取ろうとするかのように、精悍な鼻面を空へ向けている。

 隙だらけではあるのだが、その行動の意図が読めないため、うかつに仕掛けることが出来ず、カーシュナーたちは遠巻きに様子を見る。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは、空へと昇る何かを追いかけるような、悲しげな遠吠えを、長く、細く、空へと流した。

 カーシュナーたちには知る由もないが、この瞬間、リドリーたちの手によって≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの幼体が討伐されたのだ。

 それは人間には理解できない超自然的能力により、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスにだけもたらされた情報であった。

 長く、細く吐き出された吐息を、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは一気に吸い込むと、咆哮を放った。先程の咆哮とは威力が違う。≪怒気はらむ咆哮≫の上位攻撃に位置する≪憤激みちる咆哮≫である。

 先程は周囲の雪が飛び散っていたが、今度は踏み固められた雪原に無数の亀裂が走る。

 遠巻きにしていたおかげで衝撃波の範囲外にいたので、先程同様単純な回避行動で咆哮によるすくみ状態をかわすことが出来たが、その後に待ち受けていたものは脅威以外のなにものでもなかった。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは怒り状態からさらに怒気を増し、激昂状態に突入したのだ。

 ≪帯焔状態≫時以上にマグマの流れが加速する。そして、内側から赤銅色に輝いていた身体が、光の塊になったかのように輝く。シャドウアイがなければ目を焼かれていただろう。

 ≪超帯焔状態≫となった≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは、まるで火口からくみ上げてきたマグマそのもののような姿となり、それまで温存していた火炎ブレスを放ってくる。

 それはもはや火炎などというレベルではなく、マグマの熱線であった。

 追尾性能が高く、一直線に放ったあと、グラビモスのように薙ぎ払ってくる。

 ガードなど出来るわけもない。カーシュナーたちは必死に緊急回避を試みるが、連発されると対応が追いつかなくなってくる。

 すぐ先に限界があることを悟っているカーシュナーの頭脳に、救いの手が差し伸べられたかのように、ひらめきが舞い降りる。

「クォマ! 雪の中に潜るんだ!」

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスのブレスは、前方に対する薙ぎ払いのみである。移動しながらブレスを放たないのは、他のモンスター同様高出力であるため、四肢でしっかりと地面を捉えていないとブレスの力で自分の身体がもっていかれてしまうからだ。

 おそらくその気になれば上方へはブレスを放つことが出るだろうが、下方には身体が浮き上がってしまうため放てないのだろう。

 ここが雪深い≪霊峰・咲耶≫(レイホウ・サクヤ)でなければ思いつかなかっただろうし、他の狩場であれば例え思いついたとしても実行することは出来ない。

 カーシュナーの意図を理解したクォマが、手当たり次第に避難用の穴を掘り抜いていく。なぜかこれにハンナマリーが加わり、あっという間にブレス回避体勢が整う。

 一度雪の下に移動した後、クォマが横方向に穴を広げていく。おかげでそれぞれの避難場所を行き来できるようになり、カーシュナーは巧みに移動と挑発を繰り返して≪煉狼龍≫ラヴァミアキスにブレスの無駄撃ちを繰り返させた。

 持久戦に音を上げたのは、以外にも≪不死の心臓≫を持つはずの≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの方であった。

 時間が経つほどにその輝きは増し、灼熱の度合いも増していく。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは不意に足を山の斜面に向けると、ふらつきながら体当たりを敢行した。地響きと轟音が周囲を包み、雪崩が発生する。

 流れ下ってきた大量の雪が≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの身体を飲み込み、巨大な姿を隠してしまう。

 それも一瞬のことで、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスを中心に大爆発が発生した。

 水蒸気爆発である。

 ここまでの事態を予測から正確に読んでいたカーシュナーは、ハンナマリーとヂヴァを先に避難させ、自分は≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが雪崩に飲まれる寸前まで状況を確認してから大急ぎで避難用の雪穴に飛び込んだのであった。

 予想以上の大爆発に、カーシュナーたちは生き埋めになってしまう。必死であがいて雪の中から脱出すると、そこには疲労状態に陥った≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの姿があった。

 通常の状態でも、その巨体を流れ廻るマグマは≪煉狼龍≫ラヴァミアキスに逃れようのない苦痛を強いている。激昂状態時の熱量は、そこに火口が開いたかと思わせるほどのものだった。身体がもつはずがないのだ。

 ヴォルガノスやグラビモスのように、溶岩の中でも平然と活動するモンスターたちはいる。小型モンスターのイーオスなども、平気な顔をしてマグマの中に飛び込み、そこからハンターに襲い掛かってきたりもする。

 どのモンスターも、マグマ渦巻く≪火山≫という狩場の環境に適応し、外皮や体内構造が過酷な灼熱の環境下でも生存しうるように発達した結果である。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは、環境が産み落としたモンスターたちと、あきらかに一線を異とする存在だった。

 その強大な力と共に、不自然なもろさを合わせ持っている。極寒の環境下にいないと自らの灼熱の力で滅びるなど、生物としてあまりに偏り過ぎている。

 狩猟開始前からカーシュナーの中にあった違和感は、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの生物としての不自然さに他ならなかった。その疑問がカーシュナーに≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの生物としてのもろい部分を弱点として突く答えを与えたのであった。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスを中心に起こった水蒸気爆発は、誰よりも自身に大きなダメージを与えた。激昂状態が産み出す破壊力は、対大型モンスターであれば絶対的な優位を生み出したかもしれないが、ハンターがこれまで存在しなかった南の大陸では、むしろ不利に働いた。もっとも、これは激昂状態になった≪煉狼龍≫ラヴァミアキスに対応出来るだけの実力を有するハンターに限定された話である。

「姉さん! クォマ! 大丈夫!」

 生き埋め状態からはい出してきたカーシュナーが、同じように雪中からはい出してきた二人に声を掛ける。

「なにが起こったんだい?」

 細かい説明をしているヒマがなかったため、言われるがままに雪穴の奥へと避難していたハンナマリーが尋ねる。

「熱が身体に溜まり過ぎて、雪で急冷するしかなくなっちゃったんだよ」

 疲労状態に陥っている≪煉狼龍≫ラヴァミアキスに向かって駆けだしながら、カーシュナーが答える。

「熱はグラビモスみたいにブレスで吐き出していたんじゃないのかい?」

 カーシュナーに遅れず続きながらハンナマリーが言う。クォマも遅れずについてくる。

「おそらく怒り状態までならそれで調整できていたんだと思う。でももう一段階熱量が上がった激昂状態になってからは、シャドウアイがなければまともに見ることも出来ないくらいに高熱を発していたでしょ。通常状態でさえ常に自分自身の熱で苦痛がともなうってことは、体内の耐熱と排熱機能が不完全なんじゃないかと思っていたんだよ」

「それで挑発して熱量を上げていたってわけかい。上手くいったからいいようなものの、なかなかに危ない橋だったね」

「そうだね。でも、激昂状態を確認してからは、9割がたイケるって確信していたんだよ。あの力は異常過ぎたからね」

「確かにね。でも、うちらが相手じゃなければ、さっきのブレス乱発で勝負はついていたんじゃないのかい?」

「間違いなくね。仕留めきれなかったせいで、自爆覚悟の急冷っていう最終手段を取らざるを得なかったんだよ」

「でも、ここからだろうね」

 疲労状態に陥っている≪煉狼龍≫ラヴァミアキスに目をやりながら、声に警戒をにじませつつハンナマリーが言う。

「余計な力が抜けて、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスにしたらちょうどいいんじゃないかな」

「全力よりも加減した方が強いって、どんだけ力が余っているんだよ!」

「対モンスターが基本だからね。ハンターを相手にするように進化してないんだよ。でも、それを差し引いてもバランスの悪い力だと思うけどね」

「おっ! どうやらおしゃべりはここまでだね。動くよ!」

 だらりと舌を出し、荒い呼吸をしていた≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが、駆け寄るカーシュナーたちに向き直る。

「一からやり直そう! ボクが正面付近に位置取るから、姉さんとクォマは隙を見極めて攻撃して!」

 突然の激昂状態突入で中断した≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの動きの見極めをやり直すために、カーシュナーは≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの視界を斜めに横切って、注意を自分の方へと引き寄せる。

 これにすぐさま反応した≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが、叩きつけではなく、カーシュナーを捕らえようとするかのように斜め上から薙ぎ払うように前脚を振るってきた。これだけで、先程5連発で叩きつけてきた前脚による踏みつけ攻撃よりも回避の難易度が増す。回避方向を間違えると大木のような前脚の振り抜きによって発生する風圧に捕らえられてしまうからだ。

 カーシュナーは追撃を避けやすい懐めがけて回避し、即座に今度は巨体の下敷きにならないように脇を抜けるように外側へと回避する。攻撃の切れ目がほとんどないため、カーシュナーのスタミナは次々と削られ、反撃の隙を見出す余裕もなっかった。

 地味に厄介なのが、巨体にもかかわらず、瞬時に振り向いてくることだった。止まり、身体を回し、振り向く。これまでの常識と違い、強靭な片方の前脚を軸に使って、止まると身体を回すを同時に行ってくる。おかげでまともに背後を取ることが出来ない。

 いくら強靭な肉体を誇るハンナマリーとはいえ、正面から殴り合うわけにはいかない。隙を突いての攻撃になるが、その隙を見つけることがなかなか出来ないでいた。

 それでも、先程の水蒸気爆発の影響で身体を鎧のように覆っていたマグマが吹き飛んでくれたおかげで、尻尾に攻撃を入れても弾かれることがなくなり、ダメージを入れられるようになった。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスのほぼ全ての攻撃に、風圧【大】が瞬間的にだが発生する。そのため攻撃を回避しただけではその後の風圧によって体勢を崩されてしまうため、立ち回りが非常に難しくなる。攻撃の手数が稼ぎにくい上に、回避の方向を常に頭に入れておかないと、たった一度のミスで一気に狩猟から脱落させられかねない。

 カーシュナーとハンナマリーは、この極限状態の中でさらに研ぎ澄まされ、困難を楽しみ、強さの階段を駆け上がっていった。

 追いまくられていた状況が、次第に変化していく。パターンを読むなどというありきたりなことではない。≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの視線から、呼吸から、筋肉の動き、重心の変化、地形状況と、あらゆる情報を瞬時に処理、判断し、おそらく動いている≪煉狼龍≫ラヴァミアキス本人よりも一瞬早く次の動作を予測する。

 それは「見る」ではなく「観る」ことを完璧にこなせている証明であった。

 少ないチャンスを逃すことなく一撃、一撃とダメージを蓄積させていく。

 ハンナマリーの武器出し攻撃が、水蒸気爆発とこれまでの攻撃の蓄積によって生じていた前脚のほんのわずかな傷口に吸い込まれる。大剣、ハンマー個人技・極み≪撃砕≫(ゲキサイ)により、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの右前脚が、一気に部位破壊される。片手剣ほどもある爪が砕けて宙を舞う。

 こうなると超重量を持つ巨体があだとなる。≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは王者の威厳を打ち砕かれ、右前脚を抱え込むようにして倒れ込んだ。

 ハンナマリーは倒れ込む方向に合わせて前転を行い、立ち上がった時には目の前に巨大な胸部の灼熱核が来るように位置調整する。そして、迷うことなく溜め攻撃の態勢に入る。

 1段階、2段階、3段階、…そして4段階。この時点でハンナマリーの肉体の許容量は限界近くまで力の奔流をせき止めていた。ハンナマリーの研ぎ澄まされた感覚が、自身の内面を隅々まで照らし出し、奥深くに眠っていた第五の力の門の前にハンナマリーを導いていく。

 意識の手が扉に掛かる。押し開こうとする意志に対し、本能が警告する。器に見合わぬ力は、必ず器自身を打ち砕くと――。

 ハンナマリーは警告の意味を理解した上で、第五の門を押し開いた。身体がザボアザギルのように膨れ上がり、内側から破裂するのではないかと思えるほどの力と、それに倍する苦痛が襲い掛かってくる。千切れ飛びそうになる意識を必死でつなぎ留め、渦巻く力を集め導く。そして、大きく構えた大剣を一気に振り下ろす。

 一流のハンターですら意識を保てなくなるほどの苦痛の中、ハンナマリーの目は、灼熱核の歪みを捉えていた。振り下ろされる一撃が、灼熱核の歪みへと吸い込まれる。

 大剣は灼熱核を切り裂くことも、表面を滑ることもなく、歪みにしっかりと食い込み、ハンナマリーが生み出した力の奔流と、伝説の鍛冶職人が作り上げた名刀に封じ込められた氷属性の力を一点に余さず注ぎ込んだ。

 力の均衡は一瞬でしかなかった。表面に亀裂が入ったかと思った次の瞬間に、灼熱核は木端微塵に砕け散ったのであった。

 それは、大剣、ハンマー個人技・極み≪撃砕≫と、大剣個人技・極み≪開錠・五星門≫(カイジョウ・ゴセイモン)の複合技であった。攻撃系の極み業の複合使用は、竜人族の超一流ハンターである団長ですら扱えない、もはや技とすらも呼べない一つの奇跡の体現であった。これを唯一可能としてきたのが、最強と謳われる赤玲ただ一人であったのだ。

 ハンナマリーはいまここで、強さの階段を上り切ったのであった。これから先進むべき道は高みを求める道ではなく、強さの底を知るための、深淵を渡る旅となる。

 胸部の灼熱核が砕け散っただけでなく、その奥にある≪不死の心臓≫にまでダメージが及ぶ。それと同時に、ハンナマリーの全身の筋肉が大き過ぎる力によって引き千切られる。

 横たわってもがいていた≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが苦痛にのたうち回る。ハンナマリーが与えたダメージは致命的だったが、モンスターと人間が持つ根本的な生命力の差がここで明暗を分けた。

 ハンナマリーは与えたダメージと引き換えに、狩猟から脱落寸前の状況に陥っていた。全身がマヒし、苦痛すら感じない。回復を行いたくても指一本動かせない。

 ここで判断早くハンナマリーに駆け寄ったのがクォマであった。瞬時にハンナマリーの状況を見て取り、アイテムポーチから球状のものを取り出すと足元に叩きつけた。緑色の煙がクォマとハンナマリーを包み、煙が晴れた時には二人の姿はエリア内から消えていた。

 クォマが使用したのは、≪モドシ玉≫というモドリ玉の発展改良型アイテムで、モドリ玉が使用者自身を安全に狩場から離脱させるためのアイテムなのに対し、≪モドシ玉≫はオトモにだけ使用が許可されている、自身と対象者を狩場から安全に離脱させられる特殊アイテムだった。オトモ専用アイテムのため、ハンターには使用も所持も許されていない。

「カーシュ! ハンナはボクにまかせるアン!」

 緑の煙が晴れる前に、クォマの声がカーシュナーに届く。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの巨体の陰でハンナマリーの行動を把握出来ていなっかったカーシュナーだが、突然≪煉狼龍≫ラヴァミアキスがのたうち回りだしたことと、緑の煙の発生に続いてクォマの言葉を受けたことで瞬時に状況を把握し、ここからは場合によっては一人で対峙しなければならない事を理解した。

 激痛に耐えかねて振り回される手足は予測不能な凶器でしかないため、カーシュナーは一度距離を取って状況の観察、分析に入る。真っ先に目に飛び込んできたのは、ハンナマリーによって粉砕され、大きな空洞が出来た胸部だった。

「…あれを一撃でやったんだ。姉さんも無茶したな~」

 カーシュナーはため息とも感嘆ともとれるつぶやきを漏らす。おそらくその両方なのだろう。

「…あとはボクの仕事だ」

 つぶやきと同時にカーシュナーの身に、不可視の百戦の気が帯びる。

 1対1の決着戦が始まった。

 

 

 うっすらと開いたまぶたが重かった。

 ハンナマリーは自分が意識を失っていたことに気がつく。

 まだ霞む視界の先に、クォマの瞳の大きい顔がある。

「よかったアン! 気がついたアン!」

 ホッとした様子で、クォマがハンナマリーのアイテムポーチから取り出したいにしえの秘薬を唇にあてがう。ゆっくりとだが、確実に飲み干して、ハンナマリーが一息つく。

「私はあの後どうなったんだい? 狩りから脱落しちまったのかい?」

 体力もスタミナも底をつく寸前だったため、いにしえの秘薬を持ってしても身体の自由を回復するには至らない。ハンナマリーはわずかに頭を傾けてクォマに尋ねた。

 今度は秘薬を二つ取り出し、ハンナマリーに飲ませながらクォマが答える。

「あの後すぐに≪モドシ玉≫を使って隣りのエリアに避難して来たんだアン! ベースキャンプに連れ帰ってやりたかったんだけど、どこも道がふさがれていて戻れなかったんだアン!」

「そうかい。すまなかったねえ。まさかここまで無理した反動があるとは思わなかったよ。せっかくギルマスじいちゃんたちがカーシュのために開発してくれた≪モドシ玉≫なのに、私が使わせちまうとは不覚だったよ」

 秘薬2本を飲みほして、ようやく身体の自由を取り戻したハンナマリーが上体を起こしながら言う。まだ、しばらくはまともに動き回ることは出来そうもない。

 今度はホットドリンクを飲ませようとアイテムポーチを探っているクォマに、ハンナマリーは手を伸ばした。

「後は自分でなんとか出来るよ。クォマはカーシュのところに戻ってやっておくれ。たぶん言っても聞かないだろうけど、もし、こっちに退きあげてくるようなら助けてやってほしい」

「わかったアン! でも、きっとカーシュは退き返さないと思うアン!」

「あんな顔しているけど、剛毅な性格しているからねえ。世話を掛けるけど、よろしく頼むよ」

 そう言って差し出したハンナマリーの手のひらに、クォマが肉球でハイタッチをする。

「頼まれなくても喜んでお世話するアン! カーシュはボクの命の恩人で、テチッチ族全体の恩人でもあるんだアン! 骨惜しみしないアン!」

「ありがとうよ。でもね、カーシュも私たちも、クォマたちに恩を着せたくて助けたんじゃないんだ。恩返しのためって言うなら、無理しなくていいんだよ」

「無理じゃないアン! 友達を助けるのは当たり前アン! ボクはカーシュが大好きだから助けるんだアン!」

「それなら私も安心して弟を頼めるよ」

「ハンナはしっかり身体を休めてから来るアン! ボクとカーシュの二人で、後ははぎ取るだけの状態にしておいてあげるアン!」

 そう言うとクォマは、カーシュナーが≪煉狼龍≫ラヴァミアキスと対峙しているエリアへと駆けだして行った。

 その後姿を頼もしげに見送ったハンナマリーは、アイテムポーチからありったけの携帯食料を取り出すと、それらをホットドリンクと回復薬グレートでのどの奥へと流し込み、ボロボロになった身体の回復を始めた――。

 

 

 胸部にぽっかりと開いた傷口から、≪不死の心臓≫から送り出される生命力がこぼれ落ちていく。

 死の恐怖が生に対する執着を焦がすと同時に、無限に続いてきた苦しみの時が終わりに近づいているという事実が、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの魂をなぐさめていた。

 疲れが≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの意識を支配していた。それはカーシュナーたちとの立ち回りの結果生じた疲労ではなく、長き時を苦痛に耐えて保ってきた正気が、すり減り、ささくれて生じた隙間からこぼれ出してきた弱気でもあった。

 このまま肉体の芯を焼き焦がすマグマの身体を雪の中に沈めてしまいたい欲求が全身に広がっていく。だが、王者の肉体は、意志に眠ることを許さず、雄々しく立ち上がる。

 目の前に立つ小さき者の強き視線が、王者のプライドを激しく揺さぶったからだ。

 胸郭を目いっぱいまで膨らまして大気を吸い込む。苦痛はもはや意識の外に置き去りにされ、生命力が刻一刻と失われていく手足に、戦いの意志がみなぎる。

 特大の咆哮が放たれ、足元の雪原に亀裂が走る。

 王者は最後まで王者であるために、目の前に立つ者をほふるために一歩を踏み出した。その一歩でいきなり最大スピードに達し、カーシュナーに襲い掛かる。

 横殴りに振り回される爪。踏み潰そうと振り下ろされる脚。体当たりが山肌を砕き、全体重を乗せたフライングボディプレスが雪原を破壊する。

 次々と繰り出される一撃必殺の攻撃を、カーシュナーは紙一重でかわし続けていた。背負った演武・奏双棍(エンブ・ソウソウコン)に手を掛けることも出来ない。

 カーシュナーは退くべきだったのだ。モンスターは本来、どれ程の深手を負おうとも、しっかりと休息を取れば回復することが出来る。≪煉狼龍≫ラヴァミアキスも同様なのだが、受けたダメージの深さと、長い年月蓄積されてきたダメージの大きさが、≪不死の心臓≫が生み出す生命エネルギーを受け止めきれなくしていた。ほころびだらけの肉体を、≪不死の心臓≫が内側から突き破り始めたのだ。

 もはや≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの肉体の崩壊を止めることは、≪煉狼龍≫ラヴァミアキス自身にも出来ない。死は時間の問題だった。後は放置するだけで討伐は完了する。

 最後の時を、自分との戦いに費やすと決めた≪煉狼龍≫ラヴァミアキスを前にして、カーシュナーの中にこの想いをかわすなどという思考はかけらも存在しなかった。王者のプライドを受け止め、その上で超える。カーシュナーは狩りにきたのではなく、より高みを目指すために、自身の強さを絶対者にぶつけに来たのだから――。

 その巨体からは想像もつかない身ごなしで旋回攻撃がカーシュナーに襲い掛かる。見切りは完璧だったが、身体がついてこない。振り回された尻尾がかすめ、カーシュナーは雪原に投げ出される。

 ここに、とどめとばかりにフライングボディプレスが降ってくる。しかし、この判断は≪煉狼龍≫ラヴァミアキスにとって大きな間違いだった。

 上空高く跳び上がってから行うこの攻撃は、威力は飛び抜けて高いが、どうしても時間が掛かる。跳び上がる速度を速めることは出来るが、落下の速度を加速することは出来ないからだ。

 カーシュナーはこの隙に≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの落下地点から退避し、演武・奏双棍で空へと舞い上がる。

 カーシュナーが昇るのと入れ違いに≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの巨体が落下する。的を外したことに気づき、素早く起き上がった≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの背中に、カーシュナーのジャンプ攻撃が叩き込まれる。すでに亀裂の入っていた背中の灼熱核に、無数の細かい亀裂が加わる。

 カーシュナーはそのまま乗り状態に移行すると、亀裂の走る灼熱核にナイフを振り下ろしていった。

 猛烈に≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが暴れまわる。カーシュナーと≪煉狼龍≫ラヴァミアキスのせめぎ合いが続き、カーシュナーが必死にしがみついていると、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが不意に動きを止め、天に届かせようとするかのように、高く高く遠吠えを放った。すると、それまで輝きを失っていた灼熱核が輝きと共に炎の力をよみがえらせる。≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは、カーシュナーを背負ったまま、≪帯焔状態≫に突入したのだ。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが焼き、カーシュナーが刺す。命がけのせめぎ合いは、カーシュナーに軍配が上がった。

 ぽっかりと空いた胸の傷口の奥で、≪不死の心臓≫が悲鳴のような音を立てながら、さらなる生命エネルギーを送り出す。≪帯焔状態≫になったことで加速したマグマの奔流が、カーシュナー以上に≪煉狼龍≫ラヴァミアキスを焼いたのだ。

 髪は焼かれて煙を上げ、露出していた肌も火傷だらけになっているが、ダメージの全てが表面的なものであり、深手は一つもない。伝説の鍛冶職人の職人技術が、見事にカーシュナーを護ってみせたのだ。

 倒れ、あがく≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの頭部に、カーシュナーが渾身の≪乱打・回天≫(ランダ・カイテン)を叩きこんで行く。

 鬼人状態のカーシュナーの集中が、双剣使いのジュザが個人技・極みに目覚めた時のように深まり、研ぎ澄まされていく。魂の完成度だけならば、カーシュナーは鬼人を越え、阿修羅へと昇華することが出来たであろう。しかし、完成とは程遠いカーシュナーの少年の肉体は、人の枠の限界点を超えることは出来なかった。

 身体の奥底から全てをかき集めて繰り出される二振りの棍が、絶対者の王冠のようにそそり立つ一本角にダメージを蓄積していく。カーシュナーがあと一撃と思った刹那、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが起き上がる。

「間に合わなか……」

 

「ヴァウォン!!!」

 

 カーシュナーが思わず無念の声をあげかけた時、突如現れた丸い物体が、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの頭部に取りつき大爆音を上げたのであった。

 カーシュナーが持てる力の全てを注ぎ込んで与えた音波による脳への振動に、爆音がとどめを刺す。

 死力を尽くして立ち上がった≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが、土砂崩れのように再び地に倒れ伏す。

「カーーーシュ!!」

 爆音の主であるクォマが、ここが勝機と声を投げる。大爆音の影響であばら骨を痛めたらしく、すぐには立ち上がれないでいた。

 反射的にクォマの大爆音を回避していたカーシュナーが、クォマの声に応えて追撃を開始する。

 王者の象徴のようだった一本角が根元から折れ飛び、雪原に突き刺さる。頭部の甲殻も鱗もすでにボロボロになっている。これが他のモンスターであったら、カーシュナーはとっくに勝者の座についていただろう。しかし、絶対者のプライドは、ここからもう一度≪煉狼龍≫ラヴァミアキスを立ち上がらせたのであった。

「…………」

 あまりのことに、クォマが声もなく目の前にそびえる灼熱の山のような≪煉狼龍≫ラヴァミアキスを見上げる。

 再び高く高く空へと遠吠えを放つ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスに、カーシュナーが攻撃を加え、ジャンプ攻撃を敢行する。長棍(チョウコン)状態に切り替えられ演武・奏双棍が叩きつけられる寸前に、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの身体からさらなる灼熱の波動が吹き出し、カーシュナーを弾き飛ばす。

 ≪超帯焔状態≫に再度突入したのだ。

 クォマが撤退をうながそうとした瞬間、大量のガラスが砕けるような音と共に、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの巨体を包んでいた灼熱が吹き飛ぶ。両肩と背中の灼熱核が砕け、身体の芯から放たれていた赤銅色の輝きもぼやけて消えていく。砕けた灼熱核の各所から生命エネルギーとマグマがこぼれ落ち、巨体が一回り小さくなったかのように錯覚させる。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスは、それでも一歩足を踏み出した。鋭かった瞳には霞がかかり、光は失われ、目の焦点はどこにも合っていない。決して退かないという王者の意地だけが、足を前に運んでいた。

 カーシュナーは≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの前に立つと、長棍状態の演武・奏双棍を腰だめに構え、待った。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが一歩、また一歩と進む。距離が縮まり、カーシュナーの目の前に、小山のような巨体がせまる。そこには、巨木の洞のような傷が大口を開け、いまだに生命エネルギーを送り出し続ける≪不死の心臓≫が、狂ったように唸りをあげていた。

 カーシュナーは渾身の力を込めて、進み続ける王者に引導を渡す。

 真っ直ぐに突き出された演武・奏双棍が≪不死の心臓≫を貫き、活動を停止させる。それと同時に、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの歩みも止まった。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキス、討伐である――。

 

 

「でけえ~!」

「全然違う!」

 雪崩をかき分け、なんとか合流したリドリーとジュザが、感嘆の声を漏らす。二人の目の前には、立ったまま絶命する≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの姿があった。死してなお、人を打つ威を発している。

「やっぱり、やりやがったか!」

 そこに、まだ足元のおぼつかないハンナマリーが、3人の獣人に支えられ、隣りのエリアからやって来た。討伐後、まず、クォマが迎えに行き、その後合流したヂヴァとモモンモが手伝いに向かったのだ。

 ファーメイは≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの亡骸に登ったり下りたりしながら調査報告をまとめている。

 全員そろったところで、カーシュナーが一部始終を語って聞かせる。

「こっちの方の嫌な予感が当たっちまったか!」

 リドリーが盛大に嘆く。

「≪霊峰・咲耶≫まで来て、勝負を逃すとは…」

 ジュザは無念さのあまり言葉が続かない。

「最後、看取りたかったな」

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの強さを体感しているハンナマリーは、素直に残念がっていた。

「全員無事でなによりニャン! ハンターをやめない限り、強者との戦いはこれからもいくらでもあるニャン!」

 討伐出来たことよりも、討伐に関われなかったことを嘆いてる3人に、ヂヴァが声を掛ける。

「そうだモン! それより何より、さっさと剥ぎ取りするモン! ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの素材を無駄にしたら、それこそハンター失格だモン!」

 採取の鬼が肝心なことを思い出させる。いくら極寒の≪霊峰・咲耶≫の中腹でも、素材の細胞は分解していくのだ。

「そうッスね! 今後の研究のために、全素材を解体して保存するッス! 絶対王者の命を無駄に出来ないッス!」

 ファーメイはそう言うと、クォマに視線を向けた。視線の意味を察したクォマが大きくうなずく。テチッチ族は解体の名人であり、クォマはその中でも特別腕の立つ解体職人だった。

「まかせてほしいアン!」

 痛めたあばらをかばいながら、クォマが元気よく答える。そして、カーシュナーに視線を向ける。

 他の全員が、クォマ同様カーシュナーに視線を向ける。

「カーシュ。あんたが最初のナイフを入れな」

 ハンナマリーの言葉にカーシュナーはうなずくと、一度頭上にある≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの顔を見上げてから腰の剥ぎ取り用ナイフを取り出した。そして胸の傷口に入っていくと、≪不死の心臓≫をはぎ取る。

 一度は活動をやめた≪不死の心臓≫は、再び活力を取り戻し、カーシュナーの手の中で動き始めていた。それに応えるかのように、ファーメイが預かっていたもう一つの≪不死の心臓≫が力を放ち始める。

「……こいつはいったい何事…」

 不思議な現象に、ハンナマリーが思わず疑問を口にしかけた瞬間、それは、音もなく飛来し、カーシュナーたちの前に着地した。衝撃に雪原が砕け、その上に立っていたカーシュナーたちを吹き飛ばす。

 ≪不死の心臓≫を抱えたまま、くるりと受け身を取って立ち上がったカーシュナーと、突然の襲来者の目が合う。

 ハンナマリーも不自由な身体でなんとか受け身を取ると立ち上がり、無傷のリドリーとジュザは一瞬で臨戦態勢に入る。3人の獣人は、大急ぎでファーメイを護りに走る。

 それは始め、巨大な雪の塊に見えた。しかし冷静になって観察すると、それが体毛に大量の雪をからませたモンスターだとわかる。牙獣種のように見えるが、その身体の大きさは20メートルを超える巨体で、牙獣種というよりも、伝説の≪巨人≫を思わせる。

 白い体毛に雪が絡まっているため、全体像が上手く掴めないが、毛足の長い体毛は、もともと白かったのではなく、色素が抜け落ち、色をなくしたものだと思われた。

 真っ白な全身の中で、何故か毛のない顔だけが赤い。全身の毛がなければ、もしかすると肌は赤いのかもしれない。しわの深い赤ら顔の中で、黒目ばかりの小さな目が、カーシュナーの翡翠色の瞳を見つめていた。

 実力の程は測り知れないが、とんでもない力を秘めていることだけは、自然と放たれる強者の威で伝わってくる。それは≪煉狼龍≫ラヴァミアキスをも上回っていた。反射的にライトボウガンをかまえたリドリーを、カーシュナーが手で制す。

 謎の巨人は、その場から動かず、ただ両の手を前に差し出した。ただそれだけで、カーシュナーは意図を察する。

 カーシュナーはファーメイの元へ歩み寄ると≪不死の心臓≫を受け取った。そして、二つの≪不死の心臓≫を持って謎の巨人に歩み寄る。

「カー……」 

 ハンナマリーが声を発しようとするのを、カーシュナーが小さく首を横に振って黙らせる。

 カーシュナーは差し出されているそれぞれの手のひらに、≪不死の心臓≫を一つずつのせる。

 ほんの一瞬だけ、謎の巨人が微笑んだようにカーシュナーには見えたが、再び荒れだした吹雪に遮られ、しかとはわからなかった。

 ≪不死の心臓≫を受け取った謎の巨人は無言で背を向けると、雪で覆われた急な斜面を造作もなく駆け登っていく。その巨体を、強くなった吹雪があっという間に飲み込み、突然の出来事そのものをも飲み込む。

 誰もが言葉もなく、謎の巨人が去ったであろう山頂付近を見上げていた。しかし、吹雪をもたらす分厚い雪雲に隠された≪霊峰・咲耶≫の頂は、何の答えも与えてはくれなかった。

 狩猟は終わった。気持ちを切り替え、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの剥ぎ取りと解体作業を終えて帰途につく。しかし、謎の巨人の出現と、何故≪不死の心臓≫を欲したのか。答えの出ない新たな問題が積み上げられ、訪れた時以上に深い謎の下に≪霊峰・咲耶≫は姿をくらましてしまった。

 樹海を抜けて≪霊峰・咲耶≫の全景を一望しつつ、カーシュナーは再び訪れるであろうその優美な姿を、しばらくの間眺めていたのであった――。



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≪鉱山都市≫の謎!

「とにかく全員無事でよかったわい!」

 ≪霊峰・咲耶≫(レイホウ・サクヤ)から、見事≪煉狼龍≫(レンロウリュウ)ラヴァミアキスを討伐して≪鉱山都市≫へと帰還したカーシュナー一行に、ギルドマスターがねぎらいの言葉を掛ける。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキス討伐後の出来事について報告を受けての言葉であった。

「隊長! 聞いてないッスよ!」

 ファーメイが、その場に同席していた元王立古生物書士隊隊長に文句を言う。

「無茶を言うでない! わしかて知らんことは教えようがないわい!」

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキス討伐後に遭遇した謎の巨人について、何の情報もなかったことにファーメイが腹を立てているのだ。

「あの土地は、まだ、2回しか調査が行われておらなかった狩場じゃ! そんなモンスターがいると知っておったらクエストなんぞ出さんわい!」

 隊長じいちゃんが、ファーメイの剣幕にたじたじになりながらも言い返す。

「もう、その話はいいじゃない、ファー。おかげでボクたちはクエストに行けて、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスと戦えたんだから」

 カーシュナーがファーメイと隊長じいちゃんの間に入ってとりなす。

「戦えたのはカーシュとハンナだけだろ。オレとジュザはお子ちゃまの相手だぜ!」

「まだ、不満」

 今回欲求不満だらけの二人が愚痴をこぼす。

「≪不死の心臓≫もあげちまったしね」

 ハンナマリーも腕組みしながら残念そうにこぼす。

「それについては、賢明な判断じゃったと思うぞ。どれほど貴重なレア素材だとしても、お前さんらの無事には代えられんからのう。研究は今後時間をかけて確実に進めていけばいいわい。そういう意味では今回のファーメイの報告は、レア素材以上のとんでもなく貴重な情報じゃ」

「あれは、南の大陸の古龍種になるのかな?」

 カーシュナーが、元古龍観測所の所長じいちゃんに尋ねる。

「いや~、そればかりはなんとも言えんわい。身の丈20メートル以上の牙獣種なんぞ、竜人族のどんな書物にも載っておらんからのう。ましてこれが≪巨人≫となると、空想上のモンスターと思われていたもんじゃから、何の記録もないんじゃよ。正直これがカーシュちゃんの口から出た話でなければ、夢でも見ていたんじゃろうと笑い飛ばしておるところじゃて」

 所長じいちゃんの言葉に、他の面々から抗議の声が起こる

「仕方なかろうが! お前さんらの普段の悪ふざけが過ぎるのがいかんのじゃぞ!」

 ギルドマスターが抗議の声をあげる一同をたしなめる。

「ミスター悪ふざけ」

「誰が悪ふざけの塊じゃい!」

 ジュザがボソッとこぼした言葉に、ギルドマスターが激しくツッコミを入れる。

「こんな感じにのう」

 所長じいちゃんが二人を指さしながら言う。抗議の声はピタリと収まった。

「余計なやり取りのおかげで思い出したんじゃが、そういえば以前に、白い獣人殿から、≪霊峰・咲耶≫の上空は絶対に気球で飛んではいかんと釘を刺されたことがあったわい。理由は教えてもらえんかったがのう」

「おおっ! そういえばそんなことがあったのう! すっかり忘れておった!」

 隊長じいちゃんがその時のことを思い出したらしく、大きく手を打つ。

「忘れてたじゃないッスよ!」

 ファーメイが再び噴火する。

「これは、一度白い獣人殿にご足労いただいて、相談してみることにしよう。わしらだけでは何の答えも出んわい」

 ギルドマスターが、ファーメイから逃げ回る隊長じいちゃんを眺めながら言った。

「ギルマスやい! ≪霊峰・咲耶≫のクエストは、当面はどんな類のものも発注しちゃいかんぞ!」

 逃げまりながら隊長じいちゃんがギルドマスターに注意する。

「おおっ! そうじゃった! こりゃあ、急いで手配せんといかんわい!」

 ドタバタとしながらも必要な対応を図り、カーシュナーたちは白い獣人を待つことになった。

 

 

 竜人族の海上商人にしてハンターでもあるチヅルが、白い獣人と共に≪鉱山都市≫へとやって来た。

 チヅルは現在南の大陸の正確な地図を作成するべく、大陸を見守り続けるという使命を持つ白い獣人と、互いに協力しながら各地を回っていた。

 身の丈2メートル半はあろう獣人と、竜人族の女性は、どういうわけか気が合い、一緒に行動している。白い獣人は、普段は厳格な話し方なのだが、チヅルと会話するときだけはチヅルに合わせ、非常に間延びしたアホな子供のような話し方になる。初めに覚えた話し方であるためか、他の誰にも理解できない理由で愛着を持っているらしい。

「お~待たせ~」

 チヅルが集まっている一同に手を振る。竜人族の5人の老人は苦い表情でこれを受け、それとは真逆な反応でカーシュナーたちが嬉しそうに手を振り返す。

 非常に優秀な人材なのだが、言葉以上に人格にクセがあり、同族である竜人族はしばしばチヅルが引き起こす騒動に巻き込まれるため、チヅルに対する反応が厳しくなるのだ。逆に、その騒動をはたから眺めているだけの人々からは、面白い人物として好意的に迎えられているのであった。

「重~大事ってな~に~。も少しくわしく書いてよ~」

「なんでお前まで来ておるんじゃ! 地図作りはどうした!」

 さっそくギルドマスターのカミナリが落ちる。

「わ~たしがいなくっても大~丈夫だよ~。もう~何~か月やってると思ってるの~」

「お前、わざと普段よりも変なしゃべり方をしておるじゃろ!」

「し~~~~て~~~~~~~な~~~~~~~~~~~いいいいいぃぃぃぃぃ!!」

「き、貴様!」

 こぶしを握り締めて額に青筋を浮かべるギルドマスターを、カーシュナーが笑いを押し殺しながらとめる。

「で? 重大事ってな~に?」

 軽くギルドマスターをからかって満足したのか、チヅルが普段のしゃべり方に戻す。

「やっぱりか! やっぱりわざとじゃったんか!」

「それ~、もう~終わったから~」

 怒りが治まらないギルドマスターを、チヅルが片手であしらう。はたから見るとちょっとした猿回しにみえる。

「オレでもあそこまでは無理」

 この様子を見てジュザが感心してつぶやく。ギルドマスターに限らずジュザは竜人族の老人たちとは仲が良く、ヒマを見つけてはからかっているのだが、特にギルドマスターのいじりがひどい。カーシュナーからよくやり過ぎを注意されるが、そんなジュザをして、チヅルのギルドマスターいじりは無茶苦茶だった。

「ジュザ! こんなことに感心するでない! お前さんの悪ふざけまでこれ以上エスカレートしたら、わしの頭の血管がもたんわい!」

「大丈夫ぅ~。下水の配管より頑丈だから~」

「誰の頭がどぶ臭い下水道じゃ!」

「もう、その辺でいいだろ! これじゃせっかく白い獣人の旦那が来てくれたってのに、全然話が進まねえよ!」

 さすがにこのやりとりに飽きてきたリドリーが仲裁に入る。

 カーシュナーとハンナマリーはツボに入ったらしく、仲裁には加わらず、大笑いしないように身体を小刻みに振るわせながら耐えていた。

「白い獣人殿。お役目があるにもかかわず、ご足労いただき申し訳ない。その上あいさつもまともにせんで大騒ぎばかりして、お恥ずかしい限りですじゃ」

 頭に血が登っているギルドマスターに代わって、隊長じいちゃんが白い獣人に頭を下げる。

「いや、にぎやかでけっこう」

 アイルーをより肉食系に寄せたような精悍な顔に、優しげな笑みを浮かべて白い獣人は答えた。いくつもの文明が滅び、自然に飲み込まれていくほどの時間を一人で過ごしてきた白い獣人にとって、カーシュナーたちが生み出す愛情の上に立った喧騒は、けして騒音ではなく、心を躍らせてくれる音楽に近いものであった。

「いや、そう言っていただけると助かりますじゃ。さっそくですが、何があったか説明いたしますじゃ」

 そう言うと隊長じいちゃんが、説明を始め、そこにファーメイとカーシュナーも加わり、事細かに≪霊峰・咲耶≫での出来事を説明していった。始めは白い獣人の隣りで面白そうに聞いていたチヅルの表情も、話が進むにつれて次第に真剣なものへと変わっていく。そして、最後に謎の巨人の件にさしかかった時、表情の変化がわかりにくいはずの獣人族である白い獣人の顔が、驚愕に見開かれたのであった。

「で、出会ったというのか……」

 白い獣人は一言つぶやくと、しばらく呆然とし、言葉を発しなかった。

「すまぬ。私には語ることは許されていないのだ」

 ようやく自分を取り戻した白い獣人はそれだけ言うと、深々と頭を下げた。

「それはい……」

「ギ、ギルドマスター!!」 

 ギルドマスターが当然の疑問を口にしようとしたとき、≪鉱山都市≫の中心部の方から、一人のハンターが全力で走って来た。

「どうした! モンスターでも侵入してきたのか!」

「ち、違います! とにかく来てください! 瓦礫で埋まっていた地下空洞に通じる道が見つかったんです!」

「なんじゃと!」

 ギルドマスターは驚くとともに、白い獣人に視線を投げる。

「私もこの都市が滅んだ時のことは何も知りません。先にそちらを調べてみましょう。私も非常に興味があります」

 ギルドマスターの視線の意味を察して白い獣人が答える。謎の巨人に関して何も語れないと言った以上、これ以上≪霊峰・咲耶≫での出来事を話し合ってもさしたる進展は望めない。であるなら、この≪鉱山都市≫に眠る謎の究明を優先する方が有意義である。長年各地をめぐり、再び≪鉱山都市≫を尋ねた時には都市は崩壊し、住民も全滅していた。出来ればその原因を知りたくもあった。

「よし! 全員移動じゃ!」

 カーシュナーたちは報告に駆けつけたハンターに先導され、発見されたという地下空洞への道へ向かった。

 

 

 それは道ではなく、瓦礫の隙間であった。しかし、どの瓦礫の面も一端が鋭利な刃物で両断したかのように平滑になっていた。≪霊峰・咲耶≫で見た地下通路のようなものが崩壊して出来た瓦礫だとわかる。

 好奇心の塊である王立古生物書士隊の力自慢たちによって、第2拠点建設と並行して行われていた瓦礫の撤去作業のおかげで、大きな隙間までたどり着いたのだ。

 どうやら都市の基盤を支えていた岩盤の一部が細かく砕けず、大きな塊のまま斜めに埋まったおかげで、その下に空間が生まれたらしい。

 隙間の奥から先に調査に入っていた隊員たちの興奮した声が聞こえてくる。

「先輩たちズルいッス!」

 興奮したファーメイが、頭を瓦礫の角にぶつけながら奥へと駆けこんで行く。

「こりゃ! わしらより先に行くでない! どんな危険が潜んでいるのかわからんのだぞ!」

 ひょろ長い後姿に隊長じいちゃんの声が掛かるが、もはや耳に入っていない。

「わしらも急ぐぞ! 」

 ギルドマスターが呆れる隊長じいちゃんに声を掛け、ファーメイの後に続いた。

 そこには想像していたよりもはるかに広い空間が広がっていた。下手をすると上部の都市部よりも広いかもしれない。しかも、その全てが人工的に作り出されている。大木のような真っ四角の柱が幾本も建ち並び、巨大な空間を支えている。

「部分的な崩壊じゃったのか! これは大きな可能性があるぞい! いますぐ伝令じゃ! 都市内壁居住区の調査に出ている連中を呼び戻すんじゃ! 忙しくなるぞい!」

 興奮しながらも的確な指示をギルドマスターが出す。調査団員の幾人かが伝令のため引き返すと、カーシュナーたちはさらに奥へと進んで行った。

「なんだいこれは!!」

 ハンナマリーが大声を上げる。先に調査に入って騒いでいた王立古生物書士隊員たちは、自分たちが発見したものに圧倒され、声も出ない。

 彼らの前には、全身鎧の群れが、足を抱えて座り込んでいた。それだけならば特別驚くことでもない。重工業が発展していたと考えられている≪鉱山都市≫ならば、地下に倉庫があったと考えればそれだけのことだ。都市自体が山腹の巨大な空洞を利用して建設されているのだからむしろその方が自然と言える。

 無数に並んだ全身鎧が普通のサイズだったなら…。

「巨人用か」

 ジュザが言う。

「龍をデザインしたみたいだな。でも、一つずつ微妙に違うなんて、ずいぶんと手の込んだことしてたんだな~。古代人って」

 リドリーが呆れ半分に言う。

 床に整然と並んだ全身鎧の群れは、頭部が龍の顔を意匠化したもので、一つ一つが微妙に異なるデザインになっていた。それは、人の顔がそれぞれ違うのに似た違いだった。

 ちなみにカーシュナーたちは、ファーメイを除いた全員が、巨大な全身鎧には特別驚いていない。驚いたのは空間のあまりの巨大さと、全身鎧の数に対してである。

「まあ、≪霊峰・咲耶≫で生の≪巨人≫見た後じゃ、鎧見せられてもたいして驚きゃしないね。セミの抜け殻がいっぱい転がってるみたいなかんじだね」

 ハンナマリーが全身鎧の一つに歩み寄り、ペシペシ叩きながら言う。

「さ、触っちゃダメッス!」

 ファーメイが慌ててハンナマリーをとめる。

「あっ、ごめん。崩れたら危ないもんな」

 言われたハンナマリーが素直に全身鎧から離れる。

「でも、これなんで出来てるんだろうな? 金属ならとっくに錆びてボロボロになってるだろうし、素材で出来てるなら、いくら保存液を浸透させても分解されちまっているはずだろ?」

 不思議な手触りに首をかしげながら、ハンナマリーはファーメイに尋ねた。

「……これは」

 答えようとしたファーメイが言葉を切り、ギルドマスターと隊長じいちゃんの様子をうかがう。

 視線の意図を理解したギルドマスターがうなずき、カーシュナーたちに語りだす。

「お前さんたちにいまさらこんな念を押すようなことを聞いてすまんのだが、これからわしが話すことは、北の大陸の人間には他言無用じゃ」

 カーシュナーたちは素直にうなずく。

「これは、わしら竜人族にのみ伝えられた古い記録でのう。知っている人族は限られとる。東西シュレイド王家が信用できん以上竜人族の知識は公にしたくないのじゃ」

 ギルドマスターが苦々しげに言う。王家とかかわった過去の嫌な記憶がよみがえったのだろう。

「細かく話すと一晩かけても語り切れんから大雑把に話すが、各地でみられる遺跡の多くは、≪竜大戦≫によって古代文明が滅んだ名残りなんじゃ」

「≪竜大戦≫?」

 初めて耳にする言葉に、全員が眉をしかめる。

「はるかな昔、人と龍は激しく争い、龍はその数を激減させ、古代文明は滅んだ。長く激しく続いたその戦を、わしらは≪竜大戦≫と呼び、今日まで語り伝えて来たんじゃ」

「いまだって戦っているじゃないか? 狩猟が大規模になったものとは違うのかい?」

「根本的に違う。龍の住処を破壊し、大量に殺戮してまわったのじゃ。この時絶滅した種は数えきれんじゃろう」

 ハンターズギルドも依頼を出してモンスターを狩るが、それは自然の生態系を狂わすことのない範囲で、人類の生活圏を護るために行うものである。むしろモンスターに対してよりも、密猟者などの、人類側の生態系を狂わす原因に対して厳しい組織であった。

「殺した分、壊した分、全てが倍以上になって人類に返ってきた。人類はいまとは比較にならんほど発達した文明の総力を結集して、龍に対抗した。その中で生み出されたのが、≪造竜技術≫という命の法に触れる禁断の秘術じゃった」

「≪造竜技術≫……」

 言葉の持つ不吉な響きに、思わず口にしたジュザは後悔した。

「言葉通り、人の技術で龍を創り出したんじゃ。伝えるところによると、1体の≪造竜≫、≪竜機兵≫とも言うが、を創り出すには数十匹分の素材が必要だったと言われておる」

 ギルドマスターの言葉に、カーシュナーたちは目の前の全身鎧の意味を悟り、改めて目を向ける。これらが≪造竜≫の成れの果てだとすれば、いったいどれだけの数のモンスターが殺されたのか、想像することすら出来ない。絶滅した種は数えきれないと言った先程のギルドマスターの言葉は大袈裟でもなんでもない、むしろひかえめな表現だったと言えた。

「何でこんなことを…?」

 カーシュナーが納得できないと言いたげに問いかける。

「優れた人々が優れた技術を生み、たどり着いた先が傲慢だったのじゃろう。シュレイド王家と貴族連中を見れば想像がつくと思うがのう」

「いまよりもずっと進歩した人たちがですか? だとしたら、ボクたちは何のために生きているんですか?」

「命があるからじゃよ。だから生きておるし、生きていこうとする。何のために生きるか、個人としての答えを出すことは出来ても、種としての答えは、生き残り続けるためとしか言えん。その結果どれほど愚かしい行いをしようともな。人というものは、いまも昔も、文明の歩みほどには、精神の成長速度は早くはならん生き物なのじゃよ」

 ギルドマスターの答えに、カーシュナーは言葉もなかった。人の愚かさ、醜さは充分知っている。だからといって、自分も含めた善良な人々を、大きな種としてのくくりに入れ、同様に愚かで価値のない存在と切り捨ててしまうのは単なる逃げでしかない。

「そういうことは、今度時間があるときにじっくり考えよう」

 ハンナマリーがカーシュナーの肩に手を置きながら言う。ハンナマリー自身も、思うところがあるようだが、いまはそれを語る時ではないと理解している。

「話を戻すが、古代人たちは個々のモンスターを駆逐することは出来たが、集団となって襲い掛かってくるモンスターには対抗しきれなんだ。そのため、≪造竜技術≫はより過激さを増し、一部の国とモンスターの間で始まった殲滅戦は、世界各地へと飛び火した。そして、最終的に古代人たちは敗北し、滅んだとされておる」

「ここもその国の一つだったってことかい?」

「おそらくのう。目の前にあるこの≪巨人≫の鎧のようなものは、おそらく≪竜戦士≫として伝えられておる≪造竜≫じゃろう。その外甲殻のみが時の腐蝕にも負けずに残り、このような姿になったのじゃ」

「なんで全部死んだんだ? どうみても戦って死んだようには見えない」

 ジュザが整然と並ぶ≪竜戦士≫の外甲殻の列を眺めながら尋ねる。

「わからん。じゃが、そのあたりにこの≪鉱山都市≫が滅んだ原因が絡んでおるとわしはにらんでおる」

「みんな、質問はこの辺で一旦切り上げよう。調べれば案外簡単に答えが見つかるかもしれないからね」

 カーシュナーが提案し、全員がうなずいた。

 

 ≪鉱山都市≫及びその周辺地域の調査に出ていた調査団員がすべて集められ、調査は進められた。チヅルは現在の職務を部下たちに任せ、白い獣人と共に残り、調査に協力している。

 カーシュナーたちもファーメイを手伝い、広大な地下空間で日々を過ごしていた。

 わかったことは、この空間が≪造竜≫の巨大な生産施設であったことと、おそらく技術開発者たちの研究施設も併設されていたことがわかった。

 崩壊していた部分は、研究施設の実験場だったようで、実験の結果何らかのトラブルが発生し、崩壊したものと考えられている。それ以上の詳しい調査は瓦礫が邪魔で進んでいなかった。

 調査は主に文献などが残されていないか、研究や生産に使用されていた設備が残されていないかということに集中していた。だが、残念なことに、はるかな歳月と、北の大陸以上に高い分解作用の影響で、見つかるのは≪造竜≫のものと思われる外甲殻の一部ばかりであった。もっとも、この外甲殻に興味を示した伝説の鍛冶職人が、どれ程の歳月を経ても朽ちることのない、この永久素材を武具転用出来ないものかと張り切って研究に入っていた。カーシュナーのメイン武器である演武・奏双棍(エンブ・ソウソウコン)の開発者でもあるレノも、伝説の鍛冶職人の研究を手伝っていた。

 研究者たちの居住区の調査をしていたある日、カーシュナーは居住区には不似合いな、≪造竜≫の外甲殻が乱雑に放置された倉庫に出くわした。それ以外のものは全て朽ち果てており、床に積もった無数の足跡から察するに、発見はされたが調べる価値はないと判断され、そのままにされたようだ。

 素通りしようとしたとき、まるで手招くように乱雑に積み重ねられた外甲殻の一枚が崩れ落ち、埃を巻き上げながら裏返しになる。

 カーシュナーは単なる好奇心から裏返った外甲殻にたいまつを近づけて覗き込んでみた。

「ファー!!」

 珍しく声に興奮を込め、カーシュナーが大声をあげる。

「ど、どうしたッスか! おっきい声出して!」

 ケガでもしたのかと思ったらしく、ファーメイだけでなく、他のメンツも集まってくる。

 カーシュナーは集まった仲間たちに向けて、裏返った外甲殻を掲げて見せた。ただの黒い素材にしか見えないものに、全員が顔を近づける。

「!!!!」

 全員が驚愕のあまり声も出ない。

 カーシュナーが見つけたものは、外甲殻の裏側に、古代文字が読めないものが見ても明らかに病的と感じられる字で彫り刻まれた文献だったのだ。

 

「しくじった! オレ昨日ここ見たんだよ!」

「オレもだよ!」

 カーシュナーの大発見を聞きつけて、調査団員が倉庫に集まってくる。重要な文献を見逃していたことに気づいた多くの団員が、自分のうかつさに頭を抱えている。

 それからは全ての外甲殻の裏側が確認され、新たな発見もあったが、重要なものは全てカーシュナーが発見した倉庫から見つけ出された。

 それは、一人の研究者の苦悩を書きつづった日記とも研究メモとも呼べるものだった。

 日付や番号がふってあるわけではないので、時系列を判断するのにひどく苦労させられたが、どうにか始めの一枚と思われる外甲殻を発見し、解読が進められた。

 その中でわかったことは、この文献を残した人物は男性であり、≪造竜技術≫開発の、いくつもある研究グループの責任者の一人であったことがわかった。

 彼は主流技術の流れから外れた技術を研究していたらしく、おそらく主流派の同僚らしき人物に対する批判が頻繁に書き記されていた。客観的に判断する限り、この人物は自己中心的な精神の持ち主であり、この文献が持つ歴史資料としての正確性はかなり疑わしいと判断せざるを得ない。

 それでも、非常に優秀なことだけは確かだった。文明の絶頂期にありながら、≪竜大戦≫における人類の敗北と滅亡とを予見し、後世に記録を残そうと、手間をかけて永久素材にあらゆる記録を記して残したのだ。

 もし、彼が研究者であることを辞め、歴史の観察者に徹していたら、現代に正確な歴史資料を残した偉人として、これから先の歴史に名を遺したであろう。だが、彼はどこまでも知の探究者であり、全ての前提に己の正しさを置いて語っているため、例え今後どのような文献、資料が発見されなかったとしても、彼の残した記録が歴史として残されることはない。あくまでも、最古の文献として、古代文明を知る上での一資料という扱いに終わることになる。

 時系列の並び替えは、意外なところから進展した。内容を読み進めてもわからなことの方が多いのだが、文字そのものが持つ病的性質が時を追うごとに狂気を漂わせていくことで時の経過を図ることが出来たのだ。

 それによると、彼は≪使役竜≫(シエキリュウ)として用いる≪造竜≫は、多くの龍を素材にするため大量生産に不向きであることから、獣を基本にして≪使役獣≫(シエキジュウ)を創り出す研究を進めていた。

 成果は目覚ましく、数体の獣型モンスターで10メートル超の≪造獣≫を創り出すことに成功した。生み出された≪造獣≫は様々な改良が施され、主に≪獣戦士≫(ジュウセンシ)として≪竜大戦≫の最前線に投入された。

 当初は充分な働きを示していたが、古龍が大挙して戦線に参加してから状況が一変した。

 彼が創り出した≪造獣≫は、どれも古龍に対抗することが出来ず、古龍を上回る実力を持つ≪造獣≫の生産が急務となった。

 ここで彼の妨げとなったのが、≪造竜技術≫の革新的飛躍と、強化された≪造獣≫の制御問題だった。10メートル以上の≪造獣≫を創り出すことは出来ても、制御することがまったくできなかったのだ。

 本来ならば、彼はここで失脚してもおかしくなかった。しかし、≪造獣≫強化の過程で彼が開発に成功した人工≪不死の心臓≫の功績により、彼は開発の最前線でその腕を振るい続けた。

 人口≪不死の心臓≫の開発は、彼にとっては人類の存亡などよりもはるかに重い個人的な理由によって行われていた。

 娘のために――。

 生まれつき身体の弱い彼の娘は、同じく身体の弱かった亡き妻の生まれ変わりであった。彼の妻はお産の際、彼に己の分身を一人残してこの世を去った。

 妻が一人産みの苦しみと戦っていた時、彼は研究の大詰めにあった。身重の妻を一人残し、研究所にこもって作業に没頭していた。出産予定日が二月以上も先ということもあったが、この時の彼の頭の中には、妻のことも、お腹の中の我が子のことも入っていなかった。

 妻の急な出産は、当然夫である彼の元にも知らされた。だが、彼はまともに取り合おうとはせず、研究に一定の成果を出した後、得たものなど比較にならないほど大きなものを失ったことを知った。

 彼の優れた頭脳は、病院からの急な知らせを聞き、その意味を知識として理解はしても、人間としての感情ではなにも理解せずにはねのけた事実を、決して忘れることなく、後悔の楔として、昼となく夜となく彼を苦しめ続けた。

 苦しみは重なる。

 早産で産まれた娘が危篤状態に陥ったのだ。

 彼は研究所を飛び出し、財力、社会的地位、人脈、持てる全てを駆使して娘の治療に狂奔した。その甲斐あって娘は持ち直し、無事退院するに至った。しかし、先天性心疾患を持って生まれてきた娘は、決して大人になるまで生きることは出来ないと宣告されていた。

 彼は諦めなかった。そして、なにものにも頼ろうとはしなかった。自分こそが娘を救いうる唯一の可能性を持った存在であると強く信じて、究極のモンスター素材≪不死の心臓≫の研究に取り組んだ。

 歳月は流れ、いつしか≪竜大戦≫と呼ばれるものが外の世界で始まり、彼により多くの実験の機会と、素材が提供された。

 焦りばかりが募る日々が積み重なり、気がつくと娘は、ベッドから離れられない状態になっていた。

 彼は自身の愚かさから、孤独の内に妻を死なせてしまった後悔を愛情に変え、娘に注いだ。研究は急を要する。しかし、決して娘に孤独を味あわせてはならない。彼は娘に寄り添う時間と、研究を進める時間を作るために、眠ることをやめた。

 人口≪不死の心臓≫の完成は間に合った。しかし、これを人間用に改良することは出来なかった。生み出される生命エネルギーが強力過ぎて、モンスターですら耐えられなかったのだ。

 彼は絶望した。何のための努力だったのか。

 彼は包み隠さず娘に打ち明けた。彼を縛る後悔が、ウソをつくことも、真実を隠すことも許さなかったのだ。

 己の無力を嘆く父を、娘はやさしく微笑んで許した。父が自分のために払ってくれた多くの犠牲を知っていた娘には、父を責める心などなかったのだ。

 娘は窓の外で楽しそうにはしゃぐ愛犬を愛おしげに眺めながら言った。

「わたしは幸せだったよ。お父さんがいて、ラヴィがいて、お母さんがいたから、それで充分だよ」

 彼は尋ねた。

「何か欲しいものはないか? したいことはないか?」

 娘は答えた。

「……大丈夫だよ」

 それは、想いを口にしてはいけないという気持ちから出た答えだった。視線は常に外に、岩盤に覆われたその先に広がる空に向かっていることに父は気がついていた。飲み込んだ娘の本当の望みも――。

 眠った娘に父はささやいた。

「君の夢を叶えてみせるよ」

 眠ることをやめた父親の目に、狂気が忍び寄っていた。

 彼は研究所に戻ると、美しい鳥を基本とした≪造鳥≫を創り出した。戦力にならないという抗議が殺到したが、彼は≪造獣≫の制御コントロールを目的とした開発であることと、資金提供が難しのなら私財を投じてもかまわないと言い張り、強引に研究を進めた。

 見切りをつけられた≪造獣≫開発は、彼から手足とも呼べる部下たちを奪ったが、彼にとっては好都合だった。

 命の終わりを迎えつつある娘に、彼は大空を舞う強靭な肉体と、美しい翼を用意した。

 全ての準備が整うと、彼は娘にこう言った。

「君に翼を用意したよ。生まれ変わって、なにものにも縛られず、青い空を自由に生きなさい」

 昏睡状態に陥っている娘は何も答えなかった。

 彼は多くの鳥素材に娘を加え、世界にただ一羽の、≪不死の心臓≫を持つ巨鳥と、娘の友として、愛犬に獣素材を加えた2体の≪造獣≫を創り出した。

 彼の理論では、人の意思持った≪造鳥≫と、忠誠心を持った≪造獣≫が生まれるはずだった。しかし、現実は彼の期待を大きく裏切った。

 どちらも決して目覚めることはなく、保存槽送りとなってしまったのだ。

 このままでは彼の娘は一度も羽ばたくことなく処分されてしまう。

 狂気は彼を、禁断の縁から深淵へと後押しした。

 彼は自身を実験体とし、人間と≪造獣≫の完全融合を図った。この実験は人の禁忌に触れる行いであり、秘密裏に行われた彼の娘を≪造鳥≫化しようとした行為は重罪に値する。本来ならば処罰の対象となるが、≪竜大戦≫の戦局が敗戦へと大きく傾いたことで、極秘プロジェクトととして遂行されることになった。

 狂気は彼の持てる頭脳を極限まで引き出した。自分をモンスター化する人体実験にもかかわず、誰よりも考え、働き、理論を完成させてみせた。

 彼が人体実験に対して提示した条件はただ一つ。成功のあかつきには、この実験データを基に、彼の眠り続ける娘を目覚めさせ、大空へと解き放つことだった。

 最後に残された外甲殻に刻まれた記録に、彼が融合することになる≪造獣≫のデータが刻まれていた。

 牙獣種タイプ。全長20メートル超――。

 

 記録はここで終わっている。

 この後彼がどうなったかはわからない。成功したのか、娘と同じ運命をたどったのか、真実は過去に置き去りにされてしまっている。

「あの≪巨人≫だよ!」

 カーシュナーは確信していた。理由はない。直感がそう告げているだけだ。

 だが、カーシュナーの言葉を聞いたハンナマリーたちも、確信する。間違いないと――。

「酒を持っていきなさい」

 白い獣人が言う。

「極上の酒を」

 どうやら、これが白い獣人に許されたギリギリの情報提供の範囲らしい。それは言外に、カーシュナーの直感が正しいことを意味していた。

 カーシュナーは、謎の巨人との遭遇を思い出す。黒目ばかりの瞳には、狂気の影は存在しなかったはずだ。

 残された謎を解くカギを求め、カーシュナーは再び≪霊峰・咲耶≫を訪れることを決意したのであった――。



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古代文明の≪巨人≫!

「わしも行くぞい!」

 ギルドマスターが宣言する。

 ≪鉱山都市≫の地下に存在した巨大な空間が姿を現し、カーシュナーたちは調査を進める中で一つの文献を探し出した。その内容は、一人の研究者とその研究について書き記されていた。その最後には衝撃的な結末が記されており、著者本人が、モンスター素材と融合し、新たな≪造獣≫(ゾウジュウ)になるという内容のものだった。

 そして、その研究者が、カーシュナーたちが≪霊峰・咲耶≫での≪煉狼龍≫(レンロウリュウ)ラヴァミアキスとの激闘の果てに遭遇した謎の巨人なのではないかという結論に達したのだ。

 事の確認のため、カーシュナーたちは≪霊峰・咲耶≫行きを志願した。これに対して、ギルドマスターが自身の考えを宣言したのであった。

「それはやめたほうがいい」

 白い獣人がギルドマスターをとめる。

「これは竜人族の悲願に通ずる古代の記憶に至る可能性を秘めたことですじゃ! とても人任せには出来ませんのじゃ!」

 ギルドマスターが興奮して言い返す。

「残念だが、あなたは認められてはいない。訪ねても道は開かれないだろう」

「それはどういうことですかな?」

「申し訳ないが、これ以上を語ることは許されてはいないのです。ただ、実際に≪霊峰・咲耶≫で彼と出会ったカーシュナー君たち以外の者が訪ねても、決して出会うことはかなわないはずです」

「カーシュちゃんたちに同行したとしてもですかのう?」

「はい。彼ら以外の者が同行した場合、出会うことは出来ないでしょう」

「シロちゃんでも無理なの~?」

 チヅルが何かを悟った表情で尋ねる。

「無理~」

 白い獣人がチヅルに合わせて間延びした口調で答える。場の緊張感が一気に崩壊した。

「ギルマス~。シロちゃんでも無理なんだから~。諦めな~」

「そうそう。オレらに任せてくれればいいんだよ。あそこ寒いしさ。オレらがちゃんと調べてきてやるから、ここでお茶でも飲んで待っててくれや!」

 リドリーが気楽に請け負う。

「君たちでも会えるかどうかはわからない」

「えっ! マジですか!」

「あくまでも、彼の気が向けば会えるだろう」

「無駄足の可能性もあるってことかい」

 ハンナマリーがうなる。

「心配するなモン! カーシュと一緒ならきっと会えるモン! カーシュを嫌いな奴なんていないモン!」

「モモンモは適当に言っているだけだけど、オレもカーシュと一緒なら大丈夫だと思うニャン!」

「ボクもそう思うアン!」

 3人の獣人が口々に意見を口にする。カーシュナーに対する信頼があふれかえっている。

「うんむ。確かにそうかもしれんのう。カーシュちゃんや、すまんが頼まれてくれるか?」

「はい。どうなるかはわかりませんが、頑張ってみます」

「ファーよ。王立古生物書士隊を代表して行くんじゃ。しっかりとカーシュちゃんを支えるんじゃぞ」

「了解ッス! 極上のお酒の用意をお願いするッス!」

「おおっ! そうじゃった! 手土産にいい酒を持っていくのは常識じゃしのう! さっそく行商ばあさんに相談しよう!」

 ギルドマスターとカーシュナー一行は、残りの調査を隊長じいちゃんに任せ、地下空洞を後にしたのであった。

 

 

 二台の荷車に、黄金芋酒の詰まったタルをびっしりと乗せ、念のために幻獣チーズも持って、カーシュナーたちは≪鉱山都市≫を後にした。

 これがカーシュナーたち以外のハンターであれば、つまみ食いとつまみ飲みを心配されるところだが、基本酒を飲まないカーシュナーたちにその心配はなかった。これは未成年だからというわけではない。カーシュナーたちはスラム街で生活していた時に、常に頭をフル回転できる状態にしておく必要があったため、飲酒を忌避していたためである。この習慣は南の大陸に移住した後も残り、ハンター恒例のクエスト終了後の宴会でも、ポポミルクをジョッキになみなみと注いで飲んでいた。

 長旅ではあるが、一度は歩いた道である。カーシュナーたちは天候にも恵まれ、順調に≪霊峰・咲耶≫を目指していた。しかし、季節のめぐりが悪かった。冬にさしかかりつつある南の大陸では、南下するほど冷え込みが厳しくなってくる。

 カーシュナーたちが再び≪霊峰・咲耶≫を視界に納める距離まで来た時には、一面雪景色となっていた。

「きれいだね~。荷車引くのしんどいけど!」

「そうだな~。真っ白の世界だもんな! 荷車押すのしんどいけど!」

「しんどい」

 ハンナマリー、リドリー、ジュザが、雪景色の美しさに感嘆しつつも、雪のせいで運搬が困難になったことへのグチをこぼす。

 ハンナマリーが引く荷車を押すカーシュナーと三人の獣人たちは、特に苦ではないようで、シャドウアイ越しの純白の景色に素直にはしゃいでいた。

 リドリーと一緒にジュザが引く荷車を押しているファーメイも、その尋常ならざる脚力のおかげで、雪の中の運搬作業は苦にならないらしく、時折手を止めると、『≪鉱山都市≫~≪霊峰・咲耶≫間狩猟道路整備工事(案)』と題された専用ノートに各地の地形や天候による変化、影響を書き留めていた。意外な才能である。

 惑わしの樹海の入口にさしかかった一同の前に、巨大な何かが這いずった跡が不意に現れた。地中から姿を現し、そのまま惑わしの樹海の奥へと向かったようで、まるでカーシュナーたちのために除雪してくれた格好になっている。

「こりゃあ、助かるね」

 ハンナマリーがのん気な感想を口にする。這いずった跡はまだ新しく、近くに大型モンスターが存在する可能性を強く示唆しているのだが、わかっていながら気に留めていないらしい。

「≪霊峰・咲耶≫まで続いていてくれると楽なんだけどなあ」

 リドリーも軽口を叩く。

「酒ひっくり返されるのだけは勘弁」

 ジュザの言葉に、全員が嫌な顔をした。

「酒死守だモン!」

「もう一往復は勘弁だアン!」

 モモンモとクォマが叫ぶ。

「他のルートを探すかニャン?」

 ヂヴァが尋ねる。

「どうかな? 迂回した先で遭遇するかもしれないからね」

 ヂヴァの問いにカーシュナーが答える。

「まあ、何かいたらその時さ。楽出来るうちは楽させてもらおうじゃないか。酒だけは護らないとシャレにならないけどね」

 そう言ってハンナマリーは荷車を引き始めた。もう一台もその後に続く。

 空を覆うように茂っていた樹木がなぎ倒されているおかげで、カーシュナーたち一行は足元明るく進むことが出来た。この臨時の樹海路を開いてくれたモンスターは相当な重量の持ち主らしく、溶岩の凹凸で本来はかなり進みにくいはずなのだが、砕き敷ならされているおかげで非常に進みやすくなっていた。

 その結果、カーシュナー一行は、道を開いてくれていた当人に追いつくことになった。

「蛇竜種!!」

 ファーメイが驚きの声をあげる。

 一行の目の前に、全長50メートルはあろうかという細長い身体に、雪景色に溶け込む純白の鱗を持ち、灰水晶を思わせる、くすんだ色合いの甲殻を持つ蛇竜種が姿を現した。目の周りが鮮やかな赤で縁どられ、筆で描いたかのようにスッと後頭部へと流れている。見るだけならば、非常に美しいモンスターだ。

 雪に鮮血が走ったかのように、目の前の蛇竜種が大口を開けて威嚇してくる。

 先頭にいたハンナマリーが、大剣に手を掛け、蛇竜種をにらみつけたまま力を溜めていく。

 1段階、2段階、3段階、そして4段階目を過ぎ、力が第五の門を開け放ち、ハンナマリーの眼光に宿る。

 蛇竜種は威嚇をやめ、猛烈な勢いで≪霊峰・咲耶≫のふもとへと去って行った。

 蛇竜種の白い後姿を見送りながら、ハンナマリーがゆっくりと力を解いていく。

「…ハンナ、すごいな」

 ジュザが心底感心する。

「大型モンスターをひとにらみで追い返すニャンて信じられないのニャ!!」

 クールが売りのヂヴァが興奮してまくしたてる。

「ちくしょう! ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスとの一戦以来、でかく差をつけられちまったみてえだな!」

 リドリーが悔しがる。

 口々に褒められ、照れくさそうにしているハンナマリーの周りを、モモンモとクォマがはしゃぎまわる。

「ファー、あれはなんてモンスターなんだい?」

 ハンナマリーが照れ隠しに話題を変える。

「未確認モンスターッス! 蛇竜種と思われるモンスター自体南の大陸ではまだ発見されていないんッスよ! 驚きッス!」

「そうなのかい! 追いかけて討伐した方がいいかい?」

「いや! それはやめときましょう! どう考えても弱い者いじめにしかならないッスからね! とりあえず帰ったらギルドに報告して、必要なら再調査ということにしましょう!」

「確かに、全力で逃げているモンスターを討伐するのは気が引ける」

 ジュザが同意し、全員うなずく。

「これ、みやげにするモン!」

 モモンモが何かをファーメイに差し出す。きらりと輝くものを受け取ったファーメイが歓声をあげる。

「鱗じゃないッスか!! どうしたんッスか、これ?」

「ハンナにビビッて逃げてく時に落としていったんだモン!」

「さすが、採取の鬼! メチャクチャ助かるッス!」

「みんな注意力が足りないモン!」

 モモンモに指摘され、全員慌てて周囲を探しだし、このあとさらに三つの落し物を雪の中から手に入れた。その内の一つは間違いなくレア素材と思えるもので、一同は縁起の良い白蛇の落し物を手に入れたと上々の気分で≪霊峰・咲耶≫のベースキャンプに向かったのであった。

 

 

 半分雪に埋もれたベースキャンプを掘り出して、その日は休むことにした。明日はいよいよ謎の巨人の調査開始である。

 ファーメイは惑わしの樹海で遭遇した蛇竜種に関する報告をまとめていた。

「この地方限定のモンスターなのかな?」

 カーシュナーがファーメイに尋ねる。

「可能性は高いッスね! 蛇竜種はガブラスみたいな小型のものも含めて未発見だったッスから、大型甲虫種が少ない≪霊峰・咲耶≫周辺で生息していると考えられるッス!」

「いままでの≪霊峰・咲耶≫周辺の調査では見つからなかったんだよね」

「そうなんッス! ただ、調査は≪霊峰・咲耶≫を中心にして行われたので、周辺地域はそれ程細かく調査出来ていないんッスよ!」

「じつは冬季限定のモンスターってことはないかな?」

「!!!!」

「この地域が南の大陸では唯一の寒冷地帯ではあるけど、実際に常に雪があるのは≪霊峰・咲耶≫の中腹より上だけでしょ? でも、中腹は≪煉狼龍≫ラヴァミアキスの縄張りだから生息できない。あの真っ白な身体で樹海に住んでいるのはどう考えてもおかしいからね」

 カーシュナーの意見を急いで報告書に書き加えながら、ファーメイは自分の考えを口にする。

「体色を周囲の環境に合わせて変化させられるモンスターなのかもしれないッス! もしくはアルビノ個体の可能性もあるッス!」

「なるほど!」

「でも、大型甲虫種の活動が鈍くなるこの季節に現れたのは、カーシュ君の考えを強く後押しするとも言えるッス! 冬眠ならぬ夏眠をするモンスターの発見かもしれないッス!」

 その後も新発見の蛇竜種モンスターを話題に一同はひとしきり大騒ぎし、狩場の中にいるとは思えない明るさで一晩を過ごしたのであった。

 

 

 日の出とともに出発したカーシュナー一行は、天候が荒れやすい冬山にあって、滅多にない晴天に恵まれていた。

 中腹は前回訪れた時よりも高く雪が積もり、雪崩の危険性を感じさせる。北の大陸では、地域によっては季節ごとに狩場を封鎖することがあるが、白い獣人の情報により、寒冷地とはいえ冬の影響が狩場に大きく作用しない≪霊峰・咲耶≫では、異常気象でも発生しない限り、封鎖処置は設けないことになっている。もっとも、運に大きく左右される問題なので、訪れたはいいが、雪に阻まれる可能性もある。

 突風、もしくはモンスターのエリア移動の影響か、前回≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが起こした雪崩によって封鎖されていた山道も通行可能な状態になっていた。

 カーシュナーたちは、とりあえず前回謎の巨人に遭遇したエリアへ移動することにした。

 激闘の跡は雪の下に去り、吹雪によってならされた雪原が広がる。エリアの一角に、岩肌が露出した箇所があり、以前にはなかったはずの洞窟が口を開けていた。

「あんな洞窟記録にないッスよ!」

 ファーメイが興奮して声をあげる。

「あっ! あそこは≪煉狼龍≫ラヴァミアキスが水蒸気爆発したところだよ!」

 当時の状況を思い出したカーシュナーが、つられて大声をあげる。

「…だけど、あんな洞窟あったかい?」

 当時を思い出しながら、ハンナマリーが首をひねる。

「なかったよ。雪崩で埋まっていたからね」

「よく覚えてるよなあ」

 リドリーが感心する。

「とりあえず行ってみようか」

 ハンナマリーの号令に従い、一行は新たに出現した洞窟へと進むことにした。

 

「どうやら小型モンスターが掘り起こしたみたいッスね!」

 洞窟の入り口付近は無数のモンスターの足跡で踏み固められていた。どうやら新たなねぐらを発見したと考えたらしく、足跡は洞窟の奥へと続いている。

「雪に埋もれていないところを見ると、比較的新しいみたいだね」

「オレらが到着するまでは吹雪いていて、最近になってほじくり返したのかもな」

 ハンナマリーの意見に、リドリーが自分の考えを付け加える。

「かもしれない」

 草原地帯から≪霊峰・咲耶≫を目指していた時、行く手の天候がかなり荒れていたことを思い出し、ジュザが賛同する。

「よし! とにかく入ってみよう!」

 ハンナマリーが荷車を引きながら洞窟内へ足を踏み入れると、そこは、人工的に掘り抜かれた真っ四角な通路だった。

「ここも作られた洞窟なんだね」

 ふもとから中腹へと至るルートは、自然洞窟を現在の技術では再現不可能な、床も壁も天井も垂直な人工の通路でつながっていた。カーシュナーたちが足を踏み入れた洞窟も同様で、どうやら運搬路として活用されていたらしく、何やら複雑な模様を持つ車輪の跡が床に残されている。上り勾配がつき、美しい三角錐型をしている≪霊峰・咲耶≫の山肌に沿って続いているのか、緩いカーブを描いている。

 しばらく進むと通路は急な角度で折り返していた。どうやら通路は山頂に向かうらしく、この先も何度か折り返して登って行くことになるようだ。

 折り返し地点は広い空間になっており、小型鳥竜種モンスターの≪白雪鳥≫(ハクセツチョウ)がたむろしていた。警戒の鳴き声が壁に反響し、うるさくてかなわない。

 クォマが進み出る。言葉はなくともその意図を理解した一行は、耳をふさいで背を向ける。

 全身で大きく息を吸い込むと、一瞬だけ息を止め、通路が反響で振動するほどの大爆音を放つ。

 通路の各所から、長年かけて溜まった埃が降ってくる。

 カーシュナーたちが振り向くと、そこには大爆音で目を回す≪白雪鳥≫の群れがいた。

 ≪煉狼龍≫ラヴァミアキスとの死闘の際は、自身が生み出した爆音であばらを痛めていたが、新たな特技を完全に身につけたらしく、振り向いた全員の視線を、誇らしげな笑顔で受け止めていた。

 全員に頭をぐりぐりとなで回され、クォマは嬉しそうに笑った。

 無益な殺生を避けたい一行は、≪白雪鳥≫が目を回している隙に折り返しを一気に駆け上がり、さらに上を目指した。

 上に何かがあると保障されているわけではないが、何もなかったとしても、何もないことが証明されるので、調査がまだまだ進んでいない≪霊峰・咲耶≫では、無駄足になるということがない。一行は迷いなく進み、ファーメイは嬉々として新情報を報告書に書き加えていった。

 外の様子がわからないため、時間の経過が測れないのだが、腹時計の具合から夕刻と判断し、カーシュナーたちは次の折り返し地点でキャンプを張ってその日一日を終えた。

 もし、この通路を発見できず、中腹から道を探しつつ山頂を目指していたら、どれ程進めただろうか。だが、この通路のおかげで、明日の早い時間の内に山頂を拝めそうだった。山頂まで続いていたらの話だが――。

 

 翌日も変化のない壁と登り勾配の通路を見上げながら、カーシュナーたちは進み続けた。時々同じところをグルグル回っているだけなのではないかと錯覚することもあったが、「酸素が薄くなってきたね」というカーシュナーの一言で、登り続けていることを実感することが出来た。

 ギルドマスターが大量に持たせてくれた酸素玉を頬張りつつ歩を進めていると、代り映えしない状況に不意に変化が生じた。

 通路内の温度が急激に下がったのだ。外気が大量に流入しているとしか考えられない。

 足を速めた一行が、何回目かの折り返しを通過した時、前方に光が差し込んでいるのが確認出来た。

「全力だモン!」

 そう言ってモモンモが荷車を押しだした。

「負けちゃダメッス!」

 隣りで荷車を押していたファーメイが、負けじと荷車を押す。

 荷車が二台並んでも充分な幅を持つ通路だったため、なみなみと黄金芋酒の詰まったタルを載せた荷車を、勾配がきつくなりだした通路で、どちらが早くてっぺんまで運べるかというレースが、いきなり開幕した。仲が良く、ノリの良い一同は、酸素が極端に薄い中、全力で荷車を引いていく。

 二台が同時に光の中に飛び込んだときには、全員フラフラの状態になっていた。後先考えず、ノリで行動してしまうところは、まだまだ子供である。

 凍りつきそうな寒さも、この時ばかりは心地よかった。

 目を焼かれないようにするために、シャドウアイを装着してから光の中に飛び出した一同の目に、不思議な光景が広がっていた。

 そこは職人が磨き上げたかのように、見事な半円形をした≪霊峰・咲耶≫の山頂の火口だった。照らす光を全て集めて空へ投げ返そうとしているかのように、まばゆい光に満ちている。

 火口の縁と底との中間地点に開いた通路の口から、カーシュナーたちは火口の底に荷車を運んだ。ここならこれ以上滑り落ちる心配はない。

 一同は荷車を置くと、フラフラだった先程の様子がウソのような勢いで、≪霊峰・咲耶≫の最も高い場所目指して駆けだした。

 狭い縁に立ち、世界を見渡す。

 ごみ捨て場のようなスラム街から、よくもここまで来たものだと、カーシュナーたちは目頭が熱くなる想いだった。

 雲海が広がり、その先に、世界の丸みを映した南の大陸が広がっている。≪鉱山都市≫から歩んできた道のりが、立体地図でも見るように確認出来た。

 足場の狭い火口の縁を、一列になってぐるりと回る。先程立った位置からちょうど180度移動した位置に立ち、世界を眺め渡す。深い青をした海と、霞の向こうに南の大陸第三の大陸の姿が見える。気のせいかもしれないが、一同の目には巨大な白い鳥が舞っているように見えた。

 絶景を堪能した一同が振り向いたとき、火口の底に≪巨人≫がいた。

 虚を突かれた一同が、足を滑らせ火口を転げ落ちていく。外側に落ちなかったのが不幸中の幸いだった。

 見事に滑り落ちているため、自力で止まることは出来ない。早々に諦めた一同は、滑るに任せて体勢だけを整える。

 自分に向かって突っ込んでくるカーシュナーたちを、≪巨人≫は頓着することなく眺めながら、黄金芋酒のタルを上手そうに口に運んでいた。

 滑り落ちてきたカーシュナーたちは、あぐらをかいた巨木ほどもある脚に当たってようやく止まる。

 ≪巨人≫は黄金芋酒がよっぽど気に入ったのか、脚に当たったカーシュナーたちには一瞥もくれず、赤ら顔を真っ赤に染めてご満悦である。

 圧倒的な強者の威はまったく変わらないが、戦いの気を一切まとっていないため、不思議と存在感が薄い。≪霊峰・咲耶≫と一体化しているようなイメージだ。

 黄金芋酒を一タル空けると、左の手で新しいタルを掴み、空いた右手のひらを上にして、カーシュナーたちへと差し出した。

 カーシュナーが迷わず差し出された巨大な手の指の一本に手を掛ける。つられてハンナマリーたちも手を載せる。

《よくここまでたどり着いた。新しき人々よ》

 言葉が、骨を伝わり頭蓋を振動させたかのような感覚で伝わり、頭の芯に響く。

 驚いて手を放す一同に、カーシュナーが手を戻すように視線でうながす。

《≪不死の心臓≫を譲ってくれたこと感謝する》

「!!!! なんで言葉がわかるんッスか!!」

 不自然な事実に気がついたファーメイが、驚いて大声をあげる。

 これを聞いた≪巨人≫が大笑いする。

《ずいぶんと賑やかな者がいるようだな》

「ファー、仮にも王立古生物書士隊の代表なんだから、落ち着けよ。オレたちまで恥ずかしいだろ」

 リドリーに注意され、ファーメイが≪巨人≫にペコペコ頭を下げる。

《かまわんよ。ここでは君たちは寒かろう。場所を移すとしようか。ついてきなさい》

 ≪巨人≫はそう言うと立ち上がり、少し離れた場所を巨大な手を使って猛烈な勢いで掘り返した。つるりとした平らな地面が姿を現す。そこに≪巨人≫が手を触れると地面が引き戸のように横に流れて開き、登ってくるときに使用した通路よりもはるかに整った通路が現れた。

 ≪巨人≫の手招きに応じ、カーシュナーたちは荷車を引いて後に続く。

 身の丈20メートルを超える≪巨人≫にはさすがに窮屈なようだが、天井は高く、≪鉱山都市≫の坑道天井部分にあった発光物が天井一面に塗られているようで、中は昼間のように明るかった。

 いきなりモモンモが≪巨人≫に取りつき、毛足の長い体毛を伝ってスルスルと登って行く。

 止めることも出来ず、一同が呆気に取られていると、モモンモは肩まで登り、そこに座り込む。

 これには≪巨人≫も驚いたようで、黒目ばかりの目を大きく見開いている。

 磨き上げた黒曜石のような瞳にお面姿を映しながら、モモンモは、

「乗せてってくれだモン!」

 と言って気安く片手を上げた。

 驚きの去った≪巨人≫がゲラゲラ笑う。

 壁面に反響し、クォマの爆音咆哮並の威力になる。

 あまりに笑い声が大きかったため、モモンモが弾き飛ばされて肩から落ちる。

 これを大きな掌で受け止めた≪巨人≫は、モモンモを肩に戻してやった。

「びっくりしたモン!」

 お面越しでもわかるくらい、モモンモは慌てていた。

 黒い瞳がモモンモをじっと見据える。

《君も重すぎる悲しみを乗り越えてきたようだな。優しい手に支えられ、その小さな手にやさしさを持って支えている》

「おっ! 手をつながなくてもおしゃべり出来るモン!」

 モモンモが、声の響く頭に手をやる。

《先程の接触で、君たちの個別の生態周波数を確認した。以降は接触なしでも念話(ネンワ)は可能だ》

 この声はモモンモだけでなく、全員の頭に響く。

「この会話はどうやって成立しているのですか?」

 カーシュナーが基本的な疑問を口にする。

《正確には会話ではないのだ。発しようとする意志に付属する思考を伝達し、互いの脳内に思考が達すると、思考をその頭脳の持ち主の記憶から、伝達された思考を表現しうる言葉、映像、体験などを選び出し、変換しているのだ》

「ということは、人によってそれぞれ異なる表現で伝わっている可能性もあるわけですか?」

《君はずいぶんと聡いな。まさしく君が例えた通りで、ここにいる全ての者が、それぞれ異なる文化圏で育ち、異なる言語を話すとしても、変換可能な知識、記憶等があれば、意志の疎通は可能なのだ。逆に、用いる言語が同じでも、生まれ育った環境、地位、財力、権力、教育、一個の人間を形成する要素が大きく異なる場合は、まったく変換できない場合もある》

「王族や貴族には、私たち難民が流した血と涙の味は理解できないってのといっしょだね」

 ハンナマリーが憤慨混じりに言う。

《それもまた真実と言えよう。支配階級にある者に、隷属を強要される者の痛みは決して理解出来はしないだろう》

「それにしても、ずいぶんと便利だな。どうやってるんですか?」

 リドリーが、慣れない敬語で質問する。

《君たちにもいくらかの≪竜大戦≫の知識があるようだな。これは龍と戦うための≪使役竜≫(シエキリュウ)や≪使役獣≫(シエキジュウ)を操るための技術なのだ》

「これがあれば通訳いらずだね」

 ハンナマリーが感心する。

《それがそうでもないのだ。この技術を通訳代わりに用いたりすると、発するつもりのなかった思考まで、ときには相手に伝わってしまうことがあるのだ》

「ウソがつけない」

《一概にそうとは言い切れないのだが、怒りや恨み、嫉妬や後悔など、強い感情は、当人は抑えているつもりでも伝わってしまうことが多いのだ。これでは一般人同士のやり取りであれば、最悪でも個人間の刃傷沙汰ですむが、これが国家レベルになると戦争に発展しかない》

「なるほど」

《もっとも、≪竜大戦≫などという世界を滅ぼす大戦争に用いられている時点で、たいして意味のない制限であったがな》

 ≪巨人≫の思念に皮肉な色が混じる。

「その技術はまだ残っているんスか?」

《それに応えることは出来ない。≪造竜技術≫につながる可能性があるものは、どんな些細なものも、後世に伝えることは許されていないのだ》

「なるほど! それが聞けただけで充分ッス! ボクが所属している王立古生物書士隊にこんな言葉があるッス! 『好奇心は道を歩ませる一歩となり、強すぎる好奇心は道を踏み外させる二歩目となる』 ボクも≪造竜技術≫なんかにつながるような情報はほしくないッス!」

「おおっ! よく余計な二歩目を踏み出すファーにしちゃあ良い事言った!」

「でしょ~。……はっ! 全然褒められてなかったッス!」

 憤慨するファーメイに一同大笑いし、≪巨人≫も音量を抑えて笑った。

「話は変わりますが、ボクたちは≪鉱山都市≫で≪竜戦士≫の外甲殻に書き込まれた情報が、あなたの手によるものではないかと考えて≪霊峰・咲耶≫に来たんです」

 カーシュナーが本題に入る。

《なるほど、≪鉱山都市≫と名付けたか。確かに、かつてはその名の通りの活気に満ちた都市国家であった。まさかまだ崩れもせずに残っていたとはな。ましてやあの駄文が発見されるとは、思いもよらなんだ》

 ≪巨人≫は過去を見つめる視線を天井に投げた。

「発見された文献では、あなたが人体実験をするまでの記録しか記されていませんでした。あの後、どんなことが≪鉱山都市≫で起こったのですか?」

《すまん。実は人体実験後の記憶がないのだ。はっきりと意識を取り戻したとき、私は巨大な龍と戦っている最中だった。そこがどこかもわからず、また、どれ程の時間が過ぎていたのかもわからなんだ。始めは実験が失敗し、私は単なる≪使役獣≫として、≪獣戦士≫(ジュウセンシ)にでも改造されて戦線に投入されたのかと考えた》

 ≪巨人≫はそこまで話すと、目の前に現れた大きな扉に、火口で通路の入口を開いた時と同様手を触れた。巨大な扉が音もなく滑るように壁の中に収納される。

「これだけでもすごい技術」

 ジュザが感心する。

《入ってくれ》

 先に入った≪巨人≫が一同をうながす。

 そこには、なんらかの動力炉とおぼしき設備が無数に並び、いまも低い振動音を発して稼働していた。

 全員あまりの光景に声も出ない。ただただ神話級の世界に存在したかつての超文明の遺産を眺めた。

「こ、こんなもの、私らに見せていいのかい! さっきまずいみたいなこと言ってたじゃないか!」

 ハンナマリーが慌てて問い詰める。

《問題ない。当時の最先端技術を理解した技術者でもない限り、理解することは出来ない。私ですら技術的なことはほとんどわからないからな》

「確かに、すごいってことしかわかんないッス!」

《それに、当時と並ぶだけの技術力がない限り、ここに入ることは出来ないのだ》

「なるほどね。まさか帰さないつもりかと疑って悪かったね」

《気にするな。君と他の3人は、危機的状況に備える本能が発達している。それ相応の苦境を乗り越えたのであろう。疑うのはむしろ当然だ。私の配慮が足りなかった。申し訳ない》

 ≪巨人≫の言葉に、珍しくハンナマリーが恐縮する。

《ここは空調が整備されている。ここで話そう》

 ≪巨人≫はそう言うと、その場に座り込んだ。3人の獣人がすかさず黄金芋酒入りのタルを運ぶ。

「ど、どうぞだアン!」

 クォマがビビりながら黄金芋酒を勧める。ヂヴァもそうだが、恐れているというより、神を相手にしているかのように畏れているのだ。

《ありがとう。テチッチ族の少年よ》

 ≪巨人≫に礼を言われ、クォマは照れてモジモジする。

「お口に合うかわからニャいけど、幻獣チーズもどうぞだニャン」

 酒の肴にと、ヂヴァが念のために持ってきたつまみを差し出す。

 ≪巨人≫は巨大な指で器用にチーズをつまむと巨大な口に放り込んだ。かなり気に入ったらしく、表情を崩してヂヴァに礼を言う。ヂヴァも普段のクールさなど見る影もなく、照れくさそうにニヤニヤしていた。

《話がそれてしまったな。私が人体実験後に、時間を置いて自我を取り戻したことは、完全ではないが、実験の成功を意味した。私は目の前の龍との戦いを放棄し、≪鉱山都市≫へと戻る道を探した。それと同時に、戦闘を放棄できた段階で、私は≪使役獣≫に改造されていないことがわかった。≪使役獣≫は指示された戦闘を、戦況がどれほど不利であったとしても、新たな指示がない限り放棄して撤退することは出来ないからだ》

 ≪巨人≫はそこで一息つくと、黄金芋酒をグイッとあおった。実際にしゃべっているわけではないのでのどが渇くわけではないのだが、人間だった当時の習いが出たのであろう。

《私は実験が失敗と判断され、娘が処分されてしまったのではないかと考えおおいに焦った。現在位置を知るのに手間取ったが、別大陸ではなかったおかげで私はなんとか≪鉱山都市≫にたどり着くことが出来た。だが、私がたどり着いたときには≪鉱山都市≫はすでに滅んだ後だった。私は娘がどうなったかどうしても確認したくて都市に入った。そこには我が物顔でのし歩くモンスターたちがたむろし、私の行く手を遮った。単なる科学者でしかなかった私だが、素材とした獣の本能がモンスターの群れを退けてくれた。それはかつての≪造獣≫など及びもつかない、≪造竜≫すらも凌ぐ驚異的な強さだった》

《私は血まみれの手で瓦礫を取り除き、娘が安置されていた保存槽のもとへ向かった。当然と言えば当然だが、保存槽は空で、隣りに安置していた娘のペットの≪造獣≫の姿もなかった》

《世界は≪竜大戦≫の真っただ中だった。私は他国の造竜技術者に捕らえられることを恐れ、≪竜大戦≫の終結まで身を隠すことにした。それからはあてもなく各地を彷徨った。しかし、それが無用に各エリアを支配するモンスターとの争いを招くことに気づいた私は、安住の地を求めた》

《この地は≪龍脈≫の真上にあり、大陸に無数に存在していた各国家にエネルギー資源を供給する≪世界共有基地≫だった。大陸の心臓部とも言えるこの≪霊峰・咲耶≫は、当然その防衛機能も高く、幾度も古龍の襲撃を退けた。だがある日、空を覆うほどの巨大な白銀の龍が現れ、人類の最後の抵抗を粉砕した》

「すいません。話の腰を折って申し訳ないんですが、《龍脈》って何なんですか?」

 カーシュナーが申し訳なさそうに口を挟む。

《我らが暮すこの世界は、一個の巨大な生物であると言える。深く傷つけばその活動をやめ、地上に生きる全ての生命と共に死滅してしまう。龍脈とは、世界の生命活動を支える力の流れの事なのだ。人間に例えると、血管とその中を流れる血液のようなものだ。《龍脈》は世界の数か所で合流し、力の集積地といえる≪力場≫を形成する。この≪霊峰・咲耶≫は、世界に数か所しかない≪力場≫の一つなのだ》

 この説明に、一同はあっけに取られる。話のスケールが大き過ぎるのだ。

 ≪巨人≫は一同が大まかにではあるが《龍脈》の意味を理解したと察し、話を元に戻した。

《人類が滅びた≪霊峰・咲耶≫を、私は安住の地とすることにした。もっとも、もはや他国の造竜技術者に追われる心配のなくなった世界で、人でもなく、モンスターでもない、滅びた文明の遺物にどんな安らぎがあるのかと己を笑ったがな》

 ≪巨人≫の思念に、深い苦みと寂寥がにじむ。

《どれ程の歳月が過ぎたか、ある日、人類に終焉をもたらした白銀の龍が≪霊峰・咲耶≫を訪れた。私は終わりが訪れたと歓喜した。≪不死の心臓≫を組み込まれたこの身体に死をもたらすことは、私には不可能だったからだ。しかし、死という永遠の安らぎは、私にもたらされることはなかった。白銀の龍が私に与えてくれたのは、意外なことに、ある一つの使命だった》

《私は実験の名目で、多くのモンスターを殺してきた。そこに人らしく悔いる心も、罪の意識もなくだ。その罪の深さを、いまの私は知識として理解は出来ても、余りにも自らが掘り返してきた罪が深すぎて、痛みを感じることが出来ない。どうしようもなく罪深い存在なのだ。にもかかわらず、白銀の龍は私の罪を許し、人類が残した≪竜大戦≫最大の遺物である人工の≪不死の心臓≫の回収を命じた。同時に、もしこれから先の未来において、再び人類が成長し、≪竜大戦≫の名残を求めた時、これを阻止するように命じられた。手段は私に任せると言ってな》

《その中で一つだけ条件を付けられた。≪霊峰・咲耶≫を決して離れてはならないという条件だ。これは単純に、私が世界を歩けばその地のモンスターとの争いが避けられないからだ。これ以上の殺生は、同じ命を持つものとして許されない所業だと、私自身も考えていたことだった》

《最後に白銀の龍は言った。『全ての罪の代価が支払われたとき、お前には想像もしていなかった報いが与えられるであろう』と、私は言った『時の終わりまで務めたとしても、私の罪が贖われることはないだろう』と、もし、本当にそんなことがあるとしたらだが、白銀の龍はその時微笑み、去り際に言葉を残した。『たとえそれが時の終わりまでかかろうとも、そなたはなさねばならぬ』と――。》

《以来私は≪霊峰・咲耶≫で≪不死の心臓≫を回収し続けているというわけだ》

 長い話の間に、≪巨人≫は持参した黄金芋酒のタルを半分空けていた。

「成長した人類が、いま≪竜大戦≫の記憶を求めてここにいます。あなたはどの様に阻止なさるおつもりですか?」

 カーシュナーが笑顔で尋ねる。戦いの可能性を一切考慮していない笑顔だ。

 ≪巨人≫の黒い瞳がゆるく和む。カーシュナーの笑顔は古代文明の≪巨人≫さえも篭絡してみせたようだ。

《中腹での≪煉狼龍≫ラヴァミアキスとの戦いを見させてもらった。君たちが命を軽んじる力を求めるとは考えられない。かつての私が持ち得なかった命に対する敬意が、あの戦いにはあった。だから、招いた。記憶がほしいというのならいくらでも与えよう。そして、≪竜大戦≫の記憶を警句と共に新しき人々へと伝えてほしい。白銀の龍と私の願いは、≪竜大戦≫を再現させないことなのだからな》

 この言葉に全員が笑顔になる。想像していた以上にとんでもない存在から見込まれたという苦笑も若干混じっている。

「ここにいて≪不死の心臓≫を全部回収できるのかい? 拾い残しが出たら悪用されんじゃないのかい?」

 ハンナマリーが疑問を口にする。

《後期型の≪造竜≫と≪造獣≫には人工≪不死の心臓≫が搭載されていたからな。世界各地にばら撒かれてしまった。≪不死の心臓≫は古龍の力をもってしても破壊することは出来ん。いまだにかなりの数が残されているはずだ。それを考えれば確かにここにいて私一人で処分しきることは不可能だ。だが、この任務に就いている者はおそらく私一人ではないと、私は考えている。あの白銀の龍がそんな穴だらけの計画を立てるとは考えられないからな》

「ちなみに、古龍ですら破壊することが出来ない≪不死の心臓≫を、どうやって処分しているんですか?」

《龍脈へ投じる。それで充分なのだ。始原の力は全てを生み出し、全てを無に帰せしめる。過ちで滅んだ文明は、原始へ帰るのだ》

「一人でさみしくはないのか?」

 ジュザが不満げに尋ねる。≪巨人≫の過去の罪とその報いが現在の状況だということは理解したが、これではあまりにも課せられた罪が重すぎる。無間地獄と何も変わらない。≪竜大戦≫が生み出した罪はあまりにも多いが、この≪巨人≫が一人で始めたことではない。最後の生き残りだからといって、当時の人々の罪を一身に背負わせるのは間違いだ。

《心配はない。研究に没頭し始めたころから、私の感情は乏しくなっていたのだ。でなくてこの様な過ちを犯しようはずもない。だが、今日君たちと会うことが出来て、楽しいという感情を思い出すことが出来た。感謝する》

「…難しい話はこのくらいでいいんじゃねえか? 楽しんでくれてんなら、後は思い切りオレらも楽しもうぜ!」

 リドリーが提案する。

「そうだね。宴会にしよう!」

 カーシュナーが歓声を上げる。

「ハンナ、音頭頼む」

 ジュザも珍しく、つり上がった細い目の目じりを下げる。≪巨人≫の純粋な喜びが伝播したのだ。

 アイテムポーチとは別に持ち込んだそれぞれのリュックから、食料と飲み物が取り出され、乾杯の準備が整う。≪巨人≫も新しい黄金芋酒のタルの口を開ける。

「≪巨人≫の旦那と私たちの今日の出会いと、南の大陸、第一の大陸での全クエスト終了を祝って、乾杯!!」

「乾杯!!」

《乾杯!!》

 モモンモが踊り、カーシュナーが舞う。クォマが歌い、ヂヴァが笛を吹き鳴らす。

 ≪竜大戦≫に関する謎は、まだほんの一部が解明されたに過ぎない。しかし、それは竜人族が長い年月をかけて求めても叶わなかった古代の歴史の1ページだった。

 カーシュナーたちは、なんの欲もなく、ただ、新たに得た一人の友人との宴を、心ゆくまで楽しんだのであった――。



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5年間!

 カーシュナー一行が≪霊峰・咲耶≫から持ち帰った情報は、各組織を代表する竜人族の老人たちを仰天させた。

 五大老に限らず、チヅルに始まる竜人族の次代を担う世代も、この報告に目を丸くする。

 第一次調査団の参加者全員に情報が公開され、興奮した各団員が作業の手を止めて互いに語り合い始めてしまったため、一時全ての活動が停止する事態にまで発展した。

 ≪霊峰・咲耶≫は一躍注目の狩場となったが、協議の結果狩場としては閉鎖されることになり、保護区として今後はハンターズギルドに厳重に管理されることになった。

 ≪不死の心臓≫に関しては、発見され次第、≪霊峰・咲耶≫へ送られることになった。王立古生物書士隊と古龍観測所としては、研究対象として非常に未練があったが、仮に研究の結果その仕組みが解明され、複製が可能となった場合、その技術を手にした東西シュレイド王家が世界に与える影響を考慮し、未練を断ち切った。大き過ぎる力に溺れて暴走するのは考えるまでもなくわかることだったからだ。

 

 南の大陸、第一大陸でのクエストを終えたカーシュナーたちは、第二大陸の調査隊に志願した。

 第一大陸の足場固めをしている段階で、第二大陸を調査する必要性は低かった。ギルドの支援体制は皆無に等しく、≪鉱山都市≫が無数のモンスターに包囲された時のように、危機的状況に陥ったとしても、これを知り、救助体制を整えるようなことは出来ない。

 リスクばかりが高く、得られるものは、人的資源の都合上現在活用することが出来ない情報のみである。それでも知りたいという好奇心は、カーシュナーたちばかりではなく、第一次調査に参加した全ての者に共通する抑え難い欲求ではあったが、無秩序な探索は結局全体的な調査を遅らせる結果を招くことになる。

 五大老に加え、主だった実力者で協議した結果、特選調査隊を結成し、一定の成果や調査対象を定めず、自由に調査を行うことが決定した。なまじ成果を期待すると、無理をしかねないからだ。特選調査隊のメンバーは、カーシュナー一行をベースに、基本無所属の最強ハンターである赤玲と、伝説の鍛冶職人の弟子であるレノ、チヅルの船の船医の3人が加わるだけの小さなキャラバンとなった。

 責任者としてギルドマスターが同行すると駄々をこね、これを受けた他の老人たちが自分こそ責任者に相応しいと言い出したため、おおいにもめたが、カーシュナーに諭され引き下がった。その影響力は、もはや南の大陸の最高権力者と言って差し支えないレベルに達している。

 

 バルバレに集うキャラバンのような特殊機能を備えた車が用意され、カーシュナーたちは出発した。これもまた、多くの職人が仕事を放りだしてカーシュナーのためにと製造された新車揃いである。

 一行は海路を使わず、陸路にて第一大陸と第二大陸が最も接近する地点を目指した。船を使わず移動したのはキャラバンの運転操作に慣れるためもあったが、第一大陸と第二大陸との間に広がる≪海峡≫を根城とする強力モンスターが存在したためでもあった。

 このモンスターは、白い獣人がギルドマスターらに警告を発した4種類のモンスターの最後の1種で、つい最近まで北の海域から海底大地震の影響で移動してきたナバルデウス級の大海竜や古龍種を相手に縄張り争いを繰り広げていた。

 あまりにも危険な海域のため、撃龍船でも無事に切り抜けるのは難しいと判断されて航行を禁止されていた海域であった。

 現在も航行は禁止されているため、船を使って第一大陸から第二大陸へ移動しようと考えた場合、縄張りを大きく迂回する必要がある。安全を考えれば単に迂回すればすむ話なのだが、第二大陸に調査隊を派遣するとなれば、いざというときに迅速に大陸間を行き来できなければ、救助隊の派遣など、急を要する事態に対応が出来ない。

 そこで、調査隊派遣に懐疑的であったギルドマスターが、第二大陸への調査派遣を図る最終審査として、≪海峡≫の開放を目的とした討伐クエストを発注したのであった。キャラバンに同行する赤玲はクエストには同行せず、臨時のハンターズギルド監察員として、クエストの成否を判断することになっている。

「≪海峡≫の覇者が代わることを、思い知らせてきな!」

 とても監察員とは思えない赤玲の言葉に気合を注入されて、カーシュナーたちは≪海峡≫の覇者、≪獄海竜≫(ゴクカイリュウ)を討伐するために、≪海峡≫へと身を躍らせた。

 ≪獄海竜≫は≪冥海竜≫ラギアクルス希少種と共通する生態が多く、第一大陸では非常に珍しい≪龍属性≫と、G級モンスターすら比較にならない猛毒を合わせ持つ巨大な海竜である。属性攻撃が強力にもかかわらず、肉弾戦を好み、ラギアクルス希少種との大きな違いである強靭なアゴで敵対するモンスターを噛み砕いて退ける好戦的なモンスターだ。

 ナバルデウスのものと思われる角が、猛毒に汚染され、噛み砕かれた状態で近くの海岸にうちあげられていたことがあり、≪獄海竜≫の仕業と考えられている。

 カーシュナーたちが南の大陸で初めて捕獲した巨大な水生甲虫と戦い、長い脚の一本をもぎ取ったのも、解剖調査と白い獣人の鑑定の結果、≪獄海竜≫であると判断されていた。

 この強力なモンスターを、カーシュナーたちは無事討伐し、≪海峡≫の航行権を手に入れて見せた。カーシュナー可愛さのあまり、つい過保護になってしまう竜人族の老人たちも、この結果を受け、ようやくその突出した実力を正当に認めたのであった。

 

 ≪海峡≫を平定し、安全な航路を確保したカーシュナー一行は、水上走行機能を持つキャラバン特殊車両で海峡を渡った。

 渡った結果思い知ったことは、比較的波が穏やかな時以外、水上走行は避けた方がいいという事実だった。

 波にもまれてめちゃくちゃになった室内と、各特殊車両の機関に発生したトラブルを解消するために、カーシュナーたちは突貫で復旧作業に追われることになった。

 拠点やベースキャンプなどが存在しない第二大陸では、ゆっくり休むことが出来る場所など存在しないからだ。

 応援の職人たちのおかげでなんとか1週間で復旧することが出来たが、今後は全て自分たちで行わなくてはならない。カーシュナーたちは懸命に技術を習得していった。

 

 第二大陸は第一大陸と違い、大陸の大半に繁殖しているのは飛竜種と鳥竜種、そして、その捕食対象となる草食種であった。大型甲虫種は大陸の北部に帯状に広がる≪灼熱の砂原≫と、東部の一部に飛行能力の高い甲虫種が見られるだけで、環境としては北の大陸にかなり近い。

 第一大陸が土壌の豊かな土地であったのに対し、第二大陸は、荒涼とした砂岩地帯の多い荒れた土地だった。

 調査の結果これらは≪竜大戦≫による戦禍がもたらした荒廃だとわかった。かつては活力に満ちていた土が、人知を超えた力で焼き尽くされ、植物を育む力が極端に低下してしまったのだ。

 やせた土地は生存競争をより厳しいものにし、第二大陸に生息するモンスターたちの凶暴化に拍車をかけた。

 街や村などの拠点があり、クエストとして足を踏み入れているわけではないので、いつ何時モンスターに襲われるかわからない。常人ならば気が狂いそうな環境であったが、カーシュナーたちはスラム街で最弱の立場で生活していた。理不尽な暴力がいつふりかかってくるかわからない環境だ。不要な時はしっかり頭と心を休め、必要な分だけ緊張を持続する。カーシュナーたちは未踏の地において、孤立無援で活動するのにうってつけの精神力の持ち主たちであったのだ。

 多くの古代都市跡地を調査し、≪竜大戦≫の戦禍の凄まじさを知った。残されたものは破壊の跡とその威力を物語る残骸ばかりで、第二大陸が≪竜大戦≫において最大の激戦区であったことがうかがい知れた。

 

 時折白い獣人が自身の使命の途中でキャラバンに立ち寄った。互いの情報を交換し合い、戦場跡で発見した人工≪不死の心臓≫を受け取って去って行くということが繰り返された。白い獣人は決して口にしないが、彼もまた、南の大陸から≪竜大戦≫の痕跡を消す使命を担っているのだろう。

 

 ある時、カーシュナーたちは、≪砂海の孤島≫で二頭連れの牙竜種と出会った。

 発せられる強者の威は、≪煉狼龍≫ラヴァミアキスをはるかに上回っていただろう。だが、誰も武器に手を伸ばす者はなく、灼熱の陽光に焼かれて漂白された体毛の奥で優しく光る濡れた瞳を見つめていた。

 カーシュナーが≪巨人≫との経験を活かし、思念を飛ばしてみる。

 予想通り通じ、思念が返ってくる。たが、それは明瞭な意志ではなく、おおまかなイメージだった。雪のように真っ白な少女がいた。白くほっそりとした手。か細いが愛情にあふれた声。何より強く伝わったのは、その少女を大好きだという温かい心。そして、失くしてしまった愛情を探し求める深い悲しみと、さまよい続けた気の遠くなるような歳月――。

 この牙竜種も白銀の龍と出会っていた。そして、≪巨人≫同様≪不死の心臓≫を探す使命を与えられていた。

 白銀の龍は、同じ探し求める使命でも、はっきりと結果の出る使命を与えたのだ。徒労感だけを味わい続けることは、終わることのない痛みに似ている。

 カーシュナーたちは二頭の牙竜種に導かれ、第二大陸の≪龍脈≫の集中点である≪力場≫、≪流砂の底≫へとやって来た。そこには、顔見知りが一人いた。白い獣人だ。

 こちらは≪霊峰・咲耶≫と違い、エネルギー抽出機関は活動を停止し、施設全体の機能もはるか以前に停止していた。

「出会い、導かれたか。カーシュ君。君には本当に驚かされる。あるいは、南の大陸は君を待ち続けていたのかもしれないな」

 白い獣人はそう言うと、どこかで見つけたのだろう。≪不死の心臓≫を≪龍脈≫へと投げ入れた。

 カーシュナーも荷袋から取り出した≪不死の心臓≫を牙竜種に見せてから、白い獣人を真似て≪龍脈≫へと投げ入れた。

 牙竜種から喜びの思念が送られてくる。

 白い獣人はそれ以上何も語らなかった。カーシュナーも尋ねない。答えられないとわかっているからだ。

 その夜はヂヴァが腕を振るい、二頭の牙竜種も含めて宴が開かれた。

 

 第二大陸で数々の飛竜を退け、カーシュナーたちは主要な地域の調査を終えた。かかった期間は丸二年を要した。極みに達したハンターとしての技量は熟成を重ね、深みを持つまでになった。最強のお手本がすぐ隣にいたことも、カーシュナーたちの技術向上に大きな役割を果たした。

「あたしが4人いるみたいだよ」

 日々成長を遂げるカーシュナーたちを前にし、赤玲が笑いながら言ったことがある。カーシュナーたちは冗談と受け取っていたが、赤玲の目には深い満足があった。

 

 一度船で北の拠点に帰り、全てを報告した。

 第二大陸の牙竜種と≪流砂の底≫に関しては保護指定が決まった。自分たちよりもはるかに優れた文明を構築した人々が下せなかった正しい判断を、ギルドが下せていることが、カーシュナーは嬉しかった。

 

 報告が終わると、カーシュナーはさっそく第三大陸の調査を志願した。

 しばらく腰を落ち着けてはどうかという意見が殺到したが、カーシュナーはいつもの笑顔でさらりとかわしてみせた。

 2年間の成長はカーシュナーの魅力を倍増させ、肉体的にも大きく成長した結果、甘やかしたいという感覚に、頼り甲斐が加わり、持ち前の人たらしっぷりは絶頂を極めていた。もはや誰もカーシュナーの意見に逆らえる者はいない。

 

 笑顔一つで説得に成功したカーシュナーは、キャラバンの特殊車両の整備をすませると、さっそく第三大陸へと旅立った。

 第三大陸は、第一、第二大陸の中間位置から南下した位置にあり、他の大陸と比較すると大陸の規模は7割ほどと少し小さく、大陸全般ではっきりとした四季が存在した。

 生態系は多種多様の一言に尽きた。

 これまで北の大陸で確認された全てのモンスター種別が確認され、従来のカテゴリーに含まれないモンスターも多数発見された。

 ここではファーメイが無双の働きをみせ、モンスター図鑑は更新に次ぐ更新となった。

 大陸の北西部は第二大陸同様戦禍による荒廃が見られたが、逆に北東部は第一大陸のように豊かな土壌を持ち、甲虫種が覇権を握っていた。

 北の大陸では砂漠化が進む地域があるが、ここ南の大陸では逆の現象が起こっていることを、荒廃している北西部と生命力豊かな北東部の中間地域に該当する北部調査時に船医が発見し、第二大陸の緑化計画を新たな夢とした。

 蛇竜種タイプの超巨大古龍種と遭遇し、チヅルが南の大陸に漂着した際に遭遇した超巨大甲虫種にも遭遇した。この超巨大甲虫種は海を渡るらしく、どうやらかなり長い周期で三つの大陸を渡っていることが確認された。ラオシャンロン級の古龍のつがいとも遭遇し、危うくキャラバンを踏み潰されそうになったこともあった。山岳調査のつもりで踏み込んだ地域では、山崩れに巻き込まれたかと思わせるほどの巨大な両生種が存在し、知らずに背中に乗った途端大ジャンプを敢行されたこともあった。

 他にも多くの超巨大モンスターが生息し、第三大陸は巨大モンスターの巣窟のような状態だった。古代人たちはこの環境でどうやって文明を発達させたのかと一同は首をひねったものである。

 この大陸には多くの古代都市の遺跡が残されており、竜人族がのどから手が出るほど欲した古代文明の文献が数多く発見された。当時の良識ある人々が、後世に自分たちの生きた証を残そうと懸命の努力で遺した知識が、カーシュナーたちの努力の結果、正しく伝わることが出来たのだ。

 始めは危険の伴う先行調査に反対していたギルドマスターらも、この発見には興奮のあまり心臓が止まるのではないかという勢いで歓喜し、第一大陸で進められていた多くの計画を全て中断して駆けつけてきた。

 細かい調査を王立古生物書士隊と古龍観測所の調査団員にゆだね、カーシュナーたち一行はさらに奥へと未踏の大地を渡っていった。

 

 第三大陸の南部に、貫通弾で貫かれたかのように、見事な円形をした湾が存在する。

 周辺台地は均等な高さで盛り上がり、海に面した側は垂直な崖になっている。船医の説明では、空から大きな岩が降ってきて、大地に大穴を穿った跡だという。

 湾の中心では巨大な渦が唸りをあげて回転し、湾に迷い込んだものは流木だろうとモンスターだろうと関係なく飲み込んでいた。

 どうやって調査を行うか、はたまた調査自体が可能なのかを話し合っていた時、大渦を割って一羽の巨大な≪白鳥≫が現れた。モンスターと呼ぶにはあまりにも美しく、清浄な空気をまとう巨大な≪白鳥≫は、一度飛び去ってからカーシュナーたちに気がついたらしく、優雅に舞い戻って来た。

 力感にあふれた肉体にもかかわらず、強者の威はまったく感じない。あるのはこの状況をどこか面白がっている雰囲気のみであった。

 カーシュナーは迷わず思念を投げた。帰って来たのは混乱であった。

 どうやら記憶の一部を失っているらしく、意識に話しかけられたこと事態驚きであったらしい。熟成を見ない未熟な意志を根気よく解きほぐし、なんとか落ち着かせるとともに状況を理解させた。

 カーシュナーたちにはこの巨大な≪白鳥≫の正体がわかっていた。なんとか記憶を呼び覚ましてやろうと様々な思念を送ってみたが上手くいかない。頭を悩ませていた時、モモンモが何気なく≪巨人≫の肩に登り、転げ落ちて受け止められた時の記憶を≪白鳥≫に送った。

 文明が滅び、自然に飲み込まれる程の歳月の下に眠っていた記憶が刺激される。

 体調の良かった日、父の背にゆられながら庭を散歩していた。青空にしか見えない都市の天井に手を伸ばす。その時一羽の小鳥が横切り、反射的に父の肩に手を掛けて、小鳥を捕まえようと思い切り身体を伸ばした。バランスを崩して背中から落ちそうになった自分を慌てて捕まえる父。驚きのあまり大きく見開かれた目がおかしくて、大笑いした。日常に潜むほんの小さな幸せ――。

 モモンモの記憶に刺激されて目覚めた記憶が、次々と埋もれていた記憶を呼び起こす。

《お父さん!!》

 これまでにカーシュナーたちが投げかけた思念と、よみがえった記憶がつながり、美しい≪白鳥≫は父を求めて羽ばたいた。

《ありがとう!!》

 歓喜に震える思念が届き、カーシュナーたちは≪白鳥≫の後姿が青い空に溶け込んで見えなくなるまで手を振って見送った。

 

 第三大陸最南端部――。

 晴れることのない霧に包まれた岬にたどり着き、カーシュナーたちの第三大陸先行調査は終わった。

 第三大陸初上陸からここに至るまで、2年の歳月が過ぎていた。隅々まで調べつくしたとはとても言えないが、これから先の本格調査の立派な土台となることは確かだ。

 やり遂げた感慨に浸っていると、遠方から歓喜の思念が送られてきた。

 それは≪霊峰・咲耶≫で罪をあがない続けていた≪巨人≫からもたらされた感謝の言葉だった。

《こんな日が来ると、私は信じることが出来ないで過ごしてきた。償いに終わりなどないと、それはいまでもわかっている。それでも私は許しを得た。これほどの報いが与えられるとは、……言葉もない》

 言葉としての思念は途切れ、後はあふれだした感謝がとめどなく伝わってきた。

 最後にイメージが届けられる。

 ≪霊峰・咲耶≫の見事な半円形をした山頂火口で、≪巨人≫と≪白鳥≫の周りを嬉しそうに跳ね回る牙竜種の姿だった。

 おそらくつがいのどちらかが目にしている光景なのだろう。≪巨人≫の股の下をくぐったり、≪白鳥≫の美しい翼の下をくぐったり、再会の喜びをなんとか表現しようとしている。

 カーシュナーは強く念じた。距離があり過ぎて、カーシュナーたちから思念を飛ばすことが難しいのだ。

《心がつながっているから、ただ想うだけでいいんだよ》

 この思念を受け取った牙竜種が、≪巨人≫と≪白鳥≫を一心に見つめた。そして、歓喜の咆哮を、5000メートルの空のかなたへと放つ。

 ≪巨人≫が泣いていた。≪白鳥≫も泣いていた。

 こぼれ落ちた涙は雪の上に落ちる前に結晶と化し、雪よりも澄んだ光で輝いた。

「本当のレアアイテムだモン!」

 モモンモの言葉に誰もがうなずき、その夜開かれた宴は、東の空が白み始めるまで続いたのであった――。

 

 第一大陸、北の拠点へ帰還したカーシュナーたちは、しばらくの時間をゆっくり過ごした後、船医の新たな夢である戦禍跡地の緑化計画を手伝うことにした。

 この時点で≪霊峰・咲耶≫での激闘から4年の歳月が過ぎ、南の大陸への人の流入はとどまる事がなかった。

 人口の増加が南の大陸開発を促進させ、各地に拠点一体型の村が興され、南の大陸生まれの子供が誕生していた。

 この4年間、北の大陸は海底大地震からの復興は期待していたほど進まず、東西シュレイド王国内では内戦が激化の一途をたどっていた。

 人心はとうに離れ、故郷を見限った多くの人々が新世界で新しい人生を手にしていた。

 カーシュナーたちの緑化事業は、もはや信者と呼べるほどの領域でカーシュナーに心酔する人々の多くの協力を得て進み、それに伴って、わずか一年の歳月でドンドルマを上回るほどの規模の都市も誕生していた。

 カーシュナーが南の大陸、第一大陸を踏破してから5年の歳月が過ぎた。カーシュナー自身の足跡を数多く残す新世界に、カーシュナーが幼いころより求め続けた本当の居場所を、カーシュナーは仲間たちと共に創り出したのであった――。



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≪新世界宣言≫

 スラム街を後にしてから、約6年の歳月が過ぎていた。

 少女のような面立ちをした少年も、18歳になったいまでは並の大人を上回る立派な体格へと成長していた。2メートル近い長身と、それに見合う鍛え上げられ研ぎ澄まされた究極の肉体を持つ姉には及ばないが、もはや誰も少年を子ども扱いすることはない。

 身長が伸び、アゴのラインが少ししっかりとしたくらいで、面立ちはそれほど変わっていない。相変わらずクルクルと巻く髪に、翡翠色をした瞳が見る人々を魅了していた。

「カーシュ!」

 赤子を抱えたひょろりとした長身の女性に声を掛けられ、カーシュナーは満面の笑みで振り向いた。

「相変わらず、すごい威力の笑顔ッスね!」

 今年24歳になる大人の女性とは思えない体育会系の口調で、ファーメイが苦笑する。

「旦那には悪いッスけど、クラっときたッスよ!」

 これにはカーシュナーも苦笑で返すしかない。

「ちょうどいいところで会ったッス! これ旦那に届けてほしいッス!」

 ファーメイはそう言うと、巨大な弁当箱を差し出した。

「玄関に忘れていったんッスよ! ボクの愛妻弁当を!!」

 怒りがぶり返したのか、ぷりぷりと怒っている。とても一児の母には見えない。

「わかった。あずかるよ。今日はどこにいるの?」

「方々から声が掛かっていたけど、いまの時間なら調合師ギルドにいると思うッス!」

 カーシュナーは弁当をあずかると、ぷくぷくの赤ちゃんにあいさつをし、ファーメイと別れた。

 しばらく進むと前方で爆発騒ぎが起こっている。黒煙にむせながら、なじみの声が文句を言う。

「どんだけ不器用なんだよ!」

「す、すまん…」

 それに対し、意気消沈した声が短く答える。

 まだけぶっている黒煙を手で追い散らしながら、カーシュナーが二人に声を掛ける。

「リド、お弁当。ジュザ、タオル」

 それぞれが手を出して受け取る。

「いけねえ! あいつ怒っていたか?」

「ぷりぷりしていたよ」

 カーシュナーの答えに、リドリーが顔をしかめてアゴ髭を引っ張る。

「すまん」

「爆薬の調合?」

 煤で真っ黒になっているジュザに問いかける。

「ああっ、爆薬。やっぱり調合書ないとダメかな?」

「確実を期すならいると思うよ」

「でも、リドはなくても成功させる」

「そうだね。正直ボクにはマネ出来ないよ」

「カーシュも無理か」

「オレだって難しい調合はちゃんと調合書見ながらやるっつの!」

「初耳だ!」

「器用だからって何でも出来るわけねえだろ!」

 不器用なジュザに、調合師ギルドの長が一目置くほど手先の器用なリドリーが調合の指導をする。一通りの冒険を終え、ようやく腰を落ち着けたカーシュナーたちの日常の一コマだった。

 爆薬の失敗は日常茶飯事なので、カーシュナーも全く気に留めない。

「今日姉さんがG級昇格クエストの監察から帰ってくるんだ。ヂヴァも合流して一緒に返ってくるらしいから、久しぶりに全員そろうよ」

「ハンナが帰って来るのって今日だったか? 季節外れの嵐のせいで予定がのびのびになっていたからすっかり忘れていたぜ!」

「いつ頃戻る?」

「お昼前には戻ってくるはずだよ」

「ジュザ! 早いとこ仕事かたずけて、港で出迎えてやろうぜ!」

「わかった」

「ボクも≪小火竜≫の訓練所に顔を出したら港に向かうよ。クォマもいるはずだからね。ところで、モモンモはどこにいるか知ってる?」

「確かモンニャン隊のクエストからは戻ってきていたはずだけど、どこで遊んでいるかはわかんねえな。あいつにはパターンってもんがないからな」

「オレが探して連れてく」

「悪いね、ジュザ。よろしく頼むよ。じゃあ、後で港で会おう」

 青空のもと、それぞれの仕事をかたずけに向かうカーシュナーたちの上に、暖かな日差しが降り注いでいた――。

 

 

「お~い!」

 リドリーが港に入港してきた撃龍船に手を振る。

 船上の一人のハンターとアイルーがリドリーたちに気がつき、手を振り返す。

 第一大陸でチヅルの撃龍船をつかまえたハンナマリーは、第二大陸にカーシュナーたちが中心となって建設された港湾都市に久しぶりに帰ってきた。

 ハンターとしての実力は頂点を極め、まだ22歳にもかかわず、後進の指導と、G級関連クエストの監察員を主な仕事としている。

 船医を中心とした第二大陸の緑化計画は順調に進み、カーシュナーたちは仕事を他者に引き継いで、各ギルドの難易度の高い業務を請け負っていた。

 G級クエストは当然難易度が高く、挑んだ全てのハンターがクエストを成功させられるわけではないため、ハンナマリーはクエストが失敗した際ハンターたちが命まで失わないための保険的役割も担っていた。

 船上に立ち、黄金色の長い髪を風になびかせる姿は強者の威と相まって、降臨した戦女神のようであった。

 係留させた撃龍船から下船してきたハンナマリーとヂヴァは、どこか狩場にいる時と似た空気をまとっていた。それはリドリーやジュザにもすぐに伝わり、再会の喜びや、商談で活気づく周囲とは全く異なる緊張感を生み出した。

「また、≪獄海竜≫(ゴクカイリュウ)でも暴れだしたのか?」

 ジュザが問いかける。

「……いや、そういうんじゃないんだよ。ちょっとおかしな船団を見かけてね。チヅルさんの撃龍船の方が船足が速いから見えなくなっちまったけど、途中で進路を変えていなけりゃ、小1時間もすれば見えてくるはずだよ」

「どう変なんだ?」

「大量の爆薬のにおいがしたのニャ!」

 ジュザの質問にヂヴァが答える。

「水平線上に見えるかどうかの距離からでも、海風に乗って運ばれて来たくらいだから、相当な量だと思うニャン」

「そいつは確かにおかしいな。航路間のモンスターは全て討伐して安全を確保してある。それでも絶対とは言えねえからどの船も大砲の2、3門は装備しているが、実際は≪爆臭虫≫(バクシュウチュウ)から採れる≪爆臭エキス≫で作ったモンスター除けが効いてほとんど使わないはずだ。大量の爆薬を運ぶ必要がねえ」

「輸入?」

「それは私も考えたんだけど、爆薬が必要なのは南の大陸よりも、むしろ内戦が終わらない北の大陸の方だろ。輸出規制がかかっている爆薬を、北の大陸へこっそり密輸しているんならわかるけど、あんなに大量の爆薬を積んでいたらすぐにばれちまうからね。どの島にも立ち寄れやしない。補給なしで南北大陸間を行き来することは出来ないんだ。どうにもきなくさい船団なんだよ」

「しかも、こっちに向かっている?」

「ああっ、私たちが見つけた時は南に向かっていたよ」

 一同はしばらく押し黙って考えたが、明確な答えが出るわけもない。

「それより、カーシュはどうしたんだい? ギルドの仕事で出ているのかい?」

 頭を切り替えようと、弟の姿が見えないことについて尋ねる。

「いるぜ! オレたちにハンナとヂヴァが今日帰って来るって教えてくれたのはカーシュだからな。大方どっかで誰かの厄介な仕事でも手伝っているんだろ」

「有能過ぎるのも困りもの」

 二人の話に思わずハンナマリーが苦笑する。

「とりあえず、ギルマスじいちゃんに報告しよう」

「なんだモン? 敵襲かモン?」

 無邪気に尋ねたモモンモの言葉に、全員が真顔になった――。

 

 

 水平線上に現れた艦隊は、点のような姿から、いまでは船腹に多くの砲門を持つ5隻の軍艦であることがはっきりと確認できる距離まで近づいていた。風を受けて満々に張った帆には、シュレイド王家の紋章が描かれている。

 艦隊は一定の距離まで近づくと陣形を変えて横並びに展開し、船首ではなく船腹を港に向けると停止した。

 そして、なんの警告も勧告もないまま、全艦が一斉に砲門を開いたのであった。

「退避じゃ!!」

 ギルドマスターの命令に関係なく、艦隊が陣形を変えた瞬間から、ギルドナイツらの指示で、何事かと見物に訪れていた野次馬たちに避難指示が出ていた。

 いま一つピンと来ていなかった人々も、空気を振動させて轟いた爆音と、それに続いて周囲で巻き起こった無数の爆発で何が起こっているのかようやく悟り、慌てて走り出した。

「年寄りと女子供を護るんじゃ! 野郎ども! 身体を張って護るんじゃぞ!」

 一番の年寄りの檄に、そこかしこから応じる気合のこもった声が返ってくる。

 大砲の射程外に避難したリドリーが、ファーメイの肩を抱き、言葉を掛ける。

「ファー! オレたちの坊やを頼むぜ!」

「リド! 大丈夫ッスよね! ボク、もう一人になるのは嫌ッス!」

「任せろ。リドはオレが護る」

 不安と恐怖に顔を歪ませるファーメイに、ジュザが力強く請け負う。

「ファーこそ早く安全な場所まで避難しな! いても足手まといでしかないよ!」

 ハンナマリーの厳しい言葉がファーメイの背中を押す。

「わ、わかったッス!」

「晩飯の用意はいらないよ! 今夜はギルドの酒場で戦勝祝いをあげるからね!」

 戦女神の微笑みが、ファーメイの心から不安を吹き払う。

「信じてるッス! ボク、ハンナを信じてるッス!」

 ファーメイはそう言うと、衰え知らずの神速で都市の奥へと走り出した。

「それ以上に旦那を信じろよな~!!」

 リドリーの気負いのない言葉が、妻の背中を追いかける。

「ハンナが男だったら、リド結婚出来なかった」

「バカ野郎! オレが女だった絶対ハンナと結婚していたぜ!」

「あんたらねえ、非常事態に私をネタにふざけてるんじゃないよ!」

 ハンナマリーのカミナリが落ちる。

「どうってことねえよ! 昔に比べたら、砲弾の雨なんて屁でもねえ! いまのオレらには、家族や仲間を護れるだけの力が充分にあるんだ。それより、例のモノ、取って来た方がいいんじゃないか?」

「そうだね。任せていいかい、二人とも?」

「任せろ。ハンナはここで状況の把握に努めてくれ」

「しっかし、カーシュの先見の明には本当に頭がさがるよな! おかげでオレたちだけでも準備が整えられたんだからよう!」

「出来れば事前に阻止したかった」

「こればっかりは仕方ないよ! 来ちまったもんはどうしようもないんだからねえ! 後は私たちでかたずけるだけだよ!」

「おおっ!」

 リドリーとジュザは威勢よく答えると、避難する人々とは別の方向へと走り出した。

 

「我はシュレイド王家の正当な血筋に連なる、マルテール侯爵である! 不遜にも王家の命に逆らい、王家の財産である新天地を不当に犯せし反逆者どもに鉄槌を与えるべく参上した! おとなしく首謀者である竜人族どもをさしだせば良し! さもなくば、皆殺しにする! 一切の慈悲はないものと思え!」

 砲撃をやめ、近づいてきた一席の軍艦から、マルテール侯爵なる男が上陸し、降伏勧告をする。意外に若く、まだ20代半ばの貴族で、均整の取れた長身に、知性をたたえた瞳をしている。

 北の大陸で諜報活動を行っていたはずのハンターズギルドの間者を出し抜いて、これだけの艦隊を引き連れてきたのだから、無能揃いの王侯貴族の中では稀有な存在と言えるだろう。

「ここに至るまでの航路は全て我らが押さえた! 住人の幾人かは捕虜として連行してきた! あくまで抵抗するというのであれば、まずは捕虜たちを見せしめに殺す! さっさと出てくるがいい、竜人族ども!」

 マルテール侯爵の言葉が本当であることを証明するために、軍艦から何人かの男たちが引き出されてきた。全員ハンターズギルド所属の職員である。その中には、カーシュナーたちと共にスラム街から移住してきたルッツの姿もあった。

 全員、半死半生の体である。拷問というより、長い船旅のヒマつぶしにいたぶられたのだ。

「話を聞こう!」

 ギルドマスターが周囲の制止を振り切って進み出る。

 いきなりの襲撃にいきり立つハンターたちが、身につけた武器へと手を伸ばす。

「お前たちは下がっておれ! ハンターの矜持を忘れたか!」

 ギルドマスタ-の一喝に、それぞれの武器にかかっていた手がおりる。

「どこまでも前時代的な愚か者どもよ! まあよい! 手向かわんというなら、今後は私が治める新たなシュレイド王国で、奴隷として飼ってやらんこともないぞ!」

 絶対の優位を確信しているマルテール侯爵が、優越感に浸りながら哄笑をあげる。

「ギルマスじいちゃん! 他のみんなは無事だよ! グエンのあんちゃんが逃がしてくれてる! 安心して!」

 ルッツが隙を突いて声をあげる。その口元を、兵士が殴りつけて黙らせる。

「やめてくれ! そっちの命令には従う! だから、その者らを開放してくれ!」

「開放するかどうかは私が決める! 黙って従え! 下賤な血しか流れん貴様らは、高貴なる血を持つこの私の言葉に、ただ従っておればよいのだ!」

 マルテール侯爵が激昂する。

「ハンターども、まずはその武器をこちらに渡せ! そして武装を解除してひざまずくのだ!」

 ギルドマスターの視線を受け、ハンターたちが武器を放る。それを兵士たちが素早く拾い集める。

 ひざまずく人々を前に、マルテール侯爵の知性をたたえた瞳の奥で、ケダモノの本性が姿を現す。

「手当たり次第殺せえ!! 反逆者の竜人族どもは生け捕りにしろ!! 見せしめに火あぶりにしてやるわ!!」

 一瞬にして興奮に茹で上がったマルテール侯爵が、上陸した兵士たちに命令する。マルテール侯爵の暴走は、兵士たちにも感染し、これから行われる一方的な殺戮を想像させた。

 暴力の快感に酔った兵士たちが躍りかかろうとした時、≪小火竜≫が兵士とハンターらの間を飛び去り、その背から一人の人物を落としていった。

 それは、インナー姿に鉄鉱石製のヌンチャクを首にかけたカーシュナーであった。

 全身から放たれる百戦の気と、強者の威のすさまじさに、ハンターばかりでなく、ギルドマスターも金縛りにあい、呼吸すらままならない。

「なんだ貴様は! 誰の前に立っていると思ておるのか! いますぐひざまずけ! わたしにひれ伏すのだ!」

 真の恐怖を目の当たりにしたことのないマルテール侯爵以下王国軍の兵士たちは、ハンターとは逆に、カーシュナーの放つものを何も理解していない。いきなり現れたたった一人の男を、余裕を持って眺めていた。

「仲間たちを置いてさっさと消え失せろ。そうすれば殺さない」

 感情が乾ききった声で、告げる。

 この声を聴いたハンターたちの全身に鳥肌が立つ。それは紛れもない死の宣告であった。

「…待て、カーシュちゃん。ハンターの矜持を忘れたか」

 ギルドマスターの言葉に、カーシュナーは首にかけたヌンチャクを軽く上げて見せた。

 ――対人用武器。

 この日このことがあると予測し、カーシュナーは事前に対人用の武器を用意していたのだ。たとえどれ程怒りに駆られようと、カーシュナーも長年自身と共に狩猟を共にした演武・奏双棍(エンブ・ソウソウコン)を人に向けるつもりはない。

 かつて王国軍がドンドルマの町を占拠し、新開発の≪滅龍砲≫を持ってラオシャンロンの討伐を試みたことがあった。このときもハンターたちは武器を取り上げられ、ハンターズギルドに監禁された。

 不意を突くことに成功したとはいえ、ハンターたちが存分に持てる力を行使していたら、王国軍によるドンドルマ占拠はならなかっただろう。占拠できたのは、あくまでもハンターがその誇りを護るために武器を置いたからである。

 結局新開発の≪滅龍砲≫は素材とした≪火竜の骨髄≫から発せられる臭いによってリオレウスを呼び寄せてしまい、ラオシャンロンと複数のリオレウスを同時に相手取る事態を招くこととなった。王国軍は数匹のリオレウスを撃ち落とすことには成功したが、残りのリオレウスに追い散らされ、新開発の≪滅龍砲≫はリオレウスのブレスで焼き払われ、その性能を生かしきれないまま作戦は失敗に終わってしまった。その後は監禁していたはずのハンターたちの手によって尻拭いをしてもらい、誘導してきたラオシャンロンからドンドルマの街を護ってもらうことになった。

 このドンドルマ占拠は軍内の一部組織の暴走によるものとして処理され、ハンターズギルドとシュレイド王国との深刻な衝突は回避されたが、万が一成功していた場合、監禁されていたハンターたちやギルド関係者がどうなったか、断言できる者はいない。

 ハンターの矜持とは、無抵抗主義を表す言葉ではない。

 常人とは異なるハンターの強力な力と、モンスター素材から作り出される強力な武具を、決して人には向けず、人類をはるかに上回る強大な存在であるモンスターに立ち向かうときのみ振るう。

 それは強力な力に飲まれず、人として正しい道を行くための、自らを律する掟なのだ。

 ゆえに、非道を働く者たちを処罰するために、ハンターズギルドには対人用ハンターであるギルドナイツが存在するのだ。

「聞こえんのか! ひれ伏せと言っているのだ! この新世界の新たなる王、マルテールの前にひざまずき、頭を垂れぬか! 下賤の輩が!」

 マルテール侯爵の声などまるで聞こえていないかのように、カーシュナーが王国軍に向かって歩き出す。

 無視されることに慣れていないマルテール侯爵が激発する。

「捕虜を殺せ! 私に対して非礼を働くとどういうことになるか、思い知らせてくれるわ!」

「リド!!」

 マルテール侯爵が命令を発するのと同時に、カーシュナーが動く。

 ルッツに剣を振りかざした兵士の眉間から、矢羽を花のようにゆらした矢が生える。

 兵士は糸の切れた人形のように崩れ、数回痙攣すると動かなくなった。

 とっさに矢の飛来した方角を見た兵士たちの額に次々と矢が射込まれる。

「ひ、怯むな! かかれ! 相手はたいした武器など持たん連中だ! さっさと撃ち殺せ!」

 マルテール侯爵の命令を実行しようとした兵士たちだったが、軍用ライトボウガンを構えるヒマもない内に、正確無比の早打ちで射込まれたリドリーの矢によって、次々と倒れていく。

 その間にも、走るわけでも急ぐわけでもなく、昼下がりの散歩でもしているかのような歩調でカーシュナーはマルテール侯爵に近づいていく。

 この時ようやく事の異常さに気づいたマルテール侯爵が、剣や槍で武装した兵士たちを振り返る。

「私を護らんか! この役立たずどもめ! ぼさっと突っ立っていることが貴様らの仕事ではないのだぞ!」

 兵士の後ろに隠れたマルテール侯爵が、カーシュナーを指さす。

「その小僧を捕らえよ! 王となる者に逆らうということの意味を、骨の髄まで教えてくれるわ!」

 マルテール侯爵に命じられ、兵士たちが躍りかかってくる。

 カーシュナーの動きを視認で来た者は誰もいなかった。冑ごと頭蓋骨を砕かれた兵士と、アゴを真っ二つに打ち砕かれた兵士が同時に吹き飛び、その後ろにいた兵士が顔面を頭部の内側にめり込ませて仰向けに倒れる。

 一瞬の内に三つの死体が転がり、返り血すらついていないヌンチャクがカーシュナーの手の先で不気味にゆれている。

 呆気に取られて動きの止まった兵士たちに、カーシュナーは容赦なくヌンチャクを叩き込んでいった。それはもはや戦いなどではなく、処分であった。

「何をもたもたしている! さっさと降りてきて加勢しろ!」

 目の前で起きている惨劇に青ざめながら、マルテール侯爵は残りの船団に怒声を張り上げた。しかし、振り向いたマルテール侯爵の目に飛び込んできたのは、下級兵士が持たされるような粗末な剣を手にしたハンナマリーとジュザに乗りこまれ、まともに抵抗することも出来ずに混乱している船団だった。

 舵を壊され、制御不能となった軍艦が、まだ無事な軍艦にぶつかり混乱に拍車をかける。

 援護が期待できないと知ったマルテール侯爵が、青ざめた顔で振り向いた時、カーシュナーの何の感情も現さない顔が目の前にあった。

 驚愕のあまり思考がまともに働かない。目の前に死が迫っているというのに、マルテール侯爵は役に立たない兵士たちを怒鳴り散らそうと、周囲を見回した。

 そこにはもはや一兵の姿もないことを知り、思考が凍りつく。

 カーシュナーの背後で身体の一部を粉砕された屍が、鮮血のレッドカーペットを広げている。

「わ、私は、ここに新生シュレイド王国を築く建国王に……」

 マルテール侯爵は、彼の中にだけ存在する新国家を見ながら、幻覚の中で死んだ。

 カーシュナーが振るったヌンチャクで、頭部を胴体からむしり取られるという壮絶な最後であった。

 人とは思えない形相に歪んだ首が回転しながら飛び、身の回りの世話をするために連れてこられた従者の少年の胸に当たる。

 反射的に受け止め、それがなんであるかに気がつくと、悲鳴を上げて放り投げた。

 唯一被害を受けていなかった軍艦が、逃走にかかる。

 だが、舵輪に取りつこうとする者をリドリーが次々と射殺していくと、残った兵士たちは逃走を諦め、全員武器を海に投げ捨て降伏した――。

 

 

 ハンナマリーとジュザに乗りこまれた軍艦は、どちらも降伏する間も与えられずに殲滅され、侵略者である王国軍で生き残ったのは、全体のわずか3割程度であった。

 軍艦から降ろされ、自分たちで更地にした港の跡地に集められた兵士たちは、マルテール侯爵の首を片手に目の前に立つカーシュナーを見上げた。

 真の恐怖を知った彼らの目に、カーシュナーが放つ百戦の気と強者の威が、全身から立ち昇る陽炎のように映る。

 誰も命じられることなく、姿勢を正し、平伏する。

 抵抗の意思がないことを、本能的に全身で示そうとしているのだ。

「顔を上げろ」

 静かな声でカーシュナーが命じる。

 全員一斉に顔を上げる。まるで一瞬でも遅れれば殺されるとでも思っているかのような勢いだ。

「帰ってシュレイド王家に伝えてもらおう。北の大陸辺境部を含む南の大陸全土は、シュレイド王国より完全に独立する」

 カーシュナーの宣言を、兵士たちは茫然と眺め聞いている。

「この新世界に支配者はいらない。自分の意思で行動し、働き、責任を負う。それぞれが独立した一個の人間として対等に存在する。それがボクたちの新世界だ!」

 カーシュナーの宣言は、兵士たち以上に、南の大陸を今日まで開拓し、生きて来た人々の心に響いた。

 誰もが意識の底に、北の大陸で生活していたころの階級社会が持つ階級差による差別を拭いきれないでいた。権力には無条件で従ってしまう奴隷根性と、命じられたことを疑わず、ただ従うことで考えることを放棄した権力依存性だ。

 カーシュナーの言葉は、人々の心に焦げかすのようにしつこくこびりついていた性根を、強固な意志で叩き壊したのだ。

 誰かが抑えきれない感情の高ぶりを、吠えるような歓声に込めて叫んだ。

 カーシュナーの名を讃える歓声が、先程の砲撃を上回るほどの勢いで響く。

 大勢の人々の歓声を背に受けて立つカーシュナーに、従者の少年が恐怖を忘れて話しかける。

「ここに残ってはいけませんか? あなたのお側に置いてはいただけませんか……」

 少年の視線は、先程まで冷たい死の輝きを放っていた翡翠色の瞳に吸い寄せられ、放せないでいた。いまも瞳は鋼のごとく硬質な輝きを放っている。

 この一言が引き金となり、同じような申し出をする兵士が相次いだ。生き残った兵士のほとんどが、平民出の下級兵士たちであった。よく見ると与えられた防具は革製の粗末なもので、道具の隙間から見える身体には、鞭の跡が見られる。貴族出の士官たちからすれば、下級兵士など奴隷も同然なのだ。理不尽な体罰は日常的に行われていたのだろう。

「新世界に兵士はいらない」

 すがるような視線に、カーシュナーが冷たく答える。

 従者の少年は着ていた豪華なレースの縁取りのある従者服を脱ぎ捨て、インナー姿のカーシュナーを真似たのか、下着姿になって頭を下げた。

「自分は商人の息子でした! 内乱で両親をを失い、遠縁の親族にマルテール侯爵に売られ、従者になりました。兵士になんてなりたくありませんでした! 両親のように、遠方と遠方をつなぎ、品物と一緒に笑顔を届ける商人になりたかった! きっとお役に立ってみせます! どうか、ここに残らせてください!」

「オレは農夫でした! 戦で土地を追われ、女房と子供は飢えて死にました! オレも一緒に死ねたらよかったんですけど、無様に生き残っちまいました! オレを待ってる人間なんてこの世のどこにもいやしません! お願いします! ここで働かせてください! ダメなら殺してください! あなた様の手にかかって死ねるなら本望です! 思い残すことなんて、オレには何も残っちゃいません!」

 少年に続き、すぐ隣にいた男が訴える。

 残りの兵士たちも全員皮鎧を脱ぎ捨て、口々に訴えた。

「お前たちの意思であろうとなかろうと、侵略に手を貸したことに変わりはない」

 カーシュナーの言葉に、全員ピタリと口を閉じる。その目に絶望がよぎる。

「まず、君たちが犯した罪に対し罰を与える。それを償った後は、好きにすればいい。自分の意思で、誰かに言われたからではなく、自分の責任で生きていくというのなら」

 翡翠色の瞳から、鋼の輝きが消え、いつもの優しげな瞳に戻る。

 兵士たちの目が希望に輝く。

「君たちへの罰は、君たちが破壊した港の修復だ。さっそくとりかかってもらう」

 兵士たちが姿勢を正して返事をする。

「ボクも手伝うよ」

 そう言ってカーシュナーは微笑んだ。この笑顔に魅了された兵士たちは、心の中で永遠の忠誠を誓ったのであった。

 

 

 数日後、罰であるはずの港修復工事を被害者たちが手伝っている中、カーシュナーはギルドマスターと共に移住を希望する兵士たちの受入計画を進めていた。するとそこに、赤玲がニヤニヤしながらやって来る。

「カーシュ。新国家の王様になったんだって?」

「やめてくださいよ、赤玲さんまで! 本当に困っているんですから…」

 カーシュナーが眉間にしわをよせる。

「ここに来るまでの道中でも、その話題で持ちきりだったよ! カーシュが建国宣言したって!」

「独立宣言です!」

「あんたが王様なら、誰も文句を言わないよ? やればいいじゃん!」

「国を作るのも、王様になるのも、くだらないですよ! 新しい支配階級と、それに従う人たちが出来るだけです。支配されたいなら北の大陸に帰ればいい。誰かに責任と考えることを押しつけて、ただ不平不満を言っていたいだけの人たちに、この大陸で生きる資格はありません。独立独歩。それが出来ない人間は、ただ死ぬだけです」

「カーシュちゃんは厳しいのう~」

「厳しくありません! それが人間のあり方です!」

 そう言いながらも、弱い者を決して見捨てたりしないということをよく知る二人は、満足気に笑った。

「まあ、その話は置いとくとして、実はちょっとした異変が発生したんでね、あんたに知らせに来たんだよ」

「異変?」

 カーシュナーとギルドマスターが同時に尋ねる。

「第三大陸最南端部の岬を覆っていた霧が、いきなり晴れたんだよ! きれいさっぱりとね!」

 赤玲のもったいぶった言い方には、それ以上の何かがあると言ってるも同然だった。

「何がありました?」

 カーシュナーが期待通りの質問をする。

「島があったよ!」

「ただの島じゃあ…」

「ない!!」

 赤玲がニヤリと笑い、尋ねる。

「南の大陸最後の未踏の島! 行くかい?」

「もちろん!」

 

 

「太古の森だな~」

 植生が南の大陸のどの場所とも、もちろん北の大陸のどことも異なる森を見回しつつ、リドリーがつぶやく。

「ファーが悔しがるね」

「違いねえ。帰ったらバカでかい声で文句を言うのが想像できるぜ」

 第三大陸の南に位置する孤島に上陸したカーシュナーたちは、見たこともない木々と草花に囲まれていた。おそらくいま足の下にある植物も、古代種の貴重な植物に違いない。

 合計4年の歳月を共にしたキャラバンのメンバーで、この場にいないのは、子育てで忙しいファーメイと、緑化計画の責任者である船医の二人だった。そして、いま一同が目にしているもの全てを、もっとも見たかったであろう二人でもある。

「リドは絵も上手いから、いっぱい描いていってやるモン!」

 おそらく貴重な古代種であろう木の葉を笛代わりにして遊んでいるモモンモが言う。

「押し花もいっぱい作ってお土産に持って帰るアン!」

 クォマが香りの高い美しい花に顔を近づけながら言う。次の瞬間花弁がガバッと閉じ、クォマの鼻にかじりつく。

「それにしての、モンスターの気配がないねえ」

 クォマの鼻から花を取ってやりながら、ハンナマリーが言う。

「それらしい気配はないニャ」

 ヂヴァが耳をヒクつかせながら同意する。

「遺跡もなさそうだ」

 ジュザの言葉通り、この島には人類の痕跡がまったくない。古代文明のレベルを考えると、カーシュナーたちでもたどり着ける場所に調査の手が入っていないのは不思議な話だった。

「進めばわかるだろ。なんもなくても、木とか花を見るだけでも充分に面白れえ島だし、のんびり行こうぜ」

「そうだね。いろいろ採取しながらゆっくり行こうか」

 カーシュナーの意見に異論のない一同は、思い思いに採取に励みながら、島の中心を目指して進んで行った。

 森が開け、まばゆい光がさしてくる。

 そこに、”それ”は存在した。”いる”などという生易しいものではない。そこに存在して”ある”のだ。

 カーシュナーたちの誰一人驚いている者はいなかった。おそらく、ここにいるだろうと予感していたからだ。ただ、そのあまりの神々しさにうたれ、言葉なく立ち尽くしていた。

 ――白銀の龍である。

 光りを受けて白銀に輝くその身体は、規格外の大きさだった。≪霊峰・咲耶≫の上半分が、そこにあるようなもので、生物の規格を完全に無視した存在である。そのかたわらには、白い獣人もいる。

《よく来た。新しき人々よ》

 思念が頭の中で響く。

《君たちを歓迎する》

 頭の中で響く思念には温かさがある。どうやら本当に歓迎されているようだ。

「あなたはモンスターの味方ではないのですか?」

 カーシュナーが疑問を口にする。

《違う。仮にそうだとしたら、君たちとこうして出会うことはなかっただろう。はるかな昔に根絶やしにしていたからな》

 はったりではないことがよくわかるだけに、かえって安心することが出来た。白銀の龍にその気があれば、世界を創り直すことも不可能ではないはずだ。

《この者をいとも容易く受け入れた君たちの懐の深さには感心した》

 それは白い獣人を指しての言葉であった。

《以前の人類は、この者を恐れるか、利用しようとするか、概ねあまり感心できん反応をする者がほとんどであった》

「白い獣人さんはいい人ですから」

 カーシュナーが笑顔で答える。

《人が己と姿の異なる者を対等に受け入れるのは、非常に難しいはずだ。人間同士でもわずかな違いを見つけては迫害する》

「一緒に飲んで食べて踊れば仲良しだモン!」

 いきなりしゃべりだしたモモンモを、ヂヴァをクォマが顔色を変えて取り押さえる。

 それを見たカーシュナーが、心底嬉しそうに笑った。

「モモンモの言う通りです。あなたがおっしゃるような者はいまでもいます。むしろ大多数の人間が、多かれ少なかれ差別意識を持っているでしょう。階級を作っては身分の低いものを蔑み、富める者は貧しい人々を蔑みます。力の強い者が、弱い者を暴力で支配することもあります。そのどれもが間違いであり、ほとんどの人たちが知っています。だから、限られた社会の中ではありますが、正しい行いとして、白い獣人さんの人格を認め、尊敬を持って受け入れることが出来たんです」

《これがより大きな社会になったらどうなる?》

「まだ、無理です。人間は数を増すほど愚かな考えに固執します。数の力で押し切れるからです。大きな社会で、小さな正義が正当に評価される日は、まだまだ先のことでしょう。もしかすると、そんな日は来ないのかもしれません」

《正直なのだな》

「ボクのような子供に、人類の本質を断言出来るわけがありません。すべてはボクの希望であり、過去と現在をボクなりに見てきたうえでの個人的感想です」

《それでよい。個の成長に先んじて、種族全体が向上することなどありえんのだからな。君は君の考える正しい道を行けばよいのだ。そのありようが、私には心地よく映るのだよ》

「ありがとうございます」

《いま一度、世界を人類にゆだねるとしよう》

 この言葉に、白い獣人が驚きの声をあげる。

「よろしいのですか?」

《よい。信じることから始めねば、何事も成されまいよ》

 白い獣人はカーシュナーの翡翠色の瞳を見つめ、満面の笑みを浮かべてうなずいた。

「確かに、信じ、ゆだねるに値するでしょう」

《最後に問う。君はこの地に何を望む?》

「なにも」

 カーシュナーは胸を張って答えた。

「ボクたちに≪新世界≫を与えてくれただけで充分です。おかげでボクは、人間になれました。自分の意思で考えて行動し、その行いに自分自身で責任を取れる。ボクがこうあるべきだと考える人間にです」

《見事だ》

 白銀の龍の思念が大きく響く。きっと笑っているのだろう。

《この者を君たちに託す》

「何をおっしゃいます!!」

《今日までの長き歳月、よく尽くしてくれた。礼を言う。一人で生き続ける必要はもうない。友と語らい、友と生き、友に囲まれて眠るがよい》

 あふれ出す感情に押し流され、言葉が出ない白い獣人の背中に、カーシュナーがそっと手を置く。

《この者を頼む》

「はい!」

《さらばだ》

 白銀の龍の身体を、どこから湧き出てきたのか、濃い霧が包んで隠す。

 カーシュナーたちは霧を引き連れるように島を後にした。振り返るとそこは、濃霧に包まれた領域となっていた。

「帰ろう。みんなのところに!」

 カーシュナーの言葉に満足気な声が答えてくる。

 カーシュナーたちは一つの答えを得た。だが、全てを知るにはあまりにも広すぎる新世界には、彼らが求めればいくらでも手ごたえのあるクエストが、数多く待っているのであった――。

 

 

 人々は語る。

 荒々しくも精気に満ちあふれた輝きの数世紀を生きた人々のことを――。

 人々はこう伝える。

 もっとも輝いた人々がこう呼ばれていたと――。

 

 モンスターハンター

 

 カーシュナーの名は、歳月の中に埋もれて消えても、彼が残した偉大な足跡は、いまも形となって残っている。

 支配者のいない世界。

 

 新世界という理想郷が――。




 モンハンをプレー中に妄想した世界を、約1年かけて形にすることが出来ました。
 考えていたモンスターやフィールドはまだあったのですが、カーシュナーたちを優秀に設定し過ぎたため、とんでもない早さで成長してしまい、書く意味がなくなってしまったので、第二大陸以降はギュッとまとめてしまいました。
 読んで下さった方々、感想まで送っていただいた方々には感謝の言葉もありません。
 読んでいただけるということが、ありがたいことだとつくづく思い知りました。
 皆様のモンハンライフが、これからも素晴らしいものであることを願って、ここまでとさせていただきます。

 最後にもう一度、
 
 読んでいただいて、ありがとうございました。


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