ウルトラマンティガ THE SECOND (ヤステル)
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ネタバレ注意な設定と何か
これから書く先の話のタイトル ネタバレ注意!絶対見ないで!見るな!見ないでくださいお願いします、何でもし(ry


PC上で話の管理が難しくなったので、ここにこれから書く予定の話のタイトルを載せます。自分の確認用として、最悪、データ消えてもタイトル見れば、話しを思い出してまた書き直せますから。
タイトルだけで話を完璧に想像することは出来ないと思いますが、予測される可能性があります。
時々、新しい話が思いついたら随時書き込んでいきます。

ネタバレOKな人は見てもいいですが、ネタバレ嫌いな人は絶対見ないでください。

絶対に見ないでくださいね! 

いいか! 絶対だぞ!

見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るなジェームズ・ミルナー

もう上のように弄らないとやってけないですね。これ書いてる間も何かネタバレ駄目な人に対する罪悪感がすごいです。

どうやら1000字以上じゃないと投稿できないので変な前ふり書いておきました。


ここにあまりに愚かな男がいた。

自らの欲望が限界に達し、たった一人で背負うことを重荷に感じてしまったのだ。

だから、吐き出そうとした。吐き出せば、体が軽くなり、今まで以上に創作に没頭できると――そう信じてやまなかった。

だが、それと同時に、吐き出すことを嫌う人への配慮はどうすればいいのか悩んだ。

今まで読んでくれた人が去ってしまうのではないか? 本当にそれでいいのか、という思いもまた、男の覚悟を阻害していた。

結局、優柔不断なのである。

本当に、救いようがないのだ。

だからこそ、愛着もあるのかもしれない(ねーよ)

 

これから書く予定の話のタイトル(書いたのも表記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1話「巨人が蘇る日」

第2話「天空の方舟」

第3話「地の神、地の悪魔」

第4話「知の探究者―THE DARKNESS-」

第5話「雪解けの回想」

第6話「ひとりぼっちの地球人」

 

第7話「忘れ得ぬ思い」

第8話「首斬り武者の無念」

第9話「南の境界線」

第10話「溢れた船乗り」

第11話「狙われたマリナ」

第12話「奪われたテクノロジー」

第13話「三角地帯の魔島」

 

第14話「紫の襲撃:前篇」

第15話「紫の襲撃:後篇」*前後篇にするか一つにするかは書くときに決めます。

 

第16話「死の檻」

第17話「仲間(マスコット)の帰還」

第18話「揺らめく蠍、逃れる巨人」

第19話「涼香の森」

第20話「夢の星、繋ぐとき」

第21話「悪魔の文様(ロゴ)

第22話「電脳14歳」

 

 

 

ここからはナンバリングしていないタイトルです。どれをどう並べるか模索中です。

 

・「いつか見た美しき星」

・「いつか世界の終わりの果てで」

・「ウルトラマン君へ」

・「バレンタインの夜に」

・「闇の因子 前篇」

・「闇の因子 後篇」

・「宇宙(そら)親友(とも)へ」

・「運命は零の彼方に」

・「大王の葬船」

・「王の霊廟」

・「海商都市防衛戦」

・「㈱ピコポン玩具製作所の試練」

・「究極のゴラッソ!」

・「恐竜たちの恩返し」

・「空の庭園、愛しき者へ」

・「女神の神殿」

・「光の彼方 前篇」

・「光の彼方 後篇」

・「次世代の子供たち(ネクストジェネシス)

・「焼かれる灯台」

・「英雄の島 前篇」

・「英雄の島 後篇」

 

・「人間(ひと)を撮る」

・「生命(いのち)の城壁–Good Bye My Dearest. Happy Trails to You, Until We Meet Again-」

・「太陽への讃美歌」

・「地球の咆哮 前篇」

・「地球の咆哮 後篇」

・「天に轟く雷鳴」

・「二次元への挑戦」

・「虹の神話」

・「日の沈まない街」

・「ダイゴレポート」

・「恋人ごっこ」

 

今のところ話としてプロットが出来上がっているのは以上です。今後新しいのが出来上がったら追加していきます。




見てしまったんですね……。
ああ……そうですか……見てしまったんですか……。

あなたはもう、私と同じ「どういう話か分からなくて悶々とする症候群」にかかってしまったんですよ。

もう治りません。
平成三部作を見直して忘れるように努力することです。(水曜どうでしょうでも可)


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第1話 巨人が蘇る日
其の1


めちゃくちゃ長くなってしまいました……。
長いのは、ドラマでいう初回拡大放送だと思って読んでください。
第二話は短くなります(なるよう努力します)





   1.

 

   *

 

 Code 274366

 F計画及びそれらに関係するいかなる資料を、これをもって破棄するものとする。

 破棄後、速やかにFO計画に移る。

 この計画は、地球人類を滅亡から救うためのものである。

 ネオフロンティア時代最終楽章と謳われた今――新たな時代へと移り変わろうとする今、我々は三度訪れるであろう脅威と戦わなければならないのである。

 この報告書を提出してから丁度一年――そう、一年後の今日、人類の英雄を讃えるこの日に来るべき災厄が訪れる。

 それは滅亡への始まりだ。

 かの邪神が三千万年前に古代人を滅ぼしたように。

 かの球形生命体が太陽系を滅ぼそうとしたように。

 我々は、これより来る新たな敵と戦わなければならないのである。

 おそらく敵は、二十年以上前に現れた『闇の支配者』その全てであると推測する。

 これまでの襲撃を考えると、今までは序章と考えていいだろう。

 此度の戦いは、敵にとって集大成と言っても過言ではない。『支配者』達は、本腰を挙げて世界を闇に陥れようとしている。

 これからの未来を紡ぐためには、奴らを止めなければならない。

 だが、我々には、英雄はもういない。世界を、宇宙を救ってくれた人類最後の砦たる英雄はもうこの世界にはいないのだ。

 だからこそのこの計画なのである。

 如何なる妨害も、脅しも、流血も厭わない。

 地球を、人類を守るために――我々が悪となろうとも。

 必ず成功させなければならないのである。

 願わくは、全てが成功へ導けることを祈るばかりである。

 

 尚、この報告書は、情報局参謀殿への報告は無視し、速やかにブラックボックスへ保存されたし

 

   *

 

「参謀。そんなに急ぎ足で無くても大丈夫ですよ。まだまだ時間がありますから、落ち着いてください」

 目の前を早歩きで進んでいく上司に止まってもらえるよう、ウチダ・テラヒト副参謀は冗談交じりに頼んだ。

「何言っているんだ。今日だからこそなんだよ。今日というこの日は、俺にとって重要な日なんだからな」

「だからと言って、これからの会議を全てほっぽりだすなんて……まあ、相変わらずですよ、参謀は」

 ウチダは目の前にいる上司――コウダ・トシユキにそう言うと、聞こえないように小声で、よくみんな付いてくるよなあ、と微笑しながら呟いた。

 豪傑なのかただ真っ直ぐな性格なのか、一言で表すなら「熱い奴」と説明すれば大抵の人が納得するだろう。

 ましてや彼と一緒に過ごした人々からは、それ以上の存在であるのだろうが、ウチダにはそこまで深い所にいたことはなかったから、まだ分からないが。

 まあ、いずれ分かるだろう――ウチダは進みを速めた。

 目的地へと繋がっている硝子パイプの一本道を進んでいくと、途中で、見慣れた顔を見つけた。

 男だ。かつてコウダと同じ隊にいた仲間の一人。

「よう、ナカジマ」

 ナカジマ、とコウダが呼んだ、その男はコウダの声に応えるように振り向いた。

「ああ、どうもコウダ隊員」

 ナカジマは咄嗟に出てしまった「何時もの癖」にすぐに気づき、参謀と言い換えた。

 コウダは、笑いながら答える。

「毎回会うたびにその呼び方だな」

「だって仕方ないでしょう。今までずっとみんなコウダ隊員って呼んでいたんですから」

「あの時は誰一人として、副隊長って呼んでくれなかったもんな」

「だってねえ……副隊長って言っても、コウダ隊員はコウダ隊員でしたからねえ」

 癖なんてすぐに抜けないですよ、とナカジマは言った。

 多分、「すぐに」という表現は正しくないだろう、とウチダは考える。彼らがその癖を仕事として使っていたのは、十数年も前であるが、彼らが完璧に直すのはまだまだ時間がかかるだろう、とウチダは思った。

「ま、公の場では何とか口調を直せよ」

 コウダは、ナカジマの背中を軽く数回叩き、足を進めた。ナカジマはそれが合図となったのか、コウダの後を追うように歩みを進めた。

「それよりも遅いじゃないですか。待ち合わせの時間をせっかく決めたのに、まさかの三十分の遅刻だなんて」

 ナカジマは不満げに言った。

 どうやら、ウチダには内緒でコウダはナカジマと会っていたようだ。

「仕様がないだろ。会議をずらすように何とか頼み込んできたんだから。こっちも色々大変でな。おかげで後々が怖くて仕方ないんだよ」

「まあ、実際に大変なのは、スケジュール調整とそれの許可をもらうために各国の首脳陣を説得する私なのですがね」

 と、ウチダは割って入るように言った。

 皮肉交じりに言ったのか、コウダは苦笑いで返すしかなかった。

 ナカジマはそんな光景を見て、思わず笑ってしまった。

「ははは。さすがは、コウダ・トシユキ宇宙開発局参謀殿だ。どうやら、一人で勤まる仕事ではないようですね」

「まあ、その点に関しては、ウチダには感謝しているさ。ちょっと毒を吐くのは気に入らないがな」

 ウチダは、笑いながら、恐縮です、と答えた。

 目的地はもう目の前だ。

 歩みが小さく、遅くなっていく。

 そこはホールだった。五階ほどの高さをくりぬいた天井。そこに巨大なスクリーンがあった。とはいえ、ボードは一切存在しない。重力操作によって浮いている巨大なスクリーンだ。

 ここで毎年、コウダやナカジマにとっては、何時も見慣れていた人の演説が行われるのだ。

 ウチダは、腕時計を覗いた。どうやらまだ時間まで少しだけ猶予があるようだ。

 さて、どういう話題を出して時間を潰そうか、とウチダが考えていると、ふと、ナカジマが何かを思い出したように言った。

「そういえば、もうすぐでしたか? そっちに一人、新しい研究員が来るって聞きましたけど」

 コウダも思い出すように答えた。

「ああ、そういえば、そうだったな。確か、今日そいつの卒業式があったはずだ」

「となると、来るのは早くて二、三日後ってくらいですかね」

「ああ、そうだったはずだ」

「とすると、僕は多分すれ違いになってしまいますね。明後日には火星に戻らないといけないから」

 二人は、自分達だけの世界に浸っているようだ。ウチダには、一体何の話なのかさっぱり分からなかった。

 話を中断させてはいけない、という遠慮があった所為かウチダは話に切り込めなかった。

 だが、このまま置いてけぼりもさすがにどうか、とウチダは考えた。思慮深さは、今は必要ない! 今しかない! と、自分に言い聞かせ、ウチダは意を決し、尋ねた。

「あの、参謀。一体何の話をしておられるのですか?」

 ウチダが尋ねたのがそれほど不思議だったのか、ナカジマは目を丸くした。

「あれ? ウチダ副参謀も一緒に会議に出席していたんじゃないんですか?」

 えっ? とウチダも目を丸くした。互いに見つめ合っている。それ以上に、その次の会話を誰がどうするのか、お互いに見いだせていないようだった。

 ただ、コウダだけは、その答えを知っているようだった。

「ああ、ウチダはその時、俺の代理で北アメリカ支部のハイデル主任と会議していたから知らないんだよ」

 ナカジマは、それを聞いて納得した。

「えっと……参謀? もしかして、どうしても出なくてはならない会議があるって言っていた件があった時ですか?」

 ウチダが尋ねると、コウダはそうだ、と答えた。

 ウチダには一つだけ心当たりがあった。

 数週間前、宇宙開発局で進められていたプロジェクトの会議の為に、北アフリカ支部へ行かなくてはならない時があった。

 本来は、コウダが出なくてはならないはずだったのだが、コウダは、急遽開かれることになった参謀会議に出席しなくてはならなくなり、代役としてウチダに頼んでいたのだ。

 最初は、嘘かと思ったが、後々で確認したら、どうやら本当に会議があったらしく、それ以上のことは聞きださなかったのだ。

「それで、一体どんな内容だったのですか?」

 ウチダが恐る恐る尋ねると、コウダは、何も遠慮することなく答えた。

「ああ、実は、宇宙開発局と科学局に新しい研究員を招請することになったんだ」

「新しい研究員……ですか?」

「ああ。何でも科学局からの推薦らしくてな。かなり優秀な奴らしい。そいつの研究内容のメインが宇宙開発局と科学局で研究する内容が多かったから、二つの局で数年間特別研究員として招待したらどうかを話し合っていたんだ」

「なるほど……まあ、確かに現在は我々や科学局が、この時代における最前線での活動をしていますからね。人員は多いに越したことはないですが……」

 しかし、腑に落ちない。

 ウチダは、今まで研究員を何人も見てきたが、どれも確かに腕はいいが、突出したものを見出すことはできなかった。優秀ではあるが、みんなそれだけであって、それ以上のものは一切なかった。だが、これまでやってこられたのは彼らのおかげなのは言うまでもないが。

 しかし、科学局が推薦してくるほどの人材というのは、今まで初めてだ。

「して、その人物とは一体?」

 ウチダが尋ねると、コウダは答えた。

「ああ、何でも、火星から来るらしくてな。まあ、そいつが来る時は、迎えに行こうと思っているから、ウチダも付き添ってほしい」

「また唐突ですね……。しかし、火星というと……マリネリスからですか……それほどの人材がいましたかね?」

 火星に人類が植民したのはまだ二十年超えたかどうかくらいの年数だ。その殆どは、地球から移動していった人々のはずだ。その中にそんな人材がいたなら上層部が黙っているはずがないのだが……、とウチダは考えていた。

 コウダは、笑いながら答えた。

「俺も最初聞いたときは驚いたぞ。何でもそいつはスターチャイルド第一世代らしいからな」

 はっ? とウチダは声が裏返った。予想していたものの斜め上を行く回答に、ウチダはそれに理解するのに時間がかかった。

「ちょ……ちょっと待ってください? 参謀、あなたは今何をおっしゃっているのか分かっているんですか?」

 コウダは何も不思議に思っていないようだ。むしろウチダが慌てているのが不思議でならないようだ。

「もちろんさ。しかし、すごいよな、最近の若者は。昔に比べて優秀になったよな」

 コウダは、ナカジマと目配せをした。ナカジマも、そうですねえ、と言って互いに笑った。

 二人は、優秀と簡単に済ませているようだが、ウチダはどうにも納得が出来なかった。

 スターチャイルド第一世代ということは、年齢的にまだ十代中盤の子供ということになる。

 つまり、これから宇宙開発局にまだ遊び盛りな十代の子供を特別研究員として招待しようとしているということだ。

 それなのに一体どうして、周りは何も不思議がらず、むしろ歓迎しているのだろうかウチダには理解できなかった。

 考えられるのは、自分はまだ詳細を知らない所為なのか。それとも周りが馬鹿なのかの二つだけだ。

「本当に羨ましいですよなあ。出来ればうちに来てくれたら、もっと研究が捗るんですけどねえ」

 だが、S‐GUTS科学班主任のナカジマもこのように受け入れているところを見ると、どうやらあながち嘘ではないらしい。

 だが、しかし……。

「まあまあ。ここで考えていたも仕方がないことだ。当日にお前の目で見て、そいつがどういうやつなのか見極めてみるといいさ」

 コウダはウチダの肩にぽん、と手を乗せた。

 何だろうか、とウチダは思う。この人は何時も、こういう慌てた時でも冷静だ。やることは暑苦しいはずなのに、だが、安心する。

 信じてみよう、と何時も思う。この人が言うのだから、間違いはないだろう。

「ああ、ほらほら、二人とも。もうすぐ演説が始まりますよ」

 ナカジマは二人に画面を見るように促す。コウダもウチダもそれぞれスクリーンへ目を向けた。

 そこに何も変わらない――総監には似つかわしくない――コウダより熱い男がそこにいた。

「相変わらずだな、隊長は」

 コウダが思わずその姿を見て呟いた。

「コウダ隊員? その癖直したほうがいいですよ」

 ナカジマは、にやけながら言った。

 コウダは、やられた、という顔をしてナカジマを軽くどついた。だが、それもまた、かつての仲間を尊ぶこの日に相応しいものだと、ウチダは二人のやりとりをみながらそう思った。

 

   *

 

火星基地マリネリスの中にある休憩スペースに、大勢の隊員や作業員がそれぞれの憩いの為に席についていた。

 というのも、この日は、TPC総監によるある演説があるため、人々は、その時を心待ちにしていたという理由もあった。

 演説を待つ人々の間を縫うように、二人分のコーヒーの入ったマグカップを持った男がいた。

「ああ、ちょっとごめんよ」

 と、周りをよけながら、カップを上へ下へと持ち上げたり下げたりしていた。それを遠巻きから眺めていた女性が一人。男はその女性も元へ向かっていたのだ。

 いつコーヒーが零れてもおかしくないその状況を、女性は、呆れながら眺めていた。

「おっとっと……。ふう、危なかったなあ」

 女性が待っているテーブルまで男は何とかたどり着いた。

「カリヤ隊員? コーヒーくらい持ってくるときは、もう少し慎重にしてもいいんじゃないの?」

 と、女性は諭されるように言った。男――カリヤ・コウヘイは、毎度のように言われているためか、女性の言葉に全く動じなかった。

「まあ、仕方がないじゃないか。これでも結構慎重にしていたんだから。それにこんなに集まるなんて考えてもいなかっただろ? だったら零れなかっただけ良かったじゃないか」

「でもねえ。毎度のことだけど、去年だって同じくらい混雑していたんだからそんな言い訳通じるとでも思っているの? 少しは副隊長として、節度ある行動をしてもらいたいものだわ」

 カリヤはむっとした。

「それなら、毎度の如く、僕に席とりを頼んで自分だけ高みの見物しているかのように僕を見下ろすその態度は、隊長としてどうなんでしょうね――ユミムラ・リョウ隊長!」

 と、カリヤは、女性――リョウの名前を皮肉りながら言い返した。

 すると、リョウの怒りの部分を突いたのか、リョウの目つきが鋭くなった。まるで鷹が獲物を狙うかの如き鋭い眼光。毎度のことながら、リョウの睨み付けるその目は迫力が違う。

 カリヤは、何時もながら、リョウに屈服され続けている。その言葉なき姿を見ると、何も言い返せない。

 だから苦手なのだ、とカリヤは思っていた。苦手なのに、何故かいつも同じ隊に所属するという運命。自分だけ貧乏くじを引いているのではないか、とネガティブに考えてしまう。

 何とか、リョウのご機嫌をとらなければ、とカリヤは考え、リョウにお待ちかねのコーヒーを差し出した。ちなみに、カリヤのオリジナルである。

 リョウは、カリヤのコーヒーをすする。

「また、新しいの作ったの?」

 どうやら何時も飲んでいるのとは味が違うようだ。

 カリヤは、ああ、と淡々と返した。

「今日のはまた、一段と美味しくなっているわね」

 リョウは、自分ながら似合わない好評価を与えた。

 カリヤはリョウの褒め言葉に反応したのか、少し嬉しそうに返した。

「そうだろ。この前とは違ってブレンド率を三:五の比率にしてみたんだ。我ながらよく出来たと思う」

 自画自賛しているのは生意気に感じるが、まあ確かにいい感じではあるとリョウは思った。

 コーヒー好きは伊達じゃないということなのだろう。

「それにしても、いい加減そのマグカップを変えなさいよ」

 リョウはカリヤが持っている銀のマグカップを指摘した。

 カリヤがかつて地球にいたころからずっと使っているマグカップ。今でも趣味の考古学の本を片手にそのマグカップがあった。

 今までそれ以外でカップを使ったことがあっただろうか、と周りは口々に言っていた。それくらい年期の入ったものだった。

「嫌だね。お気に入りは何年たってもお気に入りだ」

 カリヤは頑なに拒む。一体、そのカップの何がいいのかさっぱり分からない。

「お気に入りって言ってもねえ……もう黒く変色している部分もあるじゃない。もうそろそろ潮時じゃないのかしら」

「大丈夫だ。まだ保てる。しっかりとコーティングをして変色の速度を落としているからまだ使える」

 それをしてこのざまか、とカリヤの持っているカップを見て溜息を吐いた。

「というより、それはTPCの備品でしょ。勝手に持って行っていいのかしら」

 リョウは、何度言ったか分からない言葉を放つ。だが、それはカリヤも同じだった。何度聞いたかわからない言葉に何度言ったか分からないほどの返事を返した。

「これを使っているのは僕だけだ。備品なのに全く使わない方がおかしい。僕はTPCが用意してくれた物にリョウが感じないであろう有難味を感じながら、こうして使えなくなるまで愛でるように使っているんだ」

 褒められるのはむしろ、僕の方だよ、とカリヤは自信満々に言った。

「あーはいはい。本当にカリヤ隊員は正に隊員の鑑ですね」 

 明らかな棒読みでカリヤを皮肉るリョウ。だが、それも周りから見れば、何時もの見慣れた光景だ。

「そういえば、カリヤ隊員。昨日の報告書は提出した?」

「報告書?」

 カリヤはコーヒーを飲みながらリョウの話を聞いた。

「ほら、昨日の巡回中に不自然な波長をキャッチしたって言っていたじゃない」

 ああ、あれか、とカリヤは思い出す。

「まあ、多分たまたまだとは思うんだけどな」

「いいから、話して」

 はいはい、とカリヤは適当に相槌を打ちつつ、コーヒーを完全に飲み干した後で、説明を始めた。

「火星街の外れを巡回中に、確かに不可思議な波長をキャッチしたんだけど」

「けど?」

「現場に近づいてみると、確かに不思議な波長があったんだ。だけど、それだと気づいてすぐに波長は元に戻った」

「レコーダーは?」

 リョウの質問にカリヤは間髪入れずに答えた。

「もちろん記録していたさ」

 そして、カリヤはその後、その波長を詳しく分析することにした。

 元々、こういった分析は、かつての仲間や今の部下達に調べさせていたが、その時は幸か不幸か、一人でやらなくてはならなかった。

 機器の扱いには心得はあるが、いかんせん普通より遅い。解析に少しばかり時間がかかった。

 その結果――。

「昔にキャッチしていた波長とよく似ているものがあったんだ」

「似ているもの?」

「ああ。しかも、僕たちがS‐GUTSにいたときにそれと何度も戦っている」

 カリヤの言葉に、まさか、とリョウは呟いた。

 カリヤは、リョウの反応に軽く頷いた。

「まさか、とは僕も思ったよ。でも、明らかに酷似しすぎている。しかも、奴らが最初に姿を現したのは他でもない――この火星だ。これ以上の他にどんな考えが浮かぶと思うんだ?

 

 ――あの球形生命体の存在を。

 

 リョウならどう思うんだ?」

「スフィア……!」

 リョウは、カリヤの言葉にそう答えた。

 球形生命体――呼称:スフィア。

 かつてリョウ達がスーパーGUTSの隊員としていた時に戦った――謎の生命体。

 球形をしていて、単体、集団での連携攻撃をする他に、有機物、無機物問わず寄生し、姿形を変えることも出来る――リョウ達にとって最強最悪の敵だった。

 だが、スフィアがいたとして、それには疑問が残る。

「ちょっと待って……」

 リョウは、一旦心を落ち着かせる。

「……確かスフィアは、あの時倒したはずよ。まだ生き残っているなんてあり得ないと思うわ」

 リョウの言い分はもっともだ。確かにあの時、本体を倒した。それ以来、スフィアが侵攻してきた事例は一度とてなかった。

「そうだ。確かに一度もなかった。だけど、あり得ない話じゃないよ思う」

「どうしてよ」

「あの時、全て倒したと思い込んだらどうなる? スフィアは単体では小さい。もしかしたら、あの時、残党が生き残ってどこかに潜んでいるという考えはないだろうか」

「まさか……でも……」

「奴らは意思を持っている。そうなれば、奴らにとって最大の障害がいなくなった現在にどう襲撃しようか虎視眈眈と狙っている可能性はあると僕は思う」

「……」

 カリヤの説明は的を射ていた。確かに、あの時、全て死滅したかと問いただせば、確実にそうだ、とは言い切れない。

「もし」が存在するなら、それは丁度このことを言うのだろう。

 Ifというとてつもなく高確率のもしも――。

 脳裏に悪い予感が過る。

 だが、それでもリョウは、逃げるような意見を言う。

「仮によ……仮にそれがスフィアだったとして、どうして今来るのよ?」

「リョウ……」

 カリヤは、リョウを見つめた。

「そうよ……何で今なのよ。もっと前にも責めるチャンスはあったはずよ。なのにどうして今になって……!」

「リョウ!」

 カリヤがリョウの名前を呼んだ。カリヤの言葉は正確に、リョウの不安定になった部分を破壊した。リョウは、我に返ったように目を見開き、カリヤを見つめた。カリヤの瞳は真っ直ぐとリョウを見つめている。

 リョウは冷静さを取り戻していった。

「……ごめん。らしくなかったわね」

「別にいいさ」

 カリヤにはリョウの気持ちは痛いほど分かっていた。そして、リョウにこの話は今日この日にするべきではなかったと痛烈に後悔した。

 スフィアによって大切な仲間が闇に消えていったこの日。

 無事であるということは分かっている。彼が、彼のやるべきことの為にその世界で生きていくことを決意したことは、誰もが重々承知していた。

 だが、それでも。

 あの日の光景は今でも忘れられないのだ。

 

『俺は必ず帰ってきます。――次もまた、空を飛ぶために』

 

 そう仲間に、らしくない優しい声で微笑みながら誓ったお調子者のあいつ――。

 

 負けてたまるか、と最後まで叫んだ単細胞なあいつ――。

 

 その光の中へ、消えていった照れ屋なあいつ――

 

 全てが、まるで昨日のことのようだった。

 もしかしたら、明日になれば、ひょっこりと基地に帰ってきて、くだらない言い訳をして隊長に諭されるのではないか、とそんなことをいつも感じてしまうのだ。

 今日、あいつがいなくなったこの日には、より強くそう感じてしまうのだ。

「リョウ」

 カリヤは、悲しそうな顔をしているリョウに言った。

「そんな顔してたら、どっかにいる誰かさんは、リョウのこと小馬鹿にして笑っているだろうな」

「……」

 ああ、そうだ、とリョウは思った。

 確かにらしくない顔している、と自分でも理解していたようだ。

 あいつは――あの馬鹿はいつもあたしを困らせていた。あんな破天荒でお調子者の馬鹿といると、本当に自分も馬鹿になるんじゃないかって思っていた。

 そういえば、コウダ隊員に言ったことがあったっけ? あいつと一緒にいると馬鹿が伝染りますよって。

 なんだ、結局あたしも、あいつに色々伝染させられていたのかな。

 毎年、今日になると、あいつとの思い出がまるで雪崩のように呼び起されてくる。その度に悔み、嘆いたが――。

 今年は、もう少し笑っていられそうだ。

「……そうね。あいつのことだもの。もし帰ってきたら真っ先に一発かまさないとね」

 リョウはそう言って右の正拳を突き出す。カリヤは、おお怖い、と冗談交じりに言った。

 それを見て、互いに笑った。

「……ああ、ほら。もうすぐ始まるぞ。総監の演説」

 カリヤが画面の方へ顔を向けながら言った。

「ええ、そうね。今年はどんなことを喋るのかしら。……まあ、多分大体はもう予測できているかもだけど」

 二人は、その演説の時まで、静かに、和やかに、待った。

 何故かその時だけ、コーヒーがやたら苦いと感じたリョウであった。

 

   *    

 

 TPC総合本部には隊員育成の為の機関がある。

隊員教育養成機関ZERO。

 かつての特務チームの隊員たちもここから始まり、巣立っていった。現在の参謀本部や特務チームの隊長格の人々も――。

 そして、地球を救った英雄もまたその例外ではなかった。

 現在は、かつてS‐GUTSに所属していたミドリカワ・マイが教官を務めている。

 マイも当然ながら、今日が、あいつが闇の中へ消えていった日であることを覚えていた。

 総監の演説の前まで、訓練プログラムの監督をしていたマイは、訓練が終わり次第訓練生全員と共にモニタールームへ足を運ぶ予定だった。

 だが、この日は、訓練生の一人がまたプログラムの成績で他の訓練生と言い争うという毎度お決まりのイベントが起こったため、予定よりも遅くなってしまったのだ。

「もう、今日くらいはやめてもらえないかなあ」

 マイは、二人を静止させようと必死だった。

 訓練生――名前をイチカ・マリナは、フライトシミュレーションの成績で、一位となったもう一人の男子訓練生――タイガ・ノゾムに負けたことが納得いかないために起きた喧嘩だった。マリナは、全てにおいて本気という真面目かつ完璧主義者の性格柄か、タイガに負けたことが気になって仕方がなかったのだ。

「お言葉ですけど、教官。こんな遊び人のようなおちゃらけた奴が、フライトシミュレーションで一位を取るだなんてあり得ません! 絶対何かずるをしたに決まってます!」

 マリナがそう言うと、タイガは馬鹿にするように反発した。

「これが実力の差ってやつだろ? いちいち気にしていたら彼氏も出来ないぜ」

「余計なお世話よ! 大体、いつも最後に言う『フィニッシュ!』って何? あんたふざけるのもいい加減にしなさいよ!」

「フィニッシュ!」

 タイガは、マリナを挑発するように言った。半分笑っている。

 タイガの挑発にのったマリナは怒り心頭だった。タイガに迫り、一発お見舞いしようと、拳を振り上げた

「はいはい! 喧嘩はそれくらいにして!」

 マイは、マリナの腕を握り、静止させた。握られた場所が悪いのか、力が入らない。マリナは、分かりました、と言ってマイに従った。

「マリナも本気になって相手にしないで。こっちは冗談で言っているだけだから。軽く流す程度でいいのよ」

 マリナはマイの言葉に一切耳を貸さずに反論した。

「お言葉ですけど、あたしはTPCの特務チームに入るために常に全力を尽くしているんです。凶悪な怪獣や異星人たちからの襲撃に備えるための特務チームです。当然、自分だけじゃなく、地球人全ての命を守るという重大な責務があるのですよ」

「うん、そうだね」

「だったら、生半可な気持ちでやっていいわけじゃないでしょう? 一つの選択を誤れば、どれだけの大きな被害か分かったものじゃないです!」

 冗談を言うくらいの余裕を持った人間に勤まるはずがないでしょう? と、マリナはタイガを睨みながら力説した。

 タイガは、口笛を吹いていた。反省の色はないようだ。

 だが、マイは至って冷静だった。

「マリナの言っていることは最もだと思う。間違っていないし、何も反論することはないわ」

 そうでしょうとも、とマリナは胸を張る。

「でも、ずっと緊張の糸を張りつめているままだと、いつか自滅するわよ」

「……っ!」

 マリナが小さく舌打ちしてマイを睨んだ。

「私たちは完璧に行動することなんて出来ないわ。現に私も昔、隊員として戦っていた時は、大けがして意識不明になったこともあるわ。だけど、今、こうして生きて、教官としてみんなに教えることが出来ている」

「……何が言いたいんですか?」

「もっと心に余裕を持ってほしいのよ」

 マリナは、マイの説明に何も答えることはしなかった。

 マリナは踵を返し、ただ一言、先に行きます、とだけ言って、友人たちと共にモニタールームへ向かっていった。

「さあさあ。みんなもモニタールームに行くのよ! 終わったらすぐに訓練再開するからねー!」

 マイの言葉が響く。訓練生たちはそれぞれの足並みでモニタールームに向かっていった。

 マイは、自分の手元にある訓練プログラムの成績表を見た。

 イチカ・マリナ。

 十六歳にして、訓練プログラムは全てにおいてトップスコアを叩きだした――機関創設以来の成績だ。

 紛れもない天才――十年に一度あるかないかの金の卵。そうなるべくして生まれてきたと言っても過言ではない。

成績は、フライトシミュレートを除けばトップタイ。来季から飛び級でS‐GUTSの入隊が決定している。

 おそらく、この先何事もなければ、彼女は史上最年少の隊員となるはずだ。

 まさしくエースの素質を持っている。女性なのが勿体ないくらいだ。

 そして、タイガ・ノゾム。

 フライトシミュレートはマリナを抜いてトップ。

 操縦の腕は抜群だが、あの性格は、まるで十四年前の今日、闇の中に消えていったあいつを彷彿とさせるものがあった。

 マイは、個人的にタイガには素質があると見抜き、そして、見事来季からS‐GUTSマーズに入隊が決まっている。

 確か、あいつの訓練生時代のスコアもトップタイだったと聞いたことがある。マリナとタイガは、あいつと同等か、それを上回る実力を持っていることになる。

 ライバル同士なのだろうか、確か、あいつも訓練生時代に同点を叩きだしたライバルがいたらしい。

 そのライバルは、殉職したと後で聞いたことがある。

 でも、マリナはライバル関係を一番嫌うタイプの人間だ。決して相容れないだろう。

 そうだ、とマイは思った。

 マリナをコントロールできる相手がいればいいんだ、とマイは考えた。

 マリナの行動をやんわりと止め、いがみ合いながらも、相手の手腕でマリナを暴走させずに、そして連携が取れるような相手。

 それが今のマリナの固い心を溶かす薬になるはずだ。

 だが、果たして都合よくそんな存在がS‐GUTSにいるかどうか……。

 いれば、マリナにとって自分とは違う世界を見せられるはずだ。

「まあ、そうなればいいけれど」

と、マイは、そう考えながら急ぎ足でモニタールームに向かっていった。

 

   *

 

 メトロポリス 国際フォーラム準備室内。

三代目TPC地球平和連合総監であるヒビキ・ゴウスケは、間もなく始まる演説に備えて準備をしていた。

 かつてあいつが命名し、それに倣うように命名したこの日が祝われる――今年で十四回目となるこの『記念日』は、ヒビキは自分でもどれくらいの思いがあるのか分からないくらい、感慨深いものだった。

 もうあれから長い月日が経った。

 かつての隊員達は、それぞれの道に進み、活躍している。

 だが、いなくなってしまったあいつは、一体どうしているのだろう、とヒビキは時より考えてしまうのである。

 馬鹿で単細胞なあいつのことだ。きっと自由気ままにやっているだろうが……。

 だが、もしかしたら、またあっちで何かやらかしているんじゃ、とヒビキは、それはそれで心配しているのだ。

 若いころの自分と似ていると感じていたからか、まるで自分の分身があちこちでやらかしていると思うと、恥ずかしくも、嬉しくもなる。

 もし、あいつが戻ってくる日があるなら、見せてやりたいなあ、とヒビキは窓から眺められる街々を見て思った。あいつが救った世界が、今、想像もつかないくらいに発展を遂げたことを。

 今やネオフロンティア時代は、いい意味で終幕を迎えているだなんて言われているくらいだ。

 あいつがもし、いなかったら訪れるはずのなかった光景がここにあるのだ。

 だからこそ、今日この日を感謝しなければならない。伝えなければならない。あいつが仲間たちと築き上げ、これから紡がれるこの世界を、未来を次の子供たちに伝えるために。

 ノックの音が聞こえた。

 ドアが開かれる。そこには、TPCの職員がいた。

「総監。そろそろお時間です」

 どうやら時間がきたようだ。ヒビキは、最後にもう一度街並みを見て、その光景を目に焼き付けた。

「行こうか」

 ヒビキは、職員にそう言って部屋を後にした。

 会場へ向かう途中で職員は若干不思議そうにヒビキを見つめていた。

 会場は一通りチェックしたが、向こうには何も無かった。だとしたら、総監が持っていると思っていたようだが、どうやら総監も持っていないようだ。

 毎年のように総監の演説があるわけだが、フカミ元総監はともかく、ヒビキ総監は演説用の台本をどうしているのだろうか、と職員は皆、気になって仕方がなかった。

 無論、ヒビキに台本は無かった。

 ヒビキは、ただ、心の中で思ったことを口にしているだけなのだ。かつて戦った仲間との日々を思い返し、あいつが何を思って戦っていたのか、何を守ろうとしていたのか、俺たちがどれだけお前に振り回され、そして救われてきたか、その思いをただぶつけているだけなのだから。

 壇上に上がると、そこには、多くの報道陣とマイクがあった。

 毎年ながら、この風景は壮大だ。皆、あいつを慕っている証なのだろう。

 ヒビキは、今年も、地球の人々と仲間たちの思いを自分の思いにのせて、いなくなってしまったあいつに届くように言葉を紡いだ。

 

   *

 

「地球に住む全ての皆さん。どうもこんにちは。毎年お馴染みの、三代目TPC総監のヒビキです」

 

 ははは、と報道陣の笑いが起こる。

 

「今年もこの日がやってきました。

 早くも今年で十四回目を迎える、この『アスカ記念日』ですが、かつてあいつの隊長であった私や仲間たちにとって、この日は、あいつとの一時の別れを迎えた日であり、また、あいつへあることを誓った日でもあります。

 十四年前の今日、我々人類は、存続の危機にありました。

 謎の球形生命体による太陽系消滅の危機。この危機の為、太陽系の惑星のいくつかが闇に飲み込まれ、消えていきました。

 ですが、あいつは――救ってくれたのです。私たちと共に戦い、ただ自分自身の身を挺して戦い――そして、あいつは、あいつの父親と同じように、自ら消えていったのです」

 ヒビキの声が大きくなっていく。

「あいつは多くのものを残してくれました。だからこそ、あいつに――今度は俺たちがあいつに見てもらう番なのです」

 ヒビキは、カメラに向かって真っすぐと指を突き立てた。

「十四年前に誓ったこと――、それを今一度いいます」

 ヒビキは深く息を吸い、そして、怒鳴るように言い放つ。

 

「アスカ! 俺たちは必ず行くぞ! お前に近づくために、お前に必ず追いついてやるからな! お前に一言二言言いたい奴らが大勢いるんだ。あんな行き方をしたことを絶対公開させてやるからな、このバカモンが!」

 

 ――と、ヒビキの豪快な言葉。

 だが、確かに響いている。

 

 コウダもナカジマも。

「隊長……」

「ははは……隊長らしいですね、コウダ隊員……あっ」

 

 カリヤもリョウも。

「アスカ……ちゃんと届いているでしょうね? あたしたちの思い……」

「ああ、届いているさ」

 

 そして、マイも。

「……アスカ……」

 

『アスカ記念日』

かつての仲間達は、それぞれ、闇の彼方へ消えていった戦友の姿をヒビキの言葉と共に思い描いていた。

 

   2.

 

 火星基地マリネリス

 ネオフロンティア時代開始直後に建造された防衛基地。主に、火星に存在する街――通称『火星街』と呼ばれる場所をあらゆる脅威から防衛するために建造された。

 火星は、ネオフロンティア時代初期から本格的に植民されてきた星であった。かつて水が存在したとされるその星で、人類は、開拓の手を入れ始めた。そして、今から約二十年前に、まずTPC職員による調査のための入植が行われた。

 それぞれの研究が功を奏し、ついに火星への移住が増えてきたのである。

 現在では、マリネリスの近くに建てられた移住区画には、多くの人々が暮らしている。

 それらの大半の大人子供は地球から移住してきた人々であるが、中には数少ないながら、火星で生まれ育った者もいる。

 年齢的に彼らはまだ子供だが、紛れもなく地球外で生まれた子供たちが存在するのである。

 人々は彼らを『スターチャイルド』と呼んでいる。

 

 火星街にある行政区画には、シンポジウムや講演などで使われる大講堂施設がある。

 収容人数は約一万人ほどだが、まだ火星では職員住居者を合わせてそれくらいである。大講堂が埋まるというのは滅多にないことだが、近い将来、移住者が増えることを見越してあえて大きく建造しているのが特徴的だった。

 そして、この日。

『アスカ記念日』に合わせて、ある一つの大きなイベントが行われていた。

 おそらく、火星街の住居者の大半が今、そこにいるだろう。全ての人々が、壇上に上がる少年の姿を目に焼き付けていた。

 着慣れないスーツを纏い、慣れない足つきで壇上に上がるその姿は、まるで赤子のように初々しい。周りからも、思わず、頑張れ、と声をかけたくなるほどだった。

 壇上には、少年の他に、初老の男性が一人いた。

 両手には紙を持っている。

 それは厚紙のようで、なにやら金箔などの装飾が見られ、そして文字は丁寧に墨で書かれているのが分かった。

 初老の男性は、一回咳払いをして、紙を広げ、それを読み上げる。

「貴公が、教育機関における全過程を修了し、卒業したことを証明する」

 それは、卒業証書だった。

 壇上にいる少年――年齢は十代半ばだろうか。とてもじゃないが、それを受け取る人間には見えない。

 少年は、初老の男性から証書を受け取った。

「これから色々な困難が待ち受けているだろうが、是非とも、何にも恐れず、信念をもって頑張りなさい」

 少年は一礼して、感謝の言葉を述べた。

「有難うございます」

 初老の男性は、一回頷いた。

「うむ。では、次に、TPC宇宙開発局並びに科学局から贈り物です」

 その言葉と同時に、二人の職員が壇上に上がってきた。胸元には『TPC』と書かれた刺繍が施されていた。

 二人は、少年に、一枚の紙を渡した。どうやら証書とは違うもののようだ。

「この度、TPC宇宙開発局と科学局より、君を特別研究員として招待することにしました」

 会場の人々から、感嘆の声が漏れる。

「参謀本部での会議により、君の功績がTPC及び、これからのネオフロンティア時代を担うために必要不可欠なものであると判断し、これを渡します。是非、その身に付けた知識をこれからの地球のために、人類のために、そして、未来の発展の為に思う存分に使ってほしい」

 少年は、それも受け取り、宣誓した。

「感謝します。若輩者ながら、精一杯務めさせていただきます」

 少年の宣誓と共に、周囲から歓喜の声と拍手の音が鳴り響いた。少年は振り返り、周囲の人々に応えるように礼をし、そして手を振った。

「皆様からの盛大な祝福の声が上がったところで、これにて、マドカ・ツバサの卒業証書授与式を修了します。これより、TPC地球平和連合第三代目総監ヒビキ・ゴウスケの演説をお聞きください」

 少年は、そのまま壇上から自分の席に戻る。そして、スクリーンに映し出された総監の演説を少年――マドカ・ツバサは一言も漏らさず聞き、その言葉を噛みしめていた。

 

 式が終わり、講堂に来ていた人々は、それぞれのいる場所へ戻っていく最中だった。時間と共に動きはまばらになり、それぞれが式の感想を言い合いながら歩いていた。

 その中にツバサは、友人たちと共に帰路へつこうとしていた。

「おめでとう、ツバサ」

 友人の祝福の言葉に、ツバサは自然と笑みをこぼした。

「みんな、有難う」

「ついにツバサがTPCの科学者になるのかって思うと、めちゃくちゃ早かったなあ」

「ああ、俺なんてただの夢物語だと思っていたが……」

「まさか、こんなに早くになっちまうんだもんな。侮っていたぜ」

 友人たちが連れづれと自分たちの感想を述べていく。

 ツバサは、ははは、と微笑した。

「でも、みんなのおかげだと思っているよ。そんな夢物語を信じてくれたんだから。だから、こうしてチャンスが回ってきたんだよ」

 友人の一人が肘でツバサの胸を突いた。

「何言ってるんだよ。お前なら絶対出来るって思っていたからな。なんて言ったって、元GUTSの隊員にして研究者の両親と、TPCの訓練生にしてもうすぐその一員となる姉がいるエリート一家の息子なんだからな。お前がTPCに入らなかったらおかしいって思っていたくらいなんだぜ」

「ははは……別に父さんたちは関係ないんだけどな。学者になれるなら大学でも何でも良かったし」

 ツバサは謙遜した。

「まあ、それでも運命だよ。どうなってもTPCに行く運命だったんだよ、ツバサ」

 そうなのかな、とツバサは若干疑問に残るが、友人たちは異口同音に肯定した。

「さて、これからお前の祝賀パーティーとお前の一時のお別れパーティーをやるけどどうよ」

 どうやら友人たちは、ツバサに内緒で準備していたようだ。

「あ……どうしよう。明日とかでもいいかな?」

「明日か? まあ、別にいいけどよ。今日はこれから何か用事でもあったか?」

 友人の一人がそう尋ねると、その隣からその答えが返ってきた。

「ほら、確か今日は家族間でのパーティーがあるって言っていたじゃないか」

「あー、そうだったわ。そうだ、そうだ。だからパーティーは明日って決めていたっけ?」

 と、思い出すように言った。

「ごめんな。せっかく準備してくれたのに、水を差しちゃって」

 ツバサが謝ると、友人たちは笑って返した。

「いいっていいって。家族でのお祝いは重要だからな。まあ、俺たちが最後ってことは、トリは俺たちだってことから」

「ははは。そうだね。楽しみにしているよ」

 友人の冗談にツバサは笑って返した。

「じゃ、僕はこっちだから」

 ツバサは、自宅のある方角を指さして言った。

「おう、またな」

 友人たちはツバサに別れを告げると、それぞれが住む場所へ帰って行った。

 ツバサは、友人たちを見送ると、駆け足で自宅へと向かった。

 

 植物を育てるプラント施設に隣接するようにツバサの自宅はあった。

 十四年もの間見慣れた家の扉を開け、何時ものようにツバサは言った。

「ただいま」

 その直後だった。

 ぱん!

 と、何かの破裂音と共に、紙ふぶきがツバサの眼前に迫った。ツバサは思わず目を閉じて驚いた。

 目を見開くと、そこには笑っている三人の姿。

「ははは! 驚いたか、ツバサ!」

 男が、笑いながらツバサに言った。

「……心臓が飛び出るくらいだったよ……」

「ああ、ごめんごめん。何か、普通にサプライズするのもどうかなって思ってさ」

 男の横で少女――十代後半くらいだろうか――呆れた顔で言った。

「もう、お父さんったら、本当に悪趣味よねー」

「何言ってるんだ。ヒカリだって乗り気だったじゃないか。ねえ、レナ?」

 男は、少女の横にいた女性に同意を求めた。

「ほんとよ。時々だけど、ダイゴってば悪ノリするところがあるからねえ」

 男の予想は裏腹に、少女の言葉に賛同する女性。

 その光景を見て、ツバサは思わず笑ってしまった。

「本当に……どうしようもない家族だな……」

 ツバサは目の前にいる両親と姉にそう言うと、向うは、それに返すように、

「おめでとう」

 と、祝福の言葉をかけた。

 ツバサは、照れくさそうな顔をして答えた。

「有難う。父さん、母さん、そして姉さん」

 これが、マドカ・ダイゴ、マドカ・レナ、そしてマドカ・ヒカリ――生まれてきたときからツバサを支えてきてくれた、ツバサにとってかけがえのない家族である。

 

西暦二〇三四年。

 ウルトラマンダイナが、闇の彼方へ消えてから実に十四年の時が過ぎようとしていた。

 かつて、ウルトラマンダイナとなって仲間と共に戦った男――S‐GUTS隊員であったアスカ・シンは、グランスフィアとの最終対決で闇に飲み込まれて、そのまま消息不明となった。

それ以来、彼は、英雄となって人々に語り継がれている。彼の武勇譚は、今や多くの人々の希望となり、いつの日か、彼のようになりたいと夢見る人々は多かった。

そう、ここにいるマドカ・ツバサも例外ではなかった。

ツバサは、アスカが消息不明になった後で生まれたが、彼の同世代でもアスカに憧れている人は多い。ツバサもその一人なのだ。

ツバサは、アスカ一人を尊敬していたわけではなかった。アスカの父である、アスカ・カズマにも敬意を表している。

アスカ親子を尊敬しているのは恐らく、ツバサの世代ではツバサ一人だけだろう。いや、それ以外の世代でもアスカ・カズマを知る人物は恐らく少ない。

ツバサは二人の生き様や携わっていたことに憧れと興味を抱いていたのだ。

彼らに幼いころから執着しつづけていた結果、ツバサはただ憧れというだけでなく、彼らに追いつこうと、それらの知識を貪欲に吸収し始めていった。十代の少年がまだ知る必要のない専門的知識を、十の頃には完璧に一字一句間違えずに、自然と口に出るくらいにまでになっていた。

俗にいうオタク――それを除けば何ら変わりない少年になったのだ。

だが、不必要な知識ではない。

 この時代において、ツバサのような稀有な存在ほど周りの人々から必要とされる世の中になったのである。

 あらゆる企業や大学はツバサを欲したのは言うまでもない。いち早く次の世代を担う金の卵は確保したい。いつの時代もそれは変わりなかった。

 そして、ツバサを獲得したのがTPCだった。というよりは、ツバサ自身はTPCに入ることをずっと希望していたから、なるべくしてなったと言った方が正しい。

 まず、四年間の間、TPC直轄の教育施設でこれまで以上の知識を吸収することになった。今まで学んできた基礎理論をもとに、それらを実践出来るようにする応用力を身に着けることになった。

 そして、四年――ツバサが十四になった今――『アスカ記念日』に合わせてツバサは教育課程を全て終了し、晴れてTPCの特別研究員として入ることになった。

 だが、TPCに入るのは期限付きであった。

 特別研究員という肩書を貰っているものの、言い換えれば、ツバサは教育実習生としてTPCを直に見て学ぶ機会を与えられたということなのだ。つまり、事実上ツバサは職員ではないため、研究には「参加」するのではなく、「見学」することが出来るということなのだ。

 だが、あくまでそういうルールがあるものの、それは言葉による曖昧な説明に過ぎない。

 実習生に、「実際に触れて体験してもらう」と言えば、前述の説明をかいくぐれる。何ら問題はない。

 確かに機密上出来ないこともあるかもしれないが、それでもTPCでツバサが出来ることはそれでもたくさんある。ツバサにとっては願ってもない機会なのは間違いないのだ。

 

「いやあ、まさかツバサが地球に行くなんて想像もしてなかったよな」

 ダイゴは、さすがは我が息子だ、と言わんばかりに豪語する。

「いつかは地球に戻って、みんなに会いに行こうとは思っていたけど、どうやら僕たちよりも早くに彼らに会えるかもしれないね」

 ダイゴは、ツバサの肩をぽん、と軽く叩いた。

 両親の仲間たち――ツバサは話や写真では知っていたが、実際に会ったことはなかった。何しろ、ダイゴたちがGUTSの隊員だったのは、もう二十年以上も前の話なのだ。今はどういうことをしているのかは、ツバサ自身は何も知らない。

「うまく会えればいいけど。でも、それよりも僕は、まず地上に立って歩いてみたいかな」

 ツバサは、そう呟く。ささやかな願いだ。

「向こうについたらいやでも分かるわよ――地球の重力は」

 ツバサの姉――ヒカリが言う。

「そんなにすごいの?」

「まあ、火星での重力制御装置による感覚とは違うって分かるわよ。人工的なものより、地球古来よりある――所謂自然に発生しているって感覚が分かると思うわよ」

「自然のものか……なるほど、確かに感じてみたいな」

 やっぱりすごいね、姉さんは、とツバサはヒカリにそう言った。

「まあ、ツバサよりも地球にいる先輩ですから」

 と、ヒカリは胸を張って言った。

 マドカ・ヒカリ。

 ツバサの姉で、ツバサと同じく火星で生まれたスターチャイルド第一世代。恐らく、スターチャイルドとしては最初の人間だろう。

 ヒカリは、ツバサよりも歳が四、五ほど上だ。ツバサよりも先に地球に行き、TPC特務部隊の隊員となるべく、訓練学校ZEROに所属している。順調に進めば、来季途中か、もしくは再来季には隊員として入隊出来るところまで来ていた。

幼少期からツバサの好奇心を擽らせるような話や知識を持ってきては、ツバサに話していた。それに興味を持ったツバサは、今度は自ら調べ、それよりさらに難解な知識を学習していく。ツバサが自ら興味を持ったアスカ親子を除けば、今のツバサを殆ど形成したのは、ヒカリだと言えよう。

そのためか、ツバサはヒカリに多大な尊敬をしている。尊敬と愛情の念の所為なのか、ツバサは、二人で撮った写真をネックレスとして肌身離さずつけていた。

異性としてではなく、ツバサはただ単に自身の姉への敬意を周りに知らしめたいと無意識に思っているのだ。

そんなツバサは、ヒカリから地球のことを聞かされ、ますます興味が湧いてきた。

「重力……地球から見る青空……天候……自然……」

 早く地球に行ってみたいという気持ちが募るばかりだ。

「まあまあ。地球は逃げないから。まずは、問題が起きないように準備することが大事よ」

 レナがはやる気持ちを募らせているツバサを宥めた。

「そうだな。ツバサ。期限があるとはいえ、火星にいたってことも覚えておくといいよ。ここだってツバサが生まれた場所なんだからね」

 ダイゴがそう言うと、ツバサは家の外から見える見慣れた光景を眺めた。

 帰ってきた時、自分は地球と火星の光景に何を思うのだろうと、考えながら。

 

「そういえば、ツバサは明後日の出発に準備は出来ているのか?」

 ダイゴがツバサに聞いた。

「うん。細かいものを除けば殆どね。明日は、姉さんを基地まで送ってから友達とパーティーをやって、最後に荷物を終わりまで纏めたら全部終わりかな」

「あー。わたしはもう終わりか。無理言って教官に休み貰ったとはいえ、明日戻ってまた訓練って思うと鬱になるわねー」

 ヒカリが腕を伸ばしてストレッチをしながら言った。

「そんなに訓練辛いの?」

「まあ、慣れれば辛くないけどね。わたしは、オペレータークルー志望だけど、時々前線に出るかもしれないから一応全部の訓練は受けなきゃならないわけ。現に今の教官は元オペレーターだし」

「確か、ミドリカワ・マイ教官だったよね? 元S‐GUTSの」

 ツバサが尋ねると、ヒカリは間髪入れずに頷いた。

「でもねー。それはいいんだけど、問題はそこじゃないのよねー」

 ヒカリは何やら若干不満そうな顔をしていた。ツバサは不思議そうに尋ねる。

「問題? 姉さんに問題なんてあるの?」

 尊敬の念を抱いているツバサにとってヒカリが何か問題を抱えているのが不思議で仕方ないようだ。

「いやあ、まあね……訓練生で、わたしより年下なんだけど、一応入隊が同じだったから……同期って言った方がいいのかな……まあ、そんな子がいるんだけど、その子がものすごくプライド高い子でねー。一緒にいると何かと気を遣うのよ」

「高飛車な子なのかしら?」

 レナが尋ねた。

「うーん。多分お母さんが思っているのとは違う気がする。完璧主義者っていうのかな、とにかく訓練や座学はほぼトップを維持してて、正に才色兼備って言うのが正しいかな。とにかく何でも出来る子なのよ」

「へー。すごいじゃないか。若いのにそれだけ出来る子なんて滅多にいないはずだ」

 ダイゴが関心しながら言うと、レナはにやけながら、

「そうよねー。現役時代のダイゴと比べたらもう分かりきっているわよね。どれだけ撃墜されてたかわたしにも分からないから」

 と、ダイゴの過去を激白した。

 ダイゴは、それはいいんだよ、と話をはぐらかそうとする。

「僕のことはどうでもいいんだよ。それより、その子はそれだけ出来るってことは、将来有望なんだろ?」

 ダイゴがヒカリに聞いた。レナは、内心、逃げた……とダイゴを細い目で見つめた。

「まあ、来季にはS‐GUTSの入隊が早くも決まっているのよね」

 すごいじゃないか、とダイゴが言った。

 だが、ヒカリは、ただ……と付け加えた。

「ただ、周りとの連携がとれてないというか……何でも一人で出来ちゃう感じの子だから、周りとしょっちゅう衝突しているのよね。出来る子なのは間違いないけど……」

 つまり、優秀だが、性格に難あり、とヒカリは言いたいのだろう――ツバサはそう思った。

 正直言えば、ツバサ自身、あまり関わりあいたくないタイプの人間だ。

 そういう人間が隊に入れば、後々どういう結果になるか目に見えている。

 馬鹿と天才は紙一重というやつだろう――とツバサは思った(自分もその言葉が当てはまるのは言うまでもないが)。

「まあ、隊に入れば、いやでもチームワークの何たるかを身に着けてくれるはずだよ」

 ダイゴがそう言うと、ヒカリは、そうだといいんだけどね、とあまり賛同しない様子だった。

「ああいう子って、目標はあるけど、本当に一辺倒な性格だからね。あいつに負けたくないとか思うと、勝つまでやりつづけるから。ああいうのを抑えることが出来る子や目標を見つけてくれればあの子も知らぬ間にそうなってくれると思うけど……」

 だが、ツバサはその部類の人間には落とし穴があることを知っている。

 そのタイプの人間だと、ヒカリの言う通り、一つの物に執着する傾向がある。つまり、それから抜け出せずに、痛いしっぺ返しを食らう可能性も否定できないのだ――ツバサは過去にそうやって講義で失敗したことを思い出した。

 まあ、自分には関係のないことだろう、とツバサは、思った。何せ、研究員としている時に、特務チームと会うなんてそうそうないだろうから、とツバサは高をくくっていた。

 家族パーティーは、他愛のない会話をはさみながら、夜遅くまで続いた。

 

 ヒカリが乗る地球行きのシャトルを見送ると、ツバサは、そのまま友人たちが集まっているパーティー会場へと足を運んだ。

 主役であるツバサを立てて、様々なゲームやトークに花を咲かせ、気が付けば、終了したころには翌日になろうとしていた。

 ツバサは急いで家へ帰ると、当然のように両親に小言を言われた。

 それから睡眠時間を削って最後の準備に取り掛かった。

 夜更かしは深夜勉強で慣れてはいたが、両親がいると早く寝ろ、という所為か何かとやりづらいという気持ちが胸の奥にあった。

 地球にいる期間、そういうこともなくなりそうだ、と内心嬉しいと思ったのは、ツバサだけの秘密である。

 

 朝方早くの時刻に、ツバサはダイゴとレナ見送りの元、マリネリスにいた。

マリネリスから地球へのシャトルは予定通りに搭乗の準備をしていた。

惑星と地球間を結ぶシャトルは、本数は少ないものの、定期的に運航している――地球外で働く人々にとって欠かせないものになっていた。

ツバサは、教育機関に向かう時は、毎日のようにそれらを眺めて、地球への渡航を夢見ていた。

そしてついに、その夢が実現しようとしているのである。

地球火星間定航行シャトル:エスポワール号。

ネオフロンティア時代中盤に創設されたTPC地球平和連合西ヨーロッパ支部より技術提供された定期シャトルである。

シャトルの中では古い型ではあるが、ネオフロンティア時代中期から活躍しているシャトルであり、定期シャトルの運用の先駆けとなったシャトルの一つである。

収容人数は乗客従業員合わせて五十人と、シャトルの中では中型のタイプである。

ツバサは、荷物と必要書類の確認をした。

「忘れ物はないよな」

 ダイゴは、ツバサに鞄を渡しながら言った。

「大丈夫だって。今日のうちに全部確認はしたんだ。心配することないって、父さん」

「そうか。それならいいんだ」

 ダイゴは何やらそわそわしていた。今にも泣きそうな顔になっている。レナは、またか、と内心呆れながらも、ダイゴの腹を軽く殴り、ダイゴを落ち着かせた。

「もう。しっかりしなさいよ。ツバサの晴れの舞台何だから。少しはシャキッとしなさいよ」

「いやね、レナ。僕たちの子供の晴れの舞台だからこそだよ。心配で心配で仕様がないんだよ」

 レナは溜息を吐いた。

「大丈夫だから安心しなさい。ダイゴったらヒカリが地球に行った時も心配して、泣きそうになってたじゃない」

 それについてはツバサも覚えていた。

 三年ほど前にヒカリが訓練学校ZEROに入るために地球へ向かうために、見送りに来た時に、ダイゴは今日と同じような顔をしていたのだ。

 だが、あの頃はツバサもいた。しかも、ダイゴと同じような――今にも泣きそうな顔でヒカリが行ってしまうのをじっと見つめていたのだ。

「あの時は、まるでダイゴが二人いたような感じがしたわね」

 似た者同士って本当に不思議よねー、とレナは笑いながら言った。

 ツバサとダイゴは互いに顔を合わせながら、一緒にしてもらいたくない、と互いに心でそう思った。

「まあ、うちの子供たちはこういう将来になるんだろうなって思っていたからいいけどね。というか、ダイゴだって覚悟はしていたんでしょ?」

「まあ、確かにそうだといえばそうなんだけどさ……」

 ダイゴも内心ではそう思っていたらしい。TPCに務めた人の子供もまたTPCへ――ツバサ自身は当たり前だと思っていたが、よく考えてみれば何だが不思議な因果だった。

「さ、もうすぐシャトルの出発時刻よ。ツバサ。いってらっしゃい」

 レナがツバサの背中を押すように言葉をかけた。

 ツバサが歩みを始める。ダイゴはツバサの後ろ姿を見つめていた。

 そして、我慢できなくなったのか、ツバサに向かって叫び始めた。

「ツバサ! 最初は何も恐れずに思いっきりやってこい! 苦しんだり、悩んだりした答えより、楽しんだり、落ち着いたりした時の答えの方が救われる時だってあるんだ!」

 それは、ツバサにとって最高の励ましの言葉だった。

 ダイゴとレナ――両親からの言葉は確実に、ツバサの旅路を後押ししてくれている。

 少しは不安だったのだ。ツバサは、優秀だが、まだ十四の少年だ。普通ならまだ遊び盛りの真っ最中のはずだ。だが、それでも自分の夢の為にそれらをある程度排除してきたのは、ツバサにとっては一つの不安だったのだ。

 だが、それも全て、父の言葉で消え去った。悩むことも今はもうない。

 ツバサは、両親の方へ振り向き、こぶしを握り、親指を立てた。グッドサインだ。

 それはかつてのS‐GUTSから続けられている了解を意味するサインでもあり、これからの希望を託すためのものでもあった。

 ダイゴとレナは、我が息子の全力の回答に応えるべく、グッドサインを返した。

 ツバサの長い旅路は、ここから始まったのだ。

 




其の1 終了です。
其の2に続きます。


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其の2

やっぱり長い……。
自重せねば。


 3.

 

   *

 

 シャトルは、ゆっくりと大気圏に突入する準備を始めていた。

 シャトルの中でツバサは窓の外に見える宇宙を眺めていた。

 乗客のほとんどは、早朝の便というだけあって、寝ている人たちが多く、まるでこのシャトルの中だけが夜の静けさのように感じられた。

 ツバサは、星々や、地球から惑星間へ伸びている大型建造物を眺めていた。

 これから、これらに携わる――。そう思うと、ツバサが担う研究の重要性を今一度認識していた。

 地球までは残り一時間ほどだろう。

 それまで少しでも睡眠をとっておこう――ツバサは、窓を閉め、軽い眠りについた。

 

   *

 

「おお、どうやらあのシャトルのようですなあ」

 メトロポリスにあるシャトル発着場の窓から、ウチダはコウダに向かってそう言った。

 特別研究員を乗せたシャトル――エスポワール号は地上から肉眼で確認できるところまで近づいていた。

「話によると、向こうは乗り遅れることはなかったそうだ」

 コウダは、ウチダにそう言った。

「ははは。乗り遅れていたら、それこそ我々がここにいるために割いた時間と私の努力が水の泡になってしまいますよ」

「そうだな。まあ、でも、あり得るかもしれないだろ? 相手はまだ少年なんだからな」

「遅刻は許す……と?」

「怒って許す」

 実際は許してほしくないのだが、とウチダはそう思いながら苦笑した。

 子供とはいえ、特別研究員だ。子供の代から大人と同じ土俵で挑むわけだから、あまり子ども扱いはしたくないのがウチダの考えだ。だが、それを差し引いても相手は初めての地球であるということを考えれば、初心者相手には優しくしようともウチダは考えていた。

 シャトルがゆっくりと着陸していく。シャトルには、着陸時に人間と機械の間でしっかりとサポートがなされている。事故はそうそう起こらないだろう。

 シャトルが無事に着陸すると、中から乗客がぞろぞろと降りてきた。

 その中から本人を見つけ出すのは、二人にも容易だった。

 たった一人だけ――恐らく地球の重力に違和感を抱いている、不安な顔をして、辺りを見回している少年がいた。

 

   *

 

『エンジン出力345から110まで減速――重力安定機構を地上へ移行――オーケー、オールクリア』

 機長室から若干の声が漏れていた。

 それは、ツバサが学んだ知識の中で聞いたことのあるもの――宇宙航行学の一つ、シャトル運航の際の着陸時の管制塔との確認作業の一つだった。

 いうなれば、ツバサは乗ったことはないが、「飛行機」と理論は大体同じだ。

 エンジン出力の減少の際に少しの間シャトルは左右に振動する。振動が完全に止まると、着陸が成功した証なのだ。

 振動が消えたと同時にアナウンスがなった。

「お待たせいたしました。当機は、メトロポリス国際空港へ到着いたしました。どなた様もお忘れ物のないようにお願いいたします。本日は、地球火星間定期シャトル、エスポワール号をご利用いただきまして、誠にありがとうございます」

 ツバサは、手荷物を全て持ち、シャトルの外へ出てみた。

「……ん?」

 ツバサは体に違和感を覚えた。

 体が地面に引っ張られていくような感覚。足の裏が地面に吸い付いているような――まるで足の裏を糊でくっつけられているような不思議な感じだった。

 火星にいる時よりも体が重く感じだ。自分が持っている荷物も重い――体重計で計った重さより重いのでは、と感じるほどだった。

 体が重いと、少し動きづらい――ツバサは辺りを見回した。

 他の乗客はそれほど苦にもなっていないようだった。淡々と荷物を持って、到着ロビーへ足を進めている。

 どうやら地球に来たのが初めてなのは自分だけのようだ。ツバサは、何とかついていこうと、足を進めた。

 これが重力か――ツバサはヒカリの言葉を初めて痛感した。姉もこの「儀式」を通過したのだろう。

 だとすると、いずれ慣れるものなのだろう、と少し気が楽になった。

 ツバサは、迎えが来ているという到着ロビーまで足を速めていった。

 

 大型荷物を持って到着ロビーへたどり着くと、ツバサは再び辺りを見回した。

 話によると、TPC宇宙開発局の人が迎えに来ると言っていたが、はたして一体どこにいるのだろうか……。

 やはりTPCの服を着た職員だろうか、と思って周りを見るが、TPC職員はそれなりにいるのだ。

 恐らくそれぞれが別件で来ているだろうから、誰が誰を待っているかなんて判別は出来ない。

 だが、その中に、明らかにこれだ、と思える人物がいた。

 ツバサが見つけたそこには、恐らく誰も知らない者はいないだろう――男がいた。

 男はツバサと目が合うと、手を振った。多分――いや、間違いなく自分に対して振っている――ツバサは試しに手を振り返してみた。

 男は、笑いながら、やっとみつけた、と言わんばかりに歩みを速めてツバサに近づいて行った。

 ああ、まさか……まさか……とツバサは内心焦っていた。

 いや、焦るだろう?

 確かに宇宙開発局の人が来るとは言ったが――。

 まさか、宇宙開発局のトップであるコウダ・トシユキ参謀が迎えに来るなんて一体誰が考えようか!

 アスカを知っている人間なら、その仲間たちのことまでは知らないという人はいない。

 元S-GUTSの副隊長にしてアスカと共に組むことが多かったのがこのコウダ隊員――もといコウダ参謀なのだ。

「よ、お前が俺たちのところで働く研究員か?」

 コウダはツバサに聞いた。

 参謀とは思えない口調。まるで先輩が新しく入った後輩に話しかけているようだった。

 ツバサは、緊張しながらも敬礼してコウダに着任報告をした。

「は……はい! マドカ・ツバサであります! TPCの特別研究員としての着任を報告します」

 コウダは、何かにツボに嵌ったのか、ツバサの言動を聞いて笑い出した。

「えっと……あの……」

 ツバサは、まだ状況を飲み込めていなかった。

「ああ、悪い悪い。そんなに固くなるなよ。特別研究員とはいえ、お前は俺たちにとってゲスト様なんだから、着任報告なんて必要ないぞ」

「は……はあ……」

「むしろ、ゲスト様で何も分からないんだろ? だったら分からないまま堂々としてればいいさ。大抵のことは全部ウチダ副参謀が教えてくれるだろうから」

 突然、自分に全て投げつけられたウチダ、目を丸くして、自分で自分の方に指をさした。

 どうやらこのウチダ副参謀は、コウダ参謀にいいように振り回されているようだ、とツバサは内心気の毒に思った。

「出来ればゆっくり話せたらいいんだけどな。生憎これから会議でな。行かなくちゃならないんだ。すまないな」

 コウダが簡単に謝ると、ツバサは慌てながら答えた。

「ああ、いえ! わざわざ参謀殿が直接迎えに来てくださったことは本当に恐縮でありましたが、光栄です! お忙しい時間の中、わざわざ僕の為に……」

「いいってことさ。参謀本部が期待を寄せている若者を預かるんだ。これくらい当然のことだ」

 コウダは、そう言って、腕時計を確認した。どうやらもう時間がないようだ。

「じゃ、俺はこれで。ウチダ、後は任せるぞ」

「はい。参謀もお気をつけて」

「おう。あー、参謀なんて面倒くさい。誰か変わりをやってくれないものか」

 参謀にとってあるまじき発言をしながら、コウダは去っていった。

 ウチダは、呆れながらその姿を見送った。

「……やれやれ、相変わらずだ」

 ツバサは、ウチダの言葉に苦笑した。

「ははは……でもなんていうか……気さくな人だとは思いますよ」

「だが、上に立つ者としてはもう少し自覚があってもいいと思うんだが……まあ、あれでも職員たちは多大な信頼を寄せているんだから、まあ一応、リーダーとしては申し分ないのかもしれないが……」

 ウチダは、おっと、と思い出すようにツバサの方を向いて言った。

「申し遅れた。私は、TPC宇宙開発局副参謀のウチダだ」

「どうも、マドカ・ツバサです」

「マドカ……? ひょっとしてマドカ・ダイゴの?」

「ええ、息子です」

 ウチダは驚いた表情を見せた。

「そうか……息子がいたのか。いや、以前、娘のヒカリ君は何度か会ったことはあったんだが……もしかして、君は……」

「マドカ・ヒカリは僕の姉です」

「やはりそうか。いや、まさか弟がいたとは思っていなくてね」

 ツバサは微笑した。

「僕は火星から一歩も外に出たことはなかったので……知らないのも仕方がないでしょう」

「そうか……子供たちも全員がTPCにか……何というか、不思議なご縁だな」

「副参謀は、父のことをご存じなんですか?」

 ツバサが尋ねると、ウチダは笑って返した。

「いやあ、直接話したことはないよ。君のご両親がGUTSにいた頃は、私はまだ一職員たからね。知らないという人がいたとなると、まだTPCに入って日が浅い職員くらいさ」

 そうだったんですか、とツバサは納得した。

「まあ、ここで立ち話もなんだ。これから君の寝床と君が携わる事業について車の中でじっくり説明させてもらうよ」

 ウチダは、ツバサの大型荷物を持つのを手伝いつつ、ツバサを車の場所まで案内した。

 

 車の中で、ツバサは緊張した様子で、自分から話を切り出すことが出来なかった。

 ただ窓の外をちらと見ては、メトロポリスの街々に驚くくらいしかできなかった。 

 火星とは違って密集した高層ビル街、より整備された道路や遊歩道、行き交う人々、どれも火星で見たものよりはるかに壮大だった。

 これが地球――しかもこれはほんの一部なのだというから、他の都市には何があるのだろうか、と期待に胸を膨らませていた。

 ウチダは、ツバサの気持ちを察したのか、話を切り出そうとした。

「まあ、これから休日になれば好きな場所へ行けるから、じっくり堪能するといい」

 ツバサは、ウチダの気遣いに嬉しく思い、面と向かって礼を言った。

「さて……これから君は、宇宙開発局と科学局の両局の仮配属となって、それぞれのプロジェクトに参加してもらうわけだが……」 

 ウチダは、手元に取り出した資料などを見つめながら言った。

「今、ネオフロンティア時代において、我々と科学局が人類の技術における最前線で仕事をしているのは知っているよね?」

 ツバサは頷いた。

「……ネオフロンティア時代の終局ともいえる現在、地球とその他の惑星間をつなぐコスモネットの強化と拡大、そして、さらなる半永久的エネルギーの確保のために発電システムを兼ね備えた惑星間をつなぐ宇宙エレベーター建造、十四年前に消滅してしまった惑星を復活させるために、小惑星を核とした人工惑星の創造、そして、科学局では、ゼロドライブ航法理論の完全理解と利用……ですね」

 ウチダは、その通りと答えた。

 ネオフロンティア時代最終楽章と謳われているこの時代――人類は、かつての太陽系を取り戻し、さらなる発展を遂げるために、様々なプロジェクトを打ち立て、実行に移していた。

 十四年前、球形生命体によって太陽系のいくつかの惑星が消滅した。そのため、太陽系の範囲が極限まで狭まった。

 そこで、これまで技術の随意を結集させ、太陽系に浮かぶ小惑星を星の核として使用し、そこから人工的に惑星を造り出そうとしたのである。

 現在はまだ、ペーパープランではあるが、準備が整い次第計画が実行される段階にきているのである。

 そして、それを並行するように、惑星が完成した暁には、現在建造中である宇宙エレベーターをそれぞれの惑星間に繋げ、人類が自由に移動出来るようにするという計画も始動したのである。

 半永久的に発電出来るシステムを兼ね備え、さらに人物、物資を運ぶエレベーターは、人類の移動手段としても正に最終形態であり、完成に期待がかかっているのである。

 そして、十四年前から確率していた大阪にある民間企業との共同開発によって完成したコスモネット――これを人工惑星とも繋ぎ、太陽系全ての惑星間の通信ネットワークシステムを完成させる――。

 これらのプロジェクトを総称してネオフロンティア時代最終楽章というのだ。

 そして、最後に、ゼロドライブ航法である。

 光そのものを推進力として、光速のスピードで移動が可能になる手段――マキシマオーバードライブまた、これを利用した武器の開発――これらが十四年前から行われていたものだ。

  その発展形がゼロドライブ航法なのである。

 だが、これらを人類が完全掌握したとは言い難かった。

 ネオマキシマオーバードライブを搭載した心臓母艦を異星人によって乗っ取られ、それによって一つの島を壊滅的な被害を被ってしまったこと、ネオマキシマ航法の次世代航法として期待されたゼロドライブ航法――その試験飛行で一人が時空の彼方へ消え去ってしまったこと、さらには、始めてマキシマオーバードライブを搭載して実験した時に、禁断の技術と評され、謎の浮遊島と機械人形に破壊されそうになったこともあった。

 やがて、これが禁断の武器として一時期封印されたこともあるなど――人類には身に余る技術であると長年放置されてきた。

 だが、それでも、ツバサが憧れるアスカ・シンがゼロドライブ航法による決死の試験飛行で活路を見出したことで、研究が飛躍的に進んだのだ。

「ツバサ君。これから君に携わってほしいのは、宇宙エレベーター建造のための管理官と、ゼロドライブ航法の完全掌握を手伝うことだ」

 ウチダの言葉にツバサは、力強く頷いた。

 ようやくだ、ようやく僕もそこに携わることが出来るんだ、とツバサは長年の夢が実現できる瞬間を感じ取っていた。

 宇宙エレベーターももちろんだが、憧れであったアスカが携わったゼロドライブ航法の完全掌握――これを研究する人々にとっては最大の壁。机上の空論かと言われていた技術を実用段階に持ち込むことが出来れば、時空の彼方への行き来も可能になり、新たな開拓地を見出すことも出来る。

 そして、出来るのなら、アスカが向かったとされる場所へ行き、アスカを探し出せるかもしれないのだ。

 それはツバサだけではなく、アスカのかつての仲間たちの悲願でもあった。

 だからこそ、人々は、ツバサに期待を寄せているのだ。

 ツバサは、自分に課せられた責任の重要性を再確認していた。覚悟を持った瞳、まさに少年とは思えない――立派な研究者の顔だった。

 ウチダは、ツバサの顔を見つめながら、感傷に浸っていた。

「いやはや……君はすごいな」

 ウチダがふと言葉を漏らす。

「この歳で、これからの人類のことを自分自身で考え、実行するなんて昔じゃとても考えられなかった。ましてや私自身とは正反対だ」

 ウチダがそう言うと、ツバサは慌てて言った。

「そんなことはありませんよ。副参謀だってずっとTPCに務めていたんでしょう? それは自分でやりたいことがあったからなんでしょう?」

 ツバサがそう尋ねると、ウチダは、笑いながら否定した。

「いやいや、違うよ。私は父の言い分に従っただけさ。まあ、確かにこれには興味はあったが、自分の判断でここで働こうとは思わなかった。父が私に行け、と言わなければ、決断もすることなく、流れるように生きていたかもしれない」

 全て父の一言のおかげなんだ、とウチダは言った。

 ツバサには分かる気がした。

 自分も、ここに来る時に、父――ダイゴの言葉に押されてここまで来た。やはり父親の言葉は偉大なのだ。

「いいお父様だったんですね」

 ツバサがそう言うと、ウチダは少しだけ頭を垂れた。

「まあ、尊敬はしているね。ただ最近ボケてしまっているけど、やたら私や兄弟の仕事には口出ししてくるから、まあ、五月蠅い親父ではあるかな」

 ウチダはそう言って笑った。ツバサも、

「でもいい人ですよ。僕の父も僕のやっていることに何かと心配してアドバイスとか言ってきますからね」

 と、付け加えつつ笑った。

 そして、TPCの管轄内にある施設の中に車は入っていった。

 しばらく進むと、宿舎らしき建物が見えてきた。車は、宿舎の前に止まった。

「着いたぞ。ここが、これから君が四年間――君が十四になるころまで暮らす家だ」

 宿舎、とだけあって平均的なものだと想像していたが、これは中々大きかった。

 以前、コスモネットで調べたことがあったが、地球の高層マンションという高価な建物と対して変わらない。

「まあ、ここには研究者も多く暮らしているからな。部屋に研究できる環境を整えている分、部屋は広く作られている」

 と、ウチダは説明してくれた。

「さて、今日は、荷解きをして終了だが、明日から、早速だが研究員として存分に君の能力を奮ってもらう。少年だからとて、私は、贔屓はしないからな。監督代理として、君を含め全ての研究者を監視しているから、覚悟するように」

 ウチダは、力強く言った。

 ツバサは再度敬礼して、

「激励の言葉として有難く頂戴いたします。これからよろしくお願いいたします」

 と、言った。

 ここからツバサの夢が始まったのである。

 

   *

 

 マドカ・ダイゴの記録が少ないように、同様に息子であるマドカ・ツバサの記録は情報局でも極端に少ない。

 情報局の記録によると、マドカ・ツバサが研究員としてTPCに携わったのは、わずか一年弱であった。

 彼は、一年後、十五回目の『アスカ記念日』に死亡したと記録されたからである。

 

   *

 

   4. 

 

 ツバサが特別研究員として、地球に滞在してから一年の時が過ぎた。

 ツバサはすっかり地球の重力にも慣れ、地球での当たり前に着々と慣れていった。

 火星とはまた違った環境に、最初は焦ったが、ツバサの環境適応能力の高さからか、すぐに馴染むことが出来た。

 研究は一年では上出来といえるほど進んだ。

 宇宙エレベーターの建造の際に外部からの攻撃に備えるための特殊シールドの開発計画の推進することが出来た。

 これによって、防衛上の困難性を事実上回避できることが出来るようになった。

 そして、科学局では、S‐GUTS科学班主任のナカジマ・ツトムと共にゼロドライブ航法によって時空の彼方へ飛ぶ際にどの時空へ飛んでいくのかを計算式で割り出すことに成功した。

 まだ、机上での計算だが、これが各国の議会や研究者会議で賛成を得られれば、ゼロドライブ航法の掌握に一歩近づいたことになる。

 だが、一研究者の提唱した理論が完全に理解されるまで幾年の月日がかかる。そもそも実験そのものが危険なのだ。計算式が本当に机上の空論かもしれない。

 そもそも、ツバサが生きている頃に実現できるかは分からない。だが、ツバサが提唱した説に多くの研究者が修正してくれれば、それは不可能なことではないはずだ。

 もしかしたら、残りの三年でその方法を見つけることが出来るかもしれない、とツバサは楽観的に考えていた。

 だが、それもつかの間だった。

 十五回目の『アスカ記念日』。

 この日は、自分の研究に集中しつつも、毎年恒例のヒビキ総監の演説を聞いていた。

 他の職員たちは、殆どがモニタールームへ移動した中、ツバサは、手を止めたくない一心で、黙々と研究を進めていた。

 その時だった。

 遠くから急ぎ足でこちらへ向かってくる人影が見えた。

 ツバサは、気になってその方に顔を向けた。

「あれは……」

 見間違えるはずがなかった。

 一年の間、何度も顔を合わせている人だった。常に近くにいて、ツバサを含め、多くの研究者を監督していた人。

「ウチダ副参謀……!」

 ツバサもウチダの元へ駆けた。

「ああ、ツバサ君か! ここにいたのか!」

「副参謀、どうしたんですか? そんなに慌てて……!」

 ウチダは息を切らしていた。どうやらずっと走ってきたらしい。額には汗が流れていた。

 ツバサは、持参していた水をウチダに渡そうとした。ウチダは、首を横に振って、結構と言った。

「それで、どうなされたんですか? 僕の研究に何か問題でも?」

「違うんだ! 研究のことではない」

「では?」

「君に最悪のニュースがある」

「最悪の? ニュース?」

 ウチダは、かなり迷った表情をしていた。言うべきか言わないべきか、ずっと迷っていたが、だが、彼の為には言わなくてはいけないことだろう、と決意してここまでやってきたのだ。

「今、火星から連絡があった。……火星基地マリネリス及び火星街が、球形生命体の襲撃を受けたとのことだ」

 それを聞いて、ツバサの時間が一瞬凍結した。

 今まで頭の中で描いていた理論や計算が全て抹消され、頭の中が空っぽになっていった。

 言葉による理解がその時だけは、出来なかった。

 気づけば、ツバサは両膝をついていた。

「だ……大丈夫か?」

 ウチダがツバサの体を倒さないように支えた。

 ウチダの体温でようやく我に返ることが出来た。

「ああ……ええ……何とか」

 ツバサは、頭の中で整理を開始した。

 火星が怪獣によって襲撃された。

 それは、ツバサが生まれてきて今まで一度もなかったことだった。

 十四年前の球形生命体の襲撃を最後に、人類に大きな侵略は一切なかった。時たま、地球で地下に住む怪獣が地上に現れて、それを追い払うということはニュースで度々見たことがあったが、それ以外に異星人の襲撃や怪獣による大規模侵攻なんて一つもなかったのだ。

 ましてや火星には何もなく、ずっと平和だったはずだ。それがどうして……?

「火星は甚大な被害を被ったそうだ」

「行方不明者は?」

 ツバサが問うとウチダは冷静に答えた。

「今、情報局や警備局らでそれらを調べているところだ。今のところの連絡によると、君も知っているだろうが、火星には万が一に備えて地下に避難シェルターがあるが、ほぼ全員がそこに避難できているようだ」

「そうですか……よかった」

 だとすると、両親も、友人たちも皆無事である可能性が高い。ひとまずツバサは胸を撫で下ろした。

「被害は抑えられたが、戦闘機やシャトル、発着場が全壊したそうだ」

 となると、火星への行き来が不可能になったということだ。エレベーターは、まだ開発段階で実用化されるまでまだ時間がかかる代物だ。

「向こうの特務チーム……S‐GUTSマーズはどうだったんですか? 彼らがいたのに迎撃出来なかったんですか?」

「もちろんすぐに迎撃に向かった。球形生命体は迎撃出来たが、どういうわけか、奴らの裏を欠いて怪獣が一気に戦闘機やシャトル、発着場を破壊したそうだ」

「そんな……」

 ツバサは、肩を落とした。

 怪獣が裏をかいた? つまり、球形生命体の行動の裏を突いたことになる。

 そんなに用意周到な怪獣がいるのだろうか? そもそも一体怪獣はどこから来たのだろうか。火星のどこに怪獣が隠れられる場所があるというんだ? 地下にしても地上にしても、マリネリスのレーダーがとらえられないはずがないのに、一体何故?

 ツバサの脳裏に様々な疑問が浮かぶ。

 今、自分は何をすべきなのか、自問自答していた。

 今は、詳しい情報が来るまで待機しているべきなのか、それとも、自ら情報を集めるべきなのか……いや、そんな独断をウチダ副参謀含めて許してくれるはずがない。

 様々な考えが頭に浮かび、ツバサ自身ではもはや処理できるものではなかった。

 ツバサは混乱していた。

 ウチダが色々言葉をかけてくれているが、ツバサの耳には一切届いていない。

 そんな中だった。

 ツバサの整理しきれない考えの裏から、それらを吹き飛ばすように、鮮明な考えが、脳裏に過ったのだ。

 

 火星に戻って現状を把握しなければ――

 

 今までの考えよりも鮮明な考えだった。まるでガラスを割れたように、衝撃を受けた。はっきりとそれが浮かび上がってきたのだ。

 ツバサの中に迷いが無くなっていた。頭の中で閃いた瞬間――それに酷似している現象だとツバサは確信した。

 ツバサは、ウチダに礼を言うと、駆けだしていた。

「あ……ツバサ君! おい! 戻りたまえ! 君は待機していろ!」

 もはや、ウチダの――上の言葉ではツバサを止めることは出来なかった。

 ツバサはTPCの施設を飛び出し、近くを走っていたタクシーを捕まえ、空港へ向かった。

 

 空港へ着くと、ツバサは時計を確認した。

 確か、この時間帯に火星へ向かうシャトルがあったはずだ、とツバサは思い出した。

 ツバサは時刻表を除いた。良かった。登場時刻までまだ十分ある。

 ツバサは、急いでチケットを購入すると、飛び乗るようにシャトルへ駆けて行った。

 どうやらツバサが最後の乗客のようだった。他の乗客はツバサを怪訝な顔で一瞬見つめると、すぐに目をそらした。

 だが、今のツバサにはそんなことなど気にするほど余裕がなかった。

 シャトルは定刻通り、出発した。

 火星まで、定刻通りなら三時間弱で到着する。

 ツバサは、周りを見回した。

 皆、火星へ行こうとしている――つまり、ツバサと同じく、家族の安否が気になる人たちなのだろう。

 一秒でも早く、家族の無事を確認できなければ、研究なんて手につかない――そんな風に考えているのだろう、とツバサは思った。

 ウチダ副参謀には悪いことをした、とツバサは反省していた。

 だが、今は、家族の安否を確認してから、言い訳や謝るセリフを考えておこう。今は、とにかく、家族だ。

 数多の修羅場を切り抜けてきた両親だ。多分、無事だとは思うが、それでも心配だ。

 とにかく落ち着こう――。

 ツバサは座席にもたれ、深呼吸をする。

 ……頭が軽くなったような気がする。

 そして、それと同時に、ふと疑問に思った。

 

 あれ、僕はどうして火星に戻ろうしているんだ?

 

 いや、別に疑問に思うことじゃない。家族の安否を確認するためにはこうするしか――火星の情報なら、情報局に問い合わせれば分かったのでは?

 いや、だって突然の襲撃なんだぞ。家族がもし死んでいたらと思うと、気が気でないじゃないか――火星には地下シェルターがあって、ほぼ全員が避難したと副参謀が言っていたではないか?

 いや、待て。このシャトルの人たちはどうだ。この人たちだって家族の安否が不安だから乗り込んだんじゃないか! ――そもそもこの事態に何故、シャトルが平常通りの運航をしているのだろうか?

 

 疑問に答えようとすると、それに疑問で帰ってくる。

 どういうことだ? と、ツバサは頭を抱えて考えた。

 若干は混乱していたかもしれない。しかし、それでも、自分が間違った判断をしたとは言い難いのではないか? きっとそうだ。自分の判断は間違っていない。

 ――本当にそうなのだろうか?

 そうだ。今までの自分の行動は……何もかも間違っているのでは? いや問いかける必要もない。

 僕の判断は、明らかに間違っていた! いや、違う! そもそも僕は一体、誰の考えに従ってここに来たんだ?

 脳裏に過った考えに従ってきたじゃないか……。なのに、僕はどうして自分の判断に疑問を感じていると思っているんだ?

 まるで、火星に戻るという考えが僕の考えじゃなかったようじゃないか!

 ツバサは、窓の外を見た。

 シャトルはおろか、エレベーターの建設作業に従事する人すら、見当たらない。間違いなく、このシャトルは誰もが避難した宇宙空間――今まさに襲撃されてもおかしくない危険領域を航行しているのだ。

 

 しまった……、とツバサが思った時には、もう遅かった。

 眼前に、巨大な顔が見えた。

 明らかに巨大な生物だった。鳥? いや違う。確かに翼はあるが、それは鳥ではなかった。

 鋭利な爪に、尖った嘴。その生物の大きさは、シャトルと同等か、いや、それよりも大きいかもしれない。

 それはほんの一瞬だった。ツバサの眼前に閃光が迸った。

 

   *

 

 ユミムラ・リョウは、マリネリスに赴いていたコウダ参謀と共に、昨年と同じように、カリヤが作った特製コーヒーを飲みつつ、休憩スペースでヒビキの演説を聞いていた。

 毎年のように相変わらず、と口々に言いながら、ヒビキの熱のこもった演説を聞いていた。

 今年は去年ほど感傷的にはならなかった。それ以上にアスカへの想いをより強く感じ、受け止めていた。

 その中で、リョウとコウダの前に座る一人の隊員服をラフに着こなしている男がいた。

 男は、テーブル上に表示された球体のモニターをタッチしながら何かをしていた。雰囲気からして遊んでいるようにも見えた。

「誰だ?」

 コウダが、尋ねた。リョウは、新人です、と答えて、男の名を教えた。

 タイガ・ノゾムであった。

 タイガは、日程通りに、ZEROを卒業し、晴れて今季からS‐GUTSマーズの隊員として入隊することになった。

 破天荒な性格ではあったが、リョウはどことなく、その雰囲気がアスカによく似ていて、内心親心とはいかないものの、目をつけていたのだ。

 タイガが席をはずし、いなくなった直後だった。

 突然、警報音が鳴り響いたのだ。

 ここ十年以上鳴るはずのなかった警報音が施設に響き渡った。

 職員が一斉に走り出す。リョウとコウダも、すぐさま立ち上がり、司令室へ駆けて行った。

 その時、リョウは、去年の会話を思い出していた。

 もしかしたら、これが始まりなの? と、あるはずのないそれからの未来を予想していた。

 

 火星基地マリネリス司令部。

 ここにS‐GUTSマーズの作戦司令室があった。

 隊員は隊長のリョウ、副隊長のカリヤ、科学班主任のナカジマやタイガらを合わせて、計八人。そして、複数人の職員も任務としてチームを支えていた。

 リョウは作戦司令室に入ると、ナカジマがすでに火星に迫りくる敵の正体をつかんでいた。

 スクリーンにその正体が映し出される。

「スフィア……」

 カリヤの予想は当たった。球形生命体スフィアが群れを成して襲撃してきたのだ。

 スフィアは、マリネリスを一斉に攻撃開始した。スフィアの攻撃は、素早く、迎撃システムは展開される前に悉く破壊されていった。

 基地壊滅は時間の問題だった。

 だが、スフィアの思惑は完全に瓦解されることになった。

 マリネリスには、戦闘機を格納するためのハンガーが無数にあった。その中の一つ――七番ハンガーからガッツイーグルα号が発信したのだ。

 当然、リョウは出撃命令を出していない――明らかな無断発進だった。

 だが、リョウは、何も言わない。

 α号の動きは、基本に則らない、自由な飛行だった。動きが独特で、スフィアもこの動きについてこれない。α号のジークが確実にスフィアを撃ち落していく。

 α号が渓谷に入り、スフィアに追われる形になった。だが、α号は落ち着いていた。

 渓谷の行き止まりに差し掛かり、一気に、噴射をかけて直角に上昇していった。洋装外の動きにスフィアは止まることも出来るに渓谷に激突して四散した。

 α号の動き――ハチャメチャだが、どこか懐かしい感覚がナカジマやカリヤにはあった。

 そう、まるでアスカが似たような操縦で相手を翻弄していた時のように。

「誰が乗っているんだ?」

 コウダが尋ねた。

 カリヤとナカジマはどうやら知らないらしい。だが、リョウは、通信機から、その操縦者に向かってアドバイスした。

「タイガ。実践において最も大事なことは、必ず生きて戻ることよ」

 タイガ・ノゾム。彼が操縦していたのだ。

 あの性格からあの操縦。確かに、誰の目から見ても納得できるものだった。

 タイガは、リョウの言葉に従った。α号はさらにスフィアへ追撃をつづけた。

 上空へ急上昇しながらも、一体一体確実に撃ち落していく。そして、スフィアが急降下すると同時にα号も一気に急降下していった。

 だが、その時だった。

 α号が謎のロストをした。

「どうした? 一体何がどうなっている!」

 コウダが叫ぶ。

 モニター上に出た「LOST」の文字。カリヤがモニターや映像からの情報から、タイガが別の次元へ消えたと推測した。

 まるで、アスカがいなくなったように。

「タイガ……タイガ!」

 リョウが通信からタイガを叫ぶように呼ぶ。だが、通信からタイガの声が聞こえることはなかった。

 タイガがいなくなったと同時に、残ったスフィアが一斉に姿を消した。

「どういうことだ? 奴らは一体、何が目的なんだ?」

 基地は守られたのか? と誰もが疑問に思っていた時だった。

 それが第二波なのか分からない。レーダーに謎の物体を感知した。

「北東に七キロの地点に謎の生命反応です!」

 ナカジマが叫んだ。

 その影は、非常に巨大だった。レーダーからの影を目測すると、六十メートルはした。

「なんて大きさだ……」

 カリヤがレーダー越しにそう言った。

「この様子だと、間違いなく怪獣反応です、隊長!」

 ナカジマがリョウに向かって叫んだ。

「怪獣はどこに向かっているの?」

 リョウの質問にナカジマはレーダーから怪獣の進路を予測した。

「今は北東七キロの地点で静止中です」

「こちらの出方を伺っているのか……?」

 カリヤがナカジマの予測からそう予想した。

 リョウは、考えていた。

 タイガがいなくなった。タイガは一体どこへ向かったのか、まだそれすら調べることも出来ない状況だった。だが、相手は、それを調査することすら許してくれない。

 リョウは歯ぎしりを噛みながら命令した。

「とにかく、時間がないわ。ナカジマ隊員とカリヤ隊員はわたしと一緒にガッツイーグルにて出撃。他の隊員たちはサポートお願い」

 リョウの命令に、隊員達は、拳を握り、親指を立てた。

「ラジャー!」

「待ってくれ! 俺も行かせてくれ!」

 コウダは、リョウを引き留めると、そう進言した。

「ですが……」

「参謀として、ここで黙って見ているわけにはいかない。俺がお前らと一緒に戦ったのは十分知っているだろう?」

 コウダは、リョウを説得しようと必死だった。

 コウダは、アスカと組んで出撃する機会が多かった。それ以上に、今回のことを見過ごしたくはないのだろう。

 リョウは、分かりました、と頷いた。

 

 ガッツイーグルは、それぞれα、β、γ号に分かれて出撃した。α号にコウダ、β号にカリヤとナカジマ、そして、γにリョウがそれぞれ乗り込んでいた。

 怪獣の姿が見えてきた。

「鳥型の怪獣……?」

 コウダがそう呟いた。

 それを聞いて、誰もがそう疑わなかった。

 両手に翼。そして鋭い鉤爪。鋭い嘴に丸く、鋭い眼光。

 リョウやカリヤは今まで見たことがなかった怪獣だった。

「怪獣の骨格や姿からして、これはどう見ても、地球環境に適した怪獣ですねえ」

 ナカジマが、怪獣の映像を見ながら言った。

「それじゃ、元々は地球にいた怪獣だっていうのか?」

 カリヤが問うとナカジマは、

「まだ、断定はできませんが、この姿を見る限りは、どう見ても宇宙の環境下で進化したものとは考えられないんですよ」

 一体どういうことだ、と隊員たちが疑問に思っている中、

「怪獣の映像は確認できる?」

 リョウは、ナカジマに尋ねると、

「はい。最大望遠映像を出します」

 ナカジマはすぐさま、広角レンズによってとらえた怪獣の映像を出した。

 肉眼で見るより、はっきりと怪獣の姿が分かる。より鮮明に分析することが可能になった。

 ガッツイーグル各機は、上空で怪獣の周辺を旋回しながら様子をうかがっていた。怪獣は、それに対抗してか、ガッツイーグルを目視しているが、特に動き出す気配は見せなかった。

 それを見て、リョウは、この十数年間、怪獣という言葉とは縁がなかったが、まさか、こうもかつての激動の日々を思い起こさせるような大事態を一気に引き起こしてくれたわね、と怪獣に向かって心の中で叫んだ。

 ふと、ここでカリヤが何かに気が付いた。

「ちょっと待ってくれ? この映像、拡大できるか?」

 カリヤがナカジマに向かってそう叫んだ。

「出来ます。今出します」

 ナカジマが、すぐさま映像を拡大する。

「カリヤ隊員、一体どうしたの?」 

 リョウの問いかけと同時に拡大された怪獣の映像が映し出された。

「ああ! これって……!」

 ナカジマは映像を先に見たためか、先に気づいたようだ。

「……リョウ、映像をよく見てみろ」

「え……?」

 リョウはカリヤに言われた通りに拡大された映像を見た。

「これって……」

 それは見てリョウもすぐに理解した。

 怪獣の関節部分や四肢の繋ぎ目に、銀色の物体がこびりついていた。いやこびりついているというより、怪獣と融合していると言った方が正しいかもしれない。

 銀色で、所々に六角形の不気味な文様があった。

 それは、リョウとカリヤがかつて何度も目にし、何度も戦ってきた相手だった。

「スフィア……」

 リョウが呟いた。

「おいおい……ということは、こいつ、スフィア合成獣か!」

 カリヤが呆気を取られたように言った。

「じゃあ、もしかして、さっきのスフィアは全部囮だったというんですか?」

 ナカジマがそう言うと、カリヤは、ナカジマの予想を参考にして自身の予想を言った。

「スフィアによって迎撃システムを破壊された。つまり……」

 カリヤがそう言うと、コウダが続くように言った。

「それを見越しての基地への襲撃!」

 この光景を見て、リョウは簡単に決断することが出来た。

 リョウは通信機より、指令を出した

 

「各機に通達! フォーメーションデルタにて攻撃開始! 目標、スフィア合成獣!」

 

 その指令は、ただの攻撃命令ではなかった。これからの行動で火星の命運がかかっている――それだけ重要なものだった。隊員たちは、それぞれラジャー、と叫び、フォーメーションを組みつつ怪獣に急速接近していった。

 リョウは、眼前にいるスフィア合成獣を見て、去年のカリヤのやり取りを思い出した。

 カリヤが調査したスフィアに似た波長……あれは、やっぱり……このことを意味していたんだ、と。

 タイガがいない今、残った自分たちが何とかしなければ……! と、リョウは胸に秘めていた。

 それぞれがフォーメーションを崩さずに、ミサイルを含め、ジーク、ボルキャノン、ガイナーを放つ。

 だが、怪獣は、攻撃を一回食らった後、羽を広げ、空中へ飛び立ち、第二射を全てよけた。

 怪獣は、ガッツイーグルの動きを察知し、裏をとった。

「しまった!」

 敵は裏を取った。だが、機体に向かって攻撃することは一切せずに、飛び立った。

「わたしたちは一向に無視ってこと?」

 リョウが怪獣を見てそう言った。

「恐らくそうでしょう。さきほどの怪獣のデータも合わせて確認しましたが、そもそも怪獣は迎撃態勢をとってないんです」

 ナカジマの分析が各機に知らされる。

「それって……どういうことだ?」

 カリヤが問うた。

「分かりません。しかし、奴は我々を相手にしていないのは確かです」

「ちょっと待て、もしかして、怪獣が向かった場所って……」

 カリヤが叫んだ。その言葉の続きは、他の隊員にも分かった。

「予想通りだ! あいつ、基地の方へ向かっているぞ!」

 コウダが叫んだ。

 リョウは、再び命令を下した。

「全機! あいつを何としても止めるわよ!」

「ラジャー!」

 

 ガッツイーグルは全速力で怪獣を猛追する。

 だが、一向に距離が縮まる気配を見せなかった。むしろ、距離が離されていっている。

「何てスピードだ! これじゃ追いつけない」

 コウダが怪獣の速度に驚きを隠せないようだった。

「だったら、追尾ミサイルで!」

 リョウは、γ号に搭載されているミサイルを数発発射した。

 自動追尾システムを兼ね備えた高性能ミサイル。速度は怪獣に追いつけるはずだ。

 だが、それも無意味だった。

 怪獣は、ミサイルを認知すると、急旋回をして追尾ミサイルを振り払おうとした。

 乱雑な飛行が、ミサイルの正確な追尾を狂わせているのは間違いなかった。

 そして、怪獣が、横へ避けると同時に、ミサイルが怪獣を追尾することなく、地上で爆発四散した。

「こいつ……ミサイルの軌道を全部読んだ?」

 ナカジマが怪獣の飛行データを基に計算した結果を見て驚愕した。

「学習しているってこと……?」

 リョウが呟く。

「恐らく十四年前からの我々の戦いを分析していたんだろう。中々頭のいい奴になってやがる」

 カリヤは、離れていく怪獣の姿を見てそう言った。

 

 怪獣は、マリネリス、そして火星街の上空を一回旋回すると同時に、目から怪光線を発射した。

 光線は基地の戦闘機を格納しているハンガーに直撃し、そしてその直後に大きな轟音と共に爆発した。

 突然の怪獣の襲撃にTPC職員たちは適切な対応が出来ずに全てが後手とまわってしまった。

 反撃など出来るはずもなかった。スフィアの攻撃ですでに迎撃システムは意味をなさないのだから。

 怪獣は徹底的にハンガーを攻撃していく。ガッツイーグルが到着する頃には、基地のハンガーの大半が壊されていた。

 リョウは、基地に残った他の隊員が気がかりだった。

「ユミ隊員、ユミ隊員? 応答して!」

 リョウは通信機からオペレータークルーのユミ隊員の名を叫ぶが、司令室から通信が返ってこなかった。恐らく、攻撃を受けたと同時に司令室から離れてしまったかもしれない。

 リョウは、ユミが持っているW.I.Tに通信を入れた。

「……はい! こちらササベ!」

 ユミの声だ。良かった、無事のようだ。

「ユミ隊員? 無事だったのね!」

「はい! すぐに避難指示が出たので、職員たちとシェルターへ移動したんです。今は住民の避難を手伝っています」

「分かったわ。そのまま任務を続行して。わたしたちは何としてもあいつを止めるわよ!」

 隊員たちは、一堂に、ラジャー、と叫び、任務を続行した。

 だが、リョウの鼓舞は、その場限りの気合いにしかならなかった。

 怪獣は、こちらの機体の攻撃を全て読んで、攻撃を避けた。

 その動きは、まるでアスカやタイガが操縦しているような動きだった。機体を急旋回するにも大幅なGがかかる。咄嗟の動きで相手を翻弄することは不可能に近かった。

 無力だ……なんて無力なんだ……! と、リョウは自分たちが怪獣に対して対抗策にもなっていないことを悔やんだ。

 それでも、目の前にいる怪獣に攻撃を食らわせて止めなくてはならない。だが、攻撃は全て避けられる。無意味な行動だった。

 こんな時に、あいつがいてくれれば……、とリョウは内心思ってしまった。

 だが、それは、甘えであり、裏切りだった。

 決して思ってはいけない言葉だった。

 もうアスカはいない――ウルトラマンはもういないのだ。ウルトラマンを――アスカを頼ってばかりでは、人類は前に進めない。それはアスカに対する、いや仲間たちや人類に対しての裏切りだった。

 だが、それでももうそれだけの弱音を吐かなくてはならないくらい、無力さを痛感させられているのだ。

 怪獣は、S-GUTSマーズの攻勢を嘲笑うかのように、マリネリスのハンガーとそして、惑星間の唯一の交通網であるシャトルと発着場が破壊された。

 そして、そのまま飛び立った。

「どういうことだ。基地のハンガーばかりを壊しやがった。奴は一体何が目的だったんだ?」

 コウダが怪獣を見上げながら言った。

「ちくしょう……これじゃあ、地球との物資搬入がほぼ不可能になってしまった……」

 カリヤは、頭を下げた。

 これは、完全な敗北だ。何一つ応戦することも出来ずに地球への生命線が殆ど断ち切られた。

 隊員たちが項垂れている。だが、リョウだけは、上を向いていた。

「駄目……。駄目よ! 全機、怪獣を追って!」

 リョウの叫びに隊員たちが目を覚ましたかのように顔を上げた。

「どうしてだ、リョウ。今は、人々の安否が大事だろう?」

 カリヤが、問うた。

「違う! まだ終わってない! あの方角……あいつ、地球へ降り立つつもりよ!」

「なんだって!」

 カリヤは怪獣が飛び去った方角を見た。ナカジマは、怪獣の飛行ルートをデータに入力し、怪獣の降下予測ポイントを計算した。

「ああ……、このままだと、メトロポリス湾岸部に降り立ちます」

 ナカジマがそういうと、カリヤは、

「そこは確か、今、TPC各国の首脳会議が行われているはずの施設があるはずだ!」

 リョウは、カリヤの言葉など聞いてはいなかった。カリヤの言葉を遮るように再び指令を下した。

「ガッツイーグルを合体させ、ネオマキシマを始動させるわ! 何とかあいつの地球侵攻を阻止するわよ!」

 リョウの指令の元、ガッツイーグル三機を合体させた。三機が合体すると、ネオマキシマを始動することが出来、その速度はマッハ五十まで跳ね上がる。

 恐らく、怪獣の速度はそれと同等かそれより少し早い。立ち合いをうまくやれば怪獣を止めることが出来るかもしれない、とリョウは考えたのだ。

 ガッツイーグルはネオマキシマを始動させ、怪獣のいる場所まで飛んだ。

 怪獣は、真っ直ぐに地球へ向かっていた。

 既に怪獣出現の命令が出ていたために避難したのか、普段いるはずの作業員や宇宙船はその航路には一つもなかった。

 この状態なら、トルネードサンダーを打って足止めが出来る。

 ――そう思った矢先だった。

 ナカジマは、レーダーに一つの機影を確認した。

「何だ、これ!」

「新しい敵か?」

 カリヤが尋ねた。

「いえ、敵じゃありませんね。これは……そ、そんな馬鹿なことが!」

「どうしたの、ナカジマ隊員。何があったの?」

 リョウの問いかけに、ナカジマは震え声で答えた。

 

「た……大気圏近くに地球惑星間シャトルが航行しているんです!」

 

「何ですって!」

 リョウが驚愕の言葉を漏らした。

「馬鹿な! こんな非常時にシャトルを運航するなんてあり得ないはずだ!」

 カリヤの言う通りだった。

 非常事態宣言が発令された――それはつまり、TPCの研究部門、民間企業も含め、全ての業務を停止させ避難するという一つの義務だった。その間は、TPCの戦闘部隊が戦闘をスムーズに行えるように、全ての企業や一般人は例外を除いて協力、または避難をして一切の邪魔をしてはいけないという暗黙のルールがあった。

 だが、あのシャトルはその義務を全て無視して強引にシャトルを航行させたことになる。

 だが、それもまたあり得ないことだ。

 では、一体誰がシャトルを運航させた? それが最大の疑問になる。

 だが、ナカジマはそれよりももっと重大な事実を突き止めた。

「あのシャトルの中に少なくとも七十名ほどの乗客がいると思われます!」

「拙いわね……!」

 怪獣の向かっている先にシャトルが航行している。

 このままでは、シャトルは怪獣に為す術もなく轟沈してしまう。

 通常、一般のシャトルには武装は一切ない。その代り、航路を離脱して、近くの惑星間に緊急着陸するためのサポートシステムがあった。

 だが、それは、外部から操作することは出来ない。シャトルを動かしている機長がシステムを発動させなくてはならないものだった。

 リョウは、すぐさま、シャトルの通信回線を開き、パイロットに呼びかけた。

「こちらS‐GUTSマーズ隊長のユミムラ! そこにいるパイロット? 聞こえたら応答してください! 怪獣がそちらへ向かっています。直ちに緊急離脱シークエンスをとってください!」

 リョウが叫ぶも、相手から応答はなかった。奇妙なノイズだけが響き渡り、シャトルは一切の動きを見せなかった。

「シャトル! 応答してください! このままでは全員死んでしまいます!」

 リョウは何度も呼びかけた。だが、シャトルからは一向に応答がない。

 パイロットも乗客も逃げたのだろうか? と、リョウは考えたが、タヤマはすぐにそれを否定した。まだ乗客は誰一人として脱出していないという。

「シャトル! 応答してください! シャトル!」

「リョウ! もうだめだ!」

 カリヤがリョウの必死の呼びかけを止めた。

「怪獣の進路を強引に変更するしかない。全火力を全て怪獣に集中するしかない!」

 カリヤの提案は強引な方法だった。だが、シャトルが自ら動かないとなると、もはやシャトルではなく、怪獣の動きを変えるしか方法はなかった。

 リョウは、覚悟を決め、全ての攻撃を怪獣に集中するよう命令した。

 光線やミサイルの雨が怪獣に降りかかる。

 怪獣は、またも攻撃を見切ったのか、大半を躱す。流れ弾が当たっても、それは怪獣には何らダメージになっていないようだった。

「くそっ! 駄目だ!」

 カリヤが、攻撃を発射しながら言った。隊員たちは苛立ちを隠せないようだった。

 怪獣とシャトルの距離が狭まっていく。

「駄目……」

 怪獣に良心は一切ない。目の前のシャトルも怪獣にとっては邪魔者も同然だ。

「逃げて……」

 迷いというものが怪獣にあるのだろうか? という無駄な疑問がリョウの頭の中に過った。今まで戦ってきた怪獣に迷いはおろか、人類に対して同情心もなかったではないか。無意味なことだ。

「殺さないで……」

 今までも多くの名も知らない人間たちが死んだ。命乞いなど怪獣が聞き入れるわけがないというのは分かり切ったことだ。

 だが、それでも――。

 

「やめてええええええええええええええええええええええええええ!」

 

 リョウは叫んだ。

 もう二度と失いたくない。いなくなっていくのなんて見たくない。誰かが悲しむ姿はもう見たくないのに……!

 それでも、そんな思いすらも怪獣は無残に打ち砕く。

 宇宙空間に響き渡るように、その空しく、渇いたリョウの決死の懇願は――届くはずもなく。

 奇跡など起きなかった。起こる筈もなかった。

 頭を項垂れるリョウ。全てが砕け散った。

 リョウは、気力のないその手で通信を取った。

「……こちらS‐GUTSマーズ隊長ユミムラ。本部、応答願います」

『こちら本部』

 なんて言おうか、とは考えられなかった。不思議と頭が整理できていた。嘘偽りを言うことなんて出来るはずもない。

 リョウは、頭に浮かび上がった言葉をそのまま口にした。

「……大至急メトロポリス国際空港役員幹部、及び、TPC最高司令部に伝えてください。空港より出発した地球火星間定期シャトルが、怪獣によって破壊され、恐らく、乗客全員が死亡したと推測されます」

 

   5.

 

 メトロポリス湾岸部に位置する場所に、巨大な会議場がある。ここでTPCの参謀クラスや各国の首脳陣の会議が時より行われており、今まさにそれが終了したころであった。

 そこに窓際沿いの廊下を急ぎで歩く一人の女性がいた。

 イルマ・メグミ。

 TPC情報局参謀を務める数少ない女性参謀だ。

 イルマは、ある人物に会うために事前に時間合わせを行っていた。その時間にようやく、その人物と会うことが出来ることになったため、イルマはその人物がいる部屋へ急いでいた。

 イルマは、その人物にどうしても伝えなくてはならないことがあった。

 他の参謀には決して話すことが出来ないほど重要な伝言――自分が絶対に信頼できる人物にのみ話そうと決めていた。

 いや、そうするように指示されたのだ。

 

 イルマがその部屋にたどり着いたとき、中に人のいる気配がした。どうやら、先に到着して待たせてしまったようだ。

 イルマは、軽く扉をノックすると、中から豪快な声が聞こえた。

 イルマは、少しだけ肩の荷が下りたように感じ、緊迫した感情は少しだけ和らいだ。

「失礼します」

 と、イルマは入り際に言った。

 そこに、窓の外に見える水平線を眺めながら、両手を後ろに組んで待っている男がいた。

「やあ、イルマ参謀。お待ちしておりました」

 男は、イルマが入ってくるなり、イルマに歓迎の言葉を述べた。

「申し訳ありません、総監。私からお呼び出ししたのに、当の本人が遅れてしまいまして」

「いえいえ。待っている間、海を眺める機会に巡り合えましたから、何てことはないですよ」

 イルマは、その男――ヒビキ総監の言葉に微笑した。

 互いに椅子に座る。

「こうしてみると、以前も二人で話をしたことが何度かありましたな」

 ヒビキが突然昔の話を切り出してきた。

 もちろん、イルマもそれを覚えている。

「ええ、そうですね。確か、F計画に関する情報をお伝えしたんでしたね」

 ええ、とヒビキは頷いた。

 かつて、光の巨人の砂――通称アークを用いて人造のウルトラマンを造り出そうとTPC警備局が主流となって極秘裏に計画が進められていたことがあった。その際に、イルマはヒビキにその情報を伝えていた。

「あの頃は、私がまだS‐GUTS隊長で、イルマ参謀とは位が逆転していましたね」

「そうですね。でも今は、あなたが私たちのトップですから。時間が過ぎていったんですね」

「ははは。まあ、私は今でもあの頃のままですよ。総監の座についてからも、隊員気質が抜けている気配がないですから。きっと他の奴らも同じでしょう」

 イルマは、それを聞いて、少しだけ羨ましく感じた。

「ああ、失礼。世間話をしている場合ではなかったですね。確か、イルマ参謀から重要な情報があるとか」

「ええ。これはまだ誰にも知らせていないので。総監の胸の内に置いておいてくれると有難いです」

「ふむ。他の人には言わなくても大丈夫なのですか?」

「後ほど、私自身が絶対信頼出来る人たちに話すつもりですが、ですまずは総監には是非とも知っていただきたいことがあるのです」

 イルマの説明はどことなく必死さをヒビキは感じ取っていた。イルマが若干だが、汗を掻いているのが分かった。

 以前にF計画を伝えていた時ほどの冷静さが見られない。普段なら、冷静さを欠くほど声を震えさせるなんて今まで見たことがない。

 イルマ参謀をここまでにするということは、よほど重大な情報だということなのだろう。

「情報局で記録されるデータには、作成すると同時に必要のないトラッシュデータが生成されるのはご存知だと思いますが……」

 イルマの前ふりにヒビキが確認する。

「ええ。ですが、それらのトラッシュデータは、データ保管時にシステムによって自動的に消去されるものですよね」

 その通りです、とイルマは返す。

「それと、これもご存じのことかと思いますが、システムがトラッシュデータ消去する容量が決まっていて、それを超えると、いくつかのトラッシュデータが残ってしまいます」

「ええ。ですから、残ったデータも管理官の下で一時的にデータを移し替え、システムが再びデータ容量を回復させた後で、またデータを元のフォルダに移動させてデータ消去を開始する仕組みのはずですが……」

 それが一体どうしたのだろうか、とヒビキは尋ねた。システムが時々、不具合で一時的

 に修理されることはしばしばあるが、それ以上の問題はこれまで一切なかったはずだ。

「実は、先日のことです。丁度私が情報整理の為に管理官と共にデータを閲覧していて、一つだけ、妙なトラッシュデータを発見したんです」

「妙なトラッシュデータですか?」

「トラッシュデータにしては容量がとてつもなく重いデータです」

「それは……」

 トラッシュではないということだ、とヒビキは予想した。

「正確には、トラッシュデータに見えるように偽装されたデータです」

「つまり……隠されたデータですか」

 ヒビキの問いにイルマが頷いた。

 データの隠ぺい――紛れもなくTPC内の何者かが何等かの目的で作成したと考えられる。

 上層部にも報告がない――となると、明らかに極秘情報の類を扱ったデータだ。作成した本人に何等かの処罰があってもおかしくない行為だ。

「データの解析は出来たんですか?」

「解析係の職員に個人的に依頼はしてみたんですが……どうやら、特殊なアルゴリズムで組み込まれたロックを二重三重と、厳重に封印されている――ブラックボックス化しているデータだと分かりました」

「ブラックボックス……ですか」

「ごく一部の人間を除いて、総監参謀、閣僚クラスの人間にも閲覧することが出来ない最高機密事項の情報を保管する際に利用しているものです」

 つまり、イルマでも閲覧する権限を持つことが出来ない重要データがTPCには存在するということになる。

 どうやら、TPC内でもそれなりに裏の姿があるということなのだろう――それはかつてS-GUTSにいた頃からは実感していたことであった。

「今ならヒビキ総監になら言える情報もあるのですが……私もかつてサワイ元総監の元で光の巨人に関するデータを最高機密要項として厳重保管した経緯があります。ですが、これは……」

「――情報局主体ではなく、別の局の誰かが無断で情報局に報告せずにブラックボックスデータを作成し、さらにトラッシュに偽造して保管していたということですか?」

 ヒビキの予想は大幅に当たっていた。イルマは、少しの間考えるようにヒビキから目をそらし、そして頷いた。

「データは情報局の方でマークはしています。次にデータを使った端末が現れれば、追跡するように準備はしています」

 要するに、後は相手がまた餌に食いつくのを待つだけということだ。

 しかし、おかしい、とヒビキは思った。

 今までのイルマの報告は確かに重要な情報だ。だが、以前のF計画のような一種の陰謀めいた情報と考えると、これは最重要といえるほどのものではない。

 まだ何か、イルマは伝えていない情報があるのではないか? と、ヒビキは感づいた。

 イルマは、ヒビキの考えに応えるかのように、説明を続けた。

「問題は、データがいつ作成されたかなんです」

「いつ? というと、かなり前に作成されたということですか?」

 イルマは頷く。

「情報局がこういったデータを見逃すはずがないんです。現に最終的な確認のために、データを検索する際に私が自身の閲覧権を用いて、アカシックレコードでデータ検索しているはずなのに、これに気づくことが出来なかったのはおかしいんです」

「一体いつに作成されたものなのですか?」

 ヒビキが尋ねた。

「……昨年の『アスカ記念日』の前日です」

「『アスカ記念日』の前日……!」

 ヒビキがそれを聞いて、思い出したように言った。

「何か、心当たりがあるんですか?」

 イルマがヒビキに尋ねる。

「……偶然かどうかは分かりませんが、私の方でも、昨年の『アスカ記念日』の前日にある報告を受けていたんです」

「ある報告……?」

「S‐GUTSマーズの隊員――かつての部下のカリヤがマリネリスの近くで妙な波長をとらえたという報告があったんです」

「妙な波長?」

「ええ。それを解析したところ、あの球形生命体――スフィアと酷似していたということだったのです」

 イルマは、口を噤んだ。

「その後は、波長は完全に消え、それ以降も何も起こらなかったことから、一応警戒はしていたんですが、特に何も起こらなかったのです。そして、今年に入って警戒態勢を解いていたのですが……」

 これは偶然なのでしょうか……、とヒビキが問いかけた。

 イルマは、ヒビキの言葉を聞いて一つの仮説が真実味を帯びていることを確信していた。

 だが、それを説明するには根拠が必要だ。相手に納得させるだけの強い根拠が。

 しかし、イルマの根拠は、現実的なものではなかった。

 だが、ヒビキなら――今まで光の巨人と共に戦ってきたこの人なら――。私の話を信じてくれるかもしれない。

 イルマは思い切って、話を切り出した。

「恐らく、それは……偶然ではないのかもしれません」

「というと……何か証拠があるのですか?」

「確証に至るというほどの証拠はありません。何せ……私が昨夜見た夢が、私の言う根拠ですから」

 イルマは、昨夜の出来事を話し始めた。

 

 昨夜のことだった。

 イルマが就寝したのが、深夜一時を回った頃であった。

 その日、情報局で整理されたトラッシュデータを削除していた。

 本来なら管理官にやらせるべき仕事なのだが、責任感の強いイルマは、後で管理官に渡す方が、効率がいいと考え、先に終わらせておこう、と決めて作業をしていたのだ。結果、思っていたよりも多く残っていたトラッシュデータを消すことになり、結局深夜までかかったのだ。

 あの謎のブラックボックスデータの解析を含めて考えると、全くといっていいほど成果は出ていない――完全な手詰まり状態だった。

 そんな矢先だった。

 イルマは、眠りにつくのに時間はかからなかった。

 目を閉じて、一呼吸入れた頃には、もう完全に眠りに入っていた。

 その時、イルマは夢を見た。

 夢の内容を話せば、周りからはそれは何て不思議な夢だ、と言うだろう。

 だが、イルマにとって、それは三度目であり、特別不思議に思うことはなかった。

 

 イルマは、夢の中で、彼女に――ユザレと邂逅したのだ。

 

 漆黒の闇に瞬く星々。どこかの草原だろうか、星が煌めいていた。

 その星々の下で一人、銀色の一枚服を身に纏い、その流れる髪もまた銀色に輝いていた。

 服装と髪型を除けば、姿形、その容姿までもがイルマと瓜二つの女性――それがユザレだった。

 ユザレは、三千万年前の超古代文明に生きた女性であり、GUTSに怪獣の出現を予言した。

 そして、さらに、邪神の復活もイルマに告げ、そしてイルマは知らないが、マドカ・ダイゴに闇の巨人についての警告もしたことがあった。

 ユザレは、未来の予言者に等しい存在だった。

 そのユザレが、夢の中とはいえ、イルマの目の前に現れたのだ。

「あなたとまた話をするのは、あなたの世界の時間からして『何年振り』と言えばいいのかしら?」

 ユザレは、優しそうな声でイルマに呟いた。

 イルマは、もう覚えていないわ、と言いながらも、懐かしさからか微笑んだ。

「どうやら、世界は、一つの試練を乗り越えたようね」

「いいえ。乗り越えていないわ。まだまだ、これからよ。これから、本当の意味で光の巨人が現れなくてもいいような世界を作ることで、本当に世界は試練を乗り越えたことになるのだと思うわ」

 イルマは、夜空を見上げた。

 だが、ユザレは、イルマの言葉を否定する。

「いいえ。まだよ。まだ、あなたたちは本当の意味でこれから起こる災厄に立ち向かわなければならない」

 ユザレは、災厄と言った。

 それは、一体どういうことなのだろうか、と問いただしたいだろう。だが、イルマは、今まで経験してきた数々の激戦で培った感から、ユザレが次に何を言おうとしているのかが分かった気がした。

「また、新たな敵が来るというの?」

 イルマはユザレにそう言った。

「いいえ。新たな敵というのは間違いかもしれない。これから起こる災厄は、今まで以上に強大で、絶望に満ち溢れている」

「絶望……?」

「そう。光の巨人が、わたしたちが命懸けで守ったものが全て無意味だったと思い知らされるほどに」

 ユザレのそれはまるで終末への予言のように聞こえた。

 これから来る敵は、ユザレや光の巨人を以てしても勝てない、と遠回しにそう言っているように聞こえたのだ。

「今まで起きた戦いの数々は、全てこれから起こる災厄の為の前準備だった。わたしたちはそれを分かっていながら、目の前にある闇にだけ対処をしてしまった」

 ユザレは、次々と弱音を吐いていく。

 本当に、彼女はユザレなのだろうか、と疑問に思えてくるほど、彼女は弱弱しかった。たとえ、勝てない災厄が起きたとしても、彼女は、イルマたちに道しるべを与えてくれてきた。

 だが、今はそれがない。

 本当に勝てないから、諦めていいものか? いや、元からそうあってはならない。それは、イルマ自身が、かつての仲間たちから教わったことだ。

 イルマの目は、真っ直ぐだった。

「だからと言って、私たちは足を止めることは出来ないわ。例え光の巨人がいないとしても、彼は――ダイゴ隊員は言っていたわ」

 

『人間は、自分自身で光になることが出来る――』

 

 それは、ダイゴが巨人の力を失った時に言った言葉だ。人は光になれる――それは十四年前に、決して奇跡なんかではないと証明されたものだ。

「だから、私たちは、人類は諦めてはいけないのよ。この先の未来をつかむためにも。新しい時代を築くためにも」

 それは、紛れもない、イルマの――人類の言葉だった。

 それがユザレにどう届いたかは分からない。だが、少なくとも、古代人の心にも届かせることは出来たはずだ。

 ユザレは、イルマにこう告げた。

「近い日に、空を切り裂く怪獣が復活する。それが災厄の序章」

 空を切り裂く怪獣。それは、まさか……、とイルマは考えるが、今はユザレの予言を聞くのが先決だ。イルマは再度耳を傾ける。

「だけど、また――再び光の巨人が蘇り、そして、決して勝つことの出来ない大きな災厄と戦うことになる。だけどあなたたちなら、或いは……可能性があるかもしれない」

 

 それが夢の内容だった。

 ヒビキは、イルマの夢の内容を真剣な表情で聞いていた。

「まるで馬鹿馬鹿しい夢物語かもしれません。けど、確かにあのホログラフに出ていた『ユザレ』と名乗る超古代の人間だったのです。私の人生の中で三度も現れて、私に予言を残していった。今までの不穏な空気と一緒にこれを聞かされたら、いてもたってもいられなくなって……」

「それで、せめて私だけでも……と?」

 イルマは、微笑みながら頷いた。

 本当に、根拠も何もない――まるで子供みたいな話だ。参謀としてあるまじきことだろう。

 だが、ヒビキは真剣な表情で答えた。

 

「私は、イルマ参謀の言葉を信じます」

 

「ヒビキ総監……」

 ヒビキはイルマの唖然とした顔に笑いながら言った。

「何を隠そう、私も自分の部下が、光の巨人となって私たちと一緒に戦っていた。それだって、一つの夢物語のようなものです。現実にはあり得ない――本当に馬鹿馬鹿しいことだったかもしれませんが、あれが、私にとってどれだけ大きなものだったか分かりません」

 結局我々は、その程度の人間なのではありませんか? と、ヒビキは言った。

 イルマはヒビキの回答に少しだけ救われた気がした。

 そうだ。

 今なら、人類は、大きな障壁だってきっと乗り越えられるはずだ。

 光の巨人がいなかったこの十四年間に人類は多くのものを培ってきたのだ。

 今ならきっと――。

 

 その瞬間だった。

 突然、扉を激しく叩く音が聞こえた。

 扉が乱暴に開かれると、そこには、TPCの職員と思しき男がいた。

 服装からして、警備局の人間のようだ。

 ヒビキとイルマは、職員の形相から、どうやら並々ならぬ異常があると察した。

「どうした!」

「き……緊急事態です! 先ほどマリネリスより通信が入りまして。火星にスフィア及び怪獣が出現、基地及び火星街を強襲したとのこと!」

「何だって!」

 ヒビキとイルマは顔を見合わせた。

 もしかしたら、イルマがユザレから聞いた予言がすでに始まったことを意味しているのかもしれない。

 だが、それを確認することは、今は出来ない。

 ヒビキは、総監として、今、やるべきことをやるだけだ、と意思を新たにした。

「被害状況はどうなっている」

「住民、及び隊員たちはほぼ全員避難シェルターへ避難できたと報告を受けています。しかし、反撃が間に合わず、基地のハンガー及びシャトルや発着場が破壊されたとのことです」

「地球への航路を断ったということか……厄介な相手だな」

 ヒビキはそう呟いた。

「怪獣はその後どうなった?」

「はい……火星を飛び立った後、今度は地球へ向かっていると」

「ならば、S‐GUTSに出動要請を。怪獣を索敵次第、攻撃開始するように!」

「ラジャーしました」

 しかし、火星への航路が断たれたのは大いに痛手だ、とヒビキは痛感していた。あそこはネオフロンティア時代の象徴とも言える場所だ。物資がまともに運搬出来ないとなると多くの人々やプロジェクトに携わっている企業に不安を与えかねない。

「復旧作業にかなりの時間がかかるでしょうね」

 と、イルマは付け足すように言った。ヒビキは、そうですね、と肯定した。

 宇宙エレベーターはまだ、月と水星にしかまだ繋がっていない。現在火星に向けて工事を進めているが、現段階での物資運搬はシャトルで賄われているのが現状だ。そのシャトルが破壊され、さらにシャトルの代用となる戦闘機まで壊されてし合ってはどうにもならない。

「そ……それと、もう一つ報告することがあります」

 職員の表情がさらに暗くなった。どうやら、火星の被害より重大らしい。

「先ほど、S‐GUTSマーズのユミムラ隊長から報告がありまして……地球から火星へ向かうシャトルが怪獣と接触し……シャトルは完全に撃沈、乗客は全員、死亡とのこと」

「何ですって!」

 今度はイルマが声を荒げた。

「どうして、シャトルが……!」

「もしかして、非常事態宣言発令時が、シャトル出発の直後だったのでは?」

 ヒビキがそう予想する。

「仮にそうだとしても、すぐにパイロットに帰還するように言われるはず。それなのに何故……」

 イルマは、困惑を抑えられなかった。

 地球火星間のシャトルは乗客数が平均でも五十人以上だ。となると、それ以上の人を亡くしたことになる――大参事だ。

 時が止まったかのように沈黙が流れた。次に誰が口を開くのか、誰にも予想できなかった。

 その時だった。開いた扉からもう一人男が現れた。

「――君! いるか!」

 イルマと、ヒビキ、そして職員が一斉に声のする方へ顔を向けた。それは誰もが見知った顔だった。

「ウチダ副参謀」

 ヒビキがその顔を見てようやく口を開いた。

「あ……ああ、これは総監とイルマ参謀でしたか。申し訳ありません。突然お邪魔してしまって」

「ああ、いや、それは大丈夫だ。それにしても、ウチダ副参謀がどうしてここに? 確かあなたは、今日は研究所にいたはずじゃ……」

「ああ、そうなんですが……ここに特別研究員の子が来ませんでしたか?」

「特別研究員?」

 ヒビキが、一体誰のことか一瞬検討も付かなかったが、イルマの説明ですぐに思い出した。

「確か、去年の会議で一人、火星から招待された天才児ですよね?」

「ああ、そうでしたな。確か、火星で植物の研究をしているマドカ・ダイゴの息子とか」

 ダイゴ隊員の――、とイルマは聞こえないように小さくつぶやいた。そういえば、特別研究員としてもしかしたら、そちらに伺うかもしれない、ということをダイゴから言づけていたのを思い出した。

 結局、会えずじまいになってしまったが。

「彼が一体どうしたんですか?」

 ヒビキがウチダに尋ねた。

「いや、あの……火星襲撃の件を彼に話したんですが……。どうやら彼は物凄く混乱していたのか、そのまま研究施設を飛び出していってしまったんです」

「飛び出した? 一体どこに行ったか分かりますか?」

 ヒビキが再び尋ねる。

「いや……もしかしたらここに来ていると思ったんですけどね。何やら火星の状況をいち早く知りたがっていたようなので、もしかしたら情報局をあてにして、こちらで会議をしているイルマ参謀に取り入ったと思ったんですが……どうやら違うようですね」

 イルマは、会っていないことをウチダに伝えた。ウチダは、じゃあ、一体どこにいったんだ、とぶつぶつと考え始めた。

 イルマは、この時、最悪のケースを考えていた。

 いち早く火星の情報を知りたいのなら、確かに情報局やTPC上層部から聞くのが定石だろう。

 だがもしそれが、すぐに出来なかった場合、一体それ以外でどうやって火星の状況を知ることが出来るのか。

 ――わたしなら、直接現場に赴く。

 では、一体何で? 

 ――隊員なら、特務チームの機体を使うだろう。

 だが、研究員の場合はどうなる?

 ――シャトルを使うのではないか?

 まさか、とイルマは、窓の外を見つめた。

 もしかしたら、あのシャトルの中にいたのでは、という考えたくもない仮説が頭に過った。

 だとしたら、もう彼は……。

 ああ、どうしたらいいのだろう、とイルマは思う。ダイゴに一体何を言えばいいのか?

 いや、まだ確証はない。だが、確証はなくとも、そうとしか考えられなくなっている。まだ別の仮説があるはずだ。探せ、探せ、とイルマは必死で頭を回転させる。

 だが、これを超えるだけの最高の仮説が思い浮かばない。

 イルマは、こみ上げてくる焦燥感と戦っていた。

 

 その刹那。遠くから怪音が聞こえた。

 

 イルマも含め、ヒビキ、ウチダ、そして職員が窓の方に一斉に向いた。

「今の声は……」

 ヒビキが言った。

 誰もが――イルマを除いて聞いたことがない甲高い声。

「嘘でしょ? もう来たというの?」

 イルマが、そう言ったその時だった。

 空中から、大きく旋回しながら、ゆっくりと速度を落とし、滑走路に着陸する飛行機のように、地上へと、それは降り立った。

 大きな翼。鋭い鉤爪と嘴。高い怪声。

「か……怪獣!」

 職員が叫んだ。

 全員が戦慄した。十四年ぶりに舞い降りた、地球を滅ぼさんとする怪獣。その姿をイルマは忘れられるはずもなかった。

 かつて、ユザレが最初に予言した「空を切り裂く怪獣」と称した古代怪獣。

 

「……メルバ!」

 

 イルマは、そう叫んだ。

 超古代怪獣メルバ。かつて、ウルトラマンティガによって倒されたはずの怪獣。何故今になってまた現れたのか。そして、何故地球の怪獣が宇宙から飛来したのか。

 その答えは、ヒビキの言葉が教えてくれた。

「怪獣の四肢や関節に付着しているあれは……もしかして、スフィアのものでは?」

「スフィアがメルバと融合した……でも、どうして?」

 ウチダが聞いた。

「恐らく、この時を待っていたのでしょう。光の巨人がいなくなった今、残った勢力でも勝てるという算段を立てて……」

 イルマはそう説明した。

「あいつが、シャトルを……!」

 ヒビキは怒りを抑えながら言う。

「逃げましょう! 総監、参謀! このままでは……!」

 ウチダが、ヒビキとイルマに避難するように促す。

「待ってください。まだ避難も何も完了していないんです。私たちが現場を離れるなんて」

 と、イルマがウチダの提案を否定した。

「しかし、今は逃げることしか出来ないですよ! 迎撃システムを完全起動させるのに数

 十秒。ここからS‐GUTSを要請しても一分はかかります! その間に怪獣がこの施設を襲うのには十分すぎる時間です!」

 そう。

 万事休すなのだ。

 一切の助け舟も、逃げ道を確保するにも、何一つとして、時間が邪魔をしているのだ。

 このままだと、全員が殺されてしまう。

 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。

 ヒビキとイルマの覚悟は決まっていた。

「だったら、俺たちが出るまでだ。そうですよね、イルマ参謀」

 ヒビキの提案にイルマは微笑んだ。

「ええ。私も、同じことを考えていました。

 二人は、それぞれ念のために所持していたガッツブラスターに弾を装填した。

 二人は戦う用意が出来ていた。

「ちょ……ちょっと待ってください! まさか、戦う気じゃないですよね」

 ウチダは、慌てて二人を抑えようと必死だった。

「やめてください! 総監と参謀が前線に出て、万が一死んだりしたら、元も子もありません! どうかやめてください」

 ウチダの言葉は、馬の耳に念仏だった。

「すまんが、ウチダ副参謀。俺たちは一体、どこに所属していたか、知らないとは言わせないぞ」

 と、ヒビキはにやりと笑った。

「これでも、元GUTSと元S‐GUTSの隊長よ。それなりに修羅場はくぐっているわ」

 と、イルマも続けていった。

「まあ、そういうことだ。俺たちなら怪獣の足止めにはなるはずだ」

「ですが、総監!」

「任せとけ。お前は職員の避難に尽力しろ」

 ヒビキが言ったその瞬間だった。

 メルバが先に動いた。

 メルバは、目に力を溜めた。メルバの代名詞となる怪光線――メルバニックレイを放とうとしていた。

 そこから、運命の瞬間まで、走馬灯のようにゆっくりと時が動いた。

「しまった!」

 イルマが、叫ぶと同時に、ヒビキが窓まで駆け寄る。

 窓を開けて、ガッツブラスターを構える。それに続いてイルマが続いた。せめて、攻撃を一瞬でも止めることが出来れば!

 防衛システムの起動も、その一瞬の間が出来れば間に合うのだ。

 だが、メルバの動きを止めたのは、ヒビキやイルマの一撃ではなかった。

 

 光が、現れた。

 

 突如現れた光が、一気にメルバの元へ高速で移動した。

 速度は落ちない。ただ、メルバに向かって真っすぐと、向かい、そして――。

 

 光は、メルバの巨体を数十メートル弾き飛ばした。

 

「何だ、あれは!」

 ウチダが叫ぶ。

 光は、目を覆い隠すほど煌々と輝いていた。職員やウチダが、あまりの眩しさに目をつむった。

「あれは……」

 ヒビキが、片手で顔を覆った。指の隙間から、わずかに漏れる光を何とか見つめる。

 だが、イルマだけは、顔を覆わず、その光を――光の向こう側いるその姿を凝視していた。

 懐かしく、そして皆に希望を与えてくれた――人類にとって最後の砦。

 かつて人類と共に、多くの凶悪怪獣や異星人から宇宙の平和を守るために戦った。

 もう一度、絶望の淵に落ちた人類に手を差しのべ、わずかな可能性をも無限の可能性に変えてくれる守護神。

 イルマは、その姿を見て呟いた。

「光の……巨人……」

 

 やがて、光が消えていく。その輪郭が露わになる。

 ああ、それは――皆が知っている。皆が心の中にその姿を記憶している。

 忘れるはずもない。忘れられるはずもない。

 大いなる闇から人類を救った世紀の英雄――。

 

 ウルトラマンティガが、再び人類を救うために、再び人類の可能性となって舞い戻ってきた。

 

 帰ってきたのだ。

 

 




其の2終了
其の3へ続きます。


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其の3

これで最後です。
長くて本当にすみませんでした。



  6.

 

   *

 

 覚えているのは、波に揺られているかのような感覚に陥っていたということと、不思議な女性と出会ったことだけであった。

 体はまるで空気。

 意識はまるで鉛のよう。

 僕は、一体どうしたんだっけ? 

 ツバサは自問自答を繰り返した。

 これまでの記憶が曖昧になってしまっている。自分はどうやってここまで来たのか、どうしてここにいるのか、理解できていない。

「それは、あなた自身がすでに終わりを迎えているからよ」

 どこか近くで女性の声がした。

 今まで聞いたこともない人の声だった。

 一体どこから聞こえているんだ……と、ツバサは、ゆっくりと目を開いた。

 景色は、無かった。

 辺り一面が白に覆われていた。眩しすぎるほどの閃光を放っている。だが、ツバサは特に眩しさを感じなかった。

 ゆっくりと、体を起き上がらせる。

 ツバサは、そこで、自分の体が発行していることに気が付いた。

 服も肌も、何もかもが見えない。自分自身が光の発行体だった。

 四肢はしっかりとある。だが、それが一体誰のかという判別が全く出来ない。

 訳が分からず、ツバサは混乱することしか出来なかった。

 その時だった。

 ツバサの眼前に一人の女性が現れた。

 女性は、ツバサのように発光もしていない。輪郭も色もしっかりとついていた。

 銀色の服に銀色の髪。明らかに現代の人間の姿にしては、違和感がありすぎる。どことなく古い感じがした。

 だが、それとは別に、どこかで会ったことがあったような、懐かしい感じがした。どこか落ち着く感じがする――妙に安心感だった。そのおかげで、ツバサは落ち着きを徐々に取りもどしていった。

「あなたは……一体……。それに、ここは……」

 ツバサは辺りを見回した。どこを見ても、景色はない。いや、むしろ、この空間はどこまで続いているのかすら分からなかった。

「私は、地球星警備団団長ユザレ。マドカ・ツバサ。あなたと会うためにここにあなたを召喚した」

「ユザレ……?」

 また懐かしい響きがした。

 どこかで聞いたことがあるような名前だった。いつだったか、どこかでその名前を耳にしたことがある。

 だが、ツバサが不可思議な感触に襲われている最中、ユザレは淡々と質問に答えていった。

「ここは、生者と死者が交わる場所――」

 ユザレはそう答えた。

 ツバサは、ユザレが何を言っているのか分からなかった。

「ええと……つまり?」

「あの世とこの世の境目と言った方が分かりやすいかしら。そちらでは三途の川と名称されているものよ」

 三途の川、なるほどそれなら分かる。

 納得したのもつかの間、ツバサは、その言葉の意味をすぐに理解した。

「つまり……僕は死んだと?」

「有り体に言えばそうなるわね」

 そんな、とツバサは頭を抱えた。

 どうして死ななければならなかったのか。どうして死んだのか。ツバサはその理由も原因も思い出せなかった。頭に靄がかかったように記憶を引き出せない。

「そんなはずはない。脳の記憶領域にあるものだぞ。忘れたというのは、うまく引き出せていないからだ。何かきっかけがあれば、すぐにだって……!」

 ツバサは一人でぶつぶつと呟いた。

 ユザレは、ツバサが何を知りたいのか察した。

「あなたは、火星へ向かう途中で、怪獣に襲われて、シャトル諸共爆散したのよ」

 ユザレの一言が、ツバサの頭を鮮明なものにした。

 これ以上ない単純明快な回答が、ツバサの記憶を引き出す。

「ああ……そうだ。僕は確かにシャトルに乗って……それで怪獣に襲われて……。でも、どうして……?」

 ツバサはユザレを見た。ユザレの方が、自分の事情に詳しいと、感づいたからだ。

「ユザレ、と言ったな。僕があの後一体どうなったか、分かるというのか?」

 ユザレは頷いた。

「あなたは、あの後、怪獣に襲われて亡くなった。体も全て塵になった。あなたの魂は、そのまま常世に向かうはずだったのを、私がここまで連れてきたの。ただ、あなたをここに留まらせるためには、また現世との繋がりを作らなくてはならなかった。だから、あなたの魂を私の手で召喚させるという手段をとったのよ」

 それが、この今よ、とユザレは説明した。

「つまり、死ぬはずだった僕を、半分生き返らせたということか?」

「実際はまだ死んでいる。あなたは肉体をまだ持っていないから、今はまだ魂だけの状態」

「魂だけ? だって、僕の体はここにあるじゃないか」

 ツバサは、両手を差し出して、自分の形があることを説明する。だが、ユザレはそれをも論破していった。

「それはあなた自身が生前の形をイメージしているだけ。そのイメージを脱ぎ捨てれば、元の魂の形になるわよ」

 非論理的すぎる、とツバサは吐き捨てた。

 宗教を馬鹿にしたいわけじゃない。完全に信じないわけじゃない。

 ただ、目の前に実際に起こっていることが、その宗教に則っているものだとは、一見では、納得できなかった。

「じゃあ、僕の体はどうなるんだよ! 肉体が無くなったんだろ? 一体どうやって体を手に入れればいいんだよ!」

「その心配はないわ。肉体はすでに用意してあるわ」

「どういうことだよ、それ……。それってもしかして、死体じゃ……しかも腐敗しているものじゃないのか!」

 ツバサは、ユザレに質問する。ツバサには、頭で考えられないほど多くの質問があった。

 だが、ユザレは、ツバサが納得出来る時間すら与えなかった。

「色々聞きたいことがあるのは分かるわ。でも、今は時間が無いの」

 ツバサは、困惑しながらユザレを見た。

「今、正にこの瞬間に、人類が乗り越えなくてはならない巨大な闇が押し寄せようとしてる」

「巨大な闇……?」

「それを止める可能性があるのは、光の巨人だけなのよ」

 意味が分からなかった。

 光の巨人が、巨大な闇を止める可能性があるというのは、何となく分かる。何故なら、これまで人類はその光の巨人と共にその闇と戦ったからだ。

「でも、光の巨人はもういないじゃないか。アスカ・シンは、そのまま闇に飲み込まれていってそれっきりだ」

 そうだ。

 アスカ・シンは――英雄はもういない。

「アスカ・シンを探し出してほしいのなら時間が必要だ。彼が行ってしまった向こうの世界の次元を、算出する方法を実用化しなければどうにもならない」

 ツバサは、ユザレに怒鳴るように言い返した。

 だが、ユザレは眉ひとつ動かない。一切動揺していないようだ。

「私が言う光の巨人とは、多分あなたが言っている巨人とは違うもののようね」

「違う?」

 ユザレは、ツバサに向かって指をさした。

 

「光の巨人とはあなた――マドカ・ツバサ、あなたのことを言っているのよ」

 

 体が硬直した。

 ツバサは、ユザレが何を言っているのか理解するのに時間がかかった。

「僕が、光の巨人? 何を言っているんだ。僕にそんな力なんて……」

「力じゃない。あなたの血がそうであるの」

「僕の血? どういうことなんだ?」

 ユザレはツバサの質問を遮るように言葉をつづけた。

「かつてあなたの父がそうであったように、あなたにもそれが受け継がれているの」

 さらにユザレは続ける。

「もう彼には光になる力はない。だけど、あなたになら、過去への伝聞者たるあなたになら、これから起こる災厄を阻止できるかもしれない」

 ユザレは、右手を広げ、ツバサの胸にあてた。

 その瞬間、さらに眩い光がツバサを包み込んだ。

「な……何だこれは!」

「あなたに突然押し付けるようで本当にごめんなさい。でも、もうこれしか道がないの。これからの人類を、宇宙を守るためには」

「ちょっと待ってくれよ! 全然意味が分からないぞ!」

 ツバサは、ユザレの両肩をつかんだ。だが、ツバサの手がどんどん宙に浮いてくる――いや、体ごと宙に浮いているのだ。

「今は分からなくてもいつか分かるわ。でも、これだけは出来れば覚えておいて! あなたの光は、まだ完全なものじゃない! もしかしたらどこかで不安定になる場合もあるかもしれない。でも、あなたが何を守りたいのか、何のために戦わなくてはならないのか、決して見失わないで! そうすれば必ず光はあなたを助けてくれるから!」

 ツバサの体は、どんどん速度を上げてユザレから離れていく。抵抗しても、落ちる気配を見せない。

 ユザレが遠くなっていく。まだ、彼女に聞きたいことは山ほどあるというのに。

 光がさらにツバサを包み込んでいく中で、ツバサは、ユザレの最後の言葉を耳にした。

 

「決して、あなたが光の巨人であることをたとえ信頼できる人物であったとしても、誰にも言うことはしないで。その時が来るまではまだ――」

 

「大丈夫。あなたの味方はすぐ近くにいる。臆せずに前だけ進んで。決して立ち止まることはしないで」

 

 光は、ツバサの体、意識、そして心まで浸透していく。

 ツバサの、決して忘れることの出来ない瞬間だった。はっきりと意識が覚醒した時のことだ。

 あらゆる建物や人が小さく見えた。何もかもがまるでミニチュアで、一瞬、自分がどうなったか理解できなかった。

 だが、すぐに分かった。

 目の前に倒れてのたうちまわっている怪獣――自分を殺した怪獣が、そこにいた。

 これは、自分がやったのだ、とすぐに理解した。自分の手で、怪獣に一撃食らわせたのだ。

 そうやって自分の手を見る。明らかに人間の手じゃない。

 巨人の手。そう、巨人の手を自分が動かしている。

 いや、違う。

 巨人の手が自分の手なんだと、理解する。

 そこでツバサは確信した。

 

 自分が光の巨人になったということに。

 

   *

 

「ティガ……」

 イルマがそう呟いた。

「ティガ。アスカがダイナになる前に地球の平和のために戦った光の巨人……」

 ヒビキがイルマに続いて呟いた。

「しかし、どうして今になって……?」

 ウチダが尋ねた。

 だが、今はそれよりも重要なことがあるのを全員が察した。

「まずは、避難の確保だ。ウチダ副参謀が主導で皆を安全に確保してください。隊員は直ちに防衛ラインを構成すること」

 急げ、とヒビキが命令した。

 ウチダは困惑しつつも、ヒビキの命令に従い、急ぎ足で部屋を出ていった。その後に続いて、職員もいなくなる。

「指揮権は私に委ねてもよろしいでしょうか?」

 ヒビキはイルマに尋ねた。隊員の指揮なら、イルマの方が的確に行えると考えていたからだ。

 だが、ヒビキはあえて自分にやらせてほしいと頼んだ。

 イルマは微笑んで、頷いた。

「今は、あなたの方が、隊員を上手に動かせると思います。全て総監の指示に従います」

 と、イルマは、言った。

 ヒビキは、謙遜しながらも、感謝します、と言った。

 二人は、すぐに部屋を出ていく。

 向かうは、この施設にある防衛システムを総括する部屋だ。そこからヒビキが命令を下すのだ。

 ヒビキとイルマが入ってくると、防衛システムを管理している職員たちが敬礼する。ヒビキとイルマも敬礼で返した。

「状況はどうなっている?」

 ヒビキが尋ねると、職員は答えた。

「防衛システムは完全に起動が完了しています。先ほど、S‐GUTSと通信が出来ました。現在連携をとりつつ、迎撃準備を整えているところです」

 目の前にあるモニターから外部の映像が見えた。

 迎撃システムと、S‐GUTSが上空を旋回しているのが見えた。

 だが、肝心の怪獣は、目の前にいるティガの様子を見ているのか、次の行動がまだない。

 そして、ティガは、メルバに身構えるどころか、自らの手や体を見ていた。自分に違和感があるのか、メルバと戦う様子ではなかった。

「自分を自覚していない……?」

 と、イルマは呟いた。

 イルマの言葉は誰も気にせず、全員がモニターにくぎ付けだった。

 イルマは、あのティガが――ティガに変身している人間がまだ、自分が光の巨人であるということを自覚していないように感じていた。かつて、ダイゴがティガであった時は、すぐに怪獣と戦いに挑んだ。アスカ・シンが戦っていた時も、そうだった。

 だが、あのティガは違う。明らかに、自身がティガであることと、戦うための覚悟が出来ていない。

 恐らくユザレだろう。まだ覚悟が決まっていない時に、ティガに変身する力を与えたのだろう、と確信した。

 だから、困惑している。動揺が、見てとれる。

 だが、だからと言って、メルバがここで引き下がるわけでもなかった。

 メルバは、意を決したようにティガに向かって突進していった。

 地響きが鳴り響く。ティガは、メルバが向かってくる音でようやく前を向いた。

 だが、遅かった。

 ティガは、メルバの体当たりに対応することも出来ずにそのまま食らい、そして、倒れた。

 ティガはすぐに起き上がる。だが、メルバは反撃の速度を落とさない。

 メルバは、鉤爪を一撃、二撃とティガに与える。ティガは、防ぐ術も出来ずに、攻撃を受けた。

 火花が散った。だが、それはティガの強靭な体に傷をつけることは無い。

 ティガは、ゴロゴロと後ろへ転がっていく。だが、最後の回転で体勢を建て直し、後転して体を起き上がらせた。

 だが、それだけだった。ティガは反撃することなく、ただ怪獣をおびえるように見つめた。

 再びメルバが迫ってきた。今のティガには、戦う意志がない。攻撃を防ぐ手立てがティガにはない。

 だが、それでも。再びティガが戻ってきた。人類が再び迎えようとしている暗黒の時代を止めるのはティガしかいない。今はティガに頼ることしか出来ないのだ。

 イルマの横で、ヒビキが通信マイクを付けて、命令を下した。

「S‐GUTS及び防衛チームに全通達。光の巨人を――ウルトラマンティガを援護しろ!」

 

   *

 

 防衛システムが作動した。

 砲塔は、全て怪獣へ。弾薬は全てメルバに打ち込まれた。

 弾薬は火花を散らしてメルバに命中する。メルバは叫び声をあげるが、傷をつけるには程遠い。

 その中で、S‐GUTSのガッツイーグルがそれぞれ三機に分かれていた。

 出動しているのは四人――α号に隊長、β号に副隊長と隊員、そしてγ号にもう一人の隊員がいた。

「光の巨人……本当に来たんだな」

 隊長が、感慨深く見つめながら言った。

「ティガか……懐かしいな。まさかまた来るなんてな」

 副隊長が言った。

「副隊長はあの巨人のことをよく知っているんですか?」

「ああ、昔、餓鬼の時に上の従兄と一緒に助けられたことがあってな」

 隊員が副隊長の話を話半分で聞き流した。

「とにかく、攻撃命令が出された。相手が何であれ、ティガを援護するぞ」

「ラジャー!」

 隊長の指令と共に、ガッツイーグル三機は一気に攻勢に出た。

 

   *

 

 防衛システムとガッツイーグル三機による一斉攻撃は、メルバをティガまで届かないようにするための足止めには役に立っていた。

 だが、それでもメルバには致死的なダメージにはならない。

 メルバは冷静だった。砲弾が止み、次弾装填の隙をついて、正確にメルバニックレイを放ち、防衛システムを次々に破壊していった。

 S‐GUTSの連携攻撃でかろうじてメルバの足を止めているが、それでも確実にメルバはティガに近づいていた。

 逆に、メルバが足止めを食らっている今、ティガが動けば、メルバに間違いなく攻撃が通る。だが、ティガは混乱しているのか、ぴくりとも動かない。

 そして、メルバは、防衛システムがほぼ全壊したと同時に翼を広げ、空中へ浮かび、ティガに突進していった。

 食らってはいけないという反射か、ティガは咄嗟に回避運動をとる。右斜めへ前転して体制を整えようとする。

 だが、間に合わない。

 体勢を整える前に、メルバは、すぐさま旋回してティガに再度襲い掛かったからだ。

 嘴がティガの胸をとらえた。火花が散り、ティガは再び倒れた。

 メルバは、ティガのすぐ近くに降り立ち、再び鉤爪で幾度となく、攻撃を繰り返す。

 S‐GUTSの応戦も空しかった。

 一瞬攻撃を止めることは出来た。だが、それだけだった。メルバは、今度は相手を逃さなかった。

 メルバニックレイ。

 今度は確実に、突いた。

 副隊長が乗るβ号に攻撃が当たったのだ。

「エンジン部分に被弾! コントロール不能!」

 隊長からの通信だった。ヒビキは、即座に脱出命令を下した。

 それと同時に、副隊長は、隊員と共にすぐさま脱出をする。機体は、湾岸へ墜落していった。

 メルバの攻撃は止まない。ティガへの猛攻撃は留まる事を知らなかった。

 そして。

 メルバの鉤爪が、再びティガに襲い掛かった。

 凄まじい斬撃音がティガに炸裂した。

 メルバの渾身の一撃で、ティガは数十メートル後ろへ吹き飛んだ。

 ティガは再び倒れ、そしてのたうち回った。その痛々しさは、メルバの攻撃がどれだけ効いたかを物語っていた。

 そして、ついに胸のカラータイマーが点滅を始めた。

 メルバは、一歩一歩確実にティガに近づいて行った。今度は完璧にティガを仕留めることが出来ると確信しているのか、その歩みは遅い。まるで強い自信と殺意が込もっているようにも見えた。

 司令室から、ヒビキやイルマは、防衛システムが瓦解した今、ティガを心の中で応援することしか出来なかった。

 それでもイルマは、自分が何をすべきか頭の中で考えていた。

 ――いつもの自分ならどうする。

 ――いつもティガと戦った時、自分はどうしていたか。

 答えは、一つしかなかった。

 気づけば、イルマは、司令室を飛び出していた。

「参謀!」

 職員の一人が、イルマを呼び止めようとしたが、ヒビキが首を横に振って、行かせてやるように促した。

「きっと参謀には、何か策があるのかもしれない。信じてみよう」

 ヒビキは、職員にそう諭した。

「まだ、俺たちが諦めるわけにはいかない。防衛システムの生きているものを探し出し、再構成しろ。俺たちが最後の砦だ。ふんばれよ!」

 ヒビキの激励と共に、職員たちが奮起した。まだ、全員が諦めていなかった。

 

 イルマは、施設の屋上へと駆け上がっていた。

 自分に出来ることなんてたかが知れている。だが、今までティガと戦ってきて、自分が出来たことは、一つしか思い浮かばなかった。

 屋上にたどり着き、イルマは、柵のそばまで駆け寄った。すぐ近くにティガと怪獣が見えた。

 イルマは、自分が出来る限りの力を使って、ティガに向かって叫んだ。

「ティガ! あなたの守りたいものは一体何なの?」

 声が届いたのか、ティガは、イルマの方へ顔を向けた。カラータイマーの点滅間隔が早くなってきていた。

 ティガはもう持たないかもしれない。だが、それでもイルマは、ティガに言わなければならなかった。

 そうだ。

 いつだってティガに声をかけることしか出来なかった。

 ティガに祈るように、叫ぶことしか出来なかった。

 ティガはその声に応えてくれた。その声に応え、どんな危機からも救ってくれた。

 そして、今も。

 今もまた、声を届けられる。

 今まで祈っていた分も全て、ティガに向かって、全力で――。

「あなたが誰であろうと、人類の敵だろうと構わない。でも、あなたが今ここにいる理由はあると思う!」

 イルマの声が響く。ティガだけじゃなく当然メルバにもだ。

「守りたいものがあるから、そこにいるのでしょう? だったら、自分の守りたいもののためだけに、何も恐れずに、前を見て! ここで屈したら、守りたいものもあなた自身も終わってしまう! だから、立って!」

 

   *

 

 声が聞こえた。

 どこかで聞いたことのある、女性の声。

 つい最近、どこかで聞いたことがある。

 ああ、でも、一体どこでだろうか、とツバサは自問する。

 記憶が曖昧になってきている。ついさっきまで誰と話していたのか、あまり思い出せなかった。

 輪郭だけがおぼろげに浮かんで見える。銀髪の女性だ。

 だけど、そんなことはどうでもいい、とツバサは諦める。

 体中が痛い。

 自分は一体どうしていたんだろうか? どうしてこんなに痛い思いをしなければならないのだろうか。

 ただ、あの人に憧れて、必死に勉強して、研究したかっただけなのに。

 どうしてこんな辛い目に遭わなければならないのだろう。

 もうどうせ死ぬのなら、このまま倒れてしまえばいい。

 ツバサは、すでに死を悟っていた。

 だが、声がそれを許してくれないのだ。

 

「あなたの守りたいものは一体何なの?」

 

 守りたいもの。そう聞こえた。

 僕の守りたいもの? と、ツバサはその質問の答えを探そうとしていた。

 

「あなたが誰であろうと、人類の敵だろうと構わない。でも、あなたが今ここにいる理由はあると思う!」

 

 理由? 理由なんて……僕がここにいる理由はあるのだろうか……?

 でも、昔にその声が、自分に何かを託した記憶がツバサにはあった。どこかで、彼女にその力を無理矢理だが、託された気がするのだ。

 それは一体何だ。

 ツバサは、ぼやけた視界から脱そうと、必死で眼を開けようとした。

 女性が建物の屋上で、柵を握って、こちらに向かって声をかけていた。

 そこで、ツバサは、ああ、と思い出した。

 そうだ。自分は今、戦っているのだ、と

 そして、その女性の声がまた響く。今度は、ツバサの脳天を貫くように、正確で鮮明に。

 

「守りたいものがあるから、そこにいるのでしょう? だったら、自分の守りたいもののためだけに、何も恐れずに、前を見て! ここで屈したら、守りたいものもあなた自身も終わってしまう! だから、立って!」

 

 刹那。

 ツバサの目の前の光景が鮮明に映し出された。

 ツバサは、はっきりと、その女性の姿を見ることが出来た。

 その姿を、ツバサは見たことがある。

 かつて遠い昔に、どこかで出会ったことがある――共に戦った記憶が――。

 その人の言葉が、かつての人の言葉と重なり合う。

 

「――臆せずに前だけ進んで。決して立ち止まることはしないで」

 

 その人はそう言ったのだ。

 そして、さらに続いて、懐かしい声が聞こえてきた。

 

「――ツバサ! 最初は何も恐れずに思いっきりやってこい! 苦しんだり、悩んだりした答えより、楽しんだり、落ち着いたりした時の答えの方が救われる時だってあるんだ!」

 

 男の声。今はその声の主が誰かは、思い出せない。

 だが、どこかで、いつも一緒にいて――一緒にいることが当たり前のような、そんな感じがした。

 

 一体誰が、そんな言葉をかけてくれたのか――今はそんなことはどうでもいい。

 

 ツバサは、怪獣の方へ顔を向けた。

 そうだ。誰かは分からないが、皆が言ってくれたんだ。

 ――止まることは決してせずに、前に進め。

 ――何にも臆することなく、思い切りやってみろ。

 そして。

 今、自分が守りたいと思うもの。

 今は、明確な答えが出てこない。

 だが――だが、それでも今は、今だけは。

 この女性を、この女性が守りたいと思うものを守りたい――!

 それが今のツバサの答えだった。

 瞬間、ツバサは横へ飛んだ。

 胸に激痛が走った。

 だが、それでもただ痛いだけだ。決して死ぬようなものじゃない、とツバサは理解した。

 力はもう残り少ない。だが、それでも戦える。

 戦えるのなら、下手でも、自分に出来ることをするだけだ。

 僕は、ウルトラマンなのだから――ツバサは、そう胸に誓った。

 

   *

 

 イルマの声に反応したのかティガは、メルバの方へ顔を向けた。

 カラータイマーの点滅がさらに早くなる。活動限界までもう時間が無かった。

 だが、先ほどのティガとは違い、すでに混乱する様子はもうなかった。

 覚悟を決めた――そうイルマは感じ取れた。

 その直後、メルバは眼に力を溜めた。またもメルバニックレイを放とうとしていた。

 メルバニックレイが放たれる。だが、それはティガではなかった。

 イルマ――そして、イルマのいる施設諸共、メルバは狙ったのだ。

 イルマは、その攻撃を見て、ほんの一瞬だけ、死を悟った。顔を伏せて、反撃することも忘れてしまった。やられる、とほんの一握りでもそう思った自分を呪った。

 だが、光線は当たらなかった。

 イルマは、顔を見上げた。

 ティガが、目の前にいた。盾となってイルマを――施設にいる人々を庇ったのだ。

「ティガ……」

 ティガは、一瞬イルマの方を向いて小さく頷いた。まるで、もう大丈夫だ、と言っているかのように。

 ティガは、再び立ち上がった。今度は、迷うことなく、堂々と、相手に挑む決意を抱いて。

 メルバは、ティガに構わずに鉤爪を振り下ろした。

 これで終わった。誰もがそう思うだろう――つい先ほどのティガならば。

 ティガは、鉤爪を両手で受け止めた。さらに反対の鉤爪がティガに襲い掛かる。だが、それは最早脅威ではなかった。

 ティガはすばやく右足で回し蹴りをして、鉤爪を払う。そして、左足に力を溜めて一気にメルバの腹部へ前蹴りを炸裂させた。

 メルバは、奇声を上げながら後退した。

 明らかに、メルバの攻撃を理解し、受け流せている。間違いない、とイルマは分かった。ティガは、いや、中身が戦いを認識したのだ。

 ティガは、メルバに向かって構えた。ティガのマルチタイプでの構え――左拳を握り、軽く腕を曲げ、右手は手のひらを広げ、指と腕を真っ直ぐに伸ばしている――誰もが知っているティガの構えだった。

 ティガはすかさずメルバに突進する。左足で前蹴りを食らわすと、腹部へ一撃、二撃、三撃と、正拳を連打した。

 明らかに動きは素人だと、素人目からも分かった。だが、それでも確実にメルバを押していた。

 四撃目でメルバは、吹っ飛ぶ。ティガは、再び構えて次の攻撃への準備を整えた。

 メルバは、躍起になったのか、翼を広げ再び空中へ浮いた。そして、突進してきた。

 食らえば大きなダメージになることは、ティガは先ほどの戦いで理解しているはずだ、とイルマは思った。だが、今度のティガなら、しっかり避けて、第二波にも備えられるはずだ、とイルマは思った。

 だが、ティガの行動はイルマの予想を大きく覆すこととなった。

 ティガは回避行動を取るどころか、どっしりと構えていた。このまま避けなければ食らうのは間違いないのに。

 だが、ティガはメルバの攻撃に挑んだのだ。

 メルバがティガに突進した。その瞬間、ティガはメルバを真っ向から止めた。

 両腕でメルバの首元をホールドしていた。メルバは、声を上げて地面と平行のままティガに持ち上げられていたのだ。メルバは、脱出を試みようと、ジタバタする。

 だが、メルバの足が地面に付くことはなかった。ティガは、最後の力を振り絞り、メルバをそのまま振り回した。

 回転数は誰にも分からない。だが、回される方にとっては、途轍もない不快感に襲われるのは間違いない。目が回る、という言葉では表せないほどに。

 そして、ティガは、メルバを地面に叩きつけるように投げ飛ばした。

 案の定、メルバは体勢を整える力もなく、無残に地面にたたきつけられ、そして転がっていった。

 ティガは、構え、次の行動の準備を完了している。だが、メルバはもうすでに立ち上がるにもしっかりと立ち上がることが出来ず、足元がおぼつかないまま立ち上がった。

 完全に目が回っている。

 それに続いて、ガッツイーグルが、すかさず攻撃してティガを援護した。攻撃は、メルバの関節や体の部位の接合部分として補っていたスフィアに直撃した。

 その瞬間、スフィアが溶け出した。スフィアがメルバの足元から垂れ落ち、接合していた部位も落ちていった。

 一番接合にスフィアが使われていた両翼は、完全にもげた。

 もはや、飛ぶことも出来ない。空を切り裂く怪獣の名はただの空しいものになった。

 止めは今しかない! 誰もがそう思った。

「お願い!」

 イルマが叫んだ。

「今だ!」

 ヒビキが司令室越しから叫んだ。

 ティガは、エネルギーを振り絞った。

 両手を前方に持っていき、交差させる。そして、左右に広げエネルギーを集約させる。そのエネルギーは光の線となってティガの腕に集まる。

 そして、両腕をL字型に組み――放った。

 

 ウルトラマンティガ、マルチタイプの必殺技――ゼペリオン光線を。

 

 光線は、一直線に意識がもうろうとしているメルバの腹部を貫いた。

 そして、メルバは最後に奇声を発することもなく爆発四散した。

 

 瞬間、イルマは、安堵した。それと同時に一気に力が抜けたように膝をついた。

 ヒビキもまた司令室で歓喜に沸く職員たちの横で微笑んだ。

 ウルトラマンの再来、そして勝利。

 それは、多くの人々に希望と勇気を与えてくれた瞬間でもあった。

 

 だが、これはまだ始まりにすぎない。

 

 司令室に通信が入る。

 ヒビキが通信を取った。

「こちら、ヒビキ」

「隊長! こちら、ミドリカワです」

 通信の主は、マイだった。

「マイか。どうした、いきなり。お前が連絡するなんて珍しいじゃないか」

「隊長。それどころじゃないんです。今、S‐GUTSのオペレーター担当と一緒にTPC全職員に通信をかけているんです」

「何かあったのか?」

 ヒビキがマイに尋ねた瞬間、職員の一人が、その異変を察知した。

「そ……総監! たった今、コスモネットが何者かに介入された模様です!」

「何だと?」

「犯行声明文のようなものが延々と流れているんです。こちらからの逆探知もハッキングも出来ません」

 コスモネットへの介入――それは、ヒビキもかつて身に覚えがあった。

 S‐GUTSにいた頃、幾度となく同じことをされたことがあったのだ――あのスフィアに。

 ヒビキはマイに状況を聞いた。

「介入したきたのは一体誰だ?」

「分かりません。現在PWIのホリイ技術開発部長とも連携して調査していますが、未だに特定が出来ずにいます」

「とにかくその内容を聞いてみよう。話はそれからだ」

 ヒビキがそう言った直後だった。再び職員がまた異変を見つけた。

「先ほどから、コスモネットに流れている声明文が外で聞こえているようです」

「何だと?」

「とにかく、声明文を再生させます」

 職員は、声明文を再生させた。

 

   *

 

 その声は、イルマもティガも、そして恐らく人類全てがその声を聞いていた。

 ティガは、空を見上げ、声を聞いた。

 

『お前は一体誰だ?』

 

 低い、強調された女性の声だった。

 その声をイルマやヒビキも聞いたことがあった。

 かつてスフィアがコスモネットを通して流していた声と同じだったからだ。

 

『何故、お前は三度も我々の邪魔をするのだ? 我々の元へ集い、その者たちの声に耳を傾けることこそが、未来であるということが何故分からないのだ』

 

 声は、人類が十五年前に刷り込まれた恐怖を呼び起こす。その不気味な予告は、聞くのを拒否しても、頭の中にまで押し込まれるように流れ込んでくるのだ。

 

『地球人類よ。遂にこの時が来た。お前たちの生存を守り、歩むべき未来が間もなく実現する』

 

『地球は今、滅亡への一歩をたどっている。宇宙の誕生から今に至るまで、宇宙はその者たちの声を聞き、壊し、そして創造されてきた』

 

 フレーズごとに流れてくる声。それは、十四年前に聞いた内容に酷似していた。

 

『人類は、その者たちへ同化しなければならないのだ。痛み、悲しみ、苦しみ――生きとし生けるものが持つその負の感情を今こそ捨て去らなければならないのだ』

 

『今ならまだ、間に合う。これが最後の忠告だ。地球人類よ。その者たちの中へ同化せよ』

 

『我々こそが、人類の歩むべき未来だ――』

 

 不気味な声は、ここで途切れた。

 声が消えたと同時に、コスモネットへの介入は完全に消え去っていた。

 人類は、狼狽えてしまった、とヒビキは予想した。もう一度、スフィアが介入してくると、人類の記憶に刷り込まれてしまったのだ。

 司令室でも、職員たちは動揺を隠せなかった。ヒビキが何とか職員たちを宥めようとするが、今回ばかりは無理もないだろう。

「スフィア……今度もまた、我々人類に挑戦してくるか……」

 ヒビキは、そう呟いた。

 だが。

「スフィアが黒幕とは言い難い可能性があります」

 後ろから声が聞こえた。ヒビキは振り向くと、そこにはイルマがいた。

「先ほどは突然飛び出してしまって済みませんでした」

 イルマが謝ると、ヒビキは、平気です、と答えた。

「あれのおかげでティガが本当の意味で復活出来た。全てあなたのおかげです」

 イルマは、感謝します、と礼を言う。

「しかし、スフィアとは言い難いとはどういうことなのですか?」

 ヒビキは、それが疑問に感じていた。やり口は十五年前と同じだ。一体どこが違うというのだろうか。

「十五年前、最初の襲撃は単調であったものの、それは光の巨人がいなかったという理由があったから、あの戦力で火星を襲ったにすぎません。しかし、ダイナが現れてからはどうでしょうか? 彼らは太陽系をも飲み込む巨大な闇を携えて挑んできた。それはウルトラマンに対して徹底的に準備していたことを表しています」

「しかし、ウルトラマンがいなくなって十五年が経っているんです。今回もウルトラマンがいないということを考えれば、スフィアはそれを見越して襲ってきたと言ってもいいのでは?」

 イルマは、違うんです、と答えた。

「すでにスフィアの本体は完全に消滅しています。残りの残党がいたとして、本体ほどの力は無いに等しいです」

「そうですね。しかし、可能性はないとも言い切れません」

「確かに。でも、考えてもみてください。どうして十五年もスフィアは待っていたのでしょうか? ダイナがいなくなったと考えるなら、間隔を開けるのなら、一、二年経ったくらいで、残党を集めて怪獣になって襲撃すれば、現状では間違いなく勝てたはずです」

 確かにそうだ、とヒビキは、イルマの意見に納得する。

「さらに、メルバの構成も雑でした。四肢、関節に自分たちを補っているのは分かりますが、何より、スフィア合成獣特有のバリアを張らなかったのが不可解でなりません」

 そういえばそうだ、とヒビキは、はっと思い出した。

 かつてのスフィア合成獣は全てがバリアを張れた。それでダイナが幾度も苦戦させられたのは周知の事実だ。

 だが今回は、バリアを張るどころか、怪光線を除けば殆どが肉弾戦だ。

 つまり、これらの根拠から導かれる新たな仮説は、一つしかない。

「もしかしたら……ですが、スフィアはバリアを張ること事態が不可能になってしまっているのかもしれません」

 イルマは、そう予測した。

「メルバの挙動は明らかに不自然でした。そもそも地球に降り立った理由が見出せません」

「我々を狙ったのではないのですか?」

 ヒビキが尋ねた。

「我々を狙ったのなら、どうして火星では基地や街ではなく、ハンガー、そしてシャトルとその発着場を攻撃したのでしょうか?」

「それは……」

 確かにおかしかった。

 メルバは、火星ではスフィアを恐らく囮として使って隊員たちの攻撃を躱し、裏を欠いて基地のハンガーやシャトルとシャトル発着場を破壊した。実に用意周到で、おかしなやり方だ。

 だが、ここでは何もかもが不自然だった。裏を欠くどころが、正面から何の策もなしに突入してきた。確かにティガがいなければ、ヒビキたちの敗北は確実だったが、それでも火星での周到な攻撃方法ならば、すぐに済んだはずだ。

 ここまで予想して、ヒビキもイルマが何を考えているのか大体わかってきた。

「つまり、あの怪獣は、元々マリネリスにある戦闘機とシャトルを破壊することが目的であって、地球に来たのは偶然ということですか?」

 ヒビキが尋ねると、イルマは、

「偶然かどうかは分かりません。しかし、あれが、人や物の運搬方法を断ち切ることが主な目的であれば、今までの不自然さは解消されます」

 と、答えた。

「そして、黒幕がスフィアではない最大の根拠は――」

 イルマがそう言うと、ヒビキは頷いた。

 根拠は、二人とも分かっていた。

 声明文の内容で、声がティガに向かって言った言葉だ。

 

『何故、お前は三度も我々の邪魔をするのだ?』

 

 三度――そう声は言った。

 十五年前と今回のを合わせたら、スフィアが襲撃してきたのはこれで二度目だ。何故、相手は三度と言ったのだろうか。

 もしかしたら、とイルマは考えていた。かつてティガが戦った、闇の支配者も数に入れているのではないか、ということに。

 そうなると、ユザレの言った災厄という言葉は、妙に納得できる。本当に戦うべき相手、その正体を。

 その直後、

「総監」

 と、後ろから再び声が聞こえた。

 ヒビキとイルマが振り向くと、そこにはウチダがいた。

「ウチダか」

「職員と近隣住民の避難は完了しましたが……もう終わったようですね、総監」

 ウチダが、そう言うと、ヒビキは、ああ、と言い返した。

「見てください」

 イルマは、モニターに映し出されているティガを指さした。

 ティガのカラータイマーの点滅が極限まで早くなっている。もはや、点滅しているのか分からないくらい早かった。

 

 そして、タイマーの点滅が消えた。

 

 直後、ティガの姿が消えていった。まるで幻を見ていたかのように、徐々に景色に同化しながら、ティガは完全に消えた。

「活動限界だったんだ……」

 ヒビキは、そう呟いた。

「しかし、本当に助かりましたね。あれがいなければ、どうなっていたか」

 ウチダは、安堵の声を漏らした。それに、ヒビキもイルマも頷いた。

「しかし、一体誰なんでしょうね。ティガに変身していた人は」

 ウチダは、周りにそう聞いた。

 人類は、ウルトラマンは人間の誰かが変身しているということを、十五年前のアスカ・シンの最後の戦いで目の当たりにしていた。そこで、ウルトラマンは人であることを人類は知っていたのだ。

 確かに気になるところではあった。一体誰が、ウルトラマンだったのか、それを知ることは一つの情報として大きなものだ。

 だが、イルマは、ウチダの質問を一蹴した。

「今は知る必要はないでしょう。ウルトラマンが戻ってきた――今はそれだけでいい」

 それに続いて、ヒビキも言った。

「そうだな。今は休む時だ。ウルトラマンが誰かは、また後だ。十五年前のような出来事を招かねんからな」

 それを言うと、ウチダも、

「そうですね。守ってくれるのなら、誰であろうと関係ないですよね」

 と、言い、それ以上は何も聞くことはなかった。

 F計画――ウルトラマンを知ろうとして、ウルトラマンを兵器として造り出す計画――ウルトラマンが誰であるか、を知ることは、また同じ失敗を招くという一つの教訓なのだ。それを誰もが知っていた。

 ウルトラマンが誰であるかは、知らなくていい――敵は、いつどこにいるか分からないのだから。

 

 だが、その正体を、イルマは知っていた。

 

 ユザレとの邂逅は、まだ続きがあった。

 ユザレは、イルマに巨人が誰であるかを、そして敵が近くにいることも予言していたのだ。

 

「すでにマドカ・ダイゴは巨人になる術を失っている。本来なら彼にこの使命を託したったけど、ダイゴはこの時代で戦う使命はもう無くなっている」

 と、ユザレは説明した。

「別の人間がいるってこと……?」

「ダイゴと同じく、光であり、人である存在。だけど、人としての闇が少し強いから、ダイゴほど完璧に戦えないかもしれない。けど、それは意思の問題だから、この先、あなたが彼を見守ってくれるのなら、闇が躍り出ることはない」

 ユザレは、淡々と説明する。

 ダイゴと同じ存在で、闇が強い人間――マサキ・ケイゴがイルマの頭に浮かび上がった。

 だが、ユザレは、すぐにそれが誰なのかを言った。

 

「マドカ・ツバサ――。彼こそが此度の災厄を止められるかもしれない、唯一の可能性」

 

 マドカ・ツバサ――ダイゴの息子。

 なるほど、彼が巨人に変身できるというのは、イルマも納得した。

 ユザレは、そしてここからが重要なの、と強調してイルマに伝えた。

「ツバサが巨人であることをあなたと彼だけの秘密にしてほしい」

 ユザレの言葉は、イルマにとって当たり前のことだった。だが、ユザレはこの言葉に別の意味を込めていた。

「決してその時が来るまで、あなたの信頼できる人物にも言ってはいけない」

 それは、つまり、その時まで、ヒビキやかつての仲間たちにも、さらにはダイゴにも言ってはいけないということを意味していた。

「どうしてそこまでしなければならないの? 私の仲間たちなら信頼できる。情報共有で、彼に変身させられる機会を作れるし、敵に有利に対処できるわ」

 イルマはそう説明しても、ユザレはかたくなに拒否した。

「どうして駄目なの? あなたの条件では彼に不利よ」

 ユザレは、イルマの疑問に答えた。

「敵は、あなたたちの近くにいるからよ」

 私たちの近くにいる……? イルマはユザレの言葉を反芻した。

 すると、ユザレが言いたいことが分かった。

「敵は、TPC内にいる……?」

「それもかなり昔に。敵は、すでにあなたたちの中に溶け込んでしまっている。深く根付いてしまっている」

 ユザレは、そう言った。

 もし、それが正しければ、一体誰が敵なのか分からない。もしかしたらかつての仲間たちもそれにあたる可能性が――。

「だったら、どうして、今まで敵は、何の介入もしてこなかったの? これまでだって機会はあったはずなのに」

「今までは、必要がなかったからよ。今までは、彼らにとっては準備期間。誰が巨人であるということを知っても、準備が終わっていない以上、どうでもよかったのよ。でも、今は違う」

 準備期間は、すでに終わっているのよ、とユザレは言った。

 

 夢を思い出しているイルマ。ユザレの言葉は、声の内容と一致する。ユザレはこのことを伝えたかったのだ。

 だが、それなら、どうやってツバサを守ればいいのだろうか。内部に敵がいるのなら、彼を守りようがない。

 研究員である彼は、周りから監視されていると言っても過言ではない。変身する余裕も時間もない。

 ましてや、彼は死んだではないか。

 そう考えると、イルマは、また夢を思い出す。そうか、あの言葉はそういう意味だったのか。

 

「あなたは近い未来、彼と再会する。あなたが迎えに行く形でね」

 ユザレは、そう言った。

「私が迎えに? それはどういうこと?」

「彼は、今の立場から、全く違う立場でまたあなたたちの元へ戻ってくる。そうするように私は、彼の因果を変えるように準備している」

「違う立場?」

「そうしなければ、敵が完全に感づいてくる。あなたは、彼を迎えに行かせると同時に、彼についての情報を封印して欲しい」

 つまり、マドカ・ツバサに関する情報をブラックボックス化しろということだ。

「彼に必要なのは、事情を知らなくとも、彼を守ってくれる仲間たちよ。かつて、ダイゴやアスカ・シンがそうであったように」

 ユザレは、はっきりと言った。

 彼の正体を知らずとも、彼を信頼して守ってくれる仲間たち――かつての自分やヒビキ総監たちのように。

 イルマは、ようやくユザレの意図を完全に理解した。

 イルマは、責任もってユザレの予言を実行することを誓った。

 

 それが夢の続き――決して誰にも言ってはいけないユザレとの約束だった。

 敵が誰であれ、人類はもう一度大きな敵と戦わなくてはならない。

 そのためには、ウルトラマンは――マドカ・ツバサだけは守らなくてはならないのだ。

 出来れば、敵の情報を、誰にも知られずに入手することは出来ないだろうか、とイルマは考えた。

 アカシックレコードはすでに敵も承知済みだろう。

 ならば、別の方法でTPC内の情報を入手するように頼むしかない。

 出来れば、ダイゴとも極秘裏に情報を共有したい。勿論、ツバサがティガであることを伏せてだが。

 せめて、ダイゴにも敵の情報を渡して助言をもらいたい。

 それらが出来る方法があるとするならば――。

 

   *

 

 意識が朦朧としていた。

 体中が痛い。まるで、切り刻まれているような痛みだ。

 ツバサは、歩き続けていた。

 行先も、目的も何もない。意識がはっきりしない中、ツバサは彷徨っていた。

 今まで何があったのか思い出せない。今さっきまで、自分の身に何があったのか、混乱して思い出せない。

 今、自分は何をしているのか、どこへ向かおうとしているのかさえはっきりとしない。それでも進めば何かが分かる、と意識がない中で得た答えだった。

 だが、ツバサの体力はもう無いに等しい。下手をすれば、気を抜けば死んでしまうのではと思うほどに。

 進まなくては、とツバサは自分に言い聞かせる。決して立ち止まってはいけない、と自分に鞭を打つ。

 誰かがそう言ったのだ。それに共感したのだ。だから、進まなくてはならない、とツバサの無意識がそう決意させていた。

 だが、もう足は動かなくなってきた。

 体が石のように重い。足枷を何個もつけられているようだ。何かの所為で後ろへ引っ張られていくような感覚を覚えた。

 ああ、まだだ。まだ止まることは出来ないのに……。

 ツバサは、後悔した。

 自分は何かを守った。なのに、それだけを果たしてここで終わってしまうなんて……。

 微かに聞こえたエンジン音を最後に、ツバサは完全に意識を失った。

 




終わりです。
次回、第二話「天空の方舟」


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第2話 天空の方舟
其の1


お待たせしました。第二話です。作中、科学的な発言ありますが、作者は文系ですので理系的な発言は全て正しいとは言えません。間違っていたら笑ってスルーしてください。

それにしてもおかしいなあ……次回は短くなるって言ったはずなのに、第一話よりページ数も文字数も多いんだが……(冷や汗)


 1.

 

   *

 

 もう何度見たか分からない。

 脳裏にひたすら繰り返される夢。

 自分自身が巨人になって、怪獣と戦う夢だった。

 はじめは、自分が完全な劣勢で、為す術もなく、怪獣に蹂躙されてしまう。鉤爪で引っかかれ、嘴で突かれる。それはまるで、斬撃と銃撃のようだった。

 だが、それでも、自分は、最後にそれらの攻撃を受け流し、抑える。それからは、こちらが攻勢だった。

 がむしゃらに正拳や蹴りを入れていく。

 そして、怪獣がほぼ沈黙したところで――。

 必殺技の光線を放つ。怪獣は目の前で爆発四散していく。

 それで夢は終わるのだ。

 だが、その直後。

 不気味な声と共に、底から奇怪な触手がティガの四肢に巻き付き、身動きが取れなくなった。

 今まで見てきた夢に続くように表れた新しい夢。

 どういうことだ。一体何なんだ。新しい夢に一切の対処も出来ない自分は、何もすることが出来ない。

 目の前には、奇怪な物体が(うごめ)いている。怪獣よりもおぞましい闇の姿が。

 そして、闇は、自分に向かってこう囁いた。

 

『光、消えろ――』

 

 そして、ツバサは、目を覚ました。

 

   *

 

「……」

 目を覚ました時、ツバサの脳裏に広がったのは白い天井だった。

 辺りを見回してみると、そこには、ランプスタンドや化粧台、そして押入れなどがあった。

 どこかの寝室のようだった。

 ツバサは体を起こした。キングサイズのベッド――一人で寝るには大きすぎる。

 ツバサは状況を整理した。

 まず、ここはどこだろう。僕は、誰かに助けられた、と考えた方がいいだろうな。

 どういった経緯で自分がこうなったかは分からないが、とにかく助けてくれた人がいるはずだ。まずはお礼を言わなくては、とツバサは、ベッドから起き上がろうとした。

 誰かいるだろう、と思い、ドアの近くまで歩くと――。

 突然、近くにあるドアが開かれた。

 咄嗟の出来事にツバサは、硬直してしまった。それはまるで石像のようだった。

 中から中年の男と一人の少女が入ってきた。

 中年の男性は、洗面器を両手に持ち、少女はタオルを持っていた。

 二人は、突然目の前に起こった光景に理解する時間が間に合わず、ツバサと同じように硬直してしまう。

 どうしよう……一体どうすればいいのだろうか……、という空気が流れた。

 とにかく、一言喋らないと。そうじゃないと一生このままかもしれない、とツバサはそう思い、何とか言葉を口にした。

「あ……おはようございました……」

 さらに体が硬直した。

 ああ、どうしてなんだ! 何でこんな馬鹿な言葉を口にしたんだ?

 ツバサは、おはようございますとありがとうございました、を言おうとした。だが、あまりの緊張と咄嗟の出来事に二つの言葉が混合してしまった!

 ツバサは、全身の体温が急上昇していくのを感じた。顔が火照っている。多分、顔は真っ赤に染まっているだろう。

「……っ!」

 ツバサが、言葉を噛んで数十秒経った後、少女は堪えきれなかったのか、吹き出すように笑った。

「ちょ……ちょっと、どういうことなの! 『おはようございました』なんて、可笑しすぎ!」

 少女は腹を抱えて笑った。ツバサは、苦笑いしか出来ずに、何も言い返すことが出来なかった。きっと、生涯忘れることの出来ない痴態だろう、と思いながら。

 少女とツバサの顔が柔らかくなったのか、男は、微笑してツバサに話しかけた。

「ははは、その様子だともう大丈夫そうだね」

 優しい声だった。ツバサは、その声を聞いて、一気に安心感に包まれた。

「はい……おかげさまで。助けていただいてありがとうございました」

「いやいや。お礼なんてとんでもないよ。まあ、どうだい? まずは体をふいてから、これまでの経緯についてお互いに話すとしようじゃないか」

 ツバサは、男の言葉に従い、もう一度ベッドに座る。そして、出来るところは自分でやりつつ、体を拭くことにした。

 

「まずは、自己紹介させてもらおう。僕は、エンジョウ・ノリアキ。一応この家の主人ということになるかな。そしてこっちは――」

「娘のホノカです。よろしくね」

 男――ノリアキと少女――ホノカはそう名乗った。

 ノリアキは、包容力のある優しそうな男だった。初対面のツバサも、彼の一言で安心出来るほど、優しい人なのだろう。

 そして、ホノカは、可愛らしい少女だった。自分と歳は近いか、とツバサは予想する。

 黒い長髪が魅力的だ。

 二人が名乗ってくれたのだから、自分も名乗らねば、とツバサは微笑みながら自分の名を――、

「助けてくれて、有難うございます。僕の名前は――」

 完璧に名乗ることが出来ない。

「……ツバサ」

 ツバサは、小さく呟いた。

 ノリアキとホノカは、聞こえなかったのか、一言、えっ? と漏らした。

「いや、だから……ツバサ……。あれ? 何ツバサだったっけ……あれ……どうしてだ?」

 ツバサは混乱する。こんな単純なことをど忘れしてしまっては、またさっきのように笑われてしまう。

 ツバサの混乱は、ど忘れによる焦りから来ているのではないと、自分自身でようやく悟った。

「分からない……僕の名字が、全く……」

「ど、どうしたの? 大丈夫?」

 ホノカが、頭を抱えるツバサに寄り添ってきた。

 ツバサは、思わず、ホノカの両腕にしがみついた。

「エンジョウさん。僕は……僕の名字は一体何なのですか?」

「え……」

「分からないんです。僕の名字が。名前はツバサだとはっきり断言できるのに、名字だけが思い出せない――いや、元から名字はなかった、と認識しているんです!」

 ツバサの焦りが、段々と大きくなっていた。ノリアキも、ツバサの傍に来て、

「とりあえず、落ち着きなさい。目を閉じて、深呼吸をして、そして自分が大丈夫だと思った時に目を開けなさい」

 ツバサは、言われた通りにした。

 瞳を閉じてゆっくりと息を整える。すると、心臓の鼓動がゆっくりとなっていくのを感じた。しばらくすると、落ち着いてきた、と自覚するにまで至った。ツバサはゆっくりと目を開けた。

「落ち着いたね」

 ノリアキが言った。

「はい……。申し訳ありませんでした」

「君が謝る必要はないよ。とにかく、落ち着いて。君は落ち着きながら僕たちに一つ一つ話せることを言いなさい」

 ノリアキの言葉が鮮明に耳に入ってくる。

 ツバサは言う通りにして、一つ一つ丁寧に自分について話した。

 

 まず、ツバサは、自分が一体どこで生まれ、どこで育ったのか――自分の過去のことについては一切分からないということだ。

 つまりは、記憶喪失だった。

 自分がどこで生まれ、どこで育ったのか――自分のこれまでが、何もかも思い出せない。

 だが、それは完璧なものではなく、自分の名前は分かるが名字が分からない、年齢や血液型などの詳細は分かるが、それが誰譲りかは分からない。過去にどこで大半を過ごしたのかは分からないが、つい最近のことならぼやけてはいるが、分かると言った具合だった。

「なるほど。つまり、過去の君の情報は綺麗に消え去ったが、最近の情報ならある程度分かるということか」

 と、ノリアキが言った。

「はい。まるで、昔の記憶は――昔の僕ごと死んでしまったような、そんな不思議な感覚です」

「ふむ。珍しいね。そんなのは聞いたことがない」

「ねえ、お父さん。病院で診てもらった方がいいのかな?」

 間からホノカが割り込んできた。ノリアキは、駄目だな、と否定する。

「多分、診てもらっても意味はないだろう。そういうものは、やはり自分自身で見つける方が先決だと思うな」

 ノリアキがそう意見すると、ホノカはそうかー、と納得した。それについてはツバサも同意見だ。

「では、最近のことは覚えていると言ったね? 何を覚えているのかな?」

 ツバサは、覚えている出来事を口にした。

 どこで出会ったかは思い出せないが、銀髪の髪の女性に出会ったことと、一人、意識が朦朧としている中を彷徨っているのは確かに覚えていた。

 ノリアキは、女性の特徴を聞くと、ツバサは、覚えている限り伝えた。出会ったことは間違いない、とツバサは断言した。

 そして、女性から何かを託された気がする、とツバサは続けていった。

「もしかして……」

 ノリアキがホノカに、持ってきて、と小声で言うと、ホノカは軽く返事をして一旦部屋を出ていった。

「その女性はもしかしたらツバサ君のことについて何か知っているような感じがするなあ。何を言われたか覚えてないのかい?」

 ツバサは、頭の中で会話を思い出そうとする。

 完全には思い出せないが、だが、断片的には分かる。

 だが、口にできない――してはいけない、と体が訴えてくる。ツバサは、口を噤んで、頭を横に振った。

 

『決して、あなたが光の巨人であることをたとえ信頼できる人物であったとしても、誰にも言うことはしないで。その時が来るまではまだ――』

 

 確かに彼女は――ユザレはそう言ったのだ。

 殆ど見ず知らずの彼女の言葉を、ツバサは聞かなくてはならないと思っていたのだ。

 理由は分からない。だが、彼女からどことなく郷愁を感じてならないのだ。遠い昔に、共に何かを成し遂げた――そんな気がしてならないのだ。

 彼女の為にも、その秘密を――ツバサが光の巨人になれることをここで告げるわけにはいかないのだ。

 ツバサは、女性と会ったことしか分からない、と伝えた。

 ノリアキが、そうか、と一言呟いた直後で、ホノカが戻ってきた。

「持ってきたよ」

 ホノカが、ノリアキにあるものを手渡すと、ノリアキは、それをツバサに見せた。

「これは、君を助けた時に君が唯一持っていたものだ」

 ツバサは、それを手に取った。

 トーチ型の謎のアイテムだった。大きさは、少し小ぶりで、胸ポケットに入れるくらいがちょうどいい感じの大きさだった。

 ツバサにとって、今この時、自分自身で自覚しているという条件なら、初めて手に取ったが、それでもツバサはそれが何なのか、初めから知っていた。

 

 スパークレンス。

 

 恐らく、ユザレから受け取った――いや、無理矢理託されたものの正体だ。

 これはツバサにとって、光の巨人に変身するには、なくてはならないものなのだ。

 だが、それを言うことは出来ない――ツバサは、大事なことを隠してごまかす。

「それが僕の大切なものです。その女性から手渡された――多分、今の僕の全てなんだと思います」

「君の全て……か。いいね。君がいかにこれを大切にしているのか分かるよ」

 ノリアキは優しく言った。

「そうですか?」

「うん。分かるよ。僕も昔は一応カウンセリングの仕事をしていたから、自分で言うのもあれだけど、向こうの立場になって気持ちを察するのは得意なんだよ」

 なるほど、とツバサは言った。

「まあ、今は結婚してから専業主夫になってしまったけどね。ごくたまに、自治体主催のカウンセリングサークルで時々出させてもらっているよ」

 随分信頼されているらしいな、とツバサは思った。確かにこの人の言葉で心が軽くなったのは、先ほど分かった。腕は確かだ。

「話が逸れたね。とにかく、これが君にとって絶対手放してはいけないものなのはよくわかったよ。何しろ、君を見つけた時、ずっと握りしめていたからね」

 ツバサは、スパークレンスを見た。

 ノリアキは話をつづけた。

「君は、確か、一人彷徨っている記憶があったんだよね? 多分その時だろう、僕らが君を見つけたのは」

「僕を見つけた時、僕はどうなっていましたか?」

 ツバサは尋ねた。自分が助けられた経緯が知りたかったのだ。

「助けられた経緯ね……まあ、二つの特別なことを除けばそれほど大したことはなかったよ」

 ノリアキは簡単に経緯を話した。

 

 ツバサを助けたあの日――三日前だった。ノリアキとホノカは、怪獣出現によって避難勧告に従い、避難用の荷物を持って、自治体から指定された避難場所へ移動していた。

 ノリアキの住む住宅街には、向かい合うように大きな雑木林があった。

 一体誰の土地かは分からないが、少なくとも、エンジョウ一家が住み始めてから木々が少し大きくなったことを除けば一切の変化はなかった。

 誰も手入れをするところは今まで一度も見たことはなく、勇気を持って雑木林へ入っていく人すらいなかった。

 避難場所へは、その雑木林の横にある道路を進んでいく必要がある。ノリアキとホノカがその道を走っていた時だった。

 雑木林から人が現れたのだ。

 はじめは不審に思った。何せ、今まで一度も足を踏み入れたことのない雑木林だ。人が入る前に人が出てくるなんて思いもしなかったのだ。

 ホノカは警戒していたが、ノリアキはすぐにその人が、害のある人間でないと、長年の職務経験から悟った。

 その人は、満身創痍だった。

 右手に握りしめているものを除けば、何一つ持ってない。体中は傷だらけで、所々は出血している。胸元はひっかき傷が見当たり、そこからの出血がひどかったのか、胸回りで凝固していた。

 ノリアキは、その人が倒れる前に抱えた。

「大丈夫ですか? 一体どうしたんですか?」

 声をかけてもその人は答えない。

 顔からしてまだ少年――もしかしたらホノカと同じくらいの年齢の子供だった。

 どうして子供がこんな重傷でこの雑木林から出てきたのだろうか? 

 怪獣にやられたのだろうか、とにかく、一刻も早く、病院に連れていかなければ命が危ない、とノリアキは考えた。だが、避難勧告中に車は一切使えない。街道に出れば、車がそこら中に停車している。抜け出せることも出来ない。

 だが、走って病院へとなると、この傷からして大病院での治療は必須だ。だが、ここからは遠い。走っても二十分はかかるだろう。

 それだと間に合わない。避難勧告がいつ解除されるか分からないこの状況で、最前の選択――それは、一つしかなかった。

「ホノカ、お父さんの荷物を持ってくれ」

「え? どうするの? その人を抱えて……」

「このまま病院に行っても間に合わない。出来る限りの手当てを家でする」

「ええ! でも避難勧告が出ているのに……危ないよ!」

「大丈夫だ。怪獣は、湾岸部に現れたんだ。ここから湾岸部は車でも四十分もかかるんだ。大丈夫だ」

 そういうと、ノリアキは少年を抱えて家まで走り出した。ホノカ、混乱しながらも、父を信じて後を追った。

 家についてからは、必死だったという。 

 ノリアキは、慣れない手でパソコンに載っている手当の方法を頼りに消毒や包帯をしていった。

 避難勧告が解除されたら病院へ連れて行こう――そう考えていたらしい。

 それからは、勧告解除まで交代で、ベッドで寝ているツバサを看病していたらしい。

 

「そうでしたか……。本当にありがとうございました」

 ツバサは、再度頭を下げた。

 

 そして、勧告が解除され、救急車を呼ぼうとした時だった。

 せめて包帯を新しいのに変えてあげよう、とノリアキは思い、ツバサの体に巻いた古い包帯を取った時だった。

 

「体についていた傷が、ほとんど塞がっていたんだ」

 ノリアキは、そう言った。

 ツバサは、驚いて自分の体を見た。

 傷は、確かに塞がっていた。

 いや、違う。

 塞がっているというより、元から傷などなかった、と思うぐらい綺麗だった。

 だが、ノリアキはこう言った。発見した時の僕は、体中が傷だらけで、胸のひっかき傷は胸元に血が凝固していた、と。

 それだけの状態から、一日と満たない間に傷が塞がるなんてあり得ない。

 だが、ノリアキが嘘をついているように見えない。そもそも、ノリアキが嘘をつくメリットが一切ない。

「これが経緯だ。信じられないようだが、ツバサ君、君は死んでもおかしくないほどの重傷を、一日も満たないで回復してしまったんだ」

 ツバサは、スパークレンスを手元に置いて、両腕の袖を捲ってみた。

 瀕死の状態から、わずか一日での超回復――まるでゲームで、フィールドで立ち止まっていると、自然と体力が回復する――そんな体を持っているという解釈なのだろう。

 ノリアキを信じたい。だがツバサは、そんなあり得ないことを百聞しても、一見しないと信用できない、と内心思っていた。

 本当なら試してみたい、と思うが、ツバサに自虐する勇気はどこにもなかった。

 これが、ノリアキが感じた一つの例外。

 なら、もう一つは何なのだろうか?

 ツバサは、聞いた。

 だが、ノリアキは、目をきょとんとさせて、

「え? もうすでに言ったよ」

 と、答えた。

「もうすでに言いましたっけ?」

「言ったよ。さっきの経緯の中に二つの例外があったよ」

 あっただろうか、とツバサは考えた。

 ノリアキの会話の中で、普通ではないものは、傷の再生が早いということだけだと思うが……。

 それ以外におかしなところをノリアキが言っただろうか。

 ツバサが言葉を思い出して考えていると、ノリアキがにやにやとツバサを見ていた。横にいたホノカが少しだけ顔を伏せていた。顔が赤い。熱でもあるのだろうか。

 少し気味が悪い、と思ったツバサは、さっさと降参して答えを聞いた。

「すみません。先ほどの話を一字一句覚えていないので、答えを教えていただけませんか?」

 ノリアキは、分かったよ、と言って答えを教えた。

「まず、君の傷の再生の速さが尋常じゃないほど早いことと――」

 さあ、その後だ、とツバサは何故か息をのんだ。

「もう一つ、僕が言ったことは、『右手に握りしめているものを除けば何一つ持っていない』だよ」

 ――ん?

 それのどこがおかしいのだろうか? ツバサは思わず聞いた。

 ノリアキは、

「おかしいよ。普通に考えておかしいだろ?」

「いえ。それって僕の持ち物が何一つないということでしょう? このトーチ型のものを除けば身分を表すものなんてなかったということでしょう?」

「だから、それ以外に何もないだろう? 君の衣服やその他の物すらなくて、それしかなかったんだから」

 ……ああ。

 と、ツバサはようやく理解した。

 優しい人なのは分かるが、中々分からない人だ、とツバサは思った。

 だが、少なくとも、ホノカがどうして顔を伏せて、さらに顔が赤いということについては分かった。

 そりゃ、そうだ、とツバサは納得する。雑木林から全裸の男が満身創痍で現れるなんて、生まれて一回あるかないかだ――いや、永遠にないか。

 ツバサは、ホノカの方を見た。ホノカはツバサが自分を見たと感じると、少しだけ顔をそらした。

 何やら小声でぶつぶつと呟いていた。何を言っているのか分からないが、何かが大きかった……想像していたものより大きかった、とぶつぶつ言い続けている。

「特別なことだったろう?」

 ノリアキが言った。

「……言葉遊びですよね?」

「遊び? 君を助けるのに遊びがあるものか。僕は至って真剣だよ」

 本当かどうか分からないが、多分、この人は素で言っているのだろう……自信はないが。

 だが、とにかく、これで僕が戦った後に何があったかは分かった。ツバサは、ベッドから出ようとする。

「こらこら。まだ寝てなくちゃだめだよ」

 ノリアキが静止させようとする。だが、ツバサはこれ以上厄介になるのは迷惑になると考えていた。

「これ以上贅沢は出来ません。一刻も早く記憶を取り戻さないといけないんです」

「取り戻すにしても、君はこれからどこへ行こうというのかい? メトロポリスを無闇に歩き回ったところでどうにもならないよ」

 ノリアキの言っていることは正論だった。

 これからどこへ行けばいいのか、ツバサは決めかねていた。何も所持していない状態で一体何をしたらいいのだろうか。記憶を探す前に無一文で餓死して死ぬのが落ちだ。

 ならば、施設に行ってみたらどうだろうか。とりあえず施設で預けられる身となって、生活に必要な最低限なものを揃えてから、記憶を探しにいくのはどうだろうか。

 それとも巨人になってどこかへ行こうか? いや、無駄すぎる。

 施設が果たして、自分の行動を許容してくれるか? 勝手に巨人になって無駄に光を消費することがいいことなのか? 

 どれも無駄すぎる。意味のない行為だ。

 だが、他に方法もないのも事実だ。

 ユザレからは特に何も指示は無かった。つまり、自分で居場所を探せということなのだろう。

 だがツバサは、しばらく後で、これこそがユザレが与えたものなのだ、と理解する。

 ノリアキは、家を出ていこうとするツバサを静止させながら、こう提案した。

 

「この三日間、妻とホノカと話してみたんだけど……どうだろう、ツバサ君。もしよかったら、僕らと一緒に暮らしてみないかい?」

 

 唐突だった。ツバサは、一瞬我を忘れた。

 見ず知らずの少年を、雑木林から現れた得体もしれない少年を、三日も手当てしたにも関わらず、その上一緒に暮らさないか、と尋ねてくる。

 よほどのお人好しもこれには、目を丸くすることだろう。

「君の記憶を取り戻す手伝いになるかもしれないからね。それに、君にとっては願ってもいない話じゃないかな」

 ノリアキは言った。

 確かに願ってもみないことだったが……、だが、それでもツバサはそれに甘えることは出来ないと考えていた。

「どうして、僕にそこまでしてくれるんですか?」

「どうして?」

「こんな自分のこともよく分からない――正体不明の僕によくしてくれたことは感謝します。でも、一緒に暮らすことは、僕にはメリットがあってもあなたたちには一切ない」

 それがツバサの本音だった。

 自分自身が常に負担をかけるばかりでは、何も釣り合わない――自分自身が彼らに恩を返すことが出来るのなら、話は別になるが。

 だが、ノリアキは、ツバサの意見に微笑み、ツバサの頭を撫でた。

「な……何を……?」

「君は何歳だい?」

「ど、どういうことですか?」

「言葉通りの意味だよ。君は何歳だ?」

「十五だと思います……」

 ツバサが、そう答えると、ノリアキは、ふむ、と呟き、さらにツバサの頭を撫でた。

「あの……そろそろやめてもらえますか? 恥ずかしいです」

 だが、ノリアキはやめなかった。頭を撫でながら、ツバサにこう言った。

「君は賢い」

「賢い……?」

「ああ、そうだ。賢いよ、君は。その歳でメリット、デメリットについて論理的に考えている。君の両親がそうだったのか、それとも君のいた社会がそういう風に作り上げたのかは分からない」

 はあ、とツバサは返事することしか出来なかった。 

 ノリアキは褒めてくれているのだろうが、だが、どこか意味があるように話していた。

「だが、それは大人になることで得られる特権だ。大人になれば、様々な制限もあるだろう。だが、それは、大人になったことで周囲から信頼されて得られる証でもあるんだ。でも君はまだ子供だ。子供にそんな権利が与えられると思うのかい?」

「それは……」

 答えることが出来なかった。ノリアキの言っていることが、必ずしも正しいとは言えない。だが、ツバサには、今だけはそれが正しいと感じていた。

「借金することは、大人が大人から借りる時のみに使われるんだ。君は、子供が親からお金を借りることを借金したというのかい? 親が子供に利子の話などをして『後で返してね』って言うのかい?」

「……言わないです」

 ツバサはノリアキが何を言いたいのか分かってきた気がした。

「だろう? ならば、子供は一切遠慮しないでほしい。もちろん、調子に乗ることは意味が違うよ。君は、自分が失ったものを取り戻すために、僕たちに遠慮せずに頼ってほしいんだよ」

 ノリアキは、話をつづける。

「そのためには君のためにお金を渡しても構わない。これは投資とかそんなメリットデメリットじゃないんだ。ましてやボランティアでもない。君を助けたいという、人間にしか持てない気持ちをここで実現したいだけなんだ」

 ノリアキは、そう言うと、ツバサの頭から手を離した。

「だから、ここにいてほしい。それが君のためでもあり、僕たちのためでもあるんだよ」

 ノリアキの言葉はツバサに確かに届いていた。

 ここにいてもいい、というその一言――見ず知らずの人に、普通なら絶対に言わないありえない言葉を、彼はいとも簡単に言ってのけた。

 ツバサは、頭を伏せた。泣きそうになったからだ。

「……本当に僕は、ここにいていいんでしょうか?」

 信じたい、だからこそこれを聞いた。もし、今までのことが嘘だったら、とツバサは不安に感じていたのだ。

 だが、ノリアキは優しく、ああ、と言ってくれた。

「いていいんだよ。ここが、君の家だ」

 ああ、何なんだろうな……この気持ち。

 どこか懐かしい感じだ、とツバサは思った。

 しばらくそんな言葉を聞いたことがない気がした。今までずっと一人で、何かを頑張って、そして、ずっと気張ってきて……。

 ツバサは、ようやく、今の自分に必要なものを見つけたのかもしれない。もしかしたら、ずっとその言葉を誰かに言ってもらいたかったのかもしれない。

 少し遠回りをしてしまったが、ようやく、ここから新しい自分自身が始まる、それをツバサは確信していた。 

 ツバサは、頭を下げて、

「よろしくお願いします」

 と言った。

 ノリアキとホノカは、その言葉を待っていたといわんばかりに微笑んだ。

「ああ、よろしく、ツバサ君……いや、ツバサ」

 ノリアキは、ツバサの名前を呼び捨てにした。ツバサがエンジョウ一家として迎え入れられる儀式だ。

「これからツバサは何がしたい? 遠慮なく言ってほしい。ツバサがこの家に来た記念すべき日だ。何でも好きなことを言ってほしい」

 何でも、という言葉にツバサは考えた。自分が何をしたい? ツバサは思考を働かせる。

 記憶はないが、だが、不思議と頭の中に様々なワードが浮かび上がってくる。どれも勉学の言葉だった。

 記憶が無くても、専門的な知識はしっかりと残っているらしい。なら、自分が今、何をしたいのか、これで決められる。

 ツバサは、ノリアキの方へ顔を向けて言った。

「本……本が欲しいかな。多分、もう売っていると思うけど、H大学のヒュッツフェルト教授の本が発売されているはずだから……」

 この日――マドカ・ツバサは、エンジョウ家の一員、エンジョウ・ツバサとして迎え入れられた。

 全てが終わった後、ツバサはこう回想している。マドカとエンジョウの二つの性は、自分が今まで出会い、戦い、そして救ってきた様々な出来事の中で一生忘れることの出来ない大切なものであると。

 

   2.

 

   *

 

 ツバサがエンジョウ家に引き取られてから、ひと月が経過した。

 引き取られたあの日から、まるで電光石火のような速さで、色々なことが起きた。

 ツバサが引き取られたあの日、ノリアキの妻であるカノコが仕事から家に帰ってくると、目を覚ましたツバサを見て思い切りツバサを抱きしめた。そしてこの家で暮らすことをノリアキに教えられると、

「やったあ! 息子が出来た!」

 と、喜び、その日の夕食は大盤振る舞いだった。

 ツバサの環境に適応する能力は凄まじく早く、ノリアキが住む住宅街でもツバサはかわいがられるようになった。 

 住宅街にいるツバサの同い年の友人たちにも恵まれた。

 そして、ツバサ自身の生活も変わってきた。

 エンジョウ家の二階には物置になった部屋があったがそれをどかし、ツバサの部屋になった。ツバサは、ノリアキとカノコに陳謝しつつ、研究用の機材を買ってもらい、様々な実験を繰り返していた。

 普通なら研究者が使う機材を部屋に設置し、記憶を失う前と同じ研究をひたすら繰り返していた。

 そして、偶然か、ツバサは雑誌でアスカ・シンの記事を見て、再びアスカに憧れを抱くようになったのだ。

 このひと月の間、ホノカが学校へ行っている間、ツバサは部屋で研究をし、休日は外へ出て記憶を探すということをひたすら繰り返していた。

 だが、それでもツバサの記憶は一向に戻らなかった。

 

   *

 

『メトロポリス上空に現れた謎の船は、現在も静止を続けています。TPCは、この船に対して調査を続行していますが、依然として有力な手がかりは今のところ掴んでいません』

 

「一体これって何なのかしらねー。本当に嫌だわ」

 カノコがトーストを齧りながら言った。

「というか、もうここ一週間はこれの話ばっかりよね」

 と、ホノカが続くように言った。

 

『しかし、一体誰が、何の目的で船を出現させたのか依然として謎なのが気がかりです。現在でも市民の不安は拭えていません』

『そうですよね。昨日は、船から電流のようなものを帯びていました。TPCは攻撃ではないと確認できているようですが、我々から見れば、明らかに攻撃ですよ』

 

 テレビのコメンテーターは、互いに自分の意見を言い合っている。ツバサは何度もその意見を聞いていた。コスモネットでも市民の反応を見ると、TPCへの不満やどうでもいいくだらない書き込みなど、十人十色な意見が目白押しだった。

「母さん、仕事に影響はないのかい?」

 ノリアキがカノコに聞いた。

「別に無いわよ。まあ、うちの会社が電子機器とかTPCで使う機材とかを扱っているから、昨日の電流騒ぎは本当に大騒ぎだったわよ。あれ、目測で考えると雷並みの電力だと思うわよ。でも、何にも障害は起こっていないから、とりあえず、様子見ってところ」

 カノコは、淡々と言いつつも食事の手をやめなかった。

 

『さて、続いてはお天気です。今週で連続七日目の雨となりましたが、いかがでしょうか? これからのお天気はどうなっていくのでしょうか?』

『はい。雨雲は現在、メトロポリス上空で非常に遅い速度で進んでいますので、もうしばらくは雨が続くと予想されます。風の影響で夜は晴れますが昼には雨が降るという状態が続くでしょう。このままですと、東に雲は抜けて、神奈川、千葉に向かうものと予想されます』

 

 ノリアキ、カノコ、そしてホノカは、今後の心配をしながら食事を続けている。だが、ツバサは、早く調査したいという知的好奇心を抑えるのに必死だった。

 

 ことの発端は一週間前のことだった。

 メトロポリス上空に突如、謎の船が姿を現したのだ。

 何の前触れもなく現れたその船は、特に行動も起こすことなく、ただ、上空で漂っていた。

 空を飛ぶ船、といえば、先の戦いで登場したアートデッセイやクラーコフのような心臓母艦や移動要塞が頭に浮かびやすい。

 だが、今回現れた船は特に、そういった真新しいものは何一つなかった。

 竜骨や大きな船室の窓を除けば、もはやそれは箱も同然だった。

 だが、ただの箱とはいえ、その大きさは異常だった。

 ニュースでは、百メートルを優に超えると言われ、人々の中には、写真に収めるものも少なくなかった。

 すぐにTPCが調査に乗り出したものの、船は何もすることなく漂っていた。

 明るい時に現れ、夜になると消える船、とネット上や雑誌で特集された。小雨が降りしきっている中の船は、時よりぼやけ、少しずつ動き出すその姿は、まさに幻想的である。そして雨が上がる夜は、消えている――まるで儚い夢のようだ、と船を表現していた。

 最初は、人々も珍しさで、街に集まってはこれを話題にしていたが、すぐに船は恐怖の対象へとすり替わっていった。

 調査六日目に、船に対してコンタクトを取ろうと、通信からライトの点滅を用いたモールス信号による会話を実行した。

 だが、どれも効果はなく、船にいるであろう乗組員からの連絡は一切なかった。

 そこで、これ以上は領空侵犯であると警告した上で、船に乗り込む作戦に出た。

 船には、一つの大きな跳ね橋式で開くであろう入口があった。そこから入りこもうと考えたのだ。

 もし入口が開かなければ、最小限で入口に穴をあけて突入することになった。

 作戦は簡単だろう、と思われた。

 戦闘機の一機が船に近づき、乗り込もうとしたときだった。

 突如、戦闘機の後方から、雷電が迸った。

 船がある場所とは全く別の場所からの攻撃だった。戦闘機は一時、コントロール制御が不能となり、そのまま船に突っ込んでいった。

 激突は免れない。誰もがそう思った時だった。

 戦闘機は船をすり抜けていったのだ。

 誰もが目を疑った。船は、戦闘機が抜けた後も、その場に居続けた。激突された痕跡は一切なく、まるで幻のようだった。

 いや、もはや幻影といってもおかしくないのかもしれない。

 その後、他の戦闘機が、上へビームを発射したが、それも船をすり抜けて空へ消えていった。

 そして、攻撃を加えるたびに電撃がどこからともなく迸り、戦闘機を一時的に制御不能にさせた。

 そして、七日目――今日。

 TPCは船から離れて戦闘機を周回させつつ様子を伺っていた。船は、攻撃する素振りを見せない。

 だが、その場にいるということが、人々にとって大きな恐怖となっていた。

 人々の批判は船ではなく、TPCに向けられるようになっていた。

 TPCが余計なことをしなければあの船はそこにいるだけで、何もしなかったのだ、とTPC職員へ直接抗議や、コスモネット上で関係ない罵詈雑言を書き込まれたりしていた。

 当然、八つ当たりだというのは、人々は分かっていた。だが、どこかに不安をぶつけなければいつかは壊れてしまう、と無意識に感じてしまっていたのだ。

 そして、今回は、向こうの出方を待っていつでも動けるように準備を整えていた。

 

 だが船は、ツバサにとって不安どころか好奇心を掻きたてる要素になってしまっていた。

 最初に船が現れたときは、ホノカと二人でメトロポリス内を散策していた時だった。

 突如現れた船に対して、ツバサはすかさず写真を撮った。当然、珍しさ目当てではなく、調査用のためであった。

 ツバサは、まず船を俯瞰的に見て、得られるだけの情報をかき集めていった。

 目測、そして機材から船の全長の計測、船の材質、船の速度、船が昼間に現れ夜に消える仕組みなどを徹底的に調べていった。

 そして、六日目に起きた船による攻撃も、ツバサはカメラと機材を使って記録していた。これまでとは全く違った船の動きは、ツバサにとって一つの大きな収穫だった。

 そして、今日、TPCが俯瞰することを決めたということは、もしかしたら、今度は近くまで行って見られるかもしれない、とツバサは考えていた。

 そして、今日はホノカとメトロポリスへ行く予定があった。

 ホノカはツバサの記憶を取り戻すきっかけがあるかもしれない、と毎週休日になったら街へ行くことを提案した。ツバサはすぐに肯定した。これで記憶が戻るのなら、悪くない。何より、メトロポリスの地理が分かることも、今後役に立つだろう、と期待していたのだが……。

  やはりうまくいかないものである。

 ツバサは、今日の予定を頭の中で浮かべながら、朝食を済ませた。

 

 雨はやむ気配を見せなかった。

 相変わらずの小雨に傘をさしていいものか悩む。

 ツバサはメトロポリスの空を見上げながら、時より船を見つめていた。

 街には人々が行き来しているが、所々にTPCの職員たちが警備として等間隔で立っていた。

 ホノカは、それを見てあまり機嫌は良くなかった。

「何かいっぱいTPCの人がいるね」

「まあ、仕方ないだろう。というより、普通に街に繰り出している僕らや市民の方がおかしいと、今更だけど思うよ」

 ツバサは、そう言い返すと、ホノカは、

「もう、少しはシチュエーションを考えてよ。せっかくのお出かけ何だから船なんてどうでもいいじゃない」

 と、言い返す。

「どうでもよくないだろ。万が一何かあったらどうするんだ」

「そしたらお兄ちゃんが助けてくれるでしょ?」

「……デスクワーク派に死ねと言っているようなものだぞ、それ」

 ツバサは、冷ややかに言った。

 なによー、筋肉質の体のくせに、とホノカはつんとなって言った。ツバサは微笑して、そそくさとメトロポリスの街中を歩み始める。

 

 しかし……本当にたったひと月足らずでここまで溶け込めるなんて思ってもみなかった、とツバサは思った。

 エンジョウ家に引き取られてひと月。ツバサは、エンジョウ家の『ゲスト』としてではなく、一人の『家族』として迎え入れられることになってから本当にあっという間だった。

 結果的に、正式な手続きの元、ツバサはエンジョウ家の『長男』――エンジョウ・ツバサとして生まれ変わった。

 ホノカとの立場は兄妹、ということになった。ホノカがツバサより生まれるのが若干遅いから、という理由であった。

 そのためか、家では、「お兄ちゃん」と呼ぶが、二人きりの時は何故か、呼び捨てで「ツバサ」と呼ぶ。

 ツバサは気づいてはいないが、ホノカは、ツバサに無意識のうちに一目惚れしていたのだ。

 毎週メトロポリスに行くのは、ツバサの記憶の為でもあったが、実際は、ホノカにとってデートという意味合いがあったのだ。

 雨が降りしきっているとはいえ、ホノカの気分は晴れそのものだ。ツバサと一緒にいられることは、彼女にとって全てだった。

 目の前にいるツバサは、空を見上げていた。

 そこは船が浮かんでいる空だった。

 船は相変わらず漂い続けている。

 ただ、ツバサの計算が正しければ、船は常にそこにいるわけではないことが分かる。

 全長や特徴は、まさにあの書物に出てくる船そのものだ。

 一体何故、こういう形にしたのかは定かではない。だが、間違いなく、正当な理由はないのは確信できる。

「……サ」

 全てが正しければ、この船に攻めあぐねているTPCに助け船を与えることが出来る。

「……バサ」

 可能ならば、今日で決着をつけたいものだ、とツバサは考えていた。

「ツバサ!」

 ホノカの言葉がようやくツバサに届いた。

 ツバサは、突然の大声に呆気を取られ、素早くホノカを見つめた。状況を察するに、ホノカはどうやら怒っているらしい。

「また、自分の世界に浸っていたわね」

 ホノカは、ずい、とツバサの目の前に顔を寄せた。

 傘と傘がぶつかり合う。ツバサは、周りに水滴がかからないか、それを心配していた。

「別にそういうわけじゃ……」

「いーや。絶対そうだった」

 ホノカは、引き下がらない。

「まさか、週一の付き合いは全部あの船の為だった、なんて言わないわよね」

「い……言わない! 言わないよ!」

 ツバサは、首を横に振った。

 ああ、そうとも。決して船の為じゃない――十パーセントほどはホノカのことを考えていたさ、と口が裂けても言えない。

 ――ホノカには悪いが、あの船を無視し続けるなんて人間として出来ないんだ。

 あの船は、何らかの悪意を感じる――ツバサは、ずっとそう思えて仕方がなかったのだ。

 だからこそ、あの船を調べ、調べた結果をTPCに伝えることが出来ないか、とずっと模索していたのだ。

「買い物、付き合ってくれるよね」

 ツバサが考え事をしているときに、ホノカが言った。

「ああ。うん。分かってるよ」

 今度は、意識をうまく調整できた。ツバサは難なくホノカの言葉に返事する。

「そう。それなら大丈夫ね。それじゃあ――」

 ホノカは、ぐい、とツバサの腕を引っ張った。

「欲しいのがあるから、荷物持ちとかお願いね」

 またか、とツバサは溜息を吐いた。

 ホノカを見ると、どうしても思ってしまう。

 どうして、皆は自分が運動する人間じゃないのに、嫌でも体を動かさそうとするのだろうか、と。

 

 買い物は、ツバサが予想していたよりも遅くなってしまった。

 時刻は夕刻を過ぎようとしていた。

 ツバサは、両腕にホノカが買った物が入った紙袋を大量に担いでいた。

 運動が苦手なツバサにとって、これほど持つのは地獄以外の何物でもないが、不思議とそうは感じなかった。むしろ、まだ持てるぐらいだった。

 だが、今のツバサにとっては、それはあってほしくないものなのだが。

 だが、そんな願いは簡単に打ち砕かれる。

「さて、次は……」

「まだ買うのかよ……」

 ツバサは、ホノカの言葉に咄嗟に反応してしまった。いくらまだ余裕があるとはいえ、これ以上は勘弁願いたいのが、ツバサの本心だった。

「当然ですよ。まだまだ買う物はいっぱいあるんだから」

 一体何を買っているのかは、ツバサは分からない。ただ、一体どこにこれだけ買う金があるのだろうか?

 ああ、そうか、とツバサは考える。母さんの分も買っているのか? なら金もこの量も納得できる。

 だが、見る限りどれもカノコが使っているものには程遠い気がした。

 事実、カノコが使っているものは利便性を追求したものであって、ブランドは決して使わない。

 やはり全てホノカのものなのか……、とツバサは疑ってしまう。

 だが、ここまで来たら、文句も何も言えない。大人しく従うしかない。

 やれやれ、記憶探しを手伝うのが、どうしてこんなことに……やはり、買い物の口実なのだろう。

 ツバサは、運命だと思ってあきらめるしか他に無かった。

 ホノカの後ろにツバサが続く。途中で交差点に差し掛かった。

 赤信号でツバサとホノカは止まった。

「ここって何故か、反対の方が青の時間長いんだよね」

「車の通行量に合わせて時間を伸ばしているんだろ?」

 ツバサは、指をさした。車は、大通りへの通行が激しい。脇道に入る車は数えるほどしかなかった。

 ああ、本当だ、とホノカは言った。

 それからは、青になるまで他愛もない会話だった。

 そして、信号が青になる。

「あ、意外と早かったね。結構話し込んじゃったかな」

 と、ホノカは青信号を見て言った。

 そんなに話しただろうか、とツバサは思った。まだ一分弱しか経っていない気がするが。

 それに、この信号の時間なら、反対側の信号は、二分半は青になっているはずだ。まだ一分とかかっていない。

 それだけ時間を忘れて話したのだろうか、とツバサは思うが、特に気にすることでもないな、と思った。

 ホノカが先に歩き始める。ツバサは後に続いた。

 念のため、ツバサは、左右を見渡した。

 あれ、とツバサは思った。

 今、僕らは青信号を渡っているはずだ。なのに――、

 

 どうして反対側の信号も青信号なのだろうか?

 

 刹那。

 反対側の車が交差点を突っ切ろうとしていた。

 時速は六十キロほどだろうか。車にしては普通のスピードだろう。何ら怖がる必要はない。

 だが、それは問題ではない。

 問題は、その車の先に、ホノカがいることだった。

「ホノカ!」

 ツバサは、咄嗟に叫んだ。

 そして、ホノカに向かって駆け出す。

 ホノカは、ツバサに振り向くことしか出来なかった。車の存在に気づいていないのだ。その瞬間、ホノカの世界が暗転した。

 目の前にツバサが駆け寄っている。

 最初は、ツバサがホノカを抱きしめようとしていると思った。こんな場所でいきなりなんて……大胆よ! と内心嬉しい気持ちが渦巻いていたが、すぐにそれは勘違いだと気づいた。

 ツバサは、必死の形相をしていた。何かを守ろうとする決死の覚悟――ホノカにはそれが感じ取られた。

 ツバサは、命を投げ捨てる覚悟は、とうにしていた。

 また守らなくては、という使命感がツバサの原動力となっていた。

 ホノカを突き飛ばす。ホノカは、反対側の歩道へ投げ飛ばされた。

 ホノカはペタリと、歩道で座り込んだ。周りの人々が、ホノカに駆け寄って安全を確認しに来た。

 それからホノカが、絶望に打ちひしがれるのは、一瞬の事だった。

 ホノカを突き飛ばしたツバサの体は、どういうわけか硬直した。 

 救った、という使命の終焉が、ツバサの体を停止させたのだ。

 ツバサは、横を向いた。車は、目の前に迫っていた。

 ああ、またか、とツバサは呟いた。

 いつか昔――同じことがあったような気がした。

 死を目前にして、まるで全てがゆっくりと動くような感覚。

 何故か分からないが、見慣れた光景だ、とツバサは悟ったのだ。

 そして――。

 

 車はツバサに激突する。

 

 ツバサを弾き飛ばすことはなかった。車は、ツバサを巻き込んで、ただ、真っ直ぐと進んでいく。その先に、電柱があった。

 車は、電柱に激突した。

 ツバサは電柱と車に挟まれた。

 激突音と、何かが勢いよく砕け、折れる音。

 ツバサは吐血した。車体が腹部を確実にとらえていた。

 ああ、これは――。

 

 死んだな。

 

 と、ツバサは、煙を拭いて停止した車、血と泡を吹いて死んでいる運転手、そして涙を流し、泣きわめくホノカを見た。

 ああ、良かった――救えた、と満足そうに微笑んだ。

 ツバサは、再び意識を失った。

 

   3.

 

 かつて、TPC総合本部基地であったグランドームは、規模拡大と共に、TPCと政府防衛省との防衛基地として生まれ変わった。

 それに伴い、総合本部基地は、現在はメトロポリスの山間部に極秘裏に建造され、九割の部門がそこに移動となった。

 外からは山にしか見えない。だが、中は、グランドームよりも面積が広く、さらに防衛システムが強化された最新鋭のものになった。

 山々に連なる場所にあるおかげで、迷彩としての意味合いも果たし、怪獣や侵略者の進行は格段に減るだろうと、期待されている。

 TPC総合本部基地アンダーグラウンドとして、ここから地球の防衛任務に日夜職員は汗を流しているのだ。

 そして、アンダーグラウンドにはS‐GUTSの司令室もそこにある。

 現在のS‐GUTSには隊員が五人いる。

 今までは、七人いたが、二人がそれぞれ科学局、そして警備局へ移動となった。近々、後任が来る予定ではあるが、まだその後任は来ていない。

「さて……、どうやら上層部から至急調査してもらいたい案件があるらしい……」

 体つきのいい背の高い隊員が言った。

 名前をフドウ・ケンジ。S‐GUTS隊長を務めている。

 元ブラックバスター隊員という経歴を持ち、アスカ・シンのライバルであったフドウ・タケルの実弟である。

 彼の兄のタケルは、十数年前の試作機のテストパイロット中に殉職した。

 フドウはかつて、ブラックバスター時代にとある任務でアスカと共にしたこともあった。そして、正式にS‐GUTSに入隊するためにブラックバスターを脱退し、再び訓練学校からやり直したという変わった経歴も持つ。

 後の伝説となったアスカと共に任務を全うしたことは、彼自身の誇りであった。

 そして、現在、S‐GUTSの隊長として隊員達の指揮を執る。

 頼りになる兄貴肌の性格であり、隊員達からも慕われる存在である。

「今からですか? 例の船の調査もまだ何も進んでいないというのに?」

 フドウの隣で船の詳細を記した書類と格闘している男が言った。

 彼の名前を、シンジョウ・シンイチ。S‐GUTSの副隊長を務めている。

 シンジョウ、と聞いて気づいている人も多いかもしれない。

 かつてGUTSに所属していた、シンジョウ・テツオ隊員――シンイチはその従兄弟にあたる。

 幼いころは、GUTS隊員に憧れ、それを真似て、夜の公園をパトロールしていたこともあった。

 一度だけ、叔父共々、異星人に拉致されたことがあり、その時にティガに助けられたこという経歴がある。

 あれを切掛けに、ますますGUTSに執着し、そして現在は叔父よりも上の地位で働くことになった。

「上層部が我々に至急と言っているのですから、よほどのことなのでしょうね」

 シンイチの隣にいた若い男が言った。

 名前をミドリカワ・ヒロキという。

 この名前にも気づいている人も多いだろう。

 何を隠そう、かつてS‐GUTSに所属し、現在は訓練学校ZEROの教官となっているミドリカワ・マイの実弟である。

 姉の七光りと呼ばれるのが嫌で、かつて自衛隊に所属していた経歴を持ち、射撃能力に長け、スコープを使わずとも遠くの目標も打ち抜く実力の持ち主であり、それを買われてS‐GUTSに入隊した。銃に関してはTPC内でもトップクラスの実力者である。

 だが、その反面、大のハネジローファンという顔も持つ。

 自室には、子供の頃から集め、今は販売されていないハネジローグッズが飾られている。

「ああ……キサヌキ。今回の調査内容についてモニターに出してくれないか」

 フドウは、オペレーションシステムを操作している隊員に言った。

「分かりましたー。……出ました。どうやらメトロポリス内で起きた交通事故についての調査らしいですね」

 淡々とした表情でモニターにデータを表示させた隊員。

 名前をキサヌキ・エミという。

 幼少期より、コンピュータープログラミングに精通し、自ら会計ソフトや設計ソフトなどを開発して会社に売り込みをしていた経歴を持つ。

 昨季、十七歳にしてTPCからスカウトを受け、情報局でデータ管理の仕事をした後に、S‐GUTSのオペレーターとなった。任務の傍ら、TPCに頼み込んで、専用の機材やソフトを受注してももらって、新しいソフト開発にも携わっている。

「交通事故? 何でこんな単純なことをあたしたちが調査しないといけないのかしら。全部警察の担当じゃない。こっちは船の対応策を練るのに忙しいっていうのに……」

 司令室の中央にある事務テーブルの横の椅子に座っていた隊員は、その場で立ち上がり、モニターに映された詳細を見て呆れながら言った。

 名前をイチカ・マリナ。

 今季よりTPCに入隊したルーキー隊員である。

 フライトシミュレーション以外の科目を訓練学校創設以来の高得点を叩きだした、未来のエース候補。

 十六歳にしてすでにルーキーの趣はない。入隊してから、すぐに隊の仕事を覚え、現在では、単独でガッツイーグルに搭乗し戦うことも、防衛チームへの指揮も出来る、まさに天才と言うべき存在だ。

 ただ、真面目そして完璧主義ゆえ、TPC職員と対立し、あまり快く思われていない。また、あまりに一つのことを思いつめ、そのまま突き進む性格であり、時より、イレギュラーに見舞わされたときは、パニックになり自滅することもしばしばある。フドウやシンイチが時より宥めたり、抑えたりするが、完璧には止まってくれず、内心どうしたらいいか二人も困っている状態だ。

 ただ出来る人ではあるから、重宝されるのも確かだが。

「まあ、そういうな、イチカ。警察が手をこまねいたということは、俺たちじゃないと調べられない何かがあるということだ」

 フドウは、マリナに言った。マリナは文句を言わず、ただ一言、分かっています、と答えた。

「よし。それで、キサヌキ。事故の内容は何なんだ?」

 フドウは、エミに聞いた。

「はーい。どうやら、警察の情報からですと、事故が起きたのは一時間前くらいのことです。車同士の追突事故、轢き逃げ、車と人の接触事故など多数です」

「どれも交通事故の典型例だな。でも、一体どうして僕たちに……」

 エミの説明にヒロキが呟いた。

 問題はそこだ。

 普通の交通事故をTPCに調査を依頼するのは、よほど尋常じゃない理由があるということだ。そうでなければ、そのまま警察で処理できるもののはずだ。

「どうやら、ただの交通事故じゃないようです」

 エミはそう言って、キーボードに打ち込んでいく。モニター画面が変わり、メトロポリスのマップが表示された。

「メトロポリス中心街のマップです。今から一時間前に事故が起こった場所をマーキングで表していきますので、確認してください」

 エミはそう言って、事故が起きた場所のデータを入力していった。

 そして、ポイントが現れる。赤色のポイントが事故発生現場だ。

「ふむ、中心街から繁華街か……そして……」

 主要道路での事故。なんてことはない。大方、曲がる際に反対側の車と接触したのだろう、と隊員達は考えた。

 だが、これが普通の交通事故ではないと知る。

「え……?」

「おいおい……。どういうことだよ」

 マリナとヒロキはそれぞれ目を疑った。 

 赤のポイントがさらに増えていく。中心街や繁華街のみならず、メトロポリスの道路に設置された信号機の場所――その全てと思われる場所に赤いポイントが次々と点いていく。ポイントが止まる気配を見せない。もはや、道路がポイントで埋め尽くされて、見えなくなっていった。

「ただの交通事故と考えろ、という方が無理な話だな」

 フドウが言った。

「確かに。これじゃ、警察もお手上げになる気持ちがよく分かりますよ」

 シンイチはそう言って、両手を上げた。

「これが一時間前に一斉に起きたってわけ? 怪現象と言ってもおかしくないわよ」

 マリナは疑問視した。

 目視されるだけで、百件以上。交通事故がメトロポリス中心で発生している。

「メトロポリス中心街で、確認できているのが百六十三件です。そのうち四十三件で市民が亡くなっています。百十件で軽傷もしくは重傷。残りは、奇跡的に無傷ですね」

 エミが淡々と語っていく。

 さすが、警察だ。短時間でそこまで調べたのか、とフドウは感心した。

「ただ、あくまでこれは中心地だけに留まります。情報によると、メトロポリス全域で事故が発生しています。この様子だと死傷者の数は、この詳細よりも遥かに多いでしょうね」

 エミが説明を終えると、フドウは、うむ、と頷いた。

「とにかく、被害に遭った人たちに話を聞かない限りには、話は始まらないな」

 フドウは、振り向いて、隊員に指示を出した。

「シンジョウには、俺に代わって船の調査指揮権を一時的に譲る。引き続き船を観察してくれ。ヒロキも同様に、ガッツイーグルで船を観察、警戒して様子を見てくれ」

 シンイチとヒロキは、ラジャー、と言って親指を立てる。

「エミは引き続き、オペレーターとしてここで連絡の仲介役を頼む。ああ、今使っている調査ソフトのデータは今後も優先的に作戦本部の方へ渡していってくれ」

 エミは、らじゃー、と淡白な返事をした。

「マリナは俺と一緒に来て、事故の被害者から話を聞きに行くぞ。自分の足で情報を探していくのも俺たちに必要なスキルだ。まあ、これが最後の研修だと思って付いてきてくれ」

 マリナは、勢いよく、ラジャー、と言った。他の隊員に負けない熱い返事だった。

「よし。全員、今日も全力を尽くしてくれ。異動しちまったあいつらの分も働くことになるが、まあ、それは俺がもう一度上に相談しておくから、耐えてくれ」

 

 本部の地下から通じているシークレットロードは、高速道路の間を通って、さりげなく一般道に混じる。外から見ても、そこに高速がもう一本ある、と見えるだけで、誰も散策はしない。時より、TPC職員が乗る一般車も定期的に通るため、誰もがただの高速道路に見える。

 時より、車を付ける人もいるが、その時は、高速を降りて一般道で車を撒く。一般道からも本部へ入る道もあるのだ。

 S‐GUTSのパトロール専用車両――通称ゼレットⅡ。以前のゼレットに速度や武装などを大幅強化した車である。

 フドウとマリナはそれに乗り込んでいる。

 ゼレットⅡは、そのまま高速へ入り、メトロポリス中心街へ走っていた。目指す場所は、事故で負傷した人たちを治療している各病院だ。負傷した人から、事故の様子を聞くためであった。

 

「うーん……やっぱり同じ答えしか返ってきませんでしたね」

「そうだな。しかし、まさか裁判沙汰に持ち込もうと口論するとは思いもしなかったなあ」

 マリナとフドウは、病院から出ると、大きく溜息を吐いた。

 どっと全身から疲れがたまる間隔を覚えた。これがまだ続くと思うと、嫌でならない。

 マリナは、特務部隊のはずが、警察と同等の事をしていると、自分は本当にS‐GUTSに入ったのか、と時より疑問に感じていた。

 ここまで地道に話を聞いたが、これで八件目だ――負傷者に事故当時の状況を聞こうとすると、いつも同じ返答を返してくるのだ。

 先ほどもそうだった。

 フドウとマリナは、丁度、手当を終えた負傷者と話をすることが出来た時だった。

「まさか、TPCの人が来るなんて思わなかった。まさか、事故について調査しているのか? 船はどうするんだよ」

「それについては、ご心配なく。現在も調査中です。私たちは、別行動でこの事故を調査しているのです」

 フドウがそう説明すると、負傷者は、まあ、いいけどよ、と答えた。

「感謝します。それで、事故当時、一体何があったんですか?」

「何があったって言われてもなあ……。俺は、普通にトラックを走らせていただけだ。信号が青だったからそのまま真っ直ぐ進んでいたんだよ。そしたら、横から……」

「車と衝突した、と?」

 そうだよ、と負傷者は答える。

「間違いないんですね?」

 マリナが聞いた。

「ああ、見間違うはずねえよ、お嬢ちゃん。俺は今まで交通違反なんてしたことが無いんだ。信号はしっかりと確認しているから間違いない。青だったよ」

 負傷者が断言した。

 フドウとマリナは、彼が嘘をついているようには見えなかった。負傷者はしっかりと詳細に話をしてくれている。アドリブで嘘を言えるような性格には見えない。

 だが、後ろから、彼の声に怒りで返した男がいた。

「何が見間違うはずが無いだよ。この嘘つき野郎が!」

 負傷者と一緒にフドウとマリナも振り向いた。そこには、若い男が一人いた。

「あなたは?」

 フドウが冷静に聞いた。

「こいつのトラックに事故られた被害者だよ。こいつが赤信号で突っ切ってきたからこの事故は起きたんだろうが。嘘吐くんじゃねえよ!」

 若い男は挑発ぎみに言った。それを聞いた負傷者が怒り心頭で言い返した。

「嘘つきだと? てめえ、口の利き方には気を付けろよ。一体どういう根拠で、俺が嘘つきだって言いたいんだ? ああ? 俺は誓って嘘は言ってねえよ! むしろ信号を無視したのはお前だろ!」

 若い男も反論する。

「てめえ、口の利き方に気を付けろよ。お前の所為で俺の嫁さんが腕を折る大怪我を負ったんだ。てめえには慰謝料をふんだくって、ぶん殴らねえと気が済まねえ!」

「何だと!」

「俺にはしっかりと証拠があるんだよ! 俺らのところが青信号だったって証拠がな!」

 証拠、と聞いてフドウとマリナは早速聞いた。

「証拠があるんですか?」

「ああ、あるよ。俺の車にはドライブレコーダーがあるんだよ。そこに記録されているはずだ」

 フドウは、早速若い男からドライブレコーダーを借りて、その映像を確認した。

「……確かに青信号だ」

 映像を一緒に見た負傷者の顔が青ざめていく。

「そ……そんな、馬鹿な」

「ほら見ろ。お前が嘘だったって証拠だ。まだ何か言い訳する気があるなら一応聞いてやるよ――裁判所でな」

 裁判、と聞いて、負傷者が弁明するようにフドウやマリナにしがみついた。

「ほ……本当だ! 俺は、嘘は吐いてねえよ! 確かに俺のところは青信号だったんだ! 本当だって!」

「見苦しいぞ、てめえ! 俺の証拠を見ただろ。なのに、まだ嘘を吐くのか?」

「違う! 本当なんだ!」

「だったら、てめえの所が青信号だったっていう証拠を見せろよ!」

「証拠は……無い。俺のトラックにはレコーダーは無いんだ」

「じゃあ、実証は無理だな。覚悟しとけよ。裁判でてめえの悪意を知らしめてやるからな」

 二人は途方もない言い争いを始めた。

 フドウは、これ以上二人を争わせる必要はないと、決断し、言い争いに介入した。

「まあまあ、とにかく。裁判とかは後で考えてください。今は誰も生きていたことを喜びましょう。まずは、怪我を治してから、そこから考えましょうよ」

 フドウの人柄なのか、彼の説得に、二人はしぶしぶ了承した。マリナは、後ろからフドウの姿を見て、尊敬した。

 自分ではああいう風にはならないだろう。きっとさらにこじれる。こういうことに関して、マリナはどうすればいいか全く分からないのだ。

 

 フドウとマリナは病院を出て、次の病院に向かった。二人は、次で今日の調査を終えようと思っていた。

「もう夕方を過ぎたか。これ以上は患者と面会することも駄目になりそうだな」

「急ぎましょう。次の場所はここからそう遠くないはずです」

 二人はゼレットⅡを進めた。

 

 最後の病院でも負傷者であふれかえっていた。

 誰かから話を聞ければいいが、と二人は辺りを見回す。

 すると、別の入口近くで、少年と少女と、そして、病院の先生だろうか……何やら互いに言い争いをしているようだ。

 少年は、入院着を着ていた。

「何をしているんでしょうか、あれ……」

 マリナが聞いた。

「さあな。だが、見る限り、お前と同じくらいの年齢か?」

「違うでしょう? 見たところ、年下って感じがします。どことなく子供っぽいし」

 マリナが邪険にしながら答えた。フドウは軽く笑った。

「まあ、とにかく止めないとな。ああいう困った場面を対処するのも俺たちの役目だ」

 フドウはそう言って先導する。

 ちょっと違うのではないだろうか、とマリナはこの時そう思った。

 マリナはフドウの後を追っていく。

 フドウは、言い争っている三人に割って入ってきた。

「すみません。少しよろしいでしょうか?」

 突然入ってきたことに驚いたのか、少年は、驚いて、一歩退いた。

「な……何ですか、あなたは?」

 フドウは臆することなく言う。

「S‐GUTSのフドウとイチカだ」

「S‐GUTS?」

「ここは公共の場所だ。騒ぐと周りに迷惑がかかるよ」

 少年は辺りを見回した。

「……確かにそうですね。少し、自分を見失っていたようです」

 どうやら、話の分かる少年のようだ。フドウは、微笑みながら言った。

「分かればいいんだ」

 少年は、少し微笑んで言った。

「落ち着かせてくれてありがとうございました。この恩は一生忘れません。それじゃ、僕はこれで」

 少年はフドウに頭を下げて、病院を出ていこうとした。

 とにかく、三人を落ち着かせることが出来て良かった――フドウは、そう思った。

 だがマリナは、そうでもないようですね、と小さく言った。

 少女が病院から出ていこうとする少女が引っ張った。

「なにいい話のようにまとめて逃げようとするのよ……!」

 少年は、舌打ちして少女を見た。

「先生の言うことを聞いて頂戴!」

「何でだよ! どこも怪我なんかしてないだろ!」

 少年と少女はまた言い争いを始めた。

 フドウは、どうやら割って入って済む問題ではないと感じた。フドウは、横にいた先生に事情を聞いた。

「この子はこの病院の患者さんですか?」

 先生は、困った顔で答えた。

「そうなるはずの子なんですが、彼が体は何ともない、と言って入院を拒むんですよ」

「なるはず?」

「ええ。交差点の交通事故で被害にあった子なんですが……」

「ということは、彼も例の事故の被害者か」

 フドウは、少年を見た。

 餓鬼ね、とマリナは呟いた。

 マリナはずい、フドウの前に出て、言い争っている少年に言った。

「あのね、坊や。いくら病院が嫌いだからと言って、その年齢でだだをこねるのは痛いわよ。これからずっとそうやって我儘のままでいるわけ?」

 おい、マリナ、とフドウが声をかける。だがマリナはやめない。

「社会に出たら、そういうことが返って周りに迷惑をかけるばかりか、自分の首を絞めることになるんだから、今のうちから学んだ方がいいわよ?」

 フドウは、それ以上は言わせまいとして、マリナを止めた。

 マリナは正直に言う時に、所々に棘のある言い方をするのが玉に瑕だ。その所為で、市民と少しばかりいざこざが起こった時があったのだ。

 そして、繰り返してしまった。

 フドウは、仕方ない、とマリナを怒鳴って止めようとした。だが、それより先に少女がマリナの眼前に立った。どうやら怒っているようだ。

「あの、いくらなんでもそれは言い過ぎじゃないでしょうか?」

「はあ?」

 マリナが疑問に思う。

「言い過ぎって……、あなたが、彼が言うことを聞かないから困っていたんじゃないの。あたしはあなたを助けたんだけど。そこのところ間違わないでくれる?」

「それはそうですけど……でも、あなたが言っていることは全て的外れです。兄は、我儘で入院を拒んでいるわけではありません。少なくとも、兄は餓鬼でも何でもありませんし、それに、あなたよりも頭がいいです」

 なっ、とマリナは驚く。フドウは、おお、と感心した。マリナと張り合う女子は初めてだ。

「堂々と出てきて、兄のありもしないことを言うのは我慢なりません。むしろ、あなたの方が社会で周りに迷惑をかけているんじゃなくて?」

 この……! とマリナは少女とにらみ合った。

 フドウは、彼女がマリナを止めてくれると思ったが、そうはいかなかった。やっぱりな、と言いながら、二人を止めた。まあ、確かにマリナの所為で迷惑を被っているのは確かではあるが。

 

「とにかく、事情を話してくれないか?」

 フドウは、遅れながらもマリナと共に身分を明かした。

「S‐GUTS? 嘘ですよね。こんな子までなれるなんて……」

 少女が皮肉を言った。

 マリナは少女を睨みつけた。少女は顔をそらした。すっかり、犬猿の仲のようだ。

 少女は、フドウの方に顔を向けて事情を説明した。

「えっと……一時間くらい前の事です。わたしと兄が繁華街の交差点の横断歩道を歩いていた時に、反対側から車が突っ込んできたんです」

 やはりか、とフドウは思う。

「信号は青だった?」

「ええ。青でした。間違いありません」

「じゃあ、車が信号無視したということになるね」

 フドウがそう言うと、少女は、そういうことになりますね、と答えた。

「だったら、隊長。車の運転者からも事情を聞いた方がいいですね」

 と、マリナは提案した。

 だが、それは先生が答えた。

「残念ながら、その車の運転手ですが……救急隊員が事故現場に来た時には、すでにお亡くなりになっておりまして……」

「ふむ。では、向こうの証言は無理か……」

 フドウは言った。周囲の人もいたはずだが、それが誰か、と聞いても、この少年少女には分からないだろう。

「だが、少年は無事だったんだね」

 少年は、こくりと頷いた。

 だが、それを少女が反論した。

「無事なわけないですよ! 車は兄を巻き込んで、そのまま電柱にぶつかったんです! 兄は電柱と車の間に挟まれて、そのまま気絶したんです。口から血まで大量に吐いたのに、無事なんて嘘よ!」

 やっぱり餓鬼じゃない、とマリナが呟いた。少女は、またマリナを睨んで、あなたは黙ってて! と釘を刺した。

「確かにそれは無事じゃすまないね。血まで吐いて、無傷とは言い難い」

 フドウがそう言うと、少年は体を大の字に広げて言った。

「でも、どうですか? 僕は怪我をしているように見えますか?」

 フドウは、少年の体を見る。見るところ、包帯も何もついていない。骨折や裂傷の傷も見られない。普通に見れば健康的な肉体だ。

 だが、先生は信じられないと、言った。

「そんなはずはないんですよ! 救急隊員の話では、肋骨が折れて、そのうちの一本が内臓を貫通していると報告したんです! 彼らが嘘をついているなんて思えません」

 先生が嘘を言っているようにも見えない。

 だが、現に少年を見ると、肋骨が折れて痛々しいとは思えない。何一つ補助道具を身に付けてなく、普通に歩け、妹だろう少女と平気で言い争えるくらい元気だ。

「それで、念のために入院しなさい、と私が提案したんですが……」

 先生の説明に続いて、フドウは、

「その必要はない、と」

 と、言った。先生は頷いた。

「入院しているうちに、こんな事故がさらに発生してもおかしくないんですよ。それもこれも、全てあの船が原因なんです!」

 少年はそう叫んだ。フドウは、その言葉を当然聞き逃さなかった。

「あなたたちはS‐GUTSの隊員なんですよね。あの船は悪だ。漂っているだけじゃない。その結果がこんな交通事故なんです!」

 少年は、仕切りに船が原因だと言っている。だが、根拠がない。

「この事故もあの船が原因だと、言いたいのか?」

 フドウが聞いた。

「そうです。僕は確かに事故に遭う前に確かに見たんです。僕らの場所が青だった時――」

 

 反対側の信号も青だったんです。

 

 ツバサはそう断言した。

 フドウは、腕を組んだ。

「では、君は、信号機はどちらも青信号だった、と言いたいわけだな」

 フドウの確認にツバサは頷いた。

「隊長、彼の言うことを信じるんですか?」

 マリナが横から聞いた。

「だが、的を射ている。負傷者の証言は皆、自分の信号が青だったのに相手がぶつかってきたと言っている。前の病院での会話もそうだ。一方は証拠があったとはいえ、互いに青信号で通ったと言っている。それを考えると、両方青だった、ということは十分にあり得るかもしれない」

「理屈は分かりますけど……でも……」

 マリナは納得がいかなかった。

 こんな自分よりも年下の少年の言い分が、通っていいのだろうか。科学的根拠も何もない少年の証言だ。学者の仮説を信じていた方が断然いい。

「この事故が船と関係していると関連付けても、今は誰も疑わない。むしろ、あの船が現れてからこんなことが起こったんだ。今まで交通管理でここまでの大参事はないだろう?」

 マリナは、何も言い返すことが出来なかった。

 隊長の言っていることは間違ってはいない。全てに筋が通っている。

 だが、それでも。

 納得いかないものはいかないのだ。

 だが、それでも従わざるを得ない。

「……じゃあ、船を撃ち落すんですか?」

「そう。問題はそこだ。あの船に攻撃してもすり抜けてしまう。そこを何とかしないと駄目だ」

 フドウとマリナは、船への対処方法を模索していた。現にTPCは船に対して俯瞰を貫いており、一切手が出せない状態だった。

 だが、二人の間に少年が割って入ってきた。

 

「あの船の対処方法ならありますよ」

 

 二人は少年の方に顔を向けた。

「対処法があるだと? 本当なのか」

「はい。本当です」

 少年は頷く。

「はったりとかじゃないの? 対処法があるならすでにTPCで見つけているはずよ」

 マリナが言った。また少女が睨みを利かせる。

 だが、少年は、臆することなく話をつづける。

「あれを実体という固定観念にとらわれているから、対処法が分からないんです。あれは実体ではなく、幻影です」

「幻影……」

 フドウは呟く。

 確か雑誌では、幻のようだ、とか何とか表現していたが、それは比喩ではなく、本当に幻だった、ということなのか……。

「実体の場所を特定できれば、TPCは安心して攻撃出来るのでは?」

 少年が微笑みながら言った。

 フドウは、腕を組んで熟考する。少年の言い分を信じていいのかどうか。少年の証言だ。通常なら重要性は低い。

 だが、少年は至って真面目だ。彼は固定観念にとらわれることなく、あれが実体ではないとすぐに答えを導き出した。

 迷っている余地は、フドウにはどこにもなかった。

「……一体どうやって実体を見つけることが出来るんだ?」

「隊長!」

 マリナがフドウに寄った。

「本当に信じるんですか? この少年の言葉を、いとも簡単に?」

「迷っている場合じゃないだろう」

「でも、一般人の少年の言い分ですよ。これは、あたしたちにとって、市民を守るための重要任務なんですよ! もし、彼の言い分が間違えていたら、ただでは済まないんですよ!」

「だが、彼が実体じゃないと言わなかったらどうだ? 対処法は永遠に見つからずに、船に好き勝手やらされるかもしれない」

「でも……」

「責任は俺が取る。一度でも、彼の証言を全部聞いた方がいいだろう?」

 フドウは、頑なに引き下がろうとしなかった。マリナの説得は、全く効果がない。

 フドウは、少年の方にもう一度顔を向けた。

「ああ、すまん。話が逸れたな。それで、どうやって船を見つけることが出来る?」

 少年は、即答した。

「自宅に、これまで集めた船についてのデータがあります。一度自宅に送っていただければ、データをお渡ししますよ」

 なるほど、とフドウは頷く。

 だが、データだけでは足りない、とフドウは言い、少年に提案した。

「出来れば、君も作戦本部に来てくれないかな? 君が集めたデータから君の船に関する仮説を是非聞かせてもらいたい。いいかな」

 そんなもの、答えは最初から一つしかないじゃないか。少年は、その答えを言う。

「もちろんです」

 よし、とフドウが言う。だが、フドウは少年に一つ注意する。

「だが、まずは病院の検査をもう一度受けてもらおうか。君の体が無事かそうでないか判断してからでも遅くはない」

 




其の2に続きます。


おかしいなあ。プロットを眺める限りだと、2~3万字で済むと思ったんだけどなあ……。


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其の2

どうしてだろうなあ…… ←しつこい


ストーリーの最後のあとがきにこれから、参考にした話や文献、登場怪獣などを記載しようと思います。登場怪獣は、テレビでは前に持ってきていますが、やっぱそれってネタバレになる、と思うので。


   4.

 

 メトロポリスの中心街から少し離れた場所に作戦本部があった。

 開けた未開拓の土地であり、テントで拵えた簡易的なものだが、その中に機材や人員は揃っていて、いかなる作戦においても対処できるようになっていた。

 その作戦本部に、ツバサはフドウとマリナと名乗るS‐GUTSの隊員と共にそこに案内されていた。

 ツバサは辺りを見回す。TPC職員が慌ただしく動いていた。やはり専門のチームとなると、ここまで真剣度が違うのか、と実感した。

 中央のテントに案内される。ツバサは、そこでフドウやマリナと同じ隊員服を着ている隊員をもう二人見つけた。

「ああ、お帰りなさい、隊長。そちらはどうですか?」

「ああ。中々面白い情報を得ることが出来た。シンジョウの方はどうだ?」

「どうもこうも……。打開策なしですよ。ずっと見ているだけで、歯痒い思いです」

 そうか、とフドウは言った。

「……あれ、その子は?」

 若い男がツバサに気づいた。

「おやおや。作戦本部に民間人を連れてくるとは、隊長はいつも予想の斜め上のことをする」

 もう一人の男が笑いながら言った。フドウが笑って返す。どうやら皮肉で言っているわけではないようだ、とツバサは気づいた。

「もしかして、彼が面白い情報……ですか?」

 若い男が言った。

 フドウは、待ってました、と言わんばかりにツバサを自分の前に連れてきた。

「紹介しよう。彼はエンジョウ・ツバサ君だ。彼は、あの船の対処法を知っている唯一の存在かもしれない」

 

 ツバサが出会った二人は、それぞれが副隊長のシンジョウ・シンイチと隊員のミドリカワ・ヒロキという、共にS‐GUTSの一員だった。

 ツバサは、フドウにデータを渡し、スクリーンなどを準備していく。

 まるでプレゼンの前準備だ。この類のことは、ツバサは何故だか緊張はしていない。前に何度もしていたかのような感覚があった。

「エミ。そっちにもデータは送られているか?」

 フドウが通信機越しに言った。

『はーい。全部届いてまーす』

 やる気のない若い女性の声だった。聞くところ、この人もS‐GUTSの一員なのだろう、とツバサは思った。

「じゃ、ツバサ君。君の見解を聞かせてくれないか」

 フドウは言った。

「あんたの妄想だったらはっ倒すから」

 マリナ、という少女が釘を刺した。

 ホノカとも折り合いが悪そうだったが、もしかして、憎まれ役なのか、それとも素でああなのだろうか。どちらにしても一番関わりたくないタイプだ、とツバサは思った。

 ツバサは頷くと、TPC側で用意したプレゼンマウスを使って説明を始めた。

 

「一週間前にこの船が現れたのは皆さんご存知だと思いますが……」

 ツバサは、データをモニターに出していく。

「僕は、あの船を『方舟』と呼んでいます」

「方舟……」

 フドウが呟いた。

「はい。旧約聖書、創世記に出てくるノアの方舟の大きさと概観がほぼ同じであることから、そう呼んでいます」

 なるほどね、とシンイチが言った。

「僕の方の機材で全長を計ってみました。とはいえ、TPCの機材よりも正確性が落ちるので、僕の目測からの数値も合わせての大きさになります」

 ツバサは、そう言って、『方舟』の全長を示した。

 

全長:133.49284721m

幅:22.28374932m

高さ:13.3987271m

 

『すごい……』

 通信からエミがそう漏らした。

「どうした、エミ。あまりのデカさに驚いたか?」

 フドウが、エミに言った。

『いえ……確かに大きさはすごいんですけど……。あの、ツバサ……君でいいのかな』

 エミは、どうやらツバサに声をかけているようだった。フドウは、ツバサにマイクを渡す。ツバサは遠慮したが、大丈夫だ、という言葉に従って、エミに話しかけた。

「はい。ツバサで合ってます」

『これって、あなたの目測も合わせて計測したのよね?』

「はい。測定器を使って、その情報に僕の予測も載せて計算したものです」

「どうした? 何か問題でもあるのか、エミ」

 横からヒロキが入ってきた。

『ああいや、そうじゃないんですけど……こっちの測定とツバサ君の測定を比較してみたんですよ』

 エミが説明をつづける。

『誤差は確かにあるけど、それでも誤差は0.0043%なのよ』

「それがどうかしたのか?」

 ヒロキがまた聞く。

『すごいってものじゃないわよー! ツバサ君の使った一般の測定器だけの誤差を考えると、多分10%くらいは誤差があるはずなのよ。それを人間の予測の数値でほぼ完璧な数値に修正できるなんて……勘を使ったにしても不可能なはずなのに』

 ほお、とフドウが感心した。

 フドウは、ツバサの横で呟く。

「あいつは、いつもは淡々とした奴なんだが、ここまで興奮したのは初めてだ」

 そうなのか、とツバサは思った。確かに、最初のエミの一言は確かに覇気がない、やる気のない声だった。だが、今は物凄く生き生きとしている。

『一体どうやってここまでの数値を出したのか知りたいわ』

 エミがツバサに言いよってきた。言葉に勢いがあったのだ。

 ツバサは、一歩引いた。何かに興味を持った人はここまで強気になれるのか。

「まてよ、エミ。まだ話の途中だ。彼のことは、この一件が解決してからにしよう」

 困惑するツバサに、シンジョウが助け船を出した。エミは渋々、分かりましたー、と言って、それ以上は追及しなかった。

「それで、ツバサ君。『方舟』が大きいというのは分かった。だが、あれにはどういう対処をすればいいのか分からない」

 シンイチが聞いた。

 ツバサは、答える。

「あれが幻であることは、隊長さんにもお伝えしたのですが……」

 ツバサは新しいデータを映した。

「簡単なことなんです。要は、あれが幻なら本体がどこかにあるはずです。本体を叩けば全て解決します」

 確かにそうだ。幻があるなら本体があるはずだ。

 だが、マリナはここで皮肉を込めて反論した。

「そんなのは分かっているわよ。問題は、その本体がどこにあるかってことでしょ? まさか本体をどういう風に見つけるのか分からないでそういう仮説を立てたの?」

 ツバサは、マリナを一旦見た。マリナは、ツバサの見えない気迫に押されて一歩後ずさる。

「根拠のないことは言いませんよ。その点も予測はついています」

 ツバサは、次のデータを表示した。

「次のことについても皆さんが知っていることですが、『方舟』は、明るいうちにだけ現れて、夜には消えます。それはどうしてだと思いますか?」

 どうして、とツバサに問われると、隊員たちは考えた。確かに、その理由に対しては一切考えていなかった。明るい時に現れ、夜に消えるということが雑誌やニュースで掲載され、それが当たり前の現象として、頭に刷り込まれていたからだ。

 ツバサは、一定時間待ってから答えを言った。

「あれが幻だということは、本体から投影されていると考えられます。だとすると、ここで新しい疑問が生まれます――投影が明るいうちしか出来ないのは、何故か、という疑問です」

 ツバサは、説明を続ける。

「すると、どうでしょう。これなら、何かが原因で夜には投影出来ないのでは、という意見が出来上がり、すっきりしたでしょう?」

「うむ。確かに」

 フドウがうなる。

「そういう風に考えたなら、『方舟』は幻を投影するときに、何か必要な条件があるということが考えられるね」

 ヒロキが言った。

「その通りです。条件が揃わないと投影が出来ない――つまり、夜には投影するための条件が揃わない、だけど昼ならそれが可能、ということになります」

「昼にあって夜にないもの……か」

 シンイチが考える。

 すると、通信機からエミが真っ先に答えを言った。

『なるほど。紫外線の量ね』

 ツバサは、ご名答、と言った。

「そうです。僕が真っ先に思いついたのは紫外線の量なのです。あの投影はどういった理屈かは分かりませんが、恐らく、紫外線が一定量超えていなければ投影が出来ないのではと思ったのです」

「なるほど。夜は紫外線の量が少なくなる――つまり、一定量の紫外線がないから、夜に幻を投影することが出来なくなるというわけか」

 これで全員が納得した。

『方舟』は、夜に消えるのではなく、夜になると現れることが出来ない、ということだったのだ。

「だとすると、昨日の電撃攻撃も納得できる。場違いなところから電撃が発せられたということは、あれは幻影からではなく、本体から放たれたと考えるべきだな」

 フドウが言った、

「でも、それでも本体はどうやって見つけるんだ? 仕組みは分かっても本体がどこから投影しているかを突き止めないといけない」

 ヒロキがツバサに聞いた。

 ツバサは、大丈夫です、と答えた。

 ツバサは次のデータを出した。

「これは『方舟』が現れてから二日目の昼と夜の上空の映像です。当然のように『方舟』は、昼にはあって、夜にはいません」

 確かに、と全員が頷く。

「注目してほしいのは、夜の映像です。どこかに『方舟』があるはずですが、どこにあるか分かりますか?」

 ツバサにそう聞かれても誰も分からない。

「まずどこにもない。というより、船は透明で見えないのか?」

 フドウが答える。

「半分正解、半分不正解と言ったところですね。ですが、この場合、僕はもう一つの可能性を考えます」

「それは?」

「迷彩機能を使って周りの景色に同化している、という仮説です」

 ツバサがそう言うが、誰も納得しない。だが、エミだけはそれに気が付いた。

『なるほどねー。要は、カメレオンのみたいに景色に擬態している、とツバサ君は言いたいんです』

 ああ、なるほど、と全員がエミの説明を聞いて納得した。

「だが、擬態しているとなると、簡単には見つけられないのでは?」

 フドウが聞いた。

 ツバサは答えた。

「可能です。完全に見つけることは保証できませんが、予測することは可能です」

 ツバサは新しいデータを映す。

「これは船が現れる前の夜のメトロポリス上空の画像です」

 ツバサは、その横に三日前の夜の画像を並べた。

「右が『方舟』がある画像。左が何もない画像です」

「どれも同じじゃない」

 マリナが言った。

 ツバサは、違うんです、と言って、二枚の画像を重ね合わせた。

「見にくいとは思いますけど、何か気づく点はありますか?」

「んー? 特に違いは分からないが……」

 フドウやシンイチが目を凝らして見ているが、よく分からない。だが、マリナとヒロキは画像に違和感があった。

「西の空……それぞれの星々がほとんどくっついているように見えるな。なんか画像がずれているように見える……」

 ヒロキがそう言うと、マリナが完全に理解した。

「違うわ。『方舟』が擬態している景色の星の位置が、本物より若干ずれているのよ」

 ツバサは、うなずいた。

「擬態は完璧に見えて、完璧ではなかったんです。星々のずれの範囲を計測すると、先ほど見せた『方舟』の大きさとほぼ一致しています」

 つまり、今夜また画像を重ね合わせて、星の位置がずれている場所が『方舟』の本体の在りかがあるということになる。フドウは、おお、と唸った。

「だったら、今夜にも見つけられますね。そしたら、船に総攻撃を仕掛けられます」

 ヒロキが言った。

 だが、フドウは、駄目だ、と言ってヒロキの提案を否定した。

「どうしてですか?」

「作戦を開始するとしても、住民の避難を完了させなくてはならない。それに、昨日の一件もあったんだ。こちらが手を出したらまた何かしらの反撃をされるかもしれない」

 ツバサは頷いた。

「そうですね。それに夜戦は、こちらに不利だと思います。明るい時に戦った方が得策かもしれません」

「だが、昼になったら本体の予測は出来るのか? 星がない昼間だと、雲の流れから見るのが先決か?」

 シンイチが尋ねたが、ツバサは首を横に振った。

「雲の流れは無理でしょうね。雨雲に覆われています。それに船は目測だと雲よりも高いところにありますから、昼間の計測は不可能です」

 だからこその……、とツバサが言おうとしたら、マリナが続けた。

「今夜の船の位置を調べて、明日にどこに船があるのかを予測する――」

 ツバサは、頷いた。

「そもそも、この雨が船の仕業であるということに気づくべきでした。雨は船が現れる一日前に現れた。そして、夜にはそのまま流れて行って晴れたでしょう? 船はそれを真似たんです。これなら自然と船が夜に幻を投影できないという事実を隠せますから」

 だけど、とツバサは続く。

「『方舟』の存在に気が向いていて、明るい時に雨が降り、夜に止むという不自然さに気づくことが出来なかった」

 これは僕も反省しています、とツバサは言った。

「だが、それを気にしていたらどうしようもない。俺たちは君の仮説にも到達できずに右往左往していたんだからな。自分を責める必要はない」

 フドウは、ツバサを慰めた。

「話を続けてくれ、ツバサ君。今は一刻も早く一つでも多くの情報が欲しい」

 フドウは、ツバサに言った。ツバサは、次の新しいデータを出す。

「今日の夜に本体の位置をつかんで、明日の本体の位置を予測して攻撃する――これが最終目標なのは理解したと思いますが、これにもう二つ、準備しなければならない情報があります」

 ツバサは、画像を次々と表示させた。

 出てきたのは一週間の夜の空の画像だ。星の位置のずれが赤く表示されている。船の形をしていた。

そして、星の位置のずれが東から西よりに移動しているのが分かった。

「まず、星のずれが移動しています。これらの位置のずれから、船の速度を割り出しました」

 モニターに船の速度が表示された。

 時速四キロと表示されていた。

「人間が歩く程度の速度か。船にしてはやけに遅いな」

 シンイチが言った。

「恐らく、船は他の機能を優先しているため、速度などの基本的な機能が弱いのだと僕は考えています」

 これを考えると、とツバサは続く。

「船は、急発進や急転回による回避運動は不可能であると予測できます。そして、画像が表すに、『方舟』は、東から西へ円を描くように移動している」

「自分の位置を相手にあまり悟らせないようにするためか」

 ヒロキが言った。

「効果は薄いですが、恐らくそうでしょう。そして、もう一つ、これが重要なデータです」

 ツバサは、三日前の昼と夜の空の画像を出した。

「これらの画像を見て、何かおかしい場所はありませんか?」

 おかしい所、とツバサに言われて全員が画像に目を凝らして見つめた。

 すると、全員が一同にあることに気が付いた。

「あれ? 本体と投影されている船の位置が、直線じゃない……?」

 ヒロキが言った。

「曲がっている?」

 と、マリナが呟く。

 二人の言葉を聞いた後、エミがその答えに気が付いた。

『光の屈折……!』

 ツバサが頷いた。

「そうです。これが『方舟』を予測する上で最大の情報です」

 つまり、『方舟』は東から西に周回しつつ、光の屈折を利用して投影をしている――そして、船が雨を降らす機能を使って本体の位置を悟らせないようにしている、ということになる。

「そして、この仮説が浮かび上がると同時に、もう一つの出来事の答えが浮かび上がります」

 もう一つの出来事、とフドウが呟く。全員がうすうすと感じていることだった。

 ツバサは答えを言った。

「メトロポリスで起きた交通事故――被害者の証言です」

 なるほど、とフドウとシンイチが言った。

 交通事故にあった被害者は、皆が口々にこう言った――信号が青だった――と。

 そして、ツバサは、事故にあった時、両方の信号が青であった、と証言していた。それはつまり――。

「『方舟』が光の屈折を利用して、信号機の本来の色を隠して青色を投影していた、ということか」

 フドウが言うと、ツバサが頷いた。

「でも、待って。信号機に投影するとなると、それと同時に空に投影されていた船はどうなるの? 屈折角が違うじゃない」

 マリナが聞いた。

 ツバサは、ここで冷や汗をかいた。ツバサは、何か納得していない様子だった。

「どうした、ツバサ君」

 フドウが尋ねた。

「いえ……実は、イチカさんの問いに僕は百パーセントの回答をすることが出来ないんです」

「出来ない? どういうことだ?」

 シンイチが尋ねた。

 ツバサは、近くにあったパソコンを借りて、モニターに新しいデータを作成して映した。

「船の予測は可能です。ですが、相手側がどういった理論で今までの現象を起こしているのか、を全て証明は出来ません。今までの僕の理論には、少々無理があります。現実的なものじゃない」

 多分、誰もが分かり切っていることだ。ツバサはそう思った。敵が地球人より優れた技術を持っていることなど、はるか昔から知っていることだ。いちいち理論を証明しようとしたら、命がいくつあっても足りない。

 それでも、ツバサは諦めていなかった。立っている土俵が違うから諦めるなんて、ツバサには出来ないのだ。

 出来るのなら、足掻いて、負けたい。だから、ツバサはこの説明に命を懸けるくらいの思いで隊員たちに伝えているのだ。

 ツバサは、証明できないことを承知してもらった上で説明を続けた。

「地球の大気は、多い順で、窒素、酸素、アルゴン、そして二酸化炭素で構成されています。空気による屈折は、こういう成分の量や大気の温度や湿度に関係してきます」

 ですが――、とツバサは続ける。

「現代の科学では、これらを百パーセント分析することは不可能なんです」

「不可能?」

 ヒロキが聞いた。

「ええ。大気の構成量は天候や航空機などの物理的な接触でいとも簡単に変わります。それらを小数点以下で分析するのは事実上不可能です。ただ、変化するといっても大まかな数字では、高度が高かろうが低かろうが、大きく変化するものではないので、地上からの観測でも、大まかなデータを算出することが可能です。しかし……」

 ツバサが次を言おうとすると、エミが代弁した。

『あの船は、それらを百パーセント計算している』

 ツバサは頷いた。

 全員が驚く。

「だからこその今までの現象なんです。投影、信号機の改竄――これらを予測程度でやると、うまくはいきません。船はビルの上に乗っているように映されるかもしれないし、信号機の上にうまく投影が出来ずにずれてしまうかもしれない。だけど、それが出来ているということは、『方舟』は、大気の分子構造や量を完全に把握しているからにほかなりません」

 つまり、とツバサは結論を言う。

「船の位置を予測して攻撃したとしても、計算がずれていることに変わりありませんから、いくら図体が大きくとも、攻撃が当たらない可能性もあるということです」

 それは、つまり、当たらなければ市街地にこちらの攻撃が降り注がれてしまうということだ。

 いうなれば、敵は、百パーセントの情報を持っているが、こちらは七十パーセントの情報しか持っていないのだ。

 土俵が違う――つまりはそういうことなのだ。

 残りの三十パーセントの情報は、自分自身の予測――勘で補わなければならない。文字通り、一か八かの危険な賭けなのだ。

 そして、科学が人を殺すという言葉を証明するものでもあるのだ。

 科学によって立てられた仮説を実践する時は、百パーセントの確証を持ってやらないと、成功しない――いや、実践できないのだ。

 今のツバサ達にある情報は完璧ではない。可能性としては高いが、失敗することも考えなければならない。

 もし、ここに科学者が複数人いたとしよう。賛否両論になり、全員が賛成出来なければ実践は出来ない。

 だからこそ、不完全な状態での挑戦で命を落とし、消えていった者たちは少なくない。

 あのアスカ親子だって、そうだった。

 完璧でない状態で挑戦し、そして消えていった。

 そして、また今回も同じことを強行しようとしているのだ。

 ツバサの一週間で集めた情報で戦いに挑む――それはツバサにとって大きなプレッシャーであり、恐怖だった。自分の言葉で人が死ぬかもしれない、そう思うと胸が張り裂けそうな気持ちだった。

 だが、そんな不安をフドウは、払い落とす。

「だが、やらなければ、さらに被害は拡大する。一か八かはともかく、光明が見えたのなら、俺は、それに賭けてみたい」

 どうだ、みんな、とフドウは隊員に声をかけた。

 マリナを除いて、意志は固かった。マリナは怪訝な顔をしていたが、反対しているわけではない。後がないなら、それに賭けるくらいの気持ちはあった。

「でも、危険です。僕の集めたデータはやっつけと言ってもいい。ちゃんとした機材をそろえてもう一度やらないと……」

 ツバサが、反論しようとしたが、エミがそれを止めた。

『ツバサ君は自信をもっていいと思うけどなー。このデータを見る限り、一般の機材でよくここまで計測できていると思うよ』

「でも……」

 ツバサは、納得いかない。ここで挑戦するなんて、どうしても……。

 だが。

突然だった。

ツバサは背中に痛みを感じた。パンという高い音を立てた。

フドウが、背中を叩いたのだ。

「科学だけに頼るのが全てじゃないぞ。データじゃ表せないことだって時にはある」

 データじゃ表せない……ツバサは、呟いた。

「人の力は科学を超える時だって必ずある。先代の隊員たちから聞いてみろ。どうにもならない時でも、諦めずに気合と根性で乗り切ったんだ。当然、当時の科学技術班だって最後は、気合いだー! って、叫んでたくらいなんだからな」

 ……本当なのだろうか、とツバサは思った。

 いくらなんでも、科学技術班が最後に気合い頼みだなんて、信じられない――科学者失格なのでは? と思う。

 だが、科学を成功させるには気合と根性は必要だろう――それは何となく理解していた。

 でなかったら、僕は一週間も続けて『方舟』を調べることなんてしなかっただろう、ツバサはそう思った。

 フドウは、つまりはそういうことだ、とツバサに言った。

「やらないで駄目より、やって駄目だった方がよっぽどいい。俺はツバサ君の仮説を信じる。どんな結果であろうと、この決断が間違いだったとは絶対言わない」

 ツバサは、俯いて微笑んだ。顔を見られたくない。だが、何故だか笑わずにはいられなかった。

 信じてくれることが、こんなにも嬉しいことだったなんて、思いもしなかったのだ。

 ツバサは、顔を上げていった。

「そうですね。僕も諦めたくはありません。諦めたら、僕じゃない。決して立ち止まることだけは……したくありません」

 そうか、とフドウは微笑んだ。

「今日はもう遅くなる。これから家まで送ろう。夜の船の観測はこちらでやっておく。必要なデータは揃えておこう」

 そして、とフドウは続ける。

「明日――作戦決行日に、君はどうする? ここに来て、自分の仮説の証明と、皆の勇士を見届ける覚悟はあるか?」

 覚悟――そう言われて、ツバサはまた俯いた。

 これに失敗すれば、多くの人を死に追いやってしまうかもしれない。相手は得体のしれない化け物だ。これから先、どういう結果が起こるか予測が出来ない。

 だが、それ以上に、ツバサは思った。

 ここで立ち止まるわけにはいかない。自分はティガとして戦うと決めた。なのに、自分の仮説の実証に怯えている。

 馬鹿げている。

 こんな決断で迷うことなんてあり得ないだろう? だって――

ティガとなって戦う以上の覚悟なんてありはしないのだから。

ツバサは、フドウに面と向かって力強くうなずいた。

「お願いします」

 

   5.

 

 満点の夜空は昼間の雲に覆われた空と打って変わって美しかった。

 フドウは、その空を眺めながら、あの少年――エンジョウ・ツバサについて考えていた。

 あの少年……普通の少年とは何か違う。

 知識の量はともかく、自分の仮説が立証できないことに納得がいっていなかったようだ。

 彼は、自分の仮説を百パーセント立証させたいという思いを描いていただろう。

彼は決して諦めたくはないのだろう。だから、明日の作戦の参加を希望したのだと思う。

「どうだ、うまくいきそうか?」

 フドウの後ろで声がした。

 誰もが聞き覚えのある声だった。フドウは、振り返った。

「よっ」

 ヒビキだった。

「ご苦労様です。わざわざ総監殿が直々にやってくるとは」

 フドウは敬礼してヒビキを迎えた。

「昔の感触がまだ忘れられないんだ。報告は聞いたが、実物を見たいと思ってな」

 そうでしたか、とフドウは返した。

「船はどうだ? 見つけられそうか」

「大まかな場所はすでに見つけています。今は、エミを中心とした解析チームが出来る限りの誤差を修正しています」

「そうか。なら、期待してもいいんだな?」

 大きなプレッシャーだった。ヒビキの言葉がフドウに重くのしかかる。

 だが、ヒビキは笑いながら、

「冗談だよ。そんなに真剣にとらえないでくれ」

 と言って、フドウの肩をぽん、と叩いた。

 だが、それを除いてもフドウには一抹の不安があった。

「……正直言って、作戦の成功率は極めて高いでしょう。ですが……」

「百パーセントじゃない、か?」

「はい。失敗すれば、市街地にこちらの攻撃が直撃するのは避けられません。市民の避難はさせていますが……」

 フドウは、奥のビル街に目をやった。

「壊したくはないですね。今まで築き上げてきたものは」

 そうだな、とヒビキは言った。

「それに、お前は、あのエンジョウ君……だったか、報告にあった……彼の仮説の失敗の重責を担がせたくはないと思っているだろう?」

 ヒビキが、フドウにそう言った。フドウは、俯いて、はい、と言った。

「彼はまだ少年だ。少年が立てた仮説を、いきなり実践してみるんですから。俺が科学者なら、相当の重圧でしょうね。多分、彼はそれを感じている」

 自分がそうするように押し付けたんです、とフドウは言った。

「だが、彼は、それを嫌だと言ったか?」

 えっ、とフドウは顔をヒビキに向けた。

「彼は、あの船を撃退したい――もとい、人々を助けたい一心であの仮説を立てた。そして、失敗がある可能性があるにも関わらず、君の言葉に従ったのだろう? それは、彼が覚悟を決めたからじゃないのか?」

 ああ、とフドウは漏らす。

 そうだ。そういえば、ツバサはこう言っていたではないか。

 

 ――そうですね。僕も諦めたくはありません。諦めたら、僕じゃない。決して立ち止まることだけは……したくありません。

 

 諦めたくない、とツバサは言った。

 それを聞いて、フドウは安心したのだ。

 まるで――あの人の――アスカ・シンがそこにいたような――そんな気がしたからだ。

 アスカとツバサ。比べたら対極的な存在だ。

 だが、諦めない、ということに関しては――同じなのかもしれない。

「結果論が全てじゃない。最後は九回裏からの逆転弾はないとは言い切れないだろう?」

 ヒビキは、そう言った。

「それ、アスカさんの受け売りですか?」

 フドウがそう言うと、ヒビキは豪快に笑った。

「あの時も、根拠とかどうでもよかったからな。最後は諦めないで、気合いで乗り切った場面が多くあったからなあ」

 全部、アスカが作り上げていったんだろうな、とヒビキは言った。

 フドウは、また夜空を見上げて言った。

「ええ……多分、我々もそれに染まってくるのでしょうね」

 アスカ・シンの、ではない。

 もしかしたら、彼の――。

 

   6.

 

作戦決行日は昼の十二時に決定した。

 メトロポリスの市民は、一時シェルターへの避難が完了し、街はまるでゴーストタウンのような静けさだった。

ツバサは、家族と共に避難していたシェルターから、迎えのTPCの装甲車に乗り込んで、朝一で昨日の作戦本部のテントにたどり着いた。

 そこには、フドウはおろか、他の隊員はいなかった。

 だが、同じ隊員服を着た、ボブヘアーの可愛らしい少女の姿がそこにあった。

 無表情で、淡々と作業に没頭しているようだ。

 少女は、ツバサが来たと分かると、振り向いて言った。

「おっ、君がツバサ君かなー?」

 ツバサは、その声を聞いて、思い出した。

「ああ。もしかして、昨日の通信機の……」

 通信越しで話していた声そのものだった。

「キサヌキ・エミ。S‐GUTSのオペレーションを担当しているわ」

 見たところ、年齢は、自分よりも一つか、二つ上のように見えた。

「ああ、よろしくお願いします、キサヌキ隊員」

「エミ、でいいよー。堅苦しいのは嫌いだから、敬語とか使わなくていいし。そういうのあたしは嫌いなんだけど、まあ年功序列とか最低限のルールは覚えとかないと社会に抹殺されちゃうから」

 エミがそういうと、ははは、と軽く笑った。笑ってはいるが、どことなく変だ。何か欠けているような、そんな気がした。

 面白い人ではあるが、つかみどころの分からない人なのかもな、とツバサは思った。

「じゃ……じゃあ、お言葉に甘えて……。えっと、エミ。他の隊員たちはどこに?」

「みんなガッツイーグルに乗って空にいるよー。一応あたしを除いた全隊員で、攻撃を指揮するから」

 ツバサはいったん外に出て、空を見た。

 雲の下に三機に分かれたガッツイーグルが、それぞれの戦闘機を主導し、三方向で待機していた。

「ガッツウィングで構成された部隊の指揮……」

 それだけではない。防衛省の戦闘機、実験段階の最新鋭の機体、と空には戦闘機であふれかえっているようだった。

 まるで戦争のようだ。かなりの戦力を注いでいるようだった。

 ツバサは、テントに戻った。

 エミが飴をなめながら、キーボードを叩いていた。

「お、どーだった?」

「ずいぶん、僕の仮説を信用しているようだね」

「まあねー。あたしも再度確認したけど、あれで辻褄があってると思うよ。あれ以外で考えられる仮説ってあるのかなーってぐらいだもん」

「だけど、あれは完璧じゃない。やっぱり確実にデータを集めないと」

 ツバサが、そう言うと、エミがツバサの方に顔を向けた。

 目を見開いて、真剣な表情――先ほどの淡々とした雰囲気とは大違いだった。

「無駄よ。時間をかけてデータを集めていたら、あたしたちの負けは確実。事実、もう一週間も野放しにしている時点で、本来なら、あたしたちの負けは確定していたのよ」

 でも、とエミは続けた。

「あなたが渡してくれたデータで試合終了どころか、同点弾――延長戦に持ち込むことが出来たのよ。だったら、大逆転をここらで欲しいでしょ?」

 確かに、とツバサは言った。

 だが、自分のデータがそこまでの貴重なものだったか、と思うと、そう思えない。

 エミは、ツバサの心配を振り払おうと言葉を続ける。

「大丈夫。絶対成功するわ。ツバサ君、心配するのは構わないわ。でも、どうしてあの仮説でこれだけの戦力を投入できると思う?」

 どうして、と聞かれてもツバサは、正解を割り出すことは出来なかった。

 考えられるとするなら、やけくそ、なのか……?

 ツバサがそう言うと、エミは笑った。さっきとは違う――純粋な笑い。何だ、ちゃんと笑えるんじゃないか、とツバサは思った。

「ま、確かにそうとも捉えられるかもね」

 でも、違うわ、とエミは言った。

「今回のこれだけの戦力投入は、全部総監からの命令なのよ」

 ツバサは、驚く。

 TPC総監が、これだけの戦力を投入させた? 信じられない話だった。

「上層部で緊急会議をして、全員から賛成を貰ったのよ。総監は、あなたの仮説を全面的に信用しているのよ。だからこその、この戦力なの」

 どうしてだ。

 どうして見ず知らずの――しかもまだ子供の、馬鹿げたと言われてもおかしくない仮説を信頼したのだろうか。

 下手をすれば大惨事を招きかねない作戦なのに……。

 仮説に辻褄があっているから? でも、否定する点は上げればいくらでも上がる。

 完璧なデータでもないのに、いや、どれだけ頑張っても完璧なデータにすることが出来ないのに、どうしてそこまで信用するのだろうか。

 エミは、ツバサに言った。

「完璧なんて存在しない――それくらい分かり切っていることでしょ」

 それは……とツバサは呟いた。

「でも、それでも、百パーセントとはいかなくても、九十九パーセント、いや、コンマ一パーセントまで近づけることは出来るわ。そのために、ツバサ君やあたしみたいな理系男子女子がいるんでしょ?」

 最後の言葉は、何か表現が違う気がするが……。だが、百とはいかなくても九十九なら――、それは、ツバサの不安を払しょくさせるのに十分な言葉だった。

 ツバサは、エミの言葉に勇気づけられた。

 ツバサは、真剣な表情になった。覚悟はとうに決めている。だったら、あとは進むだけのことだ。

 ツバサは、エミの隣に座った。

「その端末使っていいからー」

 ツバサは、端末のデータを閲覧する。

「昨日のうちにあたしの方で作っておいたわ」

 エミがそう言った。

 船の位置から、船の進路予測など、昨日のうちに集められるだけのデータが揃っていた。

 短期間でここまで、とツバサは感心した。ツバサなら多分、ここまで集めるのに半日はかかってしまうだろう。

 これだけあれば、充分だろう。

 だが、ツバサが何もしないで待っていたわけではなかった。

 ツバサは、エミに、小端末を渡した。

「一応、僕の方でも船の位置やデータを予測してみた。まあ、エミのよりは全然進んでいないけど」

 エミは、目をきょとんとさせた。

「なるほどねー。結構そういう人なのね……昨日もあんなこと言ってたんだし」

「……? どういうことだ?」

 ツバサは、理解できない。

「こっちの話よー。そのデータ有難くいただくわ」

 エミは、小端末を自機にインストールさせた。

「へー、やっぱりすごいね。これも目測も踏まえているの?」

 ツバサは頷いた。

「やっぱりツバサ君ってすごい人ね。面白いわー」

 どういうことなのか、ツバサにはさっぱり分からなかった。

「あとは、こっちでデータを纏めるから、休んでていいよー」

「いいよ。僕も手伝う」

 ツバサは、エミの手伝いを率先した。

 TPCの機材の性能に驚きつつも、データを纏める。

 そして、作戦準備は全て完了した。

 

 戦闘部隊はすでに雲の上に上がっていた。地上からではもう見えない。

 α号にフドウ、β号にシンイチとヒロキ、そしてγ号にマリナが乗っていた。

『現在、『方舟』は、東の方へ周回しているものと思われます。ポイントはD。高度一万メートル付近と推測』

 ヒロキの通信だった。ツバサも聞こえた。

「昨日の夜からするに、三十キロほどは移動していますね。予測通りです」

 ツバサが言った。

「最新のデータ送ります。確認してください」

 エミが、データを各機に送った。

「すごい……これだと、目の前に船があるってことになるわ」

 マリナが驚く。

「昨日の今日でここまではじき出すとは……さすがはエミだな」

 シンイチがエミを褒めた。

「でも、誤差を修正したのはツバサ君の新しいデータのおかげですよー。ツバサ君には、報奨金を与えてもいいくらいの働きです」

 エミは、ツバサを見つめて軽く微笑んだ。

 ツバサは何故か、恥ずかしくなって顔をそらした。

「ははは。エミがそこまでツバサ君を褒めるなんて珍しいな」

 フドウが言うと、エミは、

「そうですかー? そんなことありませんよー」

 と返した。

「あとは、あたしが最終データを作戦開始十分前に送れば完了です。作戦開始直前の観測データ……まさしく新鮮ぴちぴちのデータですよー!」

 エミは自信ありげに言った。

 たとえが魚なのがよく分からないが、エミの作ったデータは間違いなく本物だ。頼りにしていいだろう。

 あとは、作戦の成功を祈るだけだ。

 

「最終データ送ります」

 エミが最終データを送る。

「よし……データを取り込んだぞ。ほお……さっきより東に少し動いている程度か。まあ、歩く速度を考えたらそんなもんか」

 フドウが言った。

「でも、三方向からの同時攻撃……これなら確実にこちらの攻撃は当てられる」

 シンイチが言った。

「くれぐれも油断しないように。三方向からの攻撃とはいえ、成功しない可能性も……」

 ツバサがそう言ったが、マリナが言い返した。

「見てるだけのあんたが心配しても何も変わらないわよ。こっちはプロよ。あんたのもしもは絶対ありえないって証明してあげるから。そしたらあんたを笑ってやるわ」

 皮肉たっぷりに言い返された。

 ツバサは、少し歯ぎしりを噛んだ。どうして、彼女は自分に突っかかって来るのか分からないが、何か腹が立った。

 成功して欲しくないが、成功しないといけない……私情が入り混じると哀れな考えしか浮かばなくなる。

「よろしくお願いします……あとは、みなさんに任せます」

 ツバサがそう言うと、全員が微笑した。

「任せておけ。ツバサ君の仮説が真実だということを、俺たちが証明してやるからな」

 フドウは、そう宣言した。

 

 作戦開始一分前。

「各機、目標地点Dに発射準備」 

 フドウが、そう言うと、機体は、指定位置に付く。

 ツバサは、その光景が見えないが、通信から大まかな予想が出来た。

 カウントダウンが入る。

 

10……

9……

8……

7……

6……

5……

4……

 

 ツバサとエミは息をのむ。

 あと三秒……そこで結果が変わる。

 

3……

2……

1……

 

0。

 

「攻撃開始!」

 

 フドウの命令と同時に、一斉に目標ポイントに攻撃を開始した。

 ビームからミサイル、ありとあらゆる対空兵器が目標地点へ放たれる。

 

 そして……。

 

 轟音が鳴り響く。

 攻撃が直撃した場所は……、

 

 目標地点に直撃した。

 

 何もない空の途中で、兵器が爆発した。いや、そこにいる「何か」に直撃したのだ。

 

「直撃を確認!」

 ヒロキが言った。

「やったぞ! ツバサ君! 君の仮説が正しかった!」

 フドウは、通信でツバサに言った。

 エミは微笑みながら、ツバサの手をつかんだ。

「やったよー! ツバサ君! やったよー!」

 ツバサは、脱力したように肩を落とした。

 仮説が立証された。ツバサにとって、初めての立証が、ここで成功したのだ。

 

 ――成功したかのように思えた。

 

 攻撃が命中してから数秒後だった。

 突然、雲が消えていった。

 まるで、そこにあるものから離れたいという気持ちがあるかのように、雲は四方に離れ、消えていった。

 それと同時に『方舟』の幻影が消えていった。

 誰もそれを逃さない。雲が消え、船が消えた。そこまでは分かる。後は、船の機能が停止したかどうかだ。

 ツバサは空を見上げた。

 雲が無くなったおかげで、戦闘機が見えた。

 あの場所は、『方舟』の本体があると思われるポイントだ。

 どうなったのか、その成り行きを見守る。

 

 だが、鋭く尖れた牙は、すぐにツバサたちに咬みつく。

 

 まるで、自分の体に色を付けるように、船はその姿を現した。

 迷彩機能を解いたのだろう。

 だが、それ以前に――。

 ツバサは船の姿を見て地に膝を付けた。

「そんな……」

 ツバサは呟いた。

 仮説は立証された。確かに立証したのだ。

 だが、仮説が立証した後の仮説を立てるのを完全に忘れてしまっていた。

 大きな見落としが、そこであったことにようやく気が付いたのだ。

 攻撃は確かに命中した。

 だが、それは、『方舟』に対してではない。

『方舟』の周囲を覆う、透明な防御壁に命中したのだ。

「どうして……」

 エミが呟いた。

「……『方舟』がどうして、雨を降らせ、迷彩機能を使って、投影をしていたか……それは、それだけの機能を使っているせいで、本体の防衛機能はないと思っていたからだ……」

 ツバサは、続ける。

「その証拠が移動速度の低さや回避運動が取れないことだった。本体に基本的な機能が最大限発揮出来ないとなれば、攻撃を本体にあてればそれで僕らの勝ちだと思っていた」

 だけど……、とツバサは結論を言った。

「それ自体が大きな間違いだった。『方舟』は、自分を防衛出来ないから、こんな回りくどいことをしたんじゃない……最初から、僕らがこういう攻撃をすることを予測していたから、こんな回りくどい方法を取ったんだ!」

 どれだけ大きな機能を回しても、本体にはそれでも防衛する機能が使える、ということを知らしめ、人類に大きな絶望を味わわせたのだ。

 ツバサは、通信越しで全隊員に言った。

 

「一旦退避してください。あのシールドは、人類の科学力では破れない――!」

 

 ツバサがそう言ったその直後だった。

 

 船が反撃に出たのだ。

 

 船の周辺から強烈な電撃が発せられた。

 戦闘機の大半がその電撃の範囲内にいた。電撃は戦闘機のシステムを一時的にショートさせた。

『操縦システムにトラブル!』

『脱出装置が使えない!』

 次々と、隊員たちが報告する。フドウは、それらに指示をするので必死だった。

 船の攻撃はそれだけにとどまらない。

 雲の流れが一気に変化した。

 それは大きな入道雲となって、メトロポリスを襲った。

 轟く雷。そして降りしきる豪雨。ツバサたちは一瞬にして全身が濡れた。

 さらに、本部にあるエミの端末から、別のデータが送られた。

 データの受信音が聞こえ、エミとツバサは本部にもぐりこんだ。エミが素早くデータを閲覧した。

 それは現在の気象図だった。

「四国の南に、超大型台風が発生。強い勢力でこっちに向かってきている……!」

 中心の気圧が四十ヘクトパスカル、強風域で五十メートル、暴風域で六十メートルの風速と記録されていた。超大型だ。

「それだけじゃない。メトロポリス湾付近で津波が発生してる!」

「全部『方舟』の機能ということか……天候そのものも操る。戦っていることを考えうると、ノアの方舟というより、これはウト=ナピシュテムと言った方が合っていたかな?」

 ツバサは言った。落胆した声だった。

「津波の大きさは」

 ツバサが聞くと、エミが素早く答えを出す。

「今は、まだ二メートル弱だけど……えっ? これってどういうこと?」

 エミが言った。

「どうした?」

「変なの。津波の大きさが、等間隔の割合で、どんどん大きくなっていってる」

 津波が大きくなるのはそれほど不思議じゃない。しかし、問題は、それがどれくらいの規模で大きくなるかだ。

 エミが予測を言った。

「大体、三乗分ずつ大きくなっていっている」

 馬鹿な、とツバサは言った。

 最初が二メートル弱なら、それらが三乗ずつ上乗せになっているとなると……。

「駄目! 湾内にある災害対策システムが無意味だわ。あれの津波対策用防壁は、五十メートルが最大よ。でも……!」

 三乗ずつ高さが上乗せになっている津波は、すぐにそれを超えてしまうことになる。

「でも、とにかく、防壁は展開させた方がいい」

「もうやっているわ。でも、このままじゃ……!」

 エミが言った直後だった。

 ツバサの眼前で、テントが歪んだ。

 その歪みは一気に端末があるテーブルを襲った。

 ツバサはエミを椅子から瞬時に引き離した。端末がテントの歪みと共に地面にたたきつけられる。もう使い物にならない。

「何! どうなってるの?」

 テントの歪みの形が人のうずくまる形だった。

「外で人が飛ばされて、テントにぶつかったんだ。このままじゃテントが潰れる。いったん外に出よう」

 ツバサとエミは外に出た。

 そこは、もはやTPCの作戦本部とは言い難い場所になっていた。

 TPCの職員たちが、なりふり構わず、互いに殴り合っていた。誰を狙っているわけではない。その場にいた相手を無差別に殴っているようだった。

「何これ……みんなどうしちゃったの?」

 エミがその光景を見て困惑している。

 だが、その直後、ツバサは殺気を感じた。ツバサは、素早くエミの腕を引っ張って体を自分の所へ寄せた。

 瞬間。ツバサは出来る限りの力で蹴った。

 TPCの職員がパイプ椅子を持って襲い掛かってきていたのだ。

 一歩遅ければ、エミは確実に殴られていた。

「こいつら……!」

 ツバサは、職員の目を見て確信する。

 目が虚ろになっていた。確実に自分の意思で動いていない。

「みんな、もしかして操られちゃってるの?」

「分からない。分からないけど、そう考えるのが妥当……」

 ツバサが、はっ、と気づいた。

 今までの一週間を思い出す。自分が覚えている限りを一瞬で、頭の中で映像として映し出す。

 そこで、ツバサは、もう一つの仮説――いや、真実にたどり着いた。

「何てことだ。今までのことは、全部……これを隠すためのフェイクだったってことかよ!」

 ツバサは、自分の腰につけているポーチからプラスチックの容器を取り出した。

 ツバサは、いつも、ポーチにカメラや個体、液体を入れるための小さな容器を持ち歩いているのだ。

 ツバサは、容器を開けて雨水を入れた。

 そして、エミの腕を掴んで、

「逃げるぞ」

 と、言った。

 ツバサとエミは駆け出す。

 街中でも、すでに阿鼻叫喚としていた。TPC職員たちが無差別に互いを傷つけあっていた。

 中には何人かツバサと同じく、逃げている人もいた。

「どこに逃げるっていうの!」

 エミが叫ぶ。

「近くの地下シェルターだ。とにかく、地下に逃げるぞ」

「そんな……もしかしたら、地下の人たちだって同じことになっているかも……」

 エミが不安がった。

「そうかもしれないな。だけど、地下の方が地上よりも安全なんだ。少なくとも……」

 

 ――地上に――この雨に打たれている方がもっと危険なんだ。

 

『エミ! エミ! どうしたんだ!』

 エミの持っているW.I.T.から通信が来た。フドウだ。

『下がとんでもないことになっているぞ!』

「隊長! 地上にいるTPCの職員たちが一斉に暴動を起こしているんです」

『暴動だと? 一体誰に対してだ』

「分かりません。みんな一斉に無差別に殴り合っているんです」

『エミたちは無事か』

「はい。ツバサ君が助けてくれました。わたしたちは何も異常ありません」

 エミとフドウの会話にツバサが割って入った。

「フドウ隊長。皆さんはそのまま機体にいてください。何があっても外に出ないで、雨が止むのを待ってください」

『はあ? 一体どういうことだ?』

「事情を説明している時間はありません。とにかくそう指示してください。とにかく僕らはシェルターに向かいます」

 ツバサは、強引にW.I.T.を閉じた。

 ツバサは、エミの言葉を振り切って一気にシェルターに駆け寄った。

「ここなら雨に打たれる心配はない」

「……もう、走れないわよ」

 エミは完全に疲労困憊だった。

 ツバサは、容器をエミに手渡した。

「頼みがある。事態が収束したらこれの成分を調べてほしいんだ」

 突然のことでエミは、どういうことか理解できないようだ。

「え? どういうこと?」

「これが、この事態の全ての原因なんだ。僕の予想が正しければ、これがその答えとなる筈だ」

「わ、分かったけど……ツバサ君はこれからどうする気なの?」

 ツバサは、外を見た。

「……家族のいるシェルターが心配だ。恐らく、どのシェルター内でも外の職員と同じように錯乱している人がいるはずだ。それを確かめに行く」

 咄嗟に出た嘘だった。だが、嘘とはいえ、その可能性は捨てきれない。本当にそうなってしまっているかもしれない。

 だがそれでも、優先すべきは、家族じゃない。

「き……危険よ! 今はここで待機していた方がいいよ!」

 エミがツバサの腕を掴む。

 だが、ツバサは、エミを引き離した。

「ここで立ち止まるわけにはいかないんだ。ここで待っていたら、きっと後悔する。だから……」

 行くよ、とツバサは、エミを振りからって街中に消えていった。

 背後からエミの声が聞こえた。だが、それすらも振り払って、ツバサは走り出した。

 

 ビルの物陰から、ツバサは『方舟』と戦闘機の戦闘を観察した。

「船に覆われているシールドは一枚ものではないな。多分、タイルのような小さなプレート状のシールドを何枚も並べて覆っているタイプだろう」

 それはつまり、直撃したダメージをそれぞれのプレートが分散する役割がある。

「三方向からの攻撃だと分散して直撃する。ダメージがシールドの耐久地を超えることはまず不可能だ。確実性を求めた作戦が仇になったな」

 つまり、それは、とツバサは呟いた。

 やることは一つだけだ。あの手のシールドの突破方法はただ一つしかない。

 ツバサはスパークレンスを取り出した。

 光が、ぼんやりと輝いている。

 準備は整っている。後は、自分がやろうとしていることが果たして成功するかどうかだ。

「フドウ隊長なら、僕の真意に気づいてくれるはずだと思うけど……」

 それでも不安がある。

 制限時間の三分間。いや、ゼベリオン光線を使ったならそれより時間が減ってしまうかもしれない。

 それでも、これが最後の手段なのだ。

 ツバサは答えを出さなければならない。

 ユザレに託された光。これから人類が立ち向かわなくてはならない災厄。

 自分が――ティガがその最後の綱なのだ。

 自分が戦うための覚悟、勇気、そして決断。

 ここで、ティガとして人類のために戦うことを誓うか否かを決める。これが光の巨人になるための誓いなのだ。

 ツバサは、目を見開く。

「覚悟なんて、とっくの昔にしたじゃないか」

 まだ明確な答えはない。だが、今、ここで皆を守らなければ、自分が何を守りたくて戦うのか、その答えすら導けない。

 答えられないことは、科学者を志望する自分にとってあってはならないことだ。何故なら――。

 

「立ち止まることだけは、諦めることだけはしたくないから――!」

 

 ツバサは天高く、スパークレンスを掲げた。

 




其の3に続きます。


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其の3

これで終了です!
本当にお疲れ様でした!

次回こそは……次回こそは短く……するぞ!(遠い目)


   7.

 

    *

 

 光が柱のように、地上に立つ。

 その姿は、見るもの全てが目を見張るほどだった。

 ツバサに、ここにいろと言われたエミは、シェルターに入ることなく、シェルターの入口でツバサが戻ってくるのではないか、と待っていた。

 だが、その直後、光の柱が立つのが見えた。

 眩い光にエミは、目を細める。

 そして、その光の先に――。

 

 ウルトラマンティガが、そこにいた。

 

 それはまるで、神が降臨したかのようだった。神々しい光を放ち、見たものを魅了した。

「光の……巨人……」

 エミは、思わずつぶやいた。

 ティガは、空に浮かぶ『方舟』を見上げていた。ティガが戦うべき敵をティガ自身が知っていた。

 ティガは、降りしきる豪雨の中、『方舟』に向かって飛んでいった。

 

   *

 

「くそ! 全然シールドが壊れない!」

 ヒロキが、傷すら入らない『方舟』のシールドを見て、怒鳴りちらした。

『方舟』は、電撃の攻撃をやめず、その傍ら、大気を流れる風をかまいたちのような斬撃に変化させて、戦闘機に襲い掛かった。

 何機かの戦闘機がその所為で撃墜されていった。

 完全に攻めあぐねていた。距離を取って、遠距離からミサイルを撃ち込むが、『方舟』のシールドは、一切傷一つつかない。

「まさか、ここまでの力を持っているとは……。一体どこの異星人が作ったっていうんだ?」

 フドウが歯ぎしりを噛んだ。

 このままでは、メトロポリスはおろか、全世界にまで被害が来る。

 天候や自然災害までをも操ることの出来る船――科学で対処出来るものではない。

 どうすればいい。ツバサ君ならこの後どう考える? フドウは頭を回転させる。

 だが、その直後。

 α号の真横を一つの巨体が飛び去った。

 フドウは、急いでそれに目を追う。

 ウルトラマンティガだった。

「ティガ……来てくれたのか」

 ティガの姿は他の隊員にも見えていた。

 この状況を打開できるのは、もう、ティガしかいない。

 全て、ティガに任せることしか出来なかった。

 

 ティガは、『方舟』の電撃が届かないぎりぎりの所で静止した。

 体勢を整え、船を見上げる。

 そして、ゆっくりとした動きで、渾身の力を込めた――。

 ゼペリオン光線を『方舟』に向かって放つ。

 光線はシールドに直撃する。だが、それでもシールドを破ることは出来ない。

 シールドは、光線のエネルギーを分散していった。だが、完全に分散は出来ていない。ティガの光線は確かに効いている。

 だが、足りない。

 ティガは、休むことなく光線を放ち続けた。あとどれくらい持つか、エネルギーはどれだけあるか、それはティガ――ツバサが知る由もない。

 風の斬撃が襲い掛かる。ティガに何度も直撃するが、ティガは体勢を崩しつつも、何とか体勢を立て直して、光線が途切れるのを防いだ。

 いつタイマーが点滅するか分からない。とにかく時間との勝負なのだ。

 戻ることは出来ない。ここまで来たら、後は信じるだけだった。ティガは、光線の威力を上げる。

 エネルギーはさらに消費するが、そんなもの気にしてられない。

 勝たなくては――それがティガの――ツバサの思いなのだから。

 

『駄目だ……ティガの必殺技でもあのシールドを破れない』

 シンイチの通信だ。

「ティガが駄目だったら、一体どうしろっていうんですか! 誰もあの船には敵わないっていうんですか!」

 ヒロキが叫ぶ。

「弱音を吐かないでください、ヒロキ先輩。ここで諦めたら、地球を守るものはなくなってしまうんですよ!」

 マリナが、叱咤する。だが、ヒロキは、だけど! と、反論した。

 マリナの声が震えていた。多分、マリナもまだ諦めてはいないだろう。だが、もしかしたら駄目かもしれない、とも思っているのだろう。

 確かにあの光景を見たら、誰もが諦めるだろうな、とフドウは思った。ティガの必殺技――以前の怪獣を一閃した光線も、シールドには無意味のようだ。貫くことも出来なければ、壊すことも出来ていない。

 本当に駄目かもしれないな……フドウも諦めかけていた。

 だが、フドウは、ここでおかしなことに気づいた。

 確かにティガの光線はシールドを破れていない。それは見ればわかる。

 だが、どうして、ティガは光線を止めようとはしないのだろうか?

 今もまだ打ち続けている。その一点に、ただひたすら、自分のエネルギーが切れるかもしれない状況にも関わらず、ティガは、光線をやめようとしない。

 フドウは、目を凝らして見た。

 シールドは光線を受けて発光している。その発行が、四方八方に流れていっていた。だが、その流れが遅い。所々で流れが止まっていた。所にはそこで止まって、発光部分がさらに白くなっていた。

 その瞬間、見える。

 シールドの所々に、まるでタイルの継ぎ目のような溝らしきものが。

 

 活路が見えた、フドウはそう思った。

 

 頭の中の考えが鮮明になる。一瞬にして次の作戦が浮かび上がった。

「各機に指令! 全員、残った火力をティガが攻撃している場所に一点集中させろ!」

 突然の指令に、隊員達はフドウの意図がつかめなかった。

「隊長! 一体どういうことですか?」

 ヒロキが聞いた。

「もしかしたら、あのシールドを破ることが出来るかもしれない」

「そんな! だってティガを見てくださいよ! ティガの光線でも破れていないじゃないですか!」

 ヒロキが叫んだ。

 確かにそれは正しい。正しい疑問だった。

 だが、だからこそ、そこに見落としがあるのだ。

「だったら聞くぞ。どうしてティガは、今も光線を放ち続けている?」

 フドウが聞くと、全員が気づいた。

「確かにおかしいですね。負けると分かっているなら、あんな行動には出ない」

 シンイチが言う。

「ということは……ティガにはシールドを破るための方法を知っている?」

 マリナが言った。

 フドウは頷く。

「ああ。だが、それにはティガ一人の力じゃ足りないんだ」

 フドウは、自分の考えを述べた。

「あのシールドは一つの大きなシールドじゃない。何枚もの小さなシールドを並べたものなんだ」

「何枚ものシールドを並べた?」

 ヒロキが聞く。

「ああ。タイルのようにな。その証拠に見ろ。ティガの光線が直撃している部分だ。シールドの周りに溝のようなものが一瞬だが見えるだろ」

 全員がフドウの言った部分を見た。

「……確かに見えます」

 マリナが一番に言った。

「シールドには種類によってその特徴が違う。俺たちが思っていたのは一枚の大きなシールドだ。これは、耐久力は強いが、そのダメージを分散する機能がなく、攻撃を受ければ受けるほど、ダメージが溜まり、やがて瓦解する」

 だが……、とフドウは続ける。

「これはもう一つのタイプだ。小さなシールドを並べて覆う形だ。一つ一つの耐久度は低いが、受けたエネルギーをシールドとシールドの溝から外へ流す性質がある」

「つまり、このシールドは後者だと?」

 マリナが聞いた。

「そうだ。受けたダメージは全て溝から外へ流される。ましてや、三方向からの波状攻撃は、このシールドにとっては相性が良すぎたんだ。分散された攻撃だから威力も低い。受けたダメージはそのまま外へ流される。無傷なのは当たり前だ」

 だが、しかし、とフドウは結論する。

「弱点はある。あれは耐久度が低い。つまり、ダメージを受け流すのにも限度があるんだ」

 フドウがそう言うと、全員が、その意味を知った。

「そうか。ただ無闇に攻撃するのは相手の思うつぼだ。ということは……」

 シンイチが言い、そしてマリナが締める。

「目標を決めて、その一点に集中して攻撃すれば……」

 シールドは壊れる。

 そして、それにうってつけなのが、ティガが攻撃している場所なのだ。

「そういうことだ。ティガは、そのことを俺たちに伝えようとしていたんだ」

 

 自分一人では倒せない。だが、全員の力を合わせれば、敵わない敵なんていない。

 

 ティガはそう言いたかったのだ。

「ツバサ君が諦めずに俺たちに答えをくれたように、今度は俺たちが答える番だ。今度は、俺たちの――いや、人類の意地を見せてやるぞ!」

 フドウの鼓舞が、各機の通信から流れる。

 それは、正に反撃の狼煙だった。

 隊員たちは一斉に、ラジャー、と叫び、ティガの周辺へ戦闘機を静止させていった。

「待たせたな、ティガ」

 ヒロキが言う。

「これでやっと一緒に戦えるな」

 シンイチが言う。

「もう二度と、負けないために……!」

 マリナが言う。

 そして、地上で、祈るように空を見上げるエミが言う。

「お願い……届いて!」

 最後にフドウが、叫んだ。

 

「撃てえ!」

 

 それぞれの戦闘機に残った火力が一気に放たれた。

 ティガの放つ場所に、一気に攻撃が直撃していく。

 爆炎が吹き荒れる。煙で、シールドがどうなったか、肉眼では確認できない。

 だが、それでも攻撃の手をやめない。

「全弾撃ちまくれ! その後のことは後で考えるんだ!」

 フドウが攻撃しながら叫んだ。無論、誰もが同じ気持ちだ。

 ティガは、ちらとフドウを見た。一瞬だが頷いたように見えた。

 ティガはもう一度船に顔を向け、そして、残ったエネルギーをぶつけた。

 

 どれくらい放ったか分からない。

 だが、確かに音が聞こえた。

 

 何かに亀裂が入る音。

 

 それと同時に、一気に亀裂が入る音が大きくなっていき、そして――

 

 ガラスが割れるような高い音が、爆音の中から響いてきた。

 

 ティガは、それと同時に、光線を打つのをやめた。

 ティガの動きが止まったと同時に、フドウは、

「撃ち方やめ!」

 と、中止命令を下した。

 煙が晴れていく。

 この先に今までの結果がある。

 もし、それが報わなければ……。

 人類は敗北したも同然なのだ。

 煙が晴れていった。

 そして――。

 

 シールドの一枚が、完全に壊れていた。

 

「よっしゃあ!」

 ヒロキが叫んだ。

「やった! やったわ!」

 マリナが叫ぶ。

 フドウは頷いた。

 良かった。ツバサの立てた仮説は、少し予想外の結果を招いたが、それでも彼は正しかった。

 一人の少年の頭が、この結果を生み出したのだ。

 だが、喜ぶのもつかの間だった。

 壊れたシールドに変化があった。

『隊長! シールドに異変です』

 他の防衛隊員からの通信だった。

 フドウは、防衛隊員から送られたシールドの望遠映像を見た。

「なんだこれは……」

 フドウは、目を疑った。

 マリナたちにもその映像が送られてきた。

 それは、壊れたシールドの映像だった。

 壊れてしまった部分が、少しずつだが、元に戻っていっていた。

「もしかして、修復機能があるのか?」

 フドウが言った。

「……チートかよ。汚いなあ」

 ヒロキが言った。

「だけど、少し変。何ていうか……気持ち悪い」

 マリナが言った。

 マリナが言うのも無理はなかった。

 修復されていく部分は、ただ綺麗に元に戻ろうとしているのではなく、ぼこぼこと、肉塊が膨らんで割れていくような現象を見せていたからだ。修復部分だけ、色が赤く、まるで本当の肉塊のようだった。

 到底、シールド、というのは言えない代物だった。

 それは「修復」ではない。傷ついた体を「再生」させている、と言い換えた方が正しいのかもしれない。

 まるで肉の壁――ただ、船を守るためだけに存在する謎の生命体のようだった。

 

   *

 

 ティガは、シールドが壊れた瞬間を見逃さなかった。

 すぐさま、ティガは、力を振り絞って船にめがけて飛んでいく。

 だが、シールドが壊れたからといって『方舟』の攻撃が終わったわけではない。

『方舟』はすぐさま、攻撃をティガに向かって放つ。

 だが、それはもう遅かった。

 ティガの額のクリスタルが光る。そして、ボディの色を紫に変化させた。

 ティガの持っている三フォームのうちの一つ。打撃や光線能力を抑え、速度に特化したスピード型のタイプ――スカイタイプだ。

 そして、ティガは自身の体を光に変え、一気に船に突入した。

 

 シールドはティガの身長よりも小さい。だが、身長をコントロールし、尚且つ自身を光にすることが出来るティガには、シールドの大きさなど無意味だ。ティガは、壊れたシールドから、船の内部に突入することに成功した。

 

 その直後、『方舟』はシールドが修復を完了させた。

 

   *

 

 シールドを突破と同時に、ティガは自身の体を形成する。身長は、人間の平均とほぼ変わらない。相手に悟られないようにするためだ。

 シールドを突破すると、そこには『方舟』があった。シールドの内部では攻撃はこない。恐らく、あのシールドは攻撃機能も備わっているのだろう。

 船は、完全な木造船だった。

 ティガは、『方舟』の入口らしき大きな一枚の板を見つけた。聖書通りなら、跳ね橋のように開く仕組みのはずだ。

 だが、正しく乗船する気など、ティガにはさらさらない。ティガはハンドスラッシュで、入口部分に穴をあけた。

 木ゆえに、簡単に壊れた。外のシールドが強固なのは、恐らく船そのものに防御する力がないからなのだろう。 

 ティガは、空いた穴から『方舟』の内部に潜入した。

 そして、それと同時に変身を解き、ツバサに戻る。

 エネルギーは残り少ない。切り札として、ティガの力は温存しなければならない、とツバサは考えたのだ。

 だが、それでもツバサは丸腰の状態だ。ポーチには、ヨウ素液などの薬品が入った容器があるが、それが牽制になるかどうか分からない。内部に潜入したと同時に、敵の襲撃も覚悟していたが、幸い誰もいなかった。

 むしろ無人だった。人の気配がツバサのいる場所からは感じられない。

 敵がいるとすれば、どこだろうか?

 決まっている。操縦室があるはずだ。

 ツバサは、洪水神話の内容を思い出す。

 洪水神話――ギルガメシュ叙事詩やシュメルの洪水神話、そして旧約聖書の中でも大体が共通の話だ。

 ただ、ギルガメシュ叙事詩と旧約聖書では、方舟の構造が違っているのだ。

 ツバサは、上を見上げた。

 階段はある。ツバサは、階段から上を見た。

 三階からさらに続いているようだ。

 となると、この船は、ギルガメシュ叙事詩を元にして作られていることになる。

 だが、それだと高さが足りない気がする。洪水神話では雄雌の全ての動物を入れた。そこにはそれぞれを仕切る部屋がある。

 旧約聖書では内部は三階ある。だが、叙事詩では七階あるのだ。

 そうなると、一部屋の高さを考えると足りない気がするのだ。

 だが、相手は人類の予想をはるかに超えた科学力を持っている。もしかしたら、概観と内部では高さが違うように見せているのかもしれない。実際はもっと高さがある、と考えた方がいいだろう。

 七階建てだとすれば、操縦席があるのは、中央の四階かもしくは最上階かのどちらかだろう。

 ツバサは階段をゆっくりと登り始めた。

 各解に、小部屋があり、それぞれが扉で閉ざされていた。

 ツバサは、足音を立てないように扉前まで歩き、気づかれないようにゆっくりと扉を開ける。

 何かの気配は感じない。ツバサは、ゆっくりと扉を開けた。

 誰もいない。ツバサは胸を撫で下ろした。

 もしかしたら、敵が来るかもしれない、と思い、ツバサは部屋の中に入った。扉を閉める。どうやらロックはないようだ。

 しかし……、とツバサは思った。

 船の構造が叙事詩に記されている通りなのは驚いた。

 物語でしか出てこないものを実際に再現したものを見ると、文章で伝えている以上に迫力がある。

 全て再現されているのなら、小部屋は動物や人のための部屋のはずだ。だが、目の前にあるのは生き物ではなく、何かの機械だった。

 木製の歯車、木製のパイプ、木製の箱型の制御装置だろうか、全て木製で作られた部品が複雑に構成されていた。

 木の割には、動きは滑らかで、一体何のための装置かは分からない。

 いや、むしろその前に、このような前時代的なものが、『方舟』の機能をもたらしているというのだろうか?

 地球にあるもので、人類の科学では不可能なことを可能に出来るのだろうか。

「……現実的に考えて無理だ」

 ましてや木製の機械だ。それで、宙に浮かせたり、天候を操ったり、本体を迷彩で隠したり、投影したりするなど現実的に不可能だ。

 もしかしたら、外部が木製なだけで、外部が未知の技術なのだろうか。

 ツバサは、機械に近づいて調べてみる。

 だが、どう見ても、全て木製でしか作られていないものだ。

 仕組みが分からない。木だけで、どうしてここまで想像をはるかに超える代物が作れるのだろうか。

 ツバサは、周囲を注意しながら部屋を出て、次の部屋に向かう。

 結局、全ての部屋には、似たような木製の機械があった。配列は違うものの、それぞれが正常に起動していた。

 四階には操縦室らしいものはなかった。 

 だとすると、やはり最上階にあるのだろう。ツバサは、六階から七階へ上る。

 すると、今まで全てが木造だと思っていたところに、たった一つだけ違う部屋があった。

 船の前方部分にあたる場所――恐らくあそこが操縦室だろう。そこの扉だけが銀色の扉だった。

 ツバサは、一気に扉の前まで近づく。

 耳を澄ませる。それほど分厚い扉ではないようだった。

 中から何かの音が聞こえた。そして、何かの気配も感じた。

 ここだ。確かにここに何かがいる、とツバサは確信した。

 耳を澄ませて聞いてみると、時々だが、ぐちゃり、と重い質量の液体――例えるならスライムが地面に零れたような音が聞こえた。あまりに鮮明に聞こえたためか、ツバサは一瞬だけ鳥肌を感じる。音や時々聞こえる地面をこする音から、人間の形をしていない――いや、むしろ、実体がつかめない。形の定まらない個体が体を変形させながら動いているようだった――まるでアメーバのように。

 だが、相手が誰であろうと、ここで蹴りをつける。

 扉が開いた時が勝負だ。

 ツバサは、息を整える。チャンスは一回だけ。絶対に外せない――九回裏、ツーアウト満塁のチャンス。

 この一球で、この一回で全てを決める。

 ツバサは覚悟を決めた。

 

 意を決し、扉を蹴りでぶち破る!

 そして、それと同時にスパークレンスを胸元に持っていき、トーチ部分を開く!

 

 眩い光が、操縦室を照らす。

 相手にとって目くらましになったかは分からない。だが、それでいい。ここから先は自分の番だ。

 ツバサがティガに変身した。

 

 ティガにはエネルギーが僅かしか残っていなかった。変身をしたにも関わらず、カラータイマーが点滅していたからだ。

 だが、それでも構わず、ティガは操縦室に入っていく。

 そこには、得体のしれない生物がいた。

 

 イソギンチャクのような、細かな触手で覆われた全長が五十センチメートルほどの生物だった。触手のうち、二本が他のより長く、それが手の役割をしていた。

 足はなく、転がるように移動していく。その生命体が通った跡は、青白くぼおっと薄ぼんやりと光っていた。

 それが、目測で六、七体見えた。

 謎の生命体は、ティガの存在に気付いたと同時に、体から青白い液体をティガに振り撒いた。

 ティガは、顔を覆う。その液体は顔にかかることは無かったが、体中にかかった。

 何かの毒か、もしくは何かを支配する薬なのかもしれない。人間ならば、何らかの症状が現れるかもしれない、得体のしれない液体だろう。

 だが、ティガの皮膚はそれすらも通さない。

 ティガは、両腕を胸で交差させた。その瞬間、ティガの体が白く輝き、シルエットのようになった。体中に光を溜めたのだ。

 ティガは溜めた光を一気に放出した。体中に付いた液体が、光の放出と共に、部屋の壁の至る所にはじけ飛んだ。

 そして、ティガは反撃に出た。相手に第二波の余裕も与えない。

 両腕から、ハンドスラッシュを一気に謎の生命体に放つ。

 正確に狙った攻撃は、一つも外すことなく、生命体に直撃した。

 生命体は、耐えることが出来なかった。第二波を出そうにも、ティガの想像を超えるダメージの攻撃を食らった所為か、青白い液体を飛ばすことが出来ずに、ただ、生命体の体から漏れ出す程度だった。

 触手が意味もなく細やかに動く。だが、それは時間が経つと同時にのろくなっていった。

 弱弱しく、地面を這い、何かを訴えるかのような小さな奇声を発した。

 そして、全ての生命体は、その動きを止めた。

 直後、生命体の体は、溶けていく。最後には、地面に青白い液体が地面の至る所に流れているだけだった。

 

 ティガ――ツバサは操縦室の中央にある機械に近寄った。

 木製のものではない。明らかに金属の部品で作られた機械だった。

 だが、地球のものではない。見た目も構造も、ツバサが見てきたものにも該当するものは一切ない。まさに未知の領域だった。

 無闇に壊せば、『方舟』は、そのままメトロポリス中心地に墜落して爆発するだろう。そうなれば、建物の被害はおろか、地下シェルターへの被害もあり得るかもしれない。

 ならどうするか、と機械を見つめる。

 そして、そこでティガ――ツバサは気づいた。

 ――なんだ、そこにシールドの切り離しのスイッチがあるじゃないか。

 ティガ――ツバサはすかさず、そのスイッチを押す。

 ――船の操縦桿はこれか。壊れていないようだ。これなら動かせる。

 ティガ――ツバサは、操縦桿を握り、展開している機能を全て解除させた。スイッチの配置はかなりシンプルで作られているから、初心者でも分かりやすい。

 あとは、これを湾の空いている場所に着陸させればいい。そして、シールドとなっている生命体を破壊するだけだ。

 シールドとなっている生命体は、『方舟』の機能に連動している。『方舟』が機能を停止させると、その耐久力もエネルギーを受け流す能力も無くなる。

 言うなれば、ただの生きている肉塊になってしまうのだ。

 後は、宇宙空間に持っていき、破壊するだけだ。

 ティガ――ツバサは、操縦桿の横に取り付けてある自動操縦機能を展開させる。場所はメトロポリス湾だ。

 前方に移るモニターに、外の映像が見える。敵は、ここから人類を塵屑のように眺めていたのだろう。

 そう思うと、腹が立つ。人類をなめているように思えてならない。

 だが、敵は負けた。

 大体がティガの功績だが、人類が力を貸してくれなければ、この結果はなかった。

 だから、誇らしい。

 そして、船が湾内に近づいてきたのが分かった。

 もう、後は自動で何とかなるだろう。これ以上いれば、正体がばれるかもしれない。

 ティガは、上を見上げる。シールドと化していた生命体は上にいる。

 

   *

 

『隊長! 船に異変です』

 シンイチからの通信だ。

 フドウも肉眼で確認する。

「船が動いている……」

 船が今まで以上にない速度で動いているのが分かった。とはいえ、それでも時速は二十キロといったところだろうか。だが、巨体が動くというのが一瞬でも分かるほど、その速度が変わっているのが分かった。

 ティガが内部に潜入してからまだ数分だ。あれが動いたということは、何かの進展があった可能性が高い。

 ついさっき雨が止み、雲も引いた。それだけを考えるなら、船がその機能を止めたと推測できるが……。

 ティガは勝ったのか、負けたのか。それが重要だ。それ以外の報告は意味がない。

「船を監視する。船の行き先を予測できるか?」

 フドウが船を見上げながら言った。

「エミに頼りたいところですが……本部は崩壊、エミはツバサ君と避難しましたから……」

 シンイチが呟く。後部座席でヒロキが小型端末でデータを入力している。エミほどではないが、ヒロキはパソコンが得意だ。

「どうだ、ヒロキ。分かりそうか?」

「待ってくださいよ、シンジョウさん。もう少しですから……」

 ヒロキは、エミとツバサが集めたデータから『方舟』の移動場所を索敵していた。二人のデータはかなりの情報量で、ヒロキでも索敵が早い。

「……どうやら湾内の方へ向かっているようですね……」

 ヒロキの通信が各機に入る。

「湾内か。あそこは今日何かあるのか?」

「特になかったはずです。次の閣僚会議は三か月後ですから……」

 フドウの問いにマリナが答えた。

「とにかく警戒を怠るなよ。ティガが出てくるか出てこないかで全て決まるようなものだからな」

 ラジャー、とフドウの通信機から流れてくる。

 ティガが船の内部に潜入したのは理由があるはずだ。内部の敵を一掃するのは当然として、その後、船をどうするかが問題なのだ。

 それまでは、傍観をする。それしか、今できることはない。

 フドウは、船を見つめながらそう思った。

 

 その時だった。

 

 光が船から飛び出した。

「なんだ?」

 フドウが呟く。

 光が船から飛び出し、一気に空へ駆けあがるように登っていく。

 そして、光が、その姿を現した。

「ティガ!」

 マリナが叫んだ。

 隊員たちが一斉に見つめる。

 ああ、確かにティガだ! その姿は、確かにあの光の巨人だった。

 ティガが出てきた――ということは、勝った、という結果だ。ティガは、『方舟』の脅威から人々を救ったのだ。

 だが、船は依然として湾へ向かっている。

 そして、ティガは両手に肉塊を抱えていた。

 ティガが両手で持つのを考えると、その大きさは、五メートルから十メートルほどの肉塊だろう。

 あれが、どういうものかは分からない。だが、フドウは、肉塊の正体がシールドのそれではないかという予測は出来ていた。

 だが、どうであれ、全てクリアできたはずだ。

 フドウは、一斉に指令を出す。

「シンジョウとヒロキ! 二人は他の隊員をつれて、船を監視しろ。ティガが出てきて安心したとはいえ、まだ分からないぞ」

 フドウの通信を受けたシンイチとヒロキは、返事をした。

「マリナは俺と来い。ティガがもしものことがあった時を考えて、俺たちがサポートする」

「ラジャー」

 マリナが答えた。

 β号は、残った戦闘機に指示を出した。β号を中心に隊列が組まれ、船の周囲に固まる。

 攻撃はこない。船はただ浮かんでいるだけのようだった。フドウはそれを確認した。

 そして、α号とγ号は、一気に上空へ飛翔する。

 ティガには追いつけないが、目で追える距離は保てた。

 ティガのカラータイマーはかなりの早さで点滅していた。また、エネルギーが残り少ないのだ。

 点滅が終われば、以前のように消える――フドウはそのことを思い出していた。

 ティガは、成層圏に出る直前で止まった。そして、肉塊をさらに上へ投げ飛ばす。

 肉塊は、ゆっくりと上がっていく。不気味な赤い肉の塊は、時々、ぼこぼこと蠢いていたが、その動きは弱弱しかった。

 そして、ティガは、再び、両手を前に持っていき交差させた。その後、両腕を横に伸ばし、光の線を作る。

 そして、ゼベリオン光線を肉塊にめがけて放った。

 

 直撃と同時に、肉塊は大きな爆発音と爆風によって細胞ひとつ残らずに消え去った。

 

「終わったか……」

 フドウが呟いた。

 マリナは、ティガを見つめながら頷く。その姿はフドウには見えない。だが、見えなくとも、フドウにも伝わっていた。

 ティガは、一瞬フドウたちに振り向いた。

 何かを伝えたいのだろうか、ゆっくりと頷いた。

 フドウたちは、それを見て、咄嗟に拳を握り、親指を立てて、答えた。いつもの合図だが、きっと伝わる筈だ、フドウは思ったのだ。

 ティガは、また頷いた。

 そして、ティガは飛ぶ。今度は、消えはしない。ティガはそのまま空の彼方へ飛び去って行った。

「やっぱりティガはすごいな……」

 フドウは、また呟く。

「ええ……」

 マリナは同意した。

 

 肉塊が消え、そしてティガが飛び去ったその空には、戦いの終焉を告げるかのように、大きな虹が掛かっていた。

 雨が上がったからなのか、敵が滅んだからなのか分からない。

 だが、その虹はまるで、約束のように思えた。神が人類を二度と滅ぼさないと宣誓した――人類と神の制約のように。

 

   8.

 

『方舟』事件が終結してから二日経った。

 ツバサは、あれからエミの所へ一旦顔をだし、家族の傍にいる、と言い残してその場を去った。

 あれから、ツバサは自宅でテレビやコスモネットを通じて『方舟』事件のその後を辿った。

 あれから『方舟』は、ツバサが指定した通り、メトロポリス湾の港に着水した。

 それからすぐにTPCの職員たちによって内部調査が始まったが、それから後は分からない。何か手がかりを得たという情報も一向に入ってこなかった。

 まあ、あの技術は多分誰も解明出来ずに攻めあぐねているのだろう、とツバサは予想していた。

 ただ、操縦室であの謎の生命体を片付けた後に、そのままにしてしまったことは一つの後悔だった。

 あれはあまり見せられる光景ではない。多分、職員の何人かは堪え切れずに吐いてしまったかもしれない。

 それに関しても特に何もなかったから、気にはしなかった。

 だが、それでも、ツバサには一つだけ心残りがあった。

 戦いには勝った。勝ったが、それも強引だ。正しいやり方で勝ったとは言い難いものだった。

 だが、それが仕方のないことだとはいえ、あの事だけは、どうしても忘れることが出来ない。

 自室のベッドで横になって、物思いにふけっていると、ノックの音がした。

「お兄ちゃん。今、いい?」

 ホノカの声だった。

 ツバサは、ベッドから立ち上がって、扉を開けた。

「どうしたんだ?」

「あのね、何か、TPCの人がお兄ちゃんに会いたいって言って、今来ているんだけど」

 TPCが? 一体何の用だ?

 ツバサは、一瞬疑問に思ったが、すぐにいくつか心当たりを思い出した。

「……分かった。行くよ」

「客間にいるから」

 ツバサが階段を降りる。後ろからホノカの声が聞こえた。ツバサは、手を上げて、分かったと合図した。

 客間の前に両親がいた。母は、今日は会社を休んだのだ。

「中で待っているわよ」

 カノコが呟く。

 ツバサは、頷いて中に入った。

 そこには、女性が一人正座で座っていた。母が出したのだろうか、テーブルには湯呑が置かれていた。

 赤紫のベスト。そこにTPCと書かれている。

 だが、ツバサが驚いたのは、その容姿だった。

 髪の色や服装を除けば、瓜二つだったのだ。

 ツバサは、思わず呟いてしまいそうになった。

 

(……ユザレ!)

 

 だが、女性が、待って、と一言。ツバサは、出そうになった言葉をまた、喉奥に押し込んだ。

 女性は、ぴっ、と何かのスイッチを押した。小型の黒い箱のような機械だった。

 

「時間がないから、手短にお話ししましょう――ウルトラマンティガ」

 

 ツバサは、体に電流が走るような感覚を覚えた。ツバサは思わず身構えた。

「あなたは、一体……」

 身構えるツバサに女性は宥めるように言った。

「ああ、そう怯えないで。大丈夫。私はあなたの味方よ。あなたと同じく、ユザレから予言を受け取っている人間よ」

 女性の口から「ユザレ」と言葉が漏れた瞬間、ツバサは警戒心を解いた。ツバサは、女性と向き合うように座った。

「あなたもユザレから?」

「ええ。彼女から、あなたの正体と、あなた自身を守るようにと言われたわ」

 ツバサはユザレの言葉を思い出す。味方が近くにいる、とは彼女のことなのだろう。

「つまり、僕がティガであることを知っているのは、僕とあなただけということですか?」

「そういうことになるわね。そして、ユザレもそう……」

 同じだ、とツバサは感じた。

 声も、仕草も――目の前にユザレがいるようで、不思議でならなかった。

「あの船を湾に移動させたのもあなたなのね?」

 イルマは尋ねた。

 ツバサは、周りを警戒しながら答えた。

「はい。そうです」

 そう、とイルマは言う。

「現実、科学局があの船について一切調べられないと言って困っていたわ。あなたは、どうしてあの船を動かせたか思い出せる?」

 ツバサは顔をしかめる。

「実際、分からないんです。あれを見たのは初めてでした……。でも、理屈抜きで分かったんです。あれはとてもシンプルに作られた操縦機能で、僕でも動かせる、と」

 不思議ですけど、それが事実です、とツバサが言うと、イルマは、分かったわ、と言った。それ以上は、何も聞かなかった。

 ツバサは思っていた疑問を吐き出した。

「でも、いいんですか? こんな大事な話をして……もしかしたら、盗聴や、僕の両親に聞かれてしまった可能性があるかもしれないですが……」

「最もな意見ね。でもその心配はないわ」

 女性は、手元にさっきの小型の黒い箱型の機械を置いた。

「それは?」

「今、この部屋に特殊なフィールドを発生しているわ。詳しく説明すれば、この機械が作動している間、特殊な電波を発し、盗聴している相手はおろか、部屋の外からこの部屋の会話を聞いたとしても、外部からは全く違う会話が聞こえるようになる仕組みなのよ」

 女性の説明は少し難しかったが、ツバサは確認で聞いた。

「つまり、僕らの今の会話は聞こえずに、外部からは全く違う会話が聞こえるということですか?」

 女性は頷く。

「ええ。一応今回は『方舟』事件に手を貸してくれて有難う、というような会話が外には聞こえているはずよ」

 なるほど、それは便利だ、とツバサは思った。

「でも、まだこれは試作段階だから、会話パターンがまだ少ししかないの。パターンが一周すると、また同じ会話が流れてしまうから、その前に話を終わらせたいのよ」

 でも、もう確認することは終わったからいいわ、と女性は言った。

「その機械は、一体誰が?」

 ツバサが尋ねた。機械の仕組みを聞いた途端に興味が湧いたのだ。これだけのものを作れる人は相当の天才に違いない。

 だが、女性はそれをはぐらかした。

「ちょっとつてがあってね。頼んで急いで作ってもらったの。今は、言うことは出来ないけど、いずれツバサ君には教えるつもりよ」

 女性はそう言った。ツバサは、そうですか、と答える。そんなことを言われたら、もう聞くことは出来ない。

 女性は、機械のスイッチを切った。

「さて、ここからはご家族の人にも聞いてもらいたい話があるから。一緒に聞いてもらえるかしら?」

 女性が、ツバサに面と向かって言った。ツバサは、はい、と言われるがままに、両親とホノカを呼んだ。

 

 ツバサの後ろに両親とホノカが正座した。テーブルを挟んで向こう側に女性がいる。

 既に女性が使った機械はない。ここからは盗聴されても惜しくない話なのだろう。

 女性は、頭を下げた。

「重ねてお礼を言います。息子さんのお力添えで今回の事件を解決することが出来ました。本当にありがとうございます」

 ヒロアキとカノコが頭を下げた。

「ああ、いえいえ。こちらこそ。すみません。先ほどのお話を聞いてしまいまして……」

「いえ、構いません。彼個人にお礼を言いたかったものですので」

 女性とヒロアキが微笑している。どうやら、両親には先ほどの会話の内容が、機械で偽造されたものが聞こえていたようだ。

 襖一枚向こう側にも関わらず、会話を変えられるなんて、物凄いと、改めてツバサは思った。

 女性は、改めて自分の名前を語った。

「申し遅れました。私は、TPC情報局参謀のイルマ・メグミと申します。この度は、TPCを代表して、お礼を言いに来ました」

 イルマ、と女性は名乗った。TPCのそれぞれの局の参謀――しかも情報局のトップがわざわざツバサに礼を言いにきたのだ。

 ヒロアキは、イルマの顔を見るなり、思い出した。

「ああ、あなたは……確かあの時の人ですね」

 イルマは、目を丸くする。

 それもそのはずだ。イルマはヒロアキとは何ら面識がないのだ。

「あなたのことはよく覚えていますよ。十五、六年くらい前だったかな――『天使』と呼ばれていた悪魔の事件です」

 天使、という言葉で、イルマは思い出した。

「ああ、あの時の」

「お父さん、どういうこと?」

 ホノカが尋ねる。

「ああ、まだお父さんが少年だったころだ。ウルトラマンティガは悪魔で、自分達が天使の使いだ、といって人々を誑かしていた変な宗教家がいてね。殆どの人間が信じちゃったんだけど、この人がテレビで説得したんだ。ティガに光を与えてくれって」

 ふーん、とホノカは言う。

「そのおかげでティガが悪魔に勝ったんだ。あの時、テレビで説得していたのが、この人だったんだ。よく覚えているよ。確かあの頃は、GUTSに所属していたんですよね? 以前もテレビで拝見したことがあります」

 イルマは、若干照れた様子で言った。

「あの頃は、少し無茶が過ぎました。必死だったもので……」

 ヒロアキとイルマは、ツバサたちが知らない昔話に花を咲かせた。

 イルマは、話を元に戻す。

 ツバサに一枚の書類を渡した。

「あなたがキサヌキ隊員に解析を頼んだ、例の雨水についての結果が出ました」

 ああ、そういえば、頼んでいたな、とツバサは思い出した。あまりに咄嗟だったため、自分で解析することが出来なかったのだ。

 ツバサは書類を覗き込んだ。

 

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「どうなっているんですか……これ……」

 それはあの雨水の化学式だった。

 一部分はしっかりと表記されているが、所々が正しく表記されていない。

「キサヌキ隊員が先陣を切って、本格的に雨水を分析したのだけど、何度やってもその回答しか得られなかったわ」

 信じられない。だが、エミが何度もやってくれてこの結果ということは、受け入れるしかない。

「これだけやっても正しく表記されないというと、これは……」

 ツバサは、その予想を呟く。

 

 ――正しく表記されていない部分は、地球外の物質であるということ。

 

「ええ。私たちもそう考えているわ」

 炭素、水素、窒素、そして酸素。それらは正しく出ているが、それ以外が表記されない――つまり、周期表に書かれていないものになる。

「大気に存在する水素、窒素、そして酸素の分子構造を無理矢理変えた可能性がありますね。ただ、大気にない炭素はどこから……」

 ツバサは、ぶつぶつと呟く。そして、答えに気づく。

「そうか。『方舟』は木製だ。つまり、どこかで船の一部を燃やして炭素を作っていた?」

 その通りよ、とイルマは言った。

「科学局のチームが、船の内部で黒こげになった部屋を見つけたわ。多分、そこで木を燃やしていたのでしょう。それも、大量の木があそこにストックされていたと考えられるわ」

 ツバサは、その部屋を認識していなかった。流れるように素早く確認していたから分からなかったのだ。

「ツバサ君は、この結果からどう考える?」

 イルマがツバサに尋ねた。

 今までの出来事から、ツバサは考える。

 この結果からも、どういうものかは何となく理解できる。だが、今までの出来事を考えれば、ツバサの予想が正しいと言い切れるものになる。

「少なくとも、この分子構造から、この雨水は人体に良いものとは思えません。間違いなく、人体をゆるやかに破壊していく力があると思います」

 そして――、とツバサは結論づける。

 

「この成分を雨として降らせ、人々の体に入れることが『方舟』の本当の目的だった」

 

「投影や天候の支配――そしてツバサ君の仮説に基づいた攻撃とティガの攻撃による勝利――それらを全て敵は予測していた。全ては、雨の存在に気づかせないために――」

 イルマは、補足していった。ツバサは頷いた。

 それが、ツバサが最後に導いた答えだった。全てが掌の上だった。必死にやってきたことが敵にとって、お遊びを鑑賞していたようなものだったのだ。

 敵の目論見は成功した。今、メトロポリスに雨は降り注がれた――それはつまり、多くの人の体にこの雨水が染み込んだということだ。

「僕やエミ、そして一部の隊員が正気だったのは、恐らく、この液体は一定以上の量を浴びることで人間を支配できるという効能だったのでしょう」

 そう考えると、エミが何とも無かったことも納得できる。他の職員とは違って、エミは、作戦開始日以外は、総合本部から外に出ていなかった――つまり、雨を浴びていなかったからなのだ。

 彼らが暴れたことで、ツバサはこの雨水の危険性に気づくことが出来た。すでに人々の体内にあるこの液体で、また人々が暴れだすかもしれない、という可能性は充分に考えられる。

 そうね、とイルマが言った。

「私もそう思うわ。もしかしたら、また同じことが起きるかもしれない。だけど、そうならないように避難をもっと流動的にするようにシステムを作り直すわ」

「この雨水が地球上にあるものとの関連性は無いのですか?」

「こちらで検索を入れたところ、これは、二十世紀頃の産物を改良したものの可能性が高いと考えているわ」

「二十世紀ごろの産物?」

「言うなれば、『麻薬』ね」

 麻薬……とツバサは呟いた。ホノカは眼をきょとんとさせている。

 どういうものなの、とホノカは尋ねるが、カノコは、知らなくてもいいものよ、と小さく言った。

「この件は科学局に任せています。今はこれよりも考えなくてはならないことがあるわ」

 イルマは、話を変えた。どうやら、ここからが本題らしい。

「単刀直入に言います。我々TPCは、あなたを必要としています」

 直球だった。ツバサを除いた全員が、驚いた。

 文字通りのスカウトだ。

「今回の『方舟』事件で、あなたの仮説と、適格な指示はTPC、特にS‐GUTSの隊員から絶賛されています。私自身こうした人材は伸ばした方がいいと考えています」

 イルマは、賞賛してくれるが、だが、ホノカは意義を呈した。

「待ってください! いくら何でも急すぎます!」

 ホノカは息が荒い。何かに慌てているようだった。今まで見たことないホノカの姿にツバサも両親も驚いていた。

「確かに、兄の能力はすごいです。並外れた知識を持っていますし、確かにその手の人たちには是非とも欲しい人材だとは思います。だけど……!」

 ホノカは、息を整えて、叫ぶ。

「まだ十五ですよ! これから自分の道を見つけていく年齢なのに、いきなりここで道を強引に決めてしまうのはあまりに横暴だと思います!」

 ツバサは、慌てているホノカを宥める。彼女がここまで必死になって、自分を引きとめたいという思い――ツバサは身に染みるほど理解していた。

 イルマは、特に反論することもなく、微笑みながら言った。

「大好きなのね。あなたのお兄さんのこと」

 イルマの言葉に、ホノカは顔を赤らめて反論した。

「ち……違いますよ! ただ、家族として、ツバサの将来を案じて……!」

 せっかく落ち着かせたのに、またホノカは慌てだした。ツバサは、その真意は読み取れていなかったが、とにかくうれしいという気持ちは本物だった。

 でも、とイルマは自分の見解を言う。

「もうご存じだとは思いますが、今、人類は再び、大いなる敵の脅威に晒されようとしています。一か月前の謎の声明文での人類に対する脅迫、そして今回の『方舟』事件。今まで十数年もの間、安寧の日々が続いていましたが、それはもう終わりを迎えたのです」

 イルマは説明を続ける。

「守護神であるウルトラマンが現れたことは、同時に怪獣や未知の敵も現れるということです。これから、いつ、どこで敵が現れてもおかしくない。もしかしたら、今も虎視眈々と人類を狙っているかもしれない。もしかしたら、この住宅街に潜んでいるかもしれない」

 まさか、とホノカは呟く。

「そう。ツバサ君やあなたたちは、怪獣や異星人の脅威に怯えていた時代を知らない。でも、分かったはずよ。今回の『方舟』事件で、嫌というほどに」

 ホノカは、うう……、と唸って頭を下げた。

「ツバサ君の力は、人類を守るためには必要な力なんです。我々としても、彼の知識をこれからの投資だとは思っていません。今から起こりうる人類の存続をかけた戦いへの最後の手段としてツバサ君の力を貸してほしいのです」

 それは、途轍もない重圧だ、とノリアキは呟いた。

 確かにそうかもしれない。十五の少年には、あまりにも重すぎる過酷な試練だ。

 だが、もうツバサはその試練を受けて立つと誓った。ティガとして、人類の最後の砦として戦うことを誓ってしまったのだ。

 イルマがTPCにツバサを引き入れたいというのは、ユザレの言葉に従っての事だろう。イルマは、ユザレからツバサを守るようにと言われた。ということは、TPCに――自分の目の届くところに自分を置くことで、情報局参謀という肩書で、ツバサを権力の圧力からも守ろうという考えなのだろう。

 ホノカは、家族として、そんな危険な場所で戦うことをしてほしくないのが願いだった。

「どうかな、ツバサ君」

 イルマはツバサに尋ねた。

 選択の時だ。ここで自分の行く先が決まる。

「ツバサ……!」

 ホノカが無意識にツバサを呼び捨てにした。もう、立場やら何やらを考えている余裕はなかったのだろう。

「もちろん、受けるか受けないかはあなたの意思に任せます。ここに留まるなら、時々、我々に協力してもらうことはあるだろうけど、普通の日常は保証します」

 だが、受ければ、これからTPCで寝泊まりだろう。休みはあるだろうが、滅多にこの家には帰ってこれない。

 ツバサの覚悟は、当の昔に決まっている。もう戻れることは出来ないから。

 ツバサは、顔を上げて、イルマに面と向かって言った。

「受けます」

 その言葉を聞いた後、イルマは、そう、と言って肩を撫で下ろす。ほっとしたのだろう。

 だが、その一方、ホノカは開いた口が閉まらないくらい、驚愕していた。

「どうしてよ! どうして受けちゃうのよ! この家が嫌いなの? わたしたちが嫌いなの? 自分がお父さんとお母さんの本当の……」

「違うんだ!」

 ツバサは一喝する。ホノカは、びくっとして、言葉を止めた。

 ツバサは怒っていない。ただ、もうこれからの自分の行く末を決めていたのだ。反対されるのは承知の上でだ。

「感謝しているんだ。ホノカが言ったように、それに悩んでいることもあったけど、今はもう何でもないんだ。それにこの家だって父さんや母さん、ホノカにも感謝しているんだ」

「だったらどうして……」

 ツバサは、自分の手のひらを見つめた。

「もう……戻れないんだ。僕は、もう見てしまったから……戻ることは出来ない――」

 

 ――人の死をこの目で見てしまった以上は。

 

 ツバサは、話す。

「ホノカが轢かれそうになった時、あの車に乗っていた人は一体どういう人だったと思う?」

 どうって……とホノカは呟いて、その後口を噤んだ。

「知らないだろう? でも、僕は少しだけ調べたんだ。あの車に乗っていた人のことを」

 ツバサは、自分が調べたことを語った。

「メトロポリスにある中堅企業の社員で、奥さんと二人の子供がいたんだ。愛嬌もよくて、周りからは仲良し家族とか言われて、見ている側からも幸せを分けてもらった、と思えるくらいの人だったんだ」

 ツバサは続ける。

「いつも決まった時間に、車で出勤して、退勤時刻になると、会社の人と折り合いをつけながら付き合いに参加したりして、夜は遅くならないように帰る」

 あの時だって、そうだ、とツバサは言った。

「ホノカが轢かれそうになった時もそうだ。いつものように家を出て、いつもの決まった道を通っていただけだった」

 でも、と言ってツバサは頭を下げた。

「もう彼はどこにもいないんだ! 死んでしまったんだよ。電柱にぶつかった瞬間、その場で、家族と最後に別れの言葉も言うことも出来ずに……!」

 ツバサの声が震えていた。どれだけ無念だったか、言葉を通して分かった。

「事故も、犯罪も、何一つ無縁のいい人だったんだ。死ぬことなんて、一切無縁の――天寿を全うして、幸せに逝ける人生がふさわしいはずの人が、事故で亡くなったんだ! ただ、いつもの場所を、あの時間に通ったというだけで!」

 ツバサ……とノリアキがツバサの肩に手をやった。

「僕は奇跡的に生き延びて、彼は死んだ! 口から血と泡を吹いて、何が起こったのか自分でも分からないまま、そのまま車の中で息絶えていたんだ! 不幸だと周りは言うけど……あんなのは不幸でも何でもない。『方舟』が現れなければ、彼は、あそこで『不幸』にあうことは無かった!」

 ツバサは眼に涙をためていた。初めて見てしまった死に、自分が目指しているものが果たして正しいのか、分からなくなっていたのだ。

 そう、とイルマは言った。

「人は、常に選択している。朝起きて、ご飯を食べて、仕事に行って……人の行動全てが選択肢なのよ。そして、同時に、それらは人生の分かれ道になっている」

 人生の分かれ道……? とホノカは呟いた。

「ええ。行動を選択するときは、必ずそこには死へと向かう選択肢が混ざっている。一日に何を食べたいかを決めて、それらを食べる――だけど、食べたものの組み合わせが悪いせいで命を落としたり、どこに何時に行くか、を決めて行ってみたら、その時間にその場所にいたから事件に巻き込まれて命を落としてしまったり……常に死に近づく確率のある選択が私たちの行動にはある」

 常に選択し、だが、その中に死ぬ可能性がある選択。何百、何千万の正解の中に一つだけ死に近づく選択肢がある。人間は常にその選択を迫られている。

 だが――。

「敵は、人にそれらを選択する権利すら奪い取る。正しい選択をしてもしなくても敵はその人を殺す」

 イルマは真剣に言った。

「私たちは、その権利を奪い取る奴らから、人類を――あなたたちを守りたいの」

 人が、常に自分の人生の選択を出来るように――、とイルマは言った。

 ヒロアキは、一瞬目を閉じて、そしてツバサの方に目をやった。

「元から、こうなることをツバサは望んでいたんだね」

 ホノカは再びツバサに目をやった。ツバサは、ただ頷いた。

「……僕は、ツバサに言うことは何一つないよ。それがツバサの願った道なら、僕は影から応援するだけだ」

 なあ、母さん、とノリアキはカノコに言う。カノコも同じ気持ちだった。

「ええ。わたしからも言うことは何もないわ。イルマさんの言葉を借りるなら、きっと、ツバサはこうなるように選択したのよ」

「母さん……」

 ツバサはカノコに目をやる。

「あなたがここに来て、一緒にいて、そしてホノカを守って、みんなに協力して戦って、そして、人の死に涙することも――全部全部、あなたが選択したことなのでしょう?」

 ツバサは優しいから、とカノコは優しく言った。

 ツバサは、有難う、と言った。

 ツバサは、ホノカの方へ顔を向ける。

 反対しているホノカだが、ツバサの覚悟を読み取ったのか、はあ、とため息を吐いた。

「分かったわ。お兄ちゃんが決めているのなら、もう止めることなんて出来ないじゃない」

 ごめんな、とツバサは謝る。

「いいわよ。その変わり、休みになったら必ず家に戻ってくること!」

 ホノカはそう言って、部屋を飛び出した。

 ノリアキとカノコは互いに目配りをして、部屋から出ていこうとする。

「さてと、娘を宥めに行きますかな」

「そうね。どこの誰かさんの所為で泣いちゃった娘を慰めないとね」

 二人はそのまま部屋を出ていった。

 ツバサは、どういう意味か分からなかったが、少なくとも、これがホノカにとって最良の選択ではなかったことは分かった。

「ご家族には、申し訳ないことをしたわね」

 イルマが微笑みながら言った。

「でも……誰もが納得する答えは無かったと思います。ましてや、僕は最初から決めていたことですから」

 そうね、とイルマは呟く。

「これから先、あなたとあなたの家族を含めて私が――TPCが全力で守るわ。もし、聞きたいことや頼みごとがあったら私に言って。自分が出来る最大限の協力はするから」

 イルマは言った。

 ツバサは、それなら……、と口を開こうとしたが、すぐにやめた。

 今、これを聞くべきではない、ツバサはそう思ったのだ。

 

 僕の無くなった記憶について、何か知っているか――。

 

 ツバサはそれを聞こうと思ったのだ。

 ユザレに予言を与えられたということは、少なくとも、ティガであるツバサがどういう人間であったのかを教えられているはずだ。

 そして、その予想は正しい。

 イルマは、ツバサが、マドカ・ダイゴの息子であり、光を継ぐものとして、ティガとなって戦う運命にある少年であることを知っている。

 だが、互いに、それを聞くことも、言うこともしなかった。

 彼らはそうする選択をしたのだ。

 これから先、この選択がどういう結果になるかは分からないが――少なくとも、こうすることが正しいと、二人は確信していたのだ。

 いつか来る、災厄に立ち向かうための最善の選択であると信じて――。

 

   *

 

 アンダーグラウンドの作戦司令室にS‐GUTSの隊員たちは、『方舟』事件の後、一般業務に戻り、平穏な日常に戻っていた。

 メトロポリス湾に着水した船は、現在科学局などで調査がなされているようで、あの後、S‐GUTSも中を除いたが、エミですら全く仕組みを理解することが出来ずに、ただ圧巻されるだけであった。

 そして、今は『方舟』の情報を待っているという状態になってしまっていた。

「パトロールからただいま戻りました」

 司令室の扉が開く。ヒロキとマリナが戻ってきた。

「おう。お疲れ。どうだった?」

 フドウが尋ねる。

「何も異常はありませんでした。市民も『方舟』のことはもう興味の対象でもないようですし」

 マリナが言う。

「まあ、後のことはこっちに任せるってメディアに言ったんだからねえ。結果が来るまで、彼らも干渉しないってことなのだろうな」

 シンイチが言う。

「ああ、そうそう。『方舟』は本部の地下ドックに近々運び込まれるそうだぞ。やはり、湾の漁業組合が、邪魔だと言って抗議してきたらしい」

 シンイチは思い出したように続けて言った。

「まあ、さすがにあそこで何日も調査するわけにはいきませんからね」

 ヒロキは言った。

「でも、本部にあれだけの大きさの船を収容する場所なんてあったっけ?」

 マリナが聞いた。

「ああ、何でも、地下五十階層のドックに入れられるらしい。そうなれば、後は情報が来るまで待つって感じだな」

「地下五十階層? 例の極秘プロジェクトをやっている場所ですか」

 シンイチの証言に、ヒロキが尋ねた。

 地下五十階層――アンダーグラウンドは地下施設があり、その全貌はTPC職員でもごくわずかの人間しか知らない。

 S‐GUTSを含めた一般の職員は地下四十九階までに入る権限はあるものの、それより下の階層は入れない。また、それより下がどれくらいの階層まであるのかも知られていない。

 特定の職員しか入れない地下の階層を全て総称して、地下五十階層と呼んでいるのだ。

 そして、現在、ヒビキ総監が主導となってある極秘プロジェクトを実行中であることが公表されていた。

 総監曰く、万が一のために備えて、人類が、自らの力で地球を守るためのプロジェクトらしく、完成された暁にはメディアにも伝える、と公言していたのだ。

「船は、人類の科学を超えているからな。もし、それらが解明されればプロジェクトがさらに捗ると考えているんだろうな。まあ、そう簡単に解明できるとは思えないが」

 シンイチが言った。マリナは、ですよね、と言って椅子に座る。

「でも、彼だったら、船について何か分かっちゃうかもしれないですねー」

 エミは、端末の入力をやめて、フドウたちの方へ椅子を回した。

「彼って?」

 マリナが疑問に思って聞いた。

「ツバサ君よー」

 エミは、軽快に答えた。

 フドウやシンイチは、ほう、と納得した表情で言った。だが、マリナは、一人だけ嫌そうな顔をした。

「何でよ! 何でよりによってあんな奴のことを話すのよ」

「だって、『方舟』事件を解決したのって、結局のところ、彼じゃない。彼に聞けば、もしかしたら科学局も舌を巻くほどの大発見をするかもしれないわよ」

 エミが言うと、フドウは笑いながら言った。

「確かにな。彼は俺たちとは違う視点で物事を見つめているから、もしかしたら船の内部の正体にも迫れるかもしれないな!」

「隊長! 冗談言わないでください! 何であんな奴の肩を持つんですか!」

 マリナは反論する。どうやら心底気に入らないようだ。

「事件を解決したのはティガです! 民間人の、しかもただの科学オタクの子供が口出ししたんですよ! いくら事件を解決したからと言って、本来なら私たちの行動を妨害した――いわば公務執行妨害と言ってもいいくらいなんですよ! それくらいは自覚してください」

 でもなあ、とフドウは言う。

 シンイチも笑いながら、マリナをからかった。

「何だ何だ? どうやらイチカ隊員は随分と、彼のことが気になるようだ。俺たちの知らないところで口説かれたか?」

「なっ!」

 シンイチのありもしない言葉に、マリナは顔を赤らめる。ヒロキやフドウはにやにやとマリナを見つめた。あまり笑わないエミも、マリナを見つめて微笑んでいた。

「何を面白くない冗談を言っているんですか! そんなわけないでしょう! あんな生意気な餓鬼! 大体、あたしよりも、エミの方が彼といい雰囲気だったじゃない!」

 マリナは、エミを指さした。

「えー、そうかな?」

「そうよ! 結構仲よさそうに話し合っていたじゃない」

 違うよー、とエミは答える。狼狽えているようには見えなかった。

「そりゃ、興味湧くわよ。同じ分野に興味がある者同士、話が弾むのは当たり前でしょ? わたしじゃなくても同じ分野の人なら誰でもツバサ君に興味持って話すと思うなー」

 まあ、そうだろうな、とヒロキは言った。フドウとシンイチもうんうん、と頷いた。どうやらマリナの完敗のようだ。

「何よ! みんなであたしを馬鹿にして!」

 どっ、と笑いが飛び交う。マリナはただ一人、肩を落として恥ずかしさに身悶えしていた。

 その時だった。司令室の扉が開いた。

 普段、S‐GUTSの隊員が入る時以外は滅多に開かない扉。それが開いた瞬間、全員の背筋が伸びていた。常日頃からの癖――反射だった。

 そこにいたのは、イルマだった。

「これは参謀殿でしたか。お疲れ様です!」

 フドウが敬礼して言った。

「ええ、お疲れ様。そんなに固くならなくていいわ。何だか面白い話をしていたようだから、私にお構いなく、続けてもいいわよ」

 シンイチは、そういえば、と思い出す。

「参謀が昔、隊長だった時も、結構隊が和気藹々でしたよね。通信からでも何だかそんな感じがありましたし」

「そうね。結構賑やかな部分はあったかもね。隊で花見に行ったこともあったくらいだから」

「花見ですか……いいですな! 今度俺たちも何か似たようなことをやってみようか!」

「もし出来たら、私も誘ってね」

 フドウが提案すると、イルマが乗ってきた。フドウが、勿論ですよ、というと、また笑いが溢れた。だが、マリナはまだそれに参加していない。

「そういえば、参謀殿。今日はどのようなご用件で?」

 フドウは聞いた。

 イルマは、ああ、と言って事情を説明した。

「ちょっと報告があって来たの。抜けてしまったS‐GUTSの二人の隊員の後任なんだけど……一人見つかったからみんなに紹介しようと思ってね」

「早いですね。結構時間がかかると思ったんですけど……」

 ヒロキが聞いた。

 隊員の選抜は誰でもいいというわけではない。厳しい試験をこなしてきたことも一つだが、それ以外の専門分野においてのエキスパートも選ばれることがある。だが、ただ優秀だから、詳しいからというだけでは選ばれない。隊員としてチームを組んで協力出来る力も問われるのだ。

 それ故に、隊員の選抜は時間を有するのだ。

「運良く適任の人が見つかったのよ。あなたたちとなら抜群のチームワークを見せてくれると思うわ」

 マリナは、自分を落ち着かせて、ようやくイルマの話に参加した。

「……それは楽しみですね。で、その隊員はいつ来るんですか?」

 イルマは、微笑みながら答えた。

「もう来ているわ。……入ってきなさい」

 イルマは、大きな声で言う。

 すると、扉が再び開いた。扉の前で待機していたのだろう。

 だが、その後任者は、フドウ、シンイチ、ヒロキ、そしてエミにとって内心望んでいた適任者であったが、話に参加したばかりのマリナには、さらに自分の気持ちを苛立たせる結果を招いてしまった人間だった。

 

 真新しい隊員服。左にはヘルメットを抱え、彼がいつも持ち歩くポーチも腰に忘れない。

 身長は、その年齢なら長身で、ヒロキより少し低いか。だが、マリナやエミには五センチほどの高さがある。

 容姿は、二枚目と言ってもおかしくない――十五の少年。

 

「本日付けで、S‐GUTS科学班兼隊員として、配属されることになりました――科学オタクで生意気な餓鬼のエンジョウ・ツバサと申します」

 

 マリナは、開いた口が塞がらない。

 自分の奥底に眠る苛立ちがまるで水が沸騰するように湧き上がってくるのを、マリナは感じた。

「何で、あんたが来るのよ!」

 マリナは指をさして怒鳴った。

「だって、スカウトされたんですから、逃さない手はないでしょう?」

「そういう問題じゃないのよ! 試験は? 訓練は? あんた正式な手続きすらしてないんでしょう!」

 ツバサは、マリナの言葉を無視して話を進める。

「若干一名を除いて、皆さんとまた一緒になれたことを嬉しく思います。未熟な部分もありますがよろしくお願いします」

「おお、よろしく! これは嬉しいなあ! 是非とも一緒に仕事したいと思っていたところだ! お前が来たことは、隊長として鼻が高い」

「有難うございます、隊長」

 

「ははは。まあ、こうなるべくしてなったということなのかもね。よろしく、ツバサ君。そして、ようこそ、S‐GUTSへ」

「こちらこそよろしくお願いします、副隊長」

 

「わー、やったー! また一緒に仕事出来るんだー」

「また頼りになるかもしれないけど、またよろしく頼むよ。エミ」

 

「いやー。まさか君が来るなんてなあ。君とは色々と話が合いそうだ。その時は一緒に語り合おうな」

「ええ。その時は、是非ご一緒させてください、ミドリカワ隊員」

「ヒロキでいいよ。名字で呼ばれると姉さんだと、周りにイメージされちゃうからな」

「ああ、分かりました。ではヒロキ隊員。よろしくお願いします」

 

 マリナを尻目に、ツバサは他の隊員と仲よくなっていく。

 そして、ついにマリナの怒りが火山の如く爆発した!

 

「いい加減,あたしにもちゃんと挨拶しろーーーーーーーーーーーーーー! 先輩と後輩の間のモラルってもんがあるでしょうが、この生意気後輩があああああああああああああああ!」

 

 マリナはツバサにヘッドロックをかます。

 イルマは、遠巻きで、どうかツバサが彼らに守り守られるように、とユザレに、神に祈りながらそのやりとりを見て笑っていた。

 




お疲れ様でした。これでツバサの地盤固めの話は終わりです。次からはテレビらしい雰囲気を頑張って書いていこうと思います。

登場怪獣:
・古代天空船ウト=ナピシュテム
・超古代暗黒生命体ヴィマール
・超古代暗黒防壁生命体イ=ヴァルメ

次回予告:
某県で怪獣の鳴き声を聞いたとの通報を受けて、ツバサは初任務として、マリナと共に某県に向かう。そこでツバサたちは、「地霊神と地霊魔」の伝説を聞くことになるが……
次回、第三話「地の神、地の悪魔」

参考にした話:
・ウルトラセブン 第一話「姿なき挑戦者」←全部書いていたらこれと似てるなあと思ったので、もうこれを参考にしたと思うことにしました。

参考文献:
聖書(和英対照) 創世記6章第1節から9章第17節(日本聖書協会 2004年発行)
学研版 中学理科辞典(2005年 発行)
ギルガメシュ叙事詩(インターネットでの参考です)



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第3話 地の神、地の悪魔
其の1


長らくお待たせしてしまいました。第三話です。
第二話投稿直後に左腕を負傷してしまって、しばらくPCでの執筆が出来ない状態でした。そのため、ほとんどスマホのメモ帳とかでせっせと書いていました。

次からはもっと早く投稿します。一応、今後30話分くらいプロットを作ったので、今後は早くなると思います。

そして、今回は、あまりに捻りが多すぎた所為か、自分自身でも頭がこんがらがってしまったので、流す程度で読んでいただけると幸いです。次回から捻りを少なくします。

尚、例の如く、作中に書いてある科学的なものは、事実っぽく無理矢理押し通している部分があるので、間違っていたら笑ってスルーしてください。(誤字脱字などに関してはどうぞ遠慮なくご指摘ください。質問も可能な限り答えます)



  1.

 

   *

 

 安寧は簡単に崩れ去った。

 それと同時に宇宙、そして地球上の生きとし生けるものたちも、無意識にその生活の行動を変化させていく。

 天候や地殻の変動はもちろん、地球そのものも、平和が瓦解したと同時に、その環境を変えていく。

 地球が生き物だとすれば、今、地球は防衛体制を取ったと言ってもいいだろう。

 全ての生物を守る、その使命の為に。

 そして、光の巨人。

 地球を守るために、超古代から、そして現在も――光と共に現れ、人類を災厄から守る英雄。

 地球は今、危機にさらされている。

 全てが変化し、それらが通常として機能した時、時に起こりえなかった現象が目の前で発生するのだ。

 

 そして、今宵も、今まであり得なかった現象が起こる。

 小さな地震だった。

 数秒の小さな揺れ。物がかたかたと音を立てて、震える程度の小さな揺れだった。

 ここ一週間の間、日本各地で小さな地震が起こっている。地震大国がゆえの避けられない運命なのだろうが、それにしても少し多すぎる。

 地震が止まると、人々は一瞬の安堵。

 そして、その後、恐怖する。

 

 叫び声だった。

 

 今まで聞いたことのない声だった。野犬? 熊? いや、そんなものではない。

 大音量で、恐らく街全体に広がるほどの声量だった。人々は慌てて外へ飛び出し、一体どこから聞こえたのか、辺りを見回す。

 だが、そこは夜の街。間もなく眠りに入ろうとする街の姿しかなかった。

 ある者は気のせいか、と言って気にせず眠りにつく。

 ある者は、過去に似たようなことがなかったか、調べる。

 ある者は、怯えて、互いに大丈夫だ、と励ましあう。

 そして、ある者は電話を取り、あるところへ電話する。餅は餅屋。こういう怪現象は専門家が調査して原因を究明した方が一番得策だ。

「あ……もしもし? TPCですか? 実は……」

 

   *

 

 TPC総合本部基地アンダーグラウンド。その中にTPC特務部隊S‐GUTSの各隊員たちに部屋が設けられる。

 その中の一室に、エンジョウ・ツバサは、夜中にも関わらず一人、開発に没頭していた。

「端子をつないで、電波が通るか……よし、通った。これで完成だ。さて、果たしてうまくいくか……」

 テーブルには、開発に使い、ごみとなったコードや、今まさにツバサが開発した機械に繋がり、作動しているコードが絡まってしまっていた。テーブルはおろか地面にも工具が散らばっている。横にはTPCが用意したパソコンとキーボードが設置されているが、パソコンの上にも部品が置かれている。

 ツバサの机は物が置ける状態ではなかった。ツバサは放置する性格ではないが、片付けても片づけても、開発する度に散らかっていき、そしてその醜悪さは増していくばかりだった。

 ツバサは、パソコンからあるデータを映した。メトロポリス中心街の断面図だ。表示されているのは、リアルタイムの電波状況だ。その中に一つだけ、赤色の波形があった。それこそがツバサの探していたものだった。

「さて、接続開始……!」

 機械のスイッチを入れる。機械は、パソコンに接続されている。接続状況は、画面上で確認できる。

 

 40.383737289%

 

「よし、いいぞ……」

 

 77.928372823%

 

「順調だ……!」

 

 94.298382929%

 

 前回はここで止まった。だが、数字は、着実に伸びている。

「よし……! ここまで来たら……」

 確実に成功する! ツバサは確信する。

 だが、現実はそう甘くはない。

 

 99.999999998%

 CANNOT CONNECT!

 SYSTEM ERROR!

 

「嘘だろ……」 

 エラーの表示が出た瞬間、ツバサはがくりと肩を落とした。今にでも画面を殴りたい気分だ。

 ここまで来たら、確実に成功すると思い込むのが普通だ。だが、まさか、最後の最後で障害が出るなんて、誰が思うだろうか。

 ツバサは、画面を落としてそのままベッドに潜り込んだ。

 時刻はもうすぐ深夜零時を回ろうと言うところだった。

 業務を終えた後で、この機械の開発に取り組んだが、これで二十六回目の失敗だ。

「やっぱり、RFIDに使う磁力は、人工的なものじゃ駄目なんだな……」

 はあ、とツバサは溜息を吐いた。

「自然界の磁力を含むものなんて、たかが知れているし……かといって二十世紀に使われたアンテナの電波なんて骨董品だろうし……」

 ツバサはぶつぶつと呟く。

 どうしようもない問題にぶち当たり、ツバサは若干やさぐれていた。これが完成すれば、緊急事態の時に大いに役に立つというのに……。

 

 ツバサがS‐GUTSに入隊してから二週間あまりが経過した。

『方舟』事件以降、S‐GUTSが出動する事件は起きず、つかの間の平和が訪れていた。

 そんな中、ツバサはイルマの提案によって、フドウ直々の指導の下、隊員としての基礎知識を学んでいった。

 とはいえ、やることは訓練学校ZEROと大して変わらない。

 始めは、昼間のうちにZEROに赴いて基礎訓練を受ける予定だったが、すでにS‐GUTSの正隊員としてイルマが登録したために、正隊員の業務もやらなくてはならなかったのだ。

 だが、イルマはもう一つ提案があった。昼間は正隊員としての業務を覚えてもらい、そして、夜にZEROに赴き、ミドリカワ・マイ教官の下、個人授業を受けるという形になった。

 本来ならZEROに入った訓練生は数年かけて、必要な知識や技術を学んでいく。だが、ツバサが正隊員という事情もあるため、マイが作り上げた短期間用のプログラムを受けることになったのだ。

 夜に行われた訓練というだけあって、教室にはツバサとマイの二人しかいない。ツバサはZEROの訓練生と出会う機会は一度もなかった。

 朝はS‐GUTSとして、そして夜は訓練生としての二つの仕事をこなすという、重労働を二週間の間ずっと行ってきたのだ。

 自称デスクワーク派としては、重労働は地獄だが、どういうことか、ツバサは耐えられた。体力もそれなりにあるためか、さほど苦ではなかった。

 ツバサの隊員としての能力は、強いて言えば平凡より上といったところだった。

 座学に関してはぐうの音も出ないほどの出来だが、肝心の実践訓練は、可もなく不可もなくといったところだった。

 フライトシミュレーションから射撃、格闘――基本の技は講義すればすぐに覚えた。だが、実戦――ましてや次の一手が分からない本番になると、ツバサの基礎は意味を失くす。

 そこでマイは気がついた。ツバサは勉学に対してはあらゆる場面でも適応出来るが、実戦では応用が利かないということに。シミュレーションや射撃、格闘はその後の一手が決まっている。仮にランダムに変化させても、ツバサの頭の回転は、そのパターンと次に来る一手の確率を瞬時にはじき出す。

「うーん……。悪くはないんだけど……実戦だとなあ……」

 マイは何度も頭を傾げた。

「座学だと面白い応用が出来ているんだけど、実戦だとそれが出来てないのが痛いね」

 ツバサは目を逸らす。

「正直言って、もしあなたが訓練生ならS‐GUTSには入隊出来ないわね」

 体は出来ているのに、惜しいなあ――と言いながら。

 マイはツバサに直球で、事実を突きつけたこともあった。

 だが、それはツバサが一番分かっていることだった。

「正直言えば、僕は科学者向きです」

 と、一言言って、マイを納得させようとする。

 だが、マイは何か引っかかっていた。

「でも、科学とかでの緊急事態なら対応出来るの?」

 マイの質問にツバサは、口を開いた。

「まあ……可能な限りなら。科学とか計算とかなら、頭が回転するんですけど……」

 ツバサの言葉は、どこか気になる。マイは、ツバサの言動やこれまでの行動を見て、手元の端末を検索する。端末にあったツバサの個人データを覗いた。

 そういうことか、とマイは確信した。

「じゃあさ。わたしから実戦でも何とかなる方法を教えてあげる」

「本当ですか?」

 マイは頷く。

「とは言っても、考え方を変えるだけだけどね。あなたは科学と実戦を無意識のうちに区別しちゃっているんだと思う」

「区別……ですか?」

 そう、とマイは説明を続ける。

「勉強が得意か、運動が得意か……どちらかが得意な人って、そのどちらかが苦手っていう人が多いでしょ?」

 確かに、とツバサは言った。自分も、運動よりは勉学に勤しむ方が向いている、とツバサは思っていた。

「だからね、その区別を取り払っちゃった方がいいと思うんだ」

「区別を取り払う……」

「うん。きっとうまくいくよ」

 簡単に言ってくれる、とツバサは思った。言葉では簡単だが、実戦だと難しい。頭の中で区別しないということを意識するなんて出来っこない。

「何か方法があるんですか?」

 ツバサは思い切って聞いてみた。だが、マイは、微笑みながら、

「方法は自分で見つけてみること。答えを探すのは、ツバサ君の得意分野でしょ?」

 と、言って答えをはぐらかした。

 頑張ってね、とマイはエールを送る。

 答えを探すのは得意分野……か。ツバサは考える。

「脳領域における勉学や運動における場所は違うんだ。区別は脳のメカニズムだ。そんなこと出来る訳がないじゃないか……」

 ツバサは独り言を呟く。

 結局その日、ツバサは答えを得ることが出来なかった。

 

 全ての業務が終わると、すでに時刻は夜の九時を回る。

 短い自由時間であるが、ツバサの一日はまだ終わらない。

 ツバサは、自室へ戻ると、開発に没頭するのだ。

 

 S‐GUTSに入隊した後に、フドウに連れられ、アンダーグラウンドの内部を見せられた。

 参謀本部もそうだが、各局もそこに在中している。TPCの全容と、それを統括し、機能しているシステムをツバサに大観させてやろうというのがフドウの目的だったらしい。

 ツバサはかねてから見たかったものだったから、願ってもないことだった。

 様々な場所やシステムを見学して、ツバサは一つ、やってみたいことが浮かび上がった。

 ツバサは、それを嘆願書として、上層部――ツバサはイルマとしか面識がなかったため、イルマを介してそれを提出した。

 翌日には、上層部の会議でその議題が出された。

 そして、その後に、イルマから指示が出たのだ。

「昨日の案件だけど……全員が賛成してくれたわ。あなたの提案が実現できるのは、願ってもみないことだって。総監からも、是非にとお願いされたわ」

 イルマが嘆願書を返した。

「一応、極秘として扱うから、他言無用で開発して欲しいんだけど……出来る?」

 イルマは言った。

 

   *

 

 S‐GUTSに入隊する前に、ツバサはイルマと話し合った――情報局のイルマの部屋で、ツバサの家で使った機械を使って――。

「私が持てる権限であなたのことを守るけど、私でも敵わないことは多くあるわ」

 イルマはそう言った。

「私の目が届いていない時、あなたを守ることは出来ない」

 それは、ツバサは承知している。

「あなたがティガとして戦う時、当然皆が不審に思う。その時その時に、私が誤魔化すことは出来るけど、いつもは出来ない」

「参謀がいない時に、隙を見て戦うのにも無理がありますしね……一応、今は前線に出ない分誤魔化しようはありますが、いずれは前線に出るでしょうしね」

 そうね、とイルマは言う。

「でも、それ以上に気を付けてほしいのは、隊員に気づかれることじゃないの。TPC職員全てを疑ってほしいの。あなたが信頼する人物――私であってもよ」

 それはつまり――、とツバサは確信した。

 

 ――敵はTPC内部にもいる。

 

「肝に銘じておいて」

 ツバサがやるプロジェクトは、イルマによって全て極秘にすることで決定した。時間は決められていないが、ツバサにとっては、S‐GUTSの科学技術担当としての重圧を与えられたようなものだった。

 

   *

 

 許可が出たことで、ツバサは必要な機材を借りることが出来た。

 そして、夜中の短い自由時間に、実験に実験を重ね、そして、完成間近まで来たところで、最後の壁にぶち当たったのだ。

 

 ツバサが開発していたのは、新たな通信システムの構築だった。

『方舟』事件以降、ツバサは、敵は人類が操ることも敵わない天候も操ってきた。敵は、人類の予測の斜め上を行く。こちらに反撃の糸口がなければ確実に負けると知った。

 その中で人類が必ず必要なものを、敵は断ち切ってくる――そう思った時に、ツバサはTPCとして、S‐GUTSとして必要なものとは何かと考えた。

 その結果が、通信による連携の確認だった。

 通信における連絡は隊の戦闘指揮から連携を保つことまで重要なものだ。仮に、通信妨害や通信を完全に遮断されれば、甚大な被害は免れない。

 そこで、ツバサが提案したのは、他の電波や妨害など、あらゆる敵の攻撃に干渉されない独自の通信チャンネルを作り上げることだった。

 だが、ただ通信のみに対応できるわけではない。

 このシステムの応用として、コスモネットとは別にTPC専用のネットワークを形成することもツバサは考えていた。

 通信妨害で通信が不可能になったら、自動でこのシステムに切り替わることが出来る、バックアップシステムとして。

 敵の電波遮断やハッキングなどの妨害や対策、敵そのものにも感知されず、すり抜けることが出来るネットワークシステム。

 サイバーテロにおいても、攻防どちらにも対応できる、現時点の技術では正に最強のサイバー兵器である。

 ツバサは、必要な機材を揃えてもらい、開発に挑んだ。

 ツバサは、自動認識危機をベースにRFタグを作成した。

 はじめは一般のものを用いて、数回の実験は失敗することを目標として行った。

 そして、その際に出てきた失敗データを元に、再構成していくのがツバサのやり方だった。

 他の電波と同調、干渉されてしまったり、システムが百パーセント接続出来なかったりすれば失敗だ。

 現時点で、多くの失敗がこの三つに該当する。

 ツバサは、改良と実験に合計で二十回以上の実験を行った。

 そして、失敗する度に、改良し、失敗を乗り越えていった。

 だが、最後の最後で接続に失敗したのだ。

 現在ある電波に干渉や同調されてしまうなら、自分でオリジナルを作ればいいと考えるが、最新機器を使って電波を飛ばしても、必ず誰かが見つける。

 そこで、ツバサが最後の最後で思いついたのは磁力だった。

 RFIDには電波の他に磁界を用いたデータ送信がある。電波ではなく磁力を用いた送受信システムにすればクリアできるのではないかと考えた。

 そこで、RFタグを作り直し、新たにツバサ自身で考えた磁界でネットワークを構築するルーターを作って実験を行った。

 だが、その結果が、今の実験結果だった。

 最後のコンマ一パーセントで繋がらない――接続エラー。

 電波の同調や干渉ではない。ましてや磁力が弱かったわけでもない。

 考えられる結論は、ツバサの中には一つしかなかった。

 ――人工的な機械で発生させる磁力ではなく自然界で発生する磁力が必要になる、ということだった。

 だが、自然界で発生する磁力というのは、力が弱い。ネットワークとして使えるだけの強力な磁力を持つものなどありはしない。それこそ地球そのものを媒体とするという机上の空論でしか実現できない。

 なら、考えを戻して電波にするか、とまた考えたが、それも不可能だ。

 ツバサの発案したものは磁力でなくても電波でも可能と言えば可能だ。

 だが、それには現在使われている電波ではなく、以前に使われていた電波が必要になるのだ。

 現在使われている電波は、二〇一〇年代に開始された地上デジタルを含んだ電波だ。高い周波数を用いるもので、今ではそれが当たり前となっている。そして、スマートフォンが主流となった時代で、今は、さらに性能が上がったのが普通となっている。

 だが、地上デジタルが始まる前の電波の時代――VHFアンテナと呼ばれる魚の骨のようなアンテナを使っていた時代だ。

 現在のものとは違い、受信できる周波数が小さいため、このままだと現在の放送は見ることは出来ない。改造が必要となる。

 ツバサの代替案は、VHFアンテナを使ったネットワークを使えば、外部からの妨害も干渉も、さらには外部から認知すら出来ないネットワークを構築することだった。

 古い機器はセキュリティが低く、最新機器から攻撃を受けやすいというのが通常だが、ネットワークやハッキングになるとそうはうまくいかないのだ。

 使用する電波が違うため、古い機器への介入はほぼ出来ないといっても過言ではない。

 それらを実現するためには、改造されていないVHFアンテナが必要だ。しかも、過去に設置されたままで、未だに使え、そして、VHFアンテナを未だに使っている住宅地を探さなくては、ルーターを作成できないのだ。

 そんな場所果たしてあるのかどうか、と調べる時間は、ツバサにはない。中国の青磁器の本物を見つけるようなものだ。

 どちらかの方法でこの開発は成功するが、どちらも打つ手なしという結果を突きつけられたツバサはこうして、ふて腐れることしか出来ないのだ。

「はあ……分かってたさ。分かっていたけど、やっぱり現実を突きつけられると気持ちが沈むな……」

 ツバサは独り言を言う。

 机上の空論であることは分かっていた。もし、今が二十世紀だったら簡単に作れるのに……いや、その時代に今ぐらいの技術はないからあり得ないか……。

 答えを探そうにも見つからない。いや、答えがあっても実戦できない。

 突如マイの言葉がよぎった。

「区別を取り払う……」

 ツバサ呟く。

「違う……。これは意味が違う! これはそういう区別じゃない。可能か不可能かの区別だ!」

 ツバサは、思い切り布団を被る。

「教官の言っていることは、意味が分からない」

 ツバサは、目を瞑る。

「明日は朝も早いから、もう寝た方がいいな」

 そう言ってツバサは、床に伏せる。混乱した頭は、寝て整理しよう。そうすれば、きっと良い答えが明日には浮かぶはずだ。

 刹那、かたかたと音がする。

 揺れている――地震だ。

 小さい揺れだが、テーブルに身を潜めることが絶対必要だ。だが、ツバサは、ぶつぶつと言いながら地震に気づくことが出来なかった。

 

   2.

 

 翌日。

 いつものように、ツバサは司令室へ向かう。

 司令室に入るには、TPC専用のIDカードを認証させる必要がある。

 認証カードをスキャンする機械はあるが、それはあくまでいつもの方法が出来ない時だけに使うものだ。

 認証カードは携帯するだけでいい。扉の前にある認証システムが、瞬時に隊員の体をスキャンする。健康状態、体温、心理状態など、あらゆる面でスキャンし、それはデータとして端末に記録される。そして、認証カードがある場所を特定し、そこからIDナンバーやそれが偽造かそうでないかなどを自動的に認証する。

 だが、司令室にその方法で入ることが出来るのはS‐GUTSとTPC参謀クラスの人間のみだ。一職員が入るには、機械にカードを通して、機械の横にある認証マイクで個人情報と入る目的を言わなければならない。機械は、心理状態や体の状態をチェックして嘘かどうかを見極める。そして、その審査が通った時に職員も入ることが出来る。

 だが、これには例外がある。

 職員が緊急事態の案件を伝えなければいけない時、今までの手続きをしていると、間に合わない可能性がある。

 その場合、機械が瞬時に判断して、隊員や参謀らと同じようにIDカードの認証だけで入ることが出来る。

 ツバサは、隊員のIDのため、何もせずに司令室に入ることが出来た。

 中にはヒロキを除いたお馴染みの隊員たちがそれぞれ寛いでいたり、資料を除いたり、端末に入力をしていた。

「おはようございます」

 ツバサは挨拶をする。

 フドウは、おう、おはようと言ってツバサに向かっていった。

「来て早々で悪いが、今からZEROに向かってくれないか? そこにヒロキもいるから」

 唐突だった。いつもなら、そのまま業務作業に入るはずだというのに。

「急ですね? 何か話があるんでしょうか?」

 フドウは、目を逸らした。

「さあな。だが、ミドリカワ教官直々の呼び出しだ。行って来い」

 フドウは、そう言って、一枚の紙を差し出す。急に言われたのだろう、文字が殴り書きになっていた。だが、読めないわけではない。

 明らかにフドウは何か知っている。だが、ここで追及することは出来ない。

 ツバサは、どういうことなのか理解できないが、言われるがままにZEROに向かった。

 

 訓練学校ZEROは、アンダーグラウンドと隣接されるように出来ている。

 雨天時でも訓練が行えるように、同じく地下に建造されている。

 様々な訓練が行えるこの施設では、TPCの特務部隊を目指す若き精鋭たちが日夜訓練に励んでいる。

 かのS‐GUTS隊員であったTPC宇宙開発局参謀コウダ・トシユキや、アスカ・シン、そしてフドウの兄であるフドウ・タケルも訓練学校ZERO出身だ。

 今や伝説的な人物も出たということで、入る倍率は年々上がってきているのだ。

 ツバサが訪れたのは、本教室ではなく、普段は使われない別館にある教室だった。

 行く道中、やはり訓練生とは誰とも会うことなく、そのままやってきた。

 中に入ると、ヒロキがガッツブラスターを整備して待っていた。

「よっ。時間通りに来たな」

「ヒロキ隊員……これは一体どういうことですか?」

「さあな。俺じゃなくて、姉さんに言ってくれよ。俺も朝方に姉さんから呼び出しを受けたんだよ。全く……いきなりだから本当は嫌だったんどな」

 まあ、俺が欲しくても変えなかった限定版ハネジローストラップをくれるって言うから……、とツバサに聞こえないようにぼそっと呟いた。

 しばらく待ってみると、マイが教室に入ってきた。

「ごめんごめん。ちょっと待たせちゃったかな」

 確かに少し遅刻している。ツバサは、大丈夫ですよ、と言って気遣うが、ヒロキは正直に言った。

「待ったさ。全く、自分から呼び出しておいて、遅刻はないだろ、姉ちゃん」

 姉弟だから正直に言えるのだろう。ツバサは、ホノカにあまり正直に言うことが出来ないだけに、何だか羨ましくなった。

「あーはいはい。ごめんね」

「別にいいけどよ。それよりもちゃんと持ってきたんだろうな」

「あるわよ。後で渡すから」

 二人で何かを話しているがツバサは気にしないでおいた。

「さて、ツバサ君。君に来てもらったのは他でもありません」

 マイは、ツバサの方に向き直して、ツバサの目の前に数枚の紙を置いた。

「これは……?」

「テストよ。ツバサ君ならすぐ終わると思うから」

「テスト?」

「ああ、後、テストが終わったら、昨日できなかった射撃訓練をやるから。ヒロキは、その監督役ね。やっぱりプロに見てもらうのが一番だと思うから」

 ツバサの質問を受け流し、次々と指示を出すマイ。ツバサは、一気に色々なことがおきたことで、頭が混乱していた。

 だが、とりあえずこれを解けばいいのか、と頭を整理させる。

 ミドリカワ教官のことだ。何か意図があるのだろう。じゃなければ、わざわざ呼び出さない。

 ツバサは、言われるがままにテストの問題を解き始めた。

 

 テストは一時間足らずで終わった。普通なら三時間かかる試験を、ツバサは難なくやってのけた。

 そして、そのままヒロキが監督をしながら射撃訓練を行う。

 的には命中するが、正確性はない。狙って撃っているのは分かるが、それでも何かなあ……とヒロキも眉をひそめる。

 射撃訓練が終わり、再び教室に戻る。

「うーん。聞いてはいたが、確かにあれじゃ、実戦だと外す可能性があるな。まあ、素人にしては上出来だとは思うが……」

 ヒロキの講評にツバサは、すみません、と言って謝る。

「いや、別に怒っているわけじゃないぞ? ただ、敵と一対一や一体多数になった時を考えると、あれじゃ生き残れないぞ。俺たちは、そういう状況にならないとは限らないからな」

 その時は、ティガになればいい、とツバサは言おうとしてがやめた。ヒロキの言っていることは最もだからだ。

「ヒロキ隊員は、射撃の名手なんですよね? TPCでもトップクラスの腕の持ち主だって。いつもどうやって撃っているんですか?」

 ツバサに質問に、ヒロキは頭を掻いた。

「うーん……どうって言われてもなあ。こういうのって説明しづらいんだよ」

「何となくでいいんです。ヒロキ隊員だって、最初は素人だったんでしょう? それからどうやって上達したのかだけでもいいんです」

 まあ、それなら……、とヒロキは言った。

「俺の場合、自衛隊で銃の撃ち方を学んだんだよ。ハンドガンやライフルだと少し違いがあるが、まあ、ガッツブラスターとかのハンドガンを例にするとだな……」

 ヒロキは実際にガッツブラスターを構えながら説明した。

「まず、利き手の親指と人差し指だ。指をしっかり伸ばして、Uのような字を作る。そしてグリップを高い位置で持つ。こうすることで撃った時のブレを減らして安定させることが出来る。もう一方の手は利き手を包み込むように持つ。支えている方の手を逆にレバーを引く感覚で自分の方へ持ってくる。こうすることで銃を安定して構えることが出来る」

 ヒロキは続ける。

「体は、両足を肩幅くらいに広げて両膝を軽く曲げて、上体を軽く前に傾ける」

 ヒロキは言葉通りにする。見る限り、想像しているものより格好悪い。

「そして、両腕は前へ突き出すように、胸の中心から真っ直ぐに押し出すようにして、顎を前斜め下に落とす。最後に肘を内側にねじりこんで腕を固める。これは銃の反動を抑え込むためにする。もし、銃の口径がでかい時は、反動を抑えると、肩を痛めるから肩の力は抜けよ。まあ、ガッツブラスターは反動面で自動的に抑えるように作られているから問題はないだろうがな」

 それって、とツバサは思い出す。

「アイソセレスタンスですか?」

「そうだ。射撃では一番スタンダードな型だな。まあ、広範囲に素早く撃ち込みたいなら、肘を伸ばさずに軽く曲げたままのモディファイドアイソセレスタンスっていうのがいいな」

 まあ、こういうことだ、とヒロキは言う。

「最初は色々説明を受けて、言葉に従ってやってみたよ。こうすれば出来る、ああすれば出来るって言われてそうしたさ」

 だがな、とヒロキは続ける。

「うまくいかないんだよ。素人だからっていうのもあるだろうが、基本形を言葉で聞いて百パーセント出来るなんて誰も思っていなかった」

「それで、どうやってうまくなったんですか?」

 ツバサが聞くと、ヒロキは、一言で答えた。

 

「全部忘れた」

 

「えっ?」

「忘れたよ。説明を何もかも」

 これ以上ない簡潔な答えだった。

 説明を聞いて実践したのに、うまくならなかった。だからうまくなるために忘れた。それでは始まりに戻ったに過ぎないじゃないか。

 ヒロキは、言い換えるとだな、と説明した。

「要は、自分のやりやすいフォームを探したってことよ。基本を全て捨てて自分で色々な型を編み出しては試す。体で覚えるってやつだよ」

 体で覚える……。ツバサは呟いた。

「そう。俺は説明云々でうまくいくとは思わないって考えているんだよ。ああ、別にツバサを批判しているわけじゃないぞ? ただ、俺には頭で考えて動くのは苦手ってだけだ」

 ヒロキは、また銃を構える。撃つふりをしながら言った。

「全部感覚なんだ。体が撃つ感覚を覚える。それが俺に向いていたんだ。型にはまらない自分なりの撃ち方を覚えて、ただひたすら練習した。それが今の結果なんだよ」

 ヒロキの言い分は分かった。だが、ツバサは納得がいかない。何故なら、自分はそれで成功した試しがないからだ。

 ヒロキは、ツバサの肩に手を置いた。

「人の真似ごとじゃ上手くはならないよ。こういうのは得手不得手があるからな。ツバサの場合は感覚で覚えるタイプじゃないってことだ」

「どういうことですか?」

 ツバサが尋ねる。ヒロキは微笑みながら言った。

「ツバサは俺と対極的なタイプってことさ」

 ヒロキは、そう言ってツバサから離れる。俺は、先に司令室に戻っているよ、と言って教室から出ようとする。

「待ってください! まだ意味が分かりません!」

 ヒロキは人差し指を自分の口元に置いて言った。

「これ以上は言えないな。後は自分で考えてみろよ。答えを探すのはツバサの得意分野だろ? こんなの難しい計算問題を解くより簡単だぜ」

 ヒロキはそう言って、教室を出た。

「……全然わからない。一体、何が僕に必要だって言うんだ?」

 ツバサは呟く。

 答えが出ないままツバサは、頭を抱えた。ただ、分かったことは、ヒロキはミドリカワ教官の弟だ、と改めて認識することが出来たくらいだ。

 そして、ヒロキと入れ違いでマイが入ってきた。

 

   *

 

 ヒロキが教室から出た。

「あれ? 帰るの?」

 マイがいくつかの書類を抱えていた。

「ああ。ずっといても、ツバサを混乱させるだけだしな」

「そう言って、しっかりとアドバイスしているじゃない」

 ああ、とヒロキは言う。

「あんなのアドバイスにもなんないよ。むしろ殆ど答えを言っているようなものさ。でも、ツバサは何にも分かっていないようだったが」

 あれが、ツバサの弱点なのかもな、とヒロキは言った。

「でも、すぐに分かると思うわよ。実戦をすれば、明日にでも」

「そうだな。あいつの悩みは自分の型を見つけられていないだけだ。見つければ、かなりのものになる。それこそ、マリナ隊員と張り合えるくらいに」

 マイはにやにやしながら言った。

「ずいぶんと気にかけているんだねー」

 まあな、と言ってヒロキは微笑んだ。

「出来の悪い弟を持った感じだな。姉ちゃんもこんな気持ちだったのか?」

 ヒロキは尋ねた。だが、マイは笑いながらヒロキの頭を撫でた。

「違うよ。かわいい弟を持って鼻が高いって感じ」

 マイの返答にヒロキは度肝を抜かれる。顔を伏せて顔を赤らめた。

 そして、すぐさまマイの腕を払った。

「……やっぱ姉ちゃんはつかみどころが分からないや」

 ヒロキはそう言って、廊下を歩き出す。

 

「ああ、ヒロキ隊員! お久しぶりです」

「お久でーす!」

「おお、ヒカリちゃんとカリナちゃん! 久しぶりだなー。今から訓練か?」

「今からフライトシミュレーションなんですよ。今日はお姉さんに会いに来たんですか?」

「んなわけないだろ。出来の悪い姉を笑いに来たのさ」

「またまたー! 何だかんだ言ってお姉さんのこと大好きなくせにー!」

「何だとう! 俺が愛するのはハネジローだけなんだよ!」

 

 マイは遠巻きにヒロキを見つめる。

 立派になった弟を見つめると、ツバサもああいう風になってほしい、と心から願っていた。

 そして、扉を開けた。

 

   3.

 

 司令室に戻ったツバサは、どっと、椅子に座り込んだ。今までの疲れが全て出てしまったのか、これ以上ない溜息を吐いた。

 まさかこんなことになるなんて……、とツバサは呟いた。

「お疲れ。どうだった? 何か言われたのか」

 フドウが、ツバサの両肩を後ろから掴んでいった。

「何かって……知っていたくせに……」

 フドウは、にやにやとして何も答えなかった。

 

 ツバサがマイから言われたこと――それは、あれを持ってツバサ専用の短期プログラムを終了するということだった。

 本来なら、数年かかるプログラムをマイが再構成し、二か月ほどで終了させるものだったが、さらにそれを短くして二週間足らずで終わることを言われたのだ。

 最初は納得いかなかったが、マイは、これが当然のように言った。

「卒業テスト――座学は完璧で実戦は合格ラインを一応いっている。全部合格しているのに、留める理由がないわよ」

 ですが、とツバサは言おうとするが、マイの言葉で遮られる。

「後はさっき言った答えね。それさえ見つければ実戦でも問題はないよ」

 そう言われて、ツバサは司令室に戻ってきたのだ。

 

「何ぐったりしてるのよ。そんな態度で、もし今襲撃が起きたらどうするの? 臨機応変に対処するなんて出来っこないじゃない」

 マリナが横から割って入ってきた。相変わらずの嫌味だ。この人はあまり苦手だ。

 フドウは笑いながら言った。

「まあまあ、そう言うな。今しがたまで訓練学校の卒業試験を受けて合格してきたばっかなんだから、むしろ祝ってやれよ」

 フドウが、そういうと、マリナを除いた隊員たちがおお、と言いながら拍手した。

 マリナは、はあ? と驚いた顔で言った。

「卒業試験? 合格した? あんたそれ本当なの」

 迫ってくるマリナにツバサは、気負いになりながらも答えた。

「は……はい。テスト、とか言われて、言われた通りにテストをしたら、あれが卒業試験だったって言われて……」

 マリナは、そんな馬鹿な、と言いたいようだった。

「あり得ない……あり得ないわ! だって、あれは数年かかって学んでいくものなのよ! 

 隊に入る倍率は、何十倍なのよ! 試験を合格するにだって、何十人かに一人の割合なのに……それをいとも簡単に?」

「ま……まあ、座学は簡単でしたけど……でも、実践は平均点って言われました」

 マリナ隊員には敵いませんよ、とツバサは言った。

「ほう。実戦でも平均点をとったのか。それはそれですごいな!」

 シンイチが言った。

「そんなにすごいんですか?」

 ツバサが聞く。

「ああ。普通は何年も訓練してそのくらいになるんだが、ツバサは、銃もろくに握ったことがないんだろ?」

 はい、とツバサは頷く。ここまで聞けば、ツバサも何が言いたいか分かった。

「ツバサは、天才の部類に入るんだろうな。まあ、この隊にはそれぞれの分野で天才はいるが、君みたいにオールラウンダーで天才は滅多にみないな」

 シンイチがそう言って笑う。

 その横でマリナは、歯ぎしりを噛んでいた。

 ツバサをちらちらと横目に、イライラしているようだった。

 ツバサは、マリナに気づかれないように彼女を見やる。どうして自分にあたってくるのだろうか? 自分が何か気づかない所で彼女を傷つけてしまったのだろうか?

 だが、それでも気遣うことはしない。それはツバサのプライドだった。ここでマリナに従えば、何だか自分にも負けた気がするからだ。

 フドウは、ははは、と笑いながら話を締める。

「まあ、何がともあれ、ツバサは正式にS‐GUTSの隊員になったということだ! それを大いに喜ぼう」

 わー、とマリナを除いて拍手が送られる。

「よかったねー。これで本当に一緒にお仕事出来るねー」

 エミが拍手をしながらそう言った。

 ツバサは頷いた。少し照れくさい。

 そして、拍手が止むと、フドウが、また口を開いた。

 

「さて、ツバサ。正式に隊員になったところで悪いんだが、お前に任務がある」

 

 えっ? とツバサは口を開ける。あまりに唐突だったためか、自分でもどんな顔をしているのか分からない。

「まあ、いきなり言われたらそうなるでしょう、隊長」

 ヒロキが言った。

 フドウは、そうかそうか、と笑いながら言う。

 そして、事のあらましを説明した。

 

 それは、C県F市に住む人からの連絡だった。

 昨夜の小さな地震の後に、突如怪獣の鳴き声を聞いたのだという。

 鳴き声は、今まで聞いたことのないもので、明らかに無機物の音ではなく、動物が叫んだ声だと相手は言っていたのである。

 声は市全体に響くほどの大音量で、すでに床についている人を飛び上がらせるには十分すぎるほどだったという。

 人々は起きて、外へ飛び出した。そして、声のする方へ目を光らせる。

 するとそこに、山があったのだ。

 大きな岩山――だが、そこに岩山はなかったはずだ、と誰もが思ったらしい。そこには台地があったはずだ、と。

 そして、その岩山は地面にも繰り込むように下がっていったという。ずずず、と大量の土砂が落ちていく音と共に、岩山は地中へ潜っていったのだ。

 

「……まあ、とにかく、ツバサには怪獣の鳴き声の正体を調査してもらいたい」

 フドウが説明を終えると、ツバサはうーん、と唸る。聞きながらメモを取っていたのだ。

「情報が曖昧すぎますね。でも、怪獣だっていう証拠はないけど、現象としては怪獣が地面に潜ったと想像できます」

「まあ、それを含めて調査してもらいたいということだ。まあ、これがツバサの隊員としての初任務にして、俺からの最終試験だと思ってくれてもいい」

 なるほど、とツバサは答えた。最後の言葉は思い付きで言った感じが拭えないが、初任務という響きは嫌いじゃない。むしろやる気が出る。

「分かりました。行ってきます」

 ツバサは立ち上がる。もしかしたら、スペリオルを操縦できるかもしれない――ツバサは密かに楽しみにしていた。

 だが、次のフドウの言葉がツバサの望みを打ち砕く。

 

「ああ、ちなみにイチカと一緒に行ってもらうからな」

 

 その言葉の後、ツバサとマリナは一斉にフドウに顔を向けて、はあ!? と声を荒げた。

「何を驚いているんだ?」

 フドウはツバサたちの気持ちが理解できていないらしい。

「驚きますよ! 何であたしがこいつと一緒に任務に就かないといけないんですか! こいつの任務でしょ? 一人で行かせてくださいよ!」

「いやあ、だってなあ……」

 ツバサもマリナに同意した。

「僕も反対ですね。これから調査するというのに、彼女に横やりでも入れられたら調査もへったくれもないですよ」

 ツバサがそう言うと、マリナは、今度はツバサに牙を向けた。

「何よ、その口の利き方は! 随分思い切ったこと言ってくれるじゃない」

「別に何も間違ったことは言っていませんよ。お互い嫌なんだから、そこは同意してもらわないと。むしろ、マリナ隊員の意見に賛同したんですから、責められることはないですよ」

「何ですって!」

 二人が睨みあう。目に見えていないが、火花が散っているような気がする。フドウは溜息を吐く。それ以外の隊員たちはほほえましそうに二人を見つめていた。

 フドウは、何とか止める。

「まあ、落ち着けって。ツバサは自分の任務を監督してくれる上司が必要だし、マリナは自分のリーダーシップ能力をテストする必要がある。だから、この人選にしたんだ」

 フドウが、そう説明すると、理屈は分かりますが……、とマリナが言った。ツバサも同意する。

「でも、それだったら隊長が監督すれば……今までだって隊長がこいつのお守りだったじゃないですか」

 マリナが意見するが、フドウは、そうもいかない、と言った。

「俺とシンイチはこれから会議でな。エミとヒロキは司令室の留守とソフト開発で手一杯でな。で、消去法でマリナしかいないってわけ」

 かなり単純で投げやりな理由だった。だが、フドウの言葉なのか何故か納得してしまう不思議な感覚があった。

「まあ、とにかくこれは隊長命令だ。きちんと任務を遂行して来い」

 フドウはツバサとマリナを送り出した。

 

   4.

 

 ツバサの訓練もかねて、という理由からガッツイーグルには乗らずに代わりにガッツイーグルスペリオルの量産型訓練機に乗ってC県まで行くことになった。

 ツバサが操縦し、マリナがそれを監督するという形だ。

「言っておくけど、シミュレーションとは違ってGがかかるから、それだけは気を付けてよね。言わないと多分、あんたぺちゃんこになって踏み潰れているわよ」

 また嫌味だ。だが、ここで反論すると止まらない。フドウもいないのだ。ここは癪だが、折れるしかない、とツバサは思った。

 忠告感謝します、と一言言う。

 スペリオルが発射するハンガーにたどり着く。徐々に外が見えてくる。

 そして、指示に従い、ツバサは、シミュレーションで覚えたことを活かし、ツバサはスペリオルを発進させた。

 多少のGがかかるが、ツバサには何ともない。多分、人間が潰れるだろうGがかかっても生きていられる自信がツバサにはあった。

 

 C県F市。

 春になれば桜やツツジにあふれる自然と伝統に彩られた街だ。

 人口は約五万人。

 その昔、かの日本武尊の物語で、海神の怒りを鎮めるために海に身を投じた弟橘姫の来ていた着物の袖――布流津が海岸に流れ着いたことからその市の名前が付いた。縄文、弥生にかけての遺跡や古墳の発掘や源頼朝が平家敗走時に訪れたなど、歴史をたどればより深い所までたどり着くことが出来る。

 ツバサたちの乗ったスペリオルは、開けた台地に着陸した。ここから現場までは、すぐ近くだ。

 マリナが先導するように向かう。ツバサは、必要になるだろうと、機材を入れた大きめのバッグを担いて後をついていく。

 ツバサたちは、指定された場所へ向かう。途中で、市民だろうか、様子を見に来ていた人たちとすれ違った。

「ああ、あんたたちはS‐GUTSの人たちか?」

「ええ。そうですけど……」

 ツバサが答える。

「あれ? さっき専門家の人たちが来ていたから、彼らかと思ったんだが、あれは一体誰だったんだろう……」

「この先に怪獣の鳴き声が聞こえたという場所があるんですか?」

「ああ。そうだよ。そりゃ大きな泣き声だった。俺の親父があまりの五月蠅さに、近所の仲の悪い昔馴染みのばあさんの仕業かと思って、喧嘩しに言ったくらいだ」

 はあ、とツバサは言う。最後はどうでもいい話だ。

「まあ、専門家とS‐GUTSなら解決も早いか。だったらなるべく早く解決してくれよ。もう親父を止めるのは限界なんだ」

 そう言って、去っていく。

「あたしたちの他に現場に入った人がいるっていうの?」

 マリナが呟く。

「このあたりにTPC職員が在中しているという話は、聞いたことがありませんね」

 もしかしたら、誰かが好奇心で調査しているということか。明らかにそれは、現場の状態を壊す違法行為だ。

 とにかく急がなければ。ツバサたちは足を速めた。

 

 現場は平たい台地だったが、その面影はもう無い。

 台地は、まるで削り取られたかのように大きなクレーターのような穴となっていた。

 所々に穴があり、その深さは場所によって違う。

 深いもので二十メートル以上から浅いもので一メートル弱のものまで色々だった。

 これだけ見れば、怪獣が潜ったと考えるのは妥当だ。

 早速調査しなければ、とツバサとマリナは浅い穴を探す。深いものは調査するには相応しくない。

 一メートルぐらいの手頃な穴を見つけた。ここなら、調査も楽だろう。

 だが、そこには先客がいた。

 白衣を着た男だった。ツバサたちよりも一足先に穴の中に入って何かをしていた。後ろ姿でしゃがんでいる。その先はよく分からないが、何かがあるのは分かった。

 恐らくさっきの人が言っていた『専門家』と言うのはこの人のことだろう。

 ここは、どう言って退散してもらおうか、とツバサが考えていると、マリナが前に出て威圧するように言った。

「すみません。ここは、立ち入り禁止ですよ。部外者はここに入らないでもらえないでしょうか?」

 マリナの声に驚いたのか、一瞬肩をびくっとさせた。そして、ツバサたちの方へ振り向く。

 三十代くらいの男だった。顔はそれなりに整っている。白のワイシャツに、だらけたネクタイ――会社員には見えなかった。

「ああ、すみません! 駄目だとは分かっていたんですけど、居ても立っても居られなくなって……」

 男は、慌てて何かを拾い始めた。それらをバッグに詰め込む。

 工具や理科で使う小型の実験用具が一瞬だがツバサには見えた。

 もしかしたら、とツバサは思った。

「すぐに退散します! ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

 男は立ち去ろうとした。だが、ツバサは止めた。

「すみません。ちょっと待ってください」

 去っていこうとする男は、足を止めてツバサの方に顔を向けた。

「はい?」

「ツバサ……?」

 マリナが不思議そうに呟く。

 ツバサは、前に出て男に尋ねた。

「その鞄に入れたもの……実験用具ですよね? もしかして、ここから何か採取したんじゃないんですか?」

 男は、驚く。

「ちょっと待って! それって本当?」

 マリナも驚いて、穴の方を見やる。

 穴の底は黒と白の半々の大きな岩の表面が見えるだけだった。特に荒らされた形跡は目測では見られない。

 だが、ツバサは確証があった。

「あの……もしかして、駄目でしたか?」

 男は尋ねる。

「まあ、駄目と言えば駄目なんですけど……でも、それを没収する前に、少しだけお話を聞かせてもらえないでしょうか?」

 話ですか、と男は尋ねた。

「はい。もしかして、あなたは科学者なのではないですか?」

 えっ……、と男は口を開けて驚いた。

「科学者? この人が?」

 マリナが尋ねた。

「ええ。実験用具を持った白衣の人――コスプレしただけの人には見えません。雰囲気が違う」

 それに何より、とツバサは指をさした。

「白衣にネームプレートがあるじゃないですか」

 男は思い出したように胸にあったプレートを見やった。

「ああ……あはは。確かに、推理するほどでもないですね」

 男は、堪忍したように笑った。

「お話聞かせてもらえないでしょうか?」

 ツバサがもう一度尋ねる。

 男は、今度ははい、と笑って答えた。

 

「私は、こういう者です」

 穴の前で男は、自分の名刺をツバサに渡した。

「E大学地質学部鉱石研究科助教授 ナリオ・ヒデフミ教授……?」

 ツバサが名刺を読み上げる。

「はい。そこで地質と鉱石に関する研究をしています」

 なるほど、とツバサは言った。

「それで、助教授さんはどうしてここに?」

 マリナが聞いた。

「ああ、はい……ツバサさんと、えっと……」

「イチカです」

「ああ、そう。イチカさん。すみません」

 いいえ、とマリナは言った。だが、少しいらついているように見えた。

「昨日の鳴き声の騒動の際に、丁度近くで地質調査をしていたんです。その後、避難したんですが、今日になって気になってきてみたら、こうなっていまして……それで……」

 なるほど、自分で調べてみようと思ったわけか、とツバサは思った。

「これは私の分野にあたりますから、何か分かるかもと思ったんです」

 ツバサは、ナリオの言葉に導かれるように、彼が調べていた穴に入っていった。

 さっきも見たが、穴の底に白と黒の半々の岩が若干突起していた。岩の色がまじりあっているのは別に何とも不思議ではないが、これは違った。

 綺麗に白と黒で半々になっているのは不思議で仕様がない。

 ツバサは、肩に背負っていたバッグを降ろし、機材を取り出した。

「なにそれ?」

 マリナが穴の上から聞いた。

「測定器です。隊長の話を聞いてもしかしたら、と思って持ってきたんですけど……やっぱり正解でした」

 測定器は、小型の箱型で、そこから一本の線が伸びていた。先端は金属が飛び出していて、そこから対象物のデータを読み取る仕組みだ。

 ツバサは、岩の黒い方に金属をつけてみた。

「なんだこれは……」

 測定器に記されている磁力のメーターがカンストしたのだ。

「ちょっと、計測不能になっているわよ。っていうか、これ磁力あるの?」

「自然界において、鉱石には微量ながら磁力を帯びているものもあります。でもこれは、おかしい。明らかに強すぎる」

 ツバサは念のためにW.I.T.を取り出す。適当に誰かと連絡を取ろうとするも、電波が遮断されている状態だった。

「通信回線を遮断させるほどの強い磁力……こいつは一体……」

 ツバサは、岩の正体を探るために、岩の正体を識別した。

 測定器に結果が表示される。

 

 SEARCH MODE START

 DATA CHECK……100% CONNECT

 

 ……SiO2 : 45.4

 ……TiO2 : 3.00

 ……Al2O3 : 14.7

 ……Fe2O3 : 4.10

 ……FeO : 9.20

 ……MgO : 7.80

 ……CaO : 10.5

 ……Na2O : 3.00

 ……K2O : 1.00

 

 ALKALI

 

 ……MATRIX

 ……XY(Si, Al)2O2 SEARCH:PYROXENE

 ……NaAlSi3O8‐CaAL2Si2O8 SEARCH : PLAGIOCLASE

 

 CONCLUTION : ALKALI BASALT

 

「輝石と斜長石を含んでいるな……これは玄武岩か」

 ツバサが測定器に表示されている文字を見てそう呟いた。

「玄武岩?」

 マリナが聞いた。

「中学とかの理科で習いませんでした? 溶岩が冷えて固まった鉱石のこと」

「ああ。そう言えばやったわね。理系は平均点だったからあんまり覚えていないのよね」

 と、マリナは呟く。

 ほう、とナリオが口を開いた。

「詳しいんですね。もしかして地質学とかに興味があるのですか?」

「まあ、ありますね。というより勉学に関することなら何でも、と言った方がいいかもしれませんね」

 と、ツバサが返答すると、ナリオは、素晴らしい、と評価した。

「ということは、この近くで溶岩が固まったってことなのかしら」

 と、聞いた。

「いや、違いますね」

 ナリオが否定した。

「違う?」

「ええ。地中近くにマグマがある場所ではないですから、こんな浅いところで玄武岩が見つかる筈がないんです」

 なるほど、とマリナは言う。

「でも、もっとおかしいのは、これです」

 ナリオは、白い方の岩を指さした。

「あれですか?」

 ツバサが尋ねると、ナリオは、はい、と言った。

「こっちもマグマが固まって出来たものなら、あっちもそうなんじゃないかしら」

 マリナがそう言った。

「そうですね。それは確かに正しいんですが……でも、それでもこれはここにあってはいけないものなんです」

 ここにあってはいけないもの……と、マリナは復唱する。ナリオの言いたいことは、ツバサには何となくだが予測がついていた。

「まずは、この岩も測定器で計測してみましょう」

 ツバサは、そう言って、今度は白色の岩に計測器を付ける。

 やはり、磁力を表すメーターがカンストする。

 まあ、多分そうだろう、とツバサは予測していた。だが、問題はこの後だ。

 

 SEARCH MODE START

 DATA CHECK……100% CONNECT

 

 FIND OUT

 ……SiO2 : 76.83

 ……TiO2 : 0.044

 ……Al2O3 : 12.47

 ……Fe2O3 : 0.33

 ……FeO : 0.57

 ……MnO : 0.016

 ……MgO : 0.037

 ……CaO : 0.70

 ……Na2O : 3.54

 ……K2O : 4.71

 ……P2O5 : 0.002

 ……H2O+ : 0.33

 ……H2O- : 0.12

 

 CONCLUTION : GRANITE

 

「え……?」

 ツバサは、表示された文字を見て絶句した。

「そんな馬鹿な……」

 マリナは画面をのぞき込む。ツバサが表示された文字を見て絶句している理由がよく分からなかった。

「花崗岩じゃない」

 マリナが呟いた。

 ツバサは、マリナの方へ顔を向けた。

「英語分かるんですか?」

「まあ、一応ね。訓練学校に入る前まではイギリスにいたから」

 それは初耳だった。ツバサも英語に関しては、本を読んで辞書で調べまくったおかげでそれなりに自信はある。だが、恐らく完全な会話に関してはマリナに劣るだろう、とツバサは思った。

 見た目では何が得意かは分からないものだ。

「それで、花崗岩って専門的に読めるけど、これって何なの?」

 マリナは聞いた。

 ナリオが答える。

「深成岩の一種です。地中深くのマグマが時間をかけて冷えて固まった岩のことです」

「じゃあ、こっちの玄武岩と一緒というわけ?」

「大雑把に分ければそうなりますが、細かく分ければ違うものです」

 ふーん、とマリナは呟く。

「よく岩に地名が彫られた縦長の石が設置されているのを見たことはありませんか? ああいうのに使うのがこの岩なんですよ」

 ああ、とマリナは完全に納得した。綺麗に研磨され、文字が彫られた趣がある石の表札か、とマリナは思い出す。

「それで、花崗岩がここにあることで何か分かるの?」

 マリナは聞いた。

 ツバサは冷や汗をかいている。ナリオの言いたいことが完全に理解していたのだ。

「マリナ隊員。花崗岩がここにあることで何かが分かるんじゃないんですよ。彼が言いたいのは、花崗岩がここにあること事態が問題だということなんですよ」

 花崗岩がここにあることが問題――マリナはその言葉の意図を掴めなかった。

「意味が分からないわ。岩なんてどこにでもあるものでしょ? どうしてこれがここにあっちゃいけないわけ?」

「証拠をお見せします」

 今度は、ナリオが口を開いた。

 ナリオは自分が持っている端末を取り出してあるものを検索した。

「これを見てください」

 ナリオはマリナとツバサにあるデータを見せる。

「これは、毎年更新されている――各都道府県にある鉱石の分布図です」

 マリナは画面をのぞき込む。こんなのが、毎年作られているんだ、と感心した。

 ナリオは、そして、と呟きながら端末を更新する。

 出てきたのは新しい分布図だ。

「これが花崗岩の分布図です。これを見て何か分かりませんか?」

 マリナは分布図を観察する。だが、それは観察せずとも、簡単に答えが分かるものだった。

 それを見て、マリナは一瞬でツバサとナリオが驚いていたことを理解した。マリナも絶句した。

 

「C県に花崗岩が分布していない……!」

 

 そう。

 その都道府県にその鉱石が存在する場合は、分布図に赤い点で示される。

 分布図を見ると、他の都道府県には花崗岩の分布が多数見られるのに対して――。

 C県には一つとしてその点がないのだ。

 まるできれいさっぱり――そこだけ取り除かれたように。

「どうして? どうしてこうなってるの?」

 マリナが困惑している。

 驚くのも無理はない。まるでマジックのようなものだ。

 だが、これは紛れもない事実だ。

 ツバサは、理由を述べた。

「簡単な理由なんですよ。深成岩が形成されるのは活火山がある場所だけなんです。要は、火山の下に深成岩があるということになるんです」

 うん、それで、とマリナは尋ねる。

「このように赤い点に花崗岩があるということは、そこに火山が存在するということを意味しています」

 つまり、とツバサが言うと、マリナはようやく理解した。

 

「C県に火山がない……?」

 

 ご名答、とナリオが変わって言った。

「不思議なことにね。C県には活火山が一つとして存在しないんです。他の都道府県にはただの山だと思ってもそれが火山だという山はいくらでもあるのに、ここにはそれがない。ただの山はただの山。マグマを溜めているどころか下にあるのは土砂だけです」

 ツバサはナリオに続くように説明する。

「下にマグマを溜める火山がないということは、深成岩が形成される可能性はゼロだということです。外から流れたマグマが固まって火山岩が形成されても、地面の下にマグマを溜める場所がなければ深成岩は形成されないんです」

 不思議なものなんですよ、とツバサは締めた。

「でも、その花崗岩がここにある……」

 マリナは言った。

 ツバサとナリオが考えていたことはそこなのだ。無論、おかしい点はそれだけにとどまらない。

 例えば、玄武岩と花崗岩がどうして一体化してここにあるのか、そもそもこの岩はどこから来たのか、など上げればきりがない。

「簡易的な調査では、限界がありますね。見たところ、むき出しになっている岩の大きさからみて、地中にはこれ以上の大きなものがあるかもしれない」

 ナリオは言った。

 確かにそうだ、とツバサは思った。

 無数の穴の中の一番浅い場所の岩を調べたところで何も分からない。ここは研究チームと必要な機材を揃えないと、フドウから与えられた任務は達成したとは言えない。

 ツバサは、ナリオの名札を見る。そして、あることを思いついた。

「もしよかったら、僕らと一緒にこの岩の調査に協力してもらえませんか?」

 ツバサの突然の提案にマリナはおろかナリオも驚いた。

「ツバサ!? あんた何馬鹿なこと言っているの?」

 マリナはツバサの袖を引っ張った。

「彼は部外者なのよ! それなのに一緒に調査するってどういうことよ!」

「彼がここにいたのは偶然だったとしても、僕らにしてみればまたとないチャンスです。鉱石の専門家なら、僕らの調査の中に多角的な意見を取り入れることが出来る。そうなれば、答えに近づくことが早く、正確になるはずです」

「でも! 機密情報だってあるのよ! それを見せるわけにはいかないじゃない!」

 ツバサは、はあ、とため息を吐く。

「では、こうしましょう。本部と調査機関をそれぞれ設置して距離を置きます。調査機関は、本部より後方に置き、本部が採集してきたものを調査する。調査機関はここに立ち入ることはせずに本部が持ってくるもののみを調べる。ナリオさんは、その調査機関に入れて一緒に調査をさせる。これで文句ないでしょう?」

 ツバサの提案にマリナは、少しの時間考えた。こんな回りくどい方法は、本当は取りたくない。むしろ周りからどうしてこんな方法を? と疑問に思われるかもしれない。だが、マリナを説得させるには、今はこれしかない。

 マリナは、しばらく考えたのち、ようやく口を開いた。

「……それでいいわよ。部外者を入れるのは癪だけど、あんたがそう言うなら従うわ。後輩の提案を全部却下するほど頭は固くないからね」

 十分固い、固すぎる、とツバサは言いたかったがそれは心にそっとしまっておく。

「……というわけです。ナリオさん、お願いできますか?」

 ナリオは力強く頷いた。

「では始めましょう。まずは、この磁力から外に行かないと。通信が出来なければどうにもなりません」

 

   5.

 

 TPCの調査チームとナリオ助教授の共同調査の下、数時間で調査の算段は整った。

 ツバサの提案通り、万が一に備えて防衛チームと数人の科学者で構成された本部と、ナリオらと共に鉱石の調査を担当する調査機関の二部で構成された。

 現場は危険が伴うため、本部は現場から少し離れた場所に置き、その後方に調査機関が設置された。

 音波により地下に埋まった岩の全体像を確認する。すると、岩は大体七、八メートルほどの大きさがあるのではないか、という結果が出た。

 ツバサは、本部のチームと共に作業を見守った。

 やるべきことは掘削作業だ。岩を崩さないように周りを掘削しながら、岩の全体像を確認する。

 岩の掘削には数時間を有した。

 巨大ということもあったが、何より周囲の地盤に何等かの影響がないかが一番の不安だったのだ。

 所々の穴から察するに、地下には空洞がある可能性が高かった。

 だが、ツバサの予想はいい意味で裏切られた。地盤沈下による被害はなく、掘削は無事成功した。

「掘削成功です」

 職員が言った。

 ツバサは、それらを覗く。

「これは大きいですね……」

 岩は想像していたものより壮大だった。

 全長で八メートル弱。花崗岩が主だが、所々で玄武岩が混じっている。

 丸い岩ではなかった。所々でこぼこしているが、L字型になっていた。

 見る限り、自然にこういう形になったとは言い難い。L字の曲がっている部分は、ほぼ直角になっていた。

 人工的なものか、と問うたらそれはどうだが分からない、と答える。もしこれが人工的なものなら、今まで地盤沈下も起こらずにここにあり続けた理由を探らなければならない。

 ツバサは、職員がかけた梯子で穴を降りる。そして、他の職員が集まっている場所に近づいた。

 岩が眼前に見える。最初のむき出しのものより遥かに巨大なのが分かった。

「お疲れ様です」

 職員が言う。

「何か問題がありましたか?」

「ええ。これを見てください」

 職員が指をさす。

 そこは、L字型の短い方の部分だった。端の方が半月上に欠け、さらにそこから粘液のようにねっとりとした液体が垂れているのだ。

「何なんだ、これ……」

 ツバサは、測定器で毒物かどうかを計る。測定器は毒性ではないと答えた。

 ツバサは、ポーチから容器を取り出して液体と半月に欠けた断面を削って採取する。そしてさらに、半月に欠けた部分を観察した。

 綺麗に半月上に欠けてはいなかった。均等に凸凹上になっていた。何か凸凹の固いもので砕かれたのか、それとも切られたのかは分からないが、掘り出さなければ絶対に見つかるはずのない大きな手がかりだった。

 ツバサは端末で写真を撮る。

 用意は整った。

 ツバサは、後方で待っているナリオとマリナのもとに急いだ。

 

 ナリオはそわそわした状態だった。

 ツバサがやってくるのを見ると、今か今かと待ちわびていた。

「どうでした?」

 物凄い剣幕でツバサに迫る。ツバサは一歩引きながらも冷静に答えた。

「予想していたよりすごい収穫でしたよ」

 ツバサはナリオを連れてテントの中に入る。マリナはその後に続いた。

 ツバサはまず、写真を見せた。

「何これ? 自然にこういう状態になったってあり得ないわよね」

 マリナが最初の感想を言った。

「確かに。凸凹で半月とはいえ、半月が乱れていないし均等です。明らかに自然のものとは思えない」

 ナリオはそう言うと、あることを予想した。

「もしかして、これが怪獣の鳴き声と関係があるのでは?」

「怪獣の?」

 マリナが言った。ツバサはそれを聞いて納得した。

「可能性は充分にありますね。この半月の部分が、怪獣が噛み砕いた部分であると考えると、昨夜の怪獣は岩に咬みついて、何等かの理由で鳴いたと考えるべきなのかもしれませんね」

 と、ツバサが予想する。

「理由って何よ」

 と、マリナが聞いた。

「それははっきりとは分かりませんが……たとえば、最初に岩を噛んだ時に固くて鳴いてしまったとか」

 ツバサはその場で思いついた予想を言う。

「なんだ。結局何も分からないってことじゃない」

 と、マリナはまた皮肉交じりに言う。ツバサの眉間が歪んだ。

「まあ、とにかく写真からでは億足しか飛びません。何やらもう一つ面白いものがありそうですね」

 ナリオがツバサのポーチを見て言った。

「さすが鋭いですね」

 ツバサは、ポーチから容器を取り出して見せた。

 一つは半月に欠けた岩の断面を削ったもの。もう一つは断面から零れ落ちていた謎の液体だった。

「何それ、気持ち悪い」

 マリナが正直に言った。

 確かに初見では気持ち悪い。それはツバサも同意した。

 だが、ナリオは興味津々に液体を覗いた。

「ほう……これは新しい……岩から謎の液体が漏れだすなんて……」

「一応毒は無いのでそのまま調べられると思います」

 ツバサは、容器をナリオに渡した。

「どうも。TPCの研究チームと一緒にやればすぐに解析できると思いますが……」

 ナリオは何か引っかかったように言った。

「どうかしたんですか?」

「ああ、いや別に」

 と、ナリオははぐらかした。

 そして、突然だった。

 テントの布が開け広げられると、そこから見慣れた姿が現れた。

「どうだ、うまくやっているか?」

 フドウだった。

「隊長、お疲れ様です」

 ツバサが言う。

「報告は一通り聞いた。通信が出来ないというのは厄介だが、口頭伝達出来る範囲の調査なら問題はないだろう。後は好きにやって構わないぞ。俺は、これからヒロキとシンジョウと共に前線の本部に顔を出すが、お前らもどうだ?」

 フドウが、二人にそう提案する。

 マリナは、是非、と即答したが、ツバサは答えを詰まらせた。

 マリナは、まさか、とツバサを見る。

 しばらくの間考えた末、ツバサは答えを出した。

「街に行ってもいいでしょうか?」

 ふむ、とフドウは言う。マリナは驚愕する。街に行くということは、まだツバサと同行しなければならないということだ。

「ちょっと、どういうことよ!」

 マリナが叫ぶが、フドウは気にせずツバサに聞いた。

「何か調べたいことがあるのか?」

「街の人の意見も聞きたいんです。この騒動についてどう思っているのか」

 なるほどな、とフドウは言う。

「分かった。そう言うならやってみろ。マリナには悪いがツバサについてもらうぞ」

 フドウはそう言って、テントを去る。マリナは、ツバサと二人になった途端に肩を落とした。

「何でよ……何であんなこと言いだしたのよ……」

 そりゃ、こっちだって嫌ですよ、とツバサは本音を言いたかったが、一人で行動することをフドウは許してくれないだろう。

「まだ調べたいことがあるんです。マリナ隊員にも先輩としてご同行願えないでしょうか?」

 ツバサは、皮肉を返した。

「この……! でもどういうことよ。後は教授の結果待ちでしょ。これ以上何を調べようっていうのよ」

 マリナが聞く。

「少し……気になることがありまして……」

 と、ツバサは答えた。

 ナリオが何かに引っかかったような言動――それはツバサも後々で、もしや、と思う部分に気づいたのだ。

 何か足りない、何か一つ隠されているような気がしてならないのだ。

 確証はないが、これからの調査次第でもしかしたらそれが真実になるかもしれない。

 

 街中で怪獣の鳴き声に関して問いただしてみても、人々からは恐怖心と 早く撃退して欲しいという気持ちをツバサたちに吐き出した。

 あの怪獣の鳴き声に心当たりがあるかをツバサは聞き出そうとしていたが、特に知る人はいないようだった。

「ちょっと、一体何を聞こうとしているのよ」

 マリナは聞いた。マリナはツバサの考えていることが一向に分からないのだ。

「昔、少し調べたことがあるんですよ。ここいらでは石を信仰している時代があったって」

 石を? とマリナが聞いた。

「大昔になるそうですが、いかんせんコスモネットの情報を鵜呑みにも出来ない。現地の人に直接聞きたいと思いまして」

「でも、これと怪獣の鳴き声と何の関係があるのよ」

「何も関係ありませんよ」

 ツバサは即答した。

「はあ!? 関係ない?」

 マリナは驚く。

「もしかしたら関係あるかもしれないですが、殆どは僕の個人的興味です」

 マリナは、あんたに付き添ったのは本当に間違いだったわ! と大声で怒鳴った。

 ああ、それは僕もです、とツバサは言いたい。だが言えない。

 ツバサの目当ての話をしてくれる人は、いなかった。

 だが、ついに、近くに住むある老夫婦の家を訪ねて昨夜の騒動について聞いてみると、興味深い話が聞けた。

「どうだろうか。よければ家の中に上がってお茶でも飲みながら話をしようじゃないか」

 と、老人が言う。

 ツバサとマリナは互いに顔を合わせてお言葉に甘えることにした。

 

「まあまあ、こんな可愛らしい子たちがS‐GUTSの隊員さんだなんて。歳はいくつなの?」

 老婦人は嬉しそうにしながらツバサとマリナに湯呑を置いた。二人は、それぞれ歳を言うと、老夫婦は驚愕する。

「すごいね。孫と年齢が近い。その歳であんな危険なことをしているなんて信じられないなあ」

「望んでやっていることです。この制服を着ることに誇りを感じていますから」

 マリナは堂々と言った。さっきの態度とは大違いだ。猫かぶりなのだろう。

 感心する老婦人。ツバサは、さっそく話を聞いた。

「僕たちが聞きたいのは昨夜の怪獣の鳴き声のような声を聞いたという話についてです」

 ツバサがそう言うと、老人は思い出す。

「そうそう。昨日は本当にびっくりしたよ。何せ寝ている時だったから、誰かが爆音鳴らして外を走り回っているかと思ったよ」

 でも、と老人は続ける。

「明らかに乗り物の音じゃなかった。どっちかと言うと生き物の鳴き声のようなものだった。婆さんは、あれは泣いているのよって言ってたっけ?」

 老人は老婦人の方に目をやった。

「泣いている? 涙を流していたということですか?」

 ツバサが聞いた。

「ああ、そうそう。何ていうか、悲しそうな声に感じたのよ。きっとどこかにぶつけて痛がっていたんじゃないだろうねえ」

 と、老婦人は言った。

 うーん、とツバサは腕を組んだ。あくまで老婦人の個人的な感情なのだろう。しかし、悲しそうや泣いているだなんて聞いたことがない。

「何だか怪獣に関してかなり寛容な感じがしますね。恐怖に感じないんですか?」

 ツバサが聞くと、老婦人は笑って答えた。

「そりゃ近くに現れたら怖いさ。でも、あれが『地霊神』さまだったら敬意を表さないといけないだろう?」

「『地霊神』さま?」

 ツバサは聞いた。

「それはどういう神様なんですか?」

「他の県の人や若い人は分からないから仕方ないわ。この場所には『地霊神と地霊魔』という話があるの。『地霊神』というのは、このあたりに伝わる神様のことだよ」

「『地霊神と地霊魔』」

 マリナが呟く。

「なるほど、土着信仰の一つですね」

 ツバサが言った。

「それって、この土地に根付いた神様ってことなんですね」

 マリナが聞くと、老婦人は頷いた。

「ふーん。なるほど。うちが住んでいた場所だとライヴァーバードがそれにあたるのかもね」

 マリナが独り言を言う。

 ツバサは、再び老婦人に聞いた。

「その『地霊神』ですが、一体どういう神様なのですか?」

 老婦人はツバサの問いに、うーん、と唸った。

「どういう神様って言われてもねえ。詳しいことは分からないんだよ」

「分からない?」

「その昔、『地霊神』さまという巨人がいたのさ。彼はとにかく大きくて、ここからYまでを一歩で跨げるくらいだと言われているぐらい大きいのさ。だけど『地霊神』さまは自分と同じ巨人がいないために、話し相手を求めて旅に行ったという話なのさ」

 巨人、と聞いてマリナは反応する。

 巨人と聞けば、必ず、ウルトラマンティガを含めた光の巨人が頭に浮かぶ。

「自分の話し相手を探しに行くって……寂しがりやなのかもしれませんね」

 マリナが言った。

「そうかもしれないねえ。でも、この話には続きがあるのさ」

 老婦人は、その続きを言う。

「ある日、『地霊神』さまが旅立った日に、彼は懐から、大事な石を落としてしまったんだそうよ」

「石を落とした?」

 ツバサが聞いた。

「ええ。その石を落とした場所がここF市だと言われているわ」

 歩んだ時にたまたまここに落としたということなのだろう。

「でもそれって伝説なんですよね?」

 マリナが聞く。だが、老婦人は絵替えで答えた。

 

「いいや、石はあるよ」

 

「あるんですか?」

 ツバサが聞く。

「ああ、あるよ。バスでUという場所に行ってみるとそれが見られると思うわよ」

 今では、その石が『地霊神』と呼ばれているから、見に行くといい、と老婦人は言った。

 実在する石、ということにツバサは興味が湧いてきた。この目で実際に見てみたい、という好奇心が抑えられない。

 だがそれ以上に、まだもう一つ聞いていない話があった。

「では、『地霊魔』というのは一体どういうものなのですか?」

 ツバサが尋ねると、老婦人は、それもあまりよく分からないのよねえ、と答えた。「よく分からない?」

 ツバサが言う。

「ええ。話の中ではこう言っているわ。『地霊神』が落としたあの石には、実は対になる石が存在した」

「対の石……つまりもう一つあったということですか?」

「そう。実はその石は門の礎石として存在していたんだけど、人々の往来の邪魔になるということで撤去しちゃったの」

 すると、と老婦人は言った。

「疫病や凶作……村に凶事が起こった。人々は、あの石を撤去したからだ、と真っ先にそう思った。そこで、代わりの石をUにある巨石の丁度くぼみになっているところに置いて、それを『地霊神』として崇めることになったの」

 なるほど、とツバサは言った。

「巨人である『地霊神』の存在が、石を信仰――つまり磐座としての『地霊神』に成り代わったということですね。そして、村で起こった災厄を『地霊魔』と総称した、ということでいいですか?」

 ああ、それで正しいよ、と老婦人は言った。

「いわ……くら?」

 マリナが横から聞く。ツバサは、自然の物に神様が宿っているという考え方だよ、と答えた。

「あたしが知っている話はこれくらいだよ。もっと詳しいことは調べないと分からないかもねえ」

 ツバサは、頭を下げた。

「いえ、充分です。おかげで色々分かりました」

「そうかい。それなら話したかいがあったよ。何だか孫と話したようで楽しかったわ」

「出来れば、お孫さんにも話してあげてください。そういった話は今後伝えないといけないものでしょうから」

 ツバサはそう言って礼を言い、家を後にした。

 

「あの話を聞いて何か分かったの?」

 マリナは先に行くツバサを追いかけながら聞いた。

「確証はありませんけど……けど、予想は出来た気がします」

 ツバサは、端末を取り出す。

「ここからだとすぐか……」

 ツバサは、振り向きもせずにマリナに言った。

「これから僕はUへ行ってみようと思います。マリナ隊員は戻ってもらって結構です。ここから先は、僕の個人的な興味ですので」

 マリナは、顔をしかめた。自分が取り残されたという感情を覚えたのだ。妙にプライド高いマリナはのけ者にされるのが気に入らなかった。

「あのね、新人を一人勝手にのさばらせるわけにはいかないのよ。あたしも行くからね」

 ツバサは溜息を吐く。まあ、そうなるだろうな、と薄々感じていた。

 二人はスペリオルに向かい、そのままUへ向かうことになった。

 

 目印であるUと書かれたバス停付近は、林に囲まれた県道だった。

 スペリオルが着陸できる場所を探すには少々時間がかかった。木々に覆われている場所にスペリオルが着陸できる平地が全くなかったからだ。

 だが、何とかスペリオルが着陸できる場所を見つけ、そこに着陸することが出来た。

 目印のUと書かれたバス停があった。その横に川が流れていて、その川の脇に例の石があるのだという。

 ツバサとマリナは、川を渡った。

 川は何てことない――どこにでも見る川だった。

「本当にこんなところに石があるのかしら」

「おばあさんがあるって言ったんですよ」

「まあ、そうなんだけど。でも、『地霊神』さまって言っているくらいだから、立派な社で祭られているんでしょうね」

 マリナがそう言う。

 ツバサもマリナと同意見だった。

『地霊神』を祭っている社があるはずだ、と考えて川を渡っていた。だが、社はおろか、それらしき建物は一向に見当たらない。

 道を間違えたのか、と考えた。だが、端末は間違いなくここをさしている。

 そして、ツバサとマリナはその石を発見した。

 老婦人が言っていた特徴に類似した石――だが、それは社に祭られているものでもなく、特に解説もされているわけでもなく――、

 

 ――ただ川の横にひっそりと置かれていたただの石だった。

 

 大きさは一メートルを超え、周囲も八メートルは超えるのでは、とツバサは目測で予測した。

 確かに巨石だ。巨人が落とした石ならば、これくらいが丁度いいサイズなのかもしれない。

 そして、中央に窪み――これも間違いなく老婦人が言っていた通りだ。そこに小さな石が置かれていた。

 これが、『地霊神』と崇められている石なのだろう。

「信仰心って何だっけ?」

 マリナが聞いた。

 確かにこれでは信仰も何もない。磐座ならせめてそこまで行けるように道を整地したり、太巻で目印をつけるものだと思ったが――。

「林に捨てられたただの大きな石という風にしか見えないですね」

 ツバサが言った。

 だが、物語を知らなくなった世代を中心とした現在では、知られずにこうなる結果になるのは多分分かり切ったことなのかもしれない。

 だが、こういうものを忘れてそのままにしていいわけがない。

 ましてや昔からあるものに対しては、敬意が必要だ。

「……ああいけない。余計なことを考えた」

 ツバサは、頭から余計なことを振り払った。

「これが、巨人が落とした石っていうなら、巨人は相当大きかったんでしょうね」

 マリナの言葉にツバサが頷く。

「もしかしてウルトラマンだったりして?」

 ああ、やはりマリナもそう考えていたか、とツバサは思った。

 だが、ツバサはそれを否定した。

「僕もそうかな、とは思っていたんですけど……」

「何か疑問でも?」

「はい。お婆さんが言っていたでしょ? 巨人はF市からYまでを一歩で跨ぐって」

 確かに言っていたわね、とマリナが言った。

「距離を概算すると、約三八〇キロです」

 うん、とマリナは言う。

「身長を割り出すには、歩幅を割り出す計算を逆算します。歩幅は仮に普通の歩き方だった場合、身長×0.45(cm)という係数をかけることになります。ならば、身長を割り出すには歩幅にこの係数を割ります」

 すると、とツバサは別端末の計算機機能を使って答えを出した。

 

 844,444.44444444444444444444……

 

「うーんこれは。確かにあり得ないわね」

 マリナが呟いた。

 身長約八四四キロ。とてつもない巨人だ。

「ちなみにこれはウルトラマンの身長が五十メートルだと仮定しても、一万六千九百体分の大きさです。距離なら、メトロポリスから札幌間の距離と同等です。これが立ち上がれば体の大半は宇宙空間にいる……まあ生きることはできないでしょうね。常に寝転がらないと酸素を供給できないわけですから」

 まあ、とツバサは端末を仕舞った。

「多分、これは物語を記した人が比喩表現で表したものでしょう。それくらい大きかったんだ、って伝えるために大げさに書いたんでしょう」

 くだらない話でしたね、と言ってツバサは測定器を取り出した。

「これを測定するの?」

 マリナが聞いた。

 ツバサは頷く。

「巨石には特になんの反応もないから、ただの岩だと思います。でも、あの小さな石――色や形を見てください。何かに似ていると思いませんか?」

 マリナは小さい石を見つめる。

「あれ……あの白と黒の色使いはどこかで……」

 マリナは石に近づく。

「ああ、これって!」

 マリナも気づいたようだ。

 ツバサは、近づいて石を測定器で計った。そして、その結果を見せた。

 さっきと同じ結果だった。

「玄武岩と花崗岩が組み合わさった石……」

 マリナが呟いた。

「そうです。そして、強力な磁力線。これで分かりました」

 ツバサとマリナは石の方を見やった。

「この石は、平地で見つけたあの巨大なL字型の石と同じもの。つまり――」

 

 ――『地霊神』とは、怪獣のこと。

 

 ツバサはそう断言した。

「簡単に怪獣だって言っていいの?」

「鳴き声自体は恐らく怪獣でしょうね。夜だったとはいえ、怪獣らしき巨体が見えたという証言もあったわけですから」

 多分、とツバサは予想した。

「表面が岩石に覆われた怪獣なのでしょうね。理由は、何かは分かりませんが、あの台地にやってきて、体の表面が剥がれてしまったのかもしれません」

「それが、あの残った岩石ってわけね」

「多分、そういうことなのでしょう」

 なるほどね、とマリナは感心する。

「それにしてもよく分かったわね。地元の話からこういう結果を導くなんて出来ないでしょ? 『地霊神と地霊魔』の話を聞けたのも偶然だし、狙っていたわけじゃないでしょ?」

 ツバサは、狙ってなんかいませんよ、と答えた。

「可能性を一つずつ潰していっただけですよ」

「可能性を潰す?」

「ええ。遅かれ早かれ、街の民俗は後で調べるはずでしたから」

 ツバサは説明した。

「街の人に話を聞いたのは第一段階です。もし、そこで何も得られないなら次は街の資料をあさる。それでも駄目ならコスモネットを見る、役所に聞く、などとにかく可能性のあるものは一つずつ検証していくんです」

「なるほどね。それがあんたの性格なのね」

「いいえ。科学者を志す者として――いや、文系でも理系でも同じです。仮説は一つずつ検証していく。これは誰であろうと変わりません」

 ツバサは力説した。

 マリナは、淡々と分かった、とツバサの説明に全く耳を貸さなかったような雰囲気で言ってW.I.T.を取り出した。

「ああ、駄目ですよ。一応この石も電波を遮断するほどの磁力がありますから」

 ツバサがそう言うと、なら、と言ってW.I.T.を仕舞った。

「さっそく隊長に報告しましょう。相手が怪獣なら話が早いわ。さっさと見つけて殺すに限るわ」

 マリナの当たり前のように言ったその言論にツバサは、唖然とした。

 さっさと殺す、と彼女は言ったのか?

 何故だ。何故こうも簡単に怪獣に対して殺すということが言えるのか。

 ツバサの目が鋭くなった。

「どうしたのよ。さっさと行くわよ」

 マリナは本気で言っている。冗談で言っているわけではない。

 マリナは善悪をはっきりと分別しているだけだ。彼女は彼女の中の正義に従ってそう言ったに違いない。

 だが、待て、とツバサのプライドが声を上げた。だとしても、それはツバサの持つ正義じゃない。

「ちょっと待ってください」

 ツバサはマリナを止める。

「何よ。何かまだ調べたいことでもあるの?」

 マリナの眼光がさっきと比べて鋭い。怪獣の仕業だと知った途端に言葉が冷たく感じた。

「マリナ隊員は……本気で言っているんですか?」

「何をよ? 名詞はつけなさい。小説みたいに神の視点が説明してくれるわけじゃないのよ」

 ツバサの心に怒りの火が灯される。とはいえ、怒鳴るほどのものじゃない。

「怪獣ですよ。怪獣を本気で殺すつもりですか?」

 マリナは数秒黙った。そして、ふー、とため息をついて答えた。

「当たり前じゃない。そのためにあたしたちがいるんじゃない」

 やはり本気だ。マリナは本気で怪獣を殺そうとしている。

「怪獣がどうして現れたか――その理由も調べないでですか?」

「……何がいいたいのよ」

 マリナは分かっている。だが、あえてツバサの口から聞きたいのだ。自分が反論するために、マリナはツバサを誘っているのだ。

 相変わらず嫌な奴だ、とツバサは思いながら、マリナの口車に乗った。

 

「僕は、怪獣が悪意を持って今回の騒動を起こしたとは思えません」

 

 そう。

 怪獣はただ、夜中に鳴き声を発しただけだ。

 様々な証拠を残していったが、決して街を破壊し、人を殺したりなどしなかった。

 なのに何故、怪獣を殺すという決断が出来るのだろうか。

「悪意がないですって……」

「はい」

 マリナは歯ぎしりを噛んだ。今までに見たことがないくらいの怒りの情念。マリナは、他人にも嫌というほど分かるくらいに、怪獣を憎んでいる――それがツバサにも分かった。

「悪意があるないの問題なのよ! 怪獣は存在するだけで人を恐怖させる存在! ただ現れただけで、人の心に傷を残すのよ!」

 それは正論だ。

 人は、未知のものと遭遇した時、好奇心よりも恐怖が上回る。実際に居もしない存在に興味を持っても、いざ出会うと畏怖することしか出来ない。

 だが、それでも相手が善であったらどうなるのか、ツバサは問うた。

「全ての怪獣がそうではないでしょう? 元々地球上に住む怪獣たちはどうなるんですか? 彼()らは、この星に生まれてただ暮らしてきただけなのに、間違って地上に出てしまったことだけで敵になるなんておかしいですよ。だって彼らだって人間と同じ星で暮らしているじゃないんですか!」

「星が同じでも住む場所が違うの! 人間と怪獣は相容れない存在。決して共存は出来っこない!」

「光の巨人はどうなるんですか!」

 マリナは口を閉ざす。

「ウルトラマンだって、はたから見れば未知の存在――言うなれば怪獣と同義ですよ。なのに人はウルトラマンに敬意を表する。ウルトラマンだって最初は畏怖されたはずなのに」

「それはただの屁理屈よ! ウルトラマンが正義の味方であることは、誰もが知っていること。だからみんな彼を信じる」

 でも、怪獣はどう? とマリナは尋ねた。

「今回の怪獣だってそう。お婆さんが『地霊神』さまと言って怪獣が神格化されていても、他の人たちはどうなの?」

「それは……」

 ツバサは口を噤む。

「あの怪獣はこの土地を守る神様なんだ、と言えば、そうなんだ、じゃあ信じよう、ってみんなが言ってくれると思っているの?」

 それは、無理だ、とツバサは答えた。

『地霊神』の存在が本当であったとして、怪獣が『地霊神』という神であることを説明しても、彼らにとって怪獣なのだ。決して、それが正義の味方や神に昇格することは決してない。

「誰もがあんたみたいに、利己的に物事を考えることなんて出来ないのよ。怪獣はその姿だけで人を恐怖させる存在。だから、否応なしに殺さないといけないのよ」

 間違ってはいない。間違ってはいない……だが。

 それでも、怪獣にも生きる権利はあるのだと思う。

 ツバサは、反論した。

「それでも、怪獣が現れた理由は知るべきです。善悪が関係ないにしても、理由が分かれば、いくらでも対処が出来ます。殺すことだってしなくてもいい解決方法があるかもしれません」

 マリナの顔は険しいままだ。

「……理由なんていらないのよ。怪獣は敵。それは絶対に変わらない」

 マリナの言動で。ツバサは確信した。

 そうか、そういうことなのか、と自然にマリナの今までの会話の意味が分かってきた。それと同時に今までの皮肉は本当のマリナの姿ではないのかもしれないという錯覚に陥った。

 ツバサは、寂しそうな声で呟いた。

 

「マリナ隊員は……そういう人なのですね」

 

 マリナはツバサの言葉の真意を察した。それは、マリナとツバサにしか理解できない言葉。

「そうよ。あたしはそうなの。あんただって薄々は分かっていたんじゃない」

 多分、そうかもしれない、とツバサは思った。

 どこかで分かっていた。だが、それでも彼女は違うものだとどこかで信じてもいた。

「最初から無理だったのよ。あんたとあたしは、相容れない存在。全てが正反対のあんたと、共有するものなんて元から何一つないのよ。怪獣の有無も、自分の誇りの云々も、語り合うだけ無駄なだけ。いい加減に懲りたんじゃない」

 マリナはそう言って頭を少し下げた。

 そして、思い出す。

 小さな少女が泣きながら手を伸ばす。その先に、怪獣によって切り裂かれ、血塗れになって死んでいる男女の姿を。

 ――ああ、また思い出してしまった。

 マリナは、ツバサに気づかれないようにツバサを見つめた。

 ――あんたの所為なんだから。

 マリナは顔色がばれないように踵を返した。

「……あたしは、これから本部に言って隊長と合流するわ。あんたは来る……って言っても愚問かな」

 ツバサは、しばらくの間顔を伏せて何かを考えていた。

 そして、口を開いた。

「基地に戻って今まで得た情報を纏めます」

 ツバサがそう言うと、マリナは、そう、と呟いた。

「そう。じゃあ、あたしは隊長に報告するから。纏めたらこっちに送って……って言っても本部には通信が出来ないか。まあ、いいわ。あたしたちが戻るまで待機でも何でもしてなさい」

 マリナは、ツバサの手を引いた。

「な……なにを……」

「ほら、早く本部に連れて行って、それから基地に戻りなさい。もう自分一人で飛行くらい出来るでしょ」 

 




続きます。


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其の2

仕事の合間に投稿しようとしたら出来なかった!

しかし、やりましたよ。前回より字数少ないですよ(白目)!


   6.

 

 スペリオルでマリナを本部に送った後、ツバサはそのままアンダーグラウンドへ帰還した。

 情報を纏める、とは言ったものの、本部に戻ってフドウに状況を説明すればいいだけだ。

 だが、あそこには――マリナがいる場所には行きたくなかった。

 嫌いになったわけじゃない。生理的に嫌だというわけでもない。

 ただ、考えが正反対である以上、彼女とはうまくいかない――彼女に迷惑をかけるだけだ。

 なら、新人である自分が退けばいい。そうすれば、マリナを傷つけずにすむ。

 マリナは怪獣という存在を、忌むべき存在だという考えの人間だった。ツバサのように怪獣にも善悪があるという考えではない。

 ただ、マリナの言うことを間違いであるとはいえない。ああ言えるのは、本当に怪獣に憎しみを抱いているからだろう。そういう心を持ってしまった以上、ツバサが介入してどうこう出来るものではない。

 だが、それでも――。

 全ての怪獣を殺していいという理由にはならないはずだ。

 ツバサは、端末に情報を纏めながら考えた。

 司令室でカタカタとタイプする音が響く。

 ツバサの他には、オペレーターとして待機しているエミがいるだけだった。

「結構疲れているねー」

 エミが突然ツバサに話しかけた。

「分かるかな?」

「うん。多分、マリナちゃんのことでしょ? 一緒にいたから気疲れしてるのかなーって思ってた」

 気疲れか……とツバサは呟く。

 ツバサは、今までを思い返してみる。確かに体中がだるく、何時ものように意欲もわかない。

 だけど多分これは、気疲れではない。

 ツバサはエミに事の全てを説明した。

 ツバサは、マリナが自分の意見を完全に否定することは決してないと思っていたのを完全に期待を裏切られたことに、無意識にショックを受けているのだ。

 反論すれども、意見は聞き入れてもらえる、とどこかで期待していた。

「でも、どこかで無理なんだろうな、とも思っていたんだろうな」

 ツバサは、そう説明し終える。

 エミは、ツバサの説明を微妙な顔で聞いた。何か引っかかっているような、そんな顔だった。

「本当にそれだけ?」

 エミの質問にツバサは、えっ、とエミの方を向いて言った。

「本当にそれだけなの?」

「それだけって……元々正反対同士、何をやってもうまくいかないものだったんだよ。マリナ隊員だって、僕のお守りとして仕方なくやっていたんだし……そりゃ、うまくいくはずはないよね」

 エミは、はあ、とため息を吐いた。

「科学的な予測は長けても、人の心を予測するのは下手だよねー、ツバサは」

 エミの言葉に再びえっ、と声を出す。

「何だかツバサの人となりが分かってきたな」

「どういうことだよ?」

「ツバサってさー、他人の事はおろか、自分のことに関して答えを出せないよね。今までの言動の中にその人の心を映した答えがあるのにそれを見つけられない。科学的なことは多角的に考えられるのに、どうしてだろうね」

「そんなの……」

 分かる筈がないじゃないか、とツバサは言おうとした。だが、エミがここでそう言うということは、エミはマリナや僕の気持ちが分かっているということなのか、とツバサは予想した。

 エミは、答えを言った。

 

「マリナちゃんのこと、信じようとしていたんでしょ?」

 

 信じようとしていた、という言葉にツバサは、現実に戻されたような感覚に陥った。

「マリナちゃんの言葉を信じてあげようとしたんでしょ? 文句は言いつつも、話を聞いてあげてたじゃない」

 それは、とツバサは口を噤む。

「マリナちゃんもそう。彼女もツバサのこと聞いてあげた。じゃなかったら、ツバサの個人的な興味に付き合うことなんてない」

「……」

「本当に正反対なら、そんなこともしないで、全て否定して解散よ。でもツバサとマリナちゃんは違う。肯定して、反論しつつも、お互いを信じてあげようっていう気持ちがあった。だから、隊長だって二人を組ませたんじゃないかな」

 隊長が? とツバサは驚く。フドウが、そこまで読んでいた……こうなることを想定していたということなのか。

「ああ、もちろん隊長がそう考えていたかは知らないわよ。でも、わたしでもマリナちゃんとツバサを組ませるかな」

 どうして、とツバサは聞いた。

 エミは、笑いながら答えた。

 

「だってあなたたち、似た者同士だもの」

 

「……はい?」

 ツバサの思考はまだ追いついていないようだ。 

 似た者同士、とエミは言ったのか? いや、聞き間違いかもしれない。

「僕と彼女が何だって?」

「似た者同士」

 うん。どうやら聞き間違いじゃないようだ。

 ツバサは、吠える。

「いやいや、どうして似た者同士になるんだよ! どう見ても真逆の人間じゃないか!」

 えー、とエミは微笑む。

「さっき言ってたこと忘れてるじゃない。それが根拠なのに」

「いや、全く分からないよ。もっと分かりやすく説明してくれ」

 エミはまた溜息を吐いて、科学者って本当鈍感ね、と言った。いや、科学者なら君もそうじゃないか、とツバサは言い返した。

「もっと分かりやすく言うとね……要は、あなたたちはどっちも優しい性格なのよ」

 優しい性格……と言われて、ツバサは思い返す。

 自分の過去……に対しては何も記憶がないから意味がないが、マリナを思い返すと、どこに優しい部分があったか分からないくらい少ない。

 エミが言ったようにマリナは自分の個人的なことに付き合ってもらった。そのあたりは感謝しているが、それ以外は……。

「もっと分かりやすく言うと、あなたたちは他人を優先するところが似ているかな」

「他人を優先する?」

 エミは、説明する。

「自分には曲げられない信念があるでしょ? 今聞いた話なら、ツバサは怪獣が現れた理由を調べることが大事だ、と断言して、マリナちゃんは、怪獣は確実に殺す、って言ったわよね」

 はい、とツバサは頷いた。

「でも、ツバサはこう考えたんでしょ? 彼女の言っていることも正論だって」

 確かに思った。彼女の言い分はあながち間違っていない、と確かに思った。

「曲げられない信念のはずなのに、相手の言い分を否定せずに受け入れて、自分の信念よりも相手の信念を考慮してあげる――それがあなたたちなのよ」

 これが、そうなのか、とツバサは自分の手のひらを見つめた。

「そう。そして、今のように、聞いておいた方が良かったかな、って後悔しつつも、いや、やっぱり駄目だったんだって、後悔した自分を隠している」

 それが、僕の今なのか、とツバサは呟いた。

 エミは頷いた。

「本当に分かりやすいからねー。今頃マリナちゃんも同じように悩んでいるんじゃないかしら。何であんなこと言っちゃったんだろーって。いや、でも自分の言っていることは間違っていないはず! って」

 本当なのだろうか? マリナが? 僕の言い分を肯定すべきだったかもしれない、と悩んでいる? 想像も出来ない光景だ。 

 エミは、ふう、と息を吐く。

「まあ、怪獣のことに関しては、マリナちゃんは仕方ないかもしれないかもね。怪獣は必ず殺す……その信念はマリナちゃんの生き方そのものだから」

 信念が生き方そのもの? ツバサは不思議に思った。

「どういうことですか?」

 マリナは、何かを抱えている? エミの言い分からそう読み取れた。

 エミは、椅子をくるりと一回転させてから答えた。

「うーん。わたしも詳しいことは分からないけどね。彼女が怪獣の事になるといつもその考え方だから、どうしてそう思うのって聞いたことがあるのよ。そしたら、彼女は、いつもこう答えていたのよ」

 

 ――これがあたしの生き方だから。

 

 ツバサは口を半開きにしている。

「詳しいことは教えてくれなかったけど、でもあの目は本気だった。それで分かった。彼女は怪獣に何かを奪われているって。それ以上は詳しいことは聞けなかったからどうしようもなかったけど」

 それを聞いて、ツバサはマリナの何かを掴んだ気がした。

 全て、分かっていてやっていたことだった。蔑まされると分かっていながら、ああいう道をあえて選んだ――彼女の信念に従って今まで生きていたから。

 不器用なのだ、とツバサは思った。

 彼女は不器用で、自分のように細かいことが出来ないのだろう。だから、いつも他人を傷つけて、自分はもっと大きな傷を負っていたのだ。

「本当に僕も……彼女も馬鹿だな」

 ツバサは呟いた。

「うん。本当に馬鹿ね。だから言ったでしょ。似た者同士だって」

 そうかもしれない、と今ならそう思える。

 ツバサは、目を見開く。

 今度は分かる。次に自分が何をすべきかということに。

「怪獣が現れた原因を調べる。手伝ってくれ」

 エミは、微笑む。

 そして思う。もう大丈夫だ、と。

「分かった。必要なデータがあったら言って」

 エミも端末と向き合った。

 

 ツバサが考えていたのは当然、どうして怪獣が現れたかということだ。

 だが、その前に、どうして怪獣が『地霊神』として神格化されたのか、その理由を探ることから始めた。

「それって、話は聞いていたんだよねー? 巨人が落とした石とか何とかって」

 エミが尋ねた。

「あくまでそれは街に伝わる伝説だ。自然の物や人物が神格化されるには、神がかりな出来事の他に、今は当然だと言われている行為が当時の人々からしては、神がかりなものだと思わせた出来事もあるんだ」

「というと?」

「マジックなんかがそれだ。物を消すマジックとか、お札を変えるマジックなど……あげたらきりがない。歴史上では、奈良の大仏の建設に協力した行基という僧が、まず人々の信頼や仏教への信仰のために、指に火をともすマジックをやったという話が伝わっているくらいだ」

 へー、とエミが感心した。

「人々にとって超常の力が目の前で起きた、と思わせ、そして後から事実を知る。すると、それを残す際に、いかにすごかったかを綴る。だけど、そのまま真実を綴っても理解出来ないもしくは、信じてもらえない。だからこそ物語として比喩を用いて残すんだ。日本は物語と神話にあふれた国だからね。そういう物語が最も人々の心に残りやすいんだ」

 エミは、ツバサの言いたいことが分かった。

「なるほど。怪獣が神格化された原因が、歴史上に残っているはずってことね。今でこそ怪獣は、現実として受け入れているけど、過去がどうだったかは分からない。怪獣が悪魔だったかもしれないし、神の使いだったのかもしれない。その怪獣の行動次第で神か悪魔か見定められて、そして人々が、物語を綴っていく。だから、今回は、怪獣は神として受け取られているから、つまり、怪獣が人類に何かをもたらしてくれたと考えるべきなのね」

 そういうこと、とツバサは言った。

「その『何か』こそが、人々が怪獣を神格化させた原因なんだ。彼らはその行動を見て、怪獣を神として扱い、それを物語にした。でも、物語は曖昧な表現でとらえているから事実は分からない」

 でも、とツバサは言った。

「科学的な情報から予測は可能だ。怪獣が現れた時、何が起きたか、それを洗い出す。そこにヒントがあるはずだ」

 ツバサとエミは早速情報を集め始めた。

 だが、怪獣がFに現れた形跡はここ数十年一度もなかった。

 歴史上に怪獣が現れた形跡がある記述があったのは、今から七百年前くらいの記述でそれの事実性を証明するのも難しい。

「結構見つからないものだねー」

 エミが両腕を伸ばす。画面と格闘した所為か、腕が疲れていたようだ。

 ツバサは、また考えた。

「考え方を変えよう。歴史上の記述が殆どないということは、この怪獣は滅多に、いや元々地上に出るはずのない怪獣だったのかもしれない」

 エミが、ツバサの方に体を椅子ごと向ける。

「じゃあ、つまり、怪獣は地中で生活しているってこと?」

「そう考えるのがいいかもしれない。地上に現れたのは、自然のトラブルか、怪獣が迷い込んだのか、とにかく理由があるはずだ」

 なら、とエミが言った。

「昨夜の怪獣の鳴き声の騒ぎが一番調べやすいわね」

 そうだな、とツバサが肯定した。

 昨夜の出来事なら、怪獣は、地上に現れ、鳴いた後で地中に戻った。その際に周りでは何が起きたのか、それを調べればヒントになるかもしれない。

 ツバサは昨夜の怪獣が現れた時に周辺で何が起きたのか、その情報を集めた。

 すると、その中で一つだけツバサの気を引く情報があった。

 昨夜、怪獣が現れた時間帯にF市を震源とした地震が発生したという。

 地震は小さいもので、特に被害は無かった。

 確かに昨日、メトロポリスでも基地内からでも小さな揺れは感じたのをツバサは思い出した。

 確か、その時は、自室で開発をしていた時だったからあまり気にはしていなかった。

 だが、この地震のデータは妙だった。

 マグニチュードや震源地のデータが無い。『現在調査中』と気象庁のサイトにはそう載っているだけだ。

 記録中に問題が発生した? だとしたら一体何が、とツバサは疑問に思った。

 ツバサは、すぐに気象庁に連絡を入れた。S‐GUTSの隊員からの要請というだけあって、すぐにその理由が分かった。

 データがはじき出された瞬間に、数字が一気に改変されたのだという。その誤差があまりに凄まじかったために、コンピュータがクラッシュしてしまったのだ。

 ツバサは、クラッシュする前の記録を送るように頼んだ。

 気象庁からは、あり得ない数値だったので多分間違いだとは思いますが……、と前ふりをして、ツバサにデータを送った。

 ツバサとエミはそのデータを閲覧する。

 そして、二人は驚愕した。

「震源地の深さが、わずか二百メートル弱……」

 ツバサがデータを読む。

「しかもマグニチュードは7.8……」

「そんな……これってほぼ地上すれすれに大地震の震源があったってこと!?」

 一般の震源の深さは数十キロが普通だが、それでも過去の震災で多大な被害をもたらした。

 だが、この地震は、ほぼ地上を震源としている。

 だが、それだけではない。

 地震の発生した場所は、正にあのL字型の岩が発見されたあの台地だった。

 これは偶然だろうか? いや、違う。

 多分、怪獣が現れたことと何か関係があるはずだ。

 だが、まだ確証がない。まだ分からないことがある。

「昨夜は確かに地震が発生した。でも、軽い揺れだったし、特に被害は無かったはずだ」

 なのに、どうして、とツバサは呟く。

「これが実際に起きれば、街が壊滅するどころの話じゃなくなる」

 ツバサは即興で計算する。恐らく、都市はおろか、周辺の県をも壊滅させるはずだ。さらに海に近いことも重なって、周辺の海境の県に巨大津波が押し寄せる。さらに地殻変動で大地がずれ、そして沈む場合もある。

「それが何も起こらなかったということを考えると……」

「怪獣が……守った?」

 エミが言った。

 ツバサは頷いた。

「多分、それが理由なんだろう。怪獣が『地霊神』と人々から崇められた理由は多分、それなんだ。人々が見たのは、怪獣が壊滅するほどの規模の大地震を幾度も緩和してきたからかもしれない」

「でも、壊滅的な被害は過去に何度も起こっているわよ? 怪獣が守っているとは言い難いんじゃない?」

 エミの意見は最もだ。

「そうだね。あくまで仮説の一つとして捉えるべきなんだろうね。でも、この上なく有力な仮説だ」

 だが、ツバサの中に、一つだけ引っかかることがあった。

 もしこれが正しいとするなら、あの残されたL字型の岩はどう説明すればいいのだろうか?

 組み立ててきた土台の中で一つだけ抜け落ちているものがある。

 何かが足りない――ツバサはそんな感じを覚えていた。

 ツバサが考えていた時だった。

 司令部の通信機が鳴った。

 エミは、すかさず通信を取る。

「はい。こちらS‐GUTS司令室」

 エミが通信相手と会話をする。ツバサは考えたままでエミの会話の内容を聞いてはいなかった。

 だが、すぐにツバサは思考することから外される。

「ツバサ。あなたと話がしたいって」

「話? 一体誰から?」

 ツバサと個人的に話をする間柄がいただろうか? いたとしてもS‐GUTSのメンバーや家族、そしてイルマ参謀以外思いつかないが……」

「うーん。何か、E大学からなんたらとか……」

 E大学……。どこかで聞いたことのある名称だ。

 ツバサは記憶をたどっていく。それはすぐに見つけられた。

「ナリオ助教授のいる大学か」

 ツバサは、エミから通信機を手渡されるとすぐに、話を始めた。

「はい。こちらS‐GUTSのエンジョウです」

『ああ、エンジョウさん!』

 つい数時間前に聞いたことのある声。ナリオだ。

「ナリオ助教授ですか!」

『ああ、はい。いや、良かった。やっと見つけられた』

「よく僕がここにいるって分かりましたね」

『ああいや。あなたと一緒にいた……イチカさん、でしたっけ? 戻ってきたときは彼女一人だったから、あなたの居場所を聞いてみたんですよ。そしたら基地に戻ったと聞きまして……』

 そうだったんですか、とツバサは言った。マリナはなんだかんだ言って、やることはやってくれたんだな、とツバサは内心喜んだ。

『何か、機嫌悪そうでしたけど、何かあったんですかね?』

「ああいえ。多分、低血圧なんでしょう」

 はあ、そうですか、とナリオはツバサの咄嗟の嘘に疑いもせずに納得した。

「ところで……何か伝えたいことがあるようですね」

『ああ、はい。そうなんですよ。実は、あの岩を調べている内に一つ疑問が浮かびましてね。必要なサンプルをお借りして、大学の方に戻って調べてみたんですよ。そしたら、すごいことが分かりましてね』

「すごいこと?」

『はい。とにかく、大学に来てくれませんか? そこで説明させていただければ、と思います』

 ツバサは、分かりました、と答えて通信を切った。

 ツバサはヘルメットを手に取る。

「ちょっと行ってくるよ」

「はーい。いってらっしゃーい」

 ツバサは、スペリオルを格納したハンガーまで急いだ。

 

 ツバサの乗るガッツウィングは、大学の競技場付近に着陸した。

 借りていたスペリオルは、整備のためにそのままドックに運ばれてしまった後だった。整備から貸してもらえたのは、火器を整備していたばかりのガッツウィングだった。

 攻撃手段は無いものの、飛行するだけなら問題がないはずだ、ということで貸してもらえた機体だった。

 ツバサはさっそく一階の受付でナリオ助教授のいる研究室を訪ねたが、受付が案内したのは、ナリオのいる研究所ではなく、生物学のいるセクションだった。

「ナリオ助教授はここにいます」

 受付が案内された場所の名称をツバサは眼にした。

 

 微生物研究所

 

 そう書かれた場所だった。

 明らかにナリオの専門外の場所だ。ここにどうしてナリオがいるのか分からなかった。

 ただ、ナリオはここにいるのは確からしい。ツバサは、受付に礼を言って、中に入った。

 中は一般の研究室と何ら変わりなかった。

 試験管に液体が入れられ、それぞれに名前が書かれたシールが貼ってあり、それが無数に棚の中に保管されている。中には、粘菌を研究するためなのか、無数のシャーレも保管されていた。

 ナリオはその中央の大きな机の後ろで立っていた。

「ああ、エンジョウさん。お待ちしていました」

 ツバサは一礼して近づいた。

「まさか生物学のセクションにいたとは思いませんでした」

「いや、すみません。どうしても確かめたいことがあったんですが、個人で生物を調べるには限界がありまして。それで餅は餅屋ということでここに伺ったんです」

 なるほど、とツバサはナリオの横にいる女性を見つめた。

 年齢は二十代前半と言ったところだろうか。大学の教授ではなさそうだ。もしかしたら、研究生か。

「ああ、そうだ。エンジョウさんにもご紹介します。こちらは、ここの大学院で微生物を専攻しているクキ・アイラさんです」

 アイラと名乗る女性は、ツバサに礼をした。

「どうも。クキです」

「どうも。S‐GUTSのエンジョウです」

 アイラは、ツバサの姿を見て、多少戸惑っていた。

「あの……かなりお若いんですけど……失礼ですけど、年齢は?」

 ああ、とツバサは思った。

 まあ、そうだろう。こんな子供がまさかS‐GUTSに所属しているとは思えないのは当然だ。

 ツバサは苦笑しながら答えた。

「まあ……見たままの年齢ですよ。一応十五です」

 アイラが驚愕する。

 ここまではツバサも予想通りだ。だが、一番予想外だったのは、ナリオが驚いたことだった。

「ええ! そうだったんですか! 私はてっきり若作りかと思っていたんですが……」

 そうだったのかよ!

 ツバサは、仕方がないとは思いつつも、ナリオの言葉に度肝を抜かされた。

「でも、ナリオさんと専門の会話をしていたということは、よほど優秀な人なのでしょうね」

 アイラが言う。

「ただのオタクと変わりませんから」

 ツバサが謙遜した。

 アイラとナリオは、いやいやそんなことないですよ、と言いながら笑った。

 話が逸れた。ツバサは本題に入った。

「それにしても、ナリオ助教授。一体どうしてここに? 確か、すごいことが分かった、とおっしゃっていましたよね」

 ツバサが問うと、ナリオが、ああ、そうなんですよ、と思い出したように言った。

「いや、実は本部でツバサさんが回収してきたサンプルから妙なものが見つかりましてね」

「妙なもの?」

「百聞は一見に如かず。まずは見てください」

 ナリオは、予め用意していた顕微鏡をツバサに見せた。

 ツバサは顕微鏡をのぞいた。

 玄武岩の表面のようだ。黒々とした岩肌だが、所々に輝石などの白い石が散らばっていた。

 だが、それ以上にツバサは眼を疑うものを見つけた。

 黒々とした玄武岩の岩肌をよく見つめる。よく見ると、黒い岩肌の中に形の定まっていない、細胞のような模様が散らばっている。

 アメーバのような形のないもの――いや、どう見ても生物にしか見えない。

「これは、一体何なんですか?」

 ツバサが顕微鏡から離れてナリオに聞いた。

「私は久しぶりに見ましたから驚きましたよ。鉱物の中から化石などの生物の死骸や微生物の死骸を見つけることはよくありますが、これは違う」

 そう。ツバサもそれはよく分かった。鉱物に微生物の死骸の化石は調べられる。だが、これは違う。鉱物に微生物の死骸が混じっているのではなく、微生物そのものが鉱石と化している、と説明した方が分かりやすい。

 ナリオは説明した。

「実は、鉱物の研究と生物の研究は、違っているように見えて、実は鉱物の生物を調べるという点から共通しているんです」

 なるほど、とツバサは言う。

「我々の分野ではこれを鉱物環境学と言いまして……環境がメインですが、生物の研究もあるので、これは正にその研究対象としているものです。ですが、私ではこれはあまり専門ではないので……」

「だから、生物学の教授と共同で調べようと思ったわけですか?」

 ツバサがナリオの言葉を予想して言った。

 ナリオは頷いた。

「はい。ですが、当の本人は、今日は出張だっていうのを忘れていまして、それで急遽アイラ君を呼んだんです。彼女は、大学寮に住んでいますから……」

 ごめんね、アイラ君、とナリオは謝った。アイラは、全然気にしていませんよ、と答えた。

 鉱物生物学はツバサも知らない分野だった。その分野から見て、これは一体どういうことを意味しているのだろうか。ツバサは聞いた。

「それで、これは一体どういうことなんですか?」

 ツバサの問いにアイラが答えた。

「えっと……まず、結論から言うと、そのままで――微生物が鉱石になったんです」

 本当にそのままだ。しかし、そんなのが可能なのだろうか? ツバサは尋ねる。

「実は、かなり昔からこの手の研究がされていまして……実は、微生物が鉱物を生成する現象は珍しくないんです」

「そうなんですか?」

「はい。詳しいことはまだ解明されていませんが、微生物が水の中などに存在するイオンを固定させて鉱物を作っているという仮説があります」

 なるほど、とツバサは言う。

 だが、それとこれとは話が違うのではないだろうか。

 今までの話は、微生物が鉱物を生成する話だ。だが、これは微生物そのものが鉱石になったものだ。

 だが、ツバサは考える。二人がこの話をしたということには意味がある。

 ああ、そうか、とツバサは理解した。

「つまり、微生物が鉱物を生成したのちに同化したということなんですね」

 ツバサがそう言うと、ナリオが頷いた。

「その通りです。ですが、思い出してください。この鉱石は玄武岩と深成岩です」

「そうですね」

「ここからは推測の域を出ませんが、とにかく仮説を立てていきましょう。そもそも溶岩の中に微生物が存在するのかということに」

 あっ、とツバサは声を出した。

 有機物や無機物を溶かす高温のマグマ。その中に生物が存在するというのは果たしてどうなのだろうか。

「だからこそ、アイラ君の教授にも話を聞きたかったんです」

 ナリオの説明にアイラが代わりに言った。

「溶岩の中の微生物の研究は、わたしの教授の現在の研究テーマの一つだったんです。高温多湿の環境下で生きる微生物がいるのは証明できていますが、溶岩に微生物が生きているかとなると、話は違います。何しろ、生物が生きていける環境が何一つ存在していませんから」

 ツバサはその意見に同意した。

「でも、あり得ない話ではないのも事実なんです。今まで議論して、いるかいないかで話が分かれていましたが、殆どがいないと論破してきました。当然ですよ。そもそも溶岩をそのまま機材を使って調べる方法が昔はありませんでしたから」

 でも、とアイラはある物を取り出した。

 それはビンだった。だが、中に入っているのは、溶岩だ。

「ようやく、溶岩を固めることなく容器に保存して、中身を調べることが出来るようになったんです」

 アイラが取り出したビンは、最近開発されたもので、あらゆる環境下の中でその環境でしか存在することが出来ない物を、そのまま原型をとどめながら保存できる容器だ。

 まだ一部の大学での実用実験の段階で、容器を作る際に、作る環境を設定して作らないといけないため、全てが一品もので、一般用としては向かないのだ。あくまで研究用としての実用性しかない。

 ツバサは初めてみるそのビンに大きな興味を抱いた。

「これはすごい。個人的に一つ欲しいくらいです」

 と、絶賛するほどだった。

 アイラは微笑みながら、ツバサに予め溶岩をセットした顕微鏡を見せた。

「これが、正体です」

 ツバサは、顕微鏡をのぞいた。

 アメーバのような微生物が、溶岩の中で活発に動いていた。

 ウイルスや微生物は殆どの生物と同じで超高温の世界では生きていけない。

 だが、これは生きている。溶岩という環境が、微生物にとっては人間が暮らす地球同然に快適だと言わんばかりに。

「これが……怪獣の正体」

 ツバサの中で欠けていたピースが一つずつ組み合わさっていくのを感じた。

 だが、まだ足りない。ツバサは、まだ自分の中で凝り固まったしこりが一体何なのか、それを突き止められていない。

 だが、アイラは、さらに追い打ちをかけるように説明した。

「さらに面白いのは、この微生物のメカニズムです」

 アイラは、ビンから溶岩を少しだけ取り除いて、それをビンと同じガラスで出来ているシャーレにのせた。

「これに振動を与えます。すると……」

 アイラはシャーレを手に取って、小刻みに手を震わせた。

 すると、シャーレの上の溶岩が瞬く間に黒く変色し、固まったのだ。

 ツバサは自分の目を疑った。

「一瞬にして鉱石になった……!」

「これは私も驚いていまして……」

 ナリオが代わりに説明した。

「どうやら、この微生物は、ある程度の振動を与えると、鉱物を生成して一緒に固まる能力があるようです」

 振動を与えると固まる……。ツバサは、過去の出来事を思い出す。それはもしかして……。

「しかも、さらに面白いことに……」

 ナリオは、さらに溶岩を救い出して、振動を与えた。だが、今度は固まらない。

「あれ? どうして固まらないんですか?」

 ナリオは、最初に固まった鉱石を取り出して、地面に置いた。そして、予め用意したハンマーで思い切りたたき割った。

 大きな音が鳴った後、割った後の鉱石は細かな石になった。

 その後に、先ほどの固まらなかった溶岩にまた振動を与えてみる。

 すると、今度は固まったのだ。

「どうしてですか? あれほど固まらなかったのに、先に固まった鉱石を砕いた瞬間に固まった」

 アイラは、これが答えなんですよ、と答えた。

「多分、同じ溶岩だまりの場所に生息する微生物は、振動を与えられた時に、固まる量や個数を決めているのではないでしょうか?」

「決めている?」

「はい。実際、このビンに入っている溶岩で作った鉱石では、二個まで砕くと、次の溶岩では新たに二個鉱石を生成できました。ですが、三個目を作ろうとしても、溶岩が固まってくれません。多分、これは二個までが限度なのでしょう」

 つまり、既に二個鉱石があったとして、溶岩に振動を与えても鉱石にはならない。前の鉱石が一個または二個が壊れると、微生物が反応して、新たに一個、または二個鉱石を作るということだ。しかも、必ず二個までという制限つきで。

 恐らく微生物の生まれながらの本能なのだろう。鉱石が壊れたと感知して、新たに鉱石を作り出す本能。

「不思議ですよね。一体生まれてからどういうことを教え込まれてこのような仕組みを作り上げたのでしょうか」

 アイラが言った。

 だが、ツバサはアイラの言葉を聞いていなかった。ただひとりぶつぶつと呟いている。今までの情報を頭の中で整理しているのだ。

 ツバサは、一つ試したいことがあった。それは、答えを得るためには絶対必要なものだった。

 ツバサは、鉱石を一つ砕いた。そして、新たに溶岩を入れたシャーレを置く。そして、ツバサは机の端に移動した。それから携帯端末のバイブレーション機能を常にオンにして、机の端で振動を出した。

「ツバサさん……一体何を……」

 ナリオが聞いた。

 ツバサは、確認です、と答えて、その答えを待った。

 ツバサの予想が正しければ、これで怪獣の全貌が分かるはずだ。

 そして、振動が始まって十秒ほど経った後だった。

 シャーレに置かれた溶岩が固まりだした。

 ここまでは、先ほどと同じだ。だが、ここから先は、ナリオとアイラも予想だしていない出来事が起こった。

 固まった溶岩が、ツバサが持っている携帯端末に向かって転がりだしたのだ。

 ナリオとアイラは驚いた。

「嘘……」

「そんな……! 動くなんて……!」

 鉱石は、携帯端末の振動にめがけて転がっていった。ツバサは振動を止めて、鉱石の動きを止めた。

 そして、鉱石は動かなくなった。もう一度振動を加えても、鉱石が動き出すことはなかった。

「やっぱり固まった……一度限りだったんだ」

 ツバサは、ようやく確信した。

 ツバサの脳裏で情報が整理されていく。

 

 ――昨夜起きた怪獣の鳴き声騒ぎ。

 ――怪獣が鳴く前に、地震が発生していた。

 ――怪獣が消えたとされる場所で見つかったL字型の岩。それは端が半月に欠けていた。

 ――鉱石は溶岩が固まった玄武岩と花崗岩。

 ――怪獣の正体は溶岩の中で生きる微生物の仕業だった。

 ――地表近くの地震のマグニチュードから予想される被害規模と実際の被害規模の解離性。

 ――溶岩は振動に反応して鉱石になる。そして、遠く離れた振動は自ら動き出して、その振動の近くまで行く。

 ――一度完全に固まったら振動を与えても動かない。

 ――溶岩が鉱石になれるキャパシティは二個まで。それ以上の鉱石は生成されない。新しい鉱石が生成される場合、元からある鉱石を砕かないと生成されない。

 ――そして、『地霊神と地霊魔』の伝説。

 

「そうか……抜け落ちていたのは、このことだったのか」

 ツバサは真相にたどり着いた。

「あの……ツバサさん。一体何が分かったんですか?」

 ナリオが聞いた。

 ツバサは、言った。

「僕が行った実験こそが、この微生物に与えられた役割だったんです」

「与えられた役割……」

 アイラの言葉にツバサは頷く。そして、ツバサは説明をしようとした時だった。

 突然、W.I.T.から通信音が鳴った。

「はい。こちらエンジョウ……」

『ああ、ツバサ? 良かった!』

 エミからの通信だった。

「エミ? 一体どうしたんだ?」

 エミは何やら慌てているようだ。エミは、息切れをしていた。だが、そんなことはお構いなしに続けた。

『本部付近の台地で地震が発生! でも、かなり小さい地震だったから被害はなし。だけどそれと同時に怪獣が出現したわ!』

 何だと! と、ツバサは驚く。

『驚くのはそれだけじゃない。この地震もさっき調べたのと同じように、地上付近で発生している。気象庁からデータを貰ったから間違いないわ』

 そして、その後に怪獣が現れた……間違いない。

 ツバサは、実験で使った鉱石に目をやり、それを手に取った。

「やっぱり、そうだった。あれは『地霊神』なんだ!」

『周辺が強力な磁場で覆われているからレーダーに敵影が映らないの! 多分隊長たちはうまく連携していると思うけど……』

 エミが不安そうに言う。

「それは僕が確認しに行く。エミは、そのまま情報を集めてくれ」

 ツバサはそう言って、通信を切った。

「あの……一体どうしたんですか?」

 ナリオとアイラが不思議そうに聞いた。

「すみません! 緊急事態です。僕は、これで失礼させていただきます」

 ツバサはそう言って、走り出す。

「ああ、ツバサさん!」

 ツバサは、研究室を出る前に、思い出したように言った。

「ああ、そうだ! 色々教えていただいてありがとうございました! この岩の正体ですけど、また後ほど説明します!」

 ツバサはそう言って、ナリオとアイラを残して研究室を出ていった。

 

   7.

 

 ガッツウィングが、目的地に向けて飛翔する。

 だが、火器がないこの機体が戦闘に参加することは出来ない。どこか近くに降りて、地上から援護するのが得策だろう。

 あるいは、ティガになって……。

 ツバサは、とにかく隊長と通信をとろうとした。

 だが、やはり、怪獣から発している強力な磁力の影響で通信が遮断されていた。

 分かっていたことだが、やはり、通信手段があまりにも弱すぎる。これでは連携もとるに取れない。

 ツバサが作った通信システムも、あと一歩のところで止まっている。

 何かないか……何か、自分でも思いついていない逆転の発想がないか……、ツバサは考えた。

 そして、ふと、自分のポーチに目をやった。

 ツバサは思い出したようにポーチを開く。

 そこには、研究室で徐に手に取って、そのまま持って行ってしまった鉱石が入っていた。

 ――そう言えば、微生物が鉱石になるというのを証明出来たんだよな……。確かこれは、怪獣の鳴き声の騒ぎがあったあの本部付近で見つかったL字型の岩と同じだと、考えてもいいかもしれない。

 それと、Uにあったあの石も同じものだった……。

 そして、前者と後者は、それぞれ強い磁力を帯びていた……。

 はっと、ツバサは電撃が走るように閃く。

 つまり……この石にも磁力がある……?

 そこで、ツバサは、ようやく気づいた。

 何てことだ! どうして今まで気が付かなかったのだろうか!

 

 磁力が通信を遮断しているのなら、逆にその磁力を用いて通信してみれば、遮断するものはなくなるではないか!

 

 ツバサは、さっそく、ガッツウィングに取り付けてある通信機のカバーを外した。

 そして、予め持ってきた工具で、石に穴を空ける。

 測定器で鉱石を調べる。

 強い磁力がそこにはあった。

 後は、磁力を通しての通信システムを構築することが出来れば……。

 ツバサは、鉱石と通信機をつないで、端末を使って、新しいシステムを即興で作り上げていった。

 全機に通信するシステムを構築するには、もっと時間が必要だ。だが、今は一機だけでも繋がるようにしないと……。

 ツバサは額に汗を掻いていた。これだけ切羽詰って物を作り出すことは生まれて初めてだったからだ。

 そして、構築が開始されてから二分弱。

 システムが完成した。

「よし! これで隊長と通信できるはずだ……!」

 ツバサは額の汗を拭く。これほど簡素で常識外れなシステム構築は始めてだ。到底うまくいくなんて誰もが思わない。

 だが、これでうまくいくはずだ。

 しかし、不思議なものだった。まさかこの騒動が自分の開発の大きな手助けになるなんて、思いもしなかった。

 ツバサは、フドウのW.I.T.に通信を入れた。

 

   *

 

 怪獣は、地震が起きた直後に現れた。

 地表から土が飛び散り、そこから山のように怪獣の体が隆起した。

 フドウたちは、予め警戒態勢を取っていたことを幸運に思った。そして、そのままガッツイーグルに乗り込んだ。

 怪獣は一体どういう攻勢に出る、とフドウたちは怪獣を見守った。

 怪獣は、表面がごつごつした岩で出来ていた。四本足で歩くタイプの体系だが、明らかに足が三本しかない。右の前足がごっそり無くなっている。そして、先端が角のように突出していた。

 怪獣は、地表から出てきたやいなや、そのままその場で固まった。特に動く気配はなく、ただその場にうずくまっているだけだった。

「どうして動かないんだ? 一体何を待っている?」

 フドウは呟いた。

 ――隊長! 攻撃許可をお願いします。

 γ号からの光信号だ。マリナだ。

 強力な磁場の影響で通信が出来ない今、通信手段として使えるのは光を使ったモールス信号だけだった。

 ――今なら叩くチャンスです! あいつが動かないということは、今なら街に入ることなくここで倒せます!

 遠巻きからγ号の中のマリナの表情が見えた。マリナは必死だった。どうして、マリナがここまで必死になるのかは、フドウには分からない。

 だが、マリナの私情で攻撃許可を与えるわけにはいかなかった。

 ――駄目だ。下手に攻撃して刺激したら、怪獣が暴れかねん。今は様子を見て、どうなるかを見てみるしかない。

 ――そんな……! そんな悠長なこと言ってる場合ですか? 怪獣が出たんですよ! このまま野放しにしていいわけがありません!

 マリナの言っていることは正しい。だが、それでも出来ない。

 ――駄目だ。隊長命令だ。

 ――そんな!

 ――マリナ! 俺たちは怪獣を倒すことが全てじゃない。現場を見て、どうするかを正しく判断することも大事なんだ。ここは、隊を無駄に動かさず、様子を見ることが大事だ。

 マリナが、くっ、と歯ぎしりを噛む姿が見えた。

 マリナの気持ちもよく分かるが、今は耐えろ、とフドウは、マリナに言った。マリナはしぶしぶ了解して、それ以上何も言わなかった。

 ここから傍観をするか、それとも攻撃をするかはフドウの采配にかかっている。フドウは傍観を選んだ。だが、果たしてそれでいいのかはフドウにも分からなかった。

 もし、ツバサがいたら、彼はこの状況からどういう答えを導き出す? とフドウは、マリナと仲たがいして基地に戻っていったツバサを思う。

 やはり二人は駄目だったのか? いや、だが、二人ならいける、と思ったんだが……。

 フドウが悩んでいた時だった。

 突然、フドウのW.I.T.に通信が入った。

 通信だと? 馬鹿な、とフドウは思った。通信が遮断されているはずなのに、どうして通信が入るのだろうか?

 フドウは、通信相手の記録を見た。

 ガッツウィングからの通信だった。

 ガッツウィングだと? 一体誰が乗っているというんだ? まだ援軍を要請してもいないはずなのに……。

 フドウはとにかく通信を取った。

「はい。こちらフドウ……」

『ああ、隊長ですか! 良かった、繋がった!』

 ツバサからだった。

「ツバサだと? 一体どうやって通信をしているんだ?」

『そんなことはどうだっていいんです! 今はどういう状況ですか?』

 ツバサが聞いてきた。

 ツバサがそう尋ねてきたということは、ツバサには何か考えがあるのではないだろうか、とフドウは考えた。

 とにかくフドウは答えた。

「怪獣は地上に現れたと同時にその場で固まって動かない。目立った動きもないな。俺たちは現状、警戒をしているが……」

 フドウがそう答えると、ツバサは、良かった、と言った。

『なら、そのまま待機していてください! そのままにしていけば、自然に解決します』

 ツバサはそう言った。

「つまり、放置しろ、と?」

 フドウの質問にツバサは、はい、と答えた。

『あれは、僕たちが倒していい怪獣ではないんです。あれは、地上に生きる全ての生物たちにとって、なくてはならない存在なんです』

 

   *

 

 ツバサはフドウに力説した。

 いなければならない存在。それがあの怪獣なのだと。倒していい存在ではないことをフドウに言った。

 だが、簡単には信じてはくれない。

『一体どういうことだ? このまま放置しても何も変わらないと思うが……』

 フドウがそう言った。ツバサも簡単には信じてもらえないことは分かっていた。

 だから何だと言うんだ、とツバサは思った。批判されたり、意見されたりするのは学者にとって日常茶飯事だ。根拠は、揃っている。大丈夫だ。

「変わります。まだ、それが現れていないことを考えると、そろそろ現れるはずなんです」

『現れる? いや、とにかく、あの怪獣が一体どういう存在なのか、教えてくれないか?』

 フドウは聞いた。ツバサは、いい質問が来たと思った。フドウがツバサの話を聞いてくれるという意思表示がそこにあったからだ。

 ツバサは、とにかく集めた情報から得た結論を、順を追って説明していった。

 この地に伝わる『地霊神と地霊魔』の伝説だ。

 ツバサがそれを説明すると、ふむ、と興味深そうにフドウは聞いていた。

『なるほど。それがこの地に伝わる話か。つまり、ツバサ。お前はあの怪獣こそが『地霊神』であると、言いたいんだな』

 ツバサは、はい、と答えた。

『しかし分からないな。どうしてその『地霊神』が今になって現れたのか分からない』

 フドウは聞いた。

 フドウの質問は最もだ。物語として登場している『地霊神』がどうして今になって現れたのか。

「その答えは地震にあります」

『地震だと?』

「はい。まず、あの怪獣の正体は、溶岩に住む微生物の集合体なんです」

『微生物だと? あれがか……』

 フドウは信じられないだろう。恐らく、怪獣の大きさからしてどれだけ多くの微生物が集合しているのか想像もできないだろうからだ。

「ナリオ助教授らと共にその微生物を発見したんです。そして、この微生物のメカニズムも一緒に」

 メカニズム……一体何なんだ、とフドウは聞いた。

「データが送れないので、口頭で言うしかありませんが……微生物は、振動を吸収すると、鉱石を生成して自らもそれに同化するんです」

『同化、だと。つまり、微生物が鉱石になるってことか? 一体何のために?』

 フドウが聞いた。

「先ほども言ったように、微生物は振動を吸収する仕組みを持っているんです。恐らく、振動を吸収し、そのエネルギーを使ってその場で鉱石になり、その場所でまた振動を起こさないようにしているんだと思います」

 つまり、とツバサは説明を続ける。

「微生物が鉱石になる、ということは、振動を一回吸収すると、命を終えるということを意味しているのです」

 振動を一度吸収してしまうと、鉱石になる――それは、一度きりのそのためだけに微生物は自分の命を使っているのだ。

『何故、そんな一度きりのために……』

 フドウは、疑問に思った。振動を吸収するという無意味な行動で命を落とす……あまりに不憫だ。一体どうして命を懸けてまでそれをする必要があるのか……。

 それを考えた時、フドウは、理解した。

『そうか。だから地震なのか!』

 その通りです、とツバサは言った。

「微生物の最大の役目は、地震を抑えることなんです。各地で起こる地震の揺れ――『地霊神』はそこに近づいて、地震の振動を吸収して、そしてその場で鉱石になる……怪獣は、そうやって今まで僕たちを地震の脅威から守っていたんだと思います」

 なるほど、だから『地霊神』なのか、とフドウは納得した。

 だが、まだ分からないことがある。

『だとしたら、今まで数多くの地震があったが。だが、やはりそれでも大災害となった地震は数多くあった。『地霊神』はどうしてそれらも食い止められなかった? そして、どうして今になって現れたんだ?』

 フドウの質問。

 そう。

 それこそがツバサがこれから言おうとしている答えなのだ。

「これは恐らくですけど、多分、地震の数が多すぎるんだと思います」

『多すぎる?』

「はい。『地霊神』といえど、微生物が『地霊神』という怪獣になるのは一体だけだと思うんです。だから、一つの地震を食い止めても、また新たに微生物が怪獣になって次の地震を食い止める……ということをしても、他の場所でも同時に起きたら、どちらかしか食い止められないんです」

『しかし、それはおかしくないか? 微生物が溶岩にいるのなら、日本全国、地下にたまっている溶岩の微生物が地震を察知して一斉に地震を抑えることが出来るはずだ』

 フドウの言っていることは最もだ。

 だが、それは実験で不可能だと立証した。

 ツバサは、そう伝えた。

『不可能?』

「はい。実は、微生物は、振動がある回数だけ鉱石になるということは出来ないんです。彼らには鉱石になる容量があるんです」

『容量?』

「正確には個数ですね。ナリオ助教授らと実験で試しました。一つの場所で振動があった場合、微生物が鉱石になるのは最大で二個までなんです」

『二個まで?』

「はい。例えば、その場所にすでに微生物が生成した鉱石が一個あったとして、その場所で微生物が鉱石を生成するのは残り一個だけなんです」

『二個生成されれば、後で振動があっても微生物は鉱石にならない、ということか』

 その通りです、とツバサは言った。

『それは、地球にある溶岩全ての中の二つという意味か?』

「いえ。実験では、二つ鉱石が生成できましたから、それだと、『地霊神』がいる時点で鉱石は一つまでしか生成できないはずです。だから、溶岩全体じゃなくて……説明が難しいんですけど、多分、微生物が見える範囲で鉱石が生成されたかどうか、で判断しているんだと思います」

 つまり、それぞれの場所――微生物が互いに感知できない場所でそれぞれが振動を与えれば、鉱石はそれぞれの場所で二つずつ生成出来るということだ。

「恐らくですが、鉱石が二個あるという判別は大きさや質量などで決まるんだと思います。それぞれの鉱石のレベルに応じて、それが二個すでに作られているのか、一個しか出来ていないのかなどを微生物が判断するんだと思います。つまり、それぞれの大きさの鉱石のは二個までしか存在できないということになりますね」

『そうか……では、これらの情報を整理して考えると、あの怪獣が地上に現れたのは……』

 フドウの言葉を追う様に、ツバサが言った。

「地上付近で地震が起こったから、その揺れを止めるために地上まで上がってきてしまったなんです」

 実際に、気象庁のデータで確認出来ています、とツバサは付け加えた。

 ツバサは、説明をし終えた。

 かなり分かりづらい説明だったが、フドウは理解してもらえただろうか。

『なるほど。一応、怪獣の正体とその目的については理解した。だが、どうしても腑に落ちない点がある』

 フドウは言った。

『怪獣が地震を軽減するのは分かった。あれが地震を軽減して、自ら鉱石を生成して同化し、そして一生を終える……そこまではいい。だが、その後はどうなるんだ? 怪獣は一体どうなってしまうんだ?』

 フドウは続ける。

『ツバサの言い分が正しいとするなら、あの怪獣はもう既に息絶えていると考えるべきだ。だが、その後、息絶えた怪獣はどうなるんだ? その場に留まるだけなのか?』

 ツバサは、その質問に質問で返した。

「答える前に一つ。その怪獣の足は何本ありますか?」

 ツバサの問いに、フドウが不思議がる。

『どういうことだ?』

「怪獣の足は……もしかして、三本じゃないですか?」

 ツバサの質問に、フドウは、震えながら答えた。

『確かに三本だ。右の前足が無い』

 やはりか、とツバサは確信した。

『しかし、どうして分かったんだ?』

 ツバサは説明した。

「台地で発見されたL字型の岩……あれが、その怪獣の前足なんです」

『あれが……だと』

 フドウは言った。

『確かに、形や大きさからだと、足に見えなくはないが……だが、待てよ。だとしたらおかしくないか? どうして足だけが残されていたんだ?』

 フドウが聞いた。どうやらフドウも気づいたようだ。

『地震を吸収して命を落とすなら、昨日の地震で既に死んで、怪獣全体が残っていたはずだ』

 そう。本来ならそうだ。だが、前足だけが残っていた。それは何故か。

「本来なら、昨夜の怪獣の鳴き声の時に発生した地震で、『地霊神』は息絶えていた……だけど怪獣は死ぬことなく今、出てきて地震を軽減させて死んだ。その答えがあの前足とさっき伝えた伝説、そして鉱石の仕組みにあるんです」

『どういうことだ?』

 ツバサは説明した。

「はい。まず、ご存じのように微生物が鉱石になる個数は最大で二個までです。『地霊神』が微生物の集合体だと考えると、あれも一つの鉱石として扱っていいはずです」

『確かに……ああ!』

 フドウは気づいたようだ。

『伝説の中にあった『地霊神と地霊魔』……!』

「そうです。『地霊神』を一つの鉱石として扱うなら、必ずもう一つ『地霊神』と同等のものがあるはずなんです。つまり――」

 

 怪獣は、もう一体いることになるんです。

 

 その直後、ツバサは通信から大きな音を聞いた。明らかな地響きの音。

 ツバサの予想は、そこまでは的中した。

 

   *

 

 マリナは、その瞬間を見逃さなかった。

 怪獣が静止している場所の丁度真後ろ――距離的に、二百メートルあるだろうか――そこから大量の土が天高く飛んだ。

 その後叫び声が響いた。

 今まで聞いたことのない生物の叫び声。

 叫び声と同時に、巨大な顔が姿を現し、そして、胴体が現れた。

「まさか……もう一体いたっていうの?」

 マリナは、今までのツバサの会話を思い出した。

「なるほどね……。『地霊神と地霊魔』か……。神がいれば悪魔がいて当然ってわけね」

 納得したようにマリナは言った。だが瞬時に頭からツバサのことを振り払う。

「あーあ! 何であいつのことを考えてるのよ! あいつのくだらない説明の所為で頭から離れないじゃない!」

 マリナは、目の前の『敵』だけに集中した。

 怪獣は、最初に出た怪獣と同じく、表面は黒い岩石で覆われていた。ただ、最初の怪獣と違うのは、二本足で歩行していること、胴体は光の巨人と同じくらいの整ったボディだが、顔は、ティガの頭なら簡単に一飲み出来るくらい口が大きく、嘴のように長い。そして、意味をなさないであろう短い尾。

 怪獣として、奇怪な体をしている。

 だが、そんなことはどうでもいい。問題は隊長がどう判断するかだ、とマリナは思う。

 だが、フドウから光暗号がない。何かに気を取られているのか、こちらの信号に一向に返事をしない。

 マリナはもう一度怪獣を見た。

 怪獣は、最初の怪獣の背後にいる。そのまま前進している。

 だが、それよりもマリナはあることに関して懸念があった。

「この方角って……街がある?」

 そう。

 怪獣が、進んでいる場所から数キロ離れた場所に、街があるのだ。

 怪獣は依然として足を進めている。止まる気配を見せない。

「あいつ……! 街を狙う気なの?」

 マリナはそう確信した。

「隊長の命令を待っている余裕はない……。今叩かないと、もっと被害が出る!」

 マリナはそう決断した。

 γ号の速度を速める。

 先手必勝。

 最初の攻撃で混乱させ、そして一気に倒しに行く。

 だが、それから十秒ほどで、マリナは気づく。

 自分は、どれだけ愚かな行為に及んだかということに。

 

   *

 

『怪獣が出やがった!』

 フドウが叫んだ。

 ツバサもフドウの通信から地響きと、怪獣の鳴き声が聞き取れた。

『ツバサ! お前が言った通りだ。もう一体現れた!』

 やはりか、とツバサは思った。

「怪獣は……『地霊魔』は、どういう感じですか?」

『ああ、えっと……。見た目は全く違うが、表面は似ているな。もう一体の方へ向かっているな。ああ、だが、あの方角は街の方だ』

 それもツバサは予想していた。

「大丈夫です、隊長。『地霊魔』の目的はあくまで『地霊神』です。だから、そのまま現状維持をしていてください」

『現状維持? だがしかし……』

「大丈夫です。僕の予想が正しければ、すぐに収束します」

『そうか……なら……ああ!』

 フドウが何かに気づいたように叫んだ。

「どうしたんですか?」

『マリナ! マリナ! おい、戻れ!』

 マリナと叫ぶフドウ。どうやら、マリナが何かをやらかそうとしているのか。

 怪獣を憎むマリナの思考をツバサは読む。

『マリナのやつ……前に出て『地霊魔』を倒す気だな!』

 フドウの言葉はツバサの予想通りだった。ああ、やはりか……なるほど分かりやすい。

『地霊魔』が『地霊神』を狙っているということではなく、街の方へ向かっていると思ったのだろう。だから、その前に叩いておく、と。

「通信は……駄目ですよね」

『光信号に気づいていない! くそ! このまま攻撃を許可すべきか!』

「いえ、駄目です! 攻撃をしたらいけない!」

『どうしてだ! どうして駄目なんだ!』

 フドウが叫んだ。当然だろう。攻撃をここまで拒むには理由があるのだ。

「微生物に振動が加わることで鉱石になって死ぬということは、生きている間は溶岩の中にいるということです。そうなると、当然、怪獣が動くには……」

 

 ――溶岩の状態でないといけないということなんです。

 

 ツバサの言葉にフドウも気づく。

『つまり、あの怪獣は、表面が岩石であっても、内部は全部溶岩だと言うのか!』

「はい。表面が岩石だったら、通常の戦闘機の攻撃程度でも簡単に壊れてしまう。つまり、溶岩が中から流出してしまうんです」

 そうなるとどうなるか、フドウも分かった。

 振動でないと、瞬時に鉱石にならない、つまり、傷ついた場所は振動を与えない限り溶岩が吹き出してしまうということだ。溶岩が普通に固まるにも時間がかかる。

 噴出した溶岩は一体どうなるだろうか?

 地形から察するに、台地と言われているが、若干傾いている――それも街の方に。

 そうなると、漏れ出した溶岩は、街を襲うということだろう。怪獣がやってきて街を破壊するよりもっと防ぐことが出来ない。

『くそ! マリナ! 気づいてくれ!』

 フドウが慌てる。このままでは、もしかしたら間違った選択をフドウはしてしまうかもしれない。

「落ち着いてください。これから、マリナ隊員に通信して事情を説明します! 隊長は、万が一に備えて隊員達を指示してください!」

 ツバサの言葉で正気に戻ったかのように、フドウは落ち着きを取り戻していった。

「お……おお。分かった! ツバサ! 頼むぞ」

 ツバサは、了解、と言って通信を切った。

 さて、とツバサは呟いた。

 フドウにはああ言ったが、そんなことはしない。

 複数通信が出来るのに、あえて通信を切った……それには理由がある。

 簡易的に作った磁力を用いるこの通信は――今は単線でしか繋げないのだ。

 この通信は、それぞれの通信に使われているタグの周波数を検索して、繋ぐ仕組みになっている。

 本来なら、それを行う母体(マザーコンピューター)が必要だが、今は、それがない――自力で探し当てなくてはならない。

 だが、ガッツウィングを通しての通信としては、単線でつなぐのが精いっぱいなのだ。

 つまり、マリナの乗るγ号の通信信号をいちいちこちらで探し当てて、そして通信しなければならないことになる。

 当然、そんなことをしている暇はない。

 マリナが行動に至ったら、留まることを知らないだろう。通信を探している間に大惨事が起こるのは眼に見えている。

 だからここは……強引だがこの手しかない。

 ツバサは、スーツのチャックを少し降ろし、中からスパークレンスを取り出した。

 こうすれば、マリナが攻撃したとしても溶岩の噴出はいくらでも防げる方法がある。

 マリナの考えていることは理解できる。理解できるが、今はこちらの方が正しいということを理解してもらいたい。

「分かってはいるけど……今回は僕が正しい。だから、君を守って、今まで言われたことを全て相殺させてもらうよ」

 ツバサは、スパークレンスを開いた。

 

   8.

 

   *

 

 マリナの乗るγ号が着実に攻撃の射程圏に入っていく。

 フドウが入れた光信号は、マリナの眼中には入っていなかった。もはや、完全に怪獣にしか向いていない。

「あんたたちは……いてはいけないのよ……」

 マリナはまるで呪文を唱えるかのように呟く。自らを律するためなのか、他の雑念を振り払うように呟いた。

「ええ、そうよ……みんな……みんな……死んで当然なのよ」

 発射ボタンに指を添える。

 

 ――マリナ隊員は……そういう人なのですね。

 

 ふと、脳裏に響くツバサの声。

「……何よ……」

 あたしの事情も知らないくせに……。

 マリナは小さく呟いた。

 ツバサにああ言われた時、ツバサが何を言いたいのか瞬時に悟った。

 今まで、そう言われたことは何度もあった。だが、全て論破してきた。向こうにはただ、怪獣を動物と同じと思っていない――そういう輩に自分自身が正しいと常に言ってきた。

 だが、ツバサは……。

 ツバサのあの一言は、違う。他の皆と同じことを言っているが、それでも意義が違う。

 あれは、あたしの言い分を理解していて尚、自分の意見も信じてほしいという懇願と同情だ。

 今まで理解されたことは無かったのに、なのにあいつは……あいつは……。

 マリナは歯ぎしりを噛む。

「何よ……。人を可哀想な目で見て……! あたしは……そういう人間なのよ! 怪獣はすべて殺さなくてはならない……そういう考えの人間なのよ!」

 マリナは叫びながら、勢いのままに発射ボタンを押した。

 γ号のビーム兵器――ガイナーが怪獣の首横に命中した。

 その瞬間だった。

 命中した直後、ガイナーが怪獣の表面で火花を散らすことなく、そのまま貫通した。

 そして、貫通した場所から、赤いどろどろした液体が勢いよく、大量に噴射された。

 それは、見ただけで分かった――溶岩だ。

 マリナが旋回行動をとるという思考が回る前に大量の溶岩がγ号を覆うように襲い掛かる。

 唖然としたマリナの表情――そこに恐怖と絶望がそこに籠っていた。

 あ、死ぬ。

 そう思った時だった。

 光が、マリナの眼前を覆った。

 あまりに眩しい光に、マリナは顔を覆った。

 その神々しさをマリナは、つい最近見たことがあった。

 数多の敵を打ち倒し、人類を災厄から救った光の英雄。

 

 ウルトラマンティガが、溶岩からγ号を救い、そして現れたのだ。

 

   *

 

 ティガは、台地に着地した。

「……ティガ……」

 マリナが呟くと、ティガは、声に反応するようにマリナの方を見やった。そして、一回頷くと、γ号を安全な場所に置いた。

 そして、怪獣を見やる。

 溶岩が吹き出している――すぐに止めなければならない。

 ティガは、両腕を額のクリスタルの前で交差した。そして、スカイタイプに変身する。

 ティガは、その場で小さな振動が伝わるように調節しながら、地面に拳を降ろした。

 振動が、小さく怪獣まで響く。

 そして、その振動は、正確に確実に怪獣の傷口に伝わり、そして瞬時に固まった。

 その後、ティガは飛び出てしまった溶岩に、スカイタイプの技の一つであるティガフリーザーを地面に向けて放った。

 地面に氷の結晶が爆散する。

「よかった……これで……!」

 マリナが言った。

 ティガフリーザーは流れ出た溶岩を瞬時に固めた。

 これで街に溶岩が流れることはない。

 だが、問題はこの後だ。

『地霊魔』は、何かに怯えるようにそのままティガに向かって突進していった。頭を下げて、頭突きをしてくる。

 ティガは全身でそれを受け止める。力を入れすぎないように、ツバサは自分で両腕に加える力を頭の中で計算しながら受け止めた。一寸でも狂えば、ティガが吹き飛ぶ。だが一寸でも力めば溶岩が内部からまた漏れだす。だが、それを堪え、絶妙に力を入れることで『地霊魔』の攻撃を止めた。

『地霊魔』の体は、ガッツイーグルの攻撃ですら貫通してしまうほどの脆さだ。もし、ティガが打撃を加えるなら、どうなるか――明らかにガッツイーグルの攻撃よりも大惨事が起こるだろう。

 ティガは、γ号を一瞬だけ見た。

「ティガ……」

 と、マリナは小さくつぶやく。

 ティガはマリナを確認すると、また『地霊魔』の方へ顔を向けた。

「ティガは……もしかして分かっていたの? こうなることを……」

 マリナは言った。そして、それと同時に自分の行動がどれだけ愚かなことか悟った。

 本来なら、ティガが現れる場面ではなかった。誰も何もしなければ、自然と事態は収拾出来ていたのだ。

 だが、どこかの誰かが余計なことをしたせいで、予想していた最悪の一歩手前の出来事が起こってしまったのだ。

 過ぎたことはもう遅い。

 基地に戻ったら、上から目線な態度で、マリナを迎えてやろう。

 マリナの事だ。きっと、何も言い返せずに悔しさを滲ませて、負け惜しみを言うのだろう。

 その時が楽しみだ、とツバサは思った。

 だから、ここは勝たなくてはならない。

 ツバサは目の前に集中した。

 ティガは、『地霊魔』から離れ、一旦距離を取った。この後の『地霊魔』の行動を調べようとした。『地霊魔』が冷静ならば、本来の動きをしてくれるはずだ。

 だが、そうはならない。『地霊魔』は、ティガめがけて突進してきた。

『地霊魔』は、巨大な口を使って、執拗にティガを追い詰めようとした。だが、ティガは、『地霊魔』の口の大きさや攻める速度を、予測して、当たらないように回避した。時より、手を使って『地霊魔』を受け流した。

『地霊魔』は、体格の所為か、手足を使うことがほとんどなかった。ましてや短い尾を使う意味のないことは一切ない。

 怪獣のイメージは、微生物にはないのだろう。たまたま集合した時にそういう形になった、ということなのだろう。

『地霊魔』は、ツバサにとって、たいしたことはない。ツバサの足りない経験からでも倒せる怪獣だ。

 だが、それと同時、『地霊魔』は一種の動く『爆弾』だ。手を加えれば中から溶岩が吹き出してくる。

 簡単なものほど裏がある――あまりに厄介な存在だ。

 倒さずに済むのなら有難いがそうはいかない。『地霊魔』が冷静さを取り戻す可能性はほぼ皆無だ。このままでは、倒さなくてはこの事態を収拾できない。

 だが、周辺に被害が起こらないように事態を収拾させる方法を考えなくてはならない。

 もっと時間があれば、その答えを安心して導けるというのに、とツバサは思った。

『地霊魔』は、顔を振り下ろす。

 ティガは両手でそれを受け止めた。

 力を受け流しているためか、『地霊魔』の方が押している。ティガは少しずつ後ろに押されていく。

 ティガは再び、両手を使って『地霊魔』を受け流した。怪獣は簡単に前へ倒れていった。

 あまりにもジリ貧だ。ここからどうやって打開策を考えるべきか。

 すると、ふと、ティガは死んでしまっていた『地霊神』の姿を見た。

 ツバサは考える。

 微生物が鉱石を生成するのは最大二個までが限度。それ以上は破壊されない。一個が破壊されれば新たに一個生成することが出来る。

 それは『地霊神と地霊魔』にも同じことだ。

 ……ああ、そうか。

 ツバサはようやく気づく。

 分かっていたのに、どうして気づかなかったのだろうか。いや、知っていた。だけど、規格外な出来事に頭が回っていなかった。

『地霊神と地霊魔』も微生物が生成した鉱石だと考えるなら、それらを破壊すれば新たにどこかで『地霊神と地霊魔』が生まれる。

 それが、ツバサが得た結論だった。

 なら動く。

 ティガは、横に駆けた。『地霊魔』の背後を取る。

 ティガは、『地霊神』にめがけてランバルト光弾を放つ。

 光弾が直撃する。

 爆音が鳴り響く。そして、その直後、『地霊神』であった鉱石は、粉々に砕け散った。

 爆音と同時に、『地霊魔』は、振り返り、その惨状を目の当たりにした。

 ティガは、ゆっくりと『地霊魔』に振り返る。

『地霊魔』は、元々の目的だった『地霊神』が完全にいなくなったのを確認した。

 さて、ここから、どう出るか……ツバサの脳裏には二つの可能性があった。

 一つは、このまま『地霊魔』が地底に帰るか。

 そして、もう一つは、目的を見失い、我を忘れて攻めてくるか。

 前者が一番穏やかな解決方法――ツバサが元々願っていたものだ。

 後者であっても解決方法はあるが、しかしあまりやりたくない。

 ティガに不可能なことがないにしろ、今まで試したことのないことはやりたくない。これは、ツバサの予測が鍵となっている。

 予測が少しでも外れれば、大惨事になることは、間違いない。

 さあ、どう動く……!

 ツバサは――ティガは身構えた。

 そして、『地霊魔』は決断を下す。

『地霊魔』は、吠えた。

 ティガは一歩退くが、狼狽えてはいない。

『地霊魔』は、ティガにめがけて突進していった。

 やはりそうなるか! ツバサは、瞬時に計算する。

 威力、速度、爆発範囲――成功するために、頭の中で予測し、答えを割り出していく。

 その間は、一秒もかからない。

 ティガは、再びランバルト光弾の準備にかかる。

 両腕を広げ、エネルギーを溜める。

 そして、溜めたエネルギーをそのまま『地霊魔』に放った。

 光弾の速度は、『地霊魔』はおろかありとあらゆる生物でも捉えることは難しいだろう。

 光弾は、そのまま『地霊魔』を直撃した。

 通常なら、光弾が直撃した後、光のエネルギーが爆散して怪獣を爆発四散させる必殺技だ。

 それが、内部が溶岩で出来ている『地霊魔』であるなら、一番やってはいけない――悪手だ。

 だが、ツバサは計算していた。

 光の爆散の威力を極限まで抑える――内部で小さな爆発を起こし、それにによって振動を与えることが出来るならば――。

 光のエネルギーの量、それに発生する振動、光弾を貫通させずに内部にとどめるための速度――ツバサは全てを頭の中で出来るぎりぎりまでの数値を計算していた。その数値は、スーパーコンピューターの算出したものとの誤差がほとんどないほどに。

 そして――。

『地霊魔』は、動きを止めた。

 何かが、固まる音が響いた。

 それは、ツバサにとって、成功を意味していた。

 体内で小さく爆発した光のエネルギーが振動となって、内部の溶岩に――微生物に振動を認識させることに成功したのだ。

 完全に固まりきるまで、それほど時間はかからなかった。

 完全に固まると、完全に硬直してその場を一歩たりとも進むことは無かった。『地霊魔』は、完全な鉱石となった。

『地霊魔』だった鉱石は、そのまま地面に倒れていった。轟音が鳴り響く。そして、それと同時に、『地霊魔』の体はバラバラに砕けた。

 ティガは、その姿を確認すると、天を仰いだ。

 そして、飛び去っていく。

 

「ティガ……光の巨人……」

 マリナはまるで呪文のように呟いた。何かを悟ったのか、空に消えていったティガの軌跡を追っていた。

 

 こうして、『地霊神と地霊魔』の騒動は終わりを告げた。

 

   9.

 

 突然、マイから呼び出しを受けたツバサは、ヒロキと共にZEROの射撃訓練場に赴いていた。

 騒動が収まって一日と経たず、まだ周辺の調査が行われているという時に――。

 マイはツバサを誘拐するかのようにS‐GUTSから連れ去っていった。

 何となくだが、ツバサはそんな気がしていた。前回の試験があんな平凡なもので、S‐GUTSに入隊できるのか、と内心思っていたのだ。

「うーん、じゃあお願いできる?」

 マイは、そう頼んだ。

 ツバサが受けるのは、射撃と組手。

 どちらも実技――平均点を出せるとはいえ、ツバサの苦手科目だ。

 どうして、マイが自分を呼んだのか――その答えは既に予測していた。

 マイやヒロキが自分に諭そうとした課題――その答えを。

『地霊魔』と戦って、何となくだが理解できた。

 そして、今、確信した。ツバサは今なら導き出せる。

「それじゃ、構えて……」

 マイの指示に従って、ツバサはガッツブラスターを遠くに用意された的に向けた。

「始め!」

 号令と同時に的が現れる。

 そして、撃つ。

 的に命中する――中央よりやや右。だが、人間なら即死させられる。

「おお、当たってる」

 ヒロキが呟いた。

 ツバサは、その間も次々と出てくる的を撃っていく。

 小さな火花が的から迸る。的が落ちると同時に新しい的が次々と現れる。ツバサは、それらを撃っていく。

 以前とやることは同じだ。ただ、初めての時とは違って方法を知っている分、慣れている。

 だが、本当の変化はそこではなかった。

 ヒロキもマイも、そして当のツバサ本人も気づいた。

 明らかに、前よりも命中率が高くなっている。

 正確に言うなら殺傷率だ。

 的を生物と例えるなら、前のツバサの射撃では、下手をすれば当たらない、当たったとしてもかすり傷程度のものだろう。

 だが、今は違う。

 今のツバサの射撃は、怪獣とまではいかないが、人間や動物、そして人間大の異星人なら確実に殺せる腕だ。

 たった一日足らずでここまで変化したことに、マイとヒロキは特に驚くことは無かった。

 そして、射撃が終了する。

「お疲れ様。ちょっと休憩したらすぐに組手するからね」

 マイがそう言った。

 

 軽い給水を済ませた後、ツバサはヒロキと組手をすることになった。

 特に道着を着ることはなく、隊員服のままで戦うことになった。

 武道は何でも構わない。大切なのは、敵に遭遇した時、武器を持たない状態でいかに対応できるかだ。

 これに関しても、ツバサは平均点レベルの技術だった。相手の出方を待ちつつ、適度に仕掛け、適度に守る。だが、勝率は極めて低かった。護身レベルで使える程度のものだった。

 だが、今回に限っては違った。

 ヒロキが攻めあぐねているのだ。

 特に攻撃や防御に関して、ツバサに変化はない。ツバサが変えたのは心構えと戦う上でツバサにしか出来ないこと――今回の答えを知っているということだった。

 だが、結局の所、ヒロキが勝利した。経験則からして、ヒロキに軍配が上がるのは、目に見えている。ツバサの攻撃に合わせて、ヒロキは、反射的にツバサの腕を掴んで投げ飛ばす――背負い投げの要領だ。

 倒し切る前にヒロキはツバサの体を静止させた。一本。紛れもなくツバサの敗北だ。

「……はい、お疲れ様」

 マイがツバサたちに近寄る。

「やっぱり実戦は、まだまだ経験不足かな。これだとやっぱり負けちゃうね」

 耳が痛い言葉だ。結果として聞けば、紛れもなく失格だ。

 ツバサは、息を切らしながら、やっぱり向いてないんですかね、と答えた。

 だが、次の瞬間、ヒロキが口を開いた。

「確かに実戦は弱い。俺に負けるようだからな。これだと隊員達はおろか、職員にも劣るだろうな」

 さらに耳が痛い。

 ティガになっている時は、相手が怪獣なのか、がむしゃらに戦っていた。負けそうになることは多々あるが、それでも何とか勝てた。

 だが、人間とやりあうとこうも弱さを痛感してしまうと、この先ティガとして戦って、皆を守れるか不安になる。

 ツバサがそう思っていた時、ヒロキは、だが……と続きを言った。

「相手の気持ちからしたら、ツバサは戦いづらい相手だろう。前と比べて格段に良くなっている。どう攻めたらいいか分からなかった」

 ツバサは、目を見開いてヒロキの方へ顔を向けた。

「どういうことですか?」

「要はこっちの攻撃が見透かされているように、お前は受け流したり防御したりするんだよ。こっちがあらゆる方法で攻めても、お前は、それを予測していると言わんばかりに攻撃から身を守る。それは攻撃も同じだった。お前の攻めは、俺がどのように防御に入るかを予測して、その裏を突いた攻撃だった。だから、俺の防御はいつも裏目に出て、一本取られそうな機会が多々あった」

 ツバサは、自分の手のひらを見つめた。

 そこまで、自分が変わった……? と、不思議そうに見つめる。

「射撃の腕もよくなってるよ。さすがにヒロキの腕までとはいかないけど、これならどんな敵でも打ち倒せると思うほど技術は良くなっているわ。素人にしては上出来以上の出来よ。天才の部類に入ってもいいくらいね」

 マイが追い打ちをかけるようにツバサを褒める。

「そんな……そこまで変われるなんて……。僕はただ、一つだけ変えただけなのに……」

 ツバサは言った。

 マイは微笑みながら、答えた。

「それが、君の武器――昨日あなたに与えた課題の回答よ」

 

 ツバサが変えたこと――それは、戦う時に相手の身体能力や動きなどを全て目測で数値化することだった。

 ツバサは目測での予測がほぼ正確であることを、『方舟』事件の時から周囲から言われていた。その能力を戦闘の際にも用いたのだ。

 射撃に関して言うなら、ガッツブラスターを放った時の弾の速度、引き金を引いた時の反動の誤差、対象物の距離といったものを目測で数値化して、それに従って自分の体をどれだけの運動量で動かして次に備えるかを瞬時に割り出した。

 そして戦闘に関してもそうだった。敵の身長、体重、戦い方の特徴、攻撃や防御を繰り出す時の速度、運動量、ダメージ、エネルギー、回避運動を取るときのタイミングやその速度など――あげたらきりがないほどのその場その時の動きを全て数値化して計算したのだ。

 それは『地霊魔』との戦いにも用いられた。

『地霊魔』の脆い体を壊さずに触れるための力の数値化、ランバルト光弾の速度、エネルギー量の調整――『地霊魔』の体内でとどまらせ、振動を与える程度に、内部爆発をさせないほどの力――ツバサは、それらを瞬時に数値化させて、その通りの力を体に命令させて動いていた。

 ツバサは、頭脳で自分の足りないものを補うことで、相手と互角に渡り合える力を手に入れたということなのだ。

 ツバサはそう言うと、マイは、大正解、と言ってツバサの頭を撫でた。

「ヒロキが体の感覚で覚える人なら、あなたは、頭で考えてその通りに動ける人。あなたは無理に感覚に頼ろうとしながら動く傾向があった。確かにそれは、多くの人に当てはまるけど、でも君は、そのタイプじゃない」

 そうか、とツバサは呟いた。ヒロキが言っていた、自分とは対極的、というのはこのことだったのだ。

 ヒロキが感覚で銃の撃ち方を覚えたのなら、ツバサは人から教わったことをその通りに実行することで覚えることが出来るということなのだ。

「まあ、普通の人からすれば物凄く効率が悪いんだが、だが、ツバサにとってはそれが最大の武器になる。敵からしたら一番出会いたくない相手だな」

 ヒロキは、そう評価してくれた。

 ツバサは、俯く。

 どう言えばいいか分からないが、少なくとも、自分がS‐GUTSのエンジョウ・ツバサとして、そしてウルトラマンティガとして、出来ることは、まだまだ沢山あるようだ、と再認識することが出来た。

 

 訓練を終えて、ツバサとヒロキは司令室に戻った。

 中には、既に全員が揃っていた。

「おうお帰り」

 フドウが言った。

 ただいま戻りました、と二人は言う。フドウやシンイチは、うん、と一回頷いた。

「その様子だと、いい結果が得られたみたいだねー」

 エミがツバサに言った。

「うん。何だか迷いが晴れた気分だ。これから色々出来ることが増えるよ」

 ツバサがそう答えると、エミは、良かったーと両手を合わせて微笑んだ。

「そうそう。さっき情報局の人が来てな、お前が提示した新しい通信システムについて回答が来たぞ」

 シンイチがツバサに資料を渡した。

 それは、ツバサが通信システムの最終案に関する纏めだった。『地霊神と地霊魔』の騒動の後すぐに、データを纏めて、最終案を情報局に送信していたのだ。

 結果、TPCはそのシステムを構築することに完全同意――採用したとのことだ。

「読ませてもらったが良かったぞ。あの怪獣の――あの石の磁力を用いた通信システム。地球の自然の磁力を用いて人工的な妨害をもものともしない強力な通信能力。そして、あの石を用いた母体(マザーコンピューター)を作り、各支部局にもシステムが使えるようにする――いやいや、よく考えたな」

 ツバサは少し照れる。

「棚から牡丹餅でしたよ。この騒動がまさか僕の研究の答えになるなんて思いもしなかったんですから。本当に『地霊神』様様でしたね」

「本当だな。だが、これほど大規模なものを構築するにも、最低でも数か月はかかるらしい、と言われた」

「それなら、大丈夫でしょう。とりあえず、上層部そしてS‐GUTSを含む部隊の通信機を優先してシステムを付加します。それだけなら、それほどかからないでしょう。今後の戦いにおいては楽になると思います」

「『地霊神』様様というよりツバサ様様だな」

 と、シンイチが笑うと、周りも釣られて笑った。

 だが、ツバサに顔を向けずに頭を落としているのが一人だけいた。

 マリナだった。

 ツバサは、マリナの後ろ姿を見つめる。

 多分だが――いや、確実に、昨日の件で色々悩んでいるのだろう。

 ツバサに向かって怪獣の存在理由について、自分が正しいと断言し、その通りに動いた所、命令無視もあったが、あろうことか、自分の行動理念が仇となって死の一歩手前を経験してしまった。そして、まさかティガにも助けられ、最終的には自分は何も出来なかった。

 マリナは自信喪失していた。

 自分がやってきたことが間違いで、あんな生意気な奴の言うことが全部正しいのだろうか、と。

 ――とか何とか、思って自暴自棄になっているのだろう、とツバサは思考を読む。

 やれやれ、とツバサは思い、マリナに近づいた。

 ツバサに気づいたのか、マリナは、ちらとツバサを見て、そしてまたすぐに顔を逸らした。

「……何よ」

「いえ、今回はお疲れ様でした」

 ツバサがそう言うと、マリナは苦笑し、皮肉交じりに応えた。

「何よ、それ。あたしに対する嫌味? あたしの言っていたことが全部間違っていたから、それを見越してあたしに、ざまあみろ、とか言いたいわけ?」

「いえ、そういうことでは……」

「皆まで言わなくてもいいわよ。今回はあたしが全面的に間違っていた。間違っていたわよ。認める、認めるわ。あたしの妄言の所為であたしは死にかけて、あろうことかティガに助けられて、自分では何にもすることが出来なかった。惨め以上に、自分が情けないわ」

 ああ、駄目だ。やっぱりこの人は自分を見失っている――分かりやすい人だ。

「さあ、馬鹿にするなら馬鹿にしなさいよ。あたしは何にも反論しないわ。言いたい文句は全部聞いてあげる」

 ツバサは、いい加減にしろ、と言いたかった。だが、それは根本的に彼女との間の溝を広げてしまうだけだ。

 彼女と自分は決して相容れない――昨日まではそうだった。

 だが、それは違う。相容れないのではない。ただ、相容れようとしても、その手前で止まってしまっているのだ。

 交わろうとしても交わる勇気がないだけ――それが自分と彼女なのだ、と。

 ツバサは、頭を下げて言った。

「本当にごめんなさい」

 突然の謝罪にマリナは目を丸くしてツバサの方を向いた。

「は?」

「本当に……本当に申し訳ありませんでした」

「何よ……何で謝るのよ。あんたが謝ることなんて何一つ無いじゃない」

 そう思うのが普通だろう。

 だが、違う。本当に謝らなければならないのは自分だ、とツバサは分かっていたのだ。

「僕は、自分の意見をあなたに押し付けようとしていた。そのことを謝りたいんです」

 え? とマリナは呟く。

「マリナ隊員が怪獣に対して果てしない憎悪を抱いていることに対して、僕は我慢ならなかった。怪獣にだって存在理由があって、その通りに生きているだけだと、僕は言いました」

「……言ったわね」

「でもそれは、科学者を志す者としての意見でした。僕は、僕自身の意見を――エンジョウ・ツバサとしての意見を何一つ言っていなかった」

 マリナは神妙な顔をする。

「僕の意見は確かに一つの意見として捉えられる。だけど、決してそれが答えじゃない。それは一つの仮説に過ぎないんです。人間としての気持ちを言うなら、マリナ隊員の言葉の方が正しかった。怪獣や異星人――非日常的なものを畏怖するのは当然のことで、それに冷静になれる人なんて、僕のような頭がおかしい人間だけだ」

 ツバサは続ける。

「マリナ隊員が怪獣を憎むには理由があるのでしょう。それがどんな、とは聞きません。でも、僕はすぐにそれを察することが出来なかった。マリナ隊員がマリナ隊員であるための本質を、僕は知ることもしなかった」

 だから、エンジョウ・ツバサとして、イチカ・マリナ本人に謝りたいんです、とツバサは言った。

 マリナは一回片手を頭の後ろにあててさすった。

「まあ……別に謝られるほどのことじゃないわよ。分かってくれればそれでいいんだし」

 声が少し小さい。どうやら照れているようだ。

「それに……あたしもあんたの意見を何一つ聞いちゃいなかったんだもん。だからあんな目にあったんだし……」

 なるほど、とツバサは理解した。

 マリナは自分が隊長の光信号を無視したことが原因であることを十分に理解しているということだ。

「そういえば、ツバサ。お前、あの時一つ言っていないことがあったぞ」 

 フドウが割って入ってきた。

「言っていないこと?」

「ほら。何もしなければ、自然に事態が収拾するって」

 ああ、そういえば、とツバサは思った。

 確かあの時すぐにマリナの暴挙があった所為で、肝心の理由を言うのを完全に忘れてしまっていた。

 ツバサは、説明した。

「簡単なことですよ。微生物が鉱石を生成できるのは二個までということはもう理解していると思いますが……」

 ああ、とフドウが言う。

「それは『地霊神と地霊魔』にもそれに当てはまることもお伝えしましたよね」

「そうだな」

「最後に説明していなかったのは、地震の振動を吸収して鉱石となり、息絶えた『地霊神』がこの後どうなるかということです」

「ああ、そうだったな。あれが息絶えた後どうなるんだ?」

 ツバサは説明した。

「まず、以前も言ったように、微生物が『地霊神』という怪獣になるのは、一体までです。従って、大小問わず、複数の地震をその時に止めることは出来ません」

 そうだな、とフドウは言う。

「しかし、考えてもみてください。地震を吸収して息絶えた『地霊神』の死体――もとい鉱石はその後どうなると思いますか?」

 どう? とフドウは呟く。

「そのままその場所に残る、とか?」

 エミが間に入って答えた。

「いや、それだと矛盾してしまう」

 どうして、とエミが聞いた。

「微生物が鉱石を生成する限度の仕組みは二個が限度だと言ったはずだよね。エミの予想をそのまま適応すると、地震を吸収した場所に『地霊神』の鉱石があちらこちらに存在していることになる」

 ああ、とヒロキが唸った。それに続いて残りの隊員たちにも理解した。

「そう。鉱石の生成が、二個が限度である以上、それはあり得ないんだ。『地霊神』の鉱石が残っているのなら、それを砕かない限り、次の『地霊神』が生まれない――つまり次の地震を吸収できないことになる。以上から、エミの仮説は間違っていることになる。鉱石の内、一個が『地霊神』ならば、もう一個が『地霊魔』だ。そのまま『地霊神』の鉱石が残っていることはあり得ない」

「じゃあ、その『地霊神』の鉱石は一体誰が砕いているっていうの?」

 エミが聞いた。

「PWウェーブとか?」

 ヒロキが言った。

 なるほど、確かにそれもありえるだろう、とシンイチが言った。

「確かに岩石を一瞬で粉々に出来ますが……違います」

「じゃ、一体誰が?」

 ヒロキが聞くと、ツバサは答えた。

「そこで登場するのが、『地霊魔』何ですよ」

『地霊魔』が? と聞いた。

 ツバサは、はい、と答える。

 それを聞いて、フドウが納得した。

「そうか……そういうことか。『地霊魔』は死んでしまった『地霊神』を食べるための怪獣なんだな」

 フドウが、言うと、ツバサは、大正解、と答えた。

「どうして分かったんですか」

 マリナが聞いた。

 フドウは答える。

「ああ。ツバサが聞いていてな。あの『地霊神』の足の数は何本だ、という質問だった。あの時、俺は三本だ、と答えた」

 ああ、そういえば三本しかなかったですね、とシンイチが思い出したように言った。

「前足が無くなっている……そして、ツバサとマリナが調査した時に見つけたL字型の岩――あれが『地霊神』の無くなった前足だと、お前は言った」

 ツバサは、はい、と答える。

「そう考えると、最初の鳴き声の騒動の時に起こったことは、『地霊魔』が『地霊神』を捕食しようとしていた、ということになる」

 ああ、と周りが納得した。

「そうです。ですが、一回目の時は、地表すれすれで起きた地震――つまり『地霊神』にとって完全なイレギュラーだった所為か、地震を完全に吸収することが出来ず、息絶えることなく間違えて地表に出てしまったのでしょう。そこでどちらもパニックになった。『地霊魔』は間違えて生きている『地霊神』を捕食しようとしてしまい、前足を噛み砕いた。そこで『地霊神』が鳴いたんです。そして『地霊神』と『地霊魔』は慌ててそのまま地中に帰ってしまった」

 そして、二回目は――、とツバサは説明を続ける。

「またも同じく地表近くで起こり、どちらも地上に出てきてしまった。だけど、一回目の経験があるおかげかどちらも慌てることなく対処が出来た。『地霊神』は、完全に鉱石となって息絶え、そして『地霊魔』は――」

「あたしが出しゃばらなければ、『地霊神』を捕食して地中に帰って終わるってことなのね」

 マリナが結論を言うと、ツバサはその通りです、と答えた。

「あれは新しい『地霊神』を生み出すために、死んだ『地霊神』を食べる掃除屋のような役割を持った怪獣だったんです。ですが、マリナ隊員が攻撃した所為で、今まで無かったイレギュラーとして考えてしまった。だから再びパニックになってしまい、暴れだしたということなんです」

 ツバサは、ここまで説明すると、ふう、とため息を吐いた。

「あのL字型の岩の半月に欠けていた部分は、『地霊魔』の噛み跡だったんだな……」

 フドウが言うと、ツバサは頷いた。

「そうです。そして、あの岩から垂れていた液体は、『地霊魔』の涎だと考えればいいでしょうね」

 ツバサは結論付けた。

 あの時、あの老婦人があの鳴き声を泣いているようだったと言った。あれは、あながち間違いではなかったのね、とマリナは呟いた。

 ツバサは頷く。

「結局、あたしが原因なんじゃない。あたしが何もしなければ、ティガも現れることもなく全て穏便に解決できたわけね」

 マリナは言った。

 マリナはしゅん、とする。ツバサは、それを見て思い出したように言った。

「そうですね……でも、過ぎたことを言ってももうどうにもなりません」

 マリナは、顔を上げる。

「え?」

「だから……僕からあなたに罰を与えてもいいですか?」

 罰? とマリナは言った。

「罰って……あんたがあたしに?」

「ええ。元々、この騒動の核心に迫ったのは僕ですし……それに隊長にそれを伝えたのも僕です。隊長の光信号で命令を出したということは、僕があなたに言っていたことと同義です。つまり、マリナ隊員は僕の忠告に従わなかった――それについての罰です」

「なんか無理矢理感が半端ないわね……」

 マリナは、弱弱しく呟く。だが、決して嫌がっている様子ではないようだ。

「分かったわよ。罰なんでしょ? 出来る範囲で受けてやるわよ。同人誌みたいに痛ぶるのはやめてよね」

 何を言っているんですか……、とツバサは言った。どうやら、彼女との間に「罰」といいう意味に大きな違いがあるようだ。

 ツバサは溜息を吐いた。

「まあ、いいですよ。大したことじゃありません」

「何よ」

 ツバサは、その罰を伝えた。

 

「これから僕は、あなたに対してため口で話させていただきます」

 

「……はい?」

 マリナは、思わず聞き返した。

「だから、ため口で話すってこと」

「ため口? つまりあたしとあんたがこれから対等になるってこと?」

 マリナが尋ねる。

 ツバサは頷く。

「ちょっと待って……それはちょっと聞けないかな……」

「何で?」

「何でって……やっぱり先輩後輩の間柄っていうのは大事だし、それにあたしはあんたの教育係みたいなものだし……そこに対等関係を持っていくのはどうかなあと思うんだけど」

「というわけでよろしくな」

 ツバサは、マリナの言葉を無視して話を進めた。

「ちょっと……話聞いてる?」

 ツバサは笑顔で答えた。

「もちろん。これから色々よろしくってことだろ」

「ちゃっかりため口だし……」

 マリナがそう呟くと、周りが笑い出した。

「と……とにかく! あたしは絶対認めないからね! 上下関係はこの先の社会で絶対必要なものなんだから! それを知らない無能後輩には教育が必要なんだから!」

「ああ、そうだ。マリナ隊員。今回の騒動についての報告書を詳しく纏めたいから、手伝ってくれ」

「聞けよ!」

 マリナが怒鳴る。

 笑い声が響く。

 ツバサは、この時確信した。

 マリナとは決して相容れない間じゃない。

 ただ、まだ互いに互いのことを分かっていないだけなのだ。

 きっとこれから、互いを理解しあう日が来る――ツバサはそう信じた。

 そして。

 このチームは強い、とツバサは感じた。このチームならどんな困難をも乗り越えられる強いチームワークで、これからの脅威に立ち向かえるだろう――と。

 




お疲れ様でした。これで終わりです。
これからもよろしくお願いします。

登場怪獣:
・地底溶岩鉱石怪獣 『地霊神』ウリゴザス
・地底溶岩鉱石怪獣 『地霊魔』バアリクス

次回予告:
「ウルトラマンティガであるあなたにどうしても頼みたいことがある」というツバサのPCに届いた一通の匿名のメール。ツバサは、そのメールの主の元へ向かい、ある事件の調査を依頼される。一方、TPC情報局参謀のイルマの元にも一通のメールが届いていた。そして、事件の真相に近づいた時、人類は己が隠し持つ闇の一端を目の当たりにすることになる……。
次回、第四話「知の探究者―The Darkness-」

参考にした話:
・ウルトラマンティガ 第二話「石の神話」

参考文献:
学研版 中学理科辞典(2005年 発行)
そのほか鉱石の化学式、花崗岩の分布図、鉱物環境学関連はインターネットより参考しました。
尚、分布図は2012年度版を参照しています。
また、『地霊神と地霊魔』の伝説はC県のとある伝承を下敷きにしています。その部分ので書かれている巨石は実在します。


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第4話 知の探究者―The Darkness―
其の1


遅くなって本当にすみませんでしたああああああああああああああああああああああ!



学業復帰してから全く時間がなかったんです!まさか全部レポートからなんやらで時間とられるなんて思わなかったんです!
そして、まさか、こんなに長くなるなんて思ってもみなかったんです!まさか前回の二倍の長さになるなんて思ってもみなかったんです!本当にすいませんでした!

毎度の如く、作中の科学的言論は無理矢理ですので、辻褄が合わないと思いますが、笑ってスルーしてください。


   *

 

 数人の男たちがいた。

 見ただけで四人。

 それぞれが、それぞれの職務を持ち、表から見れば真面目に仕事をしている。実績もあり、それぞれの地位も高い。

 だが、彼らには裏がある。

 一年と数か月前に発動したFO計画の中心となる人物たち――それが彼らなのだ。

 定期的に彼らは、それぞれの結果を報告する。

 仮に彼らをA、B、C、Dとしよう。

 周辺からは、昔馴染みの間柄の些細な会話だとしか思わないだろう。そのため、自分たちを疑う者は誰一人としていない。

 今までが順調に事が進んでいた。

 だが――。

 ここに来て一つ、懸念すべき点があった。

 計画の核になる存在の正体――それが一体誰なのか、それを知ることが出来ずにいた。

「さて、今回もこれで報告を終わるとするが……」

 Bが言う。狡猾な声だ。

「皆も分かっていると思うが、計画の序盤だというのに進行に支障をきたしてしまっている。誰か説明できる者はいないのか?」

 Bの言葉に、誰も手を上げる者はいない。他の三人には分からないのだ。だから、どう答えろ、と言われても答えようがない。

「光の巨人が現れてから二か月弱。それこそ光の巨人が現れたのは数回と少ないが、しかし、どうしてだろうか」

 Aが言う。

「何故、巨人に変身している人間が我々には認知出来ないのか」

 と、CがAの言葉に続けて言った。

「少し前に、S‐GUTSがC県の怪獣騒動を解決した際も、短時間ながら、光の巨人が現れたと報告は受けている。その際に正体は掴めていないのか?」

 BがDに聞いた。

「私の部下を十数名、現場の本部に潜り込ませ、光の巨人の正体を探りましたが、一向に正体を掴めなかったようで……」

「何故だ……どうしてこうなった」

 Aが呟く。

「先のマドカ・ダイゴ、アスカ・シンの時は、簡単に正体を見破れたというのに、何故今回に限って誰も正体を見破れないのか」

 Aは肩を落とす。

「ウルトラマンは人であることを証明出来た。そして、今、ここで正体を見破れなければ今後の計画において、どれだけ人類に損害が起こるか分かったものじゃない」

「巨人となった者の正体を探るために、多くの人々の因果律を操作したというのに、成果が上がらないとは、これは無駄骨ですな」

 と、Cが溜息を吐きながら言った。

 多くのものを犠牲にして発動された計画が、こうも簡単に障害に行き当たるとは、AもCもDも予想だにしていなかったのだ。

 だが、Bだけは狼狽えない。

「まだ終わったわけではないだろう?」

 Bは三人に言う。

「これだけ監視の目を光らせているというのに、正体を暴けないというのは、我々の監視の目の外にその者がいるということにはならないのか?」

「外……つまり、一般市民に紛れ込んでいるということか?」

 と、Aが尋ねる。

「可能性としてはあり得るかもしれませんな。光の巨人が現れてから幾度もコスモネットを通じての光の巨人の目撃情報を探らせてみたものの、どれも噂話程度で信憑性は皆無だ」

「おまけに、アカシックレコードを、検索を入れても該当する人物は思い当たらない」

 と、DとCがそれぞれ言った。

「アカシックレコードに記載されていない記録……となると、やはり、ブラックボックスに入れたと考えるべきか……」

 と、Bが言った。

「だが、現在存在しているブラックボックスは、マドカ・ダイゴが光の巨人であったという情報だけだ。そのほかは我々が管理している計画の内容を記した書類があるだけで、それ以外は私の権限で閲覧しても何も無かったぞ」

 と、Aが言った。

「マドカ・ダイゴの家系はどうだ? 光であり人であった彼の家族も、その系譜に連なるのではないのか?」

 と、Cが聞いた。

 確かに可能性が無いわけではない――そう、数か月前までは。

「駄目ですな。マドカ・ダイゴはもう光にはなれないことはもう調査済みです。彼の妻はただの人間であることは分かっている」

 Dは、部下に調査させて纏めさせた書類に目を通しながら言った。

「確か、彼には娘と息子がいましたが……これもあり得ないでしょう」

 Dの言葉に三人が、だろうな、と納得する。

「マドカ・ヒカリは……確か訓練学校の生徒だったか。彼女は光の意志は確かにあるものの、それは普通の人間より少し大きいくらいだ。光の巨人になれる素質ではない」

 Aの言葉にDが続く。

「それに、戦闘方法が違います。訓練学校での実戦訓練の映像とティガの戦闘の動きを比較しましたが、明らかに違いました。ティガの動きは、どこかたどたどしいが、動きは女性ではなく、男性の動きでした」

「ふむ……なら、消去法で絞るなら、必然的にマドカ・ツバサが残るわけだが……」

 Aが言うと、Bが首を横に振る。

「マドカ・ツバサは二か月前にメルバの襲撃で命を落としている」

「アカシックレコードに記載された通りか……」

「それに宇宙空間に漂っていた、シャトルの乗員のDNAを全て採取させたが、その中に間違いなくマドカ・ツバサのDNAが発見されている」

「打つ手なしか……」

 Aが首を傾げる。

「やはり、マサキ・ケイゴと同じように、光の遺伝子を持った第三者の可能性が高いようですな」

 と、Dが予想すると、

「そうかもしれないな……」

 と、Bが答えた。

「C県の怪獣騒動にいち早く現れたことを考えると、もしかしたらあの周辺に住む人間かもしれません」

 Dの予想にAが反論した。

「光の巨人に変身すれば、どこからでも一瞬で辿りつけるだろう。あまりに根拠のない話だ」

 だが、Dも負けじと自分の仮説を伝えた。

「しかしですね、『地霊神と地霊魔』は、表面が岩石とはいえ、内部は溶岩です。ティガの握力をもってすれば表面は軽く壊れ、中の溶岩が漏れます」

 しかし、とDは続けて言う。

「ティガは、それらも把握していた。力をコントロールして、表面を傷つけずにいた。尚且つ、ティガは、怪獣の正体からその対処法まで詳しく把握していました」

 ふむ、とAとCが興味深く聞く。

「そう考えると、確かにあの周辺に住んでいる人以外でもあり得ることですが、もしかしたら、巨人に変身している者は学者かもしくはそれ寄りの男ではないか、と予想できます」

「なるほど。昨今の戦いにおいて、ティガは学者が研究しているほどの知識を用いて怪獣の正体や仕組みを分析したことを考えれば、そういう予想がつくということだな」

 Aがそう言うと、Dは頷いた。

 なるほど、中々いい読みだ。若いながらに中々優秀な考察力と判断力を持っているようだ、とAは内心感心する。

「中々いい予想だな。やはりお前は優秀だな」

 Cがそう言うと、Dが頭を下げる。

「怪獣騒動を引き起こすよう因果律を変えてくれと言われた時は、何をトチ狂ったのか、と思ったが、これほどまでの情報を集めてくるためだとは。『地霊神と地霊魔』を地上に呼び起こした甲斐があった」

「有難うございます」

 CとDが笑う。

「お前の主には、気づかれていないだろうな」

 BがCに聞く。

「大丈夫だ。こちらとあちらの仕事は全て問題ない。あなたのおかげで気づかれることなく事が進めている」

 と、Cは得意げに言った。

 ……中々おめでたい奴だ。見ていてイライラする、とBは思った。

「では、進めても大丈夫でしょうか?」

 と、Dが聞く。

「……いいだろう。お前がそう思うのなら、思うがままに調べてみろ。たとえ失敗したとしても、計画には差し支えはない」

 Bの言葉にDは安心したように、はい、と答える。

「何なら、私の部下を使っても構わない。時と場合によっては、S‐GUTSなどの特殊チームを利用しても構わない」

「はい、必ず成果を上げて見せます」

 Dの宣誓と共に、今回の定期報告会は終了した。

 

 一人、自らのデスクに戻ってきたBは、椅子に座って呟いた。

「Dはしばらく自由にさせておくとして……しかし、いい意味で予想を裏切ってくれた」

 Bは言う。

「まさか半分正解してくるとは思わなかったな……」

 BはPCのHDに保存されているブラックボックスからFO計画の書類を表示させた。

 数か月前と何も記載は変わっていない。これから新たに様々な記述が増えていくわけだが、それらはどうでもいい情報だ。

 Bは、それを見ながらにやりと口元を歪ませた。

「ユザレめ……やはりこちらの動きを察知しているか……」

 あの女の仕業なら、今までのことも納得がいく。

 自分たちが光の巨人の正体を知ることが出来ないのも、様々な方法を使っても情報を探り当てられないのも。

 ――全てユザレが仕組んだことだと考えれば全て納得がいく。

 巨人の正体は、今後の人類の未来において最も重要な情報であり、鍵だ。それを恐らく、ユザレが予言している「その時」まで隠し通したいという魂胆なのだろう。

「まあ、別にそれでも構わないがな……」

 正体を知ることが出来ないということは、計画の中に織り込み済みだ。正体を知ることが出来なくても、因果律は変わらない。Dが因果律を操作しても、これから来る宿命は決して変わることはない。

 どんな選択肢があっても、最後に行きつくのは一つの同じ答えだ。

 それに――。

「敵はもう、前回、前々回の時よりも凶悪で狡猾だ。そして、それに比例するように、人類もまた内に秘める闇の部分を解放し、お前を闇へ蝕んでいく」

 そして、とBは続ける。

「光の巨人は自ら、私の巣に飛び込んでくる……それまで迫りくる脅威と、人間の無意識の闇に耐えられるかどうか……私に見せてみろ、ウルトラマンティガ」

 Bは高らかに笑った。

 

   1.

 

 マドカ・ツバサとイチカ・マリナの乗ったガッツイーグルα号がメトロポリス上空にたどり着いたのは、昼頃を少し過ぎてからの事だった。

 α号は、メトロポリスの上空を旋回しながら飛行している。

 高度は雲より下――高度千メートルといったところか。

 下からメトロポリスを行き交う人々がよく見えた。やはり昼頃――昼食時だからだろうか、人の歩みが少しばかり速い。お目当ての昼食にありつけるか、周りの他人と無意識に対決している所為だろう。

 ツバサはそんなことを思いながら、予定のポイントに向かって進む。

 メトロポリスの丁度中心に位置する場所で、α号は静止した。

 ツバサは通信機を取る。

「こちらα号。本部応答願います」

『こちら本部』

 シンイチの声だ。本部にはフドウとシンイチ――隊長副隊長が司令室に待機していた。

 通信は良好だ。やはり、妨害がないと通常の通信でもよく繋がる――まあ、当然だろうが。

「これより、α号と司令室の間による新しい通信システム――システムν(ニュー)のテストを開始します」

『了解した』

「通信終了後に、α号を中心とした半径二十メートルに妨害電波を放出します。周辺に航空機の航行はなし。いつでも行けます」

『分かった。こちらもシステムν(ニュー)に切り替える。さて、お前の開発の成果がここで知られることになるわけだが……準備はどうだ?』

 フドウが聞いてきた。

「準備は完了していますよ。ただ、まあ緊張はしてますけど」

『だろうな』

 フドウは笑った。

 ツバサは実験前に自室内でテストを行い、成功しているが、だがやはり不安はあった。

 事前の成功など、本番では何の意味もない。事前に成功していた、という結果があるだけで、それが信頼を勝ち得るということには繋がらない。

 だから、事前の成功ほど不安なものはないのだ。出来ることなら、事前のが失敗していれば、本番も先延ばし出来るのに、というのがツバサの気持ちだった。

 だが、これは重要なテストだ。

 今まで頑張ってきた成果がここで試されるのだから、自分の為にも是非とも成功させたい。

 無駄に深呼吸をして、自分を落ち着かせる。

 そして、通信を切って、予め仕込んでおいた、電波妨害の波長を流した。

 試しに通信を使ってみる――だが、ノイズが流れるだけで向こうの声は一切聞こえなかった。

 そして、新システムの通信機を使う。簡単な改造を戦闘機及び、W.I.T.に施されており、スイッチ一つで簡単に切り替えられるようになっている。

 ツバサはスイッチを新システムの方に切り替えた。

「本部、本部。応答願います」

 ツバサは意を決して呼びかける。あまり必要のない鬼気迫る表情がツバサから現れる。地球の危機というわけでもないが、こういう時、無駄に力が入ってしまう。

『……』

 返事がない。もしかしたら、失敗したのか? とツバサは焦り始めた。

 いや、待て。通信が失敗したとしたら、ノイズが入っていたり、『CONNECTION ERROR!』 と表示されたりするはずだ。なのに、それらが無いということは、まさか新手の誤作動なのだろうか!?

 だが、それもすぐに間違いだと気づいた。

 突然、通信の向こうから笑い声が響いてきたのだ。

『はっはっは! こちら本部だ! ツバサ、通信は大成功だぞ!』

 フドウが笑いながら答えると、ツバサは胸を撫で下ろした。

『多分、気づいていると思うが、この声は、お前が質問した後すぐに送っている』

 シンイチが間に入って言った。わざとらしい棒読みだ。

「嘘はやめてくださいよ。声が遅れてくる仕様なんて大迷惑すぎますって……」

 ツバサが、呆れたように言うと、フドウは笑いながら謝った。

『いやあ、すまんすまん。少しはこういうどっきりも必要だと思ってな』

「いりませんって……」

 はあ、とツバサは座席にもたれかかる。フドウはユーモアある人だが、こういう瞬間的に冗談をやられると、どうにも調子が狂ってしまう。まあ、緊張は解けたからいいのだが。

 ツバサは、後部に座っているマリナに顔を向けた。

「マリナ隊員。こっちは完了したから、そっちのW.I.T.で通信出来るか試してくれ」

 後部座席に座っているマリナは、少しばかり不機嫌だった。

「了解したわ。っていうか、あんたのW.I.T.はやらなくていいわけ?」

「僕のは、前回の騒動で既にテスト済みだから」

 あっそ、とマリナは、ぶっきらぼうに自分のW.I.T.から本部に通信を入れた。

「……はい、通信良好です。……ってそんな冗はいりませんから! ……もう……はい、了解。これより帰投します」

 またマリナにくだらない冗談を言ったに違いない。ツバサは気づかれないように微笑した。

「全く……揃いもそろって冗談を言うんだから……本当に隊長副隊長なのかしら」

 マリナは、どっと疲れた表情になって言った。

「まあ、仕方ないんじゃない。ああ見えて優秀じゃないか」

「でもねえ……」

「それにヒビキ総監やアスカ・シンの系譜だと考えれば……」

「ああ、なるほど。それなら納得したわ。……っていうか……」

 マリナは、普通に会話するツバサに向かって一言。

「あんた、本気でため口であたしと会話するのやめない?」

 マリナの言葉に、なんで? とツバサは聞いた。

「いや、もう再三再四言うけどさ……先輩後輩としてのモラルがあるから……」

 また、その話か。もう耳に胼胝が出来るくらい聞いた。

 ここ数日で、マリナはツバサがため口で会話してくる度にそれを言う。ツバサも繰り返し、罰ですよ、と言うが、それとこれとは話が違う! と強引に押し通そうとするのだ。

 だから、ここは第三者の許可も得てマリナを黙らせようと考えたのだ。

 それが、

「隊長の命令を無視したことに関しては、何のお咎めもないだなんて……上司部下のモラルがなってないんじゃないですか?」

 で、あった。

 フドウの目の前でそう言った所、フドウは、笑って、そうだな! それに関して罰を与えないとな、と言った。

 そして、その罰が、ツバサがため口で話すということになったのだ。

 マリナは、ぐぬぬ……と口を噤んだ。これで完璧にマリナを黙らせることが出来るなんて、得した気分だ。恐らく、しばらくしたらまた別の事で押し通そうとするだろうから、その時も上司を交えて色々いじることが出来そうだ、とツバサは内心ほくそ笑んでいた。

「ま……まあ、隊長の命令でもあるし、あんたの不躾な態度には目をつぶるわ。だけど、調子に乗らないでよね。誰が何を言おうと、あたしが先輩なんだから」

 ツバサは、分かってる、と適当に返事をした。

 それじゃ、帰投しよう、とツバサが再び操縦桿を握った時だった。

 α号が、何かをサーチしていた。

 ツバサはすぐにそれに気づく。そして、正面の窓にそのサーチしたものを表示させた。

 コックピットの窓は、α号を管理するシステムと繋がっている。そのため、レーダーや航空システムなど、操作できるものを全て窓に表示させ、指でタップして操作することが出来る最新鋭のものだ。

 表示されたのは、メトロポリスの交差点の一角だった。

 交差点は、昼頃ということもあって多くの人々でごった返していた。東へ、西へ、北へ、南へ、とそれぞれが違う方向に進んでいるだけに誰も接触せず、流れるように歩み続けていた。

 だが、その中に一人だけ――。

 こちらを――α号を直視する男の姿があった。

 行き交う人々の中にただ一人だけ直立不動で空を見上げている男。流れるように進む人々を横目にただ一人立っているのはあまりにも不自然だった。

 行き交う人々も何故、彼に気づかないのだろうか。明らかに行く手を阻んでいる。通行の邪魔であるのは一目瞭然だった。

 男の年齢は三十代くらいか。特に容姿に特徴はないが、ただ一人交差点の中央に立っている姿は遠巻きからでも異質に見える。

 何かおかしい、とツバサは感じた。表示された映像から男だけをピンポイントに拡大した。

 男は、スーツを着ているビジネスマンに逆らうように、今まで見たことのない服を着ていた。

 いや、ローブと言った方がいいか。中にどのような服を着ているかは分からない。フードがついていて、全身が黒に近い茶色のローブを着ている。

 明らかに場違いである。数世紀前の西洋なら分かるが、この二十一世紀にあの姿は時代にそぐわない。

 そんな男が、悪意に満ちた笑顔で交差点の一角で空を見上げている。。その不気味さゆえにツバサは眼を逸らしたくなる衝動を抑えられない。

 ツバサは、マリナにちょっと確認して欲しい、と言ってマリナに映像を送った。

 マリナもその映像を後部座席にあるモニターで確認する。

「何、こいつ? 凄い気持ち悪い……」

 生理的に受け付けられないわ……とマリナは口を手で覆う。

 気持ち悪さは確かにある。だがそれ以上に、ツバサはあの男から得体のしれない何かを感じ取っていた。

 ツバサは男の視線を見つめた。

 空を見つめている……? いや、違う……。

 ツバサは男の瞳孔を観察した。

 瞳は小さく、空を一点に見つめている。特に動いている様子もない。動揺もしていないようだ。ただ一点を集中してみていることがよく分かる。

 だが、ツバサはずっと観察している内にあることが分かってきた。

 拡大した映像を見ながら、ツバサは冷や汗をかいた。

 寒気とは違う何かの感触。汗が額から首に流れる。汗の感触がこれ以上ないほど肌に伝わっているのが分かった。

 あの男……もしかして……、とツバサは呟いた。

 

 空ではなく、このα号を――いや、僕を見つめているのでは……!?

 

 ふと、そんな予感が頭をよぎったのだ。

 ツバサは思わず、映像から目を逸らした。

 いや、まさかそんな……とツバサはその予想を無理矢理振り払う。

 もし、そんなことがあるのだとしたら、それは……その答えは一つしかないではないか。

 ああ、そうだ。あり得ないよ。全てユザレの言う通りにしているんだ。何一つ間違ったことはしていない。うまくやれているはずだ。

 そうだ、きっとそうだ、とツバサは自分に言い聞かせた。

 そして、もう一度ツバサは映像を見ようとした時――。

 ふと、右手の人差し指が、映像の録画ボタンに無意識に触れてしまっていた。

 喋っている――。

 ツバサは、すぐに分かった。

 男が、口を開いて、何かを言っている。

 映像からは音声までは拾えない。音声を拾えるのには、有効範囲があるからだ。

 何を言っているかは、口や舌の動きで判断するしかない。

 ツバサは、何を言っているのか調べようとした。だが、あまりに唐突だった所為か、一瞬一瞬の動きから何を言っているのか予測することが出来ず、殆どを見逃した。

 だが、ある一言だけ――ツバサが理解した開口があった。

「……えっ?」

 ツバサは思わず呟いた。

「何? どうしたの?」

 マリナが聞いてきた。

 そんなまさか……何かの見間違いか……いや、しかし……。

 ツバサの脳裏には、あの男が発したワンフレーズしかなかった。

 それ以外は何を言ったのか分からないが、しかし、そのワンフレーズはツバサの心に大打撃を与えるには充分すぎるほどだった。

「ちょっと……! 聞いてるの?」

 マリナが大声でツバサを呼んだ。

 ツバサはその声でようやく我に返った。

「あ……ああ、ごめん」

「どうしたの? あんた、すごい汗よ」

 えっ? とツバサは呟いて右手で首や額を触った。掌が湿る。ツバサは、掌を見つめた。

 思っていた以上に汗を掻いていたようだ。

 あの男の聞こえていない言葉で、ここまで動揺をきたしてしまった……? まさか、ここまで?

 ツバサは、深呼吸をしてマリナに言う。

「実験が成功したから、あまりに嬉しくてさ……ちょっと我を忘れてたよ……結構日数を要したから、その所為だと思う」

「でも、あんた、あの男を見た途端にそんな顔になってたわよ?」

 誤魔化しにはなっていないようだ。マリナは、ツバサがあの男に対して臆しているのを予測している。

「大したことじゃないよ。ただ、あの人はちょっと……失礼だけど、苦手だなって一目見てそう思ったんだ」

 そう言うと、マリナは納得した。

「まあ、あんたの言うことはあたしも同意かな。あたしも何だか、あの男は嫌いね。何というか、自分に酔っているみたいな感じで気持ち悪いし」

 はあ、とツバサは息を大きく吐いた。

「とにかく、帰ろう。この結果を報告書に纏めないと」

 ツバサがそう言うと、マリナは適当に了解、と言った。

 α号は反転してアンダーグラウンドへ向けて、全速前進した。

 操縦している間、ツバサはまたあの男について考えていた。

 まさか……いや、本当にそうなのか?

 ツバサは、小さく、マリナに気づかれないように呟いた。

「僕は、彼を恐れているのか……」

 戦うことに恐怖感を覚えたことのないツバサの、初めての恐怖だった。

 

「ただいま、戻りました」

 扉が開かれると同時に、ツバサはそう言った。

 ツバサが入ってくると、その後にマリナが続いた。

「おう、お帰り」

 フドウが言った。

 ツバサとマリナは、フドウの返事に会釈し、そのまま真っ直ぐと中央のデスクの椅子に腰かけた。大した実験じゃなかったものの、精神的に大きな重圧の所為で、余計に体がだるかった。

 もちろん、ツバサに関してはそれだけが原因ではなかったが。

「結構疲れているな」

 シンイチが、二人にお茶を差し出した。

「ああ、有難うございます。いや……自分の研究が実用化されるための実験なんて生まれて初めてで……」

 ツバサが気力を振り絞ったかのように言った。シンイチは、まあ、無理もないな、と同情する。

「ふつうそういうのは、大人になってからだもんな。若いうちにそれだけのプレッシャーを受けていたらそりゃそうなる」

 シンイチがそう言うとその後に、マリナが、先走りすぎとも言うかな、とにやけながら皮肉を言った。

 後者がなければシンイチの言葉でどれだけ気が楽になったか、と内心思った。だが、マリナの言葉はもうどうでもよくなっていた。慣れてしまったのだろう。

「しかし、大変なのは実験以上に、周りの説得だったな。かなり手間暇を取ってしまったから、そっちに気疲れしてるんじゃないか」

 ヒロキがデスクに座って言った。

 ツバサは、そうですね、と言ってそのことを思い出す。

 実験は、簡単に出来るものではなかった。特に外部で、大掛かりな実験ほど周辺の理解と実験の手続きを要するからだ。

 空での実験には、各航空会社や領空権を持つ政府との交渉が必要だった。

 最初は、協力してくれるだろう、と持っていたツバサだったが、いとも簡単に断られた。すぐに気を取り直してもう一度コンタクトを取ると、今度は罵声を浴びせられた。

「あんたらの言い分は分かるが、こっちにもこっちの事情があるんだよ! TPCだからと言って、何でも協力すると思うなよ!」

 正確に言えばもっとひどい罵声だが、ツバサの脳内で台詞を変換させなければ聞けないほどのものだった

 交渉事はツバサの十八番でも何でもない。もちろん下手な人は火に油を注ぐような言動を無意識に言ってしまうだろう。

 だが、ツバサは言葉を考えていた。相手の琴線に触れるようなことは何一つ言っていなかった。

 何かがおかしい……ツバサは全ての実験を終えてそう思った。

 政府への手続きは、簡単に取れた。だが、いざ航空会社へ問い合わせを行おうとしたときに、異変は感じていた。

 最初に話した時は温和で口調もしっかりしている男の声が耳に届いた。

 そして、自分の素性を明かし、実験のために領空を貸してもらえるか尋ねた時に男の態度が一変したのだ。

 突然の罵声。

 ツバサは、一方的に電話を切られるまで、一体何が起こっているのか把握できなかった。

 ただ、目を丸くして電話を見つめていた。

 それから、他の航空会社も似たようなものだった。

 罵声は無いものの、強い口調で言う者、TPCに関しての文句でお願いすらさせない者、冷静とした声だが心を突き刺すような言葉を吐く者――全ての会社から断りの言葉が出た時には、ツバサは自分でも気づかない間に涙を流していた。

 今まで体験したことのないことだった。

 罵声がこんなにも胸を締め付けるものだとは思わなかった。怪獣と戦って負けそうになるより、人の言葉で簡単に負けそうになるなんて思いもしなかった。

 マリナの皮肉とはまた一味違う――彼女の言葉はムッとするが、本意で言っているわけじゃない。マリナの言葉は、人を怒らすこともなく、呆れさせることもなく、絶妙に笑わせる方向へ持っていけるものだ。

 だが、これは違う。

 明らかな本意だ。相手がどう思おうと知ったことではない――全てはこちらの都合が重要だ、と言葉だけじゃなく雰囲気からも読み取れるほどだった。

 心が痛んだ。今まで罵声を浴びたことなんて一度もなかった。周りがいい人たちだったからだろう。いつか罵声を浴びることは予期していた。そして、浴びた。そして心が痛いということを体験できた。

 何か思っていたのと違う。

 ツバサは、胸をさする。

 ただ単に罵声を言われて心が痛んだだけではない。何か別の……言葉ではうまく説明出来ないような、変な感覚が胸を襲っている。それが一体何なのかは分からない。

 何かがおかしい、とツバサは思った。

 そう……人の雰囲気が……何か変わったような……丁度、『地霊神と地霊魔』の騒動が終わった直後に……。

 ツバサは、その何かを懸命に考えていた。それを見ていたマリナは、呆れた顔でツバサの背を叩く。

「痛っ!」

 ツバサは我に返って後ろを向く。

「ほら、シャキッとしなさい。また何か考え事していたんでしょ」

 マリナが怪訝な顔をしていた。

 マリナがあんな顔をするなんて思いもしなかった。また皮肉を言うのだと

 ばかり思っていた。

「そうだな。まあ、今回は疲れても仕様がないからな。また何かあったら俺やイルマ参謀や総監を頼っていいんだから」

 フドウが言った。ツバサは、はあ、と言って頷いた。

 そう――結局、航空会社への交渉はフドウにお願いして、イルマとヒビキの二人が直々にお願いすることで何とか了承を得ることが出来たのだ。無論、その際もねちねちと何かを言われたようだが、二人は、何も気にしなくていい、と一点張りだった。

 今回で終わればいいと思うが、そうもいかない。

 まだ実験は終わっていないのだ。

 ツバサは、この先の事を予想し、溜息を吐いた。頭を切り替えよう。

 辺りを見回す。一つだけ違和感があった。

 実験に出かける前にはいたはずの――オペレーターデスクにいつもいるはずの隊員の姿がそこにはなかったからだ。

「あれ? エミ……隊員は?」

 ツバサは全員に聞いた。

「そういえば、いないわね。朝方はいたのに」

 マリナが言った。

 フドウは、ああ、と思い出したかのように言った。

「エミなら、今日から一週間ほど休みだぞ」

 フドウの言葉に、ツバサとマリナは少し驚いた。

「休み? 有給使ったんですか?」

 ツバサが聞く。

「いや、特別に休みを与えたんだ。特に有給を使ったということにはならない」

「またですか? 三か月前にもエミって休んでましたよね? 何度も休みってもらえないはずなのに」

 マリナが思い出したように言った。

「体調を崩したとかですか?」

 と、ツバサは聞いた。

「いや、朝方にエミの親族から電話が来てな。大叔父が亡くなったという報せが届いたそうなんだ。それで葬式の準備があるから、エミに手伝ってほしいんだと」

 なるほど、とツバサは思った。

「エミの親族か……。あたしはあまり聞いたことないわね」

 マリナが言う。

「まあ、互いに家族のことなんか聞かないもんなあ。このメンバーの五割は、親族が有名人扱いされてるから聞かなくても分かるし」

 ヒロキが辺りを見回しながら言った。

 確かに、とマリナは言う。ツバサも納得した。

 しかし、親族が亡くなったか……とツバサは少し不思議に思う。

 葬式に出るだけでも大変なのにその準備も手伝う、となると相当なものだ。

 生憎、エミの家族がどれだけ大所帯なのかは分からない。大叔父の葬式というだけあって、相当のものなのは間違いないが。

 ツバサは、エミが座っていたオペレーターデスクを見つめながらそう思った。

 ヒロキは、ツバサを見てにやりと笑う。

「おお、どうした。エミがいなくて寂しいのか?」

 ヒロキがツバサの背中を叩いた。

「何ですか……急に」

「何でエミのいた場所を見つめて寂しそうにしているんだよ。おっと……もしかして、お前、エミの事……」

 ツバサは、はあ!? と声を荒げた。

「違いますよ! 何を言っているんですか」

「おお、慌ててる。もしかしてマジか!」

「違いますよ……ただ……」

 ツバサはただ……、と呟く。

「誰かいない司令室っていうのが、僕には初めてのことだから……。何かが欠けてるっていう雰囲気に陥っちゃてるんですよね……」

 ふむ、とフドウが言った。

「お前も中々ここに溶け込んでいる、という証拠だな」

 結構結構、とフドウは笑った。

「まあこの先、休暇とかで誰かがいないということはあり得るかもしれないからな。まあ、そういうのも含めて慣れていくしかないな」

 シンイチが言った。

 ツバサは、はい、と頷いた。

 

 そして、ツバサは、実験の結果と今後の改善点を報告書として纏める作業をマリナと共に、夜になるまで徹した。

 その間、ツバサはマリナから感じる妙な視線に小さな恐怖を抱いていた。何故、こちらを睨むのだろうか、という答えをツバサは、知る由もなかった。

 

   2.

 

 その夜。

 ツバサは、報告書を纏め情報局へ送信した後で、マリナの視線から逃げるように自室へ逃げ込んだ。

 マリナも後を追う様についていったが、ツバサが自室へ入り、鍵をかけてしまったことに気が付くと、ちっ、と舌打ちをして戻っていった。

 当然、ツバサは中から気づいていた。何で舌打ちなんかしたんだ? と思ったが、考えたら負けだと思い、すぐに頭を切り替えた。

 ツバサの机は、相変わらず工具や部品で溢れかえっていた。システムν(ニュー)の開発をしている時のまま、片付けずに放置していたからだ。

 それを見る度に、はあ、とため息を吐きたくなる。まるで、さっさと新人賞用の小説を終わらせればいいのに、二次創作を優先して執筆している、どこぞの某作者と同じくらい汚い。

 ツバサは、また後にしよう……と、消極的だった。そして、何も見ていないかのように、椅子に座り、PCを起動した。

 さて……とツバサは顔を引き締める。

 ツバサは、懐からメモリースティックを取り出した。

 それは、α号でツバサが撮影した、あの不気味な男を撮影したものだった。

 マリナの目を盗んで、映像をメモリーに移したのだ。

 ツバサは、PCにメモリーを差し込んでデータを表示させた。

 どうしても、確かめなければならないことがあったのだ。

 あの時――あの男が呟いていた言葉――音は拾えないものの、あのワンフレーズだけは、読み取ることが容易に出来た。

 ただ、何かの見間違いかと、思う自分もいた。咄嗟の出来事だったから、もしかしたら間違いなのかもしれない、と内心そう信じたい自分がいたのだ。

 ツバサは、データをダブルクリックして映像を映し出した。

「……えっ?」

 ツバサは、映像を見るなり戦慄する。

「何で……どういうことなんだ?」

 あり得ない――という現象を前に、ツバサは自身の思考を完全に止めてしまった。

 

 映像に、あの男の姿はなかったのだ。

 

 交差点の中央に立っていた男の姿は、どこにもなく、ただ人々が行き交っている映像がそこには長々と流れているだけだった。

 男が立っていた場所が、どこにあったのか、それすら把握出来ない。どこにも立てる場所が見当たらない。

 まるで、昼間のあの光景は、自分の見間違いだったかのように……。

 ツバサは、椅子にもたれかかる。全部見間違い……? 自分が先走った所為で、ありもしない幻を見てしまったのではないだろうか。

 

「……いや、そんなことはない」

 

 ツバサは、雑念を振り払った。

 見間違いではない。あれは――あの男は、確かにあそこにいた。あそこにいて、α号を――僕を見つめていた。

 間違いないはずだ。だって、マリナ隊員も、あの時、あの男を確認出来ていた。あの男に向かって気持ち悪い、と言ったのだから。

 二人揃って、同じ――そこにいるはずのない男を見ていたなんて、あり得ないことだ。

 ツバサは、念のためソフトを使って映像を解析した。

 映像が編集された形跡は一つもない。それはそのはずだ。映像を撮った後で、すぐにメモリーに入れて、ここに戻るまで一度だって開いてもいなかったのだ。

 では、一体何故録画したものに男の姿が無かったのか。

 考えられることとしたら、一つ。

 肉眼でしか見ることが出来なかったということ。

 だが、そう考えると、行き交う人々があの男を特に気にしていないというのも気になる。

 あの時、誰一人としてあの男の奇異な姿に疑問を抱かなかったのはあまりに不自然だ。

 気にする余裕が無かったといえば、納得は出来るが、全員がそう思うだろうか。少なくとも誰かはあの男を気にするだろう。

 そう考えた時、ツバサはさらに想像を飛躍させた。そして、汗を掻く。

 そもそも、人々には、あの男が見えなかったとしたらどうなるだろうか。

 行き交う人には見えず。ツバサやマリナだけが見える状況であったとしたら……、とツバサは想像する。

 そう考えると、あれは幻だった可能性が高い――それも、ツバサとマリナにしか――α号に乗っている隊員にしか見えなかった幻という可能性が。

 そう。

 あの男は、初めからα号にいる人間に自分が発見されるように仕向けたのかもしれないのだ。

 もし、そう考えるなら、ツバサは、余計にあのワンフレーズが脳裏で再生され、恐怖してしまう。

 あのワンフレーズの所為で、ツバサの持っていた強さや想いを全て瓦解させられた。あの男に対して強い恐怖の念に駆られてしまっているのだ。

 あれが自分にだけしか見えていなかったとしたら……、と考えると、ツバサの脳裏には、あってはならない最悪の事態が起こっていることを意味しているのだ。

 

 あの男の言っていた言葉――それは、口の動きである程度察知することが出来る。

 人間の言葉は、母音と子音の組み合わせだ。

 口の動きを理解していれば、その国の人の言語を理解していれば、その人の口の動きで何を言っているのか、把握することが出来る。

 声が届かない――遠巻きの状態でも、いわゆる口パクである程度の意志疎通が可能になる。

 ツバサが、捉えていたフレーズは、ある単語だった。

 口の動きは、思い出せば簡単なものだった。

 第一の動きは、舌を前歯の先にくっつけ、そして弾くように舌をひっこめた。第二の動きは、口を中くらいに広げていた。

 これらの動きから、ツバサが読み取ったのは、その言葉は外来語であるということだった。

 前者の動きと後者の動きから読み取れる文字数は、アルファベットなら四文字、カタカナなら三文字の単語だ。

 まず、最初の動きを考えると、あの動きはアルファベットのTを意味している。カタカナなら「テ」だ。

 そしてTの母音はIだ。

 だが、カタカナでは「テ」の母音は「え」になる。口の動きからだと「テ」単体だと、舌が前歯の先に触れた後、引っ込めるのではなく、舌に降ろす動作になる。

 そう考えると、カタカナではあの動きは「ティ」という動きだと考えれば、英語のTと一緒になる。

 そして次の動きは、母音がAで始まることを意味している。Aの母音の言葉は、口の動きがほぼ類似しているから、どの文字を言ったのかは判別しづらい。

 だが、最初の動きのおかげで、最後の文字が何なのかは簡単に予想がつく。

 TとIから始まり、母音Aの言葉で終わる単語……。

 あの口の動きから、予測できる言葉は……。

 

 T……I……

 

 T……I……G……A……

 

 TIGA。

 

 ――ティガ。

 

 そう。

 あの男が口にしていた言葉は、まさしくウルトラマン「ティガ」だったのだ。

 それを読み取った時、ツバサの脳裏で浮かんだ考えは――。

 

 自分がウルトラマンティガであることを見破られた!?

 

 という不安だったのだ。

 あり得ない、とツバサは、最初は雑念を払っていた。

 ユザレが言っていたではないか。来たる時が来るまで、誰にも、信用できる相手にも自分の正体を晒してはいけない、と。

 それはつまり、逆に考えれば、ユザレが、ツバサがティガであることを、イルマを除いた周囲に知られないようにしてくれている、ということでもあるのだ。

 だが、あの男が、α号を――自分自身に対して、「ティガ」というフレーズを使ったことを考えると、完全に正体を見破られたと考えるのが妥当なのだ。

 そう考えると、一体いつ、正体が見破られたかを考察する必要がある。

 ツバサがティガに変身した回数はまだ手で数えられるほどだ。

 その中で、ツバサが変身した中で、ツバサが他人に見られるかもしれない状況だったのは、思いつくのが一つ。

『方舟』事件の時……だろう。

 最初にティガになった時は、ユザレと彼岸で対面した時だ。あの時に誰かが覗き見る可能性は皆無だ。

 そして『地霊神と地霊魔』騒動の時は、周囲を気にしてガッツウィングから変身した。見られていないという自信はある。

 だが、『方舟』事件に関しては、あまりに唐突だった所為か、ビルの物陰に隠れて変身しているから、恐らく見られたとしたらこの時かもしれない。

 そう考えると、あの男は、その時それを見ていたことになる。

 だとすると、これから自分自身に何が起こるか分かったものじゃない。

 あらゆる可能性がツバサの頭の中に過る。下手をすれば、命の覚悟だってしなければならない。

 まさか、こんなに早く……危機が訪れるなんて思いもしなかった。

 ツバサは、欠伸をする。

 突然の眠気。

 緊迫した空気の中で突如襲う眠気。ツバサは懸命に戦った。何故、どうして眠気が急激に襲ってくるのか理解出来なかった。

 実験の疲れがここにきてぶり返した……? あまりに不自然だ。

 

 何か……薬を……盛られた? いや、ここまで口にしたものなんて一つも……ない……。

 ああ……体……が……動か……ない……。

 

 ツバサは、机の上で目を閉じた。

 

   *

 

 いつからだろうか――。

 世界が狂ってしまったのは――。

 

 全てが平和だった。

 争いもない。傷つけることもない。絶望に打ちひしがれることもない。

 全てが上手くいっていたはずだった――。

 なのに――。

 どうしてこうも世界は、悪手を選ぶのだろうか。

 これは人類が受けなければならない試練なのか。それとも、神の罰なのか。

 だが、起こってしまったものに、原因を追究しても、何が始まりなのか分かる筈もない。

 

 戦士としての才能を認められた。

 文明を脅かす敵を打ち倒すための力、そしてその才能を。

 自分にも、光があった。

 その光で、敵を薙ぎ払う。

 そして、大切なものを――彼女を守る。

 そのために戦う術を学ばなければならない。

 才能があっても、力と技術が無ければ、何も意味をなさないのだから。

 周りも沢山いた。多くの仲間がいた。

 敵は強大だ。だからこそ、多くの光が必要だと。

 戦うために。

 守るために。

 光の巨人として、これから戦うのだ。

 

   *

 

 目を覚ました時に、目に飛び込んできたのは、PCに表示された見慣れない画面だった。

 ツバサは、急に体を起こす。辺りを見回した。特に何も変化はないようだが……。

 ツバサは、時計を見つめた。自室に入ったのが、午後十一時を回った頃だ。

 眠ってしまったのが、もうすぐ十一時になろうとしている時だった。

 まだ五分ほどしか経っていないのか……、とツバサは不思議がる。

 脳裏にこびりついていた、あの妙な夢……ツバサは、思い出していた。

 五分の睡眠の間とはいえ、内容は物凄く濃い。まるで、映画を見ていたようだった。

「……考えていても仕方がないな」

 ツバサは夢の中の出来事を忘れて、PC画面に目をやった。

 画面上に、メールのアイコンがある。そこに小さく、「1」と表示されてあったのだ。

 寝ている間にメールが来たようだ、とツバサは思った。なら、と早速ツバサはメールを開いてみた。

 受信箱には何も新着は来ていない。

 あれ、と不思議に思い、ツバサはメールボックスを漁った。

 すると、一つだけ、妙なメールがあった。

 新着メールではない。

「何だ……これ……」

 ツバサは呟く。

 

 それは、下書きに保存されているメールだった。

 

 下書きに保存した――ということは、ツバサが後で送信するために保存したことになる。

 だが、ツバサにはその記憶が全くない。

 むしろ、下書き保存を使ったことは一度もないのだ。

 今までメールを中途半端に終わらして、下書きで保存したことなど一度もなかった。全て、最後まで書ききってメールを送信している。

 それなのに、ここに下書き保存のメールが残っている――あまりに不気味な光景だ。

 送り先は空欄。作成された日を確認する。

 

 日付は今日――時間は、ツバサが眠っていた間に打ち込まれていたことが分かる。

 

 寝ている間に誰かが部屋に入り込んで、下書きを書いたということか?

 いや……まさか……、とツバサは振り向いて扉を見る。

 部屋に入るには、本人のIDとパスワードが必要だ。他人が入ることは出来ない。出来るとするなら、インターフォンで呼びかけるぐらいだ。

 そんなことをするくらいなら、W.I.T.で通信した方が簡単だ。

 後は、何か? 寝ながらも自分でタイプした、と?

 自分にそんな特技は一切ない――ましてや聞いたこともない。

 では、それ以外にこの現象が可能となる方法はあるのだろうか。

「いや……一つだけあるとしたら……」

 ツバサは呟く。

「ハッキングして、下書きをした……?」

 そうとしか考えられない。

 だが、それもあり得ない、とツバサは否定した。

 TPCのPCは、それぞれTPC内で作られたセキュリティーで守られている。中でもツバサの所持しているものは全て他のものよりセキュリティーが強い。

 と、いうのも、イルマが万が一に備えて、セキュリティーを強化していたのだ。そのため、ツバサのPCを閲覧できるのはイルマとツバサのみになっている。

 仮に閲覧出来たとしても、本物とは違うダミー画面が表示される仕組みになっている。

 だが、仮に、セキュリティーを全て突破したとして、何故そんなことをした? ハッキングなら情報を盗むはずだ。

 ツバサはPCを確認するが、盗まれたデータはおろか、閲覧された形跡もウィルスを流された形跡も、ましてやハッキングされた形跡もないのだ。

 紛れもなくツバサかイルマのどちらか――普通に考えてイルマが下書きをしたということになる。

 だが、それでもイルマがそんなくどいやり方をするのが信じられない。

 とにかく、メールを見てそれから判断しよう。ツバサは、メールを開いた。

 その瞬間、ツバサはまた戦慄する。

 

 TPC本部特殊部隊S‐GUTS科学技術班隊員である、エンジョウ・ツバサ――もとい、ウルトラマンティガにこの文章を綴る。

 これを見ているということは、既に夢から覚めている状態だ、と認識させてもらう。

 このような形で伝えることを深く詫びたい。こちらもあまり動けない状態で、君にメッセージを送るのはこの方法しかなかった。

 明日正午にS‐GUTSが市内パトロールをするはずだ。その際に君も乗り込んでもらい、中心地二番街の交差点にあるコーヒースタンドに来てもらいたい。

 何とか隊員と共に、そこに留まるよう説得してもらいたい。声をかける時は、こちらから声をかける。君は、その場で待っていてくれればいい。

 要件はここでは伝えられない。直接君に会いたいと思う。ウルトラマンティガである君にどうしても頼みたいことがある。

 本来なら、私自身でやればいいことなのだろうが、今の私は自由にすることが出来ないのだ。

 もし出来るのなら、君と会えることを楽しみにしている。

 尚、このメールは読んだ後で自動的に消去されることをご了承願いたい。

 

「……」

 直後、メールが消去される。

 ツバサの脳裏に浮かんだのは、昼間の男の顔だった。

 口の動きから、「ティガ」と呟いたこと――。

 そして、名指しで自分自身をウルトラマンティガであることを指摘していること――。

 確信に至るには充分だった。

 

 第三者に正体が見抜かれた――。

 

 ツバサは、両手を握り、机を叩いた。

「やっぱり……迂闊だったんだ……」

 目の前のことに精一杯だった所為で、周りが見えていなかった。

「こんなに早くばれるなんて、思ってもみなかった……」

 正体がばれた以上、この先どうなるか分からない。ユザレにとっても予想外の展開かもしれない。

 いや、それよりイルマ参謀だ、とツバサは考える。

 イルマ参謀に何を伝えればいい? 正直に伝えるべきか? いや、そうなれば、この先自分自身はおろか、家族にも命の危険が及ぶかもしれない。

 どうすれば……どうすればいい。

 従わない方がいいのか? いや、それだと正体を周辺にばらされるかもしれない。しかし従えば、一生敵の言いなりになる可能性がある。どちらにしても地獄だ。

 ツバサは、とにかくもう一度頭の中を空っぽにして、メールを思い出した。

「……よし」

 

 そして、ツバサが出した結論は――。

 メールに従うということだった。

 

   2.

 

   *

 

 少し未来の話。

 TPC情報局参謀のイルマは、その日参謀閣僚会議に出席した後で、自室に戻っていった。

 参謀になると、前線に出ない分、色々楽なように見えるが、実際は前線にいる方がましと思えるほど激務だった。

 イルマの顔には疲労が覗いていた。

 自室に戻り、大きく溜息を吐く。

 部屋は、必要最低限のものしか置いていなかった。一般職員のように娯楽は無いに等しく、しかし重役らしい豪華な品が置いてあるわけでもなかった。ただただ殺風景な部屋だった。

 そんなイルマが自室に戻って一番にやることがあった。

 机に座り、PCの横に置いてあるいくつかの写真盾を見ることだ。

 そこには、イルマの息子の写真が飾ってあった。イルマはそれを手に取る。

 幼いころの写真、そして最近一緒に撮った写真――イルマにとっての心の拠り所の一つが息子の存在だった。

 ふふっ、と小さく微笑む。

 その直後だった。

 PCにメール受信音が流れた。

 イルマは、やれやれ、と思いながら写真盾を置いてPCに目をやった。

 慣れた手つきでメールボックスまでたどり着く。

「……え?」

 それは、見慣れないメールアドレスだった。

 外部の――それもどこかの一般PCから送られたものだ。

 TPCのPCは、外部からのメールの送受信は出来ない。

 メール、とはいえ届けられるのはTPC職員のものだけだ。ただ、イルマのPCに限っては例外として息子にもメールを送られるようにはなっているが。

 だから、息子のアドレス以外で外部からのメールはあり得ないのだ。

 もしかすると、何者かにハッキングされた可能性が高い。イルマは、電話を取って、セキュリティーの強化とハッキングの痕跡の調査を即座に部下に命じた。

 イルマは、まず、メールにウィルスが混入されてないか調べた。ツールを使って調べてみたが、特にそんな形跡は見当たらない。本当に単純に、ただのメールのようだ。

 イルマは、恐る恐るメールを開く。

 件名は空欄。だが、そこに書かれている内容は、イルマを愕然とさせるには充分な内容だった。

 わずか一行の文――その文は、イルマだけを戦慄させる特殊な文だった。

 イルマは一歩下がる。

「まさか……また……?」

 イルマがそう呟いた時、何かの気配を感じた。

「誰!?」

 イルマは、咄嗟に腰のホルダーからガッツブラスターを取り出しながらそう叫んだ。

 

 目の前には――不気味な笑みを浮かべた男が立っていた。

 

 ――そしていくつかのやりとりの後、男は言った。

「……やむを得ないのか……。あなたには何度も拒絶されたが、期待していた……だがやはりそれは無意味だったということか」

 男が右の掌をイルマに向ける。それと同時にイルマは自身の危機を悟った。すぐさまガッツブラスターを構える。

 イルマの視界が歪む。腹部に重い一撃が入った。

 

   *

 

 時間が戻り――。

 メールによる動揺を隠せないツバサは、そのまま次の日の朝を迎えた。

 まだ余裕そうな顔を見せられないツバサは、意気消沈したまま司令室に入っていった。

「おう、おはよう」

 フドウが声をかける。

 ツバサは、おはようございます、と覇気のない返事をした。

「どうした? 何か元気ないが……」

「いえ。昨日の実験で安堵した所為か、嬉しくてあまり寝付けなくて……」

 咄嗟の嘘。何だか嘘を吐くことが自分の得意技の一つになりそうだ。

「ああ、そうか。まあ、初の実験成功だからな。寝付けないのも無理はないが……」

 フドウがヒロキに目をやりながら言った。

 ヒロキは、ツバサの背後に回り、首に片腕を回した。

「今日は、市内パトロールだ。俺の当番だが、生憎相手がいなくてね。相手になってくれよ」

 パトロール――メールの書いてあった通りだ。一緒に行くことを懇願する必要性はなくなったが、しかし、今日は自分が行く必要はないはずだ。

「順番的にマリナ隊員では?」

 ツバサがそう言うと、マリナは、淡々と、あたしは駄目だから、と答えた。

「何でさ」

「今日は用事でZEROに行かないといけないから。まあ、どうしてもっていうならあたしが行ってあげてもいいけど」

 安い挑発だ。

 どうせムキになることを期待しているのだろうが、こんなのに反論してもどうにもならない。

 それに、今回はどうなったとしても行かなければならないのだ。ここは大人しくしておこう。

「よし、それじゃ、行こうか」

 ツバサは、はい、と返事をして自分のヘルメットを掴み、そのままヒロキと共に司令室を後にした。

 

 メトロポリスはつかの間の平和を手にしていた。

 人々が行き交い、物を消費し、人が交渉している。

 ゼレットⅡは、市内を安全運転で走る。

 ツバサは、進行ルートを記憶していた。このまま進んでいけば、メールの指定場所は近くなる。

 ツバサは時計を確認する。

 そろそろいい頃合いか。

「ヒロキ隊員」

「あ?」

 ツバサは通りを指さす。

「向こうの角にコーヒースタンドがあるんですよ。結構おいしいと評判で、休憩がてらに一杯飲みませんか? 僕がおごりますので」

 ツバサがそう言うと、ヒロキは簡単に食いついた。

「おお、いいね。業務中なのはいただけないが、まあちょっとならいいか」

 良かった、とツバサは思った。これがフドウやシンイチだったら、多分簡単には了承してくれないだろう――いや、何となくしてくれる気もあるんだが。

 とにかく、ここまでメールに従った。後は接触だけだ。

 ゼレットⅡは、ツバサが言った通りの道を行った。

「おお、あれだな」

 メールに書かれた通り、コーヒースタンドがあった。

 ツバサの咄嗟の嘘で、あれが評判かどうかは分からないが、数人が並び、数人がその場で飲んでいる所を見ると、中々好評のようだ。

 ゼレットⅡは、道路の脇にある一時駐車のスペースへ止まった。

 二人は、車を降りて、そのままコーヒースタンドまで歩いた。

「俺が買ってきてやるよ。何がいい?」

 ヒロキが唐突に言った。

「じゃあ……キャラメルで」

 ツバサはそう言って代金を渡した。

 ヒロキは、意気揚々と列に並んでいく。ツバサは、スタンドの横で待った。

 深呼吸をする。

 時刻は間もなく十二時になる。言われた通りに、ここまでやってきた。後は向こうからの接触だけだが……。

 一体どこから来るのだろうか、検討もつかない。しかもヒロキ隊員もいる。個人的に話をすることなど出来ない。

 だとしたら、紙で情報を伝えてくるのだろうか。この状況なら、それしか方法はないが……。

 いや、常識では考えられない方法もあり得るかもしれない。ツバサは、気を強くして待った。

 しばらくして、ヒロキがやってくる。

「ほら、言われた通りのものだ」

 蓋のついた紙コップを手渡される。

「ヒロキ隊員は何を買ったんですか?」

「ああ、ただのカプチーノだよ。知らない名前のやつを選んでも地雷にしかならないからな」

 なるほど、とツバサは頷く。

 ヒロキは、嬉しそうにしながら横でカプチーノのミルクをすする。ツバサは、息を吹きかけて冷ましながら飲んでいく。

 コーヒーは好きではないが、研究で夜更かしするツバサには必需品なのだ。

 ツバサは、飲みながら周囲を見回す。

 ここまで誰との接触もない。

 機会を伺っているのか、それともあのメールは嘘だったのか、それもまだ定かではない。

 辺りを見ても、昨日の男の姿はなかった。

 自分の周りにいるのは、横にいるヒロキ隊員と鞄を持ち、このコーヒースタンドで買ったコーヒーを飲んでいる白衣姿の男性だけだった。

 やはり、あれははったりだったのか――、そう思った時だった。

 

 ――はったりかどうか、これで証明されたか、ツバサ君?

 

 男の声が聞こえてきた――。

 いや。

 ツバサは、周囲を見回した。

「ん? どうしたんだ、ツバサ」

 ヒロキが不思議そうに聞く。

「ああ……いや……誰かが僕を呼んだ気がして……」

「お前を? いいや、誰も呼んでねえけど……。ていうか、お前を知っているのはここでは俺だけじゃないか」

「そ……そうですよね……」

 ツバサは、また辺りを見回す。

 ヒロキ隊員が言っていたように、誰も声をかけていない。なのに何故、自分を呼ぶ声が聞こえたのか。

 いや、声を聞いたというのは表現として正しくない。

 そう――。

 強いて言うなら、イヤホンで自分だけが音を聞いているという感覚だ。それに近い。

 

 ――そうだな。その表現なら他人にも分かりやすく伝えられる。

 

 まただ。

 しかし、もうツバサは驚かない。ツバサは冷静に『声』の主を探した。

 ふと、さっきの白衣の男と目を合わせた。

 年齢は三十代くらい。ワックスで整った髪型に黒縁眼鏡。そしてプレートが付いてある白衣を着ている。中からはネクタイが見えた。

 

 ――正解だ。

 

 また『声』がした。

 男は、ツバサに目をやる。ツバサが真剣な表情で見つめると、男は、微笑みで返した。

 男を見た時、ツバサは、若干混乱していた。

 

 違う男だ、と。

 

 最初に予想していたことが悉く外れに向かっていってしまった。

 ツバサが最初に考えていたのは、ここに来るのは昨日のローブ姿の男だった。

 ティガと口走った直後に、昨日の謎のメール――これらを考えた時、必然的に同一人物であると予測出来る。

 だが、答えは違った。

 メールの主は、今まで全く別の――会ったこともない男だった。

 昨日と今の男たちは別人――そう考えた時、ツバサの脳裏には、二つの仮定が生まれていた。

 一つは、昨日の男以外にも、この男にも自分の正体が知られていたこと。最悪の場合、他にもその正体を知っている人間がいるかもしれない。

 そしてもう一つは、この男が昨日の男の仲間で、代理で来ているのでは、ということ。

 それ以外にも、確率性の低い可能性を複数同時に予想していた。

 男は、ふう、と息を吐いた。

 

 ――どうやら、色々考えているようだが……まあ、仕方がない。

 

 男は、立ち上がって、自然な流れでツバサの横に立ちながらコーヒーを飲んだ。

 

 ――よく、メールを信じてここに来てくれた。心から感謝する。

 

 男が礼を『言う』。ツバサは、『答えた』

 

 ――テレパシーだな、これは。

 

 男は、ふっ、と微笑しながら答えた。

 

 ――理解が早くて助かるよ。私たちの特技の一つだ。こんな状況でも秘密の会話をするには持って来いとは思わないか?

 

 確かにそうだ、とツバサは思う。

 

 ――ならいい。だったら本題に入らせてもらおう。

 

 男がそう『言った』時、ツバサは止めた。

 

 ――待て。

 ――ん?

 

 男は、無表情になる。

 

 ――あんたは一体何者なんだ? どうして僕の正体を知っている?

 

 ツバサはどうしても聞きたかったことを吐き出すように言う。だが、男は、有無を言わさずに答える。

 

 ――君に質問する権利はない。今は、こちらの用件が大事だ。

 ――何だと?

 

 ここまで一方的だとは思わなかった。ツバサが予想していたのとは違う。

 

 ――交渉でここまで不利なら、僕は何も従わないという選択肢を選んでもいいんだぞ。

 

 まずはこちらが有利にならなくては、とツバサは後手を取られないようにする。相手が指名して頼み事をしているということは、自分でなくてはならない理由があるからだ。だったら、それを摘み取ればいい。

 だが、男は、常に先手を取っていた。

 

 ――そうしても構わない。ただ、この頼み事を引き受けてくれないなら、近い未来に侵略が起こるだろうがな。

 ――何……!?

 

 ツバサは愕然とした。

 

 ――侵略だと。まさか、貴様……!

 

 ツバサは男を睨んだ。

 

 ――別に私が、とは言っていない。むしろ、私がそうするなら君に接触なんてせずに勝手にやってるだろう。

 

 確かにそうだ、とツバサは冷静になる。

 だが、それでも、侵略の魔の手が伸びることは、断固として阻止しなければならない。

 だが、それは、男の頼み事を引き受けなければ回避できないというジレンマがある。

 

 ――別に私の頼み事を引き受けても引き受けなくても侵略は起こる。

 

 ツバサはさらに愕然とする。

 

 ――だったら無意味じゃないか。どちらにしても損得なんて何もないじゃないか。

 

 むしろ、損の方が多い。平等も何もない、一方的かつ理不尽なことだ。

 だが、男は話を続けた。

 

 ――得することはあるぞ。

 ――どこにだ? 

 ――敵の情報を知っているか、知っていないかの違いだ。敵を知ることは戦闘において重要なことだ。君が一番得意としていることだろう。

 

 男がそう『言った』時、ツバサは反論する言葉を失った。

 

 ――これから来る侵略者は、次元を超えた強さを持っている。何も知らない状態で挑んでみたまえ。君はどうなる? 勝てると思うか?

 ――……。

 

 正直なところ、勝ち目はゼロだろう。

 実力では、隊員の中では最下位だ。ましてやまともな喧嘩にすら勝てる気がしない。

 そんなツバサでも、相手と互角に戦うために、敵を知る、ということを身に付けたのだ。男の言い分は、正にそれだ。

 敵を知れば、勝てない戦いに、僅かながらの勝ち目が浮かび上がる――男はそう言いたいのだ。

 

 ――……分かった。出来る範囲なら引き受けてもいい。

 

 ツバサは、諦めるように言った。折れてしまったと言った方がいいか。討論で初めて負けたという、学者を志す者においては、悔しいことだが。

 男は、安心した。

 

 ――そうか。感謝する。

 ――感謝はいい。それで、僕は何をしたらいいんだ? 殺しとかは御免だぞ。

 

 ツバサの勝手な想像に男は、微笑しながら答えた。

 

 ――別に犯罪に手を染めろとは言っていない。君には私に代わってあることを調査してもらいたいだけなんだ。

 

 ある調査……? とツバサは思わず呟いた。

 ヒロキは、突然呟いたツバサに、どうした、と言った。ツバサは、何でもありません、と慌てて答えた。

 ヒロキは、構わずコーヒーを啜った。

 喋っているような感覚でテレパシー会話をしているから、口にして言ってしまう衝動に駆られてしまう。

 男は、慣れだ、と『言った』

 

 ――まあ、話を戻そう。調査と言っても大したことじゃない。いや、場合によっては大したことになるかもしれないが……。

 ――何だっていいさ。犯罪じゃなければ。それで、何を調べたらいいんだ?

 

 ツバサが本題を聞きだす。男は、まず、あることを聞いた。

 

 ――君は、沖津浩三教授を知っているか?

 

 その名前を聞いて、一瞬で理解した。

 

 ――知っているも何も、学会では知らない人がいないだろうな。知らない人がいたら、学者としてはにわかだ。

 ――やはり学問に勤しむ君にも、彼のことはよく分かるか。

 ――皆が知っているような簡単なプロフィールだけだ。一応、教授の論文は、最近いくつかは読んだ。信奉者というわけではないが、学者志望にとっては目指すべき人なのは、間違いない……性格とかを除いてはな。

 

 ふふ、と男はまた笑った。

 

 ――何が可笑しい?

 

 ――いや、人となりなんてその人次第だからな。実際に見るのと聞くのとでは大違いなんだな、と思っただけだ。

 ――どういうことだ?

 ――こっちのことだ。特に関係はない。忘れてくれ。

 

 何か知っているようだが、まあいいだろう、とツバサは思った。

 

 ――それで、沖津教授がどうかしたのか。

 

 ツバサが尋ねると、男は、真っ直ぐに答えた。

 

 ――沖津教授が亡くなった。

 

 死亡した、という言葉を聞いて、ツバサは驚愕した。

 

 ――亡くなった? あの人が? そんなことは一度も聞いたことがなかった。

 ――つい昨日のことだ。今日の新聞で、一面に出ているからそこから伝えられている情報を確認するといい。

 

 まさか、死んでいたとは……と、ツバサは思った。それだけ、ツバサを含めて、研究者や学者になりたい人にとっては、沖津浩三は、憧れの存在なのだ。

 彼が成し遂げた研究成果は、一つの革命と言ってもいいほどのもので、まさしく人類の英知が彼にある、と言っても過言ではなかったのだ。

 ツバサはいくつかの論文を読んで、大いに共感していたのだ。

 ツバサは残念がるが、今はそれどころではないことを理解する。すぐに本題に戻った。

 

 ――沖津教授が亡くなったことを僕に伝えて、一体何をさせたいんだ。

 

 男は、ツバサの質問に少し間をあけて答えた。

 

 ――君に、沖津教授が亡くなった原因について調べてもらいたい。

 

 突然のことにツバサは動揺する。よほど深刻だったのか、男の言葉に重みが感じられた。

 だが、しかし、それは――。

 

 ――待て。それは、僕の管轄じゃないだろ? それは警察の仕事だ。

 ――そうだな。

 ――それに新聞に出ているということは、ある程度死因も分かっているということだぞ。何で、無駄な調査を僕にさせたいんだ?

 

 ツバサはそう尋ねる。だが、男は、それについて正しい回答をしなかった。

 

 ――まあ、とにかく調べてくれ。君が真実に近づいた時、私たちはまた出会うだろうから。

 

 男は、そう言って立ち上がる。

 どうやら、ツバサの質問は一切答えないようだ。

 

 ――ちょっと待て! そんなことを言われても……!

 

 男は、背を向けたまま『言った』

 

 ――後は、察してくれ、としか言えない。

 

 察する、と言われてツバサは冷静になる。男は、本気でそう思っていると雰囲気から読み取ったからだ。

 

 ――君には、それを推測出来るほどの情報は与えた。後は、それを導き出して、私の頼み事を遂行してもらいたい。次に会う時には、君の質問のいくつかに答えることを約束しよう。

 

 では、と男は歩いていく。そして、そのまま人ごみの中に紛れ、そして消えていった。

 ツバサは、その姿をじっと見つめていた。

 唐突にテレパシーで会話され、そして唐突に、強引に押し付けられた頼み事。

 色々納得出来ないことは多いが、少なくとも、男が言ったように、確かに今までの情報で、男が何故察して欲しいと言ったのか、その理由は分かった。そして、今までのことからして、ツバサは、男に正体を知られたことに関しては特に、今後の影響はないという可能性が高いことも読み取れていた。

 まだ、理不尽なところは多いが、次に会う時に、お言葉に甘えて色々聞いてみよう。その時に、対等になる条件を突きだせばいい。

 気が付けば、ツバサの紙コップは空になっていた。

「……ああ、美味かった。ツバサの言った通り、評判がいいという理由が分かったぜ。これから時々パトロールがてら買っていこう。隊長もきっと喜ぶぞ」

 どうやら、ヒロキも同じくらいで飲み終えたようだ。

 ツバサは、ヒロキに先にゼレットⅡに戻るように言った。

「どうしたんだ? 何か用事か?」

「いえ、ちょっと新聞が欲しいんで、そこで買ってくるだけです」

「まあ、別に構わないが……はあ……今時の若者は、新聞が必需品ですか」

 冗談交じりの皮肉を言うヒロキ。いや、ヒロキ隊員も若いじゃないですか、とツバサは内心で反論しつつも、新聞を購入した。

 そして、そのまま二人は、基地へ帰投した。




其の二に続きます。


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其の2

分量が多いのは、もう癖なんです。
逃げられないカルマなんです(白目)


   3.

 

 ツバサは、言われた通りに新聞を開き、沖津浩三のニュースを探していた。

「お、新聞か。わざわざ買ったのか? フリースペースに有名どころのものは全部あるのに」

 シンイチがツバサの横で言った。

 なん……だと……!? ツバサは思った。買う必要なんて全く無かったようだ。

 ただでさえ懐が寂しいのだ。百円単位でも痛い出費なのに。

「しかし、いきなりどうしたんだ? 食い入るように見てるぞ」

「さあ、知りませんよ。あたしにはあいつの脳味噌なんか分かりっこないですし、分かりたくもないですし」

 ヒロキとマリナの会話が耳に届く。

 マリナ隊員め……! 絶対聞こえるように言いやがったな!

 ツバサの眉間の皺が寄る。

 だが、ツバサは真面目に受け取らず、目の前のことに集中する。

 そして、社会面の一覧にそれはあった。

 大きさからして三つめのトピックス――そこに、沖津浩三教授が死去したことに関する記事が書かれていた。

 内容は簡単だった。

R大学名誉教授の沖津浩三が自宅で亡くなっているのが助手によって発見された。七十九歳だった。死因は心筋梗塞。警察では孤独死によるものではないかと、考えている。沖津浩三は電磁波遮断機構の基本構造や電磁波による調査年代測定を成功させた人物であり、文化勲章を含む多くの受賞を受けていた――端的にそう書かれていた。

「何だ、何を読んでいるんだ?」

 フドウが覗いた。

「ああ、いえ。知っている教授が亡くなったと書いてあるので、びっくりしているんですよ」

 ツバサがそう言うと、フドウとシンイチが新聞を覗いた。

「沖津……ああ、この人か。何かテレビとかで名前は聞いたことがあるな」

 フドウが言うと、ヒロキがふと反応した。

「へえ、どんな人なんですか? 俺は初耳ですね」

 どうやらヒロキは本当に知らないようだ。

 ツバサは、簡単に説明する。

「まあ、かなり有名な大学教授ですよ。多分ヒロキ隊員も聞いたことがあると思いますよ。四年前に、電磁波を用いて遺跡や物体の年代を月単位まで正確に測定する機械を開発して、それで沖縄の海底遺跡が人工物で、あれの作られた年代を測定したというニュースが大々的に報じられていましたから」

 ツバサが、そう説明すると、ヒロキが思い出すように言った。

「ああ、あれか! そう言えば、当時のニュースはそればっかりだったな」

 でもさあ、とマリナが間に入った。

「確か、その人ってかなり偏屈な人って聞いたことがあるんだけど。あたしはテレビで本人が出たところなんて見たことがないわね」

 マリナがそう言うと、フドウやシンイチ、ヒロキは、そう言えば、と不思議がる。

「まあ、偏屈と世間では言われているからな。噂では、他人と接触したがらないし、実際、四年前の発表の際も、それ以外に論文を発表するときも、何時も本人じゃなく、助手が代理で発表していたから」

 とにかく、外界の全てを遮断して生きていた、と世間一般では言われている――天才とあれは何とやらだ。

「まあ、何がともあれ、人類の財産がまた一つ失われたというわけだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

 シンイチは、両手を合わせながら言った。

 ツバサは、また記事を見返す。

 後で記事を切り取っておいて、簡単な詳細を纏めておこう。

 それよりも重要なのは――。

 どうやって沖津教授の調査をするかということだ。

 打つ手はあるものの、こういうものは公にやるべきではない。それこそ人間の死に関しては警察の仕事だ。

 それに、公にしたくないから、あの男はテレパシーを使ってまで自分に頼んできたのだ。誰にも知られずに動くのが適切だ。

 だが、勝手に単独で動くことは難しい。イルマ参謀に話はつけられない、とツバサは考えていた。

 ティガであるツバサの情報統制をしてくれているのは、ユザレとそしてイルマのおかげだ。こんなにも簡単に正体を知られたと伝えるのは、あまりにも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 すぐに言えば対策を考えてくれるだろう。だが、それとは別に、ツバサのプライドがそれを許してくれなかった。

 別の解決方法があるのなら、自分自身でそれを見つけて、自分自身で決着を付けたい、というツバサのプライド。

 そして、今まで出てきた情報を分析して浮かび上がった、一つの可能性と安心。

 それらを全てひっくるめても、ツバサは自分一人で解決したいのだ。

 だから、今あるカードは、すぐに使うべきだ。

 ツバサは、フドウに言った。

「隊長。次の実験に事なんですけど……」

 フドウはツバサの方に振り向く。

「ああ? 昨日の空の実験が終わったから、次は海と建物内と地上でだったか? それだと、民間企業と、国にまた実験許可の申請をしないといけないよな?」

 そうだ。

 ツバサのシステムνの実験は、空、建物内、海、そして地上の四か所に分けて実験を行わなければならない。

 あらゆる状況下で問題なくシステムを使うことが出来て初めて実用化が出来るのだ。

 だが、知ってのとおり、ツバサが抱く不信感――企業への協力がうまくいかないことから、次の交渉も難航しているのは言うまでもないのだ。

「企業に関して何ですけど、一つ、もしかしたら快く協力してくれる会社があるのですが……」

 と、ツバサは言った。

「本当か? しかし、それならTPCと協力している企業がいくつもあるからそこに協力を要請してもいいと思うんだが……」

「ええ。ですから、その内の一つです。面識がある人がいまして、明日直接交渉してみようと思っているんです」

 ほう、とフドウは言った。

「なるほどな。なら、上層部に伝えないと。まあ、俺の方から言っといてやるよ」

 フドウがそう言うと、ツバサは礼を言った。

 さて、これで準備は整った。

 交渉は多分確実に成功する。それは後からでもいいわけだ。

 実験の前に、朝方からがいいだろう――男の頼み事を並行して調べることが出来る。

 まずは、今集まっている情報を、後で、自室で纏める事にしよう――ツバサは、そうプランを立てていた。

 

 その夜。

 ツバサは、集めた情報を元に、沖津浩三教授のプロフィールを纏めていた。

 

 沖津浩三

 

一九五五年一一月一一日、宮崎県牧園町(現・霧島市)生まれ 出生と同時に京都府京都市に両親と共に移る。

 一九七三年にT大学理工学部入学と共に東京(現・メトロポリス)に居を移す

 一九七八年にT大学を卒業後、木佐貫技術工業株式会社(現・㈱KISANUKIホールディングスの技術部門である㈱KISANUKIテクノロジーコーポレーション)に入社

 一九八五年 同社理工研究部部長に就任

 同年 木佐貫寛一社長(現・故人)の娘である木佐貫清子と結婚、婿入りし、姓を木佐貫に変更する

 一九八七年 息子悠仁誕生

一九八八年 電磁波による年代測定研究及び考古学研究に着手

 一九九五年 取締役に就任

 二〇〇三年 同社代表取締役社長及び㈱KISANUKIホールディングス取締役に就任

二〇〇五年 グループに復帰 新書「携帯電話の今後における依存と危険性」を発表

二〇〇七年 電磁波における人体への影響を纏めた論文「電磁波人体破壊論」を発表

 同年 電磁波から人体を守る、電磁波遮断機構を開発

二〇〇八年 電磁波遮断機構を全世界に展開

 二〇一〇年 妻清子 息子悠仁が交通事故で死去 姓を沖津に戻す 以後三年間行方不明

 同年 同社代表取締役社長退任及び㈱KISANUKIホールディングス取締役退任 ㈱KISANUKIホールディングスを退職

二〇一二年 R大学理工学部客員教授に就任

二〇二〇年 R大学名誉教授及び理事に就任

二〇二八年 R大学理事長に就任

二〇三一年 電磁波年代測定において沖縄海底都市が人工物であること、かつその年代を月単位まで測定することに成功

同年 「電磁波年代測定における遺跡の調査概念」、「古代遺跡の常識を覆す」など、論文、著書を多数発表

二〇三三年 民間人として初めて大勲位菊花章頸飾を受賞また、旭日大綬章、瑞宝章、文化勲章も同時受賞する

二〇三五年 死去 死因は心筋梗塞 孤独死と断定

 

「……」

 ツバサは、その経歴を見て改めて沖津教授の偉大な足跡を目の当たりにした。

 理工において、若いころから頭角を現し、すぐに部門トップに上り詰めている。

 キャリアにおいては順風満帆だ。ビジネスマンとしては、理想な形の生き方だ。

 だが、その人格は変人と呼ばれていたと世間では言われている。

 とにかく、人付き合いを極限に嫌っていたという。会社でも、殆ど一人で職務に励み、部下からの信頼は皆無だったといわれている。だが、それでも会社の利益となりえる実績を上げてきたおかげか、キャリアは順調にステップアップすることが出来た。

 それは大学教授になってからもそうだった。

 基本、論文の発表は常に助手に任せ、講義すらも代理として助手が講義をするという事態だった。

 沖津教授を紹介する際に写真を使おうとしても、本人は大の写真嫌いで、会社の社長紹介では、入社当時の若かりしころの写真を――大学教授の紹介では、やむを得ずその写真を使うしかなかった。そのため、沖津教授が叙勲で渋々現れた時は、その老いた姿を目の当たりにして多くの人がショックを受けたのほどであった。

 だが、沖津教授の功績は、それらを除いても見劣りすることのない――むしろより一層輝きを増して見えるダイヤの如くその存在を誇示している。

 正に研究者として一つの理想の形だ。

 だが――。

 

 本当に、そうなのだろうか?

 

 ツバサは、纏めたプロフィールからいくつかの違和感を覚えていた。

 さらりと見る程度には、何の見劣りもない経歴だが、何故だろうか――所々、不自然な所がある。

 確かに普通に見ておかしい部分もあるが、それ以外に何か引っかかる。年表には見えない何かが、この年表をおかしく見せているのか。

 聞く限りでは、なんら不思議はないが、こうして改めて一人の生き様を確認すると、どうしても疑問に思ってしまうことがいくつか確認できてしまうのだ。

 偶然か、はたまたこれが必然だったのか。

 いや、もし……。

 男が調べてほしいということが、この違和感に関係しているとしたら……。

 沖津教授の死を調べるということは、おかしいことでも何でもない。むしろ、調べなくてはならない事柄であるということが納得できる。

 調べてみる価値は十分にある。

 ツバサは、PCの電源をオフにして、床に就いた。

 そして、ふと思う。

 あの白衣の男……どこかで見たことがあるような気がする、ということに。

 

   4.

 

 昼の定期パトロールにツバサも乗車した。

 ツバサは、昨日言っていたある人に務める企業に向かうために、足を確保しようとした。

 とりあえず、シンイチがこの日の市内パトロールとなったため、それに便乗する形で行くことにした。

 場所はメトロポリスの中心街。ここにお目当ての場所が二か所ある。

 一つは、実験の協力を仰ぐことが出来るかもしれない企業。

 そして二つ目は――。

 ツバサがゼレットⅡから降りると、運転席からシンイチが言った。

「まあ、今日は休暇だと思ってゆっくり交渉してくるといい。たまには骨休めも大事だぞ」

 どうやら気遣ってくれたようだ。

 ツバサは、礼を言った。

「はい。有難うございます」

「夕方頃には迎えに行くから、それまでどうぞごゆっくり」

 じゃあな、とシンイチはツバサに一時の別れを告げてパトロールに戻っていった。

 さて……。ツバサは辺りを見回した。

 お目当ての企業は、歩いてすぐだ。

 ツバサは、実験器具や必要なものを用意したバッグを確認した。全て入っている。

(念には念を入れなければならないとな……。どこに敵がいるか分かったものじゃない)

 ツバサは、早速歩き出した。

 

 アールサイバネティックコーポレーション。

 全世界へ電子機器やあらゆる交通機関の部品の製造、販売を行っている一大企業の一つであり、年間七千億円の売り上げを叩き出している。

 だが、それとは別に、ツバサはTPCに入ってから分かったのだが、極秘ではあるがTPCと協力関係にあり、TPCに配備されている戦闘機の部品をこの企業が九割提供している。

 三十階はくだらないだろうその高層ビルの入口を進み、一階の中央に設置されている受付センターに足を運んだ。

「あら、こんにちは。どうしたの、坊や? ここは、関係者は入れないんだけど」

 どうやらツバサを迷い込んできた子供だと思っているようだ。

 まあ、実際、顔は少し童顔で子供に見えなくもない。それに、TPCとの協力関係は極秘―であることを懸念して、私服でかつバッグを担いているのだから、分からなくもないが……。

 ツバサは、懐からTPCのIDを提示した。

 受付嬢は、それを見てIDに載っている顔とツバサの顔を比較した。まさか、こんな子供がTPCの――しかもS‐GUTSの隊員だとは思いもしなかっただろう。

「し……失礼いたしました。まさか、TPCの方だとは露知らず……」

 頭を下げる受付嬢にツバサは、落ち着いて答えた。

「ああ、いえ。むしろ混乱させるような格好で来てしまって申し訳ありませんでした」

「いえ、そんな……」

「それに……実際、まだ子供ですし」

 ツバサは小さく聞こえないように呟いた。

「えっ?」

「ああ、いえ。こちらのことです」

 ツバサは本題に入った。

「実は、アポイントメントを取っていないのですが、至急お会いしたい人がいまして……。出来れば取り次いでいただけないでしょうか?」

「ええ、向こうの都合が合えば呼ぶことは出来ますが……誰をお呼びいたしましょうか?」

 受付嬢の質問に、ツバサは一時おいてから丁寧に答えた。

「アールサイバネティックコーポレーション部品販売部長であり常務取締役であるエンジョウ・カノコを――僕の母を呼んでいただけないでしょうか?」

 

 会社の二十一階にある会議室の一室にツバサは案内された。

 社員の一人だろうか、スーツ姿の男はツバサを会議室に案内すると、

「常務はすぐに来ますのでここでお待ちを」

 と言い、出ていった。

 ツバサは、窓からメトロポリスを見下ろす。

 相変わらず、人々の足は止まることを知らない。

 あの中に、人類を脅かす者がいる――そう考えると、自分がどれだけ大きな使命を背負っているのか改めて感じられた。

 ツバサが外を眺めている間に、カノコはやってきた。

「常務、こちらです」

「有難う。もう結構よ」

 またあの男だ。男は、カノコに言われた通りに下がっていった。

 男が「常務」と言って改めて母親が偉いのか確認できた。

 家にいた時は、あまりに親ばかを発揮する甘い母親だと思ったが、ここでは人が違う。言葉に威厳があり、リーダーとしての風格もある。フドウとは違うリーダーシップだ。

 ……と、ツバサは思ったがすぐに撤回することになる。

 カノコは、ツバサを見つけるなり、思い切り抱きしめたからだ。

「あー! 久しぶりね、ツバサー! 暫く会えなかったから寂しかったよー!」

 ……威厳もへったくれもない。

「……あの、エンジョウ常務?」

「何言っているの? 『母さん』でしょ? 何時ものように呼んでよ」

「いや、ここではそう呼べないですよ……」

「敬語まで使っちゃって……まさか……」

 カノコは、はっとしてツバサから一歩退く。

「もう母さんたちのことを飽きてしまったのね! そうなのね!」

 カノコは、両手で目を覆って泣く――ふりをした。いくら何でもばればれの演技だ。

 ああ、何だか面倒くさくなってきたな……。ツバサは溜息を吐きながら答えた。

「違うよ。ここではこの会社の常務として振る舞ってほしいということだよ。僕も一応TPC代表としてここに来ているんだから」

 ツバサの言葉に納得したのか、カノコは、あはは、と笑って言った。

「ちょっとおふざけが過ぎたかな?」

「過ぎるどころじゃないよ……」

 ツバサは、そう言うと、唐突に以前のやりとりを思い出して、驚嘆した顔で言った。

「そうだよ! ちょっと僕や家族に対して少し甘くないか!? 前も家で食事している時に、ちゃっかり会社とTPCが協力関係になっているようなこと言っていたよね?」

 そうだっけ? とカノコ。身に覚えがないようだ。

「そうだよ! 後々で、それが極秘だって言うことを知って驚いたんだから!」

「別にどうってことのものじゃないじゃない」

「いや、どうってことあるってば。産業スパイが家に盗聴器を仕掛けているかもしれない。情報が漏れたかもしれないし!」

 ツバサが抱いている危機感は尋常ではない。場合によってはカノコの職どころかお縄になるかどうかの問題なのだ。

 だが、カノコはけろっとしていた。

「本当に大丈夫なんだけどなー」

 どうして、そんなに楽観的なのか、ツバサには理解できなかった。気が付けば、ツバサも役柄を忘れ、ただの親子としての会話になっていた。

 カノコは、理由を説明した。

「だって、わたしのことを調べても、わたしの情報なんて出てこないもの」

 カノコの言葉に、ツバサは喉を詰まらせる。

そうなのか? いや、しかし、会社常務ということは取締役会で株主らにも姿を見られているから、外部にカノコがこの会社の重役であることはすぐに分かってしまうはずだ。

 なのにどうして情報が出てこないのか、不思議でならない。

ツバサがそう言うと、カノコは答える。

「それこそ、産業スパイ対策で、わたしは――TPC関連の部門にいる重役はみんな取締役会なんて出ないわよ。本当の役職を決めるのはどうせデータ上だし。TPC関連の取引をしている社員はみんな社員情報をあえて作ってないのよ」

 合理的ではある、とツバサは理解する。だが、しかし、それでも穴はある。ツバサはそれを指摘した。

「でもそれじゃ、仮にばれたとして、誰かが変装した場合に対処出来ないじゃない」

 ツバサが聞くと、カノコは特に表情を乱すことなく答えた。

「それも平気よ。TPC関連の部門の人のIDだけはTPCで使っているIDを使うのよ。社員情報も全部そっちに――アカシックレコードに記録されているの」

 カノコがそう説明すると、ツバサはようやく納得した。

「つまり、母さんたちは形式上TPCの職員の扱いになるってことか」

 そういうこと、とカノコは言った。

「TPCの情報は外部から閲覧することも盗むことも出来ない。これはTPCと提携している企業全てに当てはまるのよ。仮に産業スパイが盗聴器でわたしが秘密を言っても、わたしがどこの企業で働いている誰か、なんて掴めっこないもの」

「拉致された場合は?」

 カノコは、微笑みながら答えた。

「ツバサが助けに来てくれるよね?」

 ああ、なるほど、とツバサは納得した。その場合は、S‐GUTSを含めたTPCの戦闘部隊が救出するという仕組みになっているのだ。形式上TPC職員であるため、救出の大義名分が下る――よく出来ている。だが、それでも穴がある。

「そんなことより、ツバサが来たのはそんな話をするためじゃないでしょ?」

 カノコがそう言って、ああ、そうだと思い出した。

 一体誰の所為でこうなったのか……いや、そんなことはどうでもいい。母の場に引き込まれたのは自分だ、とツバサは反省する。

 ツバサは、手持ちから資料を取り出し、本題に入った。

 

 ツバサが考案したシステムνの説明を受けたカノコは、ツバサが出した資料を読み込み、感心した上で言った。

「さすがツバサね。これ、是非とも企業でも買いたいくらいのものよ」

「有難う」

「要するに、このシステムのテストの為にこの会社の部屋を貸してほしいということね」

 うん、とツバサは頷いた。

 だが、カノコは悩んだ顔になっていた。

「うーん……でもねえ。うちは輸出もやっているから、外貨価値の増減を常に観察してるのよね。ツバサの言うテストは一時的に周辺の電子機器諸々が使えなくなるってことでしょ?」

「まあ、そうなるかな」

 ツバサは、カノコが言いたいことを納得していたが、あえて言わない。

「だとすると、こっちも困るのよねー。PCも一時的とはいえ使えないとなると、外貨価値が分からないから売り時を逃す可能性が僅かでも出てきちゃうから、いくらツバサの頼みでも了承はしづらいかなー」

 やっぱりそうか、とツバサは呟く。

 まあ、輸出入は需要供給という天秤の上の取引だ。一時的でも外貨取引の情報が途絶えたら、その天秤を崩す可能性が小さいながらも出てしまうのはツバサも分かっていた。

 だが、肉親が重役をやっている会社なら……という淡い期待がツバサの中にはあった。それは甘えだったが。

 だが、カノコは、何とかしようと手帳を取り出して何かを探し始めた。

「ちょっと待ってねー……ああ、そういえば、これがあったなー」

 スケジュール帳を見ているようだ。

 カノコは、手帳を見ながらツバサに聞いた。

「ねえ、また二週間後にここに来ることってできる?」

 二週間後、と言われ、ツバサは手持ちの物から個人用の端末を取り出した。

「えっと……。まあ、スケジュール調整をすれば何とか。実験の為だったら向こうも喜んで予定は変更できると思う」

 なら、良かった、とカノコは言った。

「なら、そうして頂戴。二週間後ならここで実験してもいいから」

 カノコの言葉に耳を疑った。いいの? とツバサは尋ねると、カノコは、いいわよ、と答えた。

「ツバサ、運がいいわよー。丁度二週間後に、会社のPC端末を全て新製品に変えちゃう予定なのよ。そのためにシステムとかも全部別支店に一時的に移動させちゃうからこっちは何もない状態になるのよ。その時なら実験してもいいわよ」

 どうやら実験を許可してくれるようだ。

 ツバサは、ほっとした。

 元々母親が重役をやっているとはいえ、こういった会社全体の頼み事は基本ダメ元だ。条件付きでも叶うのなら願ったりかなったりだ。

「しかし、よく作ったわねー。これだけ膨大なデータを見せてもらったけど、結構楽しくやっているようね」

 カノコが嬉しそうに言う。

「まあ、個人的趣向なことはやっていないけどね。全部組織に必要なものしかやってないし。それに基本は防衛任務とかが主だから自分で研究する機会は、家にいる時より滅法減ったかな」

「でも楽しそうよ。家にいる時よりずっと」

 そうかな、とツバサは思った。やっていることは同じだが。

「家に帰ってきたら是非話してもらいたいわね」

 カノコはそう言うと、ツバサは頷いて約束した。

 そして、ふと、ツバサはあることを思い出す。

「ああ、そうだ。実はもう一つ頼みたいことがあるんだ」

「頼みたいこと? それってまた実験関係?」

 ツバサは、どう答えようか迷った。

「それとは違うんだけど……。個人的と言えば個人的かな。ああ、でも、いずれTPC全体の問題になりかねないことかもしれない」

 言葉を選ぶのが難しい。うまくカノコに伝わったのか自信が無かった。

「要は事前準備かな。最悪なことが起こらないように」

 カノコは、真剣な表情になった。

「ツバサが何を伝えたいかは、何となく分かったわ。これから起こるかもしれないことに重要なものなのね」

 ツバサは、安堵した。カノコには、事の重大さを感じ取ってくれていたようだ。

 ツバサは、「それ」を伝える。

「ふーん。なるほどねえ。でも確証とかはツバサにはないのよね」

「ない。あくまで全部僕の想像だよ。でも、保険は無いに越したことはない。他の会社と縁がある母さんにしか頼めないことだから」

 カノコは、右手を胸に当てて言った。

「任せない。その頼み事、絶対叶えてあげるから」

 これ以上ない、母の強い信頼の言葉だった。

 

 アールサイバネティックコーポレーションを後にした、ツバサは、本来の目的を遂行するためにある場所へ向かった。

 メトロポリス警察本部。

 政府の省庁として設置された警視庁の後任の組織である。

 怪奇的や怪獣、異星人騒動を除いて、一般的な事件や事故の全てを扱う警察組織の本部である。

 ツバサは、本部に入っていき一階にある受付に自身の身分を明かし、尋ねた。

「先日起きた沖津教授死亡に関して何ですが……どこが管轄をしていたのかご存知ですか?」

 少し時間が掛かったが、ツバサは沖津教授の死亡事故に対応した管轄所の情報を貰うことに成功した。

 そして、ツバサは、少ない給料を嘆きつつも、タクシーを呼んで目的の管轄所へ向かった。

 

「TPCの人が警察署に来るなんて分からないなあ。こっちに来る理由なんてあるのかい?」

 刑事は、ツバサと出会うなり開口一番にそう言った。

 

警察署は、本部から車で三十分ほどの場所にあった。

 中規模でどこにでも見たことのあるような署だったが、これで複数の区を管轄するのだから見た目で判断は出来ない。

 ツバサは、中に入り、再びTPCのIDカードを見せて沖津教授死亡事故に携わった刑事と話が出来るようにコンタクトを取った。

 すると、丁度休憩を終えてきた刑事が現れたのだ。

「あ? どうしたんだ。もしかして道にでも迷ったのか?」

 ふてぶてしい態度だった。だが、ツバサは何とも思わない。

「あ、違うんです。どうやらこの人、TPCの人らしくて沖津浩三の死亡事故について話があるそうなんです」

 受付がそう言うと刑事は驚いて、ツバサを二度見つめた。

「こいつが? 本当かよ」

 刑事はどうやら信用してなかったようだ。ツバサはIDを見せた。

 偽物じゃないだろうな、と疑り深く見つめる。ツバサは、苦笑しか出来なかった。

 

「まあ、俺が刑事のイガワだが……一応沖津浩三の死亡事故を担当した」 

 ツバサは礼をする。

「TPC本部S‐GUTS隊員科学技術担当を務めているエンジョウ・ツバサです」

「よりにもよってS‐GUTSかよ……戦闘部隊のエリートじゃねえか。それで、今日は沖津浩三の死について何か知りたいのか?」

 イガワは面倒くさそうに聞いた。

 これは少し手ごわいかもな、とツバサは確信した。だが、慌てることはない。説明することは得意分野だ。きっと納得してもらえる。

 ツバサは、話し始める。

「ええ。実は……」

 ツバサは、間をあけて言った。

「沖津教授の死は、もしかしたら異星人が関わっているのではないかと考えています」

 ツバサの言葉に、イガワは、はあ!? と声を荒げた。

「異星人だって? 一体どういう根拠でそう言っているんだ?」

 どういう根拠だって? ツバサは内心焦った。まさか、テレパシーを使える男に、沖津教授の死はこの先の災厄に関わっていると言ったところで信じてもらえるだろうか。

 とりあえずは強要でも構わない。とにかく無理にでも納得してもらおう。

「こちらの情報ですので、詳しいことはお伝えできません」

 何だよ、それ……、とイガワは皮肉を吐く。

「TPCはいつもそれだよな。俺たちには情報を取っていくのに、そっちは情報を与えてくれない。そんな不公平で、互いに連携が取れるのかって言いたいんだよ」

 ツバサは、何も言えなかった。

 イガワの言っていることは正しい。確かに、向こうからしてみれば不公平だ。

 だが、だからといってここで決められたルールを破るわけにはいかない。ツバサは心を強く持った。

「詳しい発表は、後ほどあると思います。ただ、この情報にどれだけ信憑性があるかは定かではありません。ガセネタならそれで構いません。ただ、真偽のほどを確かめさせてもらえれば、そちらにも今後もありますので、情報は渡せると思います」

 誘導しているような感じではあるが、納得はしてもらえるだろう。調べたら教える、という見返りを条件にしたのだ。

 イガワは、腕を組んでツバサを見つめた。

「……まあ、このまま断ってもまた同じこと言われたらたまらないからな」

 イガワは、溜息を吐いて言った。

「こいよ。案内してやる。ただし、期待はするなよ。俺はあの状態の心筋梗塞なら、孤独死としか思えないんだからな」

 ツバサは頭を下げて礼を言った。

「有難うございます」

「……よせよ。俺は別に何もしていない。ほら、さっさと行くぞ」

 イガワは、振り向かずに呟く。ツバサは、イガワの性格が何となく分かった気がした。

 微笑ましいと思いながら、イガワの後をついていった。

 

 沖津の自宅は、署から車で二十分の場所にあった。

 閑静な住宅街が立ち並び、近くには商業施設もあり、暮らす分には一切困らない場所だった。

 その中に、沖津の一軒家があった。

 二階建ての家とその隣に平屋の家があり、中で行き来が出来るようになっていた。

「確か、沖津教授は一人暮らしだったはずですよね? それにしては広すぎるような……」

 ツバサは家を見るなり言った。

「まあ、これは元々奥さんと亡くなった息子と三人で暮らしていた家だからな。二人が亡くなった後もずっとここに住んでいたらしい。そして、あの平屋だが……」

 イガワは平屋を指さして言った。

「見たところだと研究用の道具があった。建設会社によると自宅でも研究出来るようにしてほしいと言われて増築したんだと」

 へえ、とツバサは呟く。

「何だ? 知らなかったのか?」

「プライベートなんて謎でしたからね。KISANUKIグループにいた時から、自分自身を世間に出すことは一切しなかった人ですから」

 ツバサはそう言った。

 自宅の前には規制線が張られていた。既に警察官は全員引き払っていて、警察の規制が解除されるのも時間の問題だった。

 イガワとツバサは、規制線を跨ぎ、玄関にたどり着いた。イガワは予め持ってきた鍵を使って扉を開けた。

「さてと、まずは沖津の死体があった場所に行こうか」

 イガワはそう言って玄関の目の前にある階段を横に進んでいった。ツバサも後を追った。

 そこは書斎だった。

 正面には広い机。椅子は机から離れ、横向きになっていた。横には巨大な本棚があり、部屋中を埋め尽くしていた。

 唯一空いているスペースには扉があり、曰く、増築された研究所に繋がる通路らしい。

 ツバサは鳥肌がたった。

 ここが、憧れの科学者が研究していた城か……! と、不謹慎ながらもその圧倒的な雰囲気に押され、感動していた。

 イガワは、わざと咳き込んで、ツバサの意識を戻す。

「もういいか?」

「ああ、はい。すみません」

 集中を取り戻したツバサは、前を向く。

 イガワは、指を指した。

「丁度ここだ。沖津は、ここでうつ伏せに倒れて死んでいた」

 イガワが指を指したのは、椅子の左川の近くの床だった。

 ツバサは、椅子に近づいた。椅子は回転椅子で、机から離れ、左に時計でいうと九時の方向に回転していた。

「沖津教授は心筋梗塞で亡くなったんですよね?」

 ツバサが聞いた。

「ああ。そうだ。司法解剖もしたから間違いない」

「とすると、机で作業していた時に、胸が苦しくなって、机から離れ、体重で椅子が左に回転してそのまま床に倒れて事切れたということになりますね」

 ああ、そうだ、とイガワは言った。

「ぶっちゃけて言うと、それが警察の最終見解だ。年齢的にも心筋梗塞はおかしいものじゃない。それに、どうやら沖津は前々から心臓を悪くしていて、研究を止めるように言われていたらしい。司法解剖の結果を見たが、心臓以外のも他の臓器もかなり傷んでいた状態だった」

 なるほど、とツバサは言う。

「それでも、教授はそれを無視して研究をしていた……と」

「頑固者だったんだろうな。まあ、俺にはこういう業界の人間がどういうプライドを持っているのかは分からん。命に代えてでも成し遂げたいことがあるんだろうな」

 と、イガワは呆れ顔で言った。

 ツバサは、辺りを見回す。特におかしい所はどこにもない。

「さて、これで異星人が関わっているというそっちはどう思うよ?」

 イガワから率直な質問が飛んできた。

 ツバサは、特に慌てる様子もなかった。予想通りと言えば予想通りなのは、分かり切っていた。

「まあ、異星人が関与したどころか、教授以外に介入した人すらいませんね」

 ほらな、とイガワは言う。

「好きに調べても構わないが、俺は自信をもってお前の言い分は間違っていると言い切れるからな」

 ツバサはもう一度、辺りを見回した。

 飾りといった小物も何一つなく殺風景としていた。研究一筋の人なのが良く分かる。

 本棚を見渡す。机の右側にある本棚は、研究用の著書や参考用に使っていたであろう学術書などが並んでいた。そして、左側には、ファイルが並べられていた。

 ファイルは、それぞれ本棚に綺麗に並べられていて、それぞれにアルファベットと数字が書かれているタグが貼り付けてあった。

 よく見ると、同じアルファベットと数字のラベルが複数あった。数字の横にさらに小さく数字が書かれていた。原則的にアルファベットと最初の数字が肝心なようだ。

 ツバサは適当に『E-3』と書かれたファイルを手に取った。

 

 Economics

 

 さらにツバサはページを適当にめくる。

 ……

1 Trading way and trade policy in Australia

 

From 1980s to 1990s, the fundamental objective of the trade liberalization policy in Australia was constructing the global free trade system according to the rule of World Trade Organization (WTO). Australia did not agree with North American Free Trade Agreement (NAFTA) leading to the protectionism and regional FTA like EU. However, after the agreement proposed by WTO started, the awareness of the regional FTA or the bilateral FTA was raised rapidly by the reflection from the Asia Pacific Economic Cooperation (APEC) Bogor Declaration, etc, (preventing from increasing the protection standard in the trade/investment liberalization process and keeping the current regulation as it is), because the free trade was not introduced by the protectionism policy of each country. Especially, after the WTO Seattle meeting in April 2000, the bilateral FTA was actively promoted.

Australia was directed the attention to not only the trade or economy between other countries in specific area, but also the mutually complementary bilateral FTA including other factors, because of the global trade as the first choice, the local trade as the second choice, and the closer relationship including the security terms as the third choice (US terror incident in 2011, Afghan war, Iraq war, instability of Solomon Islands as neighboring area).

When the Federation was established in Australia, the tariff was so high and the protectionism which added quotas to tariffs was strong. Whitlam Government in 1973 cut tariffs by 25 per cent across the board, Hawke Government in 1983 set about opening up the Australian economy to competition, Prime Minister Hawke and Treasurer Keating maintained the tariff reduction program. As a result, the economic base was built.

 

……  

 

「おい、大丈夫か?」 

イガワの声ではっ、と我に返った。

「随分読み込んでいたが、大丈夫か?」

「ああ、いえ……大丈夫です。ちょっと魅入っちゃって……」

 イガワは横からツバサが読んでいたものを覗いた。

「うわ……英語かよ。お前、これ分かるのか?」

 まあ……とツバサは恐縮しながら答えた。

「面白いものなのか?」

「まあ、面白いというより、興味深いと言った方がいいかもしれませんね。沖津教授は、専門は電子工学ですが、あらゆる学問に精通していたと聞いていましたから、こうやって実際に見てみると、やはりすごいと実感してしまうんですよ」

 そういうものなのか、とイガワは呟く。

「好きな漫画家がいたとして、その漫画家はバトルものが代表作だけど、他のジャンルの漫画も描いているといったものでしょうか」

「ああ、なるほどな。気持ちは分かったよ」

 ツバサは、ファイルを閉じ、そのまま元の場所に仕舞った。

「すみません。お手数をおかけして」

 別にいいよ、とイガワは返す。

「隣の研究室も見るか? お前なら興味のあるものがあるんじゃないか? まあ、俺には興味を持つものなんて一切なかったがな。鑑識もあまり手をつけていない」

 イガワがそう言うと、ツバサはこみあげる嬉しさを抑えきれずに、微笑みながら、

「お願いします」

 と、答えた。

「分かりやすい奴だな。こっちだ」

 イガワは、横の扉を開けた。

 中に入っていくと、電子工学で扱う機械や部品が置かれていた。乱雑そうに見えて、ツバサやそれに精通している人から見れば、正しく配置されていた。

「これが、沖津教授の研究室……」

 偉大な権威がここで研究していたことを思うと、胸が高鳴った。頭の中で、沖津がどのように動いて、何を研究していたのか――その妄想をするだけでも楽しい。

 ツバサは、目を輝かせながら研究室を回った。

 その中で一際目に入ったのがあった。

「これって……」

 ツバサはそれに近づく。

 大きさは、中くらいの段ボールほどの大きさだろうか。立方体らしき機械があった。

「何か、手がかりがあったのか?」

 イガワがツバサに近づいていった。

「いえ……これって……電磁波遮断機構の本体……」

「電磁波遮断機構? ああ、確か世界中に張り巡らされているっていうあれか?」

「はい。電磁波による人体への影響を完全に遮断させるためのもの装置です」

 ツバサは、詳しく眺めた。

 電磁波遮断機構は、外壁がなく、内部が見えていた。恐らく、分解している途中だったのだろう。所々がむき出しになっていて、中核にある制御システムも見えていた。

「すごい。元々、これを開発する段階での設計図では、半径百メートルのエリアをカバーするのに一つの街を占めてしまうほどの巨大なものになるはずだったのに、それをここまでコンパクトにすることが出来るなんて……」

 機械の素晴らしさに余韻に浸りつつも、ツバサの目はその違和感をとらえていた。

 あれ……?

 ツバサは目を凝らした。

 どういうことだ……? 

「焦げるはずのない場所が焦げている……」

 ツバサは、辺りを見回し、急ぎ足で、研究所内を見て回った。

「おい……おい! 一体何なんだ?」

 ツバサは、早急かつ正確に研究所内にあるものを全て頭に叩き込んだ。そして、自分が持っていた知識と照合させる。

「……やっぱりない」

 ツバサは、イガワに聞いた。

「あの……沖津教授の持ち物って、全部ここにあるんですか?」

 持ち物だあ? とイガワは唐突な質問に若干焦る。

「いや……研究所内は何も触っていない。死亡現場の書斎のものなら、一応最初は事件や事故を想定していたから、鑑識に回すために署に置いてあるが……」

 なるほど、そうか、とツバサは納得する。

「もし良かったら、その証拠品も見せてもらえませんか?」

「証拠品を? ああ、まあ構わないが……」

 イガワはツバサに急かされながら家を出た。そして、そのまま署へと戻って行った。

 

 署の証拠保管室にたどり着くと、お目当ての証拠品が段ボール箱に入って準備されていた。イガワは、取り出した証拠品を他の鑑識と共に丁寧に並べていった。

 証拠品はそれぞれビニールでくるまれていた。メモ帳やペン立て、便箋と数本のペンと万年筆やそれ以外に細々したものまで様々だった。

 淡い期待がツバサにはあったが、だが、ツバサが探しているそれは証拠品の中にも入ってなかった。

「やっぱりない……」

「なあ、一体何を探しているんだ?」

 イガワが尋ねるが、ツバサは語ろうとしない。まだ確証があるわけではない。もしかしたら、元から無かったのかもしれない。

 それにあの焦げ……。何か引っかかる……。疑問を解消するには、まだ情報が足りていない。

「お前、何か隠しているのか?」

 イガワが尋ねた。

「別に隠しているわけではありません。あの電磁波遮断機構が妙に気になっちゃったものでしたから……」

「そうか? だが、それにしても証拠品を確認するほどのことだったから、余程のものなんだろ?」

「沖津教授は発想が奇想天外ですからね。常識にとらわれていてはどうしようもないですから。僕が気にしていることは、もしかしたら、教授はその観点から研究していたかもしれません」

 まだ、確証がないんです、とツバサは言った。

 イガワは何かを察したのか、そうかい、と言ってそれ以上は聞かなかった。

「他に協力出来ることはあるか?」

 ツバサは考えた。今、自分が出来ることは一体何だろうか。

 そういえば……、とツバサはイガワに思い出すように聞いた。

「近隣住民から話とか聞いてないんですか?」

 イガワは、ああ、と淡白に答えた。

「一応な。まあ、事件として扱っていなかったから簡単に聞いたくらいだ。返ってくるのは似たようなことばかりだったぞ」

「似たようなこと?」

「元々近所付き合いも殆どない所為か、外で見かけたことは殆どなかったそうだ。いつも助手が被害者の手足みたいなもので、買い物から何から何まで全部やっていたそうだ、とそんな感じの回答ばかりだったよ」

 なるほど、とツバサは呟く。

 簡略的に聞いたのなら……次にやることは一つしかない。

「それがどうかしたのか」

 イガワが尋ねると、ツバサは、微笑みながら答えた。

「いいえ、何も」

 

 時刻は夕方になろうとしていた。

協力してくれたイガワに礼を言って、警察署を後にする。

 次のやるべきことは決まった。まずは、それからやり始めることにしよう。それから先はまた後だ。

 そして、ツバサは、またもなけなしの金でタクシーを拾い、メトロポリスの中心街へ向かうわけだが……。

 カノコから少しだけ金を借りた方が良かった、と今になって悔やむのだった。

 

   5.

 

 翌朝。

 ツバサは仲間たちに、知り合いの企業との交渉にもうひと押ししてくる、と適当に考えた理由を述べて自由行動の許可を貰い基地を後にした。

 今度は、不本意ではあるが、いざという時とのためにとっておいた非常用の金を用意して再び沖津の自宅のある地区へ向かった。

 S‐GUTSと知られないように、制服は脱いで一応スーツを着る。上に白衣を着て、しっか

りとボタンで留めて中身を見せないようにした。

 ツバサは、まず手始めに、沖津の近所の家から聞き込みを開始した。 

 

チャイムを鳴らす。

『はい。どなたですか?』

 中年くらいだろう女性の声が聞こえた。

「すみません。R大学理工学部の者なんですけど、沖津教授についてお伺いしたいことがございまして……」

 我ながらうまい嘘だ。インターフォンはカメラ付きだから、身なりをきちんとしていれば怪しまれることもない。

 インターフォンが切れると、すぐに扉が開いた。

「ああ、どうも。突然お邪魔してすみません」

「大学の生徒さん?」

「はい。沖津教授のゼミに在籍していまして、教授はこのあたりにお住まいだと代理の宣誓から聞きました」

「それなら、もう三ブロック先の家ですよ」

 どうやら道に迷った、と勘違いしているようだ。

「ああ、違うんですよ。それで実は、近所の人々に教授のことを聞きまわっているんですよ」

「聞きまわっている?」

「はい。先日教授が亡くなったというのは、多分ご存じかと思うんですが、実は大学で追悼のために教授の特集を新聞部の人達と合同でやることになりまして。それで、実は大変恥ずかしいことなのですが……教授は日頃から大学に来ないで、いつも代理の人が来ている状況だったので、教授がどういう人だったかというのは、著書の人物紹介でしか分からないんです。ですから、周辺に住んでいる人たちなら教授の意外な一面を知っているのでは、と思って聞いて回っているんです」

 ツバサは、そう説明すると、女性は特に疑うこともなく、そうだったの、と言った。

「つい先日警察が来てね。その時も沖津さんについて聞かれたのよ」

「警察も……ですか?」

 ツバサは知らなかったように聞く。

「ええ。でもごめんなさい。多分力になれそうにないわ。沖津さんって、近所付き合いとかあんまりなくて私たちもどんな人なのか知らないのよ」

「やっぱりそうですか……。実は他の家でも同じようなこと言われたんですよ」

 やっぱりそうなのね、と女性は頷く。

 ツバサは、また聞いた。

「沖津教授が亡くなった日なんですけど、彼を見かけてはいませんか?」

「いいえ、見てないわ」

 と、女性は即答した。

「あの時は、家の草むしりをずっとしてたけど誰一人として見なかったわね。途中で警察が来て、一体何があったのかしら、と思ったわ」

「そうでしたか……やっぱり人付き合いが悪い人だったんだなあ」

 ツバサは、残念がるように呟いた。

 

 それからというもの、一軒一軒聞き込みをしていったが、返ってくる言葉は同じようなものだった。

 やはり沖津は、思っている以上に人付き合いは限られたものだったようだ。やはり彼と親しかった人達に話を聞いた方がいいのかもしれない。

 だが、それでも情報を直に聞けて実に有意義だ。

 もうそろそろ近所と呼べるには距離が遠いか……、ツバサは最後の一軒を訪れた。

 そこでも、言うことは似たようなものだった。

 だが、そこで今まで無かった新しい情報を掴むことが出来た。

「時々見ても、不愛想に一人でとぼとぼ歩いていたから、きっと一人ぼっちなのね、とずっと思っていたわ」

 でも、とその家に住む女性は言った。

「実際、沖津さんって隅に置けない人なのよ」

 女性がそう言うと、ツバサは耳を疑った。

「隅に置けないというと?」

 女性はツバサの顔に近寄りお周囲を気にしながら小声で言った。

「あなたの話を聞いて思い出したのだけど、三か月ほど前だったかしら。沖津さんが若い女の子と一緒に歩いているのを見たことがあるのよ」

「女の子と……ですか?」

「そう。紛れもなく若い女の子よ。十代くらいのね」

 十代くらいの女子と一緒にいた……今まで聞いたことがない。

 沖津は子供がいたが、それは息子だ。しかもすぐに亡くしていて、それ以降子供は作らなかったはずだ。

 しかし、研究一辺倒の沖津が他の人と――ましてや若い女子に興味を抱いていたというのはあまりにも不可解だ。イメージが湧かない。

「それって、どんな女の子か分かりますか?」

 女性は、ツバサの質問に間をあける。どうやら思い出している最中のようだ。

「えーっとねえ……確かショートヘアーの……何て言うんだっけ? ショートなんだけど、全体的に髪が丸まっている感じの……」

「ボブカットですかね?」

「ああ、そうそう。そんな感じ」

 ボブカットの女子……か。しかしそれだけではあまりに曖昧すぎる。

「年齢は……十代ぐらい……。具体的には何歳くらいでしたか?」

「そうねえ……身長は……あなたより四、五センチ下かなあ。年齢は思い出せる感じだと高校生って感じだったわね」

「今まで見たことは?」

「ないわね。初めて見たわ。このあたりには住んでいないんじゃないかしら」

 高校生くらいの……しかもボブヘアーの女子か……。ツバサは、自分自身が知っている人物の中に一人だけ該当する人物がいることに気づいた。

 まあ、偶然だろう、とすぐに考えを振り払った。

「その女の子と……ですか? 沖津教授はどんな感じだったんですか?」

 ツバサが尋ねると、女性は待ってました、と言わんばかりな表情になって言った。

「そうなのよ。今までずっと不愛想な顔をしているから、びっくりしちゃったのよ。沖津さんったら、その子と一緒に笑っていたのよ」

「笑っていた?」

「そう。あの人が笑うなんて想像も出来ないけど、確かに笑っていたのよ」

 笑う沖津なんて……確かに想像はつかない。

 しかし、その子に笑う姿を見せていたということは、沖津は随分とその子には自分の感情を表に出していた人物のようだ。

「あの笑っている顔を見て、よく分かったわ。あの子は沖津さんの歳の離れたそういうのじゃなくて、多分家族の類なんじゃないかって?」

 家族の類? とツバサは聞いた。

「そう。あの安心した顔は、なんていうか、家族と一緒に入れて幸福を感じているような、そんな感じよ」

 女性はそう説明した。

 ツバサは、先日のカノコの事をふと思い出した。家族に出会って、素をさらけ出す姿――昨日のカノコのようなものなのだろうか。そんな姿を、沖津が安心してさらけ出せる人物――確かに家族のような存在にしか見せられないが……しかし想像できない。

「やっぱり沖津さんも人の子なのよねー。出来ればあんな時の沖津さんと話がしてみたかったわ」

 

 話を終えて、ツバサは情報を整理する。

 手がかりが殆どなかった状態で、前に進める手がかりが見つかったのは大きい。

 沖津はただ一人ひっそりと死んだ、という状況的に納得できる現象が、ツバサの脳裏で瓦解しようとしていた。

 沖津が誰かに殺された可能性がある――それが今までの調査で現実味を帯びてきていた。

 それに沖津といた女子……もしかしたら……、とツバサの脳裏である人物が浮かび上がっていた。

 よくよく考えたら、色々当てはまる人物がいる。偶然かどうかは分からないが、聞いてみる価値はある。

 ツバサは、端末を取り出しあることを調べ始めた。

 沖津の葬式がどこでやっているのか、その情報ならニュースでも取り上げているはずだ(無ければ、アカシックレコードを用いてでも無理矢理調べだすが)。

 どうやら、情報では、葬式は丁度今日のメトロポリスのA葬儀場で行われているらしい。まあ、有名人が多数そこを使っているだけあって、沖津もその部類に入る人だ。使うのも理解できる。

 しかし、またタクシーで移動か……。出来れば早くもう一歳年を取れれば、スタッグSGに乗れるのだが……。やれやれ、十五というのはこれだから厄介で中途半端な年齢だ、とツバサは苦言した。

 

 A葬儀場の目の前はすでに大勢の人だかりになっていた。

 入り口の前で名前を記入する人々、それを待つ人々、献花をしに来る人々――多くの人々が入り乱れていた。

 よく見れば、学会でよく見る名のある教授や博士たち――さらには海外から来た学者たちも見えた。

 いかに沖津が世界でその名を轟かせたのかよく分かる。

 ツバサは、予め買っておいた花を用意して突入する。

 芳名帳記入の列には、親族、友人、企業、さらには外来と、一見のゲストも献花をしていいようだ。

 ツバサは外来の列に並んで順番を待った。

 自分の番が来ると、ツバサは自分の名を書いた。

「ん? エンジョウ……?」

 外来の芳名帳を担当していた受け付けの男がツバサの名前を見て呟いた。

「あの……」

「はい?」

 ツバサは男の顔を見やった。

「あの……、もしかして僕は入っちゃ駄目でしたか?」

「ああ、いえ……違うんです。もしかして、あなたはアールサイバネティックコーポレーションに関係者がいませんか?」

 アールサイバネティック? とツバサは呟いた。ああ、そうか、この人はもしかして……、とツバサはすぐに察知した。

「ええ、一応母がそこの常務ですけど……」

「ああ、そうでしたか! やはりカノコさんのご家族の方でしたか!」

「はい……あの……あなたは?」

 男は今までの表情とは一変して、明るい顔でツバサに言った。

「実は私は、あなたのお母様と同じ販売部門に務めている者でして。エンジョウと聞いてもしかして、と思ったんです」

 ああ、そうだったのか、とツバサは納得した。

「どうぞ。お入りください。今さっきですが、お母様が入っていきましたよ」

 ツバサは礼を言って会場へ入っていった。

 ああ、そうか。よくよく考えれば母さんがここに来るのはおかしいことじゃないんだよな、とツバサは己の予測の甘さを反省した。

 KISANUKIグループもTPCの協力企業の一つで、またアールサイバネティックと時より提携して商品を発表していたことをツバサは思い出した。そうなれば、会社関係者が葬式に来るなんて当然のことだ。だったら、カノコがいないはずがない。

 あの母のことだ。自分がいることは勘で読み取れるはずだ。

 ツバサが、そう思いながら献花の列に並んでいると、

「あれー!? ツバサじゃない!」

 ほら、やはり。

 カノコはあの長い列にいたツバサをピンポイントに見つけ出し、近寄ってきた。

「ツバサ! どうしてここにいるの?」

「ああ、いや……。沖津教授って確か元KISANUKIグループの人なのを思い出してさ……。確か母さんの所の会社と縁があるのを思い出して、一応献花しようかなと」

 ついさっき思い出したことを口にした。あまりにぎこちないのはツバサ自身でも分かった。

 だが、カノコは一切疑うこともなく、

「そっか。そういえば、ツバサって沖津さんの本を結構読んでいたわよねー」

 と、言った。

「そ、そうなんだ。僕の憧れの人の一人でさ……」

 ツバサはそう言うと、もう一度列に並びなおして献花した。

 ツバサは溜息を吐きながらカノコの元へ戻る。

「ここに来るなら昨日言ってくれれば良かったのに。そうしたら、一緒に行けたのにね」

 あはは、とツバサは苦笑いをする。

「本当に思い出して急いで来たからさ。言えなかったんだよ。母さんだって仕事があるだろうし」

「仕事なんかそっちのけで家族を優先してあげたのに」

 いやいや、それは家族としてはいいのだろうが、仕事をする人としては時と場合があるだろう、と言いたかったが、ツバサは喉にその言葉を引っ込めた。

「そういえば、母さんは沖津教授のことをよく知ってるの?」

 ツバサが尋ねると、カノコは右手を頭の後ろに添えて、目を逸らした。

「あー、実はそんなに知らないのよね」

「ああ、やっぱり?」

「うん。わたしが沖津さんのことを知ったのは、会社に入った時で、その頃は沖津さんが会社を辞める二、三年前くらいだったかな。会社の合同祝賀会で初めて顔を見たんだけど、笑わないし、覇気はないしで……本当に一会社の社長なのかなって疑ったほどだから」

 そうなんだ、とツバサは言った。

「ああ、でも、沖津さんのことをもっと知っている子なら知っているわよ。聞くならその子に聞いてみたら?」

 カノコの口からかなり有意義なことが漏れた。ツバサは思わず、聞き返すほどに。

「本当に?」

「うん。ついさっき話していたから……」

 と、カノコは周辺をきょろきょろした。

「あれー? どこ行ったかな?」

 カノコがその子の姿を探している間、ツバサは、その一点を見つめていた。

 特別なことではない。そこに異星人がいたとか、人類が知るにはまだ早い世界の秘密がそこにあったとか、そんな大層なものではなかった。

 ただ、そこに、ツバサが予想していた人物がそこにいたから、思わずその姿を凝視してしまったにすぎない。

 当然、向こうもツバサの姿に気が付いた。だが、ツバサとは違い、驚嘆していた。そこに自身のチームメイトがいるとは微塵も考えていなかったのだから。

 その子は、ツバサの元へ一直線に駆けていった。

 駆ける音に気が付いたのか、カノコもその子の方へ顔を向けた。

「あーいたいた。おーい。こっちこっち」

 その子は、ツバサの前で立ち止まって息を切らした。

「あの……大丈夫?」

 ツバサが、声をかける。

 息を切らしながらも、その子は驚きの顔を隠さないで、ツバサに言った。

「え? どうして? 何でツバサがここにいるの?」

 その疑問にどう答えればいいかツバサは迷った。ツバサは、相槌を打ってどう答えようか迷っていた。

 対するカノコは、その子が何故ツバサの名前を知っているか理解出来ていなかった。

「えーっと……、もしかして二人はお知り合い?」

 ツバサは、不思議そうにカノコに聞いた。

「あれ? 母さんは知らなかったっけ?―」

「うん。多分、色々忘れちゃってるかも」

 ツバサは、笑いながら言った。

「聞いたら思い出すと思うよ。彼女は、同じS‐GUTSの隊員のキサヌキ・エミって聞けばね」

 

 葬式会場の外のベンチでツバサとエミは座った(その陰でカノコが二人のやりとりを隠れて見ているのは言うまでもない)。

「驚いたなー。まさかツバサがここにいるなんて思いもしなかったよ」

「それは僕も同じだ。まさかエミが沖津教授の親族だなんて思いもしなかった。それにまさかあのKISANUKIグループがエミの一族の会社だとは思いもしなかったよ」

「とは言っても、わたしは基本会社にはノータッチだし、あまり関係はないのよね」

 それはそうと、とエミは言った。

「ツバサのお母さんがカノコさんだったなんて。エンジョウって聞いたときもしやとは思っていたけど」

「まあこっちも基本母さんの仕事には一切関わってないからね。どうやって偉くなったのか聞いたら、『ずっとそこで仕事をしていたらいつの間にか常務になっちゃった』って言うくらいだし」

 エミはくすくすと笑った。

「相変わらず面白い人ね」

 全くだ、とツバサは答えた。

「でもどうして母さんを知っているんだ? エミの立場なら母さんに近づくきっかけが見つからないんだが」

 ツバサがそう聞くと、エミはすぐに答えた。

「ああ、それはねー。わたしがTPCに入る前に色々ソフトを作って売り込みをしていた時に、カノコさんのところでソフトを卸してもらったのよ。それ以来ずっと付き合いがあったのよ」

 なるほど、とツバサは納得した。そういえば、エミの経歴にソフトの売り込みをしていたことが書いてあったな、と思い出した。

「ねえ、もしかしてわたしがKISANUKIの一族の関係者って気づいてた?」

「正直に言えば、今の今まで気づいてはいなかった。苗字でそれだと結論づけられないし」

 そっか、とエミは空を見上げた。

 悲しそうな顔だった。もういない誰かを想っているのだろうか――エミの表情は、そんな悲壮感を漂わせていた。

「沖津教授のことを大事に思っていたんだね」

 ツバサがそう言うと、エミは頷いた。

「わたしにとってもう一人のお祖父ちゃんだったからね。わたしの今の在り方は殆ど大叔父さんの影響が強かったから」

 エミは力強く言った。

 エミの言葉は、ツバサに響いた。今の生き方に大きく影響した沖津を、死して尚もエミに大きな影響を及ぼしていたのだ。

「よく遊びに来てくれてたなー。わたしが行く機会もあったけど、もっぱら大叔父さんがこっちに来てくれていたな」

「エミも遊びに行っていたんだ?」

「殆ど数えられるくらいだけどね。最近行ったのは、三か月くらい前だったかなー。大叔母さんと悠仁さんの二十五回忌で家に行ったのが最後だったかな」

 やはり、沖津と一緒にいたのはエミだったようだ。

「いっぱい面白い話をしてくれたなー。集団チャットによる社会的閉鎖に陥る人の増加率の検証とか外部端末の侵入による企業の平均被害総額の予測とか……楽しかったなー」

 ……それ、楽しい話なのか? ツバサは耳を疑う。

「最初はわたしもKISANUKIグループに入って、大叔父さんを助けようと思った。でも、大叔父さんは、自分の行きたい道を選びなさいって言ってくれて、昔から興味を持っていたプログラミングの世界に飛び込んで、高校二年くらいの時に、お父さんやお母さんの助けを借りてネット上での販売を始めたの」

 カノコさんと知り合ったのはその頃だったかな、とエミは言った。

「とにかくいっぱい教えてくれた。笑い話も尽きなかったし、いつも家族や親戚を大事にしてくれてた」

「何か想像がつかないな。僕はそうだけど世間一般では、沖津教授は人付き合いがなくて、助手以外に彼の内面を知っている人はいないって聞いていたから」

「それはわたしも不思議でしょうがなかった。なんでわたしや家族と接しているように振る舞えないんだろうって。大叔父さんは笑いながら、こう答えてくれた」

 

『儂という人物を知っておいてくれるのは家族だけで十分何だよ。他の人たちは、大叔父としての儂ではなく、科学者としての儂を覚えておいて欲しいんだよ』

 

「科学者としての自分を覚えておいて欲しい……か」

 ツバサは呟いた。

 沖津は自分自身をよく分かっていたのだ。自分をどういう了見で覚えておいてほしいか――家族には、ただ優しい夫として、大叔父として、父として。そして世間には、堅物ながらも世界が憧れた偉大な科学者として、彼は世間を相手に演技していたのだ。

「なんだが、自分とは違う次元にいる人のように思えるよ」

「わたしも」

 エミは言う。

「でも、いつかはそこにたどり着きたいな」

 エミの言葉は悲しみもあったが穏やかだった。

 きっと誰もがそう思っているだろうね、とつばさは呟いた。

 ツバサは、沖津という存在をようやく知ったような感じを覚えた。今まで知っていたのは沖津浩三という「記号」だけだった。だが、ようやく、沖津浩三自身を知ることが出来たのかもしれない。

 エミは立ち上がって言った。

「何だか、ツバサに言ったらすっきりしちゃった」

 有難うね、とエミは微笑んだ。ツバサは、役に立てたのなら、と微笑み返した。

「あーそうだ! 良かったら大叔父さんが載ってるアルバムがあるから見ない?」

 アルバム? とツバサは言った。

「そう。実は大叔父さんと一緒に埋葬するつもりなんだけど、まだお葬式は終わらないし、よければ大叔父さんの写真とか見てみないかなーと思って」

 沖津の写真――つまりそれは、今まで写真に写ることを拒み、叙勲で姿を現すまでの空白の期間の姿ということになる。

 中年時代は一体どんな顔なのだろうと、沖津の一つの不思議だ。

 だが、いいのだろうか。

「でも、それっていいのかな? 棺から埋葬する品を取り出すのはなんか気が引けるんだけど」

 ツバサが心配そうに呟くと、エミは、いいんじゃない? と返した。

「まだ棺には入れていないし、献花とかが終わるまでわたしが持っているんだから全然平気だと思う」

 そうなのか、とツバサは呟いた。

 それに、とエミは少しだけ強調して言った。

「せめてツバサには見てほしいんだ。わたしの大叔父さんのことをせめて家族以外の誰か一人にでも……」

 なぜ、自分なのかは分からない。ただ、ツバサは自分が沖津を知ることがエミの頼みのように感じられた。

 ツバサは力強く頷いた。

 

 エミは会場の中の準備室にアルバムが置いてあると言い、そのまま取りに行った。

 ツバサは一人になった。

 色々沖津のことを聞けて良かったと思う。だが、これは沖津の死と何ら関係があるとは言えない。

 矛盾点はあったのに、これだと言える確証が何一つ得られていない。

 何か見落としていないか……警察も考えられなかった見落としが……。

 ぶつぶつ言っていると、後ろから突然誰かに抱きしめられた。

 どーん、と子供っぽく擬音語を言い、ツバサを困惑させる。あまりの突然さに思わずツバサも声が出てしまうほどだった。

 ツバサは振り返る。

 やはりカノコだった。

「母さん……仮にもここは葬式会場だよ。あまりに場違いなんじゃないの?」

 カノコは、ツバサから離れる。

「いやー。しみったれた雰囲気は苦手なのよね。死んだ人だって、自分のことをいつまでも悲しんでいたら、逝けるところも逝けなくなっちゃうんじゃないかって」

 と、カノコは言った。やせ我慢をしていたようだ。

 ただ、カノコの言い分も間違ってはいないと、ツバサは思った。

「死んでみないと分からないかもね。本当に逝けなくなるのかなんて、本人にしか分からないよ」

 ツバサがそう言うと、カノコはそうよね、と言った。そして、突然ツバサの横に座った。

「ねえ、エミちゃんと随分いい雰囲気だったけど、もしかしてもう付き合ってるとかなの?」

 唐突に言われたことにツバサは目を丸くした。

「何言っているんだよ。そんなわけないじゃないか」

「えー。でもあんな風に話してくれるなんて相当の信用がないと無理よ」

「持っている興味の対象が似ているからじゃないのかな?」

 そうなのかなあ、とカノコはツバサの言葉を懐疑する。

「でもエミちゃんって前はかなり淡々とした子だったのよねー。それこそ沖津さんのように顔に表さなかったし、今になってすごく明るくなったし。これってツバサのおかげなんじゃないのかな」

 まあ、それは確かに、とツバサも思った。最初は淡々とした感じがしたが、最近になってそうでもなかったかもしれない。

 ただ、それが果たして自分のおかげかは定かではない。もしかしたら、自分ではなく、危機にさらされているこの世界がそうさせたかもしれないし、はたまた自分ではなく、ティガが現れたからかもしれない。

 そんな答えの出ないことを言っても何も始まらないし、終わりもしない。ツバサは、もうこの話はやめようと促した。カノコはしぶしぶながらも承諾した。

 そうこうしている内に、エミが大きなアルバムを持ってきて戻ってきた。

 

「あれー? カノコさんもいたんですか?」

「なによう! あっ、もしかして二人っきりの方がよかった? わたしお邪魔だったかしら?」

 何言ってるんだよ……、とツバサは呆れ顔で言った。そうですよ! とエミが赤面しながら慌てて否定した。

「もしかしてアルバムってそれのこと?」

 ツバサはエミが持っているアルバムを指さした。

「ああ、うん。大叔父さんの若い時から最近のものまでは全部この一冊に収められていると思うわ」

 エミはツバサの横に座る。中央にツバサ、その左右にエミとカノコがいる。エミはツバサの膝元にアルバムを置いた。

「これが沖津さんのアルバムなのかー。もしかしてわたしは見ない方がいい?」

 カノコがエミに聞く。

「一緒に見てください。大叔父さんはカノコさんならきっといいよ、って言ってくれるはずです」

 そうなの? とカノコは沖津に認められたようで若干照れた。

 ツバサはアルバムを開いた。

 さすがに幼少期のころの写真は無かったが、沖津がKISANUKIグループに入社した時の写真から始まっていた。

 ページが進むにつれて、横に女性が一緒に写るようになっていた。恐らく、妻でありエミが大叔母さんと言っていた清子だろう。

「清子さん綺麗ねー。沖津さんの若い時も初めて見たけど中々男前ねー」

 カノコが呟く。

 ツバサはページをめくっていった。

 ついに子供が写真に現れた。

「これって……」

 ツバサが呟いた。

「息子さんの悠仁さんね。わたしのまたいとこって事になるわね」

 息子……確か清子と同じく二十五年前に亡くなっていたことをツバサは思い出す。

 そして、家族三人、または悠仁が写っている写真が多くなっていった。有体に言えば成長アルバムのようなものだった。

 幼少期、少年期、青年期と成長した悠仁の姿がそこに写っていた。

「やっぱり、子供から大人になると悠仁さんも沖津さんの面影が出てきてるわねー」

 カノコは懐かしそうに言う。

「ですよねー。本当に大叔父さんに似てきたから、年を取ったら大叔父さんと瓜二つになるんじゃないかってお爺ちゃんが言っていたんですよ」

 エミとカノコがきゃっきゃと言っている中で――。

 ツバサは戦慄していた。

 悠仁という死んだ沖津の息子に、ツバサは驚嘆の色を隠せなかった。

 

 どういうことだ……? この人が本当に沖津教授の死んだ息子……? じゃあ、あいつは……あの人は一体誰なんだ?

 

ツバサは、エミに確認する。

「エミ。悠仁さんは、本当に交通事故で死んでいるのか?」

 突然の質問にエミは少し戸惑った。カノコは、ちょっと……! とツバサのいきなりの不謹慎な質問を注意した。

 だが、ツバサは引き下がらない。

「そうだよね?」

「う……うん。二十五年前に確かに。お爺ちゃんもそう言っていたし……」

「確かにこの悠仁さんは、沖津教授の奥さんと一緒に交通事故で亡くなったんだよね?」

「そうだけど……」

「遺体は確認したか聞いたことは?」

「そ……そんなの……」

 エミは答えられなかった。

 ツバサは、まあいい、と言い、質問を変えた。

「その後、沖津教授は三年ほど行方不明になっていると、世間では言われてるけど……」

 ツバサは、続ける。

「エミは、その三年間に沖津教授がどこにいたか知らないか?」

 エミはさらに戸惑った。

「どこにって……」

 エミは無意味に顔を左右に動かした。視点が定まっていない。ツバサのらしからぬ行動に混乱し、エミの頭を以てしてもついていけてなかった。

「ちょっとツバサ! なんてひどいことを言うのよ! エミちゃんの大切な人が亡くなったばかりなのに、そんなことが言えるなんて……!」

 カノコが険しい表情になってツバサに怒鳴った。思えば初めて怒鳴られたかもしれない。 

 だが、ツバサはやめない。信用が失うかもしれない、エミが自分を嫌うかもしれない、などそんなことはどうでもいい。今大事なのは、掴めそうな事実に手が届いているということだ。

「知っているなら教えてほしい」

「どうしちゃったの、ツバサ……。いきなり怖い顔になって……」

 エミが怖がりながら言う。

「ツバサ、やめなさい。これ以上は母さんも怒るわよ」

 カノコが立ち上がってツバサの目の前に立って見下ろす。ツバサは、カノコを見上げて反論した。

「母さんは黙っててほしい。これは重大なことなんだ」

 黙れ、と言われ、カノコは驚愕した。ツバサが、そんなことを言うなんて思ってもみなかったのだ。

「どうなんだ?」

 エミは、少し震えながらも答えた。

「聞いた話だと……大叔母さんと悠仁さんが亡くなったショックで、精神病棟に入院していたって……」

 なるほど、入院していたのか、とツバサは呟いた。

「じゃあ、もう一つだ。その三年後に沖津教授は突然戻ってきて、R大学で客員教授になった……そうだよね」

 エミは頷いて答えた。

「うん……。その時の理事長が大叔父さんの大学の同期だったらしくて……彼も大叔父さんが入院していたのは知っていたから、色々助けてあげてたって聞いてるけど……」

 ツバサは間髪入れずに質問した。

「じゃあ、いつも論文発表で公の姿に出ている代理人――沖津教授の助手と言われているあの人はいつから沖津教授の助手になった?」

 沖津教授の助手、と聞いてエミは悩みながら答えた。

「助手って……どっちの方? もしかしてキリュウさんのこと? いつも白衣を着ていた方の……」

 ああ、そうだ。キリュウという名前だ。ツバサはやっと思い出した。

「そう。その人だ。彼はいつから沖津教授と一緒にいた?」

 ツバサの迫る形相にエミは、若干怯えていた。だが、エミは、思い出したように答えてくれた。

「確か……お爺ちゃんが言っていたのは……お爺ちゃんがお見舞いに行った時に、大叔父さんに紹介されたって」

「紹介された?」

「うん。病室に入ってみると、見知らぬ青年がいたんだって。しかもその時、大叔父さんは笑いながらその青年と話していたのを見て吃驚してたって」

 ツバサは、それを聞いておかしい、と呟いた。そして、一つの仮説が頭の中をよぎった。

「本当に見知らぬ人だった?」

 ツバサが尋ねると、エミは、頭を抱えて混乱した。

「えっ? 見知らぬ……人……? あれ……どうだったっけ? 確かに、お爺ちゃんがそう言っていて……あれ? でもどうして……何で分からないの?」

 エミが呪文を唱えるかのように呟く。カノコはエミの背中をさすりながら落ち着きを取り戻させようとした。

「どうしたのエミちゃん? 苦しいの?」

 あれ? あれ? と、困惑した表情から段々と泣きそうな顔になってきた。

 そして、エミはツバサに縋り付いてこう言った。

 

「どういうことなの? わたし、どうして忘れてしまっているの? 何で不思議に思うことが出来ないの? キリュウさんの顔が、悠仁さんと同じ顔なのに、全然不思議に思えないよ!」

 

 ようやく、糸口が見つかった。

 ツバサは、エミをカノコに任せ、そのまま葬式会場へ入っていった。

 まだ献花は行われている最中だった。

 責任者……責任者はどこだ? ツバサは、辺りを見回した。

 だが、エミの親族がどこにも見当たらない。もしかしたら、いるかもしれないが、いちいち確認する時間はない。

 仕方がない、とツバサは棺の所まで賭けていった。

 棺には、沖津が安らかに眠っていた。

 イガワが言うには、司法解剖はすでにしてある状態だったはずだ。解剖の結果、沖津は心筋梗塞だと分かった。そして、沖津の表向きの環境から孤独死したものだと判断された。

 だとしたら……とツバサは思う。

 そして、ツバサはいきなり棺を開けた。そこには、白装束を纏った沖津の死体が置かれていた。

 周囲からどよめきが上がった。

「お……おい! 一体何をしているんだ!」

 誰かが怒鳴った。それと同時にカノコとエミも会場に入り、その光景を目の当たりにした。

「ツバサ……あなた……!」

 カノコが近づいてくる。

「おい! 君! 一体何をしているんだ! 不謹慎にもほどがあるぞ!」

 もう一方から老人の声が聞こえた。

 その声はツバサも聞き覚えのある声だった。ツバサはその声の方へ顔を向けた。

 間違いない。KISANUKIホールディングスの現会長であり沖津の義理の兄である木佐貫善三だ。恐らく、この葬式の主催者だろう。

 責任者が出てきてくれたのなら話は早い。ツバサは周囲に聞こえるように叫んだ。

「このようなご不敬を犯してしまい、申し訳ありません」

 そして、ツバサは木佐貫善三に自分のW.I.T.を取り出して自分自身の身分を明かした。

「木佐貫会長。僕はTPC本部特殊部隊S‐GUTSのエンジョウ・ツバサです」

 TPC? と木佐貫善三は耳にすると、一瞬だけエミを見た。

「もしかして、あんたはエミの……?」

「はい。同じ隊になりますね。最も、僕はまだ新人ですが……」

 ツバサがそう言うと、木佐貫善三は落ち着きを取り戻していった。だが、周囲からはまだ野次が飛んでくる。

「TPCがどうして来ているのか知らないが、死んだ人に敬意を評せよ! あんたらTPCはいつも自分勝手に来ては、極秘とか言って俺たちには全部を隠し通す! 今もどうせ理由があっても教えてはくれないんだろう!?」

 ご尤もな意見だ。最後は何だか自身の不満を勝手にぶつけているように聞こえるが、それは仕方がない。

 ツバサは叫んだ。

「情報を公開出来ないのは、地球を守るためなんです! 無理矢理にでも理解しろとは言えませんが、どうかここは分かってほしいんです!」

 勝手なこと! と叫びが響く。

「怪獣だって今まで出てこなかった! ウルトラマンが戻ってきてからだ! 怪獣や宇宙人が暴れだしたのは! あいつとTPCのおかげで今までの平和が消え去ったんだ!」

 胸が痛い言葉だ。

 だが、ツバサは耐えた。分かり切っていたことだが、そうなのだ――これもまた人々が変化した証拠なのだ。

 だが、今はこの先にある未来を守るために、傷を負ってでもやらなくてはならないことがあるのだ――ツバサは小規模のカメラを取り出した。

「何だね、それは!」

 木佐貫善三が尋ねる。だが、ツバサは答えをはぐらかしつつ、カメラを起動した。

「どうかご理解ください。どうしても必要なことなのです」

 ツバサはカメラを沖津へ向けて撮影する。

 足下から心臓……そして、頭まで。

 そして、すぐにツバサの求めていた答えの一つが見つかった。

「やっぱりそうだった……」

 あの男からこの事件を頼まれた時に、ふと頭の中で浮かんだ想像――それは間違いなかった。

 なら、後はそれを証明するための確固たる物的証拠が必要だ。

 ツバサは、そのまま会場の外へ駆けだす。そして、W.I.T.を取り出しある所へ番号をかけた。

「もしもし? こちらS‐GUTSのエンジョウです。イガワさんをお願いできますか?」

 数分待って、昨日聞いた男の声が響いた。

『何だよ、いきなり。せっかく休憩とっていたっていうのによ』

 不満たらたらにイガワは言った。ツバサは、軽くすみません、と謝りながら、こう頼んだ。

「今すぐ、沖津教授の証拠品を持って沖津教授の自宅へ向かってください」

『証拠品を持って? 一体何でだ?』

「詳しい話はそこでします。とにかく、そこで全ての証拠を集めます」

『ということは、もしかしてお前……』

 イガワは察したようだ。ツバサは、その通りに答えた。

「沖津教授の死が異星人の介入によるものである可能性に現実味が帯びてきました。これから、それを証明します」

 




続きます。
英語の文章の翻訳欲しい人は言ってください。
コメント欄に書くか、このあとがきに追加したらいいのか言ってください。まあ、全く関係ない英文なので読まなくてもいいんですけどね。英文あると何か論文ぽく見えるじゃないですか。

翻訳してほしいという要望があったのでここで書きます。久しぶりの訳なので間違ってたらすみません
以下の通りです。



1 オーストラリアの貿易動向と貿易方針

1980年代~1990年代頃のオーストラリアの貿易自由化政策は、世界貿易機関(WTO:World Trade Organization)のルールに則ったグローバルな自由貿易体制の構築が大原則であった。オーストラリアは保護貿易主義につながる北米自由貿易協定(NAFTA:North American Free Trade Agreement)、EUのような地域FTAに対して否定的だった。しかし、WTOが提言した協定発足後は、各国の保護主義政策による障壁で自由貿易の導入が進まなかったことにより、アジア太平洋経済協力(APEC:Asia Pacific Economic Cooperation)ボゴール宣言等(貿易・投資自由化過程において保護水準を高めるような措置を控え、既存規制を現状維持すること)を反映して、急速に地域・二国間FTAに対する関心が高まった。特に2000年12月のWTOシアトル会合後は、二国間FTAを積極に進めている。
第1番目の選択肢としてグローバルな自由貿易、第2番目の選択肢として地域貿易、そして第3番目の選択肢として安全保障面を含めた緊密化(2011年の米国テロ事件やアフガン戦争、イラク戦争、近隣ではソロモン諸島の不安定)により、オーストラリアは、ある特定の範囲内の国々との貿易や経済だけでなく、他の要因も含めた相互補完的な二国間自由貿易に目を向けることになった。

オーストラリアで連邦制度が確立されたとき、関税は高く輸入割当を課す保護貿易主義が優勢だった。1973年のウィットラム政権による関税の一律25%削減、1983年のホーク政権による競争に対し開かれた経済の導入、1991年のホーク首相とキーティング財務省による関税削減の遂行により、経済基盤の基礎を作った。
 


ということです。ね、全く話に関係なかったでしょう?


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其の3

しかし、これただの探偵ものになってねえか?
ティガらしさ消えてないか?
書き終わって今更なんですけどね……


   6.

 

 沖津の家に集合したツバサはイガワとその数人の部下たちと合流した。

 全員はそのまま沖津の書斎に入った。イガワとその部下はツバサの言われたとおり、沖津の持ち物を持ってきた。そして、それを沖津が死亡した当時の状況に配置した。

「一体どういうことだ? 被害者は心筋梗塞で死んだんじゃないのかよ」

 イガワが聞いた。

「殺されたかどうかは別として、少なくとも、沖津教授がここで亡くなる時に、第三者――つまり異星人がここにいたという可能性が高くなったんです」

 ツバサがそう説明する。

 ツバサとは違い、何一つ情報を得られていないイガワは、混乱するばかりだった。

「だから、どうして何だよ! とにかく説明してくれ! 何も分からずじまいじゃこっちが気持ち悪い!」

 イガワは諦めたようにツバサに叫んだ。ツバサは、少しだけ微笑んで、机の方を見やった。

 机の上には、メモ帳、そしてその横に数本のペンと便箋。その奥にはペン立て。それ以外は何もないシンプルなものだった。

 ツバサは、椅子に座り、沖津が死亡する直前の状況をシミュレートした。

「メモが机の手前にあり、さらにその横にペンがあったと考えると、沖津教授はメモ帳に何かを書き込んでいた可能性がありますね」

 ツバサがそう言うと、イガワはそれを眺めた。

「まあ確かに……場所的にはそう見えなくもないが……」

 ツバサは、メモ帳を手に取った。

「一般的なメモ帳ですね……特に仕掛けはない……紙の枚数は五十枚ですか……」

 そう言って、ツバサはメモ帳をぺらぺらと全てめくった。

「このメモ帳……紙が四十八枚残ってますね。ということは、これはまだ買ってから新しいものなのでしょうか……」

 ツバサが紙をめくりながら言うと、イガワが警察手帳を確認しながら言った。

「ああ……それは助手が数日前に買ってきたものらしいな。どうやら、今まで使っていたメモが切れたから、適当に買ってこい、と言われて近くのコンビニに急いで買ってきたものらしいな」

 なるほど、とツバサは言う。

「どんなに天才でも、メモを残すという基本は大事にしていたんだなあ……やっぱり科学者だったんだな」

 ツバサは、改めて沖津を尊敬した。

「そんなに大事なのか? メモを取るっていうのは」

 大事ですよ、とツバサは言った。

「それこそメモが後の大発明に繋がることだってあるんですから」

「何故だ」

「科学者にとって、メモに記入することは、とても重要なんです。何気ないものから閃いたものまで、その場で記入することから研究というものが始まります。警察が人から情報を聞いて手帳に書くのと同じです」

 なるほどな、とイガワは納得する。

「人の『話す』というのは多くの情報があります。たった一文字でその言葉の意味を変えてしまうほどの大きなものがね」

 ツバサは、そう言うと、もう一度メモ帳を見る。

「最近買ったものなら、最初の二枚は何に使ったのかを考える必要がありますね」

 ツバサはそう言った。

「そうだが……そもそもその二枚はどこにあるんだ? 俺たちが調べた時は使ったメモなんて無かったぞ」

 イガワが言った。

 そうだ。使った二枚のメモが無いということは、いくつかの可能性が浮かび上がってくる。

 一つ目は、使ってしまって必要のないことを書き込んだために、ごみに捨ててしまったか。

 二つ目は、誰かにメモを渡したか。

 可能性として高いのは二つ目だが……。

 ツバサは、頭の中で予測を思い巡らす。

 そして、その中で、一つだけ、あることを思いついた。

 ツバサは、メモ帳を開いた。

「おい、一体何を……」

「メモ帳に何かを書いたのなら、その何かを探ればいい。なら……」

 ツバサはメモ帳の一番上――つまり三枚目のメモ帳を広げる。そして、ペン立てにあった鉛筆を手に取り、メモを塗りつぶしていった。

「そうか。書いた時の圧力で下のメモ帳にも書いた所が窪んで跡になる」

 イガワもツバサの思惑に気づいた。

 ツバサは、上から少しだけ力を入れて黒く塗りつぶしていった。

 そして……。

「出ました」

「それで、なんて書かれていたんだ?」 

ツバサはメモをイガワに見せた。

 

 A-18

 

「『A-18』? 一体何のことだ?」

 イガワが尋ねると、ツバサは本棚を指さした。

「本棚に敷き詰められているファイルのラベルでしょうね。昨日僕が読んだファイルが『E-4』と書かれていました」

「なるほどな。しかし、これは何のためのラベルなんだ?」

「恐らく、それぞれの学問の英訳をラベルにしたものでしょうね。昨日読んだのが『E-4』で、そのファイルには『Economics』――つまり経済学に関することが書かれていましたから」

 イガワは、なるほどな、と呟く。そして、本棚に近づいていき、メモに書かれてあった『A-18』のファイルを手に取った。

 イガワはファイルを開くと、ん? と唸った。ツバサは、イガワの方へ顔を向けた。

「どうしたんですか?」

「いや、お前の言う通りなら、『A-18』のファイルには、『A』から始まる学問があるってことだよな?」

「恐らくそう言うことになると思いますが……」

 どうしたというのだろうか。イガワが納得いかない顔をしている。

「だったら、おかしいな。このファイルに書かれている学問……『P』から始まっているんだが……」

 イガワの言葉を聞いて、ツバサは耳を疑った。

 ツバサはイガワから、ファイルを借り、この目でそれを確かめた。

 

 Paleontology

 

 ツバサは、それを見て、はっと気づく。そして、隣のファイルを手に取って確認した。

「隣のファイルは、『A』で始まっている……」

「ということは、これは間違って『A』のファイルに挟んであったということか?」

 沖津が間違えてしまった……ツバサはその可能性を考える。

 老人だから記憶力は低下しているだろう、と思うだろうが、沖津は現役の科学者だ。全人類の頭脳やら何やら呼ばれていた沖津が間違えるだろうか。

 するわけがない。

 ツバサは、『P』の記載がされたラベルのファイルが入っている棚の列の前に立った。

 順番からして、『P』の最初あたりのファイルだが……。

 ツバサはファイルを開き、ページをめくっていった。

「イガワさん」

「どうした?」

「こっちにもありましたよ」

 ツバサはイガワにファイルを渡した。

 開かれたままのファイルには、『Paleontology』と書かれた項目と、それに関連する文章が記載されていた。

「おい。これってそっちのファイルにもあったじゃないか」

「ええ。両方を見比べると、同じものですね」

「つまり、どっちかがコピーってことか?」

「そうなりますね」

 しかし、そう考えると一つ疑問が浮かぶ、とイガワが言った。

「何でコピーが『A-18』のファイルに挟んであるんだ?」

 ツバサは、答えない。確証はないが、そこにコピーがある理由は予測していた。だが、全てを語るにはまだ足りない。

「空のファイルを埋めるためなのか……それともやっぱり間違えたのか……ん?」

 イガワは、ファイルをぺらぺらと適当にめくる。

 すると、ファイルの中から、するり、とある物が落ちてきた。

「ん? 何だこれは? ファイルに挟まっていたようだが……」

 イガワはそれを拾い上げた。

「何だこれ? 写真……としわくちゃになったメモ?」

 イガワがそう言うと、ツバサは、目を丸くした。

 一瞬の思考の停止。そして、ツバサの脳が活動を再開すると同時に驚愕の感情が一気に込みあがってきた。

「ちょっと見せてください」

 ツバサがそう言うと、イガワはツバサの言動に慌てつつもそれらを渡した。

 ツバサは、最初にメモを見た。

 罫線や紙の大きさから、机にあったメモ帳と同じであることが見て取れた。無くなった二枚のうちの一枚だろう。

 しかし、そこには何も書かれていなかった――正確には、さっきのメモと同じように筆圧で文字が紙に写っている状態だった。

 そしてもう一つ――写真を見つめた。

 最近撮られたものだろうか――四人の人物が写っていた。

 前に沖津、その横に沖津の助手であるキリュウ。その二人の間に、割って入るように写っているのがエミだった。

 そしてもう一人――。

 ツバサは、その人物を見て言葉を失った。

 まさか……ここで……こんなところで接点があったなんて……。ツバサは状況をうまく呑み込めなかった。

 なぜ、ここにいるんだ? この男は、僕が考えている以上に全てに絡んでいるというのか……!?

 答えは一向に見つからない。

 だが、これでいくつかの疑問を残しつつも、ツバサは、この事件の全貌が見えてきた気がした。

 この写真に写るもう一人の男――ガッツイーグルに乗っていたときに、「ティガ」と呟いたあのフード姿の謎の男がここに写っていた――やはりこの事件は昨日今日の出来事が全てリンクしている。

 そして、事件の調査を依頼した白衣と眼鏡の男――沖津の助手であるキリュウは、何らかの事情を知っている。

 なら、これから先何をすべきかは決まった。

 ツバサは、イガワに尋ねた。

「この写真とメモ……少しの間僕に貸していただけませんか?」

「こいつらを? まあ、別にかまわないが……一体どうするつもりなんだ」

 ツバサは沖津の死体を撮ったときに使ったカメラを見せた。

「これは、僕が作った多目的調査用のカメラです。動植物の生態や体内、サーモグラフィーによる温度調査など、生物学において調査に必要な機能が備わっています」

 ツバサがそう説明すると、イガワは、はあ、とあまり理解出来なくとも、それがすごい物なのだと理解する。

「で、そのカメラが一体何だったんだ?」

「先ほど、沖津教授の葬式に行ってきました。その時に、死体を『レントゲン』モードで撮ったんです」

 何だと、とイガワは言う。

「確か、沖津教授は司法解剖した結果、心筋梗塞だと分かり、教授の私生活から見て、孤独死によるものだと判断したそうですね?」

 ツバサが尋ねると、イガワは頷いた。

 だからですよ、とツバサは言った。

「だから、今回の事件の奇異性に気付かなかったんです。死因からではなく、初めから孤独死だと断定して司法解剖していれば、これを『事件』として扱うことが出来たんです」

「どういうことなんだ?」

 イガワが聞くと、ツバサは、『レントゲン』で撮った沖津の死体の画像を見せた。

 イガワはそれを覗く。そして、ツバサが言ったその「奇異」である部分にすぐに気が付いた。

 

「脳が……無い!?」

 

 そう。

 沖津の頭――脳が影も形もなかったのだ。

「孤独死は、心筋梗塞などの心身の病気を引き起こすだけではなく、脳溢血などの脳の病気を引き起こすことも考えられます」

 イガワは、なるほど、と頷く。

「アルツハイマーなど記憶障害などなら、脳の一部が壊死して無くなってしまう場合がありえます。例外としても、過去に水頭症で脳が圧縮されてしまい、頭がい骨の内側に脳細胞がわずかながら存在するのみの場合もありえますが、脳がまるまる一個――脳細胞がひとつ残らずないのは異常です」

「それも異常なのか?」

「ええ。水頭症のせいで脳はないが、脳細胞がわずかに残っている状態でも人は普通に暮らしていけます。しかし、その場合、IQなどの知識における知数は極限に下がります。沖津教授が仮にそうであった場合、彼の経歴やここにある膨大な学問を研究することは不可能なんです」

 なるほど、とイガワは唸った。

「だとすると、元からあった脳が消えたということになるが、解剖では頭は一切開いてない! ましてや被害者が頭の手術をして脳を取り除いたなんて話は一切なかったんだ」

 そうなると、とツバサは推測する。

 沖津は脳の病気を患ってもいない――となると、結論は、何者かが意図的に沖津の脳を、頭を開かずに取り除いたことになる。

 その何者かは一体誰か。決まっている。それが宇宙人の仕業ではないか、と。

「だが、これだけでは本当に宇宙人が関与したかどうか分からない。お前は一体どれだけ核心に迫っているんだ?」

 と、イガワは真相を聞くのを待ちきれないような表情で言った。

 ツバサは、まだ全ての真相を解き明かしていない。まだ、知りたいことが二、三あるのだ。

 だが、もうここで情報を明かしても構わないだろう、という結論に至り、ツバサは、イガワに自分が集めた情報から割り出した答えをイガワに伝えた。

 イガワは、絶句してしばらく動けなかった。

 ただの死亡事故だと思っていたものが、宇宙人による侵略計画の一部であったことに、イガワは現実味を感じなくなっていた。それほどまでに大きな事件を、自分たちは気づけなかった、いや、相手の思惑に嵌って気づかれないようにされていたことに、大きなショックを受けていたのだ。

「しかし……これが本当なら、すぐにでも事件を公表して、市民を避難させるべきなんじゃないのか?」

 イガワはそう提案した。

 だが、ツバサは否定した。

「何でだよ」

 ツバサは、苦笑しながら答えた。

「白状すると、最初に言った匿名の情報を聞いたというのは、僕が個人的に聞いたということなんです。つまり、TPCはこの件について一切気づいていないはずです」

 何だと!? とイガワは愕然とする。

「すみません。一応事件については、後で上層部に言うつもりだったんですが、こういう一情報だけで部隊が調べるなんてことは出来なかったので、あれやこれやを使って個人で調べていたんです」

 それに、とツバサは続けた。

「沖津教授の件は、そのままの報道のままでいいと思います」

「何故だ?」

 イガワが聞くと、ツバサは答えた。

「もし、宇宙人によるものであると公表すれば、確かにTPCも警戒レベルを上げて宇宙人へ対抗するでしょうが、だけど、あなたがた警察を出し抜いた敵です。知略が高いのでしょう。もしかしたら作戦を変えて新たに犠牲者を作るかもしれない」

「だから、気づかない振りをして、敵を奇襲するっていうのか……?」

 イガワが予想すると、ツバサは頷いた。

「だから、ここからは僕がやります。イガワさんは、恐らく後で住民の避難の誘導の指示が来ると思いますので、その時はよろしくお願いします」

 ツバサはそう言った。

 イガワは、ツバサの覚悟を知った。これから先、死ぬこともあるかもしれない敵地に、飛び込もうとしている。自分には何も出来ない。ただ、目の前にいる少年の無事を祈るしか出来なかった。

 

 一足先に、ツバサは沖津が、もとい、助手が在籍しているR大学の理工学部の棟へ足を運んだ。

 まず、ツバサは事務室へ向かった。

「S‐GUTSのエンジョウです。今日は、キリュウさんはいらっしゃいますでしょうか?」

 事務室の女性は、「キリュウ」という言葉を聞いて、該当する人物かどうか確認した。

「キリュウさんというと……理工学部のキリュウ助教授のことですか?」

「多分そうだと思います。頭髪がオールバックにセットされてて、眼鏡をかけて白衣姿の……」

 ツバサがそう言うと、女性は、予想通りだったのか明るくなって言った。

「あー。だったら、その人ですね」

 ちょっと待ってください、と言って女性はPCで何かを調べる。

「あの……すみません。これからキリュウさんは講義があるらしくて……この時限の後なら時間が空くんですけど……駄目ですか?」

 と、女性は言った。

 だが、それでは困る。一刻も早く情報を聞き出さなければ事態は最悪の展開になってしまうかもしれないのだ。

「何とかかけあってもらえないですかね? 緊急の用件なんです」

 ツバサの必死さが伝わったのか、女性は、受話器を手に取り、ちょっと待ってくださいね、と言って電話を始めた。

「あの、すみません。事務室の川本です。……はい……はいそうです。S‐GUTSの方がお見えになっていまして……。ああ、いいんですか? 分かりました、はい」

 女性は、受話器を戻してツバサに言った。

「会っていただけるそうです」

「そうでしたか。良かった」

「キリュウさんの研究室は三階の『B345』のプレートがある部屋です。どうぞ、そちらに行ってください」

 

 エレベーターを使って一気に三階へ向かう。

 天井に吊るされているプレートの案内に、目当ての数字が書かれていた。ツバサは、そのプレートに従いつつ、進んでいった。

 歩いて一分ほどしたところに研究室はあった。

 理工学系の研究室が並ぶ一角にそれはあった。肌が焼けるような、そんな熱さを感じる。

 中には人の気配がする。ツバサは、軽くノックをして部屋に入った。

 そこには、一昨日見たあの白衣の男――キリュウがいた。

「やあ。よく来たね」

 キリュウはそう言った。

 頭の中に響いてこない。どうやらテレパシーではなく実際に会話をしているようだ。

「頭の中で会話しなくていいのか?」

「ご心配なく。ここでは大丈夫だ」

 ツバサはゆっくりと男へ歩み寄る。白衣の胸の部分に、『理工学部助教授 桐生』と書かれていた。

「これから講義だって聞いたが……」

「まあ、遅れたって構わないさ。今日は、もうほとんど教えることはなかったから、適当に次回のテストの話をして解散させる予定だったからね。今丁度事務室の人に代理で行かせているから大丈夫だ」

 なるほど、とツバサは頷く。

「では、本題に入ろうか」

 キリュウは、そう言った。

「沖津教授の事件は、どこまで調べることが出来たかな?」

 キリュウがそう尋ねたが、ツバサは答えない。逆に、質問で返した。

「その前に、どういうつもりだ?」

 ツバサはかなり高圧的だった。

「質問の意味が分からないな。君は何を聞きたいんだ?」

 キリュウはとぼけながら言った。

 ツバサは攻め続ける。

「とぼけるな。もう調べはついているんだ」

「……」

 ツバサは説明した。

「お前がテレパシーで僕に会話したとき、お前は言ったな。『沖津教授が異星人に殺された可能性がある』、と」

 言ったね、とキリュウは頷いた。

「それと同時に僕はお前のことも気になっていた。テレパシーを使って僕に会話をして、沖津教授の事件に関心を持たせようとしていたようだが、だが、同時にお前のその力の原因をずっと予想していたんだ」

 キリュウは喋らない。

「沖津教授が異星人に殺された可能性がある……お前が言った通り、確かに沖津教授は異星人の介入で死んだ可能性が高くなった」

 ツバサはキリュウに沖津のレントゲン画像を見せた。

「沖津教授の脳が全て消え去っている。特に頭を開けた形跡もない。つまり、宇宙人が彼の脳を持ち去ったとされる。どういう方法かは分からないが……」

 そしてツバサは結論付けた。

 

「それは宇宙人であるお前にも可能なことだろう?」

 

 キリュウは鋭い目でツバサを睨んだ。

「沖津教授が宇宙人に殺された……一体どこから得た情報かは分からないが、だが、お前が宇宙人なら――その現場にいたならその情報を得ることが出来るよな」

 キリュウは、ふむ、と呟く。特に動揺している様子もなく、落ち着いた様子でツバサに聞いた。

「仮に、私がそうだと仮定しよう。そうだとして、その証拠はどこにある?」

 ツバサは、即答した。

「エミや周りの人が泣いていたというのに、どうしてお前はそんな態度でいられるんだ? お前が狂気だからか?」

 キリュウは、目を見開いた。

「沖津教授は、二十五年ほど前に交通事故で奥さんと息子を亡くしている。そして、公式では行方不明となった三年間は、実際は精神病棟で入院していた。そこに、お見舞いに来ていたKISANUKIグループの現会長――エミの祖父がそこで見知らぬ青年と出会ったと言っている」

 ツバサは、そこまで言って、キリュウに答えるはずもない質問をした。

 

「どうして、会長はお前を『見知らぬ人(・・・・・)』だと言ったのだろうか?」

 

 キリュウの口が歪んだ。

「お前の顔を知らないはずがないんだ。会長もエミも、沖津教授をよく知っている人なら、誰もがみんな、お前の顔を知らないというのはあり得ないんだ。なのに、みんなは、お前の矛盾に気づかない」

 ツバサは力強く言った。

 

「お前は、二十五年前に死んだはずの沖津教授の息子――悠仁であることに」

 

 キリュウは微動だにしない。ただ、ツバサをまっすぐに見つめていた。

「悠仁の顔を知っているのはエミを含めた沖津教授の親族だけだ。なのに、沖津教授の助手であるキリュウの顔を見ても、誰一人として死んだ息子の悠仁と瓜二つの人がそこにいることに不思議に思わない。となると……」

 ツバサはキリュウを威圧しながら結論付けた。

 

「お前……死んだ息子の悠仁と助手であるキリュウを関連づけさせないように、エミたちの記憶を弄ったな」

 

 ツバサは続けて言った。

「エミたちには悠仁の顔の情報だけを消して、自分自身――つまりキリュウが目の前に現れても初対面ということにするように記憶を操作した。沖津教授の助手として新たにエミたちとの関係を再構築していった」

 ツバサがそう言うと、キリュウは、はあ、と溜息を吐いた。

「エミは……混乱していただろう?」

 ツバサは一瞬だけ怒りが込み上げてきた。記憶を弄った目の前の男があまりにも罪悪感を抱いていなかったからだ。

「ああ……涙を流して、どうして気づかなかったのか、本当に混乱していた」

「そうか……」

 キリュウはそう言って、ツバサに背を向け、窓の外を見つめた。

「話してもらおうか。一体お前は……いや、お前らは何を企んでいる」

 ツバサが、そう言うと、キリュウは小さく苦し紛れに笑った。

「何を企んでいる……か……。君はもう気づいている癖にそう言う……」

 キリュウは、もう一度ツバサの方へ体を向けてようやくツバサの質問に答えた。

「お察しの通りだ。私は人間ではない。この体は確かに、死んだ悠仁の体だ」

「ということは、お前が悠仁に憑依しているということか?」

「憑依……まあ、その表現で正しいのかもしれない。実際には、人の体を借りていると言った方がいいのかもしれないが……」

 中には、遠隔して人を操ることも出来る、とキリュウは言った。

 キリュウは、机にあった飲みかけのコーヒーを一口啜ってから、ツバサの質問に答えていった。

「何を企んでいるか……それを答える前に、いくつかの訂正と弁解をさせてほしい」

 弁解? とツバサは言った。宇宙人に弁解――ましてやこれから悪事を働く輩を信用していいものか。

「まず、私は教授を殺してはいない。あの日、確かに教授の家に行ったのは事実だが、その時にはすでに教授は亡くなっていた。第一警察に通報したのは私だぞ。私が犯人ならどうしてそんな自分の首を絞める行為をする?」

「犯人は現場に戻る心理が働いたのではないか?」

「それは人間だろう? 私は宇宙人だ。そんな心理は通らない」

 人の心理が宇宙人にも通用するのかどうかは置いといて、果たして、キリュウは本当のことを言っているのだろうか。

「二つ目に、確かにエミや会長らから私と悠仁の関連性の記憶を操作した。だが、それは私が意図してやったことではない」

 それこそ嘘だ、と言える。都合の悪いことだからこそ、記憶を弄ったのだから、意図してやったことは明らかだ。

「まあ待て。私の、というより、今までの出来事を聞いてくれれば納得してもらえると思う。まずは、その椅子に座りたまえ。かいつまんでだが、話をしよう」

 キリュウは、そこにあった椅子を指さした。

 ツバサは、少しの間悩んだが、キリュウの言葉に従って、腰かけた。

 キリュウも椅子に座り、自らの過去を話し始めた。

 

「我々が地球に来たのは、人類を導くためだった」

 キリュウはそう言った。

「遥か昔――今で言えば中世期頃だったか、我々は地球に来て、この世界の支配者である人間を導くためにやってきた――まるで我々を神であると思わせるほどにね」

 神、とツバサは呟いた。

「だが、羊飼いのように、羊を正しく誘導するといった優しいものではなかった。我々は、人間を家畜以下としか見ていなかった。愚かな星に住まう愚かな生き物共を導くためにわざわざ来てやったのだ、敬意を表せ、とね」

 まるで人間が塵を見て、それを嫌悪するのと同じだ、とキリュウは呆れながら言った。「もっと言葉を考慮して穏便に言うのなら、『ガリバー旅行記』に書かれている話に例えて言うなれば、我々が高貴な馬の一族であるフウイヌムであり、人類が野蛮人ヤフーだろうな」

と、キリュウは説明する。

「我々が導けば、人類は我々を敬愛する。そして、彼らの文明もまたより一層発展する。合理的に見えるが、あまりに強引だ。その行く先は、狂気を真実として信じ、檻にしか生を感じることの出来ない未来だ」

 まさに『ガリバー旅行記』だ、とキリュウは言った。我々に導かれた人類の到達点は、まるで『ガリバー旅行記』のラストシーンのような、類似したものになる、とキリュウは言った。確かに、言っていることが正しいなら、その説明は全て納得がいく、とツバサは思った。

「だが、私にはそんなもの何一つ興味は無かった」

 キリュウは、今までの説明したことを全て投げ捨てた。

「興味がない?」

「ああ。人類を導くだの何だのと、そんなことは私には一切の興味は無かった。仲間は皆、私を軽蔑の眼差しで見つめていたよ。そんなことを思っているのは、私だけだった」

 それは、何故だ、とツバサは尋ねた。

「私が興味を示していたのは、『知識』なんだよ」

「知識?」

「そう。元々私は、自分で言うのもあれだが、私は学者なのだよ。あらゆる星々の、あらゆる次元に存在する世界の――ありとあらゆる知識を極めることが、私の生きる目的なのだ」

 知識を極める――つまり、知識を吸収して自分のものにするということだ。

「だけど、そんなことをして何になる? 侵略のために使うのか?」

 ツバサが聞くと、キリュウはきっぱりと否定した。

「いや、そんなことはしない。確かに今まで得た知識を使えば、私一人でも星々を征服はおろか壊滅させることは出来るだろうが、それは違う」

 キリュウは言った。

「私はただ、知識を吸収することに快感を覚えているだけなのだ。言うなれば、地球でいうオタクというやつだな」

 となると、私は知識オタクかな、と小さく笑いながら言った。

 ツバサは、それを見て何となくだが気持ちが分かった。自分自身も、同じようにあらゆる分野の知識を学ぶことが好きだったからだ。

「まあ、そういうわけで私は、仲間たちと行動しながら、一人、知識を吸収することに熱中していたわけだ」

 それからだ、私にある任務が与えられたのは、とキリュウは言った。

「過去に我々は人類と何度か戦った。持っている知識の量や戦闘力、世間で言う科学力は間違いなく我々が圧倒的優勢だった」

 だが、全ての戦いで我々は負けた、とキリュウは言った。

「幾度かの戦いの末、我々は地球を離れた。我々よりも邪悪な存在が蘇ったからだ。仲間は私一人と私への任務を残して去って行った」

 キリュウが遠い目で言った。ツバサは、キリュウの任務が何となくだが分かった気がした。

「もしかして……沖津教授への接触?」

 そうだ、とキリュウは言った。

「接触というのは、間違ってはいないが……当時与えられた任務は、教授と接触した後、すぐに教授が持っている我々が欲している情報を全て盗み、教授を始末するというものだった」

 キリュウは続ける。

「我々は、教授が、我々が忌むべき存在の研究を行っているという情報を突き止めた。そこで、私に白羽の矢が立った。私ならば簡単に教授と接触出来ると考えたのだろう」

 だが、実際は違った、とキリュウは続けて言う。

「教授は、あまりにも家族以外とは関わらない閉鎖的な人間だった。私自身、何度も会おうとしたが、全て門前払いをされた」

 その時だった。あの事故があったのは……、とキリュウは重い口調で呟いた。

「教授の妻と息子が交通事故で亡くなった……」

 ツバサが代わりに言った。キリュウは、そうだ、と呟いた。

「あまりに突然のことだった。当時、教授は学会があったためにその事故を聞いたのは、二人が亡くなってから一日経った後だった。それを聞いた教授は、死に顔を見に行くことも出来ずに精神を病んだ。そして、そのまま入院してしまった。そのせいで、教授への接触はさらに困難を極めてしまった」

 だが、逆にチャンスだった、とキリュウ。

「精神病棟に入ったと聞き、私はこの手しかないと考えた。それが、亡くなった息子悠仁の体を借りることだった」

 キリュウは当時のことを思い浮かべながら言った。

「始めは周りに悠仁が生きていたという記憶を刷り込ませ、彼の体を借りた私は、精神病棟へ行き教授と面会した。私は、死んだ息子は実は生きていた、という設定で教授に接触することに成功したが、すぐに看破されてしまった」

 

 ――お父さん。僕です。

 ――お前……。

 ――僕ですよ! 悠仁です。何とか生きて戻ってこられたんですよ。

 ――お前は、誰だ?

 ――え?

 ――お前が生きていることは、記憶にあるが……何故だろうか、お前が生きていることに矛盾を感じてしまっている。お前は今ここに居てはいけない存在ではないだろうか、と思っている俺がいる。

 

「あれやこれやと工作したが、教授は、何の証拠もなしに記憶の矛盾にいち早く気付いた。そして、あらゆる事を論破され、私も後がなかった。こうなれば、最終手段だ。彼の知識を一刻も早く奪って逃げよう、と」

「ちょっと待ってくれないか?」

 キリュウの説明にツバサが間に入った。

「お前の力はよく分かった。今までの能力などを考えると、どうやらお前は実体を持たない宇宙人のようだ。生きている死んでいるに関わらずに人を乗っ取ることも出来る」

 そうだ、とキリュウは頷いた。

「なら何故、沖津教授への接触を人と同じやり方でやったのか理解できない。その気になれば、沖津教授を遠隔操作して自分のところへ持って来たり、教授そのものを乗っ取って脳を奪い去ったりすることだって出来たはずだ。どうしてそんな回りくどい方法をとったんだ?」

 何故だ、とツバサは聞いた。

 キリュウは答えた。

「簡単なことだ。知識を奪うよりも先に、沖津浩三という人間に会って、話がしてみたかったからだ」

 はっきりとした答えにツバサは目を丸くした。

「君も私と同じタイプなら分かるだろう? 沖津浩三という人間は、科学者を志すものからしたら、是非とも一度会って話がしたいと思うものだ。今までの生い立ちや学問に携わるにあたって、彼がどういう方法で今まで乗り切ってきたか、これから目指す者たちにとっては是非とも参考になることがあるはずだ」

 確かにそうだ、とツバサは思った。

 ツバサ自身も、一度でいいから沖津に会ってみたいと思ったことは多々あった。尊敬する人の全てを知りたいと思う気持ち――それをキリュウは持っていたのだ。

「彼という人に会って、話をしてからでも始末するのは遅くない、とそう思ったんだよ。もしかしたら、彼が話さなければ得ることの出来ない情報があるかもしれない、と期待してしまっていたんだよ」

 キリュウは、説明を続けた。

「全てを看破された私は、自分自身の正体を明かした。そして、どうしてだか分からないが、自分が来た目的も全て、洗いざらい話した」

 どうして話してしまったのか、ツバサには分かった。それは、キリュウが彼に尊敬の念を抱いたからだろう。

「反応次第では、教授を殺す覚悟だった。だが、教授は特に驚きもせずに私にこう言った。」

 

 ――お前はどうやら知識を身に着けるということが何なのか分かっていないようだな。

 

「私自身、覚えは早いほうでね、まさに釈迦の如く、数日もあれば理解出来るほどだった。だが、教授は、それは違うと私に言った」

 

 ――お前はただ、メモリーの中にそれらの知識の詳細を糊付けしただけの上辺だけのものだ。知識を身に着けるとはそうじゃない。時間をかけて体の一部にすることだ。

 

「君の言う通り、我々は実体を持たない。だから、体の一部するという表現は私には理解し難かった。そう言ったら、教授は笑ってこう提案したよ」

 

 ――なるほど、そうか! お前は体がないのか! なら問題ない。今持っているその体に叩き込んで、そしてお前の本当の体に染み渡らせればいい! なら、俺のところで学んでみないか? 俺が教えてやる。

 

 それは突拍子もない提案だった。自分自身が持つ知識を奪い、あまつさえ殺されるはずの沖津は、目の前にいる敵にさらに塩を撒いたのだから。

 ツバサも、さすがにその提案には驚いた。

 多分、一番驚いたのはキリュウ本人だろう。

「当然始めは断った。だが、教授は私の言葉を聞くどころか、すでに決定事項として今後の方針を私に語りだした。だが、それを聞いているうちに、段々と教授に対する興味が増していった」

 こんなのは初めてだった、とキリュウは言った。

「もしかしたら、私個人が求めているもの以上のことを学べるかもしれない、と直感ながらにそう思った。あの頃は、仲間たちも既に地球を出払ったところで、私は、任務以外でやるべきことは何も言わされていないから、これは好都合だと思った」

「だけど、速やかにと言われたんだろう?」

 ツバサがキリュウの会話を思い出しながら聞くと、キリュウは微笑しながら答えた。

「すぐに、なんて言葉は我々からしたら意味のない言葉だ。我々には時間という概念はない。それすらも超越した存在だからだ。我々にとって一秒も一分も一年も百年も、意味がない――ただの概念に過ぎないんだよ」

 一体それがどういう感覚なのかは分からないが、キリュウはそういうことを言い訳に沖津の提案を呑んだということなのだろう。

「そして、君に訂正してもらいたい一つがここにある――」

 

 ――さて、全て決まったわけだが……まだやることがあるな。

 ――やることとは……教授?

 ――お前のことだ。俺の記憶に矛盾が出来たということは、記憶の改竄や操作が出来るのだろう?

 ――まあ、出来ますが……むしろそうやってあなたに辿りついたんですけど……。

 ――そうか。なら、今すぐやってほしいことがある。

 ――やってほしいこと?

 

 ――ああ。悠仁のことを知っている全ての人間から、お前と悠仁の関連する記憶を全て改竄してほしい。そうでもしないと、お前、家族の前で顔を出せないだろう?

 

 何てことだ、とツバサは驚愕した。

 エミたちの記憶を弄るように提案したのは、沖津本人だったのか! 

「今思えば、人間ではない私が言うのも何だが、やはり精神病棟に入っている以上、彼は狂気なのだな、と思った。言っていることは論理的にも成立しているが、マナー的から見れば、ただの廃人の戯言だった。だが、当時の私はそれを受け入れるためにすぐにそうした」

 それはツバサも同意した。わざわざキリュウを向かい入れるために、キリュウが行った『悠仁が生きている』という嘘の記憶をまた改竄し、キリュウを悠仁ではない第三の人間となるように沖津は考え、実行するように促したのだ。

「こうして私は、新たに『キリュウ』という名で教授の弟子となり、公式では行方不明だった三年間の間、彼のもとで学んだ。そして、教授が表舞台に戻ったと同時に、私自身もここに根を下ろす覚悟で住居を構えた。教授の計らいで私自身もR大学で教授の弟子として、研究員として職についた。そして、今に至るわけだ」

 キリュウは、そう説明すると、

「最も、結局教授は、他人に教えるのは嫌だ、と駄々をこねて、講義や論文発表の全てを私に押し付けたがね。思えば、教授はいい身代わりを手に入れたと笑っていたから、もしかしたら、このために私を引き入れたのでは、と疑ってはいるが……」

 まあ、教授の下手な冗談だろう、とキリュウは笑った。ツバサは、沖津はいくらかそう思っていたかもしれないと内心思ってしまっていた。

「まあ、これが私のいきさつだ。信じてもらおうとは思っていない。ただ、いきなり君に様々なことを押し付けてしまった詫びとして話しておきたかった。頭の片隅に入れてもらえれば幸いだよ」

 ここまで聞いて、ツバサは、キリュウに対する懐疑心は殆ど消え去っていた。だが、だからといってまだキリュウが犯人ではないという証拠にはならない。

「本当に沖津教授を殺していないんだな」

 無論だ、とキリュウは即答した。

「さっきも言ったが、私は教授を殺してはいない。あの日、私は教授に呼び出されて急いで自宅へ向かった」

「呼び出されて? 一体何の?」

「それは分からない。ただ、あの時電話で一言――」

 

 ――お前が知識を身に着けるとは何なのかを理解したかどうか、テストしてやる。

 

「テスト? 沖津教授はそう言ったのか?」

 ツバサが聞くと、キリュウは頷いた。

「いきなり言われたから驚いた。私はまだその域に達していない、答えようがない、と答えたよ。そうしたら、教授は笑ったんだ」

 

 ――なら、安心だ! ほら、さっさと来い!

 

「そう言って電話が切られた。そして、教授の自宅へ向かってみると……」

 書斎で死んでいる沖津の姿があった……。

「目を疑った。いや、元々こういう結果にならなければならなかったのに、私がそれを拒絶した。二十五年かけて、知識も奪うこともなく、手も下すこともなく、教授は死んだ」

 キリュウは、肩を落とし、俯きながら言った。宇宙人である自分自身がこれほどまでにショックを受けるとは思ってもみなかっただろう。

「どうして教授は、あんなことを言ったのだろうか、と私は今でも考えている。今、一番可能性があるのは、あれは教授の遺言だったのではないか、と私は考えている」

「遺言……」

 ツバサは呟いた。

「今まで教わってきて、あれほど私自身に大きな衝撃を受けた言葉は今までなかった。あれが、教授が今まで生きてきて導き出した答えなのだとしたら、私は、あの時予想でも何でも良かったから答えを言った方が良かったのかもしれない。そうすれば、教授は答えが違う、と怒って私にまた教えるために生きていてくれたのかもしれない、とそう思ってしまうのだ」

 キリュウは寂しそうに言った。

 ツバサは、キリュウの言葉を蔑ろにするつもりはなかったが、どうしても聞かなくてはならない疑問があった。

「教えてくれ。教授はお前が来た時には死んでいたことは分かった。だが、どうして、教授が宇宙人に殺された可能性があると考えたんだ?」

 キリュウは、その質問には答えようとはしなかった。ただ無言でツバサの目を見つめるだけだった。

 だが、それで十分だった。キリュウが考えていることは、ツバサが思っていることと同じであると、直感した。

「分かった。もういい」

 ツバサは、淡々と話を打ち切った。そしてその代わり……とキリュウに言った。

「一昨日お前は言ったな。次に会うときには、いくつかの質問に答えようと」

「……今答えたものだけでは不十分かな?」

 ツバサは、にやりと笑った。

「それは僕が聞いたことじゃない。お前が勝手に喋ったことだ。僕の要望はこれからだよ」

 やれやれ、とキリュウは苦笑した。

「君はなかなかどうして思っている以上に賢い。さて、一体何を聞きたいのかな」

 ツバサは聞いた。

「沖津教授の自宅にあった電磁波遮断機構……あれは、一体何のためにあそこにあったんだ?」

 ツバサの質問に、キリュウは、ああ、あれか、と思い出すように答えた。

「別に大したことじゃない。あれは、いつかさらにコンパクトに出来ないか、と私が提案したら、教授は乗り気になって、あれをばらしながら小さくする方法を考えていただけに過ぎない」

 あれをさらに小さくしようとしていたのか、とツバサは驚きながらも聞いた。

「じゃあ、あれの基本構造は全く変わりないんだな?」

「ああ、ない。むしろコンパクト化するにあたって、さらに性能を上げられないか検討していたところだったからな」

 そうか、とツバサは納得した。

 なら、やはりあれはおかしい。

 ツバサは、一枚の写真を取り出して、キリュウに見せた。

「これは手掛かりを探している上で、沖津教授の書斎から見つかったものだ」

 キリュウは手に取った。

「書斎から……? ……ん? 何だこの写真は? ……ああ、数週間前に三人で撮ったもの……か……」

 おや、とキリュウは片手で頭を抱えた。

「どうした?」

 キリュウは、脂汗を掻いていた。明らかに様子が変だ。

「どういうことだ……あの時、確かに三人で写真を撮ったはずだ……なのにどうしてここには四人いる……?」

 頭を抱え、キリュウは項垂れる。ツバサは思わずキリュウの体を支えようとするが、キリュウは、大丈夫だ、と言って姿勢を治した。

「済まない。どうやら頭が混乱していたようだ」

 キリュウは、写真をツバサに返した。

「一体何があったんだ?」

「いや……エミたち同じだ。どうやら、私自身も記憶を弄られていたようだ」

 キリュウは衝撃的な発言をした。

「弄られた……お前がか?」

「どうやらそのようだ。私は、この写真の男によって記憶を弄られた」

 ツバサは、写真を見つめた。

「やはり……こいつも……」

「ああ、そうだ。そいつも私と同じ種族だ。どうやら、私から奴の記憶を消したのだろう。私に知られないように、奴も教授に接触をしていたのだろう」

 ツバサは、写真の男を見つめる。

 やはり、宇宙人であったか。しかも、どうやら雰囲気からしてこの事件の首謀者だと考えてもよさそうだ。

「写真の雰囲気からして、どうやらかなり昔から教授やエミに接触をしていると考えられる」

 キリュウがそう言うと、そう言えば、とツバサはあることを思い出した。

「エミが言っていた……あれは……」

 

 ――助手って……どっちの方? もしかしてキリュウさんのこと? いつも白衣を着ていた方の……。

 

 なるほど、とキリュウが言った。

「奴は教授の助手として潜り込んでいたわけか。どういう交渉術で教授に迫ったかは分からないが、やりかねないな。言葉による洗脳は、我々の得意分野の一つだ。交渉事も難なくこなせるだろう」

「となると、エミの脳から、TPCに関する情報も引き出している可能性があるかもしれない」

 ツバサはそう言って懸念する。

「可能性としてはあり得るな。それに、記憶を弄る以外にもエミを操作してTPC内部を攻撃することも可能だ。確か、TPCにはアカシックレコードがあったはずだ。そこから重要な情報を――君自身の情報も抜き取られている可能性だって……」

「いや、それは大丈夫だと思う」

 ツバサは断言した。

「本当なのか?」

「ああ。エミが閲覧できるのは、あくまで職員レベルの情報だ。そこから情報が見られても大体は、向こうからしたら役に立たないものだ。それに、僕や光の巨人に関するものは、全てブラックボックスに管理されている。エミを操作したとしてもそれ以上はどうしようもないはずだ」

「しかし、上層部の誰かを操作していたら……どうしようもないぞ」

「それも平気だ。ブラックボックスの情報は、上層部でもごく一部しか存在自体知らされていない」

 ふむ、とキリュウは唸る。

「とにかく、犯人が分かった以上、このまま野放しにしているわけにはいかない。お前は、この男が誰なのか、知っているのだろう? 教えてくれ」

 ツバサは写真を見つめながら聞いた。

 キリュウは、ゆっくりとした口調で答えた。

「それに関しては……私ではなく、別の人物から説明した方がいい」

「別の人物?」

 キリュウは、苦笑した。

「君も知っている人だ……詳しい話は、彼女から聞いてみるといい。あっちに聞いた方が、これからのする手順を大幅に省略出来る」

「それって一体……」

 ツバサが不思議そうに尋ねる。キリュウは、その人物の名を言った。

「君が特に世話になっている人だ。君と私以外に、君が光の巨人であることを知っている人物……TPC情報局に所属しているイルマ・メグミ参謀だ」

 

   7.

 

 アンダーグラウンドに戻り、ツバサはイルマの元へ急いでいた。

 キリュウとの会話を思い出しつつ、ツバサは、一刻も早く情報を引き出さなければ、と急いでいた。

 

   *

 

「イルマ参謀が……この男を知っている?」

 ツバサは、キリュウからの言葉を聞いて愕然とした。

「どうやらな。奴は……というより奴の中身は別人だろうが、随分と参謀にご執心のようだった」

「じゃあ……最初から参謀に聞いていれば……」

「まあ、今まで苦労した調査が楽に出来ただろうな」

 ツバサは、下を見つめながら無言で固まっていた。

 参謀が知っていた……ということは……。

 ツバサは少しだけ笑った。どのみち、イルマに会いに行くつもりだったから、これは好都合だ。

「……こんなところか? まだ聞きたいことはあるか?」

 キリュウが、息を整えながら聞いた。

 ツバサは、視線をキリュウの方へ向けた。

「もう一つだけ、頼みたいことがある」

 ほう、とキリュウはツバサに関心を持った眼差しで見つめた。

「やるべきことは決まった。だったら、後はこちらがどれだけ手の内を隠し通せるかだ」

 ツバサはある物を取り出し、それをキリュウの目の前の机に置いた。

「これを預かってほしい」

 キリュウはツバサとそれを二度見しつつ驚愕した。

「……正気か?」

「正気だ。言っただろう? 手の内を隠し通すと」

 ツバサは本気のようだった。キリュウはいや、しかしこれは……と困惑するも、はあ、とため息を吐いて、それを受け取った。

「分かった。預かろう。それで、具体的にはいつまで預かればいいのかな……と、それを聞くのは野暮だな」

 キリュウはそう言った。ツバサがこれから行おうとしていること……それを預かるという意味を考えれば聞かずとも一目瞭然だった。

 大胆ではあるが、ある意味で敵の本陣に突入することを考えれば、妥当だろう。スパイがよくやる手の一つだ。

 キリュウは、思わず笑いがこみ上げてきた。私の目に狂いは無かった――これ程までに面白い人間は沖津に次いで二人目だ。

「なら、こちらからも提案をしよう」

「提案?」

「なに、君にとっては悪くない提案だ。この事件が完全に収束したら……」

 キリュウは、自分の頭を指さしながら言った。

「君の失った記憶……それを私が探してあげよう」

 ツバサは、鋭い目でキリュウを見つめた。

「どういうことだ?」

「言葉通りの意味だ。君は記憶を失っていて、その失った記憶を取り戻したい。私は、人の体に入る時に様々なことが出来る」

 そう言って、キリュウは両手を回し始める。

「一つは、人の体を借りて自分の意思で動かすことが出来る」

 そして、もう一つが、とキリュウは言った。

「他人と自分の精神を交換することが出来る」

 精神を交換……と、ツバサはキリュウが言った言葉を繰り返した。

「いわゆる体を交換することだな。例えば、私が君の体に乗り移っている間、君は私の体を使うことが出来るわけだ」

 なるほど、とツバサは呟く。だが、それにどのような利便性があるのか理解しがたかった。

 キリュウは説明を続けた。

「私は、精神を入れ替える時に二つの選択が出来る。一つは、ただお互いに精神を交換するだけ。これは、単純に互いの精神を交換して体を使うだけのものだ。そしてもう一つ、これが重要だ」

 キリュウは言った。

「君の精神を私の体に入れずに、私の領域に一時的に閉じ込める」

 ツバサは、その能力が一体どういうものかあまり理解できていなかった。

「つまり……どういうことだ?」

「分かりやすく言うと、君の精神は私の体ではなく、別の場所で拘束されるということだ」

 なるほど、とツバサはようやく理解した。

「それで、拘束されるとどうなる」

「その間、私が君の脳領域に潜り込む。君の脳が封印した記憶の扉を私がこじ開け、その記憶を強引に引き出す」

 すると、どうなる、とツバサは聞く。

「拘束されている間、君の意識は無くなっている状態だ。だが、私が君の記憶を見つけ出し、引き出している時に、私と君の精神が一時的に繋がる。そうなると、私が覗いている君の記憶が君にも断片的だが俯瞰して見ることが出来る――言うなれば、私が記憶を見ている間、君は、私が見ている記憶が夢として見ることが出来るようになる」

 夢……、ツバサはそう呟いて、何かを思い出した。

 あれ……確か、僕は何か変な夢を見ていたような……。どこかで、その経験があるが、曖昧すぎてしっかりと思い出せない。

「私自身は君とは違って全体像が俯瞰出来るから、目覚めた時に、私が見た事を君に伝える。そうすれば、君が見た断片的な夢の正体も理解出来るようになるだろう」

 なるほど、とツバサは言った。思った以上に使える能力だ。

「それで構わないのなら、これが事件解決の君にあげられる成功報酬ということにしよう」

 ツバサは、その提案に乗った。

 

   *

 

 キリュウの提案を思い出しながら、歩みを進める。

 この事件が解決すれば、もしかしたら記憶が蘇るかもしれない、という淡い期待がこみ上げていた。

 もしかしたら、この先の未来についても、色々と対策が立てられるかもしれない。

 そう考えれば、自分がいるべき理由も、やるべき事も、もっと明確になる――そんな事を思い描いていた。

 そして、イルマの部屋にたどり着く。

 予定では、閣僚会議が終わっているはずだ。なら、次の業務のために一旦自室に戻って準備をしているはずだが……。

「……………!」

 何だ、とツバサは思う。

 中から何か声が聞こえていた。

 誰かが先にイルマと面会しているのだろうか。ならタイミングが悪かったな……と面会が終わるまで待とうとしようとした時だった。

 静かになったイルマの自室へ繋がる廊下。静寂と共に、ツバサの耳に何も聞こえなくなっていく。そして、イルマの自室の中の声が、微かではあるが鮮明にツバサの耳に届いてきた。

「やはり懲りないようですね……。これだけの言葉を以てしてもあなたがたは我々へ敬意を表さないか」

 男の声だ。しかし、今まで聞いたことのない声だ。

 ゆっくりとした聞きやすい声だが、その中に静かで邪悪な陰湿さが隠されているのが分かる――実に不快になる声だった。

「何度言っても同じよ。私たちはあなたたちに屈しない。人が光を持つ限り、決して諦めない!」

「……すでに人の中に光などありはしません。それはただのまやかしだ。仮初の平和で人類が得たものと捨てたものは、あなたも気づいているはずだ。現実から目を背けているだけの愚かな行為ですよ」

「いい加減にしなさい!」

「……やむを得ないのか……。あなたには何度も拒絶されたが、期待していた……だがやはりそれは無意味だったということか」

 直後、何かが壁に叩きつけられる鈍い音がツバサのいる廊下からも響いてきた。それと同時に、一瞬の呻き声。

 参謀……! ツバサは無意識の内にガッツブラスターを構え、なりふり構わず部屋へ突入した。

 まずツバサが目にしたのは、イルマが床に項垂れている姿だった。右手にはガッツブラスターを握っている。

 そして、机のものが散乱し、床に散らばっていた。イルマのPCも画面が割れて無残な姿に変わっていた。

 ツバサはイルマに駆け寄った。

「参謀! しっかりしてください、イルマ参謀!」

 ツバサはイルマを抱きかかえる。イルマは、小さな呻き声と共に、ゆっくりと目を開けた。

「ツバサ……君……」

 イルマの瞳がツバサに向けられた。良かった、とツバサは安堵した。

「大丈夫ですか、参謀……」

「ええ……何とか……ね」

 イルマはそう言って、立ち上がる。部屋を見回し、溜息を吐きながら、床に散らばった物を拾い上げていった。

 ツバサは、手伝います、と言ってイルマの私物を片付けた。

 机に物を置き終わり、ツバサは一息つく。

「一応、PCを除いて全部無事でしたね……」

「ええ。有難うね。わざわざ手伝ってもらって」

「いえ。お役に立てたら、嬉しいです」

 イルマは、二人分のコーヒーを用意していた。インスタント程度なら自室でも簡単に作れる。

 ツバサはイルマの机にあったいくつかの写真楯を見つめた。

 そこには、イルマと青年が写っていた。その横には幼い子供の写真。

「気になるの?」

 イルマは、ツバサに入れたばかりのコーヒーを渡した。ツバサはそれを受け取った。

「ああ、いえ……。TPCでは見たことない人だな、と思って」

 イルマは微笑した。

「まあ、いなくて当然でしょうね。その子はTPC職員とかじゃないから」

「というと、参謀のご家族の方?」

「息子よ。今はメトロポリスでIT企業を立ち上げて頑張っているわ」

「その小さい子も?」

「それは小さい頃の写真ね」

 イルマは間髪入れずに答えた。

 イルマとツバサは部屋の中央にあるソファーに座り、向かい合った。

「ツバサ君には感謝してるわ。もし誰も来なかったら、今度こそ、私は殺されていたでしょうね」

 イルマは落ち着いた様子で言った。

 今度こそ……? ツバサはイルマの発言が気になった。

「一体何があったんですか……? ついさっきまで、誰かと口論していたようですが……」

 ツバサは部屋を見回した。

 ツバサが突入した時、そこにはイルマしかいなかった。口論していた声の主は姿形もなかった。

「もしかして、僕たちの敵が侵入していた……?」

 イルマは、TPC職員用の通信端末を取り出し、そこからメールボックスへ飛んだ。

「実は、ついさっき、こんなメールが来たのよ」

 メール、と聞いて、ツバサはキリュウからのメールを思い出す。イルマはツバサにそのメールを見せた。

 メールにはただ一文だけ書かれてあった。

 

 我々に敬意を表しなさい。何故あなたは今も尚、ウルトラマンを認めるのですか。

 

「どういうことですか?」

 イルマに端末を返す。イルマは、それを仕舞い、手を組んで言った。

「似たようなことを、二十八年前にも聞かれたわ。ここじゃなかったけど、私の自室で、さっきのように突然現れて、預言者とか名乗って、さっきのメールのようなことを言い残して消えた……」

 二十八年前……。ツバサが前に読んだ記録を思い出すと、その頃のイルマはS‐GUTSの前進であるGUTSの隊長を務めていた時のことだ。そんな昔にも同じようなことがあったというのか……。

「あれの顔を見るのも、これで三度目だけど……相変わらず何も変わっていなかった……。てっきり、地球からいなくなったものだと思っていたのに……」

 と、イルマはぶつぶつと独り言を呟くかのように言う。

 イルマは、ツバサの存在に気づき、一回咳払いをした。

「ああ、ごめんなさい。あなたにはまだ関係のないことよ。もう少し調べたら、あなたたちに調査を依頼するかもしれないから」

 ツバサは無言だ。

「そういえば、今日はどうしたの? ここに来たということは、私に何か聞きたいことがあるんじゃなくて?」

 もしかして、システムνの実験交渉のことかしら? とイルマは予想する。

 ツバサは面と向かってイルマに言った。

「もしかして、フード付きのローブを羽織った男のことじゃないですか?」

 イルマは驚愕してツバサを見つめた。

「どうして知ってるの?」

「イルマ参謀。教えてください。その男は一体何者なのですか?」

 イルマは我に返ったようにツバサを見つめた。

「もしかして、今回も挑戦するつもりなの……」

「挑戦……?」

 ツバサは聞いた。

 イルマは、ツバサにその男の正体を言った。

 

「彼の正体は、イタハシ・ミツオという男の姿を借りている――キリエル人という悪魔よ」

 

 キリエル人――ツバサの脳裏にその名前が刻まれた。

 

   *

 

 ツバサは、メトロポリスに経っているあるマンションを訪れた。

 まだ昼間だが、マンションの周辺は人通りが少なく、閑静な場所だった。

 ツバサは、ガッツブラスターを手に周囲を警戒しつつ、マンションの中へ突入していった。

 ツバサは、頭の中で教えられた部屋の番号を反芻する。

 階段で駆け上がること一分弱――目当ての部屋はあった。

 そのマンションの「306」号室。ここがツバサの目当ての部屋だった。

 部屋の番号の下にローマ字で名前が書かれてあった。

 

 ITAHASHI

 

 間違いなく、イタハシ・ミツオの部屋となっていた。

 ツバサは試しにドアノブを下げてみる。何かが動く金属音が聞こえた。

「鍵がかかってない?」

 ツバサはそのままドアをゆっくりと開けてみた。

 灯りはなかった。ツバサは、静かに部屋の中へ入っていった。

 部屋の中は一つも電気がついていない状態だった。窓はカーテンで閉め切られ。遠巻きに水槽が見えた。アクアリウムの水槽に付けられた青色の小さなランプが水に反射してゆられるかのように淡く照らすだけだった。

 リビングと思われる大きな部屋には、テレビと、中央に巨大な台が置かれていた。

 人の気配はなかった。もしかしたら、既に出払われているのか、と思ったが、それはあり得ないとツバサは思った。

 ここに来る前に、この部屋のことは調べた。

 イルマが二十八年前にこの部屋に来た後も、何故か部屋が取り払われることもなく、契約者がイタハシ・ミツオのままになっていたのだ。

 恐らく、そのデータと、そのデータに関わる人間の記憶を改竄したのだろう。

 ツバサは、まずはカーテンを開けて光を取り入れようとした。

 だが、そこからツバサは負ける。

 背後に突如として殺気ともいえるほどの大きく邪悪な気配を感じた。ツバサは反射的に体を向けようとしたが、常人の反射速度では、相手の動きを止めることはおろか、避けることすら出来なかった。

 頭を殴られたかのような衝撃が走った。

 ツバサは、歪む視界の中で男の姿を見た。

 それは、紛れもなく、イタハシ・ミツオの姿だった。

 

   *

 

「キリエル人……?」

 ツバサは、イルマの言葉を反復した。

「ええ。彼はそう名乗っていたわ」

 正体は分かったが、一体どういう種族なのかまだ分からない。ある程度の予測がツバサにはあったが、まだ確定するに至っていなかった。

「一体、どういう奴らなんですか?」

 ツバサは尋ねた。

「私自身もあまり詳しくはないのだけど……キリエル人は、光の巨人が現れる前に地球に来たらしく……地球人を導く預言者だと彼は言っていたわ」

 ツバサはキリュウの説明を思い出した。キリュウはやはり真実を話していた。

 しかし、預言者か……それではどこぞの悪徳宗教団体のようだ、とツバサは言った。。

「実際のところは分からないわ。でも、彼らは過去に、人類に自分たちに従わなければ、『聖なる炎』によって全てを焼き尽くすと預言して大勢の人々の命を奪ったり、空に巨大な門を発言させて、それを天国の門と崇め、ティガこそが悪魔と、人々を洗脳したりして、ウルトラマンティガや私たちに挑戦してきたわ」

 それは、まさに預言者――宗教団体――悪魔の所業だ。

「どうしてそこまでしてウルトラマンや僕たちに挑戦をしているのですか?」

 ツバサが尋ねると、イルマはあいまいな答えをした。

「それについては、私もよく分からないのよ」

「分からない?」

 イルマは頷く。

「今まで私やティガに言っていたことは、人類が何故ウルトラマンを守護者と認めるのか、自分たちが人類の導き手、と言っていた」

 確かにイルマが見せてくれたメールには、そんな趣旨で書かれていた。

「となると、キリエル人は、人類の守護者は自分たちであって、ウルトラマンティガは自分たちに成り代わって人類を守護していることが気に入らない、ということになりますね」

 ツバサはそう仮定した。

 しかしそれは……。

「明らかに子供のような理由なのよね。もしかしたら、それは本当の理由を隠すためのカモフラージュかもしれないと考えているのだけど、今までのキリエルのやり方を見ていると、どうもそうではないように感じるのよ」

 イルマはそう言った後、思い出したようにツバサに聞いた。

「ツバサ君。あなたはどうやってイタハシ・ミツオの存在を突き止めたの?」

 ツバサは、これから起こそうとしているアクションの為に、キリュウの存在を伏せて今までの経緯とツバサが立てた敵の行動の理由の仮説を話した。

「……そんなことが……」

 イルマは驚きを隠せないようだった。

「正直に言えば、キリエルが沖津教授を狙った理由はあくまで想像の域です。でも、キリエルがティガに挑戦するために今まで行動を起こしていたのなら、この仮説は説明がつくんです」

 むしろ、キリエル人の正体はおろか、キリュウが事件の調査を頼んだ時から、その可能性も考えていた。キリュウのやり口などから、あまりに飛躍的すぎる仮説だったが、どうやらそれが当たりのようだったのだ。

「でも、それが当たりだとすると、相手は完全に有利な状況だということよ」

 イルマは言った。

「だからこそ、こちらが不利だと思わせておき、多くの手の内を作っておく必要があるんです」

「でも、そんな方法は……」

 ツバサは、大丈夫です、と言った。

 

「もうすでに、仕込みは完了しているんですよ」

 

 イルマは、少し困惑した顔になった。

「完了している?」

「はい。今日中に、参謀の元にそれが届くはずです。僕らがキリエルに勝つための切り札……そして……」

 ツバサの声が段々低くなっていく。ツバサは少し下を見ながら言った。

「ティガが負けた時の奥の手です」

 

   *

 

 最初に把握したのは、自分の目線が他の配置物より高いということだった。

 体が動かない。ツバサは腕や足を動かそうとした。だが、何かに固定されているのか、手首と足首しか動かすことが出来なかった。

 ツバサは完全に目を覚ました。

 自分の体を見る。そして、ツバサは自分が置かれた状況を理解した。

 ツバサは、壁に磔にされていた。

 手足には特に拘束されているものはない。何らかの力がツバサの四肢を拘束しているようだった。

 目の前にあの大きな台が見えた。そこには、自分が持っていた物が全て置かれていた。

 ガッツブラスターから通信機まで……! 全部盗られたか!

 ツバサは、何とか磔から抜け出そうとした。だが、拘束はあまりに強く、ツバサの力ではどうすることも出来なかった。

 すると、目の前に一人の男がいた。

「お前は一体誰だ?」

 男は聞いた。

 ツバサは、強がる振りをして男に――イタハシ・ミツオに言った。

「直接会うのは初めましてかな? イタハシさん……いや、キリエル人」

 イタハシの顔が歪んだ。

「お前のことは初めて見る。見たところS‐GUTSの隊員のようだが……てっきりイルマさんが来るものだと思っていた」

「悪かったな。まだ、配属されたばかりの新人なものでね」

 イタハシは、鋭い眼光で聞いた。

「どうやって我々の計画に気づいた? イルマさんがあなたに伝えたか?」

 ツバサは、イタハシを睨んだ。少しの間だけでも、牽制して時間を稼ぐ。ツバサは、相手を言い負かす材料を頭の中で整理していた。

 相手が言葉巧みに人を騙すことが出来るのなら、こちらも言葉巧みに相手を言い負かそう。言葉で相手を論破したり批評したりするのは科学者の得意技だ。

「僕が参謀に聞いたのは、お前らの正体だけだ。お前らの計画については、参謀も気づいてはいない」

「なら何故」

 ツバサは、キリュウが教えてくれたことを伏せ、嘘も交えて反撃を開始した。強気で攻め、相手に反論する隙は与えない。

「確かに計画は完璧だったと思う。何も知らない人たちにとってはあれで問題ないと思う――沖津教授のことを知っている人以外はな」

 イタハシは、何? と呟く。

「新聞に書かれていた死因――心筋梗塞だった。だけど、警察はその原因を孤独死によるものだと断定した。普通に読めば何ら不思議はない。だけど、沖津教授を知っている人にとって、教授が孤独死することは絶対にあり得ないんだよ」

 そう。

 孤独死は、文字通り孤独である状態で過ごしていると、精神や人体に影響を及ぼし、心筋梗塞や脳溢血といった病気を発症して死亡する精神病の一つである。

 孤独死で死亡する人は、多くが自分の周りに話し相手が存在せず、また身寄りがいない――まさしく孤独な人が多いのだ。実際、孤独を感じる人に話を聞くと、一週間人と話さないだけで、頭がおかしくなりそうだ、と訴えてきた。

 沖津の場合、妻と息子を亡くした時点で一人になったと思われるが、実際は、親戚同士の付き合いや助手であるキリュウらとの交流が多い。そのため、沖津が孤独死によって死ぬことはまずあり得ないのだ。

「新聞を読んで疑問に思い、個人的に沖津教授のことを調べ始めた。教授の自宅に教授以外の第三者がいた可能性のある証拠を見つけたんだよ」

 イタハシは、無言でツバサを睨み続けた。

「お前は沖津教授を殺す時に墓穴を掘ったんだよ」

「墓穴だと……?」

 イタハシは動揺した。

 ツバサは、笑みを浮かべる。この圧倒的な不利の中、ツバサは自分自身の計略が悟られないようにさらに強気で言った。

「恐らく、お前は周辺に住む人たちの記憶をいつも改竄して沖津教授の家に行っていたんだろう。すでに教授の助手として潜入していたお前は、教授の家には簡単に入れる。だが、周辺の人に自分を見られるのはまずいと感じ、常に記憶を弄っていたんだろうな」

 だけど、それは今回に限ってまずいことだった、とツバサは言った。

「孤独死と疑わない世間にとっては、いくら情報を聞いても誰も気づかない。何しろ、沖津教授は家からあまり出ないから、周辺の人からもあまり目撃談がなく、あったとしても、それは、その時何をしていたかという情報だ。直接的な死因に繋がるものじゃないから、警察にとっても聞き込みは重要なものじゃなかった」

 だけどな、とツバサは言った。

「聞き込みをした情報の中で、たった一言、ある矛盾があった」

「矛盾……だと?」

 ツバサは、攻撃をやめない。イタハシはどうやらその矛盾に気づいていないようだ。なら、この後に来る衝撃は途轍もないものだろう。

「お前は、沖津教授が亡くなるあの日、教授の家を訪れた。だが、その後教授の死体を発見するのだから、周辺の人からは家に入っていったお前が殺したのでは、と疑うだろう。だから、お前は、『この日、教授の家に入っていった人は誰もいなかった』みたいなことを周辺の人の記憶の中に刷り込ませ、元の記憶を改竄した」

 イタハシは、動揺している。何故、それがいけないことなのか、その理由を知りたがっているようだった。

「周辺の人は警察に改竄された記憶を信じてそう発言する。世間からしたらどこにも矛盾が無いように感じる。だが、矛盾が一つだけあるんだよ」

 ツバサはそれを指摘した。

 

「教授を発見し、通報したのは助手のキリュウだ。なら何故、周辺の人は教授の家に入った人は一人もいない(・・・・・・)と言ったのだろうか?」

 

 イタハシはそれを聞いて愕然とした。

 ツバサは、してやった、と半ば勝利を確信した。

「おかしいよな。助手であるキリュウは周辺の人とからも認知されていた。いつも教授の仕事だけじゃなく、家事などの面倒も見ていたから、いつも周りに見られていた。だけどあの日は、近くの人が草むしりで外にいたが、その人は教授の家に入っていく人を誰も見ていないと言った。警察が来たことは覚えていたのにだ」

 ツバサは結論を言う。

 

「お前は、自分が目撃されたことを隠蔽するために記憶を改竄しようとしたが、『誰一人も見ていない』という情報を刷り込ませた所為で、後から来るキリュウの目撃情報すらも周辺の人の記憶から消してしまったんだよ」

 

 それが矛盾だった。

 ツバサが聞き込みをした時、確かに『誰一人も見ていない』と言った。なのに、ニュースでは助手が通報していると発表している。

 助手はいつ教授の家に入ったのだろうか? 夜中だろうか、翌日だろうか? 

 いや、違う。

 キリュウはこう言った。あの日、教授に呼び出されて急いで自宅へ向かったと。なら、教授が亡くなってすぐに家を訪れていることを考えれば、あの時、ツバサに話した近所の女性は、キリュウを見ていたはずなのだ。

 イタハシは微動だにしない。だが、明らかにツバサの論破が効いている。完璧だった計画が一つ、二つと、些細なミスで瓦解していく。

 ツバサはさらに追い打ちをかけた。

「あの日、お前は沖津教授の元を訪ねた。沖津教授からある情報を得ようとしたんだろう。その情報は、沖津教授の脳に蓄積されているだけではない。あの書斎にあった、教授が研究したあらゆる学問の膨大なファイルの中にもあった」

 イタハシは、一歩後ずさる。

「お前は沖津教授を説得して、そのファイルを見せてもらうようにした。そして、教授はメモ帳にファイルのラベルのナンバーを書いて、お前に渡した――『A-18』と書かれたメモを」

 イタハシの瞳孔が開いてきた。

「お前はそのファイルの中身を盗んだのだろう。だけど、盗んだことがばれないように別のデータをファイルして細工した」

 ツバサは一呼吸おいて説明を続けた。

 

「だが、その細工は僕にある事実を伝えるには充分すぎる証拠だった」

 

 イタハシが驚愕の顔でツバサを見つめた。通っている。間違いなく、ツバサの言葉は相手の虚を突いている。

「僕たちが『A-18』のファイルを調べたとき、そこにはファイルされてあった資料が確かにあった。だが、そこに書かれていた内容は『Paleontology』とあった」

 だけど、それはおかしいんだ、とツバサは言った。

「あのファイルのラベルはアルファベットと数字で書かれているが、実はあれは、それぞれの学問のスペルの頭文字をアルファベット順に並べるためのラベルだったんだ」

 ツバサが、適当に『E』のファイルを取った時、そこには『Economics』の研究内容が書かれていた。

「なら、『A-18』にはスペル的に『A』から始まる学問じゃなきゃいけないはずなんだ。だが、実際ファイルされてあったのは『Paleontology』――『P』のラベルがあるファイルのものがそこにあった」

 なるほどな……、とイタハシはようやく口を開いた。

「迂闊だったわけだ。メモ帳も燃やし、ファイルの細工もしたが……迂闊だったな。ファイルはもっと細かく細工するべきだったな」

 イタハシは、驚愕はしたものの、完全に言い負かされたほど困惑しているようには見えなかった。

 そう。

 ファイルが抜き取られたとはいえ、一体そこに何の学問の研究が書かれてあったのかは分からないのだ。実際の物はキリエル人の手に渡ってしまっている。『A』から始まる学問は多い。一つ一つ探すのはきりがない。

 だが、ツバサはイタハシのさらに先を行っていた。

 

「恐らく、盗まれたのは『Archeology』――考古学の研究内容が書かれていたはずだ」

 

 イタハシは、今度こそ動揺した。

「何故分かる……。『A』から始まる学問は多いんだぞ。まさか、一つずつ調べていったのか」

 ツバサは、いいや、と答えた。

「あのラベルの数字――あれはそれぞれのスペルに該当する学問のファイルの数を表していたものだと思うが、実は違う。あの数字は、それぞれの学問の二番目のスペルをアルファベット順にしたものなんだよ」

 ツバサが読んだ『E-3』は、『Economics』――つまり経済学だった。

 そのスペルの二番目は『c』だ。『c』はアルファベット順では三番目の文字だ。だから『E-3』なのである。

 メモに記されていたのは『A-18』。つまり、『A』の頭文字であり二番目の文字がアルファベットの十八番目の文字――つまり『r』のことを指しているのである。

「だが、それだけでも断定は出来ないはずだ。『Ar』から始まる学問は他にもあるぞ!」

 ツバサは、それか……、と低音で言った。

「それは勘だよ」

 ツバサがそう言うと、イタハシは、目を丸くした。

「正確に言うなら、お前らの行動から予想しただけだけどな。一応最初から考古学じゃないかという予想はあったけど、確実じゃなかった。イルマ参謀の過去のお前らの話を聞いてようやく確信したんだよ」

 ツバサは、さらに続けて追い打ちをかける。

「お前らが知りたい内容なんて素人がよく考えても分かることだ」

 ツバサは、その内容を言った。

 

「そこにウルトラマンに関する考察が書かれていたんだろ?」

 

 イタハシは、戦慄した。

「大まかに言えば、ウルトラマンに関する詳細なデータ、歴史、さらに言えば生態系などか……?」

 イタハシはさらに冷や汗を掻く。

 ツバサは、もらった、と思った。恐らく、もう冷静さは欠けているはずだ。

「だが、お前らが一番欲しかったのは……」

 

「ウルトラマンの弱点というところか?」

 

 空気が変わった。体中に電流が流れるような感覚がツバサだけではなく、イタハシにも届いた。

「敵の不利になる時間、不利になる戦闘方法、不利になる箇所……敵の情報を予め得てから戦いに望めば勝率も上がるだろうな。ウルトラマンが完膚なく負ければ、お前らはそこにつけこんで人々を洗脳することが出来る……そんな所か」

 イタハシは俯いた。どうやら、ツバサの予想は全て当たっていたようだ。

 ツバサは、沖津は考古学に関する論文を数多く発表していた時、その中にティガに関することを研究していてもおかしくないと考えていた。無くなったファイルの中身を予想した時、自然とウルトラマンとその古代遺跡に関することが頭の中に浮かび上がった。そして、イルマが語った過去のキリエル人の動向――それらを考えると、あまりにも相手の愚かで子供じみた動機が容易に想像できたのだ。

「後は、イタハシ・ミツオの詳細を調べるだけだった。彼が三十一年前に死亡していることは既に分かっている。イルマ参謀がかつて来たこのマンション……名義がイタハシのままだった。死亡した人が部屋を借りることは出来ない――つまり、ここでも不動産や周辺の人の記憶を改竄してやり過ごし、今までキリエル人のアジトとしていつでも使えるようにしていた……そんな所か。後は、突入して真相を暴くだけだった」

 ツバサがそう言うと、イタハシは、笑った。乾いた笑いだった。

「そうだな。だがお前はこうして捕まった。逃げることも出来ずにここで死ぬことになる」

 だが、それは後だ、とイタハシは言った。

「お前はしばらくの間ここで待ってもらう?」

 待ってもらう? ツバサはイタハシの言っていることが理解出来なかった。

「どうしてだ? 真実を知られた以上お前らが僕を生かす必要性はもうないはずだが」

 イタハシは、ふっ、と上から目線でツバサを睨みながら笑った。

「知られたところで、我々の勝利は変わらない。お前には、ここでウルトラマンが我々に成す術もなく屠られる姿を見てもらい、絶望した中で殺すことにする」

 あれ? とツバサは不思議に思った。もしかして、質問の意図が噛み合っていないのではないだろうか?

 ツバサは、そうか……と、呟きイタハシに探りを入れてみた。

「なら、お前もウルトラマンの正体が誰か分からないということか」

 イタハシは、眉をひそめた。

「どういうことだ?」

「いや……TPCではウルトラマンの正体をいち早く暴こうというのが上層部の一部の考えでね。僕も興味があったんだ。お前らは何度もウルトラマンと戦ったことがあるとい聞いた。だったらそれもついでに聞こうと考えたんだが……」

 どうやらあてが外れたようだ、とツバサは言った。

 イタハシは、淡々と答えを返した。

「誰がウルトラマンであれ、殺しさえすればどうとでもなる。人類にとって必要なのは、その正体が死ぬことではない。ウルトラマンを倒すという結果が必要なのだ」

 イタハシはそう言って、部屋を出ていった。

 どうやら、予想は正しかったようだ――ツバサは確信した。

 イタハシは――敵であるキリエル人はティガの正体を知らない。

 ガッツイーグルでイタハシを見たとき、あの時「ティガ」と呟いたのは、正体を知られたからだと思った。

 だが違った。

 あれは恐らく、牽制しただけのことだったのだろう。ウルトラマンを地球の守護者と信じてやまないTPC――S‐GUTSを威嚇して不安を煽ることで、向こうに戦闘の意思があることを伝えたのかもしれない。

 イタハシが言った、ウルトラマンを倒すことが重要、ということを考えると、キリエル人は、正体を暴くところまでは至らなかったということだ。自らがアクションを起こせば、自然とティガは現れる――それが、妥協点であり、確信だったのだ。

 なら、そう考えると、一つだけ疑問に残る点がある。

「どうしてキリュウは僕の正体に気づけたんだろうか……」

 ……いや、今はそんな考察をしている場合ではない、とツバサは頭を切り替えた。

 まずはここから抜け出さなければ。

 とはいえ、イタハシが去った後とはいえ、両手両足の見えない拘束は解ける気配を見せなかった。

 常人の力ではどうこう出来るものじゃなかった。まるで鉄の楔が打ち込まれているかのように、手足をきつく拘束して、全く動かない。

 もし、このままここで拘束され続けていたら、ティガが一向に現れないどころかキリエル人がツバサこそがティガであることを知ってしまう可能性がある。

 事態は一刻を争う。だが、手足が動かないだけじゃなく、目の前の台にツバサが所持していた武器や通信機、工具類が置かれていた。

 しかも、どうやら部屋の外――廊下に気配を感じた。恐らく、キリエル人が監視とアジトの警護のためにいるのだろう。

 用意周到なことだ、とツバサは感心した。

「だが……」

 と、ツバサはにやりと笑う。

「それでこそ隠していた手の内が役に立つんだ」

 

 外から衝撃音が聞こえた。

 廊下から瞬間的に発光が見えた。独特な怪音がその発光と同時に響く。ツバサは、その音と光の方へ顔を向けていた。

 直後に拘束が解け、ツバサは床に落下して尻餅をついた。

 その後、ドアが開かれた。

「やあ。待っていたよ。やはり教鞭に立つ身だから、時間厳守はきっちり守っているようだな。職業病か?」

 ツバサは、軽い冗談を言って、その男を困らせた。

「全く……私は、戦闘は不得手なんだ。デスクワーク派の私にこんな労働を任せるなんてな……人使い、いや宇宙人使いが荒い」

 と、キリュウは、溜め息を吐きながら言った。

「だけど、警護していたキリエル人を倒せたじゃないか」

「まあ、元々仲間だったからな。私を見たところで警戒などなかった。一応、戦闘能力は向こうが上だが、不意を突けば、私の衝撃波でも倒すことは可能だ」

 ツバサは立ち上がって台にあった装備を所定の場所に装備した。

「一体どんな拘束だったんだ? 体が動かなくて焦ったよ」

「キリエル人の超能力だ。衝撃波を放つのと同じで、超常の力で相手を拘束することが出来る技だ。本来ならそれをかけた奴の念が無くなれば自然と解けるのだが、どうやら、拘束をしていたのはそこの警護していた奴のようだったな」 

 確かに、あの怪音が無くなった後に拘束が解けた。キリュウが衝撃波を放って倒したと同時に拘束が解けたのだ。

「外の状況はどうなってる?」

 ツバサが尋ねると、キリュウは答えた。

「静かなものだ。人ひとりもいなかったぞ」

 よし、とツバサは呟いた。どうやらイルマは、言った通りにしてくれているようだ。

「手筈は整った。後は直接対決だけだ」

 ツバサは、闘志を滾らせ、部屋を出ようとした。だが、キリュウはそれを止めた。

「ちょっと待て」

「何だ?」

 キリュウは呆れ果てた顔になって言った。

「これを持っていかなかったら、戦うことも出来ないだろうに」

 キリュウは、胸ポケットからツバサにそれを渡した。

 

 スパークレンスを。

 

 ツバサは、受け取った。

「そうだった。そういえば、お前に預けていたんだったな」

「しっかりしてくれ。これを守るのは意外と至難だったんだからな」

 キリュウは、そう忠告した。

 そう。

 大学で、ツバサがキリュウに預けたのは、スパークレンスだった。

 ツバサがキリュウの元に訪れた時には、既に事件の全体像が見えていた状態だった。ただ、その中でツバサの脳裏で未だに確信が得られていなかったのは、ツバサがティガであるという事実を敵が知っているかどうかだった。

 ガッツイーグルでイタハシと邂逅した時は、ツバサは思わず正体が知られたと疑った。その証拠に直後のキリュウのメールで完全に正体が知られたと確信したが――。

 メールの主とガッツイーグルで見た男はそれぞれ別人であること――それを踏まえるに、ガッツイーグルで見た男――イタハシは、果たして本当にツバサがティガであることを知っているかどうか疑問に思ったのだ。

 今回のキリュウの言動や行動から、明らかにイタハシらとは情報を共有していないように思えた。

 だからこそ、賭けてみたのだ。

 キリュウにスパークレンスを預け、ツバサが突入した時、恐らくツバサは襲われる。その時にイタハシがツバサの正体を知っているかそうでないかを。

 結果、後者だった。

 ツバサの装備品を回収した時に、イタハシはスパークレンスの有無について何の言及もしなかった。さらには、ツバサの探りの会話――あれでイタハシは、もといイタハシとその仲間であるキリエル人は、ツバサの正体を知らなかったという事実にたどり着いたのだ。

 そして、不利に陥ったツバサの元へキリュウが駆けつけ、スパークレンスを手渡す。

 これが、ツバサが仕込んだ最初の手の内だった。

「さて、改めて礼を言わなければならないな」

 ツバサはキリュウの顔を見てそう言った。

 キリュウは真剣な表情だった。

「礼など不要だ。それよりも、君に忠告しておくことがある」

 ツバサも真剣な顔になった。

「この戦い……いくら手の内や情報がこちらにあったとしても、戦況は圧倒的に君が不利だ」

 ツバサは何も言わなかった。それは、ツバサも重々承知していることだった。

「君の戦闘能力を考えても、味方の援護があったとしても、君が勝てる確率はほぼ0に近い。見ていると隠し玉があるようだが、それが果たして奴らに届くかどうか分からない」

「届くさ」

 と、ツバサは言った。

「確証はあるのか?」

「100パーセントとは言えないかな……でも、99パーセント自信はある」

 ツバサは、微笑みながらそう言った。

「沖津教授が、その可能性の事実性を死にながらも示してくれた」

 ツバサがそう言うと、キリュウは驚いた。

「教授が……示した?」

 ツバサは頷いた。キリュウは、腕を組む。部屋を後にするツバサにキリュウは、こんな質問を投げかけた。

「もし、人類がキリエル人に支配される未来を選んだら、どうなると思う?」

 ツバサは立ち止まった。

「どういうことだ?」

「いや、興味があっただけだ。ウルトラマンとしての君の意見が聞きたい。キリエル人に従っていた場合、人類は今以上に発展をしていたかどうか」

 ツバサは、微笑しながら即答した。

「お前が言ったんじゃないか。『狂気を真実として信じ、檻にしか生を感じることの出来ない未来だ』って。僕もそう思うよ。キリエル人に支配されていたら、今よりもすぐ早くに人類は滅んでいただろうな。それこそ光の巨人が現れる前にもっと早くにね」

 そう言って、ツバサは去っていく。

「なるほど、そう答えるか……」

キリュウは小さく笑いながら、去っていくツバサの背中を見えなくなるまで見つめていた。

 

 ツバサは、マンションの外に出た。

 雲一つない満点の空。戦うには、あまりにも場違いな風景だ。

 ツバサはスパークレンスを見つめた。まだ、ティガとして戦ってわずか。それでも何か掴めた気がしていた。

 今までとは違い、ツバサは自分だけの武器を得ている。後はどこまで切り札を温存することが出来るか――出来れば切り札を使わずに勝ちたいが……。

 行こうか。もう迷うことはない。

 ツバサは、スパークレンスは空に掲げた。

 




あまりに分量書きすぎたんでフラグが回収しきれてないのがあるかも……。
そんなのあったら誰か指摘お願いします。時間がある時書き直しますので。
続きます。


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其の4

これ分量長かったけど上手く起承転結の四構成で纏められるんじゃね?


   8.

 

   *

 

 メトロポリス郊内にある広場に、TPC及びS‐GUTSの作戦本部の仮設テントがひしめき合っていた。

 テントの一つにイルマとエミがいた。

 本作戦の総司令はイルマだ。

 イルマは、ツバサが指示した通りの配置を隊員たちに指示し、その時が来るのを待っていた。

「参謀、失礼します」

 イルマがいるテントにS‐GUTSメットを抱えたフドウとマリナがやってきた。

「住民の避難、及び全隊員の配置が完了しました。これから自分たちもガッツイーグルに乗り込み、他の隊員たちと連携を図りたいと思います」

「有難う。ご苦労様」

 イルマはフドウたちに労いの言葉をかけた。エミは、マリナに手を振ると、マリナも振返した。

「しかし、キリエル人が再び襲撃してくるとは……失礼ながら、これは確かな情報なのですか?」

 フドウが尋ねた。

 イルマは、両腕を組んで、間違いないわ、と言った。

「一昨日、エンジョウ隊員とマリナ隊員がシステムνの実験を行ったときに、ツバサ隊員が偶然にも映像を録画していたのよ。その中に、キリエル人が借りていた男の姿があったのよ」

 イルマが、そう言うと、マリナは思い出した。

「そういえば、あいつと一緒に何だか変な男がこっちを見上げてながらにやけてたわね。何か知らないけど、すごい気持ち悪かった」

 その男よ、とイルマは言った。

「私にはよく見覚えがある男だった。でも、あくまで映像だけでは何とも言えなかったから、エンジョウ隊員にシステムの実験交渉を兼ねてこの男を調査するように私が依頼していたの」

 イルマは、そう話をでっち上げた。あくまでツバサの無断単独行動ではないというフォローをするためだ。

 エミは一瞬顔を曇らした。だから、ツバサは……、とエミは小さく呟いた。

 その男が、自分の大叔父の助手であったこと――後になってイルマからその正体を伝えられたとき、エミはショックを受けた。信じていた人が自分だけでなく家族を――何より沖津を騙していた、と思うと苦しくなっていたのだ。

 ――そういえば、大叔父さんが亡くなった時も、彼は何一つ言葉も無かった。姿さえ現してくれなかったな……。

 と、エミは悲しい思い出を思い出していた。

 だけど乗り越えよう、とエミは思った。同時に、彼は敵、ということを辛くも噛みしめ、今、戦線に立ったのだ。

「では、ツバサは今……」

「そのままよ。現在、キリエル人が潜伏している可能性のあるアジトに単独で潜入させてるわ」

 フドウの問いにイルマは答えた。

「単独ですか……」

 フドウがあまり納得してない様子だ。

 当然、エミもマリナもだ。

「ずっと一人で抱え込んでいたのに、わたしたちって全く気付かなかったなんて……」

 エミは、ツバサに一番近づいていたのに、それでもツバサの言葉の真意も知ることが出来なかったことを悔やんでいた。

「イルマ参謀。それだと、かなり不利なんじゃないですか? あいつはまだ単独で作戦を成功させるには、まだ力不足だし……」

 と、言いながら、マリナの言葉はイルマからツバサに向けられた。

「っていうか、どうしてわたしたちに相談しないのよ。わたしたちが協力すればすぐにでもとっちめられたのに」

 マリナはそう文句を言う。イルマは、微笑しながら答えた。

「御免なさいね。それも私が指示させたのよ。今回もし、キリエルが何かしらを企んでいたとしたら、集団で調査すると向こうに感づかれる可能性があったのよ。エンジョウ隊員一人ならば、敵に知られる可能性は低いと考えたの。幸い、エンジョウ隊員は射撃や格闘のスキルのデータがかなり向上していたから、単独でも大丈夫だと考えたのよ」

 イルマの言葉にマリナは慌てながら答える。

「ああ、いや。違うんです! そういう意図があるなんて思ってもみなかったので……。ほら、あいつって一人だと何考えてるか分からないし、何しでかすか、先輩としては胸が痛む要因というか……」

 マリナの言葉にエミは思わず、微笑した。

 フドウとイルマは互いに顔を合わせ笑った。

「その気概があるなら大丈夫ね。それでは、どうかご無事で」

 イルマがそう言うと、フドウとマリナは、了解、と声を合わせて言った。そして、二人はテントから出ていった。

 

 さて……、とイルマは考えた。

 ツバサの言う通り、敵が現れるであろうエリアに住む人たちは予め避難させた。

 ティガの援護のためにS‐GUTSを総動員させ、さらにTPC隊員たちも動員させ武装を固めた。

 そのツバサの指示に、イルマの提案を織り交ぜた。

 まず、エミとその他の職員を中心にメトロポリス全域の電力送電システムにハッキングを仕掛け、限界ぎりぎりまで全ての建物の電力を上げる。これは、前回も咄嗟ではあったが逆転する切っ掛けとなった。

 電力会社や政府への許可を待っていては何年かかるか分からない。勝手にやったことへの文句は後で聞けばいい。

 敵が今まで夜を選んできたのは、単なる偶然かと思ったが、それも違うとイルマは思えてきた。

 ティガは、夜だと活動源である光を最大限取り入れることが出来ない。そのため、街のライトなどが、ティガが力を最大活用出来るための重要なものになるのだ。

 ツバサの言うことが正しければ、キリエル人は、ティガにとって全てにおいて不利な状況を作ってくるはずだ。

 だから、こちらもその不利を打ち消す手を講じなければならないのだ。

 だが、もしそれも相手の手の内ならば……。

 イルマは、自分にしかない奥の手がある。今回は、それも使わせてもらう、と既に手を打っていた。

 そして、とイルマは自分の手元にあった一枚の紙を見た。

 エミが直接持ってきてくれた一枚の紙――これが、ツバサが仕掛けた最後の切り札。

 これを使わないことを祈りたい、とツバサは言っていたが、果たしてどうなるか……。

 イルマは、通信機を手に取った。

 

「全隊員に告げます。今回の作戦は、極めて重要なものとなります。今までウルトラマンに幾度となく挑戦し、苦戦を強いられたキリエル人が、再び我々人類に挑戦してこようとしています。

 敵は、幾度の敗戦を糧に、我々への対策を考え、そして我々の完全な敗北のために、今日まで息を潜めていました。

 だけど、決して……決してここで屈してはなりません。人類に光がある限り、奴らの思いにはさせません。

 だからみんなにお願いします……みんな、生きて帰って」

 

 それは全隊員だけではなく、今ここにいない、ツバサに充てての言葉だった。

 イルマの言葉は、全隊員の士気を上げるに相応しい激励となった。全員が、イルマの言葉通り、生きて帰ってくることを目標とし、目の前の敵を完膚なきまでに倒す――と、誓った。

 そして、その言葉の後――。

 

 イルマたちがいるエリアから数キロ離れた都市部中心地に――。

 

 ティガは姿を現した。

 

   *

 

 ティガが大地に立つ。

 だが、周辺には人はおろか生物の気配も感じない。

 それでも、敵は――キリエル人は確かにそこにいた。

「ようやく姿を現したな……君を待っていたよ!」

 イタハシが、ティガと同じ目線まで宙に浮き、ティガを恫喝していた。

 ティガは構える。

「君は、気付いているかね? この世界における矛盾を――君という世界の矛盾点を!」

 

   *

 

「矛盾点?」

 イルマが呟いた。

 イタハシの声は、拡声器がないにも関わらず、イルマがいる所や、戦闘機に乗っているS‐GUTSの隊員たちにも鮮明に届いていた。

 

   *

 

「思い出したまえ。君たちが光の巨人となって戦ってきた年月を。君たちが現れたことで一体何が起こった? 数多の侵略者と怪獣がこの大地に、この星を蹂躙せしめんと幾度の戦いが引き起こされた」

 イタハシは、宙を浮きながらティガの周りをゆっくりと移動している。

「光の巨人たちは己が正義の使者と評してそれらに立ち向かっていった」

 イタハシはティガに指をさした。

「優越に浸れただろう。誰もが君を、君たちを恍惚に見ただろう。敬意を表しただろう。安堵しただろう。心の拠り所を、自分たちを守ってくれる存在が現れたことに、さぞかし興奮し感謝しただろう。いつだって、我々には光の巨人となって守ってくれる戦士たちがいるのだから、と」

 だが、それは間違いなのだよ! と大声で叫んだ。

「それは一種の麻薬なのだ。正義に酔いしれ、戦う者、守られる者の間に快感を生む、驚異の麻薬なのだ。君たちはそれを、人類に教え込んでしまったのだよ!」

 イタハシは、とあるビルの屋上に身を置く。

「我々は、君たちが人類に施した麻薬を取り除かなくてはならないと悟った。本来なら、人類にそういった間違ったものを与えることなく、正しく、真の平和と正しい文明の発展を我々なら与え、導くことが出来たはずなのだ!」

 それを君たちが奪っていったのだ! とイタハシは結論付けた。

 

   *

 

『何を勝手なことを言っているんだ、あいつは? 聞いているだけで反吐が出るぜ』

 ヒロキの乗るα号からの通信がフドウとマリナの乗るβ号に届く。

『言っていることは詭弁だな。正義というものをはき違えているようですな、隊長』

 シンイチの通信も届いた。

 フドウは頷く。

「当然だ。奴の言っていることは、ただの言い掛かりだ。口達者な悪は、言葉の引き出しが多い。ただ、それを披露して、人々にそうだ、と思わせたいんだ」

「ふざけるんじゃないわよ……」 

 マリナが呟いた。

 それは正義ではない、とマリナは断言出来る。自分自身の戦う理由、自分自身の正義――マリナもそれを持っている。ただ、キリエル人のように他人の持つ正義を否定して、自分自身の捻じ曲がった正義の皮を着た悪意を披露しているだけの悪と一緒にしてほしくなかった。

 ツバサなら……あいつは……わたしの考えを肯定してくれた。考えてくれた。それも正しいと思ってくれた……。

 マリナは、はっ、と気づく。無意識とはいえ、何を考えてしまっていたんだが。

 でも、それでもキリエル人の言い分は間違いだと言うことが出来る。

 

   *

 

「だが、その正義という名の麻薬は全て取り除かれた! 十五年前――君たちの同胞が消えていったあの日から、ようやく人類は君と決別することができたのだ。異星人のいない未来を歩むことで、人類は正しい道に戻ることができたのだ」

 しかし、どうだ、とイタハシは叫ぶ。

「君がいなかった十五年間、人々はどう思っただろうか? 君が恋しくなったか? 違う! 人類は初めて気づいたのだ。君がいなくなったことで平和が戻った。君がいるから、人類は数多の危機に直面するのだと」

 ティガは一歩後ずさった。

「君という存在はもはや人類の発展にとって障害でしかないのだよ。もう気づいているはずだ。君が正義と評して、多くの怪獣や異星人と戦う度に、多くの人間が救われていると同時に、その戦いに巻き込まれ、知られることもなく死んでいった人間もいるということに! そんな人々は、果たして君に救いを求めるだろうか? 我々は誰も見捨てることはない。人類を正しく導くために、誰一人として!」

 イタハシがそう断言する。

 

   *

 

『勝手なこと言って……。間違ったものを与えることなく人類を導く? 導き手を気取って……。わたしの家族を騙して、大叔父さんを殺しておいて……』

 エミがうっすらと涙を浮かべながら、悲痛な声で言った。

 その言葉がイルマだけではなく、隊員たち全員に届いた。

 

   *

 

「もう誰も、君を歓迎しない。一時の歓声が上がったことだろうが、それも一瞬だ。今後は君に期待すらかけてもらえないだろう。それを今夜証明して見せよう!」

 イタハシは、両手を天にかざした。

 すると、突然多くのキリエル人が集まり、その周囲に炎のような赤く燃える光が帯びた。そして、イタハシとキリエル人の全てを飲み込んでいき――、

 

 そこに悪魔は現れた。

 

 キリエル人の戦闘形態――炎魔戦士キリエロイド。

 その姿は前回、前々回のものと比較にならなかった。

 表情は、まるで怒りを表しているかのような醜悪な顔だ。

 ティガを研究していたためか、そのフォルムにはティガを意識したパーツがいくつも見受けられた。

 ティガの色の分け目、プロテクター――ティガと比べれば、キリエロイドの体でデザインはぐちゃぐちゃだが、確かにそこにそれがあることは分かる。

 キリエロイドは自分の力にティガを加えることで、その圧倒的な力で捻じ伏せようと考えていたのだ。

 

 ティガとキリエロイドは互いに構えた。

 そして、互いに相対する敵に戦いを挑んだ。

 キリエロイドが前進すると同時に、右足の回し蹴りを繰り出す。ティガは、その攻撃を察知して、両腕から飛び込んでいき回避する。両手が地面についた瞬間に一気に体勢を立て直し、ティガは後ろ蹴りでキリエルの脇腹を捉えた。

 キリエロイドは二、三歩よろけるが、大したダメージにはならない。

 キリエロイドは、再びティガに迫った。

 頭部、そして腹部への正拳がティガに襲い掛かる。

 ティガは、初撃、二撃をそれぞれ払い、カウンターでキリエロイドの顔面に裏突きを食らわす。キリエロイドは一瞬だけ怯む。

 ティガはキリエロイドの右腕を握り、空へ持っていくように上へ掲げた。引っ張られる力が作動し、キリエロイドの体全体が浮いた。

 ティガはそのままキリエロイドの腹部を掴み、そのまま投げ飛ばした。

 キリエロイドは、上空で体勢を立て直し、前転して再び、体をティガに向け構えた。

 もう一度、ティガに向かって走っていった。

 だが、今度はそれと同時にガッツイーグルの三機が援護に入った。それぞれが、連携をとってキリエロイドに攻撃を開始した。

 光線と同時に火花が散る。ダメージとしては軽微だ。だが、一瞬の足が止まった。

 ティガはそのままハンドスラッシュを放った。

 腹部に当たると、キリエロイドは腹部を一瞬抱え、ティガを睨み付けた。だが、すぐに構え直し、ティガと相対する。

 そして、両者は三度激突した。

 

   *

 

 動きに無駄が無くなってきている――イルマはティガのキリエロイドとの最初の絡みでそう判断した。

 まだ、無駄があるが、初めて戦った時から比べれば、その動きは非常に良い。力のペース配分がよくなっていた。

 だが、まだ最初だ。ティガを研究していたことを考えると、キリエロイドはまだ全力ではない可能性がある。

 イルマは横にいるエミと職員たちに促した。

「送電システムの状況は?」

「電力会社のメインシステムのファイアウォールを突破し、ダミーを張りました。後は、送電システムのメイン部分を占拠するだけです」

 エミがそう答えた。

 イルマは、キリエロイドとティガの激突を見ながら思った。

「人類があなたを見捨てることは絶対にしない。絶対に……」

 その言葉と同時に、エミが涙ながらに叫んだ。

「メインシステム掌握完了! ティガのいるP‐4地区の電力を限界まで上げます!」

 

   *

 

 街のビルや街頭の電力が極限まで上がると同時に、灯りが眩しいほどに輝いた。

 キリエロイドは一瞬だが目を覆う。

 ティガは、周辺の光がさらに明るくなったことで、一瞬だがイルマを見た。

 意図は掴んだ。ツバサが考えられなかった手がここにあった。これはイルマの長年ティガを知っていたからこそ出来る芸当だ。

 

 ティガは、キリエロイドに突進していった。

 左足でキリエロイドを蹴る。キリエロイドは前かがみになって蹴られた腹部を抑えた。

 それと同時に、ティガはキリエロイドの両肩を掴み、敵の上体を起こし、そして、左右に二、三回遠心をつけて投げ飛ばした。

 キリエロイドは、転がっていく。

 ティガはさらに追撃をするためにキリエロイドに接近していった。

 だが、キリエロイドは、悶えたふりをして、ティガが迫ってきたと同時に数発の正拳を繰り出した。

 だが、ティガはそれを華麗に交わした。

 一撃目は、一歩下がって避ける。

 二撃目は、左手で捌く。

 そして、三撃目は、キリエロイドの正拳を左に避け、右足の後ろ回し蹴りを食らわした。

 回し蹴りはキリエロイドの右肩に直撃し、前によろけた。

 ティガは、背後からキリエロイドを捉えようとした。

 だが、キリエロイドも負けない。ティガが迫ってくると予想して、そのまま回し蹴りを炸裂させた。

 それでも、今回はティガが優っていた。

 ティガは、キリエロイドの後ろ蹴りを読んでいた。両腕でキリエロイドの右足を掴む。ティガは両腕でキリエロイドの足を抱え、右の脇腹で抑えた。そして、回転をかけるようにキリエロイドを投げた。キリエロイドは、独楽が回るかのように回転しながら地面に落下した。

 キリエロイドは、起き上がり再び構えるも――。

 ティガは既に、次なる体勢に入っていた。

 両腕をティガクリスタルの前で交差させていた。

 クリスタルに赤色の光が灯る。そして、その刹那、ティガの体が赤色に変わった――パワータイプとなって再び肉弾戦を仕掛けた。

 キリエロイドは、飛び前蹴りを放つ。だが、これはティガに楽々と避けられてしまう。

 キリエロイドとティガは互いに背中を見せ合う状態になった。ティガは、すかさず右の裏手をキリエロイドの背中に一発当てる。

 これが次の攻撃への布石となり、道となった。

 キリエロイドはよろけながらもティガに向きよる。

 ティガは、右上段の正拳、そしてその次に左下段の正拳と二発を繰り出した。

 だが、キリエロイドも同じだった。

 左上段の払い手、そして右下段の払い手。ティガの攻撃を受け流そうとした。

 だが、それぞれの攻撃は、それぞれの拳と手が接触した場所で止まった。互いの腕――互いの攻撃が交差した状態で静止した。

 ティガとキリエロイドは、その状態から腕を曲げつつ互いに目と鼻の先まで接近した。

 その間は僅か数秒足らず――。

 仕掛けたのはティガだった。

 交差した両腕を一気に上へ引き延ばす。ティガが両手を上げたと同時にキリエロイドの両腕も釣られるように天を掲げた。

 ティガは、上半身がら空きになったキリエロイドの体に左の手刀を食らわす。

 しかし、それで大したダメージにはならない。

 そこから、ティガは、溜めた力を右拳に宿し、一気に炸裂させた。

 後ろによろけるキリエロイドに、ティガはさらに猛追した。

 連続の正拳。

 一撃。

 二撃。

 三撃。

 四撃。

 そして、最後に右足の足刀蹴りを見舞った。

 渾身の力を込めた蹴り――ましてや肉弾戦を得意としたティガのパワータイプの力を上乗せした蹴りの威力は計り知れない。キリエロイドは、その蹴りをまともに食らい、後ろへ飛んだ。

 キリエロイドの背後には無人のビル。

 今までなら、キリエロイドは体勢を立て直していた。

 だが、今回は違う。

 ティガの流れるような連続攻撃からのこの一打は、キリエロイドに立て直させる機会を与えなかった。キリエロイドは、無残にもビルに直撃した。ビルが倒壊し、その瓦礫と共に、キリエロイドが埋まっていった。

 だが、キリエロイドはすぐに起き上がった。余力はまだまだある。

 ティガはすかさず構えた。灯りが限界まで灯っているこのフィールドは、昼間に戦っているのと同等――ティガの力を最大限に使える場だ。ティガ自身もまだまだ余力は残っている。

 ティガはキリエロイドに駆けていく。

 だが、キリエロイドは次の戦闘の選択肢を変えた。

 キリエロイドは、今度はティガに迫ることはなかった。両腕から橙色の光が灯っていた。エネルギーを溜めていたのだ。

 ティガはそれに気づき、途中で足を止めた。

 キリエロイドは、両腕から獄炎弾と呼ばれる火炎放射を放った。

 ティガは、咄嗟に放たれた獄炎弾に冷静だった。放たれたそれらを華麗に両手でさばいていく。

 キリエロイドはさらに力を溜めた。そして、右手から渾身の獄炎弾が放たれた。

 ティガは、獄炎弾が放たれたと同時にキリエロイドに向かって再び駆けて行っていた。

 目の前に迫る獄炎弾を、空中で飛んで一回転してそれを避けた。

 通り抜けて行った獄炎弾はビルに直撃する。爆発音と噴煙と共に、ビルは爆発四散し、粉々になったビルだった欠片は、その場に溜まり、山となった。

 一回転したティガは、そのまま飛び蹴りをキリエロイドに食らわせた。キリエロイドは、顔面にまともに蹴りを食らい、その場に倒れこんだ。

 ティガは、体勢を立て直すと同時に、倒れたキリエロイドを抱え、そのまま投げ飛ばした。

 キリエロイドは、無情な声を発しながらそのまま地面に叩き付けられた。

 ティガは構える。キリエロイドは、よろめきながらもティガに相対した。

 

   *

 

「すごい! ティガが押してますよ!」

 エミは、モニターに映るティガとキリエロイドの戦いを見てそう言った。

「今までと違って、ティガの動きもすごく軽快です。ガッツイーグルの連携援護しっかりと合っていますし、これなら……」

 エミは、期待に胸を膨らませているようだ。

 だが、果たしてそうなのか、とイルマは思った。

 確かに、ツバサの動きは、以前と比べて良くなった。戦い方も自分の戦い方を見出したのは戦闘を見ればよく分かる。自信もついている。その自信が戦いの中にしっかりとのっている。

 だが、何故だろうか。こんなにも優勢のはずなのに、胸のわだかまりが一切取れないのは。

 一つの方法を晒した。そして上手くいった。

 ――いや、上手くいきすぎなのだ。

 キリエルがティガを研究していたのなら、光がティガの活動源であることは知っているはずだが……。

 それとも気のせいだったのか。

 イルマは、険しい顔をしながらモニターを見つめていた。

「もし、ここまでが向こうの計画通りだとしたら……」

 イルマが呟いたその時だった。

 PC画面上に警告の文字と警告音が流れた。

「どうしたの!」

 イルマが叫んだ。

「送電のメインシステムにウィルスが!」

 職員がそう叫んだ。

「ウィルス……やっぱりそう来たのね……」

 イルマの不安は、現実となって襲い掛かってきた。

 イルマは冷静に気持ちを切り替えて、状況を確認した。

「現在はどうなってるの?」

「P‐4地区の電力を限界まで上げてからすぐです。突然、警告音と共にタイムリミットが表示されたんです」

「タイムは止められないの?」

「無理です! ウィルス対策ソフトがまるで機能しません!」

 イルマは、エミの方へ顔を向ける。

「エミ隊員。あなたはどう?」

 エミは、一心不乱にキーボードを叩いていた。エミは、キーボードを叩きながらもイルマの質問に答えた。

「分かりません。色々対策してるのに、何も通じない! わたしが知っているウィルスとは全く違うんです。効率性があまりに悪いものなのに、でもウィルスとしての効率性はいい……」

 そんな、とイルマは呟いた。

 この手をイルマは予め読んでいた。だが、ウィルス対策はエミを含めたコンピューター関係のスペシャリストで対策出来ると踏んでいた。

 だが、考えが甘かったようだ。キリエル人は、対策されることを予期していたのだ。

「違う……これ、ウィルスじゃない!」

 エミが叫んだ。

「どういうこと?」

 イルマが聞いた。

「システムを乗っ取ったり、データを奪取したりする機能がこれにはないんです! これは……まるで……爆弾!」

 爆弾……そう聞いて、イルマは悟った。

「まさか……やられたわ!」

 イルマはそう言った。

 システムを乗っ取って自由に悪用する、と考えていたイルマの考えは間違っていた。キリエル人が仕掛けたのは、まさしく爆弾だったのだ。

 キリエル人は、システムを掌握するよりも、システムそのものを破壊することを選択したのだ。

 そして、タイムリミットのカウントが0になった。

「システムダウン……! こちらが仕掛けたものが跡形もなく消し飛びました」

「ウィルス対策ソフトも……消えた……」

 職員たちが次々に報告していく。

「電力送電システムそのものが……消滅した……」

 エミはがっくりと肩を落とした。

 その瞬間、街中の電力が落ち、街は完全な夜となった。

 

   *

 

 キリエロイドを投げ飛ばし、再び相対する。

 ツバサは、自分の戦い方に驚きを隠せなかった。

 相手のデータを目測で数値化し、相手の攻撃や防御の速度や威力を予想し、それに沿って自分の力をコントロールして攻撃、防御をする。

 ただそれだけだ。自分のステータスはからっきしだが、これほどまでに強敵と戦える。

 キリエロイドの戦い方は無駄がない。確か、キリュウは、戦闘は不得手と言っていた。となると、相手は戦闘用もいるということだ――相手は戦闘に特化したキリエル人ということだろう。

 だが、相手のステータスは大体頭の中でステータス化出来ている。そこから繰り出される攻撃も、戦闘パターンも今までやりとりで把握は出来た。これならば、奥の手は使う必要はなかったか――。

 そう思っていた時だった。

 

 突如、街灯の光が一瞬にして消えた。

 

 ティガは、一瞬の出来事に驚く。そして、わずかに首を左右に振り、何が起きたのか確認した。

 メトロポリス中の明かりが全て消えている。辺りは闇に近い。真っ暗だ。

 ツバサは一瞬で察した。

 ――電力がゼロに落ちた……。

 だが、だからといって何かが変わるはずがない。光が消えて、確かに常に全力が出来なくなった。

 だが、それだけだ。充電器から外れた端末のようなものだ。今はまだフル充電の状態だ。そうそう倒れることはない。

 と、ツバサは思った時には、もう遅かった。

 

 ツバサはあくまで予測することが出来る。だが、予知は出来ない。どんなにその計算が正解に限りなく近くても、それは本当の「正解」にはならないのだ。

 所詮、人の頭脳は、機械の正確な答えを出すとは違って、個人的見識な答えを優先してしまうのだから。

 

   *

 

 街は暗い。

 周りに何が起こっているのか分からないが、目が徐々に慣れてきた。

 だが、電力送電システムそのものが消えてしまった所為で、どこのプラグを挿し込んでも電気は通らない。PCや機械類はおろか簡易照明すら一切つかなくなってしまっているのだ。

 使えるのは、端末などの光と電池などで使える懐中電灯だけだ。

 だが、TPCはこんなことでは怯まない。

 イルマは、W.I.T.を開けて、TPC本部へ連絡した。

「至急、TPCの予備電力の一部をこっちに回して」

 イルマがそう指示すると、テント周辺の明かりが戻っていった。

 TPCでは、メインコントロールシステムが停止、掌握された時に、サブシステムに切り替えることが出来る。

 そして、新たに基地が移動された時に電力も基地内で発電できるシステムを考案した。だが、それはあくまで電力が落ちた時を見越してだ。

 予備電源とはいえ、TPC内のみでしか使えない程度の電力しか蓄えられないため、街に明かりを灯すことはできない。

 作戦本部で使う電力程度なら使うことが出来るのだ。

「エミ隊員。今のうちに、電力送電システムを何とかすることが出来る?」

「何とかと言われましても……システムそのものが消滅したので、どうすることも……でもやってみます」

 エミは、再びPC作業に戻った。

 イルマは、端末を取り出して、あるところへ電話した。

「もしもし? 今、どこにいる? ええ。やっぱりお願いするわ。こっちに来てくれる? 有難う。大体どれくらい? ……そうよね。でも急いで頂戴」

 そう言って、電話を切った。

「参謀……? 一体誰に電話を?」

 エミが尋ねた。

「ちょっとしたつてよ。この戦いに勝つ方法を持っているかもしれない……私の切り札よ」

 

   *

 

 ティガは、キリエロイドに駆けていった。

 回し蹴りを繰り出すも、キリエロイドは、それを避ける。ティガは、体の向きを一気にキリエロイドの方へ向けて反撃する機会を与えない。

 両者は、距離を保ちながら相対していた。

 距離として、一歩、二歩踏み出せば拳がぶつかる距離だ。

 この時、攻勢に出たのはキリエロイドだった。

 突然、至近距離から獄炎弾を放った。

 距離が距離のせいで、ティガは避けることが出来なかった。

 咄嗟に両腕を交差させて顔を覆う。

 獄炎弾は、ティガの腕と右脇に直撃した。

 わずかだが、ツバサ自身は痛みを感じた。いくら防御力があるとはいえ、小さな痛みもこの先に来る大きな痛みの元だ。食らうのは致し方ないとはいえ、食らっていいものではなかった。

 ガードしている所にキリエロイドが飛びかかってきた。両肩を掴まれ、そのまま膝蹴りを腹部に食らった。

 だが、ティガは掴まれた両肩を振り払い、横蹴りでキリエロイドとの距離を離した。

 キリエロイドは後退する。

 そして、キリエロイドは、今までとは違う動きを見せた。

 両腕を体の前で交差させ、振り下ろす――まるで、ティガがタイプチェンジしているかのように。

 そして――。

 

 キリエロイドの体が変化した。

 

 プロテクターを真似た模様はそのまま残っているが、体が赤黒く変色していった。先ほどまでとは違って、元からあった肉体にさらに上乗せしたかのように体が太くなり、硬化していった。

 赤黒い体には、所々色が変色していない部分があった――ティガのパワータイプの模様に類似しているかのように。

 ティガは一瞬驚いた。

 変化したのは驚いたが、ここまで変化するとは思わなかった。色や体の構成は違うとはいえ、ティガのフォルムに酷似させるとは一体誰が考えようか。

 だが、怯むことは出来ない。

 何かが変わったとはいえ、ここで下がるわけにはいかないのだ。

 ティガは再びキリエロイドに迫撃戦を仕掛けた。キリエロイドも、ティガに対抗するようにティガに向かっていった。

 

   *

 

 姿を変化させたキリエロイド――それは、正に前回の再現のようだった。

 前回も、ティガに対抗するために、それぞれの対応型のフォームへ姿を変えていた。

 だが、今回は、対抗するためだけではない――姿形から、明らかにティガそのものになろうとしている。

 顔や体はキリエロイドのままだが、フォルムやその模様までもをティガに近づけて、ティガに勝とうとしている。

 それは、ティガに対する挑発だ。

 イルマは、外に出て、遠くで微かに見えるキリエロイドを見ながらそう思った。

 だが、はっきり言えることは、前回は、ティガはそのフォーム対応で完全に敗北した。

 ティガに近づけるために、さらなる変化を遂げたキリエロイド。果たして、ダイゴよりも戦闘力が劣るツバサには太刀打ちできるのか?

 結果は、火を見るよりも明らかだ。

 

   *

 

 それは一方的な暴力だった。

 

 互いに駆けて行ったティガとキリエロイドは、まず初手に、右の正拳を繰り出すことを選んだ。

 だが、ティガの正拳が、キリエロイドの正拳と交差し、顔に届く前に、キリエロイドの拳が先にティガの胸部を貫くように炸裂した。

 ティガは――ツバサは、今までで味わったことのない激痛を受けた。

 あまりの衝撃に、ティガは、胸部を抱えて後退する。

 だが、相手の次の一手を読むまでに、キリエロイドの豪快な攻撃は、容赦なくティガに襲い掛かった。

 左の回し蹴りがティガの顔面に炸裂する。ティガは、一気に体ごと右へもっていかれた。

 その後、今度は右足の回し蹴りがティガを襲う。左右に揺さぶられたティガの体は、そのまま倒された。

 キリエロイドは、余裕の足取りで、うつ伏せになってもがいているティガに歩み寄った。

 両肩を掴んで、ティガの体を無理矢理起こすと、今度は掌底で、ティガを押した。

 ティガは、掌底で食らったダメージと同時に、足のバランスを完全に崩した。そして、そのまま仰向けのままで倒れていった。

 ビルが一緒に倒壊する。

 ティガは、起き上がり、膝をつきながらもキリエロイドに構えた。

 キリエロイドは急がず、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 その間に、ティガ――ツバサは次の一手を考えていた。

 パターンは限られている。キリエロイドは自身の勝ちを確信している。その中で次にとってくる行動を考える。

 そして、キリエロイドは右足を高く振り上げた。

 ティガは、次の攻撃を察知して左へ飛びこんだ。

 キリエロイドのかかと落としが襲い掛かる。だが、ティガの判断は間違っていなかった。かかと落としが振り落されると同時に左へ飛んだティガは、強烈な技を回避することが出来た。

 かかと落としが倒壊したビルの破片を破壊するだけになった。

 ティガは、左へ飛んだと同時に、両足で、隙だらけのキリエロイドの左足を挟み、飛び込んだ時の引きの力を利用してキリエロイドを転ばせた。

 その隙にティガは、うつ伏せになったキリエロイドに乗りかかった。

 両手を絡ませ、そのままキリエロイドの背部に叩き付ける。さらに、可能な限りの正拳をキリエロイドへぶつけた。

  だが、キリエロイドは、その状況の中でも冷静だった。

 キリエロイドは、ティガが拳を背中に叩き付けた瞬間に腕を曲げ、手を頭部から肩に円を描くように背後に持っていった。

 ティガの右手首をキリエロイドが捉えた。

 ティガは、キリエロイドの手を振りほどくために、左の手刀を落とした。

 だが、それもキリエロイドは読んでいた。左手首も掴まれ、ティガはほぼ拘束された状態になった。

 キリエロイドは、両腕を地面に叩き付けるように振り下ろす。

 ティガは、そのまま一回転して仰向けになって倒れた。

 ティガが倒れたすぐそこにはうつ伏せになったキリエロイド。そこからのスタートはうつ伏せが有利だ。

 今度は敵の番だった。キリエロイドは、起き上がり仰向けになったティガに乗った。

 キリエロイドは、ティガにやられたように無差別の正拳を連続でティガに襲い掛かった。

 最初の数撃は、ティガでもさばけたものの、次から次へと、威力が衰えることのない猛攻が徐々にティガの体や顔を捉えていった。

 ティガは、咄嗟にキリエロイドの手首を掴んだ。

 計算ではなかった。猛攻を逃れたいという思いが作動した結果だった。反射的にキリエロイドの両手首を掴んで、猛攻を止めた。

 だが、キリエロイドの両腕を完全に止めるには力が全く足りなかった。

 キリエロイドは、そのままティガの首を絞め始めた。

 ティガは苦しみだす。いくら巨人とはいえ、中身はツバサ――人間なのだ。掴まれればひとたまりもない。

 視界がかすんできた。

 気絶するのも時間の問題だ。

 

   *

 

「隊長!」

 マリナが叫んだ。

「分かってる!」

 フドウも同じ考えだった。

「各機、ティガを援護! その後、フォーメーションο(オミクロン)!」

 フドウの通信が各ガッツイーグルに届く。

 全機から、了解! と必死の返答が返ってきた。

 

   *

 

「ああ、ティガが!」

 エミは叫んだ。

 目の前に映る光景に、TPCの職員たちも愕然となっていた。

 ティガがこれほどまでに劣勢を強いられるとは誰が思っていただろうか? 

 灯りが消えたと同時に、キリエロイドは本性を現した。圧倒的な戦闘力と破壊力をもってティガを追撃する。

 イルマは、ツバサが言っていた時からある程度の覚悟はしていた。だが、現実に見せられて、ここまでの差があったとは誰が考えようか。

 ツバサの切り札を使うべきだろうか? 

 いや、まだだ、とイルマは思う。

 ツバサの切り札を使うのは、自分が用意した奥の手を使ってからだ、とイルマは元から考えていた。

 イルマの切り札――そろそろ来るはずだが……。

 

「ああ! 良かった! ここだったか!」

 

 突然、男の声が聞こえた。

 それはイルマにとって一番知っている男の声だった。

 男がテントに入ってくると同時に、TPC職員たちが警戒し武器を構えた。

「だ、誰だお前は!」

 当然の反応だろう。いきなり見た事もない部外者が作戦本部のテントに入ってきたら、誰だって警戒する。もしかしたら、異星人による襲撃かと思われるだろう。

 だが、イルマは、全員を落ち着かせた。

「みんな、落ち着いて。彼は私が呼んだの」

 と、イルマが言うと、参謀が……ですか? と確認を取るように呟いた。職員たちはすぐに手持ちの武器をしまった。

「間に合ってよかったわ」

 イルマが男にそう言う。

「いや、参ったよ。仕事終わりで家の近くまで来ていた時に電話が来るんだから。しかも完全に停電で、必要なものを探すのに苦労したよ。辺りも真っ暗だったからここまで来るのに結構苦労したね」

 男がそう言った。

「とにかく良かった。今は時間がないの」

 イルマが、そう言うと男は、だろうね、と言った。

「戦闘は何となくだが見えたよ。相当やばいね、あれは」

「ええ。だから、あなたになら力になれるかもしれない、と思ったのよ」

 なるほど、と男は言う。

「それじゃ、やりますよ。PC貸してくれない?」

 男が、そう言うと、イルマはエミの隣にあるPCを指さした。

 男は座る。エミに視線を向けて、軽く会釈する。エミも思わず会釈した。

 男は、PCを操るかのように捜査していく。タイピングも早く、エミと同格かそれ以上だ。

「ははあ……こいつは……。跡形もなく吹っ飛んでるな……」

 男は、画面を見るなり言った。

「ええ。もしかしたら新種のウィルスではないかと……」

 職員がそう言った。

「わたしも色々試しているんですけど、何の反応もなくて……」

 エミが言った。

 だが、男は、ふう、と息を吐いて言った。

「まあ、そうだろうな。ウィルスじゃないんだから」

 男がそう言うと、エミやイルマを含め、全員が驚く。

「どういうこと?」

 イルマが聞いた。

 男は、説明した。

「これはウィルスの類じゃないね。文字通りの爆弾なんだよ」

「爆弾?」

 エミが聞いた。

 男は言う。

「これはロジックボムっていう90年代から2000年代前半頃に現れたものだ。まあ、俺が生まれた直前くらいの――今の若者は知らないコンピューター界の過去の遺産だな」

 ロジックボム……とエミが呟いた。

「それは具体的にはどんなものなの?」

 イルマが聞いた。

「これはウィルスではなく、破壊プログラムの一種なんだよ。特定の条件が全て揃うと発動することの出来る爆弾――文字通り、仕掛けたプログラムを跡形もなく破壊する――そこにいたウィルスやワーム諸共全てね」

「ウィルスやワームも破壊する……そんなことが……」

 エミが言った。

「まあ、こういうものは、相手のプログラムを乗っ取って情報を奪って利益を横取りするというよりは、プログラムを破壊して相手の利益を100パーセント損害させるという目的で作られたものだ。自分には、利益はないが、後々になれば自分自身にとって利益になっていくものなんだよ」

「チェルノブイリみたいなものね」

 イルマが言うと、男は、

「そう。それもロジックボムだ。あれは確か二億ドル以上の損害だったっけなあ」

 と、返した。

 エミを含め、誰も「チェルノブイリ」と聞いても、かつて原発事故を起こした事例を思い浮かべるが、どうやら違うようだ。どうやら、今は関係のないものらしい。

 イルマは、ようやく敵の意図を掴んだ。

 キリエル人は、システムを乗っ取るよりも、システムそのものを破壊する手段をえらんだ。

 確かに、乗っ取るよりは破壊した方が断然有利だ。戦いにおいては相手の戦術、戦略兵器を破壊した方が勝率は上がる。

「多分、電力会社の発電システムにハッキングしたら、発動する仕組みだったんだろうな」

 と、男は言った。

 イルマは、それもキリエル人は読んでいた……、と呟いた。

「まあ、だから俺が呼ばれたんだけどな」

 男は、手元にあるバッグを漁っていた。

 エミはえ? と目を丸くした。

「どういうことですか?」

「俺が呼ばれたのは、この壊れたシステムを直すためなんだよ」

 システムを直す――だが、それは、とエミは言った。

「でも、跡形もなく無くなったのに、そんなこと……実際、わたしも何も出来なかったのに」

 

「分かってるよ。だから直すんだ。いや、正確には送電システムをもう一度、一から作り直すってことなんだよ」

 

 一瞬、エミの思考が停止した。

「……え? 作り直す?」

「ああ。一から全部だ」

 ちょっと待ってください! とエミは言う。

「そんなことをしたら、電力会社に作り直されたのがばれるのでは……」

「だから、以前の状態をまた一から作り直すんじゃないか」

「そんなこと……」

 不可能だ。

 送電システムはかなり複雑に作り上げられていたはずだ。それを元のままに作り直すなど、不可能だ。

「どのみち勝手にハッキングしている時点で何か言われるんだろ? だったら、こっちの被害は最小限の方がいいじゃないか」

 それはそうですけど、とエミは不安になった。

「でも、大丈夫なの? 元のままに作り直すということは、システムの構造を覚えているということなのよ? もしかして、設計図とかを入手したの?」

 イルマが聞いた。

 男は、まさか、と言った。どうやら設計図もなしに作るようだ。

「そんな! そんなことが……」

 イルマがそう言いかけた時、男は笑いながら言った。

 

「出来るに決まってるだろ。一体誰が前回の戦いで地区の電力を限界まで引き上げたんだっけ?」

 

 男がそう言うと、イルマは、ようやく思い出した。

 そうだ。前回の戦いで、まだ幼かったこの男が、今エミや職員たちでやっていることをたった一人でやってのけたのだ。

「そうね。無用な心配だったようね」

 イルマが安堵しながら言った。

「そういうこと。だけど、俺一人では、システムを作り直すのにちょっと時間がかかる。そうなっちまうと、ティガが死ぬかもしれない」

 そこでだ、と男はエミの方へ顔を向ける。

「君にもシステム作りを協力してもらう。指示は俺が出すから、手伝ってほしい」

 わたしが? とエミは驚いた。

「手伝うと言われても……システムの土台部分を構築するのにも時間がかかります……」

 エミが言うと、男が笑った。

「おいおい、まさか出来ないっていうのか?」

「出来ます! ただ、時間がかかるというだけで」

 エミはムキになって言った。

 男はまだ笑う。

「おいおい……君は、腐っても木佐貫一族の一人だろう? しかも、PC関係の若き天才であろう君がそんな弱音を吐くなんてらしくないぞ」

 エミは、男の言っていることに驚く。

「何で、わたしのことを……」

 男は、よく知ってるよ、と微笑みながら言った。

 

「何も出来なくて、家業も継ぐこともできない女の子は、努力の末にプログラミングを独学で習得し、個人でソフト販売をするほどまでに成長し、そしてS‐GUTSのオペレーターになり、TPCのシステムの一部をさらに改良した『天才』――TPCの人たちならよく知っているよ」

 

 まあ、俺はTPCの人間じゃないんだけどな、と笑いながら言った。

 男がそう言うと、エミはほんの少しだけ俯いた。何故、自分自身の生い立ちを大ざっぱだが知っているのだろうか。それを知っているのは、大叔父やイルマを含めてごくわずかの人だけだ。

 S‐GUTSの仲間にも……ツバサにだって……。

「君は、その努力でやり遂げたことがたくさんあったはずだ。今回だってそうだ」

 男はバックから一枚のソフトが入っているケースを取り出した。

「君の作ったソフトが、ティガを助ける鍵になるんだから」

 エミは驚いた。

「それは……!」

 そのソフトは、使用者はもちろん、作ったエミが他の誰よりも知っているものだった。

「わたしが作った『初心者でも簡単に出来るシステム構築ソフト』……!」

 そういうこと、と男は言ってソフトをディスクドライブに差し込んだ。

「これは、初心者が経営システムを構築する時に使うものだ。システム構築はPCの上級者でしか一から作れない。だから、ソフトに収録されている様々なシステム構築の形を手順ごとに選択いけば誰だって簡単にシステムが作れる」

「でも、それはあくまで基本の管理システムを構築するためのソフトですよ。送電システムとは形が違うし……」

 そうだな、と男は言うが、ところがそうでもないんだ、と付け足した。

「確かに違うが、実は、これの中を見た時に一つだけ気づいたことがあるんだ」

「気づいたこと?」

 男は言う。

 

「システムの最初の土台が、この中の一つと一緒だったんだよ」

 

「そんな!」

 と、エミは驚いた。

「そんなはずは」

「そうなんだよ。送電システムは、ソフトの中にあるものの一つを土台にして作り上げられていた。最初の土台さえ簡単に構築出来れば、後は簡単だ」

 PC画面にシステムのデスクトップが表示された。

 男は、エミの方へ顔を向けた。

「助けるぞ。ティガを」

 エミは頷いた。

 そして、二人はキーボードを叩く。誰よりも早く、今、苦しんでいるティガを救うために。

「あの……つかぬことをお伺いしますけど……」

 エミは唐突に聞いた。

「あなたは誰なんですか?」

 男は、意外そうな顔で言った。

「あれ? 母さん言ってなかったの?」

 男は、『母さん』と言ってイルマの方へ顔を向けた。

「緊急事態だったから、色々説明出来なかったのよ」

 エミは、イルマと男を両方見ながら言った。

「あの……えっと……もしかしてお二人は……」

 男は、エミの方へ向いて微笑みながら言った。

 

「遅れまして、初めまして、キサヌキ・エミ隊員。俺は、有限会社プレイグミングの唯一の社員にして社長、そして、ここにいるTPC情報局参謀イルマ・メグミの一人息子のミウラ・トモキだ」

 

   *

 

 キリエロイドは目の前のティガしか見えていなかった。

 首を絞めて、ティガの行動を完全に停止させようとしていた。ティガは、キリエロイドの両腕を掴んで何とか振りほどこうとしているが、意識が遠のいて力が出ない。

 瞬間、キリエロイドは両腕の力を弱めた。

 ガッツイーグルの三機がキリエロイドの背後から攻撃を開始したからだ。

 光弾がキリエロイドの背後を捉え、火花が散った。

 力を弱めたキリエロイドは、ほんの一瞬だけティガの首を離した。

 ティガはその隙を見逃さなかった。

 そのまま片腕を掴み、左の足裏をキリエロイドの腹につけた。そして、巴投げの要領でキリエロイドを投げ飛ばした。

 ティガは、立ち上がり再びクリスタルの前で両腕を交差させた。

 そして、今度はスカイタイプに変身した。

 キリエロイドは、倒れたと同時に起き上がる。しかし、ティガは先に仕掛けていた。

 力は劣るが、速度が上がるスカイタイプは、力に特化したキリエロイドに有効なのだ。ダメージが微々たるものでも、この速さならキリエロイドも攻撃を返すことは出来ない。

 ティガは、一回転してキリエロイドの背後を取った。

 回し蹴りを与え、キリエロイドをよろけさせる。そして、未だに背後を取っているキリエロイドに猛攻を加えようとした。

 ティガはキリエロイドの肩を掴み、投げ飛ばそうとした。

 だが、キリエロイドの方が一歩先を行っていた。

 キリエロイドは背後を取られながらもティガの両腕を掴んだ。

 ティガは目の前の現象に驚いた。

 そして、キリエロイドはティガの両腕を掴んだまま両腕を空に掲げた。

 ティガは抵抗出来ないままなされるがままだった。

 ティガは、反転させられる。キリエロイドとティガは、互いに背中を見せ合う形になった。

 キリエロイドは、ティガの両腕を天に掲げたまま吠えた。

 その瞬間、キリエロイドの体がまた変化した。

 赤黒く、がっしりし、硬化した体が変化する。体は、以前より細くなり、色も青黒く変わった。

 キリエロイドは、ティガの片腕を離す。

 その隙に、ティガをまた反転させてからティガの腹部に肘打ちを入れた。そして、その後で、掴んでいたもう片方の腕を、半月を描くように持っていく。

 ティガが宙に浮いた。

 キリエロイドは、ティガを投げ飛ばした。

 投げ飛ばされたティガはすぐに体勢を立て直した。

 地面で前転しながら落下のダメージを抑え、すぐに反転した。そして、すかさずハンドスラッシュを繰り出した。

 だが、キリエロイドは一回転して攻撃を避けた。

 キリエロイドは、飛び蹴りをティガに食らわせた。

 ティガは倒れた。

 ティガが炸裂させた蹴りを今度は食らってしまった。

 再びティガは起き上がる。

 ティガはキリエロイドの背後にガッツイーグルの三機が行動を起こしているのが見えた。

 三機はキリエロイドの背後と横面をそれぞれ三機が迫っていた。

 ティガは駆け出した。

 四方を包囲し、一気に攻撃を仕掛ける。

 どれくらいの効果があるかは分からないが、少なくとも、足を止めて反撃への道筋が掴めるかもしれなかった。

 だが、キリエロイドはその攻撃すら簡単に切り抜けられる。

 

 キリエロイドは、自らの足元に獄炎弾を放った。

 

 爆炎と粉塵がキリエロイドの周囲を覆った。

 一瞬、キリエロイドの姿が見えなくなるほどの煙が舞い上がった。

 だが、敵にとってそれで十分だった。

 煙の中からキリエロイドの足と思われる部分が姿を現す。その足は、半円を描き、三機のガッツイーグルの尾翼を叩き折った。

 そして、煙が薄れ、姿を現した瞬間、キリエロイドの渾身の右足がティガの腹部を貫いた。

 ティガは一気に後ろへ吹っ飛んだ。

 

   *

 

「ティガと四方を囲み、一斉に攻撃する!」

 フドウが叫んだ。

 隊員たちは、通信で合図を送り、ティガの駆け出したタイミングに合わせて速度を変えた。

 人間の意地――食らいやがれ!

 フドウはそう思いながら攻撃ボタンを触れる。

 だが、キリエロイドは一歩早かった。

 突然、キリエロイドの周囲を爆炎が吹き荒れた。その瞬間、煙が立ちこもった。

「何!」

 フドウが言った。

 刹那。

 煙の中から何かが飛び出した。

 それは、ガッツイーグルの尾翼をへし折り、航行システムを壊すほどの威力だった。

『尾翼、及び第一エンジンが損傷!』

 ヒロキの通信だった。

『やられた!』

 シンイチも叫んだ。

「全員不時着しろ! 市内でガッツイーグルを落とされるとたまらん!」

 フドウは操縦桿を強く握りしめる。隣にいるマリナに言った。

「システムがいかれちまったが、サポート頼むぞ」

「了解」

 マリナは前を向く。

 これで終わったなんて、言わせない……! と固く心に誓いながらマリナはフドウのサポートに入った。

 

  *

 

 後ろへ吹っ飛ばされたティガは体勢を立て直すことも出来ずにそのままビルに突っ込んだ。

 起き上がるも、ティガは、迫りくるキリエロイドの攻勢に対処出来なかった。

 手刀を振り下ろしてくるキリエロイド。ティガは、前転してそれを避けて、反撃にでようとするが、キリエロイドの速さについていけなかった。

 振り向いた瞬間に、ティガはキリエロイドの回し蹴りを食らって地面にうつ伏せになって倒れた。

 キリエロイドは、倒れたティガの肩を掴み、無理矢理体を引き起こした。

 そして、キリエロイドの掌がティガを覆った。押しつぶされるような音がこだまする。

 キリエロイドの膝蹴りが再びティガの腹部を抉るように炸裂する。

 その次に縦の肘打ちがティガの背後を襲った。ティガは膝をつく。

 キリエロイドの猛攻は続く。膝をついたティガの顔面をめがけて蹴りを見舞った。ティガは後ろによろめきながら後退していく。

 だが、既に背後にはキリエロイドがいた。ティガのスカイタイプに対応した今の状態は、速度が大幅に飛躍している。ティガの背後に回る速度で移動することなど容易いのだ。

 キリエロイドは、蹴りを入れた。ティガは、今度は前によろめきはじめた。

 さらにキリエロイドは、一瞬でティガの前に立ちはだかり。正拳を入れた。

 それからはその繰り返しだった。

 キリエロイドの速く重い攻撃は、ティガの体力を削っていった。いくらティガの力があるとはいえ、ツバサの能力では、それも限界に近い。

 キリエロイドの猛攻の間に、カラータイマーが点滅を始めた。あまりに大きなダメージを負いすぎたことが原因か、カラータイマーの点滅が通常よりも早かった。

 最後の蹴りを入れられ、ティガは前へ吹っ飛んだ。

 地面に叩き伏せられる――これで一体何度目か分からない。

 ティガは、振り向く。

 キリエロイドは、ティガを見下ろしながら一歩、また一歩と近づいていった。

 ティガは、立ち上がる。

 

 そして、ティガは、再びマルチタイプへと変身した。

 

 あまりに突然の出来事に、キリエロイドも一歩引いたが、瞬時にその意図に気づいた。キリエロイドも、ティガに合わせるように通常の状態へ姿を変えた。

 両者は一定の距離を保っている。

 ティガのカラータイマーが鳴り響く以外は、静寂だ。

 

 ティガは力を振り絞った。

 

 両手を前方に持っていき、交差させる。そして、左右に広げエネルギーを集約させる。そのエネルギーは光の線となってティガの腕に集まる。

 そう。

 ティガの必殺技であるゼペリオン光線――今まさに、それを放とうとしていたのだ。

 対するキリエロイドも構えた。

 両腕を前面で交差させ、左右に広げた。そして、力を右腕に集約させて、それを投げる体勢へ移った。

 まるで、ティガに対抗するかのように、ティガが繰り出す必殺技の動きをも似せたのだ。

 そして――。

 

 ティガは、ゼペリオン光線を放った。

 

 キリエロイドは、特大の獄炎弾を放った。

 

 ――勝負は一瞬だった。

 

 キリエロイドの獄炎弾は、ティガのゼペリオン光線を切り裂くように、光線の中心点を貫いた。

 

 ティガの体を獄炎弾が炸裂する。

 巨大な火花が飛び散る。周囲に巨大な爆炎と粉塵が吹きすさんだ。

 周囲の建物をも巻き込むほどの爆風。その中にティガはいた。

 

 ティガは、崩れ落ちたビルの瓦礫の上に、横たわっていた。

 

 キリエロイドは、勝ちを確信した。

 ティガに近づき、そしてティガの首を両手で掴み――。

 ティガを持ち上げた。

 ティガは人形のようにピクリとも動かない。ただ点滅が早まったカラータイマーが空しく鳴り響くだけだった。

 

   *

 

「一体何が起きたんだ!」

 フドウが叫んだ。

「分かりません。光が激突して、その後で大きな爆発が起きたとしか」

 マリナが答えた。

 二人の乗ったβ号は無事に不時着していた。

 ヒロキもシンイチも、それぞれ別の場所で不時着に成功していることも確認できた。ひとまず隊員は全員無事だ。

 だが、今の爆音は気になる、とフドウは言った。

 W.I.T.の表示では、フドウたちは、現在P‐5地区らしい。ティガがいる地区の隣だ。

 キリエル人の仕掛けたロジックボムの所為で、P‐4地区はおろか、メトロポリス中の電力が全て落ちていた。その所為で、周囲の確認が出来ずにいた。

 突然、S‐GUTSの全隊員のW.I.T.に通信が入ってきた。

 イルマからだった。

『全隊員に告げます。全員直ちにP‐4地区から撤退してください』

 何? とフドウが疑問に思う。

「どうして撤退を……。このままではティガを助けることが出来ないんだぞ!」

 フドウが叫んだ。だが、通信は、イルマからの一方的な通信のため、イルマには届かない。

 イルマの通信は続いた。

『現在の状況は我々が圧倒的に不利です。ティガも苦戦を強いられています』

 それは分かり切っていることだ、とフドウとマリナは思った。

「だから、あたしたちが助けに行くんじゃない!」

 イルマの声が低くなっていった。何かが引っかかっているようだ。

『本当なら、こんな手は使いたくなかった……でも……我々人類がキリエル人に勝つためには、もうこの方法しか残っていません』

 だから――、とイルマは結論付けた。

 

『P‐4地区で作動している電磁波遮断機構の使用権限を一時的にKISANUKIグループから私に移行させます。命令します。私の合図と共にP‐4地区の電磁波を最大まで上昇させてください』

 

   *

 

 イルマは、自室でツバサとのやり取りを思い出していた。

 

「ティガが負ける?」

 はい、とツバサは返した。

「こちらの仮説が正しいのなら、この戦いは相手にとって有利であり、こちらは不利です。ティガの敗北が目に見えています」

 なら、とイルマは問い返した。

「ツバサ君は一体どうするつもりなの? この勝ち目のない戦いに一体どうやって勝つつもりなの?」

 イルマの質問は最もだった。

 勝ち目のない戦いに挑むなんてあまりに愚かだ。負け戦と勝てない戦ならば、退くという選択肢もあるだろうが。

 しかし、光の巨人となったツバサの宿命は「必ず勝たなければならない戦」しかないのだ。

 ティガに勝ち目がないとしたら、一体どうすればいいのだろうか。

 ツバサは、微笑みながら答えた。

「だからこその奥の手なんです。敵の行動を鈍らせ――いや、僕の仮説が正しければ、この奥の手で敵は行動不能になるどころか、もしかしたら倒すことも出来るかもしれません」

 ツバサの言葉にイルマは驚いた。

「それはつまり、キリエル人に直接手を下さずに倒せるということ?」

「かもしれません」 

 と、ツバサは答えた。

 そんな方法があったなんて、今まで知る由もなかった。

 前回、前々回の戦いは、ティガと光の力を以て何とか勝利できた。だが、ツバサは、それよりも簡単な方法があると言う。

「一体どうやって?」

 イルマは聞いた。

「……電磁波遮断機構です」

 ツバサは答えた。

「電磁波遮断機構?」

 イルマが聞いた。

 ツバサは頷いた。

「参謀もご存知かと思いますが、電磁波遮断機構は、人体から機械などから発せられる電磁波を守るための機械です」

 そうね、とイルマは頷いた。

「詳しく言えば、人体に特殊はバリアを張って、電磁波が体内に入るのを防ぐ仕組みですね。沖津教授は、早い段階から、電磁波における人体への影響を懸念していました。電磁波によって体の機能が低下したり、精神に異常をきたしたりと……まあ、それは沖津教授の著書を読むことをお勧めします」

 詳しい話を端折ります、とツバサは言った。

「実は、電磁波遮断機構にはバリアを張っている以外にも機能があります」

 ツバサは、その機能を説明した。

「一つは、バリアを張っていると同時に、外に放出されている電磁波をある程度まで抑えることです。詳しい話は、省きますが、簡単に言えば、機械がある程度の電磁波を吸い取って中に溜めるというものです」

 そして、二つ目は、とツバサは言った。

「溜めた電磁波の周波数を生物の体に影響がある値になるように調節し、一気にそれを放出することです」

 イルマは、ここまで聞いてもツバサの意図が掴めなかった。

「それで、それがどうしてキリエルに通じる切り札になるのかしら?」

 ツバサは説明した。

「まず、僕が説明した後者の機能……これは、中に溜められる電磁波には限界があるため、放出すると時は、一定の時間に周囲に影響がない程度で放出される仕組みです。人体を覆うバリアは完璧なものではありません。バリアの限界値を超える電磁波だと、バリアは崩壊して人体に直撃してしまいます」

 しかし、とツバサは続けて言った。

「電磁波の周波数を上げる――これは、全く意味のないものです。電磁波遮断機構と謳われている機械なのに、電磁波の周波数を上げるというものには矛盾がある」

 ツバサがそう言ってイルマは察した。

 

「つまり、電磁波遮断機構には兵器としての概念があるということ?」

 

 ツバサは頷いた。

「沖津教授だけに留まらず電磁波における人体への影響は早い段階から懸念され、IARCは、発がん性がある可能性を示唆していましたし、NIESは低周波の電磁波における健康リスクの研究も行っていました」

 それだけ電磁波は、注目されていたんです、とツバサは言った。

「機械から発せられる電磁波は、もう消しようがありません。沖津教授が開発したこの機械でさえ、あくまで人体にバリアを張って電磁波を通さないというものです。電磁波を消滅させられるものではなかった」

 しかし、考えてください、とツバサは説明する。

 

「その電磁波遮断機構でさえ、機械だということを」

 

 なるほど、とイルマは理解する。

「それから放出されている電磁波も溜めこんでいるのね」

 ツバサは頷いた。

「電磁波遮断機構が放出している電磁波はそのまま内に溜めこまれます。それと同時に周囲の電磁波をも溜めこむ――その量は途轍もないものだと思います。さっき言った通り、バリアは簡単に壊れます」

 そして、とツバサは続けた。

「電磁波遮断機構の機能する範囲には制限があります。なので、各地区に電磁波遮断機構が存在し、それぞれの地区で電磁波から人々を守っているのですが……」

 これもまた仕組みが変わってきます、とツバサは説明する。

「調節された周波数の電磁波を放出した時、当然隣接する地区にも影響が及びます。そこで、この機能が使われた時、隣接しているそれぞれの電磁波遮断機構は一時的に人々に張っているバリアを解いて、これを地区の周囲に張り巡らす仕組みになっています。バリアを張るために分配されたエネルギーは地区を覆う一つの巨大なバリアに集約されるため、武器として使われた電磁波が地区に入るのを防いでくれます」

「でも、それって武器として使用した場合、その地区の人を避難させなきゃいけないんでしょう?」

 イルマの問いにツバサは頷いた。

「だから、これを使う前に避難は絶対必要なんです。念のために隣接する地区の人々も避難させる必要がありますね。いくらバリアを張っているとはいえ完全に安全とは言い切れませんから」

 なるほど、とイルマは納得した。

「でも、これがどうしてキリエル人に効くと分かったのかしら? 当然根拠はあるのでしょう?」

 ツバサは、はい、と言って頷いた。

「沖津教授の体をスキャンした時、教授の脳が完全に抜き取られていたんです」

「抜き取られていた? 綺麗さっぱりに?」

「はい。脳細胞一つ残らずで」

 脳細胞一つ残らず――確かにキリエルがやったと考えていいわね、とイルマは言った。

「ですが、沖津教授の件を調べていた時に気付いたんです。キリエル人は人の記憶を弄ることが出来る、と」

「弄る?」

「はい。実際、エミは知らぬ間にキリエル人に記憶を弄られていました」

 だけど、それで気付いたんです、とツバサは言った。

「記憶を弄るという高度なことが出来るのに、何故沖津教授の場合は脳を全部持って行ったのでしょうか?」

 何故、と聞かれてイルマは答えた。

「教授には様々な分野の知識があるわ。それも欲しかったんじゃないかしら」

 一理ありますね、とツバサは言うが、すぐに否定した。

「しかし音楽や一般常識など、意味のない知識も含めて奪ったんですか? そんなものまで奪う意味が彼らにあったでしょうか」

 確かに、とイルマは言った。

「キリエル人が欲しかったのはあくまでティガの知識だけです。記憶を弄ることが出来るなら、沖津教授から、それだけを奪うことも出来たはずです」

「でもしなかった……」

 イルマがそう言うと、ツバサは首を横に振った。

「しなかったんじゃないんです。そうすることが出来なかったんです」

 出来なかった? とイルマは言った。

 ツバサは説明した。

「電磁波遮断機構には、中に搭載されているメインコンピューターによって電磁波の吸収、調整、放出を自己判断でやっています。それ以外にPC遠隔による手動による操作もできますが、これはあくまで緊急事態のものです」

 そして、とツバサは言った。

「もう一つ、手動で操作できる方法があります」

 ツバサがそう言うと、イルマはその答えを知った。

「リモコンによる操作」

 ツバサは頷いた。

「電磁波遮断機構には、メインコンピューターの他に独立したサブコンピューターが内蔵されています。これは手動のリモコンによってのみ作動する仕組みで、万が一メインが使えない場合に備えての措置です。しかし、これはあくまで最終手段。一応、電磁波の調整等も出来ますが、当然今までそんなことをやった人はいませんし、今後も誰もいなかったはずだった」

 イルマは、ここまで聞いて、ようやくツバサが何を言いたいのか理解した。

 

「教授は、そのリモコンで電磁波の周波数を調整してキリエル人に対抗したということ?」

 

 ツバサは頷いた。

「沖津教授の自宅には、研究用の電磁波遮断機構がありました。そして、事件の概要が見えてきた時、沖津教授がどういう行動を取ったのか、予想出来たんです」

 

 ツバサの見解はこうだった。

 まず、キリエル人――イタハシ・ミツオが沖津の自宅へやってくる。目的は勿論、沖津の脳に記録されている、そして資料として保管されてあったティガに関する情報を盗むためだった。

 イタハシと沖津は書斎で、恐らくその事に関しての話し合いがあった。

 イタハシの説明で折れた沖津は、メモ帳にそれが保管されているファイルのラベルを書き、それをイタハシに渡し、自分自身で探させるようにした。

 イタハシがファイルを探している隙に、手元にあった電磁波遮断機構のリモコンを手に取り、行動を起こそうとした。

 だが、すぐさまイタハシがその異変に気づき、沖津の体に入り込み沖津を制御しようとした。

 沖津は、リモコンのスイッチを押した。強力な電磁波が沖津と、そしてイタハシに襲い掛かった。

 沖津はもちろん、イタハシもこの電磁波の餌食になってはたまらない。電磁波の影響は、すでに来ていた。時間が無くなったイタハシは、沖津のティガに関する情報だけを奪い取ることが出来ずに、脳を全て――全ての情報を持ち帰るしかなかった。

 そして、沖津は亡くなる。残されたイタハシは、ティガの資料と脳、そして二度と誰も電磁波遮断機構を使えないように、リモコンを持ち去り、そこにあった電磁波遮断機構を衝撃破で破壊した。

 

 そう。

 ツバサが証拠保管室で探していたのは、電磁波遮断機構のリモコンだった。そして、電磁波遮断機構の焦げるはずのない場所が焦げている――これはメインコンピューターではなく、サブコンピューターが焼焦げていたことを意味していた。

 イタハシは、沖津のもう一人の弟子だった。だとするなら、電磁波遮断機構の仕組みを知っていてもおかしくない。イタハシは、サブを壊し、リモコンを持ち去ることで誰も沖津の自宅にあった電磁波遮断機構を使わせないようにしたのだ。

「これらを考えると、キリエル人にも電磁波の影響があると考えていいと思います」

 そういうことだったの……、とイルマはようやくツバサと同じ地点に立つことが出来た。

「でも、そう考えると、キリエル人は、それを私たちが使うことを予測しているはず。もしそうなら、その対処をするはずよ」

 もっともな意見だ。

 電磁波遮断機構の対処なんていくらでもある。その地区にある電磁波遮断機構を破壊したり、コントロールを奪ったりと、対応の仕様がいくらでもあるのだ。

 だが、ツバサは、真剣な表情で答えた。

「いえ。それはないはずです」

「え?」

 イルマが聞き返した。

「それはないって……どういうこと? まさか、キリエルがそれを見落としていると?」

「いえ……僕もそれを考えました。イタハシ・ミツオが沖津教授のもとで弟子として欺いていたのなら、間違いなく自分たちの弱点である電磁波遮断機構に目を付けるでしょう。ですが、今回だけは……それについては大丈夫だと思います」

 ツバサは、あまり自信が無さげに言った。

 イルマは、ツバサが根拠なしに言うことはないと知っている。だが、今のツバサの言葉には、それがない。

「どうしてそう言えるの? もしかして、そうなる確証があるの?」

 ツバサはしどろもどろに言った。

「いえ……確証といいますか……。今回は敵が電磁波遮断機構を知っているけど、目を付けていないと言いますか……。もっと分かりやすく言えば、相手は電磁波遮断機構の構造を知っているけど、電磁波遮断機構の対策を知っていないというところでしょうか?」

 ツバサの言葉には、正確性がなかった。ただ、今回に限って、キリエル人は電磁波遮断機構の対策を行わないのには自信があるらしい。

 イルマはツバサを信じることにした。

「それで、私は何をしたらいいの?」

 ツバサは、答える。

「もうすぐイルマ参謀の元にある権限書が届きます」

「権限書?」

 ツバサは言った。

 

「電磁波遮断機構の一時使用権限書です」

 

 それは……とイルマは呟いた。

「電磁波遮断機構は、全てKISANUKIグループによって一括管理されています。僕がこれからキリエル人と戦うと予測しているエリア一帯での使用権限を参謀に一時的に渡すことを受理してもらえるように母にお願いしておきました」

 ツバサが最初にカノコに会った時に頼んだのがこれだった。

 ツバサは、キリュウから依頼が来た時に、頭の奥底で敵の弱点を予測していた。何通りかある中で一番可能性の低いものに、ツバサは一番の可能性を賭けていた。出る杭はすべて打つ――その成果が現れる時だった。

「本当ならエミに頼んだほうが手っ取り早かったんでしょうが、こういうことはしっかりと順を踏む必要がありますからね」

 と、ツバサは微笑んだ。

「使用するタイミングは参謀に一任します。誰よりもキリエル人を知っているあなたなら、彼らを倒す絶好のタイミングを掴めるはずです」

 

   *

 

 ツバサの言ったことの意味が、ここで為されようとしている。

 イルマは権限書を見つめた。

 今、ティガが――ツバサが死の間際まで来ている。

 ツバサが用意した切り札――これが駄目なら、人類は三度目にしてキリエル人に支配される未来がやってくるのだ。

「隊員たちを急いで撤退させてください! 撤退が終わり次第、電磁波を放出します」

 イルマはティガを見つめた。

 隊員たちも固唾をのんで見守る。

 そして、そんな中、もう一つの切り札が復活を遂げようとしていた。

「よし! システムを構築しなおしたぞ!」

 トモキが叫んだ。

 イルマがトモキに近づいてPC画面を覗いた。

 確かにシステムが構築されていた。

「あー……疲れた」

 エミががっくりと肩を落とした。

「有難う。この短時間でよく全て戻してくれたわ」

「いやいや。キサヌキ隊員の手伝いもあったからさ。それじゃ、まず、送電のテストを行う。一瞬だけ全ての電気がつく。その後で一気にまた電力を限界まで引き上げるぞ。もうウィルスもロジックボムもない」 

 イルマは頷いた。

「電力が回復次第こちらも切り札を使います。これで決着を付けるわ!」

 イルマはそう言って、再び外に出た。

「よし! それじゃ、送電テストやるぞ!」

 テントの奥でトモキの声が聞こえた。

 イルマも準備をする。

 タイミングは、トモキが送電システムの実験をやった後だ。そこで一気に電磁波遮断機構を使う。そして街の電力が戻り、ティガの活動を完全復活させる。

 奥でトモキが叫んだ。

「実験開始だ!」

 それに続いて、イルマが叫んだ。

「電磁波遮断機構電磁波放出機能を行使します!」

 

 街に光が一瞬蘇った。

 隊員たちがその一瞬の光に勝利を見出している。

 突然の出来事に、キリエロイドは反応するのに遅れていた。

 だが、それ以上に――。

 

「……えっ?」

 

 イルマだけが、戦慄していた。

 

   *

 

 甘かった。

 完全に自惚れていた。

 勝てる、と思った自分が馬鹿だった。

 勝てるはずがないのだ。勝敗は、ティガになる前から分かり切っていたことだった。

 圧倒的にキリエル人が有利――それは戦う前から分かり切っていたことじゃないか。何故、自分の戦闘力の向上に我ながら見惚れてしまったのだろうか。

 それが自分の――エンジョウ・ツバサの欠点なのかもしれない。

 相手を数値化する――それは確かに、ツバサの持っている能力を戦闘に活かす最大限の力だ。

 相手の動きを数値化し、自身の動きも数値化し、それに対応して体に命令を与えて動く――確かにそれは強い武器だ。

 

 だが、完全にその数値化された行動をしなければ、いくら計算したところで無意味であることは、分かり切っていたはずだった。

 

 キリエル人の戦闘能力はあまりにも凄まじいものだった。

 正拳、掌底、柔術、蹴術……全ての動きが達人の域だ。数値化が出来たところで、それに対応する動きが、ツバサには全く出来ない――出来るはずがないのだ。

 数値化したところで、素人同然のツバサが、その動きについてこれるはずがないのだ。

 そして、今――。

 ツバサは死を迎えようとしていた。

 首を掴まれ、腕力だけで挙げられているこの状態――。

 手足に力が入らない。敵は隙だらけなのに、指一本たりとも動く力が残っていなかった。

 光が足りないのもそうだが、既にツバサの体力も限界に近かった。

 後は、切り札だけが唯一の勝利への突破口だったが……力が残されていないティガには切り札が使われたところでどうしようもない。

 せめて光があればもう少しだけ動くかもしれない。

 ……無力すぎる。

 あまりに無力すぎる。

 弱い。弱すぎる。

 これが光の巨人の力? 人類にとっての最後の砦?

 笑わせてくれるな。

 こんなのが巨人の力なのではない。巨人の姿をした人間が悪魔に挑むだけのつまらない絵だ。

 誰が巨人の敗北を望むだろうか。誰が苦戦を望むだろうか。

 どうして、自分が巨人となって戦わなければならないのだろうか。

 いるはずだ。この世に、自分よりも光の巨人として戦うに相応しい人間が。

 

 力だ。

 力だ!

 せめて、自分だけが持つ力さえあれば……!

 

 ――ではお前は何者だ?

 

 声が聞こえた。

 聞き覚えのある声――いや、毎日聞いている――。

 自分の……声?

 

 ――お前は光なのか? それとも人なのか? それともどちらもなのか?

 

 不明瞭な問いかけだ。自分が何だったのか? そんなの自分自身が分からないのに答えられるはずもない。

 

 ――では、今から成れ。お前が一体何なのか。巨人として戦ってきたものたちは己が光であるのか、人なのか、その答えを知っていた。その答えを作り上げろ。お前は――。

 

 僕は……

 

 ―――――の巨人 ティガ

 

 両腕が軽くなった気がした。

 ツバサは両手を伸ばした。

 何かを掴んだ。

 柔らかく、握りつぶせばはじけ飛んでしまうほどだ。

 直後にツバサは直感する。

 それが勝利への道だと。切り札が使われたのだと。

 それを確かに握りつぶす。

 刹那、その時だけ、自分自身が何者であったのかを忘れた。

 

   *

 

 肉が握りつぶされ、弾ける音がした。

 キリエロイドは、悲鳴を上げながら、ティガに後退した。

 街の電気が再び灯る。眩い光が辺りを照らし出す。

 よろけるキリエロイドの眼前には、再び構えているティガの姿があった。

 キリエロイドの両腕が消えていた――正確にはティガが、キリエロイドの両腕を掴み、握りつぶしたのだ。その結果、両腕が断裂して地面にころがっていたのだ。

 

 そこから勝負は一気に片が付いた。

 ティガが駆けていった。

 腹部に上膊の拳をぶつける。

 キリエロイドは小さく跳ね上がった。

 ティガは、キリエロイドの両肩を掴んでキリエロイドをそのまま投げ飛ばした。

 キリエロイドに反撃の気配はない。両腕を握りつぶされたことによるダメージは確かに大きいだろう。だが、キリエロイドは、それ以上のダメージを負っていた。

 今度はもう押し負けない。

 ティガはキリエロイドに向かってゼペリオン光線を放った。

 

 キリエロイドの体に赤い炎が噴き出した。そして、地獄の業火に包まれるが如く、キリエロイドは悲鳴を上げながら蒸発していった。

 

 戦いは終わった。

 ティガは空を見上げ、飛ぶ。

 夜空の満天の星空の中に、ティガは消えていった。

 

 ――人類の勝利だ。

 ただ今は、それを祝おう、と隊員たちは活気に満ち溢れる。

 ただ一人、イルマを除いては――。

 




数百文字分多すぎて纏められなかったぜ!
続きます。


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其の5

今度こそこれで終わりです。
お疲れ様でした。
最後に、自分で言うのもあれだけど、エミ=サンカワイイヤッター!


 9.

 

   *

 

 ――また夢だ。

 

 石の建造物で彩られた街だった。

 石で造られた柱、家、宮殿……。

 精巧に、滑らかに削られた石を正確に組み立てている。街並みは、左右対称で整えていると思えばそうでなく、どこか遊び心もあり、不自然さも味を醸し出している。

 一言でいえば、美しい。

 世界のどこを見ても、ここまで美しい街は見たことがない。

 欧州の世界遺産とは違う――石本来の鼠色を自然と見事に合わせている。

 だが、人の気配はない。

 美しい街――だが、無人の街――。

 何故、人々はこの街を放棄したのだろうか。

 

 ――そう、大きな戦争が起こっていたからだ。

 

 ああ、そうだ、戦争だ。光と闇の戦い。

 

 ――人類は一つだった。大いなる闇が来るまでは……。

 

 街に現れた巨大怪獣。数は、分からない。突如現れた怪獣は、街を無差別に破壊し、そこに生ける者たちを悉く破壊し、殺していった。

 

 ――そう。そして、人々は戦うために、光の巨人となって迫りくる敵を打ち倒していった。

 

 だが、怪獣を倒して得た平和は仮初だった。

 光の巨人の力を手に入れた人類は、己の力を過信し始めた。

 

 ――そして、戦いが起こった。巨人同士の争い。

 

 視点が移る。

 目の前に、巨人。

 互いに取っ組み合っている。

 咄嗟に相手を引き離す。脇が空いた。すかさず、脇にめがけて右足を払う。

 巨人は、左に逸れた。体勢が崩れていくのが分かった。

 そのチャンスを、見逃すはずが無い。 

 巨人の左脇と右肩を掴み、そして持ち上げた。すぐに敵はばたついて意地でも降りようとするだろう。だが、そんなことはさせない。

 周りを見渡した。

 左の方に敵の巨人が二体。

 それにめがけて巨人を投げ飛ばした。

 巨人は、宙をばたつかせて、敵の巨人に激突してそのまま倒れこんだ。

 倒れた三体の巨人の前に歩いていく。足音は低いが冷静だ。

 三体の巨人は、自分を見上げた。怯えるように、見上げ、反撃することもしなかった。

 もう戦う気力もないようだ。

 自分は、エネルギーを溜める。敵を一体でも多く仕留めるために、溜めたこのエネルギーをこの三体に――無慈悲に――残酷に――。

 

 ――放つ。

 

 見えるのは爆炎だった。

 まだ敵は残っている。このまま次の敵を倒すとしよう。

 

 戦いに明け暮れ、自軍の勝利を確信し、勝利に酔いしれる。

 荒廃した街。血を流し倒れている数多の屍。その中のどれが、自分が殺してしまった人たちなのか判別出来ない。

 そして、自分自身に問いかける。

 

 ――一体自分は、何のために戦っているのか? 愛する者のためか、死にたくないためか?

 

 答える者は誰もいない。

 それでも、問いかける。

 

 ――なあ、アリア。僕は、君を守れたのだろうか。

 

 天を仰ぎ、すでにいないいずこかの「君」へそう呟いた。

 戦いの中で、自分が何のために戦っていたのか、その誇りも、矜持も、同情心も、罪悪感も――何もかもが灰と化していた。

 

 そこにいたのは、戦うことでしか生を見いだせなくなった哀れな巨人だった。

 

   *

 

 墓前に九本の線香が焚かれた。

 一人三本――三人は墓前に手を合わせた。

 暫くの間、既にいないその人に向けて、自身の功力を送る。

 せめて早く成仏できるように、そう祈った。

「今日は有難うねー。一緒に大叔父さんの墓参りに来てくれて」

 エミはそう言った。

『沖津浩三之墓』と書かれた墓。エミ、ツバサ、そしてキリュウはそこにいた。

 ツバサは、首を横に振った。

「むしろこちらが有難うだよ。沖津教授のおかげで僕たちはキリエル人に勝つことが出来たんだから」

「そうだな。ようやく清子さんと眠ることが出来るんだ。教授もきっと喜んでいるだろう」

 と、キリュウは沖津の横にある『木佐貫清子之墓』を見ながら言った。

 エミは、墓を見つめながら、拳を握っていた。手が震えている。顔も引きつっていた。

「……有難う、ツバサ」

 エミは小さく呟いた。

 えっ? とツバサは、エミに顔を向けた。

「どうしたの?」

「……ツバサがいなかったら、きっと大叔父さんは救われなかった」

 エミは低い声で言った。

「僕は何もしていない。勝手に調査した所為で、エミやその家族の踏み込んではいけない場所へ土足で入って、傷つけた」

 そんなことないよ、とエミは微笑みながら答えた。

「こうでもしなかったら、犯人は見つからなかったし、大叔父さんだって浮かばれなかったと思う」

 だから、有難うだよ、とエミは言った。

 静寂が霊園を包んだ。

「……何だか、しんみりしちゃったね……。わたし、桶に水を汲んでくるね」

 エミはそう言って駆け出していった。

 少し無理をしているようだったが、きっとそれも乗り越えてくれるだろう、とツバサは思った。

「……私からも改めて礼を言わせてもらおう」

 キリュウが言った。

「どうしたんだ? いきなり」

「本来なら、私がこの一件を片付けるはずだった。それを全て君に押し付けてしまい、挙句の果てに死なせる一歩手前まで追いつめてしまった」

 本当に申し訳ない、とキリュウは頭を下げた。

「別に気にしていないさ。お前だってあまり動けなかった身だったんだから、誰かに頼むしかなかったんだろう?」

 ツバサはそう言った。

「エミや周りの人の記憶を弄ったのには理由があった……それは、今は納得している。僕の所為でエミはお前と悠仁の矛盾に気づいてしまったからね」

「……それに関しては、また改竄させてもらった。今度は顔を見ても同一と判断させないように厳重とな」

 本当なら、それは許されざることなのかもしれない。だが、沖津教授から提案したことなのだ。キリュウがこの星で暮らせるように、という弟子に対する愛情だったのかもしれない。

 ツバサは、今回は仕方がない、と言った。

 だが、とツバサは言った。

「だけど、少しだけ気に食わないことがある」

 キリュウは頭を上げた。

「キリュウ――お前はまだ僕に隠していることがいくつかある」

 キリュウは、目を細めた。

「一つは想像出来るが、もう一つはいくら考えても予測がつかない。だから答えてもらおうか」

 ツバサがそう言うと、キリュウは、ふむ、と言ってツバサの話を聞いた。

「大学の研究室で、僕はお前に聞いたな。どうして沖津教授が殺されたということを知ったのか、と」

「聞いたな」

「あの時は、分からなかったが、イタハシに自分の推理を説明している時に気付いたんだ。あまりにも簡単な答えをね」

 ツバサは説明した。

「まず、沖津教授の書斎だが……あそこで僕は教授が殺されたと確証づけた証拠を見つけた」

 ツバサは指を一つずつ立てて説明する。

「一つ目がファイルの中身の資料だ。問題の『A-18』のファイルには、元々あった資料が抜き取られて、『Paleontology』と書かれた資料のコピーが入れられていた」

「コピーね……」

「そして、元の『Paleontology』が入っているファイルを調べると、そこにあの写真が挟まっていた――そして、あの写真に写っていた男――イタハシを見つけて事件の全貌が見えてきたんだが……」

 ツバサはキリュウにこう告げた。

 

「あれはお前が細工したんだな」

 

 キリュウは表情を変えない。

「誰かが事件の真相に気付くように、お前は空になった『A-18』のファイルにあえて『Paleontology』の資料のコピーを入れ、そしてあの写真を入れた」

 ツバサは、呆れながらも苦笑しながら言った。

 

「『Paleontology』の資料を入れたのは、イタハシが何の学問に関する資料を盗んだかのヒントを与えるためだったんだろう? 『Paleontology』――古生物学だ。盗まれた『Archeology』――考古学に類似するものを入れれば見当がつくだろうと考えたんだろうが、おあいにく様、あれを見たときはご丁寧に、と笑ったね。少なくとも、盗まれたものに関しては何となくだが見当はついていたからな」

 

 ツバサがそう言うと、キリュウは、苦笑しながら答えた。

「そうか。やはり無用な気遣いだったようだな」

 それはキリュウが細工をしたことを認めるということだった。

 だが、ツバサの説明はまだ終わらない。

「それだけじゃない。あの細工をしたということは、こう結論付けられる」

 

「お前が沖津教授の自宅に行った時、そこには沖津教授の死体だけじゃなくてイタハシも一緒にいたはずだということに」

 

 キリュウはツバサを睨んだ。

「恐らく、細工も含めて証拠隠滅は自分がやると言って、イタハシを説得したのだろう。そして、そこでお前はもう一つの細工をした」

「もう一つの細工……」

 ツバサは説明した。

「お前に見せた写真――あの時、お前は記憶を弄られたと言ったな」

「確かに言ったな。本来なら三人で撮ったと思っていたものだったのだから」

 ツバサはキリュウに指をさして言った。

 

「弄られたんじゃない。お前がイタハシの記憶を弄ったんだよ」

 

 キリュウは口を閉ざした。

「研究室で記憶を弄られたと言ったのは、僕が教授の自宅周辺の聞き込みをしていた時、キリュウが家に入ったのに、その時誰も家に入っていないという矛盾が生じたことに関して、その矛盾がキリエル人による人為的なものであるということを、確信付けさせたかったためだ。現にお前は、イタハシを指さしてこの男に記憶を弄られたと言った。弄られたのに、すぐに思い出すのはあまりにおかしいと、後々になって気付いたよ。我ながら見落としてしまったことを悔やむばかりだ」

 ツバサは説明を続ける。

「イタハシは、周囲の人の記憶を改竄しようとしただろう――『警察が来るまで、沖津教授の自宅に怪しい人物は誰も入っていかなかった』と。だが、証拠隠滅を引き受けたお前は、記憶の改竄も自分でやると提案したんだ。そして、周囲の人の記憶を改竄した――『警察が来るまで、沖津教授の自宅には誰も入っていかなかった』と」

 キリュウは、口を歪ませる。

「こうすれば、警察が入っていったことは記憶に残るが、キリュウが第一発見者であるはずなのに、誰も沖津教授の自宅に入っていった人はいなかったという矛盾が生じる。後は、イタハシの記憶を弄り、それが自分自身のミスであると指摘されて気付くように改竄した。お前はそれを僕に知らせたかったんだ」

 それだけじゃない、とツバサは言った。

「イタハシは沖津教授が最後の抵抗として自宅にあった電磁波遮断機構を作動させて、追い込んだ。だが、当然イタハシは敵がその策を講じてくる可能性も考えて、対策を立てていたはずだ。だが、今回の戦いには、それが無かった」

 ツバサは言った。

「お前がイタハシの記憶を弄った時、電磁波遮断機構の対策に関する記憶も一緒に消したんだよ。この対策を立てることは、キリエル人にとって完全勝利を意味するものだった。お前は僕が奴らの弱点を見つけることを考慮して、奴らからその記憶を抹消したんだ」

 違うか、とツバサはキリュウに迫った。

 キリュウは、そうだ、と言って謝った。

「そうだ。全て知っていた。教授が奴に殺されたことも、何もかも全てだ。それを知っていながら、エミを含め誰にも真実を話さず、お前に調べてほしいなどと時間稼ぎのような暴挙に出てしまった。いくら自分が奴らを裏切ることを悟らせないためとはいえ、私自身に嘘をついたことは間違いない。今からでも、真相を警察に伝えて、私自身も裁きを受ける必要がある、とそう思っている」

 だが、それは仕方のないことだった。

 同族を裏切るためには、こういう回りくどい方法を取るしか他に方法はなかった。これがエミやその家族を裏切ることになろうとも、自分自身に嘘をついて、味方も敵も欺いてまでしなければ、沖津の弔い合戦をすることは出来なかったのだ。

 ツバサは、その事をよく分かっていた。

「警察には、あくまで病死で片付けてもらう。お前はもう悔やむ必要はないんだ」

「いや、それは出来ない。教授の傍にいた者として、しかるべき処分は免れないと思っているさ」

 キリュウの意志は固いようだ。

 ツバサは、はあ、と息を吐いて、ポーチから一枚のメモを取り出した。

「それは……」

「写真と一緒にファイルに入っていたメモだ」

 キリュウは、目を逸らした。

「これもお前が入れたんだろう?」

「ああ。証拠になると思ってな。何の証拠かはあの時は皆目見当もつかなかった」

 ツバサは、またポーチから一本の鉛筆を取り出した。

「これは、証拠じゃなかったんだよ。どちらかというと、沖津教授の葛藤と言ったところか?」

 どういうことだ、とキリュウは聞いた。

 ツバサは、メモを鉛筆で塗りつぶしていった。

 メモの上側に『A‐18』と浮き出てきた。

「やはり、そうやってファイルが盗まれたことに気づいたんだな」

 キリュウはそう言った。

 だが、ツバサは、それだけじゃない、と言った。

「それだけじゃない?」

「まだ続きがあったんだよ。このメモには」

 ツバサは、さらに鉛筆でメモを塗りつぶした。

 そして、そこに二つの文字が浮かび上がってきた。

 キリュウは目を疑った。

 

 遺書

 

 と、そう書かれていたのだから。

「遺書……だと……」

 ツバサは頷いた。

「そうだ。遺書だ」

「どうして教授はそんなことを……」

 キリュウはそう言いつつ、気付いた。キリュウはツバサに目をやった。

 

「そういうことだったんだよ。結果的に見て、沖津教授は、殺されたから死んだんじゃない。あの日、自らの命を絶とうとしていたんだ(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 ツバサがそう言うと、キリュウは、沖津の墓にめをやった。

「死のうとしていた……教授、あなたは……」

 ツバサは自身の見解を言った。

「イガワ刑事から沖津教授の死因と司法解剖の結果を聞いた時、ふと思ったんだ。教授は、自分の命が長くないと悟っていたんじゃないかって」

「何故……そう思うんだ?」

 ツバサは説明した。

「電磁波というのは知ってのとおり、人体に大きな影響を及ぼすものなんだ。体を壊したり、精神を壊したり――用例を上げたらきりがない。ましてや、沖津教授の専門分野だ。若いころから――電磁波遮断機構がない時代からずっと電磁波に関する研究をしていたんだ。そうなったら、当然、沖津教授自身も電磁波によって何らかの被害があってもおかしくはなかったはずだ」

「それが……心臓を悪くしていた……ということだったのか」

 ツバサは頷いた。

「結果的にキリエル人に殺されたということだったが、本当の意味で、警察の見解だった心筋梗塞は間違いではなかったんだ。偶然、情報を盗もうとしたキリエル人を追い払うために電磁波遮断機構を使い、その結果命を落とした。だけど、実際は、あの日、元から電磁波遮断機構を使って死のうとしていたんじゃないかと思うんだ」

「電磁波を研究してきた科学者が最後は電磁波によって命を落とす……か……。教授が好みそうな趣向だ」

 キリュウは、目を閉じて、沖津が亡くなる前の最後の会話を思い出した。

 

 ――お前が知識を身に着けるとは何なのかを理解したかどうか、テストしてやる。

 ――テストですって? 待ってくださいよ。それを答えることなんて出来ませんよ。まだまだ未熟なんですから。

 ――ははは! そうか! なら安心だ。ほら、さっさと来い!

 

「……そういうことだったんですね、教授……。知識を身に着けるということは、『分からない』ものがある、ということを常に持っていることだと」

 キリュウは独り言のように呟いた。

 そうだ。

 知識を身に着けることは、何事も『分からない』から始まることなのだ。好奇心を持ち、調べ、混乱し、そして答えを得る――その繰り返しなのだ。

 常に知を探求すること――それは全ての人間に課せられた義務なのかもしれない――そう、自分だけじゃない。全ての人間が『知の探究者』なのだ。

「お前に全てを任せられるから、沖津教授は安心して死ぬを選べたんだと思う」

 ツバサがそう言うと、キリュウは、ああ、そうだな……と答えた。

 それが、沖津なりのキリュウへの愛情だったのだ。

 幾度も人類と、光の巨人と争っていた相容れない敵を、宇宙人を――沖津は地球人として、一人の助手として、そして一人の息子として見守っていたのだ。

 キリュウは宇宙人ではなく、もう立派な人類の一員として、誰からにも迎え入れられる存在として、育てられたのだ。

 キリュウの目には一筋の涙が零れていた。

 いい歳した男が涙など情けないと思ったが、それもいいと、ツバサは感じた。

 キリュウは、涙を拭き取る。

「……有難う。これで残っていたわだかまりが解けた」

 なら良かった、とツバサは言った。

「だけど、まだ聞きたいことはあるんだ。お前が隠しているもう一つのこと――どうして僕がウルトラマンティがであるかを知っているか、その答えを未だに聞いていない」

 ツバサがそう言うと、キリュウは、またはぐらかした。

「それについては、今言うことではない。というより、まだ言えないのが現状だ」

「言えない?」

「そうだ。来るべき時が来たら、話すさ。それまで、待っていてほしい。だが、その他のもう一つ――お前に成功報酬を渡す――それで妥協してもらいたい」

 キリュウはそう言った。そう言えば、確かに貰っていない。

 どうやらキリュウには、考えがあるようだ。今は分からなくとも、その内知ることが出来るのなら、ここはキリュウに従って、その時が来るまで待つとしよう。

 なら、キリュウから貰える成功報酬――すなわち、ツバサの失われた記憶についての情報だ。

「僕について何か分かったのか?」

 キリュウは、少し間を置いた。どうやら何かあるらしい。

「結論から言えば、君に関する情報は何一つ探れなかった」

 キリュウの言葉に、ツバサは喉を詰まらせた。想定した答えの中で一番ありえない答えが返ってきたからだ。

「探れなかった……どういうことだ?」

「正確に言えば、君という存在――エンジョウ・ツバサに関する情報が何一つとして探ることが出来なかったんだ。君の記憶の深層へ介入し、隠された記憶を引き出そうとしたのだが……不思議なことに、そこに君自身の記憶は何一つなかった」

「何もなかったのか? 僕の本当の出生や、本当の両親も。記憶を失った理由についてもか?」

 キリュウは頷いた。

「君としての記憶の始めは、君がエンジョウ家で目を覚ましたところからだった。それ以前の記憶は一切なかったんだ。こんなことは初めてだ」

 方舟事件の少し前――自身がエンジョウ家のベッドで目を覚ました瞬間――あの時以前の記憶は一切ない、という真実にツバサは理解が追い付かなかった。

 記憶は忘れていても、脳である程度管理されている。それはきっかけやちょっとしたことで思い出すことが出来るはずなのに、そのきっかけそのものが無いということになる。

 そんなのはあり得ない。ツバサの今の状況は、生まれたばかりの生後間もない赤子となんら変わりない状態なのだ。

 だが、とキリュウは言った。

「それ以外に関しては、面白い記憶があった」

 面白い記憶……? とツバサは聞いた。

「私が君の記憶を見ている時の説明はしたな? あの時、君は夢を見ていたはずだ。巨人同士の争いの映像を」

 ああ……、とツバサは思い出した。

 そうだ。確かに見た。

 巨人として戦う覚悟を決めた男の夢を――。

 戦ううちに、守るべきものが一体何だったのかを忘れてしまった哀れな男の夢を――。

「恐らく、あれが君という個の全てだと思う。君が光の巨人になれる理由は、そこにあるのかもしれない」

 ツバサは夢を思い出す。

 今まで、地球上では見たことのない街。見慣れない怪獣たち。そして、見慣れない巨人たち。

 どうやら自分の視点は、その巨人の一体であったが、妙に鮮明だった。

 あれは、一体どういうことを意味している夢なのだろうか。

 ウルトラマンティガ以外の巨人たち――ボディやフォルムは違うが、あれはまさしくティガと同等の存在だと、ツバサは確信していた。

 そして石造りの街――欧州を想像したが、あんな露骨な石造りは見たことがない。まるで古代都市みたいだ。

 そして、敵を圧倒していた自分の視点と、誰かに語り掛けていた自分の視点。

 あれは、一体何なのだろうか。

 戦い方だけじゃない。あの街も、あの巨人たちも、あの光景も――今まで一度も見たことのないもののはずなのに、どこか郷愁を感じる。

 そして、誰かの名前を口にした――あれは一体誰の事だったのだろうか。

 どこかでその名前を聞いたことがあるような――そんな気がするが……。

 ツバサは、自分の掌を見た。

 キリュウの言葉の意図はまだ分からない。だが、それが全てだ、と言われ、喪失感が出てきたことは間違いない。

 自分は本当に記憶を失っているのか? もしかして、エンジョウ家に拾われたあの時に生まれた人ならざる者だったのか。

 いや、そうなら、自分自身が何故あらゆる勉学の知識を予め持っていたか、その説明がつかない。

 その知識は今まで培ってきたもののはずだ。なら、必ず知識を蓄えていた期間――自分の過去が必ずあるはずなのだ。

 まだ掴めていない。直接記憶を覗くことが出来たキリュウでさえも知ることの出来ない何かがあるはずだ。

 とにかく今は、キリュウからの成功報酬は、紛れもなく自分が今後やるべきことを示す道標となったのは間違いない。

 ツバサは、キリュウに礼を言った。

 そして、その決意と同時に、エミが桶に大量の水を汲み、体を震わせながらゆっくりと戻ってきた。

 

   *

 

「以上で、システムν(ニュー)の実験結果の報告を終わります」

 ツバサはイルマにそう報告した。

 情報局の参謀室で、ツバサはイルマにシステムν(ニュー)の実験結果を報告した。本来ならもっと早く言うべきだったが、キリエル人の一件でそれどころではなかったのだ。

「ご苦労様。後は、残った実験をして、私たちやS‐GUTSの通信機全般に装備して実用性を確かめて、晴れて実用化ね」

「はい。僕の我侭に付き合ってくれて本当に有難うございました」

 ツバサは頭を下げる。

「どう。実験を主導してみて、何か分かった?」

 イルマの質問に、ツバサはゆっくりと答えた。

「……正直に言えば、今のTPCは昔ほど周りの人々に頼りにされている組織ではないと感じました。実験をするための交渉や事件調査に関する交渉も、思うように上手くいかなかった。迷惑がられたり、邪魔者扱いされたりと散々でした」

 そうね、とイルマは言った。

 だが、向こう側の都合は痛いほど分かる。自分たちやろうとしていることが、向こう側にとって邪魔であること、余計であることを。TPCだからあれこれに全て協力しろというのは甘えなのもよく知っている。地球を、人類を守るために必要だ、と説得して今まで周りの人々に協力を仰いできたことを考えれば、彼らにとっては、TPCは権力の横暴だとか、自分勝手だとか思っているはずだ。まるで、国民のためと言いつつ、国民を不利に追いやる――国民から非難される政府そのものだ。

 そして、イタハシの言葉――巨人が現れるから災厄がやってくる――巨人のいない世界が真の平和なのだと――それは的を得ていた。

 それが人間の本当の願いなのなら――自分自身は一体何のために戦っているのだろう。

 正直に言えば、ツバサは心が折れそうだった。

 無理もないだろう。まだ十五の少年に、大人がやるような交渉をして、怒鳴られ、巨人として戦って、現実を突きつけられて挫折するにはまだ早すぎる年齢なのだ。

 イルマは、それも十分理解していた。

「ツバサ君。確かにTPCは、以前と比べてもう必要のない組織かもしれないと思うかもしれないわ。それは仕方のないことだって」

 はい、とツバサは相槌を打った。

「無理もないもの。ティガが再び現れるまで、この十五年間は、怪獣にも宇宙人にも脅かされることのない平和な時だったから。これはキリエル人の言う通りよ」

 そうだったのか、とツバサは思った。

「平和だったから、私たちのように人類を守るための組織も光の巨人も必要ないと思うのも無理はないわ。だって、そう思う方が正しいことだから。それが普通だから」

 でもね、とイルマは言った。

「でも、それでも分かってくれる人はいるわ。今はまだ、敵の襲撃が来てから間もないから、みんな混乱しているだけなのよ。でもきっとみんな分かってくれる。今だって私たちを、あなたを分かってくれた人はいたはずよ」

 ツバサは、脳裏で自分に協力してくれたイガワを思い出した。

 最初は文句を言いつつも、協力してくれた、あの刑事を。

「だから、落ち込まないで。彼らも私たちも同じ人間なのだから」

 イルマの言葉にツバサは心が洗われた気がした。ツバサは、イルマに微笑みながら、はい、と答えた。

 それは紛れもない、ツバサの本心だった。

 

   *

 

 ツバサが去ったと同時に、別の人物が参謀室に訪れた。

「どうもお久しぶりです」

 イルマは、微笑みながら出迎えた。

「お久しぶりです。最後に会ったのは……ツバサ君をスカウトした時でしたね、お母様」

 イルマがそう言うと、カノコは微笑み返した。

「そうですね。こうして二人で話す機会なんて今まで滅多になかったでしたからね」

 イルマは、机の引き出しから、目的のものを取り出してカノコに渡した。

「これを、あなたにお返しします」

 それは、電磁波遮断機構の一時使用権限書だった。

 ツバサがカノコに頼んだ権限書――最初は、エミが基地に戻るついでに渡していったが、今回は、どうしても、この権限書をKISANUKIグループから借り受けたカノコに直接返したかったのだ。

「……確かに受け取りました」

 カノコは権限書を受け取ると、徐に聞いた。

「どうですか? ツバサはうまくやっていますか?」

 ただ純粋な、母として、心配しての言葉だった。

 イルマは答えた。

「ええ。よくやっています。むしろ他の人よりも良く頑張ってくれています。辛いことや悲しいこともあるかもしれないけれど、彼なら乗り越えていけると私は思っています」

「乗り越えられますよ。だって、わたしの自慢の息子ですから」

 カノコは、そう言って、踵を返す。

 参謀室を出ようとした時に、カノコは、思い出したようにイルマに聞いた。

 

「権限書……結局行使しなかったんですね(・・・・・・・・・・・・・)

 

   *

 

 参謀室で一人、イルマは考えていた。

 自分が見たものに対して、間違いなく見たと確証出来るが、確かに見たという真実を信じることが出来なかったからだ。

 そう。

 カノコが言ったように、ツバサが用意した切り札――電磁波遮断機構の一時使用権限書は使わなかったのだ。

 使わずして勝てない戦いだったはずだった。明らかにティガは死にかけていた。

 なら、何故勝てたのか?

 その答えの一端をイルマだけが知っていた。

 

 キリエロイドに首を掴まれ、持ち上げられたあの時。

 確かにティガには戦う力が残っていなかった。

 トモキが電力送電システムを直したところで、ティガにわずかに戦う力を取り戻させる程度のものだった。それだけでは、戦闘経験皆無のツバサがキリエロイドに勝つことはまず不可能だ。

 だからこそ、電磁波遮断機構を使う必要があった。

 だが、それをせずに勝てたのだ。

 イルマは確かに見たのだ。

 トモキが送電システムの送電実験を行った時、一瞬だけ街の電気が戻った時――その姿を目の当たりにしたのだ。

 そこから再び暗闇になり、ティガは両手でキリエロイドの両腕を掴み、そして、握りつぶしたのだ。

 悲鳴を上げたキリエロイド。ティガは、前蹴りしてキリエロイドの距離を離した。

 その後で、電力が完全に回復した。

 ティガは――光の巨人は確かにわずかながら力を取り戻した。

 だが、電力が一瞬灯ったあの瞬間だけは――。

 全てが違っていた。

 

 イルマは、あの時の状況を思い出す。

 あの瞬間がまるでこの世の終わりを表しているかのように、戦々恐々しながら、呟いた。

 

「黒い……ティガ……」

 

 




お疲れ様でした! 
まだ忙しいのでまた遅くなりそうですがよろしくお願いします!

登場怪獣
・炎魔人キリエル人(イタハシ・ミツオ)
・炎魔人キリエル人(キリュウ)
・炎魔戦士キリエロイド―シャイン・フォルコメン―

次回予告
冬から春に変わるとある日。恭一は自宅のベランダ越しに妻の美琴と二人の子供を呼んだ。そこには一本の桜と、春を謳う鳥の姿があった。
恭一は回想する。若かりしあの時、色々なことがあった。そして思い出す。美琴との出会い、そしてあの一羽の鳥との出会いと別れの物語を――。
次回 第五話「雪どけの回想」

参考にした話
・ウルトラマンティガ 第三話「悪魔の予言」
・ウルトラマンティガ 第二十五話「悪魔の審判」

参考文献
英文は、私が高校時代に書いたレポートをそのまま引用しました。特に意味はありません。


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第5話 雪解けの回想
其の1


「ねえ……なんで投稿遅れたの?」
「はい、スミマセン」
「スミマセンじゃすまないよ? 第四話だって時間かかったけど4か月くらい。でも、今回はどう?全5話の中で一番短いのに5か月もかかるなんておかしくない?」
「いやあ……忙しくて……」
「まあ学校は許しましょう。で、これまで何のゲームやったの?」
「OUTLAST、ALIEN:ISOLATION、SKYRIM、軌跡シリーズの総復習、FIFA15、あとフリーゲーム色々……」
「てめえ……」
「本当にすみませんでした……」

本当に遅れましてすみません。今回内容そんなないのにこんなに時間かかってしまいまして……。やっぱ日常系を書くのは苦手です。何かしら事件ないと物語がまとまりませんねえ……。
今回は完全なゲストキャラ視点のストーリーです。なんていうか太田愛さんの脚本のテイストを参考にしたんですけど、全くなってませんね
いつものことですが、作中の科学的発言などはフィクションです。間違っていてもスルーしてください。


 *

 

 もう一度あの山を登ろうと、私が思ったのは、丁度子供たちが大学に受かったことが分かった後だった。

 毎年のように家族で登山旅行はしていたが、今年に入ってからは子供たちの大学入試を考慮して登ることはしなかった。

 合格祈願でわざわざ京都まで赴いた時は、そのまま自分一人でも山に登ろうか、という衝動に駆られてはいたが、さすがは妻の美琴だ。私の思惑などお見通しで、こっそり登山用具をレンタルして登山に行こうとしたところを待ち伏せされ、首根っこ捕まえて私を部屋に連れ戻した。

 それでも、と思い、何とか美琴の監視の目を掻い潜り、昔の友人たちを呼んで簡単な山登りをすることが出来たが、あの山に登る、ということに関しては今日まで完全に忘れ去っていた。

 子供が生まれる前は、毎年のように登って行ったが、やはりどうにも家族を優先するあまり、自分の時間を放っておいてしまう。

 だからといって後悔しているわけでもない。これを望んだのは私自身だ。今は幸せだし充実感も感じている。

 ただ――。

 ふと思い出してみて、美琴とも目を合わせると、やはり名残惜しさはあったのだ。

 あの時、一緒に暮らすことを捨て、彼ら自身が自分の居場所を見出したのだから、彼らと別れて人生を歩むべきだと――。

 あの時そう誓ったのだ。

 だけど、今日になって、あの約束を思い出して、また登りたいと、また会いたいと、思ってしまった。

 これはもうダメだ。

 会いに行かなければ。子供たちを紹介しなければ、と私は気が付けば、押入れの奥にしまってあった登山道具を引っ張り出していたのだ。

 登山靴、ザック、コンパス……ん? これは……ストック――これは妻のものか。

 懐かしい品々だ。どれも子供が生まれた頃に登った時以来だ。すべてに埃がかぶっていた。

「どうしたのよ、それ」

 美琴が後ろから声をかけてきた。

「随分懐かしいものを広げているじゃない」

「ちょっと思い出してね。押入れから出したんだ」

 へえ、と美琴は、懐かしそうに道具に触れた。

「あー、これ覚えてる。このストック……わたしとあなたの名前を入れた特注物だったわね」

 そう言って、ストックを握る部分を覗いた。

 KYOUICHI&MIKOTO……。

 確かにそう彫られている。

 だが、その後で、もう一つの名前が彫られていた。明らかに後から彫られているが、それでもこれは二人にとって大切なものだった。

「これ……」

 美琴が呟いた。

 LAILAH

「ライラ……」

 美琴は文字をなぞる。

 私は、その他にも道具を取り出した。

「見なよ。あの頃のままだ。あの頃――僕と君と、そしてライラがいたころから」

 美琴はうん、と頷いた。

「懐かしいなあ……。もうあれから二十年以上も経っているんだねえ」

 懐かしそうに言う。

 そうだ。

 あれからもう二十年以上も経っているのだ。

 今思えば、本当にあっという間の出来事だった。

 あの日、ライラと出会い、共に過ごした短い時間――四か月という月は絆を深めるにはあまりにも短すぎる時間だったが、だが、それでも充分すぎるほどの時間だった。

 ライラと出会ったことで、私は自分自身をまた変えることが出来た。美琴との絆を確認できた。それ以上に、この世界がどれだけ美しいかを認識させられた。

 夢のような時間だったのだ。

 命の危険もあった。死ぬ瀬戸際の時もあった。

 だが、あれは私たちにとって必要な時間だったのだ。

 だから、私は提案した。

「あのさ……もう一度、あの山に登らないか?」

 美琴は、私に顔を向けた。

「あの山……に?」

 私は頷いた。

「ああ。約束を果たそうと思って。もう一度、ライラに会いにいかないか? 今度は僕と君だけじゃない。子供たちも連れて……」

 ライラに紹介しよう、と私は言った。

 美琴は、そうね……と呟いた。

「そうよね……。会いにいかないとね。私たちにも家族が出来たんだって、ちゃんと伝えに行かないと」

 それは、少し遅すぎた紹介になるかもしれない。ライラに会いに行くにはあまりにも多くの時間が過ぎ去ってしまっていた。

 だけど、きっとライラは許してくれるだろう。

 それに、こちらにも家族が出来たことを伝えれば、きっとライラは喜んでくれるかもしれない。

「きっとライラのことだから、妬いちゃってるんじゃないかしら」

「僕に?」

「だって、ライラったら結構あなたにくっついていたから。あの子って結構純情なところあったのよ」

 そうだっけ? と私は思った。

 そうだったなあ、と思い出す。私の目から見たら、美琴と一緒の時が長かった気がするが、どちらかといえば、今思えば果てしない女同士の戦いを繰り広げていただけだったかもしれない。

「会ってみてから分かることよ。結局、ライラとの決着はまだついていないし、こんな中途半端じゃお互い納得いかないわ。それに、いつまでも待たせちゃってるから、きっと怒っているでしょうし」

「その時は、僕が土下座してでも謝るさ」

 と、私は笑いながら言った。

「なになに、何かあったのー」

 リビングから声が響いた。それと同時に、どたどたとこちらへ向かってくる足音。

 娘の美弥だ。

「あー何してるのー! 何か見たこともないものがいっぱいあるんだけどー」

 騒がしいなあ、と私は苦笑しながら思った。

「どうしたんだ? お前、一人暮らしの準備終わってるのか?」

「もう荷物は全部向こうに送っちゃったから大丈夫。それよりも何これ? 登山用の道具じゃない。お父さんのってこれじゃなかったんじゃない?」

「ああ。これは僕が大学時代に使っていたものだ」

 私がそう言うと、美弥は何故か目を輝かせながら言った。

「へー、お父さんの! つまりあたしたちと同じ歳くらいの時に使っていたものってこと!」

「まあそうなるな」

 すごーい、と美弥は騒ぐ。

「ねえ、裕也ぁー。ちょっと来てー!」

 美弥はもう一人の子供――裕也を呼んだ。

「何だよ、姉ちゃん。こっちは忙しいっていうのに」

「これ見てよ!」

「何……って、何だこれ? ザックにストックに……これって……」

 裕也は、うおお、と叫んで靴を手に取った。

「スクルプ社のミラージュシリーズ! しかも二十年以上前のもの! どうしてここにあるんだ!」

 裕也は裕也で別の意味で目を輝かせ始めた。

「それ、お父さんのものだってさー」

「マジかよ、父ちゃん! こんなレアもの持ってるなら、何で早く行ってくれなかったんだよ!」

「いや……お前、それ持ってるじゃないか」

「赤色は無かったんだよ! ずっと探してたんだ!」

 裕也の登山好きには我ながら呆れる。私や美琴以上に登山を愛しているのは分かっているが、登山靴やその道具を集めるまでになってしまった理由が分からない。ただ単純に一緒に山を登っていただけなのだが……。

「そういえば、どうして登山道具なんか取り出したんだ?」

 裕也が聞いた。

 そういえばそうね、と美弥が言った。

「昔のものって言ってたけど、どうしたの? 思い出話でもしたかったの?」

 さすが美弥だ。親子だから、考えていることも分かっているのだろうか。

「まあ、それもあるけど、実はお前らに提案があるんだ」

 提案? と子供たちは聞く。

 私は言った。

 

「北岳に一緒に登りにいかないか?」

 

 裕也と美弥は目を見開いた。

「北岳!? それってもしかして日本アルプスの?」

 裕也が聞いた。

 私は、頷いた。だが、二人はどうやらまだ現実が見えていないようだ。

 無理もない。今まで登ってきた山は最大でも二千メートル級のものだけだった。北岳のような三千メートル級は初めてなのだ。

「いきなりハードルが高いわよ。どうしていきなり?」

 私は美弥の質問に答えた。

「お前たちもこの家を出て一人暮らしをするだろう? そうなるともう毎年恒例の家族登山は出来ない。だから、まあ最後とは言わないが、家族登山の集大成として日本アルプスに挑戦してみないか?」

 二人は互いに見やった。

 何か不服なのだろうか。私は二人を心配そうに見つめた。

「本当にそれだけ?」

 美弥が言った。

「それだけって?」

 私が言うと、美弥が微笑しながら言った。

「お父さんって何か隠し事していると、瞬きが多くなるのよね」

 ん? と、私は耳を疑った。

 私自身にそんな秘密が隠されていたなんて思いもしなかった。私は、美琴に顔を向けると、美琴は隠れて笑っていた。どうやら、美琴は知っていたようだ。

 どうりで秘密を隠そうとしてもすぐにばれるわけだ。おかげで、スナックにもキャバクラにも行けなかった。

 私は観念して言った。

「実は、あそこには僕と美琴の友達がいるんだ」

 友達? と裕也が聞いた。

「駐留している気象庁の人のことかな?」

 美弥が言った。

 私は首を横に振った。

「違うよ。そいつは人間じゃない。鳥なんだ」

 鳥!? と二人は驚いた。

「そいつは、ある一本の桜を巣にしているんだ。北岳のどこかにある桜の樹――そこに住んでいる」

 伝桜、と聞いて二人は思い出した。

「もしかして、そこで祈ると、想い人と出会えたり、想い人と結ばれて幸せになれるっていう伝説がある桜のこと?」

 美弥が聞いた。

 私は頷いた。

 あの山の上に桜がある。そこに一本しかない謎の桜で、誰が植えたか定かではないといわれている。春の初めに、桜が開花したとき、そこで告白すると結ばれるという伝説がここ二十年の間に広まっていたのだ。

「あそこには、その伝説の桜以外にもその鳥が住んでいるんだ。僕たちにとって大切な友達だ」

「一体、お父さんたちはその友達と何があったの? 聞いている限りだと、もう会っていない感じだけど」

 私は、外を見つめた。向かい側の家の桜が満開だった。

 私はそれを見ながら、呟いた。

「もうずっと前のことになる。僕が登山に魅了されたのは高校生の頃か。ライラとの出会いもそうだが、この出会いの話をする前にまず美琴との出会いから話さないといけないな――」

 そして、私は回想を始めた。

 

   1.

 

 子供のころから、特に熱中するということとは疎遠だった。

 様々なことを両親から教わり、体験したが、どれも楽しいと思えるものは何一つ無かった。

 別に嫌いだからとか、自分に向いていないというわけではない。実際は、進められたものは全て出来た。中には向いているんじゃないかと思えるものも確かにあった。

 ただ興味が無かった。出来るからといって、それが自分に向いているということではなかった。勉強が出来るからといって、得意というわけではない――それと同じだった。

 だから私は、普通の子供から見れば、幼いころはかなり不遇の時間を過ごしていた。特別好きになることもないまま、ただ流れるようにやるべきことをやっていた。

 醜かった。

 死んだ魚のような目とは正にこのことだっただろう。

 生気がなければ、死んだようにも見えない。本当に、何もかもがつまらなく、いるだけで心が濁り、腐っていく――それが私の当時の特性だった、と周りは言った。私も同感だった。

 変わったのは、私が高校に入ってからだった。

 元々は両親が、私の腐った根性を叩き直そうと、私を海外の学校に入れようとしていた。海外で日本とは違った生活をしていれば、それに刺激されて友人も出来、考えを改めてくれるのではないかと考えていたらしい。

実際、海外留学に行く学生の中には、留学志望の学生もいたが、最も両親が印象深かったのは、不登校で学校に行かなかった生徒が数多く留学していたことだったという。私と似たような性質の人が向こうで変わることが出来たのだから、私も変わってくれるだろうという魂胆だったらしい。

 一言で言うなら、それは無意味だった。

 早い段階から、両親の企みに気づいていた私は、こっそりと先生から推薦文を貰って、高校の推薦入試に合格して、両親に学費の相談をした。

 辞退しろと言われたが、高校が自分を選んでくれたのに、辞退したら不合格になった生徒が可哀想では? これは就職内定の断りの電話を入れるのとはわけが違う、などとテレビや雑誌で見た情報を自分の言葉に置き換えて、うだうだと説得のような文句を並べていたら、両親は折れた――というより、私をほったらかしにしようと決断した。

 そして、私はその高校に入学した。

 今までと変わらないつまらない日常。休日にアルバイトをすることが出来るという新しいことが出来たが、やっていることは作り笑いで相手を接客するという醜い業務だった。

 仕事だからそう振る舞っているだけなのに、何で誰も指摘しないのだろうと、不思議に思いながらも、賃金が得られるのなら別にいいか、というブラック企業に勤めている会社員の諦めの如く、流れるように身を任せた。

 そして、入学して数日。新入生ならではのイベントに突入する。

部活勧誘だった。

二年生、三年生が――それぞれの部活がそれぞれ作った自作のチラシやプラカードを掲げて一年生を勧誘していた。正に春の学校の風物詩の一つである。

 色々な部活に誘われた。

 スポーツ系、文科系、中には部活に認定されていない研究会等々――向いてそうだねえ、どうだい? 入らないかい? と誘った。

 別に部活に入ることには嫌悪感はない。中学でも、適当にサッカー部を選んで部活に励んでいた。これでも一応DMFとしてレギュラーを張って、関東大会まで行ったことだってある。

 ただ、楽しいと思ってやってはなく、言われた通りにやっていただけだったが。

 今回は別の部活をやってみるかな、という気持ちはあった。だが、どうせつまらない、という自分自身の未来の答えを前提に部活を選んでいた。それが当時の私にとって確定事項なのだ。予想することも必要ない。

 部活を選んでいる中で、私は一人の女子生徒を見つけた。

 周りの人だかりに流されていった所為か、辺りを見回していた。

 どう見ても明らかに迷子のようだった。

 同じ新入生か? と思い、私は彼女に近づいた。

「迷ってるの?」

 私は声をかけた。

 自分でも吐き気がするほどの優しい声だった。久方ぶりに女子に話しかけたから、かっこつけたいのか? と自分自身を罵倒したくなるほどの気持ち悪さだった。

 女子生徒は、え? と私の方を見た。

「えっと……あの……その……」

 うわあ……。声をかけたのは失敗だったか、と私は思った。

 気持ち悪い男子に声をかけられて、返事するべきかどうか迷っているか、もしくははぐれた友達に助けを請うているのか、そのどちらかだろう――私の脳裏にはそんな選択肢しか浮かばなかった。

「あの……お邪魔ならいいよ。急に声をかけてごめんね」

 さらに気持ち悪い台詞を一つ。

 まるで、大量生産されるお菓子のようにいくらでも吐き気を催す台詞を吐く私――いや、そんなことを言ったらお菓子に失礼だ。

 歩く吐瀉台詞放出装置――そんなところか?

 私は自分自身がしたことを恥じて、彼女から離れようとした。

 だが、彼女は急に私の裾を掴んだ。

「あの……待ってください……」

 何が起こったのか分からなかった。

 え? 何故だ? 何故自分に待てと言えるのだ? おかしいだろう? それともあれか? 罰ゲームなのか? 友達とゲームで負けて命令されたことを一つやれって言われて、自分と会話するという命令でも下されたのか? まあ、そうだろうな。自分と十秒でも会話するくらいなら、肥溜めの中に顔を突っ込んで一時間そうしていろ、と命令された方が数兆倍マシってところだろう。

 私は振り向いて彼女を見た。

「あの……さっきは御免なさい。急に声をかけられてびっくりしちゃって……」

 まあ、そうだろうな。ついでに吐き気も来ただろう?

 ――とは、言うことはないが、私は別に構わないさ、と答えた。

「わたし……共学の学校は初めてで……男の人と今まで話したことが無かったから……」

 ああ、なるほどな、と私は察した。

 父親を除いて、同性以外との会話が苦手なのだ。

「別に構わないよ。僕も似たようなものさ」

「え? そうなの?」

 別に違うが。中学でも共学だったが、男子同士、女子同士でグループが勝手に出来上がっていた所為で、男女間のやりとりがなかっただけだ。私自身、その男子グループにだって入らず、特定の男子としか会話をしたことがない。

 彼女は勘違いしていた。見るからに分かる。彼女は眼を輝かせていた。自分の気持ちが分かる人がいた、と思って、この人となら仲良くなれるかも、と思っているのだろう。

 ――女子と仲良くなれるじゃないか。あろうことかうまくいけば自分の物に出来るぞ、というやましい心。

 これが男子の特権か……! と、目が腐っていても一応健全な男子であることを再確認した私は、とにかく彼女の話を聞いてやることにした。

「まあ、あれだ……。周りを見ていたから迷ったのかな、と思ったんだが」

 彼女は頷いた。

「うん……。ここって広いから、色々な部活を見て回っていたら、どこにいるのか分からなくなっちゃって……」

「なるほどね。夢中になってたわけか」

 うん、と彼女は頷いた。

「なら、僕が一緒に案内してあげようか? 一応場所は覚えているし」

 うむ、我ながらいい発言だ。多分今までの勇気を全てそこにつぎ込んだ最高の一言だったと思う。これで断られたらもう死ぬしかない。

 彼女は、安堵の表情を見せてこう言った。

「本当? ならお願いしようかな?」

 おー良かった。まだ死なずに済んだ。

「案内してくれるんだから、良かったら一緒に回らない?」

 と、彼女は言った。

 正直、耳を疑った。

 迷っている女子を知っている場所まで送るだけだと思ったが、まさか一緒に回れるとは。もしかして、これはこれで自分は死ぬんじゃないか、と天を疑った。

「え……でも迷惑でしょ? 君だって一緒に回ってた友達とかいただろうに」

「えっと……みんなもう入りたい部活を見つけてそっちに行っちゃってるから……」

 ああ、なるほど、そういうことか、と私は言った。

 彼女は、今は一人で行動していることには何となくだが感謝していたが、友達がいたということに何故か胸が痛んでいた。

 ……いや決して私に友達がいなかったわけではない。うん。

「でも、良かった。いい人に巡り合えて。男の人は苦手だけど、あなたは何だか話しやすいし」

 この時以上に、神に感謝したことは今まで一度だってない。

 この言葉のおかげで、私の卑屈な性格は治ったのだと、言っても過言ではなかった。

 私は、今まで以上に彼女に、ありもしない期待を高らかに抱いていた。とにかく、仲良くなろう。そうしたらもしかしたらチャンスがあるかもしれない、と独り身の男なら誰しもが思ったであろう願望が、そこにあった。

「自己紹介、まだだったね。わたしは京野美琴。よろしくね」

 と、美琴が私に手を差し出してきた。

 私もそれに応えて彼女の手を握った。

「僕は、安井恭一だ。よろしく」

 

 私は美琴と共に、部活を探し始めた。

 まず、二人で決めたことは、新しいことを始めたいということだった。

 私は元サッカー部だったのに対して、美琴は、元バレーボール部だった。

 外見からしてどうみても文化部に見えるが、どうやらああ見えて中学ではMBとしてスタメンを張っていたらしい。

 スポーツに関することで、私たちは話が弾んだ。話をするくらいなら今まであったが、正直、楽しいと思ったことはなかった。

 だが、何故だろう。美琴と話すと何故か楽しく感じる。

 こんな話は他の人とも何度もした。だが、ただ過去を話すだけで特に面白いとも思ったことはなかった。

 だが、それでも美琴は――彼女と話をすることは、何かが違った。

 言葉に華を飾れるのだ。美琴を楽しませることが出来るのだ。そして、美琴は一言一言に愛らしさがあるのだ。二人の会話が弾むのだ。

 私の中で何かが瓦解しようとしていた。私の今までの無駄な時間がここで全て清算された気がしたのだ。

 ――自意識過剰かもしれないが……。

 美琴も最初と打って変わって、私に打ち解けてくれるようになっていった。

 私のくだらない冗談に笑ってくれるし、自分の好きなことに対しては積極的に話してくれる。男子が苦手というのが嘘のようだった。

 そして、二人で会話をしながら部活を探していると――。

 その部活があったのだ。

 

 山岳部。

 

 中学では見たこともない部活だったためか、私も美琴も山岳部を見た瞬間足を止めたのだ。

「山岳部……」

「初めて見るね。何だろうね?」

 私と美琴は声を掛け合った。

 部活名を見て想像できるのは、当然山登りだ。

 しかし、山を登るだけの部活とはいえ、果たして放課後の部活で登れる丁度いい山なんてあるのだろうか。

 メトロポリスで登れる山は、覚えているのは高尾山くらいだ。しかもこの高校からは電車で乗り継いで四十分かかるのだ。電車代もかかり、山登りをして学校に帰ってくるだけで夜になってしまう。とてもじゃないが、割に合わない。

 だが、よく見れば、部活名の横に、『インターハイ出場決定』など、かなり好成績を残しているような文言が多く見えた。

「インターハイ出場……」

「すごいね。かなりの強豪なのかもね」

 だが、インターハイで何を競うのだろうか?

 山登りの速さを競うのだろうか。それとも山登りの知識を競い合うのだろうか。全く分からない。

 私たちの会話を聞いていたのか、山岳部の部員らしき先輩が話しかけてきた。

「やあ。もしかして山岳部に興味があるのかな?」

 突然声をかけられて、美琴は少し焦った。私は美琴をフォローする形で答えた。

「ああ、興味といいますか……インターハイに出たって書いてあってすごいなと思って」

「有難う。今年で七回連続の出場なんだ。山岳部で俺たちの高校の名前を聞けば知らない学校は少ないんじゃないかな」

 ほう、と私は感心した。

「山岳部はいいぞー。山に登り、そこの自然と戯れ、頂上まで登り切ったあとの快感、そしてそこで食べる弁当は格別だ。それに、体も鍛えられ心身ともにリフレッシュできる。心技体を余すことなく鍛えられるよ」

 どう? と先輩は私たちに入部を勧めてきた。

 どうと言われても困った。私は、入部する気はさらさらなかったからだ。

 ただ、どれを選んでも同じ気持ちを抱くのだ。全部見てから、まだ楽しそうなものを選ぶ予定だった。

 だが、結局私はここを選んだ。

 

「わたし……山岳部に入りたいです」

 

 美琴が真っ直ぐな瞳で言ったからだ。

 私は、驚愕して美琴に顔を向けた。

「おお! そうか! 入ってくれるのか!」

 先輩は高揚したのか声を裏返した。

「は……はい! あの……わたし、登山は初めてなので、その……」

「それは平気さ。大体みんな高校から本格的に始めるものだから大丈夫」

 先輩がそう言うと、美琴はやたら嬉しそうな顔になった。

「いいの? まだ見ていない部活もあるけど……」

 私は、少しだけ慌てながら聞いた。

「あ、うん。なんか面白そうだし」

「でも、やっぱり全部見てから決めても遅くはないんじゃない? 後悔するかもしれないし……」

 今思えば、自分自身のみみっちさを恥じた。何故、そこまでして彼女の意思を揺らがせようとしたのか、あの時は分からなかった。

「うーん。でもこれにするよ」

「なんで?」

「なんていうか、ビビッと来た」

 何を言っているのかは分からなかった。だが、彼女の決意は固く、私の意地汚い引き止めなど無意味なのが分かった。

 

「ねえ、よかったら一緒に入らない?」

 

 だから、この言葉をずっと待っていた。

 私から言うことなんて、当時は出来なかった。何故? 分かるはずだ。女子とあまり交流がない、話すのが苦手な男なら特に。

「え?」

 と、私は知らないふりをしながら言う。わざとらしさが今に思えば腹立たしい。

「あなたもどこに入ろうか迷っていたんでしょ? だったら、新しいことをしてみない?」

 美琴は私に問いかけた。

 何と言えばいいのだろうか。私を遠回しに誘っているようなその眼が、私にはたまらなかった。

 美琴は期待していたのだろう。

 もし出来ることならば、私も入ってくれれば気が楽になるだろうし、何より楽しそうだと。

 私は、そんな美琴の言葉を拒否することもなく。

 ただ、一回――。首を縦に振った。

 こうして、私と美琴は初めて山岳と触れ合うことになった。

 

   2.

 

   *

 

山岳部に入部してから、色々なことが分かった。

 まず、山岳部は、想像していたような、毎日山を登りに行くわけではなかった。

 山岳部の活動理念は、『山岳の正しい知識と理念を吸収し、自然の素晴らしさと地球の雄大さを実感し、心を豊かにする』ということらしい。

 すばらしい理念だとは思ったが、所詮理念なんて全く意味がないと最初は思った。結局は、山について知ればそれでいいのでは、と半ば思っていた。

 初めての山岳部は、新しいことの連続だった。

 放課後の部活では、山登りや山に関する基礎知識を延々と議論したり、山を登りきるための体力づくりとして、基礎トレーニングをしたりした。

 運動系と思いきや、文科系も混じった特殊な部活だったのだ。

 山登りのための道具一式を親に懇願してそれなりのものを買うために、資金提供をしてもらった。まあ、その時は美琴と二人で買いに行ってしまったが。

 いつ使うのだろうと思ったが、どうやらそれはすぐに使われると先輩は言った。

 そして、山岳部特有の活動が一つあった。

それが、ロッククライミングだ。

テレビなどで見た事があった。

絶壁を登っていくスポーツだ。自然の岩壁を使うが、都会とかでは、人工的に壁に付いている無数の色が付いた掌に収まるくらいの岩のような突起物を掴み、足をかけて、頂上まで登り切る競技――ボルダリングという競技を行っているのだとか。

 そのロッククライミングの練習も、山岳部の活動の一つらしい。

 だが、ロッククライミングの練習となると、それを用意している施設に行かなければ練習しようがないのでは、と私は思った。

 だが、なんと……この高校にはロッククライミングの施設が備わっていたのだ。

 先輩曰く、この高校の山岳部は全国区で有名らしく、学校側の方針で山岳部には予算が多く、大会で使用する設備がほぼ用意されているのだとか。

 それほどまでの強豪だとは思ってもみなかった……。これだけ見事な施設を用意できるというのは、余程期待されているらしい。

 もしかしたらとんでもない部活に入ったのでは? と、私は内心後悔していた。

 だが、私とは裏腹に美琴は、目を輝かせていた。新しいことが沢山出てきて嬉しいのか、はやくやりたいと言わんばかりに、両手を握り、両腕を曲げ――ぴくぴく震えていた。

 恐る恐る、楽しみなの? と聞くと、うん! と満面の笑み。

 これは、彼女の空気を読まないといけないな、とすぐに分かった。私は、はあ、と見えないように溜息を吐いた。

 施設にはロッククライミング用の壁と、ボルダリング用の壁に分かれていた。

 施設にあったクライミングシューズ、ロープ、そしてハーネス――胴を包むロープのようなものだ――これらを借りていざ、挑戦した。

 どうせロッククライミングなんて命綱をつけて登っているのだから、大方、命綱を頼れば力をセーブしつつも登れるだろうと、高をくくっていた。サッカーでそれなりに体力もあるし、体も出来上がっていた。それなりに出来る自信があった。

 だが、実際にやってみて私は、以前の私を殴りつけたくなった。

 まず、体の筋肉をほとんど使わないのだ。

 テレビで見る限り腕や足の筋肉を使うと思ったが、それほど使わないのだ。使うのは指だった。

 指の筋力なんてサッカーではあまり使わない。だから、登り始めてすぐに指が疲れてきた。

 持久力はあるほうだが、これはそれ以上に指の力が先に果てないかの勝負だった。

 私はすぐに諦めた。

 先輩は笑って、ボルダリングの方に指をさした。

 別の先輩――女子だ――がボルダリングをし始めたのだ。

 よく見ると、ロープもハーネスもなしに上り始めたのだ。

 体一つで、壁に付いている突起物の岩――ボルダーに掴み、足をかけ、スムーズに昇っていった。

 私は唖然としていた。

 私より一つ上とはいえ、女子生徒が何も道具を使わずにいとも簡単に壁を登ったのだ。

 美琴は、感嘆の声を上げながら、その先輩に近づいて褒めちぎっていた。

 先輩は私の肩を掴んで、奥が深いだろ、と笑いながら言った。

 私は意識を改めた。生半可な気持ちでやるわけにはいかない。

 だが、同時に――。

 

 女子と一緒にいたいという不純な動機で部活を安易に選ぶべきではないと、私は学んだ。

 

   *

 

「え? 何なんですか、これ……」

 私は声を出した。

「それが今年のスケジュールだ。まあ、五月の大会に一年が出るっていうのはそうそうないと思うから安心しな。一年にとっては六月下旬からが本番だと思ってほしい」

 私は眼を疑った。美琴は隣で、見せてーと言ってきた。私はそれを見せた。

 それは今年の山岳部のスケジュールだった。

 かいつまんで説明するとこうだ。

 

 五月十日~五月十一日 メトロポリス総合体育大会登山大会「登山競技」

 六月一日~二日 メトロポリス高等学校安全登山講習会

 六月二十日 総合体育大会登山大会クライミング競技

 六月二十九日 一年生トップロープクライミング大会

 八月一日~八月三日 夏季登山合宿(北岳予定)

 八月二十九日~八月三十日 メトロポリス高等学校安全登山技術講習会

 十月二十六日~十月二十八日 メトロポリス高等学校新人登山大会

 十一月十八日 メトロポリス高等学校ボルダリング大会

 十二月二十六日・一月二十四日・二月二十七日 メトロポリス高等学校ボルダリングツアー戦

 二月十日 メトロポリス高等学校スポーツクライミング新人大会

 三月二十八日~三十日 春山スキー合宿(提携校との合同合宿)

 

 大きい大会と講習会、そして合宿を挙げると、ほぼ毎月何かある。この中に、小さな大会や民間でやっている大会に個人参加するのだから、あまりにもハードスケジュールだ。

 もしかしたら、野球やサッカーなどの部活より大会があるのでは? と疑いたくなるほどだ。

 しかも講習会をやるあたり何とも山岳部らしいと思った。山登りと聞けば単純だが、その中でのルールやマナー、注意事項など――覚えなくてはならない事柄があまりにも多すぎる。単純に勉強するよりも難しいかもしれない。

「すごいね……。わたしたち出来るかな?」

 私はさあ、と言った。そうとしか答えられなかった。

 先輩は笑いながら、大丈夫だって、と答えた。

「大体は素人だから大丈夫だって。新人は大体六月下旬までの間で鍛えた奴らばかりだ。素人集団の中でビリにならなきゃ御の字だって。みんなそうだったんだから」

 先輩はそう言うが、その二か月弱なら、互いの差は開くのでは? と私は疑った。現に、入部して三週間くらいたったこの頃でも、まだ練習に完全についてはいけていなかった。出来た事と言えば、雰囲気には慣れたということくらいだ。

 使ったことのない筋肉を使っている分、筋肉痛が激しい。翌日の練習なぞ全く身に入らない始末だった。

このスケジュールを三年間……と思うと、私の性格は、さらにやる気が削がれていく。

 だが、それが一年経つと、楽しいと思え、さらに一年が過ぎると、名残惜しいと思うようになっていくのだ。

 私は、多分、その時変わったのだ。

 

   *

 

「それでね、あーちゃんったら新入生サークルでさっそく先輩に誘われちゃったんだって」

「ふーん……。でも、結局振ったんだろ?」

「一回くらいでへこたれる先輩じゃないよ、あれ……。なんていうか性質が悪い感じだったって。わたしも遠巻きから見たけど、なんか怖かった。目を合わせられたときは、思わず冷や汗かいたよ」

「おい……。それはまずいだろ……。警察呼んだほうがいいんじゃ……」

 私は、美琴の友人に迫っているというストーカーになり得る先輩の恐怖話を聞いて冷や汗をかいていた。

 大学入学して間もないという頃に、いきなり彼女の友人のストーカー事件に発展しかねない話を聞くとは思わなかった。

 まあ、確かに私も以前に数回会ったことはあったが、確かに綺麗だった。男なら確かに放っておかないのも分かるが……。ただ執着してまで、と思うほどか? と不思議に思う。

 今だから言えることだが、やはり私が懸念していた通り、その先輩はストーカーとなって美琴の友人を執拗に追った。結局その後数か月にわたる大捕物で、先輩は御用となったわけなのだが……。

 その際に助けてくれた同級生を見初めて、二人はめでたく付き合い始め、その後結婚したというわけだ。

 ……まあそんな話はおいておくとしよう。

 高校を終えて、私と美琴はメトロポリスにある大学に入学することになった。

 高校での三年間は非常に密度の濃いものだった。

 とにかく山岳部での活動は熾烈を極めた。

 練習から大会、講習会――それ以上に授業に付いていくのがやっとで、学校と部活の二足の草鞋をなんとか履くことが出来た。

 勉学はそうだが、部活はとにかく何とかなった。

 最初の大会では、私も美琴も上位入賞が出来た。それを切っ掛けに上級生たちの大会にも参加することが出来、無事にインターハイ出場を決めることが出来た。

 そして、そのままのエンジンを保ちつつ、私たちは三年間もの間、インターハイ出場を成し遂げ、その内一回はインターハイ優勝を決めるなど輝かしいタイトルを手に入れることが出来た。今まで先輩たちが繋いで来た手綱を何とか維持することが出来たということだ。

 そして、そのままスポーツ推薦を取って楽をして大学……という選択肢は諦めた。

 その方法もあったが、行ける大学が提携している体育大学ということで、私はやめたのだ。

 その道に進むつもりは毛頭なかった。

 結局、普通にセンターを受けて、自分が行きたい大学を決めたというわけだ。

 そこまでは良かった。私としては、安心して大学に行けるというのは一つの密かな驚きであった。

 だが、どうしてだろうか……まさか美琴も同じ大学に通うなんて、ちっとも思ってなかった。

 高校で知り合い、山岳部で苦楽を共にした――いわば友人以上恋人未満という間柄になっていた。

 ひいき目に見ても、やる気のない捻くれた内気野郎である私が美琴とそこまでの仲に発展できるなんて誰も思ってもみなかっただろう。

 ある意味でそれは私の勝利だったといってもいいだろう。

 一生分の勇気を使って声をかけて、一緒にならなければならないという空気を作り、そして最後に自然に一緒にいるのが当たり前になっている――私のように全てに自信がない性格の人間が、言葉にせずとも一緒にいれるようになるには、言わずに自然と一緒になる空気を、月日を重ねて作り上げるしかないのだ。

 これが中々難しい。これを失敗すれば、正攻法でいかなくてはならない。それが普通だろうが、私のような人間にはそれこそが邪道なのだ。

だから、こんな私と一緒にいてくれた美琴を感謝しなくてはならない。

 とにかく、美琴とそういう仲になることに成功した私は、言わずとも気持ちが通じ合えるようになったのだ。

 大学では、専攻こそ違ったものの、自由選択教科で一緒になることが多かった。そのおかげか、互いに知り合った友人を引き合わせることで、交友関係を広げることに成功した。

 家もそうだ。

 実家を出て(といっても、メトロポリス内だったからそれほど遠くはないが)、アパートを借りて一人暮らしを始めた……はずだった。

 美琴との仲は、互いの両親にも伝わっていて、家族ぐるみの付き合いになっていた。そのおかげか、アパートを二部屋借りるのは金額的に損だ、ということで、割り勘で家賃を支払うという条件で同棲を許可されていた。

 だから、アパートで二人暮らしが始まった。

 少し広めの部屋があるアパートを借りたおかげで、二人分の勉強スペースは確保できた。食事や清掃は当番制になっていたが、美琴は、ここぞという時にやらない性格で、結局私がほぼ毎日やっていたのは良い思い出だ(美琴の本性を知ったのもこの時だった)。

 紛れもなく、私自身が変わってきたことは自覚していた。

 そして、生憎高校時代の思い出が抜けないのか、私と美琴は、大学の山岳部に入部した。

 高校での実績は、折り紙付きなのは、山岳関係者ならよく分かっていた。その手の世界なら、高校ではよく知られるほどになっていたのだ。

 そして、大学一年目の時だ。

 夏休みを利用して山岳部で日本アルプスを登ろうと企画が出された。

 私と美琴は、高校時代一度だけ挑戦したことはあったが、その時は、途中で天候不良になったために中断してしまっていた。

 だから、またそのリベンジが出来るというのは絶好の機会だったのだ。

 久方ぶりに大物に挑むのだから、道具を新しくして、母校に行って施設で訓練しようか、ということで私たちはそのようにした。

 そして、当日、私たちは日本アルプスに挑んだ。

 あの時だった。ライラに出会ったのは。

 

   3.

 

 私たちは、メトロポリスからワゴン車に乗って山梨県広河原へ向かった。

 ここには北岳に上るためのコースがあり、一番親しまれているコースでもある。

 

「よーし。今回はここから大樺沢に行って、二俣、小太郎山の分岐から北岳肩ノ小屋へ行って、そして北岳というコースだ。途中で休憩はさむから、安心してくれ」

 先輩がそう言う。

「カメラは大丈夫だよな?」

 先輩は私に振り向いて聞いた。

「はい、充電は車の中でやりましたので」

「頼むぞ。今回は北岳の固有植物を撮りたいからな」

 はい、と私は頷く。

 そう。今回は、北岳に上るだけじゃなく、北岳に生息する植物の撮影も兼ねているのだ。

 北岳は日本において富士山に次いで二番目に高い山として知られている。火山地帯が多い日本の山の中では珍しく、火山に分類されない山であるのだ。

 そして、北岳には、そこにしか生息しない固有植物が存在する。それらは絶滅危惧種として指定されているため、持ち帰ることは不可能になっている。だからこその写真撮影なのだ。

 また、ここには固有動物も生息しており、出来ることならそれも撮れればというのが、先輩の考えらしい。

「お馴染みのコースとはいえ、油断はするなよ。時々遭難して帰ってこなくなる人も過去にはいたんだ。集中していけよ」

 はーい、と私たちは異口同音に言う。

「まあ、この後分かってるよな。このまま奈良田温泉まで行くんだ。二泊三日で行かなきゃならないんだ。地獄だぞー」

それくらいの登山は慣れているが、登山初心者の他の部員は大丈夫だろうか、と私と美琴は顔を見合った。

私たちは、進みだした。

 

 高校時代に北岳に登った時は野呂川出合からのコースであまり人気がないコースだった。

 あの時は、不人気のコースを行かされて、少しばかり辛かったが、急に帰ることになってよかった、と思っていた。

 だが、今回は北岳登山にしては有名なコースを行くということで、それなりに余裕を以て行くことが出来る。

 砂利を踏みながら、一歩一歩進んでいく。

 初心者の部員はすでに息が切れていた。

「はあ……はあ……まさか……山登りがこんなに辛いなんて……」

 同級生が私に話しかけた。

「どういうふうに想像してたんだよ……」

「リュックサックを背負って、軽やかに緩やかな坂を上って、頂上で旨い弁当を食うんだ……」

 そりゃ漫画だ……と、私は言った。

「お前ら……全く息上がってないんだが……何でだ?」

「そりゃ、一応高校も山岳部だったから……ここほどじゃないけど、高い山とかは結構上った」

「ああ……そりゃ……大ベテランじゃねえか……」

 同級生は、水筒を取り出し、水を大量に含んだ。

「飲みすぎるな。体に響く」

 私は、そう言ったが同級生は聞かない。

 全く……、と思いながら、私は同級生のフォローに入った。

 

 小太郎山分岐点付近に着いた。

 私たちはここで一旦休憩に入った。

「よーし、三十分くらい休憩だ!」

 部長が叫んだ。初心者の部員たちは、ようやくの休憩に安堵した。

 私は、部長と目配せをした。どうやら、言われたことをやってほしいらしい。

 私はカメラを手に、群生植物が点在している場所に行き、カメラで撮り始めた。

 

 タカネバラ……

 コバイケイソウ……

 シナノキンバイ……

 

 分岐点にある植物を一枚一枚獲っていく。

「ねえ、進んでる?」

 ふと、美琴が私に声をかけた。

「ああ。でも、やっぱり絶滅危惧種は大体山頂付近だろうな。こっちで撮れた絶滅危惧種はタカネタンテマだけだった」

 私がそう言うと、美琴は、ふうん、と言って私に寄り添った。

「何だよ……いきなり……」

「ううん。何となく」

 美琴は呟く。

「雄大よねー」

 私は頷く。

「そうだね。大河原からもそうだけど、緑が多いよな。今まで登ってきた山の中で一番自然を感じ取れたかな」

 私は素直な感想を言った。美琴は何だか嬉しそうな顔だった。

 

 それから、二十分ほど経った頃だっただろうか。私は写真を撮り終え、美琴と二人で部長たちと合流しようと、休憩ポイントに向かった。

 部長たちとはそう遠く離れていないから、振り返って見れば人影が見えるはずだった。

 誰もいなかった。

 いないのではない。目の前の景色が白い靄で覆われて見えなくなっていたのだ。

 美琴は、私の腕をきゅっと掴み、震えながら言った。

「ねえ……今日の天気で山に霞がかかるなんて言ってた?」

 私は断固として否定した。

「そんなはずはないよ。気象情報はきちんと確認した。今日から雲一つない快晴日和だったはずだ」

「じゃあ、何で靄がかかっているのよ……」

 私には答えられなかった。

 気温が急激に低下した感覚は無かった。夏季の――この頃の気温は過ごしやすい温度のはずだ。確かに雪が少しは残ってはいるが、だが、視界が見えなくなるほどの深い靄を生み出すほどのものではないはずだ。

「とにかく、行こう。向こうに部長たちがいるんだ。部長たちと合流すれば、何とかなるはずだ」

 そう。目と鼻の先に部長がいるのだ。

 向こうでも、靄の危険性は知っているのだから、きっと登山を中止して、下山を決断するだろう。

まずは声をかけてみよう、と私は考えた。

「部長! 部長!」

 すぐそこに部長がいるんだ。私は必死で声をかけた。

 だが、返事はおろか、人の気配すら感じられない。

「ねえ……わたしたち、一体どうしちゃったの?」

 分からない……分からない、と私は答えた。

 本当に分からないのだ。

 ただ、部長に背を向けて、真っ直ぐ進んだ場所で写真を撮っただけだ。しかし、振り返れば誰もいない。部長どころか、人っ子一人見当たらない――気配すらない。

 しかも、靄がかかり、ここがどこだか分からなくなってきている。

 今まで行ったことがないような場所――そんな風に感じられる。

 これ以上進んだら、今度は戻れなくなってしまうのでは? と、そんな不安が私の仲を駆け巡っていた。

 戻ろう――そう思った時だった。

 ふと足元に、何かがあたった気がした。

 何か柔らかい――人工的なものではない。鼓動している感じがした――まるで生きているような――。

 私は下を向く。

 

 ――羽の鳥が横たわっていた。

 

 胸のあたりが動いている――まだ息はあるようだ。

 私は、その鳥を手に取った。

「どうしたの、その鳥」

 美琴が聞いた。

「いや……何か倒れてて……」

 どうしてこんな時に、と思ってしまったが、まだ生きているのなら助けてやりたいという気持ちがあった。

「その子、怪我しているじゃない」

 美琴が言うと、私はすぐに気づいた。

 羽の部分から少し血が出ていた。よく見ると、傷がある。まるで何かに噛まれたような――そんな傷だった。

「ひょっとして、襲われたのか?」

 私はそう思った。

 傷は浅いが、鳥の状態から見て、かなり前に負傷してそのままだったのだろう。もしかしたら、傷口からばい菌が入っているかもしれない。助かるかどうかは分からないだろう。

「どうにかならないの?」

 美琴の言葉に、私は答えた。

「どうなるかは分からないけど……出来る限りやってみよう」

 私は、手持ちから、包帯を取り出した。

「人間に使う包帯は大丈夫なのかな……」

 私は、そんな不安を抱えながら、鳥の傷口を覆っていく。

「こんなところか……」

 鳥の呼吸が安定してきた……と思う。

 眠ったように目をつぶり、私の掌で横たわっている。

「大丈夫かな……」

「しばらくは大丈夫だろうね。ただ、問題はこの後だ」

 そう。

 問題はまだある。

 鳥の所為で脱線したが、私たちは未だに靄の中にいるのだ。ここを抜けださなければ、鳥諸共犬死には確実なのだ。

「これ以上進んでも駄目かも……戻ったほうがいいのかな?」

 美琴はそう提案した。

「そうかもな……。下手に動くより、その場で救助を待った方が賢明だろうな」

 私たちはそう決心して再び元の場所に戻っていく。

 バッグには、一週間ほどの備蓄がある。それまでに、助けが来るかどうかは分からない。ただ、こんな簡単なことで死んでしまうのは腑に落ちなかった。

 

どれくらい経っただろうか。

 時計では、すでに二時間以上も経過していた。

私と美琴は互いに背をくっつけて、辺りを見回した。

 例の鳥は私の掌で寝ている。

 そして、靄は依然として消えない。

 携帯機器は、何故か機能しなかった。靄がかかる前は、すぐに使えたが、いきなり全て圏外になってしまった。恐らくも何も、この靄の所為だろう。

「何でこんなことになったんだろう……」

 美琴が膝を抱えて呟いた。

 私は何も言えなかった。原因なんてあるわけがないからだ。そんなの、神が選ぶことだ。

「もしかして、お金ケチって同棲したのが悪かったのかなー」

 それは関係ないのでは……、と私は思った。むしろ節約するための手段なのだから、その手の神に褒めてもらいたいくらいだ。

「それともあなたのお金を無断で借りて登山靴買ったのがいけなかったのかも……」

 そんなことをしていたのかよ……、と私は呟いた。

 確かに、一か月ほど前に口座を確認した時に金額が合わなかったことがあった。翌日にはもとに戻っていたが、そういうことだったのか。

「何かを嘆いても仕方ないよ。とにかく助けが来るのを待つだけだ」

「うん……そうだね」

 金が使われたことを許した感じになってしまったが、まあいいだろう。

 はあ、とため息を吐いた時だった。

 鳥の羽が動いた。

 私は、掌を見ると、鳥が私のほうを見つめていた。

「美琴。鳥の目が覚めた」

 美琴は私の肩から這い出るように出てきて、私の掌を見つめた。

「あ、本当だ」

 私は、鳥に語り掛けた。

「大丈夫か?」

 鳥は、立ち上がり――そして、突然私の肩に乗った。

 美琴がわっ、と声を出して尻をついた。

 鳥が鳴いた。

「ははは。どうやら元気らしいな」

「びっくりしたー」

 美琴が立ち上がった。

 その時だった……。

 靄が退いてきたのだ。

 私はその光景に驚いた。

 左右に靄が退いていくのだ――まるで意思を持っているように――。

 靄は一分も経たずに退き、元の快晴が見えた。

 元の場所に私たちはいた。

「ねえ……これって……」

「ああ。どうやら、助かったみたいだ」

 だが、もう時間は二時間以上も経過していてはどうしようもない。部長たちも行ってしまっただろう。

「部長に連絡を入れて、下山した方がいいかもな」

 美琴は頷いた。

「そうだよね……。これ以上迷惑はかけられないし……」

 二人でそう決めて、下山しようとした時だった。

「おーい。二人ともー! そろそろ行くぞー」

 遠くで声が聞こえた。ほんの少し前に何度も聞いた声だ。

 私たちは振り向いた。

「早くしろよー! もうみんな準備終わってるぞー」

 私と美琴は顔を見合った。

 

「部長!」

 

 私たちは部長たちに駆けていった。

「おー、何だ何だ? まさかまだ休憩が足りないって言うんじゃないだろうな」

「いえ……、その……もう行ってしまったのかと思っていまして……」

 部長は、首を傾げて不思議そうに聞いた。

「何でだよ。何で行かなきゃいけないんだ? しかもお前らを置いて」

「いえ……だって……僕たちの所為で二時間以上も時間をロスしてしまったから……それで……」

 部長は、何を言っているんだ? と言った。

「まだ、休憩時間が終わって五分くらいしか経ってないぞ。まあ、確かに時間はロスしたが、これくらい大したことないさ」

 五分……?

 そう言って、私は疑問に感じた。

 そんなはずはない。だって、あの靄の中を二時間以上もいたのだ。それなのに、休憩時間が終わってまだ五分しか経っていない――明らかに、私たちの時間と部長たちの時間が乖離している。

 私は時計を見た。

 驚愕した。

 時間が戻っていたのだ。さっき見ていた時は確かに時計の針は進んでいた。なのに、それが元に戻っている。

 どういうことなのだろうか。私は時計を見つめながら思った。もしかして、夢を見ていたのだろうか、とそう思ってしまった。

「おー? それなんだ?」

 部長の言葉で我に返る。

「何ですか?」

「何って、お前の肩にいる鳥だよ」

 私の肩に鳥? 私は、部長の言葉を聞いて、思い出したように肩を見た。

 あの鳥がいた。

 夢じゃなかった……、と鳥を見てそう思った。あの靄の中で鳥を手当てした。それは確かなのだ。

「おい、この鳥って……ライチョウじゃないか」

 私は部長を見た。

「ライチョウって……国鳥の?」

「ああ。この日本アルプスにも生息している天然記念物の一つだ。一体どこで見つけたんだ?」

 ああ、それは……、と私は怪我をしていたライチョウを手当てしたことを伝えた。

「なるほどな。それで、肩に止まっているわけだ。しかも、離れないあたり、お前になついているのかもな。俺たちにも全く動じてないし」

 そうかもしれない。

 私は、肩のライチョウをもう一度見つめた。

 何だろうか……ライチョウが鳴いた瞬間に靄が退いた気がする――タイミング的にそれが的を射ているが……偶然なのだろうか。

 しかし……、と部長は私に言った。

「ライチョウは留鳥だから、元いた場所に戻した方がいいんじゃないのか? しかも気温の高い所では生きるのは難しいからな」

 ああ、そうだった、と私は思い出した。

 ライチョウは、日が照っている時は、木陰に隠れるなどして暑さから身を守る性質があったはずだ。過去の報告によれば、気温が二十六度くらいの時に、呼吸困難になり、体調を崩したという。日が隠れた曇りの日などは、見る機会は多いと聞く。

 なら、あの靄の中でライチョウがいたことはある意味理に適っていることだったのかもしれない。

 ただ、不思議なことに、ライチョウは私の肩から離れようとはしなかった。それどころか、日が照っている今この時でさえ、私の肩に留まっている。

 自分も一緒に付いていく――そう言わんばかりに。

 しかも、気温も夏というだけあって、山とはいえ、高い。なのに、ライチョウは毅然とした態度のままだった。一切苦しむという傾向は見当たらない。

 ライチョウを知った部員たちは、ライチョウを守ろうとシートや小型扇風機などの用意をしている。

 だが、ライチョウはそれらが近づくと鳴いた。まるで拒んでいるかのようだった。

「悠長なことを言ってられない状況のはずなのに、こいつは平気な顔してやがるなんでなんだ?」

 皆が不思議がっていた。

 このまま連れていけば、途中で間違いなく死ぬ。私がさりげなく、離れるように仕向けても嘴で突いてそれを拒んだ。

 それを見て、美琴が何かに気づいたようだった。

「しょうがない。このまま連れていくしかないだろうな」

 部長が言った。

「いいんですか? このままだとこいつにとって劣悪な環境ですよ」

「仕方がないだろう、安井。こいつお前の肩から離れようとしないんだから。もしかしたら、もっと高い所に住処があるかもしれん。そこまで連れて行ってほしいのかもしれないぞ」

 それはあり得る。

 確かにもっと高い所なら、他に高山に住まう鳥や生き物がいるから、もしかしたらそこなのかもしれない。

 とりあえず、私は日に当たらないように、手持ちのハンカチをライチョウにかぶせた。

「よーし。とにかく行くぞ。まだ道は長いんだ。新人は這いつくばってでも俺たちに食らいつけよ!」

 部長の号令と共に、私たちは歩き出す。

 一部は、えー!? と声を漏らしたり、一部は、楽しみだな、と言い合ったりしていた。

 私はあの靄のこととこのライチョウの意図が一体何なのか、そのことばかりを考えていた。

 そして、もう一つ気になったことは、私の横で美琴が細い目で私を見つめていたことだった。

「どうかしたのか?」

「別にー」

 と、美琴はそっぽを向く。

 何か不機嫌だ。もしかしたら、あんな怖い思いをしたせいなのか、と思っていたが、美琴は小さく、

「やっぱり男の人って単純で鈍感なんだなあ」

 と呟いていた。

 その意味が、あの事件が終わるまで私は一向に分からなかった。

 

   4.

 

 結局あの後――北岳登山は、あのライチョウと共に過ごしてしまった。

 目標の北岳に到達し、ライチョウも家に帰ることだろう、と思っていたが、ライチョウは、帰るどころか私の肩でくつろいでいた。

「お前の家はどこにあるんだ?」

 と、聞いても、ライチョウは首を傾げるだけだった。まるで、何をそんなおかしなことを聞いているのか――私の肩が自分の家、と言わんばかりに。

 宿泊地まで結局付いてきて、いざチェックインとなる時に突然いなくなり、やっと解放されると思った。

 だが、客室に入った時、ベランダであのライチョウは私たちを待ち構えていた。

 私は、ライチョウに気を使って、客室の温度を下げて寒い思いをしながら過ごした。

 そして、下山も私から離れる様子は一向になかった。

 高い所に住むライチョウが下に来れば、自身がどうなるか分かっているはずだ。

 私は、とりあえず市役所に連絡を入れて、無理矢理にでも引き離そうとした。

 すると、ライチョウは怪我が癒えたのだろう――飛び立って行ってしまった――思い切り私の頭にフンをぶつけて。

 そして、美琴と二人で懐かしき我がアパートに戻ってきたと安堵しながら、部屋に向かうと――。

 

 ライチョウが私たちの部屋のドアの前で待っていた。

 

 何故だ!?

 なんでいるんだ? 

 というより、どうして私たちのアパートがここにあると分かった?

 いやそれよりも――。

 

 どうして、この環境下で平気なのだろうか?

 

 襲い掛かってくる疑問の嵐に、私はもう少しで倒れそうになった。

 だが、目の前にある現実は間違いないものだ。そう言い聞かせ、美琴と二人で相談した結果――。

 

 ライチョウを飼おうということになった。

 

 天然記念物、ましてや絶滅危惧種のライチョウを許可もなしに飼うなど言語道断だ。ライチョウを知っている人に見られでもしたら、私たちは一躍犯罪者の仲間入りになってしまうだろう。

 せめて、このライチョウが元の家に帰ってくれることを願った。

 こうして二人と一羽の生活が始まった。

 

   *

 

 ライチョウのことをライラと名付けたのは美琴だった。

 ふと、近くのレンタルビデオ店で美琴が借りてきた映画の主人公がライラだったから、というのが理由らしい。

 私はライチョウの最初の二文字をかけてライラだと思ったのだが、どうやら違ったようだ。

 美琴が提案した名前に決定した後で、私はライチョウにライラと呼んでみた。

 すると、ライラは喜んでいるような声で鳴いた。

 気に入ってくれたらしい、と私と美琴は顔を合わせて笑った。

 

   *

 

 ライラと過ごした日々の中で、私が印象に残っているのがいくつかある。どれもかけがえのない思い出だった。

 

 ライラがアパートに来てまだ日が浅いころだった。

 暇つぶしに散歩に出ようとして、家を出た時だった。

 ライラは私の肩に乗った。

「……付いてくるのか?」

 私がそう言うと、ライラは、鳴いた。どうやらそうらしい。

「そうか。なら待ってろ」

 私はそう言って、ライラにハンカチをかぶせた。わざわざ鳥の形に合うように私が頑張って縫い合わせて作った特製ハンカチだ。

 それをかぶせると、ライラは嬉しそうに鳴いた。

 

 家を出て私は適当に歩き始めた。

 どこに行こうか迷っていたが、途中で美琴が今バイト中であることを思い出し、私はそこへ向かおうとした。

 行先は、郊外の動物喫茶。

 何をトチ狂ったのか、美琴は大学に入ってからいきなりそこでアルバイトをし始めた。

 動物好きということは一度も聞いたことはない。ただ、嫌いと聞いたこともない。だが、動物と間近で仕事をする場所を選ぶとは思ってもみなかったのだ。

 どうやら雑誌に載っているほどの人気店の一つらしく、最近メトロポリス内にも別店舗が開店したとか、美琴が言っていた。

 どんなところか一度は見に行こうと思っていたが、あまり余裕がなく行く機会を逃していた。

 今がその時だと思った。

 

 そこへ行くには近場の公園を突っ切るといい近道になる。

 私がそこへ入っていくと、子供たちが元気に遊びまわっている姿が目に見えた。その他にもカップルがベンチに座っていたり、近所で見かけたおじさんがベンチで寝ていたり、ブランコにスーツ姿の男性の姿が……いや、それは見なかったことにしよう。

 とにかく、緑が多いからライラにとっても、故郷に近い環境になるのでは、と思ったのだ。

 そんな中、私に気が付き、向かってくる二人組の少女がいた。

「あー先生だ!」

「やっほー、久しぶり」

 私は立ち止まった。

「ああ、君たちが。久しぶりだな」

 彼女たちは私がアルバイトをしている塾の教え子だ。何故かは分からないが、私は塾内でそれなりに人気があるらしい。何故かは知らないが、主に女子から言い寄られることが多々あった。

 昔はそんなことは、物語の中の非現実だと批判していたが、こうやって言い寄られるのは悪くない。人に頼られるとは中々気分がいい、と初めて感じた。

「先生こそ珍しいね。何? もしかしてデートに行くとか?」

「そんなわけないだろ……ただの散歩だ。君たちこそ珍しいな。君たちのことだから街にでも繰り出していると思っていたんだがな」

 半分事実を突きつけられながらも、私は彼女たちにそう返した。

「まあ、行ければ行きたかったんだけどね。でも今日は夏休みの自由研究があるからさ。それのためにここに来ていたってわけ」

 へえ、と私は感心した。

「珍しいな。てっきり宿題は夏休み最終日にやると思っていたが」

「そこらの人と一緒にしないでくださいーだ」

 ははは、と私は笑った。

 その時だった。ライラが突然鳴きはじめて私の首元を突き始めたのだ。

 鳥の嘴とはいえ、直にやられれば、激痛だ。

「……痛え。ライラ、何をするんだ」

 ライラはそっぽを向いた。

「……あれ? 先生の肩に留まっているのって何?」

 どうやら肩に留まっているライラに気が付いたようだ。

「ああ、これな。最近鳥を飼い始めてな。物わかりがいいのかよくなついてるんだ」

 へえ、と彼女たちは興味津々で、私に寄ってくる。

「へえ。かわいい鳥だね。何ていう鳥なのかな?」

「あ……特に聞いてなかったな。ペットショップの人がこの鳥がお勧めって言ってたものだから……」

 飼ってはいけない天然記念物かつ絶滅危惧種の鳥を日本アルプスから連れてきたなどと口が裂けても言えない。

「へえー。ちょっと触ってもいい?」

 と、彼女が手を出した時だった。

 羽で彼女の手を払ったのだ。

「あらら……。やっぱり初対面だと不審がられるよね」

 あはは、ともう一人が笑う。

「まあ、仕方ないさ。外に出すのは初めてだからな。見るものが全て新しいから不安なんだろう。これから見かけたら仲良くしてくれ」

 私がそう言うと、彼女たちは、はい、と答えた。

 二人は駆け出していく。私は、その姿を見送った。

「やれやれ……。あいつらも来年は受験生なんだから、少しは危機感を覚えてほしいものだが……」

 まあいいだろう。あの年齢が一番楽しめる一年なのだから、好きなようにさせてやろう。

 私は再び歩き出す。

 何故だろうか。ライラは、さらに私の近くに留まり、私の頬にすり寄ってきた。

 鳥のなんらかの習性だろうか、と愚鈍な私は、その時そう考えてしまっていた。

 

   *

 

「あの……ライラ……。ノートが執れないんだけど……」

 私は眼前に留まっているライラにそう言った。

 だが、ぴくりとも動く気配を見せない。

「お願いだから、どいてくれないかな? 今大事なとこなんだ」

 ライラは私を無視するように反対の方へ顔を向けた。

 

 大学の講義中のことだ。

 夏休みが終わってから、ライラは大学へ行くときも私の肩に留まっていた。

 大学内にペット持ち込みなどあってはならない――ましてや絶滅危惧種であると教授に知られればどんな目に遭うか分かったことじゃない。

 とにかく思いついたことをあれやこれやと大学に説明して、講義の邪魔をしなければという条件で了承してもらったのだ。

 

 確かに講義の邪魔はしなかった――私を除いては。

 ライラは、その愛くるしさからひとたび大学のマスコット的な立場を確立していった。

 私としては、いつばれるか冷や冷やしながら、言い訳を何個も考えてはストックし、いついかなる時も対処できるように備えていた。

 特に山岳部のメンバーは、私以上にライラの注目を気にしていて、発覚して廃部にならないか、と特に部長がそれを気にしていて仕方がなかった。胃が痛かったのだとか。本当に他人事ではないが、ご愁傷様だ。

 それでもライラは、山岳部でも可愛がられ、次の冬の山登りにも同行させようと計画をしてくれた。

 だが、これだけ可愛がられるライラであったが、私が講義を受けている時は特に、邪魔がひどかった。

 確かに講義中は他の生徒を邪魔することなく、大人しいのだが、この大人しさが私には正直に言えば鬱陶しかった。

 私のノートの上に留まって私にノートを執らせてくれないのだ。

 じっと私の方を見つめているだけで、私の言葉を一向に聞いてくれない。

 しかも、美琴を含めた女子が私の隣に座ろうとすると激しく泣いてこれを拒む。

 仕方なく私の二個隣の席に美琴が座ってくれるが、それでも時より美琴に鋭い視線をライラは送っていた。

 ノートを執る時――特に重要な所を記入するときは焦る。

「おい、ライラ。頼むからどいてくれ。今本当に大事な所を書いている――ああああ!」

 そんなやり取りをしている間に、教授はさっさと黒板の内容を消して次の内容を記入していく(スマートフォンで写真を撮ればいいということをこの頃の私は知らなかった。レコーダーで講義内容を録音し、後でそれを聞きながらノートを見て復習していた。その方法があると聞いた時は、人生の半分を損した気がした)。

 結局、ノートは執れずに、ライラの相手をしなければならなくなる――完全にライラの勝利だ。

 ライラが来てから、アパートで美琴のノートを写すのが日課になってしまったのだ。

 

   *

 

 私がアルバイトから帰宅した時だった。

 時より、帰ってみると、美琴とライラが互いに鋭い視線を与え続けている場面が何度もあった。

 美琴は服や髪が乱れ、ライラも羽が乱れている。

「……何かあったのか?」

 私がそう聞くと、美琴は、

「何でもない!」

 と、怒ったように返答し、ライラもそれに続くように鳴いた。

「な……何でもないようには見えないぞ? まるで喧嘩したような感じだが」

 喧噪から見ても、どう考えても喧嘩をしていたようにしか見えないのだ。しかし人間と鳥が喧嘩するというシチュエーションはあまりに奇妙だ。一体どんな言い合い(?)をしているのだろうか。

「一体どうしたって言うんだよ。事情を話してくれないと」

 美琴は諦めたように座り込む。ライラも、鳥籠の中に戻って行った。

「別に、たいしたことじゃない……いいや、わたしからしたらたいしたことあるんだけど……」

 美琴はそれ以上何も答えなかった。

 

 いつものようにライラに餌をあげようとした時だった。

 ライラは、私の時は素直に食べてくれるが、美琴の時は嫌々食べるのだ。

 原因は分からなかった。ただ、あげ方の違いで餌の味が変わるのでは、と私は予想したが、美琴は、また細い目で私を見つめ返すのだ。

 ……何がいけなかったのか分からない。

 そして、後から聞いて分かったことだが、美琴は、ライラに餌をあげている時に独り言を呟きながらあげていたらしい。

「大学生になって色々なことが変わったなあ……」

 少し虚ろな目をしながら美琴は呟く。

「ううん、もっと前かなあ。高校に入ってからだなあ」

 美琴は、餌をテーブルで丸めながら言う。

「中学まで女子高で、高校になってから初めて共学に入ったんだっけ……。男の人の免疫が無くて、部活選びに右往左往していたのよね……」

 はあ、とため息を吐く。

「恭一と出会って……山登りを初めて……ライラと出会って……変わっていったなあ……」

 そして、美琴は言う――。

 

「恭一のことを……好きって思えるようになった……一緒にいたわたしだけが……恭一のことをよく知っているんだから……」

 

 それが止めだった。

 ライラは突然鳴きはじめ、ケースから飛び出し、美琴を攻撃し始めたのだ。

 足や嘴を使って、美琴の腕を引っかいたり、突いたりし始めた。

「ちょ……ちょっと! 何なのよ!」

 美琴は、反射的においてあるクッションを投げて応戦した。

 

 そして、激しい攻防の末――。

 私が戻ってきて戦いは中断されたというわけだ。

 

 喧嘩は良くないなあ、と私は当初そう思っていた。

 その所為なのだ。

 ライラを――何より美琴をどぎまぎさせてしまっているのは――。

 間違いなく、私の所為なのだ。

 

   *

 

ライラと過ごした日々は本当に短かった。

 時期を数えても精々四か月程度しかなかっただろう。

 それでも、印象に残ったこと、些細な日常の中にでも、ライラは間違いなく私たちを変えてくれたのは確かだった。

 だが、結局は長くは続かない。

 それが、人間と動物の限界なのだ。

 

   *

 

 切っ掛けは朝のニュースからだった。

 冬が来て、安アパート内に寒さが充満し、こたつでぬくぬくとしながら試験勉強に勤しんでいた時だった。

 ライラは、その頃から窓の外を見つめるようになっていた。

 理由は分からないが、美琴はおろか、私にも反応しない。今までこんなことは一度だってなかった。

「どうしちゃたんだろ。餌もあまり食べなくなったし」

 確かにおかしい、と私は思った。

 ライラには充分な愛情はあげていたつもりだった。何一つ不自由させないように、慎重に気をつかったつもりだった。

 だが、ライラは何故か寂しそうに外を見つめているのだ。

 私は、原因が分からないまま、テレビの方へ顔を向けた。ライラにも、何か思うことがあるのだろう。なら、そっとしておいたほうがいい、そう思ったのだ。

 だが、ニュースを見て、ライラが落ち込んでいる原因が分かった。

 

『日本アルプス周辺では、ここ最近異常な突風と大雪に見舞われています。登山を予定している人は、天気が回復するまで待った方がいいでしょうね』

 

 それを見て、私はまたライラの方を見つめた。

 ライラはちらと私を見ていた。

「……帰りたかったのか」

 そうだ。

 一緒にいて、忘れてしまっていたのだ。

 元々ライラを元の場所へ戻すはずだった。それが、ライラの我儘で、ここまで一緒にいたのをすっかり忘れてしまっていた。

 迷惑ではなかったが、やはり、どんなことであれ、帰りたいと思ってしまった以上、故郷に思いをはせるのは仕方のないことなのかもしれない。

 少し自分勝手な鳥だが、それも全て、ライラの見てみたいという意志だったのだろう。募る好奇心には勝てなかったということだ。

「そうよね……ずっと一緒にいるわけにはいかないものね。あっちにだってライラの友達や家族だっているんだし」

 美琴が言った。

「でも、今はまだ登れる雰囲気じゃないしなあ」

 天候不良の中で登山をすれば、命はない。それはライラとて同じことのはずだ。

「天候が良くなったら、北岳に行こう。それでいいよな」

 私は美琴とライラに行った。

 美琴は、うん、と頷いた。

 ライラは、この日初めて、私の肩に乗って、鳴いた。どうやら了承してくれたようだ。

「よし、それなら、ライラとの思い出づくりをしよう。みんなで形に出来る思い出を作って、悔いのないようにしようか」

 もう時間は残り少ない。

 テスト勉強は大事だが、それ以上にこの繋がりを大切にしたい気持ちが高ぶっていた。

 せめて、最後の一秒まで――ライラと過ごした日々を大事に残しておきたい――私たちはそう思った。

 美琴とライラは嬉しそうに頷く。

 私たちはさっそく準備をして最後の思い出づくりを始めた。

 私は、この瞬間をよく覚えている。

 切ない気持ちだったが、だが、これで良かったはずだ、と思っている。いつかは来る別れ。それが今来ただけなのだと。

 来るべき時が来たのだ、と自分に言い聞かせ、私は一人隠れて涙をこらえたのを覚えている。

 

   5.

 

   *

 

 日本アルプス周辺の天候が良くなったのは、それから二日経った後だった。

 その間に、私たちはライラを連れて色々な思い出づくりをした。

 あの名前を彫ったストックを作ったのもこの時だった。

 二日の間に出来ることは少ない。だから、形に出来るものを作って、なるべく思い出せるような思い出づくりを心掛けた。

 写真を残し、物を作り、そうして思い出を作った一週間……。

 

 別れの時はやってくる。

 

   * 

 

 以前と同じように、装備して車で日本アルプスまで向かっていた。

 今回は山岳部の人たちはいない。美琴とライラだけだ。

 天候はようやく回復し、以前のような快晴日和となっていた。

 ただ、一つ違うのが、十二月ということであり、地上の温度はかなり低い。これに山の気温の低さを考えれば、その寒さは壮絶だろう。しっかりとした重装備をしなければ、すぐに体温を持っていかれる。

 私たちは、以前登ったルートを使った。ライラに出会ったのは、そのルートからだったからだ。

「じゃあ、行くか」

 と、私は言う。

 美琴が頷き、ライラは鳴いた。

 ライラは、夏とは違って、何も装備していない。ハンカチはもう必要ないだろう。これが、ライラにとって最適の環境のようだ。

 しかし、果たして本当にライラの巣に辿りつけるだろか。

 前回は、あのルートを最後まで行ったが、結局ライラの居場所は見つからなかった。

 今回はどうなのだろうか。

 それとも、私たちを迷わせ、ライラと出会ったあの靄の中にその答えがあるのだろうか?

 進むまで、その答えは分からなかった。

 

 小太郎山分岐点にたどり着いた。

 前回は、ここで靄に巻き込まれてライラと出会ったのだが……。

 一向に靄が現れる気配は見せなかった。

 試しに前回休憩したくらいの時間帯まで待ってみることにしたが、その気配は一切現れない。

 もしかして、やはりあの靄は関係ないのだろうか。ただ普通に登っていれば自然とライラの住処にいけるのだろうか。

 いや、しかし、どうして靄がライラへの住処に繋がると思ったのだろうか?

 ライラと出会ったのが靄の中だったからか?

 前回登った時にライラの住処が見つけられなかったからか?

 いや、それよりも、私は何かを忘れている気がした。

 何か、一つ忘れている違和感があったような……。

「……何にも起きないね」

 考え込んでいる時に美琴が唐突に言った。

 私は少しだけ驚いたが、そうだな、と言って返した。

「偶然だったのかなあ?」

 偶然だったか……もしかしたらそうかもしれない――以前の私ならそう思っていたかもしれない。

 だが、あの靄が偶然のものとはどうしても思えない。

 靄に包まれた時、その場にいた人たちに一切声は届かなかった。

 それだけではなく、登山者が私たちを除いていなくなった。歩いても歩いても、次のコースに進む気配すらなかった。

 だから、こう思えるのだ。

 あの時――靄にいた時だけ、私たちは別の場所にいたのではないか、と。

 どこにいたのかは分からない。少し道に逸れたのかもしれない。もしかしたら、人には知らない、北岳に住む動物にしか分からない秘密の場所への道を偶然にも進んでしまったのかもしれない。

 ライラなら、その道を知っているはずだ、と私は考えていた。

 だから、ここに来れば、自然とライラが住処へ導いてくれるような気がしていたのだ。

 だが、その気配は一切なかった。

「……とにかく登ってみよう。せっかく登りに来てるんだ。登ってから考えよう」

「そうだね」

 私たちは再び歩き始めた。

 

 コースの中腹に差し掛かろうとしていた。

 ここまで何も変化が無かったが、突然、ライラが顔を上げて、一回鳴いた。

「ん? ライラ、一体どうしたんだ?」

 私が声をかけると、ライラは、私たちに向かって何回も鳴いた。

「どうしたのかしら?」

「もしかして、住処が近いのか?」

 ライラがまた鳴いた。

 するとその時だった。

 前方から突然、靄が津波のように覆いかぶさるようにして現れたのだ。

「あの靄……!」

「来たな」

 あれだ。あれを私たちは待っていたのだ。

 靄は、一瞬にして私たちを包み込んだ。

 他の人は、靄の存在に意も介していないようだった。多分、あれが不思議な靄であることを知らない――私たちにしか効果はないのだろう。

 だとしたら向こうでは、私たちが一瞬にして消えたのでは、という摩訶不思議な現象が起きているのだろう。

「どうする?」

 美琴が聞いてきた。

「このまま進もう。いいだろ、ライラ」

 私は、ライラに尋ねた。ライラは、問題ない、と言わんばかりに鳴いた。

 私たちはそのまま進み始めた。

 通常なら緩やかな坂が続いているはずだが、ここは違った。

 最初は、平坦な道だったが、途中から坂が急になっていった。

 明らかにコースとは違う道だ。私は前回の記憶と対比させた。

「元々あった道なのか、それとも今しかない幻の道なのか……」

 私はそんな独り言を呟いていた。

 靄は、私たちが進むと、道を作るように左右に逸れていった。だが、先は見えない。出口のないトンネルを進んでいるようだった。

「ねえ、もしかして、このまま崖に誘導されていって落ちるっていうオチはないよね?」

 落ちるだけにオチか、と私は冗談を言った。美琴は、違うよー! と私に寄りかかった。

「大丈夫なはずだ。なあ、ライラ」

 私はライラに言った。

 ライラは鳴いた。

 大丈夫なはずだ、と私は願っていた。靄を抜けたら、そこは崖であり、そのまま下へ真っ逆さまという終わり方だけはないように、と神に祈っていた。そんなことになるなら、遭難した方がまだましだ、と。

 そんなことを祈りつつ、私たちは進んだ。

 

 二十分ほど経っただろうか。突然ライラが鳴きはじめた。

「どうしたんだ、ライラ」

 私はライラに聞いた。だが、ライラは、私の質問を無視するように鳴くのをやめなかった。

 靄がゆっくりと引き始めたのだ。

「これって……」

 どうやら美琴も気づいたようだ。

 靄が晴れていく――つまり、目的地が近いということだ。

 あの先にライラの故郷がある。

 靄はゆっくりと引いていき、次第に青空が見えてきた。

「あ……あれ、見て!」

 美琴が指さした。

 私は指さす方へ目を凝らす。

 靄が退いていく先に、その光景が姿を現してきた。

「これって……」

 眼前の光景を見て、私は驚いた。

 一本道がそこで途切れていた。山の中腹より少し上だろうか。所々雲に覆われている山々の光景から見てそう考えられる。

 途切れた一本道の先に――。

 

 一本の桜の樹があった。

 

 かなりの巨木だった。十メートルは優に超える大きさで、見るからに、かなり昔からここで生きていたのだろう――まるで屋久杉やカルフォニアにあるブリスルコーンパインの木々のように老齢でありながらも猛々しい雰囲気を醸し出していた。

「夢みたい……」

 美琴が言った。

 私も同じ気持ちだった。まるで夢を見ているかのような感覚だった。

 北岳にこんな場所があったとは聞いたことがない。ましてや、高山に桜が咲くという話すら聞いたことがない。

 桜が咲くには条件がかなりあるが、ここなら確かに寒さに耐えられるかという疑問を除いてその条件はクリアしているだろう。

 桜の樹を見たと同時に、ライラが翼を広げて飛んでいった。ライラが飛んだと同時に、桜の樹から二、三羽ほど鳥が飛んできて、ライラの周りを飛んだ。

 お互いに鳴きあった。

「もしかして、あれがライラの家族なのかな?」

「そうかもしれないな。四か月ぶりの再会だ。きっとお互い恋しかっただろうに」

 ライラを迎えた鳥たちがまた樹に戻る。ライラも私の肩に戻ってきて、一回鳴いた。

「もしかして、樹に近づいてみろってことか?」

 私と美琴は、そう思い、樹に近づいた。

「近くから見たら凄い大きいね」

「ああ……」

 真正面に立って見上げると、本当に巨大な樹に見えた。外からこの樹を眺めようとすれば、見えるはずなのに、今までこれの存在に気づかなかった。

「靄や雲に覆われて、ずっと姿を見ることが出来なかったのかもなあ」

 私はそう思った。

 まさに幻の樹だ。何かご利益がありそうな神木に思えてくる。

「ねえ、知ってる? 樹に聴診器を当てると、樹が水を吸っているような音が聞こえるんだって」

 その話は聞いたことがあった。

「知ってるよ。樹が生きているって実感できるらしいな。実際はどんな仕組みかは

解明されてないようだが」

 私はそっと樹に触れてみた。

 私の耳は大して特別な力があるわけではない。樹が生きている音なんて聞けないし、樹の声なんて知らない。

 だが、上を見上げて、ライラとその仲間たちが嬉しそうにしている姿を見ると、この樹にどれだけ守られたのか――この樹が彼女たちの家としてどれだけ彼女たちを大事にして、守ってきたのか分かる気がしたのだ。

 そして、思う。

 もう行かなくては、と。

「美琴……僕たちはもうここを離れよう」

「え……?」

 美琴が不思議そうに言った。

「ここは、僕たちが長居してはいけない場所なんだ。ここは、人の踏み入る場所じゃない。ライラたちの居場所なんだ」

 私がそう言うと、美琴は、うん、と頷いた。

「そうだよね……。ライラと一緒にいれなくなるのは辛いけど……でも、そうだよね」

 私は、ライラを見つめた。

 ライラは私たちに気づいて、私たちを見つめ返した。

「ライラ……僕たちはもう行くよ。元々、君を家に帰すのが目的なんだ。これで、目的は達成できた……そうだろ?」

 私がそう言うと、ライラは悲しそうに鳴いた。

「悲しむなよ。元々なら、もっと早くこうなるはずだったんだ」

 そう。思えば、長い道草だった。

 出会ってすぐに、ライラのいる巣に返そうとしたが、結局四か月も遠回りをしてしまった。

 いつかは別れる――分かっているし、承知していた。

「今度は、僕らがここに来る――。またここに遊びに来るから、その時は、君の好きなものも一緒に持ってこよう。なーに、一か月もすれば休みになるから、その時に会えるさ」

 なっ、と私は言う。ライラは、私たちを見つめながら、小さく頷いた。

「じゃあな、ライラ。四か月間、楽しかったぞ。大好きだ」

 私がそう言うと、ライラは、大きな声で鳴いた。

「じゃーね。ライラ! また決着はついていないんだから! 次に会う時には決着をつけましょう! わたしのライバル!」

 美琴はそう叫んだ。一体何の決着かは分からなかったが、ライラは、少し怒ったような声で鳴いていた。

 私たちは踵を返す。そして、来た道を戻り始めた。

 ライラは鳴いていた。

 その声がどんどん遠くなっていく。

 靄の中に入ると、その声はさらに霞んでいった。

 そして、その声が届かなくなり――。

 

 靄は晴れた。

 

 入った時よりさらに短い時間で晴れた。

 私たちは、最初に靄にかかった場所から数百メートル進んだところにいた。

 辺りを見回しても、登山者がちらちらといるだけで、抜け道などは一切なかった。

「あー……本当に別れちゃったのね」

 美琴が言った。

 そうだな、と私は、肩をさする。

 肩が軽い。ライラの重み――ライラがそこにいたという証は完全に消え失せていた。

「大丈夫よ、すぐに会えるから」

 美琴は、私を励ますように言った。

 そうだ。テスト期間が終わればまたすぐに会いに行ける。

 たった一か月だ。その間、ライラと出会えるのを心待ちにすればいいだけの話だ。

 なのに――。

 何か、心に穴が開いたような感覚だ。

 山に吹く風が胸を貫いて、ぽっかりと空いた穴を通過していく――心が寒い――震えが止まらなかった。

 美琴は、私をゆっくりと抱きしめた。

「いいよ、そのままで……。落ち着くまで、わたしがここでこうしてあげるから。だから……泣いていいんだよ」

 美琴がそう言うまで私は気づかなかった。

 私は泣いていた。

 今の今まで、自分自身に何が起こったことすら分かっていなかった。

 だが、ようやく分かった。

 

 ライラと一緒にいた四か月が、私たちの中でどれほど大切なものだったのかを――。

 

 今更ながらに思い知らされた。

 




続きます
リア充のキャラなんか書きたいと思います?






……爆ぜろ


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其の2

平成ウルトラマンでは太田愛さんの脚本がすごく好きですね。幻想的で感動的で。
私が好きなのはウルトラマンガイア第29話「遠い街・ウクバール」ですね
幻想的なんですが、特に寺田農さんの演技が最高でした。ちょっとやさぐれた兄貴みたいな性格ですが、
長嶋のおっちゃんを心配して、最後に空を見上げて「おっちゃん……」と呟くシーンは感動ものでした
これが「見ろ!人がゴミのようだ!」とムスカを演じていた寺田さんとは思えなかったですね
ああいう雰囲気は大好きです。

番外を間違えて載せてしまいました。番外は別枠でアップするのでどうかここでアップされたのは読まないでー


   6.

 

   *

 

『日本アルプスは、先週発生した大雨によって登山を全面禁止していましたが、雨雲は、このまま北上していくものと思われ、早ければ明日には晴れる見込みでしょう』

 

「……やっと登れるかもねー」

 美琴がテレビを見ながら言った。

「やっとか。宿の予約変更はまだ大丈夫で良かった。この調子なら明日の朝には出発出来るかもな」

 登山に行くための準備をしながら、私は言った。

「そうね。結構宿の予約のタイミングが絶妙になってきているよね。向こうの人が吃驚してたわよ」

 私は、笑いながら返した。

「天候の具合が分かってきたって感覚があるよ。いや、何度も登って自分の感覚が分かってきたような気がする」

 そりゃ、あれだけ登ればねえ……、と美琴は優しく答える。

「多分、これを逃せば、しばらくは登れなくなる。これで駄目だったら、もうあきらめた方がいいかもしれない」

 私がそう言うと、美琴は、不安そうな顔で言った。

「無理して休みをもらって行くことって出来ないの?」

 私は否定する。

「無理だよ。どうなろうと、僕らにどうこうすることは出来ないよ。僕たちは僕たちの未来を決めてしまった。それは話し合って決めたよね?」

 私が少しきつく言うと、美琴は、うん、と尻すぼむ。

「ライラもきっと分かってくれる。ライラはライラで事情があったんだ。僕たちには僕たちの事情がある。それを僕たちは理解したし、ライラは理解してくれるはずだ」

「それはそうなんだけど……」

 美琴はあまり了解していないようだ。

 美琴の気持ちは充分に理解できる。私だって出来れば美琴の気持ちに立ってあげたいし、出来ることなら、美琴と一緒にそうしてあげたい。

 だが、私たちの将来を考慮すれば、全てをライラに捧げることは出来なくなっていた。

 ライラとの四か月がいかに大事だったか、というのを思い知ったはずなのに――。

 大切なものよりも、目の前の私たち自身を大事にしてしまう――。

 それも理解できるが――。

 それでも――。

 あまりに残酷な話だ。

 人間というのはつくづく例外を除けば最後は自分中心になってしまうのだろうか。目の前で大切な思い出が崩されそうになろうとしている時、保身を選んでしまうのだろうか?

 光の巨人のように、自己よりも他者を選択することが出来ないのだろうか?

 

 あれからさらに四年の月日が流れていた。

 

   *

 

 ライラと別れてから四年の月日が流れてしまっていた。

 既に私たちは、卒業論文を書き終え、就職も決まり、次の人生の出発点へ向かっている途中だった。

 美琴と二人で新しくマンションを借りて、家賃を折半しあおうと話を決めて、色々が順調に進んでいたが――。

 ライラには一向に会えずじまいだった。

 

 ライラと別れてから一か月たった頃。

 言われた通り、秋学期の学期末試験を全て終えて、私たちは再び北岳に登る準備をして、日本アルプスが大雨から晴れに変わるのを待って、すぐに出発した。

 暫く登れば、あの靄が私たちをライラのいるあの桜の樹まで連れて行ってくれる――。

 そう信じてやまなかった。

 

 だが、靄は現れることは無かった。

 

 気が付けば宿までたどり着いていて、宿で食事をしている時にようやく何故あの靄が出てこなかったのか気づいた。

 それくらい、頭の中が真っ白になっていて、考えることも出来なかった。

 結局、その時は体力がある限り、北岳のルートを行ったり来たりして、靄が現れるのを待ったがその気配は一向に訪れなかった。

 そして、大学二年――。

 大学三年――。

 大学四年――と、気が付けば、もう就職活動も卒論も終わり、卒業を待つばかりの身となっていた。

 そして、大学四年――最後の冬。この登山でライラに会えなければ、そのまま就職だ。

 就職すれば、纏まった休みを取ることは難しいだろう。夏休みだって二週間と、たかがしれてる。学生のように一か月や二か月の長い休みなんてもらえないのだ。

 何故ライラに会えないのだろうか。私はずっと考えていた。

 ライラに会えない事情があるのだろうか、それともまだ会うにはその条件が満たされていないのだろうか。

 答えはライラに会えば分かる筈なのに、その答えにたどり着くことすらままならない。

 もし、これがライラの意志ならば――。

 私たちもこれで最後にしよう、と私は決意したのだ。

 思い出は思い出のままに、胸の内に仕舞って、お互い生きていこう、とそう考えたのだ。

 そして、最後の登山の日――。

 

 私たちは、遭難した。

 

   *

 

 晴れた朝だった。

 絶好の登山日和、とは心では簡単には思えなかった。

 今日会えなかったら、それで終了、という大きなプレッシャーが私たちにのしかかっていたからだ。

 いつもとは違って、真剣な表情だった。

 私と美琴は、互いに見やり、互いの覚悟を確認しあった。

 うん、と頷く。

 行こう、と私たちは歩き出す。

 就活よりも、卒論口頭試験よりも緊張した、と言えば、きっと美琴に怒られるのだろうな、と私はその時そう思ってしまった。そうでもしなければ、重圧で心が潰れそうになっていたからだ。

 

 いつものように、慣れた足つきで山を登っていく。

 何人か登山家らしき人影があるが、私たちはそれを気にせず登っていった。

 私たちは頂上に登ることが目的ではない――そこにいる大切な友人に――いや、家族に会いに行くためだ、と言い聞かせていた。

「ライラ……今日こそ会えるかな?」

 美琴が不安そうに言った。

 ここで大丈夫だ、きっと会える、なんて言葉をかけたても出来なかった。その台詞は、ライラと別れた一か月後に使って、その期待を裏切ってしまったからだ。

 私は、何も言えなかった。

 ただ、会えるように、と祈りながらその歩みを進めることしか出来なかった。

 

 あの靄がかかるのは、中腹付近に差し掛かろうとしているところだと、今までの経験から確信していた。

 ここを過ぎれば、ライラに会えることはまずなくなると言っていい。

 私たちは少しでも長くいられるように、休憩をはさみつつ、かなりゆっくりとした足取りで進んだ。

 

 しかし、靄は現れなかった。

 

「……駄目だったね」

 美琴が残念そうに言った。

「……ああ」

「どうしてライラは、わたしたちに会ってくれないのかしら?」

 分からない、と私は答えた。

 ライラに会わなければ、ライラと会えない理由なんて分かりっこない。なのに、ライラは私たちの声に気づいてくれない。

何がいけないのか。何が足りなかったのか。私はまた自問自答を繰り返していた。

「大丈夫……?」

 美琴は、私の手を握ってきた。

「辛いよね……」

 ああ、辛いと、私はそう言う。

 だが、それだけではなかった。

「どこかで悟っていたんだと思う……。ライラとは、もう二度と会えないんじゃないかと。会えそうな気がしないって思ってしまっていたのかもしれない」

「……」

 私は、諦めながら、無情に微笑む。

「そもそも、鳥が僕たちと繋がっていたなんて思ったのが間違いだったのかもしれない。こんなことなら、もっと早くに潔く諦めておけばよかったんだ……」

 私がそう言うと、美琴は、体を私に寄りかけ、優しく言った。

「そんなこと言ったらだめ。一体何のために今まで登ってきたの? 何のために、今まで頑張ってきたの? ライラがそんな気持ちになったことなんて今まで一度だってあった?」

 美琴は怒っていた。

 優しい口調だが、どことなく覇気があった。

 私のくだらない言葉に、これでもかと怒っているのだ。

 私はすぐに自分の愚かさに気づいた。

「いいや……。今のは、忘れてくれ。僕らしくなかった」

「うん。そうだよ」

 中腹を抜けたからと言って、まだ半分ある。その間に、まだ会えるかもしれない。

 私たちは歩みを進めようとした。

 

 その時だった。

 

 地響きが私たちの体を貫いた。

「何!? 何なの!?」

 美琴が叫んだ。

 私たちは膝をついてしまった。

 こんな時に地震? まさか、あり得ない。

「もしかして、火山の噴火? こんな時に!?」

「いや、それはないはずだよ」

 そう。火山の噴火なんてここでは一番あり得ないことだ。

 北岳は、火山ではないのだから噴火どころかマグマがない。だからそんなことはあり得ない。

 しかしこの地響きは噴火に相当するほどの揺れだった。一体、何が起きているというのだろうか。私たちは混乱する。

 私たちが立ち上がると――。

 目の前――恐らく目測で一キロ満たない所だろうか――。

 

 山肌から巨大な顔が覗かせていた。

 

 白い毛並みのイタチのような顔だった。

 遠巻きからあの大きさはあり得ない。あまりにも巨大すぎる。

 それを見て、すぐに悟った。

 

「か……怪獣?」

 

 美琴がそう言った。

 その瞬間、登山者が一斉に荷物を捨てて山を全速力で走り始めた。

 私たちも気が付けば、荷物を捨てて走り出していた。

 下山するのに駆けるのは、危険だ。だが、命の瀬戸際に立たされると、そんなことを考えている暇すらない。

 何故、怪獣が山にいるのだろうか? 何故、今まで怪獣が出なかったのか。

 怪獣がいるのなら、真っ先に登山が禁止されて、TPCが迎撃にあたるはずなのに。

 まさか……TPCもこれに気づいていない? もしくは、今気づいたか?

 だとしたら、一大事だ。救助が来るまでに、私たちの命が危ない。

 

「どうしよう! このままじゃ……」

 美琴がそう叫んだ時だった。

 あっ、と美琴が声を荒げた。

 私は振り向いた。

「美琴!」

 美琴が、転んでいた。

「大丈夫か」

「う……うん……」

 美琴は右足首を抑えていた。

 大丈夫そうではない。見るからに、重傷だ。

 私は、美琴をおんぶして、再び駆ける。

 だが、人を一人抱えた状態では、まともに山を下ることも走ることも出来ない。

 怪獣は刻一刻と迫っている。私たちに、猶予は無かった。

「駄目よ! わたしのことはいいから、逃げてよ!」

「出来るわけないだろ!」

 私はとにかく駆ける。

 絶望的なのは分かる。こんなこと、人生に一度あるかないかの出来事だ。

 だが、二人の内のどちらかしか救えないと、迫られた時、人はどういう答えを出すのだろうか?

 己が保身のために自分を選んで他者を捨てるか。

 他者を守るために他者を選んで己を捨てるか。

 永遠を誓って二人で果てるか。

 喪失の後悔も犠牲の後悔をも打ち勝ち全てを救うか。

 人とは傲慢なものだ。

 私は、あまりに不愛想でうまく表現出来ないから――。

 どんなに一番最後を選んでも、きっと理解されないだろう。

 だが、それでも、自分を含めて誰かが悲しむのなら、果てることを拒むのに理由が必要だろうか。

 だから走る。

 私の目の前にある命を救えるのなら――。私を含めて全部救いたい。

 

 ライラを救った時のように。

 

 刹那、私たちの周りを靄が覆いかぶさった。

 逃げることに必死だった私は、気にせずただひたすら走り続けた。

 やがて、靄の向こうに――。

 綺麗な青空と山が見えた。

 

 かなり急斜面な場所だったが、一か所だけ、洞窟の穴のようにくりぬかれた場所があった。

 急斜面が抉れたためか、斜面が屋根のようになり、日陰にもなっていた。適度に日の光も入っている。

 私たちはそこに入り、息を整えた。

「助かった……のか……」

 私は息をひそめた。

 必死だった所為か、怪獣のことなど微塵も考えていなかった。

 だが、怪獣の気配はおろか、足音一つすらない。地響きも消えていた。

「助かったみたいね……」

 美琴は安堵した。

 私は、穴から山を見下ろした。

 下の方であの靄が渦巻いていた。山の中腹を全て囲うようにしてぐるぐると動いている。

「何とかなったか。しかし、こんなところに都合のいい隠れ場所があるなんてな」

 私は言った。

「ねえ、ここってどこか分かる?」

 美琴が言った。

 確かに、ここがどこだか把握する必要がある。

 登ってきた道を戻って行ったのだから、そのままスタート地点に戻る筈だ。こんな穴があるなんて知らなかった。まるで、ライラのいたあの桜の樹にたどり着いたように。

 私は周囲を見渡す。

 すると、周りが白と灰色で形成されていることに気が付いた。

 どうやら石灰石のようだ。

 それで私は、どこにいるのか分かった。

「多分……ここは北岳バットレスだ」

 私がそう言うと、美琴がえっ? と驚いた。

「東側に来ちゃってるの? でも、さっき走ってきたルートは北側だから、絶対辿りつかないじゃない」

「でも、この表面と斜面から見てそうとしか言えないよ」

「ここって、確かアルパイン・クライミングで使ってた場所じゃなかったっけ?」

「昔はね。だけど、二十年以上前に崩落があって、それ以降禁止になったんだよ。クライマーからしたらここは、一つのクライミングの聖地みたいなものだったけど……もったいなかったな」

 だとすると、この穴も崩落の影響で出来上がったものだと考えていいかもしれない。

 私はもう一度、あの靄を見下ろす。

 今までのことを考えると、あの靄がどういう用途のものなのか少しだけ分かった気がした。

 だが、分かったところで、どうにも出来ない。

 私は穴に戻って、美琴の足首を見た。

 美琴は痛がっていた。

 足首は完全にはれ上がっていた。

「捻挫確定だな……」

「うう……ごめんね……」

 私はポーチから、タオルを取り出して、美琴の足に巻いた。

 なんていうか、危険で逃げている時に、ヒロインが転んで怪我をするなんてよくあることだが、実際に体験すると、かなり命懸けだということが分かった。あんなシーンで男は、本当に漢を見せるものなんだな……、と私は自分の状況に置き換えて、赤面していた。

「とにかく、救援を要請しよう」

 私は、腰につけていたポーチから、携帯端末を取り出した。

 遭難に備えて、本当に必要なものはこっちに入れておいていたのだ。

「おー、本当に役に立つなんて思わなかったよ」

「だから言ったろ? 前にやったサバイバルで、持っていけるものが一つあるなら、何がいい? という問題。あれに真面目に一つだけ選ぶなんて滑稽だよ。必要なものが入ったポーチか鞄を一つって言えば万事解決なんだよ。捻らないと」

「……正しいんだけど……だからまともに友達作れなくて、似たような友達しか作れないんだよー」

 得意げに語る私に呆れたように言った。

 私は、生き残るための最前の策を練っただけだ、と反論したが、美琴は、はいはい、と適当に流すだけだった。

 携帯端末を見る。

 私は血の気が引いた。

「……圏外になってやがる」

 嘘……? と美琴は怪訝な顔で言った。

「え? もしかしてGPSも駄目?」

「ああ。駄目だ。靄がかかっていないのに、どうしてか知らないけど、ここまで届いていない」

 美琴が、そんな……、と不安そうに言った。

「じゃあ、もしかして、救助の人が気づくまでここでいなきゃいけないってこと?」

 私はもう一度、山を見下ろした。

 普通ならそれしか道はないだろう。

 しかし、鞄は全て置いてきた。いくらポーチに必要なものがあるとはいえ、それは必要最低限のものだ。一日持つのが限界だ。

 電波がない、GPSが使えない――誰も見つけてくれない。

 可能性はほぼない。だが、僅かながらでも可能性があるのなら、それに賭けたい。

「やってみる価値があるかもしれない……」

「え?」

 私は、もう一度穴の中に戻った。

「紙とペンは持ってない?」

 美琴は首を横に振った。

「ううん……そのポーチにない?」

「いいや……あいにく、簡易的なサバイバル用の道具しかない」

 困った。いきなり問題にぶち当たったぞ。

 うーん、やはり紙とペンはポーチに用意すべきだったか、と後悔した。

 だが、一瞬だった。

 そんな時、周りの壁を見て思いついた。

 原始的な方法だが、可能性はあるかもしれない。

 私は、平べったい殆ど白が混じっていない石を探した。崩落した時にそんな形の石があってもいいと考えたのだ。

 手ごろなのを見つける。

 そして、私は、石灰を多く含んだ石をいくつか探した。

「お、あったぞ……。さて……」

 まずは、こぶし大の石灰石を別の石で砕く。

 石同士をぶつけると、手がじーんときた。下手をしたら手を挟んで怪我をしそうだ。

 だが、諦めずに砕く。

 何とか粉になるまで必死に砕き終えると、ポーチからライターを取り出した。

「温度は足りないだろうが……まあないよりはましだろうな」

 火で砕いた石灰石を炙った。

 そして、炙った石灰石の温度が下がるのを待ち、下がったら、それを平べったい石に手で塗り込んでいった。

「何をしているの?」

 美琴が不思議そうに見ていた。

「まあ、見てろって」

 私は、黙々と作業を続ける。

 次に、ポーチから、小さいペットボトルを取り出した。中には、水が入っている。

 貴重な飲み水だが、ここは臆せず使おう。

 他の石灰石に水をかけて濡らす。

 そして、濡らした石灰石を手にとり、私は、平べったい石に文字を書き始めた。

 

救助求む、のメッセージと――。

自分が持っているこの携帯端末のシリアルナンバーだ。

 

「なんなの? それ?」

「一応の救助メッセージだ」

「それで書いてもすぐに消えそう。それって、グラウンドとかに引く白い粉の原料よね?」

「ああ。だから、消えにくいようにコーティングしたんだ」

 美琴は理解出来なかったようだが、まあ後で説明するとしよう。

「後は、念のために布でくるんでおくか……」

 だが、それは美琴の足首に巻いてしまった。

 少しちぎっても石をくるめないし、ちぎれば美琴の足首を巻くには短くなってしまう。

 私は、ポーチの中を探ってみた。

 すると、見覚えのある少し大きめの布を見つけた。

「あ、それって……」

 美琴も気づいたようだ。

 そうだ。

 これは、ライラを日の光から守るために自作したかぶせる用の特製ハンカチだ。

「こんなところに入れていたのか……」

 ライラがいなくなったあと、どこにいったか探していたが、こんなところに無意識に入れてしまっていたようだ。

 だが、これなら石を包める。

 私は、石を布にくるんだ。

 そして、もう一度、下を見下ろす。

 

 私は、布でくるんだ石をその靄にめがけて投げた。

 

「え!? 何やってるの?」

美琴が叫んだ。

「なんでメッセージを投げちゃうのよ! それを掲げて助けを待つんじゃないの?」

無理に決まってるだろ、と私は答えた。

「あんな小さいので分かるものか。もっといい方法を見つけたんだ」

「いい方法?」

 ああ、と私は美琴に説明した。

「今まであの靄に入って気づいたんだが、あの靄に入った先は、今まで見た事もない場所だった」

「うん」

「今まで登ってきたルートでそんな場所があったのか、見落としていたんだな、と思うけど実際は違う。元々ルートには存在しないんだ」

「どういうこと?」

「つまり、あの靄の行く先は、全く別の場所に繋がっているんだよ」

 ええ!? と美琴は驚いた。

「そんな……それじゃ、あの靄は、別の場所にワープ出来る靄なの? 猫型ロボットの使っていたドアみたいな?」

「そういうこと」

 その証拠が、この北山バットレスだ。

 元々北側のルートを道なりに進んでいたはずなのだ。なのに、全く違う東側にいた、ということは、東側にいくためのルートがあるはずだ。

 だが、それがなかった。

 なのに、辿りつけた。

 どうして辿りつけたのかを考えるなら――。

 あの靄がそういう仕組みである、としか考えようがないのだ。

「じゃあ、あの靄に石を投げたのは……」

「そういうこと。あの靄をくぐった先がどこか別の場所に繋がっている、ということになるんだ。なら、そこに僕たちの居場所を書いたメッセージを送れば、どこか人のいる場所にたどり着くかもしれない。そのメッセージを拾ったら、後は救助のプロがメッセージの意図に気づいて助けに来てくれるかもしれない」

「でも、ここはGPSも届かないんだよ? どうやって助けが来るのよ」

 もっともな意見だ。

「だからこそ、逆に考えるんだよ。GPSが届かないからこそ、ここが分かるということだ」

 美琴は、私の言ったことが分かっていないようだった。

「見てろよ。君は助かった時には、捻くれた考えが時には役に立つってことを思い知るだろうね。そうしたら、君は、僕をもっと見直してくれるだろうね」

 

 救難信号、のようなものを送ってから一時間半が過ぎた。

 とにかく無駄な体力の消費を防ぐために、あれ以降無駄に動くことはしなくなった。

 ただ、ゆっくりと息を吸って吐く――なるべく水を求めないように意識を高めていた。

 美琴は、怪獣騒ぎの所為で疲れたのか、私の肩を枕替わりにして小さな寝息を立てて眠っていた。

 あのメッセージが、人のいる場所に送られなかったら……それはもう殆ど助からないことを意味している。

 ある意味の賭けだ。もし、あの靄の向こうが湖やはたまた宇宙のどこかとかだったら……。

 だが、私は大丈夫という確信があった。

 後は、その確信を信じてただひたすら待つだけだった。

 ふと、遠くから鳴き声が聞こえた。

 私は、はっと気が付き、耳を澄ませる。

 また鳴き声だ。

 聞き覚えのある鳴き声――いや、間違いない。あの鳴き声は――。

 あの声の正体を知った直後――突然周辺に靄が立ち上るように迫り、周りを囲んだ。

「何だ……。こんなところに靄が来るなんて……」

 このまま足を進ませれば、どこかにたどり着くことが出来るだろう。

 だが、怪我のしている美琴を担いでいく体力はもう残っていない。

 美琴を置いて一人で行くのも出来ない。この靄が、私が戻ってくるまでの間その場に留まっているとは考えづらい。

 来るものは拒まず――だ。何が来ようと、受け入れる覚悟は出来ている。

 あの声が聞こえてから数分経った後だった。

 近くで飛行機が通過したような音を聞いた。

 音からして、戦闘機のような早い空音だった。その音で、美琴は目を覚ました。

 近くでジェット音が鳴り響く。それが止むと、今度は足音が近づいてきていた。

 美琴は寝ぼけ眼ながら、私の腕にしがみついた。私も美琴の体を抱きかかえ、臨戦態勢を取った。

 ポーチを手元に置き、石を投げつけられるように手元にいくつか置いた。

 石を踏む音が徐々に近づいてくる。私の眼前にライトの光が見えた。靄で少し隠れてしまっているが、あれは間違いなく、ライトの光だ。

「誰か! 誰かいませんかー!」

 若い男――いや、声のあどけなさから、少年のような声だった。

 一体こんなところにどうして子供が? と思ったが、そんなことはどうでもいい。誰かが来てくれるのなら、助かるのならこの際子供大人だろうと気にはしなかった。

「ここだ! ここにいるぞー! 助けてくれー!」

 私の声が聞こえたのか、足音が早くなった。

 そして、彼らはこの異質な靄を潜り抜け――。

「大丈夫ですか!」

 ライトと何かしらの端末を持って、私たちの眼前に現れた。

 

「大丈夫ですか?」

 少年が言った。

 本当に少年だった。眼前には、TPCの隊員服を着た少年と――歳は近いだろう――同じ隊員服を着た少女がいた。

「ああ。僕は大丈夫だが、彼女が足首を怪我した」

「失礼します」

 少年は、美琴の足首を見た。

「……外側靱帯のどこかが断裂していると思いますが、どうでしょうか?」

 少年は後ろを振り向いて言った。

 少量の靄から、白衣を着たもう一人の少女――いや、女性だろう――私たちと同い年くらいか――が、美琴の足首を見て頷いた。

「そうだと思います。多分、一番腫れている個所からして踵腓靱帯かと……早く処置したほうがいいですね」

 その女性はそう言った。

「申し遅れました。S‐GUTSのエンジョウです」

「イチカです」

 少年少女はそう挨拶した。

 後から聞いた話だが、二人は十六、十七歳だったらしい。私よりも若い人たちが地球防衛のエリート部隊にいるとは……。世の中分からないものだ。

 しかし、一人――白衣の女性は明らかに場違いな気がした。

「あの……その人もS‐GUTSの人なのですか?」

 エンジョウと名乗る少年とイチカと名乗る少女はその女性を一回見てから答えた。

「ああ、違います。彼女はE大学大学院の大学院生で生物学を研究しているクキ・アイラさんです」

「どうも」

 エンジョウ少年の紹介と共に、クキと名乗る女性はお辞儀をした。

「大学院生……」

「はい。まあ、専攻は微生物なんですけど」

 クキはそう言う。

「S‐GUTSと大学院生が繋がっているなんて……優秀なんですね」

「ああいえ。全部ツバサさんが仲介してくれたんですよ。TPCとE大学で共同研究しているものがありまして。わたしが一応リーダーとして勤めているんです」

 そうだったのか、と私は納得する。だが、ここにいる理由が分からない。

 その答えは、エンジョウ少年が説明してくれた。

「彼女は、今回の一件のアドバイザーとして来ているんです。この靄の正体やこの山の異変についてある程度の結論を見出しているので、その証明のためにいるんです」

 この靄の正体が分かる……、そうエンジョウ少年は言った。彼女がこの靄の正体を知っているのなら、それは何なのだろうか。

それは後にしましょう、とエンジョウ少年は言い、私に見覚えのある布を渡した。

「これは……」

「メッセージ。確かに受け取りましたよ。あなたの機転のおかげで見つけることが出来ました」

 エンジョウ少年は、私にあの石をくるんだライラ用の特製ハンカチを返してくれた。

「本当にあの石で助けが来たんだ……」

 美琴が唖然としている。

「ほら見ろ。どうだい。僕を見直してくれよ」

 私は、美琴に胸を張って言った。

「……なんか誰かさんみたい」

 イチカ隊員は何故かエンジョウ少年を細めで見つめながら呟いた。

 エンジョウ少年は、ほっとけ、と言い返した。

「とにかくここから離れます。動けますか?」

 エンジョウ少年が尋ねてきた。私は、頷き、美琴を抱きかかえた。

「それじゃ皆さん、わたしたちについてきてください」

 イチカ隊員はそう言って、私たちを先導する。

 その時だった。

 

 怪獣の鳴き声が響いた。

 

「え?」

 全員が辺りを見回した。

「靄が一帯を覆っているからな。そうなってもおかしくはないけど……」

 エンジョウ少年は言う。

「急ぎましょう。我々の機体がすぐ近くに停めてあります」

 エンジョウ少年は、最後尾に回って私たちに進むように促した。その間も、周囲を見回して警戒している。

 ふと、通信音が鳴り響いた。私のではない。聞いたことのない音だった。

 エンジョウ少年は、隊員服からそれを取り出した。

「はい。こちらエンジョウ」

 見たところ通信機のようだ。

 だが、電波が届かないはずなのに、何故通信が出来るのだろうか、私には分からなかった。

「……そうですか。了解です。直ちにここを離脱します。……はい。他に逃げ遅れた人がいないか探してみます」

 エンジョウ少年は、誰かと通信を終えた。

「隊長から?」

「ああ」

 隊長、とイチカ隊員は言った。どうやらリーダー直々の指令が下ったようだ。

「怪獣がこっちに向かってきている。とにかく急いでここを離れよう」

「あんたはどうするのよ」

「僕は残って、他に逃げ遅れた人がいないか探してみるよ」

 エンジョウ少年の言葉に私は驚愕した。

「そんな……。こんな状況の中でそれは無茶だ!」

 私は思わずそう言った。

「この靄が一体どこに繋がっているかも分からないのに……しかも怪獣がこっちに来ているのなら尚更ここを離れなければ……!」

 私は必死に説得する。だが、彼らは特に何も驚いた様子もなく、冷静だった。

 エンジョウ少年は指をさしながら答えた。

「ああ……それは大丈夫です。あの靄の中で、二つのルートに分岐していますから。怪獣が来るルートとは別のルートを通っていきます。そうすれば怪獣の背後――もとの登山ルートに戻れると思いますので」

 何だ? どういうことだ?

 私はエンジョウ少年の言葉を理解するのに時間が掛かった。

 淡々と説明しているようだが、理解が追いつくころにはそれが、とんでもないことだと分かる。

 まるで、靄の繋がっている先や靄の構造そのものを本当に理解しているようだ。

 クキという大学院生が立てた仮説とやらがそれに当たるのだろうか。

「詳しい話は、安全な場所まで移動してから話しますから!」

 イチカ隊員は、私たちを強引に連れて行こうとする。

「ツバサ! 無理するんじゃないわよ。いくら命令だからって、あんたが隊員の中で一番弱いんだから。ルート間違えて怪獣に踏み殺されたらただじゃおかないんだからね!」

 ツバサは、苦笑いをながら、分かってるって、と答えた。

 私たちは、エンジョウ少年に背を向けて歩き出す。

 歩いてすぐのところに本当に戦闘機が留まっていた。

 翼が前後に四つ別れ、前方の二つの翼に、アンテナのようなものが付いていた。

「ぎりぎり四人乗れるってところね。さあ、早く! 男性の方は、申し訳ないけど立っていてもらえますか? 窮屈ですけど、我慢して」

 イチカ隊員の言葉に従って私たちは戦闘機に乗り込む。確かに窮屈だが、贅沢なんて言っていられない。

「しっかり捕まっててくださいね」

 戦闘機は上昇した。高度を上げ、北岳より少し高いところまで上昇した。

「このまま、病院に行きます。いいですか?」

 イチカ隊員がそう言った。

 だが、私は、それに待ったをかけた。

「待ってくれ。出来れば、今どういう状況になっているのか見てもいいか?」

 私の提案に、イチカ隊員は、はあ!? と驚愕した。

「何言ってるんですか! ここは危険なんですよ! それに、あなたの彼女さんの怪我が深刻なのを分かっているんですか? すぐに治療しないとさらに悪化しちゃうかもしれないのに」

 分かっている。分かっているが……。

「わたしからも……お願いします」

 座席にもたれかかるように座っていた美琴が弱弱しい声で言った。

「あそこにわたしたちの友達がいるんです。あの子が……ライラが無事かどうかだけでも確かめさせてください」

 美琴の言葉にイチカ隊員は、さらに驚く。

「友達って……。他に登山者がいたんですか!? だったら、ツバサに早く言わなきゃ」

 イチカ隊員は、戦闘機の通信でエンジョウ少年の名前を叫んだ。

「ツバサ! ツバサ! 応答しなさいよ! ……ってああ! あいつったら! スペリオルにまだシステムνを導入していないの!? 全くもう!」

 私たちへの態度とは打って変わって苛烈だった。多分、エンジョウ少年に並々ならぬ感情があるのかもしれない。

 私は、美琴のお願いを聞き入れてもらえるように頼んだ。

「僕からもお願いしたい。助けを待っている時に、確かにあいつの声がしたんだ! あいつは、もしかしたら苦しんでいるかもしれない。そんなことをほっとくわけにはいかないんだ」

 イチカ隊員は、あいつ? と私の言葉を詮索していた。そして、まさか……、と何かに気づいた顔をした。

「……そう。そういうことなの」

 イチカ隊員は、前を向いた。

「少しだけですよ。周回してそっちのモニターで確認してください」

 私と美琴は顔を合わせ喜んだ。

「アイラさん? 悪いんだけど、あたしのW.I.T.であの馬鹿を呼んでくれない?」

「あの……今やってるんですけど、全然応答がなくて……」

 イチカ隊員は溜息を吐いた。

「あの馬鹿は……! いつもこういう時に出ないんだから!」

 戦闘機が靄の上空を飛ぶ。

 その時だった。

 突然、真下で滞留していた靄が一瞬にして消えた。

 消えたというより、吹き飛ばされたと言っていいだろう。

 吹き飛ばされた場所は、完全に見えるようになっていた。

 山の中腹あたりの広い平地だった。

 

 そこに怪獣はいた。

 

 白い毛並みの鼬のような怪獣だ。四足歩行なのか、後ろ足で立っている姿は、まさに鼬が立ち上がっているそれだ。威嚇をしている。そして、怪獣の前方に傷ついて倒れた見覚えのある鳥。

 鳥は巨大だった。

 遠巻きから見て、あの大きさは異常だ。怪獣と同等か、少し上か。

だが分かる。

 羽にある傷跡……私が手当てした時の傷だ。

 ライラだ……。あれがライラだ!

 そして、ライラの前に――まるでライラの盾となっているかのように、怪獣に向かって構えている――。

 

 ウルトラマンティガがそこにいた。

 

   7.

 

「実は、あの靄については、数年前からこちらで把握はしていたんです」

 クキは、説明した。

「数年前から……ですか?」

 私が聞くと、クキは頷いた。

「おおよそで四、五年前からです」

 イチカ隊員が間に入って説明した。

「当時、日本アルプスに突如発生した靄は、最初はただの天候不良かと思われていた。ですけど、電子機器の故障やGPSをも一切通さない謎の力が働くことが分かって、急遽、靄の研究に着手することにしたんです」

 イチカ隊員は説明を続ける。

「そこでTPCは無人偵察機『ゴッドアイズ』による数年に及ぶ観測を行ったんですが……靄の発生条件や法則性に多くの仮説が出てきてしまい、結論に至れなかったんです」

 ここでクキに話が回る。

「そこで一年ほど前からTPCからわたしの先生に仮説の検証と答えの絞り込みを依頼されたんです。そして、最近になってわたしとツバサさんが別プロジェクトの担当中に急遽呼ばれて、再び検証を行ったんです」

 そして、ようやく一つの仮説が真実味を帯びたんです、とクキは言った。

「それは、一体……」

 私が聞こうとした時だった。

「機体を上昇させます」

 イチカ隊員が突然そう言った。

 機体が上がる。

 ウルトラマンティガが怪獣に向かっていったからだ。

 

 ティガが駆けた。

 怪獣はティガが駆けてからコンマ一秒ほど遅れて四足でティガに向かっていった。

 怪獣は、ティガに攻撃が通る近さになった瞬間に二足になり、短い手にある鋭い爪でティガを切り裂こうとした。

 ティガは、怪獣の頭上を台座にして側方倒立回転をして怪獣の背後をとった。

 ティガは怪獣の振り向きざまを狙って左の後ろ回し蹴りを食らわせた。

 怪獣が一歩後退する。

 ティガは回し蹴りの遠心力を使って今度は右の回し蹴りを炸裂させた。

 後ろによろけた隙を見計らい、ティガは前方に飛んで手刀を怪獣の頭に当てた。するどい一撃が怪獣を襲った。

 怪獣の頭を抱えながら、そのまま膝蹴りを怪獣の腹部にぶつける。怪獣が少しだけ上に浮かぶ。ティガは、その後怪獣の頭を抱えたまま一回転して、怪獣を投げ飛ばした。

 怪獣が山肌まで転がる。

 ティガはさらに攻める。転がった怪獣にめがけて突進していく。

 だが、怪獣は、前方の脅威を振り払うことだけを考えたのだろう――悶えている中で、尻尾を振った。

 尻尾がティガの左脇腹に直撃した。駆けている状態からすぐに守備に入るほどの時間が無かったのだ。

 ティガが右へ一回転して倒れた。確かに、咄嗟の一撃にしては綺麗に決まったが、それでティガの体力を削るには足りなさ過ぎた。

 ティガは、すぐに立ち上がった。

 怪獣も立ち上がる。すぐに四足歩行で、低姿勢で体勢を立て直し、一回鳴いてティガを威嚇した。

 ティガは構わず前に進んだ。

 怪獣が突進していくと、ティガは、側転をしてこれを躱す。それと同時に、怪獣の背に乗った。

 怪獣が、振り払うように左右に体を動かす。鳴き声と共に、ティガの体が揺さぶられるが、ティガは、耐える。耐えながら、何発もの手刀を背中に与えた。

 だが、怪獣は急に体を揺らすのをやめた。体が自然と前のめりになり、その反動でティガは、前に飛んでいった。

 ティガは地面で一回転する。

 それと同時に振り返る。だが、今度は怪獣が攻めた。

 振り返ったと同時に、怪獣はそのまま再び突進してきていた。

 ティガの胸に当たり、プロテクターに火花が散った。

 ティガは、仰向けに倒れる。怪獣はその隙を狙ってティガに覆いかぶさるように襲い掛かった。

 鋭い牙、鋭利な爪――。

 怪獣の攻撃に法則はない。ただ、目の前の敵を排除しなければという動物の本能と、目の前にある食糧を確保するという、生存能力が働いていた。

 この戦闘機では攻撃は出来ないようだ。

 元は戦闘用として使われていたようだが、今は訓練生用の機体として改修されたという。

 目の前にライラがいるのに、何も出来ないふがいなさが私を奮い立たせていた。

 だが、私たち以外にも味方はいた。

 三機の戦闘機が、怪獣の背中めがけて攻撃を仕掛けた。

 怪獣の背に攻撃があたり、火花が散る。

 怪獣が一瞬だけ攻撃の手を止めた。

 ティガは、その瞬間を見逃さない。怪獣の両肩を掴み、右足裏を怪獣の腹につけて、巴投げの要領を使って、怪獣は投げ飛ばした。

 怪獣が背中から倒れ込む。ティガは、横に一回転がってから、膝をついたまま構えた。

 怪獣が体勢を立て直してティガと相対する。

 ティガが走り出す。

 怪獣はティガの距離を予測してなのか、ティガが駆けだしたと同時に尻尾を振った。

 ティガは、その尻尾の横振りを胴で受けて、両腕を使って抱え込んだ。尻尾を振った速度とその威力をティガは自ら受け止めた。

 だが、一瞬だけ尻尾が胴から離れた気がした。ほんの一瞬だが、恐らく、受けた衝撃の反動だろう――うまく受け流せなかったのかもしれない。

 怪獣は尻尾が掴まれたと分かると、左右に強引に振った。それに合わせてティガも左右に揺さぶられる。だが、それでも尻尾を離すことはしなかった。

 だが、それでもティガにも限界がある。力を常に保つことなど不可能だ。

 怪獣が渾身の力で尻尾を左にふるう。ティガは、握力が足りずに、尻尾の振る力に負けて、そのまま飛ばされた。

 怪獣が振り返り、倒れたティガに向かっていく。

 だが、三機の戦闘機がその行く手を阻んだ。三機が一直線に並び、順番ずつ急降下してビーム兵器を発射し、体勢を立て直して、怪獣の背後へ飛んでいった。

 ティガは、その隙に前転して怪獣の手前まで迫り、

滑り込むようにして怪獣の左脇腹を蹴った。

 そして、そのまま流れるように再び怪獣の背に乗って、再び手刀や正拳の殴打を繰り返した。

 だが、それも長くは続かない。

 怪獣は、学習したのか、今度は尻尾を上下に振った。尻尾がティガの背中に何度も直撃する。

 ティガの手が止まる。そして、意識が尻尾の強襲に向く。片腕で怪獣の頭を押さえ、もう片方で迫ってくる尻尾を振り払おうと必死だった。

 不安定な体勢から、それら全てを対処するのは難しい。戦闘の達人でも、迫りくる脅威に立ち向かえる許容範囲がある。ティガはまさにその許容範囲を超えてしまっていた。

 尻尾がティガの肩にあたると、そのまま前転して怪獣の目の前で倒れ込んだ。

 怪獣は一気に迫る。

 短い手でティガの両腕を封じ、そして、右肩に咬みついた。

 ティガの体が若干反った。怪獣が持つ鋭利な牙はまさに捕食者たる肉食動物のそれだ。肉を切り裂き、引きちぎるために特化した最強の武器だ。食い込めば、一瞬の油断が来るまで離すはずがない。

 怪獣は立ち上がると同時に、ティガを無理矢理立ち上がらせた。

 あらゆる攻撃を防御することの出来るティガの皮膚だが、怪獣の力は時にそれを超えることもある。

 だが、今回はティガも負けてはいなかった。右肩に力を入れて、それ以上の侵入を拒む。

 しかしそれだけだ。ティガにはそれ以上の対応は出来なかった。

 咬まれていることを考慮すれば、相当の激痛だと、私から見てもそう思った。右肩に力を入れるのもさらなる痛みを引き起こすはずだ。

 すると、旋回していた三機の戦闘機が再びティガを援護しようと怪獣の背後に回っていた。ティガに当たらない――怪獣の背後を狙う。

 ビームが発射される。

 だが、怪獣は本当に学習していた。

 怪獣はくるりと反転させ、ティガを盾として使ったのだ。

 ビームは、ティガの胸部や腹部に直撃した。

 ティガが膝をつく。怪獣もそれと同時に体勢を低くする。

 ティガの体力が削られると同時に、牙の食らいつく力は威力を増す。さらに激痛がしただろう――ティガは首をかしげて震えていた。

 怪獣は背後を山肌に、全面をティガで防御していた。自分なりの絶対防御なのだろうか、怪獣の表情に余裕が見えた。

 ティガの胸にあるクリスタルのようなものが点滅し始めた。言うには、あれはエネルギー残量が残り少ないことを意味しているらしい。

 残り少ない時間に、あの防御をどう回避すればいいのだろうか?

 私は、この悪夢から逃れたいがために、一瞬だけ目を逸らした。

 たまたまだった。

 そこは、ティガが守っていた――ライラが倒れていた場所だった。

 ライラは、そこにいなかった。

 

「ライラ……」

 私は呟く。

 機体の窓から辺りを見回す。

 だが、そこにいるはずのライラがいない。

「ライラが……ライラはどこだ……」

 私がそう言うと、周りもそれに気づき始めた。

「本当だ。さっきまでいたはずなのに」

 美琴が、近くの窓を見ながらそう言った。

「ティガとの戦いに乗じて逃げたのかしら?」

 イチカ隊員が言った。

 もしそうなら、それはそれでいいのだが……。

 だが、何か引っかかった。

 ライラは、一人でどこかへ行ったり、逃げたりすることはなかった。必ず私や美琴の傍にいた。

 まさか、と私は思った。

 機体の上を見上げる。

 ライラが怪獣めがけて急降下していった。

 

 ライラ!

 私のそんな声は空しく響く中で、ライラは決死の覚悟で、真下へ急降下していく。

 ぼろぼろの体から、血や羽がぼろぼろと零れていった。

 間違いなく、あれ以上いけば死んでしまう!

 私は叫ぼうとした。

 だが、出来なかった。

 ライラは、その両足で怪獣の頭を掴み、空へ引き上げようとした。

 怪獣の体が浮かぶ。それと同時に咬みつかれているティガも宙に浮いた。

 牙が今度は、引き上げられる力になってティガの肩を襲い掛かる。映画でフックに体をかけられ、そのまま引き上げられると、引き上げられる痛みに襲われるシーンによく似ていた。

 ライラはさらに空に上がる。

 そして、両足を左右に振る。振り子のように怪獣とティガが振られていく。

 そして、ライラは、そのまま足を離した。

 怪獣が前に飛んでいった。

 その瞬間、怪獣は咬みつくことを捨てて、うまく着地することを選択したのだろう――ティガを離したのだ。

 ティガは、逆方向に側転して地面に着地した。

 ティガが振り向くと、怪獣は、力を使い果たしたライラを爪や牙で攻撃していた。

 ライラ! という私の叫び。

 ティガは、怪獣に駆けていき、背後から怪獣を抱えた。

 ライラを怪獣から引きはがし、ティガは、渾身の力を込めて怪獣を投げ飛ばした。

 怪獣が山肌に激突するまで転がっていった。

 怪獣が起き上がる。一回鳴いて威圧するが、もうティガにはそんな恐喝まがいの行為は無意味に等しかった。

 勝負はついた。

 ティガは、残ったエネルギーを使い、額のクリスタルに手を添えた。

 光が発せられる。

 発せられた黄金の光は、そのまま怪獣めがけて放たれた。

 怪獣が光線を食らうと、爆散することなく、その巨体が一瞬のうちに小さくなっていった。

 神のなせる業――光の巨人であるティガが使える究極の還元光線――セルチェンジビーム。

「イチカさん! 済まないが、もう一度降ろしてくれ!」

 私は、必死にそう頼んだ。

 イチカ隊員は、私の想いを知ったのか、今度は反論することなく、分かりました、と言ってティガの近くに着地した。

 

 機体の窓を開けたままにして、私とイチカ隊員とクキは再び降り立った。美琴は安静を取って機体に残した。

 ティガと傷だらけになったライラに近づいた。

 ティガは、私たちの前にそっと手を差し出した。

 そこには、白い毛むくじゃらの鼬のような動物が寝ていた。

「これって……」

 私が言うと、クキは言った。

「オコジョ……」

 オコジョ、と聞いて私は眼を疑った。

「もしかして、あのオコジョなんですか?」

 クキは頷く。

「ええ。怪獣の正体は、多分このオコジョだったんです。オコジョはライチョウの天敵の一つですから、あれを襲ったことも納得がいきます」

 オコジョが威嚇する。可愛い顔をして、実際は獰猛なのがオコジョだ。無闇に手出しは出来ない。

 それに対抗するようにイチカ隊員は腰につけてあった銃を構えた。

「どうする? こいつが原因なら、今ここで処分した方がいいんじゃないですか?」

 クキは、首を横に振った。

「一応オコジョも天然記念物ですから……ここは逃がしましょう」

 クキがそう言うと、オコジョは、一目散に逃げていった。

 天敵も天然記念物。天然記念物同士で狙い狙われるなんて……人間にはどうすることも出来ない。

「ライラ」

 私が呼ぶと、ライラは、目を見開いて私を見た。

「よかった。本当にライラなんだな……こんな形の再会になってしまって……本当に申し訳ない」

 ライラは、弱弱しい声で鳴いた。

 そして、自力で起き上がろうとする。

 一瞬ふらついたが、ティガがそれを支えた。

 ティガは一瞬だけ肩を意識したのか、右肩をさすった。ティガが受けた傷もまだ癒えてはいないようだ。

 目の前にいる巨大なライラ。今までライラの身に何があったのか、私は察することも出来ない。

 全ては、クキとあのエンジョウ少年が導き出した仮説こそが私の頼りだった。

 クキは、私に説明してもらった。

「無人偵察機『ゴッドアイズ』の観測データをツバサさんと一緒に確認したんです。すると、ある共通点が浮かび上がったんです」

 共通点、と私は呟いた。

 クキは説明する。

「靄が発生する日は必ず大雨や雪の後で快晴になることが確認されたんです」

「大雨? 雪?」

「はい。雨や雪が地表に降り、太陽の熱で蒸発して靄が出来る。降った雨はそのまま靄となり、霧となります」

それは……、私はそう呟くと、あることを思い出した。

 そうだ。ライラと出会った日の前日も、今日ライラに会いに行こうとした前日も、雨に見舞われていた。

 そして、ライラに出会えなかった時は、天候は常に良好だった。

 それを踏まえると、私は気づいた。

「雨は……ライラが引き起こしたものだというのか……?」

 そうとしか考えられない。

 雨を降らせ、靄を作った。単純に考えればそれ以外ない。

 だが天候を操るなんて、そんなこと出来ることなのだろうか? 火を焚いて上昇気流を作り、雲を作り、雨を降らせるという人工的な方法は知っているが、自らが望む天候にするなんて、そんなの神の所業だ。

「恐らく、この山の霊脈やこの地の地脈の影響によって、動物たちは生存のために能力を得たのだと思います。オコジョやこのライチョウの巨大化も恐らくその一種の突然変異なのでしょう」

 具体的な仮説は分からないが、生き残るために、ライラたちは急激な進化を遂げたということなのだ。

 そうだ。だから、そのことについて目をそらしていた。

 ライチョウは基本留鳥で、気温の高い所では生きられないはずだ。なのに、ライラは山を下りた後でも平気で、真夏の中でも悠々と暮らしていた。

 それもその突然変異によって人間の環境に適応することが出来たためなのだろう、とクキは言った。

「そして、もう一つの共通点があります」

 クキは、私に端末を渡した。

「これは、靄が発生した瞬間をとらえたレーダーの画像です。この鼠色のモクモクとしたものが靄で、白いのが山肌。そして緑や赤いのが動植物の分布地です」

 私は説明を聞いて納得した。

 靄が山を覆うようにして発生し、動物を示す赤が靄の周りに集中している。

 私はさらに画像を進めた。

 靄の発生場所は全く違う場所にある。なんら不思議なところはないように見えた。

 だが、一つだけ、おかしい所があった。

 動物を示す赤が、常に靄の周りに集中しているのだ。

 動植物が点在しない場所に靄がある時でさえ、赤色があった。山を見る限り、そこから元の動植物群がある場所は全くの真逆の方向だ。

 山を越えた、というより、靄と一緒に来た、という方が正しい。

「どういうことなんだ?」

 私の疑問にクキは答えた。

「それは、動物が捕食対象を探す時と時間が重なるんです」

 クキはそう言った。

「つまり、餌を探している時間帯に靄が発生するということか?」

「その通りです」

 私は、それを聞いて彼らが立てた仮説の答えが分かった。

 そうか……そういうことだったのか……。

 

「あの靄は、天敵から居場所を隠すために、逃げるために起こしたものだったのか……」

 

 そう。

 ライラは――ライチョウは、天然記念物ながら常に別の哺乳類から狙われている。その捕食者には、オコジョもそれに該当する。

 常に餌を探す敵――移動することの出来ない住処――移動せずに敵から身を守るためには、住処への道筋を狂わせればいい――。

 それが、ライラが考えた逃走方法だったのだ。

「靄の中は、電波やGPSが届かない所為で、正確なルートを算出は出来ません。しかし、画像解析から、あの靄の中は一種の異次元空間になっていて、どこか別のルートに繋がることが分かったんです。そのルート算出から、何回も考察を重ねて、どこがどこに繋がっているのか、大体のルートを把握することが出来たんです」

 そうか。だから、あの時、エンジョウ少年はあの靄の中のルートを言うことが出来たのか。

「じゃあ、初めて会ったあの時に、僕たちが靄に巻き込まれ、怪我したライラに出会ったのは……」

「恐らく、その時にオコジョに襲われて命からがら逃げ伸びた直後だったんだと思います」

 そうか。その時に私たちがライラを助けたのか……、これで納得がいった。

 だが、一つだけ分からないことがある。

「どうして、ライラは私たちをあの靄に入れたんだ? 下手をしたら、オコジョが後をつけて来てもおかしくないはずだ。どうして、四年もの間私たちと会えなかったんだ?」

 私はライラに問いかけるように言った。

「そんなの簡単じゃない」

 機体に座っていた美琴が即答した。

 

「恭一のことが大好きだったからだよ」

 

 私はそれを聞いて、え? と思った。

「靄の中で恭一がライラを助けたあの日――ライラはあなたを好きになっていたのよ。あなたはライラにとって命を救ってくれた白馬の王子様そのものなのよ」

 私はライラを見た。

 ライラが、私を? 好いていた? 私はにわかに信じられなかった。

「わたしもそうだと思います」

 クキが言った。

「彼女の言葉で、ようやく今までのあのライチョウの行動に合点がいきました。彼女にとって、あなたは家族と同じくらい大切な存在だったんです」

 どういうことだ? と私は聞いた。

「あなたが彼女を助けた日から全てが始まっていたんです」

 そう。

 全てはその日から始まっていたのだ。

 ライラを助けたあの日――。

 ライラと共に過ごしたあの日――。

 ライラと別れ、会えなかったあの日――。

 全てに意味があったのだ。

 ライラには家族がいた。私たちと同等に愛おしく、大切な家族が。

 だが、私たちと共に過ごしているうちに、ライラは私に陶酔するように傍を離れたがらなかった。

 だが、残した家族を放っていくわけにもいかなかった。

 だから、ライラは一つの決断をした。

 帰って、私たちに自分の家族を紹介しよう。

 家族と私――どちらが大切かを天秤にかけようという――やってはいけないことをしてしまったのだと。

 ライラが靄を作り出すのは、住処へのルートを狂わせることと、ライラたちが逃げることが出来るように時間稼ぎをするためだ。

 そんな中でライラが私たちと一緒にいる中で靄を起こせば、天敵たちはすぐに感づくだろう。何しろ、私たちに付いていけば、自然に餌がある場所に辿りつけるのだから。

 だから、ライラは賭けた。

 天敵が家族を襲うのなら、家族を見捨てて私たちと暮らすか、無事に辿りつけたら、家族を守るために私たちから手を引くか、どちらに転んでも自分が助かり、他が死ぬという残酷な選択肢を作ってしまった。

 結果は後者だった。

 無事にあの桜の樹に辿りつき、私たちはライラの家族と会いまみえることが出来た。

 そして、私たちは、あそこがライラのいる場所なのだから、これ以上いてはいけないと悟った。

 だから、ライラもそれを悟った。これが今生の別れになるだろうと。

 だが、それが出来なかった。

 四年もの間、私たちが通ったルートをかき消して、新しい靄を作って天敵から身を守り続けていた。

 毎年のように自分たちに会いに来てくれている愛しい人。だが、家族を守るためにはもう靄を作って中に入れるわけにはいかない。断腸の思いながら、私たちを拒んできた。

 だが、最後は出来なかった。

 オコジョが突然変異で怪獣となり、私たちを襲ったからだ。

 ライラは、その時、家族を一瞬捨てた。

 靄を作り出し、私たちを東側まで避難させた。

 靄を保ち、怪獣が私たちに向かないようにした。それは、家族のいる桜の樹が全くの無防備になっていることを意味していた。

 そして、私が送った救難信号。

 ライラは、それを届けようと、そのメッセージを地上にいる誰かに届けるために靄をそこまで伸ばした。

 救助が来て、怪獣が靄をかいくぐると、今度は自ら巨大化して怪獣に立ち向かった。

全ては私たちを救うため――それだけのために、ライラは家族を捨てたのだ。

 

 私はライラに向かう。

「ライラ……もういいんだ」

 私は震えた声で言う。

 ライラの罪、ライラの苦しみ、ライラの想い――彼女にとっては辛かっただろう。だから、その辛さが私には辛いのだ。

「何かを投げ打って誰かを助けることは悪いことじゃない。それは正しいことだし、時には正しくないかもしれない」

 でも、と私は叫んだ。

 

「自分自身の幸せを捨てて誰かを助けるなんてしてほしくないんだ」

 

 美琴を助けようとしたとき、こう思っていた。

 己が保身のために自分を選んで他者を捨てるか。

 他者を守るために他者を選んで己を捨てるか。

 永遠を誓って二人で果てるか。

 喪失の後悔も犠牲の後悔をも打ち勝ち全てを救うか。

 そこには、どれも自分自身への幸福があった。

 他者を守るために自分を捨てることは、自分自身の幸せを捨てて誰かを救うことと何が違うんだ? と思うだろう。

それは似ているようで全く違う。

他者を守るために自分自身を捨てることは、その人を守りたいという意思と、そうなってほしいという願いの上に成り立っている幸福だ。

 だが、ライラは私たちを救う上で自分を捨てただけじゃなく、家族までをも捨てたのだ――そこに幸福は一切成り立たない。

 愛する家族を捨てて、愛する者を救い、果てる――その果てには他者を守った幸福よりも自らの家族を捨てるという不幸しか残らない――第五の選択肢だ。

 それは、人間では絶対に選ばない、絶対的な献身的な愛だ。

 自らを犠牲にして成り立つ愛なんて存在しないはずだ。だが、それでも、目の前の最愛の人を守るために家族までをも捨てることが愛ではないと、誰が言えようか。その選択は、ライラにとって全てを投げ打って一人の人を救うためだけに捧げた愛故の選択なのだ。

 だが、そんなの私は望まない。

 献身的な愛であっても、自分を不幸にする救いは駄目なのだ。自分自身が幸せになるように、何かを救ってほしかった。

 それは人間故の傲慢だろう。

 だけど、ライラが体だけじゃなく、心までをも傷つけてまで誰かを救うことを私は望んでいないのだ。

 今生の別れになろうとも、互いにそれぞれの世界で幸せならば、それでいい。別れという悲しみは時間が経てば癒える。だが、失う悲しみは絶対に癒えない。

 だから、幸せになってほしい。

 私は、ライラにそう言った。

「でも、僕たちは思っている以上に我儘だ……だからさ……」

 私は言った。

 

「僕も家族を持つ。そして、お互いに片が付いたらさ……今度こそ会おう」

 

 私の言葉に、ライラは嬉しそうに鳴いた。

「全部が終わって……全部が安全になって……何年かかるか分からないけど……けど、きっと会おう。この山で。あの桜の樹の下で」

 ライラはまた鳴いた。

「はは……」

 私は小さく笑った。周りも、私に同意するように微笑んでいる。

 ようやく全てが満たされた――そんな気がした。

「じゃあ、ティガ。その鳥を無事に住処まで送り届けなさいな」

 イチカ隊員がそう言うとティガは頷いた。

 そして、ティガは、一歩引くと――。

 片腕を曲げて、掌を胸の点滅しているクリスタルにあてた。

 ティガの掌から光が輝きはじめる。

 そして、その腕を伸ばす。

 光が伸びて、ライラを優しく包み込んだ。

 眩い光がライラを包む。それは眼を覆ってしまうほどに恍惚だった。

 そして、光が消えると――。

 

 ライラは、元の大きさに戻っていた。

 

 傷ついた体でティガの掌まで飛んでいく。

 ライラが鳴く。

 ライラの作り上げた靄がティガの背後に出来上がった。

「ライラ……またな」

 私はライラに小さく呟く。

 口元がしょっぱかった。また、私は涙を流しているようだ。

 四年という月日をかけて再会を果たした私たちは、また長い別れを告げる。

 今度はいつになるか分からない。もしかしたらもう二度と会えないかもしれない。

 でも、それでいい。

 分からないから、会える希望が生まれる――それが胸に残っていた。

 ティガは踵を返す。

 そして、ライラを優しく掌で包みながら、ティガは、靄の奥へと消えていった。

 靄が晴れると、そこにはもうティガもライラの姿もなかった。

 

 全てが終わったのだ。

 

   8.

 

「……ふーん。そうだったんだ……」

 全てを話し終えて、美弥は少し寂しそうな声をしていた。

「結局、今まで会えなかったんだ」

「そうだな。何回かは、未練がましく山に登りに行ったけど、結局会うことは出来なかったな」

「それじゃあ、きっと向こうも呆れてるんじゃない?」

 美弥が言う。きっとその通りだろう。

「というより、よくそんな皮肉れた性格で父ちゃんは母ちゃんや他の女の子にモテてたよな。なんか不公平だわ」

 裕也が嫉妬しながら言った。

「まあ、確かに裕也はお父さんと結構似ている割にはモテないよね。やっぱりあれじゃない? お父さんの持っている魅力が裕也には備わってないのよ」

「よく言うよ。姉ちゃんだって今まで彼氏いたことないし」

「あ? てめえシバくぞ、コラ」

「上等だ、馬鹿姉。かかってこいや」

 目の前で子供たちがそれぞれ構えている。

「ほらほら、やめなさい」

 それを美琴が止めた。

「とにかく、あんたたちは北岳に登る気があるの? ないの?」

 

 ――あるに決まってるじゃん!

 

 美弥と裕也は異口同音に答えた。

「そのライラって鳥も見てみたいし、何よりその桜の樹に辿りつけば、彼女が出来るかもしれない!」

「そうそう!」

 どうやら美弥と裕也は自分のパートナーが欲しいとだけのようだ。

 まあ、なんていうか……。昔の私と比べたら、何か本当に大差ないような気がして来てならない。本当に赤面する思いだ。

「あーでも、そうなると一つ気になるなー」

 美弥が言った。

「何が?」

「だって、その桜の樹の伝説ってさ、結局はお父さんが最初なんでしょ?」

「そうだな」

「何でそれが噂として流れてるの? お父さんが流したの?」

「いや……それはしていないはずだが……」

 確かに不思議だ、と今になって思った。

 ライラを守るためにライラに関する噂は一切口外していなかったはずだが……。

「ねえ、もしかしたら……」

 美琴が私にそっと告げた。

「ライラが時々他の人をあの樹まで誘導していたんじゃない?」

 ライラが? と私は耳を疑った。

「まさか。ライラが僕たち以外の人をあそこに連れていくかなあ?」

「でもそうとしか考えられないわ。一体ライラは何を考えているんだか」

 なるほどな、と私は思った。それもライラに問いかけることにしよう。

 私は、また向かい側の家の桜を見つめた。

 桜は満開で、花弁が時より散っていた。

 ライチョウはさすがに来ないが、鶯やほかの鳥が春を謳っていた。

 幾度の春夏秋冬を過ごしてきた。

 そんな中で、もう一度北岳に登ろうと思った。

 

 今度こそライラに会える――そんな気がしていたのだ。

 

 結構な年月が過ぎてしまったが、きっと大丈夫だろう。

 私は、桜に留まっている鳥たちに心の中で尋ねる。

 鳥たちもそれに答えるように鳴く。

 春が来ていた――。




これで終わりです。次回もよろしくお願いします。次は遅れないようにし……ま……す……
誰か私の面倒くさがりな性格を矯正してくだせえ

登場怪獣
・突然変異巨怪鳥オオライチョウ-ライラ-
・突然変異鼬型怪獣グロスマルダー

次回予告
地球に謎の落下物が襲来したという要請を受けて、ツバサとS‐GUTSの隊員たちは出動した。
落下物の調査を進めていく中で、ツバサは一人気絶していた少女アリサを救う。
その裏で、15のツバサの心を傷つけるにはあまりにも悲痛で残酷な陰謀が迫っているとは知らずに……。
次回 第6話「ひとりぼっちの地球人」

参考文献
インターネットからの参考です



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番外編

いつものツバサメインの第三視点です。
第五話はゲストキャラ視点を貫くために、ツバサ視点はあえて省きました。
けど、せっかくだから書いたので載せます。
ツバサがどうやって恭一たちを見つけたのか、という種明かしですね。

多分察しているかと思いますが、今回の話の時系列は第一話~第四話の一年後の話です。時々時系列をバラバラにした一話完結ものも書こうかなと思うので、所々で話を入れていきます(話数調整なのは内緒)


 

   *

 

 恭一と美琴が遭難したあの時、恭一の機転によってメッセージがツバサたちに伝わり、ことなきを得た。

 だが、それはただメッセージを送っただけでは成し遂げることは出来なかった。

 それを成功させることが出来たのは、ツバサたちの機転と、そしてここでもあのライチョウの命懸けの決死行のおかげに他ならなかった。

 

   *

 

 TPCの極東本部であるアンダーグラウンドへ続く専用道路を二台のオートスタッガーⅡが走行していた。

 時速は約八十キロ。メトロポリス内のパトロールを終えて、バイクはそのまま本部へ直行していた。

 オートスタッガーⅡに搭乗しているのは、若きS‐GUTS隊員の二人。

 エンジョウ・ツバサとイチカ・マリナの二名。

 二人が本部への専用道路に入った時に、通信が入った。

「こちらエンジョウ」

『こちらフドウ。これから俺たちが先行して北岳に出現した怪獣の掃討にあたる。お前らはバックアップを頼むぞ』

 いつも聞く隊長――フドウの声だ。

「ということは、ゴッドアイズの画像に写っていた怪獣のようですね」

『ああ。十中八九そうだろう。特徴が酷似している。これから俺とシンジョウ、ヒロキの三人で当たる。もし何か有力な情報があったら随時連絡してくれ』

 フドウの命令にツバサは、了解、と返した。

「やっぱり、あんたとアイラさんの仮説が正しかったわけだ」

 マリナが言った。

「というより、ほぼアイラさんのおかげだけどね。僕はただ揃っている情報を整理しただけだし」

 ツバサの謙虚な態度に、マリナはふーん、と何か企んだような顔になった。

「とか何とか言っちゃって、結構アイラさんに助言やらなんやらしてたじゃない」

「確認事項を問われてただけだ。ただ、答えるだけだし、何もやっていない」

 それに、とツバサは言った。

「マリナ隊員のとっさの一言のおかげで仮説が証明されたんだから、どちらかといえばそっちの御手柄なんだけどね」

 唐突なツバサの褒め言葉にマリナは思わず赤面した。

「何よ、いきなり……」

 ははは、とツバサは笑う。

「まあ、今回は隊長たちに任せればいいかもな。怪獣の特徴からその正体も大体分かってきたし、後は適切に対処してくれるだろ」

 そうね、とマリナは言う。

「まあ今回はツバサはいらなかったかなー。ティガの力は借りたかったけど、隊長たちで対処できるならしょうがないし」

 また、お決まりの皮肉だ。ツバサもさすがに慣れていた。

 ツバサは、はいはい、と言いながら速度を速めた。

 本部まではほぼ目と鼻の先というところだった。

「……ツバサ!」

 マリナが叫んだ。

 ツバサも『それ』に気づく。

 二人はバイクをスライドさせてその場で止まった。

「ねえ、これって……」

「……ああ」

 ツバサとマリナはそれぞれバイクから降りて、ガッツブラスターを構えた。

 目の前に、北岳で観測された靄が現れたのだ。

「どういうことだ。こんなところにまで靄がやってくるなんて……」

「向こうの動物たちがこんな遠くまでルートを作り出すほど危機的状況に陥っているってこと?」

「いや、もしくは……」

 怪獣をこっちに移動させてきたのか……、とツバサはガッツブラスターを靄の中にめがけて撃った。

 怪獣の鳴き声がした。

 手ごたえはあった。

「やっぱりそこにいるか」

 ツバサとマリナはもう一度構えて、次に備える。

 だが、靄はツバサたちが予想していた状況とは違ってすぐに消えた。

「……何だかいきなり消えちゃったわね」

 どういうことなのだろう、とツバサは思った。

「てっきり怪獣を山から引き離すつもりでこっちにやったのかと思ったが……」

 だが、代わりに別のものが落ちていた。

 大きな布――ハンカチだろうか、それにくるまれた何かと、それを嘴で加えて倒れている一羽の傷だらけの鳥。

 ツバサたちはそれに駆けよった。

「何これ。ひどいけがじゃない」

 ツバサは鳥を慎重に調べる。

「……大丈夫だ。まだ息はある。でも、すぐに手当てしないと」

 マリナはガッツブラスターを腰のベルトに戻す。

「どうするのよ。ここから動物病院行ったどころで間に合わないわよ」

「医務局に動物専門がいるなんて聞いたことないしなあ……。シンジョウ参謀なら何か知っているかな?」

「そんな暇ないわよ。今にでも死にそうなのに」

 だとするなら、方法は一つしかない。

「……仕方ない。僕たちで手当てしよう。幸い、僕の部屋に獣医用の教科書があるからそれを見てやってみよう」

「本当に何でも読むのね。一体どこまで知識を詰め込むのやら」

「まあね。何て言ったってビリッチ博士の獣医医学書だからね。読まなきゃ損だ」

「……聞いてないわよ」

 ツバサは、鳥と布にくるんだ何かを懐に優しく仕舞う。

 ツバサとマリナは再びオートスタッガーⅡに乗り込み、目の前の基地――アンダーグラウンドへ走り出した。

 

 本部に戻る前に、ツバサは自室に立ち寄り、獣医医学書を持ち出した。

 そして、そのまま本部へと急ぎ足で進む。

 本部の扉が開く。

「あー、おかえりなさーい」

 エミがそう言った。

 S‐GUTSのオペレーターであるエミは、前線にいる隊長たちとTPCとの中継役と各部署への連絡係として大抵のことがない限りは本部に待機しているのが殆どだ。

 そんなエミと一緒に、一人だけ本部には似つかわしくない服装をした人が一人いた。

 白衣を着た女性だった。そういった服を着ている人は大抵研究や開発職に就いている人が多い。しかもS‐GUTS本部に来るということは珍しいことだ。

 だが、ツバサはその後ろ姿で察した。

「ああ、お久しぶりですね、アイラさん」

 ツバサの声に反応してアイラが振り向いた。

「どうも、お邪魔してます」

「アイラさん! 昨日ぶりですね!」

 マリナが小さく手を振ってそう言った。アイラもそれに応えて手を振って返す。

 昨日? とツバサは不思議そうにつぶやく。すると、エミが、昨日ご飯食べていて何か意気投合しちゃったらしいよ、と答えた。

 そうなんだ、とあまりツバサは気にしない。

「しかし、どうしたんですか? 確か今日は遺伝子工学研究所の方にいたはずでは?」

「そうだったんですけど……教授のお使いが早く終わったんで、こっちに挨拶に伺ってみたんです。そうしたら、隊長さんとお会いしまして……」

 ああ、とツバサは納得した。

「今回の北岳の件でまたアドバイスを欲しいと頼まれたんですね」

 そうなんです、とアイラは答えた。

「隊長たちは先に行ってるけど、ツバサたちはどうする?」

 エミが聞いた。

「その前にやらなきゃならないことがある」

 ツバサは懐から例のものを取り出した。

 エミとアイラが驚く。

「どうしたんですか、ツバサさん……! その鳥は……!」

「本部の手前で倒れていたんです。例の靄の中から出てきたことを考えると……」

「例の靄? もしかして、あの靄が県外から来たんですか?」

 そうです、とツバサは頷いた。

 ツバサは、鳥の翼を優しく広げた。

「やはりとう骨があるあたりに傷がありますね。とにかく処置をしないと……」

 ツバサは、医療用の道具を取り出してすぐに処置にかかった。

「それって……もしかして、ライチョウですか?」

 アイラが尋ねた。

「もしかするとでもなく、間違いなくそうでしょうね」

 ツバサは作業を進めながら会話を続ける。

「そんな……地上に降りたら、病気や地上の気温に耐え切れずに死ぬはずなのに……」

 もしかして……、とアイラはツバサの思惑に気づいた。

「え? 何? どういうこと?」

 マリナが仲間外れになっているのに気づく。

 ツバサはわざとらしく溜息を吐いて言った。

「つまり、こいつがあの靄を作り出していたんだよ」

 ええ!? とマリナは天地がひっくり返ったような表情で驚いた。

「こいつが? こんな鳥があんな天変地異並みの現象を作り出していたっていうの?」

 マリナは信じられないようだったが、ツバサとアイラはこの事実に大きな自信があった。

「ライチョウは本来高山などの高い所かつ低温に生きる留鳥の一つ……」

「家族構成は一夫多妻もしくは一夫一妻制……オスが見張りをしてメスが子供を守る……」

 ツバサとアイラは互いに現状上がっている説を挙げていく。

「だけど、これはメスのライチョウだ」

「だとすると、一種の突然変異があるとすれば、それはメスにも防衛機能が発達した……発達した能力こそこの靄」

 二人はさらに説を並べていく。マリナは完全に取り残されたようだった。

 またか、と内心ツバサと対等に話せない悔しさを滲ませながら、二人のやり取りを聞いていた。だが、それでも負けじと二人の間に入っていく。

「じゃあ、これは何? この鳥が持っていた布とこの石は」

 ツバサは、丁度ライチョウの治療を終えてマリナの話題に食いついた。

「中に石が入ってるな……」

 ツバサはアイラに包帯を任せて、石を取り上げて眺めた。

「石灰石の一つだな。でも、その割には表面は普通よりも滑らかにされている。多分人工的にそうなっているんだろう」

 ツバサは石をひっくり返す。

 すると、そこに文字が書かれていた。

「それは?」

 マリナが聞いた。

「これは……見るからに携帯端末のシリアルナンバーと……」

 マリナとアイラはツバサの左右から石を眺めた。

 

 救援求ム

 

「これは……SOS信号?」

 アイラが言った。

 どうやらそのようだ。

「しかも、ご丁寧なことに表面に火で炙った石灰を塗りたくってコーティングしてある。一種のフレスコ画だな。表面に石灰を壁に塗ることで絵具や文字が落ちにくくなる一種の漆の役割をしてある。これを考えた人はよほどの皮肉れ者だろうね」

 ツバサがそう言うと、後ろでマリナが、誰かさんみたいね、とにやにやしながら言った。

 ツバサは無視しながら、

「とにかく調べてみよう。エミ。この端末が最後に確認できた場所を特定してくれ」

 と、頼んだ。

 エミは、敬礼のポーズをしながら、了解ー、と穏やかな声で返す。だが、PC端末を操る速度はその穏やかさとは打って変わって早かった。

「出たよー」

 僅か十秒足らずといったところでエミが調べたことを大画面のモニターに映し出した。

「これは……北岳だな」

 ツバサが言った。

 映し出されたのは北岳だった。

 端末のGPS信号の最終観測地は北岳の中腹付近で終わっている。その後は、不思議なことに一切確認されていない。

「この様子だと下山したっていうのは考えづらいな。だとすると、何かトラブルに巻き込まれた……つまりは遭難した、と考えていいだろう」

 しかも、隊長の通信のことを考えると、十中八九これが原因だな、とツバサは断言した。

 となると、救援を求めているこの人物はまだ北岳で立ち往生している状態にあるということだ。

 そう考えると、事態は一刻を争う。

「じゃあ、どうしてGPSの信号が出ないのよ。もしかして落として壊したとか?」

 マリナが予想するが、それはすぐに否定された。

「いや、仮に端末が壊れているなら、端末のシリアルナンバーを書くのはおかしい」

「壊れていないということを考えると、何らかの原因でGPS信号を妨害されているか、キャッチすることが出来ない場所にいるかということになりますね」

 アイラが言った。

 二人の会話が続く。マリナは一応の納得はしているが、ついていくのがやっとだった。

 エミは二人の会話を聞いて、あることを提案した。

「じゃあ、そう考えると、出てくる仮説は一つだね」

 ツバサとアイラは頷く。

「あの靄の中にいるということだ」

 マリナがようやく納得した。

 いかなる電波をも通さない靄の中にいるのなら、GPS信号が届かない中で助けを呼ぶために何をするか……。

 靄が別の場所に繋がる異次元空間になっているのなら、メッセージを書いてその靄の中に送ればいい。

 つまり、救難信号を送った人物は、それを実践したのだ。幸いなことにライチョウがそれを加えてツバサたちの元までメッセージを届けることに成功していた。

「でも、それでもGPS信号が捕まらないんじゃ意味がないじゃない。どうやって探し出すっていうのよ」

 マリナの質問は最もだった。

 だがマリナを除いて全員には、その方法が分かっていた。

「言っただろ? これを送った人物は皮肉れ者だ。向こうが考えていることはもう分かっている」

 ツバサはそう言って、エミに頼んだ。

「エミ。最後のGPS信号の観測時間を先頭に、靄が発生した場所と時間帯を重ね合わせて時間をスクロール出来ないか?」

 エミはふふん、と得意げに言った。

「任せて。そう言うと思ってもうやってあるよー」

「えっと……どういうこと?」

 マリナが分からないような声で聞いた。

 アイラが説明する。

「えっと……さっき言ったように救難信号を送った人が、靄の中で遭難しているということは分かりますよね?」

 はい、とマリナは頷く。

「靄の中の構造のおおよそはもう解明されているのも分かりますね?」

「ええ。ツバサとあなたでかなり解明出来たのは目の当たりにしてますから。あの時の二人の喜びようと言ったら……」

 嬉しさ半分、複雑が半分と、マリナは言おうとしたが、それはかろうじて喉にひっこめた。何故、そんなことを言おうとしたのかは分からないが。

「ですから、最後のGPS信号が発せられた後の靄の発生した時間を確認して時間を進めます。そして靄のルートを予測します。すると……」

 アイラの結論を言う前にマリナは気づいた。

「そうか。ルートが予想できるのなら、GPS信号が途絶えた後に遭難者が靄の中に入ったのなら、その後の時間帯に靄の状況を見れば、どこに行ってしまったのかをある程度予測出来る」

 その通りです、とアイラは答えた。

「GPS信号を観測できなくて人を探せないのなら、観測できない場所を探して人を見つけ出せばいい……とんだ逆転の発想ね」

 マリナは得意げに言った。

「まあ、ここまで説明しなきゃ分からないマリナにはちょっと難しい話だったかな?」

 ツバサは仕返しだ、と言わんばかりに笑いながら皮肉を返した。

 ツバサ……コロス……と、ツバサの背後で何か怨念めいた呪詛のような声が聞こえたが、きっと気のせいだろう、とツバサは流す。

 そんなくだらない会話の中で、エミはにやにやしながらも手を休めていない。

 画面には、靄の位置の映像と遭難者のいる予想地点が随時更新されていた。靄が移動する度に遭難者のいる場所が少しずつ変わっていく。

 だが、ツバサとアイラの幾度にも及ぶ観測と予想によって、相対性理論によるGPS信号が修正されるように、機器による観測不可能な場所にいる人物の特定地点の誤差修正も、徐々に改善されていったのだ。

 まさに人間の可能性が無限にあることを目の前の少年と少女(?)がやってのけたのだ。

 そして、それから数分して。

「誤差をぎりぎりまで修正完了。遭難者のいるところは大体ここかなー」

 モニターには、遭難者を示す赤い点が北岳を覆い尽くすように表れた。だが、それから誤差修正を加えていくと、赤い点がかなりの速度で一つ一つ消えていった。そして、ある場所に一つだけ点が残ったのだ。

「ここは……北岳バットレスのあたりだな」

 ツバサが言った。

「確かここは、かつてはクライミングに使われて、崩落が起きた後は立ち入りが禁止されてたはずの場所ですよね?」

 アイラが聞いた。

「ええ。ここいらは石灰岩で覆われている場所で、元々はクライミングのクラシックコースとして人気があった場所ですが、先ほど言った崩落の所為でかなり危険な場所になっているはずです」

 ツバサの説明に、マリナが補足する。

「ということは、崩落した瓦礫の中に閉じ込められたり、それによって出来た空洞とかにいたりする可能性が高いわね。ここで動けないということは、もしかしたら怪我をしたか立ち往生したかそのどちらかかも」

 だとすると…、と全員が同じ結論にたどり着く。

「すぐに助けにいかなきゃ拙い……ということだ」

 ツバサとマリナはS‐GUTSメットを手に取る。

 ツバサは、本部の通信機でフドウらに連絡する。

「こちらエンジョウ」

『どうした?』

「北岳東側に遭難者の救援信号をキャッチしました。ただちに救助に行かなければならないようで」

『そうか……。残念だが、俺たちは動けない。怪獣が思いの外、厄介だ。お前らで救助出来るか?』

 そうだろうと思った、とツバサは思う。

「了解。こちらで救助します」

 そう言って通信を切る。

「言った通りだ。これから僕とマリナで遭難者の救援に向かう。エミはこのままバックアップを頼む」

 エミは、了解、と親指を立てる。

「アイラさんは、危険だからここに……」

 アイラはツバサが言っている間に入って提案した。

「あの、わたしも連れて行ってくれませんか?」

 ツバサとマリナは、アイラを見つめた。

「足手まといなのは分かっているんですが……一応生物に関しては、それなりに自信はあります。怪獣の姿を見れば、何かしらの弱点や対策が立てやすくなると思うんです。だから……」

 お願いします、連れて行ってください! とアイラは深々と頭を下げた。

 ツバサとマリナは顔を合わせた。事態は一刻を争う。そんな危険な状況にアイラを巻き込むのはあまりにも酷だ。

 だが、二人は迷わなかった。

「いいでしょう。危険ですが、アイラさんにはアドバイザーとして一緒に来ていただきます」

 ツバサがそう言うと、アイラは花が開いたように笑顔になっていった。

「有難うございます!」

「大丈夫ですよ。あたしがアイラさんをお守りしますから。盾だってあるし、アイラさんには指一本触れさせないから」

 その盾とはいったい誰の事なんだろうな、とツバサは睨みながらマリナに言うが、マリナは、サアー? イッタイダレナンデショーネー? と棒読みで返した。

「全く……。とにかく急ぎましょう。確か訓練用のスペリオルが一機待機しているはずです」

 ツバサがそう言うと、三人は駆け足で本部から出て行く。

 

 ふう、とエミが溜息を吐くと、テーブルの上で手当てをして安静に寝ていたライチョウが突如目を覚ました。

 そして、包帯だらけの翼を広げて、飛び出した。

 本部の扉が閉まり切るまでにライチョウはそのまま出て行ってしまった。

「あー! どこに行くのよ!」

 エミは慌てて駆け出した。

 ここに待機して通信などのフォローに入らなければならないが、そんなことを考えている暇もなかった。

 エミは、少ない体力でライチョウの後ろ姿をかろうじて捉えてながら基地内を走っていた。

 最終的にたどり着いたのは、アンダーグラウンド唯一の屋外スペースであるテラスだった。

 外からは、迷彩加工によって見えないが、中からは外の景色が見える。攻撃においては防弾壁が一瞬にして展開されるようになっている。

 どうしてあのライチョウが屋外スペースの場所が分かったのか分からない。動物の勘なのだろう――そのままライチョウは外へ飛び立って行ってしまった。

 エミは慌ててW.I.T.を開いて通信を入れた。

「こちらエミ。ツバサ。聞こえる?」

 一秒ほど間が空いてツバサから返信が来た。

『こちらエンジョウ。どうしたんだ、エミ?』

 あのね……、とエミはライチョウが飛んでいった方角を見ながら言った。

「あのライチョウ……外に出て行っちゃったの……」

 はあ!? とツバサが返す。

『どこか行った? そんな馬鹿な。あれはまだ怪我をしてまともに飛べないはずだ』

「うん、そうなんだけど……」

『ライチョウはどこに行ったんだ?』

 それが……とエミはどもりながら言った。

「どうやって見つけたかは分からないけど……アンダーグラウンドの屋外スペースからそのまま外に飛んで行っちゃって……」

 そうか……、とツバサは内心諦めたような口調で言った。

「今は人命が最優先だ。ライチョウには悪いが構っていられない」

 それが正しい選択だ。動物一匹の命と人間の命――救えるものなら全て救いたい。だが、常に人の命が優先されてしまうのはどうしようもない。

 エミも半ば諦めかけていたが、ふと、あることを思い出した。

「あ、待って。あのライチョウが飛んでいった方角なんだけど……」

 方角? とツバサは聞き返した。

「日本アルプスの方角なんだよねー」

 通信の向こうでツバサは黙った。エミは、もしもーし、と通信を返す。

 十秒ほどしてツバサが何か閃いたように答えを返した。

『でかしたぞ! そうだよ。あの救難信号を持ってきたのがあのライチョウなら、遭難した人とライチョウは繋がっていると断定出来る!』

「じゃあ、あのライチョウは……」

『遭難者と何らかの関係がある可能性が高い。となると、ライチョウの行った方角が分かるんなら、もしかしたら見つけらるかも……ああ、いた!』

 通信をしている間にツバサはライチョウを見つけたようだ。

『あの怪我でよく飛べるな……。何か慌てているようにも見えるけど、一体何があれを駆り立てるんだろうな』

 エミは、ツバサの言葉を聞いて、ああ、と納得した顔になった。

 エミは、そのままフェンスにもたれてライチョウが飛んでいった方角を見た。

 もう鳥は見えない。

 だが、もし自分があの鳥ならどういう思いで飛んでいるのだろう、と想像した時、エミは少しだけ微笑みながら小さく呟いた。

 

「どんなになろうとも、その人の元に、傍にいたいのは当たり前よ……大好きな人なら尚更……ね……」

 

   *

 

 そして、ツバサたちは遭難者を見つけ出す。

 怪獣がこちらへ向かっていることをフドウからのシステムνを通した通信で伝えられると、ツバサはマリナらと別行動をとることにした。

 他に避難し遅れた人がいないか探してみるよ、とツバサは言って、マリナたちとは逆の方向へ駆ける。

 そこは、電波をも一切通さないライチョウの防衛機能――あの靄の中へツバサは駆けて行った。

 辺りは靄に包まれている。

 靄の中で一瞬光が放たれた。

 靄の奥から、ウルトラマンティガが一回転して着地した。

 ティガの眼前には、怪獣と突然変異で巨大化したあのライチョウだろう――鳥の怪獣が倒れていた。

 ティガは両腕をカラータイマー手前で交差した。

 力を溜める。ティガの外周を白い光が包み込んだ。

 ティガが両腕を広げた。

 その刹那、辺りの靄が一斉に勢いよく払われていく。辺りが靄だったのが、一瞬にして山肌や青空がポラロイド写真の現像のように姿を現していった。

 

 怪獣と巨大な鳥を庇いながら怪獣に構えるティガの姿がそこにはあった。

 




こっちもこっちでリア充かあ……。





爆発しろよ。


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