Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless - (びわ之樹)
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第1話 北方の蝙蝠

 雪と岩の色に染まった山肌が、エンジンの振動で微かに揺れるキャノピーの外を流れていく。

 

 雪の白と、大地の茶と、山肌の灰が織りなす淡色の漣。蒼穹を背景とした雄峰の連なりは、春の入りにも関わらず未だに冬の名残を思わせて、今更ながらこの地の緯度と標高の高さを感じずにはいられなかった。一応コクピット内に暖房は効かせているはずだが、寒々しいその光景と、身を切り裂かんばかりの冷たい外気は否応なく心身を凍えさせることこの上ない。

 

 比較的緯度の低い故郷レサスだったら、こんな光景はよほどの高山地帯でもなければお目にかかれないことだろう。南半球のレサスは今頃秋の入りだろうが、たとえ真冬であってもこれほどの光景は見たことがない。

 

《ニムロッド1より各機、あれが当面の宿だ。爆撃跡を避けてうまく降りろ。脚を折るなよ。…カルロス、分かっているな》

《ニムロッド5、分かってます!俺だって伊達に傭兵として飯食ってませんよ!》

 

 不意に無線から雑音が漏れるや、編隊の先頭を飛ぶMiG-27M『フロッガーJ』からアンドリュー隊長の低い声が耳に響く。わざわざ名指しで指名したのは経歴が浅い自分に対する老婆心のつもりだったのだろうが、これでも一応傭兵に身を置いて2年になる身、忸怩たる複雑な思いも抱かぬでもない。口中に融かした塊一つを飲み下し、青年――カルロス・グロバールは、返した声とともに、山の懐に収まったようなその『宿』を見やった。

 

 東西方向に伸びる深紺色の滑走路が2本、敷地の端にはいくつか連なる格納庫、そして山に至る寸前の辺りにぽつんと建つ、司令部施設とおぼしき白い建物。それだけ見れば、ごくごく一般的な辺境の空軍基地という風情である。

だが。静かな山間に異色を添える周囲の鉄色が、その風情を険しいものにさせていた。

 

《………こりゃぁ…。…アンドリュー、ワシら付く側を間違えたんじゃないかね?》

《かー、まったくヴィクトール曹長の言うとおり。負け戦でむざむざトマトペーストになるのはゴメンだぜ、俺は》

《つべこべ言うな、上の判断だ。劣勢側に就いた方が需要もあれば儲かりもする》

 

 自身と同じくその光景に釘付けになっていたのか、前を飛ぶMiG-21bis『フィッシュベッド』から今更ながらの陳情の声が上がる。ニムロッド3――ヴィクトール・ベレゾフスキー曹長は、持ち前の大声もいくらかトーンが低い。ニムロッド4――カークス・ビレッジ軍曹は常通り冗談交じりの飄々とした声音だが、その内容には『気が乗らない』と言わんばかりの感慨がありありと滲み出ている。

 二人と比べれば渡り歩いた戦場は少ないとはいえ、カルロスもまた、さもありなんと思わざるを得ない。基地の周囲を彩っていたのは、そんな異彩だった。

 

 穴だらけになり、所々に同心円状の土色を晒す滑走路は、数日前にあったという爆撃の跡だろう。その横に転がる黒鉄色の塊は対空砲の名残だろうが、本来天を睨んでいたであろう砲身は飴のように曲がりうなだれて、最早その面影は微塵も認められない。2本の滑走路の間には、無残に横たわる航空機の残骸が、最期の意地のように片翼を天に向けて横たわっている。グレーと緑の迷彩を施された塗装からするにこの国の空軍機だったのだろうが、よくよく目を凝らせば基地の周囲にも似た塗装の残骸がいくつも転がっており、追い詰められた国家の様を暗に象徴しているようにすら感じられた。

 

 『つまりは、周辺国と比べ軍の練度が高くなかったこと、そしてもう一つには『敵国』の戦力が余程に強大で侵攻も急激だったことがその理由だ。』出発前、現地の状況を簡単に説明した隊長の言葉を、カルロスは納得を以て噛みしめていた。敗退を重ね、国土を侵され、今こうして懸命の力を振り絞るこの基地の様は、まさに今の世情とこの国を表す縮図なのだ。

 命を収めた、小さなコクピットの中。不意に寒気を覚えたのは、果たして機外の寒さだけが理由だっただろうか。

 

 時に1995年、3月30日。オーシア大陸東部に位置するオーシア東方諸国の雄、サピン王国北部山間のヴェスパーテ空軍基地。

 後の世に言う、『ベルカ戦争』初頭のことであった。

 

******

 

「あれ、隊長はどちらに?」

「…んぁ?あー、基地司令にご挨拶だそうだ。ついでに現状説明とな。」

 

 着陸と機体の搬入という慌ただしい時間を終え、幾分落ち着きを取り戻した格納庫の中に、整備作業の音を縫って声が響く。声の向かう相手であるカークス軍曹はといえば、パイロットスーツの襟をくつろげたラフな姿で、乗機の尾翼になにがしかを描き加えている所だった。すでに作業を始めて長いせいか、淡い水色を帯びたグレーの布地に、所々黒いペンキがこびりついている。

 30代半ばと自分と年はやや離れてはいるものの、30後半の隊長や40代頭のヴィクトール曹長と比べれば、一人を除けば年齢が最も近い相手である。加えて細かいことを気にせず冗談を飛ばす明るい人間性から、カルロスにとって話しやすい相手でもあり、ここに身を落ち着けた頃からその印象は変わっていなかった。有体に言えば、カルロスにとっては頼れる兄貴分、とでも言うべき立ち位置だろうか。

 

「んなことより、機体は今のうちにきっちり整備しとけよ。この基地の様子見たろ、明日からきっと大忙しだぜ。」

「それは、分かってますけど…。機体って言ったって、予備機の俺はどうせ留守番でしょう?確かにこの様子だと、出る幕も多少は増えそうですけど。」

 

 隊長のMiG-27Mと4機のMiG-21bis、そして整備員など人員輸送用の小型輸送機の都合6機が並ぶ格納庫は、しかし本来の広さからすれば、がらんとした印象を受ける。いくつかの格納庫も覗いてはみたが、目に入った航空機はといえば、『トーネードIDS』が2機にF-5E『タイガーⅡ』が4機だけと、基地の規模からすると明らかに戦力が少ないように感じられた。

 

 それもその筈である。同月25日の敵国――ベルカ軍侵攻以来、基地北西部の山脈以西はベルカ軍の勢力圏となり、実質この基地が最前線としてこの数日を耐えてきたのだ。練度・数ともに劣るサピン王国空軍が、自然の要害を生かしここまで耐え切れたのは、彼らの奮闘と奇跡あっての結果だっただろう。――そしてその代償が、基地周囲に散乱する戦闘機のなれの果てだったという訳である。

 すなわち、この基地はすでに力を出し尽くしているに等しい。既存の部隊がこの有様である以上、その分のしわ寄せは必ずや自分たち傭兵部隊にかかってくるというのは、状況を見れば容易に推察できることだった。それを受けてのことだろう、カークス軍曹の言葉にも少し苦笑の気配がある。

 

「何言ってんだ、予備機ってのは重要なんだぜ?それにこの有様だ、留守番中も上空警戒くらい仕事はあるだろうさ。…ま、しっかり小遣い稼ぐんだな」

「ちぇ。…あれ、ヴィクトール曹長。どうしました?」

「おぅカークス!カルロス!フィオンを見んかったか!?あいつめ、ワシに整備押しつけて『その辺見学してきまーす』とか抜かして逃げおった!」

 

 未熟ゆえになかなか実戦に連れて行って貰えない自分を、慰めるように声をかけてくれるカークス軍曹。憎まれ口を叩きつつも心温まりかけたその空間を、横合いから飛ぶ濁声が見事にかき乱す。不満も露わにどか、どかと重い足音を響かせるその相手――3番機たるヴィクトール・ベレゾフスキー曹長は、体も声も足音もたいそう大きい。この厳つい体で、よくまあ『フィッシュベッド』の小さなコクピットに収まるものだと、初対面の時は一人感心したものだった。

 

「フィオン?いいえ、見てませんけど…」

「あんにゃろー…。たく、猫みたいに気ままな奴だな。」

 

 見た目は歩いてきた様子だったが、ヴィクトール曹長本人としては全力疾走の積もりだったのだろう。ぜーぜーと乱れた荒い息を落ち着ける傍ら、若手二人は存ぜぬ顔。言われてみれば、機体を格納してから彼――フィオンの姿は見ていないような気がする。

 

 コールサイン『ニムロッド2』、フィオン・オブライエン。階級――といっても傭兵稼業では戦歴に応じた職位のようなものだが――は准尉。この部隊の最年少でありながら、自分より2年も早く入隊した19歳の青年である。

 以下はカークス軍曹らに聞いた伝聞だが、ユージア大陸極東のノースポイントに仕事で立ち寄った折、家出同然で志願してきたのだという。ノースポイントといえば割合裕福な国で、政情も安定しており暮らしには事欠かない地である。彼の家そのものも中流家庭だったらしいのだが、『ノースポイントにいても平凡でつまらないから』というのが、その志願理由だったのだそうである。当然戦闘の経験は皆無だったのだが、訓練を受けてその才能はみるみる開花し、あっという間にニムロッド隊2番機に落ち着いたのだという。その経歴は、早熟のエースと評するに相応しいものだと言えるだろう。

 

 ――不平等だ。恵まれた場所に生まれ、しかも退屈と言う理由でそれを放り出した先でさえ、才能を開花させた彼は言うなれば天才なのだろう。幾分の嫉妬も入っているのは否めないとはいえ、経歴を聞いたときに抱いた複雑な思いは、今もさっぱり消えたとは言いがたい。

 ただし、些か気分屋なところがあり、時として命令に従わなかったり、こうして不意に姿を消すことがしばしばある。この性状に加え、年齢相応の生意気さと若干の愛嬌、色の薄い肌や癖っ毛の金髪を思えば、カークス軍曹の『猫』という表現はきわめて的を射たものだった。

 

「んがぁぁぁ!あんの跳ねっ返りがぁぁぁ!!」

「まー諦めなオッサン。どうせメシの時には戻ってくんだろ。…っと!そんな事よりオッサン、カルロス、見ろよこれ!こんなモンでどうだ?」

「?…あ、もしかして、隊の新しいエンブレムですか?…凄い、軍曹上手いですね!」

「んが?…ふんふん…悪くないんじゃないかね?しっかしお前さん、上手いもんじゃな」

「あたぼーよ!実は前々から案は作ってて、隊長に相談しててよ。今回結構大事になりそうだし、隊の門出にな?後で全員の機体にも描いてやるよ。」

 

 ヴィクトール曹長の憤怒を右から左へ受け流しながら、カークス軍曹が自信満々に指さした先を二人の目が追う。指の先にあったのは、後退角のついたMiG-21bisの垂直尾翼。そしてその中ほどに描かれた、塗料の跡が真新しいエンブレムだった。

 五角形の盾の中に、淡い黄金色の満月。そしてその月を背景に夜空を飛ぶ、1羽の蝙蝠の姿。それは小隊の名であるNimrod(狩人)の名に相応しい、夜空を狩場とする黒い獣をモチーフとしたものだった。エンブレムの下には、『Sapin Air Force 7th Air Division 31st Tactical Fighter Squadron』――すなわち『サピン空軍第7航空師団第31戦闘飛行隊』と、彼らの新たな肩書きが銀の下地に黒い文字で刻まれている。

 

 これが、俺たちの新しいエンブレム、新しい姿。新たな戦場へと舞い上がる象徴――。当面は留守番という先の話題も忘れ、カルロスは食い入るように、尾翼に舞う蝙蝠の姿を見つめた。

 年不相応に心が昂るのを禁じ得ない。彼はその感情を抑えるでもなく、ただただ胸に抱いていた。

 

 あたかも、見果てぬ空に思いを馳せる仔蝙のように。

 

――――――――――――

Nimrod(名)

…①狩人、猟師。

②愚か者。

 



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登場人物紹介

本編へ入るに際し、主人公たるニムロッド隊の面々や所属する民間軍事会社について簡単にご紹介します。
ちなみに内容は物語の進展や作者の思い付きにより予告なく変更する場合があります。


【登場人物】

《ニムロッド隊》

◯カルロス・グロバール(21)

・本作の主人公。乗機はMiG-21bisを預けられていたが、1995年5月13日にベルカ軍のエース部隊『ゲルプ隊』と交戦し撃墜。以降、MiG-23MLD『フロッガーK』を新たに乗機とする。

 当初は予備機のパイロットとして『ニムロッド5』のコールサインを当てられていたが、ヴィクトールの負傷・離脱に伴い、小隊4番機に昇格し、コールサインを『ニムロッド4』に改めた。また、1995年10月時点でのヴィクトール復帰およびフィオン・カークス脱走の影響から、10月以降は『ニムロッド3』を当てがわれている。

・オーシア大陸南部に位置する南半球の国、レサス民主共和国の出身。6人兄弟の次男で、父親はレサスの軍人だったが、彼が幼い頃に内戦で戦死している。

レサスは政情不安定による内戦が長く続き、一般家庭が安定した収入を得るのは極めて困難な状況にあった。日雇いの仕事しかなく男手として一家を養うのに限界を感じていた所に、当時レサスを訪れていたニムロッド隊と偶然接触。収入を得るため、そして未来の見えない生活から逃れるため、彼は故郷を離れ傭兵となる決意を下し、家出同然に姿を消した。 時折、唯一真意を知る兄の元には、仕事で得たと思しき仕送りが送られてきているという。

・ベルカ戦争における戦いの中で数多のパイロットと出会い、それぞれの『信念』の下に戦う彼らの影響を色濃く受けている。長きに渡り戦いに対する信念が見いだせず葛藤を重ねていたが、ベルカ戦争を戦い抜く中で見て来た人々の生き様やアンドリューとの語らいを経て、『死なないし、死なせない』こと、『理想に呑まれない』ことをその信条に固めた。

 

◯アンドリュー・ブーバー(39)

・ニムロッド隊を率いる小隊長で、コールサインはニムロッド1。小隊では唯一MiG-27M『フロッガーJ』に搭乗する。スーデントール攻防戦以降は、一時的にJ-7Ⅲを使用。

・出身はユークトバニアに隣接するカルガ共和国。元々カルガ空軍に属する軍人だったが、ユークトバニアとの紛争であるチュメニ紛争において指示を誤り多くの部下を死なせた責を問われ、軍を辞職。その後、現在の民間軍事会社にスカウトされ、今に至る。カルガ空軍除隊時の階級は大尉で、肩書そのままに現在の職に就いている。

・上記のような経歴を持つためか、戦闘の際の態度は厳格であり、かつ咄嗟の変に対応する柔軟さも併せ持っている。戦闘中でも戦闘技術の未熟なカルロスに厳しく指導を行う、カルロスにとっては師のような存在。

 

◯フィオン・オブライエン(19)

・ニムロッド隊2番機を任される少年で、階級は准尉。元々の搭乗機はMiG-21bisだが、『ゲルプ隊』との交戦を期に機体をオーバーホールに回し、当面はMiG-23MLDに搭乗することになった。…が、スーデントール攻防戦以降はMiG-23MLDを修理に回すことになり、6月21日現在は元のMiG-21bisを使用している。

・ノースポイント出身で、比較的裕福な家に生まれる。平凡で刺激の無い日常に退屈を感じ、紆余曲折を経て15歳にしてニムロッド隊に入隊するが、その後に才能を見る見る開花させ、瞬く間にエースパイロットへとのし上がった。外見にそぐわぬその戦績は、まさに早熟のエースと噂された。特に機体性能を活かした近接格闘戦に力を発揮する。

・性格はかなりマイペースで、時としてふらりといなくなったりすることが多い。戦闘でもそのマイペースっぷりはいかんなく発揮され、気の向かない任務や相手では戦闘に手を抜いたりすることもしばしば。また、対空火器を持たない車輛や無防備な航空機などは『甚振っても詰まらない』という理由で相手にしないことも多い。

・1995年10月に発生した『エスパーダ隊脱走事件』の際には、『世界中のエースと戦いたいから』という理由でニムロッド隊を脱走し、そのまま行方を晦ました。

 

◯ヴィクトール・ベレゾフスキー(42)

・ニムロッド隊3番機を務める男で、階級は曹長。搭乗機はMiG-21bis。

・ユークトバニア出身で、傭兵一筋24年。それゆえか報奨には少々貪欲であり、攻撃対象とあらば地上施設や兵舎なども躊躇なく攻撃する。そのためか、どちらかといえば対地攻撃の方が得意。その一方で年配者ゆえの気回しや長年の経験に裏付けされた確かな腕を持ち、頼れる存在でもある。ちなみに体は肥満気味。そして顔も声も大きい。また、その長い戦歴ゆえか、年齢の割に言葉遣いはやや老成している。

・ベルカ戦争初頭に負傷し長期療養していたが、1995年10月に復帰。カークスやフィオンの穴を埋めるため、新たにMiG-23MLDを駆り『ニムロッド2』を名乗る。

 

◯カークス・ビレッジ(33)

・『ニムロッド4』のコールサインで呼ばれる同隊の傭兵で、階級は軍曹。乗機は他のメンバー同様MiG-21bisだったが『ゲルプ隊』との交戦で撃墜され、以降はMiG-23MLDに搭乗する。スーデントール攻防戦以降は他のメンバーと同じくJ-7Ⅲを使用。ヴィクトール離脱後は小隊3番機に繰り上がり、コールサインも『ニムロッド3』となった。

・出身はアンドリュー同様カルガ共和国。ただし当時は軍人ではなく、国境近くの街に住む民間人であった。1986年のチュメニ紛争において職を失い、生活の糧を得る為に傭兵となり、現在に至る。

・性格は冗談を好む明るい性格で、隊のムードメーカー。年配のアンドリューやヴィクトール、若手のカルロスやフィオンといった面々の間の年齢に当たることもあり、年代の幅の大きい彼らの橋渡し的存在である。

・1995年10月の『エスパーダ隊脱走事件』において、エスパーダ1ことアルベルトに同調してニムロッド隊を脱走し、行方を晦ました。

 

《サピン王国軍》

◯ニコラス・コンテスティ(22)

・サピン王国空軍第7航空師団第19戦闘飛行隊、通称『エスクード隊』の2番機を務める少尉。元々はF-5E『タイガーⅡ』を乗機としていたが、戦況進展により予定より早く機種改変を受け、1995年4月下旬からF/A-18C『ホーネット』に乗り換えた。

・カルロス初出撃時の僚機でもあり、年も近い腐れ縁からかカルロスと仲が良く、他の傭兵とも立場の違いを気にせず接する人当りの良い性格。腕前は一般の域を出ないが強運の持ち主でもあり、ベルカ戦争勃発後の撃墜数は小隊トップである。

 

《ベルカ軍》

◯フィリーネ・“メーヴェ”・ハーゲンドルフ(29)

・ベルカ空軍第5航空師団第24戦闘飛行隊、通称『ヴァイス隊』を預かるベルカ空軍大尉。コールサインは『ヴァイス1』、TACネームは部隊色にちなみ、カモメを意味する『メーヴェ』。

・主翼の縁を濃藍色に染めた他は全体を白く塗装し、胴体横に黒く『15』と記したミラージュ2000-5を駆る。機体性能を活かした一撃離脱戦法を得意とし、2機一組に分かれた時間差攻撃や、対地兵装を利用した飽和攻撃などのトリッキーな戦術を駆使して敵を封殺する。1995年4月15日現在の通算撃墜数は28機。

・ちなみに小隊構成員は以下の通り。

 ヴァイス2:スヴェン・レヒナー少尉(26)

 ヴァイス3:アルノー・キュンツェル軍曹(37)

 ヴァイス4:マルティン・フォークト伍長(24)

 このうち、ヴァイス4(マルティン)は171号攻防戦において撃墜、戦死している。

 

◯カスパル・“ネーヴェル”・ゲスナー(33)

・ベルカ空軍第3航空師団第8飛行隊、通称『グラオガイスト隊』を率いるベルカ空軍少佐。コールサインは『グラオガイスト1』、TACネームは霧を意味する『ネーヴェル』。

・エリート部隊と称される第3航空師団の中で、第8飛行隊は主翼に灰色の帯を描いたステルス戦闘攻撃機F-117『ナイトホーク』を運用している。本来は夜間の対地攻撃・爆撃を主任務としているが、場合に応じて対空ミサイルを装備して夜間迎撃任務を担う場合もある。対空戦闘能力は劣る機体であるものの、ステルス機能を活かした隠密裏の近距離攻撃と一撃離脱という戦術で戦闘機を屠ったこともあり、その特徴は実体のない『霧』を意味するTACネームに現れている。1995年6月1日時点での通算撃墜数は6機。

・小隊編制は以下の通り。

 グラオガイスト2:テオ・ニーダーハウゼン中尉(29)

 グラオガイスト3:オットー・ボルツマン准尉(23)

 グラオガイスト4:ルドガー・グリンデマン軍曹(38)

 6月1日の連合軍によるホフヌング空爆の際には対空ミサイルを装備し迎撃に上がるも、民間人の避難キャンプ攻撃の報を受け急行。ニムロッド隊らと交戦し、グラオガイスト3(オットー)が撃墜されるも、脱出し生還した。

 

 

【所属組織について】

◯レオナルド&ルーカス安全保障会社(Leonard &Lucas Security Service)

・オーシアに本拠を置く民間軍事会社。1980年代から活動を始めた傭兵派遣企業であり、航空部隊4個小隊とそれを支援する輸送隊、要人警護を行う陸戦隊を擁する。カルロスらが属するニムロッド隊はこの企業に属しており、本社が受けた依頼に従い各地を転戦している。1995年のベルカ戦争時には、サピン王国へニムロッド隊を派遣した他、ウスティオ、ファトの各国へそれぞれ1小隊を派遣している。

 なお、1995年5月時点でウスティオ及びファトに派遣した部隊は壊滅した。

・所属する傭兵には、それぞれの経歴や技能、就職後の戦歴に応じて、軍隊と同様の階級が与えられている。尤も、これは職位を現すための肩書という側面が強く、仮に軍と協働する際にその階級相応の権限が得られる訳ではない。

・運用機体はコスト面を重視し、MiG-21bisが大半を占める。その他には少数ながらMiG-23『フロッガー』シリーズやMiG-29A『ファルクラム』を保持しており、場合によってはバイヤーから適宜購入を行う。

 



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第2話 孤巣の仔蝙

《諸君、早速だが任務の時間だ。昨日、当基地の北から北西方向へ連なるペリュート山脈西側に、ベルカの機甲部隊が確認された。部隊は戦車および装甲車を中心に編制されており、目的は空陸連携攻撃による当基地の制圧にあると考えられる。ニムロッド隊は爆装して出撃し、当該部隊へ攻撃を行え。  なお、本作戦には当基地所属のトーネード2機も随行し、制空戦闘を担う。各位は対地攻撃に専念し、ベルカの意図を挫いて貰いたい。以上だ。》


「………で、やっぱり俺は置いてけぼりかよ…。」

 

 快調なエンジン音を響かせる機体の息吹に、うなだれた若人のため息が入り交じり、青空の彼方に消えていく。

 基地上空の哨戒任務ということもあり、本日はAAM(空対空ミサイル)2基と増槽1本のみという軽装備。それゆえか乗機MiG-21bisは挙動も軽く、たいそう機嫌よさげに三角翼が空を切っているように見える。

 こいつ、人の気も知らないで。今日ばかりは灰色の愛機に愚痴一つ、カルロスは地を探る目を虚空に向けて、しばし先のやりとりを反芻していた。

 

 基地に着任して翌日の、早速の出撃命令が下されたのは本日朝。勇躍し出撃の時を待つカルロスに、『お前は、今日は基地で留守番だ』と冷や水を浴びせたのはアンドリュー隊長だった。

 

『お前の担当は予備機だ。もし全機で出撃して万一2機以上に損害が出れば、今後の参加は覚束なくなる。それに、俺たちはまだベルカの手並みも知らん。保険の意味も含めて、今回はここに残って機体をこの空に慣らしておけ』

『そんな!俺だってこの二年、ずっとMiG-21(フィッシュベッド)を乗り回してきたんです。きっと役に…!』

『駄目だ、万一の為だと言っただろう。役に立ちたいというなら、基地の哨戒任務もある。…心配するな、今日無事に帰ってきたら、次のローテーションに入れてやる。』

 

 残念ではあったが、隊長の言うことは道理でもある。護衛にトーネード2機が就く以上、絶対的な戦力不足という訳でもない。不承不承ながら命令を受けるしかなかったカルロスに、他のメンバーは三様に声をかけてくれた。不満は無いではなかったものの、その暖かな思いやりは、素直に嬉しかった。

 

 曰く、『がはは!まー今回は大人しく待っとれ!お前の分の戦果も稼いできてやるからな!』。

 曰く、『まぁ、機体をしっかり慣らしておくのも大事な仕事だ。俺らの宿もしっかり守っておいてくれよ?』。

 曰く、『ざまぁです』。

 …嗚呼、最後のだけは今思い出しても腹が立つ。

 

 かくして、小隊の出撃から数時間。基地に残る4機の戦闘機小隊と交代で、カルロスは基地上空の哨戒に至った次第である。

 しばしの内省から我に返り、ふと自機の左前方へ目をやれば、1機のF-5E『タイガーⅡ』が変わらずその小柄な翼を風に舞わせている。

 小型で取り扱い易く低コスト、おまけに制空戦闘機としてはそれなりの性能も有する軽戦闘機ということもあり、F-5シリーズは各国の空軍や傭兵の間でもポピュラーな機体の一つである。さすがに運用されてから長いため、性能面では最新鋭機に及ぶとは言いがたいものの、隊長も皆もいない今はその存在が頼もしい。

 そんな感慨を抱いていた当の相手から、ざ、ざ、と回線を揺らす通信が入ったのは丁度その時だった。

 

《エスクード2よりニムロッド5。退屈な仕事とは思うが、しっかり気を張ってくれよ。こちらは異常なしだ。そっちはどうだ?》

「っとと。了解、エスクード2。こっちも異常なし。引き続き哨戒を続ける。」

 

 よそ見をしているこちらを察したのかと勘ぐりたくなるタイミングでかかった言葉に、慌てて応答するカルロス。正規のサピン空軍戦闘機小隊の2番機ということもあり、その勘はなかなかのものである。

 

 ぱしん、と自らの頬を叩いて気を引き締め、機体を傾けて眼下の様子を探る。見えるものと言えば傷ついた基地に茶褐色と灰色の大地、所々を彩る雪、そして遙かに続く山、山、山。

 この山脈の向こうでは、今頃戦闘が行われているのだろうか。思わず戦場へ続くその空を見上げ、ため息一つ、視線を山間の谷へと落とした、その刹那。カルロスの眼に、きらりと光る何かが映った。

 

「…?何だ?」

 

 頭に差し込んだ違和感を反芻しながら、カルロスは谷間へと目を凝らした。谷間は切り立った山肌に雪を纏い、その多くは日陰となっているが、所々には日の当たる一角もあり、雪の白を陽光に映えさせている。雪や氷が太陽の光を反射し、光って見えたのだろうか。この切り立った地形では車輛が入って来れるはずもなく、戦闘の全戦も山脈の遥か先である。この情景を考えれば、その可能性が最も高い。

 なおも光を捉えた辺りをまじまじと眺めながら、カルロスは脳裏にそう分析を下した。

 

 ……いや。

 違う。

 何かが動いている。

 谷間に降り積もった白い雪の上を、黒い機影が泳いでいる。

 数は6…いや、8。うち2機は、各国空軍でもよく見たことのある大型戦闘機、F-4E『ファントムⅡ』とすぐさま判別がついた。だが、残り6機の見慣れぬ姿に、カルロスは目を凝らしつつ必死に記憶を辿る。

 翼前部に傾斜がかかった、やや細身の上翼配置。無骨な形状の主翼付け根から、機首へ向かって鋭角的に推移するシルエット。尾部にうっすら見える、連なった二筋の噴射炎。そして速度に応じて角度を変える、特徴的な可変翼。実物を見たことは無いが、記録写真で何度か目にした記憶はある。

 あれは――。

 

「……!エスクード2、訂正する!方位300に機影8、F-4タイプが2、F-111が6機と推定!針路…基地へ直行!!」

《何!?………。なんてこった、確かにベルカの戦闘爆撃機だ!…チッ、基地は気づいてないのか!こちらエスクード2、聞こえるか!方位300に敵機8!すぐに迎撃機を上げてくれ!》

 

 その機体――F-111『アードヴァーク』の名を記憶から掴み出し、反射的に大声をあげるカルロス。自らも機体を傾けて確認したのか、エスクード2の狼狽する声が無線を揺らした。

 冗談ではない。やや旧式の戦闘爆撃機ではあるが、F-111の外部兵装搭載量は近代的な主要戦闘機を軽く上回る。もし対地兵装を満載していたら、戦力を消耗したあの基地などひとたまりもない。

 悪いことは重なるもので、基地の方でも接近に気づいた様子はなく、こちらの2機以外に防備は皆無に等しい。おそらく、敵編隊は電波が届きにくい山間を低空で飛行し、視覚的・電子的に目を欺きながら侵攻して来たのだろう。

 いずれにせよ、数は2対8と圧倒的に不利、おまけに基地の迎撃能力は極めて脆い。友軍が上がるまで敵を凌がねば基地の壊滅が避けられないであろうことは、未熟なカルロスでも容易に想像できた。

 

《クソッ、とにかく時間を稼ぐぞ。続け!》

「こんな時に…!ニムロッド5、了解!」

 

 通信を切るや、増槽を捨てた『タイガーⅡ』が機体を傾けつつ高度を下げる。カルロスもそれに倣うように増槽を捨て、高度を下げながら敵編隊へと頭を向けた。高度差は概ね2000フィート、まだ射程距離には遠い。しかも斜め下方へ降下するこちらに対し敵は低空を直進するため、この機位からミサイルを撃っても当たらない公算が強い。かといって、後方へ回り込めばその分敵の接近を許してしまう。…どうする。どうすればいい。

 

《くそ、こっちは2機しかいないってのに…!》

 

 やや前方を先行するエスクード2の苛立った声が耳に入る。確かに、ニムロッド隊の各員か、せめて基地のトーネードがいれば。カルロスもそう思わずにはいられない。

 

 ――いや。

 その時、カルロスの脳裏に閃くものがあった。

 こちらには2機『いる』のだ。単機ならできない戦術でも、複数いればその分幅も広がる。思いつきを頭で整理する暇も無く、カルロスはそれを口に出していた。

 

「エスクード2へ意見具申!俺はこのまま敵の頭を押さえ、その間に敵の後ろに回るってのはどうだ!?」

《何!?ただでさえ数が少ないのに分散は…………いや、…この状況だ、案外いけるかもしれん。…乗った!きっちり散らせよ!》

 

 歯切れの良い応答とともに、エスクード2が機首をやや上げ、敵編隊の後方上空に位置どるべく機体を加速させて遠ざかる。自らの提案とその役割に今更ながら心臓の鼓動を早めつつ、カルロスは進路をそのままに、乗機MiG-21bisの小柄な機体をひたすらに下降させた。

 

 要は、敵が基地へ到達するのを少しでも遅らせられればいいのである。現状の不利は1機2機落とした所で揺るがず、犠牲を覚悟で敵が基地へ侵入して友軍機を撃破してしまえば、それこそ最悪の展開になる。

 ならば、1機が敵の頭を抑えて散開させ、その間に後方に回り込んだもう1機が後方から攻撃し、回避行動を強いる。時間にしてわずかな差にはなろうが、そのわずかな差こそが戦場では大きな差となることを、カルロスは予備機の立場ながら嫌と言うほど見て来た。その経験が、咄嗟に思い付きを脳裏へと浮かばせたのだろう。

 

 …だが。果たして俺が、未だ1機すら落としたことのない俺が、首尾よく役割を果たせるのか。

 

 相対距離1400。こちらの挙動を察した『ファントムⅡ』2機がいち早く機首を上げる。

 相対距離800。だが、相対速度の速さと対処が遅れた為であろう。こちらを狙う有効な機位に占位できないことを察した2機が、こちらの下方を抜けるべく加速する。

 相対距離500。6機の『アードヴァーク』が視界いっぱいに広がる。

 相対距離350。そのパイロットと目が合う。

 ぶつかる。その、刹那。

 

「当たれぇぇぇぇぇ!!!」

 

 23㎜機関砲が轟音と共に火を噴き、雪を背景にした曳光弾が光の軌跡を敵編隊中央へと刻む。一拍遅れて馳せ違う『アードヴァーク』の機影が、瞬く間にすぐ下方を抜けていく。

 命中を確認する間もなく、カルロスは必死に操縦桿を引き、機首を引き上げにかかる。

重い。速度を付けすぎたのか、機体が安定しない。谷が迫る。山壁が両側を塞ぐ。間に合え。踏ん張れ、『フィッシュベッド』――!!

 

「………っぶはぁっ!!はぁっ、…い、生きてる…。」

 

 地面スレスレの所で急上昇に転じた機体の中で、カルロスはため込んだ緊張と恐怖を吐き出した。――敵機。そうだ、敵は。慌てたように回転する視界の中でその位置を探る。

 

 いた。すぐ前下方に『アードヴァーク』6機、遥か前方で高度を取り反転する『ファントムⅡ』が2機。トップアタックが功を奏したのか、確かに敵編隊は乱れ、各個に回避運動を取りつつある。後方から追いついたエスクード2は早くもその内の1機を射程に収め、AAMを発射。地形故に急ターンも困難な状況で回避の術はなく、ミサイルはF-111の尾翼付近に命中し、炸裂。爆炎の掌は機体後部を引き千切り、毟り投げるように残った前部を雪原に転がした。

 

《エスクード2、1キル!…チッ、上か!》

「任せろ!ニムロッド5、FOX2!」

 

 反転し、エスクード2に機首を向ける『ファントムⅡ』2機へ向け、カルロスはAAMを1発発射する。ろくにロックオンせず放ったこともあり、白煙を曳いたミサイルは2機の間を抜けていってしまったが、それでも敵機は回避のため、反射的に機体を攻撃位置から外した。ミサイルを中心に左右に開いた2機が機首を向けるのは、エスクード2ではなく、明らかにこちら。――目を引くまでは成功した。が、問題はここからである。この位置、この機体で、果たして何秒もつか。絶えない不安が固唾となって喉に落ちると同時に、敵機から光の雨と白煙を曳く矢が同時に放たれた。

 

「まずッ…うあぁぁぁっ!!」

 

 主翼のすぐ向う側を白煙が抜け、間髪入れず装甲を幾重にも叩く耳障りな音が心臓を苛む。すれ違いざまに響く『ファントムⅡ』のエンジン音は、今の彼にはさながら獲物を狙う虎の唸りにすら思えた。

 

 幸い、致命的な箇所への被弾はない。だが、今の状況は不利この上ないと断じていいだろう。反転した敵機はこちらの後方上空に位置取りつつあり、こちらが再加速して上昇する前に確実に攻撃位置に就く。左右へ回避しようにも迫り立つ山肌が機動を制限し、殺到するミサイルを回避することも覚束ない。何より機体そのものの特性として、MiG-21系統は小柄な主翼が災いし、低空で安定性が悪化する。状況、機体、あらゆる点をとっても、こちらの有利は何一つ無い。

 

「………まずい、逃げ場がッ…!!」

《エスクード2、2キル!…くそっ、エスクード隊発進まだか!!手が足りない!》

 

 命知らずのカモを嬲るように、後背に20mm弾の軌跡が迫る。谷間に沿い逃げるしかないこちらを察して、予測回避先へバルカンを放つ偏差射撃をしているのだろう、その度に銀色の機体に黒い被弾痕が確実に増えていく。エスクード2の声が無線に聞こえた気がしたが、その内容を解する余裕すら無い。

 横合いにかかるGが、先ほどからの精神への重圧が、何より恐怖が、胃袋を締め付け続ける。真実味を増した死が手を強ばらせ、機体の機動を無意識に鈍らせる。

 

 ヴ――――。

 コクピットに重低音が満ちる。ロックオン警報。

 捕まった。

 やられる。

 瞬間、カルロスの脳裏には、故郷の思い出が去来した。幼い頃戦死した父の面影。母の憂い顔。弟妹たちの顔。

 

 走馬燈のような、一瞬の幻。

 それは直後に起こった爆発で、霧のようにかき消えた。

 

「…………!?」

《カルロス、生きてるか》

《このバカ、無茶しやがって…!》

「……!隊長!みんな!!」

 

 聞き覚えのある声が耳朶に触れ、幻に浸された脳を現実に引き戻す。

 背後を振り返れば、爆炎に包まれ左翼を失った『ファントムⅡ』が平衡を失い、山壁に衝突する姿。残る1機はこちらを追い越し逃走の気配を見せるが、後方から追いついた『フィッシュベッド』の機銃を受けて墜落していく。弾丸は正確にコクピットを砕いたのだろう、落ちていく大型の機影から炎が出る様子は無かった。

 

《ニムロッド2、1キル。前しか見てないイノシシはチョロいです。》

《ニムロッド2、上出来だ。…爆撃機の方も諦めたらしい。帰還するぞ。……カルロス!付いてこれるな。》

「…隊長!……すみません、俺…」

《………言いたいことは山ほどあるが、1個だけ言っておく。『僚機に死なれるのは困る』。……それだけだ。》

 

 頭上を越えていく、翼を目一杯に広げたMiG-27M『フロッガーJ』の影。その姿を間近に見た時、不意にカルロスの頬を涙が濡らした。

 安堵、恐怖、不甲斐なさ、悔しさ、感謝。様々な感情が入り交じった涙は止まる所を知らず、吐露する場所を見つけたように溢れ出す。

 

 尖った翼端に軌跡を曳き、ダイヤモンド隊形の小隊に追随するよう銀色の機体が高度を上げる。カルロスの滲んだ目には、連なる山々、地から湧く五筋の黒煙、そして朝と変わらぬ姿を見せるヴェスパーテ基地の滑走路が、空の青に混じって揺れていた。

 



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第3話 去就

 空気ごと腹の底を揺さぶるような重低音が響き、溢れる音に麻痺しそうな耳の奥で一定のベース音を刻む。

 時折眼前を通り過ぎる、耳をつんざくような轟音は、その例えならば演者それぞれを象徴する独奏という所だろうか。

 空を見上げれば、曇天の合間にいくつも見える灰白の翼、翼、翼。出待ちの彼らが降り立つ地上へと目を向ければ、独奏を終えた演者たちが滑走路に、格納庫に、溢れんばかりに屯している。先日までの基地の閑散とした様子を想起すれば、今日は満を持したオーケストラの演奏会と表現すべきか。戦闘機、爆撃機、攻撃機と、その種類は枚挙に暇がない。

 

 勇壮なものである。そう、比喩でも皮肉でもなく、純粋に耳が痛くなるほどに。

 30分ほど前から続く『演奏』に耳鳴りを覚えながら、カルロスは半ば唖然とした面持ちで、絶え間ない彼らの独奏を眺めていた。

 

 1995年、4月2日。

 この日、電撃的なベルカの侵攻を辛うじて支えきったサピン王国は、同じく同国の侵攻を受け陥落寸前の隣国ウスティオ共和国、ならびに五大湖を挟んで隣接しているオーシア連邦と協力した連合軍の結成・参加を決定。開戦後一週間の混乱から軍を立て直し、前線基地への戦力結集を行うこととなった。今朝からのこの喧噪は、その旗振りを受けた第一軍という訳である。

 当面の目標はまだ知らされてはいないが、おそらくは山脈を挟んだ国土北西端部の勢力圏奪還が第一、オーシアとの連携を図るべく五大湖沿岸の制圧が第二ということになるのだろうか。連合の相手の一つ、ウスティオとの連絡も幹線道路の喪失により絶たれたままであり、そちらの奪還も先に入るのかもしれない。いずれにせよ、傭兵に選択権は無い。『行け』と言われれば、たとえ不利な状況でも、戦力を消耗していようとも、報酬の為に馳せ参じるのみである。

 また1機、航空機が滑走路へと舞い降りて砂煙を巻き上げる。角のある無骨な胴体に可動式の上翼配置、急角度をつけた大型の尾翼を持つその機体は、サピン空軍の主力機種の一つである『トーネード』シリーズと伺い知れた。

 

「はー…。なんともまた豪華なもんだ。この間までの懐寒さが嘘みたいだな」

「本当です。おとといまでなんて、今回の増援の半分くらいしかいなかったんですからね」

 

 作業着を纏い、ススで汚れたタオルを首に巻いたカークス軍曹が傍らで呟く。その言葉や表情には、驚きももちろんのことだが、どことなく呆れたような雰囲気も滲んでいるように見える。自分は、予想以上の増援の数にただただ驚き頼もしく感じたのだが、歴戦の軍曹にはまた違って感じるのだろうか。

 『トーネード』の甲高いブレーキ音が耳を突く。エンジンの回転を弱めたのだろう、しばし騒音が鳴りを潜めた所に、上空から響く遠雷のような音が、やっとのことで耳に届いた。目を上げれば、空中管制機を中央に、まだいくつもの機影が辺りを飛んでいる。

 

「それにしても、あれだけの数、どうするんでしょう。この基地じゃ到底収まり切りませんよ」

「んぁ?…あー、そうだな。おおかた近くの基地に分散させるんじゃねぇのか?…お、やっぱりそうだ。東と南西に分かれたぜ」

 

 ここヴェスパーテ空軍基地は、本来前線を補佐する山間の小基地であり、大部隊を駐屯させるには不便この上ない。ふ、と湧いたその疑問は、素人でも思いつく単純な問題であった。それに応じたカークス軍曹は、直後に動き出した編隊を見上げ、『ほれ、見てみろ』と言うように指を示す。その顔は、読みが当たった会心に思わず綻んでいる。

 確かに、上空では編隊がまさに二つに分かれる所であり、空中管制機を含めた一団が東へ、残る十数機程度が南西へ機首を向けるのが見て取れる。地理的にこの基地を中心と考えれば、これでベルカ勢力圏に対面する拠点は三カ所。これらの体制を以て、サピンは近いうちに北進を始めるのだろう。

 息の合った機動を見せる、赤い塗装を施された2機の戦闘機を先頭に、東の一団は雲間へと入り消えていく。後には、空気を揺らすエンジン音と、幾ばくかの静寂を取り戻した鈍色の空が残っていた。

 

「ま、こんだけいりゃ当面こっちの戦力は大丈夫だろ。オッサンが抜けてどうなるかと思ったが、何とかなりそうじゃねえか」

「そう…、ですね。…ヴィクトール曹長、大事ないといいんですけど」

「心配すんなって。あのオッサン頑丈だから、高血圧以外じゃたぶん死なねぇだろうさ」

 

 耳に残る残響にいくらか心細さが混じったのは、エンジン音が遠のいていった為だけではないだろう。

2日前の、ベルカ機甲部隊への奇襲作戦。その戦闘の折に、ニムロッド3――ヴィクトール曹長の駆るMiG-21bisは対空砲により被弾し、曹長本人も左脚に傷を負ったのだった。幸い基地まで帰還はできたものの、太腿の外側を貫通したその銃創は軽いとは言いがたく、負傷者で溢れたこの基地の医療室では対応できないという判断が下された。曹長が基地の負傷者と共に後方へ送られたのは、つい昨日のことだ。

 

 『フン、ベルカの花火師もやりおるわ。…お前ら、直に戻ってくるから、俺の分の獲物もとっておけよ。いいな!』

 

 とは、輸送機に乗る直前、松葉杖を突きながらの曹長の弁である。

 後で見たのだが、曹長の機体はコクピット下方に弾痕が連なり、あと僅かにずれていれば左足の付け根から先が飛んでいたのだという。椅子の左下は、曹長の血が未だ生々しく残っていた。

これほどの傷を負っての戦闘続行、そして去り際の言葉。今更ながらに、曹長の肉体と精神の強靱さに驚かされた思いだった。

 おそらく、寂しさと心細さは皆一様に感じていることなのだろう。ことさらに明るい曹長の去り際やカークス軍曹の口調は、きっとその裏返しだ。先の戦闘のこともあり、自分とて不安は一入である。それでも、先輩達の姿を見れば、それを表に出す訳にはいかなかった。

 

「あっはは、きっと、きっとそうですよね。曹長がいない分、俺も頑張って埋めないと」

「ま、気負い過ぎんなって。今は戦果より、機体と命を持って帰るのが一番の馳走ってやつさ」

「わっぷ。何するんですかちょっと!折角髪整えたのに!」

 

 ぽすん。気合いで堅くなりかけた頭にカークス軍曹の大きな手が降り落ちるや、まるで犬でも撫でるかのようにわしゃわしゃと頭髪をかき回す。カルロスも負けじと抗議一つ、その手を掴んで頭から引きはがして向けた苦情の弁にも、カークス軍曹本人は悪戯げににやにやするだけだった。こちらの気を解す意味合いは分かるけれども、子供か何かかと不満を思えば、ついつい語尾も強くなる。

 ただ、同時に、どこか落ち着く気がすることも、心の片隅に自覚せざるを得なかった。それは故郷で暮らしに困窮する前、小さかった時の遠い記憶に似ている気もする。

 父親とは、こういう感じの人なのだろうか。

 

*********

 「――で、まず当面の軍の方針だが」

 

 低く通るアンドリュー隊長の声が、未だに耳鳴りが残る耳にもよく響く。

 基地の喧噪も収まった数時間後、ニムロッド隊にあてがわれた格納庫の一角。パイプ椅子に腰を下ろし思い思いの服装を纏った主要メンバー一同は、しかしそのなりの乱雑さにそぐわず、咳一つ聞こえない静謐な様子である。

 先刻まで隊長も参加していた司令部でのブリーフィング直後の招集ということからも想像される通り、その内容は当面の方針。すなわち、直近に参加するであろう作戦の内容と知れた。

 

「今朝伝えた通り、サピンはオーシア・ウスティオと連合を組むことになった。ところが、知っての通りこの基地より北と西はベルカに占領されており、両国との連携もままならん。…そこで、だ。まずは総力を以て、山脈を北に越えたオステア空軍基地を奪還。次いでウスティオとの回廊に当たる国道171号線を奪還し、ウスティオとの連携を図る。山脈以西の回復はその後だそうだ」

 

 まず伝えられるは、作戦大綱ともいうべき戦略の全体像。おそらくは開戦から今に至る一週間の間に、各国首脳部で幾度も電波を介した会談が行われたのだろう。就中、ウスティオは真っ先にベルカの侵攻に遭ったこともあり、自国のみでの抵抗は困難な状況にある。ウスティオが併呑されれば地理的には当然次にサピンがその攻勢を受ける訳であり、その点からも各国との連合、ウスティオへの早期支援というのはカルロスにもよく納得できた。問題は、果たしてウスティオがどれだけもつか、という所だろうか。

 

「以上は大まかな状況だ。そこで具体的な所についてだが…我々は明日0400時に出撃し北進、爆撃隊に先行してオステア基地に至る対空陣地を攻撃する。ベルカ軍はウスティオ早期制圧に注力しており、こっちは比較的手薄だ。状況次第では、そのまま基地上空の制空に向かうことになるだろう」

「えらいまた急っすね…」

「それだけウスティオの戦況が切羽詰まっているということだろう。見ての通り、ウスティオの勢力圏はもはや山間部のみだ。控えめに評しても余命いくばくもない」

「ま、今日の様子からなんとなくそんな気はしてましたけど。で、攻撃はいいとして、肝心の基地の制圧はどうなるんです?」

「基地の制圧は、一通り航空攻撃が終わった後に海兵隊がヘリ降下する予定だそうだ」

「対地戦はつまんねーので嫌いです」

「…フィオン、仕事だ。好き嫌いを言うな」

 

 明日、しかも早朝という急な命令に呆れ顔のカークス軍曹。フィオンに至っては呆れ顔どころかモチベーションの上がらない対地戦への不満を垂れ流す始末である。元々刺激を求めて傭兵になった彼は、『働きやすいか』『稼げるか』ではなく『面白いか』という点を重視する傾向にある。特に好む所は高機動を伴う対戦闘機戦であり、速度を抑えがちで目標の機動も遅い対地戦闘はその対極ということなのだろう。ぴしゃり、と嗜めるように言葉を被せる隊長の声は、どこか冗談めかしながらも厳格だった。

 

「カルロス」

「あ、はいっ!」

「ヴィクトールが離脱した以上、お前にはこれから常時戦闘に出て貰うことになる。まずは3つを覚えろ。命令を厳守。己を過信せず無茶をしない。必ず生還を期せ。その他諸々この前言った通りだ。分かっているな」

「……が、がんばります…」

 

 隊長の威厳が入り交じった声に、思わず肩がびくんと震えるカルロス。先の戦闘の後、指導という名の説教をたっぷり食らったことは未だ記憶に新しい。隊長たちに助けてもらった直後の言葉通り、その威厳の先には、隊員の死を防がんとする思いがあるのも十分理解している。

 してはいるのだけれども、そこはやはり軍隊を経たつわもの。経験に裏打ちされた言葉と、諭すような脅すような緩急織り交ぜた語り口の説教は、ありがたいと思うと同時に、今思い出しても恐ろしい。

 『とりあえず、機体と命は持って帰れ。』

 隊長とカークス軍曹が異口同音に言ったその教訓が、隊長の最後の念押しに重なった。

 

「便宜上、以降はコールサインを繰り上げて、カークスはニムロッド3、カルロスはニムロッド4とする。明日からは本格的な戦闘だ、パイロットとメカニックは早いうちに体を休めておけ。いいな」

 

 質問は出ないようで、隊長の締めの言葉を最後に、隊の面々は思い思いの場所へと散っていく。隊長は後回しにしていた機体のチェック、カークス軍曹は基地の他の隊の所に向かうようだ。フィオンは、気づけば既に姿がない。

 それぞれの受け持ちへ戻っていく整備員たちに混ざり、カルロスは自らの乗機の隣に佇んだ。先日受けた損傷は応急的に修復され、外見上は戦闘後とは全く思えない。

 

 とうとう、俺が4番機。それも予備機パイロットでなく、純然とした小隊機である。

 蝙蝠を描いた尾翼のエンブレムを見つめ、カルロスは今更の実感を噛みしめる。ほんの数日前までは心から切望した、それでいて死線を経た今では興奮と不安の入り交じった複雑な心が向かうその立場。

 

 改めてよろしく頼む、『ニムロッド』。心の中で、カルロスは月夜を背にした蝙蝠に語りかけた。

 

 黒翼の蝙蝠が羽ばたく朝は、すぐそこまで迫っていた。



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第4話 Red and Black

《ペリュート山脈北方に位置するオステア空軍基地は我が国最北端の軍事基地であり、ベルカ・ウスティオ両国国境を展開範囲に収める要衝である。現在オステアはベルカ軍によって制圧されており、ウスティオとの連携作戦である国道171号奪還に際し大きな障害になると予想される。そこで、当該作戦に先んじて、我が軍は空挺部隊によるオステア基地奪還を実施する。ニムロッド隊の諸君はエスクード隊と連携し、基地に至るまでに設けられた対空陣地を攻撃、空挺部隊への脅威を排除して貰いたい。また、可能ならばそのままオステア基地へ先行し、敵迎撃能力を漸減せよ。
 当作戦は連合作戦の前段階であり、速攻速戦を旨とする。必ずや任務を全うし、オステアを速やかにサピンの手に戻して貰いたい。以上だ。》


 黒々とした空が仄かに明るみを帯び、闇一色を纏ったままの山壁とわずかな境目を作り出す。

 

 震える肌、圧を覚える眼。

 ややもすれば見失いかねないその境界を視界の端に捉えながら、カルロスは何度目になるか分からない生唾を飲み下し、眼前に浮かぶ赤と緑の光をひたすらに凝視していた。谷の両側を流れる山壁は、まるで質量を持った闇のように無言の威圧を孕んで、光の標を見失った者を容赦なく押し潰さんと悠然と構えている。

 

 21世紀も目前のこの世にいながら、操縦桿を握る若人の心地は、あたかも星座を頼りに歩を進める古の旅人に似たものだった。

 時に、1995年4月3日、午前4時30分。サピン王国北方に聳えるぺリュート山脈が平野部へと移行する、扇状地の頂点付近に、いくつもの機影が浮かんでいた。

 

「………ふー…、やっと抜けたか。神経がすり減って無くなりそうだ…」

 

 先頭から四番目に位置するMiG-21bisのコクピットで、カルロスは凝りに凝った肩を鳴らして一人ごちる。地形を活かした敵基地への奇襲攻撃という関係上、無線で不安を紛らわすことすらできず、孤独な緊張を強いられ続けて30分。その飛行の負担は予想以上に大きく、これだけの時間で体がどっと重くなったように感じる。

 まして、夜間の山間飛行である。電子装備の点では些か旧式さが否めないこの『フィッシュベッド』では勘や技量を要求される部分が大きく、その点僚機であるエスクード隊のF-5E『タイガーⅡ』も大きくは変わらない。優秀な地形追従レーダーを持つアンドリュー隊長のMiG-27M『フロッガーJ』がいなければ、自分などおそらく早々に脱落していたことだろう。

 音を上げそうな神経が思わず呟かせた愚痴は、キャノピーの外へと呑まれて消えた。

 

 ちか、ちか、と、アンドリュー隊長の機体尾部に微かな光が明滅する。

 『エスクード隊先行せよ』。

 モールス信号で読み取られたその言葉に従うように、すぐ後方に付けていた4機のF-5Eが右側を抜けて、やがてニムロッド隊の前方に機位を占めた。

 今回エスクード隊は上空支援を行う手筈となっているが、作戦目的を踏まえて、可能ならば爆撃も行うよう指示されている。徐々に明るみを帯びつつある東方の薄雲を背に、小さなその翼の下には爆弾が4つ懸架されているのが辛うじて判別できるのが、その証左だろう。

 早い段階で爆弾を捨てさせ、彼らを本来の任務に集中せしめる。あらかじめ練られた方策に従い、8つの機影は薄闇の中で滑るように陣形を変え、その時を待った。

 

 遥か彼方に、微かに光が見える。瞬かず煌々と輝くそれは星でも虫でもなく、人工の光であることを物語っている。

 機体座標を確認する。当初のシミュレーション通り、数値は刻々と動きながらその先を導いている。

 エスクード隊が機首を上げ、徐々に高度と速度を上げていく。

 尾を曳く二筋の噴射炎が、星へと紛れてゆく。

 安全装置を解除する。

 翼が夜を切る。

 定刻。

 

《エスクード1より各機、攻撃を開始する》

 

 号令の数瞬後、暗闇に幾つもの爆炎が上がり、仄明けの空を、地を、目標を赤黒く染め上げる。

 闇に浮かぶ姿は、空を指す地対空ミサイル(SAM)、煙に追われた兵士がまろび出る兵舎、そして急造の短滑走路と露天駐機されたAV-8B『ハリアーⅡ』。すなわち、後続のヘリに脅威を及ぼす全てのもの。

 

《ニムロッド各機、続いて攻撃する。無駄弾を撃つなよ》

《了解でーす》

《ニムロッド3了解。稼ぎますか》

「ニムロッド4了解しました。撃ちます!」

 

 アンドリュー隊長の声と『フロッガーJ』による銃撃を合図に、機首を軽く上げて引き金を引く。同時に、足元から空気が抜けるような噴射音が響くや、光の尾を曳いた小弾頭が放物線を描いて降り注いでゆく。まるで夜空を裂く流星群のようなそれらは地上の至る所に爆発を刻み、長く暗闇に慣れた目をしばし幻惑した。

 無誘導対地攻撃兵装、ロケットランチャー。多数の小弾頭を発射するこの兵装は1発辺りの破壊力こそ小さいものの、広範囲に飽和攻撃できる特性上、このような短時間の制圧には極めて有効な兵装である。この時もその例外ではなく、数十の弾頭が目標を破砕していく。対空砲は基部から爆ぜ、駐機していた『ハリアーⅡ』は主翼と機首を失い燃えている。あと、少し。方向を変え、残敵を掃討しようと向けた視界の先に、ゆっくりと3つ首をもたげて空を仰ぐ黒い塊がちらりと見えた。

 SAM。反射的に判断を下したカルロスは、ガンレティクルの中心にその基部を収め、23㎜機関砲を掃射した。

 暗い地に曳光弾が映える。

 車体部を削り取られSAMが横転する。

 そして。

 

「あっ…!?」

 

 思わず、声が漏れた。

 間近で生じた機関砲の発射炎に幻惑されたためであろう、彼はSAMの影にいたその存在に気付かなかった。

 人。おそらくは、迎撃態勢を整えるためにSAMに向かったベルカ兵。

 SAMと比べれば遥かに小さいその体へ、曳光弾が向かっていく。

 航空機にさえ致命傷を負わせうる23㎜弾の前では、人体が耐えられる訳もない。夜の黒に血と肉の赤を千切れ飛ばして、一瞬のうちに男はその命を止めた。まるで人形が壊れるのを見るように、それは身震いするほどにあっけない。

 

「………はぁぁっ!くそ……!」

 

 陣地上空を通過して、黒翼の機体を闇の中で反転させる。ため込んだ息を吐き出して、同時に噴き出た感情は、自分でも何なのか判断できなかった。

 自分は傭兵であり、今は戦争である。結果的に人の命を奪うのも悪いこととは思わない。事実、つい先日だって自分は死にそうになったのだ。殺されるくらいなら殺す方がマシ、というのは、おそらく自分だけの感覚ではないだろう。

 だが。それでも、人が血肉をまき散らすような悲惨な最期を進んで見たい訳ではない。生身の人間が見えず、ただ『機体』という単位で認識される空の戦いと違い、対地戦ではそれを否応なく目にしてしまう破目になる。それだけ、地上の戦いは、命との距離が近すぎる。

 

 対地戦は、嫌いだ。出撃前にフィオンが言ったことと同じ、それでいてベクトルは全く異なる感慨を、カルロスは心に刻んでいた。

 

《こちらエスクード1、対空陣地の沈黙を確認》

《空中管制機『デル・タウロ』よりエスクード1、了解した。これより爆撃隊とヘリ部隊を進行させる。エスクード隊、ニムロッド隊はオステア空軍基地へ先行し、対空火器および迎撃機を可能な限り叩け》

《了解した。ニムロッド隊、追従されたし》

《了解だ。全員聞いたな、厄介なことになる前に叩くぞ》

 

 遥か後方に位置する空中管制機、E-3『セントリー』から通信が入り、それに応えるように8機の機影が加速する。この対空陣地攻撃にそこまで時間は要さなかったが、オステアでは既に察知し、スクランブルをかけていることだろう。本来基地制圧戦の主力は他の友軍基地に所属する『トーネードIDS』であるが、侵攻ルートが異なる為、到着まで若干のタイムラグがある。つまりはトーネード隊到着までに、どれだけ抵抗力を削れるか。ここからの作戦の成否は、偏に速度にかかっていると言っても過言ではなかった。

 

《『デル・タウロ』より各機、オステア上空に機影確認。迎撃機が上がり始めている。速やかに制空権を確保せよ》

 

 『セントリー』の持つ優れた電子の眼が、彼方から目標の空を俯瞰する。探知範囲の短いMiG-21シリーズにとって、空中管制機の存在はありがたい。殊にこのような侵攻戦に当たっては、事前に敵の状況を知るほど心強いものは無いのである。

 明るみを増した空の下に、街と田園を擁して横たわる灰色の敷地が遠く朧に見える。機上レーダーもようやく働き始め、いち早く空を舞う敵の姿をレーダーサイトに捉えた。機影は5、おそらくまだ滑走路にも複数機。あれを空に上げる訳にはいかない。

 

《ニムロッド隊、上は俺たちに任せろ!先に滑走路を叩いてくれ》

《ニムロッド1了解。全機攻撃を開始、1機も撃ち漏らすな》

 

 瞬く間に近づく基地へ向けて隊長のMiG-27Mが機首を下げ、3機のMiG-21bisがスピードを緩めず追いすがる。エスクード隊の4機はその間に高度を上げ始め、上空からこちらを狙う迎撃機に相対するらしい。

 瞬間、どっと堰を切るように、基地の敷地から幾筋もの曳光弾が放たれ始めた。その数を数えるに、こちらを狙う対空砲の数は3、4…いや、もっと多いだろうか。耳障りな低いブザーもコクピット内を満たし始め、SAMが地上から狙い始めたことを告げる。そのプレッシャーは、先程とは比べものにもならない。

 

 光弾がコクピットを掠める。脳裏にヴィクトール曹長の負傷が蘇る。引きずられた脚、血に濡れたコクピット、機体を穿つ風穴。

 

《ビビんなよカルロス!全速で抜けりゃ対空砲なんざそうそう当たらねぇ!》

「…!はいっ!!」

 

 あらゆる音が圧迫する中に、すぐ前を行くカークス軍曹の声が耳朶を打つ。僅かに速度を緩めたこちらを気にしたのであろうことは、そのタイミングから明らかだった。

 多分、軍曹だって怖くない訳ではないのだろう。だけれども、それを抑えて自分を叱咤激励してくれている。

 応えなければ。期待に、思いに。

 再び機体を加速させたカルロスは、先を行く3機ともども対空砲の弾幕を突き抜ける。

 目の前に広がるは滑走路、駐機された攻撃機、そして離陸を始めるJA37『ヤークト・ビゲン』。

 

「行けっ!!」

 

 他の3機とほぼ同時にロケットランチャーが火を噴き、滑走路の表面を粉々に破砕する。眼前で宙に浮きつつあったJA37はアンドリュー隊長機の放ったロケット砲の直撃を受け、10mも浮かばぬ内に爆散。白い滑走路に炎と鉄屑をまき散らし、鏃を模した鋼鉄の残滓を薄明かりの地上へと転がり散った。先ほど攻撃した滑走路と併せて、これで当面迎撃機の発進は防げる筈である。

 

《エスクード2、1キル!今週はツイてるぜ!》

《くそっ、エスクード4被弾!ペイルアウトする!》

 

 航過攻撃を終え、追いすがる対空砲を回避する最中に、制空戦を行っているエスクード隊の通信が耳に届く。上を見上げれば、明るみを増した空を背に2つの機体が炎を纏い、まるで彗星のように落ちてゆく姿が見て取れた。複数の機影が大きく円を描き、急降下し、機銃の筋を刻む。弧円の両端で鎬を削るその様は、文字通り犬の喧嘩(ドッグファイト)。彼我の数は3対4、性能や練度を踏まえると、幾分不利は否めない。

 

《上空の戦況が危うい。ニムロッド3、ニムロッド2と4を率いて上空に加勢しろ。下は俺が叩く》

《ちぇー、また地上の敵は一人占めですかぃ?…了解です!2人とも行くぞ!》

《うぃーです》

「了解!」

 

 命令を受け、カークス軍曹に付いて機体を急上昇に転じさせる。視界をちらりと下方に向ければ、隊長の『フロッガーJ』が機首を返し、先程の対空砲の最中に突入していく所が見えた。元来『フロッガーJ』は、MiG-23シリーズをベースに純粋な攻撃機として改良を施したタイプであり、殊に対地攻撃に関しては優秀な機体である。代名詞とも言うべき胴体下部に装備した30㎜6連装機関砲の破壊力は凄まじく、一斉射の間に対空砲は見る間に砕け、スクラップと化していった。

 

《カルロス、下は隊長に任せとけ!…よし、フィオンは自由戦闘。カルロスは俺に続け!》

「うっ…はい!近接支援に就きます!」

 

 下を気にしていたこちらを、例によってしっかり読んでいたのだろう。カークス軍曹の声に驚きながらも、カルロスは自機をカークス機の斜め後方につける。その機首が向かう先には、友軍の後方を狙う敵機の姿。主翼と機首の形状から、先程地上で見たのと同じJA37『ヤークト・ビゲン』と判断された。

 

《くそ、振り切れない!誰か、後ろの奴を落としてくれ!》

《よし、あいつだ。焦るなよ、よく近づいてからだ。見てろよ…》

 

 戦闘自体には不慣れなこちらを見越してだろう、あたかも教導するかのようにカークス軍曹の戦術解説は懇切丁寧である。言われるままに、カルロスは敵に悟られないよう機体を加速させた。敵機は眼前の『タイガーⅡ』に気を取られ、こちらの接近に気づいていない。

 徐々に機体を苛む機銃に業を煮やしたのか、『タイガーⅡ』が一気に加速して突き放しにかかる。JA37はそれに釣られるように、追尾のための蛇行を止め、一気に直線加速を始めた。

 

 敵が攻撃に専心し、回避運動が鈍った一瞬の隙。

 瞬間、カークス機の翼下に炎が迸るや、ミサイルが一直線に目標へと殺到する。

 左急速回頭からの急降下、空中戦闘機動に言ういわゆる『スライスバック』。油断していたとはいえ、咄嗟に適切な回避行動をとったベルカ機の練度は流石に高い。だが、機体性能をフルに生かしたJA37の機動は、遅きに失していた。彼にとって幸いに直撃にこそならなかったものの、エンジン部の熱を追ったミサイルは慣性そのままに直進。爆発とともに右翼端をへし折られたJA37は、大きく軌道を損ないながら高度を下げていった。

 

《チッ、浅かった!カルロス、止めを頼む!》

「分かりました、追撃します!」

 

 カークス軍曹の舌打ちを耳に、カルロスは機体を左旋回させ敵機の後を追う。JA37は右翼から炎を上げ、ふらつきながらも回避機動を止めてはいない。それは戦闘機乗りの意地にも、もがれた翼の断末魔にも見えた。

 ロックオン。照準が重なると同時に、ボタンを押下する。無慈悲に加速するミサイルは過たずその尾部を捉え、爆散。爆炎の中から千切れ飛んだ三角翼が、煙の尾を曳きながら、そのかつての巣へと堕ちていった。

 

《うまいじゃないか、カルロス。よくやったな》

「いえ、軍曹の一撃があったからこそで…ありがとうございます」

《何、いいってことよ。…お、他も終わったみたいだな》

 

 カークス軍曹のMiG-21bisが機体を寄せ、賞賛の声をかける。初撃墜を褒められはしたものの、その実ほぼ軍曹にお膳立てして貰ったこともあり、気恥ずかしさが勝ってしまうのはどうしようもなかった。恥ずかし紛れに頬をかきつつ周囲を見やれば、他の敵機もフィオンを始めとした友軍機がめいめいに駆逐し終えた所らしい。

 相変わらず『詰まらなかった』と零すフィオン、声高に2機撃墜を自慢する『エスクード2』。『エスクード4』が撃墜されたことを除けば、一連の戦闘は完勝と言って良かった。ベルカ侵攻以来負け続けの中で、ようやくもぎ取った一勝である。

 

《友軍のトーネードだ》

 

 エスクード1の声に南を向けば、見慣れた上翼の機体が8機、徐々に近づいてくる。その後方にはヘリの姿もあり、作戦の主演が彼らへと移ったことを告げていた。

 それを認めたのだろう、アンドリュー隊長のMiG-27Mが翼を広げ、ゆっくりと高度を上げて編隊の前方に就く。弾痕が幾つも認められるも、致命的なものは無いように見受けられた。

 

 東から太陽が顔を見せ、白く澄んだ光で地を照らす。

 夜を満たした赤と黒を、洗い流すような清い白。

 蝙蝠は朝日の中を、しばし弧を描いて舞っていた。



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第5話 北を指す標(前) -鬼の踏痕-

《我が国西部を縦断する幹線道路171号線は、オーシア連邦東岸のオーレッド湾からウスティオ共和国首都ディレクタスにかけてを繋ぐ最大の兵站線である。だが現在、当該区域はベルカ機甲部隊による厳重封鎖が行われており、これら両国との連携を図る上で大きな障害となっている。そこで本日10:00時より、171号線奪還を目的とする『ローゼライン』作戦を発動する運びとなった。
本作戦はウスティオ共和国軍第6航空師団との共同作戦となる。諸君はウスティオ空軍による第一次攻撃後に戦域へ侵入し、残存部隊の掃討および171号線確保を担う陸軍機甲部隊の護衛を行え》


 春風に穂を揺らす小麦畑が、褐色の地面にモザイク模様を彩っている。

晴れ渡った空からは穏やかな春の日差しが降り注ぎ、時折雲の影を地面に泳がせる。田園の中にはぽつりぽつりと風車や農機を収めた倉庫も見られ、この地が豊穣な穀倉地帯であることを如実に物語っていた。

 牧歌的なその光景は、そのまま切り取ってキャンパスに貼りつければ、見事な風景画として成立しそうな風情を湛えている。今こうして地に影を落とす戦闘機の姿さえなければ、それを実践する画家がいても、何ら疑問を抱くことは無いであろう。眼下に広がるこの光景に、鉄の匂いは調和しそうにない。

 

 サピン王国西部、アルロン地方。

 肥沃な土壌と河川による水利に恵まれたこの地は、古くから穀倉地帯として発展しており、同時に内陸の大都市ディレクタスと水産資源に恵まれたオーレッド湾を結ぶ回廊としても機能していた。田園を突っ切り、北へ向けて遥かに伸びる大きな道路は幹線道路171号線と呼ばれ、平時には多くの車両が各地の産物を携えて交通していたのだという。

 そして歴史を顧みるまでもなく、大規模な輸送路はそのまま兵站となり、大規模な軍団の移動を容易せしめるという意味も持っている。すなわちウスティオ早期攻略を目論むベルカにとって、大国オーシアからの兵站となるこの道を断つことは、ウスティオを孤立させ短期に制圧し尽くす上で不可欠な行動だった。ベルカが戦争の早い段階でこの地を制圧し、多くの機甲部隊や対空兵器を配置して防御を厳としているのは、それを雄弁に物語る証左と言えるだろう。

 この現状の下、オーシア・サピン・ウスティオ3国の連携でベルカを退けるという連合国の方針を省みれば、これら3国が171号線の奪還へと動くことは当然の帰結であった。防衛線構築と海軍の展開に手間取ったオーシア軍が長躯攻撃できない中、数少ないウスティオ・サピン両軍のみでの奪還作戦に乗り出したのも、ウスティオの陥落による連合の瓦解が間近に迫った為である。

 国の崩壊すら起きかねない、差し迫った戦争の現状。そんな現を気にする素振りもなく、小麦は穏やかに穂を揺らしていた。

 時に、1995年4月15日。冬小麦が花を付ける、緑の季節の頃。

 

《こちらサピン第7航空師団第21戦闘飛行隊所属、『アルコ1』。当戦闘空域担当を引き継ぐ。応答されたし》

《アルコ1、了解した。こちらはウスティオ第6航空師団所属、空中管制機『イーグルアイ』。以降の上空警護を頼む》

 

 編隊の先頭を行く『トーネードADV』からの通信に、高くよく通る声が返される。声の主の姿は見えないものの、空中管制機と言うからには遠方で支援を行っていたのだろう、その指示を受けたと思しきウスティオ軍機がこちらへと飛来するのが目に入った。事前の情報では、出撃したウスティオ軍機は6機。機影を見る限り、全て無事な様子である。

右手を上げて額に付け、先に戦闘を行ってきた彼らへ敬礼を表す。流石に相対速度は速く、相手の様子や表情を伺うことはできそうにないが、それでもわずかばかりの気持ちであった。

 やや離れた右側方を、ごう、という音とともに6機がすれ違う。前を行く4機はF-5E、後続の2機はF-15Cだっただろうか。両翼端を青く染めた先の機体と、右翼を切り欠くように赤く彩った後の機体。辛うじて瞳に残ったその残影が、妙に鮮明に脳裏へと焼き付いた。

 

 一瞬の邂逅を経た先。そこには、戦闘の痕を染みのように刻んだ大地が広がっていた。

 

《……おいおい、こりゃまた…。》

《ウスティオの連中、相当に張り切っていたらしいな。俺たちの得物はもう無いやもしれん》

「すごい…。たった6機でここまで…」

 

 思わず呟いた驚嘆の声が無線を揺らす。

 道路を封鎖していた戦車は悉く砲塔を吹き飛ばされ、周囲に配置された対空砲や(地対空ミサイル《SAM)も原型を失っている。それらがあてずっぽうの攻撃によるものでないことは、宅地の中に紛れるように設置されたSAMが2基、ほぼ周囲の建造物を破損せずに破壊されていることから明らかに見て取れた。麦畑の中に墜落した航空機の残骸も、1機や2機ではない。それら全てが煙を上げ、のどかな田園風景に幾筋もの黒い筋を刻んでいる様は、戦場という点を踏まえてもなお、どこか異様な光景に思えた。

 

《こちら空中管制機『デル・タウロ』。各機、予定地点にて空中警備を開始せよ。陸上部隊は定刻通り進行中、あと15分で先発隊が到着する予定である》

《アルコ隊、了解した。これよりエムス川周辺にて任務に就く》

《ニムロッド隊、こちらも了解だ。アーレ川上空へ向かう。各機、行くぞ》

 

 後方で指揮を執る空中管制機の命令に従い、4機の『トーネードADV』が翼を翻して、向かって右方へと進路を変える。アンドリュー隊長の号令の下、MiG-27Mに率いられた4機もまたやや左方へ舵を取り、目指すアーレ川上空へと機体を進め始めた。

 一口に171号線といっても、ベルカ軍が封鎖していたその範囲は広い。重要拠点を一度に押さえようとすれば、どうしても戦力を分散せざるを得なくなるのは必然であった。これまで共に出撃することも多かったエスクード隊がいればより広範囲をカバーできたのだが、あいにく彼らは先のオステア奪還戦で戦力を消耗しており、作戦行動は不可能な現状にある。畢竟、展開までの時間と戦力を考えれば、現在投入できるのはこの8機のみ、というのが、懐寒いサピンの現状であった。

 

 広い道路の幅をそのまま川に乗せたような、アーレ橋上空に差しかかる。先のウスティオ軍機による戦闘の痕跡は、ここにも色濃く残っていた。対空火器は勿論のこと、ご丁寧に川に浮かぶ哨戒艇まで沈められている辺り、鏖殺(みなごろし)の様相と言っても過言ではないだろう。

 

《こりゃ凄ぇ。人っ子一人いないぜ》

「やっぱりさっきの部隊でしょうか…。相当な腕前ですね」

《気を緩めるな。この状況だ、敵も黙ってはいないだろう。対空・対地警戒を厳にせよ》

《了解でーす。…はぁ、護衛なんて詰まらない。》

 

 地上に敵の姿は最早無く、気を緩ませかけた面々に隊長の叱咤が被せられる。決まり悪そうな詰まり声一つ、『了解です』と律儀に返したカルロスの様子は、至ってマイペースな応答を返すフィオンと対照的であった。

 もっとも、旧式な電子装備しか持たないMiG-21bisや対地戦に特化したMiG-27Mでは、遠距離の航空機を捕捉することは極めて難しい。実際に接近する目標を探知するのは後方の空中管制機の仕事であり、こちらはその命に従って獲物を狩る猟犬としての役割が主である。地上目標やステルス機などはその限りではないものの、警戒と言っても当面は気楽なものであった。

 申し訳程度に地上へ目を走らせながら、思考は小麦畑を追って自然と離れてゆく。そういえば、こうして小麦畑をじっくり眺めたのは初めてかもしれない。故郷レサスでは小麦を栽培する畑はそう多くなく、主食を担う米の栽培が主である。春は緑を揺らし、秋には稲穂の黄金色で染まる大地を想起すれば、頭は記憶を辿ってゆく。豆類や海産物をふんだんに使った食事。記憶の中にある父の笑顔。穏やかな家庭の姿。

 

 記憶を辿るカルロスに、現実は突然に舞い降りた。

 

《方位280に機影6、高度1000で空域に侵入中。ニムロッド隊、迎撃せよ》

《ニムロッド1了解。おいでなすったな、行くぞ》

 

 翼を広げたMiG-27Mが左方向へ旋回し、続くMiG-21bisが追従する。危うく遅れかけた機体を加速させながら、カルロスは頭を叩いて自らの油断を戒めた。そうだ、ここは戦場。のどかな麦畑に目を奪われている暇などない。気を抜けば、麦さながらに自らの命も刈り取られてしまう。

 機銃、安全装置解除。赤外線誘導式のAAM(空対空ミサイル)に加えて翼下に懸架したQAAM(高機動空対空ミサイル)も、管制に異常は無い。――これで、空戦は3度目。まだ、そしてもう3度目。大丈夫、この機体を、『バラライカ』を信じろ。自らに言い聞かせ、大きく息を吐き出して前を見据える。無意識に、操縦桿を握る腕に力が入っていた。

 

《ニムロッド3、敵機視認!F-16タイプが4機、A-10が2機だ。畜生、いい機体使ってやがるぜ》

《ヘッドオンを避けて回り込む。各機、敵編隊の左を抜けて反転しろ。フィオン、カークスは俺とF-16の相手、カルロスはA-10を落とせ。道路や橋に到達させるな。》

「了解!」

 

 異口同音に三者が通信を返すや、4機一団となって敵編隊の斜め上方を抜け、右旋回をかけて後方を狙う。こちらの意図を読み取ったF-16も呼応するように二手に分かれ、それぞれ左右方向斜め上に機体を旋回させるシャンデル機動でこちらへ鼻先を向けた。向かって右手側、相対角度が浅い方へはアンドリュー隊長機とカークス軍曹機が、左手側へはいち早く攻撃位置を確保したフィオン機がそれぞれ向かい、最後方のカルロス機は高度を下げて攻撃に備える。

 低く鳴り響くミサイルアラート。頭上に満ちる噴射音と発砲音。敵機とすれ違う轟音と、一拍遅れた爆発音。コクピットの中をかき回す雑多な音を割くように、飛来したミサイルが頭上を掠めて飛び去ってゆく。

 凌いだ。ふぅぅ、と荒い息を吐き出す最中、後方警戒ミラーには煙を吐いて落ち行く機影が映っていた。

 

《ニムロッド2、1キル》

《よし。各機、性能は敵の方が上だ。無理に格闘戦はするな》

 

 うなりを上げるエンジン音を残し、戦闘空域が上空へと移ってゆく。時折鳴るロックオン警報にひやりとしつつも、カルロスは機体を滑らせ、蛇行機動を行うA-10『サンダーボルトⅡ』を射程に捉えた。二股に分かれた尾翼に、胴体後部両側面にエンジンを設けた極めて特異的なその機影は、しかし純粋な攻撃機として設計された関係上極めて機動が悪い。この距離なら、外すことは無い。敵機の旋回が緩んだその瞬間にぴたりと合ったタイミングでミサイルを放てたのは、ひとえに敵機の鈍い機動に救われた為だっただろう。

 白い尾を曳くAAMがA-10へ直進し、炸裂炎とともに左翼を半ば近くから引きちぎる。脱落する破片をすんでのところで避けながら、カルロスは残る1機の姿を目で追い始めた。

だが。

 

「…っ!?こいつ、落ちない…!?くそっ!」

 

 ミサイルは確かに当たり、主翼を破壊したはず。だが、眼前のA-10は煙を吐きながら、依然橋の方向向いて飛んでいた。低空を低速で飛行する攻撃機は堅牢な構造を持つのが常ではあるが、このA-10はその中でも並外れた強固さを誇る。話には聞いていたものの、それを実際に目の当たりにすれば、改めて舌を巻かずにはいられなかった。――『イボイノシシ』。その不細工なシルエットとしぶとさを表した愛称が、一瞬脳裏に去来した。

 

「…くそっ、当たれ、当たれぇぇ!!」

 

 呆気にとられている暇は無い。依然空にあるA-10の機動は鈍く、カルロスはそれをガンレティクルに収めるや、間髪入れず機銃を撃ち込んだ。

 曳光弾が尾を引いて吸い込まれる。当たっている。確かに23mm弾が当たっているが、それでも落ちない。

《ヴー》

こうしている間にも、橋との距離は縮まっている。

《ヴー》

早く落ちろ。

《ヴーーーー》

早く、早く。

 

《カルロス何してる、左に回れ!!》

「えっ?…うわっ!?」

 

 不意に耳朶を叩く、カークス軍曹の声。反射的に操縦桿を倒したのと、直後に先ほどの位置をミサイルが抜けていったのは一瞬の間だった。耳の奥には、先ほどまで鳴り響いていた低い音がこびりついている。ロックオン警報。敵機を追うのに夢中で気づかなかったのか。

 もし、カークス軍曹の警告が無かったら。一気に冷や汗を吹き出したカルロスの右上方を、F-16とカークス軍曹のMiG-21bisがすり抜けていく。今更に早鐘を打つ心臓が、どこか情けなかった。

 

「あ…ありがとうございます!」

《それより早くもう1機をやれ!もう橋まで距離が無い!!…チッ、こいつ!》

 

 急旋回で逃れるF-16を、辛うじてカークス軍曹の機体が追う。その様を追う目の端には、先ほどのA-10が尾翼を失い降下していく姿も捉えられた。あと、1機。どこだ。

 ――いた。左下方、距離1600。その先には、既にアーレ川にかかる橋が見えている。最早猶予は無い。

 焦る心を必死に抑えながら、カルロスは機体を加速させる。加速させすぎては敵機を追い越し、攻撃の機会を逸してしまう。慎重に、しかし急いで。

 

《方位255に新たに機影4、低空で接近中。アルコ隊、迎撃せよ》

《了解した。アルコ隊、続け》

 

 無線が新たな敵の到来を告げるが、眼前を悠然と飛ぶ『イボイノシシ』はそれを意識する余裕を与えてはくれない。

 後方に機影なし。しかし目の前に余裕なし。先ほどのように機銃で止めを刺す時間もおそらくは無い。

 それなら。

 ロックオン。電子音が鳴るとともに、カルロスの機体から二筋の鏃が放たれた。AAM、QAAMの名を持つそれらは、A-10を左右後方から挟むように直進し、突き刺さる。刻まれた爆発はその方向舵とエンジンを奪い、投弾姿勢を傾けながら橋手前の道路へと突っ込み、横転。余勢のままに機体は麦畑の中へ転がり落ち、緑の中に焔の花をぱっと咲かせた。

 

「こちらニムロッド4、A-10を撃墜しました!」

《よし、よくやった。各機参集。深追いはするな。》

《ちぇ。了解でーす。》

《ニムロッド3了解。ふー、なんとか凌げたか。》

 

 機体を旋回させ、やや上方に位置する隊長機へ自機を寄せる。攻撃失敗を確認したのだろう、残ったF-16は戦闘を避け、元の方向へと撤退する所だった。あっという間にMiG-21bisのレーダー範囲外へと逃れた辺り、さすがに早い。いずれにせよ、これで輸送に不可欠な道路や橋を守り切ることができた。予定通りならば、友軍機甲部隊もじきに到着する頃だろう。

 一仕事終えた安堵に、気を張り詰めさせていた空気が緩む。カルロスは浮いた冷や汗を拭い、炎の輪に沈む『イボイノシシ』の躯を、まるで大物を仕留めた狩人のような心地で見つめていた。

 その空に、未だ死神の鎌が舞っているとも知らぬまま。



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第6話 北を指す標(後) -天翔ける白鏃-

 地に堕ちたF-16(ファルコン)から黒い煙が昇り、徐々に北へ流れながら空気に融けて消えていく。ゆっくりと、そしてじわりじわりと煙が伸びて北へ流れゆく様は、まるでそのパイロットの魂が、ここから北方のベルカへ還っていく姿にも思えた。

 どうやら、南風が吹き始めたらしい。辺りを見渡せば、撃墜したA-10からも、そこから飛び火したらしい麦畑からも、煙が等しく北の方へと伸びている。

 

 もし俺もああして死んだのなら、その煙は南――故郷レサスへ流れてゆくのだろうか。

カルロスは無意識に南へと目を向け、確かめようもないその疑問を心に沈めていった。

 

《デル・タウロ、こちらの敵機は排除した。他に機影はあるか?》

《よくやった、ニムロッド隊。現在アルコ隊が交戦中の4機の他に機影は見られない。引き続き現在地にて警戒を……。………いや、待て》

 

 隊長の報告に応じる管制官の言葉が、いつになく澱む。通信の向うからは、何やらキーを叩く音や管制機のスタッフと忙しく交える声が届き、その異常性を際立たせた。

 緊急事態。脳裏に生じた嫌な予感は、直後に耳に届く狼狽で悲しくも裏付けられることになった。

 

《……アルコ3被弾!何なんだ、あの動きは!》

《くそっ、デル・タウロ、援軍を頼む!俺たちだけではもう――》

《…た、隊長機墜落!!……しまった、上から》

 

 雑音交じりの狼狽、恐怖、そして絶望。最後の声に至っては、言葉を末まで発せないまま、被弾音とともに『何か』が飛び散る生々しい音まで混じっている。それは通信回線を隔てた空の先の出来事だというのに、まるで血の匂いが漂ってきそうな断末魔。アルコ隊の身に、何かが起こっているのは明らかだった。

 ――先ほどの増援の4機。凶行の主へ向けた推論の辿り着く先は、至極当然と言って良い当たり前のもの以外に無い。しかし、一体何が。

 

《こちらニムロッド1。デル・タウロ、アルコ隊はどうなっている?》

《…信じられん…。アルコ隊、全機反応消失!ニムロッド隊、そちらに向かっている!距離4000、高度300!》

 

 一同に、俄かに緊張が舞い戻る。同じ機数にも関わらず瞬く間にアルコ隊を殲滅したことから見て、敵の力量は相当なものの筈。しかしその機種は、そして武装は。何より戦闘を経て、弾薬を消耗したこの状態で、対抗できるのだろうか。

 連絡にあった方向へと、各自は瞳を走らせる。いち早く敵を捉え、対策を取る為に。

 

《…全滅って、嘘だろ、オイ…!》

《……いずれにせよ、敵編隊の方が優速だ。ニムロッド隊、もうじき陸軍が到着する。それまでの間、制空権を維持せよ》

《了解。各機、対空戦闘用意。敵は超低空だ、上からQAAM(高機動空対空ミサイル)で一撃見舞うぞ》

 

 降って湧いた凶報に、僅かに震える空中管制官の声。苛立ちも込めた舌打ち一つ、アンドリュー隊長は機体を傾けて編隊を導き、高度を下げつつ機首を西南西へと向けた。不測の事態を前にして、その機動に揺るぎは一切見られない。その姿に頼もしさを覚えつつ、カルロスの頭は目まぐるしく回転する。

 

 先の隊長の命令と併せると、おそらく高度差を詰めてすれ違う瞬間に攻撃を行う戦法なのだろう。AAM(空対空ミサイル)では下方を通過する敵機は追尾しきれないが、近距離の誘導性能に優れるQAAMならば反転追尾が可能な上、低空ゆえに敵の逃げ場も少ない。この相対位置を考えれば、現状とりうる最適解と思えた。

 

《敵機視認、ミラージュ2000が4機。…舐めた真似を。丸見えの塗装だ》

「冗談だろ、なんて低空を…。」

 

 反射的に地上へ目を凝らしたカルロスには、隊長の呟きの意味がすぐに理解できた。

こちらに気づいていないかのように、前下方を高速で飛行する4機。特徴的なデルタ翼と小柄な胴体はまさしくミラージュ2000シリーズのものだが、通常通り迷彩を主とする塗装を施されていれば、発見はこうも容易にはいかなかったに違いない。

 地を彩る緑と土色の上で、それらの機体は翼も胴も白く染め抜き、その存在を誇示していた。わずかに主翼の縁を濃紺色で染めた他は、まごう事なき白一色。春色の地面の上で、そこだけが無機的な色彩に染まっている。

 機首を下げ、相対距離を縮める。敵機はこちらの下方をすり抜ける針路を取ったまま、依然進路を変える様子すら無い。すなわち、隊長が思い描いた通りの相対位置。

 

《全機、QAAM発射》

 

 減速したMiG-27Mの下を抜けて、前方に出たMiG-21bisからQAAMが放たれる。フィオン機から2基、カークス機とカルロス機から1基ずつ放たれたそれらは、予測通り下方を抜けた敵機目がけ急角度を描いて追尾を始めた。この低空では下降はもちろんのこと、速度と機動が低下する急上昇による回避も難しい。たとえ左右に旋回しようとも、ミサイルの誘導を回避する術はないだろう。それはまさに、位置と武装を活かした必中の策。

 予測が裏切られたのは、その瞬間だった。

 

 4機のミラージュは編隊下方を抜けるや急加速をかけ、そのまま機体を急上昇させ反転。いわゆるインメルマンターンを行い、瞬く間にこちらの後上方に陣取ったのだ。ターンの頂点でQAAMが誘導能力を失い、彼方へ飛び去ってしまったのは言うまでも無い。

 元来、ミラージュ2000は加速力に優れた機体ではあるが、低空におけるこれほどの加速と機動は尋常ではない。特殊な改装を施された機体なのか、あるいはパイロットの腕なのか。いずれにせよ、尋常の部隊ではないのは、誰の目にももはや明らかである。

そんな益体もない思考は、機銃を放ちながらこちらへと突入する2機の姿にかき消された。

 

《回避した…!?く、全機ブレイク!》

《へぇ…やるじゃん。》

《言ってる場合か!クソッタレ!……こちらニムロッド3、ミサイル残弾なし!》

「ぐぅ、ぅ…っ!ニムロッド4、同じく残弾なし!」

 

 ちぃっ。声にならない呻きを漏らし、カルロスは機体を右へ急旋回させる。目の前で大地が傾き、曳光弾が視界の端を切り裂いてゆく様を見ながら、カルロスはひたすら歯を食いしばって横合いのGに耐えた。先の2機はそのまま低空へ侵入し、噴射の残影を曳いて飛び去る。三角翼機らしい優れた加速性能を活かした一撃離脱は流石と言うべきか、その後方を補足する暇も無かった。

 

《不味いな、こちらが低空に叩き込まれた。各機、攻撃の隙を縫って上昇を…ちっ!》

「攻撃の隙を縫うったって…っ!?くそっ、また2機!」

 

 隊長の言う通り、低空で機動が鈍るMiG-21bisで空戦を続けるのは不利この上なく、高度を取るのが唯一の活路であることは全員共通の認識だった。

 そしてそれは当然、彼我の機体特性を知る敵にとっても先刻承知のこと。

 いち早く機首を上に向けた隊長のMiG-27Mへ向け、残る敵2機のうち1機が直進して機銃弾を乱射。咄嗟に右ロールで回避した隊長機はいくつかの弾痕を刻まれながら、機首を下げて再び高度を失ってゆく。残る1機も上昇の気配を見せたカルロス機へ向かい、速度を緩めぬまま機銃を浴びせかけ、衝突しそうな距離を掠めて抜けていった。たまらず左旋回で回避するカルロスの目には、その刹那に映った敵機のエンブレムが目に焼き付いていた。

 縁が黒い大きな翼を広げる、白い鳥。それはまさに、今眼前で舞う機体そのままの姿だった。

 

「抜けた!」

《カークス、フィオン、上がれ!》

《りょーか…うわわわっ!?…くそっ、僕をコケにして…!!》

《チッ、こっちもダメだ!完全に押さえられちまってる!》

 

 隙を突き機首を上げる二人の機体に、後方上空から2機のミラージュが襲い掛かる。それぞれの鼻先へ放たれた機銃を避けるべく、背面を空へ向け急旋回した両機は再び高度を落とす破目になり、その傍を攻撃者たる2機が掠めて飛び去ってゆく。その様は、まるで得物を嬲る猛禽を思わせた。

 奇策でこちらを低空に叩き落とし、そこから上昇する機体を2機1組で狙い撃つ。ミラージュの性能を活かし一撃離脱を仕掛けた後の隙は、残る2機が時間差で仕掛けてカバーし、先の2機同様に上空を抜けてゆく。その頃には先の2機がインメルマンターンで素早く反転し、続いて攻撃を仕掛ける――言うなれば、隙の無いモグラ叩きという所だろうか。いずれにせよミサイルも尽き、機銃で確実に損傷していくことを鑑みれば、時がかかる程不利になることは明らかである。だが、どうすればいい。

 

《バラバラにやっても埒が明かん。次の2機が行ったら、全機で上昇するぞ。…よし、今だ!》

 

 了解。3人分の重なった声を割くように、機銃をまき散らして頭上を擦過する敵機の姿が目に入る。

 ――抜けた。

 隊長の声を待つまでもなく、いち早く加速をかけたフィオン機が先陣を切って空を差し昇っていく。反転してすぐ前方に迫っていた敵機の銃撃をすんでの所で躱したその技量は、憎たらしくも流石のものだった。

残る1機は機首を水平に保ち斜め上を飛ぶ所で、到底こちらを銃撃できる距離ではない。 行ける。

 確信を抱き、乾坤の意気とともに操縦桿を引いて機首を上げた、まさにその刹那。カルロスの眼に、見慣れぬ光景が映った。

 射程外に見えるその1機の下部が、陽を反射してきらきらと輝いている。

 何だ、あれは。特殊な塗装か、ミサイルの噴射炎か。はたまた、下部機銃の発砲炎か。

 …違う。あれは。あの無数に迫る小片は。

 まさか。

 

「…っ!!軍曹、散弾です!!ブレイク!!」

《何っ!?…うおおおおおッ!!》

 

 頭上を水平飛行のミラージュが駆け抜け、一拍後に機体を衝撃が襲う。鉄を割く音、ガラスが割れる音、耳を打つ警報音。混乱の中で、カルロスの思考は沸騰した。

 反射的に左旋回したこともあり直撃は免れたが、胴体上部や右主翼には貫通痕が刻まれ、頭部のすぐ後ろにもガラスを割って貫通した跡が残っている。カルロスは知る由もないが、先刻まで傍らを飛んでいたカークス機は回避が遅れ直撃し、主翼を瞬く間に蜂の巣にされ発火。カルロスが低空に退避した頃には、咄嗟に脱出してまさに宙に舞う所であった。

 

 散弾――正確にはSFFS(自己鍛造小弾頭爆弾)と称される特殊兵装。目標上空で無数の金属片を放出し、戦車などの上部装甲を貫通する、本来は純然たる対地攻撃兵装である。いくら低空に追い込んだとはいえ、この兵装を戦闘機に放つとは尋常の腕前と発想ではない。

 脳裏に生じた『まさか』という思いは、常識と現実との狭間にできた呟きだった。

 

「軍曹っ!!……やばい、機体が、もう…うわっ!?」

 

 間髪入れず、ミラージュが後方に迫り追撃を仕掛ける。低空という状況、歴然たる性能と技量の差、そして機体の損傷。全てにおいて自らに不利な現状を自覚しながら、それでもカルロスはスロットルを倒し、エンジンを吹かして抗い続けた。たとえそれが徒労だとしても、地に落ちた蝙蝠の死に際の足掻きに等しいとしても。

 

《カル…ス、そ……ま方…095…飛…!友…の…………配置………て…る!聞こ………、……!!》

 

 無線から聞こえるアンドリュー隊長の声を、雑音と被弾の衝撃がかき消す。通信装置が破損したのだろう、最早隊長の声は聞き取れない。感じられる音はといえば、息絶え絶えの『フィッシュベッド』の鼓動と動くごとに刻まれる被弾音、そして自らの心臓の早鐘ばかり。カークス軍曹の安否も、隊長やフィオンの様子も確かめる余裕すらない、自分独りと背後に迫る死のみの世界が、カルロスの周囲を浸してゆく。

 死。

 俺も、赤と黒に染まる時。

 炎とともに、微塵になる時。

 魂が、煙になって消えていく時――。

 

「…う、あ、あぁぁぁぁぁ!!!」

 

 ――嫌だ。

 大人しく死ぬくらいなら、最期まで、抗ってやる。

 理念も矜持も無い、純粋な本能の叫びが心身から溢れるのと、カルロスが半ば出鱈目に機体を機動させたのは同時だった。操縦桿を引いたと思えば一気に左に倒し、エンジンの加減速も規則性なく繰り返される。それはカルロス自身、機体をどうやって動かしているのかすら分からない、言うなればヤケクソの操縦であった。

 

 事実、傍目に見えるであろう機動は、意図しているとは思えない無謀なものだった。低空からさらに機首を下げて降下し、加わった速度を活かし上昇しつつ左旋回。そのままバレルロールに移行するかと思えば、1回転した直後に右旋回へと舵を切る。これに機体特性ゆえの慣性とふらつきが加わるため、機動の予測はカルロス本人にすら困難であった。

姿勢把握も叶わぬまま、縦横左右に激しくGが襲い掛かる。絶え間ない重圧は瞬く間にカルロスの体を苛み、限界へと近づけてゆく。

 朧に見える外の景色が、がくりと右に傾いたその瞬間。カルロスの視界は、黒く染まった。

 

******

 

 カルロスが独り窮地に陥っていたその頃、アンドリューとフィオンもまた劣勢の戦いを強いられていた。

 先の機動により戦域は高度2000フィート前後の上空へと移り、先ほどと比べて空は格段に広くなっている。薄雲漂うその空を、2機の『フィッシュベッド』は絶えず輪を描いて旋回し、それらへ向けてミラージュが1機ずつ、直線の軌跡で襲い掛かっては抜けてゆく。対照的なその動きは、空の青を背に、不規則な幾何学模様を刻んでいた。

 

 ミラージュの速度を活かした一撃離脱に苛まれ続けたためであろう、アンドリューの『フロッガーJ』には幾つかの弾痕が刻まれており、損傷の色がやや濃い。加えて、元来空戦能力には劣る機体である上に、既にAAMは撃ち尽くし、残るは対地用のロケットランチャーと固定武装の30㎜機関砲のみ。その現状が、反撃という手すらもアンドリューの選択肢から奪っていた。片やフィオンの『フィッシュベッド』はといえば、被弾こそ少ないものの、残る武装はAAM1基のみと、こちらも抵抗の手は出し尽くしたに等しい。

 一方の敵機は、SFFSと機銃を除けば武装を持っていないのだろう、機銃しか撃ってくる気配がない。どこかの帰りにここへと急行したと推定されるが、たとえ機銃であろうと30mm弾を喰らい続ければ、機体がいつまで保つか分かったものではない。

 いずれにせよ、全滅は時間の問題と見えた。何度目かの弾痕を刻まれながら洩らしたアンドリューの舌打ちは、その決断の契機でもあったのだろう。

 

《流石に格闘戦の誘いには引っかからんか。カルロスも気掛かりだ、一気に仕掛けるぞ》

《あ、諦めたかと思ってた。いいですけど、どうするんです?》

《その大口に期待するぞ。敵の隊長機をしばらく引き付けられるか?》

 

 常通りの生意気な言葉遣いで返すフィオンに悪づきながら、アンドリューは試すように問いを送る。

 このジリ貧の現状を破るには、まず敵の一糸乱れぬ連携を崩すのが最善であるが、誘導兵装がないこちらとしては隊長機を釣り上げる他ない。勘と経験でそう結論付けたアンドリューは、改めて空域を旋回する敵機を見据えた。

 攻撃精度が高く、離脱時の加速に入るまでが僅かに早い、胴体に黒く『15』と記されたミラージュ。機動と位置から考えて、あの機体がおそらく隊長機だろう。先ほどから目を付けていた機体だが、フィオンも同感の筈だ。

 

《…落としちゃってもいいのなら》

《減らず口はとっくに一人前な奴だ、全く。…次のタイミングでやれ。頼むぞ》

 

 フィオンの声はやや上ずり、年よりやや幼いように聞こえた。

 ――こいつ、笑っていやがる。あれだけの強敵を相手に。

 底の知れないガキだ。痛快さに幾分かの危うさを覚えれば、口元に苦笑いがこみ上げる。

 それを口角に刻んだまま、アンドリューは機体を傾けて、迫る白い機影に備えた。2機の『ニムロッド(狩人)』が狩られる側から狩る側に移る、一瞬のその時を。

 

 こちらを狙い、正面から放たれた機銃をロールで回避する。

 黒の6番。違う、コイツじゃない。

 続いて左前方、旋回が間に合わず、金属が削れる音がコクピットに響く。

 黒の21番、これも違う。ならば。

 

《…行けッ!!》

 

 時間差を置いてフィオン機の右後方から迫るミラージュが、機銃を掃射しながら左前方へと抜けてゆく。その胴体に黒く記された『15』を認めるのと、頭を振るように小さく旋回したフィオンのMiG-21bisがAAMを放ったのは同時だった。

 不意の攻撃にも機動を乱さず、右上方向へのシャンデル機動でミサイルを回避する『15番』。その背を追い、格闘戦を仕掛けるべく追跡するフィオン。そして2機に分かれた瞬間を認め、こちらの後方を取るべく旋回する残り2機の敵。その全てを眼に収めた直後、アンドリューは『フロッガーJ』の可変翼を畳み、空気抵抗を抑えた形態で機首を下げて加速を始めた。

 

 逃げる。少なくとも、敵にはそう見えたことだろう。加速性能に劣る機体が逃げおおせる常套の手段といえば、重力を活かした急降下による加速と相場は決まっている。そして手負いのMiG-27Mでは、到底ミラージュ2000を引き離せないこともよく分かっているに違いない。手負いのカルロスまでわざわざ追撃していった奴らだ、折角の手頃な獲物を追わずにいられるものではない。

 案の定、2機の白い機影は、こちらを追って機銃を浴びせてきた。近くを擦過するだけだった曳光弾が、徐々に装甲を傷つけてゆく。いち早く加速したこちらに追いつこうと、敵機も速度を上げ、追いつきつつある様が脳裏に像を結ぶ。逃げる獲物を追い詰めようと、敵がこちらの速度を僅かに上回った、この瞬間。

 

《ぐっ…!!》

 

 ふ、とエンジンの唸りが弱まり、同時に『フロッガーJ』の可変翼が最大に開かれる。翼が軋み、激しい振動が機体を揺さぶり苛む。

 後方から急激にかかったGに呻き声を漏らすアンドリューの目の前には、急減速に対応できず前方に飛び出した2機の『ミラージュ』の姿が映っていた。

 加速性能に優れる『ミラージュ2000』は、翻って急減速への対応が難しいという欠点も持っている。まして、獲物に追いつかんと加速を行っていれば尚のこと。慌てて機首を上げて減速しようにも、『ミラージュ』では一度加わった速度を易々と落とせるものではない。

 HUD(ヘッドアップディスプレイ)に投影された丸い照準が、機動の鈍った敵機を捉える。引き金を引くと同時に、懸架したロケットランチャーから無数の弾頭が放たれ、その行く手を塞ぐ。その様は、どこか投げ網に捉えられる魚の姿を思わせた。

 右翼後方、左翼前、そして機首。白煙の尾は吸い込まれるように命中し、瞬く間に白い機体を焔に包む。衝撃で純白の三角翼を無残に千切れ飛ばし、『6番』のミラージュは照準の中で四分五裂して果てた。

 

《お返しだ、悪く思うなよ》

 

 爆炎の脇を通過し、一拍遅れた爆発音の中で呟く声。パラシュートも放たぬまま、炎の塊となって落ちてゆく『ミラージュ』を目で追いながら、アンドリューは来た方向へと機体を旋回させる。前方には残った1機が、翼を翻してフィオンらの空域へ向かう所だった。

 

******

 

「は…?…っ!うおおっ!!」

 

 大きく右に傾いた大地。その眼が再び像を結んだ時、カルロスは反射的に操縦桿を引き、乗機『フィッシュベッド』の体勢を立て直した。

俺は、いったい。…そうだ、敵。敵は。まだぼんやりとした頭を強引に働かせ、カルロスは左右へ、後ろへ目を走らせる。

 ――いた。左後方、先ほどと同じ『ミラージュ』。気を失っていたのは時間にして数秒程度だったらしいが、無茶苦茶な機動に幻惑されたのか、距離は多少離れたように思える。

 確かに悪あがきの甲斐はあった。が、ここからどうすればいい。

 つかず離れず、こちらの後上方を占める敵機を、怯えとともに幾度も振り返る。その度に距離が狭まり、射程圏へと一歩一歩引き釣り込まれていく。

 もう、駄目か。異変が起こったのは、何度目かも分からない振り返りの時だった。

 

「…?」

 

 ミラージュの機体が僅かに揺らぎ、唐突に翼を翻して西方へと鎌首を向ける。追い詰めていたのに、いったい、何故。混乱しながらも縦横に視線を飛ばすカルロスの眼に、ふと、遙か遠くに飛行機雲を曳く2つの機影が捉えられた。1機足りないが、おそらく先ほどの敵編隊。彼らが戦闘半ばにして、その場を離れてゆくのは明らかだった。

 呆然と、去って行く三角翼の機影を見送るカルロス。その翼の下が一面濃紺色に塗られていることに、カルロスは今更ながら気づいた。

 

《こ…らデル・……ロ。ニムロッ……機、………った。機甲…隊……置………完了し…。………には早…に迎えを…。各………に帰還…よ。》

《ニム……ド1、了解。…おい、フィ…ン、…ルロス、生きて…か》

《生…てまーす。…ちぇ、もう……で落とせ……に。》

 

 無線から聞き知った切れ切れの声が流れ、戦闘の収束を穏やかに告げる。機器が破損し声を送ることも叶わないカルロスは、遙か先に見える機影に向かって、機体の翼をゆっくりと振って応えた。

 終わった。生き残った。

 安堵とともに、どっと全身を満たす疲労感と吐き気が押し寄せ、カルロスはしばし堅い背もたれに身を預ける。割れたガラスから吹き込む冷たい風が、今はいっそ心地よい。

 

 風と共に、焦げた匂いが鼻を突く。地に落ちて燃えるカークス軍曹の機体が、麦を焼いて立ち上らせた、むせ返るような芳香。そこからやや離れた麦畑の中で、パラシュートを外したカークス軍曹が、無事を全身で示すかのように両手を大きく振っている姿が目に入った。

 

 地に転がるパラシュートは、白い生地に風をたっぷりと孕んで、ゆるりゆらりと揺れている。

 それが先ほどの『ミラージュ』と全く同じ色だとは、カルロスにはどうしても信じられなかった。



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第7話 雌伏

「あー、あんまり妙な物は撮らんで下さいよ?」

 

 余計な仕事を増やしやがって。

 そう言わんばかりの面倒そうな態度で、引率の士官から最初に言われたのがその言葉だった。

 ベルカ国営放送の肩章でもぶら下げていればこうもぞんざいには扱われなかっただろうが、悲しいかな、左二の腕に巻かれた腕章には『週刊ベルカ軍事ジャーナル』の文字。規模から言っても出版数から言っても、盛りに盛ってせいぜい二流出版社のわが社にとって、こんな扱いは慣れたものである。先日の取材で、『赤いツバメ』ことデトレフ・フレイジャー少佐から何とも苦々しげに対応されたことを思えば、今日の扱いはむしろホワイトな部類とさえ言えた。

 

「はいはい、頑張っていらっしゃる軍人の皆さんに、ご迷惑はおかけしませんよっと」

「頼みますよ、一応終わったら検閲はさせて貰いますから。…さ、こっちです」

 

 ぺろり。

 背を向けた士官に舌を出しながら、私はカメラを手元に備えた。ひっきりなしに飛び立つ戦闘機、交換用の燃料や武器を運ぶ整備員、慌ただしく行き交う車、そして人。さながら忙しい車輪のようになったこの基地において、いつシャッターチャンスが舞い降りるか分かったものではない。まして、今回の取材の主目的を捉えようと思えば尚更のこと。短いその時間を活かさんと、カメラ片手に忙しなく左右へ眼を走らせるのは、二流記者なりの心構えであった。

 

 ごう。

 一瞬地に生じた影を追うように、空を仰いで轟音の主を探す。空中警戒だろうか、すぐに目に留まったのは、上空を通過する大型のカナード翼とデルタ翼を持った戦闘機が2機。機体下部の青みがかった白色が、澄み渡った南ベルカの蒼穹によく映えていた。

 1995年4月15日、サピン王国との国境に位置する、グラティサント要塞北東の航空基地『アイシュガルト』。晴れ渡り暑くも寒くも無いその空は、絶好の取材日和だった。

 

******

 

 当初の印象の悪さに反して、案内の士官は存外に寛容だった。

 帰還してくる戦闘機の姿は勿論、そこから降りて来たパイロットの生の声や整備兵たちの愚痴、駐機している機体など、大部分のものは制止されることなく撮影・録音できたとは、当初の読みからすれば大収穫と言えるだろう。今更ながら、彼の背に舌を出したことを心中で詫びた。

 

ただ一点、西から帰って来た爆撃隊に対しては、写真撮影を許可されなかった。それを言われてなお、私が素直に引き下がったのは、その判断もやむを得ぬと思わせるその惨状ゆえだっただろう。

 煙を吐きながら地に足を付き、陽の下に無数の弾痕を晒す爆撃機。中から運び出される搭乗員は漏れなく体のどこかを赤く染め、ぴくりと動きもせぬまま毛布をかけられ搬出される者すらいる。同時に着陸した護衛機に至っては、後席の部分が真っ赤に染まっているのが外からでも認められ、熾烈な迎撃を無言の内に物語っていた。何より、それを眼にした整備員がぽつりと零した呟きが、私の胸に刺さった。

 

「未帰還、8機か…。」

 

 私が確かめられる限り、その時帰還したのは戦闘機が4機、爆撃機が2機だった。つまり、半数以上の機体が失われたことになる。

 ベルカは、勝つ。やがて、かつてのような『強いベルカ』を取り戻す。軍人も民衆も、朧なその未来だけを頼りに、身を削り戦っている。軍からすれば、苦しみに耐え未来を信じる彼らに、そんな敗勢を一瞬でも連想させるような様を表沙汰にする訳にはいかないのだろう。

 もっとも、私はそこまで考えていた訳ではない。血のこびりついた凄惨な戦闘機の写真など、そもそも撮った所でR-18規制に引っ掛かりかねない。どうせ雑誌に載ることも無いものに、フィルムを浪費したくはないだけだった。

 

「いやー、満足満足。思いのほか撮らせて貰って、ありがとうございます。…で、件の飛行隊は…?」

「ああ、予定通りならもうそろそろの筈ですよ。ただ、インタビューできるかどうかは何とも言えませんが…。………お、噂をすれば。ご帰還みたいですよ?」

 

 一通り撮影を終えた後、今日一番の目的をそれとなく話題に上らせたその時、遠方の空に3つの機影が見え始める。士官曰く、それが目的の部隊らしい。

 雑誌の連載企画、『現代エースパイロット列伝』。軍編制の関係上、我らがベルカ空軍は国土の割に部隊数が少なく、その分部隊当たりの戦果や練度は他国より高い部類に入る。必然的に、エースパイロットと呼ばれる名手の数も相応に存在する訳であり、この連載企画もベルカならではの物と言えた。

 

 カメラを構え、僅かに仰角を付けて滑走路へ入る機影をその中心に捉える。小さな本体に無尾翼式の三角翼、胴体両側に設けられた曲線を帯びたエアインテーク、そして胴体横に記された黒の『15』の数字。低速時に安定性が低下するデルタ翼機でありながら、その機体はまるで鳥が降り立つように、ふらつくことなく地に降りて速度を落としてゆく。安定性を向上させた改良型である『ミラージュ2000⁻5』の能力もあるだろうが、一つにはそれを駆るパイロットの手腕による所が大きいのだろう。

翼の縁以外を真っ白に染めたその機体は、滑走路を回ってこちら――すなわち格納庫へとゆっくり進みつつある。

 

「お帰りなさい、今日の戦果は如何でした!?」

 

黒の15番を迎える整備員が、口の両側に手を立てながら、轟音に負けない大声で声をかける。キャノピーの内側では聞こえる筈もないだろうが、その姿を見たパイロットは、人差し指と中指、薬指を立てて、微笑んで見せた。どうやら恒例の事らしく、整備員の意図は容易に掴めたらしい。ハンドサインはすなわち3機撃墜、ということなのだろう。

気のせいか、その微笑はどこか寂しげに見えた。

 

「大戦果、おめでとうございます!流石大尉、今日は祝杯ですね!」

 

やがて停止位置に到達したのだろう、そのミラージュは目の前でエンジンを停止させ、透明なキャノピーが開かれる。喜ばしそうにパイロットへ話しかけた整備員に対し、そのパイロットはヘルメットを外し、応じる。グレーを基調としたヘルメットの下から、鮮やかな金色の髪が零れ出た。

 

「…ごめんなさい、今日はそんな気分になれそうにありません。…マルティンが、墜とされました」

 

 は、と顔を強張らせ、恐縮した体の整備員。ミラージュを駆るその女性パイロットは、戦闘後とは思えない穏やかな、しかし悲しみを帯びた声で、ぽつりと零した。首筋の下までの、綺麗な金髪。ダークグリーン系統の軍服とは対照的な白い肌。そして、憂いを帯びた眼差し。その様は、まさに雨に濡れた梨花を思わせる姿。写真でその顔は知っていたものの、私は一瞬、息を忘れた。

 ベルカ空軍第5航空師団第24戦闘飛行隊、通称『ヴァイス隊』。白を基調としたその小隊を預かる指揮官こそが、彼女――フィリーネ・“メーヴェ”・ハーゲンドルフ大尉その人である。

 

「それは…失礼しました。浅慮なことを…。」

「…いいえ。……敵に、腕の立つMiG-21乗りがいました。その敵にかかりきりになって、指揮を疎かにした、私のミスです」

 

 機体から降りたフィリーネ大尉が、整備員と一つ二つ言葉を交わす。僚機を失ったという悲しみが、その言葉の端に滲み出ていた。

 今、取材していいものだろうか。心身ともに疲弊したあの人を。柄にもなく、他人を想うそんな感傷が頭をもたげたことに、自分でも内心驚かずにはいられなかった。厚顔無恥と言われようと、面の皮を盾代わりにぐいぐい押して取材する。それを信条としておきながら、何ということだろう。相手が美人であることと、それはきっと無関係ではない。

 ええい、それでも記者か。心の中で、自分を叱咤する。美人がどうした、取材なら顔など気にせずがんがん行け。むしろお近づきになる勢いで前に出ろ。

 頭の中で感傷を蹴飛ばして、私は一歩足を踏み出した。背後の士官が、迷った挙句制止せんと息の呑む気配が伝わる。それはそうだろう、エースパイロット部隊が僚機を失ったなど表に出す訳にはいかない。だが、それでも一旦許可を出したのは基地側である。それになにより、一旦火が着いたジャーナリスト魂と興味を、むざむざと鎮火される訳にはいかない。

 後ろからの手を振り切るように私は一歩、一歩と踏み出していく。もう少し、もうちょっと。正に声をかけるその刹那、まさかの邪魔は横合いから割って入った。

 

「フィリーネ大尉、帰還直後にすまないが、緊急任務だ。五大湖沿岸にオーシアの砲撃部隊が集結しつつある。補給が終わり次第、出撃してこれを叩け。詳細は追って連絡する。」

「少佐殿…。は、了解しました。補給を急がせます。」

 

 どうやら司令部付きの士官らしいその男は、手短に要件を伝えるや、忙しく踵を返して戻っていく。フィリーネ大尉もまた、他の小隊員へ知らせるのだろう、別のミラージュが駐機する方向へと歩を進め始めた。

 あの男め、折角の機会を。私は口内に悪態一つ、大尉へとカメラを向けた。後ろから引率士官が『はい、そろそろ時間ですから、そ、ろ、そ、ろっ…!』と私を抑えるのにも構わず、私は夢中で声を張り上げた。

 

「フィリーネ大尉!!」

 

 かしゃ。

 大尉が振り向くのとシャッターを下ろす音、そして私の体が後ろへ引っ張られるのは、せいぜい合して2秒あったかどうか。写真を確認する暇もないまま、私は士官に背中を押されて、そのままその場を離れざるを得なかった。

 うまく撮れたかどうか、自信はない。が、目の奥にはシャッターを押すその瞬間の、フィリーネ大尉の困惑気味の微笑と、もの悲しい瞳の色が焼き付いていた。

 

******

 

《ターンが遅い、もっと『バラライカ』の機動を活かせ!》

「ぬ、お、ぁぁあああ!!」

《どうしたその程度か!AAM(空対空ミサイル)に捕まるぞ!》

 

 水平線が斜めに横切り、冷や汗が額を斜めに流れてゆく。ロックオン警報鳴り響く中、一際圧を増したGに体と胃袋を苛まれながら、カルロスは懸命にスロットルを引いた。急減速による小半径旋回、そこから機体を背面に移し、急降下からの加速離脱。一連の機動を終え、血と胃の中身が上へ込み上げそうになる。歯を食いしばって必死に堪えるカルロスの耳に届いたのは、無慈悲にも撃墜の判定だった。

 

《減速に移るのが遅い。反転後の機動は良くなったが、判断をもっと早くしろ。…よし、次は俺を追え。遠慮するな、ぶつける積りで来い》

「う、ぷ…。りょ、了解…!」

 

 易々と追いつき横に並ぶMiG-21bisから、アンドリュー隊長の厳しい声がかかる。こちらが応答する前に、その声の主は右へ急旋回をかけ、先んじて『逃げ』の機動を取り始めた。吐き気を堪え、慌てて急旋回をかけるカルロスの目の前で、アンドリュー隊長はあらゆる機動で射線を巧みに躱し続ける。左右上下への蛇行、急減速、失速まで利用した回避機動は、こちらと同じ機体とは信じられない。それでも。それでも、あの背中に追いつく為。この戦いに生き残る為。ガンレティクルを凝視しながら、カルロスは疲れた体に鞭打って、切欠いた三角翼の機影をただひたすらに追い続けた。

オステア空軍基地の空に、2つの機影が曲線の幾何学模様を描いてゆく。

時に1995年4月18日。幹線171号上の戦闘から、既に3日が経過していた。

 

******

 

 ようやく爆撃跡が修復された滑走路の上を、2機のMiG-21bisが奔り、空へ舞い上がってゆく。噴射炎の残影を眼で追いながら、カルロスは死んだように腕をだらんと下げ、パイプ椅子の背もたれに体を預けていた。空に上がって2時間半みっちりの戦闘機動演習で、体と精神の疲労はもはや限界に近い。しばらく出撃が無いとはいえ、この調子ではむしろ戦闘より先に参ってしまう。

 

「おう、お疲れだったな。…なんだ、隊長はもうフィオンと上がったのか?暇だからって、精が出るねぇ」

「あ、カークス軍曹…ありがとうございます。も、もう、今日は限界です、俺…」

 

 先の様子を見ていたのだろう、カークス軍曹から冷たい水の入ったコップを受け取って、一息に飲み干す。乾ききった体に、水の潤いと冷たさが沁み渡るような心地だ。

 

 先の戦闘で、ニムロッド隊はカークス軍曹のMiG-21bisを失い、隊長のMiG-27Mと自分のMiG-21bisもかなりの損傷を負ってしまった。幸いパイロットの負傷は軽微だったものの、使用できる機体は予備機を含めて2機のみとなった訳である。当然、当面の戦闘参加は困難と判断され、本社から機体を補充されるまでの間、ニムロッド隊は戦力から外されることとなった。以来の仕事が演習漬けの日々となったことは、配備が整うまでの暇潰しでもあり、なにより隊全体の技量底上げを図る上でも当然の帰結だったと言えるだろう。ミラージュ2000で編制された白い小隊に翻弄され尽くしたことは、今だ記憶に新しい。

 

「補充、いつ来るんですかねー…。ちゃんとした機体だといいですけど」

「さあなぁ。今やこんな情勢だし、機体の調達もままならんかもしれん。よくてせいぜいMiG-23シリーズ、下手するとMiG-19かミラージュⅢ辺りって所かねぇ」

 

 がくり。疲労の溜まった体に、目の前の現実が重くのしかかり、カルロスは思わず頭を項垂れる。

 確かに、戦争の激化に伴って、中古戦闘機の需要は各所で高まっているに違いない。数が出回っている物の中ではMiG-29『ファルクラム』が望みうる最良の機体だろうが、高性能な新鋭機でもあり入手はままならないだろう。ある程度多様な任務が行える、前と同じMiG-21bisか、MiG-27の前身であるMiG-23『フロッガー』系統ならば御の字という状況と言えた。まして、MiG-21よりさらに古いMiG-19『ファーマー』や『ミラージュⅢ』は、流通している数も多く入手は容易だろうが、その分性能はすこぶる頼りない。先日のような、ベルカが誇る精鋭部隊を相手どって、そんな機体で果たしてどこまで戦えるものだろうか。嗚呼、未来はどんより暗い。

 

「…ま、落ち込むなって。まだそうと決まった訳じゃなし。機体なんてのはいつか壊れるんだ、気楽に考えなきゃ損だってな」

「は、はぁ…。そんなもんです?」

「そんなモンそんなモン。…っと、そうだ、忘れる所だった。この前戦った白いミラージュだけどな、正体が分かったぜ。読んでみるか?」

「えっ…!?み、見せて下さい!」

 

 機体は消耗品、とは言うものの、実際問題としてやはり金がかかる。元来貧困の環境で育ったためか、資金面がひっかかって容易に同意もしにくく、言葉を濁すカルロス。その空気を破ったのは、他でもない、カークス軍曹の言葉。正確にはその軍曹が携えていた、1部の新聞だった。

 やや日が経っているのだろう、少々紙質がくたびれたそれをめくり、該当の項を眼で追う。

表をめくった第2面に、白黒ながらも大きな写真を伴って、間違いなくあの機体が映っている。胴体に黒く『15』と記したミラージュ2000、尾翼には白い鳥を描いたエンブレム。空戦の際には鳥、としか分からなかったが、写真を見る限りではカモメのように見える。そして、機体の前に佇むパイロットはといえば。

 

「…女……!?」

「この基地を制圧した時に残ってた、ベルカの新聞だそうだ。そう、まさかのお姉さまだぜ、しかも美人ときたもんだ。腹ァ立つ限りじゃねえか、え?」

「……。エース部隊、『ヴァイス隊』…」

 

 ベルカが誇るエースパイロット部隊といえば、各国の空軍からは畏怖と脅威の象徴そして知られている。ここ最近の戦いでさえ、モンテローザ空戦における『シュネー隊』の活躍や、モーデル制圧戦の際の『インディゴ隊』による赫々たる戦果は記憶に新しい。そんなエース部隊の一端に、あろうことか自分たちが触れていたとは。そして、そのパイロットが、近年でもなお珍しい女性パイロットだとは。

 今更ながらの驚異と、何より自らを省みた複雑な思いを、カルロスは抱かずにはいられなかった。

 

「まー、この広い空で2回出会うなんてそうそう無い。そう気にせず行こうぜ。――お、上はおっぱじめたか。フィオンの奴、やるじゃねえか」

「………」

 

 空の上から、エンジンが唸り、空を割く音が響いてくる。どうやらアンドリュー隊長とフィオンが模擬戦を開始したらしく、辺りの整備員たちも空を見上げ、時折歓声を上げている。カルロスも同じように弧を描く2機を見上げ、それでいて意識は未だ、脳裏に残る白い機体へと結んでいた。

 この空は確かに広い。だけど、それは確かに繋がっている一つの空なのだ。一度出会った相手と、再び出会わない保証などどこにもない。そしてその時、自分はまたこうして生き残れるのだろうか。

 

 身を以て感じたエースの息吹を、カルロスは脳裏に反芻する。

空に刻まれた二つの軌跡は、どこか翼を広げた鳥の姿にも見えた。



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第8話 熱砂の海

《171号線奪還により、我がサピン、オーシア、ならびにウスティオの兵站線が確保された。これに伴い3国は『連合軍』を正式に結成し、本日4月24日より連携して対ベルカ戦に当たることが決定された。第一目標は、オーシア連邦のオーレッド湾と五大湖を結ぶフトゥーロ運河の奪還である。
これに向け、我がサピン軍は第一次方面作戦である『ゲルニコス作戦』の主力を担い、フトゥーロ運河両岸の陸上施設並びに港湾施設への攻撃を行う。ニムロッド隊は空軍とともに先発して地上施設を叩いたのち、制圧を担う友軍機甲部隊の護衛を行え。作戦遂行後は後続のオーシア・ウスティオ空軍到着までの間、作戦空域の制空権を維持せよ。
本作戦は大反抗の足がかりでもあり、極めて重要な作戦である。報酬も弾むぞ。各員、いっそう奮起せよ》


 濛々と立ち上る砂煙が、乾燥した土色の大地を幕のように覆う。

大きな運河に面する立地と気候の影響であろう、乾燥し砂質土に覆われた大地は、緑に溢れた内陸の景色とは全く以て似つかない。翻って目を水平線の先に向ければ、砂丘を南北に割く広大な水路と、その対岸に当たるオーシアの大地。遠霞の中に微かに見えるその景色は、さながら海運で利を上げる砂漠国家の一角のような光景を呈していた。まるで大地の忘れ物のように、所々に生い茂る低木地が無ければ、そこが豊穣で知られるサピン王国の西の端であることを忘れてしまいそうになる。

国境という名の柵で囲われた中でありながら、その極端なほど多様な環境に、カルロスは舌を巻く思いだった。

時に1995年、4月24日。強烈な太陽の下、陽炎の上に8つの機影が揺らめく頃。

 

「…本当に、地の果て、って感じだな…」

 

小さなコクピットの中から外を見やり、青年――カルロスはぽつりと独り言をこぼす。舞い上がる砂塵、4月にも関わらずじんじんと地を灼く太陽、そして広がる土色の中にわずかに混じる緑色。本物の砂漠は見たことはないが、キャノピーを貫通してこの身に感じる熱は、想像の中の砂漠に匹敵する。空の上だからこそまだいいものの、今ああして地を這う人々にすれば、戦争なぞ今すぐほっぽり出して帰りたい気分にさせることだろう。

 

高度にして3000ほど下、砂埃舞う大地の上に、装輪の跡を砂に刻んで疾駆する鉄色の塊。数にして15、6ほどもいるだろうか、熱砂の上を行かざるを得ないサピン王国陸軍の面々に、カルロスは同情する思いだった。空調設備も備えている戦車はまだいい方で、緊急に追加したらしい兵員輸送用のトラックに至っては、露天の荷台の上で歩兵がぐったりしているようにも見える。本来の配置場所はサピン中央辺りだったのだろう、森林迷彩のままのトラックや人員に、高熱・砂埃・震動の三重苦はたいそう堪えているようだった。

裏返せば、それは取りも直さず、サピンがこの地――海上交通の要衝であるフトゥーロ運河奪還に、どれだけ注力しているかを示す光景とも言えた。

 

オーシアとサピンの間を北流するフトゥーロ運河は、オーシア北部の五大湖と、外洋への出口となるオーレッド湾を接続する道の役割を果たしており、戦時にはオーシアが誇る艦隊を速やかに送り込む機能も併せ持っていた。この重要性は当事者たる国々のいずれも理解しており、ベルカは開戦と同時に速やかに運河を制圧し、五大湖方面に機動部隊を、運河の両岸に対空設備やジャミング施設を配置した。結果、戦力的に孤立したオーシア北部は初戦の攻勢を凌げず、ベルカの西進を許す大きな要因となったのだった。

逆に言えば、このフトゥーロ運河を奪還し、オーシアやサピンの機動部隊を五大湖方面へと展開できれば、連合国内へと侵入しているベルカ軍の退路を断つことにもなる。膠着しつつある戦況の中で、軍の再編に手間取っているウスティオやサピンにとっては、反撃の大きな契機として躍起になるのも無理は無かった。

 

《ニムロッド各機、作戦前の最終チェックを行う。機体に異常は無いか》

《『ニムロッド2』、異常なーし。爆弾が重いでーす》

《『ニムロッド3』、こっちも異常なしです。本社の連中、キッチリ働いてくれたみたいですぜ》

「『ニムロッド4』、こちらも異常なし。エンジンも良好です」

 

 先頭を飛ぶアンドリュー隊長から、確認の通信が入る。離陸後3度目の確認作業でもあり、カルロスは手慣れた様子で各計器に目を走らせ、その機体の体調を確かめた。今回は新規の補充機が部隊の半分ということもあり、いつにも増してチェックの頻度は多い。

 機体の損耗を本社に報告したのち、やっとのことで補充された機体は、中古のMiG-21bis『フィッシュベッド』と、より旧式のMiG-19S『ファーマー』が1機ずつ。元々の機体の修理が終わるまでの繋ぎとはいえ、1機でもMiG-21が調達できたのはもっけの幸いだった。

結果、これまでの戦歴を鑑みて、MiG-19Sはアンドリュー隊長が、補充のMiG-21bisにはカークス軍曹が搭乗することになった。無事だった2番機のMiG-21bisは引き続きフィオンが、以前ヴィクトール曹長が乗っていた予備のMiG-21bisはカルロスが割り当てられ、曲がりなりにも小隊としての体裁は整ったと言える。

 

機体確認を終え、視線を右前方に向けると、もはや腐れ縁となった『エスクード隊』の4機が小隊を組む姿が目に入る。もっとも、その乗機は目に馴染んだF-5E『タイガーⅡ』ではなく、角張った主翼と外側に傾斜した垂直尾翼が特徴的な、『トーネード』とも『タイガーⅡ』とも異なるシルエットの灰色の機体に変わっている。

その機体――F/A-18C『ホーネット』の尾翼に描かれた、サピン国旗と盾をモチーフとするエスクード隊のエンブレムが無ければ、一目に同じ部隊とは判別できなかっただろう。

 

《空中管制機『デル・タウロ』より、エスクードならびにニムロッド各機へ。予定時刻通りに攻撃を開始せよ。偵察情報通り、西岸には複数のジャミング設備が、東岸には港湾施設が確認されている。後続部隊のため、これらの破壊を優先せよ》

《了解した、『エスクード1』よりエスクード各機、続け。新型だからって浮かれ過ぎるなよ》

《『ニムロッド1』、了解。『デル・タウロ』、こっちは中古のボロばかりだ。きっちり支援してくれ》

 

 反復の声とともに、エスクード隊の『ホーネット』が加速し、運河西岸のベルカ軍施設攻撃へと向かってゆく。事前のブリーフィング通り、速度、航続性能ともに劣るこちらは、より近場の東岸が担当になる。エスクード隊を見送りながら、機体を右へ傾けて方向を変えるアンドリュー隊長に倣い、カルロスも乗機を傾けて攻撃目標へと舵を切った。

翼下に装備した爆弾の影響か、今日は機体がやや重い。今回は対空、対地戦両方を担う必要があるため、装備は短距離空対空ミサイル(AAM)2基に無誘導爆弾(UGB)2発という折衷案的なものだが、増槽の重量も加えると機体への負担が馬鹿にならない。搭載量が少なく、AAMと増槽しか懸架していないMiG-19Sには、この機体で追いつくのも一苦労である。

いつもより大きく唸りを上げるエンジンの音に、カルロスはフィッシュベッドの不機嫌な声を聞いた気がした。

 

******

 

機首を返して数分後、砂地の茶色が、運河の青と入り交じる光景が眼下に広がり始める。やや密集して地上に見える構造物は、ベルカが配置した対空砲や戦闘車両、兵舎だろう。陸と運河が交わる所には大型のクレーンや艦船の姿も認められる。付近には対空火器も集中配備されており、接近は少々骨が折れそうだ。

また、対地攻撃か。オステア基地攻撃以来の対地任務に、カルロスは口内で不満を噛み潰す。

対地攻撃は苦手でもあれば嫌いでもあり、このMiG-21bisに合っているとも言いがたい。だが、今更そんなことを、それも多分に個人の好悪に関することを、口に出す訳にもいかなかった。

 

「目標視認。港湾施設と停泊中の艦船も確認できます」

《ほとんどの船は五大湖に出張ってお留守みたいだな。獲物が少ないと張り合いが無いぜ》

《各機、UGB使用を許可する。目標、停泊中のフリゲート艦。高度を下げすぎて蜂の巣になるなよ。俺は空の連中の相手をする》

 

 空域上空に控える、空中警戒と思しきベルカのJ35J『ドラケン』が、特徴的なダブルデルタ翼を翻して迎撃の構えを見せる。前言通り対空戦に向かうのだろう、機首を上げて相対の機位へ向かうMiG-19Sの下方を抜けて、カルロス達は増槽を捨てて目標上空へと機体を向けた。

 対空砲火が上がり、SAM(地対空ミサイル)のロックオン警報が鳴る中を抜けて、目標の直前で機首を下げて緩降下に入る。キャノピーガラスに目標サークルや情報を投影する、HUD(ヘッドアップディスプレイ)のような気の利いた装備もない中、頼みの綱は乏しい経験と自分の勘のみ。目標サークル代わりの照準器を覗き込みながら、視界に広がる曳光弾の雨に、カルロスは思わず唾を飲み込んだ。

 

 先頭のフィオンがUGB2発を投弾し、すぐさま加速して退避していく。まだだ、まだ遠い。

 続くカークス軍曹は、投弾の直前に降下角を深く取り、加速を加えてから投弾。加わったスピードを活かし、フィオンより低高度を抜けながら、砲火をかいくぐって右上方に上昇していく。

 高度1600フィート、もう少し。

 オステア制圧戦とは比べものにならない砲火が、前左右に溢れる。

無意識にブレーキに伸びかけた脚を、すんでの所で踏みとどまる。

恐れるな、行け。『そうそう当たるもんじゃない』。

がん。

被弾音。

高度1300フィート。フリゲート艦が照準器からはみ出る。

今。

 

「………っ!!」

 

 指に力を入れた直後、がろん、という音と同時に軽くなった機体が跳ね上がる。投下成功を確認する暇も無く、カルロスはエンジンを噴かして、砲火の中を抜けていった。

 どうだ。追いすがる曳光弾の中で、カルロスは後方を振り返る。

 港から昇る黒煙は、確かに6つ。その中に、真っ二つになって空を仰ぐフリゲート艦と、対空砲1台がスクラップとなっているのが、辛うじて判別できる。炎は、すぐそばの兵舎をも舐め始めているようだ。炎に巻かれて逃げ惑うベルカ兵の姿を、カルロスは無意識に視界から逸らした。

 残りの脅威は、敵戦車。ミサイルアラートが止み、機体を反転させるころになってようやく、カルロスは自身の額が汗に濡れていることに気づいた。

 

「ふー……。残りは、どこだ…?」

 

 対空砲が届かない高度にまで上昇し、機体を右に傾けて旋回しながら地上を探る。大型車両の部類に入る戦車といえども、上空から探すのは一苦労である。事前情報によると、東岸に配置されているのは確か6両。4両しか戦車を含まないサピン機甲部隊には大きな脅威となるといっていい。せめて半減はさせたい所だが、どこだ。

 

 ――いた。

 港湾からさほど離れていない位置、砂丘が緩やかな谷間を作り陰になる位置に4両、さらに装甲車も複数。対空砲こそ配置されていないが、ご丁寧にSAM3基が周囲を固めている。残る2両はさらに北か、それともどこか施設の陰か、ここからでは確認できない。

問題はここからだ。UGBを使い切り、比較的安全に攻撃を行うことが不可能になった今、対地攻撃に不向きなこの機体で、あの防備をどう崩す。

 

「厄介な配置ですね…どうします?」

《迂闊に近づくとSAMでフライドチキンか…。よし、フィオン、カルロス、囮になって上空を通過してくれ。引っかかった所を俺が低空からかかる》

《りょーかーい》

「了解です」

 

 迷えば迷うだけこちらが不利になる。カークス軍曹の案に賛意を示し、フィオンとカルロスはエンジン出力を高めて鼻先を向けた。目標の手前で機首を下げ、あたかも投弾姿勢に入るような挙動で敵の目を引く。その後ろで、カークス機は丘陵の陰を迂回し、高度を下げて攻撃位置へと占位する。

 ヴー、と赤く灯るロックオン警報が、耳障りな音を耳に響かせる。まるで、敵の視線が音となってこちらを射たかのような錯覚。一瞬の虚を挟んで、警報は一転して不快なソプラノへと転調し、殺意がまっすぐにこちらを向いた。まるでスローモーションのような景色の中で、向いた殺意が噴煙となって爆ぜるのを、カルロスは確かに捉えた。

 瞬間。

 

「ぐうっ…!!」

 

 緩降下から機首を上げる急激なGの変化に、思わず肺の奥から息が漏れる。

 機体のすぐ後方を、煙の尾を曳いた鏃が飛び抜けてゆく。その幾筋もの尾を縫うように、低空を這い迫ったカークス機は30mm機関砲を一斉射。装甲の薄い上面を貫かれ黒煙を上げる戦車を尻目に、MiG-21bisは一気に加速上昇に転じ、誇らしげに三角の翼を翻していた。

 戦果確認のため高度をとり右後方を見やると、戦車が合わせて2両、無残に砲塔部を失っているのが見える。残りの内1両もキャタピラに被弾したらしく、動かない右後輪を砂にめりこませ、もがくように装輪を回していた。

 

「戦車2両撃破確認、1両も頓挫しています。…凄い、一航過で…!」

《ハッハッハー、ざっとこんなもんよ!うーし、反転してもう一回…》

 

 30mm機関砲搭載機にとって地上目標の攻撃は割合に容易であり、なおかつ本作戦では主目標でもあるため報酬への影響も大きい。会心の声を上げ、戦果を誇るカークス軍曹の声は、当然の反応だっただろう。

ともかく、この様子なら、SAMにさえ気をつければ目標の殲滅は難しくはない。ちらりと視線を西方へと向ければ、空中を舞うエスクード隊の4機がひらりと舞い降り、地上へと黒煙を刻んでゆく様子も見える。この調子なら、任務は特に支障なく達成できるだろう。

 

――だが、戦場で『予想外のこと』は起こる。それをカルロスが思い知るのは、間もなくのことだった。

 

《『デル・タウロ』より各機へ。運河上流より複数の艦艇が接近中、ミサイル駆逐艦と推定。同時に、北方より機影8。機甲部隊へと向かっている。至急迎撃せよ》

「増援…!?くそ、このタイミングで!」

《ニムロッド各機、聞いたな。全機対地攻撃を中断し、敵機の迎撃に向かう。目一杯飛ばせ、時間が無い》

 

 海空両面からの増援の報に舌打つカルロスをよそに、上空から降下した隊長が矢継ぎ早に命令を下す。

 隊長、そうだ、上空の敵機は。今更の不安に駆られて見上げた空には、『ドラケン』が1機、煙を吐いて北へと飛び去るのが見えた。見当たらないもう1機は撃墜したのだろうか、隊長の『ファーマー』に被弾した様子は見られない。

機を編隊の正面に位置させ、間髪入れずに速度を上げる隊長機に、カルロスはエンジン出力を上げ懸命に追いすがった。加速度で体が座席に押し付けられ、胃の中身が後ろへ引っ張られる感覚はあまり心地いいものではない。

 

 眼下に流れる地面を視界の端に、頭の中で状況を整理する。

 ベルカにとって押され気味のこの状況を考えるに、増援の航空機はもちろん、駆逐艦の狙いもおそらくサピンの機甲部隊と見ていいだろう。こちらの規模を考えれば艦対地ミサイルでの殲滅は容易であろうし、そうなればこの一帯の制圧が不可能になり、この後の作戦にも支障を生じる。数では圧倒的に不利な状況ではあるが、機甲部隊に被害を出させる訳にはいかない。

 

 ――見えた。高度4000付近に4機、さらに1500下方にも4機。おそらく上の4機は戦闘機、下の4機が攻撃機なのだろう。まだ遠く、機種の判別はできない。

 

《このまま俺とフィオンはヘッドオンで通過して反転する。カークスはカルロスを連れて左から回り込め》

 

 隊長の通信に、了解、の声が連なる。左へバンクし編隊から離れるカークス軍曹のMiG-21bisにカルロスも追随し、敵の4機とアンドリュー隊長たちが馳せ違う脇をすり抜けにかかった。爆弾を捨てたフィッシュベッドの機動は、先程と見違えるほどに鋭い。

 

 右上空で、空気を裂く発砲音がいくつも響き、耳をつんざくエンジン音が合わさりあって馳せ違う。腹の底と心臓に堪える轟音の中を、カルロスは機体を大きく右に傾けて急旋回させ、敵編隊の後方へと陣取った。

上空ではすれ違った隊長たちがインメルマンターンの機動に入り、前方では上の4機が二手に分かれて左右上方へ旋回してゆく。小さな主翼と長く伸びた機首からするに、おそらくF-5E『タイガーⅡ』。流石にベルカ軍といった所か、大きく損傷した様子はないようだ。残る4機は、依然翼を広げて直進を続けている。角張った胴体に大型のキャノピー、翼下に満載した爆弾の影。見覚えのあるその機影は、以前ヴェスパーテ基地への襲撃を図ったのと同じ、F-111A『アードヴァーク』に相違ない。

 

《『タイガーⅡ』なら格闘戦に持ち込めば勝ち目がある。まずは右の2機だ、とっとと片付けるぞ!》

「了解!」

 

 カークス軍曹も敵の機種を見定めたのだろう、右旋回を維持したまま斜め上へと上昇し、右に分かれた2機の背中を追い始める。カルロスもカークス機の左斜め後方につき、攻撃補助の位置について追従した。案の定、狙う2機は右上空で反転し、こちらを眼下に見て馳せ違う機動を始めた。すなわち、狙い通り、横機動を軸としたドッグファイト。機体が軽く機動性のよいMiG-21ならば、旋回を繰り返せばF-5Eの背後は容易に取れる。

 はず、だった。

 

「……!?こ、こいつら、動きが…!」

《只のタイガーⅡじゃないな。…くそっ、一旦離れて仕切り直すぞ!》

 

 旋回のGで血が下り、頭痛を催す視界の中で、天地が幾度も回転する。機動性に優れるMiG-21bisを駆る上では不可欠の機動であり、一昔前の機体ならば、格闘戦で逃れられる筈の無い動き。その渦の中で、機動性で勝るはずのこちらの背後を、敵機は徐々に捉え始めていた。

 不利と悟った後の判断の遅速は生死に直結する。ち、と舌打ちの音が無線を揺らすや、下方向きの旋回の頂点で、カークスとカルロスは加速を活かして旋回から離脱、距離を開け始める。直に追いつかれるだろうが、そこから再び格闘戦に入るもよし、急減速でオーバーシュートを誘うもよし。不利をチャンスに変える瞬間を待ち、二人は背後に意識を集中する。

 その眼前を、『左方』からの曳光弾が、まるでひっかき傷のように引き裂いていった。

 

「うわっ!?…左!?」

《ニムロッド3、4、ブレイク!敵は『タイガーⅡ』じゃない、F-20だ!迂闊に格闘戦に入るな!》

 

 眼前をF-5――否、F-20『タイガーシャーク』が飛び去り、その後を追う隊長のMiG-19Sから怒鳴り声が入る。反射的にスロットルを右へ押し倒した一拍後に、後方から飛んだミサイルが先程の位置を貫いていった。

 F-20。確か、F-5Eをベースに、エンジンを単発の高出力なものに換装した改修型。加速性能はもちろん、機動性でもMiG-21bisを上回る有力な軽戦闘機と聞いている。よりにもよって、時間が無いこのタイミングで出会うとは。

 

《敵攻撃機編隊、機甲部隊へ接近中。ニムロッド隊、迎撃急げ》

《分かっている!ニムロッド2、4、敵攻撃機へ迎え。ここは何とかする》

《戦闘機相手じゃないと詰まんないけどなぁー…。りょうかーい》

「わ、分かりました!」

 

 焦り交じりの空中管制機からの通信に、苛立ちを帯びた隊長の声が被せられる。

 『二人で大丈夫ですか?』喉に引っ掛かった心配の言葉を出す間も惜しく、カルロスは機銃の合間を縫って、南へ向けて加速を始めた。同様に命令を受けたフィオンも追撃を開始したらしく、斜め上空にその姿が見える。同時に加速を始めた筈だが、フィオンのMiG-21bisはぐんぐんと速度を上げてゆく。

 

《こちらサピン機甲部隊。おい、敵機がもう見えるぞ!迎撃はどうなってる!?》

「今追ってる!早く進んでくれ!!」

 

 こちらの状況を見ていたのだろう、戦車隊の連中から悲鳴のような声が上がる。事実、『アードヴァーク』と機甲部隊の距離はもう幾らも無く、対してこちらはまだAAMの射程に捉えられていない。目に見えているのに攻撃できない、焦りが募る時間が過ぎてゆく。あと1800、1600、1400。遅い、まだか、まだか。

 

《ニムロッド2、FOX2》

 

 先に距離を詰めていたフィオン機からAAMが2発放たれ、それぞれ別の目標を追っていく。

 爆発、黒煙、脱落する破片。速度を落としてもなお飛行を続けるそれらへ向け、加速を続けるフィオン機は後背から機関砲を短く連射。1秒にも満たない短い射撃の内に、2機の『アードヴァーク』は翼やコクピットを砕かれ、砂丘の中に爆炎の花を咲かせた。その速やかな手並みは、悔しくも鮮やかと表現せざるを得なかった。

 残るは、2機。だが、まだ遠い。

『アードヴァーク』が緩やかに高度を下げ始める。フィオンと同じ戦術を取れば、理論上は2機同時撃破は可能だろう。だが、自分の機銃の腕では下手をすれば両方撃破できず逃してしまう公算の方が大きい。

どうする。

レーダーが、彼我の距離を伝える。距離1200、1100。敵が、まさに投弾姿勢に入る。だめだ、間に合わない。

距離、950。

決断をするにはあまりにも短い時間の中で、カルロスはレバーに指をかけた。

 

「……くそっ!!」

 

 ギリギリの中で採った判断の下、ロックオン領域外にも構わず放たれたAAMが、1機の『アードヴァーク』を指して尾を曳き飛んでゆく。予想外のミサイル警報に慌てたのか、はたまた回避か続行か迷ったのか、その敵機は緩やかに右旋回。実質無誘導となったAAMが擦過していった下でUGBを投下したが、それは目標を大きく外れ、無数の砂煙を巻き上げた。

 ――だが、それは1機のみの話。カルロスの追撃を免れたもう1機は、機甲部隊の後方へ向けて多数のUGBを投下。比類ない搭載力を誇るF-111Aの爆撃は爆装した並の戦闘機の比ではなく、一航過で装甲車2両、自走式ミサイルランチャーと対空車輛各1台を鉄の残骸へと変えた。

 

《くそっ、後方がやられた!2号車、生存者を救出しろ!》

「……ッ!……すまない、防ぎきれなかった…!」

《なに、まだ行ける、戦車は無事だ。残りは敵陣地制圧にかかれ!》

 

 地面に数多咲いた鉄と血の色の花に、カルロスは唇を噛む。戦車こそ無事だったものの、地上の被害はけして少なくない。あの車両一台だけで、果たして何人が死んだのだろう。

 せめて、俺にせめてフィオンの半分でも技量があれば。天才にはなれないまでも、近づく努力をしなければ。今までのように、ただその時その時でがむしゃらに飛ぶだけでは、いずれ自分も、周りも殺してしまう。

 成長しなければ。それを、今この時ほど強く感じたことは無かった。

 

《『デル・タウロ』より各機、敵攻撃部隊は撤退を開始。艦艇も排除を確認した。エスクード隊、ニムロッド隊、よくやった。被害は少なからず出たが、『ゲルニコス作戦』の完遂は確実だろう。作戦計画は『ラウンドハンマー作戦』および『コスナー作戦』に移行する。各機は空域をウスティオ、オーシア軍に引き継ぎ、帰還せよ。》

《ニムロッド1、了解した。各機、生きてるな。帰還するぞ》

 

 戦況を知らせる管制官の声に目を上げれば、翼を畳んだF-111Aが空域を離れていくのが遥かに見える。西を振り返れば、運河の中には煙が二筋上がり、増援の駆逐艦の末路を物語っていた。

 勝利。

 それを、心から喜べないのは初めてだった。吹き飛んだ装甲車の中から内臓のようにこぼれた、人だった肉片を炎が舐め、鉄塊もろとも黒煙で覆ってゆく。

 

「………すまない…」

 

 魂が昇ってゆくようなその様を、カルロスは目に焼き付ける。

 俺は忘れない。自分のために、消えてしまった名も知らぬ人のことを。

 

 東から飛来したウスティオ軍機の編隊が、運河の方へと向かっていく。

 いくつもの鉄と血と黒煙の上に、F-15C(イーグル)の青い翼が映えていた。



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第9話 追い求める者

《諸君の奮闘により『ゲルニコス作戦』は速やかに完了し、全体作戦である『戦域攻勢作戦計画4101号』も成功裏のうちに終わった。これに伴い、サピン北部からフトゥーロ運河にかけて侵入していたベルカ軍は一掃され、残るはサピン西部のドス・パウレス基地のみとなった。 
 本日未明の偵察情報によると、退路を断たれた同基地のベルカ軍は全ての航空機を動員し、ベルカ勢力圏内へ向けて強行突破を図るべく既に出撃準備を始めているという。戦闘飛行隊の諸君はただちに出撃し、撤退するベルカ軍の予測進路上に展開。これを殲滅せよ。 
 待ちに待った、サピンの空を取り戻す時だ。ベルカ軍機を、1機残らず叩き落とせ。以上だ》


 遠い山の稜線に沿って、東から太陽の光が差し込み始める。

 頭上を覆っていた黒々とした深い蒼色は急速に褪せ、夜が西へと下がってゆく。白を帯びていく朝空には、雲はほとんど見られず、今日の晴天を予感させた。

広がっていく光の裾野の中に、ここオステアの地も白く染まってゆく。夜露に濡れた滑走路も、露天に駐機した戦闘機も、周囲にぽつぽつと並ぶ町並みも、そしてTシャツに作業着ズボンという出で立ちで、格納庫の辺りを早足に駆ける青年の姿も。春の朝日は、すべてのものを平等に柔らかく包んでいった。

1995年5月2日。この日もまた、戦禍に巻かれ命燃えるこの大陸に朝が来た。

 

「…晴れそうだな」

 

 青年――カルロスは脚を止めて、眩しそうに目の上に手をかざしながら、顔をもたげる太陽の姿をしばし見つめた。雲量1、風は微風。昨日聞いたラジオの予報に間違いは無いらしい。

拍動を整えて大きく息を吐くと、朝の冷気に白く曇った呼気が、光の中に消えてゆく。上気してやや赤みを帯びた頬には一筋汗が流れ、その運動が余程早い時間から始められたことを無言の内に物語っていた。冷たい朝の風と清浄な夜明けの光景は、体を動かした爽快感と相まって、心身を洗うように爽やかにしてくれるようにも感じた。

 

 早朝ジョギングなる殊勝なことをカルロスが始めたのは、ごく最近のことである。

 動機はといえば、一週間ほど前に行われた、サピン西部を流れるフトゥーロ運河の奪還作戦でのことである。作戦の一端を担う地上・港湾制圧作戦『ゲルニコス』の折、彼は自らの技量不足が元で、眼前で友軍地上部隊を犠牲にする結果となった。

 当時の彼我の装備や展開位置、機体性能を鑑みればある意味やむを得ない結果とも言え、実際先輩たるカークスやアンドリューからはそのような慰めを受けた。だが、この戦争に参加してからこのかた、ベルカ軍相手に一度ならず窮地に立たされ、幾度か死にそうな目にすら遭っているカルロスにとって、どうしても自らが第一の原因だと思わざるを得ない。何より、先の件で同時に行動していたフィオンは、こちらと同様の位置と武装で、見事敵の攻撃を阻止しているのだ。これまでの経緯と、僚機の結果。いずれで見ても、原因はカルロス自身の技量に求める他なかった。

 

 フィオンは、天才だ。年齢こそ自分より2つも下であり、生意気な性格は正直思うところ無くもないが、その点は悔しいながらも認めざるを得ない。一線級の機体と比べ性能が劣るMiG-21bisに乗りながら、すれ違いざまの機銃掃射で過たずコクピットを潰し、背後から攻撃機2機を同時に撃墜し、名高いベルカのエース部隊と互角に渡り合う。前歴は単なる一市民に過ぎず、それまではこれといった訓練も経ていなかったというのだから、才能と言う他ない。

 たぶん、エースというのはああいう人間を言うのだろう。エースと一括りに言っても、才能一つで成り上がる人間や努力を重ねて大成する人間など多様ではあるだろうが、少なくともその領域にフィオンが入ることは間違いない。『インディゴ隊』『シュネー隊』といったベルカのエースは勿論のこと、同じサピンで活躍する『エスパーダ隊』や、最近名を上げているウスティオのF-15C(イーグル)乗りもその範疇に入るだろう。この空に、エースは多い。

 

 俺はエースになろうとは思わないし、なれるとも思えない。

 だがそれでも、自らの理想へ向けて一歩ずつ進んでいくこと、努力して自らを高めることには、きっと意義がある。

エースには及ばないまでも、自分ができる最大限のことをしよう。今より少しでもマシに、今より少しでも良くなるために。そうでもしないと、『やむを得なかった』と思うことは許されない。アンドリュー隊長の指導に熱が入るとともに、こうして自主的な鍛錬が始まったのは、カルロスがその境地に至ってからだった。戦闘機の操縦にジョギングがどれだけ寄与するかは正直分からないが、これもまた、努力という方向に向かう熱が溢れた結果と言えるだろう。今はとにかく体を動かしておきたい。

 

体が、少し冷えて来た。もう少し走って、一息ついてから朝メシにしよう。

たん、たん、と軽くジャンプして、脚を温めるべく体を慣らす。

さて、もう一走り。脚を踏み出しかけた刹那、後ろからかかった聞き知った声がなければ、彼はそのまま走って行ってしまっただろう。

 

「よう、精が出るな4番機。いいところで悪いが、招集だってよ」

 

 急にかけられた声に、とっとっと、と危うくたたらを踏むカルロス。振り返った先にいたのは、ややこちらより高い長身に褐色混じりの金髪を微風に揺らす、サピンの軍服に身を包んだ一人の青年――『エスクード2』こと、ニコラス・コンテスティ少尉であった。

 

「招集?こんな朝早くに?…一体何だろうな」

「さぁな。どっちにせよ、さっさと行かないと雷喰らうぜ。…ったく、これからのんびり哨戒飛行のはずだったのによ」

 

 軍という組織の外にいる傭兵にとって、軍の階級はそれほど意味を成さず、専ら年齢と戦績が相手への対応を左右する。その点で、彼は少尉という階級ながら、赴任して日が浅いこともあり戦績はカルロスと大きく変わらない。年齢も22歳と一つ違いであり、ヴェスパーテ防空戦で偶然僚機となった縁もあることから、カルロスとニコラスは自然と隔てない口調で接する間柄であった。ニコラス本人もカルロスの対応を咎めることなく自然に受け入れている辺り、気のいいざっくばらんな性格なのだろう。

 愚痴一つ残し、一足先にその場を後にする『友人』を見送って、カルロスは着替えを済ますべく急ぎ足に兵舎へと向かう。流石に、この姿でブリーフィングに参加する訳にはいかない。

 どこかで、エンジンを回す音が響き始めていた。

 

******

 

 慌ただしいブリーフィングを経て、時間にして数十分後。オステア空軍基地から西方110km地点の空に、カルロスらニムロッド隊の姿を認めることができる。

 サピン国内に残るベルカ軍の拠点、ドス・パウレス基地。急に舞い降りたその地からのベルカ軍撤退の報は、唐突ながらもある程度予期されたものでもあった。

先日フトゥーロ運河を失い、それに伴ってサピン国土北方から北西部にかけての地が奪還された今、内陸に入り込んだ形のドス・パウレス基地は孤立したに等しい。前線のベルカ軍も撤退を繰り返しているこの状況では支援など望むべくもなく、ベルカの司令官としては逼塞してじわじわ衰弱するよりも、危険を冒してでもサピン勢力圏を強行突破せざるを得なかったのだろう。

 それゆえだろう、足下から鳥が立ったにも関わらず、サピンの反応は迅速だった。

付近の基地に駐屯していた陸軍の制圧部隊は進発の準備をしているというし、ドス・パウレスに近い空軍基地からは追撃部隊が出撃して攻撃を仕掛けているという。加えて、カルロスらが駐屯するオステア基地からは戦闘機12機、空中管制機1機が出撃して、彼らの予想針路上で網を広げるという万全の体制である。この布陣を瞬く間に敷いた辺り、この追撃戦と、何より領土回復に燃えるサピンの意思が伺い知れた。

 

運が尽きる時とはどうしようもないものである。陽が昇った空は朝の読み通りに快晴であり、雲もなく遙か遠くまで見通せる。空中管制を担当するE-3『セントリー』には、追撃部隊や近傍のレーダーサイトからの情報が逐一入り、戦力配置でも電子の目でも逃げおおせる隙間は一つも無い。今や、ドス・パウレスのベルカ軍にとって、あらゆる状況が不利に働いていた。

 

《空中管制機『デル・タウロ』より各機。あと5分で敵編隊が交戦域に侵入する。離陸時に32機だった機数は、現在21機にまで減少している。各員、敵機確認時には注意されたし》

 

 了解、と各小隊長の声が響く中で、カルロスの右隣へF/A-18C『ホーネット』が機体を寄せる。灰色の尾翼には盾とサピン国旗の星をモチーフにしたエンブレムが記されており、機体番号からそれが『エスクード2』だと判別できる。よくよく見ると、彼はコクピットからこちらを見やって、何やら手振りでジェスチャーをしているように見えた。

 

「……あいつ…」

 

 今回は、競争だな。そう伝えているらしいニコラスの顔は酸素マスクとヘルメットで伺い知れないが、おそらく笑っているのだろう。それは取りも直さず、彼もまたこの戦闘の勝利と、サピンの空の回復を確信していることに他ならなかった。

苦笑しながら、カルロスもまた手振りで回答を返す。『ホーネットとじゃ勝負にならないだろ、ハンデくれ』。ニコラスの返答は、人差し指と中指で丸を作り、次いで親指を立ててこちらに見せるジェスチャー。おそらく、『了解、グッドラック』、という所だろう。

 何となく、伝わっていなかったらしい気配がした。

 

《そろそろだ、各機交戦用意。今回は自由戦闘とする。今日だけは、チームプレイは忘れて存分にやれ》

《へへっ、今日は稼ぎ時だな。了解!》

 

 先頭のMiG-19Sから隊長の通信が入り、楽しそうなカークス軍曹の声が続く。

 以前軍曹から聞いたことだが、たとえ高性能な機体でも、部隊そのものが敗勢だったり逃げに徹している時は、信じられないほど弱く感じるものなのだという。パイロットの心に怖じ気があれば、攻撃に転じることも少なく、早く逃げようという思いから機動も却って単純になるのだそうだ。先の軍曹の反応は、今の状況を思えば当然だっただろう。

 

 ――来た。

 前方にぽつぽつと見えた黒点が、徐々に大きくなっていく。大型の機体は低空を這うように、戦闘機と思われる小型の機影はこちらよりやや低い上空を飛んでいるが、配置はばらばらで統制がとれているようには到底見えない。なりふり構わぬ脱出だったのだろう、雑多な機種で構成されていることも、ここから容易に見て取れた。その機数、18。

 …18?

 頭に引っかかる違和感が、カルロスに目を凝らさせる。

 …18、確かに18機だ。事前情報より3機少ない。この空域まで逃げる途中に力尽きたのだろうか。

 

《上空から一斉射して後方に抜ける。後は各自散会しろ。ただし無理はするな。……ニムロッド1、交戦(エンゲージ)

《歯ごたえのあるヤツがいるといいけどなー。ニムロッド2、交戦》

《よりどりみどりってヤツだな。ニムロッド3、交戦!》

「ニムロッド4、交戦!」

 

 エスクード隊ら8機のホーネットが右から回り込むのを視界の端に留めながら、旧式機で構成されたニムロッド隊は増槽を投棄、敵編隊上空から機銃掃射とともに突入する。相対速度は速いが、敵機とて回避に必死でもあり、そうそう衝突するものではない。

機銃の唸りが機体を揺らし、翼を翻して分散する敵機がすぐ側を抜けていく。

エンジンの唸り、飛び散る金属片、高速の擦過に渦を巻く空気。応射一つ無い群れの中を抜けて反転すると、早くも1機が煙を噴いて高度を下げつつあった。日の光に浮かぶそのシルエットは、オレンジ色の目立つ塗装に武装を積めるとは思えない非常に小柄な機体の姿。機種は定かではないが、練習機に相違なかった。

 敵機は混乱の極みに達しているらしく、後方から顧みた限りでは統制行動を取っている戦闘機は皆無で、各機めいめいに回避行動を繰り返している。それを見越したように突入したエスクード隊は、上空へ退避しようとしていたF-16C『ファイティング・ファルコン』を瞬く間に火の玉に変えて、編隊の左へと抜けた。

 

 さて、どこを狙うべきか。

 後方から敵編隊を俯瞰し、まずはその編成を把握する。低空には、中型以上の輸送機と爆撃機が、合わせて7機。当然爆弾は積んでおらず、中は機材と人員で一杯だろう。上空では各自に行動している小型機が合わせて11機。内訳はMiG-21bisとSu-24『フェンサー』が各3機、F-16CとMiG-29A『ファルクラム』が1機ずつと、種類に纏まりのない雑多な構成だ。残り3機は練習機と思われる。

 方やこちらの装備は、緊急出撃ということもあり、一般的なAAM(空対空ミサイル)が4基。兵装搭載量の多いホーネットならともかく、これきりしか積めないMiG-21乗りとしては、いきおい獲物は選ばざるを得ない。

 

 ――あれだ。サピン機の攻撃で乱れた敵機から目ぼしい目標を絞り、『フィッシュベッド』の鼻先をそちらへと向ける。高度を上げつつ機体を傾け、カルロスは逃げ惑うその機体を下方に凝視した。

 Su-24『フェンサー』。角ばった胴体に上翼位置に配された可変翼というシルエットは、一見するとアンドリュー隊長の前の乗機、MiG-27『フロッガーD』やMiG-23『フロッガー』にも似ている。違う点はといえば、機体が一回り大きくコクピットもやや幅広な所と、エンジンが並列に2つ配されている点だろう。大型ゆえに搭載能力に優れるが、格闘戦における小回りでは純粋な戦闘機に劣る。乗機MiG-21bisでも対抗しやすい相手として、カルロスが真っ先に目を付けたのも無理は無かった。

 

「…よし、そこだ!」

 

 エスクード4の攻撃を避け、翼を畳んだSu-24が左旋回した隙を狙い、敵の後上方から機体を降下させる。案の定、敵の機動は鈍い。

 敵もこちらに気づいたらしく、エンジン後部の噴射炎が一際明るみを帯びる。

 ダイブで逃げる。咄嗟に判断したカルロスは、負けじと機体を加速させた。敵は双発、しかしこちらは機体も軽く、降下で加速も加わっている。鈍重な攻撃機がスピードを上げるまでに、電子の目は確実にミサイル圏内に収める筈だ。あまつさえ敵機は、左右に機体を蛇行させる回避機動も併用している。敵の尻を追うのに時間は要するが、距離は着実に詰まってゆく。

 レーダーが、機械のソプラノで歌う。

距離850、ロックオン。

攻撃圏内ぎりぎりの距離へ差し掛かると同時に、カルロスはボタンを押下する。がごん、と音を立てて外れたAAMが、内蔵された燃料に火を灯し、尾を曳いて逃げる敵機を指向していった。

 

ロックオン警報に反応したのだろう、咄嗟に右旋回に入るフェンサーの動きは、やはり遅い。

もらった。

確信し、生じるであろう破片を避けるべく機体を翻すカルロス。その視線の先、敵機の下方に幾つもの火球が発生したのは、その時だった。

 

「な…!?…くそっ、フレアか!」

 

 二本の矢が火球に引き寄せられ、本来の目標を逸れて彼方へと飛び去ってゆく。熱誘導ミサイルを欺瞞する近接防御装備、フレアディスペンサー。入隊当初に叩き込まれたその知識が漸く頭に浮かんだのは、既に敵機が加速を加えて、こちらから離れてゆく頃だった。実戦で目にしたのは初めてだが、鈍重な攻撃機への搭載を疑わなかったのは不覚だったと言わざるを得ない。

 追いつけるか。いや、追いついてやる。

 くそ、と口中に苛立ちの呟き一つ、再び機首をフェンサーへ向けて加速する。しかし、一度速度を緩めてしまった以上、後は加速力の勝負だ。余分な対地兵装を外し、双発エンジンの出力を活かしたフェンサーの加速は流石に早い。エンジンの回転数を上げるカルロスを嘲笑うかのように、その距離は徐々に離れつつあった。

 

「くそ、何がなんでも…っ!?おわっ!?」

 

 フェンサーへ集中し、束の間他の光景が見えなくなっていたカルロスの眼前を、2機の機影が唐突に横切る。なんだ、敵、それとも味方。一瞬乱された意識に集中力が拡散し、束の間フェンサーの姿が視界から消える。

 しまった。くそ、どこへ。焦りに凝り固まったカルロスの眼が前方のフェンサーを再び捉えるのと、そのフェンサーのコクピットへ向けて直上から機銃が降り注ぎ、過たずコクピットを打ち砕いたのは同時だった。

 

《カルロス!1機に気を取られ過ぎだ、もっと広く見ろ!》

「…た、隊長!?今のは…」

 

 墜落してゆくSu-24の上空からまっすぐ降下した機体がこちらへ鼻先を向け、同時にそのパイロット――アンドリュー隊長の怒声がノイズ混じりに無線を揺らす。鼓膜に痛く響く大声に耳を押さえながら、カルロスは冷や汗を禁じ得なかった。

 確かに、さっき自分は1機のSu-24しか見えていなかった。近くに他の敵機がいた気もしたが、せっかくのAAMを費やした機体を逃がしてなるものかと意地にもなっていたのだろう。それゆえに、目の前を横切るまで接近していた2機にも気付かなかったのだ。

 情けない。戦場に立って何度目かになるその思いを知ってか知らずか、隊長のMiG-19Sは眼前の空域で旋回し、機体を傾けて全体を俯瞰している。一瞬、その様は飛行に慣れぬ雛鳥を待つ親鳥のようにも見えた。

 

《ニムロッド隊、集合しろ。目ぼしい獲物はあらかた喰い終わった。後はサピン空軍に任せ、逃げた大型機編隊をやるぞ》

《了解!へへっ、残りは大物ばかりか…喰いきれるかねぇ?》

《輸送機つまんないので僕こっちにいたいでーす》

《却下だ。よし、各機追撃を…》

 

 隊長の命令に、MiG-19Sを起点としたロッテ編制を組む。ミサイルは消費したものの、他の3人とも無傷のようだ。戦場を振り返れば、最早ベルカの航空機は残り少なく、その全滅は明らかだと言って良い。今や空域を舞う8機のホーネットの隙間を、わずかに2機のMiG-21bisと1機の練習機が細々と飛ぶだけだった。

 残りは、逃げた輸送機と爆撃機。進路を見定め機首を向けかけたその矢先、ざ、ざ、と無線が不意に鳴った。

 

《デル・タウロより追撃部隊各機、戦闘空域の東方に、北上する中型機1機と小型機2機を確認。急ぎ追撃せよ。》

《何!?……まさか、こいつら…!》

《エスクード1、東の連中は任せろ。逃げた輸送機の方を頼む。…ニムロッド各機、聞いたな。急ぐぞ》

 

 矢継ぎ早に交わされる通信から、いち早く方針を決めた隊長が機体を翻す。くそ、最近こんなのばっかりだ。急加速で胃の中身が撹拌される不快感に耐えながら、カルロスは行き所の無い愚痴を口内に漏らしていた。

 それにしても、このタイミングで3機である。事前報告と先に会敵したベルカ編隊の数の差と、それは一致する。すなわち友軍の追撃を受けた直後に、敵部隊は分散したのだろう。おそらく、その中型機を確実に逃がすために。――と、いうことは。

 

《奴ら、山ほどの味方を捨て駒にして、お偉いさんだけ生き残ろうってか?》

「………」

 

 やはり、そうなのか。

 この不自然なタイミングでごく少数機での離脱、しかも輸送機1機に護衛2機という厳重さ。目を惹く大部隊を隠れ蓑に、まるで物陰を這うように逃げおおせる魂胆なのだろう。その、兵たちの大量の命と引き換えに。

 

 不潔だ。脈絡もなく浮かぶのは、その言葉だった。

 戦争である。戦場で敵味方が殺し合うことも理解しているし、指揮する側には指揮する側の理論があるのも分かっている積りだ。

 だが、それでも、指揮官たる者が兵を『捨て』、こそこそと逃げ去るのは許せない。兵の命を預かっておきながら、最後には自らのためにそれを放棄するなど、どんな理由であれ指揮官が…否、人間がすべきことではない筈だ。…そう、父だって、そうして――。

 不潔(潔からず)。カークスの推測は、カルロスの心に青い思いと怒りを沸かせるに十分だった。

 

《ニムロッド隊、敵編隊がベルカ勢力圏に接近しつつある。傍受した通信によると、サピン方面軍の高級将校が登場している可能性がある。絶対に逃がすな》

《了解した、デル・タウロ。…チッ、間に合わんかもしれん。飛ばすぞ》

 

 敵機も相当な高速で飛行しているらしく、容易にその尻尾を掴むこともままならない。エンジンの回転数を上げて加速を強め、中古の旧式に鞭打って、4機は矢のように北を目指す。

 遠い。まだか。気が競る数分間を過ごす中、正面できらりと何かが光った。キャノピーか、主翼の反射。目を凝らす間もなく、遥か彼方に見えたその点は、瞬く間に大きくなってゆく。

 編隊中央に位置する、胴体に近い主翼部上面に取りつけられた双発のジェットエンジンと、比較的小さな機体。そしてやや下膨れの印象を抱かせるシルエットに、T字型の尾翼。間違いない、目標の輸送機だ。その両側には、護衛のMiG-21タイプ2機も見える。

 

《An-72…あれだな。各機、時間が無い。輸送機を第一に狙え。》

「了解!」

 

 3人分の復唱と同時に、敵機を攻撃圏内へ収めるべく徐々に肉薄していく。敵編隊も気付いたのだろう、護衛の2機は左右上方に旋回し、機動性を活かした最小半径のシャンデル機動でこちらに相対した。即ち、ヘッドオンの位置。

 

 急速に距離が狭まり、レーダーが警戒のアラームを鳴らす。まるで、カウボーイの早撃ち勝負のようだ。呟き一つ噛み殺し、カルロスは高速で迫る『バラライカ』の姿を捉える。1000、900、…800。距離が800を割った瞬間を狙い、カルロスはミサイルの発射ボタンに指をかけた。

 だが、敵の判断はそれを上回った。この場は確実に仕留めるより、少しでも味方から遠ざけるべき。そう判断したのであろう、敵のMiG-21は、こちらより一拍早くミサイルを放った。

視界の端に、敵のミサイルが翼下から外れる様がスローモーションのように映る。まずい、当たる。この進路では、避けられない。

咄嗟に右下方へと舵を切り、カルロスの機体は敵機に腹を向けて馳せ違う。その数瞬後、敵の放ったミサイルが、先程までの位置を通り過ぎていった。

 

《外した!?》

《構うな、そのまま輸送機を狙え!カルロス、カークスの援護に就け!》

「了解しました!」

 

 アンドリュー隊長もこちら同様に回避したらしく、左上空から指示を下している。攻撃を抜けたカークス機はそのまま輸送機目指して前進、フィオン機はMiG-21を狙って反転したらしい。

 命令を受けたカルロスは、輸送機へまっすぐ向かっていくカークス機を追って、左旋回で機体を立て直しながら徐々に高度を上げる。高度を失ったままでは、追撃も覚束ない。

 後方では絶え間なくエンジン音が唸り、激しいドッグファイトを無言の内に物語っている。だが、あの二人ならば大丈夫の筈。後方で爆炎が閃いても、カルロスは後方を一切振り返らなかった。

 

《ニムロッド2、1キル!》

《チ、爆炎に紛れて1機抜けた。注意しろ》

 

 瞬間、機体の左下方を、ベルカの『フィッシュベッド』がごう、と駆け抜けてゆく。後方を隙だらけにしても構わないと言わんばかりの直線の追撃は、まっすぐにカークス軍曹の機体の方を向いていた。

 

「カークス軍曹、後方敵機!」

《分かってる!!今回避したらコイツを逃がしちまう。後ろ任せたぜ!》

「えっ…!……は、はい!…必ず!」

 

『任せる』。軍曹の言葉に胸の鼓動が早まり、汗が滲むと同時に胸の熱が高まる。僚機の背中を任せられる、初めての経験。――今度は、逃がす訳にはいかない。軍曹のためにも、その信のためにも。

敵のMiG-21は加速を早め、一気にカークス機への距離を詰めてゆく。おそらく軍曹の機体に、ロックオン警報が鳴るのも時間の問題だろう。片やこちらは高度が足りず、降下して加速する手は使えない。ならば、事ここに至ってできることはただ一つ…エンジンが焼け付いてでも、ひたすらに加速するのみだ。

 

「く、っそ…!絶、対、逃がす、か…っ!」

 

 交戦開始から、幾度となく急旋回や急加速を繰り返した体に、再び強烈なGがのしかかる。こみ上げる嘔吐感が胃袋を苛み、体力を刻一刻と削っていく。だが、それでもカルロスは、眼前を矢のように飛ぶMiG-21から眼を離さなかった。

 早い。こちらに先んじて加速していたこともあり、敵機のスピードは依然こちらを上回っている。それは、先程加速度を利用した追撃を用いたカルロスも、当然承知の上。狙う瞬間は、ただ一点――。

 

「………っ!そ、こ、だぁぁぁ!!」

 

 カークス機をロックオン圏内に捉えた敵機のスピードが、一瞬緩む。追い抜き(オーバーシュート)防止の為の急減速。カルロスが待っていたのは、この瞬間だった。機数に余裕があるこちらと違い、敵は1機のみ。一度誤通過してしまえばフォローの術はなく、確実に仕留めるには減速せざるを得なかったのだろう。

 相対速度が急速に上がる、その一瞬。一気に距離が詰まったその瞬間を狙って、ロックオンもそこそこに、カルロスは残ったミサイルと機銃を射放った。

 

 敵機とすれ違う瞬間、すぐ傍で爆発の衝撃が爆ぜる。焔と閃光と熱を纏い、飛び散る破片の雨の中で、機体の主翼が軋むような悲鳴を上げた。

 

「……軍曹っ!」

《…へへっ、ありがとよ。やるようになったじゃねえか》

 

 敵機の下方を左下へ抜けて、傷を負った機体を立てなおすカルロス。攻撃は、敵機はどうなった。機動の最中にも脳裏を満たしたその不安に、声が思わず零れていた。

 帰って来たカークス軍曹の声は、労わるように明るい。冷や汗塗れの顔で見上げると、敵の輸送機が胴体後部から火を噴き、先のMiG-21はアンドリュー隊長からの追撃で撃墜される所だった。どうやら放ったミサイルは致命傷にはならなかったものの、攻撃を防ぐことには成功していたらしい。

 

《デル・タウロより全機、よくやった。ベルカ部隊の全滅を確認した。サピンの空は、ついに我らの手に戻ったのだ。各機、帰還して祝杯を挙げよう》

 

 無線を鳴らす管制官の声に、サピン空軍のパイロットの歓声がいくつも入り混じる。故郷奪還の悲願。それはきっと、自分達には想像できないほどの切望だったのだろう。

 その空の片隅で、カルロスもまた、胸の熱を感じていた。信に応え、一歩でも目標に近づけた喜びによる熱さ。そして、今まさに食道を逆流する胃液の熱を。

 

《よし、全機帰還する。帰ったら、あいつらの祝杯を一杯頂くとしよう。カルロス、生きてるな。……カルロス?》

「……………ぅぷ。いえ、こちらニムロッド4、大丈夫です。合流しま…」

 

 おぼろろろろ。言葉の最後は流動音で濁り、胸の奥から胃液と言う名の溜まった物を吐き出した。通信を揺らすは、怒鳴り声と心底愉快な笑い声。

 今日ばかりは、朝飯前の出撃だったことを感謝した。



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第10話 Terminator -断ち切るもの-

《諸君の働きによりサピン国内からベルカ軍は一掃され、隣国オーシアも反攻作戦によりベルカ侵攻軍の排除に成功した。連合国内で残るは、隣国ウスティオの奪還である。この決め手とするため、ウスティオ・オーシア連合軍はウスティオ首都ディレクタス奪還作戦を実行し、昨日近郊へ空挺部隊を降下。本日夕刻にも首都奪還へ乗り出す予定だ。我が軍はこれを支援するため、ウスティオ北部とディレクタスを結ぶ幹線道路を空爆し、ベルカ陸軍の増援を断つ。戦闘機隊の諸君は爆撃隊を掩護し、作戦の実行を確実なものとして欲しい。 
 ディレクタス解放は、我らが侵略に屈しないことを示す最高の機会となるだろう。各員、一層奮闘せよ》


 頂点を過ぎた太陽が、やや光に赤みを帯びて大地を照らす。

 あと2、3時間もすれば日没の時刻、春らしく雲一つ無い今日ならば、山際を灼くように綺麗な夕日が拝めることだろう。

サピン王国東部、上空5000。春にだんだんと夏色が混ざり始める5月の空に、陽光を反射するいくつもの翼が煌めいていた。

 

「…帰る頃には、もう日が落ちるな」

 

 西の空に傾く太陽を仰ぎ見て、ガラスの棺桶のようなキャノピーの中で、青年――カルロスは誰言うことなく呟いた。

 

落日。今の戦況を――すなわち敵国ベルカの状況を評するに、これに勝る言葉は無いだろう。一昔前に精強を以て知られたベルカは経済的な危機によって徐々に窮乏し、領土を割譲しなければ国を維持できないほどに困窮した。その打開のために始められた今次戦争も、初戦こそ破竹の勢いで他国を制圧していったものの、戦域の拡大とともにその勢いは鈍化。体勢を整えた各国の反撃に遭い、開戦から一月後にはオーシア、サピンなどからは既に撤退、残るウスティオも今失陥の憂き目に遭っている。そして、この包囲と速戦を旨とするディレクタス解放戦に耐える体力は、ウスティオ方面軍には残っているとは言いがたい。

夕日の中の、首都奪還作戦。時刻といい場所といい、今の世相を観るには歌劇的なほどにぴったりな舞台だった。

 

《編隊長より各機、飛行行程は予定通り消化中。目標到達まで30分だ、警戒を厳にせよ》

 

 編隊中央に位置する爆撃機機長の濁声が無線から届く。でっぷりとした体躯に照りのある禿頭、酒焼けした濁った声が非常に特徴的な編隊長は、サピン軍でも古参の部類らしく、指揮も落ち着いている印象に聞こえる。尤も、顔合わせの時に面と向かって『傭兵は信用ならん』と堂々とのたまった人物でもあり、その『傭兵』に戦力の半数を頼る今作戦には乗り気ではないようだったが。

 

 正直印象のよろしくない濁声を振り払うように頭を振って、カルロスは索敵がてらに編隊を俯瞰する。

 編隊の中心、先の濁声ハゲ…もとい編隊長が率いる爆撃隊は中型爆撃機『キャンベラ』4機で構成され、こちらから見て下方に位置している。その両翼には対地攻撃機としてSu-25『フロッグフット』が2機並んでいるが、これらはサピン正規軍ではなく、我々とは別の民間軍事会社(PMC)から派遣されてきた傭兵だ。これら6機を攻撃の主力とし、上空には護衛機として『ニムロッド隊』が4機と、『トーネードIDS』4機で構成されたサピン空軍『ランザ隊』という布陣だった。なお、サピン空軍はディレクタス方面の側面支援も行っており、同時に行動することが多かった『エスクード隊』や空中管制機『デル・タウロ』はそちらへ赴いているため不在である。そのためであろうか、常と比べどこか新鮮な組み合わせであった。

 

《早速お出ましだな。レーダーに反応、9時方向に敵機4だ。傭兵ども、とっとと迎撃に向かえ!機銃一発でも俺の機体に当てさせたら承知せんぞ!》

《…。了解した。ニムロッド隊、続け》

《へい、了解。…あの野郎、帰ったらジェット燃料であのハゲ頭磨き上げてやろうか》

《聞こえてんぞそこ!!つべこべ言わずとっとと行けコウモリども!》

 

 空を監視する空中管制機の眼が無いこともあり、常と比べて敵の捕捉は後手後手となる。すなわち発見時点で彼我の位置は常より近く、もたつけばそれだけ爆撃隊への危険も増すという訳だ。編隊長の怒鳴り声を横目に、機体を左方へ傾けたニムロッド隊4機は急ぎ敵の方位へと向かい始める。

 先の戦闘で無理を強いたためか、エンジンが一度大きく咳き込んだ。

 

《ランザ1より編隊長へ、2時方向にも新たに2機を捕捉。迎撃に向かう》

 

 まだ慣れぬ協働部隊、ランザ1の声が通信に響く。同じく護衛を担当するランザ隊は、こちらとほぼ真逆の方向に迎撃に向かうらしい。しかし、これでも迎撃機は合わせて6機。こちらの編制とベルカ軍の規模を考えると、あまりにも少ない。

 

「攻撃が散発的ですね。ベルカもディレクタス方面で手一杯なんでしょうか」

《…いや、おそらく古典的な囮戦術だろう。護衛が囮に引っかかった所を、本命が襲いかかるという寸法の筈だ》

「え…!?それじゃあ!」

《慌てるな、爆撃隊が捕捉してないならまだ猶予はある。2分以内に落とすぞ》

 

 浮足立ちかけた心を、隊長がたしなめる。当然のように敵の罠だと言い放ち、なおそれを破るという確固たる言葉。いわゆる親分学の心理とも言うべきか、確たるその様子に心は自然と落ち着いた。

 確かに、まだ爆撃隊のレーダーに敵が捉えられていないのなら、急行してもギリギリ間に合う余裕はある。いずれにせよ、どれだけ早く敵を退けられるかがカギだろう。

 

 見つけた。こちらの真正面、けし粒のように小さな黒点が合わせて4。まっすぐこちらに向かってきている。『交戦(エンゲージ)』。誰かの声に合わせるように、カルロスは増槽を投棄した。

 

《MiG-21が4機か。全機、落ち着いて狙え。焦って回避を怠るなよ》

 

 照準の中の敵機が、見る間に大きくなる。葉巻型の胴体に薄く小さい主翼、胴体に比べ大きめの尾翼は、確かによく見慣れたMiG-21のものだった。すなわち、こちらとは性能も攻撃可能範囲も全て同じ。一瞬の判断ミスが生死を分けると言って良い。

 毎度のことながら、戦闘機相手のヘッドオンは心臓に悪い。一瞬後には、相対速度そのままにミサイルが飛来して、頭から跡形も無く砕け散るかもしれないのだ。徐々に近づくその距離は、まさに生と死の境界にも思えた。

 レーダー波に捉えられた機体が警告を告げる。

 肌がびりびりと粟立つ。

 迷彩の機影が近づく。

喉が渇く。

ロックオン。

よし。

そう思った時には、既にカルロスはAAM発射ボタンを押していた。

 

「く、お、おっ!」

 

 間髪入れずカルロスは操縦桿を引き、次いで斜め後方に力を加えた。

 視界の端に飛来するAAMの軌跡を捉えながら、機体の進路はそのまま前進。リスクを抑えるため、ヘッドオン攻撃後は左右への旋回しか頭に無かったカルロスにとって、少し前までは意識すらしなかった機動である。

 操縦に従い、機体は機首をやや上へ向け、次いでやや半径の大きい横転(ロール)の機動を描き始める。機体の方向を変えないまま、側方へ大きく円を描く機動に幻惑されたのか、敵の放ったミサイルは機体スレスレを擦過し、遥か後方へと飛び去っていった。機首上げ(ピッチアップ)と横転を同時に行う航空機動、通称バレルロール。隊長らによるこの所の指導で、真っ先に叩き込まれた戦闘機動の一つだった。

 

 MiG-21特有の安定性の悪さゆえか、横転の慣性がなかなか収まらない。敵編隊を抜けて反転しなんとか機体を立て直すと、早くも1機が墜落し、もう1機も薄く煙を吐いている様が映った。

 

「はぁっ…!な、なんとか躱せたか…」

《ははっ、やるじゃねぇかカルロス!》

《カルロス、機動はもっと早く行え。もう一撃仕掛けたら、俺とカルロスは爆撃隊の直掩に戻る》

「え…、あ、了解です!」

 

 隊長のMiG-19S『ファーマー』と3機のMiG-21bisが密集し、散会した敵機を見定めながら今後の展開を下命する。煙を吐いている敵機は脅威ではないと判断したのだろう、右上方に展開した1機を見定め、編隊は速度を上げてそちらを指向する。

 隊長の命令にくっついた、指導の言葉。それを聞いて初めて、カルロスは自分の機体に機銃痕が空いていることに気づいた。

 

 被弾していたのか。

 

 左主翼に2つ、ぽっかりと空いた黒い穴。先の機動に夢中で、敵機の発砲はおろか被弾にも気づかなかったのだろう。致命傷ではないが、機動が早ければおそらくは回避できた攻撃だった筈である。

 未熟。その二つの傷は、無言のうちにそう語っていた。

 

 4機に一斉に向かわれ、狙われた敵機は泡を喰ったように急降下して回避行動に入る。低空に追い込めば確実に撃墜はできる。が、ここで時間をかけるのは得策ではない。先頭を飛ぶアンドリュー隊長は、その目標を敢えて追わず、その上空を駆け抜けた。

 

《ニムロッド2、3、ここは任せる。敵を追い払ったら合流しろ。カルロス、行くぞ》

「…了解!」

《ニムロッド2りょうかーい。たぶんすぐ戻りまーす》

《ニムロッド3了解、あのハゲの狼狽した声きちっと録音しといてくださいよ!》

 

 編隊左右のフィオン機とカークス機がそれぞれ翼を翻し、こちらの背を追わんと機首を向けた敵機の前に立ち塞がる。残る敵機は3機だが、1機は手負いということを踏まえると戦力的には同等と言っていいだろう。見る見るうちに遠ざかる2機の機影が、傾いた日の光を反射して輝くのが見えた。

 

《こちら編隊長、編隊後方に不明機2、高速で接近中!おい傭兵ども、何をもたついている!早く戻れ!》

《おいでなすったか。こちらニムロッド1、現在迎撃に向かっている。安心してくれ》

 

 隊長の予想通り、敵の本命は囮部隊に隠れて接近してきていたらしい。その報をもたらした例の編隊長は、自身に護衛機が1機も就いていないにも関わらず、口調と裏腹に存外に落ち着いた声音をしていた。カークス軍曹は『狼狽する』と言っていたが、そこはやはり歴戦の兵ということなのだろうか。意外に肝が据わっているな、と正直見直す思いだった。

 敵との差位を見越し、隊長がやや右に舵を切る。敵編隊の後方に回る時間を惜しみ、敵前方に回り込んでヘッドオンで仕留める積りらしい。迎撃機ならば、余分にミサイルは使えない筈。敵の射程圏内到達までに回り込めれば、撃墜の確率はぐんと上がるという判断と思えた。

 だが。

 

「…!?速い…!?」

《チッ、思った以上に高速の敵だ。俺はこのまま側方からかかる。お前は無理に狙わず、高度を取れ》

 

 レーダーサイトの中の光点が、予想以上のスピードで爆撃隊に迫っていた。まるで敵の鼓動を刻むように明滅する2つの光は、よほど飛ばしているのだろう、到底前方に回り込む余裕を与えてくれそうにない。

逡巡は一瞬、隊長の指示は明瞭だった。側面からの銃撃で敵の鼻先を押さえる、と。その間自分は高度を稼ぎ、降下で加速しながら追撃をかける算段という訳だ。

 ちらり。視界の端、向かって遥か右手側に何かが光り、それが瞬く間に大きく映り始める。高度はほぼ同程度、接触予想時間はおそらく10秒もない。

 敵もこちらに気づいた筈だが、進路を変える様子はない。持ち前のその高速で、軽戦闘機ごとき振り切れると計算しているのだろう。低翼配置の小さな三角翼、後退した1枚の尾翼、寸胴の胴体に、レーダーを積載して太く大きな機首。高速を売りとする邀撃戦闘機、Su-15『フラゴン』タイプと見て間違いなかった。最高速度こそほぼ互角だが、強力な双発エンジンを持つ分、加速力はSu-15が圧倒的に優れている。攻撃を仕損じれば、爆撃隊が射程に収まるのに時間はかからないだろう。

 操縦桿を引き、機体を傾けつつ高度を取る。轟轟と鳴るエンジン音の中、眼下ではまさに隊長のMiG-19Sと敵機が直角にすれ違う所だった。

 短い発射音、重なる轟音、切り裂ける風音。あらゆる音がコクピットの外に満ちる中を、カルロスは急旋回して眼下の敵を求めた。

 速い、だがまだ遠くない。隊長の機銃を受けたためか、1機はややふらついているようにも見える。カルロスは残る1機に狙いを絞り、機首を落とすと同時にエンジンを一気に噴かした。

 

「逃、が、す、か…っ!」

 

 体を苛むGに冷や汗を流して耐えながら、カルロスは必死にMiG-21で追いすがる。だが、一度ついた加速の差は如何ともしがたく、距離は僅かずつながら開きつつあった。当然、短距離での運用が主なAAMの射程には到底収まらない。

 ――だが。この状況でもなお、カルロスは絶望しなかった。そもそもなぜ最初に、隊長は自分だけに高度を取らせたのか。早期に進路を変えて2人で同時に追撃すれば、万が一のチャンスは増えた可能性もあったというのに。

 その答えこそが、今回カルロスの機体だけに装備していた特殊兵装にあった。多用途戦闘機として無誘導爆弾、ロケットランチャー、QAAM(高機動空対空ミサイル)など多彩な兵装を搭載できるMiG-21bisにおける、対空戦の切り札とも言うべきその兵装。

カルロスは、そして乗機MiG-21は、レーダーという電子の眼に敵の姿を余さず捉え、そのボタンを押した。

 

ごん、という音とともにミサイルが翼から離れ、一瞬遅れて尾を曳きながら飛んでゆく。母機から放たれたレーダー波の反射を目印に、航空機が及ばない速度で、その『矢』は過たず目標を指向した。

SAAM(セミアクティブ空対空ミサイル)――その飛来に気づいたのだろう、目標となったSu-15は直進を断念し、レフトターンで回避機動に入る。余計な反転を行わずただただこちらのレーダー範囲から逃れようとするシンプルな動きは、高誘導のSAAM相手にシザーズ機動は愚策と判断したゆえと思われた。

 

機首を敵機に向けるべく減速旋回した時、不意に機首方向がぶれ、機体が安定を失って蛇行する。旋回時の安定性の低下――すなわち、『フィッシュベッド』における弱点。ち、と舌打ちをする間に、レーダー範囲から逃れた『フラゴン』は、速度を落としながらもSAAMを振り切っていた。

 

「しまった…!外した!」

《…いや、よくやったカルロス。お蔭で追い付けた》

 

 不意にかけられた声に、え、と口を開くカルロス。呆気にとられたその間に、速度の落ちたSu-15目がけ後方からMiG-19Sが追いすがり、追い抜きざまにAAMを発射。機動の鈍ったSu-15に回避の余裕は無く、吸い込まれるように機体に突き刺さったミサイルが、銀色の機体を焔に包んでいった。

 

《あとの1機は…逃げたか。運よくエンジンかコクピットにでも当たったんだろう。SAAM発射後は無理に加速する必要はない。機体特性を理解して追え》

「う…す、すみません。今後、気を付けます」

《まぁいい、まだ嫌と言うほど機会はある。…あいつらも戻って来たみたいだな、爆撃隊に合流するぞ》

 

 静寂が戻った空に、早速の指導が入る。毎度手厳しいが、その言葉はまことに正論、ぐぅの音も出なかった。空戦の戦略、バレルロールの機動、SAAM運用時の立ち回り。傭兵として…否、一人の戦闘機乗りとして、学ぶべきことはまだまだ多い。

 変わらぬ姿で飛行する6つの機影が、遥か前方に見える。頭を巡らせると、西からはカークス軍曹とフィオンがこちらへ向かい、東にはランザ隊4機の姿も認められることができた。ベルカ迎撃部隊の撃退は、成功したのだ。

 

《目標まで残り5分。爆撃隊各機、投弾準備》

 

 編隊長の落ち着いた声が通信回線を巡る。爆撃準備のためだろう、4機の『キャンベラ』は密集隊形を解き、左右に広がった陣形に移行した。

 作戦成功を予期させる、一瞬の安堵。

しかし危機とは、決まってこのような時に現れるものである。この空の全て人間が、数瞬後にはそれを痛感した。

 

《…!チ、方位0に機影2!まだ残ってやがったか。護衛隊、迎撃急げ!》

《こちらランザ1、こちらもレーダーに捉えた。………なんだ、速いぞ!?》

《…っ!ニムロッド各機、前衛!急げ!!》

 

 夕暮れに近づき赤みを帯びた空の下に、いくつもの怒号が響く。真正面からこちらを指向する2機は、その声すらも切り裂くように直進し、瞬く間に全員の眼前へと姿を現した。

 流線型に象られた、機首から胴体へと至る美しいシルエット。切り欠いた翼端に、機首に設けられたカナード翼。主翼端と垂直尾翼の中ほどを貫く黄色い帯の塗装。そして、生き物のように息の合った螺旋機動を描く、(つがい)のような挙動。

 まさか。

 

「なっ…!?」

 

 擦過、衝撃、爆炎。

 2機がすれ違った、それは一瞬の間だった。10秒にも満たない短時間の中で、『キャンベラ』1機がコクピットを粉々に砕かれ、『トーネード』1機も焔に包まれたのだ。

 

《サンシオン4、被弾!落ちます!》

《ランザ2が喰らった!》

《黄色い帯のSu-37!?…嘘だろ、『番のカワウ』じゃないか…!!何でこんな所に!》

 

 『番のカワウ』――正式名ベルカ空軍第5航空師団第23戦闘飛行隊『ゲルプ隊』。Su-37『ターミネーター』を駆りベルカ南部を舞うそのエース部隊の名は、カルロスも報道で目にしたことがあった。…そう、目にしたことがあっただけだ。こうしてそのエースパイロットが目の前に現れるなど、想像だにしていなかったと言って良い。おそらく、恐慌に陥っているサピン空軍の連中だって同感だっただろう。

 

《お前ら!分かってるな、死ぬ気で守れ!あと少しなんだぞ!!》

《チッ、あのハゲ無茶言いやがって…!》

《これ以上被害を出させる訳にはいかん。各機反転、フィオンはカークスに、カルロスは俺に付け》

「了解!…くそっ、エースだか何だか知らないけど、ここまで来て邪魔させるか…っ!」

 

 後方へ抜けたSu-37は早くも反転し、後方から追撃を企図している。迎撃の為先に反転したランザ隊に続く形で、ニムロッド隊4機も左右上方へ旋回、迫る2機の姿を捉えた。

 真正面から近づいたランザ隊のトーネード3機がAAMを放つ。各機2発ずつ、計6発のミサイルが殺到し、圧倒的な弾幕で2機を撃破する。

 はず、だった。

 2機のSu-37はまるで鏡写しのように、左右対称のバレルロールを展開。教科書のお手本のように綺麗な機動で全てを躱し、かすり傷一つなくランザ隊の迎撃を突破したのだ。いつの間に発砲したのか、『トーネード』1機は胴体から煙を噴いている。

通過する2機は、やや上空のこちらに構わず直進する。狙いはやはり爆撃隊だと知れた。

 

《よし、狙い通りだ。全機反転降下。射程に入り次第撃て!》

 

 右上方に位置するアンドリュー機とカルロス機、左上方に位置するカークス機とフィオン機が、それぞれ斜め下方に旋回し、X字状に入れ違いながら敵編隊の後方に襲い掛かる。速度に差があるとはいえ、降下による加速を行えばこの距離なら十分に追いつける。隊長の計算は的中し、旋回の下端に至ると同時に敵の尻が捉えられた。1機はそのまま直進し、もう1機はこちらを迎撃する為か機首を上げて上昇しようとしている。

 

 いや、違う。機首は確かに上げているが、高度は全く上がっていない。

 信じがたいことに、その敵機は空中に静止していた。エンジンを最大限に吹かし、Su-37特有の推力偏向機構を活用して、まるで上体をもたげて威嚇する毒蛇のように。

 『コブラ機動』。一流のパイロットと一級の機体が揃って初めて可能となる技。雑誌か何かで読んだその単語を思い出した時には、ニムロッド隊の4機はその機体を追い越していた。敵の目の前に、無防備な機体を晒しながら。

 

《嘘っ!?何あの機動ズルい!》

《…散開(ブレイク)!!》

《うおおっ!!…クソっ、ニムロッド3イジェクト!》

「カークス軍曹ッ!」

 

 敵が体勢を整えるとともに放たれた機銃弾が、カークス軍曹の機体をいくつもの弾痕を空けて貫いてゆく。小さなコクピットから座席が射出された一瞬後、その機体は爆散し、地上へ無数の小片となって散らばった。

 散会し空隙となった進路を、敵機は悠々と爆撃隊へ迫ってゆく。既に先行した1機は攻撃を開始し、もう1機の『キャンベラ』が炎に包まれる所だった。

 だが、まだ追いつける。この位置、そしてミサイルを温存しているらしい敵の立ち回りを考えれば、まだ手はあるように思えた。

先日の戦闘で実践した通り、銃撃での攻撃を狙う戦闘機はどうしても攻撃中は速度が落ちる。そこを狙って追い抜きざまの一撃を放てば、いくら高性能機といっても撃墜できる筈だ。狙うはその隙をおいて他に無い。

 

 後の方のSu-37が、編隊長の『キャンベラ』へ銃撃を浴びせ始める。案の定ミサイルは温存する積りなのか、ミサイルを使う素振りさえない。隊長とフィオンの位置を確かめる余裕も無く、カルロスは一心に機体を加速させた。その間にも、機動が遅く対抗手段も無い『キャンベラ』は瞬く間に蜂の巣になってゆく。あれが落ちる前に、間に合うのか。

 

《ぐおあぁぁぁぁ!!クソ、クソックソッ!!この役立たず共め!!…おいお前ら、今すぐ降りろ!モタモタするな!!》

 

 編隊長の濁声が荒れ狂い、通信の先で何かのやりとりが微かに聞こえる。それが何を意味しているのか、カルロスには明確に聞き取れなかった。

 まだだ、まだ諦めるな。

 もう少しで、この『黄色』が射程に入る。

 あと500、400。

 300。

 

「諦めるな!今俺が…」

《…カルロス!前だ!!》

 

 前。隊長の声。急にはその意味が掴みとれず、一瞬の虚がカルロスを浸す。その意味がやっと掴めたのは、眼前のSu-37が不意に左にロールをした瞬間だった。

 視界が開けたその先。そこにいたのは、こちらへまっすぐと向かうSu-37――そう、先行して2機目の『キャンベラ』を落としたもう1機の方だった。

 機体を傾けて2機のSu-37がすれ違う中、機首の辺りがちかちかと輝く。それが機銃の発砲と気づいた時には、衝撃と激しい振動がカルロスを襲った。

 

「うあぁぁっ!!…しまった…!!」

《バカ傭兵が、不用意に近づきやがって…。てめぇらなんざいなくても、俺らサピンの男は任務くらい全うできんだよ。護るモンの無いてめぇら傭兵とは違うんだ》

 

 煙に包まれよろめく機体の中で、カルロスは無線に響き続ける濁声を聞いていた。なんだ、何を言っている。その声の響きに、カルロスはどくりと胸が鳴るのを禁じ得なかった。

 煙の尾を曳く『キャンベラ』が、不意に機首を下げ始める。爆撃高度に降りるには不自然な程深い角度で、大きな翼は地を指し始めた。

 胴体横から、人影が落ちる。ば、と開いた落下傘は、全部で二つ。乗員3人のキャンベラには、1人分足りない。

 まさか。

 

《カルロス、早く脱出しろ!急げ!!》

「…おい、あんた、何を…!」

《こうして…脚がなくなったってなぁ。護るものがある男ってのは、やる時はやるもんだ。…俺を見習って、少しは勉強するんだな、傭兵の小僧》

「……おい!!」

《カルロスッ!!》

 

 耳が痒くなりそうな濁声に、不意に哀調が混ざった気がした。

 目前には爆撃目標の幹線道路、キャンベラは明らかにそこへ向かって堕ちてゆく。

 轟音。

 瞬間に、炎と土色の花が地を染め上げ、幹線道路を粉々に打ち砕く。雑音を最後に無線が沈黙した瞬間に、カルロスは無意識に座席を射出させ、落下傘とともに空を舞った。

 

 乗機だったMiG-21bisが、炎に包まれて落ちてゆく。

 続けざまに起こる轟音と爆発音に空を見上げれば、ランザ隊のトーネードが主翼を千切り飛ばされ、きりもみ状に墜落してゆく所だった。隊長のMiG-19Sも煙を噴き、相当の損傷を負っている。

 道路の破壊、護衛機の戦力喪失。全てを確かめたのだろう、2機のSu-37は翼を翻し、東へと飛んでゆく。その翼は、今まさに激戦が行われているであろう、ウスティオ首都ディレクタスの方向を指していた。

 

 黄禍が去った空を、残った機体が寂しげに飛んでいる。

 残存機数、7。14機もいた空の上に、今やもう半分しか残っていない。片や『番のカワウ』はといえば、ミサイルすらほぼ消費しない、ガンキル主体の一方的な勝利だった。唯一の戦果は、目標だった増援ルート破壊の達成のみと言っていい。それも、一人の男の命と引き換えの。

 男の、最期の言葉。他の誰でもない、自分に向けられた命の言葉が、不意に脳裏に蘇った。

 

「…………ッ!うあああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 傾く夕日に向けて、カルロスは叫んだ。

 その溢れる感情の意味を、自らも図れぬまま――。



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第11話 出会い

 轟音と砂埃を撒き散らし、戦闘機が滑走路を走ってゆく。

 頑張れよ、ベルカの奴らに一泡吹かせてやってくれ。見送りの整備兵や留守居の傭兵たちの声の中で、青年――カルロスは掌を頭上に翳して、静かにその翼を見送っていた。

 細めた眼と、噛み締めた唇。額に包帯を巻いたその横顔には、言い表せない無念が滲んでいる。敗北の事実と乗機を失い出撃できない無念、そして何よりベルカのエース部隊『ゲルプ隊』の前に何一つできなかった不甲斐なさ。性能差、技量差の一言では片付けられないそれらの結果を受け入れるには、4日という日数はあまりにも短かった。

 時に1995年、5月17日。曇天の合間に時折陽の顔が覗く、5月の最中のころ。

 

「ふー……。…早いなぁ…」

 

 胸に固まる悔恨を紛らわすように大きく息一つ。加速して急上昇してゆくエスクード2のF/A-18C『ホーネット』を目で追いながら紡いだ呟きは、その実、別の方向へと向けられたものだった。

 早い。目まぐるしい戦況と情勢の流れは、最早そう評するしかなかった。

 日を遡ること4日前、5月13日。サピン空軍による支援は多くの犠牲を払ったものの、オーシア・ウスティオ連合軍は本作戦たるウスティオ首都ディレクタスの解放に成功。これを機にウスティオ領内のベルカ軍は一斉に撤退を開始し、実に3月の開戦から1ヶ月半を経て、連合軍は領土の回復に成功したのだった。

 

 あの日、全てが終わった後に知った情報によると、ディレクタス制空戦には例のベルカ軍エース部隊『ゲルプ隊』も出現したのだという。各地における情勢の推移から考えるに、おそらく我々を壊滅させてからその足で向かったのだろう。

 ――そして信じがたい事に、そのゲルプ隊はたった2機のウスティオ軍機によって撃墜されたという。171号線奪還戦、そしてフトゥーロ運河の攻防の折に見かけた、2機のF-15Cで編成された傭兵部隊がその正体らしい。華々しい戦果とベルカに屈せぬ象徴的な姿に、人々は彼らを連合の希望と慕い称えた。

 

 この戦いによって一月半前まで戻った、国境線という名の時計の針。

 しかし一度流れ始めた時代の流れは、一度脚を踏み留めて全てを省みる余裕をも、人々に与えてはくれなかった。

 5月17日、すなわち今日。ベルカ軍による核兵器および大量破壊報復兵器『V2』開発の情報を受け、連合各国は核査察を目的に、ベルカ国内への侵攻を決定。その第一段階として、ベルカ南方を守る防御線『ハードリアン(ライン)』へ向け大規模な攻撃部隊を派遣するに至った。たった今目の前を離陸していった航空機は、そのための第一次攻撃隊という訳である。おそらくウスティオ、オーシア各国の基地からも、ベルカ領内へ向け攻撃が始まっていることだろう。

 核兵器の査察。もっともらしい題目を掲げてはいるが、その背後には報復の文字が透けて見える。領土を蹂躙され多くの人命を奪われた各国は、ベルカを許す気は到底無いのだろう。少なくともカルロスにはそう思えた。

 

「国境が元の鞘に戻ったからって、戦争まで終わる訳じゃあないんですね」

 

 わだかまった思いが、自ずとカルロスに口を開かせる。文字に表すならば憤り、あるいは不満と言うべきだろうその感情。…もっともその根源はと探ってみれば、それは各国の成し様に対する義憤や憤懣といった高尚なものではなく、乗機を失い出撃できない不満と、先の戦闘における不甲斐なさという、多分に個人的な感情によるもの――ありていに言えば八つ当たり――だった。一足飛びに世界を俯瞰して考えるには余りにも気が乱れ過ぎた折でもあり、何より戦争やら国家の思惑を否定しては、傭兵はやっていけるものではない。

 言葉が向いた先、見送りの声援が納まりつつある人々の中で、カークス軍曹は不機嫌そうに鼻息一つ。フィオンは聞いているのかいないのか、憮然とした表情で、遠ざかっていく『ホーネット』を見送っていた。

 

「ま、そりゃそうだ。どの国だって、落し前分だけ分捕ろうって考えてるだろうしな」

「分捕る?」

「要は…だ。この戦争、もともとベルカがウスティオに仕掛けたのは資源が目当てだろ?その逆さ。エリアB7R…『円卓』や五大湖近辺なんかにはその資源がたんまりとある。ベルカを押し返したどさくさに紛れて、誰がどんだけ分捕るか…残ってるのは味方同士での角突き合いだけだろうさ。…もちろん、報復の意味合いだって幾分はあるだろうがな」

「資源の、奪い合い…」

 

 けっ、と感情の吐露一つ、カークス軍曹が口にしたのは思いがけない『資源』の側面だった。

 ベルカの経済的窮乏、旧ベルカ南郡の独立志向、そしてオーシアの拡張戦略。戦争の根本は数多あれ、確かに資源の争奪がその要因の一つであることは疑いようがない。先の敗退でカルロスに冷静に考えるゆとりがなかったと言ってしまえばそれまでだが、これまでの背景を考慮すれば、その予測は当然の帰結だった。

 連合国が分配する余裕があるほどに資源を確保し尽くすか、あるいはベルカが資源地帯まで押し返すか。いずれかに至るまで、戦争は終わらないだろう。

 

「はっ、いい気なもんだぜ。偉ーい人達にゃ、俺らや兵の命なんて資源と交換してもすぐ湧いて来るとでも思ってるんだろうさ。…ま、仕事がなくなっちゃ俺らも生活できない。あんまり大きな声じゃ言えないがな」

「ま、まあまあ…。いずれにせよ、まだ俺達も失業せずに済むってことですよ。…もっとも、戦闘機がなけりゃ何もなりませんけど」

「はふ。僕達にはどーでもいいですよ、資源だとか大義だとか。そんなことより、早くしないと戦争が終わっちゃう。…あーあー、Su-27(フランカー)欲しいなー」

 

 資源を求める戦争。ベルカも連合国も何一つ変わらないその立ち位置に、カークス軍曹の言葉は荒い。かつて母国とユークトバニア連邦の戦いで職を失ったというカークス軍曹は、傭兵という仕事ではあれど、戦争が依然続くことに微妙な思いもあるのだろう。

 片やフィオンはといえば、戦争の理由はどうでもいいとばかりに調達機体の件をもっぱらに口にしている。先の戦闘で戦力のほぼ全てを失ったニムロッド隊において、喫緊の問題は何よりそれである。アンドリュー隊長が昨日から代替機の受領に出ているが、それとて十分な数が手に入る保証は無い。フィオンならずとも気になるのは無理も無かった。

 物事の見方や考え方に違いはあれど、カルロスも意識としてはフィオンに近いものがあった。傭兵が大義や戦争の目的やら、目に見えない大きなものに思いを馳せてもきっと何も変わることはないだろうし、戦争を否定しては自分たちのいるべき場所は無い。

 だがその観点は――ないし諦念は――、本当に正しいことなのか。ふと心に萌したその引っかかりに手を伸ばし、カルロスが向かいかけた内省は、背からかけられた男の声にかき消えた。

 

「ははっ、青いねぇ諸君。大義だ理想だと口に出してるようじゃ、傭兵としてまだまだだぜ?」

「へ?………誰です、オジサン」

「おいおい、これでもまだ32だぜ。おじさんは無いだろ?」

 

 振り向いた先にいたのは、精悍な顔つきの男だった。邪魔にならない程度に短く切りそろえられた黒い頭髪に蓄えた顎鬚、適度に着流したサピン軍の制服。衣服だけで判断すればサピンの軍人という所だろうが、その纏う雰囲気には、どうにも兵隊にはそぐわない印象が感じられた。そのアウトローで自由な空気は、軍人というよりも自分達傭兵に近い。少なくとも、只の軍人には見えなかった。

 フィオンが向けた失礼な言葉にさえ、鷹揚と応じる様。そこには、経験豊かな大人の余裕が滲み出ていた。

 

「いやいやオジサンでしょ。…誰ですアンタ、ここの傭兵です?」

「ま、そんなトコだ。同業者のよしみもある、よろしくな。…そうだな、『トレーロ』とでも呼んでくれ」

「『トレーロ』…?」

 

 『トレーロ』。確か、この国の言葉で『闘牛士』の意味だっただろうか。傭兵という男の言葉を引くに、それもTACネームなのだろう。何かで目にした名のような気もするが、整った顔立ちにざっくばらんながら落ち着いた男の物言いは、その名前の印象にしっくりと合っている。

 

「…なあ、どういう意味だ?傭兵がいろいろ考えちゃ駄目だって言うのかよ」

「そうは言ってねぇさ。どうせ傭兵が何言った所で国が変わる訳はない、それなら無駄なことを口にする前に戦いに没頭する方が、傭兵としてよっぽど上分別。俺たちゃ純粋に空を思ってりゃそれで飛べるのさ。できる男ってのは、余計な事は言わないもんだ。そうだろ?」

「でもよ…!」

「お取り込み中ごめんなさい?アルベルト、そろそろ出撃準備よ。整備班長が呼んでるわ」

 

 戦う事を専一に、余計なことは考えない。その姿勢は先のカルロスの思考と通じ、その言葉を聞く限りではカルロスも心に頷くものがあった。おそらく、その点はフィオンも同感だっただろう。

いつになく食い下がるカークス軍曹の言葉を断ったのは、新たにかけられた女性の声だった。

 サピン系らしく彫の深い、鼻梁秀でた凛々しさすら感じる顔立ち。意志と女性らしい優しさを感じさせる、力強くも流麗な眉と眼差し。艶のある美しい黒髪。思わずカルロスが息を飲むほど、その人は綺麗な女性だった。

 

「げ、まだいいだろう?こうして出撃前に英気を養うってのも大事な時間で…」

「男は余計な事は言わないもの、でしょ?ほら、皆待ってるわ」

「は、っはは。マルセラには敵わないな。…んじゃあ行ってくるぜ諸君。戦果を祈っててくれ」

 

 マルセラという女性と、『トレーロ』。傭兵としてのコンビらしい二人の間には、仕事上のパートナーというだけでない、どこか親しみを持った距離感が感じられる。それは仲が良いというだけでは説明できない、言うなれば恋人同士のような印象とでも言うべきだろうか。鉈で立ち割ったような性格の『トレーロ』と、大人の女性らしい落ち着きで支える『マルセラ』。少し変わった、それでいて調和した、お似合いの二人。短時間の邂逅ながら、カルロスが感じたのはそんな印象だった。

 それにしても、『トレーロ』…いや、アルベルトとマルセラ。初めて会ったにも関わらず、その名はどこかで聞いたような気がする。心の妙な引っかかりは、二人を見送った先の光景で、確信と驚愕に変わった。

 

「……。余計なことは言うな、か…」

「…あれ、傭兵コンビ?変わった二人っすね…」

「でもなんだかんだでいい感じだったな、あの二人。………え?………か、カークス軍曹、フィオン、あ、あれ…!」

 

 三者三様の感想を紡ぐ中、一人その後ろ姿を追っていたカルロスが声を上げる。二人が向かったその先の、格納庫の中。そこに納まっていた機体の姿が目に入った瞬間に、その二人の『正体』が脳裏に閃いた為だった。

 向かって手前に見える、燃えたぎるような赤を基調として、それを裂くような黄色を加えた派手な塗装の機体。小柄な機体に反して、不釣り合いなほどに大きいダブルデルタ翼は特徴的なシルエットを形作っており、その機種――J35J『ドラケン』の判別を、ここからでも容易にしていた。奥側の機体は全容がよく見えないが、同じく主翼が赤を基調に塗装されているように見える。小柄な機体に、機首に見える空中給油口は、それが第4世代に属する新世代機――『ラファールM』であることを物語っていた。

 『アルベルト』と『マルセラ』、そして赤いドラケンとラファールMのコンビ。これらの条件が揃えば、数日前に新聞で読んだ記事が脳裏に去来するのに、時間は要さなかった。

 

「…あ、あれ…っ!あの『エスパーダ隊』ですよ!アルベルト・“トレーロ”・ロペズ大尉とマルセラ・“マカレナ”・バスケス中尉!サピンの誇るエース部隊の…!」

「エースぅ?今のがー?」

「嘘だろ、本物かよ!…やっべぇ、今完全にタメ口だったぜ俺…!」

 

 サピン空軍第9航空陸戦旅団第11戦闘飛行隊、通称『エスパーダ隊』。サピンでは珍しい傭兵部隊でありながら、ベルカの攻勢に苦しむサピンの空を守り抜き、先日もフトゥーロ運河攻防戦で赫々たる戦果を上げたという押しも押されもせぬ撃墜王(エース)。謳われるように語られるその名は、連合軍内でも希望を集める随一のものだと言っていい。

 直に触れたエースの実像、空を一心に愛するその心、そして好感を抱かせて止まない睦まじい二人の姿。その全ては、カルロス達3人の心を刺激してやまなかった。

 

 オステア空軍基地の至る所で、エンジン音が甲高く響き始める。ここもそこも、そしてエスパーダの2機も。連なり響くそれは、まるで堰を切って鳴き始める獣の遠吠えのようにも、復仇の時を待つ報復の女神(ネメシス)の羽ばたきにも聞こえた。

 曇天の低い空に発つべく、サピン空軍のF/A-18D『ホーネット』2機が滑走路へと進んでゆく。

 その爆音の陰に、基地へ向け翼を翻す4機の機影があることに、3人が気づくのにはしばしの時間を要した。

 

******

 ハードリアン線への第二次攻撃隊が発進し、オステア基地がようやく静寂の空気を取り戻しつつある頃、アンドリュー隊長以下ニムロッド隊各員の姿を格納庫の中に認めることができる。

補充された戦闘機を背に整備員まで揃った一同の顔は、一様に複雑な表情を見せていた。

 

「……なんつうか、単純に喜べない状況だな」

 

 ぽつり、とカークス軍曹が呟く。悲喜こもごも、機体の配備も含め一斉に動き始めた情勢。軍曹のみならず全ての人間が抱く複雑な気分は、首尾よく戦闘機が配備されたことと、それと同時にアンドリュー隊長によってもたらされた情報に起因していた。

 『喜』――すなわち、補充機の配備。『ゲルプ隊』との交戦でカークス機とカルロス機を失い、アンドリュー隊長のMiG-19Sも損傷した。そのためニムロッド隊は当日の内に補充を要請してはいたのだが、その見通しは暗いものだった。緊迫した世界情勢では中古兵器市場は引く手数多、機種はおろか機数すら揃うとも限らない。せいぜいこれまで通りのMiG-21『フィッシュベッド』シリーズか、下手をすればMiG-19等の旧式機と覚悟していた一同にとって、いざ見えたその姿は望外のものだった。

 角張りつつも、機首へ向けて滑らかに繋がるライン。背びれのように、胴体部からせり上がる大きな垂直尾翼。そして上翼位置に配された固定型の主翼基部と、そこから連なるやや細身の可変翼。サンドブラウンとカーキグリーンの迷彩色に彩られ、識別のために翼端を黒く染め抜いた機体色も、その機体を代表する塗装パターンの一つである。

 

 MiG-23MLD、通称『フロッガーK』。MiG-21『フィッシュベッド』シリーズの後を継ぐ、『フロッガー』タイプの中でも後期の量産モデルに属するその機体が、ニムロッド隊に配備された新たな機体だった。近距離の格闘戦能力を除けばレーダー性能、最高速度、搭載量、安定性のいずれもMiG-21bisに優るこの機体は第3世代機の中でも優れたものの一つとされ、MiG-29A『ファルクラム』を除けば現在望みうる最良の機体と言えた。

 同時に、ベルカ軍との戦闘で損傷していたアンドリュー隊長の前搭乗機MiG-27M『フロッガーD』も修理が完了し、今回同時に引き渡しが行われた。これを以てニムロッド隊は機種改変を完了し、新たにMiG-27Mが1機、MiG-23MLDが3機の小隊編制へと移行した訳である。

 

 そして、『喜』の裏返し――『悲』の部分である。

 元来、カルロス達が属するPMC『レオナルド&ルーカス安全保障』は4飛行小隊を有しており、周辺諸国からの派遣要請に従ってサピン王国にニムロッド隊が、ウスティオおよび東部諸国ファトにも各1小隊が派遣されていた。

 アンドリュー隊長の話によると、このうちウスティオに派遣されていた部隊はディレクタス奪還作戦で1機を残して壊滅し、ファトに派遣された部隊に至っては全滅したのだという。後者については4月中旬の時点の出来事らしく、4機のJAS39『グリペン』で編制された部隊により全滅したとの情報もあるが、その真偽は定かでない。

 これを受け、本社は損失回復に躍起になっているらしい。唯一残ったニムロッド隊に奮発してMiG-23MLDを回したのも、少しでも生残性を高めるとともに、少しでも多くの報酬を上げて来いという無言のメッセージと受け取れた。他の二部隊に資金や機体を回さなくて済む分、余っていた予備機から選りすぐって派遣したというのも要因の一つではあるだろう。

 少しでも性能のいい機体を得られることは当然嬉しいが、その反面、それは同僚の犠牲と前にも増した責任との引き換えである。そう思えば、素直に諸手を上げて喜べないというのが正直な所だった。禍福は糾える縄の如し、とはよく言ったものである。

 

「そう言うな、過ぎたことだ。…当面のことだが、この状況だ、慣熟訓練に回す時間はせいぜい5日しか取れん。本社からも早く戦果を上げて来いとせっつかれてる所だしな」

「…い…5日!?たった5日ですか!?」

「はー、冗談でしょう。かー、これなら使い慣れたMiG-21の方がまだマシだったぜ」

 

 5日。緊急時ということは理解しているが、あまりにも短いその期間に驚きを隠せないカークスとカルロス。只でさえこれまでの乗機MiG-21とは操作特性が異なる機体である上に、1週間も経たない内に実戦に赴くとは、無謀であることこの上ない。

 ふーん、といつも通り飄々と聞き流すフィオンと裏腹に、カルロスは思わず多難な前途に頭を抱える。迷える若人に、止めは隊長直々の言葉で放たれた。

 

「泣き言を言うな、無いものは無いんだ。とにかくお前ら、この5日間で『フロッガー』の特性を完全に理解しろ。カルロス、特にお前はこの5日間みっちり訓練漬けだ。いいな」

「ぐふぅ。……い、いえ、はい!こうなったらもう、いっそ最高に厳しくお願いします!」

 

 そうだ、どうせない時間なら、せめてできる限りのことはしてやる。またあんな惨めな思いをするくらいなら、目の前で人が死ぬのを成すすべなく見るくらいなら、可能な限りのことは全て。これまでの戦闘と敗北、無念に裏打ちされたその思いは、自然とその言葉を紡いていた。

 意外な反応だったのか、かはは、と笑うカークス軍曹の声を背に、雲間を割いた斜め陽が格納庫内を照らしてゆく。

『フロッガーK』の尾翼に刻まれた、まだ新しい蝙蝠(ニムロッド)のエンブレムが、白い光に映えていた。



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第12話 光の差す先

《去る5月17日から開始されたベルカ本土侵攻作戦は順調に推移し、同日中に第一次防衛ライン『ハードリアン線』の突破、その2日後にはシェーン平原に設けられた第二次防衛ラインの殲滅に成功した。しかし、これらの戦闘においてベルカは本土防衛用超高層化学レーザー兵器『エクスキャリバー』を実戦投入、連合軍は大きな被害を受ける結果となった。この結果を受け、連合軍首脳部はエクスキャリバーを最優先攻略目標と決定。去る5月21日に、その所在を南ベルカ内陸タウブルグ丘陵と特定した。エクスキャリバーは極めて高い破壊力を持つ戦略兵器だが、極近距離の低空に対しては死角が存在することも判明している。そこで、本日――すなわち5月23日未明より、ウスティオ空軍を主力としたエクスキャリバー攻略作戦『ジャッジメント』を発動、少数の航空機による長距離拠点攻撃を実行することとなった。本作戦に際し、わが軍とオーシア空軍は連携して陽動を行う。前線で存分に暴れまわり、ベルカ軍の目を引き付けて貰いたい。》


 空が、光った。

 あの日、ウスティオ-ベルカ国境から奇跡的に生還したパイロットは、震えながらそう語ったという。

 瓦解するベルカ軍を追撃する最中、『突如天を割いて降り注いだ光の柱が、瞬く間に爆撃機5機を破壊した』。まるでおとぎ話やファンタジー小説のような、現実の感覚から著しく乖離したその話は、戦闘という名の現実に向かうこの身にはいまいち実感が持てない。まして、その光の主を破壊すべく飛び立った勇者たち…もとい少数部隊を支援するという今回の任務は、もはや別世界にでも紛れ込んだような感さえあった。

 朝からの曇天のせいか、コクピットの中は少々冷える。ぶるりと一つ身震いしてから、カルロスはまだ見慣れぬ乗機の計器に目を泳がせていた。

 5月23日、晩春の空は灰色の雲が低く立ち込め、重々しい幕で覆ったように頭上を押さえつけている。連合軍によるハードリアン線突破から、既に6日が経過していた。

 

《デル・タウロより各機、飛行行程は順調に消化中。現進路を維持せよ。間もなく敵の最後尾が視界に入るはずだ》

 

 耳に入る、久方ぶりの管制官の声。戦争開始から2か月近く、相当に場数も踏んだのだろう、若いその声は落ち着いている。彼らと最後に行動したのは5月初旬のフトゥーロ運河攻防戦の折なので、指折り数えて3週間近く離れていたことになる。

 戦闘能力は一切持たず、通常は部隊指揮と情報収集に専念する空中管制機。だが、今回は戦闘機隊以上に、彼らの働きこそが作戦成功のカギを握っていると言っても過言ではなかった。この作戦で第一攻撃目標に定められる『それ』の目を欺くには、この戦闘機のレーダーの目では到底力が足りない。

 

 超高層化学レーザー兵器『エクスキャリバー』。

 ベルカ国境から遥か遠く北、タウブルグ丘陵に設けられた、聖剣の名を冠するベルカの本土防衛用兵器。それこそが、今回連合軍が破壊を目指すものであった。

 ブリーフィングで見た偵察映像と情報によると、エクスキャリバーは1000mほどの高さのレーザー増幅器を本体とし、複数の照準装置と防衛施設、ジャミング施設などから構成されている。エクスキャリバー天頂部から放たれるレーザーは、直接照準は勿論のこと、機体下部に反射鏡を施した航空機や人工衛星にレーザーを反射させて、遥か離れた位置までも攻撃が可能とのことらしい。

 事実、ハードリアン線攻略に向けてウスティオ国境から進軍していた部隊は上空からのレーザー掃射で壊滅し、その数日後に実施された第二次防衛ラインへの攻撃の際にも、間接攻撃で多くの被害を出している。推定される射程は、驚くことに約1200㎞。ベルカ本土へ侵攻するにはどうしてもその範囲内を通らざるを得ず、そして時をかければかける程に連合軍は戦力を消耗し、ベルカ軍は回復してゆく。戦術的な脅威、戦略的な懸念。いずれの観点からも、このエクスキャリバーの排除は急務だった。

 

 しかし、当然のことながら、事はそう簡単ではない。

 丘陵が多く国境からも遠いという地理的特性に加え、対空防御網と近傍基地からの航空支援、そして何よりエクスキャリバー本体の比類ない迎撃能力。そのあらゆる要素が、連合軍にとって不利に働いていた。巡航ミサイルによるピンポイント攻撃も、爆撃機による高高度爆撃も功を奏さぬまま徒に時間だけが費やされた数日の後。事ここに至って、連合軍はついに思い切った作戦を実行に移した。

 

 『ジャッジメント』。

 地に聳える聖剣を引き抜くその作戦は、オーシアの言葉で『裁き』と名付けられた。

 連合軍は多数の航空部隊を投入して撤退するベルカ陸軍を追撃、それと同時にエクスキャリバーによる攻撃を引き付ける。その陽動の影で、ウスティオ空軍の精鋭部隊と空中給油機で編制された小規模部隊が長距離侵攻を行いエクスキャリバー本体を叩く、というのがその概要である。大群による陽動と少数部隊の奇襲という、リスクもあり至って古典的な戦術が採用されたのも、連合軍の焦りの現れだったのかもしれない。

 なぜなら、いかに大軍を用いた戦略とはいえ、未知のレーザー兵器相手では多大な被害を避けられないであろうから。

 

《かー、訳の分からない兵器相手に、しかも囮役とはね。泣けてくらぁ》

《ニムロッド3、無駄口を叩くな。攻撃役じゃないだけマシだろう》

《ったく、上の連中は人の命を何だと…。例の警報、信用できるんですかね?》

《信用するしか無いな。どちらにせよこの機体じゃ捕捉できん。…各機、間もなく目標だ。安全装置解除》

 

 いかにも不承不承という様子のカークス軍曹が、文句ついでに不安を零す。攻撃の本隊ではないとはいえ、攻撃を加えてくるのは謎のレーザー兵器なのである。あまつさえこちらが囮ということは、『エクスキャリバー』の攻撃に否応なく晒されることを意味する。カルロスもまた、不安という面では同感だった。

 もちろん、連合軍とて無為無策で作戦に臨んだ訳では無く、一応の対策を講じた。その一つが、空中管制機と連携した『エクスキャリバー』照射範囲の早期特定である。

 先述の通り、エクスキャリバーが長距離攻撃を行う際には、航空機か人工衛星にレーザーを反射させることで行う。すなわち、その航空機や人工衛星の位置さえ特定できれば、ある程度照射範囲は限定できる、と言い変えることもできるのだ。そのため、連合軍は本作戦に多数の地上偵察部隊や偵察機・空中警戒機を派遣し、地上のレーダー網と併せてベルカ軍機や人工衛星の位置を逐次監視。エクスキャリバーが射撃の兆候を見せると同時にその位置を解析し、空中管制機へと予測照射位置を伝達するという、極めて大がかりな仕組みが採られることとなった。

 無論、これとて試験運用なしの実戦投入であり、その信頼性は定かではない。それでも、現時点取りうる方法としては、これが最良なのだろう。その点、カルロスは細かく考えず、一心にこのシステムを信じることを腹に決めた。

 『今あるもので、できる限りのことをする』。この戦争に赴いてから、その信条は確実に、カルロスの胸に固まりつつあった。

 

《敵最後尾捕捉。ベルカ軍は複数のルートに分散し進行している。各隊、事前の牽制順に従い攻撃を開始せよ》

《エスクード隊了解、先行する》

《ニムロッド隊、了解した。エスクード隊に続くぞ》

《スコーピオン1了解!旦那方の食い残しは残さず平らげてやるぜ!》

《はっは、頑張ってくれ諸君。こちらエスパーダ1、上空警戒に移行する。》

 

 遥か先、曲がりくねった道と林の中に、黒鉄色の車両がいくつも見え始める。地形に阻まれ思うように進軍できていないのだろう、その移動速度は極めて遅く、地にへばりついてのろのろと動くその様は、まるで蟻の行列を思わせる。相対距離が縮まったのを見て取ったデル・タウロの指示に合わせ、サピン空軍機は一斉に行動を開始し、『蟻の行列』へ向けて高度を下げ始めた。

 

 事前に決定した牽制順では、空対地ミサイル(ASM)を搭載したエスクード隊が一番手として敵隊列の中間を攻撃して足止め。ニムロッド隊は二番手として上空に侵入し、無誘導爆弾(UGB)で混乱した後方を爆撃する。攻撃の三番手は、ニムロッド隊とは異なる民間軍事会社(PMC)から派遣された傭兵部隊『スコーピオン隊』が担い、対地ミサイルと機銃掃射で残る脅威を掃討し、以降は各自反復攻撃を行うという戦術である。

 頼もしいことに、本作戦ではサピン空軍が誇るエース、エスパーダ隊も参加している。各隊が対地攻撃に専念する間、上空はエスパーダ隊の2機が護衛に就き、鉄壁の支援で守ってくれるという手筈となっていた。ここからは微かにしか見えないが、西方ではオーシア空軍が別個に行動し、別ルートを撤退してゆくベルカ軍へ攻撃を行っていることだろう。

 無論、エクスキャリバーからの攻撃が開始されれば、各個攻撃を中断して回避に専念するのは言うまでもない。

 

《エスクード隊、攻撃を開始する》

 

 落ち着いたエスクード1の声が通信に響くや、4機のF/A-18C『ホーネット』の翼下からASMが投下され、一拍遅れて白煙とともに直進してゆく。道は狭い上に樹木にも阻まれ、回避は勿論のこと迎撃すらも困難なのだろう、上がる迎撃の砲火は思った以上に少ない。

 鉄の鏃は最後尾の頭上を抜け、少ない迎撃の筋をかいくぐり、隊列の中ほどに着弾。地を揺るがす轟音とともにいくつもの爆炎が上がり、両脇の木々もろとも鉄の車両を粉砕してゆく。弾薬が誘爆でもしたのだろう、一両の戦車が爆炎の上にまで砲塔を吹き飛ばし、鮮血のような赤い炎に包まれた。

 

《よし、ニムロッド各機、続いてかかる。目標、ベルカ地上部隊最後尾。慣れない機体で地面と接触するなよ》

「了解!」

《はーい。あーあ、対地戦キラーイ》

《ニムロッド3了解、レーザーが降って来る前にとっとと捨てちまいましょう》

 

 増槽を捨てた後、地上の道に合わせ一列となり、4機が速度を落として高度を下げてゆく。

 

 安定している。配備してからの猛特訓で機体特性を叩き込まれた後であるものの、新たな乗機となったMiG-23MLDの安定性に、改めてカルロスは舌を巻く思いだった。

 前の乗機だったMiG-21bisは低速域で安定性に欠けるという欠点があり、速度を落とさざるを得ない状況下では扱い辛い一面も持っていた。必然的に、今のような対地戦闘では速度をある程度保ったまま攻撃せざるを得ず、どうしても地上目標への対応はとりづらい機体だったと言える。それに対し、このMiG-23シリーズは翼面積が大きい上、揚力を得やすい可変翼を持つこともあり、低速域での安定性や加速性能に優れる特徴がある。開発の順番でMiG-21シリーズに次ぎながら、安定性と装甲を活かした対地攻撃機への独自の発展を見せる本機は、長所も扱い方も大きく異なるものだった。

 

 対空砲火を縫い、眼下に敵の姿を捉える。キャノピーガラス上に各数値を射影して照準を補助するヘッドアップディスプレイ(HUD)は搭載されていないが、この高度、この速度ならば外しようがない。

 がごん。翼下からUGBが外れる音を聞いてから、4機は一斉に左右へと分かれて加速する。

 地を揺るがす衝撃と、黒煙。反転し右下方へと目を向ければ、阿鼻叫喚の地上の様が具に見て取れた。ひしゃげた装甲車、吹き飛んだ機銃の下敷きになった兵員輸送車、腕の千切れた敵兵。高度と速度の低さが、それらの光景を否応なく網膜に焼き付けてゆく。

 

「………ふううぅ、ぅ…」

 

 腹の底から息を吐き出し、網膜に焼き付いた赤と黒を融かすように、カルロスは光差す前を向く。

 対地戦を行う度に、理性は幾度も『割り切れ』と呟く。実際、対空戦のように割り切れればどんなに楽なことだろう。だが、カルロスにとって、その割り切れない『余り』は――すなわち生々しい死を近くで目の当たりにせざるを得ない対地戦への苦手意識は、どうしても拭えないものだった。

 故郷レサスの内戦の日々、その中で目の当たりにする多くの死。意識の底にこびりつくその記憶が、目の前の光景で蘇るためなのだろうか。

 

《上出来だ。スコーピオン隊が攻撃を終えたら第二波にかかるぞ。MiG-23は機銃が下部にある、照準を見誤るな》

 

 アンドリュー隊長の声とともに、下方を抜けて攻撃に移るスコーピオン隊を目で追う。今どき珍しい直線翼に、胴体を両側から挟むように密着した特殊なエンジン配置のその機体は、先のディレクタス解放作戦支援の時に目にしたのと同じ、Su-25『フロッグフット』と知れた。多くのハードポイントを有する主翼からいくつもの空対地ロケットが放たれ、必死に脚を早める隊列前方を容赦なく攻撃してゆく様は、流石にA-10『サンダーボルトⅡ』とタメを張る対地攻撃機と思わせるに十分なものだった。

 

 彼らが敵部隊上空を抜けてゆくと同時に、機体を翻したニムロッド隊が再び隊列後方へと向かってゆく。度重なる対地攻撃を受け、算を乱した敵を機銃で掃討し尽くすための、4機の降下。すなわち、先程よりさらに命の距離が近い低高度。

 割り切れない『余り』は、飲み込むしかないか。ぽつりと一人ごちたカルロスは、最後尾のトラックに機銃の照準を合わせた。

 

 その時、だった。

 何の前触れも無く、『空が光った』。

 

《……ッ!?何だ!?》

《…!デル・タウロよりサピン空軍全機へ、全機攻撃中止!エクスキャリバーから攻撃開始だ!こちらではなく、西方に展開中のオーシア空軍が攻撃されたらしい》

「…エクスキャリバーが…!?」

《ちッ、とうとう来たか。各機攻撃中止、上昇しろ》

 

 敵兵にとって、――ある意味ではカルロスにとっても――幸運なタイミングでの、狙いすましたかのようなエクスキャリバーの照射。

 驚愕の声一つ、カルロスは反射的に照準器から眼を離し、スロットルを引いて機体を急上昇させる。優れた低速域からの加速力を活かし、4機のフロッガーは高度を取って戦況を俯瞰した。ここからやや西方の空に、ぽつぽつと見える黒い点。その下方からは、先の攻撃による撃墜されたらしい、いくつもの黒煙が上がっていた。

 

 光芒。

 網膜を焼くような、鮮烈な光。残る機数を数えていた所に、再び空から光が注ぐ。

 目が眩みそうな光の帯はオーシア空軍機の真上に降り注ぎ、先頭を飛んでいた2機を跡形も無く消し去った。まるで映画でも見ているような、現実感の無いその光景。

 信じられない。心に紡げるのは、その一言だけだった。

 

「なんの冗談だよ、あれ…!」

《……!次弾位置特定、ポイントR-77-12!急げ!》

《次はこちらか。全機ついてこい、目一杯飛ばせ!》

 

 管制官の緊迫した声が、光の柱が落ちる位置を予言する。指定された座標位置は、このままの進路で飛べば間違いなく触れてしまう地点。時間の猶予は無い。

 左へ急旋回をかけるアンドリュー隊長に従い、思い切りスロットルを倒して機体を翻す。

 

 次の一瞬後には、あの光に焼き尽くされるかもしれない。

言い知れない恐怖の中で、カルロスは振り返り、そして見た。先ほどの位置に細い光の筋が降り注ぐや、それが瞬く間に広がって、ごう、と空気を圧する音とともに空間を焼き尽くす様を。

 なんだ、あれは。これが、こんな理不尽なことが、本当に現実なのか。

 管制機の警報から照射まで、時間にしてわずか数秒。コンマ一秒のラグが生死を分ける、冥府との境がここにあった。

 

《な…なんとか避け切ったか…》

《ちぇー、逃げてばっかりつまんないー》

《…次弾、ポイントO-12-12!スコーピオン隊、狙われている!回避急げ!》

《なにぃ!?んなこと急に…》

 

 じゃっ。

 管制官の必死の誘導空しく、焦りを帯びたスコーピオン1の声は雑音と光の奔流の中に掻き消え、目の前で爆発して果てる。機体も、魂さえも焼き尽くすような、光の柱。耳に残った通信途絶の雑音は、ぞっとするほどにカルロスの心を逆立てた。

 

《す、スコーピオン1、2、撃墜!》

《くそっ!いつまで待てばいいんだ!?》

《…取り込み中済まない。こちらオーシア国防空軍第32飛行隊、ウィザード1。先の攻撃でこちらの前線航空管制機が撃墜された。サピン空軍管制機、悪いがこちらへも照射位置の伝達を頼む。これより合流する》

《こちらサピン空軍航空管制機デル・タウロ、了解した。ジャッジメント作戦発動まであと20分だ、それまで各機持ちこたえてくれ。スコーピオン隊は退避せよ》

 

 指揮官機を失い、低速ゆえに回避も難しいスコーピオン隊へ後方退避を命じる管制官の声。極度の緊張と責任感の中で不安と恐怖を押し殺しているのだろう、いつも以上に張り詰めたその声が、彼の心境を物語っている。

 入って来た通信に応えるように遥か西方に目を向ければ、オーシア空軍機が合わせて10機、こちらへと向かっている様が目に入る。大半は同一の部隊らしく、編隊のうち8機のF/A-18Cには同一のエンブレムが刻まれているのが、こちらへ合流した時に判別できた。青を基調とした、トンガリ帽子を被った魔法使いの姿――確か先程、『ウィザード隊』と言っていただろうか。

 

《20分か…キツイな》

《各機へ、悪い知らせだ。方位040よりベルカ軍機の機影確認、F-14Dが8機と推定。警戒を…いや、訂正する!敵機ミサイル発射!…チッ、同時に次弾!ポイントP-11-76!ブレイク!ブレイク!!》

「同時攻撃だって!?」

《やってくれる…!こっちだ!》

 

 敵戦闘機の襲来、遠距離からのミサイル攻撃、そして逃げ場を塞ぐエクスキャリバーの掃射。数多の感情と通信で飽和しそうな中で、カルロスはすがるようにアンドリュー隊長の機体に必死に追従した。鳴り響く警報、軋む機体、回る視界。激しいGが体を苛み、耳障りなアラートが心をささくれ立たせる。

光の奔流、そして爆炎。ファンタジーと現実が入り混じったようなキャノピーの外、視界の端でオーシア軍のF-16Cが光に呑まれ、ミサイルがエスクード隊の1機を捉えているのが見えた。

 おそらく敵のF-14D『スーパー・トムキャット』は、長射程を誇る高機能長距離空対空ミサイル(XLAA)を装備していたのだろう。エクスキャリバーの照射範囲外からの射撃ならば誤射のリスクは一切なく、照射の撃ち洩らしをピンポイントに狙うことができる、敵ながら巧妙な戦術だった。

 隙の無い、まさに死地というべきこの状況に、逃れる術はあるのか。

 

《エスクード3、被弾!ペイルアウトする!》

《エスパーダ隊、敵航空部隊を迎撃せよ。ウィザード隊、支援を要請する。他の機体は回避に専念せよ。ウスティオ空軍の攻撃開始まであと少しだ、持ちこたえてくれ!》

《エスパーダ1了解だ、任せろ。ウィザード隊、だったな。よろしく頼む》

《こちらウィザード1、了解した。第1小隊続け。『灼熱の荒牛』の腕前、堪能させて貰うとしよう》

 

 管制官も危ういと判断したのだろう、虎の子とも言うべきエース部隊、エスパーダ隊へ迎撃の指示が下る。支援にオーシア空軍の機体を割き、少数で迅速に敵戦闘機を排除する方策だと知れた。

 敵の方向へと鼻先を向け、赤い2機を先頭にした6つの機影が、放たれた矢のようにぐんぐんと加速して消えてゆく。水をも漏らさぬ、完璧な敵の戦術。それを崩すのは、最早エースの力量を除いて他に無かった。

 

《さて、後はこっちでどれだけもつか…か!》

《ミサイル第2射接近!同時に次弾、ポイントR-9-11!》

「くそ、早速か!」

 

 舌打ち一つ、ニムロッド隊の4機は翼を翻し、光の柱と鉄の鏃の中を懸命に泳いでゆく。

 すぐ近くでまた一つ爆炎が上がり、F-16Cが黒煙とともに墜ちていった。

 

******

《敵編隊、方位変わらず。進路を維持せよ》

《了解。いいエスコートだ、デル・タウロ。こっちは何とかなる、アンタんとこの仲間を助けてやりな》

 

 情熱を纏ったような深紅の塗装に、それを切り裂く稲妻のような黄色の帯。遠目にも目立つ、エースのみに許された専用塗装に彩られたJ35J『ドラケン』に率いられた6機は、ぐんと速度を上げながら、目指す敵編隊へと疾駆していた。相当に遠い距離から放ったのだろう、敵の位置はまだ見えない。

 

《それにしても、あんな兵器が本当にあるなんて…。ベルカ制圧には骨が折れそうね》

《まったくだ。空は空だけで戦いたいもんだな》

 

 左後方に就く2番機、『エスパーダ2』マルセラの声。呆れ交じりの素直な感想に、『エスパーダ1』――アルベルトもまた、苦笑交じりの声を返した。科学技術が進んでいるベルカとはいえ、まさかのレーザー兵器とは、流石に予測の範疇を越えている。ごく少数でそのレーザー兵器を潰しに行ったというウスティオ部隊だって、成功する確率は極めて低いのだろう。もしこれをしくじれば、確実に戦争は停滞し長期化する。マルセラの危惧も、当然のものだった。

 

《くだらん戦争だ…》

《…?なんだって?何か言ったか、ウィザード1》

 

 ざ、ざ。通信を割って、思わぬ方向から男の呟きが聞こえた。

 右後方に就いた、オーシア軍機先頭のホーネット…確か、『ウィザード1』。まるで、冷たい泉の底から突然湧いたような思いがけない声に、アルベルトは反射的に声を返していた。

 

《全ての原因は欲得に塗れた権力者の強欲だ。資源を求め開戦したベルカも、反撃と称してパイの取り合いを始めた連合国も大差無い。…ならば、我々が今空にいる理由は何なのだろうな》

《空が好きだから、だ。他に何がある?そんなことよりウィザード1、敵編隊だ。手早く仕留めるぞ》

 

 変わった奴だ。最初に抱いたのは、多分言葉にすればそんな所だっただろう。戦争の真っただ中、それも前線で戦闘機を駆る1パイロットが、わざわざ戦場で戦争の意義を問うとは。熱意と諦念と冷たさが入り混じったようなその声は、男の側面を表しているようだった。

 ミサイルアラート。

 思考を割って響いたそれは、しかしこちらを指向したものではなかった。先と同じ、長距離ミサイルの斉射。おそらくはこちらが接近する前に、1発でも多く撃ち込んでやろうというのだろう。手早く仕留めなければ、エスクードやニムロッド、後ろの連中が危ない。

 悪いが、雑談にこれ以上付き合う暇はない。無言で語るように、アルベルトは機体を加速させ、敵編隊の真正面へとドラケンを滑り込ませる。敵は、散開しない。こちらを旧式と舐めきって、ヘッドオンで仕留める積りと知れた。

 

 警報、発砲、白煙。敵編隊のうち左翼に位置する4機が一斉に空対空ミサイル(AAM)を発射し、4本のミサイルがこちらへと直進する。初撃で先頭の1機を狙う、先読み通りの挙動。それゆえに、対応もしやすい道理だ。

 ドラケン特有の問題として、ダブルデルタ翼の高揚力ゆえに、高速時に機首を上げると過剰に反応しやすく安定性に欠けるという欠点がある。それを逆手に取り、アルベルトは敢えて機体を加速し、機首を上げつつ左旋回。直進しつつ側面方向へ大きな弧を描くバレルロールで全てのAAMを回避し、返す刀でAAMを発射した。

 右主翼に1発、機首にもう1発。2発目はマルセラが撃ったのだろう、同時に2発のAAMを浴びたトムキャットは、すれ違うと同時に黒煙を纏い、爆ぜた。

 

《まず1機。エスパーダ2、いつも通り行くぞ》

《エスパーダ2了解。後ろは任せて》

 

 左旋回、同時に散開。やや上方へ高度を取るマルセラに対し、こちらは反転した3機の目前を掠めるように、トムキャットに腹を向けて横切る。

 誘いに、乗った。

 案の定、隙を見た3機はこちらを追随。織り交ぜる旋回に追いつかんと、翼を広げて爪を伸ばしてきた。敵のうち1機がやや後方にいるのは、マルセラを警戒してのことだろう。

 無段階可変翼を有するF-14D『スーパー・トムキャット』は機動性に優れる機体だが、大型機ゆえに小回りが悪い。一方、ドラケンの総合性能は比べるべくもないが、機体形状を活かした低速域での機動性は劣ってはいない。急旋回、回避。機銃やAAMを躱し続ける度に、敵が焦れる気配が伝わってくる。AAMは当たらない、距離が離れれば機銃も意味を成さない。ならば、うんと近寄って予測位置へ機銃を叩き込むしかない。手に取るように敵の思惟を予測しながら、アルベルトはその動きを凝視した。

 来た。敵が加速し、距離を詰め、予測位置を狙うべく機首を上げる。すなわち、この機体の姿だけが意識にある、絶好の機。背後への警戒を忘れた、一瞬の機。

 

 今。

 こちらが思うと同時に、マルセラのラファールMが後方上空からAAMを発射する。背に見えた爆炎は、最後尾のトムキャットに当たったのだろう。絶好のタイミングで放たれた攻撃に、敵の目が一瞬こちらから外れる。

 それと同時の急減速、そしてピッチアップ。意図的にスーパーストールを起こし、一瞬のうちにオーバーシュートを誘発して、アルベルトは敵機の後方に位置取った。

発射。吸い込まれるようにエンジン部を穿ったAAMが、爆炎とともにトムキャットを粉々に破砕する。こちらの残りは1機、出鱈目に旋回するトムキャットが、その恐慌を物語っている。

 

《空が好き、立派な理由だ。我々とてそうだ。だが、その翼は結局の所、強欲者に縛られた家禽の翼でしかない。彼らの鎖に繋がれて飛ぶ限り、空は彼らの欲望の元に切り分けられ、同じことは繰り返される。それは、本当に我々が好きな空なのか?》

《まだ言ってるのかよ。細かいことは後で……》

 

 依然紡がれる、ウィザード1の一人語り。学者のように細かく外堀を埋めていく話し方は面白い限りだが、殊戦闘の最中に話されてはたまらない。いい加減に遮ってやろうかと、当の本人の方へと目を向けた矢先、アルベルトは息を呑んだ。

 ウィザード隊の方へ向かった筈のトムキャットが、空にいない。ちらりと地を見やれば、先程こちらが落としたものを加えて、締めて7つの黒煙が上がっている。

 機数の差こそあれ、性能で上回る敵を相手に、こちらよりさらに早く敵を落としたというのか。

 アルベルトの中で、彼――ウィザード1に対するイメージが音を立てて変わってゆく。小難しいことを言う頭でっかちから、類まれな技量と変わった視点を持つ、面白い指揮官だ、と。

 

《君の言う通りだ。今、細部まで話すのは相応しくない。…だが、これだけは言わせてくれ。私は空を愛するがゆえに、私はこの空を欲望で塗れさせたくがないために、理想の軍隊を想っている。何者にも縛られず、空から新たな秩序を守る、我々の好きな空を飛ぶための『自由な翼』だ。――さて、戻ろう、エスパーダ1。彼らも待っている》

《………。ハハッ、面白い奴だな、アンタ》

 

 短い機銃音が、トムキャットの縛られた翼を引きちぎってゆく。焔と黒煙に染まったそれは地へ墜ちて、8つ目の墓標を大地に突き立てた。

 自由な翼。その言葉が、アルベルトには何故か新鮮なものに感じられた。非常に興味深い。その言葉も、そんな理想を堂々と口にする、ウィザード1という男も。

 陸に降りたら、今度話でもしてみようか。呟き一つ空に残し、6つの機影は南を指して飛んでいった。

 

******

《エスクード1損傷!…くそ、もう保たんぞ!》

《なんとか耐えろ、エスクード1!…次弾、T-36-91!》

《クソがぁぁぁ!ウスティオの連中まだかよぉ!!》

「うっ…!く、そおぉ!」

 

 度重なる急旋回に苛まれた体が悲鳴を上げる。軋む機体に鞭打って、カルロスはスロットルを倒しながら、歯を食いしばって吐き気と恐怖に耐えていた。

 絶えることのない、上空からの光の柱。いつになれば終わるのか、いやそもそも、本当に破壊なんてできるのか。後ろ向きな思いを嘲笑うかのように、光はカルロスのすぐ後方に落ちて、轟音と衝撃を広げた。

 

《く…!なかなかハードだな、これは…!デル・タウロ!次はどこだ!……おい!》

《………?座標指定が絶えた…?…!デル・タウロより各機、たった今通信が入った。ウスティオ軍機がエクスキャリバーへの攻撃を開始した。陽動作戦は成功だ!エスパーダ、ウィザード両隊も帰投した、全機速やかに離脱せよ》

《本当か!?………マジか、やっとか…》

「はあっ、はぁ、はぁ…。………つ、疲れ、た………」

 

 エクスキャリバーへの攻撃開始、すなわちこちらへの攻撃の中止。唐突に湧いたその通信に喜ぶ気力も既になく、カルロスは疲労しきった体を固いシートに埋もらせた。アルベルト大尉たちが敵戦闘機を全滅させたことは通信で聞いたが、その後も降り注ぐエクスキャリバーの攻撃から逃れきれたとは、夢でも見ているような気分だ。思えば作戦開始から今まで、今回は夢か何かのような、現実感に欠けたような気さえしてくる。

 

 北の空に、アルベルト大尉たちの機影が見え始める。

 6つの翼を認め、基地へと反転してゆくフロッガーK。そのコクピットの中で、固まりきった体と吐き気だけが、カルロスに現実感を告げていた。



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第13話 “Silver” -円卓に舞う狗鷲-

《諸君、緊急出撃だ。本日5月28日、連合国は国際会議上にて、ベルカ絶対防衛戦略空域B7R――通称『円卓』に対する不可侵条約の永久破棄を表明。連合国による核査察をより確実なものとすべく、同日中にB7R進撃作戦『バトルアクス』を発動した。連合軍は戦力の約4割を損耗したものの、第一次、ならびに第二次攻撃隊の奮闘により、現在B7Rの制空権を確保しつつある。しかし本日1430時、この制空権の奪還に向け、ベルカは大規模な増援部隊を出撃させたとの情報が入った。現在オーシア・ウスティオ両軍を主力とした第二次攻撃隊は制空戦を終えつつあるため燃料・弾薬ともに欠乏しており、継戦能力は大きく低下している。そこで、我がサピン王国空軍は臨時に第三次攻撃隊を編制、オーシア・ウスティオ両軍の再出撃準備が整うまでの間、制空権の維持を行うこととなった。 戦争の終結は諸君の働きにかかっている。頼んだぞ。》


 焔が、また一つ上がった。

 

 すれ違いざまに放たれたミサイルを正面から受け、黒一色に彩られた大型の機体が爆炎に包まれてゆく。鋭角的なシルエットのそれが右主翼を空に散らし、その身の黒を赤に染めながら地へと墜ちてゆく様は、さながら燃え尽きてゆく流星のようにも見えた。

 禿鷹がごとく後背を付け狙う黒い2機が、『黒』を仕留めた主――両翼端を青く塗装したF-15C『イーグル』を狙い、幾筋ものミサイルを浴びせかける。

 加速、フレア射出、そしてシザース機動。小刻みな蛇行と赤外線探知を欺瞞する小火球で飛来するミサイルを煙に巻きながら、青翼のイーグルは速度を速め、迫る2機を引き離してゆく。

 背を追う2機は、しかし速い。『加速』で勝負を仕掛けた獲物をあざ笑うかのように、引き離された距離を瞬く間に追い詰め、禿鷹の眼はあっという間に逃げるその機体を捉えた。

 

 左旋回、速度の減衰、狙うべき好機。黒の2機が、ミサイルの照準を示すダイヤモンドマーカーにその翼を捉えた、まさにその刹那。2機の正面に突如現れた別の機体が、眼前を逃げる機体とすれ違って相対し、猛禽の翼のような主翼を背景の青に映えさせる。

 いや、突如現れたというより、その機体のいる空域に黒の2機が誘い込まれた、と言うべきだろうか。僚機を落とされた上、逃げ惑う敵を目の前にしたためだったのだろう。追撃に専心するあまり、思わずして真正面に現れた1機――片翼を紅く染めたF-15Cの姿に、彼らは驚愕したかのように一瞬機動が鈍った。

 そして、その驚愕が、ほんの一瞬のタイムラグを生じさせた。『片翼』によって正面から放たれたミサイルは、先頭の1機に吸い込まれるように命中し、機首を破砕。間近に爆炎を浴びた残る1機が抜け出る頃には、逃げていた『青翼』は爆炎に紛れて急減速し、オーバーシュートを誘発して『黒』の後方に占位していた。

 躯を捩って逃げる禿鷹へ注がれる、レーダー波という名の鷲の凝視。それが、その眼のように鋭いミサイルへと変じた一瞬後、最後の1機は四散して、黒い翼を空に散らした。

 

 時間にして5分にも満たない、ごくごく短い戦闘。たったそれだけの間、しかも長時間の戦闘を終えた後だというのに、彼らは『ゲルプ隊』に匹敵する連携を以て、数に勝るベルカのエース部隊を無傷で退けて見せた。

 

 『ガルム隊』――ウスティオが誇る、今や文字通り飛ぶ鳥も叩き落とす傭兵部隊。かつて何度か戦場ですれ違ったことこそあれ、その実力の程をこの眼で見たのは今回が初めてである。ベルカのエース部隊『ロト隊』『ゲルプ隊』の撃破にフトゥーロ運河におけるベルカ主力艦隊旗艦の撃沈、そして先日のジャッジメント作戦におけるエクスキャリバーの破壊。噂でしか耳にしていなかったその赫々たる戦果も、こうしてその手並みを直に見れば、納得できる――せざるを得ないというものだろう。

 それほどまでに、彼らの力は圧倒的だった。

 

《………。》

《化け物かよ、あいつら……。》

「……鬼神、か…。」

 

 隊随一の技量を誇るニムロッド2――フィオンも、最早声が無い。カークス軍曹が呆然とした声を上げる中、カルロスは先ほどちらりと通信に紛れ込んだ単語を、知らず口にしていた。

 立ちはだかるもの全てを破壊し焼き尽くす、人知の及ばない化け物――否、鬼神。その言葉ほど、この光景に相応しい表現は見つからない。

 

 5月28日15時30分、ベルカ公国とウスティオ共和国の国境に位置する山岳地帯、通称『円卓』上空。

 傾きかけた太陽を背に、地に墜ちた数多の黒煙たなびく空を、円卓の鬼神が舞っていた。

 

《こちらウスティオ空軍空中管制機『イーグルアイ』。円卓における制空任務を完了した。サピン空軍機へ、以降の制空権維持を頼む》

《こちらサピン空軍空中管制機『デル・タウロ』、了解した。貴軍の奮起に感謝する。後で上等のワインをお送りする。英雄達にもよろしく伝えておいてくれ》

 

 聞き覚えのある『イーグルアイ』管制官の声とともに、戦域を舞っていたウスティオ軍機が南へと針路を取り帰路に就く。先頭を飛ぶ例の『鬼神』に導かれ、眼下を飛び去っていくいくつもの翼。あれだけの戦闘を終えた後だというのに、その飛び方には些かの乱れも見られなかった。

 

《『デル・タウロ』より各機へ、戦域にベルカ軍機侵入。方位300、機数15。空中給油機と思しき大型機も随伴している。各機、迎撃せよ》

《『エスパーダ1』了解。ホズ隊、ニムロッド隊、続け》

《『ホズ1』了解、お手柔らかに頼みます》

《『ニムロッド1』了解した。全機、行くぞ》

 

 遙か北西の空に姿を見せる敵の存在を、空中管制機の優れた眼が瞬時に捉える。空中給油機も随伴している辺り、おそらくは先の戦闘の最中に遠方の基地から援軍として長駆してきたのだろう。多くの戦力を失ってなお、空中給油機を随伴させてまでこちらを上回る機数を派遣してきたことからも、『円卓』を渡すまいとするベルカの意地が垣間見えた。

 そして裏を返せば、それはベルカにおける『円卓』の重要性を示す証左とも言える。豊富な埋蔵資源、各国国境を扼する立地という実利。そしてそれ以上に、ここから先はベルカ領だ、と無言の内に物語る峻厳な山肌を始めとした、強大なベルカの象徴を示す精神的なシンボルとしての意味。その空に『敵国』の翼があることは、彼らにとって耐えがたいものだったのだろう。

 

 管制官の指示に従って、サピンの国旗を刻んだ翼が円卓の空を駆けてゆく。

先頭を行くは、鮮血のような赤と稲妻のような黄の帯で彩られた『エスパーダ1』ことアルベルト大尉が駆るJ35J『ドラケン』。そのすぐ左後方には、翼を紅く染めた『エスパーダ2』マルセラ中尉の『ラファールM』が(つがい)の鳥のように随っている。

 2機編成のエスパーダ隊に続くのは、4機のF/A-18C『ホーネット』で構成されたサピンの正規軍である『ホズ隊』。カルロスの属するニムロッド隊はその後方に位置し、アンドリュー隊長のMiG-27M『フロッガーJ』と3機のMiG-23MLD『フロッガーK』で編成された4機が編隊の最後方を護るという布陣だった。

 

 ごん、という音とともに増槽が投棄され、機体の速度が上がってゆく。カルロスは投棄完了を認めた後、装備の安全装置を解除して、迫りつつある敵に備えた。

 今回の戦闘は長丁場が予想されるため、武装はMiG-23の搭載量を活かした重武装仕様となっている。5つあるフロッガーKのハードポイントのうち機体下部のものには増槽が、残り4カ所にはそれぞれ二連装発射レールに懸架したAAM(空対空ミサイル)SAAM(セミアクティブ空対空ミサイル)が懸架され、ミサイルは実に6発。先代MiG-21bisが最大4発装備だったことを考えると、心強い限りである。前回のジャッジメント作戦支援では機体の能力を活かす暇もなかったため、今回の期待はカルロスの中で否応なく高まっていた。

 

《こちらエスパーダ2、敵編隊を確認。編成はMiG-31が1機、MiG-29Aが8機、MiG-21bisが4機…空中給油機と護衛1機は後方に退避したようね》

《エスパーダ1より2、こちらも確認した。MiG-31はおそらく前線航空管制だろう。ニムロッド隊、MiG-31を頼む。ホズ隊はこのまま我が隊に追従し、敵の取り巻きを相手する。》

《こちらニムロッド1、了解した。背中は頼む》

 

 いち早く敵を捕捉したのは、最新鋭機ラファールMを駆るマルセラ中尉だった。やや遅れてアルベルト大尉も確認したのだろう、瞬時に敵情を分析し、各隊へと判断を下してゆく。

 正面、距離3200ほどに機影12。高度は概ねこちらと同程度だが、別に1機だけ、高高度に浮かぶ機影が確認できる。アルベルト大尉の言を考えれば、あれがおそらく前線指揮を担っているMiG-31『フォックスハウンド』であろう。

 純粋な迎撃機として開発されたMiG-31は、侵入してくる敵機を確実に捕捉・排除できるよう、高度な情報リンクシステムと高性能なレーダーを備えている。そして、本来は地上のレーダー誘導や早期警戒機との連携のために装備されたそれらは、緊急時には航空管制をも可能にせしめる。最重要空域を奪取され、空中管制機を出撃させる間もなかったベルカ軍にとっては、この場合にうってつけの機体だったと言えるだろう。

 そして裏を返せば、あのMiG-31こそが敵の要に他ならない。早期に排除できれば、戦闘を有利に進められる筈だ。

 

 燃料を送られたエンジンが唸りを上げ、徐々にその速度と高度を高めてゆく。一際高まる轟音と振動、後ろへと体を押し付ける強烈なG。遥か斜め上へと鼻先を向けた4機の『フロッガー』の足元を、『エスパーダ1』に率いられた編隊が放たれた矢のように向かっていくのが眼下に見えた。

 距離、およそ3000。高度差があるためか、MiG-31との距離は容易に縮まらない。SAAMならば捉えられなくもない距離だが、MiG-31の速度ならば発射と同時に加速して振り切ってしまうだろう。話にしか聞いたことは無いが、俗に直線番長と渾名されるその加速性能は本物なのだという。敵機もそれは十分に把握しているのだろう、敢えて加速して距離を取らず、つかず離れずの位置で空域を周回している。こちらが青息吐息で高度を稼げば、敵はその分ゆったり離れ、けして射程内に近づかない。したたかな手並みに舌を巻く反面、苛立ちは徐々に募っていく。

 それを割いたのは、唐突に鳴った警報だった。

 

《すまんニムロッド隊、2機抜けた!警戒を!》

《ちっ、いい誘導してやがる。各機ブレイク!》

 

 散会(ブレイク)の号令に合わせ、4機のフロッガーがばらりと編隊を崩して各個に散る。その直後を轟音と共に駆け抜けていった2機のMiG-21bisは、先程まで隊長がいた位置を正確に機銃で撃ち抜いて、瞬く間に通り過ぎていった。

 上空のMiG-31が指示を下しているのだろう、眼下の空域では機数に勝るベルカ軍機がエスパーダ隊を付かず離れず抑えながら、残った機数をこちらへと振り向けつつある。

 

《どうします、これじゃ上の奴に手が出せませんぜ》

《止むを得んな。俺とニムロッド2で敵を足止めする。ニムロッド3、4、上空のMiG-31は頼む。慎重にな》

《了解!任せて下さいよ》

《はーい。さっきの『ガルム』に比べたらこのくらい楽勝です》

「了解しました、ニムロッド3に従います!」

 

 蒼天を悠々と飛ぶMiG-31を睨みつけるも一瞬、隊長が下した決断は部隊の二分だった。

 とどのつまりは、あのMiG-31さえ撃墜してしまえば空域のミリタリーバランスは一気にこちらに傾くのである。ならば、攻撃隊そのものの数を減らしてでも、攻撃を確実なものとするべし。目的に置いた軸足をけして離さない隊長の指示に、カルロスもまた一つ学んだ思いだった。

 散会、反転。隊長とフィオンがそれぞれ盾となるべく、旋回して迫る敵機へ照準を定めてゆく。上昇するこちらの後方には、エスパーダ隊の攻撃を切り抜けて迫りつつあるMiG-29Aが2機、さらに先程のMiG-21bisも再反転しつつある。

 ミサイルの矢が飛び交い、短い機銃の光軸とエンジン音が交錯する。数秒にも満たない短いコンタクトの中で、MiG-21bisが1機、煙を噴いて爆発、四散。円卓の空に、また一つ魂を散らしていった。

 

《ナハトファルターよりホルニッセ5、連合軍機が2機抜けた。追撃せよ。リベレ4はホルニッセ6と連携し迎撃に当たれ》

《…!?何だ、敵の通信か!?》

「…!軍曹、『ファルクラム』が1機追ってきます!…くそっ、速い…!」

 

 ざ、ざ、と不意に無線が揺れるや、聞き覚えの無い声がカルロスらの耳に届く。思わずカークス軍曹が困惑の声を上げるのを耳にしながら、カルロスは先ほどの隊長らの攻撃を躱したベルカ軍機が1機、こちらを指向しつつあるのを後方警戒ミラーに認めた。

 椀のように高い山脈が周囲を覆う地形ゆえか、はたまた地下資源が持つ強力な磁気の影響か、『円卓』はベルカ周辺空域の中でも特に無線の混線が生じやすい場所とされている。先の通信もおそらくベルカ機のものの混線であり、後方の敵機が無線誘導を受けたものであることを如実に物語っていた。

 

 こちらは第3世代機、対してMiG-29A『ファルクラム』は格闘戦に秀でた第4世代機。機体そのものの性能差に加えて、エンジンを1基しか搭載しないフロッガーKに対し、双発のファルクラムでは上昇力にも当然差がある。現在の戦況や位置関係を省みれば、フロッガーKでは成す術もない。

 ヴー。敵機との距離が見る見る縮まり、ロックオン警報がコクピットを満たし始める。加速性能は先代のMiG-21bisを上回っていても、やはりMiG-29相手では振り払うことは難しい。かといって追撃を断念し旋回しようにも、その隙に落ちる速度を突かれて瞬時に捕捉、撃破されかねない。

 どうする。

 

《くそ、やっぱり敵の管制機は厄介だな…!カルロス、一旦バラけて…》

《ニムロッド3、そのまま行け!足止めは任せろと言ったろ!》

 

 割って入る、力強い意志の籠った言葉。翼を翻すべく握っていたスロットルを、カルロスはその言葉とともに、すんでの所で握り直した。

 隊長。

 湧き上がる安堵を噛みしめるように口中で呟く。背後をアンドリュー隊長に脅かされた為だろう、後方警戒ミラーの中ではこちらを追っていたファルクラムが翼を翻し、追いすがるミサイルを振り切る所だった。

 

《こちらホルニッセ5、敵の追撃が厳しい。護衛は困難だ》

《…アンドリュー隊長!助かった、マジ愛してますぜ!》

《バカ言ってないで早く仕留めろ。こっちも下も限界だ》

 

 間に入ったベルカの通信の中に、同じく安堵の混じったカークス軍曹の声と、ぴしゃりと空気を締める隊長の声が飛び交う。

 眼下の空域では両軍の戦闘機が飛び交う混戦模様を呈し、絶えず飛び交うミサイルや機銃の火線、爆ぜる黒煙がその激しさを物語る。殊に主導権を握られ機数でも劣勢を強いられるサピン側は、あたかも投げ網の中で輪を描いて泳ぐ小魚のように絶えず包囲の危険を孕んでいる。エスパーダ隊が持ち前の突破力で包囲を破り、追従するホズ隊の退路を確保することでなんとか凌いではいるものの、ホズ隊は既に2機を失っていた。

 

 長くは放置できない。ぎり、と奥歯を噛みしめて、カルロスは機体をシャンデル機動の要領で反転させる。

 一際高まる轟音の中で一瞬目に映える、抜けるような蒼空。同時に、背を引っ張るようなGに苛まれる体が、旋回の頂点で一瞬解き放たれる。ほんの数瞬の解放感は、天地が元に戻ると同時に、懐かしい下向きの物へと変わっていった。

 時間にして戦闘開始からほんの数分、それでいて神経が磨り減るように感じた長い時間。やっと、捕まえた。

 水平となった2機のフロッガーKの前方、距離およそ1500。目指す敵の翼が、ついに同高度に捉えられた。

 

「やっと尻尾を捕まえた…!もう逃がすもんか!」

《追いかけっこじゃ敵わねぇ。カルロス、SAAMを使うぞ!》

「了解です!」

 

 兵装選択と同時にキャノピーに表示されるサークルへ、カルロスは意識を集中させる。レーダー誘導範囲を示すそのサークルと絶えず動く敵のマーカーが、わずかな機動や気流の揺らぎで掠り、離れ、逃げおおせんとする敵の意志そのままに射線を外し続ける。

 逃がさない。逃がして、たまるか。今は隊長やアルベルト大尉にこの場を任されたのだ。絶対に、応えて見せる。歯を食いしばりながら、カルロスはヨーを駆使し、懸命に機体を追従させ…サークルとマーカーが交錯する、一瞬の刻を捉えた。

 ロックオン。びいぃ、と電子音がコクピットを揺らした、刹那。

 

《…てえぇ!!》

「……!!」

 

 カークス軍曹の発破とともに、ごん、と翼下からSAAMが放たれる。重力の虜になったそれは、一拍後には炎の尾を曳き、母機から放たれるレーダー波に乗りながら背を向けるMiG-31を追尾し始めた。

 だが。

 

「……速い…!?」

 

 ミサイルの発射を認めた直後、MiG-31はエンジンをフル回転させたのだろう、一気に加速した。元来高速性能を追求して設計された機体であるだけにその加速は速く、追尾するSAAMすらも瞬く間に引き離してゆく。このままでは、命中する前にSAAMが飛行能力を失うのは明白だった。

 

「くっ…!逃がすか!」

《カルロス待て!追うな!》

「えっ…!?で、ですけどこのままじゃ…!」

 

 このままでは、みすみす逃がしてしまう。焦りのままにスロットルレバーを倒しかけたカルロスの手は、咄嗟にかけられたカークス軍曹の言葉でぴくりと止まった。だが、何故。納得できない思いは抗弁の言葉となり、矢継ぎ早に軍曹へと向かう。早くしないと、このままではSAAMの射程外にまで逃げ切られてしまうというのに。

 

《落ち着け。あいつは下の連中を指揮する管制機なんだろ?なら、奴らからそう離れる筈はない。すぐにここいらに戻ってくる筈だ。》

「…!そうか、なるほど…!」

《で、指揮には当然俺らは邪魔な訳だが、下の連中はエスパーダ隊達の相手で手一杯。かといってMiG-31(あの機体)の性能じゃ、こっちのケツを取るには時間がかかりすぎる。…となると、敵さんが狙うのは最短距離でこっちを叩き落とす手しかないって訳だ。つまり…》

「…『ヘッドオン』!」

《ご名答だ。脚が魅力のああいう手合いは、追いかけるよりこっちに引きつけろってな。これナンパの基本だぜ?…さて、ヤツの鼻先を押さえるぞ!カルロス、俺の真後ろに就け!》

 

 帰ってくる軍曹の落ち着いた判断に、思わず漏れる感嘆の声。すなわち、不発を承知でSAAMを放ったのも、全てはこの作戦の為だったのだ。

 回避行動を強い、こちらを攻撃せざるを得ない状況を作り出して、引きつけた所を至近距離から撃つ。速度で勝る一方で旋回性能や機動性に劣る敵の特性と管制機という役割を加味したその戦術は、場数の少ないカルロスには到底思いつかないものだっただろう。また、一つ勉強になった。

 

 軍曹の言葉を受けたかのように、射程外まで退避したMiG-31は旋回して、再びこの空域へと機首を向けつつある。カルロスはロールとヨーを駆使し、指示通りにカークス軍曹機の真後ろへと乗機を位置づけた。眼前のカークス機の気流をもろに受け、機体に生じる振動がスロットルを介して自分へも伝わってくる。

 その振動の中に、カルロスは自らの内奥から生じる武者震いを感じていた。

 

 音速をとうに超えている敵機との相対速度は流石に速く、HUDに示される相対距離はみるみる詰まってゆく。距離2000、1600、1200、1000。見る間に減ってゆく数字はあっという間に3桁を指し、その命の距離の狭まりを無言に物語っている。

 距離900、ロックオン警報。眼前のカークス軍曹機からAAMが放たれると同時に、警報がミサイルアラートとなって耳朶を打つ。

 目の前に無数の火球が生じる。

 被弾。違う、軍曹のフレアディスペンサー。

 軍曹の『フロッガーK』がロールで鼻先を転じ、そのすぐ脇を真正面からのミサイルが抜けてゆく。

 眼前。距離500、敵。

 鉄の塊が瞬く間に視界を覆う。

 速い。狙いが定まらない。

 ぶつかる。

 大柄の機体とすれ違う刹那を、カルロスはまるでスローモーションのように瞳に捉えていた。

 

「くっ………!………!?」

 

 轟音が遠のく、一瞬の虚。無意識にスロットルを引いていたのだろう、は、と我に返り頭を振ったその先には、左斜めに傾いた『円卓』の空が広がっていた。

 

《よーし上出来だカルロス!なかなか上手いじゃないか。共同撃墜1だな。》

「へ…あ、当たった…!…ありがとうございます、軍曹のお蔭です!」

 

 そうだ、あのMiG-31は。軍曹の通信に我に返り、カルロスは後方を振り返る。そこには、黒煙を噴いて円卓の地へと墜ちゆくMiG-31の姿があった。すれ違う瞬間に放った機銃がコクピットに命中したのだろう、機体の周囲を舞うパラシュートが1つしかないことが、その事実を物語っていた。

 

《ナハトファルターが墜ちた!》

《くそ、頼みの綱が…!…っ!ちっ、ホルニッセ4被弾、脱出する!》

《いいぞ、敵の足並みが乱れてきた。ホズ、ニムロッド各機、反撃だ!》

 

 狼狽した敵の混線が無線から漏れ聞こえ、その動揺を物語る。眼下の空域では明らかにベルカ軍が浮き足立ち、統制を欠いた隙を突くようにサピン軍機が包囲を突破。先頭を飛ぶエスパーダ隊の2機が、瞬く間に各1機を炎に染め上げた。

 これでこちらは8機に対しベルカ軍機は9機と機数はほぼ互角、加えて敵にはもう指揮官はいない。彼我の士気の差を踏まえれば、残る掃討戦も支障は無いだろう。

 その予断は、西方よりの烈風に、脆くも煽られた。

 

《ホズ1、1機撃墜》

《こちらデル・タウロ、敵脅威は順調に低下。あと一息だ。……いや、待て。方位280より新たに機影5。速いぞ…!各機、警戒せよ》

《今頃援軍だと?どこのどいつだ》

 

 さらに1機が黒煙に包まれ、円卓へと墜ちていく。カルロスが目を走らせたその先の空、西方の彼方に、『それ』は現れた。

 雁行隊形で戦域へと侵入する、5機の戦闘機。うち両翼の4機は、角張った主翼に小柄なボディが特徴的な軽戦闘機、F-16C『ファイティング・ファルコン』だと伺い知れる。そして先頭を飛ぶ1機は、大柄のボディに先の跳ねた後退翼を持つ、カルロス本人も何度か目にしたことのある大型戦闘機、F-4E『ファントムⅡ』と見えた。機種だけで判断すれば、ベルカ軍においてはごくごく一般的な部隊といっていい。

 しかしそれでいて、その編隊はたった5機とは思えぬ『圧』を纏っていた。他の部隊とは一線を画するその速度か、銀色地に黒の縞という揃いのゼブラカラーに染め抜いた塗装ゆえか、それともエースが持つ特有のプレッシャーゆえか。その『圧』は、サピン側へと傾いた戦局の秤を、再び水平に戻すに十分な程に強い。

 あれは――。

 

《前線が後退しています》

《奴らは速い。ついていけ。私の最後の授業だ》

《了解、ボス》

 

 無線に一瞬混じった、壮年特有の低い響きを持つ男の声。あのファントムⅡを駆る指揮官の声だったのだろうか、無線が途切れると同時に、敵編隊は放射状に散会。4機のF-16Cがそれぞれに襲いかかるとともに、F-4Eは上空を指して一気に加速し、カルロスとカークスへと肉薄した。

 

《クソ、こっちが狙いか!カルロス、さっきと同じ手で行くぞ!旧式のファントムならMiG-31相手よりチョロい!》

「了解、後ろに就きます!」

 

 F-4Eと比べれば、加速性能や機動性の点でMiG-23MLD『フロッガーK』に分がある。性能で勝るこちらに対しヘッドオンで迫るファントムⅡへ、先ほどと同様に正面からの同時攻撃で応じるべく、2機のフロッガーKは鼻先を向けた。

 フレアの装備、残弾数、そして性能。いずれで見ても封殺は疑いない状況。二人は撃墜の確信とともに敵を正面へと捉え…そして次の瞬間、驚愕し、実感した。

この世には、機体の性能をもカバーしうる類い希な人間――エースパイロットが存在するということを。

 

《――馬鹿なっ…!?》

「速い…!?うわあっ!」

 

 フレアと同時に放たれた二筋のAAMを、そのファントムは最小限のロールで回避。フレアに惑わされることなくそれは直進し、慌てて回避するカークス機へと肉薄しつつ、すれ違いざまに機銃を放った。

 この間、僅かに数秒。その間に、カークス機はエンジン付近に被弾し、カルロス機は機首にいくつも弾痕を刻まれていた。もう数cmずれていれば、今度はカルロス本人が先のMiG-31と同じ目に遭っていただろう。

 只のファントム、只のパイロットではない。今更ながらに吹き出した冷や汗を拭う間もなく、カルロスは急いで先の機影を目で追う。こちらの戦力を奪ったと判断したのだろう、そのファントムⅡは急降下し、下方の戦域へと乱入する所だった。重力加速度を考慮しても、その速度は旧式とは思えないほどに速い。

 

「あのファントム、中身は別物か!何だ、あのスピード…!」

《カルロス悪い、エンジンに喰らったらしい。こっちはいい、下の奴らに加わってやれ》

「了解しました!…くそ、このままやらせるか…!」

 

 黒煙を吹くカークス機を残し、カルロスは翼を翻して下方の空域へと機体を降下させる。高度差1300、雲は無く敵も地面もよく見渡せる。

 ファントムが向かった先で、戦闘機が1機炎に包まれ、褐色の地面へと墜ちていった。

 

******

《くっ!ホズ1イジェクト!》

《いいぞ!流石銀色の狗鷲、戦況を立て直した!》

 

 サピン空軍のF/A-18Cが炎を噴いて墜ちてゆく。

 思わぬエース部隊の乱入に気を押されたのだろう、統制を欠いていたベルカ軍機に再び精彩が戻り、戦況は再び五分へと押し戻されつつあった。

 

《あれが噂の『銀色の狗鷲』ディトリッヒ・ケラーマン…。手強そうね》

《機体のこだわりといい親近感を覚えるねぇ。エスパーダ2、手を貸してくれ。まずは場を押し戻さないとな》

《エスパーダ2了解。背中は任せて》

 

 燃え立つような赤に染めたJ35J『ドラケン』を駆る『エスパーダ1』――アルベルトの目はしばし探るように、戦場を疾駆する5機の『銀』が追った。

 各自散会して戦っているように見えて、互いの位置をよく把握し、自ずと互いを支援する飛び方をしている。これが、噂に聞いていたベルカの元トップエース、『銀色の狗鷲』ことケラーマンの戦い方か。

 これだから、空はいい。遠く異国のパイロットと、互いに競い飛ぶことができる。

僚機エスパーダ2を後方に侍らせながら、アルベルトはスロットルを引き戦場を俯瞰した。――いた。狙いは、まずはゼブラカラーのF-16C。押され気味の戦況を立て直すには、エース部隊の一角を崩すのが手っ取り早い。

 

《エスパーダ2、フォーメーションD》

《了解》

 

 スロットルを引き、背面飛行から下降しつつフットレバーを踏み込んで加速をかける。狙いは、ニムロッド隊のフロッガーJを追う1機。敵機の斜め後方から急速に接近する傍ら、エスパーダ2が駆るラファールMは左旋回に入り、縦方向に機動するアルベルトとは対照的に横方向の機動で戦場を俯瞰に入った。

 接近するこちらを察知したのだろう、F-16Cは追尾を止め、その機動性を活かした小回りの回避行動へと移行する。無論、性能では劣るものの、こちらも低速域の機動性なら負けてはいない。速度を絞り、ドラケンの機動性をフルに活かしながら、機銃でその鼻先を牽制し、徐々に低空へと追い込んでゆく。ターンの回数が増え、同一方向へ旋回する時間が徐々に短くなって来た所に、そのパイロットの苛立ちが感じられた。

 

 そろそろ、か。上空へ目を走らせるアルベルトの目に、こちらの左後方から接近する機影がちらりと映った。

 やはり来た、別のゼブラカラーのF-16C。先ほどからの戦い方を見る限り、彼らは互いを支援しあうチームプレイを徹底している。当然窮地の僚機を見逃す筈はなく、同時にこちらが僚機のエスパーダ2を使って罠を張っていることも読んだに違いない。それを証明するかのように、後方から接近するF-16Cは速度を緩めず、こちらへとまっすぐに向かってきている。おそらく、エスパーダ2の追尾を振り切る速度で一撃離脱をかけ、撃墜よりも攻撃の断念を念頭とした戦術だろう。――読み通り、だ。

 

 互いに呼応しているのだろう、眼前を飛ぶF-16Cが、左旋回しながら誘うように機動を緩める。後方のF-16Cは速度を緩めぬまま、こちらを追尾する。その後方を追うエスパーダ2のラファールMは速度を上げ、必死に追いすがるような気配を見せた。

 左旋回。同時に鳴るロックオン警報。回避か、やぶれかぶれの攻撃か、――否。

 

《…何っ!?》

 

 通信を揺らしたのは、後方のパイロットの動揺だった。

 その瞬間、アルベルトは旋回と同時に失速寸前まで急減速。低速域でも揚力を得やすいダブルデルタ翼の強みを活かして、後方のF-16Cのオーバーシュートを誘った。同時に、後方から猛追していたエスパーダ2のラファールMは二人を追い越し、加速した速度そのままにアルベルトが捕捉していた前のF-16Cをロックオン。互いの目標を瞬時に入れ替え、しかも同時に攻撃範囲に捉えていた。

 

 急減速によるエンジンの転調が振動をもたらす中で、ドラケンは正確にF-16Cを捉える。

 AAMが煙の尾を曳いて放たれた一瞬後、2機のF-16Cはそれぞれ紅の機体に引き裂かれ、黒煙とともに焔に包まれた。

 

《ズィルバー4、ズィルバー5!!》

《ボス、2人がやられました!次の指示を!》

《ルーベルト、ステファン、いつも通りでいい。迷ったら体に聞け。飛び方は叩き込んである》

 

 目に見えて、ベルカ軍機に再び動揺が走った。虎の子と頼みにしていたエースパイロット部隊が、一瞬にして2機を失ったのだ。その意味合いは、単純な機数の損失以上に大きいに違いない。

 揺らぐベルカ軍機の中で、落ち着いた声を漏らすケラーマンの小隊だけが、鮮やかに精彩を保っていた。

 戦況を押し返した一瞬の虚の中で、ベルカ軍のMiG-21bisがミサイルを受け炎に包まれる。墜落してゆくその機体を追い抜きざまに夕日に映えたのは、黒い翼端のMiG-23MLD――あの生意気な小僧が駆る、ニムロッド隊の2番機だった。流石に腕はいいらしく、その勢いに押されたようにニムロッド1もホズ2も体勢を整えつつある。

 さて、残るは。赤く染まり始めた空を見渡す中で、ゼブラカラーのF-16Cに追われるMiG-23MLDの姿が映った。消去法で考えれば、ニムロッドの4番機か。

 

「くそ、離れない…!」

《ニムロッド4、フレアを出しながらロー・ヨー・ヨーで敵の目を引きつけろ。すぐ行く。エスパーダ2、フォロー頼む》

《了解、エスパーダ1》

「アルベルト大尉…!?はいっ、了解しました!」

 

 歯切れの良い声とともに、ニムロッド4は斜め下方へと高度を下げてゆく。本来優速の敵を追尾するためのロー・ヨー・ヨー――下降加速後の急上昇は、本来このような場で、しかも速度で勝る相手に使うものではない。それゆえに、僚機を落とされ平常心を失った『ゼブラカラー』にとっては、逃げ惑う狙い目の獲物に映ることだろう。

 敵の死角になるよう、F-16Cの斜め下方からアルベルトは接近。ニムロッド4がフレア放出とともに急上昇する所を狙い、僅かに速度を落とした瞬間を狙って、短い間隔でAAMを放った。

 

《…くっ!?しまった…!ズィルバー2被弾!脱出します!》

《くそっ、ホズ2やられました!》

 

 通信と混線が、同時に無線を揺らす。

 機体を翻した先を見やれば、ゼブラカラーのファントムⅡに追い込まれたF/A-18Cが、不時着するように地面へと吸い込まれる所だった。

 やはり、あの機体をどうにかしなければ戦況は打開しない。口角に笑みを刻んだまま、アルベルトは愛機ドラケンを傾けて、挑むように『銀色の狗鷲』へと機体を寄せた。

 

 高速のままに旋回するファントムⅡが、ドラケンの背を捉える。迫る機銃を悠々と交わしながら、アルベルトは垂直方向への巴戦を展開、徐々に速度を落とし機動性での勝負を仕掛ける。

 天地がガラスの外で回り、赤い太陽が絶えず方向を変える。――捉えた。旋回の頂点で速度を落とした刹那、ファントムは一気に加速して巴の輪から離脱。ドラケンの捕捉範囲を斬り抜けるや、すぐさま反転しすれ違いざまの射撃を見舞った。

 機動性重視のチューニングを施したアルベルトのドラケンと、加速性能をフルチューンしたらしい『狗鷲』のファントム。最新鋭機すら及ばぬ二人の戦いを、空は祝福するように赤い夕日で染め上げる。

 

《サピンの傭兵、どこでその飛行を学んだ》

《あいにく無手勝流でね。…強いて言えば、『空』かね》

《そうか――素晴らしい、技量だ》

 

 互いに背を追い一歩も退かぬ、いつまでも続くかに思えた二人きりの激戦。己を信じる二人の翼が、馳せ違い、邂逅を祝福するように銃声を響かせ合う。

 その均衡は、残る『銀色』によって破られた。

 

《ボス!!》

《――っ!最後のF-16か!》

 

 横方向への巴戦の、旋回の頂点に、唐突にミサイルアラートが鳴り響く。タイミングを見計らっていたらしいF-16Cからの射撃に、アルベルトは咄嗟に巴戦から離脱、急降下からのスライスバック機動――すなわち斜め下方へと反転降下。迫る地面の寸前でスロットルを上げ、重い機首を振り上げる。

 一気に体を襲う強烈なG、偏る血流、圧迫される肺。危うい所で空気を孕み、揚力を得て立て直した翼のすぐ後方を、AAMが掠めて地面へと吸い込まれていく。おそらくあと数秒遅ければ、自分が地面に激突していただろう。

 空を仰ぐ。やや明るみが落ちた夕空の下、ゼブラカラーのF-16Cは煙を吐いて、もがれた翼を朱に染めていた。

 

《エスパーダ2、1キル。エスパーダ1、大丈夫!?》

《ああ、この通りだ。…さて、残るは…》

《………。一人も、守れなかったか…。》

 

 不安の入り交じったエスパーダ2の声を、常と変わらぬ声で和らげるアルベルト。混線した壮年の声――ケラーマンの静かな声は、先達として、何より墜ちていった彼らの師としての無念が滲んでいるように聞こえた。

 

 声の主は、直上。夜色が滲みつつある空からこちらを指して、一直線に降下している。

 アルベルトはそれに応えるかのように機首をもたげて、愛機ドラケンの鼻先をそちらへと向けた。

 重力加速度を活かせるケラーマンと、速度を抑え機動性を活かせるアルベルト。奇しくも互いの強みを活かす位置取りとなった、ヘッドオンの応酬。

 迫る『銀色』が視界いっぱいに広がり、命の距離がゼロに近づくその刹那。アルベルトはその空の一角が、命を削り凌ぎ合う、闘技場(コロセウム)であるかのように幻視していた。

 

******

「…凄い……。」

 地を指して、焔に包まれた『ファントム』が墜ちてゆく。

廻り、馳せ違い、競っては離れる、まるで中世の騎士のような戦い。それは、『円卓』の名を冠するこの空の戦いの締めくくりに、この上なく相応しいものだった。

 これが、エース同士の戦い。――凄い。感嘆に呑まれたように、カルロスに紡げたのは最早その一言だけだった。

 

《デル・タウロより各機、敵性戦力の全機撤退を確認。円卓の制空権は、完全に連合のものとなった。各員、よくやってくれた。帰還せよ》

 

 管制官の声が、円卓の闘争に静かにフィナーレを告げる。

 宵闇濃くなる暮空に、先頭を飛ぶエスパーダの『紅』が、鮮やかに映えていた。

 



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第14話 策謀の焔環

《諸君らの奮闘によって、『円卓』制空権はついに我ら連合軍の手に渡り、『ジャッジメント』作戦は完遂された。これを受け、連合軍は前線をさらに北上。同時にベルカ東郡の大規模工業都市を空爆し、ベルカの工業生産能力を奪う『カニバル』作戦を発動することとなった。第一攻撃目標は、ベルカを代表する工業都市ホフヌングである。 
ホフヌング空爆はオーシア空軍が主体となって実施されるが、攻撃を察知したベルカ軍はホフヌングから西南西47kmの地点に急造の防空陣地を設置した。この地点は丁度爆撃隊の帰投ルートに重なるため、このままでは爆撃隊が大きな打撃を被る可能性がある。
そこで、諸君はホフヌング空爆と同時に、低空より侵入してこの防空陣地を急襲。これを徹底的に破壊し、爆撃隊の帰投ルートを確保して貰いたい。本作戦は隠密行動となることから高い練度を要求され、危険も大きい任務となる。そのため、報酬を契約の倍額とする他、機体や弾薬等は全て我が軍で用意させて貰う。歴戦の諸君の腕を見込んでの作戦だ。成功を期待している。》



 真っ暗な空間に一時声が止み、カタカタとキーボードを叩く音だけが無機質に響く。

 ミーティングルームの壁面へと朧な光で投影されたスクリーンには、作戦目標付近である工業都市ホフヌング周辺の詳細な地形図、戦力配置図、そして偵察写真。それを背にでっぷりとした体のシルエットを浮かび上がらせる作戦士官は、『質問は?』と一言区切り、舐めるように集った面々を俯瞰した。

 

 さして広くない部屋の中には、(くだん)の作戦士官を始めとしたオステア基地の人員が数名と、先の『ジャッジメント作戦』を生き残った傭兵『スコーピオン隊』の2人、軍人とは思しいものの服装がてんでばらばらな妙な集団が4人、そして我々ニムロッド隊が4名。普段の作戦前ミーティングのことを思えば、今日のそれは妙に少ない。

 

「質問。本作戦、管制機の誘導はないとのことですが、目的地までの誘導は?また、対地装備が主となると敵迎撃機が脅威となりますが、護衛機は?」

 

 前に座る、ユークトバニアの軍服に身を包んだ禿頭の男が手を上げ、どこか憮然とした様子で質問を投げかける。その出で立ちにそぐわず、言葉にユークトバニアの訛りは聞こえない。むしろ、聞き慣れたサピンのものに近い雰囲気がある。

 その口調ゆえか、それともこちらには伺い知れない何かがあるのか。作戦士官のこめかみが一瞬苛立ったようにぴくりと動いたのを、カルロスは見逃さなかった。

 

「誘導は我が軍の先導機が行うが、作戦空域に入る前に離脱する。したがって、作戦を担うのは諸君らのみだ。護衛機の件についてだが、あいにく我が軍の主力はホフヌング方面の側面支援とスーデントール方面への攻撃で余力がないため、随伴できない。諸君らの技量で乗り切って欲しい。」

「へー、夕方格納庫に山ほど駐機してた戦闘機はハリボテか何かですか。そりゃー大変だ、この基地が丸裸になっちまう。」

「…。エンリケ中尉、関係の無い発言は慎め。他に質問は無いな?」

 

 エンリケ、と呼ばれたその男は、作戦士官を詰るようにへらへらと笑い、本音ともつかない冗談を口にしている。その右隣に座るベルカ軍服を着た男も釣られたように笑い出し、その一角は下卑た笑い声に包まれた。階級で呼ばれた辺り軍人には違いないのだろうが、その服装とも相まって、妙な印象は否めない。

 今度は傍目にも分かるほどに青筋を浮かべながら、作戦士官は咳払いとともに一同を見渡す。妙な引っ掛かりは感じるものの、頭の中では質問というほどの具体的なものには形を成していない。他の面々も同様なのか、質問は上がらなかった。

 

「では解散とする。出撃は2250時、それまで待機せよ。作戦詳細は追って文書で知らせる。」

 

 アンドリュー隊長に続き、カルロスも席を立って、割り当てられた格納庫へと脚を向ける。

 後ろの方でどやどやと言葉を交わし、気だるそうに席を離れていくのは、先の妙な4人組。その言葉の端々に、その軍服の国の訛りは、ついぞ聞き取ることが出来なかった。

 時に、1995年6月1日、日が沈んで久しい夜。空気のこもった基地司令部を出ると、涼しい夜風が頬を撫でた。

 

******

「……はぁ。何これ、また鈍くさそうな機体ー。」

 

 格納庫に納められた機体を目にして、開口一番に聞こえたのはフィオンの落胆の声だった。言葉こそ発しないものの、カルロスをはじめ他の3人も、思わず息を呑んだ。

 フィオンの言うとおり、その外見はこれまで搭乗してきたMiG-21やMiG-23といった機体と比べて、縦も横も一回り大きい。先端が切られ、機首にエアインテークが設けられた構成や、後退角のある大型の尾翼はMiG-21に似ている。その一方でフラットな胴体上部や急な後退角を設けられた可変翼はどこかMiG-19やMiG-23を思わせるという、全体を見れば総じてちぐはぐな印象だった。

 特筆すべきは、外見からも分かるその搭載量の多さだろう。判別できる限り、そのハードポイントは実に8カ所。今までの乗機とどこか似通った外見の中で、それが一線を画する大きな個性となっている。

 

 Su-22M3『フィッターJ』――それが、本作戦のためにサピン軍から与えられた機体だった。機体そのものはSu-17『フィッター』シリーズの輸出型に当たる旧式の戦闘爆撃機だが、導入した一部の国々では今なお使用されている比較的ポピュラーなものと言っていい。

 

 だが、フィオン以外の3人が息を呑んだのは、『フィッターJ』という機種に対してでは無かった。一言で言えば、その機体そのものが『異観』だったのだ。

 本来灰色系統や迷彩で塗装されることが多いSu-22だが、眼前のこの機体は、闇で塗りつぶしたような黒一色で塗装されていた。ご丁寧なことに、通常グレーで塗装される機体下部すら黒く塗られ、それは誇張なしに黒一色。唯一、機首エアインテーク内のノーズコーンだけが赤く塗装され、それが却って不気味な印象を醸し出している。おまけに、所属するレオナルド&ルーカス安全保障会社のエンブレムはもちろんのこと、あろうことかサピンの国籍マークすら描かれていない。

 そもそも、サピンでは過去にもSu-17/22シリーズの導入実績は無い筈である。ならば、『あるはずの無い』この機体は一体何なのか。

 この作戦は、何かおかしい。先のミーティングルームで抱いた違和感は、確信へと変わった。

 

「…隊長、今回の作戦、なんだか妙じゃないですか?いくら隠密作戦だからって、この機体は…。」

「分かっていた事だ。さっきの面々を見た時から、な。」

「…?」

「気づかなかったか?前に座ってたあの4人…あいつら、サピンの懲罰兵だ。俺達含めた他のパイロットも傭兵ばかりで、正規軍は一人もいやしねぇ。…こりゃ、相当にきな臭いな。」

 

 思わず口にした疑問に、アンドリュー隊長が言葉少なに答える。飲み込めない表情を返した矢先、それを引き継いだカークス軍曹の説明は、カルロスをして絶句させるに十分な内容だった。

 軍内で、何かしらの軍紀違反を犯しながら、軍務に就くという懲罰兵。当然その任務に懲罰としての側面がある以上、その内容は危険の伴うものであったり、正規軍が行ったと知られれば困るものが主であるのが常である。何しろ時代が時代なら、背中を友軍の銃に狙われながら地雷原を突破するような役を負わされる立場なのだ、今回とていい想像は浮かばない。あまつさえ先の姿を見る限り、彼らはユークトバニアやファト、ベルカ等他国の軍服を纏い国籍を偽るという、類の無い偽装まで施していた。

 この機体の姿に加えて、懲罰兵を始めとした部隊構成。こうなれば、カークス軍曹ならずとも疑念を抱かざるを得ない。

 

「どうします、こりゃ結構な泥船じゃありゃしませんか。沈んじまう前に、早めにエンジントラブルにでもなって引き返すってのはどうです?」

「そうもいくまい。4機同時にエンジントラブルにでもなれば、今後の仕事に支障を来す。何より仕事を途中で放り出す訳にもいかんだろう。…慣れない機体だ、早めに準備にかかる。出撃までに機体に体を合わせておけ」

「…りょ、了解しました。」

「はぁぁ…何も無いといいけどねぇ。」

 

 不安を拭えない重い気分を吐き出すように、カルロスとカークスが同時にため息をつく。特別仕様の無国籍機、正規軍とは切り離された隠密作戦、そして懲罰兵と傭兵だけの編成。気にし始めたらきりがない不安要素に頭を悩ませた所で、隊長の言う通り、仕事は仕事と割り切るしかないのだろう。たとえ、そこに残る割り切れない『余り』がどんなに大きかろうと。

 

「あーあー。こんなノロそうな機体じゃ活躍なんてできやしない。たいちょー、偉い人に掛け合って下さいよ。Su-27(フランカー)か、せめてMiG-29(ファルクラム)下さいって。」

 

 不承不承といった表情で、フィオンが悪気のない不満を口にする。

 重苦しい空気の中、今だけは彼の軽口が却って救いだった。

 

******

 格納庫におけるやりとりを経て数時間後、ベルカ東郡はホフヌング市付近の空域に、カルロスらの駆る機影を認めることができる。

 先頭に立つサピン軍の先導機を含め、その数は締めて11機。地を這うような低高度で、それらは両翼の警戒灯と絞ったエンジン音の尾を残しながら、闇に紛れるように北を指していた。

 

《こちら先導機『ノーザンライト』、攻撃目標付近に到着した。当機はこれより離脱し、以後無線を封鎖する。諸君の健闘を祈る》

 

 定型通りの締めを吐いて、先導していたF/A-18D『ホーネット』が翼を翻し帰路へと就いてゆく。念の入った事に、通信口ですら極力サピンの訛りを消すように努めており、コールサインも敢えてオーシア語の単語。逃げるように戦場を離れるその背中は、一毫もサピンの気配を残すまいとする意図が見え隠れしているようにも思えた。

 

《了解した。『ソリッド1』より各機、間もなく目標が射程に入る。攻撃用意》

 

 無線が、未だ耳慣れないコールサインとともにアンドリュー隊長の声を伝える。階級を考慮してのことか、攻撃部隊の指揮を任された隊長の声を受け、部隊を構成する各隊はそれぞれ左右へと広がっていった。

 このコールサインも、軍から指定された偽装である。ミーティングの後、追って配布された作戦の詳細を記した文書には、その他にも事細かな指定が加えられていた。曰く、出撃の際には重要書類や国籍を示す物品を携帯しないこと。曰く、作戦行動中の通信は最低限に留めること。曰く、本作戦の内容は他言無用であること。通信を制限されること自体はそう珍しくはないものの、コールサインから指定されるとは、やはり尋常ではない。

 ――いや、今更迷うな。迷った所で、一度飛び立った以上仕方は無い。今更の内省を抱きかけた自らに活を入れるべく、カルロスは頬を2、3度叩く。

静寂に包まれたコクピットに、ぱしぃん、と響いた音は、外の闇へと呑まれて消えた。…少し、痛かった。

 

 漆黒に沈むキャノピーの外ではいくつもの警戒灯が揺らめき、増槽を捨てた各隊が粛々と攻撃位置に就く様が辛うじて判別できる。

 部隊の中央は、アンドリュー隊長を中心としたニムロッド――もとい『ソリッド隊』のSu-22M3『フィッターJ』が4機。こちらから見て右翼には、F-5E『タイガーⅡ』2機で編成されたスコーピオン隊の生き残り『スポット隊』が、小柄な機体を闇に浮かべている。ここからはよく判別できないが、左翼方面には4機の『ミラージュ5A』からなるサピン懲罰兵の小隊『ストライプ隊』が翼を並べている筈である。

 いずれも開発国がばらばらな1~2世代前の旧式機を、先の先導機同様オーシア風のコールサインで揃えた構成。その念の入りようには、最早涙が出そうだった。

 

 遙か前方に、ちらちらと光が見え始める。

 位置、時刻から見て間違いない、目標とするベルカ軍の急造対空陣地だ。不用心なことに、明かりは転々と至る所に灯っており、その位置は遠目からでもよく分かる。空の機影はおろか地上からの砲火も一切無く、こちらを察知できていないことは明らかだった。

 …いや、よくよく見れば、その明かりのうちのいくつかはこちらへと近づいている。スピードを上げて激しい起伏の中を進んでいるのだろう、その灯は絶えず上下し、蛇行しつつ地の上を這っていた。

 

「!……。いや、迎撃…じゃないな。何だ?」

 

 こちらを察知し、急ぎ展開しつつある対空車輌。最初にカルロスの頭に過ぎったのはそんな予測だったが、それが瞬く間に近づき、やがて足下を取り過ぎるに至って、それが外れたことを悟った。

 入れ違いは一瞬、姿は明瞭には見えなかったが、ライトの間隔からするに大型のトレーラーと複数の小型車だっただろうか。よほど急いでいるのだろう、それらは砂煙を上げながら、あっという間に後方へと駆けていった。

 

 妙だ。

 カルロスの胸に、微かな疑問が引っかかる。

 規模を考えると小規模な輸送部隊か何かだろうが、他の敵が何一つ反応を示していないのだ、こちらの攻撃を察して急ぎ逃げ出したにしては反応が早すぎる。何より、もしそうだとしたら、逃げるべき方向はベルカ防衛線がある北の筈である。ところが、彼らが向かった先は連合軍――サピン陸軍が進撃しつつある南方であり、辻褄が合わない。

 何だったんだ、今のは。思わずライトの向かう先を目で追った矢先、それは通信から入った声にぴしゃりと遮られた。

 

《逃げる連中は放っておけ。……各隊、攻撃開始》

 

 短く的確な、それでいて叱りつけるような言葉に、慌ててカルロスは前に向き直る。そうだ、油断し余所見している場合ではない。依然対空砲火が上がらないとはいえ、ここは敵のど真ん中である。気を引き締めなければ。

 高度、1500フィート。初撃で広範囲にダメージを与えるため、上空を通過しつつ水平爆撃。出撃前に覚え込んだ攻撃予定を反芻し、機体を加速させてゆく。

 目前には、真夜中の暗黒に浮かぶいくつもの光。まだ、迎撃の火は上がらない。

 まだ陣地の端、まだ早い。

 

 光の群れが、やがて眼下に差しかかる。

 もう少し。

 

 その最中へ、『フィッター』の大柄な機体が飛び込む。

 今。

 

《投下》

 

 心の中で呟いたタイミングに、隊長の声が重なる。

 がちり。指が重い感触のボタンを押下すると同時に、フィッターJの胴体下から4発のUGB(無誘導爆弾)が放たれ、重力の虜となりながら落下していった。

 振動、轟音。時間にして数秒後、赤く染まった背後の空が、夜の闇を侵してゆく。地を灼く炎を振り切るように、4機のフィッターJは陣地の端を抜け、暗闇の中で反転した。

 赤い鼻先が、再び焔に巻かれた叫喚の最中へと向かう。ベルカ軍が迎撃体勢を整える前に、機銃掃射で少しでも戦力を奪うという対地攻撃の常道。それを果たすべく黒塗りの4機が高度を下げ、眩みそうな目を堪えて地を払おうとした、その刹那――見るべからざるものを、彼らは見てしまった。

 

 対空砲火は、依然一発たりとも上がっていない。

 上がる筈も、無かった。

 

 UGBの直撃を受け、木っ端微塵になり炎を上げるテント群。

 泡を食って、テントや車輌から這い出る人間。

 破片を受けて、血みどろになった子供。

 それに駆け寄り、抱きかかえて懸命に声をかける母親。

 炎に照らされて闇に浮かび上がる、白地に赤い十字の旗。

 

 これは、ベルカの対空陣地なんかではない。これは、まさか。

 

「……何、ですか、これ。………一体何なんですか、これは!!」

《お、おい嘘だろ…!?情報と違うぞ、どうなっている!?》

《…!ソリッド1より各機、攻撃中止!…馬鹿な、地点を誤ったか!?》

 

 焔の中を目にした4機が、弾かれたように翼を返して闇の中へと向かってゆく。一次攻撃を終えた各隊も気づいたのだろう、それぞれに上げた狼狽の声が通信に満ち、回線は一気にパンクした。

 最早、当初の取り決めである通信制限など、あって無いようなものであった。翻せば、それは各々の衝撃がそれだけ大きかったことを示す証左とも言えるだろう。

 

 いつになく動揺した隊長の声が、不安と疑念を否応なしに募らせる。

 誤爆。可能性はそれだが、座標は確かに事前情報通りの位置を指している。何より、目標の近辺まではサピンの空軍機が先導して来たのだ。中途のルートも規定通りのものであり、間違いは無かった筈である。つまり、サピン軍は最初からこの地を――すなわち『民間のテント群』を爆撃する積もりだったとしか考えられない。正規軍を含まない部隊編成、国籍マークの無い機体、そして口止め料とも取れる莫大な報酬。腑に落ちなかったいくつもの要素(ピース)が、その仮説の枠を矛盾無く埋めていく。

 だが、何故。国際法違反まがいの空爆を敢行して、連合国に――サピンに何の利益がある。

 

 沸騰しそうな意識の中、呆然と炎に包まれるテント群を眺めるカルロスの視界に、不意にジェットエンジンの噴射炎が映えた。惑うように炎から離れていた編隊をよそに、テント群へ向け高度を下げたその機体は機銃を乱射し始める。

炎に浮かぶ黒い三角形の機影は、ストライプ隊に属するミラージュ5の1機だった。

 

《おい、ストライプ隊何をしている!攻撃中止だ!》

《こちらストライプ2。お言葉ッスが、俺達の任務は『陣地』の『徹底的な』破壊です。陣地の形が予想とちょっと違ったからって、独断で攻撃を中断するのは命令違反じゃないんですかい?》

《お、おい、グレッセ少…》

《あんたらもだぜ、ストライプの旦那がた。しっかり頑張らねえと、また本物のストライプ(鉄格子)戻りですぜ?》

 

 慌てて制止する隊長の通信に、人を食ったような声が被せられる。おそらくは機銃掃射をしている機体のパイロットだろう、声の中に混じる発砲音が鼓膜に刺すように響いた。

 銃声の中の声は、そのまま他のストライプ隊へも向かう。詰るような、嘲笑するような声音が絶えた矢先、小さく弾くような音が通信に入り交じった。

 惑う人の心は脆い。それが誰かの舌打ちだと気づいた時には、さらに1機が『戦場』へと突入していき、残る2機も引きずられるようにその背を追いかけてゆく。

 曳光弾が闇を裂き、弾痕と炎を地に刻む。少数ながら護衛部隊が付いていたのだろう、遅ればせながら銃身を天に向け始めた自走対空砲は、10秒と経たずに30mm弾の掃射に晒され、爆発。残骸とともに吹き上がる爆炎には一瞬人の形が映え、微塵となって消えていった。

 

 最早、統制もルールも無い。今この空と地にあるのは、赤と黒を広げんとする叫喚と狂気だけだった。

 これが、『余り』だというのか。戦争だからと割りきることのできない、あまりにも大きすぎる『余り』。それとも、これすらも割り切れというのか。

 

《クソッタレ、何もかも狂ってやがる…!》

「………。」

 

 腹の底から吐き出すようなカークス軍曹の呟きが、ぞっとするほどの冷気を胸の奥底へ沈めてゆく。

 そう、狂っていた。頽勢の挽回に命を投げ捨てるように賭けたベルカも、反攻の大義につけ込みベルカ国内へなだれ込む連合国も、逃げ惑う人々を焼き尽くすこの戦場も。 無軌道に動き始めたこの事態、事ここまで至ってしまえば、アンドリュー隊長とてもう止める術はない。この狂乱が終わる時があるとすれば、それは焔が全てを燃やし尽くした後か、あるいは――。

 喉の奥に飲み込んだ、不吉な『あるいは』のその末尾。それは果たせるかな、数瞬後のことだった。

 

《はぁー、やだやだ。ねー隊長、爆弾も捨てたんだしあいつら置いてとっとと帰りましょうよ。僕、アリ潰しなんて趣味じゃないですよ。》

《…そうしたい所だが、そうもいかんだろう。ともかく奴らを……。――散開(ブレイク)!》

 

 きらり。猛火で赤く染まった夜空に、不意に帚星が奔った。

 散開。隊長の声に、カルロスはスロットルを引いて機体を右へと旋回させる。

機動に伴い、視界の右半分を覆うまでにせり上がる炎に包まれた大地。コクピットまで熱気を伝えそうなその赤とは裏腹な、寒々とした冷気を漂わせる左半分の『黒』の中を、その帚星は地面指して飛んでゆく。

 引き寄せられるように、炎を抜けて反転するミラージュ5へと向かってゆく光の尾。それが過たず機体を捉えた時、それは空をつかの間照らす、一際大きな炎の塊となって地に堕ちた。

 

《ストライプ1が落ちた!》

《何だ、ベルカのSAM(地対空ミサイル)!?》

《違う、ミサイルは空から飛んできたぞ、戦闘機だ!》

 

 前兆の無い突然の攻撃に、焦燥した声が通信回線に満ちる。動揺のままに機体を動かしているのだろう、残った3機のミラージュ5はあるいは出鱈目に旋回し、あるいは炎の上を抜けて暗闇に身を隠し、あるいは加速してスポット隊に合流したりと、各個ばらばらに動いている。元来が同じ部隊出身では無かったらしく、その動きには統制も何もあったものではなかった。

 そして、統制の欠如は死に直結する。小隊内の指揮系統を失い闇の中へと逃げ込んだミラージュ5目がけ、再び中空を奔る炎の尾。振り切ろうと旋回しているのだろう、闇の中に微かに見える警告灯の乱舞は、やがて炎に包まれて消えた。

 

《今度はストライプ4だ!くそ、ベルカ戦闘機め…!》

《戦闘機だと…?こちらスポット1、レーダーに反応は無いぞ!?》

《チッ、ソリッド1より全機、とにかく炎の上を飛べ。低空の炎の上なら赤外線誘導は無効化できる。ストライプ隊、先に離脱しろ》

 

 いったい、どこから。

 戦闘攻撃機として発展したSu-22M3に空中の敵を捉えるためのレーダーは搭載されておらず、もとより電子の目は頼りにできない。いつ降りかかるか分からない攻撃、そして依然姿すら見えない敵。慌てて炎に眩む目を空に走らせるカルロスを鎮めたのは、いち早く冷静に判断を下し先導する隊長の姿だった。

 確かに、熱源を探知して追尾する一般的なAAM――赤外線誘導ミサイルならば、付近により高熱となる熱源が存在すれば欺瞞できる。折良くと言うべきか、爆撃の炎は風を呼び、風は延焼を誘発して、地上の焔は広がるばかり。その上を低空で飛べば、少なくとも上空からのAAMによる攻撃は防げる筈であった。

 

 対空用のレーダーを持たず、今回は自衛用のAAMを装備していなかったミラージュ5では、敵戦闘機に対抗はできない。逃げるように空域を離れ始めるストライプ隊の2機を横目に、4機のフィッターJは炎の元へと機体を向かわせた。本作戦参加機では唯一レーダーを装備するスポット隊のタイガーⅡも合流し、まるで炎に吸い寄せられる夏の蛾のように、翼を広げた6機は燃え盛る炎を下に旋回する。

 ――いや、それは事実、敵によって吸い寄せ『させられた』のかもしれない。直後の敵の行動を省みると、そうとしか考えられなかった。

 

《グラオガイスト1より地上部隊、敵を低空に追い込んだ。対空砲で迎撃しろ》

「…!混線…?……うわっ!?」

《散開、散開!く、これでは却って危険か…!》

 

 闇の底から染み出たかのような、ベルカ訛りの低い男の声。それが絶えると同時に、目の前をいくつもの光の筋が切り裂いた。

 曳光弾。

 隊長の命令を待つまでもなく、カルロスは反射的にスロットルを左へ倒す。急激な横合いのGに体を座席へと押さえつけられながら、視界の端には光に刻まれて爆発するタイガーⅡの姿が映っていた。

 

《スポット1!》

《っ!左翼に喰らった!?…くそっ、こんな!こんなノロマな機体だから!!》

 

 舌打ちとともに、フィオンの苛立たしげな声が耳朶に届く。

 隊長の言う通り、このままではまずい。比較的堅牢な機体構造のフィッターとはいえ、この近距離で対空砲の直撃を受ければひとたまりも無い。まして炎に照らされ無防備な腹面を晒した、狙ってくれと言わんばかりのこの状況なら尚のこと。高熱やフレアで欺瞞する手も、地上の砲火には使えない。

 左旋回の最中に右旋回を織り交ぜ、砲火から逃れるべく再び機体を闇の中へと向かわせる。横向きの慣性に引かれて水の玉が額から横に流れるのを感じた時、カルロスは冷や汗をかいていることに初めて気がついた。

 

 延焼しているエリアの外を飛べば敵からのミサイル、それを避けるために延焼の中へ入れば地上からの砲火。反撃しようにも敵の姿は捉えられず、おまけに残る装備といえば自衛用のAAM2発のみ。

 どうすれば、いい。

 

《敵機2機、離脱します》

《グラオガイスト2、追撃しろ。3、4は我に続け。無辜の市民を虐殺した卑劣な連合機を許すな。全機叩き落とし、市民たちへのせめてもの手向けとする》

 

《ちっ、やっぱり逃がしちゃくれねえか…!》

 

 それは混線か、はたまた意図的な宣告だったのか。

 殺気を孕んだ敵パイロットの声が鼓膜を震わせるや、カルロスは思わず頭上へと目を向けた。

 見えない。機影はおろか噴射炎すらも、人間の目には感知できない。右上方、左、斜め後方。焦燥の瞳は視界の及ぶあらゆる箇所へと走るが、朧に赤く染まった空には何ひとつ見定められない。

 だが、いる。確かにいる。

 背中をささくれ立たせるようなこの感覚。見られているような気配。

 くそ、蝙蝠(ニムロッド)が夜に狩られるなんて冗談にもならない。

 スロットルを引き、フィッターの大きな翼が延焼する炎の外縁を掠める。

 ――?

 

 何か、見えた。左旋回の終わりに差し掛かった瞬間の左後方。炎に薄く照らされた黒いシルエットが一瞬視界に映り、直後にその印象をかき消すような光がその下から放たれる。

 あれは何だ。

 闇に光る小さな炎。

 噴射炎。

 ミサイル――!

 

「………後方っ!!」

《カルロス避けろ、飛ばせ!!》

 

 殺気が、一点に集った。

 その瞬間、カルロスは反射的にスロットルを倒し、同時にフットペダルを深く踏み込んで、エンジン出力を一気に引き上げていた。視界が目まぐるしく回転し、速度の急激な変化に従って可変翼が急角度を取って、闇と炎を駆け抜ける。エンジンの噴射口には白い炎が一際輝き、まるで彗星のように尾を曳いた。

 A/B(アフターバーナー)。カルロスが咄嗟に用いたのは、そう呼称される推力向上機能だった。エンジンからの排気に燃料を噴射し燃焼させることで、多量の燃料消費と引き換えに一時的な推力向上をもたらすその機能は、一般的なジェットエンジンには広く設けられており、さして珍しいものではない。敵もそれを承知の上で攻撃を行ったのは、この近距離ではたとえA/Bを用いても回避は不可能と判断したゆえだったのだろう。

 だが、その読みを外して、カルロスのフィッターJは急角度を描いて旋回。激しい横方向のGと振動に苛まれながらもミサイルを振り切り、再び炎の上を離れて闇の中へと入っていった。攻撃を行うと同時に上空を通過していったのか、敵の第二射は無い。

 可変翼を装備したフィッターの後期型は、大柄な機体らしく機動は鈍重であるものの、低空におけるA/B使用時に限ってはMiG-21系列に匹敵する格闘性能を発揮するとされる。殊に、増槽も爆弾も捨て身軽になった今ならば尚のこと。始めは鈍重そうな見た目に抵抗があったものだが、事実こうして危機を脱したカルロスは、心からこの機体に感謝した。

 

《あーもー!だからこんなノロい上にレーダーもない機体なんか嫌だったのに!》

《ダメだ、やはり見えん。打つ手なしか…》

 

 機体に当たり散らすフィオンの声に、隊長の呟きが被さる。常にないその様子に、カルロスは思わずぞくりと背筋を震わせた。『打つ手なし』…それは、撃墜を、死を意味する言葉に他ならない。

 

 ――いや。だが、本当に『見えない』のだろうか?先の通信では、タイガーⅡのレーダーには映っておらず、空を見上げたところで肉眼でも判別はできなかった。だが、実際に自分はついさっき、攻撃を受ける直前にそのシルエットを見たのだ。電子の目には見えずとも、暗闇に溶け込んでいようとも、『それ』は確かにいる。

 考えろ。なぜ、さっきに限って機影が見えたのか。位置関係。ミサイルの発射炎。互いの進行方向。燃え盛る地面………――。

 

「……!隊長!」

 

 閃き。そう呼ぶにはあまりにも形が朧な何かを、カルロスは矢継ぎ早に口にしていた。

 時間は無い。敵が反転し攻撃位置に就くまでに手を決めねばならない。口から迸った歪な骨格に、隊長が細かに2、3付け加え、具体性を深めてゆく。

 やってみるか。隊長の声を合図に、生き残った5機は一斉に翼を翻した。

 遠くに、炎が一筋浮かぶ。ストライプ隊が捕捉されたに違いなかった。

 

******

《グラオガイスト2、1キル》

《2、あと1機を逃がすな。各機、第二波を仕掛ける》

 

 闇の中に逼塞した5機を駆り立てるように、2筋のミサイルが後方上空から飛来する。

ミサイルの放つ赤外線の眼に捉えられたのは、カークスとフィオンの2機。フィオンは先ほどのカルロス機同様にA/Bを駆使して急旋回し、カークスはフレアを散布しつつ蛇行して、それぞれが火薬の鏃から逃れんと身を捩った。空への逃げ場を失った、駆り立てられた獲物のもがき。少なくとも、地を見下ろす狩人にはそう見えたことだろう。

 隙を捉えたアンドリューのフィッターJが、速度を上げながら急上昇してゆく。鼻先を向けるは、燃え盛る炎の上空。ある程度の高度があれば、対空砲に被弾する率は格段に下がる。

 翼を畳み蛇行を織り交ぜつつ加速するその機影は、しかし低空の恩恵が無いゆえに動きがやや鈍い。

 

 2機が先にかかり、残る1機が仕留める。そのような戦術だったのだろう、機動が鈍ったアンドリュー機の背中は瞬く間に捕捉され、黒いシルエットの機体が徐々に距離を詰めてゆく。

 射程範囲。そのパイロットがボタンに指をかけるのと同時に、後下方から急上昇する1機の機影が、その後方警戒ミラーに映っていた。

 

《…カルロスっ!!》

 

 ミサイルが放たれると同時に、アンドリューから発せられた合図。その瞬間、急上昇したその機体――カルロスのフィッターJは機首を倒して宙返りし、逆さまになった空から地を『見上げる』。

 燃える大地の赤に映える、影絵のように浮かんだ黒い『敵』。闇空を舞う蝙蝠(ニムロッド)の眼は、それを確かに捉えていた。

 

******

「…見つけた!」

 

 血液が脚へと下がる感覚に耐えながら、カルロスは背面飛行のまままっすぐに機体を降下させる。赤鼻のその機体がまっすぐに向かうその先には、赤く燃えた地を背にした機影がはっきりと浮かんでいた。

 機体全体が主翼を形成する、まるで鏃のような全翼型の構成。凹凸の少ない、まるでヒラメのような平らな胴体。尾部に僅かに見える、やや外側へ開いた小さな2枚の尾翼。写真でしか見たことのない、どこか近未来的なそのフォルムは間違いなく、ステルス戦闘攻撃機F-117『ナイトホーク』の姿だった。部隊カラーだろうか、主翼の中ほどに灰色のラインが入った他は、全体が闇そのものの黒一色。おまけにステルス機能は折り紙付きの機種とくれば、見つからないのも道理である。

 

 だが、ナイトホークはそのステルス機能を存分に生かすため、結果的に空戦能力を大きく犠牲にしているとされる。空力的に洗練されているとは言い難いその形状は当然機動性に劣り、同じ戦闘攻撃機でもフィッターJのそれとは比べものにもならない。

 すなわち、その姿を射程に捉えさえすれば、十分に勝機はある。

 確信。間違いない、この手なら、この機体なら落とせる。…もし、落とせなければ――。

 身を苛むGに奥歯を噛んで耐えながら、ガンレティクルの真ん中に収めた機体目がけてフィッターJが加速してゆく。

目測でその距離が600を切った時、カルロスは2基のAAMと機銃を一斉に放った。

 

《後方…!小癪な真似を!》

 

 機動性に劣る機体、避けられる筈のない距離。ならば偏にそれは、そのパイロットの技量によるものだったのだろう。

 カルロスが命中を確信した刹那、眼前のナイトホークは咄嗟に機体を左へとロールさせ、左下方へと降下しながら加速。平らな機体が幸いして曳光弾は虚しく空を切り、ミサイルはその背を見失って地面の炎へと吸い込まれていった。

 外した。

 カルロスがその機動に舌を巻く頃には、そのナイトホークは降下で稼いだ速度を活かして上昇。こちらを振り切るためだろう、速度を上げながら延焼の外に広がる闇へと舵を切っていた。

 

「……っ!」

 

 見失う。

 慌てたように左旋回し、カルロスのフィッターJはその姿を追うものの、その姿は既に半ば闇の中に隠れて朧にしか見えない。方や先の2機は反転し、上空から炎に浮かぶこちらの機影を鮮明に捉えている筈だった。アンドリュー隊長の機体は対空砲に追われ、それらを捕捉するどころではない。

 先とは逆の追われる立ち位置に、カルロスは闇へ逃げんと、追撃を諦めて翼を翻した。時折上がる対空砲を警戒し、軌跡は自ずと蛇行を描いている。

 

 来た。

 後方上空に2機。炎の照り返しが2機の腹を赤く染めている。

 蛇行を交えた回避運動が仇となったか、速度は容易に乗らず、その姿は徐々に近づいてくる。対空砲の餌食になるため、降下して速度を稼ぐこともできない。

 眼下に燃え盛る炎と闇の境界が見え始める。もう少しで、機体は闇の中へと到達する。

 もう少し。

 

「うっ!?」

 

 瞬間、目の前を曳光弾が裂き、束の間視界を幻惑する。

 対空砲。

 機体を苛む被弾音に耐えかね、カルロスは咄嗟に機体を引き上げる。

 速度計の針が下がる。

 後方の影が近づく。

 殺気が背を粟立たせる。

 『射程距離』内。

 

《グラオガイスト3、FOX…》

「今ですッ!!」

《おうよ!!》

《この、ザコめぇぇぇっ!!》

 

 突如、先の対空砲とは異なる方向――眼前に広がる闇の下方から、幾筋もの光が奔った。殺到した30㎜口径の曳光弾はナイトホーク1機の主翼を捉え、その薄い装甲をズタズタに引き裂いてゆく。。

 夜空を照らす爆炎を裂いて、カルロスのフィッターJとすれ違いながら上昇したのは、同じ塗装を施された2機のフィッターJと1機のタイガーⅡ。カルロスと隊長を除いた、他の3人の機体だった。

 

 カルロスの思い付きを基に隊長が立てた作戦とは、すなわちこの通り――機数の利と炎を利用した、二重の囮作戦であった。

 時間差で攻撃して来る敵の挙動を読み、攻撃目標から外れた1機が囮となって、それを追う敵の第二波を他の1機が追撃する。その時点で仕留められればよし、外せばそれぞれは囮となって、他の3機が待ち伏せる空域へと敵を誘導。待ち伏せの3機は低空から見上げる形で飛行し、炎の照り返しに露わとなった敵を極近距離からの機銃で仕留める。

 『下からなら、照り返しで位置が分からないか』。発端は、そんなカルロスの思い付きだった。

 

《グラオガイスト3、撃墜!!》

《こちらグラオガイスト2、敵機撃墜。残弾なし》

《……!………無念だ。…全機、帰還する。》

《しかし…!》

《借りを返す機会はまだある。奴らへ報いを下すまで、終わりは無い》

 

 混線から伝わる男の声は、目の前に広がる闇よりもまだ暗く、深い。

 高度を上げ、瞬く間に闇に融け込んでゆく3機のF-117。最後の際に残した男の怨嗟の声は、カルロスの耳にぞっとする程深くこびりついていた。

 

 終わった。多くの犠牲は出たものの、絶体絶命を覆して、空戦には確かに勝った。地に墜ちて燃える夜鷹(ナイトホーク)の翼は、それを如実に物語っている。

 だが。

 

「……報い、か…。」

《………。これが勝利、ってか?…胸糞悪ィ。》

 

 勝利。そう呼ぶには、胸に残る大きすぎる苦み。カークス軍曹の呟きは、この作戦に参加した全ての人間の代弁だった。

 眼下の炎の中から、爆炎が一つ上がる。対空砲の火薬に引火したのだろう、生じた紅蓮の炎の中で、鉄と人間の残骸がばらばらに砕けて散るのが微かに見えた。生きている人間は既に避難したのだろう、焔に包まれた地の上には、もはや動くものは何一つ見えない。

 無数のテントと鉄屑と命が、紅蓮の中で混然となり燃え尽きてゆく。その光景を、カルロスはずっと、目に焼き付けるように眺めていた。

 

《もし本当に勝利だってんなら……今後は、二度と御免だぜ。》

 

 他に、何一つ言葉を紡がぬまま、5つの翼は南を指す。不信、屈辱、絶望、迷い。燃え尽きてゆく空に残ったのは、それらの思いだけだった。

 

 遥か東の空が、赤く燃えている。ホフヌングが燃えるその遠景が目の中でじわりと滲んだ時、カルロスは初めて、自分が涙を流していることに気づいた。

 




本編登場のグラオガイスト隊ですが、オリジナルのエースパイロット部隊として設定しております。通信を多用する、編隊で行動する、対空ミサイル装備などナイトホークらしからぬ行動を多々しておりますが、エースコンバットの世界観ということでどうかご容赦下さいませ。


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第15話 迷いと信念と

 濁ったような雲の切れ間を割いて、朧にしか見えなかった幾つもの翼がその姿を露わにしてゆく。

 機数は8、9…10。高度を下げ、徐々に大きくなってゆくその翼は、さながら帰巣する鳥のように速度を緩めて滑走路へと舞い降りてゆく。

 耳に刺さるエンジンの鼓動、主脚の軋み、そしてアスファルトとタイヤの擦過音。遠巻きに眺める出迎えの人々の声をかき消しながら、それらは1機、また1機と地に降り立って、足取りを緩めながらそれぞれの住処へと鼻先を向けていった。

 

 勇壮、興奮。少し前の自分ならきっと無邪気にそう感じていたであろう、(くろがね)の鳥が一羽たりとも欠けずに舞い降りる、勝利を意味するその光景。その様が、今はまるで夢から現実へと一気に引き戻されたような、どこか空々しい虚ろな感情を伴って目に映っている。

 わずか数日の間に生じた、朧にして熱に欠けた心の変化。カルロスは困惑した瞳を、目に映る光景のその先――自らの心の奥へと向けていた。

 時に、1995年6月3日。季節外れの冷たい風が、迷いを帯びた青年の頬を撫でていった。

 

「これで、本日4組目の団体様のお帰りか。かー、軍人さんは勤勉で偉いねぇ。見習っちゃうねまったく。」

「…と言うか、いいんでしょうか。こんな時に休んでて、俺たち…。」

「折角の雇い主様(サピン軍)からのお達しだ、お言葉に甘えて損は無いだろう。…尤も、スーデントールに籠城した敵は相当頑強らしい。近々休暇も切り上げかもしれんがな。」

「はー、飛べない休暇なんてつまらない。このままじゃ戦争終わっちゃうよー。」

 

 ニムロッド隊に割り当てられた格納庫の、陰になった庇の下。空きコンテナや錆の浮いたパイプ椅子などに腰を下ろし、思い思いの位置を占めて滑走路を眺める男たちの声は、雲に隠れがちな初夏の空同様にどこか熱に欠けている。隊長を始め、誰もが自らの中に生じた困惑と迷い、憤りをどう処すべきか、それぞれに答えを求めている…少なくとも、カルロスにはそう思えた。

 かくいうカルロス本人も、自分の中でわだかまるモノを整理できた訳では無い。だからこそ、『あの日』の翌朝から常にも増した自主トレーニングを己に課し、雑念を振り払うようにひたすらに走り込んでいたのだが、結局逃避でしかないその行動の先に答えは得られなかった。

 今日も今日とて走り込みは続けていたらしく、4人の中でカルロス一人はフライトジャケットを腰に巻き、汗の浮いた首筋にタオルを巻いている出で立ちがそれを物語っている。ジャケットの前をはだけさせた隊長、腕をまくり煙草をくゆらせるカークス軍曹、脚を投げ出して髀肉の嘆をぶちまけるフィオン。先の出撃の休養という名目で降って湧いた特別休暇に、4人は落ち着かぬ空気の中で、慣れぬ日々を過ごしていた。

 

「よう、『ニムロッド』。景気はどうだ?」

「…?あ、アルベルト大尉、マルセラ中尉!お疲れ様です!」

 

 遠くに鳴り響くエンジン音に紛れて気づかなかったのだろう、不意にかけられた声に振り向いた先には、『エスパーダ隊』の2人と、オーシア軍の制服を身につけた見慣れぬ男の姿があった。エスパーダ隊の2人はフライトジャケットを身に纏っており、肩越しにヘルメットを提げたその姿が、先の帰還直後であることを物語っている。

 座ったまま挨拶を返し、残る見知らぬ男に怪訝な視線を向ける他の3人。それをよそにカルロスは反射的に腰を上げ、顔知ったるエスパーダ隊の2人へと敬礼を行った。迷い無く、卓越した技量で敵を屠るエースパイロット――先日の『円卓』における空戦で助けて貰った縁もあり、そこに抱く羨望と敬意が、自ずとさせた敬礼だった。

 ぴしり、と音まで聞こえそうな、なかなか形になった礼。傭兵らしからぬその姿勢に、敬礼を受けた2人は思わず吹き出す。

 

「ふふっ、そんなに律儀に挨拶しなくてもいいのに。」

「っははは、まったくだ。同じ傭兵同士、階級は気にするなって。…にしても何だ、いやに陰気臭いな。折角の休暇なんだろ?」

「…そりゃあ陰気臭くもなりますよ。いくら俺らが傭兵だからって、できる仕事にゃ限度が…!」

「カークス。……いや、なんでもない、気にしないでくれアルベルト大尉。慣れないサピンの気候で皆疲れているのでな。」

 

 常とは異なる空気を察したらしいアルベルト大尉に、溜め込んだ鬱憤を抑えかねたカークス軍曹が吐き出すように感情を吐露する。

 ぴくり、と眉を動かし、探るような表情でカークス軍曹の横顔を伺うアルベルト大尉。しばし軍曹へ注がれた瞳が隊長へ、自分へ、フィオンへと移り、最後の一瞬に隣のマルセラ中尉、そしてオーシア軍の男と触れたのを、カルロスは見逃さなかった。

 

「ところでアンドリュー大尉、少しよろしいかしら。以前ニムロッド隊が遭遇した、白いミラージュの部隊についてお伺いしたいのですけれど。」

「…例の部隊か。俺でよければ構わんが…。」

「ありがとうございます。少し気になる情報もあるので、情報共有ということで。…ごめんなさい、あなたたちの隊長、ちょっと借りて行くわね。」

 

 白い『ミラージュ』。

 それが遡ること1ヶ月と少し前、サピンの空で交戦したベルカのエース部隊であることは、その特徴だけでも伺い知れた。結局あれ以来空で見えることは無く、ベルカ側の報道に登場することも少なかったが、ここへ来て再び前線へと出てきたのだろうか?

 機体性能の差も確かにあったが、それ以上に圧倒的なまでの技量の差を見せつけ、部隊を半壊に追い込んだその力は今も記憶に新しい。

 眼前を覆う小弾頭、穴だらけになり落ちていく軍曹の機体、背を刺すような殺気、そしてまばゆいばかりの白い機影。つかの間カルロスの記憶が想起するは、狩られる恐怖とエースの脅威を体現した、(やじり)のような4機の姿だった。

 

「ヴァイス隊、か。一度手合わせしてみたいもんだ。」

 

 吟じるように紡がれた、アルベルト大尉の声。記憶を追っていた視界が現実へと戻った時には、既に隊長は席を立ち、マルセラ中尉とともに場を離れるところだった。

 ちょっとこの席借りるぜ、とアルベルト大尉が座椅子に腰を下ろし、間に挟まった一呼吸。一瞬、空気が止まったような感覚を、カルロスは不意に感じた。

 

「…で。何があったんだ?」

「………。」

 

 カークス軍曹の目が、オーシア軍服の男にちらりと向かう。いくら同じ連合軍とはいえ、話してよいものか。不審を帯びた瞳は、無言のうちにそう語っていた。

 アルベルト大尉もそれに気づいたのだろう。ふ、と微かに息を漏らし、格納庫の壁に背を預けるその男を肩越しに指して、言葉を継ぐ。

 

「ああ、コイツは…まぁ、なんだ。俺のダチという所かな。なに、口も頭も堅い男だから安心してくれ。」

「…一言多いな、大尉。申し遅れた、私はオーシア国防空軍所属『ウィザード隊』指揮官のジョシュア・ブリストーだ。『ジャッジメント作戦』の折は世話になった。」

「ジャッジメント作戦の……?……あ。」

「あー、あの時合流してきたF/A-18C(ホーネット)のオジサン。ねーオジサン強いんでしょ、後で僕と模擬戦しましょーよ。」

 

 男の端正な顔に、ふ、と苦笑いが浮かぶ。無遠慮なフィオンに向けたその表情は思いの外に柔らかく、神経質そうな第一印象とは対照的なものだった。

 『ウィザード隊』、ジャッジメント作戦。そうだ、思い出した。ベルカが擁する超高層化学レーザー兵器『エクスキャリバー』破壊を目的としたジャッジメント作戦において、陽動作戦を演じた際のオーシア軍の共同部隊が、確かウィザード隊と名乗っていた。エクスキャリバーの遠距離攻撃を全て回避し、かつ連係攻撃を加えるベルカ戦闘機をエスパーダ隊とともに返り討ちにしたその技量は今も記憶に残っている。

 あの日以来、アルベルト大尉が時折軍服姿の男と話している姿を度々目にしていたが、それがこの人物――ジョシュア大尉だったのだろう。同階級とはいえ所属の垣根を感じさせない2人のやりとりは、その親交の篤さを伺わせた。

 

「…ま、そんな訳だ。これまで腐れ縁のよしみだ、相談くらいなら乗るぜ?どうしても言いたくないなら構わ…」

「民間人への空爆だ。」

「………!?」

「…ッ、カークス軍曹、駄目ですよ!作戦参加者以外に口外は禁止で…!」

「構うかよ、規約違反ってんなら、作戦目標について嘘をついたあちらさんが先だ。これで五分だろ?」

 

 アルベルト大尉の言葉を遮るように、カークス軍曹の口から零れた言葉。それは短くもぞっとするような冷たさを孕み、さながら短剣のような鋭さに感じられた。

 アルベルト大尉とジョシュア大尉の、息を呑む気配が伝わる。慌てて軍曹を制しかけた所に言葉を被せられ、カルロスは言い返せぬまま、口を噤まざるを得なかった。

 

 脚を揺らし、興味なさげに横目で眺めるフィオン。思わぬ展開に瞳を凍らせ、静かにカークス軍曹を見つめる両大尉。そのいずれも見ることなく、軍曹はコンクリートの床に目を落としながら、あの日のことを語り始めた。

 友軍にすら秘匿のうちに進められた作戦。傭兵と懲罰兵のみの編成に、出所不明の真っ黒な機体。軍事施設と知らされた爆撃目標が、実際は避難民テントだった事実。言葉が紡がれるごとに、周囲と心の冷たさが増してゆく。

 まるで確とした足下が徐々に揺らぎ、ついには波濤に砕ける岩のように崩れていく感覚。カルロスの心に兆した不安と不穏は、否応なく大きくなっていった。

 

******

 以下は、後年のことになる。

 

 この時より10年後の西暦2005年、ベルカ公国と周辺諸国の間に起こった一連の戦争――通称『ベルカ戦争』に関する資料が公表され、1995年6月1日に発生した『ホフヌング避難民テント空爆事件』の真相も同時に明らかとなった。

 

 全てはサピン上層部と、ベルカ国内の亡命を望む者たちによって起こされた策略だった。

 オーシア、ウスティオとともに連合国の一翼を担うサピン王国ではあったが、戦争初頭に受けた被害はウスティオに次いで大きく、従って反攻作戦後の軍再編にも手間取ることとなった。結果サピン軍は、有り余る物量を持つオーシア軍やエース部隊を擁し強力な突破力を発揮したウスティオ軍の支援に甘んじることとなり、ベルカ侵攻後の資源・技術・領地確保の面において両国に大きく遅れを取っていた。

 折しも連合国がホフヌングへの攻撃を計画していた頃、ホフヌングにもベルカに見切りを付け、連合国への亡命を望む技術者が存在していた。彼らの希望は亡命後の安全確保と相応の地位の保証であり、そのためには亡命する競争相手の少ない国が最もいい。当然の帰結として、その目は依然亡命者が少なく、かつ手頃な距離にあるサピンへと向き、ここに両者の思惑が一致した。

 

 無論、貴重な技術者の流出を、ベルカが易々と許すわけはない。ホフヌング市内はもとより、市街を離れた疎開先でも、護衛の名の下にベルカ軍の眼が光っていることは明白である。すなわち彼らの亡命を可能とするためには、それを欺く程の『一騒動』が必要という結論に至り…結果立案された作戦こそが、サピン単独による避難民テントへの空爆だった。

 当時、ホフヌング空爆の情報を受けたベルカ軍は、希望したホフヌング市民および技術者をホフヌング市郊外へと避難させ、少数ながら護衛部隊も随伴させていた。この際、サピンと取引を行った技術者も何食わぬ顔でその避難テントに潜り込み、攻撃開始と前後して接近していたサピン陸軍陣地へと駆け込む…というのがその筋書きである。

 そして実際に、それは過たず実行された。カルロス達が攻撃直前に目撃した『南方へ向けて離脱する車輌群』こそがその亡命者達であり、とある手土産を乗せたトレーラーに分乗してひたすらにサピン軍陣地を目指していたのである。

 当然、民間人の空爆を意図的に行い、それを隠れ蓑に亡命者を受け入れるなど、国際社会の理解を得られる訳は無い。それゆえにサピンの機密保持は徹底しており、カルロス達はこの当時、真相を知るよしも無かった。

 

 当時彼らが搭乗した出所不明のSu-22『フィッター』が元ベルカ所属の鹵獲機であり、作戦終了後には人知れず処分されていたこと。そしてこの時サピンが入手した『手土産』が、ADFX-01と呼ばれるベルカの試作機の一部だったことなどは、後年になって明らかになったことである。

 

******

「…俺らが知ってるのは、ここまでだ。」

 

 悄然とした結びの言葉で、カークス軍曹の一人語りが途切れる。息の詰まるような長い時間を経て最後に漏れたため息は、胸に溜め込んだ悪夢の残滓を吐き出す様にも見えた。

 立ち尽くす両大尉、しわぶき一つ上がらない静寂。各々が事態を嚥下する時間を埋めるかのように、5人の間を冷たい風が流れてゆく。

『醜い…。』静寂を破ったのは、ジョシュア大尉の吐き出すような言葉だった。

 

「オーシアもサピンも、どこも変わらない。結局は、醜いパイの奪い合い。…やはりこれが、世界の現実か。」

「あー…無理に聞いて悪かったな。……こっちから聞いておいて何だが、この件はあまり口外しない方がいい。まだこの戦争の帰趨も上の思惑も、どうなるか分からないからな。」

 

 『醜いパイの奪い合い』。戦後を見据えて、利権を得られるだけ得ようとする国々の動向をそう評したジョシュア大尉の横顔は、ぞっとする程に暗かった。誰へ向かうでもなく、地に落とされた瞳に宿っているのは、失望か、諦念か、それとも怨恨だったのか。冷たく静かな水面のようなジョシュア大尉の、その水面の下に宿るものを、その横顔から伺い知ることは出来なかった。

 

「へっ、分かってますって。なんだかんだで、あんたらに話したらちょっとは落ち着きましたしね。…ただまぁ、俺らは確かに金のためならなんでもする傭兵風情ですけど、それ以前に人だ。迷いもするし、やっちゃいけねぇことだって俺らなりにゃある。…筈、だったんすけどね。……あぁー、何、やって、ん、だ、か…っ」

「くっっっだらない。」

「…んだと?」

 

 冗談めかし、座椅子の背もたれに体を預けて思い切り背筋を伸ばすカークス軍曹。言葉の端に滲む諦念に幾ばくかの違和感を覚えつつも、傍目にはもういつも通りの様に戻っていた。

 ひとまずも場が落ち着いた。そう思った矢先に被せられた予想外の言葉に、カークス軍曹が思わず気色ばむ。声の主――フィオンがここまで感情を露わにするのは、少なくともカルロスには初めての光景だった。

 

「傭兵って自覚があるくせに、人としてどうとかうじうじ言って、迷って愚痴ってみっともない。なんか女々しいっていうか、このところおかしいですよ軍曹-。」

「……。…黙れ、…うるせぇ!お前に、何が分かるってんだ!!………俺は、俺はなっ…!!」

「やめろ、フィオン!軍曹も落ち着いて下さい!とにかく落ち着いて、座って!」

 

 年若ゆえの直線的な表現に、悩みを知らないフィオンらしい辛辣な言葉。心を突き刺すような鋭い声に、カークス軍曹が今までに見たことのない、睨むような眼を向ける。

 怒声、椅子を蹴る音、ぐ、と詰まったフィオンの声。激高しフィオンの胸ぐらを掴み上げたカークス軍曹を、カルロスは慌てて間に入り押しとどめた。顎に指をやり深沈と思いを巡らせるジョシュア大尉をよそに、アルベルト大尉もカークス軍曹の肩を押さえて、二人を引きはがそうと努めている。

 動悸を抑えかねたカークス軍曹の息が、煙草の匂いとともにカルロスの顔を突いた。

 

「ボウズの言う通りだ、二人とも落ち着け。特にお前はもう少し表現を考えろ。」

「けほ、けほ。だってぇ…。」

「……迷い、か…。」

「……?どうした、ジョシュア?」

 

 フィオンから引き離したカークス軍曹を、座椅子に投げるように座らせるアルベルト大尉。急に感情を昂ぶらせたためか、椅子に深く腰を下ろし荒く息をつく軍曹の隣で、指導を受けたフィオンは不承不承に口をすぼめて抗弁を登らせている。

 そんな時に、ぽつり、と浮かんだ一つの呟き。カルロスも、アルベルト大尉さえも怪訝な表情を向ける中、その声の主――ジョシュア大尉はその頬に微笑さえ履きながら、その言葉の先を紡ぎ出した。まるで謳うように、場の空気からぽっかりと浮いた真空のようなその呟きの『次』を。

 

「アルベルト大尉、君は空で咄嗟に迷うことはあるか?」

「俺か?……そうだな、若いときはあったと思うが…このところは無いな。…って、なんだよ、俺が単純ってか?」

「いや、そうではない。『迷い』とは、すなわち自分の中に確たるもの…行動規範や信念といったものが存在しない、あるいは不確立であるゆえに生じるものだ。特に空において、『迷い』は隙を生み、ひいては死に直結する。裏を返せば、空で生き残ってゆくためには、そのような信念といったものが不可欠ということだ。アルベルト大尉が迷わなくなったというのも、それが自ずと確立されたためだろう。」

「……。何言ってんだ、アンタ。要は、いついかなる場合でも自己正当化しろってか?お言葉だがな、今回の件についちゃ、俺はどう逆立ちしたって正当化できないね。」

「いや、自己正当化とはまた異なるものだ。事が起こってから理論を並べ立て、自己を肯定するためだけの行為など、もとより信念と呼ぶにはほど遠い。…そうだな、目的や理想と言い換えてもいいが、『何のために戦うのか』、『どのように生きるのか』という命題に対し、自らの中であらかじめ確立した明快な答え、とでも言うべきだろうか。」

「………信念、目的、理想ねぇ…。…あー、ダメだ、頭の良い人間の話し方は難しすぎて入って来ねぇ。」

 

 ぎしり。ジョシュア大尉の複雑な言い回しに音を上げたカークス軍曹が、お手上げとばかりに両手を挙げて、座椅子に深く背を投げ出す。錆の浮いたネジから響いた金属の軋みは、まるで『もう勘弁してくれ』という代弁のようにも聞こえた。

 

 理想、信念、戦いの目的、『何のために戦い』『どのように生きるか』。二人の問答の中に浮かんだ、改めて問われた命題に、カルロスは臓腑を掴まれた思いだった。その問いは、先日の戦闘で軍曹同様に迷いを抱き、そして今なおカルロスの中でも答えが得られていない問いだったためである。

 

 こう表現してはいささか子供っぽいが、自分は心のどこかで、この戦争を『悪のベルカ帝国に虐げられる近隣諸国を助ける、正義の戦い』とでも思っていた気がする。肝心の虐げられる国の人間でこそないものの、その『正義』を信じたからこそ、これまで迷うことなく戦ってこられたのではなかったか。

 ところが、この『カニバル作戦』において民間人への空爆を行ったことで、戦争の現実を知るとともにその思いは根底から崩れ、迷いが生じることになった。結局はベルカも連合諸国も変わらず、そこに正義だ悪だと感情的な価値観をくっつけた所でナンセンスでしかない。

 

『護るものがある男ってのは、やる時はやるもんだ。』

 

 脳裏に、声が蘇る。

 ウスティオ首都ディレクタス奪還作戦の支援として出撃した折、護衛対象だった爆撃隊隊長の最期の言葉。ベルカのエース部隊『ゲルプ隊』から攻撃を受けた彼は、傷ついた体で機体を最後まで操縦し続け、その命と引き替えに任務を達成したのだった。そこには躊躇いも、一瞬の迷いすらもない。

 純然たるサピンの軍人だった彼のように、その国で生まれ育った軍人ならば『愛国心』や『郷土愛』が、その戦う意義の一つになるのだろう。だが、その地に根を持たず、浮き草のように漂う傭兵ではもとより抱きようも無い。

 

 戦う意味。自分の信念。自らの生き様。戦いの場に出るようになってまだ2年程度、しかも実戦に臨んでからはまだ3ヶ月ほどしか経っていないカルロスにとって、それは手を伸ばしても掴むことも、まして全体を見ることすら叶わない茫漠としたものとしてしか捉えられない。人知れず、思いは深く沈んでいった。

 俺は、何のために、何を芯に戦えばいい?

 

「…ふむ、そうだ。信念、価値観という意味では参考になるかもしれないが、以前私の友人が話していたことがある。曰く、エースパイロットというのは、3種類に分けられるのだそうだ。」

「エース?」

「なんだよ、平パイロットの俺らにゃ関係ないじゃねえか。」

「まあ、そう言わないでくれ。あくまで彼はエースの分類と表現したが、私の所感では全てのパイロットに…いや、全ての人間にも通ずるように思う。傭兵として多くの空を舞った彼の経験にも裏打ちされているためだろうな。」

 

 エースの、信念。脳裏に深く沈んでいたカルロスの意識が、その言葉に応えるように現実へと引き戻る。

 無関心を隠そうとしない様子から一変して、エースという単語に興味を示すフィオン、うろんそうな眼を向けるカークス軍曹。そして真摯に、あるいはすがるように瞳を向けるカルロス。三者それぞれの視線を受けて、ジョシュア大尉は『友人』の受け売りというその中身を続けていった。

 

「一つは、『強さを求める者』だという。一般化するなら、強さを『力』や『金』、『権力』と言い換えてもいいだろう。一つの価値基準のみを追い求め、それを得てなお先へと進む。その強靱で頑なな信念には、時に一心な純粋さすら感じさせる。私がこれまで見た限り、君たちのような傭兵にこのタイプが多いように思う。」

「傭兵ねぇ…。ま、確かに俺も金は欲しいけどよ。死ぬほど強いっていうウスティオの傭兵とやらもそうなのかねぇ。」

「さて、そこまでは私も分からないが…ただ、この信条を持つ傭兵からエースとなりうるのは、ほんの一握りだったように思う。たいていの人物は、得た力や強さ、金を『欲を満たす』ために用い、それゆえに曲がり、やがて自滅してゆく。この信条をエースたるに相応しい確固たるものにまで昇華するには、得られたモノ自体には拘泥しない、一心な純粋さが必要なのだろう。」

 

 一つ目は、いわば『傭兵』たる価値観…という表現でいいのだろうか。

 確かに、金を稼ぐことは自分にとって重きをおく価値観の一つであり、その先には故郷に住まう家族を思ってのことがある。得られた金そのもので自分がどうこうする、という点からは免れており、その点では大尉の言う『純粋さ』もあると言っていいのかもしれない。

 …が、それを自分にとっての戦う意味にまで昇華できるかと言われれば、少なくとも現時点ではそうとは言いがたい。例えば、多額の報酬と引き替えに、今回のような卑劣な作戦を命ぜられた場合、自分は本当にそれを肯定できるのか。自信は、ない。

 加えて、強さを求めるという点でも、果たして自分に当てはまるかどうか。確かに空における強さは求めており、それゆえに隊長による演習や自主トレーニングにも身を入れてはいるのだが、それはあくまで『生き残るために必要な最低限のライン』を目指しているといった方が正しい。

 例えば、隊のエースであるフィオンや両大尉、ベルカのエース級を目指すとなると、現実味に乏しかった。

 

「二つ目は、プライドを抱く者…いや、『プライドに生きる者』、だったかな。これについては読んでそのままに、自ら定めたルールや理想に従い、それを価値観の最上に置く者、と言っていいだろう。その信念に違うものならば、たとえ命令であろうと撥ね付ける剛毅さと硬骨さが求められる。…このタイプは、言うなれば『騎士』という所か。時代遅れな、場合によっては滑稽とすら言えるその『誇り』を頑なに護ることで、古の騎士の姿は今なお純然な輝かしさと魅力を保っている。けして曲げない信念という点で、通じるものはあるだろう。」

 

 二つ目は、プライドに生きる『騎士』。

 カルロスにとっては意外な見方だったが、顧みると自分にはどう見ても当てはまらない。そもそも自らのルールを確立する余裕すらなかったので、当然と言えば当然なのかもしれないが…どうあがいてでも、無様な飛行をしてでも生き残ってきた自分には、どうにもそぐわなかった。

 

「最後は、『戦況を読める者』。これも、先を読める、臨機応変に対応できると言い換えれば一般化できるだろう。思うに、このタイプは『軍人』に多いように思う。他の2つと異なり、軍人は作戦という基準から逸れずに行動することが求められる。基準から軸足を離さず自らの職掌範囲で戦うには、状況を読み調整する力が不可欠だ。おそらく、そのような背景から軍人に多いのだろう。」

「ふーん、ニムロッド隊(こいつら)の隊長が近いかもな。」

 

 最後は、大尉曰く『軍人』。

 言われてみれば、確かにアンドリュー隊長はこのタイプに当てはまる気がする。任務の達成を第一とし、次々と起こる不測の事態にも臨機応変に対応するその姿は、カルロスにとって目標とすべき理想の姿でもあった。

 ただ、これについては信念というより『戦い方』という側面が強いようにも思える。おそらく、隊長もこれを以て『信念』としている訳では無いのだろう。

 …隊長の、信念。不意に、それが気になった。隊長は、何を思って戦っているのだろう。

 

「友人の受け売りは以上だが…何も、今すぐに確立しろとも、無理矢理に3つのいずれかに分類しろとも言わない。思いは人それぞれ、これらの中間の者もいれば、全く異なる価値観に信念を見いだす者もいる。…空は広く、時は多い。焦らず、自らの『理想』を見つけることだ。」

 

 神経質そうな印象にそぐわない、堂々とした長口舌。どこか眩しそうに遠くを見るような眼で、ジョシュア大尉は言葉を締めくくった。

 迷いに沈む男達の心に、一石を投じた大尉の言葉。それぞれなりにその言葉を咀嚼しているのだろう、3人はいずれも、身じろぎ一つなく押し黙っていた。

 

「まぁジョシュアも言った通り、今焦って見つける必要もないさ。どうせまだ先は長いんだ、気楽に……お?」

 

 沈黙に耐えかねたのか、アルベルト大尉が言葉を次いだ矢先、その頭にぽつり、と水滴が落ちた。

 空を見上げれば、薄曇りだった空は黒みを帯び、遠くからは地の底から響くような唸りも聞こえてくる。不規則な音が断続的に落ちる様は、それがジェットエンジンの轟音でなく、発達する雨雲の中に生じた雷鳴だと告げていた。

 

「こりゃマズいな。ジョシュア、そろそろ行こう。」

「ああ…そうだな。少々激しそうだ。」

「あ…ジョシュア大尉、アルベルト大尉、ありがとうございました。…その、なんて言えばいいかまだ頭が纏まっていませんけど、……俺も、俺なりに考えてみます。もう、迷わないように。」

「だな、なんにせよいい機会になったぜ。特にジョシュア大尉(あんた)とはまた話したいもんだ。」

「おっつでーす。」

「………ボウズ、お前な。」

 

 来る雨から逃れんと踵を返しかけた二人へ、思わず腰を上げたカルロスは、我知らず自らの思いを紡いでいた。

 戦いに向かう意義、自らを支える信念。いずれも今の自分にはまだ見つけられないものだが、今日の会話を経て、その命題に対する意識が確かに芽生えたのを感じる。

 迷い無く戦い抜くために。そして自分自身を、余さず肯定するために。新たな意識の息吹を胸に、カルロスは敬礼を以て二人を見送った。

 

 新たな思いに囚われていたためであろう、カークス軍曹の言葉に対して一瞬ジョシュア大尉の瞳に宿った光は、カルロスの意識には入らなかった。まして、黒みを帯びて宵闇のようになった影で、この直後に二人が何事かを話していることなどは、ついぞ気づくこともなかった。

 

 ぽつり、ぽつり。アスファルトを打つ雨滴が徐々に多くなり、空を割く轟音がだんだんと近づいてきている。

 雷雨が、訪れようとしていた。

 



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第16話 スーデントール制空戦(前) -The Gray Men-

《いよいよ、ベルカにチェックメイトを突きつける時が来た。北郡へ向け撤退を続けていたベルカ軍は交通の難所であるバルトライヒ山脈に行く手を阻まれ、その進行は著しく滞っている。これを好機とみて、連合軍上層部は当該部隊の殲滅を第一目標と決定。ベルカ軍の殿(しんがり)部隊が籠城しているスーデントール市に押さえの部隊を残し、残る全ての戦力をバルトライヒの敵部隊へ向け、目下激戦を繰り広げている。諸君には手薄となったスーデントール方面軍を航空攻撃により支援し、その包囲を盤石なものとしてほしい。 本作戦は長期化が予想される。辛い戦いとなるだろうが、ベルカを叩き平和を取り戻すために、一層奮闘してくれ。諸君の健闘を祈る。》


《カクタス隊、離陸完了。続いてマルティーロ隊離陸せよ。発進後は管制機の指示に従え》

《第2滑走路クリア。アルポーン隊、着陸を許可する。》

《こちらアルポーン1、了解した。アルポーン4が被弾している。救護班を待機されたし》

 

 据え付けのスピーカーから漏れる雑音混じりの声が、霧がかかったようにぼんやりとした頭の上を飛び交ってゆく。

 機械の駆動音、整備員の声、そしてジェット燃料と機械油の匂い。いくつもの声によって綻びた眠気の隙間に、音と匂いの奔流が遠慮なく割り込んで、浅い眠りを打ち破らんと強引に訴えかけてくる。

 顔面に被せていたタオルをはねのけた先には、錆の浮いた格納庫の天井と、MiG-23MLD『フロッガーK』の黒い翼端。徐々に像を結び始める眼には、度重なる出撃に傷ついた機体と、その先にある『現実』の姿が、ありありと映っていた。

 1995年、6月6日。この日、後世に残る悲劇が起きると知るよしも無く、カルロスは深いため息を残しながら、疲労の残る体をパイプ椅子の背もたれから引きはがした。

 

「寝てた、のか…。…しまった、今何時だ?」

「お前さんが寝込んで28分と少し、だ。体も機体も酷使してるのは分かるが、油断しすぎだぞ?」

「…げっ、機付長!す、すんません…」

 

 時計を探して巡らせた視界の真ん前に、機付長の大きな体が入るや否や、酒焼けした響く声が被せられる。各機体の整備責任者として設けられる機付長のうち、カルロスの乗機整備に携わるのが彼であるが、しょっちゅう機体を壊して帰る手前、カルロスは頭が上がらない。冗談混じりに声をかけた機付長についつい謝罪で反応したのも、もはや反射的なものであった。

 く、く、と笑いを堪えながら、『冗談だって。休めるときに休んどけ』と繋げた機付長の背中の遙か向こうでは、同じように椅子に寝そべって仮眠をとるカークス軍曹の姿も見える。さらに一つ隣のブロックでは、フィオンが乗機のタイヤにもたれかかって眼を瞑っている様も窺えた。笑みを浮かべる機付長本人ですら、ススと汗に塗れた顔には疲労の影が浮かんでいる。そう、一様に皆疲れているのだ。こうして僅かながらも仮眠できる自分達は、まだ幸せな部類なのかもしれない。

 

 ベルカ絶対防空領域『円卓』の陥落、そして制空権の喪失とともに綻びてゆくベルカ軍防衛線。なし崩し的に撤退を繰り返す前線を立て直すため、ベルカ軍は5月の下旬より、ベルカ南郡からの一斉撤退を開始した。すなわち、南郡各都市防衛のために部隊を分散させる愚を犯さず、戦力を維持したままベルカ北郡へと前線を後退。ベルカを南北に貫くバルトライヒ山脈の天嶮に拠り、連合軍を防ぐ方針としたのだった。

 そして、その撤退を支援するために残されたのが、バルトライヒ山脈の麓に位置する工業都市スーデントールである。規模こそ普通の工業都市と大差ないものの、スーデントールは丁度ベルカ軍の撤退ルートを護る位置に当たる上、都市内に南ベルカ国営兵器産業廠を擁するため継戦能力は極めて高い。片や連合軍としては、いかにスーデントールが強固といっても、ここを攻略しない限り全戦力を撤退するベルカ軍へ向けることは叶わない。主力部隊をバルトライヒ山脈攻撃へと転進させてなお、連合軍が主力軍の一部を割いて包囲を継続し、まるで投げつけるように執拗に航空攻撃を行う理由も、戦略的に頷ける所はあった。

 

 もっとも投げつけられる本人としては、ここ数日のハードワークは堪ったものではないが。

 ホフヌング空爆支援の後の休暇は早々に切り上げられ、作戦へと復帰した昨日からの出撃は、実に5回。長距離侵攻作戦ではないものの、爆弾を抱えては激しい砲火を掻い潜り、時に空戦も行わなければならないことから、1回ごとの出撃でさえ精神と肉体の消耗はこれまでの比ではない。

 消耗と、痛み。これまでの戦闘でダメージを受けたにも関わらず、まさに『投げつける』ように部隊を展開させてゆく連合国の戦術。そこには、何としてもここで戦争を終わらせるという、確固たる決意が垣間見えるように思えた。

 

 …何だっていい。各国の思惑がどうであれ、そこに戦闘が起こり、そこに戦力が求められるからこそ、俺達傭兵の出番があるのだ。要請のままに戦っていれば、それで傭兵の本分は果たせる。つい先日、『ウィザード1』――ジョシュア大尉が言っていたような、『戦いにおける信念』を考えること自体、傭兵にはナンセンスなのかもしれない。どんな信念を据えていても、死ぬときは死んでしまう。心持ちだけで、機体は動いてはくれないのだ。

 普通に考えれば、確かにそうだ。…だが、それは本当に、正しいのだろうか?

 

《第6次攻撃隊、出撃時刻に変更なし。出撃準備を開始せよ》

 

 スピーカーから流れる音が、内奥に生じた思考を現実へと引き戻してゆく。

予定通りならば、あと1時間もない。身の回りの装備の点検、作戦の再確認と、準備しておくことは山ほどある。

 行くか。脱力していた両脚に力を入れて、カルロスはパイプ椅子から立ち上がる。ぎし、と椅子から鳴った音は、まるで疲労困憊した体そのものから響いた軋みのようだった。

 

******

《空中管制機デル・ヘミニスより、管制下の全機に告ぐ。スーデントール市内の各攻撃目標は依然健在。爆撃隊は所定の航路を取り、目標αを攻撃せよ。直掩隊、ならびに支援攻撃隊は空陸の脅威を排除し、爆撃隊を支援せよ。》

 

 『デル・タウロ』の聞きなれた声とは趣の異なる、耳が痒くなるような低い声が通信機から流れ込む。姿見えない『ふたご座』の、声という名の見えない手綱。それに操られるように、直掩に就いていたオーシアのF/A-18C『ホーネット』が巧みに機位を変え、爆撃隊の頭上を守る位置へとその翼を翻していった。

 

 疲労の抜けきらない頭と体に、容赦ない初夏の陽光がさんさんと降り注ぐ。ちらりと腕時計を見やれば、2本の針は14時と30分過ぎ、最も暑くなる時間帯を指していた。 もっとも、上空を飛ぶうえ、疲労の溜まりきったカルロスの頭に、『今日は暑くなりそうだ』などと余計な感慨は最早思い浮かぶ余裕も無い。頭上を過ぎた大きな影を束の間見上げたその目の色は、絶え間ない緊張と疲労の末に歩み至った、無心の境地と言えなくもないものだった。

 

《ニムロッド各機、高度を下げて先行する。増槽を投棄》

 

 アンドリュー隊長の指揮を受け、スロットルを倒しながら頭上の大きな影――オーシア空軍のB-52H『ストラトスフォートレス』の下方へと抜けてゆく。下がってゆく高度計の目盛りとともに、頭上を徐々に離れてゆく6機のB-52Hと8機のF/A-18C/D。それを尻目に、ニムロッド隊の4機と、同様の任務を帯びた一連の編隊が速度を上げていった。

 

 同様の任務――すなわち、管制機の通信にもあった『支援攻撃』。それが、本作戦でニムロッド隊らサピン軍機に課せられた任務だった。

 籠城の場に選ばれただけのことはあり、縦横に走る水路や背後に聳える山という地形を活かしたスーデントール市の対空防衛網は相当に強固である。これを崩すのは本来対地攻撃機の役割だが、現在はその多くがバルトライヒ山脈のベルカ主力軍攻撃に回され、十分な量が確保できていない状況にあった。殊に、最大の対地攻撃機保有国であるオーシア軍はバルトライヒ攻囲軍の主力を担っており、その殆どを自軍主力の支援に使っている。いくら要請を受けても、虎の子とでも言うべき貴重な戦力を殿(しんがり)相手に投入するのはオーシアとしては無理な相談だった。

 そこで建てられた策が『爆装した戦闘機による対地攻撃』であり、比較的マルチロール機の保有数が多いサピン空軍に白羽の矢が立ったのだった。その証左に、『エスクード隊』を始めとした後続するサピンの8機は、いずれもAAM搭載数を減らしてUGB(無誘導爆弾)を多く積んでおり、一目でその役割を帯びていることが判別できる。

 当然、真っ先に蜂の巣に飛び込む役割上、危険は極めて高い役割でもある。出撃前に見た、友人のエスクード2――ニコラスのいかにも嫌そうな顔は、戦闘機乗りたる彼にとっては当然の反応だったのだろう。戦闘機同士でやりあうならいざ知らず、戦闘機が対空砲火に喰われるのは溜まったものではない。

 唯一の救いは、現在も連合軍の第5次攻撃隊が制空戦を継続しており、戦場が乱戦の最中にある点だろうか。ベルカ軍が上空に気を取られている隙を突けば、多少は脅威も減るかもしれない。

 

《スーデントール市上空の友軍へ、こちら第6次攻撃隊、サピン空軍機だ。これより空域に進入する》

《了解した。空域に多数のベルカ軍機展開中。全部灰色をしてやがる、識別に注意しろ》

《了解だ。各機、高度を下げろ。攻撃後は加速して一気に上昇する。遅れるな》

 

 連なる山脈が途切れた先の開けた平地に現れた、幾筋もの煙を上げる大都市の姿。事前情報通り、街中を水路が走る複雑な地形の都市部からは砲煙があちこちから絶え間なく上がり、街を包囲する連合軍を牽制している。その上空では数えきれないほどの戦闘機がいくつも舞っており、飛行機雲と炎が、蒼穹のキャンパスに複雑な幾何学模様を刻んでいた。

 

《上も下もなんつー数だ…。どこ狙います?》

《予定通りだ、水路沿いのミサイル陣地を狙う。エスクード、アルマドゥラ各隊は所定位置へ》

《了解した。…これで、戦争を終わらせる。エスクード各機、続け!》

 

 左右両翼に位置していた両隊のF/A-18Cが機体を傾け、それぞれの目標へと鼻先を向けてゆく。残るニムロッド隊は市外を包囲する友軍の頭上を越え、対空砲の網を潜り抜けながら、砲火の最中へと黒い翼を突入させた。

 左右から曳光弾が軌跡を交差させ、時折振動とともに金属の弾ける音が機体に響く。

 閃光の網に絡めとられ、上空を旋回していたオーシアのF-16Cが炎に包まれ墜ちてゆく。

 まるで生きた心地がしない。まだか、目標は。

 ロックオン警報。後方…いや、前方。上空。

 敵迎撃機の一部がこちらに気づき、こちらを指して急降下してくるのが視界の端に映る。こちらは地を這うような低空、到底回避する余裕はない。

 白煙、ミサイルアラート。

 くそったれ。

 激突警報に悪態をつきながら、スロットルを倒して地面スレスレまで高度を下げる。頭上を掠めた矢が後方に刻んだ爆発炎を振り切って、4つの翼は川上をひた奔った。

 見えた。目標、4基並んだ自走式SAM(地対空ミサイル)。上空を狙っていたのか、空を指す3連の矢はあらぬ方向を向いている。

 

《投下。…目一杯飛ばせ!》

 

 先頭を飛ぶ隊長のMiG-27M『フロッガーJ』から曳光弾が放たれ、かの『アヴェンジャー』と並び称される30㎜ガトリング砲が瞬く間にSAM1基を鉄屑に変えてゆく。一拍遅れての爆発、炎、飛び散る破片。それらを隠れ蓑に、4機は一斉に機首を上げ、同時に全てのUGBを投下した。

 戦果を確認する暇は、無論ない。後背に迫る弾雨から逃れるべく、カルロスは計器盤を操作してMiG-23の特徴である可変翼を最大まで畳んだ。

 主翼展張時の安定性と、最大角時の高加速力。相反する特性を併せ持つ強みを生かし、4機のフロッガーは瞬く間に高度を稼いで、上空で弧を描き反転。その下方には、黒煙に包まれて燃えるSAMと、先程上空から襲い掛かって来た迎撃機の姿が見えた。

 

《目標撃破を確認。…なるほど、確かに敵機の塗装が妙だな》

「あれは…。『灰色』って、そういう事か。」

 

 爆撃の戦果へ眼を走らせるも一瞬、機首を上げて上昇してゆく迎撃機――MiG-21『フィッシュベッド』の姿を見て、カルロスは納得とともに口にした。

 そう、攻撃に入る前、友軍の通信では確か『全部灰色をしてやがる』と言っていた。聞いた時点では意味が分からなかったのだが、攻撃直前のタイミングでは余計なことを考える余裕がなかったのだ。それが、敵機の姿を見て合点が入った。

 その敵機は、ベルカの国籍マークを描いた他は誇張無しに灰色一色だった。それも1機や2機ではなく、空域を飛ぶほとんどのベルカ軍機が同様の姿である。機種はともかく、その塗装パターンはオーシア軍のものと酷似しており、先に『識別に注意しろ』と言われたのも納得だった。

 

《なるほどな…塗装する暇すらないってか。よく見りゃ飛んでるのは旧式ばっかだ。》

《ちぇ。強いのがいるかと期待したのに、これじゃ期待外れだ。帰りたーいー。》

 

 カークス軍曹の通信に、カルロスも釣られて周囲を見回す。言われてみれば、空域を舞っているベルカ軍機はMiG-21『フィッシュベッド』やSu-15『フラゴン』が多数を占めており、主力とも言うべきMiG-29『ファルクラム』やSu-27『フランカー』の姿は殆ど見られない。多様な機種を有するベルカ軍の特徴を踏まえると、異様な光景だった。

 

******

 

 以下、余談とはなるが――。

 19世紀から20世紀にかけて全世界的に起こった産業革命の中でも、ベルカ公国はオーシア、ユークトバニア両大国と並んで技術発展が著しい国だった。特に航空機技術の発展に従い空軍中心へと戦略の転換が起こると、後発の諸外国においても空軍が設立され始め、国際的に航空機の需要が増加。この潮流を受けて、ベルカは各国の需要に応じた多彩な機種を生産・輸入する方針を取り、各航空メーカーの工廠を積極的に誘致することとなる。 必然的に、国内における稼働試験やコスト低減の必要性から、ベルカ軍の装備機もこれら各メーカーの機体や余剰パーツを利用することとなった。

 結果、ベルカはオーシア・ユークトバニア両国に比肩する兵器輸出大国となり、同時に国内においても多彩な機種を有するという、他国と一線を画する『少数多機種』とでも表現すべき特徴を持つに至ったのであった。事実、ベルカの友好国であるエストバキア連邦やカルガ共和国、レサス共和国などで使われる兵器の大半はベルカ製とも言われており、ベルカの航空産業は大いに発展した。

 

 だが、各メーカーの部品規格が異なる以上、多様な機種を採用することは整備性・生産性の悪化に直結する。ベルカにおいては航空産業勃興の初期から生産工程の簡略化や部品数削減が研究されており、また国内向け・輸出向けに各機種で多くのパーツを生産していたため、平時では整備性の悪化にそこまで頭を悩ませることは無かった。

 ところが、パーツ需要が増し、整備頻度も急増する戦時では話が違ってくる。特に国内に侵攻され補給が滞るようになると、劣悪な整備性による稼働率の低下は致命的な問題となっていった。

 ここスーデントールでも直面したその問題に対し、市の兵器生産を一手に担う南ベルカ国営兵器産業廠は、生産する機種を大幅に限定することで対応を図った。しかも生産ラインの殆どを部品数が少ないMiG-21や、エンジンが共通であるSu-15といった機種の簡易量産型に限定した上で、塗装すら省略して次々とロールアウトさせていくという、生産性を徹底したものだった。

 これまでが嘘のように少数に統一された機種、そして灰色一色の姿。カルロス達が直面した事態には、このような背景があったのだ。――無論、ベルカの歴史や軍制に知悉していないカルロスには、到底思い至るものでは無かったが。

 

******

 

《こちらエスクード隊、爆撃完了。目標の沈黙を確認した》

《アルマドゥラ隊、同じくだ。》

《デル・ヘミニスより各機、了解した。引き続き制空戦闘に移行し、爆撃隊到達まで制空権の確保に努めよ》

 

 支援攻撃を行っていた各隊から続けざまに通信が入り、地上から立ち上るいくつもの黒煙がその成功を無言の内に伝える。至る所に散る鉄屑に、崩れた建物と川岸から上がる火の手。高度2000フィートから見下ろしたベルカ最大の工業都市の姿は、ベルカという国そのものの断末魔にも見えた。

 

《了解した。ニムロッド各機、自由戦闘を許可。低空は対空砲が健在だ、無理はするな》

《あーい》

《了解しました。ニムロッド3散開》

「ニムロッド4、こちらも散開します。」

 

 明朝からの波状攻撃で乱戦となって長いためか、上空から見下ろす限り、ひと塊となって編隊行動を取っている敵機は少ない。機数と性能の利を活かせる自由戦闘を下命した隊長がいち早く機体を降下させ、フィオンやカークス軍曹もそれぞれ見定めた敵機向けて翼を翻らせてゆく。

 さて、自分はどうするか。増槽とUGBを装備していた関係上、現在残っているのは2連装ミサイルレールに装備したAAM(空対空ミサイル)が両翼1組、計4発。空域に展開する敵機の数を考えると無駄撃ちは許されず、慎重に目標を決めなければならない。

 僚機の3人が早くもそれぞれの目標に襲い掛かる様を見下ろしながら、カルロスは焦りの滲んだ瞳を懸命に地場へと向ける。だが、敵味方が入り乱れる戦場は一瞬ごとに様相を変え続け、はぐれた蝙蝠(ニムロッド)1羽が潜り込む隙など容易に与えてはくれない。

 そんな時、だった。煙と弾幕の間を縫って、見知った姿と声が眼下から飛び込んで来たのは。

 

《こちらエスクード2、誰か後ろの奴を追い払ってくれ。振り切れない!》

 

 通信越しに焦りを伝える、エスクード2――ニコラスの声。声の主を探して走った目は、先程爆撃したSAM陣地の上空を逃げ惑う1機のF/A-18Cと、その背に追いすがる2機のSu-15の姿を捉えた。本来機動性では『ホーネット』に分がある筈だが、その機体特性上低空における加速力は悪く、機動も制限される。速度性能に勝る2機相手では、一刻の猶予も無かった。

 迷っている暇すら惜しい。瞳を2機の『フラゴン』に据えたまま、カルロスはスロットルを左に倒し、同時に翼を畳んで一挙に加速をかけた。

 

「こちらニムロッド4、エスクード2の支援に入る!もう少し待ってろ!」

《…ニムロッド4、悪いな!…チッ、いい腕してやがるっ…!》

 

 距離1500、至近から放たれたAAMをすんでの所で躱したホーネットに、いくつもの機銃弾が吸い込まれる。通信回線に混じった舌打ちに、金属が穿たれる嫌な音が響いた。

 接敵は敵機の斜め後方、照準器の真ん中に切り欠き三角翼の機影を収めながら、主翼の角度を中間位置へと操作する。同じ可変翼機でも、主翼角を自動で補正してくれるF-14『トムキャット』とは異なり、MiG-23シリーズは手動で制御しなければならない。

 距離を詰める中で、主翼操作に意識を向けた一瞬の隙。その間に眼前の敵機は攻撃を中断し、ニコラスのホーネットが加速するにも関わらず、左右それぞれに機体を傾けた。

 

(気づいたな)

 

 AAMの射程から一歩外の間合い。捕捉寸前で察知された不覚に(ほぞ)を噛むも一瞬、カルロスは咄嗟にエンジンを吹かし、衝突の危険も顧みず敵機へ向けて加速をかけた。Su-15の加速には到底追いつけないが、今ならばまだ敵機に速度が乗りきっていない上、低空における機動性は可変翼を持つMiG-23MLDに分がある。

 左旋回に入り、大柄の機体を晒す『フラゴン』、ガンレティクルに捉えられた胴体。距離が1000を割り、『フロッガーK』のセンサーがロックオンを告げた時、カルロスはAAMの、次いで機銃の引き金を押した。

 

「ニムロッド4、FOX2!」

 

 主翼下から放たれたAAMが、『フラゴン』の左後部エンジンに吸い込まれて尾翼と構造物を吹き飛ばす。衝撃でバランスを崩し揺らいだ機体へ、続けざまに放たれた23㎜機銃弾はその背を容赦なく抉り抜いた。

 灰色に穿たれた、いくつもの『黒』。ガンレティクルの中で、それは炎に包まれながら、四散五裂して墜ちていった。

 

《なんだ、『フラゴン』にしては妙に機首が長い奴だったな。…なんにせよ、ありがとよ。借りができたな》

「いいっていいって。お代は上等のホットワイン1杯分って所で」

 

 残る1機の『フラゴン』が、高度を上げて逃げてゆく。追撃が無いことを確認したのだろう、速度を緩めたニコラスのホーネットが横に並び、手振りのジェスチャーをこちらへと向けた。曰く、笑いながらこちらを指さし、次いで中指を立てて『バカヤロウ』、と。ホットワインの冗談に対する回答らしい。…もっとも、農業国として名を馳せるサピンのワインは、高品質で世界に知られている。軒並み食事が美味いサピンのものでも特にカルロスは気に入っており、先にそう言ったのもあながち冗談ばかりではなかったのだが。

 

 一時的に制空戦に参入した連合軍機が増えたためか、上空を舞うベルカ軍機の数は一気に少なくなった。これならば、爆撃隊の到着まであと一押しで済む。こことバルトライヒの戦いさえケリが付けば、ベルカの半分は連合軍の勢力下に入る訳である。様々な苦難ややるせない思いもあったこの戦争も、先が見えるのだ。煙を噴いて駆逐されゆく灰色の機体は、まるでそれを象徴しているようにも思えた。

 

 ――カルロスの頭に浮かんだ楽観的なその予断は、戦況を見えても戦略が見えない者ゆえの『油断』であったのかもしれない。

 



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第17話 スーデントール制空戦(後) -七つの大罪-

 街が、燃えている。

 かつて、ベルカを代表する一大工業都市として知られた、南北ベルカの中心に位置するスーデントール。往時にはいくつもの工場が立ち並び殷賑を極めたその地は、今や無数の爆撃痕が刻まれ、見るも無残な姿と化していた。南ベルカ国営兵器産業廠の向上やそこから直接繋がる滑走路も今や殆どが紅蓮の炎に舐められ始め、滑走路の上で燃える灰色の機体が陰影の中に浮かんでいる。

 

 方や空を仰げば、空を舞っていたベルカの機体は、今や数えるほどしか認めることができない。今もまた目の前で、隊長のMiG-27M『フロッガーJ』に追われたSu-15が1機、6連装30㎜機関砲の斉射を浴びて粉々になっていく。

 灰色が焼け落ちる、終末の姿。空から見下ろすその様は、スーデントールの…否、ベルカの終焉をも象徴しているようだった。

 

 だが、この空に舞う者は、誰一人として知らなかった。本当の終焉は、より激しく、より無慈悲に、より凄惨な形で、直に訪れる事を。

 

《デル・ヘミニスより展開中の各機。方位030より敵機8、高速で接近中。当該部隊の予測進路は爆撃隊の撤退ルートと重なっている。急ぎ迎撃せよ》

《…しまった、こちらエスクード3!『フラゴン』4機、包囲を突破!進路170、デル・ヘミニスへ向かっている!》

《…!クソ、エスクード隊、抜けたフラゴンを追え!ニムロッド隊とアルマドゥラ隊は新顔を迎撃する。各機集合!》

 

 事態が、一気に動いた。傍らのニコラスと目を合わせるも一瞬、カルロスとニコラスは笑みを打ち消して、互いの隊長の下へと翼を翻してゆく。

 増槽と爆弾を捨て、ミサイルのみを懸架したMiG-23MLDの機体は軽い。

 上空、3000フィート。カークス軍曹の左斜め後ろに就き、最後尾を守る位置からカルロスは集結する味方の様子を手早く目に収めた。ニムロッド隊、アルマドゥラ隊のF/A-18Cとも多少の被弾こそあれ、全機健在のようである。

 互いの様子を確かめ終えたのだろう、アルマドゥラ隊は楔形の右辺を、ニムロッド隊は左辺を縁取る形となり、鋼鉄の鏃が北を指してひた走った。

 

《アルマドゥラ1、敵機確認(タリホー)。ミラージュ2000が8機、高度2500。敵針路9時方向、こちらと直角だ》

《了解した、こちらが敵の鼻先を押さえる。アルマドゥラ隊は後方に回り込んで、散った所を仕留めてくれ》

 

 レーダー性能に勝る『ホーネット』を狩るアルマドゥラ隊が、いち早く敵の種類と方位を捕捉する。矢継ぎ早に指示を下す隊長に導かれるように、アルマドゥラ隊の4機は右に機体を傾けて敵の後方へと指向。ニムロッド隊の4機も左へ旋回し、敵編隊の前方へ回り込むべく迂回してゆく。

 キャノピーの外で傾く景色に、畳んだ主翼が空を切る音。連なる4機の最後尾で、カルロスは何かひっかかるものを感じていた。

 

 現在迎撃に向かっているベルカの増援部隊は、スーデントールから見て方位030――すなわち北北西に現れ、そこからまっすぐ西へ向けて飛んでいる。つまり、スーデントール上空には至らないルートを飛んでいるのだ。爆撃隊の進路を塞ぐためとも考えられるが、いくら加速に優れるミラージュ2000とはいえ爆撃そのものの阻止には到底間に合うまい。ならば、彼らの目的は一体何だというのか。

 

《あれだな。各機、正面上方から一撃離脱で編隊を散らす。どうせこの位置じゃ当たらん、ミサイルを無駄に撃つな》

《りょーか……ん?》

「………っ!隊長、あの機体は…!」

 

 翼を翻した先、遥か前方のやや下方に見える、8つの機影。そして、相対距離を見定めるべくそれらへと注いでいた瞳の中に、距離が近づくにつれ明瞭になっていく敵機の姿。見覚えのあるその姿がはっきりと捉えられた時、カルロスは思わず驚愕を口に出していた。

 ミラージュシリーズ特有の三角翼。濃紺の縁取りの他は白一色の塗装パターン。そして胴に刻まれた、黒の『15』。他の7機のうち、3機は同様の色彩で身を染めている。あの姿、あの隊形は、忘れる筈もない。

 

《ヴァイス隊…!》

《チッ、例のエース部隊か!よりによってこんな時によ…!》

 

 隊長とカークス軍曹も認めたらしく、それぞれの呻きにも似た声が通信を揺らす。

 『ヴァイス隊』。戦争の初頭、サピン西部における171号線奪還作戦の際に交戦した、4機のミラージュ2000-5で構成されたエース部隊。圧倒的な技量と徹底した一撃離脱戦術でこちらを翻弄し、小隊を壊滅寸前まで追い込んだその戦闘は、今なお脅威とともにカルロスの記憶に刻まれている。

 いくら努力を積もうと、足元すら見えない『エース』の力。それをまざまざと見せつけた敵と、それもよりによってこんな時に、再びまみえることになるなんて。

 だがその驚愕すら、直後の出来事に対する前段に過ぎなかった。

 

《こちらベルカ空軍第5航空師団第24戦闘飛行隊所属、ヴァイス1。接近中の連合軍機へ、こちらに交戦の意図はありません。道を開けて下さい!》

《…なんだ!?》

「これは混線…じゃない。オープン回線!?一体…!?」

《繰り返します。こちらに交戦の意図無し。道を…》

 

 唐突に通信に割り込む、聞き覚えの無い女の声。あまりにも予想外の事態に、カルロスの頭は一気に混乱の渦に叩き込まれた。

 確かに戦う意図がないのならスーデントールに向かっていない理由にもなるが、それならば目的は一体何なのか。いやそもそも、この女の言葉を信じてよいのか。その声も、言葉遣いも真摯そのものという印象だが、たとえ友軍同士であれ詐略や密約が交わされるのが戦場である。その光景をつい数日前に戦場で見たカルロスにとって容易に信じることはできなかった。

 

 どう、します。混乱と迷いの中で、カルロスは思わずMiG-27Mの背へと目を向けていた。

 隊長の進路は、変わらない。

 相対距離があっという間に縮まってゆく。

 照準の真ん中に白い機影が捉えられる。

 隊長は、まだ動かない。

 これは、まるで攻撃体勢――。

 

《撃て》

「…っ!!」

 

 選択を突きつけられ、判断を委ね――あるいは放棄し硬直していた指。隊長の声に跳ね上がった心は、反射的にその指を動かしていた。

 曳光弾が走る。三角翼の編隊がばらりと崩れて散る。馳せ違ったのち、後方から追いかけて来た声には、焦燥と絶望が滲んでいるように聞こえた。

 

《ま、待って下さい!こちらに攻撃の意図はありません、信じて下さい!攻撃中止を!》

《…こちらサピン空軍第7航空師団第31戦闘飛行隊、ニムロッド1。交戦の意図が無いならば、ただちに引き返せ。その他の行動を取った場合、安全は保障できない》

《………!こんな事をしている場合ではないのに…!》

 

 敵編隊の後方から迂回したアルマドゥラ隊と入れ違いながら、4機は縦方向に旋回し、インメルマンターンで反転する。高度を得て見下ろした遥か先では、白いミラージュ2000-5が反転し、後方から襲い掛かるアルマドゥラ隊へ迎撃の体勢を敷く様が目に入った。残る4機のミラージュは、一気に加速をかけて西へと遁走してゆく。先のヴァイス1の言葉を裏付けるように、交戦はもちろんのこと、喫緊の筈のスーデントールに向かう様子すら全く見られない。

 反転するミラージュから聞こえた、絶望の声。この戦場で『信』を訴えるその声は、なぜかカルロスの耳に強く残っていた。

 

《何の目的か知らんが、今度はやらせん。ニムロッド隊、ツーマンセルで対応する。絶対に頭上を取らせるな》

「……了解!」

 

 いや、余計なことは考えるな。今はただ、やるべきことを。

 隊長の声に背を押され、カルロスは迷いを振り切るように強く操縦桿を握り直した。

 先のヴァイス隊との戦闘が念頭にあるのだろう、隊長が下した命令に従い、隊長とフィオン、カークス軍曹と自分のペアがそれぞれに戦場へと翼を進めてゆく。先は機数で劣った上に頭上を抑えられ成す術がなかったが、今は高度3000フィート以上の高空、おまけに数もこちらが勝っている。機体性能と技量の差を踏まえても、まず五分と言って良かった。

 幸いなことに、インメルマンターン直後のため高度はこちらが勝っている。可変翼を最大まで畳んだ上に重力加速度の助けも借りて、白い機体との距離は見る間に詰まっていった。

 

《アルマドゥラ2被弾!ダメだ、速い!誰か助けてくれ!》

《カルロス、まずはあいつを助ける。『フロッガー』の力、見せつけてやろうぜ!》

「了解!絶対に、仕留めてやります!」

 

 1機のF/A-18Cが追い抜かれざまの機銃掃射に見舞われ、胴体から煙を上げる。カークス軍曹が鼻先を向けた先には、その『ホーネット』を仕留めるべく旋回する、別の『ミラージュ』の姿があった。

 強みの加速性能を活かして一撃離脱に徹する『ミラージュ』に対し、先代のMiG-21bisでは追いつくのも一苦労だった。だが、今の乗機MiG-23MLDならば、MiG-21bisに初速で勝る上、ある程度ならば可変翼を活かして高速戦闘にも対応できる。

 『この前とは違う』。言外にそう語ったカークス軍曹の言葉に、カルロスの決意も重なる。

 その決意を実践するかのように、攻撃体勢に入り僅かに減速した『ミラージュ』の白い背を目がけ、主翼を最大まで畳んだ『フロッガー』はひたすらに加速をかけた。

 

 安定性を欠いた巡航体型で、いつも以上の振動が体を苛む。汗が、血液が後方に引っ張られる、高速戦特有の嫌な感覚。歯を食いしばって懸命に耐えながら、カルロスは加速するカークス機の後方に追いすがった。

 こちらに気づいた『ミラージュ』が、『ホーネット』への追撃を止めて機首を僅かに上げる。回避のために加速を始めたのが、明るみを帯びたエンジンノズルから伺い知れた。

 だが、まだ追いつける。AAMの射程までもう少し、こちらが速度で勝る今なら落とせるかもしれない。カークス軍曹も同じ判断を下したのだろう、依然機体の速度は緩めぬまま、背を向ける白い翼へと肉薄してゆく。

 その時だった。前を行く『フロッガーK』の翼の下にミサイルの点火炎が爆ぜたのとほぼ同時に、遥か先の正面に別の機影が現れた。

 

「…!ニムロッド3、正面!散開(ブレイク)!!」

《…っ!?くそっ!!》

 

 敵。先ほどアルマドゥラ2へ一撃離脱を仕掛けた、別の『ミラージュ』。

 いち早くそう判断したカルロスの声に弾かれるように、前を飛ぶカークス軍曹の『フロッガーK』はフレアをまき散らしながら大きく左へ旋回。その右方をすり抜けて直進するカルロスの真正面には、『ミラージュ』の白い翼がすぐそこまで迫っていた。

 咄嗟に飲み込んだ息。フレアに欺瞞されすぐそばを抜けていくミサイル。稲妻のような轟音と、視界を過る曳光弾。

 ごっ、と耳を殴られたような衝撃音とともに、正面の『ミラージュ』がすぐ左側をすれ違ってゆく。その一瞬、敵機の胴体には黒く『15』と記されているのを、カルロスは確かに見た。

 わずか数秒の間の、鎬を削る反航戦。その一瞬の間にカルロスの『フロッガーK』に刻まれた被弾痕は、その敵機――ヴァイス1の技量を物語っていた。

 

「喰らった!?なんて正確な射撃だ…!」

《カルロス、後ろだ!》

「いっ…!?くそ!」

 

 軍曹の怒鳴り声に、反射的にスロットルを倒したのは利き腕の力を最大限に活かせる左方。左に傾いた視界の下方を、後方斜め下から飛来した機銃弾が奔り抜けてゆく。その光弾が撃ち抜いたのは、先程まで自分がいた機位と寸分違わぬ位置。後方を振りむけば、白い翼の『ミラージュ』が1機、背中にぴったり張り付いていた。

 カークス軍曹が最初に狙った『ミラージュ』。他の敵機の位置を省みるに、思い当るのはそれだった。おそらく、軍曹の放ったミサイルを右旋回で回避した直後に、すぐさま左旋回に入ってこちらの後方に就いたのだろう。

 

 息をつく間もない。

 その表現そのままに一呼吸を入れる暇もなく、カルロスは主翼を一杯まで広げながら、操縦桿を倒して機体を右方向へロール。上下逆さまとなった視界の中で機首を上げ、ロックオン警報を振り切るように右下方への急旋回(スライスバック)機動で回避を目論んだ。

 遠心力で頭から血液が下がってゆく。下腹部を押す圧力と頭痛に、ぎり、と奥歯が鳴る。

 旋回の最中で、ミサイルアラートへと転じる警報音。

 迫る。

 すぐ後方に、殺意を帯びた鉄の鏃が、白い機影が迫る。

 ぼやける意識、廻る視界。

 くそ、諦めて、たまるか。

 フレア、射出。同時に脚を踏ん張り、渾身の力で操縦桿を引き寄せる。

 

 悲鳴のような軋みを上げながら、水平まで機首をもたげる『フロッガーK』。そして火球に吸い寄せられ、間一髪の位置を通り抜けるAAM。その後を追うように、僅かに旋回半径でこちらに劣った『ミラージュ』もまた後方を擦過し、遥か下方へと抜けていく。

振り、切った。

 やっとのことで息を吐き出し、カルロスは空戦域へと戻るべく機首を上げながら、上空を仰ぎ見た。

 

 直後、絶句した。

 先程被弾し離脱したアルマドゥラ2は別として、空域に『ホーネット』は1機しか残っていない。残るニムロッド隊も、2機の『ミラージュ』の前に連携が乱されたのか相対位置が離れてしまっている。

 やはり、この敵は。まざまざとその力量を思い知ったカルロスの眼は、最後に向いた自機の上空で釘付けとなった。

 白い『ミラージュ』に背を取られ、至近距離から機関砲を浴びせられるMiG-23MLD。彼我の位置とこれまでの経過を考えるに、それらが誰なのか、考えるまでも無かった。

 

「…!カークス軍曹!!」

《来るな!!…くそ、やっぱりこいつは…!うおおおおっ!!》

「軍曹ッ!!」

 

 蛇行、加速、急減速。あらゆる機動を以てしても『15番』は軍曹の後ろから離れず、曳光弾がその機体を削ってゆく。

 軍曹の『フロッガーK』の主脚カバーが吹き飛び、機体から白煙が上がり始めた時、カルロスは軍曹の命令をも忘れ、機体を急上昇させていた。

 カークス軍曹は、『ニムロッド』の仲間は、絶対に落とさせない。根無し草の自分にとっての得難い、仲間と呼べる数少ない存在は、絶対に――!

 

 だが、奇妙な事が起こったのはその時だった。

 被弾に耐え兼ね、下方へ旋回して逃れるカークス軍曹を『15番』は追撃せず、その背から離れたのだ。まるで、戦闘能力を失った機体は撃たない、と言うかのように。

 

《…もう、いいでしょう!?この戦闘は無意味です!……早く行かないと間に合わなくなる。ベルカも連合軍も、多くの人が死んでしまうんです!!だから…!!》

「……無意味…!?……くっ、何を今更!!」

 

 なんだ、一体何を言っている。

 頭上から落ちるヴァイス1の声に、思わずカルロスは返していた。

 何が無意味だというのか。アルマドゥラ隊を、アルコ隊を、あのサピンの爆撃隊長を落として来たお前たちが、戦争を引き起こしたベルカが、今更何を言うのか。

 

 それは焦燥か、憤慨か、それとも捌け口を求めた混乱の末だったのか。

 口内に吐き出した思いを湛え、冷静さを欠いたカルロスの瞳は、カークス機を追い越してゆく白い機影をひたと見据えていた。

 白い機体――ヴァイス1の『ミラージュ2000-5』は、そのまま急上昇と急減速を交えて素早く反転。こちらの斜め上方に位置取り、急上昇するこちらに対し真正面から迫り来る。高機動を可能とする優れた機体性能、それを余さず発揮させうる高い技量、そして高Gにも耐えうる恵まれた身体能力。全てを兼ね備えたその戦闘機動には、今さらながら舌を巻く思いだった。…だが。

 ヘッドオン。マッハ2を超える相対速度で、2つの機影が相対し、凄まじい速度で距離を狭めてゆく。

 互いに回避が難しいこの位置取りならば、機体性能の差も技量の差も大きな意味を成さず、単純に攻撃のタイミングだけがその勝敗を分ける。それならば、自分の腕でも可能性はある。刺し違えてでもここで落とせば、ここでの戦闘は終わるのだ。

 

《…止むを得ません、覚悟は決めて来ました。信念の為なら、私はもう躊躇いません。貴方がたを薙ぎ払ってでも、例え同胞を墜としてでも…私は、護るべきものを護る。》

「………!」

 

 信念。

 熱を孕んだカルロスの頭に、文字通り真正面から冷や水を浴びせるような言葉が、まっすぐ耳に届く。

 この人も、信念のために戦う人なのか。それぞれの言葉が意図する意味こそ分からないものの、『護るべきものを護る』という頑なな意思が、その信念ということなのだろうか。

 

 不意に、幾つもの声が、耳朶の奥に蘇る。

 

『俺たちゃ純粋に空を思ってりゃそれで飛べるのさ』

 

 エスパーダ1――アルベルト大尉。

 

『護るものがある男ってのは、やる時はやるもんだ』

 

 ディレクタス奪還作戦支援で命を落とした、サピンの爆撃隊隊長。

 

『空で生き残ってゆくためには、そのような信念といったものが不可欠ということだ』

 

 ウィザード1――ジョシュア大尉。

 それはカルロスの心に刻まれた、信念に生きる人たちの声だった。それと同じ信念を、この眼前の人は確かに持っている。

 ヘッドオン、それは機体性能も技量も関係ない、勝敗を分けるのは攻撃のタイミングのみとなる位置取り。――本当に、そうだろうか?未だ戦う意義も覚悟も備わらない自分が、この人に勝てるのだろうか?

 

『『迷い』は隙を生み、ひいては死に直結する』

《カルロス止めろ!正面から撃ちあうな!!》

 

 頭の中のジョシュア大尉の声と、現実の中の隊長の声が重なる。

 依るべきものを持つ者と持たざる者。その戦いの帰趨を予言する宣告のように、それらの声は耳に響いた。

 

 ほんの一瞬の内省から引き戻される現実。その目の前に、恐ろしい程ゆっくりと――そして鮮やかに、白い機体が映っていた。相対距離1100、AAMの射程まであと一歩。

 敵わない。痛感した思いを抱きながら、それでも機体は上昇してゆく。蒼穹を背にして、斜めに差す陽光を反射する『ミラージュ』の翼は、なぜか惚れ惚れする程に美しい。

 それでも、カルロスは待った。絶望的なその一瞬に放つ、乾坤一擲の瞬間を。

 

 ――だが。その機会は、永遠に訪れることはなかった。

 

「………なっ……!!?」

 

 光。

 空の蒼も、眼前の白も、何もかもを塗り潰すまばゆい光。

 唐突に全ての輪郭が掻き消えたその一瞬、まるで時間の経過さえも消え失せたかのように、カルロスには全てが止まって見えた。

 

 一拍。

 僅かに遅れて、轟音と衝撃が機体を激しく揺さぶる。バランスを失う機体、鳴りやまない警報。視界を遮る閃光に幻惑され、こちらを見失ったらしい『ミラージュ2000-5』がすぐそばをすれ違ってゆく。なんだ、一体何が起こった。突然の出来事に、『フロッガーK』の機体とカルロスの頭が渦を巻くように回転する。

 荒れ狂う空気の奔流と混乱の中、引き上げた操縦桿はいやに重い。安定翼(エルロン)制御、可変翼角の展張位置への固定、フットレバーの操作。風に揺られる木の葉のようにあらゆる方向へと振動する機体を、カルロスはできる限りの手で必死に水平へと立て直してゆく。

どうにか姿勢を保ち、周囲を確かめんと頭を巡らせた矢先。その眼に映ったのは、信じられない光景だった。

 

 西方に生じた、太陽のようなまばゆい光。その遥か先には、まるで傘を広げたキノコのような、禍々しい姿の雲が上がっていた。その数、7つ。黒と赤、死と炎を象徴する忌まわしい色に染まったそれらは、あらゆるものを飲み込むかのように、青空へと上っている。

 

「………っ!?…………あれは…何だ…!?」

《二………ド…機、無事……!?》

《わ………!計器……狂っ……!?》

《………んだ、ありゃ……!?》

《ヴァ……3より………!あれ………か、V1………!》

 

 まるで電子妨害でも受けたように、耳に入る通信は雑音ばかりで明瞭に聞き取れない。そればかりでなく、機体の電子機器も狂ったように出鱈目な数値を指し、レーダーすらもノイズばかりで使い物にならなかった。

 爆炎が上がっているのは、現在ベルカ軍が撤退ルートとしているバルトライヒ山脈の方角に違いない。となると、連合軍による爆撃なのだろうか。それとも、ベルカ側による何らかの作戦なのか。いずれにせよ、立ち上る爆炎の規模は、通常の爆撃の比ではない。この機体と無線の状況といい、明らかに異常な事態だった。

 

《……間…、……な…った……。…………ス隊…機、集…。…退……す。》

 

 明瞭に聞き取れない雑音の奔流の中に、女の声が微かに混じる。それだけで全てを察したのか、4機の『ミラージュ』は迷う事なく斜め下方の一点に集結。未だ編隊を構成できないこちらを気にする素振りすらなく、彼女らが来た東の方へと鼻先を転じ、飛び去っていった。

 絶望し、忌まわしい光に背を向けて、力なく巣へと戻る4羽のカモメ。何故か、カルロスの脳裏に浮かんだのはそんな様だった。

 

《…ル・ヘミ…スより……中の…機に告ぐ!スー……トールのベ…カ軍が総…撃を……し…!目下友…を攻撃、……を突破……ある!急ぎ集結……!!繰り……》

 

 強力な通信設備の恩恵だろうか、唐突に入った比較的ノイズの少ない通信は、空中管制機のものだった。

 単語の羅列から判断し頭を巡らせると、ここから南方――スーデントールの方向に新たな黒煙と炎がいくつも上がっているのが見えた。考えるまでもなく、この混乱に乗じてスーデントールに籠城中のベルカ軍が突破を図っているのは明らかだろう。通信障害で連携が図れない状態では、いくら数で勝る連合軍といえどその帰趨は分からない。包囲され消耗するベルカ軍はこの一瞬を狙い、降伏より乾坤一擲の突破を意図したに違いない。

 最早通信を諦めたのだろう、隊長の『フロッガーJ』が機体を左右に振り、次いで機首を南へと向けてゆく。その意図を察し、ニムロッドの3機と生き残ったアルマドゥラ隊の1機が、その背を追うように翼を翻していった。

 

 遥か西には雲を割いて立ち上る7つのきのこ雲、そして眼前にはいくつもの光と、新たに生じる黒煙の筋。その下で、助かるはずだった命が炎に包まれ消えてゆく。

 心臓を絞られるような、胸に毒が広がっていくような、言葉にできない苦い感覚。目の前で現実に広がるその光景は、割り切るには到底許容できない、大きすぎる『余り』だった。

 

《……狂ってやがるぜ…》

 

 固く奥歯を噛みしめるカルロスの耳朶に、誰かの声が、ぞっとするほど明瞭に響いた。

 




《諸君、ご苦労だった。現在詳細は調査中だが、バルトライヒ方面で生じた爆発はベルカ軍の核兵器によるものと思われる。未確認情報だが、同刻に当該空域で爆撃機を含むベルカ空軍機同士の空戦も確認されており、諸君が交戦したベルカのエース部隊もこの支援、ないし阻止に向けて出撃したものと考えられる。
爆発、ならびにその後の総力戦により、友軍の被害は甚大である。オーシアのウィザード隊を含む多数の部隊の消息も不明となっており、我々の戦力は大きく低下した。今後、情勢がどう動くか分からない。諸君は引き続き即応の体勢で待機していて貰いたい。以上だ》


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第18話 終局の序章

《昨日、国境の都市ルーメンで終戦協定が締結され、多くの犠牲を払った戦争は終わりを告げることとなった。この日を迎えることは、諸君らの勇気と技量なしでは到底成し得なかっただろう。ここに、改めて感謝を述べたい。
――だが、この結果を未だ受け入れない者たちがいるのもまた事実だ。本日未明、ベルカ北端のオークシュミット海軍基地から、終戦に反対するベルカ艦隊が離脱。ベルカ軍穏健派および連合軍の追撃を振り切り、北へと進路を向けている。同時にベルカ各地からも、これに呼応したと思われる多数の航空部隊の北上が確認された。
消えつつある戦争の火を、再び燃え上がらせる訳にはいかない。諸君は直ちに出撃し、離脱するベルカ艦隊への攻撃を敢行せよ。なお、当該艦隊は軽空母2、護衛艦艇8、輸送艦3からなる大規模な機動艦隊である。敵艦載機による攻撃隊への迎撃には十分に注意せよ。以上だ、健闘を祈る。》



 激しい雨がキャノピーを打ち、白い飛沫となって飛んでゆく。

 低く立ち込めた黒雲、嵐のような暴風、そして時折雲間に走る稲妻。小さな機体は絶えず風に翻弄され、雷鳴の度に旧式のレーダーにはノイズが走る。眼下を流れる、人の息遣いすら感じられない灰色の大地と相まって、それはこの世の終わりもかくやと思わせる光景だった。

 

 傭兵稼業とは因果なものである。戦争が終わったというのに、よりにもよってこの大荒れの空の下を、慣れない機体で飛ぶ破目になるとは。

 絶え間ない雨滴の飛散が、前方を注視する目から集中力を奪ってゆく。天候と世界に翻弄される機体の中で、青年――カルロスは疲労の溜まった目を擦りながら、2週間前の『あの日』以来の目まぐるしい動きを思い返していた。

 

 『あの日』――そう、忘れもしない、1995年6月6日。

 南北ベルカの間に横たわるバルトライヒ山脈に、突如として上がった7つの巨大な爆炎。誰もが予想しなかった、ベルカ軍による『自国領土における核攻撃』により、バルトライヒ山脈に対する包囲体勢を敷いていた連合軍は大混乱に陥った。爆発による損害に加え、荒れ狂う電磁波によって一切の通信網が遮断された混乱の中で、バルトライヒ山脈および工業都市スーデントールに籠るベルカ軍は一斉に攻勢を展開。凄惨な総力戦となった一連の戦闘は、結果的に兵力に勝る連合軍が辛うじて勝利を収め、南ベルカ全域を勢力下に置くことになった。

 

 だが、その陰で、互いが払った代償はあまりにも大きすぎた。

 連合軍は、核攻撃およびその後の総力戦で多くの戦力を喪失。就中(なかんづく)、バルトライヒ包囲軍の中核を担っていたオーシア陸軍の損害は著しく、オーシア国内で生じつつあった厭戦気分を一気に蔓延させる結果となった。空軍においてもそれは同様で、ジョシュア大尉を始めとしたオーシアのエース部隊『ウィザード隊』も全員が消息不明となるなど、戦力の消耗はもはや許容範囲を超えていた。

 一方のベルカも、一連の戦争による損害と国民の疲労や不満は極限に達していた。さらに皮肉なことに、友軍の撤退を支援すべく行われた核攻撃はベルカ軍内部における強硬派と穏健派の対立を決定的なものとし、あらゆる面から見ても戦争の継続は困難な状況となりつつあった。

 

 疲弊した各国は、偃武の道を探り始める。

 この間に紆余曲折を経たものの、各国の間で交わされた交渉は、実に2週間を経た6月20日――つまり昨日に実を結び、オーシアとベルカ南郡の国境に位置する都市ルーメンにおいて終戦協定が締結。3か月近くに渡り続いた戦争は、ここに終わりを迎えたのだった。

 

 ――以上が、新聞などにも載ったであろう公式な経緯である。

 では、この2週間、カルロスらニムロッド隊は何をしていたか。

答えは、『何もしなかった』…否、『何もできなかった』。

 その一番の要因は、機体の調達であった。核兵器による電磁波の影響をもろに受け、彼らの乗機の電子機器はみな一様に異常を来し、継続運用は到底困難な状況にあったのだ。

 商売道具たる機体のない傭兵に、できることなどありはしない。電子機器整備のため『フロッガー』を社の工廠に送り、その代替となる機体を調達するのに要した時間。2週間というその空白期間は、彼らにしてみればやむにやまれぬ休業期間だったと言える。

 

 が、この2週間という期間は、ある意味でカルロスにとっては幸運でもあった。

 

 友軍を逃がすという名目の下、数千とも数万ともいわれる自国の民間人を犠牲にして行われた核攻撃。そして制圧下のスーデントールに着陸した際に見た、逃げ遅れた市民の死体の山。それは故郷レサスにおける内戦で、幼い頃から見てきたいくつもの死に重なる、凄惨な光景だった。

 なぜ、戦闘に関わりの無いこの多くの人たちが死なねばならなかったのか。なぜ、味方によって頭上に核兵器を落とされなければならなかったのか。彼らに死を強いたのは、一体なんだ。暴走したベルカの狂気か、欲をかいた連合国の仕様か、それとも人の業そのものなのか。

 

 荒廃の都市の中で抱いた、割り切れないその思い。それに追い打ちをかけたのは、遅ればせに知ったあの日の『ヴァイス隊』の目的だった。

 スーデントール制空戦において、明らかに遅いタイミングで戦場に現れたヴァイス隊。戦場を横切る形で侵入した8機の『ミラージュ』はひたすら西を目指していたが、その方向の先にはバルトライヒ山脈があった。そして、後に知った所によると、その目指す空域をベルカ軍の爆撃機編隊が飛行していたというのだ。折しもこれと同時刻に、ウスティオ空軍機が別のベルカ爆撃機編隊と、それと交戦するベルカ戦闘機部隊を確認している。以上の状況、そして前後の推移と『ヴァイス1』が言っていた言葉。それらを合わせて考えれば、導き出される答えは一つだった。

 『ベルカ強硬派による核攻撃の阻止』――。そう、連合軍との交戦の意図はないことを再三告げていたヴァイス1だったが、その目的は本当に交戦には無かったのだ。

 

 終わってしまった事柄にIf(もし)はない。そして事態の経過を考えるに、ヴァイス隊がベルカ爆撃部隊に追いついたかどうかも疑わしい。

 それでも、『もし』あの時ヴァイス1の言葉を信じて道を開けていたなら、核の悲劇が防げた可能性があったのかもしれない。では敵味方とはいえ、それを結果的に妨げてしまった自分たちは、あの時の戦いは、一体何だったのか。全てを知った時のその愕然とした感情は、今もカルロスの心の底に暗く沈んでいる。

 

 未だ心に渦巻く、答えの見つからないそれらの問い。それでも、この2週間という時間は、幾分でも心を落ち着かせ、事態を整理するのに貴重な時間になった。もしあの日の直後に出撃していれば、きっと今ほど冷静ではなかったに違いない。まだ結果を飲み下したとは言い難いものの、期せずして与えられたこの時間は確かに幸運ではあったのだろう。

 

《空中管制機デル・タウロより作戦参加各機へ。間もなく海上に差し掛かる、警戒を厳にせよ。また、当該空域には低気圧が発生している。飛行には十分に注意せよ》

 

 聞き知った男の声と頭上に光った稲妻が、回想に沈んだ頭を現実へと引き上げてゆく。

 先程より一段と強くなった風雨に、眼下を荒れ狂う暗い白波。時折見える島影はいずれも切り立った断崖で縁取られ、武骨な岩肌を海へと晒している。激しく峻厳なその光景は、まさに北国の海だった。

 

 海――。

 そう、今回は自身が初めて体験する海上での任務である。

 目標は、昨日結ばれた終戦協定に反発し、軍港を離脱したベルカ艦隊。しかも悪いことに、軽空母を擁した大規模な機動部隊なのだという。先の戦争では、空母『ニヨルド』を含むベルカ主力艦隊こそフトゥーロ運河攻防戦で失ったものの、主戦場が陸上だったこともあり、北海艦隊は温存されていたのだろう。それが、作戦を説明したサピンの仕官の分析だった。

 

 ベルカの国土は、概して見れば上辺がやや凹んだ逆三角形型で、当該艦隊はその凹みの部分から北上している。そのため、地理的に考えれば、本来はベルカの左辺と国境を接するオーシアがこの追撃戦の主力となる筈であった。

 ところが、当のオーシア軍はバルトライヒ山脈を巡る戦闘の消耗で依然編成が混乱している上、虎の子の空母『ケストレル』を含む機動部隊も五大湖に駐留していたり、あるいは艤装中だったりと、即応の状態にない。そのため本作戦では、比較的航空戦力の損耗が少なかったウスティオとサピンの連合軍で実施されることになった、ということが背景にある。

 

 攻撃部隊は、しめて18機。

 ここから見て眼下を飛ぶ8つの灰色の機影は、それぞれサピンの『エスクード隊』とウスティオの『ジャベリン隊』が駆るF/A-18C『ホーネット』で、いずれもASM(空対艦ミサイル)を搭載し対艦戦の主力となる。その上空を護るのが、自分たちニムロッド隊の4機と、こちらから見て左翼側に位置するウスティオ空軍『ピッカー隊』のF-16C『ファイティング・ファルコン』4機。この他に、編隊最後尾には電子戦を担当するサピンのトーネードECRが1機付随し、全体の管制を同じくサピンの空中管制機『デル・タウロ』が担当することとなっている。

 対艦攻撃機に加え曲がりなりに電子戦機までそろえた辺り、急場でかき集めたにしては、まずまず十分な戦力といえるだろう。この、今の自分たちの乗機も含め。

 

《この機体の初任務が悪天候たぁついてないぜ…。大丈夫ですかね?》

《まぁ、知らん機体でもない。制空戦に専念する限り問題無いだろう》

 

 カークス軍曹の愚痴に応じたアンドリュー隊長へ、カルロスも無言のまま頷く。見知った機種、慣れない機体。それが、隊長と同様にカルロスが感じた率直な感想だった。

 葉巻型の胴体に切り欠き三角翼、キャノピー後方から尾翼に至るまでの膨らみ、そして胴体後方に噴出口を覗かせる1基のエンジン。その形状は、かつての乗機MiG-21bis『フィッシュベッド』に瓜二つ…否、そのものと評していい程に酷似している。

 それもその筈である。この機体の出自は、皮肉なことに陥落したスーデントールで生産された、ベルカ製MiG-21の簡易量産型であった。ベルカお得意の生産工程短縮技術をフル活用して大量生産されたものの、戦況逼迫により乗り手がいないまま倉庫に放置された機体を、ニムロッド隊の派遣主であるレオナルド&ルーカス安全保障会社が安価で購入したというのがその実態である。

 形式番号J-7Ⅲ。MiG-21と区別するためか、機体にはそう記されていた。どうやらMiG-21bisより1世代旧式のMF型に準拠した型らしく、エンジン出力やレーダー性能が若干低いものの、本社の技術担当曰く運用する分には問題ないとのことだった。

 幸いなことに、旧式とはいえ新品の機体を格安で、それも予備パーツ込みで入手できたのだ。おまけに構造が複雑なMiG-23と比べ整備に要する時間は大幅に短く、整備班長じきじきに『もうこの機体制式採用してくれよ』とのたまう程に運用しやすい利点もある。戦況が未だ不安定なこの状況下で用いるにはうってつけの機体といえるだろう。

 結果的に、現ニムロッド隊は隊長とカークス軍曹、自分の3人がJ-7Ⅲを使い、フィオンはオーバーホールに出していた元々の乗機MiG-21bisに乗るという、やや変則的な体制を取ることになっていた。

 

《デル・タウロより各機へ、敵艦隊を捕捉した。…妙だ、艦隊から4隻が反転、こちらへ進んでいる》

「4隻だけ反転?」

《自らを盾にして、ってヤツか。かー、泣けるねェ》

《敵艦隊上空にも機影確認。…レーダー反応低下、電子戦機が付随している模様。長距離攻撃は困難だ。戦闘機各隊ならびに電子戦機は先行し、上空の脅威を排除せよ》

《了解した、ピッカー隊先行する。しっかり稼がせて貰おうか》

《ニムロッド隊、同じく先行する。各機無理はするな》

 

 管制官の号令の下、一足早く先行したピッカー隊の4機に続き、カルロス達も脚を早めて敵艦隊へと歩を進めてゆく。旧式モデルとはいえ、変則デルタ翼を持つMiG-21シリーズの出足は流石に早い。

 体を圧するGに全身を押されながら、カルロスはまだ電子の眼にすら映らない彼方の敵へと眼と思考を向けた。

 彼我の状況を考えると、反転したという敵艦隊の一部はカークス軍曹の言う通り足止め役ということだろう。上空に展開しているという電子戦機を含めた敵機は艦隊の艦載機か、はたまた支援に飛来した陸上機か。少なくとも電子戦機を早く落とさなければ攻撃隊による対艦戦は覚束ないばかりか、この悪天候では目指す敵本隊をも見失ってしまう。

 この旧式機での、可能な限り迅速な敵機排除。この機体での初陣にしては、難儀な戦いになりそうだった。

 

《敵艦、SAM(艦対空ミサイル)発射!》

「…っ!この距離で!」

《こちら電子戦機『パラガス』。全機構うな、そのまま行け!》

《流石に射程は長いな…。こちらは目が利かないんだ、頼むぞ》

 

 捕捉された。びくり、と反射的に操縦桿を傾けかけた腕を、続けて入った電子戦機の通信が辛うじて押し留める。

 そうだ、航空機より遥かに強力なレーダーを持つ艦艇の方が先制してくるのは、元より承知のこと。だからこそ、この対艦攻撃戦では強力な電子妨害が可能な電子戦機が付随してきたのだ。下手に動いては返って危ない。――信じろ。(パラガス)の名を持つあの機体を。

 すぅ、と大きく息を吸い、下腹に力を入れて一気に吐き出す。肚を落ち着けまっすぐ見据える先には、揺らがぬ僚機の後姿と爆ぜる雨粒、稲光、そしてきらりと光るいくつもの噴射炎が映えた。

 来た。

 音速を遥かに超える相対速度で、幾つもの鏃がこちらを指して飛んで来る。

 動くな。恐れるな。信じて、ただまっすぐに――!

 

 時間にして僅か数秒の、あっという間の接触(コンタクト)。張り詰めた空気を切り裂くように、ごう、と凄まじい音を立ててすれ違ったそれらは、一瞬後には不規則な弧を描いて雲間へ、海へと消えてゆく。

 死が傍らを通り過ぎた時、カルロスは意識せず溜めていた吐息を一気に吐き出した。

 

《………心臓に悪ィ!》

《SAMの回避を確認。…戦闘機各機、第二射来るぞ!》

《これさえ抜ければ敵が視界に入る。各機散開、ドジるなよ!》

 

 冷や汗が乾く間もなく、第二射の報がカルロスの耳朶を打つ。流石は艦艇と言うべきか、発射弾数の割に装填速度は息をつかせぬ程に早い。

 とはいえ、要領は先ほどと同様である。やや機体の間隔を開けつつ降下する最中、遥か前方に発射炎と思しき光を捉えることができたのも、先程より幾分落ち着いていた為だったのだろう。光の位置を見る限り、相対距離は確かに縮まってきていた。

 

 空に上がった光は7、いや8つ。しかしそれらは先ほどより密集している上、進路はやや高く弧を描いており、高度を下げたこちらを明らかに指向していない。これなら、突破は可能な筈だ。

 頭上を越えていくミサイルの群れを仰ぐも一瞬、安堵とともに敵艦隊へと眼を向けるカルロス。だが、その時脳裏に、ふと何か引っかかるものを感じた。

 

 ミサイルのあの高度、あの進路は先ほどまで自分たちが飛んでいた位置である。こちらに電子戦機がいることは先刻承知の筈だが、それならば命中率を上げるべくもっと拡散させて第二射を放つのが普通だろう。それを、何故敢えて同じ位置に、しかも密集させて放ったのか。まるで、目標を見定め、逃がさぬかのように。

 あの位置にいる、目標。――まさか。

 思い当ったカルロスは、愕然とした思いとともに再び視線を持ち上げた。

 ミサイルが頭上を飛び去り、その先を真っ向から飛ぶ『パラガス』へと向かってゆく。当然、ジャミング下では直撃などそうそうするものではない。

 灰色のその翼が、8本の矢と間近ですれ違った、その時。幾つかのミサイルが唐突に炸裂し、『トーネードECR』の角ばった機影を紅い爆炎に呑んでいった。

 

「…っ!『パラガス』が!」

《ヤツら、近接信管を…!ニムロッド1よりパラガス、無事か!?》

《く…!体は無事だが…すまない、ECMシステムがイカれた!こちらに構うな、そのまま行け!》

 

 キャノピーを砕かれボロボロになったトーネードECRから、背を押すような声が上がる。ここまで来て電子防御の喪失は痛い所だが、位置は既に敵艦隊目前、ここまで来ればあとは戦闘機だけでもなんとかなる。

 『すまん』。煙を吐き編隊から落伍していく『パラガス』に呟いて、カルロスは増槽を捨ててからフットレバーを思い切り踏み込んだ。AAM(空対空ミサイル)4発だけを搭載した身軽な機体は、カルロスの手綱に応えるように暴雨を裂いて空を切ってゆく。

 向かう先で、海へと落ちた稲光。光の反射で一瞬光った海面に、4つの船影といくつかの機影が影絵のように浮かび上がった。

 

《ピッカー1、目標視認(タリホー)!艦船4、航空機6!まだ上がってくるぞ!》

《まさか虎の子の軽空母を殿に残すとはな…。ニムロッド各機、妙な色気は出すなよ。》

《りょうかーい。……?何アレ、変わった機体。》

 

 J-7Ⅲより格段に優れたレーダーを積んだピッカー隊のF-16Cが真っ先に敵部隊を捕捉する。暗い海上に浮かぶのは、確かに艦船が4。うち1隻は大型で、巡洋艦らしい船体の左舷から後方にかけて空母のような航空甲板が設けられている。強風、高波という悪天候の中ながら、その甲板上からいくつもの機影が飛び立ちつつあるのは、流石は練度を誇るベルカ海軍だった。一方、既に空に上がっているのは6機。うち2機は軽空母から上がったものと同じ機体のようだが、残る4機は機種が異なるらしい。おそらく、あの4機の中に敵の電子戦機がいるのだろう。

 

 ピッカー隊が敵艦隊向けて直進する後方で、ニムロッド隊の4機は右方へと迂回して二次攻撃を狙うべく空域を俯瞰する。ただでさえ敵のジャミングの影響でロックオン能力が低下している上、雷雨という悪天候である。2隊同時に仕掛けるより、ピッカー隊の先制で敵がばらけた所を近距離から狙うのが効率的。そう、隊長は考えたに違いない。

 敵編隊は左方やや下、その最中を4機のF-16Cが真っ向から侵入し、数多の砲火とともに敵の群れを切り裂いてゆく。それらは上空の6機を散らし、軽空母から発進した直後の1機を焔に包みながら、全速力で敵編隊を抜けていった。

 

《ニムロッド各機、かかれ!》

「了解!」

 

 敵が乱れた一瞬後。ピッカー隊によって生じた隙を突くように、ニムロッドの4機は左へ急旋回し、敵編隊の斜め上から一斉に襲い掛かる。

 暗い空と海面は高度の感覚を著しく麻痺させる。海面に突っ込まないよう降下角を緩めながら、カルロスは敵編隊の機種を懸命に探った。何だ、機種は。どこだ、電子戦機は。

 先頭を切るアンドリュー隊長は、上空掩護と思しきMiG-23目がけて機銃を放っている。2番機のフィオンもそれに続き、早くも直撃弾を浴びせていた。3番機のカークス軍曹はやや下方を飛ぶ別の敵機へ狙いを定めたらしく、そちらへと高速で降下している。――その、先。突進するカークス機を避けようと翼を翻した、その空に不釣合いな大きな機影を、カルロスの眼は見逃さなかった。

 最新の機種とは一線を画する大きな機体と可変翼。角ばった胴体と後方に積んだ2基のエンジン。この戦争で初めて相対したベルカ軍機と重なるその姿は、忘れる筈もない。F-111『アードヴァーク』。…いや――。

 

「…『レイヴン』!あいつが電子戦機か!」

 

 EF-111A『レイヴン』。海軍向け電子戦機のEA-6B『プラウラー』と対となる、搭載力の優れたF-111をベースに改造を施した空軍仕様の電子戦機。あの機体さえ落とせば、この艦隊は攻撃隊の対艦ミサイルで排除できる。

 敵の速度は速くはない。敵機の予想進路へ鼻先を向けながら、カルロスはラダーとエルロンを細かに操作して機位を微調整。徐々に距離を詰めながら、『レイヴン』の大柄な機体を射程内へと追い詰めてゆく。

 距離900、800。ジャミングの影響で誘導性能が低下している以上、もう少し距離を詰めなければ当たらない。760、740、…700。今。

 指に力を入れかけたその刹那、唐突な電子音が耳をつんざいた。

 

「警報!?…くそっ!」

 

 ミサイルアラート。咄嗟にかけた急旋回で傾いた視界の中を、一瞬後に後方から飛来したミサイルが抜け去ってゆく。

 攻撃に専念していた最中の、一瞬の隙。普段の乗機であるMiG-23MLD『フロッガーK』なら、おそらく今の攻撃は回避しきれなかっただろう。速度域を問わない旋回性能は可変翼機たるMiG-23の強みだが、コーナー速度を出した時の小回りと旋回の初動はMiG-21シリーズに分がある。機体の特性と運不運が、生死を分けた瞬間だった。

 

 さて、肝心の攻撃を邪魔してくれた敵の護衛機である。

 横方向への旋回を続けつつ視線を先の位置へと向けると、『レイヴン』を庇うようにその尻を抜けながらこちらに対し巴戦を仕掛ける敵機の姿が、丁度弧円の反対側に見て取れた。上空護衛のMiG-23ともEF-111とも異なるその小さな機体は、おそらく軽空母から上がったV/STOL(垂直離着陸)機。機首からキャノピーまでが詰まった小さな機首はオーシアでもポピュラーな『ハリアー』シリーズに似ているが、やや寸胴なシルエットと中翼配置となった主翼がその差異を際立たせている。

 YaK-38『フォージャー』。記憶の糸からその名を呼び起こしたカルロスだったが、実物を見たのはこれが初めてだった。

 

(…?妙だな。なんであの機体で格闘戦を…?)

 

 横方向への巴戦で徐々に距離を詰めながら、カルロスの脳裏に疑問が過る。

 そもそも、YaK-38は軽襲撃機として開発された機体のはずである。いくら艦隊防衛が今の任務とはいえ、格闘戦能力に優れたJ-7Ⅲにまともに格闘戦を挑んで勝ち目がある訳がない。それを裏付けるかのように、速度、旋回性能ともに劣るYaK-38の背中を、カルロスのJ-7Ⅲは確実に捉えつつあった。それを認めたのか、敵機は観念したように旋回を止め、目の前で機体を水平に戻してゆく。

 

 妙だ。

 その疑問を抱きながらなお機動を続けてしまったことは、偏にカルロスの経験不足によるものだったのだろう。

 

「な……!?」

 

 射程に捉えた。

 その瞬間を狙いすましたかのように、眼前の『フォージャー』は水平を保ったまま急減速し上昇。垂直方向への噴射で、一瞬でこちらの射線を外す荒業をやってのけた。

 しまった。

 鈍重な敵機に油断した後悔を、カルロスは口中に飲み込む。相対距離500、この歴然とした速度差では、確実にオーバーシュート(追い越)し後方に就かれてしまう。一番の手はこの位置から撃墜することだが、こちらは旋回直後で機体が大きく左に傾いており、何より外向きの遠心力もかかっている。ここから水平に戻して機首を上げ、射線に就くのは到底無理だろう。

 最早思考を紡ぐ暇もない、コンマ1秒の一瞬。時が止まったようなその一瞬の中で、カルロスの体を突き動かしたのはパイロットとしての直感だった。

 

「こ・な・く・そぉぉぉぉ!!」

 

 やけくその声をコクピットに響かせながら、カルロスは無我夢中に操縦桿を斜め後方へ引き、同時に補助翼を操作。咄嗟の状況に応じて取ったその行動は、幾度となく叩き込まれて体に染みついた、バレルロールの操作だった。

 遠心力で右ロールができず射線に就けないなら、回転角が大きくとも左ロールで回ればいい。一瞬でそこまで判断してこの機動を行ったかと言えば、それは嘘になるだろう。それは偏に、慣れ親しんだ機動が咄嗟に出ただけに過ぎない。

 それでも、機を得たその機動で、カルロスのJ-7Ⅲはやや上げた機首を軸に左方向へ回転しながら、水平に対し270°を指した辺りで揚力を得て急上昇。振動の収まらない照準器の中に目一杯に広がったYaK-38の胴体目がけ、カルロスは歯を食いしばりながら引き金を引いた。

 曳光弾、『フォージャー』の噴射炎、瞬く間に眼下に消え後方に流れていくその機影。

後方からの追撃は…ない。機体を傾けて後方を振り返ると、片側の水平尾翼を失った『フォージャー』が、尾部から炎を上げて海面へと墜ちてゆく姿が目に入った。

 

「な、なんとかなった、か…。ニムロッド4、1キル!」

《こちらピッカー2、こっちも『フォージャー』を殺った!もう一息だ!》

《デル・タウロより各機、急ぎ電子戦機を撃墜せよ。敵本隊が作戦海域から離脱しつつある》

 

 ここにきてMiG-21の血を継ぐJ-7Ⅲの性能に助けられるとは、いよいよもって腐れ縁である。主の無茶な機動に抗議するかのように機体を軋ませたJ-7Ⅲを旋回させながら、カルロスは戦闘空域を仰ぎ見た。

 一度通過したピッカー隊が反転し、再突撃とともに2機の『フォージャー』が炎を上げて墜ちていく。後から上がった敵機を加えても、空域に残る敵機はあと4機を数えるばかりだった。だが、管制官の通信の通り、こちらももう余裕はない。

 

 早くケリをつけるために、こちらも上空に参加しよう。そう判断したカルロスは、出撃直後の艦載機を狙って下降するピッカー4と入れ違いながら機首を上げる。

 その彼の眼下で、異変は起こった。

 

《メイデイメイデイ!ピッカー4、落ちる!》

《なんだ、SAMにやられたか?》

「…!違う、敵の艦載機だ!……うわっ!?」

 

 高度を下げていたピッカー4のF-16Cが、突然炎に包まれて墜ちていく。その周囲を舞っていた、軽空母から最後に飛び立ったらしい2機の機影は、今度は急上昇しながらこちらを指して突進してきた。

 機銃、ミサイル1発。被弾音で軋む機体を右下方へと旋回させ、カルロスは辛うじて敵機からの射撃を凌ぐ。その凄まじい上昇速度は通常の戦闘機と大差無く、先程のYaK-38とは似ても似つかない。

 目標は電子戦機の護衛らしく、こちらを無視して急上昇してゆく2機。雷雲を背景に浮かび上がるその機影を、カルロスはしばし目で追った。

 機首の形状はYaK-38に似ているが、全体的なシルエットはより鋭く空力的に洗練されている。機首横のエアインテーク部はどこかF-15を思わせるが、何より特徴的な二股に分かれた機体後部の形状が、あらゆる機体と異なるシルエットを形作っていた。

 

《なんだ、新手!?…くそ、喰らった!脱出する!》

《…!YaK-141か!厄介な機体がいるな。中身も手練れらしい》

《へー、いるじゃん、活きの良いのが!》

 

 明らかに嬉しそうな声を上げるフィオンは別として、2機の乱入により動揺したのだろう、上空に展開していた連合軍機が一挙に統制を乱されてゆく。敵の姿を認めたらしいアンドリュー隊長から、その敵の形式番号と思しき名がカルロスの耳にも届いた。

 

 YaK-141、コードネーム『フリースタイル』。YaK-38の後継機として開発されたV/STOL機であり、強力なエンジンとレーダーを備えた試作超音速戦闘機である。機体性能や搭載能力が大きく制限される垂直離着陸機でありながらその性能はMiG-29『ファルクラム』に比肩するとも言われており、量産されればベルカ海軍の主力を担う筈であった。

 もっとも、海軍の空母運用方針が変わったため、結局この機体は日の目を見ることなく、試作機の完成を以て闇に消える運命だった。本来配備される筈のなかったこの機体を2機も有していることも、このベルカ艦隊の離反が軍中枢にも根を張っていることの証左にもなると言えるだろう。それほどまでに、一部のベルカ軍人の怨嗟は根深い。

 ――もっとも、以上のことは、戦場にいるカルロスは知る由もない事である。

 

 ともあれ、早く電子戦機を落とさなければ本命を逃がしてしまう。

 エンジン出力上昇、被弾はあったものの致命的ではない。ミサイルも機銃もまだ十分、継戦能力は十分にある。頼むぞ、J-7Ⅲ(灰色)。もうひと踏ん張りだ。

 操縦桿を引き、機首を上げてゆく。翼端を黒く染めた灰色の機体が、『フリースタイル』2機にかき回される戦場の最中へと突入していった。

 

《こちらデル・タウロ、電子戦機はまだか!?敵はもうこちらの索敵範囲の限界だ!》

《やっかましい!こちとら必死にやってんだ!》

《……っ!コイツ、ノロマなV/STOLの癖して…ッ!》

 

 高度2300。空戦域からやや高い位置で機体を立て直し、カルロスは上方から空域を見下ろした。

 敵機のうち、1機のYaK-141の背中を捉えようとその背に張り付いているMiG-21bisはフィオンだろう。YaK-141は独特の機構を活かし、加減速はおろか急転換や滞空までも自在にこなして、迫るフィオンを翻弄している。戦闘技量では小隊でも随一のフィオンが、あそこまでいらつく様子を見るのは初めてだった。

 肝心のEF-111の方はといえば、その背を狙う友軍機をYaK-38やYaK-141が牽制しては引き剥がし、容易に射線に辿り着かせない。少ない機体でなお、護衛対象を護るあの布陣。それを布いたのがあのYaK-141だと考えればいよいよもって手ごわい相手である。

 

《もう時間が無い。フィオン、なんとかあと1分そいつを押さえてろ。残り全員で電子戦機を狙う!》

《りょうかーい。むしろ邪魔しないで下さいね》

《上等だ。ニムロッド隊、先行して敵の護衛を引き剥がす。ピッカー隊は全機で隙を突いてくれ》

《それしかないな…了解だ、獲物は貰うぜ》

《よし、全機行くぞ。ニムロッド3、4、いいな!》

「大丈夫です、行きます!」

《おうよ、これで決めてやりましょうぜ!》

 

 機数で勝るものの、時間が足りない。ならば、取るべき手は戦力を集中させての一斉攻撃しかない。

 隊長の指揮の下、J-7Ⅲはそれぞれの目標へ向けて、一直線に加速を開始した。

 度重なる交戦で敵の数は減り、もはやEF-111に就く護衛はYaK-38とYaK-141が1機ずつのみ。本命は後続のピッカー隊に任せ、カルロスはアンドリュー隊長の背に就いて、YaK-141へと狙いを定めた。

 逃げ惑う『レイヴン』。その背を護るようにYaK-38が素早く反転して進路を塞ぎ、YaK-141は左上へ旋回しながらこちらへと鼻先を向ける。垂直方向への噴射も併用したのか、その反転速度は通常機では不可能なほどに早い。

 アンドリュー隊長機、IR誘導式AAM発射(FOX2)。やや右方ではカークス軍曹が同時にYaK-38へ向け機銃を放っているのが見える。

 敵機、垂直上昇、機首転換。空を切るミサイルを巧みに回避し、機銃で隊長に応戦している。

 擦過、被弾。目の前で、隊長のJ-7Ⅲから破片が零れる。

 だが、敵の眼はこれで逸れた。距離600、隊長の機体の影をすり抜けて、J-7Ⅲを肉薄させる。

 ガンレティクルからはみ出るYaK-141、国籍マークすらはっきり見える距離。これなら外しようがない。

 もらっ――。

 

「…っ!?消えたっ!?」

 

 だが、敵の技量はこちらの腕前と予測を遥かに上回った。AAMを放とうとした直前、敵機は失速覚悟で機首を垂直に引き上げたのだ。

 直後に機体の下から放たれたミサイルは、失速し落ちてゆく敵機の鼻先を擦過。それだけに留まらず、鼻先を空に向けたまま落ちていくYaK-141から30㎜弾が放たれ、目の前を通過してゆくカルロス機の主翼に風穴を開けしめたのだ。攻防一体の凄まじいその機動は、咄嗟に行った挙動とはとても思えない。

 

「なんて奴だ…!…そうだ、敵は!?」

《っしゃあ、命中!ピッカー隊、道はがら空きだ!》

《ナイスファイトだ、こちらピッカー1、後は任せろ!》

 

 なんとか射線から逃れ、旋回して仰ぎ見た後方、そこには、カークス軍曹の攻撃で煙を噴いたYaK-38と、その隙を突いてEF-111へと向かうF-16C3機の姿があった。軍曹の言う通り、EF-111への道を塞ぐものは何もない…筈、だった。

 

「…えっ…!?」

 

 そこから先は、一瞬だった。

 YaK-38の傍をすり抜け、一斉にAAMを放ったピッカー隊。まっすぐにEF-111へと飛来してゆくミサイル。

 そして、煙に包まれながらも機体を垂直に上昇させ、1機のF-16Cの前に文字通り立ち塞がったYaK-38。それは死力を尽くしたと表現するのもおろかな、命に代えて仲間を守らんとする文字通り必死の抵抗に見えた。

 衝突、命中、そして爆発。

 一瞬にして空に爆ぜた3つの爆炎は、雷雲を束の間照らし、あっという間に消えていった。

 

《ピッカー1が敵と衝突した!》

《なんて奴らだ…イカれてやがる。……デル・タウロ、聞こえるか!電子戦機を排除した、早く叩き込め!》

《了解した。攻撃隊各機、銛を放て!》

 

 電子戦機による電子的防御の喪失。この時点で、戦術的に勝敗は決したと言っていい。いかに優れた迎撃能力とレーダー設備を持つ駆逐艦がいるとはいえ、8機もの攻撃機から殺到する対艦ミサイルを防ぐ術など、もはやベルカ艦隊にあろうはずはなかった。

 敵艦隊から上がる、機銃やミサイルの雨。水面近くで爆ぜる爆発。それらを割くように殺到する大型のミサイルが、駆逐艦を、巡洋艦を、そして基幹たる軽空母をも貫き、炎の海に飲み込んでゆく。激しい雨風ですら掻き消せない誘爆の業火の中で、4隻の艦は黒と赤に染まっていった。

 その時だった。

 

《――『ネルトゥス』よりベルカ全艦艇へ。我々は、ここまでのようだ。…だが、輝かしい真のベルカ再興という理想ある限り、我らの魂は生き続ける。同志よ、そして時に利無く雌伏するベルカ将兵よ。我らの屍を越えて、真のベルカの為戦ってくれ。………我ら、栄光のベルカと共に――》

 

 雷鳴が雲間に轟いた瞬間、電磁波の影響か、雑音とともに耳に届いた混線。壮年らしい男の声は、怨嗟と絶望を滲ませながら、それでも切々と、語るように紡がれていた。

 

 一瞬後、艦橋の辺りを包む爆発が上がり、理想を語る声が紅蓮の炎に呑まれて絶える。

 波間に揺れる、墓標のような4つの炎。生き残った2機のYaK-141は、その上空をまるで弔うように旋回し、それは3周を数えた。

 それは、ベルカにおける弔いの習いだったのか。3周を終えたその時、2機は同時に急降下。彼らの命の標たるレーダー反応は、あっという間に波に呑まれ、消えていった。

 誰も予期することも、まして制止することも叶わない。それはあまりにも潔く、あまりにも激し過ぎる自裁だった。

 

「なっ…!?」

 

 真のベルカの再興。そんな夢物語のようなことのために、彼らは戦い死んだのか。戦いに破れた絶望の中で生まれた恨みと妄執が、その夢想じみた理想だというのか。…いや、理想や信念とは、そもそも何なのだろう。

 

《本隊の行方を眩ますため、自決しやがったか…。………イカれてやがるぜ…。》

《………。役目は終わった。各機、帰投するぞ。》

 

 命色の炎の塔が、暗い波へと消えてゆく。

 この戦争が残したのは何だったのか。理想とは。希望とは。力を与え、同時に命を奪う『信念』とは、一体何なのか。また一つ、心の中に問いが重なってゆくのを、カルロスは禁じ得なかった。

 

 全てを飲み込んだ黒い海は何も答えず、相変わらず峻厳な面持ちで、空飛ぶ生者を見上げていた――。

 




《全機、ご苦労だった。捜索隊の情報によると、本作戦で撃沈したのは軽空母『ネルトゥス』、巡洋艦『ヴィントデーゲン』、駆逐艦『シュネー・トライベン』ならびに『ハーゲル』と確認された。ベルカ離反艦隊の戦力を削る大戦果だが、一方で悪天候とジャミングの影響で敵本隊は見失ってしまい、早急な事態解決には至っていない。目下敵艦隊の行方は捜索中である。諸君には、引き続き討伐作戦の主力を担って貰う。今後、一層奮闘されたい。以上だ、解散。》


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第19話 Operation Ground-Bait

《先日取り逃がした、ベルカ離反艦隊の行方が判明した。ベルカ北端のオークシュミットから、北北西178㎞の海上に位置するシュヴィル・ロン島に、ベルカ軍残党が拠る基地が存在する。連中はその基地に籠り徹底抗戦をする構えらしい。
 だが、オーシア領海と接するシュヴィル・ロン基地は複雑な地形や山肌を利用して高度に要塞化されており、先だって派遣した爆撃部隊は対空兵器と迎撃機によって壊滅的な打撃を蒙った。現在はオーシア艦隊による巡航ミサイル攻撃を実施しているものの、レーダー連動迎撃システムや地形に阻まれ、有効な打撃を与えられないでいる。
 以上の状況を危惧した連合軍上層部は、シュヴィル・ロン基地攻略を主目的とする『フィッシング・ポンド』作戦を発動。その前段として、諸君にはSEAD(敵防空網制圧)任務に就いて貰う。敵のレーダーに反応しない超低空から侵入し、シュヴィル・ロン要塞内の地形、各施設ならびに対空兵器の配置を記録。同時に、可能な限りレーダーおよび対空兵器を破壊せよ。
 海上からの低空侵入、ならびに敵基地上空での戦闘と困難な状況が予想されることから、本作戦出撃部隊は精鋭の傭兵部隊で編制される。諸君には、精鋭の名に恥じぬ戦いを期待する。以上だ、出撃せよ》



 眼下を流れる黒い水面が、灰色の翼を抱きとめるように白波の腕を広げている。

 

 『冷たい海流と豊富な植物プランクトンが営む、北海有数の漁場』。この戦争に派遣される前、オーシアで読んだ旅行ガイドブックには、眼下の海はそう紹介してあった。なんでも、オーシア大陸の大陸棚上に位置するベルカ沖はサーモンやニシン、カキなどの魚介類で名を馳せる有数の産地であり、シーズンともなれば無数の漁船が昼夜漁に勤しむ光景が見られるのだという。

 オーシアの艦艇を警戒するため戦争中は漁業が制限されていたようだが、終戦から1か月半を経た今は規制も緩和されつつあるらしい。今日海上に出てからだけでも、既に3回漁船団の上を飛び、泡を喰った船員たちの顔を眼下に見た所だった。

 

 1か月半前にこの辺りを飛んだ時は激しい雷雨の中だったが、今日の空は雲こそ低いものの、打って変わって穏やかに凪いでいる。その空の下はといえば、風にたゆたい静かに揺れる、夜明け直後の曙光に染まった静かな水面。4隻の艦が沈み、多くの命と鉄屑を飲み込んだことすら忘れたかのように、海は常と変わらぬ表情を浮かべていた。

 

《いい海だぜまったく。仕事が無い時だったらレジャーに来たいくらいだねぇ》

《カークス、自分がレジャーされる側になりたくなければ静かにしろ。戦跡観光は人気なんだからな》

 

 眼下の光景を見て思わず口にしてしまったのか、カークス軍曹の呟きが無線に混じる。その上から被せられた隊長の声に、『ヤベッ』と声が重なったきり無線は沈黙してしまったが、声には出さねどカルロスも同感だった。穏やかな空、深い海色、そしてキャノピーの中にまでしみ込んできそうな潮の香り。斜めに差す朝日と相まって、その光景は戦場に似つかわしくないほど清々しい。

 故郷レサスにも海は確かにあるが、内陸出身のカルロスにとって海に対する馴染みは少ない。あまつさえ内乱の続くレサスでは、レジャーなどの娯楽のゆとりなどあろうはずもなく、それだけに海に対する憧憬は少なからざるものがあった。

 

 もっとも隊長の言う通り、今がそんな場合でないことは十分に分かっている。今こうして目指す先は、魚群でもなければ戦跡でもなく、平穏を脅かす生きた脅威――終戦後もなお抵抗を続ける、ベルカ残党なのだから。

 

 この現状には、少々説明を要する。事の起こりは終戦の翌日、6月21日に反旗を翻したベルカ艦隊の追撃戦においてである。

 緊急の報に際し、連合軍はカルロスらニムロッド隊を含む攻撃部隊を派遣し、逃走する敵艦隊の戦力を減らすことに成功した。しかし、ベルカ艦隊の必死の抵抗と悪天候に見舞われ、結果的に艦隊の2/3を見失うことにもなったのだ。戦術的には勝利を収めたものの、早期に決着を図るという戦略的目標に関しては、連合軍は敗北したといっていい。

 

 3週間にも及ぶ徹底的な索敵と情報収集を行った結果、逃げ延びたベルカ艦隊は、ベルカ北方で依然抵抗を続けるシュヴィル・ロン島の要塞に逃げ込んでいることが判明した。規模はさして大きくない基地であるものの、本土の目と鼻の先に機動艦隊が存在することの脅威は計り知れない。終戦から間もないこの時期にはベルカ国内で燻る反連合意識も強く、連合軍は速戦即決の方針の下、オーシア軍を中心とした爆撃部隊を派遣した。

 だが、それは拙速に過ぎた作戦だった。ベルカ側に侵攻ルートを読まれた連合軍は、進撃途上で強力な迎撃に遭い、戦力の多くを損失。迎撃を突破し爆撃を敢行した部隊もSAM(地対空ミサイル)による迎撃で少なからぬ被害を受け、ほうほうの体で攻撃を中断する他無かったのだ。

 

 ベルカ軍、未だ強し。

 戦果を誇示し、そう声高らかに発信するシュヴィル・ロン基地に、ベルカ内外で燻っていた残党がどれだけ奮い立ったかは想像に難くない。当然の帰結として、機を得た反乱の火は、春の芽のように各地に立ち広がっていった。爆撃作戦から今に至るまでの3週間という空白は、連合軍がその火消しに要した期間だったという訳である。

 が、東洋の諺に、禍福は糾える縄のごとしともいう。終戦後間もなかったこともあり、各地のベルカ残党勢力は糾合が進んでおらず、小規模に群がり立った各軍は各個に撃破される憂き目に遭った。結果、鎮圧に時間を要したものの、戦火はほとんど拡大しないままに終息。シュヴィル・ロンは戦力的にも地理的にも、まさに絶海と化した。皮肉なことに、大戦果を喧伝しすぎたことが、彼らの孤立を早めたのである。

 

 これを機に連合軍はシュヴィル・ロン攻略の方針を転換し、搦手を用いた持久戦の策を立てた。すなわちシュヴィル・ロン島近海にオーシア艦隊を配し水上輸送路を封鎖することを第一、次いで海上からの巡航ミサイル攻撃で敵戦力を漸減することを第二とし、脅威が低下した所で総攻撃を実施するというもので、この一連の作戦をOperation Fishing-Pond(釣り堀)とした。

 

 だが、この作戦は第二段階で躓いた。

 シュヴィル・ロン島は概観すれば、やや各辺が短いずんぐりとしたFの字のような形状をしている。Fの左上に当たる部分には司令部施設を擁すると見られる山が、長辺に当たる部分には滑走路が存在しているのだが、ミサイル攻撃の一部が山に阻まれる上、島内に設置されたレーダーと迎撃兵器により有効な打撃を与え切れずにいたのだ。滑走路にこそダメージを与えたものの、勝負を決する有効打を与えられない以上、時間だけが徒に過ぎていくのは目に見えている。

 そこで、連合軍首脳部は補助作戦としてOperation Ground-Bait(撒き餌)を立案。航空機を低空から侵入させて島内の偵察を行うとともに要所のレーダーや迎撃兵器を叩き、しかる後にミサイル攻撃を再開することとした。もっとも、先の戦闘でベルカ残党がV/STOL機を擁していることは判明しており、滑走路が概ね破壊されているとはいっても相当の迎撃が予想される。そのため、本作戦ではこちらの攻撃開始に先んじてオーシア海軍が西方で陽動を行い、ベルカ迎撃機を引き付ける手筈となっていた。

 カルロス達は、今まさにこの作戦の最中という訳である。

 

 高度500フィート、今日の波は穏やかとはいえ、すぐ下を流れる水面は文字通り吸い込まれそうなほどに深い。片時も高度計と互いの距離から眼を離せない、神経をすり減らす時間を過ごしながら、カルロスは僚機へと向けた目を左右へと転じた。

 

 低空侵入攻撃と言うこともあり、今回の作戦参加機の主体は攻撃機で編制されている。編隊の先頭を行くのは、低空侵入を得意とする攻撃機『バッカニアS.2』が2機。その左右両翼に2機ずつ布陣する細身の機体は、軽攻撃機の『ジャギュアS』と知れた。それらを先頭集団として続くのが、爆装したJ-7ⅢとMiG-21bisの混成となっているニムロッド隊の4機。配置の関係でよくは見えないが、後方には爆撃の主力を担うF-105D『サンダーチーフ』4機も位置しているはずだ。

 特筆すべきは、その全てが傭兵で構成されている点だろう。全機が全機、調達しやすく些か時代遅れの機体で揃えられているのもその証左と言えなくもない。

 作戦士官は『諸君の技量でなければ達成しえないため』などと歯の浮くような賛辞を言っていたが、何のことは無い、危険極まりない作戦で戦力を失うのを厭ったのに過ぎないのだろう。先のホフヌング空爆作戦を想起するまでもなく、傭兵が率先して駆り出される作戦なんて、危険なものかヤバいものに相場は決まっている。

 

《先導機スパイラル1より野郎共、朗報だ。ベルカのV/STOL機部隊が、西に向けて飛び立ったらしい。…つまり今、敵基地はもぬけの空だ》

《はっは、奴らこの間の勝ちに油断しやがったな》

《こちとら戦争が終わっちまって稼ぎのネタが無いんだ。今日はがっぽり稼がせて貰うぜ》

 

 偵察機の通信を受けたらしい先頭の『バッカニア』から、陽動成功を伝える声が響く。シュヴィル・ロン島から西を目指して飛び立ったということは、島の南方から接近するこちらへの対応とは考えにくい。滑走路が破壊され固定翼機の発進が困難な以上、常識的に考えれば基地は彼らの言う通りもぬけの空になったといっていいだろう。策の成功に早くも勝利を確信した男達の勇躍の声が、しばし通信回線に満ちた。

 彼らは戦争の末期になって参加した、ベルカ周辺諸国の一つであるレクタの傭兵である。オーシア、ウスティオおよびサピンの連合軍との戦争でベルカの絶対不利が露わになり始めた頃に、国境を接する周辺諸国は一斉にベルカへと侵攻。戦争初期に侵攻を受けてはいたものの、火事場泥棒的とも評されたその攻撃の一端を担ったのが、彼ら遅参の傭兵たちであった。当然参戦期間が短かったこともあり、報酬額は多いとは言えない彼らにとって、今回の作戦は降って湧いた幸運だったのだろう。いくら危険とはいっても、傭兵にとって多額の報酬に代わるものなどない。

 

《はしゃいでんな、レクタの奴ら。大丈夫ですかね?》

《さあな。こっちはこっちで、いつものペースでやればいい。既に十分稼いでるんだ、奴らに付き合って損傷を増やす方が痛い》

「了解です。…にしても、何もないといいんですけど。」

《左斜め後ろに同じー。なんかちょろく騙され過ぎじゃないです?ベルカの奴ら。》

 

 些か冷めた声を交わし合う隊長たちに、カルロスもつられるように声を返す。依然沸き立つレクタ傭兵たちの後ろで状況を俯瞰するその様は彼らと比べて対照的な姿だった。

 一つには、戦争初頭から参加してきたニムロッド隊は既に十分に報酬を獲得しており、精神的にも余裕があることが挙げられるだろう。命を対価に進んで戦いに赴く傭兵にとって、金は価値観として第一に挙げられるべきものである。

 だがそれ以上に、彼らを慎重にしてやまないのは、これまで幾度となく味わったベルカの戦い方だった。囮、援軍、新兵器――単純に見える作戦の裏には、常に予想を上回る策が潜んでいた。今回はこちらが陽動作戦を仕掛ける側だが、ベルカ軍が果たして、そう易々と引っかかるだろうか?

 カルロスが、そしてフィオンが抱いた言い知れない危惧は、その経験に裏打ちされたものだった。

 

《こちらスパイラル1、目標確認だ。上空にも機影2。――野郎共、安全装置解除!護衛隊、上は任せるぞ!》

《ニムロッド1了解した。…敵の出方が妙だ、気を付けろ》

 

 スパイラル1の通信とほぼ同時に、水平線から現れた島影がカルロスの眼にも捉えられる。青い水面と雲を背景に褐色の岩肌を屹立させるその姿は、目指すシュヴィル・ロン島に違いなかった。島の上にはちらちらと動く黒い影が確かに二つ見えるが、まだ距離が遠く機種までは判別できない。

 

 身が凍えるような、血が逆流するようなぴりぴりした感覚。空域に入るとともにカルロスの体を浸してゆくその感覚は、数か月の戦争を経て慣れ親しんだ、戦場特有のものだ。 ――さて、戦闘開始である。

 火器管制システムの安全装置を解除し、次いでレバーを操作して機体下部に提げた増槽を捨てる。同様に戦闘準備を終えた隊長の機体が機首を上げるのに合わせ、カルロスもまたスロットルを引いて、乗機J-7Ⅲの鼻先を空へ向けて持ち上げた。足元を押さえつける重力、徐々に下がってゆく速度計の針。上空の敵目がけて高度を上げる4機の下を、速度を上げた『サンダーチーフ』が追い越してゆく。

 

《ニムロッド全機、UGB(無誘導爆弾)投棄。制空戦闘に入る》

「了解!」

《敵機種確認。この間と同じ奴だ》

 

 隊長の指示を受け、手元で兵装を選択し、主翼下に懸架していたUGB2基を海へと捨てる。本作戦は対地攻撃が主ということで、例によって護衛部隊であるニムロッド隊も爆装していたものの、そもそもMiG-21の搭載量では対地攻撃力などたかが知れている。機会があれば爆撃を行うよう命令を受けていたが、既に上空に敵機がいる以上、いつまでも爆弾を下げていた所でデッドウェイトになるだけだった。

 重量物を捨てたことで、機体の速度が一気に上がる。先々代のMiG-21bis同様、J-7Ⅲ(コイツ)も重たいものを運ぶ力仕事は苦手らしい。機体の後部で調子よく唸るエンジンの声が、重荷から解き放たれた解放感を口にしているようだった。

 

 上昇力と速度を取り戻し、高度を上げる4機の前には、上空警戒と思われる敵機が2機。カークス軍曹の言う通り、細長い中翼配置のその機影は、先日交戦したものと同じYaK-38『フォージャー』だと見て取れた。奇妙なことに、それらはいずれもこちらに背を向け、島の東目指して一目散に逃げだしてゆく。

 

「…?あいつら、逃げる…!?」

《勝ち目がないと悟ったにしては、諦めが早すぎるな。何の積りだ…?》

 

 おかしい。

 一同の脳裏に、ふとした不安が兆す。あまりにも見事にはまった陽動、そして敵機の謎の行動。さらに、眼下では攻撃隊が滑走路付近へと侵入しつつあるが、対空砲火一つ上がる気配が無い。そのいずれもが、まるでこちらを島の奥深くへと誘いこんでいるようではないか。

 

《…!これは、しくじったかもしれんぞ…!》

 

 不意に通信回線に入った、呻くような隊長の声。

 え?そう応えるより早く、異変は眼下に起こった。

 

《目標確認、滑走路と周辺の対空兵器!各機投下!》

 

 巡航ミサイルの攻撃で穴だらけになった滑走路の上を、10機の攻撃機がそれぞれの目標へ向けてひた走る。周囲を低木で囲まれた滑走路には空を指す対空砲などが見られるが、いずれも奇襲に対応しきれていないのか、人の姿すら見えない。

 投下。

 機体の下を離れた爆弾が、重力の虜になりながら大地目がけて落ちてゆく。

 地に、林に、対空火器に突き刺さったそれらは炸裂の炎を上げ、爆風が及ぶ限りのあらゆるものをなぎ倒し燃やしていった。そう、風に千切れる木の葉も、半ばからへし折れた樹も…そしてその傍らに横たわる、薄褐色のささくれだった断面を覗かせる対空砲の残骸も。

 

《………っ!?こちらスネーク3!おい、あの対空砲…木製のダミーだぞ!?》

《こっちのレーダーもだ。どういう事だ…!?》

 

 攻撃を欺瞞した木製ダミーの存在に、攻撃隊がにわかに混乱する。無論木製ダミーそのものが脅威ではないのだが、レーダー探知外からの奇襲に対しての備えであることには違いない。すなわち、敵には迎撃の用意がある――。全員が思い至ったその結論は、攻撃隊の心胆を寒からしめるのに十分だった。

 

《くそ、マズいぞ…!全機、今すぐ残弾を捨てて…うわっ!?》

《スパイラル1が落ちた!くそ、本物の対空砲火だ!!》

《…!やはり罠、か…!》

《みんなボサッとしてないで!上、機影6!》

 

 統制が乱れた一瞬の隙を突いたのは、林のあちこちから上がる対空砲火だった。交差した曳光弾に切り刻まれた『バッカニア』が四散五裂し、急旋回する『サンダーチーフ』1機も対空砲に捉われて煙を上げている。

 やられた。

 そう悔やむ間すらなく、不幸は連鎖する。フィオンの声に釣られて上空を見上げると、雲の幕を裂いて現れた機影が、しめて6つ。今更敵味方識別装置(IFF)を確認するまでもなく、敵であることに疑いようは無かった。

 

《被られたか…。ニムロッド全機、上昇!迎撃するぞ!》

《た、隊長ちょっと待った!下…山からも上がって来てる!》

《…!構うな!まずは上の奴らだ!》

 

 敵編隊は11時方向、概ね1500フィート上空。咄嗟にそこまで読み取り、下腹に力を入れて思い切りスロットルを引いて機首を上げた直後。カークス軍曹の慌てた声に釣られて下を見やると、今度こそカルロスは驚愕した。

 左手側に位置する、司令部施設を収めていると言われた山。そのふもとに空いた大きな横穴から、戦闘機が離陸しているではないか。一つ、二つ。見る間に地を離れていくその機体は、前後に詰まった小さな体に大型のカナード翼、二重の角度を設けた無尾翼デルタを翻して速度を徐々に上げている。その姿は、かつて一度遭遇したJA37『ビゲン』と見て違いなかった。

 

 つまり、対空火器だけでなく、滑走路すらもダミー。司令部施設があるとされたあの山は、それと同時に格納庫と滑走路をも備えた、まさに基地そのものだったのだ。当然滑走路の長さは限られるが、短距離離着陸能力を持つ『ビゲン』や『フォージャー』なら十分に運用できる。

 

 これは、Ground-Bait(撒き餌)どころの話ではない。むしろ、大口を開けた懐まで誘い込まれたのはこちらの方だった。無防備な姿を敢えて晒し、間抜けな獲物がのこのことやってくるその眼前まで――。

 凍える背筋、張り詰めた空気、最初のヴァイス隊との邂逅以来久しく感じることのなかった死の感覚。気づけば、カルロスの額や掌、下半身までもが冷や汗で濡れていた。

 

《速度を緩めるな、射程に入り次第各自撃て!》

 

 目前の6機があっという間に距離を詰めてゆく。重力と加速で血液が背中の方へと引かれ、代わりに死が覆いかぶさって来る感覚に、カルロスは歯を食いしばって懸命に耐えた。

 射程内、今。

 エンジンの重低音と甲高いロックオン警報、AAMの外れる音、機銃が吐き出す重い共鳴。あらゆる音に満たされた視界の前で、炎を上げた『ビゲン』の機首がこちらの正面を捉える。

 殴りつけるような擦過の音とともに、コクピットを跳ね回った金属が裂ける音。音の奔流の最後に加わったそれは、まるで刺すようにカルロスを貫いた。

 

()っ……!!」

《よっしゃ、まず2機!……おい、カルロス!?》

《全機、ループ後に降下する。カルロス、大丈夫か》

「っく…!こちらニムロッド4、自動消火装置作動。…くそっ、破片が脚に…!」

 

 宙返りの瞬間、左足に食い込む痛みに思わず呻き声が漏れる。至近で浴びた機銃弾の破片がコクピット内を跳ね回ったらしく、カルロスの左太腿には金属の破片が刺さり、パイロットスーツを赤く濡らしていた。左右を省みると、機体にも左主翼と胴体に穴が開き、煙を吹いているのが伺い知れた。

 

《ニムロッド1より各機、俺が指揮を引き継ぐ!スパイラル2とスネーク隊はただちに引き返せ。ニムロッド隊とジェイル隊は対空戦で時間を稼ぐ!》

《了解!へへっ…これで生きて帰れたらレクタ傭兵の分も上乗せかね?》

《生きて帰れたら、な。カルロス、お前はスパイラル2達と一緒に退け》

「えっ…!?ちょ、ちょっと待って下さい!俺もまだいけます!体は全然大丈夫ですし、残弾も十分…!」

《退け、隊長命令だ。俺の信念を妨げるな》

「えっ…?」

《まーほら、足手まといなーんでー》

《それにな、あいつら丸腰だ。護ってやってくれ》

「………。」

 

 抗弁の言葉は、ぴしゃりと遮る隊長の声に留められる。有無を言わさぬ強いその口調は、舌に乗せた言葉の続きを飲み込ませるに十分な威を持っていた。

 でも、無茶だ。諦めきれない心がそう叫ぶ。上空から被って来た『ビゲン』はまだ4機健在、一旦逃げた『フォージャー』2機も反転し戻ってきている。さらに、山裾からは新たに出撃する『ビゲン』が4機。性能と残弾を考えれば、到底敵う相手ではない。たとえ手負いでも、1機でも多くいればそれだけ危険は減る――曲がりなりにもこの戦争を戦い抜いてきた自負で、そう思わないでもない。

 だがその一方で、隊長の言う『信念』という言葉がそれを押しとどめる。『覚悟』と言い換えてもいい、人の根幹を成すその言葉。そして隊長の強い意志――それを前に、これ以上抗弁することは、カルロスにはもはやできなかった。

 

「分かり、ました。……どうか、無事に帰って来て下さいね!…御武運を!!」

《ああ、お前もな。連中は頼むぞ》

「はい!」

 

 後ろ髪を引かれる思いとは、まさにこのことだろうか。後ろ髪どころか心さえも引かれそうな思いで、反転する隊長達を背にしたカルロスは、乗機J-7Ⅲを一気に加速させていった。

 眼下を見れば、海面近くを飛ぶ『バッカニア』が1機と『サンダーチーフ』が3機。逃げるように飛ぶその悄然とした姿からは、もはや数分前の威勢の良さなど微塵も感じられない。敗走する軍とは、まさにこのようなものなのだろう。

 

 いや、それを言ってしまえば、自分だってそうだろう。一人損傷し、あまつさえ負傷までして、戦線離脱を命じられた負け犬。もっと自分に技量があれば――。そう祈り、自ら戦いに赴いて、一体どれだけ経っただろう。結局、自分は未だに半人前のままだ。幾度と空戦を経験してきたとはいえ、あのエースが舞う空を飛ぶには、自分はまだ早すぎたのだろうか。

 後方を仰ぎ見ると、遠ざかるシュヴィル・ロン島の上空に一つ、煙が上がって落ちてゆくのが見えた。一体どちらの陣営なのか。まさか、隊長たちなのか。ここからは、エースの空から程遠いここからは、何も見定めることはできない。

 

 『足手まとい』。

 唇を噛みしめるカルロスの脳裏に、フィオンの声が蘇っていた。

 

 その時だった。

 

「…ん?前方に機影…?」

 

 やや雲が切れ、青空がのぞき始めた南西の空。ちらりと眼を走らせた先に映ったのは、青空を背に飛ぶ黒い機影だった。その数は6、飛来する方向を考えると、連合軍の援軍か哨戒機だろうか。

 

《おい、何だありゃ、味方か?》

 

 眼下のスネーク隊もその姿を確認したらしく、惑いの混じった声が耳に入る。援軍の事前情報は無かったが、位置から考えて哨戒機の可能性は十分にある。何より、現状纏まった戦力を持つベルカ残党など、シュヴィル・ロン島の部隊の他にいない筈だ。

 

《だろうよ。オーシア軍に引っ掛かった方と基地上空の奴ら、それでベルカ残党の機体は打ち止めの筈だ》

 

 ――いや、違う。

 

《なんにせよ、こっちは丸腰だ。ひたすらケツまくって逃げるしか無いわな》

 

 あの接敵法は、高度の優位を保ちながらこちらをまっすぐ指す進路は哨戒機のそれではない。何より、哨戒部隊にしては機数が多すぎる。

 

《違いねぇ。ま、今回は残念だったが、次回こそガッポリ狙おうぜ》

 

 中翼、コンパクトな正面のシルエット。機種、YaK-38『フォージャー』。IFF反応、()――。

 

「……ッ!違う、敵だ!ベルカ残党の連中だ!!」

《…!?馬鹿、な…そんな馬鹿な!どこから来たっていうんだ!?》

 

 思わず吐き出した声に、スパイラル2の動揺した声が返される。

 待ち構えるように目の前に現れた敵機、そしてその機種。まさか――いや、しかし他に考えられない。

 おそらく、あの6機は最初に陽動のオーシア軍へ向けて飛び立った機体だ。こちらが陽動に引っ掛かって攻撃を開始する頃には、オーシア軍との接敵前に反転して、こちらの退路を待ち伏せするために西から南西へ迂回してきたに違いない。

 死地を逃れた先で、再び体を浸す冷たい感覚。どうする。もう隊長も軍曹もフィオンも、誰もいない。

 …いや、もはや『どうする』と考える余地すらない。今の自分にできることは、ただ一つ。受けた命令を、意地でも全うすることだけ――。

 

「とにかく!あんたたちは全速力で逃げろ!『フォージャー』相手なら、『バッカニア』と『サンダーチーフ』なら逃げきれる!」

《お前は?》

「あんたたちを守れって言われてる。加速がつくまでの間くらい稼ぐさ」

 

 では、その先は?

 分かり過ぎたその答えを振り切るように、カルロスは操縦桿を右前方に倒し、高度を下げながら敵編隊を正面に捉えた。真正面からの攻撃を避け、かつ敵編隊を散らすには、斜め下から上方へ向けて仕掛ける他ない。

 空気を斜めに裂き、J-7Ⅲのエンジンが軽やかに唸る。まるで、一人と1機の戦場を楽しむかのように。

 

《…悪いな。生きて帰ったら、一杯奢るよ》

《俺もだ》

《異議なし》

「へへっ…期待しとくよ、とびきり上等なヤツをね」

 

 その言葉を最後に、『バッカニア』と『サンダーチーフ』が脚を早め、こちらの左下を抜けて遠ざかってゆく。彼らに呼応したのだろう、眼前の『フォージャー』6機は旋回し、ストライプ2達の背を追うべく身を翻した。このままの進路ならば、相対進路はこちらと直角。彼らが躊躇いなくこちらに横腹を向けたのも、この位置取りではミサイルは命中しないと踏んでのことだろう。

 目の前をこちらに構わず横切ってゆく、6機の『フォージャー』。その瞬間を見計らい、カルロスは操縦桿を思い切り引いて急上昇。死角となる斜め下方から機銃掃射を見舞い、そのまま敵編隊の上方へと抜けて宙返りを行った。

 身を圧する遠心力、そして圧で食い込む破片。左足を苛む痛みを、カルロスは歯を食いしばって懸命に堪えた。

 

 予想外の位置からの掃射を避ける余裕が無かったのだろう、編隊の中心にいた『フォージャー』がエンジンから煙を吐き出して落伍してゆく。逆さまになった天地を背景に、敵編隊はばらりと散開。編隊両翼の3機は左右にばらけて各個に迂回し、先頭の2機はそのまま直進してゆくらしい。

 

 逃がさない。高速性能に定評がある『サンダーチーフ』はともかく、『バッカニア』の最高速度は『フォージャー』と大差ない。まだ加速が乗りきっていない今、彼らを追わせる訳にはいかないのだ。

 機体をロールさせ上下を元に戻し、フットペダルを踏んで一気に加速をかける。MiG-21譲りの加速性能を持つJ-7Ⅲと遷音速機に過ぎない『フォージャー』では、もとより加速は比較にならない。宙返りに要した時間を瞬く間に埋め、カルロスのJ-7Ⅲは背を向ける2機を射程に捉えた。

 

 ロックオン。電子の眼が熱源となる『フォージャー』の噴射口を捉え、甲高い音を響かせる。

 『撃て』。機体の声を待つまでもなく、押下した直後にAAMは機体から落下。一瞬後には点火の炎を灯して直進し、右側の1機をエンジンから吹き飛ばした。

 

 あとは、この1機さえ退ければ。

 急減速と急速上昇でこちらを避ける敵機に、カルロスは必死にガンレティクルを覗き込み、減速しつつ肉薄する。撃墜できなくとも、せめて時間を費やさせればそれで十分だ。

 そう、この1機さえ足止めすれば、攻撃隊を逃がすことができる。至上命題としたその目的に集中するあまり、カルロスはあることを見落としていた。敵が狙うのは、何もスパイラル2たち攻撃隊だけではないことを。

 

「く、そっ…!もう、少しで…!――…ッ!?」

 

 丸い照準が敵機の左翼を捉えた瞬間、耳を打つ耳障りな高音。これまでも幾度となく聞いた、命を打つ電子音。

 ミサイルアラート――。

 レーダーを確認する暇も、まして後方を見る間もない。咄嗟に操縦桿を左へ倒し、機体が急旋回したすぐ傍を、後方から飛来したミサイルがすり抜けてゆく。

 しまった、後方。

 舌打ちとともに、斜めに傾いた機体から見上げて、カルロスは敵の位置を探るべく目を走らせる。その瞬間、カルロスは自らの犯したミスに、遅ればせながら気が付いた。

 

 水平方向を『見上げた』そのすぐ先に映ったのは、こちらを指す『フォージャー』の姿。おそらく、先程ミサイルを放ったのとは別の機体。咄嗟に急旋回をした結果、2機の連携でこちらの後ろを狙っていた片割れの目の前に、カルロスは無防備な自身の姿――機体の上面を晒してしまったのだ。

 時間が止まったような、一瞬の、そして致命的な隙。カルロスは、『フォージャー』の翼の下が光り、無数の弾丸がこちらを捉えるのを成す術なく見ていた。

 

「がああぁぁぁぁ!!……く、そ、…糞ッ!!」

 

 振動、轟音、そして痛み。先ほどとは比べものにならない衝撃がコクピットを揺さぶり、弾けた破片が体のあちこちを苛む。相当に至近弾があったらしく、右頬、肩、左足、もはやどこをやられたのか知覚しきれない。計器類に至っては、流量計と高度計に破片が突き刺さり、あらぬ数値を示している。機体も同様に、端を黒く染めた灰色の主翼には至る所に穴、穴、穴。煙を吹き始めた胴体やエンジンは、戦闘機としての生命が既に尽きかけていることを無言に物語っていた。

 

 だが、まだ。このルートは、隊長達が帰還するルートでもある。激戦を終えた隊長たちの安全を確保するためにも、少しでも多くの敵を退けなければ。だからJ-7、まだもう少しだけ、俺に付き合ってくれ。

 主のその意志も虚しく、機能を失いつつあるエンジンが徐々に出力を落とし、速度を見る間に失ってゆく。

戦力を失いつつあるこちらを見定めたのか、カルロスの眼には先程機銃掃射を見舞った『フォージャー』が、こちらの頭上を抜けて追い越していく様が映えた。

 

 ――今。

 

「…っく!踏ん張れ、J-7(灰色)―――ッ!!」

 

 渾身の声とともに、フットペダルを踏みこみ、同時に操縦桿を引き上げる。命が消える間際の死力を振り絞って唸った機体は、推力を得て僅かに上昇。斜め上を向いた鼻先に敵機の尻を捉えるや、機首の30㎜機関砲が最期の唸りを上げた。

 

 そこからは、何が起こったのか分からない。

 『フォージャー』のエンジン付近に開いた穴と、体が中空に投げ出された瞬間に香った焦げた匂いと、水面に吸い込まれてゆく灰色の機影。それらが途切れ途切れに浮かぶ中で、視界の中にスパイラル2たちの機影が無いことだけは、カルロスの脳裏に鮮明に刻まれていた。

 

******

 

 5機の機影が飛び去ってしばし後、目に映えたのは夏色の空の下を飛ぶ3つの機影。

 翼を傾けてこちらを見下ろす先頭のJ-7Ⅲへ、カルロスは痛みの無い右腕で大きく手を振った。大きな口を開けて何かを話しているカークス軍曹の姿も、へー、と言わんばかりにこちらを見下ろすフィオンの様子も、そして隊長の表情も、3人の姿は不思議な程に鮮明に見える。

 

 ちゃぷりちゃぷりと波間に揺れる、痛みと疲労に満ちた体は、しかし何故か心地よい。

 白波に抱きとめられた灰色の機体の傍らで、カルロスは微かに微笑んだような隊長の横顔を思い出していた。

 




《諸君、よく帰還してくれた。敵の迎撃態勢、作戦立案能力ともに相当に高いことが分かったが、作戦と同時に出撃していた高高度偵察機の情報と諸君の交戦記録から、島内施設の詳細がかなり判明した。今回の結果を踏まえ、Operation Fishing-Pondは修正を加えた上で実施されることになるだろう。諸君は、それまでしっかり体を休めて欲しい。
 なお、海上で脱出したカルロス・グロバール伍長には、既にオーシア海兵隊が救援ヘリを派遣している。救援に要した費用は、レオナルド&ルーカスを通してオーシア側へ支払うように。以上だ》


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第20話 間隙の空

 青い。

 頭上に広がる雲一つない空を見上げ、脳裏に浮かんだ言葉といえば、シンプル極まりないたった一言だった。抜けるような空とはまさにこんなことを言うのだろう、遮るもの一つない青々としたその空は、成層圏まで見通せそうに思えるほど高い。

 思えば、これほど落ち着いた気持ちで空を見上げるのは、サピンに来てこのかた初めてかもしれない。空を飛ぶ時は警戒の眼を走らせるのが常であるし、地上にいる時でさえ空を見上げる時と言えば空襲の警戒か友軍機の出迎えと相場は決まっている。それを想うと、火薬と血の匂いの失せたこの空は、思った以上に広い。

 

 穏やかな空。場所も気候もまったく違うが、その空の色は、子供の頃に見上げた故郷の空に似ていた。

 

《こちらエスクード2、依然目標の姿なーし。カルロース、よそ見してないでしっかり海面を見てろよ》

「うるさいな、分かってるよ。ニムロッド4、こちらも姿を認めず。…本当に場所合ってるのか?」

 

 幼少の感慨をかき消すように、青年の慣れた声が無線から割り込んでくる。同じ空の上にこそおれど、今日ばかりは僚機――エスクード2ことニコラスの声音も、どこか緊張を欠いているのが伸びた語尾から感じ取れた。

 海面へと眼を戻すカルロスも、それは同様であった。連合国の制空権内深くにあり、もはやシュヴィル・ロン島以外にまとまったベルカ残党勢力が駆逐され尽くした今、空からの脅威は無いに等しい。その上今回命ぜられたある『特殊な任務』の内容を省みれば、緊張感を保とうにも土台無理というものだろう。

 

《やー悪いね軍人さん、なにぶん相手も動くもんだから、正確な場所が分からんのさ。もうちょっと東の方を探して貰えるかね》

「東、ね…。エスクード2、70°ほど変針しよう。オジサン、他の漁船からの情報があればすぐ繋いでくれよ」

 

 鼓膜を揺さぶるは、酒焼けした聞きなれない男の濁声。今回の『特殊な任務』を物語るその声は、目指す目標の方向を相当アバウトに伝えてくれている。

 まったく、まるで泥酔した水先案内人だよ。口内に零した愚痴を飲み込みながら、指示を受けた方向の海面へと瞳を走らせても、見えるのは青い海面と白い波のみ。沖合とは一転して透き通った水面にも、目指す『目標』は影も形も見ることはできない。

 

《…ったく、何で俺たちがこんな…。》

 

 傍らを飛ぶニコラスの口から、思わず漏れた愚痴。

 まったく同じ感想を胸に抱きながら、カルロスはつい数時間前に受けた奇妙な命令を反芻していた。

 

******

「………は?」

 

 白い壁に囲まれたミーティングルームに響いた、若者二人分の怪訝な声。口をぽかんと開け、話が飲み込めないとばかりに首を傾げたその姿は、誰がどう見ても困惑した人間の様である。

 事実、二人――カルロスとニコラスは困惑していた。目下全軍がベルカ残党の掃討作戦に奔走している中、緊急任務と称して名指しで招集を受け、何事やらと首を傾げながらここに集ったのがほんの数分前。その直後に開口一番言われたのが、そのなんとも解せない『任務』だったのだから。

 二人の眼の前に立つ、こちらに背を向けるサピンの作戦士官は、二人の反応に応えるように溜息をつきながら肩を落とした。

 

「だから、『鮫狩り』だ。諸君二人の乗機で、臨時に任務を遂行して欲しい」

「……………あっ、そうかアレですよね!『鮫狩り』って何かの隠語ですよね!こう、ベルカ残党の潜水艦とか…!」

「………ニコラス少尉。真に遺憾ながら、正真正銘のサメだ。残念ながら潜水艦でもシャークマウスのエースでもF-20(タイガーシャーク)でもない。魚類のアレだ」

 

 やっとのことで頭に浮かんだ解釈にすがるように、声を張るニコラスを容赦なく否定する作戦士官。曰く、目標は敵兵器でもなんでもなく、正真正銘のサメ。方やこちらは戦闘機のパイロット。どう考えても繋がらない両者の接点に、思わず傾けた首の角度がさらに深くなった。

 

「……ええと。サメっていうのは…」

「…ああ、順を追って説明しよう。今朝、北ベルカ漁協から、沿岸近くの漁場にサメが出没し漁に支障が出ているとの情報が入った。同時に、昨日から沿岸の海水浴場でも数頭が目撃されており、当面レジャーが禁止されている状況にある。沖合の防鮫網に破れが確認されているため、おそらくここから侵入して来たのだろう」

「……いやそれは分かるんですけど、何で俺たちが!?」

「確かに…。サメ退治って普通漁協の自前でやるか、ベルカの沿岸警備隊の仕事でしょう。百歩譲って連合軍が肩代わりするにしても、戦闘機って…。」

 

 滔々とサメ退治の理由を語る作戦士官の言は、確かに分かる。寒海域とはいえ、確か過去のニュースでは人が襲われた事故も発生しており、特に今は真夏のレジャー時。おまけに戦争でしばらく規制されていた漁もようやく再開されたとくれば、北ベルカ漁協が心配するのも納得がいくというものである。

 が、それとこれとは話が別である。サメ退治が必要なのは確かに分かるが、それなら本来はベルカの沿岸警備隊が保有する哨戒艇や哨戒機の仕事である。仮に統治中の連合軍が行うにしたって、哨戒機やCOIN(対ゲリラ軽攻撃)機など、低速下で安定性のある機体を用いるのが常の筈だ。間違っても超音速ジェット戦闘機が行う仕事ではない。

 異口同音に口を尖らせ、不承不承の言を上げる若人二人。もちろんその点は作戦士官も認識していたのだろう、容赦なく外堀を埋めにかかる。

 

「あいにくベルカの沿岸警備隊は、ベルカ軍による動員と友軍のアンファング空爆で概ね壊滅している。哨戒機にした所で、現在ベルカ機の飛行は停止中だ。到底出せる状況ではない。」

「はぁ…。」

「そこで我が軍がもろもろの任務を肩代わりする訳だが、哨戒機はあいにく『本物の』ベルカ残党警戒で出払っている。COIN機もベルカ本土に潜伏する残党対策で各地に散らばっていて、海の方にまで駆り出す余裕は無い。」

「…で、残るはウチの戦闘飛行隊と…。でも、この基地にだって攻撃機部隊とか、他に向いてそうな部隊がいるじゃないですか。」

「答えは簡単。単に諸君が手空きだったからだ。あいにくシュヴィル・ロン攻撃で他の部隊は出払っている。確かニコラス少尉は機体のエンジン不調、カルロス伍長は予備機の調整とリハビリで攻撃には不参加だったな?」

「う……まぁ、確かにそうですけども。」

 

 ベルカ沿岸警備隊の壊滅と軍用機の飛行停止、代替役の不在、そして暇を持て余す二人の現状。じわじわと逃げ場を塞がれ、二人はもはやぐうの音も出ない。それでもどこか釈然としないものを抱きつつも、気づけば首を縦に振らざるを得ない状況になっていた。

 それにしても、嗚呼、なんでこんな破目に。げっそりとした表情で恨めしげに見やる二人へ、作戦士官は最後に引きの一言を付け加える。

 

「裏を返せば、本来不向きの機体を出す以上、成果が上がらなくても言い訳は立つ。要は、『ウチは一生懸命やってますよ』という言い訳が立てばそれでいいんだ。ダメで元々、身体慣らし程度に気楽にやってくれ。」

「まぁ…そういうことでしたら。」

「特殊な事情ということもあり特別手当は出せないが、燃料弾薬分はこちらで補填する。…なお、増槽は捨てずに持ち帰るように。後で漁協がうるさいんでな。」

 

 じゃあ、そもそも戦闘機で出させないで下さいよ。

 喉元まで出かけた根本的な抗議の声は、最後に溜息をついた士官の姿に飲み込まれた。多分、事前に漁協からも念を押されたのだろう、その背中には中間管理職の悲哀と苦労が垣間見えた気がした。

 

******

 かくして、空へと立って30分。方々を探せどサメの姿など影も形も無く、無為に時間ばかりが過ぎていた。戦闘の気配の濃かったこれまでの空とは打って変わった、ゆっくりと流れる時間、そして制空域深く脅威の無い空。この状況で集中力が途切れがちになること止むを得ないのは、先述の通りである。――もっとも、レーダーの無い今の機体では、空を警戒しようにも限界があるのも確かであるが。

 

(間に合わせとはいえ、隊長の乗ってた機体か…なんだか感慨深いな)

 

 しばし海面から眼を離し、握った操縦桿へと視界と意識を運ぶカルロス。このコクピットも操縦桿も、わずか数日とはいえアンドリュー隊長が使っていたもの。そう思うと、心がくすぐったいような、ほの暖かいような感覚を感じずにはいられなかった。

 

 先日の空戦で、当面の乗機としていたJ-7Ⅲは大破してしまい、カルロスは乗るべき機体を失うことになってしまった。本来の乗機であるMiG-23MLDは未だ修理中であり、連合軍が鹵獲した他のJ-7Ⅲもあらかた処分が決まってしまった中で、代わりに配備されたのがこの機体である。

 

 灰色のボディに黒く染めた翼端。切り立った機首と後退角を設けた尾翼はMiG-21やJ-7と類似しているが、短い機首と強い後退角を設けた主翼が、そのシルエットをMiG-21系統と異なるものとしている。胴体下にパイロンを持たず、代わりに主翼下部に2本の増槽を下げている点もMiG-21との差異となっていた。

 

 MiG-19S『ファーマーC』。それが、当面の乗機としてカルロスに回された機体だった。

 もっとも、これは新規に獲得した機体ではない。そもそも今回の派遣で人的資源・機体ともに多く喪失し、経営が火の車になりつつあるレオナルド&ルーカス安全保障において、旧式機でさえおいそれと調達する余裕はもはや無いのだ。

 このMiG-19Sは、1度目のヴァイス隊との戦闘で乗機(フロッガーJ)を損傷したアンドリュー隊長が、一時的に乗り変えた機体と同一のものである。ウスティオ首都ディレクタス解放作戦の際にベルカのエース部隊『ゲルプ隊』と交戦し損傷、修理を終えた後に放置されていたものを、今回臨時的に再利用したというのがその実態であった。

 

《にしても、お前もそんな旧式機で難儀だなぁ。しかも最初の仕事がサメ退治なんてよ。農夫(ファーマー)対サメってなんだよ、ってな。》

「うるさいな、静かに下見てろって。というかスズメバチ(ホーネット)対サメもどうかと思うぞ」

 

 任務が任務のためか、ニコラスは常より通信が多い。程々にいなしながら、カルロスは機位を微調整しつつやや減速させ、修理を終えたばかりのF/A-18C『ホーネット』の右隣に機体を並ばせた。この前の戦闘で傷を負った左足は少々突っ張るが、多少の細かい操作なら難なくこなせるまでにはなったようだ。

 

 相変わらず空は高く海は青く、そして退屈であることおびただしい。時折水面に見る黒い影も岩礁であったり浅瀬に沈んだ漁礁であったりと、肩透かしを食らうこと幾たび。いい加減に集中力が切れそうな頭を振り絞り何度目かの旋回を行った刹那、久方ぶりにニコラスとは別の声が通信を揺らした。

 

《にーちゃんたちよ、ウチのセスナがサメの群れを見つけたとさ。》

「やっとか…。位置は?」

《んーとな、ちょっと待ってろ……おし、レヴァンス灯台から北北西に3㎞ちょっとの所だ。頼んだぜ》

《了解だ。ちゃちゃっと済ませて帰ろうぜ》

 

 ようやくの『目標発見』の報に漏れるのは、もはや喜びどころかうんざりしたような感想の声。おおよその位置を反芻して操縦桿を傾け、指定された位置へ向けて農夫とスズメバチは踵を返して脚を早めてゆく。

 それにしても、灯台の目と鼻の先となれば相当沿岸近くである。当初の情報に従って沖合の方を探しても影も形も無かった辺り、案の定、二人は的外れな所を探していたらしい。

 

 いた。

 ベルカ本土を遠景として、海面に見える流線型の影。数は大小含めて5、青みを帯びた灰色の背びれが波を切り、ゆらゆら揺れるように泳いでいる。全長はおおよそ2~3mはあるだろうか、少なくとも人間の姿ではなく、誤認の可能性はない。

 …それにしても、こんなに気分の奮わない目標発見は初めてである。抵抗しようがないサメに向けて銃を撃つことの引け目か、それとも単に集中力の切れた頭が専一に帰ることを考えているだけなのか。カルロスには、いずれにも判断がつかなかった。

 

《たぶんアレだな。なんだよ、群れってたった5匹じゃねーか》

「ま、見つかった以上やるしかないって。俺が先に行くから、後頼む」

 

 とはいえ、今回は北ベルカ漁協という『外部』も絡んでいる以上、ことさらに手抜きをする訳にもいかない。捕捉した『目標』へと眼を向けたまま、カルロスは操縦桿を傾け、『ファーマーC』を右後方から緩やかに旋回させた。高度は600フィート、旧式とはいえ曲がりなりにもジェット戦闘機でもあり、低空における安定性は恐ろしく悪い。後年戦闘爆撃機に転用された来歴を持つ機体ではあるが、いろいろな意味で本来の運用ではない今回の任務で使うには些か厳しいものがあった。

 

 目下、ゆっくり泳いでいるサメの速度は遅く、ほぼ静止目標と言って良い。目標が小さい上にあっという間に相対速度が大きい以上、攻撃可能な時間は数秒も無いだろう。

 目標、ほぼ0°。尾翼を操作し、右ヨーで軌道修正を行う。MiG-19の鼻先の延長線上に捉えられた5匹は、未だ気づく素振りもない。

 …悪いな。

 ガンレティクルに灰色の背びれが入った瞬間、カルロスはその呟きとともに引き金を引いた。

 重い咆哮を上げて唸る30㎜機関砲が、数多の弾頭を水面に刻み込んでゆく。激しい水しぶきの中に、一瞬だけ『赤』が混じったような気がした。

 

 相手は小さい上に低空でもあり、咄嗟の確認は覚束ない。サメの上方を通過し、後続との衝突を避けるべく左旋回しながら高度を上げたのち、カルロスは初めて機体下方に広がる海を見やった。

 同じ進路を通って一斉射を浴びせたのだろう、すぐ後方にはニコラスのホーネットが就いている。その眼下で、『目標』のいた辺りは赤い血に染まり、風穴の空いた大きな腹が波間に浮かんでいた。その傍らでは、波に赤い飛沫を混ぜながら、別のサメが死にもの狂いで荒れ狂っている。他の3匹は空からの奇襲に驚いたのだろう、波間に見える背びれが向かう先は、彼らが来たであろう沖の方向――すなわち北。血の尾を微かに引いているものの、その姿はあっという間に青に飲み込まれていき、それ以上の追走を困難にさせていた。

 

《あーあー、大丈夫かよコレ…。環境保護団体が黙ってないぞ》

「そうなったらなったで、叱られるのは上のお偉いさんだけだろ。…おーい、漁協の人、聞こえるか?サメを2匹仕留めたが、3匹には逃げられた。一応沖の方には向かっていったが、気を付けてくれ」

《おー、流石戦闘機。やるじゃねーか。始末したサメはウチの漁船が回収するから、そのままうっちゃっといてくれ。食えそうだったら後で送ってやるよ》

《いや…サメはちょっと…。…お、早速東に漁船が見えた。アレ待ってればいいんだな?》

 

 30㎜弾の直撃ともなれば陸上兵器すら蜂の巣である、まして生身のサメなどひとたまりもない。青い海に内臓を零しながら、じわりと紅いシミを広げていくその姿を、カルロスは複雑な気持ちで眺めていた。

 かといって、動物愛護といった殊勝な気持ちがあったかといえば、そうとは言えまい。漁協職員とニコラスの会話に対し『あのサメ、食べられるのか…?』などと思わず考えていた辺り、その証左とも言えるだろう。確か、サメの肉はアンモニア臭いと聞いたことがあるが。

 

 さて、ニコラスの言う通り、遥か東には水面の反射に影を落とす小さな船影が一つ。規模を考えると漁船と思われるが、早速こちらに対応したのか、あるいは偶然近くにいたのだろうか。

 戦いから離れた空らしい穏やかなその判断は、直後に入った二つの通信に掻き消された。

 

《へ?おかしいな、今日はサメその方向に漁船は出しちゃいない筈だが…》

《…エスクード2、ニムロッド4!聞こえるか!レヴァンス灯台沖でベルカ残党の工作船を発見、現在哨戒艇が追跡中との情報が入った!そちらから確認できるか!?》

《工作船…?》

「……!ニコラス、あの漁船だ!オジサン、ちょっと外すよ!」

《何!?…ちょ、待…!》

 

 光の反射を遮るように、眼を細めて凝視した先。先の漁船と見えたその船影の後ろには、確かに一回り大きい別の船影が猛スピードで追跡している姿が見えた。よく見れば時折照り返しとは別の光がちかちかと輝き、いくつかの水しぶきが上がっているようにも見える。

 

 場所、そしてあの状況。基地からの通信にあったベルカ残党の工作船に間違いない。

 突然の報に呆気にとられたニコラスをよそに、カルロスは一気にフットペダルを踏み、MiG-19の機体を加速させた。ぐんぐん上昇するエンジンの回転数、そして速度を増して後方に流れてゆく周囲の景色。俄かに空気に漂った戦闘の気配に、カルロスの意識も急速に戦場におけるそれへと変わってゆく。

 

 漁船に偽装したベルカ残党の工作船といえば、カルロスにも思い当る節はあった。

 先日のベルカ残党掃討作戦の一環である、Operation Ground-Bait。こちらの出方を全て読まれ大損害を被った戦闘だったが、作戦空域へ向かう際には、何隻かの漁船の傍を通過した記憶がある。そして思い返せば、それ以前の連合軍の作戦の際にも、早い段階からこちらの出方を読まれ、迎撃に遭った事例は数多い。

 おそらくは、ベルカ残党はこうした工作船を多数保有し、常時展開させていたのだろう。今日も本隊が出撃中であり、その観測の為に展開していたうちの1隻に違いない。

 

 海面との抵抗が大きく速度が限られる船と航空機では、もとより速度に決定的な差がある。凄まじい速さで追撃戦を行う2隻と、その間に飛び交う曳光弾を、二人は瞬く間に眼下に捉えた。よほど優速なのか、漁船――否、工作船の方は回避の為蛇行しつつも、哨戒艇から距離を開きつつある。

 

《なんだ…!?こちらオーシア沿岸警備隊所属、哨戒艇『サーキット』!どこの機体だ!?》

《やっぱりコレか。こちらサピン王国空軍第7航空師団、エスクード2およびニムロッド4!丁度近くにいたんだ、手を貸すぜ。沈めていいのか?》

《サピン軍機か…すまん、頼む。できれば拿捕したかったが、最早困難だ…きっちり沈めてくれ。…奴ら、スティンガーミサイルで武装している。注意しろ》

《げ。なんてこった…ミサイル装備して来るべきだったかな》

「工作船相手にもったいないだろ。よし、こっちが先行してミサイルを引き付けるから、その間に攻撃してくれ。できれば一発で頼む」

《おうよ、任せとけ。大きい分、さっきのサメより格段に狙いやすいしな》

 

 流石に工作船と言うべきか、改めて見るとその船足は相当に早く、既に機銃の射程外へと哨戒艇を引き離しつつある。おまけに携帯型SAM(地対空ミサイル)『スティンガー』さえ装備しているとくれば、たかが工作船と侮る訳にはいかなかった。

 上空から敵の進路と構造を見、咄嗟に立てたのは典型的な囮戦術だった。北を指して遁走する工作船に対し左斜め後方から接近し、先行した1機がミサイル攻撃を誘発させ、生じた隙を後続の1機が突くというのがその大綱である。必然的に先行する方に回避能力が求められるが、ニコラスの駆るF/A-18Cは低空域での加速性能に難がある。万が一のことを考えると、旋回性能では現行機にも引けを取らないMiG-19Sが先行するのが妥当だろう。

 

 こちらの姿は当の昔に捉えていたのだろう、後方から迫るこちらに対し、船の後方で慌ただしく動く人影が見える。人数は二人、いずれも軽装。一人が筒状の黒い物体を持ち、もう一人がこちらを指さして何事かを叫んでいる。

 距離、1600。到底届く距離ではないが、引き金を引いて機銃弾をばらまき牽制を仕掛ける。

 今。

 筒を携えた男と目が合ったように錯覚したその刹那、その背に噴射の炎が上がる。一瞬の勘が脳裏を駆け、咄嗟に操縦桿を左に倒したのは、目が合うのとほぼ同時だった。

 

「っく、病み上がりには、効く…!!」

 

 放たれた弾頭から逃れるべく急角度で旋回する機体の中で、強烈なGが見えない力で体を(ひし)ぐ。体中に受けた傷が突っ張るような嫌な感覚を堪えながら、カルロスは横旋回から機体を立て直し、間髪入れず右旋回へと切り替えた。

 元々、MiG-19は極めて格闘戦能力に秀でた機体であり、至近距離での小回りは後発のMiG-21やMiG-23でも及ばない。海面近い低空域でもその能力はフルに発揮され、逆S字を描く急旋回の連続は追いすがるスティンガーミサイルを翻弄。2度目の旋回の入りで慣性に引きずられたそれは、目標を失って海面へと飲み込まれていった。

 

《ナイス回避!さすがに旋回性能はいいな》

「中身にはあんまり優しくなかったけどな…。こちらニムロッド4、件の工作船は撃破した。後はオーシアの哨戒艇に移管する」

《了解、よくやった。先ほど北ベルカ漁協からもサメの件で連絡があった。ご苦労、帰還せよ》

 

 こちらの機動を眺めていたらしいニコラスの通信に、ふぅ、と息をつくカルロス。省みた後方の水面には、船首の辺りから炎を上げて傾く工作船の姿と、煙から逃れて海へと飛び込むいくつかの人影が見える。ニコラスも首尾よく工作船を仕留めたらしく、その機体には機銃弾の痕一つない。

 やや高くなった波を切るように、後方から漸く追いついたオーシアの哨戒艇が、速度を落として工作船に近づいていく。どうやら海に飛び込んだ工作員を救助するらしく、艦尾にはいくつかの人影も認めることができた。

 

《こちら『サーキット』。サピンの2機、助かった。礼を言うよ。》

《なに、いいってことさ。お礼なら今度オーシアのビールでもくれ》

「お前な…。何はともあれ終わったな、とりあえず帰ろう。」

《おう。…にしても工作船見つけた時といい、お前目がいいな。よくあんな小さなのが…》

「ほら、コウモリ(ニムロッド)は超音波で獲物を探知するって言うだろ?」

《ははっ、レーダーの無いその機体でよく言うぜ》

 

 空を切る2つの翼が、南へと機首を向けていく。

 その間に交わされる、他愛のない会話。何気ないそのやりとりは、戦闘機舞うその空が再び静謐に戻ったことを告げていた。

 空は広く、高く、そして青い。幼少の頃見上げた穏やかな空の中に、カルロスはいた。

 

******

「……………で、何だコレは。」

「あ、お帰りなさいアンドリュー隊長。軍曹とフィオンも。どうでした?」

 

 夕刻。ベルカ残党の掃討戦から帰還したアンドリュー以下3人は、その状況に困惑していた。

 格納庫の横、空いた軒下の場所から漂う油の匂い。

 アルミ製のトレイに山盛りになった、きつね色に彩られたフライ。

 そして、エプロン姿のカルロス。それもあろうことかコウモリのエンブレム入りである。

 

「いやまぁ、敵が引っ込んで現れないんだ。戦果も何も…っていやいやそれよりコレ。っていうかお前。」

「何これ、フィッシュフライ?いっただき…あ、おいしー。料理できるとか意外。」

「………カルロス。」

「あ、えーっとですね。どこから説明していいものやら…。」

 

 早速にフライに手を伸ばし、さくさくとおいしそうな音を立てて舌鼓を打つフィオンをよそに、名状しがたい困惑した表情でカルロスを見下ろす隊長とカークス軍曹。菜箸でからからと音を立てるフライ鍋の中を探りながら、カルロスはここに至った背景をかいつまんで説明し始めた。

 サメ狩りに急遽駆り出されたこと。その途上でベルカ工作船と遭遇したこと。帰還後しばらくすると、北ベルカ漁協からお礼として仕留めたサメが送られてきたこと。そしてそれは到底食べきれる量ではなく、その大部分を基地の厨房におすそ分け(押し付け)したこと。

 

「…で、そのサメっていうのが食用になる『ネズミザメ』っていう種類だったとかで、厨房から油やらパン粉やらを貰って、ちょっとフライにしてみました。案外おいしいですよ?」

「ぶ、げっほ、けほ。サメ!?これサメ!!?」

「おま………なんつー愉快な一日を送ってるんだよ。とりあえずこれは没収、今日のビールのつまみに接収だコラー。」

「…………今度からそんなアホな任務は断れ、せめて社に1回相談してからにしろ。予備機とはいえ機体は高いんだからな。…今回だけは、このフライに免じて許すが。」

 

 仕留めたサメは、偶然にも食用に用いられる種類だった。聞いた所では、サメの中では比較的アンモニアが少なく、フライや煮物などに用いられるのだという。正直本当に送って来るとは思わなかったが、予想外の臨時収入は儲けものだったと言えるだろう。なお、同じフライの山はニコラスの方にもしっかり渡してある。

 

 サメと聞いて思わずむせるフィオンと、あっけにとられながら笑い飛ばすカークス軍曹、そして呆れ顔に一抹の苦笑を刻んだアンドリュー隊長。最後に出た溜息にも、呆れた微笑が滲んでいる。

 

「よし、総員、手が空き次第掃討作戦だ。このバカの獲物を、全員で平らげてやれ。」

 

 アンドリュー隊長に応えるように、方々から上がる笑い声。飛び交う機械と工具の音に、それは明朗に共鳴した。カルロスも笑顔で答え、こんがりと揚がったフライをトレイの上へとまた一つ上げてゆく。

 

 終わりの見えぬ戦いの最中に生まれた、ほんのひと時の暖かな時間。

 後にして思えば、それは皆で過ごした得難い、そして最後の団欒だったのかもしれない。

 

 




【とある日のメニュー】
《主菜》
A:ガーリックチキンソテー
B:サーモンチーズフライ
C(期間限定!):北海の恵みのフィッシュフライ(数量限定!!)


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第21話 夢の跡

《諸君、ついにベルカ残党を根絶やしにする時が来た。
先月から実施されている連日の攻撃により、ベルカ残党の籠るシュヴィル・ロン島の戦力は大きく低下している。参謀本部の試算によれば、航空戦力および海上戦力はOperation fishing-pond開始時の半数程度にまで減少したとのことだ。
これを受けて、連合軍はOperation fishing-pondを最終段階へと移行することに決定した。すなわち、大規模攻撃による敵基地の殲滅である。
当該空域には強力な低気圧が発生しており、展開中の友軍艦艇による長距離ミサイル攻撃は極めて困難なことから、攻撃の主体はオーシア戦略爆撃大隊を主力とした戦爆連合となる。諸君はただちに出撃し、これの支援に当たれ。
戦争は終わり、ベルカは負けたのだ。この戦いを以て、連合国の勝利と平和を掴み取る。諸君の手で、奴らに現実を教えてやれ。以上だ》



 ごう、という音とともに、文字通り横殴りの風が座席を揺らす。

 秒速20m前後はあるだろうか、台風と見まごう凄まじい風圧は、ややもすれば軽戦闘機など木の葉のように吹き飛ばしかねない。左右上下に絶えず振れる小さな機体の中で、操縦桿を握るカルロスの手にも知らず知らずに力が入った。

 まっすぐに見据える視線の先には、頭上を覆う分厚い雲と稲妻。そして絶え間なくキャノピーを叩く雨滴の中に、辛うじて見て取れる先導機のか細い尾翼灯。その激しさは、この事態が始まった約2か月半前――6月21日の空と何一つ変わりない。人が住む世を離れた、荒れ狂う海の上に広がるそれらは、この世の終わりもかくやと思わせる光景だった。

 

 ――いや。事実、今日を以てこの世の終わりを迎える人々が、今鼻先を向ける遥か北方に存在するのだ。

 戦争終結の翌日から、連合国へ、そしてベルカへ反旗を翻したベルカ軍残党。2か月以上もの長きにわたって抵抗を続けた彼らも、連合軍の度重なる反復攻撃によってその戦力を徐々に減衰させつつあった。

 根を切られ立ち枯れつつある城塞に、もはや抵抗する術は無い。

 事ここに至り、連合軍は全てを決着すべく、大規模空爆部隊の派遣を決定。地中貫通爆弾を大量に抱えたB-52『ストラトスフォートレス』を実に12機も派遣し、全てを解決すべく乗り出したのだ。護衛を含めた随伴機19機も加わったその戦力は、中規模程度の都市なら苦も無く灰燼に変えてしまうほどの規模である。残党が籠る1基地に対してはあまりにも過剰と言って良い。

 戦いの芽を摘み取り、連合国の安寧を確たるものとする。ブリーフィングの際に、肥満した体から汗を拭き出しながら語っていたオーシアの作戦士官の言葉が、空覆う黒鉄の群れの姿に重なった。

 

《こちら空中管制機『サンダーヘッド』、作戦参加の各機へ。シュヴィル・ロン島上空に機影複数を確認。同時に艦影4も確認した。エスパーダ隊ならびにエスクード、ニムロッド各隊は先行、グリフォン、ドレイク各隊は現位置を維持せよ》

《エスパーダ1、了解した。エスクード隊、ニムロッド隊、しっかりついて来い。サピン空軍(ウチ)だけで上空を押さえるぞ》

《こちらエスクード2、了解!今日は敵さんが少ない分、獲物の取り合いになりそうっすね》

《油断するなよニコラス。うっかり落っこちようもんなら、少々ハードな海水浴が待ってるんだからな》

 

 編隊に随行するオーシア軍の空中管制機から、やや高めの落ち着いた声が編隊の各機へと指令を飛ばしてゆく。

 今回は、上空制圧はサピン軍、爆撃隊の護衛はウスティオ軍、そして爆撃機と管制機はオーシア軍と役割別に編制されており、心知ったる仲だけに幾分はやりやすい。おまけに、上空制圧隊の指揮を執るのはサピン軍きってのエース『エスパーダ1』ことアルベルト大尉である。これまでの戦いでもベルカ軍機を圧倒し、ベルカのエースである『銀色の狗鷲』をも退けた技量を目の当たりにしたこともあり、心強さは絶大なものだった。

 その思いは、同行するエスクード2――ニコラスも同じだったのだろう、勝利を前提とした楽観的な口調で冗談を飛ばしている。すぐさま上司のエスクード1がぴしゃりと遮ったが、帰って来たのは照れ隠しのような『へへっ』という声だけだった。

 

《ま、落ちない程度にやんな。サンダーヘッド、上空の機数および機種は分かるか?》

《こちらサンダーヘッド、ジャミングと低気圧の影響を受けているため、機種は判別できない。反応はやや不安定だが、機数は7機程度と推定される。他には周囲に機影は確認できない》

 

 アルベルト大尉の質問に答え、管制官が示した敵機数は、わずかに7。元々シュヴィル・ロンは小規模な基地でもあるが、実際にはベルカ残党や軽空母が集結していることを踏まえると明らかに少ない。

 伏兵、罠。かつて痛い目を見たカルロスの脳裏に反射的に浮かんだその言葉は、しかし続く管制官の言葉に打ち消される。この荒天では、たとえ安定性の高いV/STOL(垂直離着陸機)でもレーダーに反応しにくい海面すれすれに滞空するのは困難であろうし、他に身を隠す場所も無い。だとすれば、この不自然な程の敵の少なさは、純粋に連合軍の波状攻撃による損耗と見て間違いなかった。

 

《了解した。エスクード隊、敵編隊が射程に入り次第、XMAA(高機能中距離空対空ミサイル)で先制攻撃を行え。その後、エスパーダ隊(俺達)とニムロッド隊が突入して撃ち洩らしを仕留めるぞ》

《エスクード1、了解した》

《ニムロッド1、こちらも了解だ》

《へへっ、カルロス悪いな。7機ぽっちなら、俺達だけで獲物独占しちまうぜ?》

「ニコラス、頼むから静かにしててくれよ…。俺まで叱られるだろ」

 

 頼むから俺まで巻き込んでくれるな。不意にこちらへ向いたニコラスの声に、カルロスは心の奥底でそう呟きながら、うんざりしたように返した。案の定、小隊の先頭を飛ぶアンドリュー隊長が一瞬こちらをじろりと睨む。ニコラスに至っては、エスクード1から現在進行形で叱られているらしく、その様が通信を介して耳に伝わった。

 

 尤も、それもこれも、心の奥にある余裕がなせる業だろう。

 敵の数はこちらと比べて明らかに少なく、部隊を指揮するのは歴戦のエース。加えて、エスクード隊のF/A-18C『ホーネット』が4発ずつ搭載するXMAAは、敵の射程外からの一方的な攻撃を可能とする。うまく時期を捉えれば、エスクード隊だけで敵機を全滅させることも可能な筈だ。彼我の数の差とホーネットの性能を考えると、むしろその確率の方が高い。

 

 片や…、と自身のコクピットを眺めれば、カルロスの実情はお寒い次第である。擦れて地金の色を浮かべる塗装に、錆の浮いた計器盤、一応念入りに整備をしていても時折溜息をつくエンジン。現在の乗機MiG-19S『ファーマーC』は既に生産されてから40年近く経過しており、旧式の感は否めない。おまけに4つあるハードポイントのうち2か所には増槽を懸架しているため、武装は2基のAAM(空対空ミサイル)と30㎜機銃が3門のみ。ニコラスに憎まれ口を叩きこそすれ、実際に彼らが撃ち洩らし戦闘へと転がり込んだ場合、頼れるとは言い難い所であった。

 頼むことならば全部当ててくれ。…いやしかしそうなると獲物が、給料が。複雑な心持を抱えたまま、カルロスは風雨荒れ狂う眼前に目を向け直した。

 

《上空制圧隊へ、敵編隊が間もなく射程に入る。警戒せよ》

《了解だ。エスクード各機、安全装置解除》

 

 管制官の声に反射的に眼を走らせるが、ただでさえ暗い空の下、キャノピーに叩きつける雨と稲光に目が眩み、カルロスの眼をもってしても敵の姿は捉えられない。辛うじて、遥か先にシュヴィル・ロン島の島影がうっすらと見えるのみである。今更ながら、レーダーが無いというのは不便だった。

 

 その時、だった。ざ、ざ、という雑音とともに、聞き慣れぬベルカの言葉が、不意に通信に混ざったのは。

 

《抵抗を続ける各地のベルカ軍、ならびに全てのベルカ国民へ最期の通信を送る。私はシュヴィル・ロン島司令代行、モーリッツ・ランプレヒト少佐である。戦死されたグレゴール・アルニム大佐の御遺志を継ぎ、ここに我らの…》

《…なんだ?敵の通信が…混線か?》

《こちらサンダーヘッド。違う、混線ではない。意図的に複数の周波数帯で送信しているようだ。何の積りか知らないが…構うな、攻撃せよ。》

《ちっ、最期の死に花、ってか?》

《エスクード3、惑わされるな。各機、ロックオン。――FOX3(撃て)

 

 通信を揺らすベルカ軍将校の声は、存外に若い。凛として響きながら、胸の奥から紡ぎ出すようなゆっくりとした紡ぎ方は、まるでその無念と覚悟を象徴しているようにも聞こえた。エスクード3が言うように、最期の時を従容と迎えるべく、生きた証である言葉を遺そうとでもいうのだろうか。

 

 もっとも、現に敵編隊が向かっている以上、こちらは戦わねばならない。エスパーダ隊のすぐ後ろに位置していたエスクード隊の4機はやや機首を上げ、横一列に並んで攻撃体勢を取るのが最後尾のカルロスの眼にも見えた。射界の重複を避け、かつ友軍機を射線から外すには、やや上方の横一列編成が最も良い。

 

 灰色の翼から4つの炎が爆ぜて、風と、雷を、そして将校の声をも裂きながら、雷雲の彼方へと向かってゆく。

 結果は数マイルの彼方、後の結果を左右するのはベルカ軍機の技量、そして運のみ。悪天候の下で、その姿はまだ捉えられない。

 1秒、2秒、3秒。過ぎる程に遅い時の流れの中で、時計の秒針だけが正確に時を刻む。

 炎。

 煙の尾が飲み込まれた空の先、爆ぜた火球は2、…いや3つ。流石と言うべきか、半数以上は攻撃から逃れ得た勘定になる。

 

《敵機健在、機数4》

《ほー、案外やるもんだ。エスパーダ2、ニムロッド隊、残りを仕留めるぞ》

「了解!」

 

《歴史あるベルカ王朝から発展した我が国は、建国以来数多の災厄に襲われてきた。南ベルカ郡征服、東方戦役、そしてオーシア戦争…。その度に、ベルカ国民は不断の努力と果敢な決断によって、それらを跳ね返してきたのだ。ベルカの国民は、あらゆる脅威を退ける。それは、かくの如く歴史が証明してきたことだ》

 

 依然として紡がれる、男の声。その声と雨が降り注ぐ中を、アルベルト大尉のJ35J『ドラケン』を先頭とした6機が加速しながら飛んでゆく。

 吹き荒れる風がキャノピーを軋ませ、加速に従って叩きつける雨滴は激しさを増し、視界を著しく妨げる。朧に見えるシュヴィル・ロン島の位置を見る限り、もうそこまで遠くは無い筈である。どこだ、敵は。レーダーを併用できないMiG-19での索敵は何とももどかしく、カルロスは思わず舌を打った。

 

《エスパーダ2、敵機捕捉。1時と10時下方に2機ずつ。どの機体も『ビゲン』ね》

《ニムロッド1、こちらも捕捉した。1時方向の2機を受け持つが、宜しいか》

《おう、頼む。地上のSAM(地対空ミサイル)は大方潰してある筈だが、念のため注意しろ》

 

 最初に敵影を発見したのは、6機の中で最も優れたレーダーを搭載した『ラファールM』を駆るエスパーダ2――マルセラ中尉だった。

 敵機は、二手。方位のヒントを得て、カルロスもようやく、求める敵機の姿を捉えられた。以前もこの空域で交戦した、大型のカナードに2段階の角度を設けた特徴的なデルタ翼は、確かにJA37『ビゲン』のそれである。エスクード隊からのミサイルを急降下で回避したのだろう、その位置はやや低い。失った高度を急いで取り戻す為だろう、雲間から落ちる雷の間を切り裂くように、こちらに上部を向けながら急上昇に入っていた。その様は、まさに『ビゲン(稲妻)』の名にふさわしい。

 

 マルセラ中尉に続いてJ-7Ⅲを駆る隊長も敵機を確認したらしく、エスパーダ隊と分かれて右へと機体を傾けていく。2番機となるフィオンのMiG-21bis、3番機であるカークス軍曹のJ-7Ⅲに続くように、カルロスも操縦桿を倒して3機の後に追随した。

 だが、切り欠きデルタ翼を持ち、加速力に優れる3機は流石に速い。一般的な後退翼しか持たず、かつ双発とはいえエンジン出力も低いMiG-19では追いつくのも一苦労である。増槽を捨ててもなお余りある加速力の差を埋めるべく、カルロスはフットペダルを押し込む力を強めた。

 

《ニムロッド1、FOX2》

 

 隊長機、ミサイル発射。急上昇から強引に右ロールへと移った敵機が、辛うじてそれを回避する。強引な旋回でバランスを崩した『ビゲン』へ向け、隊長のすぐ後ろで肉薄していたフィオンはすぐさま発砲。23㎜の曳光弾がカナードを吹き飛ばしながら、その機体を炎へと包んでいった。

 一方、向かって左側の『ビゲン』は急上昇の進路を崩さず、そのまま宙返りへ移行してカークス軍曹が放ったミサイルを回避。やや遅れていたカルロスの『ファーマー』と、期せずして相対する位置取りとなった。

 

《ちっ、しまった!カルロス、そっち頼む!今度は喰らうなよ!》

「分かってます!…とは言ったものの…!」

 

 ヘッドオン。上下逆さまのままこちらと向かい合う『ビゲン』を前に、忌まわしい記憶がカルロスの脳裏を掠める。約1か月前、カルロスは今と同じシュヴィル・ロン島上空で、これまた同じくベルカの『ビゲン』とヘッドオンで相対して被弾するという失態を犯した。当時の乗機J-7Ⅲを失う遠因になった出来事でもあり、その時の屈辱と痛みは心身に刻まれている。

 

《今、連合軍はその数と力に任せて、不当にベルカの体制を改変したのみならず、領土と資源を搾取している。その上、ベルカの各都市を焼き払っておきながら、臆面も無く平和を語る始末である。かかる不義非道を、そして栄光のベルカを踏みにじる屈辱を見過ごすことは、我々にはできない。》

 

 絶えず通信の底で鳴る男の声が、一際語気を強める。それに背を押されたように、眼前の『ビゲン』は微動だにせず、こちらを正面から撃ち抜ける姿勢を崩さない。距離はおよそ1000、あと一歩で互いがAAMの射程内に収まる、短刀を突きつけ合うような生死の狭間の距離。

 どうする。一か八かの直進か、舵を転じて避けるか。それとも。

 

「…!やらせるかっ!!」

 

 操縦桿を倒した瞬間、目の前の空が回転し、血液が脚の方へと押し付けられる。空も、海も、眼前の『ビゲン』もが上下逆さまになった、錯覚に呑まれる平衡感覚。だが、これしきで逃す訳にはいかない。横方向へのロールが360度を迎える直前で懸命に操縦桿を引き戻すと、カルロスの視界のすぐ右上には『ビゲン』の三角形のシルエットが映っていた。

 カルロスが咄嗟に取ったのは、これまでも幾度となく用いて来たバレルロールだった。操縦桿を左後方へと倒して左方向へロールし、同時に機首をやや上向きに保つことで、射線を逸らしつつ前進する技術である。旋回の終点で急上昇し下方から攻撃を行う方法も、先日のOperation Ground-baitで編み出し確立した手法だった。唯一の誤算は、MiG-19の小回りの良さを失念し、予想より早く機首が上がってしまったことだっただろう。音速に近い速度で飛び回るジェット機である、当然今更立て直しは効かない。

 ままよ。

 逡巡する間すらない、一瞬の交錯。『ビゲン』の下方から上後方へと抜ける最中に引いた引き金は、僅かに数発の穴を穿ったのみに終わった。

 

「くっそ、外した!」

《こちらニムロッド1、新たにYaK-38が3機上がって来ている。俺とニムロッド2は奴らの相手をする。ニムロッド3、4はその『ビゲン』を仕留めろ。爆撃隊の到達まで時間が無い、迅速にな》

《あ、あの程度なら僕一人で十分ですから。隊長は上の二人助けてあげたらどーです?》

《抜かせ!こっちは二人で十分だっての!カルロス、とっとと落としてあんにゃろうの鼻を明かすぞ!》

「了解です!サポートは任せて下さい!」

 

 上昇から機首を返し、宙返りの頂点でのロール――俗にいうインメルマンターンの要領で機体を水平に戻す。カルロスはそのまま機体を右に傾け、互いの位置を俯瞰した。

 先程の『ビゲン』は、こちらとすれ違った後に右旋回に入り、こちらのほぼ真下にいるカークス軍曹のJ-7Ⅲと横方向の巴戦に入っている。

 2機が描く輪の遥か下方には、Fの字のようなシュヴィル・ロン島の特徴的なシルエットと湾内に動く4つの艦影、そしてそこから上昇してくるYaK-38の小柄な機影が3つ。アンドリュー隊長とフィオンは螺旋を描くように下降していき、側方からその3機を攻撃する様子と知れた。遥か右方では瞬く間に2機を撃墜したエスパーダ隊が上空警戒に入っており、南方にはぽつぽつと爆撃機の姿が見えている。あの速度と位置では、島の上空に到達するまで2分とないだろう。それまでに、この4機を撃墜しなければならない。

 

 さて、問題はカークス軍曹と横合いの格闘戦に入っている『ビゲン』である。J-7Ⅲ――MiG-21は先代MiG-19譲りの機動性に加え速度性能を兼ね備えているが、一方で『ビゲン』もデルタ翼に大型カナードを有し、格闘戦では甲乙つけがたい。そしてあまり時間をかけては万一爆撃隊へ脅威が及ばないとも限らず、速やかに落とす必要がある。

 と、なれば。この機体の小回りと機銃数の利点、そして数という強みを活かす他に無い。

 カルロスは操縦桿を横へと倒して背面飛行へと移り、そのまま垂直降下を仕掛けた。

狙いは、『ビゲン』の予測進路上。そしてカークス軍曹との格闘戦で上下への注意が疎かになった、敵パイロットの心の隙。

 重力加速度も加わった強烈な加速と強風で、小刻みにぶれるガンレティクル。その命を捉える小さな丸の中に『ビゲン』の機首が入った時、カルロスは3門の機銃の引き金を同時に引いた。

 

「そこっ!!」

 

 3筋の曳光弾、迫る灰色の翼、空を奔る稲妻。目まぐるしい光の奔流の中で、カルロスは間髪入れず操縦桿を引き上げる。不意に頭上から襲い掛かった銃弾の雨に、敵機はたまらず旋回方向を左へと変えながら、こちらの下方を横倒しで抜けていった。

 そして、その隙が致命傷となった。右に大きく傾いた機体を水平に直し、左旋回へと入るには当然機動が鈍ることになる。こちらと入れ違って後方から追いついたカークス軍曹はその一瞬を逃さず、もう1発のAAMを発射。距離800を切る至近距離で放たれたそれを避ける術はなく、『ビゲン』は粉々となった体を荒れ狂う海へと落としていった。

 

《よっしゃ、ナイスフォロー、カルロス。腕上げたな》

「あっ…ありがとうございます!軍曹が敵の動きを制してくれていたお蔭ですよ」

《えっ、今のくらいで褒められるとかプークスクス》

《……あんのガキめ…》

 

 機体を隣り合わせた時、カークス軍曹から入って来る通信。それに応えるように横へと顔を向ければ、カークス軍曹は親指を立ててこちらに向けてくれていた。わざわざ割り込んでまでからかうフィオンにぐぬ、と呻くも一瞬、下方を見やれば海へと堕ち行く機影が3つ。どうやら隊長とフィオンも敵の迎撃機を返り討ちにしたらしい。性能差もあるが、その手腕はやはり流石だった。いくぶん向上したとはいえ、自分の技量では到底真似できない。

 

《…各機。無駄話している暇があるなら集結しろ。ニムロッド1よりサンダーヘッド、空域に空中の脅威なし。》

《こちらエスパーダ1、同じくだ。雲の上にも機影は見られず》

《了解した。以降の上空警戒はグリフォンならびにドレイク各隊が引き継ぐ。サピンの各隊は爆撃隊の後方に就かれたし》

《ニムロッド隊了解。各機、行くぞ》

《うぃーす。……ベルカ軍も、これで終わりだな》

 

 隊長の指揮に従い、ひと塊に集った4機が上空を指して旋回。エスクード隊、エスパーダ隊とともに、悠々と飛行するB-52の後方へと就いた。

 10分にも満たない、僅かな間の戦闘。その間に、空を舞うベルカの機体は1機もいなくなっていた。士気と技量だけでは、数と時の流れという圧倒的な力には抗するべくもない――皮肉なことに、連合一色の空模様は、この戦争の結末を象徴しているようだった。

 最早残るのは基地施設と、湾内に残る艦艇が数隻。ミサイルすら欠乏しているのか、SAMが撃ち上がる素振りすら無く、依然通信を続けるベルカ将校の他は全て静まりかえっている。まるで、滅びの時を覚悟して待つかのように。

 

《我らは最期の一兵まで戦い抜く。ベルカ国民よ、そして誇り高きベルカの将兵達よ。歴史を省みよ、そして今を憂い、未来を勝ち取れ。栄光のベルカを取り戻すために奮起し、立ち上がるのだ。驕った大国を討ち果たし、伝統のベルカ国旗を再び挙げることで、我らは初めて新たな一歩を踏み出せる。》

《ボーガン1よりサンダーヘッド、目標上空到達。爆撃を開始する》

《サンダーヘッド了解。いい加減独演会は聞き飽きた。奴を黙らせてやれ》

 

 やや間隔を開けたB-52が一斉に爆弾庫を開け、目標となる島の上空へと差し掛かる。空を覆う超空の要塞(ストラトスフォートレス)の威容と比べると、眼下に横たわる島はいかにも頼りなく、小さい。迎撃機どころかSAM一つ上げることもなく、抵抗といえば辛うじて湾内の駆逐艦が主砲を撃ちあげているのみ。獅子に立ち向かう蟷螂のようなその様は、悲壮とも滑稽とも言いようが無かった。

 

 爆撃、開始。

 管制官のその声で枷が外れたかのように、B-52の腹から地中貫通爆弾が一斉に投下される。12機もの大編隊から放たれるそれは、まさに空を覆うよう。雨に打たれ、風に吹かれながら、それらの黒い塊は徐々に小さくなっていき…先端から地に突き刺さると同時に数多の爆炎を噴き上げて、瞬く間に島を覆い尽くしていった。

 滑走路、港湾施設、そして司令部施設を抱える山。曲がりなりにも形を保っていたそれらが、黒煙と炎の中で徐々に残骸へと形を変えてゆく。

 爆撃は施設だけに留まらず、湾内の艦船にも襲い掛かる。炎に巻かれる内火艇、蛇行して爆弾を避ける巡洋艦、被弾して急激に速度を落とした軽空母。見るも無残な一方的な攻撃の中で、直撃を受けた駆逐艦が、真っ二つに割れ沈んでいった。

 

《諸君、聞いての通り最期の攻撃が始まった。我らの命は、もはやここで尽きるだろう。だが、我らの魂は、信念は、ここで尽きることはない。》

《チッ、こんだけ落としたのにまだ喋り続けるか!》

《だが、風前の灯火には変わりない。サンダーヘッドより爆撃隊全機、司令部施設を中心に反復爆撃に入れ。…うん?》

《どうした?》

《サンダーヘッドより戦闘機各機へ、お客さんだ。方位140、170ならびに220よりベルカ機接近中。本土に潜伏していた残党だろう。エスクード、二ムロッドならびにエスパーダ各隊は迎撃に…》

《こちらエスパーダ1、ちょっと待った。エスパーダ隊(俺達)はともかく、エスクードとニムロッドは弾薬を消耗している。一手は俺達が受け持つから、残りにグリフォンとドレイクを当てて貰えないだろうか》

《何?しかし……いや、そうだな。了解した、エスパーダ隊は方位140、グリフォン隊は170、ドレイク隊は220の迎撃に向かえ。これでいいな、大尉?》

《柔軟で助かるぜ。エスクード、ニムロッド、お()りは頼むぜ》

「了解です!…ありがとうございます、大尉。」

 

 本土からの、ベルカ残党の追撃機。管制官の声に思わず操縦桿を動かしかけた刹那、割り込んで入ったアルベルト大尉の声にすんでの所で押し戻す。

 確かにこちらは先ほどの交戦でミサイルや燃料を消耗しているが、それはアルベルト大尉だって同じ筈である。それを、一方は自分で引き付けてでも、こちらを護衛に留めておいてくれた。翼を翻して南へと向かっていく紅い翼を見送りながら、カルロスは大尉の配慮を噛みしめていた。

 

 異変が起きたのは、それからわずかに数分後のことだった。

 

《よし、反復爆撃に入る。各機反転》

《了解。作戦予定をやや超過している。この航過で全て投下を……。…待て。何だ、直下に反応が……?ボーガン8、下だ!急速回避!!》

《何だと!?…ッ!しまった、被弾!こちらボーガン8、落ちる!》

《…散開!》

 

 爆撃隊が反転し、鼻先を南へと向けたその瞬間。動揺した管制官の声を割くようにB-52の1機が爆炎に包まれる。一体、何が。反射的に機体を翻して散開した矢先、カルロスはB-52の脇を抜けて急上昇する4つの機影を捉えた。

 角ばった胴体と、機体とは不釣合いに大きな垂直尾翼。速度帯によって角度を変える、MiG-23と同様の上翼配置になった可変翼。友軍機としても何度か見たその姿は間違えようがない。

 トーネード――機首がやや長いことから見て、おそらく制空仕様のADV型。しかも先頭の1機は濃紺地の胴体や翼に白い帯を描いた、独特の塗装が施されている。

 

《――見よ。今こうして、敢えて不利をも顧みず、馳せ参じた勇士たちがいる。彼らのような者がいる限り、我らがベルカは不滅だ。国土を踏みにじられようと、街を焼かれようと、何度でも蘇る。》

《くそっ!まさか低空飛行で侵入してきたってのか!?》

《爆撃隊、そのまま行け!散開されると却ってフォローしきれん!ニムロッド隊、迎撃するぞ!》

《了解!》

「了解です!」

《りょーかーい。先頭のは僕に下さいね》

《余裕があればな。全機、SAAM発射。目標最後尾!カルロス、フォロー頼むぞ!》

 

 操縦桿を手前に引き、同時にフットペダルを踏みこんで急上昇。上空へ抜け2機ずつに分かれたトーネードを追撃しながら、隊長はMiG-21が搭載する特殊兵装――セミアクティブ空対空ミサイルの使用を下命した。主翼を畳んだ高速形態で敵機は距離を離しつつあるが、当然反復攻撃のためにはいずれ速度を落として旋回しなければならない。その隙を、射程距離に優れるSAAMで追撃する積りなのだと知れた。

 

 以前カルロスも使用したことがあるが、SAAMは母機が敵機を捕捉し、それに従ってミサイルを誘導するシステムである。すなわち、母機のレーダー範囲や精度をそのまま用いられるため射程距離や命中率に優れるが、反面敵機を機体正面に捉えざるを得ず、その間は機動が制限されるという弱点も併せ持つのだ。

 

 従って、SAAMを部隊単位で運用するためには、必然的にフォローする役割が必要になる。すなわち今この場においては、編隊最後尾のカルロスがその役割となる訳である。どの道レーダーを装備しないMiG-19ではSAAMを運用できないため、この点はやむを得ないことでもあろう。

 

「…!やっぱり来たか!」

 

 背を護るべく、機体を傾けて後方を伺うカルロス。彼の鳶色の瞳は、旋回した2機のトーネードがこちら目がけて迫りつつあるのが見えた。おそらく、爆撃隊はいつでも落とせると判断し、先に脅威を落とす選択をしたのだろう。敵の機動を読んでいた為か、エスクード隊によるフォローは間に合いそうにない。

 ならば。

 

「隊長達に、手は出させない…!こっちを見ろ!!」

 

 瞬間、カルロスは渾身の力で操縦桿を引き、左斜上旋回(シャンデル)機動。追撃してくる2機の上前方に背面飛行で陣取り、逆さまになった『頭上』――すなわち下方に2機を捉えた。

 MiG-19の格闘戦能力を最大限に活かせばヘッドオンも可能だったが、そうすると同時に相手できるのはどうしても1機に限られる。しかも耐久性に優れるトーネード相手ならば、致命傷を与えられるかどうかも疑わしく、最悪の場合すり抜けられて隊長達が攻撃を受ける危険がある。上方からの攻撃で、まずは敵の機動を乱す。要諦は、先程『ビゲン』に対して行った攻撃と同じであった。MiG-19の旋回半径を先の失敗で掴んだこともあり、今回は位置もぴったりと合っている。

 

 思い通りの位置に占位した以上、あとは旋回性能を出し惜しみする必要はない。今にも入れ違う敵機の上で操縦桿を引き、最少半径で旋回したカルロスの眼の前には、トーネードの大きな尾翼があった。距離、800。逃しようのない、命に届く距離。

 眼前で、慌てたトーネードが右に傾き旋回を始める。

 角度を広げ始めた主翼。

 こちらを振り返る敵パイロット。

 それらを目に収めながら、カルロスは引き金を引き、AAM2発と機銃弾を続けざまに叩き込んだ。

 

 爆炎、飛び散る破片。だが、この状況では撃墜確認をする暇も惜しい。もう1機、どこだ。

爆炎に紛れてしまった特殊な塗装のトーネード――『ライン付き』を、カルロスは懸命に追いかける。

 こんな時、レーダーがあれば。ただでさえ悪天候で視界が悪い中に紡いだ弱音は、煙の端にちらりと映った白帯の発見をほんの僅かに遅らせた。右前方に認められた筈のそれは、カルロスが気づかぬ間に翼を広げて減速。ふ、とカルロスが気づいた時には、既に自機のすぐ右隣にその白帯を翻していた。

 

「なっ…しまった、いつの間に!?」

 

 まずい、このままでは後方に占位される。勝ってしまった速度を殺すべく、カルロスは咄嗟に操縦桿を引き機首を上げた。上昇と同時に減速し、重力も利用して効率的に減速する方法――空中戦闘機動に言う『ハイGヨーヨー』だが、爆炎に乗じた急減速でこちらの隙をついた『ライン付き』は動じない。可変翼の優れた低速時の安定性を活かした急減速と上昇で、その位置はカルロスの横から斜め後方へ、そして徐々に後方へと移りつつあった。

 捕まる。

 もっと速度を落として、何とか敵の後方に就かなければ。

 焦りと恐怖がカルロスの体を動かし、さらにエンジン出力を落とさせる。減速、機首上げ、そして旋回からの捻り。――動揺は、正常な判断を妨げる。カルロスはこの時、攻撃を恐れる余り失念していたのだった。今の機体は低速安定性に優れるMiG-23でも、まして減速域を把握できているMiG-21でもないことを。

 

「――!?う、あっ!?しまっ…!」

 

 瞬間、突然の縦揺れがカルロスを襲い、灰色の空を映していた視界が一気に深青色へと染まる。

 急減速、上昇…しまった、失速。トーネード同様の機動を行ったことで、デルタ翼同様低速域での安定性に劣り、かつ縦安定性も低下する後退翼の弱点が顕れた形であったが、無論そこまで思いを馳せる余裕はない。

 海面が瞬く間に近づき、高度計の数値が目まぐるしく減少してゆく。

 出力増加、加速、揚力確保。

 まるで暴れ馬のように振動する機体を必死に抑え、カルロスは慌てて揚力回復の操作を図る。ちらりと後方を省みれば、紺地に白帯、『ライン付き』の姿。乗ずべき隙を晒したこちらを、とことん追い詰める積りらしい。

 

《カルロス!…ちっ、失速か、あのバカ!》

《ニムロッド4、こちらは(じき)片が付く!エスクード隊、間に合うか!?》

《こちらエスクード1、…ダメだ、降下が速すぎる!》

 

 沸騰する通信の声と目の前に広がる海面が、否応なしにカルロスの肌を粟立たせる。

 エスクード隊や隊長は間に合わない。このまま降下を続ければ海面に衝突か空中分解だが、今引き起こすと確実に機銃で撃ち抜かれる。

 どうする。

 高度4000。

 

《ニムロッド1、1機撃墜!カークス、すぐに下に行ってやれ!》

《…ダメだ、間に合わねえ!》

 

 隊長達の声が遠く響く。

 

 高度3500。

 

「…くそっ!こんな所で死ねるか!………一か、八か…!」

 

 まだ、死ねない。レサスに家族もいる。ジョシュア大尉の言っていた、拠って立つ意志も見つけちゃいない。

 それなら、賭けに出てでも――。

 

 高度3000。

 

《ボウズ、あと500降りて引き起こせ!》

 

 アルベルト大尉の声。

 

 高度、2500――。

 

「う、お、お、おおおお!!」

《エスパーダ2、FOX2》

 

 眼前に広がる黒色の中に聞こえた、一筋の光明。カルロスは、その声に引かれるように脚を踏ん張り、操縦桿をぐんと引いて機体を引き上げた。

 急激なGに血液が足元に集まり、視界が一瞬黒に染まる。

 爆発音、凄まじいエンジンの音、遠くで何やら聞こえる声。まるで幕に包まれたように、全ては朧にしか聞こえない。

 

 ゆっくりと色を映し、徐々に戻り始める視界。真っ先にカルロスの眼に映ったのは、曇り空を裂くような、眼前を飛ぶ鮮烈な『紅』だった。

 

《やっぱり加速はラファールのもんだな。俺も乗り換えようかね》

《ふふ、そんな気なんてないくせに。ニムロッド4、大丈夫?》

「え、あ……。…!マルセラ中尉!?はい、俺はなんとか大丈夫で…って、お二人の方の敵は、それにさっきのトーネードは!?」

《俺達の方のはちゃちゃっと仕留めたさ。ゆっくり戻ろうかと思ったら、何やら取り込み中みたいだったんでな。マルセラを先行させて急行したのさ》

《上空のトーネードは貴方の仲間が駆逐したみたいね。最後のトーネードは…ごめんなさい、ミサイルを回避して逃げていったわ。相当な腕前みたいね》

「…すみません、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。お二人は、命の恩人です」

《はは、お礼は出世払いで返してくれ。グリペンで頼むぜ》

 

 今更に噴き出た汗が頬を伝い、滴となって床に落ちる。命の際、一歩後ろの死から逃げ延びた感覚に、思わず虚脱感が全身を襲った。

 マルセラ中尉の言葉に従い頭上や周囲を見渡せば、B-52は1機を失ったのみ。ニムロッド隊を始めとした護衛機も皆無事なようだ。遥か南へと眼を向けると、小さな機影が一つ、雷雨に紛れて消えてゆく様が映った。エスパーダ2――マルセラ中尉をして手練れと言わしめるその技量。そんな敵を前にして生き延びられたのは、幸運と、何よりアルベルト大尉ら二人のお蔭に他ならない。感謝してもしきれない思いだった。

 

《こちらサンダーヘッド。無事に退けられたようだな。各機、よくやった。エスパーダ隊、低空侵入したついでにもう一つだけ頼む。島内の施設と港湾は全て潰したが、巡洋艦が1隻中破擱座している。依然敵からの通信は途絶えておらず、件のベルカ将校は巡洋艦から通信を送っているものと思われる。これを完全に沈め、戦争にケリをつけて貰いたい》

「巡洋艦?」

《やれやれ、最後は処刑人かい。了解。ニムロッド4、同行してくれ》

「え?…あ、了解しました。」

 

 管制官が伝える命令に、アルベルト大尉は気乗りしない様子で機体を翻す。マルセラ中尉、そして大尉に誘われたカルロスもまた、機体を旋回させてシュヴィル・ロン島の湾内へと向かった。

 作戦開始から、1時間にも満たない短時間。その間に、カルロスの眼に映る島影は一変していた。施設は残らず崩れ落ち、度重なる爆撃にもびくともしなかった山肌ももはや原型を留めていない。目指す湾内はといえば、幾筋もの黒煙が立ち上り、軽空母は大きく傾いて半身を海へと沈めている。その中で、ただ1隻残った巡洋艦は後部を海に呑まれながらも依然前部を浮かべ、単装の主砲を天に向けて屹立させていた。

 

《ベルカは屈しない。オーシアを、ユークトバニアを、強欲な周辺諸国を余さず呑み込むまで、何度焼かれようと蘇る。誇り高きベルカの魂がある限り、我らは不滅だ》

《哀れなザマだ…。『あいつ』の言う通り、これじゃ戦争が終わる筈も無い。…案外、一理あるのかもな》

「え?」

《あー…いや、こっちの話だ。エスパーダ2、ニムロッド4、すぱっと終わらせよう。もう、戦争は終わりだ》

「――はいっ!」

 

 空気の中に、一瞬紛れ込んだ違和感。

 まるでそれをかき消すように、アルベルト大尉は先頭を切って巡洋艦へと鼻先を向けた。続くはマルセラ中尉の『ラファールM』、殿(しんがり)はカルロスのMiG-19S。もはや死にかけたセンサーを頼りに主砲を撃ち続ける巡洋艦の様は、悲壮にして痛々しい。

 栄光あるベルカの復活。見果てぬ、妄執ともいうべきその信念で、彼らは戦い、死へと向かっているのか。

 信念は、確かに人を強くする。逆境に曲がらない強さを与えてくれる。だが、同時にこうして人の退路を奪って、滅亡へも向かわせる。脳裏に去来するは、友軍を逃がすため奮戦したのち海へ突入し自裁した、YaK-141の悲惨な最期――。

 

《我らここに死そうとも、我らの信念は魂魄となり諸君を護り続ける。ベルカ将兵よ、国民よ、ベルカを取り戻す為に戦い続けよ。護国の霊となり、未来を掴め。》

 

 かつての戦艦全盛期の時代と比べ、現代の艦船は巡洋艦といえども装甲は厚くない。先頭を切ったアルベルト大尉がAAMと機銃を発射し、それに続くマルセラ中尉が追撃を叩き込むと、爆発に包まれた艦影は明らかに傾いた。すでに艦前部にも爆炎が上がり始め、誘爆を始めていることは明らかである。

 カルロスは、ガンレティクルの中に敵の姿を収めた。信念と言う名の妄執に囚われ、黒煙に沈む黒鉄の城を。

 

《ベルカ公国に、栄光あれ》

 

 唸りを上げて吐き出された30㎜口径弾が、甲板を、主砲を、艦橋を直撃して破壊してゆく。

 最期のベルカ将校の声が、銃声に呑まれて消えた直後。通過したカルロスの後方で巡洋艦は紅の炎を上げ、爆発とともに破片を散らした。

 

「信念、か……。」

 

 ぽつり、と呟いたその言葉は、果たしてカルロス本人も意識したものだっただろうか。機体を旋回させたカルロスは、炎に舐められ、沈みゆく黒鉄を見下ろした。信念と理想の名のもとに多くの命を飲み込んだその艦を、そして終焉を迎えつつあるベルカ公国を。

 

「確かに、信念は人を強くする。あの『ライン付き』も、ホフヌングの時のF-117も、俺より遥かに強かった。…でも、信念が、『そういうもの』だとしたら。――俺は、御免だな。」

 

 船上に翻るベルカ国旗が、炎に包まれ焼け落ちてゆく。

 カルロスの最後の呟きは、その旗とともに、波に飲み込まれた。

 




《諸君、ご苦労だった。シュヴィル・ロン島のベルカ残党殲滅を以て、Operation Fishing-Pondはここに終了した。
作戦中に出現した紺地に白いラインのトーネードADVは、コールサイン『Twice dead』と名乗るベルカのエースらしい。また、空爆後の島内調査の結果、脱走した艦数と沈没した艦数が合致しないことも判明している。いずれもその行方を現在調査中である。各員はこれに油断せず、一層奮闘してほしい。以上だ》


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第22話 帰還

《コバルト3、着陸行程完了。輸送機各機は第3格納庫へ向かい、補給を開始せよ。コバルト4、着陸よし》

《コバルト4了解。こっちははるばるベルカから飛んで腹ペコだ。たっぷり頼むぜ》

 

 秋晴れの空の下を、灰色の大きな機体が1機、また1機と地上へ舞い降りてゆく。

 主翼にサピンの国籍マークを描いたその巨体は、地に3つ、空に2つ。元来が大型機の上よほどに荷物を抱えているのだろう、地を這うその機体――C-130『ハーキュリーズ』の歩みは、戦闘機のそれと比べてのろのろと亀のように遅い。通信の端に聞こえたパイロットの声は、その動きに従うようになんとも呑気なものである。

 この穏やかな光景も、ひとえに戦争が終わった安心感によるものなのだろう。ただでさえ、涼しい秋の空気は人の心を緩ませる。長期間の緊張を強いられた前線基地では、反動が生じても無理も無いことだった。

 

《空中警戒機より管制室、周辺に敵影なし》

《了解した。ニムロッド隊、第2滑走路より着陸せよ。サピンへの帰還、歓迎する》

《誘導と歓迎に感謝する。ニムロッド1より各機、編制順に着陸する。脚を折るな》

 

 ――いや、反動といえば、自分も例外ではないだろう。ベルカ残党掃討のため、契約地であるサピンを離れて3か月。一足先に戦争状態から脱したサピン国内に帰ってみれば、やはり気が緩むのを抑えられない。

 戦争が終わってしまえば、傭兵には稼ぐ手立てが無いというのに。そう思うと、我ながら妙な心境だった。

 

《ニムロッド3着陸行程完了。ニムロッド4、着陸を許可する》

「了解。ニムロッド4、着陸行程に入る」

 

 カークス軍曹のJ-7Ⅲが滑走路に舞い降り、ゆっくりと旋回して格納庫へと向かってゆく。空からその様を見届けた後、カルロスは操縦桿とフットペダルを調整し、まっすぐに滑走路の端へと機体の鼻先を向けた。

 降下、減速、滑走路手前での機首上げ。幾度となく反復したその工程は、流れるように身に着いている。

 速度もよし、進路適正。着陸中止の声も無い。高度が低くなるにつれ、風を孕んだ主翼に砂埃が舞い上がる。出迎えの第一声は、キャノピーに当たる砂粒とタイヤの軋み、そして上空を舞う警戒機の轟音。無機質な3連奏の横で、滑走路の端に生えた芝生がさわさわと風にそよいでいるのが目に鮮やかだった。

 

 サピン国内における、ニムロッド隊第二の拠点『オステア空軍基地』。ベルカ国内に展開していたサピン空軍の撤収とともに、本来の戦力を取り戻したその地は、俄かに喧騒を帯びつつあった。

 時に、1995年9月27日。ベルカと連合軍との戦争が公式に終結してから、既に3か月余りが経過していた。

 

******

 しばし、後。ニムロッド隊4人の姿を、格納庫に認めることができる。

 戦争終結のお蔭もあり、戦闘部隊たるニムロッド隊の任務と言えば今や定時の哨戒とスクランブル待機のみ。おまけにベルカ北岸から一気にサピン国境へと飛行してきた点を基地側が考慮してくれたのか、今日一日は全員が非番となっていた。

 これまでの任務を省みれば、サピン-ベルカ間の飛行など疲労の内にも入らないが、それでも非番は非番である。万一に備えて格納庫に待機しつつも、『ニムロッド』の各自は手持無沙汰な時間を潰していた。アンドリュー隊長は帰還報告を行った後、ミーティングや本社との連絡を取るため司令部に留まったまま。カークス軍曹は座椅子に座り、新聞を広げてタバコをくゆらせている。フィオンはシャッターの柱に寄り掛かり、外をぼんやりと眺めている様子だ。

 

 一方のカルロスはといえば、フライトジャケットの上を脱いだ軽装でうつ伏せに両手とつま先を付け、小さく息を吐き出しながら肘屈伸を――すなわち腕立て伏せを繰り返していた。手持無沙汰な時は筋トレ、という習慣付けは最早彼にとって習性とでもいうものになりつつあり、おまけにベルカ駐屯時の多忙とリハビリでしばらくできなかった期間を取り返す意味合いもあったのだろう。床に汗を垂らしながら、若い筋肉は隆起と伸長を繰り返し、黙々とその身体にエネルギーを溜めこんでゆく。

 もっとも、他の2人が静かにしている中、1人だけが一心に腕立て伏せをする様は妙と言えば妙ではあるが。

 

「あれ、あの人たちもう上がるんだ」

「え?…あ、本当だ。凄いな、まだ1時間も経ってないぞ」

 

 不意に、外を眺めていたフィオンがぽつりと声を上げる。ふと耳を済ませれば、確かに外からは低く重い響き。戦闘機とは明らかに異なるその音に違和感を覚え、カルロスは腕立て伏せを止めて、釣られるようにフィオンの後ろから外へと眼をやった。

目の前に当たる滑走路を奔るは、灰色の巨体。地滑りのような重いエンジン音を響かせて空へと舞い上がってゆくのは、間違いなく先程着陸したばかりのC-130である。

 ちらりと腕時計を見やれば、針が指すのは午後2時15分。乗機を格納庫に収めて司令部へと帰還報告を行ってから、まだ50分程度しか経過していない。所要時間を考えるに、おそらく補給を終えてすぐさま離陸したのだろう。慌ただしいその様は、常ならば考えられない、戦時そのものの性急さと言わねばならない。

 

「ま、わざわざベルカから大事(だぃぃじ)な荷物抱えて来てるんだ。すぐに目的地まで運びたい、ってのが人情なんだろうさ」

 

 カークス軍曹は新聞から僅かに眼を上げ、へへっ、と皮肉っぽい笑い声を上げながらそう言った。

 カークス軍曹の言葉には、明らかに棘がある。カルロスも同意の言葉こそ示さないものの、同じく積荷の内容を知る者として、軍曹の意図する所は理解できた。

 

 そもそも、今回のベルカからサピン領内への撤収において、あの5機が参加することになったのは出発のわずか半日前だった。要はこちらの撤収にかこつけて護衛を任された訳だが、それほどまでに急に、しかも撤収の喧騒に紛れるようにこそこそと参加したというのも、考えてみれば妙である。

 後で漏れ聞いた所によると、輸送機に搭載されていたのは全て今度の戦争で接収したものなのだという。それも地下資源や金銀財宝といった即物的で陳腐なものではなく、今後の国家関係をも左右するもの――試作兵器の設計図や部品なのだそうだ。いやに勿体ぶった輸送機の機長が言う所によると、ベルカの超高層化学レーザー兵器『エクスキャリバー』の護衛に就いていたレーザー列車砲のものなのだという。ベルカの技術者も一緒に乗っている等の噂もあったが、実際そんなものが実在したのかということ自体がカルロスの知識の外であり、実際の所は話半分程度にしか聞いていなかった。

 いずれにせよ、彼らの目的とする所は、戦争で分捕った物を後生大事に抱え込んで本国に運ぶことだったと言って良い。貪欲なその様が、カークス軍曹には気に障ったに違いない。

 

「へっ、結局この戦争で得したのは、タダで技術を得られた技術屋と商人だけかもな?」

「そして傭兵の我々も、だ。カークス、我々は戦争の意味の是非を問う必要はない。それと格納庫の中で煙草はやめろ」

「げっ。隊長いつの間に」

「今しがたな。フィオン、カルロス、集合しろ。ミーティングの内容を伝えておく」

 

 苦笑とともに皮肉で結んだカークス軍曹の言葉に、不意にアンドリュー隊長の声が被せられる。司令部でのミーティングが終わったのだろう、格納庫裏手の通路から姿を現した隊長は、襟元を広げくつろいだ様子だった。  

 カークス軍曹が渋々煙草を灰皿に押し付ける傍らで、他の3人はパイプ椅子を引っ張り出し、適当に位置を占めて座り始める。

 全員が座を占めるのを見届けて、隊長は携えていた書類の束へと眼を落とした。ミーティングの資料らしく、綴じられた数枚の紙にはそこここに赤くメモ書きが付け加えられている。

 

「まず、一連のベルカ残党の動きだが…シュヴィル・ロン島の湾内を調査した結果、どうも終戦と同時に脱走した数と沈没が確認された数が合わないらしい。航空機についても同様だ」

「…残党のいくつかが行方不明ってことですかい?」

「そうなるな。数にして輸送船3隻と駆逐艦1隻、航空機はざっと20機前後。肝心の輸送船の積荷は明らかになっていないが、連合軍は泡を喰って探し回っているらしい」

「結構な数ですね。…ってことは…」

「ああ。まだ今後も残党討伐の任務がある可能性がある。状況にもよるが、契約更新もありうるな」

 

 ベルカ残党討伐の顛末と、敵戦力の失踪。時折顔を上げつつ話すアンドリュー隊長の言葉に、カルロスも終戦――6月以降の動きを記憶の中から辿ってゆく。

 国境の都市ルーメンで終戦協定が結ばれたのは去る6月20日。その翌日には、終戦に反発するベルカ艦隊が脱走し、残党軍の本拠地シュヴィル・ロン島へと離脱している。その際の追撃戦、ワイルドウィーゼルの敢行と失敗、そして止めとなる爆撃作戦の護衛。3か月近くに及ぶ討伐作戦の中でカルロスも幾度となく戦場に赴き、窮地に陥りつつもこれまで生き抜いて来たのだった。

 その中でも、6月21日に行われた追撃戦の記憶は今なお新しい。荒れ狂う北海、決死の覚悟で反転するベルカ艦隊、そして波間に沈んでゆくそれらと、こちらを翻弄しつつも自裁して果てたYaK-141。それは今にして思えば、果てない新たな戦闘の幕開けと、ベルカの意地と妄執を象徴する戦いでもあった。

 

 そして――そうだ。

 確かその際の事前情報では、ベルカ艦隊の編制には輸送艦がいた記憶がある。ところが、以降の戦闘では海上でもシュヴィル・ロン島の湾内でも輸送艦を見た記憶が無い。全ての戦闘に出た訳ではないので確証はないが、輸送船が姿を(くら)ましたというのもありえそうな事である。

 理由は判然としない。だが、他に散在するベルカ残党に身を寄せたというのがおそらく順当な予測であり、それゆえに捜索は困難を極めるだろう。これまではシュヴィル・ロン島という拠点に勢力が集中していたが、それが潰れた以上、残る他の拠点はあまりにも小さく、位置を掴むのも容易ではない。着果したホウセンカの実を取るのは容易だが、それが弾けて地に落ちれば探すのは至難になるのと同義である。

 

 以上を踏まえれば、ベルカ残党討伐にはかなり時間を要することも考えられる。本来は来年3月までの1年契約だったが、討伐作戦を実施すべきサピン正規軍が立て直しの途上である今、サピンと結んだ契約更新も場合によってはやむなしと言えた。

 とはいえ、雇用主はサピン正規軍であり、サピンそのものも補給の体制は十分、おまけに飯も旨い。いささか不謹慎なきらいもあるが、そうなればなったで傭兵としては望む状況と言えるだろう。

 

「その積荷ってのが臭いっすね…。またベルカお得意のレーザー兵器ですかね?」

「さあな…。機密レベルが高いとかで、情報は開示されなかった。いずれにせよ留意しておいてくれ。…それと、別件だが本社とも話が繋がった。朗報が二つある」

「朗報?…Su-27(フランカー)配備とか!?」

「…ウチみたいな貧乏会社にそんな余裕があるか。まず一つだが、修理に出していた俺のMiG-27と全員のMiG-23が返って来る。部品調達に手間取ったが、何とか直ったらしい」

「おっ、本当ですかい!?待ちわびたぜ!」

「…え゛ー。結局『フロッガー』-?」

「良かった、やっと俺もMiG-19から解放ですね…。今の機体はどうするんですか?」

「まだ確定ではないが、俺とカークスのJ-7Ⅲ、お前のMiG-19は売却の予定だ。元々数合わせだったし、今は機体があっても社にパイロットがいないからな。フィオンのMiG-21bisは予備機に回す」

 

 話題を引き継ぎ、続いて隊長の口から語られたのは朗報の一つ――MiG-23の再配備。3か月越しの愛機の帰還に、カルロスは思わず身を乗り出して安堵の言葉を口にした。カークス軍曹も同意らしく、先程の皮肉など微塵も無い笑顔を見せている。

 

 発端は6月上旬のスーデントール攻防戦において、ベルカ軍が使用した核兵器の余波を受けたことである。

 機体外装には直接の損傷こそ無かったものの、同時に生じた電磁波障害の影響が大きく、『フロッガー』の電子機器が受けたダメージは甚大だった。現代の航空機は制御システムが複雑化の一途を辿っており、そのサポートのために電子機器を多用している。言い換えれば、それ全体が一つの精密機械と言っていい。その中核たる電子機器が破損した以上、戦闘機としての運用は不可能だった。

 かくして4機の『フロッガー』は社の工廠にて修理を受ける羽目になった訳であるが、修理の対象が複雑かつ高価な電子機器でもあり、修理は難航したらしい。現代の最新鋭機と比べれば機構が簡易で市場に部品流通も多い『フロッガー』だから良かったようなものの、他の機体ならば1年仕事になってもおかしくは無い筈だった。その点、MiG-23シリーズを運用していたのは幸運だったとも言えるだろう。

 

 もっとも、旧式のMiG-19などより優れるとはいえ、MiG-23シリーズも就役から日が長く旧式の域を出るものではない。以前から高性能な最新鋭機であるSu-27『フランカー』シリーズを要望していたフィオンには不満だったらしく、口を尖らせて失望の声を上げていた。

 

「そして、もう一つの朗報だ。ヴィクトールが、帰って来る。」

「ヴィクトール曹長が…本当ですか!?」

「へー、あのオッサンもしぶといねぇ。いつ帰って来るんです?」

「来月10日前後の予定だ。怪我自体は8月ごろに治っていたらしいが、リハビリに時間を要したようでな。『フロッガー』も同時に届く」

 

 続いての、そして最大の朗報が、隊長の口からもたらされる。戦線を離脱していた、ヴィクトール曹長の帰還――カルロスも、そしてカークス軍曹も同様に、驚きとともに歓喜を紡いだ。フィオンばかりは『フランカー』の件を引きずっているのか『ふーん』と応じるに留めているが、不承という訳では無く単に不機嫌なだけだろう。

 

 元々ニムロッド隊の3番機として参戦していたヴィクトール曹長は、この戦争の初期に重傷を負い、戦線を離脱していたのである。当時カルロスは予備パイロットだったが、それを契機に本格的に戦線に出るようになっていたのだ。傭兵としてのキャリアはアンドリュー隊長よりも長く、単純な頭数の増以上にその心強さは計り知れない。

 ただ、曹長が復帰となると、自分はまた予備パイロット戻りになるのだろうか。それを思うと複雑な気分が無いでも無かったが今はただただ、曹長の帰還の喜びを噛みしめるカルロスだった。

 

「人が増えるのはいーですけどー、残党討伐っていったってもう小規模しか残ってないんでしょ?エース級だって残ってるか怪しいもんだし。…はー、また戦争起こらないかなー」

「お前、そうあからさまになぁ…。終結して3か月ぽっちでそうそう起こるかよ」

「そうでもないぜ?」

「…へっ?」

 

 つまらない。そう体中で語るように、椅子の背もたれに思い切り体を伸ばすフィオン。元より金の為ではなく戦いたいがゆえに空にいる彼である、戦いの無い今の空は退屈で仕方が無いのだろう。本心を隠しもしない直截な言葉の是非はともかく、その思考と言葉はある意味傭兵らしい。

 そして今までもその様は幾度となく見ており、カルロスを含めた他の三者は慣れて久しい。いつも通り呆れた様子で応じるカークス軍曹の声は、一同にとっても見慣れた光景だった。

 ただ一つ、最後に被さった男の声を除いて。

 

「…アルベルト大尉?」

「おう、ちょっと通りかかったんでな。…にしても、折角の休みにまた格納庫で待機とは律儀だねぇ諸君。近くに街もあるんだ、女遊びでもしてくればいいのによ。何なら今からでも一緒に…」

「アルベルト?」

「…いや嘘、冗談、冗談だってハハハ。ハハ…」

 

 冗談交じりに会話に入って来たのは、カルロス達も良く知るサピンのエースパイロット、エスパーダ1ことアルベルト大尉だった。後ろにはエスパーダ2ことマルセラ中尉の姿もあり、大尉の戯れとも本気ともつかない言葉に応じている。…ただ、口元は微笑んでいるものの、目が笑っていない。

 

「あ、エスパーダのオジサン。…どーいう意味です?『そうでもない』って」

「いい加減オジサン呼びはやめろってボウズ。…まー、要は、だ。ここじゃなくても戦争なんてどこでもある。国境があって、国同士が意地張ればそこで目出度くドンパチだ。早い話、連合国同士で今に始まってもおかしくないぜ?」

「連合国同士で…?何故です?」

「平たく言えば、分けたパイの大きさが不公平だ、っていう揉め事さ。オーシアは南ベルカを獲った。ウスティオは『円卓』を勢力圏に収めて、資源採掘にも手を出せる。じゃあ同じ連合国のサピンは?協力したユークトバニアは、参戦が遅れたファトは、ゲベートは、レクタは。どの国にもエースと呼ばれる連中は残ってる。もし始まれば、今までと同じじゃ済まないかもな」

「…!」

「例によってパイの取り合いかよ…アホらしい。死ぬのはその国の連中で、ヘド出る思いで街を焼くのは俺達なんだぜ?」

 

 アルベルト大尉の説明に、フィオンとカルロスは思わず息を呑んだ。

 戦後の、第二の戦争。そんなバカなことを、と思う反面、大尉の言葉には納得せざるを得ない所も確かにあった。

 

 大尉の言の通り、連合国の中でもサピン王国は戦争中から焦っていた。隣国ウスティオほどではないもののベルカ軍に領土深く侵攻を許し、おまけにウスティオが誇るような強力な部隊を持たないがゆえに、サピンは反攻作戦が遅れた。ベルカ領内侵攻後もその影響は続き、サピンはオーシア、ウスティオ両国と比べて資源や領土獲得で後れを取って来たのだ。

 その焦りが、ホフヌング空爆支援の際にカルロス達に民間人を空爆させ、それを隠れ蓑にベルカの技術者を隠密裏に迎え入れるという強硬手段を採らせた。それを省みれば、今回輸送部隊が強行軍で本国まで帰って来たのも、技術の取得を連合軍に察知されない為だったのかもしれない。

 

 戦争を終えたベルカの上で、エゴを剥きだす各国の様。カークス軍曹は、吐き捨てるように呟いた。

 

「まー、良くも悪くも戦争はそうそうなくならんから安心しな、ボウズ。それこそ…そうだな、国境を無くさん限り戦争はなくならんだろうさ」

「…国境を、無くす…!?」

「ああ。いつぞやジョシュアが言ってたんだがな。『人々は国境という境目に籠り、小さなエゴで戦いを繰り返している。醜い争いの連鎖を断ち切り世界を変えるには、物理的に国境という柵を破壊するしかない。国という名の檻は、悲劇の源だ』…だとさ。」

 

 国境を、無くす。

 その突拍子もない言葉に、一同は声を失った。ジョシュア大尉――『ウィザード1』の口調を真似て言葉を伝えるアルベルト大尉の様にも、微笑どころかしわぶき一つ起こらない。

 空気が止まったような、一瞬の時。それを破ったのは、呆れたような隊長の言葉だった。

 

「妄言だ。できる筈もない」

「だろうな。実際問題としてそれが可能なのか、どう国境をなくすのか…それは俺にも正直分からん。最初に聞いた時は、俺も笑い飛ばしちまったさ。…ただ、今思い返せば、あいつの言葉にも一応真理があったようにも思うんだ」

「真理…?」

「ああ。正直俺にも国境うんぬんのことはさっぱり分からん。だが、実際に世界中の国がエゴむき出しで角突き合ってるのは、いろんな所で見て来た。あんたたちも、この戦争で見てきただろうけどな。」

「……。」

「別にそれはいい。俺が我慢ならないのは、そんなエゴを第一にして空にまで持ち込む連中だ。そんな連中と飛んでも詰まらないし、広い空だって狭くなっちまう。空は繋がってるんだ、広く自由であるべき、ってな」

 

 エゴも境目もない、繋がった広い空。

 ジョシュア大尉の思想を否定しつつも、その中から独自の信念を語ったアルベルト大尉はそこで言葉を区切り、一人一人と眼を合わせていった。アンドリュー隊長、カークス軍曹、フィオン、そして自分。予想以上に澄んだその目が合った瞬間、カルロスは反射的に視線を下げてしまっていた。それがどういう心の働きによるものだったのか、カルロスにもそれは分からない。

 

 隊長は、軍曹は、そしてフィオンは、どんな顔で大尉に向き合ったのだろう。

 

「分からんな。なんだかんだ言って、あんたもかなりジョシュア大尉に染まったんじゃないか?」

「はは…かもな。ま、もし叶うなら、あいつともう一度話してみてもいいかと思うのは確かさ」

「…アルベルト、そろそろ」

「と、分かった。はは、妙な事言って邪魔したな。今日の事は忘れてくれ。――じゃあな」

 

 常にないアルベルト大尉の長広舌に、アンドリュー隊長が怪訝な様子で言葉を返す。大尉自身もそれを自覚していたのだろう、続く言葉の中には、どこか自嘲的な苦笑いが混じっていた。

 ジョシュア大尉――ウィザード1は、スーデントール攻防戦の最中、核爆発の中で消息を絶った。それでも、その言葉と意志は、アルベルト大尉の中に確かに根を下ろしているように感じる。

 ジョシュア大尉の想いとは、信念とは、一体何だったのか。そして如何にして、国境を無くすという飛躍した結論に至ったのか。今となっては確かめるべくもないが、興味は尽きなかった。

 

「…ふーん。」

「…………。」

「…まぁ、話は逸れたが、伝達事項は以上だ。あとは各自自由に過ごせ。明日以降の動きは追って伝える」

 

 濃密な空気が一挙に薄れたような、空虚な感覚。

 解散の言葉を受けながら、男達はそれぞれの思いで、その空虚を満たそうとしているようだった。

 理解できん。そういうように頭を振り、書類を片すべく席を立つ隊長。

 先の注意にも関わらず、煙草に火を付けて天井の一点を見上げるカークス軍曹。

 椅子に深く座り、眼を瞑るフィオン。

 

 カルロスは独り、アルベルト大尉が去った先を、しばらく見つめていた。

 



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第23話 自由なる剣《Espada》

《緊急事態発令!緊急事態発令!!エスパーダ隊の2機が本基地を脱走した!待機中の迎撃要員はただちに出撃し、エスパーダ隊の脱走を阻止せよ!
2機は上空警戒機を全滅させ、ノースオーシア州との国境へ向けて逃走している。その目的地は不明である。勧告に従わない場合は発砲、撃墜を許可する。
なお、警戒機が墜落した影響で第二滑走路は使用不能である。追撃機は第一滑走路より順次離陸せよ!
繰り返す、緊急事態…》



 緊急事態発令。

 耳をつんざく甲高い音に眠気ごと蹴り飛ばされ、カルロスは転げるようにベッドから跳ね起きた。

 紅い光をまき散らす非常灯、耳を苛む警報音、慌ただしい足音を立てて行き交う人々の気配。視覚と聴覚を満たしてゆくそれらの中で、カルロスは寝間着をはぎ取り、ベッドの端にかけたままのフライトジャケットを手早く身に着けてゆく。ベッドの軋む音からして、上段のカークス軍曹、向かいのアンドリュー隊長とフィオンも同様らしい。肌で感じられる空気は、まさに久しく離れていた戦争のそれだった。

 

 一体、何が。

 エスパーダ隊、脱走、撃墜許可。焦燥した通信の声からくみ取れる限りの情報は、到底信じられない最悪の事態。――そんな、馬鹿な。目まぐるしい情報量に頭は翻弄され、外から連なる爆発音が動揺に拍車をかけてゆく。

 信じられない。あの人が、アルベルト大尉が。心の中に広がる絶望を紛らわすように、カルロスの準備はいつにも増して入念になっていた。ベルトよし、腕時計よし。時間合わせよし…いや、3秒ほど早い。少しでも、ほんの少しでも多忙の中に身を置いていないと、否応なしに意識がその『事実』へと向かってしまう。

 ほんの一時でもいい、絶望から眼を背けたい。律儀に腕時計のネジを回すカルロスの姿は、そんな深層心理の発露だったのだろう。

 

「ふあぁぁ…なーに?エスパーダのオジサンが脱走?」

「らしいな…。ニムロッド各員、格納庫に向かう!」

「……クソッ、まさかこんなことやらかすなんてな…!」

「………くそっ!」

 

 堪えられなかった感情の奔流が、口を伝って吐き出される。

 分からない。なんで、どうして。口中に溢れる疑問と共に、脳裏に滲むのは二人とのこれまでの光景だった。豪快なアルベルト大尉の笑い声、マルセラ中尉の微笑み。空を裂く紅の雄姿。円卓での『銀色の狗鷲』との死闘。いつの空でも…いや、たとえ地上にいようとも、エスパーダ隊の二人は大きな支えだった。

 その二人が――。

 

「…急ぐぞ!」

 

 隊長の声に、4人は眼を合わせる。硬い決意の籠った瞳を向ける隊長、眼をこすりつつも光を帯びたフィオン、そして焦燥のためか、眼を泳がせるカークス軍曹。その軍曹と目が合い、カルロスが名状しがたい違和感を覚えた直後、4人は床を蹴って格納庫のある建物へと向かった。宿舎とは倉庫を隔てて2つ隣、遠い位置ではない。

 

 宿舎棟の扉を開けた先。その先にあったのは、滑走路と、それを挟んだ先の格納庫が燃えて、空を焦がしている光景だった。星一つない空は、微かに東側が明るくなりつつあるものの、まだほの暗い。

 

 1995年、10月2日。その一日は、炎と警報の赤色、空の黒、そして燃える油の匂いで幕を開けた。

 

******

 

 夜明け前の薄暗い空を、4つの機影が飛んでゆく。

 先頭にはアンドリュー隊長のJ-7Ⅲ。フィオンのMiG-21bisとカークス軍曹のJ-7Ⅲがその両翼に左右それぞれ並び、カルロスはMiG-19Sを駆って右翼側の最後尾に就いた。

 

 心細い。

 これまで感じることの無かった感覚に、カルロスは思わず手に力を籠める。

 薄暗く広い空にたった4機であること。レーダーの無いMiG-19S『ファーマーC』では飛行に難があること。要素はいくらでも思いつくが、いずれも決定的なものではない。

 喪失感。そう評するのが適切かどうか分からないが、少なくとも感覚として最も近いのはその言葉だっただろう。

 

《ニムロッド1よりオステア管制室。エスパーダ隊の位置を知らされたし》

《こちら管制室。現在、エスパーダ隊はグラティサント要塞の南方12㎞地点にて追撃部隊と交戦している。空域は状況が錯綜している。十分に警戒せよ》

《了解した。…各機、分かっているな。エスパーダ隊は交戦中だ。すなわち、勧告に応じる意思はない。――捕捉でき次第撃墜する》

 

 どくん。

 宣告に等しい隊長の言葉に、思わず心臓が跳ねる。

 先延ばしにしていた当然の帰結を、カルロスが意識しなかったと言えば嘘にはなる。だが、その意識を言葉として耳にすると、やはり動揺を抱かずにはいられない。匕首(あいくち)のようなその鋭い言葉は、避けようのないその現実を、否応なくカルロスに突きつけていた。

 

 逃げきっていて欲しい。さもなくば、せめて――他の部隊の手で撃墜していてくれ。この瞬間、カルロスの胸に浮かんでいたのは、傭兵らしからぬそんな思いだった。

その甘い願いも、わずか後に破られるとも知らぬまま。

 

《追撃隊、どこにいる?こちらニムロッド隊だ、応答せよ。………?》

 

 サピンとベルカ――否、今はオーシア領となったノースオーシア州との境となる、グラティサント要塞跡の南方地点。先の戦争では、連合軍の反攻における最初の戦場となり、激しい戦闘が展開された場所でもある。

 朝が近づきつつあるのだろう、僅かに明るみを増した空の下には、戦争の痕が色濃い大地が広がっていた。ノミで山を削り取ったような峻厳な崖。激しい砲撃で抉れた大地。そして、あちこちに散らばる戦闘機と対空兵器の残骸。一帯に広がる遺跡群は無惨に崩れており、最早原型を留めていない。まるでその荒涼とした大地に吸い込まれたかのように、隊長の通信には何も帰って来なかった。

 

 人の息遣いがまったく感じられない、死の匂い漂う大地――それゆえだったのだろう。

 やがて遥か先に上がった、死を象徴する赤い炎が、ぞっとするほどに目に焼き付いたのは。

 

「――なっ!?」

《…!こちらサピン空軍オステア基地所属、ニムロッド1!追撃隊、どうした!?応答しろ!!》

《………ああ、その声はアンドリュー大尉。それと…ニムロッド一同か。来ちまったんだな、あんたらも》

 

 炎に包まれた金属の塊が、地に落ちて焔をまき散らす。

 地面に咲いた炎の輪は、これで数にして8。エスパーダ隊を追撃していた機数と一致している。

 

 そして、8つの死の輪の上を舞うのは、損傷一つ見えない2つの赤い翼。眼下の炎よりも濃く深い、真紅と称すべき情熱と命の色。片方は、旧世代機ながら多様な新機軸を盛り込んだダブルデルタ翼機、J35J『ドラケン』。そしてもう片方は、低位デルタ翼と機首の給油ノズルが特徴的な最新鋭機『ラファールM』。4倍の敵を返り討ちにするその技量、部隊構成、そしてこの声。もはや疑おうが迷おうが、間違いない。

 

「…アルベルト大尉…!」

《………レーダー反応2機…嘘だろ、正規軍が8機から追撃に上がってたんだぜ…!?》

《悪いな。今までよろしくやってきたが、『あいつら』の元に行くと俺達も決めたんでね。…見逃してはくれないかね?あんたらを落としたくはない》

《『あいつら』?》

《おう。堂々と理想を口にして、世界を敵に回す甘ちゃん達さ。…ははっ、見てられなくなっちまってね》

《………!》

《全機、攻撃位置に就け。エスパーダ隊を撃墜する》

 

 まるで別れを惜しむように、エスパーダの2機はこちらに背を向けて速度を落としている。まったくもって無防備なその姿は、先の比類ない戦闘技能とは裏腹に、脅威を微塵も感じさせない。

 一体、大尉は何を言っているのか。『あいつら』とは誰だ。そこへ行くとは、何故。何のために。それもサピンを、仲間を裏切ってまで。

 

 迷いは、人の体を縛る。迷いと困惑に囚われて自発的に動く術を失ったカルロスにとって、隊長の宣告は唯一の標に等しい。

 隊長機の右旋回に合わせて、フィオンのMiG-21bisが追従する。その翼端灯の軌跡を追うように、カルロスも操縦桿を倒し、加速しながらアルベルト大尉の『ドラケン』に追いすがってゆく。星が流れる。影が交錯する。すぐ傍らを、光が後方へ流れてゆく。

 ――光?

 視界の端に引っ掛かった、一抹の異変。それは、取り返しのつかない異変となって、間もなく顕れた。

 

「カークス軍曹!?」

《……………。》

 

 その正体に思い当り、カルロスは思わず後方を振り返る。

 さっき追い越した光は、先を行っていたカークス機の翼端灯。加速を加え過ぎて追い越した訳ではないことは、隊長達との距離が狭まっていないことから明らかである。つまり、軍曹は意図的に減速し、隊列を離れたことに他ならない。

 

 一体。困惑するカルロスをよそに、カークス軍曹の絞り出すような声が、耳朶を揺さぶった。

 

《…なあ、アルベルト大尉。あんたの言う『あいつら』ってのが、俺の想像と同じだとして、聞きたい。…『あいつら』の言う理想ってのは、可能なのか?》

《それを可能にさせるのが、あいつであり、俺だ》

《………。………分かった》

 

 今までに聞いたことのない、カークス軍曹の暗い声。…いや。正しくはホフヌング空爆支援後に、軍曹の独白で似た声音を聞いた気がする。絶望と、迷いが入り混じった、澱むようなその声は、今のそれに酷似している。

 軍曹。不意にぞっとした予感を覚え、カルロスの喉に思わず言葉が昇る。

そしてその声は、直後に後方から襲ったジェットエンジンの暴風によって、無惨にかき消された。

 

「…うわっ!?」

《…!?おい、ニムロッド3、カークス!何をしている!?》

《………アンドリュー隊長、フィオン、カルロス。…悪い。俺は、アルベルト大尉について行く》

「え……!?…な、…何、言ってるんですか。嘘、でしょ…軍曹。カークス軍曹!!」

《待て!カークス、血迷ったか!!》

 

 こちらを振り切るように加速する、カークス軍曹のJ-7Ⅲ。その余波に巻き込まれ、カルロスは機体も頭も、荒れ狂う渦に飲み込まれた。

 なぜ…どうして。何のために。補助翼を操作し、揺れる機体を押さえてからも、動揺する頭の中は数多の『なぜ』だけが満ち、到底抑えきれない。

 だが事態は、それだけでは無かった。

 

《ふーん。…じゃ、僕も行ーこうーっと》

「フィオン…!?バカな、お前まで!」

《だってそうでしょ。戦争も終わって空戦も無くなって、おまけに機体はボロばっかり。楽しくも何も無いよ。…でも、詳しいことは知らないけど、とりあえずオジサンについて行けば『世界を敵に』回せるんでしょ?山ほどいる連合軍も、…あの『円卓の鬼神』も。》

《……!フィオン……!!》

 

 予想外の所から上がった、楽天的に過ぎるほどのフィオンの声。その主の意志に呼応するように、眼前のMiG-21bisもまた眩しい光を煌めかせ、こちらをみるみる振り切ってゆく。

 円卓の鬼神――隣国ウスティオが誇る化け物傭兵『ガルム1』。触れるもの全てを屠る、凄まじいばかりのその様は、フィオンも自分も、『円卓』における戦いで目にしている。…だが。まさかフィオンはその頃から、戦いたいという思いを蔵していたのか。そして、そのためだけに、仲間を裏切るというのか。

 腹の底から絞り出すような、隊長の苦衷。カルロスの耳に焼き付く悲しい響きが、深い絶望となって心に広がってゆく。

 

《前に『円卓』であの機体を見てからずっと、僕は思ってたんだ。あんなに強いのと戦いたい、倒したいって!こんなチャンス、逃せる訳ないでしょ?》

《……お前な。…まあいい、人手はいくらでも欲しいしな。アンドリュー大尉、あんたはテコでもこっちには来ないだろうが…お前はどうする?ボウズ…いや、カルロス。戦争をなくすために戦う…ってのも悪くないかもしれないぜ?》

「…!?」

 

 戦争を、無くす。『あいつら』。世界を敵に――。

 アルベルト大尉の言葉がこちらに向いたその時、カルロスの脳裏に閃くものがあった。

 つい先日の、ベルカ残党討伐から帰還した直後のアルベルト大尉との会話。あの時アルベルト大尉は、今は亡きウィザード1――ジョシュア大尉の言として、『国境の撤廃』という話を引いていた。国境の否定とは、すなわち国家という枠組みの否定に他ならず、言い換えれば今の世界の否定とも言える。賛同する国家は皆無である以上、『世界を敵に回す』ことと同義だろう。アルベルト大尉は、細かい部分に疑義を示しつつも、大筋では賛同している様子だったのを覚えている。

 つまり、アルベルト大尉とマルセラ中尉、カークス軍曹の抱いた『理由』とはそういうことなのか。ジョシュア大尉の意志を継いで、そんな国境の無い世界を作り出し、戦争をなくす――そんな見果てぬ理想のために、『今』を裏切ったというのか。

 

 では、自分は?

 改めて向けられたその問いに、カルロスは思わず手を止める。

 戦争を無くす――それは傭兵が抱くには不釣合いなほどに、正しく崇高な理想だろう。人は古くからそれを願い現代にまで至って来た。いわば人類の理想といっていい。そしてその理想を果たすためには、多少の強引さも、武力の行使もやむを得ないものなのかもしれない。

 だが。そこに反射的に薄ら暗さを感じるのはなぜだろう。全ての人が手を取りあう世界――理想であるはずのその姿が、どこか気味の悪いものに見えるのは、一体なぜだ。自身の理解を越えているから。傭兵という役割の自己否定だから。脳裏に浮かぶ理由はいずれもそぐわぬまま、ただただ漠然とした違和感だけが広がってゆく。

 理想は正しい。だが、どこかしっくり来ない。ならば、自分はどうするべきなのか。自分の、俺の、戦う意味は――。

 

「……俺、は…」

《アルベルト、方位180から機影4。この反応は…エスクード隊ね》

《おっと。これまた厄介なのが来たな。マルセラ、悪いがそいつら連れて先に行っててくれ》

《貴方は?》

《ちょっと野暮用済ませてから追う。心配するな、すぐ追いつくさ》

《…分かったわ。ニムロッド2、ニムロッド3、ついてきて》

《あーい。それじゃ二人とも、お達者でー》

《隊長、カルロス。…すまねえ。》

「…フィオン…!………カークス軍曹っ!!」

《待て!!フィオン、カークス!!……糞ッ…!》

 

 断裂。そう評せるほどに、曲がりなりにも繋がっていた糸は、唐突に断ち切られた。

 迫るサピンの友軍、朝が近づき明るくなる空。それらを振り切るように、3つの翼が徐々に速度を上げ、北の彼方へとその姿を融かしてゆく。待て、待って。まだ、ろくに理由も聞いていない。まだ、何も――。

 無意識に伸ばした手の先。二人は言葉一つを残したのみで、その手からも、視界からも消え失せていった。

 

《これは…。ニムロッド1、一体何が起こっている!》

《…見ての通りだ。ニムロッド2と3が脱走し、エスパーダ2ともども逃げられた。先行した8機は全滅だ》

《何だと…!?》

《まぁ、そういう訳だ。あいつら追わせる訳にはいかないんでな。別れの挨拶に、ちょっと遊んで行こうじゃないか》

 

 南方から飛来する、エスクード隊のF/A-18C『ホーネット』の機影。数で勝るその姿を認めている筈だが、アルベルト大尉は躊躇なく深紅の翼を翻し、こちらに相対する機位を取った。

 ニムロッド隊のJ-7ⅢやMiG-19Sはともかく、エスクード隊の『ホーネット』は第4世代に属する最新鋭機である。飛行性能は勿論搭載能力も比較にならず、アルベルト大尉が駆るJ35J『ドラケン』とは歴然とした性能差があると言っていいだろう。おまけに先発部隊との戦闘で、弾薬もろくに残っていない筈である。

 それでもなお、大尉の『ドラケン』はこちらとヘッドオンの位置に就き、あまつさえ不敵な台詞を吐きながら肉薄してくる。その姿には、かつて相対したズィルバー隊やゲルプ隊と同じ、エース特有の『圧』が宿っているように思えた。

 その圧も力も、かつては力強い味方だったというのに――。

 

《真正面から…。全機、躊躇するな。サピンのトップエースでも、戦闘機は戦闘機だ。当たれば落ちる》

「…大尉…!!」

《全機、撃て》

 

 声の熱が、一段落ちた。

 敵意、あるいは殺意の籠った隊長の声に打たれるように、カルロスは躊躇いの残った引き金を引いていた。隊長のJ-7Ⅲと自分のMiG-19Sから1発ずつ、エスクード隊のF/A-18Cが各2発。計10発ものAAM(空対空ミサイル)が、真正面から迫るたった1機に集中する勘定である。先行するニムロッドの2機と後発するエスクード4機の間では発射に時間差もあり、単純なバレルロールでは回避することも叶わない。並のパイロットならば、避けようのない飽和攻撃だった。

 だが。カルロスの眼に映ったのは、信じられない挙動だった。

 

 アルベルト大尉の『ドラケン』は、向かって右方向へのバレルロールでニムロッド隊のAAMを回避。そのままバレルロールを続ければ、ロールの下端でエスクード隊のAAMが殺到する筈であった。

 しかし、『ドラケン』はロールの上端で機首を『上げ』、垂直降下へと移行。縦方向への慣性が強く残る『ドラケン』の特性を活かし、急速下降へと入ったのだった。エスクード隊の放ったAAMが『ドラケン』の腹へ迫り、捉えることなく飛び去っていったのは言うまでもない。

 

《何!?バカな…!下だ、追うぞ!》

《ニムロッド4、こちらは頭を押さえる。追従しろ》

「…了解!」

 

 一様に驚愕するエスクード隊、そして隊長の指令に、感傷は一気に吹き飛んだ。やはり、あの人はエースだ。性能差も、機数の不利も、意に介してすらいない。目論見の甘い感傷を向ける余裕など、もとより無かったのだ。

 先行していたゆえに『ドラケン』と入れ違ってしまい、ここから追尾するには距離が離れすぎる。追撃はエスウード隊に任せる積りなのだろう、右旋回に入った隊長に合わせ、カルロスも右ロールから機首を上げて旋回に入った。

 擦過から今に至るまで、この間せいぜい10秒。しかしその間に動いた戦況は、下方を見下ろしたカルロスの眼にまざまざと映ることになった。

 

「なっ…!?」

 

 右下方への急旋回で猛追をかけたエスクード隊に対し、速度を落とした『ドラケン』は機首を急上昇。機体特性によって強力な縦スピンを引き起こしたそれは、下がった速度の助けも借りて、空を指して静止――いわゆるコブラ機動を取ったのだ。そのタイミングはエスクード隊の4機が機首を水平に戻すより僅かに早い、絶妙の機。4機がその機動に気づく頃には『ドラケン』を追い越し、その無防備な背中をアルベルト大尉の前に晒していた。 

 脳裏に蘇るは、かつてベルカのエース部隊『ゲルプ隊』に見舞われた同様の戦法。エースともなれば、発想も似通ってくるということなのか。

 

《コブラ機動!?バカなっ…!》

《…くそ、喰らった!エスクード4脱出(イジェクト)!》

 

 エスクード1から、驚愕の声が上がったのも無理は無かった。

 コブラ機動が可能なのは、ゲルプ隊が運用していたSu-37『ターミネーター』など強力なポストストール能力を持つ機体に限られるが、理論上は『ドラケン』でも可能とされていた。ただし最新の姿勢回復システムを有するそれらと異なり、旧式の『ドラケン』の場合は機体制御が困難となるため、到底実用には向いていないと言われていたのだ。それを可能にしたばかりか、即座に機体を立て直し追撃を加えるなど、想像の外にあると言って良い。

 『ドラケン』という機体特性、機動性に的を絞ったチューニング、そしてアルベルト大尉の技量。それが一つでも欠ければ、到底成し得ない機動だっただろう。

 

 常識を超えた10秒間。その間に、エスクード4はAAMを受けて落ちていき、エスクード3もまた主翼に機銃弾を浴びて、高度を下げていた。

 

「嘘だろ…!」

《信じられん…。行くぞ、エスクード隊が危うい!》

 

 旋回を終え、隊長のJ-7Ⅲが機首を僅かに下げて一気に加速してゆく。カルロスも同様にフットペダルを踏みこんで加速を加えるが、最高速度、加速力ともにJ-7Ⅲに劣るMiG-19Sでは速度の伸びに相当な差がある。

 見る間に距離を引き離されつつも、その先に舞う深紅の翼だけを、カルロスはひたと見据えていた。勝機は無い訳ではない。遷音速程度の格闘戦なら、比類ない運動性能を持つMiG-19に分がある。接近戦に持ち込められれば、勝ち目は見えるのだ。

 

《く…!振り切れん…!》

《隊長!…くそ、何で当たらないんだ!本当に『ドラケン』か!?》

 

 だが、勝ち目があるといっても、それはあくまで理論上の話である。先の想像を超えた回避といい、アルベルト大尉の技量では予断を許さない。現に今も背をエスクード2に抑えられ、性能が勝る相手に機銃やAAMを浴びせられながら、それをことごとく回避しているのだ。それも、前方のエスクード1に機銃を加え確実にダメージを与えながらである。

 エスクード1の翼が煙を吹く。飛び散った破片と煙、そしてエスパーダ1の機動に幻惑され、エスクード2はその背を捉えられずに振り切られてゆく。

 間に合うか。いや、間に合え。

 

《エスクード1!左に旋回しろ!!》

《…ニムロッド隊か!》

 

 エスクード1の『ホーネット』が左に傾き、それを追うように『ドラケン』が左旋回で紅の翼を大きく広げる。すなわちこちらの進路に対し垂直に直行し、『ドラケン』の投影面積が最も大きくなった、その刹那。音速を越える速度で戦域に突入した隊長のJ-7Ⅲが、真紅の翼へ向けてAAMと機銃を続けざまに放った。

 加速性能を活かした後方からの奇襲。鼻先を抑えられたアルベルト大尉は、咄嗟に機体を右方向へ捩ってAAMを避けながら、速度を補うべく緩降下してゆく。――初めて、大尉の機動が鈍った。

 

《捉えた!》

 

 すかさず、『ドラケン』の後方に就いた隊長が、その背に機銃を放つ。距離600を切る至近距離でありながら依然掠り傷も無いものの、その機動は確かに先程より精細を欠いている。距離およそ1200、なんとかアンドリュー隊長の上後方に就きながら、カルロスも速度を速めてその背を追った。

 『ドラケン』が翼を翻す。

 J-7Ⅲが追う。

 左…いや、左下方。

 先読みをした隊長の放った機銃弾が、真紅の翼に穴を一つ穿つ。

 当たった。もう、一息。

 

 たまらず旋回を止め、加速をかけた『ドラケン』。その背を、単発のエンジンを吹かしてJ-7Ⅲが追いすがってゆく。この位置、そしてこの戦術は。

 

《カルロス!》

「…はい!」

 

 名を呼ぶだけの、短い通信。だが、この位置関係とその合図で、意図する所は十分に察することができた。

 おそらく、アルベルト大尉が狙っているのは先ほどと同じオーバーシュート(追い越し)誘発だろう。すなわち急加速から隙を狙って急減速に転じ、速度差を以て互いの位置を入れ替える空戦機動である。従来のデルタ翼機より低速安定性に優れる『ドラケン』ならば、その脅威は一層高いと見ていい。

 そして、アンドリュー隊長が狙っているのは、まさにその瞬間に違いない。つまり、エスパーダ1を追い越して後方を取られた瞬間は、急減速で『ドラケン』の速度は著しく落ちている筈である。その隙を、さらに後方に占位するカルロス機が狙い撃つ。言うなれば相手の戦術を逆手に取った、後の先を狙う返し技だった。

 

《腕上げたねぇお二人さん。――でもな。》

「――なっ!?」

 

 その瞬間は存外に早く、そしてまたしても予想の範疇を越えて訪れた。

 読み通り急減速を仕掛けた『ドラケン』が、瞬く間にJ-7Ⅲと入れ違い、こちらの眼前に無防備な姿を晒す…筈、だった。

 しかし、それを読んだアルベルト大尉は機首を上げると同時に急減速し、隊長のJ-7Ⅲの下方へと滑り込む形でオーバーシュートを誘発したのだ。つまり『ドラケン』の位置は、後上方のカルロスから見て隊長のJ-7Ⅲのさらに向こう。この位置取りでは隊長が壁となり、アルベルト大尉へ攻撃を加えることができない。

 そして。急減速と急速ピッチアップ(機首上げ)により、『ドラケン』は再び天を指すコブラ機動に入る。相対位置の当然の帰結として、その目の前にはアンドリュー隊長が位置することとなり――空目がけて放たれた機銃弾が、J-7Ⅲを下方から貫いていった。

 

《馬鹿、な…!》

「隊長ッ!!」

 

 炎に包まれた機体のキャノピーが飛び、一拍遅れてパラシュートが空中へと飛び出す。隊長の無事を認める暇もないまま、カルロスは操縦桿を左へ倒して急旋回し、追い越してしまった『ドラケン』の位置を探った。

 ――いた。高度はこちらよりやや下方、コブラ機動から水平に戻った直後らしく、速度はまだ遅い。片や、と空域を見渡せば、煙を吹いたエスクード1は南を指して退避しつつある。エスクード2は破片を浴びたのか、空域を飛んでいるものの機動が悪い。つまり、もう戦えるのは自分一人しかいない。先発隊も含めて16機もいた戦闘機が、もはや1機だけ――。

 

「く、そぉぉぉぉ!!」

 

 吠えた。それが最早何のためかも分からぬまま、カルロスは機体を駆り、真紅を見据える。

 機動は斜め下方旋回(シャンデル)。遷音速機屈指の旋回性能を誇るMiG-19の旋回半径は、驚くほどに小さい。眼前に捉えるは深紅地に稲妻のような黄色を描いた、見慣れた鮮やかな塗装の機体。かつて味方だった、悲しい程に美しいその色彩――。

 

「なんで…!何故ですか!!今まで一緒に飛んできたのに!…そんな、非現実的な理想なんかで…!」

 

 それは憤怒か、悲哀か、それとも無念の発露だったのか。あらゆる感情が混然となった言葉を、カルロスは通信回線に叩きつけた。機銃弾、ミサイル。感情とともに同時に放たれたそれらを、『ドラケン』は憤ろしいほど自由に舞い、捉えたと思った傍から避けてゆく。

 

《理想のため、って訳じゃあないさ。世の中にはいろんな奴がいる。今に絶望して理想に(すが)る奴も、理想そっちのけでただただ戦いを求める奴も…そして、エゴも面倒事もない、広くて自由な空を飛びたいだけの奴も、な。それぞれの持つ信念ってヤツが、偶然同じ理想の下に向かっただけだ》

「…信念…!…そんな、事で!!」

 

 信念。戦う意味。この戦争で何度も突きつけられ、そして未だ答えを見いだせていないそれが、改めてカルロスの心を打つ。人を強くもし、殺しもするその言葉――理想と言い換えてもいいその言葉を抱いて戦うのは正しいのか、それとも間違っているのか。

 

 分からない。分からないまま、この人と戦い、別れねばならないのか。

 自分でも名状しがたい感情が、ガンレティクルを通して深紅の翼を指す。引き金に添えた指が、掌が汗ばむ。距離500…400。もう、外しはしない距離。

 だが、撃って――落として、いいのか。

 

 一瞬の迷い。それは大きな隙となり、カルロスの眼を穿った。

 

「……うっ!?…しまっ…!」

 

 『ドラケン』の翼が翻った。そう思った直後に、水平線から顔を出したまばゆい光によって、カルロスの視界が白く染まる。方位90、日昇時刻――しまった、夜明け。

 暗さに慣れた目は、突然の光に弱い。まるで夜明けに惑う蝙蝠(ニムロッド)のように、カルロスは目を奪われた。一瞬にして背を取った『ドラケン』の軌跡を、その目に捉えることも無いまま。

 

《いつでもいい。今度会った時にでも、また教えてくれ。…お前の答えを。》

「――…!」

《…あばよ》

 

 発砲音に掻き消される、最後の別れの言葉。被弾の衝撃が黒煙と化し、航空機を鉄屑へと変えていく刹那、カルロスは脱出レバーを引いて宙へと放り出された。

 

 冷たい風が頬を打つ。10月の空に、白い朝日が寒々しい光を奔らせる。それは荒涼としたグラティサント要塞の残骸も、新たに生まれた鉄屑たちも照らし、鬱々とした陰影を刻んでいた。

 最早言葉も、声も無い。絶望と喪失感の中で、目の中の光景が滲んでゆく。

 

 答え。

 ついていくのか、否か。そして自分の中に形作る信念は何か。その問いだけを残して、真紅の翼は北を指して飛んでいった。

 その信念とする、自由な空が在る所へ。

 



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第24話 朝焼けの下で

 重い。

 体が、頭が、まるで蜘蛛の巣に絡めとられたように自由が利かない。

 知覚できるのは、瞼を射る冷たい白光、軋む梢の音、そして神経を苛む頭痛。まるで地を離れたかのように、脚は踏ん張りが利かない。

 俺は。ここは、一体。

 暗闇の縁を漂う意識の中で、依然幕を被ったように茫漠とした脳裏。夜明け前の空のような、真っ暗な視界。その中を飛び去ってゆく、一筋の紅い翼と二つの黒い残影。地に刻まれた炎の輪と、暗闇を切り裂く紅の稲妻。

 

 そうだ、俺は。俺たちは――。

 

「カルロス、生きているな。」

「………う…」

 

 頭上(・・)から届くアンドリュー隊長の声に、カルロスは眼を開いた。

遠景の稜線を照らす朝日、枯れ木と岩肌が広がる殺風景な光景、地面に散らばる灼けた金属片と、焦げ臭い匂い。地平線遥かに広がっていたのは、人の息遣いが感じられない、荒涼としたグラティサントの風景。

 それらの光景が天地逆さまになっているのを見た時、カルロスは初めて、自身が枯れ木に逆吊りになっていることに気づいた。

 

******

 

「お互い運が良かったな。降下地点が悪ければ枯れ木に串刺しになっていた所だ」

「ええ…。しかし、隊長が無事で安心しました。」

 

 枝に絡まったパラシュートを何とかナイフで切断し、その『蜘蛛の巣』から何とか脱出した数十分後。翼がへし折れたJ-7Ⅲを背に、焚き火を囲うアンドリューとカルロスの姿を認めることができる。

 旧ベルカ領の最南端に当たるとはいえ、ベルカを始めとするオーシア東側諸国はいわばオーシア大陸の北辺に当たる。10月の早朝とあっては空気も凍えるほどに冷たく、緑の無い荒れ果てた大地と白い朝日が、それを一層際立たせていた。

 冷えた体を芯から暖めるのに焚き火は欠かせない。場所が場所だけにこちらの捜索にはそう時間はかからないだろうが、目印にもなるだろう。

 

 そして――隊長が言うように、確かに運は良かったと言える。撃墜された地点がオーシアやサピンの国境に近かったことも然り、そして幹を研ぎ澄ました枯れ木に串刺しにならなかったことも然り。かつて国境を護る要塞を擁していたグラティサント近辺は、その攻防戦の影響で環境が著しく荒廃している。葉を落として久しい枯木も相応に多く、一歩間違っていればモズの速贄よろしく串刺しとなってしまうことも、あながち無いとは言い切れないのだ。まして、降下の段階でカルロスは気を失っていたのだから。

 

「……。追撃隊の連中とエスクード隊は無事ですかね。幸い延焼は起こっていないみたいですが」

「さてな。戦闘空域が広すぎて、先に落ちた連中までは探しきれなかった。下から見た限り、エスクード1と2は生き残っていた。今頃基地に戻っている頃だろう」

 

 隊長は無表情に口を開きながら、枯れ枝を焚き火に放りこんだ。こちらへ目線を向けることもなく、その相貌は一心に揺らめく紅い炎を見つめている。

 …いや、もしかすると、その炎すらも隊長は見ていないのかもしれない。一時間も経ていない、まさに先程空で起こった出来事。信頼していた仲間と、サピンを負って立つエースパイロット部隊の裏切り――その現実と、自らの内面に静かに向き合っているのではないか。

 翻って、カルロス自身は未だにその現実を直視できないでいた。カークス軍曹とフィオンが理由も分からぬまま隊を去り、憧れでもあったエスパーダ隊もまた、迫る友軍を返り討ちにして行ってしまったという現実――昨日までの姿を根底から覆すその現実は、飲み込むにはあまりにも重すぎた。夢であるならば覚めて欲しい。(うつつ)だとしたら…信じたくない。そんな逃避にも似た葛藤が、カルロスに『その話題』を避けさせていた。

 分からない。理由が。そして、どうすればいいのか。現実の入口で立ち止まった思考回路は、知らぬ間に自らの外へと答えを求めていた。

 

「………あの…」

「機体は失ったが、『フロッガー』の修理が終わっていたのも幸運だったな。当面の足を失わずに済んだ」

 

 意を決して開きかけた口に、常より早口な隊長の言葉が覆い被さる。

 確かに隊長の言うことは間違ってはいない。今回機体を失った以上、本来の乗機である『フロッガー』が修理を終えるというこのタイミングでなければ、しばらく傭兵稼業は休止せざるを得なくなっていただろう。

 

 しかし、である。カルロスが訊こうとした『本題』はそれではなく、隊長の眼が向かう炎の先――空で起こった現実にある。常ならば単刀直入に本題を突く隊長が、その話柄を頑なに拒む様。それは、隊長自身の迷いを物語っているようにも思えた。

 

「戦争は終わったが、サピンとの契約はまだ残っている。機体が無いことにはどうしようも…」

「アンドリュー隊長!」

 

 カルロスは、思わず言葉を遮った。

 隊長の言葉を遮るという、初めての経験。何がカルロスに口を開かしめたのか、それはカルロス本人にも分からなかった。悄然とし悩む、いつもの確かな様とは異なる隊長の姿を、これ以上見たくないというのも一つ。そしておそらく、隊長と同じように現実を直視できない自らを、いつものように引っ張って欲しいという、縋りたいような気持ちもまた一つ。渦巻く感情は混然となり、整理できぬままに渦巻いていた。

 

 肌をひりつかせるような、痛い程に張り詰めた沈黙。静寂の中に、ぱちぱちと枯れ木が爆ぜる音。そして隊長の瞳に揺れる、紅い炎。

 どれほど経っただろう。跳ねていた心拍を抑え、先に口を開いたのはカルロスの方だった。

 

「…すみません。隊長だって悩んでいるのに、それを…」

「……分かっている。お前の言いたい事は。…確かに起こってしまった現実は、どうしようもない」

 

 隊長の眼が、初めてカルロスと合った。

 頬の削げた峻厳な顔付きと、日に焼けた浅黒い肌。まだ迷いを漂わせた、しかし意志の籠った力強い目の色。呑み込めない悲惨な現実を前に、眼を逸らさずに立ち向かう男の姿がそこにあった。

 いつもの、隊長の姿。安堵の思いとともに、カルロスは現実の前で思考停止し隊長に縋っていた自らを恥じた。そう、カークス軍曹やフィオンとの付き合いが最も長かった隊長こそが、本来なら一番辛い筈である。それにも関わらず、隊長は強いて自分を現実に向かわせ一歩を歩み出したのだ。ニムロッド隊で唯一残った自分が、この有様でどうする。

 

「…しかし、分かりません…。フィオンはともかく、カークス軍曹も、アルベルト大尉も、何で…」

 

 現実への直面と同時に口に上るのは、情けなくも失意に満ちた愚痴と、堪えに堪えて来た感情の奔流だった。あの優しかったカークス軍曹も、独特の言動で場を乱し時に和ませてきたフィオンも、強く頼れるエースだったアルベルト大尉も、皆もういない。

 喪失感とともに鼻の奥がつんと痛み、視界が徐々に潤んでゆく。感情とともに込み上げそうになる涙と嗚咽を、カルロスは懸命に抑えた。

 

「……。カークスに関しては、心当たりがないでもない。引き金はおそらく、カニバル作戦だ」

「カニバル作戦…?民間人を空爆したことを恥じて、ってことですか?…しかし…」

「それも要因には違いないだろう。だが、原因はおそらくもっと奥にある」

「…?」

 

 しばしの沈黙の後、口を開いたのは隊長だった。

 カニバル作戦――この戦争の終盤に連合軍によって実施された、ベルカの工業都市ホフヌングへの大規模無差別爆撃作戦。その折に、カルロスらニムロッド隊は別動隊として参加したのだった。その最中に、命令を下すサピン側に図られ、意図せずして民間人が避難していたキャンプを空爆せざるを得なくなったのは確かに否定できない事実である。あの折はカルロス自身も嫌悪感を覚えたのも確かであるし、カークス軍曹がそのことで悪態を突いていたのも記憶に残っている。

 だが、傭兵ならば意に沿わない作戦に動員されることも珍しくはない筈である。それを以て脱走の理由とするのは、些か無理があると思わざるを得ない。

 その理由の根本にある、より『奥』の要因。隊長が語る言葉に、カルロスは静かに耳を傾けた。

 

「カルロス、カークスの来歴は知っているか?」

「来歴…確か、カルガ共和国の出身ということは以前聞きましたけど…それ以外には、詳しくは。」

「そうか…。………1986年、そのカルガとユークトバニアの間で紛争が起こったことは知っているな」

「はい。チュメニ紛争ですよね。現代史に載る大空戦があったっていう…」

「その大空戦の下に、カークスの故郷があった」

「…え…!?」

 

 もはや現代史の範疇になる事件の上に存在していた、カークス軍曹の故郷。初めて聞いたその話にカルロスは思わず息を呑んだ。

 今から9年前の1986年、ユークトバニア南部国境で勃発したチュメニ紛争。その最大の戦いは、国境都市ジミトルの上空で繰り広げられた大制空戦だった。大規模な戦爆連合部隊を擁して数で押すユークトバニア空軍と、数は少ないながらも質の高さを誇るカルガ空軍。両軍の戦闘は凄惨な消耗戦となり、ユークトバニア空軍は作戦参加機の実に8割を喪失したものの、それと引き換えにカルガ空軍をほぼ壊滅状態に追い込んだ。結果、戦力の多くを損耗したカルガ空軍は数で勝るユークトバニア軍に押され、紛争に敗北したのだった。

 当時の報道資料によると、確か空戦域となったジミトル周辺は、ユークトバニア軍の爆撃と多数の墜落機によって焦土と化したという。つまり、そのジミトルがカークス軍曹の故郷だったということは。

 

「高高度を行くユークトバニアの爆撃機に対し、カルガ空軍は高高度迎撃が可能な戦闘機を全て出し、全力で迎撃態勢を敷いた。…この時点でカルガ側は、重大なミスを犯した。高高度迎撃に意識を向け過ぎ、低空への警戒が疎かになっていた事だ。………結果、低空侵入してきたユーク攻撃機によって、奴の故郷は炎に包まれた。家族も職も、その時全て失ったんだそうだ」

「……そんな事が…。」

「そうだ。家族を失った奴にとって、民間への無差別爆撃は到底許容できないものだったんだろう。……おそらく奴は絶望したんだ。忌み嫌っていた無差別爆撃をせざるを得ない傭兵という立場にも、それを強いたサピンや連合国にも…そして多分、民間人を殺してしまった自分自身にもな。アルベルト大尉に何を吹き込まれたか知らんが、その絶望につけ込まれたんだろう。大尉の言う、『戦争をなくすため』とかいう理想とやらに引きずられた原因は、おそらくそれだ」

 

 今までも、大小様々な紛争は世界各地であった。しかし、今回の戦争は多くの国が参戦した大規模な戦争となった分だけ、各国のエゴや暗闘が露骨に飛び交っていたとも言える。意図せずにそのエゴの先鋒として戦う破目になり、おまけにトラウマとなったであろう民間人への爆撃を自ら果たすことになったとすれば、全てに絶望したとしても無理はないのかもしれない。

 そしてもしそこに、『戦争をなくす』という、自らの行いを払拭する理想が提示されたとすれば。もし同じ境遇だったとしたら、カークス軍曹ならずとも、自分だって揺れていたかもしれない。

 

「……。本気、なんでしょうか。アルベルト大尉もカークス軍曹も。『戦争をなくすための戦い』なんて…。それに同志もいるように言っていましたが、一体どういうことなんでしょう」

「皆目見当がつかんが、せいぜい生き残ったベルカ残党崩れが戦闘の名目として掲げた理想だろう。結局の所、理想も信念もただの言葉だ。気にする必要はない」

「……戦争をなくす、なんて夢物語みたいな話なのに、そんなことで…。………もう、元には戻れないんでしょうかね」

「帰って来た所で、脱走は銃殺刑だ。どっちみち元には戻れん。……あの、馬鹿どもが…」

「…………。」

 

 吐き出すような、嘆くような隊長の声は、薪の爆ぜる音に消えてゆく。遠くを見据えるように炎を見つめるその目には、やがて来るであろうその様が映っているのか、それとも自分より遥かに長い間共に過ごしたこれまでの情景が浮かんでいるのか。憂いと悲哀、苦みを帯びたその相貌から探ることはできなかった。

 古い諺に言う、『零れたミルクはコップに戻せない』と。…そう。いくら自分が甘い希望を口にした所で、事ここに至った時点で、最早元に戻ることは――ヴィクトール曹長も含めた、5人のチームに戻ることはできないのだ。もう、黒い翼の蝙蝠(ニムロッド)が揃うことは、二度と。

 くそっ。呟きととともに、カルロスは手近に転がる石を拾って、思い切り遠くへと投げ飛ばした。寂しさと現実の前に、そうでもしないと叫び出しそうだった。

 

 投げ飛ばした石は別の石ころにぶつかり、それぞれに弾けて転がった。

 2つ、3つ。再び場を覆う沈黙の中に、石ころだけが飛んでは音を立ててゆく。

 

「……隊長」

「今度は何だ」

「隊長の、『信念』…って、何ですか?」

「何?」

「この前…『グラウンド・ベイト』作戦の時に言ってましたよね。『俺の信念を妨げるな』って。――知りたくなったんです。いろんな信念や理想が飛び交って、いろんなエースがそれを持っていることを、この戦争で知って。身近な人が、どんな信念の下戦っているんだろう、って」

「………。」

 

 不意に沈黙を裂いて言葉を発したのは、カルロスの方だった。

 アルベルト大尉やジョシュア大尉、ヴァイス1が語っていた戦いの信念。そしてカークス軍曹が脱走する原因ともなった戦争根絶のための戦いという理想。それらに思いを馳せる内に脳裏に蘇ったのは、かつて隊長がふと零した『信念』の事だった。

 

 戦争が終わった後も継続されたベルカ残党討伐戦。その中でも、残党の迎撃能力を奪うべく発動された『Operation Ground-Bait』は最大の激戦となった。ベルカ側の防空レーダー網を破壊すべく戦闘爆撃機を中心に編成された連合軍は、戦術を読んだベルカ残党の待ち伏せに遭い、この折にカルロスも乗機に被弾した。損傷した機体でなお戦場に留まろうとするカルロスに対して隊長が放った言葉こそ、先述の『俺の信念を妨げるな』というものだったのである。

 数多のエースが信念を語り、時に自らを鼓舞し、そして時に自らを追い詰める様を見て来た。そんな中で、信念は言葉に過ぎないと断じながらも、急場に敢えてその言葉を使ったアンドリュー隊長の真意と、その中身。未だ自らの信念を確立できず、立ち止まったままの自らを省みて、隊長を支えている信念のことを知りたくなったのだった。

 

 眼を合わせて、しばし沈黙が漂う。太陽が徐々に上り、朝風が音を立てて吹き抜ける中で、長い長い数秒が刻まれる。

 ふ、と不意に崩れた隊長の表情。苦笑いとともに紡がれるその言葉は、思わぬ方向の切り口から語られた。

 

「…俺のは信念なんて大したものじゃあない。………カルロス。さっきの話だが、チュメニ紛争のジミトル上空戦…彼我の被害は知っているな?」

「…?はい。確かユークトバニア側が作戦参加の8割を失って、カルガ側が壊滅でしたよね」

「俺はその時、カルガ側の中隊長だった」

「…!?それじゃあ…!!」

「……。共に高高度迎撃に上がったのは、部下の7人とカルガ北部方面軍の防空部隊。司令部が耳元で本土防衛のために死んでも守れ、とがなり立て、俺もその通りに命令した。…だが目論見は外れ、低空から侵入してきた攻撃機によって町は火の海。浮足立ったこちらは、敵の護衛機に成す術なく、退く暇すらないまま壊滅させられた。……黒と赤に塗装されたSu-15部隊に次々と落とされる部下の姿は、今も忘れられん」

「………。」

「中隊で生き残ったのは、皮肉にも『死んでも守れ』と命令した俺一人だった。指揮官失格の烙印を押された俺は軍に居られず、カルガにも戻ることができず…結果、傭兵になったという訳だ」

 

 気づけば、息をすることも忘れていた。それほどに、隊長の過去は衝撃的だった。

 カークス軍曹と時を同じくして変わってしまった運命。そして今や部隊の要である隊長が、かつて部下を全滅させ、指揮官失格の烙印を押されていた事実。その全てが、強烈な矢のように心に刻まれてゆく。

 凝視するこちらをよそに、隊長は炎を見つめながら、一人語りを続けた。まるでその炎の中に、灰燼となったジミトルの街や、死んでいった部下を見るかのように。

 

「俺の信念は、つまりは自分への反省に過ぎない。たとえ危険な任務であろうと、たとえ臆病者と謗られようと、部下を死なせない――それだけだ。身の丈を越えたそれ以上の信念や理想は、自分の逃げ道を塞いで殺すだけに過ぎん。先に言った、信念や理想は言葉に過ぎないというのはそういう意味だ」

「誰も、死なせない…」

「平凡過ぎて参考にはならんかもしれんがな」

「いえ、そんなことはありません。…むしろ、何て言うんでしょう。嬉しいというか」

 

 誰も、死なせない。それは経験に裏打ちされた一方で、シンプルで、(よろず)に経験に乏しいカルロスにも呑み込みやすい『信念』だった。

 国の為、あるいは誇りの為…これまで出会ったベルカのエースや友軍たちの語る信念は、拠って立つ国を持たない自分のような傭兵には、どうしてもしっくりこないものだった。だが、こんなにもある意味単純で、人として当然とさえ言って良い命題でさえ、この空では信念――戦う意味になりうる。それはカルロスにとって、新たな発見だった。隊長の怪訝な表情をよそに、『嬉しい』と表現したのも、その意志の現れだったのであろう。

 

「俺は、今まで自分の戦う意味…信念っていうものを見つけられませんでした。金の為というのももちろんありますけれど、それだけかと言われると少し違いますし。社の為でももちろん無いですし、腕を磨きたいというほどでもない。…でも。生き残ること、死なないこと。人として当然なそのことを戦う意味にしてもいいんだ、と知れて、嬉しかったんです。」

「…そうか」

「隊長」

「……今日はやたら呼びかけるな。今度は何だ」

「隊長の信念…俺も、継いでもいいですか?俺も死なないし、隊長も死なせない。それと…信念や、理想に呑まれない。」

 

 死なないし、死なせない。卑怯者と謗られようと、恥を晒そうと、生き残る。

 その生き方は、いつぞやジョシュア大尉が言っていたエースの区分で言えば、誇りに生きる騎士(ナイト)とは当然異なり、他の二つとも微妙に異なる。強いて分類するならば、生き残ることを第一に置いた、兵士(ソルジャー)寄りの傭兵(マーセナリー)という所だろうか。

 かつて戦場で(まみ)えた、命を賭して作戦を全うしたサピンの爆撃隊長や、奮戦したのち友軍を護るため自裁したベルカのYaK-141『フリースタイル』のパイロットは、立派な誇りを持ったパイロットだった。それを省みると、先に上げた信念は見方によっては恥知らずな、世間一般から見れば外れた信念かもしれない。それでも自分にとっては、本能的で当たり前といっていいほど単純なそれが、一番しっくりと飲み込めるものだったのだ。

 

「輸入物の信念があるか、バカ。――好きにしろ」

「――はい。」

 

 目が合うとともに交差した、苦笑いの入り混じった微笑。

 隊長の頬に上ったその表情は、かつてOperation Ground-Baitで辛くも生き残った時、海上から見上げた隊長のそれに似ていた。

 太陽が昇って来たためか、頬を撫でる風に温かさが混じる。不意に、どこからか機械的な雑音が響き始めたのはその時だった。

 

《…るか、………隊、ニム……ド隊、…答せ……》

「…無線?救援か?」

「あ…!隊長見て下さい、あれ!」

 

 すぐ後ろ、残骸と化したJ-7Ⅲの無線から響く、雑音交じりの通信の声。そして耳を澄ませば、空から聞こえるプロペラとジェットエンジンの二重奏。音を頼りに目を凝らした先に3つの黒い点が見えた時、カルロスは大声とともにその方向を指さしていた。

 

 機体の前後上方にプロペラを設けた大型のヘリコプターが2機。そしてその上を旋回しながら飛ぶ、細身の主翼と黒く染めた翼端を持つ、見覚えのあるあの機影。あれは、もしや。

 

《おおおい!!アンドリュー、皆の衆、どこじゃぁぁぁぁ!!》

「ヴィクトール曹長!」

「驚いたな、予定より相当に早いぞ…。タフなじいさまだ」

 

 無線の雑音すら吹き飛ばすほどの声量に、カルロスは隊長と眼を合わせ、思わず苦笑した。

 翼端を黒く染めた、ニムロッド隊のMiG-23MLD『フロッガーK』。その機体とともに、療養していたヴィクトール曹長が帰って来たのだ。おそらくニムロッド隊の未帰還を聞いて、居ても立ってもいられず復帰と同時に同行したのだろう。日の光を反射して舞うその姿は、懐かしくも頼もしい。

 

 カークス軍曹たちがいなくなってしまった悲しみはまだ深いが、全てがなくなった訳ではない。こうして、周りにはまだ皆がいて、新たに得た大きなものもある。これまでの自らの思いに隊長の信念を重ね合わせた、自分自身の信念。それはきっと、これからの自分を支えてくれる。

 

 大きな声を張り上げて空から喚く『フロッガーK』に向けて、カルロスは両腕を大きく振った。

 




《諸君、よく帰還してくれた。しかし、あろうことか当基地からアルベルト大尉をはじめとした脱走者を出してしまったことは痛恨の極みである。現在、彼らの行く先を全力で調査している。逃走先が判明し次第、諸君らにも追撃に参加して貰う可能性がある。留意しておくように。なお、アンドリュー大尉およびカルロス伍長はミーティング終了後、事情聴取を行うのでこの場に残るように。以上、解散》


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第25話 Over the bounds

《スクランブル要請、スクランブル要請。オーシア国境付近に国籍不明機を確認。邀撃配置要員はただちに出撃せよ。
当該国籍不明機は4機前後の小隊規模。情報を統合するに、ベルカ南端から発進し、ウスティオ-オーシア国境上空を経由してサピン領空に侵入したと推定される。詳細は発進後に伝達する。各員は急ぎスクランブル準備に当たれ》



 数日続いた雨天から一転した、清々しい朝。平穏な一日が約束されたかのようなその朝は、赤色を伴った甲高いアラートによって、あっさりと切り裂かれた。

 戦争は終わっているとはいえ、軍事基地に走る特有の緊張は表現に難い。搭乗員詰所の壁に設置されたスピーカーからは、水を打ったようにしんとした空気を震わす雑音交じりの声が無遠慮に流れ込んでくる。

 咄嗟に椅子を蹴って立ったカルロスは、手に持っていたマグカップから危うくコーヒーを零しかけた。

 

「かぁッ。夜討ち朝駆けお構いなしとは、無粋な奴らめ」

「ヴィクトール、カルロス、先に行け。――アンドリューだ。すぐに行く、エンジンを回しておけ。俺のフロッガーにはガンポッドを搭載…ああ、連装23㎜だ。頼むぞ」

 

 警報を裂いて一番に上がったのは、ヴィクトール曹長の不機嫌な声だった。元来、ヴィクトール曹長は声が大きいことに定評がある。まして折角淹れたコーヒーを一口たりとも飲んでいないことも相まって、その声は一際大きい。

 

 内線の電話口に向かう隊長を残し、カルロスはカップを置いて床を蹴った。ドスドスと重たい音を立てて大柄の体を揺するヴィクトールがそれに続き、伝達を終えた隊長がその脇をすり抜けて奔ってゆく。

 『ヴィクトール、少しは痩せたらどうだ』とでも言ったのだろう、カルロスの背後では、ヴィクトール曹長が息を荒げながら、抗弁の言葉を吐いていた。

 

 1995年11月7日、午前7時42分。詰所に残された、芳しい香りを漂わせる3つのカップだけが、穏やかだったその日の始まりを宿していた。

 

「邪魔だ、どけ!潰されてぇのか!!」

「2番機23㎜リロードOK!3番機に回る!」

「エンジン暖気よし!後ろ気を付けろ!」

 

 詰所から伸びる通路を抜けた先、ニムロッド隊の乗機が鎮座する格納庫は喧騒の中にあった。

 常ならば鉄と油の匂いを漂わせるだけのその空間は、整備員の怒号や運搬車が転がる音、唸りを上げるエンジン音の反響で、まさに音の奔流の中。よほどの大声をあげないと互いの会話も成り立たない空気の中で、隊長は手振りで『乗機搭乗』の命をカルロス達へと告げる。この状態では、通信のチェックがてらに疎通を図った方がまだ効率的である。

 

「乗員搭乗ーっ!」

「カルロス、コイツは最近エンジンの上りが悪い。急加速に追いつけんかもしれんから注意しろ。可変翼のパーツも損耗が激しいから操作は慎重にな」

「了解!コイツ壊したらもう後が無いですもんね…心配しなくてもちゃんと持って帰りますよ!…可能な限り」

「おい、最後聞こえてんぞ」

 

 MiG-21『フィッシュベッド』と比べればやや大型の機体ではあるものの、単座の戦闘機ともなればコクピットはやはり狭い。カルロスは機付長と言葉を交わしながら、体を縮こませるようにその空間へと体をねじ込んだ。加速の伸びが制限、可変翼操作は控えめに。各機体専属で配置される機付長の判断は、さながら係り付け医の処方箋のようなものである。

 喧騒の中で、心に響く経験に裏打ちされた言葉。自分以上に機体を見ているであろうその『職人』の言葉を、カルロスは脳裏にしっかりと刻み付けた。

 

《こちらニムロッド1。全員聞こえるな》

《ニムロッド2、無線よし!久々の出撃で腕が鳴るわ!!》

「ニムロッド4…あ、もといニムロッド3、こちらも感よし!」

《よし。これより誘導路に向かいタキシングに入る。離陸した機は上空に待機し、編隊が揃い次第空域に向かうぞ。各員、機体から離れろ》

 

 燃料よし、弾薬よし。タイヤ圧、エンジン回転数、全てよし。風防を閉じ、機体の鼓動が反響する中に、隊長の声が耳元に届いた。久々に無線越しに聞くヴィクトール曹長の大声は、耳が痒くなるほどによく響く。カルロスが危うくコールサインを間違えたのも、一つにはそれに気を取られていつもの癖が出てしまったためだったのだろう。

 

 ――そう。カークス軍曹とフィオンの脱走により、カルロスのコールサインは従前のニムロッド4からニムロッド3へと繰り上がっていた。当然アンドリュー隊長はこれまで通りニムロッド1であり、隊から外れていたヴィクトール曹長はニムロッド2として復帰したことになる。

 ニムロッド3。それは丁度、以前カークス軍曹が使っていたコールサインである。最初は隊の予備パイロットとしてニムロッド5を名乗っていた自分が、今や隊の3番機。…しかし、そこには隊の4番機たる正規要員として昇格した時の高揚は微塵も感じられず、ただただ穴が開いたような寂寥と一抹の痛みだけがある。

 もう、5人が揃うことは無い。それを思うと、今の自らの立場を素直に喜ぶことは、到底できなかった。

 

《ニムロッド1、タキシングに入る》

 

 格納庫の一番端から、隊長が駆るMiG-27M『フロッガーJ』が、次いでヴィクトール曹長のMiG-23MLD『フロッガーK』がゆっくりと光の中へ進んでゆく。

 空間を満たす甲高い『フロッガー』の鼓動、じわりと進んでゆく機体、そして格納庫の外に広がる、所々に水たまりを作った滑走路。そして戦闘の気配が漂っている、北方のよく澄んだ空。

 胸中の苦みをその空へと融かすように、カルロスはゆっくりとエンジンの回転数を上げていった。

 

******

 

《こちらニムロッド1。管制室、情報を伝えられたし》

 

 オステア空軍基地を離陸して数分。背の青空に黒い翼端を映えさせる3機が、北西を指して向かっていた。

 状況の混乱、そして何より先月のエスパーダ隊追撃に伴う大損害から、スクランブルに回せる部隊はニムロッド隊のみというのが現在の実情である。戦争が終わったとはいえ、サピンの疲弊も推して知るべしという所だった。

 

《こちら管制室。国籍不明機は現在アルロン地方北部、ノースオーシア州国境から約20㎞を北西へ飛行中》

《なんじゃ、(じき)オーシア領空か。こちらはそこで引き返せばいいのか?》

《いや。ノースオーシア州は駐留部隊の整理中であり、州軍も整備されていないため、迎撃態勢を整えるのに時間を要する。オーシア国防軍には許可を取り付けてある。オーシア軍の迎撃準備が整うまでの間、越境し追跡せよ》

《了解した。変化があり次第状況を伝達してくれ》

 

 オステアの管制官が口早に報告した状況を、カルロスも脳裏で整理する。

 現在国籍不明機が向かっているノースオーシア州は、本を正せばつい数か月前まで南ベルカと呼ばれた地域である。戦争の後半から占領下にあったとはいえ、正式にオーシア領となってからはまだ日も浅いことを踏まえれば、人員や機材の配備などが依然混乱しているのも無理は無かった。ましてレーダー網は復旧が終わっておらず、州軍も未整備など防衛上の穴はあまりにも多い。臨時的にフトゥーロ運河に航空母艦『ケストレル』を配備して防空装備を賄っているとはいえ、それでもなお覆いきれない程に、南ベルカは広大だった。

 

 加えて、当初の情報によると国籍不明機はベルカから飛来したというが、そのベルカについても空軍は依然飛行停止処分を受けたままとなっている。ベルカ国内に駐留する連合軍も数を減らしている今、意図的に戦力の空白地帯を悠々と飛んできたのだろう。だが、その所属は、そして目的は一体何なのか。

 

《こちらオステア管制室。国籍不明機はオーシア国境を越境。進路を330に変え依然飛行中。ニムロッド隊、国境を通過せよ。越境後はオーシア防空司令部に指示を仰げ》

《ニムロッド1了解。これより国境上空を通過する》

「……。…国境、か…」

 

 越境。その瞬間は、拍子抜けするほどに実感がないままに終わった。

 国境とはいえ、当然明瞭な線が引いてある訳ではなく、関所のようなものも無い。見下ろした地も眼前の空も、一繋ぎとなったまま彼方へと続いている。

 思わず呟いた『国境』の語。それに馳せた思いは、やがて脳裏に残る男達へと結びついた。

 国境を無くす――そんな途方もない理想を口にしていた『ウィザード1』…ジョシュア大尉。そしてそれに大筋で賛意を示し、ジョシュア大尉が遺したその思想の下に離反した『エスパーダ1』アルベルト大尉。国々の在り方に対する純粋すぎるほどの理想と、それを象徴する『国境』という言葉は、カルロスの中にも鮮烈に残っていた。

 アルベルト大尉は、マルセラ中尉は、そしてカークス軍曹とフィオンは、どうしているのだろう。不意に脳裏に蘇った寂寥は、飛び込んで来た通信に遮られた。

 

《…サピン空軍機、聞こえるか。こちらはオーシア国防空軍エルリッヒ基地。応答せよ》

《早速か。こちらサピン王国空軍オステア基地所属、ニムロッド1。目標を追撃中だ、誘導を頼む》

《了解した。目標は諸君の現在位置から方位005へ79㎞地点を飛行中。機数は2、ないし3機と推定されるが、反応が不安定で機数の確定は不可能。十分に警戒せよ。現在、我が軍も出撃準備を進めている。それまでの間、追撃を頼む》

《了解した。全機、飛ばすぞ》

「了解!…エンジン、大丈夫かな…」

 

 (うつつ)へと舞い戻った意識が、晩秋の空の冷気を知覚する。そう、国籍不明機の追撃とはいえ、ここはあくまで戦場である。迷うことも、まして過去を懐かしむことも許されない、冷徹な『今』だけが存在する空なのだ。気合を入れるように両頬を平手で叩き、カルロスは自らの感傷を叱咤した。

 方位、005。僅かに機体を右に傾けた隊長に倣い、カルロスも同様に機首を東寄りへと転じてゆく。同時に、特徴的な可変翼を畳んで最大角に固定し、エンジン出力を可能な限り引き上げた。情報の距離が本当ならば、この『フロッガーK』でもまだ追いつく余地はある。

 

 加速による圧力で、血液や内臓がシートに押し付けられる。唸りを高めたエンジンは莫大な推力を生み出し、雲を裂き風を抜き、陸に爆音だけを残してひたすら北を指して突き進む。

 

 だが、やはり機付長の話通り、加速が伸びない。コクピットに満ちる轟音も常より大人しく、どこか息切れをしているような印象さえ受けた。案の定、先を行く隊長やヴィクトール曹長から、見る見る距離を離されていく。

 

「くそ、やっぱりダメか…!ニムロッド3よりニムロッド1、こちらエンジン不調。落伍します!」

《ニムロッド1了解。引き返せるか》

「全速巡航ができない以外は異常なし。速度を落としつつこのまま追撃します。お二人は先に行って下さい」

《………》

「…………」

 

 一瞬混ざった沈黙。それは、隊長がこちらの状況を熟考するための間だったのだろうか。落伍し単機にさせて大丈夫なのか、機体自体に問題はないのか、そして機体を護ろうとして無茶をしないだろうか。その背景にはきっと、この前――アルベルト大尉に撃墜され、救助を待つ間に聞いた『部下を死なせない』という隊長の信念が横たわっている。

 振り返った隊長の眼と、カルロスの眼が一瞬交わった。当然互いにバイザー越しであり、隊長の眼など見えないのだが、少なくともその瞬間はそう感じたのだ。

 ――大丈夫、俺も分かっています。機体は消耗品。隊長の信念を破ることはしません。『死なないし、死なせない。』そんな、俺の産まれたての信念のためにも。

 

《……了解した。万一異常が生じた場合は遠慮なく不時着しろ。無理に機体を保とうと思うな》

「分かりました。…アンドリュー隊長もヴィクトール曹長も、お気を付けて。すぐ追いつきます」

 

 時間にして、ほんの3秒にも満たない間。沈黙の時間にぽつりと言葉を残し、隊長とヴィクトール曹長の機体はみるみる速度を上げ、カルロスの視界から消えていった。

 思えば、戦場で孤立したり損傷して撤退したりという偶発的な事情で単機になることはこれまでもあったが、こうして意図的に単機行動を取るのはこれが初めてかもしれない。機体の不調という多分にネガティブな事情ゆえではあるが、これも考えようによっては信頼の在り様の一つ、とも言えるだろうか。

 

 だが、まだ不十分であることは言うまでもない。この戦争の当初――それこそ3月末にベルカのF-111『アードヴァーク』部隊を邀撃した初陣の頃を省みると、技量は確かに向上した自覚はある。しかし、それでも依然アンドリュー隊長やヴィクトール曹長、カークス軍曹の腕前には追い付かず、フィオン、ましてやアルベルト大尉の域ともなればその背中すら見えない。結局の所、自分はまだまだルーキーの域を出た訳ではないのだ。

 戦いに明け暮れる限り、その道は果てなく遠大である。そこに至り巣立ちの時を迎える前に地面に落ちるパイロットは塵芥のように多い。その時を越えて今に至るまでに、アルベルト大尉やジョシュア大尉は、そして数多のエースを返り討ちにしたという『円卓の鬼神』は、どれだけの空を飛んだのだろう。

 彼らのような、他者を凌ぐほどのエースにはなれなくてもいい。だが、せめて一人前の兵――傭兵に、ならば。いつかは到達できるのだろうか。

 

《こちらサピン王国空軍所属、ニムロッド1。国籍不明機に告ぐ。ただちに速度を落とし高度を下げろ。繰り返す。ただちに減速し降下せよ》

 

 内省を破るように、無線から隊長の声が流れ始める。その内容から、目標の国籍不明機を捕捉したのは明らかだった。

 領空侵犯の機体には退去勧告が第一ではあるが、今回の場合は国籍が定かでない上、長時間に渡り数か国の国境を侵犯している。退去すべき方向を誘導することもできない以上、隊長が言う通り、不時着を優先させるのがこの場合の常道だった。

 それにしても、敵の意図は一体何なのだろう。いくらノースオーシアやベルカの警備が不完全とはいえ、こうしていずれ補足されることは自明の理の筈である。危険を冒しての偵察にしてはあまりにも堂々としており、その意図はどう考えても図れなかった。まるで、自らの存在を誇示することそのものが目的のような――。

 

 姿見えぬ敵の尾を、眼より先に思惟が掴みかけたその刹那。異変は、視界外で起こった。

 

《繰り返す、直ちに減速せよ。勧告に従わない場合撃墜する》

《…ニムロッド2よりエルリッヒ基地。敵は3機、電子戦機1を含む。引き続き勧告を…おわっ!?》

「……っ!?ヴィクトール曹長…!?」

《…チッ、こちらニムロッド1、国籍不明機が反転、発砲してきた!反撃するぞ!……エルリッヒ基地、応答しろ。どうした!?》

「…くそっ!!」

 

 瞬間、カルロスはエンジンが息つくのも構わず、出力を引き上げた。

 反転、発砲。鼓膜に残った通信の声から、彼方の事態を類推する。やはり、ただの偵察ではなかったのだ。目的は依然不明だが、仕掛けて来た以上は落とす他ない。

 だが、少なくとも戦闘機である『フロッガー』に仕掛けて来た以上、電子戦機以外の2機は戦闘機と見て間違いない。電子戦機の機種は定かでないが、機数の点ではこちらが劣勢である。おまけに、エルリッヒ基地からの通信が途絶する始末とあれば、こちらの不利は決定的だった。

 まさか、連合国の領空内で国籍不明機相手に劣勢になるなんて。焦りが呼んだ一筋の汗を額に流し、カルロスは『フロッガーK』の尻を叩くように、その速度を速めていった。

 

《失礼した、こちらエルリッヒ基地だ。現在複数の状況が錯綜して…待て、今通信中だ、後に……何だと!?……くっ、ニムロッド隊、ともかく既に迎撃機は発進している。各員独自の判断で行動されたし》

《はぁあ!?なんじゃいあの管制官、適当な指示下しおってからに、ふざけおって…!》

《ヴィクトール、後方だ!ダイブしろ!》

 

 無線が錯綜する、混迷の空。ノイズ混じりの声が飛び交うその中からも、隊長とヴィクトール曹長の不利はカルロスにも感じられた。機数の不利に加え、こちらは緊急出撃だったこともありセミアクティブ空対空ミサイル(SAAM)なども持たず、短距離用のAAM(空対空ミサイル)しか持ち合わせていない。短期決戦の分は、こちらには無いと言っていいだろう。

 急げ、とにかく速く飛んでくれ、『フロッガー』。まるで抗議のようなエンジンの吐息一つ、MiG-23MLDは飛行機雲を曳いてゆく。いくつもの影が飛び交う、その戦空の上へ。

 

「――あれか!」

 

 高度、8000フィート。その下に広がる戦闘の渦は、まるで作りかけの編み物のように錯綜していた。

 背後を取られ、可変翼を最大に広げて旋回しつつ逃げる、ヴィクトール曹長のMiG-23MLD。その後方に2機の敵機が追い縋り、それと8の字を書いて交差するように隊長のMiG-27Mが機銃で攻撃を仕掛けている。さらにその斜め上方には残る敵機1機がおり、まるで猟犬に指示を下す猟師のように戦場を俯瞰していた。このままではヴィクトール曹長はもちろん、背に牽制を受けている隊長も危ない。

 

 戦域となっている高度は概ね4000。『フロッガーK』の加速は先代『フィッシュベッド』に劣りこそすれ、こちらが高位である状況を考えれば到達まで十数秒と言う所だろう。裏を返せば、戦域まではそれほどまでに時間がかかるということでもある。ドッグファイトにおける十数秒はあまりにも長く、逡巡の時間すら惜しい。どうする。今、狙うべきは――。

 

 カルロスは戦場を見、敵を()、自らの機体を省みた。やれる。やって、みせる。死なないためにも、死なせないためにも。

 翼端を黒く染めた翼が左へ傾き、身を翻して急降下してゆく。翼を畳んで疑似デルタ翼形態をとった『フロッガーK』が向かう先は、戦場の後背に陣取る1機。長い機首と、その横まで張り出した主翼の根元。斜めに開いた尾翼、そしてライトグレーとブルーグレーの迷彩で染め抜いた翼。同じサピン空軍のエスクード隊が用いるF/A-18C『ホーネット』に酷似して、それでいて異なるあの様は。

 

「…喰らえっ!」

 

 E/A-18G『グラウラー』。記憶からその名を引き出すのと、それを射程圏内に収めたAAMが『フロッガーK』から放たれたのは同時だった。まずは1発、1秒ほどタイムラグを設けてもう1発。煙の尾を曳いた2つの矢が、『グラウラー』目がけ緩やかに曲がりつつ飛来してゆく。

 無論、こちらより遥かに優れたレーダーを搭載している『グラウラー』が、こちらを見逃していた筈もない。急降下からのミサイル攻撃に一切動じることなく、『グラウラー』は緩やかに右へ、次いで左へと旋回。AAMを回避するには緩慢過ぎる程のシザース機動だったにも関わらず、放たれた2発のAAMは目標を見失い、地面目がけて墜落していった。

 案の定、である。おそらく、ジャミング装置によってミサイルの誘導性能が低下している。こちらの目の前で機体を引き起こし、加速するでもなく距離900程度を保ち続けているのも、こちらのミサイルを回避する自信がある為だろう。そして兆発とも取れるその挙動は、こちらを引き付けて時間を稼ぎ、その間にヴィクトール曹長と隊長を落とす積りに他ならない。――やはり、そうか。

 

「睨んだ通りだ…!そこっ!!」

 

 舞う、と表現するのが相応しいように、眼前を飛ぶ『グラウラー』。その背に向けてさらに1発AAMを放つと同時に、カルロスは思い切りフットペダルを踏みこみ、乗機『フロッガーK』を一気に加速させた。

 急加速の振動と接触警報の騒音がコクピットを揺らすのにも構わず、『フロッガーK』はAAM回避のために旋回した『グラウラー』の脇をすり抜け、ぐんぐん加速してゆく。それを見る間に引き離したカルロスの眼前には、蛇行する隊長の『フロッガーJ』と、そのすぐ先を飛ぶ2機の戦闘機が映っていた。流麗なシルエットと生き物のように逐次角度を変える翼、そして大柄なボディは間違いない。上空からの観察結果と寸分違わぬ、F-14『トムキャット』シリーズと窺い知れた。

 

「隊長っ!!」

《カルロスか…!ヴィクトール、フレア散布!急減速しろ!!》

《――応よ!!》

 

 短い合図、そして互いの機位。即座に察したアンドリュー隊長が、ヴィクトール曹長へ指示を下す。

 先に上空から俯瞰していたカルロスが、咄嗟に思いついた策はこの通りであった。すなわち、上空からの奇襲で敵の指揮・牽制役である『グラウラー』の隙を作りつつ引き離し、一時的に数の上で上回る状況を作り出してから攻撃役の『トムキャット』を仕留めるという、陽動を交えた一撃離脱戦法である。

 加速の初速に関しては『ホーネット』シリーズより『フロッガー』の方が優れており、一旦距離を開ければ『グラウラー』に追いつかれる心配はない。そして『トムキャット』の特徴である無段階自動可変翼は、言い換えれば高速から低速へというような急激な速度帯変化への対応にタイムラグも生じる。総合性能で大幅に劣るこの状況下では、機体特性の弱点を突く乾坤の策以外に破る手は無かっただろう。

 偶然にも、その戦術はかつてエスパーダ隊が、円卓におけるズィルバー隊との戦闘で用いたそれにも類似していた。

 

 先頭のヴィクトール曹長が急減速し、同時にフレアを放出しながら機体を捻る。その背を追っていたF-14は急減速して深追いする愚を犯さず、左右それぞれの方向へ急旋回し離脱を図った。

 ――逃がさない。旋回の一瞬では、敵はこちらに背面を向けるため、一時的に投影面積が増加する。まして、大型戦闘機の代表格でもある『トムキャット』ならば当然の事、その面積は並の機体と比べてはるかに大きい。乗ずべき一瞬の隙は、まさに今だった。

 

 右前方を先行するアンドリュー隊長のMiG-27Mが、旋回したトムキャットの背面目がけて機銃を放つ。固定武装の30㎜6連装ガトリング砲に加え、翼下ガンポッドの23㎜機関砲4門を含めた5筋もの射線に捉えられては、さしもの『トムキャット』も逃れる術はない。右主翼と心の臓たるエンジンを貫かれた『トムキャット』は、大きな尾から煙を噴いて、地を指して落ちていった。

 

 その様を横目に捉えながら、カルロスも隊長に倣って引き金を引く。狙いは左の『トムキャット』。その胴体、中心線上。

 光を帯びたガンレティクルが、迷彩色の胴体を過たず捉える。距離、500。もう少し。

 フットレバー、方向舵、機首調整。距離、445。

 ――今。

 

「…ッ!?しまっ・・!」

 

 引き金を引きかけたその時、機体後部から突如生じた振動が機首を揺らし、ガンレティクルが目標を見失う。

 後方――エンジン。しまった。

 汗すら引くような悪寒に振り返ると、機体後部から薄く煙を噴いているのがカルロスの眼にも認められた。おそらく、加速に加速を重ねて酷使してきたエンジンが、とうとう限界を超えたのだろう。もはやエンジンの溜息どころではない、機体全体を揺さぶるような振動が、カルロスの体を襲った。

 そしてなお悪いことに、加速が乗ってしまった『フロッガーK』は、狙っていたF-14を追い抜いてしまっていた。一撃離脱を狙っていた以上は当然の帰結だったが、攻撃を外した場合のフォローに就いては一切考えていなかった思考の穴こそが招いた隙とも言って良い。幾分戦場を冷静に見てはいたものの、その詰めの甘さが露呈した瞬間だった。

 

「やばっ…!隊長!曹長!」

《慌てるな。ニムロッド2、反転してニムロッド3をフォローしろ。『トムキャット』は俺が抑える》

《応!カルロス、正面から行く!ぶつかるなぁ!!》

 

 思わず発した狼狽え声に応じたのは、隊長の冷静な声だった。――そうだ、慌てるな、落ち着け。機数の利は、今はこちらにある。口中に言い聞かせながら、カルロスは主翼を展開。後方警戒ミラーに眼を運びつつ、その瞬間を待った。

 来た。加速して、こちらの背を追う『グラウラー』。同時に残ったF-14も右旋回で機首をこちらに向け、斜め左後方から接近しつつある。ヴィクトール曹長の『フロッガーK』は丁度正面、遥か先でターンをした所であり、隊長も旋回中で間に合わない。背後の二方向からの攻撃を、少なくとも1回は捌かなければ、掩護は間に合わないと見ていいだろう。

 だが、この息切れした『フロッガー』で、遥かに性能が勝るあの2機を捌き切れるのか。

 

 ロックオンアラート。だが、まだ遠い。

 右旋回。

 ――離れない。殊に『トムキャット』の格闘性能は『フロッガーK』を凌駕する。むしろその距離を詰めながら、互いに別方向から肉薄してゆく。

 隊長は、4時方向やや上方。

 曹長11時、距離2000、同高度。

 あと、数秒。持ち堪え――。

 

「…くっ!!」

 

 ミサイルアラート。耳をつんざく甲高い音に、カルロスは咄嗟に左へ舵を切る。

 左30°変針、フレア射出。

 火球に吸い寄せられるミサイルが眼下を抜け、後方から曳光弾が追いかけてくる。

 1発、2発。コクピットに金属が爆ぜる音が響く。

 だが、まだ飛んでいる。死なない。隊長の為にも、自分の為にも。

 正面。距離、1000。

 

《カルロス!!》

《左に回れぇぇぇ!!》

「――おおおおっ!!」

 

 視界の先に映る黒点。そこから発せられた大声に応えるように、カルロスは機体を左へロールさせた。正面の黒点――ヴィクトール曹長の『フロッガーK』は瞬く間に大きくなり、すれ違いざまにAAMを全て発射。同時に上空から強襲した隊長の『フロッガーJ』が機銃を掃射し、F-14とE/A-18Gへ2方向からの射撃を浴びせかけた。

 だが。

 

《…なんじゃと、あれだけの攻撃を外した…!?》

《いい腕だ。泣けてくる程な》

 

 追撃を振り切り左へと旋回しながら、状況を仰ぎ見る。

 ――まさか。脳裏に浮かぶ、驚愕に満ちた第一声はそれだった。正面からのAAM4発、そして後方上空からの5射線の掃射。それを受けてなお、敵の2機は左右に分かれて急上昇し、変わらずその翼を青空に翻していたのだ。ジャミングでミサイルの誘導性能を弱体化させているとはいえ、やはりその技量は尋常ではない。

 この手も通じなければ、もはやこちらに打つ手は――。

 

 驚愕の末に待つその絶望は、しかし杞憂に終わった。

 

「…?奴ら、逃げていく…?」

《こちらオーシア国防空軍第2254飛行隊。遅れて済まなかった、後は任せてくれ》

《…オーシアの連中か!全く、本当に遅いわ!!》

 

 上空に翻る、F-16C『ファイティング・ファルコン』と思しき8つの機影。それをいち早く見つけていたのだろう、E/A-18GとF-14は速度を落とさぬまま、それぞれ別々の方向へと飛び去って行った。オーシアのF-16Cは二手に分かれ、それぞれの背を追いかけてゆく。

 終わった、か。ただの追尾のつもりが、とんだ航空戦になったものである。カルロスはバイザーを上げ、眉間に浮かんだ冷や汗を拭い取った。

 

《こちらエルリッヒ基地。状況混乱につき、迷惑をかけた。以降、追撃は我が軍が引き継ぐ。燃料補給が必要な機は当基地に立ち寄られたし》

《こちらニムロッド1、了解した。カルロス、応急修理がてら立ち寄れ。ヴィクトールはどうか?》

「了解。さすがに飛ばし過ぎて、『フロッガー』も限界です」

《そうじゃの…燃料せびるついでにオーシアの飯を食うのも悪くないんじゃないかね?朝のコーヒーも途中だったしの》

《…よし。エルリッヒ基地へ、3機がそちらに向かう。エンジン不調の機体もいる。整備班も待機されたし》

《エルリッヒ基地、了解した。諸君の来訪をお待ちしている》

《よし、全機方位245へ変針、腹を満たしに行くぞ。…カルロス、策はまずまずだったが、詰めが甘かったな。迂闊に行動せず、先を読むことも意識しろ》

「…う…。りょ、了解です」

 

 最後の叱咤に苦みを噛みしめつつ、3つの機影が飛行機雲を曳いて、西へと鼻先を向けてゆく。雲はいくつか浮かんでいるものの、その先は青空が果てまで続いていた。

 先を読む。機体性能では不利な状況を強いられることの多い傭兵にとっては、それも重要な視点なのだろう。それが依然十分でない以上、一人前の傭兵となるにはまだまだ先は長く、学ぶことは多い。それでも、今日もまた生き残り、一つ学ぶことができたのは大きな収穫だった。機体を少々酷使する結果にはなったものの、自らの中に定めた『生き残る』という規律は、このような点でも生きて来る。

 

 エンジンが咳き込み、機体がしばし振動する。

 復帰早々、こき使いやがって。カルロスには、それが『相棒』の無言の陳述にも感じられた。

 




《諸君、ご苦労だった。オーシア国防軍からの情報によると、追撃によりF-14は撃墜したものの、E/A-18Gは取り逃がしたとのことだった。塗装パターンおよび戦術から、カニバル作戦の際に行方不明になったベルカ軍のエースと共通点が見られるが、その所属、ならびに目的などの詳細は不明である。
また、同時刻にノースオーシア州南部で大型航空機の目撃情報が相次いだ。住民からの通報では幅数百mにも及ぶという信じがたい情報だが、当該空域はレーダー網復旧が進んでおらず、真偽の程は定かでない。現在、オーシア諜報部が情報収集を行っており、続報は入り次第追って伝える。以上、解散》


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第26話 疾風

《諸君、緊急事態だ。本日1020時、所属不明の超大型爆撃機がオーシア連邦のルーメンを空爆した。当該機は多数の航空機を随伴しつつ、北西方向へ遁走したとの情報である。逃走の方向と時間経過からシミュレートすると、サピン国境侵犯も時間の問題と考えられる。邀撃要員は全て出撃し、当該爆撃機の迎撃を実施せよ。詳細は情報が入り次第、追って通知する。》


 国境の街が、焼かれた。

 

 クリスマス気分を打ち破る喧騒の中、スクランブル発進したカルロスが聞いた情報は、まさにそれ以上でもそれ以下でも無かった。

 敵の所属は、種類は、そしてその行方は。そんな基本としての情報すら何一つないままの慌ただしい出撃など、過去のスクランブルでもあった試しは無い。まして通達されたのが『ともかく北北西へ飛べ』という適当極まりない命令一つというのも、これまで例の無いものだった。

 ――戦争終結から半年、以来幾つかの戦闘を経たものの、表向きは平穏の中にあったサピン王国。隣国オーシアへの空爆という今回の事件は、その平穏を打ち砕き、混乱に陥れるには十分過ぎる程の衝撃だったということなのだろう。

 

 戦争が、傭兵が居るべき空が、再び訪れようとしている。

 雲量1、遥か先まで澄み渡ったサピンの空は、まるで嵐の前の水面のように穏やかだった。

 

《バリスタ1よりオステア管制室。我々はいつまで北北西に向かえばよいか?情報求む》

 

 編隊の先頭を飛ぶサピン正規軍『バリスタ隊』の隊長機から、苛立たしそうな声が後方へと飛ぶ。出撃前にその顔はちらりと見た程度だが、その時の印象、そして声音から考えると自分と同じ20代前半という所だろうか。戦争による損害、ならびに10月のエスパーダ隊脱走事件で戦力を消耗したオステア空軍基地に新たに配備された部隊の一つではあるが、バリスタ1に関してはサピンの作戦士官曰く士官学校を出て間もないのだという。声音に混じる苛立ちも、その緊張と焦りによるものなのだろう。

 

 迎撃に上がったオステア所属機は、合わせて8機。前方を飛ぶバリスタ隊は、サピンでも未だ配備数が少ない最新鋭機『ラファールC』を装備しており、こちらからも翼下に装備した多くのミサイルが見て取れる。その後方に控えるのは、カルロスが所属するニムロッド隊にサピン正規軍であるエスクード2が加わった混成部隊。先般のエスパーダ隊脱走事件での補充が終わっていないエスクード隊で唯一稼働できるエスクード2を、同じく欠員が生じているニムロッド隊に無理やり付随させた形であった。

 最新鋭機を駆る責任、そして後方に部下と傭兵を預かる重圧。バリスタ1の焦りも、さもありなんという所であった。

 その焦りの声が、漸く返事を得たのは数秒を経てのことだった。

 

《失礼した、バリスタ1。現在速度を維持しつつ方位325へ変針せよ。加えて、敵に関して追加情報あり》

《了解した、各機変針。情報を伝えられたし》

 

 先頭のラファールCが機体を左へ傾け、僅かに西へと進路を変える。方位325、このままの進路を取れば、ノースオーシア州およびウスティオとの国境へとほどなく到達する。翼の下を流れる景色は、麦の刈り取りが終わったアルロン地方の田園風景から、峻厳な姿を見せるイヴレア山系の岩肌へと変わっていった。

 時既に12月25日、雪を纏った山肌は、人を寄せ付けない程に冷たく(たか)い。

 

《空爆に先立つ本日0900時、ベルカ上級将校によるクーデターが発生。『国境なき世界』を名乗り、ベルカおよびノースオーシア州各地で武装蜂起を開始した。今回のルーメン空爆も、その一端と考えられる。》

「……!国境なき…世界……!?」

《チッ、またベルカ発祥の戦争かよ》

《ルーメンを空爆した機体は、ベルカが開発した試作超大型ガンシップXB-0『フレスヴェルク』と推定。ベルカ側の情報によると、機体上下に多数の火器を備える他、若干の航空機搭載能力も備えているという。現在グラティサント要塞跡地を通過し、ウスティオ方面へ東進中。》

《ガンシップ、か…。にしても、今更何の積りだ?逆恨みにしちゃオイタが過ぎるな》

《以降の目標については依然不明である。先ほど、空中管制機『デル・タウロ』を発進させた。以降は『デル・タウロ』を経由し逐次情報を伝える》

 

 超大型ガンシップ、航空機搭載、ウスティオ方面へ進行中。それらの情報が上の空に感じる程、カルロスはその組織の名を聞いた瞬間に衝撃を受けた。

 国境の無い、世界。それはかつてウィザード1――ジョシュア大尉が口にし、やがてはエスパーダ1――アルベルト大尉やカークス軍曹がサピンを離れる要因にもなった理念である。既に記憶の中に留まるだけの言葉だったそれが、今こうして唐突に形として現れるなど、想像の外にあったと言っていい。しかも、終戦条約締結の場となった、無抵抗の都市への爆撃という最悪の形を以て。

 

 思わず、額に冷や汗が滲む。

 ジョシュア大尉はバルトライヒ攻防戦の中で消息を絶った。エスパーダ隊も、カークス軍曹やフィオンも、どこへ落ち延びたのか庸として知れない。

だが、それなら。この妙な不安は、胸騒ぎは一体何だ。

 

《デル・タウロより各機へ。XB-0は現在位置より方位345、約140㎞を飛行中。また同方向より、迎撃と思しき敵性航空機6が接近中である。現在、他の友軍機およびオーシア機も追撃を開始している。各隊、敵の迎撃を突破せよ》

《バリスタ1了解した。全機、安全装置解除。サピンの空を汚す敵を叩き落とす》

《ニムロッド1、了解した。ニムロッド各機、敵は大物だ。無駄弾を撃つな》

《応。まー若いのはああ言っとるが、ウチには結構なことじゃな。契約が終わるまでにまた一稼ぎできる》

 

 不安に沈みかけた意識を、現実を告げる隊長の声が引き戻す。そう、敵の正体が何であろうと、それを考えるのは二の次。まずは現実にある目の前の敵を叩き、傭兵の本分を果たすこと…それが、隊長を見て学んだ事の一つでは無かったか。

 握り拳でヘルメットの横をこつんと叩き、カルロスは気を引き締めた。想像も不安も、今は頭の隅に押し込めておけばいい。

 

 安全装置解除、火器管制オールグリーン。2連装レールに懸架したAAM(空対空ミサイル)も主翼内側のハードポイントに装備したSAAM(セミアクティブ空対空ミサイル)も、いずれも不調は見られない。本来の乗機はエンジン修理の為、今回はカークス軍曹が使っていた予備機での出撃となったが、機体そのものにも問題はなさそうだった。向かって右側に位置するヴィクトール曹長のMiG-23MLD『フロッガーK』も同様の装備をしており、左側のエスクード2――ニコラスが駆るF/A-18C『ホーネット』も今回は空対空装備で固めている。唯一アンドリュー隊長のMiG-27M『フロッガーJ』だけは、対爆撃機装備としてRCL(無誘導ロケットランチャー)と23㎜2連装ガンポッドを装備しての出撃となっていた。

 

《バリスタ1、敵機捕捉。バリスタ2より4、一斉射撃を開始する》

 

 流石に最新鋭機だけあり、ラファールCのレーダー性能はサピンに配備されている機体の中でも群を抜いて高い。いち早く敵機を捕捉したバリスタ隊はほぼ横一文字に散開し、翼下に懸架した長距離空対空ミサイルを各機2発ずつ発射。機体から落下したそれらは一拍後に炎を爆ぜさせ、遥か遠くの目標へと飛び去っていった。

 

 1秒、2秒。煙の尾が彼方へと消えゆく中で、時間だけが静かに刻々と過ぎてゆく。

 焔。

 数秒とは思えないほど長い時間の後、彼方に二つの輝きが閃く。それは、撃墜というにはあまりにも実感の湧かない、現代の視界外空対空戦闘を象徴するかのような光景だった。

 

《2機撃墜を確認。敵残存機、散開》

《バリスタ1より全機、自由戦闘へ移行。速やかに排除しXB-0を追撃する》

《……おい、自由戦闘に入るの早過ぎないか?》

「俺に聞くなってば。それより敵が来るぞ」

 

 おそらくこちらだけに送られたのであろうエスクード2からの通信を、いなすように受け流すカルロス。確かにその言わんとすることは分かるが、機数はこちらが上回っている分有利であるし、アンドリュー隊長も今の所何も指摘していない。戦術としてはやや不安が残る所ではあるが、いよいよとなるまではバリスタ1に指揮を任せる積りなのだろう。

 

 乗機『フロッガーK』が、敵機捕捉を示す電子音を上げる。

 方位、ほぼ真正面。機数4、機種は不明。カルロスの眼にも、青空を背に黒い染みのように浮かぶ4つの機影が捉えられた。超音速機同士の戦闘ともなれば、その相対速度はマッハ2を優に超える。その黒い染みは徐々に大きくなり、瞬く間に主翼の形状さえもはっきりと見える距離にまで近づいた。

 

《正面から突っ切り敵を散らす。目標、敵右翼の2機。射程に入り次第各個撃て》

 

 先行するバリスタ隊の4機は、左右斜め上へと散開。目指す敵はさらにその先、距離2500から進路を変えず直進してくる。

 まだ、遠い。SAAMは射程範囲であるものの、方位を固定せざるを得ないヘッドオンの位置取りでは、発射後の回避が覚束ないため使用はできない。すなわち、使えるのは射程800程度の短射程AAMのみ。これまで幾度となく経験してきた、わずか数百mの短刀を突き付け合う、一瞬の勝負――。

 

 小さい。

 速い。

 だが、よく見える。垂直に立つ2枚の尾翼も、キャノピーから伸びる流麗なシルエットも、手に取るように分かる。冷や汗が滲み、鼓動が早まる最中でも、目だけは冷徹に敵の姿を捉えられている。

 距離、1000。900。瞬く間に数値が桁を割る。

 800。

 『フロッガー』が、敵を捉えたと、敵に捕まったと声を上げる。

 捕捉アラーム。ロックオンアラート。同時に耳に満ちる、数多の電子音。

 それにミサイルアラートが混じったのと同時に、カルロスは左へ機体をロールさせながら引き金を引いた。

 

「…どうだ!?」

 

 暴風のような轟音が吹き抜け、衝撃波を纏った4つの機影が擦れ違う。同時に耳の底から遠ざかった電子音は、それらがあっという間に駆け去ったことを暗示しているようにも思えた。

 操縦桿を引き、傾けていた機体を左へと旋回させる。見上げたその先には、抜けていった敵機のうちの1機が翼を引き千切られ、煙を吐いて落ちていく様が見て取れた。残る3機は分散し、その背を反転したバリスタ隊が追ってゆく。

 

《急いで仕留めるぞ。各機、バリスタ隊を支援する》

《支援な…獲物は頂いても構わんよな?久々の上物じゃ》

 

 可変翼機の強みもあり、こと旋回速度に関しては、MiG-23は先代MiG-21に勝る。手動で主翼を展開させたカルロスは、他の僚機に倣って素早く機首を翻し、バリスタ隊の背を追っていった。前方では機数で勝るラファールCが、巧みに戦闘機動を駆使する敵機に翻弄されているようにも見える。

 長く伸びた機首と、そこから滑らかな曲線を曳いて主翼へ連なるシルエット。垂直の2枚羽根と、切り欠いた後退翼。MiG-29にも似るが、より細身の印象を与える女性的な姿は見間違える筈も無い。ひらりひらりと空を舞うその敵機は、Su-27『フランカー』の系列機と見てよかった。F-15『イーグル』シリーズをも上回る比類ない格闘戦能力を持つ機体だけに、格闘戦に引きずり込まれればラファールCといえども苦戦は必至であろう。まして、バリスタ隊は迎撃用の長射程ミサイルを満載した重武装であり、機動は常より劣っている。

 すなわち。速やかに排除するには、格闘戦以外の戦法を採るか、数の利を活かす必要がある。

 

《ニムロッド2、バリスタ3の支援に回れ。ニムロッド3とエスクード2はバリスタ1だ》

「ニムロッド3了解!」

《エスクード2、こちらも了解!カルロス、一撃離脱だぞ。分かってるよな?》

「分かってる!そっちこそ加速遅れてしくじるなよ?」

《上等!んじゃ、かわいい後輩を助けに行きますか!》

 

 横に並んだニコラスと眼を合わせ、カルロスは拳を突き出して応じた。目指す目標は、こちらから見てわずかに低空。距離1800ほどの左下方を、小刻みに旋回を繰り返している。加減速を巧みに織り交ぜた『フランカー』の機動に気を取られ、周辺の様子が目に入っていない状況に見えた。飛び方を見る限り、他のバリスタ隊も似た状況らしい。

 

 主翼収納、後退角72゜。フットペダル踏下、フルスロットル。

 空気抵抗を減らし、デルタ翼に近づいた機体が見る間に速度を上げて、目前を舞う2機へと迫っていく。狙いは『フランカー』が旋回し、投影面積が大きくなったその瞬間。撃墜まで至らずとも、機動を制限するには十分となる、その一瞬のタイミング。

 

《くそっ、もう少しなのに…!》

《バリスタ1、進路を維持しろ!》

《なっ…!?》

 

 『フランカー』の右旋回に釣られて機体を翻しかけたバリスタ1を、ニコラスの声が押し留める。距離700、600。その言葉に一瞬揺れたラファールCを視界の端に捉えながら、カルロスの眼はガンレティクルの中で次第に大きくなる『フランカー』をまっすぐに見据えていた。

 ――好機。

 

「バリスタ1、撃て!」

 

 すんでの所で気づいたのだろう、こちらの銃撃を咄嗟に左旋回で回避する『フランカー』。その鼻先を、遅れて飛んでいたエスクード2が狙い撃ち、灰色の翼に幾つもの弾痕を刻み込む。

 迫る弾丸を、そして高速で擦過するMiG-23とF/A-18Cを回避するため、『フランカー』は堪らず上げかけた機首を下方へと戻す。右旋回から左上方への回避、そしてそこからの降下。すなわち、それは背を追っていたラファールCの目前。

 

 後方警戒ミラーに映る、『フランカー』の断末魔。バリスタ1が放ったAAMは、過たずその胴体へと命中し、黒く焦げた破片を眼下の山脈へと放り捨てた。

 

《あ…》

《よし、いっちょ上がりだ。ナイスキル》

「上も終わったみたいだな。早く上がろう」

《な…!……おい、何で俺に獲物を譲る真似をしたんだ!?傭兵の癖に…!》

 

 頭上を仰げば、新たに生じた黒煙が二つ。アンドリュー隊長もヴィクトール曹長も、同様にして敵の『フランカー』を屠ったらしい。尤も、上空から落ちてくる通信から察する限り、ヴィクトール曹長に関しては自分で止めを刺したようだが。

 空域へと舞い戻るべく機首を上げかけた刹那、背中から追ってきたバリスタ1の声。なぜだ、納得できない。自分を憐れんだとでもいうのか。その声音は、言外にそう滲ませている。

 

「譲った訳じゃない。あの位置取りなら牽制役と攻撃役を分けた方が効率がいいと思っただけだ」

《…あー、あと俺は傭兵じゃないけどな?まあなんだ、あとはこれからのサピンを背負う可愛い後輩にいい所を見せたかったりな。…それにしてもいいよなー、同じ少尉でもう小隊長なんて。俺なんて未だに2番機なのによー…》

《…………。》

 

 冗談めかして言葉を締めるニコラスに、カルロスは人差し指を立ててジェスチャーを送る。意図する所は、『直に1番機になるさ』。多くのパイロットを失ったサピンでは、戦争を生き残り経験を積んだ尉官は貴重な人材である。経験の浅いバリスタ1を始め多くのパイロットを実戦部隊に回しているのも、一つには急いで戦力を回復しなければならない焦りもあるのだろう。それを踏まえれば、尉官にして前線で生き残ったニコラスを、どこかの部隊の小隊長として引き上げる可能性も大いにあると言っていい。

 ニコラスの方はといえば、そちらも同様にジェスチャーで返してくる。親指を立てて後ろを指し、次いで親指と小指を立てた拳を横にして揺らした後、それをまっすぐ前へ。曰く、『あいつ(バリスタ1)を』『しっかり』『支えてやらないとな』と言う所だろうか。…微妙にこちらの意図と齟齬があったような気がしないでもないが、ひとまず置いておこう。何より、追撃戦はまだ始まったばかりである。

 

 ――そしてそれは、唐突に終わりを告げた。

 

《ニムロッド1より『デル・タウロ』。敵性戦闘機の掃討完了。XB-0の現在位置を知らされたし》

《こちら『デル・タウロ』。少し待て。……現在当機に接近中のサピン軍機に告ぐ。至急、所属部隊と姓名を明らかにせよ。繰り返す…》

「…?何だ…?」

《聞こえるか、こちらサピン王国オステア空軍基地所属、『デル・タウロ』!接近中のサピン軍機、速やかに応答ッ…!?……バリスタ隊、ニムロッド隊、ただちに引き返せ!!現在当機は所属不明機に攻げ》

 

 今まで聞いたことのない、焦燥に満ちた管制官の声。その声の中に、不意に金属が弾けるような音と警報音が混じった一瞬後、耳をつんざく激しい衝撃音とともに通信が途切れた。その意味する所は、たった一つしかない。

 後方にいる筈の空中管制機が、落とされた――。だが、そんな馬鹿なことがある筈がない。敵地侵攻中ならばともかく、ここはサピン領空なのである。敵味方の識別はIFF(敵味方識別装置)で容易に区別できる上、広大な索敵範囲を持つE-3『セントリー』ならばなおさらの事だ。しかし、それならばこの事態は一体何なのか。

 思わず見やった、南方の空。その遥か先には無情にも、黒煙が地上へ向けて落ちていく様が見えた。

 

《…!?バカな!!バリスタ2よりオステア管制室!『デル・タウロ』との通信途絶!一体どうなっている!?》

《………なハズはない、呼び続けろ!……バリスタ隊、ニムロッド隊、聞こえるか!こちらオステア基地!》

《聞こえている。こちらニムロッド1。何があった》

《分からん…!東から接近した所属不明機が『デル・タウロ』を撃墜した!敵機は複数、いずれもIFF反応はサピン軍機!現在そちらに向かっている!》

《…了解した。ニムロッド1よりバリスタ1、XB-0追撃を中止し、敵機迎撃を進言する。このままでは挟撃に遭う》

《りょ、了解…!バリスタ1より各機、編隊を組み直す時間は無い!近くの機と編隊を組んで迎撃せよ!》

 

 おそらく『デル・タウロ』撃墜は同時にオステア基地でも掴んだのだろう、通信口からは混乱した管制室の状況が漏れ聞こえてくる。突然の隣国への爆撃に加え、国籍不明機の領空侵犯、そして今度はサピン軍機による空中管制機の撃墜である。予想だにしなかった出来事が次々に起こったこの状況では、現場の混乱は推して知るべしだった。

 もはやこうなっては、XB-0追撃はもちろんのこと管制を受けることも難しい。隊長の進言を受けたバリスタ1の命令に従い、カルロスは機首を南へと向け、同高度に位置するニコラスやバリスタ1とともに編隊を組んだ。こちらから見て右上空にはヴィクトール曹長とバリスタ3、左やや上空にはアンドリュー隊長とバリスタ2、バリスタ4が陣取る形である。

 

 ――来た。方位175、機数3。小さなその機影は、アンドリュー隊長が率いる左上の集団へと鼻先を向けている。三角隊形を取る3機のうち、先頭と左側の機体は上方へと迂回し、1機だけが正面から相対する接敵法を取った。

 3機対1機、しかも長射程を誇るラファールCを2機擁する小隊の前では、おそらくあの1機は成す術もないだろう。ならば、狙うべきはばらけた方の2機。ニコラスもそう判断したのだろう、前を飛ぶ『ホーネット』が機首を上げ、上空へと逃れたうちの1機を狙って上昇する。

 それに倣い、カルロスも機首を上げた瞬間、カルロスは改めて思い知らされた。この空には、『エース』という存在がいるのだということを。

 

《…バリスタ2!?》

《こちらバリスタ4、エンジン付近に被弾!…くそっ、出力が上がらない!》

《………!今のは………!!》

 

 上空の戦域を見上げた先、カルロスは見てしまった。

 アンドリュー隊長の小隊に正面から突っ込んだ敵機が、一航過の間にバリスタ2を撃墜し、バリスタ4にも致命傷を追わせた事を。その後に鋭い機動で旋回した機体が、切り欠き三角翼を備えたポピュラーな機体、MiG-21bis『フィッシュベッド』である事を。

 そして――その主翼に、見覚えのある黒い切り欠きが描かれている事を。

 

《あーあ、折角の最新鋭機がもったいない。ケチらず僕にくれてれば、もっとうまく使ってあげたのに》

「……フィオン…!?…馬鹿な、お前、なんで…!」

 

 フィオン・オブライエン。かつて共にニムロッド隊にありながら、より強いエースと戦いたいがために、エスパーダ隊とともに脱走した男。未だに少年らしい雰囲気を漂わせる、早熟の天才――。2か月以上もの間消息を絶っていたフィオンが、今、何故。思わずカルロスが歯を食いしばったのは、おそらく旋回によるGだけが原因では無かっただろう。

 

《やー隊長、カルロス…あ、ヴィクトールのオジサンも戻って来たんだ。》

《フィオン!お前、裏切ったとは聞いとったが…何の積りじゃい!!》

《あーもー、いつも通りうるさいなぁ曹長。…まーともかく、ここで追手を殲滅できたら『フランカー』貰えるって約束してるんでー。そんな訳で悪いんだけど…皆、叩き落とすね?》

「……くそっ!フィオン、カークス軍曹は!?アルベルト大尉やマルセラ中尉は!!」

《知らないよ。自分で探せばー?》

 

 先の突撃の時点でIFFを切り変えていたのだろう、レーダーに映る敵性反応は3。そのうちの一つであるフィオンのMiG-21が、今度はこちらを指して突っ込んで来る。

 発砲、擦過、衝撃音。

 びりびりと揺れるキャノピーの外で、フィオンの『フィッシュベッド』がアフターバーナーの火を灯して遠ざかってゆく。時間にして、わずか数秒。まして射撃可能な時間はコンマ数秒しか無かった筈である。それにも関わらず、自らの機体に幾つもの弾痕が刻まれているのに気付いた時、カルロスは冷や汗すら引く程の戦慄を覚えた。

 

 フィオンが脱走以来どこに属しているのか、そして何のために戦っているのか。断片的な情報しかない今の状況では、即断はできない。しかし今、彼の言を引けば分かっていることはただ一つ。

 あいつはより強いエースと戦うことを欲し、自らの力を最大限に活かす為『フランカー』のような強力な機体を欲していた。そして、その条件たる戦果を得るために、確実にこちらを殺そうとしている。ただただ無垢に、無邪気に、そして残酷な程の意志を以て――。

 

 だが、そうだとしても。自分だってこんな所で、こんな有様で、死ぬ訳にはいかない。死なない、死なせない、そんな自らの信念の為にも。

 

《くっそ、無茶苦茶だなお前の元同僚!アレ本当に『フィッシュベッド』かよ!?》

「…その筈だけどな…!俺がSAAMで追い込む。その隙を突いてくれ!」

《任せろ!バリスタ1、支援頼むぜ》

《…!分かった!》

 

 左右に迂回しつつ加速してゆく2機の後方で、カルロスは距離を離してゆく『フィッシュベッド』へと機首を向ける。距離は概ね2100、AAMの手は届かないものの、『フロッガーK』の眼が敵を捉えられるぎりぎりの間合い。

 兵装切り替え、1番ハードポイント、SAAM用意。方位微調整、距離やや離れ2150。

 ――FOX1(発射)

 

 SAAM――すなわち機体から放たれたミサイルが、母機の誘導を頼りに目標へと向かってゆくタイプの兵装。『フロッガー』における切り札とも言うべき装備だが、同様の『フロッガーK』に搭乗したことのあるフィオンならばこの兵装の存在も、そしてその弱点――高機動を以てレーダー照射範囲から離れる――も承知しているに違いない。カルロス本人にしても、これでフィオンを仕留められるとは到底思っていなかった。

 すなわち、その狙いはフィオンを回避に専念させ、その間に肉薄した2機による同時攻撃で仕留めることにあった。いくら加速性能に優れるMiG-21とはいえ、回避には旋回を多用せざるを得ず、必然的に切り返しの瞬間には隙も生じやすくなる。上空の隊長達が残る2機を相手にしている以上、この3機で対応する手段としては、この他に無かったと言っていいだろう。

 

 だが。2機を背に受けるフィオンは、予想外の回避行動を見せた。

 フィオンの駆る『フィッシュベッド』は、ほぼ垂直に急上昇。ニコラスとバリスタ1が慌ててその背を追い、いち早く追いついたSAAMが着弾するまさに一瞬前に、フィオンはその速度を一気に緩め、意図的に失速状態を引き起こしたのだ。

 くるりと鼻先が地を向き、垂直に落下してゆく『フィッシュベッド』。急激に進行方向を変えたその瞬間に、SAAMは尾翼を掠めたまま、その慣性に引きずられて飛び去ってゆく。そして、垂直落下に移ったフィオン機の前には、まさに急上昇に入らんとしていた『ホーネット』とラファールCが、その無防備な機体上面を晒していた。

 

《嘘だろ…っ!?うおああぁっ!!》

「な…!ニコラスッ!!」

《エスクード2!》

 

 上面から銃撃を受け、機体後部から煙を噴く『ホーネット』。フィオンの『フィッシュベッド』はそれと入れ違いながら、降下で得た速度を以て機体を引き上げ、まるで先程の激しい機動が嘘のように悠々と機体を立て直した。遠く離れたカルロスの眼の前で、その翼は右へと傾き、バリスタ1の背中を取るべく速度を速めてゆく。狙いは、おそらく横の巴戦。旋回性能ではラファールに分があると判断したのか、バリスタ1はそれに応じるように、フィオンと対極の位置で右旋回へと移っていった。

 

《あーあー。ラファール使ってその程度?もったいなーい》

《なんだ、離れない…!!本当にMiG-21か…!?》

「ダメか…!ニムロッド3よりバリスタ1、すぐ行く!巴戦を止めてダイブで逃げろ!!」

《…っく…!ダメ、だ…!!旋回を止めたら、喰われるっ…!!》

 

 嘲笑にも似たフィオンの声が、無線越しにカルロスの耳にも届く。もはやそれを腹立たしくも感じさえないほど、その技量は圧倒的だった。

 旋回性能で勝る筈のラファールCを、フィオンの駆る『フィッシュベッド』は確実に捉えつつあったのだ。おそらくは、早く後方を取るべく加速をかけているバリスタ1に対し、フィオンは巧みに加減速を織り交ぜて、旋回半径を最小限に収めているのに違いない。元よりMiG-21は軽量なうえ武装も少なく、旋回時にかかる遠心力は小さい。これにパイロットの技量が加われば、あながち不可能な芸当と言えなくもないだろう。

 

 このままでは、バリスタ1もおそらく持たない。カルロスは『フロッガーK』の主翼を再び畳み、一気に加速をかけてその2機へと距離を詰めた。ちらりと見上げた上空は、依然敵味方が入り乱れ、こちらへ降りる余裕はないように見える。やはり、今は自分がやる他無い。

 ――だが、間に合うか。間に合え。間に合え――。

 

 バリスタ1とフィオンの距離が狭まる。

 目算の距離は概ね850、もうAAM射程内まで幾ばくも無い。そして、こちらがフィオンの後方を取る余裕も無い。

 どうする。距離830。810。眼前で2機が回り、まさにこちらに腹を見せて入れ違う。

 ――今。

 

《捕まーえた》

「…させるかあぁっ!!」

 

 瞬間、カルロスは機体を左へ傾け、2機とは逆方向へ旋回。フィオンがバリスタ1へとAAMを放つと同時に腹を擦らせるように入れ違い、2機の間へとフレアを撒いて擦過した。

 パイロットの方がGの限界に達したのだろう、バリスタ1のラファールCが旋回を緩め、よろよろとその円を外れてゆく。AAMはその背に刺さることなく、フレアに誘われ飛び去っていった。

 

《……らしくなーい。いつも通り、自分の身だけ守って逃げ回ってればいいのに》

「…もちろん守るさ。自分も、他の奴も」

《はー…どーでもいいよ。『フランカー』が待ってるんだ。…とりあえずさ、早く落ちてよ、カルロス》

 

 こちらへと向いた、無邪気な殺意。それを体現するかのように、フィオンは機体を引き起こし、宙返りからこちら目がけ機首を向けた。

 対して、こちらの機動は左旋回から機体を水平に直し、右上方へと旋回する『シャンデル』。理論的には背面上方の敵に素早く相対できるため、被弾面積を減らすには最善の機動である。だが、機体を水平に直すという予備動作と、主翼を最大まで展開するという手間を挟んだだけ、カルロスの機動にはタイムロスが生じた。

 

《ぐ…!》

《おっそーい。『フロッガーK』が泣くよー?》

 

 完全に相対する前に射程に捉えられた『フロッガーK』へ、斜め上方から23㎜弾が襲い掛かる。胴体へ、主翼へと衝撃が刻まれ、その内の1発はキャノピーを掠め、破片がガラスへと食い込んだ。

 思わず怯んだカルロスは、シャンデル機動の頂点で機体を立て直し、今度は逆方向の左へと機体を転じさせる。

 

 焦りは稚拙な機動となり、隙を生む。再び水平に戻るというタイムロスを生じてしまったカルロスの横合いから、急反転した『フィッシュベッド』が追撃。さらに新たな弾痕を、『フロッガーK』の機体へと刻んでいった。

 だが、まだ生きている。まだ飛べる。再び背を捉えたフィオンの前で、カルロスは恰好悪く、泥を這うように無様に、それでも懸命に『フロッガーK』を右へ左へと旋回させた。

 被弾、衝撃。旋回の度に聞こえる、金属が削れる音。補助翼に被弾したのかヨーの効きも悪化し、アフターバーナーに至っては作動すらしない。カルロスの『フロッガーK』は、もはや満身創痍の様相と化していた。その背を、フィオンの『フィッシュベッド』が嬲るように捉えている。

 

「く、そ…!」

 

 敵わない。やはり、自分はエースには程遠い。――それならそれでいい。フィオンは引き付けた。銃弾も消費させた。あとはここで脱出すれば、他の機体を追撃する余力は無くなる筈だ。

 ごく自然に、カルロスは敗北を認め、脱出レバーへと手を伸ばした。今乗機を失うのは惜しいが、自ら定めた信念のために、ここで死ぬわけにはいかない。

 ――そしてカルロスは、知り得なかった。勝負は時として、予想だにしない決着を付けるということを。

 

《守る?そんな腕で?弱いのはさ、そんな余計なことは考えずにさ…》

《FOX3》

《大人しく、落ちて――ッ!?》

「………っ!?」

 

 まさに、それは予想外の光景だった。

 彼方から飛来したミサイル。尾部を噛み砕かれ、焔に包まれる『フィッシュベッド』。そして、その遥か後方に見える、見慣れぬ4機の機影。

 咄嗟に回避し致命傷を免れたものの、ミサイルは『フィッシュベッド』のエンジンカウルを吹き飛ばしたらしい。後部から煙を噴きながら、『フィッシュベッド』はよろめくように北へと鼻先を向け、俄かに立ち込めた雲の中へとその姿を晦ましていった。

 

《こちらオーシア空軍第1002飛行隊。そこのサピン機、生きてるか》

「…オーシア軍機…?」

 

 徐々にこちらへと近づいてくる、4機のF-14D。その先頭の機体なのだろう、良く響く男の声が、通信越しにカルロスの耳を打った。比類ない索敵範囲と長距離攻撃能力を持つ、『スーパートムキャット』の愛称を持つあの機体ならば、遠距離から敵機だけを狙うことも容易だったのだろう。ふと上空を見やれば、残りの2機も炎に包まれて落ちていく様が見えた。

 

《遅れてデカブツを追ってたら迷子になっちまってな。悪いが奴さんの位置を教えてくれ》

《救援感謝する。こちらサピン王国オステア空軍基地。…すまない、敵迎撃機に攪乱され、XB-0の位置を見失ってしまった。先ほどまでの進路から類推するに、既にウスティオ国境付近まで到達していると考えられる。》

《あー…そうかい、デカい図体の癖して逃げ足だけは速い奴め。了解した、邪魔したな》

 

 4機の『ドラ猫』が、大きな翼を翻して西へと進路を取ってゆく。あまりにも急激な事態の変化に頭がついて行かず、カルロスは礼を言うのも忘れたまま、その行く先をぼんやりと見つめていた。

 

 負けはしたが、生き延びた。しかし、そこに達成感も解放感も感じえないのは、追撃という任務そのものを全うできなかったことだけが要因ではないだろう。

 自分など足元にも及ばない天才。おそらくベルカのエースにも匹敵する、強く、そしてそれゆえに脆く儚い、一人の男。カルロスの脳裏に満ちていたのは、ただ一人の男の姿だった。

 生きているだろうか。そして戦いに魅入られたあいつは、果たして人生を全うできるのだろうか。

 

「…フィオン……」

 

 北へと続く薄い煙の跡を眺め、カルロスはぽつりと呟く。

 空を吹き抜ける冷たい疾風は、その声すらをも意に介さず、彼方の空へと流れていった。

 




《続報。XB-0はウスティオ国境を越えたのちヴァレー空軍基地を空爆。その後に追撃に上がったウスティオ軍機によって撃墜された。なお未確認情報だが、この際の戦闘でエスパーダ隊を始めとした連合国の機体が複数確認されたという。現在、情報を収集中である。諸君は引き続き厳戒態勢を維持しつつ待機せよ。以上だ》


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第27話 雪夜に燈る灯

 窓の外を、除雪車がひっきりなしに動き回っている。

 黄色い回転灯を閃かせながら、あるいは雪を押して前進し、あるいは後退し、大型の装輪は一時たりとも止まることはない。すっかり日が落ちた今となっては、雪からの照り返しで朧に姿が浮かぶのみで、その台数すら窺うことは知れなかった。

 

 空港において、滑走路に降り積もる雪は、航空機の天敵といっていい。離着陸の際にタイヤがスリップする要因にもなる上、場合によっては滑走路のラインを覆ってしまい、コースを外れてしまう危険がつきまとうようになる。おまけに飛行中はキャノピーへの着雪で視界が著しく悪化するため、何一ついいことはないと言って良かった。

 オーシア東部諸国一帯には、この時期低気圧が侵入し易くなる。一昨日から降り始めたこの雪も、ここサピン北部のみならず、ベルカ国境以北にも降り積もっているのだろう。久方ぶりに連合軍として活動している現状の事を考えれば、天がそっぽを向いたかと思えるほどに折が悪い。

 

 12月30日21時30分、サピン王国空軍オステア基地のブリーフィングルーム。緊急招集されたパイロットたちを掻き分けるように入って来た基地司令の姿を捉え、カルロスは視線を部屋の前へと戻した。

 

「傾注!今夜諸君を呼び出したのは他でもない。去る25日に勃発したベルカ軍内クーデターについての最新情報伝達と、鎮圧作戦に関してである!平和を脅かすテロリスト共を駆逐し、晴れやかな新年を迎えようではないか!ベニート君、説明を頼む」

 

 正面に投影されたスクリーンの脇で、長身の基地司令が声高らかに演説を打つ。ちらりと横目で周囲を見れば、背筋を伸ばす者、薄笑いを浮かべる者、その反応は様々である。隣のヴィクトール曹長は、新たに稼げる機会を見つけたためか嬉しそうに口角を釣り上げている。その向うのアンドリュー隊長は表情を崩すことなく、その意志を量ることはできなかった。

 ベニート君、と声をかけられた傍らの男が、代わってスクリーンの横に立つ。いつぞやにも作戦の解説をしていた、でっぷりと太ったサピンの作戦士官だ。席からスクリーンへのわずかな距離にもかかわらず、ふうふうと息を弾ませ額に汗を光らせている。

 

「では、私から現在の状況と最新情報を説明する。件のクーデター軍は『国境なき世界』を称し、25日にオーシアのルーメンを空爆。同時にベルカ国内、ならびにノースオーシア州各地の拠点を襲撃し、現在複数個所を占拠している。諜報の結果、その本拠はベルカ北部のアヴァロンに存在すると見られており、明日午前にもウスティオおよび周辺諸国空軍を主とした選抜航空部隊が攻撃に向かう予定である。ここまでは、各員把握の範囲内と思われる」

 

 紡がれる野太い言葉と共に、スクリーンに映し出されたのはベルカとサピン北部、ノースオーシア州が描かれた地図だった。かつてオーシアとベルカの国境にあった都市『ルーメン』の地点には大きくバツ印が描かれ、その他にも複数個所に赤い丸印が記されているのが見て取れる。おそらくは、『国境なき世界』によって占拠された地点を指すのだろう。

 ルーメンへの空爆による被害は甚大だった。都市自体がほぼ無防備だったこともあり、XB-0『フレスヴェルク』による爆撃で都市部の2割が焼失。さらに都市上空で迎撃を行ったオーシア空軍および州軍も、随伴していた『エスパーダ隊』らによって相当数が撃墜されたらしく、墜落したそれらによる被害も少なくなかったという。執拗なまでのその攻撃は、彼らが謳う『国境の無い世界』とは別の、ベルカ残党による報復の意志も見え隠れしているように感じられた。

 『屈辱的な終戦条約は認めない。』条約締結の都市ルーメンへの空爆は、戦後の体制を受け入れないという彼らの意思表示だったのだろう。

 

 そして、その本拠たる『アヴァロン』へ討伐部隊が直接向かうという情報も、昨日聞いた内容と大きくは変わっていない。

 平時はダムとして秘匿されながら、多数の対空火器やミサイルサイロを有するベルカ北部の要害『アヴァロンダム』。その地に、『国境なき世界』は多数の兵器、そしてベルカ残党から引き継いだ核兵器を擁して立て籠もったのである。

 アヴァロンは山地に建設された立地の関係上、機甲部隊による進軍は困難であり、制圧にはどうしてもヘリ部隊や空挺部隊を必要とする。そしてそのためには多数の戦闘機による制空権確保が必要となる訳だが、そうした正式な順を追うには、事態はもはや逼迫していた。結果、アヴァロン攻撃に際しては周辺諸国から選抜した戦闘機部隊を編成し、これらの部隊が中枢破壊を担う…すなわち一種の奇襲作戦が取られることとなった訳である。試算の結果、予測しうる損害は部隊の約50%。まさに、捨て身の作戦だった。

 もっとも、サピンからアヴァロンへは地理的に距離がありすぎる。本作戦に関しては、比較的距離が近いウスティオ、ゲベート、レクタならびにファトから部隊が選抜される予定となっていた。また、オーシア海軍もベルカ北方の北海上に展開し、別途作戦を支援する手筈だが、いずれにせよ今回はサピンが関わる部分は無い。

 筈、であった。

 

「そして、ここからが諸君に関わる追加情報である。アヴァロン占拠と時を同じくして、『国境なき世界』はノースオーシア州五大湖沿岸のフィルルテーゲン海軍基地を占領。ここに空海の戦力を集結させ、オーシア軍や我が軍を牽制する動きを見せている。信じがたいことに、オーシアや我がサピン軍の一部部隊が脱走してフィルルテーゲンに合流したとの情報もあり、その戦力は予想を遥かに上回っている。未確認情報だが、オーシアの強襲揚陸や駆逐艦も合流したとの情報もある」

 

 スクリーンの地図がノースオーシア州一帯を拡大し、さらに五大湖の最も東側に位置する湖岸がスクリーン一杯に広げられる。縦横に走るワイヤーフレームで構成された地形は、湖岸らしく起伏に乏しい平坦地のように見て取れた。

 基地の所在は、湖の最東端。西側に突き出た部分に港湾施設を有するらしく、その部分に艦艇を示すらしい幾つかの光点が描かれている。その周囲や基地施設周辺にぽつぽつと光るマーカーは、それぞれ対空砲や地対空ミサイル等の地上兵器を指し示すものと見ていいだろう。さらに基地の北部にはやや小型の滑走路が二本設けられており、小規模ながらも航空戦力さえ擁している様子だった。

 しかも、その編成はベルカ残党のみならず、オーシアやサピンの戦力も混じっているという。各航空部隊といった小さな集団での脱走はエスパーダ隊の例を見ても不思議はないが、艦艇クラスが脱走・合流しているとなると厄介な問題だった。ただでさえ駆逐艦などの艦艇が搭載する長距離ミサイルは脅威となるのだ、IFF(敵味方識別装置)が頼りにならないこの状況では、その危険性は計り知れない。

 

「もっとも、アヴァロンと比べれば戦略的価値は低いことから、連合軍統合本部は本拠点を牽制するに留め、アヴァロン制圧後に鎮圧作戦を発動する方針となっていた。…しかしつい先程、状況が変わった。本日2000時、『国境なき世界』はこのフィルルテーゲンに大量破壊兵器を保有していることを明らかにし、連合国の都市のいずれかへ攻撃を行うと宣言したのだ。」

 

 僅かに、周囲が息を呑む気配が伝わる。

 大量破壊兵器――その言葉でとっさに連想されたのは、かつてベルカ軍の手で使用された核兵器の存在、そして荒廃した爆心地の光景だった。空に突如出現した7つの太陽、天へ向けて成長してゆくきのこ雲、そして一切の生物の気配が消えた灰色の地面。それは、戦争の出来事として割り切るには、あまりにも生々しい光景だった。

 

 それが、再びこの地で使用されるという。バルトライヒ山脈の僻地でさえ1万人超の死者を出したのだから、もしそれが主要都市のいずれかで使用されれば、その被害は想像もつかない。都市と兵器の規模にもよるが、死者だけでも十万を上回ることすら覚悟しなければならないだろう。

 かつてベルカで見たその光景が、今目前に迫っている。一堂に動揺が走ったのも、カルロスと同様に思いを巡らせたために違いない。

 

 ざわつきと熱を帯び始める、ブリーフィングルームの中。落ち着きなく隣近所と言葉を交わす一同を割るように質問へと口を挟んだのはアンドリュー隊長だった。

 

「アヴァロンから眼を逸らさせる陽動…ブラフの可能性は?それにもし存在するにしても、発射に必要な装備がなければ意味が無い」

「いや、諜報部の情報によると、少なくとも先月…例の国籍不明機が領空侵犯を行ったのと同日に、オーシア北限のオータム岬近辺からフィルルテーゲンへと何らかの積荷が運ばれた形跡はある。また、オータム岬付近では終戦の際に脱走した輸送艦が放棄されているのも発見されたが、脱走時に持ち出したと思われる積荷は依然不明のままだ。状況を考えると、積荷はフィルルテーゲンへ移された可能性が高い」

「…『積荷』?」

「積荷のコードネームは『アロンダイト』。その他詳細は一切不明だ。現在、ベルカ情報部に問い合わせて調査を実施中である。いずれにせよ、フィルルテーゲンを現状通り座視する訳にはいかなくなった」

 

 やはり、その大量破壊兵器――曰く『アロンダイト』とやらは存在する。それを実感した時、熟練のアンドリュー隊長やヴィクトール曹長にはとても言えないが、カルロスは胸がどきりと跳ねるのを禁じ得なかった。溜息を吐き出し、脚を組み直して、平静を装いながらアームレストを指でとんとんと叩く。それでも動揺を露わにするように、額には一筋汗が浮かび、つうと流れて頬を伝った。

 

 同時に、隊長の質問と作戦士官の言葉によって、カルロスの中でも事態の推移がようやく繋がった。戦争終結後のベルカ残党脱走、シュヴィル・ロン島での籠城、そして11月の国籍不明機による領空侵犯。ばらばらに見えたそれらの出来事が、裏では『国境なき世界』という線で繋がっていたのだ。

 

 発端は、6月下旬に発生したベルカ艦隊脱走事件である。

 ベルカと連合国との間で締結された、ベルカ敗北の象徴とも言える終戦協定。それに反発したベルカ軍の一部将校が艦隊を率いて、北海上の拠点であるシュヴィル・ロン島へと脱走したというのが、事件の概要である。3か月近くもの抵抗を続けた彼らだったが、連合軍の物量の前に徐々に戦力を失っていき、9月下旬の攻略作戦によってその勢力は壊滅する結果となった。この経緯については、実際に幾つもの作戦に参加していたカルロスも十分に把握していたことである。

 だが事態が収束を迎えたことで、シュヴィル・ロン島への脱走の過程で行方を晦ました輸送艦の存在は、いつしかカルロスのみならず多くの連合軍将兵の頭からも忘れ去られていった。

 

 その輸送船が、オーシア領内のオータム岬で発見されたという。当然ながら積荷は既になく、おそらくは人員も行方を晦ましたに違いない。そして、その近辺からこそこそとヘリが飛び立ったという日と、まるで姿を誇示するように国籍不明機が国境を侵犯した日は奇しくも同日だったという。

 

 以上を省みれば、その積荷――『アロンダイト』が、オークシュミットのベルカ軍からオータム岬を経て、フィルルテーゲンを掌握している国境なき世界に渡ったというのも突飛な想像ではないだろう。何せ、先日オーシアやウスティオを襲ったXB-0『フレスヴェルク』のような超大型航空機まで秘匿しおおせたのだ。ヘリで搬送できる程度の大きさのものを、フィルルテーゲン制圧まで隠し通すのは容易だったに違いない。

 これほどまでに長期間、かつ周到な準備をしていたことを思うと、シュヴィル・ロン島のベルカ残党でさえ『アロンダイト』搬出のための囮であったという解釈すらもできる。

もし、そうだとしたら――半年前の終戦以降から、既に国境なき世界との暗闘は始まっていたのだ。

 

 襟を緩め、椅子に深く腰掛け直した拍子に、椅子の背もたれがぎしりと軋んだ。ただでさえ椅子には錆が浮きガタがきつつある上に、体を捻ってはそこここで話し込んでいるためだろう、その軋みは至る所から響いている。

 平穏を取り戻す世界の裏で、知らない間に進んでいた悪魔の計画。部屋のそこかしこで響く軋みは、まるで平穏が壊れゆく音にも聞こえた。

 

「それでこの年末に急いで攻略って訳か…。攻略作戦はいいが、もしその『アロンダイト』とやらが発射されたらどうするんだ?」

「『アロンダイト』の形態が不明なため断言はできないが、少なくともフィルルテーゲン周辺にミサイルサイロ等の発射施設は存在しないため、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の類ではない。そこで考えられるのは航空機搭載型ASM(空対地ミサイル)等の機載兵装か艦艇発射型巡航ミサイルだが、いずれの場合でも迎撃できるよう、オーシア・サピン両空軍に警戒態勢を発令中である。また、万一に備えフトゥーロ運河は我がサピン軍の艦隊で封鎖をしている他、ベルカ空軍も穏健派に限り一時的に飛行禁止措置を解除、待機させている。諸君は後を省みず、存分に戦って欲しい」

 

 エスクード1の質問に答える傍らで、スクリーンの画像がフトゥーロ運河周辺へと切り替わる。オーシアとサピンを隔てるフトゥーロ運河は、オーシア首都オーレッドやサピン首都グラン・ルギドへの道を成す生命線であり、艦艇でここを突破されると二つの首都が巡航ミサイルの射程に入ってしまう。それを警戒してのことだろう、オーレッド湾へと繋がるフトゥーロ運河の出口には艦艇を示す楔形のマーカーが合わせて6つ、その道を扼するように横たわっていた。

 大海軍国であるオーシアやユークトバニアとは比べるべくもないが、サピンも小規模ながら海軍を保有している。限られた戦力の中で6隻もの艦を動員できたのも、サピン側がこの事態を重く受け止めていることの証左と言えるだろう。

 

「では、順番が前後したが作戦内容を通達する。攻撃開始は明朝0530時。制空部隊が先行して制空権を確保し、攻撃隊は南方から侵入して港湾の艦船ならびに空港施設、基地中枢を叩く。同時刻にオーシア、ならびにベルカ空軍も攻撃を開始するため、各員誤射には十分に注意せよ。」

 

 ディスプレイの投影画像が再び五大湖沿岸に戻り、フィルルテーゲン周辺をクローズアップしてゆく。航空写真と既存の地形図を基に作成したのだろう、ワイヤーフレームで構成された図ながら、それは先に投影された模式図より極めて精緻なものだった。

 基地の敷地は、概して見れば南北に長い長方形。北端にはそれぞれ滑走路を東と北北東へ伸ばした空港施設があり、西側には艦艇を収容する設備や施設が集中しているように見える。それらを護るべく配置された陸上兵器は、空港のある北部と無防備な東部に集中しており、南部は密度がやや薄いようだった。基地内にぽつぽつと見える光点は、おそらく移動式の対空砲やSAM(地対空ミサイル)だろう。急場に揃えた割には、その数は予想より多い。

 

「また、本作戦開始と同時に、フィルルテーゲン東方からオーシア陸軍の機甲部隊が侵入、当該方向の戦力排除と基地施設制圧を担う。諸君は陸上部隊との連携を密にし、適宜支援を実施せよ。なお、航空支援の要請はオーシアの前線航空管制機を介して行われる。通信には注意するように」

 

 補佐官の操作とともに、フィルルテーゲンの東方に幾つもの青い光点が現れ、そこからオレンジ色の矢印がまっすぐ西へと向けて伸びてゆく。その数は、戦車や兵員輸送車を含めれば20は下らないだろう。これに前線航空管制機やヘリを含めれば、基地攻略には十分な数に上る。戦争が終わってまだ半年だというのに、本命たるアヴァロン方面の支援に加え、フィルルテーゲンにもこれだけの戦力を投入できる辺り、やはりオーシアの底力はサピンや周辺諸国とは比べものにならない。

 

「最後に部隊編成だが、エスクード隊、バリスタ隊を混成して制空部隊とし、ニムロッド隊、ホズ隊は攻撃部隊に充てる。出撃前の点検は万全とするよう」

ニムロッド隊(ウチ)は対地攻撃か。ガハハ、最後の機会かもしれん。しっかり稼がんとな、アンドリュー、カルロス!」

「全くだ。せめて黒字で年を越したいもんだな。懐まで寒いと凍えてしまう」

「そうですね。MiG-23(フロッガー)なら対地攻撃にも対応できますし、しっかり戦果を稼いでおかないと。社が潰れちゃいます」

 

 部隊編成の話題が上がるや、方々から上がるは期待と不安の声。そんな空気の中にヴィクトール曹長の大声が響き、期待を表すように左右のカルロスとアンドリュー隊長をばしばしと叩く。実際、今回の戦争で多くの人員や機材を失ったレオナルド&ルーカス安全保障は火の車であり、肝心の稼ぎ手も我らがニムロッド隊以外は壊滅してしまっている。せめて戦闘があるうちに幾らかでも稼がないと、もはや給与も補給も覚束ない。低速下でも安定性があり、対空・対地の両方に対応できるMiG-23『フロッガー』シリーズを運用しているのが、せめてもの救いだった。

 

「…いいよなー、そっちはいつもの機体で出られて。俺なんか…俺なんかなぁ…」

 

 そんなカルロスの背に、恨めし気に降りかかる声。もはや振り向かずとも、声の主はその声音だけで分かる。エスクード2――ニコラスが、こちらの背もたれを掴んで項垂れているのであった。その響きは、外の曇天のごとくどんよりと重い。

 事はつい先日のXB-0追撃戦に遡る。ルーメン空爆の報を受けて、カルロスはニコラスらとともに出撃したのだが、その最中に『国境なき世界』へと鞍替えしたフィオンらと戦闘に入り、サピン追撃部隊は大きな損害を被ったのであった。主軸となったバリスタ隊は半壊し、ニコラスの乗機であるF/A-18C『ホーネット』も中破。ここオステア基地の正規部隊は、その戦力の殆どを喪失したと言っていい状況にまで追い込まれていた。

 

 そこで、今回は苦肉の策として、正規の部隊編成や機体性能を二の次とした緊急の部隊補充が行われた。すなわち、バリスタ隊の残存機であるバリスタ1と3、エスクード1とニコラスを合わせて一つの隊とし、同時にバトルアクス作戦で壊滅したホズ隊にも人員の補充を行って急造の一部隊としたのである。乗機が無事だったバリスタ隊を除き、エスクード隊やホズ隊に割り当てられた機体がF-5E『タイガーⅡ』やA-4C『スカイホーク』といった二線級の機体ばかりという点からも、オステア基地の窮状を窺い知ることができるだろう。

 当然ながら、制空を担うエスクード隊への配備機は軽戦闘機『タイガーⅡ』となる。元々エスクード隊の配備機だっただけに操縦自体は難なくこなせるだろうが、この戦争以来の大規模作戦に、8か月ぶりの旧式機で出撃する破目になったのである。ニコラスならずとも、気落ちして当然だろう。

 

 片や、同じく乗機に被弾したカルロスではあったが、今回は修復を終えた予備のMiG-23MLDを使用することになる。ニコラスの前ではまぁまぁ、と宥めつつ、心の中では予備機の存在に感謝した。

 

「静粛に。作戦内容は以上である。質問は?」

「質問。サピンの将兵も『国境なき世界』に参戦しているとのことですが、それらと交戦した場合降伏勧告を行うべきでしょうか」

 

 ざわつきを鎮めるように一喝した作戦士官へ、質問を投げかけたのは最前列に座るバリスタ1だった。

 今まで作戦内容の方に思考が集中していたが、今回の敵――『国境なき世界』には連合国の将兵も少なからず参加しているのである。生真面目なバリスタ1としては、彼らを従来通りの脱走兵と見なして扱うべきかどうか、という一点を聞きたかったのだろう。

 

 だが同時に、カルロスは別の事を思い出していた。

 先の戦闘で、サピンの識別信号を出したまま襲い掛かって来たフィオン。そして、XB-0に随伴してウスティオのヴァレー空軍基地を襲撃し、追撃のウスティオ機によって撃墜されたというエスパーダ隊。10月にこのオステア基地を脱走したエスパーダ1――アルベルト大尉達は、『国境なき世界』に合流していたのだ。

 と、いうことは、つまり。

 想像したくない、しかし必然的に行き着いてしまう、その先。思考が躊躇いがちにそこへと手を伸ばしかけた所で、『不要だ』と被さって来た声がカルロスの思考に蓋をした。

 

「戦闘中となるため、そこまでの余裕はない。相手からの降伏申請の場合を除き、あくまで『敵』として対処せよ。他には?」

 

 どくん。

 目の前の現実が、心臓を跳ね上げる。

 サピンの将兵であろうが、かつての友軍であろうが、『敵』。それは、見知った人ですらも対象外ではない。

 思わず詰まった息に、赤みが昇る顔。その様を察したのか、アンドリュー隊長がちらりとこちらへ視線を向けたのを、カルロスは感じた。『分かっているな。』そう、目で伝えるように。

 逸らした目線、俯く顔、強く握った拳。できるのか。その時が来た場合、俺は――。

 カルロスが躊躇いがちに顔を上げるのと、作戦士官が『解散』と会議を締めたのは同時だった。

 

「さぁぁて…明日は久方ぶりの大規模戦闘じゃ。早めに休んでおこうかね」

「そうだな。…?カルロス、どこに行く気だ」

「…いえ、気が昂って体が火照っちゃったので、少し夜風を浴びて来ようと思います」

「………そうか。物好きな奴め、好きにしろ。明日の起床には遅れるな」

 

 人の流れから抜け出るように踵を返しかけた所に、隊長の声がかかる。『気が昂った』など真っ赤な嘘であることは、先程の眼のやりとりを踏まえれば隊長にはすぐに分かっただろう。それでもその心を問うことなく、あっさりと開放してくれた隊長に、カルロスは心から感謝した。このもつれたままの心では、到底寝には向かえない。

 

 隊長たちと別れ、カルロスは独りブリーフィングルームを後にする。廊下を抜け、管制棟の扉を開け、踏み出した第一歩は雪の中。相変わらず空気は刺すように冷たいが、雪は止んで雲間から星が覗いている。白い息を吐き出しながら、カルロスは顔を上げて、その星々へと眼を向けた。

 子供の頃、母が教えてくれたことがある。冬の空に三つ並んだ明るい星はオリオン座。そして、そこから右手側、オレンジ色の大きな星から角を伸ばすのはおうし座だと。この国の言葉で『デル・タウロ』と呼ばれる、星占いでもお馴染の星座である。

 

 デル・タウロ。それは開戦の頃から隊を支えてくれた空中管制機のコールサインであり、そして敬愛していたエスパーダ隊がエンブレムとしていた象徴でもある。だが、今やあの管制官も、アルベルト大尉やマルセラ中尉も、ここにはいない。

 カルロスは思わず、その星座の前景に、サピンに来てからの出来事を思い返していた。死を覚悟した初陣。数多のエースとの対峙。民間人空爆の苦い思い。空を焼く核の炎。ベルカ残党の壮絶な最期。そして、戦争と語らいを通じて心に宿った、己の信念。その後ろには、多くの人々との出会いがあった。

 アルベルト大尉、マルセラ中尉、ジョシュア大尉。サピンの爆撃隊隊長。敵たるヴァイス1。名も知らぬYaK-141のパイロット。そして、共に空を駆けたアンドリュー隊長、ヴィクトール曹長、フィオン、――。

 目の前のおうし座の下、蓋をしていた思考が、記憶からその人の名前を引っ張り出す。最も多くの空を共に飛び、そして今もどこかにいるであろう、親しい先輩の名前を。

 

「カークス軍曹………。」

 

 エスパーダ隊、そしてフィオン。彼らと同時に脱走した軍曹も、おそらく『国境なき世界』にいる。もし――戦闘の最中、軍曹に出会ってしまったら。『敵』として遭遇してしまったのなら。俺は、引き金を引けるのだろうか。

 

 風に流された厚い雲が、冬空に輝くおうし座を再び覆い隠してゆく。

 カルロスにとって、長い一日が始まろうとしていた。

 



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第28話 Border Line(前) -受け継ぐもの‐

 昔から、楽しみが待っている前の日には寝付きが悪い人間だった。

 誕生日然り、クリスマス然り。極貧といっていい故郷レサスにあっても、それらは他国と変わらないささやかな非日常だった。そんな日の前には決まって目が冴えてしまい、翌朝を寝ぼけ眼で迎えていたことが記憶の縁に残っている。

 

 楽しみ――そう言うと語弊があるが、終戦以降の警戒任務と比べれば、今回の作戦は久方ぶりの大規模な戦闘行動である。すなわち、これもまた常とは異なる非日常と言っていい。

 それゆえだったのだろう。昨晩も夜風に当たり、床に入ってからも幾度となく寝返りを打ってようやく眠りに就けたのは。そして目を覚ましたカルロスが最初に見たのが、出撃まで1時間も無い頃合いを指す時計だったのは。

 

「…………え?」

 

 眠気の残る目が、ぼんやりと枕元のアナログ時計を読み取る。

 出撃予定時刻は、明朝4時30分。片や、今目の前の時計は短針が4の字を指す寸前。長針はといえば、9と10の間に横たわっている。

 つまり、今の時刻は――。

 

「………。…あああああああああ!!」

 

 やって、しまった。本来なら遅くとも1時間前には準備を終えていなければならない筈が、あと40分ほどしか猶予が無い。攻撃隊の出撃は最後だからいいものの、制空隊は既に離陸準備を始めている頃だろう。事実、既に外からは低く唸るエンジンらしき音が鳴り響いている。

 カルロスは布団を跳ねのけ、二段ベッドの上段から飛び降りた。案の定、下段にいるはずのヴィクトール曹長も既にいない。額に浮かぶ冷や汗、血の気が引いて行く音。唐突に背中に寒気を感じたのは、暖かなベッドから出たことだけが原因ではないだろう。

 最早、最低限の身だしなみを整える余裕すらない。引っ掴んだフライトジャケットを寝間着のシャツの上から直接羽織り、航空靴を履いて、顔を二、三擦ってから、カルロスは居室を飛び出ていった。可能ならばシャワーでも浴びて目を覚ましたい所だったが、時計はそれを許してくれそうにない。廊下を曲がり、シャワー室の前を過ぎた拍子に、不規則な方向を指す寝癖が笑うように揺れた。

 

 そして、そんな存念が、頭に残っていたためだろう。角を曲がったその瞬間に、逆走してきた人影とぶつかりそうになったのは。

 

「うわっ!?…あっ!カルロス伍長、何やってたんですか!」

「悪い、寝坊した!」

「寝坊って…。早く行かないと、隊長もうカンカンですよ!?」

「…やっべ…!急がないと!」

 

 危うくぶつかりかけた人影――ニムロッド隊付きの若い整備兵が、血相を変えて声を張る。

 まずい。大作戦の出撃準備に遅れるだけでも気まずいのに、隊長が激怒しているともなれば尚更まずい。冷や汗が筋となって流れるのを額に感じながら、カルロスは一層足を速めて格納庫への道をひた走る。ややもすれば後からついてくる整備兵が遅れそうな程、その足取りはこれまでになく早い。

 

 格納庫への道のりが、今日ほど長いと感じたことは無かった。危うく蹴っ躓きかけ、すれ違う基地スタッフとぶつかりそうになりながら、それでもやっとのことで最後の直線へとたどり着く。

 あと20m、15m、10m。その先にある格納庫と棟を隔てる分厚い鉄扉は、平穏と戦空を隔てる境界でもある。その先には愛機が、カンカンの隊長が、そして空が待っている。

筈、だった。

 

「…?何だ?」

 

 ふと、エンジン音の中に、耳障りな音を感じた。

 甲高く短いループを繰り返す、本能をささくれ立たせる耳障りな人工音。それはミサイルアラートやスクランブルの際にも聞こえる、警戒を示すアラート。

 

 それらは、ものの数秒と経たぬ間に、地を揺るがす衝撃と轟音に変わった。

 

「うわあっ!!」

「……()っ……!何だ、一体…!?おい、大丈夫か!?」

 

 地震を思わせる凄まじい衝撃に、カルロスは壁へ叩きつけられる。左肩に走る鈍い痛みと平衡が定まらない感覚が、その衝撃と轟音の凄まじさを物語っていた。振り返ると、ついてきていた整備兵は頭を押さえて床に転がっている。先の衝撃の際に頭を打ち付けたのだろう、側頭部から流血しているのが見て取れた。傷は浅い様子だが、脳震盪を起こしたらしく、その足元は定まっていない。

 

 事故。攻撃。想像は浮かんでは消えるものの、少なくともこの衝撃は只事ではない。

 一体、何が起こったのか。探るように巡らせた頭は、正面を捉えて、そのまま固まった。

 見てしまったのである。正面にあったはずの分厚い鉄扉が吹き飛んで廊下に転がり、その先が赤と黒に包まれていたのを。

 まさか。ヴィクトール曹長、アンドリュー隊長。思わず、カルロスは整備兵を置いて駆けだしていた。

 

「…うっ…!」

 

 立ち込める濛々とした黒煙、そして油と血の匂い。カルロスは、むせ返るその匂いに、反射的に口元を押さえた。

 そこに広がっていた光景は、まさに惨劇だった。

 真っ先に目に入ったのは、天井から突き出た巨大なコンクリート片と鉄骨と、それがMiG-23MLDを中ほどからへし折っている様。整備中だったのだろう、その下からは二人分の下半身が覗き、赤黒い血の海に沈んでいる。扉の傍らを見れば、工具を肩に突き刺した整備兵が、呻き声を上げて壁に寄り掛かっていた。

 戦場と変わりない、凄惨な光景。その中で、カルロスの眼に一際大きな巨体が映った。

 

「ヴィクトール曹長!大丈夫ですか!?」

「おお!カルロス無事じゃったか!…フン、この程度掠り傷じゃて。それより、アンドリューは無事か?」

 

 潰れた『フロッガーK』の左隣に駐機していた、無傷の機体。その足元に、ヴィクトール曹長の姿があった。左の太腿と額に流血が認められるものの、幸いにして軽症で済んだように見受けられる。至る所からうめき声が上がり血の海となっている中で、これだけの怪我で済んだのは奇跡に近いだろう。

 だが、隊長は?

 ヴィクトール曹長の声に、カルロスは黒煙を避けて身をかがめながら、周囲へと目を走らせた。

 乗機であるMiG-27Mの下には姿は見えない。潰れた『フロッガーK』の周囲はもちろんのこと、壁面の方にも隊長は見当たらない。その間にも、基地内放送は恐慌と混乱を煽るように、くぐもった声でしきりに叫んでいる。

 

《…繰り返す、巡航ミサイル着弾!巡航ミサイル着弾!格納庫ならびに兵舎、滑走路に命中弾あり!消火班はただちに復旧に当たれ!》

《管制塔より連絡!第2滑走路にて、離陸中のバリスタ3が着弾に巻き込まれ大破!救命作業急げ!》

《第1滑走路にも中程に着弾!離陸作業中止せよ!》

 

 どうやら、他の施設にも被害が出ているらしい。管制官の声に引きずられるように、カルロスはふと、吹き飛んだシャッターの向うへと目を遣った。確かに滑走路は700mもない辺りから炎が上がり、他の建物からも黒煙が上がっているのが見える。

 だが、今はそれどころではない。再び隊長を探すべく、ふと視線を下へ――すなわち、地に転がるシャッターの辺りへと向けた、その刹那。シャッターの支柱の辺りに、人の脚が見えた。

 

 背筋が凍る、初めての感覚。言いようのない不安を抱きながら、カルロスは煙の中を這うように、その元へと探り寄る。

 痛みに歪む、苦悶の表情。頬にこびりついた鮮血。首から下げた、『アンドリュー・ブーバー』の名を刻んだ識別タグ。そして、膝から先がなくなった右足と、今もコンクリートを染め続ける赤色。

 その人は、創痍になりながらも今だ意志の籠った力強い瞳で、カルロスと目を合わせた。

 

「た…!…隊長!隊長っ!!………そんな……。」

「アンドリュー!!お…お前さん、脚が…!」

「…カルロス、ヴィクトール、…無事、だったか。…あまり、喚くな…この通り、脚に、…響く」

「そんなこと言ってる場合じゃ…!とにかく、早く医務室に!!」

 

 そんな。こんな、事が。

 右脚を失い、支柱に背を預ける隊長の姿を見て、カルロスは茫然となった。空戦ではない、戦いが始まってすらいないこの地上で、この人が重傷を負い、飛べなくなるなんて。彼方から放たれたミサイル一発で、生死の縁を彷徨うことになるなんて。こんな不条理があっていいものか。

 

 悲しみ、遣り場のない怒り。感情が渦巻くカルロスの脚を隊長の血が濡らし始め、カルロスは漸く我に返った。とにかく、この流血量では命が危ない。最優先は止血と輸血、そして危険なこの場所からの退避。そう判断し、カルロスは膝を折って隊長の腕を取り、肩を貸すべく脇の下へと腕を通す。

 だがその腕は、まるで犬を追うように、隊長自身によって払われた。

 

「俺はいい。この程度、は、応急処置で何とか…なる。……それより、出撃任務は、どう、なった」

「何とかって…!出撃はもう無理ですよ!エスクード1と2は上空で待機していますが、滑走路にも被弾して…!もう700mも使えませんよ!」

「いや、『フロッガー』は可変翼機だ。500m程度あれば、離陸は、できる。………カルロス、…俺の『フロッガーJ』を使え。操縦特性、は…『フロッガーK』と、大差ない」

「え…!?……しかし!今は隊長の体の方が…!」

 

 時折咳を交えながら、隊長が『フロッガーJ』を指し示す。着弾場所から離れていたためだろう、翼端を黒く染めたその機体には、半壊した格納庫にそぐわず、傷一つついていない。

 隊長の言う通り、元々MiG-23『フロッガー』の系統は短距離離着陸能力の付加を主眼に開発された機体である。可変翼を最大まで広げて揚力を確保すれば、着弾位置の手前までに離陸することは可能であろう。カルロスの『フロッガーK』は大破し、予備の機体も整備のためエンジンを外している以上、ニムロッド隊で…否、この基地で離陸できる機体は隊長の『フロッガーJ』を置いて他にない。

 

 だが、今は。目の前の出撃任務より、隊長や皆の安全確保が先である。いずれにせよニムロッド隊とエスクード隊の4機ぽっちでは、任務達成も覚束ない。何より、傷ついた大事な人を、このまま置いて行く訳にはいかない。

 感情を露わに、なおも食い下がるカルロス。

その抗弁は、隊長が不意に振るった拳と、それが頬に響かせた衝撃で途切れた。

 

「うっ…!?」

「馬鹿野郎、が…。それでも傭兵か。お前も、傭兵なら、務めを…果たせ。」

「………。」

 

 務めを、果たせ。

 弱弱しい拳、それとは裏腹に弱さを見せぬ意志。それは頬に受けた衝撃以上に、カルロスの心に響いた。務めを果たすこと。そして生き残ること。隊長の信念は、今になっても衰えず、ここにある。知らず、カルロスはその言葉に頷いていた。

 

「…ヴィクトール、このバカを、引っ張って行け。指揮、は、エスクード…1、に。」

「…分かった。あとは任せて、お前さんはもう休め」

「ああ。……カルロス。」

「…はい。」

「預けるぞ」

「……はい!」

 

 預ける。

 それは、額面通りに受け取れば、愛機である『フロッガーJ』を預けるという意味合いに過ぎない。

 だが、あの日――エスパーダ隊により撃墜され、そして救援を待つ間共に語らったカルロスには、その裏にあるもう一つの意味が分かった。

 部下を、死なせないこと。その隊長の信念を、今カルロスは預けられたのだ。死ぬな。機体を、それ以上に命を持ち帰れ。お前が帰還しなければ、自分の信念は全うできない、と。それは取りも直さず、カルロスの腕と信念に、信を得たからこそに他ならない。

 必ず、帰ります。その言葉を言外に込めて、カルロスは大きく頷いた。

 

 もう、振り返らない。必ず帰って来るのだから。

 カルロスは、ヴィクトールとともにその『乗機』へと脚を進めていった。

 

******

 

《たった4機の攻撃隊か…》

《そう言うなニコラス。オーシアやベルカの援軍が先に仕掛けている筈だ。戦力ではむしろ優勢になる》

 

 サピン北部の田園地帯を抜け、オーシア領内の針葉樹林を眼下に認める五大湖南方。

 雪が舞う曇天の下を、サピン国旗を身に着けた4つの機影が飛んでゆく。時にして12月31日、夜明け直後の午前6時。空は依然薄暗く、宙舞う鳥の姿すらない。外はおそらく零下なのだろう、雪に覆われた眼下の光景は寒々しく、パイロットスーツ越しにも底冷えしそうな錯覚を覚える。

 思えばサピンに来て最初に駐留していたのは、寒さではここと変わらない、山間のヴェスパーテ基地だった。出撃の度に、今日のように凍えそうに思いながら空に上がっていた事は、鮮明に覚えている。

 技量、そして信念。自分は、あの頃と比べて成長したのだろうか。それとも、一歩踏み出したに過ぎないのだろうか。その答えは、自分でもよく分からない。

 

 だが、少なくとも乗機はあの時と変わった。多くの機体を乗っては潰し、入れ替えて来た。MiG-21bis、MiG-23MLD、Su-22M3、MiG-19S、そしてJ-7Ⅲ。その最後に位置する機体が、開戦以来アンドリュー隊長が乗り続けてきたMiG-27M『フロッガーJ』というのは、カルロスにとってくすぐったいような緊張するような、妙な気持ちだった。

 

 そもそも『フロッガーJ』は、MiG-23シリーズを戦闘攻撃機として派生させたB型の発展型に当たる。隊長が言った通り基本的な構成や操縦特性は他のシリーズと大差ないものの、戦闘攻撃機としての運用を図るために変更された点もまた少なくない。

 その最たる点は、対空を担うレーダーを持たないことである。当然ながら搭載できる対空火器は短距離の自衛武装である赤外線誘導AAM(空対空ミサイル)程度しかなく、MiG-21bisやMiG-23MLDで搭載できたようなSAAM(セミアクティブ空対空ミサイル)等の中距離攻撃手段は持ち合わせていないため、空戦能力はけして高くはない。その一方で、対地攻撃のための地形追従レーダーや火器管制装置が追加されており、多彩な対地攻撃兵装が運用可能となっている。

 

 もっとも、高性能ゆえに高価なASM(空対地ミサイル)を、貧乏な我が社がおいそれと使える道理はない。今回の兵装選択も、実際には弱小PMCらしい懐事情が大きく反映されたものとなっていた。

 『フロッガーJ』のハードポイントは、『フロッガーK』より2か所多い7か所。このうち胴体中心線上の1つには増槽が、その両側2か所にはAAMが1発ずつ搭載されている。対地攻撃兵装としては、主翼4か所のうち外側の2か所にはRCL(無誘導ロケットランチャー)を、内側の2か所にはGSh-23L/23㎜連装機関砲ポッドを搭載する恰好だった。機関砲ポッドのうち片方にはチャフ弾が装填してあり、生残性を高める防御火器として運用できるよう調整されている。この他に、胴体中心線には固定武装として6砲身30㎜ガトリング砲が搭載されており、まさに対地攻撃機に相応しい重武装となっていた。

 

《目標を確認。もうオーシアやベルカの連中はおっぱじめてるな》

《こりゃかなりの数じゃな。最後の一稼ぎにはうってつけというところか》

「しかし…空の方は識別がごちゃごちゃに入り乱れて、訳が分かりませんね」

 

 彼方の空に閃光がぱっと上がり、生じた黒煙が地面目がけて落ちてゆく。目を凝らせば、地上からは既に幾つもの黒煙が立ち上り、空には無数の黒い点が幾何学模様を描いているのも捉えることができた。向かって左手側、西の部分には湖に突き出た港湾施設も認められる。間違いない、目標のフィルルテーゲン基地である。その数から判断するに、既に戦闘が開始されてかなり経つらしい。

 当然と言えば当然である。本来は、自分たちサピン軍はオーシアおよびベルカ両軍と同時に攻撃を開始する予定だったが、明朝の巡航ミサイルによる攻撃で出撃自体が遅延したため、こうして遅ればせの参戦となった訳である。今頃は後方の基地から戦力をかき集めている段階だろうが、他のサピン軍基地からの距離を考えれば、到着までまだかなりかかると思わなければならない。

 

《こちらオーシア国防空軍空中管制機サンダーヘッド。空域に接近中のサピン軍機に告ぐ。所属とコールサインを明らかにせよ》

《了解。こちらはサピン王国空軍第7航空師団第19戦闘飛行隊、ならびに第31戦闘飛行隊の混成部隊だ。コールサインはエスクード1。久しぶりだな、オーシアの管制機さん》

 

 無線の雑音を割って、オーシアの言葉が耳朶を打つ。エスクード1が言う通り、そのコールサインと声にはカルロスも覚えがあった。

 約3か月前に行われた、シュヴィル・ロン島に籠ったベルカ残党軍への掃討作戦。その際に指揮を行っていたオーシアの空中管制機こそ、このサンダーヘッドであった。作戦中の邂逅であり所属も異なったため、以降顔を合わせる機会はなかったが、作戦中の的確な指揮と柔軟性に助けられたことは記憶に新しい。

 

《ああ、君たちか。息災なようで何よりだよ。早速だが、支援を頼む。現在基地北部の空港制圧のため、オーシア第6機甲連隊が東方から攻撃中だが、急造のトーチカと防衛陣地に阻まれて容易に進んでいない。対地攻撃ヘリ部隊も分厚い対空砲火と敵の制空戦闘機による被害を受け、現在後方で補給中だ》

《何だ、つまり蜂の巣つついた後に突っ込めって?》

《まあそう言わず。敵防空網を消耗させるのに合わせ、こちらもヘリ部隊で再攻撃させる。上空はベルカ空軍機が制空戦を行っているので、諸君は地上攻撃に集中してくれ。頼んだよ》

《了解した。ニムロッド2、3、対地攻撃を頼む。上空はこちらがカバーする》

《応よ!カルロス、きっちり叩き潰すぞ!》

「ニムロッド3了解!攻撃体勢に入ります」

 

 管制官の声を受けながら、眼下に至りつつある戦場を探るべく双眸が奔る。

 現在高度、概ね1700フィート。その上空4000フィート付近では、幾つもの機影が弧を描き入り乱れ、時折爆炎が灰色の空に刻まれている。

 一方地上を見やれば、激しい砲火が飛び交っているのが、敷地のうち東部と北部の2か所。いずれも基地北部の空港を目標とする部隊だろうが、依然空港の方には損害が見られず、今も敵機が離着陸を繰り返している。特に東部には鉛色の車両がいくつも認められ、砲煙と土煙の間にその姿を見え隠れさせているが、基地側の陣地に遮られて攻めるに任せないように見受けられる。地上に二つ三つ見える鉄の残骸は、先程管制官が言ったように、先行して攻撃を仕掛けたヘリのなれの果てだろう。

 方や、湖に突き出た基地西部の港湾施設は、黒煙が2筋ほど上がっている他には目立った損害は認められない。上空の制空が終わっていない以上、オーシアも爆撃隊を進入させるには至っていないのだろう。その頑強さは、予想をはるかに超えて凄まじい。

 

 ともかく、まずは東部方面の支援である。すぐ前を飛ぶヴィクトール曹長の『フロッガーK』が増槽を捨て、機体を右へと傾けて徐々に高度を下げてゆく。それに合わせるようにカルロスも自らの機体を傾けながら、火器管制の安全装置を解除した。ヨーの感触は普段のMiG-23MLDよりやや重いものの、気になる程ではない。目の前のモニターは絶えず走査した地形を映し出し、最適な進入コースを指し示してくれている。

 進入コース、敵陣地南方。戦車隊と対峙する敵陣地へと、横合いから襲い掛かるルートである。

 

 目標の敵陣地は大きく分けて3つ、こちらから見て南北方向へ連なっている。いずれも強固なトーチカを中心に、周囲には数台の戦車と対空砲。それらの後方には移動式SAM(地対空ミサイル)も認められ、陸空に対する万全の布陣となっていた。速度の遅い攻撃ヘリでは、確かにひとたまりもなかっただろう。――つまり。リスクを抑えつつ攻撃を仕掛けるには、可変翼の強みを活かした一撃離脱が最も有効という事である。

 

 ヴィクトール曹長も、その点は先刻承知だったのだろう。高度1000を切った所から、尾部の閃きを強めて、徐々に速度を上げてゆく。可変翼操作、最小角。疑似的にデルタ翼となったMiG-27Mの加速は、武装を抱えていても流石に速い。目標までの距離、約1200。眼下を流れる景色が相対的に速くなり、こちらに気づいた敵が対空砲を旋回させるのが辛うじて捉えられた。

 

 ヴィクトール機、投弾。速度と重力の虜となったUGBが、弧を描いてゆっくりと落下してゆく。その機影が上空を通過した一拍後、それらは地に刺さり爆発。眼前で黒煙と土煙が上がり、視界を黒く塗りつぶしてゆく。

 それに紛れるように、カルロスは最南端の敵陣地を通過。右へと離脱した曹長の横を抜け、中央の陣地へと狙いを定めた。

 

 武装選択、RCL。距離1100。

 ミサイルアラート、横合い。針路そのまま。

 砲身を向けた対空砲が閃き、曳光弾が眼前を迫ってくる。

 死に近づく感覚。腹が冷たくなる特有の寒気。

 だが、見える。よく見える。対空砲の位置も、位置を変える戦車も、やがて赤と黒に変わるであろう敵の兵士も。

 衝撃。

 一発喰らった。

 だが、浅い。距離600、有効範囲。

 

「っ!」

 

 トリガーを引くと同時に、両翼の下から放たれる無数のロケット弾。それらは、カルロスの眼下で地を穿ついくつもの爆炎になり、破裂。通過したその後方で千切れ飛んだ対空砲が舞い上がり、誘爆の炎が地を揺らした。

 

「ニムロッド3、対空砲2撃破!戦車1台も小破しています」

《よし、初撃にはまずまずじゃな。カルロス、ワシは敵のSAMを潰す。お前さんは残った陣地を潰してくれ》

「了解しました。敵は物陰を巧みに使っています、気を付けて下さい」

《はは、言うわ。ワシが若いのに遅れを取るかよ!》

 

 曹長と示し合わせ、カルロスは機体を傾けて残った敵陣地を俯瞰する。こちらにはトーチカの他、対空車輛が2台に砲座が複数。少なくとも対空砲さえ潰しておけば、あとはオーシアの攻撃ヘリが掃討してくれる。

 兵装選択は、連装23㎜ガンポッドと比べて威力に優れるであろう6砲身30㎜。進入コース検索、方位080、トーチカ正面側。右に傾いた機体の翼が空を切り、その軌跡を追うように曳光弾が追い縋ってくる。

 

《シュベルト4より下のサピン軍機!3機抜けた、気を付けろ!》

《エスクード1了解。こちらで対処する》

「エスクード隊、上は頼む!こっちは上見てる暇はないからな!」

 

 味方のベルカ軍機から飛び込んで来た通信に、上空を見上げる余裕はもはや無く、カルロスは喚きながら照準器を覗き込んだ。慣れない機体と見慣れぬ計器盤を前に、見る見る集中力が削れてゆくこの状態では、上空警戒にまで意識を向けるゆとりなどありはしない。余分なものを意識の外へ飛ばしながら、カルロスの眼は前方の目標を捉えた。

 真正面、目標はトーチカ。コンクリートを箱型に固め上げ、前方二隅を切り欠いたような武骨な形状をしたその先からは砲身が突き出ており、戦車隊へと絶え間なく砲弾を浴びせかけている。その砲身を照準の中心に見据え、俗にアヒルの嘴(ウトカノス)と呼ばれる傾斜機首の延長上にコンクリートの塊を捉えた瞬間、カルロスは引き金を引いた。

 同時に、衝撃が走った。

 

「う、わ、わわわわわ!?なん、だ、これっ…!」

 

 否、それは衝撃と言うのも生温い、振動と轟音の暴力とでも表すべきものだった。

 機体直下の30㎜6砲身ガトリング砲が唸りを上げると同時に、カルロスを激しい縦揺れが襲う。その反動は『フロッガーK』の23㎜の比ではなく、照準は著しくぶれ、精密な射撃など望むべくもない。回転音と発射音の二重奏はヘルメット越しに鼓膜をかき乱し、頭痛すら催しそうなほどにカルロスの頭を揺らし続けた。無線に混じる雑音、痺れる手。その激しさは、不時着の方がまだマシと思えるほどに凄まじい。

 

 MiG-27Mに初めて搭乗するカルロスは知る由も無かったが、このあらゆる意味での扱い難さこそが、MiG-27シリーズの代名詞たるGSh-6-30/6砲身30㎜機関砲最大の欠点だった。高威力と射撃速度の両立を求めるあまり、その振動や騒音が戦闘に支障を来すほどに大きくなってしまったのである。過去の事例では内部装置の疲労切断に無線などの故障、著しいものではキャノピーや計器盤の破損も報告されており、その反動の大きさを物語っている。結果的に本兵装を搭載した機体がMiG-27シリーズに限られたという事実からも、その扱い難さを推し量ることができるであろう。

 ――その反面、見返りもまた大きかった。

 

「………凄い…」

 

 激しい振動に耐えに耐え、目標の上空を通過した後。その背を、曳光弾が追いかけて来ることはもはや無かった。

 後方を省みたカルロスの眼に映ったのは、まさしく廃墟だった。強固なコンクリートで覆われたトーチカは中心からへし折れるように崩れ、砲台がある筈の内部は瓦礫の山と化している。その後方に位置していたはずの対空車輛も爆炎を上げており、地面や瓦礫には人間だったと思われる肉片が赤黒くこびりついていた。ややはなれた位置にあったいくつかの砲座は無事であるものの、その周辺も人影が慌ただしく走り回っている。おそらく人員が負傷したのか、すぐには攻撃が行えない状態なのだろう。すなわちほんの一航過で、目標のほとんどを無力化できた計算になる。

 

 6砲身30㎜の扱い難さの見返り――それは、かのA-10『サンダーボルトⅡ』の代名詞たる6砲身30㎜機関砲『アベンジャー』と並び称される、比類ない攻撃力だった。30㎜弾そのものの威力もさることながら、飛散した破片によるその有効範囲は、実に着弾地点から半径200m。遮蔽物のない地上施設や兵器では、この威力に耐えることは不可能といっていい。

 振動によって疲労したカルロスの手に、再び細かな震えが起きる。それは、先の機関砲の反動だけが原因では無かっただろう。

 

「こちらニムロッド3、最北端の敵陣地沈黙。残りも戦力が低下している。攻撃ヘリを…」

《カルロス、後ろだ!!》

「…!?くっ!」

 

 唐突に耳朶を打った声に、カルロスは反射的に操縦桿を左へ倒し、機体を左へ傾ける。そのすぐ脇を機銃弾が、次いでクーデター軍の機体が通り過ぎ、その背をエスクード2の『タイガーⅡ』が追尾していった。

 敵機。そうだ、さっき上空から降りて来たという3機。脳裏に過った通信の声に空を見上げると、カルロスは思わず驚愕した。

 気づけば、低空域を飛ぶクーデター軍機の数は3機などではない。その数、認められる限り5、6…いや、もっと多い。上空の連合軍機に追いやられたのか、それとも空港から発進した新手か。いずれにせよ、エスクード隊の2機だけで対応できる数ではない。

 

 ミサイルアラート。

 左旋回したこちらの尻を追うように、機械音が耳に迫る。

 疲労を覚えた体を労わる余裕もなく、カルロスは武装を切り替え、23㎜機関砲ポッドからチャフ弾を散布。同時に可変翼を広げ、旋回半径を抑えながら左旋回を続けた。中途に見上げた視線の先では、白煙を曳いたAAMが金属片に誘引され、こちらの尾部を掠めて逸れてゆく。直進し通り過ぎていった敵機の種類を判別する間すら与えられず、今度は別の敵機がこちらの後上方を押さえ、後方警戒アラームの音とともに接近して来た。

 

 完全に包囲された。敵機の数は概算でサピン側のざっと倍。とても敵う数ではない。

 だが、カルロスは知っていた。先ほど上空を見上げた際に、連合軍の制空機は依然健在だったことを。そして、その中の数機。低空域へ進入すべく高度を下げていた機体の中に、見覚えのある白い機体が混じっていたことを。

 

 後方、現在迫っている敵機はMiG-29『ファルクラム』。格闘戦に持ち込まれたら、運動性では到底敵う相手ではない。それを承知で、カルロスは可変翼を最大角へ広げたまま右へと旋回方向を変え、敵機を格闘戦へと誘いこんだ。敵にしてみれば、鈍重な攻撃機の最期のあがきにも見えたことだろう。所々に銃創を浴びているこちらを確実に仕留めるように、徐々に距離を詰めてゆく。

 

 右旋回。振り切れない。

 左、へ行くと見せかけて再び右、やや下降。同じく。むしろ距離を詰めてくる。

 距離900。急上昇、速度低下。――『好機』。

 

 後方の『ファルクラム』が、勝利を刻むべくAAMを放ちかけた、その瞬間。灰色のその機体は、さらに後方から飛来したミサイルに穿たれ、炎に包まれ墜ちていった。

 

 囮戦術は経験がありこそすれ、やはり心臓に悪い。額の冷や汗を拭ったその傍を、白い機体が追い抜いて、しばしこちらと平行した。

 典型的な三角翼に、丸みを帯びたエアインテーク。細身の機首に、キャノピーの先に取り付けられた給油口。そして純白の機体カラーと濃藍色の縁取り翼に、機体に記された『黒の15』。幾度となく空で(まみ)えたその姿は間違えるはずもない。

 

《こちらベルカ空軍第5航空師団第24戦闘飛行隊、ヴァイス1。大丈夫でしたか?》

「こちらサピン王国空軍ニムロッド3。サンキュー、助かったよ。今度はあんたたちが味方なんて心強いな」

 

 かつての激戦の空で干戈を交えた、ベルカが誇るエース部隊の一つ『ヴァイス隊』。その隊長たるフィリーネ大尉こそが、今眼前を飛ぶ『ミラージュ2000-5』のパイロットであった。171号線上空やスーデントール攻防戦では敗北にも等しい損害を受けた経過もあるが、それほどの相手が今回味方とは、心強い限りである。

 平行する、機体の中。ヘルメットとバイザー越しでその顔は伺い知れなかったが、彼女は微かに微笑んだ気がした。

 その面影一つを残し、白い『ミラージュ』は加速して周辺の敵機の掃討にかかってゆく。高速で追撃し、動きを読み、時に僚機と挟撃する。その鮮やかな手並みで、低空域に展開したクーデター軍機もまた、徐々にその数を減らしていった。眼下を見やれば、オーシアの攻撃ヘリ部隊が防衛陣地を攻撃し、戦車隊が徐々に基地や空港施設へ肉薄している様も見て取れる。

 

 今だ灰色の雲に覆われた、冬空の戦場。その中に、勝利の色が徐々に濃くなり始めていた。

 

******

 

 そんな、灰色の空の北方。4つの機影が、砲煙入り混じる湖畔の戦場へ向け飛んでいた。

 

《戦闘空域確認。連合軍機多数、ベルカ軍機も多数参加している模様》

《売国奴どもめ…。ベルカの誇りを忘れ薄汚い連合に尾を振る連中も、もはや同罪だ。上空に展開する敵戦力、その全てを目標とする》

《了解、『グラオガイスト1』》

 

 2枚の垂直尾翼に、やや後退した切り欠き三角(クリップドデルタ)翼。コクピット横から伸びるエアインテークと、その外側に取り付けられた流線形の追加兵器倉。そして黒一色に染められ、主翼の中ほどを灰色の帯で染め抜いた闇夜のような機体カラー。闇に融け込むその色は、今は曇天を背に、禍々しいほど際立って浮かんでいる。

 

 F-15SE『サイレントイーグル』。電波の眼すら欺く漆黒の衣に身を包み、怨念と妄執を纏った『灰色の亡霊(グラオガイスト)』は、誰知るともなくその空へと忍び寄った。

 



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第29話 Border Line(中) -White, Gray and Black‐

 三角翼のカモメ(メーヴェ)が四羽、自在に空を舞っている。

 二手に分かれて挟み撃つ。行く手を塞いで進路を乱し、散った敵をそれぞれが啄む。陣形も高度も変幻自在に姿を変えるその戦術の前に、クーデター軍の戦闘機は1機、また1機とその数を減らしていた。

 低空域の敵を概ね喰い尽くしたそれら――ヴァイス隊の『ミラージュ2000-5』は、次なる獲物を求めて上空域へとその鼻先を向けてゆく。デルタ翼の高速性能と上昇性能をいかんなく発揮したそれらの前に、上空のMiG-21bisが早速1機、炎に包まれ墜ちていった。

 

 凄まじい。

 低空域を舐めるように飛ぶMiG-27M『フロッガーJ』の中で、地を眺めるカルロスが抱いたのはその一言だった。

 攻略目標たるフィルルテーゲン基地へは、防衛陣地を突破したオーシア機甲部隊が進入し、制圧戦闘を繰り広げている。基地北部の空港に至ってはそもそもの防衛能力が低かったのだろう、既に戦闘の砲煙はほとんど見えず、滑走路付近をオーシアの戦車が闊歩している様が見て取れた。

 一方、まだ戦闘の余波が及んでいない基地中心部でも、既に至る所からは黒煙と炎が上がり、連絡路が各部で遮断されている。その数は5、6、…いや、さらに多い。その全てが、低空域での戦闘で『ヴァイス隊』に撃墜されたクーデター軍機の残骸だった。

 まるで水が浸みこむように、瞬く間に基地内へと殺到するオーシア軍。その最前線で血みどろの戦いを繰り広げる、両軍の歩兵。それらも確かに『凄まじい』様ではあったが、カルロスの抱いたその思いは、地上に咲いたいくつもの炎に象徴される、ヴァイス隊の比類ない戦闘能力に対してだった。

 

 数の上で倍する敵を前に、その殲滅に要した時間はわずかに数分。たったそれだけの時間で、それも1機たりとも損失を蒙ることなく、彼女らはこの空の天秤をこちら側へと大きく傾けさせたのだ。敵の制圧が少しでも遅れれば敵防衛陣地の攻撃もままならず、徒に陸軍の損害が増えていたに違いない。

 撃墜王(エース)。わずかな機体、わずかな時間で戦局をも変える彼女らを評する言葉を、カルロスは他に知らなかった。

 

《こちら空中管制機『サンダーヘッド』。空域のクーデター軍機は既に戦力の7割を喪失した。後続の爆撃隊は空域に進入し、制圧攻撃を実施せよ》

《第71爆撃中隊、了解した。これより空域に進入する。護衛は頼んだぞ》

《爆撃隊のお出ましか。エスクード1よりエスクードおよびニムロッド各機、高度を上げるぞ。この高度では巻き添えを食らう》

《ニムロッド2了解。…さて、対地攻撃の稼ぎとしてはまぁまぁかの。》

 

 先頭を飛ぶエスクード1のF-5E『タイガーⅡ』が機首を上げ、徐々に高度を上げてゆく。対地攻撃兵装を概ね使い尽くしたためだろう、それに倣って引き上げた操縦桿の手応えは、出撃時より幾分軽い。

 急上昇や急加速の際に特有な、血液が後方へ引っ張られる感覚。上昇角度を取ったためその正面から地表は消え、やや明るみを増した曇天がいっぱいに広がっている。この空の遥か北東――アヴァロンでは、今まさに戦闘が繰り広げられているのだろうか。

 不意に兆したその思いに、自ずと北へと向く視線。その先――正確には方位0、真北の遥か先に浮かぶ6つの巨大な影は、こちらへ接近しつつある爆撃機と知れた。先の通信から考えるに、おそらくオーシア空軍のB-52だろう。大型爆撃機6機という機数、そしてB-52が搭載するAGM(空対地ミサイル)の威力と数を考えれば、この攻撃を以てフィルルテーゲンの抵抗力はほぼ奪い尽くせるはずである。

 

 それはまさに予断、あるいは油断だった。

 僅かな数、僅かな時間で、戦局を覆しうる存在はいる。そしてそれは取りも直さず、味方だけとは限らない。味方の強勢に安堵するあまり、そんな当たり前の事を忘れていたのだから。

 

《あれだけB-52がいれば、ここでの戦闘も終わりだろ。朝一に攻撃された時はどうなるかと思ったが、やっと一息つけるぜ》

「だな。…隊長、大丈夫だったかな…」

《…?各機、待て。――おい、爆撃機が!!》

 

 余裕に満ちたニコラスとの会話を、エスクード1の声が切り裂いた。

 爆撃機――北。常にないその焦燥した声にカルロスは思わずその方向を見やり、驚愕した。

 

 先頭のB-52が、炎と黒煙に包まれている。いや、先頭の1機だけではない。その後方と両側、合わせて4機が同様に黒煙を上げ、高度を下げていた。

 攻撃。ばかな、上空の戦闘機はもちろん、空中管制機すら捕捉したという情報は無かったのだ。遠距離からのミサイル攻撃の可能性も否定はできないが、クーデター軍にとっては全て敵地というべき状況で捕捉されない筈がない。

 混乱した空の下で、焔に包まれた1機に光が奔り、爆発の中に微塵と消える。空を揺るがすその轟音は、傾いた天秤を再び水平へと押し戻すに十分すぎる響きだった。

 

《く、クラブ5よりサンダーヘッド!中隊長機がやられた!2、4、6も被弾!!》

《くそ、敵の戦闘機だ!なんで気づかなかったんだ!?》

《サンダーヘッドよりクラブ3、それは確かか?こちらでは周囲に機影は捕捉できない》

《バカ言うな、その目かっぴらいてよく見ろ!俺たちの真後ろ、黒地に灰色帯のヤツだ!…くそっ、来るぞ!来る、来る!!直掩、何して――》

 

 轟音、爆発。遥か眼前でB-52の主翼がへし折れ、巨大な胴体が幾つもの破片に分かれて流星のように落ちてゆく。AGMを満載した大型爆撃機6機分の爆炎は、さながらどす黒い雲が一つ、灰色の空の中に湧き出たようにも見えた。

 そして――その一瞬後。命を焚いたように湧き上る黒雲を割いて、『それら』は現れた。

 垂直に設けられた2枚の尾翼。翼端を欠いた切り欠き三角翼。MiG-29『ファルクラム』に似た流麗な、それでいてどこか武骨なフォルム。そして忘れる筈も無い、黒一色の翼を灰色の帯で貫いた塗装パターン。機体こそ当時と異なるが、その闇夜のような色使いは、かつてホフヌング避難民キャンプの上空で(まみ)えたF-117『ナイトホーク』と瓜二つである。

 つまり、あの機体は。

 

《爆撃機の全機撃墜を確認》

《グラオガイスト1より各機、目標更新。空域の連合軍機全てを対象とする。定刻まで上空の脅威を排除せよ》

「…あいつら…!間違いない、あの時の!!」

 

 グラオガイスト1――ベルカの言葉で、確か灰色の亡霊を指す単語。そのコールサインは、あの時のホフヌングでも確かに聞いた覚えがある。戦闘能力に劣る機体ながら、地の利とステルス性能を活かし、攻撃隊を壊滅に追い込んだベルカのエース部隊に間違いない。

 上空指して上昇するその4機に、カルロスは思わず舌打ちした。隊長もいない、友軍も消耗中で数の利は期待できない。最悪のタイミングで乱入して来たのが、まさか元ベルカのエース部隊だとは。

 

《F-15…!?くそ、ホントに敵だ!こっちは長期戦で消耗している、長くは持たないぞ!》

《こちらでも確認したが、反応が小さい。おそらくステルス仕様のF-15だ。…く、こちらサンダーヘッド。第一次制空隊のオーシア機とベルカ機は退避せよ。第二次制空隊、迎撃に当たれ》

《ヴァイス1了解、迎撃に向かいます》

《エスクード1了解。制空戦闘に入る》

 

 苛立つ『サンダーヘッド』の声に導かれるように、上空に展開していた戦闘機隊の一部が南へと離脱してゆく。入れ違うように空域へと侵入する黒い4機に対し、エスクード1に率いられたサピン部隊は一斉に高度を上げて迎撃体制へと移行した。

 小隊の最後尾で、カルロスは左に傾いたキャノピーから戦場を仰ぎ見る。

 友軍はこの4機に加え、ヴァイス隊率いるベルカ機が8、オーシア機が12。戦線に突入して来た『灰帯』4機に対してオーシア機は左右から包み込むように隊形を開き、ベルカ機は高度を稼ぐべく垂直方向へと上ってゆく。一方のクーデター軍機は『灰帯』4機に加え、戦域に残存していた4機の計8機。数の上では、連合軍が圧倒的に上回っている。

 だが――。

 

《アスター4がやられた!》

《アスター2、間隔を空けろ。デイジー隊は左翼に展開を!このままでは包囲が破られる!》

 

 『灰帯』の正面から攻撃を仕掛けたF/A-18Cが、蜂の巣になり落ちてゆく。撃墜された『ホーネット』の僚機だったのだろう、傍に控えていたもう1機が『灰帯』の背を取りAAMを放つも、それは『灰帯』の尾を捉えることなく彼方へと飛び去っていった。元来運動性に優れるF-15の特性に加え、サンダーヘッドの言う通りステルス機能も持ち合わせているのか、周囲から放たれる幾つものミサイルでさえその軌跡を捉えるに至っていない。

 数の不利をものともせず、空を制する『エース』。彼らにとって、三倍する敵など物の数ではないということなのだろうか、『灰帯』の4機は平衡を保つ天秤の上を縦横に舞っている。

 それを無言に物語るように、また1機が炎に呑まれて四散した。

 

《ヴァイス1より各機、上空から攻撃を仕掛けます。散開後を狙い再包囲を》

《了解した。サピン各機、行くぞ!》

 

 先頭のF-5E『タイガーⅡ』が左へ機体を傾け、戦域の斜め上方から旋回しつつ降下してゆく。ニコラス、ヴィクトール曹長、そして自分。順々に旋回し、速度を得て降下してゆくその眼前を、ヴァイス隊の4機がまっすぐに降下していった。加速に優れる『ミラージュ』の特性と純白の塗装が相まって、その様はさながら曇天を裂く白い光。ひと塊となったそれらが『灰帯』の中央目がけてAAMを放つや、『灰帯』の4機はたまりかねたように1機ずつへと散開した。

 ――好機である。いくらエースとはいえ、単機に分かれれば乗ずる隙は必ずある。

 

「バラけた!」

《行くぞ、目標最左翼の『灰帯』!かかれ!》

 

 エスクード1が、号令とともに鼻先を目標へ向けて加速してゆく。

 目標、最も左側に位置する『灰帯』。回避のため左側へ急旋回した所から右へと反転旋回しつつある、速度が鈍る絶好のタイミング。カルロスはMiG-27Mの可変翼を最小角度に畳み、加速をかけながら先行する3機を追った。武装選択、短距離AAM、23㎜機関砲。敵機のステルス性能の前ではAAMの誘導機能も心許ないが、機動を制限する分にはおそらく役に立ってくれる。

 

 エスクード1、AAM発射。案の定と言うべきか、AAMは目標の背をほとんど指向せずまっすぐに飛び去ってゆく。

 エスクード2、AAM1発、次いで機銃を発砲。肉薄する20㎜弾を避けるためだろう、『灰帯』の機体が右へ大きく傾き、数発がその黒い翼を擦過する。速度が落ち、投影面積が大きくなった最大の機。カルロスの眼がその軌跡を読み、すぐ前方のヴィクトール曹長を追う。

 ヴィクトール曹長、主翼を最大角へ展張。減速と同時に右へと旋回し、『灰帯』の鼻先を確実に抑えて追い詰める。

 

《今のうちに十字架でも切るんじゃな、『灰帯』…!》

 

 射程距離。

 中心線上、機首直下の連装23㎜が、その黒い背を食いちぎるべく火を噴いて――。

 

「…っ!?曹長、3時!!」

《何!?……がっ…!!》

 

 瞬間、視界の右端に黒い影が映った。

 反射的に叫んだ言葉は、しかし断片的にして時すでに遅く。その黒い影が曹長の真横から機銃弾を叩きつけるのと、通信に何かが飛び散ったような音が混じるのはほぼ同時だった。

 

 黒い影――先程散開した、別の『灰帯』。上空からの奇襲を受け散らばったにも関わらず、瞬時に戦況を見定めて反転奇襲をかけてきたというのか。それも曹長が攻撃に入る寸前の、絶妙のタイミングを狙って。

 不覚だった。隙の生じた目標に集中するあまり、周辺への警戒を怠ってしまっていたのだ。遅きに失した通信に、カルロスは思わず唇を噛んだ。

 

 コクピットの真横に被弾し、機動が著しく鈍ったMiG-23MLD。その横に並んだカルロスの眼に映ったのは、紅いものがこびりついたキャノピーと、その中でうずくまるヴィクトール曹長の姿だった。

 

「曹長!ニムロッド2!大丈夫ですか!?」

《…ぐ…!大腿と、…指、か…!!……これしき……!》

「…!曹長、これ以上は危険です。後退して下さい!」

《バカを言うな!これしき、で…帰れるか!!こちとら傭兵一筋…》

「いいから!!…俺は、隊長から預かって来てるんです。この機体も、隊の誰も死なせないっていう隊長の信念も。――だから、どうか。」

 

 出血を強いるほどの負傷にも、今だ継戦の意志を崩さないヴィクトール曹長。その凄まじいまでのタフネスは驚嘆せざるを得ないが、この状況下ではいくら何でも無謀である。

 このまま戦闘をさせてしまったら、曹長が死んでしまう。そうなれば、隊長の思いは。自分に預けてくれた、隊長の信念はどうなる。

 

 思いはそのまま感情へ、カルロスは声を荒げ、ついで切々と紡ぐように通信へ声を乗せた。護り通さねばならないその思いを、曹長へ――仲間へと伝えるために。

 

 沈黙、数秒。

 やがて帰って来た答えには、苦痛と苦笑の息が混じっているように聞こえた。

 

《………。お前さん、アンドリューのような事を言うようになったな。…いいだろう。じゃが、一つ貸しじゃぞ。ニムロッド2よりエスクード1、サンダーヘッド。悪いがワシは先に降りる。下の空港はまだ使えんのか?》

《サンダーヘッドよりニムロッド2へ、基地北部の空港は制圧が完了している。第2滑走路は交戦の影響で使用不能なため、第1滑走路より進入されたし》

《了解した。…あとは任せたぞ、カルロス。ワシの分もしっかり稼げよ》

「…はい、必ず。ありがとうございます、曹長」

 

 任された――傭兵としての矜持を、任務の達成を、そして何より生還を。

 翼を翻して空港へ向かう、ヴィクトール曹長のMiG-23MLD。その背を見送る間も惜しく、カルロスは戦況を把握すべく空へと目を奔らせた。任務の達成と戦果の獲得には、1秒たりとも時間は惜しい。

 

 上空では、網を放つように包囲する連合軍機を、黒塗りの4機が錐で突くように突破している。

 4機がひと塊となって攻撃する『灰帯』。その背を、側面を、ヴァイス隊は自在に連携して挟撃を繰り返している。

 飛び交うミサイル、機体を掠める網のような曳光弾。旋回して攻撃を回避した『灰帯』の1機へ、黒の15を記した『ミラージュ』が肉薄し弾痕を刻んでゆく。

 

《く…!連合に魂を売った、売国奴ごときに!》

《グラオガイスト3、掩護に回る。――ヴァイス1、フィリーネ・ハーゲンドルフ。南方前線の雄としてその名は聞いていたが…残念だ》

《グラオガイスト隊…!あなたたちのしていることは、今のベルカを滅ぼす行為と変わりません!ベルカを…ベルカ国民を想うなら、どうか退いてください…!》

 

 隊長機と思しきF-15がヴァイス1の背を取り、展開した兵装庫からミサイルが放たれる。その数2発、次いで機銃。

 通常ならば避けられないであろう――しかも運動性に劣る『ミラージュ2000』では、なおさらに困難であろう状況。だが、ヴァイス1は機体をロールさせるや、加速性を活かして垂直旋回し下降反転。空中戦闘機動に言うスプリットSを駆使し、その追撃を捌いたのだ。旋回の下端でバレルロールを織り交ぜ、なおも追跡するミサイルを回避したのは驚嘆すべきという他ない。

 わずか数秒の、攻防入り乱れる戦闘機動。ぶつかりあう空の中で、その2機は明らかに異彩だった。

 

《誇りを失ったベルカなど、連合もろとも滅べばいい。虚飾と阿諛に満ちた今のベルカを、私は認めない》

《――それでも!ベルカ国民はそこに生きている!国民を守ることが、軍人の使命ではないですか!》

 

 言葉を、思想を、信念をぶつけあう戦場。乗り手の意志に応えるように、黒と白の機体は撃ち合い、馳せ合い、鎬を削り合う。かつて円卓の空で見た、エスパーダ1――アルベルト大尉とズィルバー1の戦いに、それは勝るとも劣らない。

 まるで騎士の決闘のような戦場。その片隅では、包囲から逃れ損ねたクーデター軍のMiG-21が1機、爆炎に四散し空へと還っていった。

 

《敵機残存数5。もう一息だ、奮闘せよ》

《奮闘せよってな…!…だめだ、やはりミサイルが当たらない!》

《…いや、待て。――なんだと…!?サンダーヘッドより各機、基地制圧部隊から緊急連絡!クーデター軍が巡航ミサイルの発射準備に入った!艦艇搭載型、目標は不明!》

《何!?……く、奴ら…悪あがきを!》

 

 常にない管制官の焦燥した声に、操縦桿を引きかけたカルロスの手が強張る。

 巡航ミサイル、艦艇搭載型。そして、このタイミング。つい昨日にミーティングを受けたカルロスの脳裏には、思い当るものがあった。

 

 クーデター軍が手中に収めているという、大量破壊兵器『アロンダイト』。事前の情報では艦艇、ないし航空機搭載型のミサイル弾頭とのことだったが、不利な現状を打開するために――または一矢報いるためにこのタイミングで発射することは十分に考えられる。

 だが艦艇搭載型ともなれば、巡航ミサイルを搭載できる艦は自ずと限られる。情報によるとクーデター軍に属した戦艦はおらず、潜水艦も大型のものは存在しない。ならば、考えられるのは。

 

 素早く地上へ走ったカルロスの眼が、今だ戦火の及んでいない西方港湾施設を捉えた。港湾施設の最西端、複数の艦艇が停泊している岸壁。そして、そこから離岸しつつある、1隻の駆逐艦――。

 

「ミサイル搭載艦……あれか!ニムロッド3、港湾部に搭載艦と思しき目標を確認。駆逐艦1隻が離岸しつつあり!」

《サンダーヘッド了解。オーシア軍ヘリ部隊に攻撃を要請する。エスクード、ニムロッド各機は対艦攻撃を支援せよ》

「了解…!エスクード隊へ、こちらは先行します!」

 

 最早、上空のエスクード隊を待つ時間も惜しい。カルロスは手早く可変翼を操作し、再び最小角まで畳んだ高速形態を取って、操縦桿を押し倒した。

 加速のGが全身に襲い掛かる。眼下の施設と黒煙が見る見る足下を過ぎ去ってゆく。基地の北東方向からは、指令を受けたらしいオーシアの戦闘ヘリが数機、港湾施設へ向けて飛んで来るのが見える。目まぐるしく動く戦況に疲労を訴える心身を、カルロスは懸命に堪えた。

 

《グラオガイスト1より2。低空域の敵機を掃討せよ。『シュトラント・ヴェレ』を沈めさせるな》

《エスクード2よりニムロッド3!カルロス、気を付けろ!『灰帯』が1機抜けた!》

「分かった!ヘリはこっちで守る!」

 

 敵味方共にベルカの通信周波数を用いているためか、ぞっとするほど明瞭に聞こえる『灰帯』の声。続くニコラスの声に頭を上げると、上空の空戦域から黒い機影が一つ抜け出て、その後方をさらに数機の機影が追っている様が目に入った。おそらく、指示を受けた『灰帯』の1機と、それを追撃するエスクード隊らに違いない。高出力エンジンを積んだF-15の前に、心なしかその距離は徐々に開きつつあるようにも見える。つまり、このままではヘリが後方からの危険に晒される。

 

 最低限の状況を見極め、カルロスは可変翼を通常位置へ戻すとともに、操縦桿を右へと倒して旋回した。

 機首が北を経て東へと向き、その先に後続していたヘリ部隊の姿を捉える。その上を入れ違い、2°ほど機首を上げたその先。距離1300ほどを隔て、ヘリの斜め後方から襲い掛からんとする、1機の(イーグル)の姿が捉えられた。敵機位置、真正面。ヘッドオン――。

 

「……っ!」

 

 カルロスが引いた引き金に合わせ、『フロッガーJ』の胴体下から放たれる2発のAAM。相対速度を考えれば外しようもなかった筈の2本の矢は、しかし――やはりと言うべきか、左へ旋回した敵の姿を追うことなく通過し、彼方へと消えていった。やはりF-117同様に高度なステルス機能を施されているのだろう、赤外線誘導式ミサイルではその尻尾を捉えた様子さえない。

 

 ちっ。舌打ち一つ、カルロスは操縦桿を引いて宙を回り、旋回の頂点で機体をロール。いわゆるインメルマンターンで高度を稼いだのち、機首を下げて『灰帯』を追撃に入った。正面からの攻撃と回避強制でわずかばかりの時間稼ぎはできたものの、当の『灰帯』は旋回から再び加速し、ヘリ部隊を射程に収めつつある。その背をエスクード隊の『タイガーⅡ』2機が追っているが、目算ではまだAAMや機銃の射程に到達していない。搭載しているSAAM(セミアクティブ空対空ミサイル)ならば既に射程に収めているだろうが、F-5Eのレーダーで『灰帯』を捕捉できていなければ、肝心の誘導も覚束ないだろう。

 

 ヘリが、喰われる。可変翼を再び最小位置へと畳み、稼いだ高度を利用して降下加速をかけるが、優速の『灰帯』へは到底追いつかない。『灰帯』とヘリの目算距離、1000。950。900。短射程AAMの眼に捉えられる、致命の距離。

 だが。

 

(…あいつ、何故ミサイルを撃たない…?)

 

 920、900、870。十分に射程に収めておきながら、『灰帯』は一向にAAMを使わず、さらに距離を詰め続けていた。衝突や追い越し(オーバーシュート)を警戒してのことだろう、その速度も落ちてきている。

 

 以降、カルロスは知る由も無いが、これこそが『灰帯』――F-15SE『サイレントイーグル』の欠点であった。すなわちステルス機はレーダー波の反射を防ぐため、(こと)ステルス機能を発揮したい場合には外部に兵装を搭載することができず、内部の兵装庫や一体型兵装庫に収めざるを得ない。それゆえに主翼や胴体下部のスペースを使うことができず、搭載兵器量が大きく制限される――それに伴う継戦能力の低さが、その『欠点』という訳である。元々ステルス機として開発が進められたF-22『ラプター』やF-35『ライトニングⅡ』シリーズ等ではこの点も改善が見られるが、F-15へ後天的にステルス機能を付加したSE型では依然として大きな課題だったと言って良いだろう。この時の彼らもまた、爆撃機撃墜とその後の空戦でミサイルを撃ち尽くし、機銃での戦闘を強いられていたのである。

 

《速度が落ちた!》

《エスクード2、一撃離脱を仕掛ける。奴をヘリの背から切り離せ!》

 

 速度を落とし、それでも着実にヘリの背を捉えつつある『灰帯』。その背目がけ、漸く距離を詰めたエスクード隊の2機が、必中の距離まで肉薄してゆく。

 兵装選択、23㎜ガンポッド。目まぐるしい可変翼操作で悲鳴を上げる機体を省みる余裕もなく、カルロスは必死に速度を上げた。

 

 破砕、黒煙。『灰帯』が発砲し、20㎜弾がヘリの脆弱な装甲をズタズタに切り裂いて朱に染めてゆく。

 その背を狙い、AAMで先制したのはエスクード1。距離にして800、しかもなお加速中でもあり、回避は困難であろう距離。

 それにも関わらず、いち早く察知した『灰帯』は左急旋回でAAMを回避。その鼻先目がけて放たれたエスクード2の機銃掃射をも、左旋回から下降に入るバレルロールで回避し、追い抜かれたばかりのエスクード1を眼前に収めたのだった。機体性能だけでない、咄嗟のその判断力と戦闘機動はやはり只者ではない。

 

 エスクード1の『タイガーⅡ』を、(イーグル)の眼が捉える。

距離、――250。

 その大柄な機体が『タイガーⅡ』を追い越していった後、残ったのは穴だらけになり炎を上げる、『タイガーⅡ』の姿だった。

 

《エスクード1!》

《くっ…化け物め…!ニコラス、指揮を引き継げ!エスクード1脱出する!》

「…くそっ!なんて奴だ…!」

 

 『タイガーⅡ』のキャノピーが爆ぜ、パラシュートが宙を舞う。――これで、こちらは残り2機。機数の上ではまだ勝っているが、F-15に対し一世代前の軽戦闘機と戦闘爆撃機では分が悪いと言わざるを得ない。しかも上空の戦線は『灰帯』の部隊とヴァイス隊の間で膠着しており、こちらへ増援を回す余裕はないように見受けられた。つまり、この2機だけで『灰帯』をどうにかしなければならない。

 

《くそったれ!こんな機体で『イーグル』に敵うかよ!…オーシアのヘリ部隊、とにかくバラけろ!俺たちが何とか時間を稼ぐ!》

 

 ニコラスの苛立たしげな声を尻目に、攻撃を逃れた『灰帯』が横合いから再びヘリに襲い掛かる。エスクード2の追撃、カルロスの発砲。それすらも容易に回避して、『灰帯』はヘリ編隊を擦過し、瞬く間に1機を炎の玉に変えた。その様は、肉食獣が群れを襲い、掠めるように獲物を持ち去るのと何ら変わりない。

 

 どうする。かつて『灰帯』と戦った時のごとく、エースと対峙した時のごとく、カルロスは考える。

 運動性、加速力と、性能ではまず勝ち目がない。肝心の火器も、残っているのは対空攻撃には向かない30㎜6銃身ガトリング砲の他は連装23㎜ガンポッドとチャフ弾装填ガンポッド、フレアディスペンサーのみ。頼みの綱は23㎜ガンポッドだが、こうも運動性が懸絶していては容易に捕捉できないことは目に見えている。片やニコラスの『タイガーⅡ』は、ミーティングの内容そのままの装備だとしたら短距離AAMとSAAMが2発ずつ、他は20㎜機関砲が2門の筈だ。

 あらゆる不利な条件、そして巡航ミサイル阻止という時間制限。――どうする。どうすればいい。

 

「まずいな…。ニコラス、残弾は?」

《もうAAMは使っちまった。SAAMもあと1発、残りは20㎜が100ちょっとだ畜生!ミサイルも当たらない、機銃も掠りもしない…どうしろってんだ!》

 

 圧倒的な力の差に喚き散らすニコラスの言葉に、カルロスも思わず唇を噛む。

 ニコラスの言を引くならばミサイルはわずかに1発、ステルスの影響を受けない機銃すら残り少ない。機体側のレーダー誘導を用いるSAAMでさえ、レーダー反応の小ささを考えると通じるかどうかは疑問である。

 二人の絶望を嘲笑うかのように、旋回した『灰帯』が再びヘリの方向を指向する。カルロスは主翼を畳んだまま、その背を、その姿を、懸命に追った。

 ステルス――常時フレアやチャフをまき散らすように、一方的にこちらの攻撃を封じて来る脅威。だが、諦める訳にはいかない。傭兵の任を果たし、生きて帰るためにも。あの日のスーデントールのような、凄惨な光景を繰り返さないためにも。考えろ、カルロス。考えろ。ステルス。SAAM。30㎜。レーダー誘導。チャフ弾。フレア。立ち上る黒煙。施設の配置…。

 

「…そうだ!」

 

 瞬間、脳裏に閃いた。荒唐無稽で無謀で、おそらく成功の率も低いであろう手。それでも、今あるものを総動員した、渾身の一手。計器盤を操作し、地表の様子を見定め、カルロスは逡巡も置き去ってひたすら思考と塔さに没頭した。兵装選択完了、可変翼通常位置。狙いは、ただ一つ。

 

「ニコラス、1個思いついた!SAAM用意、合図したら撃ってくれ!」

《んな…!思い付きって大丈夫かよ!?》

「他にないだろ、いいからよく聞け!」

 

 残弾を考えれば、チャンスは一度きり。それも、互いの連携無しでは到底成し得ないであろう作戦である。カルロルは口早に作戦を述べ、互いの役割をニコラスへと伝えた。

 

 機位、『灰帯』の後方斜め上空。3機目の餌食にせんとヘリを狙い迫るF-15の鼻先へ、カルロスは6銃身30㎜を選択し引き金を引いた。先ほど通りの凄まじい振動と轟音が耳を苛み、照準がややもすればあさっての方向へとずれてゆく。

 当然ながら、その射撃は正確さを欠き、『灰帯』の進行方向へとばらまかれる形となった。通常の機銃ならばなんら被害を与えない攻撃――だが、殊『フロッガーJ』の30㎜に関しては、弾丸の破片による有効範囲が半径100mを越える。当然の帰結として、弾幕のすぐ後方を飛ぶ形となった『灰帯』へも降り注ぐ結果となった。

 

《…!?ちっ、旧式風情が味な真似を!》

 

 通信に、苛立ちを帯びた『灰帯』の声が混ざる。このままヘリへの攻撃を続ければ破片の網に苛まれ続けると判断したのだろう、『灰帯』は旋回とともに射線から逃れて左旋回。こちらの背を取るべく、横方向の格闘戦へと移行した。

 隙を突いてヘリ部隊が港湾へ向かう。迎撃すべく周囲の対空砲が唸りを上げ始める。駆逐艦への攻撃阻止を受けていたにも関わらず、それでもなおこちらへと目標を切り替えたのは、MiG-27の攻撃範囲の脅威に加え、旧式を落とすのに時間はかからないと踏んだために違いない。その油断こそ、カルロスが買いたかったものだった。

 

 第4世代に属するF-15シリーズは、汎用性に加え運動性能も考慮し設計されたため、格闘戦能力でも旧世代機とは比べものにならない。まして戦闘攻撃機たるMiG-27Mではなおの事である。主翼を通常位置に固定したままであることも相まって、『灰帯』は徐々にこちらの尾部をその照準に捉え始めていた。

 

 『灰帯』の20㎜弾が尾部を掠め始める。後方警戒ミラーの中で距離を狭め、静かに迫る黒い機体が映る。

 被弾、衝撃。

 主翼に数発を受け、カルロスは耐えかねたように旋回を放棄し、極低空へと機体を降下させた。高度、わずかに200。高い構造物には接触しかねない高さであり、炎や黒煙が立ち上る基地上空は視界も悪い。黒煙と施設に紛れ、追撃を撒く算段――少なくとも、『灰帯』にはそんな窮地の一手に見えたことだろう。

 

 迫る。

 迫る。

 『灰帯』がこちらへと迫る。

 通信塔を避け、黒煙をくぐり、それでもその距離は離れない。

 もはや目の前に姿を紛れさせる黒煙はなく、背の高い施設も尽く過ぎた。旋回で身をよじり、目の前に残るは格納庫、車両庫、見張り塔、そして燃料庫。

 速度が落ち、後背の鷹が迫る。距離、400。機銃弾が胴体に集中し始め、一つがキャノピーを掠め去る。

 もはや、『避けようがない』。

 

《万策尽きたようだな。――墜ちろ。その死を以てホフヌングの民の、我らの同志の命を――》

「……!そ、こ、――」

《償え》

「だあぁぁぁぁ!!」

 

 カルロスは、『目標』へ向けて23㎜ガンポッド『4門』の引き金を引いた。

弾丸が、脆い壁を次々と貫通してゆく。元より機関砲への防御など想定していない施設である、一般的な口径弾といえども、23㎜弾の直撃を受ければひとたまりもない。殺到した弾丸はその目標たる燃料庫を破壊し、眼前に凄まじい爆炎が立ち上った。

 直近、距離にしてわずか数百mで生じた炎。当然それは避けられる筈も無く、巻き上がる炎と爆風、そして鉄屑と『銀色の薄片』の奔流にMiG-27Mが、次いでF-15が呑まれてゆく。

 

「ニコラスッ!」

《カルロスッ!!》

 

 飛び交った、名を呼び合うだけのこの上なく短い言葉。

 互いの言葉に応えたかのように、炎を抜けたカルロスの眼には、1機の機影が映った。

『タイガーⅡ』。エスクード2――ニコラスの機体が、出せる限りの速度で真正面から迫る。

 左ロール。正面のニコラスも同様にロールし、進路を変えぬまま腹を掠めて交差。衝撃音すら後方に残したニコラスの正面に映るであろう光景は、立ち上る炎、そこから抜け出る『灰帯』、そしてレーダーに映える光点1つ。

 

《な…――》

 

 『タイガーⅡ』から放たれたSAAMが、過たず『灰帯』の真正面を捉える。炎に幻惑され、同時に舞い上がった銀色の薄片に気づかなかった『灰帯』には、それは大きすぎる一瞬の隙だった。

 正面から撃ち込まれた一筋の矢は、黒い機体に正面から突き刺さり、爆散。砕け残った灰帯の黒翼を地面に突き立て、地に転がって四散した。

 

 ステルスを破る、乾坤の戦術。それこそが、カルロスの装備とニコラスのSAAMを利用したこの戦術だった。

 すなわちこちらの隙を見せて敵を燃料庫の傍まで誘導し、爆風と炎で幻惑。この際に23㎜ガンポッドのチャフ弾を発射し、燃料庫爆破に先駆けて『灰帯』のエアインテークや機体各部にチャフを付着させたのだった。通常チャフは、レーダー誘導ミサイルに対する欺瞞に用いられる――すなわち、レーダー波を反射する。これを利用し、付着させたチャフを『タイガーⅡ』のレーダー波の目印とした訳である。おそらく、『灰帯』が油断して最接近していなければ、この手は通用しなかっただろう。

 

《あ…!た、隊長!グラオガイスト2、撃墜!『シュトラント・ヴェレ』も攻撃を受けています!》

《…!グラオガイスト1より『シュトラント・ヴェレ』、1発でも構わん、撃て。ベルカに仇なす者に、一矢でも報いろ》

 

 空に、はっきりと伝わった動揺。エースの一角を失い、(かなめ)の駆逐艦もヘリ部隊の攻撃を受け、平衡の戦況は再び連合軍へと大きく傾いていた。

 被弾した乗機を労わるように、カルロスは1000付近まで高度を上げ、機体を傾けて港湾部へと目を向ける。遠方までは見通せないその高度からでも、周囲の対空砲は既に沈黙し、駆逐艦も炎に包まれ傾いている様が見て取れた。あれほどの被害ならば、駆逐艦もおそらく長くは持たない。

 その時だった。

 

 ヘリに嬲られ煙に沈む艦の中ほどから、一筋の白煙が唐突に生じ、垂直に上ってゆく。直後に炎に包まれ爆散した駆逐艦をも顧みず、それは途中で弧を描き、北東の方向へと進路を取り始めた。速度と状況を考えるに、おそらくは巡航ミサイル。――まさか。

 

《…!こちらサンダーヘッド、敵艦巡航ミサイル1発発射!方位040、目標…ベルカ国内と推定。まずいぞ…!ベルカ東部の防衛網はまだ復旧していない!》

《おい、まさか『アロンダイト』か…!?》

 

 まさか。

 勝った、そう確信した心が、再び絶望に浸される。巡航ミサイルの速度ならば戦闘機での追撃は不可能ではないが、上空を見る限り手負いでなく、かつ加速に優れる機体はほぼ残っていない。ベルカ内の防衛能力も整っていない以上、こちらからの追撃は無謀と考えざるを得ないだろう。

 

 だが。空に満ちた絶望を切り裂くように、上空の空戦域から、1機の機影が飛び出していくのが見えた。

 遠目で判別し辛いが、デルタ翼に白い機体カラーの機影が、放たれた鏃のようにミサイルを追う様が辛うじて捉えられる。あの機種は、そしてあの色は。

 

《サンダーヘッドよりヴァイス1、待て!追撃命令は出していない!戻れ!》

《ネガティブ。この距離ならば、『ミラージュ2000』なら追いつけます》

《し、しかし…!隊長の機体はもうミサイルが!》

《ベルカ国民を守る。その信念の為ならば本望です》

「……!ヴァイス1、…あんたは…!!」

 

 おそらく、カルロスの声は届かなかっただろう。

 それほどまでに速く、まっすぐに、白い鏃は灰色の空を駆けてゆく。

 高出力のエンジンに軽量な機体、そして高速性能に優れるデルタ翼を組み合わせた傑作戦闘機、『ミラージュ2000-5』。その姿はまばゆい光を放つ流星のように、哀しい程に白く速い。

 音速を遥かに超える中では、機動はおろか機銃を撃つことも叶わない。唯一の攻撃手段たるミサイルも、もはや空戦で撃ち尽くして持ち合わせていない。それでもなお、その白い機体は自身を鏃と見立てて、飛んだ。

 

《ベルカに、永久(とわ)に加護を》

 

 最後に零れた声一つ。

 それは飛んで、飛んで、白い飛行機雲を曳いて巡航ミサイルへと追いつき――遥か隔てた彼方の空に小さな炎を爆ぜさせ、消えた。

 

《………隊長…》

《…愚かな…。グラオガイスト1より各機、撤退する。戦いは、報復は終わらない。命を無駄にするな》

 

 上空に残る黒い機影が3つ、怨嗟の声を残し、北を指して飛んでゆく。最早追撃する弾薬も余力もなく、連合軍機は成す術ないまま、遠ざかるその背を追っていた。

 

 死なないし、死なせない。そして信念に呑まれない。そう心に固めたカルロスにとって、信念に殉じて散ったヴァイス1の死に方は自らと相入れないものだっただろう。

 だが、それでも。スーデントールで邂逅し、そして今また知ったその名の通り白い信念を、否定することは到底できなかった。自分の信念は、今なお正しいと思っている。だが、ヴァイス1の信念もまた同様に――あるいは自分より――正しいとも感じずにはいられなかった。

 

《………。周辺に敵性反応なし。地上部掃討の7割を完了、作戦は成功した。……各員、『ヴァイス1』フィリーネ大尉へ。敬礼》

 

 まばゆいばかりに(たか)く、速く、白いその最期。そしてその信念への想い。

 白い鏃が飛んだ空へ、カルロスは目を向ける。左手を額に翳した敬礼は、心なしか震えていた。

 

 灰色の雲、黒い爆煙。その空の中に、白の色はどこにも見いだせなかった。

 



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第30話 Border Line(後) -国境にて‐

 体が、鉛のようだ。

 表現するとしたら、それ以外に言葉は思いつかない。肉体も頭も、まるで重りを括りつけられたように働きを鈍らせているような気がする。

 

 クーデター軍『国境なき世界』が拠る五大湖沿岸の拠点、フィルルテーゲン。基地制圧に先だって解放された空港に降り立ち、カルロスは疲れ切った体を格納庫の壁に預けて休息を貪っていた。鈍った感覚の中、コーヒーの芳しい香りと、それ以上に強烈な油と鉄の匂いが鼻孔を満たしてくる。耳には時折、彼方から砲撃のような音が飛び込んでくるが、それもここ2、30分は鳴りを潜めているようだった。基地の奪還も、おそらく大詰めにかかっているのだろう。

 

 カルロスはゆっくりと目を開き、嗅覚と聴覚に凝らしていた意識を、視覚へと押し戻す。

 数名の整備兵を纏って目の前に佇むMiG-27M『フロッガーJ』は、幾つもの銃創を受けてひどく傷ついている。コクピット付近にも弾痕を受けており、操縦席周りの装甲が強化されているこの機体でなければ、『中身』もおそらく無事ではなかっただろう。応急整備を仰せつけられているらしい基地職員は、被弾痕を見て開口一番にそう言っていた。

 その証左とも言うべきか、ほぼ同様の位置に被弾したヴィクトール曹長は、コクピット内に貫通した弾丸の破片で右手の親指を切断。大腿にも重症を受けたという。機体も本人もこの場にはおらず、それぞれのあるべき場所で治療を受けているのだろう。命に別状はない――そう聞いていることだけが、唯一安心できる点だった。

 

 胸の底に沈んだ澱を絞り出すように、カルロスは深く溜息をついた。

 あまりにも多くの事が起きたこの一日を飲み込むには、時間が短すぎる。早朝の奇襲に始まり、アンドリュー隊長の負傷や元ベルカのエースとの再戦。重傷を負ったヴィクトール曹長。そして壮絶なヴァイス1の最期。目に焼き付いたその全てが、ほんの数時間の間に起きたとは思えないほど色濃く、衝撃に満ちている。

 

 一日を追うように流れた目が、駐機した『タイガーⅡ』の向うの壁掛け時計を捉える。

 時刻、おおむね13時半。予定が順調に進んでいるなら、『国境なき世界』本拠地のアヴァロンへ連合軍攻撃部隊が近づきつつある頃合いだろう。

 それで、漸く終わる。長かったこの一日も、クーデター軍との戦いも。

 溜息一つ、コーヒーへ伸ばしかけた手。それを止めたのは、無慈悲に鳴り響く最終幕のベルだった。

 

《緊急事態!緊急事態!作戦行動可能な航空部隊は出撃準備に入れ!詳細は追って通達する!》

 

 壁に備えられたスピーカーから流れる、焦燥した男の声。反射的に立ち上がったカルロスの眼が、『タイガーⅡ』の向うに座っていたニコラスの眼と合った。

 頷き一つ。最早それだけで、言葉は無い。

 まだ動ける。立ち上がれる。命令を受け、人馬ともに無事ならば、兵士でも傭兵でもやることは一つである。

 

「フロッガー出せるか!?」

「傷は塞いでないが飛ぶには飛べる!武装は!?」

「時間がない、23㎜だけ補給してくれ!あと増槽!」

 

 怒号と喧騒、熱が満ちる格納庫。その中を、カルロスはヘルメットを掴んで機体の方へと歩いてゆく。

 黒い切り欠きの翼端、蝙蝠を象ったエンブレム。そして隊長から受け継いだ『フロッガーJ』と、その信念。『ニムロッド』の名を冠する、もはや唯一無二となってしまった機体の下へ、脚は一歩、一歩と進んでゆく。

 

「ニムロッド3、出撃準備に入る」

 

 カルロスの声が、喧騒を割いて響き渡った。

 

******

 

《全機出撃を完了した。管制塔、指示を頼む》

《こちらフィルルテーゲン管制塔。出撃各機、方位170へ変針せよ。当基地は制圧戦進行中につき状況が錯綜している。以降は『サンダーヘッド』の指示に従われたし》

 

 緊急事態が告げられ、幾ばくか。フィルルテーゲンの空に上がった機影が、やや東寄りの南方へ向けて舵を切った。未だ黒煙の上がる基地を後に、機体は五大湖に沿って、フトゥーロ運河へ至る航路を進んでゆく。

 

 機数、僅かに5。それは、偏にクーデター軍の抵抗が、そして元ベルカ軍のエース部隊『グラオガイスト』隊との交戦による損害がどれだけ大きかったものかを如実に物語っている。

 先頭を飛ぶ白い『ミラージュ2000-5』は、ベルカ軍のエース部隊『ヴァイス隊』で唯一継戦が可能だった『ヴァイス2』。その後方に並ぶ2機のF/A-18C『ホーネット』は、オーシア空軍機の生き残りから選抜された『アスター2』と『アスター6』だった。そのさらに後方にはニコラスのF-5E『タイガーⅡ』とカルロスの『フロッガーJ』が並び、機種も所属も雑多な5機編隊という様相を呈していた。これに、やや遅れて空中管制機『サンダーヘッド』が続くことになる。

 

 緊急の出撃であり、何より基地に置かれていたミサイルの規格が合わない可能性もあったため、カルロスの『フロッガーJ』は2連装23㎜ガンポッドを2基搭載した他は、固定武装の30㎜6銃身ガトリング砲のみという軽装備である。空となったロケットランチャーは外しており、機体そのものは常と比べて軽い印象を与えていた。事情はニコラスも同様らしく、外観で判別した限りでは短距離用AAM(空対空ミサイル)4基を装備している。ニコラスはミサイルを装備して来ただけマシであろうが、お互いにおっとり刀で飛び出して来た様そのものといっていいだろう。

 

《サンダーヘッドより各機へ、状況を伝える。本日1305時、フトゥーロ運河を封鎖していたサピン護衛艦隊が所属不明機に奇襲攻撃を受け、壊滅したとの情報が入った。同空域の偵察情報では強襲揚陸艦を擁した複数の艦艇が南下中であり、おそらくこれらの艦隊によるものと思われる。同時に、沿岸部のオーシア・サピン両空軍基地へ巡航ミサイル攻撃が行われ、滑走路が破壊されたとの情報もある。以上のことから、両軍による迎撃は著しく遅延している状態にある》

《待て、オーシアの州軍や内陸の基地はどうなっている?》

《オーシア、ならびにサピン国内では現在小規模な武装蜂起が複数発生しており、鎮圧作戦のため各部隊は分散している。そのため、周辺基地でも迎撃態勢構築が遅延しているのが現状だ。クーデター軍は、各地で周到に準備していたらしい》

 

 脳裏に、昨晩のミーティングの内容が蘇る。

 警戒のためサピン艦隊が運河を封鎖するという話は、確かにあった。奇襲とはいえそれを突破する辺り、クーデター軍が擁する艦隊も相応の戦力を備えているのだろう。クーデターによる蜂起にも関わらず、艦艇を動かせるほどに人員を集めている点はまさに驚異的と言えた。強襲揚陸艦ならばヘリやV/STOL(垂直離着陸)機も搭載できるため、対艦戦力も十分に備えている筈だ。

 だが、ここまでの情報ならば、単なる残存部隊の追撃作戦である。続く言葉に、カルロスは思わず息を呑んだ。

 

《しかし、事態はさらに悪い。先ほど、フィルルテーゲンに残されていた資料から、大量破壊兵器『アロンダイト』の詳細が判明した。その正体は、航空機搭載型の多目的炸裂弾頭ミサイルらしい。ベルカ軍内開発コード『ハイパーシン』と同様の、または量産に向け性能を引き下げたタイプにクーデター軍が新たにコードを設けたものと推定される。同時に発見されたシミュレーションによれば、中規模の基地ならば1発で壊滅させられる威力だそうだ》

「航空機搭載型…。……!まさか!?」

《事前情報では、強襲揚陸艦を含めた複数の艦艇がフィルルテーゲンに停泊していたが、その一部が消息を絶っている。…間違いない。奴らは『アロンダイト』を発射する積りだ。目標は不明だが、オーレッド湾への突破を許せばオーシア首都オーレッド、サピン首都グラン・ルギドも射程に入る。アヴァロンでの友軍の奮闘を無駄にしないためにも、何より我らの国を守るためにも、攻撃は是が非でも阻止しなければならない》

《…くそっ!何てことを考える奴らだ…!!》

 

 通信に滲む、唇を噛みしめたようなニコラスの声。

 都市への、大量破壊兵器による攻撃。声を上げないまでも、カルロスも同様に衝撃を受けていた。

 ありえない事ではない。事実、今回の戦争でベルカ軍は連合軍の侵攻迎撃に際し核を使用し、自国民へ相当な被害を出している。過去の戦争でもそのような事例が無かった訳ではなく、20世紀中ごろの戦争では爆撃で消滅した都市さえあるのだ。

 だが、その事実を知っていても、いざ目の前でそれが実行されることには理解が及ばない。本当に、彼らはそれを実行する積りなのか。民間人虐殺の謗りをも辞さないのか。それほどまでに容易に――その信念の為に、民間人の命をも奪えるのか。

 

「…認めて、たまるか…!」

《ヴァイス2、部隊の指揮を取れ。目標、クーデター軍艦隊および全艦載機。オーシア州軍ならびにサピン艦隊の迎撃態勢が整うまで、フトゥーロ運河の突破を許すな》

《ヴァイス2了解。各機、増速》

 

 幾度もの戦いを経て、幾つもの信念に触れて、信念というものに抱いた想い。それが、カルロスの口端から滲み出るように零れていた。信念は人を強くする。しかしそれに捉われ過ぎては、自分も殺してしまい、非道すらも肯ずる事へと繋がってしまう。

 信念の為の、必要な犠牲。彼らが抱いているであろうその意図を、認めることはできなかった。

 

 増速。フットペダルを踏みこみ、機体が徐々に足を速めてゆく。

国を隔てる眼下の南流を、5機は滑るように飛んでいった。

 

******

 

 長い。

 遠い。

 運河は地平の彼方へ、見果てぬ先へと続いている。じりじりとした時間だけが過ぎ、焦りが額に汗を滲ませる。既に1時間は経ったかと時計を見やれば、まだ20分ほどしか経過していない。

 まだか。どこだ、一体どこに。旧式機ゆえの理由に加え、対地攻撃機の悲しさである。普段のMiG-23MLDならいざ知らず、今のMiG-27Mには対空用レーダーを持ち合わせていない。唯一の頼りたる目を、カルロスは彼方の先へと走らせる。

 無線に、ざ、ざ、と雑音が入ったのはその時だった。

 

《こちらサンダーヘッド、レーダーに敵艦を捉えた。大型艦1、中型艦1が南進中。周辺に機影複数、艦載機と思われる。方位そのまま、じきそちらのレーダーレンジにも入る》

《ヴァイス2了解。各機へ、エスクード2と本機は制空戦を行う。アスター2、アスター6およびニムロッド3は対艦戦を実施されたし》

 

 サンダーヘッドの情報を受け、カルロルも脳裏で戦況を思い描く。

 大型艦1というのは、おそらく艦載機の母艦である強襲揚陸艦だろう。中型艦というのは護衛の艦船だろうか、おそらく運用人数は定員を大きく割っていると思われるが、SAM(艦対空ミサイル)搭載艦だとしたらその脅威は楽観できるものではない。すなわち、当面の脅威は敵の艦載機と、護衛艦のミサイルと言えるだろう。

 もっとも艦載機についても、強襲揚陸艦に搭載できる機種は自ずと限られる。空戦能力が限定的なV/STOL機なら、旧式のMiG-27MやF-5Eならいざ知らず、『ホーネット』や『ミラージュ』の敵ではない。

 目標目指してひた走る、雁行の5機。エンジン音の他は静寂に包まれた一時の間も、カルロスの脳裏は目まぐるしく回転していた。敵の機種は、機数は、そしてその目標は、何だ。

 

 ――見えた。

 曇天の鈍い色を映した水面に浮かぶ2つの影。そしてその上空に、ぽつりぽつりと浮かぶ小さな機影。出せる限りの速度で南進しているのだろう、航跡は長く伸び、白波を左右へ広げているのが空からも判別できる。僅かながら徐々に大きくなる機影は、迎撃のためかこちらへと向かってきているらしい。機数は見える限り、2。

 

《敵機長距離ミサイル発射!散開(ブレイク)!散開!!》

「もう撃ってきた!?」

《全機散開。アスター2、アスター6、前進し妨害弾を射出せよ》

 

 ミサイル攻撃。

 サンダーヘッドの通信に、即座に応えたのはやはりヴァイス2だった。動揺も一瞬、カルロスは操縦桿を倒し、左側へと大きく舵を切って散開する。編隊最右翼のニコラス2はおそらく同様に右へと急旋回している所だろう。体に受けるGを増したコクピットの中からは、アスター2とアスター6の『ホーネット』がやや左右に開きながらチャフとフレアを散布し、ヴァイス2はそのまま直進していくのが見えた。

 

 最新鋭機と比べ機動性に劣るこちらとニコラスを逃がし、妨害弾を搭載した2機のホーネットで安全を確保。そしてヴァイス2本人は、その技量と機体性能でミサイルを回避する。咄嗟に描かれた対策はおそらくそれであり、実際に思い返しても隙の無い対応だったと言えるだろう。その点、ヴァイス2の判断は間違いなく妥当だった。

 

 ――ならば。

 その『結果』は、偏に敵兵器の力によるものだったに違いない。

 

「――なっ!?」

 

 衝撃。

 いや、感覚としてはそんな生半可なものではない。まるで、すぐ傍で爆弾が爆発したような凄まじい圧力である。

 機体を傾けて回避行動に入っていたカルロスは、その一瞬平衡感覚を失った。

 主翼展開、左ロール。風に呑まれる機体を懸命に立て直し、漸く『フロッガーJ』がバランスを取り戻す。一体、何があったというのか。

 見上げたその先、つい先程までヴァイス2達が飛んでいた、衝撃の源の空。そこには曇天を背に、信じられない光景が広がっていた。

 

 ヴァイス2が、白亜の『ミラージュ』がいない。代わりに見えるものと言えば、黒煙と炎を纏い、幾つもに分かれた金属片が空に散っているだけである。ヴァイス2の前方左右に進出していた2機の『ホーネット』も、主翼や尾部を失い急速に高度を失っていた。

 ――まさか。

 脳裏に挟まったその疑念は、空に散った欠片の一つを捉えてしまったことで、確信へと変わった。変わらざるを得なかった。

 焔に包まれた、黒い縁取りの白い三角翼。ベルカの国籍マークを刻んだ、ヴァイス2の残骸――。

 

《ヴァイス2の反応が消えた。各機へ、どうなっている》

「あ…!……こちらニムロッド3、ヴァイス2が撃墜…いや、消滅した!アスター2、アスター6も大破!」

《何だと!?》

《間違いない…!例の散弾ミサイルだ、『アロンダイト』だ!…ふざけんな、あんなもんどうしろって言うんだ!!》

 

 唖然とした様子のサンダーヘッド、そして絶望に声を荒げるニコラス。カルロスもまた、しばし茫然と残骸散った空を眺めていた。

 レーザー兵器、そして超大型爆撃機。これまでの戦いでもベルカが開発してきた兵器群の脅威は思い知っていたが、これほどまでの絶望に浸されたのは初めてだった。エースパイロットすら回避を許さず、一瞬で屠るほどの威力と効果範囲。これが都市に撃ち込まれれば、その結果は言うまでもないだろう。

 

《まさか…奴ら、対空攻撃に『アロンダイト』を使うとは…。……レーダーに捕捉、敵強襲揚陸艦より3機が新たに発艦、オーレッド湾へ向かっている。現在オーシア首都防空部隊は迎撃部隊を編制中、迎撃態勢配置完了まであと40分。グラン・ルギド防空部隊は配置完了まで1時間を予定。このままでは迎撃態勢が整う前に、防空圏内に侵入される》

 

 落ち着け。これまでの戦いを、隊長の指揮と信念を思い出せ。

 心に浮かんだその言葉とサンダーヘッドの茫然としたような声が、カルロスの脳裏を再び動きださせる。

 考えられる限り、状況は最悪だった。攻撃の要であったヴァイス2やアスター隊は脱落し、残ったのは旧式機しか擁していない自分とニコラスのみ。友軍の支援は望めず、たとえ1機でも攻撃圏内へと突破を許してしまえば都市への攻撃は避けられなくなる。おまけに、ニコラスの『タイガーⅡ』は短射程のAAMしか搭載しておらず、カルロスに至ってはミサイルすら載せていないのだ。

 だが、それでも。

 

《もはや、君たち二人に頼る他ない。エスクード2、ニムロッド3。…頼む。サピンを、オーシアを…皆を、護ってくれ》

「ニムロッド3了解。基地制圧分に報酬上乗せかな」

《な…カルロスお前、そんな簡単にな…!》

「俺達だけしかいないんだから、他にないだろ?ニムロッド3よりサンダーヘッド、敵艦確認。中型艦の方はフリゲート艦と思われる。脅威は低いと判断し、艦載機の追撃を優先する。ニコラス、上の2機任せる」

《…分かったよ。しゃーねーな、やるか相棒!あーあー、俺にも臨時ボーナス出ないかなー!》

 

 今は自分たちしかいない。否、武装も機体も技量も心許ないが、それでも自分たちがいる。それならば、できることは一つ。出撃の時に抱いた想いを再び胸に、カルロスは機体の高度を徐々に下げた。対するニコラスは上空の2機の応じるためだろう、憎まれ口を叩きながら機首を上へと向けてゆく。

 相棒、か。ふと、そんな言葉が脳裏に過った。

 

 眼が、水面の敵を見据える。

 向かって左には強襲揚陸艦、右の艦は駆逐艦ではなく一回り小さいフリゲート艦らしい。既に先行したという敵の3機もある以上、ここでかけられる時間はせいぜい一航過。ならば、航空機への脅威が小さいフリゲートは無視し、強襲揚陸艦へ狙いを絞るべし。

 広い――それでも空から見れば極めて小さい甲板を見定め、カルロスは6銃身30㎜機関砲の安全装置を解除した。

 

 目の前を曳光弾が飛び交う。艦の至る所が光る。対空砲弾の網目の中を、カルロスはひた奔った。大丈夫だ、以前カークス軍曹が言っていた。対空砲はそうそう当たるものではない。

 光。迎撃用短距離ミサイル。フレアとチャフ弾を相次いで射出し、飛び迫るそれと正面から入れ違う。狙うは甲板、そして駐機した敵機。すなわちこちらに尻を向けたAV-8B『ハリアーⅡ』と、横腹を見せる2機の哨戒ヘリ。

 

 引き金を引いた指に、未だに慣れない30㎜の反動が響く。機体下の6銃身が唸る度にその甲板には大穴が開き、『ハリアーⅡ』ごと破砕。爆発し炎に包まれたそれを尻目に、カルロスは甲板を舐めるように抜けて、すぐさま主翼を畳んで加速に入った。撃沈までは至らないものの、甲板にあれだけのダメージを受ければ以降の離着艦は当面不可能になったと見ていいだろう。

 

《よし!一丁上がりだ、急ごう。あれだけ大見得切ったんだ、遅れるなよ!》

「分かってる!」

 

 上空から落ちて来た声に、カルロスも応えるように空を見上げる。鉛色の空には、炎に包まれた2機と、それを抜けて南へ向かう『タイガーⅡ』の機影。首尾よくニコラスも突破できたのだろう、機首を上げてその横に並んでも、目立った損傷は見られなかった。

 エンジンが唸りを上げ、風を孕んだ翼がひたすらに空を切る。既に遥か先には運河が途切れ、オーレッド湾の端も見えつつあるのが見て取れた。

 視界の端には、白い粒が一つ、二つ。雪が降って来たらしい。

 

《レーダー捕捉!いたぞ、高度約1300、機数3!》

「了解、このまま接近する。ニコラス、こっちはミサイルが無い。先手頼む」

《応!》

 

 ニコラスの『タイガーⅡ』が敵機を捉え、2機が機首を下げてゆく。

 向けた視線の先には、確かに水面に映える機影が3。肩翼配置の小柄な機体に全長の割に小さな機首、そして全体的に丸みを帯びたフォルムは、先程と同じAV-8B『ハリアーⅡ』と判別できる。先の艦隊や護衛機を囮として先行した辺り、おそらくは全機が『アロンダイト』を装備していると見ていいだろう。

 カルロスはその機種と装備を判別すべく、最後尾のシルエットを凝視した。そしてそのまま2番機、1番機へと視線を移していき、その最後に見てしまった。

 先頭を飛ぶ『ハリアーⅡ』が、見慣れた塗装を施されている。鋭角を描く『ハリアーⅡ』の主翼を、まるで切り欠いたように黒く染め抜いた翼端。自分のMiG-27Mと同じ、ニムロッド隊を示す独自の塗装パターン。

 

 まさか。そんな。

 

《アンドリュー隊長、来ちまったか。ヒュドラ3、先に行け。こっちで引き受ける》

「……!カークス軍曹……!」

《…!?おま、カルロスか!?何でその機体に…!》

 

 カークス軍曹。

 カルロスは、思わずその名を呼んでいた。

 同時期に脱走したエスパーダ1――アルベルト大尉やフィオンがクーデター軍に合流していたことから、軍曹もクーデター軍に参画しているであろうというのは当然の帰結であり、カルロスもその意識は確かにあった。だが、今もクーデター軍はアヴァロンやオーシア・サピン各地で蜂起している最中であり、戦場で邂逅する可能性だって低いに違いない。自らにそう言い聞かせ、カルロスは再会の可能性から意識を逸らしていた。おそらくそれは無意識の、一種防衛本能のようなものでもあったのだろう。

 

 奥歯を噛みしめる。腹に思い切り力を籠める。それでも跳ねた鼓動は収まらない。

 2機の『ハリアーⅡ』が反転し、こちらへ鼻先を向ける。こちらへは軍曹の機体、ニコラスへは別の1機。

 連装23㎜。引き金に指を添え、照準器の中にその機影を捉える。だが、撃てるのか。撃っていいのか。

 距離2200。まだ遠い、しかし思いを巡らせるには短すぎる距離。

 思い返せ、隊長との誓いを。サンダーヘッドやニコラスに言った言葉を。

 その指を、引き金を――。

 

《っ!回避、回避!長距離ミサイル来る!!》

「…しぃっ!!」

《…!ヒュドラ2、お前『アロンダイト』を…!》

 

 ミサイルアラート、そしてニコラスの声に、カルロスは反射的に操縦桿を倒す。

 発射は正面やや右方、ニコラスの正面から迫るカークス軍曹ではない方の『ハリアーⅡ』。

 通信回線が『アロンダイト』の名を拾う。

 迫る。

 カークス軍曹の『ハリアーⅡ』が機首を急上昇させる。

 機体が警報を告げる。

 ニコラス、旋回。回避ルートから反転し、ミサイルを発射する。

 やめろ。逃げろ。

 『ハリアーⅡ』が炎に包まれる。

 『アロンダイト』がやや離れてニコラスの左方を抜ける。

 避けた。

 

 刹那。

 

《うぐあっ…!!》

「…ニコラスッ!!おい、大丈夫か!?」

 

 凄まじい爆音が響き、放たれた散弾が『タイガーⅡ』の後方を食い千切った。尾翼や胴部後方は穴だらけになり、煙の尾を曳いている。これほどの威力である、コクピットの1発でも喰らっていたら。

 操縦桿を握り、未だ直進し続けるニコラスの隣へ、カルロスは機体を位置させた。

 

「おい!応答しろニコラス!」

《何だ、心配してくれてるのか?問題無い、体は擦り傷一つないぜ》

「そうか…!もういい、後は俺一人でやる、脱出しろ!」

《そりゃ無理だ、ミサイル持たないお前じゃ逃げる奴を取り逃がしちまう。俺達だけしかいないんだから、やるしかないんだろ?》

「…お前…!」

 

 自らが言った言葉を曳いて、手負いの虎が逃げる1機を追っていく。

 速い。巡航ミサイルを追うヴァイス1を思わせるようにその翼は速い。カークス軍曹は斜め後ろ上空、攻撃体勢へ移るにはまだ時間がかかる。カルロスは追撃に備えるべくニコラスの斜め後ろに陣取りながら、急速に距離を詰める敵の姿を捉えた。元より短距離離着陸能力を重視した『ハリアーⅡ』と、高速戦闘も考慮に入れた固定翼機では速度が違う。

 だが、それまでにニコラスの機体は持つのか。

 爆発。『タイガーⅡ』の左水平尾翼が吹き飛び、機体が大きく揺らいだ。

 

「…もういい!無茶だ!」

《今更止められるか!…行くぞ、止め任せた!エスクード2、FOX2!》

《…させるかよ、サピンの!》

 

 後方。攻撃体勢に入ったニコラスの後ろで、カークス軍曹の機体からミサイルが発射されるのが見えた。その数2、たとえ片方でも喰らえばニコラスの機体は持たない。

 カルロスは操縦桿を倒し、左旋回でニコラスの後方へと強引に割り込んだ。こちらへと誘導が向いたのだろう、鳴り響くミサイルアラートが後方からの脅威を叫んでいる。

 チャフ弾散布、フレア射出。ともに残量ゼロ。

 ミサイルが誘導を失い飛び去ってゆく。

 ニコラス。

 未だ迫る自らへの脅威も顧みず、カルロスは前を飛ぶニコラスへと目を遣った。

 AAM、発射。

 煙の尾を曳いたそれが、『ハリアーⅡ』の尾部に炎を爆ぜさせる。

 

 『ハリアーⅡ』が揺らぐ。煙を吐いて高度を落としてゆく。カルロスはフットペダルを踏みこみ、機体を一気に加速させてニコラスを追い抜いた。逃がさない。それを発射させる訳にはいかない。

 ガンレティクルに広がる灰色の機体。放たれた曳光弾は、それを砕いて炎に包んだ。

 

《腕上げたな。ま、俺ほどじゃないけどな》

 

 声に、爆発音が重なった。

 爆炎は後方、ニコラスのいた位置。振り返ったその目には、『タイガーⅡ』が炎に包まれ、爆発して果てる様がまざまざと映ってしまった。脱出できたかどうか、その判別さえつかない、一瞬の間だった。

 

「……ニコラス………!あの、馬鹿…!!」

 

 灰色の空、舞い散る雪。カルロスの声は、煙と濃青の水面の中へと吸い込まれ、虚しく消えていった。

戦いと生死の果ての静寂。そこに残ったのは、黒い翼の2羽の蝙蝠。

 2機は、横合いへと円弧を描きながら互いを見据える。

 

《……カルロス。行かせてくれねえか。お前を落としたくねえ》

「…!軍曹こそ、攻撃を止めて投降して下さい!もう『国境なき世界』の残存機はいません。もう『アロンダイト』を使ったってどうしようもないじゃないですか!」

《…交渉決裂だな》

 

 開戦の合図は、それだけの言葉だった。

 操縦桿を引く。互いの機首が正面を向く。

 ヘッドオン。機銃が飛び交い、2人の機影は掠めるように入れ違った。

 被弾、なし。後方を省みると、カークス軍曹の方にも命中弾は無い様子だった。外れたのか、それとも無意識に外してしまったのか。

 

「どうして、ですか。何でそこまでして…!」

《ジョシュア大尉が前言ってただろ、『国境を無くす』ためだ。国境を、正しくはそれを作ってるバカ共を消すための力がコレなんだよ。――お前もこの戦争でさんざん見ただろう!くだらねえ争いに俺たちが駆り出されて、奴らの欲のために人が死んでくのを!》

 

 再び機首を向け合う最中、機銃弾のように声が飛び交う。軍曹を止める…いや、それ以前に、その思いを、信念を知る。カルロスは思わず口を開き、応えていた。

 軍曹の言う通り、この戦争では多くのものを見て来た。没落するベルカに付け入る諸国の強欲も、同盟国同士の暗闘も、そして数多の民間人の死も。軍曹や、かつてジョシュア大尉やアルベルト大尉が言っていたことだって、理解できないこともない。

 だが、国境を無くした所で…国が国でなくなった所で、本当に戦いが無くなるものだろうか。

 

「…俺の故郷のレサスは、同じ国の中でも長年内戦が続いています。戦争の原因は、国境だけじゃない。たとえ国境がなくなっても、戦いがなくなるとは俺には思えない!」

《なら境界ってやつを、地域や軍閥みてえなもんのエゴに置き換えたっていい。それに寄って集まった集団ができる限り、戦いなんてのは終わらないだろうな。…その最大のものが国境なんだよ。この争いの源も、『あの日』俺の故郷を焼いたのもな!》

「そんな事…!」

 

 正面。『ハリアーⅡ』の20㎜が火を噴き、こちらの23㎜が轟音を爆ぜさせる。

 至近弾。擦過。今度は、数発だが手応えがあった。

 馳せ違い、反転する。回転する空の中で頭を上げ、目標を見定める。背を取るという発想は、もはやカルロスの頭から消え失せていた。

 

 口にした抗弁に、軍曹の言葉が被せられる。

 かつてより遥かに多弁に、『国境なき世界』の理想を口にする軍曹。だが、カルロスはその話しぶりに、微かに違和感を覚えた。言葉遣いを噛み砕いた軍曹らしい話し方だが、その中身はどこか、教義や理想を口伝のまま口にしているような印象にも聞こえるのだ。どう表すべきか分からないが、少なくともその言葉に軍曹の意志が感じられない。

 

《それでも、誰かがやらなきゃならねえ!誰かがやらなきゃ、またホフヌングやカルガの悲劇が繰り返される!俺がお前らと別れてアルベルト大尉についてったのもそれだ、俺が『アロンダイト(コイツ)』を使うのもそれだ!ジョシュア大尉の理想やアルベルト大尉の言い分が正しいと思ったからこそ、俺はお前を落としてでも撃つしかないんだよ…!》

「………」

 

 続く、軍曹の言葉。それが重なるにつれ、カルロスの中でも違和感が大きくなってゆく。

 カルロスに退けと言う訳でも、問答無用で撃墜してくる訳でもない。その言葉にも、沈黙するカルロスへ重ねるように言葉を紡ぐその様子も、『アロンダイト』を放つことの正当性を説くというより、弁明のような色すら滲んでいるように思えた。

 軍曹は、何故この場でこんな話をするのか。何故時間を引き延ばすように、搭載しているであろうAAMを使わないのか。そして何故、その存在を誇示するように、わざわざ乗機の翼端を黒く染めたのか。

 想像は、一つの結論へと導かれる。

 存在の顕示、弁明、こちらの戦意を煽るような『国境なき世界』の理想の誇示。

 まさか、軍曹は。

 

「…軍曹」

《あん?》

「理想とか、戦争の原因が何かとか、俺にはよく分かりません。…ただ、俺にも信念はあります。傭兵としての矜持もあります。たとえ軍曹を落としてでも、俺は『アロンダイト』を阻止します…!」

 

 ふっ。

 カルロスの言葉の後、通信に聞こえたのはそんな音。

 嗤われたという様子でも苦笑でもない、ただ微笑んだような吐息一つ。その反応で、カルロスは軍曹の意志を感じた。

 

 カークス軍曹は、本当は『アロンダイト』を使いたくないのではないか。

 『国境なき世界』の理想に対する思いは分からないが、少なくともそれを使用してしまえば、軍曹はホフヌング空爆やカルガ空襲と同じ事をする訳になる。

 だが、命令が絶対なのはどの軍でも同じである。何らかの事故が起こるか撃墜でもされない限り、『アロンダイト』発射の方針は変わることは無い。

 だから。カークス軍曹はニムロッド隊と同じ塗装を選び、攻撃を引き延ばして、自分に戦闘を促しているのではないか。裏切者は、民間人への攻撃を企てる襲撃機はここにありと宣言し、そして自らを撃墜させるために。少なくともカルロスには、それ以外に軍曹の行動を説明できなかった。

 

《…ハッ。口ではなんだって言える。お前に信念があるっていうんなら、行動で示してみな。――来い、カルロス》

「――征きます」

 

 操縦桿を引き、MiG-27M『フロッガーJ』が機首を持ち上げる。余計な武装を削ぎ落した機体は軽く、まるで手足のように素直な挙動に感じられた。

 照準器の向うには、『ハリアーⅡ』の小さな機影。まさしく真正面、この戦争で幾度となく経験し、勝敗ともに覚えのあるヘッドオンの位置取り。生と死の距離が最も短い、匕首を突き付け合う一瞬の勝負。

 

 雪が舞う。

 静寂が空に満ちる。

 記憶が脳裏を過る。

 空爆に損傷したヴェスパーテ基地。

 ニコラスと二人で挑んだ初陣。

 ヴァイス隊との戦闘。

 アルベルト大尉との出会い。

 円卓での死闘。

 焔に包まれるホフヌング。

 核の黒煙。

 ベルカ残党の壮絶な最期。

 エスパーダ隊との別れ。

 隊長から受け継いだ信念。

 皆で笑った、かつての日。

 

 ――距離、500。

 

「――!!」

 

 叫んだ。言葉にならなかった。

 30㎜、6銃身ガトリング砲。23㎜ガンポッド、連装2基4門。5筋の射線は、直撃すれば並みの戦闘機ではひとたまりもない。連なる曳光弾が殺到し、灰色地に黒い翼端の機体へと幾つもの穴が刻まれてゆく。

 

《腕ェ上げたな、カルロス》

 

 銃声に混じった、最期の声。それは轟音に紛れることなく、カルロスの耳に確かに届いた。

 

 『ハリアーⅡ』が、炎に包まれて墜ちてゆく。

 千切れた主翼、粉々になった尾部、そして二つに割れた胴体。水を湛えた国境線はそれらを全て呑み込んで、元の静謐な流れへと戻っていった。

 

「カークス軍曹……。」

 

 鈍色の流れを見下ろし、カルロスはぽつりと呟く。

 もはや、涙は出なかった。

 悲哀と喪失感、そして言い表せない苦み。去来するその思いを、カルロスはただただ唇を噛んで受け止めていた。

 

 雪が、一際強くなる。

 既に、国境は白く染まり始めていた。

 



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SP mission 紅の空

 雪と岩の色に染まった山肌が、晴れ渡る蒼穹を背景にして連なっている。

 晴れているとはいえ、肌に触れる空気は刺すように冷たい。サピン王国の中では高標高地に位置することもあり、平地と比べて春の訪れは二歩も三歩も遅いようだ。この冬はただでさえ雪が多く、しばらくはこの基地も雪色に閉ざされたままになるだろう。立ち上る息の白さが、春の遠さを静かに物語っていた。

 

 ざく、ざく。

 凍った雪を踏みしだきながら、脚は自然と日の当たる方へと進んでゆく。今朝にかけてまた雪が降ったのか、除雪車が出て滑走路の雪をかいているものの、影になる施設の端まではまだ手が届いていないらしい。

 戦闘機のエンジン音と比べれば、遥かに控えめな除雪車の駆動音。戦争が終わり、静寂と雪に閉ざされたこの地では、その音すらもよく耳に響いた。

 

 格納庫前の陽だまりの中で、カルロスは束の間空を見上げた。山脈に切り取られた雲一つない青空は、清々しくもどこかもの悲しい。天頂に至った太陽の熱すらも、雪に閉ざされた地を暖めるには至っていないように感じられる。

 時に1996年、3月初頭。サピン王国北部山間に位置する、ヴェスパーテ空軍基地。クーデター軍『国境なき世界』との戦闘が終結してから、既に2か月余りが経過していた。

 

「寂しくなったな、この基地も…」

 

 呟いたその言葉も、紡がれたそばから雪に吸い込まれていく。そんな錯覚を覚える程に、今のヴェスパーテ基地は閑散としていた。

 これまでベルカに対する前線基地として機能していたサピン最北端のオステアと比べ、ここヴェスパーテはやや内陸に近く、元来基地としての規模も小さい。最前線たる意味合いも失った今となってはここに戦力を置く必要性もなく、おまけに戦争で戦力を失ったサピンには十分に補充を行う余裕もなかったため、今この基地にいるのは戦闘機隊が2つのみ、という有様だった。

 そして、そのうちの一つでありカルロスが属する『ニムロッド隊』も、この3月末でサピンとの契約は切れる。今のところ契約更新の話は無く、このままいけば基地の閉鎖にもなりかねない状況だった。僅か1飛行隊ではできる任務も限られる上、その隊ですら人員が足りていないのだ。

 

 そんな思いに気を取られたのか、それとも寒さで凍えた耳が鈍くなっていたのか。背後から近づく気配に、カルロスは気づくのが遅れた。

 

「どうした、センチメンタルな気分にでもなったか?」

「…なんだ、ニコ、ラ…」

 

 不意に叩かれた肩。声音で相手を判別し、そちらへ振り返った刹那、頬に指の先が食い込んだ。子供がよくやる、人差し指を出したまま相手の肩を叩く他愛のない悪戯である。案の定、その手の先にはしてやったりと笑みを浮かべるニコラスの顔があった。

 

「バカ、何やってるんだよ。子供か」

「なーに言ってるんだ、キャノピー越しに相手の殺気を読み取れっていうアレだ。アレ。――まあ冗談はさておき、確かに寂しいっていうか心細いよなこの基地。せめて1小隊分くらいしっかり欲しいぜ」

 

 ニコラスの手を指で弾き、カルロスはそちらへ向き直る。冷たい空気でかじかんだ手は、それだけでも少々痛い。

 ニコラスの言う通り、現在のヴェスパーテの戦力は定数から大きく不足していた。ニコラスが属するエスクード隊は、『国境なき世界』との戦闘で3、4番機が欠落して以来補充はなく、隊長機のエスクード1も現在療養中であった。唯一ニコラスについては、フトゥーロ運河上空の戦闘で撃墜され一時行方不明となっていたのだが、オーシア側の岸に自力で泳ぎ着いていた所を発見された。ほぼ無傷であの激戦から生還できた辺り、彼の実力と強運が伺い知れるところだろう。

 

 一方、カルロス属するニムロッド隊に関しても実情は同じであった。アンドリュー隊長は右脚を膝の先から失い、ヴィクトール曹長は戦闘の最中に右手の親指を切断して、二人とも基地で療養を余儀なくされている。クーデター軍に奔ったフィオンに関しては、戦線離脱後に消息を絶ち、今も行方不明のままである。――そして、カークス軍曹は、この手で撃って…殺して、しまった。その苦みは、今も心から消えてはいない。

 

 ともかくも上記の経緯で、この基地で空に上がれる人員は、現在の所2名ぽっきりという惨状なのであった。機体に関してもヴィクトール曹長のMiG-23MLD『フロッガーK』は戦闘で中破し、自分の『フロッガーK』に至っては基地への攻撃に巻き込まれ大破している。結果、現在使える機体は、元アンドリュー隊長機のMiG-27M『フロッガーJ』のみという有様だった。ニコラスのF/A-18C『ホーネット』を加味しても、もし再びクーデター軍の蜂起が起これば対処は到底できないに違いない。

 

「まぁな…。幸い、ここに戻ってから戦闘がないからいいものの。万が一何かあったらひとたまりもないぞ、この基地。…大丈夫かね?」

「大丈夫だいじょーぶ。どうせクーデター軍は消滅したんだし、当面他の国だって戦争する余力はないだろうさ。それにアレだ、いざとなったら幸運のエースたる俺がいる!ってな、伍長殿」

「あーはいはい、期待してるよ少尉殿」

 

 口にした心配も冗談に変えて、カルロスとニコラスの間に笑い声が上がる。1年近く戦場で共に過ごした経歴もあるが、一つにはニコラスが言う通り、情勢に幾分余裕があることも背景にあった。

 

 1995年12月、国籍を超えて集ったクーデター軍『国境なき世界』は近隣諸国各地で蜂起し、その有する戦力と大量破壊兵器を以ってオーシア東方諸国を混乱に陥れた。しかし、12月31日に実施された鎮圧作戦によってその主力はアヴァロンに潰え、大量破壊兵器『V2』も攻撃部隊によって阻止されたという。アヴァロン陥落に伴って幹部の多くは捕縛もしくは逃亡し、その戦力も殆どを喪失したことから、先日のような組織だった作戦はもはや困難と判断された。

 同時に、大国たるオーシアはともかくとして、国土が戦場となったサピンやウスティオ、その他周辺諸国が受けたダメージは極めて大きい。当然国土や軍の復旧は易々と進むものではなく、少なくともこの先10年ほどは軍事行動をする余力などないといっていいだろう。戦時体制として、オステア空軍基地など国境付近に集中していた軍編成を従来のものに戻したこと、それに伴いカルロス達も本来の所属であるヴァスパーテに戻されたこともその一環である。先のニコラスの言葉の背景には、以上のような経緯があったのだ。

 

 もっとも、懸念事項とてない訳ではない。

 専ら損得勘定からの判断になるが、この戦争で結果的に最も得をしたのは西側の大国オーシアだった。ベルカによる侵略を受けた地域はその国土から見ればほんの一部であり、相対的な被害の比率は参戦国の中でも最も少なかったのである。おまけに戦争の結果南ベルカを領土に加えたことで、その領土には地下資源が眠る『円卓』周辺や五大湖一帯も加わることになった。新たに手にした唸るほどの資源は、国力の向上と回復に一役買うことになるだろう。連合国の一端だったウスティオに関しても、国土の被害こそ大きかったものの、それと引き換えに『円卓』資源採掘権を手にした上、その軍の精強さを見せつけることに成功した。今後の交渉を行うに当たっても、武力の裏付けはその結果に直結するに違いない。

 

 後に聞いた話によると、アヴァロンのクーデター軍中枢を破壊し『V2』阻止を成し遂げたのも、あのウスティオのエース、『円卓の鬼神』らしいとのことだった。それだけでなく、作戦の数日前にはアルベルト大尉――『エスパーダ1』を撃墜し、アヴァロンへの進軍途上ではクーデター軍に所属した元オーシアのエース『ウィザード隊』をも返り討ちしたのだという。かつてこの目で見た手並み――8機のMiG-31で構成されたベルカのエース部隊を、わずか2機で殲滅した技量を省みれば、その結果も納得するというものだった。

 

 戦争によって資源や発言力を得たオーシアとウスティオ。それに対し、サピンや参戦の遅れた周辺諸国の利は明らかに少なかった。サピンに関してはウスティオに次いで被害が大きかったものの、得た領土も無く、軍の損耗はこの基地を省みるまでもなく極めて大きかった。ベルカのレーザー兵器のデータを得たらしいという噂こそあったものの、それもどの程度利益があるものか疑わしい。ファト、ゲベートなどの周辺諸国に至っては、賠償金すらどうなるか怪しい所と言う有り様である。

 火種は、無い訳では無い。それが燃え上がるのか、それとも燻り消えてゆくのか。全ては会議室の『円卓』におけるこれからの舵取り次第だろう。

 

 この地に対する、『これから』へ向けた思い。それは、小走りに走り寄ってくる足音と声に打ち消された。

 

「ニコラス少尉、カルロス伍長!こちらでしたか…!」

「おぅ、お疲れ。どした、コーヒーでも入ったのか?」

 

 走って来たのは、司令部詰めの若い兵だった。よほど急いで来たのだろう、上着も着ず、肩で息をしている。冗談めかして応じたニコラスに、その真面目な目が向かった。

 

「違います!と、とにかくお二人とも、スクランブル要請です!詳細は追って指示するとのことで…」

「スクランブルぅ?誰に?」

「…行こう。モノによってはとんだ火種になるかもしれない」

 

 これからの世界を左右する『火種』。思考がそちらへ向いたタイミングでのスクランブルの要請に、カルロスはふと胸騒ぎを覚えた。他国が侵入する余力は無い、クーデター軍も潰えた。ならば、一体何なのか。

 司令部に戻ったらまた指示を頼む。それだけ言い残して、カルロスはニコラスとともに、宛がわれている格納庫へと向かっていった。

雪の上に刻まれた足跡。その先を、一歩ずつ歩きながら。

 

******

 

「ニムロッド3離陸完了、計器類異常なし」

《こちらもオールグリーンだ。エスクード2より司令部、指示を頼む。どっちへ行けばいい?》

《ヴェスパーテ司令部より各機へ、方位040へ進路を取られたし。オーシア-ウスティオ国境へ向かえ》

「了解した、これより変針する」

 

 雪に覆われた山肌が大きく傾き、視界を右から左へと流れてゆく。冷え切った機体は暖気に少々時間を要したが、その唸りは上々の調子を示していた。旋回の調子を見る限り機体も軽い印象だが、今回は空対空を主眼に置いた装備なのがその要因だろう。胴体下の左右ハードポイントにAAM(空対空ミサイル)を1基ずつ、残りのハードポイントには連装23mmガンポッドと増槽の装備に留まっており、爆装時と比べれば幾分重量は軽い。

 

《では、詳細を伝える。本日1600時、国境線付近のノースオーシア州内陸に、複数の所属不明機が捉えられた。奇しくも当該地域周辺では『国境なき世界』幹部の捜索が実施されており、所属不明機も何らかの関係がある可能性が考えられる。現在、目標は国境線沿いに南南西へ向け飛行を続けており、既にウスティオ空軍が追撃機を差し向けている所である。諸君は目標の予測進路上に展開し、その行く手を封鎖せよ》

《了解した。で、敵の数と種類は?》

《ウスティオ軍機が未だ接敵に至っておらず詳細は不明であるが、レーダー反応から4機前後と推定されるとのことだ。場合によっては、ウスティオ軍機もサピン国境を越境し追撃を続行する。その際は識別反応に十分に注意せよ》

「残党狩りに耐えかねての逃亡、って所か…。ニムロッド3了解した。状況が動き次第、随時連絡を頼む」

 

 判明している情報を頭に叩き込み、カルロスは状況を整理する。

 クーデター軍『国境なき世界』は討伐作戦で潰えたものの、その幹部の多くは追及を逃れ潜伏したという。しかし、討伐作戦終結から2カ月程しか経っていないこの時点では警戒の目も厳しく、目立った移動はできなかったのではないか。それならば、ほとぼりが冷めるまでベルカ国内や近隣諸国に身を隠していたとしてもあり得ない話ではない。そして追及の目が近くに迫ってきたため、目に触れるのを覚悟で航空機で逃亡を行うというのも、可能性としては最もありそうなことだった。

 

 眼下を流れる山脈は北東へ飛ぶほどに峻厳さを増してゆく。大地を摘んで引っ張り上げたような稜線の連なりは、あるいは上がりあるいは分かれて、やがてウスティオ国境へ、そして円卓へと至るのだろう。『円卓』で、そしてこの空で死んでいった人々の死をも飲み込んで、大地は変わらぬ悠久の姿を静かに横たえていた。

 その上空に目指す小さな影が現われたのは、出撃して30分近く経った頃のことだった。

 

《こちらエスクード2、目標捕捉。反応3…存外に近いな、相当低空を飛んできたらしい》

「ウスティオ国境まで2kmか…。ウスティオ軍機はどうなってる?」

《ちょっと待てよ…。今レーダーレンジに入った。10機ちょっとだが入り乱れてるな、敵の殿(しんがり)1機と空戦中らしい》

 

 敵機を捕捉したらしいニコラスの声に、状況を伺うべくカルロスが質問を返す。元より対空レーダーを装備していないMiG-27Mでは、遠距離の敵機を捕捉するのはニコラスの『ホーネット』頼みにならざるを得ないのがもどかしい所だった。

 その言を借りるに、最新鋭と言っていい『ホーネット』を以ってしても、接近するまで捕捉できなかったらしい。元々が山岳地帯という起伏に富んだ地形であるため、地形と地球の丸さを利用すれば――すなわち谷間を沿って超低空で飛び続ければ、よほど接近するまで探知は困難となる。おそらく、この敵機もそうして飛行して来たのだろう。

 それを裏付けるように、やがてカルロスの目にも映った機影は、地表から600フィートにも満たない低い位置に姿を現した。その数、確かに3。やや開いた楔型隊形を取った小柄な機体である。殿とやらに手間取っているのか、まだ追撃のウスティオ軍機は姿を現していない。

 

「あれだな。ウスティオの連中はまだらしいが…仕掛けるか」

《だな。……あー、あー、領空侵犯の国籍不明機に告ぐ、こちらサピン王国空軍第19戦闘飛行隊。速やかに武装を解除し投降せよ。こちらが誘導するので追従されたし。繰り返す…》

 

 遥か先の低空を飛ぶ3機目がけ、ニコラスが定型の投降勧告を行う。案の定と言うべきか、その進路や速度は変わる様子は無い。

 3つの機影は依然直進を続け、眼下へと近づきつつある。高度差、概ね2000。丸みを帯びた流線型の機首に現行の戦闘機と比べ小さな機影、そして水平尾翼が垂直尾翼よりやや後方に位置する尾部形状は、各国で採用されているジェット練習機『ホーク』、しかもその単座軽戦闘機型である『ホーク200』と伺えた。扱い易く小回りの利く小型機だが、最高速度は戦闘機のそれには及ぶべくもない。

 機体を傾け、斜め下にグレーの塗装色を見定める。増槽投棄、安全装置解除。勧告に従わないのなら、撃墜する他無い。

 

《よし、警告無視と見なし撃墜する。編成順にかかろう、フォロー頼む》

「ニムロッド3了解。しくじるなよ」

 

 左に傾いたニコラスの『ホーネット』が、急速に下降しながら敵の進行方向を塞ぐように機位を遷移させる。一方のカルロスはそのまま機体を直進させ、敵編隊の上空を通過したのち降下反転へと入っていった。最初に正面からニコラスがかかって編隊を乱し、散開した所をカルロスが後ろから仕留めるという策である。

 

 高度計がみるみる数値を下げてゆく。山肌が迫り、雪色の斜面が視界を流れてゆく。右旋回の最中にちらりと頭を上げると、ニコラスの『ホーネット』はいち早く敵の正面に占位し、真正面から銃撃を仕掛ける所だった。

 補助翼操作、操縦桿引き上げ。機体を水平に保ち、照準の先に敵機を見据える。ニコラスの銃撃は全て回避したらしいが、左右の2機は先ほどより間隔を広げている。

 目標、中央の『ホーク200』。可変翼、最小角。速度を増し、回避の余裕を最小限に抑えて一撃離脱を仕掛ける構え。

 距離は瞬く間に1200を切り、1000となり、800を割る。速度差はやはり相当にある。

目算の距離が700台に達したその瞬間、カルロスはAAMの発射ボタンを押し、次いで加速しながら機銃の引き金を引いた。

 

 AAMが敵を捉えて飛来し、次いで回避方向を塞ぐように23mm弾が火線を刻む。運動性こそ優れるものの速度に劣る練習機、それも少ない回避方向を機銃で封じたこの状況なら、回避は極めて困難である。

 その、筈だった。

 

「…バカな…!?」

《避けられただと!?…くっそ、甘く見たか!》

「嘘みたいだな…!あの敵機、いい腕だ」

 

 信じられない機動――その一言だった。

 眼前の『ホーク200』は、左旋回で回避行動へ入ると同時に機首を上げ、すぐさま機体をロールさせて下降。迫られている中で敢えて速度を落としているのだろう、極めて小さい旋回半径で動いた敵機は機銃の火線だけを避けるように動き、ミサイルの誘導から見事に逃げおおせて見せた。速度差のため、こちらがあっという間に追い抜いてしまったことは言うまでも無い。もし敵が武装していたら、おそらくAAMで攻撃されていた所だろう。

 

 技量は、おそらく自分より上。数の上でも劣るこちらで、撃墜できるのだろうか。せめて、ウスティオやサピンの増援が到着すれば。

 その微かな希望も、続く通信でかき消された。

 

《こ、こちらウスティオ空軍第81戦闘飛行隊!所属不明機より甚大な被害を受け、追撃続行は不可能!第82戦闘飛行隊も全滅、両隊はこれより帰投する!》

《くそっ、ウスティオ正規軍の意地を見せてやる…!第80戦闘飛行隊は越境し追撃を続行する!…くそっ!何なんだ、あいつは!!たかが1機、それも旧式のくせに…!》

《全滅…?おい、どういうことだ!?こちらサピン王国空軍『エスクード2』!敵は逃げる3機と殿1機だけだろ!?》

《敵の1機が凄腕だ!そこのサピン軍機、応援を…!》

 

 逃走する3機、そして足止めの1機に襲いかかるウスティオ空軍機。少なくとも、先ほどニコラスが探った結果はそれだった筈だ。

 カルロスは機体を立て直し、主翼を通常位置へ戻しながら北の空を見やった。

 そして、驚愕した。

 

 ウスティオ軍機は3飛行隊――すなわち12機が本来の数の筈である。それが、空を見た限りは6機しか姿が見当たらない。しかも、そのうち2機はすでに姿が小さくなりつつあり、組織的な戦闘能力を失った機体が撤退しつつあるのは明らかだった。部隊編成は、遠目に判断した限りおそらくF-16C『ファイティング・ファルコン』。オーシア東方諸国の中では、平均以上の部隊である。

 

 そして――。

 散開しつつこちらを指して飛ぶウスティオ空軍機。その後方に、その機体は現われた。

 F-16が逃げる。旋回で速度が鈍った隙を突いて敵機が加速する。

 追撃と逃走。本来の目的と立場が入れ替わった戦空の下、F-16が必死に身をよじる。

 その小さな主翼は、一瞬後には機銃弾に引き千切られて、無残に炎に包まれた。

 

《…くそっ!トパーズ4撃墜!…来る!今度はこっちだ!た…助けてくれ!!》

《逃げろ、とにかく攻撃を捨てて逃げろ!…クソったれ、いい加減往生しろ、『赤い奴』め…!》

 

 迫る敵機、交錯する焦燥の声。それすらも、カルロスはしばし忘れていた。

 見てしまったのだ。こちらへ近づく、その機体を。爆炎に照らされた、見覚えのある『紅』を。

 

 典型的な無尾翼デルタの機体に、機首横の丸いエアインテーク。『ミラージュ2000』に似た構成だが、コクピット後方から尾翼にかけての張り出し部分(ドーサルスパイン)があまり目立たず、やや上下に小さい代わりに下部が前方へと伸びた尾翼形状を見る限りは、旧式の『ミラージュⅢ』だろうか。MiG-21同様既に型落ちとなって久しいこともあり、機体そのものは価格が安く整備部品の流通も多いので、傭兵や中小国の間では今なおポピュラーな機体である。

 だが。その身を彩るカラーが、その『ミラージュⅢ』を一般のそれとは明らかに画していた。機体の割に大きく見える三角翼は、まるで血を思わせる紅一色。機首までも染めた赤色地を、黄色のラインが稲妻のように切り裂いている。

 まるで力を誇示するように、蒼空に映える紅と黄。かつて円卓を始めとした各地の空に舞い、後にクーデター軍に奔ったサピンのエースパイロットと同じ色。

 まさか。そんな、あの色は。そしてあの飛び方は。

 

《その色と機体は…ああ、ニムロッド隊の隊長さんかい。ボウズは元気かい?》

「…!?アルベルト、大尉…!?」

《『エスパーダ1』だと!?そんな馬鹿な、『円卓の鬼神』にやられて行方不明の筈だろ!?何で…!》

 

 散開したF-16の間を裂き、西に傾いた太陽の下に映える紅の翼。その塗装も、旧式機を以て最新鋭機にすら打ち勝つその技量も、そしてその声も。もはや疑いを挟む余地は無かった。

 『エスパーダ1』――アルベルト大尉。かつて共に戦い、そしてアンドリュー隊長や自分を撃墜してクーデター軍へと奔り、後に超大型ガンシップ『フレスヴェルク』追撃戦において『円卓の鬼神』に撃墜されたという、サピンを代表するエースパイロット。撃墜された後には戦死したとも重傷を負ったとも言われていたが、まさかこんな形で再会することになるとは、カルロスの予想の外にあったと言って良い。

 

《おや、隊長さんかと思ったらボウズかい。どうした、MiG-27に乗り換えか?》

「いろいろありまして…。…って、それより!どうして大尉がここに!?」

《どうしてもこうしてもあるか。『鬼神』に叩き落とされて『ドラケン』はお釈迦だし、今更サピンにも戻れん。そんな訳で安い中古の『ミラージュⅢ』買って、元通り傭兵兼のなんでも屋稼業って訳さ。仕事は仕事だ、悪いけども手は抜かないぜ?》

《…くっそ、冗談だろ…!生き残りのウスティオ軍機、聞こえるか!連携で『エスパーダ1』を落とす!…カルロス、フォロー頼むぜ。本腰入れてかからないとこっちがやられる》

 

 投降して下さい。

 そんな言葉はもはや口から出てはこなかった。言える訳も無かった。

 もとより大尉は、妨げも何もない自由な空を目指してクーデター軍に奔ったのだ。翻せば、空を飛べなくなることは、大尉には到底肯じられないことになるのだろう。今更そんなことを大尉へ言って、時を無為に過ごしたくは無かった。

 

 『ミラージュⅢ』の遥か後方で、編隊を立て直したF-16が深紅の翼を追い始める。方や、『ミラージュⅢ』はそのまま直進。正面からかかってこちらの編隊を崩し、先の『ホーク200』への追撃を遅らせる積りなのは明白だった。おそらく、その距離は既に相当離れてしまっている。

 大尉に対応して正面からかかっても、大尉機に対してやや斜めに構えた今の位置では命中弾は望めない。定石通りならまずは回避を優先し、2機が別方向へ散開、そののち二方向から挟み討つという所だろうか。だが、今回に限っては散開し孤立するのは危険が大きい。なにせ、相手はあのエスパーダ1である。たとえ多少の被弾のリスクを負っても、できる限り編隊行動を維持する方が危険は少ないだろう。

 

 エスクード2、左旋回。同時に機首を上げて上昇を開始。

 操縦桿をやや左へ戻し、次いで手元の方へと引きつける。同時に踏み込んだフットペダルが、エンジンの唸りを高めてゆく。

 ちらりと見上げた。『ミラージュⅢ』、右斜め上。このままの進路で急上昇すれば、その眼前を斜めに抜け上がることになる。それぞれのベクトル方向が異なるため、ミサイルも機銃も命中し難い筈だ。案の定こちらを射線に捉えそこねたのか、その赤い機首からは機銃弾一つ放たれず、斜め下にこちらと入れ違ってゆく。あとは高度を取れば、こちらが優位に進められるだろう。

 

 だが。機体の構成上、MiG-23/27シリーズは主翼がちょうどコクピットの斜め後方に張り出すため、後方視界があまり良くない。その為だったのだろう、『ミラージュⅢ』の機影が後方に抜けて視界から消えて行く最後の一瞬に抱いた違和感を、カルロスは確かめられなかった。

 ただの降下によるだけではない、加速を併用しているのか、速度が速すぎる。それに、主翼後部の補助翼が大きく上に跳ねてはいなかったか。つまり、急上昇の予備動作である。

 不意に、何かを感じた。咳き込むような音。高まるエンジンの唸り。開きっぱなしの無線を介する誰かの息遣い。そして背後に感じた気配。否、殺気。

 それは曳光弾となって、カルロスの『斜め後上方から』降り注いだ。

 

「うああっ!!…くそ、あっという間に後ろを…!」

《やっぱり何乗っても並じゃねえ!…くそ、ウスティオ軍機へ!そっちに誘導する、ヘッドオンで仕留めてくれ!》

 

 2発、3発。驚くほど正確な射撃が、カルロスの機体に弾痕を刻んでゆく。

 おそらく、先の大尉の機動はローGヨーヨーとインメルマンターンの組み合わせだったのだろう。すなわち機首を下げて加速し、こちらとすれ違った瞬間に機首を上げて急上昇した後、死角となるこちらの斜め上で反転。あとは機体を水平へと戻し、ミラージュの強みである加速力の高さでもって一気に距離を詰めたという訳である。細かく減速や補助翼操作を組み合わせたのだろうか、普通ならば『ミラージュⅢ』で咄嗟にできる機動ではない。

 

 警報が鳴る。機体がひっきりなしに振動する。先の戦闘でミサイルを撃ち尽くしたのか、一切ミサイルが飛んで来る様子がないことは救いだったが、いずれにせよこのままでは頑丈な『フロッガーJ』でも持たない。

 

 逃れられるか。反撃できるか。今は乗機の装甲だけを頼りに、カルロスは唇を噛む。

 来た。正面、F-16が3機。ウスティオの生き残り。先のニコラスの要請に従った、ヘッドオンからのミサイル一斉斉射の意図と見て取れた。

 いち早く射線を開けなければいけない以上、最早編隊行動維持とも言っていられない。二コラスの『ホーネット』が左へ急旋回するのとほぼ同時に、カルロスも操縦桿を右斜めへと倒し、傷ついた『フロッガー』を右へと急旋回させた。

 視界の端で相対する紅い『ミラージュⅢ』と、灰色の3機のF-16。数多の尾を曳く鏃が放たれ、銃声が短く空に響く。

 自機の主翼に視界を一瞬遮られた後、再び目の前に現れた空。それは、カルロスの予想を裏切ったものだった。

 

 夕日を背に映える焔、そして黒煙。健在な翼を翻す『ミラージュ』に対し、F-16は1機しか残ってない。

 正面からもろに『ミラージュⅢ』の銃撃を浴びたのだろう、F-16のうち1機は、コクピットをズタズタに引き裂かれて墜ちていく所だった。そしてもう1機は堕ちた友軍機を心配した隙を突かれたのか、別の1機に正面から機銃を叩き込まれて同様の末路を辿っていた。後のF-16を仕留めた方は、唯一引き返してきたらしい『ホーク200』のうちの1機。機体側面の番号から察するに、最初にカルロスの攻撃を全て回避した、編隊中央にいた機体らしかった。

 

《な…。おいおい、何で戻って来たんだジョシュア。お前さんが無事に逃げ切らなきゃ全部パーなんだがな》

《袂を分けようと、友人たる君を失いたくない。それだけの理由だ。重症未だ癒えない君を、敵の只中に置いて行くことはできない》

《ジョシュア、って…おい、まさか!?》

「『ウィザード1』…!…くそっ!」

 

 通信に混じった相手の声に、指が、胸が震えた。

 ジョシュア大尉。かつてオーシアが誇るエース部隊『ウィザード隊』を率いる隊長として名を馳せ、後にクーデター軍『国境なき世界』の首魁として世界と対峙した男。『円卓』で例の『鬼神』に撃墜されたとのことだったが、その行方は知れずじまいになっていた筈である。つまり当初の司令部の予測通り、これは隠密裏に実施された『国境なき世界』幹部の亡命作戦だったのだ。

 

 くそっ。予想以上にとんだ火種だったとは。

 口内に呟きを噛み潰し、カルロスは機体を水平へ立て直した。既に生き残ったF-16は逃げ惑い、その背をウィザード1の『ホーク200』が執拗に追い詰めている。機体の性能差は歴然とある筈だが、友軍機を全て失い恐怖を抱いた心では、その性能を活かすこともままならない。あのままでは、遠からず落とされる。

 逡巡は最早無かった。主翼最小角、高速体型。距離、目算で概ね1500。ニコラスの判断を待つ間もなく、カルロスは操縦桿を倒して、その2機へと機首を向けた。

 

《あ…お、おいカルロス!?》

「あのままじゃあいつが落とされる、フォロー頼む」

《おま、今の優先順位は……。…ああもう!》

 

 ニコラスの声すら後ろに置いて、疑似デルタ翼を取った『フロッガー』が風を切る。死なない、死なせない。任務の範疇と相反しない限りそれを全うする。ジョシュア大尉やアルベルト大尉と比べれば、信念とすら言えないかもしれない小さな目標だが、それでも今は、カルロスが拠って立つ柱とも言うべきもの。それを胸に、カルロスはひたすら『ホーク200』への距離を詰めた。自分の腕では、ジョシュア大尉を落とすことは不可能に近い。だが、性能差にさえ頼れば、攻撃を妨げるくらいならばできるかもしれない。

 機銃弾を撃ち込まれたF-16が、煙を上げ始める。距離1200、1000、800――。

 

《上だ!『ミラージュ』が来てるぞ!》

「っ!!」

 

 ニコラスの声。アルベルト大尉の、直上からの奇襲。

 普通ならば左への急旋回で回避する所を、カルロスは構わず直進した。音速を越える速度では、同航戦でもない限り機銃の射界に入るのは一瞬である。まして翼を畳んだ今の『フロッガー』なら、投影面積は常より小さく被弾の率も低いのだ。

 機体を穿つ衝撃音、すぐ後方を下へ抜ける紅い機影。全てを捉える暇もなく、カルロスは照準器を覗き込み、6銃身30㎜ガトリング砲の引き金を引いた。狙いはF-16のすぐ後方、『ホーク200』の予想進路に当たる位置への偏差射撃。

 

《ちいっ!》

 

 広大な有効範囲を誇る30㎜弾の破片から逃れるように、『ホーク200』が大きく左へと旋回する。流石に直撃弾は1発も無かったものの、破片が機体へ当たったらしいことは、無線に入り混じった舌打ちの音が物語っていた。

 

「あんたは逃げろ!後はサピンの方でなんとかする!」

《た、助かった…!すまん、後は頼む!》

《味をやるようになった。小面憎い程な》

 

 煙を噴いたF-16が、北東へと進路を取って遠ざかってゆく。被弾が多く基地へはたどり着けないかもしれないが、ウスティオ領内へはなんとかたどり着けるだろう。残ったのは、互いに2機。当初の数が嘘のような、小さな小さな戦場だった。

 

《ジョシュア、もう先に行ってくれ。アンタが逃げおおせないことには任務が達成できん》

《そうはいかん。君の負傷では、これ以上の高機動戦闘には耐えられない。見捨てる訳には…》

《ジョシュア。…それは気にするな。俺の空だ、生き方は俺に決めさせてくれ》

《…………………。………私は、忘れないだろう。サピンの空に、君のような友がいたことを。…また会おう》

《ああ》

 

 それは、二人の友が交わす今生の別れだったのだろうか。それとも、再起を期した誓いだったのか。最後に2機は束の間並走したのち、ジョシュア大尉の『ホーク200』だけが翼を翻して、国境線沿いに西へと進路を取っていった。よほどの急旋回をかけたのだろう、翼端に生じた細い飛行機雲が、夕日に映えて紅に染まっている。

 

《お、おい、逃げちまうぞ…!》

「ニコラス、ジョシュア大尉を追ってくれないか。ここは俺が持たせる」

《んな、無茶言うなよ。さっきだって旧式1機にお前…》

「頼む」

《…あーもー何だってんだよ今日は!いいか、危なくなったらとっとと脱出しろよ!》

 

 いつもの憎まれ口一つ、ニコラスの駆る『ホーネット』は旋回し、ジョシュア大尉が飛び去った西の空へと鼻先を向けていった。徐々に東の空が薄暮に包まれつつある頃合いである、暗みを帯び始めた山間に、『ホーク200』の機影は辛うじて見定められるほどにまで小さくなっていた。アルベルト大尉は、ニコラスの背を追う素振りも無く、ただこちらと対峙している。

 

 夕日の朱に染まった、山間地帯の空。2つの機影は大きな弧を描いて旋回し、紅い太陽に黒い機影を映えさせる。

 しばし、静寂が空を満たした。

 

《強くなったみたいだな、ボウズ…いや、カルロス。お前なりの戦い方が、信念が見て取れるようになった》

「…たぶん、俺一人じゃ今も半人前のままだった気がします。隊長、アルベルト大尉…この戦争で出会った、全てのエース、全てのパイロットのお蔭で、ここまで生き残って来た結果かもしれません」

《そうか…。……カルロス。『あの時』の答えは出たか?》

 

 アルベルト大尉の声、そして微かにそこに入り混じる、苦痛を耐えるような息遣い。その中にも確かにある意志と信念に、カルロスは『あの時』のことを思い返していた。

 

 『あの時』――そう、エスパーダ隊がオステア空軍基地を脱走し、その追撃にカルロス達が当たった時の事。当時僚機だったカークス軍曹やフィオンが次々とアルベルト大尉への同行を明らかにした中で、大尉はカルロスへも問いかけたのだ。国境のない自由な空を得る戦いのため、ついて来ないか、と。

 あの時、カルロスは確かに迷いを抱いた。同行するかどうかの迷いというよりは、戦うことの意味、その背景にある理想や信念というような、自ら拠って立つものを定めていないがゆえの迷いとでも評すべきものだったが、いずれにせよ自らの進路を自分自身で決められなかったのだ。

 しかし、その理想を掲げていた『国境なき世界』は既に無く、首魁たるジョシュア大尉すらも身を隠す有様である。今更その理想の是非を説いた所で、最早ナンセンスでしかない。理想を掲げても、それを実現するものは既に潰えたのだ。

 おそらく、アルベルト大尉もそれは十分承知の上で言っているのだろう。そこには言葉以上の、何かを確かめようとする響きすら感じられた。

 

「俺には、大きな理想とか、信念とか…そういうものは、どうも大きすぎてピンとこないみたいです。それに、信念や理想を信じる余り、自ら死に向かっていく様もずいぶん見て来ました。…俺が戦う意味は、そんな大それたものじゃなくていい。たとえ無様な戦い方でも、自分も死なないし、仲間も死なせない。そんな小さな、ありふれたもので十分だと思うようになりました。」

《……》

「自由な空っていう、大尉の想いも分かる気がします。でも、どうしても俺には大きすぎて、やっぱり呑み込みきれないんです。――だから。俺は、『国境なき世界』の信念の下で、戦うことはできそうにありません」

 

 言い切った。思いを、小さな信念を、カルロスは自ら確かめるように口にしていた。

 結果としては、大尉の誘いを蹴るという、いわば断絶。しかし、カルロスの心にはそのような思いは浮かばず、むしろどこか繋がりをすら感じていた。言うなれば、信念を持つ者同士の、無意識の心の紐帯とでも言うべきものだろうか。

 

 ふっ。通信に混じった苦笑のような吐息、そして激しく咳き込むような音。今度は、液体が零れるような音が確かに混ざっていた。

 

《ははっ、今更言っても仕方が無いことだったか。…いや、いい。聞いてみたかっただけだ。…一航過だ。いいな?》

「…はい」

 

 最終幕の合図は、たったそれだけの短い言葉だった。もはや、言葉を交わさなくとも、その意図は痛いほどに分かった。

 操縦桿を引く。互いの旋回半径が一気に狭まり、横合いの旋回を重ねたまま距離を詰めてゆく。旋回の直径は、相対距離で見て概ね1500。互いの鼻先を向け合い、一挙手の加速さえかければ、それだけで機銃の有効射程に入る距離である。

 それはまるで、一騎討ちの騎士が、互いに馬を馳せて闘技場を廻るような、生と死の円環。今までヘッドオンでの戦闘は数多経験してきたとはいえ、このような戦いは初めてだった。

 

 幾度かの旋回を経て、真東に位置取った『ミラージュ』が機首を上げる。それに呼応し、カルロスも操縦桿を引いて機体を紅の翼の方へと向けた。

 夕日を背にしたカルロスと、紅の太陽へ向かうアルベルト大尉。距離は瞬く間に1000を、800を、有効射程限界を切ってゆく。

 

 引き金にかかった指が引かれる。

 機体が唸り、射線が奔る。

 選択は、正確な連装23㎜2基4門。

 4筋の射線に、正面からの1筋が交差する。

 機体が風を孕む。

 夕日を浴びた紅の機体が視界一杯に広がる。

 

 空を切り馳せ違う、その一瞬。息が、風が、時が止まったように、カルロスは感じた。

 

 肩に痛みが走る。左翼が、煙の尾を曳いている。それでも心臓は、自分と機体は今だ鼓動を続けている。

 操縦桿を引き、反転して見上げた先。そこには、機体色よりも赤い炎を纏った、紅の機体があった。

 

《はは…グラティサント上空とは、違う結果になったな。腕を上げたもんだ》

「…大尉…!!」

 

 どうして、とは言わなかった。

 わざわざ夕日へと向かう位置で勝負を挑んだ意味。そして機銃門数で圧倒的に勝るMiG-27Mに、正面からのヘッドオンを仕掛けた意味。それを口にする必要すら、最早無い程に分かっていたのだから。

 

《…はは、笑っちまう話だがな。自由な空ってのは、俺の心からの信念だった。だが、同じ理想を掲げた組織に入ったら入ったで、なんか違うと思っちまったのさ。大きな信念乗っけた分、翼が重くなっちまったのかな。お蔭で『鬼神』に痛い目に遭ったよ。言ってしまえば、これもそのツケかもな》

「…!そんなこと…!」

《いいさ、もう終わったことだ。……つまりは、だ。理想だ信念だと言った所で、結局は自分一人の物だ。それを曲げられないでいられるか。空から、見ててやるよ》

「――……」

《…あばよ》

 

 別れの言の葉。それが、カルロスには残酷な程に感じられた。

 一瞬交わった眼。それを残して、アルベルト大尉の『ミラージュⅢ』は機首を上げ、空を目指して急上昇していった。空を愛し、空に生きる。死ぬときも、けして地には墜ちない。それを体現するかのように、紅の三角翼はぐんぐんと昇ってゆく。沈みゆく深紅の夕日を照り返し、その身を命の色に染めた翼が天を指して昇る様は、この世の物とは思えない程に悲しく美しい。

 

 それは、信念の色だったのか。そして、男の生き様の色だったのか。

 

 紅の軌跡は、空を指して、崇く昇って――やがて、炎の中に消えていった。

 

「…今まで、ありがとうございました、大尉。本当に。…本当に――」

 

 照り返しで紅に染まったコクピットの中で、カルロスは空を見上げ、敬礼を贈った。

 涙も、後悔も最早ない。ただただ自然と浮かんだのは、感謝という思いだけだった。

 

 黒く染めた翼端が、夕日の中に翻る。

 沈みゆく紅の夕日の反対側、東の空には既に、夜の黒色が滲み始めていた。

 



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最終話 Skies of seamless

 いくつもの翼が、陽光を照り返して空を舞っている。

 直線、8の字、ループ、小半径旋回。雲一つない晴れ渡った空に複雑な軌跡が描かれるたび、エンジンの唸りが地上にまで響いてくる。地上にいるときは頭を揺さぶられるような轟音をまき散らすそれらの響きも、容赦なく地面に降り注ぐ日の光と比べれば幾分は優しい。

 

 エンジン音を遠くに聞きながら、カルロスは庇代わりに掌を額へ翳した。申し訳程度の日よけテントの下にいるとはいえ、夏に入り自己主張を強めた太陽と、その光に熱せられた砂からの熱反射は到底防げるものではない。テントの下に各々の席を占める面々が、皆一様に額に汗を流し、絶えずタオルや紙で体を扇いでいる様こそその証左だろう。その点、状況はカルロスも同様だった。汗に濡れて煩わしく体に張り付くシャツも、留まることを知らない大粒の汗も、サピンの涼しい環境に慣れた体には大層堪える。

 見渡す限り、砂漠。敵はおろか人の気配すらも感じられない砂中の孤島に、戦闘機をひっさげた傭兵がひっそりと(たむろ)している。その様は、人の世と平和な空から取り残された、戦場の残滓のような感すらあった。

 

《3番、4番、旋回が遅い!速度帯を見極めて操縦桿を引け!次だ、全機急降下!》

「いつにも増して厳しいな、アンドリュー大尉。また新米が泣いちまうぞ」

 

 テントの真ん中に置かれた航空無線のスピーカーから爆ぜる、アンドリュー隊長の怒鳴り声。暇を持て余したのだろう、立ちながら聞いていた整備兵が茶化すように言うと、彩の無い低い笑いがいくつか響いた。

 庇から空を見上げると、4つの機影が急降下し、下端で一気に急上昇に転じる様が目に入った。隊長が後席に乗っている1番機はともかく、2番機以降は迫る地表に恐れをなしたのか、明らかに引き上げタイミングが早い。加速が乗る前に引き上げてしまった以上、空戦ならば上昇を狙い打たれて被弾していただろう。地上に降りた後の講評は、今日は長引きそうだった。

 

 1996年8月11日、フトゥーロ運河西岸に位置するオーシア領コレール砂漠。かつての戦争で急造され、終結とともに放棄された野戦飛行場に、カルロス達の姿を認めることができる。

 ベルカ戦争、そして『国境なき世界』との戦闘が終わりサピンの地を離れてから、既に4か月余りが過ぎていた。

 

******

 

「お疲れさまです、隊長」

「ああ」

 

 短く言ったアンドリュー隊長が、差し出した水を引っ掴む。空中演習を終え、一通りの講評を終えた後では喉の渇きもひとしおだったのだろう、隊長は喉を鳴らしながら水を呷り、旨そうに飲み干した。相当の叱責を受けたのか、先程まで飛んでいた訓練生たちは、一様に項垂れながら格納庫の方へと走っていく。演習を一通り見終えたため集っていた面々も散じ尽くし、隊長とカルロスの他には周囲に人影は無くなっていた。

 

「どうでしたか?」

「まだまだだな。到底戦闘には出せれん。あまつさえ今のウチにはあんな機体しかない。可能な限りまで腕を高めておいてやるしかないだろう」

 

 襟をくつろげた隊長が、親指を立てて自身の後方を指差す。汗を拭ったカルロスのも、その言う所の意味を察することはできた。

 隊長が指した指の先には、先程まで空にいた4機の機体が駐機していた。複座機であることを示す大型のキャノピー。そのすぐ後ろ、胴体両側面に設けられた半円形のエアインテーク。そしてやや下がり気味の傾斜を設けた機首と、外側へ向け幅が狭くなる角ばった直線翼。ライトブラウンとモスグリーンの迷彩に身を包んだその機体は、『ホーク』と並んでポピュラーな練習機の一つ、L-39ZA『アルバトロス』であった。

 戦果を上げねばどうにもならない傭兵である、本来ならば真っ当なジェット戦闘機を用意すべきところだが、そこにはカルロスらが属するレオナルド&ルーカス社の止むを得ない事情がある。

 

 しばらく大きな戦争が無かった中で起こった、今回のベルカ戦争。安全保障会社の商機到来とばかりに保有戦力の殆どを出した本社だったが、敵とするベルカ軍の練度はその予想を超えたものだった。結果、相応の利益こそ上げたものの、レオナルド&ルーカス社はその保有する人的資材や機体の多くを喪失。この4月に全人員が本拠のオーシアへ引き上げた時点で、即応できる戦力はカルロスとMiG-27M『フロッガーJ』を含めても1小隊にすら満たない有様だったのだ。

 人も、機体も足りない。その一方で資金には限りがある。絶望的な状況の中で、社が選択したのは人材の確保と育成を優先することだった。大々的に人員を募集するとともに、一度は第一線を離れたアンドリュー隊長等ベテランや退役軍人を教官として再雇用し、まずは人的資源の確保を目指したのである。

 そしてその代償として、調達機体は勢いコスト優先にならざるを得なかった。依然部品コストが割高なうえ少数しか保有していなかったMiG-29『ファルクラム』や整備に手間を要するMiG-23シリーズを売却し、代わりにMiG-21bis『フィッシュベッド』1機と『アルバトロス』6機を購入したのもその一環である。機銃や部品等が既存機と共用できる点、コクピット構成がMiG-21に近い点、そして何より安い点がその選定理由だった。今の経営状況では、相当に安くなければ機体数を揃えることはできない。それらを踏まえると、あらゆる点から『アルバトロス』はうってつけの機体だったと言える。

 『フロッガー』シリーズのほぼ全てを売却したことを考えると、現在カルロスが乗機とする『フロッガーJ』もいずれは売却され、資金となるのだろう。サピンの、ベルカの空を戦い抜き、アンドリュー隊長から受け継いだ機体を手放すのには辛い思いもあるが、今の社の現状を考えるとやむを得ない。心にやるせない思いを抱きこそすれ、自身をそう納得させるほかに、カルロスにもできることは無かった。

 

 いずれにせよ、頭数こそ揃ったものの『アルバトロス』は元来が練習機である。IR誘導式AAM(空対空ミサイル)やロケット弾ポッド等一応の武装は可能だが、それでも軽戦闘攻撃機の域を出るものではない。その一方で、民間軍事会社としては契約分の働きは行わねばならない。その苦衷の隙間を、隊長は新米を厳しく扱き、いち早く鍛え上げることで乗り切ろうとしているのだろう。

 もしかするとその心の中には、かつて部下を全滅させてしまったという、カルガ空軍時代の苦い経験も入り混じっているのかもしれない。

新米の教習を重点的に行うために、期限付きとはいえ閉鎖された野戦飛行場を借り受けたこの機会を存分に活かす。ここしばらくの激しい調練には、そんな様相すら滲んでいた。

 

「せめてヴィクトールもいれば、新米育成も多少は早まっただろうにな。すっかり好々爺になったもんだ」

「そうですね…。故郷に戻って穏やかに趣味を謳歌だなんて、最初に聞いた時にはびっくりしましたよ」

 

 こつん、こつんと、隊長の脚元から硬い音が響く。テーブルの下に隠れて見えないが、踵で地面を叩くように、右脚の義足を鳴らしているのだろう。失った右脚を義足で補ってから、隊長はよくそんな仕草をするようになった。

 カークス軍曹とフィオンを失った後にも、ニムロッド隊を支え続けたヴィクトール曹長だったが、『国境なき世界』との戦闘の終盤で銃撃を受け負傷し、しばらく療養を続けていた。結局、失った右手の親指は元には戻らず、大腿に受けた傷も治りが悪かったこともあり、曹長はこの3月一杯をもって傭兵業から退役したのだった。曰く故郷ユークトバニアへ戻って、存分に趣味を謳歌するのだという。退役報酬を手にし、荷物を背負って悠々と去ってゆくその表情に憤りや悔悟は微塵も感じられず、記憶に残っているのは頬に刷いたただただ穏やかな笑み。傭兵としていかに稼ぐか、を第一としていたかつての曹長のことを思えば、まるで別人のようにすら感じられた。

 

 余談ながら、後日ヴィクトール曹長から隊へ手紙が届いたことがあった。曰く、今は姪や友人の孫を可愛がり穏やかに過ごしていること。曰く、趣味のガーデニングや登山に勤しんでいるとのこと。曰く、初めて彼女ができましたとのこと。それを証明するように、添付されていた写真にはラベンダーを背にして微笑む曹長と、明らかに二回りは年下の若い女性の姿が映っていた。その写真を目にした時、隊長も自分もしばらく絶句したことは言うまでもない。

 『………………まあ、これも人生だな』。当時の隊長の呟きには、まったくもって同感だった。

 

「あれから続報がないのが惜しい所だな。結婚式ともなれば社総出でユークまで出向く所だが」

「結婚まであっさり漕ぎ着けそうな気がするのが恐ろしい所ですよね…。いずれにせよ、また近況を聞きたいものです」

「全くだ。せめてお前の『相棒』くらいマメに送ってくれればな」

「はは…あいつのは近況というか、半分自慢というか。やれ昇進しただの、やれ部隊カラーカッコイイだろだの…」

 

 話題の主の転換に、カルロスは掌で額の汗を拭い取る。汗は髪まで滴り始め、暑さはまだまだ留まらない。時間が経ち脚を浸し始めた陽だまりから逃れるように、カルロスは日陰の方へと体を向けた。

 『相棒』とは言わずもがな、ベルカ戦争で腐れ縁となった、サピン空軍のニコラスの事である。ヴィクトール曹長と比べて意外にも筆マメな性質だったらしく、今も2か月に一度は手紙をやりとりする仲となっていた。

 

 今回のベルカ戦争、そして一連のクーデター鎮圧戦において、サピンは被害の大きい部類にあったと言っていい。農林業の多くを担う北部を一時占拠されたことで昨年内の農業生産は大きく落ち込み、戦場となった国土の荒廃や戦力の消耗も著しく、早急な回復が急務な状況となっていた。おまけに、敗戦国となったベルカから賠償金を取れる目当ても無く、これといって資源地帯も押さえられなかったため、ある意味では小国のウスティオよりも復興が困難な状況にあったと言ってもいいだろう。

 幸いと言うべきか、戦争の直後であり、かつベルカはその国力を大きく損耗したこともあって、少なくとも現時点では東方諸国の動向は平穏である。これを機とし、サピンは復興資金を捻出すべく、戦力の整理と削減に乗り出した。すなわち空軍に関して言えば、保有していた旧式機を処分して質を高め、同時に戦略的価値の薄い小規模基地を閉鎖し、戦力の集中を図ったのである。これを受けて、ニコラスが元々所属していた山間のヴェスパーテ空軍基地も閉鎖されることとなった。今頃は滑走路にも夏草が萌え始め、基地施設も鳥達の住処となっていることだろう。

 

 ニコラスからの手紙によると、ヴェスパーテ閉鎖後の異動先は、サピン北東部にある空軍基地なのだという。隣国ラティオとの国境にほど近いものの、尚武の意気を失って久しいラティオとは、そうそう干戈を交えることはないだろう。その点では、ある意味最前線を離れたとも言って良い。

 それでも、ニコラスは戦争を経て、国を守る兵士としての信念を作り上げたように思われた。隊長だったエスクード1も負傷で退役し、新たに『エスクード隊』小隊長として隊を率いる立場になったのも大きかったのだろう。送られてきた写真に写る、真新しい中尉の階級章を襟に付けたニコラスの表情は、微笑みながらも自信に満ちているように感じられた。

 同時に送られてきた別の写真には、飛行中の様子と思しき、ニコラスの愛機であるF/A-18C『ホーネット』も写っていた。部隊カラーを一新したらしく、その機体は紅地に染められ、胴体と主翼中央を裂くように黄色の十字が描かれている。その色使いは、かつてサピンの空を護っていたエース部隊、『エスパーダ隊』のそれを連想させた。

 『エスパーダ()に代わってエスクード()がサピンの空を護る』。手紙の末尾に添えられたその言葉は、永くサピンを護ってきたエースへの敬意と、自身への誓いを表したものだったのだろう。

 『――追伸、彼女ができました。』……いや、その点に関してはもはや何も言うまい。

 

 『相棒』の自慢話を種に、ひとしきり上がった笑い声。2人分の低い音は、やがて砂に呑まれて静かに消えた。

 風が、熱い。『アルバトロス』のエンジンは唸りを止めて久しい。不意に生じた寂寥と静寂を、熱風だけが掻き回していく。

 

「………。」

「……」

「静かになったな」

「…そうですね。ニムロッド隊も、俺達だけになってしまいました」

 

 綴るような隊長の声に、切なさにも似た感覚が胸に滲む。

 1年前は、ヴィクトール曹長もカークス軍曹もフィオンもいた。戦争の只中で日々の緊張こそあったものの、賑やかさと活気があった。それが今は、曹長は退役し、カークス軍曹は自らの手で撃墜。フィオンに至っては、未だその行方が知れないままである。社の人員も、戦死した人間が少なくない。

 失ったものの多い戦争だった。それは確かであり、戻ってこないものは多すぎるほどある。

 だが。

 

「…久々に、俺達で空に上がるか。お前は『フロッガーJ』で上がれ。これから隊を支えるのはお前だ。早い所、指揮官として鍛えてやらないとな」

「ははっ、いいですね。隊長じきじきの教習なんて久しぶりです。…でも、『アルバトロス』で大丈夫ですか?」

「年季が違う、年季が。油断していると撃墜判定下すぞ」

 

 じゃり、と靴が砂を噛みしめる音。それを合図に立ち上がった隊長についていくように、カルロスも椅子から腰を上げて格納庫の方へと歩を進めてゆく。

 失ったものは確かに多かった。だが、その一方で手にしたものも確かにある。空で生き抜くための知恵と技量。心に生きるエース達の生き様。自らの中に抱いた、戦いへ向かうための信念。そして国境を隔てながらも、心で繋がった相棒という存在。いずれも、この戦争で得た確かなものである。だから、失ったものに対しても、もう後悔はしない。

 

 フライトジャケットを締め、ヘルメットを被り、乗機のコクピットへ収まる。砂漠の熱はエンジンを程よく暖め、急な稼働にも関わらずエンジンの上りは良好である。

 計器盤チェック、油圧良好。回転数グリーン、各部異常なし。アンドリュー隊長の『アルバトロス』がじわりと進み始め、次いでカルロスの『フロッガーJ』が格納庫を出て、光の中へと立ち入ってゆく。

 

《アンドリューだ、2機上がる。10分後から記録を頼む》

 

 本来の予定には無かった飛行に、困惑したオペレーターの声が飛び交う。問答の末、何とか認可ということになったのだろう。滑走路進入許可の声とともに、隊長の機体が滑走路を奔って空へと上がってゆく。

 

《ニムロッド1、離陸します(テイクオフ)

 

 機体が徐々に加速し、眼下の滑走路の流れが速まってゆく。雲量ゼロ、真正面の東風はやや強い。向かい風の中では、翼を広げた『フロッガー』の離陸距離は驚くほどに短く済む。

 風を孕んだ翼が機体を押し上げ、飛翔感が体を包む。高度50、100、150。高度計の針は、速度の高まりとともにその動きを速めてゆく。

 視界の先には、一面に広がった砂漠、南流するフトゥーロ運河、そして遥かに見えるサピンの大地。国境で隔てられていても、空は、そして人の想いは、こうして確かに繋がっている。

 

 主翼、通常位置。フットペダル押下、増速。カルロスは操縦桿を握り、黒翼の愛機を加速させた。

 戦争を経、成長を経て、遥か先へと繋がった青空の最中へと。

 



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番外編1(前) 自由なるエルジアの風

 『メビウスの輪』という図形がある。
 一見すると輪が捻じれたような、8の字やリボンにも見える奇妙な図形だ。
不思議なことに、この図形には表と裏の区別が無い。ある1点から表面沿いに線を引いて行くと、それはやがて裏側へと周り、一周して元の位置まで戻って来るのだ。線を辿っても終わることのないその様から、『メビウスの輪』はやがて『無限』の意味をも持ち合わせるようになった。

 世の理、人々の策謀。そんな表も裏も無く、ただただ無限の高みを望んで戦う男たち。
 海を渡ったこの地で、俺は期せずして、そんな二人の男と出会う事となった。

 忘れもしない。その年の夏は空虚な程に乾き、暑さだけが地を灼いていた――。



 灼けたアスファルトから陽炎が立ち上り、タッチダウン・ラインが滲んだように歪んでいる。

 

 速度130、120。進入角、高度ともに適正。

 先代MiG-27M『フロッガーJ』と異なり、切り欠きデルタ翼のMiG-21bis『フィッシュベッドL』では低速時の安定が取り辛いため、着陸速度は勢い速くなる。それだけにタッチダウン位置の誤りは時として致命的にもなり、最悪制動距離が足りず滑走路をはみ出る事態にもなりかねない。

 陽炎に揺らめく、着陸位置を示す線。その正確な位置を見定め操縦桿を僅かに下ろすと、どん、という接地の衝撃が主脚越しに体を跳ね上げた。

 

 甲高いブレーキ音が響く。速度計がぐんぐん数字を下げ、キャノピーの外を流れる景色が徐々に速さを落としてゆく。

 ブレーキ一時解除、方向舵調整。慣性を利用した制動で、『フィッシュベッド』の小柄な機体は滑走路脇の駐機スペースに斜めに収まり、きゅ、と音を立てて静止した。

 

 酸素マスクを外し、キャノピーを開けると同時に、乾燥した熱い空気がコクピットへ、肺へと殺到する。横目では小隊の列機が順次着陸し、減速して制動に入る所だった。本拠オーシアにおける訓練の賜物か、翼端を黒く染めたMiG-21bisの動きは悪くない。オーバーホール前の機体ゆえの不安もあったが、この様子なら杞憂に終わりそうだった。

 

「思いの外暑いな、ここは」

 

 機体から地上へと降り、男は太陽を仰ぎながら一人ごちた。太陽の直射に加え滑走路からの照り返しは思った以上に強烈で、男の褐色の肌や至る所に刻まれた古傷からも、瞬く間に汗が滲み出ている。

 こちらの着陸を見届けたのだろう、道具類を持った整備兵が、三々五々集まって来る。その中に一人、場違いな程に軍服を隙なく着付けた軍人の姿が混じっているのを見つけ、男は緩めた襟元を正した。姿から察するに、おそらく今回の『雇用主』だろう。

 

「レオナルド&ルーカス安全保障会社より派遣されました、『ニムロッド隊』指揮官のカルロス・グロバール曹長相当官です。小隊4名、世話になります」

「要請への迅速な対応、感謝する。私は自由エルジア空軍の指揮を担っている、ユリアン・フェルンバッハという。どうか宜しくお願いする」

 

 男――カルロス・グロバールの敬礼に、ユリアンと名乗った軍服の男は、ぴしりと音がするような答礼を見せた。階級章は中佐、年のころはまだ20代後半という所か。年齢の割に高い階級とその肩書からするに、元々エルジア空軍の中でもエリートだったのだろう。整った顔立ちと、乱れなく整えた金髪がいかにもといった雰囲気を醸し出している。空軍指揮官ということもあってか、周囲の兵たちが向ける視線にも畏敬がこもっているように感じられた。

 

「早速ですが、状況の確認を行いたい。我々の配置と任務はどのようになりますか?」

「はは、流石は戦闘のプロたる傭兵、頼もしいな。今日は着任直後で身辺が慌ただしくもなるだろう。今日はゆっくり休んで、明日の全体でのミーティングに出て貰えればいい。配置はその際に通達することになるだろう」

「はあ…」

「案ずるな、我々の蜂起によって旧エルジア軍も続々と集結しており、ISAFの連中は手も足も出せない状況にある。それにこちらとしても、予想以上に兵力が集まっていることもあり、戦力配置の見直しを行っている所だ。取り急ぎの状況伝達は後ほど担当士官を遣るが、本格的な従事は明日からと考えていて欲しい」

「そういうことでしたら…。了解しました」

 

 見通しが甘い――そんな気がしないでも無かったが、予想以上に戦力が集結しているという点では、指揮体制も幾分混乱しているのだろう。その点止むを得ない点もあり、カルロスはそれ以上の進言を控えた。

 予想以上の戦力集結。それは(ひとえ)に、ここユージア大陸で交わされた戦争の傷跡が色濃く、各地に火種がくすぶり続けていることを意味していた。それほどまでに、その戦争は過去にも増して大規模であり、根も深かったといえる。この点、少々説明を要するだろう。

 

 遡ること3年――すなわち2003年夏。ユージア大陸における大国の一つであったエルジア共和国は、中立国サンサルバシオンへ侵攻を開始。これを皮切りにエルジアは周辺諸国へと侵攻を続け、以降2年以上に渡りユージア大陸全土が戦火に包まれたのだ。

 隕石迎撃用地対空レールガン『ストーンヘンジ』、そして隕石破壊用ミサイルを備えた巨大要塞『メガリス』。これらの超兵器に加え質量ともに優れた軍を擁したエルジア軍だったが、戦線拡大と2年に渡る戦乱による国力の疲弊からISAF(独立国家連合軍)の攻勢を支えきれなくなり、徐々に前線は瓦解。エルジア政府は2005年夏の首都ファーバンティ陥落を以て降伏し、後に大陸戦争と呼ばれる一連の戦闘は集結を迎えることとなった。

 

 しかし、争乱は戦争終結後もなお収まりを見せなかった。

 そもそもエルジアが周辺諸国へと侵攻を開始した原因を辿れば、1999年の大型隕石落着による経済への被害と、大量に発生した難民をユージア各国がエルジアへと押し付けたことに起因する。いわば大陸戦争は、エルジアにとっては周辺諸国への抗議という側面も伴っており、そこには周辺諸国の身勝手に対する不満が燻っていたのだ。

 『不公平である』――それはエルジア側の総意と言っていい。自らの行為に過ちはないと思うからこそ、戦争終結後も各地でエルジア軍残党は頑強に抵抗を繰り返し、ISAFに手を焼かせ続けた。

 

 そして、2006年に入り、潜在していた火種は一挙に燃え広がる。

エルジア内部の青年将校が『自由エルジア』を名乗って蜂起し、各地の残党へ徹底抗戦を呼びかけたのである。集うべき核が無いゆえに散発していた反乱は一挙にそこへと集結し、ホワイトバレー湾北部の軍艦島にて一大勢力を形成。ISAF管理下にあった旧エルジア軍の兵器工廠を襲撃・奪取し、戦力の増強を成し遂げたのである。

 こうしてカルロスを始め多くの傭兵が集められたのも、素早く戦力を増強する必要があった自由エルジアの戦略の一環だと言えるだろう。残党を糾合するのには時間を要する。一方で、新たに兵を育て上げるには時間がない。そんな背景を踏まえれば、金さえ払えば即戦力になる傭兵は、自由エルジアにとってうってつけの存在だったのだ。

 

「それでは、整備と燃料補給の方はお願いします。お言葉に甘え、我々は先に腰を落ち着けることにしますので」

「ああ、すぐに案内させよう。ヨーゼフ少尉、彼らを兵舎へ…」

 

 ともあれ、現状やることがないとなれば、適当に兵舎で時間を潰すくらいしか成すことはない。自由エルジアの幹部としても、いわば外様の傭兵に基地内をうろつかれるのは気分が良くないのだろう、カルロスの言葉はあっさりと通った。

 ユリアン中佐から声をかけられ、その後ろに控えていた若い男が前に出る。おそらく秘書のような役割を担っているのだろう、その腕には多くの書類やファイルが抱えられていた。年のころはおそらく20代頭、下手をすると10代後半か。まだ横顔には幼さの名残が残っており、いささか若すぎるようにも感じられた。

 もっとも、エルジア軍は人口の割に面積が大きく、それ以上に軍の規模が大きい。それを踏まえれば、彼のような若い層からも軍人を集める必要もあったのだろう。他国の軍や傭兵ではより若い者がいる場合もあり、選り好みをする余裕もない自由エルジアの現状を考えれば、彼のような年代の兵がいても無理もないことではあった。カルロス自身、9年前のベルカ戦争に参加した当時はまだ21歳だったのだ。地上勤務ならまだしも、パイロットとしてはかなり若い部類だったに違いない。ヨーゼフと呼ばれた若い兵を見る傍ら、その脳裏にはかつての記憶が束の間蘇っていた。

 ――そういえば、『あいつ』もベルカ戦争の時は確か19歳だった。

 唐突にそんな記憶が脳裏に混じったのは、一体どのような心の働きだったのだろう。久々に当時の『彼』のような若い兵の姿を見た為だったのか、それとも何かの予感めいたものだったのだろうか。各地の紛争に転戦を続けたこの数年間、思い返すことのなかった苦い記憶だというのに――そう思うと、我ながら不思議だった。

 思惟が思わず露わとなり、僅かに上がった口角。気づけばヨーゼフは、怪訝そうな顔でこちらに目を向けていた。

 

「…どうかなさいましたか?」

「いや、なんでもない。各員、兵舎に行くぞ。準備は…」

 

 駐機を終え、機体から降りた小隊メンバーを呼ぶ声は、最後まで紡がれず喉に詰まった。長年の戦場暮らしに鍛えられ、鋭敏さを増したカルロスの耳が、不意に異常を捉えたのだ。

 遠くから響く、腹の底を揺さぶるエンジン音。まるで激しい耳鳴りのように、空を裂くような甲高いその音はジェットエンジンの――それも、MiG-21などとは比べものにならないほどの高出力のものに違いない。

 もっともエンジン出力で言ってしまえば、半世紀近く前に誕生した『フィッシュベッド』のそれを超える機体などざらにある。カルロス自身、より高出力なエンジン音は幾度となく聞いたこともあり、この基地周辺ではいまも数機が飛び交っている。その点で、カルロスが違和感を覚えた訳ではなかった。

 カルロスが捉えた異常――それは、その音が明らかに這うような低空から響いて来たことだった。着陸態勢にしては回転数が高すぎる。上空通過にしては、その位置は明らかに低い。まるで、高速での一撃離脱を目論み、基地への対地攻撃に入るような音の響きではないか。

 ヨーゼフの対応も束の間忘れ、音の主を振り返った直後。凄まじい轟音とともに、黒い影がその上空を掠め飛んでいった。

 

「ひゃあああぁぁぁぁ!?」

「うっ…!?くそ、何て無茶な奴だ。兵が使い物にならなくなるぞ」

 

 耳をつんざくとは、まさにこのような音を指すのだろう。

 地響きを覚える程の風圧に、衝撃波とエンジン音による大音量。きーん、と残響が残った耳はしばし音を拾うことを忘れ、反射的に耳朶を覆った掌の感触だけが辛うじてその存在を伝えていた。辺りを見渡せばパイロットも整備員も皆一様に耳を押さえ、上空を擦過していった音の主へ怒鳴り声を上げているらしい人々の姿も見て取れる。あれだけの低高度でジェット機が通過していったのだ、耳を傷めるどころか、下手をすればレーダーなどが異常を来してもおかしくない。どうやらこの基地の所属機らしいが、怒るのも無理もないことだろう。カルロスも腹立ちを抑えつつ、急上昇し宙返りに入ったその機体を眼で追った。

 

 機体後部に見える二つのエンジンと、二枚揃った垂直尾翼に端を切り欠いた後退翼。遠目にはF-15『イーグル』系統にも似ているが、機首から主翼へと滑らかに至る形状や細身のエアインテークは艶めかしささえ感じさせるように流麗なシルエットを醸し出しており、さながら鶴のような印象を覚えさせる。機体後部、エンジンの中間には長いテイルコーンも設けられており、『イーグル』とはまた違った様相を付加していた。大柄な機体サイズも含め、あれは間違いなくSu-27『フランカー』系統。それも、機首に設けられたカナードから判断する限り、Su-35『フランカーE1』、またはSu-37『ターミネーター』と推測された。

 

 機体の軌跡を目で追い始めて数秒、ようやく麻痺していた聴覚が感覚を取り戻し始める。

 耳の奥の残響が収まり、痺れが徐々に消えて行くような感覚。その鼓膜が最初に拾ったのは、自らの声でも整備員たちの怒号でもなく、思わず耳を疑うようなユリアンの言葉だった。

 

「あの機番は…。ヨーゼフ少尉、フィオン少尉が降りたら伝えておけ。今度不必要に基地上空へ低空侵入したら、『ターミネーター』を取り上げるとな!」

「………『フィオン』……!?まさか!?」

「…?どうしたカルロス曹長。彼と知り合いなのか?」

「あ…いえ。…………」

 

 ユリアンの言葉に、思わず見上げた上空の機体。怪訝そうな顔のユリアンとヨーゼフをよそに、カルロスの視線はその軌跡を追い続けた。

 『フィオン』。まさか――いや、機体の機動性を最大限まで活かすあの機動は。そして、まるで子供が悪戯をするかのような先の挙動は。かつての光景を呼び起こし、見定めるほどに高まる鼓動を、カルロスは抑えることができなかった。

 

 その様は、あまりにも『彼』に似すぎている。

 

「…あのパイロット、興味があります。旧エルジア軍のパイロットですか?」

「ああ、確か前任は第8師団隷下の戦闘飛行隊にいた筈だ。西部方面軍にいたが、単独行動が多く問題になっていたと聞いている。戦績は非常に優秀だったのだがな」

「なるほど…。ますます興味が湧きました。我々は今日は時間があるようですし、ここで彼を待たせて頂いても?」

「…?ああ、構わんが」

「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて。他の小隊員は先に案内してやって下さい。えー、ヨーゼフ少尉、でしたか。よろしく頼みます」

「あ…はい、了解しました」

 

 今だ困惑顔のヨーゼフをよそに、カルロスは小隊員へと口早に指示を出し始める。カルロスを除く他の小隊員は、全て『ベルカ戦争』後に雇い入れたメンバーである。当然『彼』とは面識がない以上、会った所で仕様がない。何より、本当にあれが『彼』だったとしたら――できれば、カルロスは一人で会いたかった。

 多忙なのでとユリアンが座を離れ、ヨーゼフに率いられて他の小隊員が宿舎へと向かってゆく。しばし孤独の時間の中で、空を楽しげに舞う『ターミネーター』の姿を、カルロスはずっと追っていた。

 

******

 

 凄まじい爆音が鼓膜を破らんばかりに鳴り響いて、20分と少し。その張本人たるSu-37『ターミネーター』の流麗な姿を、柱に錆の浮いた格納庫の中に認めることができる。

 シャッターの一部が閉まっていることもあり、明るい外から中を伺うことはできない。中から聞こえるいくつかの声音から、複数の男が作業をしているらしいことが窺い知れるのみである。カルロスは格納庫外の壁に背を預け、男たちの会話に耳を傾けた。

 

「こう、何ていうかな。スロットル絞った時の反応をもっと早くして欲しいんだよね。ノズルの可動領域ももっと広がらないの?運動性をもっと高めたいんだ」

「馬鹿言うな。『ターミネーター』はもともと運動性は極限まで詰められてるんだ、これ以上強化できるかっての」

「ちぇー。あーあ、もっとよく動く機体はないのかな?」

「アホタレ。Su-37以上に動ける機体がこの世にあるかよ」

「そこを何とかするのが整備員でしょ?」

「そりゃ技術者の範疇だろうが。もーいい、ほら行った行った。作業の邪魔だ」

 

 運動性に重きを置いた要望、そしてかねてから望んでいた『フランカー』の系統機。その声音といい、その考え方といい、どう見ても脳裏に思い浮かぶのは一つの面影だった。

 こんな個人的な私事を、赴任の初日から仕出かすとはらしくない。それでも、カルロスはこうして確かめに来ずにはいられなかった。懐かしさと苦さの中にあるその記憶の、そして唯一かつての仲間で行方が知れなかったその相手の存在を。

 文句らしい言葉をぶつぶつと紡ぐ声が、徐々に近づいてくる。その言葉の主が小柄な体をシャッターの外へと見せた時、カルロスは思い切ってその背へと声をかけた。

 

「フィオン」

「…?誰さ、人を呼び捨て、に………?…あれ、あんた、どこかで…」

「…何だ、俺の顔を忘れたのか?元同僚だってのに。……久しぶりだな」

「……あ!カルロス!?ウソー、なんでエルジアに!?にしても老けたね」

「声がでかい、というか第一声がそれかよ。…積もる話もある、場所を変えてもいいか?」

 

 色の薄い肌にややウェーブのかかった癖っ毛の金髪。確か今年で30歳になる筈だが、年より若く見える童顔の相貌は、間違えようがない。

 フィオン・オブライエン。元レオナルド&ルーカス安全保障会社所属、准尉相当官。11年前のベルカ戦争を共に戦い抜き、そして後にクーデター軍『国境なき世界』へと奔って、カルロスと干戈を交えた男である。

 11年前の、ベルカ戦争終結から約半年後。ベルカ残党を母体に突如勃興したクーデター軍『国境なき世界』は、世界に対し戦いを挑んだ。その蜂起に先立つ2か月ほど前、サピン軍を裏切ってクーデター軍へと奔った味方への追撃中に、フィオンは突如離反。古巣たるニムロッド隊を離れ、そのままクーデター軍へと合流したのである。

 その後のクーデター軍の経緯は、歴史が語る通りである。クーデター軍はその中枢を『円卓の鬼神』らによって破壊され、統制を喪失。各地の部隊も各個撃破され、あまりにもあっけなく事態は収束したのである。その混乱の最中で、カルロスらの大部隊と交戦したフィオンは機体を損傷し空域を離脱したのを最後に、その消息を絶った。

 それが、どうして海を隔てたこのエルジアの地に。

 

 場所を変えるというカルロスの申し出に、懐かしみの籠った眼で頷くフィオン。どういう心の動きだったのか、まだ若さと熱を失っていないその瞳に、カルロスは一瞬怯みを覚えるのを禁じ得なかった。

 フィオンに先立ち、選んだ場所は滑走路に近い備品庫の裏手。ここならば人通りはそうそうなく、多少の会話の声は喧騒にかき消される。

 無造作に積み立てられた木箱の一つに腰掛けるフィオン。その正面に当たるよう、カルロスは壁面に背をもたれかけた。

 

「で、何しに来たのさ。もしかして『国境なき世界』に行った僕を捕まえに?」

「それは捜査機関の仕事だし、今更俺も遺恨なんか持ってないさ。俺は単に、ここのボスに雇われただけだ。戦力の一端を担う傭兵としてな」

「なーんだ。でもちょっと安心。…ねぇねぇ、隊長は元気?カークスとかヴィクトールのおっちゃんは?」

 

 矢継ぎ早の質問に、思わず苦笑が零れた。30にもなるくせに、今更捕まるのを恐れる辺り、まるで子供ではないか。そんな妙な憎めなさも、当時と全く変わっていない。

 脳裏に蘇る、当時の光景。それを思い描いていた為だろう、続くかつての仲間の質問に、カルロスの表情は不意に曇った。

 クーデター軍の蜂起当初で戦線を離れたフィオンは、おそらくその後のことを何一つ知らないのだろう。もう、かつてのニムロッド隊で、空を飛んでいるのは自分とフィオンしかいないことを。

 かつての同僚は3人。隊長たるアンドリュー大尉、最年長のヴィクトール曹長、そして年が近かった兄貴分のカークス軍曹である。そのうち、カークス軍曹はフィオン同様クーデター軍へと奔ったのち、戦闘の最終局面でカルロスと対峙して戦死した。ヴィクトール曹長は僚機として戦ったものの、戦闘での負傷によりそのまま退役。今は故郷のユークトバニアで家庭を設け、幸せに過ごしている。

 そして、アンドリュー隊長は――死んだ。戦闘による負傷で第一線を退き、以降会社付きの教官となっていたのだが、2年前の飛行訓練中に乗機L-39ZA『アルバトロス』がエンジントラブルを起こし墜落。最後まで同乗していた新米を脱出させようと試みるも叶わず、新米もろとも殉死したのである。その時の喪失感は、今なお言葉では言い表せない。師を――否、父親を失ったような気持ちといえば、一番近いのだろうか。アンドリュー隊長は亡く、戦争の空を知っているのは社にもはや一人。その思いが自覚を促したのだろう、小隊指揮官として部下を導かねばならないという思いは、その時を境に一段と強くなっていった。

 

 ややもすれば昂りそうな感情を抑え、カルロスは皆の顛末をかいつまんで説明する。『ふーん』と一声だけ漏らしたフィオンの眼には、気のない口調と裏腹に、どこか切なそうな色が見え隠れしていた。

 

「そっか、カークスまで死んじゃってたんだ。あの後すぐに『国境なき世界』から抜けたから、僕知らなかったよ」

「…そうだ、俺が聞きたかったのはそこだよ。お前、一体どうやってあれからエルジアまで来れたんだ?」

「んー…まあ話すと長いんだけどー、いろいろあってー」

「肝心な所で面倒くさがるな、教えろって」

 

 腕を組み脚をぶらつかせ、いかにもけだるそうに視線は右へ左へ往復中。そんなフィオンを宥めすかして語らせた内容は、カルロスの想像をはるかに超えたものだった。要約すると、以下の通りである。

 

 あの日――オーシア空軍の奇襲を受け損傷したフィオンは、何とかベルカ領内へと到達し不時着。『国境なき世界』で得た情報を元にクーデター軍に同情的だったベルカ残党と合流し、そのまま本拠地たるアヴァロンダムへと向かった。ところが、フィオンらの到着を待たずしてアヴァロンは陥落し、クーデター軍は瓦解。行く先を失ったベルカ残党とフィオンは、1年余りベルカ領内で潜伏したのち、圧政下にある東部小国解放義勇兵として隣国ファトへと渡った。ファト内部で独立を企図する勢力と結び、いずれ親ベルカ、または反オーシアの体制を作り上げることを企図したのである。

 ところが、戦力に劣る義勇軍はファト正規軍の鎮圧作戦を受け、徐々に消耗。2年に渡る抵抗虚しく、1999年を以て組織は瓦解し、フィオンは再び居場所を失うこととなった。この際、亡命を図るベルカ残党や義勇兵とともに海を渡ったのが、エルジアへと至ったきっかけであった。

 渡航したのは2000年に入ってからだが、これは隕石落着により生じた難民を押し付ける諸国にエルジアが反発し、難民受け入れビザを停止した年に当たる。すなわちエルジアと周辺諸国との摩擦が強まりつつある時期であり、それだけにエルジアは軍備増強の真っただ中であった。ベルカ残党とフィオンはそのタイミングを狙い、傭兵として自身を売り込んだのである。開戦と同時にフィオンは戦績を重ね、やがて戦時特例として正規軍へと編入。エルジア敗戦後も戦いを続けるべく、こうして残党と行動を共にしていたという訳であった。

 

 紆余曲折、波乱万丈。脳裏に思わず浮かんだそれらの印象はフィオンの華奢な外見にいかにもそぐわず、顛末を聞いたカルロスはしばし絶句していた。

 

「いや…何というか。…凄いな、お前。そこまでタフだったとは」

「見直した?」

「…ああ」

「へへー、どーも。それに、途中で捕まったり諦めちゃったら、もう二度と空は飛べなくなっちゃうもんね。僕はもっと空に生きて、強い奴と戦い続けたい。だから、絶対に捕まるもんかー、って必死になってたのさ」

 

 三つ子の魂百までと諺に言うが、フィオンの様は確かにその通りだった。戦う意志も、その見据える先も、彼は何一つ変わっていない。善悪も表裏もなく、ただ純粋に強さを求める至純の信念を、彼は今なおその心に宿している。カルロスの抱く信念とはまた異なるものの、逆境の中でも信念を保ち続けたその逞しさは、カルロスにとって賞賛すべきものだった。

 

「なるほどな。そういう経緯ではるばるエルジアまで…。念願の『ターミネーター』まで手に入れて」

「そう!そうなんだよカルロス!見た!?あの豊富な武装と運動性!まだもうちょっと足りないけど、今の所最高の機体だよ。やっぱり『フランカー』系列はいいよー、カルロスもあんな貧乏くさい機体やめて乗り換えればいいのに」

「悪かったな貧乏くさい機体で。ウチは正真正銘貧乏だから『フィッシュベッドL(アレ)』しかないんだよ」

「うーわ、可哀想。やっぱり空戦は『フランカー』系のものだって!こないだなんかさぁ…」

 

 こちらの話を聞いているのかいないのか、次から次へと溢れる話題は『フランカー』がいかに素晴らしいかを伝え続ける自慢の言葉の奔流そのもの。まるで念願の玩具を手に入れた子供のようなフィオンの自慢話に、カルロスは以降1時間、へとへとになるまで付き合い続けた。変わっていないのも場合によって困りものである。そんな感慨を脳裏の片隅に抱きながら。

 

 見上げた空は抜けるように青く、乾いた太陽がアスファルトを灼いてゆく。

 

 表裏の無い『メビウスの輪』を体現したような男と、無限を示すその図形を機体に刻んだパイロット。二人が邂逅する空は、すぐそこまで迫っていた。

 



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番外編1(後) ‘Mobius’

 夏半ば、空は(たか)く抜け、太陽の熱が天地と人を狂ったように灼いている。

 

 昨日までの時化(しけ)が嘘のように晴れ渡った空は、高高度にぽつぽつと雲が浮かぶ他は視界を遮るもの一つなく、まさに夏の空を象徴するかのように青い。ホワイトバレー湾も黒く深い青色に染まり、さながら卸したての絨毯のように白波一つ立たない水面が、平穏な風の様を物語っていた。

 潮流の影響か、それとも沿岸に近づき風が出て来たのか。眼下にぽつりと浮かんだ小島の岸辺では、水面に白波が混じり、その岩肌を濡らしているのが見える。島の東側中ほどに口を開けている湾付近では特に潮の流れが強いのだろう、そこでは白波の爪が一際鋭く、所々渦を巻いていた。

 

 鏃のような鋭い紡錘形の島と、その脇に生じた丸い湾。見る人間が見れば、その湾がどこか不自然であることに気づくだろう。長年の風化と浸食で複雑に削られた島の輪郭とは対照的に、その湾の沿岸はまるでヤスリで研磨でもしたかのように、あるいは人為的に抉り取ったかのように、凹凸の少ない円そのものなのだ。

 自然に非ざる姿にも見える新円の湾だが、その実、これは人為的なものではない。

 由来は古いものではなく、遡ることわずか7年。小惑星1994XF04――世に言う『ユリシーズ』落下によって分散した破片が地球へと穿った傷の一つというのがその真相で、一躍有名となったノースポイント南方のアンダーソンクレーターと根を同一にするものである。もっとも、その規模はあちらが段違いに大きく、今眼下に認めるそれ――島の名を取りトールエッジクレーターと呼ばれるが――は、島の小ささも相まって、どうにも小ぶりな印象は否めなかった。

 

 空から突然に降り注ぎ、国境も街も引き裂いて、長きに渡る戦乱の源を作った一つの災害。神様の気紛れと言うには、それはあまりにも残酷な結末と言えるだろう。主翼の下を過ぎゆく、大地に刻まれたその大穴が、カルロスにはどこか禍々しいものに見えて仕方なかった。

 

《編隊長より展開中の各機へ。偵察情報によると、間もなくISAFの戦闘機部隊が戦域に入る。警戒隊形を解除し、戦闘隊形に移行せよ。技量が高いとはいえ、敵は極少数機だ。我らエルジアの正義を見せつけてやれ》

《紫1、了解》

《赤1、同じく。黒小隊、左翼へ移行する》

 

 先頭を行く編隊長の指示に従い、左右両翼のMiG-21bis『フィッシュベッドL』が左右両翼へと広がってゆく。残党の集まりとはいえ流石に元正規軍と言うべきか、各個や小隊間の統制は他国の空軍に勝るとも劣っていない。下手をすると、戦闘に慣れている筈の傭兵連の方が見劣りする始末である。

 4機編制のMiG-21bisで構成された『ニムロッド隊』の先頭で、カルロスは機体を右へと傾け、割り当てられた右翼中間へと編隊を移行させた。後方警戒ミラーの中では、列機の3機が次々と翼を翻すのが見て取れる。幾分時間を要したものの、隊形の変化に合わせて機位を調整する手並みを見れば、かつてのベルカ戦争の頃ほどとはいかないまでも、技量は十分な高さにあると言って良いだろう。猛訓練と実戦形式の指導を旨とする、アンドリュー隊長の流儀は今もニムロッド隊で生きている。

 

《…少佐。敵があの『リボン付き』という噂は本当でしょうか?》

《だとしても、恐れる必要は無い。いくらエースとはいえ、たった1機で何ができる。この大編隊の前には、最新鋭機でも意味を成すことはあるまい》

《編隊長の言う通りだ。調子に乗って油断した単機だ、自由エルジアの名を上げるのに丁度いい首じゃないか。何が『死神』、何が『リボン付き』だ。大袈裟な伝説も、今日で終わりだ》

 

 編隊長の言葉に頷くように、カルロスは左右へと展開した編隊を見渡す。

 編隊中央は、中核となるSu-37『ターミネーター』が4機と、そのすぐ傍らを飛ぶSu-37と『タイフーン』2機ずつの混成部隊。右翼側にはニムロッド隊を含む8機のMiG-21bisが、左翼側にも同様の編制となる8機が配置されており、総数は実に24機に達する計算になる。真正面から、それもわずかな機数で迫っているという敵部隊に対するなら、あまりにも過剰な態勢と言って良い。

 

 だが、この過剰さの裏に、カルロスは旧エルジア連中の怯えのようなものを嗅ぎ取っていた。

 振り返れば、順調だった蜂起までとは裏腹に、近日の戦況はけして良くはない。軍艦島へ合流すべく飛行していたエルジア残党が全滅させられたことに始まり、防衛ラインとして砂丘地帯に設けられた対空陣地の失陥、そして物資を運んでいた輸送艦隊の壊滅。立て続けにもたらされる損害報告は、戦力増強を図る自由エルジアにとって看過できないほど甚大なものであり、彼らの顔色を失わせるのに十分なものだったと言えるだろう。これらの被害の主因となったISAFの討伐部隊が、たった1機の戦闘機で構成されているというのもその衝撃に拍車をかけていた。

 

 しかし、どうも旧エルジア残党連の話を漏れ聞く限りでは、『怯え』の要因はそれだけではないらしい。

 事前の偵察情報、諜報、そして先の戦闘で壊滅した部隊の生き残りの話を総合すると、件の1機はかつての大陸戦争でエルジアが敗戦へと追い込まれる引き金となったとさえ言われる、ISAFを代表するエースなのだという。たった一人のパイロットが戦況どころか大局を左右するとはおおよそ信じられない話だが、少なくとも旧エルジアの連中はそう信じている者も少なくない。

 エルジアが誇る機動部隊『エイギル艦隊』の壊滅、ベルカの『エキスキャリバー』を彷彿とさせる超兵器『ストーンヘンジ』の破壊、エルジアが誇るエース部隊『黄色中隊』との死闘、そして戦争の終結を決定づけた首都ファーバンティの制圧戦。その全てに関わり中核的役割を果たしたという噂が本当だとしたら、これほどまでにエルジア軍人から恐れられるというのも道理だった。おそらく、自分がかつて『円卓の鬼神』に感じた感覚を、エルジア軍人は『リボン付き』とやらに抱いているのだろう。地べたに這いつくばるように日々を生きるのに懸命となる只の兵たちにとって、人智を越えた技量を持つエースの存在は、まさに畏怖の対象たりうる。

 

《『リボン付き』か…楽しみだなぁ》

 

 興奮と恐怖の狭間にある一同の中に混じった、空気を読まない独白は間違いなくフィオンのものだった。塗装では判別できないが、位置は確か中央の8機のうち、『タイフーン』と混成になっているSu-37の片割れの筈だ。

 

 変わらないな。

 Su-37に目を向けたカルロスの口元に、思わず苦笑が零れる。

 かつてのベルカ戦争の頃から、フィオンはより強い敵と戦うことを生き甲斐にしていた男である。『ゲルプ隊』、『ズィルバー隊』というベルカ屈指のエース部隊との戦いに率先して向かっていったのもそう、そして後に『国境無き世界』へと流れ、連合国の数多のパイロットと戦う道を選んだのもそう。一見取り留めも無い身の振りと、その根底に揺蕩う戦いの精神は、10年以上を経た今となっても何一つ変わっていない。三つ子の魂百までとは、本当によく言ったものである。

 

 カルロスの脳裏に過った、かつての記憶。それは、静寂を引き裂く通信の声に断ち切られた。

 

《正面に機影1、ISAFの識別信号。機種、F-22と推定》

《どうも武装を満載して、ステルスがまともに効いてないな。舐めやがって…!》

 

 敵機発見の報に、さっと緊張が走る。

 安全装置解除、レーダーサイト確認。『フィッシュベッドL』の貧弱なレーダー装備ではまた敵の姿を確かめることはできないが、最新鋭機たる編隊長らのSu-37では目標を捉えたらしい。F-22『ラプター』は比類ないステルス能力を持っているため、本来視界外での捕捉は困難な筈である。それがあっさり捉えられた所を考えるに、先述の通り翼下にも武装を積み、ステルス性能を犠牲に攻撃力を増強しているのだろう。たとえステルス機とはいえ、本来武装を搭載するウェポンベイの外部にミサイル等を積めば、当然電波を反射する分探知されやすくなる道理である。

 

《視界外の優位を活かし、先制攻撃を仕掛ける。第1、第2小隊、高機能長距離空対空ミサイル(XLAA)用意》

《えー、『リボン付き』にはどうせ当たらないのに。僕無駄弾撃ちたくないなー》

《無駄口を叩くな、フィオン少尉。――各機、FOX3》

 

 中央を飛ぶ8機の翼下に点火の火が灯り、機体から投げ出されたミサイルが見る見る加速して彼方へと向かっていく。各機1発ずつ、間を置いてもう1発。時間差を挟んで、実に16発ものミサイルが単一目標へと殺到する計算になる。並のパイロットでは回避すら叶わず、瞬く間に空の塵と消えることは必定だろう。殊に、ミサイル自身が目標を探知し誘導するXLAAならばなおの事、回避は至難と言わざるを得ない。

 

 だが。やはりと言うべきか、彼方の空には爆炎一つ見て取ることはできない。ミサイルが到達したであろう時刻となっても、抜けるような空は変わらず青いまま。ようやく反応を示した『フィッシュベッド』のレーダーサイトには、目標の生存を告げる光点が一つ、なおも接近する様を映し出していた。

 

《…一筋縄ではいかんか》

《ほらー、16発も無駄にした》

《黙れ、少尉》

 

 敵もこちらを捉えたのだろう、レーダー波照射警報がコクピットに満ちる。彼方の空に黒い点が見え、それが徐々に大きくなり、主翼と尾翼を僅かに認められる距離となっても、その響きはロックオン警報に変わらない。

 まさか、積載量を稼ぐため、中距離以遠用の空対空ミサイルを積んでいない?

 カルロスと同様の想像を、編隊長も抱いたらしい。続く下命は、機数と兵装の利を生かした常道とも言うべき攻撃だった。

 

《いいだろう、あくまで正面から来るなら、蜂の巣にしてくれる。各機、合図とともに空対空ミサイル(AAM)一斉発射。回避の隙間を無くし、リボン付きを仕留めるぞ。勝手に撃つな、必中の距離まで引き付ける》

 

 編隊長の声がどこか早口に聞こえたのは、伝説と評されるエースを前にした逸りと焦りによるものなのだろう。無理もない。エースを前にした時に抱く恐怖や緊張、焦燥感は、いくつもの戦場に立ってきた自分もよく理解している。

 だが、もし読み通り敵が短距離用AAMしか積んでいないというのなら、真正面からかかるこの戦術が最も効果的に違いないのもまた事実である。射程距離が五分ならば、あとは単純な火力差が物を言うことになる。下手に側面や後方に戦力を分散して正面火力を低下させるよりは、正面に火力を一点集中させた方が確実性も高まるという判断だ。いくら運動性に優れる『ラプター』とはいえ、真正面から放たれる24機分のミサイルから逃れるのは殆ど不可能と言って良い。

 

 真正面の黒い影が大きくなる。

 外側に傾斜した2枚の尾翼、菱形に近いエイのような主翼形状は、確かにF-22『ラプター』。

 機銃、AAM、安全装置解除。火器管制を戦闘モードに切り替える。

 距離、目測2000。まだ遠い。

 敵針、依然変わらず。

 文字通り真正面。

 距離1600。

 引き金に指をかける。

 目が一挙手を追う。

 周囲が唾と息を呑む気配が伝わる。

 距離、1200――。

 

「――っ!?」

 

 瞬間、引き金にかけた指がびくんと引きつった。

 正面の『ラプター』が僅かに機首を向けた――ただそれだけの挙動に体が反応したのか、それとも兵士としての勘が名状しがたい何かを感じ取ったのか。まるで猛禽の眼光に見据えられたかのように、カルロスは不意に『見られた』ような感覚を、そして言い表せない寒気を覚えたのだ。

 この感覚は、覚えがある。

 かつてのベルカ戦争で幾度となくあった生死の境目の時。迫る敵機に捉えられ、眼光が命に刺さる際となった、その末期の時。そう、この感覚は、いわば――。

 

《各機、射撃開…》

「…駄目だ、相対回避(ブレイク)!!」

《曹長!?》

 

 殺気。

 脳裏でその言葉が像を結ぶ前に、カルロスは操縦桿を引いて機体を急上昇させた。

 冷静な判断の伴わない、咄嗟の反射行動。それが、一瞬の生死を分けた。

 

 眼下で、エルジア編隊が射程内に達するより一歩早く、『ラプター』が4発のミサイルを放ったのだ。

 先頭の4機、すなわち編隊長を含むSu-37に命中したそれらは、一瞬後に爆発。その黒煙を隠れ蓑に。『ラプター』は距離500に満たない至近距離からさらにミサイル2発と機銃を発射。黒い機影がエルジア編隊を突き抜ける頃には、新たにSu-37と『タイフーン』、MiG-21bis各1機がスクラップとなり墜ちていく所だった。

 

 おそらく、敵機は高機能中距離空対空ミサイル(XMAA)を搭載していたのだろう。序盤でXLAAを使い果たしたこちらの状況を読み、射程外攻撃の利を敢えて捨てて接近。同時に4目標を攻撃可能なXMAAをこちらの射程外ギリギリの位置で放ち、生じた隙を短距離AAMと機銃で突いたのだ。機体性能と積載量の優位があったとはいえ、一航過で7機を撃墜して見せたその手腕は、これまで見てきたどのエースよりも凄まじい。

 

 死神の大鎌を紙一重で躱した、一瞬の差。

 大鎌を振り下ろされた眼下を目にして、カルロスは思わず戦慄を覚えた。

 見てしまったのだ。編隊構成のまま墜ちてゆくSu-37を。1対24という絶対的不利を、傷一つ無く抜けた敵の姿を。そして何より、その尾翼に刻まれた『リボンのエンブレム』を。

 

《そ…曹長!何で今のが…!?》

「……勘だ。あのままの編成で飛んでたら、間違いなく2機は落とされてた。…小隊、ダイヤモンド隊形!奴を追うぞ!」

 

 戦慄は、一瞬後に恐怖となって現実感を帯びる。

 どこか震えが混じった僚機の声に歯を食いしばるように応えながら、カルロスは操縦桿を倒し、同時にフットペダルを踏んで、背を向ける『リボン付き』を追撃にかかった。

 なるほど『ラプター』の能力は確かに凄まじい。殊に、アフターバーナーを用いない巡航状態で音速を越えられるほどの出力は他の機体には見られないものである。しかし、加速性能に優れた『フィッシュベッド』ならば、アフターバーナーを活かせばその背を追うことは不可能ではない。運動性では確かに及ばないが、奴が攻撃にかかるその隙を複数機で埋めれば、フォローはどうとでもなる勘定である。アフターバーナーを使われれば到底その背を追うことはままならないが、空戦と帰路で消費する燃料を考えると、『リボン付き』もおいそれとアフターバーナーを使うことはできないに違いない。

 

 しかし初撃で隊長機を落とされた以上、エルジア編隊が統制を保って攻撃に移れるかどうかは不安も残る。案の定と言うべきか、生き残ったエルジア編隊の中では早くも通信が錯綜していた。

 

《しょ、少佐が落とされた!残存機、誰が残っている!?指示を!》

《紫1もやられた…!畜生、リボン付きめ!》

《落ち着け!こちら赤1、指揮を引き継ぐ!とにかく奴を追え、逃げ道を塞いで仕留めろ!紫4、お前の『タイフーン』が頼りだ。奴の鼻先を押さえろ!》

《やれやれ…。最初から僕に任せておけばいいのに》

 

 依然まとまりを欠いた編隊から抜け出たSu-37は、声を聴くまでもなくフィオンのものと伺い知れた。瞬く間にこちらを追い抜いたフィオンは、機首を上げて高度を稼ぐ『リボン付き』を目がけて徐々に距離を詰めていく。カルロスの後方では、どうにか統制を取り戻したらしいエルジア編隊が続々と続き、逃げる『ラプター』の背を追い始めていた。『タイフーン』1機は『リボン付き』の進路に回り込むべく編隊を離れて大きく弧を描き、MiG-21bisのうち3機は敵機の予測針路を目がけて直進している。つまりは元の24機から撃墜分7機、別行動4機を抜いて差し引き13機が『リボン付き』の背を追っている勘定になる訳である。

 

 高度計の数値が見る見る上昇し、翼が薄雲を割いて昇ってゆく。到底逃げおおせられないと判断したのか、カルロスらの目の前で、『リボン付き』は機首を翻し、宙返りの前兆を示した。先頭を行くフィオンとの距離、おおよそ1400。宙返りに入れば当然速度は鈍り、機動も読みやすくなる。運動性に勝るSu-37ならば、その背を突くことは訳はない。

 

 宙返りの進路を突くべく、操縦桿を引いて予測針路へと機首を向ける。

 『リボン付き』、減速。機首を返し、そのマンタのような機影を眼前に晒す。

 だが。

 

《…!?何だ!?》

 

 機体が、静止している。

 宙返りに入るでもなく、『ラプター』はまるでエイが回遊するかのように、ふわりと宙を舞ったまま止まったのだ。その尾――エンジン尾部に設けられた推力偏向ノズルが蠢き、そこに火が灯るも一瞬。その機首がくるりと下を向き、迫るエルジア編隊へと相対したのは一瞬だった。

 

「っ!?上昇中の『クルビット』…!?」

《やーるぅ…!》

「……!くそ、ニムロッド各機、正面から逃げろ!!」

 

 クルビット機動――すなわち、失速状態で機首を上げると同時にエンジン出力を高め、ほとんど高度や機位を変えずにその場で宙返りする戦闘機動。失速機動性に優れるSu-27『フランカー』タイプや、『ラプター』のような推力偏向機構を持った機体でのみ可能な曲技的な空戦機動だが、お目にかかったのはこれが初めてだった。まして、上昇中で揚力も推力も低下し不安定な状態からクルビット機動に入るなど、聞いたことも無い。かつてベルカ戦争で『ゲルプ』やアルベルト大尉のコブラ機動は見たことがあったが、二人をしてこれほどの機動ができたか、どうか。

 

 もはや汗を拭う間もなく、カルロスは機首を先の進路へと戻した。まだ後続の僚機は回避進路に入っておらず、幾らかでも敵の針路を逸らさなければ火線上に入ってしまう。機銃を馳せたフィオンが『リボン付き』とすれ違い、眼前を通過するタイミングを見計らって、カルロスは機銃の引き金を引いた。

 空を削る曳光弾は、しかしわずかに機首を下げた『リボン付き』の動きに易々と躱される。こちらの機首の方向から射線を読んだ――そうとしか思えない機動でこちらの攻撃を回避した『リボン付き』は、追い縋っていたエルジア編隊を再び真正面から突破。すれ違いざまに放たれたミサイルと機銃で、新たに爆炎が3つ、虚空に爆ぜた。

 

《ぐあぁぁぁっ!!こ、こちらニムロッド4!機体大破!》

「ニムロッド4、機体はいい、脱出しろ!」

《また3機…!なんて奴だ》

 

 嘲笑う、ともまた違う。まるでこちらを歯牙にもかけない戦いぶりに、カルロスは思わず舌を巻いた。ニムロッド4の脱出を確認し機体を反転させる最中にも、『リボン付き』は編隊を抜けた後、横旋回に入った『タイフーン』の方へと急旋回。巴戦に入り、その尻を掴まんと挑みかけていた。カナード翼を持ち運動性に優れる『タイフーン』とはいえ、『ラプター』相手では分が悪いと言わざるを得ない。

 

《こ、こちら紫4!助けてくれ、後ろにつかれた!》

《こちら赤1、待っていろ、今行く!ニムロッド隊続け!》

「了解!」

《バッカじゃない、また尻追いかけて同じ目に遭う積り?》

「…フィオン!?」

《そんなんだから『リボン付き』にいいように遊ばれるんだよ。ま、僕は好きにやるんでー》

「あいつめ…」

《いつものことだ、放っておけ》

 

 代理指揮官となった赤1の命令に、フィオンらしい空気を気にしない物言いが被せられる。口にした当のフィオン機はといえば、まるで気を変えた猫のようにぷい、と踵を返し、1機編隊から離れて下方への緩降下に移りつつある所だった。

 ああなっては、もはや何を言っても聞いてはくれまい。溜息一つ、カルロスは先行した赤1ら6機の『フィッシュベッド』に続き、編隊を連れて後方へと陣取った。別方位から回り込んでいた3機も合流し、こちらの後方に続いている。一方の『リボン付き』は、こちらから見てやや下方。背中に回ったこちらが猛追するのを気にする素振りもなく、横の巴戦から『タイフーン』の後ろを取り、刻み付けるような曳光弾でその胴体を引き裂く所だった。

 

《よくも…!逃がすな、頭を押さえろ!海面に追い込むんだ!》

 

 友軍を失った怒りか、最大速度を出した6機の『フィッシュベッド』が『リボン付き』の背に迫ってゆく。加速性能を活かして『ラプター』を射界に捉えた6機は、あるいは機銃、あるいはAAMを以て、その進路を封じにかかった。わずかでも機首を上げる素振りを見せれば偏差射撃を撃ち込み、徐々にその高度を落としてゆく。言動に違わないその手腕は、流石は元エルジア正規軍と思わせるものがあった。たまらず『ラプター』は、右へ左へと機動に旋回を織り交ぜ始めている。

 

 『勝てるかもしれない』。

 一抹でもそう思ったことを自分の、そして赤1の油断と見なすならば、それは確かに油断だったといえよう。

 

《いいぞ!機動が鈍って来た、もう一息…》

 

 赤1の声が紡がれたその時が、死神の大鎌が振られた瞬間だった。

 鈍った機動から一転、右へと急旋回した『ラプター』は、その背を追うべく急旋回に入った6機の前で左旋回に入ると同時に急減速。旋回半径がF-22より大きいMiG-21bisではその動きに追随できず、一瞬で後方を取られる結果となったのだ。

 至近とも言うべき距離で放たれるは、胴体下から2発、翼下から2発のミサイル、そして主翼付け根の20㎜機関砲。呆気なく背を取られたMiG-21bisに成す術は無く、6機は瞬く間に炎に包まれ、舞い落ちながら爆散して果てた。

 まるで8の字――否、メビウスの輪を描くような近距離極小半径旋回機動。機体性能、パイロットの技量、いずれも欠ければ成し得ないであろう機動の数々は、もはや人間技とは思えない。話に聞く『ガルム』の手腕に、勝るとも劣らないその技量。あんなパイロットが、この世に存在するというのか。

 操縦桿を握る力が、意図せずして強まる。恐怖か、絶望か、それとも言い表せぬ屈辱感か。全てが混然となった感情の中、眼前の『リボン付き』は再び機首を上げ、同時に速度を落とし始めていた。

 先ほどと同じ、あの挙動は。

 

「…クルビットか!性懲りもなく…!!」

《赤1が!…6機が一瞬で……!》

「落ち着け!後方のエルジア機、またクルビットが来る。機動が鈍った隙を6機で突くぞ!」

 

 指揮官を失い混乱するエルジア編隊を尻目に、カルロスは意を決して命令を下す。クルビットに入るべく減速するF-22を()、その性能を反芻し、そしてこれまでの戦況を思い返して、ふと思い当ることがあったのだ。

 最初の会敵の時点で、『リボン付き』はステルス機にも関わらずレーダーに探知されていた。すなわち、翼下ハードポイントも使用した最大搭載量で出撃してきたことになる。カルロスが把握している最新の公開データによると、F-22が搭載できる最大搭載量は、胴体下部ウェポンベイにXMAAが6基、左右側面ウェポンベイにAAMが2基、そして左右の主翼それぞれに増槽とAAM2基。すなわち、合計12発のミサイルを搭載している計算になる。

 一方で、今まで奴が使ったのは、最初の接敵で6発、次の『クルビット』の際に2発、そして先程赤1を落とした際に4発。合計12発となり、搭載している最大数のミサイルを全て使い果たしていることになる。つまり、これからクルビット機動で相対しても、その正面からミサイルを受けることは無い。

 

 確かに奴の機動は脅威である。だが、クルビットの際はその特性上上下方向の方向転換が主となるため、左右への咄嗟の回避は極めて困難な筈だ。では、こちらを向いた瞬間の銃撃を自分が引き受け、その隙を残り5機が一斉に突けばどうなるか。

 他に、無い。千載一遇の好機に、カルロスは敵を凝視し、歯を食いしばった。

 

 『リボン付き』が垂直に機首をもたげる。

 距離が迫る。

 照準器の中央に広がった主翼が捉えられる。

 胴体色は灰。今更ながら、やや青色を帯びているのが見て取れる。

 鏃を連ねたISAFの紋章が、青いリボンが目に入る。

 機体は依然垂直。左右に揺らぐ素振りすらない。

 距離が1000を割る。

 再び瞳を照準に戻す。

 

 刹那。

 

《……消え、た…!?》

 

 大きなその姿が、不意に視界から掻き消えた。

 あれだけの巨体を瞬時に上昇させるには、当然推力が足りる筈も無い。あまつさえ、『リボン付き』はクルビットにまだ入らず、垂直を向いたままだったのだ。そう、クルビットに至らぬその前段。機体をもたげたままのその姿勢は、まるで――。

 

「……!しまった…!下だ、散開(ブレイク)!」

 

 コブラ機動。

 敵が敢えてその姿勢を崩さなかった理由、そして脳裏に浮かんだその名と記憶に思い当り、カルロスは反射的に叫んでいた。

 

 だが、全ては遅きに失していた。

 『リボン付き』は垂直を向くコブラ機動のまま推力を落とし、わざと失速。上を向いたままこちらの下方へ位置を落とし、その真上を通過するエルジア編隊目がけて機銃掃射を浴びせたのだ。

 かつてベルカ戦争で(まみ)えたYaK-141やアルベルト大尉が用いていた空戦機動。クルビットを恐れるあまりそれに思い至らなかったツケは、黒煙に包まれる『フィッシュベッド』2機という形で現れる結果となった。

 

《馬鹿な…!?ニムロッド3被弾、脱出する!》

《嘘だ…こんな…。まだ3分も経っていないんだぞ。…24機もいたんだぞ!それが、こんな…!!》

「…く…!散開、散開だ!…こうなっては…!」

 

 残存機、5機。油断と、僅かな読み違いと、そして圧倒的な戦力差が招いた結果が今の姿だった。もはや統制も、戦意さえも失ったエルジア編隊になす術は無く、推力を取り戻し下方から迫った『リボン付き』によって、エルジアの2機がさらに炎の中に消えてゆく。その機首が鋭角を取ってこちらへと向いた時、カルロスは最早肚を決めた。こいつはこちらを逃がす気は無い。あの『円卓の鬼神』のように、全てを落とし尽くす積りだ。

 ――ならば。

 

「ニムロッド2、一か八かだ。サッチ・ウィーブで仕掛ける」

《このままじゃ逃げきれないでしょうしね…了解!》

 

 サッチ・ウィーブ――すなわち2機一組となる囮戦術。些か古典的な戦術ではあるが、ミサイルを使い果たした敵相手ならば可能性は無い訳では無い。こちらへ迫る『リボン付き』に敢えて背を向け、カルロスは僚機と距離を離しながら逃げの一手を打った。

 『リボン付き』の目標は――こちら。後方警戒ミラーの中でその機影が徐々に大きくなり、迫りくるその速度を物語る。カルロスは適当な所で機体を右旋回させ、同時にやや速度を速めた。背を追うF-22の後方で、ニムロッド2が入れ違うように左へと旋回していく。

 機銃弾が殺到し始める。恐ろしい程正確な射撃で、20㎜弾は『フィッシュベッド』の機体に幾つも弾痕を刻んでゆく。

 だが、まだ。次の旋回までは。

 速度が落ちる。

 機体が煙を噴き始める。

 被弾、警報。機体が悲鳴を上げ始める。

 『リボン付き』の死角に、ニムロッド2の機影が奔る。

 

《そこだぁぁぁ!!》

 

 回り込んだ側方から『リボン付き』へと放たれた23㎜弾は、しかし咄嗟に急減速した『ラプター』に躱される。その眼前を通過することになったニムロッド2へ放たれた機銃弾は、正確に黒い翼端を吹き飛ばし、一瞬でその戦闘能力を奪い去っていった。

 

《…駄目、か…!ニムロッド2脱出(イジェクト)!》

「…もはや、万策尽きた、か…。」

 

 満身創痍となった機体に背を預け、カルロスは茫然とした目で空を見やった。

 もはや死に体のこの機体では、今更抵抗一つできる筈も無い。雇われただけの仕事を成し得なかったのは残念だが、自由エルジアには縁も義理も無いというのに、ここで死ぬのは馬鹿げている。敗北の痛みは、今は甘受して後に生かせばいい。

 最後の土産にミラーの中の『ラプター』を確かめ、カルロスは脱出レバーに手をかけた。

 

 その瞬間だった。カルロスの正面に、ぽつりと小さな機影が見えたのは。

 2枚の垂直尾翼と、翼端を切った三角翼。すらりと伸びた機首と、その左右に張ったカナード翼。

 あの、機影は。

 

《そぉぉぉこぉぉぉ……》

「フィオン!?」

《だぁぁぁぁ!!》

「――あ、のバカ…ッ!」

 

 真正面から迫るその機影は、明らかに最高速度と分かる速さでこちらを指している。

 かつて自分とニコラスが、『グラオガイスト』に対し使った囮戦術。脳裏に浮かんだ記憶と重ね合わせ、カルロスは機体に鞭打って左へと『フィッシュベッド』を急旋回させた。

 こちらを掠めるように、ミサイルと機銃弾が殺到する。

 視界を黒煙で妨げられた『リボン付き』が、咄嗟のロールでミサイルを回避する。

 馳せ違う、2機。

 翼が重なるその瞬間に、『リボン付き』の主翼に被弾の火花が爆ぜるのを、カルロスは確かに目に焼き付けた。

 

《ちぇっ、おっしーい》

「バカ、俺まで殺す気か!…いや、それより。俺の機体はまだミサイルが使える。この高度域で、何とか隙を作り出せるか?」

《え?》

 

 バランスを失い、辛うじて平衡を保つ機体の中で、カルロスはフィオンへと通信を投げかけた。

 黒煙に包まれたこの状態では、『リボン付き』はもはやこちらを脅威とは見なしていないだろう。必ずや、残る獲物はフィオンただ一人と判断している筈。その思考の隙を突き、何とかミサイルの有効射程内に収めることができれば、撃墜の可能性はありえる。もし攻撃を外しても、フィオンならば回避に生じた隙を突くことはできるに違いない。

 

「奴はもう俺を敵とは見なしていない。不意打ちで隙を作れば、確実に落とすことが…」

《あー、もう!黙ってよカルロス!》

「何…!?」

《ベルカ戦争からこのかた、一度も満足できる空戦なんて無かった。敵はザコばっかり、強いのと戦えると思ったら邪魔な味方が山ほど…。そんな戦いはもうたくさんだ。僕は、自分の力だけで強い奴と戦いたい!金を稼ぐとか、誇りや信念の為とか…そんなんじゃない。僕は求めるのは満足できる戦い、ただそれだけなんだよ!!》

「…!この…!!」

 

 手を振り払うかのように、これまでにない激しい言葉がカルロスの耳を打つ。興奮、怒り、そして充足感。これほどに感情の詰まったフィオンの言葉を、カルロスは聞いたことが無かった。

 まるでその意志を体現するかのように、空戦域を上空に移した2機が、螺旋を描くように飛行機雲を絡め始める。8の字を描く旋回、クルビット、シザー、バレルロール。互いの技術の粋を使い、2機はその機体と命を削り合ってゆく。黒煙を吐くカルロスの『フィッシュベッド』は徐々に高度を落とし、もはや2機の傍らに近づくことすら不可能になっていた。

 

 空を見上げるカルロスの上で、馳せ違う2機が舞う空は、徐々に手の届かない所まで離れてゆく。

 

《ここだ…!強敵と、僕しかいない空。果てしなく戦い続けられる、無限の空!僕はずっと、この空が飛びたかった!!》

「――この…馬鹿野郎!!」

 

 確実な勝利や生存よりも、命一個の戦いを。

 最後に迸った歓喜の咆哮を鼓膜に残し、カルロスは脱出レバーを引いて空へと舞った。

 

 穏やかな風。凪ぎ鎮まった海。螺旋を描いて堕ち行く黒い翼端の機体。いくつもの死を刻んだ空とは思えないほど、落下傘が揺れる空は穏やかである。

 空の上で馳せた飛行機雲が、カルロスの頭上でまた一つ、メビウスの輪を描いていた。

 

******

 

 ――夜。

 火もとっぷり暮れた闇に、焚き火の炎が揺らめく島端。

 ホワイトバレー湾に点在する小島の一つに、カルロスの姿はあった。

 夜ともなれば、遠方の明かりは見渡すに易い。遠い島のそこここに焚き火が見えるのは、おそらく生き残った自由エルジアの面々なのだろう。ニムロッドの生き残りも、それらの下にいるに違いない。

 

 カルロスは一人、燃え立つ炎の中に薪をくべた。

 一際強くなる照り返しに映えるは、浅黒いカルロスの顔。そして傍らに漂着した、航空機のものと思しき残骸。一般人には判然としないだろうが、カルロスには迷彩の塗装跡と鋭角の造形からSu-37『ターミネーター』のカナード翼だと判別がついた。辛うじて形状は保っているものの、高熱で焼け焦げた表面は黒く煤けてしまっている。

 

「……お前の生き方はエースの、戦士のものだ。悪いが、俺には多分、一生理解できないだろうと思う」

 

 太陽に灼かれ、炎に焼かれ、戦士の魂に灼かれて黒く焦げた翼。潮に曝され砂へと打ち上げられたそれへと、カルロスは呟くように語りかけた。

 

「…だけど。俺は忘れない。お前と、お前が求めた空のことは」

 

 誰言うともない男の声は、波にさらわれ消えてゆく。

 穏やかな炎の照り返しの中、命の色を焼きつけた翼は、黙して何も語らなかった。

 



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