千雨からロマンス (IronWorks)
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第0話

 

 

 

――0――

 

 

 

 ――私の……“長谷川千雨”の切っ掛けは、近所のお婆ちゃんだった。

 

 

 

 私は、小さい頃から“嘘つき”と呼ばれていた。

 

 人が空を飛んでいた。

 杖から光を放つ人がいた。

 ロボットが人間に混じって生活している。

 

 そんな見たままのことを周囲に言ったことで、私は“嘘つき”になった。

 誰も彼もが“千雨ちゃんは嘘つきだ”と怒りを、時には怯えを滲ませて私に言う。

 

 そんな日々を繰り返していると、いつしか私は、笑うことを止めていた。

 笑われることが怖くて、怒られることが怖くて、自分を隠して覆った。

 分厚い眼鏡を、視力の矯正のためではなく、仮面の代わりに使ったのだ。

 

 ――そんな私にも、転機が訪れた。

 

 私の話を疑わず、のほほんと聞いてくれた近所のお婆ちゃん。

 お婆ちゃんがいたから私は救われて、歪みきることなく、人生に絶望せずに済んだ。

 私が十にも満たない年で世界を見限らずに済んだのは、間違いなく彼女のおかげだった。

 

 ――そんなお婆ちゃんに、何か出来ることはないか。

 

 私はいつも、漠然とだがそう思っていた。

 大好きなお婆ちゃんに、何かをしてあげたい。

 優しいお婆ちゃんに、笑顔を与えたい。

 

 ――私に出来ることを、してあげたい。

 

 そう考えて、私は迷ったあげく、お婆ちゃんの背中側に回って。

 それから、拙いながらも一生懸命、お婆ちゃんの肩を叩いた。

 

 幼い少女の力だ。

 力も入らなかったし、どこが凝っているのかもよくわからなかい。

 それでも私は、ただただ一生懸命お婆ちゃんの肩を叩いて揉んだ。

 

 そうしたら、お婆ちゃんは私に笑ってくれたんだ。

 

『ありがとうね、とっても気持ちよかったよ。千雨ちゃん』

 

 お婆ちゃんは私に、本当に嬉しそうに笑いかけてくれた。

 

 その笑顔が嬉しくて。

 その笑顔が尊くて。

 その笑顔が――綺麗で。

 

 そう、私はその時、思ったんだ。

 こんな私でも、誰かを満足させられる。

 

 ――誰かを、笑顔にさせられる。

 

 そう、思ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス プロローグ ~親指からロマンス~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 あれから何年経っただろうか。

 私は中等部の二年生になり、“勉強”の毎日を送っている。

 といっても、学業ではない。自分で言うのもアレだが、私は一般教養は苦手だ。

 

 ――それでは、何の“勉強”をしているのか?

 

 通学のために、電車に乗る。

 人間ですし詰め状態の満員電車は、私をどうしようもなく“疼”かせる。

 それを暑苦しさと、ハードカバーの本に熱中することで忘れさせた。

 

 ――そうでもしないと、見境無く“襲って”しまいそうになるのだ。

 

 この日は特に、私を“疼”かせる対象が多かった。

 なんというストレス社会だ。世間はしがない女子学生の身体を、この私を“疼”かせるほどに酷使させているというのか。

 

 私はそんな風に、大げさに息を吐いた。

 そんな些細なことに気にする“世間”ではないのは、私が一番よく知っている。

 だから、一人でオーバーリアクションなどという恥ずかしい真似が出来るのだ。

 

 ――ここだよー。

 ――こっちだよー。

 ――ほら、ここが一番すごい!

「……気が散るな」

 

 耳に響くのは、きっと麻帆良では私にしか聞こえない“声”だ。

 これは、私が電波で残念な人間だということではない。

 ここでは私しかいないようだが、世界を探せばきっと沢山いるだろう。

 

 耳に響く声から気を逸らすために、周囲を見る。

 そこでは、二人の少女が見つめ合っていた。

 制服から察するに、ウルスラの女生徒だろう。

 

 仕方ないので、この二人を観察することにした。

 ……断じて、ちょっと“百合”っぽい二人に興味がある訳ではない。

 

「うに?」

「うににー」

「うにににに」

 

 二人が交す会話に、思わず耳を疑った。

 頬を染めながらする会話は、普通、もっと、こう、華やかなものだろう。

 

 いくら変人奇人の麻帆良といっても節度はわきまえている。

 そう思っていたのは、どうやら私だけだったようだ。

 

「うにー」

「うにゃん」

「うにゃにゃー」

「うにー」

 

 金髪の小柄な少女が、クール系の少女の頬に手を添えている。

 そこだけ見ればラヴシーンだ。それは認めよう。

 だが、何故ずっと二人は未知の言葉で会話をしているのだろう。

 

 二人がぴたりと会話をやめて、見つめ合う。

 見れば見るほど頭が痛くなるのは解っているが、見ずにはいられなかった。

 

 二人は無言のまま、互いの指を絡め合う。

 そしてその手がゆっくりと離れて……すぅっと、真剣な表情になった。

 

 胸が高鳴り、唾液を嚥下する。

 二人の人差し指がまっすぐと互いを指して――その指先を合わせた。

 

「ETかよ」

 

 努めて、小声でツッコミを入れる。

 感情が表に出づらく、日常生活に於いても私は“無表情”だ。

 だが、だからといって無感動に生きている訳ではない。

 

 顔には出なくても、激情は抱くのだ。

 

「落ち着け、落ち着くんだ長谷川千雨」

 

 私はそんなことを呟きながら、自分の右手首から数センチ下を、指で押す。

 さらに、鞄から孫の手に似た器具を取り出して、それを肩胛骨の近くに押し当てた。

 

「ふぅ、危なかった」

 

 たったそれだけで、嘘のように落ち着きを取り戻した。

 これでも私は、見習いとはいえ“専門家”の勉強をしている。これぐらいは、たやすい。

 

 だが、落ち着いていられるのも今の内だ。

 学校に到着すれば、否応なしに激情を抱かせられる。

 

 ――そんなわかりきった未来が憂鬱で、楽しみで。

 

 私は小さく小さく、息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 ――突然だが、私のクラスの“長谷川千雨”は、美人である。

 

 私の隣の席には、いつも分厚い本を読む千雨さんの姿がある。

 私は図書館探検部の一員として、彼女に本を貸したりしている。

 だから彼女のことは、頻繁に“見て”いた。

 

 茶色がかった赤髪に、切れ長で鋭利な目。

 分厚い眼鏡の下からでも解るその顔は、怜悧で美しい。

 同性なのに美しいと見惚れてしまうほど、彼女は綺麗なのです。

 

「綾瀬、疲れているのか?」

 

 千雨さんがそう言って、その整った顔立ちで私を覗き込む。

 その目の奥に潜む“貪欲”さに、私はつい頬を赤らめてしまった。

 これは仕方のないことなのです。だって彼女は、“あんなにも上手”で――。

 

「――やせ、綾瀬」

「ぁ――す、すいません。確かに疲れているようで……い、いえっ、これは」

 

 迂闊!

 まさか私が自ら、彼女の懐に飛び込むような真似をしてしまうとは!

 

「やっぱりな……ちょっとそこに寝ろ」

 

 そう言うと、千雨さんは机の上にどこからかシーツを取り出して、被せた。

 すると、騒がしく休み時間を謳歌していたクラスメート達が、しんと静かになりました。

 ……もう、折れるしかないようですね。

 

「あ、ぅ……よろしくお願いします。千雨さん」

「あぁ――――任せておけ」

 

 千雨さんは、そう言いながら笑みを受けべる。

 普段、日常生活に於いて全く笑わない千雨さんの、笑み。

 その獲物を捕らえたかのような笑みは、獰猛で……いっそ美しい。

 

 ――解っていました。私は逃げられず、そして拒めない、と。

 

 快楽に身をゆだねるのは、正しいこととはいえません。

 しかし、そうたとえここが大衆の前であろうと……この誘惑からは、逃げられません。

 

 机の上でうつ伏せになる私に、千雨さんが馬乗りになる。

 この体勢だけは、慣れることが出来ません。うぅ、未熟です。

 

「――大腸兪≪だいちょうゆ≫と腎兪≪じんゆ≫――」

 

 良く透き通る、声。

 千雨さんは、雄弁な方ではありません。

 必要なことしか口にしようとしない辺り、無口な人であると言った方がいいでしょう。

 

 しかし……この時ばかりは、違います。

 きっとこれが、千雨さんの本性なのでしょう。

 

「この二つが特効ツボだ。腎兪は一番腰の細くなっているところで大腸兪はベルトラインから背骨の出っ張り二つ分下。親指に力を入れ筋肉に食い込むように――」

 

 早口で告げられるのは、私の“ツボ”だ。

 自分の中身を暴かれるこの独特な“背徳感”に、私はすっかり支配されていた。

 

「――そして腰の筋肉をほぐすには肘を入れ込むように、押すべし!押すべしっ!」

 

 鬼気迫るとは、このことか。

 私は取れていく自身の疲れに、まどろみを覚えていく。

 

「いくぜ――秘技!千雨スペシャルッ!!」

――バキゴキガキッ!!

「あっ……あぁぁあぁっ!?」

 

 身体から力が抜けていく。

 聞こえるのは、周囲の声援。

 

「きゃーっ千雨ちゃんカッコイイ!」

「いいぞー!ちうちゃん!」

「長谷川さん、流石ですわっ!」

 

 落ちていく意識の中、私が最後に見たのは――。

 

「終わったか」

 

 ――いつものようにクールに私の背から降り立つ、千雨さんの怜悧な横顔でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

「あー、今日も終わりッと」

 

 ぐっと背を伸ばすと、背骨の辺りから心地よい音が聞こえた。

 夕日に向かって歩きながら考えるのは、今日の休み時間のことだ。

 人体のツボに立ち、どこが疲れているのか私に伝えるツボの精霊――ツボーズ。

 

 プロのマッサージ師を目指す私には、“それ”が見える。

 おかげで、通学の電車は地獄だ。

 どうにも私は、疲れた人間を見ると自制が効かなくなるらしい。

 

「はぁ……まぁいいか、綾瀬も満足そうだったし」

 

 教師が来ても寝続けた綾瀬の姿。

 その心地よさそうな笑顔を思い出すだけで、私は“元気”になれる。

 

「いいさ、どうせこんな日常が続くんだ。受け入れてやるのも一興か」

 

 私は今、笑えているか解らない。

 マッサージ中は私は笑えているらしいのだが、生憎と覚えてはいないのだ。

 

 お婆ちゃんに笑って欲しい。

 そんな小さな願いから始まった、私の“夢”。

 

 それは今も続いている。

 

「夢はでっかく、世界一ってな」

 

 笑えているかなんて解らないし、どうでもいい。

 私は自力で、誰かを幸せにする力を得た。

 そして夢に向かって全力で努力を重ねているのだ。

 

 ――顔は笑っていなくても、心は笑っている。

 

 そう確信しているから、気分は悪くない。

 

 

 

 

 

 

 

 そうやって現状に満足していた私は、この頃はまだ知らなかった。

 

 まさか私が――最高の“揉みごたえ”を持つ子供先生と出会い……。

 

 

 

 そして、世界の“裏側”に関わる重大な人物達の凝りを、片っ端からほぐすことになるなど。

 

 

 

 ――私には、知る術もなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第1話

――0――

 

 

 

 瞼の裏に、光が差し込む。

 やたらと眩しいそれが気にかかり、私は右手で光を遮った。

 

「眩しい」

 

 思わず口から零れたのは、そんな感情をありのままに吐露した、情けない声だった。

 いつもこんなに眩しかっただろうか。いや、いつもはもっと、爽やかな目覚めだ。

 

「なんだよ、ったく」

 

 今日に限って太陽が昇るが早い。

 そんなこと、ある訳がないと解っているから、だるい身体を起こして大きく背を伸ばす。

 

「く、ぁ」

 

 背筋の伸びる心地よい音。

 この一日の始まりを覚えさせる音に、感慨を覚えたりはしない。

 そんな暇があるのなら、一人でも多くの人を、疲労から解放させる。

 

 その方が、私にとってはずっと有意義だ。

 

「はぁ」

 

 息を吐いて、時計を見る。

 無骨なデジタル時計に表示された時間は、午前八時だった。

 まだ朝のニュースを見て、マッサージの指南書を読む時間はあるだろう。

 なにせ、目覚まし時計が鳴っていないのだから、まだ八時前……。

 

「……って、八時?」

 

 勢いよく、時計を手に取る。

 その時丁度私の指が机の端にぶつかって、鈍い音を立てた。

 

「うぬぐっ」

 

 痛む指を押さえながら、まじまじと時計を見る。

 離れても近づいても、裏返しても逆さまにしても、どう見ても八時だった。

 

「ね、寝坊した」

 

 寝坊なんて、冗談じゃない。

 早朝に出発するから、通勤ラッシュの背中に興奮せずにすむのだ。

 それなのにこんな時間に出発したら、自分を抑えられる自信がなかった。

 いや、抑えられるけど、すっごくストレスがたまる。尋常じゃなく。

 

「ちっ、急いで仕度しねーとっ」

 

 思わず悪態をつくのも、仕方がないことだ。

 こうなったら、今日も綾瀬の背中を借りるしかないだろう。

 

 小柄な身体で図書館探検部として頑張っている、私の隣の席の少女――綾瀬夕映。

 難解な哲学書を読んでいるためか、運動のせいだけでなく眼の疲れなども併発している上玉だ。私のクラスにはそんな人間が他にも居るが、彼女が一番質が良い。

 

「ふ、ふふ、待っていろよ、綾瀬」

 

 だから、私の顔に笑みが浮かんでしまうのも――きっと仕方のないことなのだ。

 

 私は綾瀬の背中で踊るツボーズ達を幻視しながら、一生懸命通勤ラッシュに巻き込まれるということに対する現実逃避を始めた。

 

 いいじゃないか。

 目ぐらい、背けさせてくれたって。

 

 

 

 

 

 厄日として始まった。

 そう感じたこの日が――私の“人生”に於ける、大きな分岐点だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第一話 ~子供先生の背中からロマンス~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

『ここ、ここが凝ってるよ』

『それよりもこっち』

『こっちも相当やばいよ』

 

 眼鏡を押し上げて、目を擦る。

 ぐいぐいと擦って、目を凝らす。

 擦りすぎて、少しだけ目が痛かった。

 

 私の腰くらいの身長。

 いや、実際はもっと高いのかも知れないが、正直解らない。

 

 理由は簡単だ。

 単純で明快だ。

 

「嘘だろ、おい」

 

 大量のツボーズで、全容が見えないというだけの話しなのだから。

 

「おい、ちょっと来い」

『あうっ』

 

 私は、その集合体からこぼれ落ちたツボーズを掴み取る。

 両手のついたテルテルボーズ。こいつらは、人間の“凝り”が具現化したものだ。

 見る人によってある程度形は変わるが、マッサージ師は誰でも見ることが出来る。

 

「どーしてこいつ、こんなに凝ってんだよ?」

『勉強のしすぎだよ。魔法も頑張ってるから、全身が凝るんだ』

「魔法?」

 

 ツボーズが零した、聞き覚えのない言葉。

 そのどこか不穏な響きに対する感情は、集合体が電車から降りていくことで吹き飛んだ。

 

「しまった!綾瀬を超える上玉がっ!」

 

 ここで逃がしたら、もう逢えないかも知れない。

 人生に一期一会なんてざらにある。逃がした魚に後悔した事なんて、一度や二度ではない。

 

 昔は、私の性根に染みついた人見知りがずいぶんと足を引っ張った。

 声をかける勇気がない。

 人間と話すのが怖い。

 だが、そんなことは言っていられないと思うのに、たいして時間は必要なかった。

 

 私を求める、ツボーズ達が居る限り。

 私は彼らを、救い続けるのだ。

 

「待てッ……なんて速さだ!?」

 

 小柄な影から、子供だと言うことは理解できる。

 だが、その子供は私の常識を大きく越えた速度で走り始めた。

 これだから麻帆良は嫌なんだ。マッサージのために軽く体力をつけている程度じゃ、追いつくことが出来ないヤツらがごろごろしてやがる。

 

「絶対、見つけ出してやる」

 

 姿の見えなくなった、集合体。

 あの子供を見つけるためには、毎日この憂鬱な時間帯に起きる必要があるだろう。

 

「く、はははっ」

 

 そんな私の大きな決意は――すぐに成就する事になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 今日の千雨さんは、普段と比べてどこかおかしかった。

 いつも席に着くなり私をじっと見て、それから心配そうに声をかけてくれるのですが、今日は虚ろな目で虚空を見るばかり。

 

 私の方など、見ようともしてくれません。

 

「どうかしましたか?千雨さん」

「綾瀬――」

 

 どこか遠くを見るような、そんな視線。

 その怜悧な瞳が映しているのは、目の前にいる私ではない。

 そのことが、不満に感じてしまうのです。

 

 千雨さんに気にかけて貰えないと、背中が重いのです。

 

「いや、実はな」

――ガラッ

 

 千雨さんが言い出す前に、扉が開きました。

 おそらく先生が来たのでしょう。タイミングの悪い先生です。

 

「失礼しま……」

 

 ですが、入室してきたのは、私の予想に反して子供でした。

 とても女子中等部にいるとは思えない、スーツ姿の少年。

 

 私がだらしなく呆けている間に、少年は沢山の罠にかかりながら教壇にぶつかりました。

 児童虐待にもほどがあります。相手が大人だったら、また別の問題が浮上しそうな、派手な罠です。

 

「今日からこの学校で、まほ……英語を教えることになった、ネギ・スプリングフィールドです。三学期の間だけですが、よろしくおねがいします」

 

 資格とかはどうなっているのでしょう。

 たいがいめちゃくちゃな学校ですが、良いのでしょうか?

 まぁ、三学期の間だけなら、問題はないということなのかも知れませんね。

 

 この学校なら、頷けます。

 

「子供先生ですか……千雨さんはどう思いま……千雨さん?」

 

 千雨さんに意見を求めようと横を向くと、じっとネギ先生を見つめる千雨さんの姿がありました。疲れている人間を前にするとこうなるのはいつものことです。

 

 となると、あの先生もまだ子供なのに苦労人ということなのでしょう。

 まぁ、千雨さんが形振り構わずマッサージをしに行くことなどそうそう無いので、私の至福の時間が邪魔されることもないでしょう。

 

 私はそんな風に――楽観視、していたのです。

 

「きゃー、カワイー!」

「どこからきたのー?」

「ねぇねぇ、いくつ?」

 

 クラスメートに囲まれるネギ先生を見て、私は大きく息を吐きました。

 やれやれと肩を竦めて千雨さんを見ると……千雨さんは、何故か無言で立ち上がりました。

 

「千雨さん?どうしたのですか?」

 

 私の声が届いていないのか、千雨さんは人垣を割ってずんずん進みます。

 

「ま、待ってください!」

 

 私はそんな千雨さんの後ろを、必死で追いかけました。

 ここで離れたら、もう掴むことはできない……そんな気が、したのです。

 

「ちょっとあんた、黒板消しになんかしなかった?!」

「え――」

 

 胸ぐらを掴まれているネギ先生。

 そんなネギ先生を救い出すように、千雨さんは明日菜さんの肩を掴みました。

 

「長谷川さん?」

「先生――」

 

 明日菜さんの言葉すら、千雨さんの耳には入っていないようでした。

 千雨さんは明日菜さんを押しのけてネギ先生の前に立つと、真剣な眼差しでネギ先生を見ました。

 

 顔が近いため、眼鏡で隠された千雨さんの綺麗な顔を見ることが出来たのでしょう。

 ネギ先生は、少しだけ頬に朱を差しています。

 

 ネギ先生に詰め寄った千雨さんは――――。

 

「先生の身体を、一時間貸してください!!」

 

 ――――その衝撃の言葉を、言いました。

 

 教室がざわつくのと、ほぼ同時。

 私は気がついたら、千雨さんの腰にしがみついていました。

 

「そんなっ、私を捨てるのですか!?千雨さん!」

――えぇ、アノ二人ってそーゆー関係だったのっ!?

 

 周囲の声など、私には届きません。

 なんだか、聞いてはならないような気がするのです。

 

「離せ!綾瀬!おまえみたいな上玉、誰が手放すか!……でも今は、あの先生のこと(ツボーズ)が目に焼き付いて離れないんだっ!?」

――三角関係?!……ジュルリ、これはイイスクープだわ。

 

 一気にクラスが沸き上がり、混乱の坩堝と化します。

 呆然と佇むネギ先生をよそに事態は悪化。

 

 結局ネギ先生は授業をすることも叶わず、私たちの混乱は高畑先生が来るまで収まることがなかったのでした……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 今日から僕は、教師になる。

 この試練を終えたら、立派な魔法使いへ――父さんへ、一歩近づくことが出来る。

 

 おじいちゃんとお姉ちゃん、それにアーニャに連れられてやってきた、麻帆良の地。

 そこは思っていたよりも、ずっと人が多くてびっくりした。

 

 明日菜さんともめ事が起こってしまったけど、それも乗り越えなきゃいけない。

 だって、これは試練なんだ。誰もが憧れる父さんのような魔法使いになるための、試練。

 明日菜さんともどうにかわかり合えるようにしないと、ダメなんだ。こんなところで、立ち止まってなんかいられないんだから。

 

「で、どうなんですか、先生っ!?」

 

 だから、黒板消しと沢山の罠にも引っかかって、なんとか授業を始めようとした。

 だというのに、僕は何故か眼鏡の女の人に、詰め寄られていた。

 

「か、身体なんか貸せませんよっ!?」

 

 僕の身体で何をしようというのだろうか。

 日本人は悪の組織に連れて行かれると、バッタ人間に改造されるとアーニャから聞いたことがある。ここで頷いたら、僕もバッタ人間にされてしまうのだろうか。

 

「一時間だけでいいんですよ?!」

「ダダダ、ダメですっ」

 

 詰め寄られながらも、名簿を開く。

 名前を確認すると、長谷川千雨、と書いてあった。

 その下に、タカミチの字で“人体に詳しい”と書いてある。

 

「大丈夫です、先生」

 

 千雨さんは、変わらない表情のまま、僕の手を掴む。

 その顔が更に近づいて、眼鏡越しの顔がよく見えた。

 氷のように動きがない整った顔。その奥で光る目に灯るのは、情熱だろうか。

 

「痛みは、ほんの一瞬です。いえ、感じないかも知れません――ただ、気持ちよくしてあげます」

「き、気持ち、良く?」

 

 そのよくわからない感情に動かされて、僕は頷きそうになる。

 けれどそれも、他の手によって遮られた。

 

「何を言っているのですか、千雨さん!」

「何って、決まっているだろう?雪広」

 

 割り込んできたのは、このクラスの委員長さんだった。

 委員長さんは、千雨さんと僕の間に身体を割り込ませた。

 

「ネギ先生は、渡しませんっ」

「おまえ“も”先生の身体に、興味があるのか」

「かかか、身体っ?!……はぅっ」

 

 ですが、委員長さんはすぐに倒れてしまった。

 顔が赤いのは、風邪だろうか。心配だなぁ。

 

「い、いいんちょさん!?」

「さぁ、邪魔者はいなくなり――」

「――何をやっているんだい?」

 

 周囲の女の子達も、見守るだけ。

 そんな状況下の中で動いたのは、この場には居ない第三者。

 騒ぎを聞きつけたタカミチだった。

 

 収まりそうになかったから、しずな先生が呼んでくれたのだろう。来てくれて、本当に良かった。

 

 

 

 

 

 

 タカミチのおかげでなんとか騒ぎは収まったけど、僕は結局授業をすることが出来なかった。

 

 一日を終えた、帰り道。

 僕の頭によぎるのは、力強い瞳の女の子だった。

 

「長谷川千雨さん、かぁ」

 

 その目に宿る意志の光が、頭から離れない。

 だって僕は、その光がすごく――“綺麗”だって、思ったんだ。

 忘れられる、訳がない。

 

「明日菜さんとも千雨さんとも、もっとお話をしてみよう」

 

 だって僕は、先生なんだ。

 生徒のことをもっとよく知って――立派な魔法使いに、なるんだ。

 

「よしっ、頑張るぞ~……って、あれは、宮崎のどかさん?」

 

 ――そして、そんな僕の決意は。

 

「危ないっ!」

 

 ――宮崎さんの落下という事態によって。

 

「あ、あんた、今……」

「え?」

 

 ――いきなり壁にぶつかることになった。

 

 まだまだ、立派な魔法使いへの道は、遠いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

「ちっ、どうにかしねーと」

 

 放課後、私は一人そう悪態をつく。

 綾瀬の涙ながらの“お願い”により、とりあえず今日は綾瀬をマッサージすることになった。

 

 元々“笑顔”が見たくて始めたマッサージだ。

 たとえ極上の身体が目と鼻の先にあっても、他をないがしろにするつもりはない。

 私のマッサージを求めてくれて、私の親指で笑顔になってくれる。

 

 それはきっと、私が求める私の未来への、第一歩だ。

 

 だが、だからといって諦められる身体ではない。

 思い出しただけで、私の身体(主に親指)が熱を持つ。

 それほどまでに、凄まじいツボーズだったのだ。

 

「とにかく今は、綾瀬だな」

 

 綾瀬は今、図書館島にいる。

 マッサージの本が見つかったというので見せて貰うついでに、図書館島でマッサージをやる約束をしておいたのだ。

 

 ちなみに、ツボーズの気配が極端に“薄い”謎の司書に、許可は取ってある。

 どうでもいいが、うさんくさい笑顔のフードの男だった。

 

「うん?あれは……宮崎?」

 

 ふつふつと思い出していると、視線の先に宮崎の姿を確認した。

 宮崎も綾瀬ほどじゃないが凝っているので、たまにマッサージをしている。

 だが、あいつのツボーズは、どうも控えめなのだ。奥手といっても良い。

 

 マッサージをし始めると積極的になり始める、面白いツボーズだ。

 

「おーい、あぶねーぞ……って」

 

 私が声をかけても、届かなかった。

 届く前に、宮崎は足を滑らせた。

 

「ちっ!宮崎!」

 

 急いで走ると、階段の下が見えた。

 その視線の先では――身体が“宙に浮いた”宮崎を支える、ツボーズ集合体……じゃない、ネギ先生の姿があった。

 

「おいおい、嘘だろ」

 

 思わず、腰を落として後ずさる。

 思い出されるのは、ツボーズの言葉。

 アイツらは確かに言ったのだ……魔法の疲れがたまっている、と。

 

「実在する? それじゃあ……」

 

 私の幼少期。

 あの辛い日常は、何だったのか。

 

 取り留めもないことを考えて、目眩がした。

 足下がおぼつかないし、どうしてだか気持ちが悪い。

 

 

 

 

 

 気がついたらネギ先生も宮崎も居なくなって、私はいつの間にか図書館島に来ていた。

 

 

 

 どうやってここに来たのか、知らない。

 どれほど時間が経っているのか、解らない。

 ただ足の赴くままに、ここに来ていたのだ。

 

「千雨さん?どうしました?」

 

 そうやってぼんやりと図書館島を見上げていると、いつものように分厚い本を持った綾瀬が立っていた。

 

 綾瀬にマッサージをする。

 しなければならないはずなのに、身体が動かない。

 

 綾瀬はそんな私の様子を見かねたのか、私の手を引いて図書館島の中へ誘った。

 そして、私を椅子に座らせて、自分も隣に座った。

 

「いつも一方的にマッサージをして貰っているだけですが、悩みを聞くぐらいできますよ」

 

 綾瀬は淡々とした口調で、そう言った。

 その声はどこか私を安心させる、心地よい力に溢れていた。

 

「――小さい頃、私は嘘つきだった」

 

 だから、だろうか。

 気がついたら、私は纏まらない思考を、そのまま綾瀬に吐露していた。

 

「嘘つきって呼ばれることが辛くて、笑顔の浮かべ方がよくわからなくなった。笑うと、嗤われる気がしたんだ、と、思う」

 

 好奇心に溢れた感情で、笑みを浮かべる。

 そして見たままを話すと、嗤われた。

 何時しか私は、日常における自身の“笑み”を、私のとっての“非日常”と認識するようになっていた。

 

「それでも笑顔が欲しくて、マッサージをした。そしたら、私が笑っても、みんなちゃんと“笑って”くれるんだ」

 

 だから私は、マッサージをしている最中しか、笑わなくなった。

 私自身は、マッサージの最中に自分が笑っていることなんて知らないが、みんな“良い笑顔だった”と笑ってくれた。

 

「嘘つきでもいいんだって、心のどこかで思ってた」

 

 嘘じゃない。

 嘘じゃない、けど。

 私は確かに、嘘つきとして過ごしてきたのだ。

 

「でも、嘘じゃなかったって、はっきりと見せられた」

 

 もうずっと目を逸らしていた、現実。

 それを目にして、そう、私は解らなくなったのだ。

 

「結局私は――――現実逃避のためだけに、マッサージをやっていたのかな、って」

 

 そう、思った。

 お婆ちゃんの笑顔に心打たれたなんてもっともらしいことを言って、結局は現実で傷ついていたくないだけの逃避手段だった。

 

 そんな風に、考えた。

 考えて、しまったんだ。

 

 私の話を静かに聞き終えた綾瀬は――大きく、息を吐いた。

 

「アホですね」

「へ?」

 

 そして、短くそう言われて、私は思わず硬直した。

 なんとか反論しようと声を上げるより早く、綾瀬が口を開く。

 早口では、綾瀬に敵う気がしない。

 

「もう、答えは出ているじゃないですか」

「え、と?」

 

 綾瀬の言葉の意味がわからず、首をかしげる。

 綾瀬は、そんな私の顔を覗き込んで、まっすぐと私の目を見た。

 

「“それでも笑顔が欲しくて、マッサージをした”」

「ぁ――――」

 

 混乱しながらも、私が紡いだ言葉。

 それを抜粋して、綾瀬は私に突きつけた。

 

「マッサージをして、笑顔が欲しかった。そうして努力した千雨さんは――“嘘”だったのですか?」

 

 そうだ。

 私は確かに、笑顔が欲しかった。

 私のマッサージで、いろんな人を笑顔にしたかった。

 

 そうして得たマッサージの知識と、技術と、笑顔は――。

 

「――“嘘”なんかじゃ、ない」

 

 簡単なことだった。

 こんな簡単なことに、気がつかなかった。

 

 気がつけなかった私に、綾瀬は気がつかせてくれたんだ。

 

「ありがとう――――綾瀬」

 

 私は今、笑顔を浮かべられている。

 そんな気がした。

 

 気のせいかも知れないけれど、きっと私は、笑顔を浮かべられている。

 

「い、いいのですよ」

「うん?顔、赤くないか?」

「な、ななな、なんでもありませんっ」

 

 顔逸らす綾瀬に、声をかける。

 綾瀬はそんな私の視線から目を逸らすと、立ち上がった。

 

「や、約束のマッサージです!」

「うん?あぁ、そうだったな……今日は、特別にサービスしてやる」

「望むところです」

 

 机の上に、シーツを敷く。

 マッサージ師たるもの、シーツくらいは持ち歩くものなのだ。

 

 綾瀬は靴を脱ぐと、そのシーツに横たわる。

 その背中から沸いて出たツボーズ。私はそのツボーズの白い肢体に、思わず生唾を呑み込んだ。

 

「綺麗だ、綾瀬」

「ふぇっ!?」

 

 姿勢を正して順番待ちをするツボーズ。

 その姿は、本当に綺麗だった。

 

「ち、千雨さん?」

「大丈夫だ――今日はいつもより、激しいぞ」

「何が大丈夫なんですかっ!?」

 

 私が親指を突き立てると、綾瀬はとたんに動きを止めた。

 その隙を見て、責め立てる。

 

「秘技――――千雨スペシャルver2.0!!」

 

 もう迷わない。

 私は私が信じた道を往く。

 

 その先に待つのは幸福である。

 そう信じているから……信じることが、できたから。

 

 私はただひたすらに、前を向こう。

 それが求めてやまない、道なのだから。

 

 

 

 でも今は、とりあえず。

 

「まだまだ行くぞっ!」

「っっっ!?!?!!」

 

 目の前の、獲物(綾瀬)からだ、な。

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第2話

――0――

 

 

 

 教壇に立つネギ先生が、チョークを片手に教科書を開く。

 昨日は、結局授業が出来なかった――私は覚えていないが、綾瀬がそう言っていた――から、今日こそはと意気込んでいるのだろう。

 

「じゃあ、一時間目を始めます。テキストの七十六ページを開いてください」

 

 先生としては、生徒には授業に集中して貰いたいのだと思う。

 その気持ちはよくわかるが、私にはどうにも難しい。

 

 手元のシャープペンシルで、ノートに授業の内容を書き殴る。

 私はどうも物覚えが悪いのだ。マッサージ以外のことになると、集中力が全く発揮されない。

 

 そんな、物覚えが悪い、なんて理由で授業に集中できない訳ではない。

 集中できないのとしないのは違っていて、私の場合は“集中するのが難しい”のだ。

 それも、仕方がないことだと思う。

 

『ぼく風池(ふうち)~。凝ってるよー』

『天柱(てんちゅう)だよ! すっごいよ!』

 

 あー、先生眼精疲労なのかぁ。

 緊張性頭痛も罹っている、かな? 勉強もほどほどにしろよ。

 

『膈兪(かくゆ)です……た、助けて』

『三陰交(さんいんこう)だよっ! こりこりだよっ』

『やぁ! 僕、鳩尾(きゅうび)! 限界なんだ!』

 

 先生、寝不足かよ。

 不眠症は身体に良くねぇぞ、ったく。

 

 

 

 

 

 ……と、このように。

 ツボーズ達が先生の不調を訴えに私のところへ集まってくるのだ。

 

 これで授業に集中しろ?

 ……バカも休み休み言えってんだ。

 

 あの肩を、腰を、腕を、胸を。

 あの身体を――私のモノにするまでは、集中できる日なんて来ない。

 待っていろよ、ネギ・スプリングフィールド先生。

 

「くっくっくっ」

「ち、千雨さん?どうしたのですか?」

 

 アンタの身も心も全て――私の手中に収めて(マッサージ的な意味で)やるぜ!

 

「それでは、次の問題を……えー、長谷川さ――」

「くっはははははっ!」

「――ひぃっ!?」

 

 うん?

 誰か、何か言ったか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第二話 ~惚れ薬でロマンス~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 授業が終わって、急に暇になる。

 綾瀬は早乙女や宮崎とどこかへ行ってしまったので、私は他に凝っている人間がいないか探していた。

 

 このクラスの人間は、割と凝っている人間が多い。

 運動をする人間が多い、というよりはちょこちょこと動き回る人間が多いからだろう。

 こんな活発な中学生は、世界を探しても麻帆良学園だけだと思う。

 

 もしかしたら、先日偶然知ってしまった“魔法”という要素が、アイツらの元気に関わっているのかも知れない。そうでなければ、あんなにアグレッシブな理由がわからない。

 

「麻帆良で育っても、私はこんなに“普通”だってのに」

 

 思わずそう呟いてしまうのも、まぁ仕方のないことだと思う。

 私は特技がマッサージなだけの普通の中学生だが、他のヤツらはそうではない。

 空を飛んだりするのは、あからさまにおかしい。

 

「しっかし、違うもんだな」

 

 魔法なんてものがある。

 そう気がついてから、私の認識は大きく変わった。

 ツボーズに質問すると、魔法疲れというヤツでへばっている教師が、何人かいるのだ。

 

「あれ?長谷川さん?」

「んあ……宮崎か?」

 

 一人で噴水付近を歩いていると、偶然宮崎に遭遇した。

 心なしか、顔が赤い。

 

「おい、大丈夫か?」

「はっ、はいっ」

 

 声をどもらせて、宮崎は答えた。

 胸を押さえて俯く姿は、心配だ。

 綾瀬繋がりで、図書館探検部の連中は割とマッサージをする仲だし。

 

「ちょっと手、貸してみろ」

「え、は、はい」

 

 戸惑う宮崎の手を取り、探る。

 宮崎と同じく赤い顔のツボーズが、私を呼んでいるのだ。

 

 右手の手首より、拳二つ分ほど下を押す。

 ここは郄門(げきもん)というツボで、動悸を鎮める効果がある。

 

「どうだ?これでもダメなら、念のため背中の心兪(しんゆ)も……」

「ぁ――いえ、もう大丈夫です」

 

 まだ顔は赤いが、落ち着いたようだ。

 何故混乱していたかなんて知らないが、良くなったのなら、それでいい。

 

「あの、長谷川さん」

「うん?どうした、宮崎」

 

 宮崎は小さく口を開くと、眼を細めて笑った。

 一々可愛らしいヤツだと思う。ツボーズも、積極的になると犬みたいなのだ。

 

「ありがとうございますっ」

 

 そう言って、宮崎は頭を下げた。

 私はその言葉に、嬉しくなる。だってそうだろう?

 

 ――私のマッサージで、笑顔になってくれたんだから。

 

「いや――良くなったみたいで、良かった。私も、嬉しい」

「――――ぁ」

 

 宮崎は、私の言葉を聞いたきり、身体を固まらせた。

 私は、何か変なことを言ったのだろうか?

 ……ううん、わからん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 ネギ先生に顔を見られて、私は恥ずかしくなってしまった。

 夕映もハルナも、急に髪を掻き上げるから、驚いてしまったのだ。

 

 そうやって、逃げ出して、お膳立てまでしてくれたのに結局上手く話すことが出来なかったということが、苦しかった。

 

 だから、胸を押さえて俯いていたんだ。

 弱い自分――もう一歩を踏み出せない自分に、整理をつけるために。

 

 そんな時に会ったのが、長谷川さんだった。

 夕映と結構仲が良くて、私やハルナにもマッサージをしてくれる女の子。

 普段は何処か大人っぽいのに、マッサージが関わると少しだけ子供っぽくなる。

 そんな、不思議な人だ。

 

 私の手を取ってマッサージをしてくれる長谷川さんの横顔は、凛々しい。

 ハルナがそんな長谷川さんを見ながら息を荒くしてペンを動かすのは、もう日常だ。

 

 そう、マッサージをしている時の長谷川さんはすごく格好良くて。

 

「いや――良くなったみたいで、良かった。私も、嬉しい」

 

 ――――そして時折、すごく綺麗だ。

 

「宮崎?」

「ぇ――ぁう」

 

 だから、そんな綺麗な笑顔を見せられた後で近づかれると、正直、困る。

 普段はまったく笑わなくて、たまに突然笑い出す時は能面のような表情で、少し怖い。

 なのに、こんな時、長谷川さんは本当に綺麗な顔で、笑うのだ。

 

「だ、だだだ、大丈夫っ」

 

 首をかしげる長谷川さんは、きっとすごく鈍い人だ。

 私は背中を見せて走りながら、自分の右手を、左手で押す。

 

「ここを、押すと、心が鎮まる」

 

 そんな長谷川さんに、私はほんの少し、勇気を貰った。

 長谷川さんの指と笑顔が、私の背中を押してくれた。

 

「よしっ」

 

 足を止めて、意気込み一つ。

 長谷川さんは以前、私のことを“すごく積極的(なツボーズ)だ”と言っていた。

 どうしてそう思ったのか解らないが、長谷川さんが真剣な顔でそう言えば、本当にそうなんだって、自然に思える。

 

 頭の後ろで、髪を纏める。

 動悸はいつでも抑えられて、背中は既に押されている。

 だったら、やることは一つだ。

 

「ネギせんせー」

 

 ――会いたい人に、会いに行こう。

 

 

 

 結局今日は、逢えなかったけど……うぅ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 結局逃げてしまった宮崎の後を追うこともなく、私は教室に戻るために廊下を歩いていた。

 宮崎はなんだかんだで落ち着いたみたいだし、なにより嬉しい言葉を貰えた。

 

 マッサージも出来て、笑顔も貰えて、私としては満足だった。

 

「これで、先生(の背中)が手に入れば、なぁ」

 

 と、声に出してみる。

 だがそれで何かが変わる訳ではないと解っているので、これ以上愚痴をこぼしたりはしない。

 

 うだうだと悩むくらいだったら、行動すればいい。

 前を見なければ、先生(の背中)は手に入らないのだ。

 

「うん?――あれは……先生、か?」

 

 そうして歩いていると、先生らしき人影を見つけた。

 らしき、と形容したのは、はっきりと先生であるという確証が持てなかったからだ。

 

「なんで、他人のツボーズまで背負ってんだ?」

 

 そう、パッと見た限りでも、普段の倍。

 沢山のツボーズにまとわりつかれて、巨大なテルテルボーズみたいになっていた。

 はっきり言って、不気味だ。

 

「おーい、せんせ、い?」

 

 胸が、高鳴る。

 急に激しくなった動悸に、私は困惑から首をかしげた。

 

「は、長谷川さん?!」

 

 ネギ先生が、私を見て戸惑いの声を上げる。

 どうしてだか、その声が――――愛おしい。

 

「先生」

 

 ツボーズが、邪魔だ。

 先生の顔が見えなければ、先生を“愉しく”マッサージできない。

 だから、私は先生から生えているツボーズを掴んで、引きちぎる。

 

『う、うわぁっ』

『た、助けてぇ!』

 

 いや、おまえら別に死ぬ訳じゃないだろう?

 だったら、私のために離れてくれても良いじゃないか。

 

 ツボーズを身体から引きはがして、その先にあるネギ先生の顔を見る。

 溢れ出るツボーズ達のせいで、実は一度も見たことの無かった、先生の顔。

 

 赤と黒のコントラストの髪に、赤茶色の目。

 幼いながらも整った顔立ちは、困惑の色で固められていた。

 その仕草、表情、ツボ……全てが、欲しい。

 

 だから、見せてください、先生。

 先生の色んな身体(ツボ)が、私は見たいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

 明日菜さんに惚れ薬を渡そうとしたら、なぜだか逆に僕が飲まされてしまった。

 そのせいでクラスのみんなに追いかけられることになって、僕は走っていた。

 

 なんとかクラスのみんなから逃げたその先には、僕のクラスの長谷川さんがいた。

 すごく綺麗で、少し……いや、結構怖い人だ。色んな意味で。

 

「おーい、せんせ、い?」

「は、長谷川さん?!」

 

 思わず声を上げてしまった僕に、長谷川さんは近づく。

 他のみんなと違って俯いているため、その表情は伺えない。

 ただ、妙な迫力があって、僕は身動きできなくなっていた。

 

「先生」

 

 長谷川さんは一言そう呟くと、僕の方に手を伸ばして……虚空を掴んだ。

 そしてそのまま、何かをちぎる、ちぎる、ちぎる。

 

 えぇっ、何が見えてるの?!

 こ、怖くて聞けないよ……うぅ。

 

 そして、何かをちぎり終わった長谷川さんは、腰を落として僕に視線を合わせた。

 その時ようやく、長谷川さんの、顔が見えた。

 

「やっと逢えましたね。先生」

「ぁ」

 

 短い間だけど、凛々しい長谷川さんや綺麗な長谷川さんは見てきた。

 でも、こんな……はにかんだような顔で、可愛らしく笑う長谷川さんは、始めて見た。

 

 緩んだ頬と、潤んだ目。

 その表情に浮かぶ、優しくて暖かい色。

 いつも誰かに安らぎを与えていたという親指が、僕の頬をなぞった。

 

 ――その瞳は、すごく綺麗で。

 

「リラックスしてください、先生」

「は、せがわ、さん」

「千雨、でいいですよ」

 

 長谷川さん――千雨さんが、僕の身体に手を滑らせる。

 頬から下って、肩に乗せられ、二の腕を這う白魚のような手。

 

「大丈夫です。先生は初めてでしょうから不安もあるかも知れませんが――」

 

 千雨さんはそう言うと、僕の耳元に顔を寄せた。

 

「――【私に全てを任せてください】」

「ぇ……あっ」

 

 脳を揺さぶり、心を掴み取るような声。

 その声に僕は、思わず腰を抜かす。

 

 心を惑わす不可思議な音色。

 これではまるで――――“ローレライ”のようだ。

 

「さぁ、始めましょうか――」

 

 千雨さんの手が、僕に伸びる。

 その手を僕は、払うことが出来ない。

 物理的に動けないということもあるが、それ以上に、僕は心のどこかでこの手を享受していた。

 

「千雨、さん」

「――ネギ!危ない!」

「ぺぽっ!?」

 

 あと、三センチ。

 そこまで千雨さんの手が迫り――吹き飛んだ。

 僕を助けに来てくれた――あと少し、だったのに――明日菜さんが、勢い余って千雨さんを吹き飛ばしてしまったのだ。

 

「やば、やりすぎたかも」

「あ、明日菜さん」

 

 明日菜さんは千雨さんに駆け寄ると、様子を見る。

 そして、無事だったのか安心する姿を見て、僕も安心することが出来た。

 良かった……千雨さん、無事だったんだ、と。

 

「大丈夫だった? ネギ?」

「――は、はい! ありがとうございました!」

 

 い、いけない。

 千雨さんの魔の手に落ちると大変だって、いいんちょさんから聞いていたのに。

 何が大変なのかよく解らなかったけど、うん……確かに、“大変”だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕焼けの、帰り道。

 明日菜さんと木乃香さん、それに僕で並んで帰る。

 

「もう~今日もバタバタな一日だったじゃない!」

「すいません、ご迷惑ばかり……でも、どうして助けてくれたんですか?」

 

 僕が問いかけると、明日菜さんはどこか気まずげに顔を逸らした。

 迷惑ばかりかけているのに助けに来てくれる明日菜さんは、やっぱり良い人だ。

 

「なんか、“アブナイ”感じだったから、ね」

「あ、あははは、そ、そうです、ね」

 

 自分の事ながら、危なかったと思う。

 何がと聞かれても、正直解らないけれど。

 

「もっとしっかりしなさいよ!先生」

「は、ひゃいっ」

 

 明日菜さんにお尻を叩かれて、思わず飛び上がる。

 うぅ、変な声出しちゃった……。

 

 出席簿を開いて、明日菜さんのところに一言……“すごいタックル”と書き込む。

 それから僕は、視線を千雨さんの写真へ移した。

 

 仏頂面で佇む、千雨さんの写真。

 その姿を見ていると、脳裏にあの笑顔が再生された。

 

「千雨さん、か」

 

 なぜだかは、わからない。

 でも確かに――僕の胸が、“とくん”と波打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――5――

 

 

 

 目を開けると、保健室だった。

 

「は……あれ?」

 

 何故こんなところにいるのか、わからない。

 マッサージ師として体調管理くらいは出来るのだが、身体をこわした記憶はない。

 疲労だって、自分で出来る範囲でマッサージをして溜めないようにしていた、はずだ。

 

「なんだ? ……うーん」

 

 とにかく、ベッドから起き上がる。

 手荷物は枕元に置いてあったので、それを手に取り保健室を出る。

 

「あれ? もう大丈夫なの?」

 

 その時、丁度保険医の女性が戻って――席を外していたのだろう――きた。

 保健室はマッサージのために借りることがあるので、この女性とは顔見知りだ。

 

「ええ、大丈夫です。――【ありがとうございました】」

「っっっ!?」

 

 先生の、腰が抜ける。

 そんな先生に、私は慌てて駆け寄った。

 

「んんっ……これで大丈夫か……大丈夫ですか?」

「え、えぇ……い、今のは?」

「さ、さぁ?」

 

 困惑する女性に頭を下げて、今度こそ保健室を出る。

 

 そして、夕焼けの道を歩きながら、首をかしげた。

 

「おかしいな、どうなってんだ?」

 

 生まれ持った才能か、私は意識すれば人の腰を砕くフェロモン系の“声”を出すことが出来る。

 

 変な誤解をされるから使わない方が良いと、何故か綾瀬に諭されて意図的に出さないようにしていた、私の、秘密の特技の一つ。

 

 脳天直下のフェロモンボイス――通称“ローレライ”。

 

「こんな特技より、目つきが良くなった方が人を安心させられるから、嬉しいんだが……まぁ、詮無きことか」

 

 しばらくは疑問が頭から離れなかったが、それもマッサージのこと考えていたら、すぐに薄れていった。

 

「本当に、なんだったんだ?――――うーん、まぁ、いいか」

 

 とりあえず、帰ったらマッサージの本でも読もう。

 後ろを向く暇があったら、マッサージだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――

 



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第3話

――0――

 

 

 

 この麻帆良学園は、私の感性で見て色々とおかしいところがある。

 

 島が丸ごと図書館で、しかも中身はダンジョンじみているとかいう、図書館島。

 明らかに世界遺産レベルなのに、取材なんかは一度も来たことがない世界樹。

 常識外れな部活動や、オリンピックレベルの身体能力を持つ生徒、先生達。

 

 この、ただの中学生に使わせるには色々とおかしい大浴場も、その一つだろう。

 

 だが、私はこの風呂が気に入っていた。

 広い空間でのんびり出来るということは、リラックスできるということ。

 その後は血流が良くなって、マッサージの効果が上がるという、ことなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第三話 ~ドッヂボールで親指パニック!?~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

「大浴場、バンザイ」

「真顔で何を言っているですか。千雨さん」

 

 自分で言って自分で頷いていた私に、綾瀬が嫌そうな表情でツッコミを入れた。

 そんなことを言われても、困る。私は、表情を変えるのが苦手なのだ。

 

「綾瀬、また凝っているぞ?」

「ハルナの手伝いのせいですね。おそらく」

「と、いうことは早乙女と宮崎も……おぉ、イキの良いツボーズだ」

 

 私に向かって、沢山のツボーズが手を振っていた。

 早乙女の天柱と風池は、私の常連だ。あいつは目を使いすぎる。

 まぁ葉加瀬もそうなんだが……私がマッサージをするのを妙に嫌がるんだよな。

 

 常識がどう、科学がどうと、ぶつぶつと頭を抱えだすのだ。

 マッサージ師のことが信じられないのなら、一度“大貫マッサージ学校”にでも行ってみればいいのに。

 

 マッサージ界のキングとか呼ばれている大貫先生の学校。

 あそこへ行けば、私クラスのマッサージ師なんざごろごろしてるぞ。

 

「ままならないな」

「何がですか?」

「キングの下へ行けば、葉加瀬も救われるだろうに」

「あ、新手の宗教でしょうか?」

 

 綾瀬は、たまに失礼なことを言う。

 突拍子もないことを、とは言うが、話しの流れから自然な会話だったろうに。

 

「ところで千雨さん」

「なんだ?」

 

 頭を洗っていた私に、綾瀬がため息をつきながら尋ねた。

 人の顔をまじまじと見つめながらため息とは、失礼なヤツだ。

 

「……どうして、眼鏡を外していないのですか?」

「趣味だ」

「――――素顔が、みられないじゃないですか」

 

 丁度、桶で頭を流した瞬間に、綾瀬が何かを呟いた。

 しかし、水の流れる音でまったく気がつかなかった私は、よく解らずに首をかしげた。

 

「うん?何か言ったか?」

「な、何でもないです!」

 

 変な綾瀬だ。

 まぁ、綾瀬は普段でも、時々変だが。

 どうも、私と話していると綾瀬は脇道にそれることがあるのだ。

 

「――――そう、例えば、プロポーションも完璧な、この私のような」

 

 雪広の声が、大浴場に木霊する。

 考え事をしている最中に、話が進んでいたようだ。

 

「なぁ綾瀬、なんの話しだ?」

「あっ、千雨ちゃん!胸の大きい人の部屋に、ネギ先生が移るらしいよ~」

 

 割って入った早乙女が、私に説明をした。

 胸の大きい人というのがなんの関係があるのか解らないが、とにかくプロポーションの良い人間の部屋に移る、ということになったのだろう。

 

 ネギ先生が部屋に来ることに、いったいなんのメリットが……。

 

「……部屋に来る、だと?」

「ち、千雨ちゃん?」

 

 早乙女が、なにやら小さく呟いて後ずさる。

 だが、雑音なんか聞こえない。

 

「胸はこのクラスでは平均的だが、腰のくびれやバランスには自信があるぞ。プロポーションの善し悪しで決めるのなら、私の部屋が適任だ」

 

 腕を組み、胸を張る。

 マッサージで鍛えられた肉体に、恥ずべき部分など無い。

 私はそう断言できる程度には、マッサージ師として己の肉体を磨いている。

 

 第一、美容のための整体もするんだ。

 私自身が説得力のある肉体でなくて、どうするというんだ。

 

「そ、それなら私は、全然ダメですね……」

 

 と、呟いたのは、雪広ではなく宮崎だった、

 そういえば、宮崎は先生に片思いだったはず。

 あれからちょくちょく会いに行ってはいるようだが、進展はないと聞く。

 そんな時に名乗り出るのは、まずかったと言うことだろう。

 

「あ、こんちゃー、いいんちょ」

「こんばんはー」

「お、時間どおりにみんな入っているなんて、珍しいな」

 

 私たちが揉めている間に、人が集まってきてしまったようだ。

 眼鏡が曇ってきたので、ツボーズが見えなくなり始めたのが、残念だ。

 

「ん?」

「どうしました?」

「いや……なんでもない」

 

 一瞬、岩陰にツボーズが見えた気がしたのだが……気のせいか。

 眼鏡の曇りで、本当に見えない。

 

「ところで綾瀬」

「なんですか?」

 

 胸が小さいことを、気にしているのは解る。

 宮崎もプロポーションのことで気に掛かる部分があるようだったし、それは一部の他の連中にもいえることだろう。

 

 ここは、一石投じて一度に何羽も手に入れてみるとしよう。

 

「胸の大きくなるマッサージや、美容に効くマッサージも、あるぞ?」

「本当ですかっ?!」

 

 食いついた。

 他の連中――鳴滝姉妹や、宮崎、あと……マクダウェルもか?――も、耳を傾けている。

 

「マッサージをすることにより血行をよくするんだよ。そうするとエネルギーを消費させて脂肪を燃焼できるんだ。……で、身体の余分な水分や老廃物が排出される、と」

 

 つまりは、マッサージによるダイエットだ。

 乙女の永遠の悩みも、マッサージで気持ちよくなりながら何とかなる。

 おまけに、部分痩せで好みの体型に変わっていくことが出来るのだ。

 

「もちろん個人差はあるが、風呂上がりにやってみようか?」

「ぜ、是非!」

「わ、私もお願いします!」

「ぼぼぼ、ぼくたちもっ」

 

 集まってくるクラスメート達に、ほくそ笑む。

 獲物は大漁。今晩は、ご馳走(フルコース)と洒落込めそうだ。

 

 鳴滝姉妹なんかは、普段は妙な警戒心を持って近づいてこないからな。

 私がそうもくろんでいると、綾瀬が胡乱げな目で私を見ていることに気がついた。

 

「なんだ?」

「千雨さんの頭の中を、一度覗いてみたいです」

 

 その言い方じゃ、私が理解不能な思考回路を持っているみたいじゃないか。

 失礼なやつだ。

 

「失礼なことを――」

「ネギ先生ーっ」

「――なんだ?」

 

 急な騒ぎになったことで、私は話を切る。

 慌てて眼鏡をずらすと、そこにはツボーズの集合体。

 もとい……ネギ先生がいた。

 

 騒ぎに便乗して、ツボを狙いに行くチャンスを失った私は、素直に傍観に徹することにした。

 

 もみくちゃにされているネギ先生と、責められている神楽坂。

 あの輪に入るのは、どう考えても自殺行為だ。

 

「と……先生は何を……あの杖って」

 

 ネギ先生が杖を持ち、何かを小さく呟いた。

 それだけで小さく風が起こり――神楽坂の胸が、膨らんだ。

 

「人体改造っ?!」

 

 そんなことまでできるとは……どこまで非常識なんだ。

 神楽坂が宙に浮き上がるほどの、豊胸。

 私のマッサージで、いったいどこまで対抗できるか……。

 

「ネギ先生達のコミュニティーに、“マッサージ”はあるんだろうか?」

 

 魔法使い達による魔法のマッサージ、か。

 ……畜生、気になる。

 

 だが、私としては、私が“魔法を知っている”という事実を知られたくない。

 魔法使い物にありがちな“記憶消去”の処置なんてとられたら、折角広がった視野が、また狭くなってしまう。

 

 

 

 

 

 と……私はそんなことを考えていたせいで、神楽坂の胸が破裂するという事態を、見ることが出来なかったのだった。

 

 大きくなった胸のツボーズ……もっとしっかり見ておきたかったのに……っ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 先日のお風呂騒動は、明日菜さんの胸が破裂するという珍事態により、収束しました。

 もっとも、それで千雨さんのマッサージも流れてしまったのですが……まぁ、仕方のないことです。

 

 結局、なんとか“自分で出来るマッサージ”を教えて貰い、一人部屋で悶々とツボを押すことになってしまいました。

 

 ……そうして、今日も私は一人でツボを押していました。

 体育の着替えを早々に終えて、空いた時間にこっそり自己マッサージ。

 隙あらばやっている、という感じでしょうか。

 

 むなしいですが……すごく、むなしいですが、仕方在りません。

 折角胸を大きくできるチャンスが出てきたのだから、活用すべきなのです。

 

 私はそう自分を納得させると、再びマッサージに取りかかります。

 

「えーと、右手の人差し指と中指の上に、左手の同じ指を重ねて……」

 

 千雨さんから貰ったメモに従って、押します。

 話しでは、ここは“膻中(だんちゅう)”というツボだそうです。

 もう、マッサージのことは千雨さんから聞けば、大抵の解答はくれるのです。

 

「夕映ー、なにやってんのー?」

「あ、ハルナ……今行くですっ」

 

 おっと、危うく体育に遅れるところでした。

 夢中になっていたのでしょう。……恥ずかしい限りです。

 

 

 

 

 

 今日の体育は、バレーボールです。

 屋上に集まって体育……だったはずのなですが、まさかのブッキング。

 杜撰な管理ですね。

 

 そして、普通に両者が同時に使用できるスペースがあるのに、対決。

 もう意味がわかりません。

 

「千雨さんは、どうしますか?」

「どうって……選択肢が与えられる前に、入れられているんだが?」

 

 そう、千雨さんはメンバーに数えられていました。

 マッサージが関わると、身体能力が上昇する千雨さん。

 その千雨さんが、マッサージに関わりのないことで運動をするのです。

 

「大丈夫、ですか?」

「負ける訳には、いかねぇだろ……あのツボが、手に入らなくなる」

 

 のどかには悪いですが、一瞬“負けても良いかも”などと思ってしまいました。

 

「そんな顔しなくても、綾瀬を手放したりはしねぇよ」

「……誤解を招きそうな、言葉ですね」

 

 千雨さんは、一々言動が危ういのです。

 これではプレイボーイ……いえ、プレイガールみたいではないですか。

 いえ、そう考えると、毒牙にかかっているのは私なのですが。

 

「さて、始まるみたいだな。審判よろしく頼むぞ、綾……綾瀬?顔が赤いが……」

「なっ、な、なんでもないです! 早く行ってください!」

「そうか?」

 

 思わず、変な声が出てしまいました。

 普段はもっと理路整然とした思考が展開できるのですが、千雨さんと話していると、どうも思考が宇宙の方向へサマーソルトするです。

 

 と、そんなことを考えている内に試合が始まっていました。

 どうも、集中力が散漫になっていますね。

 

「行くわよ! 子スズメ達! 必殺――」

 

 高校生の方々が投げたボールが、次々と私のクラスメートを狩っていく。

 ドッチボールは数が多い方が不利……とは、漸く気がついたようですね。

 いえ、人数が調整される程度なら別に不利というほどではありませんが。

 

 次々とリタイアになっていく、クラスメート。

 トライアングルアタックとか、太陽拳とか、千雨さんに通じるセンスを感じるです。

 ……なんだか、千雨さんの“薔薇の舞い”が見たくなってきました。

 

「み、みんな! 諦めちゃダメです!」

 

 ネギ先生の言葉で、皆さんがやる気になりました。

 ルールブックを取り出して、のどかも頑張る様子です。

 なら私は、なんだかんだで残っている千雨さんに、アドバイスをしましょうか。

 

「千雨さん」

「なんだ?避けるだけで精一杯だぞ?私は」

「正確にツボを捉える訓練、だと思ってみてはいかがでしょうか?」

 

 私の言葉を、千雨さんは口の中で反芻しているようでした。

 そして、それが終わると……真剣な表情で前に出ました。

 

 さて、ここから――私たち二年A組の、反撃開始です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 時折綾瀬は、すごく面白いことをいう。

 今回のことも、その一つだ。

 

 ボールをツボに見立てるのは、形状からして難しい。

 いや、頭部に見立てられないこともないが、それだと空飛ぶ生首でグロテスクだ。

 では、どうするのか?

 

 ボールの中心に指を突き立てることにより、ツボを正確に押す訓練だと思えばいい。

 

「ならば、眼鏡の大人しそうな貴女を!」

 

 綾瀬と宮崎のルールブックに参っていた高校生が、私に向かってボールを投げる。

 

 だが、私の集中力は――普段には比べものにもならないほど上がっていた。

 

 ボールの中心を見極めて、親指を突き立てる。

 動作はこれだけ……これだけで、十分だ。

 

「なっ?!……親指一本で、止めたっ!?」

「親指一本で?……マッサージ師で一番強いのは、親指にきまってんだろうが」

 

 そう、マッサージ師たるもの、親指一本で逆立ちくらいは出来ないとならない。

 私がマッサージ師であることが見抜ければ、アイツらもそのくらいの判断は出来たろうに。

 

「千雨さんの常識が、わからないです」

「大丈夫だよー、夕映ー。私も、わからないから」

 

 外野で、綾瀬と宮崎が失礼なことをいっている。

 もう少しマッサージ師という職業について、今度語っておこう。

 

「頼んだ」

 

 味方にパスをして、攻撃に繋いで貰う。

 投げるのは不得意だが、受け止める程度だったらいくらでもできる。

 

「大河内」

「うん」

 

 受け止める。

 

「古菲」

「ハイネ!」

 

 渡す。

 

「超」

「こんな情報、無かったはずネ……うぅ」

 

 片付ける。

 あっという間に、相手チームは残り三人にまで減っていた。

 そして……。

 

「時間です……試合終了!」

 

 試合が終わった。

 全員適度に疲れていて、ツボーズが活性化していた。

 あまり動きすぎるのも良くないし、ツボーズを見る限り、丁度良い塩梅だ。

 

『わわっ、まだ動くのー?』

 

 ツボーズの声がして、振り向く。

 そこには、神楽坂に狙いをつける、高校生――名前は知らないが、リーダーの女生徒だ――の姿があった。

 

 まだボールを放つ前。

 それなら、どうにでもなる。

 

「やめておけ」

「っ」

 

 高校生の手が止まる。

 私は、手に軽く指を当てているだけだ。

 

「う、動かないっ」

 

 人体を知るということは、なにも気持ちよくさせるばかりではない。

 こうして、身動きがとれなくなるツボや間接の動きを阻害する場所も、当然のことながら存在するのだ。

 だが、止めているだけじゃダメだ。

 

 だから、そっと耳元に呟いた。

 

「大人しくしてください……【先輩】」

「っっっ!?!?」

 

 私の“ローレライ”は、耳元に呟くほどの距離でないと、対象の指定が出来ない。

 普通に使ってしまうと、最大射程は半径二十メートルで、無差別だ。

 敵味方に限らず腰を砕く訳にはいかないから、ドッチボールでは使えなかったのだ。

 

 もっとも、それでも調整しきれず、高校生チームの半数の腰を砕いてしまったが。

 ……まぁ、些事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、意気揚々と綾瀬達の輪に戻った私は、気がつかなかった。

 

「――――素敵」

 

 あの先輩方が、そんなことを呟いていたということに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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閑話1

――0――

 

 

 

 おかしいネ。

 

 私が今見てるのは、クラスメートの一人。

 後の白き翼のメンバーで、趣味はネットアイドル。

 現実主義者で平穏を好み、結構芯が強い少女……だたはず、ネ。

 

 規格外な仲間達に対するツッコミ。

 暴走しがちなネギ坊主を押しとどめるストッパー。

 口が悪くて情が深い、なんだかんだデ面倒見のイイ苦労人。

 

 日常を好むという彼女は、けしてコンナ……。

 

「くっはははははっ!」

 

 ……授業中に奇声を上げる、変人ではなかたはずネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閑話 超鈴音の受難 ~愕然編~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 長谷川千雨という人物は、思エバ始めからおかしかたヨ。

 彼女は孤独を好むように、ネギ坊主が来るまでは一人でいることガ、多かたネ。

 調べた限りでは、それは確実だた、はずネ。

 

 だと言うのに、彼女は一年生の時、私に声をかけた。

 

「大丈夫か?」

 

 無表情で、能面のよーにそう告げタ。

 私は驚きを表情に出さないよーに、注意を重ねて笑たネ。

 

「何のことカナ?」

「目だ。パソコン作業か?」

 

 短い言葉だたヨ。

 それでも充分、意味は伝わたネ。

 

 長谷川千雨は、何故カ私の疲労を言い当てて、心配してイタ。

 

「少し見せてみろ」

「ア、アァ」

 

 意図は解らなかたガ、触られてナニカされれば、気がつく。

 ダカラ私は、あえて長谷川千雨の提案に乗ったヨ。

 

「ふっくくく」

 

 異様な気配だたネ。

 今思い出してモ、背筋が寒くなるヨ。

 

「本当に私が好きだな、風池、天柱」

 

 フーチにテンチュウ。

 そう言ったというのは解タが、それが何を指すのか、解らなかタ。

 いくら私が天才デモ、知らない事は解らないネ。

 

「超、頭痛があるだろう?」

「まァ、時々……」

 

 普段ならそんな弱みは見せナイのだガ、その時はすかり呑み込まれてイタヨ。

 恥ずかしイ限りだナ。

 

「緊張性頭痛を治したいのなら、風池と天柱だ。首には二本の太い筋肉が通っている。風池も天柱もその外側だ。風池は頭のすぐ下の凹みで、天柱は首の辺りだ。ここを左右同時に三~四秒間押さえて離す。これを三分間繰り返して押すべしッ!!」

 

 マシンガントークだたネ。

 こんなに饒舌ではなかたハズ。

 だが、私にマッサージをしているのは、確かに長谷川千雨だた。

 

 不覚にも眠ってシマタこの後、私は“長谷川千雨”について、リサーチすることに決めたのだたネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 その次は確カ、私が直接質問をしに行った時のことネ。

 少しでも情報が欲しくて、まずは直接聞いてみたヨ。

 

「千雨サン」

「超か……疲れているみたいだな」

 

 いきなり言い当てられたネ。

 デモ、この時にはモウこの程度では、驚かなかたヨ。

 ……ソウ、“この程度”では、ネ。

 

「今、一番欲しいものはナニか?」

 

 聞けば答えてくれるということは、解たネ。

 ならば、この答えによって長谷川千雨の方向性を掴むことがデキル。

 そんな期待をしてイタのだが、甘かたネ。

 

 長谷川千雨は逡巡すると、スグに口を開いタ。

 欲しいものガ、沢山あるということガ、これだけである程度、解タ。

 ……よーな気に、なっていたのダ。

 

「ナビ機能」

「なんのッ!?」

 

 コノ私を、科学に魂を売り渡した私ヲ、思わずツッコミポジションに据える一撃だた。

 ソノ恐ろしい攻撃に、私は警戒レベルを上げたヨ。思わズ。

 

「ツボーズが答えてくれんだよ」

「壺ーズ?蛸壺?」

 

 私モ、自分が何を言っているカ、解らなかたネ。

 仕方ナイだろう……向こうが火星人な気がしてきたヨ。

 

「ところで超、また天柱が泣いているぞ?」

「テンチュウとは、ツボのことだたヨネ?それは比喩カ?」

「いや、見たまんまだ」

「見たまんまッ?!」

 

 目に映るセカイに、違いがあるのだろうカ?

 私はもしかして、トンでもない“過去”へ来てしまったのでハ無かろうカ……。

 

「ストレスも、疲労の元だ。気をつけろよ?超」

 

 どうでもイイガ、君にだけは言われたくないネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 アレからも、ホントウに色々あたネ。

 ハカセの苦難、龍宮の精神疲労、刹那サンの怯え。

 

 そして、現在。

 漸くネギ坊主が赴任し、未来を変える為の序章が始まタ。

 ……だというのに、全く安心できないヨ。

 

 妙に強気な宮崎のどか。

 これは、この時点で弱気か強気かなど解らないので、保留ヨ。

 

 どう見ても“アッチに目覚めかけ”な綾瀬夕映。

 ……アレ?ネギ坊主に思いを寄せていたよーな気がするのだガ?

 

 そう、そのネギ坊主のことガ、一番問題ネ。

 

 会話の最中。

 授業の最中。

 他者へのマッサージの最中。

 

 長谷川千雨に気がつかれないタイミングで、こっそり切なそーな視線を向けル、ネギ坊主。

 バカでもわかる。アレは“恋”ね。

 

「そうなると……アレ?私の、先祖ハ?」

 

 脂汗が、止まらないヨ。

 学園祭で、未来を変える。

 逆に言えば、未来を変えられるタイミングは、学園祭だけネ。

 

 

 

 

 

 重要監視対象、長谷川千雨。

 

 

 

 

 

 この時はマダ、私は知らなかタ。

 これが私の、ストレスタイムの始まりダト、いうことに……。

 

 

 

 

……アァ、胃薬が欲しいネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――

 



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第4話(前編)

――0――

 

 

 

 期末テストという行事がある。

 エスカレーター式なので手を抜く生徒もいるが、私はそれを“良し”とは思えない。

 ここでしっかりと勉強をしておかないと、後々苦労することになるのだ。

 

 私の将来の夢は、マッサージ師だ。

 まずは進学して、それから高校を卒業したら、専門学校に入って資格を手に入れて、それから小さな店を開く。

 

 そのためには、やはり資格を取ることが出来る“頭”を作っておく必要があるのだ。

 

「なんて、言ってもな……」

 

 そう、そんな志を持っていても、どうにもならないことはある。

 それなりに良い成績、上の下くらいは取りたいのだが、私は平均よりやや下。

 つまり、中の下ということだ。

 

 それでは、良くない。

 だが、どうにもマッサージ以外のことでは、頭が働いてくれない。

 

 だから、毎回どうにも憂鬱だった。

 この、期末試験というイベントは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第四話 ~図書館島で、遭難ロマンス(前編)~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 席に着くように促す、ネギ先生の声。

 そういえば私は、ネギ先生の声は聞いても顔はほとんど見ていない。

 いい加減、ツボーズのいない状態を見せてくれればいいのに。

 

 いない状態にするのは、私の手以外では認めないが。

 

「えーと、みなさん、聞いてください!」

 

 ネギ先生が指揮棒みたいなのを振り上げながら、私たちに耳を傾けるように言う。

 ツボーズから出てきた指揮棒が触覚みたいで、少し気持ち悪い。

 虫だろうか……ネギ、ネギま……焼き鳥……あぁ、鳥か。

 

「千雨さん、英単語野球拳だそうですけど……また、妙なことを考えていませんか?」

「綾瀬……ネギ先生は、鳥だろうか?」

「トリですか?最後の?」

 

 話しがかみ合わない。

 まぁ、どうでも良いことだし、気にしないが。

 それよりも、最初に綾瀬の言ったことが気になってきた。

 

「英単語野球拳?」

「あ、普通に戻るのですね。はい、ネギ先生が勉強会をすると言い、こうなりました」

 

 その“こうなりました”に通じる状況が、まったく解らない。

 このクラスは、もう少し話の前後が通じるような思考回路を持つべきなのではなかろうか。

 

「英単語か……まぁ、大丈夫かな」

「自信あるですか?」

「普通だ」

 

 そんなに難しい単語を出してきたりはしないだろう。

 なんだかんだで、問題の難易度を私たちのバランスに会わせて調整できる、秀才というのにも生ぬるいヤツらも揃っているというのが、このクラスの特徴だ。

 

「まぁ、綾瀬は気をつけろよ」

「今更気をつけることに、何の意味があるのか解りません」

 

 英単語野球拳の輪に入っていく綾瀬は、どこか黄昏れていた。

 そして、服を脱ぐ度に、達観した表情になっていった。

 

「いや、あれは諦めか」

 

 私のクラスは、本当に奇人変人ばかりだな。

 いや、この学校の生徒が、か……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 温かいお湯に浸かりながら、のんびりとジュースを飲みます。

 やはり、お風呂に入りながら飲むジュースは、最高です。

 

「なぁ、綾瀬。それ、おいしいのか?」

 

 千雨さんの、怪訝そうな声。

 私が今飲んでいるのは、“抹茶コーラ”というジュースです。

 両者の風味を生かした、スペクトルな味で美味しいです。

 

「千雨さんも、飲んでみますか?」

「うーん、そうだな」

 

 それなら、後で買っている自販機を教えましょう。

 いえ、一緒に買いに行った方が早いですね。そうしましょう。

 

「うん、悪くない」

「なっ――」

 

 だというのに、気がついたら少し軽くなっている紙パックがありました。

 距離といいタイミングといい……こ、これはまさか、か、間接キスというものでは……。

 

「ちち、千雨さん、あの――」

「最下位のクラスは解散ってアレ、どうなんだ?」

「――か、かんせ……かいさん……はい?」

 

 れ、冷静になるです。

 ここのところ、私は少しおかしいですね。いえ、少しではないかも知れません。

 これはきっと、千雨さんの“天然”に引きずられているのでしょう。

 

 とにかく、千雨さんが私に聞いてきたのは、今回のテストのことでしょう。

 私は、正直“解散”なんて事態にはなり得ない、と思っています。

 他クラスに分けるのには三十一人という人数は多すぎますし、再編成ならば他クラスも解散させなければならない。

 

 中学に於いて“留年”というものが存在しないという事実がある限り、小学校からやり直しなどと言うバカげた事態にもならないでしょう。そもそも、小学校の卒業を取り消しというのも、あり得ませんし。

 

 それはともかく、学園長の孫である木乃香さんからその話が来たのは事実です。

 火のないところに煙は立たず、その煙が万年最下位の私たちに伝わる。

 

 これは、何かしらの“ペナルティー”が生じる可能性はある、ということでしょうね。

 

「今のクラスけっこう面白いし、バラバラになんのイヤやわー。明日菜ー」

「ん――――」

「ま、まずいね。はっきり言って、クラスの足引っ張ってるのは、私たち五人だし……」

「今から死ぬ気で勉強しても、月曜には間に合わないアル」

 

 私と明日菜さん以外の、バカレンジャーの皆さんが不安そうな声を漏らす。

 どうでもいいですが、長瀬さんは仁王立ちを止めるべきです。だらしがないです。

 ……いえ、胸がどうとか、関係ありませんよ?

 

「ペナルティー、か……マッサージ禁止とかか? ……いや、死ねるな」

 

 そんな簡単に死にはしない……いえ、千雨さんのことだから、わかりませんね。

 

 しかし、それは要するに“禁欲”の罰則です。本が読めないのは、私としても困ります。

 その、千雨さんにマッサージをして貰えなくなるのも……。

 

「――――ここはやはり、“アレ”を探すしかないかもです」

「夕映!? ……“アレ”ってまさかっ」

 

 ハルナの驚く声と共に、皆さんの視線が私に集まります。

 

「何か良い方法があるの!?」

 

 明日菜さんの言葉に、頷きます。

 そう、私は知っているのです……胸躍る“ファンタジー”の噂を。

 

「我が図書館探検部の活動の場ですが……“図書館島”は、知っていますよね?」

「う、うん」

「一応ね。あの湖に浮いている、でっかい建物でしょ? けっこう危険なところって聞くけど……」

 

 未だ全容の明かされていない、麻帆良の不思議スポット。

 世界大戦で難を逃れた書物達の、避難場所。

 数々の貴重な本が収められた、本たちの楽園です。

 

「実はその図書館島に、読めば頭が良くなる“魔法の本”があるらしいのです」

 

 まぁ、おおかた出来の良い参考書だと思うのですが……。

 と、そう続けると、ハルナ達は都市伝説だと笑いました。

 

 私もそう思うのですが、千雨さんを見ていると少しくらい“不思議なこと”が起こっても、納得できるような気がするのですよ。

 

「ウチのクラスも変な人たち多いけど、流石に魔法なんてこの世に存在――」

 

 まき絵さんはそこで言葉を呑み込み、横目で千雨さんを見ました。

 千雨さんはぶつぶつとみんなの背中を見ながら呟き、虚空の“何か”を掴みます。

 すると、何もない空間に、ぼんやりと陽炎のようなものが浮かびました。

 

「――するかも」

 

 まき絵さんが思わず意図を訂正するほどの、不思議な現象でした。

 いや、私は良く一緒に居ることもあって、割とよく見る光景なのですが。

 

「行ってみる価値は、あるかも」

 

 明日菜さんが、神妙な表情で頷きました。

 明日菜さんはこういったこと信じないのですが……千雨さんのこととプラスして琴線に触れる“何か”があったのでしょうか?

 

 私たちは目を合わせると、頷き合いました。

 

「よし――――行こう、図書館島へ!」

 

 ということで、私たちは図書館島へ出発することになりました。

 

 

 

 

 もちろん、千雨さんも一緒に連れて行くのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 湖に浮かぶ、大きな島。

 ここは、図書館島――噂の“魔法の本”の在処だ。

 

「で? 私はなんで参加してんだ?」

 

 虚空に向かって呟くも、返事はない。

 みんな、眼下に広がる夜の図書館に、釘付けになっているからだ。

 マッサージ関連でもない、かつ魔法関連という“厄介ごと”なんかに関わりたくはなかったのだが……。

 

 大浴場でみんなの話を聞いていなかったせいで、よくわからないままついてきてしまったのだ。

 

 第一、魔法の本ってなんだよ。

 そんな非常識なものに釣られるなってんだ。

 

「内緒で部室から持ってきた宝の地図によると……」

 

 綾瀬が取り出した地図に、指を指している。

 秘密の入り口と書かれた場所から、幾分か下がった位置。

 図書館島の、地下三階だ。

 

「今いるのはここで……」

 

 その指を、滑らせる。

 地図の斜め下に書かれた広間。明らかに、怪しい。

 

「地下十一階まで降り、地下道を進んだ先に目的の本があるようです」

 

 往復で四時間。

 綾瀬はそう言うが、どう見ても十歳の子供がいるのに、そんなに早く終わるとは思えない。

 ネギ先生は“魔法”とやらで身体能力を上げているかも知れないので、ただの十歳とは言い難いが。

 

 まぁ、今日のネギ先生はおかしいんだが、な。

 具体的には、ツボーズがおかしい。なんだあの“緊縛プレイ”は。

 

 ツボーズは、宿主の職業に合わせた格好でいることがある。

 コンビニ店員だったら、その制服を着ていたりするのだ。

 そうなると普段は全裸ということになるのだが……そこら辺は、深く考えない方が良いだろう。

 

 そんなネギ先生のツボーズは、妙だ。

 私が“魔法”を知ってから、その認識に引っ張られたのかよくわからないが、ネギ先生のツボーズが大きな杖を持つようになった。

 

 見れば持っているのが当たり前だったのだが、今日は持っていない。

 その代わりに、三本の黒い紐で身体をがんじがらめにして、恍惚の表情を浮かべていた。

 

 ツボーズが変態だからといって、宿主まで変態とは限らない。それは、救いだと思う。

 

「はぁ……何がどうなってんだ」

「千雨ちゃん?」

 

 肩を落としてそう呟くと、佐々木が私の顔を覗き込んだ。

 慌てて誤魔化す……くらいだったら、マッサージの話題に持って行こう。

 

「折角ハードな運動をすることになるんだ。血行でも良くしておこう」

「けっこう?」

「血の巡りを良くして、新陳代謝を活性化させる……あー、簡単ダイエットだ」

 

 やや強引な持って行き方だと思ったが、佐々木は問題なく受け入れた。

 まるで私が普段から、突拍子もないことを言い出しているかのような態度だが……いや、気にしすぎだな。

 

「手の外側、手首から指二本分下だ」

「……ここ?」

「そうだ。そこを軽く一分くらい押してやれ。ただ運動だけするよりは良いと思うぞ」

「うん……ありがとうっ、千雨ちゃん」

 

 佐々木の笑顔に、私も嬉しくなる。

 そうやって喜んで貰えるというのは、やはり嬉しいのだ。

 

 そう思って佐々木を見ていると、佐々木は頬を赤くして顔を逸らした。

 どうしたんだ?いったい……。

 

「千雨さん!何をやっているのですか?」

「あぁ、綾瀬。佐々木に血行をよくするツボを教えていたんだよ」

 

 いつかの大浴場で、綾瀬には詳しく教えた……気がする。

 妙に“豊胸”のツボに噛みついていたから、覚えていないかも知れないが。

 

 

 

 

 私は、どこか機嫌が悪くなった綾瀬を追いかけて、図書館島を進むことになった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

 まったく、ちょっと目を離すと千雨さんは……。

 

「お、おい、綾瀬?」

「なっ、なんでもないですよ?」

「いや、聞かれても困るんだが」

 

 いけないいけない。

 私としたことが、自分でもよくわからない感情を千雨さんにぶつけるところでした。

 

 千雨さんは、無愛想だとか少し怖いとかいや変人だろとか言われていますが、笑顔を見せたら笑顔を返してくれる人です。

 

 少しずれていますが、落ち込んでいたら励ましてくれたりと、感情の機微は読めるのです。

 ……読んでいるだけ、と言われれば、そうかも知れませんが。

 

「あー、綾瀬」

「どうしました?」

 

 先ほどの不機嫌を感じ取っていたのでしょう。

 ですが、私はもう落ち着いていたので、千雨さんは声をかけてすぐに息を吐きました。

 

 私も、少し変でしたので、申し訳ないです。

 

 そんな私たちに、本棚トラップの難を逃れたまき絵さんや明日菜さん達が追いついてきました。

 

 現在は、下って湖の中を進んでいます。

 本が濡れたりしないのは、本当に不思議ですね。

 

「セクハラって、なんの略なんだろうな?」

 

 千雨さんが、突然そんなことを呟きました。

 まぁ、マッサージに関係のないことに興味が向く人ではありませんからね。

 知らないのも、無理はないです。

 

 何故そんな思考に行き着いたかは、まったくわかりませんが。

 

「“セ”ーフ“クハラ”チラの略じゃなかったっけ?」

 

 制服ハラチラ、でしょうか?

 佐々木さん……貴女という人は。

 同じバカレンジャーとして、恥ずかしいです。

 

「“セ”ンセイ“ク”ラクラ“ハラ”ハラではなかったでござるか?」

「私は、セクハラは本当は“セクパラ”といって、“セクシーパラメーター”の略で、直訳して性的魅力指数だって聞いたことがあるわよ」

 

 先生くらくらハラハラって……。

 

 楓さん、明日菜さんと連続でとんでもないことを言っています。

 セクパラってなんですか?聞いたことがありませんよ。

 

「なるほど……セクパラか」

「千雨さん……セクハラは、“セクシャルハラスメント”の略です」

「セクシャル晴らすmanと?セクシャルを、晴らす、男、と?」

 

 なんでしょう……無性に頭が痛いです。

 具体的には、こめかみの辺りが痛いです。

 

 

 

 

 

 バカレンジャーと千雨さんの組み合わせは、思った以上に危険ですね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――5――

 

 

 

 本棚の崖を乗り越え、狭い地下道を潜り抜けたその先。

 そこには、ゴーレムの立ち並ぶ大広間があった。

 

 ネギ先生が魔法の本がなんだと叫んでいる以上、ホンモノなのだろう。

 だが私には、それ以上に気になることがあった。

 

「ツボーズ?薄いが……」

 

 私には、無機物にまでツボーズが見えるようになった記憶などない。

 けれど、確かにあのゴーレムには、ツボーズが見えるのだ。薄いが。

 

 あれが“かぶり物”だとかいう荒唐無稽な事態でなければ。あり得ないだろう。

 誰かが、“中”に入っているとでも言うのだろうか?

 

「だとすれば……肩こりが中心だな」

 

 自己管理が出来ているのか、ネギ先生ほどじゃない。

 けれど、書類仕事でもしている――ゴーレムが書類仕事など、あり得ないが――のか、肩こりがひどい。

 

 ツボーズが薄いせいで、職業までは見えないが。

 

「やったー!!」

「これで最下位脱出よーっ」

「一番乗りアルーっ」

 

 私はまだ、大広間に身体を出してすらいないというのに、みんなが走る。

 ゴーレムを見ていて固まっていたので、入り口から頭を出していただけだったのだ。

 

 あ、橋が割れた。

 ちょっと下に落ちただけか。

 うん?ツイスターゲーム? ……マッサージゲームじゃないのか。つまらん。

 

「というか、あのゴーレム……私に気がついていないな」

 

 私もさっさと逃げればいいのだろう。

 そうすれば、巻き込まれることなく帰ることが出来る。

 

 だが、私は逃げることが出来ずにいた。

 ……ゴーレムのツボが、気になりすぎるのだ。

 

『ハズレじゃな。フォフォフォッ!』

 

 宇宙忍者のような笑い声と共に、ゴーレムがハンマーを振り下ろす。

 一瞬焦ったが、薄いツボーズが“大丈夫”だと言うので、大丈夫なのだろう。

 

 それよりも問題があるとすれば……。

 

「あー……よっこいせ」

『フォッ!?』

 

 ……出て行くタイミングを、完全に間違えたことだろう。

 乗り遅れはしたが、私だって空気ぐらい読める。

 

 帰るのも、ここに居るのも気まずい。

 

「あー……どうすればいいと思う?」

『わ、儂に聞くものなのかのぉ?』

 

 思い切って聞いてみたのだが、向こうも気まずげだ。

 だが、私も気まずい。というか、最初の時点で気がつけよ。

 

 私は大きくため息をつくと、穴に近づいた。

 無限に続く漆黒の闇は、わざと落ちてしまおうという気を削る程度には、怖い。

 というか、助けを呼びに行くというのが、一番現実的な選択肢だろう。

 

「ということで、地上に戻……」

『ま、待つんじゃっ!』

 

 戻ろうとしたのだが、思っていたよりもずっと機敏な動きでゴーレムに回り込まれた。

 叩き落とされるくらいだったら、自分から飛びたい。

 だが、どうにも怖い。

 

 何か切っ掛けになるものでもあれば……。

 

『うわー、置いていかれちゃったっ』

『ど、どうしよう』

 

 その時、私の視界にはこれから落ちようというツボーズたちがいた。

 それは紛れもなく、ネギ先生に住み着いていたツボーズだった。

 

 具体的には、腎兪と百会(ひゃくえ)……うん? 百会って、頭痛、目眩、抜け毛、更年期障害、ノイローゼ……ストレスか?早くマッサージしてやらねぇと。

 

「そうだ、マッサージだ」

 

 私は、何故忘れていたのだろう?

 この穴の先では……沢山のツボーズが、私を待っているんだ。

 

「待ってろよ、ツボーズっ!」

『壺っ?!』

 

 ゴーレムの声を背中に浴びながら、私はプールに飛び込むように穴へ飛んだ。

 深淵の闇がなんだ。私の先には、光(ツボーズ)が待っているんだ。

 

 

 

 

 

 そして――私の意識は、緩やかに闇へ堕ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第4話(後編)

――0――

 

 

 

 滝が流れるような、激しい水の音で目が覚める。

 思考は白くぼんやりとしていて、自分がどうしてこうしているのか、すぐに思い出すことが出来なかった。

 

 それでも目を開ければ、わかるはずだ。

 そう思って、僕はゆっくりと目を開く。

 

「ここは――」

 

 周りに眠る、制服姿の明日菜さん達。

 その様子に、僕は何故こうして砂浜で寝ていたのか、思い出した。

 

「そうだ、僕たち、英単語のトラップを間違えて、ゴーレムに落とされちゃったんだ……」

 

 思い返しながら起き上がると、同時に明日菜さん達も身を起こした。

 そして、眼前に広がる風景に、思わず言葉を失った。

 

 巨大な木々の枝から溢れ出すような、光。

 澄んだ水と滝の中に配置された、無数の本棚。

 

 まるで、幻想の世界に迷い込んだような、不思議な場所だった。

 

「すごい」

 

 思わず零れたのは、そんな言葉だった。

 その風景に、僕は確かに魅せられていたんだ。

 

 その――――地下図書室の、風景に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第四話 ~図書館島で、遭難パニック(後編)~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

「地底なのに温かい光に満ちて、数々の貴重品に溢れた幻の図書館……」

 

 夕映さんが、身体を震わせて感動を顕わにしている。

 確かにこの場所はすごくて、僕もその光景に、少しだけ呑まれた。

 

「……ただし、この図書館を見たものは生きては帰れないという」

「ならなんで夕映が知っているアルか?」

 

 古菲さんが、もっともなことを言った。

 そうだよね、一瞬はらはらしちゃったけど……。

 とにかく今は、この光景を見ることよりもここから出ることを考えないと。

 

 ……って、魔法は封印しているんだった。うぅ。

 

 明日菜さんも肩を怪我しているみたいだし、みんなも不安そうだ。

 それもこれも、引率である僕の責任だ。

 

 みんなの担任である僕が、勇気づけないと!

 

「み、皆さん! 元気を出してくださいっ、根拠はないけど、きっとすぐ帰れますよっ! 諦めないで、期末に向けて勉強しておきましょうっ!」

 

 僕がそう声を投げかけると、みんなはポカンとして固まった。

 そしてすぐに、笑いだした。あ、あれ?

 

「アハハ、この状況で勉強アルかー!?」

「何かネギ君、楽観的で頼りになるトコあるわー」

 

 良かった、みんな元気になってくれたみたいだ。

 

 まずは食料を探して、それから勉強だ。

 頑張って勉強して、みんなでテストで良い点を取るんだっ。

 

「あの、ネギ先生」

「あ、どうしました?夕映さん」

 

 みんな元気が出て、さぁ食料を探しに行こうという段階になって、夕映さんが僕の肩を叩いた。なんだろう?

 

「千雨さんがどこにいるか、わかりませんか?」

「え?――あれ?」

 

 確かに千雨さんの姿がなかった。

 みんなもその事実に驚いた顔になり、周囲を見回す。

 

「ネ、ネギ、あれ……」

「どうしました?明日菜さ――――っえ?」

 

 明日菜さんが指を指した先。

 そこには、水に浮かんで動かない、千雨さんの姿がありました。

 

「千雨ちゃんが土左衛門になってるぅっっっ?!」

「ち、千雨さんっ! 今助けに行くです」

「お、落ち着くでござる、夕映殿! ここは拙者が!」

 

 あわわわわ。

 千雨さんは、水に浮いたままぴくりとも動かない。

 そんな千雨さんを見て夕映さんが錯乱し、楓さんが慌てて助けに行った。

 

 うぅ、大丈夫かな? 千雨さん。

 あれ? 今なんで、少しだけ胸が痛んだんだろう?

 大事な生徒が怪我をしたから……とは、少しだけ違う感覚に、僕は戸惑うことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 瞼を照らす光に、目を開ける。

 ツボーズを求めて飛び込んだ先は、どこだったのか。

 とにかく、気を失っていたようだ。

 

「め、目が覚めましたか?! 千雨さん」

「綾瀬、か? ……あれ? 私はどうなったんだ?」

「そこでおぼれていたのですよ」

 

 綾瀬の指した先。

 そこは、澄んだ水に本棚が浸かっている場所だった。

 本は濡れ……ないんだろうなぁ。“魔法”的に。

 

 なんでも私は、おぼれているところを助けられたらしい。

 別に水を飲んでいる様子もなく、ただ気を失っているだけだったようなので、綾瀬たちは試験勉強をしながら休憩時間に様子を見てくれていたという。

 

「そう、か……すまないな、綾瀬。心配かけた」

「いえ、無事ならそれで、良かったのです」

 

 綾瀬はよほど心配してくれていたのだろう。

 やや涙ぐんでいて……私の良心をちくちくと刺した。

 いや、ツボーズが気になって自分から飛び込んだなんて、言えないな。これは……。

 

「よし、私も勉強に参加するよ」

「もう、大丈夫……みたいですね」

 

 立ち上がって、指先を使って綾瀬の涙を拭う。

 もう泣く必要はないと、想いを込めて。

 

「ち、千雨さん……」

「どうした?綾瀬」

 

 すると、綾瀬は頬を赤くして胸を押さえた。

 うーん、胸が痛いのだろうか?

 だったら、膻中(だんちゅう)、神封(しんふう)、缺盆(けつぼん)当たりが効くな。

 

 まずは肩に手を置いて、マッサージをしやすい体勢になって貰うか。

 

「あっ……」

「……いや、か?」

「い、いえ」

 

 そう言うと、綾瀬は目を閉じた。

 別に閉じる必要はないんだが、どうしたんだろうか?

 あぁ、看病に無理をして、眠いのか?

 

 ……だったらなおさら、真剣にマッサージをしてやらねぇと、な。

 

「ふ、二人とも……いったい、何を?」

「なっ!? ま、まき絵さん!? いつからそこにっ」

「いや、みんなすぐそこにいるけど……」

 

 見ると、他のみんなも私たちを見ていた。

 いや、少し違うな。見ている、というよりは“凝視”している。

 みんなもマッサージをして貰いたいのだろうか?

 

 いや、勉強をサボっているから、咎めてんのか……。

 なんだか、視線に熱が篭もっているし。

 

「なにって、マッサージだが?」

「そうですよ! マッサー……え?」

 

 何故綾瀬が驚く。

 どう見てもマッサージだっただろうが。

 

「みなさーん、休憩終わりですよー」

「すいません、ネギ先生。今行きます!」

 

 妙な空気になったので、さっさと綾瀬の手を引いて移動する。

 それに、佐々木も慌ててついてきた。

 

「うぅ、私はアホです」

 

 何を落ち込んでいるんだろう?綾瀬は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 木箱で作った急造の机と、何故か置いてあった全教科のテキスト。

 それらを手に、私たちはネギ先生の授業を受けています。

 

 心躍る幻の図書館。

 地底図書室ですることがテスト勉強というのも、なんだかもったいない気がします。

 ですが、テスト勉強をしない訳にもいかないので、仕方ありません。

 

 ここは素直に、勉強です。

 ……それにしても、全教科教えられるとは、ネギ先生はとことんハイスペックですね。

 

 教科書を見ながら、視線を隣に移します。

 そこには、ぼんやりとノートを取る千雨さんの姿がありました。

 

 怜悧な横顔は凛々しく、なんというか、カッコイイです。

 

 って、私は何を考えているですかっ!

 これではまるで、私が同性愛者みたいではないですか。

 ハルナが言うところの“百合”というヤツですね。まったく、非常識な。

 

 第一、今時“百合”なんて流行らな……流行っているかも知れませんが、フィクションと現実とでは話が別ですっ。

 

 いえ、世間に認められつつあるからフィクションが流行るという考えも……いえ、冷静になるです。どうも、今日の私はおかしいのですよ。

 

 いつ出られるかも解らないというのに、脳みそがピンク色ではこの先やっていけません。

 そうです、いつ出られるか解らないのです。

 ということは、それまで千雨さんと一緒に生活……。

 

「それでは夕映さん、この問題をお願いします」

「えぁっ、は、はいっ」

 

 うぅ……このもやもやを晴らすためにも、今は勉強に専念するです。

 

 

 

 

 

 この地底図書室は、食料、教材、ベンチなど、割と何でも揃っています。

 私は本棚から持ってきた貴重な本を見ながら、ジュースを飲んでいました。

 

 もう、ここに住んでも良いと思えるくらい快適です。

 

 私の横では、木乃香さんも同じように本を読んでいます。

 休憩時間に楽しめるだけ楽しんでおかないと、今度はいつ楽しめるかも解らないのですから。

 

「すっかり寛いでるみたいだな。綾瀬、近衛」

「あっ、千雨さん」

「千雨ちゃん、どうしたん?」

 

 千雨さんは私たちに声をかけると、そのまま砂浜に座ります。

 制服が濡れてしまったためか、大きめの布を身体に巻いています。

 

「マッサージ関連の本が見つからなくてな。空いた時間も惜しいから、鍛錬だ」

 

 マッサージ師で鍛錬、とは……。

 相変わらず意味のわからないことを言いますね。

 私の勉強不足でしょうか? こんなことでは千雨さんに……。

 

 いえ、なんでもない、なんでもないのです。

 

「よっ、と」

 

 千雨さんは身体を伏せると、そのまま腕立て伏せを始めました。

 テンポ良く何度も繰り返してしています。

 千雨さんは、以外と力強いですしね。

 

「って、千雨ちゃん?」

 

 そんな千雨さんを見ていた木乃香さんが、何かに気がついて声を上げます。

 

「どうした?」

「なんで、親指だけで腕立て伏せしとるん?」

「親指……ほ、本当です。なんですか?それ」

 

 よく見ると、千雨さんは親指で腕立て伏せをしていました。

 親指立て伏せでしょうか……不可思議です。

 

「マッサージ師たるもの、親指を鍛えないでどうする。マッサージ師は誰でもやってるぞ」

 

 偏見です。

 絶対偏見なのですが、マッサージ師の生態を知らないのでツッコミができません。

 

「そうなんや~……マッサージ師って、すごいんやね」

 

 木乃香さんは信じないでください。

 どう考えてもおかしいです。

 最近慣れてきたせいでツッコミができませんでしたが、久しぶりに驚きました。

 

 マッサージ師がそんなマッチョな集団なハズがないです。

 あんまマッサージ師とは、どれだけ狭き門なのですか。

 

「うん? どうした、綾瀬?」

 

 私の視線に気がついて、千雨さんは親指立て伏せを止めることなく私に声をかけます。

 じっと見ているのは失礼でしたね。改めた方が良いです。

 

「あぁ……乗りたいのか?」

「どうしてそうなるですか……というか、乗っても大丈夫なのですか?」

「もちろんだ」

 

 人間一人乗せて、親指立て伏せ……。

 マッサージ師がみんな千雨さんレベルの変人だったら、私はどうすればいいのでしょう。

 迂闊に整体にも行けないじゃないですか。怖いですよ。

 

「へぇ。千雨ちゃん、すごいなぁ~。あ、だったらウチ、乗ってみてもええ?」

「いいぞ、近衛」

 

 木乃香さんが、目を輝かせて千雨さんに乗りました。

 千雨さんは、自分の上で正座する木乃香さんをまったく気にすることなく、親指立て伏せを続けます。

 

 麻帆良四天王みたいな武闘派の方々ではないのにも関わらず、このパワー。

 ちょっと、木乃香さんがうらやましいかも……です。

 

「あ、あの、やはり私も――――」

「――――きゃーっ」

 

 勇気を振り絞り、私もお願いしようとしたのですが、甲高い叫び声によって遮られてしまいました。

 

 く、悔しくなんか、ないですよ?

 

「今のは……佐々木か?」

「行ってみましょう! 千雨さん、木乃香さん!」

「う、うんっ」

 

 私たちは立ち上がると、声のする方に急ぎます。

 厄介ごとなのでしょうが……どうにも、ほっとしたような気がするのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

 佐々木の叫び声を聞きつけて走った先。

 そこでは、あの時のゴーレムが裸の佐々木を掴んでいた。

 私が飛び込んだ後に、自分も降りてきたんだろう。

 ……いったい、何考えてんだ?

 

「ぼぼ、僕の生徒をいじめたなっ!いくらゴーレムでも、許さないぞっ!」

 

 ネギ先生が、杖を持ってゴーレムに躍り出る。

 いくらゴーレムでもって、何なら許すんだよ?とは、思わなくもない。

 

「【ラス・テル・マ・スキル・マギステル】」

 

 口の中で、何かを呟く。

 その度に、ネギ先生のツボーズが、黒い紐を巻き付けたまま恍惚の表情を強めた。

 ネギ先生が“魔法”とやらを唱えようとすると、ツボーズが変態になる……のか?

 

「くらえ、魔法の矢!!」

 

 緊縛ツボーズの、悦びの表情。

 ネギ先生の“魔法”が発動しないということと、このツボーズの表情。

 二つのことから察するに……魔法縛りプレイなんだろう。

 

 マッサージを受ける云々は置いておいて、疲れを何時までもとらずにいるのは、一種の“プレイ”というやつなんだろうか。大丈夫なのか? 魔法使い。

 

『フォフォフォッ、ここからは出られんぞ。もう堪忍するのじゃ! 迷宮を歩いて帰ると、三日はかかるしのぉ~』

 

 気楽なゴーレムの声。

 テストが受けられないなんて、冗談じゃない。

 禁欲生活なんて、耐えられる自信がない。

 

「ん……あっ! みんな、あのゴーレムの首のところを見るです!」

「あれは、メル……なんとかの、魔法の書!」

 

 なんでわざわざ追いかけてきておいて、魔法の書を持ってきたのか知らないが、なにやらゴーレムは驚いている。いや、わざとじゃねぇのかよ?

 

「本をいただきます! まき絵さん、古菲さん、楓さん!」

 

 綾瀬の指示に従って、長瀬と古菲が動く。

 麻帆良の武闘四天王と呼ばれるだけあって、常人じゃ出せない動きをしている。

 

「中国武術研究会部長の力、見るアルよ! ――――ハイッ!」

 

 気合い一発。

 踏み込みと同時に突き出された古菲の右拳が、ゴーレムの足に罅を入れる。

 石の塊を砕く力があの細腕にあるとは思えないんだが……あれか? 爆砕○穴か?

 

「アイヤーッ!」

 

 流れるような動作で飛び上がり、ゴーレムの腕を蹴る。

 その衝撃で、佐々木がゴーレムの腕から解放された。

 

「きゃっ」

 

 そして、空中に投げ出された佐々木を長瀬が回収した。

 佐々木は強かなことに、長瀬に抱えられた体勢のまま、リボンで魔法の書を奪う。

 即席なのにこのチームワークはすごいと思うが、その前に一つ。

 

 佐々木、おまえ素っ裸だっだよな?

 そのリボン、どこに持ってたんだよ……。

 

『ま……待つのじゃー』

 

 ゴーレムの声を背に浴びながら、走る。

 近衛の持ってきた服をついでに着ているのだが、走りながらはけっこう辛い。

 

『出口は見つからんと言うとるじゃろうが~っ』

 

 焦って追いかけてくることから判断しても、出口はあるのだろう。

 その判断が……私たちに、少しだけ気を抜かせてしまった。

 

「きゃっ」

「綾瀬っ!?」

 

 穿こうとしたスカートを足に引っかけて、綾瀬が転んだ。

 このままでは、ゴーレムに潰される。

 

「ちぃっ!」

「千雨ちゃん!」

 

 近衛の声を振り切って、綾瀬に駆け寄る。

 

 私は自分で言うのもなんだが、友達は少ない。

 綾瀬は愛想の悪い私でも根気よく付き合ってくれる、大切な友達だ。

 

 それを……あんな石像なんかに、やらせはしない!

 

『ここが凝ってるよー』

『こっちだよ~』

『ここもすごいよっ』

 

 マッサージのためではなく、助けるために動く。

 そんな私に呼応するように、ゴーレムのツボーズがハッキリと姿を現した。

 

 ツボーズがいるのなら、それは私のマッサージが、効果があるということ。

 それがどんな効果を呼ぶかは解らないが……土壇場で発現した自分の力を、今は信じる。

 

 マッサージは私の“プライド”だ。

 マッサージに対する自信なら、誰にも負けない!

 

「千雨さんっ!」

「千雨殿!」

 

 綾瀬の声も長瀬の声も、すべて後ろから聞こえる。

 倒れた綾瀬を追い越して、私はゴーレムに駆け寄り、後ろに回り込んだ。

 こちらの方がずっと小柄なんだ。回り込むくらい、余裕で可能だ。

 

 ゴーレムの身体から生える、無数のツボーズ。

 その根本を……捉えるッ!

 

『フォッ?!』

「遅いッ!――――天柱、鳩尾、関元、膈兪、腎兪、大腸兪、百会、通天、身柱、心兪!」

 

 押す、押す、押す。

 押して、押して、押して、ツボーズを癒し尽くすッ!!

 

「真! ――千雨スペシャル!!」

『フォッ……フォッ――――――ッッッッッ!?!?!!』

 

 ゴーレムの身体から、ふわりと光が舞い上がる。

 それは疲れ……マッサージにより昇天した、ゴーレムの“疲労”そのものだった。

 

「勝っ、た?」

「……すごい」

 

 それは誰の言葉だったか……。

 ゴーレムの後ろに立っていた私には、判断することが出来なかった。

 

 ゴーレムはゆっくりと膝から崩れ落ちて、その動きを停止させた。

 

「すっごーいっ! 千雨ちゃん!」

 

 佐々木が駆け寄って、私に飛びつく。

 長瀬やネギ先生も集まってきて、私を取り囲んだ。

 

 私はそれに苦笑――できているかは、置いておく――して、未だ座り込んでいた綾瀬に駆け寄る。

 

「綾瀬」

「千雨さん……すみません、私のせいで危険な目に――」

 

 言葉に詰まり俯く綾瀬を、抱き締める。

 不安になったり心が揺れている人には、こうしてあげるのが一番だ。

 

「ぁ――」

「綾瀬が無事で、私は嬉しい。それじゃあ、ダメか?」

「そ、そんなことはありませんッ! ……ありがとうございます、千雨さん」

 

 少しの間抱き合って、離れる。

 なんだか少し、照れくさい。

 

「みんな、滝の裏に出口があったでござる!」

 

 長瀬が出口を見つけてくれたので、私たちは漸く一息ついた。

 

「あっー!?」

「どうしたッ!」

 

 声を上げた佐々木の方を見る。

 佐々木は両手を広げて驚いていた。

 

「魔法の書が無くなってるっ!」

「えぇっ!?」

 

 周囲を見ても、それらしきものはない。

 魔法の書に頼るな、ということだろうか。

 

「きっと、成仏したゴーレムが、最後の力で書を護ったんだろうさ」

 

 私がそう言うと、残念そうな表情ではあるが佐々木も頷いた。

 確かにあの時、ゴーレムは満足そうだった。

 最後の光の中、やるべき事だけ終えて昇天したのだろう。

 

「さぁ、帰ろう」

「そうだね~。もうへとへとだよー」

「テストには、間に合いそうです」

 

 私たちはその後、復習代わりに非常口の問題を解きながら、螺旋階段をのんびりと上った。

 そして地上直通のエレベーターに乗り込み、あとは戻ってもうひと勉強だ。

 

「上に戻ったら、全員マッサージしてやるよ。すっきりすれば、頭も働くだろ?」

「うんっ」

「楽しみにしているです」

「そうやね~」

 

 とにかくあとはテストを受けて、今度こそゆっくり休めるだろ。

 さっさと終わらせて、帰って寝よう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――5――

 

 

 

 私たちは今……全力疾走しています。

 最後のあがきに徹夜で勉強をして、その後千雨さんにマッサージを受けました。

 

 マッサージが終わると同時に、みなさんは崩れ落ちるように眠り、ネギ先生に辿り着く前に千雨さんは寝てしまったようです。

 

 結局全員寝てしまい、最初に覚醒したネギ先生が慌てて私たちを起こして、今こうして走っているのです。

 

「ま、間に合った!」

 

 時間はぎりぎり、ですが私たちに不安はありません。

 千雨さんのマッサージのおかげで、ぐっすりとノンレム睡眠で眠れたようです。

 

 短い時間ですが深い眠りにつけたことと、マッサージによる疲労からの回復で頭が冴えています。普段よりも、脳がずっとすっきりしているように感じるのです。

 

「み、みなさん、頑張ってください!」

 

 試験会場前で私たちを応援するネギ先生。

 そんなネギ先生に、私たちは力強く親指を立てました。

 

 私たちのその表情を見て、ネギ先生は笑顔で頷きます。

 千雨さんからパワーを貰った今、私たちに敵はありませんっ!

 

 気合いは充分。

 自信も充分。

 私たちは力強く、試験に臨みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――6――

 

 

 

 クラス成績発表会。

 待ちに待ったその日……僕たちのクラスは、最下位という結果に終わってしまった。

 

 結局僕は何も出来なくて、それで一人で帰ろうとしていた。

 

「ネギ先生」

 

 そんな僕に声をかけたのは、千雨さんだった。

 千雨さんはちょうど電車から降りてきたところで、少し息が切れていた。

 

 そういえば今日、遅刻していたみたいだ。

 心なしか、少し眠そうだった。

 

「そういえば、最下位で……クビに」

 

 千雨さんも、あの後僕の事情を聞いていたみたいだ。

 そういえば、結局千雨さんにマッサージをして貰うこともなかった。

 

「ネギ先生」

 

 千雨さんは、俯く僕に近づくと、ゆっくりと膝を折った。

 僕の視線に合わせてくれているんだろう。どうしてか、すこし視点が違う気がするけど。

 

「それでいいんですか?先生」

「良くはっ……ありませんが、でも、だって、僕は」

 

 何も出来なかった。

 ゴーレムの相手も、テストに向かう皆さんに対しても。

 何もすることが、出来なかったんだ。

 

 僕は、上手く言葉を紡ぐことが出来なかった。

 千雨さんは、そんな僕の右手をとると、手首の辺りに親指を乗せた。

 

 適度に温かくて、柔らかい指。

 白くて綺麗な指が、僕の手首を優しく押した。

 

「神門≪しんもん≫というツボです。……落ち着きましたか?」

「ぁ――――は、はい」

 

 不思議だ。

 さっきまで心がもやもやしてたのに、今はもう落ち着いてる。

 

「先生は、頑張っていると思います。先生が前を向いていたから、あんな状況下でもみんな前向きになれたんですよ」

「千雨さん……」

 

 僕にそう諭す千雨さんの横顔は、穏やかだ。

 でも、すごく……力強い。

 

「失敗して諦めてたら、前を向けなくなるんです」

「前を……」

「そうです。でも前を向いていたら……みんなが笑顔になるんです」

 

 千雨さんは、僕が教師になるためにここにいると思っているんだろう。

 でも、千雨さんの言葉は、僕が“立派な魔法使い”になりたいということを、見透かしているようだった。

 

「私は、プロのマッサージ師になることを、諦めようとは思いません」

 

 千雨さんは、軽くマッサージをしていた手を、僕の肩に移動させた。

 

「どんなに辛くても、諦めたりはしません」

 

 僕の目を覗き込む、まっすぐな瞳。

 

「マッサージは私の唯一のプライドだから、これだけは……」

 

 その双眸に映るものは、きっと――――。

 

「……誰にも奪えない。例え相手が、抗えない逆境だとしても」

 

 ――――不屈と、希望の光だ。

 

「先生の夢は、諦められるものですか?諦めても良いと……認められる、ものですか?」

 

 そう、だ。

 僕の夢は、諦められるものではない。

 父さんに追いつくためにも、あんな悲劇を起こさないためにも。

 

 ――みんなに笑顔を、あげるためにも。

 

「諦め、られません。認められませんっ」

「だったら、足掻きましょう。まずは、先生を慕う、アイツらと一緒に」

「え――?」

 

 千雨さんが指さした先。

 そこには、僕に向かって走る、明日菜さん達の姿があった。

 

 まずは、学園長に頭を下げよう。

 諦めたくはないって、最後まで頑張ろう。

 

 それを教えてくれた、千雨さんに報いるためにも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、僕は、この学校に残ることになった。

 いつもよりもずっと元気な学園長が、採点を足し忘れたのだと言ってくれた。

 

 僕は、三学期から正式に“先生”になる。

 

 

 

 

 

 僕に未来を示してくれた――――千雨さんのクラスの、担任の先生に……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第5話

――0――

 

 

 

 耳に響く音。

 それが携帯電話の目覚まし機能だと気がつくのに、少しの時間を必要とした。

 

 アップテンポな音楽。

 これは、私のお気に入りの曲だ。

 

 着うたで、この“マッサージロマンス”を見つけることが出来たのは、私としても嬉しかった。

 

 これは、私が唯一歌えるポップスなのだ。

 

 腕を伸ばして、目覚ましを切る。

 その頃には、すっかり目が覚めていた。

 

「今日も良い天気……良いマッサージ日和だ」

 

 天気が良いと、気分が良くなる。

 気分が良くなることは、リラックスに繋がる。

 そして、リラックスした身体はマッサージしやすくなるのだ。

 

 

 

 現在、春休みの最中。

 いつもとなんら変わりのない、私の一日の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第五話 ~千雨の一日/休日のマッサージロマンス~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 朝食は一日の力の源である。

 

 柔らかめに炊いたご飯と、鯖の味醂干し。

 わかめと油揚げの味噌汁に、高野豆腐と柴漬け。

 温かい緑茶を添えれば、朝食の完成だ。

 

 手を合わせて、まずは食材達に感謝する。

 いずれ、魚のツボを探してみるのも面白いかも知れない。

 

 箸を使ってご飯を口に運びながら、今日の予定を考える。

 午後からはマッサージ研究会に出る必要があるので、午前中は暇になる。

 

 まぁ、“ツボーズウォッチング”でもするか。

 

 味噌汁の最後の一滴を流し込み、口の中に残る赤味噌の風味を緑茶で洗い流す。

 喉を鳴らして飲み干すと、唇を一舐めして、手を合わせた。

 

「さて、まずは着替えて……」

 

 春休み期間中だから、私服でも良いのだろう。

 しかし、今一センスが解らないため、外出時には制服を着ることにしている。

 

 マッサージ界のプリンスが好むブランド、“イクノ・オサタ”の文字Tシャツはかなり良いと思うんだが……一度着たら、綾瀬に涙目で止められたのだ。

 

 良いと思うんだがなぁ。

 ちなみに私のお気に入りは、同情を引くことがコンセプトのペアルック“浮気がばれて”と“女房に捨てられた”のセットだ。中々面白いと思う。

 

 ちにみに綾瀬に止められたのは、“俺に触ると火傷するぜ”の文字Tシャツだ。

 ……いったい、何が悪かったんだろう?

 

 

 

 

 

閑話休題(それはともかく)

 

 

 

 

 

 麻帆良学園の赤いベストに袖を通し、制服に着替える。

 寮の自室から外に出て、まずは一息。

 

「さて……まずはツボーズウォッチングかな」

 

 マイ双眼鏡の“ジョニー”片手に、学園内を歩く。

 適当に高台に昇って、運動部の方をウォッチングするのだ。

 

「お、いい鳩尾≪きゅうび≫だ。あっちの神封≪しんふう≫も中々……」

 

 マッサージ研究会のプレートを持って行けば、マッサージをやらせてくれたりする。

 奇人変人ばかりだと思ってはいたが、おおらかだという点は感謝したい。

 麻帆良学園の生徒で良かった、と思う瞬間だ。

 

「うん? あれは工学部の……葉加瀬か。肩こりだな」

 

 偶然クラスメートの葉加瀬を視界に納めて、私はジョニーを鞄にしまう。

 葉加瀬は普段から無理を溜めているからな……ここらで、発散させてやらねぇと。

 

 そう思って、私は小走りで葉加瀬の方へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 私は、科学者だ。

 未来から来たという超さんから“魔法”の事を教わり、協力して茶々丸を造り上げた。

 

 魔法は私たちにも理解することが出来る、科学的な事象だ。

 だから私は魔法と科学の融合を、実践して見せた。

 

 この世に、“不思議”なんていう風にカテゴライズされる現象はない。

 超能力だって、脳の機能の一端だ。

 解明しようとすれば、可能だろう。

 

 未知のパワーだった“魔力”ですら、既に私の“常識”にカテゴライズされているのだから。

 

 そんな私でも、理解できないことがある。

 ……あって、しまった。

 

 それが――同じクラスの、長谷川千雨という少女だ。

 

 少しテンションが妙なだけのクラスメート。

 少し変わった趣味のクラスメート。

 

 そのくらいだったら、大勢いるし、私もその一人だという自覚もある。

 

 けれど彼女は、不可思議だった。

 

 マッサージで疲労をとる。

 これはいい。実に、理に適っている。

 

 ツボに語りかける。

 まぁ、マッサージが好きすぎて脳内麻薬的なものでアレなんだろう。

 理解できないことは、ない。

 

 ツボと言葉を交し、宿主の職業を当てる。

 超能力……ではない、謎のパワーだった。

 

 ツボから情報を聞き出し、宿主の位置を探る。

 ツボを掴んで投げて、水切りをする。

 ツボを、ツボを、ツボを……。

 

「科学の冒涜です……うぅ」

「おーい、葉加瀬ッ!」

「ひぃっ」

 

 思わず、変な声が出た。

 私に向かって手を振り駆け寄ってくるのは、千雨さんだ。

 運動データを集めるためにこんなところまで来てしまったのが、運の尽きだったのかも知れない。

 

「マッサージ、させてくれないか?」

 

 断りたい。

 けれど、断ったら、科学の敗北を享受してしまうような気がするのだ。

 だから、私は断ることが、できない。

 

「……えぇ、どうぞ」

 

 だから私は、背もたれのないベンチに座って、背を向けた。

 自分で受けることにより、マッサージの謎を解き明かす。

 百聞は一見にしかず……もう何度も見ているけれど、それでも諦めたくはなかった。

 

「もう少し、力抜けるか?」

「そう、言われましても……」

 

 簡単に力を抜くことなど、出来ることではない。

 身を強ばらせておかないと、理解できるものも理解できなくなるからだ。

 そんな私に、千雨さんは小さく息を吐いた。諦めたのだろうか?

 

「仕方ない、か……【リラックスしてくれ】」

「っっっ!?」

 

 耳元で囁かれた、甘い声。

 データだけはとっておいたが、受けたことはなかった“フェロモンボイス”だ。

 ローレライと名付けられたその技は、たった一撃で私の腰を砕いた。

 

 そもそも、フェロモンボイスとはどういったものなのだろう。

 老若男女だけではなく、動物にも効果があり、さらに何故か茶々丸にまで効いた。

 音を遮断すれば効かないことは判明したが、マイクを使って音量を上げれば単純威力が倍になるというのも、よくわからない。

 というか、声なんて常時発動じゃないのか。なんでパッシブではなくアクティブなんだろうか。

 

 うぅ、屈しない。

 絶対、屈っするものか……。

 

 私が声を聞いて倒れ込む頃には、千雨さんがどこからか取り出したシーツをベンチに敷いていた。用意が良い。

 

「肩こりには肩井(けんせい)!曲垣(きょくえん)!」

 

 えーと、確か肩胛骨周辺にあるツボだったような……。

 ……あ、ダメ、眠い。

 

「左右両方にあるため全部で四カ所ッ!爪を立てるように、ツボの奥まで押すべしッ!!」

 

 非科学的……非常識……でも……。

 

 

 

 ――――気持ち、いい、なぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 この春休み期間中、僕は明日菜さんと木乃香さんに、麻帆良の案内をして貰うことになっていた。

 

 けれど、二人に用事が出来てしまったため、通りかかった風香さんと史伽さんに案内して貰えることになった。

 

 そういえば、鳴滝さん達とはあまり話しをしたことがない。

 折角の、この機会に仲良くできると良いなぁ。

 

 二人は、散歩部の活動でここを歩いていたらしい。

 散歩部といえば……やはり散歩をするクラブなのだろう。

 のんびりとした良い部活だと思う。

 

 そう、僕は思ったことを口にした。

 けれど帰ってきた答えは、僕の予想を超えるものだった。

 

「違うよ先生! 散歩競技は世界大会もある、知る人ぞ知る超ハードスポーツなんだよ!」

「えぇっ!」

「プロの散歩選手は世界一を目指し、しのぎを削って散歩技術を競い合い……」

 

 熱の篭もった様子で語る風香さん。

 その顔は、真剣そのものだ。

 

「“デスハイク”と呼ばれるサハラ横断耐久散歩では、毎年死傷者が――」

「――ス、スミマセン、散歩がそんな恐ろしいことになってたなんて知りませんでした」

 

 まさか散歩がそんなことになっていたなんて……。

 先生として、あとでしっかり調べておこう。

 生徒の部活のことを何も知らないのは、良くないよね。

 

「やほー、ネギくーん!」

「あっ、裕奈さん」

 

 バスケットボールを持った裕奈さんに声をかけられて、振り向く。

 話しをしている内に、中等部体育館に到着していたようだ。

 

「うちで強いのは、バレーとドッヂボールだっけ?」

「あと、新体操とか女っぽいのが強いです」

「へー……」

 

 ドッヂボールと言えば、黒百合のみなさんですね。

 ……あれ? 千雨さんしか思い出せない。

 すごかったからなぁ……色々と。

 

「ちなみに、バスケは弱いよ」

「ほっとけ!」

 

 後ろから、裕奈さんの叫びが聞こえた。

 あ、あはは、バスケはあまり強くないようだ。

 

 

 

 

 

 その後、僕たちは幾つかの運動部を見て回ることになった。

 文化系の部活は、数が多すぎて今日中に回ることが出来ないそうだ。

 確かに、これだけ大きな学園ならば、それも頷くことが出来る。

 

 更衣室でからかわれ。

 屋内プールでからかわれ。

 屋外のコートでからかわれ……。

 

 あれ、からかわれてばっかりだ。

 ……うぅ、僕、先生なのに。

 

「あれ?あれはなんですか?」

 

 屋外のコート。

 その端っこに建つプレハブ小屋を指す。

 

「あー、あれは“マッサージ研究会”だよ」

「何故か運動系の部活として登録されている、謎の部活ですよ」

 

 謎なんだ……。

 でも、マッサージが運動系だとは……いや、運動系だね。千雨さん的に。

 

「って、ということは、千雨さんの?」

「そうだよー。千雨ちゃん、ちょっと怖いからあんまり行きたくないけど」

 

 怖いのかぁ。

 いや、確かに怖いかも。

 

「まぁでも、今日は案内だしね」

「覗いてみますか?」

「は、はい!」

 

 千雨さん以外の、マッサージ師かぁ。

 どんな人たちなんだろう? やっぱり、千雨さんみたいな人たちなのかな。

 

「聞いた話によると、千雨ちゃん以外は普通らしいよ」

「はい、普通の人たちだという話を、聞いたことがあります」

「そ、そうなんですか?……って、そうですよね」

 

 千雨さんみたいな人が何人もいれば、大変だ。

 マッサージ師の常識なんか解らないけれど、それが普通ではないということはわかる。

 

 僕は、風香さんと史伽さんに続いて、マッサージ研究会の門を叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

 お姉ちゃんと一緒にネギ先生を連れて回り、おそらく最後になるであろう部活の見学に、私たちは“マッサージ研究会”の門を叩いた。

 

 千雨さんは、優しいと思う。

 だけど、なんだか怖いのだ。様子が。

 

 このライオンは心優しいと言われても、吠える姿は怖い。

 そんな感覚に似ているのだと思う。

 

 だけど、マッサージ研究会そのものは、普通だと聞いていた。

 なんでも、高等部の人が趣味で設立して以来放置されていたけれど、千雨さんが入って持ち直したそうだ。

 

 マッサージをしながら勧誘したら自然に集まった、と朝倉さんのインタビューで答えていた。

 

 だから、マッサージ研究会の門を叩くことに、警戒心なんか持っていなかった。

 朝倉さんのインタビュー記事も、千雨さん以外は普通に活動していた、と書いてあった。

 

 そう、でも――――私はきっと、甘かったんだ。

 

 

 

「Hey Lock On!!」

 

 

 

 入ってまず聞こえたのは、アップテンポなかけ声だった。

 

「ヒッヒッヒッヒッ♪ 百会≪ひゃくえ≫ッ!!」

 

 黒い髪の部員さんが、額の上辺りを指で突き刺すようにしながら、ステップを踏む。

 目が真剣で、怖い。

 

「ケッケッケッケッ♪ 肩髃≪けんぐう≫ッ!!」

 

 茶髪の女の子が、肩を見ながら指をさして華麗なステップをする。

 顔が真剣で、怖い。

 

「箕門≪きもん≫~♪ 大椎≪だいつい≫~♪ 天枢≪てんすう≫~♪ 日月≪じつげつ≫~♪」

 

 身体の色んなところを指さしながら、華麗なステップと共に聞いたことのない単語で歌う。

 十人弱という人数でありながら息はぴったりで、正直、気持ち悪い。

 

 全員が妙に爽やかな顔をしているのが、それに拍車をかけていた。

 初めのうちは真剣な顔だったのに、後半になるとこれということは、どこかで快楽に変化したということなのだろう。……帰りたい。

 

「すごい……なんて華麗で素敵なんだ」

「ネギ先生っ?!」

 

 ネギ先生が、ぼんやりとした目でそう言った。

 た、大変だ。いつの間にか、洗脳されてる!?

 

「――いいなぁ」

「お姉ちゃんっ!?」

 

 お姉ちゃんまで、そんなことを言い始めた。

 よく見れば目が虚ろだ。な、なんとかしないと。

 

「二人とも、しっかり――」

「――あれ? ネギ先生か?」

 

 そんな時、思いもよらぬ声――普通に考えれば、居て当たり前だけど――によって、私たちは正気に戻ることが出来た。

 

 私たちが顔を向けると、そこでは千雨さんが、いつものように無表情で立っていた。

 

「こ、これは一体……」

「あぁ、効能は覚えたが場所は覚えられないって言ってたからな。世界最大のマッサージ専門学校の理事長が、秘密裏に使ったという、伝説のダンスをなんとか調べて持ってきたんだが……」

 

 そう言って、千雨さんはそのダンスに視線を移した。

 あれ?何故か千雨さんが引いている。

 

「やりすぎた」

「ダメじゃないですかっ!?」

 

 うぅ、なんてところに出くわしてしまったのだろうか。

 運が悪すぎるよ、本当に。

 

「ところで、鳴滝とネギ先生は何で……あぁ」

 

 私が学園案内だと説明する前に、千雨さんは納得したように頷いた。

 そして、踵を返して私たちから離れると、すぐに何かを持って戻ってきた。

 

 手に持っているのは、持ち運びができる小さな黒板。

 そこには、いくつかの“コース”が書かれていた。

 

 

 

<背中コース>

・すっかりほぐれる。

<腰コース>

・しっかりほぐれる。

<首コース>

・きっちりほぐれる。

 

 

 

「どれにするんだ?」

「何の話ですかっ?!」

 

 いや、マッサージの話しだと言うことは解るけど。

 だけど、脈絡がなさ過ぎる。

 

「全身コースがいいのか? それなら――」

「話がかみ合ってないよっ!」

 

 正気に戻ったお姉ちゃんが、すかさずツッコミを入れた。

 戻ってきてくれて、本当に良かったと思う。

 お姉ちゃんがあの謎のダンスを始めたら、私はここに放火して失踪する。

 

「に、逃げましょうっ!ネギ先生!」

「あ、あわわわわ」

「はは、早く行くよ!ネギ先生っ」

 

 後ろからあのダンスで追いかけてくる、マッサージ部員。

 私たちはそんな非現実的な錯覚に囚われながら、命からがら逃げ出した。

 

 

 ……うぅ、やっぱり怖いよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――5――

 

 

 

 ツボーズウォッチングを堪能した後、私は部活に出た。

 

 元々高等部の生徒が趣味でのんびり活動していたマッサージ研究会。

 私はそれに所属して最初に、公開マッサージによって部員収集を行った。

 

 結果として、マッサージ研究会は“同好会”から“部活動”にランクアップした。

 

 しかし、この学園でツボーズが見えるのは私一人。

 顧問の先生ですら見ることが出来ず、私が一番上手かった。

 そのため、結果として教育能力ばかりが高くなってしまった。

 

 こんな能力、弟子でもとらない限りは役に立たないだろう。

 マッサージ専門学校の先生を務める気は、ないし。

 

 やはり自分の手で患者さんに触れるのが、一番だと思う。

 

 午後は一日、そうして過ごした。

 マッサージダンスの途中にネギ先生達が来たが、何故か逃げてしまったのだが……。

 

 それ以外では、順調に部活を終える事が出来たと思う。

 

「ふぅ、今日は妙に疲れたな……」

 

 久々に、マッサージ巡りでもしようか。

 自分がマッサージを受けるというのも、けっこう大切なことなのだ。

 針灸の勉強ついでに、行ってみるのも面白いかも知れない。

 

「まだ……四時前か」

 

 時間は充分。

 私の休日の〆には、良いものになると思う。

 

 麻帆良のマッサージ巡りのために、ゆっくりと歩き出す。

 

 

今日も充実した、良い一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――6――

 

 

 

 風香さんと史伽さんに三時のおやつを奢った後、僕たちは世界樹にやってきた。

 大きな枝に乗って見る、眼下の風景は、言葉をなくすほど美しいものだった。

 

「わぁ――」

 

 夕焼けに照らされた、オレンジ色の麻帆良。

 温かい朱色に包まれていく町並みは、優しくて綺麗だった。

 

「――この樹には伝説があるんですよ、片思いの人に告白すると、想いが叶うっていう」

 

 そう語る風香さんと史伽さんの姿は、見た目よりもずっと大人っぽく見えた。

 二人とも十四歳で、僕よりも四つも年上の女の子なんだ。

 

 やっぱり、こうしてみると、僕はまだまだ子供なんだと実感する。

 それが少しだけ……ほんの少しだけ、切ない。

 

「片思いの人、か」

 

 故郷の同級生だった、アーニャ。

 うーん……なんか、違う。

 

 従姉妹の、ネカネお姉ちゃん。

 いやいや、それは違うよっ。

 

 同室の、木乃香さん。

 木乃香さんは、優しい。けれど……。

 

 よく迷惑をかけてしまう、明日菜さん。

 ネカネお姉ちゃんにちょっと似てて、乱暴だけど優しい……お姉ちゃん、かな?

 

 そして――千雨さん。

 凛々しくて綺麗で、時折可愛い笑顔を見せる人。

 自分の目標をしっかり持っていて、夢を叶えるために諦めずに頑張る人。

 たまに少し変だけど……意志が強くて、優しい人。

 

 そういえば僕は、何故マッサージをさせないようにしているんだろう?

 きっと、千雨さんにマッサージをして貰えば、すごくすっきりすると思う。

 けれど、いざ“させてくれ”と言われると、何故か逃げてしまう。

 

 風香さんや史伽さんのように、恐怖心から逃げている訳ではない。

 確かにちょっと……すごく怖い時もあるけれど、それで逃げたりなんかは、しない。

 

 

 風香さんと史伽さんに子供扱いされて、逃げようとして捕まって、結局頬にキスをされた。

 

 

 混乱する頭の中で、僕はやっぱり考えていた。

 どうして自分は、千雨さんのマッサージから逃げてしまうのだろう……と。

 

 

 

 

 

 答えはまだ――でない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第6話

――0――

 

 

 

 私のクラスメートは、変だ。

 それは、ロボがクラスにいるとか、留学生が多すぎるとかそんなものではない。

 

 正確には、そう――私のクラスメートの“ツボーズ”は、変だ。

 

 これが、正しいと思う。

 個性的というよりは、特殊なのだ。

 

 ――例えば、龍宮は巫女服ガンナーという妙な格好で、時折目を押さえて周囲を鋭く見回している。もちろん、ツボーズが、だ。

 

 中二病というやつなのだろうか?

 しかし、邪気眼は本当に目に妙な疲労が溜まるものなのだろうか。

 以前、一度ツボーズの様子について聞いてみたことがあるのだが、要領を得ない答えだった。

 

 ――例えば、桜咲のツボーズは、何故か翼が生えている。

 本当に翼が生えている、なんてこともないだろう。

 

 意外と乙女趣味なのかも知れない……とは思っても気になるので、よく背中を凝視しているのだが、怯えられるばかりで真相はわからない。

 

 ――例えば……そう、私の斜め後ろの席。

 金髪の少女、マクダウェルもその一人だ。

 

 マクダウェルは、いつもロボットである絡繰を従えている。

 ゴーレムと戦ってから、何故か絡繰のツボーズが見えるようになったのだが、それについては今は割愛しておく。

 

 マクダウェルのツボーズは、妙だ。

 小学生ぐらいの体格でも、十四歳、十五歳にもなればツボーズは見える。

 だが、マクダウェルは本当に小学生程度、十歳前後の女の子程度にしかツボーズが居ない。

 

 子供のうちはそんなに身体が凝りはしない。

 本当に十歳だというのなら納得できるが、年齢詐称でもしていない限り、中学生なはずなのだ。

 

「どうなってんだ、あれ」

 

 思わず、小さく呟いた。

 妙な点はこれだけではない。

 実は、十五日周期で、マクダウェルのツボーズが“薄く”なっている。

 

 正確には、既存のツボーズの他に、薄いツボーズが増えるのだ。

 

 だが、もちろんそんなのは今に始まったことではない。

 ゴーレムと戦ったすぐ次の授業の時から、気になっていたことだ。

 

 それならば、何故今になって首をかしげているのか?

 

 簡単な話だ。

 何故かマクダウェルが、私のことを鬼のような形相で睨み付けているからだ。

 

 視線の意図が解らず首をかしげていたら、思考がマクダウェルのツボーズのことに移っていたのだ。新学期早々、何故私はこんなに睨まれているんだろう?

 

 ……わからん。

 

 最近変わったこと、その中でマクダウェルの機嫌を損ねるような事があったか、考えてみる。逆恨みかそれとも本当に私が悪いのか、それで解るはずだ。

 

 そう、最近変わったことと言えば、一つ思い至った。

 まぁ、最近といっても、つい昨晩のことなのだが。

 

 私は、ネギ先生を待つ間、扉側の一番前の席ではしゃぐ“佐々木の姿”を見ながら、その時のことを思い出してみることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第六話 ~桜に映える、黒い影的ツボーズ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 ――その日私は、部活帰りに桜通りを歩いていた。

 

 

 植物のツボーズなんてものが見えるようになってから、桜の木の下ではツボーズが連日連夜宴会をしている風景を見るハメになった。

 

 これが非常に目障りで、ツボーズにツボの効能を聞いて樹をマッサージするという奇行に及ばざるを得ない事態になっていた。

 

 そうすれば落ち着くのだが、いかんせん周囲の目が痛い。

 

 

 ――そうして歩いていたら、そう、確か悲鳴が聞こえたのだ。

 

 

 なんだ、と考える暇はない。

 まずは駆けつけて、それからだ。

 

 夜の桜通を疾走する。

 走って、走って、走って。

 ……辿り着いたその先では、佐々木が倒れていたのだ。

 

「おいっ、大丈夫かっ!?」

 

 駆け寄って見てみると、佐々木は寝ているだけだった。

 

「はぁっ……たく。こんなところで寝るなよ」

 

 そう、息を吐く。

 だが、それはそれで不自然だと言うことに思い至った。

 

 よく身体を見てみると、焦って走ったような緊張の疲労が見て取れた。

 心配になってツボーズを見てみると、首筋から妙なツボーズが生えていた。

 それに寝ているだけでは悲鳴の理由が、解らない。

 

「なんだ?おまえ」

『ひゃっはー!僕吸血鬼っ』

 

 コスプレが趣味なのか?佐々木。

 今流行のネットアイドルというヤツだろうか……痛々しいな。

 

 きっとストレスだろう。

 ストレスで吸血鬼ごっこまでしてしまったのだろう。

 バカレンジャーとか呼ばれていたのが、予想以上に負担だったのかも知れない。

 ……となると、想像の中の敵に悲鳴を上げたのか? 佐々木。

 

「よし、せめて目が覚めたら楽になっているように、マッサージをしておいてやろう」

 

 そう思った私は、佐々木にマッサージをした。

 なんだか、ツボーズが不思議な感じで昇天した気がしたが、気にせずマッサージをした。

 

 もう、とにかく全力でマッサージをしたのだ――。

 

 

 

 

 

 と、そんな経緯を得て、佐々木はそれから数分後には目を覚ました。

 何も覚えていないという佐々木を寮まで――なるべく優しく接しつつ――送った。

 

 そして、翌日、つまり今日には元気に登校してきたのだ。

 コスプレツボーズも居ないし、心にため込んでいたものは晴れたのだろう。

 

 己の本性をひた隠し、パソコンの前でニヤニヤする佐々木は見たくない。

 

 

 

 ……そこまで思い返してみたのだが、マクダウェルと繋がる要素は見あたらない。

 では何が悪かったのだろうか?

 

 私の思考はネギ先生の登場と共にかき消えて、もうマクダウェルの視線も気にならなくなっていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 ――この日を、いったいどれほど待ちわびたことだろうか。

 

 千の呪文の男……ナギ・スプリングフィールドが、私にあの忌々しき呪い“登校地獄”をかけて、早十五年。

 

 三年で解くと約束したこの呪い。

 それを信じて待ち続けた私は、ヤツの“死”という形で裏切られた。

 人間の死など、別れなど慣れていた……これも、そのうちの一つにすぎない。

 

 だが、これは“仕方がない”で諦められることではない。

 何せ私は、未だにこの麻帆良学園に囚われているのだから。

 

 それでも諦めるしかないのかと、日々を無為に生きてきた。

 そんな時だった……ヤツの息子が、この麻帆良学園に修行をしに来ると聞いたのは。

 

「そう、だから準備をした……準備をした、のに」

 

 適当な人間の血を吸い魔力を補充し、ヤツの息子が来てからは囮の意味も込めてクラスメートを狙う。自分の担当するクラスから犠牲者を出させて、更に傀儡になった自分の生徒と戦わなければならない状況を作る。

 

 そんな私の計画は……初期から頓挫することになった。

 

 最初に襲ったクラスメート、佐々木まき絵。

 それが何故か、翌日には元気に登校していたのだ。

 ぼーやへの宣戦布告にするために、まだ昏睡させておくはずだったのに。

 

「どういうことだ……茶々丸」

「はい、昨晩倒れていたところを千雨さんに介抱され、良くなったとのことです」

「ソースは?」

「本人が先ほど話していました」

 

 長谷川千雨。

 この女は、本当によくわからない。

 

 私がこの六百年の間で出会ってきたマッサージ師は、決して多いものではない。

 確かに、針灸を生業とする者の中には、ツボの位置が点となって見えるという者はいた。

 

 だが、ツボが具現化して語りかけるなどというトンデモマッサージ師は、見たことがない。

 

「まさか、新手の魔法使いなのか?」

「いえ、魔力も気も無いようです」

「ならば潜在的な力……超能力者、異能者か?」

「その可能性が、一番近いかと」

 

 茶々丸は人形……超鈴音に言わせるところの“ガイノイド”というやつだ。

 科学によって作られた思考回路は、常にyesかnoで答えを示す。

 

 解らなかったら解らない。

 ……そう答えを出すはずなのだが、今の茶々丸の言葉は曖昧なものだった。

 それはつまり、長谷川千雨がどの位置に“立つ”者なのか、判断しきれないということだろう。

 

「吸血鬼化を解除するほどの異能者か……マッサージ師などという皮を被って、大人しくしていたということか」

「マスター、千雨さんは大人しくはなかったと思います」

 

 ふふ、私の目を欺くとは……。

 だが、佐々木まき絵を助けたのが運の尽きだ。

 

 佐々木まき絵には、まだ私の魔力の気配が残っている。

 今晩にでも、長谷川千雨とネギ・スプリングフィールド……二人を、同時に釣り上げてやろう……。

 

「くくっ……貴様の命運もここまでだ……長谷川千雨ッ」

 

 私は周囲に殺気が漏れないよう調整しながら、長谷川千雨の背中を睨み付けた。

 

 そうしてノーテンキにしていられるのも、今日までだ……ッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 教室前の札が、三年A組のものに替えられる。

 今日から僕も、正式な先生となるのだ。頑張らないと!

 

「三年!A組!――――ネギ先生ーっ!!」

 

 みんなは、いつものように元気だ。

 僕も、みんなに負けていられない。

 ここで気圧されるようでは、立派な魔法使いになるなんて、夢のまた夢だからだ。

 

「えと……改めまして。三年A組担任になりました、ネギ・スプリングフィールドです」

 

 そう言うと、みんなは声を出すのを止めて耳を傾けてくれた。

 なんだか、嬉しい。

 

「これから来年の三月までの一年間、よろしくお願いします」

「はーいっ!よろしくーっ」

 

 みんな、すごく良い返事だ。

 ここで調子に乗っていてはいけないのは解っているけれど、それでも胸が高鳴る。

 歓迎されているんだって、思える。

 

 こうして見回すと、まだまだ話しをしていない人が何人もいることが解る。

 全員と仲良くなれるかは解らないけれど、頑張ってみたい。

 

 いや、頑張るんだ。

 ……諦められる夢では、ないんだから。

 

 出席簿を開きながら、出席を確認する。

 そうして僕は、気になる気配を感じて視線を止めた。

 

 ――その先にいたのは、まき絵さんだった。

 

 魔法の気配だろうか?

 ほんの少しだが、魔力の残滓がまき絵さんについていた。

 

 ……何かあったのかな?

 心配だし、それに少し気になる。

 後で誰かに、話を聞いてみよう。

 

「ネギ先生、今日は身体測定ですよ。三ーAのみんなも、すぐに準備してくださいね」

「あ、そうでした……ここでですかっ!? わかりました、しずな先生っ」

 

 わ、忘れてた。

 新学期初日である今日は、一時間目を使って身体測定をするんだった。

 

「で、では皆さん、身体測定ですので……今すぐ脱いで準備してくださいっ」

 

 僕の言葉により、教室が静まりかえる。

 ま、まずいっ! これじゃあセクハラ先生になっちゃう!

 

「み、みなさん、これは――」

「――きゃーっ!ネギ先生のえっちーっ!」

 

 みんなの甲高い声を聞いて、僕は慌てて教室の外へ飛び出た。

 

「うぅ、初日から」

「あ、ネギ先生」

 

 教室から出てすぐ、廊下にいたしずな先生に呼び止められた。

 連絡しておくことが、まだ残っていたようだ。

 

「怪我もなく健康に異常はなかったのですが、佐々木さんが昨日、桜通りで気を失っていたようなんです。それで、体調が優れないようでしたら、すぐに保健室に運んでください」

「佐々木さんが、桜通りで……はい、わかりました。ありがとうございます、しずな先生」

 

 佐々木さんに纏わり付く、魔法の残滓。

 桜通りでの、昏睡。

 

 何か繋がりがあるとしか、思えない。

 ……調べてみた方が、いいかもしれない。

 

 よし、今日は桜通りをパトロールしよう。

 僕の生徒には、指一本触れさせるもんか!

 

 そう意気込んで、僕は職員室へと戻った。

 今日はまだ終わりではないし、何より正式な先生は大変なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

 学校帰りの桜通りは、賑やかで静かだ。

 ツボーズが賑やかなだけで、空間そのものは静か、という意味だ。

 

 桜通りを歩きながら思い出すのは、昼間の身体測定の時に出てきた“噂話”のことだ。

 

 柿崎から“吸血鬼”の噂を聞いた時、私は思わず目頭を押さえた。

 佐々木が無意識のうちにコスプレをして、徘徊していたのだろう。

 ……今度からは、もっと優しくしてやらないとな。

 

 ちなみに、宮崎も隣にいるのだが、宮崎は妙に静かだ。

 よく見れば震えている。吸血鬼の噂が、予想以上に怖かったようだ。

 佐々木のコスプレだというのは気が引けるが……まぁ、少しぼかして伝えるか。

 

「なぁ、宮崎」

「は、はいっ、な、なんですか?」

「実は、あの吸血鬼の正体なんだが……」

 

 私が吸血鬼の正体のことについて言おうとすると、宮崎は足を止めて耳を傾けた。

 

「これは黙っていて欲しいんだが――――実は、私たちのクラスメートが、ストレスからコスプレして深夜徘徊しているってだけなんだよ。だから、あんまり怖がってやらないでくれ」

「コスプレ……そんな……」

 

 私が真剣な眼差しでそう言うと、宮崎は少し考えてから神妙に頷いた。

 解ってくれたようだ。

 

 ――誰にでも、人には言えない秘密があるということが。

 

「はぁせぇがぅわぁちぃさぁめぇぇぇえええぇぇぇッッッッッ!!!!」

「ひっ」

「な、なんだッ!?」

 

 地獄のそこから響くような、暗い声。

 その重低音に周囲を見ますと、街灯の上に立つ小柄な影があった。

 何をそんなに怒っているんだろう?

 

 ……あぁ、吸血鬼プレイの一環か。

 

「佐々木のツボーズじゃない? ……マクダウェルかッ」

「コ、コスプレしてた人って、エヴァンジェリンさんのことだったんですかっ!?」

 

 宮崎の驚いたような声が響く。

 ……先に呟いた佐々木の名前には気がつかなかったようだ。

 

 犠牲は、マクダウェルだけですんだということか。

 すまない、マクダウェル。おまえまでやっているとは知らなかったんだ。

 

「マクダウェルは私がなだめる。宮崎は、見なかったことにして走って先に行ってくれ」

「そう、ですね……わかりました、長谷川さんっ! 私は、何も見ていませんっ」

 

 宮崎はそう叫びながら、校舎の方へフェードアウトしていった。

 

 宮崎を見送った後、私は先ほどから反応のないマクダウェルの様子を見るために、振り向いた。静かだが、大丈夫だろうか?

 

「ふふ、ふふふ、ふふふふふふ」

「良い病院紹介しようか?……いや、私がマッサージした方が早いか」

 

 俯いて笑いだしたマクダウェルの姿は、何とも哀愁漂うものだった。

 ストレスがあるのなら、解消する手伝いをしたいんだが……家庭の事情とかだったら難しいな。

 

 そういえば、あまり人と話しているのも見ないな。

 照れ屋で友達がおらず、それが切っ掛けでストレスが溜まった、かな?

 誰か、マクダウェルの悩みを聞けそうなヤツはいないのか。

 

 あぁ……そういえば、一人いたな。

 

「まぁいい、貴様だけは、ゆっくりと、この手で、嬲り――」

「――絡繰に連絡しなくても、いいのか?」

 

 すればいいのに。

 それとも、恥ずかしいのだろうか?

 

「貴様――やはり、そうか」

 

 マクダウェルは私の言葉に反応して、顔を上げた。

 その表情は硬く、警戒心に覆われている。

 なんだか、手なずける前の子猫みたいだな……。

 

「――子猫か」

「私をそう呼ぶか……よほど命が要らないようだな。長谷川千雨」

 

 子猫呼ばわりされたと思ったのか、顔を赤くして恥ずかしげだ。

 マクダウェルはもう少し人の話を聞くべきだ。誰も、子猫の話しなどしていない。

 

 マクダウェルはぼろぼろのマントから試験管を取り出した。

 試験管を持ち歩くとは……ダメだ、元ネタがわからない。

 

「【リク・ラク・ラ・ラック・ライラック】」

 

 マクダウェルは試験管を指の間に挟むと、何かを唱えた。

 吸血鬼プレイがしたいのか魔法少女プレイがしたいのか科学者ごっこがしたいのか。

 

 なんにせよ、統一するべきだと思う。

 

「後悔しろ、長谷川千雨ッ!」

「僕の生徒に、何をするんですかッ!?」

 

 マクダウェルが試験管を投げようとした、丁度その時だった。

 杖に跨って空を飛んできたネギ先生が、私とマクダウェルの間に降り立ったのは。

 

「ちっ、遊びすぎたか」

「まぁ確かに、見るからに遊んでんな」

「貴様は黙れッ!」

 

 そうだった。

 ストレス解消のためなら、遊びじゃないな。

 うん、悪いことを言った。すまん、マクダウェル。

 

「千雨さん、これはいったい……」

「マクダウェルは、ストレスからこうして夜な夜なコスプレ徘徊を繰り返して……」

「いつまでもそれを引っ張るなッ!」

 

 マクダウェルはそう叫ぶと、地団駄を踏んだ。

 大丈夫なんだろうか?

 ……心配だ。

 

「そうだったんですか……なにか、僕に出来ることがあればっ!」

「そうだぞ、マクダウェル。私たちに出来ることがあれば、言ってくれ」

「いい加減にしろ貴様らッ!」

 

 むぅ、何が悪かったのだろうか?

 うーん……考えても、さっぱりわからん。

 

「まぁいい……纏めて仕留めてくれるッ――【リク・ラク・ラ・ラック・ライラック】」

「始動キーっ?! くっ――【ラス・テル・マ・スキル・マギステル】」

 

 流行なのだろうか、この歌。

 いや、ネギ先生の雰囲気的に、例の“魔法使い”特有の何か、か。

 

 なるほど、リアル魔法少女ならば、吸血鬼プレイのみに統一するのも無理があるか。

 どうしても、魔法少女の要素は入ってしまうからな。うん。

 

 だがとりあえず、ここでドンパチさせる訳には行かないだろう。

 怪我でもしたら、大変だ。

 

「【氷の精霊11柱・集い来たりて・敵を討て】」

「【光の精霊11柱・集い来たりて・敵を討て】」

 

 光が集まると、両者のツボーズが恍惚の表情を浮かべる。

 このまま観戦している訳にも行かないし、悪いが割って入らせて貰う。

 

「こほん。あー……【二人とも、落ち着け】」

「っ!?」

「っ!!」

 

 唱えるのをやめて、二人は崩れ落ちた。

 耳を押さえて、蹲っている。力入れすぎたか?

 要練習、だな。練習相手は……綾瀬にでも頼むか。

 

「こ、これは……」

「忘れていた……“ローレライ”とかいう、貴様の能力か……ッ」

 

 動けない二人を見て、考える。

 ネギ先生は私が連れて帰ればいいが……マクダウェルはどうしようか。

 

「二人ともっ大丈夫?! って、ネギ? なにやってんのよ」

「神楽坂……ちょうどいい時に来てくれた」

 

 宮崎と私が心配になったのか、神楽坂はわざわざ戻ってきてくれたようだ。

 

「マクダウェルとネギ先生が一悶着あってな。つい身動き封じちまったから絡繰にマクダウェルを迎えに来て欲しいんだが……連絡先、わかるか?」

「一悶着って……千雨ちゃん、なんでもありね。まぁ連絡網用のアドレスがあるから、連絡しておくわ――って、千雨ちゃんはなんで知らないのよ?」

 

 携帯電話、あんまり使わないからな。

 充電が切れていたのを忘れていたせいで、役立たずなんだ。

 

 しかし……神楽坂、様々だな。

 面倒見も良いし優しいし、こいつはけっこう良いやつだと思う。

 

「絡繰が来るまで、居た方が良いか?」

「情けは、受けんッ」

 

 マクダウェルがそう言うのならと、私はその意見を尊重する。

 もう少し、素直になっても良いと思うんだがな。

 

 神楽坂にネギ先生を抱えて貰い、私たちはその場を後にする。

 

 道中でマクダウェルのコスプレ事情を神楽坂に話すことも忘れない。

 あまり広めるのは感心しないが、神楽坂は約束は守るタイプだ。

 口止めだけで、充分だろう。

 

 なんとも波乱に満ちた新学期初日。

 その一日を終えたと実感できたのは、寮に帰ってシャワーを浴びた後だった。

 

 

 

 はぁ……まったく、これからどうなることやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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閑話2

――0――

 

 

 

 ――漸くここまで、辿り着いた。

 

 下着泥棒の罪で拘束されていた俺っちは、なんとか逃げ出して、こうして兄貴の暮らす麻帆良学園までやってきた。

 

「俺っちを捕まえようなんて、千年早ぇよ」

 

 俺っちは、由緒正しいオコジョ妖精だ。

 大人しくさせられると思ったら、大間違いだ。

 

「へっへっへっ、やっぱり女の子のレベルが高けぇな」

 

 予定よりも早めについた俺っちは、こうして朝早めに登校していく女生徒の姿を観察していた。

 この女の子達の下着に包まれて眠るのは、さぞ良い寝心地なのだろう。

 

「じゅるり……おっと、俺っちとしたことが」

 

 俺っちは今、故郷にいる妹にはとても見せられない顔をしているだろう。

 それでも顔がニヤけてしまうのを、止められそうにない。

 

「このまま兄貴のところへ行って、雇って貰えれば収入も増える。それに、兄貴にくっついて仮契約の仲介もすれば……うぇっへっへっ」

 

 完璧だ。

 完璧すぎて、涎が出てきた。

 

 そうと決まればまずは……“寝床”の“材料”でも取りに行くかな。

 

 ふっふっふっ。

 待っていろよ、俺っちのおぱんてぃーたちよっ!

 

 

 

 そうして、俺っちは寮と思われる建物に侵入した。

 その時の俺っちは、“寝床”のことで頭がいっぱいだった。

 だから、考えもしなかったのだ。

 

 

 

 ――そこに、運命の“出逢い”があることなんて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閑話2 カモの受難 ~接触編~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 俺っちは、なんてダメなオコジョなんだ。

 

 兄貴の肩で、授業風景を観察する。

 俺っちのボディにメロメロな、女子中学生の視線を受けるのは気分が良い。

 

 普段なら、そうやって視線を楽しんだ後に、下着泥棒へと励むことだろう。

 だけど今は、どうにもそんな気分にはなれなかった。

 

 理由はわかっている。

 兄貴が密かに思いを寄せている少女……長谷川千雨だ。

 オコジョ妖精には、人の心の“機微”を把握する能力があるのだ。

 

 表にして確認すると、千雨……さんに思いを寄せる人間は、それなりにいる。

 このクラスでは、出席番号四番、五番、十六番が友情と愛情の間で揺れ動いている。

 特に四番は、大きい。誰とは、言わないが。

 

 同性からも好かれる人間。

 オコジョ妖精である俺っちまで、揺れ動かされるとは思わなかった。

 

 俺っちはオコジョだ。

 種族が違うからこそ、抱くのは異性間の愛情ではない。

 

 ただ、あの娘の前で……あの笑顔の前で下着泥棒なんかをすると、胸が痛むのだ。

 故郷の妹の前で、スケベ心を出すことは出来ない。

 それと、似た様な理由なのだ。

 

「はぁ」

「どうしたの?カモ君」

「いや、なんでもねぇよ。兄貴」

 

 ホント俺っち……何しに来たんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 そもそものきっかけは、兄貴に合流する前に“寝床”の確保をしようと女子生徒の部屋に忍び込んじまったことだった。

 俺っちの愛くるしいぼでぇを駆使して窓から侵入。ちょいとクローゼットからふかふかの“寝床”を頂戴いたそうと華麗に身を翻し――気配を消して近づいてきた影に、あっさりと捕まった。

 

「ぬ……キュッ?!」

 

 思わずおっさんくさい悲鳴をあげるところだったが、ぐっと我慢。

 成功したことに気を取られたせいで、俺っちは逃げ出す算段を失った。せめて顔だけは見てやろうと俺っちを掴む腕を辿ると、顔はキレーだが表情のない女の姿。

 

「動物なのに不思議なやつだ。ツボーズが妙だぞ、おまえ」

「キュ?」

 

 ツボーズってなんだ。

 そう思った俺っちは悪くねぇ。

 女は俺を掴んだまま、何故か自分の膝に乗せる。ククッ、ばかめ! 俺っちの秘術、オコジョ抜きを駆使すればこの体勢からでもこの女の下着はちょうだいできる!

 

 なんて、不穏なことを考えていたのが悪かったのか。日頃の行いが悪かったのか。

 

「暴れるな。楽にしてやるだけだ――【じっとしていてくれ】」

 

 脳天直下の艶やかな声に、見事に動きを封ぜられる。

 おいおいおい、オコジョ妖精の俺っちを声だけで腰抜けにさせるなんて……この女、何者だ?!

 

「ツボとは、即ち経絡。なにも経絡があるのは人間だけではない。全ての生物に神経を辿る経絡は宿る――これぞ、アニマルマッサージの極意」

「キュキュッ?!」

 

 おいおいこの女、いったいなにを言ってやがる?!

 力の入らない身体で抵抗するも、無駄だった。決して力を入れて掴んでいるわけではないのに、身体はどこへも逃げられない。

 まるで、関節の動きという動き全てを把握しているようだった。

 

「安心しろ。痛くはない」

「キュキュッ?! キュー! キューッ!!」

 

 信じられるか!!

 そんな俺っちの思いは届かない。いつの間にか伸びてきた女の指が、あっさりと、俺っちの身体を捉えた。

 

 ――包み込む手。

「肺経、心包経、心経より前肢を陰とし、大腸経、三焦経、小腸経より前肢を陽とす」

 ――付き立つ指。

「胃経、胆経、膀胱経より後肢を陽とし、膵経、肝経、腎経より後肢を陰とす」

 ――慈しむ瞳。

「故に是――十二正経、也」

 

 身体の芯から。

 脳の随から。

 心の奥から。

 

「キュ、キュゥ……うぬぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉおおぉぉぉッッッッ!?!?!!」

 

 沸き立つ喜びと、吹き出る安堵。

 俺っちは最高の“寝床”に包まれているときなんかよりもはるかにすさまじい快楽に、抗うことなんかできやしなかった。

 

「さ、終わりだ。ゆっくり休んでから、住処に帰るんだぞ?」

 

 そして、見てしまったのだ。

 女の……いや、あの方の、女神が如き笑顔を――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 さて。

 その後、俺っちは夢見心地のまま兄貴と合流し、感動の再会を果たした。

 当然そのあとにすることは決まっている。兄貴の同室の乙女たちに協力を(勝手に)要請し、俺っちの新しい“寝床”を作ることだ。

 

 が。

 

 過ぎるのだ。

 俺っちを癒やした、あの優しい笑顔が。

 俺っちを導いた、あの慈しむような瞳と、手が。

 

 結局、新しい寝床を作ることなんかできなかった。

 まぁ、一度も作らなかったおかげで、“下着泥棒”の一件がネカネの姉御からの手紙で発覚した後も、改心したと認めて貰えたわけだが……。

 

 そんなこんなで俺っちは、どうやら腑抜けちまったらしい。

 下品な行為であのお方に蔑まれでもしたら、と考えると、身動きが取れなくなってしまう。

 

 本当なら、俺っちは今頃新しい寝床に囲まれて、仮契約量産でオコジョ$うはうは左うちわな毎日が待っているはずだったというのに……。

 

 兄貴に助言らしい助言もできず、やっていることはただのペット。

 

 

 

 ああ、もう、本当に。

 俺っち、なにしに来たんだろう……。

 

 嘆かねばならないはずなのに、思い出すのはあの手と笑顔。

 ――長谷川千雨さんのことを思い浮かべて、兄貴の肩の上でため息をつくことを、やめられそうになかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第7話

――0――

 

 

 

 新学期から、二日目の授業。

 僕は気合いを入れて、教壇に立った。

 

 初日から、魔法使いの女の子と戦いそうになってしまった。

 千雨さんのおかげで魔法を放つことなく終わることが出来たけれど、やっぱり先生として、僕は女の子――エヴァンジェリンさんを止めなければならないだろう。

 

 千雨さんの話では、エヴァンジェリンさんはストレスでコスプレをしていたらしい。

 

 あれは魔法の触媒だと思ったのだが、それならばわざわざ“それっぽい”雰囲気に加工する必要はない。普通の外套にでもしていればいいのだ。

 

 先生として悩むことは、それだけではない。

 エヴァンジェリンさんのストレスを解決して、もっとすっきりして欲しいとは思う。

 けれど、千雨さんのことも考えなければならない。

 

 そう、千雨さんだ。

 昨日、魔法を使っているところを思い切り見られてしまったのだ。

 どう説明しようか、記憶を消すべきなのか、それとも話し合いをするべきなのか。

 

 話し合いで、解決できるだろうか。

 千雨さんは、どこにでもいる普通の女生徒……普通の……普通?

 

「うん、なんとかなるかも」

「ネギ先生、どうしたのー?」

 

 僕を覗き込むまき絵さんの姿で、我に返る。

 僕は今、教壇に立っているのだ。

 集中すべきは、目の前のことだ。

 

「それでは出席を――あれ?エヴァンジェリンさんはお休みですか?」

 

 首をかしげて、エヴァンジェリンさんの席を見る。

 そこは空席で誰もいない……だけれど、欠席の報告は受けていない。

 

「先生、マスターは屋上でサボタージュです」

「あ、茶々丸さん……」

 

 千雨さんから聞いたのだけれど、茶々丸さんはエヴァンジェリンさんが気負うことなく話すことの出来る、唯一の友達らしい。

 

 僕も友達は多くなかった。

 正直、アーニャだけだった。

 だから、エヴァンジェリンさんの気持ちも、なんとなくだけれどわかるのだ。

 

「エヴァンジェリンさんは、寂しくないのかな……」

 

 小さく呟いた言葉は、誰かに聞こえることなく虚空へ消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第七話 ~フレンドリー・ロマンス/友達百人計画~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

「はぁ」

 

 ため息を吐く。

 たかが人間相手に、無様を晒してしまったことに。

 

「はぁ」

 

 ため息を吐く。

 計画の変更に、頭を悩ますことになってしまったことに。

 

「はぁ」

 

 ため息を吐く。

 今一番の懸念が、今まで気にも留めなかった相手に対してだということに。

 

「おのれ……長谷川千雨め」

 

 授業中、私はこうして屋上にいた。

 侵入者の気配がして、普段ならば寝ているはずの時間に起こされて、眠いのだ。

 

 それに、今更授業に出ることに、意義を見いだせない。

 私のような長命種を殺すのは、ニンニクでも聖水でも銀の十字架でもない。

 

 ……“退屈”というたった二文字の言葉。

 それに込められた意味が、精神(こころ)を殺すのだ。

 だから退屈なことはしないし、みな特有の楽しみを見いだす。

 

 私は今はまさに、殺され続けているのだ。

 この麻帆良学園という、鳥かごの中で。

 

 それも漸く終わる。

 終わるはずだったのだ。

 

「長谷川千雨……貴様だけはッ」

 

 歯を噛みしめて、叫ぶ。

 その声で我に返り、首を振った。

 

 ……いや、少し落ち着いた方が良いな。

 チャンスはまだあるし、ここで諦めるには早い。

 魔力の補充も不完全だが、今回は策があるのだ。

 

「くっくっくっ……そう、そうだ、まだあるのだ」

 

 茶々丸のおかげで知り得た情報。

 大停電による、魔力封印の無効化。

 それにより、私は“あの頃”に返り咲く。

 

「その時が貴様の最後だ……長谷川千雨」

 

 この手でひれ伏せ、従僕にしてやろう。

 お得意のマッサージとやらをさせるのも悪くない。

 なに、私は優しいからな……命までは、奪わんさ。

 

「クククッ……ハーハハハハッ!」

 

 そうして、高笑いを上げる。

 

 すると、扉が開く音が聞こえたので笑いながら振り向いた。

 ここにわざわざ来るのだから、茶々丸だろう。

 

 まったく、一声かければいいのに。

 

「そ、そんな…………ここまで、深刻だったなんて」

「ハハハ、ハ…………は?」

 

 ドアの前に立っていたのは、想定よりもずっと小柄な影だった。

 根本の黒い赤茶の髪と、小さな眼鏡に大きな杖、そして深い緑のスーツ。

 

 言うまでもなく、ぼーや――ネギ・スプリングフィールドだ。

 ぼーやは、何故か私を見て、真っ青な顔で震えていた。

 

 深刻だ、と言っていたな。

 ……そうか、自ら私の正体に気がついたのか。

 

「どうした? ネギ“先生”? ……ふふ、恐れる必要はない。それは当然の感情だ」

「やめましょう、エヴァンジェリンさん。現実から逃避しても、何も変わりません!」

 

 うん?

 何を言っているんだ?……現実逃避など、私がしているはずがないだろうに。

 いったいどこからそんな感想が……。

 

「僕は先生として、エヴァンジェリンさんが奇行に走らないように、相談に乗りたいんです! ……千雨さんから聞きました。お友達が、欲しいんですよね?」

「は、せがわ、ちさ、め、だと?」

 

 奇行に走る?

 お友達が欲しい?

 誰が? まぁ、私だろうな。

 

「ほ、ほほう? ……いいか、良く聞けネギ先生」

「はい」

 

 そんな神妙に頷くな。

 くっ、なんだこの胃の痛みはッ。

 

「私は貴様の父親により登校地獄の呪いをかけられて、十五年もこの地に縛られている」

「と、父さん、に?」

 

 よし、このまま私のペースに持って行こう。

 長谷川千雨……何もかも貴様の思いどおりに行かせはせん!

 

「そうだ、だから私はああして桜通りで、貴様をおびき寄せて解呪を――」

「――だからああして、コスプレをしていたんですかっ?!」

「何を聞いていたッ?!」

 

 ぼーやは、目尻に涙を溜めると、私に抱きついた。

 ドアから私のところまで、この速度か……。

 そういえば、ぼーやは風の魔法が得意だったな。

 

「父さんのせいでストレスを溜めて、深夜徘徊をするようになったんですね?」

「はぁ?いったいどこをどう勘違い――」

「――だったら!……だったら、それは息子である僕の責任です!僕が、責任をとります」

 

 決意の声と共に、ぼーやは私を強く抱き締めた。

 私はそれを振り払い投げ飛ばすのを……中断する。

 押しのけようとした手を、ぼーやの背に回した。

 

 責任をとってくれるというのなら、とって貰おう。

 この体勢は丁度良い。……このまま、解呪に必要な血液を搾り取ってくれよう。

 

「――エヴァンジェリンさん」

 

 首筋に牙を突き立てるために、少し強く抱きつく。

 顎が肩に乗るくらいまで近づいて、私は口を開けた。

 ふっふっふっ……間抜けなやつだ。

 

「責任、とって貰うぞ?」

「はい」

 

 強く頷くぼーやの言葉。

 吸血鬼とは、悪魔だ。

 悪魔と契約することの恐ろしさを、味合わせてやろう。

 

 これで、終わり――――――いや、待て。

 

 今は昼間。

 満月はまだ先。

 牙、生えてない?

 

「ネギ先生、神楽坂たちが探して――――邪魔したな」

「長谷川……千雨」

 

Q、ぼーやは何をしている?

A、私に抱きついている。

Q、私は何をしている?

A、血を吸おうとして、ぼーやの背中に手を……。

 

「ま、待てッ!長谷川千雨!えーい、放せ!ぼーや!」

「え、エヴァンジェリンさんっ!?」

 

 えーい、密着しすぎていて投げられん!

 って、違う、私が抱きついているから離れられないんだ。

 

「ちっ」

「あっ」

 

 私は合気の術でぼーやを投げ飛ばすと、そのまま走る。

 

 目標は、長谷川千雨だ。

 一刻も早く、ヤツを消さねばッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 すごい勢いで、エヴァンジェリンさんは走り去った。

 

 僕は、ショックだった。

 立派な魔法使いだと思っていた父さんが、女の子をあんなに追い詰めていたなんて。

 ストレス過多で、きっとエヴァンジェリンさんは、今まで苦しんできたのだろう。

 

「でも、諦めない……諦めませんよ、エヴァンジェリンさん」

 

 震える身体で抱き返してくれた、エヴァンジェリンさんの小さな手。

 途中で逃げられてしまったけれど、僕は確かに見たのだ。

 

 ――耳まで赤くなった、エヴァンジェリンさんの横顔を。

 

 完全に、とは言えないけれど。

 エヴァンジェリンさんは、確かに僕に心を開きかけてくれた。

 誰かを求められるのなら、きっと、まだ大丈夫だ。

 

 父さんのかけた呪いは、僕が沢山勉強をして、解呪する。

 だからそれまでの間、エヴァンジェリンさんが友達を作る、手助けをする。

 手助けが……したいんだ。

 

 でも、正直どうすればいいのか解らない。

 千雨さんみたいに、マッサージが出来れば、少しは……。

 

「よう、兄貴……悩んでるみたいだな」

「え――?」

 

 声がして、周囲を見回す。

 だが、広い屋上には誰もいなかった。

 

「兄貴、ここだよ。ここ」

「え?下……カモ君っ?!

 

 そこにいたのは、白い毛並みのオコジョ妖精だった。

 彼の名前は“アルベール・カモミール”……僕がウェールズで知り合った、友達だ。

 ……今の今まで、忘れてたけど。

 

「いったい、どうしてここに?」

「兄貴に助けられた恩を、返しに来たのさ」

 

 カモ君は、僕がもっと小さい頃に、罠にかかっていたのを助けたことがある。

 その後すぐ大人の人に怒られてしまったけれど、それでも僕は、カモ君を助けることが出来て良かったと思っている。

 

「それよりも、兄貴……悩みがあるなら、聞かせてくれないか?」

「う、うん……実は」

 

 誰かに聞いて貰えば、もっと違った答えが出てくるかも知れない。

 そう思って、僕はカモ君に、全部話すことにした。

 

 明日菜さんに迷惑をかけてしまったこと。

 最下位脱出の試練と、幻の地底図書室のこと。

 エヴァンジェリンさんの、悩みのこと。

 

 そして――千雨さんのこと。

 

「は、長谷川、千雨さん……」

「どうしたの? カモ君」

「い、いや、なんでもないっスよ。兄貴」

 

 千雨さんとの出逢いを話すと、カモ君はぴくりと身体を震わせた。

 カモ君はなんでもないっていうけれど、ここに来た時に何かあったのだろうか?

 

「と、とにかく!……まずは、そのエヴァンジェリンって女の子――うん?どこかで聞いたことが……いや、ストレスでコスプレするなんて女の子はしらねぇな――に、どうやって友達を作るか、ということっスよね?」

「う、うん……」

 

 そうだ。

 考えるべきなのは、どうやってエヴァンジェリンさんのストレスを解消してあげるか、だ。

 友達を沢山作って笑顔になれたら、きっとストレスも消えるはずだと、思う。

 

 カモ君のことを明日菜さんに話して、それから協力して貰おう。

 千雨さんにも魔法使いのことを説明して、明日菜さんと一緒に協力できれば……。

 

「よし、やろう! カモ君!」

「おうよ! 兄貴!」

 

 カモ君と手を取り合い、空を見上げる。

 

 友達作り大作戦の、始まりだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 私の部屋は、寮でも珍しい一人部屋だ。

 だから寮ではいつも一人で居るのだが、今日は違う。

 

 相部屋になったのではない。

 ネギ先生によって、近衛達の部屋に招かれたのだ。

 

 今日は図書館探検部の活動により、近衛が居ない。

 そのため、この部屋にいるのは私とネギ先生と、神楽坂。

 ……それに、“今朝方見た”イタチの三人と一匹だ。

 

「千雨さんに、お話ししたいことがあるんです」

「マッサージか?」

「千雨ちゃん、まずは聞いてあげて」

 

 神楽坂が、気の毒そうな顔でそう言った。

 まぁ、まずは聞こう。

 

「実は僕は、修行のためにここで先生をしに来た――魔法使い、なんです」

「あぁ、知ってる」

「えぇっ!?」

 

 あぁ、言っちゃまずかったか?

 まぁ、自分から話すということは、聞かれてもいいと言うことだろう。

 こんな神妙に話すということは、自分からばらしたのが知られたらまずい、ということか。

 

 その辺は、フォローしてやるか。

 宮崎を助けようとした訳だからな。

 

「ど、どうして知ってるの?千雨ちゃん」

「ツボーズに聞いた」

「な、なるほど。よくわからないけど“らしい”わね」

 

 未だ固まるネギ先生を余所に、神楽坂が納得したように頷いた。

 まぁ、知ってから限定になるとはいえ、実際聞けば教えてくれたしな。

 

「あ、あの……そのことなんですが」

「別に、誰にも言わねぇよ」

「ほ、本当ですかっ!?」

 

 私としても、小さい子供をいじめて悦に浸る趣味なんかない。

 それに、笑顔を与えたくてマッサージ師をやっているんだ。

 ……泣かせてなんか、やるもんか。

 

「良かったわね、ネギ」

「は、はい!」

「きゅー!」

 

 ネギ先生の肩ではしゃぐ、イタチ。

 あのイタチは“カモ君”っていうのか。

 確か、寮に入り込んだあのイタチを、マッサージしてやったんだったな。

 

「ちょっとカモ……あんた、オコジョのくせになに猫被ってんのよ?」

「きゅ、きゅー?」

「カ、カモ君?どうしたの?」

 

 イタチじゃなくてオコジョだったのか。

 小動物だからな……緊張しているんじゃないか?

 

「ちょっと貸してみろ」

「あ、千雨さん」

「……きゅ、きゅー」

 

 掴み上げて、腕の中でマッサージをする。

 安心させてやるように、優しく撫でて落ち着かせる。

 それから緩くマッサージをしてやると、“カモ”はすぐに眠りについた。

 

「へぇ……」

「はぁ……」

 

 カモを机の上に横たえると、神楽坂とネギ先生が私を見ていた。

 神楽坂は感心したように、ネギ先生は赤い顔で。

 

「前にも、カモにやる機会があったの?マッサージ」

「うん?あぁ、今朝方、寮に入り込んでいたのを見つけて、マッサージをしたんだ」

「なるほど、ね」

 

 なにが、だろう?

 まぁいいか、カモも安らいだ顔してるし。

 

 

 

 その後、私はエヴァンジェリン友達作り大作戦の話しを概要だけ聞き、自室に戻った。

 詳しい話しはまた明日、煮詰めるのだ。

 

 ――明日からは、少し忙しくなりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

 千雨ちゃんが出て行った後、残された私は顔を赤くするネギを見た。

 思い出すのは、つい先ほどの光景だ。

 

 相手が動物だからだろうか。

 千雨ちゃんは、今まで見たことのない優しげな笑顔で、マッサージをしていた。

 その笑顔が本当に綺麗で可愛くて、カモが猫を被りたくなるのもわかるような気がした。

 

「ねぇ、ネギ?」

「……」

 

 ネギは未だ、千雨ちゃんの出て行った扉を見つめている。

 私の声が届いているかは解らないが、気にせず続けることにした。

 

「あんた、千雨ちゃんのこと――――好き、なの?」

「僕は――――って、えぇっ!?」

 

 ネギは私の言葉に強く反応して、真っ赤な顔で飛び上がった。

 その仕草が面白くて、少しだけ笑ってしまう。

 

「そ、その、ぼ、僕はっ」

「はいはい、わかったわかった」

「な、何がですかっ!?」

 

 たまには、こうしてからかうのも良いかもしれない。

 ネギはどうも、ストレスを溜めすぎるみたいだし。

 

 どいつもこいつも、もっと素直になればいいのに。

 ネギもカモもエヴァちゃんも……それから、私も。

 千雨ちゃんみたいに、素直に生きられれば、きっと、もっと楽しいんだろうな。

 

「あ、明日菜さんっ」

「おっと、そろそろ木乃香が帰ってきちゃうわよ」

「うぅ……」

 

 肩を落とすネギを見ながら、私は木乃香の帰りを、ゆっくりと待つ。

 

 明日からは、エヴァちゃんのこと考えよう。

 みんなが沢山、楽しくなるように。

 

 

 

 

 

 あれ?でも、ネギが千雨ちゃんを好きなら、本屋ちゃんは……。

 

 うん、考えるの、止めておこう!

 

 

 

 

 

 

――了――



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第8話

――0――

 

 

 

 ネギ先生の肩の上。

 そこで、大きくため息を吐くフェレットの姿。

 

 この学校は、奇人変人ばかりです。

 明らかにぶっ飛んだ方々で溢れています。

 ですが、あんな人間くさいフェレットは、見たことがありません。

 

「綾瀬? どうした?」

「いえ、なんでもありませんよ」

 

 小さな声で、千雨さんが私を覗き込みました。

 心配してくれるのは非常に嬉しいのですが、残念ながら千雨さんが、一番大きな“不可思議”なのです。

 

 ツボの精霊、ツボーズと会話を重ねるマッサージ師。

 その腕前は私見ですが一流でしょう。

 どう考えても、ただの女子中学生にたどり着ける領域では、ありません。

 

「この学園には、何かがあるはずです」

 

 十歳で教師になるという、労働基準法を丸めて捨てる行い。

 一般マッサージ師の常識を鼻で笑う、とんでも女子中学生。

 他にも色々ありますが、ここまでピースが揃えば見えてくることもあるはずです。

 

 こういったことをするのは心苦しくはありますが、仕方ありません。

 今日一日、千雨さんの行動を見ることにしましょう。

 

「綾瀬、授業終わったぞ?」

「ふ、ふふふふふ」

「おーい、綾瀬ー?」

 

 もちろん、普段千雨さんがどんな一日を過ごしているのかが気になる訳ではありません。

 えぇ、もちろん無いのです。

 

「ったく……【綾瀬】」

 

 はぅっ!?

 

 ……うぅ、“それ”は卑怯なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第八話 ~ストーキングミッションインポッシブルナウッ!~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 学校から帰る千雨さんの後ろを、ゆっくりと歩く。

 

 学校終わりにすぐ千雨さんにマッサージをして貰ったので、ツボーズからの情報という訳のわからない現象で、尾行がばれることもないでしょう。

 

 しっかりと凝りを癒しておかないと、あっけなく捕まることになってしまいますからね。

 

 千雨さんは、中等部専用の体育館の方角へ、歩いて行きます。

 そういえば、今日はマッサージ研究会の活動でしたね。

 

「見えづらいですね……しかし、近づくとばれてしまいます」

「はい、双眼鏡」

「あ、ありがとうございます」

 

 双眼鏡を目に当てて、千雨さんを視界に納めます。

 何か悩みでもあるのでしょうか?

 ……少しだけ、アンニュイな表情をしているのです。

 

「心配ですね」

「私としては、親友がストーキングに励んでいることの方が心配かな?」

「これはストーキングではなく、不思議発見の探検です」

「うん、意味がわからないかな」

 

 まったく、この程度の意味もわからないとは……。

 ハルナはまだまだ、千雨さんの領域にはたどり着けないようです……ね?

 

「は、ははは、はるむぐッ?!」

「大きい声出すと、見つかっちゃうよー?」

 

 突然現われたハルナに、私は驚いて声を上げそうになりました。

 ハルナが咄嗟に口を押さえてくれたことには感謝しますが、元はと言えばハルナのせいです。むむ……。

 

 って、落ち着いている場合じゃないです!

 

「どどど」

「小さい声で、ね?」

「くぅ……どうして、ここに?」

 

 諫められて、声を小さくします。

 どうして双眼鏡なんかを持って私の隣にいるのか?

 まったく、油断も隙もないです。

 

「どうしてって……一人で笑いながらふらふらしてたら、心配するって」

「そ、そんな千雨さんみたいな行動をするはずが無いじゃないですか」

「いやいや、してたって」

 

 うぅ、これでは、私まで奇人変人の仲間入りを果たしてしまうのです。

 と、とにかく、ハルナに事情説明を……って、何と言えば?

 

「で、夕映?」

「なんでしょう?今少し考え事を――」

「千雨ちゃん、行っちゃうよ」

「――い、急ぎましょう!」

 

 遠ざかっていく千雨さんを、追いかけます。

 もう事情説明は後回しです。

 今はとにかく、やり遂げねばっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 ぶつぶつと何かを呟いたと思えば、急に笑い出す。

 その仕草は見るからに怪しく、私は流石に放って置くことが出来なかった。

 

 のどかは今日返却の本があるというので来られなかったけれど、私はなんとか夕映に着いていくことが出来た。ちょっと、放っておけないなぁ。

 

 親友の“恋路”なら、応援したい。

 ちょっとからかって、やっぱり背中を押してあげたい。

 けれど、それが本当に“恋路”かわからないから、私はどうにも戸惑っていた。

 

「プレハブ小屋に入りましたね」

「うん」

 

 夕映は、窓が見える位置に回り込む。

 どうして見やすい位置などを把握しているのか非常に気になるが、そこは置いておく。

 

 クラスメートの長谷川千雨は、美人で変な人だ。

 マッサージが好きで、隣の席の夕映がよくマッサージをして貰っている。

 その繋がりで、私やのどか、このかもマッサージをして貰っている。

 

 お店でマッサージなんか受けたことはないが、千雨ちゃんはすごいと思う。

 修羅場で死にかけの私を、一時間足らずで元気にさせるのだ。

 

「出番ですよ、ジョニー」

「千雨ちゃんも、物に名前をつけるの好きだよね」

 

 そんな千雨ちゃんと夕映は、自然に仲良くなった。

 それが百合だと騒げる程度の“仲の良さ”ならば、からかえる。

 だがどうにも夕映が“本気”かそうでないか判断できず、からかえないのだ。

 

 相手が“あの”千雨ちゃんでは、藪をつついた先がどんなモノに繋がっているか、解らない。

 

「こーやって悩むのは、私のキャラじゃないんだけどなぁ」

「やはり凛々しいですね。……何か言いましたか?ハルナ」

「なんでもないよ」

 

 はぁ。

 憧れ止まりなのか友情なのか“恋路”なのか。

 はっきりしてくれないかなぁ。

 

 色々考えることはある。

 けれど、今は……この楽しそうな親友に、付き合おう。

 

「夕映、私にも見せてよ」

「ふぅ……どうぞ」

「どれどれ……あれ?千雨ちゃん、普通だ」

 

 覗き込んだ先。

 そこでは、千雨ちゃんが真剣な表情で“授業”をしていた。

 座学というヤツなのだろうが、私はマッサージ研究会は、もっと“変な集団”かと思っていた。……意外だ。

 

 千雨ちゃんは、黒板にデフォルメされた顔の絵を描いていた。

 丸い顔の中、表情は眉を寄せて震えているモノだ。

 

「どう思っているか……でしょうか?」

 

 私から再び双眼鏡を受け取った夕映が、絵を見ながら首をかしげた。

 

「たぶんそうだと――」

「千雨さんの口の動きを見る限りでは、そのようです」

「――口の動きって、夕映それ変態……茶々丸さんっ!?」

 

 いつの間にか、茶々丸さんが私たちの後ろに立っていた。

 夕映も驚いて、目を丸くしている。

 

 茶々丸さん、心臓に悪いよ。マジで。

 

「茶々丸さん、どうしてここに?」

「マスターからの命令で、千雨さんの様子を探ってくるように、と」

「マスター……エヴァンジェリンさんでしょうか?特殊な関係というヤツですね」

「はい、そうです」

 

 とくに眉を寄せることもなく、夕映は茶々丸さん達を“特殊な関係”と言い、納得した。

 これは完全に染まりきっていると言うことなのだろうが……それより気になるのは、茶々丸さんの肯定だ。

 

「え?特殊な関係、なの?」

「はい。一般的に判断すれば、私とマスターの関係は“特殊”であると言えます」

 

 これは、ついに私の本領発揮の機会がやってきた!?

 

 最近、からかうのにもネタにするにも判断しきれない内容で、私はストレスが溜まっていた。

 それを考えると、これは“渡りに船”だ。思わぬところから、ネタが降りてきた。

 

「ご主人様とその愛玩奴隷っ?!」

「愛玩……人形という意味でしょうか? それならば、肯定です」

「ディープッ!」

 

 ヤバイ、興奮してきた。

 いつも一人で黄昏れているクラスメート。

 ビスクドールのような憂いげな表情の影には、夜の女王様の顔がっ!

 

 手持ちのネタノートに、内容を書き込んでいく。

 イラストも、忘れない。

 

 これだよ、これが私の“キャラ”なんだよ!

 最近、どうにも私“らしく”ないことしか出来なくて、辛かったんだよ!

 

 しっかし、エヴァちゃんがそんな高レベルの“変態さん”だったとは。

 流石私たちのクラスメート……案外、ザジさん辺りにもトンデモな秘密があるのかも。

 

「茶々丸さん、あれはどんな表情だったのですか?」

「千雨さんは『あー痛いなぁ。どうしようマジ痛いよー。あぁー、でも言うタイミングが取れないなぁ。我慢するしかないな』……と説明しています」

「マジでっ?!」

 

 マッサージ研究会……むぅ、侮れない。

 

 結局私たちは、三人で部活終わりまで覗くことになった。

 いや、なんか面白くって飽きないんだもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 マスターの命令は、突然でした。

 曰く、長谷川千雨の調査をしろ、と。

 

 私たちのクラスでも、少しだけ浮いている千雨さんとマスターでは、どこか共感できる部分があったのでしょうか。マスターは、小さく笑っておられました。

 

 血圧も上がっているようでしたし……これは、“興奮”でしょうか。

 

 私はマスターの命令に従い、千雨さんを尾行しました。

 そしてその最中に、同じ目的の綾瀬さん達に合流したのです。

 

 千雨さんと親しい彼女たちと一緒に行動すれば、より多くの情報を得ることが出来るでしょう。

 それは、マスターの望み、利と一致します。

 

「部室を出ましたね……引き続き、追いましょう」

「うん」

「はい、ご一緒します」

 

 綾瀬さんとハルナさんに追従する形で、移動します。

 千雨さんの向かっている方角にあるのは……カフェですね。

 

「茶々丸さん」

「なんでしょう? ハルナさん」

 

 ハルナさんが、私に小さく声をかけます。

 先ほどから、私にハルナさんは多くの情報を求めています。

 

 綾瀬さんの望みでしょうか?

 マスターのことがどうして利の一致に繋がるのか判断しかねますが、私がより多くの情報を得るためにも必要なことと言えるでしょう。

 

 お答えできる範囲で、お話しを伺うことにしましょう。

 

「やっぱりエヴァちゃんは、茶々丸さんが好きなんだよね?」

「はい。マスターは私を愛しています」

「愛ッ?!」

 

 驚くことなのでしょうか?

 私だけではなく、マスターは“愛”を込めて人形作りをしています。

 より上質な人形を作るため、とおっしゃっていました。

 

「ちゃ、茶々丸さんもエヴァちゃんを?」

「はい。愛しています」

「相思相愛ッ!!」

 

 そんなマスターを“敬愛”するのは、当然のことです。

 私たちの忠義に報いることができるのは、マスターの温情だけなのですから。

 

「茶々丸さん、すっごいなぁー。家ではやっぱりメイド服?」

「はい」

「おお、即答……深いなぁ、エヴァちゃん」

 

 深い……そうですね。

 マスターは、懐の深いお方です。

 

「二人とも、静かにするです」

 

 綾瀬さんの言葉で、私たちは口を噤みます。

 視線の先では、千雨さんと……ネギ先生と明日菜さんが同席していました。

 このメンバーならば、内容はマスターの事でしょうか?

 

 ……マスターの正体に感づいたというのなら、すぐに連絡をしなければ。

 なんにしても、確証が取れるまでは、様子見です。

 

「むむ」

「夕映、そんな呻らなくても……ハッ!ラヴ臭が漂い始め――」

「――アホなことを言っていると、そのアホ毛を引っこ抜くです」

「こわっ」

 

 綾瀬さんと達のやりとりを尻目に、私は千雨さんの様子をうかがいます。

 千雨さんは緩やかで自然な動作で……虚空を掴みました。

 

 そして一言二言、虚空に呟きます。

 それが如何なる効果をもたらしたのか……千雨さんは気怠げに私たちの方を見ました。

 

「気がつかれました。私はこれで」

「あ、茶々丸さんっ!?」

 

 バーニアを吹かせて、方向転換をします。

 綾瀬さん達を置いていってしまうのは心苦しいですが、マスター優先です。

 

 

 

 私は、そう――――マスターを、“愛して”いるのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

 どこから見つかったのかなど、考えるまでもありません。

 ハルナの“ツボーズ”が、捕まったのでしょう。

 

「それで、どうしてあんなところに居たんだ?」

 

 私たちは、カフェが見える建物の影にいました。

 思いっきり、不自然な位置なのです。

 

「そ、それは……」

 

 私たちが答えられずにいると、千雨さんは大きくため息を吐きました。

 

「はぁ……まぁいい。折角だから、手伝ってくれ」

「わ、わかりました!」

「う、うん。何でも言って!」

 

 その提案に、私とハルナは飛びつきました。

 とりあえずこの状況を誤魔化すことが出来るのなら、それに越したことはありません。

 千雨さんは、突拍子が無いことはありますが、無茶な要求をする人ではありませんし。

 

「実はな……マクダウェルのことなんだ」

「エヴァンジェリンさん、ですか?」

 

 急に、ハルナが目を輝かせました。

 三角形がどうのこうのと、何か呟いてニヤニヤしています。

 どうせろくでもないことなのでしょう。

 

「実はな――」

 

 ――そうして聞かされたのは、エヴァンジェリンさんの“友達”について、でした。

 

 エヴァンジェリンさんは茶々丸さん以外に友達……どころか話し相手すらおらず、時々、 その……奇行に走ることがあるほどに、ストレスを溜めているそうです。

 

 明日菜さんとネギ先生が居るのは、偶然そのことを知った仲だから、ということの様です。

 

「宮崎も、少しだが関わっていてな」

「のどかも、ですか……」

 

 そういえば、新学期初日、少し様子がおかしかったのです。

 追求しても悲しそうに首を振るだけでしたが……なるほど、簡単には言えません。

 

「アイツにも、笑っていて欲しいと思うんだ。例えエゴでも、な」

「私たちもなんとかエヴァちゃんのストレスをどうにかしてあげたいんだけど……」

「どうすればいいのか、よく解らないんです」

 

 その気持ちは、なんとなくわかります。

 世界の総てがくだらないと、世界を斜めに見て孤立していた私。

 

 そんな私を掬い上げてくれた、のどかやハルナ達。

 あの時、のどかは“本が好きな人に悪い人はいない”と言いました。

 

 ならば、私も。

 ここは“千雨さんが笑顔を望む人が、悪人であるはずがない”と考えましょう。

 

「まずは私たちが、お友達になりましょう。いえ――お友達に、“なりたい”です」

「夕映……私も同意見かな? 千雨ちゃん」

 

 私とハルナがそう言うと、千雨さんは目を見開きました。

 そして、小さく……ほんの少しだけ、マッサージ中でもないのに笑みを零しました。

 

「神楽坂、ネギ先生」

「賛成よ。私は」

「はい! 僕も、お友達になりたいです!」

「きゅー」

 

 決まり……のようですね。

 私がそうして助けられたように、私もそうして助けたい。

 傲慢かも知れないけれど、それでも……私は。

 

「ところで、結局どうしてあんなところに――」

「さてッ! 早速予定を立てましょう! のどかや木乃香とも打ち合わせです!」

「――す、すごい気合いだな」

 

 はぁ、危なかったです。

 しかし、おかげで気合いが入りました。

 

 のどかや木乃香、それにバカレンジャーの楓さんや古菲さんも呼びましょう。

 みんな纏めて、笑顔になってしまえ……です。

 

 私たちは、ネギ先生達も交えて詳しい計画を練り始めました。

 

 覚悟をするのですよ――――エヴァンジェリンさん!

 

 

 

 ところで……なにか大きな目的があったような?

 ……思い出せないので、たいしたことではないのでしょうね。うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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閑話3

――0――

 

 

 

 ――王子様なんかいない。

 ――お姫様になんかなれない。

 ――脇役がどんなに勇気を振り絞ったって。

 ――物語のメインスポットは、ウチに微笑んでくれやしない。

 

 

 

 ――でも、あの日、“魔法使い”に出逢って、ウチの中の何かが変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、亜子さん?」

 

 掛けられた声に、ハッと意識を戻す。

 麻帆良学園中等部三年A組。その自分の席で、どうやら夢見心地になっていたみたいだ。うぅ、は、恥ずかしい。

 

「す、すいません、ぼんやりしていました。ネギ先生」

「そうですか。体調が悪いのでしたら、いつでもおっしゃって下さいね」

「は、はいぃ。大丈夫です!」

 

 勢いよく背筋を伸ばしたら、ガタン、と机を揺らしてしまった。そうしたら、クラスメートの忍び笑いが耳に届いてきて、余計に恥ずかしくなる。きっと、休み時間になったらからかわれるんやろなぁ。

 でも、ウチが気になるのは、クラスメートからの言葉なんかじゃない。肩越しに、気がつかれないように振り向いて、斜め後ろの席を覗き込む。その視線が、ウチに向いていない――あるいは、向いている――ことを、確認する為に。

 

「ぁ」

 

 真剣に黒板を見つめる、怜悧な双眸。整った顔立ちも、その鋭い雰囲気と合わされば、美人と言うよりは格好良い。あかん、ウチ、ナニ言っているんやろ。煩悩だらけの頭で、彼女を――“千雨さん”をみたいだなんて、そんな風に思っちゃいかんのに。

 

「はぁ」

 

 思わず、ため息。

 だって、仕方がないやんか。なんて自分に言い訳をして、もう一度盗み見る。ウチは、どうしてしまったんだろう。女の子同士なのに、とか、そんなものはいつの間にか気にならなくなっていた。

 

「はぁ」

「亜子さん? やっぱり保健室に行きましょう」

「ひゃいっ! だ、大丈夫――」

「千雨さんに連れて行って貰って、疲れを取って貰った方が」

「――じゃないです急に目眩が」

 

 勢いよく立ち上がって――それから、足を覚束なくさせる。女は度胸。どんな時でも、一歩踏み出して見せるもの。だって、背中を押してくれる魔法使いに、恋をしてしまったのだから。

 

「確かに疲れが溜まっているな。大丈夫か? 和泉」

 

 音もなく近づいて、私を抱き留める白い手。間近にまで来た鋭い瞳に、本当に目眩がしてくる。頬に熱が集まって、顔が赤くなるのを自覚して――

 

「どれ、熱は……あるな」

 

 ――こつんと額を合わせられて、今度こそ、意識が遠のいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閑話3 和泉亜子の受難? ~展望編~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

「好きです! ウチと、付き合って下さい!!」

 

 ――ああ、これは夢だ。

 

 夕焼けの中、誰よりも好きだった人が、頭を下げたウチに首を振る。優しげな顔は困ったように、けれど真剣味を帯びていて、その瞳が自分に向けられてはいないということを悟った。

 

「気持ちは嬉しい、けど、他に好きな人がいるんだ」

 

 優しい声。けれど、そんな声、聞きたくなんか無かった。

 サッカー部のマネージャーは、一人や二人じゃない。その中でも、高等部に妖精かと見紛うくらい綺麗な先輩が居る。私の好き“だった”先輩も、例に漏れず、物語のヒロインみたいな彼女が好きなのだと言った。

 

 無理に笑顔を作って。

 こぼれる涙を見られないように、走り去って。

 走って、走って、走って、走って――寮の直ぐ側で、膝を付いた。

 

「う、ぁ、ああぁ、あああああぁっ」

 

 涙が止まらない。ウチは所詮、ただの脇役。ヒーローがヒロインへの思いを自覚する為に必要な、ギミック。特別な力なんか無くて、ただ醜い傷を持つだけの、惨めな女の子。

 

 ――ウチは確か、そんな風に思っていた。けど。

 

「和泉か? 大丈夫か?」

「は、うぇ、ぁ――は、せがわ、さん……?」

 

 泣き崩れるウチに、そっと差し出されるハンカチ。テルテルボーズに腕が映えたみたいな奇妙なマスコットキャラクタが描かれた、白いハンカチ。ウチは呆然とそれを受け取ると、涙を拭いた。

 

「――疲れが溜まっているな。今、時間はあるか?」

 

 ――この時、なんて返事をしたのか覚えていない。けれど、夢の中のウチは、ゆるゆると頷いていた。ただ、呆然と。

 

「そうか」

 

 ――それがよく考えて応えた訳ではなかったから、千雨さんの行動にひどく驚いたのを覚えている。

 

「きゃっ、はは、長谷川さん?!」

「どうした?」

 

 腰が抜けて立ち上がれなかったウチを、横抱きに抱える。お姫様だっこというヤツだが、実際にされると恥ずかしい。けれど、抗議をしようにも、見上げた先にあるのは本当にウチを気遣ってくれている横顔で。

 それきり何も言えなくて黙り込んだウチを、彼女は自分の部屋まで運んでくれた。うぅ、誰にもすれ違わなくて良かったぁ……。

 

「ザジは……今日もいないか。ちょうど良い」

「え、えと?」

「横になっていてくれ」

「う、うん」

 

 ――戸惑いながら千雨さんのベッドに寝転がる自分を見下ろす。それから、ぐるりと部屋を見回した。

 ――人体のツボポスター。マッサージ関連の本、漫画、DVD。それから、各種マッサージ器具。女の子らしいものと言えば、千雨さん特製の“ツボーズ編みぐるみ”だろうか。それにしたって、表情が妙に爽やかで、暑苦しい。

 

「マッサージは、初めてか?」

「え、ぁ、うん、うん? マッサージ?」

「そうか。それなら――優しくする」

「へっ?」

 

 いつの間に戻って来たのか。彼女はウチの横に腰掛けると、うつ伏せになったウチの背中に手を置いた。傷のある、場所に。

 

「綺麗だ」

「へっ?! そ、そんなはず――ある訳、ないやんか」

 

 体育の時、プールの時。傷について言ってくるひとは、一人も居なかった。けれどみんな知ってはいるのだろうに、どうしてそんな事が言えるのか。ウチの背中は、身体は、綺麗なんかじゃないのに。

 途端に満ちる憤りと、褒めてくれたのに、という自己嫌悪。それで結局なにもいう事が出来なくなって、口を噤む。

 ウチはどうしてこんなに、“汚い”んだろう。なんて。

 

「良く伸びている。背筋を大事にしてるな」

「え――ええっと?」

「綺麗だ。自分の身体を良く気遣ってる」

「ぁ」

 

 けれど彼女は、そんなウチの葛藤を、あっさり飛び越えた。背筋を伸ばしているのは、その方が良く声が出るから。腰を曲げないのは、服がめくれ上がって傷が見えてしまうのを恐れているから。

 そんな、何でもないことなのに。どうして彼女は、あんなにも優しい声で褒めてくれるのだろう。

 

「さぁ、今から疲れを取ってやる。覚悟をしろ――ツボーズ」

「んっ」

「腰の痛みには腎兪! 志室! 足には解谿! 殷門! そして承扶――おまえだァッ!」

「やぁっ、な、なにこれ、ひんっ、ちょ、ちょぉ、待っ」

「身柱、魄戸……三・焦・兪ッ! ――――秘技、千雨スペシャルッ!!」

「こ、こんなの――初めて……………………ッッッ!!!」

 

 ――夢の中のウチがあっさり意識を手放すと、同時に、見下ろすウチの目の前も真っ暗になる。流石に、見ていなかった光景は見られないようだ。

 ――だから、マッサージを終えたあとの千雨さんの顔を見る事が出来なくて、それがちょっぴり寂しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

「ぁ」

 

 蛍光灯の光が、薄く開けた瞼の端から飛び込んでくる。眩しさに目をしばたたかせると、急激に意識が浮上した。

 妙にすっきりしていて、身体が軽い。その原因を探ろうと身体を起こして、直ぐに、思い出す。

 

「長谷川、さん」

「ん? 起きたか。和泉」

 

 ベッド脇に椅子を持ってきて、『大マッサージ辞典』とか銘打たれた本を読む彼女の姿。ずっとちょっと怖いと思っていた怜悧な双眸は、何故だか、柔らかく弓なりに細められていた。

 

「あの、ウチ」

「マッサージを終えて、寝ていたんだ。体調はどうだ?」

「え、ぁ――すごく、ええ感じや」

「そうか。良かった」

 

 心の底から、快復を喜んでくれているってわかる、声。格好良くて、他の人にないような特技があって、それでいて優しい。まるで――

 

「ヒーロー、みたい」

「? ヒーロー? 私が、か?」

「ぁ――ええっと、うん」

 

 思わず言ってしまって、退けなくなる。普段なら我慢出来るのに、誤魔化せるのに、気が緩んで言ってしまう。

 

「ウチはなんの取り柄もなくて、当て馬にしかならへん。所詮、脇役や。でも長谷川さんは、強くて綺麗で優しくて、まるで物語のヒーローみたいやなって、思って」

 

 どんな言葉を期待して、言っているのだろう。そんなの、決まっている。否定して貰って、それでまた自己嫌悪に陥って、悲劇のヒロインを気取りたいに決まっている。

 ウチはなんで、こんなに醜いんだろう。なんで、こんなに、弱いんだろう。考えるだけで悔しくて、唇を噛んだ。

 

「それは違うぞ、和泉」

「あ、あはは、ごめんな。ちょぉ、ネガティブ過ぎ――」

「私は、魔法使いなんだ」

「――へ?」

 

 けれどその答えは、思いも寄らなかったもので。

 

「マッサージ師ってのは、誰かの背中を押す職業だ。疲れて、立ち上がれなくなったひとの背中を押す。たったそれだけの物語の魔女」

 

 目を伏せて、ぶっきらぼうに、けれど優しく言葉を紡ぐ。その姿に、目が離せなくなっている自分に、気がつけずに……けれど、耳を傾けることを止められず。

 

「だから、マッサージ師にとって、相手はいつもヒーローやヒロインなんだ。自分に役目をくれる、物語の主役」

 

 誰もが、自分の物語の主役。そんな聞き慣れた、ありきたりの言葉なんかじゃなくて。

 

「マッサージ師のヒロインは、疲れて立ち止まっているひと」

 

 ウチの心の琴線に優しく触れる言葉を、彼女は、くれた。

 

「だから――私のヒロインは和泉なんだ」

「ぁ」

 

 不意打ち気味に、笑みを向けられる。今まで見たことがない、優しい笑顔。ぶっきらぼうで不器用で、優しくて強くて格好良い――魔法使いの、魔法。

 

「ウチも、ヒロインなんや、ね」

「ああ。そうだ。誰に否定されたって関係ないよ。どうあったって、和泉は私のヒロインなんだから、さ」

「ふふっ、なんか、口説いてる見たいや。でも、その――ありがとうな、“千雨”さん」

 

 きょとんと首を傾げ、それから頷く彼女を見て、心が揺れる。それは決して、不快なものなんかじゃなかった。

 むしろ温かくて、満ち足りた、そんな心地良い感情で、胸の奥が揺れていた。

 

 

 

 ――そうしてウチは、ヒロインになった。

 ――けれど求めるのは、優しいだけのヒーローなんかじゃない。

 

 ――背中を押してくれた魔法使いに憧れて、本当の意味で彼女のヒロインになるって決めたんや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

「起きたか?」

「ぁ――千雨、さん」

 

 目を覚まして、思い出す。そういえば、緊張してそのまま倒れてしまったんやった。

 思いだしたら途端に恥ずかしくなって、大きく息を吐く。保健室のベッドは硬くて、けれど居心地は悪くない。身体が妙に軽いのは、千雨さんがいつものようにマッサージをしてくれたからだろう。

 

「いつもありがとうな、千雨さん」

「いや、良い。好きでやってることだからな」

 

 そう言って頷く千雨さん。無表情でぶっきらぼう。けれどその怜悧な瞳の奥には優しい炎が宿っているのだということを、ウチは良く覚えている。

 

「あの、千雨さん」

「うん? どうした? 和泉」

「千雨さんにとってウチはまだ、その……ヒロインかな?」

「何言ってるんだ? 当たり前だろう」

「あははっ、ごめん。ありがとう」

「いや、良いよ」

 

 きっと、千雨さんに自覚はない。自分はもう魔女――脇役――なんかじゃなくて、ヒロインに憧れられる魔法使い――ヒーロー――なんだという、自覚は。

 けれど、ううん、だったらちょうど良い。ライバルは沢山いて、けれど千雨さんはそれに気がついていない。だったらいずれ、ウチがこの手で、自覚させてみせる。

 

「ウチ、絶対負けんよ」

 

 千雨さんに気がつかれないように、そっと決意を口にする。負ける気は、しなかった。

 だってどんなに躓いても――――ウチの魔法使いが、親指で背中を押してくれるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第9話

――0――

 

 

 

 暗い部屋で、モニターを見る。

 たった一人の異分子が、どこまで我々に影響を与えるのカ。

 それを、何としてでも確認しておく必要があっタ。

 

『愛玩……人形という意味でしょうか?それならば、肯定です』

『はい。マスターは私を愛しています』

『はい。愛しています』

 

 茶々丸のログが流れる度に、ハカセの悲鳴が聞こえル。

 その悲鳴を耳に入れている私モ、先ほどから胃薬が手放せないガ。

 

 これは、千雨サンにマッサージをして貰う必要が……ハッ!?

 

「わ、私は科学に魂を売り渡しタ! ダカラ、こんなトラップにはかからないネ!」

「そ、そうです! 超さん! ここで私たちが屈することは……科学の敗北です!」

 

 そうダ。

 私は……私たちは、負ける訳には行かなイ。

 どんな障害が立ち向かおうとも、突き破らなければならないネ。

 

「でも、千雨さんにマッサージをして貰ってから、寝付きと寝起きが爽やかなんですよね」

「あー、私モそうだナ。妙に、一日が充実しているよーに感じるネ」

「…………」

「…………」

 

 ち、違う! 違うアル!

 って、これじゃあ古ダ……違うヨ!

 

 私たちすら洗脳しかけるとハ……長谷川千雨、侮れないヨ。

 

「とにかく、検証ですね。彼女のマッサージが、どこまで影響を与えるのか」

「そうだナ……まずはそれが必要ダ」

 

 計画に変更はあり得なイ。

 私ハ未来を変える為……未来を救うために、この時代に来たのダカラ。

 

 私ハ負けんゾ!

 長谷川千雨!

 

 

 

 ……うぅ、胃薬がきれたヨ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第九話 ~フレンドリー/ヴァンパイア~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 エヴァンジェリンさん、友達百人計画。

 その計画を実行するために、僕は新たにメンバーに加わった綾瀬さん達に、相談をした。

 

「ふむ……ネギ先生」

「なんでしょうか?」

 

 早まる鼓動を押さえて、努めて冷静に応えた。

 友達百人計画には、クラスの三分の一の生徒が集まってくれて、会議室代わりの屋上は、賑やかだ。

 

 千雨さんを中心に、木乃香さんや明日菜さんも議論を交していた。

 

「将を落とすには、まずは馬から……という日本の格言を知っていますか?」

「あ、はい……それが、なにか――」

 

 大将、つまりリーダーを倒すには、外堀を崩す必要がある。

 ……確か、そんな意味だったと思う。

 

「――つまり、まずは茶々丸さんから下すのです。比較的話しやすい茶々丸さんと仲良くなることで、エヴァンジェリンさんが私たちと仲良くなりやすくなる“きっかけ”を作ってあげるのです」

 

 夕映さんの的確な案に、僕は思わず息を呑んだ。

 エヴァンジェリンさんだって、自分と仲の良い友達が仲良くしていれば、話しやすいだろう。

 

 綾瀬さんは、すごい人だ。

 あの千雨さんの親友をやっているだけあるなぁ。

 

「――ネギ先生が茶々丸さんやのどかを中心に仲良くなってくれれば、私も千雨さんと過ごす時間が……」

「夕映さん?」

「なっ、何でもないですのですよ?」

 

 語尾が変だ。

 けれど、顔を赤くしているところから察するに、きっと“噛んだ”のだろう。

 それなら恥ずかしがるのは解るし、僕もイギリス紳士として流すべきだろう。

 

「それでは、僕は千雨さんに相談してきます」

「えぇ、それがいいでしょう」

 

 綾瀬さんに見送られながら、端の方で議論をしていた千雨さんに近づく。

 千雨さんは今、どうしてそうなったかは解らないけれど、長瀬さんをマッサージしていた。

 ちなみにバカレンジャーのみんなも参加しているので、早乙女さんたちだけではなく、長瀬さんや古菲さんもいるようだ。

 

「長谷川さん、凛々しいなぁ」

「あれ……えーと、和泉さん?」

 

 集まったメンバーは、図書館島で魔法の本に関わった人たちと、それから和泉さんと超さんと桜咲さんだった。

 

 超さんと和泉さんは、聞きつけて自分から参加してくれたようだ。

 桜咲さんは物陰で見ているだけで、何をしているのか解らないけれど。

 

「和泉さんも、千雨さんのマッサージを受けたことがあるんですか?」

「はいっ……部活の先輩と色々あって、落ち込んでいる時に」

 

 独特なイントネーションを弾ませて、和泉さんが答える。

 その時の思い出を噛みしめているのか、少しだけ頬が赤かった。

 

 僕も千雨さんのマッサージを、受けてみたい。

 そうは思っているはずなのに、何故か拒否してしまう。

 

 うぅ、いったいどうしてなんだろう?

 

「――終わったぞ」

「おお!楽になったでござるよ」

「そうか、良かった」

 

 そうこうしているうちに、千雨さんのマッサージが終わったようだ。

 千雨さんは、僕に気がつくとすぐに手を挙げて、近づいてきた。

 いつも思うのだが、どうして視線が少しずれているのだろう?

 

「どうかしたか?ネギ先生」

「はい、実は、綾瀬さんが――」

 

 綾瀬さんの案を伝えると、千雨さんは抑揚に頷いた。

 

「それなら、最初は少人数で絡繰に近づくか。……私と綾瀬、ネギ先生と神楽坂辺りで」

「――私も同行して良いカ?」

 

 千雨さんがメンバーを考えていると、最近常に錠剤の入った小瓶を持ち歩いている超さんが名乗り出た。

 

 超さんは顔を引きつらせて僕たちの計画に参加したのだが……風邪だろうか?

 

「超か……もちろんだ。メンバーはこれでいいな」

 

 僕たちがしっかり頷くと、千雨さんも同じように強く頷いた。

 これはまだ、エヴァンジェリンさんを孤独から救い出すための第一歩に過ぎない。

 

 父さんが残した傷痕を、息子の僕が癒さなければならない。

 自己満足にしかならないかも知れない。

 

 けれど……けれど、僕は。

 

「助けたい……友達に、なりたいです」

「――行くぞ、ネギ先生」

「はいっ!」

 

 さぁ、頑張ろう!

 父さんの所業にはショックだったけれど、辛いのは僕じゃない。

 

 一番辛いのは、他ならぬエヴァンジェリンさんなんだから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 マクダウェルを過度なストレスから解放するための作戦。

 それが、“友達百人計画”だ。

 

 綾瀬の提案により、私たちは絡繰を追うことになった。

 協力を願い出てくれた超は、胃が痛そうだったのでマッサージ済みだ。

 

 今は、実に良い笑顔で私たちに着いてきてくれていた。

 

「千雨さん、見つけました」

 

 マイ双眼鏡である“ジョニー”を構えていた綾瀬が、私に合図を送る。

 私はネギ先生に神楽坂、それと超に視線を合わせると、頷いて見せた。

 

「早速追跡するぞ」

「はいっ」

 

 ネギ先生も、気合いを入れて返事をした。

 行く時はどこか落ち込んでいたようにも見えたが、もう大丈夫なようだ。

 

「声はかけないのですか?」

「もう少し人気のないところまで移動しよう」

「茶々丸さんに照れて逃げられでもしたら、大変だもんねー」

 

 神楽坂の返事に、頷く。

 そう、いまいち本心を隠してしまいがちなマクダウェルの友人だ。

 マクダウェル並に“照れ屋”である可能性も、配慮した方が良いだろう。

 

「あっ、子供に風船をとってあげていますよ」

 

 ネギ先生の声で、絡繰に向き直る。

 絡繰は、表情を余り動かさないまま子供を助けていた。

 

 小さい子供に笑顔を向けられて、絡繰のツボーズも喜んでいる。

 

「良いやつなんだな。絡繰は」

「どうして、そう思ウ?」

 

 いつの間にか私の隣に移動してきた超が、私に尋ねた。

 もう胃は大丈夫なのだろうか?

 一度、ちゃんと資格を持つマッサージ師に見て貰った方が良いと思うぞ。

 

「ツボーズが、優しい顔をしているからだ」

「そ、そうカ――――あの殺伐とした世界に、帰りたいネ……」

「どうかしたか?超」

「なんでもないヨ」

 

 超もストレス性か……。

 いつか、こいつのストレスも取っ払ってやりたいな。

 友達は多いみたいだから、原因は他のことだろう。

 

 なんだろう?

 古菲とキャラが被っているのでも、心配しているのだろうか?

 

「語尾に“ポヨ”でもつけたらどうだ?」

「な、なんの話しカ?」

 

 首をかしげる超に、私も首をかしげた。

 アルだと本格的に影が薄くなりそうだから、別のにしたんだがな。

 

「別に、超は薄くないぞ?」

「まだ頭にまでストレスはいってないヨ!!」

 

 なんで頭を押さえるんだ?

 

 いや、待てよ……。

 人は、気になることがあると過剰に反応してしまうということを、聞いたことがある。

 超にキャラの薄さについて話していたのに、何故か超は頭を気にした。

 

 そして――――頭につけた、二つのお団子。

 

「な、なにカ? その優しい目ハッ!?」

「解ってる。大丈夫だ、超」

「いうネ! 何を考えているカ、すぐにいうネ!!」

 

 超は、私の胸ぐらを掴んで、私を揺さぶる。

 そんな超の頭を、優しく抱き締めてやる。

 体温を感じると、人間は落ち着くモノだからだ。

 

「い、いやな予感がするネ! 何故私は、抱き締められているカ!?」

「大丈夫だ。こんど、じっくりマッサージしてやるからな」

「千雨さん、超さん、何をやっているですか?」

 

 気がついたら、教会の裏手にいた。

 いつの間にか、絡繰は人気のないところに来ていたようだ。

 

「まままま、待つヨ! 絶対、このまま解けなかったらマズイ事になる誤解をしているネ!」

「落ち着け、超。誤解なんか無いから。な?」

 

 追いすがる超をなだめて、絡繰に近づく。

 神楽坂とネギ先生は、苦笑しながら私たちを見ていた。

 

 そういえば、カモが一鳴きもしないが……大丈夫なのだろうか?

 小動物はデリケートだからな。心配だ。

 

「綾瀬サン! 離すネ!」

「そうはさせません。まったく、揃いも揃って」

「帰りたい……帰りたいヨ……」

 

 後ろが騒がしいが、まぁいいだろう。

 私は、綾瀬に全部任せて、物陰から出る。

 

 絡繰はちょうどネコに餌をやり終わったらしく、ビニール袋にネコ皿を入れて立ち上がった。

 

「長谷川さん、神楽坂さん、ネギ先生――超さんに、綾瀬さんも?」

「二人のことは気にしなくて良い」

 

 私はネギ先生の肩からカモを抱き上げると、軽くマッサージをして戻す。

 動物が元気な方が、心は開きやすい。

 カモも、これで元気になってくれればいいが……。

 

「……油断しました。でも、お相手します」

 

 相手?

 話し相手になるということか?

 

 いや、それならば身構えるのはおかしい。

 となると、残る可能性は――――マッサージか。

 

「二人は手を出すな」

「ちょ、ちょっと、千雨ちゃん?」

「千雨さん……何を」

 

 戸惑う二人を置いて、私は一歩前に出た。

 絡繰も、それに合わせるように前に出る。

 

「心を解すには、まずは身体を解す必要がある……それだけだ」

「なるほど……千雨ちゃんらしいわね」

「が、頑張ってください!」

 

 ネギ先生と神楽坂が、私を笑顔で送り出す。

 私はそれに笑顔で答えられるほど器用ではないが、それでも親指を立ててみせることくらいは、出来た。

 

「お一人で、良いのですか?」

「あぁ、もちろんだ」

 

 絡繰は、自然体のまま動かない。

 私はそんな絡繰に対して、ただ一直線に歩み寄る。

 

「行動パターン推測――――不明?」

「絡繰……おまえのツボーズは、すでにこの手の中だ」

「言動の意図――不明。パターン検出――エラー」

 

 頭を押さえて困惑する絡繰。

 絡繰は混乱しながら、何を思ったのか私に拳を突き出した。

 

「危ない! 千雨さん!」

「フッ……!」

 

 一息気合いを入れて、避ける。

 

「千雨さんが、二人っ?!」

「マッサージ師なら、残像を生み出してマッサージすることぐらい出来る!」

 

 マッサージ界のプリンスは、長時間四人に分身してマッサージを行うことが出来るという。

 私は短時間しか無理な、未熟なマッサージ師だ。

 だが、二人までならなんとかなる!

 

「とった――」

「――ぁ」

 

 絡繰の背中は、既に視界に納めている。

 私はその場で残像を生み出すマッサージを、実行する。

 

 絡繰の身体を――――解し尽くす!

 

「身柱、兪穴、胃兪、竅陰(きゅういん)、中府、大腸兪」

「膈兪、天牖(てんよう)、迎香、缼盆、風門、肩井!!」

 

 突く、押す、抉る!

 あの日から……ゴーレムと戦ったあの日から見えるようになった、絡繰のツボーズ。

 総ての無機物に見える訳ではないが、一部の“モノ”には、はっきりと見えるようになった。

 

 そのツボーズを、解し尽くす!

 

「申し訳ありません――――マスター」

「千雨スペシャル――――“ツインドライブ・ロマンス”」

「っ!?」

 

 その一言と同時に、私の残像が消える。

 遠くで超が崩れ落ちる音とともに、絡繰が膝をついた。

 

「マスターが危険視した意味を、理解できました」

「マクダウェルが? ……そうか」

 

 マクダウェルは、怖いのだろう。

 籠の中から出て、人に触れてしまうことが。

 

 だから、私を危険視した。

 そしてそれを絡繰にも伝えて、心の安寧を保ったのだろう。

 

「マクダウェルが私を避けるのも、解る。……でもな」

 

 絡繰のツボーズは、満足した表情で笑っていた。

 そして、その一人が言うのだ……『なんだか、宿主の心が沈んでいるよ』と。

 

「時には絡繰が勇気を出して、マクダウェルの手を引いてやらないと……アイツはずーっと“一人ぼっち”になっちまう」

「千雨さん……そこまで、マスターのことを」

 

 絡繰は、みんなに見守られる中、ふらふらと立ち上がった。

 

「愛する“ご主人様”なんだろ? ――生憎マッサージ愛しか解らないが、愛ってのは一方通行じゃ、駄目なんじゃないのか?」

「一方通行の、愛」

 

 同性同士でディープな関係だと言うことは、早乙女から聞いた。

 それも愛の形なんだろう。

 自分に当てはめて理解するには濃すぎる関係だが、それを否定するつもりはない。

 

「今は難しいかも知れないが、少しずつでも良いから……そっとフォローしてやってくれないか? マクダウェルのことだから、意地を張って友達なんか要らないって言うだろうが」

 

 思い当たる節があるのか、絡繰は目を瞠った。

 

「……その後、心の中で、小さく悔やんでいると思うんだ」

「マスターが……そんな……では、私は」

 

 今までの関係に思うことがあったのだろう。

 絡繰は、小さく自分の身体を抱き締めた。

 

 心なしか、マッサージ後から感情が豊かになっているように見えるんだが……。

 いや、気のせいだろう。

 

「今からでも、遅くありません!」

「そうだよ! 茶々丸さん!」

 

 絡繰が振り向いた先。

 ちょうど、私の視線の先では、神楽坂とネギ先生が笑顔で立っていた。

 

「今から頑張ればいいじゃん!」

「僕たちも、できるだけお手伝いします!」

「ネギ先生……神楽坂さん……」

 

 神楽坂は笑顔で絡繰に近づくと、絡繰の右手を、両手で包み込んだ。

 ネギ先生もそれに倣って、絡繰の左手を両手で包み込む。

 

「さーて、作戦会議の続き……一緒に行こう! 茶々丸さん」

「は、はい!」

「千雨さんも、早く!」

「おー」

 

 二人に引っ張られる絡繰の姿を見て、私は目を眇めた。

 これが、“友達”なんだって、思える――そんな光景だ。

 

 

 

 覚悟しろよ、マクダウェル。

 外堀は、もう埋まったぞ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

「千雨さん……長谷川、千雨……」

 

 心酔した様子で、茶々丸が千雨サンを見ル。

 なんだか、おかしい。全部が、おかしい。

 

 私にかけられた疑いハ、ひとまず気にしない。

 どんな疑いかハ解らないガ、気にしたらきっと胃に穴が開くからダ。

 

 それよりも気にするべきなのは、何故かロボットである茶々丸を癒した、マッサージ。

 残像の時点でストレスがゲージを振り切ったガ、あのマッサージで一周してストレスが戻ってきたヨ。

 

 茶々丸を点検するハカセの胃が、今から心配ネ。

 

 情報では、千雨サンは“白き翼”のツッコミ役だたネ。

 その千雨サンが“あんなこと”になっているせいか、ツッコミ不在で誤解がスパイラルになっていル。

 

「先のことを考えれば考えるほど、憂鬱になるヨ……」

 

 ネギ坊主は、今のところ誰とも仮契約していない。

 助言者、アルベール・カモミールは、何故か空気。

 茶々丸ハ、もっと時間をかけて得るはずの“感情”を、手に入れ始めていル。

 

「どこで、修正をするべきカ……」

 

 手遅れという言葉が、頭を掠めるヨ。

 それでも、諦める訳には、いかない……の、だろう……カ?

 

「ハッ」

 

 頭を振って、考えを追い払うヨ。

 何故この私まで、洗脳されかけているカ!

 

 科学に魂を売った。

 それは、未来を変える為ネ!

 

「そう、私ハ……未来ヲ……あれ?」

 

 未来ヲ変えるのはいいガ……。

 知っている未来に、なるのだろうカ……?

 

「どうした?行くぞ、超」

「い、今行くヨ」

「そんなに気にするな。な?」

 

 気になる。

 千雨サンがなにを勘違いしているのか、気になるヨ。

 

 私ハ再び大きく頭を振ると、千雨サンの後ろにつく。

 なんにしても、手ぶらで帰ることなどできないのだ。

 

 今後も行動を共にして、千雨サンとその周囲の状況を見極めル。

 

 それが私ニ、出来ることなのだから。

 私ニしか、出来ないこと……なのだから。

 

 何とか心を落ち着かせて、夕日の中を歩く。

 

 もう、迷わなイ。

 

 

 

 ………………と、良いナァ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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閑話4

――0――

 

 

 

 雇われ傭兵である以上、一度請け負った仕事は完遂する。

 それがどんなに汚く、どんなに残酷なモノであっても変わらない。

 そう、とわかった上で了承したのであれば、最後までやりきること。それが私のような傭兵のプライドでもあり、私たちのような人間たちの、不変のルール。

 

 そう、そうなのだけれど。

 

「龍宮は……いや、なんでもない」

「……そ、そうか」

 

 今、この瞬間ほど仕事を請け負ったことを後悔したことはない。

 気軽な任務であった。クラスメートの監視と、場合によっては情報の収集。それが私の、超鈴音から請け負った仕事だった。

 だが、蓋を開けてみればどうだろう。私の監視対象は、長谷川千雨という少女は、私の経験や矜持を軽く乗り越えて私の精神を疲労させる。

 

「うーん、やっぱり……なぁ、龍宮」

「……なんだ?」

「その、ポーズの練習とか、してるか?」

「は?」

「いや、ツボーズが、こう“おれの瞳が疼くッ!!”……って」

「し、知らないよ。なんのことだ?」

「そうか……いや、呼び止めて悪かったな」

 

 ああ、恨むよ超。

 私の魔眼でも捉えきれない謎の能力を行使して、私の秘密を暴きにかかる。

 そんな彼女を常に視界に入れておかなければならない苦痛。そんな苦痛を、中学一年生から三年契約で結んでしまったことが、これほど過酷な仕事になるとは誰が想像できようか。

 

「ああ、胃薬が欲しい……」

 

 もしくは誰か、代わってくれ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閑話4 龍宮真名の受難 ~諦観編~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 思い返せば、最初は一言の呼び声から始まった。

 

「龍宮。眼精疲労か?」

「長谷川か」

 

 ここで、素直に“そうだ”とでも答えておけば良かったのかも知れない。

 だが現実は非情。超から仕事を請け負っていた私は、情報を収集するために掘り下げてしまった。

 

「どうしてそう思う?」

 

 ……と。

 もしここで掘り下げず、情報の収集を監視のみで止めようとしていれば、精神を削られることもなかったことだろう。

 だが、これは最早過去の話。過ぎ去ったモノに、仮定は意味を成さない。

 

「ツボーズが……その、なんだ、“目が疼く”って言うから、さ」

「壺?」

「ええと、その、あれだ。龍宮の承泣(しょうきゅう)のツボーズがポーズを取りながら、叫ぶからさ」

 

 意味がわからなかった。

 だが、長谷川の目は真剣そのもの。ふざけている様子なんか欠片もなく、むしろ憐れみすら入り交じったような、そんな目だ。

 

「……私には壺ズ? とやらがなんて言っているのかわからない。試しに復唱してみてくれないか?」

「ツボーズ、だ。マッサージ師なら誰でも見える。……だが、いいのか? その、復唱して……」

 

 マッサージ師なら誰でも見える?

 私の魔眼で見えないだけで、そんな特殊な精霊? が存在するのか?

 半信半疑だが、それでの解き明かすには続きを聞くより他に道はない。

 

「構わないよ」

「そうか、わかった……」

 

 長谷川はそう言うと、意を決したように一歩下がる。

 そして片手を上に、片手を顔に当てて、指の間から私を見た。

 

「行くぞ」

「あ、ああ」

 

 深呼吸。

 ポーズは維持。

 朝方の教室、人の集まり始めた空間、何事かと私を見る刹那。

 

 そして、憐れみの目で私を見る、綾瀬。

 

「――我は黄昏の使者。深き深淵と紅き真紅の狭間で闇を請う異端の徒。我が血を分かつ悪と聖者の血の連鎖が、我が魔眼を蝕み我が魂をアビスへと導く。そう! 我こそが漆黒にして黒。暗黒にして黒! アルカナの導きに魂を捧げ、六道に殉ずる異端者! そう、我が名はツボーズ! 偽りの名を背負い、悪を導く先導者なり! さぁ、我が声を聞け! 我が魔眼に従え! ふふっ――今日もまた、私の魔眼が疼く――な」

 

 しん、と静まりかえる教室。

 続いて、私のよりも早く復活したクラスメートたちの、声。

 

「龍宮さんって中二病だったんだ」

「中二病かぁ、業が深い」

「カルマだね、カルマ。カルマナ」

「ハルナ、親父ギャグですか? ダメですよ、ツボーズの言うことを信用しては」

 

 冷静に。

 冷静にならなければ……って、いや、待て。

 アルカナ? アルカナと言ったか? 何故旧姓を知っている!?

 いや、いやいや、もっとあるだろう。悪と聖者の血? 悪魔のことか? いやいやいや、超すら知らない情報を? こんな教室のど真ん中で?

 

 クールに、クールになるんだ、龍宮真名。

 プロの傭兵はへこたれない。それを証明しなければ!

 

「――と、こう言うから眼精疲労かと思っていた」

「なんでだ!?」

 

 ぐっ、ペースが乱れる。

 思わずつっこんでしまった。何故だ! なんでそうなった?!

 

「いや、承泣の言うことだから、さ」

「その承泣とは、なんのことだ?」

「目の下にある眼精疲労のツボーズだ」

「ツボーズ、またツボーズか……」

 

 わからない。

 こいつはいったい何を言っているんだ?

 

「で? さっきのはツボーズとやらが言った、と?」

「ああ。だからそう言っているだろう? どうしたんだ?」

 

 こっちの台詞だ!

 叫び出したいところをぐっと堪える。

 

「そ、そうか。それで私は、どうすればいい?」

「ああ、そうだった。マッサージをするよ」

「そうすれば変なことを叫び出しはしない、と?」

「そうだな。ツボーズは、負担が減ると大人しくなるからな」

「そうか、じゃあ、お願いするよ」

 

 この一連の流れを、早く終わらせてしまいたい。

 私の願いが通じたのか、長谷川はにこやかに私を誘導する。

 

「ふははははっ! さぁ、行くぞ承泣! おまえもだ清明! 逃がしはしないぞ!」

 

 判断を間違えたかも知れない。

 そう後悔する暇も無く、私は高笑いをあげる長谷川に身体を預け、やがて意識が遠のいていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 それからというもの。

 私は極力、長谷川に近づくことはせずに監視を始めた。

 これ以上秘密を暴露されるわけにはいかない……という以上に、中二病扱いされて痛いキャラクター認定されるのが嫌だったからだ。

 傭兵としての矜持にも関わる。痛い仕事は構わないが、イタい仕事は御免被る。

 

 と、遠目で監視していると、幾つか気がついたことがあった。

 

 その一つは、視線。

 長谷川が目を向けるのは、疲れが溜まっていそうな連中ばかり。最たるところが綾瀬、早乙女、宮崎の図書系三人組。

 だが、それだけではなく訝しげな、あるいは不思議そうな顔で眺める連中もいた。

 

 非常に不本意なことに、そのひとりは私だ。

 他は、ザジ、エヴァンジェリン、楓、美空、刹那。所謂裏の人間か、裏に片足を突っ込んでいそうな人間ばかりだ。

 ということは、彼女たちの秘密もツボーズ? とかいう謎の精霊に告げられているのかも知れない。確証はないが。

 もし、この情報を超に渡せば、今度は超が長谷川の手によって秘密を暴かれかねない。傭兵の矜持としてクライアントに被害を向けるわけにはいかないので、詳細がわかり安全が確保できるまでは黙っておいた方が良いだろう。

 

 それは置いておくとして。

 この視線の数々の意味するところ。

 あの一件以来、長谷川に目を付けられた私。

 ピースを当てはめていくと、私から視線を逸らし、安全圏で監視を続ける方程式が思い浮かぶ。

 

 だから。

 放課後、人がまばらになった教室で、私は長谷川に声をかけた。

 

「長谷川。少し良いか?」

「瓉竹か? いいぞ。来い」

「いや、違う。落ち着け」

「落ち着くのはおまえだ、龍宮。迎香が動揺しているぞ」

「げいこ、う? なんだそれは?」

 

 長谷川は私の問いに何を勘違いしたのか、すっと立ち上がる。

 同時に、ナニカを察した教室に残る一部のクラスメートたちが、そっと目をそらす。

 

「――観たのならば識っていよう。我が魔眼の理を。真理を告げ、遡るは愛。失われた遺産≪レプリカ≫。深淵に沈みし大いなる結晶≪アーティファクト≫。只、只管、足掻き望むのは失われし愛の序曲≪プレリュード≫。さぁ、共に過去へと導かん。それこそが、否、それだけが我が聖と悪に殉じ生誕せし――」

「ままままて、違う、そうじゃない。ちょっと黙っていてくれないか?!」

 

 過去に遡る愛?!

 く、くそっ! これ以上言わせるわけにはいかない!

 

「相談! そう、相談したいことがあるんだ!」

「なんだ、それならそうと言ってくれれば良かったんだが?」

「言わせなかったのはおまえだからな?! って、いや、違う、そうじゃない」

 

 調子が狂う。

 ペースは、もうずっと乱されたままだ。

 だがここで退けば、私は中学三年間中二病の誹りを受け、度々絡まれることになるだろう。

 

 それだけは、避けなくてはならない。

 

「で? どうした?」

「実は――」

 

 そう、私は起死回生の策を諳んじる。

 すると長谷川は私の話に静かに瞑目すると、やがて、はっきりとした視線で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 ある日の放課後。

 私が静かに監視をしていると、長谷川がすっと立ち上がり、ある席に向かう。

 

「近衛、少し良いか?」

 

 長谷川がそう話しかけるのは、学園長の孫娘、近衛木乃香だ。

 近衛は突然のことに首を傾げながら、長谷川に返事をする。

 

「どうしたん?」

「近衛を施術したい」

「へ? え、ええっと? マッサージしたいっちゅうこと?」

 

 長谷川はそう、近衛に告げる。

 私が相談したことは単純だ。私のルームメイトである刹那が、近衛の“疲労”を気にしている。あいつは照れ屋だから自分が気にしていると知られたくない。それとなく、近衛を施術してやってくれないか?

 そう、とだけ告げておいた。

 

「そうだ」

「なんや、ゆえにわるい気もするけど、ええよ。むしろ、一度受けてみたかったくらいや」

「そういってくれると助かる。近衛のツボーズも気になっていたんだ」

 

 と、長谷川が言うと、気配を消してその場を眺めていた刹那がぴくりと反応した。

 そう、私が狙ったことは他でもない。この状況だった。

 

「うちのつぼーず? はなんていっとるん?」

「ああ。ええっと“まりょくでえろうぱんぱんどす?”かな」

 

 とたん、刹那がガタンッと椅子から転げ落ちる。

 

「ま?」

「いや、訛りでよく聞こえないんだ。魅力、ということだと思う」

「み?」

「み」

「なんや、てれるわぁ」

「近衛は魅力的だと思うぞ」

「もう、ゆえに怒られるで?」

「何故綾瀬?」

 

 和やかな会話をする一方、驚愕の眼差しで長谷川を見る刹那。

 その刹那が気配を出せば出すほど、相対的に私の影が薄くなる。

 

 これからも、長谷川はこうして近衛を施術する。

 刹那はそんな長谷川にやきもきをし、けれど長谷川はあくまで一般人なので近づけず、警戒心だけを向ける。

 警戒心を向けるツボーズ? に長谷川が気を取られて私を意識しなくなる。なんと完璧な循環であろうか。

 

「“にしのじゅじゅつのおひぃさま~”……西の数珠のお日様? よくわからんな」

――ガタンッ

「数珠を買うとええんやろうか。なんや、不思議やわぁ」

――ゴドンッ

「京都弁を勉強すれば、はっきりわかるものなのか?」

――ズガンッ

「せやな~。うちが、つぼーず? の言葉をわかるようになってもええかも」

――ダスンッ

「ははっ、いいなそれ」

「せやろー」

 

 踏鞴を踏み、転げ回る刹那。

 何事かと刹那を見るクラスメート。

 気がつかない近衛と、首を傾げて刹那を見る長谷川。

 

 そして、安全圏に立つ私。

 

 

 

 

 こうして、私は平穏を手に入れた。

 ひとは、誰かを犠牲にして生きていくものだ。

 時にはそれを受け入れ、友を犠牲にすることも必要になる。

 

 だから、すまない、刹那。

 どうか私のために、長谷川を押さえておいてくれ。

 

 

 そう、胃薬片手に部屋で蹲る刹那に、私は小さく合掌した。

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第10話

――0――

 

 

 

 お嬢様は、私の幼なじみだ。

 

 私の力が及ばなかったせいで、一度は危険に晒してしまった。

 だから私は力を求めて、神鳴流に打ち込んだ。

 

 技を覚えて経験を積み、お嬢様の護衛を任されるに至ることが出来た。

 私がお嬢様の幼馴染だということも、大きな理由だろう。

 実力だけで選ばれた訳ではないということが、少しだけ歯がゆい。

 

 麻帆良学園に来て、お嬢様を影ながら見守ってきた。

 私の“正体”が知られれば、お嬢様の近くにいることが出来なくなる。

 だから私は、お嬢様と距離をとって護衛をし続けてきた。

 

 

 だが――――最近、お嬢様の周囲がおかしい。

 

 

 原因は言うまでもない。

 自称一般人の、長谷川千雨さんだ。

 

 長谷川さんは、時折お嬢様にマッサージをしていた。

 疲れが癒されて満足そうになさるお嬢様を見られるのは、いい。

 

 それはいいのだが……長谷川さんのマッサージは、なんというか、“妙”なのだ。

 

 まず、ツボーズという存在が、解らない。

 マッサージに愛があれば誰でも見えるそうだが、信じられない。

 

 そんな奇特な現象を、魔法について秘密にしなければならないお嬢様の前で披露するのだから、たまらない。

 ……時々、魔法について知っていて、それをお嬢様に暴露するのではないかというそぶりを見せることすら、ある。

 

 私の正体でも見ているのではないか?

 そんな視線に晒されるのはだいぶ慣れてきたが、これだけは慣れない。

 

 学園長や魔法先生たちは大丈夫だと、たかがマッサージ師だと言っていたが、どうにも安心できない。

 

 それだけなら、私にストレスが溜まるだけで済んだ。

 だが、事態はそれだけでは、終わらなかった。

 

「それでな、ウチ、千雨ちゃんの“エヴァちゃん友達百人計画”に参加するんよ」

 

 伏し目がちに、お嬢様はそう言った。

 六百万ドルの賞金首。

 その神経を逆なでするようなことに、参加する。

 

 このことを学園長に報告した時、学園長は珍しく呆けて見せた。

 そして、引きつった笑い声を上げていた。

 

 それはそうだろう。

 ネギ先生以外は全員一般人。

 魔法をばらす訳にはいかないから止めることは出来ず、ネギ先生がいるから記憶措置も無理なのだから。

 

「せっちゃんも、一緒に……どう?」

 

 エヴァンジェリンさんを本当に怒らせた時。

 遠くで守って、守りきれるのか。

 

 答えは否だ。

 私にそんな、過剰な自信はない。

 

 だから、私は。

 

「ご一緒させて、いただきます」

 

 これに、頷くしかなかった。

 近くにいないと、守ることが出来ない。

 もう二度とお嬢様を危険に晒さないためにも――――。

 

「ホンマかっ!? やったっ!!」

 

 ――――私は、自分の胃壁の防御を、捨てることにした。

 

 お嬢様の笑顔だけが、私の救いだ。

 うぅ……京都へ帰りたいなどと考えることになるとはっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第十話 ~彼女たちの憂鬱/ツボーズ達の至福~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 私の朝は遅い。

 登校地獄のせいで早起きを義務づけられているが、吸血鬼のくせに早起きなど意味がわからない。

 

 だから、たまの休日ぐらいは、のんびりと朝を過ごす。

 

「マスター」

「んあ? ……どうした、茶々丸」

 

 ゆっくりと起きて、時計を見る。

 寝足りない気もしたが、既に針は十時を回っていた。

 まぁこれくらいなら、起きても良いだろう。

 

「先ほどお電話で、千雨さんより言伝を承りました」

「長谷川千雨、だと? ――――それで、なんと?」

 

 自然と、警戒心が強くなる。

 長谷川千雨め……いったい何の用だというのだ。

 

 宣戦布告か?

 ……漸く、本性を現す気になったということか。

 フンッ、小癪な。

 

「『今日、そちらに向かう。覚悟を決めておけ』とのことです」

「ハッ……宣言して襲撃か。古風なことだ」

 

 いくら力を失っているからといって、自分の陣地に乗り込んでくる人間に負けるほど惰弱ではない。

 

 それほどまでに嘗められていたとは、な。

 魔法薬と糸のトラップで絡め取り、私の配下としてくれよう!

 

 

 

 

 

 そう、高笑いを上げていた私は、気がつかなかった。

 ――――茶々丸が、妙に優しい笑みを浮かべていたことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 お嬢様の隣で、ログハウスを見上げる。

 ついにこの日が、来てしまった。

 

「せっちゃん、この作戦、上手くいくと良いなぁ」

「そ、そうですね。お嬢様」

 

 距離をとる訳にはいかない。

 逃げ出す訳にはいかない。

 泣く訳には、いかない。

 

 そうして頭を抱えていたら、優しく肩を叩かれた。

 

「超、さん?」

「これ、使うと良いネ」

 

 そう言って渡されたのは、ガラスの小瓶だった。

 水を使わなくても飲むことが出来る、超さん愛用の胃薬だ。

 

「ありがとうございます――――超さん」

 

 私が深く頭を下げると、超さんは切なげに首を振った。

 その小さな笑みから伺えるのは、諦めと焦燥……そして、哀愁だった。

 

「せっちゃん?」

「なんでもありません、お嬢様」

「もう、このちゃんって呼んでぇな」

 

 こう、事件に巻き込まれて仕方なくとか、拐かされたお嬢様を助けるために仕方なくとか、そーゆーシチュエーションで近づきたかった。

 

 そう思うのは不謹慎なのだろうが、集団でエヴァンジェリンさんの家の前に立つこの状況を思えば、そのくらいのことは許して欲しい。

 

「私だ」

 

 そんな、オレオレ詐欺みたいな一言を発しながら、長谷川さんがエヴァンジェリンさんの家の扉をノックした。

 

 怪しいことこの上ないが、私が口を出すことは出来ない。

 むしろ、そっとしておいて欲しい。

 

「はい……お待ちしておりました」

 

 メイド服姿で出てきた、茶々丸さん。

 そういえば、この格好はエヴァンジェリンさんの趣味だと聞いた。

 どう考えても魔法使いの従者的な意味しか持たないと思うのだが……。

 

 そんな噂が流れていることを知ったら、エヴァンジェリンさんはどう思うのだろう?

 

 いや、考えるまでもないか。

 エヴァンジェリンさんなら怒り狂うのだろうが、私だったら腹を切る。

 

「フハハハッ……待っていたぞ、長谷川、ちさ、め?」

 

 人数的な問題で、私はまだエヴァンジェリンさんの家に入っていない。

 だから彼女の顔は見えていないのだが、大体想像がつく。

 ……困惑と、呆然だろう。

 

「待っていた、か。漸く、素直になったみたいだな」

「僕たちも、エヴァンジェリンさんがそう言ってくれるのを待っていました!」

「茶々丸さん! 宴会の準備よ!」

 

 声からして、上から長谷川さん、ネギ先生、神楽坂さんだろう。

 エヴァンジェリンさんが固まっているのを良いことに好き勝手に言うのは止めて欲しい。

 逆上でもされたらと思うと、頭と胸と胃が痛くなる。

 

「ちょ、ちょっと待て、なんだこの人数」

「畏まりました。準備します」

「茶々丸ッ!?」

 

 私がお嬢様に追従する形で入室し、始めに見たのはエヴァンジェリンさんだった。

 エヴァンジェリンさんは、従者に背中を討たれる形となり、混乱している。

 

「今日から私たちは、友達です」

「お友達にー、なりたいんですー」

 

 綾瀬さんと宮崎さんの言葉に、エヴァンジェリンさんは固まる。

 あれは照れではなく、一般人にこう言われるに至った経緯がわからないためだろう。

 

「ハッ……桜咲刹那!なんだ、その気の毒そうな顔は!」

「エヴァンジェリンさん……ここに、超さん特製の胃薬が」

「おお、ありが――――じゃない!」

 

 苦労人体質なのだろう。

 エヴァンジェリンさんは、文句を言いながらも私から胃薬を受け取った。

 茶々丸さんが抱き込まれている以上、もうなし崩しになるのはわかりきっている。

 

「エヴァちゃんの家、かわえぇなぁ」

「は、はい。お嬢様」

 

 だが、私も人のことは言えない。

 どうにかして、妙に近いお嬢様を引きはがさなければ!

 

「さ、いこ? せっちゃん」

「ぁう……はい」

 

 そう決意しても、無駄だったようだ。

 私は満面の笑みのお嬢様に連れられて、パーティの中心に引き摺られていったエヴァンジェリンさんを追いかけた。

 

 

 

 骨は拾いますよ、エヴァンジェリンさん――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 なし崩し的に行われた、宴会。

 その中央で私は、ひたすらオレンジジュースを飲んでいた。

 

 どうしてこんなことをしているのか?

 ……そんなことは、誰よりも私が聞きたい。

 

「それで、何のつもりだ? 長谷川千雨」

 

 漸く混乱から回復することが出来た。

 忌々しい小娘、長谷川千雨。

 いつの間にか茶々丸まで懐柔して、この茶番を作り上げた。

 

「嫌なのか?」

「当たり前だろうッ!」

「あまり大声を出すと、喉に悪いぞ」

「ぐっ」

 

 なぜだか私が花粉症で苦しんでいたことを見抜いて、こうして労ってくる。

 その意図が読めない限り、私はこの不快感から抜け出すことが出来ないだろう。

 

 こいつの思考回路はどうなっている?

 六百年生きた私の経験を凌駕するほどの、感情の隠匿。

 ただの女子中学生を名乗るには、違和感がありすぎる。

 

 今ここでこの小娘を締め上げることは可能だ。

 だが、ここには大勢の一般人がいる。

 女子供には手を出さないというプライドは、簡単に捨てられるモノではない。

 

 私は“誇りある悪”だ。

 三流の小悪党に成り下がる気など、毛頭無い。

 

「ほら、エヴァちゃんもこっちきなよ!」

 

 神楽坂明日菜の声が、私に届く。

 ここは乗るしかないだろう。

 

 プライドを保留して全員傀儡にするのは、リスクが高すぎる。

 じじいの孫娘に手を出して、“今”危険視される訳にはいかないのだ。

 

「呼ばれているぞ、マクダウェル」

「覚えていろ、長谷川千雨ッ」

 

 私が殺気を込めて睨み付けても、長谷川千雨は無表情で流した。

 絶対に、別のことを考えて私の視線に気がついていない。

 

 そんな目をしているから、わかる。

 

「クッ……余裕ぶっていられるのも、今日までだ。長谷川千雨ッ!」

「あぁ、エヴァちゃんがまた一人で笑ってるよ」

「照れ隠しではないでしょうか?」

 

 図書館組の、早乙女ハルナと綾瀬夕映か……。

 元凶に近い貴様らも、大停電の日に傀儡にしてくれよう!

 

「ふふふふふ…………ハーッハハハハハッッッ!!!」

「マクダウェル……【落ち着け】」

「はぅっ」

 

 長谷川千雨、貴様。

 この声も、封印開放状態ならば防げるだろう。

 

 

 

 その時が……その時こそが、貴様の最後だッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

 昨日は成功だった。

 大宴会……その様子を思い浮かべると、つい頬が緩んでしまう。

 

 僕たちは、きっとまだエヴァンジェリンさんの“お友達”ではないだろう。

 けれど、ずっと不機嫌そうだったエヴァンジェリンさんも、千雨さんと話しをしていたらすぐに元気になった。

 

 あんなに大声で笑い出したんだから、きっとすごく楽しかったんだと思う。

 エヴァンジェリンさんが楽しそうに笑っていてくれると、なんだか僕も嬉しかった。

 

「みなさん、おはようございます!」

「おはよー、ネギ君!」

 

 今日も元気に、挨拶から。

 心を閉ざした生徒が、少しずつだけど心を開いてくれる。

 

 そうやってみんなで笑えれば、きっとみんな……幸せになれるんだ。

 

「それでは出席を……あれ?エヴァンジェリンさんは……」

 

 出席をとっていると、エヴァンジェリンさんがいないことに気がついた。

 昨日の今日でいないとなると、心配だ。

 

「マクダウェルなら、風邪で休んでいるそうだ。和泉に連絡が来たぞ」

「千雨さん……そう、ですか」

 

 風邪かぁ……。

 考えてみれば、すこし辛そうだったようにも見えた。

 

 僕がしっかり気がついてあげなきゃ行けなかったんだ。

 うぅ、これじゃあ“先生”失格だ。

 

 千雨さんみたいに、人の体調くらい見抜けるようにならないと!

 

「だから、授業終わりにお見舞いに行こうと思うのですが」

「ネギ先生も、どうだ?」

「えっ――」

 

 俯かせていた顔を上げて、前を見る。

 そこでは、“クラス全員”が、優しく微笑んでいた。

 

「まったく、私たちだけのけものにしていただなんて……切ないですわ。ネギ先生」

「そうだよー! 私たちだって、ずぅっとエヴァちゃんとお友達になりたかったんだから!」

「うん、私も」

 

 いいんちょさんから始まり、明石さん、大河内さんと続く。

 するとすぐに声は広がって、みんなが笑って頷いた。

 

 龍宮さんや桜咲さん、超さんたちは俯いているけれど……“照れ隠し”というやつだろう。

 

「皆さん――――はいっ! 行きましょう!」

 

 意志が広がって、みんなが笑顔になった。

 それなら、笑顔が広がって、エヴァンジェリンさんも幸せになれれば――。

 

 

 

 ――きっとそれが、“立派な魔法使い”への。

 

 ――父さんが歩んだ道への……第一歩になるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――5――

 

 

 

 迂闊だった。

 そう言うしかないだろう。

 

 どんちゃん騒ぎのせいで花粉症をこじらせるなど、間抜けの極み。

 封印状態でなければ風邪など罹らないというのに、無様にも寝込むことになった。

 

 意識が朦朧として、やがて……落ちる。

 気を失うようなぼんやりとした不快感に、私は歯がみした。

 

 六百万ドルの吸血鬼。

 不死の魔法使い。

 闇の福音。

 

 私に屠られたモノ。

 私を追い詰めたモノ。

 

 私の生涯に於いて重ねられた者達に、嗤われているような気がした。

 

 

 ――夢を見る。

 

 

 私を掴んだ、大きな手。

 私に乗せられた、暖かい手。

 

 その温もりを振り払うことが出来ず、拳を作る。

 すると、その手が暖かいモノに包まれていることが解った。

 

 夢の続き。

 いや、まだ夢の中。

 だから私は、その手を強く握った。

 

「っ――――ぁ」

 

 そうして、目を開けた。

 窓から差し込む日は、朱色に輝いていた。

 

 夜と昼の狭間、行き交う人々の顔が見えない、夕焼けの光。

 “誰そ彼”――黄昏とは、上手いことを言ったモノだ。

 

「うん? 手――――なっ」

 

 両手が温もりに包まれていることに気がついて、視線を移す。

 

 私の左手を包み込むように握り眠る、ぼーやの姿。

 私の右手を優しく掴んで眠る、長谷川千雨の姿。

 

 そして、部屋の隅々を使って眠る、クラスメート達。

 

「私の看病を、していたのか」

 

 バカなヤツらだ。

 吸血鬼に善意など、なんの役にも立たない。

 ここで襲って血を吸うのは、何よりも簡単なことだ。

 

 だが、自分の“悪”を示すことなく、抵抗もないモノを襲う。

 そんな所業は、私が積み重ねた“生涯”が、許さない。

 

「エヴァンジェリンさん……」

「起きたか」

 

 ぼーやが、目を擦りながら起き上がる。

 

 本当に、バカなヤツらだ。

 敵地で眠るなど、いったい何を考えている。

 

「元気になったんですね……よかった」

「ふん、風邪は治った。今日のところは見逃してやるから、さっさと――――っおい!?」

 

 何を考えているのか、ぼーやは私に抱きついた。

 考えてみれば……親子共々、この男はッ!

 

「ネギ先生……うん? もう大丈夫そうだな。マクダウェル」

「長谷川千雨! こいつをどうにか――――って、何のつもりだッ!?」

 

 何を考えているのか。

 長谷川千雨まで、私に抱きついた。

 

 いや、ぼーやが“抱きつく”なら、長谷川千雨は“抱き締める”か。

 

「心配した」

「たかが風邪だ!」

「“友達の”風邪だ」

 

 吸血鬼の真祖。

 六百万ドルの吸血鬼を捕まえて、“友達”だとッ!?

 

 巫山戯るのも、たいがいに……。

 

「心配、したんだぞ? マクダウェル」

「ふ、ふん……当然だ」

 

 って、違う!

 何故こっちの方向に強がったんだ! 私!

 

「みんな、エヴァちゃんが元気になってる!」

「ずるい、私たちも!」

 

 佐々木まき絵が騒ぎ、クラスでも騒がしい椎名桜子達へ伝染していく。

 最早何を言っても逃げられないことは、明白だった。

 

「おい、茶々丸!」

「私も心配でした、マスター」

「ぐぅ、無駄か……」

 

 そんな大げさなことではないだろうに。

 だが、中には私の回復に、涙を流して喜ぶバカもいて……。

 

 

 

 ――ほんの、少しだけ。

 

 

 

「今日はこのまま、お泊まりタイムだ!」

「良いから帰れ!」

「では布団の準備を……」

「茶々丸ッ?!」

 

 

 

 ――“    ”と、思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第11話

――0――

 

 

 

 モニターの前、キーボードに指を走らせる。

 

 情報では、今日が様々なことの“分岐点”だたネ。

 それがどう変わるのカ、未来にどんな影響を及ぼすのカ。

 

 私ハこの目で確かめる必要がある。

 いや……確かめなければ、ならないネ。

 

「追い詰められ、立ち直ったネギ・スプリングフィールド」

 

 そもそも、ネギ坊主はエヴァンジェリンが賞金首であることを知らない。

 大魔法使いであることどころか、深窓の令嬢のように勘違いしている節があるネ。

 

「果たし状を出して、ネギ・スプリングフィールドは真祖の吸血鬼と対峙することを選択」

 

 満月の日をわざわざ指定して、ネギ坊主は果たし状を出した。

 この日エヴァンジェリンは風邪だったと聞くが……体験した限りでは、その日は集団でお見舞いだたネ。

 

 病人を起こさないように静かにお見舞いをするのだったら、そもそも人数を減らせばいい。

 なのに結局クラス全員引っ張り出して、忍者のような隠密お見舞い。

 

 何の意味があったのだろウ?

 

「しかし、果たし状を出した翌日。メンテナンスのための大停電で、魔力封印が解ける」

 

 これは変わらないだろう。

 だが、ネギ坊主は果たし状など出していない。

 そもそも、ネギ坊主は日本に来て一度も、攻撃魔法を使っていない。

 

 この世界のネギ坊主が本当に戦闘可能なのカ?

 それすらもわかっていないなのが、現状ネ……。

 

「封印の解けたエヴァンジェリンに、ネギ・スプリングフィールドは辛くも勝利」

 

 これは、神楽坂明日菜の仮契約あってこその結果だ。

 だがそもそも、こんな状況になるかどうかすら、不明ネ。

 

「ネギ・スプリングフィールドがエヴァンジェリンに弟子入りをする、その基盤」

 

 これと修学旅行。

 この二度の戦闘から、ネギ坊主は真祖の吸血鬼に弟子入りすることを決意する。

 それは後の“彼”を成形していくのに、必要不可欠な要素ダ。

 

「女子供は殺さない。向かう敵には容赦しない」

 

 では――相手が女子供で、尚かつ敵対する気のない、自分に害を与えない存在だったら?

 

 伝説と謳われる“誇りある悪”が、善意を向けるモノに襲いかかる。

 そんなことが、出来るのだろうカ

 

「さぁ、どう動く? エヴァンジェリン、ネギ坊主――――長谷川、千雨」

 

 未来への道程。

 その分岐が決まる、重要な日。

 

 “大停電”が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第十一話 ~誰が為の指圧/君の為の按摩~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 ――――AM;08;20

 

 職員室で準備をして、教室に向かう。

 あの後、エヴァンジェリンさんの風邪がどうなったのか、気になる。

 だから、この目でそれを確認する為にも、足早に移動していた。

 

「大丈夫かな、エヴァンジェリンさん」

 

 教室の前に到着すると、いつものように元気な声が聞こえてきた。

 入る前に少しだけ覗いてみると、そこではエヴァンジェリンさんを中心とした輪が出来ていた。

 

「エヴァちゃん、お人形さんみたいだよねー」

「風邪は大丈夫そうですね。安心したです」

 

 早乙女さんと綾瀬さんが、丁度エヴァンジェリンさんの体調を気にしているところだった。

 エヴァンジェリンさんはそっぽを向こうと顔を逸らしているが、その先には千雨さんがいて、目が合ったようだ。

 

「良かった、なんだか楽しそうだ――――みなさん、おはようございます!」

 

 席に戻って、みんなが起立をする。

 号令と共に頭を下げて、着席した。

 

「風邪は大丈夫ですか?エヴァンジェリンさん」

「もう治った。……問題ないよ」

 

 そう言って、エヴァンジェリンさんは大きくため息を吐いた。

 突然、沢山の手のかかる姉妹が出来たような、そんな表情。

 その表情に、僕は嬉しくなって笑う。

 

「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ? “ネギ先生”」

「はいっ! 元気になって、嬉しいですっ」

「ぐっ」

 

 言ったらいいと言われたので言ったのだけれど……。

 エヴァンジェリンさんは、急に言葉に詰まってしまい、俯いた。

 

 そ、そっか、“噛んだ”のか。

 それは確かに、ちょっとだけ恥ずかしい。

 

「それでは、出席をとります!」

 

 一歩近づけた。

 だったら、もう一歩近づけるように、頑張ろう。

 

 立派な魔法使いがどんなものであるか。

 僕が“なにに”なりたいのか。

 

 それは、“立派な先生”になることで、見えてくる。

 そんな気がするんだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 ――――PM;15;00

 

 屋上から見渡す光景に、鼻を鳴らす。

 今日この日が、解き放たれる日となる。

 

 だが、ぼうやは私と敵対していない。

 何も知らない、ただ修行に来た先で生徒に手を差し伸べる、見習い教師。

 

「マスター」

「あぁ、解っている。簡単に諦められは――――しない」

「いえ、大停電の日はマスターの家に行っても良いか、千雨さん達からメールが来ています」

 

 思わず足を滑らせて、転ぶ。

 慌てて飛ぼうとしたが、空を飛ぶことが出来ないのを忘れていた為、屋根に顔を打ち付けた。

 

「あわわわ、へぶっ」

「マ、マスター!」

 

 駆け寄った茶々丸に介抱されながら、鼻血を拭う。

 ぐぅ……諦められん、こんな無様なままなど!

 

「何を考えているんだ! 第一、外出禁止だろう!?」

「外出禁止になる前……停電前から、来たいとのことです」

 

 これでは、吸血どころではない。

 いや……待てよ。

 

「誰が来る?」

「綾瀬さん、早乙女さん、宮崎さん、近衛さん、桜咲さん、神楽坂さん、千雨さん」

 

 挙げられていく名前を、反芻する。

 図書館探検部にじじいの孫とその護衛、それから――長谷川、千雨。

 

「そして……ネギ先生の八人です」

「ぼうや、だと?」

 

 封印の解ける日に?

 

「ネギだけに、ネギをしょってやってくるということか」

「お上手です、マスター。しかし、カモの方がよろしいかと」

 

 じじいの孫が気がかりだが、戦闘に巻き込まなければ問題ない。

 ……段取りがグダグダなのは、もう仕方ない。

 

 長谷川千雨諸共その生き血を吸い、夜の女王に返り咲くッ!

 

「構わんと伝えておけ」

「解りました。嬉しそうでしたと伝えておきます」

「一言余計だッ!」

 

 今日が、私の終焉にして始まり。

 この息苦しい箱庭から解き放たれて、私は“私”に戻る。

 

「ククククッ――――フハハハハハハハハハハハッッッッ!!!!」

「すごく嬉しそうだ、と訂正しておきます」

 

 待っていろ、長谷川千雨、ネギ・スプリングフィールド!

 この戦いは、この日々は、私の勝利で飾らせて貰うぞッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 ――――PM;18;00

 

 年二回の学園メンテナンス、大停電まであと二時間。

 私たちは、千雨さんやネギ先生たちとエヴァンジェリンさんのログハウスへやってきました。

 

「それにしても、夕飯をご馳走して貰えることになるとは……」

「マクダウェルの好意らしいな。心を開いてくれている、のか?」

 

 私の呟きに、千雨さんが首をかしげました。

 エヴァンジェリンさんは所謂“ツンデレ”という属性らしく、照れてしまうのでどう思っているのかよくわからないことがあるのです。

 

 その点、エヴァンジェリンさんをしっかり理解してあげられる茶々丸さんは、さすがとしか言いようがないですね。

 

 友達になりたいというのなら、見習わなければなりませんね。はい。

 

「私だ」

「ですから千雨さん、せめてもう一言ないですか?」

「……私だ、ぞ?」

「そういうことではありません」

 

 千雨さんがノックをしてボケをかましていると、扉の向こう側から上品な足音が響きました。

 日頃からメイドプレイとやらをしているだけあって、完璧ですね。

 

「お待ちしておりました」

「お邪魔します」

 

 頭を下げて、中に入ります。

 ここに来るのも三度目ですが、相変わらずメルヘンチックな家ですね。

 

 ログハウスの奥、比較的広いスペース。

 その上座に、エヴァンジェリンさんが座っていました。

 ワイングラスに入れているのは、ブドウジュースでしょうか?

 

 ……ワイングラスで飲みたくなってしまう、思春期特有の“アレ”ですね。

 そっとしておきましょう。

 

「良く来たな」

「お招きありがとうございます、エヴァンジェリンさん!」

 

 ネギ先生が元気よく頭を下げて、私たちもそれに倣います。

 千雨さんは会釈程度に頭を下げて、そしてしきりに首をかしげていました。

 

「どうかしましたか?」

「いや……ツボーズが、な」

「エヴァンジェリンさんが疲れている、と?」

「妙なんだが……いや、気のせいだろう」

 

 ツボーズ、つまり凝りが見えたということでしょうか?

 それならば飛びついても不自然ではないのですが……様子がおかしいですね。

 

「綾瀬さん……会話、通じるんですね」

「桜咲さん? なんでしょう?」

 

 私を見て、桜咲さんが遠い目をしています。

 一体どうしたのでしょうか?

 

「まぁ、座れ。茶々丸、食事の準備を」

「畏まりました」

 

 一礼と共に踵を返す茶々丸さんの動きは、洗練されているように見えます。

 実は、将来は本職になりたかったりするのかも知れないですね。

 

「ご飯も全部、茶々丸さんが作ってるの?」

「そうだ。アレの料理は、美味いぞ」

 

 エヴァンジェリンさんは、いつもよりも余裕があるように見えます。

 なんだか、不思議な感じがしますね。

 

 どうでもいいですが、“あれ”という呼称って、亭主関白な旦那さんが奥さんに使いますよね。

 エヴァンジェリンさんが、せ――――いえ、なんでもないです。

 

 ……カカア天下かもしれませんし。

 

「綾瀬夕映、貴様、妙なことを考えていないか?」

「いえ、なにも?」

 

 わりと的確なことは想像していましたが、妙なことなど考えていませんよ。

 

「そうか……ふん、まぁいい」

 

 やはり、優雅にワイングラスを傾ける姿は、いつもと様子が違います。

 本当にどうしたのでしょうか?

 

「千雨さん、エヴァンジェリンさん、いつもと様子が違いませんか?」

「そうだな、ツボーズが、変だ」

「ツボーズに顕れている、と?」

「あぁ」

 

 千雨さんがツボーズに聞いたのなら、そうなのでしょう。

 やはり様子がおかしいのです。

 

「あぁ、夕映が遠いところに……」

「夕映……そんな遠くにいるんだね……」

「ハルナ?のどか?」

 

 先ほどから皆さん、何がどうしたというのでしょうか?

 

「お待たせしました」

 

 そうこうしているうちに、茶々丸さんが料理を運んでいました。

 姿が見えないと思ったら、木乃香さんたちは運ぶのを手伝っていました。

 

 むぅ、迂闊です。

 のんびりしすぎですね。

 

 並べられていく料理は、どれも豪勢なモノです。

 将来二人で暮らす為の、予行練習でしょうか。

 

「さぁ、乾杯だ」

『乾杯っ!』

 

 声が重なり、響きます。

 

 どうにも、違和感が残りますが……なんなのでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

 ――――PM;19;53

 

 ゆっくりと、意識が浮上する。

 部屋の隅々で寝転がる、みなさんの姿。

 

 そういえば、食事が終わって少し経つと、妙に眠くなった。

 どういうことだろう?

 

「誰か、起きていませんか?」

「ネギ先生?」

 

 声をかけると、起き上がる影があった。

 頭を押さえながら眼鏡をかけ直す、千雨さんの姿だった。

 

「みんな、寝ちまったみたいだな」

「そうですね……どうしたんでしょうか?」

 

 明日菜さんの近くを見ると、カモ君まで眠っていた。

 カモ君は最近口数が少なかったし、きっと疲れていたんだろう。

 

「ん? マクダウェルがいないな」

「茶々丸さんも、いませんね」

 

 顔を見合わせて、首をかしげる。

 

「扉が開いているな」

「外でしょうか?」

「行ってみれば、はっきりする」

 

 扉に向かって歩き出す千雨さんを、追いかける。

 いなかったら、戻ればいい。

 だったら、夜風に当たるのも良いかもしれない。

 

「七時五十五分……あと五分で停電か」

「はい、本格的に暗くなる前に、戻りましょう」

「そうだな」

 

 ログハウスを出て、まっすぐ歩く。

 すると、少し開けた場所に、エヴァンジェリンさんの姿があった。

 

 良かった、すぐに見つけられたみたいだ。

 

「マクダウェル」

「? ――――来たか、長谷川千雨、ネギ・スプリングフィールド」

 

 フルネームで呼ぶのは、思春期特有の思考回路だと綾瀬さんから聞いたことがある。

 でも、どういうことなのか、僕にはまだ解らないことだった。

 

 そのうち嫌でもわかると、綾瀬さんは言っていたけれど……うーん?

 

「二人とも、確か私の“お友達”になりたいと言っていたな?」

「あぁ、言ったが?」

「はいっ!」

 

 エヴァンジェリンさんの隣に、茶々丸さんが降り立つ。

 空に浮かぶ下弦の月が二人を照らし、その存在を際立たせていた。

 

「私に、勝てたら、その要求を呑もう」

「勝つ?」

 

 千雨さんが、首をかしげる。

 そしてそれは、僕も同様に。

 

「茶々丸、カウントダウンだ」

「畏まりました、マスター」

 

 メイド服姿の茶々丸さんが、カウントダウンを始める。

 

 一体、何が起こるのか?

 何を、起こそうとしているのだろうか?

 

「――――三、二、一」

 

 そして――――エヴァンジェリンさんの身体から、漆黒の力が膨れあがった。

 

「ジャスト八時です」

「フハハハハッ――――これだ、この魔力だッ!今宵私は、封印より解き放たれるッ!!」

 

 大停電。

 それと同時に、エヴァンジェリンさんから膨大な魔力が解放された。

 

「さぁ、私に打ち勝ってみせ…………ろ?」

 

 同時に、エヴァンジェリンさんの身体から、無数の“怨霊”が解き放たれた。

 

 空を埋め尽くすほどの怨霊の姿。

 これはそう、この国に伝わる――――“百鬼夜行”の姿だ。

 

「なななな、なんだこれはッ!?」

「千雨さん、あれはいったい!?」

 

 僕は思わず、千雨さんを見た。

 先ほどから千雨さんは、妙に静かだった。

 

 だから、思ったんだ。

 ……なにか、心当たりがあるのではないのだろうか、と。

 

「疲労だ」

「え?」

「は?」

 

 エヴァンジェリンさんも、同時に声を出した。

 これが、千雨さんの見ていたという…………ツボーズなのだろうか?

 

「マクダウェルはさっき、封印から解き放たれると言っただろう?」

「いや、だからあれは――――」

「はい、言っていましたね」

「――――話しを聞け、貴様らッ!!」

 

 千雨さんは抑揚に頷くと、空に舞う怨霊を睨み付ける。

 その視線は、今まで見たどんなものよりも鋭かった。

 

「つまり、マクダウェルは疲労のことを言っていたんだ」

「そうか……封印されていたのは、良いマッサージ師が現われなかったことによって溢れ出た、疲労の姿……」

 

 父さんは、自分の力ではエヴァンジェリンさんを救うことが出来なかった。

 マッサージ師が現われなかったせいで――――父さんが、マッサージを出来なかったせいで。

 

「溜まりに溜まった疲労が、ツボーズの姿を変えた。禍々しい姿へと変貌したツボーズ」

 

 そこで千雨さんは一度切り、茶々丸さんに支えられて項垂れるエヴァンジェリンさんの姿を見た。

 エヴァンジェリンさんはひどい凝りのせいか、目に涙を溜めている。

 

「もう嫌だ……なんだこれ……」

「マスター!お気を確かに!」

 

 ひどく痛々しい姿。

 その姿に、胸が締め付けられる。

 

 エヴァンジェリンさんは、僕たちに――――自分の疲労に“勝って欲しい”と。

 そう、願ったんだ。

 

「そう、その名も――――“悪魔のイリュージョン”!!」

「……悪魔の、イリュージョン」

 

 あれが、悪魔なんだ。

 僕の村を襲ったような、黒く恐ろしい悪魔。

 

 長い間エヴァンジェリンさんを苦しめてきた、“悪”の姿。

 

「どうすれば、いいんですか?!」

「マッサージをすればいい」

「ならっ……いや、そうか」

 

 エヴァンジェリンさんを取り巻く、怨霊の姿。

 この怨霊がいる限り、千雨さんはエヴァンジェリンさんに近づくことが出来ない。

 

「それなら、どうすれば……」

 

 僕の魔法では、あの怨霊に効果があるか解らない。

 それに、かき消すほどの魔法が効果を持っていたとしても、それではエヴァンジェリンさんを巻き込んでしまう。

 

 何が、魔法使いだ。

 魔法は、こんなにも“無力”だというのにっ!

 

「一つだけ、方法がある」

「え――?」

 

 項垂れるエヴァンジェリンさんを見ながら、千雨さんがそう呟いた。

 

「ネギ先生、マッサージを……させてくれ」

「マッサージを?で、でも……」

 

 それが何の関係があるのか?

 そんな風に、今更千雨さんを疑ったりはしない。

 

 じゃあ、なんで僕は――――。

 

「無理にとは、言わねぇよ。嫌だったら他の方法を探そう」

「千雨、さん?」

 

 自分の戸惑いに答えを出すことが出来ず、僕はただ俯いていた。

 そんな僕に、千雨さんは優しく声をかけて、くれた。

 

「無理矢理やっても、笑顔はみられない――――幸せには、できない」

「ぁ――」

 

 そう言う千雨さんは、困ったような笑みを浮かべていた。

 

 思えば千雨さんは、一度も強制しなかった。

 マッサージをしようと思えばできる隙なんか、いくらでもあったのに。

 

 僕は――――僕は。

 

 そう、か。

 僕は、きっと怖かったんだ。

 

 マッサージをして貰うことによって、千雨さんが僕から興味を無くしてしまうような。

 

 ……そんな想像をして、怖かったんだ。

 千雨さんの“優しさ”を信じられず、身勝手な想像で――――怖がって、いたんだ。

 

「いえ……してください」

「ネギ先生?」

 

 もう、迷わない。

 千雨さんを信じる。

 

 信じることが――――できるから!

 

「僕にマッサージを、してくださいっ!!」

 

 僕が決意の声を上げると、千雨さんは大きく目を瞠った。

 その表情がなんだか可愛くて、僕は少しだけ頬を緩ませてしまった。

 

「いいのか?」

「はいっ!」

 

 千雨さんは僕に向かって、不敵に笑う。

 向かうところ敵なし。

 無敵のマッサージ師の、笑顔だ。

 

「任せておけ」

「はいっ!お任せします!」

 

 千雨さんが、僕の背中に回る。

 

 そしてその指を――――僕に深く、突き立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――5――

 

 

 

「あ…………ああぁぁあっっっ!?」

 

 ネギ先生の、凝りを解す。

 解して解して、解し……尽くす。

 

 すると――ネギ先生の身体から、輝くツボーズが出現した。

 半ば賭だったが、どうしてか出来るような気がした。

 

 強い気配を持つ人間ならば、きっと……絶対、出来ると思っていた。

 

「これ、は?」

「具現化した、ネギ先生の凝りだ。その名も――――“天使のイリュージョン”」

 

 舞い上がったツボーズ達が、怨霊にぶつかる。

 両者ともに阿鼻叫喚を上げながら消滅していく姿は、不気味だった。

 

「千雨さん……」

「言っただろ――――“任せておけ”ってな」

「……はいっ!」

 

 ネギ先生に背中を任せて、項垂れるマクダウェルの下へ走る。

 ネギ先生のツボーズでは、マクダウェルの怨霊を抑えきれない。

 

 だからこれは――――スピード勝負だ。

 

「絡繰、どけ!」

「しかし、私は――――」

 

 困惑した絡繰が、私に立ちふさがる。

 説き伏せる時間もなく、私は歯がみした。

 

「茶々丸さん!貴女の相手は僕です!」

「ネギ先生ッ!?」

 

 ネギ先生が、杖に乗って絡繰とぶつかる。

 ……たく、任せろって言ったのに、この様か。

 

「サンキュ、ネギ先生」

 

 小さく、口の中で呟いた。

 啖呵切っちまった後だし、妙に気恥ずかしい。

 

「さて――――行くぞ、マクダウェル!」

 

 マクダウェルに向かって、走る。

 項垂れるマクダウェルの後ろに回り込み、両脇を掴んで上に投げた。

 

 空中で回転している、その間に――――ツボを突く。

 

「胃兪、膈兪、肝兪……もっと早く、もっとだ!」

 

 間に合わない。

 手数が足らない。

 

 足らないのなら――――増やせばいい!!

 

「おぉぉおおおおぉぉぉッッッ!!!」

 

 一人で足らないのなら二人。

 二人で足らないのなら三人。

 三人で足らないのなら四人。

 

 四人で足らないのなら――――“五人”に、分身して。

 

「“五人のワルツ”!」

 

 押す。

 押して、抉る。

 押して、抉って、突き解すッ!

 

「天牖、翳風、迎香、缼盆、風門、肩井」

「完骨、風池、陽白、印堂、惑中、五枢」

「身柱、長強、大陵、伏兎、商丘、至陰」

「裏内庭、水突、絲竹空、肓兪、大腸兪」

「魄戸、壇中、神封、郄門、気舎、天枢」

 

 見える。

 限界を超えた私の視界に溢れる、輝くツボーズ達の姿が!

 

「秘奥義、真・千雨スペシャル――――――“千の雨――≪サウザンド・レイン≫”」

 

 マクダウェルの身体から光が溢れて、消える。

 

 空に舞い上がる、無数のツボーズ。

 次第に必要なツボーズだけが残り、奇麗な笑顔で笑っていた。

 

 それを見送りながら、大きく息を吐く。

 大停電が終わるまでまだ時間はあるが、街はツボーズ達で明るくなっていた。

 

「これにて、一件落着……かな?」

 

 なんにしても、うん。

 

 疲れた……な。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――6――

 

 

 

 モニターの向こう。

 恍惚の表情で倒れ伏すエヴァンジェリンを、千雨サンが抱き起こす。

 

 それを茶々丸が引き継いで、その背に優しく負ぶったヨ。

 

「エヴァンジェリンは敗北。これで、自身の言い出した“約束”に従い、エヴァンジェリンさんは千雨サンの“友達”になる、ネ」

 

 安らかに眠る、エヴァンジェリン。

 その身体は、文字どおり“全て”から、解放されていタ。

 

 呪いの精霊が役割を終えル。

 それハ、簡単に言ってしまえば、精霊が役目を終えて“満足”することが必要ダ。

 

 エヴァンジェリンにかけられた呪いは強力で、サウザンドマスターでなければ、満足させられない……役目を終えさせる事が出来ない、“呪い”となってイタ。

 

 それを千雨サンは、マッサージという方法で精霊を“満足”させたネ。

 規格外にも、ほどがあるヨ。

 

「そして、マッサージを受けタ、ネギ坊主とエヴァンジェリン」

 

 それから茶々丸ヤ、桜通りの木々。

 特異な力ヲ身に宿す者と、霊地に存在する植物。

 

 その全てが――――存在としての力を強固なものにしていタ。

 

「だから茶々丸ハ、今までよりも強い感情を得るに至った、ネ」

 

 存在を強固にする。

 それが、“長谷川千雨流のマッサージ”の本当の姿だというのナラ。

 

「未来を変えるのに、魔法を広める必要などないネ」

 

 ソウ、救えばいいのダ。

 魔法世界ヲ、彼女のマッサージで、救えばイイ。

 

 でも、やはり、ただ任せるのは悔しいネ。

 だから、私ハ…………。

 

「フフ…………スマンな、ハカセ」

 

 ――――自分の手で、未来を救おウ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――7――

 

 

 

 昨日の大停電。

 そこで、私たちは本当の“友達”になった。

 

「マクダウェル、もう帰るのか?」

「バカモノ……私はこれから茶道部だ」

 

 部活に向かうマクダウェルや綾瀬、それに佐々木や神楽坂たちと別れる。

 そうすると、私はいつの間にか、ネギ先生と二人きりになっていた。

 

「千雨さん」

「どうした?」

 

 足を止めたネギ先生に倣って、私も立ち止まる。

 

「僕は、父さんのような“立派な魔法使い”に、なりたかったんです」

「なり“たかった”?」

「はい」

 

 諦められる、夢ではない。

 そう聞いたはずなのだが……どうしたんだ?

 

「僕は、父さんのように、ピンチになった誰かを……助けられる人に、なりたかった」

「……あぁ」

 

 誰かを笑顔に出来る人。

 誰かに……“幸せ”を、あげられる人。

 

「だから魔法を学んできました。復讐したいと思ったことも、あったけれど」

 

 復習?

 魔法の、か?

 

 ま、まぁいい。

 今はただ、続きを聞こう。

 

「けれどもやっぱり僕は……僕たちを助けてくれた父さんに、憧れた」

 

 誰かに憧れる。

 それならば私は……あのお婆ちゃんだろう。

 

 笑顔になることで、笑顔を分け与えられる人だった。

 

「でも、千雨さんを見ていて、わかった事があるんです」

「わかったこと?」

 

 ネギ先生は、私をまっすぐと見上げて、頷いた。

 

「本当に誰かを幸せにすることが出来るのは、戦う為の“魔法”なんかじゃない」

 

 自分の胸に手を当てて、そして――――力強く、笑った。

 

「誰かを癒すことが出来る――――“マッサージ”なんだ、って」

 

 両手を降ろすと、ネギ先生は背筋を伸ばして、そして勢いよく頭を下げた。

 

「千雨さん!僕を――――僕を、弟子にしてくださいっ!」

「弟子、って……マッサージの、だよな?」

「はい!」

 

 そう言われても、私はまだ誰かを弟子に出来る位置にいない。

 資格も取っていない、未熟な女子中学生だ。

 

「ちょっと待つネ!」

「超?」

 

 そんな風に答えに迷っていると、夕日を背に仁王立ちする超の姿があった。

 その顔は生き生きとしていて、最近の疲れを微塵も感じさせなかった。

 

「千雨サン……私モ、弟子にして欲しいヨ!!」

 

 ネギ先生の隣まで歩き、一緒に頭を下げる超。

 二人とも、どうしたってんだよ?……ったく。

 

「……私はまだ、誰かを弟子にできる位じゃねぇんだ」

 

 二人は、揃って肩を振るわせた。

 ぴったり揃ってんな。血が繋がってんじゃねぇか?

 

「だから――――まぁ、なんだ……とりあえず、入部するか? マッサージ研究会」

 

 ネギ先生は、まぁ監督扱いで何とかなるだろ。

 うちの顧問はテキトーだから、入るのは余裕だろうしな。

 

「はい! ありがとうございます!」

「ありがとう、千雨サン!!」

 

 顔を上げてハイタッチをする、二人の姿。

 そんな姿を見て、私は頬を掻いた。

 

 まぁ、なんだ。

 こんな風に騒がしいのも、悪くない、な。

 

 

 夕日の中、私たちはいつまでもそうして笑い合っていた。

 

 

 

 明るい未来を――――誓い合う、ように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第12話

――0――

 

 

 

 ――復讐。

 

 かつての『大戦』の折り、笑顔で交わされた約束はついぞ守られなかった。

 家で待っていたウチに告げられたのは、遺体もない訃報だけ。遺ったモノは遺産と、心に刻み込まれた絶望だけ。魔法使いどもに刻みつけられた傷跡だけが、じくじくと痛む。

 

 だからウチは誓ったんや。

 必ず仇は取る。ウチから幸福な未来を奪い取った魔法使いどもに目に物みせて、必ず後悔させてやる。

 そう、両親の遺骨のない墓前で誓ったウチは、復讐のためにナニもかもを費やした。

 

 友達も作らず。

 恋人も作らず。

 寝食を惜しみ。

 脇目も振らず。

 

 全ての時間を復讐のために費やして。

 漸く、復讐の成る機会を与えられた。

 

 関東魔法協会。

 忌々しい魔法使いどもの巣窟から、魔法使いの世界に名を馳せる英雄の息子が親書を持ってあろうことか修学旅行に訪れるというのだ。

 しかもその修学旅行には、近衛のお嬢様まで来なはるというやないか。これほどのチャンスが他にあろうか。これほどの機会が、二度とあろうか。

 

 親書を奪い。

 お嬢様の力を奪い。

 リョウメンスクナを奪い。

 ウチからナニもかもを奪った魔法使いから、ナニもかもを奪い尽くしたる!

 

 そう、誓った。

 

 

 のに。

 

 

 

 

 

「PD右――チェスタードロップ」

――バキボキゴキッ!!

「あふぁっ?!」

 

 

 

 

 おとん、おかん。

 うちはもう、だめかもしれまへん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス ~麻帆良学園按摩師旅客譚~ 前編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

「あ、ツボーズ」

「修学旅行です。自重してくださいね、千雨さん」

 

 思わず零した私の呟きに、すかさず綾瀬が応える。

 確かに、ここは麻帆良学園ではない。少し、自重した方が良いのかも知れないな。

 

「ふ、はははははっ! 見ろ、千雨! 京都はもう目の前だぞ!」

「そうか。落ち着け、エヴァンジェリン。ツボーズが八つ橋型に変形しかけているぞ」

「こ、怖い冗談を言うな。お、おい、なんで目をそらした!? 答えんか!!」

「マスター、楽しそうでなによりです」

 

 今まで疲労過多で身動きが取れず、修学旅行に行けていなかったというエヴァンジェリンも、ついこの間私が疲労から解放したおかげで来られるようになったそうだ。

 まぁ、天使のイリュージョンまで使った甲斐があるというものだ。

 

 綾瀬とは班が離れてしまったが、幸い、私の班には綾瀬の班と仲の良い連中が多い。他の班の合意もあって、私たち“六班”は、綾瀬たち“五班”と行動を共にすることに決まっている。

 そんな私たち六班だが、残念ながら一人欠席者が出てしまった。いつも何故かツボーズだけが空中に浮かんでいる教室の左端、相坂だ。よって、私の班は――

 

「新幹線か……。麻帆良学園の外も十五年ぶり。人間どもの進化を見下してくれようぞ!」

「ああ、マスター。黄色い線の外側に立つと危ないです」

 

 エヴァンジェリンと絡繰。

 

「……」

「またサーカスか? ほら、足を出せ。むくみくらいとってやるよ」

「……」

「気にするな」

「……」

「え? なんで言ってることがわかるかって? ツボーズに聞いたんだよ」

「?」

「?」

 

 ザジと私、長谷川千雨。

 

「せっちゃん、京都やて! 楽しみやなぁ」

「あ、あの、私のような者がお嬢様の傍になど。ご、ご自分の班にお戻りください」

「せっちゃん、私と居るのが嫌なん?」

「そそそ、そいうわけでは」

「……そっかぁ、わかった。ほんなら、千雨ちゃんの傍にいくしか――」

「御側に置いてください! ……これ以上、お嬢様をとんでも世界に関わらせるわけには」

「――ほんまか!? うれしぃわぁ」

 

 そして桜咲。

 この五人で一班だ。五班のメンバー、神楽坂、近衛、綾瀬、早乙女、宮崎。この五人とうちの班はなにかと縁があるので、行動を共にすることになった、ということだ。

 

 そうこうしていると、他の先生方と打ち合わせをしていたネギ先生が戻ってきた。

 

「千雨さん! おはようございます」

「ああ、先生、おはよう。楽しそうだな」

「京都は日本の古都ということですし、皆さんはそこまで縁の遠い場所ではないのかも知れませんが、海外出身の身としては、やはり楽しみです」

「そうだろうな。同じ外国人のエヴァンジェリンを見ていればわかるよ」

「はい、エヴァンジェリンさんは、僕のお父さんの力が及ばなかったせいで辛い環境に置かれていましたから、ああいう姿を見ていると安心します」

 

 エヴァンジェリンはかつて、ネギ先生の父親がマッサージすることができなかったために悪魔のイリュージョンとなった疲労を封印することしかできず、そのせいでストレスから深夜徘徊を繰り返していた。

 その封印はなんとか私たちで解いたのだが、その時のことを思い出しているのだろう。ネギ先生は遠い目をしている。

 

「父には憧れています。父のようになりたいとも思います。でもなにもかも父のようになってしまったら、きっと僕も、エヴァンジェリンさんのような存在を作ってしまうかも知れない。だから僕は決めたんです。僕は僕なりに、誰かを救える存在になる。偉大な魔法使いではなく、偉大な魔法按摩師になるって」

 

 先生はそう言うと、まっすぐと私を見つめる。

 その視線に私は、恥ずかしながら少しだけ見ほれてしまった。なんというか、夢を目指す人間というのは輝いて見える。私がその夢の一助となれることが、今は純粋に嬉しい。

 

「今は、千雨さんとの関係は言うなれば師弟のモノだけです。ですが僕は、いずれは千雨さんの――」

「先生! 点呼の時間ですよ」

「――あ、綾瀬さん」

「ほら、なにをしているのですか。もう人は集まっているです」

「今のタイミング、わざとですね……。いえ、なんでもないです。それではみなさん、点呼を取りながら新幹線に乗りますよ!」

 

 ネギ先生はなにやら言いかけて、綾瀬に遮られると、点呼に行く。

 すると今までの空気はどこへやら。綾瀬が私の隣に並んで、ほぅっと大きく息をついた。

 

「綾瀬……疲労か?」

「あ、いえ、どうでしょうか?」

「少し寝不足だな。席につくまで眠気覚ましをしてやるよ」

「ありがとうございます」

 

 どれどれ。

 ――眠気覚ましは中衝(ちゅうしょう)! 会谷(ごうこく)! テンポをつけてゆっくり深く押すべし!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 ついに修学旅行が始まりました。

 私にハンドリフレを施した千雨さんは、意気揚々と自分の班へ戻っていかれました。私はそんな千雨さんの背を見送ると、自分の班のブースに戻ります。

 

「のどか、この修学旅行は勝負です」

「う、うん―」

「良いですか。のどかがネギ先生と親密になる。その際に一番の障害である千雨さんは私が引きはがす。これでいきましょう」

「ゆ、ゆえっち、隠さなくなってきたね」

「黙りなさい、ハルナ」

 

 そう、もうなりふり構っていられないのです。

 エヴァンジェリンさんと友達になったあの大停電以来、千雨さんの周りには多くの人が集まりました。

 その中でも千雨さんに常識の壁を食い破られて胃を抑えていたはずの超さんや、ちょっと距離を置いていたはずなのにいつの間にかべったりになっていたネギ先生。

 もりもりと増えたライバルを前に、私は照れなど捨てたのです。こんなに辛いのなら照れなど要らぬ! なのです。

 

「夕映ちゃんってあんなにアグレッシブだったんだね、木乃香」

「千雨ちゃんといるときの夕映はだいたいあんな感じやで、明日菜」

「千雨ちゃんかぁ。スポーツ整体でもやってもらおうかなぁ」

 

 明日菜さんと木乃香さんの会話を尻目に、私は席を立ちます。

 みんなが思い思いに席を立ってゲームなどに移行し始めると、当然、解き放たれた千雨さんは飢えた獣のように疲労を探し求めることでしょう。

 

 そう私は己の身を差し出す覚悟で千雨さんの席に行くと、彼女の周りにはあまり馴染みのない方々が集まっていました。

 

「千雨ちゃん質問いーい? なんか最近、千雨ちゃんの周りに人が増えたけどさ、誰が本命なの?」

「朝倉さん、あまり千雨さんにご迷惑をおかけするモノではありませんわ。……ネギ先生では、ないですよね?」

「あらあら、あやかったら」

「ちづ姉ぇ、おばさんっぽ――ひぃっ!?」

 

 朝倉さんや雪広さんの班、三班にどうやら引きずり込まれたようです。

 ですがまぁ、話をしている話題は好都合。私も寄らせていただくことにしましょう。

 

「やっぱりため込みやすいから綾瀬(のコリ)が一番かな」

「おおおおお?! ゆゆゆゆえちゃん! 本命宣言だよ!」

「私には副音声が聞こえますので、この程度では今更です」

「へ?」

 

 朝倉さんは興奮した面持ちで私に詰め寄りますが、どうせあれはあれです、綾瀬“のコリ”とか言っているのに違いありません。

 

「あとはそうだな、そこの販売員のお姉さんかな」

 

 そういって、千雨さんは車内販売のお姉さんを指さします。

 またそうやって見境もなく……。

 

「ええっと、好みのタイプってこと?」

「いや、おそらく日頃から右足を上にして足を組んでいるんだろう。右短化肢だな。脊椎もやや旋回している」

「へ? ん? ええっと、どうすればいいってこと?」

「まぁ、見ていてくれ」

 

 そう言うと、話しについて行けない朝倉さんを置いて販売員のお姉さんの元へ歩いて行きます。

 お姉さんは何故か座席をゆっくりと移動していて、なにかを確認しているようでした。千雨さんが言うように疲れかなにかで調子が悪いのでしょうか。

 

「お姉さん」

「あ、はい、お弁当――」

「少し、【身体を貸してくれ】」

 

 耳元で呟く動作。

 フェロモンボイス、ローレライを使いましたね、千雨さん。

 一般人にあれはつらいと思うのですが。

 

「Ⅰ――」

 

 ワン、と千雨さんは数えるように呟きます。

 そして力が抜けて倒れそうになるお姉さんの背中に拳を当てて、お姉さんを抱え込みながら千雨さんも倒れていきました。

 

「PD右――チェスタードロップ」

――バキボキゴキッ!!

「っっっ!?」

 

 地面にたたきつけられ、背骨から音を鳴らすお姉さん。

 だというのに痛みはないのか、恍惚としています。なんでしょう、あれは。あまり見たことのないテクニックですね。

 

「Ⅱ――」

 

 素早く起き上がらせて、今度は空いた座席を倒して横にしました。

 端から見ると突然倒れたお姉さんを介抱しているようにしか見えないのが恐ろしいところです。

 

「脚から――背骨コンディショニング」

 

 今度は片足ずつ持ち上げて、なにやら伸ばしたりひねったりしています。

 お姉さんの表情は、なんと言えば良いのでしょう。「悔しい、でも」というような感じでしょうか。

 

「Ⅲ――」

 

 今度は素早く頭側に回ります。

 そして両手を首の裏に回して、持ち上げました。

 

「髄液循環――フィギュアエイト」

 

 なにやら首をぐるぐると回します。

 この時点でお姉さんは心が折れそうな表情。ああ千雨さん、あなたはどこへ行ってしまうのですか……。

 

「ラスト――」

 

 最後は頭に指を。

 これまでとは考えられないような柔らかい手つき。そのギャップに、お姉さんは目を見開きました。

 

「真空――ペインコントロール」

「ぁ」

 

 小さく声を漏らすお姉さん。

 気のせいでしょうか。黒い“靄”のようなものが、お姉さんの身体から抜けていきます。そしてお姉さんはあまりの快楽に耐えられなかったのか、そのまま寝てしまいました。

 

「ふぅ。ま、こんなもんかな」

「今のはなにをやったのですか?」

「カイロプラクティックを初めとして……まぁ、色々だ。骨盤を矯正して身体のねじりをとり、脳髄液の循環を安定させる。寝たときの身長になるから一センチか二センチは身長が伸びるし、風邪も引きにくくなるんだ」

「おお、それは私にやっていただいても?」

「いや、綾瀬たちはまだ若いからな。あれをやるほど歪んでないんだよ。できればあのお姉さんも定期的に矯正してやりたいんだが、まぁ、難しいだろうな」

「むむ、なるほど。そうですか」

 

 そう千雨さんは座席で眠りにつくお姉さんを、どこか憂いに満ちた瞳で見つめます。

 ――どうでもいいですか、誰かお姉さんを起こした方が良いのでは……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 此度の修学旅行には、様々な懸念があった。

 

「せっちゃん、良い眺めやなぁ」

「そ、そうですね、お嬢様」

「飛び降りたら助けてくれる?」

「もももももちろんです」

 

 東西の和解を妨害する過激派。

 それと、このちゃ……お嬢様を狙う強行派。

 いずれの妨害も覚悟して望まなければならないだろう。私はそう心に決め、いざとなればネギ先生を援護するつもりだった。

 

「ほらほら、縁結びやて。ウチとせっちゃんの縁を結んでくれたのは、千雨ちゃんやけどなぁ」

「え、えん?! そのあのえとわ、わたしは」

 

 当初は、今この時間にも妨害が始まると思っていた。

 だから私は身分差も、掟もあるというのにぐっと堪えてお嬢様の御側で護衛をしている。だというのに。

 

「ほら、せっちゃんも飲んでみぃ。おいしいで?」

「こ、このちゃん、せやかてウチ」

「やっとこのちゃんってよんでくれたなぁ。えへへ」

「あわ、あわわわわ、私はここで失礼しなければならない用事があれでそれで」

 

 何故、来ない。

 なんだ? 未熟な魔法使いと魅力的なお嬢様が土鍋に入って誘っているようなモノだろう。いや、決して来て欲しいわけではないが、こう、警告をかねて落とし穴を掘るとか、苻術で両生類をけしかけるとか、色々あるだろう。

 なにを手をこまねいているんだ、刺客め!

 

「そうなんか? ほんならしょうがないわ。おーい、千雨ちゃーん」

「用事、って、なんでしたっけ? あははは、忘れてしまいました」

「そんなら、もうちょっと一緒におれるん?」

「は、はははは、もちろんですよ、ふふふふふ」

「やったぁ! なら次は、恋占いにいこか」

 

 お嬢様に手を引かれ、ずるずると引きずられていく。

 強かになりましたね、お嬢様。まさか故意ではないだろうけれど、長谷川さんの近くに居ると何故か超常現象のオンパレードで瞬く間に魔法バレ。不甲斐ない護衛はこのちゃんの涙を前にハラキリ確定な未来は目に見えている。

 長谷川さん、何故魔法も気も使えない貴女の周りはそんなに混沌としているのですか。

 

 

 

 

 

 ……ところで、お嬢様。ほんっとうに、わざとやっていませんよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

 ――いいかい、千草。

 ――忘れては、いけないよ。

 ――おとん、おかん? なんや?

 ――僕たちは、千草に“  ”になって欲しい。

 ――“  ”?

 ――そうや。なぁ、千草。約束してくれるか?

 ――もちろんや! ウチ、絶対、“  ”になったる!

 ――そうか。なら、安心やな。

 

 

 

 

 

「夢、か」

 

 目が覚めると、ウチはひとりで横になっていた。

 いつの間に拠点に帰ったのか。夢見心地でぼんやりとしていたから、覚えていない。

 

「なんや。よう覚えとらんわ。なんの夢をみとったんかなぁ」

 

 空を見ると、もうすぐ夜明けといったところか。

 空は群青色に染まっていて、東の空は柔らかい橙色にかわりかけていた。

 

「らしくないわ。ウチ、なにをやっとんのやろ」

 

 あくびを一つ。

 それから、もう一度、布団に横になる。

 いったいどうしてこんなにも安らかなのか、うとうととした気持ちで昨晩のことを思い返し――

 

「あ」

 

 勢いよく起き上がり、電子時計を確認する。五時五分、その上の日付は、思っていたモノとは違っていた。

 

「ね、寝過ごしてもうたんか……?」

 

 お嬢様を狙った計画。

 落とし穴の準備道具。カエルの苻。駅に張る予定だった人払いの結界苻。

 全てが手つかずのまま、気がついたら翌日になってもうた。

 

「なん、ななな、なんなん、なん?」

 

 そんな、ばかな。

 ウチの計画が。ウチの準備が。ナニもしていないのに、練り直しにせねばならんのか。

 

「そ、そうや。あの小娘の整体がえろぅ気持ちよーて、気がつけば夢見心地にふらふらと戻って、それで」

 

 なんでや。

 なんで戻ったんや。

 調子がよくなったんなら、そのまま襲撃すればよかったやん。

 

「あ、はははは、あの小娘! 絶対にゆるしまへん、絶対にや!!」

 

 作戦は立て直し。

 ウチは動けん。だが、ウチは、や!

 

「もしもし……ウチや。剣士? そっちは明日や。今日は今から言う特徴の小娘をちょいと泣かせて引きこもらせてくれればええ。……なんや。不満? 仕事やで!」

 

 ふ、ふふふ。

 幸い、今日は初日になにもなかったから警戒もゆるんどるやろ。となれば、小娘一人虐めて戦線離脱させることくらい、秘密裏にできるはずや。

 

「確かあの小娘、ちさめ、ゆうたなぁ。ふ、ふふふ、このウチを素早く戦線離脱させた罪、泣きながら思い知ればええ!!」

 

 拠点に、笑い声が響く。

 ウチはもう、今日見た夢のことなど、欠片も覚えておらんかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第13話

――0――

 

 

 

 好きだった。

 

 普段は子供らしくて可愛くて。

 なのに、時々わたしなんかよりもずっと大人びた表情をする。

 大きな夢を持っていて、そのために頑張っていると聞いたことがある。

 十歳なのに、四歳も年下なのに、わたしなんかよりもずっとずっと大人で、かっこいい。

 

 そんな、わたしの好きな人。

 ネギ先生は、最近、知らない表情をするようになった。

 

 柔らかい笑み。

 優しげな表情。

 包み込むような、声。

 知らないうちに、ネギ先生は、憂いと喜びのない交ぜになった表情で空を見上げるようになった。

 

 ううん。

 違う。認めなきゃ。

 ネギ先生の表情は、見たことがある。

 わたしがいつか、“いい顔”をしている、とパルに描いて貰ったわたしの横顔。

 その時に浮かべていた表情に、よく似ていたんだ。

 

 わたしは、宮崎のどかは、ネギ先生に恋をしている。

 でもネギ先生は、わたしではない人に、恋をしている。

 

 それでもいい。

 まだ、ネギ先生の恋が成就していないのなら、わたしも最後の最後まで頑張らせて欲しい。

 初恋は実らない。そんな陳腐な言葉でわたしの恋を終わらせないで欲しい。

 

 だから、勝負です。ネギ先生。

 ネギ先生の恋が成就するのが先か、わたしがネギ先生を振り向かせるのが先か。

 

「ネギ先生! よろしければ今日の自由行動、わたしたちと回ってください!!」

 

 もう、迷わない。

 わたしが迷った隙に、ネギ先生は千雨さんに惹かれてしまった。

 だからわたしは、もう、躊躇わない。

 ためらいの先が、後悔だと知ってしまったから。

 

 

 

 だから、覚悟してくださいね。

 ネギ先生――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス ~麻帆良学園按摩師旅客譚~ 中編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 ――ミッションインポッシブル。

 

 のどかの決意を聞かせて貰った私たちは、のどかとネギ先生が二人きりになれる状況を作ってあげることに尽力するのです。

 パルとこのかが他の班員を引き離し、私があっちにふらふらこっちにふらふら、疲労を求めて姿を消すことに定評のある千雨さんを連れ出す。

 いざとなったら私の身体でも捧げれば、千雨さんの時間は稼げる。ふふ、完璧です。

 

 それにしても、気弱だったのどかが一変の迷いもなくネギ先生を誘うとは、予想外でした。てっきりネギ先生人形に予行演習をする、くらいはあると思ったのですが……。

 のどかは起き抜けから決意の表情で、ネギ先生に飛びつこうとするまき絵さんの眼前にすっと移動して、誰よりも早くネギ先生を誘ったのです。

 なにがのどかを突き動かしたのか。

 どうせ千雨さんのせいなのでしょうけれど、と考えてしまうのは流石に千雨さんに悪い気もします。まぁ、関わっていないとも信じ切れませんが。

 

 とにかく!

 今日の奈良観光。

 この重要な任務、必ず成功させて見せましょう!

 

「行きますよ、パル! このか!」

「よーし、のどかのためだ! 頑張るよー!」

「せっちゃんと協力して、エヴァちゃんと茶々丸さんは引き離すで~」

「お、お嬢様、それは……」

「千雨ちゃんの方が良かったえ?」

「…………………………ご一緒させていただきます」

「ほんならそうしよかー」

「……………………………………はい」

 

 朝食後。

 奈良公園の観光が始まって直ぐ。

 のどかと明日菜さんとエヴァンジェリンさんと茶々丸さんとザジさん、それから千雨さんが溜まっているあたりに目標を付けます。

 そして、パルがザジさんと明日菜を連れ出し、このかたちがエヴァンジェリンさんたちを引き連れ、私は千雨さんの手を引きます。

 

「千雨さん、こっちで一緒に回りましょう」

「ん? ああ、わかった」

 

 千雨さんの手は温かい。

 マッサージをするのに、手は温かい方が良いそうだ。そう自慢げに言われたことがあったことを思い出す。

 

「どこへ行く?」

「そうですね。とりあえずは、もう少し鹿を見ましょう。見たかったんですよね?」

「ああ、よくわかったな。私が鹿のツボーズを見てたこと」

「わかりますよ」

 

 千雨さんにしか見えない謎の生き物、ツボーズ。

 そのツボーズを見るとき、千雨さんは焦点の合っていないような眼をしています。

 これで気がつかないはずがないです。

 

「動物にもツボがあるのですね」

「まぁな。ツボなんてモノは、簡単に言えば、そうだな……身体を“地図”だと表現したときの交差点だ。押して流れを良くすれば渋滞になりにくくなるし、交通の流れもスムーズになる。人間も動物も生きている以上は血管や神経の交わるところや集まっているところはあるからな」

「なるほど。千雨さんの話は、わかりやすいです」

「そ、そうか? ええっと……ありがと」

 

 千雨さんはそう、頬を掻いて少しだけ目を伏せました。

 非常に珍しい、千雨さんの照れ顔です。来て良かった奈良公園。

 

「ふふふ、待っていろよ、鹿。おまえたちの疲労も今日までだ」

「楽しそうで何よりです」

「綾瀬、おまえの身体もあとでほぐしてやるよ。その、なんだ……礼に、さ」

「楽しみにしています」

「ああ!」

 

 嬉しそうに鹿に駆け寄る千雨さんの後ろに、ついて行きます。

 その駆け寄る背中から覗く耳が少しだけ紅くなっていたことに、思わず、笑みを零してしまいました。

 

「私も、負けていられませんね、のどか」

 

 私たちは女の子同士です。

 恋か好きかなんかわかりません。一緒に居ると嬉しくて、誰にも渡したくないと思う瞬間があって、それはでもきっとかけがえのない親友相手にだって抱くことがある感情だと思うのです。

 だから私は、私が千雨さんに抱く感情が、恋か好きかなんかわかりません。でも千雨さんと一緒に居たいから、千雨さんも私に対して私と同じくらいに好意を寄せて欲しい。

 だから千雨さんに最初に踏み込むのは、いつだって私であって欲しいのです。

 

 女の子同士。

 だからどうしたというのですか。

 きっとあと十一~十二年もすれば、全米で同性愛が認められるとか、そんなんになるに決まっているです。

 だったらもっと積極的になっておけば良かったと後悔しないように、やれることは全てやってしまえばいい。

 その終着地点が恋だとしても、好きだとしても、一番近くまで行ってしまえば変わらないのですから。

 

 なにやら、ライバルも多いことですし。

 とくにネギ先生はだめです。異性の恋人なんか出てきたらそっちにべったりに決まっています。

 

「負けませんよ、ネギ先生」

 

 千雨さんの隣に立つのは、この私なのですから。

 

「さ、千雨さん、そろそろ次に……」

 

 気持ちを新たに、千雨さんに声を……声、を?

 

「あ、あれ?」

 

 ……もしかして、見失ったのです?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

「綾瀬?」

 

 気がついたら、公園に一人で立っていた。

 さっきまでほぐした鹿たちに群がられていたはずなのに、“不自然”なほど、鹿も人もいない。

 

『ここ斬るよ!』

 

 と、突然聞こえてきたツボーズの声に従い、施術ステップで横に跳ぶ。

 すると、私が今まで立っていた場所に日本刀が落ちてきた。

 

「面白くないお仕事だと思ったので~、不意打ちだったのですが~?」

 

 薄い髪色とゴスロリファッションの少女が、私にそう声をかける。

 全身からわき出るツボーズは一様に目の色を反転させていて、『斬るよ!』『ズバッ! ズバッ!』と奇声を上げていた。

 

「――(ツボーズが)闇に囚われているのか」

「へぇ~? 初見で、ですかぁ~。ふふふふふ、思ったより楽しめそうでなによりです~」

「何が目的だ」

 

 いきなり斬りかかると言うことは――間違いなく、ツボーズに支配されている。

 今まではそんな非常識な現象は無いと思っていたが、エヴァンジェリンの一件から私の中の価値観は一変した。

 強く歪むほど溜まった疲労は、宿主に呪いをかける。おそらくこの少女もそうなのだろう。なんということだ。

 

「お初にお目に掛かります~。京都神鳴流、月詠です~。貴女を痛い目にあわせるように承ってきましたので~」

「痛い目にあわす? なるほど、(ツボーズの)命令のままに動いている、ということか」

「冷静ですね~。どこまでできる人なのか~、楽しみになってきました~」

 

 少女――月詠はそう言うと、ツボーズと同じように目を反転させる。

 私はそんな彼女を悪しきツボーズから解放するために、マッサージの基本スタイルの一つ、脚を前後に広げる“フェンサーズスタイル”の構えをとった。

 

「おや~? 剣の使い手ですか~? 得物がないようですが~?」

「ああ、拳も使える。獲物は全身だ」

「ほう、拳を剣に見立てる流派ですか~。楽しみです~」

『早速斬るよ!』『なぎ払いに見せかけて』『唐竹!』『縦割り!』『家族割り!』

 

 ツボーズに従って、施術ステップ。

 横に跳ぶと月詠の剣が通り過ぎる。

 

『避けても無駄!』『右から来るぞ!』『真っ二つ!』『半額お得割り!』

 

 施術ステップ。

 分身アタック。

 分身ステップ。

 施術ステップ。

 施術ジャンプ。

 

 どうにか隙が見当たれば良いのだが、早すぎて避けるので精一杯。

 いくらマッサージのために体力をつけていると行っても、八時間連続で全力施術をしてもクオリティを下げない程度の力でしかない。

 プロのように十二時間連続施術を全力行使しても息切れ一つないようならば良かったのかも知れないが、私は所詮中堅だ。

 日が落ちる頃には、体力で負けてしまうことだろう。

 

「お姉さん~、やりますなぁ~。にとうれんげき、ざんがんけーん」

「施術ステップ! からの施術受け身!」

 

 手強い。

 なんとしても動きを止めなければ彼女の身体から疲労の悪魔を解き放てないというのに。

 

「今、解放してやるからな」

「解放、ですか~? ウチは別に、操られてここにいるわけではありまへんよ~?」

「いいや、操られている。――その身に宿す、(ツボーズの)狂気に」

「ほう? ウチが、狂気に操られている、なんて。うふふ、面白いことをいいますなぁ~?」

 

 その狂気から解き放たれてない限り、彼女はきっと銃刀法違反で捕まってしまう。そして法廷で弁護士に「過度な中二病のため」と庇われてしまう。

 そんな、疲労に囚われたせいで未来を穢すような真似は、認めちゃいけない。他の誰が見逃しても、私は、マッサージ師を目指す私だけは、立ち向かわなきゃいけないんだ!

 

「避けられるのなら~、避けようのない一撃を加えるだけです~」

『ビリビリ行くよ!』『雷どっかーん!』『雷鳴雷鳴しゅっしゅしゅー!』

 

 雷?

 スタンガンか?

 どうする? 流石に雷よりも早く動けない。その前に無力化せねばならないというのに、どうすればいい?!

 

「にとうれんげき、らいめー――」

「あ、忘れてた。――【刀を捨ててくれ】」

「――っっっ?!?!」

 

 耳を押さえて、刀を取りこぼしてうずくまる月詠。

 いや、最初からこうしておけば……ほら、対話できたし! 問題ないな、うん。

 

「【ふぅ、手荒な真似をして、ごめん】」

「っ?! っ!? っっ!!」

「【ああ、また元気になっても困るからな。このまま施術するぞ】」

「っ!?!?」

 

 月詠は、力の入らない脚を動かして、懸命に後ずさろうとする。

 だが地面にへたり込んだまま動くこともできず、紅い顔で涙をため、ただ首を振っていた。

 

「【なに、痛くはしない。むしろ気持ちいいんじゃないか?】」

「っっっっ!!!!!!?」

「【千雨スペシャルVer.3,06b――トライドライブロマンス】」

 

 三人に分身した私を見て、月詠の表情が絶望に染まる。

 悪いが、その狂気のツボーズ――全部、ほぐしきってやる!!

 

「っ?! っ!? ――――――――――――っっっっっっ!?!?!!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千雨さん! どこに行っていたのですか? 探しましたよ」

「ああ、綾瀬か。すまん、ちょっとツボーズを浄化してきた」

「はぁ? まぁ、良いです。続きを回りましょう」

「そうだな。いや、良いことをしたあとは、気持ちが良いな」

「いいから、行きますよ」

 

 

 

「月詠、か。無事に帰れたら良いんだが、まぁ気持ちよさそうに寝てたし、大丈夫だろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 月詠を刺客として送り出したあと。

 ウチの準備も、順調に進んできた。

 明日は戦力として呼び寄せた傭兵の小僧と、新入りが戦力として数えられる。

 

「千草さん、仕掛けるのは明日かい?」

「うぉっ、新入りか? いつの間に来よったんや」

「準備はどう?」

「無視かいな。まぁええわ。準備は万端や」

 

 ふふふふふ。

 月詠があんなどこにでもいそうなマッサージバカに負けるとは思えん。

 不安要素もなく、準備も万端。その上敵も襲撃らしい襲撃がないから油断しきっているはずや。

 

「ん? 月詠さんが戻ったみたいだね」

「おお、どうやった? 妙にすっきりしとるみたいやけど」

「失敗してもうたわ~。えろう、すんまへんなぁ~」

「ふっふっふっ、やはりメタメタにしたった……え?」

 

 心なしかつやつやとしている月詠が、申し訳なさそうに頭を下げる。

 あれ?

 

「あんまりひどいことはしたくないのですが~。お仕事ですので、明日はがんばりますぅ~」

「月詠さん? 雰囲気、変わったね」

「そうなんですよぉ~、フェイトさん~。ウチ、今までの自分が恥ずかしいですわぁ~」

「ふぅん、それが例のマッサージの効果か。興味があるね」

 

 ほのぼのと話す二人の傍で、ウチは思わず固まる。

 いや、いやいや、いやいやいや、ちょっと待てい。不意打ちで倒せといったのに、何故負けた。

 というか、え? じゃあ明日もあの小娘、元気にしているの? え?

 

「千草さん」

「な、なんや」

「それなら、その長谷川千雨の相手は僕がするよ」

 

 新入り、フェイトはそう言ってウチを見る。

 まぁ、誰かが相手にしなければならないのであれば、こんなんになってしまった月詠や、あっさり懐柔されそうな犬っころよりもよっぽどいい。

 なによりも、ウチ、行きたくないし。

 

「ほな、頼んだで」

「任せて」

 

 そういって頷くフェイトに、任せることに決める。

 フェイトが足止めしてくれるのなら、それに越したことはない。

 

 ふふふふふふっ。

 悲願の成就まであと僅か!

 ウチは、絶対やり遂げてみせるで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見極めが、必要かも知れないからね。我らのために」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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第14話

――0――

 

 

 

 たなびく髪。

 凜々しい横顔。

 力強い指と、手。

 

「また会えるやろうか~」

 

 強い相手を戦うことでしか楽しみを見いだせなかったウチ。

 そんなウチに、“そんなこと”よりも美しいモノは世界に溢れていると、そう教えてくれたひと。

 

「うふふふ~」

 

 お仕事はさいごまで。

 でも、与えられたお仕事が終わった、その後は?

 

「あんな顔で救われてしもうたら、もう、殿方の顔なんて見ていられまへんわぁ~」

 

 ウチをこんなんにしてしもうた責任は、とってもらわなければなりまへん。

 でもでも、嫌われてしまうのもいやだから、あくまで優しく、柔らかく。

 

「長谷川千雨さん~。ふふふ、またお会いするのを、楽しみにしとりますぇ~」

 

 ほんまに、たのしみや。

 まっとってね、千雨さん~♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス ~麻帆良学園按摩師旅客譚~ 後編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 ――完全なる世界。

 

 僕たちの掲げる理想郷。

 僕たちが邁進する未来への道標。

 寿命が尽き、世界が崩壊してしまう前に“完全なる世界”に魂を移す。そのためにずっと行動をしてきた。

 だけどもし、そんな必要も無いほどに確実な代替え案があるのだとしたら?

 

「見極めなければならない」

 

 この行動には、魔法世界全ての命運が握られている。

 明らかに出発よりも“気”を増やしてきた月詠さん。そう、“気”が回復したのではない。“気”の絶対量を増やしてきた。

 これは本来、あり得ないことだ。魔力を回復させる手段だったら、実のところ手段は多い。魔力譲渡(トランスファー)を初めとして、できないことはない。

 だが今、魔法世界はそのエントロピーを縮めていくように、魔力の器そのものが徐々に小さくなっていく。おそらく十年もすれば、魔法世界そのものが消滅してしまうことだろう。

 

 だが、もしも。

 そう、もしも、だ。

 その“器”そのものを大きくする手段があるのだとしたら?

 

 僕の身体は、人形と呼ばれる特殊な器。

 この器にアプローチをかけることが、本当に可能なのだとしたら?

 

 見極めなければならない。

 魔法世界に生きる全ての人間のために。

 魔法世界を救う、我らの悲願のために。

 

 僕は、今日、この場で君を見極めよう。

 

 

 

 

 

 長谷川、千雨――!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 何が悪かったのか。

 ――昨日、見事に迷子になったから今日は決してはぐれないように、と綾瀬からきつく言われていた。

 何が悪かったのだろうか。

 ――綾瀬と手を引かれてゲームセンターへ移動して、そう、変わったツボーズを見かけて。

 何かが悪かったとしたら。

 ――ちょうど綾瀬がお手洗いに行ったとき、誘われるままにツボーズを追いかけて。

 たぶん、それは、運が悪かったということなのかもしれない。

 ――雑木林の中、一人ぽつんと迷子になった。

 

 

 

 

 

「どっちがさっきのゲームセンターだったかなぁ」

 

 携帯電話は圏外。

 Uターンしてみても、永遠に同じ光景。

 

「どうやったら出られるんだ? いや、そうだ」

 

 落ち着いてよく見てみよう。

 京都の環境は良いのか、麻帆良ほど騒がしいツボーズは居ない。だが全ての木々にツボーズが宿ってはいる。

 だったらそのツボーズに道を聞き出せば、全て解決だ。

 

「えーと……居た」

『うわぁっ!』『捕まった!』『捕まった?』『捕虜だー!』

「おい、人が集まっている方角はどっちだ?」

『北?』『西だよ?』『合わせて?』『北西ー!』

「北西か。まっすぐ行けば良いのか?」

『なんだか様子がおかしいよ』『北西の僕たちに聞いてみて』『北西ー!』

「様子がおかしい? わかった、聞いてみるよ」

 

 ツボーズを解放して、ついでにその木を按摩。

 一部腐りかけていた枝が元気になった。

 それに満足して北西に足を向ける――が、不意にツボーズの気配を感じて足を止めた。

 

「まいったな。僕が到着する前に抜ける手段を講じられるとは思っていなかったよ」

「っ! おまえ――」

 

 白い髪と、感情の乗らない瞳。

 ネギ先生と同じような年頃だとは思うのだが、その雰囲気はどこか老練としたものを感じる。

 そしてなによりも、そのツボーズ。一様に無表情なツボーズが、全て点滅している。明滅を繰り返すツボーズ。それはエヴァンジェリンの身体が薄くなるツボーズと似たような気配がした。

 

「――なん、だ?」

「誰、ではなく、何、か。やはり油断できないね」

 

 明滅?

 エヴァンジェリンは疲労過多で封印状態になっていた。

 ならこの子供は、疲労によって侵食されている? いや、少し違う。

 栄養失調に似た気配だ。そうだ、栄養が足りていない。身体を維持するための何かが、足りていない?

 

「飯、喰ったか? 身体が維持できていないんじゃないか?」

「――へぇ。君の力を見るために魔力を減らして、わざわざ本体できてみたのだけれど、正解みたいだね」

「私に会いたかったのか? なんのために?」

「決まっているじゃないか。君はマッサージ師なのだろう?」

 

 子供はそう言うと、指をぱちんと鳴らす。

 すると土が盛り上がり、一呼吸で寝台が完成した。こいつも魔法使いってやつか。

 

「僕の名前はフェイト。フェイト・アーウェルンクス。さぁ、僕を施術してみてくれ、長谷川千雨――!」

 

 子供――フェイト・アーウェルンクスはそう言うと寝台の上に座る。

 私だって見習いとはいえ施術者の端くれ。ここまで挑発されて乗らないわけには、いかない。

 

「ふん、わかったよ。施術担当、長谷川千雨。押して参る! まずはうつぶせからだ、フェイト!!」

「うつぶせだね、了解したよ」

 

 言われたとおりに俯せになるフェイト。

 その背中には明滅を繰り返すツボーズが、無表情で佇んでいた。

 ――表情をなくすほどの疲労。つまりは、そういうことだ。こいつも今、エヴァンジェリンと一緒で辛い疲労に苦しまされている。

 そんな状態で放置しておいていいのか? 許される、はずがない。

 

「森林浴、か。フェイト、はからずとも、この場所は最高だ」

 

 緑の気配に包まれて、施術を開始する。

 

「“夢想千雨流夢幻の型”」

 

 呼吸に合わせて身体が“ぶれ”る。

 マッサージ師ならば、誰でもできる分身術。私は今まで三人までしか分身できていない。いや、正確には一度だけ五人に分身できたのだが、あれは天使のイリュージョンの補佐があってこそだ。私一人では、難しい。

 こんなに苦しむ患者を前に至らぬ自分が、悔しくて、情けない。

 だが、私は私なりに、その弱点を補う術を編み出した。

 

「最初に、“トライドライブロマンス”」

 

 三人に分身。

 それから、手を横に広げ、身体にマッサージパワーを巡らせる。

 そう、三人にしか分身できないのであれば、一人一人の手を千手観音よろしくその瞬間だけ増やせば良い。

 

「行くぞ!」

 

 さぁ、ツボーズどもよ。

 おまえの命運もここまでだ!!

 

「天牖、翳風、迎香、缼盆、風門、肩井、後星、前星、百会、血海、承泣、愈府、風市」

「完骨、風池、陽白、印堂、惑中、五枢、天柱、瓉竹、清明、身柱、長強、大陵、伏兎、商丘、至陰、曲地、孔融、中衝」

「裏内庭、水突、絲竹空、肓兪、大腸兪、心愈、肺愈、膵愈、魄戸、壇中、神封、郄門、気舎、天枢、承扶、承山、心門」

 

 千に別れた腕から放たれる、夢幻の技。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!! フェイト、わかるか! これがおまえの疲労だ!!」

「なんだこれは……なんだろう、これ。こんな感覚、僕は知らない」

 

 その全てを、たたき込む!!

 

「三陰交! 陰領泉! 陽領泉! 見えた!!」

 

 フェイトのツボーズたちが、明滅が収まりつつある――輝きが強くなる己の身体を見つめる。待ってろよ、フェイト! これでとどめだ!

 

「命の水よ、湧き出でよ――“湧泉”」

 

 私の全力全開、受け止めてみろ!!

 

 

 

「千雨スペシャルVer.10,01――――――“ミリオンハンド/サウザンドレイン”」

「な、なんだこれは、身体が作り替えられていくような感覚は――!?」

 

 

 

 フェイトの身体を、太陽と見まごうほどの光が包み込む。

 フェイトのツボーズたちはその横顔に柔らかな微笑みを浮かべ、肩を抱き合ってマイムマイムを踊っていた。

 

「これが、感情。これが、喜び。まさか僕が枷から解放されるほどの力を得られるとは、思わなかったよ。ああ、そうだ――ありがとう、千雨」

「いや、いい。私は当然のことをしたまでだ」

 

 寝台から起き上がり、微笑みを浮かべて涙を流すフェイト。

 辛い疲労から解放される。その喜びを知って貰えた。私にとって、これ以上のことはない。

 

 “ありがとう”

 この一言のために、この道を選んだのだから。

 

「お礼ついでに、そうだな、連絡手段も欲しいし――ああ、そうだ、この手があった」

 

 フェイトはそう呟くと、自分で納得したのか頷く。

 そして、なにやら地面に手をかざして刻み始めた。

 

「千雨、少し屈んでくれないか? ――陣、は、こうか」

「うん? なんだ? いいけど――?!」

 

 涙を流すフェイトが、不意に、屈んだ私の頬に手を添える。

 

 そして――唇を、合わせた。

 

「【仮契約】」

「?!?!」

 

 な、ななななな、な?

 突如、光が溢れ、私の前にカードが出現した。

 って、いやいやいやいや! そうじゃなくて!

 

「おま、おまえ、おまえ、なにを? なんで?!」

「性急すぎる。僕はなんでこんな気持ちに?」

「はぁ?!」

「ああいや、待ってくれ、事情を説明する」

 

 説明するも何も痴漢のたぐいじゃないのか?!

 くそぅ、ふぁーすときすが……。

 

「君とのキスによる契約で完成したこのカード。このカードがあれば、携帯電話の電波が届かないところでも会話をすることができる。僕との契約は特別製だから、距離も気にしなくて良い」

「で? それがなんだよ」

「その機能を使って、いつか、僕の親のような人と僕の故郷の疲労を、君にとって欲しい」

「!!」

 

 疲労?

 疲労、って、言ったか?

 

「いわばこれは――治療行為の一環なんだよ!!」

「!!!」

 

 そうか、治療行為の一環か。

 按摩だって胸回りのリンパや鼠径部のリンパを初め、きわどい部分の施術は必要だ。だがそれは全ていわば治療行為。

 そこに痴漢だなんだと騒ぐのは、違う。

 

「そうだったのか……すまん、へんに騒いだりして」

「いや、説明をしなかった僕が悪い。気にしないで欲しい。――(まったく気にされないのも、微妙な気持ちだけれどね。ああほんとうに、僕はどうしてしまったんだ?)」

 

 まだ少し顔が火照るが、まぁ、それは仕方が無い。

 そうはいっても中学生だ。やわらけー、とか……いや、忘れよう。うん。

 

「二枚は必要ないから、他の人にこの契約を持ちかけられたら断った方が良いよ。他意のあることだからね」

「お、おう? 忠告、ありがとな」

「それと、来たれ、と唱えてみてくれるかな? そのカードにはアイテムがついてくるんだ」

「あで……【アデアット】」

 

 カードに描かれたアイテムが、私に“装着”される。

 今までかけていた丸めがねがどこかへいき、代わりに、細い眼鏡が装着された。

 

「えーと、説明によると……その眼鏡で見た相手にキーワードを唱えると、幻想世界に引きずり込んでマッサージができるみたいだね。サイズの調整もされる?」

「試してみれば良いか。キーワード、ね」

 

 ツボーズが自己主張している大きな木に視線を合わせる。

 それから、頭に思い浮かんだキーワードを唱えた。

 

「【いらっしゃいませ】」

 

 

 

 

 

 光が溢れ、私と木を包み込む。

 思わず目を閉じて、それからゆっくりと目を開いた。

 

「これは……」

 

 下は板張り。

 周囲はガラスのドームで、その外側は緑に溢れている。

 柔らかな日差しが差し込む中、中心には檜の寝台。その上には、何故か私と同じくらいの背丈になったあの“木”が寝かされていた。

 

「【魅惑のマッサージルーム】――か」

 

 木に、ゆっくりと近づく。

 そして、ツボーズたちに導かれるまま、私は施術を開始した――。

 

 

 

 

 

「――どうだった?」

「え? あ、あれ?」

「時間はそんなに経ってないよ。六分ってところかな」

「十分で一分くらいの扱いなのか。ああいや、すごく良いところだった。ありがとう」

 

 見上げれば、あの木が完全に健康な状態になっていた。

 私はこのアイテムの中にワープしていたわけではなく、精神を飛ばしていたようだ。ううむ、変なところで使うのはやめた方がいいだろうなぁ。

 

「気に入って貰って、なによりだよ。ついでに、僕としては変なことをして君と敵対したくないから、そうだね、君にほぐして貰いたい人が居るのだけれど、連れてきても良いかな? 是非、改心させてあげて欲しい」

「回診? まあ、いいけど……。疲労に苛まれている相手だってんなら、望むところだ」

「そう言ってくれて良かったよ。直ぐ戻るから、待ってて」

 

 フェイトはそう言うと、水たまりの中に消えていった。

 

「嵐のようだったな。って、そういえば」

 

 携帯電話を見る。

 まだ、圏外だ。

 

「綾瀬に連絡、どうしよう」

 

 帰るわけにもいかないし……ううむ、困った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

「な、なんでや、なんであんたが……」

 

 倒れ伏す月詠と小太郎。

 何もできずに追い詰められるウチ。

 新入りの突然の裏切りに、ウチは後ずさりする。

 

 計画は順調だった。

 狙い通りに小娘が封じられ、その小娘を探すために魔法使いどもが右往左往。

 中継地点でことの成り行きを見守っていたウチらは、木乃香お嬢様が護衛と二人きりになるタイミングを見守るだけ。

 護衛を月詠と小太郎に任せてしまえば、あとはちゃっちゃか攫ってリョウメンスクナ大復活祭、というところだったのに。なのに。

 

「【眠りの霧】で眠らせただけだよ。二人とも、気持ちよさそうにしているだろう?」

 

 言われてみれば、月詠も小太郎もノーテンキな顔で寝とる。

 うぬぬ、だが、そんなことは正直どーでもええ。問題はこの新入りが堂々と西洋魔法を使ったことと、裏切ったことや!

 

「スパイ、だったんか、貴様!」

「いや、そういうことではなかったのだけれどね。優先順位が変わったんだよ」

「優先順位?」

「ああ、そうだ。だから貴女にも来て貰うよ。なに――」

「くっ! 【御札さん、御札さん、ウチを――」

「――【眠りの霧】! 苦しいことは、なにもないよ」

「ぐぁっ……あ、ああ」

 

 意識が落ちる。

 立っていられない。

 ああ、ウチ、ウチは、仇を――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 物心ついたときから、ウチは術師の一人娘として可愛がられた。

 優しい両親。快い使用人。姉弟こそいなかったが、ウチは幸せだった。

 

『いいかい、千草。君が望むのならば、術師になんてならなくてもいいんだよ』

『えー? でも、あまがさきはどうなるん?』

『分家もあるからね。どうにでもなるよ。そんなことよりも、僕たちはもっと大切なことがあるんだ』

 

 思い返せば、おとんとおかんは、いつもこんなことを言っていた。

 

『せやかて、ウチー』

『良いのよ、千草。私たちには、もっと大事なことがあるの』

『だいじなこと?』

『ああ、そうだよ』

 

 大事なこと。

 大切なこと。

 それは、なんだったのか。

 

 

 

 

 

――『千雨スペシャル』――

 

 

 

 

 

 ああ、そうや。

 たしか……。

 

『僕はね、千草。君にただ――“幸せ”になって欲しいんだ』

『だからね、千草。私たちのことなんか、気にしなくても良いの。私たちは、貴女に笑顔で、いて貰いたいの』

 

 でも、ウチは、木乃香お嬢様を攫おうとしたんやで。

 

『でも、できていないだろう?』

『千草は優しい子だから、きっとやらないと思っていたわ』

 

 ……要領が、悪かっただけや。

 

『それでも、今、千草はまだやり直せるじゃないか』

『お願い、千草。復讐なんて良いから、ただ』

『『“幸せ”になって』』

 

 ああ、そうか。

 ウチは幸せに、なってもええんか。

 

 まだ、やりなおせるんやね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めると、旅館の一室で眠っていた。

 傍には月詠と小太郎も転がっている。

 

「ふわぁ、あれ? 千草さん? 寝過ごしてしまいましたか~」

「まぁ、そうみたいや」

「うーん、西洋魔術師めー、むにゃむにゃ」

「小太郎、は、まだ起きぃひんみたいやな。さて、どうしたもんか」

「千草さん? お仕事は、もうええんですか?」

 

 仕事。

 そうやな。

 まぁええわ。

 

「せっかく失敗したんやし、まぁ、まっとうに生き直すのもわるくあらへんわ」

「そうですねぇ~。ウチも人を斬るのは抵抗がありますし~」

「せや。月詠、あんたはこれからどうするんや?」

「麻帆良学園とやらに通ってみたいんですよね~」

「保護者はおるんか?」

「いませんけど、まぁ、なんとかしますわ~」

「なら、ウチがなったる」

「へ?」

 

 せや。

 悪事に失敗して、もう次のチャンスはない。

 だったら脚洗って生きて、生きて――“幸せ”になるのも、悪くはない。

 

「ふふふふ、ありがとうございますぅ~」

「かまへんわ。別に。それよりも、小太郎引っ張ってこうや。そろそろここもお暇するで」

「はぁ~い」

 

 なぁ、おとん、おかん。

 ウチはまだやり直せる。幸せになって、ついでに拾ったもんも幸せにしたる。

 

 だからどうか、安心して見守っていてくらはいな。

 ウチはもう、大丈夫だから。もう、見失ったりしないから。

 

 

 

 

 

 朝焼けの空。

 とうに隠れたはずの星が二つ、瞬いたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――




◇◆◇



「まったく、千雨さん、どこへ行っていたのですか?」
「いや、ちょっと施術をだな」
「うん? このカードはなんですか?」
「ええっと、これは」
「怪しいですね。ネギ先生、これなのですが……」
「はい? ああ、これはパクティオーカードと言って……――?!?!」


『長谷川千雨』
番号――25
徳性――愛
方位――中央
色調――黒と白
星辰性――流星群
称号――万能の癒やし手
アーティファクト――『魅惑のマッサージルーム』


◇◆◇

2018/01/07
誤字修正致しました。
数々のご報告、ありがとうございます。





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第15話

――0――

 

 

 

「千雨さん、今なら怒りません。喋るか渡すか、選べますよ、ほら」

 

 私の前には、笑顔のネギ先生。

 

「千雨さん、ネギ先生も怒らないと言っているです。素直に白状してください」

 

 私の後ろには、綾瀬。

 

「おまえはどこでどんなやつとどんな遭遇をしたんだ。まったく。……ま、まぁおまえたちは友人な訳だし、困っているようだったらなんとかしてやらんこともないが」

「友情に篤いマスターも素敵です」

 

 私の右には、エヴァンジェリンと茶々丸。

 

「ふ、ふふ、こんな平和ナ修学旅行、私ハ知らないヨ、あはははは。千雨サンにマッサージを教わるト決めタ時点デ、覚悟せねバならんかっタというのニ……。というカ、本当に相手は誰ヨ?」

 

 私の左には、超。

 

「い、いや、これは、えーと」

 

 視線を落とすと、私の抱きかかえる仮契約カードが目に入る。

 あの後、迷子になった私を綾瀬が回収して、まだ時間はあったので観光して戻った。

 旅館でお小言は貰ったが、それだけで済んだはずだったのだが、翌日、朝食の席で綾瀬にこのカードが見つかって、ネギ先生が豹変。

 このカードの作り方を聞いて、綾瀬も豹変。カードを渡して契約者を調べられるか、もしくは自分から喋るか選べと迫られている。

 

「治療行為の一環だ」

「嘘ですね」

「う、嘘じゃないぞ」

「では、騙されています。相手は誰ですか? ちょっと雷の暴風を唸らせます」

「い、いや、施術者には患者の守秘義務があってだな」

「教員権限でマッサージ研究会を凍結させます」

「うぐっ」

 

 ああ、本当に、どうしてこうなった?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス ~麻帆良学園按摩師旅客譚~ エピローグ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 結局。

 カードを奪い、相手の名前を聞いた超さんが泡を吹いて倒れて、うやむやになってしまいました。

 ですが、ほっと息をついているのは千雨さんだけで、まだネギ先生は【検閲削除】な顔で周囲を警戒しています。

 

 まったく、ほいほいと乙女の唇を許すとは……。

 千雨さんは警戒心が低すぎるのです。わからせるためにも私が一肌脱いで――ごほん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私たちは今、嵐山に来ています。

 笑顔で楽しそうに千雨さんの手を引くエヴァンジェリンさんと、暖かく見守る茶々丸さん。その周囲をすごい顔で警戒するネギ先生と、そんなネギ先生にツッコミを入れる明日菜さん。

 ネギ先生の後ろでは、のどかがどこか底の知れない笑顔で追従しています。

 

「なにはともあれ、でしょうか」

「綺麗に纏めないでください! 超さんがさっきから遠い目で虚空を眺めているんですよ?」

「しかし葉加瀬さん。私にはどうすることもできませんですよ?」

「うぐっ、そうですけど~」

 

 体操座りの超さんを機械式の台車に乗せて運ぶ葉加瀬さん。

 その様子を見て引いているハルナ。

 

「ね、ねぇ夕映」

「どうしましたか? ハルナ」

「私、自分で言うのもなんだけど、クラスでも奇人変人のカテゴリーだったと思うんだけどさ……」

「だった、とはおこがましいです」

「いや、だって……」

 

 ハルナが、周囲を見回します。

 

 

 

 

 

「せっちゃん、あれはどうや?」

「は、ははは、お嬢様はなにをつけても素敵ですよ、は、はは、ははは」

「やん、もぅ、あれ甘食やで? せっちゃんたら~」

 

 悟った表情の桜咲さん。そんな彼女の腕に巻き付くこのか。

 

「まったく千雨さんの唇を無理矢理奪うなんてどんな人なんでしょう。きっと毎日泥を飲んでいるような性根が腐った人間に違いないです」

「いえ―、千雨さんが気を許した方なので―、素敵な人じゃないですか―? ……きっとお似合いの―」

「そんな訳ありません。きっと屑です。人間ですらないのかもしれません」

 

 ちょっと見せられない表情のネギ先生。そんなネギ先生につきそうのどか。

 

「いいか、夜には大文字焼きもあるんだぞ! 千雨、おまえも見るよな! 行くぞ、茶々丸!」

「ああ、もちろんだ」

「ああ、マスター。はぐれてしまいます、手を繋ぎましょう?」

 

 普段のアンニュイな雰囲気はどこへやら。はしゃぐエヴァンジェリンさんと、慈しむ茶々丸さん。

 

「うん? そうか、闇からは解き放たれたのか。本体は? え? 出逢いのタイミングを見計らいたい? ……そうか、中二病は素か」

「な、なんの力も計測できない。うぎぎぎ。これが千雨さんの妄想ならどんなに良かったか……」

「アーウェルンクスと契約カ。ははは、望むところじゃないカ。胃壁を代償ニ、この過去ハ救って見せるヨ……ふ、ふふふ、ふふふふふふふふふ」

 

 時折ツボーズらしきモノを掴んで会話する千雨さん。そんな千雨さんに恨めしげな視線を送る葉加瀬さん。虚空を見つめる超さん。

 

 

 

 

 

 

 うん、なにもおかしくありません。

 

「そ、そっか、あはは……葉加瀬さーん、私にも胃薬分けてー」

 

 そう言って走り去るハルナ。

 ううむ、どうしてしまったというのでしょうか?

 と、そんなことを考えていたせいで置いて行かれそうです。急がないと……。

 

「あの~」

「あ、はい」

 

 走り出そうとしたところで、不意に声をかけられる。

 振り向くと、清楚な和服を着た眼鏡の少女が、柔らかく微笑んでいました。

 

「麻帆良学園の方でしょうか~?」

「ええ、そうですが……?」

 

 色素の薄い髪色をした少女に頷くと、彼女は胸の前で両手を合わせ、嬉しそうに微笑みます。

 ううむ、大和撫子。このかとはまた違うベクトルのおしとやかさです。

 

「でしたら~、長谷川千雨さん、という方に言付けをおねがいできませんか~?」

「千雨さん、ですか? 直ぐそこに居ますし、呼びましょうか?」

「いいえ~。お目にかからせていただくのは~、もう少しあとにしようと決めているモノで~」

「はぁ、そうですか。まぁ良いですが……」

 

 ほやほやとしたしゃべり方。

 どこでこんな方と知り合ったのか……って、そういえば迷子になってましたね。二度も。

 

「では~――“おおきに。幸せになれそうです”とお伝えくださいな~」

「? わかりました。ええと、貴女は?」

「月詠……ふふっ、“天ヶ崎月詠”いいますえ」

「では、確かに伝えましょう」

 

 私がそう言うと、月詠さんは丁寧に頭を下げ、それから雑踏の中に消えていきます。

 うーん、気になります。気になりますが、直ぐにどこかで会えるような気もします。

 

「と、そうだ。今度は私が置いて行かれてしまい――」

「綾瀬!」

「――そう、ですね」

 

 急いで戻ってきてくれたのか、少しだけ額に汗を浮かべて千雨さんが声をかけてくれました。

 

「まったく、さんざん人に言っておいておまえが迷子になってどうするんだ?」

「ちょっと呼び止められていたのですよ。ああ、まぁもう用事は終わったようですが」

「そうか? まぁそれならいいが……ほら」

 

 千雨さんはそう言うと、私に右手を差し出します。

 

「?」

「手」

「ええ、と?」

「繋いでおけば、迷わないだろ?」

「――ぁ」

 

 差し出された手。

 照れたような笑顔。

 ああ、もう、本当に。

 

「千雨さんには、敵わないです」

 

 握った手は、暖かい。

 けれどそれ以上に心臓の音がうるさくて、よくわかりません。

 

 ですが。

 

「千雨さん、ゆっくり行きましょう」

「うん? ああ、そうだな」

 

 今この瞬間を大切にしたいという気持ちは、揺るぎません。

 

「そういえば先ほどそこで、言付けを預かりまして――」

「誰から? っていうか、なにを?――」

 

 千雨さんの傍には、いつも色々な人が集まります。

 千雨さんの魅力にみんなが気がついてしまったのだとしたら、それは仕方が無いことなのかも知れません。

 これからは二人だけの時間というのも、どんどん、少なくなっていくことでしょう。

 

 ですが。

 いいえ。

 だから。

 

「千雨さん」

 

 私が呼んで。

 

「綾瀬?」

 

 千雨さんが、答えてくれる。

 この瞬間だけは、ずっとずっと、私だけのものなのです――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

「用事は終わったんか? 月詠」

「ええ、千草さん」

 

 嵐山の出口で、千草さんに合流します。

 スーツケース片手に新幹線の時間を確認する千草さん。そんな千草さんの横で、何一つできずに終わってふてくされる小太郎君。

 

 ふふ、なんだか、血の繋がった家族のようです。

 

「なぁなぁ千草の姉ちゃん、オレは帰ってもええやろ?」

「どこに帰るんや、根無し草の癖に」

「うぐっ」

「そうですよ~、小太郎君~。これも何かの縁ですわ~」

 

 身寄りの無かった小太郎君の保護責任者に、千草さんが名乗り出ました。

 幸い、二人とも綺麗な身。ウチは荒々しいことをしていた過去はありましたが、幸い、まだ誰も殺めてはいませんでしたので、千草さん身元保証人に名乗り出てくださったことで保護観察に終わりました。

 

 起き抜けから半日でこの手際。

 あんなに気合いを入れていた悪事はあの有様でしたのに、手段を問わない善事はこの様子。

 

「あんたは学校くらい出ときぃ。そのうち、悪いやつに騙されるで」

「むむむ……まぁ、通えるなら、通ってみるのも悪くあらへんか」

「せや」

「わぁーった。しばらく千草姉ちゃんについてくわ」

 

 素直ではない弟分。

 口が悪いけれど優しいお姉さん。

 少し前までは考えられなかった、光景。

 

「ふふっ……千雨さん、ウチ、幸せです。ですから~」

 

 凜々しい横顔。

 暖かい、手。

 

「なにやっとるんや、月詠! おいてくで!」

「あぅ~、すんまへん、今いきますえ~」

 

 ですから。

 今度はウチが、千雨さんを幸せにしてあげます。

 

「待っててくださいね~。千雨さん~」

 

 ウチ、負けませんからね。うふふふふっ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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エピローグ

――0――

 

 

 

 真っ白なノートに、ペンを入れる。

 出だしは何にしようかと考えて、思い浮かんだ言葉を書き綴りました。

 

「“近衛木乃香様”」

 

 考えてみれば、始めに書くべきは“こう”ですね。

 どうにも、迂闊です。

 

「えーと……“お元気ですか?私たちは相変わらずです”」

 

 えぇ、本当に。

 私たちの全てが、極彩色に輝く切っ掛けとなった、中学最後の一年間。

 

 中学を卒業してから、もう五年の月日が経ちました。

 旧世界――いえ、今は真・世界とか呼ばれていましたね――に残してきた友達。

 木乃香さんに手紙を書くのも、久しぶりになります。

 

 忙しくて中々報告以上の連絡は叶いませんでしたが、本当に久しぶりに落ち着いてペンを取ることができたのですよ。

 

「今頃は木乃香さんも、刹那さんと仲睦まじく、関西をまとめ上げていることでしょう」

 

 私も、負けていられません。

 ……と、続きを書くのを忘れていましたね。

 

 現況報告。

 私は元気です、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス エピローグ ~親指からレジェンド~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

「“私は今、魔法世界の中立国にある、アリアドネー魔法騎士団候補学校にいます”」

 

 千雨さん達について行く形で、私はアリアドネー学院に来ました。

 中学卒業後こちらに通い卒業したので、私の母校になります。

 

 アリアドネー学院では、去年からマッサージが必修科目になりました。

 世界の寿命を回復させるマッサージは、メガロメセンブリア元老院から正式に認められた、立派な魔法使いになるために必要な資格でもあります。

 

 千雨さんの“千雨式マッサージ”の創設メンバーの一員として、鼻が高いです。

 

 もっとも、私はマッサージ師ではなく、世界を回る流浪のマッサージ師である千雨さんの、護衛なのですが。

 

「“刹那さんとは、仲良くやっていますか? 私は、エヴァンジェリンさんの修行に、漸く着いていけるようになりました”」

 

 千雨さんが魔法世界を回ってさらなる高みを目指すと聞いた時、私はエヴァンジェリンさんに弟子入りをしました。

 護衛として同行することが決まっていたエヴァンジェリンさんに弟子入りをして、私も護衛見習いとして同行。

 

 今では、千雨さんを中心としたメンバー……“千の翼”の正式な護衛の一人になっています。

 

「夕映さん!」

「どうしました?ネギ先生」

 

 卒業から五年後、つまり十六歳になったネギ先生は、見違えるほどの美形男性になりました。

 世の女性達が放って置かないというイメージを持つでしょうが、彼にその気がないので泣く泣く諦めているようです。

 

 まったく……千雨さんについて回るなど、いくらネギ先生といえど……。

 

「夕映さん?」

「な、何でもないのですよ」

「そうですか?」

 

 千雨さんの一番弟子であるネギ先生は、超さんとともに千の翼を纏めています。

 千雨さんは指揮を執るよりも、自分で動き回る方が好きな方ですから、仕方がありません。

 

「えーと……ゲーデル総督から、千雨さんにマッサージ講義の依頼が入ったんですが……千雨さんがどこにいるのか、わかりませんか?」

「ちょっと解らないです……見つけたら、ご連絡しましょう」

「ありがとうございます、夕映さん」

 

 ネギ先生は、最近ますます笑うようになりました。

 精霊状態でないと活動できなくなっていたお父さんを、千雨さんが回復させた辺りからでしょうか?

 

「御免ください」

「はい? ……おや、少々お持ちください」

 

 来客が多くて、中々手紙に集中できません。

 千雨さんがフラグを立てすぎるのが悪いのです。

 ……本人に自覚はありませんが。

 

「ネギ先生! お客様です」

「はーい! どちら様ですか?」

 

 行ったばかりのネギ先生が、慌てて戻ってきました。

 そういえば、もう“先生”ではないのですが……これは、慣れですね。

 

「調さんです。他の方もご一緒かと」

「調さん……コズモ・エンテレケイアの?」

 

 コズモ・エンテレケイア――――“マッサージによる完全なる癒しの世界”の皆さんです。

 

 世界を実際に飛び回るのは、幹部であるフェイト・アーウェルンクスさんです。

 調さんは、そのフェイトさんをサポートする従者たちの、一人です。

 

「調さん?どうかしたんですか?」

「――君に用がある訳ではないよ、ネギ君」

 

 奥から出てきた、白髪の美青年。

 彼が、フェイトさんです。

 フェイトさんは、ネギ先生と“犬猿の仲”というやつなのですよ。

 

「でも、今は千雨さんが見あたらないから僕を通して貰わないと」

「超鈴音……彼女でもいいのでは?」

「あれ?耳が遠くなったの?フェイト。僕を通してって言ったんだけど?」

 

 こうなったら、簡単には終わりません。

 調さんや暦さんたちもほのぼのと二人の様子を見ていますし……。

 

 私は、手紙の続きを書きましょう。

 

「“のどかは今、クレイグさん達と世界の遺跡を回っています”」

 

 漸くネギ先生への思いを吹っ切ったのどかは、私たちに同行していた頃に知り合った冒険者の皆さんと旅をしています。

 

 遺跡を見つける度に私に手紙を書いてくれるので、互いの近況はよく知っています。

 

「夕映さん~、お手紙ですか~」

「あぁ、月詠さん。はい、真・世界の友人に」

 

 月詠さんは、刹那さんと同じ神鳴流の剣士です。

 のんびりのほほんとした心優しい方で、聖女のようだと評判の女性です。

 

 昔は“やんちゃ”をしていた、と言っていましたが、私は千雨さんに出会う前の彼女を知りません。

 

 確か、中学三年生の修学旅行の後から、クラスに加わったのですが……。

 修学旅行中に何があったのでしょうね?

 

 ……千雨さんは、目を離すといなくなることがありますからね。

 

「あ~、木乃香お嬢様へのお手紙ですね~」

「月詠さんも、一筆入れますか?」

「よろしいのですか~?ありがとうございます~」

 

 月詠さんも、手紙の端に言葉を綴ります。

 近況報告と、それから相手を気遣う言葉。

 添えられた二刀流のマークが、可愛らしいです。

 

「“それではまたいずれ、お会いしましょう――――天ヶ崎月詠”っと」

 

 月詠さんは、最後に署名を入れました。

 血縁者のいない月詠さんは、天ヶ崎千草さんという女性の養子となっています。

 

 千草さんにもお会いしたことはありますが、サッパリとしていて感じの良い、大人の女性でした。

 あの魅力は、羨ましいです。

 

「さて、後は……」

 

 佐々木さんと和泉さんは、真・世界に残っていましたね。

 こちらに来たのは、ハルナとのどか、そういえば葉加瀬さんもいましたね。

 

 葉加瀬さんの書いた“ストレスと現実を見つめ直す千の方法”は、ベストセラーになっていますからね。

 

 ネギ先生のお父さん、ナギさんの師匠であるゼクトさんの、愛読書と聞きました。

 よほどストレスが溜まっているのか、私たち千の翼に遭遇する度に、胃を抑えていましたから……。

 

 やはり、私たちには想像できない“苦労”を背負っているのでしょうね。

 

「“今度、葉加瀬さんの新刊を送ります”」

 

 続きを書きながら、真・世界にいる方々を思い浮かべます。

 

 相坂さんは、千雨さんに頼めばいつでも成仏できると解ったので、今は木乃香さんのところで充実した毎日を送っています。

 

 楓さんは忍者の里がどうとか言っていた気がしますが……結局彼女は忍者で良いのでしょうか?

 聞く度に誤魔化していたと思うのですが。

 

「夕映さんっ」

「おや? 委員長」

「今日こそ良い返事をいただきますわ!」

「そのお話は、お断りしたはずです」

 

 私がアリアドネー学院に入学したのには、“千雨式マッサージ”を広めるという役割も持っていました。

 そのため、卒業後は魔法騎士団所属ではなく、千の翼のメンバーになれたのです。

 

「しかし、貴女ほどの才能を――」

「――失礼します。ここにいらっしゃいましたか、お嬢様」

 

 私の同期だった彼女、エミリィさんとベアトリクスさん。

 彼女たちは今、コレットといった他の同期の皆さんと一緒に、魔法騎士団に所属しています。

 

 マッサージを取り入れた実験期間の学生ということで、将来を期待されているとのお話です。

 

「ビー! ま、待ちなさい! まだ話しは……」

「夕映さん、それでは、また」

「はい。ご苦労様なのです」

 

 引き摺られていく委員長にも手を振ります。

 すると、委員長はそっぽを向きながらも、顔を赤くして手を振り返してくれました。

 

 素直じゃありませんね。まったく。

 

「“ラカンさんはツボーズがマッチョに見えてつまらないらしいです。あとは、アリカさんが、最近胃薬を常備するようになりました”」

 

 やはり精霊状態でしか身体を保てなくなっていた、ネギ先生のお母さん。

 現在はナギさんと二人で暮らしていて、たまにネギ先生と明日菜さんも帰っていく、二人の実家暮らしとなっています。

 

 いったんペンを置いて、一息吐きます。

 そろそろ〆に、何か一言添えましょう。

 

 そしてふと、窓から外を見ると、具現化したツボーズに乗って空を飛ぶ女性の姿が見えました。

 側には、金髪のビスクドールのような少女と緑色の髪の女性、それから黒髪の女性を従えています

 

 長くのびた赤茶色の髪が、風に流されて空に広がっています。

 すらりとした背と、整った顔立ちを持つ女性――あんな芸当が出来るのは、一人しかいません。

 

「……“私はこれから、彼女の“いつもの”奇跡を見に行きます。それでは、お元気で”」

 

 窓から私を見つけると、彼女――――千雨さんは、片手を上げて笑いました。

 エヴァンジェリンさんと茶々丸さん、それに超さんも一緒に。

 

「帰って早々悪いが、もう一働きだ。行くぞ――――“夕映”!」

「はいっ! 千雨さん! ――――【アデアット】!」

 

 さて、お手紙を出すとしましょう。

 まだまだ続く、この日常。

 

 新しい世界。

 今日も素敵な――――世界救済的マッサージ日和、なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――



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