THE IDOLM@STER  二つの星   作:IMBEL

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第40話 お盆騒動 その2 朱里、体調不良

それからの2日間は何事もなく経過した。表面上は。

 

『蒼い鳥』は千早の持ち歌であり、千早の技術ありきで作られているというのもあり、サビへの盛り上がりからつい裏声で歌ってしまいがちになるが、そこを何とかブレーキをかけながら徐々に物にしていく。

改めて自分が歌ってみると千早の技術に舌を巻く。性格に難はあるが、この手の技術に関して彼女は一枚も二枚も上手だ。声に芯があるとでもいうのか、高音になっても声を切らずにしっかり歌いきっている。

 

また、ボーカル特化の曲は今までとは違う技術を求められる。

姿勢を意識し、頭の上からつま先まで声が通るイメージで声を上げて、それを振り付けを行いながら……見せたいのは歌であるため、ダンスは控えめにしなければならない。今までの癖でつい勢いのある動きをしがちだが、それは抑えつつも指先や足にも気を使って……体力はそれほどでもないが、神経は今まで以上に気を使う。

 

だが、どちらも既に見本というものがあった為、それを参考にしながら徐々に修正していく。休憩中に、自主練中に、家でも・・・目を閉じても、自分の歌と踊りの修正点がちらほらと脳裏に浮かび、頭の中で青い鳥がグルグルと舞い踊る。

その度に気になるポイントをメモし、修正し、改善していく。歌い始めた頃は声のノビや高さが若干不安定だったが、今は安定しだしており、ダンスの方も良い感じに仕上がっている。

オーディションに向けての対策は順調だった。本番までまだ3日、このままいけば良い仕上がりになって、本番を迎えられるペースになっている。

 

 ……それなのに、食欲を始めとした身体の調子が一向に戻らない。食べれはするが、量が入らない。食べていないのに、トイレの回数は増えていく。生理にはまだ早いはずなのに眠っても身体の調子は戻らず、己の中の違和感は少しずつ大きくなっていく。

技術は仕上がっているはずなのに朱里の意思と反比例する形で身体の調子は芳しくなかった。

 

・・・そしてその翌日、明確な変化と違和感が訪れた。

その日の朝、朱里はいつもより遅めに起きた。無意識のうちに目覚まし時計を止めてしまったのか分からないが、朝というには少し遅い10時近くの起床だった。

 

まずい、寝坊だ。ゴールデンウィークでの遅刻を思い出して慌てて布団をはね除ける。今日の正午からボーカルレッスンが入っており、あまりのんびりできない。早く身支度を整えて、家を出なければいけないのに。

 

共働きの父と母は仕事で出勤。奈緒は大学のゼミに、美希は夏期講習と、自分以外の全員が家に居らず、朱里は一人寂しくノソノソと家の中を歩き回りながら外出の準備を始める。

 

ここまではいつも通りの朝だった。だが、寝間着から私服へと着替え、洗面台で最低限の身だしなみを揃えようとした時が違和感の始まりだった。

 

「あれ・・・?」

 

洗面台で化粧水を使おうとするが、上手く蓋を開けられず、何度か指が表面を上滑りする。それだけではなく、ようやく開けられたと思ったら、手元が狂って、中身を洗面台にぶちまけてしまった。

寝ぼけてはいない。目はすっかり冴えているのに、身体が上手くいうことを聞いてくれない。手が小刻みに震え、手先がおぼつかない。

筋肉痛ではないはずだ。今回のオーディションはボーカルメインであり、動きもそこそこで、このしばらくは筋肉を酷使するような動きはしていないはずなのに・・・。

 

違和感は続く。化粧水を顔に塗りながら、ふと手を止めて、洗面台の鏡に自分の顔を映して、観察した。

―――私の肌は、ここまで白かっただろうか?

今は夏場だ、肌が焼けているならばまだ分かる。しかし、今の自分の肌は、少し白い。白いというよりは青みがかかっているようにも見える。血の気はあるにはあるが、なんだかいつもの見慣れた感じの肌色ではなかった。顔色が、いつもより悪い気がする・・・。

 

違和感はまだ続く。

鏡を見るのもそこそこに身だしなみを整えて、遅めの朝食を食べようとした時だった。

 メニューはパンとサラダにハムエッグ……いつもと変わらない、何の変哲も無い朝食のはずなのに、目の前にあるそれが満漢全席のようなボリュームに見える。

 ここ数日、食欲はない方であったが、それでもある程度は食べられてはいた。

それが今は全くなかった。神経が張り詰めて胃袋が食物を受け付けないとかではない、もっとこう……胸焼けの感覚に近く、食道付近を物理的に弁で塞いでいるような感じでどうやっても身体に入っていかなそうだった。

作ってくれたのに悪いと思いつつ、パン1つと牛乳を頬張るだけで精一杯だった。好物のコーヒーを飲む余裕もなかった。

 

結局、急いで準備した割には、少し急がなければ間に合わない時間になっていた。

そして家を出て、外を歩き出した時、一歩ずつ足を動かす度に違和感はどんどん濃くなってくる。

 

外は雲一つ無い晴れ模様で、8月の日中で暑いはずなのに、身体の中から寒気を感じ、汗だけは皮膚を流れていく。踏み出す度に頭が鈍く痛み、中の肺が引っ張られるような感覚。まるで見えない緩衝材が身体全体を覆っているようで、身体の中では何か得体の知れないような生物がざわざわと身体中を徘徊しているような、そんな感覚。

歩くスピードも急ぎ足から普通へ、普通からゆっくりへ、ゆっくりから亀のようなスピードへとどんどん遅くなっていく。

 

(まさか・・・これ・・・?)

 

痛む頭と震える手足―――少なくとも、女性になってから久しく、ここ数年は確実に経験していない身体の違和感。

そしてここ最近の自分の食事を始めとした身体の変化。あの時、熱は出ていなかったせいで心労だけだと思っていたが・・・。

 

そうだ、これって―――。

 

これはやばい、まずい・・・はっきりとそう気づいた時には、もう遅かった。

ぐにゃりと視界が歪み、辛うじて踏ん張っていた両足はゴムのように頼りなく曲がり、やがて足が地面につかえた。

それ以上、立つこともままならず、朱里はアスファルトの道路につんのめるように倒れ、そのまま意識を失った。

 

 

 

 

 

 

―――ようやく終わった、とホワイトボードを消す講師の姿を横目に、美希は携帯電話を片手にさっさと教室を後にする。10分程度の短い休憩の僅かな時間だが、さっきまで勉強していた空間で休む気分でもないため、外で休むことにした。

 

「あーあ、退屈なの・・・」

 

日が少し傾き始めており、西から輝く日光が廊下を照らし出していた。窓際に肘を置いてぼんやりする。こんな時に昼寝でも出来たらさぞ最高なのだろうが、今はそんな気分にはなれそうにもない、

 

普段塾なんかに通っていない美希にとって、夏期講習という慣れない環境はストレスだらけだった。近場の塾ではない為、知り合いもおらず、仲良く喋る相手もいない。人見知りする性格ではないが、強制的に通わされている以上、モチベーションは皆無に等しかったから自分から積極的にコミュニケーションを取ろうとはしない。

だから普段の様子とはまるで違う、まさに借りてきた猫のように隅っこでおとなしく筆記用具を動かしながら夏期講習を受けているという、美希を知っている人らが見れば驚愕するであろう行動をずっと取っていた。

 

勿論、この夏期講習は美希の望む進路に進む上で必要な行いなのは分かっているのだが、自分の嫌いなことをやって、ストレスがたまらないかと言えば別問題なわけで。これに通わせた母も美希の進路を思っての事も理解しているので、逃げ帰りたいという気持ちを抑えて、ここで机に向かっている。

 

(・・・皆、どうしているのかな)

 

4、5日程度離れているだけなのになんだか事務所の皆が酷く懐かしく思う。

ここ数週間、竜宮小町の結成と快挙から事務所の空気は少し変わったが、それでも美希にとって765プロは居心地の良いところだった。女性同士が集まると起こりやすいギスギスした空気も少なく、小規模事務所特有ののほほんとした・・・と言うのは語弊があるかもしれないが、あの不思議な空気は気に入っていた。

あの空間のおかげなのか、妹の朱里も随分変わった。来る前はどこか暗い影を纏っていた朱里も馴染んだ今は、家族である美希が見たこともない一面を見せるまでになった。

皆は今どうしているのだろう。受けている仕事が合わなそうだったけれど、大丈夫なのかな。夏期講習のせいで時間が噛み合わず、朱里ともあまり話せていない。家に帰っても部屋や庭に出てオーディション対策に励んでいる朱里の姿を見て、頑張っていることは確認できている。後3日で本番、良い結果を残してほしいと願っているが。

 

「いいなぁ、竜宮小町・・・」

 

そしてぼんやりと、ほんのちょっと前まで同じくらいの所にいた3人について思いを巡らせる。目を閉じると、思い出す。夏期講習前に最後に行った事務所には竜宮小町用の新衣装『パレスオブドラゴン』が届いていた。自分だけの衣装、自分だけの新曲……竜宮小町が羨ましかった。

 

竜宮小町のメンバー発表時、絶対に美希は自分が入っていることを疑わなかった。自分の実力は周りと比べても抜きん出ているという自負はあった。でも、その中に自分の名前はなかった。

そして、竜宮小町はすぐに結果を残した。美希が憧れる、キラキラと輝く場所へ一足先に駆け上っていった。

 

仲間の活躍に祝福の気持ちは勿論ある、でも、妬みや嫉妬も少なからずある。あそこに自分がいても、同じような結果を残せたはずなのに、という思いもまた―――。

焦りと悔しさに歯がみする。ミキが居れば、もっと絶対、竜宮小町はもっともっと上に行けるのに。あそこにミキがいれば・・・。

 

ふと美希は、あれっ?と思ってしまう。

 

―――ミキって・・・こんなに悔しがったこと、あったっけ?

 

美希にとって努力とは無縁の物だったし、何かにのめり込むこともなかった。

今まで何となくで人生過ごせていたし、何となくでどうにかなっていた。自分はあんまり努力しなくても、生きていけるんだろうなという考えがあった。恵まれた環境が、そういう考えに自然と誘導させていた。

美希は自分の家が貧乏だとは思ったことはない。両親は「欲しい」と口にしたものは大半は買ってくれた。おもちゃも漫画もCDも携帯も、欲しいと言ったら買ってくれたし、小さい頃からことあるごとに洋服を買い与えてくれたこともそう感じる大きな理由だった。

アイドルを始めたのも深い理由ではなかった。キラキラと輝ける舞台―――そこに自分が立っている光景に憧れ、勢いで765プロの応募に申し込んだだけだ。それに朱里を巻き込んだことは・・・今となっては悪いことをしたかもとは思うけれど。

事務所に来た当初もそこまでだった。自分の中でのアイドル活動も、片手間・・・あまり本気を出さずにいても順調だった。でも今回の竜宮の一件は美希の中でも大きなものを残していた。

 

自分が選ばれなかったこと、それに対する悔しさ。始めてかもしれない、自分の中で打ちのめされた経験に思うことは。そして、自分でもどうにもならないことに歯がみすることは。

「う~」と唸る。色々とモヤモヤする。美希もあそこに居れば、もっと色々出来ると思うのに・・・そうすれば、皆だけじゃない、朱里にも、ミキのかっこいい姿を見せられるのに。もっとキラキラした自分になれるのに・・・。

 

何だか、思いっきりストレスを発散してしまいたい気分だ。今、もしここが廊下でなければ思い切り声を上げていただろう。

 

「・・・あれ?」

 

鬱屈した気分を変えようと携帯電話を開くと、不在着信が6件入っていた。サイレントマナーに設定していたため、今まで気がつかずにいた。

画面の端でメッセージありとの表示も見えた。留守番機能に伝言が残されているみたいだ。番号はどれも事務所の固定電話からで、最も新しいもので14時12分・・・つい10分程前にも電話がかかって来ており、その前の履歴も数分おきごとにあった。

 

「・・・?」

 

この執拗さはただごとではなさそうだ、何があったのだろうと美希は留守番機能を確認しようとキーを押そうとした時、ブルブル、と美希の携帯がバイブで揺れる。画面には同じ番号・・・事務所からだ。慌てて通話ボタンを押して、耳へと持っていく。

 

「もしもし?」

「あっ、美希ちゃん!? よかった、連絡が取れて・・・!」

 

電話は小鳥からだった。ますます美希は怪訝に思う。プロデューサーならともかく、小鳥がこうも必死な様子があまりにも珍しすぎた。

 

「どうしたの小鳥? 美希、まだ講習あるんだけど・・・」

「うん、それは分かっているわ。でも、それどころじゃないの!」

 

どうしても伝えなきゃならないことがあるの、と電話の向こうの小鳥がまくし立てた。耳をすませば、向こう側も何か騒がしい気がする。

 

「いい? 落ち着いて、聞いてね」

 

そして小鳥が喋り始めてすぐ美希の表情に影が差した。見る間に顔は曇り、関節が白くなるほど固く携帯電話を握りしめながら通話を続ける。

 

「何で・・・どうして・・・?」

 

いつもはくるくると活発に動く瞳が虚ろな色となり、美希は携帯電話を握ったまま、右手をだらりと下ろした。通話はまだ切れておらず、電話先でまだ小鳥が何か言っていたが、もう美希の耳には届いていなかった。ただ、最初に伝えられた言葉のみが、ずっと美希の頭の中でリピートし続けていた。

 

―――朱里ちゃんが倒れて病院に運ばれた、という言葉だけが。

 

 

 

 

 

 

熱い。全身の血が沸騰しているみたいだ。身体の中で何かがうごめいている感覚が止まらない。

熱に混乱した頭に、過去の情景がランダムに浮かび上がり流れ去っていく。慰安旅行の夢で見たような、脈絡のない情報の濁流が覆い尽くすように襲いかかる。

 

―――どこだ、ここは?

 

朱里はパニックに陥っていた。助けを求めて周囲を見回すが、暗い空間に狭苦しい壁か何かが迫ってくるような圧迫感がするだけだった。

 

―――助けて、誰か!

 

朱里の声なき叫びに応える者はいない。怖くて苦しくて、気が遠くなる。

迫り来る壁に圧迫させられそうになったとき、その壁に小さな映像が映った。

 

『…明日のオーディションはどうなるのかな』

 

それは春の頃、まだ事務所に入る前の自分だった。桜の花が散り、薄い花びらがはらはらと舞う中、沈む夕日を眺めていた。

 

『・・・変わんないな、本当に』

 

そうだ、何も変わらない。ゲームのように悪者がいるわけでもない、魔法が発達しているわけでもない。代わりにそこにあったのは、良いことも悪いことも当たり前に存在し、大勢の人の頑張りでちょっとだけ科学技術が進んでいる、自分がよく知る当たり前の世界で。

 

『朱里! どうしてこんな事をしたの!!』

 

―――だからこそ、絶望した。何も変わらないからこそ、自分の境遇、望んでもいないのに与えられた第2の人生に。

映像は変わり、母、明子が怒りの剣幕を見せていた。手には幼い朱里が書いた宛先不明の何枚もの手紙がある。

明子が怒るのを黙って聞きながら、あの時の自分は怒られているのに、ここにいないような感覚がしたのを覚えている。ここにいるのに、ここにはいていけないような感覚。

思えば、あの頃からかもしれない。自分の居場所はここではないと感じ、仮面をかぶるように周りとの壁を作るようにし始めたのは。そして周りと家族に気を遣うようになったのは。

 

『元気な女の子ですね』

『ええ、ずっと泣いていて・・・』

 

映像は変わる。今度はもっと前の、赤ん坊の頃の朱里の姿だった。担当の医者と看護師が、生まれたばかりの自分をガラス越しに見つめていた。

元気なわけではない。言葉も喋れず、何も動けず、ただ泣き叫ぶしか出来ないだけだ。誰かに自分のことを気づいて欲しい、その一心で声を上げるが、それは誰にも届かない。

小さな身体を懸命に伸ばしても、声を出しても誰にも気づかれない。そのことが何よりも怖くて、恐ろしくて。

 

助けて・・・誰か・・・助けて・・・。

身体の苦しみと心の苦しみ。二重の苦しみから逃れたくて朱里はもがく。まるで溺れた救助者のように何かに救いを求めるように手を伸ばし……。

 

―――誰かが、この手を掴んでくれる気がした。

と思った矢先、ふいとその手が遠のいた感覚がする。掴もうとした手は空を切り、バランスを崩してよろめきかけ、慌てて身体の位置を変えようとするがもう遅い。世界はくるりと回転し、朱里はベッドから転げ落ち、背中から床へとたたきつけられた。

ガシャン!と腕に差されたチューブの先にあった点滴スタンドを窓ガラスにぶつかる音と背中からの鈍い痛みで朱里の意識は現実へと戻される。

 

「~~~!!」

 

落下の痛みだけじゃない、頭の鈍痛と身体の中から来る寒気。全身から滞ることなく発生する慢性的な倦怠感と倒れた床の冷たさと窓から漏れる夕日のまぶしさ。様々な感覚を同時に味わう奇妙な現象に困惑しつつ、壁に背中を預けながら倒れた身体を起こす。

見回すとほのかに香るアルコールと薬品の匂いに、独特の感覚がする不思議な空間。

顔を上げれば、目線の先には先ほどまで寝ていたベッドがある。その横には戸棚とテレビに椅子など必要な物が最低限揃っている。どうやら個室の病室らしい。服装も私服から患者服に変わっていた。

 

(病院・・・?)

 

段々と頭が目覚め、そして倒れる直前を思い出す。意識が朦朧として、道路に倒れてしまった。そして目が覚めたら、ここに居た。恐らく、自分がここにいるのは誰かが病院まで運んでくれたか、救急車を呼んでくれたかのどちらかか・・・。

倒れた原因は、おおよそ予想はついている。十中八九、風邪だろう。

家を出る前、スタジオに向かう途中での症状は間違いなくそれに該当する・・・思えば、ここ数日で兆候はあった。食欲不振にお腹のゆるみ・・・どちらも風邪の初期症状だ。てっきり緊張から来るものだと思っていたが、それだけではなかったのだ。

自分の甘さに反吐が出る思いだった。体調管理は基本であり、それを怠ってしまった自分が、情けない。しかも道端で倒れてしまい、救急車で運ばれるだなんて。せめて家の中で倒れていたなら、ここまで大げさなことにはなっていないだろうに・・・。

 

朱里はよろよろと点滴スタンドを杖代わりにして立ち上がる。身体はまだ怠く、頭も痛い。

だが、それ以上にこの空間に居続けることが嫌だった。先ほど見た夢のせいか、病室にいるだけで心労が起きそうだった。外に出て、新鮮な空気を胸一杯に吸い込みたい。

 

(今、何時なんだ・・・?)

 

行くはずだったレッスンは休んでしまったらしいが、今は何時なんだろう?外の様子から夕方らしいけれど、もしかしたら数日単位で寝込んでいたのかもしれない。とにかく正確な情報が知りたかった。

それと自分の荷物の行方も気になる。病室にはなかったから、どこかに預けられているのだろうか。あそこには楽譜や音楽プレイヤーやノートなど大切な物が入っている。あれだけでも貰わないと・・・。

 

「ちょっ、ちょっと何をしてるの!?」

 

病室から出ようとしたタイミングで扉が開き、中の物音を聞いたのか慌てて小鳥が止めてきた。携帯の緊急連絡先に事務所を登録していた為、その連絡を聞いてやってきたのだと推測した。

 

「朱里ちゃん、貴方まだ、歩ける状態じゃ・・・!」

「大丈夫、です」

「大丈夫って・・・」

「少し、寝たら、身体の調子、戻りましたから・・・」

「そんな訳ないじゃない! 顔も真っ青で・・・!」

 

悲鳴じみた声だったが、朱里は病室へと押し戻そうとする小鳥に逆らうように身体を割り込んだ。

 

「もうすぐ、オーディション、あるんです・・・」

「それはそうだけれど・・・!」

「大丈夫、なはずです。ただの風邪、なんですから」

 

分かって下さいよ、と低く唸って、自分の身体を更に押し込んで、朱里は無理矢理廊下に出た。

そうだ、此処に居たくない。キリキリと身体の中で拒絶の音が鳴り響く。嫌な思い出があり過ぎる病院にはこれ以上居たくない。早く家に帰りたかった。少し寝たおかげで身体は軽い気がする、だったら家に帰ろうが一緒ではないか。ここでない何処かで寝られさえすれば良い、だから……。

 

「帰りましょう。家で寝てれば、明日までには治って、ますから」

「待って、朱里ちゃん!」

 

息も絶え絶えに、カチャカチャと点滴スタンドのキャスターを転がしながら、朱里が廊下を歩いていると、バタバタと聞き覚えのある足音が近づいてくる。

 

「美希、落ち着け! 小鳥さんもいるから・・・」

「分かっているの!」

「分かっているならな、少しスピードを落として・・・!」

 

足音は2つ、そして聞き覚えのある声と一緒に聞こえてくる。どんどん近づいてくる。

美希は走る勢いを止めず、朱里達の前に急停止した。

 

「朱里・・・!」

 

美希は驚いた様子だった。まさか妹が意識を取り戻していたとは思っていなかったらしい。

美希は酷い顔をしていた。目が真っ赤でパンパンに腫れ、涙の後で化粧崩れも起きており、どっちが病人か分からないくらいだった。

 

「・・・美希ちゃん、貴方、夏期講習は?」

「サボったの・・・」

「すみません、どうしても行くと聞かなくて」

 

遅れてやって来たプロデューサーも朱里を見て驚いていたが、すぐに我に返り、小鳥に事情を説明する。

どうやら此処に来るまでに一悶着向こうでもあったようだ。何があったのは定かではないが、美希は夏期講習を抜け出してまでこっちにやってきたらしい。

 

美希は朱里の目を見ると、右手を振りかぶりながら無言で近づいてきた。

殴られる、と朱里は反射でギュッと目を瞑る。

・・・だがいつまで経っても拳は飛んでこず、恐る恐る目を開けると、美希は振り上げた右手を下げ、両手で顔を覆ってワッと泣き出した。

 

そして美希が泣き始めたのを機に、なんだなんだと野次馬が集まってくる。騒ぎが大きくなって、慌てて駆けつけた看護師達が周りをなだめ始める。

 

「・・・とにかく、朱里ちゃんも美希ちゃんも病室に戻りましょう? もうすぐご家族の方も来るわ。そしたら、一緒にお医者さんの話を聞きましょう?」

 

小鳥のそれは優しく、そして諭すような言い方だった。

さめざめと泣く美希と肩に手を置いて励ますプロデューサー。朱里はただそこに突っ立っていることしか出来なかった。

そこでようやく朱里は、自分が倒れたことは自分が思っている以上に大きな事になっているのだと自覚するのだった。




ここからしばらくはアイマスらしくない展開が続くかもですが・・・。
ご了承下さいませ。
後回しにしていた家族との描写に時間を割きたいと考えています。
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