俺とメイドさんの七日間戦争   作:Gasshow

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前編と違い、後編は少しラノベ感が薄まってしまいました。地の文が凄い多いです。読み返して気がつきました、申し訳ありません。

あともの凄く長いです。かなり削ったんですがそれでも長くなってしまいました。途中で別けようか迷ったんですが、どこで別けたらいいのかよく分からなかったので、もう後編として全部投下することにしました。

疲れた……丸々二日半ほどかかりました。
もうしばらく短編は書かんぞ!




後編

朝とは時により様々な感情を生み出す存在である。月曜の朝は憂鬱であるし、土曜日の朝はその逆だ。金曜の朝はあと一日頑張ろうと思えるし、水曜の朝はまだ折り返しかと愕然とする。この例を述べた中で、個人的に最良と思われる朝は土曜日なのだが、しかしそんな土曜日であるはずの今日、体験したその日の朝は何とも言えない気怠さを俺に与えたのだった。

 

 

 

 

 

「おはようございます、ご主人様」

 

その挨拶と共にメイドの姿が現れた。まだ寝起きで霞がかかる視界に映る、ぼんやりとしたシルエット。まだ理解が追い付かないが、俺は一つ大きく息を吸うことで、自身の頭から眠気を追い出す。そこで理解した。今の俺の状況を。

 

「…………メイドとして主人の上に乗ると言うのはどうなんだ?」

 

そう。俺が言ったように仰向けに寝ている俺の上に今現在、咲夜が乗っかっていた。彼女の両手は俺の胸の少し下程に張り付けられており、少し青みがかった二つの眼球によって俺は見下ろされていた。なるほど、道理で息苦しいわけだ。

 

「あら。私といたしましては“男性が朝起きた瞬間、幸福を感じるシチュエーションランキング”第三位を実行したまでなのですが」

 

咲夜は言いながら、俺の上からそっと自身の体を退()ける。しかし何だそのランキングは?どこ調査のランキングだよ。絶対、今適当に考えて言ったに違いない。

 

(ちな)みに一位は朝チュンです」

 

「当てはまってしまった俺が嫌だわ」

 

「よく見てみると財布も女性も消えています」

 

「当てはまってしまったと言った俺が嫌だわ」

 

そんな何の利益にもならない応酬を済ませ、俺はむくりと体を起き上がらせる。昨日、あれだけよれよれだったと言うのに、今ではもう軸のぶれ一つない咲夜を流石だなと思うと同時に、どうやってその状態に持っていったのか不思議に思ってしまう。何か二日酔いにならない薬の調合を知っているのだろうか?あるのならいつか教えてもらいたいものだ。

 

「ご主人様、衣服を」

 

そんなことを考えている隙に、咲夜の手によって俺の寝巻きが剥ぎ取られる。スッとそれを畳んだ彼女の手には新しい着物が掛けられていた。

 

「……服くらい自分で着られる」

 

「これも仕事ですので」

 

どうも人に着替えを手伝ってもらうのに気持ち悪さを覚える。これはいつまで経っても慣れることはないだろう。

 

「……なんだ、今日はやけにメイドっぽいな」

 

「そうでしょうか?いつもこんなものだと思うのですが」

 

咲夜は毅然(きぜん)としてそう言うが、俺からすれば今日の咲夜はおかしい。なにせ身に纏う雰囲気には一切の棘々しさはなく、いつにも増してその態度が従順な気がするからだ。

 

「……何か良いことあったか?」

 

「ありましたね」

 

ほう、それは興味深い。

 

「何があった?」

 

俺が知る限り、昨日子供たちと遊んだことしか思い当たらないが、さてどんな事があったのか……。

 

「はい。実は昨日、ご主人様が帰りの道中で財布を落としたことが面白くて面白くて」

 

「言えよ!」

 

嘘!? 俺、財布落としたの? 何で咲夜言ってくれないの!?

 

「私も酔っておりまして……もう口を開けば吐き気が込み上げるので仕方がなしに」

 

「嘘つけ!」

 

お前、昨日眠る直前まで普通に話してただろ!

 

「つわりが酷くて」

 

「嘘つけ!」

 

俺は大きな溜め息をついて、昨日の出来事を思い返すが、確かに帰ってから財布を手にした覚えがないなと、再び諦めの溜め息を溢す。

 

「ご安心ください」

 

しかし咲夜は俺の沈んだ雰囲気に線を引くように、ハキハキとした声を発する。

 

「ん?」

 

「しっかりと朝方に回収いたしましたので」

 

そう言って掲げられた咲夜の手には、見慣れた俺の財布が握られていた。

 

「……始めから言えよな」

 

「いい目覚ましになると思ったのですが」

 

「……明日からは普通でいい」

 

「左様でございますか」

 

やはり勘違いだったか?確かに棘々しさは薄まっているが、俺をからかうスタイルは全く変わっていない。いや、むしろ酷くなっているような気がする。まあ、だがそれでも前よりはマシにまった。いい傾向かもな、と俺がそんな幸先の良い休日を嬉しく思ったそんな時だった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

天井を突き破って空から拳大の隕石が落ちてきた。

 

「「……………………」」

 

あまりの状況に流石の咲夜も絶句している。いや、言いたいことは分かる。まさかまさかの事態に、展開に追い付けないのは痛い程分かる。しかしこの現象を引き起こした人物と付き合いを持つならば、これくらいは日常茶飯事と思っていなければいけないのだ。

 

「…………あいつめ」

 

俺は思わず頭を押さえる。

 

「心当たりがおありで?」

 

「ああ、強引極まりない招待状だ」

 

だがもしこれに応じなければ、次の日には倍の隕石が俺の家に降り注ぐこととなる。それは流石に勘弁したい。俺は頭を切り替えて、咲夜に命令を出す。

 

「咲夜、午後から出かける。数本の酒瓶とツマミを作って手頃な包みでくるんでくれ」

 

「かしこまりました。酒肴(しゅこう)の程度はいかがいたしましょう?」

 

「二人分だ」

 

急な命令で悪いなと思った俺は、咲夜に労いの言葉をかけることにいた。

 

「ありがとう。いつもお前には感謝しているよ」

 

すると咲夜は一瞬ピクッと体を震わせて、驚いたように俺を凝視する。

 

「どうした?」

 

俺はそんな咲夜の様子に疑問を抱くも、当の本人はいえ、といつもの平静さで短く答える。気のせいかと俺は頭を下げ早速作業に取りかかる咲夜を見送りながら、自身の準備を始める為に一人物置へと向かう。休日の予定を強引に決められたことに、(とどこお)りを感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方的に告げられた呼び出しにうんざりしながらも、俺は酒と(さかな)が入った包みと、薄汚れた釣り道具を持って指定の場所──霧の湖に向け、足を進めていた。昼間にはその名の通り、視界を阻害する霧が発生しており、今もその影響によってじめじめとした湿気が肌にへばり付いていた。

 

そんなただ何の力もない人間からすれば危険極まりない場所を十五分程進んだ先に彼女はいた。霧によって浮かび上がるシルエットが、やがて視界に収まる形で判明する。

 

「あら、遅かったわね。一足先に始めてるわ」

 

湖の縁に腰を降ろし、一人釣糸を水面に垂らす少女、その名は比那名居天子(ひなないてんし)。自分勝手で横暴な、俺から言わせれば(俺以外からも言わせれば)天人崩れの天人である。

 

「……比那名居(ひなない)、お前そろそろあの強引な呼びつけをどうにかしろ」

 

俺は出会い頭に文句をぶつけながら、荷物と共に彼女の隣りへと腰を落ち着けた。

 

「いいじゃない。あれが一番楽なんですもの」

 

「そんな理由で毎回、家に大穴開けられる俺は堪ったもんじゃないぞ。あと永江さんも」

 

永江衣玖(ながえいく)。この超お転婆天人の従者であり、ある意味で一番の被害者でもある。あの人、こいつが毎回俺の家に要石を落下させる度に後日お詫びをしに来るのだ。何をしでかすか分からない従者を持つのも大変だが、身勝手な主人をもつ従者と言うのはそれ以上に大変なのだろう。

 

「ほら、今回は結構奮発したから、次はせめて家に穴を開けない場所に落としてくれ」

 

俺がそう言って持ってきた風呂敷を広げると、比那名居は嬉しそうに喉を鳴らした。

 

「ん~美味しそう! そうね、考えておくわ」

 

全く信用できない“考えておく”に俺は苦笑しながらも、釣りを始める為に釣竿と釣糸を取り出し、それらを組み合わせる。

 

「お前は何を持って来たんだ? まさかまた桃じゃないだろうな」

 

比那名居(こいつ)の住んでいる天界は桃が名産らしく、一緒に釣りをする時、たまに持ってくるのだが、個人的に言わせればその桃はあまりにも普通だ。普通の桃なのだ。始めはまあ美味しく食べていたのだが、流石に今では飽きてしまった。

 

「失礼ね、今日はちゃんとお酒も持ってきたわよ。しかもかなり良いやつを」

 

「お前のことだ、勝手に持ち出したんだろ」

 

否定はしない。しかし肯定もしないその様子だけで、もう答えを出してしまっているようなものだった。

 

俺は呆れながらも手にした釣り針とウキを釣糸にしっかりと結び付けて、その針に餌を差し込んだ。(にえ)として選ばれた柳虫(ヤナギムシ)がこれから起こるであろう己の未来から逃れようと、体をよじらせ脱出を図っていた。

 

「それにしてもお前と釣りを始めて一年くらい経つが、お互い面白い程に進歩がないな」

 

「まあね。でも私は釣りが上手くなりたくて釣りをしてるわけじゃないわ。私が釣りをしているのは──」

 

そこで比那名居は言葉を切り、俺と自身が持ってきた酒瓶を両手で持ち上げ、嬉しそうにこちらに向き直った。

 

「こうして貴方が持ってくるお酒に(たか)るためよ」

 

何とも幸せそうな笑みを浮かべるものである。言えば早速、比那名居は持参の水筒から取り出した水で手を洗い流し、盃にとくとくと酒を注いだ。自身の盃を満タンにすると、今度は勝手に俺の盃にも酒を注ぐ。

 

「ほら、貴方も」

 

「……どうも」

 

俺は礼を言って、素直に盃を受け取った。比那名居はそれを見て満足そうに微笑んだ後、手に持った盃を一気に口元へと傾けた。おいしー、と愉快この上ない叫びを上げながら、そのまま釣竿を地表へと突き刺すことで固定し、その身を放り投げるようにして仰向けに寝転がった。

 

「はぁ~! それにしても暇だわ最近暇! 暇で暇で死にそうになる」

 

「今もか?」

 

「今は良いの今は。遊び相手がいるうちはね」

 

比那名居は言いながら、霧によって見えない太陽を掴もうとするかのように空に手を伸ばした。

 

「……暇ならまた異変でも起こしたらどうだ?」

 

「そうできたら良かったんだけど、生憎最初の異変で幻想郷の住人から不興を買っちゃったのよ。今しばらくは大人しくする他ないわ。どうせまたすぐ、霊夢に止められちゃいそうだしね」

 

比那名居が口にした“霊夢”と言う人名に、俺は思わず反応した。

 

「霊夢って言えば、確か現博麗の巫女さんだったか?」

 

「そうよ。良ければ紹介してあげましょうか?」

 

その提案に思わず顔をしかめる。

 

「止してくれ。面倒なのは嫌いだ」

 

何かと話題に事欠かない巫女と知り合いになるなど、頼まれても御免だ。幻想郷の有力者はこぞって面倒な人物である傾向が強い。俺が知ってる中で唯一まともなのは上白沢先生くらいだ。

 

「面倒なのは嫌い、ね。実に貴方らしいわ」

 

「そうか?」

 

「そうよ」

 

そう言った所で比那名居は体を起き上がらせて、再び釣竿を両手でしっかりと握った。

 

 

それからはただ穏やかな時間が流れた。湖岸に打ち付けられる限りなく小さな波と、盃に酒を注ぐ音だけが、ただ落ち着きを持って広がっていく。どこまでも平らで変わりのない平面な世界。そんな水面(みなも)に一石を投じたのは比那名居からだった。

 

「……釣りは良いわ。同じ空虚な時間でも、釣竿があるかないかだけで大きく過ごし方が変わってくる」

 

それは俺に言っているのではなく、ただ己の意志とは関係なく飛び出た言葉のように思えた。

 

「そう言えばお前、よく釣りをしようなんて思ったな」

 

お転婆娘と証しても何ら変わりない比那名居が、釣りなどと言う落ち着きの要素を含んだ遊びをするとは前まで思っていなかった。「暇だな、じゃあ地震起こそうぜ」と比那名居が言っても疑いを持たない程、俺は彼女をアクティブな女性だと思っている。そんな俺の比那名居レベルでむちゃくちゃな印象を否定するかのように、彼女はかくも当然な返答をした。

 

「天人は釣り好きが多いもの。やってみようとなるのは当たり前よ」

 

「そうなのか?」

 

それは初耳だ。

 

「ええ、あいつらのんびりしてるからね。こう言うのが性に合うのよ、きっと」

 

今日、本日のお前が言うなである。

 

「あっ、そう言えば!」

 

話題を終えた瞬間、比那名居は地面から突然、飛び出るようにして沸き上がった記憶の衝撃を、そのまま伝えるかのような声を俺に浴びせた。

 

「明日、夏祭りだったわね!」

 

「ああ、そう言えばそうだな」

 

別に今、思い出したわけではない。随分と前から知っていた。今日の朝、ここに来る途中で俺は人里が一年に一度の祭りを盛り上げる為の準備で慌ただしく賑わっている様子を目にしていた。明日の夜には盛大な催し事が行われている筈だ。

 

「お前は行くのか?」

 

「当然よ、全部の屋台を回るわ!」

 

永江さん……ご愁傷様です。

 

「貴方はどうするの? 確か毎年毎年、家で一人お酒呑んでるんでしょ?」

 

「……さて、どうしようかね」

 

比那名居の言う通り、俺は毎年夏祭りの日は家で一人、酒を呑んで家に閉じ込もっていた。いや、何も恋人がいないから気が滅入った結果、そんなことをしていると言うわけではない。ただ単に歳を取って、幼い頃のようにはしゃいで回る気力が無くなっただけだ。その証拠として、誘われれば祭りの後の飲み会にはちゃんと行っている。

 

「……多分、今年も同じだ」

 

少し考えた後、俺はそう言った。今年は去年までと違い、家に咲夜がいるが、だからと言って俺の行動理念が変わるわけではない。咲夜も咲夜で、彼女が夏祭りに行きたいと俺にねだる姿が想像できない。となればこの考えに至るのは当然と言える。

 

「悲しい男ねぇ」

 

比那名居は呆れたと言わんばかりに両肩を上げる。

 

「ほっとけド貧乳」

 

「…………貴方、言ってはいけないことを言ったわね」

 

それから小一時間程、湖に漂う霧に取っ組み合いをする影が映されることになる。

 

ちなみに今日、魚は一匹も釣れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茜色の光が西に逃れ、夕闇がそれを追いかける。頭上で行われている童遊(わらべあそ)びに混じ入るように、俺も早足で家に向かっていた。

 

「ただいま」

 

その甲斐あって、太陽が完全に落ちる前には帰宅できた。いつもと同じ、帰宅を知らせるいつもの言葉。しかし玄関を開けて見てみれば、そこには“いつも”と呼べるメイドの出迎えがなかった。

 

「出掛けているのか?」

 

別に出迎えがないことに怒りは感じないが、(いぶか)しみはあった。初日でさえ俺が帰って来た時には出迎えがあったのに、今日はそれがない。咲夜が職務を途中で放棄するようなメイドではないことを俺は良く知っている。

 

不審に思いつつも、履き物を脱ぎ、家の中に足を踏み入れる。そこで俺は厨房の方から誰かの歌声が聞こえてくることに気がついた。その奇妙な現象に思わず首を傾げながらも、俺はその歌声を辿って忍び寄るように一歩一歩足を進める。

 

厨房にたどり着き、顔をそっと覗かせれば、そこにはこちらを背に、ご機嫌な様子で歌を歌いながら調理をしている我らがメイドの咲夜がいた。

 

「いつもお前には感謝している~♪」

 

鍋の管楽器と包丁のパーカッションを引き連れた三重奏(トリオ)による咲夜の演奏が厨房に溢れかえる。それはミスなく順調に一つのズレもなく奏でられていた。咲夜は俺が帰ってきたことに気がついていないようで、今でも上機嫌な様子で調理に励んでいた。

 

このまましばらく咲夜を見ているのも非常に面白いのだが、それではバレた時に恐ろしい報復が待っていそうと言うことで、俺は気遣うような優しい口調で咲夜に声をかけることにした。

 

「…………咲夜?」

 

俺の声を合図に、包丁のリズムと主役(メイン)の歌が一瞬にして途切れ、鍋の甲高い音が一人取り残される。咲夜はまるで時が止まったかのようにピクリとも体を動かさず、俺もそれにつられるように指先一つ動かせないでいた。やがて咲夜は僅かに体を震えさせながら、ゆっくりとこちらに振り向いた。

 

「…………ご主人様、いつお帰りになられたので?」

 

懸命に笑顔を浮かべようとしているが、不自然に吊り上げられた口元が、ピクピクと細かに痙攣している。

 

「……ついさっきだ」

 

「…………左様でございますか。なるほど、なるほどです」

 

ヤバイ。明らかに咲夜の口調がおかしい。ここはフォローしなくては、主人失格だ。

 

「その、なんだ……良い歌声だったぞ」

 

「………………………………。」

 

いや、違うんだ。別に日頃の鬱憤を晴らすいい機会だと思ってこう言ったんじゃないんだ、ホントに。焦って勝手に出た言葉がこれだったんだ。だからこの何とも言えない痛い沈黙を誰かどうにかしてください。頼みます!

 

俺がそんな現実逃避を敢行しかけたそんな時──

 

「…………違うのです」

 

咲夜はポツリと呟くようにしてそう言った。

 

「違うのです、ご主人様。貴方は勘違いをしています」

 

「お、おう」

 

無表情でそう言い張る咲夜に俺はそんな返事しかできないでいた。するとそれを好機と見たのか、咲夜は一気に己が思い付く限りの言い訳を俺にぶつけてきた。

 

「恐らくご主人様は“俺が朝に言った、『いつもお前には感謝している』と言う台詞を今、この時まで歌にする程に嬉しかったんだな”とかそんなありもしない妄想を繰り広げているのかもしれませんが、それはないです。世界が三回生まれ変わったとしてもそれはありえないです。いいですか?私はその日交わした会話を無意識に歌にしてしまうそんな癖があるのです。それによってご主人様が今日の朝方、口にしたあの台詞を、ご主人様が帰ってきたあのタイミングでたまたま私が歌として読み上げただけなのです。なので変な妄想は止めてください。迷惑です。不快です。不愉快です。そもそもご主人様は私の姿を目にしたならすぐ様にでも声をかけるべきなのです。それをまるでストーカーのようにこそこそと覗き見をするなんて、意地が悪いように思えます。もうここまで来ると救いようのない変態です。助平です。露出狂です。そうですね、今良い機会だから言いますが、ご主人様は普段からもっと私を可愛がるべきなのです。そうすれば、こんな不意打ちでこんなこんな舞い上がりもしなかった筈です。キモいです。キモいです。キモいです。分かったらもっと私を褒め称えなさいこの低能」

 

「……は、はい」

 

いや、すまん。早口過ぎて、途中から何を言っているか全く分らんかった。

 

「「………………………………。」」

 

俺の曖昧な返事のせいか、お互いの間に気まずい沈黙が流れる。

 

「……コホン」

 

沈黙に耐え切れなかったのか、それとも先程までの己の発言を恥じているのか(咲夜の様子から察するに恐らく後者であろう)、彼女は大きくわざとらしい咳をして、色々仕切り直そうとした。

 

「……ご主人様、視姦はあまり関心できませんよ」

 

場の雰囲気を無理に誤魔化す為、苦し紛れに放った毒舌は、なんとも咲夜らしからぬキレのなさだ。いや、それよりも──

 

「……最近ふと思ったんだが。咲夜、お前の方からそっち系の話題を振ってるよな」

 

そっち系、言うなれば下ネタである。

 

「私も年頃ですので」

 

「そう言う問題か?」

 

「花も恥じらう乙女ですので」

 

「恥じらってねぇよ!」

 

一連のやり取りでようやくいつもの調子を取り戻した咲夜は、今度は彼女らしい凛とした姿勢で俺に向き直る。

 

「…………とにかくご主人様、もうすぐで夕食が出来上がりますので、それまで居間でお待ちになっていただければと」

 

そう言えば咲夜は夕飯を作っている最中だったことを思い出した。そうだったな、と俺は了承の言葉を述べて咲夜の言う通りに居間へと引っ込む。咲夜の言葉にはきっと“もう勘弁してください”とそう言った懇願の意味も含まれていることを、俺は薄っすらと感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご主人様、責任を取ってください」

 

夕食を食べ終えてすぐ、咲夜はそんなことを言い出した。

 

「いや、何に対する責任だよ」

 

俺は咲夜によって淹れられた紅茶に口を着けながらそう言った。

 

「私を辱めた責任です」

 

辱めた……あれは俺がやったことなのか?勝手に咲夜が自爆しただけな気がするんだが。しかしここで俺が主張を押し通そうとしても、無意味な結果に終わるのは目に見えている。ならばここは素直に咲夜の言うことを聞くのが最善だろう。

 

「で、どうすればいいんだ?」

 

俺の諦めを悟った咲夜は早速とばかりに本題を口にした。

 

「聞くところによりますと、明日は夏祭りだとか」

 

「ああ、そうだな」

 

俺からは明日、祭りがあるなどとは一言も言っていないが、この騒々しい人里の様子を鑑みるに、咲夜がこの情報を知っているのは何らおかしいことではない。さて、ではそれを前提として一体何を言われるのだろうか?と、俺は咲夜のろくでもないであろう提案を聞き入れる覚悟を固める。しかし実際に放たれた提案(もの)はあまりにも普通でまともな内容だった。

 

「ご主人様。その夏祭りに私を連れて行ってもらえませんか?」

 

俺は咲夜の提案に思わず面食らう。身構えていた俺が馬鹿みたいだ。

 

「お前がそんなことを言い出すなんて意外だな」

 

どう言った心境の変化だ。咲夜と出会ってまだ五日しか日数は経っていないが、それでも咲夜が“夏祭りに行きたい”などと願いを言うような、そんな可愛らしい一面がある女性でないことを俺はよく知っている。

 

「そうですね、気まぐれ……と言いたいところですが、ただ私も死ぬまでに一度は純粋に“祭り”と言われる催しを味わってみたいとそう思ったのです」

 

咲夜の言葉を聞き、俺は眉間にシワを寄せた。

 

「生まれてから一度も祭りに行ったことがないのか?」

 

「いえ。ただ遊びに行くと言う形ではなく、付き添いと言った形でしか行ったことがないのです」

 

「なるほど。それでいい機会だから俺に連れていって貰おうと?」

 

「はい。ご主人様が私の財布兼、荷物持ちになってくださればいいなと」

 

「相変わらずの言いようだなおい」

 

しかしよくよく考えてみればこれは俺としても悪くない提案かもしれない。これを機にもう少し咲夜との距離を縮められれば、お互い気を使わないフリーダムな関係に一歩近づくかもしれない。

 

「…………よし分かった。じゃあ明日は祭りに繰り出すか」

 

「はい、ありがとうございます」

 

()くして俺は(しばら)くぶりの夏祭りへと出向くこととなった。一人の従者を連れる、と言う例年とは一味も二味も違うものではあるが、同じ祭りには違いない。きっと大きく変わった今年の祭りの味は、口にすれば思わず吐き出してしまうような、そんな毒々しいものなのだろうと、俺は咲夜の笑みを眺めながら、そんな不吉で、しかし仰望(きょうぼう)とも言える一見矛盾した予感を感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の夕暮れ。柑子色(かんじいろ)に世界を染め上げる、一つに統一されながらもあやふやなそんな時間帯。玄関の出窓から抜け出た淡くも焼け付くような光が俺の肌に突き刺さる。注意しなくとも耳の奥まで押し入って来る人々の(ざわ)めき。思わずここが人里の端にあることを忘れてしまいそうになる。この夕暮れにも負けない暖色に塗り潰された彼らの声は、嫌が応でも今日が祭りの日だと俺に伝達する使者に思えてならなかった。  

 

そんな非日常が詰め込まれた状況の中、俺は一人、玄関で咲夜が来るのを待っていた。前に咲夜が俺を待っていた時とは対照的と言える現状。咲夜を待ち続けて五分と経っていない筈なのだが、もう何時間も前からここで彼女を待ち続けているように錯覚してしまう。しかし不思議と苛立ちや疲弊(ひへい)と言った後ろ向きな感情はこれっぽちも浮かんで来なかった。むしろこの時間が(むつ)まじげで好意的なものにすら思えて来る。俺は足の置き場を探すように下駄をカランと鳴らして一歩後ろに後退する。下駄の歯と石床がぶつかり合い、乾いた音が玄関から周囲に広がる。  

 

「お待たせいたしました」

 

その音に反応するかのように、廊下の側面にへばり付けられた扉の一つからそっと咲夜が現れた。

 

「準備、できたのか?」

 

「はい」

 

そう答える彼女が身に(まと)うのは、薄紫色が主立った、とても質素な花柄の浴衣だ。ただ白の入り混じった紫色の上に、一際(ひときわ)強い同系色の花が(つた)や葉っぱに繋がれながら(まば)らに散りばめられている。そしてそれらを締め上げて一つに纏める僅かな金彩加工が施された帯がそれらを一層引き立たせていた。

 

咲夜は玄関に転がる女性用の下駄に足を通し、俺の後ろにそっと位置取った。

 

「…………日が沈む前から祭りに顔を出すなんて、久しぶりだな」

 

俺はポツリとそう呟く。昔、俺がまだ子供と呼べる年齢だった頃。祭りの日、当日は朝から落ち着くことができず、そこらをぶらぶらと歩き回ったものだった。

 

なぜ今更ながらそんな童心を引っ張り上げてしまったのか。その理由はいくら自身を見直したところで分からないが、ただ一つだけ思い当たるものがあるとすればそれは一つだけだった。

 

「行かれないのですか?」

 

いつまでも外に出ようとしない俺に対して、咲夜は疑問の孕んだ声を俺に投げ掛けた。

 

「……いや、行こうか」

 

俺は扉に手を掛けてそっとそれを横へと押し退けた。目の前にはきっと、昔見た心を揺り動かす光景があるとそう確信して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日はすっかり沈み、空は絵の具をぶち撒けたような黒の独壇場。塗り残しが目立つ部分もあるが、それは今日が良い天気、快晴だったと言う証だ。人々のざわめく声を潜り抜けて、和太鼓や篠笛(しのぶえ)、甲高い(かね)の音が織り成す祭囃子(まつりばやし)が人々の賑わいを一層もり立てていた。

 

そこらかしこに塗り広げられた人混みの向こうには、大小様々な屋台が立ち並んでいて。その上には、優しく辺りを照らす提灯(ちょうちん)や、何を販売しているのか一目で分かるように張り付けてある、文字が書かれた大きな看板が掲げられている。そんな人通りを、俺たちはただ何もしないで歩いていた。

 

「なあ、咲夜」

 

「はい、何でしょう?」

 

「お前、何かこう欲しいものはないのか?」

 

「はい、ございません」

 

このやり取りで分かっただろう。十六夜咲夜、こいつはあまりにも無欲なのだ。いや、それは本来は良いことなのだろうが、今の俺からしてみれば、彼女の無欲は俺を困らせる材料にしかなっていなかった。と言うのも、これだけ祭りを見て回ったのにも関わらず、未だ購入したものはゼロ。俺も何か買いたいと思うことはなく、こうして二人して祭りの雰囲気に対して知らぬ存ぜぬの態度を貫き通していた。これでは折角の祭りが台無しである。

 

しかしまあ腹が減ればいつかは何か買わなければいけない状況になるだろうと、そう思った時、ふと俺の袖が僅かにビッと引っ張られた。俺は着物の袖を引っ張った人物へと視線を移す。

 

「どうした?」

 

「ご主人様、あれは何なのでしょうか?」

 

咲夜はそう言って、とある屋台を視線で指す。そこには子供たちが丸い的に向かって何かを投げている光景があった。的の大きさは直径で二メートル程。それがくるくると回り、その中には色の付けられた大小様々な円がお互いを遠慮し合うように一定の感覚を開けて描かれていた。

 

「ああ、あれは“的当て”だ。あの回る的に針を投げて、その当てた色に応じて景品が貰える屋台だな」

 

一番大きな赤の円には駄菓子が、一番小さな黒の円に当てれば金一封が。そんな風にそれぞれの色に対応した景品が用意されている。簡単な物を狙えば誰でも取れてしまうが、黒のような大人でも当てることが難しい色もある。幅広い年代が各々(おのおの)の欲しい物を狙える。それがこの“的当て”と言うゲームだった。

 

「どうした?やりたいのか?」

 

俺は半分冗談めかして言った。どうせ淡白な反応が返ってくる。そう思っていた。

 

「……はい、やりたいです」

 

しかし返ってきたのは肯定の言葉。俺は内心驚きながらも、そうかと言って的当ての屋台へと二人して向かった。人混みの流れを切るように横切り、一歩一歩近づいた。屋台には行列もなく、今は男女混同で構成された三人の子供たちが一心不乱に的に向かって針を放っていた。上手く投げられなかったのか、彼らの投げた針は放物線を動きながら不格好に赤い的へと斜めに突き立てられる。それに伴い落胆の声が屋台全体に広がる。

 

屋台にたどり着いた。俺と咲夜は子供たちの後ろにそっと近づく。未だ三人の子供たちは夢中になって的当てに挑んでいるせいか、俺たちの存在に気付く素振りすら見せない。俺はちらりと横目に咲夜を見た。咲夜は子供たちにも、屋台を出している親父にも声をかけないで、ただ目の前の光景を見守り続けていた。その薄く青い瞳には何が映されているのか。空でもなければきっと海でもない。どこか虚無感に似た誰かの後ろ姿。彼女が何を思い出し、何を思っているのか。それを解読するのに俺は咲夜と言う女性を知らなさ過ぎる。

 

俺がそんな思考にふけっている間も、子供たちは一心不乱に的へと目掛けて針を投擲する。しかしそれらは案の定、白のハズレか、赤の駄菓子にしか当たりを出さない。やがて全ての持ち針を投げ終えたのか、子供たちは諦めたように屋台を去ろうとする。そこで初めて、彼らは俺たちの存在を悟った。

 

「何が欲しいの?」

 

子供たちが驚きで固まる中、咲夜はそう言った。咲夜の言葉に子供たちは困惑しながらも、景品棚にある青色の景品類を指差した。そこにはけん玉やお手玉と言った玩具の(たぐ)いが並んでいた。咲夜のやろうとしている事を察した俺は一回分の挑戦、針に換算すると計三本分の料金をおやじに渡した。おやじは一回分だねとそう言って、俺に三本の針を手渡した。

 

しかしこうして、改めて見てみると何とも人の良さそうなおやじだ。いや、事実そうなのだろう。この的当て屋一回分の料金が、大人四に対して子供は一。半額ならまだしも、四分の一の値段とは恐れ入った。子供たちがあれだけの数、針を投げられたのはこの値段設定のお陰なのだろう。

 

俺は咲夜に針を手渡す。そこから一歩退いて子供たちと並ぶようにして彼女が針を手に持ち、構える様を見守った。おやじはゆっくりと椅子から立ち上がり、しわくちゃなその手を的に添え、ぐっと下へと押し引いた。時計回りにくるくると回りだした的は、赤や青、黄色に緑と様々な色に染まっていく。それらをしばらく見据えた咲夜は、スッと針を一本投げた。カッっと乾いた音がして

的に針が突き刺さる。続けて二本目、三本目と流れるようにして咲夜は手を振り抜いた。そこから放たれた針は、まるで吸い込まれるようにして、とある一点を目指し、そして到達する。

 

全ての針を投げ終えたと知り、おやじは手で回転する的に手を当てた。徐々に回転の速度が失われ、針がどこを刺したのか(あらわ)になる。三本の針、それらは全て、蹴鞠(けまり)程ある青の円に刺さっていた。

 

「す、すげぇよ姉ちゃん!」

 

それは活発そうな、つり目の少年が放った言葉だった。

 

「か、格好いい~」

 

「どうやったらあんなに早く投げれるんですか!?」

 

それに従うように、ふんわりとしたおかっぱの少女と、眼鏡を掛けた利発的そうな少年が咲夜に駆け寄る。三人はキラキラとした目で咲夜を見上げ、疑問やら賞賛の言葉を咲夜に投げ掛ける。俺はそれを横目に見ながら、景品棚に残っている玩具をおやじから受け取った。

 

「悪かったな、おやじ」

 

俺は言いながら、懐から針十五本分の硬貨をカウンターに置いた。

 

「ああ」

 

おやじは頷くでもなくそう言う。そんな彼の顔は無表情だった。俺に針を渡す時、咲夜が青い印に針を命中させた時でさえ、おやじは驚くことなく終始無表情を貫いていた。俺はおやじに背を向ける前に、今一度彼の顔を盗み見る。白と黒が半々の割合で入り乱れる髪の下には、細目のおっとりとした顔が質素に(そな)え付けられている。恐らく七十は越えているであろう彼の顔には、幾つものしわが見える。そのしわにより作られ放物線は、どれもがまるで微笑んでいるかのように見えた。

 

子供たちの興奮が冷め始めた頃合いを見て、俺と咲夜は屋台を去るようにして子供たちへと別れを告げた。大手を振って大声で感謝の声を上げ続ける彼らに俺たちも答え、手を振り返した。彼らの姿が見えなくなって(なお)、声は聞こえ、そしてしばらくして人の波に消えていった。

 

「…………何ですか?その今にも私を犯さんばかりの嘗めるような視線は」

 

並んで歩く中、俺が咲夜に視線を送っていたからだろう。彼女からそんな罵倒が飛んでくる。

 

「いや。なんでも」

 

今はその毒舌も可愛いものに思えてくる。俺の返答が気に食わなかったのか、咲夜は少し不機嫌そうにむすっとした表現を浮かべた。

 

「お前って、存外子供が好きだよな」

 

「何です突然。それは私との間に子供が欲しいと言うアピールですか?」

 

「だと言ったらどうする?」

 

「…………………………。」

 

俺のそんなからかいの言葉に、咲夜は顔を正面に向けたまま一瞬だけこちらに視線を走らせた後、一人早歩きで先へと行ってしまった。

 

「……流石に怒らせたか」

 

俺は苦笑いを浮かべながらそう呟き、ふと後ろを振り返る。そこにはただ視線一杯に広がる人の往来しか目に入らなかった。色とりどりに変化する人の波は、つい先程まで目にしていたあの回る的のようで、つい青い着物を着ている人物を目で探してしまう。俺は前を向き、はぐれてしまわないようにと咲夜の背を追う。まだ子供たちがこちらにお礼を言っているような気がして、俺は思わず口元を(ほころ)ばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祭りが始まり、随分時間が経ったと言うのに、人里に灯る熱は冷める事はなかった。流れる人の波、並ぶ屋台の活気、提灯(ちょうちん)の明り。それらは薄れるどころか、むしろ段々と激しく、その色は濃くなっていった。それは俺たちも同じで、この雰囲気に呑まれるように、祭りに溶け込んでいった。そしてそうなればそうなる程、ここが幻想卿にある人里とは思えない。どこか別の場所に思えてくる。

 

そんな中でその音は聞こえてきた。

 

「ん?この音は……」

 

ちりんと透き通った綺麗な音。この時期にはよく耳に入る、聞き慣れた筈の音。しかしこのむさ苦しい人の詰め込まれた空間にいるせいか、その透明な音に惹き付けられた。俺は辺りを見回してその音の発生源を探る。

 

それは俺のすぐ真横にあった。“風鈴屋”と頼りない字で古ぼけた木の板に、記載されている看板が俺の頭上に掲げられていた。

 

「風鈴ですか」

 

「風鈴だな」

 

そんな意味の無いやり取りを咲夜として、俺たちはその屋台に近づく。

 

「い、いらっしゃい」

 

屋台を切り盛りしていたのは、枝の様に細い一人の若い男だった。歓迎の声もどこか震えていて、頭に傾いて巻かれている薄汚れた麻布はよれてしまっており、服装も所々乱れていた。

 

「どうだい?景気の方は」

 

俺は言った。

 

「い、いや~これが全然売れませんで。物は良いものばかりを揃えたんですがねぇ」

 

男は薄気味悪い笑みを浮かべながらそう言う。恐らく物が売れないのはお前のせいだと思いつつも、口には出さない。

 

「ちょっと見せてくれるか?」

 

「へい、どうぞごゆっくり」

 

男の許可を貰ったので、俺は風鈴の置かれた長机に目をやる。風鈴は様々な種類が置いてあった。金魚にアサガオ、蛍に花火。中には何も描かれていない純粋な無色の物までもが置いてある。男の言っていた通り、そのどれもが丁寧な作りで、描かれている絵も繊細でどこか(おもむき)がある良い物ばかりだった。

 

「一つ買ってくか。軒下(のきした)に吊るすのにちょうどいい」

 

それは陳列(ちんれつ)されている風鈴が気に入った故の決断だった。

 

「咲夜、お前が選んでくれ」

 

「よろしいのですか?」

 

俺は頷いた。

 

「では」

 

咲夜はそう言って、まぶたが無くなってしまったかのようにじっと風鈴たちを観察する。咲夜がどんな風鈴を選ぶのか、そんな興味を持ちつつ俺も彼女と同じように長机へと視線を戻す。

 

──本当に綺麗だな。

 

改めて思った感想だった。風鈴の万華鏡が祭りの明かりに照らされて、(またた)き色を変える。風鈴一つ一つの中にあるちっぽけな世界、そのどれもが俺の心を魅了した。それぞれが違う柄の風鈴だと言うのに、その全てから同じ音色が鳴るなんて不思議なものだ。そんな冷静に考えれば当たり前の事でさえ、今の俺は気づくことができなかった。

 

「これ……なんてどうでしょうか?」

 

咲夜の言葉ではっと意識が浮上する。俺は風鈴に魅入られていたのを誤魔化すように、咲夜の手元に目を向けた。咲夜が持っていたのは全体的に淡い水色の風鈴だった。端に行けば行くほどしっかりと色が付いており、真ん中の膨らんだ部分に行けば行くほど色が薄くなっているそんな風鈴。しかしよく見てみれば、その所々には殆ど透明に近い白で描かれた泡沫があった。水だけを入れた綺麗な水槽の下から泡が吹き出している様を写真で納めたような絵柄。それが咲夜の選んだ風鈴だった。

 

「いいんじゃないのか」

 

俺はそう言って、その風鈴に付けられた値札ピッタリの金額を店主に手渡した。

 

「これを一つ」

 

「へい、お買い上げありがとうございます!」

 

出ない声を半ば無理矢理に引っ張り出したであろう(かす)れた声を店主は張り上げた。そして咲夜から風鈴を受け取った店主は、店の奥から小さな木製の箱を取り出し、綿と一緒に風鈴を仕舞い込んだ。

 

「ではこれを」

 

店主はそう言って、手に収まった木箱を机越しに突き出した。

 

「はい、ありがとうございます」

 

咲夜はお礼を言い、風鈴の入った木箱を受け取る。やっと商品が売れて嬉しいのか、それとも俗に言う営業スマイルなのかは分からないが、その時浮かべた店主の笑みはやはり薄気味悪かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺もこの幻想郷に生まれて長くなってくると、当然として顔見知りと言う存在が何人かできてくる。それは単に昔からの友人であったり、家が近くにあるご近所様だったりと様々だが、その中で一番大きい割合を占めているのが、俺の元生徒たちだ。“本居小鈴(もとおりこすず)”。鈴奈庵の一人娘でもある彼女も、そんな俺の元生徒の一人だった。

 

「あっ、先生!」

 

“先生”の単語を聞き、俺は反射的にその方向へと首を回した。その先、そこには明るい朱色がかった髪を振り乱し、元気良くこちらに駆け寄ってくる俺の元生徒の姿があった。

 

「ああ、小鈴か。久しぶり……と言う訳ではないな」

 

「はい!いつもご来店ありがとうございます」

 

小鈴はそう言って顔に笑顔を引っ提げながらペコリと頭を下げ、行儀良く御辞儀をした。そう、俺は彼女の両親が経営している貸本屋“鈴奈庵”によく足を運んでいた。それは俺自身が日常的に本を読むということもあるし、教師として資料を作る際に、そこで幾つかの書物を借りることがあるからだ。

 

「今日は友達と一緒じゃないのか?」

 

俺は人当たりの良い彼女が、祭りの日に誰も連れないでいることを疑問に思い、そう尋ねた。

 

「いえ、阿求と一緒にお祭りを回っています。今は少し休憩中で、その間に私が食べ物を買っていたんです」

 

彼女が口にした“阿求”と言う少女の名前。それは人里屈指の名家、『稗田家』の現当主の名であり、幻想郷の歴史を書き記し残すと言う大きな使命を持つ人物のことだ。彼女は年の近い小鈴と親友であり、俺も何度か顔を合わせたことがあった。

 

「そうか、なら阿求様を待たせちゃ悪いんじゃないのか?」

 

「はい。きっと阿求もお腹を空かせて待っています」

 

そう言った途端、小鈴は何かを思い付いたようにあっ、と声を上げ、手に持っていたたこ焼きの内一つを串で刺した。それからそれに二回程、息を吹き掛けて俺にそっと差し出した。

 

「どうです?先生も一つ」

 

「いいのか?」

 

「はい。いつものお礼です」

 

既に差し出してくれた物を拒否するのもどうかと思い、俺は小鈴の提案を受け入れた。細長い串の先端に取り付けられた丸いそれを、俺は顔を寄せ、それから口の中へと転がした。甘く、程よい酸味の効いた味が口全体を満たす。旨い。純粋に旨かった。熱すぎず、しかし冷めてはいない口に入れるのに最適な温度が、その味に拍車を掛けていた。

 

「うん、美味しい。ありがとうな、小鈴」

 

「えへへっ、はい!」

 

俺は素直な感想を言い、小鈴の頭を針に糸を通すように撫でた。小鈴はされるがままになりながらも、こそばゆいのか、僅かに肩を持ち上げ首を(すく)める。俺はその様子を微笑ましく思いながら、ゆっくりと彼女の頭から手を離した。

 

「ところで……えっと、そちらの女性は先生の彼女さんですか?」

 

小鈴は俺の後ろで待機している咲夜に目を向けた。

 

「いや、違う違う。ただの連れみたいなものさ」

 

小鈴はそうなんですか?と言って、体を咲夜の方へと向き直し、自身の名前を出しつつ自己紹介をした。

 

「本居小鈴です。先生の元生徒です」

 

「…………十六夜咲夜です」

 

咲夜は良く言えばクールに、悪く言えば無愛想な態度で自己紹介を返す。普段の彼女らしくない行動に俺は思わず首を捻る。何か気にくわない出来事でもあったのかと、ここ数時間の記憶を辿(たど)ってみるが、しかしそれらしい事は何一つ思い当たらない。

 

無愛想な咲夜の態度に気がついていないのか、それとも単にそんな些細(ささい)なことを気に掛けない性格なのか、小鈴は自己紹介を終えたことに満足したようで微笑み浮かべて(のち)、俺との話を再開させた。

 

「それにしても残念です。先生かっこいいし優しいのに、浮いた話が全然あがってこなくて心配してたから」

 

小鈴は一つ息を吐いてそう呟く。まあ男女二人だけで祭りを散策していれば、そう見えてしまっても仕方がないだろう。事実はそんな甘ったるいものではなく、口にするのもたばかられるような、そんな関係であるとしてもだ。

 

「あっ、ならもし私が結婚できる年になっても先生に彼女さんがいなかったら、私をお嫁さんに貰ってくださいよ」

 

「おっ、本当か? それは嬉しいな。なら、結婚を焦る必要はないかもな。こんな可愛いお嫁さんが来てくれるんだから」

俺たちはそう言って笑い合った。こうやって元生徒と軽口が言い合える辺り、教師冥利に尽きるな、と俺がそんなささやかな幸福を噛み締めていた時、ふと真横からとんでもない紫色に染まりきった言葉が飛んできた。

 

「…………小鈴さん、駄目ですよ。冗談でも、こんな変態鬼畜ロリペド野郎にそんなことを言っては」

 

「えっ?」

 

小鈴は突然そんな台詞を吐いた咲夜に驚きの声を上げた。俺はおいおい、そんな不名誉な尾ひれを俺に付けるな、と抗議しようとしたのだが、次に放った咲夜の言葉はそんな生ぬるい俺の考えを一瞬で消し飛ばしてしまうものだった。

 

「ここ数日、私は天界より高く地底より深い事情により、この男の家へと仕方がなく、全身が張り裂けて血の雨を降らせてしまう程嫌だったのですが、本当に仕方がなく、泊まることになったのです。そこでこの男は見せたのです。幻想郷中を桃色に染め上げてなお、有り余るその変態性を」

 

「ちょ、おい!咲夜!?」

 

段々と雲行きが怪しくなる咲夜の言葉に、俺は焦りを感じ、有らん限りの蛮声(ばんせい)を上げる。

 

「例えばそうですね。まずこの男は路頭に迷っていた私の腕を強引に掴み取り、家へと押し込むと、とある一室に布団を敷き、私にこう言ったのです。おい、早く俺と寝ろ、と」

 

「ふぇ!?」

 

「ちょっと待てえぇえぇええぇぇぇえぇえぇ!」

 

元生徒(小鈴)の前で何を口走ってやがるんだ!と俺は急いで咲夜の口に制止を呼び掛けたのだが──

 

「その翌日、この男は風呂に入るから股間を洗えと嫌がる私を無理矢理風呂に連れ込み、それが終ると怪盗の(ごと)く見事な手際で私の下着を盗み出しました」

 

そうするにはもう遅かった。誰か時間を止めれる人物は近くにいないのかと、そんなことを考え出す程に、俺の思考能力は咲夜の猛毒によって機能停止寸前にまで追い詰められる。

 

「せ、先生?」

 

小鈴から驚愕や困惑、疑念に悲哀(ひあい)と言った様々な感情を鍋に放り込み、幻滅で味付けをしたような薄ら寒い視線が俺に向けられる。

 

「いや、違う!違うからな小鈴!」

 

既に手遅れと言える程にまで落ちてしまった俺の教師としての信頼を、蜘蛛の糸を使ってでも手繰り寄せようとし、弁明に口を開こうとしたのだが、十六夜咲夜と言う猛毒吐き鬼メイドはそれすらも断ち切ろうと、ハサミを俺に向かって突き立てた。

 

「更にはその翌日、私を着せ替え人形にした挙げ句、パンツを見せろと強要してきました」

 

小鈴は頬を引きつらせ、今まで彼女が見せたこともないような表情を見せる。落ちた!俺の信頼は完全に地に落ちた!落ちたどころかめり込んだ!しかし咲夜はそれでも飽きたらず、死体蹴りを敢行(かんこう)したのだった。

 

「そしてついさっき、俺の子供を孕めとそんなことまで言われました」

 

そう、幻想郷を(まと)めて焼き尽くす程の、そんな大きな爆弾で。

 

「こ、こど……も……」

 

音が死んだ。音が死んで小鈴の目も死んだ。今は祭りが行われている筈なのに、戦場後のような静けさがその場に満ちていた。徐々に回復する聴力が祭りの熱声を拾ってくるが、今はそれが戦友の死を嘆き悲しむ兵士たちの叫びにしか聞こえなかった。

 

「…………先生は……変態……鬼畜……先生は──」

 

小鈴はポツポツと向こうの方へと歩き出したかと思うと、そんな三単語を円をなぞるように呟き続ける。光が消え焦点の定まっていない目と、重心が優柔不断に揺れ動きながらも進んで行く小鈴の足取りが、段々と俺から遠ざかって行く。

 

「待て小鈴!話を、俺の話を聞いてくれぇぇえぇえぇ!」

 

って言うか──

 

「お前、そんなことを呟きながら人里を歩き回るつもりかぁあぁぁああぁぁあぁ!」

 

俺の絶叫は虚しく祭囃子(まつりばやし)に掻き消される。人混みに紛れ、もう既に見えなくなってしまった小鈴の背中を未練がましく目で追い続けた。そしてもう彼女が静止の声すら届かないどこか遠い場所へと行ってしまったのを理解し、俺は愕然(がくぜん)項垂(うなだ)れた。

 

「勝利の美酒は蜜の味……なるほど。思ったよりも口にできる味ですね」

 

この事態を引き起こした張本人である咲夜は、一人満足気に口を歪める。一体お前は何と戦ってたんだよ。何を打ち負かしたんだ?あれか、俺の信頼か?

 

「どうかいたしました?鬼畜変態ロリペド野郎様」

 

地面に突っ伏す俺を見下ろしている咲夜から罵倒の毒が降り注がれるが、最早そんなものが気にならない程、俺の心は(すさ)みきっていた。

 

「…………いや。もう次に小鈴と会う時、どんな顔で会えばいいんだよ。絶対変な目で見られるぞ」

 

借りた本の返却期限、明日なんだが。せめてあと数日、期限が残っていれば。日にちを置いて話をできたものを……。

 

俺は逃げることのできない現実を直視できず、大きくため息を吐く。無い物ねだりをしても仕方がない。もう起こってしまったものは無かったことにはできないのだ。俺はふらりとした足取りで立ち上がり、力の無い目で咲夜に一言物申すと言いた気な視線を訴えかける。しかしそんな俺のささやかなる反抗を咲夜はいつもの華麗な態度で受け流す。

 

「ご主人様レベルになれば、いたいけな少女の蔑みの視線ですらご褒美になると思い、とった私なりの気遣いだったのですが、お気に召しませんでしたか?」

 

「……そうだな。お前の気遣いは、いつも俺の心を打つよ」

 

ホント、もう勘弁してもらいたい。俺のこの切実な思いを理解してくれる者など誰もおらず、ただ咲夜のにこにことした笑みだけが、俺の側に寄り添っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺がどんなに心痛な思いを抱こうとも、時間は自分勝手に進んで行く。決して止まることはない。祭りの終わりを告げる鐘が、刻一刻(こくいっこく)と迫まり来る。あそこまで燃え上がっていた、大火は今や周囲を(ほの)かに温める、弱く優しいものへと変わっていた。そこに至るまで、俺たちは様々な場所へと足を運んだ。食べ物を販売する屋台がただひたすらに並ぶ大街道。水槽の中で真っ赤に燃える金魚を捕まえる金魚すくい。人里の中央広場で執り行われる盆踊り。限られた時間の中で、俺たちは祭りを燃やす薪木の一つとして、ただひたすらに場所へ場所へと己の体を埋め続けた。

 

「結構回ったな」

 

「そうですね。流石に少し疲れました」

 

人里外れにある小さな小さな丸太の椅子に、俺は咲夜と並んで腰を据えていた。ただそこらに生えている木をぶつ切りにした物を立てただけのお粗末な椅子。それは普段、田畑の仕事から帰る道中で農家の人々が一休みするのに使われている椅子だ。

 

そんな椅子が置かれている程に人里の出入口近い場所であるここは、目の前を行き交う人々が途切れることなく、右へ左へと流れ続けていた。もはや永遠にこの光景が続くのではないのかと思える程に、それは長く遠かった。

 

「腹減ったな。さっき買った物でも食べるか」

 

「はい。そういたしましょう」

 

祭りの熱から離れ出たこの場所は、休息を取るにはうってつけの場所だった。俺たちは祭りを見て回わり、屋台で得た数々の品物をそっと自身の足下に置く。しかし荷物の一部が傾き、地面へと倒れる。紙袋がくしゃりと悲鳴を上げ、金魚が怒ったように暴れだした。

 

「さて、何から食べようかな……」

 

俺はそんな独り言を呟きながら、足下に転がっている食べ物を拾おうとしたのだが、そこで咲夜からの妨害が入った。

 

「ご主人様、少しこの荷物を持っていただけますか?」

 

そう言った咲夜から、彼女自身の荷物が俺の方へと差し出される。

 

「ああ。いいけど……」

 

下に置けばいいんじゃ?と言おうと思ったのだが、咲夜がわざわざ俺にそう言ったのだ。何か意味があるのだろうと、俺は黙って咲夜から荷物を受け取る。すると咲夜は下からたこ焼きの入っている容器を掬い上げると、その中に入れられた八つの内一つを串で刺し、俺の顔へずいっと押し付けた。

 

「ご主人様、両手が塞がっているようですね?私が食べさして差し上げましょう」

 

おお、それはありがたい。手が塞がっていたら何も食べられないからな。

 

「ああ、ありがとう。…………あれ!?何かおかしくない?」

 

あまりにも自然な流れに思わず騙されかけた。確か俺の両手を塞いだのお前だよな。

 

「おかしいことなどありません。おかしいのはご主人様の性癖だけです」

 

いや、俺はそんな特殊な性癖持ってないわ!

 

「何です?小鈴さんが差し出した物は食べられて、私の差し出した物は食べられないとでもおっしゃるつもりですか?やはりご主人様は、鬼畜変態ロリペド──」

 

「あ゛ー!分かった分かった!食べればいいんだろ!食べれば!」

 

その呼び名は勘弁してくれと、俺はやけくそ気味にそう叫んだ。咲夜のせいで俺が人里を去る日がそう遠くないのではないのか?そんな恐ろしい事態にならないことを祈りながら、俺は咲夜が差し出している丸いたこ焼きを凝視する。

 

「では目を閉じてください」

 

「……は?何でだ」

 

なぜたこ焼きを食べさせもらうのに目を閉じる必要がある?普通に食べるならそんなことをする必要はないはずだと、俺は咲夜の謎の指示に従うか否か躊躇(ちゅうちょ)する。

 

「いいから目を閉じて口を開いてください」

 

俺に余計なことを言わせまいとしているのか、咲夜はいそいそと言葉を(まく)し立てる。俺はこれ以上迷っても無駄かと、咲夜の指示に従い目を閉じ、続いて口を開け、その中にたこ焼きが入るのを待った。やがてその時は来た。

 

「おごっ!」

 

入った。それは確かに誰のものでもない俺の口に入ったのだ。俺の憂いとは裏腹に、何の障害もなく実行された。しかし問題はその次だ。俺は初め、それを痛みだと錯覚した。まさか咲夜が俺の頬を内側から串で貫いたのか、と思ってしまう程の衝撃。脳に焼けつく刺激。いや、実際に焼けたのかもしれない。脳ではなく、俺の頬が。

 

「ッお、アグッ!」

 

熱い!頬の内側が焼けて細胞が死んだ。やけどによる断続的な痛みが頬に広がる。そう言えばこのたこ焼き、ここに来る直前に買ったものだったことを思い出した。全く冷まされていない、熱した鉄球に相成ったそれを、必死で押し出そうと舌を使うが、ミイラ取りがミイラに為るとでも言うのか、俺の舌が新たな犠牲者として換算される。

 

「アゲゴ!ガグガ!(止めろ!咲夜!)」

 

早く口からたこ焼きを引き抜いてくれと咲夜にそう懇願したのだが……。

 

「はい、もっとですね。かしこまりました」

 

この俺のリアクションを見て何故そんな解釈をしたのか。咲夜はにこにこ笑顔で新たなたこ焼きをこちらに突き付けて来る。いや、もう勘弁してくれと叫ぶために開けられた口に次々と押し込まれるソースで味付けされた茶色の熱源体。そこで俺は気が付いた。気が付いてしまった。にやりと咲夜が意地悪く浮かべた笑みに。

 

「イガッ、ぐおあぁあぁああぁぁぁあぁ!」

 

神経を伝う電気信号を少しでも取り出そうと、俺は叫んだ。しかしそれでも誤魔化しきれない衝撃が、俺の全身を駆け巡って離れない。俺がそんな拷問から解放されたのは、八つのたこ焼きが全て俺の口の中に収まってからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………咲夜、俺が何をした?」

 

「…………はて、何のことでしょうか?」

 

俺が拷問から解放され、一息ついた今。思ったほど重症になっていなかった口内のやけどに安堵しつつも、俺はジロッと湿気った睨みを咲夜へと飛ばした。

 

しかし咲夜は黙して語らず。()ました顔でただそこに佇んでいるだけ。目を閉じ、何かに聞き入っているのかと、思ってしまう程に静かな咲夜。能面、と言うには些か整い過ぎているその仮面には、一体何が隠されているのか。相変わらず、こいつの考えていることは分からない。もうこのまま一生動かないのではないか?と咲夜の様子にそんな疑念を抱きそうになったのだが、その瞬間、俺の考えを否定するかのように、咲夜は一人スッと立ち上がりゆっくりと唇を動かした。

 

「…………飲み物を買ってきます」

 

咲夜は俺の返事を待つことなく、そう言い残して一人祭りの情景に向かって行った。彼女の足取りは機械的なまでに正確で洗練されたものであるはずなのに、その後ろ姿はまるで不確かな蜃気楼のようにゆらりゆらりと揺れている。

 

「ったく、どうしたものか」

 

ここ最近、咲夜が不安定だ。昨日からもその傾向はあったが、この祭りに来てからはそれが顕著(けんちょ)に現れ始めている。彼女がどんな心情で、どのような悩みを抱えているのかは知らないが、少なくとも俺が彼女の心の内(領域)をズケズケと土足で踏み歩くのは()した方が良いだろう。

 

「…………難儀なもんだな」

 

人間と言う生き物はどこまで行ってもそうだ。咲夜にしてもそう、俺にしてもそう。面倒くさくて嫌になる。もっと単純に生きればいいのにそれが出来ない。もっと簡単に考えればいいのに、それを心が邪魔をする。妖怪のように自身の欲望に従って生きていけば、きっともっと楽なのだろう。でもそれをしてしまっては生きてはいけない。人間でなくなってしまう。死ぬまで悩み生き続ける宿命。人間の良くも悪くもあるその性質。人間に生まれた事を喜ぶべきなのか、妖怪に生まれなかったことを哀しむべきなのか。そのどちらにしても──。

 

「……まぁ今考えることではないか」

 

俺は頭を切り替え、この自己満足染みた考えを周囲の空気と共に入れ換えようと、大きく息を吸う。休憩中である筈なのに逆に疲れた気がする。もうこれ以上、何も考えないでいようとボケッと目の前の光景に目を通す。

 

そこには相変わらず延々と続く人々の往来があった。今では見慣れている筈の光景なのに、しかし綺麗なものは綺麗なのだ。俺はほうっと吐息を漏らす。それはここを通る人々の爛々(らんらん)とした顔が、こうして人妖が分け隔てなく関わり合う様が目に入り、意図せず溢れだした行動だった。だからだろうか。俺はその中でこの光景に見合わない小さな小さな人影に目が行った。そこだけが浮き出ている様に映るその人影は、俺の視線と人との間を隠れては現れ、隠れては現れを繰り返す。よく目を凝らして、それに焦点を合わせようと眉間にぐっと皺を寄せた。ぼやけた視界がスッと曇りを晴らした。

 

人影の正体は女の子だった。俺がいつも相手をしている生徒たちとは一味も二味も違った女の子。身長は同程度ではある。違うのは髪色や服装だ。その少女の髪は薄い紫で染め上げられ、服装も人里でよく見る和服ではなく洋服だ。ふわふわとしたドレス調の可愛らしい服装が少女の体を包んでいる。しかしそれ以上に異なっているのは少女の背中から羽が生えていることだろう。それは少女が人間ではなく、妖怪であることの証明だった。

 

「何してるんだ?あの子……」

 

少女の様子は少なくとも普通と呼べるものではなかった。少女はふらふらと周囲を不規則に歩き回りながら、首を忙しなく動かしていた。その様子を見て俺は少女が何をしているのか気がついた。少女は恐らく誰かを探しているのだろう。右へ左へ振られる首も、切羽詰まったように落ち着きなく位置を変える両足も、きっとそれらは全て彼女が探す誰かを見つける為の仕草なのだ。

 

それを理解してしまった俺は自然と立ち上がり、少女の方へ向かって足を動かしていた。これが俺の持つ教師の性質(たち)と言うものなのかもしれない。要らぬお節介かもしれないが、しかし困っている小さな妖怪を放っておける程、俺は非情な人間ではないのだ。俺は地面に置いてある荷物を拾い上げ、流れる人の川を横切り進む。少女は川を渡り切って直ぐの、言わば向こう岸にいた。流れに抗う結果生まれる迷惑そうな視線に、俺は謝りを入れながら前へ前へと進んでいく。さして川の人口密度が濃くなかったお陰か、案外すんなり少女の元へとたどり着くことができた。

 

「どうした、お嬢ちゃん。迷子か?」

 

俺はさしもつい先程見かけたかのような調子で少女に声をかけた。少女は一瞬呆気に取られるものの、次の瞬間には警戒心を隠しもしないで俺をキッと睨み付ける。

 

「……何?ナンパは他所(よそ)でやってくれる?」

 

これだけ刺のある言葉をぶつけられていると言うのに、不思議と怒りは沸いてこない。咲夜と過ごした時間のお陰……いや、せいかもしれない。

 

「ナンパじゃないさ。お前みたいなちんまいのを俺がナンパするわけないだろ」

 

俺は正直に自分の気持ちを少女へと伝えた。俺は確かに子供が好きだ。それは認めよう。しかし好きは好きでも、好きの種類が違う。決して恋愛的な要素は含まれていない。俺は今一度、強くその事を念押そうと、少女の方へ再び視線を向けたのだが、当の少女は顔をうつ向かせ、両手を握りしめながらふるふると身体を震わせていた。

 

「…………ち」

 

「ん?」

 

「ちんまくないわよ!」

 

溜めて溜めた末に放出された、こんな小さな体の何処から出ているんだと疑問に思ってしまう程の大声。怒りに侵食された少女の瞳から、射殺さんばかりの視線が下から競り上がって来る。少女はそのままドンと地響きを起こすかのように、俺の方へと一歩踏み出す。いや、踏み出すと言うよりは俺と少女の間にある空間を踏み潰したと言った方が適切だったかもしれない。

 

「いい!私は偉大な夜の王にして、全ての運命を見通す吸血鬼の頂点、にして原点の子孫!レミリア・スカーレットなのよ!」

 

そんな彼女の名乗りを聞いて納得した。あーなるほど。この()はあれだ。言わば“早めの中二病”と言われる状態にあるのだ。人里の教師をしているから分かる。簡単に説明をすると、幼児期の子供なんかは何か格好いい人を見つけると、その人物の真似をしたがるのだが、その発展に中二病と言われるものがある。これは言わば格好いいオリジナリティ溢れる自分を形成する症状が現れる年頃の子供がかかる病だ。そして先程言った“早めの中二病”とは、本来中二病にかかる年齢よりもかなり早い段階で現れる、幼児期の格好いい人物を真似る症状と、中二病の症状が混じった“憧れの立場に自分を置き、更にその自分に設定を盛り込む”と言ったかなり特殊な症状を持った病の事を言うのだ。俺も立場上、何度かお目にかかったことがあるのだが、まさか妖怪でもそんな病を持つ子がいるとは思わなかった。こう言う子は否定したら駄目なんだ。肯定してあげないといけない。

 

「うん、そうだな。凄いよな、夜の王だよな、偉い偉い」

 

俺はなるべく穏やかな口調で少女の言葉を肯定し、優しい手つきで少女の頭を帽子ごと撫でた。

 

「んにゃー!頭なでなですんな!」

 

しかし少女は何がお気に召さなかったのか、頭を撫でていた俺の手を乱暴に払い除ける。ああ、なるほど。“偉大な夜の王”設定なのだから、あまり子供扱いをすると怒られるのか。俺は一つ彼女との接し方を理解して、うんうんと頷いた。しかしどうやら少女にしてはその態度が癪に触ったらしい。

 

「……お前その態度、信じてないわね!」

 

「いやいや、信じてるさ。格好いいよな、王様って」

 

分かる分かる。憧れるのは凄い分かる。

 

「ぐがー!本当なんだから!ホントにホントなの!ホントだもん!」

 

少女は両手を思いっきり夜空に振り上げて、こちらを威嚇するように()えた。俺はそんなムキになる少女の様子を微笑ましく思いながらも、ああそうだと当初の目的を思い出した。

 

「で、何だ?誰かを探しているように見えたんだが……」

 

ふと数分前の少女の姿を思い出す。辺りを挙動不審に歩き回るその様子は、どこか焦りと不安を背負い込んでいるようで、皆が笑顔を浮かべる中、一人暗い顔で人々と逆方向に足を運ぶ彼女の様子は、未だ脳の裏側にベタリとへばり付いていて離れようとはしなかった。

 

「…………そうよ、人を探してるの」

 

やはりそうだった。俺は自身の予想が的中したことに少しの充足感を覚えながらも、少女にある提案をしようと口を開いた。

 

「……なら結構歩き回ったんじゃないのか?疲れたろ?どうだ、少し休憩していかないか?林檎飴やるから」

 

「…………お前これ、本当にナンパじゃないわよね」

 

警戒心が増した少女の視線と言葉を、俺は苦笑いを浮かべて違う違うと首を横に振り否定する。少女も疲れていたのか、それ以上は何も言わず、すんなりと俺の提案を受け入れた。俺たちが休憩場所に選んだのは、先程咲夜と腰を据えていた場所と全く同じ所だ。と言うのも、咲夜がここに戻ってきて、俺の姿が見えないと言うややこしい事態を避ける為である。俺は隣で落ち着かない様子を見せる少女に、後で食べようと取っておいた林檎飴をそっと差し出した。

 

「……ありがと」

 

少女は俺にお礼を言うのが(しゃく)なのか、なるべくこちらに声を聞かれないようにと、ボソボソとそう言った。少女は林檎飴を包んでいた覆いを取り去り、その紅く大きな球状の飴にちろりと舌先を()わせた。何故かは分からないが、少女と林檎飴がこうして一つの像として写る様は、非常に絵になっていた。相性が良いとでも言えばいいのだろうか。少女の透き通った白い肌手に、紅く程よい透明感を持つ林檎飴が握られている。その在り方がどうしようもなく自然で、もしかしてこの林檎飴は元々彼女の物で、それを俺が彼女に返しただけではないのかとそう思ってしまう程に、少女と林檎飴はお似合いだった。

 

しかしいくら様になっているからと言っても、これ以上俺が彼女を見続けていれば有らぬ疑いをかけられて最悪、里の自治体に連れていかれる可能性がある。俺はそうなる前にと視線を前へと戻す。

 

その瞬間だった。低いとも高いとも取れない中途半端な鐘の音が人里中に響き渡った。これはそう、祭りの終わりを知らせる音であり、花火の打ち上げを告げる合図だ。俺は咄嗟(とっさ)に咲夜の姿が頭の中に思い浮かび、先程までの少女と同じように探し人を見つける為、首を振り、彼女の姿を探した。しかし目につくのは花火の始まりに浮き足立つ子供たちや、まるで石のように動かない老人など、俺の望んでいないものばかり。目を皿に少しでも視界を広げようとしたのだが、結局咲夜を象徴する白銀の髪は一度も姿を表すことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

一発の爆発音と共に花火が始まった。腹の底に響き渡るような重低音が、一つまた一つと空気を伝わって向かってくる。俺たちはその間、何も話さず、何もすることはなかった。隣の少女も林檎飴を舐めることなく、ただ夜空を見上げていた。その時、何よりも大事なのはこうして赤、青、黄と黒いキャンパスに描いては消され、描いては消されを繰り返す色鮮やかな絵の具の炎たちを眺めることであって、お互いの距離感を詰める為の乱雑で空虚な無駄話などでは決してなかった。

 

緩やかに打ち上げられては、己を消失させてまで人々に感動を生じさせる尺玉(しゃくだま)たちの断末魔(だんまつま)。次々と上げられるそれらに紛れて、他より一層大きな音が全てを飲み込んだ。ありきたりな言葉を使うなら、空に咲く一輪の花と、そう表現するのが妥当だろうか。視界一杯に弾ける一つの花火。その色は白だった。大きく大きく膨らみ続け、花火の破片たちが光を発しながら下へ下へと落ちて行く。それはやがて消え去って、またもや大きな紅い花火が夜空に弾ける。人々は皆、先程の白い花火の事など忘れたように、紅い花火の鮮やかさに感嘆の吐息を漏らす。二つの花火は決して交わることはなく、しかし決して互いを尊重している訳ではなかった。それは至極当然な事で、そして何よりも寂しい事だった。

 

 

 

 

 

 

音が止み、光が消えた。花火が終わったことで、祭りの幕引きが始まった。周囲の人々は皆、祭りの後片付けをする為、ただ友人たちと酒を呑み交わす為、各々自分たちの目的を遂行する為に行くべき場所へと帰って行く。

 

そんな中でも俺たちはただ終わった花火の残骸を探すように、何も言わず夜空を見上げていた。ふと合わせた両手から水が溢れ落ちてゆくように皆が遠ざかって行くのを、俺たちはただ見送るばかりだった。

 

「……終わったな」

 

「……そうね」

 

俺たちの周囲に人影が無くなって、ようやく交わされた短い会話。花火が終わって随分と時間が経ったと言うのに、自然と俺は少女にそう言っていた。ただ少女もそれに対して何も指摘せずに肯定の言葉を返した。しかしその少女の声は、祭りの終わりに感化されたかのような寂しさを含んでいた。俺は目線を夜空から少女に移し変える。少女の姿勢は花火を見ていた時と変わらず、どこか遠くの場所へと届かない手を伸ばすように、そっと空を見上げていた。ただ一点、変わった所があるのだとしたら、それは少女の持つぱっちりとした大きな瞳の湿り気が増したことくらいだろう。

 

「まああれだ。何があったかは知らないが……元気出せよ、ちんまいの」

 

俺はなるべく明るい声でそう言った。

 

「ちんまい言うな!」

 

少女はすかさず叫んで俺に突っ掛かる。その声に先程の寂しさは一欠片も含まれていなかった。それから少女は三角形に収納していた足を崩して怒りの言葉を繋ぐ。

 

「お前、あまりにも私を馬鹿にするのなら、終いには血を吸うわよ!この鬼畜変態ロリペド野郎!」

 

俺は呆然とした。その言葉に続くように少女が何やらぎゃーぎゃー喚いているが、そんなものは一切耳には入ってこない。ただ“鬼畜変態ロリペド野郎”と言う全くもって不名誉過ぎる呼び名だけが、俺の脳内をぐるぐると回り続ける。

 

「ち、ちょっと待て!その呼び名、もう既に幻想郷に浸透しているのか!?」

 

咲夜が考案し、小鈴に伝承されたその呼び名。俺にとってはトラウマ以外の何でもない呪いの言葉。まさか小鈴の呟きによって、その呼び名が人里内に広まってしまったのかと、焦りの冷や汗を流しながら少女の肩を両手で掴んで詰め寄った。

 

「は、はぁ!?何言ってるの?そんな訳ないでしょう!」

 

「だよなぁ!」

 

「もう、お前は何なのよ!」

 

ホッとした。どうやら俺はまだ人里で生きていけるらしい。いや本当に、生徒たちに舌っ足らずな口調で「きちくへんたいろりぺどやろぉ」なんて言われた日には、俺は泣きながら上白沢先生の机に辞表を叩きつけなければならなかった。

 

そんな一悶着(ひともんちゃく)があったものの、それからはただ静かな時が流れた。どちらも互いに動かない。考えてみれば俺たちは一緒に祭を見に来ているわけではない。花火も終わった今、別にここで別れてしまっても何ら問題はなかった。まあ少なくとも俺はここで咲夜を待たなくてはいけないので、こちらから離れる訳にはいかないのだが、しかし隣に座る少女は違う。もしかすると、ただ単に俺と別れるタイミングを逃したのかもしれないし、もう少し体を休めたいなと思っているだけなのかもしれない。とにかく理由はどうであれ、少女はこの場から動こうとはしなかった。しかしそれも唐突に終わりを告げる。

 

「…………喧嘩をしたのよ」

 

いつまでも続くかと思われたこの時間を、少女は口を開くことで破り去った。

 

「喧嘩?誰とだ?」

 

「……従者よ」

 

少女は静かにそう言った。

 

「ちょっとした事でね。私が怒っちゃったの。それで仲直りしようと昨日から探し回ってるのよ。もしかしたら祭りに顔を出してるんじゃないかと思ったんだけど、今思えば彼女が祭りなんて俗物に興味を持つなんて可能性、微塵もなかったわね」

 

無駄足だったわ、と少女は呟く。なるほど。やっと理解した。それで人里を歩き回っていたのか。恐らく子供同士の喧嘩。運の良いことに、それらの対処は職業上よくあることだ。

 

「まあ、あれだ。お前くらいの歳頃には友達と喧嘩なんてよくやるもんだ」

 

「友達じゃない!従者!」

 

少女は耳を刺すような声で言う。

 

「いやいや、お前がどこのガキ大将かは知らないが、友達を従者なんて、そんなこと言っちゃいけねぇよ」

 

「うがぁー!お前、本当にムカつくわね!」

 

少女は両手で頭を抱え、地面に座りながら本日二度目の地団駄を踏む。

 

「で、その友達とは喧嘩して何日目なんだ?」

 

「…………多分、六日目」

 

少女は地団駄を停止させたものの、怒りはまだ抜けきっていないようで、不機嫌そうにむすっと口先を僅かに尖らせていた。

 

「六日……なら心配することはないさ。その友達とは喧嘩別れしてからまだ会ってないんだろ?」

 

「…………うん」

 

少女は素直に頷きながらも従者だけどね、と付け足すように呟く。

 

「なら次会った時にしっかり謝ればきっと全て解決するさ」

 

まあ、その喧嘩相手が我が家の鬼メイド咲夜のような、冷酷非道の一面をを孕む人間なら難しいかもしれないが。

 

「…………そうかな?」

 

「そうさ」

 

きっと大丈夫。そう囁きかけるように俺は肯定した。

 

「……嘘ついてない?」

 

「ついてない、ついてない」

 

「……仲直りできると思う?」

 

「きっとできるさ」

 

問答を終えると少女は掠り消えそうな声でそっか、とそう呟き、より一層自身の体をぎゅっと絞るように縮まらせる。三角座りをしながら顔を伏せる少女。彼女は今、どんな表情をしているのだろうか?ここからではそれを伺い知ることは出来ない。いつまでそうしていただろうか。それはとても長いように感じたし、とても短い刹那(せつな)な時間のようにも感じた。ただ少なくとも、俺はそんな時間が嫌いではなかった。

 

「…………今日はもう帰るわ」

 

ふと突然、少女は立ち上がり俺を見下ろしながそう言った。そうか、と俺は返して少女と同じように立ち上がる。今度は俺が少女を見下ろす形となる。

 

「じゃあね。変態にしてはまだ役に立つ人間(やつ)ね、お前。職に(あぶ)れていたら特別に雇ってあげなくもないわよ」

 

少女は羽を一つ羽ばたかせ、宙に体を浮かせ始める。そして再び少女は俺を見下ろした。

 

「住み込みで無給料、無休日の三食おやつ付き。なかなかの厚待遇でしょ?」

 

「それは最近、(ちまた)で聞く“ブラック”ってやつだな」

 

俺はあまりにも理不尽な雇用内容に思わず苦笑した。少女はそれに微笑みで返す。

 

「じゃあな、ちんまいの」

 

「じゃあね、変態さん」

 

少女は飛び去った。風が舞って姿が書き消える。身体中に生暖かい風が押し付けられる。風圧により閉じていた目を開けてみれば、そこには誰もいなかった。しかしその変わりだと言うように、先程少女のいた場所には真ん丸の完成された月が浮かんでいた。花火の煙に祭りの光が照りつけられているせいか、視界の端に映り、一つ寂しく浮かぶ月は綺麗な紅で染まっていた。

 

 

 

 

少女と別れて間もなく、俺は待ち人の姿を視界に捉えた。両手には一本ずつ、どこかから買ってきたのであろうビンが握られていた。それにしても本当に遅かった。迷子になってたのか?と一瞬思ったりもしたのだが、あの咲夜に限ってそれはないなとすぐ様、自身の考えを否定する。まあそれは後から本人に聞けばいいかと、俺はツカツカと早歩きでこちらに向かってくる咲夜に手を挙げて声をかけようとしたのだが──

 

「咲夜、遅かったなってうおっ!」

 

その咲夜はサッと足元に転がる荷物ごと俺の腕を巻き込むようにして抱き込み、そのまま俺を引っ張る形で(きびす)を返す。

 

「ちょ、お前!どうしたいきなり!」

 

あまりにも唐突な咲夜の行動に俺は反射的にそう言った。明らかに俺と別れる前と様子が違う。

 

「……帰りましょう、ご主人様」

 

「はぁ!?いきなりどうした?」

 

唐突に唐突が重なり、驚愕が驚愕に塗り潰される。咲夜の言わんとしていることは理解できるのだが、何故そんな事を言い出したのかが理解できない。

 

「いいから貴方は黙って、己の欲望のままに私を家へと連れ込めばいいのです」

 

「いや、お前何意味不明なこと言ってんだ!?」

 

本当にどうしてしまったのだと俺は咲夜の顔を覗き込もうしたのだが、そこで一つの違和感を覚える。

 

「……咲夜?」

 

咲夜は顔を伏せたまま、こちらに顔を向けないで、ただ俺の腕を抱えながら引っ張って俺の家へと向かっていく。その姿はいつもの毅然(きぜん)として瀟洒(しょうしゃ)な彼女とはかけ離れた、どこにいてもおかしくない、弱々しく脆く儚いそんな少女の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁側で一人、月を見上げる銀髪の女性。真っ白な襦袢(じゅばん)を緩く(まと)ったその肌は、月明かりに照らされ、僅かに透けているように見える。そんな女性の目の前に生えている生垣(いけがき)の持つ深緑が、彼女の存在をより浮き上がらせていた。

 

俺は忍び寄るようにして彼女、十六夜咲夜の背後にスッと近づく。しかしそれでも咲夜は俺の気配を感じ取ったようで、(ひね)るように半身をこちらに向け、俺を見上げる。

 

「…………どうだ?落ち着いたか?」

 

そう言って俺は体一個分離れて咲夜の横に座った。俺も咲夜も互いの方に目は向けず、夜空に浮かぶ月を見上げる。

 

「……いつ私が取り乱したと言うのです?」

 

その咲夜の頑固な物言いに俺は思わず頬を綻ばせた。

 

「そうだったな」

 

俺は持ってきた酒瓶を自身の体と咲夜の間に置く。コトリと音が鳴った。それを合図にふわりと髪をすくような風が、俺たちの頭上を通り抜ける。軒下に吊るされた泡沫が弾け、凛とした音が鳴り響いた。

 

「…………静かだな」

 

「…………はい」

 

祭の後とは思えない静けさ。二日前、咲夜と居酒屋に行った時程ではいかないが、遠方から聞こえる人の声や、小さな虫の音が認識できるくらいには静かな夜だった。

 

俺は酒瓶を手に取り、栓抜きでその瓶のフタを取り去る。この場にそぐわない軽快な音が耳の中に投げ込まれる。俺は持ってきた盃の内一つを咲夜に差し出した。黒く漆塗りされた表面がそっと夜の薄暗さに馴染む。

 

「要るだろ?一献(いっこん)

 

「……ありがとうございます」

 

咲夜は差し出された盃を受け取り、俺はそこに酒を注ぎ込む。それが終わると俺も同じように自身の盃に酒を注ぐ。

 

溢れるギリギリまで酒を注いだ盃。それを両手で包み込むようにして持ち上げる。それからその盃を傾けて、その中身を口の中に流し込んだ。かなり度数のあるアルコール濃度により、喉に焼けるような感覚が走る。ふと隣にいる咲夜に目を向けたが、彼女も目を閉じ酒を煽っていた。ふう、と片耳から艶かしい吐息が聞こえる。俺と咲夜は黙ってただ盃を傾ける。そのせいか、盃の中身はあっと言う間に無くなってしまった。

 

「……祭り、終わってしまいましたね」

 

咲夜はふと呟く。

 

「……ああ、終わったな」

 

そう終わった。終わったのだ。あれ程までに燃え上がった大炎は、今や一陣の風で全てが吹き飛ばされてしまう残火となった。もう後少しの時が刻まれれば、その残火もただの灰の山となるだろう。

 

そこで俺は祭りに参加した当初の目的を思い出した。そうだ、祭りに参加したのは咲夜が祭りに行きたい、とそう言った為だった。俺自身も祭りの雰囲気に流されてしまい、当初の目的を見失っていた。

 

さて、では咲夜はこの祭りを純粋に楽しめたのだろうか?どうしようか迷ったあげく、俺が率直(そっちょく)に尋ねようかと迷っていた時、こほんと咲夜がわざとらしい大きな咳き込みをした。ちらりとこちらを伺う様子から、俺は咲夜が何かを言いたいのだろうなと言うことを察した。案の定、俺が閉口していると、咲夜は澄まし顔で喋り始めた。

 

「ご主人様、ご主人様」

 

「……何だ?」

 

「この祭りを通して、私とご主人様の距離が、そうですね……アリの一歩程近づいたのではないでしょうか?」

 

「随分とせこい距離の詰め方だな」

 

そもそも、それは近いた内に入るのか?

 

「とは言え一応は距離を詰めたのです。折角なので私を愛称で呼んでみてはいかがでしょう?」

 

「……愛称?」

 

唐突な咲夜の提案に、俺は思わず口ごもる。

 

「はい。例えばそうですね。“さっちゃん”でどうでしょうか?」

 

「さっちゃん?ああ、咲夜だからか」

 

流石に安直過ぎないか?とも思ったのだが、確かにそれ以外の呼び名を絞り出そうとしても、パズルのピースがピッタリとはまるような、これだと思えるものは見つけることができなかった。

 

「ところでご主人様は“さっちゃん”と言う歌を知っておられますか?」

 

まだもう少し考えれば何か良い呼び名が出てくるのではないかと、俺は決して使うことのないだろう呼び名探しを続行しようとしたのだが、しかしそれを停止させるように咲夜はそんな質問をしてきた。

 

「ん?ああ、知ってはいるが」

 

「ではその歌の二番に《さっちゃんはねバナナが大好き》と言う歌詞があるのは?」

 

「まあ知ってるな」

 

「変態ですね」

 

「何でだあぁ!」

 

どうしてだ!?何でさっちゃんの歌詞を知ってるだけで変態になるんだ!?

 

「ご主人様のことです。バナナ好きなんだろ?お前はさっちゃんなんだろ?なら俺のバナナを……とか言ってくるに決まっています」

 

「被害妄想激し過ぎだろ!」

 

あまりに横暴な誘導に俺が溜め息を吐くと、それを見た咲夜がふふふっと口元に手を添え笑う。笑いを押し殺しているような、それでも耐えきれず声が口の端から漏れ出しているような、そんな様子だった。

 

彼女の肩が断続的に震え、月明かりにより透ける白銀の髪が優しく揺れる。彼女はずいぶんとそうしていた。しかし徐々(じょじょ)にその発作とも取れる状態が緩やかに落ち着きを見せる。やがてそれが完全に収まると、彼女はそれまで取り込めなかった分の空気を吸い込むかのように、大きく一つ深呼吸をした。

 

「……貴方とこんな馬鹿らしい話をしていると、少しばかり気が楽になりますね」

 

その代償が俺のメンタルとは如何(いかが)なものか。せめて等価交換をして欲しいものだ。完全に俺が損している気がする。

 

まあそれを言っても仕方がないかと、俺は自身の持っている盃に新しい酒を注ぎ、中身を飲み干すことで競り上がってきた言葉を腹へと押し戻した。咲夜も俺を真似るかのように、新しい酒を盃に注ぐ。

 

ゆっくりとゆっくりと酒瓶の中身は量を減らしてゆく。俺と咲夜は何もせず、何も話さずひたすらに酒を煽った。そして丁度、残りがお互いの盃一杯分程になった時、咲夜は唐突に口を開いた。

 

「…………何も、聞かないのですね」

 

それはきっと、咲夜が突然帰ろうと言い出したことについてだった。

 

「……聞こうか?」

 

「……意地悪は止めてください」

 

咲夜は少し拗ねたように口を紡ぐ。俺は彼女のそんな様子に思わず笑いがこみ上げる。

 

「悪い悪い。日頃の仕返しってやつだよ」

 

仕返しにしては随分と可愛らしいなと自分で思いながらも、俺は咲夜の言葉を待った。あの冷静沈着な彼女があそこまで取り乱したのだ。きっと俺と別れた後で、何かあっただろうことは明らかだった。俺は盃に最後の一杯を注いだ。

 

「…………先程、前の主人に会いました」

 

咲夜は何てことないように、まるで明日の天気を俺に告げるかのように言った。

 

「へぇ、それは……」

 

どうなったんだ?

 

「正確には遠目から見かけたと言う方が正しいです」

 

なるほど。と言うことは実際に話したのではないと言うことか。でもそれだけでどうしてああなったのかが分からなかった。しかしその疑問は咲夜が発した次の言葉で解消された。

 

「見かけた……見かけただけなのですが、私は知ったのです。その方が私に戻って欲しいと、願っていることを」

 

そう言うや否や、咲夜が体を()って俺に近づいてきた。酒瓶で仕切られていた俺と咲夜の境界線が、音を立てて崩壊する。

 

「…………ご主人様、私はどうすればいいのでしょうか?」

 

咲夜が潤んだ目でこちらを見上げる。その顔は咲夜が俺に出会ってから一度も見せたことのない、彼女らしからぬ弱々しい表情だった。そこで俺は理解する。きっと咲夜は自分の感情が、考えが、立場が混雑して不安定になっているのだと。何をどうしたらいいのかが分からなくなって、自分で決めることができなくて、それで俺に答えを求めているのだ。しかしそれは俺の決めることではない。いや、決めてはならない。

 

「……咲夜、お前はどう思っているんだ?」

 

咲夜は崩していた姿勢を正し、俺のすぐ真横に座り直した。彼女は何もない目の前の生垣(いえがき)に顔を向けていた。隣から見る彼女の横顔は、毅然に振る舞ってはいるものの、やはりどこか朧気に霞んでおり、不安の色がありありと見てとれる。彼女はしばらく黙っていたが、やがて言葉を見つけたのか色素の抜けた唇を静かに開いた。

 

「……ここ一週間近く、私は貴方様に仕えてまいりました」

 

咲夜は目を閉じる。(まぶた)の裏に書き記した、ここ数日間の日々を、彼女はその一言で読み上げる。きっとそれを理解できるのは、共に時間を過ごした俺だけなのだろう。その部分だけが、俺と咲夜を繋ぐ唯一の渡橋だった。

 

「そこで気がついたのです。やはりどうあっても、私の“主人”は貴方ではなく、あの方しかいないのだと言うことに」

 

咲夜は再確認するように、自分に言い聞かせるようにそう言った。

 

「ですが……」

 

咲夜は正面を向いていた顔をこちらに向ける。彼女が向けたその顔に驚き、俺は思わず表情を固まらせる。その顔には明らかな“甘え”の感情が含まれていた。目の前にいる人物が『十六夜咲夜』ではない誰かではないのかと疑うが、ここ数日に渡って彼女の存在を記録した俺の頭が、それを大振りで否定した。それでは正真正銘(しょうしんしょうめい)、誰でもないこの『十六夜咲夜』が俺に甘えを示していると言うことになる。そんな予想もしていなかった状況に頭が追い付かず、俺は混乱の最中(さなか)に放り込まれる。咲夜はそれを無視するかのように言葉を続けた。

 

「ですが、もし私が主人に仕えずに“メイド”としてではなく、ただの“少女”として生きるのなら、このままでも、このまま貴方と生きるのも悪くない、とそう思っている私もいるのです」

 

咲夜の言葉で、ぐるぐるとかき回されていた混乱の渦が、凍りついたかのように動きを止める。疑問となって固まったそれが、理解の熱で氷解してゆく。大きな水溜まりとなったその場所の底から、水源のように解が湧き出ていくのを感じた。それは決して地底から吹き出した温泉のような勢いはない。しかしその緩やかさが、俺の頭にそれを染み込ませるのには丁度良かった。

 

……ああそうか。咲夜、お前はきっと──

 

「…………咲夜、はっきりと言おう」

 

一拍置いて、俺は手の内にある盃の最後の一杯を飲み干した。

 

「お前は主人の元に戻るべきだ」

 

そうきっぱりと断言したが、咲夜は一つとせず表情を変えなかった。

 

「お前が持っているその感情は、一時的な勘違いに相違ない。主人に放り出されたお前を俺が拾い、こうして形だけでも俺に仕えた結果生まれた感情(もの)だ」

 

そう、人はきっとこれを好意(偽物)とそう呼ぶのだろう。

 

「お前はいつかそれに気がつき、そして(いず)れ必ず後悔する」

 

その日は来る。望まずとも来てしまうのだ。

 

だから……。

 

「だからお前は主人の元に戻るべきだ」

 

だから終わりにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主従(この)関係を。

 

 

俺たちは互いに見つめ合う。それは相手の思考を探るような、邪推で不粋なものではない。純粋な互いの決意を確かめる行為。

 

俺が下した言葉は一方的な決断だったが、決して一人よがりな決断ではなかったはずだ。これが最良、必然、運命とさえ言ってもいいかもしれない。きっとどう動いても最後にはこうなっていたはずだ。ただ早いか遅いかだけ。ならば今、そうした方がいい。もう咲夜が俺に奉仕をして、俺が咲夜の傷を舐める、そんな成り代わりの関係は終わったのだ

 

聡明な咲夜のことだ。彼女もきっとどこかで分かっていたはずだ。

 

「なるほど、了解いたしました」

 

だから咲夜は言った。俺の考えを理解した上の言葉を言った。言った。確かに言ったのだが……。

 

「つまり貴方は、私を哀れでちょっと優しくされただけでころっと心を許すような、女神よりも究極可憐で尊い超スーパー美少女と、そう言いたいわけですね」

 

なんて自画自賛を真顔で言ったのだ。

 

「いや、後半全部言ってないが……」

 

どう解釈すればそこまで自分を美化できると言うのだ。確かに俺の言っていることを理解はしているのだが、しかし要らないものまで付いてきた。

 

咲夜の唐突なボケにより、いつものように戻ってしまったこの空気。さてどうしてくれるんだと、俺が頭を悩ませた瞬間、咲夜がこちらに覆い被さってきた。

 

「ちょっ、咲夜?」

 

彼女の突然の行動に俺は戸惑いを露にする。しかし咲夜はお構い無しにと俺の上から体を退けようとしない。ならばとこちらから咲夜を退()けようと、彼女の肩に手を当て押し戻そうとするが、酒により生じるふわふわとした浮遊感がそれを阻害する。さてこの状況をどう対処しようかと頭を悩ませたのだが、そこでふとそれを邪魔するかのように、咲夜が俺の背中に手を回し、ぎゅっと自身の体を押し付けてきた。

 

「ご主人様」

 

「……何だ?」

 

そう言葉にするのが精一杯だった。考えれば考えるほど悪化する状況に、頭がしどろもどろにかき回される。普段、聡慧(そうけい)で思慮深い咲夜が今何を考え、何の目的でこんな行動をとるのか。俺はそれを図りかねていた。

 

「貴方の言葉は、本当に私を思ってのことなのですか?それとも、私を(てい)よく追い出す為の口実ですか?」

 

そんな俺の状況に関係なく、咲夜は更に体をこちらに寄せてくる。

 

「そんなに私は貴方にとって魅力の無い女性なのでしょうか?」

 

「そ、そう言うわけじゃないさ」

 

半ば無意識にそう言っていた。言いはしたが、ただじっくり答えを考えたとしても、俺の答えは変わらなかっただろう。いつも刺々しい態度で毒舌を吐きはするものの、それを除けば咲夜は(れっき)とした物言う花なのだ。

 

「なら、そうでしたら……」

 

咲夜は言う。そっと言う。彼女らしからぬ言葉で、表情で、心情で。

 

「今夜だけ、今夜だけはお酒のせいと言うことにいたしましょう」

 

そう言って俺を見上げる咲夜の瞳は妖艶に湿めり、頬は紅く染まっていた。そこで俺はやっと気がついた。普段とあまりにも違う咲夜の様子、その理由(わけ)を。

 

「…………咲夜お前──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酔ってるだろ、とは言わなかった。

 

「んふふふっ」

 

何故ならそう。もう誰の目から見ても明らかに酔っているからである。

 

「あっ!ご主人様、今私が酔ってるとか思ってるんでしょう?そんなわけないじゃないですかぁ」

 

口調がおかしいぞ、と突っ込む気さえ起きない。俺も今日は祭りを回ったことと、ちんまいのと言う厄介者(イレギュラー)と関わったことにより普段よりかなり疲労が溜まっている。

 

「ごろん♪」

 

そんな俺の事情も知らないで、咲夜は俺の体をすべり台にして滑り落ち、頭を俺の膝の上に乗っけた。それからそのまますりすりと自身の頭を俺の膝に擦りつけて甘えてくる。何ともまあ珍しい光景だ。

 

「ったく、質の悪い酔っ払い──」

 

そう言おうとした所で思い出した。それはそう、咲夜がこの家に来て四日目の夜。俺が咲夜と居酒屋に行き、彼女が限界まで酒を呑んだ時のことだ。

 

そこから当時の咲夜の様子を回想し、俺は気がついた。確か咲夜って酔っ払ってもこうはならなかったのではないかと言うことに。

 

「…………咲夜。お前、酔ってるフリしてるだろ?」

 

「あら、バレました?」

 

「バレるわ!」

 

ケロッと効果音が聞こえて来そうな咲夜の豹変ぶりに、俺は思わず声を荒げる。何て奴だ。ここまできてなお俺をからかうその曲がらないスタイルに、俺はある意味敬服を示さずにはいられない。

 

俺が呆れる中、咲夜は体を起き上がらせてこちら向かい合う。

 

「ご主人様。貴方は私が勘違いをしたとそう言いましたね」

 

咲夜は目を閉じそっと言う。

 

「確かにそうかもしれません。あと数日経てば、何でこんな冴えない変態鬼畜にあんな事を言ってしまったんだろうと、あまりの気持ち悪さに首を吊ることになるかもしれません」

 

えっ?そこまで言っちゃいます?

 

「ですが……」

 

咲夜は一拍後に目を開き、俺をじっと見つめ口を開いた。

 

「私の持つ感情(これ)は、今この瞬間だけは本物なのです。傷心な女を慰めるのも男の勤めだと思いませんか?」

 

…………何と言うか、今日は俺の言うことを聞かないな。日数が経つにつれて、主従関係が緩くなっているようには感じていたが、六日目にしてそれがほぼ完全に取り去られた気がする。いや、俺が主従関係の終わりを告げたからかもしれない。俺としては気楽な関係に関しては願ったり叶ったりだが、しかしそれでも咲夜の要望を聞く気にはなれなかった。

 

「……今日は一晩中付き合ってやるよ」

 

これでな、と言って俺は手に持った杯を顔の横まで持ち上げる。

 

「…………へたれ」

 

「へたれで結構」

 

でないと──

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が未練を断ち切れない。

 

きっとそんな蚊の鳴くような呟きは、咲夜には届かなかっただろう。それはそうだ。聞こえないように言ったのだから。聞こえていれば赤面どころの騒ぎではない。これでいい。これでいい。俺は何度もそう心の中で繰り返しながら、咲夜との晩酌を再開した。

 

 

今日(祭り)が終わる。幻想()が終わる。関係(縁故)が終わる。

 

全てが終わって残ったのは、月明かりを受け入れる、空になったたった数本の酒瓶だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体が異常に重かった。まるで溶かした(ロウ)の中に沈んでいるような感覚。鼻や耳の中にそれが流れ込み、頭の中で固まってしまった。そう思えてしまう程の気持ち悪さと現実味の無さが俺に襲いかかる。

 

それらを無理矢理押し退け、俺は意識を覚醒させた。昨日の夜が、祭りが全て幻想ではないのかと疑ってしまっても仕方がないような清々しい朝。しかしこの体の気怠さがそれをしつこいまでに否定してくる。

 

俺は大きく深呼吸をして、未だに残る眠気を吹き飛ばそうとした。

 

「ッ!」

 

しかしそんなことをするまでもなく、眠気が一気に吹っ飛んだ。なんと俺の寝ている布団の横に咲夜が寝ていた。それも──

 

 

 

 

 

 

すっ裸で。

 

「……………………いや、ないない」

 

ないだろ。ありえないから。俺がそんな後々面倒になるようなことをするはずがないから。

 

…………ないよね?ないかな?本当にないよな!?昨日、寝る直前までちゃんと記憶があったぞ!確かに並ぶようには寝たが、それは限界が来て布団も敷かず縁側に倒れ込む形で寝た結果そうなったのだ!だからこの状況はおかしい!おかしいよ!おかしいでしょ!?

 

「……ふふっ」

 

俺が思考の檻に捕らわれ、みるみると血色を失う中、咲夜がそんな悪戯が成功した子供のような笑い声を溢す。いや、実際に悪戯が成功した笑いなのだろうと、俺はそこで察した。そう、恐らくこれはいつもと同じ、言うなれば俺へのからかいなのだと言うことに。

 

「勘弁してくれ……マジで」

 

今回は流石に洒落になってなかった。

 

「ふふっ、申し訳ありません。まさかここまで大きなリアクションをなさるとは思わなかったので」

 

咲夜は布団から上半身だけを起き上がらせて、左の腕だけで自身の胸を隠しながら俺にそう言った。

 

「どうですか?一位の感想は」

 

一位? と俺は一瞬疑問を浮かべたが、そう言えば二日前の朝に“男性が朝起きた瞬間、幸福を感じるシチュエーションランキング”とか言うわけ分からないランキングについて咲夜と会話をしていたことを思い出した。確かそこでの一位が“朝チュン”だった気がする。なるほど。それで実際に試してみたわけか。

 

「……そうだな。不意打ちの一位程、怖いものはないな」

 

実際に恐怖しか感じなかった。

 

「……取り合えず服、着たらどうだ?」

 

俺は近くにあった襦袢(じゅばん)を彼女の肩にかけた。

 

「ありがとうございます」

 

咲夜は一つ礼を言ってからそれに袖を通し、緩く帯を締める。それから彼女は立ち上がって部屋の出口へと進んで行った。

 

「ではご主人様の衣服を取りに参りますので、しばしここでお待ちになっていてください」

 

俺がその言葉に対して分かったとそう言いかけたその時、ドンドンドンと家の扉が乱暴にノックされた。扉をぶち破るんじゃないか?と思ってしまいそうになる程の力で叩かれた我が家の扉は、その衝撃を家全体へ逃がすことでその悲劇を免れた。

 

「…………一体誰だ?」

 

こんな朝早くから俺を尋ねにくる人物に皆目見当がつかず、そんな疑問符が溢れる。裸は不味いので取り合えず布を羽織りましたと言わんばかりの格好をした咲夜を人前に出すわけにはいかず、俺は寝癖のついた頭をがしがしとかきむしりながら玄関へと足を伸ばした。玄関にたどり着いた俺はどちらさんですか?と尋ねながら扉を開けようとしたのだが、それは目の前に飛び込んできた訪問者の存在により邪魔立てされた。

 

「どちらさんで……って何でお前が俺の家を訪ね来るんだ?」

 

訪問者の正体。それは昨日、祭りの終りぎわに出会った“ちんまい吸血鬼”に他ならなかった。何の用で俺を尋ねに来たのか。昨日の出来事を振り替えるが、それらしい理由は見当たらない。

 

「はあ!? 何でお前がここにいるのよ!?」

 

しかし、どうやら彼女も俺が出てきたことは想定外だったようで、彼女は目をまんまるにして俺の顔を凝視する。お互いあまりの不意打ちで、どちらとも何もすることができずに固まるばかり。そんな状態を打ち破ったのは、いつの間にかメイド服に衣装チェンジを果たし、俺の後ろからひょっこりと顔を出した咲夜の一声だった。

 

「お、お嬢……さ、ま」

 

信じられないと言うように、両手で口を押さえ、震える声でそう言った咲夜。

 

「咲夜!」

 

ちんまいのはそれを見て、こちらの存在を忘れたかのように俺の横を通り過ぎ、咲夜の腰へとダイブを決め込む。咲夜はそれを危なげなく受け止めて、彼女の背中へそっと手を添えた。

 

どういうことだよ、おい!と一人置いてけぼりにされた俺は冷静に自分を落ち着かせ、こんがらがったこの状況を再確認する。これまで咲夜が語った己の背景と、ちんまいのが言っていた探し人。そして、目の前の光景を糸口に謎を紐解いていくと、(おの)ずと答えは見えてきた。

 

「…………つまりあれか、こいつが咲夜の主人だったと言うわけか」

 

と言うことは、このちんまいのは本当に“紅魔館の主”だったと言うことになる。

 

いや、誰も気づかねぇよ!俺のイメージではもっと威厳に満ち溢れた全長二メートル越えの大男だったのだ。それが蓋を開けてみればその正体はどこにでもいそうな、わがまま小娘である。

 

やはりもっと新聞に関心を寄せるべきだったかと遅すぎる後悔をするが、今更そんなことを言っても仕方がない。むしろ咲夜を返す難易度が下がったことに喜ぶべきだろう。

 

「……咲夜。こいつがお前の主なんだな?」

 

「…………はい」

 

これで合点がいった。祭りの日、咲夜が飲み物を買ってくるのが遅かったことも、俺がこのちんまいのと別れてから彼女の様子がおかしかったことも。つまり咲夜はあの時、俺とちんまいのが交わした会話を隠れて聞いていたのだ。飲み物を買って戻った先に、現主人と元主人が二人で話をしている。驚くのは無理のない話だ。

 

「始まりも唐突だったが、終りもまた(しか)り……だな」

 

俺は独りでにそう呟いて、咲夜の前に並び立つ。

 

……そうか。昨日で切っ掛けを作ったつもりだったが、まさかこうも早くにその時が来るとは思ってもしなかった。振り返ってもろくな思い出はないが、しかし楽しい日々であったことは否定できない。そして、かけ替えのない日々であったことも。

 

「……咲夜、今だから言おうと思う」

 

それは昨日言わなかった、決定的な解雇(別れ)の言葉。

 

「短い間だが今までよく仕えてくれた」

 

本音を言えば、もう少しお前とこの生活を続けるのも悪くない……いや、続けてみたいとそう思っていた。今でもそう思っている。しかしそれは必然的に訪れる別れの傷を深くするだけ。

 

「とても感謝している」

 

お前がいるべき場所は俺の隣ではない。それを今日、目の前の光景を見せられて改めて実感した。お前にはお前の居場所があって、お前はただこの七日間、ちょっと別の場所へ休息に出掛けていただけ。だからそう……。

 

いるべき場所へ──。

 

あるべき関係へ──。

 

主の元へ──。

 

 

お前の任をここで解く(お帰り咲夜)

 

 

咲夜は俺の言葉を耳で咀嚼(そしゃく)するように聞き入り、目を閉じ、そしてただ静かに整えられた姿勢で立っていた。そうすることが咲夜にとっての、俺から下した解雇(別れ)を受け入れる儀式なのだ。

 

密な時間が流れ、それが終わると咲夜は目を開け、俺の顔をそっと見つめる。それと同程度の丁寧さで、続けて様に口を開いた。

 

「…………はい。貴方様のご厚意、心より感謝申し上げます。短い間でしたが貴方様にお仕えできたこと、誠に光栄に存じます」

 

咲夜は微笑みを浮かべる。何の憂いも、悲しみもない、全てを振り切った純真な笑顔。ああ、良かった。こんな笑顔を浮かべられるなら、もう何も心配はいらない。

 

安心した俺は咲夜と同じような笑みを作った後、未だに彼女の腰辺りにへばり着いている吸血鬼に声をかけるため、足を曲げ、腰を落とした。メイド服で隠れている幼い顔と俺の目線が同じになるよう体の高さを調節する。

 

「おう、ちんまいの。昨日ぶりだな」

 

俺がそう声をかけると、彼女は咲夜のメイド服に押し付けていた顔を僅かにズラし、片目で俺をギロリと睨んだ。その目には(うっす)らと涙の跡が見える。

 

「……うっさいわね、この鬼畜変態」

 

やはりと言うべきか、その罵りにも覇気がない。

 

「お前んとこのメイド、俺がしばらく預かってたからな、返すわ」

 

「当たり前でしょ! お前みたいな男にこれ以上咲夜を預けてたら、咲夜の貞操が危険よ!」

 

主従共々、俺への態度はやはり似るのか。口調こそ違えど言っている内容は基本同じだ。

 

まあでもこれで全部一件落着だなと俺が安堵の溜め息を吐いた時、そこでふと俺はある根本的な疑問が頭に浮かんだ。

 

「ところでお前、何で咲夜をクビにしたんだ?」

 

この一連の騒動の始まり。大いに巻き沿いを食らった俺が知っていてもバチは当たらないだろう。

 

「まさかおやつを間違えて出したとか、そんなしょうもない理由だったりしてな」

 

ワッハッハと俺は場を和ませる為にそんな冗談を言った。

 

「「…………………………。」」

 

しかしそれを笑ったのは俺だけで、他の二人は何やら気まずそうに俺から視線をスッと反らした。

 

…………いや、違うよな?違うだろ?違うと言っておくれ、吸血鬼さん。

 

しかし一向に二人は俺に目線を合わせようとしない。つまり、と言うことは……。

 

「…………マジか」

 

そんな馬鹿な。俺がここまで苦労して、更には小鈴(教え子)に“鬼畜変態”のレッテルまで貼られたその原因が、そんな下らない子供の我が儘から生まれたものなのか?

 

いやいやいや、おいおいおい。それはそれは──

 

「てめぇ、ちんまいの!そんなしょうもない理由で人間一人解雇してんじゃねぇ!俺がどんだけ苦労したと思ってんだ!このチビチビチビ助!」

 

「うっさいわねぇ!私もそんなこと言うつもりなかったのよ!その日はたまたま機嫌が悪くて、つい勢いで言っちゃったの!そしたら本当に咲夜は出て行っちゃってるし、私だって大変だったのよ!このド助平露出狂!」

 

いやお前……つい、でやる範疇を軽く越えてるだろ!本当にこいつが“紅魔館の主”なのか!?俺の生徒たちの方がもう少し自制を働かせているぞ!

 

しかしそんな文句を今言っても(言い足りないが)仕方ない。ここは大人であり教師でもある俺が一時的に退くしかあるまい。

 

「まあいい。ったく、今日から俺は仕事なんだ。邪魔だからとっとと帰れ、この貧乏神共」

 

俺はしっしと手で追い払う仕草をとる。

 

「言われなくてもそうするわ!帰るわよ、咲夜!」

 

「……はい、お嬢様」

 

主が先に、その少し後ろを従者が歩く。それを見て、俺と咲夜が歩いていた時も、あんな感じだったのだろうかと、ふとそんな考えが浮かぶ。いつの間にやら握られている、彼女の唯一と言っていい持ち物であるアタッシュケース。それが彼女たちの歩みに合わせて、軽快に揺れていた。

 

やはり俺の横にいるより、レミリア(こいつ)の横にいる方が咲夜は様になっている。それが当たり前で、それが一番なのだろう。

 

俺は二人の背中が見えなくなる前に振り返り、玄関を通じて家へと入った。

 

するとそこには一枚の置き紙が床に貼られていた。俺はその紙を手に取って内容を確認する。

 

『服、貰っておきますね。大事にいたします』

 

女性ものの和服など家にあっても仕方がないので、それはそれで単純に良かったなとそう思うのだが、しかしあの洋館で和服を着るのは流石に場違いではないか?とそんな疑問も生まれてくる。まあ咲夜なら上手く使いこなすかと深くは考えないでおいた。

 

俺は読み終わった置き紙を四つ織りにしてゴミ箱へと放り込む。

 

「さて、久しぶりに朝食を作りましょうか」

 

大きく背伸びをして、俺は厨房へと向かう。妙に寂しくなった家の中を、俺はゆっくりと歩いて行く。七日前とは見違えるような輝きを見せる家の廊下が、今ではまるで自分の家でないような気がしてしまい急に落ち着かなくなる。

 

そこでふと帰りぎわに呟かれた、咲夜の主人(レミリア)の言葉を思い出す。

 

「『世話になったわね』……か」

 

俺は柔らかにクスリと笑う。

 

「本当にそうだよ」

 

こうして俺がメイドさんと過ごした“戦争”とも呼べる怒濤(どとう)の七日間は終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます」

 

「…………なぜいる咲夜?」

 

咲夜が紅魔館に帰って数日後、朝起きたらいきなり逆さまになったメイドの顔が視界一杯に広がっていた。ハッキリと言おう。意味が分からない。体勢的には恐らく膝枕と呼ばれるそれなのだろうが、それ以外は全くなぜこうなっているのかすら分からない。

 

それでも俺がこの状況を整理しようと努める中、何の前振りもなくいきなり咲夜は語り出した。

 

「この十六夜咲夜、紅魔館に戻ってふと思ったのです。今まで私が世話をしていたと言うのに、それがいきなり終わってしまっては、貴方は何もできずに死んでしまうのではないかと」

 

ふむ、なるほど。それが心配で一時的に様子を見に戻って来たということか。

 

「いや、それなら大丈夫。これまでも一人でやってきたか──」

 

「だがしかし」

 

「いや、聞けよ!」

 

俺のそんなツッコミも虚しく、咲夜は無視して話を続ける。

 

「ここ数日、その問題を解決する為に私は自室で頭をひねりました。そこで一つの案が生まれたのです。そう、よくよく考えてみればお嬢様は吸血鬼、本来夜行性なのです。ならば朝から夕方までお嬢様がお眠りになるその時間帯、私は暇だと思いませんか?」

 

「いや、寝ろよ」

 

「そうつまり」

 

「だから聞けよ!」

 

「朝から夕方までなら私は貴方の世話を焼いてあげられると言うことなのです」

 

……こいつ、寝ないつもりか?夜に働いて朝も働いたら寝る時間など全くないぞ。

 

「いや、その心遣いはありがたいが、そんな生活続けてたらお前の体がもたないだろ」

 

「そこはご安心ください、自堕落ゴキブリ虫様」

 

「お前今、とんでもない名前で俺を呼んだだろ!」

 

何だその自堕落ゴキブリ虫ってのは!限りなく駄目駄目過ぎるぞ、その名前!

 

しかし何が安心なのだろうか?人間は眠らなければ生きてはいけない。朝も夜も働いたら、流石の咲夜でもそれこそ数日で体を壊してしまう。そんな誰しもが考え付くであろう疑問について咲夜は答えを述べた。

 

「私にとって時間と言う概念は“現在”に限り、あってないようなものですので」

 

だがそれは聞いても意味の分からないさっぱりな内容だった。俺は咲夜の言わんとしていることが理解できずに首を傾げる。

 

「あと因みにどうですか?二位の感想は」

 

ああ、膝枕。これが二位だったのか。取り合えず気になったことを言おう。

 

「……お前、太った?」

 

その瞬間、咲夜の額に青筋が浮かんだ気がした。

 

「……太ったかどうか、その体で確かめてみますか?」

 

そう言って咲夜はメイド服のボタンを見せつけるように外していく。甘い、甘いな。もう俺にお色気系統のからかいは通じない。脱ぐなら脱いでみろ。お前の羞恥心が先に限界に到達するのは目に見えている。とそんな子供染みた下らない心理戦を行っていると、それをぶち壊しにするかのような衝撃が襖を突き破って到来して来た。部屋の物と共に、俺と咲夜も吹っ飛ばされる。どうやら誰かが空からこの部屋まで一直線に突っ込んで来たらしい。

 

そんな常識を疑うよう行動をする人物を、俺は二人しか知らない。そして今回に限り、それは疑うまでもなくある一方の人物に絞られる。

 

「ちょっと、鬼畜変態!お前また私の咲夜を──」

 

そこでその常識外れの存在、レミリア・スカーレットがこちらに振り向いた。

 

 

 

 

 

 

そう、俺が咲夜に覆い被さっていると言う光景が拝めるであろうその方向に。

 

「うわぁ~ん!咲夜が寝取られたぁ~!」

 

「おい、ちんまいの!お前、そんな台詞を大声で言うんじゃねぇ!ご近所さんに誤解されるだろうが!」

 

「うわぁ~ん!咲夜が変態的なプレイを強要されてるぅ~!」

 

「ちょっ、ホント勘弁してくれ!クビになるから!上白沢先生に頭突きされるから!」

 

 

 

 

耳をつんざくような二人の大声。賑やかで、色鮮やかなその光景を一人のメイドがそっと見守る。その時、誰が気づいただろうか?いや、きっと誰も知りはしない、彼女だけが知っている。彼女が持ち得る、そんな気持ち。

 

 

私に意義を与えてくれた。どんな時でも沈むことなく空に浮かび、私を導く紅い月。

 

私に安らぎを与えてくれた。日溜まりを注ぎ、時には冷やし、落ち着きを与えてくれる、私に寄り添う淡い太陽。

 

二つは共に浮かびはしない。それでも心でこう思う。

 

 

『私は貴方が大好きです』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後編、かなり削ったんですがそれでも少し長めになってしまいました。申し訳ありません。それなのに関わらず、ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。

個人的にちょっと咲夜さんデレさせ過ぎたかなと反省しております。

実は主人公死亡のバッドエンドにしようかと迷ったんですが、今回は普通に終わらせました。ちょっとつまんなかったかなと個人的には思っています。

恐らく後編は文字数が多いので、見直しが行き届いていないと思います。誤字脱字、誤表現や矛盾点が多々あると思いますので、よければ報告していただければ幸いです。

-追記-
活動報告にバッドエンドについて記載いたしました。はっきりと言います。見る必要はございません。自分はハッピーエンドだけ知っていたいと思われた方は見ないことをおすすめいたします。
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