更新が途絶えた期間は、私が仕事疲れを癒していた期間です。
あーあと、いい感じの文章が思いつかなかった期間カナー。いや、どっちかって言ったらそっちの方が大きいのカナー。
とりあえず、続きになります。次話からどうなっていくのか、楽しんで貰えたら嬉しいです。
人の一生は芸術である。
アルビオン皇太子ウェールズ・テューダーがこの言葉と出会ったのは、彼が物心ついた頃…自分は王位を継承する、責任ある立場なのだと理解し始めた時である。
確か、当時王宮お抱えの芸術家だった男の言葉であったか。
要は、己の人生をひとつの舞台として見て“自分”という役を演じる、ということだ。物語の主役か、はたまた矮小な脇役か。喜劇で終わるか悲劇に終わるか。それらすべてが演者の力量や意識の在り方によって形成されていく作品なのだと、つまりはそういうことだ。
なんてことはない言葉だ。芸術家という人種には変わり者…もとい、独特な感性を持つ者たちがいるものだ。彼らの特殊な感性から導き出された一般とは少し違った世界の見方。それによって生み出された言葉に過ぎない。
幼いながらも、ウェールズはその言葉に対峙した時、しっかりとした自分の考えを持つことができていた。
人は毎日を生きるだけで、思った以上にいっぱいいっぱいだ。それは、辛い時でも幸せな時でも変わらない。そのような者たちが、役者気取りで日々を過ごし、人生を見ているなどあるはずがない…と。
だが、ウェールズが真の意味でこの言葉の力を理解したのは、ごく最近のことであった。
彼が、名実ともにアルビオン王家の後継者として成長していった頃、岐路を迎えたのだ。反乱である。アルビオン王家は、反乱分子レコン・キスタによって見る見るうちに衰退の一途を辿っていった。
そうしてウェールズは、ひとつの選択を迫られた。愛するアンリエッタと共に生きるか、王家の人間として最期までその責務を果たすか、である。
ウェールズは、昔から誠実で且つ自分に厳しい男であった。自分が最愛の女性と共にいるだけで、どういう末路を辿るのかなど考えるまでもなかったし、王家の人間としての責務を捨てることはできない。それに、こんな自分に忠を尽くしてくれた臣下たちを見捨てることなどできる訳がなかった。はじめから選択肢などないも同然だったのだ。
彼に残された道は、ただひとつ。レコン・キスタに勇気を示し、貴族として誇りある最期を迎えるのみである。
本意ではなかった。未練もある。アンリエッタから貰った手紙は、もうボロボロになるほど読み返した。王位について国を治めてもいない。全部中途半端に終わってしまうのだ。
だが、そんなことを言っても何かが変わる訳でもない。最期は、貴族として、王族として、誇りある死を遂げるのだと自分に言い聞かせた。
そこまで考えた時、ふとウェールズは気づいてしまった。
“誇りある死”とは、なんだ?
もちろん頭では理解している。だが、果たして自分がそんな大層な最期を迎えることができるのだろうか。
自分は、ただの敗北者だ。長く続く王家の血を途絶えさせてしまう不出来者だ。内乱だって、もはやその戦力差は絶望的だ。一矢報いることもなく、ただただ数の暴力に押し潰されてしまうだろう。
何も残らず、空虚に終わる。
それが嫌で、堪らずウェールズは過去の思い出に心を馳せる。そして、“振り返って”しまった。気づいてしまった。“理解”してしまった。
人の一生は芸術だと、そんな訳があるかと考えていた。だが、人間とは人生の節目を迎えた時に、自然と今まで歩んできた道のりを“振り返って”しまう生き物なのだ。
その道のりは、まさしく己の人生。シナリオのない演劇、まさしく芸術だ。
ならば、私の作品は、なんという駄作で終わってしまうのだろうか…。
これが、世に名高きアルビオン王家、その皇太子の残す芸術か。
ウェールズは、乾いた笑みを浮かべる。もはや笑うしかなかったのだ。よりによって、こんな終演間近で気づかされるとは。
もう、時間もあまり残されていない。このままアルビオン皇太子の芸術は、駄作で終わってしまうのか。
空虚さにあって、もはや最後に心の拠り所となるのは、己の芸術しかないのだ。
自分は死ぬ。それは間違いない。戦いには赴かなくてはならないのだ。それは、王家に生まれた者としての責務でもある。
死が避けられないものであるのなら、物語の結びはそれしかない。
何か…何かないのか。
答えの出ぬまま、そうしてウェールズは出会うことになる。
“一瞬の美”を謳う芸術家に。
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アルビオン王軍の、最後の晩餐会は城のホールで行われた。
王党派の貴族達は、まるで園遊会のように着飾り、テーブルの上にはこの日の為にとっておかれた様々なごちそうが並んでいた。
ホール内に施された装飾は、ウェールズの居室同様の簡易的なものばかりで、とても王族の住まう城とは思えなかったが、貴族達の華やかさや、並べられた豪勢な料理のおかげで、まだそれらしさが保たれていた。
そして、老いた国王ジェームズ一世の演説の後、パーティーは始まった。料理は次々と運ばれて来る。貴族達は悲嘆にくれたようなことは一切言わずに、よく飲み、よく食べ、よく踊り、よく笑い、ただただ今を楽しみ合った。
そう、これは“最後”の晩餐会。
すでに王党派の残存兵力は五百。貴族派の五万という軍勢に対し、もはや飲まれるのを待つだけで、勝敗など火を見るより明らかだ。
そんな敵軍に、明日の正午に攻城を開始すると宣言されている以上、彼らがあとに残す食糧を気にする必要もないだろう。彼らは明日、皆死ぬのだから…。
死を前にして明るく振る舞う人たちは、勇ましいというより、この上なく悲しいものだ。ルイズは、この場の雰囲気に耐えられず、外に出ていってしまった。
「オイオイ…」
デイダラは呆れ顔をつくり、ルイズを追いかけようとしたが、ワルドに肩を掴まれ制止されてしまう。
「僕が行こう。きみはここでパーティーを楽しんでいたまえ」
ずいっとワルドが前に出る。その態度は、デイダラを若干イラつかせてしまったが、彼はおとなしく身を引いた。…青筋を立ててはいたが。
「…まぁ、好きにすりゃいいさ。子守はガラじゃねぇからな、うん」
「彼女はとても聡明な子だよ。それに、婚約者としての僕の務めでもあるんだ。ここは譲りたまえ」
またも妙な上から発言に、デイダラのこめかみにまたひとつ青筋が浮かぶ。
ルイズを追いかけるワルドの背に向け、怨念めいた視線をぶつける。ここでワルドに対抗するのは簡単だが、そうすると、自分がルイズに対して何か含みがあるような…。
あまり好ましくない感覚に苛まれ、デイダラは視線を逸らした。
まぁ、今はそれよりも己の芸術観を広く知らしめる良いチャンスかもしれない。余計なことに気を回していたら勿体ないだろう。
デイダラは、気を取り直してパーティーホールに向き直る。大将であるウェールズが、あれだけデイダラの芸術観に共感を示してくれたのだ。きっとここには同士が多いに違いない。
「さて、いっちょ魅せてやろうかね…うん!」
・
・
・
「…だぁ〜、ちっきしょーが……」
「いや、なんで落ち込んでんだよ。わかりきってたろーが、相棒よー」
「うるっせぇな! いけると思うだろーがよ、普通ならよ! うん!」
「お前さんの普通は、俺様にとっちゃ普通でねーから分からん」
喧騒に包まれたホール内から離れ、隣接するバルコニーへ出ていたデイダラは、ひとり不満そうにうなだれる。背のデルフリンガーが呆れたようにツッコミを入れてきたので、暫くたわいない言い合いをした。
デイダラの布教活動は敢えなく失敗していた。デルフリンガーに言わせれば、当然だろう、とのことだ。
酒が入っていた為か、貴族たちの多くが少々難物者になっており、小難しいデイダラの芸術話をまともに聞く者はいなかった。おまけに、デイダラは酔っ払いに絡まれてしまい、思わずパーティーホールの一角を吹っ飛ばしてしまっていた。絡みを鬱陶しく思った為だ。
外から貴族達の様子を眺める。だいぶてんやわんやとしていた会場だったが、今は落ち着きを取り戻していたようだ。
「まったく、あまり無茶なことはしないでくれ。明日を待たずにみんな死んでしまうよ」
小言を言いながら、バルコニーに新たな人物がやって来た。ウェールズである。どうやら、会場を落ち着かせたのは彼らしい。
「イーグル号でも見せてもらったが、相変わらず凄い威力の爆発だな」
「んー? ま、まぁな。オイラにとっちゃ朝飯前なもんよ、あれくらいの爆発ならな…うん」
なんなら威力を抑えてるほどだぜ、とデイダラは気をよくして言葉を続ける。
デルフリンガーは、こいつなりに周りへの気遣いしてたんだな、足りてねーけど…と心の中で独りごちた。
「本当かい? どうやったらそれほどまでの爆弾を作れるんだい?」
「そりゃ勿論、質の良い粘土にオイラのチャクラをーーって、言わせんじゃねーよ! 企業秘密だ、うん!」
言ったって分からんだろ、とデルフリンガーが再び声に出さずにツッコミを入れる。
デイダラに拒否されたウェールズは、心底残念そうに「そうか…」と呟いた。
「きみの爆発の力があれば、貴族派の連中に一矢報いることができると思ったんだがな」
「…言っとくがウェールズ。オレはおめーに手なんか貸さねーぜ? それを期待してんのならーー」
言いかけたデイダラを、ウェールズが手で制した。
「分かっているさ、デイダラ。これは僕の人生、僕の“芸術”なんだ。最後は、この身ひとつになろうと、精一杯やるさ」
「ククッ。いいねぇ、そうこねーとな。でないと張り合いがねぇもんな…うん」
「そのかわり、ちゃんときみのお眼鏡に適ったのなら、しっかり評価してくれよ」
「そりゃお前次第だろーが。だがまぁ、心配すんなよ。“死に様”だって爆発みてーに一瞬なもんだ。オイラの芸術観と一致するし、お前の気合いも十分だ。駄作にはなりゃしねーよ」
「…ッ」
ウェールズは、気づかれない範囲でわずかに息を飲んだ。
「……そうか。それを聞けて安心したよ」
一息ついたウェールズが、搾り出すように呟いた。
対してデイダラは、至って平静なものだ。
「それじゃあ、オイラはもう部屋に戻ってるぜ。酒の匂いってのは、あまり好きじゃねーからな…うん」
「…そうか」
「……健闘を祈ってるぜ」
「なんだ、急に。きみらしくないだろう?」
急なデイダラからの激励に、ウェールズは少し照れくさくなる。
「お前からは、多少タメになることを教わったからな。“人生は芸術だ”ってな。爆発こそが一番の芸術だってのに変わりはねぇが、いい言葉じゃねーか」
「本当は、少しその言葉を憎んでいたんだがね。知らないままでいた方が良かったとも…。だが、きみのおかげで吹っ切れたんだ。“一瞬の美”…僕の最期を飾るにふさわしい芸術だ」
最後にお互い小さく笑い合うと、デイダラは「それじゃーな」と軽い別れの挨拶を交わした。
背後でウェールズが、「淡白なヤツだ」と呟いた気がした。
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ホールから出たデイダラは、勿論これ以上ここにいるつもりはないので、ちょうど入れ違いでホールに向かっていた給仕に、どこで寝ればいいのか尋ねた。
部屋の場所を教えてもらっていると、後ろから気配を感じて振り返る。ちょうどワルドが立っていた。
「きみに言っておかねばならぬことがある」
「? なんだよ、旦那」
ワルドは、やけに冷たい声だった。
「明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げる」
「……ハァ?」
思わず声が出た。一瞬、何を言ってるんだこいつ、とも思った。
「是非とも、僕たちの婚姻の媒酌を、あの勇敢なウェールズ皇太子にお願いしたくなってね。皇太子も、快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕たちは式を挙げる」
そんな様子のデイダラなどお構いなしと言わんばかりに、ワルドは用件を続けた。おまけに「きみも出席するかね?」などと宣ってきた。
「そんなもん国に帰ってからやれよ。明日はウェールズの大一番なんだぜ、うん」
「そうか、きみは出ないか。ならば明日の朝、すぐに出発したまえ。私とルイズはグリフォンで帰る」
「てめぇ…!」
会話にならないワルドの態度に苛立ちながら、違和感を感じた。こいつは、何をこんなに焦っている?
「あのグリフォンってのは、長い距離は飛べねぇんじゃなかったのか?」
「滑空するだけなら、話は別だ。問題ない」
ワルドは答えた。
「では、きみとはここでお別れだな」
「…練兵場でのこと忘れてねーぜ? テメーとは“次”会った時に、きっちり白黒つけてやるぜ…うん」
「……ふん。楽しみにしているよ」
ワルドと別れたデイダラは、明日の結婚式についてまだまだ言い足りない気分であった。ならばと、もう一人の当事者のもとへ向かうことにした。
「どこにいるんだ、ルイズのヤローは…?」
・
・
・
真っ暗な廊下を、デイダラは灯りも持たずに歩いていた。結婚式の件について、ルイズに文句の一つでも言っておこうと、彼女を探していたのだ。
苦労することもなく、ルイズは廊下の途中ですんなり見つかった。窓が開いていて、重なる双月に照らされながら、涙ぐんでいた。
「よお」
「!」
声に反応し、ルイズは振り返る。月明かりの下にデイダラが姿を現した。
ルイズはデイダラに気づくと、目頭をゴシゴシと拭った。しかし、再びその顔はふにゃっと崩れてしまう。
「…よっぽど堪えたみたいだな」
近づきながら、デイダラはルイズの顔を見る。白い頬に伝う涙は、まるで真珠の粒のようであった。
なんだか、パーティーホールから飛び出して行ってから何も変わっていないような気がして、デイダラは心の中で、ワルドのやつ何しに追いかけて行ったんだよ、と独りごちる。
明日の結婚式で浮かれでもしているのかと思っていたデイダラは、まったく逆の状態のルイズを前にして、流石に文句の言葉を飲み込んだ。
そして、最初こそ俯いていたルイズだったが、もう限界だとばかりに、彼女はデイダラの胸に飛び込んだ。彼の胸に顔を押し当てると、くしゃくしゃと顔を押し付けた。涙を流す姿をデイダラに見られたくなかったのだろう。
抱きつくルイズを余所に、デイダラはひとり、愕然としていた。
ルイズが抱きついてきたことに、ではない。
「いやだわ、あの人達…。どうして、どうして死を選ぶの? 訳わかんない。姫様が、恋人が逃げてって言ってるのに、どうしてウェールズ皇太子は…」
「あいつの逃げた先が次の戦場になるからだろ。難儀なもんだな…うん」
「それは…! でも、でも…!」
ルイズは煮え切らない様子だ。彼女も状況は理解している。それでも、ルイズはウェールズに逃げてほしいのだろう。アンリエッタに会いに行ってほしいと思っているのだ。
「わたし、やっぱりもう一度説得してみるわ…!」
「やめとけ」
止めるデイダラに、ルイズは「どうしてよ」と怒気を込めて言う。
「あんなんでも、あいつの意思は固い。それに、お前には果たさなきゃいけない任務があるだろーが…うん」
言われてルイズは、ポケットの上からウェールズから受け取った手紙をぎゅっと握る。
ルイズではウェールズ達を止められないし、そんな暇も彼女にはない。
無情な現実を前に、ほろりとルイズの頬を涙が伝う。
「わたし、もう分かんないわ…。ただ、早く帰りたい…。トリステインに帰りたいわ。この国嫌い。イヤな人たちと、お馬鹿さんでいっぱいだわ。残される人たちのことなんて、考えようとしない…!」
「おい、その辺でやめとけよ…」
ルイズの肩に手を置き、自分の胸から引き離すと、彼女は何かを思い出したようにハッとしてポケットから小さな缶を取り出した。
「左腕、出して」
急に言われた為、デイダラは思わず言う通りにしてしまう。
中身はどうやら軟膏のようだ。独特な匂いがする。
「さっき、お城の人から貰ったの。火傷に効く水の魔法薬よ。薬だけはいっぱいあるみたいなの。そうよね、戦争してるんだもの」
ルイズは、言いながらデイダラの腕に薬を塗っていく。
なんだか気恥ずかしい。そう思ったデイダラは、気を紛らわす為にルイズに話を振ることにした。ちょうど結婚式のことについて話を聞きに来ていたので、話題は明日の結婚式についてである。
「そういやお前、明日ワルドの旦那と結婚するんだってな」
「えっ! どうしてあんたがそれを…!?」
目に見えてルイズは狼狽える。
さっきワルドから聞いたんだよと、それとなく伝えると彼女は細い声で「そう…」と呟く。
「…それで、あんたはどう思ったの?わたしが結婚するって聞いて…」
「……別に、何ともおもっちゃいねぇよ。決めるのはお前だ。勝手にすりゃいいさ…うん」
デイダラは文句を言う気を削がれてしまっていたので、返答に窮す。何となく、当たり障りのない言葉を選んだ。
「!……なによそれ」
だが、ルイズはそれを悲しく思ったようで、引っ込んだと思っていた涙が再びこぼれ出した。
「なによ。あんたも、ウェールズ王子も一緒よ。姫様…女の子の気持ちをひとつも考えていない…」
再び肩を震わせルイズは泣き出してしまう。そんなルイズを見て、デイダラは再びたじろぐ。
何だかわからないが、とりあえず彼女の涙を止めようと、デイダラは自然とこんな事を口走っていた。
「そんなに王子様だの姫様だの言うんなら、オイラがこの戦争に手を加えてやろうか?…うん?」
「え?」と、ルイズは顔を上げる。その声は震えていたが、デイダラは気にせず続ける。
「雇われ戦争をするのは慣れてるからな。オイラの芸術を世に広める絶好のチャンスでもあるし。どうだ? お前が言うんなら、貴族派の連中をぶっ殺して、オイラがこの戦争を勝利させてやってもいいぜ…うん」
ルイズは、しばし呆然としていた。そして、気がつけばデイダラは彼女に突き飛ばされてしまっていた。お互いの間に、ほんの二、三歩ほどの距離ができる。軟膏の入った缶が床に落ちる音がした。
「やめてっ!」
「!…なんだよ?」
突き飛ばされ、デイダラが恨みがましくルイズを睨むが、すぐに彼は硬直してしまった。
ルイズの表情に怯えの色が見てとれたからだ。
止まっているデイダラを、ルイズは酷く心配そうに見つめていた。それが、自分の心の内を見透かしているように思えて、デイダラは静かに息を飲んだ。
しばらく目を伏せていたルイズは、拒絶するように、思いやるように、はっきりした声でこう告げた。
「あんたは明日の朝、船でここを離れなさい。わたしのことは放っておいて…!」
吐き捨てるように言い残すと、ルイズはデイダラのもとから逃げ出すように走り出していった。
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踵を返して、ルイズは暗い廊下を駆け出していった。暗闇の中に消えていく小さな背を見ながら、デイダラは、自分がルイズを引き止めようと無意識のうちに左手を前へ伸ばしていることに気がついた。
「…………」
伸ばしていた手の甲が自然と目に入る。
いつもと変わらない、自分の手だ。ただ、そこにガンダールヴのルーンが刻まれているだけ…。
「まー、なんだ。そう気落ちすんじゃねーよ相棒。人生色々、これからだろう?」
デイダラがそうしていると、デルフリンガーが何やら慰めの声をかけてきた。
「……なあ、デルフ。ひとつ聞くが、お前には今のこの場面がどういう風に見えてんだ?」
「どうってそりゃオメー…別れ話を切り出され、取り残されちまって佇む哀れな男? いや、お前さんらは付き合ってたワケじゃあないから…痴情のもつれ?」
「……あ゛?」
「だってお前さん、ホレてんだろ?あの娘っ子に」
「…………」
スラーっと、デイダラは背にあるデルフリンガーを鞘から抜き取る。ガンダールヴのルーンが光を放ち始めた。
そして…。
「オラァ!!」
「ひでぶッ!?」
そのまま勢いよくデルフリンガーを振り下ろし、剣の腹を床へと思い切りぶつけてやる。
その辺のなまくらであれば、これで使い物にならなくなっていただろう。デルフリンガーは「痛ぇ」で済ませた。
「イテテ、何しやがんでぃ!?」
「黙りやがれ! いい加減なことぬかしやがって! オイラは別にあいつにホレてねぇ!!」
抗議の声をあげるデルフリンガーを、デイダラは一喝した。
断じて、自分は惚れてなどいないと。
「って言ってもよ、お前さん。少なくとも、あの娘っ子のことを憎からず思ってはいるだろう?」
「……そりゃ、関係あるのかよ…!」
「関係あるさ。そうでなけりゃ、“あの時”体を張ってあの娘を助けちゃいねぇだろ?」
いやぁ、あれは愛のある救出劇だったなぁ〜。と、デルフリンガーは感嘆した声をあげる。
あの時とは、おそらく桟橋でのことであろう。白仮面の男が放った魔法から、デイダラは身を呈してルイズを守った。
デイダラは、その時に自分が負った火傷痕を再び見てとる。そして、段々と肩をわなわなと震わせていく。
「そういや、港町でのことだってそうだ。なんで娘っ子に“あの事”ちゃんと伝えなかったんだ? 娘っ子になら伝えたってよかったろ。それに、そうすりゃまだ、多少怯えさせずに済んだだろうに」
「……なあデルフ。もうひとつ聞きてぇんだけどよ…うん」
「ん?なんだい?」
デルフリンガーの問いかけに答えずに、デイダラは前々から感じていた違和感について、尋ねてみることにした。
思えばそうだ。自分は以前からおかしくなっていた。
ルイズに舞踏会に誘われた時、いつもの自分であれば『そんなもん行かねー』と断っていただろう。だが、あの時の自分は何故だか断る気になれなかった。挙げ句、一緒に踊ってしまった。
その後も、何かとルイズを気にかけるようになっていた…と思える。
さっきだって、ルイズに抱きつかれた時、デイダラは愕然とした。“そんな事”を許してしまう“自分”に愕然としたのだ。
ひとり別行動をとっていた時には、割と本来の自分でいられていた気さえする。おかしいと感じるのは、いつもルイズがそばに居る時であったとも思える。
「本来のオイラなら、あり得ないような行動をする時が、何度かあった。その理由の中心には、いつもルイズがいた…」
「ふぅむ……」
たっぷりと間を空けて、デルフリンガーは息を吐いてから答える。
「そりゃあおそらく、使い魔のルーンによる催眠効果の影響だろうな」
「…催眠、だと?」
「使い魔ってのは、自然と主人の力にならなきゃいけねぇ存在なのさ。だから、そのルーンにはある種の主従愛のような感情を作り出す、催眠効果があると言われている」
扱いの難しい幻獣種などを、すぐに己の使い魔にできるのもその為であると。そう言うデルフリンガーの言葉は、途中からデイダラの耳には入ってこなかった。
「……なんだよそりゃあ。ルイズはそれを知っててオイラを呼び出したってのか…?」
「それはないだろうな。使い魔ってのは、あいつを呼び出したい、と思って呼び出せるようなもんじゃないからな」
まぁお前さんらが、相性の良い二人だったから、こうして使い魔と主人って関係になったんだろうがな。そう、デルフリンガーは締め括った。
「…冗談じゃねーぞ、クソッ…!」
わなわなと肩を震わせながら、デイダラは吐き捨てるように言った。誰かに感情を弄ばれ、使役されるのなんざ御免だったのだ。
ルーン…催眠…使い魔…感情のコントロール…。デイダラは一つ一つの言葉を頭の中で反芻させていく。そして、彼は結論を導き出す。
「………」
左手に持っていたデルフリンガーを床に突き立たせる。
「相棒…お前さん、何をーー」
デルフリンガーが言葉に詰まる。信じられないものを目にしたからだ。
左目に付けていたスコープをゆっくり取り外す。
デイダラの左目が露わになる。交代とばかりに、右目を目蓋で閉じていく。
胸の高さまで腕を上げ、印を結ぶ。そしてーー
「……解ッ!」
左の瞳の中で、デイダラの黒目が瞬時に縮小される。
その時、彼の頭の中でガラスが砕けるような音が響いた。
左手のルーンが、悲鳴を上げるように眩い光を放ったかと思うと、次第にその輝きを小さくしていった。