南端泊地物語―草創の軌跡―   作:夕月 日暮

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エピローグ・RE「かの提督のエピローグ」

 それは夢か現か。

 彼は、一人水の中でたゆたっていた。

 

 ここがどこかも分からない。

 自分が誰かも分からない。

 何もかもが、朧気だ。

 

 ただ、聴こえてくる。

 静かで優しげな歌声だ。

 

 穏やかな揺らぎの中、身体に染みわたるようなメロディにすべてを委ね、彼は静かに微笑んだ。

 

「――貴方の旅路は、満足のいくものでしたか」

 

 歌声は依然として続いていたが、それとまったく同じ声が語りかけてきた。

 

「貴方は、すべてをやり遂げましたか」

 

 その問いかけに対する回答を、彼は持っていない。

 今の彼は何者でもない。まっさらな状態で、ここにいる。

 

「分からない」

 

 彼は、正直に答えた。

 言葉として、音に乗ったかどうかは分からない。

 ただ、相手には届いているだろうという確信はあった。

 

「分からない以上、やり遂げたと言うことは――できない」

 

 告げるのと同時に、歌が止んだ。

 

「ならば、貴方は未だ旅人のままです」

「私は、旅をしていたのか」

「貴方は、大海原を往く者でした」

 

 海。

 その言葉を聞いて、無性に懐かしさを覚えた。

 

 そこで、まだ何かをやらねばならないような気がする。

 

 誰にも告げていない。

 既にいなくなってしまった誰かに向けた――自分だけの誓いがあった。

 

「海は、静かか」

「いいえ。この星の大海原は、未だ深く暗い騒擾の中にあります」

 

 ならば、まだやらねばならない。

 まだ、往かねばならない。

 

「貴方は、既に多くのものを失っています。ここからの道は、今までとはまったく異なるものになるかもしれません」

「構わない」

「更に多くのものを失うかもしれません」

「構わない」

 

 この身も魂もあちこち壊れているが、向かおうという意思はまだある。

 なら、どうにかなるだろう。

 

「まだ終わっていないなら、進むだけだ」

 

 彼は、ゆっくりと起き上がろうとした。

 しかし、ピクリとも身体が動かない。

 

「今は、もうしばらくお休みなさい」

 

 たしなめるような、気遣うような言い方だった。

 

「貴方の行く道は過酷なものとなりましょう。だからこそ、この言葉を送らせてください。貴方の行く道に幸あれ、と」

 

 意識が再び遠のいていく。

 名も知らぬ誰かの言葉に甘えて、彼はもう少し休むことにした。

 

 意識が沈んでいく。

 再び目覚めるまでの、ささやかな眠りだ。

 

「――貴方たちに、幸あれ」

 

 二つの杯の狭間で眠りにつく彼に、祈りの声が贈られた。

 

 

 

 ショートランド泊地の埠頭に立ち、叢雲は一人潮風に当たっていた。

 

 あれからどれだけ経っただろう。

 泊地は少しずつ復興しつつある。

 

 深海棲艦との戦いは変わらず続き、皆、忙しい日々を過ごしていた。

 特に、新八郎と共に泊地運営の中心にいた叢雲の忙しさは群を抜いている。

 ただ、そういう忙しさに救われている部分もあった。

 

 今みたいに忙しさが途絶えてしまえば――否応なく、ここにいない人のことを思い出してしまう。

 

 元々別れ自体は決まっていた。ただ、再会が約束された別れになるはずだった。

 

 今もその思いは変わらない。

 いつか訪れる再会を信じて、今を懸命に生きている。

 だが、四六時中そうやって張り詰めていられるものでもない。

 

「……そもそも、あれ、私が一方的に言っただけだしね……」

 

 寄せては返す波の音だけが聞こえる。

 静かだ。静かな海だ。

 

 じっと波を見つめていると、一際強い風が吹いた。

 

 思わず目を閉じようとした瞬間、ほんの僅かな刹那の合間、叢雲は波の中に人の姿を見た気がした。

 

『叢雲』

 

 再び目を開けたとき、人の姿はもはやどこにも残っていなかった。

 ただ、彼から贈られた指輪が、心なしか暖かくなっているような気がした。

 

「いつか、また会おう」

 

 咄嗟に振り返る。

 そこには誰もいなかった。

 しかし、直前まで誰かがいたような気配を、叢雲は確かに感じていた。

 

「……言ったわね」

 

 ここにはいない誰かに、叢雲は笑みを向けた。

 

「約束したわよ。いつか必ず、また会うんだから。……嘘ついたら、タダじゃ済まさないんだからね」

 

 波の音は変わらず続く。

 ただ、その音は少しだけ優しいものになっていた。


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