「え~オレ今から忙しいから時間ないよ!」
こっちではプロとして関わる事がないので遠慮なく言える。行洋はやっぱり行洋だ。どうせ先程の演奏なんてこれっぽっちも聞いておらず、ヒカルと対局する事しか考えていなかったのだろう。アキラとそっくりだ。この親子の扱いはそれなりに心得ている。中途半端はいけない。こういう時は勢いが大事なのだ。
「お腹空いたしご飯食べたい!お前らも一緒に行こうぜ」
ヒカルはあかりの手を取って歩きながら和谷たちを誘った。
「ちょっとヒカル!」
「良いから、良いから」
行洋と志水だけがその場に残された。行洋は勢いに押されたのか固まっている。志水は小さくため息をついた。
「あれは行洋くんが悪いよ。相変わらず、碁の事になるとそれしか見えなくなる。悪い癖だ」
それが彼の強さの秘訣でもあるのだが。
「あの子は…ヒカルくんは、アキラが探し求めていた子だった。私もぜひ一局お願いしたかったのだが」
そこへ繋がりがあったとは初耳だ。久しぶりに従弟の話をゆっくり聞くとしよう。
「時と場合を考えなさい。まったく。時間があるなら久しぶりに私と打ってくれないかい?あれから強くなったと思うよ」
ヒカルには、行洋が悪かったと後で代わりに謝ろう。
(せめてこの後はゆっくり楽しめますように)
そんな事を考えつつ志水は名残惜しそうな行洋を連れて会場を後にした。
「はー、やっと解放された!塔矢名人、突然やめてくれよな。初対面なのに」
2人の後ろ姿を見送り、漸く肩の力が抜けた。
「巻き込んでごめんな。はじめまして。オレの名前は進藤ヒカル。あかりの友達」
それから和谷たちがそれぞれヒカルへ自己紹介を終えた後、屋台を回る事になった。どこも食べ物の良い匂いが漂っており、育ち盛りにはたまらない。
「あら、さっき演奏してた子だね。感動したからこれあげる」
「へへ、ありがとう」
「お兄ちゃん、ウチからも持って行きな。良い演奏だったよ」
「ありがとう」
あちこちの屋台から声が掛かり、ヒカルの両手はすぐいっぱいになった。
「今日の演奏、本当に凄かったもんね。私、最初にヒカルが演奏するって聴いた時びっくりしちゃった」
その後ヒカルにだけ聞こえる小さな声でカッコよかったよ、と聞こえた。
「おおう」
油断していると不意打ちを食らう。好きな子からのカッコ良いという言葉は、いつ貰っても幸せなものだ。ヒカルはズルいと文句を言ってくるが、あかりも大概だと思う。
「は~、両手が空いていれば良かったのに。そしたら、今すぐ抱き締められたのにな」
「…それはダメ」
仕返しとばかりに言ってやった。和谷たちが少し先を歩いているのを良いことに、赤くなっていくあかりの顔を独り占めにした。
「貰い過ぎだ」
「余ったら誰か食べるよ」
気付けばそれぞれが両手に食べ物を持っていた。屋台の近くにあった椅子に座る。
「そういえば進藤、塔矢名人相手に凄かったな」
「大物になりそう」
「あんな雑に扱われる名人は始めて見たかも」
「良いんだよ。オレ無関係だし」
やり過ぎただろうか。いや、あれぐらいの勢いがなければきっと連れ去られていたに違いない。塔矢一門はそういうところがある。危険だ。
「ところで、どうして絡まれてたんだ?」
「オレもよく分からない。後で聞いてみるよ」
心当たりしかないが白を切る。平和な生活を守る為だ。
(いつか全部話してしまえたら良いのに)
大人になっても、隠し事は苦手なままだ。
誰かと話しながらだと、つい食べ過ぎてしまう。あれだけあった食べ物は半分以上お腹に消えた。
「そういえば、あかりちゃんが言ってた幼馴染ってもしかして」
奈瀬は以前あかりとした会話を思い出したらしい。
「うん、ヒカルだよ」
「って事は藤崎の師匠?打ちたいな」
「そうだな…機会があれば」
また本気の対局がしたい。そんな気持ちが頭をもたげるが、かき氷と溶かして一緒に飲み込んだ。
「進藤は今日が初対面なのに初めて会った気がしないな」
「馴染んでるよね」
「うん、オレもそう思う」
やはり和谷の勘は鋭い。時々ヒヤッとする。
「ところで、進藤は藤崎と付き合ってるのか?」
「あー、それ私も気になってた!」
「おいおい、いきなり踏み込み過ぎたぞ」
この話題を待ってましたと言わんばかりに質問攻めにあった。伊角だけは止めてくれる。
「それは…どうかな」
この手の質問も慣れたものだ。余裕の笑みで受け流せる。
「やるねえ」
「キャー!」
ダメージを受けるのは、質問されたヒカルではなくあかりだ。
「今日は楽しかったよ。ありがとう」
「こちらこそ!またな」
楽しい時間はすぐに過ぎ去っていく。時刻は21時。祭り終了の時間だ。
「ヒカル、良かったね」
和谷たちとまた話す事が出来た。それだけで満足だ。
「うん。あいつらとまた会いたい」
「会えるよ、きっと」
今日の余韻に浸りながら帰り道を歩いた。
暫く平和な生活が続いていたが、一週間後に異変が起こった。
「ねえ、何でここに居んの?」
「待っていたよ」
「ヒカルくん、ごめん」
いつも通り篠笛工房に入ると、そこには行洋と疲れた顔の志水が待っていた。あの行洋にしては静かだと思ったらこれだ。ここに座れと言うように彼は碁盤の前に座り、向かい側にはご丁寧に座布団まで置いてある。見なかった事にしてそちらを視線に入れないよう篠笛の練習を開始したが、熱い視線で穴が開きそうだ。10分で限界を迎えた。無理だ。たえられない。
「あーもう!打つから!」
「そうか、ありがとう」
「あ」
またやってしまった。いつも言ってから後悔するのだ。完全に行洋のペースに乗せられている。渋い顔のヒカルと正反対で、行洋は穏やかな笑みを浮かべている。
「打つから、オレが勝ったらもう構わないでよ」
もうヤケクソだ。
「ふむ。この私と掛け碁か。良かろう。では私が勝ったらアキラとも打ってやって欲しい」
仕方なく行洋と対局する事になった。