親になれば、子供では居られなくなる。これはただ、それだけの話。

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久しぶりに短編が書きたくなった。


ある鍛冶師の別れ

 ――今でも覚えている、あの頃の事を。

 まだ日が沈むのが遅く感じた頃。世界は無限に広がっていて、この世全てが夢と希望で満ち溢れていた幼少時代。その頃の光景は今も尚目蓋の裏に焼き付いて鮮明に思い出せる。

 自宅から僅かに離れた小屋。換気が悪く、唯一の空気の通り道である煙突からは常に煙が立ち込めていた。扉を開ければ真冬であろうとも肌を焼くような熱気が部屋中に籠り煙で息もままならない。

 そんな工房の片隅で、その背中はいつも炉の傍で金属を叩いていた。

 来る日も来る日も、何が面白いのか。普段の仏頂面のまま毎日飽きもせずただ熱した金属を叩き付け、完成した商品を顔を顰めて商品棚に詰める日々。

 そんな父の背中を、同じく来る日も来る日も飽きもせずただ眺めていた。朝から晩まで、何が面白いのか自分でも分からないまま、ただその光景を見続けた。

 

 今思えば、その瞬間から俺の人生は決まっていたのだろう。

 ただ、その光景に見惚れたその瞬間から――

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

「よっと――ッ、まあこんなもんか」

 

 荷物を纏めた箱を運びやすいように整理し詰め込んで、背中を伸ばして腰を叩く。長時間座り込んだ無理な姿勢を保っていた為か、身体を反らした途端背骨が音を鳴らした。

 反らした際に振り返ってみれば、綺麗となった自室の様子が。それも綺麗と表わすには些か生活感がなく、ベッドも机もなくただ壁と床のみと化してしまっていた。

 それもそのはず。本来ここにあった荷物はほとんど荷台に詰めてしまっているのだから。今日から居なくなる以上、綺麗にしていくのは当然の事だろう。

 

 本日を以って、俺はヘファイストス・ファミリアを――否、”冒険者”を止めるのだから。

 

「気付けばもう十五年か――ほんと、あっという間だったな」

 

 感慨深く呟けば、思い出すのはこれまでの過去。

 初めてモンスターを狩った事、己が打った武具でダンジョンに潜った事、レベルアップをした事、仲間と喧嘩した事、共に達成した喜びを分かち合った事……

 そして――誰かを好きになった事。

 

「まさか俺が所帯を持つ事になろうとは……夢にも思わなかったぜ」

 

 きっと、自分は槌を振るい、武具を打ち、至高を目指して果てなく突き進み……やがて果てるのだろうと信じて疑わなかった。ただ至らない夢に目指して一直線に進んできたからこそ、今の自分が信じられなかった。

 視線を床に下ろせば、箱に積まれた荷物がその証拠だ。長い間過ごしてきた部屋にも関わらず、私物が一人で運べる箱に全て収まる程度しか残っていない。

 別に、興味がなかった訳ではない。ただ眼中になかったからこそ、この程度しか残らなかったのだ。

 そんな夢に一直線だった愚直な自身に自嘲しながら、箱を持ち上げてそっと部屋を後にする。

 最後に、今まで過ごしてきた部屋を思い返して、

 

「じゃあな――今までありがとな」

 

 最後の別れを告げて、そっと扉を閉めた。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

「ジンさん! 待って下さいジンさんッ!」

 

 主神がいるであろう執務室。そこに向かうために廊下を歩いていると、ふと自分の名前を呼ばれて振り返る。そこには慌てて駆けてきたのか汗だくになりながら荒い呼吸を繰り返す弟分の姿があった。

 

「ようヴェルフ、どうしたそんな血相を変えて。もしかして工房でなにか不具合でも在ったか? 悪いがそれは俺じゃなくて椿に――」

「そうじゃない! そうじゃないんですッ!」

 

 そういえば自分の工房をこの弟分に明け渡したのだと思い出してそれについて訪ねてみれば、ヴェルフは頭を大きく振って否定した。

 それから大きくを息を吐いて、今にも泣き出してしまいそうに顔を顰めて言った。

 

「本当に、行ってしまうんですか……?」

 

 その別れを惜しむような様子に、思わず苦笑してしまう。そういえば、この弟分とも長い付き合いだったなと思い返して。

 ヴェルフ・クロッゾ――彼の魔剣を打つことが出来るクロッゾ家の末裔であり、彼が入団した時はファミリア内でも大いに盛り上がったほどだ。

 しかも魔剣を打てなくなった他のクロッゾ家の者とは違い、ヴェルフはまるで先祖還りでもしたかのように魔剣を打つことができ、多くの期待と羨望の念を向けられていた。

 だが、ヴェルフはその期待を裏切るように、

 

『俺は勝手に砕ける魔剣が好かねえ。だから俺は魔剣を打たねえ!』

 

 その才能を使わないと、皆に宣言した。

 鍛冶師ならば誰もが憧れるスキルを持ちながらそれを振るわないヴェルフを見て他の団員は嫉妬と侮蔑の念を向け、団長の椿に至っては魔剣制作に関しては敗北するほどの才能を持つヴェルフに対して『才能の無駄使い』と称していたほどだった。

 だが、俺はその思いを嫌いになれなかった。

 魔剣を打たない? 別にいいじゃないか、本人の自由だ。才能の在るものは必ずその才能を駆使しなければならないのか? 違うだろう。それをやるかやらないかは本人の自由だ。それを外野がとにかく言うなど、無粋極まるだろう。

 それに、彼の言うことも理解できたから。

 力を発動すれば砕ける? なんだそれは、それのどこが魔剣なのだ。たった数回揮うだけで砕ける剣に何の価値がある。強力な力のためならば止むをえない犠牲? 阿呆こけボケが。そんなものは粗悪品というのだ。それをどいつもこいつも当たり前の様に受け入れて、俺からすればそっちこそ侮蔑の意を向ける対象だ。鍛冶師の風上にも置けない。

 だからこそ、俺たち鍛冶師が目指す極点は一つ。

 

『ならお前が打てばいいじゃねえか。魔剣を超えた剣をな』

 

 そう告げたのが俺と彼の兄弟関係の始まり。

 人付き合いの悪いこの弟分のためにあちこち回ったり、そのネーミングセンスに脱帽したりと、思い返せば色んな事があった。

 本当に――色んな事があった。

 

「別に、ここを離れなくてもいいじゃないですか! 結婚しても冒険者を続けている人は大勢いるし、せめて鍛冶だけでも――ッ!」

「ヴェルフ」

 

 必死に説得しようとする彼を見て、案外俺は慕われてたんだなと思わず嬉しくなりながら、そっと彼の名前を呼ぶ。それだけで俺が言おうとした事が分かったのだろう。唇を噛んで、拳を強く握り締めていた。

 

「もう、決めたことなんだ」

「……どうしても、言ってくれないんですね」

「こればかりは、気付かなきゃわかんねえからなー」

 

 俯くヴェルフの頭をそっと撫でる。嘗ては俺の胸辺りしかなかった背丈も、今では俺と差がないほど大きくなった。その成長に嬉しくも悲しくもなり、思わず苦笑した。

 

「まあお前もいつか気付ける日が来るさ。餓鬼にはまだ分かんねえよ」

「……子供扱いしないで下さい」

「なぁに、まだお前さんはガキんちょさ。俺もつい最近まで分からなかったんだから」

 

 大人と子供の違い。

 その差はきっと些細な事で、けれど決定的に違うのだろう。大人になっても子供のままでいる輩もいれば、子供でも大人顔向けの輩もいる。

 きっとその差は気づけるかどうか――ただ、それだけだろう。

 

「前にさ、ヴェルフ言ってたよな。お前は、どんな剣を打ちたいんだ?」

 

 最後に、お前の夢を聞きたい。

 それが青臭くとも、夢夢想でも構わない。夢に目指して憧れることは、決して間違いではないのだから。

 ヴェルフはその言葉に俯いていた顔を上げ、濡れる目許を強引に袖で拭い誇るように宣言した。

 

「俺は、剣を打ちます。使い手の半身のような、魔剣よりも素晴らしい剣を! 打ちますッ!」

「――ああ、お前ならきっと打てるよ。なにせお前は、俺の弟分なんだからな」

 

 そう言って、最後に名残惜しむように赤い癖毛を撫でて踵を返す。もう言うことは何もない。言うべき事は全て言った。

 きっとヴェルフは打つだろう。夢に焦がれ、夢を目指し、いつか夢を現実に変える。その力があると信じているから。

 そもそも、弟分を信じない兄貴分がどこにいる。

 

「――今まで御指導、ありがどうございまじだッ!!」

 

 最後に背後で涙混じりで頭を下げて別れの挨拶をしたヴェルフに、俺は振り返る事なく掌をひらひらと振って去った。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 今日は何時になく知り合うと会う日だと、目的地である執務室の前で仏頂面なまま腕を組みこちらに険しい目尻で睥睨する彼女の姿に苦笑する。

 

「よう椿、今日は鍛冶しなくていいのか? たしかロキ・ファミリアから大量の注文を受けてたと思うが」

「ああ、どこぞの大馬鹿者が何も告げずに去ろうとしていたからな。お陰で後が地獄となりそうだ」

 

 ふんっと鼻を鳴らして険しい表情で睨む彼女に思わず頬を掻いて目を反らしてしまう。事実そのつもりだったのだからぐうの音も出ない。

 

「……本当に、去るつもりなのかお主は」

 

 気まずくなり暫し無言の時間が続くと、その雰囲気を打ち破るように椿は口を開いた。その今朝から同僚達に何度も聞かされた言葉に頷く。

 

「ああ、そのつもりだ」

「――諦めたのか?」

 

 不意に、空気が重くなる。冒険者としての椿の顔が、嘘は許さないと殺気を通して告げながら俺を睨む。

 

「嘗て我らが誓い合った理想。女神の打つ剣さえも超えた、至高の剣を打つという誓い。それを破るのか? ……それとも、もう、それすらも忘れてしまったのか?」

 

嘗て互いの理想を語り合った仲。

 友であり、ライバルであり、俺の青春時代に於いて決して縁の切れない相手。

 その彼女の泣きそうな言葉に俺は頭を掻いて、思いを口にした。

 

「椿はさ、いつか弟子を取るつもりはないか?」

「なに?」

 

 訝しげる彼女に対し俺は苦笑しながら言葉を続ける。

 

「今はまだ自分の打ちたい物を打つだけでいいかもしれない。けれどいつか、俺達は歳を取り槌を振えなくなるかもしれない。まあお前はそれで上等って言うかもしれないけど、もしかしたら自分の技術を誰かに継がしたいと思うかもしれない。そうなった時、お前はなんて教える?」

 

 今まで培って来たものを、経験を、教えようとして――

 その大前提で必要となってくるのが、

 

「冒険者になって、レベルアップして、《鍛冶》アビリティを取得しろとでも言うつもりか? なんだそりゃ、それの何処が鍛冶師なんだよ。魔剣打つにも選ばれた才能がなければ不可能ってか? 違うだろ、それは」

 

 俺達が魔剣を打つには、大前提としてそのスキルが必要となる。そして俺たち鍛冶師はそれはそういうものだとしか表現できないのだ。自分でも分かっていないものを、どうやって弟子に教える?

 

「結局、俺たちは初めの一歩を間違えたんだ。目の前の(恩恵)に吊られて、一番大事な事を忘れちまったんだよ」

 

 恩恵という奇跡。それを取得できれば誰でも剣を打つことが出来るようになる。

 ああ、それはなんて――()()()()()

 

「俺達は人間だ。神様のように永遠に等しい時間を生きることは出来ない。だから恩恵を受けて急激な成長を求めてしまうのは無理もないかもしれない。けれど、それじゃあ駄目なんだよ。結局それは、”個”が成長しただけなんだから、後に続かせる事が出来ないんだ」

 

 職人として、己こそが至高の作品を作るのだという衝動は仕方がないかもしれない。けれどそれでは駄目なのだ。摩訶不思議な人柱力は、所詮摩訶不思議でしかないのだから。

 

「だから、諦めたとでも?」

「――いいや。人には神様にはない力がある。誰かに託すという事に、俺は気付いた。気づくことが、出来たんだよ」

 

 感慨の思いを告げるように二度言う。

 神様は不滅だ。だからこそ永遠と技術を鍛えることが出来るが、それは決して永遠に成長できるという訳ではない。

 同一存在である以上、必ず伸びしろは存在する。そして経験というものは、絶対に極めれば極めるほど伸びしろを失うのが道理である。

 だが人は違う。人の寿命は神様に比べれば閃光のように短い。ならばその進化は遅かったか? 答えは否。人の進化は、神が現れるまで著しかった。それこそ、世界を滅ぼしかねないほどに。

 

「別に文句を言うつもりはねえけれど、神様が現れた時点で人の進化は止まってしまった。技術は技能と化して、特別は普遍とならず特別のままになってしまった。本来なら、その特別を普遍にして人は成長してきたのにな」

 

人とは、先代の技術を模倣し、練磨し己の血肉へ変えて、改良し進化させる種族の名だ。親から子へ、子から孫へ、子孫へと託していく。それは当たり前の事で、けれどいつしか当然ではなくなっていた。

それはある意味、不変である神の弊害なのだろう。

 

「俺は彼女を愛して、あの子を抱き上げた時にようやくそれに気づけた。あの子に俺の全てを託したいって、思ったんだ」

 

 ――今でも覚えている。あの日の事を。

 愛する妻が産んだ自分達の子供を抱き上げた時に、ふと妄執とも言える熱が消えたのを感じた。剣に対する執念、執着。そう言った感情が消え、残った物は腕に抱きかかえる我が子に何を示せるという愛情だけだった。

 諦めた訳ではない。

 飽いた訳でもない。

 きっと言葉にするのなら――きっと大丈夫だと、納得できたからだろう。

 

「だから俺は、只人でいい。神様の力に頼らない、ただの何処にでも居る人間で構わない。例え、俺の剣が神様に届かないとしても――いつか、俺の技術を継いだ子が為してくれると信じれるから」

「……何だ、それは」

 

 思いの全てを口にすれば、椿は俯いて身体を震わせた。

 無理もない。俺の言葉は裏切りに等しい。共に夢を目指し、切磋琢磨してきたというのに、この様なのだから。

 だから、一発くらいは殴られてやろう。その資格が彼女には在るのだから。

 

「お主は、いつもそうだ。勝手に決めて、独りで進んで、こちらの言いたい事も聞かずに――」

 

 ゆっくりと、まるで身体を引き摺るようにズルズルと近づいてきて、やがて目と鼻の先まで距離を詰めて、

 

「――いつも、手前を置いていく」

 

 訪れた衝撃は、予想よりも遥かに弱く、されど絶大で。

 襟首を掴まれて顔を引き寄せられ、唇が椿の唇と交わる。

 それは歯がぶつかるような勢いで、初めてな下手で、けれど彼女らしい不器用な愛情表現だった。

 

「――――」

 

 繋がっていたのは一瞬だったのか。体感で永遠とも感じた時間を過ごした後、ゆっくりと唇が離れていく。

 呆然とした意識の中、椿の表情を見てようやく彼女の気持ちに気付いた。

 なんて鈍感。俺も彼女も、槌しか振って来なかったばかりに、どこまでも鈍感になってしまっていた。

 

「どうしてくれるのだ、この馬鹿者……ッ!」

 

 胸元で蹲って泣き崩れる椿を見て、思わず抱きしめようと腕を伸ばし――その腕を必死に押し留める。

 ここで彼女を慰めてはならない。どんな思いがあったにせよ、俺はもう選んでしまったのだから。もう、他の誰かを選んではならない。

 だからこそ、訣別の言葉を口にした。

 

「――ああ、俺も、お前の事が好きだったよ」

 

 好き――だった。

 それはもう過去の事。現在は妻を、あの子だけを愛している。他にも向けれるほど俺は器用ではないから、きっともう誰も愛する事はないだろう。

 縋る彼女を解き、今度こそ執務室へと入っていく。

 その途中、彼女を傍を横切った際、

 

「……この、大馬鹿者が……」

 

 嗚咽混じりの声を、聞こえなかったふりをした。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 ヘファイストス・ファミリアの執務室。そこには主神であるヘファイストスが手駆けた数多の武具が壁に掛けられており、どれにも目を奪われてしまうだろう。

 しかし、その部屋にいても最も目を奪われてしまうのはその中心。執務机に肘を乗せて組んだ手を顎乗せ代わりにしてこちらを見据える彼女以外に目を奪われてしまうなど、到底あり得ないだろう。

 その不変な姿に、一瞬初めてこの部屋を訪れた時と同じ感覚に陥り――その懐かしさを胸に刻んだ。

 

「ヘファイストス様。お別れを――言いに来ました」

「……そう。気持ちは変わらないのね?」

「ええ。決めたことですから」

 

 事前に伝えていたためか、伝える事は少ない。ヘファイストス様は険しい表情を溜息を付いて解くと、悲しそうに目を伏せた。

 

「……知ってるわ、貴方が一度決めた事を曲げない事ぐらい。けれど、やっぱり別れは辛いのよ」

「俺の我儘を訊いて下さって、本当に感謝してます。副団長というこの身に有り余る立場を与えて下さったのにも関わらず、貴方の期待を裏切る事になって申し訳ない」

「いいのよ、その立場は私だけでなくファミリア総意なのだから。……もしも、悪いと思っているのなら、一つだけお願いを訊いてくれないかしら」

「俺に出来ることなら」

 

 俺がそう言えば、彼女は薄く笑いそっと指を指した。その方向を向けば、そこには工房に置いてきたはずの俺の鍛冶道具の姿が。

 

「先程椿に頼んで持ってきて貰ったの。私の最後のお願いは、貴方に最後の一振を打って欲しい。それが、最後の願いであり手切れ金よ」

「……わかりました。その代わり、一つお願いが」

「なに?」

 

 荷物を降ろし、上着を脱ぐ。背中に感じる確かな熱をその胸に刻み、

 

「――恩恵を消して下さい。只の人として、打ちたいんです」

 

 彼女の眷属ではなく、ただ独りの男として全てを見せたいと思ったから。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 執務室の隣。ヘファイストス専用と化していた工房を借りて炉の前に立つ。道具を広げ、ヘファイストス様が後ろから眺めている中、そっと槌に伸びる手が止まる。

 迷った末、手に取ったのは普段使用する希少金属(アダマンタイト)製の槌――ではなく、ありふれた鋼の槌。ズッシリと普段だったならば重みにも感じなかったそれは、己が神の眷属ではなく只人になった証。

 鉱物も特殊な鉱物ではなくありふれた鉱物を使用する。汎用で特別を凌駕したいと願っているから。

 そこから先は、いつも通りの作業。子供の頃から永遠と繰り返してきた、無機物に命を吹き込む奇跡である。

 槌を揮う。熱した金属と激突する度に、思いが記憶となりて剣に注ぎ込まれていく。

 一振一振に、感謝を。

 一振一振に、祈りを。

 一振一振に、願いを。

 思いの全てを、ただ一振に。湧き上がる全てを、ただ一振に。

 気力の限界など既に忘却の彼方。肉体の限界など既に眼中にない。例えこの剣を作り上げた直後絶命するとしても、この剣を作るまでは絶対に死なないという強い意志。

 

 果たして、作業を開始してからどれほど経過したのか。金属部分を冷やし、全行程が終了したのを理解して――俺はようやく自分が息をしていなかったことに気付いた。

 

「出来た……ッ!」

 

 それは、店で見慣れた無骨な鋼のロングソード。特別なスキルも魔力も籠もっていないただの剣。それでもその剣は我ながら最高傑作と呼ぶに相応しい出来前だった。

 まるで心身諸共全て消費したように荒々しい呼吸で無様に床に座り込む俺に対し、ヘファイストス様はただジッと俺が打った剣を手にとって眺めていた。

 彼女にとって、それはどう感じたのか。俺の呼吸が収まるまで、否、収まってもなお彼女はただジッとその剣を見続けた。

 そして、一言。

 

「……完敗、ね」

 

 まるで夜空に浮かぶ星に手を伸ばすように、届かないからこそ至高なのだと謳うように、ヘファイストスは呟いた。

 

「希少金属を使えばこの性能を上回る剣は打てるわ。けれど、同じ材料、道具で打てと言われれば――きっと届かない。貴方はもう、とっくに技術で私を上回っていたのね」

 

 彼女は子の成長を喜ぶ親のように、優しい微笑みを浮かべて、

 

「まさか、彼の言った通りになるなんて……本当、親子そっくりね」

「え……」

 

 ヘファイストス様の言葉に、思わず汗を拭っていた顔を上げる。

 

「親子そっくりって……何で親父が?」

「知らなかったの? 貴方の父は、ヘファイストス・ファミリアの元団長だったのよ?」

 

 驚愕の真実に目を見開くと、彼女は工房の壁に掛けて合った無骨なロングソードを取り出し渡してくる。その剣はまさに至高と呼ぶに相応しく、思わず見惚れていると、

 

「それを打ったのが、貴方の父よ」

「えっ!? これが、親父の……ッ」

 

 その無骨な様は、あの人の心のよう。されどどこまでも実用に作られたその剣は、俺の目指す極点でもあった。

 

「貴方と同じように、あの人も突然ファミリアを抜けると言い出してね。最後に打ったのがその剣。私はその日、初めて敗北したわ。その時、彼に言われたのよ」

 

 その剣に見惚れて言葉を失い敗北感に呆然としていた時、男はいつもの様に憮然な態度で告げた。

 

『フン――戯けが。人を舐めるなとあれ程言っていただろう。それに良かったではないか。貴様はこれより唯一無二ではなく、挑戦者(チャレンジャー)に変われたのだから、精々精進するがいい。あまりナメていると、儂の息子にも追い抜かれるかもしれんぞ? なにせ、この儂以下とはいえ儂の馬鹿息子なのだからな』

 

 まるで、その日の事を思い出しているかのように微笑ながら彼女は嘗て父が語った

言葉を口にする。その言葉に、思わず鼻の奥がツンと来た。

 

「それに、忘れているかもしれないけれど私は赤ん坊だった頃の貴方を抱いたこともあるのよ?」

「えっ――」

 

 その言葉の真偽を正す前に、そっとヘファイストス様に抱き締められた。優しい温もりに、ふと記憶が回帰する。

 思い出すは、まだ意識がはっきりしていなかった頃。その中でも一際輝く思い出がある。幼い自分をまるで宝石のように微笑しながら眺める女性。片目が眼帯で隠されていながらも、その微笑みはまるで聖母のようで……女神のような人だと思ったことを思い出す。

 

「貴方は私を超え――父さえも超えた。貴方が私の眷属()であったことを、誇りに思うわ」

「あ……あァ……あァあ……ッ!」

 

 あの時と同じだと――今更ながら思い出し、涙が止まらず溢れ出す。

 本当に、色んな事があった。色んな事が在りすぎて――せっかく親になったのに、また子の顔は表に出てきてしまった。

 だから、これが最後。子としての涙がここで流し尽くそう。

 

「行きなさい、ジン。只の人として、一人の親として。そしていつの日か――貴方の子が私の門を叩く日を、楽しみに待ってるわ」

「今まで……本当に……ありがどう、ございまじだ……ッ!!」

 

 今までの出会いに、感謝を。

 俺は――ヘファイストス・ファミリアに入って、本当に良かった。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 日が沈む夕暮れ時。全ての別れを終わらせて俺は少ない荷物を肩に背負いメインストリートを歩いていた。背に伸びた影はまるで俺の後悔のよう。別れを悲しむにはこの都市はあまりに思い出が多すぎだ。

 それでも、往くと決めたから。自分の決断を後悔に変えないために胸を張ろうとして、

 

「あ――ッ! パパだァ――!!」

 

 前方から突進してきた愛娘に、思わず笑みが溢れた。

 

「もう、約束の時間とっくに過ぎてるんだよ! 遅刻するのは悪い人の始まりなんだからね!」

「ハハハ、悪いなマナ。もしかしてお父さんを迎えに来てくれたのか?」

「うん! しょうがないから駄目なパパの分までしっかり者なのです、マナは!」

「そりゃ凄い。なら駄目なパパに変わって道案内頼むぞ、マナ」

「なら肩車! 肩車してッ!」

 

 小さくも力強い命を感じさせる我が子を抱き上げて、肩車する。

 ああ――そういえば、俺もよく親父に強請ってたっけ。その度に「馬鹿息子が」と小言を貰いながら。

 あの時親父はどう思ってたんだろう。少しでも俺は、あの人に近づけているのだろうか。

 

「しゅっぱつしんこー! 行けパパ号ォー!」

「はいはいっと」

 

 頭の後ろで騒ぐ娘を落とさぬよう細心の注意を施しながら夕焼けに染まる道を歩いていれば、反対側から走ってくる最愛の妻の姿が。

 見間違えるはずがなく、彼女は俺達の姿を確認すると安心したように柔らかい微笑みを浮かべた。

 

「もうマナ。お母さんを置いて一人で行っちゃ駄目っていつも言ってるでしょ?」

「パパが迷子になってるからいけないんです!」

「ハハハ、それを言われちゃ何も言い返せねえわ」

「もう、貴方もそこはビシっと言ってあげて下さい」

 

 最愛の家族の会話に、心が弾む。

 ああ、俺は今幸せだ。これ以上ないくらい、最高の幸せ者だ。

 そっと妻の手を握れば、彼女も当然のように指を絡めて握り返してくれる。

 

「貴方、これからどうするの?」

「ああ、先ずは世界を見て回りたいと思ってる。幸い貯蓄は山ほどあるからな。それで、世界を見て回った後は……マナが良ければ、俺の技術を教えたいと思ってるよ。まあ、マナが冒険者になりたいっていうんなら話は別だけどな」

 

 この子には、世界を見せてやりたい。色んな場所を、色んな経験を。そして自分の人生を自分で選んで、歩んで欲しい。

 

「マナはさ、どんな大人になりたい?」

 

 俺の問いに肩車されたマナは満面の笑みを浮かべて、

 

 

 

「マナはね、パパとおんなじ鍛冶師になりたい! それでね、パパを超える一番の鍛冶師になるのがマナの夢!」

『僕は、鍛冶師になりたい! それで僕はお父さんにも負けないくらい立派な鍛冶師になるんだ!!』

 

 

 

 ――嘗ての自分と似たような事を口にしたから、つい笑ってしまった。

 

「……あはは」

「あらあら」

 

 妻もそれに吊られて笑う。

 ああ、そういえばあの時、親父も笑ってたっけ。あの頃は馬鹿にされたと思っていたが、なるほど。そういうことだったのか。

 ああ――こんなにも、自分の跡を継いでくれる誰かがいるという事が嬉しいだなんて想像できなかった。

 

 なあ親父――見ているか? アンタの馬鹿息子は相変わらず間違いばかりで、ちゃんと前に進めているか分からないけど。

 それでも――アンタの影には、ようやく足が届いた気がするよ。

 

 だから、俺もあの日の父の姿を真似て。

 

 

 

「ハハハ、この馬鹿娘が。お前が俺に勝とうなんざ百年早いんだよこの馬鹿。精々精進しな」

『呵々、この馬鹿息子が。貴様が儂に勝とうなど百年早いわ戯け。出直して来い』

 

 

 

 そう言って隠せない笑みを浮かべれば、娘はあの日の俺のように勘違いして憤慨した。

 

「むぅーっ! そんなこと無いもん! パパなんてすぐ追い抜いちゃうんだからッ!!」

「ハハハッ!! やれるものならやってみなァッ!! あはははは!!」

「わ、ら、う、な~~!!」

「あらあら」

 

 穏やかな気持ちに包まれて、俺達は夕暮れを歩む。

 

 この先は語るまでもない。ありふれた只の人として、ありふれた人生を歩むのだから。

 それは決して恥ずかしがることでも、ましてや残念がることもない。

 それはきっと誰もが送る、誇りある人生譚なのだから――

 



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