その日、彼女はあるホテルの一室にいた。
「ひっ!? な、なんで………」
辺りは血飛沫で紅く染まり、彼女の目の前には中年太りした一人の男が、無くなった腕から流れる血を止めようと必死に押さえ付けている。
そんな光景を無感動に眺めながら、彼女は一歩男に近寄る。
「なぜだ!? 貴様はボーダーのイメージモデルなのだろう!? そんなお前が何故私に手をあげる!」
「任務ですので」
ヒステリックに叫ぶ男に対して、彼女は抑揚の無い声で返事を返しながら、血の付いた弧月を一振りして血を落とす。
機械のように温度の無い声は、先程まで朗らかに笑っていた人物とはあまりにもかけ離れている。
男はその変化にいっそう恐怖が増し、震える口を叱咤して叫んだ。
「そ、そもそも私はボーダーのスポンサーだぞ!? こんなことが許されると――――――」
「ボーダーの技術の横領、横流し。ボーダーとは関係ありませんが、不法な取引も行っているとか。いくらスポンサー会社の社長とは言え、これは認められません」
「だ、だが! 私を殺せば貴様等もただでは済まないぞ!? それに誰が巨額の資金工面をしていると思っている!」
「心配なさらずとも、ボーダーには記憶操作がありますので。ある程度の隠蔽操作と支援の宛については問題ありません」
「ッ!?」
一つ一つ逃げ場所が無くなっていく男に、彼女は弧月を振り上げる。
それを見た男はパンツや床が汚水で汚れるのも気付かず、土下座して命乞いを始めようと片膝を付いた。
「ま、まってく」
ヒュッと、決して大きな音ではない筈の風を切る音が、室内に異様に響いた。
片膝を床に付いた男が、彼女に首を差し出したような体勢で横に倒れる。
倒れた男の首元には、先程まで無かった一筋の横線が出来ていた。
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「へぇー。大規模侵攻ですかぁ。大変ですねー」
「お前なぁ………もうちょっと真面目に考えろよ」
場所はボーダーが提携する食堂の席。総司と迅が向かい合わせで座る光景があった。
迅はいつもの人を食ったような笑みを携えながらも、呆れた顔で総司に話しかけている。
「考えてますってこれでも。私の勘が最近になってビンビンしてますからね。嫌でも何かあるってわかりますよ」
「にしては危機感無いなー」
「だって私は負けませんし」
話の内容は、ここ最近で起こると予想されるネイバーの大規模侵攻についてだ。
ボーダー隊員は今ある戦力で十分な準備を進めているのに対して、総司は普段と変わらない様子である。
総司の絶対の自信に苦笑を溢しながら、迅は総司の未来を改めて視る。
目の前で抹茶パフェを嬉しそうに頬張る彼女は、危ぶまれる未来は在れど負ける未来が殆ど無かった。
「…………ま、そうだな。例えあっちの人達相手でも初見の総司に勝つのは流石に無理があるわ」
「そうでしょうそうでしょう」
「ってことでその総司さんの無敵な力をお借りしたいんですが…………どう?」
ドヤ顔していた総司の顔が胡散臭そうな奴を見る目に変わる。
パフェを奢って貰った手前、断ることは憚れる。だけど本能が告げている。あ、ヤバイと。
「…………用件は?」
「俺等んとこの後輩に、一人トリオンの量が凄い子がいるのは知ってるよな?」
「まあ、噂程度なら」
「その子が捕まるから助けてあげて欲しいんだ」
…………思ったより普通のお願いですね。
彼のことだからもっとこう…………トリオン兵の群れに一人で突っ込んでこいとか、人型ネイバーと相手しろとかそんなんだと思ってましたけど…………
「普通のお願いですね」
「総司が超ピンチになるけどなー」
「おい」
この人はなんでこうさらっと大事なことを。昔は…………あー……元からこんなんでしたわ。
それにしても迅さんの後輩。後輩ですかぁ…………。あり? レイジさんとか京介さんが玉狛にいましたよね?
「なんでレイジさんとか京介さんとかに頼らないんです? 小南さんはまあわかりますけど、あの二人ならそういう事そつなく出来るじゃないですか」
「………………」
私がそう尋ねると、迅さんは笑顔を引っ込めて真面目な顔になります。
ああ…………多分二人は負けるか、駆け付けられない状況なのでしょう。
彼の顔が
「…………私にしか、出来ないんですね?」
「そうだ」
「…………なら、しょうがない、のかな? 貸しですよ迅さん」
「…………パフェ奢ったじゃん」
「それはそれ」
迅さんが普段の顔になるので私は少しだけホッとしながらも彼を茶化します。
これは私も少しだけ本気出さないとですかね。
「まあ、そんなわけで後は総司が好きなように動いていい。その方が良い未来に向かうからな」
そう言って迅さんは席を立ってこの場から去ろうとする。
が、私がそれを止めた。
「まあまあ迅さん。行く前にちょっと待ってくださいよ。ブラックトリガーも無くなった事ですし、いっちょランク戦でポイント貯めませんか?」
そう言って彼の手を取りながら微笑んでみます。迅さんは私の顔を見ながら苦笑いすると、頬に汗が伝うのが見えました。
普段見ない焦り顔ですね。レアです。まあ、それくらいで私は満足しませんが。
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ランク戦ロービーに迅さんを引っ張りながら辿り着来ました。が、なにやら騒がしいですね。
「なんでしょうかこの騒ぎ?」
「んー…………良い未来に繋がる、大事な一戦てやつかな」
あ、この人未来視使ってますね。ズルいなぁ。
まあ騒がしい中心地に行けばわかりますけどね。
中心地にいるのは…………あ、3バカの内の二人じゃないですか、納得です。あとは…………ネイバーの空閑くんに確か……修少年でしたか。何故か陽太郎くんもいますね。
「遊真、メガネくん」
「! って迅さん!?」
「あっ! 迅さん! それに沖田先輩! ねぇねぇ対戦しよーよ対戦!」
「駿は相変わらず元気だなー」
迅さんが声を掛けたら此方に気付いた緑川くんがトコトコ近付いて来ます。相変わらずの戦闘バカですね。
でも残念だったな緑川少年よ。
「悪いですけど、これから迅さんをシバく先約があるので無理ですね」
「俺はシバかれる前提なんだ…………」
「えー…………ちぇっ」
私が用事を言えば素直に諦めてくれる緑川くん。根は良い子なんです。
だがここに用事を聞かないおバカさんが一人いるんですよ。
「なら俺とやろうぜ沖田?」
「話聞いてました?」
ホラホラどけどけこの槍バカ先輩。ついこの間全敗したのを忘れたとは言わせませんよ。
そんな感じで二人を退かしながら迅さんをブースまで引っ張っていこうとすると、再び私の妨害をする人影が。
と言うか空閑くんであった。
「………何ですか?」
「これから迅さんとやるんでしょ? なら俺ともやってよ」
察しました。この人も戦闘バカですね。しかも3バカタイプじゃなくて太刀川さんタイプ。
「………あなたC級ですよね? あなたとやるメリットないんですが?」
私は迅さんとこれからやるんですよ! 邪魔しないでください!
そんな内心の叫びなど彼は気付かず、まだ諦めて無いようです。
「なに? 俺とやるのが怖いの?」
「悪いですけど、これからあなたよりも強い迅さんとやるんでそんな挑発は無意味です」
今度こそ空閑くんを強引に退かして迅さんを引っ張って行きました。
「ありゃりゃ。フラれちまったな」
遠ざかる総司と迅を見つめる遊真の後ろから、米屋が声を掛ける。
その声に振り向いた遊真の表情は不満そうであった。
「ちぇ。今の俺の実力がどんなものか試してみたかったのに」
「まあお前の気持ちもわからなくねぇけど、悪いことは言わねぇ、止めとけ。今のあいつとやっても一本も取れずにお前は負けるよ」
「ほう…………」
米屋がそう確信めいた言葉で言ってくることに、遊真は逆に興味が湧く。
先日の戦いで命のやり取りをし、緑川との戦いを間近で見ていた米屋は、遊真の実力をある程度までは知っている。だがそれを経験してなお、そう言う根拠はどこから来るのか。
「まあC級トリガーってのが一つ。スコーピオンじゃあアイツの剣撃を一発受けただけで砕けるだろうよ。んでもう一つが、お前がボーダートリガーに慣れていないってのも負ける理由だな」
「ふむ…………だけど慣れるために強いやつとやるのは良いことだと思うけど?」
「話を最後まで聞けって。…………アイツは、言いたかねーけど今の俺じゃ一本も勝てないくらい上だからな。慣れるどころか、お前の自信てのが粉々になるかもしんないぜ?」
「ほぉ…………それは楽しみだ」
ブースの中へ迅を強引に入れる沖田を眺めながら、この後観れる試合に期待を高める遊真だった。