独裁者な幼馴染みを辱める話 作:まさきたま(サンキューカッス)
おい、もうベルが鳴ったぞ。みんな席につけ。
よしでは、本日の歴史の授業を始めよう。教科書の247ページを開いてくれ。いつもの通り、居眠りした奴は閉め出すからそのつもりで。
さて今日は諸君のお待ちかね、ハーゲン帝国の侵略戦争と世界大戦のお話だ。昨年大ヒットしたあの映画でみんなもよく知っているだろう。大学入試で良く聞かれる部分でもある、心して聞くように。
さて開戦当時19XX年、ハーゲン帝国は弱小国家として扱われていた。ヨウロプ大陸の西部に位置する、先の大戦の敗戦国だった彼らは、補償条約により周辺国に多額の借金を背負わされていた。返済などできっこない多額の借金だ。いずれ国家は破綻し、周辺国に蹂躙されるのは目に見えていた。周辺国家の思惑としては、ハーゲン帝国崩壊を待って植民地にしたかったのだろう。
前の大戦では、ローランド中将を筆頭としたハーゲン軍人の必死の抗戦で、ギリギリハーゲン帝国は滅亡を免れていた状況だった。事実、前の大戦の際に首都にまで侵攻が及び、当時の大総統だったローレンは戦死してしまっている。
その後を継いで指導者となったのは、ローレンの一人娘、着任時は若冠15歳であったロレンシア大総統だ。
彼女の統治に変わった後も、領土拡張を狙った隣国フラメに攻め込まれ東北都市を隣国へと割譲させられたりとハーゲン帝国は苦境が続く。そんな歴史的背景から、にっちもさっちもいかなくなったハーゲン帝国は、19XX年に隣国フラメへ向けて宣戦布告を行ったのだ。これが巡り巡って、世界大戦の引き金になった。
ハーゲン帝国は、もともと油田くらいしか資源のない弱小国家に他ならない。周辺国によって運命を捻じ曲げられた被害者と言えるだろう。よく彼らは悪役として戦争映画で描かれているが、彼らの立場に立って事を考えるとまた違った感情が湧いてこないだろうか。窮鼠猫を噛むという。窮鼠を最悪の侵略国家へと仕立て上げた戦犯は、当時の周辺国なのかもしれない。
話を戻そうか。19××年、ハーゲン帝国が隣国への賠償金の支払期日であったその日、ハーゲン帝国から隣国フラメへと宣戦布告が行われた。
それはほぼ完全な奇襲だったため、対応の遅れたフラメは瞬く間に重要施設を制圧される。そのまま、満足に軍を動かす事も出来ず、2か月という短期間で首都がハーゲン帝国により制圧されてしまった。
この展開に喜んだのは、当時列強だったエイレス・スパーニャ等の周辺大国だ。ハーゲン帝国が行った何の前触れもない宣戦布告、国際法をほぼ無視したフラメへの侵略行為。彼らはハーゲン帝国に対し宣戦布告を行う、これ以上ない大義名分を手に入れたのだ。
即座に包囲網が組まれ、同年7月、隣国の奪還を名分に4カ国が同時にハーゲン帝国へと攻め入った。そのうち2国は、当時の列強だったエイレス・スパーニャである。兵力も、装備も、何もかもがハーゲン帝国の何倍もの大国が、2国も参戦してきた訳だ。
連合軍は2方面からハーゲン帝国へ侵攻した。ハーゲン帝国側からはスパーニャ国軍、隣国側からエイレス国軍を主軸に据えた二面作戦だ。だが両国とも、いかに早くハーゲン帝国を占領し、その支配圏を強めるかしか頭になかったに違いない。連合軍と銘打ったものの互いに殆ど連携も取らず、好き勝手に侵略を開始したのである。
2国が連携していなかったせいで、攻め込む時期が1週間ほどズレてしまった。それが致命的だった。先に攻めたエイレスはハーゲン帝国のほぼ全軍の猛攻を受けて1週間の内にほぼ壊滅、後に攻めたスパーニャも同様に壊滅。せっかくの2方面からの連合軍なのに、各個撃破されてしまったんだ。
何故、こうもあっさりとこの2国は壊滅したのか? それは、ハーゲン帝国陸軍は当時では珍しかった戦車部隊を、高度な戦術を以て実践導入していたからだ。その戦車部隊の戦術論は、大総統ロレンシアの発案だったらしい。今の戦術論でも一部採用されるくらいに、彼女の戦術は素晴らしかった。歩兵を相手にした装備しか持ってきていなかった両国は、大量の戦車を前に抵抗もできないままに壊滅してしまう。
戦争形態を大きく変えたこの一戦から、各国も戦車の量産を始めだし、数年の間に陸戦の主役として戦車が君臨し始める。だが、その数年の間ずっと周辺国は、ハーゲン帝国の戦車部隊に頭を悩まされることになる。
ハーゲン帝国は列強2国を相手取り、同時に勝利を収めた。しかも戦車部隊は消耗しておらずほぼ無傷の状態で、だ。この年に、世界は大きく動いた。
同年10月、エイレス陥落。ハーゲン帝国は今までのお返しとばかりに電撃的にエイレスへと侵攻した。エイレスの主力軍は既に壊滅していたし、残存戦力もハーゲン戦車部隊を前になす術なく粉砕されていた。この短期間で首都まで陥落させられたのも、無理もないだろう。同年12月、スパーニャも同様に陥落したことで、名実ともにハーゲン帝国はヨウロプ大陸の覇者となった。
ロレンシアの恐ろしいところは、この展開を開戦前から予想していた所だ。資材不足で時期を逃すことがないよう、宣戦布告を受ける前から既に銃弾や燃料を前線の備蓄施設にかき集めていた。
勢いに乗ったハーゲン帝国は、周辺国に従属を迫っていく。列強2国の敗北を受けて、弱小国家はこぞってハーゲン帝国に降伏した。従わなかった国も、即座にハーゲン帝国軍に侵略され、植民地にされていく。
結局、開戦から2年の間にエイレス、スパーニャ、フラメを含む7ヶ国はハーゲン帝国の植民地にされ、その他8ヵ国がハーゲン帝国の属国となる。
植民地にされた国の民は奴隷として扱われ、連合軍によって解放されるまで過酷な扱いを受けることになる。この時のハーゲン帝国の行った残虐な仕打ちについては、後に道徳の授業で学ぶように。
さて、時は巡って19XF年。ヨウロプ全域を支配しようとしたハーゲン帝国に待ったをかけたのが、ソバット連邦だ。ハーゲン帝国の侵略行為を国際法に対する冒涜だと非難し、領土割譲を迫った。
ここからが、ハーゲン帝国の最大の失策であろう。北部戦線を維持していたハーゲン帝国軍は、今度は宣戦布告すら行わずソバットの首都めがけて急襲したのだ。戦勝ムードもあったのだろうが、広大なソバット連邦相手に極地電撃戦は失策でしかなかった。
これに関しては、おそらく北部軍の独断であると推測される。ソバット侵攻の知らせを聞いたロレンシア大総統が、癇癪を起こして通信機をたたき割ったというのは有名な逸話だ。映画を見た人は、印象的なシーンだっただろう。
常に冷静で、機械じみて、全く人間味を感じられなかった彼女が、初めて人間らしい行動を見せたのだから。
いかにハーゲン帝国が精鋭であり、防寒装備や戦術論を整えていたとはいえ、広大な雪原での戦闘はソバット連邦に分があった。更に土地勘がないハーゲン帝国は最短距離を移動できず、電撃戦であるはずなのに後手に回るという失態をおかす。
結局、この侵攻作戦で得をしたのはソバット側だけだった。何せ、ろくに被害も出さずに、ハーゲン帝国の技術の粋を集めた戦車をたくさん鹵獲できたのだから。
ソバット侵攻作戦の失敗の知らせを受け、ロレンシア大総統は即座に戦線を縮小させた。大量の戦力を失い、戦線の維持が難しいと判断したのだろう。支配していたスパーニャを放棄し、守りを固めて再起を図る方針に切り替えたのだ。だが、これも結果的には悪手だった。
ソバット戦線の敗報を受け、ハーゲン帝国軍部ではソバットへの報復・再侵攻論が過熱化していたからだ。スパーニャを放棄した意味は理解されず、彼女は『臆病風に吹かれた』と批判の嵐にさらされる。
開戦前は大人気だった彼女も、この時には大きく支持を落としてしまっていたのも一助となった。
19XD年。ロレンシア大総統はスパーニャ解放の責任を取って辞職を迫られる。幸か不幸か、ロレンシアはその地位こそ失わなかったものの、軍の指揮権は彼女の手を離れる事となってしまう。
結局、暴走した軍部により、ルーデン中将を筆頭にソバット連邦の再侵攻部隊が編成された。その年の11月。やはりソバット連邦によりハーゲン帝国軍は散々に壊滅させられ、ハーゲン帝国最優の将軍と名高かったルーデン中将も命を落としてしまう。これが決定打となり、これからどんどんとハーゲン帝国は追い詰められていく。
翌年19XC年にはエイレス帝国が解放される。その後ソバット・エイレス・スパーニャは連合軍を結成し、一気にハーゲン帝国へと侵攻を開始した。
そして19XA年、終戦。ハーゲン帝国の首都が陥落したその日、ハーゲン帝国の指導者であったロレンシアは、自らの家に火を放って自殺した。燃え残った彼女の家からは、遺書が見つかっている。
『もう一度、あの日、あの場所に』
この遺書に記された文の意味は色々解釈をされているが、北部戦線軍が勝手にソバット侵攻をした日に戻りたい、という説が有力だ。映画では”恋人と過ごした日に戻りたい”ドラマチックな解釈をされていたが、彼女は生涯恋人などを作っていない。ロレンシアは感情を一切表に出さず、機械のように大総統であり続けたと伝えられている。
さて、長々と語ってきたが、「ハーゲン帝国滅亡の最大の分岐点」はどこかと言われたら、実は俺は開戦前にあると思う。ソバット侵攻なんかより、ずっと大きな分岐点だ。
ああ、これはあくまで俺の推論だからテストには出さないよ。雑談と思って聞き流してくれ。
ハーゲン帝国の宰相を務めた男がいる。彼の名は……。おっと、ド忘れしてしまった。俺も年かな?
まぁ、あんまり有名じゃない人物なんだ、名前は各自調べてくれ。ソイツは元々ロレンシアの秘書長を務めていた男らしい。ロレンシアと同郷であり、コネで雇われたと周りからは疎まれていたそうだ。
だが、最近の研究で彼の評価は大きく見直されている。ロレンシア大総統の成果と言われている商業発展や軍事成長・外交戦略は、この男が一手に引き受けていたらしい。保存された殆どの書類で、彼が主導して政策を進めた形跡が残っている。
それだけじゃない。彼は熱心なロレンシアの信奉者で、プロパガンダを積極的に行い彼女の人気を底上げしていたのだとか。実際に彼が生きている間は、ロレンシアの人気は凄まじかった。彼女が最初に大きく支持率を落としたのは、彼が死んだ翌年であり、まだ連戦連勝していた頃だという。間違いなく、初期のロレンシアの人気は彼によって演出されていたのだろう。
とまぁ、彼は奸雄ロレンシアの腹心であり、彼女の陰でハーゲン帝国を支えていた大黒柱だった。ロレンシアの手記には何度も『彼が生きていたら~』という旨の文が出てくる。間違いなく、彼女が最も信頼を置いていた人物だったんだろう。またロレンシアと不仲だったルーデン中将の手記においても、この男だけは非常に高く評価されていた。ロレンシア大総統の苦手とする人間関係の、潤滑油の役割もこなしていたのだろう。
だが、残念なことに彼は開戦の直前、味方であるハーゲン帝国軍人により射殺されてしまった。野心家だったローランド元中将と、中将を担ぎ上げた軍部の将校によるクーデターに巻き込まれたのだ。公式記録では彼がロレンシアに付き添って北部都市を視察していた折に、ロレンシアを庇って銃弾の雨を浴び、即死したとある。
俺は、ここがハーゲン帝国の命運を分けた瞬間だと踏んでいる。もしこの男が生きていたら、恐らくロレンシアの命令が軽視されることなく行き渡り、戦争の結末は大きく変わったはずだ。ハーゲン帝国の敗因はロレンシア大総統の命令が軽視されたからであり、彼女自身は常に最善の手を打ち続けたのだから。まぎれもなく、彼女はここ100年で最高の頭脳を持った人間だった。それを周囲が理解しなかったからこそ、我々はハーゲン帝国に勝てたのだ。
もし、ロレンシア大総統の考えを理解し、それを周囲に潤滑に伝える存在が存命したままハーゲン帝国が戦争を行っていたら。そう、この男が生きていたのであれば、今我々はハーゲン帝国の旗の下でロレンシアの銅像に敬礼して生活していただろう。
ああ、チャイムが鳴ってしまったか。今日はここまで。興味があれば、先程俺が言った男のことを調べておくといい。映画ではチョイ役でしか出ていなかったが、実際はかなりの功績を残した人物なんだ。
それと男子諸君が大好きな、エイレス博物館に資料として展示されている有名な”ロレンシアのパンチラ”写真も、彼が保有していたものだ。彼はロレンシアの信奉者であったと同時に、スケベな男でもあったらしい。まさか彼女も、後世で下着写真を博物館に展示されるとは思っていまい。感情が希薄だった彼女が、パンチラ写真なんぞを気にするかどうかはしらんがね。
では、授業を終わる。今日は重要な話をしたから、定期テストに備えてよく復習するように────
────Zzz。
────Zzz、Zzz。
「そろそろ起きるんだ。もうすぐ北部都市スノーランドに到着するぞ」
……微睡む僕の耳を、鈴の如く凛とした声が撫でる。透き通る心地よいその声で、僕の全身はより一層リラックスし、眠りはさらに深まっていく。
「……はぁ。私の太ももを気に入ってくれたのなら嬉しいが、君が起きないと私も動けないんだ」
「……Zzz」
太もも? そうか、僕が頬で感じている柔らかな温もりは、ロレンシアの太ももだったのか。これは、ますます起きるわけにいかなくなった。よし、まずは少し寝返りを打って、ロレンシアの太ももに顔をうずめて深呼吸しよう。
すー、はー。
「……おい、もう起きているだろう。あと数分で到着だ、そろそろ顔を上げろ」
「うーん、まだ意識がはっきりとしないんだ。誰かががおはようのキスをしてくれたら目が覚めるかもしれないけど~」
「だ、そうだ。ホフマン、君はこの男の護衛だろう。お望み通りキスをしてやるといい」
「おはようロレンシア。うん、もうバッチリ目が覚めたよ」
ジトリ、と僕を蔑むロレンシア。残念なことに彼女の太股の上で眠る僕の至福の一時は、とうとう終わりを告げた。
相変わらず彼女は、僕の扱いが上手い。さあ、仕事の時間だ。体を起こして彼女に向き合い、僕は笑みを浮かべて頭を掻いた。
正確には、『必死でいつもの笑顔を張り付けて』だけど。
せっかくのロレンシアの膝枕だと言うのに、酷く嫌な夢を見た。妙に現実味のある、あり得ない歴史の話だ。
統一された学生服を着た子供達に、老年の一人の教師が歴史の授業をしている夢。ハーゲン帝国が戦争に負けて、滅亡してしまうという授業内容。
なんとも、馬鹿馬鹿しい。ロレンシアの計画は完璧だ、ハーゲン帝国が負ける筈があるもんか。振られる仕事が増えてきたせいで、僕も疲れているのかもしれない。最近は、ずっと嫌な予感にさいなまれ、眠れない日が続いていたけれど、ここまでの悪夢は初めてだ。
しかも、言うに事欠いて、ロレンシアが感情の無い機械みたいな人間だって? 彼女はこんなにも表情豊かで、甘えん坊で、可愛らしい少女なのに。
「どうした? 難しい顔をして」
「あはは、何でもないよロレンシア。僕はただ、君の下着について考察していただけさ」
───ああ、しまった。表情に出ていたか。いつもの調子で誤魔化してみるが、賢いロレンシアに何処まで見抜かれたかは分からない。
「職務中に妙なことを考えるな、馬鹿者。我々は貴重な時間を割いて視察に来ているんだぞ?」
「大丈夫さ、パンツの事と平行して仕事の事も考えてるよ」
「君ならそれくらい出来そうだから腹が立つ」
忘れよう、単なる夢の中の話だ。疲れた僕が、不幸な未来を妄想してしまっただけだ。そんな時は、可愛く聡明で美しいロレンシアの顔を見て落ち着こう。
そんな彼女はと言うと、時計を気にして何度も何度も周囲を見渡している。
「もうすぐ、合流時刻だ。ルーデンはまだ迎えに来ないのか」
「確かに、少し遅いね。うーん、連絡ミスかな? 彼ほどの男がこんなポカをするとは考えにくいんだけどなぁ」
「まぁいい、まだ時間はある。ギリギリまで待ってやろう」
ほんのり腹立たしそうなロレンシア。うん、やっぱり彼女は表情豊かだ。意外と怒りっぽい所もあるんだよな。
────だが、残念なことに彼は開戦の直前、味方であるハーゲン帝国軍人により射殺されてしまった────
……………そういえばあの授業で一人、妙な存在が語られていた。ロレンシアの秘書長であり、宰相と呼ばれ、彼女の政策を一手に進めた男。
そんな男は知らない。秘書達はみな同列であり、第一、第二と番号が振られているだけだ。秘書長なんて役職は存在しないし、僕にはロレンシア以外の直轄上司はいない。
それに、ロレンシアの政策を押し進めたのは、全て彼女本人に他ならない。誰だ、ロレンシアの成果を横取りしたその男は。許せん、軍法会議にかけてくれる。
……ああいや、夢の話か。自分の妄想に対して怒るなんて、馬鹿馬鹿しい。
────公式記録では彼がロレンシアに付き添って北部都市を視察していた折に、ロレンシアを庇って銃弾の雨を浴び、即死したとある────
ロレンシアに付き従って北部視察した時に、ロレンシアを庇って即死した。それが彼の死に様。
だが、今までそんな事件は起きていない。やっぱり妄想だろう────
「なんだか、静かですね」
僕の護衛のホフマンが、ポツリと呟く。成る程彼の言う通り、以前パルメと共に来た時は、もう少し賑やかな街だったと思う。
「北部の戦力は軒並み国境に回してるからね。戦争が始まる前の、嵐の前の静けさと言うやつだろう」
しかし僕は、せっかく彼が指摘した『些細な違和感』を、さらりと流してしまった。この些細な違和感が、僕の命運を分けるとも知らずに。
静かだから、何だと言うのだ。たまたま人が少ないだけだ、北部軍が国境に移動しているから寂しいだけだ。
────ローランド中将とその部下のクーデターに巻き込まれ────
それは、本当に偶然だった。
ぼくは、居眠りした時に見た夢を信じるような、センチな性格ではない。
だが、薄ら薄ら気付きかけていた。
秘書長ではないが、秘書の中で最も権力があるのは誰か。ロレンシアの北部都市の視察に、同行した男は誰か。彼女の押し進めた政策の、ほとんど全て関わっていたのは誰か。
まさか。僕がその『男』なのか? 僕の存在が、未来にねじ曲がって伝わった結果が、その『男』の正体なのか?
だったら僕は今日、殺されてしまうのか?
落ち着け、そんなはずはない。だが、考えろ。クーデターが本当に起こるとしたら何時だ。
それは人気が少なく、辺りに軍も巡回しておらず、護衛も薄い瞬間。例えば、長旅を終えスノーランドに到着し、ルーデン司令と合流する直前の、油断しきった一瞬────
それは、今、この瞬間では無いか?
「伏せろっ!!」
刹那、僕の後ろでホフマンが叫んだ。
その声に呆け、硬直した僕は、棒立ちのまま振り向いて。
そしてやっと、いつの間にか停車していたクルマのその窓から生える、無数の黒い銃口に気付いた。
「ロレンシアを守れぇぇぇっ!!」
それが、僕の口から零れた最後の言葉。
僕は絶叫しながらも咄嗟に、ロレンシアと銃口の間に割り込めた。無意識の内に、僕はロレンシアを庇いにいけたのだ。
僕は恐るべき銃口に背を向け、目を見開いた可愛く美しいロレンシアと向かい合った。間もなく彼女は護衛達にのし掛かられ、人の山の中へと消える。
それが、僕がはっきりロレンシアの顔を見た、最後の瞬間だ。その時、既に僕の背中のその先から、凄まじい銃撃音が響き渡っていた。
轟音と共に僕の太股が、切り裂かれる。肩からは血が吹き出て、腹には熱い水流が濁々とこぼれ落ちる。
1寸おいて、ようやくロレンシアの護衛部隊の銃撃が火を吹いた。ロレンシアに銃口を向けた不届き者達は、雨霰の如く降り注ぐ銃撃を嫌って、奴等の車の中へと逃げ込む。
やがて護衛達のフルオートにばらまく銃弾に屈し、奴等は撤退した。
ほんの、数秒間の出来事だ。
「……」
視界がぼやけ、赤く染まる。目の前の人物が誰か、よく分からなくなる。
だけど、その姿だけで僕はロレンシアを見分けた。今、僕の目の前に立ち、僕の肩に手を置いている少女こそ、ロレンシアだろう。
ぼやけた視界のなかで、彼女の顔が蒼白になるのが分かった。庇うのが遅かっただろうか? 彼女の何処かに、銃撃が当たってしまっただろうか?
「……」
くそ。何でだ、声がでない。
彼女に声をかけないと。無事だったか確認をしないと。
ロレンシアは、僕の全てなのだ。彼女同様、親も兄弟も皆失った僕にただ一人残された、大事な肉親なのだ。
彼女に、傷ひとつつけるわけにはいかない。彼女の父、ローレン前総統との、男と男の約束なのだ。
「……」
ああ、ダメだ。
声が、出ない。指先も動かない。力も入らな────
「ひ、秘書殿……」
じゃり、と言う音がする。血と土の味が口腔内に広まる。
気がつくと、既に目の前にロレンシアは居なかった。僕の視界には、黒々とした土砂と、赤黒い血流だけが映り続けていた。
僕の回りに、人が集まってくる。残念ながらもう目が霞んで、誰が誰だか分からないけれど。
だけど、僕の目の前に座り込む、明るく柔らかなロレンシアのその陰だけは、やはり見間違えようもない。
彼女の手が、僕の頬に触れる。暖かい。柔らかい。心地よい。全身につんざく刺すような痛みが、一気に和らいでいく。
ああ。周りの事は何も分からないけれど、ただひとつ言えるのは。
僕は笑顔だった。
大好きな女の子に頬を撫でられて眠る僕は、間違いなく幸せだった。
その時。頬に、冷たい何かが伝うのを感じた。ポタリ、ポタリと空から垂れてくる水滴が、土だらけの僕の顔を洗い流す。
やがて、少女の慟哭を皮切りに、何もかもが真っ暗になって。
僕は長い長い眠りについた。
大体、三日間くらいの。
次に僕が意識を取り戻し、うっすらと目を開けた先に見えたのは、よくよく知っている天井だった。
「……そ、総統府?」
そう。クーデターによりハチの巣にされた僕が眠っていた所は、仕事場兼ロレンシアとの愛の巣。すなわち、ハーゲン帝国総統府である。
目を覚ました僕が最初に感じたのは、凄まじい激痛だった。
痛い。腕も、足も、腹も、肩も、何もかもが痛い。全身が腫れ上がって、そこに塩水をこれでもかと塗りたくられるくらい痛い。
「い、い、痛ぇよぉぉぉぉ!!!」
「……おおっ!! 目が、目が覚めたか!」
あまりの激痛に身悶えしていると、凛として咲く花の様な透き通った声がする。
目線だけを動かすと、そこには目にいっぱいの涙を浮かべたロレンシアが立っていた。僕が寝ているベッドの傍まで駆け寄ってきた彼女は、僕の頬を撫で破顔した。
「君は……君と言う奴はなんて馬鹿な真似を……、いや、もういい。医者は!? 意識が戻ったぞ、医者を呼べ!」
「御意」
そうか。僕は助かったのか。
体はピクリとも動かせないが、こうしてロレンシアに話しかけられ、頬を撫でられているからには、僕はまだ幽霊ではないのだろう。
「目が覚めたとはいえ、君はまだ重症だ。暫くは、ここで休んでいてもらうからな」
「……みたいだね。ところで、何で僕は執務室に寝かされてるの?」
意識が戻って最初に目に入るのがロレンシアの笑顔なのは、大変素晴らしいことなのだが。なぜ僕は病院ではなく、こんな場所で眠っていたのだろう。
「市中の病院に入院されたら、多忙な私は見舞いに行けないからな。それに、2度めの襲撃が無いとも限らない。ここが一番安全で、合理的な病室だ。君もそう思うだろう?」
「……そうだね」
どうだ、名案だろうと頬を緩めるロレンシア。彼女があまりに自慢げなので僕は押し黙ったが、それは全然名案ではないと思う。
僕のベッドを無理やり執務室に持ち込んだせいで仕事場が狭くなって同僚の秘書たちもやりにくそうだし、僕の治療のための点滴やらの管理をしている看護師さんは部屋の隅に追いやられているし。
なんだかロレンシアの様子がおかしい。いつもの聡明さは何処に行ったのだろうか。
「何にせよ、君の意識が戻ってよかった。ああ、今日は素晴らしい日だ、ともに祝杯を上げようではないか。なぁ、みんな!」
「総統閣下。素晴らしいご提案ですが、ローランド元中将の1件の裁判書類がまだまだ────」
「うるさい。明日処刑しておけ、それでいい。奴に裁判など必要ない」
「いえ、その、それは司法的に不可能ですし、そもそも北部からの凄まじい反発が予想され────」
「構わん、明日処刑だ。よし、今日は解散としよう」
「ロレンシア、落ち着いて」
やっぱり、彼女の様子がおかしい。
なんというか、その愛くるしさや美しさはいつものロレンシアなのだが、中身がポンコツになってしまっている。
「私は落ち着いているぞ。君までなんだ、せっかくの素晴らしい日に」
「そんなことを言ってる時のロレンシアは、よくミスをするじゃないか。ロレンシア、君は今、柄にもなく浮ついているだろう?」
「む、そんなことはないぞ。私がいつそんな────」
「あれは5歳ごろだったか、家族旅行で南部地方に泊まりに行った時だ。旅行先で浮ついた君は、調子に乗って名産物のオレンジジュースを飲みすぎて、しかも寝る前トイレに行き忘れてしまい」
「私が悪かったからその話は一刻も早く忘れろ」
あの時のロレンシアは可愛かったなぁ。プライドの高かった彼女は羞恥に顔を歪ませつつも、何も言い訳をせず項垂れていて。
ああ、思い出したら興奮してきた。
「……はぁ。どうして君は、重傷で寝込みながらも私を辱める事を忘れないんだ」
「これが生きがいだからね。ああ、今やっと僕は生を実感しているよ」
「そんな生の実感は投げ捨ててくれ」
僕が興奮する一方で。明らかに浮ついていた彼女は、やや落ち着きを取り戻し僕をジトリと睨みつけた。
「ねぇ、ところで何で僕は生きてるの? あの時の感じだと、絶対死んだと思ったんだけど」
「ああ、左胸を何か所も被弾していたからな。私も諦めていたさ、だけど奇跡ってのはあるものでな」
そこまで言うと、ロレンシアは少し頬を染め。目線を左右に動かしながら、意味深な目で僕を見つめた。何なのだろう。
「君、その、なんだ。背に私の写真を、隠し持っていたんだろう? その薄っぺらい写真が、何故かすべて銃弾を受け止めて身体に通さなかったそうだ」
「……あ」
すっかり失念していた。そうだ、僕はコートの背に、ロレンシアの写真を縫い付けていたのだ。
それは、北部視察に向かう朝、ほんの気まぐれで仕込んだものだ。連日の仕事と、言い様の無い不安によるストレスに対処すべく、全身をロレンシアのパンツ写真に包んでしまおうと言う結論に至った。
一応、実利も兼ねてはいた。ロレンシアの写真は、中央では賄賂の弾になるほどに価値が高い。だが、北部都市ではめったなことでは手に入らない。
ルーデン中将に付き従って北部都市へ異動した、ロレンシア信奉者の軍人に高く売りつけられるかも知れない。販売することも考えて、僕はかなりの数のロレンシアの写真をコートの背面に縫い付けていたのだ。
それも、皺にならないようラミネート加工した状態で。何枚もの硬く加工されたパンツ写真が折り重なっていれば、そりゃ銃弾くらい防げるだろう。
そんなつもりはなかったが、僕は知らずのうちに天然の防弾チョッキを着ていたらしい。
「あ、いや、構わないんだ、その、私の写真を隠し持つくらいはな? 別に気にしてないし、その、君が私のことを大好きなのはよく知ってるし、な?」
「……あー。その、えっと、ロレンシア? 僕の持ってる写真、見ちゃった?」
「え、いや見ていない。医者が手術前に、コートの中の写真に気が付いてだな。残念だが、写真は血塗れだったから破棄したそうだ」
「ようし、その医者を呼んで来い」
医者よ、ロレンシアにパンツ写真とか盗撮写真だっていうのを黙っていてくれたのは助かるけど。お前、僕のお宝写真を横領しただろ。
預かってくれてるだけなら許すけど、盗むつもりなら許さん。
「……よかった。ほんとによかった。君を失ったら、頑張る意味がなくなってしまうからな」
「ん? ロレンシア?」
「ああ。ああ、ああああ。ほ、本当に、目が覚めてくれて、本当に、本当に……」
僕が、主治医に対して不信感を抱いていたら。今頃になってロレンシアは、大きな声をあげて泣き始めた。
……彼女の泣き顔を見るのはいつ以来だろうか。ロレンシアは、僕の悪戯に涙を浮かべて怒ることはあっても、決して涙をこぼすことはなかった。
人前でおねしょをした時でさえ、顔を真っ赤にしながらも、泣くのだけは堪えていた。
「あの、えっと、ロレンシア?」
「うああああん、ほ、本当に、怖かったんだぞ!! 」
そんな彼女が、泣いている。
そうだ、確か最後に彼女が号泣しているのを見たのは。前総統にしてロレンシアの父、ローレンさんが死んだ日だ。
父を慕っていたロレンシアは、避難した先で焼け落ちる総統府を見て、僕に抱き着き大声をあげて泣いていた。彼女は、誰か自分の大事な人に対して、大声で涙を流せる優しい人間なのだ。
「大丈夫さ、ロレンシア。僕は生きてる」
彼女を撫でてやれないのが悔しい。せめて僕は、大声をあげて泣く彼女を諭すように、優しく話しかけた。
「それにさ、僕は最近いい夢を見てね。その夢によると────」
────もし、ロレンシア大総統の考えを理解し、それを周囲に潤滑に伝える存在が存命したままハーゲン帝国が戦争を行っていたら。そう、この男が生きていたのであれば、今我々はハーゲン帝国の旗の下でロレンシアの銅像に敬礼して生活していただろう────
「僕たちは、世界を統べることが出来るらしいよ」