空気を裂くようなカン高い音で、彼女――織斑一夏は目を覚ました。うっすらと瞼を持ち上げて、むくりと体を起こす。音の正体は直ぐ側だ。かちりと叩くように頭頂部のボタンを押して、今日も元気に役目を終えてくれた目覚まし時計を眺める。起こされたこちらの気持ちはなんのその。どこか誇らしげに、道具は時刻六時過ぎを示していた。
「…………眠い」
くあ、とあくびを一つ。大きく口を開けながら、涙の浮かんだ瞳をごしごしと擦る。学生の身分である一夏にとって、この時間帯はもう少し寝ていても構わないところだ。が、妙に健康的意識の高い彼女は早寝早起きの規則正しい生活と、栄養バランスのとれた食事を好む。実に年相応とは言い難い、少し変わった部分だった。
「――――、」
波のように押し寄せてくる眠気と、起きようとする理性の狭間で揺さぶられながら、至福の微睡みタイムを満喫する。男の時同様、密かな一夏の毎日の楽しみだ。この「あともう少し……」という時間がなんともたまらない。出来ればずっと横になっていたくなるが、そうもいかないのが常。三学期に入り、受験も目前に迫ってきた。自然と気も引き締まるというもの。部活や何やらは無いが、家事炊事は依然己に任された仕事。時間は有限、やることは沢山だ。
「…………起きないと、な」
独りごちて、のっそりと布団から這い出る。ふと、窓から覗いた空は綺麗な青色をしていた。良い天気だ。晴れ模様は元から好きな方であったが、とある原因により今はもうちょっと好きになっている。特に青空なんて格別で、思わず“彼”のことを連想した。
「……ま。本人の心が晴れてねえのが、本当にアレだけどな」
どちらかと言うと曇り。下手すれば雨、それも土砂降りだ。本人が雨を苦手としているのもあり、なんというか、今更だが抱えすぎというか。ほうと、呆れを含んだ溜め息を吐く。一夏はぐぐっと伸びをして、一先ず洗面所まで向かう事にした。
「…………、」
平日の朝。大抵の場合、織斑家は周りの流れに溶け込むぐらいの静けさに包まれている。姉である千冬は殆ど家を空けており、滅多に帰ってこない。珍しく帰って来たとしても、翌日にはすっかりと姿を消しているなんてざらだ。すたすたと、廊下を素足で歩く音だけが木霊する。寝室から目的地まで、そう距離はない。そもそもが家の中、焦って転んだりしなければ、一分もしないうちに視界へ捉えた。
「……っと」
扉を開けて、洗面所へと足を踏み入れる。直ぐ目に映ったのは、備え付けの上半身ほどなら丸々確認出来る大きめの鏡だ。起きたばかりの状態は我ながら酷いモノで、長く伸ばしすぎた髪の毛はあちらこちらに跳ね、表情も気のせいか不機嫌そうに見える。おまけに寝間着のTシャツだからかどことなくだらしない。きゅっと蛇口を捻って水を出し、ばしゃりと顔に叩き付けた。
「……ふう。あー、少しはマシか」
今一度じっと見詰めて、うんと頷く。最低限の身嗜みは整えておきたい。少なくとも、外に出て恥ずかしくない程度にはしっかりしていなければ。顔が済めば次は髪だ。慣れてきているとは言え、やはり長いそれの手入れは非常に面倒くさい。時折、男だった時の短髪が羨ましくなることもある。まあ、それでも切ろうとしないのは最近理由が出来たからで。
「……ったく、軽々しく似合ってるとか言うんじゃねえよ」
頬をうっすらと赤く染めて、微笑みながらぽつりと溢す。単純だが、致し方なし。こんなものは先に惚れた方の負けだ。となれば、時期的にも早かった一夏の方である。向こうは自分が彼女に与える影響力を知っているのか、知らないのか。恐らくは後者であるのを確信しつつ。
「……よし。今日も頑張るぞ、
とんと腰に拳を当てて、明るい調子で宣言する。十五歳、女になっておおよそ十ヶ月。一夏はすっかりと、体の性別に馴染んでいた。
◇◆◇
毎日の登下校は、特別な用事でも無い限り基本的に二人で歩く。家の前でぼんやりとしながら待っていると、ドアの開閉音と共に聞き慣れた声を耳が拾った。
「いってきます」
「いってらっしゃい、蒼。気を付けなさいよ」
「分かってる」
幾度も聞いた恒例のやり取り。昨年の冬に起こった事件以降、彼の両親は家に戻って一緒に暮らしている。元々、中学生が一人っきりという危ない状況に、倒れて病院に搬送された結果。昔からそこまで体の強くない人間だ。仕事に無理をきかせるぐらい心配になってもおかしくない。軽視しているのが本人だけなあたり、余計に。
「よっす、
「……おはよう、一夏。また待ってたのか」
「良いんだよ。待つのが楽しいんだから」
「まだ寒いし風邪を引くかもしれないだろう。あんまり無理しないでくれ」
それはこっちの台詞だ、とは敢えて言わなかった。無理をするのは彼の専売特許という風潮がある。むしろ現在進行形でも恐らく無理はしている。生きている限り、考えている限り、蒼はずっと無理を重ね続けている。不器用な男だった。だが、器用な人間でもある。この年まで普通どおりに過ごせているのが、なによりの証拠であった。
「そういえば、ISの適性検査、受けたんだっけ」
「おう。一応、女として生きていくからには、ってな」
「……純粋な好奇心で聞くけど、結果は?」
「Sだってよ。めちゃめちゃ凄いらしい」
それでも学園にはいかねえけどな、と一夏は続ける。彼女の進路は別として、蒼にとっては驚きだ。記憶がたしかであれば、元の“織斑一夏”の適正ランクは「B」である。「S」という数字はそれこそ作中でもトップクラスの人物か、専用機を獲得した後に「C」から大幅に向上した“篠ノ之箒”ぐらいである。尤も彼女の方は悪名高い天災が何かした可能性があるのだが。
「……千冬さん譲りの戦闘民族的血筋かなにかか?」
「誰が戦闘民族だ、誰が。……私はそんなもんいらねえよ。お前の側に居れれば、それで」
「……恥ずかしい台詞をさらっと言うな、君は」
かあっと蒼の顔に熱が集まる。意外な事に、彼女と付き合い始めてからよくある反応だ。相手として意識しているのだろうか。今のようにストレートな言葉は勿論、些細な仕草にさえ初心な部分を見せる。一夏にしてみれば、少々眼福。にひっと唇を曲げて、からかうように人差し指でツンツンと頬を付いた。
「私にベタ惚れだな、お前も。らしくもねえ顔しやがって」
「……そりゃあ、当然だ。少なくとも君が可愛く見えるまでには惚れてる」
「ん。私もお前が可愛く見えるまでには好きになってるよ」
「……むう。やっぱり複雑だ」
なんとも言えない表情で蒼が唸る。嫌ではなさそうなあたり、完璧に手遅れだろう。
「そのままずっと惚れててくれよ? もう二度と、馬鹿な真似はさせないからな」
「一夏の方こそ。俺のこと嫌いになったって、もう遅いぞ」
「ならねえよ。約束だ。今度はこっちからしてやる。一生お前のこと、好きでいてやるよ」
「……そうかい。なら、破られないよう祈っておく」
くしゃりと破顔して、彼は一夏の差し出した右手にそっと指を絡めた。道程は険しく、辿る先は遙か遠く。永遠など無いのだから、いつしか終わりも来る。残された時間など分からない。明日か、はたまた数十年後か。必ず、幸せが途絶える時が待っているのだ。故に、生きているこの瞬間はどこまでも尊いもので、一つしかない綺麗な光景だった。
――願わくば、どうか。何気ない事に心の底から微笑み、涙を流しながら泣き、優しさに包まれたような。そんな月並みの幸せが、二人の間に訪れますように。
◇◆◇
余談だが、その年の春。一人の少年が女性にしか起動できないというISを動かしたというが、それはまた別の話。
~END~
以下あとがき↓
くう疲これ完。ご愛読ありがとうございました。これにて本編終了でございます。とりあえず書きたいものは全部書けました。後半は完全にオリ主がヒロインしてましたけどね! ちゃうねんうちのヒロインは一夏ちゃんやねん……あれ?(錯乱)
ともあれ、最初からついてきていただいた方には感謝。後から追ってきてくださった方にも感謝。お陰様で無事終われました。あと毎日感想くれた方々、本当にありがとうございます。物凄い励みでした。……前作と比べて対応できない数じゃなかったのが一番嬉しかったです(小声)やっとまともな返信対応できたよ……(なお内容がまともとは言ってない)
今後とか没となるIS学園本編の話とかは昨日の割烹で書いた通りとなります。はい。しばらくちょっと歌姫様のために頑張ってきますね(F民初心者)そろそろゆっくりとお休みしたかったりもしますし。精神的負担はへーきへーきだったので気分は良い。
そんなこんなで二ヶ月ちょっと、お付き合いいただきありがとうございました。次回作もゆっくり練り上げて来ますので、また暇があれば読んでやってください。