とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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episode29:欠損記録(ファントムメモリー)②

 

 

 

 丹生が飛ぶようにやって来て、次に手纏ちゃんが陰のある表情で現れた。

 合流した4人は、ただちに遅めの昼食へと駆り出す。

 育ち盛りの高校生は、やっぱりお肉へ目がいってしまうものだ。

 ハンバーグが美味しいと評判のお店が、話題に挙がった。

 反対意見はでてこなかった。

 

 

 

 時間がずれ込んでいたせいか、皆、あっという間に食べ尽くしてしまった。

 そういうわけで。今ではドリンクバーを片手に、食後の雑談に花を咲かせているというわけだ。

 

 

「いいよね景朗は。テスト受けなくていいし、"身体検査(システムスキャン)"も無いし……」

 

「いやー。俺も"身体検査"は心配だなぁ」

 

 丹生がこぼした泣き言に対する、景朗の答え。それは全員の予想を裏切る一言だった。

 

「えぇー? ヘンなの。どうして景朗が"身体検査"なんかを心配するの?」

 

 火澄も手纏ちゃんも、不思議そうである。

 

「う」

 

 景朗は口ごもる。

 皆にそのまま理由を説明するわけにもいかなかったからだ。

 うっかり青髪クンの躰で受ける"身体検査"のことを愚痴っていた。

 なにせ、判定をレベル1くらいにとどめておかねばならない。その手を抜くさじ加減が癖者だった。今さらレベル0からレベル1程度に出力を調整しろと言われても、一発勝負では自信がない。

 

「しー。オフレコオフレコ。トップシークレットで」

 

 Lv5関連の話題はナシで頼む。唇に人差し指をあて、不安そうに周囲に目配せする。ついでに、おもいっきり丹生から目をそらす。

 

「まあとにかくもう時間もないし、やれるだけやるしかないじゃない」

 

 火澄が割って入った。

 

「心配だよー。長点上機に入って初めての"身体検査(システムスキャン)"だし……」

 

 一方で、丹生はじーっと景朗を見つめたままだ。

 

「丹生さんは、その、授業中にもう少しだけ、睡眠を取らないように気をつけましょう」

 

 手纏ちゃんはおずおずと、口にした。丹生は腕時計をちらりと確認して、悔しそうにジュースを呷った。

 

「うう。ちょうどこのくらいの時間だよね、一番眠くなるの。……ふふ、なんでだろ。お休みの日はなぜだか眠くならない」

 

 その日は土曜日で、たまたま休日だった。レストランの席はまばらにうまっている程度で、客足は徐々にはけていく。そこそこの人気店にもかかわらず、人影は少なかった。理由は、時間帯によるものだろう。

 

 遅めの昼食だと評した通り、ランチタイムはとうに通り過ぎている。丹生のセリフ通り、平日だと授業でもっとも過酷な睡魔が襲ってくる頃合だろう。

 

「授業中でもこうやって炭酸が飲めたら眠気も覚めるのになぁー」

 

「お、そうだ、丹生なら能力でバレずに直飲みができるんじゃ? こっそりやれるんじゃね」

 

「駄目。先生に嫌われたら良い事なんてひとつもないんだから」

 

 景朗がそそのかすも、すぐさま火澄がたしなめる。彼女の言うことは最もだった。

 

 長点上機の教師ともなると、研究者を兼任するものがほとんどだ。

 というか、どちらかというと研究者が片手間にとった教員免許で教師をやっている。そう表現するほうが正しい場合が多い。五本指の一角である長点上機学園ともなると、尚更その傾向が強くなる。

 

 となると、生徒にとってもっとも身近な研究者が、授業を担当する教師になり得る。

 決定的に嫌われれば、生徒の進退に影響する可能性すらあるのだ。

 

 

 

 それにしても、景朗と絡みのある面子が一同に揃うのは久しぶりだった。女の子に囲まれて、ほんの少し座り心地が悪くもある。景朗は大いなる幸福感に酔いしれていた。

 

 ただ、極上の多幸感に包まれてはいたのだが、ひとつ問題も存在した。

 景朗と手纏ちゃんとの間にできた距離感だ。

 

 

 丹生は、景朗と手纏ちゃんの一件について何も知らされていなかったようだが――――これはただの景朗の勘にすぎないが、たぶん間違ってはいないはずだ。

 

 

 例えるなら、捨てられた子犬の形相に近い。疑心と不安に潤む双眸で直視してくる丹生多気美(にうたきみ)に、景朗は反応を返さなかった。返せなかったとも言える。なんと言えば良いかもわからず、ひとまず彼は波風が立たぬように徹したのだ。

 

 

 恐らく、丹生はとっくに気づいている。

 食事の時から上の空だった、景朗と手纏。そんな2人の様子から、彼女はありありと状況を推察していったらしい。それはもう真綿が水を吸い込む勢いで、あっという間に何が起こったのか看破してしまったに違いない。

 

 もしかしたら細かいイザコザまでありとあらゆることを、もう見抜かれてしまっているんじゃないか?

 

 雰囲気だけでよくぞ読み取れるものだ。景朗は昔から、どちらかというとそれが苦手だった。

 

 

 またしても、丹生と目が合う。ねえ? ウソだよね? ねえ? どうする気?

 彼女はなんだかそんなことを言っている気がする。

 

 景朗の直感はそう翻訳した。たぶん、間違ってはいない。

 景朗はあとでね、と無言で応える。 あ、だめだ。通じてない。

 こうして食事中からずっと、バシバシと何度も目配せが送られている。

 

 

 このような彼の態度をうけて、丹生の態度もだんだんと変わっていった。景朗はそんな気がしてならなかった。今ではもう、彼女に向けられる笑顔にうっすらと怒気が滲み出している。無性にそんな気がして、なかなか落ち着かない。

 

 丹生と手纏ちゃんから目をそらすものだから、自然と視線があちこちに飛ぶ。火澄の顔ばかり眺めているわけにも行かないから、余計にそうなるのだ。

 

 

「もーぅ。大丈夫だよ景朗。さっきからずーっとキョロキョロしてるよ?」 

 

 遠慮のない丹生のセリフは、景朗には『ちょっとはこっち向けよ』と言われているように感じられて仕方がなかった。

 

 ついでに言うと、火澄の鉄面皮っぷりもなかなかのものだ。彼女は割り切って楽しんでいる。カフェではあれほど親身にあれこれ口出ししてきたというのに。

 どこからどうみても、今では景朗に砂粒ひとつ分も興味がない様子である。

 

 手纏ちゃんとて、景朗と話す時以外はいつもの態度と全然違わない。

 

 すげえな。みんなすげえ。

 

 

 

 

 それでもしかし。やはり、久しぶりの歓談は集った面子を裏切らず、楽しいものだった。

 

 テストが終わったらどうする。好きな曲とアーティストが増えた。最近マイブームの料理がある。

 

 話題は尽きない。

 

 

 その折に。コーヒーのおかわりにと景朗がしばし席を立った隙に、事は起こった。

 

 まずいコーヒーだと文句をぶちまけつつも、しっかりとコーヒーサーバーの前で待機していた彼が、やっとテーブルにたどり着いたその時。

 

 

 ウェイトレスさんが空いたお皿を片付けてくれたのか、テーブルの上は綺麗なものだった。

 ところが少々、綺麗になりすぎだった。

 そこにいたはずの火澄と丹生の姿まで消えているものだから、もはや物寂しいくらいに綺麗だった。

 

 

 

 油断していたところに、思わぬ襲撃。

 景朗はただひとり、ぽつんと取り残されていた。

 

 みんな帰ってしまったのか? 自分だけ取り残されたのか?

キョロキョロと周囲を見回す。だが、焦って皆の影を探す必要もなかった。

 すぐにひとりの少女が見つかった。

 

 

 お手洗いに行っていた様子の、手纏ちゃんだった。足の止まった彼女と目が合う。すぐに逃げるように、視線をそらされてしまった。

 

 

 それはさておき、彼女もテーブルに景朗しかいないことに気づき、にわかに動揺している。うってかわってずいぶんとゆったりとした歩みで、テーブルへと戻ってくる。足取りは大昔のストップモーション映画のごとく、どこか煮え切らない迷いが見えていた。

 

 

 

 景朗は、これが火澄がプロデュースしたおせっかいであると瞬時に理解した。手纏ちゃんもおそらくは、彼の脳裏にその考えが浮かぶと同時刻に、同じ結論に至ったことだろう。

 

 

 

 

 近いうちに会って話すと、確かに言いました。深く考えこまずに感じたことを口にすればいい。その助言も耳に入れました。

 しかし、あくまでアドバイスだとおっしゃっていたではないですか。

 

 

(レスポンス早すぎぃっ! あなたは鬼ですか火澄さん! どうしろってんだ。ホントになーんにも考えていませんよボクぁ?! ついさっきそう話したじゃないですかぁっ!?)

 

 

 とにかく、もうまもなく、雨月景朗(うげつかげろう)は手纏深咲(たまきみさき)と2人きりになる。

 

 

 

 

 

 

 

 返事を待たせて、一週間以上経つ。なんだかんだで、これ以上手纏ちゃんを傷つけるのは気が咎める。

 

 全然関係ないかもしれないが、暗部で任務を続けてきたことで、得た教訓もある。

 そのひとつは、"チャンスは逃すな"、だった。だから。

 

「せっかくのこの機会。俺は有意義に使おうと思います。今日は俺、腹を割って話すよ」

 

 勇気を持って、景朗はスパッと本題に乗り込んだ。

 

「は、はい」

 

 思いのほか、手纏ちゃんも乗ってくれている。

 

「でも自分ひとりだけだと寂しいので、そのー。お互いに……っ」

 

「はいっ」

 

 手纏ちゃんの心臓が、どっくんどっくんと唸っている。緊張は、伝播するものだ。

 心拍音が聞こえてきて、景朗もいつもの調子がだせない。

 

「よし。わかりやすく、このお話のルールを決めましょう」

 

「は、はいっ」

 

 YES, と短い返事し返してくれない手纏ちゃんであるが、見逃してあげよう。

 『はい』という短い単語を口にするだけで、彼女の声は震えていた。

 

「『本音を語ろう~正直に~』 ってルールをね、考えてました。何も複雑に考えず、ぽろって本音を語る感じで。本心を隠さず打ち明けていく方向で。そこを念頭に置いてみよう、って感じね。

つまりね、俺は今から肩の力抜いて、フツーに思ったことを打ち明けていきます」

 

 その時。長々と景朗の話を聞いていた手纏ちゃんも、勇気を振り絞ったようだ。

 テーブルの上に乗せられていた彼女の拳が、ぐぐっと握られた。

 

「大丈夫ですから」

 

「よおし。それじゃ……ん? 何が大丈夫なの?」

 

「へんじは聞かなくてもへいきです。いいです。改めて聞きたくないです」

 

 

 

 まさか。そんなことを言われるとは。

 のっけからつまづいてしまった。てっきり、景朗は彼女が返事を待っている状態だと。ずっと返事を待ってくれているのだと、そう思い込んでいたからだ。

 

 

「あれ? 聞かない……の?」

 

「私、思い違いをしていたみたいなので、まず私の話から聞いてくださいませんか……?」

 

「そっ、か。うん。わかった」

 

「私……は、すこし思い違いをしてました……みたいです」

 

「……思い違い……?」

 

「私は、ずっとお父様のお言葉通りに進学してきました。学舎の園に籠りきりです。だから本当に、景朗さんのような男の人とはまともにお話したことすら、なかったんです。同じ年頃の男の子と話した経験なんて、親戚を覗いてしまうと……思い出せません」

 

 あそこ(学舎の園)は恐ろしい数の純粋培養お嬢様を育てているらしい。火澄や手纏ちゃんの話を聞くと、まったくもって真実だと信じるしかない。

 

「ですから、初恋は従兄弟の、年上のお兄様でした。そのくらい、私は世間知らずで……」

 

 手纏ちゃんは、もはや目も合わせてくれていない。

 

「だから、忘れてください。きっと初めて親しく交友(おつきあい)できた景朗さんを……その、条件反射的に……――き、になってしまっただけ、だったんだと思ってます。今では」

 

「は……。あ、そうなんだ。へぇー……。へぇーそうかぁ、そんな感じかぁ……」

 

 ついに言ってやったぞ。そんな達成感と、脱力が、手纏ちゃんから匂ってくる。

 

「そう、かー……そっかーぁ……」

 

 

 相手は、すっごい赤い顔でチラ見しまくっているが……だがしかし。

 それ以外に何を言えと。

 

(ここに来て撤回宣言かお。やめてくえお。

 ちょうしにのって、いろおとこまがいのきづかいしたのが、すっげーしねるお)

 

「えぇー。ホントに……。あーあ。せっかく女の子に告白されて人生勝ち組路線、行くも引き返すもすべて未来は僕らの手の中ぁ~だと思ってたんだけど。なんか、図に乗っちゃって、すいませんね……」

 

 

 死んだ魚のような目で、ぽつぽつと景朗は呟きだした。

 釣りそこねた魚を逃した自慢話をして、翌日、禁漁区であった事が露見。あえなく御用となった泥船野郎みたいな気持ちだと、彼は思った。

 

 

 空元気、という行動がある。今こそ、人生においてもっとも有用に使えそうなシチュエーションである、と。そう気づいた。

 

 

「いやー、あれノーカウントかって言われればどっちかといえばそうだもんね。カウント無しの領域に片足突っ込んでたもんね否定できない。否定できないああっすいませんてっきり勘違いしてました、なんかもう、なんかもう――」

 

 せめてもの、仕返しだった。

 

「はっはずかしぃですぅー。わたし、はずかしぃですぅーぅぅ!」

 

 景朗の渾身の声真似。声帯を能力で狭めて、少女特有のソプラノを演出する。

 

「なぁっ!? そ、それ私の真似ですかっ? あうあ、やめてくださいっ!」

 

 肩をゆさゆさと揺さぶられる。景朗は、はたと思う。貴重なスキンシップだった。手纏ちゃんと体を触れ合う機会なんてほとんどなかった。不思議と、このやりとりは楽しかった。

 

 なんだ。これからは普通にお友達どうしか。まあ、いいか。

 

 

「うわーっ! よかった早まらなくて! 危うく友達に元常盤台のお嬢様に告白されちったもんねザマァwww俺勝ち組wwwって自慢するところだった。あっぶなー。ホントギリギリだったぁー。背筋が凍るぅー……はぁ。そっかー。まぁ、仕方ないよね」

 

 『告白されちったもんね』というワードが、手纏ちゃんを一瞬にして真っ赤なゆでダコにしてしまったようだ。

 

 恥ずかしいのか、手纏ちゃんはテーブルの角に寄る。すこし距離を取られてしまった。

 もぞもぞと、両手で白い帽子をいじくっている。お洒落なガーデンハットだった。

 急にキョドりだした景朗をチラチラ見ていた彼女は、際限なく顔を赤くして、ややしてぽろっと呟いた。

 

「……あ、あの。やっぱり……そう思っていたのですが……こうしてうろたえている景朗さんを見ているとそうでもない気がしてきました? いや、来ています。……かもしれません」

 

「……はへ?」

 

「ご、ごめんなさい。今の話、わりと嘘です……」

 

「え! ちょっと、どっち、どっち??」

 

「あー! うわーああ! 今度は景朗さんの番ですよ私はたくさん喋りましたっ!」

 

 手纏ちゃんはがばっと白い帽子を突然かぶると、おもいっきり端を両手で引っ張った。帽子のツバはそれなりの長さがあったので、頭を完全に隠し、表情をそれ以上みせないようにガードされてしまった。軽く錯乱しているようだ。

 

「ええっ!?」

 

 帽子の隙間から覗けるのは、手纏ちゃんのらんらんと輝く黒目がひとつだけだ。

 

「もお喋りません……」 

 

「俺の番?! 喋るって言ったって何を?」

 

 ジトリ、と帽子の陰から恨めしそうな顔が覗いている。その目が語っていた。『本音を語ろう』と言い出したのは貴方からでしょう、と。

 

「つまりー……"あれ"がノーカウントじゃなかった場合の話? あれはオフサイドではなくてオンサイドだったと仮定しての話?」

 

「そ、そおですよ?」

 

 あの告白が本気だったら、景朗は一体どうしていたか。それが聞きたいらしい。

 

「……そうッスね……んー……俺は……まず。まずはそう! 俺はてっきり手纏ちゃんに好かれている……方に賭けて、性的……じゃなくて性急に事を運ぶのは不味い。というよりはその……さ、ねえ! あの何でも受けて立つって発言はやっぱりものすごく親密なふれあいに発展しても覚悟はできてたぜ、ってことだったの?」

 

 手纏ちゃんは無言のまま、すすーっと離れていく。ごっそりと景朗から距離をとって、ソファの一番遠い位置まで横滑り。

 

「いや、ごめんね勿論今のは冗談。『本音を語ろう』って言ったもんね、俺が。本音を語りましょうか……その……ぶっちゃけ……いい感じにキープできたらなぁ、と考えてたところがありました……」

 

「え……?」

 

 

 くっそう。焦らしやがって。つらつらと本音を語る景朗の頭の中は、手纏ちゃんの"嘘"が本当なのかどうかがひたすらに気がかりで、集中力がかけていた。

 重要な案件である。ひょっとしたら、脱童貞の道が再び開けるかも知れない、可能性が無きにしも非ずな……。

 

「手纏ちゃんの本気度がイマイチわからなかったし、俺は今、忙しい用事が目白押しで……だから手纏ちゃんとの仲をギリギリまで引きつけて、いつでも確保できる射程圏内に止めておいて、機会があればセッ……セットプレーで直接ゴールを狙うようなプレースタイルをですね。その……」

 

「つ、つまり、断るつもりはなかったってことですか?」

 

「――うん。うん、そう。そういう面もあるね」

 

「私はてっきり火澄ちゃん、か、丹生さんが……お好きだと。こ、断られるかと思って。でも」

 

「いやその……ふぅっ。うん。みんなまとめてキープしておきたいってのが本音……っていうか、いやいや、あッ、むしろゾーンディフェンスに近いね! こう、プレッシングをあえてかけ続けてくみたいなスタイル? それがベストかなと。あくまで自分の中の理想論。ほらっ! やっぱむりくり言葉にすれば今みたいなラフな言い方がでてくるのもしょうがないよね? それが人間だから!」

 

 火澄は、思うがまま、感じるがままに言葉を口にすれば良い。そのような助言をくれた。だがしかし、世の中にはやはり言っていいことと悪いことが、さすがにあるよね、と。

 景朗はドクズな発言をしてしまってから、後からじくじくと失敗を悟っていた。

 手纏ちゃんが今までに見たことない顔つきになっている。

 あまりに考えなしなセリフの途中で、急遽、路線変更を図る。図るしかないっ。

 

「勿論自陣のディフェンス力を過大評価してて馬鹿だなあとも思ってるよ。ロングカウンターを喰らえば命取りだから。でも自分の中に遠慮があって、どうしてもゴールを積極的に打てないんだ。自分でも悔しいんだけど、しょうがないんだ。やっぱりそれがレベルファイブの呪い」

 

 やばい。もう巻き返せない。こうなったら全面的にLv5が悪い。なんでもかんでもLv5が悪いんだと。そのせいで、ということにしよう。そうするしかねえ。

 

「景朗さん、ヘンな例えを連発して誤魔化さないでください。ちゃんと、ちゃんとわかるように言ってくださいっ」

 

「とにかく、俺は厄介な問題を抱えてるから付き合うとかどうのこうのはない、けど、本音を言えばめっちゃ勿体無え事しちゃってるなぁぁぁーッて思ってます」

 

「も、勿体無いってことは、未練があるんですね? そうなんですね?」

 

 突如、遠く背後でスチーム音が鳴り響いた。誰だ、やかましい。にわかに立ち上る強烈なコーヒーの香り。

 

 なんだ。誰かがドリンクバーのコーヒーサーバーを故障させたのか。こっちは大事な話をしてるんだ。あまり煩わせないで欲しいな。景朗がそう思った、次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは比喩表現ではなく、本当に起こったことである。

 突如、景朗のケツが煮えたぎった。まるで沸騰するお湯が、股間まわりで暴れているようだった。色々な意味で笑えない。

 

 

「未練、未練はあるよ。後悔も――――ッ!?」

 

 巨体が突如、飛び上がった。半腰で、両膝がガツンとテーブルを叩く。

 

「ばああ! あぢ! あヂヂッ、ひゃばあ、な、なんだなんだ、何だッああ!」

 

 景朗の奇声が轟いた。股間からはホコホコと湯気が立ち昇る。

 

(な――――ッ!? えあッ――――!?)

 

 突然の事態に理解が追いつかない。いや、追いついてはいる。現実をただしく認識してはいる。だが、景朗は対処法を思いつけずにいる。

 

 どうか彼を信じてやって欲しい。

 それは、正真正銘真実に、沸騰したお湯そのものだった。

 

 なぜか、アツアツのコーヒー、それも大量のコーヒーがどこからともなく現れて、まるで意志を持ったようにまとわりつき―――彼が必死に腰をくねらせても意味はなく――――どこまでも追尾してくるのだ。

 何故か、彼の下半身のデリケートゾーンめがけて……。

 

 

 

 手纏ちゃんは完全に当惑してしまっている。若干の怯えも含まれているかもしれない。

 

 ど畜生な熱湯コーヒーが、意味不明なことに景朗のズボンを盛大に濡らしている!

 熱から逃れようと、中腰で景朗は腰をくねくねと仰け反らせずにはいられなかった。

 

 他人がその行為をみれば、どう思うか? 引く。

 

 誰がどう見ても嫌悪感の沸く奇妙な動作で、しかもわけのわからないタイミングで小刻みに悶えだした。そんな彼の様子に、手纏ちゃんはじわじわと離れていく。

 

 

 

 

 

 

「ど、どうされたんですか? 景朗さん?!」

 

『やめてっ、やめてっ! 丹生さんダメッ! 邪魔しちゃ――ッ!!」』

 

『だッて! 許せないッつのォ!』

 

 

 

 

 

 

……おや? ざわついていた周囲の喧騒の中に。今、聞き覚えのある声が混じっていた。

 いずこからか、非常に聞き覚えのある声が二種類も。

 

 どこか遠くから。何かに遮られていたからか、小さかった。だが確実に、耳にした。

 

 間違えようがない。これは丹生と火澄の声色だ。いなくなったはずだが。

 機敏に、店内の窓ガラスを一望する。

 

 

 すぐさま発見した。

 予想通り、2人は店の外にいる。正面の窓ガラス越しに見える。

 

 火澄に羽交い締めにされた丹生が、怒りのまなざしでこちらを睨んでいる。

 

(ちょおちょおちょおちょお、ちょいちょいちょいちょい!

な、なんてことしやがるメスども!)

 

 丹生の仕業だ。このコーヒー責めは、間違いなく丹生の能力だ。

 彼女は比重の大きい液体しかうまく扱えない。そのはずである。先程もシステムスキャンが緊張するなどと口にしていたくらいだ。

 それがこんな時に限って、扱うのが下手くそなはずの水(熱湯コーヒー)をダイナミックに股間にぶつけてくるなんて!

 

 おそらく、コーヒーサーバーから熱湯をあちこち"くぐらせて"ここまで引っ張ってきたのだろう。

 器用なものだ。

 

 

『裏切りやがってェ!』『バレたからっ、もう私たちのことバレてるからぁ!』

 

 なだめる火澄に、キレる丹生。悲しそうな眼光がとても印象的で、まるで裏切り者を射殺してやると言わんばかりの表情だ。

 

(なんで? 裏切ったって、何でっ?? てか、口調まで荒々しくなってるっ)

 

 あれほど怒りのボルテージをあげた丹生は、初めて見る。

 口調が、信じられないくらい汚くなっている。どこか聞き覚えのある……ああ、黒夜海鳥だ。

 遠い昔の記憶。暗闇の五月計画で知り合った、あの乱暴な少女の口調に、似ている。

 どうして? どうしてそこまで怒るのか?

 

(あいつ、今朝"体晶"の薬を飲んだっていってたよな! だったら体の調子は悪くないはずなのに!)

 

 丹生の豹変に景朗は戸惑いつつも。

 

 やめろ、やめろおお! と声無き声を、口パクだけで外の少女たちに向けてみせる。景朗には店外の声も聞こえるが、少女たちにはその場から叫んでもどうせ通じはしない。

 

 だが、景朗はとにかくやめてほしかった。今すぐやめてほしかった。

 

(危険だッ! ねっとりとデンジャラスゾーンにまとわりつく――コーヒーがヤバい! 野郎のうずらをハードボイルドしようってかぁッ? 使い物にならなくなるだろうがッ!)

 

 念のため、熱湯からうずらをガードするように能力を使う。なんともの哀しい能力の使い道だろうか。

 そもそも何故このような真似をされなければならないのか。話を聞かれていたとしか思えない。

 

「はっ!?」

 

 そうか、もしや。景朗に心当たりが浮かぶ。

 

「手纏ちゃん、バッグの中!」

 

 手纏ちゃんは混乱気味だったが、言われたとおり自分のハンドバッグの中を改め始めた。

 ややして、彼女はバッグの底から丹生のハンカチを見つけ出した。

 

「あっ……なにか硬いモノのが……入ってます」

 

 案の定、そのハンカチには盗聴器がくるまれていた。

 景朗が丹生に用立てた、暗部諜報活動用の一品だった。めっちゃ高性能なやつだ。

 まずい。これでは自分たちの会話なぞ、丸聞こえだっただろう。

 

(今の手纏ちゃんのセリフ、そこはかとなく――――うおいっ!? てか、なんじゃそりゃ!? 裏切ったのはどっちだぁ??)

 

 確かに、野郎の都合100%のクズ理論を展開してしまったわけだが、それでも。――それでも。

 

(やめて!?俺だけじゃなくて他の人にも言えることだけど

 野郎の股間を熱するのだけは、やめたげてよお!)

 

 

(やめろ! いい加減にしろ! なぜ股間を狙う?)

 

 景朗も景朗とて、丹生を真正面から威嚇する。悲しそうな相手の表情は、どこか拗ねたように歪んでいく。

 

 正直、分かりたくもなかったが、景朗は丹生の目線を読んで、その狙いを理解してしまった。

 

 いいや、違う。この狙いの性格な場所は――ア○ルだ!

 

 

 

(そ、そういえば……)

 唐突だった。丹生の形相が、頭の隅にとある思い出を蘇らせる。

 

 

 

 

 思い出すと、すこし恥ずかしくなる。

 丹生の前で、わんわんと泣いてしまった、あの夜の一幕だ。

 

 丹生の事を守れなかったと、心底後悔した、あの夜の会話だった気がする。

 

 

『私のこと、守ってくれるんだよね。じゃあ、もし裏切ったら?』

 

『いや、絶対に裏切らないから』

 

 もし裏切るようなことがあれば、その時は――。

 

『ケツの穴からコーヒーをかっくらってやる!』

 

 俺は、確かにそういったのだ。

 

 

 

 

 だって。なぜなら。怯える丹生が。全力で頼ってくる丹生が、可愛かったから。

 

 

(だからついついカッコつけちゃったんですよ。カッコつけちゃうでしょお、フツー!?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いやいや、確かに『守る』とは言いましたが……。

 

 ガラスの前で、涙目の丹生が吠えている。

 

『なンでッ、許せ、ねェっツの!』

 

『もう十分! もうやめよ、お願い丹生さんっ!』

 

 必死に取り押さえる火澄も、すっかり怯えている。

 丹生のキレようは、どこか変だ。普通じゃない、そのはず。いや、今はそんなこと関係ない。

 あれだけいきり立ってる丹生さんが、もし、あの言葉を覚えていたら……?

 

 いや、覚えているに決まってるだろ!?

 

 

 

 

 

 

 今度ばかりは、景朗も悲鳴なき悲鳴をうっすら漏らす。

 

 

――――自分は恐怖を封じ込められる男だ。

 

 景朗はそう信じてやまなかった。でも、ちょっとだけ間違いだったかもしれないと、認識を改めた。

 

――――恐ろしい。

 

 丹生がやろうとしていることを察して、コーヒーで熱さを感じていたはずの脳が冷えかたまる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(公衆の面前で熱湯コーヒー浣○責めだと?! は、ハードすぎる!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてだ。今日はどうしてこうも、想定してなかった出来事が起こり得てしまうのだ。

 

 うっすら涙目の丹生が、繰り返している。

 

「かげろうはアタシがッ! アタシのォォォォがッ――!」

 

 『かげろうはあたしンだァーっ』やら、『かげろうがとられるだろォが!』とか。何やらとらえどころのないセリフだった。

 やめてほしい。なんだかその呪文を聞いていると、怒るに怒れなくなってしまいそうだ。

 

 

 

 

 大昔の自称ハードゲ○芸人風に腰をカクカクさせていた景朗の、振動が止まる。

 その時を狙っていたかのごとく、手纏ちゃんが質問をぶつけてきた。

 

 

「これ、景朗さんはご存知なんですか?」

 

「それ、盗聴器……」

 

「へぇっ?!」

 

「ほらあれ。丹生の」

 

 

 もう、どうにでもなれ、と。景朗は丹生たちの姿を指さした。

 

 

 ガラスの前で騒いでいた2人が、手纏ちゃんに見つかった途端に、ギクリと硬直した。

 つかの間の緊張。その直後の、火澄の逃走。

 彼女は颯爽と、丹生を見捨てて逃げ出していった。

 

 丹生も丹生とて、はたと彼女の怒りが、止まった。

 ありありと、『あれ? なんでアタシはこんなにも怒っていたんだろう? あれ? 一体どうして??』と困惑を顔中に張り付かせて。そして手纏ちゃんの表情をもう一度みて、びくりと体をしならせて。

 

 迷うことなく、彼女も逃げだす。

 

 同時に、景朗を責め立てていたコーヒーもバシャリと重みを得て、重力の虜となった。

 

 

 手纏ちゃんの表情を確かめる。

 意外にも、彼女の様子は先ほどと大して変わらず、もぞもぞと恥ずかしそうにうつむいている。

 

 

 

 あの二人は何を見たんだ?

 ……いや、知らない方が良さそう、かもな。

 

 

 

(そんなことより、やっと自由に……ん? うわやべぇ。こ、これ……)

 

 

 景朗が履いていたカーゴパンツは、前後のデンジャラスゾーンがぐっしょりびちょ濡れだ。

 ぴちょぴちょと雫が脚を伝って垂れている。

 

 そのズボンが、モスグリーンの生地だったのが災した。

 その色合いではどんな液体がかかろうと、たとえコーヒーでなかろうと、布地は黒く染まる。

 

 

 しっとりと立ち上がる湯気が、絶妙に演出してしまっている。

 

(……な、なんてこった)

 

 そうだ。景朗のデンジャラスゾーンの前後は、まさにデンジャラスな状態だった。

 まるで盛大に粗相をしてしまったみたいになっている!

 

 

(か……確実に誤解される!)

 

 

 能面のように無表情となっていた手纏ちゃんには、なんとも声をかけづらかった。

 それでも、景朗はやむを得ずに頼み込む。

 

 

「お、おねがい手纏ちゃん、これ、乾かしてくれな――」

 

「ごめんなさい! 景朗さん!」

 

 手纏ちゃんは丹生と火澄の後を追いかけるために、バッグ片手に退席し始める。

 

「待って、おねがい待って?!」

 

 ガタリ、と踏み出した景朗。声に反応した周囲の客の目線が、彼に集まる。

 手纏ちゃんも、目をぎょっとひん剥いた。

 景朗が鋭敏な五感を持っていなくとも、きっとわかってしまっただろう。

 みなの視線は股間に釘付けであると。

 

「ひゃっ!?」

 

「違う! 誤解しないで! 違うんだっ! おねがい乾かして――――!」

 

 彼女の能力、酸素を操る"酸素剥離(ディープダイバー)"は、"風力使い(エアロハンド)"の性質を有している。

 

 大能力の風を使えば、こんなコーヒーの水分なぞ、すぐに吹き飛ぶ。だが、しかし……。

 

「ご、ごめんなさいぃ」

 

 先ほどの『ごめんなさい!』とは明らかに違ったニュアンスの、『ごめんなさいぃ』だった。

 

「おねがいまってえええええええええあああ!? ああっ!?」

 

 手纏ちゃんは無情にも走り去っていった。

 

(くっそ。伝票が残ってやがる)

 

 精算を済ませなければならない。これではすぐに、彼女たちを追いかけられない。

 

 いいや。もはやこうなれば……。

(帰ろう。一旦帰ろう。まずは着替えたい)

 

 

 

 3人で喧嘩でもなんでも、好きにすればいい!

 やさぐれた景朗だったが、ふと、自らを省みる。……己が招いた種には違いない。

 意気消沈して、おずおずとレジへ向かう。

 

 

 その途中。

 トボトボ歩く彼に、さらなる追い打ちがかけられた。

 ちらほらと、携帯のカメラのレンズが下半身を不躾に狙っている。

 

「やめて! 写メらないで! なんでだよ! 今日はどうしてこうなんだ! 何も悪いことしてな……いや日頃の行いは悪いけれどもっ! あんまりだっ!」

 

 

 





 感想は明日までに返します! お待たせしてすみません!

 次の話は、すこし長めになります。
一週間くらい、じかんをくだしあ……

 いよいよ、次の話でNEWヒロイン登場です!
 お約束します!

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