ありふれた職業で世界最強(女)と文字使い(ワードマスター)   作:アルテール

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――――五か月も本当に申し訳ありませんでしたぁ!!!(焼き土下座しながら)

いや、はい、本当にこの度は数か月も失踪してしまって申し訳ございません。
リアルが忙しくなっていくにつれ完全にモチベーションが下がっており、まったく書くことができませんでした。

ましてや過去話である以上十何数話も続けることができない以上一話に纏めるしかできないのでこうして遅くなってしまいました。本当に申し訳ございません。
これらは全て特に考えずにオリジナル話を考えようとし、無駄に多い設定を生み出してしまった筆者の自業自得です。今回の話で四万文字を超えたというのに未だに過去編が終わらないなど当時の自分は一体何を考えていたのでしょうか………(自業自得)

そんなわけで決して失踪したわけではありませんのでこれからもどうぞあり文字をよろしくお願いします。m(__)m

………あまりの文字数に途中で訳が分からなくなってしまっている部分があるかもしれませんがどうかご了承ください(ノД`)・゜・。





ララシーク・ハウリア②

 

翌日。

動きやすい手軽な服装に着替えたアルフレリックは革靴を履きながら自分の母親へと遊びに行くことを伝えた。

 

「それじゃあ、行ってきます。お母さん」

「あぁ、待ちなさいアルフ。遊びに行く時、間違っても防壁付近には近づかないようにしなさい」

「……どうしてですか?」

 

貴方のことだから大丈夫でしょうけど、と付け加える母親にアルフレリックは疑問符を上げて聞き返した。【フェアベルゲン】は魔物からの侵入を防ぐために天然の樹木の防壁に取り囲まれている、過去に一度も魔物からその防壁が破られたことはないため唯一の安全地帯となっているというのに一体どうしてだろうか?

 

「お父さんが言っていたわ。最近は樹海の魔物の様子がおかしいんですって」

 

曰く樹海調査団の調べによると最近の魔物の生息地域が変化しているらしい。ある地域には生息していた魔物が消え、ある地域には生息していなかった魔物が新たに巣を作っていたことが確認されたらしい。

何故そんな情報をアルフレリックの両親が知っているかというと彼の親は一族の中でも高い地位に就いており、中でも父親は族長直々の部下の地位に就いているため、内部事情に詳しいのだ。アルフレリックが座学や知識を積極的に学ぶことができたのは両親のおかげでもあるだろう。

 

「最近、アルフが外に出てくれるようになったのは嬉しいけれどお母さん万が一怪我しないか考えると心配なのよ――あなたは特別なんだから」

「…………はい、分かりました母さん。それじゃあ、いってきます」

 

我が子を心配するようにアルフレリックへと言葉をかける母にアルフレリックは()()()()()()()返答して自宅を出て行くのだった。

 

 

涼しい風が森を駆け抜け、アルフレリックの肌を撫でていく。

その風は樹海特有の青臭い匂いではなく、爽やかな空気となってアルフレリックの心を穏やかにさせていく。

しかし、風が感じなくなれば再びアルフレリックの心は騒ぎ出し、僅かだが手も貧乏揺すりのようにカタカタと震えてしまう。

 

そんな暗い表情をしたアルフレリックは一度深呼吸をした後、ゆっくりと目の前に鎮座する大樹の中に作られた扉をコンコンとノックした。

すると数秒後、ガチャリという音と共にゆっくりと覗き込むようにボサボサな浅黄色の髪を持ったララシークが扉から現れ、此方へと視線を向けると心底驚いたように目を瞬かせた。

 

「………マジか、本当に来たのかよ」

「……森人族は恩を大切にしますから」

 

そう言って半ば諦めたように呟くアルフレリックにララシークは暫く推し量るような視線を向けるものの、ま、ちょうどいいか!とでも言うようにアルフレリックを室内に招き入れるのだった。

 

昨日訪れた木を切り取るように作られたこの部屋は改めて見ても一人暮らしをするにしてもかなり広い。内装は簡易的なベットに木造の椅子や机、それだけ見れば質素な部屋だが、未だに慣れない謎の液体が入った幾つもの容器や、何の機能があるかさっぱりわからない設備のせいで不気味さが際立ってしまう。

 

「それで、来たからには後は付けられてないだろうな?」

「えぇ、親にも遊びに行くと言っておりますし、貴女に教えてもらった隠し通路を通りましたから」

 

椅子に座りながら確認するように尋ねるララシークにアルフレリックはコクりと頷きながら答える。前回説明したアルフレリックが通っていた隠し通路はなんと嘗てララシークが一人で作り、使用していたものらしい。現在は他の隠し通路を通っているため使っていないものの、まさかアルフレリックがそれを利用して出入りしているとは思わなかったらしい。

 

しかしアルフレリックが使用していた隠し通路は掘った土の強度が月が経つほどに弱くなっているらしく、それが原因でララシークは使用するのを止めたらしい。しかしその隠し通路が使えないのであればアルフレリックは【フェアベルゲン】に帰ることができなくなってしまう。そんな時、ララシークが隠し通路を見つけたご褒美とでもいうかのように三つほどの隠し通路を教えて貰ったのである。今回アルフレリックがララシークの下に来れたのもその隠し通路の一つを使ったからなのだ。

 

アルフレリックは隠し通路なのにそう容易く教えて構わないのか?と質問すると「別に構わねぇよ、あと50個以上【フェアベルゲン】に侵入できる隠し通路はあるしな」という恐ろしい返答が帰ってきたので何も言えなくなったそうだ。

 

ちなみに母親に巨大樹の防壁に近づくなと言われたアルフレリックは防壁に近づかずに樹海へと迎える隠し通路を使用して【フェアベルゲン】の外へと足を踏み入れていた。……なんという屁理屈だろうか。

 

「……それで、僕に手伝って欲しいことはなんですか?」

「――あぁ、これだ」

 

ララシークはそう言って木材で作られた紙に細長い炭を筒状の容器で覆った鉛筆モドキでババッと文字を書き、アルフレリックへと放り投げた。慌てて紙を何度も空中に浮かび上がらせながらもなんとかキャッチしたアルフレリックはララシークへと非難の目を向けながらも紙に書かれた内容を――正確には書かれていた単語を見て、目を見開いた。

 

「そこに書かれてあるすべての物を採取してきてくれ」

「これって……」

 

紙に書かれてのは、植物名。樹海に生息していると言われている数種類の植物だった。中には樹海の中ならばどこにでも生えていそうな植物も今の季節でしか生えず且つ数の少ない植物も存在する。

だが、それらは全てアルフレリックが知識として知っているものだった。

 

「あぁ、ここの樹海に生息している植物だ。だが私はそれほど植物の原生地に詳しくないんだ、だから――」

「――僕が代わりに採取するというわけですか」

「あぁ、わざわざ植物の観察のために一人で樹海に出るお前なら植物を間違ったりしないし、場所も知っているはずだろ?」

 

そう言ってニヤリと笑うララシークにアルフレリックは、うぇーと引き攣るような表情を取りながら声を震わせながら確認するように喉を絞るかのように尋ねた。

 

「……まさか、一人で探しに行けと言うわけではないでしょうね?」

「流石にそんなことはしねぇよ。私もちゃんとついていく」

 

そう口の弧を上げながら返答するララシークにアルフレリックはホッと小さくため息を吐いた。樹海は凶暴な魔物が跋扈する場所だ、先日襲われたことがトラウマになっているアルフレリックには一人はかなり辛いことであるため、前回の化け物地味た……華麗な動きを行ったララシークが来てくれることはアルフレリック的にも大変ありがたかった。

そう心の中でため息を吐いたアルフレリックを差し置いてララシークは「まぁ――」と言葉を続けた。

 

 

「――手伝ってもらう以上集め終えるまで返さないけどな♪」

 

 

アルフレリックは泣いた。

 

 

「……ひーまーだー」

 

青草色の小さな蕾を携えた目的の植物をララシークからもらった刃物によって優しく傷つけ、採取していく。この植物は蕾の時に刃物などで一気に強い衝撃を与えてしまうと破裂してしまい、紙に書かれてあるこの植物の蕾が採取できなくなってしまう。だからといって弱い衝撃を与え、時間をかけすぎると今度は蕾の保存性が急激に下がってしまう。

つまりこの蕾を採取するためには適切な力加減が必要であり、そこは採取する者の腕次第によって蕾の利用性が変わっていくというわけだ。

 

「ひーーまーーだーー」

 

蕾を採取すれば今度は朱色の葉を携えた全体的に赤色一色の植物を採取する。この植物は目立ってそうな色をしているのだが他の植物の影に隠れて群生するという習性がある。植物の高さも数センチ程度なので大変見分けづらい。自分も最初はいくら探してもなかったのでよく困ったものだ。

 

「ひーーーーーーーまーーーーーーだーーーーーー」

 

 

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ブチッ!

 

 

「ひーーーーーーーーーーーーまーーー――「うるさいですッッ!!黙って周囲の警戒をしてください!!というか貴女が頼んできたのに自分はだらけてるってどういうことですか!?自分で採取すればいいじゃないですか!!」

 

アルフレリックの絶叫に満ちた怒号が平らな石らしき上でだらだらと寝っ転がっているララシークへと向けられる。アルフレリックはふざけんなーと表情に一面怒りを染め上げてビシッとララシークへと指を指した。

採取を行って約2時間が経過した、既に採取する植物の名称が書かれてある紙は残り一つを除いて採取完了しており、全ての植物が採取完了するのももはや数分も掛からないであろう。

だというのにアルフレリックが怒り心頭になっているのは自分が魔獣に怯えながらも必死に集めているのに当の護衛は警戒をしてくれないどころか現在はだらけ始めているララシークの態度が原因だった。

 

「といってもなぁ……近くに魔物はいない以上無駄に警戒してどうするんだよ?無駄な体力を使うだけだろ?」

「どうしていないとわかるんですか!近くの草陰に潜んでいるかもしれないじゃないですか!」

「それはねぇよ――」

 

――何年、樹海(ここ)を行き来したと思ってる?

 

そう告げるララシークの言葉に気圧されてアルフレリックは息を呑む。

ララシークは【フェアベルゲン】の兎人族の集落から離れた場所に小さな家らしきものを立てていた。だが、ここで疑問に思わないだろうか?

 

ララシークはどうやって集落から離れた場所に拠点を作ることができたのだろうか?と

 

最初、アルフレリックは同じ兎人族に手伝ってもらったのかと思ったのだがすぐにそれは無いと否定した。兎人族の中でも確かハウリア族は元々優しく家族思いの温厚な種族である、わざわざそんな場所に拠点を作ろうものならば即座に家族に止められるだろう。

ならば考える可能性は一つ、信じられないことだがおそらく彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()

 

魔物達が跋扈する樹海の中、あの家を作るのには膨大な時間と材料、そして知識が必要なはずだ。それらを彼女はたった一人で行ったのだ。これはもはや、才能などというものではない、『異常』だ。

そんな彼女の言葉の重みを知っているアルフレリックは黙るしかなくなってしまう。

 

数度来たことしかないアルフレリックと数年も樹海を行き来していたララシークとでは経験が圧倒的に違う、樹海を何度も行き来しているララシークにとってここは自分の庭のようなものなのだろう。

 

そう、納得するようにしたアルフレリックは「……わかりました」と呟き再度採取へと行動を移そうとして――

 

「――――っ、やべ。化装術(けそうじゅつ)【魔装転化『壱式』】」

 

――ふと、己の耳に入ってきた彼女の言葉に耳を疑った。

 

えっ、という言葉をアルフレリックが紡ぐ間も無く、刹那――背後から引き寄せられる感触と共に世界が回る。

 

聞きなれない甲高い音を聞き、自分がララシークに放り投げられたという事実をアルフレリックは他人事のように感じながら――地面に頭から着地ならぬ着弾した。

 

「おごッ!?」

「あ、悪い。ちょっと力みすぎた」

 

眩む視界と着弾時の頭痛にアルフレリックは頭を抱えて蹲り痛みで悶絶してしまう。

 

「い、いきなり何をッ―――ヒィッ!?」

 

一体何が……と未だに痛みが残る頭を摩りながら突然ララシークに放り投げられたことを恨めしそうに顔を上げると瞬間、アルフレリックは視界の先に見えたものを見て一瞬にして恐怖と驚愕の混じった表情へと早変わりすることとなる。

 

そんなアルフレリックを差し置いて此方の視界の先でララシークはくるりと此方へと振り向いた。

 

「おっ!よかったっ、案外大丈夫そうだな」

「――え……いや………ソレッ…………!」

「――ん?……あぁ、()()のことか」

 

ララシークはそう言いながら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

言葉が出ないとは、まさにこの事だ。目の前で起きたことが信じられないとアルフレリックは唖然としてしまう。

さも当然のようにララシークは魔物を片手で押さえつけ、現在手持ちのナイフで喉元を切り裂き魔物の息の根を止めたが本来魔物は亜人族ひとりで仕留めることは行われられない。

 

何故なら亜人族は身体能力が秀でているものの人族や魔人族のように魔法を使うことができないという欠点が他種族とは違って魔物を仕留めることが難しい要因となっていた。

魔法が使うことができないということは魔物を仕留める時、必然的に接近して剣や槍などで仕留めなければならなくなる。もちろん弓という武器もあるにはあるが『地球』とは違い『トータス』にとって弓の有効性は魔法が使えてこそである。

 

『トータス』に存在する人族や魔人族が製作する弓は【技能】と共に併用することで力を発揮するように作られているため、自ずと『地球』とは違い弓の耐久力を上げていく方向へと作られてきた。当たり前だ、例えば矢の威力を上げる【強射】や狙った場所へとある程度精密に飛ばすことができる【精密射撃】等の技能があれば弓に求められるのは耐久力だけだ、ましてや魔法がある以上わざわざ弓で射る必要性があまり無い。

故に亜人族は人族や亜人族から技術を盗むことはできず手探りで弓製作を行っており、ましてや材料は樹海からしか取る必要がある以上ほとんど木材である。

結果として亜人族が作れる弓は射程距離は良くて50メートル前後しかない単弓(セルフボウ)やそこから派生した短弓(ショートボウ)や長弓《ロングボウ》が限界だった。

地球のように複数の素材を組み合わせ、より威力を!より遠くへ!を目指した中には最高射程距離600メートルの頭のおかしい……ピーキーなモノも存在する複合弓(コンポジットボウ)やモ○ハンに登場するような素材にカーボンを使う等近代的な弓、洋弓(コンパウンドボウ)(クロスボウ)などは一切存在しないのである。

 

 

閑話休題

 

 

話を戻すが亜人族が単独で魔物を狩ろうとしないのは魔法のように殺傷性の高い戦闘手段を持っていないため、安全を顧慮してのことである。単独でも中型魔物を軽傷未満で狩ることができるのは最も身体能力が高い大人の熊人族ぐらいだろう。対して人族や魔人族には【身体強化】等といった技能も使用することで亜人族と近い身体能力を手に入れることができるのである、その辺りも亜人族が虐げられる理由の一つとなっている。

 

つまり、結論からララシークは未だ子供と言える年でありながら大人の熊人族と同じ身体能力を持った兎人族ということになるのだ。空いた口が塞がらないとは正にこのことだろう、一体どんな芸当だろうか。

アルフレリックはララシークの異常性を目の当たりにする度に胃が痛む幻痛を感じた。

 

「――というかッ、やっぱり魔物が近づいてきてたじゃないですか!ちゃんと警戒していてくださいよ、ララシークさん!」

 

物言わぬ肉塊となった狐の魔物を端から端まで観察するララシークへとアルフレリックは体を震わせるように言葉を投げかけるがララシークに心底アホを見るような視線を返される。

 

「……あのなぁ、魔物に襲われたのはお前が大声を上げたせいじゃねぇか。むしろ助けてやっただけ感謝しろよ」

 

その正論に流石にアルフレリックも「うぐっ……」とたじろいでしまう。確かに魔物が近づいてきた可能性はララシークが警戒をしていなかったので接近を許してしまったというより圧倒的にアルフレリックがあれほど叫んでしまったせいで魔物を呼んでしまった可能性の方が高い。つまりアルフレリックの自業自得である、ララシークを責めるのは完全にお門違いというものだった。

 

「それになぁ――」

 

瞬間、アルフレリックの頬を掠める閃光。

ララシークはため息を吐きながら太ももに巻かれた紐に幾つか取り付けた小型のナイフを投げたということをアルフレリックは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「キャイン!?」

「うぇっ!?ハヒッ!?な、なな何が………!」

 

無意識にアルフレリックが振り向けばそこにはララシークが投げた小型ナイフが片足に深々と突き刺さった先程襲いかかってきた魔物と同じ同族が此方を睨めつけていた。

否、それだけでは留まらない。

先程までアルフレリックが採取していた草影から、木の陰から、蔓の隙間から、十を超える魔物の紅の眼光が幾つもアルフレリック達を囲みこんでいた。

 

「「「「「「「「「「「グルルルゥァ!!」」」」」」」」」」」」

「――魔物が単独で出るわけ無いだろ?群れだよ、群れ。私らはとっくに囲まれてるんだよ」

「……そんなっ……前回は一匹しか出てこなかったでしょう!」

「ありゃあ、例外だ、群れから追い出されたはぐれだよ。つまりアルフレリック、前回のお前はツイてたってことさ」

 

アルフレリックは絶句した。

あれほどアルフレリックに恐怖を植え付けた魔物がはぐれ?

それはつまり、あの狼の魔物やこの狐の魔物は群れでなければ生きていくことが難しい生態系でも下のほうに位置する部類だということになる。

アルフレリックが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の身体能力を持つ魔物が?

 

(………そこまで、なんですか……?)

 

この樹海は。

ここの生態系は。

そこまでも、厳しい場所なのか?

アルフレリックは今更ながらに【フェアベルゲン】の掟で15歳以下の亜人族が【フェアベルゲン】の外に出てはいけない理由を理解した。これだったのだ、恐るべき魔物達の脅威から子ども達を近づけさせない気休めの優しさだったのだ。

 

あぁ、だがしかし。

なぜこれほどの絶体絶命な危機に対し――

 

「――んじゃ、さっさと片付けて植物を集めるぞー。アルフレリック、せっかく集めたモノを落としても困るから動くなよ。集めた植物を一つでも落としたら回収し直す時に手助けはしないからな」

 

――彼女はそうやって自然体のままでこちらに笑いかけることができるのだろう?

 

そう告げながら大型ナイフを片手にアルフレリックの前方へと魔物達から立ち塞がった。

怯えもなく、恐怖もなく。

さも当然のように、ララシークはアルフレリックの目の前に魔物達へ立ちふさがった。

そんな彼女の行動にアルフレリックは目を疑った。

 

「まさか……戦うんですか!?無茶です!こんな数じゃあ大の大人ですら一人では嬲り殺しに――「だったらなおさら逃げられないだろ、バーカ。いいからそこを動くなよ、勝手に動いたら守ってやらないからな」

「うぐっ………死なないでくださいよ」

「安心しな、そうなったらアルフレリックも死ぬことになるだけさ」

 

そのララシークの言葉にそれも嫌だ!、とアルフレリックが嘆いた瞬間。偶然かそれとも隙を突いたのかはわからないがアルフレリックが頭を抱えて嘆くと同時に魔物の群れが一気に二人めがけて襲いかかってきた。

ひっ!と悲鳴を上げるアルフレリックを差し置いてララシークが握っている大型ナイフを器用に手元で回転させながら前傾姿勢となり最も接近している魔物へと足を踏み出した。

 

瞬間、彼女の姿がぶれる。

 

魔物とララシークの両者の距離が瞬きの間にゼロとなり、交差。鉄臭い紅い軌跡が刹那のうちに描かれ再度離れると同時に嘗て魔物だった肉塊は草木を血で彩りながら倒れ伏す。

肉塊へと成り果てた魔物には目もくれずララシークは次の獲物へと加速する。

 

二匹目の魔物はララシークの首元へと噛み付こうとするがララシークは滑り込むように体勢を下げ、飛びかかった二匹目の魔物の下へと潜り込み、さながら撫でるように魔物の喉元へとナイフを添えて掻っ切った。

 

体勢を崩したララシークへと好機とばかりに三、四匹目の魔物が飛びかかるがそうすることを予想していたのかララシークの口元が歪んだような笑みを浮かべる。

 

シャキンという金属が擦れるような音が響き渡り、樹海に吸い込まれていく。

 

その発生源はララシークの太ももに幾つも取り付けられている小型のナイフだ。ララシークは刹那の内に小型ナイフを抜き放ち、三匹目の魔物へと投擲する。

風切り音に紛れて小型ナイフに喉元を突き破られ、空気音に似た断末魔をあげる三匹目の魔物を無視して四匹目の魔物がララシークの喉笛に噛み付こうと飛びかかるが遅い、遅すぎる。

 

仲間が目の前で死んだことで動揺し、僅かに挙動が遅れている時点で喉元に噛み付くどころかララシークに触れることはあり得ない。

ララシークは四匹目の魔物がララシークの肌に触れるよりも先に両手を地面につけて体を旋回。

鋭い回し蹴りが弧を描いて四匹目の魔物の胴体へと直撃し、メシメシといった骨の軋むような音が魔物の胴体からララシークの足を通じて響き渡る。

 

さっきまで生きていた肉塊が吹き飛ばされ近くの木へと激突し、木の幹へと血の跡がへばりつく。

 

たった数十秒も経つ前に四体の仲間が死骸へと変貌したことに流石の魔物達も動揺が奔り、未だララシーク達の周りを取り囲んではいるもののそう簡単に襲い掛かることはできず、魔物達は躊躇した膠着状態に陥ってしまう。

 

アルフレリックを守っているために動けないララシークと。

隙がないため攻めることができない魔物の群れ。

 

どちらも攻めることができずジリジリと間合いを図るその膠着状態が崩れたのは周りを囲う魔物達の中でも一際大きな狐の魔物があげる一声だった。

 

「ウオォン!!」

 

その一声に魔物達の群れは唸り声をアルフレリック達へと向けるもの徐々にアルフレリック達から離れていく。おそらくあの一際大きい狐の魔物が群れの主なのだろう。

ガサガサと音を立てて草むらへと去っていく魔物の群れ、その音が聞こえづらくなってきたほどでララシークがゆっくりと血を拭いた大型ナイフを皮鞘に戻し、呟いた。

 

「………引いた、か」

 

「いやー、優秀な長でよかったよかった」と気楽に言うララシークの言葉にアルフレリックは漸くピンッと張っていた緊張の糸が緩んでいくのを感じた。意図せずに深いため息が溢れ、恐怖で固まっていた筋肉が緩んで力が抜けていくのを感じる。

 

「……おいおい、アルフレリック。まさかもうへばったのか?いくらもやしでも体力なさすぎじゃないか?」

「……………」

 

ケラケラと煽ってくる彼女の言葉にアルフレリックは言葉を返す体力は無かった。肉体の疲労は少ないが精神的疲労はアルフレリックの体を重くさせていた。

なにせアルフレリックは魔物に遭遇して命に危険にさらされるのは今回で二回目なのだ、いくらアルフレリックが早熟していたとしても精神的疲労は決して少なくはないのだ。10歳を舐めないで欲しい。

 

「ほら、さっさと立ち上がれ。あと一つなんだろ?」

「……ッ!………えぇ、そうですね」

 

そう言ってガシッと軽く蹴ってくるララシークに、鬼だ。借りなんか返そうとしなければよかった。いや、でも森人族の矜持として借りは返さないと……うぐぐ…、と内心毒づきながらも自分の一族の誇りのせいで後悔することすらできないアルフレリックは一息を入れて再び立ち上がり、採取行動を開始した。

 

「ところで最後のひとつは何処にあるのか目処は立っているのか?」

「えぇ、まぁ……最後のは前回一度採取したことがありまして、大体ここの辺りに――あ、ありましたっ」

「え、本当か!」

 

アルフレリックは最後の一つの植物である茎は緑色だというのに葉は紫色をした植物を採取して、驚愕の表情を浮かべてこちらに駆け寄ってくるララシークへと見えるように掲げた。

 

「はい、これで必要なものは最後ですよね?」

「あぁ!いやー助かったぜ本当に!森林の中で大声を挙げるわ、魔物に襲われているのに尻餅をついたまんま動こうとしないわと何がしたいのかわからなかったが、植物採取には居てくれて本当に助かったッ!」

 

▼ アルフレリック は 50ダメージ を 食らった 。

 

ざっくりと心に傷をつけてくるララシークの言葉にアルフレリックの精神は綺麗にノックアウトされた。もちろん力尽きる方のノックアウトで。しかもそれは顔つきは森人族でも敵わない程整っているララシークの満面の笑顔でのアタックだ、おそらくララシークにとっては悪気はないんだろうが………結局アルフレリックの心がえぐられたことには変わりない。

 

やったやった、と喜ぶララシークの隣で地面に手をついて落ち込むアルフレリック。

これらの光景は樹海で起こるにしてはあまりにシュールだった。

そんな中、どうにかララシークよりいち早く復活したアルフレリックはふとララシークのことで疑問を抱いた。

 

「……――そういえば、ララシークさん」

「これでようやくアレの制作にまた一歩すすめ――ん?どうした?」

「ずっと気になっていたんですが…今回採取した植物を一体何に使うんですか?」

「………………………それは」

 

それはララシークが採取した植物を何に使うかということ。

ララシークが依頼した植物にはすり潰して傷を治す傷薬に使われる薬草や腹の痛みを整えさせる草、中には食べればしばらくの間、体の感覚が鈍くなり痛みなどを感じない草等と一貫性があまり無い。強いて言うならば食べれば致死となる毒草がないぐらいだろうか。

傷薬?いや、だったら毒草はいらないはずだ。

ならばララシークはいったい何を作ろうとしている?

 

アルフレリックの言葉にララシークは虚を突かれたかのように驚いて、ピタッとまるで蛇口の水を止められたかのように口を閉じた。

アルフレリックには表情が見えないほどに顔を俯かせ、沈黙を保ったままだ。

 

………マズかった、のだろうか?

 

一向に返答がないララシークにアルフレリックは聞かなかった方が良かったのだろうかと思い始める。

 

「――す、すいません、ララシークさん。僕が知る必要なありませんよね、さっきの言葉はなかったことに――「……いや、いい」――え?」

 

慌てて撤回しようとしたアルフレリックの言葉を小さな、しかしハッキリとしたララシークの言葉が遮り、ララシークの顔が僅かに上がる。彼女に浮かぶ表情の色は戸惑い、不安そして――

 

(………怯えている?)

 

何故?いったい何に?

アルフレリックにはいくつもの疑問が浮かび上がるがそれらの疑問が解消される前にララシークが言葉を紡ぐ。

 

「……手伝ってくれたついでだ。どうせ減るものじゃないしな」

 

そう呟いてララシークは右腕に着けてある腕輪を左手で撫でるように触って、微笑した。少し悲しそうに、儚く印象づける笑みを浮かべて。

 

「今回採った植物はな、あるものを作るのに使う予定なんだ」

「あるもの……ですか………?」

「まぁ、な……それは――」

 

そう一拍を置いてララシークはアルフレリックへと言葉を紡ぎ――

 

 

 

 

 

――ぐちゃりと、腐った果実が握り潰されたような粘着質の篭った音がアルフレリックの耳を埋め尽くした。

 

 

「………………………え?」

 

何かが、落ちた。

アルフレリックとララシークの間に。

撒き散らされる真っ赤に染まった液体と、鼻を塞ぎたくなるような鉄臭い匂い。

 

「こい、つは………」

 

首だ。

魔物の、首だ。

見たことのある、魔物の首。そう、この首はアルフレリック達を襲った魔物の長――――ッ!!

 

「なん、で…………?」

 

引きちぎられたような魔物の長の首の傷痕。

先程魔物達を退けてから数分も経っていないのに、この惨状。あまりにも予想外な事態にアルフレリックの脳は断片的な情報を取り入れようと高速で回り出す。

殺された?どうして――?襲われた?何に――?首を捻じ切るように切断されている?一撃で殺した――?群れの長が死んだ?つまり長すら逃げることが出来なかった――?

 

本来魔物達の群れの長とは最も強い魔物がなるわけではない。強さと同時に危機察知能力、即ち臆病であればあるほど群れの長になり得るのだ。だが、そんな群れの長ですら死んでいるということは――――ッ!

いうことは――――ッ!!

 

「――アルフレリック………!今すぐ此処を離れ――」

 

同じ結論に至ったのだろう。ララシークがアルフレリックの身体を掴み、今すぐ此処から離れようとして――

 

――グチュリ、となにかを踏み潰したような音がした。

 

何度も、何度でも何かを潰して、音を立てて、こちらへと近づいてくる『何か』。

二人の理性が逃げろと肉体へ命令し、同時に本能が今逃げれば殺されると叫びあがる。

矛盾した二つの命令、足音のする度上がる呼吸数。

 

そして、ついにその『何か』が森林から姿を現した。

 

 

『遊びに行く時、間違っても防壁付近には近づかないようにしなさい』

 

 

一言で言えばそれは『黒』だった。

 

全身を蒼黒の鱗とそこから生えた黒い体毛で覆う四足歩行の目測6メートル程の化け物。

前脚には透き通った黒水晶のような各三本鉤爪と滅びた竜人族の竜化形態で見られたといわれる前脚と繋がった双翼。

後ろには同じく蒼黒の鱗と体毛に覆われた二メートル台の長い尻尾が重力など知らぬとばかりにピシッ、ピシッと何度も地面を叩き、紙面に亀裂を生み出す。

頭部には暗がりの中でもわかるような紅玉の双眸に、発達した大きな耳と小さなしかし鋭い牙がアルフレリック達を覗かせる。

 

 

『最近は樹海の魔物の様子がおかしいんですって』

 

 

目の前の存在と樹海の魔物達となんて比べることにすら値しない。

威圧が違う。

怖気が違う。

存在感がまるで違う。

 

今朝の母親の言葉が無意識にアルフレリックの脳内に反芻する。

 

あぁ、分かる。理解(わか)ってしまう。

コイツだ、この化け物だ。

樹海に異変が起きているのも、先程二人に襲い掛かった魔物の群れを殺したのも。

目の前の化け物に付着している赤い返り血がそれを証明してしまっている。

 

「ガルルルゥ………」

 

見定めるかのように呻き声を零す化け物に対しアルフレリックは動けない。

あまりの恐怖に目の前の化け物から目を逸らすことも、声を出すことすら敵わない。

しかしそんなアルフレリックの状態など知らんとばかりに化け物の赤い瞳が二人を写し――

 

 

――色が、変わった。警戒から捕食対象へと。

 

 

「         ぁ       」

 

 

刹那、アルフレリックは死を確信した。

何か前兆があったわけではない、なにか異常が起こったわけではない。

ただ漠然と、そう理解したのだ。

 

その証拠に、あれほど緑一面だった森林の視界が黒く染まり――

 

 

 

「――【魔装転化『弐式』】ッ!!」

 

 

――瞬間、金属音と同時に目の前で火花が弾け、腹の圧迫感と共に先程の視界が嘘だったかのように元の明るい視界へと変化した。

まるで空へと落ちていくかの如く急速に離れてゆく地面と、そのさっきまでいた地面を黒い影が踏み締めて粉砕し、陥没させる。

 

「――――は…………!?」

「喋るなッ!舌噛むぞ!」

「ガルァアア!!」

 

心身を震えさせる咆哮を上げ、此方を睨み付ける化け物を見下ろし、且つ急速に遠ざかる姿と後ろから前へと駆けてゆく景色を認識して、アルフレリックは漸くララシークが自分を担いで現在木の枝を足場に逃走してくれたのだということを認識した。

瞬間、強烈な空気抵抗により起こる吐き気が込み上げてくる。

 

「んぐッ――!」

「悪りぃッ!今は我慢してくれ!割と余裕がないんだ!」

「だ、大丈夫です。僕のことは気にしないで――て、ララシークさん!?そ、それ………!?」

 

ララシークの心底辛そうな声にアルフレリックは内側から込み上げていくものを必死に両手で口を塞いで気合で押し返し、無事だということを返答しようとして――気づく。

己を担ぐララシークの腕にハッキリ見える程の青紫色に染まった痣がいくつも浮かび上がっていることを。

その現象をアルフレリックは知識として知っていた。

 

それは地球では『内出血』といわれるもの。

 

転倒や衝突などによる打撲が原因で体内の血管が破裂などを起こし、皮膚下で出血する現象。アルフレリックにも同年代の子供や大人の身体にポツリと小さな青紫色の痣があったことを何度か見たことがある。

 

だが、ララシークの痣は幾ら何でもおかしい。異常だ。

 

慌ててララシークの方を見ればその異常性がハッキリとアルフレリックは分かってしまう。

腕に首元、そして高速で移動するためか気がする程度だが足に、おおよそ拳一個分の痣が存在して――――否ッ!

()()()()()()青紫色の痣がララシークの四肢に広がっていた。

 

「――グっ、大丈夫だ………ッ!こんぐらい――ッ!?」

「ガグルァアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!」

 

アルフレリックの心配する声にララシークはまるで重病者のような荒い息を吐き出し、返答しようとするがアルフレリックの耳にその言葉が届くことはない。

ララシークの声を打ち消し、大気を轟かす咆哮。同時にララシークが太い枝を足場に今までのように前方へ跳躍するのではなく、斜め下へ――即ち地面へと跳躍した。

 

刹那――先程までララシークが足場にしていた一メートル程の大木が幹を残して()()()()()()

 

「――――――。」

「ウッソだろオイ!本当に化け物じゃねぇか……!?」

 

化け物が行ったことは単純だ。己の身体能力で木と木を跳躍して逃走するララシーク達に追いつき、跳躍と同時に生まれながらに備えられていた爪を先程まで二人がいた大木へと振るった。ただそれだけ。

だが、言葉にすればそれだけだが、その行動を行うのに一体どれ程の身体能力があれば可能なのか。異常にも程がある。

 

恐怖と驚愕が混ざったララシークの言葉がアルフレリックの耳に聴こえてくるがアルフレリックは急な方向転換による反動で肺の中の空気が全て吐き出され酸欠になりかけているためララシークの言葉すら理解することができなかった。

なにせ先程ララシークが行った急な方向転換によりアルフレリックの身体に一瞬6Gに等しい力が襲いかかったのだ。当然、アルフレリックの肺の空気は瞬く間に吐き出され、呼吸することすら忘れ、一瞬意識が飛びかけた。

 

だが、そんなアルフレリックの状態など化け物からすれば格好の的、好機でしかない。

 

大木のみを抉り取り二人を逃したということを認識した化け物は爪を振りきった状態から空中で一回転、尻尾を幹に突き刺し身体を固定、重力に逆らうが如く尻尾の筋力のみで全身を引き寄せ、四肢を大木の幹へと掴ませた。

 

同時に、森林に響く破砕音。

幹しか残っていない大木を残骸へと変貌させて、化け物はララシーク達へと飛びかかった。

 

「はや――――ッ!!?」

 

そのあまりの速度にララシークは息を呑んだ。

何故なら、化け物の速度が文字通り常軌を逸していたから。先に地面へと跳躍したのはララシークだというのに、尻尾に突き刺し、四肢で幹を掴み、跳躍という手順を行った化け物の方がアルフレリックを担いでいるとはいえ、ララシークの跳躍速度についてきているのである。

先程まで跳躍までに十メートルの距離は離していたというのにもはや化け物が振るった爪とララシークの肌の距離は目と鼻の先だ。ララシークが地面に触れるよりも化け物の爪がララシークの肌を触れる方がコンマ速いだろう。

 

「――――――ッ!」

 

結論から言えば、ララシークは化け物の攻撃を凌ぐことは出来た。

 

刹那――ララシークが行ったことは三つ。

一つ、担いでいたアルフレリックを上空へ投擲。

二つ、振るわれた化け物の爪が己の体に触れる前に左脚で化け物の脚を蹴ることで軌道逸らすと同時に後方宙返りを行うサマーソルトキック。

そして三つ、二つ目のサマーソルトキックを行うと同時に両手を地面に着け、化け物が襲いかかってきた方向とは逆――即ち後方へと腕を足代わりに押して、跳躍。

 

まさに神技と云える行動により化け物の一撃をララシークは食らうことはなかった。

空を切った一撃が地面を打ち、大地が陥没し、ひび割れ、周囲を隆起させる。

 

「ガァアアアアアアアア!!」

 

しかしその地形すら変貌させる化け物の一撃はララシークには掠りもしておらず、後方へと逃れたことで粉砕された地面の破片すら掠ってすらいない。

二度も攻撃が掠りすらしなかった、その事実に化け物は目の前の存在に対する警戒度を一層上昇させた。

 

一方ララシークに空中に放り投げられたアルフレリックは恐怖どころか軽く意識が飛びかけていた。なにせ先程まで意識が飛びかけるほどの圧力が全身にかかったと思ったらララシークに放り投げられ空を飛んでいるのだ。アルフレリックの胃の中身は胃を縦横無尽に駆け巡っている。

 

朧げにしかも混乱する意識の中、霞む視界に写る地面が近くなってくることをアルフレリックは理解して、咄嗟に頭を庇い数瞬後襲いかかる痛みに備えた。

しかし数瞬後、身体に襲いかかった衝撃は硬い地面による痛み――ではなく、アルフレリックの体を支える人の手による優しい衝撃だった。

 

「うっし、ギリギリだがなんとか受け止められたな!」

「――――――。」

 

慌てて目を見開けばそこにいるのは荒い息をしながらも此方へと笑いかけるララシークの姿。目の前の光景にアルフレリックは言葉を失うが、ララシークはそんな彼の気を知らず、アルフレリックが無事だということを確認すると、ゆっくりと立ち上がった。

 

「早速で悪りぃがアルフレリック、此処からは別行動だ。流石にお前を担いだままじゃ逃げきれなそうだしな。コレを渡しておくから私がコイツを相手している間にあっちの方向へ走ってくれ、その先には私の家がある。そこで落ち合おう、お前なら途中まで行ったら分かるだろ?あぁ、言い忘れてたが今日採取した植物を途中落としたりすんなよ?」

「――――いや――ララシーク――さん―――?―何を――言って――――るんですか――?」

 

二の句を告げさせないように矢継ぎ早に言葉を出したララシークは足腰に巻きつけていた小型ナイフの一つをアルフレリックへと押しつけて、アルフレリックの呆然としたまま紡ぎ出される言葉を無視したまま、大型ナイフを片手に立ち上がった時と同じようにゆっくり化け物へと歩いてゆく。

 

その行動に、アルフレリックは耐えきれず――

 

「――無茶、だ。ララシークさん、止めてくださいッ!死ぬ気ですか!?()()()()()()!!?」

 

――叫んだ。叫ばずにはいられなかった。

 

何故なら、目の前の彼女の身体は――もはや、瀕死といってもいいようなものだったのだから。

両腕、両足に大きく広がった青紫色の痣、一部の肌は青紫色ではなく赤黒い色に染め上がっている。息は荒く、体勢は乱れ、何より彼女の左足は――

 

――ぷらんっとまるで吊り下げられているかのように折れていたのだから。

 

先程の化け物の一撃。ララシークは神技によって凌ぐことはできた。

そう、凌ぐこと()出来たのだ。

 

あの一瞬。あの刹那。

 

ララシークは左足で化け物の前脚を蹴ることで化け物の軌道を僅かにずらし避けることに成功した。

逆にいえばそれはララシークは僅かに()()()()()()()()()()()をぶつけたということ。

ならばこの代償は当然の結果だった。

 

(――そうだ、少し考えれば分かったじゃないですか………!)

 

兎人族であるララシークがアルフレリックが何一つ反応できない化け物に追いつくような身体能力を持っている訳がない。

 

ならば当然、仕組みがあるはずなのだ。

なんらかの今のような超人的な身体能力を発揮させる仕組みが。その対価として何かを失う仕組みが。

 

あぁ、今思い返せばきっかけはあったはずだ。

 

初めて出会った時に兎人族ではありえない身体能力を発揮していた彼女が自分の家で、まるで全力疾走を行ったかのように疲労していたのも。

ありえない身体能力を引き出していながらも、今のように青紫色の痣が身体に出現していたのも。

 

(――全部、なんらかの形で超人的な身体能力に対する対価を払っていたから出来るものだったんだッ!)

 

植物採取の時、ララシークが平らの石で休んでいたのは自分の疲労を出来る限り溜めない為だったのだ。

もしもの時にアルフレリックを守る為に。

 

「あぁ……あぁああ………ッ!」

 

なんで、どうして、こんな昨日知り合ったばっかりの自分の為に……!などと後悔しても、もう遅い。時間は決して戻ることはなく、今ここで化け物が襲いかかってくる事実は変わらない。

アルフレリックは何も出来ない。

アルフレリックが出来ることはただ逃げることだけだ。

未だほとんど知らないララシークという少女を犠牲にして、生き延びることだけ。

 

「走れ!アルフレリックッ!」

「ぁあああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 

ララシークの叫びにアルフレリックの身体はもはや無意識に動き出し、立ち上がってララシークが指した方向へと走り出す。がむしゃらに、まるで赤ちゃんのように泣き喚きながら。

そんなアルフレリックの姿を見て、ララシークは安心したように苦笑し、化け物へと振り返った。

ララシークは何も喋らない。

ララシークは何も語らない。

 

ただ、体勢を下げると同時に大型ナイフを逆手に持ち、目の前の化け物に対して不動の構えを取るだけだ。

ここから先は、行かせないというかの如く。

 

「ガルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」

「…させるかよ、【魔装転化『三式』】ッ!!」

 

化け物から背を向けたアルフレリックの姿を視認した化け物は大木を揺らすが如き咆哮をあげ、目の前のララシークという存在を無視しアルフレリックへと襲いかかろうとする。その叫びは獲物が逃げていくことに対する悔しさによるものか、はたまた化け物の襲撃を幾度も凌いだ少女を置いて自分だけ逃げようとする行動に対する怒りか。

 

どちらであろうともアルフレリックを襲いかかろうとする化け物にララシークが立ち塞がることは変わらない。

 

化け物は全身に、ララシークは右足に、渾身の力を込めて。

飛び出したのは同時、両者の踏み締めた大地は悲鳴をあげ、多少差異はあれど地面が割れて陥没する。

両者の距離は瞬く間にゼロとなり――アルフレリックが認識できない速度で攻防が繰り広げられた。

 

攻防は一瞬、ならば当然決着も一瞬にして決定する。

 

まるで肉を裂くような不快感に満ちた音が重なり合ったかのような謎の異音が背後からアルフレリックの聴覚へ響き渡る。あまりにも聞き慣れないその音に、アルフレリックは足を止めなかったものの、咄嗟に振り向いてしまった。

 

「………………………………………………ぁ」

 

振り向いてはいけなかった。

無視して走らなければならなかった。

そうでなければ、今のようにその光景を見てしまうことになったのだから。

 

宙に舞い散る鮮血と、翼と繋がった前脚をある場所には幾重にも斬り裂かれ、ある場所にはララシークが投げていた小型ナイフが突き刺さり、生み出された決して浅くない傷に痛み悶える化け物。

そして――

 

 

――まるで糸の切れた人形の如くゆっくりと四肢という四肢から溢れたように鮮血を吹き出して崩れ落ちるララシークの姿。

 

「………………………………………………ぁあ」

 

わかっていた、筈だ。

理解していた、筈だ。

あの状態であの化け物と戦えば、いくらララシークでも死は免れないということを。

ララシーク自身、何よりわかっていたはずだ。

 

動け。

止まるな。

走り出せ。

 

彼女は文字通り命をかけてあの化け物の足に傷をつけ、時間を稼いだ。

 

『素晴らしいわ!アルフレリック!あなたは天才よ!』

 

なら、今ここで逃げなければ彼女の命を無駄にすることになる。

 

『あぁ!流石私達の子だ!お前ならは必ず長老になれる!!』

 

優秀な自分ならそれくらいわかっているはずだ、アルフレリック・ハイピスト。

動け。

動けッ

動けッ!

 

『あなたは他の子より特別なんだから』

 

アルフレリックは再び走り出した。

迷いはない。躊躇はない。

何があろうと決して止まりはしないと言わんばかりに――

 

 

 

 

 

――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「そんなこと、出来るわけがないでしょうがぁああああああああ!!」

 

走る。

駆ける。

疾走する。

 

此方に気づいた化け物が咆哮を浴びせるがアルフレリックは無視をする。ララシークを助ける為に足を決して止めるわけには行かないから。

 

助ける

死なせない。

化け物なんかに殺させてたまるものか。

 

考えろ、思考しろ、化け物から彼女を救う方法をッ!

予測して、算出し、実行しろッ!

 

アルフレリックとララシークとの距離は三メートル、化け物とララシークとの距離は目測で見ても一メートル未満だ。此方が辿り着くよりも先に化け物がララシークの元に向かう方が圧倒的に早いだろう。

 

(なら、化け物が次に行う行動は――ッ!!)

 

「ガァアア………!」

 

化け物がアルフレリックが此方へと向かってくることに気づくと、ララシークへと向かってくるアルフレリックの行動を嘲笑うかのように口を開き、ララシークへと噛みつこうとした。即ち、捕食行動。確実に現在生死不明のララシークの息を止め、喰らおうとしたのだ。

しかし――

 

「そう来ると、思ってました…よッ!!」

「グッ?――ガアァ………!?」

 

――ララシークへと牙を突き立てようとする前に、弧を描き化け物へと飛んでくる光を反射するものを見て、化け物は目を剥き、咄嗟に後退してしまう。その光景にアルフレリックは内心笑った。

 

アルフレリックが投げた物、それはララシークに渡されていた小型ナイフだ。

 

ララシークが投げた時は最も容易く狼の魔物の肌を貫き、息の根を止めることができた切れ味の良い鋭いナイフ。しかし、それはあくまでララシークが投げた場合の話だ、身体能力が大してあるわけでも無いアルフレリックが投げたとしても限度がある。

例え物に当たったとしても突き刺さるどころか投げた時に空中で不規則にクルクルと回転しているのでぶつかっても切れることすらないだろう。

 

だが、化け物にとっては意味が変わる。

 

アルフレリックは化け物の存在にある仮説を立てていた。

それは、この化け物は一度も重傷を受けたことが無いのではないか?ということ。

少なくともアルフレリックは今まで襲われてきた魔物の中でも目の前の化け物ほど身体能力が桁違いな魔物は見たことも訊いたことも、噂になったことすらない。

なにせ目の前の化け物の身体能力は文字通り化け物だ。視認できず、認識できず、アルフレリックには何をされたのかすらもわからない。

 

唯一反応できたのはおそらくララシークだけだろう。

 

考えてみて欲しい、どんな魔物だろうと生まれながらに持った超越した身体能力と、大木すら抉り取る最強の爪。そして体毛に覆われた鱗の鎧。

そんな力を持ったものが自分よりも圧倒的に遅い存在の攻撃を食らうだろうか?

相手よりも先に攻撃し出来る敏捷性、相手を一撃で仕留める殺傷力。生まれながらにこの二つを行うことができていた化け物はララシークというイレギュラーな存在の攻撃に()()()()()()()()()()

 

(――だからあなたは恐怖するッ!激痛というものを味わったことが化け物(あなた)には無いから!あの時、あなたが痛み悶えていたのをみて確信したッ!あなたは――)

 

ララシークから化け物が離れた隙にアルフレリックは遂にララシークの元へたどり着く。

そのままララシークを担ぎ――否、ここで担いでも助けることはできない。いずれ目の前の化け物に追いつかれて終わりだ。

故に、アルフレリックは手を伸ばした。ララシークの腰――正確には足腰に括り付けられている小型ナイフへと。

魔物に襲われた時、ララシークが持っていた小型ナイフは全て足腰に取り付けていた筈だ。

片足に五本ずつ、計十本。一本は先程アルフレリックが投げ、化け物には7本突き刺さっている。

ならば彼女の足腰には、小型ナイフが二本残っている!

 

「――ララシークを恐れているッ!!」

 

アルフレリックはそう叫び、彼女の足腰から残りの小型ナイフを引き抜くと同時に投擲する。当然化け物へ狙ったもののロクに構えもせずに投げたナイフがまともに飛んでいくわけもなく。一本は化け物へと飛んでいったがもう一本はよその草原へと飛んでいく始末。

 

「ガルァアッ!!」

 

しかも残りの化け物へ向かっていった一本も、ララシークが投擲したほどの威力はないと理解したのだろう。今度は容易く前脚を振るわれ弾かれてしまう。

もはやララシークが持っている小型ナイフは全て使い果たした。今から逃げようとしても間に合わない。まさに絶体絶命。

 

だが――

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()|」

 

――小型ナイフを打ち払った化け物の前脚、そこから生えた翼の影へと既にアルフレリックは潜り込んでいた。

 

わかっていた。予想していたとも。

化け物がアルフレリックが投げた小型ナイフを必ず弾こうとすることを。

何故なら――

 

(――不安だったんですよね?僕程度に筋力で投げても所詮たかが知れているというのに、ララシークとは威力も速度も桁が違うというのに、それでも無視しなかったのはッ!!)

 

最初にアルフレリックの投擲に、ララシークの投擲の威力を思い出し、化け物はつい後退してしまった。同時に化け物は理解した、目の前の存在は先程の敵とは違って取るに足らない存在だと。

だが、それでも万が一、己の肉体に傷をつける威力がある可能性があったとしたら――?

 

アルフレリックは目の前の存在が少なくとも魔物よりも知性があると考えていた。なにせ、初めて出会った時は地面を駆けていたというのに逃走する二人を追いかけていく終盤、化け物は木々を足場にするという方法を取り始めたのだから。

少なくとも他の魔物よりも『学習』する速度は速いと考えていた。

 

だからこそ、この作戦に踏み切ったのだ。

迷いを捨てて、躊躇無く。

アルフレリックは命を曝け出し、そうするだろうと賭けたのだ。

 

化け物が己の身体に傷をつけられる可能性を考えて、油断なく対処するという行動を取ることを。

 

全ては、ララシークを助ける為に。

 

 

化け物との距離を詰める。

化け物との距離は僅か二歩、アルフレリックが構えるはララシークが使っていた大型ナイフ。

それを逆手に持ち、もう片方の手で柄頭を握る。

狙いは化け物の目。唯一柔らかそうで、かつ追跡を阻害させ易い器官。

相手は未だ動揺している、その隙にコレで瞳に傷をつける。

それ一点のみ狙ってアルフレリックは更に一歩距離を詰め――

 

(しまッ――!?)

 

――無意識にこのままでは傷をつけるどころか、化け物に触れることすら不可能だということを理解した。

 

急激に遅くなる時間の流れ、肉体は指一本、視線すら変えられずまるで意識のみが時間に置いていかれたような感覚。

アルフレリックは俗に言う走馬灯というものを味わっていた。

 

そうだ、化け物はアルフレリックがロクに反応できないほどの速度で行動する存在。

例え動揺していたとしても。例え後一歩で届きそうだとしても。

 

化け物にとっては余裕で対処出来る範囲に過ぎない。

 

化け物の前脚がゆっくりと視界の端で動き出す。目の前のアルフレリックという存在を虫を潰すかのように殺す為に。

 

(どうすれば………!?)

 

考えろ、考えろっ、考えろッ!

この状況を打開する方法を見つけ出せ。

思考を止めるな、今日のことを全て思い返せ――ッ!!

 

停滞する時間の中、アルフレリックの脳は今までの記憶が電流に如く駆け巡り――

 

「       ぁ      あ     」

 

――無意識に口から音が洩れた。

 

「ぁ   ぁああ   あ    ア   ァ   ああア    ァ   」

 

その音に意味はない。

その言葉は普段ならば何の役にも立ちはしない。

だけど、

それでも、

今この状況で、

この刹那の中で、

アルフレリックが打てる最善にして最高の手だった。

 

「ぁあア嗚呼アアああアアあアあアアアアああアアあアあああアアアアあアあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッッッ!!!?」

 

絶叫、ただ絶叫。

肺の空気が全て消え、喉が張り裂けようとも今この瞬間何よりも大声を出してやると言わんばかりの咆哮。

 

その行動に、その音量に化け物は目を剥いた。

アルフレリックへと振るわれていた前脚が直撃寸前で停止し、まるで魂というものが抜けたかの如くふらふらとまともに身体を支えることすら出来なくなっていた。

 

これは奇跡か?神が齎してくれた恩恵か?

 

いいや、否。

これは偶然でもなければ奇跡でもない。れっきとした必然の現象。

化け物には生まれながらに持っている圧倒的な力がある、超越した身体能力、大木すら抉り取る最強の爪、体毛に覆われた鱗の鎧。

 

そして、()()()()()()()()

 

アルフレリックは刹那の走馬灯の中、化け物の特徴を思い出したのだ。化け物はララシークのような兎人族と同じ大きな耳を持っていたということを。故に、選択した。大声を上げるという選択肢を。

 

この一歩で触れられるほどの近距離でアルフレリックですらこ大声を上げられたのなら間違いなく耳を塞ごうと蹲ってしまうか、最低でも怯んでしまうだろう。ましてや聴覚が発達した相手に大声を上げればどうなるかなど一目瞭然。

 

あくまでアルフレリックにとって、それは化け物の動きがほんの一瞬止まってくれることに一縷の望みを賭けて行った悪足掻きに過ぎないことだったが、これほど効果があったことは不幸中の幸いだった。

 

そして、たった一つの選択ミスすら許されない命懸けの賭けを乗り越えて。

 

一歩、進む。

 

ナイフを振り上げると同時に化け物の瞳に音の衝撃から正気に戻ったことをアルフレリックは理解した。

化け物が目を見開き、息を呑んだような音が聞こえたと錯覚した。

だけど、アルフレリックは止まらなかった。躊躇はなかった。

 

迷いなく、躊躇無く、渾身の力を振り絞り――

 

「たぁあアアアアッ!!」

 

――化け物の血のように赤く染まった瞳へと大型ナイフを突き刺し、引き裂いた。

 

◇◆◇

 

その後は、無我夢中になってララシークを背負い逃走したため朧げにしか覚えていない。

ただ、鼓膜が破れそうになるほどの絶叫満ちた咆哮を放ち、痛み悶え暴れ回る化け物から大型ナイフを引き抜いて、ララシークを背負い、一目散に逃げたことは覚えている。

 

そして現在、アルフレリックはララシークが指した、彼女の家がある方向へと走っていた。

走る。

駆ける。

疾走する。

ペース配分などは考えない、ただ全力で彼女が指した方向へと走り続ける。

 

「ハァ………ハァ………ララシークさんッ!生きてますか!……ララシークさんッ!」

「…………っ…………ぁ………」

 

呼吸が辛い。

肺が苦しい。

足が軋んで、痛みを感じる。

 

幾ら声を掛けようとも背負ったララシークから返事はない。

火傷しそうなほど熱い血液がララシークから流れ、アルフレリックの肌に触れるのを背中越しに感じた。

だが微かに呼吸はしている、まだ生きている。

 

なら、アルフレリックは止まるわけにはいかなかった。

 

「………貴女が、初めてだったんだ…っ…ハァ……ハァ……初めて………僕を対等に見てくれたんだ………ッ!」

 

アルフレリックは、昔から他の子供よりも聡明だった。

思考も、考察も、行動力も、他の子供達から飛び抜けて優れており、何よりも知識では他の子供達とは比べものにならなかった。

水を吸う綿の如く、一を知れば十を知り、十を知れば百を知る。

まさにアルフレリックは天才と言われる部類だったのだろう。

 

だが他の子供達よりも優れているということは同時に孤立してしまうということ。

 

子供というのは親に自慢し褒めて貰いたいものであり、それ故に子供達は遊びや知識で優劣を競い合う。

だがアルフレリックは天才だった。

 

誰も子供達は彼には敵わなかった、知識も運動も考えも誰も勝つことはできなかったのだ。

これがもし、種族内で身体能力が優れた熊人族などとアルフレリックが交流していれば話は別だったのかも知れない。だが獣人族が住む【フェアベルゲン】は種族によって領地や集落が異なっている。森人族は森人族の領地で住んでいる為、大人にならなければ他の種族との交流が少ないのだ。

 

だから、徐々に子供達は誰も彼もがアルフレリックから離れ始めた。子供であるが故に誰もが褒めて貰いたから、誰も勝つことができないアルフレリックを遠ざけ始めたのだ。

 

子供達のその行動に対しアルフレリックは思うことはない。

 

同年齢の子供たちにとってそれらの行動は決して別におかしなものではないのだから。

褒めて欲しい。喜んで欲しい。可愛がって欲しい。

差異はあれどそんな彼らの心情もアルフレリックは理解できたからだ。

 

だが、同時に悲しかった。

自分と対等に向き合える友人が、アルフレリックは欲しかった。

 

だけど、大人達は誰もアルフレリックの心情を理解してはくれなかった。

素晴らしいと、天才だ、この子は将来族長になると大人達はアルフレリックを特別扱いしてもてはやし、アルフレリックの気持ちなど察することもなく称賛し続ける。

喜びはなかった、嬉しさもなかった。

 

ただ、ぽっかりと胸に空虚な穴が空いた気がして、ただただ、虚しかった。

 

気がつけばアルフレリックの周りには対等に接してくれるような存在はいなくなっていた。

大人も、子供も、同年齢の子供達も誰も彼もがアルフレリックを特別扱いし、誰もアルフレリックの内面を見てくれるものなどいなかった。

 

ララシークという、自分を対等に見てくれる相手と出会うまでは。

 

久しぶりの感覚だった。

馬鹿にされて、笑われて、笑って、怒って、毒吐いて、怖がって。

出会ってたった2日しか経っていないというのに、アルフレリックは近所の子供のように笑うことができたのだ。

 

だから――

 

「――死なせません………!ハァ…ハァ…貴女を………死なせたりするものか………ッ!」

 

既に方向感覚すら怪しくなってきており、意識すら混濁してきた。

落ちた枝を踏んだ。落ちている小石を飛ばした。

 

でも、止まれない。

アルフレリックは止まることはできない。

死なせてたまるかと道無き道を走り続ける。

 

だが、いくら気力を振り絞って走り続けても当然限界は存在する、アルフレリックの体力は既に限界に近い。走る速度すら徐々に低下し、足取りすら徐々に不安定になってしまう。

 

大樹に空を覆われた樹海は日が落ちるのも早い、既に辺りは暗くなっており、このまま【フェアベルゲン】に辿り着けなければ間違いなく二人とも餓死か魔物の餌に成り果てるだろう。いや、ララシークの場合はその前に出血で死んでしまうだろうが。

 

「………助けて、ください…………」

 

アルフレリックが出したその声は本人が思っているよりもあまりにも小さく、そして掠れていた。

それでも、その言葉に血が滲むほど切実さを乗せて、アルフレリックは前へ前へと進みながら誰かへと助けを求めた。

 

「誰か………ッ!?誰かいませんか………ッ!!?助けてください…ッ!!重傷者がいるんですっ!」

 

アルフレリックのこの行動は一種の賭けだ。近くに獣人族が居ないのならば、逆に魔物を呼び寄せてしまう一種の賭けの手。

だが、もう時間がないのだ。あれほど熱を持っていたララシークの身体は徐々に冷たくなっており、息すら既に聞き取ることすら難しくなるほど小さくなってきている。

すぐにも治療しなければ助からないと素人であるアルフレリックですらわかるほどに弱っているのだ。

 

だから、どうか、お願いです。

 

アルフレリックは願う。

 

「どうかッ!誰でもいいっ、彼女を………ッ!!ララシークを誰か助けてください――ッ!!」

 

叫んだ。

喉が張り裂けても構わないと、残りの気力を振り絞りアルフレリックは叫んだ。

声が樹海に響き渡り、そして呑み込まれるように吸い込まれていく。

 

残ったのは、静寂。

無音の闇が覆う暗がりの樹海。

 

ただ、そこにはアルフレリックの荒い息と今にも途切れそうな、か細いララシークの呼吸音のみがその空間に響いていた。

 

「………………ぁあ」

 

絶望に満ちた悲痛な息がアルフレリックの口から無意識に溢れた。

もはやアルフレリックは走れなかった、溜まりに溜まった疲労に身体はもはや限界だった。

それはつまり――

 

(――終わり、ですか………)

 

――ララシークはもう、救うことができないということ。

 

その事実に、アルフレリックは堪らず地面へと座り込んでしまい、背負っていたララシークを地面に下ろしてしまう。

 

死ぬ。終わりだ。ララシークも、自分も。

このまま動けないまま、魔物の餌になるか餓死するかの二択のどちらかが自分たちの末路なのだと、どうしようもなく理解してしまった。

ぽっかりと穴の空いたような空虚な無力感がアルフレリックの胸を満たしていく。

 

アルフレリックは座り込んだまま、ただ茫然と失意の底へと沈んでいき――

 

「おいっ!そこに誰かいるのかっ!?」

 

――突如、ガサガサと草むらを掻き分けて聞こえてくる男の声に耳を疑った。

 

「――ッ!!ここです!助けてくださいッ!怪我人がいるんですッ!」

 

聞き間違いじゃない。

男だ。男性の声だ。

少し老いたことを感じさせる、子供のような高音さがない大人の声だ!

咄嗟にアルフレリックは叫んだ。自分たちの場所が分かる様に大声で、全力で叫び続けた。

此方へと近づいてくる音が徐々に大きくなってきている、それは即ち――自分達は助かったのだ。

 

「………あぁ、よかった………」

 

アルフレリックの胸中は瞬く間に安心へと包まれた。

これでララシークを助けることができる。そう安心したアルフレリックは安堵のため息を溢し――

 

「………なっ!?おいっ!?小僧ッ!?何があった!?なんで樹海に――っ、ララシーク!?どうしてお前がこんな傷を……!?」

 

――最後に一瞬、恐怖を抱いてしまう顔つきに野生的な髭を生やした、ララシークと同じ兎耳を持った男の姿を見て、アルフレリックは緊張が緩んだことで意識を失った。

 

◇◆◇

 

身体全体が何か暖かで柔らかなものに包まれた様な不思議な感触の中、薬品特有の眩暈がする様な匂いを嗅ぎとってアルフレリックの意識は急浮上した。

 

「――ッ!ここは――痛ッ!!?」

 

慌てて上体を起き上がらせると同時に全身から感じる燃える様な激痛と重みの様な倦怠感、突然の痛みにアルフレリックの意識は覚醒するも、あまりの痛さに悶絶してしまう。おそらくこれは体を酷使し過ぎた時に起こる痛みだろうかとどこか冷静にそう考察しながら、辺りを見渡した。

 

家だ。木造の、アルフレリックが住んでいる家のように大樹から空間を切り抜いたような、獣人族特有の家。

 

(――家?どうして……そ、そうでした!確か僕達はあの後大人の人に助けられて――)

「目が覚めた様だな?全く……日も跨がずに起きるとは…案外、丈夫だな小僧………」

「――ッ!!?」

 

――突然の声にアルフレリックは心が鷲掴みにされ、停止した様に感じた。

 

慌てて声の発生源へと振り向けば、「……まぁ、あやつに付き合える時点で当然か」と一人納得したかの様に呟く、ララシークと同じ兎人族の男がいた。

 

誰だろうか?兎人族?それらの疑問が次々と現れるが、同時に何よりも重要な疑問がアルフレリックの脳内を埋め尽くした。

 

「ララシークはッ!?僕と一緒にいた彼女は………!?」

「安心しろ、ララシークは無事だ。今は隣の部屋で安静にしているが命に別状はないだろうよ」

 

その言葉にはアルフレリックは無意識に「良かった………ッ!」と安堵の息を溢してしまう。

そのアルフレリックの行動に男は一体どうしたのか少し驚いたような表情を取っていた。

そのことに疑問が再度浮かび上がるが、まずは最初に礼を言わなければならないとアルフレリックは男へと言葉を溢した。

 

「すみません。あの時、助けていただいてありがとうございます。僕の名はアルフレリック・ハイピストです」

「アルフレリック……なるほど、森人族の神童、か。……なるほどその歳で、その礼儀の良さと状況把握の速さ………神童と言われるのも納得できる」

「僕のことを…知っているんですか……?」

 

森人族の神童。

 

なんで不名誉で要らない名前だろうとアルフレリックは内心毒吐く。自分はそんなものなど求めてなどいなかったし、言いふらしたこともない。大方両親が自慢でもしてそれが風の噂として広がったのだろうか?

そう思ったアルフレリックだがそのことに男は小さく首を振って否定した。

 

「………聞いているのはあくまで風の噂に過ぎん。内容は知らんよ、他種族の噂など知っても意味がないだろうに」

「そうですか……」

 

その言葉にアルフレリックは安堵した。

ララシークとの出会いが初めての他の種族との交流だがいくらなんでも他の種族ですら此方に対し特別扱いされてしまえばたまったものではなかった。

 

「あぁ、自己紹介がまだだったな。私の名はウェル、ウェル・ハウリア。ハウリアの族長にして、小僧と共にいたララシーク・ハウリアの父親だ」

 

濃紺色に染まった短髪に、強面の顔つき、だからといって恐ろしいかといえばそうではなくどちらかといえば厳しそうだがカッコいいと思わせるような端正な容姿、そして頭にピョコピョコと動く兎耳を持った男、ウェルはそう言って小さく笑ったのだった。

 

 

「なるほど……助けてもらったお礼に手伝いを、か。あやつが迷惑をかけたようだな、娘の代わりに謝罪と礼を。アルフレリックよ、すまなかった」

「いえ、そんな!それに……」

 

自己紹介の後、アルフレリックはララシークの父ウェルへとどうして壁外に出ることになった経緯を説明していた。

無断で好奇心に負け外に出たこと、魔物に襲われたそこでララシークに出会い助けられたこと、その恩義を返す為彼女の手伝いをしようとしたこと。

今ここで大人であるウェルに話すことは両親に伝わることになり、そのことに対しきつく言われたりするかもしれない可能性を考えて、少し嫌になるが同時に自分はそれはそれで構わないかとアルフレリックは開きなおった。それよりも助けてくれたウェルに対し、礼儀を尽くす方が大切だと思ったのだ。

 

「……それに彼女が怪我をしたのは、魔物から僕を庇ってくれたお陰なんですから……ララシークの怪我は、僕のせいなんです……」

 

アルフレリックはそう呟いて、あの時化け物から自分を庇ってくれたララシークのことを想起し、同時に後悔した。あの、化け物に襲われた時、アルフレリックは完全に足手纏いだった。動けず、逃れず、戦えず、きっとアルフレリックがいなければきっとララシークはあんな傷を負うことはなかっただろうと思えるほどに。

 

「僕は、彼女の何の役にも立たなかった……」

 

結局アルフレリックはララシークの何の手助けにも立ってはいなかった。なってはいなかったのだ。

 

 

「いいや、違うぞアルフレリックよ」

 

 

だが、アルフレリックの言葉を、その懺悔をウェルは否定した。

容易く、そしてあっさりと。

 

「………え?」

「小僧とララシークに何があったのかは私には分からん、どこで、何をして、あれほどの重傷になったのかも深く訊く気はない」

 

ウェルは呆然とするアルフレリックへと小さく笑いかけ「だが――」と言葉を続けた。

 

「――小僧は、ララシークを助けようとしたのだろう?」

 

一呼吸置いて告げられた言葉にアルフレリックは息を忘れた。

 

「小僧がいなければ私はあそこで小僧たちを見つけることは出来なかった。ララシークを助けることもできなかっただろう。ならば、小僧はしっかりあやつの役に立っただろうに」

 

私の娘を助けてくれたことに感謝を。

そう告げたウェルの言葉にアルフレリックはようやく自分がちゃんとララシークの手伝いが出来ていたのだということを理解して。

 

「………そう、ですか」

 

小さく、しかし安心したように笑ったのだった。

 

数分後、アルフレリックは未だ痛みを残る身体を駆使してどうにか立ち上がり、ウェルへとお礼を言っていた。というのも本音をいえばもう少し休んでいきたいものだが既に【フェアベルゲン】から見た空は既に日が沈みかけており、辺りが暗くなっている以上後何時間もいれば両親が捜索願いを出す可能性があるからだ。流石にウェルもハウリア族の族長である以上、アルフレリックを匿っていたことや治療していたことがバレるのは立場上面倒なことが起こるのでそこは避けたいのだと申し訳なさそうに言っていた。

 

樹海では大樹に日が遮られ既に沈んでいるように感じたが【フェアベルゲン】ではこうして未だ明るいという明るさの明確な違いにアルフレリックが内心驚いたのは余談である。

 

「しかし、本当にいいんですか?治療してもらうばかりか樹海に出たことすら内密にしてくれるなんて………何か礼を――」

「いらんよ、私は小僧達が倒れていたのを助けただけだ。()()()()()()かはとうに忘れてしまったがな」

 

アルフレリックの身体は重度の疲労や擦り傷の軽傷を負っていたがウェルによって回復薬で治してもらっている。そんな高価なものを使わせたとなれば当然アルフレリックも何か礼を………ッ!と思うのだがウェルはララシークに数本使ったのだから今更一本増えても構わんよとその礼を断られるという太っ腹な態度にアルフレリックは頭が下がるばかりだった。

 

「――ですがッ、いくらなんでも僕はあなたに恩を掛けすぎですっ。森人族は恩を大切にする種族です!何か、僕がウェルさんに手伝えることはありませんか!?」

 

現在もこうして詭弁じみた言葉を呟いて笑うウェルにアルフレリックは感謝の意念しかなかない、だからこそこうして何か恩を返せることはないかとウェルへと退かず聞き返しているのだが。

その一歩も引かないアルフレリックの態度にウェルは小さく苦笑して、「なら――」と言葉を紡いだ。

 

「あやつの、ララシークの友達になってくれんか?」

「………………え?」

 

友達?ララシークと?

あまりにも簡単なその願いにアルフレリックは一瞬思考が空白となった。

 

「………友達、ですか?」

「あぁ、とはいっても別に毎日接してほしいというわけではない。数日に一回で良い、あやつに…会いにきてくれんか?」

「それは別に構いませんが…一体どうして……?」

 

いまいちウェルの話の意図が見えないとアルフレリックは首を傾げた。

会って欲しい?何故?何の為に?次々と疑問符を浮かべるアルフレリックにウェルは近くの木の椅子へと座りこみ、「………少し、昔話をしよう」そうポツリと呟き、静かに話し始めた。

 

――昔、ひとりの兎人族の少女がいた。

 

少女は兎人族特有の優れた容姿を持った中でも幼い歳でありながら軒並み優れた容姿を持っており、大層両親に可愛がられていたという。

幼い時から聡明だった少女は他の子供達よりも物心がつくのが早かったものの、少女には家族がいて、一族も両親もみんなに愛されていたから、同年代との違いに不満は抱くことはなかった。

少女は幸せだった。

そう、幸せだったのだ。

 

7歳になった時、少女の一族が帝国の兵隊に襲われるまでは。

 

結論から言えば少女は生き残った。

偶然か、それとも意図的か、少女は帝国兵から逃げ延び、生き延びて、力尽き、意識を失うその時まで逃げて、逃げて、逃げ続けた。

 

そして運良く通りかかった兎人族の男に拾われ、生き延びる事が出来たのだ。

 

だが、決してそれは幸運であったとしても幸福には決してなりえない。

少女と共に逃げ切る事ができた一族はいなかった、後に捜索隊が出されたものの誰も、たった一人でさえも少女以外に少女の一族は見つからなかったのである。

 

正に喪失。

少女を残して一族はまるで煙のように消え失せてしまった。

 

当然、そうなれば少女をどうするかという問題が兎人族の中で浮上する。

何せ家族どころか一族諸共消え失せてしまったのである、当然身寄りのない少女を気安く迎え入れようと手を挙げるような者などそう簡単にいるものではない。

が、そこで手を挙げたのは少女を拾った男率いる一部族だった。誰も手を上げないというのならば我らが、と元より温厚である兎人族の中でも人一倍仲間思いであった一族が少女を迎え入れたのである。

 

その後家族を、そして拠り所を失った少女は、拾われた男の元で住むこととなった。

というのは少女を拾った男は族長という地位についていながら若い時に子を産む前に妻が死んだが故に一人で暮らしていたのだが少女を助けた責任として少女を引き取ったのである。

 

だが、新たな家族として受け入れられた少女はどこかおかしかった。

 

一族が幾ら少女との心の距離を詰めようとしても少女は決してそれを許すことはなく、未だ子供といえる年齢でありながら子供同士遊ぶことはせず、それどころか誰かと関わろうとしないまま日が落ちる時まで姿を消してしまうのだ。

最初、男は少女の行動は心の傷が原因によるものだと思っていた。

なにせ少女は未だ子供であり、幼い時でありながら家族諸共と突然の別れとなってしまっていたのだ、当然そのことが少女にとって心の傷になっていないはずがない。そのことが原因で皆と馴染めていないのだろうと、真意に接し続けていればいずれ心を開いてくれるはずだと、そう推測していたのだ。

 

だが少女を一族が受け入れてからある日、兎人族の中である噂が流れ始めた。

 

兎人族のある集落には浅黄色の兎人族の形をした化け物がいると、その子は生まれた一族を全て殺した忌み子であり、忌み子と共にいる者は一族諸共無残な死を遂げてしまうだろうと。

 

それは少女の一族が音沙汰も無く消失してしまったということが兎人族の中で知られて以来、同族達の間でポツリと生まれた噂話だった。ちょっとした都市伝説のような、暇潰しのタネに使われるような、そんな些細な話題である。

だが、それが広まった時期が悪かった。なにせ兎人族の一部族が行方不明になっていた事件を未だ覚えている時期であり、少女の異常性に男の一族は薄寒い何かを感じてしまった時期なのだから。

しかも、一部は真実であるのだから余計にタチが悪い。

 

その噂を聞いた途端、男は族長として噂がハウリアの集落に広まらないように奔走した。何故なら噂を噂と気にしないでいられるのはある程度年を経た子供からである。噂が広まってしまえば未だ幼い子供達は噂を容易く信じてしまう可能性があり、もしそうなってしまえば子供達は幼い正義感で少女を悪者として虐げてしまう。

 

男は動いた。奔走した。男の集落に噂が広まらないように。少女がこの集落で孤立したりしないように。

 

どうか一刻も早くこの噂が消えるように願い、同時に微かに少女が本当に化け物なのではないか?とどこか思ってしまっている自分に目を背けながら。

 

だが、そんな男の思いに反して状況は日に日に悪化していった。まるで増殖するように少女に関する噂が増えていったのだ。

 

曰く、人の形をした化け物が樹海の魔物達を殺している。

曰く、死んだ魔物は尽く身体を抉られている。

曰く、忌み子はいずれ亜人族へと牙を向けるだろう。

 

なんだそれは?

一体誰がそんな噂を流したというのだ?

消えない噂にそんな疑問が幾つも浮かび上がるがそのことに意味はない。重要なのはこれからどうするべきか、ということだった。

兎人族は他の種族よりも仲間思いであり絆を大切にする、逆に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という面を持っているのだ。

もっとも温厚な種族であるがゆえに殺しなどを行うことはないが噂が特定されれば確実に少女を孤立させるだろう。

 

だからこそ男たちは少女を守らなければならなかった。

 

だがいくら守ろうという気概があろうとも実際問題どうすればいいか、男達はわからなかった。何せ、元凶は噂である。いくら一集落の中で黙秘令を敷いて噂を広げないようにしてもあくまで出来るのはその集落のみ、しかもそれは噂の主である少女が特定されるまでの時間稼ぎであり、問題の解決にはなっていないのだ。

一部の案では他の兎人族の集落へと助力を願い、噂をなくすことへの協力を乞おうという案があったもののそれをしてしまえば噂の少女のことがばれてしまう可能性がある。今、こうして噂の主が特定されていないのも他の集落の族長が少女のことを広めていないが故のものなのだから。

 

何の解決策も生まれないままただ時が過ぎていき、ついに恐れていた事態が巻き起こった。

 

それは偶然だった。

 

――いたっ!浅黄色の化け物だ!

 

男の一族が住む集落、その最も近い集落の兎人族の子供達が男の集落へと入ってきたのだ。

それは運が悪かった。

子供特有の好奇心のままに噂の存在を探して子供達は外へ飛び出し、たまたま辿り着いた場所に少女がいたという、ただそれだけの話。

 

ただ、運が悪かった。本当にそれだけだったのだ。

 

石を投げられた。

枝を投げられた。

化け物だと少女は子供達の幼い正義感によって罵られた。

 

それに対し、少女がどう思ったかはわからない。

ただ、一族の者が子供達を追い払った時にはすべてはもう、手遅れだった。

 

その日から少女は男の元に帰ってこなかった。

いくら探しても、いくら少女を守れなかったことに男が後悔しても、少女は男の元に帰ってくることはなかった。

 

これは、ただそれだけの昔話。

 

族長ウェルは、少女ララシークを家族として迎え入れておきながら家族を守れなかったというただの昔話である。

 

◇◆◇

 

現在、アルフレリックは木製の扉の前に立っていた。……といっても扉どころか通路や床も木製なのだが。

扉の先にはアルフレリックが今何よりも容体がどうなっているか気になっている少女がいるはずなのだがアルフレリックの足取りは両脚に鉄球がつけられたかのように重い。

 

「………………ふぅ」

 

重たい息を吐きだしてアルフレリックは鬱方面へと向かいそうになる思考をどうにか打ち切ることに成功するも先ほどのウェルの話を思い出して、大気が重くなったように感じた。

ウェルが話してくれたララシークの過去、気になっていなかったといえば嘘になる。なぜララシークがわざわざ集落から離れたところにわざわざ家を作って拠点にしたのか?などと浮かび上がる疑問は確かにアルフレリックの中に存在していた。

ララシークの過去を聞いてしまえば確かに理解はできるのだが……

 

(……それだけでは説得力が少ないような気がします)

 

そう、それだけではアルフレリックは納得できなかった。

なぜならそれだけではララシークの手伝いをしたとき、彼女は何のために植物を集めていた?

 

『今回採った植物はな、あるものを作るのに使う予定なんだ』

 

あるもの?あるものとはいったいなんだ?

いや、そもそもウェルが話してくれた過去だけではララシークがあのような身体能力を持っていたことが説明できない。

 

「……まぁ、直接彼女に聞けばわかることですね」

 

もっとも、それはララシークの容態が会話ができるほど安定していればの話だが。

現在こうしてララシークが寝ている場所へと向かうのは質問するためではなく彼女の見舞いのためなのだから。

 

ウェルはララシークの過去を話しながらも嘆いていた。

守れなかった。

私達はあやつを守ることができなかった、と。

 

『怪我をしていたあやつと小僧を見たとき、私は不謹慎ながら安堵した』

『あやつが生きていたことに()()()()、あやつが一人ではなかったことに小僧がいてくれたことに安堵したのだ』

『きっとあやつは私のことを恨んでいるだろう。私の願いはあやつにとっては迷惑なのかもしれんし、小僧のこともララシークがどう思っているかなど私にはわからん。だが、どうか頼む。守れなかった私たちでは駄目なのだ――』

 

 

――あやつを、ララシークを一人にしないでやってくれ。

 

まるで楔のごとくアルフレリックの心に残り続けるウェルの願いを脳内に反芻しながらアルフレリックはゆっくりとドアを開けた。

 

扉を開けた先の部屋は一言でいえば使わなくなった子供の部屋、だろうか。

僅かに埃が残った本棚と、片づけられた子供用の木製のおもちゃ、その先に人特有の膨らみを持ったベットが存在し、そこの布団から突き出た頭と見たことのある長いウサギ耳がそこに彼女がいるということを示してくれていた。

 

「――――っ」

 

声は出さない。

大声を出せば、ララシークの傷に障る可能性がある。彼女が重傷である以上、彼女に触れることも、大声をあげることも避けるべきだ。

ゆっくりと、動く。

少しずつ、少しずつ進み、ようやくララシークが寝ているベットの隣へと来たところで――

 

 

「――…………何の、用だ。アルフレリック」

「――――ッ!?………起きてたん、ですか?」

「まっ……なんとか、な……痛っ…………」

「…………ッ!!無理しないでくださいっ!」

 

――突然の彼女の声にアルフレリックは驚愕の声を出しそうになった。

 

慌てて声を押し殺し、心を冷静しようとするが上体を起こし、露わとなったララシークの姿を一目見ればその行動すら難しくなってしまう。

 

全身のあらゆる個所に巻き付けられた包帯、しかも四肢付近に巻き付けられた包帯は大きくそして濃い赤黒い染みが広がっている。顔色は青白く変化しており、ララシークの瞳は揺らいで、焦点がうまく合っていない。

おそらく今でも激痛を味わってているはずだというのにわざわざ上体を起き上がらせようとするのは彼女の優しさか。

 

アルフレリックは起き上がらせようとする彼女を優しく抑え、再び横に寝かさせた。

 

「……あぁ、手間取らせてしまって……わりぃな…」

「まったく……怪我人が何を言っているんですか?いいからさっさと寝ていてください」

 

アルフレリックのため息の混じった言葉にララシークはそれもそうだな……と苦笑し、起き上がるの諦めたのを見てアルフレリックはようやく胸を撫で下ろしたようにため息をついた。

 

「傷のほうは大丈夫ですか?」

「……まぁ、な。それよりもあのクソ(ジジイ)の世話になるなんて……チッ……」

 

そう心底悔しそうに毒吐くララシーク。どうやら恨んでいるかはわからないもののララシークはウェルにいい感情は抱いていないようだった。

 

「ですが、ウェルさんは今にも死にそうだったララシークさんや僕までも助けてくれたんですよ?ララシークさんはお父さんのこと、嫌いなんですか?」

「――ッ!お前なんで知ってッ…………あぁ、そうか。あのクソ爺が話したのか」

「……えぇ」

 

知らないはずの父親の存在がアルフレリックの口から出たことにララシークは驚愕で目が剥くものの、すぐさまアルフレリックの表情からウェルからララシークの過去を聞いたことを察して、目を伏せた。

 

「……まぁいい、私の過去なんてどうでもいいことだしな。「そんなこと――っ!」――それよりも、だ。アルフレリック、今日採取した植物はどこにある?」

「……それは、ここに」

 

けろりと自分自身の悲惨な過去をどうでもいいことだと断じたララシークにアルフレリックは声を上げて否定しようとするが有無を言わせないと見据える瞳にアルフレリックは二の口を告げなくさせられる。

そのまま彼女の命令に従って今日、アルフレリックが採取した植物がすべて納められた籠をベットの近くに鎮座している小さな机へと置いてしまう。

 

しばし、沈黙。

 

先ほどまで少年少女の声が響いていたというのにまるで無人のように無音の空間が形成された。

 

アルフレリックは喋らない。

いや、喋れない。

先ほどのララシークの言葉を否定しようとしたことが彼女にとってはどれほど侮辱する言葉だったかを言った後理解したから。

ララシークの過去をアルフレリックが悲惨だろうと思おうが真相がどうであるかは関係なくララシーク自身納得している過去なのだ。それを過去を聞いただけの部外者であるアルフレリックが否定するという行動は、傷口を広げるような行為であり彼女に対する侮辱なのだ。

 

それを理解し後悔してもすでに言葉はアルフレリックの口から飛び出した後なので止めようがない。

となれば今の自分にできることは彼女に謝罪することだと結論に至ったアルフレリックは謝罪の言葉を紡ごうと口を開き――

 

「図々し過ぎましたね。先程の失礼な言葉、すみませ――「――……が使いたかった」――え?」

 

――突如、アルフレリックの言葉を被せるように零したララシークの言葉を聞いて、アルフレリックはたまらず疑問の言葉を零してしまう。

聞き取れなかった。

先ほどララシークが呟いた言葉を今度こそ聞き取ろうとアルフレリックは無意識に聞き耳を立てて、今度は逃さなかった彼女の言葉を理解して、アルフレリックの思考が停止した。

 

 

()()()使()()()()()()()()……」

 

 

「……………………………………………………は?」

 

思考に空白が生まれた。

ララシークの言葉を理解することができなかった。

魔法?使いたい?誰が?ララシークが?

 

――亜人族であるララシークが?

 

彼女が呟くにしてはあまりに突拍子がなさすぎる言葉にアルフレリックは二の口を告げれず口を数度パクパクと開閉してしまう。

当たり前だ、そもそも『魔法』とは魔法陣へ詠唱により魔力を流し発動する秘儀。体内に魔力を持った人族や魔人族が使えるものであり、身体能力は高いものの体内に魔力を持たない亜人族が魔法を使うことができないことなど亜人族のだれもが知っている一般常識である。

 

ララシークがそんな一般常識を知らないはずがない。つまり彼女はそれを()()()()()()()魔法を使いたいと思っているということにアルフレリックは愕然としてしまう。

そんなアルフレリックの様子など気にせずララシークはアルフレリックがいない方向へ横向きになりながら独白を続ける。

 

「クソ爺に聞いたとは思うが私は七歳の頃、帝国の人族に一族諸共襲われた。その時の光景は今でもハッキリと思い出せれる。家族の悲鳴、人族の嘲笑、宙に舞う赤い血。そして――鮮やかに輝き彩る魔法」

 

そして一拍おき、彼女は言葉に溢れんばかりの憧憬の念を込めて、告げた。

 

「それに――私は見惚れとれたんだ」

 

それがララシークという少女の原点。

ララシークはその時の光景を忘れない。

響き渡る家族の悲鳴と地面に飛び散る赤い液体、しかし当時のララシークは()()()()()()()気に留めず。帝国兵の手から射出され宙を翔ける魔法へと夢中になっていた。

綺麗だった。

美しかった。

友人も家族も襲われているというのに胸が高鳴り、高揚した。

 

だからその時にまるで天命の如くララシークにはある一つの目標(ゆめ)が生まれたのだ。

すなわち、それは魔法の使用。

 

亜人族が魔力を持たないことは知っている。

亜人族が魔法を使うことができないことは理解している。

 

()()()()()()()()()

 

亜人族には魔法は使えない?

ならば作ればいいではないか。

 

亜人族でも魔法が使える装置(アーティファクト)を――ッ!!

 

「クソ爺に迎え入れられた時も私の頭には魔法を使うことしかなかった。魔石が必要になったら一人集落から抜け出して躊躇なく魔物を殺してはぎ取ったし、一族の奴らにも時間の無駄と思って馴染もうとしなかった」

 

ララシークはウェル達に馴染めなかったのではない。()()()()()()()()()。彼等と関わるよりも魔法を使うことができるアーティファクトの研究を優先した為に。

 

「狂ってるだろ?私だって自覚はある。だけど止めらない。どうやったら魔法を使うことができるのかって、私は好奇心が抑えきれない、抑えられないんだ」

 

それがララシーク・ハウリアという少女。

魔法という存在に囚われ、執着した夢を叶えるがために行動する求道者。

それ故に兎人族特有の仲間意識や絆の深さを大切にしない異端児。

それがララシーク・ハウリアの本性(さが)だった。

 

「忌み子、鬼子、私のことを噂ではそう広まってたらしいが実に的を得ているとは思わないか?他の兎人族が持ってる仲間意識が薄く、狂った夢を持ってる私にぴったりの言葉じゃないか」

 

合う。彼女の行動とウェルの話に辻褄が合ってしまう。

 

ララシークが一人姿を日が暮れる時まで隠してしまったのは、魔法を使うために動いていたから。

今回アルフレリックが行ったように樹海へと飛び出して行ってたからだ。

 

一族の者と馴染もうとしなかったのはアーティファクトを作るにあたって邪魔になるからだ。

ララシークの目的を知ればウェル達は集落の外へ向かおうとする彼女の行動を止めようとするだろうと思ったから。

 

おそらく兎人族の間で広まっていた噂も本当のことなのだろう。

魔物の胸が抉られて死んでいたという噂はララシークが魔石を剥ぎ取った結果によるもの。

忌み子が魔物を殺しまわっているという噂は彼女が魔物を狩る姿を誰かに見られてしまったのだろう。

 

考えれば考えるほどウェルの話でララシークの行動の意味が理解できたことにアルフレリックは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。一体彼女はそのアーティファクトを作るためにどれほどの試行錯誤を行い、そして今もしているのだろうか?、と考えるだけでも眩暈がしてくる。

 

「……何故、それを僕に教えてくれたんですか?」

「ん?あぁ、今日お前が言ってただろ『採取した植物を何に使うか?』ってな。言いそびれてたから伝えただけさ」

 

そう言ってララシークは此方へと体の向きを変え、わずかに微笑する。

 

「今日はありがとな、アルフレリック。ぶっちゃけお前がいなければ私は死んでたと思う」

「……………………」

 

そう言って感謝するララシークの言葉にアルフレリックは顔を俯かせて何も言わなかった。それはララシークの本性に恐怖を抱いたせいか、それともまた別の理由か。

ララシークはどうでもいいかと内心そう思いながら「けど――」と一拍を置いて言葉を紡いだ。

 

「――もう、私に関わらないほうがいい」

 

でなければ、最悪お前は死ぬぞ。

言外にそう告げるララシークの言葉、それはきっと彼女なりの思いやりなのだろう。

自分を産んだ一族は、皆煙のように喪失した。

自分も受け入れてくれた一族は、彼女の噂に翻弄された。

そして、アルフレリックは今日、化け物に襲われた。

 

今までの経験からララシークは自分と関わった者に碌なことが起こらないと理解していた。

他の兎人族とあまりにズレて、狂っている自分に関わっても不幸なことになるだけなのだ、と。

 

そのララシークが思いやりから来たその拒絶の言葉についにアルフレリックは顔をあげ――

 

 

「――お断りします。僕も、その亜人族でも魔法を使うことが出来るようになる研究?を手伝いますよ」

 

 

――さも当然のように拒否し、同時に爆弾を投下した。

余りにも自然に投下されたにララシークは一瞬思考が停止したかの如く間抜けな顔を晒すこととなった。

 

「……………はぁ!?お前、人の話を聞いていたのか――――痛ッ!!?」

 

そして、再起動。さも当然のように呟いたアルフレリックの言葉を理解して、さすがのララシークも目を見開き、己の傷すら忘れるほどの驚愕だったらしく、ベットから乗り出そうとして奔った痛みに悶絶する。

だが痛みに悶えようともララシークの瞳は困惑と驚愕の二色に支配されたまま訳がわからないとばかりにアルフレリックを射抜いていた。

 

「つぅ……アルフレリック、お前なんで……?」

「と言われましても僕が何をしようとララシークさんに何か言われる筋合いはないですし、それよりもあまり大声を出すと傷口に障りま――「そうじゃないだろ……!?何言ってるんだお前…!!私は家族の死に何も感じなかった忌み子なんだぞ……!?なのになんで……」

 

わからない。

理解不能だ。

彼女の今している表情はまさにその一言で表せられるだろう。

彼女はアルフレリックの意図が理解できなかった。今回のように恩を返す為に手伝うのならばまだ理解できた。森人族は恩や誇りを大切にする種族だ。きっとそういった者もいるのだろうと納得できる。

だが、彼女の性を理解して、彼女と共にいることの危険性を理解して、それでなお、彼女の馬鹿げた夢を手伝う?

 

なんだそれは?嘘ならばもっとマシな嘘をつけとララシークは罵ってしまいそうになる。

しかしアルフレリックの瞳は真剣そのもの、嘘の気配など微塵もない。

 

だから、わからない。と彼女は困惑する。

なにせ自分はは異質だ、兎人族特有の仲間思いは薄く、邪魔だからと一人で行動し、家族が襲われた時も魔法に夢中になって何の感情も浮かばなかった。

そんな兎人族にいったい誰が手伝いたいと、近づきたいと思うのだろう。

 

だが、だからこそアルフレリックは彼女の夢を手伝いたいと思った。

なるほど、確かに彼女は異質だ。兎人族特有の仲間思いは薄く、邪魔だからと一人で行動し、家族が襲われた時も魔法に夢中になって何の感情も浮かばない兎人族彼女以外存在いないだろう。

彼女は言った。自分は忌み子だと、狂った馬鹿らしい夢を抱き、同族を何とも思わない悪鬼だと。

だがそれではララシークのことで説明が出来ないことがある。

 

「なら、どうしてララシークさんはわざわざ集落から離れて外に新たに拠点を作ったんですか?」

「…………………え?」

 

間の抜けた空気が漏れたような声が彼女の口から聞こえてきた。

そうだ、それだけが理解できない。ウェルが語った過去ではララシークが孤立しないように噂を自分の集落には伝わらないように尽力したものの、偶然通りかかった隣の集落の子供達と出くわし、化け物と罵られ、石や枝を投げられたという。

なるほど、確かに理解できる。出会ったばかりの子供達に化け物と罵られ、石を投げられ、枝を投げられ、淘汰し、拒絶させられたのならば彼女が集落を抜けたということを一応理解はできるだろう。

だがそれはララシーク以外だった場合の話だ。

 

ウェルは言った。自分を守れなかったことをララシークは恨んでいるだろう、と。

だが、彼女の言動や声色を見る限りそれは無さそうだ。彼女の声に含まれる殆どの感情が自嘲だ、ウェル達に対する恨みや怒りどころか蓋を開けてみれば己の夢の為に馴染むつもりもなかったという有様である。

ならば、何故ララシークは集落を抜けた?せっかくの衣食住を捨てるデメリットよりも遥かにマシなメリットが外には存在したか?なにせ相手は仲間思いの兎人族である、幾らララシークが異質であったとしても兎人族は、ましてやウェルほどの人格者は決してララシークを見捨てたりしないはずなのだ。

ならば、何故?

 

「そ、れは………っ」

 

その問いかけにララシークはなぜか言葉を詰まらせた。

そんな彼女の異変にアルフレリックは苦笑して、「これは僕の安易な考察ですが………」と小さく、しかし確かな確信を込めて己の考察を口にした。

 

「ララシークさんは当時、偶然出会った隣の集落の子達に出会うまで噂のことを知らなかったのではありませんか?」

「…………………」

 

その言葉にララシークは応えない。

アルフレリックの言葉に肯定をしてはいないが同時に否定もしていなかった。ただ顔を俯かせてアルフレリックの言葉を聞き入っている

その様子にアルフレリックは自分の考察が決して的外れではないことを確信する。

 

「当然です、何故ならウェルさんが集落に広まらないようにしてくれたのですから。貴女が隣の集落の子と出会うまで噂の欠片も知らなかったでしょう。集落の外でも無断で【フェアベルゲン】から樹海に向かうことは掟に反してしまう以上ほかの人にも見つかるわけにいけませんからね」

 

ウェルがララシークを思って彼女が迫害や孤立しないように尽力した噂の蔓延防止。集落に噂が広まることがないということは逆に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

故に彼女は知らなかった。他の集落の者と出会うまで、ウェル達が一体どれほど尽力していたかを。

 

噂を広まらせないようにするということは決して簡単な行為ではない。

何故ならば他の集落と交流する時点で高確率で噂は広まってしまうからだ。故に噂を広まらせないようにするには限りなく他の集落との交流をなくさなければならない。だが、それを行うことはその他大勢の兎人族の迷惑を掛け、他の兎人族たちの苦情や敵意を受ける行為となるのか。

 

「ララシークさんはそれを止めたかったんじゃないですか?」

 

だから、そのことを理解したララシークは集落から去った。

これ以上他の兎人族への苦情を受けることがないように、再び、他の兎人族達と交流できるようにするために。

自分という存在を集落から離れさせることで。

 

それがアルフレリックが至った考察だった。そうでなければ辻褄が合わないだろうとそう意を込めて説明したアルフレリックの言葉にララシークは小さく、「馬鹿馬鹿しい……」と呆れた声色で呟いた。

 

「アルフレリック、お前は私を美化させすぎだ。私は家族の死に何も感じなかった忌み子だぞ?そんな女がわざわざそんなことをすると思うのか?」

「えぇ、しますよ。貴女なら」

「――なっ……!?」

 

呆れたように否定するララシークの言葉、それをアルフレリックはララシークならばすると即答した。

まさか即答してくるとは思わなかったのだろう、再度彼女の表情が驚愕へと染まる。

 

「だって、ララシークさんは優しいですから」

「――――」

 

そして、続くアルフレリックの言葉に今度こそ言葉を失った。

そんな彼女を尻目にアルフレリックはそうだ、と自分で口にした言葉を再度内心で肯定した。

 

ララシークが本当に心を持たない化物ならば今アルフレリックはここにいない。今頃あの化け物の腹の中だ。

あの時、二人が出会った化け物は最初、間違いなくアルフレリックを狙っていた。つまりあの時ララシークは化け物から()()()()()()()()が可能だったはずなのだ。だが、ララシークはアルフレリックを助けた。

 

あの時はアルフレリックが夢に近づくために必要な植物を持っていたから?――いいや、だったらわざわざアルフレリックを抱えて逃げる必要はなかったはずだ。自分から植物を奪い取り、化け物の時間稼ぎの餌にしてしまえばいい。

だが、彼女はそれをしなかった。アルフレリックを見捨てず逃げ、己の命を犠牲にアルフレリックを助けようとした。

 

なるほど、確かにララシークは異端だ。

兎人族特有の仲間思いは薄く、邪魔だからと一人で行動し、家族が襲われた時も魔法に夢中になって何の感情も浮かばない兎人族彼女以外存在いないだろう。

 

だが、それでも彼女は優しいのだ。

アルフレリックを決して見捨てず、ウェル達にこれ以上の負担がかからないように躊躇なく己の居場所を捨ててしまえるほどに。

 

ララシーク・ハウリアという少女は他の兎人族とは仲間への()()()()違うだけの心優しい少女なのだ。

 

「だから、僕にもララシークさんの夢を手伝わせてください」

 

だから、アルフレリックは彼女の夢の手伝いをしたいと思ったのだ。

初めて出会った自分と対等に見られ見ることができながら、自分とは対極の境遇を受けた少女のことを。

 

その言葉にララシークはどう思ったのだろう。

ただ、顔を伏せたまま小さく、ポツリと呟いた。

 

「……………………バカだよ、お前」

 

ポツリと、しかし堪えていた思いを滲み出したかのように思いを込めたまま、彼女は言葉を零した。

 

「……何が………優しいだよ……っ、知った風に、言うくせに………頼んでもないのに、勝手に関わって………勝手に…傷つき…やがって………クソ爺も、お前も………どいつも、こいつも……っ、馬鹿ばっかりだ………っ!」

「……………………」

 

彼女の嗚咽のこもった言葉に、アルフレリックは何も言わない。

彼女が今零す言葉、それはきっと、長年溜まった彼女が奥深くに眠らせていたものだろう。

だが、その長年溜めてきた思いをアルフレリックはあくまで聞いただけで体感してはいないから、何も言えないし、言うべきではないのだ。

 

だから、アルフレリックはゆっくりと立ち上がり部屋を出るべく扉へと向かった。

嗚咽を漏らし続ける彼女を見て、今は一人にしておくべきだと、そう思ったからだ。

今、彼女は初めて胸に溜まっていた思いを発散させているのだから。

 

「……………アルフレリック」

「なんですか?」

 

だが、扉へと手を掛けるその直前でララシークがアルフレリックを呼び止めた。

アルフレリックは振り向かない、ララシークも寝たままで視線を此方へと向けたりはしていなかった。

 

「――――ありがとな」

 

だが、それでも彼女の言葉に秘められた感謝の思いは確かに真摯で本物だったから。

 

「――どういたしまして。ララシークさんに助けられたお礼ですよ」

 

アルフレリックは彼女の為に取ったこの行動が間違いではなかったと確信し、誇らしげな気持ちでララシークの眠る部屋から出て行ったのだった。

 




一応次の話で過去編を終わらせるつもりですがそのために一体何か月かかるのやら………
辻褄合わせや設定矛盾が起きないように考えているつもりですがもし見つけた場合は見て見ぬふりをお願いします………(涙目)

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