護りたいもの   作:影風

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 とうとう最終話です。感慨深い…


Last Episode〜神様のイタズラ〜

 ISという切り札を失った政府軍は急速に崩壊し、その2週間後には反体制派によってビアフラ共和国の樹立が宣言された。

 

 もちろん、これで全て解決したわけではない。

 

 失われた命は戻らない。焼かれた村も、破壊された街も、すぐに元通りになる訳ではない。新しい国ができたところで、そこにいる人々の傷が消える訳でもなかった。

 

 それでも、少なくとも一方的に踏みにじられる日々は終わった。

 

 そんな中、俺とミストはニアメ難民キャンプ跡地を訪れていた。

 

「…こんなものかな」

 

 ISによる襲撃の爪痕がまざまざと残るキャンプ跡地。

 

 焼け焦げた支柱。崩れた仮設住居。ひしゃげた給水タンク。かつて子供達の声が響いていた場所には、今は乾いた風の音だけが残っていた。

 

 その片隅で、俺たちは瓦礫を組み合わせ小さな墓標を作っていた。

 

 あの日、襲撃によって命を奪われた少女の墓だ。

 

 正確な名前は分からない。避難の混乱の中で記録も失われ、生き残った者たちの証言も曖昧だった。俺に分かるのは、彼女があの日の朝、スープを受け取って笑っていた少女だったということだけだ。

 

「ちゃんとした墓じゃなくて悪いな」

 

 俺は墓標の前に膝をつき、小さく呟く。

 

 返事は当然ない。だが、それでも言わずにはいられなかった。

 

「あの時、俺には何もできなかった」

 

 ISがなかったから。ギリギリまで気付けなかったから。手が届かなかったから。言い訳ならいくらでも出来る。

 

 実際、あの時の俺に出来ることはほとんどなかったのだろう。ミストが止めてくれなければ、俺もあそこで死んでいたかもしれない。

 

 それでも、目の前で失われた命を、ただ仕方がなかったと片付けることは出来なかった。

 

「…すまない」

 

 そう言って、俺は墓標に手を合わせる。神に祈るつもりはない。だが、せめて彼女がここにいたことだけは忘れたくなかった。

 

 隣でミストも静かに膝を折る。そこにいつもの軽い笑みはなかった。

 

「ダイチ」

 

「なんだ?」

 

「それに意味があるのかは、私には分かりません」

 

「…そこは慰めてくれないんだな」

 

「私、嘘は苦手なので」

 

「よく言う」

 

 俺は思わず苦笑をする。

 

 そんな俺を見てミストは小さく笑い、それから静かに墓標を見つめた。

 

「でも、この子がこの場所にいたことを、あなたは覚えているんでしょう?」

 

「ああ…」

 

「なら、それでいいんじゃないですか」

 

「それでいいのか?」

 

「少なくとも、何もなかったことにするよりはずっと」

 

 風が吹き、墓標の前に置いた小さな花がかすかに揺れる。

 

「死んだ人のためにできることなんて、本当に少ないんです。だから、覚えていることくらいはしてもいいでしょう?」

 

「…そうだな」

 

 俺には、あの子を救うことが出来なかった。けれど、あの子がここにいたことだけは忘れない。

 

 それが何かを救うことになるのかは分からない。それでもただ、忘れたくないと思った。

 

「…行こう、ミスト」

 

 俺はゆっくりと立ち上がる。

 

 形の上では、俺たちはマーシャからISを強奪したことになっている。

 

 事情聴取のためにも、一度スイスへ向かわなければならない。タニスさんが出来る限り悪いようにはしないと言ってくれているとはいえ、いつまでもここに留まっている訳にはいかなかった。

 

 だが、ミストは顔を伏せたまま、その場を動こうとはしない。

 

「ミスト?」

 

 もう一度声をかける。

 

 すると彼女は、墓標の前に立ったまま、静かに口を開いた。

 

「ダイチ」

 

 その声にはいつものような軽さも、こちらをからかうような響きもない。

 

 ただ静かで、ひどく穏やかな声だった。

 

「ここでお別れです」

 

 やはり、か。ここ数日の彼女の言動から、どこかでそんな予感がしていた。

 

「時間なんですね」

 

 俺は静かに息を吐く。

 

「ミスト__いや、雪菜様」

 

 その名を呼んだ瞬間、ミストはゆっくりとこちらを見た。

 

 金色の髪が乾いた風に揺れる。

 

 そこに驚きはなかった。ただ、少しだけイタズラっぽい笑みが浮かんでいた。

 

「いつから気づいていましたか?」

 

「最初に会った時から疑っていました。ですが、確信に変わったのは、俺の後ろに立っていた時です」

 

「後ろ、ですか?」

 

「ええ。普通なら、あそこまで近づかれる前に気付きます。俺に気配を悟らせずに近づける人なんて、そうはいませんから」

 

「…そんなところから疑われていたんですか?」

 

「はい」

 

 雪菜様は呆れたようにため息を吐く。

 

「本当に面倒な人ですね」

 

「…申し訳ありません」

 

「そこで謝るんですか?」

 

 雪菜様は少しだけ目を丸くする。そして、すぐに困ったように笑った。

 

「そういうところですよ、ダイチ」

 

「…はい」

 

「もう。そこも返事をするところじゃないんですけど」

 

 その声は呆れているようで、どこか柔らかかった。

 

 分かっている。

 

 雪菜様が、そういうふうに畏まって欲しいわけではないことくらい、今なら分かる。

 

 ミストとして隣にいた彼女は、何度も俺をからかい、振り回し、当たり前のように俺の懐に入ってきた。

 

 けれどその振る舞いは、ミストという仮面を被ったからという訳ではない。

 

 10年前から、雪菜様はずっとそうだった。

 

 俺が勝手に一線を引いていただけだった。

 

_主人だから

 

_恩人だから

 

_俺の世界の全てだった人だから

 

 そうやっていくつも理由を並べて、彼女が差し出してくれたものを、俺はいつも少し遠くから受け取っていた。

 

 今なら分かる。

 

 けれど、分かったからといって、すぐに同じように返せる訳ではなかった。

 

「…すみません」

 

「だから、謝らなくていいんです」

 

 雪菜様は小さく笑った。

 

 その笑みは、少しだけ寂しそうで、けれどもどこか嬉しそうでもあった。

 

「あなた、ミスト相手にはもう少し言い返してくれたじゃないですか」

 

「それは…」

 

「それは?」

 

「…ミスト相手なら、出来たんです」

 

 情けない答えだった。けれど、雪菜様は笑わなかった。

 

「でも、雪菜様だと分かってしまうと…どうしても」

 

「昔のあなたに戻ってしまう?」

 

「……はい」

 

 雪菜様はしばらく何も言わなかった。ただ俺を見つめていた。

 

 責めるような目ではなかった。

 

 諦めたような目でもなかった。

 

 それは、ずっと前から俺のことを見てきた人の目だった。

 

「……本当にあなたは変わりませんね」

 

「すみません」

 

「ほら、また謝る」

 

「……」

 

「でも」

 

 雪菜様は少しだけ目を細めた。

 

「そういうところも、あなたらしいです」

 

 その言葉に、胸の奥が詰まる。

 

「私は、ミストとしてのあなたとの時間も楽しかったですよ。あなたが困りながらも言い返してくれるのは新鮮でしたし」

 

「…」

 

「でも、こうして雪菜様と呼ばれて、昔みたいに畏まられると、少し寂しいです」

 

 雪菜様は一度そこで言葉を切る。そして、柔らかく笑った。

 

「けれど同時に、ああ、私の知っているダイチだなとも思うんです」

 

「雪菜様…」

 

「私を大切にしすぎて、どう接すればいいのか分からなくなる。私が少しからかっただけで、真面目に受け止めてしまう。そういう不器用なところも、ずっと見てきましたから」

 

 雪菜様は一歩、俺に近づく。

 

「だから、寂しくないといえば嘘になります。でも、嫌ではありません」

 

「……嫌じゃないんですか?」

 

「ええ」

 

 雪菜様は、少しだけ悪戯っぽく笑った。

 

「私が好きだったダイチが、ちゃんとここにいるということですから」

 

 その言葉に、胸の奥が強く揺れた。

 

 好きだった。

 

 雪菜様は、何でもないことのようにそう言った。

 

 10年前の俺なら、きっと分からないフリをしただろう。

 

 けれど、今はもう逃げたくなかった。

 

「…雪菜様」

 

「はい?」

 

 雪菜様はいつものように首を傾げる。

 

 俺が困って、曖昧に笑って、それで終わると思っていたのかもしれない。

 

 だからこそ、今度はちゃんと言わなければならなかった。

 

「10年前には伝えられなかった俺の気持ち、聞いてもらってもいいですか?」

 

 雪菜様の表情が、ほんのわずかに揺れ動いた。驚いたような、けれど期待してはいけないものを期待してしまったような、そんな顔だった。

 

 それでもすぐに、彼女は優しく微笑む。

 

「ええ、もちろんです」

 

 俺はその目をしっかりと見つめ、思いを告げる。

 

 

 

 

 

 

「雪菜様、俺もあなたのことが好きでした」

 

 

 

 

 

 俺の言葉に雪菜様は一瞬だけ目を見開いた。まるで、本当にその言葉が返ってくるとは思っていなかったみたいに。

 

 そして、寂しそうに、けれどもどうしようもなく嬉しそうに微笑んだ。

 

「好き“でした”、か…」

 

 雪菜様は、すぐにいつもの意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「過去形ということは、今は違うってことですよね?」

 

「あっ、そういうわけでは……」

 

 弁解しかけて、言葉が止まる。

 

 脳裏に、水色の髪の少女が浮かんだ。

 

 ここで誤魔化すことは、彼女に対しても、雪菜様に対しても、不義理であろう。

 

 俺は改めて、雪菜様を見据える。

 

「いや、そうかもしれません」

 

「そうもはっきりと言われると傷つきますね」

 

 雪菜様は苦笑しながら、少し恨みがましそうに言う。

 

「私を守ってくれるって言ったのに」

 

「そこは本当に申し訳ありません…」

 

「ダメです♪乙女の純情を弄んだ罪は重いんですよ?」

 

 雪菜様がこちらに一歩近づく。

 

「これはその罰です」

 

「え_」

 

 聞き返すよりも早く、雪菜様の顔が近づいた。そして、柔らかな感触が唇に触れる。

 

 ほんの一瞬。

 

 触れたと思った時には、もう離れていた。

 

 それでも、確かにそこには雪菜様の温もりがあった。

 

「浮気は感心しませんが、特別にこれで許してあげます。ちなみに今のは、私のファーストキスですよ?」

 

 雪菜様はいつものようにからかうような笑みを浮かべるが、その顔は真っ赤だった。

 

「雪菜様、それは…」

 

 そう言いかけた瞬間、雪菜様の身体が淡い光に包まれた。

 

「…あ」

 

 雪菜様は自分の手を見下ろす。その指先が、光の粒になって少しずつほどけていく。

 

「キスで魔法が解けるなんて、神様もなかなかロマンチストですね」

 

 雪菜様は困ったように笑う。

 

「まあ、その先にあるのがハッピーエンドなら、もっとよかったんですけど」

 

「雪菜様…」

 

「そんな顔をしないでください」

 

 雪菜様はそう言って、小さく息を吐いた。そして真っ直ぐに俺を見つめる。

 

「もうあまり時間がなさそうなので、主人として最後に二つだけ、あなたに命令します」

 

「…はい」

 

「まず一つ」

 

 雪菜様の声が、静かに響く。

 

「ダイチ。あなたはもう十分に償いました。だからこれからは誰のためでもない、あなた自身のために生きてください」

 

「…っ‼︎ですが、俺はっ_」

 

「はいはい、時間がないので次に行きますよ」

 

 あまりにもいつもの調子で遮られ、俺は言葉を失う。

 

「そしてもう一つ」

 

 雪菜様は、柔らかく微笑んだ。

 

「主人としての最後の命令です。刀奈ちゃんと一緒に、幸せになってください」

 

「雪菜…様……」

 

 どうにか絞り出した声は震えていた。

 

 雪菜様はそんな俺を見て、困ったように笑う。

 

「もう、本当にあなたは泣いてばかりですね。初めて出会った時も、私が迎えに行った時も……そして私が死んだ時も」

 

「…」

 

「最後くらい、笑顔で見送ってください」

 

「そう…ですね」

 

 俺は目元を拭う。視界はまだ滲んでいた。

 

 それでも何とか笑顔を作る。

 

 彼女がそれを望むなら、応えなければならない。

 

 それが俺に出来る、最後の忠義だった。

 

「本当に今までありがとうございました」

 

 俺は彼女を見つめる。

 

「雪菜」

 

「……っ」

 

 雪菜様の目が、大きく見開かれた。

 

 その呼び方が、俺にとってどれほど重いものなのか。

 

 きっと彼女には伝わったのだろう。

 

「最後の最後に呼び捨てなんて……本当にあなたはズルい人」

 

 大きく見開かれた瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていく。

 

 けれど、雪菜は笑っていた。

 

 泣きながら、それでも本当に嬉しそうに笑っていた。

 

「ありがとう」

 

 彼女の声が、光に溶けていく。

 

「私の…最愛の人……」

 

 そう言って、雪菜の姿は消えていった。

 

 完全に消えるその瞬間まで、俺はその姿を目に焼き付ける。

 

 風が吹く。

 

 残されたのは、瓦礫で作った小さな墓標と乾いた砂の匂いと、俺だけだった。

 

 俺はその場に膝をつく。

 

 声も出なかった。

 

 ただ一人、地面にうずくまったまま、彼女がいた場所を見つめ続けていた。

 

_________

 

 

「なあ、本当についていかなくて大丈夫なのか?」

 

 俺は何度目かになる質問をする。

 

「大丈夫だって言ってるじゃないですか。父さんは心配し過ぎです」

 

 真新しいIS学園の制服に身を包んだ雪奈が呆れたようにため息を吐く。

 

 母親譲りの水色の髪もきっちりと整え、肩にかけた鞄以外の荷物は既に寮に送ってある。本人としては、準備万端といった様子だ。

 

「だけど寮の手続きとか色々あるんだろう?」

 

「説明はちゃんと受けてますし、分からなかったら先生に聞きます」

 

「荷物は?」

 

「もう送りました」

 

「学園までの道とかは_」

 

「何回確認したと思ってるんですか?」

 

 雪奈はジッとこちらを見上げる。

 

「父さんは本当に心配し過ぎです」

 

「そうは言ってもなぁ…」

 

 明日には入学式があり、今日からは雪奈はIS学園の寮で暮らすことになる。何かトラブルが起こるなんて思っていない。頭ではわかっているのだが、心配なものは心配なのだ。

 

「あら、どうしたの?」

 

「あっ、母さん‼︎聞いてくださいよ。父さんったら寮までついてくるって言うんですよ‼︎」

 

「あなた…」

 

 刀奈はため息を吐きながら、ジト目でこちらを見てくる。

 

「いや、寮までとは言っていない。せめて駅まで_」

 

「あなた」

 

「…はい」

 

 それ以上は何も言えなかった。

 

 雪奈はくすくす笑いながら改めて鞄を肩に掛け直した。

 

「それじゃ、そろそろ行きますね」

 

「もう行くのか?」

 

「余裕をもって行きたいので」

 

「送って_」

 

「父さん」

 

 雪奈は少しだけ柔らかく笑った。

 

「大丈夫です」

 

 その一言に、思わず言葉が詰まる。

 

 俺が何かを言うより先に、刀奈が隣で頷いた。

 

「行ってらっしゃい、雪奈」

 

「はい!行ってきます‼︎」

 

 元気よくそう言うと、雪奈は扉を開けて春の光の中に飛び出して行った。

 

 扉が閉まり、軽い足音が少しずつ遠ざかっていく。

 

「…あなた」

 

「分かっている。ついていかない」

 

「よろしい」

 

 刀奈は小さく笑うと俺の隣に並んだ。

 

 俺はもう一度だけ、雪奈が出て行った扉を見つめる。

 

「…本当に大丈夫かな」

 

「大丈夫よ。あの子なら」

 

 刀奈は迷いなく言った。

 

「あなたが心配する気持ちも分かるけど、あの子のことは見守ってあげましょう」

 

「……そうだな」

 

 分かっている。それでも、雪奈が出て行った扉からはすぐに目が離せなかった。

 

「行ってらっしゃい、雪奈」

 

 小さくそう呟くと、刀奈は少しだけ困ったように笑った。

 

「今日は私がお茶を淹れるわ」

 

「刀奈が?」

 

「なによ、そんなに意外?」

 

「いや、楽しみにしてる」

 

「ええ、期待してて」

 

 刀奈はそう言って俺の手を握る。

 

 俺はその手を握り返し、ようやく扉から目を離す。

 

「…行こうか」

 

「ええ」

 

 刀奈と二人、並んでリビングに戻る。

 

 雪奈が出て行ったばかりの玄関には、暖かな春の光が差し込んでいた。




 ここまでお読みいただきありがとうございました‼︎これにて番外編を含め、本作完結です‼︎

 番外編は本編最終話の補足に加えて、ダイチや楯無さん、そして雪菜の物語にもう少しだけ区切りをつけられたらと思って書き始めました。雪菜は本編ではどうしてもラスボスとしての面が強く出るキャラクターでしたが、一人の少女としての想いや救いも少しだけ描けたらと思って書いたので、もし想いが伝わっていたらとても嬉しいです。

 次に書くのは本作を再構成したIFストーリーになるか、全く別の作品になるかは決まっていないのですが、何かしらは書きたいと思っているのでもし見かけることがありましたらよろしくお願いします。

 最後になりましたが、本作をお読みいただき本当にありがとうございました‼︎よければ感想や評価いただけるととても嬉しいです‼︎
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