オーバーロードとサイレントヒルのクロスオーバー。

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Chapter 1 悪夢

 

 

 

 

 

 

最近、モモンガは夢を見る。

 

アンデッドの王、オーバーロードとして決してありえないが、夢を見る。

白昼夢とか明晰夢とか、そういう類なのかは門外漢であるモモンガにはわからない。

だがオーバーロードのモモンガは起きながらにして夢を見たのだ。

 

それはかつて栄光を共にしたギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の仲間達の姿。

彼らが笑う姿。

彼らと自分が笑う姿。

白銀の鎧眩しき正義の男、たっち・みーが。

悪に拘るウルベルトが。

イタズラ好きのゴーレムクラフター、るし☆ふぁーが。

古き漆黒の粘体、へろへろが。

万の性癖を持つバードマン、ペロロンチーノが。

その実姉、ピンクの粘液生物ぶくぶく茶釜が。

タブラ・スマラグディナが、ブルー・プラネットが、死獣天朱雀が、

ぷにっと萌えが、やまいこが、武人建御雷が、

他にもいる。

かつての仲間が円卓で笑っている。

 

だが、

 

ふと気づく。

円卓に自分がいない。

ギルド長たる自分がいない。

 

(なぜ、自分が、いない)

 

モモンガは皮と肉の無い白い手を伸ばす。

笑い合う円卓の仲間に向かって伸ばす。

 

(ペロロンチーノ…たっちさん…俺も、俺もいるんですよ。そこに。)

 

円卓の、自分が座るべき椅子は空っぽだ。

なのに皆は笑っている。

 

(そこに、座りたい。みんなと一緒に、そこに)

 

骸の手を必死に伸ばす。

だが伸ばせば伸ばすほどに何故だが円卓は遠くなっていく。

仲間たちが集うその円卓は徐々に徐々に遠くに行ってしまうかのようだ。

貧血になって倒れる直前、世界の景色が遠のくように。

 

空虚な目を凝らし、一席だけ空白になっている自分の席を見る。

 

(あれ…?俺の椅子…)

 

もう、席すらない。

 

(なぜ?)

 

もう一度、モモンガはその髑髏の瞳で己の席を見つめた。

紅い光りが灯る真っ黒く恐ろしげな眼孔は、同時に捨てられたくない子犬のようでもある。

 

(そうだ!やっぱりあった!俺の椅子だ)

 

消えたと思った自分の椅子を見つけ、赤い眼光は喜色を湛えた。

だが…目の紅い光りが、次の瞬間にはサッと怒りに燃えた。

 

(お前は誰だ!)

 

そこに誰かいる。

自分の席に座っている奴がいる。

自分の席だ。

 

俺の席だ。

 

俺の席だ!

 

モモンガは燃え上がる憎しみと怒りをそのまま瞳に宿してそいつを見た。

睨んだ。

 

円卓に座るそいつは骸骨だ。

肉なき骸だ。

衣をまとった髑髏だ。

 

 

 

 

(お前は誰だ!)

 

 

 

 

モモンガはもう一度叫んだ。

自分と同じ姿をした骸に向かって叫んだ。

 

精一杯の憎悪を込めて叫んだつもりだった。

だが、まるで自分が声を発していないことに彼は気付いていない。

 

伸ばした手も、今は金縛りに合ったかのように動かない。

 

(そこは俺の席だ!そこは俺の場所だ!!貴様っ!!)

 

怒りが燃え上がる。

憎しみが燃え上がる。

 

 

(俺の、俺の席を…俺の場所を!)

 

 

悲しみが鈴木悟の心を砕いていく。

 

 

(お前が憎い!!)

 

 

モモンガは呪詛を祈る。

 

 

(お前が憎いっ!!!)

 

 

もう一度。精一杯の憎悪を込めて。

 

 

(俺の居場所を奪う奴!殺してやる!砕いてやる!不気味なバケモノめ!骨のバケモノめ!)

 

鈴木悟は祈った。彼の破滅を。

自分の席を奪い、さも当然のように仲間達とのあの居場所を奪う骨の化物を。

 

 

 

 

 

 

 

ガラ、ガラン…カラン…

 

 

 

 

 

 

カラ…

 

 

 

 

 

 

カラン、カラン…

 

 

 

 

 

 

 

鉄の音。

 

何かに引きずられる鉄の音。

 

(お前の、お前のせいだ!お前のせいだ!)

 

一生懸命に破滅を願う鈴木悟の耳に届く鋼鉄の雑音。

重々しい鉄が少しずつ近づいてくる。

 

安穏とした、和気藹々とした、ナザリックの栄光のあの日々の、あの円卓は遠のいていくのに、

心の不安と不快を掻き立てる鋼鉄の摩擦音は確実に鈴木悟の耳に近づいてきていた。

 

 

 

円卓の風景が遠のく。

皆が遠く霞んでいく。

だがその中でモモンガの席に腰掛ける黒いローブを着る髑髏の男だけが、

ゆっくりと席を立ち上がり鈴木悟の方へと歩み寄ってくる。

髑髏の男…モモンガと同じ姿をした者が近づくにつれ円卓が霞む。

至高の41人達の姿が、遠い。

 

(どけ!偽物め!どいてくれ!俺はあそこに行きたいんだ!)

 

鈴木悟は強く祈った。

 

 

 

カラン、ガラン、ガラン…

 

ズリ、ズリ…ズリ…

 

 

 

彼が祈る度、重そうに鉄を引きずる音が近づき、そしてそれとは別の這いずる音。

 

(うるさい…!止めろ……この、不愉快な音は…!お前なんだろ!偽物め!)

 

鈴木悟はあと10歩程度の距離にまで歩み寄ってきていた髑髏を見つめ、

この不快な音の犯人は眼前の不死者に違いないと決めつけた。

 

(お前なんか……!)

 

そうだ、この髑髏の男のせいなんだ。

 

俺が()()()()()をしなくちゃならなくなったのも、

何故、俺が魔王になんざならなくてはならない。

好き好んで人を殺したわけじゃない。

 

(そうだ、だから…そんな目で見ないで!見ないで下さいよ!たっちさん!)

 

正義を標榜する白銀の騎士が悲しそうな顔をする。

顔は兜で見えないが、確かにそういう顔をして背を向けて去っていく。

 

(たっちさん!待って!待って下さい!)

 

たっち・みーの横にはバードマンもいる。

モモンガの、鈴木悟の一番の親友ともいえるペロロンチーノだ。

彼も、とても悲しい目をしてこちらを見てくる。

 

(ペロロンチーノ!なんでだよ!なんでそんな目で見るんだよ!)

 

ハッとなって自分を見れば、自分は血で汚れていた。

血の海で腰まで沈み込んで、

その()()()()まとわりつく不快感と重さで鈴木悟は身動き一つとれないで藻掻く。

 

(ペロロンチーノ!待ってくれ!待ってくれ!!)

 

血の海には老若男女の人間が浮いている。

バラバラになって、或いは歪な形になって、かつて人間だったものが浮いている。

浮かんでいる死体、死体、死体。

それらの崩れた顔が一斉に鈴木悟を見る。

 

全部、全部、お前のせいだ。

 

アンデッドめ。

 

目という目はそう言っている。

 

(違う!違うんだペロロンチーノ!たっちさん!待って!)

 

血の海から必死になって腕を抜くと、

鈴木悟のその腕には幼い少女の顔面半分が、臓物と一緒に絡みつく。

親友たるバードマンはそれを見て、今度こそ完全に背を向けた。

 

(待って下さいよ!待ってよ!!みんな待ってくれ!!!)

 

(俺は、俺はナザリックを、ナザリックを守るために!!!)

 

(みんなとの場所を、帰ってくる場所を守ったんだ!みんなとの思い出を!!)

 

鈴木悟の心に矢継ぎ早に浮かんでくる魂の奥底からの叫びは、

だが麻痺した口から絞り出すことが出来ない。

 

何者かに呪われているかのように鈴木悟は自由がきかない。

 

そうだ。

 

全部、全部、お前のせいだ。

 

アンデッドめ。

 

 

 

鈴木悟は髑髏の男を見た。

 

モモンガを見た。

 

 

お前が俺の中にいたせいだ。殺してやる。

 

 

 

(全部こいつのせいなんだ)

 

 

 

お前は俺の邪魔をシているんだろう。

 

(お前なんか―――)

 

 

 

 

 

 

「殺してやる!!」

 

 

 

 

 

 

鈴木悟はあらん限りの声で叫んだ。

声がでた。

 

その瞬間、眼前の髑髏顔にピシリ…と亀裂が入る。

鉈が。

巨大で、恐ろしげな鉈が突き出た。

 

モモンガの髑髏を突き裂いて、そのまま突き刺さった鉈にモモンガは持ち上げられる。

 

「――お前…は」

 

モモンガを貫く鉈を視線で追っていく。

無骨な柄を握る手が、鈴木悟の目に飛び込んできた。

更にその先へ。

 

薄暗い闇の中からぬぅっと出てきた、その手の持ち主。

 

「あ……」

 

鈴木悟は思わず呟いた。

その異形の持ち主を見て、あらゆる異形に見慣れた筈の鈴木悟は、

だが今まで見た異形とは全く異なる不気味さをソレから感じた。

 

 

 

 

そいつは、あまりに不自然で大きな鋼鉄の、

三角錐を模した兜ですっぽり頭を覆っている。

血か、或いは錆かで汚れた貫頭衣を無造作に逞しい裸体の上に着ていた。

無骨であり、不気味であり、

なのに何故かそいつは美しい。

無駄がこそぎ落とされた洗練された真の化物(クリーチャー)だ。

鈴木悟はそう感じた。

 

鈴木悟は彼――恐らくは男だろう――に魅入る。

 

彼が握る大鉈に、だらだらと赤い液体が滴る。

 

無骨な三角頭がゆっくりと大鉈の先…貫かれたモモンガを見やる。

赤い液体はそこから垂れ流れている。

 

(あ…血…)

 

鈴木悟はそれを不思議そうに見る。

モモンガはアンデッドなのに…不思議な事もあるものだ。

彼は他人のことのように大鉈で貫かれ、掲げられ、血を流す物言わぬ髑髏を見る。

 

 

ピシリ…

 

 

モモンガの髑髏に亀裂。

亀裂から血が滲む。

段々と深く大きくなっていく亀裂からは更に血が溢れ、

そして勢いよく噴き出した。

 

「ああああ……、た、助けて……助けて……」

 

くぐもった、酷くしゃがれた声で髑髏が呻き、鈴木悟へと助けを求めた。

 

「たす……け、て……」

 

白骨の腕が力なく持ち上がり、鈴木悟を求めて暗闇を彷徨う。

それを鈴木悟は冷然とただ見た。

 

「お前は死ぬんだ」

 

自分でも驚くほど冷たい声色で鈴木悟はそう言った。

重たく、冷たい、その声は

心根は優しい筈だった鈴木悟から発せられたものとは思えない。

 

「今までしでかしてきた罪を償え」

 

うすら笑いすら浮かべて鈴木悟はモモンガを見る。

 

「あ、あああ……ああああああ」

 

肉無き髑髏の口から溢れ出る鮮血。そして怨嗟。

溢れ飛び散る赤黒い血がどこまでも真っ黒い空間中にばら撒かれる。

モモンガを高々と掲げた三角頭の男の、

その鋼鉄の三角兜がモモンガの腐敗した血によって彩られた。

血と、錆で赤黒く汚れていく三角頭は、なぜだか鈴木悟の劣情すら掻き立てる程に耽美だ。

 

髑髏から噴き出る異常な量の血が雨のように暗黒の空間に降り注ぎ続け、

髑髏の骸を鉈で刺し、掲げるそいつの図はまるで一枚の絵画のように完成されていた。

 

赤い…三角の、頭(レッドピラミッドシング)

 

それがまるで定められた眼前のクリーチャーの名であると知っているかのように鈴木悟は呟く。

その声に反応するかの如く、赤い三角頭は大鉈をゆっくりゆっくりと振り下ろし、

鈴木悟に見せつける様に髑髏の死体を彼の眼前へと突きつけた。

 

「…ただの死体だ。もう、俺には必要がない」

 

鈴木悟は無表情に言った。

だが、

 

 

 

 

 

パキり…と髑髏の亀裂が広がって割れた。

 

「あ…」

 

間の抜けた声が彼の口から漏れ出る。

 

 

カランと落ちた髑髏面。

その向こうに合ったのは。

 

「…俺?」

 

人間、鈴木悟の顔が髑髏から覗いていた。

口から血を流し、苦しみから眼球と舌は半ば飛び出し、その表情は苦悶に満ちている。

 

「あ、あああ…」

 

鈴木悟が一歩、後ずさる。

 

 

 

ドン

 

 

 

鈴木悟の背に、何かが当たった。

 

振り向けば、それは縦長い、人一人が入るのがやっとの錆びた鉄格子。

錆びた縦長の牢屋に、

焼け焦げたような爛れたような黒ずんだ肉のマネキンが首を括られ吊り下げられている。

 

「ひっ」

 

見慣れた筈の焼死体。

それに似てるだけの顔のない肉人形に過ぎないのに、

人間・鈴木悟の心はモモンガと違いすっかり恐怖を思い出していた。

 

見渡す。

 

鉄格子の肉人形は一つだけでなかった。

 

無数に。

 

天井無き黒い空間に、光もないのに不思議とハッキリと浮かんでいるそれらが目に映る。

先程は眼前の三角頭は黒い靄で一切見えなかったのに、

今では遥か遠くまで乱雑に並べられ浮かぶ黒ずんだマネキンがハッキリと見えた。

 

鈴木悟の頬を不快な汗が伝う。

 

「はぁー、はぁー…!」

 

呼吸が荒くなる。口が渇く。気道が締め付けられる。

心臓の音が乱れた。

 

ズリ…

 

三角頭が一歩、こちらに踏み出した。

 

「く、来るな!」

 

一人の非力な人間は走り出した。

どこまでも並ぶ黒いマネキンを避けて。

林の中を木々を縫うかのように肉人形を避けて、鈴木悟は走った。

 

 

 

ズリ…

 

 

 

後ろから聞こえた這いずる音。

 

「うわああああ!」

 

一向に離れない彼の足音。

避けても避けても続く、視界を受け尽くす肉マネキンの林。

 

暗い暗いその空間を鈴木悟はひたすらに走る。

 

 

 

カラン、ガラン、カラ…カラ…

 

 

 

『彼』が大鉈を引きずる音が暗闇に響く。

 

「ハッ、ハッ、ハッ!だ、誰か!」

 

全身が汗でベタつく。

足が悲鳴を上げている。

疲れた。

疲れたが、そんな疲労も忘れて心臓と筋肉を無理やり動かして鈴木悟は走る。

 

息が苦しい。

 

酸素が、体にもう足りない。

 

鈴木悟は走る。直立する赤黒い焼死体達を避けて走る。

その風景だけで卒倒しそうになる恐怖と嫌悪を耐えて、笑う足に鞭打って走る。

ガランガランといつまでもまとわりつく金属音に、

足を止めずに思わず振り返った彼は

 

 

ドンッ

 

 

と肉人形にぶつかってそのままソイツを押し倒すように転んだ。

鈴木悟の手が黒ずんだ焼死体の胸を思い切り押すと、

ネチャリとした肌触りとブニョブニョとした肉感に思わず

 

「ひっ!う、く、くそ!」

 

自分の手についた何かのカスか粘液かのような赤黒い汚物を服で拭っていると…

 

「う、うわあああ!!?」

 

押し倒していた黒ずんだ肉人形が突然、鈴木悟の腕を掴む。

見た目グロテスクだが、動かない只の死体だと…

オブジェクトのようなものだと思っていたから恐怖に耐えていた悟だったが、

 

「ひぃぃ、うわあああ!!」

 

もはや取り乱して焼死体の腕を力一杯振りほどいて、また駆け出した。

 

 

 

 

 

カラン、ガラン、ガラン…

 

 

 

 

 

あの音が近づいてくる。

 

付かず離れずだった、あの大鉈を引きずる音が、今ではもう大分近くに聞こえる。

彼の姿はまだ見えない。

 

 

「はぁ!はぁ!はぁ!」

 

肺が潰れそうな程、心臓が破裂しそうな程に走っている。

逃げなくてはならない。鈴木悟の本能が、人間の本能がそう言っている。

肉人形の林をどんどんと後ろに追いやって走る。

 

「っ!?」

 

カタカタカタ、と鈴木悟の視界の端に映るおぞましい肉人形が動いた気がした。

まさか、と彼は思ったが

 

 

カタカタカタカタ

 

 

今度こそハッキリ見てしまった。

痙攣するかのように黒ずんだあの人間型の何かが動いた。

直立不動だった焼死体達が一斉に動き出す。それはとても人間の動きじゃない。

 

 

カタカタカタカタ

 

どんどんと増えるそれらは彼に追いすがる。

生物の動きじゃない不気味で素早い小刻みな蠢動を繰り返して、

また一体また一体…やはり鈴木悟に迫りだす。

 

声無き悲鳴を上げて鈴木悟は走った。

 

オーバーロードでない…モモンガでない鈴木悟には、

人間にはとても耐えられないこの異常な光景。

異常な空間。

 

「ハァ、はぁ、はぁ、はぁ!ア、アルベド!アルベド!!」

 

鈴木悟が思わず口走ったのは、

どんな状況でも自分を愛し、一番に守ってくれるであろう守護者の名だった。

 

「アルベド!!」

 

暗闇を闇雲に走りながら、無数の肉人形の足音を後ろに聞きながら、

疲れきり焦点定まらなくなりつつも鈴木悟はその名を叫んだ。

そして、彼の視界のずっと先に彼女の後ろ姿を見た。

 

「アルベド!!!」

 

長い髪。

それをかき分けて生える美しい角。

純白のドレス。

大胆に開けた腰から除く、サキュバスの黒翼。

 

ひたすらにその後ろ姿目掛けて鈴木悟は走った。

 

「ア、アルベド!」

 

その背中がすぐそこまで来ている。

手を伸ばせば届きそうな距離に。

鈴木悟は彼女の名を叫んで手を伸ばし、その華奢な肩を掴んで振り向かせた。

しかし、

 

「うわあああああああっ!!!!?」

 

振り向いた彼女は焼けただれ、美しく完璧な造形だった美貌は見る影もなく、

長く艷やかな黒髪は抜け落ちて、

カタカタと揺れる黒ずんだ肉人形そのもの。

 

「モ゛…………モ゛、ン゛……ガ………ぁ…………ま゛…」

 

カタカタカタカタカタカタカタカタ

カタカタカタカタカタカタカタカタ

 

「く、くるな!くるなぁーー!!」

 

痙攣し、呻き、足を引きずって迫ってくる顔面が潰れた肉のマネキン。

鈴木悟は、かろうじてアルベドだと解る意匠が散りばめられた

その肉人形から逃げようと振り返るとそこに…。

 

「……っ!!!!」

 

眼の前に赤い三角頭が立っていた。

鈴木悟は叫び声をあげることすら出来ない。

 

 

(レッドピラミッドシング)がゆっくりゆっくりと、大鉈を振り上げる。

 

 

(に、逃げなきゃ…!)

 

 

最後の力を振り絞って、最後の勇気を振り絞って鈴木悟は逃げようとした。だが。

ビチャリ…と背に爛れた肉が張り付いた。

アルベドだった肉マネキンが崩れきった顔を

肩口に覗かせて鈴木悟を瞳無き瞳で見つめていた。

 

「は、はなせ、アルベド!はなせ!!!」

 

ガッシリと肩を掴んで離さない。

愛しい人をもう離さないとでも言うかのように。

 

「アルベド!アルベド!!!う、うわあああああああ!!!」

 

三角頭の鉈が、鈴木悟の頭へ振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ンズ様………アイ……様!…………ア………ンズ様……!」

 

声が聞こえた。

真っ白に視界が染まって、空虚だった意識が急速にこちら側へと引き戻されていく。

 

誰かが自分を呼ぶ声がする。

 

「アインズ様……!」

 

視界の、まるで濃厚な霧のような白いもやが晴れると、

目の前には両手をわきわきとさせて自分に触れる寸前の悩ましげな美女が。

 

「……アルベド?」

 

「あ、あぁ!アインズ様!よかった…!本当に…よかった!

 …アインズ様の心が……まるで遠くに行ってしまったかのようで……私…!

 アインズ様の反応が全く無く…もしや御身に何かあったのかと……

 決して、決して今ならモモンガ様に触りたい放題など思っておらず!」

 

涙目で、悲しみと安堵が同居した表情をその美貌に浮かべるアルベドは、

全く変わりなくいつも通りのように見えた。

相変わらずのアルベドだ。

 

「………その…申し訳ありません。

 至高の御身に触れ、お考えを邪魔した罪…如何ようにでもお裁き下さい」

 

アルベドがアインズから一歩距離をとり、

安堵と無念の両方を浮かべた貌を見せるとそのまま片膝をつきひれ伏した。

跪く美女を眺めながらモモンガは考える。

 

(今のは夢か?夢を……見た、のか?)

 

覚えている。

夢を見た、ということを覚えている。

内容までは思い出せない。だが悪い夢を見たという漠然とした確信がある。

恐怖という感情も久しぶりに感じた。筈だ。

アンデッドの精神抑制と状態異常耐性が、夢で感じた恐怖をどんどん霧散させていってしまう。

もう、夢で感じた感情は思い出せない。

 

「…アルベド。私は………眠っていたか?」

 

我ながら間抜けな質問だとモモンガは自認しつつ、そう聞かずにはいられなかった。

頭を臥しながら美女は答える。

 

「目は…お閉じになっておりました。

 しかし御身は不死者故……眠るのではなく、

 何やら深くお考えのように私には見えました」

 

「そう、か」

 

当たり前の答えだ。

そう。モモンガは不死者。

死にぞこない(アンデッド)たる絶対君主(オーバーロード)

眠ることなどありえない。

そんな人間じみた真似が出来るのなら

きっと鈴木悟はこうも魔的な存在になりはしなかったろう。

 

「うむ、そうだな…私は、どうやら考え事に夢中になりすぎたようだ」

 

己の部屋の己の執務机。

骨の指先で机をコツコツと数度叩き、モモンガはまた沈思した。

 

「……あれは」

 

何気なく部屋を見渡した。

壁に初めて見た絵画が掛かっていたのにモモンガは気づく。

豪華に飾られたナザリック第9階層では壁に掛けられた美麗な品々等珍しくもなく、

芸術的なものへの関心というか、

そういうセンスに乏しいモモンガは調度品に強い興味を抱いたことはない。

メイド達が、

――決してしないだろうが――

勝手に調度品を交換したところでモモンガは気づかないだろう。

 

だが、モモンガはそれに気付いた。

確かあんな絵は飾っていなかったはずだ。

 

「…アルベド…あの絵はなんだ」

 

あの絵。

骨の指が示したそれをアルベドもようやく頭を上げて見る。

 

「あれは…そういえばあんな絵、モモンガ様の執務室には無かったはず」

 

アルベドの美しい顔に怒りと恥辱がありありと浮かんだ。

守護者統括の自分が地下大墳墓の変化を微塵も見落とすわけにはいかず、

しかもモモンガが知らなかったということは至高の君主の指示無しに

モモンガの執務室を弄り回した者がいる…ということになる。

至高の者が創り上げたナザリックは、細部に至るまで()()()()()理由がある。

模様、飾り付け、木々や草木の配置、石積みの場所、光源の位置、

何もかもに至高の41人達の努力と拘りと理由があった。

勝手にそれを改変するような者がナザリック内にいるとはとてもアルベドには思えないが、

しかし現に、よりにもよってモモンガの執務室に変化が起きている。

それは事実だ。

 

「申し訳ありませんモモンガ様。至急、その絵は取り外します。

 そして速やかかつ徹底的に何者がそれをそこに掛けたか…

 調査し再発の防止に努めさせていただきます」

 

「いや、いい」

 

モモンガはサッと手で払う仕草をしてアルベドの言をあっさりと退けた。

 

「その絵」

 

その絵。

モモンガが見つめる…いや、見惚れるているその絵。

 

「……美しい」

 

たった一言、オーバーロードはそう漏らした。

 

 

朝の白い光りがうっすらと射す霧深い湖畔。

高台に吊り下がる幾人の罪人。

その罪人達の血で汚れた、白い貫頭衣をまとい、頭を無骨な三角の兜で隠す処刑人。

 

その絵は、血生臭く恐ろしい『死』を扱っているものらしいが、

何故か強くモモンガの心をひきつけた。

 

「モモンガ様…?」

 

アルベドが珍しいものを見た、とでもいう顔でキョトンと主を眺めている。

 

「あの絵は………飾っておく。もうさがって良い」

 

至高の主は、絵画から目線を外すことなく守護者統括に命じた。

もはやアルベドのことなど眼中にないように見える。

 

「…かしこまりました」

 

恭しく礼をし、少しの無礼もなくアルベドは執務室を退出していく。

 

主の様子に、ほんの僅かな…一抹の不安を感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは霧の深い、ある日のことだった。

 



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