今日、真実の証言が行われる。。
そのためには重要参考人である愛理が来なければ何も意味はない。
愛理が自分に打ち勝つことが出来るかどうかは賭けみたいなもんだったが、きちんと学校に登校していた。
その姿にオレは少なからず感心してしまう。
「よく来たな」
「……あ、う、うん……今日は、自分に負けるわけにはいかないと思って……」
「お前は立派だ。オレが保証してやる」
今日という重要な日に愛里はやってきた。。
事実を伝えるのが怖く、事実からひたすら逃げていた。
だが今日という日から逃げることなく学校にきちんとやってきたという事実。
その勇気は本当に立派なもんだ。
「朝霧くん、ありがとう……私のこと、信じてくれて」
「別にオレは信じちゃいなかったけどな」
「……え?」
それは本当だ。
もしかしたら、愛里は来ないかもしれない。
そう、思っていた。
しかし、現実はどうだ?
きちんとこいつは自分の足で学校にやってきた。
それがたった一つの真実だ。
そして、それを決めたのもまた愛里自身だ。
「もし、お前がこれから『やっぱ無理』ってなってもオレはまるで気にしないぞ」
「で、でも……そしたら朝霧くんと須藤くんは……」
「もしかしたら退学かもな」
「だったら……」
「だけどな、それはオレたちの問題だ。お前は何も悪くない」
何を隠そう、この事件はオレと健が起こした問題だ。
いや何も隠されちゃいなかったがな。
とにかく自業自得なんだから自分で解決するのが道理ってもんだろう。
それを愛里が無理して解決する必要性はどこにもない。
イヤならばやらなければいい。それだけの話に過ぎないからだ。
だからどこにも愛里が頑張る必要性はない。
「つまり無理する必要はねぇよ。やめたければ今すぐやめりゃいい」
「…………」
ああ、オレはまったく何をやっているんだろうな。
せっかくのチャンスを棒に振ろうとしているが如く行いだ。
「だからオレたちのために無理してるって言うならやめろ」
オレは少しだけ語気を強め、そう言った。
「…………私、……ます」
愛里は小さく呟く。
それこそ蚊の鳴くような声で。
しかし、もう一度口にした言葉は――
「………私、やるよ……」
より確かなものだった。
「朝霧くんのため、須藤くんのため……もちろんDクラスのためでもなく、私は私のために戦う。自分のために今日の場で発言する。だから無理なんかじゃない……!」
もう以前までの愛里ではない。
今日、この瞬間から愛里は蛹から蝶になったのだ。
もう心配する必要はないだろう。
「ありがとう、朝霧くん」
「……あ?」
「朝霧くんは否定するだろうけど、私は朝霧くんのおかげで今この場に立ってる」
否定するも何もオレは本当に何もしちゃいないんだが……。
「……だからありがとう、だよ」
そう言って、微笑んだ愛里の顔は確かに本物だった。
すぐに放課後はやってきた。
つまり時間はすぐそこに迫っているということだ。
オレ以外の関係者たちは、チャイムが鳴り終わると同時に立ち上がった。
「心の準備はいい? 須藤くん、朝霧くん」
「ああ……もちろんだ。俺は最初から準備万端だぜ」
「………………」
いやあ、なにわ探偵シリーズは最高に面白いな。
オレはなにわ探偵シリーズの最新巻をようやく読み進めていた。
最近は色々と忙しく、結構前に買ったはずの最新巻が未だに読み終わっていないという事実に一限目が始まってからようやく気がついたのだ。鞄の中で悲しく眠りについていた本の数々。その中でも一際埋もれていたのがその本だった。
オレは、今……最高に生を感じている。
これが生きているってことか。
「――そう思わないか?」
「そう思わないか? じゃないわよ、いったい何をしているのかしら?」
「何って読書に決まってるだろ、マヌケ」
見てわからないのかしら。
これだから頭がガチガチの脳まで処女は困るわね……。
「ってやめろ! コンパスの針を耳の穴に入れようとするな!?」
あ、あぶねぇ……!
こいつ本気で耳の穴に刺すところだったぞ!?
「いつまでもふざけてないで行くわよ、時間が迫ってるのよ」
「ちょっとくらい遅れても文句は言われないだろ? あと107ページくらい読ませてくれたっていいじゃねぇか」
「107ページがちょっとだけなわけないでしょう」
ああ言えばこう言いやがって……。
「それに遅れていくのは心象が悪いわ。ただでさえ印象最悪なのだから」
「へいへい……」
オレは仕方がなく、本当に仕方がなく……本を閉じることにした。
待ってろよ、なにわ探偵。
オレは現場に必ず帰ってくるからなーー!
……話し合いは4時からだったか。
そして、今の時間は3時55分といったところだ。
めーっちゃくちゃギリギリだった。誰のせいなんだ?
間違いなく先生のせいだな。まったくこれだから先生は役に立たないって生徒に言われることになるんだぞ、わかってんのか、佐枝ちゃんセンセー。
職員室に向かう道中、愛里の様子を確認してみたが絶好調そうだった。
愛里曰く、今日ほど気持ちが軽い日ないとか何とか。
逆に大丈夫だろうか。大丈夫だろう。深くは考えないことにした。
「やっほ~、Dクラスのみんなこんにちは~」
職員室に入るなり、脳みそがお花畑で染まってそうなヤツが迎え入れてくれた。
こいつはBクラスの担任らしい。
「なんだか大変なことになっちゃったんだってね」
「なんなんだこいつ」
率直な感想が口から溢れる。
おっと、つい口が滑ってしまった。
「あ~!? 今、失礼なことを言ったのは誰!?」
「こいつです」
そう言って、オレは健の肩に手を乗せる。
「ん~? 君は確か……暴力事件で――」
「ち、違うっすよ!? 俺じゃねえよ!?」
健は全力で否定するが、Bクラスの先生は訝しげにじっと目を見つめる。
「ったく何をやってるんだお前は」
「あれま。もう見つかっちゃった」
その先生の後ろからやってきたのは、我らが担任の茶柱先生だった。
「お前が騒ぐと大抵煩いからな。すぐに気が付くに決まってる」
てへっ、と可愛らしさを演出する先生だったが、鬼の前ではまるで効力を発揮できそうになかった。
「私も参加しちゃダメ?」
「ダメに決まってるだろう。部外者は参加を許されていないのはよく知っていることだろう。そこに例外はない」
「ちぇっ。ま、1時間もしないうちに結果なんて出てるだろうしねえ~」
そして、素直に諦めたのか頭緩そうな先生はどこかへ去っていった。
「さて、行くとするか」
「職員室で行うわけではないんですね」
「当然だ、と言いたいが……こういう場合の事件では問題のあったクラスの担任とその当事者たちと生徒会との間で決着がつけられる」
生徒会、という単語を聞いた瞬間……鈴音の足が止まった。
茶柱先生はそれを予期していたのか、後ろ振り返り鋭い瞳で掘北の顔を覗き込む。
「やめておくなら今のうちだぞ、掘北」
この場でたった一人、事情の知らぬ健だけがよくわからずにいた。
愛里も深く事情は知らないだろうが、生徒会長の名が掘北兄であることを知っているからだろうか、並々ならぬ事情があると察したのだろう。よって健だけが仲間はずれにされていた。哀れ、須藤健。
「……大丈夫です。私が後ろを向いては意味がありませんから」
ちらりと愛里と清隆に目を向け、鈴音はそう言う。
「問題がないのならば構わない」
1階フロアから4階フロアへ上がり、オレたちは生徒会室前までやってきた。
ここがあの男のテリトリーか。
茶柱先生は律儀に生徒会室の扉をノックした後、少し待ってから扉を開け、そのまま足を踏み入れた。その後をオレたちは黙ってついていく。
生徒会室の中はまるで裁判所を思わせるような雰囲気だ。U字型に配置された机にはそれぞれが向き合うような形で教室のよりも座り心地が良さそうな椅子が複数設置されており、奥の裁判長席とでも言えばいいのだろうか。そこには生徒会長である掘北兄が悠々自適に座っている。その居様には長たる実力が金備わっているかのように隙がない。そして、すでにCクラスの連中やその担任であろう男がすでに揃っていた。それもそうだろう。なんたって3時58分だ。
そのほかの事と言えば、薄型の大型モニターや大規模なウォーターサーバーに大きな本棚といった必要最低限な感じのものが揃っているくらいか。
「ちわーっす……ってぐぇあ」
なので入室の挨拶は必要だと思い、中にいるCクラスの連中や先輩方などに向けて挨拶をしたのだが、それが気に食わなかったのだろう。まるで柔道着でも掴まんばかりの勢いで後ろに引き戻される。
「ちょ、ちょっとあなた何を考えているの?」
鈴音が小声でしょぼしょぼと話しかけてくる。
オレは急に耳の中に耳垢が溜まっていないかがとても心配になった。
「なあ、オレって耳の中汚くないよな?」
「安心しなさい、そんなところはまるで気にもしていないわ」
「そいつはよかった」
女子に耳垢が溜まってるなんて噂話を広められたら生きていけなくなるところだった。
「で、何だよ」
「もっと節度ある態度というか、もっと真面目にしてちょうだい」
「恥をかきたくない、か?」
「そうよ」
「だったらもう遅いと思うぜ」
ほら、といった感じで生徒会室の中に手を向ける。
そこにはオレたちに全員の視線を集まっていた。
「――――」
よほど緊張していたのだろう。
普段ならオレの態度ぐらいはスルーすればよかった。
だが生徒会室である兄の前では立派でありたいという思いが先行し、そのような行動に走らせた。
ふっ、まだまだだな……。
なーんて、言おうものなら後で刺される程度じゃ済まなさそうなので心のうちに留めておくことにする。
「まあ、気楽に行こうぜ」
絶句する鈴音に向かってそう言い放ち、オレは生徒会室に再び足を踏み入れる。
そして、適当な席に腰を下ろす。
「……よっこらせ」
そんなオレを見て、鈴音たちは生徒会室に入ってきた。
そして、それを見ていたのは他の連中も同様だった。Cクラスのヤツなんかはバカを見る目でこっちを見てきているし、Cクラス担任のアラサー終わりかけって感じのメガネ男は少しだけ興味深そうにこちらを見ているが、そんなのはどうでもいい。
オレが一番気になるのは――掘北兄の隣に立っている女だった。髪はセミロング程度といったところであり、それをお団子ヘア……こういうのを何て言うんだ? ハーフアップツインっていうだろうか……まあ、何でもいいか。とにかく名前こそ知らないが隣に立っているということは腹心の部下あるいは右腕といったところだろう。その女がオレを睨んでいるのが少しだけ気になったが大したことじゃない。
少しだけ気になったのに大したことじゃないって?
それこそ大したことじゃないから気にするな。
「遅くなりました」
「確かに数秒は遅れたでしょう。しかし、彼が入ってきた時点ではまだ予定時間前でした。よってセーフということにしますが次からは時間に気をつけてくださいね」
「は、はい……すいませんでした」
鈴音はオレのおかげでセーフと言われたにも拘らず、頭を下げて謝っていた。
「そういえばお前たちは面識がなかったな」
またお得意の茶柱流直前説明が始まってしまった。
そのクセ治した方がいいんじゃないか?
それともわざとなんだろうか……。
「彼がCクラスの担任、坂上先生だ」
坂上って感じの顔してるもんな。
「それから――すでにご存知だとは思うが奥に座っている彼こそがこの学校の生徒会長だ」
そこは名前を言えよっ!
何のために紹介したんだよっ!!
絶対にまた話が止まるから口に出さないが、内心で大きくツッコんだ。
それはもう盛大にである。
そんなこんなで鈴音たちも席に座る。
「これより先日に起きた『暴力事件』についての審議を執り行いたいと思います。今回の事件の関係者であるCクラスからは小宮叶吾くん、近藤玲音くん、石崎大地くん、担任の坂上先生。Dクラスからは須藤健くん、朝霧海斗くん、担任の茶柱先生。そしてDクラス関係者の同席者には、掘北鈴音さん、綾小路清隆くん、佐倉愛里さんの3名。最後に生徒会からは私こと書記の橘茜と掘北学会長が進行役として参加させていただきますが、基本的には私が進行させていただくこととします。よって以上の12名が正式な参加者となります。それ以外の人物に関しては証人として扱いますので私に直接お伝えください。質問はありますか?」
その読み上げは実に慣れたもんだった。
彼女が次々と参加者たちの名前を読み上げ、その度にモニターで各人物の簡易的なプロフィールとステータスが表示されていく。そこには当然ながら生徒会メンバーのプロフィールもあり、二人がAクラスで有能な人材であることが証明された。この場で彼らに不用意な嘘や誤魔化しなどは通用しないと見ていいだろう。
「まさかこの程度の諍いに生徒会長自らが足を運ぶとはな。珍しいこともあるのだな。いつもは橘だけのことが多いだろうに。何か深い事情でも?」
最初に声を上げたのは、意外にも意外や茶柱先生だった。
「……日々多忙であるが故に参加を見送らせていただくことも多くはありますが、原則として生徒会長である私は立ち会うことを理想とし、生徒会に在籍させていただいておりますので……ただ、それだけのことですよ、茶柱先生」
「あくまでも偶然、というわけか」
この二人の意味深な会話……。
それををオレ流に翻訳してみたんだが聞いてくれ。
『くくっ、まさかとは思うが可愛い妹がいるという理由だけでこの場に足を運んだのではないだろうなぁ? だとしたら生徒会長もお可愛いもんだな』
『ふっ……それこそまさかですよ。生徒会長である私が妹を理由に参加を決めたと? それは茶柱先生の妄想に過ぎませんね。私が参加したのは生徒会長という任を果たそうと思ってのこと。それ以上でもそれ以下でもありません』
『生徒会長であるお前がそう言うならそうなんだろうな』
……である。
どうよ、この推理力。
完璧すぎて惚れ惚れしそうだ。
しかし、思っていたよりも鈴音は固まっているな。
この状況はあいつにとって予想外のことだったのだろう。
いつも通りのポテンシャルを発揮することは期待出来なさそうだった。
「では次は事件の詳細について整理し、簡易的ながらも説明させていただきます」
モニターに色々と表示させ、周知となっている事件の詳細を茜は滔々と語っていく。
あまりにも退屈すぎてプリントで鶴を量産してしまったぜ。
「――よって、以上が事件の詳細となります。それでは、ここから……どちらの主張が偽られざる真実なのかを見極めさせていただきたいと思います」
ようやく茜は語り終え、一息つく。
ここからが本番だ。
「……まず、小宮くんと近藤くんの両名は、同じくバスケットボール部である須藤くんと朝霧くんの両名に呼び出され、特別棟に向かった。そこで待ち伏せするような形で一方的に喧嘩を吹っかけられ、抵抗することも出来ずに殴られたと主張しています。須藤くん、朝霧くん……それは事実ですか?」
「そいつらの言っていることは何もかも嘘だ。むしろ俺たちが呼び出されたんだよ」
「ま、そうだな」
健の言っていることは何一つ間違っていない。
オレたちは誘われるがままについていっただけだ。
「ではより詳しく事実をお願いします」
「俺、あの日はこいつをバスケ部に誘おうとして一緒にバスケをやってたんだ。そしたら先生が海斗のことをバスケ部に誘ったんだが、面倒だっていう理由で断ってよ……それが気に食わなかったんだろ。そしたらよ、部活が終わると同時にこいつらが待ち構えるようにして待ってたんだ。そして特別棟に来るように言われた。元々こいつらにはムカついてたからな、行かない理由はねえよ。それで向かった。それが事実だ」
「……まあ、そうだな」
その話を聞いて、Cクラスの担任である坂上先生は目丸くしている。
それもそうだろう。オレたちの発言と小宮・近藤コンビの発言とでは何もかも違う。
記憶の食い違いってレベルじゃない。どちらかが明らかに嘘を吐いていることは明白だった。
「それが嘘です。僕たち須藤くんたちに呼び出されたという事実は変わりません」
「ふざけんなよ、てめぇ! お前らが俺らを呼び出したんだろうが!」
「まったくもって見に覚えがありません」
どこの政治家だ、お前は
健は苛立ちが限界突破してしまったのだろう。
机を大きく叩くようにして威圧する。
「少しは落ち着いてください。今は双方の話を聞いている段階ですからね。それぞれに聞いた時にだけ返事をしてください。いいですね」
「……ちっ」
納得はいかないようだが、ここで食い下がっても逆効果だとわかったのだろう。
健はふんっ、と腕を組みながら席を座る。
「では双方ともに呼び出しがあったという解釈をしますが、これでは話が食い違ってしまいますね。しかし、お互いの間でハッキリとしている事実もまた存在する。それは両者……小宮くんと近藤くん、それに須藤くんとの間で明確な揉め事が以前からもあっということです。これに関してはどうなんでしょうか。次はお二人ともに聞きたいと思います」
どうやらターン制バトル方式みたいだ。
「いえ、揉め事というほどのことはありません。ただ、彼――須藤くんがいつも僕たちに絡んでくるんです」
「絡む、とは。出来るだけ詳細にお願いします」
健はそのことで睨みつけるが、小宮と呼ばれた生徒は飄々と言葉を続ける。
「彼は僕らよりもバスケが上手い。恥ずかしい話ですがこれは周知の事実です。そして、彼はそのことを毎回のように自慢してくるんです。僕らもそれは自覚はしているので、懸命に努力はしています。いつかは彼のように上手くなる、のは間違いないと信じていますが、しかし今は弱いままです。そして、彼はそれをバカにしてくるんですよ。それはもう心が折れそうな勢いで。なので僕たちは彼のことをよく思っていません」
その話は初めて聞いたが、健の様子を見るに多少の脚色はありそうなもんだった。
しかし、全部が全部ウソということもないだろう。少なくとも無自覚のうちに彼らのプライドをズタズタにしている可能性は大いにありえる。つまり証明は難しい。
「つまり、お互いに火種は十分と」
「嘘つくんじゃねえよ! 大体いつも妨害してくんのはそいつらだ! そうだろうが、ああん!?」
これじゃ埒が明かない。
茜も同じように思ったのだろう。
「……まずは両名の言い分を信じることにします。しかし、これでは話はいつまで経っても平行線です」
問題はここからだ。
愛里という切り札を切れば、形勢は一気にこちらに傾く。
ほんの少し、鈴音が何もせずに呆然としている様子が気になったが――まあ、いい。
オレは愛里にアイコンタクトを送り、発言のタイミングを教えてやる。
「なので次の問題に移り――」
「あ、あの……!」
佐倉が手を上げ、意思を表明する。
「あなたは佐倉愛里さんですね。何でしょうか」
「わ、わ、私は重要な証拠を、持っています……」
「ほう……」
茶柱先生が僅かに感嘆の声を漏らす。
それもそうだろう。
あの愛里が自ら手を上げ、証拠を提示すると言ったのだから。
それに驚いたのは、茶柱だけではなかった。鈴音もまた愛里の行動に驚きの目を向けていた。
「やたらとDクラスの人数が多いとは思いましたが、まさか彼女から重要な証拠という言葉が出てくるとは思いませんでしたね」
それはいったいどういう意味だ?
「それで重要な証拠、とは?」
「…………あ、あのっ……私、は…………っ」
愛里は自ら証言台へと立った。
自らの意思で。
しかし、そのさきの言葉が出てこなかった。
10秒、20秒、30秒――時間が経てば、経つほどに言いにくくなっていく。
誰かが憐れみの目を向け、誰か諦観の目線を送り、誰かが嘲笑する。
もはや愛里の顔が真っ青だった。先程までの自信はどこにもない。
「佐倉さん……」
あれほどまでに固まっていたはずの鈴音でさえ、愛里に小さく声をかける。
それが却って彼女を、ひいてはDクラスの連中を失望させているのだと自覚させられるのだ。
「どうやら彼女には証拠能力はないようですね。これ以上は時間の無駄です」
「何を急いでいるんです坂上先生」
「急ぎたくもなりますよ。このような無駄なことで、無駄に時間を取らせてしまったことで私の生徒たちが苦しんでいるんですよ? 彼らはクラスのムードメーカーでもあり、多くの仲間たちが心配しています。それに先ほど彼らが発言していたようにバスケットにも真摯的に向き合っているのです。その貴重な時間が奪っているということを自覚してほしいですね」
「そうですね、そうかもしれません」
茶柱先生もまた坂上先生の言葉に同意を見せ、引いていく。
この場で誰もが本当の彼女を見ていない。
「これ以上は時間の無駄、とするしかないでしょう。もう座っていいぞ」
もう誰もお前には期待していないぞ、と言わんばかりの言葉と視線を浴びせられ、愛里はぴりくと身体を震わせた。目を伏せ、拳を強く握り、次第に脱力したかのように力が抜けていく。誰もが彼女には期待していない。
――だが、オレは知っている。
こいつは自分という存在に
――なら心配する必要もなければ、信じる必要さえない。
「――私は、確かに見ました。この目でしっかりと見たんです!!」
その声は静謐で、力強く、大きく、しっかりとしたものだった。
この場にいた誰もが愛里に目を向ける。それでもなお、愛里は目を反らさない。
「最初にCクラスの生徒が須藤くんに殴り掛かったんです。それに間違いはありません!」
これまでの雰囲気とは異なる愛里の姿に誰もが呑まれていた。
しかし、それもつかの間のこと。
真っ先にそこから脱したのは、Cクラス担任の坂上先生だった。
「本来、こういう場で大人である教師が生徒よりも表立って口に出すべきではないと理解はしているが、この状況は我が生徒たちが不憫でならない。よって発言させてもらってもよろしいかね、生徒会長」
坂上先生はスッと手を挙げ、生徒会長に発言権を求める。
「許可します」
「佐倉くんと言いましたね。私は君のことを疑っているわけではないのだが、それでも一つ聞かせてくれ。君は随分と目撃者として名乗り上げるのが遅かったようだ。本当に見たと発言するならば、もっと早くにすればよかったはず。しかし、君はそれをしなかった……それは何故かね?」
それは至極当然の疑問だった。
誰もが急な愛里の出現を訝しむことだろう。
「それは、巻き込まれたくなかったからです。私は、普段から人と話すのが得意な方ではありません。でも、そのままではいけないと思ったからこそ、こうして名乗りあげることにしました。私が持つ証拠で朝霧くんや須藤くん……Dクラスを救うために、です!」
「なるほど、なるほど。それは立派なことですね。しかし、それはあまりにも都合が良すぎではありませんか? あなたのように気が弱く、人と話すことさえ苦手な君がこの土壇場に立つ意味……それはDクラスが口裏をあわせ、あなたに嘘の証言をさせるように強要した。そう考えるのが妥当だ」
彼ら、Cクラスの連中も坂上先生に同意するようにして頷く。
だがお前らが相手にしているのは進化を果たした佐倉愛里だ。
「そう、かもしれません……なのでこれを私は用意しました。これが私があの日、あの瞬間、あの場にいたという確かな証拠です」
佐倉が取り出したのは、一つのフラッシュメモリー。
つまり物的証拠というヤツだ。
ちょっとワクワクしてきたな。
「……会長」
フラッシュメモリーを受け取った茜は、堀北兄に自ら手渡す。
そして、それを確認した堀北兄が窓のブラインドを下ろし、暗くなった生徒会室の中でメモリーの中身が映し出すのだった。そこには数々の写真が映し出されており、今の愛里と相違ないが、別の側面である姿が写っている。笑顔はより自然で、普段の姿とはまるで似ても似つかない姿。そんな姿にCクラスの連中は息を飲む。
「私は……あの日、自分を撮るために人のいない場所を探していました。そこで見つけたのが特別棟です。そして、その写真の中には実際に暴力事件が行われていた時の写真もあります。それに日付もあるので、確かな証拠になるはず、です……」
最後に映し出されのは、オレたちが取っ組み合おうとしている瞬間のものだった。
これ以上の証拠ともなれば、そうは存在しないだろうな。
ならばこれは勝ったも同然か?
「これで私の証拠は以上になります……私がそこにいたということを信じてもらえたでしょうか……」
「ありがとう、佐倉さん。これ以上とない立派な発言と証拠だったわ」
あの鈴音が手放しで褒めている。それだけに愛里の頑張りが理解出来るってもんだ。
今日、この場で最も頑張ったのは、他の誰でもない愛里だろうからな。
誰もが認めざるを得ないだろう。
「……どうやら嘘偽りはどこにもないようだ。その点に関しては素直に認めざるを得ないでしょう」
しかし、断固として認めない者もまた存在していたのも事実だ。
「……ですがこれでは重要な部分が不明瞭です。それはどちらが先に仕掛けたか、という問題です。あなたが仮に最初から最後まで見ていたとしても、確証には至りません」
それは確かにそうかもしれないな。
明確に決着をつけるには一手足りない、か。
……やっぱりな。
「……どうでしょう茶柱先生。ここは落としどころを模索しませんか」
「落としどころ、ですか」
「今回、私は須藤くんが嘘をついて証言したと確信しています」
「てめ――!!」
今にも飛びかかろうとした須藤を清隆が手を掴み、強引に止めた。
「いつまで続けても話し合いは平行線でしょう。私たちは証言を変えませんし、あちら側も目撃者と口裏を合わせ諦めない。つまり相手が嘘を吐いていると応酬して止まない。この写真もどちらかを決める決定的証拠としては弱い。……そこで、落としどころです。私はCクラスの生徒たちにも幾ばくかの責任があるものと思っています。そこで須藤くんと朝霧くんには2週間の停学、Cクラスの生徒たちには1週間の停学……この罪の重さは相手を傷つけた差ということにしましょうか」
……それが落としどころ、ねぇ。
オレにはただ負けを認めたくないだけに思えるぜ。
ただ負けるのは我慢ならない。ならば、痛み分けといこう。
つまりはそういうことだろうな。
「ふっ、ざけんなゴラ!! んなの冗談じゃねえ!」
「茶柱先生。あなたはどう思われますか?」
もはや坂上先生は健を相手にはしない。
こいつは戦いを終わらせるつもりだ。
「結論はすでに出たようなものでしょう。坂上先生の提案に断る理由はありませんが――」
茶柱先生はそこで言葉を一旦止め、先ほどから黙っているオレの方に目を向け、
「朝霧、お前はどう思う」
あろうことかオレに振ってきやがった。
「……あ?」
「何か言いたいことがあるなら今のうちだぞ」
わざわざ自分から言うつもり何もなかった。
なかった。なかったが――せっかくだから何かを考えてみるか。
オレは深く息を吸い込み、オレは思いっきり机に踵を叩きつけた。
あまりにも思いっきり叩きすぎて机が割れていないか心配になったが、どうやら無事なようだ。
さすがは生徒会御用達の高級品なだけはあるぜ。
部屋を全体を支配するほどの轟音に全員の視線が集まる。
さっきまで眠そうにしていたコンドーム野郎や金髪なんかも目をひん剥きながらオレを見ている。
「オレが言いたいのはだな――」
オレの言葉を今か、今かと全員が待っている状況。
隣の鈴音や清隆なんかはオレが何を言い出すのか、といった様子でこちらを見ている。
目の前に座っているCクラスの連中もまた何を言い出すのかとビクビクと怯えていた。
そして、奥の席でふんぞり返っている男――堀北兄だけがオレに対して意味深な目を向けていたが、こいつはいつも意味深だからな、例外だ。
「――いや、やっぱ何もねえな」
オレなりに何かひねり出そうとはしてみたんだが、やはりないものは何もなかった。
そんなオレの発言に対して、全員が馬鹿を見るような目でオレを見ているのがわかる。
「はあ……」
鈴音なんかは頭を押さえてやがるぜ。
本当に失礼なヤツだな、まったく……。
「もういいでしょう。これ以上は時間の無駄というものです。では最後にDクラス代表の堀北さん。意見をお聞かせください」
オレが余計なことを言ったからか、坂上先生の表情はやたらと余裕そうだった。
よし、そのムカつく顔面に一発食らわせてやれ。
「分かりました……」
鈴音はゆっくりと立ち上がり、そのまま坂上先生の前まで向かっていき……その顔面を強く引っ叩いたのだった。――ってのは冗談で、鈴音は言葉を発する。
「私は今回の事件を引き起こした朝霧くんと須藤くんに大きな問題があると思っています。何故なら彼らは日頃の行いを、周囲への迷惑をまるで考えていない考えなしだからです。不真面目な性格、すぐに手を上げる短気さ、喧嘩っ早さ……そんな人間が騒動を起こせば、こうなることは自明の理」
「て、テメェ……」
「いやあ、それほどでも……」
「……この通りというわけです。あなたたちの態度こそが全ての元凶であることを自覚しなさい」
おかしいな、全力で自覚したはずなのに自覚していない扱いとはこれいかに。
「なので私は彼らを救うことには消極的でした。無理に手を差し伸べ、全力で救ったところで利益がないのは目に見えていますし、これからも似たようなことを繰り返すでしょう」
「よく正直に答えてくれました。これで決着が付きそうです」
「これだけ真っ向から褒められたのは初めてだぜ」
「……褒めてないわよ」
きっ、とオレのことを睨みつけてくる鈴音。
紛らわしいことを言いやがって……と、思うのはこの世の中でオレだけなんだろうなあ。
「率直なご意見をありがとうございました。着席してください」
しかし、いくら経っても鈴音は座る気配を見せようとはしない。
「着席されて大丈夫ですよ?」
数秒、十数秒と経ち、それでもなお座ろうとはしなかった鈴音に対して茜が再び優しく声をかける。
それでも鈴音は座ろうとしない。座らない。まだ言いたいことがあるってことだろう。
現にこうして立っているのがその証拠だ。
「……彼らは特に反省すべきです。ですが、それは今回の事件に対してではありません。自分を見直すべきという意味での反省点です。今、こうして話し合われている事件に関しては――私は彼らに一切の非はないと思っています。何故ならば、それはこの事件が偶然起きてしまった不幸な事故などではなく、Cクラス側が仕組んだ意図的な事件だと確信しているからです。であればこのまま泣き寝入りするつもりは毛頭ありません」
長い沈黙を破ったのは、そんな言葉だった。
「――ほう。それはどういうことだ」
ここに来て初めて、堀北兄は妹である鈴音に興味の目を向けた。
その発言が根拠のあるものなのか、それとも単なる強がりから来る虚言なのか――といった力強い目だ。
もしも、これが単なる虚言であったのならば、堀北兄は一切の容赦をしないだろう。
そんな兄の試すような目から反らすことなく、鈴音は言葉をより強く続ける。
「ご理解が頂けないようでしたら、改めてお答えします。私たちは今回の事件において『完全無罪』を主張します。よって、罰則は到底受け入れることではありません」
「ははっ……何かを言うかと思えば、この事件が意図的な事件? それは些か飛躍しすぎというものです。どうやら生徒会長の妹といえども所詮はDクラスと言わざるを得ませんね」
「何と言われても私は主張を変えるつもりはありません。目撃者である佐倉さんの言うとおり、彼らは被害者です。どうか間違いのない判断を」
「僕たちこそが被害者です! 生徒会長!」
「なっ、ふざけんなよ! 被害者は俺だ!」
「そうだそうだ」
せっかくだからオレも乗っておくことにする。
「そこまでだ。これ以上の話し合いは時間の無駄だろう」
ここまでだ、と堀北兄が告げる。
「今回の話し合いでわかったことは、お互いの主張は常に真逆。つまりどちらかが確実に嘘を吐いているということになるということだ」
最初は単なる喧嘩というだけの話だったはず。
それは次第に大きくなり、DクラスとCクラス……それに生徒会までもを巻き込んだ大事件となってしまった。
もしも、それでどちらかの悪意ある嘘がバレれれば停学だけでは済まないかもしれない。
だからこれはお互いの退学を賭けたバトルみたいなもんだ。
その決着もう近い。
「Cクラスに聞こう。今日の話に間違いはない、と生徒会である私に言い切れるのだろうな?」
「も、も……もちろんです」
「ならDクラスはどうだ」
「俺も嘘は吐いてねえ。誓って全部本当のことだ」
Cクラスの男は目をそらし、健は真っ向から真実であると誓ってみせた。
この時点ですでにどっちが本物の嘘つきかはわかったようなもんだ。
「――では、明日の4時にもう一度再審の席を設けることにする。それまでに相手の明確な嘘、あるいは自分たちの非を認める申し出がない場合、出揃っている証拠で判断を下すことになるだろう。場合によっては退学措置も視野に入れる。以上だ」
……堀北兄の手によって、今日の話し合いに明確な終止符が打たれたのだった。
それぞれが帰っていく中、愛里だけが廊下で蹲るようにして泣いていた。
「ごめんね、朝霧くん。私が、もっと早くから名乗り出てさえいれば、全部大丈夫だったはずなのに……私に勇気が、自信が、なかったから……こんなことになっちゃった……」
先ほどまで自信に溢れ、あの鈴音でさえ認めてい彼女の姿はどこへいったのか。
そこにいたのは、いつもどおりの佐倉愛里という一人の人間だった。
オレはそんな愛里の隣に腰を下ろす。
「馬鹿だな、お前は」
「う、ううっ……」
おっと、言葉のチョイスを間違えたか?
だが、間違えたことは何一つ言っていない。
こいつは間違いなく馬鹿だ。
「昨日も言ったと思うが、すぐに謝るな」
「………………」
「オレが何事も積み重ねが大事だって言ったのを覚えてるか?」
「…………うん」
「それでお前は勇気を出し、今日という話し合いの場に参加することが出来た。それでいいじゃねえか」
「でも……! 私は……!」
「でもじゃない。それが大事なんだろうが」
自分を許せない気持ちがあるのは別にいい。
それは成長の出来る人間にしか出来ないことだ。
自分を許せないなら、いつかそれを許せるように頑張ればいい。
それだけのことだろう。
「お前はいっぺんに何でもやりすぎなんだよ」
素を出すのが怖くて、勇気を出すのも苦手で、人に接するのも苦手。ましてや自分の意見を通すなんてのは無茶も無茶。
「それでもお前は見事にやるべきことをやってみせた。それは誇ってもいいことなんじゃねえか?」
正直、オレはこいつがここまで成長するとは思ってもいなかった。
いいところが参加するところまでが関の山だと思っていた。
だがそうじゃなかった。こいつは最初から最後までやり遂げてみせたんだ。
「もし、この先――同じようなことが訪れた時のお前の姿は今とは違う姿になっているだろうからな」
その努力を馬鹿にしていい権利は誰にもないはずだ。
「それを人は『成長』って言うんじゃねえか?」
――なんてな。
オレらしくもないことを口にしてしまったもんだぜ。
「――ありがとう、朝霧くん」
愛里は涙を拭い、笑顔でオレに謝罪の言葉ではなく感謝の言葉を述べたのだった。
「それはいいが鼻水で台無しだな」
「……!?」
慌ててハンカチを取り出し、拭こうとする愛里。
「冗談だ」
「ひ、ひどい……」
そんなこんなで愛里は泣き止み、オレたちもまた帰ろうとする。
「――朝霧。それに佐倉と言ったか。お前たちまだいたのか」
そこに片付けを終え、戸締まりをし始める堀北兄と茜が出てきた。
「こいつがぴーぴーと泣くもんだからな。仕方がなくってやつだ」
「……うっ」
さすがに自分が悪いと思っているからか、愛里はバツの悪そうな顔をする。
しかし、以前までならすぐに謝ってたな。
「……なるほどな。ようやく合点がいった」
「あ?」
「いや、こちらの話だ」
「だったら心の中で済ませておけよ」
「それもそうだな」
……本当に何を考えているのかわからない男だ。
「さて、オレは用事があるから帰るわ」
「あ……」
オレを引き止めようとする愛里だったが、何を思ったのか引き止めることはしなかった。
そのままオレはその場を後にしたのだった。
――翌日、1通の通知がDクラスの生徒たちの元に届いた。
その内容はCクラスの小宮叶吾、近藤玲音、石崎大地の3名がDクラスに対しての訴えを取り下げるというものだった。当然ながら、その事実にDクラスの生徒は騒然とする。
それもそうだろう。昨日までは断固たる意思で無罪を主張していたCクラスの連中だ。それが今日になって訴えを取り下げたのだから疑問に思わない方が不自然というものだろう。
何故、どうして、どういうことだ――と、生徒間で囁かれ、あらゆる噂と噂とが重なり合い、情報が錯綜していく中で一部の生徒だけが事態を考察しようとしていた。しかし、いくら考えたところで本当の真実には辿り着けないだろう。何故ならば、真実はすでに
もし、それが明るみになるということは――Cクラスの自滅を意味するからだ。
こうして、CクラスとDクラスとの間にあった事件は決着したのだった。
7月中に投稿する予定だったのですが、夏バテとかで色々とやられていました。
次回の投稿も8月中には……と、言いたいところではありますが原作者リスペクトで遅くなるかもしれません(とても失礼)
そういえば原作第二部2巻よかったですね