美しさは時に罪となり得る。

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故に、抱いた想いは必然だった。

「はぁー……だっるいにゃあ……」

 

 学校の廊下を一人歩く少女は徐ろにそう呟く。

 鎖骨が覗く、胸元が開けられたYシャツに、緩められたリボンタイ。その上から着ている灰色のカーディガンは少女が細身なこともあって、袖も裾もかなり余っている。スカートの丈はなんとかギリギリカーディガンの裾の下に端が見える程度の短さであり、その健康的に引き締まった脚を包む黒のスパッツが見えてしまっていた。

 彼女が歩く度に揺れる、緩くカールのかかった紫髪は風に靡く八重藤のようで。しかしそんな目立つ彼女であったが、メイクだけは控えめであった。

 とは言ってもそれはメイクだけ自重したわけではなく、自らの顔の造形が端正であると彼女自身が自覚しているからこそであり、実際彼女の元々の良さを引き立てるようにそのメイクは施されている。所謂ナチュラルメイクと呼ばれるそれは、決してただ盛るだけのメイクではなく、けれど簡単に済ませるわけでもなく。元の美しさがより映えるように、そして美人特有の鋭い美しさを和らげ、親しみやすい柔和な印象を生み出すものだった。

 

 美しく、また同時に可愛く仕上げられた彼女は本来であれば道行く人の視線を集めてやまなかっただろうが、しかし今は彼女に向けられる視線は存在しない。

 なにせ今は朝のホームルーム開始数分前。生徒は誰もが教室に戻り自席に着いているような時間であり、モチベーションが上がらずゆっくり歩いて登校してきた彼女のように遅刻でもしていなければ廊下に人がいないのが当然だった。ましてやこのままだと遅刻だというのに、彼女のように呑気に歩いている人などいるわけもない。

 

「―――見つけましたよ」

 

「げぇっ、氷川ちゃん!?」

 

 ただまぁ、世の中例外というものはあるもので。

 

「ど、どしたのさ、もうすぐホームルーム始まるよ?」

 

「今日は風紀委員の取締があったため、ホームルームの参加は免除されています。それと、先輩に対しては敬語を使い、ちゃん付けなどしないように」

 

「相変わらずお堅いなぁ、氷川ちゃんは」

 

 そう少女は茶化しながらも、曲がり角から突如現れた少女―――氷川紗夜からじりじりと後ろに下がって距離を取ろうとする。

 何故なら氷川紗夜はこの学校の風紀委員。それはつまり、少女と氷川紗夜の関係は取り締まる側と取り締まられる側であるということ。

 

「風紀委員なのですから当然です。……さて、こちらも同じことを問わせていただきますが、もうすぐホームルームが始まるというのに、風紀委員でもないあなたが何故呑気に廊下を歩いているのですか?」

 

「あー……えー、っと、ですね……」

 

「加えて、以前注意したにも関わらず、今も他校の制服、それも改造したものを着ているようですが?」

 

「……あー……」

 

「何か、弁明は?」

 

「………………」

 

 沈黙が流れる。目を泳がせながら相変わらずじりじりと下がっていく少女と、真っ直ぐと少女のことを見つめ続ける氷川紗夜。そのまま、幾ばくかの時が流れ。

 

 ―――校舎に鳴り響いたホームルーム開始のチャイムの音に、少女は弾かれるようにして、氷川紗夜がいるのとは反対の方向に走り出した。

 

「待ちなさいッ!!」

 

 そしてそんな少女の行動を予測していたのか、少女が走り出すとほとんど同時。氷川紗夜もまた少女を追うために走り出す。

 

「紗夜ちゃん!廊下は走っちゃいけないんだぜぃ!?」

 

「風紀委員は校則違反常習者であるあなたを捕まえる場合に限っては教師の方から走ることを許可されています!!」

 

「うっそだろオイ」

 

 予想外の事実に口からマジトーンの言葉が漏れつつも、少女はこのまま障害物が何もない廊下を走っていては氷川紗夜を撒けないと思案する。

 少女は身体能力なら氷川紗夜に負けないという自負はある。しかしだからと言って走る速さ自体はさほど変わらない。このままだと捕まりはしないが、逃げ切ることもできないだろう。

 ならばどうすべきか、そこまで考えて少女は目の前に現れたものを見てほくそ笑んだ。

 

「あ!お前らなに廊下走って―――」

 

「ちょいとてんてーごめんねー!!」

 

 曲がり角から現れた教師を認識した瞬間、少女は避けるために減速するどころか更に加速。あわやぶつかってしまうというその直前に跳躍、身を捻って床と平行になることで天井と教師の頭上の隙間へと入る。そこから更に一瞬だけ教師の肩に片手を置き、手首のスナップで前方への加速を得て教師の頭上を飛び越えることに成功する。

 

「即席障害物ありがとうてんてー!」

 

「なぁっ、おまっ……次会ったら家に帰ってない件も含めて説教だかんなー!!」

 

「気が向いたらねー!!」

 

 教師からの言葉を軽く流した少女は、教師を避けるために減速した氷川紗夜を置いてそのままの速度で廊下を駆ける。そして手頃な教室を見つけ、その中へと飛び込んだ。

 

「はいはいちょいとお邪魔するよー!」

 

 ホームルーム中の突然の乱入者に思わず呆ける教師と生徒。無論、そんな状態では飛び込んできた少女を避けることができるはずもなく、故に少女はその多くの障害物を避けるように動く。

 再びの跳躍。けれど今度は先ほどよりも軽く。教室中心部の机に、靴で乗るのははしたないからと逆立ちの状態で着地。スパッツを履いているからとスカートが捲れることも気にせず少女は腕を用いて自らの身体を跳ね上げ、窓際へと着地する。

 

「それじゃあ皆さん、Ciao!

 

 気障ったらしく揃えた二本の指を額の前で振った少女は、そのまま窓を開け放ち()()()()()()()。少女が飛び降りる直前までいたのは校舎の四階。飛び降りれば無事では済まない高さに、呆けていた生徒たちも思わず窓から飛び降りていった少女の姿を探す。

 

「はーはっはっはっは!!」

 

 しかしそんな心配を嘲笑うかのように、少女は高笑いを上げる。時に壁の凹みを、時に雨樋パイプを一瞬だけ掴み減速し、途中途中にある段差に幾度か転がりながら着地。四階からの飛び降りを一、二階からの飛び降り数回に分割した少女はどこも怪我した様子もなく地面への着地に成功し、呑気に下を覗き込む生徒たちに手を振ってみせていた。そして少女はもう用はないとばかりに校舎へ背を向け、校門へと歩き出す。

 そんな少女の姿を、遅れて教室へと飛び込み、窓から見送ることしかできなかった氷川紗夜は、彼女にしては珍しく声を荒げたのだった。

 

 ―――そんな氷川紗夜の様子も知らず、呑気に警察を避けながら散歩していた少女は、夕暮れになって彼女が通う学校とはまた別の学校へと訪れていた。

 

 既に時刻は夕方、少女の周囲には下校していく生徒たちが多くいる。そんな中を逆走するように校舎へ向かって歩いていく少女を、周囲は少しだけ怪訝そうにするも特別気にすることもなくすれ違っていく。

 本来なら他校の人間など注意を集めるもの。しかし、少女の今着ている改造制服のベースはこの学校の制服。少女が通う学校よりも身だしなみの校則は緩いこともあって、派手に制服を改造している在校生として、少女はこの場に紛れ込んでいた。

 美人であるために些か周囲から多めに視線は集めているものの、少女にとってはもはや慣れたもの。さほど気にすることもなく、教室に忘れ物をしたという体で少女は校舎へと入っていく。

 校舎内に入ってしまえば、既に下校時刻を過ぎたということもあって人の姿はまばらだ。窓から差し込む夕陽によって黄金色に染まった廊下を、少女は一人屋上目指して歩いていく。

 既にこうしてこの学校に侵入したのは何度目だろう、と少女はふと思う。制服のデザインも、校則の緩さも少女にとって好ましいものでありながら、諸事情で入学しなかったこの学校に来たのももう数え切れないほどになる。

 無論、少女には入学しなかったことへの後悔などからこうしてこの学校に訪れているところはある。しかしそれ以上に、ここでしか見られない少女にとってかけがえのない景色を見るのが、何よりの目的だった。

 

 ギィィ、と錆びついて耳障りな音を立てる屋上への扉を押し開ける。それと同時、吹きつけてくる風に思わず少女は目を細めながら屋上へと足を踏み入れた。

 幾度となく見てきた景色。何の変哲もないコンクリートの床に、周囲を囲う鈍色の柵。生徒が入ることを想定されていないそこにはベンチなんて洒落たものはなく、ただただ無機質な光景が少女の視界には広がるだけだった。

 けれど少女にとって大切な光景とはここにあるわけではない。正しくはここから見ることのできるとある光景。

 校門が存在する方向を表とするならば、校舎の裏手。木々の隙間に存在する井戸の近くに、少女が求める光景はあった。

 

 大きく、魅せるように振るわれるその両手。動きに合わせ揺れる、少女のそれよりも濃い紫髪。この距離では聞き取ることはできないが、その口からは高らかに言の葉が紡がれているであろうことを少女は知っていた。

 

 ―――羽丘女子学園の貴公子、瀬田(せた)(かおる)

 

 演劇部に所属する彼女の秘密の特訓を見るのが、少女の日課だった。無断で、それもわざわざ学校に不法侵入してまで。他人からすれば何故そんなことをしてまでと言われてしまうようなこと。けれど少女にとってはそれだけの危険を冒すだけの価値があることだった。

 

 何故なら、少女は瀬田薫のことが好きだったからだ。

 

 格好付けたような仕草も。誰に対しても貴公子であるところも。少しばかりおバカなところも。

 少女が知っている瀬田薫の何もかもが好きだった。……そう―――独り占めしたくなるほどに。

 

 けれどダメだと少女は自戒した。何故なら少女が好きになったのは皆の瀬田薫だからだ。誰もに優しく、分け隔てのない瀬田薫だからこそ少女は好きになり、もしも自分だけを見てもらえたらと思ったのだから。

 もし自分だけの瀬田薫になってしまったら、それはもう少女が惚れた瀬田薫ではなくなってしまう。それは些細な違いかもしれなかったが、少女にとっては譲れないことだった。

 自分だけを見て欲しい、けれど皆の瀬田薫であって欲しいという相反する感情。少女は瀬田薫の近くにいたらそんな感情が抑えられず、きっと暴走してしまうと自覚していた。

 故に、わざわざ別の高校に通い、こうして遠目から見るだけに留め―――そして、家に帰らないようにしていた。

 

 もし同じ学校に通っていたら、きっと親しくしている人に嫉妬してしまう。

 

 ―――そこは、私だけの居場所だ。

 

 もし近くでその姿を見たら、きっと周囲も気にせず抱き着いてしまう。

 

 ―――私なら、抱き着いたって許してもらえる。

 

 もし同じ場所で暮らしていたら、きっと我慢できずに襲ってしまう。

 

 ―――もしかしたら、私なら。

 

 そう、少女―――瀬田(すみれ)は自身の姉に許されざる恋心を抱いていた。



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