彼女が四番隊の一員となってから数カ月の時が過ぎた。
入隊し始めた頃は流石に知識と実践との差異に戸惑うこともあったが、先輩方の教えを徹底的に覚えこませた結果、席官として恥じない実力を手にしていた。
…………いや、それだけではない。
並大抵の死神ならばそこで一度足を止め休むところであるが、彼女はまだ足りないとばかりに回道の修練に明け暮れた。
効率良い鬼道の練り方、運用方法を霊術院での経験を元に編み出し、更には複数人へ回道を使用できるように独自の訓練を始めたのだ。
無論、それは容易なことではなかった。
対象の損傷具合を見極め、そこに回復効果のある鬼道を注ぎ込むのが回道であるが、その行使難易度は対象が二人に増えただけでも格段に跳ね上がる。
それは例えるならば右手と左手がそれぞれ筆を持ち、別の絵を描きあげるような行為に等しいと言えるだろう。
その上患者状態を逐一観察し、鬼道がきちんと発動しているか、異変がないか、治し残しはないかなどを把握し続けなければならない。
たった一人でさえこのように神経を削られるような繊細な作業が求められるというのに、それを並行して行えというのだから普通の死神には挑戦するという発想すら浮かばないだろう。むしろ、一人を治してからもう一人へと取り掛かったほうが安全で確実であると言えた。
しかし、彼女は諦めなかった。
まず彼女が先に行ったのは両手で筆を持ち左手で丸を、右手で三角を書く修行だった。
これは彼女が同時に回道を発動させるためにはまず両手がそれぞれ全く別の動きを出来るようにならなければならないと考えたからである。
この行為を部屋に来た同僚や卯ノ花隊長たちに怪訝な視線を送られつつも、数週間ほど経過した頃には両手で別々の行為を行うことが出来るようになっていた。
次に彼女が行ったのは死神という存在への理解を深めることだった。
前世の記憶には存在しない霊魂独自の臓器の構造や働き、鬼道や虚による特殊能力由来の負傷や病の症状に対する治療方法を調べ始め、更には右手と左手に同質・同量の鬼道を練り、それらを衝突させ相殺させる反鬼相殺という技の修練を始めた。
これは死神という存在への理解を深め、負傷箇所・負傷原因・治療方法を瞬時に判断できるようにし、反鬼相殺の修練によって効率的に回道を発動できるようにすることが目的だった。
生前は勉強があまり好きではなかった彼女であったが、今後の人生に関わる出来事となればそうも言っていられず、寝る間も惜しみ死神の体の構造を脳内に叩き込んだ。
反鬼相殺の修練の時に誤って指が吹き飛んだこともあったが、それでも彼女は修練を続けた。流石に部位が吹き飛ぶような怪我は回道では治し切れないため彼女の斬魄刀の力を利用して治癒していたが、その修復される様を逐一観察し、自身の回道の使用イメージに応用していった。
そうして彼女がついに夢の中でも人体について魘されはじめ、遂にはすれ違う死神たちの体がまるで人体模型にように透けて見え始め、精神がすり減るような日常を送りはじめた頃、彼女は二人同時に回道を発動することが出来るようになっていた。
この頃になると最初は奇異の目で見ていた四番隊の死神たちも彼女に対し敬意を持って接するようになっていた。
更にこの修練は予想外の効果をもたらした。
まあ、当然と言えば当然の結果であるだが、回道の修練がある程度軌道に乗ったところで今まで不発に終わっていた六十番台の鬼道を使用してみたところ、霊術院時代とは比べ物にならない精度で発動させることが出来るようになっていたのだ。
驚いて夜遅くまで鬼道を試してみたところ破道は詠唱ありで七十三番、詠唱破棄で六十四番まで使用可能、縛道に至っては詠唱破棄ですら七十番まで使用可能という驚異の結果となっていた。
予想外の副産物に彼女は大いに喜んだ。
霊術院へ入る前に彼女が考え出した生き残るための最低条件として、詠唱破棄での使用を可能にしなければならない縛道が存在している。それが縛道の八十一番『断空』である。
八十九番以下の破道やそれに類する攻撃を無効化することができるこの技を会得して使いこなすことこそ彼女がこの先、生き抜くための必須事項の一つであると彼女は確信していた。
学生時代は一度も成功しなかった高位の鬼道であるが、詠唱付きとは言え発動できたことは大いなる進歩と言えた。
確かな手応えを得たことで、彼女は更なる修練に取り組んだ。
朝日が昇る前から歩法と拳、剣術の修行、日中は四番隊の業務しつつ回道の研究、仕事が終わってからはその日余った霊力を使い尽くすまで鬼道の修練というハードな日程を続けていた。
そんな日々が何十日も過ぎた頃、彼女にある任務が言い渡された。
「東部への遠征、ですか?」
四番隊執務室、普段は隊長と副隊長等の各隊上位の死神たちが事務作業を行う一室に彼女は招かれていた。
「ええ、此度の遠征に四番隊から数名の死神を派遣しなくてはいけなくなりましたので、その纏め役として貴女が適任だと判断しました」
ズズ……とその部屋の主である四番隊隊長、卯ノ花列は優雅に茶を啜る。
それに倣い彼女も茶を啜る。
「はぁ……しかし、適任というなら新人の私よりも上の席官や副隊長など実力がある死神の方がよろしいのでは?」
不思議に思って彼女は尋ねる。
「確かに、実戦経験という点ならば彼らの方が上でしょうね。しかし、ここ最近の貴女の回道を視させてもらいましたが、入隊して一年と少しだと言うのに貴女の回道は既に副隊長のそれと同等……いえ、複数人への治療技術を踏まえるならば既に超えていると言っても過言ではありません。それに」
一息ついて、茶を啜る。
「今回の合同遠征には十一番隊の隊員も参加されるとのことですので、彼らの面倒を見れる隊員は貴女において他にいない、と副隊長も言っていましたよ」
「……ああ、そういうことですか」
思い出すのは彼女が入隊して数日ほど経過した時のこと。
先輩の死神の後をついて各病室を廻っていた時の事である。
なにやら騒々しい雰囲気に包まれた部屋の前に到着した先輩が「ここから先は一層注意するように、絶対に手を出したりしちゃ駄目だからね」と彼女に念押しした。
頭上に?を浮かべる彼女を尻目に、先輩は扉を開けた。
先輩の後に続いて彼女も部屋に入り、何故先輩があれほど警戒していたのか理解した。
そこには護廷十三隊の死神とは名ばかりの荒くれ者たちがその部屋に寝かされていた。
彼女は彼らの存在を知識だけではあるが知っていた。
護廷十三隊の中でも実力のみを重視し、その他については考慮されないことから荒くれ者の集まりとされている十一番隊の隊員がこの部屋に集められていたのだ。
先輩は恐る恐る彼らを診察しようと近づくが、まるで野生の獣のように彼らは先輩の言うことなど聞きもせずに自分勝手な態度を振りまいている。
さてどうしたものか、と先輩が考えていると、その前に誰かが割って入ってきた。そう、後ろで様子を伺っていた春香である。
まずい、と彼女の身を案じて止めに入ろうとした先輩だったが、それよりも早く彼女はその荒くれ者の手を掴んでこう言った。
「黙れ」
そう言うと同時に尋常ではない霊圧がその部屋にいた全員に襲い掛かった。
直接向けられたわけではない先輩ですら震えが止まらなくなるそれに目の前の荒くれ者が耐えられるはずもなく、ふっと白目をむくと気を失ってしまった。
あれ? と不思議そうに首を捻る彼女。
どうやらちょっと脅すだけのつもりだったようであったが、彼女の予想に反してその死神が弱かったこともあり気を失わせてしまったようであった。
仕方ないな、と彼女は教本通りに回道を使い気絶した男の意識を回復させる。
意識を回復した男は眼前に迫る彼女を見て再び意識を失いそうになるが、それよりも前に彼女はこう尋ねた。
「大人しく、診察受けてくれますか?」
今度は霊圧による脅しもなく真顔でそう言ったのだったが、既に先の恐怖が魂に刻み込まれている男はブンブンと首を素早く縦に振るしかできなかった。
ああ良かった、と彼女は笑顔で先輩へと振り返る。
これで診察できますね、と喜ぶ彼女に先輩は「ああ……」と擦れた声で同意することしたできなかった。
これを見ていた他の死神たちも彼女へ逆らう気など起きず、大人しく診察を受けることとなった。
そして当然のことながら、この件はその日の内に隊長と副隊長の両名へと報告された。
副隊長は目頭を抑え「とても四番隊の死神とは思えない行動ですな」と落胆していた。
やはり今からでも他の隊へと移籍させては? と副隊長は卯ノ花へと提案するが、彼女は首を横に振る。
「確かに少し荒々しい行動ではありますが、十一番隊の方々にはこれくらいの方が分かりやすいでしょうね。後で私から軽く注意はしておきますが、今後も彼女には彼らの対応をお願いしましょうか」
そう言うと卯ノ花は報告してきた死神を帰し、事務作業へと取り掛かる。
こうして今日に至るまで十一番隊の死神が入院している病室には彼女を連れて行くことが恒例となり、一人前と判断された今となっても彼女はその病室の担当を受け持っていたのであった。
閑話休題。
ともかく、彼女は十一番隊の死神に臆せず対応できる数少ない隊員の一人となっていた。
だからこそ、今回の遠征において技術的にも対応力的にも彼女が相応しいと卯ノ花は判断したのだ。
「副隊長以下他の席官は辞退、私も瀞霊廷を留守にするわけにはいきません。ですので貴女にお願いしたいのですが、引き受けてくれますか?」
「はい、私でよければ」
特に拒否する理由もないので気軽に承認する彼女。
「それで、その遠征部隊の指揮は誰が取られるのですか?」
「はい、此度の遠征では京楽隊長が指揮をとってくださるそうですよ」
「なるほど、彼ほどのお人が率いてくださるなら一安心ですね」
現八番隊隊長、京楽次郎総蔵佐春水。
山本元柳斎重國や卯ノ花烈に次ぎ長年隊長を勤める死神である。
その実力は並みの隊長格よりも遥かに上であり、人望も厚く自身の隊のみならず他の隊員からも慕われていると言う。
ただ、性格に些かの難があり、彼は女好きとして知られているのだがそれもご愛嬌というものだろう。
「出立は四日後の早朝、それまでに準備を整えて置いてください。……一応、言っておきますが、遠征中並びにその前日の鍛錬は控えめにしておくようにしてくださいね」
「ええ、まあ……程々にしておきます」
残念だが仕方ないと納得する。
遠征前に体調を崩したりして任務に身が入らなくなっては元も子もないからだ。
なら今日からの修行の密度を上げるか、と考え始めた時、卯ノ花隊長が更に忠告する。
「だからといって、今日からの鍛錬を倍にするなどしてはいけませんよ」
「…………はい」
読まれてる!? と彼女は戦慄した。