A:出来る事ならそんなもん放り投げて生きる方が楽だから
「……兄上、貴方は一体何をお考えなのですか」
通信を終えたクロイツェン州の領主代行を務めるユーシス・アルバレアは静かに呟きを漏らす。端正なその顔はかつてない苦悩によって彩られていた。
時は若干遡り、オリヴァルトの所有するアーティファクトを介した専用通信、そこからかつて特科クラスⅦ組に所属していた者達に齎された第一報は一同にとって安堵を齎した。彼らにとって旧知の仲であるオリヴァルト、そして彼らにとってはかけがえのない友人であるエマ・ミルスティンやミリアム・オライオンといったオリヴァルトと行動を共にしていた者達の無事を知らせるものであったからだ。
しかし続けて齎された第二報は彼らにとっては俄かには信じがたい強烈な衝撃を与えるものであった。曰くエレボニア帝国は建国より呪われた国であった。現宰相ギリアス・オズボーンはまさにその呪いを振りまく存在黒の騎神イシュメルガの傀儡である。その黒へと決戦を挑み一度は敗退した事。そして黒は総ての騎神を取り込む事で鋼の至宝を掌握して神とならんとしている事。相応の信頼がなければ一笑に付して終わらせるような御伽話としか思えないような内容を信じたのは偏に彼らの仲間であるエマ・ミルスティンが魔女の眷属という御伽話の存在であったが大きかっただろう。
だがトドメとばかりに齎された第三報はユーシス・アルバレアにとっては流石に
「……そしてその騎神の所有者の一人にユーシスさんのお兄さんであるルーファス総督も該当します。確証はありませんが私たちは彼がクロスベルの地に於いてかつて先年起きた内戦の際にカイエン公が、そして獅子戦役の際に偽帝オルトロスが行ったエンド・オブ・ヴァーミリオン化をクロスベルの地で目論んでいるという疑惑を抱いており、それを前提として行動をしています」
「馬鹿な!兄上がそのような事を為さるはずがない!!」
常にない剣幕で吐き出された怒りの言葉、だがそれはどこか自分自身に言い聞かせているかのような響きが宿っているものであった。
「確かに今の兄上が鉄血宰相へと同調し暴走している事は認めよう。だがそれでもクロスベルの民を生贄にするような事を兄上が為さるはずが「本当に……そう思っている?」
ないと言い切る前に内心を見透かし射抜くような言葉を投げかけたもの、それはミリアム・オライオンであった。
「他ならぬユーシスこそが……一番良く分かっているんじゃない?今のルーファス総督が“貴族の責務”なんてものを本当に大事にしているのかどうか……さ」
「ーーー」
ミリアム・オライオンの常ならざるユーシスの心を慮った躊躇いがちな、されど真剣な言葉がユーシスから反論の言葉を奪い去り、現実を直視させる。
ユーシスの脳裏に否応なしに過るもの、それは内戦の直後にまるで使い古した衣服を脱ぎ捨てるかのようにクロイツェン州の領主としての責務をユーシスへと放り投げた兄の姿。そして貴族たちが挙げる断末魔の叫び等知った事ではないと言わんばかりに積極的に鉄血宰相の為す貴族制の解体へと加担するその姿。それは貴族派きっての貴公子と謳われたかつての姿が兄にとっては擬態に過ぎないものであった事をユーシスへと痛感させるに十分であった。
「だが……それでも……それでも……罪もなきクロスベルの民を生贄に捧げるような事を兄上が……」
ーーー「貴族とはその背を以て範を示し民草を導く存在。覚えておくことだユーシス、血統は我ら貴族にとって確かに蔑ろにしてはならぬ重んずべきものだ。だが血だけが我ら貴族を貴族足らしめるのではない。誇りこそが我ら貴族を真に貴族足らしめる。下らぬ負い目から自らを卑下する事無く常に誇り高く在れ。それが出来るのであればお前は紛れもないアルバレアの人間なのだから」
母が死にアルバレアの屋敷に引き取られた腹違いの弟である自分に兄はそう貴族の何たるかを教えてくれた。その指導は確かに厳しいものであったが同時に兄として弟を導かんとする確かな誠意が込められていると信じられるものでもあった。冷淡な態度を取る父とは違い、ルーファスはユーシスにとって尊敬に値する師であり兄であったのだ。自分を導いてくれる兄の存在があればこそユーシス・アルバレアは歪む事無く成長出来た。
確かにクロイツェン州の領主の役目を任せて託すというよりは放り捨てるかのようにしてクロスベル総督へと就任した兄に思うところも言いたい文句も山のようにある。だがそれでもルーファス・アルバレアはユーシス・アルバレアにとって紛れもない家族なのだ。いつか対等と言えるだけの立場になって兄に文句を叩きつけてやる、その想いは確かにユーシス・アルバレアを今日まで支えてきた原動力の一つだったのだ。
そんな兄が完全に一線を越えたもはや後戻りできない冥府魔道の道を歩まんとしているというのはユーシスにとって流石に信じたくはない憶測であった。
「ユーシス、ルーファス総督がそうしようとしているというのは現状確かに何の証拠もない憶測だよ。でも黒の傀儡であるおじさんに協力して共和国との戦争を推し進めているのは確かな事実だ。そしてそんなルーファス総督を討つ事はもう
「ーーー」
辛そうなユーシスの姿、それはミリアムの心にかつてとは異なり張り裂けそうな痛みを齎すものであった。だがそれでも言わなければならない。本当に仲間であろうとするのならばここで自分が言うべきは安っぽい慰めなどではないのだから。
「そしてその時には当然だけどルーファス総督の事は自らの野心の為に皇帝を殺した逆賊に加担した逆臣として盛大に喧伝する事になる。だからこそユーシスには僕たちに協力して欲しいんだ」
「……俺に、兄を討ったその直後にそれを為したセドリック新帝陛下とオリヴァルト宰相閣下に対する支持表明を行えというのだな。弟でありクロイツェン州代行である俺の新帝に対する支持表明。
それこそが何よりも兄を討った将軍達の行いが正当なものである事を喧伝すると同時に、兄の罪からアルバレアを守る事に繋がるが故に」
苦悩に満ちたユーシス・アルバレアの姿、それは彼の事を大切に想う彼の友人達にとって同情を禁じ得ないものであった。だが誰も声をかける事は出来なかった。下手な慰めが意味を為すものではないと否応なしに悟らざるを得ない状況であったが故に。
「そうだよ。それがユーシスに対するお願いだ」
「ーーー」
恨みがましさが意図せずとも込められてしまった言葉、それを聞いても揺らぐ事のないミリアムの回答。それはユーシスにとって何よりも自分自身の意志で背負うと決めた責任から逃れるなと突きつけられているかのようであった。
ユーシス・アルバレアは理解している。ここでわざわざ自分に対して兄にして現アルバレア家当主のルーファスを討つという事を知らせてきたのは誠意であると同時にある種の
何故ならばオリヴァルト・ライゼ・アルノールは対外政策の相違などからギリアス・オズボーンと異なる道を歩んだものの、彼の政治理念は本質的には貴族派よりも革新派の側にこそあるのだから。
鉄血宰相と道を違えたのは偏にそれを強権的にやるかそれとも穏健的にやるかというやり方の違いに他ならない。そして鉄血宰相という強力なリーダーを喪失した後の革新派であればオリヴァルト・ライゼ・アルノールは十二分にそちらと手を組む事も可能なのだ。
ならばこそ鉄血宰相共々最悪の逆臣として扱われる事になるルーファス・アルバレアの弟ユーシス・アルバレアの協力というのは感情を度外視して政治的な都合だけを考えるのであれば必ずしも必須のものではない。
ルーファス・アルバレアの罪によってアルバレア家もまた内戦後のカイエン公爵家のように取り潰すという選択肢があるのだから。
無論、それを行った場合には現在アルバレア家が統治を担うクロイツェン州で相応の混乱が発生する事となるだろうから当然メリットばかりというわけではない。
だが逆に言えばアルバレア家を取り潰した場合のメリットとデメリットというのは貴族制の解体を推し進めていく側の者から見れば相応に釣り合っていると言って良いもので絶対に残さなければならないというものでもないのだ。
だからこそこれは紛れもない鉄血宰相の後継となるオリヴァルト宰相よりユーシス・アルバレアへと差し伸べられた誠意であり
兄ルーファスの行いはあくまでルーファス個人の暴走であり、アルバレア公爵家の総意ではないという事を他ならぬ弟であるユーシスの行動によって証明せよという。
ーーー実の父である鉄血宰相を自らの手で討つ事でその暴走の責を革新派全体に及ぼさぬように動いている革新派の英雄同様に。
「……ッ!」
公爵家に引き取られて右も左もわからぬ自分を兄として優しく導いてくれた兄との思い出、それがユーシスの脳裏に次々と過っていく。
領主代行の務めを果たす自分を今日まで支えてくれた家臣たちの姿が過る。
劇的な進歩ではなくただ変わらぬ今日が続く事を祈り信じている領民たちの姿が過る。
“誇り”こそが貴族を貴族足らしめるのだーーーと、かつてノルドの少年達の語った自らの言葉が胸の内より響く。
「……わかった。アルバレア家当主代行ユーシス・アルバレアはセドリック皇帝陛下への忠誠をこの場にて表明する。
そして現当主ルーファス・アルバレアを私欲に駆られて皇室への忠節と自らの血に流れる責務を放棄した逆臣と判断。その討伐へと協力する事を此処に誓約させて貰う。
そう、セドリック陛下とオリヴァルト宰相殿へと伝えて貰いたい」
煩悶の末にユーシス・アルバレアは決断した。
自らが常々語って来た言葉を、信じて来た教えを、嘘にしない道を。貴族の義務を果たす事を。
苦悶に満ちたその表情は彼にとってそれがどれだけ辛いものであるかを見ているだけで悟らざるを得ないものであった。
「うん、その言葉確かに伝えておくよ。ありがとうユーシス……ごめんね」
「謝罪は不要だミリアム。お前はお前の務めを果たして誠意を示してくれた。
オリヴァルト宰相もまた同じだ。この件を俺に伝えてくれた事は紛れもない誠意であったと、そう俺は受け止めている。
ならばこそこれはアルバレアの人間として俺が背負うべきものだ」
目前の友は紛れもない誠意を自分に見せてくれたーーー言い辛くとも言わなければならぬ事を確かに自分に伝えてくれたのだから。
オリヴァルト宰相も紛れもない誠意を自分に見せてくれたーーーこちらに選択の余地を与えてくれたのだから。
ならばこそこの苦しみと痛みは断じてそうした誠意を見せてくれた相手にぶつけるべきものではないのだーーーとユーシス・アルバレアは己を律して恨み言ではなく礼をこそ伝えたのであった。
「………」
そうして時は再び現在へと戻り、通信を終えたユーシスは深い……深いため息を吐き出していた。
「……兄上、貴方は一体何をお考えなのですか」
ユーシス・アルバレアはルーファス・アルバレアを尊敬し誇りに思っていた。兄こそが自分が目標とする貴族の鏡なのだと信じていた。
だがそんな兄は内戦が終わるや否や、失脚した父ヘルムートに代わりアルバレア家当主として治めるべき土地も民も放り捨てるかのようにクロスベルの総督へと就任した。
それだけならまだユーシスはある種の愛の鞭であり、自分に対する信認の証なのだと思えたかもしれない。
しかし今やクロスベル総督ルーファスは完全に暴走をしていた。共和国との全面戦争に突き進む鉄血宰相を止める事無くむしろ全面的な支持を表明してそれに加担する状況。
通信によりその行為の真意を問い質し翻意を促しても
「私の方針と見解は公式声明の通りだユーシス。亡き陛下と殿下、そして我が友の仇を討ち正義をこの大陸に齎すためにも総力を以て共和国を打倒する。それこそが我ら帝国が一丸となって為すべき事に他ならない。アルバレア家当主としてアルバレア家もまたその戦列に参加する事を私はここに命じる。代行として為すべき事を果たす事だ、ユーシス・アルバレア」
という余りにも冷然とした返答。そして信頼する仲間から伝えられた内容。
葛藤の末にユーシスは兄に従うのではなく兄を討つ事を決めた。だが決断したからといってもはやそれが仕方のない事だからという理由で兄の事を切り捨てられる程にユーシスにとってルーファスの存在は軽いものではなかった。
「……兄上の下を訪れて今すぐ翻意を促してそれで兄上が心変わりしてくれればどれだけ良いだろうな」
内戦の折、そうして激突の果てに親友を連れ戻す事に成功した事例がユーシスの頭に浮かぶ。
アルバレア家当主とアルバレア家当主代行などではない一人の弟として兄の下を訪れる。
そうして生まれて初めて行う本気の兄弟喧嘩の末に兄は何故自分がそのような行動をしたかを吐露して己の過ちを悟り正道へと立ち戻るーーーそんな結末を迎えられたのならどれだけ良いだろうか。
「わかっているさ……そのような事はもはや夢物語だという事位」
もしもそうして今ユーシスがルーファスの下を訪ねた場合に待つもの、それは兄弟としての本音をぶつけ合う喧嘩などではなく聖戦へと反対する反逆者として拘束される未来だ。
そしてそうなってしまえばルーファスは今自分が治めるクロスベルのみならずアルバレア公爵家の持つ総てを目的のために注ぎ込む事となるだろう。そうなればアルバレア公爵家は壊滅的な打撃を受ける事となる。
今日までアルバレア公爵家に、ユーシス・アルバレアへと仕えて支えてくれた多くの者達が路頭に迷う事となるだろう。
「貴族の義務……果たさなくてはな」
そう貴族とはそういう存在だ。貴族にとって兄弟間で争うという事は決して珍しい事ではない。
獅子戦役の折には意図的に兄弟をそれぞれ別の皇子へと付ける事で家の断絶を防ぐように立ちまわった家もある。
何より今のルーファスが貴族の責務を果たしているとはユーシスには到底思えなかった。
「アルノー*1、俺だ。アルバレア公爵家の今後について皆に伝えなければならない極めて重大な内容だ。至急主だった者達を集めて貰いたい」
そうしてユーシス・アルバレアもまた決断した。ただ無邪気に兄に憧れその背を追っていた少年時代に完全な別れを告げて……
リィン将軍とオリヴァルト宰相の両名は一通りの説明が終わったらルーファス総督を討つからこちらを支持して欲しいという内容は自分達が伝える事を提案しました。でもミリアムが大切な仲間だからこそ自分が伝えるという事を二人へと伝えてミリアムに任せる事になりました。そういうお願いをするのだと知りながら言いにくい事だけ任せて再会した時にこれまで通りに振舞うというのはなにか違うと思った模様です。
ちなみに当然のことながらマキアス君は父親のついでにとっ捕まって現在囚われの身なので今回の話し合いには参加出来ていません。フランツさんの生存に関するアリサへの打ち明け諸々に関する部分はまた次回。