あと、時間は少し進んでます。
原作やりたかったけど疲れちゃったの……
ひとつだけ言えるのは、水木華が一番可愛いって事ですね。
「ねえ華ちゃん──ちゃんと寝てるの?」
「えっ」
日曜日、ゆっくりと自分の部屋から出てきてソファに腰掛けた水木華に小南が声をかけた。聞かれた水木は、むにむにと自分の頬を触った後、顔に手を当てたまま俯いた。
「……そう、見えますか?」
「……目に隈残ってるわよ」
はああ、と息を吐きだしてソファに横たわる。
「……なんでも、ないですよ。何もないです」
吐き出すように、言葉を連ねる。顔を覆う両手は微かに震えて、まるで何かに怯えるようで。だが、助けを求めてはいない。水木華は、決して自分から助けを求めてはいない。それをわかっているから、小南も聞くだけで済ましている。心配をどれだけ重ねても、本人が諦めていないのだ。ならば、まだ手を出すべきではない。
「駄目そうだって思ったら、相談しなさいよ。私だけじゃなく、他にも居るんだから」
「……はい」
そうして、朝食を用意する。
時計の針は既に昼前の時間を指しているため、朝食と言うには遅くなり過ぎた時間だが。
◆ 水木華の憂鬱
『──……』
あの人の声だ。誰よりも強くて、誰よりも格好良くて、誰よりも優しくて──誰よりも、哀しい人。あの人は私に救われたなんて言うけれど、全く見当違い。私があなたに救われたんだ、と。
『──華』
呼ぶその声すら愛おしくて、心が浮き立つのがわかる。気が付けば、自分の身体が動くようになっていた。そして、その時点で──これは夢なんだな、と理解してしまった。そうなれば、もうこの夢の結末はわかる。
目の前で自分の名前を呼ぶあの人の元へと、歩き出す。何が起きるかはわかってる、知っている。覚悟はしている──けれど、どうしても諦めきれない。
この一回だけは、悪夢にはならないんじゃないかと思ってしまう。
だから、駆け寄る。抱擁を迎えるかのように待つ彼に。
──そして、お腹の辺りから激痛が奔る。
ああ、今回もか、と。諦観を浮かべつつ、笑顔を保つ。だって、あなたが笑顔を好きだと言ってくれたから。絶対に笑顔を下げたりはしない。例え腕が千切れても、例え身体が弾けても──表情だけは変えない。あの時、最後に見せた自分の表情を今でも後悔しているのだから。
ずるり、といつの間にか突き刺さっていた剣が、私の腹から引き抜かれる。その痛みすら鮮明に響いてきて、叫びたくなる気持ちを必死に抑える。堪えろ、私は強い。絶対に叫んでなんかやらない。嘆いてもやらない。零れ落ちる内臓を、笑って見過ごす。そうだ、これは夢なんだから。あの人はこんな事しない。
こんなもの、弱い私が見せてるだけの──ただの夢なんだから。
夢を見るようになったのは、何時からだろうか。
ずっと夢を見ている様な感覚だったのは覚えている。黒トリガーの中に入り、あまり正確に理解はしていないが──誰かの悲痛な叫びと嘆きをずっと聞き続けていた。自らを責める声、自らを嫌う声、自らを──殺す声。
ずっとずっと押し潰されそうな程に重圧がかかり、軋む心が破裂するその時を待ち続ける──そんな感覚だった。
そして、救われて、幸せな
──夢に見るのだ。
自分の裂かれた腹を、その時の痛みを、嘆く声を、歪む顔を。そして、最愛の人が幾度となく死に続ける光景を。
死なないで、と。やめてください、と言っても終わらない悪夢。これは私の、いや……私たちの業なんだと、水木華は悔やんだ。彼一人に任せて逝こうとした自分達への罰なんだと。腹を裂かれ、贓物がはみ出す。あの光景は忘れられない。幸せになればなるほど、昔の事を思い出す。それがどうしようもない程に恐ろしくて──そう思っている自分が、嫌いだ。
あの頃は、確かに苦しい物だったが──自分にとって何にも変えることは出来ない宝物なんだ。なのに、どうしてこんなにも恐ろしく思うんだ。
傷は残った。例え医術が進んでいた故郷であっても、治せなかった。女性らしさとはかけ離れてしまった。
嫌だ。幸せな筈なのに、確かに幸せな筈なのに──とてつもなく不安定で、恐ろしい。明るい性格? 冗談じゃない。そうするしかなかったから、そうなったんだ。演じ続けるうちに、心の底から明るく振舞うようになった。それだけなんだ。何の救いもないあの場所で、きっかけがあれば崩壊する様な戦場で、いや……事実何度も崩壊した。
それでも何とか生き残ったのは、
最初に味覚を失った。次に痛みを失った。記憶を失った。身体を失った。仲間を失った。そして──道を失った。我武者羅に走り続けるだけの道すら失くして、それでも止まらなかった。茨の道なんて生ぬるい、地獄の業火の中を歩き続けた。
そうして、何もかも失った彼は……
「──はぁっ……! はっ……!」
布団から飛び起きる。焦ってお腹を探って、贓物が飛び出してないか確認する。よし、何も飛び出てない──古傷は、しっかりと残っている。……また、あの夢だ。
あの人に呼ばれて、駆け寄って、抱き締めようとして、腹を裂かれる。
強く自分を保とうとして、結局こうやって死に怯えてる。幸せにも怯えて、恐怖にも怯えて……本当に、私は弱い。
汗でぐっしょりと濡れた服を着替える為に、あとふき取る為に布団から出る。柔らかくて、若干自分の汗の匂いが染み付いた布団に、また洗わなきゃと思いつつ当初の目的を達成する為に歩く。
流石に冬真っ只中、廊下の気温は冷え込んでいる。
「さむっ……」
腕を組むように交差させ、摩りながら歩く。少しでも寒さを緩和できるように、と。まあ効果は微々たるものだったが。
階段を降りて、リビングとは正反対──要するに風呂場へと向かう。
暗闇の中、何となく歩く場所がわかるので迷う事なくドアノブを掴んで開く。一週間ほど、連続で繰り返している。理由は分からない。
夜を迎えて、布団に入る。寝付いて、数時間後にあの夢を見る。そして起きて、その繰り返し。睡眠不足が続いている。
風呂場、もとい洗面台に服を脱いで置く。
相変わらず未成熟な身体に、節々に残る古傷。決して無傷では潜り抜けられなかった、今も記憶に鮮烈に刻まれる戦い。その全部が、自分にとっては大切な筈なのだ。
なのに、どうしてあんな夢を見るのだろうか。あの記憶を否定なんてしたくはない。自分の身体を捨て、命を投げ捨てる事で生き長らえるようにしてくれたアレクセイ。死なないからと、何度も何度も痛みに耐えて苦しみを乗り越えた星見廻。
三人で過ごしたあの頃は、誰がなんと言おうと──大切な宝物なんた。
視界が歪む。
クリアに見えていた視界が、ぼやける。頬を伝う熱が、涙を流しているんだと自分に認識させる。
この程度で泣くな。あの人は、もっと苦しんだ。それでも泣かなかった。涙を堪えて、走り続けた。なら──私が苦しむのは道理だ。そう自分に言って聞かせ、軋む心を抑えつける。
汗を拭き取って、涙も止まって、リビングに向かう。軽く水分を補給して、再度寝る為に。そして、廊下に出て──気がつく。いつのまにかリビングに明かりが灯っているのだ。誰かが起きてきたのだろうか、大丈夫、目は腫れてないはずだ。
そーっと扉を開く。
見渡して、誰がいるのかを確認する。……誰もいない。さっきまで明かりは付いてなかったけど、誰が降りてきたのだろうか。
部屋に入ろうとして、扉を開ききって──後ろから声をかけられる。
「華」
「わひゃッ!」
驚きのあまり、変な声を出してしまったことを恥じる事すら忘れて飛び跳ねる。声をかけてきた人──星見は、ケラケラ楽しそうに笑う。それを見て、華も怒る気力は削がれた。
「もー、何するんですか! びっくりしましたよ!」
「すまん、着替えに戻ったら居てつい」
随分と人らしくなったなぁ、と感じる。
前だったら、こういう行動を偶然行なって「すまん、何かしたか?」と平然というタイプだった。今は冗談も遊びも多分に含んでいる、ああ、良かった。
「悪いな。……なんか飲むか」
「……はいっ」
先程までのが悪夢だったとしても、今は問題ない。なぜなら、現実世界に悪夢はやって来ないのだから。星見は、決して水木華を見捨てない。たとえどれほどの苦しみが待っていても、輝く未来の為に。
二人でキッチンに立って、牛乳を温める。ストーブも何も入れていないから寒さはそのまま、感覚を殆ど失ってる星見からすれば何ともないが華は寒い。それを察した星見は華に上着を着せる。
「あ、す、すみません」
「寒いだろ。無理すんなよ」
砕けた口調。ああ、たしかにあの頃はこうだった。
ふざけるように、軽口を叩き合う時間もあった。それがいつの間にか、全員がバラバラになってしまった。一人は黒トリガーに、一人は動けない身体に、一人残された者は──……我武者羅に。
そうして残された今、ここにあと一人が欠けているのが苦しい。
「……アレクさん」
思わず名前を呟く。
水木華を救う為、自らの命を投げ打った男。大人としてあろうとして、最後のその瞬間まで仲間として、年上として生きた。死んだわけでは無い。黒トリガーになったのだ。……未だ、黒トリガーを元に戻す手段は無いが。
「ん……後は、そうだな。アレクセイが戻れば、約束を果たせる」
「はい。温泉に行ったり、旅行に行ったり、食べ物を食べたり……」
約束、いや、誓いと言ってもいいかもしれない。
三人であの日誓ったその約束は、未だに根強く残っている。やはり、二人だけでは駄目なのだ。三人揃って、漸く長い戦いは終わるのだ。そう、星見廻にとっても、水木華にとっても──まだ戦いは終わってない。
「……私が、もっと役に立てれば」
アレクセイを元に戻す為、星見はボーダーに研究員として参加している。黒トリガーを研究用に使用する為、一から勉強をして入ったのだ。現状飛躍的に効果は出ているし、もっと期間をおけば必ず解析できると思っている。
「気にするな、なんて言っても……気にするだろうな、お前は」
「……はい。どうしても、気にします。私だけ無力で、守られるだけの存在で……悔しい」
隣に並んでいたはずなのに、気が付けば守られるだけの存在になってしまった。そうではない。自分が求めているのは、そんな立場ではない。この人の隣に立ちたい。胸を張って、色んな事を叫びたい。だけど、現状の自分ではそんなことは言えない。甘えて甘えて、自分の弱さに打ちのめされているような未熟者では──星見廻の横に並ぶには、弱すぎる。
「……俺にとって、華が生きてくれてるだけで有難いが。そういう話でもないんだろ」
こくり、と頷く。とりあえず立ちっぱなしもアレなので、ソファに移動する。座った星見の隣に腰掛けて、その身長差にまた悲しさを増やす。自分だけ子供だ。この我儘も含めて全部。
「……夢を見るんです。何度も何度も、内臓を引き摺り出されるような夢を。痛くて、苦しくて、でも悲しくて、諦めてしまうような夢。あなたがそんなことするわけないってわかってるのに、それなのに……弱くて、私が嫌になる」
黙って話を聞く星見。
体育座りのような姿になって、足を腕で包み込む華、閉篭もるようにして、それでも語る。
「救われただけの私が何を、と思うかもしれん。私もそう思います。ただ救われただけの私が、何をそんなにメソメソと泣いているのかって。でも、悲しいんです。幸せなはずなのに、幸せが恐ろしくて」
「また失うんじゃないかって、もう取り戻せないんじゃないかって……なんだか、つらくて」
気が付けば、涙が溢れていた。それを察せぬように、必死に声を押し殺す。
「……俺から、気の利いた言葉は言えない。だけど、ひとつだけ言えるとすれば──」
自分の殻に閉篭もるように泣く華に対して、言葉を投げかける。
その言葉に、華は思わず顔を上げた。
「……小っ恥ずかしいからあんまり言わないぞ。最近、少しずつ理解できるようになってきたんだから」
「……え、えっ?」
少しだけ恥ずかしそうに顔を逸らす星見を見て、華は先程までの感情の全てを吹き飛ばす。あまりにも驚きすぎて、内容が吹き飛んだ。それくらい重要な言葉だった。
「お前が俺に向けてくれていた想いは、多分これなんだろうな。俺も最近になって、漸く理解出来た。随分と時間が、かかったけどな」
帰還してから早数年──星見廻は、自分の感情と向き合った。
「華。俺は多分、お前の事が好きだ」
……再度紡がれたその言葉に、今度こそ華は言葉を失った。
どれだけ願っても、決して贈られるとは思っていなかった感情と言葉。
「恋愛の好きってのは、こういうモンなんだろうな。心臓が高鳴るってのは」
その、誤魔化すような仕草が、どうしようもないほどに愛おしくて──華は、再度涙を流していた。
「……私も、好き、です……っ!」
何とか紡いだその言葉を皮切りに、華は抱きついた。
たとえどれほどの悪夢だろうが、苦しみだろうが──幸せに勝るものはない。全身に溢れる多幸感に、今度は震えなかった。