グラン・ミラオス迎撃戦記   作:Senritsu

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>>>> 目覚め(4)

 

 エルタたちの乗る撃龍船へと避難しようとしていた十人のうち、先の大波で二人の姿が見えなくなっていた。もみくちゃにされた際に海水を飲み込んでしまったか、小型船が転覆したときに頭を打ってしまったのか。

 

 傷が開いたのか呻いている者もいる。しかし、もたもたしている時間はない。

 エルタは生き残った八人のうちの五人を一艘の小型船に乗せ、自分を含むハンターたちを泳がせて、撃龍船の進路上を目指した。

 いざ泳ぎ始めようというところで、沈没した撃龍船に乗っていたハンマー使いのハンターが他のハンターたちを呼び止める。彼が水中用のポーチから取り出したのは、瓶入りの黄色の薬品だった。

 

「強走薬だ。本当は戦闘用に取っておきたかったんだが……今はそうも言ってられないからな」

 

 それが五本。ちょうど泳ぐ予定だった五人のハンターに一本ずつ配れる。エルタとアストレアは有難くそれを受け取って、水面から顔を出して海水を一緒に飲まないようにしながらそれを一息に煽る。

 強走薬は単純に疲れにくくなる薬だ。息が切れるまでの時間に余裕ができる。疲れをごまかしているのではなく、特定のモンスターから取れる狂走エキスに疲れを肩代わりしてもらっているというべきだろう。

 

 散発的な爆発とそれに伴う大波に苦戦しながらも、エルタたちは小型船に追随してどうにか自分たちの乗っていた撃龍船が通りかかる地点まで一息に泳ぎ切った。

 すると、ちょうど彼らの傍でぷはっという音と共に何者かが水面から顔を出す。

 

「ソナタ!」

「エル君、それにアスティ! やっぱりあなたたちだったんだね」

 

 青色の兜に橙色が縁取るラギアヘルム。潜水から戻ってきたらしいソナタにアストレアが抱き着いた。相当心配していたようだ。

 波間に漂いながらも、お互いの安否を確認する。ソナタは沈んでいく撃龍船と小型船の影を目印にここまで戻ってきたらしい。

 

「戻ってきたということは、接触できなかったのか」

「うん。やっぱりかなり深くて。わぷ。あと、ちょっと本格的に対策が必要な気がしたから戻ってきたよ」

「対策?」

「詳しい話はあとから! 船が来るよ!」

 

 振り向けば撃龍船が迫っていた。それなりの速さで進んではいるが、小型船に乗った人々が必死に手を振っているおかげで気付いてくれているようだ。

 すれ違いざまに投げ渡されるいくつもの浮き輪付きのロープ。それらをしっかりと手に取り、エルタは甲板までよじ登った。他のハンターや船員たちも自ら登ってくるなり引き上げられるなりして船に乗り込む。

 

 甲板に足をつけるや否や座り込んでしまう者もいたが、エルタはすぐに海の様子を見た。水面から顔を出すのと、船の上から見るのとでは視点の高さ、手に入る情報量が違う。

 

 海の赤色がより深くなっている。これ程であれば朝焼けと見間違うことはないが、水面から立ち昇る湯気が朝霧のようにも見えた。単純に海が熱くなっているからであり、本来朝霧が立ち込めるような静謐さなどどこにもない。

 少し視点を放せば今エルタたちが救出しに行った人々の乗っていた撃龍船、二番船の残骸が見えた。空へと立ち昇る煙は徐々に薄く弱くなりつつある。

 そして、そこから左方向のさらに遠くに視線を向ければ、今まさに黒煙を立ち昇らせて沈没していく遊撃役の撃龍船、五番船の姿がある。旗艦の出した撤退指示を受けて、進路を変更し退避しようとしたところで爆発の直撃を受けたのだ。

 

 今この瞬間に、この船があれと同じ結末を迎えないとも限らない。救出に行けば、さらにその確率は跳ね上がるだろう。二番船が二度の攻撃を受けたことを考えれば、あの船にも同じような制裁が下されるはず。

 二次被害だけは絶対にあってはならない。これ以上撃龍船を失うわけにはいかない。故に五番船は見捨てる。一刻も早くこの海域から離脱する。この船の進み方を見れば、船長のそんな意思は聞かずとも分かった。

 彼らが小型船を死守し、近くの島や迎撃拠点まで辿り着くことを願うしかない。エルタと同じように五番船の様子を見ていた船員たちが「くそぉっ……!」と歯ぎしりをするように呟くのを傍目に、エルタはソナタの話を聞くために踵を返した。

 

 

 

 

 

「前回爆発地点との距離、現在約五百メートル!」

「順調に離れてるな……よし、舵を真っすぐに取れ! 帆を全開で張れ! 一気に旗艦に追いつくぞ!」

 

 波に揺れる船の上で、船員の一人が測距計を必死に操っている。彼からの知らせを受けた船長は舵取りと船員たちに指示を出し、しばらくしてふぅっと息を吐いた。

 

「油断はまだできんが……ソナタ嬢の言うことを信じるなら、これでいくらか余裕はできるはずだ。空気があったまってでたらめな風が吹き始めてるが、なんとかそれを利用して離脱するしかないな」

 

 その言葉にソナタが頷く。エルタとアストレアもその場にいた。他のハンターたちは助け出せなかった仲間のことを涙ながらに悔やんでいたが、その悲しみを紛らわすためかもしれない。船員たちの手伝いに精を出していた。

 

「それで、だ。詳しい話を聞かせてくれ」

「はい、私たちの船を襲った爆発ですが、これは、ざっくりと言えば泡です」

「あわ……?」

 

 アストレアが怪訝な顔で首を傾げる。エルタもそれだけではよく分からなかった。

 

「うん。おっきな泡。人くらいならすっぽり入るくらいの。でも、その中にあったのはどろどろに渦巻いて水みたいになった……赤い空気だったよ」

 

 それは、暗い深海にあっても薄ぼんやりと光っていたのだという。それがゆらゆらと海面へと昇っていくのをソナタは何度か見たらしい。

 

「どこかで聞いたことがあるな。んーと、タマミツネの……二つ名、だったか? 燃え盛る泡を吐くという……」

「タマミツネは知ってるけど、二つ名は知らないな……エル君は?」

 

 ソナタの問いにエルタも首を横に振る。名前こそ聞いたことはあるが、泡狐竜は渓流を住処としている。エルタとソナタたちとはやや関りが薄い存在だった。

 ただ、そういう前例があったとしてもだ。アストレアが小さく呟く。

 

「海の中で、きえない火……」

「にわかには信じがたい。が、それが古龍だな。船が燃え上がるのも頷ける話だ」

「……ひょっとしたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のかもしれませんね」

「……はは、流石にそれはありえんと言ってしまいたいがな……」

 

 ソナタの零した言葉に、船長は乾いた笑いを返した。

 常識の範囲外のことをやってのける。それが古龍。エルタたちは学者ではない。今起こっている事態を飲み込まないことには話が前へと進まない。

 エルタはグラビモスの火炎ガスのような、あれが凶悪なものとなり、さらに強引に密閉されて人間ほどの大きさの泡となって海中に浮かぶ光景を想像した。

 

 アストレアの海の中で消えない火とは言い得て妙だ。それが現状起こりえているとして、それが昇っていった果てに、海面から急に解き放たれたとしたら。

 水蒸気爆発という現象をエルタは思い出した。火山から噴き出た溶岩が海に一気に流れ込んだときなどに起こる激しい爆発だ。凄まじく高温かつ高威力で、ハンターであってももろに受けては命の保証はない。

 

 そのとき、後方から轟音が響いた。天高く水柱と水蒸気が立ち上がる。

 爆発は確実に遠ざかっている。だが、明確に追ってきている。船員たちは身を竦め、震えで手に持ったものを落としてしまう者もいた。

 

「完全に捕捉されてるな。振り切れるとは思っておかない方がよさそうだ」

「たぶん、あっちの方が遅いです。このまま速度を緩めなければ、迎撃拠点で待ち構えるくらいのことはきっと」

「見失うよりはまし、か。生きた心地はしないが、それも成し遂げねばならんことの一つだ」

 

 これ以上の損害を出さずに迎撃拠点まで逃げ切ること。さらにかの龍を迎撃拠点まで誘導しきること。殿(しんがり)のこの船が双方に大きな役割を担っている。

 

「……ソナタ、他に分かったことはあるか」

「うん。おおまかにあとふたつ。ひとつは、()()()()()()()()()()()。鈍い地響きみたいな音が海の底から聞こえてきたから間違いないと思う」

「その規模の地響きが聞こえるってことは、少なくとも老山龍(ラオシャンロン)クラスか。でかいな……」

「それともうひとつ。たぶん、あれに近づけは近づくほど海が熱くなる。私が引き返してきたのは、あのまま進んで鉢合わせても、熱さにやられてすぐに死んでいただろうから」

 

 ソナタは困ったような笑みを浮かべた。歴戦の狩人が、その自らの経験をも凌駕する存在について語るときのような、そんな面持ちだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この赤い海は、まだまだ序の口に過ぎないと。そう告げられたかのようだった。

 

「人間が近づけるのか、それは……?」

「分かりません。十分な熱対策をして、実際に相対してみるまでは」

 

 船長の呟きももっともだ。それは、人が立ち向かう以前の問題のように思えるだろう。

 けれど、エルタもソナタと同感だった。まだ誰もその姿を拝んでもいない。実際に肉薄したときにどのようなことが起こるかはまだ何も分からない。その前に十分に有益な情報を手に入れてきたソナタを称えるべきだ。

 

「ひとまずは、船隊への合流と撤退を優先しましょう。そのうち水深も浅くなってくるはず。油断だけは決してしないで」

「おうよ。こちとらさんざん肝を冷やしたんだ。爆発が引っ込んでも油断なんてできるもんか」

 

 ソナタが明かした爆発の正体が正真正銘の泡ならば、斜め方向に放つ、といったことができないはずだ。エルタたちの知る限り、水中の泡は真っすぐに昇っていくことしかできない。つまり、かの爆発で相手の居場所をおおよそ把握することができる。

 あちらが全速力を出しているかはともかく、爆発が遠ざかっているということは、こちらの進む速さがあちらを上回っているということだ。

 やがてかの龍もそのことに気付くだろう。これ以上かく乱することはできないと悟ったとき、爆発は止むはずだ。

 それでも、かの龍は追ってくるか。それに答えたのがアストレアだった。

 

「追いかけてくる。もうめざめてしまったから。またねむろうだなんて、思ってない」

「ふうむ……。一発目を察知した嬢ちゃんの言とあれば、信じるに値する。千里眼の薬とやらを飲めばその辺りの感覚が鋭くなると聞くが……嬢ちゃんの持つ天性の才能かね」

 

 船長の信頼にアストレアはやや戸惑っているようだったが、彼はそんな彼女の返事を待たずして船の指揮に戻った。

 

 現状、平穏など一切ない。不気味に赤く染まる海が人々の不安を増長させる。

 爆発が止んだとしても、かの龍が他に遠距離攻撃手段を持っていないとは限らない。いや、エルタとソナタは経験則的に断言できるが、ここまでの影響力を持つ古龍の遠距離攻撃手段がこれだけのはずがない。未知の攻撃への警戒はずっと張り続けなければならない。

 

 エルタたちは各自の持ち場に戻り、精神的な疲労が見える二番船のハンターたちに休息を促して船員たちの手伝いを引き継いだ。

 

 

 

 しばらくして、爆発は収まった。

 海の赤色化は拡大の一途を辿っている。帆柱に備え付けられた見張り台から見渡しても、水平線がかろうじて青みが残っているか、という程度になりつつあった。

 さらに、水面からの湯気も立ち昇り続けている。まるで、赤い霧の上を船が走っているかのようだった。

 それに伴って晴れていたはずの空に厚い雲が立ち込め始めている。太陽が隠され、雨が降り始めるのも時間の問題だろう。

 

 エルタはアストレアが水平線の向こうに視線をやって佇んでいるのを見つけた。

 

「アスティ」

「もうひとつの、しずんでた船……見えなくなった」

「……」

「たすけには行けなかったから……にげられるように、いのってる」

「……ああ」

 

 立ち上る煙すらも見えなくなった、二隻の船。

 初めての集団戦がこの結果だ。割り切れないことの方が多いはず。しかしアストレアはその割り切れなさをも飲み込んで小さな祈りを贈る。人の死への感性が薄れてしまったエルタとは違う、強かな立ち向かい方だ。

 

 二言三言言葉を交わし、エルタはその場を離れる。先ほどソナタも彼女と話していた。付き合いの長いソナタの方が彼女を落ち着かせるのには向くだろう。多く言葉を交わす必要はない。

 だが、その心意気で今からの戦いを直視することはできるのか。

 

 いや、それこそ願うべきことか、と思い返す。

 戦いの趨勢(すうせい)など、まだ誰も分からないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 迎撃拠点へと辿り着いた撃龍船は、四隻。

 海の異常は船隊が戻ってくる前から確認されていて、作戦開始に向けての準備は整っていた。

 ソナタは作戦総司令のシェーレイに自らが見てきたことを伝え、それをもとに急ピッチで部隊編成が整えられていく。

 あとは試作型巨龍砲の完成を待つのみ。しかし、想定以上に組み立てに時間がかかっているらしく、その前にかの龍が現れるだろうことは明らかだった。

 

 つまり、迎撃拠点にいるハンターや砲兵たちの使命は、巨龍砲を守り通しながらその完成までここでかの龍を足止めすることとなる。

 前線の緊張は、否が応にも高まりつつあった。

 

 

 

「あ、雨だ」

 

 そう言ってソナタが顔を拭い、手のひらを広げてみればぽつぽつと水滴が撥ねた。やがて、さあっと空から線のような細い雨が降ってくる。

 

「これで、海の水が少しでも温くなればいいがな」

「気休めにもならなさそうだぞ。この湯気が和らぐ気配もない」

 

 見知らぬハンターたちが軽口を交わしている。しかしそれは、この場にいる数多くの人々の言葉の代弁でもあった。

 彼らが立っているのは湾岸部の波打ち際。いつもであれば何の変哲もない海であろうそこは、今は火山地帯のような光景を成していた。

 

 海面は至る所でこぽ、こぽと不気味な泡音を立てている。

 立ち昇る湯気は留まることを知らず、視界が悪い。濃霧の中にいるのとほとんど変わりない状況だった。

 もはや青い風景などどこにもない。空は雲に覆われ、その雲は海の赤色を写し取って夕焼けのように赤みを宿す。雲間からいくつもの光芒が射し込む様はある意味、幻想的ですらあった。

 ここより沖合に建つ灯台にも火が灯されている。それはまるで、祭壇に捧げられた炎のように映った。

 

 そして遥か彼方から、少しずつ大きくなり始めていた地響き。もう気配を隠すこともしない。

 それが、迫る。

 

「……ソナタ、エル」

「……ああ。分かっている」

「来るね」

 

 角笛の音が鳴り響いた。

 高台から、海面に変化があったことを知らせるもの。

 ハンターたちは多方面に散って岩陰に隠れながら、いざというときに備える。

 

 ここにいる人々が誰一人として見たことのない古龍。伝説の黒龍。

 これ以上ないというほどの物量を前に、どのような出方を見せるのか。

 

 

 

 雨音、波音、地響き。

 異音を聞き逃すまいと誰もが手を止め、口を閉じ、痛いほどの沈黙を経て。

 

 

 

 さばぁっ、と。ソレは湯気の中から姿を現した。

 否、()()()()()()

 

 いち早くその姿を拝んだのは、高所で双眼鏡を構えていた兵員たちだ。

 

「でた……! これは、大きい!」

「湯気で全体像がよく見えない! 湯気の範囲外で目視できるのは……できる、のは」

 

 いち早くその姿かたちを伝えようとした彼は、そこで言葉を失った。

 

 数十メートルはあるだろう湯気の濃霧から抜き出た三本の塔。

 中心のそれは頭部か。岩石そのもののように黒く、不気味な紅い腺が走る。

 それはまだ、いい。許容できる。ただ、その両隣の塔は。

 

 ぼご、と真っ赤な液体が零れ出た。それが海面に落ちた瞬間、激しい爆発音とともに大量の蒸気を発する。

 それがいくつも、いくつも、途切れることなく。それが呼吸であるかのように。生物の範疇かと思われた頭部も、その頂部……角のような部位から絶え間なく零れ落ちる。

 水蒸気爆発に伴う蒸気が、再びその姿を包み込んでいく。

 

「あ、あぁ…………? ()()()……()()()?」

 

 

 

 煉黒龍グラン・ミラオス。

 

 それはかつて、人に敗れた。

 旧き古き、神のかたち。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 






※ 本作のグラン・ミラオスは原作より二回り程大きいものとする。

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