久しぶりに。
本編後で。
「身構えるなよキンジ、仕事じゃない。金一さんとパトラにおめでとうを言いに来たんだよ、ジェシカとテッサの目を盗んでな」
立場が立場になってしまったせいか。
巣鴨の実家に現れたスーツ姿の俺を見やキンジとかなめの目は一瞬の驚きを含んだあとに、やがて苦虫を噛み潰したような失礼な目に変わっていった。
武偵高にいた頃と違って嫌でも毎日顔を見るわけでもないというのに‥‥‥兄妹揃って正直者め。
ま、俺だって前任の、あのビリーの来訪時にはいつでもそんな顔してたような気がするが。あいつが来るのは大抵トラブルとセットだったからな。
仕事ーーつまり俺が引き継いだ『死の騎士』としての来訪ではないと把握したかなめは‥‥‥出会いはどうあれ一応俺のただ一人の契りを交わした『戦妹』だったわけなのだが、なぜかその西海岸の女優顔負けの端正な顔に嵌め込まれた美麗な瞳をきゅっと呆れたように歪ませる。
「‥‥‥また夾竹桃がギトギトのジャンクフードで呼び出したんだろうけど、一応聞くね? 新婚旅行が終わったら次に会えるのは棺桶に蓋をされるときって台詞5回くらい聞かされたよ?」
肩をすくめ、完全に呆れた顔のかなめに俺もやや視線を逸らすようにかぶりを振って答えた。
「かなめ、そもそも結婚式をやる前に俺は夾竹桃にまじないで呼び出されてる。久々に再会してなんで虚無から出てきたかも全部伝えた上でいい感じで別れたあとにな。とどのつまりお前の質問へのAnswerは‥‥‥夾竹桃だぞ? そんなの言いたかっただけに決まってるだろ」
「うん、本当はそうかなぁって思ってたんだ。ただ文句を言ってビール瓶を手にくくりつけられた状態で朝目覚める女には見えないし」
と、かなめはキャラメルをぽいっと口に入れる。本当に聞いてみただけ、とそんな顔で。
ああ、碌でもない現実に文句は言うがビールで記憶を吹っ飛ばして現実逃避するタイプではないかな、あいつは。にしても相変わらずイチイチたとえが現実的でダークだぜ、かなめ。
「めざとい女だよ、ウチの毒使いは。賢人たちの書物や記録も頭の中にすっかりしまい込みやがった。俺たちより跡継ぎっぽいかも」
「自分の力ではどうしようもないことでも希望を持つかどうかは自分の意思で決められる、それが現実でしょ。ただお前たちの場合どうしようもないことでもルールの穴をついて妥協案に持ち込むってだけの話。なにもしないことと、なにかしたことは同義だと思ってる」
「禅問答か? 言葉回しがその夾竹桃並みに小難しくなってるぜ?」
今となっては俺たちや俺たちの爺ちゃんーー賢人たちが残してきたまじないや蓄えてきた超常的な知識が書き残された資料も夾竹桃の頭のなかにちゃっかりと収まってる。俺と本土にいた頃、一緒にレバノンの基地に入り浸ってひたすら棚を漁りまくってた結果だ。
ディーンが『サムが2人増えたみたいだ』なんてハンバーガー片手にぼやいてたよ。
「とまぁ、話は逸れたが。本当に挨拶だけだ。お邪魔してもいい?」
「ま、玄関に置いとくわけにはいかないしな。上がってくれ」
「お、やっとお許しが出た。遅れたけど久しぶりかなめ、進級おめでとう」
「おっそーい、遅すぎだよー。たった一人の戦妹なんだよぉー?」
ようやく玄関の立ち話も終わって、実に久方ぶりにキンジのご実家の敷居を跨ぐ。
かなめが塀によじ登って取っていた柿の木や生きる伝説と言われているキンジのお祖父様が星枷の出であるお祖母様にふっ飛ばされてジーサードが何度も文句言いながら粉々になったのを修復した家の前のブロック塀もそのまま。
一度虚無の何も存在しない虚ろを味わったからってわけじゃないが、こうも色鮮やかな思い出に浸されると懐かしさが嫌でもやってくる。
蚊帳を立てて一夜泊めてもらったあの日は今でも覚えてるよ。ジーサードが修学旅行気分でやたら話しかけてきたのもな。
「そうボヤくな。初めて出会った頃の俺たちを思い返してみろ、ここまで仲良くなれるとはきっと1ミリも思ってない。かなりの進展だ」
「それは言えてる、会ったその日にカウンセリングを勧めるってどういうこと?」
「お前が俺の首を落としに来たからさ。動いたらちゃんと落とせないとか会ったその日にかける言葉か? つかキンジ。その真っ黄色のジャケットはなんなの? 今の流行りか?」
「‥‥‥カタログじゃこんなに黄色くなかったんだけどな」
「ああ、太陽フレアと比べてってこと?」
「お兄ちゃんのセンスがたまに限界を突き抜けちゃうのは事実だけど、その黄色はびっくり度が最大9としたら‥‥‥14かな」
限界を突き抜けたってわけね。
でも案外いいかもよ、そのジャケット。目立つし。だからかなめのびっくり度が14なんだろうけど。
年季の入った廊下を進んで、これまた派手なワインレッドのスーツのジーサードが『Oh my god‥‥‥!』とそのスーツに負けない派手な実に本土の空気を感じさせるリアクションをしてくれた。本当に楽しいやつだねジーサード、そこが好きだ。
そしてその後ろにいる‥‥‥こちらは結局殆ど会話を交わすことはなかったがーー星枷を思わせるあまりに目を惹きすぎる漆黒の髪とやや時代錯誤すら感じさせる凛としすぎている兵士としての佇まいの女性に俺は足を止める。
若い。見た目だけならメアリー母さんよりもさらに若いし、キンジやサードのお姉さんと言われたら何の違和感もない。武藤なら羨ましいと即答するだろ美人だ。
「ほう、稀客であるな」
と、短くその目が俺を見て吊り上がる。
レクテイアで色々なものを見てきたであろうその瞳に、果たして今の俺はどう映ってんのかな。
「お久しぶりです、雪花殿。遅くなりましたがラプンツェル大佐の件、あらためてお礼を。ウチも連中とは昔から色々ありましたから個人的な私怨も含めて」
「金一と
彼女はキンジの戸籍上の母。
まだ日本に戦争の影がちらついていた時代に任務の一環でレクテイアへ渡航した、本物の兵士。ダイ・ハード、アメリカから特A級の危険人物とされたキンジのお爺さまの正真正銘の姉。
細かな差異はあるが生きていた時代から遥かな年月をいきなり吹っ飛ばしてこの現代にやってきた、呼び戻されたって意味ではメアリー母さんに似てるのかな。
当時の姿、記憶のまままるで異世界みたいになっちまった自分の国を見るってのは‥‥‥実際体験しないと分からない大変なものだろう。
‥‥‥まあ、この人も今や有名な動画配信者の一角としてかなり現代日本に馴染んでらっしゃるけども。遠山家の逞しさは昔からってことだな。
パトラと金一さんが婚約し、ジーサードとかなめと既に賑やかだった遠山家には、さらに妹であるかなでにレクテイアから帰還した雪花さん、パトラの妹であるメメトと今ではさらに大所帯。
「しかし、雪兎か‥‥‥」
「かわいい名前だろ、それに強そうだ」
「うん、いい名前だと思うよホントに。嘘じゃなく」
そしてその大所帯に先日一人の、新たな命が加わった。
「お久しぶりです、金一さん。どうしても直接言いたくてオフィスを抜けてきました。メメトも久し‥‥‥身構えるなよ、かなめと同じ反応しやがって」
「いえ、これは至って普通の反応かと思いますわ‥‥‥今の貴方を前に身構えない超能力者はこの世にはいないかと‥‥‥」
と、襖を開けて、奥ゆかしい和室に座っていたメメトーーパトラとそっくりの顔をしたキンジの義妹がさっきのかなめにそっくりな反応をしてくれるもんだから、苦笑いしながら俺は降参、と両手を挙げる。
だがそんな苦笑いした俺の視線の先には金一さんと妻であるパトラ、そしてーー雪兎、エジプトの神の一柱であるセトとも同じ名前を贈られた、二人の‥‥‥
「どしたの? 雪平パイセン」
「いや、その‥‥‥パトラとはその、最初はあれだったし、敵だったし、色々あったけど‥‥よかった金一さん‥‥パトラ‥‥本当によかった‥‥‥」
無事に二人の、金一さんとパトラの愛を受けて生まれた雪兎と名付けられたその子を一目見れて‥‥ああ、良かった。本当によかった、金一さん、パトラも、本当によかった。
「かなめ。俺、どんな顔してる?」
「結婚式のスピーチで何いうか直前になって全部忘れた友人代表」
「お前ほんっとに最低だね。今度飯でもどう?」
「いつ?」
「1000年後」
「すぐだね。ちゃんと奢ってよ? 途中でほったらかしに下戦妹に卒業祝いもないなんてーー非合理的ぃ」
はいはい、お前の大好きな
さすがに俺の来客は想定していなかったのか最初は目を丸めていたパトラも昔からは考えられないくらい穏やかな顔してるし、金一さんは金一さんで相変わらず俳優顔負けの顔で「感謝する」と、いやこの人は何もやっても格好いいのがズルい。
「死神は死の天使。枠組みだけで言えば天の遣いだがよォ。どう見繕ってもお前は祝福を運ぶ側には見えねェぜ‥‥‥厄災を払う側だ」
「それってどっちも似たようなもんじゃない? 金一さんは一緒に市庁舎までついてきたくれし、キンジには俺の一番大切な日に付き添いをしてもらった。ちゃんと言葉を贈りたかったんだよ。電話やメール1本で終わりなんて寂しいだろ?」
他意はない、今日という日は1日限りだ。
昔より今のほうが、それを実感してる。
「はぁ‥‥‥かの騎士からのとても暖まる言葉にはカルチャーショックを感じておりますが。金一お兄様とパトラお姉様へ祝福の言葉を贈りに来て頂いたのは真実のご様子」
と、メメトが取り出したのは白い石板(アミュレット)。そこにはメメトが自分で掘ったらしいヒエログリフが刻まれている。セトーー嵐の神と同じ名前か。
とても、いや、実際に強い子なんだろうな、この子は。
「セト。それはあのセト神からの名前だよな」
「はい。セトは、嵐の神セトからいただいた名。セト神は神の強さランキングで太陽神ラーに次ぐ力の神であり、旅人の守り神でもあるのですわ。とても良い名前かと」
エジプトの神にも力関係があるのか、とキンジは不思議そうな顔をしてるな。ラー、ホルス、トト、セトやら色んなのがいるが、むしろエジプト神話は力の優劣や強さ関係が他のより明確に体現されてる神話なんだぞ。
「ああ、とてもいい名前だ。金一さんからもパトラからも愛をもらったって感じの、そんな気がする。じゃあ、金一さん、パトラも、ちょっと駆け足になりますが俺はそろそろ行きます。この大所帯じゃ長居するのも申し訳ないし」
「もう行くのか? 珈琲くらい出すぞ?」
「ありがとうキンジ。お前のインスタントコーヒーは今度の楽しみにしとく。ちゃんと仕事しないとジャックやキャスに怒られちまうからな。入試がんばれよ、そこはちゃんと応援してる」
襖を開けて、首だけを反転させてキンジに別れの挨拶代わりにエールを送っとく。
「幸運を、キンジ。互いに必要だ」
次に会えるのは、そうだないつになるやら。遠山キンジは殺しても死なない男だからな、果たしてどうなるやら。
「1000年後だよー、ちゃんと忘れないでよね。ロカとツクモと三人、ちゃんと予約しといてよ?」
ああ、そっか。1000年後にはとりあえずかなめには会えるんだったな。ロカと、それとツクモにも。ちゃっかり増やしやがって‥‥‥
では、遠山家の皆様。
今日はこれにて。我儘な神様が去って、自由を取り戻したこの世の中で、明日がよりよい日になるのを祈ってます。
「ーーー
また、どこかで。
◇
「普通、挨拶は二人で行くものだと思うの。行くなら私を誘うべきだと思うの。そう思わない? なぜ誘わなかったの? それっておかしくないかしら?」
「無茶いうな。お前はあのときジャンヌと理子と一緒にエッフェル塔で神崎とアンジェリカを相手に激戦の最中だっただろ。あんなこの世の終わりみたいなドンパチの最中に割り込めるか。当たり前みたいに神崎やアンジェリカは空飛んでるし、ジャンヌとお前は金払ってエレベーターで屋上まで上がってまたドンパチするし‥‥‥それにあそこでお前を日本に連れ戻したら完全に不法入国だ」
手続きなしでエッフェル塔から巣鴨にワープしてみろ、アウトだよアウト。
もはや慣れ親しんだ観葉植物まみれのホテルの一室で、もう何度か見たかも分からない夾竹桃の異議ありと言った顔に俺は苦笑いで手を横に軽く振る。
俺が金一さんとパトラに挨拶に行ってから少し経って理子とジャンヌを連れ、夾竹桃は同じく元イ・ウーのパトラと金一さんのもとを訪ねたらしい。もちろん雪兎ちゃんのことでのお祝いと祝福に。
「夾ちゃんの気持ちは分かるよ? だってさ、そりゃダッチマンの船長みたいに十年に一回しか会えないってわけじゃないけど基本的にキリくんは年中ほぼお空の上でしょ? 理子は夾ちゃんに一票、でもキリくんの言い分もわかるからキリくんにも一票!」
「結局中立かよ。優しいね、峰理子さんは」
「夾ちゃん、考えてみなよ? いい部分もあったよ? 皮肉もないし、運転への文句もない、ファーストフードの匂いもないし、古い洋楽をずっとインパラのなかで聞いてる必要もない」
「おい、理子! 中立に見せかけてかなり寄ってないかッ!? 聖女さまからも何とか言って!」
‥‥‥ん?
なによ、どうしたのジャンヌ?
「‥‥‥すまん、口の中を火傷した」
「‥‥‥電子レンジが何のための道具と思ってるんだよ。大丈夫か?」
理子、ジャンヌ。
そして夾竹桃の元イ・ウーの3人組と一つのテーブルを俺はこうしてまた囲んでる。夜の中何が起きるか分からないと言うが確かにそうかも。少なくとも俺はもうこんな景色は見れないと思ってリヴァイアサンを中に入れた。
だから俺は‥‥‥運がいいと思ってる。
命が一つ、魂も一つと決まってるルールのなかで何度も贔屓してもらって、普通に生き返るってそんな都合のいいことにはならなかったがまたこうしてみんなと話ができてる。
キャスは虚無から吊り上げられて天国の再建に、俺はこうしてビリー亡き後の死の騎士の後釜に。
虚無という、他には何も存在しない虚ろな墓場に埋葬されてるだけのあの時間に比べればーー中立であるべきの神にしてはかなり贔屓してもらったかも。
「それよりさぁー。キリくん、ワイスピ次で最後だよ‥‥‥? 理子はどん底の悲しみの雨に絶賛うたれてるんだよぉ‥‥‥慰めて慰めてっ?」
テーブルにべたーと伏せて猫みたいに嘆いて騒ぐ理子とか、猫舌が治ってないジャンヌとか、こういうのを見てると思う。とても平和だって。
「俺だって悲しいよ、好きな映画のシリーズどんどん終わるんだから」
「仕方ないわ。どんな物語、どんな作品にも最後には終わりが待ってる‥‥‥、‥‥‥、‥‥‥流されて藍蘭島はいつ終わるのかしら?」
「いや、それは分かんねえけど‥‥‥」
ハッ、とした顔で何を言い出すかと思えば‥‥‥それってあれだよな。ある日見覚えのない島に流されちまう漫画。あれ、いやちょっと待て。
「なあ理子。ヒルダはどうした? 一緒じゃなかったのか」
「マスカレードだってー」
「えっ、マスカレード? パーティーか?」
「うん。今宵のマスカレードを楽しんでくるんだってー。あれはもう人間社会に毒されちゃって元には戻れないねー」
間延びした声で理子はイチゴ牛乳のパックに手を伸ばした。ストローがじゅる、と音を鳴らす。完全に他人事、堕ちるところまで堕ちろって顔だ。
「お前と秋葉のメイドカフェでメイドとノリノリで野球拳してたときから怪しかったけどな。元々ちょっと俗っぽいところあったし」
「ところでキリ。私からお前に聞いておきたいことがある。式では機会を逃してしまったからな、今聞かせろ」
手品のようにジャンヌの目の前に置かれたレモンティーのグラスにいつの間にかロックの氷がちゃりっと音を立てた。
サファイアブルーの瞳はほんの僅かに言い淀むような気配を見せ、ジャンヌが言い淀むってことは真剣な話か。
ジャンヌ。出会いはかなめと一緒で刃を重ねる初対面になっちまったが間違いなく俺にとっては大切な家族の一人。魔女とハンターという最低な関係から始まって、それでもいつでも頼りにさせてくれた最高のオルレアンの聖女様。
キンジやサムやディーンやクレアとはまた別に、背中を預けることができた最高のパートナー。本人には言わないけどな、こんな賛美まみれのセリフは。
「あらたまって何だよ。なに聞きたいの?」
「あの日、お前はルシファーと共に虚無に堕ちた。道連れにし、相討ちにした。かつてスタール墓地で魔王を檻に戻した時のように」
凜とした、真剣な瞳で続く言葉に夾竹桃も理子も口を紡いで聞き耳を立てる。
「虚無とはそういう約束だったし。一人でチェックインするところにルシファーを巻き込んだ、そんな感じであってるよジャンヌ。そこから俺は虚無に落ちて、その間に夾竹桃は暴走したチャックやビリーや虚無とファイナルシーズンを戦った」
「感謝なさい。貴方への溜まりに溜まったリリスの恨みが全部私に向いたんだから」
夾竹桃があまり思い出したくないって顔でぼやく。
そう、リリス。あのリリスだ。
あの俺やディーンの腸を猟犬で抉った最初の悪魔のリリスが虚無から這い出て復活した、他ならぬ神のひと言で地上に出されたんだ。
最後はダイナーで食事しているミカエルにちょっかいをかけて嘘のようにあっさり焼き払われたけどな。
「で、世界はまたしても破滅を迎えるところだったけどなんとか危機は回避され、この世界は新たな神様を迎えてアナは今も地上で信仰療法を続けてる。そして虚無に飲まれた俺は、空席になった仕事に就く代わりに虚無から外に出してもらった。本にしたら間違いなく暖炉に投げ入れられる出来だな、うん」
メタトロンならボロカスに言ったあとに暖炉に投げ込む、間違いない。
そのあとの顛末は理子やジャンヌも知ってのとおりだろう。
パンドラの箱じゃないけど手元にあるものをこぼしていくだけのハンターの人生で、最後の最後で一番望んでいたものを手に入れられたって‥‥ことかな。
夾竹桃の、その右手にはめられた指輪にふと意識が向いて‥‥‥紫の瞳が何気なく不可思議に揺れる。
「ーー?」
「あ、なんでもない。リリスの部屋にあった指輪だけどなんかちゃんと、ちゃんとしてくれてるのいいなーって。夢じゃなかったんだなーってそれだけ」
「お馬鹿。そういうものでしょ、これは」
「まあ、そうだけど。こういうの無縁と思ってたし、久々に見てもお前はやっぱり綺麗だし、インパラも大事にしてくれてるし、いいなぁーって」
「そう‥‥‥火ちょうだい、マッチはそこ」
はいはい、喉のお薬ね。
煙管という名の喉のお薬にブックマッチを弾いてつけてやったところで、
「おめでと、キリくん。ちゃんと円満みたいだね。あのうんざりするロマンスが見れないのは理子先生としてはちょっと寂しいけど」
「私もだ。最後にデートしたのはいつだ? と聞いてやったあの日が懐かしい」
「キリくん何って言ったっけ?」
「ジュラ紀だ、私は記憶力がいい」
嘘つけジャンヌ、お世辞にも誇れるほど記憶力がいいとは思えないエピソードを俺は結構知ってるぞ。
つか、言ってないぞそんなこと。なんだよ最後にデートしたのはジュラ紀って、一体
ツッコミかけた俺に、ジャンヌは『話は逸れてしまったが‥‥‥』とまたしても舵を戻そうとする。あ、まだ質問はあったんだな‥‥‥ここまで来たら、俺もどんなことを聞かれるか逆に気になってきた。促すように俺もどうぞ、とジャンヌの碧眼に視線を投げる。
ジャンヌはレモンティーに口づけ、少しの間を置いたあとに、
「ふと、私は思った」
あ、長くなるのかなこれ。前置きから来るやつか。もう結構前置きしたと思うけど。
「お前の知るネフィリム。桃子のいうジャックは大天使であるルシファーと大統領の秘書との間に生まれた天使と人間の子だ」
?
たしかにジャックはルシファーと大統領の秘書であるケリーとの間に生まれた子。
ネフィリムは父である天使以上の力を持つから大天使であるルシファー以上の力を持ったジャックは異世界のミカエルをねじ伏せるほど強かった。
「先日、私はパトラと金一の子を見て思ったのだ。ふと、ふと思ったのだ」
ジャンヌは腕を組み、部屋の明かりに手繰り寄せられるように舞っている蝶を仰ぐように見つめて、
「キリ、今のお前は騎士だ。死神を束ねる死の騎士、そして死神は死の天使。その枠組みは天使だ、お前たちがメタトロンの策略で天界の門を閉じて天使たちを地上に堕としたとき彼等も影響を受けた。そう、つまり今のお前は本質的には‥‥‥」
キャスがやらかして天使たちが地上に墜落してきたとき、たしかにテッサが似たようなことを言ってた。死神は死の天使。
相変わらず俺たちの界隈に対しての解像度が異様に高いジャンヌが言い淀む。しかし、妙な、妙な雲行きの悪さに俺は理子に向けて目を逸らす。が‥‥
「あー、つまりジャンヌが言いたいのはお前は死の騎士になったけど夾竹桃はそうじゃない。だからジャンヌが言いたいのはもしパトラと金一みたいにお前たちが‥‥‥」
「待て、待てっ! 理子! おまっ‥‥‥」
「だからルシファーとその秘書みたいになっちゃうんじゃないかってこと。ようするに根本的には天使の親戚の親玉みたいな今のキリくんと夾ちゃんがやることやっちゃったらネフィリムがーーはい、おかわりしよ。飲まなきゃやってらんない! 真実は神のみぞ知る! この世は神のみぞ知る世界!」
と、裏理子モードはジェットコースターのように急降下で元に戻って、そのまま理子はバックからイチゴ牛乳を取り出してすぐにまたストローを鳴らした。
えっと、つまりその‥‥‥
「ま、夾ちゃんはパトラよりお姉さんだからね。朗報があったらちゃんと理子には教えてねー」
「お、おまっ‥‥‥言うだけ言って‥‥理子っ! そのストローを離せ、それで沈黙できると思うなよ!」
「ねぇ、夾ちゃん。理子も聞きたかったんだけど、どっちから告ったの? プロポは? キリくんから? どこで? サンタモニカ? ロングビーチ? ローレンス?」
ここぞとばかりに質問攻めの理子に、俺はもう知らんとコーラの瓶を追加で空けた。
「ジャンヌ、俺からも一ついい?」
夾竹桃がやんわりと笑いながらも、目を輝かせる理子に応えていくなかで俺は、ゆらりと首を回して頬杖を突きながら、
「なんだ? 乾杯か?」
「式のこと。ありがとな、来てくれて。夾竹桃の付き添いやってくれてすごく嬉しかった」
一回しか言わない、と。
やや気恥ずかしさを隠すようにジャンヌの前にコーラを置いて勝手に瓶を打ち鳴らして乾杯しておく。やがて、くすりと小さな声が聞こえてくるが思いっきり流し込んだ炭酸が喉を焼いてそれどころじゃない。
「ーー結婚おめでとう、キリ」
「ありがとパートナー」
そして今度こそ、ジャンヌが寄せてくれた瓶に俺は左手を突き出した。
乾杯、ジャンヌ。お前と理子に、夾竹桃に、どうか天下無敵の幸運を。