mensa rotunda-サラダデイズ・スピンオフ 作:杉浦 渓
アルテミスはロンドンのパブ「漏れ鍋」にいた。
つい先日まで、フランスにおける魔女狩りの歴史についてより正確な研究を進めるために数年間にわたりパリのマグルの本屋で働きながら研究を重ねていたが、祖母からの連絡を受けて、緊急帰国したのだ。
『大事件よ、アルテミス。
ビンズ先生が消滅したの。
つまりホグワーツに魔法史の教授がいなくなったのよ。校長はとても困っているわ。
なにしろあの人、魔法史にカケラも興味がないから、魔法史家の名前を知らないの。
今、続々と英国中の魔法史家から就職希望の手紙が舞い込んできて、魔法史の論文まで届くものだから知恵熱を出して寝込む寸前なの。
魔法史の教授に関する校長の希望は以下の通り
・現時点で死んでいない
・しばらく死なない
・生徒が眠らないように双方向的な講義をする
・バランス良く時代を網羅する(ゴブリンの反乱については1ヶ月程度を割り当てれば充分)
・英国魔法史と世界魔法史とを6:4の割合で教える
・ハリー・ポッターやエリザベス3世の業績に固執しない
・『ナーグルが英国魔法史を作った』という類の論文を送りつけない
・エリザベス3世研究をライフワークにしない
あなたにぴったりのポストだと思うの。というかあなたしか見当たりません。
英国魔法界にはビンズ先生の教え子しか存在しないから「歴史のバランス? なにそれ美味しいの?」という認識で、自分の専門分野にだけ無駄に熱心な人ばかり。しかもエリザベス3世という謎の人物を研究テーマにしている人が多過ぎるわ。
そんな魔法史の教授を雇ったら、校長の健康に著しい被害が出ること、あなたなら理解できるわね?
最新の知恵熱原因は下記の論文よ。
「エリザベス3世とハーマイオニー・グレンジャーの秘密の関係」
おばあさまにも耐え難い内容だったわ。校長が寝込む気持ちも不本意ながら理解できた。
一刻も早く帰国しなさい。
そして面接を受けて。
ホグワーツには今こそまともな魔法史の教授が必要です』
ものすごい理由で推薦されたものである。
・現時点で死んでいない
・しばらく死なない
これを推薦理由と受け止めていいかどうかさえ自信がない。
「大事な条件だよ。もうゴーストの教授を雇うつもりはないんだ。新しい歴史研究が出来ないじゃないか。文献を調査することも出来ない。ページをめくれないんだからね」
「・・・それはわかりますけど」
「そしてゴーストの教授志願者がとにかく多いんだ。ほとんど首無しニックまで立候補している」
「は?」
「魔法史の教授はゴースト向きの職業だという誤解が蔓延していることが判明した。リアルタイムで歴史を見てきたからというのがその理由だけれど、客観的評価を取り入れることが出来ない以上、主観的な歴史認識を生徒に押しつけることになる。それだけは避けて欲しい」
「じゃあ、しばらく死なない、というのは?」
「死ぬならわたくしが死んだあとにして欲しいんだ。新しい魔法史の教授を探すのはもう嫌だ」
「・・・なるほど。でも校長先生、わたし、まだ研究したいんです。パリに住んでいるのは、ヨーロッパ魔法史の中でも特に魔女狩りという形で、魔法族とマグルが直接的に関わった一連の流れの中で、どのような誤解や誤認が流布され、現代に影響してきたかを考察するためです。祖母は、本屋の店員をしてハンサムな男性を見つけるためだと疑っていますけれど、それはそれ、これはこれです。わたしなりに一応、魔法史家としてのテーマぐらいあります。研究を中断したくありません」
中断しなくていいからあ、と校長がテーブルに突っ伏して足をジタバタさせた。
「だってホグワーツに住んだら」
「サマーホリディはまるまる研究にあてられる。フランスでもイタリアでもドイツでもブルガリアでもロシアでも、どこの魔法省にだって研究資料の開示請求をしてあげるよ、ホグワーツ校長名で。各国の秘蔵資料が読めるよ」
ハンサムなフランス人との結婚だって好きにすればいい、と校長が手を振る。
「いえ・・・特にあてがあるわけでは」
「本屋のバイトは、生活費のため? だったら魔法史の教授も生活費のためと割り切ってくれてもいいと思う。それにホグワーツの教授という身分があったほうが、外国で研究資料を読むにははるかに有利だ。聴き取り調査だけなら身分は要らないけれど、文書を研究するならそれなりに立場が必要だろう?」
どうしよう。
断りにくくなってきた。面接に失敗してパリに戻るつもりだったのに、校長のほうが乗り気ではないか。この校長に見込まれてしまったら最後だ。
アルテミスは、必死で頭を働かせた。
「校長先生。おっしゃる通りです。生活費を稼ぐための職業としては理想的だと思います。研究費用を貯めるのにも」
「だよね!」
「でも・・・わたしなりに教育への熱意もあります」
「すごく嘘っぽいけれど、大丈夫。立場に作られるタイプの人間なら、わたくしはよく知っている。君は責任あるポジションに置かれたら、不本意だと言いながら責任を果たす人間だ」
「・・・そ、そうかもしれませんけど! わたし、わたしは・・・魔法史家としてならともかく、魔法史の教授としては、熱意が足りないかもしれないんです。それが不安で」
「とりあえず不安の内容を言ってみて」
「わ、わたしは! 死んでまで授業をする気はありませんから!」
合格だ! と、校長がテーブルに飛び乗ってアルテミスを激しく抱き締めた。
「え? は?」
「今まで面接をした100人が100人とも『死んでも授業を続ける所存です!』って当たり前の顔して言うんだ! わたくしは、死んだら墓に入るという常識を有する教授が欲しいんだよ! ただそれだけなのに!」
・現時点で死んでいない
・しばらく死なない
・死んだら墓に入る
以上の3点を決め手として、無事に新しい魔法史の教授が見つかった。
着任の挨拶でアルテミス・ウィーズリー=グレンジャーは宣言した。
「あなたがたに、より整理された、過不足のない、基礎知識としての魔法史を教え、OWLをクリアしたNEWT学生には、相応の研究テーマに対する研究手法を指導するという、魔法史の教授としての責任は果たします。ですが、死んでまで授業をする気はありません。それほどの熱意がないことは、心得ておいてください。死んだら、おとなしく墓に入ります。それが、魔法史家に必要不可欠な『常識』というバランス感覚なのです」
薬草学のネビル・ロングボトム教授が立ち上がって盛大に拍手をし、校長はスプーンでグラスを盛大に鳴らした。
アルテミスはこの2人に大歓迎されたことにげんなりして、レオナルド・マルフォイ魔法薬学教授を見たが、同情的な薄ら笑いだけしか返ってこなかった。
「騙されたのは僕も同じだ。おじいさまからは『ウィンストンは熱意のある若い魔法薬学者を求めているから、スラグホーン教授を尊敬し、死ぬまでホグワーツに奉職すると言えば合格だ』と言われたんだ。なのに、実際の面接で『僕は最新の調合技術についていけなくなった時には潔く後進に道を譲りたい。それが可能なように、若く優秀な魔法薬学者を次々に育てることが教授の使命だと考えます』と率直に言ったら泣きながら手を握られて・・・問答無用で採用された。円卓会議ではホグワーツ教授陣の人事について相応の計画を立てているんだろう」
「・・・それをどうしてわたしに警告してくれなかったのよ? 警告さえしてくれていたら、死んだら墓に入るなんて馬鹿正直に言ったりしなかったのに・・・!」
「自称魔法史家という触れ込みでフランス人のボーイフレンドを渡り歩いているから、君にだけは無関係な話だと思っていた。まさかビンズ先生が歴史に満足する日が来るとは思わないじゃないか」
アルテミスは地下牢教室の調合台の上で髪をかきむしった。
「結局、あなたの採用の決め手は何だったの?」
「『日進月歩の技術と知識に対する意識の高さが欲しかった』のだそうだ。『白内障で大鍋も見えなくなってから続けられる仕事じゃないことを覚悟する意識高い系の魔法薬学者じゃなきゃイヤだ』と泣きながら言われて、やっぱり辞めますと言えるか? 君はおおかた、さっきのスピーチそのまんまのことを言ったんだろう?」
当たり前よ、とアルテミスは髪をかきあげた。「魔法史家には何よりも客観的事実を受け入れることが必要なの。『死んだら墓に入る程度の熱意しかない』って言ったら・・・漏れ鍋のテーブルに飛び乗ってしがみつかれて・・・『死んだら墓に入る常識を持った人が欲しいだけなのに、101人と面接してそう答えたのは君だけだ』と言われたら、あまりに気の毒で」
「こうなったら広く警告を流布したほうがいいな。マスコミを使って、ホグワーツ人事に関する企みの気配があることを流そう。円卓会議の今の目標は教育改革だぞ」
「待ってマルフォイ。それさえも計算されてるかもしれない。教育改革への世論を誘導しかねない人たちよ!」
「・・・それは確かにそうだが・・・裏をかいたつもりで犠牲者を増やすか? いずれにせよ、罠を張ってでもやることをやる人たちだぞ? 世論が高まり、意欲的な学者がホグワーツ教授を目指すことそのものは悪いことではないだろう。掌の上だと思うから癪に触るんだ」
ちなみに、とマルフォイはまた薄ら笑いを浮かべた。
「なによ?」
「僕は最新の魔法薬学についていけなくなったら退職だからな? 僕のほうが退職は早い。教育改革において、教授人事の次に来そうなテーマは『次の校長誰にしようかな?』になると思う。気をつけろよ、アルテミス。君の退職基準は『死んだら墓に入る』だろ? ただでさえ一番最後まで居残りだ。スケープゴートは早めに用意しろ」