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篠ノ之束に初めて会った時の印象は
彼女を知る人間ならこの意見に大きく異を唱えるだろう。そんな可愛い存在ではないと。勿論束の排他性は認識していたが、私といる時の彼女は嬉しければ笑うし、つまらない時は不貞腐れる。そういう普通の少女だった。
私に弟の一夏、束に妹の箒が生まれた時も互いに自慢し合った。だから周囲から束が異常だと言われても根本的な部分で実感を持てないでいたし、あの頃は実際その通りだった筈なのだ。
とはいえ、社会不適合者と言われれば返す言葉はなかった。このままでは拙いと上辺だけでもいいから周囲に馴染ませようとした。
……今にして思えば、純粋に束の将来を案じただけでなく、教師さえ無視する束のフォローに煩わしさを覚えていたからだという意識が我が身を苛む。
私の試みは極めてゆっくりであるが効果が現れていたと思う。
当初は他人を完全に無視していた束も無愛想ながらも反応を示すようになったからだ。
そうした態度が以前にも増して問題を引き起こす事もあったが、進歩が感じられたのでフォローも苦労だとは思わなかった。
中学生になった頃には無口で人付き合いが悪いと言えるレベルになっていたし、一度だけ「大勢で遊んだらもっと楽しいかな」と呟いた事もあった。
完成させたパワードスーツをかつては蔑視していた英語でインフィニット・ストラトスと名付け、宇宙開発に利用されたら良いと言った際にはこれまでの努力が結実したと無邪気な感慨に浸った。
ただ、発表は失敗した。
後から聞いた話だが、束は学会に連絡もせずにいきなり乱入し、自分の研究成果を一方的に述べるだけ述べて帰ってきたのだという。資料なども作っていなかったらしい。
ISが見向きもされなかった事に束が癇癪を起こし、私はやれやれと嘆息したが、この時点では殆ど問題はなかった。いきなり躓きはしたがISの性能は確か。すぐに皆はISの有用性に気付いてくれる。何なら自分がISを装着して宇宙ステーションに挨拶に行くというのも良案かもしれない。
そう楽観視していたし、当時の状況なら楽観ではなく現実的な見通しだった筈だ。後に白騎士事件と呼ばれる、日本へのミサイル発射事件さえ起きなければ。
思い起こすのも忌まわしい記憶だ。
迎撃を終えて戻った私は、笑顔で成果を称える束に言ってしまった。
ああ、もし過去に戻れるのなら今すぐ戻ってあの時の自分を殴り飛ばしたい。
何があってもあの言葉だけは言ってはいけなかったのだ。仮に、言わなければ死ぬのだとしても決して。
「この事態はお前が起こしたんじゃないのか? ISの性能を見せつける為に」と。
疑問を呈すという形であったがほぼ確信を以て束を糾弾した。
根拠としては、複数の国の軍事コンピューターを同時にハッキングするという真似が普通の人間に出来るとは到底思えなかったし、そして時期もぴったりだったからだ。
……子供故の思慮の浅さと、失敗の許されぬミサイルや各国との戦闘での緊張と疲労、そして危うく一夏が巻き込まれていたかもしれないという恐怖が冷静さを失わせていた。
――彼女が箒を巻き込むような事をする筈がないというのに。
告げた直後、束は意味が理解出来ないとばかりにきょとんとし、それから能面のような無表情になり、最後には俯いた。
そうなってからやっと、私は自分が取り返しのつかない事をしてしまったのだと悟った。
あるいは、束が激怒して掴みかかってくれば違う未来もあったのかもしれない。
だがそうはならなかった。それでも考えてしまうのは少しでも罪の意識を和らげようとする卑怯な逃避だ。
親とすら上手く関係を築けなかった束にとって私の存在は世界と釣り合うほど大きかったに違いない。
だから私だけは味方でいてやらなければならなかったのだ。誰もが彼女がやったと弾劾しても、私だけは信じて「お前のお陰で助かった」と笑みで感謝しなければならなかった。
他人に興味を持てないこと以外はどこにでもいる少女だと、誰よりも知っていた筈なのに。
この段階でも地獄で責め苦を受けている心境だったが、更に下があった。
無垢な信頼を踏み躙った代償を支払わされたのは私ではなくあろうことか束だったのだ。
「はーはっはっはっ! さっすがちーちゃん! 束さんの陰謀をこうもあっさり見抜くとは恐れ入ったよ!」
底抜けに明るい声。その言葉を聞いた時、私は呆気に取られた。私に糾弾された束も最初はこんな困惑だったのかもしれない。
しかしながら、直後に自分のしでかした過ちの重大さに気付いて戦慄した。
篠ノ之束は織斑千冬に理解者でいてほしかった。ずっと一緒にいた相手にさえ理解されていなかったなんて思いたくなかった。
だから、織斑千冬が
改めて束の中に占める織斑千冬という存在の大きさを思い知らされて私の胸は痛んだ。
束は箒に限りない愛を注いでいるが、一方で箒から向けられる愛には懐疑的だった。
自分を慕ってくれるのは分別の付かない年齢で篠ノ之束という個人の本質を理解していないからではないか、と。
だから同い年で長年一緒だった織斑千冬だけは本質を把握した上で付き合ってくれていると信じていた。でなければ広大な世界の中で一人ぼっちになってしまう。
束は私に裏切られたくなかった。裏切られた事実をなかった事にするには自身の心を偽るしかない。
仮に、その結果失望されて見捨てられたとしてもだ。
本質を理解されて嫌われるなら悲しいが仕方ない。だが、誤解された上で好かれるのは論外だ。相手が自分を見ていないのだから嬉しいだの悲しいだの語ること自体が滑稽でしかない。
息が苦しくなり、見えない壁に縫い止められてしまったように全身が硬直していたが、それでも必死に口を動かした。
「っすまない、束!」
「どうしてちーちゃんが謝るのさ? むしろこっちが謝らないとね。私のせいで危険な目に遭わせちゃって」
認めない。織斑千冬が篠ノ之束を見誤ったと私自身が認めても束は絶対に認めない。
一度でも認めてしまえばこれ以降、あらゆる瞬間に疑心を抱いて生きていかなければならない。それはあまりにも辛すぎるから。
「これでお馬鹿さん達もISの凄さが分かったと思うし、これから忙しくなるね」
「……ああ」
束は馬鹿だ。こんな分からず屋はこっちから願い下げだと拒絶すれば良かったのだ。自分を卑下してまで共にいる必要があるほど私は上等な人間ではない。
そして束が馬鹿なら私はとんでもない大馬鹿者だ。
顔で笑い、心で泣いて縋りつく少女に何も出来ない。いや、何も出来ないなどと、無力な無辜を気取るのは汚い。彼女の心を滅茶苦茶に蹂躙した罪人なのだ。
――目的の為なら他者を顧みず危害を加える事も厭わない。
篠ノ之束はそういう人間だと定義してしまった。
あるいは、と再び仮定を差し挟むが、もしもこの時に私が束にはっきりと言っていれば、見る目のない駄目女だったと告げて彼女の前から姿を消していれば違った展望も見えたかもしれない。これもまた無意味な仮定である。
愚かな私は役を演じるしかなかった。
「……束」
「何?」
「これから何があっても私はお前の味方だ」
――束は酷い奴だがそれを受け入れて友人をやっている。
そんな虚構を纏わなければならない。謝罪すら許されない。それが己に与えられた罰。
しかし嘘は吐かない。私が傷付けてしまった少女、その責任は負う。たとえ世界が敵に回ろうと、束を守ると誓う。
……それだけでは罅割れた心を癒す事は出来ないと知りながら、私は目を背けた。
「ありがと、ちーちゃん」
満面の笑顔が咲いたが、それはとても儚く見えた。
白騎士事件によってISは全世界に周知された。
それからの世界は束が思い描いた姿とは全く別の方向に進んだ。
けれど、各国がISを宇宙開発に使わず、如何にアラスカ条約を掻い潜って軍事に利用するか躍起になっても束は何も言わなかった。
それはそうだろう。平和利用を願っている人間がミサイルを使ってのデモンストレーションなどする訳がない。
私の言葉は束に芽生えかけた他者への労りや協調を見事に刈り取っていた。
子供時代に逆行したかのような無関心さは、偽りきれない束の良心が人との繋がりに絶望してしまった発露かもしれない。
見ず知らずの他人と他人を結び付けられる子になってほしいから束と名付けたのだと、人当たりが幾らかマシになった頃に父親の柳韻先生がしみじみと語ったのを思い出し、嗚咽が零れた。
「すごい天才がいたものだ。かつて、十二ヵ国の軍事コンピューターを同時にハッキングするという歴史的大事件を自作した、天才がな」
シルバリオ・ゴスペルの暴走事件解決後、潮騒の中で一縷の望みを託して告げた台詞に反論はなかった。
気落ちしつつ、同時に束が背中を向けていて良かったと心底安堵した。この時の私はさぞ怪訝な顔になっていただろうから。
率直に言って束の思惑を量りかねていた。
今回の福音暴走は箒の晴れ舞台を用意したいという歪な姉妹愛だというのは分かる。規模こそ大きいが納得出来る理由があるので疑問はない。
しかし、一夏に関わるここ数ヶ月の介入の意図の不透明さが不気味だ。結果から目的をある程度逆算する事は出来るが、その目的の先に何があるのかが掴めない。
不意に、束の内面は既に人知の及ばないおぞましい怪物になったのではないかと考えてしまい、途轍もない厚顔無恥加減に不実さごと自分の体を引き裂きたい衝動に駆られる。
「ねえ、ちーちゃん。今の世界は楽しい?」
「そこそこにな」
「そうなんだ」
束の真意がどうであれ言い繕えるよう、含みを持たせて答える。
正直に言えば今の世界は歪んでいると思う。さりとて、もう私には彼女を裏切る事は出来ないのだ。
このSSのミサイル発射は亡国機業の仕業。
この一件さえなければSFチックなゆるゆりが始まってたんですが……
あくまで一発ネタ。原作束のISの命名理由は、兵器利用を見越して馬鹿にする為に付けたんじゃないかと思ってる。