色々ありましたが元気です(反省してない)
「そこで忙しなく働いているのが君の眷属だな?」
朝早い時刻、まだ人の営みは活発になっていない。だがそれでも飲食店の朝は早いものだ。食材の仕込みもそうだが、開店するにも色々と準備というものがある。
客を迎え入れるために埃やゴミを掃き取り汚れを拭き取り、客席のレイアウトが歪んでいたらそれを正したりとざっと上げただけでもこれだけあるのだから開店前の飲食店というものはそれはそれは忙しいことだろう。
現在、まだ肌寒い風が残る早朝に店前の掃き掃除を行っているウェイトレスは先日出会った時に『リュー・リオン』と名乗った。かつてアストレアが誇らしく語った名前と一致しているうえに彼女の起こした事件のせいでかけられた手配書の似顔絵と酷似していた。髪の色が金から薄緑に変わっているが、染めたのだろう。懸賞金目当ての賞金稼ぎや暗殺者から少しでも目を逸らすためのカモフラージュかもしれない。
本人かどうかの確認も兼ねて彼女が現在身を寄せている『豊穣の女主人』の近所にある喫茶店でアストレアと共に朝食を取っている。例の事件のあとに死亡した説が流れていたそうだが、アストレアが食い入るように様子を伺いながら目元に涙を浮かべている姿を見る限り本人に間違いないだろう。
「あぁ……。無事だったのですね」
すぐにでも飛び出して行くかと思っていたがそれはしなかった。向こうの仕事の都合もあるだろうが本人にも思うところがあるのだろう。それを尻目に見ながら注文した紅茶を一口啜る。
―――――及第点だな。
飲んだ茶に厳し目に点数をつけているこの男だが、紅茶の淹れ方には人並み以上の拘りを持っている。筋肉質の男が持つスキルとしては意外なものではあるが、これでもこの男はとある貴族の当主にそのスキルを買われて執事のアルバイトをしていた経験がある。それ以外にも要人の警護や潜入先の人間に成り済ますには家事のスキルが非常に役立った。
「それで、結局いつになったら会いに行くのかね?」
「……今日は忙しいみたいですし、一旦出直そうと思います」
さりげなく伺ってみるのだが、何かと理由を作って再会を避ける。いい加減覚悟を決めて欲しいものだ。
カップをソーサーに戻す。肺の奥から零れた大きなため息はアーチャーの今の気分をそっくりそのまま表している。どうにもならなちもどかしさと呆れが半々に混ざった感情を吐き出してアストレアの正面を向くが、当の本人にはそっぽを向かれる。
「なあアストレア。別に私は強制するつもりはないし、今の状況にとやかく言いたくはない。だがせめてするかしないかどっちか決めるくらいはして欲しい」
「分かってはいるのです。ですがいざリューと対面したら私はきっと頭の中が真っ白になってしまうでしょう。何を話したらいいか、何をしてあげればいいのか分からないのです」
色々な感情が複雑に絡み合ってグチャグチャになっているのだろう。喜びや感動といった正の感情と後悔や罪悪感のような負の感情が拗れに拗れて恐怖になっているのだろう。
「だろうな。君は五年前までの彼女しか知らない。五年の時があれば人はどのようにでも変わる。だが君は違う。そうしなければならなかったとはいえ君だけは五年前のオラリオから逃げ出したまま何一つ変われていない。時間という齟齬がある限り彼女と君は決して交わらない」
「うっ、はっきり言ってくれますね」
「もどかしく思っているのは私も同じだからな」
皿に乗ったオムレツにナイフを入れる。スッと切れたオムレツを一口食べる。プレーンのオムレツの作り方はとてもシンプルで、だからこそ作る料理人の腕が顕著に出る。ふむ、悪くないな。プレーンオムレツには卵とバターの調和が必要不可欠なのだが、それがしっかりとできているこれは間違いなく美味い。
「何をしてあげれば良いかで迷っているようだが、やれることなど一つしか無いだろうに。それは君にしかできない大切なことだ」
「そう、ですね」
ここに来るまでに貰ったチラシに目を通す。むっ、卵と牛乳が安いな。明日の朝市の宣伝を確認、目についた商品をマークして脳に叩き込んでおく。こうした日々の少しずつの節約がやがて大きな財産になるのだ。学生時代に染み付いた習慣は死んでも消えやしなかった。
「……神は不変と言われてますが、それでも変われるでしょうか?」
聞く者によって答えが変わるであろう問いにアーチャーは確かな確信をもってこう答える。
「勿論、変われるとも」
自己嫌悪と理想に裏切られた絶望で鉛色の曇に塗り潰されていた自分は苦い思い出であり、二度と答えを失わぬようにするための誓いになっていた。たとえ今いる場所とは違ったとしても、どこかの世界・どこかの時間で得た『答え』は、アーチャーの胸にしかと刻まれていた。
「兎も角、君の眷属の無事もこうして確認できたわけだが、これからどうするのかね?」
「そうですね……。今度予定を合わせて行ってみましょうか」
「今じゃなくていいのか?」
「ええ。それに貴方から貰ったこの外套のおかげで姿を消せるのでいつでも行けるかと思いまして」
とある世界線の聖杯戦争において敵対した緑衣のアーチャーが使用していた宝具の投影品をアストレアに渡している。装備者を隠蔽する能力を持っており、透明化・消音・気配遮断等により高いステルス性を発揮する。
「だが行ってどうする。眺める距離が変わるだけで向こうは気付かなければ意味がない」
「店の食事が気になるというのもありますが、せめてこの手紙でも渡しておこうかと」
いつの間にか拵えたのかアストレアの手の中には封筒があった。五年分の想いを綴ったのであろう、かなりの分厚さがあった。
「これはまた、随分と分厚いな」
「最初はもっと厚みがあったんですよ。何度も書き直しました」
だが今はそれを渡す時ではない。
「それはさておき、こちらはこちらで事を進めるとしよう」
「そうですね。残念ながら闇派閥の残党は未だオラリオのどこかに身を潜めているはずですから」
リュー・リオンが闇派閥を掃討してからギルドが後始末を進めていく中で遺体の身元確認を行っていたという情報があった。その結果の写しの一部がガネーシャ・ファミリアの資料室の中に残されており、その中で一部の主要人物の死亡が確認されていない。
それらの生死の確認、もし対象が生きていたら可能な限り生け捕り、やむを得なければ始末するのが今後のアーチャーたちの方針となる。ガネーシャ・ファミリアもほんの僅かであるが内密に協力をしてくれており、ギルドや一般市民への根回しや後始末を行ってくれることになっている。
「これにリューを巻き込みたくはありません。本当はこのまま私も再会せずリューに平和な人生を送って欲しいです」
「……そうか。君がそこまで覚悟を決めたというのであれば私はそれに従おう」
会計を済ませ、リュー・リオンのいる『豊穣の女主人』に背を向けて歩き出す。全てが終わったら改めて胸を張って会いに行ければいいなと密かに思う。それ何年かかるかもわからないが、自分のやり残したことをやり遂げなければならないから。会いたいという思いを押し込めて、再び正義の女神は眷属と決別することになる。
「ふぅ、少し遅くなってしまいました。遅くまで店を開けていてくれたご主人に感謝するべきですね」
明日の仕込みと朝食に使う調味料が心許ない量しかなかったので、リューは遅い時間ながらも買い出しに出ていた。店の方も閉店間際で注文は既に取り終わっていたので店主のミアの指示で動いている。
今頃同僚の
とはいえ店はもう目と鼻の先だ。裏路地から帰って来たから予定より早く辿り着いてしまった。それはそれで仕方のないことだと思いながら路地を歩いていると、何か良からぬ気配を察知してしまった。物陰から様子を伺うと二人の男がいた。お互い仲間というわけではなさそうで、片方がナイフを手にもう片方を袋小路まで追い詰めていた。
「頼む! 見逃してくれ! もう悪いことはしない。この通りだ」
地面に額を擦り付けるくらいまで頭を下げ許しを請う。
「情報にあった通りの小悪党だな。そう甘い事をほざいて一体何度逃げ延びてきたんだ?」
振り上げたナイフを今にも振り下ろさんとしている様子を見せつけられている。だがリューは男を止める気はなかった。最初はよくある冒険者同士の諍いかと思ったが、どうやら違うらしい。男が働いた悪事が見つかり、追いつめられているようだ。追いつめている男がガネーシャ・ファミリアのような秩序を司る者か、それともきな臭い噂のあるファミリアや闇派閥のような混沌を司る者か分からないが、どちらにせよ男が悪事を働いたということには変わらない。男の末路が法によって裁かれるか凄惨な最期を迎えるかのどちらにせよリューに介入する余地はない。
だけど、自分の足は前に歩み出ていた。
「そこまでにしておきなさい」
道端に落ちていた石を投げてナイフを持つ手に向けて投げる。あわよくばナイフを取り落とすことができれば良かったのだが、直前に気配を察知されたのか逆にナイフで石を叩き落される。
突然現れた幸運に助かった、これで逃げられると思ったのか希望に満ちた顔で見上げた男の顔面に強烈な蹴りが叩き込まれる。
「ッ!?」
間の抜け声を漏らしながら男が飛んでいき、積まれていた資材の山に頭から突っ込んでそのまま僅かに痙攣して動かなくなった。
「動くなと言っていたんだがね」
「何をしているんですか?そこまでする必要なんてどこにも無かったはずですが?」
自分もよく『やり過ぎてしまう』ことはよくあるので人のことを言えないが、今の必要の無かったことだと思う。殺してはいないだろうが軽くない怪我を負ったことだろう。
「そんなこともない。これでもこの男は腐っても恩恵持ちでね。普段はダンジョンに潜って金を稼いでいるが、隙を見つけては窃盗、詐欺、恐喝を繰り返すどうしようもないクズで、何より闇派閥との繋がりがあると我々は睨んでいる。」
「なッ!?」
闇派閥。かつて自分が疾風の二つ名で通っていた頃に壊滅させたオラリオを破滅に導こうとする者たち。自分の拠り所であったアストレア・ファミリアを破滅に追い込み、そして自分が殲滅したはずの組織。
「そんな、はずは……」
「無いと思っていたのか? 数年前に闇派閥が大量に殺される事件があったな。直接関係していない者も全員殺される凄惨な事件が。だがそれで始末できたのは氷山の一角に過ぎない。残党やパイプのある奴らは未だオラリオのどこかに息を潜めている」
文字通り命懸けで臨んだ復讐が三流の芝居になった錯覚を覚える。あの時の命が惜しかったわけではないが、今のこの平和が束の間の物でしかないなんて思いたくもない。
「君が思っている以上に闇派閥はしぶとい。ただそれだけのことだ。」
男がリューの正面に立つ。褐色の肌、灰のような白髪、素顔は黒いマスクで目元を隠しているせいで見えないがどこかで見たような覚えのある気がするが思い出せない。
「貴方は、何者ですか?」
「ただの一市民、まあ掃除屋とでも名乗っておこうか」
そんなわけがない。ナイフを振り上げた時の敵意や人を害することにためらいがなかったことからこの男は先程のタイミングで介入しなければナイフを振り下ろして殺していたのではないか。
それに男が纏う空気というのか。高レベルの冒険者たちが持つ強者の風格を持ち合わせていることを肌で感じる。少なくともリューよりも明らかに格上とは分かる。今はこっちに敵意を向けてないことが救いか。
「そんなことを聞きたいのではない。貴方はどっちだ」
「どっち、とは?」
「正義か、それとも悪に与するものか」
少なくとも目の前の男は法と秩序を振りかざす者ではないだろう。どちらかと言うと目的のためならそれらに目を瞑るだろう。
「はっ、面白いことを聞くな。だがあえて答えるならどちらでもない、とでも言っておこう。『疾風』のリュー・リオン」
「!」
瞬間、リューは男の懐に踏み込み下から目を狙い手刀を突きつける。リューの中で男は決して見逃せない存在に転じた。過去の自分に気がついている存在は見過ごせない。何よりこの男から派生して良からぬ輩が今の居場所に攻め入ることは防がなければならない。
不意の手刀を男は体を軽く引いて躱した。そこから続けて頭部目掛けて蹴りを放つがそれは受け止められる。そのままもう片方の足で正面目掛けて蹴りを叩き込むが、それもナイフを手放した手で受け止められ、宙に浮いたリューはそのまま投げ飛ばされる。
「くっ」
体勢を立て直して距離を取ることができたが、男の力量を僅かに知れたことはよかった。
だが想定以上に男が強い。自分の格上に未だに無名の冒険者がいるとは思わなかったが。
「思わぬ偶然だったが、丁度良い。実力を試させて貰おう」
「一体、何が目的だ」
今は戦うしかないと諦め、リューは再び攻勢を仕掛けた。