そんな折、比企谷のとんでもない告白に沙希は動揺し……
喜劇はそこから始まった。
時系列
体育祭終了後の修学旅行前くらい。正確な日付は出ていないが7巻19頁あたりをご都合主義で金曜日ということにして開始。
(R-15)
FROM 大志
TITLE 誕生日おめでとう
ちょっと早いけど姉ちゃん誕生日おめでとう。
ケーキも用意してあるし、親は仕事だけど俺達がお祝いするから。
休み時間に大志から届いたメールは、明日に迫ったあたしの誕生日のお祝いについてだ。もう受験まで半年切ってるし、自分のことに集中してほしい。そう思う一方で、ふと頬も緩む。
教室へ戻ると自然と顔も引き締まる。今のにやけ顔見られてないよね。心配になって周囲を確認すると視線がぶつかった。
「ひっ!」
視線の主は否が応でも意識してしまうクラスメイトの比企谷。
もともと興味もなく認識もしていない奴だったが二年に進級して一ヶ月も経った頃、弟に頼まれてあたしのバイト先に乗り込んできたのが始まりだった。
あたしの家の問題を解決する切っ掛けをくれて、大志の相談にも乗ってくれてた。
口下手で人付き合いが苦手なあたしは周りに対し素っ気無く少し攻撃的に接して寄せ付けないスタンスを貫いていた。今まで何の感情もなく出来ていたそれが、こいつにだけは上手く出来なくなってるって自覚し始めてる。
文化祭では衣装係に推薦され、体育祭でも衣装作りの協力を頼まれた。
文化祭の時は、ちょっと、ほんのちょっとだけどやってみたいって思ってたし由比ヶ浜と海老名にも押されて引き受けた。
体育祭の時は、なんていうか、断ることも出来たはずなんだけど、あいつが真剣な表情で、ちょっと困ってるみたいで、そんな顔見てたら断るなんて出来なくて、むしろ叶えて喜ばせたいって思っちゃう自分がいて。
……でもやっぱり一番意識した切っ掛けはあの出来事だった。
『サンキュー! 愛してるぜ川崎!』
文化祭最終日、屋上への入り方を教えて返って来たのがその言葉。
愛してる、なんて口に出したら安っぽいって思ってたけど、実際に言われてみると、想像してたよりもなんていうのか、それに相手は比企谷だよ、それも想定外だからかもしんないけど、
…………悪くは、なかった。
顔が熱くなって、心臓バクバクいって、女の子みたいな悲鳴あげちゃって、女なんだけど。
あの日からあいつと目が合ったり近づいたりすると、驚悸して目を逸らして距離をとって、これってむしろ驚喜なんじゃないかって自分の気持ちを見つめ直しても、比企谷の態度が変わらないのもあって、考えることを辞めて、でも態度だけはこうして残っちゃって。
今だってあいつはもう顔を伏せ寝た振りで次の授業に備えてる。そんなあいつを見てるとやきもきしてるのがバカみたいで、あたしも別のことで頭の中を埋めるようにした。
修学旅行か。班決めあるんだよね。別にどこでもいいし、空いたとこに入ればいいか。
……も、もしかして、比企谷と同じ班、とか、なるかも……あいつも余りそうだし……ってまた比企谷のこと考えてんじゃん、あたし。
結局、やきもきしている内に授業が始まった。
放課後
SHRが終わるとすぐに帰り支度を整える。明日は大志達があたしの誕生日を祝ってくれるみたいだし、それに備えて買い物を済ませるつもりだった。大志は受験生だし、祝われるとはいえ料理を始め全ての準備を任せるわけにもいかないから。一人でやらせたらちょっと心配だし、あたしとしては全部してくれるより一緒に料理とかを手伝ってくれた方が嬉しい。
教室を出て下駄箱に向かうと壁に寄りかかり、まるで待ち伏せしてるみたいな比企谷を発見した。視線がぶつかると、つい漏れ出るあたしの悲鳴。回れ右しそうになるが、下駄箱はすぐそこだし迂回なんてしたら校舎半周くらい余分に歩かされそうだ。代わりに歩速を上げ、何食わぬ顔ですり抜けようとしたけど無情にも当の本人に呼び掛けられる。
「……よう」
「ひゃっ‼」
いたっ、数歩バックステップした勢いで窓枠にぶつけた。ガラスに当たらなくてよかったよ。
「…………なに」
睨め付けながら訊くも顔が熱い。多分赤くなってるだろうと自覚しているし、見られてると思うと更に熱くなっていく。
「あ、その…………」
「…………」
なんなのよ一体。用あるんじゃないの。
沈黙が気まずく手持無沙汰でつい袖口をいじったりスカートの裾を握ったりする。
「……あれ、覚えてるか?」
あれ? あれって⁉
「え⁉ お、覚えてる、けど……」
そう問うてくる比企谷は神妙な面持ちで茶化すような雰囲気は微塵もない。
愛してるぜ川崎! と告白したことについて言ってるのだと直感した。
「俺は言ったことの責任はちゃんと取る」
「え、え、あ、その、」
せ、責任⁉ え、責任って、どういうこと? 愛する責任って、それって、あの、
「ちょうど今度の土曜日だし、その日にするから」
「えっ、土曜⁉ 明日⁉ そんな急に⁉」
する⁉ するってナニ⁉ するってアレ⁉
あ、あ、明日はちょっと予定が、で、でもでも、比企谷からこんな、こんなっ!
「いや、急でもないだろ。確かに伝えたのは遅いが前々から決まってたことだし」
「で、でも、そんな、いきなりなんて心の準備が……」
ち、ちょっと待ってよ、あ、あたし、初めてなんだよ⁉
「あー、だよな。実は俺も初めてだし緊張してる」
「え、あんたも? いや、でもおかしくもないの、かな……」
真っ先に思い浮かぶのは奉仕部の二人。でも、雪ノ下の性格からそういったことに進展するのは想像もできない。逆に由比ヶ浜ならあいつと関係持てば雰囲気が変わるのとか伝わってきそうなもんだし。
「そういや、学校で軽くならあるか。ちゃんとしたわけじゃないが」
「え⁉ 学校で⁉」
うそうそ、さっきまでの話、何だったの⁉ え、学校で、軽く⁉ 軽くナニ⁉
そもそも家とかホ、ホテルとか飛び越して学校ってのが有り得ないでしょ⁉
「驚き過ぎだろ。一応奉仕部の二人とは仲間なわけだしな」
いやいや、その発言てもう部室でしてるよね、してるってことじゃん。
で、でも、そんなことがあっても、愛してるって言った責任とるってことは……
あ、あたしのこと、愛するって、つまり……
「わ、分かったよ、ちゃんとしてくれるなら……」
やっぱり、その、出来ちゃったら、困るし……
「ちゃんとはしたことないから分からんが、善処はする」
なに、何でもないことみたいに、とんでもないこと言ってんのよ⁉
「ちゃ、ちゃんとしてよ、じゃないと困るよ!」
「分からんのに約束はできんぞ」
こいつは……こんな時にまで頑固だね……しょうがない、こっちが折れるしかないか。
「ぅう…………分かった、こっちでなんとかするよ……」
確かああいうのってコンビニで売ってたはずだよね。コンビニは高い印象だし、ドラッグストアでいっか。
「んじゃ、お前んちでいいか?」
「だ、ダメに決まってんでしょ、バカ!」
「なんでだよ? 弟も妹もいるだろ」
「だからでしょ、あんたバカなの⁉」
明日は両親こそいないけど、あたしの誕生日で大志達がお祝いしてくれるし、うちでなんてとんでもない!
「両親忙しそうだし、一緒には居られないのか?」
「あんたそれ本気でいってる?」
普通、親がいたら絶対NGでしょ、あんたそんな強心臓の持ち主だっけ?
「じゃあ、どこがいいんだよ?」
「そ、そりゃ……そういうこと出来るとこ、とか……」
初めてでやっぱり不安もあるし、理想はあたしのうちだけど弟妹がいて留守のタイミングなんてほぼないから現実的には無理だよね……
「外か。予約とかしないといけないのかね。あんま外出ねえから詳しくないんだがな」
「あ、あたしだって、は、初めてだし、詳しいわけないじゃん!」
え、
「ふむ……んじゃ、うちこねえか?」
「あ、あんたんち⁉」
ひ、比企谷の家⁉
そ、それって、ある意味、うちより理想っていうか、女なら憧れるっていうか、……あたしも比企谷の部屋見てみたい……
「妹もいるからお前も緊張しないで済むだろ」
夢見がちなピンク思考に支配された直後、出てきた言葉が『妹』だった。これにはさすがに引いたし、現実に引き戻される。
「ば、バカじゃないの! 妹と一緒にとか、あんたシスコンも大概にしなよ!」
あんた妹に見てもらいながらあたしとする気⁉ なにそれ、そういうプレイ? 性癖なの? ってかあんたの妹中学生でしょ、あの子に女の身体のこととか教わってるわけ? 言ってて恥ずかしいんだけど⁉
「小町もダメ、お前の弟妹もダメじゃ、どうすりゃいいんだよ?」
妹もなしだけど、その口ぶりだと大志と京華の前で同じことさせようと思ってたわけ?
なにその地獄、軽くとかじゃなく本気で引くんだけど。
……こんな当たり前のこと言わせないでよ、ホント、ばか……
「あ、あんたと、ふ、二人きりに決まってんでしょ……」
「ぅえ⁉」
「そ、それは、ハードルが高いっつーか……」
「なんで妹と一緒の方がやりやすいみたいにいってんのさ」
「いや、だって、えぇ⁉」
こいつの中で妹という存在はどうなってるのか知りたくなってきた。シスコンには違いないだろうが、好きのベクトルがおかしくない?
「と、とにかく、あんたんちに二人で! じゃないとさせてあげないから!」
さ、させる、とか言っちゃった……。
捲し立てた内容を反芻したら一気に顔が熱くなって弾かれるように駆け出した。
× × ×
帰りに買い物をしている最中の記憶が全くなかった。それでも袋には必要な材料が入っていたので、これはもう身体に刷り込まれた所作みたいだなと自らの主婦力に驚嘆する。
ぁ……そういえば、
全く、女の子に買わせるなんて……妊娠検査薬よりこっちのが買いづらいんだよ、まるで肉食系みたいじゃないのさ。
だけど、さすがに今は制服姿だしついでに買ってこれる代物じゃない。
……明日、でいっか……それより、そういう経験も知識もないし、ちょっと、というかだいぶ不安ではあるよね。
そういうことが載ってる本とか、買っといた方がいいかな、書店に寄ってこ。
最初は女医監修の『あなたのセックスはまちがっている。100選』みたいなガチのマニュアル本を手にしたんだけど、制服姿でこれを買えるのか、買った後どこに隠すのか、もし見つかったら一発アウト、そんなリスクがあたしを思い止まらせた。
それにちょっとだけ立ち読みしてみたけど、これって女性の身体のことを分からない男性に、女性がどうされると気持ち良くなれるのか学ばせる指南書で、むしろ男側に見て欲しいやつだった。
結局、何を買えばと悩んだ挙句、無難にJK向け女性誌を購入。投稿者の体験談なんかが載ってるし、もし大志に見つかってもセーフ。今のあたしにぴったりといっていい本。……この雑誌、偏差値だいぶ低そうだけど。
はぁ……なんだろ、こんな気持ちで明日の誕生日パーティーを迎えるとかどんな嫌がらせよ……
コンコン
『姉ちゃん、お兄さんからメール来たんだけど、姉ちゃんに』
「⁉」
あたしはすぐにドアを開けて大志の携帯をひったくる。
「ね、姉ちゃん?」
「ご、ごめん、ありがと!」
大志の携帯画面を見ると比企谷からのメールが開いてあった。
FROM お兄さん
TITLE 明日の予定
お前の姉ちゃんのアドレス知らんから、明日何時くらいなら平気か訊いといてほしいんだが。
そういえばアドレス交換してなかった。あたしのメアドとケー番を打ち込み返信する。程なくして携帯に着信があり、それを持って外に出る。
『……あ、川崎さんの携帯ですか?』
「あんた、本気でバカなんじゃないの⁉」
『あ? いきなりなんだよ』
「お、弟にメールで予定訊いてくる、なん、て」
さっきの内容じゃ、ばれないけどまかり間違って匂わすような文面だったとしたら、想像しただけで恐ろしい。
『しょうがねえだろ。アドレス知らんし、連絡手段がなかったんだから』
「だ、だからって、お、弟経由で訊く⁉ こういうことを!」
『あー、まあ場合によっては、ってとこだろ』
「この場合はなしのやつでしょ、あんた油断し過ぎだよ‼」
『へいへい、悪うございましたよ』
ムカつく、ホントに、なんでこんな奴と……
明日、会うのが……楽しみなんだ、よ……
「はぁ……もういいよ。……で、明日の予定だっけ」
『ああ、出来れば昼にでも始めたいんだが……』
「‼ ひ、昼間っから⁉」
『そうだが?』
「あ、あ、あんた……」
もう今日は何度ばかばか言ったのか。間違いなく出会ってからこいつを最もバカと呼んだ日だ。
「ばっかじゃないの‼」
『ぇぇ……』
「昼間っからなんてダメ! こっちも明日準備するものあるし16時くらいからがいい」
『え、あ、おう、分かった。じゃあ、16時にうちに来てくれ。住所とか行き方書いてメールで送るわ』
ご近所中に聞こえてしまったんじゃ、と思えるくらいの声量で明日の約束を取り付けた。
× × ×
土曜日午前
「お誕生日おめでとー!」
「さーちゃん、おめでとー!」
「みんな、ありがとう」
両親こそ居ないけど、弟妹達に囲まれ温かな気持ちのこもった誕生日パーティー。でも頭の片隅には常にあいつの存在がちらつく。パーティー中ずっと気もそぞろだったのはそのせいで、大志達に申し訳なかった。
片付けは大志がしてくれるっていうし、アレも買わないといけないのでそろそろ家を出ることにする。
「あ、姉ちゃん、いってらっしゃい。お兄さんに宜しくね」
ぶっ! あああ、あんた、それどこで聞いて、ってそんなの比企谷からしかないよね、あんのシスコン!
なんだろ、あいつって身内に情事を知られることに性的な興奮を覚える質なのかね。あとで恨み言の一つでもぶつけてやろうと心に誓う。
これからアレ買ってこなきゃいけないし、ここはぐっと堪えて大志の言葉を聞かなかったことにする。
ドラッグストアに着いた。ブツはあっさりと見つかったが、初めて見たそれは割と大きめの箱で驚く。目薬くらいかと思ってたのに。昨日、制服姿のまま買いに来なくて良かったよ……
ずいぶん種類あるんだ……0.03? なんなのこの数字……あ、厚さか……
ゴムって呼ぶくせにゴム製じゃないやつもあるんだ……あたしって猫アレルギーだけどゴムアレルギーもあったりするかな……
なにこれ、0.02って同梱数多いのに0.01より安いじゃん、どう違うわけ?
あ、そっか、雑誌には薄い方が、き、気持ちいいとか書いてたっけ、薄い方が高級なんだ……
ね、熱伝導に優れてるって、じ、重要、なの……?
最初は周囲を警戒してたけど、途中から気にする余裕なんてなくなった。箱に書いてある商品特性は知らないことばかりでつい夢中で読んでしまう。
比企谷の精力が分からないので取り合えず安くて多い0.02のほうを購入しようとするも、薄いほうが違和感が少ないって雑誌に書いてあったのでやっぱり0.01の方にした。
ご、五個も入ってるし、足りる、よね?
土曜日の夕方
比企谷家
うちと国道を挟んだ向こう側にある比企谷の家は、学区が違うだけで気軽に来れる距離だった。
立派な一軒家で絵に描いたような中流家庭のマイホームって感じ。うちの家は古くて兄弟も多いし、一言でいうなら昭和? って印象。いや、あたし平成生まれだけどさ、雰囲気でそう感じるだけ。
ただでさえ初めての営みに緊張してるのに、実は他人の家に上がるのも初めてで、つまり今日は初めて尽くしなわけで、ってあたし何考えてんの。
数回深呼吸してインターホンを押す。あたしだって分かるとすぐに扉を開けて、中へと促してくれたのだが、
「……ど、どうも」
「お、おう……んじゃ、ま、とりあえずあがってくれよ。リビングはこっちだ」
え、リビングって、もしかしてリビングでするつもりなの⁉
「ちょ、なんでリビングなの⁉ あ、あたし、あんたの部屋が、いいんだけ、ど……」
「はぁ⁉ 俺の部屋⁉」
そこになんで驚くのよ。もしかしたら、まずはリビングでお茶出して緊張解いてから、だったりしたら早まったこと言っちゃったかなとも思ったけど、この反応だとホントにリビングでする気だったみたい、なんなのこいつの性的嗜好。
「あー、別にいいんだけど、ちょっと片付けと準備に時間かかるかもしれんぞ?」
「じ、じゃあ、先にシャワー借りて、いいかな……?」
「ファ⁉」
ちょっと、それどういう反応よ。普通、する前にシャワー浴びるでしょ。でも今まで見てきた性偏向から察するにこいつの普通がそうじゃない可能性も十分にある。
「じゃあ、リビングから移動させるが準備するとこ見られると興醒めだし、悪いがちょっとだけ外で待っててくれ」
「え、え? 移動……? ……うん、わか、った……」
……リビングでどんなことしようと思って準備してたのよ。正直、あたしもその努力の片鱗を見たくなかったから疑問をぶつけないで、大人しく外で待つ。
「おう、移動完了だ。ただこれからまた準備するから、ゆっくりシャワー浴びてきていいぞ。呼ぶまではリビングに居てくれ」
準備準備ってホント、なにしようとしてるわけ?
あたし、初めてって言ったよね?
あれ、言ってないっけ、言ってないかも。
どうしよう、もしかしたら経験豊富とか思われちゃってるのかな、だとしたら、いやだ、な……
様々な思惑が頭を巡りながらのシャワーは、他所の家で裸になる羞恥すらも忘れさせてくれた。
これからまた脱ぐからとバスタオル姿のままでいたが、リビングで比企谷を待っているうちに段々恥ずかしさがぶり返してきたのでカーディガンを一枚羽織ることにした。こっちが準備したアレの所在も確認しておく。
や、やっぱりこういうのってバッグ手元に置いといて、すぐ取り出せるようにしといたほうがいいよね。どんなタイミングで渡せばいいの? そういうサインとかあるの?
『待たせた。準備できたから上がって来てくれ』
廊下からドア越しに声がかかった。悲鳴こそ上げなかったものの身体がビクッてなっちゃうのは恥ずかしいやら情けないやらで。
それよりも、もう上がってするの? あ、あんた、汗、流さないわけ……?
「え? あ、その……えっと……」
『? なんだよ?』
「あ、あんたは、その、シャワー……浴びなくて、いい、の?」
『』
え、なんで固まってんの、あたし変なこと言った?
『い、いや、シャワーはまた後で浴びるから、いまは、その、な?』
「う、うん、あ、あんたが、そう、いうなら…………」
うう……やっぱりそういう性癖なんだ……。
自分の匂いを強く残したまま行為に及びたいって嗜好があるんだね……。
確かに抵抗はあるけど、ちょっとだけ、それもいいかなって感じてる自分もいる。あたし匂いフェチってわけじゃないけど、そういうことする相手の匂いとかって、やっぱ、興味あるじゃん……。
リビングを出ると廊下の明かりが絞ってあった。手摺りを頼りに比企谷の部屋にたどり着く。扉は開いていて、そっと中に入ると蝋燭の灯だけがぼんやり灯り、その炎の揺らめきで部屋の姿全体が明滅していた。
「……座ってくれ」
「う、うん……ベッドでいい?」
「? お前がそうしたいなら好きにすればいいが。蝋燭の明かりでベッド見えるよな? 転ぶなよ」
「あ、ありがと」
ベッドに腰かけるとギシリと軋む音。それが恥ずかしくて身を縮み込ませる。もっとダイエットしとけば、そんな益体のない考えを打ち消してこれから起こることに集中する。
「ひ、比企谷も、ベッドに座ったら?」
「? そうか? わかった」
比企谷が座った拍子にあたしの身体が傾いて肩が触れた。
やぁ……、なに、これ、ゾワッてした……
全然イヤじゃなくって、むしろ気持ち良いっていうか、……気持ち良いとかなにいってんのあたし、
「あっと、その、……苗字と名前、どっちで呼んだほうがいい?」
‼ ひ、比企谷が、名前で、呼んでくれ、る?
「あ…………うん、な、名前で、いい、よ……」
「……よし。じ、じゃあ、いくぞ?」
「う、うん」
いよいよ、その、……され、ちゃうんだ……
震える声で一言返事をするのが精一杯だった。
「……は、ハッピーバースデイ・トゥーユー♪ ハッピーバースデイ・トゥーユー♪ ハッピーバースデイ・ディア・沙ー希ー♪」
「ハッピーバースデイ・トゥーユー♪‼」
「…………」
「…………」
えっ、なに、なんなの、あ、あたしの誕生日か、そうだった、って違う! いや、違くないんだけど! そういうことじゃなくて、ええっと、ああ、もう、わけわかんない‼
「ほ、ほれ、消してくれよ、蝋燭」
「え、え?」
お、お祝いしてくれるのは嬉しいけど、こ、これからするんでしょ? え、するよね? するのが誕生日プレゼントって言いたいわけ? あ、火は消さないと危ないか、
フーッ
パァン‼
「誕生日、おめでとさん」
⁉
え、えっ、なんで電気点けるの、恥ずかしいから消してよ、お祝いしてくれるの、嬉しいんだけど今だけは、その……
「⁉」
あれ、これって……。
部屋を明かるくされて、あたしの姿をまじまじと見つめる比企谷。
その表情で、身体を支配していた熱量が急激に下がっていくのが分かる。空気が変わったのを肌で感じ取ると奥の方から羞恥心が湧き上がってきた。
「……え? きゃっ⁉」
今の恰好を思い出して身体を抱き隠す。やってから気付いたけど、こんなことしたら胸とかより一層強調しちゃうし、バスタオルも余計緩んじゃう。
「で、出てって‼」
女の本能なのか、反射的にバッグで叩いてしまう。その衝撃で中身が散乱するも、構わず叩き続けた。
比企谷が部屋を出て、一人残されると冷静に現状を確認できた。
壁に貼られたオーナメント、風船のついたHappy Birthdayのガーランド、そしてテーブルを彩る料理に、バースデイケーキ。
昨日までの会話を
『初めて』とか『ちゃんとしたことない』って『誕生日を祝う』って意味だったんだ……。リビングから『移動させる』ってこれのことね……。
比企谷は全然悪くないのに部屋から叩き出しちゃった罪悪感とイヤラ思考で勘違いした羞恥心が綯い交ぜになって、居た堪れなくなった。
服を着て散らばってしまった荷物を片付けていると、比企谷の勉強机に置いてあるラッピングされた袋を発見する。
ぁ……これって……もしかして、プレゼン、ト……?
視界が滲んでよく見えなくなった。あいつ、こんなものまで用意して……。
さっきまでの羞恥はどこにいってしまったのか、いまは比企谷への感謝で呼吸すらうまく出来なくなっていた。
「…………もういいよ」
『……失礼します』
ケーキを挟んであたしと対面に座った。今日は一応あたしが主賓だから入り口から遠い
場違いなことを考えてると申し訳なさそうにぽしょぽしょと呟いてきた。
「……あの、悪かった、な。やっぱり俺が誕パとか気持ち悪かったか」
「え?」
「いや、だって、その、ほら……」
自分の目を指さす比企谷。え、いつも通りに腐ってるけど、って、ああ、あたしの目のことか。まだちょっと腫れてるし、泣いたのばれちゃったね。
「……泣くほどイヤだったのかな、って」
「⁉ そ、そんなことない‼」
自分で出した声に驚いてしまうほどの声量だった。比企谷も身体が少し浮くくらいびくっと反応してる。
「ち、違うの、これは、その、…………嬉しいから、なの……」
「ほ、本当か?」
「……うん、誕生日、お祝いしてくれるんでしょ?」
「あ、ああ」
比企谷はなにやらスマホを取り出して操作する。メールでも来たのかと思ったが、部屋のコンポスピーカーからBGMが流れ出す。スマホのプレイリストをそっちから流しているんだろう。
ゆったりとして落ち着いた雰囲気の曲。あたしはファッションはチェックしてるけど音楽とかの流行に疎いからそれがどんな曲なのかは分からなかった。でも、いい曲だな……。
「……いい曲だね、なんて曲?」
「……それ訊いちゃう?」
「なんでさ、普通訊くでしょ。訊いても分かんないかもしれないけど」
「……実はな、これはゲームの音楽なんだ」
「え、ゲーム?」
「本当はネットで調べてバースデイに相応しい曲とか色々出てきたんだよ」
「DJ 〇ZAMAのバースデイソングだとか〇KAM〇T〇’Sのハッピーバースデイやらアップテンポでアゲアゲとかいう由比ヶ浜が喜びそうなフレーズが溢れ出た、無難オブ無難みたいな候補がな」
「でも、川崎には合わない気がして白紙に戻して、俺が聴いた中で川崎に合いそうなゲームの曲を選んだ。どうだ? 引いたろ?」
自信満々でそう自虐する顔を見て吹き出すを止められなかった。
「ぷっ、く、くく……」
「はは、笑え笑え、泣くより笑ってくれたほうがいいわ」
「…………やっぱり、嬉しい……」
体裁を取り繕うんじゃなく、自分の気持ちで、あたしの為に、選んでくれたのが嬉しかった。
「そうだ、プレゼントあるんだよ、ってそっち側かよ。最後まで締まらねえな」
そう言ってあたしの背中側にあるラッピング袋をとって渡してくれた。
「ありがとう……開けていい?」
「大したもんじゃないから期待はするなよ。その方が精神的ダメージが少なくて済む」
包みを開けると、出てきたのはパステルピンクのエプロンだった。
あたしが持ってるのとちょっと違う。
「着けてみていい?」
「ああ」
肩紐と腰紐の色がベースカラーと変えてあってそれがアクセントになってる。
腰紐を腹側で結ぶのが特徴的でオシャレ感を出しているのに動きやすく、ファッション性と機能性を兼ね備えていた。
何より色が好みだった。
「……ありがとう。この色、好き……」
「そうか、シュシュと同じ色にしたんだ。お前の髪色にも合うかなって思って」
「‼」
ば、ばか、ばか!
そんなん言われたら、あんたの顔見られないじゃないの!
その後、比企谷は最近読んで面白かった本やゲームの話をしたり、あたしは編みぐるみの話をした。共通の話題じゃないから会話はかみ合わなかったけどこうして喋るだけで満たされていく感じがした。
来週に迫った修学旅行の話になると、比企谷の『社会生活の模倣』という自論に呆れながら、あたし達にしては笑いの多い時間だった。
この時、初めて家族以外の人間に誕生日を祝われ、浮かれていたあたしは気付けなかった。
バッグにしまったコンドームの数が足りなかったことに。
了