ONE PIECE -Stand By Me -   作:己道丸

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ご無沙汰しております。今回よりいよいよ新章突入です。
これまでを第一部としまして、ここからは第二部としたいと思います。つまり、これからしばらくは「第二部・モリアの逆襲編」をお送りします。


モリアの逆襲編
"とある冬島にて"


 その日、ガブルは覚えのない後ろ姿を見た。

 いつものように祖母が作ったミートパイを頬張っていると、家の窓に旅装の人影が横切ったのだ。

 

(こんな町に人が?)

 

 目を疑い、窓に寄って覗き込んだ。

 すでに人影は道の先で、誰なのかは分からない。

 だが降り積もった雪道はよそ者がそこにいたと教えてくれる。靴跡は雪用ではなかったし、積雪に足をとられた不慣れな歩き方が残っていたからだ。

 異邦人だ。

 それも、雪が降るこの島の外から来た。

 

(バカだな)

 

 何者か知らないが、ガブルはそう思った。

 ここかどんなところか知らないのだろうか。一度踏み込めば、どんな目に合うのかということも。

 

「ガブルや、どうかしたのかい?」

「何でもないよ、ばあちゃん」

 

 食卓につく祖母に呼びかけられた。

 ガブルは席に戻ると、食いかけのミートパイを飲み込み、コップの水で流してから、手の甲で口元を拭う。

 そうして手短に返事をした。ごちそう様、と。

 

(何のつもりか知らないけど、構ってられないよ)

 

 ガブルにも守るものがある。

 祖母と家、自分の命、そしてそれら全てが揃った生活だ。そのために果たさねばならない労務がある。

 顔も知らない赤の他人を気遣う余裕などない。

 椅子から床に足もつかないような小さい子供に、できることなどそう多くないのだから。

 

「ばあちゃん、じゃあおれ行ってくるから」

 

 祖母はあいかわらず人のよさそうな顔に浮かべ、白髪の混じった髪を晒してゆっくりと頷いた。

 ケープの下から手を伸ばし、ひらひらと振ってこちらを送り出してくれる。

 いつもの一言を添えて。

 

「気をつけてね。あいつらには決して逆らっちゃいけないよ」

 

 ガブルはすぐに応えられなかった。

 祖母はいつだって自分を案じてくれる。嬉しく思う反面、近頃はささくれを逆なでされるような苛立ちがあって、素直に顔が見られない。

 喉元まで来た感情で口の中が苦くなるから。

 

(あいつらに逆らうな、か)

 

 思いはある。

 あってもどうにもならないが。

 ガブルが向かう扉の先には、もう何日も降り続く雪空がある。この冬島ではよくあることだ。

 ずっと前から変わらない現実だ。

 この島で生まれ育ち、生涯を終えるだろう自分の人生と同じぐらい、分かりきった当たり前のこと。

 それはつまり、生涯あいつらに逆らうなと言うのと同じことだ。

 きっと自分は、一生あいつらにこき使われて、一生あいつらを恨んで、一生逆らえないまま、最後まで生きることができずに途中で死ぬ。

 そういう星の下に生まれたのだ。

 

「……行ってきます」

 

 ドアノブにかけた手が重い。だがその目は更に重苦しい。まるでこの雪雲のようだ。

 ガブルにできることはそう多くない。

 少年にできるのは、せめて手短に扉を閉めて、寒風が祖母と家を冷やさないようにすることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二列の小さな足跡が続いていく。

 さいわい今日の道は雪が薄い。ガブルの短い脚でもすぐに路面へ届いたし、積雪に足をとられず進むことができた。

 けれど少年の心は少しも軽くならない。

 今も降る雪が胸の中にも積もったかのように、どんどんと重くふさぎ込んでいった。

 進みやすくとも、行くことを望んでいなければ単なる苦痛でしかないのだから。

 

(一体いつまで続ければいいんだ)

 

 今日はじめてのことではない。

 毎日考えていた。

 常に繰り返してきた。

 いつものように祖母が用意する朝食をとり、雪の降る街中を歩き、朝から晩まで働く。

 おこぼれにあずかるために。

 あいつらの機嫌をうかがうために。

 そうやって息をひそめて生きていくために。

 

(でも、いつかおれも大人になる)

 

 そうなれば今の仕事は続けられないだろう。

 きっと彼らと同じになる。青い顔でうつむいて、枯れ木のようにやつれきった姿をして歩く、彼等のような人間に。

 

「……よォガブル、今日も早ェな」

「……おはよう」

 

 声をかけてきたのは隣人だった。

 一人ではない。町中から集まるのだ、この通りだけで何人もいる。全員が同一人物じゃないかと思えるほど、似通った人たちが。

 背中を丸め、首を落とし、ボロ布を縫い合わせて作った防寒着でやつれた体を隠し、肺にカビが生えてるんじゃないかとすら思える溜息をこぼす。

 それでも、声をかけてきた彼は微笑んでくれた。だがガブルは、その搾りかすみたいな作り笑いも大嫌いだった。

 

「……じゃあ、おれ、行くから……」

 

 中身のない紙袋が空気を吹くような声だ。隣人の男は背を向け、周囲に混じって歩いていく。

 これがこの町の大人だ。

 ここで生きればこうなる。

 すりきれた薄布みたいになっても毎朝働きに出る。広場に集められる。あいつらに連れていかれる。そして、こき使われる。

 そう決まっているのだ。

 あいつらによって。

 

「ギャーハハハハ! よく来たな奴隷どもォ! 今日もしっかり働けよォ!?」

 

 奴らは広場の中央にいる。

 町長の発表や見世物のために置かれたやぐらの上で、町中から集められた大人たちを見下している。

 防寒着の上からでも分かる、屈強な男たちだ。

 けれど、大人たちをがなり立てる声やニヤついた顔には、品性らしきものはかけらもない。ただただ嘲りと侮りを込めて見下し、唾を吐き散らかす。

 

(……海賊め!)

 

 広場の外からでも見てとれるその醜態に、思わず顔をしかめた。

 無法者だ。それ以外の何者でもない。

 この島を牛耳る海賊たちだ。

 

「ンン? おう、どうしたそんな顔をしてェ!」

 

 海賊の一人がやぐらから下り、囲んでいた大人の一人に近寄ってきた。

 肩に手を回し、青ざめたその顔をまじまじと覗き込む。

 

「ンな不景気なツラじゃ転んじゃうぜ? ……こんな風によォ!」

 

 次の瞬間、海賊は男を引き倒した。

 雪の中に顔面を叩き込まれ、身もだえする。きっと口に雪が入って上手く息が出来ないのだ。

 周囲がおののく中、しかし海賊どもは嘲笑う。

 

「ギャア~~~~ハッハッハ! どうだ、腹いっぱいか? 元気出たかぁ~~!!?」

 

 雪に埋もれた頭を更に踏みつけ、起き上がれずにいる姿をことさら嗤う。そういう生き物なのだ、あそこにいるのは。

 だが大人たちの誰も逆らえない。

 そんなことをすればその場で殺されてしまう。

 だから怖くて誰もが口を紡ぐ。何をされても黙って愛想笑いを浮かべるしかない。それがこの町の、この島の現実なのだから。

 

「おら行くぞ奴隷ども! 今日も仕事だ!!」

 

 やがて雪に沈めるのにも飽きたのか、海賊は大人たちに号令をかけた。

 やぐらに残っていた海賊たちも降りてきて、まるで羊を追い立てる犬のように大人たちを囲い込む。

 そうしてされるがまま、海賊どもが進むままに、彼等は広場を後にする。

 行先は決まっている。

 遠くに見える巨大な工場だ。

 大人たちはあそこで朝から晩まで働かされているらしい。

 

(おれも大きくなったらあそこに行かされる)

 

 工場はなにか武器を作っているらしいが、むしろ自分を疲れ切った人間に加工するための工場なんじゃないかと、ガブルは日ごろから思っていた。

 だがそうやっていつまでも止まっていられない。

 年若いガブルにさえ、海賊どもは労役を課しているのだから。

 早くいかなくては。

 ガブルは遅れを取り戻すために、雪を蹴散らして広場前を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 行き先は酒場だ。

 町中の大通りにある店である。かつては大人たちが一日の勤めをねぎらう憩いの場として親しまれていた。

 ガブルにとってもそうだ。

 たまに顔を出してメシをおごってもらったり、それで怒られたり、いつか自分も客としてここに来ることを夢見た時もあった。

 こんな形で毎日来ることになるとは、あの頃は思っていなかった。

 

「……おはようございま……」

 

 挨拶代わりの酒瓶が飛んできた。

 ウェスタンドアを押し開いて入ると、顔のすぐ横を通り抜けたそれが壁にぶち当たり、残りの中身もろとも木っ端みじんになる。

 

「遅ェぞガキィ!!」

 

 投げつけたのは、店にたむろする海賊だった。

 一人ではない。何人ものやさぐれた男が、机につっぷしたり、逆に足を乗せたりと、めいめいの格好で料理を食っている。

 そのすべてが、顔を真っ赤にした酔っ払いだ。

 

(何が遅いだ。昨日からずっとここにいるクセに)

 

 この酒場は毎日昼過ぎから開くのが常だった。

 しかしこいつらが来るようになってから、その日の気まぐれに合わせるしかなくなった。もっとも、こいつらが朝方までに引き上げたことなどないが。

 

「とっととメシ運べェ!!!」

「……はい、すいません」

 

 町の大人たちは夜遅くまで働き、ここに来ることすら許されない。なのに、こいつらは日をまたいでもなお飲み食いしているという。

 噛んだ歯を砕いてしまいそうな気持ちを抑え、ガブルはカウンターの奥から厨房へ入り、店員用のエプロンを首から下げた。

 気休めだが、これがあると服が汚されづらくて良い。

 

「おはよう、ガブル。……悪いな」

「店長のせいじゃないだろ」

 

 厨房で鍋をふる男が肩越しに声をかけてきた。

 店長だ。今朝広場に集められていた大人たちと同じように、青ざめてくたびれた顔をしている。それでも料理を作る手は止まらない。

 遅れた時。

 ミスをした時。

 誰がまず被害を受けるのか。

 それを知っているからだ。

 

「娘が相手してる。手伝ってやってくれ」

「分かってる」

 

 昨日今日始まったことではない。

 もうずっと続いて来たことだ。

 だからいつも通り、ガブルは厨房の机に乗った料理を手にとる。

 注文の品だ。唾を吐きつけて出してやりたいが、もしもバレれば自分だけの咎では済まない。

 憎々しく思いながらガブルは表に出ようとして、

 

「きゃあっ!?」

 

 女の悲鳴を聞いた。

 そのすぐ後、何かが床を打つ音と、固いものが割れる音がいくつも響き渡る。

 そして、やつらの嘲笑う声。

 

「まさか……!

 

 呟いて、すぐさまガブルは駆けだした。

 カウンター脇の通り道を抜けると、そこには想像していた通りの惨状が広がっていて、思わず立ち眩んでしまう。

 店の真ん中で、海賊たちの注目が集まる中で、店長の娘が倒れていたのだ。周りに割れた食器や料理を巻き散らかして。

 その足元には、いかにも伸ばされた海賊の足。

 

(あいつら……!!)

 

 娘はこの酒場の看板娘だ。店の中にいて一人で転ぶようなミスを今更しでかしたりしない。

 海賊に足を引っかけられたのだ。

 きっと、からかい半分に。

 

「ギャハハハハ! 鈍くせェ女だぜ!」

「折角のメシが台無しだ! もったいねェなァ!」

 

 そうやって囃し立てるやつらはまだマシだ。

 だが一人、丸々と太った巨漢が立ち上がった。その膝周りはじっとりと濡れている。娘がこぼした酒を浴びたのだ。

 

「おいおい、どうしてくれんだ? おれ様の一張羅が台無しだぜ!」

「も、申し訳ありませ……」

 

 

 最後まで言うことはできなかった。

 巨漢の大きな手が細腕をひねりあげ、娘を宙づりにしてしまったから。

 

「い、痛い! やめてください! お願い、許してェ!!」

「い~や、ダメだね。詫びを入れてもらおうじゃねェか。そうだな……そのウマそうな唇一つでカンベンしようじゃねェか!」

 

 野卑な歓声が爆発した。

 嗤い、囃したて、手を叩く者までいる。それを浴びた巨漢はいやらしい顔を浮かべ、娘の頬を節くれだった指で掴み上げた。

 ゆっくりと、でっぷりとした唇が迫る。

 

「お、おい! 待ってくれ!」

「オヤジは黙ってな!」

 

 厨房から店長が慌てて飛び出す。

 だがカウンターに腰かけていた海賊がその横顔を殴りつけ、そのまま机の上に押さえつけられてしまった。その膂力の下では身動き一つとれない。

 

「いや……いやぁっ!」

「へへ、あんまり嫌がると泣いちゃうぜェ……?」

 

 動けるのは、ガブルただ一人だった。

 

「やめろォ!!!」

 

 巨漢の鼻息が娘の顔にかかろうとした時、ガブルは手にしたものを投げつけていた。

 厨房にあった料理、湯気が立つほどに熱いもの。

 シチューの乗った皿だった。

 

「ギャア!! 熱ィ!?」

 

 皿は見事に巨漢の膝へと中身を浴びせかけ、その巨体を跳びあがらせた。娘を放り出した巨漢は膝を抱えて転がり、こびりついたシチューの具を拭いとる。

 ガブルは足音を鳴らして詰め寄った。

 

「いい加減にしろゴロツキども! お前らが足を引っかけたんじゃないか!!」

 

 我慢の限界だ。

 元々許せることではなかった。それを我慢し続けてきた。だがそれも、今この瞬間に耐えきれなくなっていた。

 どうしてこんなやつらのために。

 そう思わない日はなかった。

 どうして自分たちは泣かなければならないのか、と。

 だから少年は、この行いに悔いはなかった。

 たとえ、その返答が拳だったとしても。

 

「ギャア!!」

 

 ガブルの頭より大きな拳が叩きつけられた。

 顔を真っ赤にして逆上した巨漢は、そのままガブルを蹴りつけ、また殴りつけた。気のすむまでそれらを繰り返した。

 そして最後に、腫れあがった顔を踏みつけた。

 

「ギャハハハハ!! 容赦なし!!!」

「大人げねェ~~~~!」

「うるせェ!! このガキが調子乗るからだ!」

 

 嘲笑の的は、いまやガブル自身だった。

 助けるものなど誰もいない。あるのは嘲る者たちだけ。自分を見下ろす、酔っぱらった海賊たちだけだ。

 その誰もが自分の行く末を決めつけている。

 この場で終わるものだと、その目が言っていた。

 

「パパから口の利き方を教わらなかったか、ガキィ!」

「ウゥ……!」

「おいおい許してやれよ! だってそのガキの父親はよォ……」

「……あぁそうか、そうだったな。……おれたちが殺しちまったんだよなァ!!?」

 

 涙があふれて止まらない。

 嘲笑も、抗えない情けなさも、それら全てがガブルを苛んだ。

 何故こんなにも自分は弱いのか。

 どうして自分は子供なのか。

 もっと早く生まれていたら。

 父を死なせなかった。一緒に戦って、こいつらを追い払ってやったのに。

 

「いいザマだぜ、ガキ。その情けなさに免じて、カンベンしてやるよ。……その腕一本でなァ」

 

 やがて、男の腰から剣が引き抜かれた。

 高々と掲げられたそれの用途はギロチンだ。真下にあるガブルの腕を叩き切るための、巨漢による私刑の集大成である。

 ガブルの涙が一層深まった。

 恐怖はある。だがそれ以上に、この体に取り返しのつかない“敗北”が刻まれるのが悔しかった。

 悔しくて、悔しくてしょうがない。

 だから振り下ろされようとした瞬間、思わず目をつぶってしまい、

 

「——あぁ?」

 

 巨漢が手を止めたことに気付けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 痛みが来ない。

 何故だ。

 その疑問が生まれるほどの間をおいて、ガブルは固く閉じた瞼を開いた。すると、涙に歪む視界の中に何かが映し出される。

 人影だ。

 酒場に新たな人物が入ってきたのである。

 

(あ、あいつは)

 

 その旅装姿に見覚えがあった。

 間違いない。今朝、家の前を通ったヤツだ。

 顔まで覆ったフードのせいで人相は分からないが、マント越しでも肩幅は見て取れる。どうやらその人物は男であるらしい。

 

「………………」

 

 この修羅場に割り込んで、旅装の男は一言もない。

 店の床を踏み、こちらへ向かってまっすぐ歩いてくる。だが、その目的は自分たちではないらしい。

 海賊たちの注目を無視し。

 ガブルと巨漢も素通りして。

 男が立ち止まったのは、カウンターにいる店長の前だった。

 それからやっと、彼の頭を押さえつける海賊を見て、

 

「げぶほぉっ!!?」

「!?」

 

 そいつの顔を殴り飛ばした。

 

「な……!」

 

 一撃を受けた海賊はカウンターの上を滑り、何人も巻き込んで店の端まで吹っ飛ばされる。

 たむろする海賊どもは息を呑み、腰を浮かす。

 しかし旅装の男は見向きもしない。

 ただ、起き上がった店長を見下ろして、

 

「酒」

 

 その一言だった。

 

「あ、あんた」

「この島は寒い。キツいのを出せ」

 

 店長は固まっていた。

 この局面で現れ、海賊を叩きのめして自分を救った人物が、まさかここまで“客”として真っ当なことを言い出すとは思わなかったのだろう。

 ガブルも、目を見開いて涙が止まったほどだ。

 だが周囲の者どもがいつまでも旅装の男を許しておくはずがない。一人、また一人と席を立ち、ゆっくりと男に向かって集まり始める。

 その最たるものは、ガブルを踏みつける巨漢だった。

 

「てめェ、よそ者か。それもカタギじゃねェ、海賊だ」

 

 巨漢はもはやこちらを見ていない。

 踏みつけていた足をどけ、人一倍大きな足音をたてて進んでいく。他の海賊どもを押し退けて行く先は当然、旅装の男だ。

 男が腰かけるカウンター席の隣に立つ巨漢。

 直後、手にした剣が机に突き立てられた。

 

「ナメてんじゃねェぞ!! ここがどこだか分かってんのか!!?」

 

 巨漢の恫喝が唾を散らす。続く動きで、その幅広な胸板がさらけ出された。

 服の下にあるもの。

 それは刺青だ。

 髑髏を中心した絵図は海賊の印。この巨漢が、とある海賊団の一員であることを示す証であった。

 

「おれたちスコッチ海賊団が! 泣く子も黙る百獣海賊団から預かったナワバリだぞ!? そこでこんなマネして、ただで済むと思ってんのかァ!!?」

 

 巨漢は顔を真っ赤にして怒鳴るが、取り囲む海賊どもも似たようなものだ。睨みつける者、薄ら笑いを浮かべる者、様々だが誰一人その目に好意はない。

 首を回し、指を鳴らし、武器をとる者も少なくない。誰もが酔いの醒めた面持ちで、赤ら顔の理由を酔いから怒りに変えてしまっている。

 海賊どもの逆鱗に触れたのだ。

 無法に生きる者は侮りを許さない。

 認められること、恐れられること、それらがなければ無頼の世を渡っていけないからである。

 しかし、

 

「——知ってるよ」

 

 旅装の男が恐れた様子は欠片もなかった。

 短く、ぽつりと答えるだけだ。

 

「あぁ?」

「知ってるって言ったんだ。ここがどこのナワバリにある島で、誰が牛耳ってやがるのか」

「……その上で、こんなマネしてやがるのか」

「むしろおれは不満だな。カイドウのバカがいなくてよ」

 

 その瞬間、場は一気に気色ばんだ。

 カイドウ。

 その名を聞いて。

 それはここの海賊どもの親分にあたる、この“新世界”で名を馳せる大海賊の一角なのだから。

 

「ナメるにも!!! ほどがあるぜ!!!!」

 

 ついに男は剣を抜いた。

 カウンターから現れた切っ先が天井に向けられ、一瞬の間をおいて風を切り振り抜かれる。

 殺意ばかりの一閃だ。

 旅装の男を叩き切るための。

 

「前にもいたよ、百獣海賊団に挑んで潰された雑魚海賊が! お前もそいつらと同じ負け犬にしてやる!!」

 

 刃が迫る。

 

「あの敗北者!! ゲッコー・モリアみたいになァ!!!」

 

 その瞬間。

 宙を飛んだのは巨漢だった。

 

「は?」

 

 ガブルは顎が外れる思いがした。

 きっと店長も、店長の娘も、旅装の男を取り囲んでいた海賊どもだってそうだろう。だが一番驚いたのは、巨漢本人だったはずだ。

 白目を剝いた奴に、意識が残っていればの話だが。

 

「…………!?」

 

 巨体が錐もみしながら頭上を行く。ゆっくり山なりになったその軌道は、どれだけの力で打ちつければ描くことができるのか。

 そんなことをぼんやり思ううちに、巨漢は酒場の入口へと突っ込み、それを粉砕した。

 舞い上がる木片と建材。

 立ち込める粉塵の向こう、店の表に転がった巨漢はぴくりともしない。ただゆっくりと、その上に新雪を降り積もらせていくだけ。

 

「——もういっぺん言ってみろ」

 

 背が震えて、ガブルは飛び起きた。

 旅装の男の声だ。だがそれは今までとはまるで違う。それこそ地獄の底から響いてくるような、明らかな怒りを秘めた声であった。

 そして見る。

 男の腕を。

 旅装から飛び出した、巨木のような腕を。

 

「な、なんだその腕!?」

 

 見上げるほどに大きな腕だ。

旅装の男はおろか、吹っ飛ばされた巨漢にも勝る大きさを誇っている。

 おかしいのは、どう見ても男と釣り合っていない長大さなのはもちろん、それがつい今しがたまで旅装の下に隠れていたことだ。

 ありえないことに、男の腕は巨大化したのだ。

 

「あ、あんた一体」

 

 誰もが凍りつく中、ガブルは問う。

 しかし旅装の男は答えず、店の中を驚きと恐れによる静けさが支配しはじめ、

 

「あ~! やっぱりいたぁ!!」

 

 突然の声がそれを打ち払った。

 

「ステラ! ギーアさん! いたよ、やっぱりここにいた!!」

 

 新たな来客である。

 それは、ガブルよりもいくらか小柄な娘だった。薄桃色の髪を揺らし、綿毛で作ったようなコートを羽織っている。

 やけに色白で大きな目が特徴的だった。

 

「もう! 一人でどっか行かないでって言ったのに!」

 

 跳ねるように入ってきた娘に続き、更に二人入ってくる。

 どちらもやはり女だ。

 片方は波打つ金髪、もう片方はまっすぐな赤髪を伸ばしている。金髪の女は細くていかにも優しそうだが、赤髪の女は大柄で、いかにもキツそうだ。

 何より、美貌を感情のままに吊り上げ、旅装の男へ詰め寄る姿が恐ろしかった。海賊どもを押し退けて、その輪の中へと入ってしまうのだから。

 

「どこに行ったかと思えば、酒場なんて! ペローナでも覚えてることを忘れたの!?」

 

 芯の通った力強い怒声だ。

 耳に残るその声は、ついに旅装の男の名を呼んだ。

 

「——モリア!!! まさか話を聞いてなかったとか言わないでしょうね!!?」

「……うるせェなァ」

 

 ゆっくりと旅装の男は振り向いた。

 フードから現れた顔は、これが人の顔かと思うほどの凶相だった。鋭い三白眼に頬まで裂けた口、逆立つ髪は地獄の炎みたいだ。

 極め付きは喉を縦に割る縫い傷だ。何をすればあんな傷を負い、生き延びることができるのか。

 

「今は隠れて様子を探るってんだろ。分かってるよ」

「ウソつけ! じゃあこの騒ぎは何なのよ!」

「この雑魚どものせいだ。そこの奴がナメたこと抜かしやがるから……」

「男が言い訳するんじゃない!!」

 

 ぎゃんぎゃんと言い合い始めた男と女。

 ガブルはそれを店長たちとともに呆然と見ていた。

 だが海賊どもはそうもいかない。

 時間が経つとともに目の前で何が起こったのかを理解すると、誰も彼もが怒りで肩を震わせ始める。

 そうして、誰からか呟く。激情を込めて。

 

「こ、こいつら、ふざけやがって!」

 

 熱をあげる海賊どもの様子に、金髪の女が声をあげた。

 

「あの、ギーアさん、モリア様? 気をつけた方が……」

 

 だが一向に見向きもしない男女である。

 そして何より、その声かけはいかにも手遅れだった。

 恐る恐るといった風の声を掻き消すほどの、激しい怒号が店の中に響き渡ったのだから。

 

「ぶっ殺せェ!!!!」

 

 剣が光る。

 銃が火を噴く。

 海賊どもはどいつもこいつも鬼の形相で、言い合いを続ける男と女へ、四方八方から襲いかかった。

 殺される。

 普通なら。

 だがあの男女は、全くもって普通ではないのだった。

 

 

 

「うるせェ!!!!」

「!!!?」

 

 

 

 唱和とともに、海賊どもを攻撃ごと薙ぎ払ったのだから。

 振り上げられた巨大な腕とともに、突然の光と熱風が海賊どもを吹き飛ばす。

 ある者は窓や壁を突き破り、そうでない者は店の端まで転がった。共通するのは、反撃を前にしてなす術もなかったということである。

 だが今度はそれに止まらない。

 更なる変化が生まれたのだ。

 旅装の男が、その全身までも巨大化させ始める。

 

「——“影革命”、解除」

 

 今や男は天井を突くばかりだ。

 牙ばかりの口を歪ませ、額から角を生やした顔に見下ろされると、まるで絵物語に出てくる地獄の鬼を目の前にしたような気分になる。

 いや違う。

 恐ろしいのは姿だけが理由じゃない。

 気迫だ。

 酒場でたむろする海賊どもにはない、真に迫った迫力がこの男にはあった。対面して立つことすら恐ろしくなるほどの威圧感が。

 

「て、てめェ、まさか」

 

 言葉が上がる。

 反撃によって転がった海賊どもが、体を震わせながら起き上がりつつあった。だが連中は一様に顔を青ざめさせ、巨大化した男と赤髪の女を見る。

 

「鬼みてェなツラの大男と、火を噴く赤髪の女……! 間違いねェ!」

「お、おい、まさか」

「ああ。女はあの“金獅子”と組んだ大監獄インペルダウン初の脱獄者! 男は、そいつらを従えて天竜人をぶっ殺した稀代のイカレ野郎……!」

「百獣海賊団に挑んで生き延びたって噂は本当だったのか!」

 

 海賊どものざわめきは、ついにその名に行き着いた。

 男と女、二人の異名に。

 

「“死者王”ゲッコー・モリア!!! “葬列”のギーア!!! 二人合わせて懸賞金10億ベリーに届く大物だ!!!!」

 

 ガブルは理解した。

 この男や女たちもまた、海賊であったと。

 さっき吹き飛んだ巨漢が言っていた、かつて奴らの親分と戦って敗れた海賊が、こいつらだったのだ。

 けれどこいつらは死んでいなかった。

 生き延びて、この島を牛耳る海賊どもの前に現れたのだ。

 

「ウソだろ!? なんでそんなやつらが、こんなところに!?」

「決まってんだろ。逆襲だ」

 

 そう言って大男はにやりと笑った。

 とても笑みとは思えない獰猛すぎる顔には、この場にいる誰も彼も押し潰してあまりある戦意が満ちている。

 そうだ。決まっている。

 一度敗けたヤツが、勝った奴の手勢の前に望んで再び現れたのである。その目的は明らかだ。

 逆襲だ。

 再起である。

 自分たちはまだ終わっていない。今度こそ勝ってみせると、その意気を見せつけるために他ならない。

 そのために男たちはやって来たのだ。

 

「安心しな、殺しやしねェ。てめェらのボスに伝えてもらわなきゃならねェからな」

 

 大男は息を吸った。

 続く宣言を声高にするために。

 

 

 

「——ゲッコー・モリアとその一味! スリラーバーク海賊団が、てめェらを潰しに来たってなァ!!!!」

 




皆さんはガブルという登場人物を覚えていますか。
カリブーの扉絵連載で登場(?)した、カリブーのそっくりさんです。本作では子供時代ということで登場していただきました。

つまり今回の舞台は、原作で何かと攻め込まれることに定評のあるアイアンボーイ・スコッチが守るカイドウお気に入りの冬島です。
勿論彼にも登場してもらう予定ですが、敵勢にはもう一ひねり加えたいと思っています。次回でそのへん書こうとおもってるので、ゆるっと広い心で待っていただければ幸いです。





p.s.
他に2作、頑張って同時投稿しました。もし見てやっていただけると、とても嬉しいです。

ヒロアカ小説
https://syosetu.org/novel/239029/16.html

Fate小説
https://syosetu.org/novel/277396/2.html

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