<マイン>
率直に言えば紙が順調に完成した。やったー!
まあ後は水を切って乾かすだけだったからね。ハガキサイズで色んな種類が出来上がり、店主さんと確認した。
「……どうも、トロンベで作った紙が一番質が良さそうだね」
「そうですね……量産とかできないかなあ」
「トロンベを生やすのはかなり危険が伴うから難しいだろう。だが成木でも長く薬品に漬けたり発酵させたりすれば紙料として使えるかもしれない。一応は提案しておくか」
迂闊にわたしみたいな魔力持ちの魔力を吸わせたら急成長して生えます、なんて言ったら危険視されるかもしれないしね。
とりあえずややハンドメイド感ある紙の隅っこに小さくそれぞれ材料を書いて間違わないようにしておく。
書くものはとりあえず店主さんの持っていた筆と墨だけど……鉛筆、欲しいなあ。
司書課程の学科を学んでいると、とにかく本に関わる紙の歴史、筆の歴史、鉛筆の歴史なんかも知識として入ってくる。
大学で司書の資格を取ろうとするとまず言われるのが「本のことが好きで好きでたまらないような人以外は退屈になるので諦めたほうがいい」というふるい落としだった。「資格を活かす仕事も少ないし」と続き、半分ぐらいは最初の授業以降は出なくなる。懐かしい。
ともあれそのおかげで紙作りも多少は覚えがあるわけだけど、紙が順調なのだから次は鉛筆といきたい。
「店主さん、この街って黒鉛……なければ鉛とかってありますか?」
「あるよ。マインくんが必要になるかと思って買っていたが、黒鉛は一部のインクで使われているらしい」
「やった!」
黒鉛があるとなると鉛筆の芯は割と簡単にできあがる。砕いた黒鉛の粉を粘土と混ぜて焼けば出来上がりだ。
地球ではナポレオンの時代に万能科学者兼画家のコンテさんって偉大な人が改良して作った方法である。それまではそのまま黒鉛を鉛筆の芯に使っていたのだけれど、層状になっている黒鉛はペキペキ砕けやすいところを補強した形だ。
このコンテさんこそ、古くはマーク・トウェインの小説に出てきたザ・ボスのように、異世界や過去に漂流して地球の道具を作れる系の主人公に相応しい人物だ。エジプトに学術研究に行って道具を難破で失ってゼロの状態から原始的な錐とかナイフとかを作成して、顕微鏡だの気球だのライフルだのをサクサク作り上げて工場まで作れた。あらゆる道具の製法が彼の頭と両手に宿っている、と言われていた。
とにかく鉛筆の芯を作ったら棒状に固めて、木の板で挟めば鉛筆の完成になる。インクペンと違って少しの書き損じぐらいならパンでこすって消せるので、書類の試し書き、絵の下書き、仮の図面なんかを作るのに役立つ。
割と作るのは簡単なので紙の試作品と一緒に持っていこう。材料を混ぜて、マイクロ八卦炉で焦がし、細くして熱を取って出来上がり。硬さの調整なんかは製法を売った相手任せでいいと思う。
そうしているうちに店主さんが簡単に挟み鉛筆用の木を作ってくれた。二本の木で挟んでズレないように細い針金で固定する。
「鉛筆完成!」
「紙に比べて簡単でいいね」
「……ところで幻想郷って鉛筆使ってるんですか?」
「いや、筆と墨が主流だ。紅魔館ではペンを使っていたかな? 一時期、里の寺子屋に導入してはどうかとうちの商品を勧めたのだが……」
「だが?」
「書き損じを幾らでも修正できるとなると字を真剣に練習しなくなる、といった理由で断られてしまった。それに結局、里で幾らでも売れるほど鉛筆は入荷しない以上、大人になって使うのは筆だ。鉛筆で勉強させつつ、筆の稽古もさせなければならないという二度手間になる」
「ああ……わたしも昔は習字の勉強もさせられましたねえ」
現代日本の場合、社会に出て筆文字なんて書くことが少ないのにわざわざ練習させられるのは面倒だとも思っていたけど、幻想郷だと逆転するようだ。
「でも鉛筆って作家なんかに便利だと思うんですけどね」
原稿用紙に一発書きで筆で書き出し、修正するには二重線で消したりするとなると大変だ。
幻想郷で書かれた小説、という非常に興味深い本を貸し本屋さんからの貸し出しリストでチェックを入れている。推理小説らしいけど、すごく楽しみである。その作家さんはどうしたんだろうか。
店主さんは苦笑するような顔で告げる。
「いや、その作家先生に勧めてみたこともあるのだが、『文字や文章を書き損じたことがないので結構』と断られてしまったよ」
「凄い自信だ……」
「河童が出版したいというので下書き用に勧めてみたときもあっという間に商品をコピーされてしまって売り物にはならなかった……」
「幻想郷じゃあイマイチ売れそうにないですね……」
「まず作家が少ないからね。主に古い本の写しや外来本が読まれている」
少しがっかりした。この世界での商品だけでなく、幻想郷でも売れる商品を作れれば店主さんの収益増大が見込めるのだけれど。
「でも幻想郷で出版かあ……やっぱり木版印刷なんですか?」
「そうだね。外の世界の活版というのは、アルファベットならまだしも日本語を作ろうとすると活字が多すぎて大変だ」
「こっちの世界だとアルファベットに似た表音文字だからまだやりやすいと思いますけどね……そういえば香霖堂にも、貸本屋のリストにも外国の書籍がありますけど、英語読めるんですか?」
「僕は……そう、嗜む程度に」
「嗜む程度」
嗜む程度の語学力ってどういうものだろうか。
「外国からやってきた妖怪も幻想郷には住んでいるからそういう顧客もいるのだろう。あと妖怪は長生きだから、戯れに外国語を覚えている者も少なくない。弾幕ごっこで横文字を使うのもそのためだと僕は思っている」
「なるほど」
「それに小鈴くんはあらゆる文字を読める程度の能力を持っているからね。彼女にかかれば宇宙人の言語だろうが娯楽になる。読めすぎることで逆に解釈の楽しみが無くなっているとも言えるが──」
「……あれ? それなら『ヴォイニッチ手稿』とか読めるんじゃないですか!?」
わたしはふと思いついて食い気味に聞いた。あの伝説の書物!
店主さんは首を傾げる。
「なんだい? それは」
「ヴォイニッチ手稿というのは古書ハンターだったヴォイニッチさんが再発見したと言われている、解読不能の言語で書かれた作者不明の本です。内容は錬金術の知識か植物図鑑、はたまたデタラメの架空言語で書きなぐっただけと様々な予想されているんですが、それもまだ誰も内容を解読できていないからなんです」
この本が歴史に登場してから、様々な人が解読を試みてはそれを遂げられなかった。全く見たことの無い文字で書かれている上に、文字自体が悪筆というか筆記体のように崩れていて単語単位で分けることすら困難だったからだ。
ある学者は筆跡鑑定で作者を調べ、ある学者は頻出する文字とイラストから単語を推察した。
あるいは「これだけ多くの人が多くの時間を掛けて解読を試みたのに誰も成功しなかったのは、これがデタラメで意味のない言語で書かれているからだ」という主張も巻き起こり、しかしコンピューターで解析したところ少なくともラテン語と同じぐらいに法則が整っている言語だと判明し、それならば架空言語でも意味のある綴りになっているはずだとなったり。
「ふむ。書いたのが誰であれ、その人物が創作した文字であったとしても、当人に意味が通じるように書かれている文字ならば小鈴くんは読み取れるだろう。あの能力は言語学の異常発達というよりも超能力のサイコメトリー、或いは文字そのものに対するさとり妖怪の能力に近いものがあるからね」
「わあ……凄いなあ、読んで訳本作ってくれないかなあ……」
「そんなに気になるのかい? 聞いたところ、あまり一般人が楽しめる内容が書かれているとは思えないのだが」
店主さんの疑問にわたしはフンフンと鼻息荒く語った。
「この本に関しては素敵なエピソードがあって、それで本好きなわたしとしては記憶に残っていたんです。何十年も昔にヴォイニッチ手稿の解読に人生を掛けた人がいました。彼はアメリカ軍人のフリードマンさんという方で、暗号解読のプロフェッショナルです。
仕事の傍ら、ヴォイニッチ手稿の解読にハマってしまい、軍に研究予算まで申請するほどでした。まあ軍からは『そんなもの解読しても植物図鑑が一つ出来上がるだけ』と拒否されましたが彼は諦めません。職場で空いた時間を使って部下に手伝わせて研究しました。
軍を退役してからも奥さんと二人でひたすら解読を試みます。あるインタビュアーが彼に『これだけ多くの時間を費やして、どうしてそこまでしてこの本を解読したいのですか?』すると彼はこう言い返しました。
『この本が未だ誰も読んだことのない本だからだ』
シビレますよね……!」
「そ、そうだね」
なんか店主さんがわたしの熱に軽く引いている雰囲気だけれど。でも一冊の本に対してここまで情熱を傾けられるのは本当に凄いことだとわたしは思う。
ふと電子書籍リーダーのことを思い出してぐいっと身を乗り出して言う。
「そうだ! 幻想郷と外の世界を行き来してる人がいるんでしたよね。この電子書籍をくれた」
「宇佐美くんのことかい?」
「その人に頼んで、ネット上で全ページ公開されてるヴォイニッチ手稿を印刷とかして持ち込めないか頼んで貰えませんか? そして是非解読できたら訳本を……!」
現代日本はすっかり便利になって、ネット上で誰でもヴォイニッチ手稿が見れるのでにわか解読マニアの数が千倍ぐらい増加した。
人海戦術で数多くの解法が試され、あるいはスーパーコンピューターによる解析が行われているという。数年おきに「ヴォイニッチ手稿ついに解読!……か!?」みたいなニュースが流れる。でも確定的なことはまだ殆どわかっていない。定説が新しい解法で覆ったりするのも珍しくない。
「わ、わかった。今度伝えておくよ」
「お願いしますドゲザー!」
「しなくていいから」
いやあ、その幻想を架ける女学生ちゃんがいるおかげで、間接的に日本と幻想郷とエーレンフェストが繋がってくれて助かるなあ!
ヴォイニッチ手稿の翻訳がもし出来たなら、それも外の世界に発表してくれないかな。正しいと認められるかはともかく、世界中のマニアから注目されると思う。
すごーく手間が掛かってお礼の対価を用意しないといけないけれど、頼み込めば日本の新刊本を持ち込んでくれるかもしれない。
異世界に転生したというのになんとありがたいことか!
「……?」
「どうしたんだい、マインくん」
「いえ」
はて。
その流れで何かもっと大事なことがふと思い浮かんだ気がしたけれど、具体的な形にならないで霧散してしまった。
まあそのうちまた思いつく、かな?
とにかく試作品の紙と鉛筆を持ってギルド長のところへ行こう!
*****
商業ギルドの四階にわたしと店主さんは行き、そこでギルド長との面会をした。アポは取っていなかったけれど、要件を伝えたらあっという間に通された。
机に座るギルド長と、もうひとり白髪で皺の深いお爺さんが部屋に立っている。ギルド長よりも年上だろう。こちらを値踏みするような鋭い目をした人だった。
「おお、よく来てくれたなリンノスケにマイン。丁度、お前たちの作る紙について、この羊皮紙協会の協会長と話し合いをしていたところだ」
「羊皮紙とはまったく違う、外国の紙を制作、流通させたいとのことだったが……」
伺うように低い声で聞いてくる。こういう、あまり互いに知らない相手にまだ洗礼式も行っていない幼女が説明をするよりは、と店主さんに目配せをしたら彼が前に出て喋ってくれた。
「ええ。僕らが輸入している外国の本などに使われている紙を再現したものです。羊皮紙より薄くて軽く量産が利きます。ただ燃えやすく、破れやすく、濡れたら破損しやすいという点もあり保存性が羊皮紙より劣りますが」
植物紙の本と羊皮紙の本、一般的にどちらが残りやすいかというと……同じ条件で一冊だけとなれば羊皮紙だろう。
ただ現代に、江戸時代の本とかが結構な数残っているという事実はあるが、それは出された本の冊数が多くて幾らか残る可能性が高かった、ということらしい。羊皮紙の本はそれ自体の数が少ない。紙の本は特に手入れもせずに何十年か放置したらすっかり痛むし、下手をすれば虫に食われて穴だらけになってしまう。
なので重要書類や契約書は羊皮紙に……ってところなんだけれどそれもそれで、紙の契約書より全てにおいて勝るかというとそうでもない問題もあったりする。
単純に言えば羊皮紙にインクで書いた内容は、紙の表面をナイフで削ってインクを落とすことで改ざんが可能だったりするのだ。もちろん何度でもできるという技じゃないんだけれど。まあ紙の書類でも歴史上幾らでも詐欺師たちが改ざんの方法を考えついているから、一概にどっちがやりやすいのかとは言い切れないところもあるけど。
「羊皮紙協会で雇っている職人と店舗の従業員の暮らしを守らねばならん」
協会長はそう告げると、ギルド長は頷く。
「わかっている。だが現状……かなり前から、紙の需要に対して生産量が間に合っていないだろう」
「……うむ」
苦々しそうに協会長は言った。
なるほど、とわたしも納得するところである。羊皮紙というのは名前の通り、羊か或いは牛、山羊の皮を使って作られる。
これらの家畜に共通するのは成長が遅く、餌を沢山食べて、仔を生むのは年に一~二回程度、一匹ないし二匹程度という増える速度に難があるという点だった。
言ってみれば高級家畜なのである。そんなものの皮を使うのだから羊皮紙は高級なのだ。
単純に、とにかく飼育数を増やして安定供給させようとしても難しい点が幾つもある。まず餌。中世ヨーロッパでは、羊や山羊を放牧した森で植物が食べつくされて茨だらけの利用価値が低い森になった、という事例もあるぐらい沢山食べるため、広大な牧草地でも無い限りは難しい。
広大な土地で放牧していると今度は盗賊や狼なんかの監視が難しくなり、せっかく育てた高級家畜を奪われることもある。
また、疫病も問題だった。家畜に対しての獣医という職業が発達したのは近世に入ってからで、家畜を増やすということはそれだけ疫病で全滅させるリスクも増やすということだ。そして当然ながら、国による補助金とか保険金とかはほぼ無いので、疫病で家畜の多くを失えば畜産農家は破滅だった。
エーレンフェストで食肉としてよく使われている豚は沢山増やすのも簡単だけれど、生憎と羊皮紙には適さない。
まあつまり、羊皮紙は非常に高い上に、お金を掛けたからって無限に資源が湧いて出るような道具じゃないってことだ。中世ヨーロッパでも、王侯貴族の一部と聖職者しか羊皮紙を使わなかった地域と時代も珍しくない。一生文章を書くことがない貴族だって居ただろう。
ところがエーレンフェストでは、多分下級役人である門番の仕事でも、質は悪めだったけれど羊皮紙が出回っている。
下町の商人だって、一枚10万円ぐらいの感覚だけれどお金を払えば手に入る。
下町でこの調子なのだから貴族街ではもっと使われているに違いないから考えるに──再利用品を流用しているのだろう。
ぶ厚めに作った羊皮紙はナイフで表面を削ることで、多少汚くなるけど再利用できる。貴族街で使われ、然程重要ではないものを下町で再利用してるといったところじゃないかな。
「その点、僕らの作った外国の植物紙は、材料によって出来の違いはありますが資源は尽きません」
と、店主さんが説明する通りで、植物紙は植物を使う。それも大量ってほどじゃない。人が生活する上では薪なんかに使う分のほうがよっぽど多いだろう。
おまけに、トロンベやフォリンといった木材で作った紙は質が良かったけれど、作ろうと思えばそこらの雑草からだって紙は作れるらしい。わら半紙なんか藁屑から作れる。
「紙を普及させれば今は板に刻んで渡している招待状などの文書は紙に置き換えられます。丁稚や見習いに基本的な物事を教えるのに、紙に手順を書いて読ませることもできます。店の帳簿を保管することも板や羊皮紙より簡単でしょう。商業法や契約書を紙に写して保管することも、或いは──」
「本!」
「──本のような紙束をもっと安くで用意できます」
わたしの主張に、店主さんが仕方なく付け加えた。
「本?」
ピンと来ない協会長が聞き返した。基本的にこの下町では、商人だろうが本を読む人はほとんど居ない。残念なことに。
だけれども、だからこそこれから爆発的に本の需要が生まれる余地があるともいえる。
わたしは持ってきたルーズリーフの束をギルド長の机に置く。
「えっと、これは外国のメモ帳……自由に書き込める白紙の本ですが、そこにわたしが神話の本を書き写してみました」
「これが外国の本に使われる紙か!?」
驚いて協会長がルーズリーフをめくる。字の練習がてら、店主さんから貰ったメモ帳に書いてみたのだ。店主さんが神話の本も持っていたから。
渋くていかにも貴重品的な価値がある羊皮紙の本もいいけれど、こうしてコンパクトに、そして子供でもサラサラと写本できる書きやすさを持つ紙のメリットに気づかない商人たちではない。
手漉きの紙も表面が僅かにゴワゴワしているものだけれど、羊皮紙なんか更にペンで文字が書きにくかったりするのだ。うっかり脂のついている箇所だとインクを弾いて全然書けないという部分も出てくるぐらい。
真っ白で薄く、折り曲げることも穴を開けることも自在な紙のルーズリーフを驚きの表情のまま協会長は眺めた。
「もちろん、この紙は外国で工業製品として専用の機械を使って作られたものなので、新しい産業として手作りで始めるものより遥かに高品質になりますが。こちらが実際に僕らが作成したものです」
店主さんが試作品の紙を机に並べた。ちなみに、機械化された製紙業も実のところ手順は手漉き紙とそう変わらない。紙料を作るのに効率のいい木材や薬剤を使ったりするが、各工程を機械で半自動・効率的にやるぐらいだ。
手作り感溢れる……いやまあ手作りなんだから仕方ないけれど、エーレンフェスト木材製の紙をギルド長も協会長もしげしげと手に取って見た。
「書いてみても?」
「どうぞ」
ギルド長が紙にペンを走らせて試し書きをした。
「ふむ。引っかかりもなく、よく書ける。問題なく書類などで使えそうだ」
「これは作るのにどれぐらいの期間が必要なのだ?」
「一から材料を用意して……三日程度でしょうか。分業して材料の準備と製作を分ければ二日ほど。生産量は作るための道具を揃えた分だけ増やせます」
「たった三日でだと!?」
協会長が驚いた声をあげた。羊皮紙はそれこそ出来上がりに二週間から半月ぐらいは掛かるはずだ。おまけに、羊一匹の皮から契約書サイズで作れる紙は六枚といったところだろう。司書課程の授業でサラッと聞いた程度の知識だけれど。
紙を安定供給できるようになれば、紙の需要を増やすように働きかけることもギルド長が協力をすれば問題ではない。
兎にも角にも、降って湧いたような新商品だ。ここで羊皮紙協会が話を受けなければ、別の協会を立ち上げてでも生産に踏み切られるだろうことはギルド長との会談で既にわかっているようだった。
「……それで、製法と販売権利を、幾らで売るつもりかの」
ギルド長は咳払いをしてから続けて言う。
「腹芸は効かないようだから正直に言おう。これだけの商品だ、恐らく生産、流通に成功すれば今後永続的に利益が出続けるに違いない。その金額は将来を見越してとてつもない額になることはリンノスケも知っての通りだ。だから契約に関しての取り分は少々長期的に考えて貰ったほうがこちらとしても助かる。一括で大金貨1000枚などと言われても払いきれんからな」
大金貨1000枚! ええと、大金貨1枚が1000万リオンだから、100億リオン! 100億円とひとまずイメージするにしても経済が大きく乱れそうな額だ。
予め釘を刺すつもりで大きな額を言ったのかもしれないけれど、或いはそれだけの価値が将来的に稼げても不思議ではないとも考えているはず。経済の規模が大きく違うから単純な比較はできないけれど、例えば日本で最大手のメーカー『日本製紙』は製紙だけじゃなくて紙に関連するグループ会社も合わせて年間1兆円以上の売上があるぐらいだから。
だけれど額に関して、予め店主さんと相談はしていた。
あまり多く貰っても使い所も無いし、面倒を招く。店主さんからしてみれば本業ではないのでコレで大儲けすることはそこまで気乗りしないのと、わたしは大金持ちにならなくても本を読めて程々に文化的な生活が送れればいいのである。
店主さんが提案する。
「契約料は幾つかの条件のもとで、大金貨10枚で構わないよ」
「10枚!? それだけか!?」
「待て、条件について詳しくだ」
驚いた様子の協会長。大金貨10枚は日本円で言うと1億円ほどの高値だけれど、彼からすれば羊皮紙を1000枚売れば手に届く額で払えないほどではない。
慎重に条件を促すのは店主さんの値付けでこれまで散々驚かされてきたギルド長だった。
「条件は……そちらに製作、販売の権利を譲渡する代わりに、それらに関して降りかかる問題の折衝や対応をすべてそちらに任せること」
「ふむ」
「例えば紙を大量生産するにあたって必要な森林資源、水資源の利用に伴う利権や土地への影響。植物紙を積極的に取り入れ自らの領内でも作らせろという貴族もいれば、羊皮紙用に家畜を領地で大量に飼っている貴族からは紙価が下がるので反対もされるだろう。そういった問題に対して僕とマインくんは一切関わらない」
面倒だからね、と店主さんの心の声が聞こえた。
わたしは何なら本作りのためには矢面に立ってもいいぐらいの気持ちはあるのだけれど、店主さんは違う。この世界で大きく目立つことを嫌っているフシすらある──いやまあ、うっかり魔道具の作成なんてスキルを披露したせいで異様に目を付けられたのだけれど。
店主さんがなるべく関わり合いになりたくない大きな理由は、ここが人間の街で彼が半人半妖だからという点もあるだろう。
こんな見た目で100歳を軽く超えている店主さんは、もしかしなくても100年後でも生きているだろう。注目されればやがて店主さんがいつまでも老けずに、人外であるということがバレてしまう。
その生まれでお店を持つまで多くの苦労をしてきたであろう(半妖って物語だと大抵おつらい人生を送ってる気がするので、多分)店主さんからすれば黙っておきたいのもわかる。妖怪が跋扈している幻想郷ならまだしも。
「もう一つは紙の一般普及に際して出版協会を……」
店主さんがちらりとわたしの方を見た。
「このマインくんが洗礼式後に起こすので、手助けをして欲しい」
「出版協会?」
「有り体に言えば、紙への『印刷』を行い、本やチラシなどを大量生産するための仕事だ。これはこの街でも前例の無い商売なので、少なくとも軌道に乗るまではマインくんがやるしかない」
紙を作っただけでは本はまだ遠い。日本に紙作りが伝わったのは奈良時代。主に仏教系の本がこの時代に大量に作られ始めたのだけれど、それは言ってみれば特権階級の人の為の本だ。
そういうのもわたしは読んでいて楽しいのだけれど、わたしが暮らすのはあくまで下町の世界。つまり下町で本が流行ってくれないと本に囲まれる生活は程遠い。
自然に任せていてはいつになるかわからない。それこそ、庶民まで本が行き渡るのに日本は(戦乱があったとはいえ)千年ぐらい掛かってしまう。
そこでわたしがなんとか開発しないといけないのが活版印刷だ。金属の活字を組み合わせた印刷技術によってヨーロッパでは飛躍的に本文化が広まった。それまで本は、誰かが写本しなければいけない大変な作業によって生まれる高級品から、少々裕福な庶民なら手に届くものにまでなる。なんなら江戸時代をリスペクトして貸本屋をうまいことやれれば裕福でない人でも読めるようになるだろう。
活版印刷まで発明して、幾らか初期に大量生産の本を作って見せれば目ざとい商人たちはこれの有用性に気づく。ただし貴族や聖職者にも目をつけられる。その段階で、出版協会の権利を誰かに譲ってしまおう。
その後は……文学のブームでも起こってくれればいいと思うので、ペンネームでも使ってエーレンフェストに伝わるおとぎ話や、日本昔話をアレンジした物語本とかを出してみるのもいいかもしれない。触発されて創作が増える可能性もある。
そこまで至るのに何年も掛かるだろうけれど、それでいい。
病弱でいつ死んでしまうかわからない人生だったら生きているうちに本を手に入れようと近道を探し続けるかもしれないけれど、店主さんのおかげで病気も治って残りの人生は長いのだ。
香霖堂で店員をしながら、本文化がこの街に芽生えるように……少なくとも数十年以内には本が沢山作られるように、手助けをしていくのがこの世界でのわたしの目標だ。
まあ色々クリアしないといけない問題はあるんだけれど……これは店主さんのやりたいことじゃなくて、わたしのやることだから頑張らないと。ただ手助けというか、金属活字ぐらいだったら店主さんは作ってくれるらしい。日曜大工感覚で金属細工できるとかわたしに必要な技能全部カバーしてないかなこの人。
「そこの娘がやるのか? あんたがやるんじゃないのか?」
協会長が訝しげに聞いてきた。まあ、それはそうだよね。洗礼式前の小さな子供が新事業のリーダーなんて言われても、信じられないというより止めてくれという感情も浮かぶだろう。
「僕は精々手を貸す程度だ。彼女がやりたいことなのだからね。それに彼女は見た目以上に賢いから、無理そうなら他人を頼るだろう」
「はい。わたし一人だと多分無理なので」
試作的に活版印刷機を作る、までは計画出来ているけれど、印刷機を量産して工房を複数作ったり、印刷物を流通させたり、他に商売関係者との折衝なんかではわたしだと難しいところも出てくる。
そういったところで協力を貰いたい……というか究極的にはわたしは本が市場に出回るという結果だけ欲しいのだから。
「しかし出版か……庶民向けの本、というのも想像できんのだが、例えばどういうものを作る気だ?」
ギルド長に聞かれたので考えていた内容を答える。
「はい。まずは子供でも字を覚えられるように、『絵本』とか作れたら識字率があがっていいんじゃないかなって考えています」
「『絵本』?」
「ええと、動物とか果物とか神様とかお家の周りにある井戸とか荷車とか……そういったものの絵を描いて、単語を下に書くことで普段口にしているアレの綴りはこうなんだなって覚えていくと思うんですよ」
実際、単語の綴りがあやふやなのは大人でも多い。門での仕事を手伝ったとき、さすがに元商人のオットーはミスがなかったけれど、報告書なんかでもスペルミスが頻出していた。
大人なのに間違えるなんて、と思ったけれど実は現代社会でも国を問わず結構間違いは起こっているから、それよりも教育がしっかりしていないこの世界でも仕方ないことなのだ。なんだったら活版印刷で刷られた聖書ですら何度もチェックされたのに間違いが起きたこともある。有名なもので言えば『汝、姦淫すべし』と書いてしまったせいで非常に台無しになった聖書とか。
「なるほど……商人の子など文字を覚えないといけない子供は多いが、それに読み書き計算を教えるのはどこの家も苦労をしているというからな」
「フリーダも苦労したんですか?」
「いや? あの子は銀貨や銅貨で遊んでいたら自然と数字や計算を覚えてそのうち商品の納入リストと照らし合わせて勝手に覚えた」
「……」
「儂もそうだったからあまり苦労した記憶はないのだが」
金の亡者の血筋か……いや、本を読みたい、香霖堂で働きたい一心ですぐ文字を習得したわたしが言うのもなんだけれど。
親が読み書き計算のできる商人ならまだしも、親ができないけれど子供が必要な職場に見習いへ行くケースも無くはない。ルッツみたいに下層の大工の家からギルド長の家に行くのはほとんど無いにしても、例えば兵士になるために基礎的な教育を受けさせないといけない、とオットーが苦労していた。
そうやって兵士の仕事の合間に教えても身につかず、精々が名前を読み書きできる程度、多少の足し算引き算ができるぐらいといった能力を必要最低限としてそのまま勉強を終える人も多い。うちの父さんもその口だ。
「本は一冊買えば知り合いで貸し借りもできますから、少し高くても手に届く金額ぐらいになれば庶民にも普及するはずです」
現代日本でも幼稚園のときに買った絵本が実家に残っている家庭だって少なくないだろう。本は物持ちがいい。絵本が必要なくなったら他の必要な家庭に譲ってもいい。
「そうして識字率があがれば更に色んな出版物を大勢が読めるようになり、紙の需要もあがります。例えば『手紙』なんかで要件のやり取りをするようになったらまた配達の仕事が生まれ──」
言いながら。
ふと、またわたしの胸に小さな凝りのようなものを感じた。
体調が悪いんじゃなくて、なにかに気づけとばかりに焦燥する思いがある。
「……マインくん?」
「あ、いえ、大丈夫です」
ひとまずその考えを胸の奥に秘めたままで、わたしと店主さんは商談を続けた。
*****
羊皮紙協会は紙協会と名を変えて、羊皮紙も作り続けるが新事業として植物紙を作ることになった。
その日のうちに予め用意していた黒皮や紙料などの材料を使いながら、わたしと店主さんはその日植物紙作りの実践をギルド長立ち会いの下で、協会長や職人の棟梁たちに見せることになった。場所は香霖堂だと手狭なので、道具を運んで紙協会の工房でだ。
暫くは紙の作成に関して助言などをする必要があるけれど、すぐに新たな職人を集めて生産していこうと協会長は張り切っていた。
ちなみに鉛筆に関してはギルド長を仲介にインク協会へと売りつけ、植物紙用として生産をしてはどうかとのことだった。わたしも別に鉛筆屋さんになりたいわけじゃないので、人に任せてお金になるならそれでいいと思う。まずは紙の生産が始まってからだね。
今回の取引で得た額は大金貨10枚。店主さんがひとまず山分けということにして5枚貰った。ギルドカードには売ったレシピ分の貯金も入っているけど、この大金貨5枚だけで父さんの給料41年分の稼ぎ……正直、貯金も合わせると残りの人生働かなくても生きていけるほどもう稼いでしまった。
少なくとも余裕ができた。
体は健康になってきたし、体力も香霖堂までなら歩けるぐらいについた。
お金は十分あるし、紙作りという目標は達成した。活版印刷機も一年を目処に作ればいいだろうと思う。
レストランの助言をする仕事はあるけど、実際にやるのはギルド長やフリーダだ。
ルッツも見習い先が見つかったし、家族だって平常通り。ちょっとずつ衛生と食生活を改善していけばいい。家に入れるお給料は父さんが凹まない程度に出していけば、家族全員十分暮らしていける。
だと言うのに、何かつっかえる気持ちが胸に渦巻いている。
なんだろうか……ぼんやりとしながら、交渉の翌日、香霖堂の掃除をしていた。店主さんは紙作りの様子を見てくるので、店番を頼まれていたのだ。
掃除といってもアリスさんが徹底的にやったものだからそう払う埃も無い。いつの間にか並びが変わっている本棚を整理しなおすぐらいだ。無心になって本を並べる仕事は幸せだけど……
と、本棚から紙切れが落ちた。
慌てて拾い上げると、新聞のスクラップのようだった。
「あ……ああああ」
そこに書かれている記事を読んで、思わず声が漏れた。
日本の新聞だ。地震について書かれている。その地震で不幸にも本棚に潰されて死んでしまった、新卒の二十代女性……本須麗乃のことを。
わたしが死んだ証明だった。
「は、ははは……参った、なあ……実感はあったし……忘れてもいないんだけど……こうして、死亡記事まで見ると」
本当にわたしは死んで、もう日本には存在していないのだという証拠で。
記憶の中に残る日本という故郷が、家族が、実家が、友達が……とても遠くに感じた。
もう会うことも帰ることもできない。姿を見せることもできないし、見せたとしてもまったくの別人になってしまっている。
喧嘩することも、一緒に笑うことも、おかんアートの新作を手伝うことも、本の買い物に付き合ってくれることも、そしてあの日本で発売を待っていた新しい本を読むことも──できない。
『それは本当に?』
耳を撫でるような声がした──気がして、慌てて振り向いたけれど、そこには何も無い。本棚の隙間があるだけだった。
「お母さんに会いたい……けど、会えない。日本に行く方法なんて、無いから」
言葉を出して確認をしながら、絶望的な気分になった。胸の奥が痛くなる。そこを押さえながら、考える。
世界を移動する方法なんてわからない。ただ一つ、香霖堂という別世界と繋がっているお店に入れるだけだ。
香霖堂は日本のどこかで結界に閉ざされている幻想郷という世界にある。新聞記事があるということは、幻想郷がある日本とわたしの住んでいた日本はパラレルワールドでもなく同じ国だ。幻想郷に外の世界から人が入ることは珍しくないけれど、逆に幻想郷から人間が外へと出ることはほぼ不可能だという。
ほぼ。
……ただ一人、わたしに電子書籍を持ってきてくれた、外の世界の女学生──宇佐見菫子さん以外は。
わたしはその菫子さんに、外の世界から電子データのヴォイニッチ手稿を持ち込んで幻想郷で解読してくれたらな、と願った。
逆に──幻想郷から電子データ、或いは『手紙』を外の世界に持ち出せる……のではないだろうか。
わたしの、お母さんに宛てた手紙を。
*****
その仮説を店主さんに話すと彼はどこか達観したような目でこう言った。
「宇佐美くんに頼んでみよう。君が好きなように手紙を書くといい」
「でも……死んだ娘からの手紙なんて、不気味がられませんか。それに別世界で生まれ変わっているなんて現状を書いても荒唐無稽だと思われないでしょうか……」
「それでも、何か伝えたいことがあるのだろう? 書きたいことを書けばいい。確かに不思議には思うかもしれないが、古来より世界中で死者からのメッセージというのは珍しくない現象だ。降霊術というものはもともと死者の言葉を借りるために生まれたものなのだ。神霊や精霊を呼び出す術というのは実のところそれなりに新しい技術でね。古来では神霊からの言葉を借りるには、死者の霊を呼び出しての又聞きという形が多かった。祖霊信仰の一種でもあるが、死者は神霊と近しい関係になるという考えから生まれたからね。基督教でも預言者の下に過去の預言者の霊が現れているし、印度では死者が輪廻転生した姿になって言葉を伝えにくる説話もある。日本でも野ざらしに死んだ幽霊が自らの屍を弔って欲しいと頼みにくる落語もあるだろう。こういった死者との会話は、超常的なことを教祖や主神以外に許さない宗教によって否定されたりもするが、本質的な願望として人は自らの心の安定のため、死者と語り合いたいものなのだ。それこそ、魔法の力を借りてもね」
店主さんの長い説明に曖昧に頷く。
死んだ娘から手紙が届いたら。悪質な悪戯だと思うだろうか。いや、わたし当人しか知らないことを書けば信じて貰えるかもしれない。
だけれど火葬まで終わっているわたしが生きている、という内容を見ればもっと困惑したり、苦しんだりするはずだ。内容は考えないと。
「そこで手紙を書くならこれを使うといい……」
「なんですか──ウワー! なにこれ!? 古いオモチャ!?」
「『よこうち式カセットタイプライター・レターメイト』だよ! 拾ったのだが使う機会がまるでなくて……ほら、魔法のプリンセスの絵も描かれているからまさに魔法の力を借りた手紙に相応しい」
店主さんが出したのはピンクな箱に入れられた、ピンクなつまみとピンクなボタンが幾つもあるロール紙付きのミシンの一部みたいな形をして、ピンク髪のミンキーモモが印刷されている道具である。
レターメイト。実は司書課程の授業で手紙に関して講義を受けたときにちょっと出てきたので知っている。昭和の頃に作られたオモチャのタイプライターだ。
つまみには平仮名、片仮名、英数字のダイヤルがあって、それを合わせてボタンを押すとカーボン紙によって下に入れた紙に文字が打たれていくものだ。
もうなんというか普通のタイプライターより凄く使いにくそう。
店主さんはキラキラした視線を向けながら「さあ使ってみたまえ!」と勧めている。拾ったはいいけど、使ったことは無いらしい。
「い、いやあの。お母さんに送るものですから、手書きで書いたほうが本人だと信用されるのでこれはちょっと……」
「そうかい……」
店主さんの頭頂部から上向きになった髪の毛がへにょっとしなびた。残念そうだ。
でも、お母さんに大事な手紙を送るのなら手書きにしたい。
きっと最後の手紙にしようと思うから。
それからわたしは手紙を書こうと、ペンと紙を借りて香霖堂にいる間はずっと机に向かって文面を考えていた。
書き始めては、やめて。何枚も紙を無駄にした後、鉛筆と消しゴムで下書きをすることにした。
何度も書いて、何度も消して、書いているうちに涙が出てきて、紙が滲んで駄目にした。
結局その日は殆ど書けないまま家に戻り、家でも家族からぼんやりしていると言われるぐらい、手紙について悩んでいた。
なんて書けば悲しまれないだろうか。
どう書けば喜ばれるだろうか。
なにを書けば心配されないだろうか。
どれだけ書けば……諦めがついてくれるだろうか。わたしも、お母さんも。
それから何日もわたしは手紙を完成させられずにいた。
家で家事を手伝い、香霖堂で悩み、その間は紙作りの交渉とかを店主さんがやってくれていた。
わたしはいつまでも手紙に向かって、何度も何度も、ほんの短くて内容も簡単なはずの手紙を書いては消していた。
店主さんが言うには、菫子さんに頼んだところちゃんと日本に手紙を持っていってくれることを約束したらしい。わたしの魔石を『オカルトボール』というものに加工して『死者からの手紙』という都市伝説を付与することで幻想郷の管理者からも没収されない事象として手紙を持ち帰れるという。
一行を書くだけでつらかった。
本が好きだから文章を書くのが得意、というわけじゃない。でも小論文を書く勉強は沢山したし、書評や本の感想なんかはスラスラと文字が浮かんできて書けた。
でもこの手紙は、伝えたい言葉は簡単なのに全然筆が進まない。
本を読みながらキャラクターの心情について自己投影して感動することは、好きで本を読む人なら幾らでもいる。
わたしだって何冊もの本で、架空の人物の心を覗いては泣いたり笑ったりしてきた。
だけどこの自分で書いている手紙は──それを読むであろうお母さんの心情を想像するだけで、涙がボロボロとこぼれてしまった。
きっとお母さんは、凄く凄く悲しんでいる。お父さんを失ってから女手一つで育てて、本好きで中毒で生活能力皆無でダメダメだった娘をちゃんと生活できるようになるまで大事に育ててくれて、数え切れないぐらいの時間と、誰よりも多くの愛情と、そして心配をずっとしてくれていた。
そんなわたしが、最期の言葉も残さずに、お嫁さんになった姿も、孫の顔も、ちゃんと本好きだけどまともに働いて生きて行けているという人生も見せずに死んでしまった。初任給で美味しいご飯でもレストランで一緒に食べることも、密かに計画していたのにそれもできなかった。
どれだけつらいか、親不孝か、身悶えるぐらいわたしは悔やんだ。
異世界に来て、香霖堂があってラッキーだった。地球では読めない本が手に入る。幻想郷という閉ざされた楽園とも繋がりができた。死んでしまったことは仕方がないから、前向きに本を楽しもう。
そう思っていたのに、お母さんに手紙を書くというだけでわたしがどれだけ家族や友達に迷惑を掛けたか現実を突きつけられているようで、とても気が沈む。
だけれど。
何度も「もう書くのを止めようか」と思って紙を無駄にしても。
それでも書いた。
このままだとお母さんがあまりに不幸すぎる。救いがなさすぎる。
わたしの手紙で幸せにすることなんてできないけれど──
それでも、麗乃が伝えたかったことを伝えられないままでは、いけない。
推敲すれば推敲するだけ、拙い文章になっていく。まるで子供の手紙だ。
全てを伝えることなんてできない。
麗乃が死んだ、ということに区切りをつけさせることしかできない。
この手紙は、他の誰でもなくわたししか書けないものだから。
*****
『 お母さんへ。
こんにちは、お母さん。久しぶりに手紙を書きます。前に書いたのは、小学校のときに親へ日頃の感謝の手紙を贈りましょう、みたいな行事のときだったかな。
驚かせてしまっているかもしれませんが、この手紙をお母さんが読んでいるとき、わたしは恐らくこの世にいないでしょう。
この手紙は、もしわたしが突然の事故や災害でお別れを言えないまま死んでしまったときに、知人に出して欲しいと預けていた手紙です。
そんなことが起こるなんてわたしも思いたくないけれど、なにが起こるかわからないのでこうして筆を取りました。
お母さんに伝えたいことは、とても手紙では収まらないぐらいに沢山あります。
お父さんが亡くなってからずっと、本を読んで引きこもっていたわたしを諦めずに、洋服を選んでくれたり、髪を整えてくれたり、美味しいご飯を作ってくれてありがとうございました。
本にのめり込みすぎたわたしに他の趣味を見つけるよう、様々な『おかんアート』を一緒に試してくれてありがとうございました。実はとても楽しかったし、役に立っています。
大学に行きたい、司書になりたいって言ったときも呆れた様子だったけど、背中を押してくれてありがとうございました。
お母さんの子供に産まれて、わたしはとても幸せでした。道半ばだったのは、残念だけど。
そして謝らないといけないことが沢山あります。でも、幾ら謝っても取り返しがつかないし、とても悲しいので、ここでは謝りません。もうどうしようもないことなのです。
わたしは、わたしのことよりもお母さんのことが心配です。どうかお体に気をつけて、長生きをしてください。趣味で本を読むことなどオススメです。無料のウェブ小説とか無限のような量があるので読んでいて飽きません。
麗乃はどこか遠い世界で生まれ変わって、本を求めて元気に生きているとでも思ってくれればなによりです。きっとどこで生まれ変わっても、わたしは本好きでしょう。修ちゃんにもよろしく伝えてください。
お母さん、これまでありがとう。ずっとずっと大好きだよ。
本須麗乃 』
*****
──手紙を書き終えたわたしは、鼻を啜って「よし」と呟いた。
これでいい。手紙は一通だけしか出さない。もし本当に、どこかで生きているとなればお互いに諦めがつかなくなる。
本須麗乃が死んだことは紛れもない事実で、本来なら手紙さえ出すことができないぐらい遠い世界に隔てられているのだから。
下手な希望を持って、いつか手紙のやり取りができなくなったときにお別れも言えないままになるぐらいなら──今ここでお別れをしてしまおう。
「本当に一通でいいのかい?」
店主さんが聞いてくる。優しい人だ。この人に出会って、この店に行き着いてからわたしの運命は大きく変わっただろう。
もし魔道具も無ければ本も無い、仕事も手伝ってくれる大人がいない状況だったら……いつか病気で死ぬことは確定としても、もっと悲惨な運命だっただろう。
彼に感謝しながら、わたしは頷いた。
「はい。でも、別の目標もできました」
「というと?」
「物語を書こうと思うんです。わたしがこの世界で目覚めてから、どう生活をしていたか。どういう人たちと出会って、どんな商売を始めたか。これからどんな困難や出会いがあるのか……このエーレンフェストでの、マインの物語を」
わたしの人生の物語を。
「そしてそれを電子データにして……香霖堂のパソコンをどうにか使えるようにすればできると思うんですよね。また菫子さんに渡して、マインの物語を現代日本でウェブ小説として投稿して貰えたらなあって。もしかしたらそれが、お母さんの目に入るかもしれないし」
まさか、物語に出てくるマインという主人公が麗乃の生まれ変わりとは思わないだろうけれど(そのあたりはボカそうと思う。個人情報丸出しだから)
ただ本好きの、元日本人の少女が異世界でも元気にやっているという物語を読んでくれたら──少しは感情移入してくれるのではないだろうか。
「……なるほどね。幻想郷を暴こうという情報は管理者にとって危険だから気をつけたほうがいいと思うが、まあ面白い試みではないかな」
「はい! わたしがここで生きた証明を、他の人にも伝えたいんです!」
絵本や教科書、パクリの昔話ならまだしも。
自分自身を物語にした私小説みたいなものをわたしが書くなんて今まで思いもしなかったけれど。
お母さんが見てくれる可能性が幾ら小さくても、それでもわたしは書こうと思った。この素敵な出会いに対して、当然のように過ごすには罰当たりだ。
このつらい世界で出会った優しい人との交流を。奇妙なお店へやってくるお客たちを。二人で新しい事業を始めていく未来を。
「タイトルはもう決めてるんです! そう────
『本好きと香霖堂』!」
<第一部・完>
ウワー!(挨拶)
感想はありがたく読んでいるけれど返信が無いのは、面白い返信をしようと悩んだら作者が徐々に精神を病んでくるという意味不明の病気だからだぜ! 感想自体はありがとう! 評価は入れてくれたら超助かる!
関係ないけど、最終話でメインタイトルを回収するアニメとか好き。いや具体的に作品名出せって言われても詰まるけど。
色々まだ謎やら伏線やらこれからアリス人形によるエーレンフェスト介入やら貴族の思惑やら残っていますが
とりあえず母親への手紙で一部完にするのがいいなーって前から思っていました
異世界転移もので、残した家族がいい人だった描写があるとつらくなる症候群!
はぁーしかしアリス可愛いが足りねえ……
・魔界肉じゃがなんて言っていたけど鈴奈庵のレシピ本で肉じゃがレシピを確認するアリス
・ワクワク! 慧音先生と生徒たちとの紙作り体験する霖之助
・マインくんを膝の上に乗せて本を読む霖之助の話を聞いて死ぬ金髪の子
・パジャマ片目隠れで家で霖之助に対応する幽香
・ママな神綺様が香霖堂に来ようとして慌てるアリス
などなどネタはあってこの話で入れようかと思ったのだけれどお母さんへの手紙ダメージで入れられなかったぜ!